TIGHTROPE~Broken dolls of the fallen. (信濃 一路)
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Episode1 望春 ~ It is still as yet early spring

 

「なあ、レイト。明日、ウチに新入りが来るんだとさ」

 

 午前の授業が終わり、学生生活のささやかな楽しみである昼食の時間。俺は学食のテーブルで焼きそばパンを頬張りながら、忙しなく喋る友人の話を上の空で聞いていた。食事の時間は食に集中するのが糧となる動植物へのリスペクトだろうに。最期の一口をゆっくりと咀嚼して飲み下す。

 

「リョウ、その話はお前の目の前にあるラーメンが伸びる事より大切な事なのか?」

 

 パックのカフェオレを味わいながら指摘する。奴の手にしたどんぶりの中のラーメンは、見るも無残にふやけ切っていた。只でさえ不味いと評判の学食のラーメン。それがこうなってしまってはご愁傷さまと言う他ない。

 

「……ああ、大事だね。仲間だぜ、な・か・ま」

 

 何とも情けない顔をして、伸びたラーメンを奴は自棄になって啜り上げる。恨みがましい目でジロリと俺の方を睨んだが、それは八つ当たりというものだ。席に着いてから延々二十分も「来るなら女の子がいいな。もちろん美人の♪」などと愚にも付かない事を捲し立て、時間を浪費したのはお前だろうに。むしろラーメンに謝れ。

 

「佐塚の代わりの、か……?」いつもなら奴の隣で、()()()()()()学食のラーメンを啜っている彼の姿は、ない――空になったパックをゴミ箱に投げ入れると俺は席を立った。

 

「……そうさ。俺達みたいな()()()()()の代わりは、他にも居るって事なんだろうな」

 

 物騒な話題を世間話の様にぼやきながら、どんぶりを返却して俺の後を追う。食堂を出た所で五時限目の授業の予鈴が鳴った。

 

「次の時間は戦術人形についての講義か。今更って気もするが、一般教養の授業よりはマシだな」

 

 奴はそんな事を言いながら大きく伸びをする。それには同感だが、一般教養……知識というモノは人生と云う次の戦場においては武器となる。努々疎かには出来ない。ましてや()()()()()の俺達がこうして高等教育を受けられるのは命を張っている対価なのだから。

 

「なあ、リョウは此処を卒業したらどうするんだ?」ふと、能天気な友人に問いかける。

 

「なんだよ、その死亡フラグへ誘導するような質問は……」呆れたように俺を見ながら奴は、「考えた事もねぇよ。今は特にな――」と、かぶりを振ってそう答えた。

 

「……すまん」自分が無神経な事を言っていることに気付く。

 

 都筑(つづき)(りょう)――この同郷の幼馴染は、戦死した佐塚と仲が良かった。同郷以外と壁を作ってきた俺とは違って。いなくなった友の隙間を埋める手段は、何も嘆き悲しむだけではない。そんな当たり前の事を想像すら出来ていないとは。

 

「いいって。けどよ――」少しだけ寂しそうに笑った都筑は廊下の窓の外に拡がる海を見やると、

 

「それまでにやりたい事だったらあるぜ?」

 

「ああ、そうだな……」同じ紺碧の海の彼方を睨みながら、俺は強く頷いた。

 

 まだ冬の余韻の残る荒れた海の向こうに微かな島影が見えた。青巒島(せいらんとう)――日本近海に浮かぶ、明瞭風靡な自然に彩られた島嶼……俺達の故郷。

 其処には雲の上にまで届くかのような逆円錐形の巨大な“柱”が、まるで墓標の様に突き立てられていた。(ピラー)――それは二年前、俺達の日常を奪った絶望の象徴。

 

 俺達はじっとそれを睨む。張詰めた静寂の中、五時限目開始のチャイムが鳴った。

 

「しまった、次の講義は指令の担当だったよな……?」

「あの人だと笑顔で放課後フルマラソンとか言ってくるかもしれん……」

 

 俺と都筑は顔を見合わせると、脱兎のごとく廊下を駆けだした。幸い、この学校の始業時のチャイムはかなり長い。終了までに教室に辿り着ければお咎めなしだ。「神崎、都筑……廊下を走るんじゃない!」そんな教師の声が背中越しに聞こえる。

 

「でも遅刻したら怒るんでしょうが――」後ろをちらと見ながら都筑が苦笑した。

 

 俺も後ろを見やる。窓の向こうに見える荒波。あの紺碧の海の彼方に向けて、俺は誓う。

 

(いつか、帰るんだ。皆で、必ず――)

 

□ 

 

 ――かつて俺たちの世界は滅びに瀕していた。

 

 今から思えば冗談のようだ。

 実際俺も大人達が大袈裟に語っているだけのフェイクだと思っていた。二年前のあの日までは。

 

 二十年前の七月。中東に巨大な物体が出現した。成層圏を突き抜けて聳える錐……いや“柱”と言うほうが相応しいその物体は、やがてその地に因んでバベル・ピラーと呼ばれるようになる。明らかに人工の、異種文明の産物。それを巡って国家間の駆け引きという名の下らないやり取りが行われ、結果として人類は致命的なミスを犯した。

 

 明らかに此方の出方を待っている相手に対する、強硬派による先制の核攻撃。

 

 それは相手にこちらを明確な敵だという認識を与え、人類は機甲体・デザイアとの済崩し的な戦争へと陥ってしまう。技術力で上回り、核すら決定打にならないデザイアに対して人類は為すすべなく蹂躙され、年明けを待たずしてユーラシアとアフリカの大半から人類は駆逐された。

 

 窮地に追い込まれた人類だが、フェリオン粒子の研究を行っていた日本国鷹月重工がデザイアに対抗できる人型戦術兵器タクティカルドールの開発に成功。同国への侵攻拠点であるトウキョウ・ピラーの攻略を成し遂げる。デザイアとの軍事バランスは入れ替わり、人類の反撃が始まった。

 

 開戦より五年後。各地の奪還に成功した人類は、デザイアの本拠地であるバベル・ピラーへの攻撃を敢行した。しかし、その作戦は歴史的惨敗に終わる。戦力の集結を待たずに決戦を強行したのだから当然の結果だろう。その時の作戦立案者は来栖(くるす)征史郎(せいしろう)大佐。各地のピラーを攻略し、大戦の英雄と呼ばれた男だった。

 

 結果としてデザイアは依然健在なまま、各地にピラーを送り込んで侵略を続けている。以後十数年間、戦争は膠着状態となっていた。

 

 今から二年前のクリスマスイブ。大陸中心となっていたデザイアとの戦争による特需で沸く日本に、合計七本の中型ピラーが撃ち込まれた。防衛軍の主力を大陸に派遣し、手薄となっていたこの国の対応は後手に回り、各地を蹂躙するデザイアによって多くの犠牲者を出す事となる。

 

 膠着する大陸情勢から派遣軍の撤退を()()()()()に許されない日本は、状況を打破するために国家非常事態を宣言。以下の二つの形で国内戦力の増強を図った。

 

 一つは予備役の国防軍軍人の強制招集。

 そしてもう一つが十五才から十九歳迄の少年少女の志願者からなる学徒兵の半徴兵化。

 

 俺と都筑はそんな学徒兵の一人だった。

 進学や就職といった餌に釣られ、命を賭けて侵略者と戦う、ありきたりの学徒兵。

 

 ここで俺達は戦術人形(ロボット)に乗って侵略者(デザイア)と戦う。まるでロボットアニメの主人公の様だけれど、俺達は選ばれた存在だったり特別な力があったりする訳じゃなかった。むしろ()()()()()だったからこそ、俺達はここに居る。

 

 H県学徒兵第三大隊所属1023小隊。通称は“鉄屑”(Scrap Doll)。それが俺達の部隊の名前だった――

 

 

「……遅刻者は無し、か。残念だなぁ……個別訓練の為に放課後時間を空けておいたんだが」

 

 息せき切って俺達が教室に駆け込むと、教壇に立つ二十代半ばの男がこちらを見てニヤリと笑った。癖のある髪をラフに伸ばした偉丈夫。整った顔立ちは所謂イケメンなのだが、頬に伸びる貧乏くさい無精髭が台無しにしている。笑顔に光る白い歯が印象的な、典型的な体育会系。

 

 ……我らが指導教官にして小隊指令の(さかき)泰吾(たいご)中尉殿だ。

 

「指令殿の講義は、実践的で、とてもタメになりますから! 何時も楽しみにしております――」

 

 年の割に子供っぽい目で睨まれた都筑が、言わなくてもいいヨイショをする。俺は心の中で溜息を吐く。果たして榊指令の口の端が悪戯っぽく吊り上がった。

 

「そんなに俺の講義を真面目に受けていたとはなぁ。都筑、それは殊勝だな。それなら前回説明した戦術人形の動力源であるフェリオン・リアクターについて、覚えている事を言ってみろ」

 

「え、と……フェリオン・リアクターとは光粒子変換機の事で――」

 

 榊指令に指名され、しどろもどろになって解説を始める都筑。横文字を日本語に変換しても意味はない。碌にノートも取っていないことがバレるのは時間の問題だろう。少々可哀想に思えるが自業自得だ。

 

 そんな風に思いつつ、俺は端末を取り出すと講義の準備を始める。都築ではないが、俺は榊指令の講義が嫌いではなかった。机上の知識だけでなく、実際の戦場での経験を交えた講義内容には毎回引き付けられるものがあったから。戦傷で一線を引くまで国防軍のエースであった人物の話にはどこかの()()様とは違って重みがある――

 

「で、フェリオン・リアクターは大気中のフェリオン粒子を吸気、圧縮することで粒子が太陽光から蓄積したエネルギーを抽出します。大気そのものがエネルギーの供給源となるこのシステムの開発により、人類は長きに渡るエネルギー紛争から解放された、ともいえるでしょう」

 

 直ぐにボロが出ると思っていたが、都筑は中々に纏まった説明を続けている。さては――

 

(所謂、司法取引って奴?)都筑を挟んで左隣の席に座る()()の髪をサイドポニーに纏めたた少女が無表情にこちらを見ていた。(さては何か奢ってもらうって事か……でもそれ、用法が違うからな……)俺は心の中で呟く。

 

 少女の名は陽ヶ崎(ひがさき)菜々星(ななせ)。俺と都筑と同じく青巒島出身の、一つ年下の幼馴染だ。贔屓目に見ても発育の足りていない幼い容姿なのだが、これでも俺達より授業の成績は良い優等生だ。彼女は()()()()と呼ばれる能力者で、固有の能力(エフェクト)として心話(テレパス)を持っていた。

 

「このように人類に多大な恩恵を与えたフェリオン粒子ですが、本来はデザイアが侵攻時に散布した、オーバーテクノロジーの産物であり、何故これを敵であるデザイアがこの星に齎したのか……その謎は今もって解明されていません――」

 

「まあこの辺でいいぞ」榊指令が何とか説明を終えた都筑、そして陽ヶ崎に片目を瞑って見せる。

 

「まさかフェリオン工学の話まで始めるとはなあ。感心な事だ」

 

「は、恐縮です……」冷や汗を流しながら都筑は着席。ま、指令にはバレてるよな。

 

(リョウちゃん、ケーキ食べ放題、よろしくね!)歓喜する陽ヶ崎の心の声が、俺にも聞こえた。

 

 

「――以上がトウキョウ・ピラー戦の概要となる。この際に確立されたタクティカルドールと歩兵隊の連携による強襲戦術は以後のピラー攻略の基礎となり、多くの国を開放へ導いた。……さて、これとタクティカルドールの基本戦術パターンを確立させ、自らもエースとして多大な戦功を挙げた人物……神崎、それは誰だ?」

 

 五限目の講義の終わり際、榊指令の質問を受けて俺は憮然とした。答えは誰でも知っている。この国……いや世界でその名を知らぬ者はいないであろう男の名。

 

「は、……来栖征史郎……大佐です」その名をやっとの思いで口にする。

 

「……殉職されて最終階級は少将となられたがな。あの大戦においてデザイアを中型769機、大型47機、要塞級4機撃破。このスコアは未だ破られていない、実在した伝説って奴だ」

 

 淡々と語る榊指令の声に憧憬の色が窺えた。俺は心の中で舌打ちをすると、

 

「来栖大佐の記録には国威高揚の為の誇張が含まれていると言われていますし、榊指令の大型52機撃破だって十分伝説だと思いますけど……?」

 

 口の端に皮肉を浮かべて発言する。競合するライバルも無い時代で稼いだ戦果と戦術の統制の中で挙げる戦果。何方が容易かは自明の理だろう。

 

「大型に有効な兵装が開発されたのは、来栖少将が一線を退いた後なんだよ……」

 

 そんな俺にかぶりを振りつつ、榊指令は諭す様に言った。

 

「ともかく、だ。俺が言いたいのは、お前達は決して英雄(ヒーロー)じゃないって事だ。そして()()()()()()()だった俺が足元にも及ばない、あの来栖少将すら最後は凶弾に倒れている。だから――」

 

 指令の視線がクラスをぐるりと見渡す。とは言ってもTD操縦士のみで編制された俺達のクラスには四つの席しか存在しない。俺の席、陽ヶ崎の席、都築の席。そして花の活けられた花瓶が置かれた――前回の出撃で戦死した佐塚の席……

 

「生き残れ……それだけがお前らの勝利条件だ。いいな? では今日は此処までだ」

 

 珍しく笑っていない指令の眼差し。起立、礼。教壇を後にする彼のトレードマークの無精髭が、今日は綺麗に整えられている……その事に俺は今更気付いた――

 

 

「それにしても、レイトってホント来栖征史郎が嫌いなんだなぁ」

「当然だろ? あいつがバベル・ピラーで惨敗しなきゃ、俺達はデザイアに怯えて暮らす事は無かったんだ。島の皆だって――」

「けどよ、追い詰められた人類を此処まで挽回させたのも、お前の嫌いな()()殿()なんだぜ?」

 

 放課後、下校中に行きつけの喫茶店に寄った俺達は、山のようなケーキに囲まれてご満悦の陽ヶ崎を横目に見ながら、都築の買った雑誌を回し読みしていた。Twilightという少女向けの雑誌なのだが、今回は何故か学徒兵の特集が組まれている。

 

 次期、S県鷹月市で新規編制される学徒兵の戦術人形(TD)小隊。

 メンバーにはあの英雄・来栖征史郎少将のお嬢さん(優奈(ゆな)さん/16才)の姿も――

 

「前のインタビューの時も思ったんだけど、優奈ちゃんって可愛いよなあ。凛とした気高さと桜色の髪の愛らしさが絶妙に同居しているって感じで。さすが英雄の娘って事かね?」

「……英雄の娘と美人かどうかは関係ないだろ……」

 

 俺は突き出された雑誌を手に取ると、特集のページを流し見る。何処かの中学校の制服を着た少女が、取材慣れした視線をカメラに向けていた。都築の言う通り綺麗な子だとは思うが、どこか硬く張詰めた印象。雑誌には私服姿なども掲載されていて、宛らアイドルのような扱いだ。

 

「結局は世論誘導用のお飾りって奴だろ? 不慮の死を遂げた英雄の娘が、父の遺志を継ぐ――なんてのは如何にもマスコミ受けしそうな()()だもんな」

 

 俺は舌打ちをするとそう吐き捨てた。それにこの髪の色――

 

「だけどこの子って多分カラーズ……そうでなくてもサーキット保有者だろう。ナノマシン処置はどうする心算なんだろうな……」当然の疑問を口にする。

 

 TDを動かすには機体と操縦士を一体化させる神経接続が必要不可欠だ。機械的な操作とAIによるサポートだけでは人の有機的な動きは十分に再現できず、人型であるメリットが失われるからだ。神経接続のために必要となるのは、操縦士の体内に注入される制御用ナノマシンなのだが、胎内で大気中のフェリオン粒子の影響を受けて生まれた世代……戦後世代(アフターデザイア)と呼ばれる……は、それを施術することが出来なかった。

 

 フェリオン・サーキット……新生児の神経系に定着して形成されるそれは、保有者の身体能力を大きく引き上げる反面、ナノマシンに対し激しい拒絶反応を引き起こす。故にサーキットを持つ者がTD操縦士になる事は事実上不可能だった。より強く粒子の影響を受けたカラーズ――エフェクトを有する戦後世代の総称で特異な髪の色からこう呼ばれる――なら猶更のことだ。

 

「コパイとして複座機にでも乗せるんじゃね? ナナセだって俺らの隊に居るんだし。管制官ならナノマシンの必要は無いしな~」

 

 適当な答えを返し、掲載されている少女達に目を走らせる都筑。「……流石に露骨すぎるだろ」俺は溜息を吐いてかぶりを振った。此処まで持ち上げられて客寄せの神輿じゃ、優奈という子も報われないな……素直に同情する。

 

「……感覚変換(センスシフト)システム」

 

 萌黄色の髪の女生徒の水着姿に歓声を上げる都筑をジト目で睨みながら陽ヶ崎が呟いた。

 

「何か知ってるのか、ナナセ?」

 

「ん。開発中の第四世代機は、ナノマシンを必要としない操縦システムになるんだって。フェリオン・サーキットの発する信号波を利用して神経接続を行うみたい――」

 

 オンでタクから聞いた情報だけどね、と陽ヶ崎は付け加えると、ケーキの山の攻略を再開する。陽ヶ崎はゲーム好きで、DDOというオンラインゲームをかなりやり込んでいる。タクとはそこで知り合った、ネット上の知り合いらしい。

 

「タクって、あの軍オタ廃人様かよ……信用できるのかねえ?」

 

 都筑が雑誌を伏せてぼやく様に言った。都筑も結構ゲーム好きで、陽ヶ崎がDDOを始めたのは奴の影響だった。俺も勧められはしたがアカウントを作るだけに留まっている。戦争をしているのにそれをモチーフにしたゲームをする気にはなれなかった。

 

「さあ? けどリョウちゃんの見てた子、タクの幼馴染。鷹月の技術主任の娘さんなんだって」

「嘘だろ……こんなたわわな子があいつの彼女……」

「……幼馴染だってば。守秘義務的にはどうかと思うけど、そこそこ信用できるんじゃないかな」

 

(サーキット保有者がTD操縦士に、か……)俺は心の中で溜息を吐いた。冷めたコーヒーを口に含み、陽ヶ崎の顔をみやる。大きな金色の瞳がこちらを憂えるように見詰めていた。

 

「だから、レイトたちも、もうこれで戦わなくて済むかも――」

「まいったな……その話が本当なら、俺達みたいな()()()()()はもう用済みって事か」

 

 コーヒーを飲み干して自虐的に呟く。

 ()()()()()……俺や都筑、そして佐塚のようなサーキットを持たない欠落者の身体能力は、目の前の小柄な少女よりも劣る。兵士としての()()は、未だ続く戦争で激減した戦前世代の代用品として戦術人形の操縦士になれるという事くらいだ。(志願して、身体に異物(ナノマシン処置)を受け入れてまで操縦士になったのに。これで戦えなくなるなら、俺は正真正銘の()()じゃないか)

 

 ――ガタッ

 

 やおら席を蹴って立ち上がる音がした。

 

「もう戦わなくてよくなるんだよ? 嬉しく無いの? リョウちゃんもレイトも、死んじゃった佐塚くんも……ずっと頑張ってきたじゃない……落ちこぼれって馬鹿にされながら、それでも皆の為に。もう十分戦ったじゃない! もういいよ、戦争なんて――!」

 

 憤りを露わに肩を震わせる陽ヶ崎。「お、おいナナセ――」それを宥めようと都筑が差し伸べた手を振り払い、陽ヶ崎は薄暮の街の中へ駆け出していった。

 

 呆然とその場に取り残される俺。後を追おうとする都筑がチラと此方を振り返る。

 

「お前な、時々どうしようもなく馬鹿に見える時があるぜ?」

 

 憐憫を帯びた都筑の声。(大きなお世話だ)思わず俺は奴から視線を逸らした。「後は任せたからな――」俺がそう言うと、鋭い一瞥を叩き付けて、都築は足音も荒く店を出る。

 

(確かに俺は馬鹿だ)他の客の視線が突き刺さるのを感じながら、俺は独り言ちた。陽ヶ崎の能力なら、俺の考えている事なんてお見通しだったのだろう。俺たちの心に撃ち込まれた抜けない楔。

 

 陽ヶ崎の席には手付かずのケーキが残されていた。ふと戦死した佐塚の恰幅の良い体型が目に浮かぶ。あいつも甘いものが好物だったな……そう思って一口、ケーキを食べてみる。

 

 物資不足の為に使用された合成甘味料は、舌が痺れるように甘かった。痛いほどに――

 

 

「……そうか……分かってる、明日ちゃんと謝るさ……ああ、またな」

 

 陽ヶ崎を見つけたという都筑からの連絡が入ったのは一時間後の事だった。俺は携帯を切るとホッと息を吐く。網膜ディスプレイの表示する時間は、薄暮から街灯が瞬く夜へと移っていた。

 

 俺たちの暮らすH県咲良市。海を隔てた近海には忌まわしい“柱”(ピラー)が聳える青巒島があるというのに、この街は戦災の影も無く平穏を保っている。奪還の為の上陸部隊を事如く退けながらも不気味な沈黙を続ける青巒島のピラー。咲良市には軍の小規模な基地があるものの、学徒兵以外の戦力は存在していない。それには慢心というよりは、攻めてこないという前提条件に縋るしかない国防軍の厳しい台所事情が背景にあった。

 

(とはいえ、建前上は国土奪還の軍事行動をしない訳にはいかないからな……)

 

 繁華街の先にある下宿へ向かって歩きながら、俺は口許を歪めて笑う。

 

 言い訳の為の上陸作戦。その為の張り子の虎の戦術人形部隊……それが俺達、鉄屑小隊(Scrap Doll)だ。島に渡り、適当に会敵して戦い、当然のように撤退する。この一年間、隊の結成からずっと俺達はルーチンワークの様にそれを繰り返していた。

 

 落ちこぼれに相応しい戦争ごっこだな――他の学徒兵達には、そう言って俺達を蔑む者もいた。

 

(一発も銃を撃たない、後方支援しかしないお前らに何が分かる――)

 

 装甲に守られた戦術人形なら損害は出難い。だから戦うのはいつも俺達だ。けれど、幾等戦った所で碌な支援も無い一個小隊で出来る事は限られている。破壊された家々。見る影もなくなっていようと、あの島は俺たちの故郷だ。あの交差点、公園、神社……懐かしい風景を前にして、撤退しなければならない俺たちの気持ちなんて、分かるものか……

 

(そして今度はお役御免、か……)陰鬱に沈んでゆく思考。俺はかぶりを振ってそれを頭から追い出す。サーキットを持つ者もTDに乗れるようになれば、国防軍だって島の奪還に本腰を入れるだろう。自分たちの手で……なんていうのは所詮エゴに過ぎないのだ。けど、それでも。

 

 俺は再びかぶりを振る。と、その時――

 

「退いて、退いて、退いて――――!」突然、後方から切羽詰まった声が聞こえた。

 

(何なんだ?)慌てて飛び退こうとした俺だが、時すでに遅し。ドン、という音と共に背中に痛烈な一撃を受けて吹き飛ばされる。運悪く街灯の柱に頭をぶつけ、俺の視界に星が散った。激痛。

 

「ちょ、ちょっとキミ! しっかりしてよ……ねえってば!」

 

 薄れゆく意識の中で少女の声が聞こえた。

 足音が近づいて来る。翳む視界に女性サイズのスニーカーが映る。シンプルな靴下。キュッとしまった足首から続くスラリとした美脚。健康的な太腿は短めのスカートに納まって……

 

(白、か……)これじゃ都筑の事を笑えない。

 こんな状況でまったく……混濁した思考の中で苦笑しつつ、俺の意識は闇に墜ちていった――

 

 

 ――雪が降っていた。

 

 温暖なこの島では二十年振りとなる雪。

 島の集落を望む位置にある神社へと続く参道を俺と都筑は歩いていた。朱い鳥居と石造りの階段坂を、鼻歌交じりで。俺たちの後ろを歩く陽ヶ崎がブウと頬を膨らませながら、

 

『レイトもリョウちゃんも浮かれすぎ……』と、傍らを歩く女性を見上げる。

 

『クリスマスなんだから良いんじゃない、菜々星? 私だって、久し振りに神崎のおばさまの料理を食べれるって楽しみにしてるんだから』

 

 女性はそう言って、陽ヶ崎を窘めると、『そうじゃないもん……』陽ヶ崎が微かに呟いた。

 

 山道の終点は古ぼけた県道の終点と繋がっていて、車がUターンできるスペースが設けられている。正月の参拝を考えたら駐車場位欲しい所だが、それを言うと『陽ヶ崎(うち)にはお金ないからね~』と女性は苦笑していた。そういう時は麓の小学校に車を止めて、急勾配の県道を昇る事になる。

 

『でも俺、此処からの景色って好きですよ。島の皆の生活が一望できるって感じで』

 

 不便な所でゴメンね、と申し訳なさそうにする女性に俺はそう言って頭を掻いた。そんな俺に、隣を歩く都筑はニヤリと笑って耳元に囁く。

 

『先制攻撃は譲ってやるよ。しっかりな――』

 

 意味深に片目を瞑って見せると、陽ヶ崎の手を引いてさっさと先に行ってしまう。『ちょっとリョウちゃん、引っ張らないでよ――』抗議する陽ヶ崎の声が次第に遠ざかっていった。

 

『あら……良くん、どうしたのかしら?』小首を傾げた女性の藍緑色(シアン)の長い髪が流れた。

 

 ――陽ヶ崎の姉、皐月(さつき)さん。三才年上の、幼馴染の俺と都筑にとっても姉の様な存在。本土の咲良市にある学校に通う女子高生で、普段は学校の宿舎に居るのだが、この時は冬期休暇で実家である陽ヶ崎神社に帰郷中だった。そして来年度からは東京の芸術大学に通う事が決まっていた。

 

『え? あ、リョウの奴、プレゼント交換の用意が出来てないらしくて、良さそうなのをナナセに選んでもらうんだとか……』

 

 怪訝そうに俺の言い訳を聞いていた皐月さんだったが、『ま、いいか』と悪戯っぽく笑うと、崖を隔てる古びたガードレールの脇を歩いてゆく。頬を掻いて、俺はその後を追った。

 

 三年前、俺が中学に入る前は見上げていた筈の皐月さんの肩が、今は見下ろす位置にある。あの時彼女は本土の高校に去り、今度は――

 

『サツキさん、芸大合格おめでとうございます』言わなければという想いとは裏腹に、俺の口が紡いだのは、そんな当り障りのない台詞だった。

 

『ありがと。私は学徒兵特典として、だから。普通に受験する人に比べたら楽してるんだけどね』

『そんなこと……サツキさん、俺、好きですよ!』

 

 不自由になった日本語。焦り過ぎだ。『えっ?』立ち止ってキョトンとする皐月さんに、

 

『あ、その、サツキさんの絵。見てると凄く温かな気がして――』慌てて取り繕う俺。

 

『そう……ありがとう』振り返って皐月さんは優しく笑う。ひゅう、と雪の混じった寒風が駆け抜けて、彼女の()()()の髪がふわりと靡いた。

 

『でもね、これが……私の最後の我儘――』

『それって、どういう……』

 

 絵の先生になって、島の子供たちに教えたい。それが皐月さんの夢だった筈だ。直向にキャンパスに向かう彼女の姿に、俺はずっと憧れていた。

 

『私ね、春に婚約するの。大社の筋の方と。神社(うち)を継ぐためにね。……だから、大学へ行くのが、私の最後の我儘……って事になるわね』

 

 陽ヶ崎の家はその流れから古来より神職以外の生業を禁忌としていた。あまりにも古色蒼然とした仕来り。神主である陽ヶ崎のおじさんは娘たちに家を継がせる心算はなかったと聞く。けれど島に唯一つの神社を無人にしてしまう事は、中々に理解を得られることではなかったのだ。

 

 寂しく微笑む皐月さん。俺は阿呆の様に口を開けて言葉を捜すが、結局何も言えなかった。お互いに黙ったまま、俺たちは麓へと続く県道を下ってゆく。渦巻く想いで思考は混濁していた。

 

 ――その時だ。

 

『ねえ、零斗(れいと)くん――』突然足を止めて、皐月さんが尋ねて来た。

 

 キミは、青巒島(この島)が好き? ――と。

 

 

 ――その時、俺は。何と答えたのだろう。思い出せない。

 

 ただ、次の瞬間に鳴り響いた耳慣れないサイレンの音と、虚空に浮かぶ巨大な影だけははっきりと覚えている。それが何であるのか、知識としては解っていた。自分には関係のない、遠い世界の出来事と思っていた機械の悪魔(デザイア)の侵攻。皐月さんの左手にある端末からアラートが鳴り響く。

 

『非常招集……それじゃ、菜々星の事をお願いね?』

 

 巫女さんをしている時の様に綺麗な姿勢で、皐月さんが敬礼をした。学徒兵としての凛とした眼差しに射貫かれて、俺はうろ覚えの敬礼の真似事を返す。

 

『はい。ご武運を――』

 

 ――違う、俺の言いたいのはそんな事じゃない。

 

『行ってきます――』手を振ると、皐月さんは駆けて行った。まるで朝、学校に出かけるかのように。有事の際に学徒兵は国防軍の指揮下に入る。島唯一の防衛部隊である国防軍小隊の駐屯地へと向かう彼女の姿が視界から消えるまで、俺は呆然とその場に立ち尽くしていた――――

 

 

(寒いな……)身を抱く様にしてくしゃみをする。俺の意識を覚醒させたのは、早春の肌寒い空気だった。仰向けになって、見上げる夜空には満天の星が瞬いている。背中に硬い感覚。ゆっくりと首を動かして周囲を見やると、俺の身体は下宿の近所にある公園のベンチに横たえられていた。

 

「あっ、やっと起きた。ボク、心配したんだよ?」

 

 パタパタと足音。両手に一本ずつ缶ジュースを持った少女がこちらに駆けて来る。

 

 幼い顔立ち。小柄な割には女性らしい丸みを帯びた肢体。赤いセーターと、まだ寒い季節だというのに短いスカートという軽装。惜しげもなく曝された健康的な素足に履かれた丈夫そうなスニーカーが活発な印象を与える。少し紫かかった()()髪にアクセサリーというには武骨な髪飾り。そして愛らしい大きな蒼玉の瞳が心配そうに俺を見ている。

 

(ちょっと変わった子だけど、結構可愛いな……けど、誰だっけ?)

 

 ――飛んだ記憶が再結合して行く。

 退いて、という声。背中への衝撃。頭に激痛が走り、路面に倒れ込む。薄れゆく視界に――そうだ、俺はこの子に吹き飛ばされて……

 

「お前は――!」

「ゴメン、さっきは悪かったよ。でも、ボクにも抜き差しならぬ事情って奴があったんだ。取り敢えずさ、これでも飲んで温まってね」

 

 少女から手渡された缶ジュースを受け取ると、俺は痛む頭を押さえながら身を起こした。彼女は気付いていないようだが、あの姿勢のままでは否応なく目に入ってしまうものがあるのだ。咳払いをしてプルタブを起こす。湯気とともに甘味が強めのコーヒーの香りが広がった。

 

「まあいいさ。だけど抜き差しならぬ事情……ってのは何なんだよ?」

 

 答えを期待しない質問をしつつ、さりげなく少女の様子を伺う。小柄な陽ヶ崎よりさらに小さい体格。華奢で、小さな双肩。こんな少女が倍近い体重の俺を吹き飛ばしたり、此処まで運んだりしたとは、俄かに信じがたかった。架空世界(ファンタシー)の住人の様な彼女の白い髪……サーキットを持つ者がそんな存在であると分かっていても。

 

「それは……まあ、些細な問題って事で」

「些細なのかよ……」

 

 果たして口を濁す少女。思わず苦笑した俺を見て憮然とすると、

 

「兎に角、キミを助けてあげたんだから、一つお願いを聞いて欲しいんだけど?」

「……は?」

 

 どうしてそうなるんだ? 俺の脳裏に大宇宙を背景にした猫の姿が浮かんだ。思わず眉間を押さえる。こいつ……物理面だけでなく精神面でも俺に脳負荷をかけるというのか。いくら可愛くともこの手の人種とは関わらないのが俺の主義なのだが。

 

「お前の倫理観では、人を車で撥ねても介抱すればお礼が貰えるのか?」どう転んでも面倒にしかならない雰囲気を醸し出す少女に対して、俺はやっとの思いで質問を突き付ける。

 

「今、コーヒーも奢ってあげたじゃない?」

 

 俺の心の叫びは彼女の心には届かなかった。それにしたって余りにも高いコーヒー(缶)だ。これからは注意しよう。俺は肩を竦めて溜息を吐くと、

 

「わかったよ。でも最初に言っておくが、俺に出来る範囲までだぞ。無い袖は振れないからな。それで? 俺にして欲しい事ってなんだよ?」

 

 宗教の勧誘や借金の連帯保証人になってくれとか言うのなら回れ右してサヨナラだ。予め予防線を張った上で、お願いとやらを聴いてみる。すると少女は見覚えのある携帯端末を手にして画面をフリックしながらブツブツと呟き始める。

 

「神崎零斗、17才。H県青巒島出身。徴兵ではなく志願によって学徒兵となり、戦後世代としては珍しく、サーキットを持たない事から学徒兵のTD操縦士に選抜される。H県学徒兵第三大隊所属1023小隊の隊長として青巒島への上陸作戦に常に従軍し、現在に至るまで戦死者無しという驚異的な隊員生還率を達成している――」

 

(前回で戦死者一名になっちまったけどな……って、こいつ俺の端末を勝手に――)

 

 流石に腹を立て、少女から奪い返そうとするが軽く躱されてしまう。サーキット保有者との絶望的な身体能力の差に、俺は臍を噛む。

 

「得意教科は歴史。好きな食べ物は麺類全般。好きな女性のタイプは――」

 

 そんなことまで記載されていたか? という部分まで赤裸々に読み上げると、やがて少女は満面の笑みを浮かべ、俺に端末を返して寄越した。ずっと顔を寄せる。

「ふーん、キミって優秀なんだね。感心感心♪」と、偉そうに発育過剰な胸を張る少女。セーター越しにも分かる二つの膨らみが躍動して、俺は思わず視線を逸らした。

 

「落ちこぼれが優秀な訳無いだろ……」そう吐き捨てる俺に、少女はキョトンと首を傾げると、

 

「落ちこぼれってサーキットが無いって事? それがどうしたっていうのさ。無茶な命令を受けながら、それでもキミたちは凄い活躍をしてる。でしょ?」

 

 あっけらかんと言い放つ。憮然とする俺の頭を、背伸びをして「偉いね~」と撫ぜる少女。何だか凄い屈辱を感じ、心に檻のように溜まっていた(わだかま)りがどうでもよくなった……気がした。

 

「で、お願いってのは何だよ。俺も暇じゃないんだけどな……」

 

 明らかに年下と思われる少女にペースを握られ続けて、流石に不貞腐れた俺はぶっきらぼうに問い質す。すると少女はコホンと咳払いをして仄かに顔を赤らめると、

 

「キミの下宿、この傍でしょ? 一身上の都合から、今夜ちょっと泊めて貰う事にしたから。ちなみにボクの名前は八咫之(やたの)摩夜(まや)っていうんだ。よろしくね、レイト♪」

 

 少女――摩夜は決定事項の様に、そう宣言した。

 凍結(フリーズ)した俺の思考が事態を把握するのには、それから数分の時間を要す事となる――――

 

 

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Episode2 八咫之 摩夜 ~ White Raven

 

 ――微かに水の音が聞こえていた。

  

(もう朝、か……)カーテンから差し込む仄かな明かりに瞼を開く。目に入るのは何時もと変わらない俺の部屋――鉄屑小隊(Scrap Doll)隊長にして咲良第Ⅱ高校二年生・神崎(かんざき)零斗(れいと)の殺風景な居室だった。実用一点張りの勉強机とその上の支給品の情報端末。半年以上つけた事の無いテレビ。適当に買い揃えただけの家具の数々。まるで生活感がない。

 

 表示される時間は午前六時前。学校へ向かう支度を始めるには、まだ少し早い時間だ。今日は少し気を入れて朝食でも作るか……そんな事を考えながら身を起こして伸びをすると、全身に激痛が走った。身体の節々がズキズキする。頬も腫れている。

 

(いったい何が……っていうか、どうしてソファで寝てるんだ、俺は?)

 

 ベッドで休まなかったから寝違えでもしたのだろうか……しかし頬の痛みは説明が付かない。加えて頭に出来た大きな瘤。流石に気になって、着たままで寝ていたらしい制服を脱いで身体の状態を確かめる。すると――

 

「何だよ、これは?」俺は体中の真新しい傷の痕と青痣を見て唖然とした。まるで戦場に出たかのようだ。体内のナノマシンが代謝を高めている為、この程度なら医者に行かずとも自然治癒する筈だが、恐らくは今日一杯この痛みと付き合う事となるだろう。どうしてこんな事に――

 

(そうだった、これはあの時の――)頭に疼く痛みが事の発端を脳裏に再生する。

 

 陽ヶ崎を捜して歩いた市街の一角。そこで出会った、白い髪をした()()()――八咫之(やたの)摩夜(まや)。彼女の唐突な発言と、その後に起きた“事件”(トラブル)。その結果が()()だ。

 

 深い後悔と罪悪感の溜息と共に、俺は昨夜の()()()()()を思い出すのだった――

 

 

『あのな、自分が何を言っているのか分かってるのか?』

 

 目の前の少女の宣言をようやく消化し終えた俺は、かぶりを振ると彼女にそう尋ねてみた。背の高さは小学生並みだが、身体つきは十分過ぎるほど思春期の少女である。そんな年頃の子が口にしていい台詞ではない。説教臭い口調とは思うが、言わずにはいられなかった。

 

『わ、分かってるよ。でもキミしかいないんだ。消去法的に……

 

 視線を逸らせながら頬を赤らめる少女――八咫之摩夜。仄暗い街灯の下、彼女の吐く息が白く浮かび上がる。語尾に少しばかり気になる小声が聞こえはしたが、『お願い、時間がないんだ。人助けだと思って、ね?』……そこまで言われれば、それを無下に出来るほど俺も非情ではない。

 

『仕方ないな……ちなみに俺は清貧学生だから、持て成しには期待するなよ?』

『いいの? ありがと、レイト。いやぁ、言ってみるもんだね~』

 

(現金な奴)少年のような笑みを浮かべる摩夜に苦笑しつつも、俺はホッと息を吐く。流石にさっきみたいな仕草を続けられたら間を持たせる自信はなかった。

 

『それじゃ、行くか』

『うん』

 

 ベンチから立ち上がる。俺の下宿はこの公園を出て直ぐの老朽集合住宅の一室だ。うちの学校には無料で借りられる学生寮もあり、都筑や陽ヶ崎はそこに寄宿しているのだが、俺は咲良第Ⅱに入る際に敢えてここを選んだ。それは俺の手前勝手な感傷――二人に、特に陽ヶ崎に合わせる顔がないと思っていた――に過ぎないのだが。

 

 そんな俺の顔を覗き込むようにしてクスクスと笑いだす摩夜。

 

『なんだよ?』

『レイトって、優しいんだね』

 

 透き通るような蒼玉の瞳で見詰めながら、摩夜は微笑んだ。心の中を見透かすような無垢な笑顔。俺はさっさと先を歩きながら、

 

『どこがだよ。騙されて()()()()()()()()()とか考えないのか?』

 

 少女の視線を逃れ、努めて悪い笑みを浮かべる。実際、背が低い事と変な奴という印象以外は及第点を大幅に超えた美少女なのだ。下心が一切無い訳じゃない……極めて遺憾ながら。

 

『うん。だってボク、人を見る目には自信があるんだよね~』

 

 即答する摩夜。どう見ても知らないおじさんに付いて行ってしまう、放っておけないタイプに見えるのだが。やれやれと肩を竦め、息を吐く。手の掛かる妹――そんな感じだ。

 ま、“妹”なら間違いが起こる事も無いか……そんな事を思いながら見やる公園の入り口。そこに街灯に照らされる三つの人影が見えた。(なんだ、あいつら?)

 

 

 三人は入り口を塞ぐように俺達に近付いて来る。俺の後ろに隠れようとした摩夜だったが、無意味と悟るとその場で彼等を睨みつける。友好的な関係……にはとても思えなかった。

 

『捜したぜぇ? お嬢ちゃん』リーダーらしき少年の下卑た声。

 

 見るからに素行の悪そうな身なりの少年達だった。年は十代後半……所謂、徴兵逃れの不良だ。学徒兵制度は対象年齢の()()のみに課せられる。教育無償化の、いわば対価なのだ。従って制度の穴を突いて高等教育を受けなければ徴兵される事は無い。無論、学校に通わずに有意な就職ができるのは、個人で高等教育を受けられる特権階級(エリート)の子弟に限られるのだが――

 

『俺達のロフトに泊めてやるって言っただろ。何で逃げるんだよ?』

 

 仲間らしいロン毛の少年がニヤニヤと笑う。もう一人の小太りの少年は無言のまま、ドロリとした視線で摩夜の全身を頭から爪先まで舐め回すように眺めていた。背中にしがみ付く摩夜が嫌悪感からかぶるっと体を震わせる。

 

(ロフトねえ。要するに芸術家(アーティスト)気取りのボンボン共ってとこか――)

 

 少女に突き付けられる下劣な感情に対する不快感とは別に、俺は苛立ちを覚える。この国での戦いは大陸の戦争程激しくはない。とはいえ、先月もN県の一都市がデザイアによって蹂躙されたばかりなのだ。そして国防軍も、大半の学徒兵も命懸けで戦っている。国に殉じろとまでは思わないが、護られて当然という臭いが彼等からは感じられた。

 

『だって、変な事するんだもん。勝手にボクの事ペタペタ触ってきてさ……この変態!』

 

 アカンベをする摩夜。

 

『ぐふ、僕達の()()に出演してもらうだけだよぉ? 条件だったよねぇ』

 

 摩夜の罵倒に全く動じる事無く、小太りの少年が腹をゆすりながら舌舐め擦りをする。

 

『映画……? どう考えてもエッチな奴でしょ、アレ。そんな事、聞いてなかったし!!』

 

 確かにこいつらに比べたら俺は少しばかり()()()かもしれない。比較対象にされたという事に些かプライドが傷付けられたが、この子にも学習能力はあるようだ。兎も角、大凡の状況は把握できた。摩夜が季節に合わない軽装な事、あれほど慌てていた事。恐らくは連れ込まれたロフトから辛くも逃げ出してきたのだろう。

 

『つべこべ言わず来いよ。お前なら特定の層に人気が出そうだし、()()()()も弾んでやるからさ』

 

 俺の存在を無視して摩夜の手を掴もうとするリーダーの栗毛。何をさせようとしていたのかは明らかだった。『やだ、離してよ』身を固くする摩夜。

 

(こいつら……)喉から出かかる衝動。しかし俺は躊躇する。俺達と同世代ならほぼ間違いなく相手はサーキット保有者だ。身体能力では敵いっこない。そんな相手に安っぽい正義感で粋がってどうする? 見知ったばかりの少女の為に。

 

『そっちの学生さんは大人しくしてろよ。問題起こして特典をチャラにされたくなけりゃな~』

『お勉強するために命かけてるんだろ。負け組はつれぇよなあ?』

『その部隊章……その歳でTD操縦士って事は……んふ、お兄さん、レアキャラって奴?』

 

『なんだ()()()かよ――』現実という打算に固まる俺を、嘲るように男達が嗤った。

 

 ――それでいいのか? 追憶の雪の中で、誰かが囁く。遠ざかってゆく後ろ姿。

 

(良い訳ないだろ)その問いに応えるより早く、俺は摩夜を護るように間へ割って入っていた。

 

『こんな小娘(ガキ)相手に発情(さか)るとか、お前ら意馬心猿も大概にしとけよ』精一杯の強がりを挑発的な台詞に込め、俺は不敵に笑う。

 

『なんだぁ? 能無しの分際で騎士様(ナイト)気取りかよ?』苛立ちも露わに胸元に掴みかかってくる栗毛。明らかに此方を見下した動きだ。早いが、鋭くはない――

 

(流石に、ナナセよりは遅いな)俺は栗毛の手首を掴むとクイッと捻る。そんなに力を入れた訳ではない。しかし関節が悲鳴を上げ、栗毛は翻筋斗(もんどり)打って地面に叩き付けられる。昔取った杵柄……かつて陽ヶ崎のおじさんから学んだ合気道。左程熱心に学んだわけではないが、自然と身体が覚えていた。とはいえ、これは相手が素人だから決まっただけだ。

 

『今のうちに早く逃げろ。出来たら憲兵を捜して呼んで来るんだ!』

 

 肩を痛めて喚きながら地面に転がる栗毛。突然の事態にその場がフリーズする。俺は呆然と立ち尽くす摩夜に叫んだ。

 

『で、でも……』心配そうに揺れる青い瞳。(馬鹿、こんな()()()()()()()()()()んだよ――)

 

『早く、行け!』陽ヶ崎みたいに心話が出来れば……もどかしく思いながら再び叫ぶ。俺はロン毛の派手な上段蹴りを手の甲で受け流して軸足を払った。勢い余って地面にキスをするロン毛。

 

『直ぐ、連れて来るから――』

 

 ようやく俺の意思が伝わったのか、摩夜は踵を返して駆け出した。残るはいかにも鈍重そうな小太りだ。同じサーキット持ちなら摩夜には追い付けっこないだろう。そう思って息を吐いた瞬間、俺は強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。まるで殴られたかのような……

 

『うふ、残念。そうは問屋が許さないよ?』小太りが拳を駆け去る摩夜の方に向ける。

 

 仄かに輝く緑色の粒子が奴の拳に集まってゆく。(あれは……)持つ者と持たざる者。俺達の世代の強者と弱者を別つ奇跡(呪い)の粒子――フェリオン。

 

『唸れ、墳式豪拳(ロケットパンチ)――!!』間が抜けた声がどこかで見た虚構(アニメ)の技名を叫ぶ。

 

 ――ヒュン

 

 緑の粒子の輝きを残し、構えた拳から放たれる()()。不可視の拳は駆ける摩夜の背中に吸い込まれるように消える。一拍の後、狩られた獲物の様に少女の姿が跳ね、摩夜はそのまま崩れ落ちた。

 

『僕はフェミニストだからさぁ、女の子に手を上げたくはないんだけど……仕方ないよね? 後のお楽しみが台無しになっちゃうから手加減はしたけどね~』

 

 小太りが俺を見てニンマリと笑った。

 

『カラーズ……空気使いか?』言の葉に嫌悪の響きを込めて俺は呟く。大気中のフェリオン粒子を体内のサーキットで操りエフェクトを行使する者――カラーズ。幼馴染の少女の前では思いもしなかった昏い感情が湧き上がる。羨望と嫌悪。それは最早異種である、と――

 

『いえーす。大気を圧縮して弾丸にするのが僕のエフェクトさ。でも、なんか毒のある言い方だなあ。傷ついちゃうよ……お兄さん、ひょっとして差別主義者?』

 

 お道化た様子で肩を竦める小太り。這いつくばる俺を無視して摩夜の方へ歩いてゆく。意識を取り戻したのか藻掻く様に身を起こす摩夜。倒れた俺の姿を見たのか怯えた様に身を竦ませる。

 

『逃げろ、コイツは化け物(カラーズ)――』

 

 何とか押しとどめようと掴みかかった俺だったが、奴に手が届く直前、叩き付けられるような衝撃と共に弾き飛ばされてしまう。全身に激痛。(そうか――)奴の背中辺りに仕掛けられていた圧縮空気が散弾のように撃ち出されたのだ。おのれの迂闊さに臍を噛むが時すでに遅し。肋骨をやられたのか、咳に血が混じる。指一本動かせない。視界が霞んでゆく。

 

『だめだよ、お兄さん。何度もそんな言い方されると、僕も怒っちゃうからね。これは仲間が世話になった分も含めて、お嬢ちゃんに()()()()と償って貰わないとねぇ……』

 

 小太りはチラと此方を振り返って口の端を歪めて嗤った。

 

『レイト、しっかりしてよ、レイト!!』何処かで聞いたような叫びが聞こえる。

 

(おまえさ、俺の心配してる場合じゃないだろ……)他人の様な自分の思考が虚ろに響き、唐突に途切れた。力任せに何度も腹を蹴り上げられる衝撃。いつの間にか起き上がった栗毛とロン毛が憎悪に満ちた眼で俺を睨んでいた。髪を掴んで引き起こされ、頬を殴りつけられる。

 

『ふざけやがって。只で済むと思うんじゃねえぞ?』

『ここでアイツが輪姦(まわ)されるのを見てろよ、ナイト様♡』

 

 倒れた摩夜の方を見て卑猥に笑う男達。俺の行動は結局三人の獣欲に油を注いだだけだったのかもしれない。視界の片隅。摩夜に躙り寄る男達。路面にへたり込む少女の赤いセーター。それが古びた街灯に照らし出された色の無い空間に、妙に鮮やかに映った。

 

 ――体内のナノマシンがボロ雑巾のようになった俺の身体に無駄に意識を繋ぎとめる。

 

『や……めろ……』微かに絞り出す制止の声。しかしそれは誰にも届かない。あの雪の日に刻み付けられた無力感が蘇り、俺の虚ろを満たしてゆく。それと同時に、ぷつりと糸が切れたかのように俺の意識は薄れていった――

 

 

 呆けた様にソファに座り込む。「……また、かよ」まだ痛む頭を抱え、俺は俯く。

 

 ()()()と同じだ。学徒兵になったのに何も出来ない、無力なままの自分。操縦士用のナノマシンは機体制御と生命維持に特化されたもので、ああいった野蛮な事(ケンカ)の役には立たない。しかし、だからといって襲われる少女を目の前にして何も出来なかった事への言い訳にはしたくなかった。

 

(あいつ、どうしてるだろう?)昨夜、知り合ったというより()()した少女――摩夜。無邪気とも言ってよい屈託のなさ。無垢であどけない幼い顔立ち。

『それがどうしたっていうのさ?』あっけらかんと俺のコンプレックスを否定したあの笑顔。

 

「くそっ……」爪が手の平に食い込む程に拳を握り締める。

 

 気絶した俺が此処に運び込まれているという事は、何者かが助けに入ったという事だ。もしかしたら摩夜も無事だったかもしれない、という楽観を俺はかぶりを振って否定する。

 覆い被さる肥え太った影。細い腕を押さえつけられ、暴れた拍子に跳ね上がる白い脚。たくし上げられたセーターから可愛らしい下着に包まれたバストが零れ出る。絹を裂くような悲鳴。

 

 あの状況で直ぐに憲兵が駆けつけたとしても、摩夜が()()だったとは到底考え難かった。あの無垢な少女が汚されたのだ。あんな連中を護るために俺達学徒兵は……死んだ佐塚は……皐月さんは戦っていたのか。そう思うと俺の心にどす黒い感情が湧き上がってくる。

 

「……シャワーでも浴びるか」溜息を吐くとそう独り言ちる。ここで一人陰鬱な気分に浸っていても何も変わらない。俺は戦慄く脚でなんとか立ち上がると、バスルームへと向かった。

 

 

 学徒兵用に軍が買い上げた物件の一つである俺の部屋は元々家族用のものだったらしく、安価な家賃の割には一人暮らしには勿体ない程ゆったりとした造りとなっている。

 広めの脱衣所で服を脱ぎ捨て、自動洗濯機に無造作に放り込む。汚れた制服はクリーニングに出すしかないだろう。予備の物を後で出すか――

 

 そう思案しながら浴室のドアに手をかける。中から水の音が聞こえていた。(あれ、締め忘れてたのか?)混濁した思考のまま、漠然とそう思い、ドアノブを捻る。

 

 ドアが開くと浴室から濛々とした湯気が流れ出し、それが晴れると降り注ぐシャワーを浴びる白い影が浮かび上がった。「~~♪」浴室に反響する能天気なハミングが耳朶を打つ。

 

(え……?)疚しさを押し殺し、俺はその影をまじまじと凝視する――

 

 温水が滴るユニットの床に女性の素足が映っていた。キュッと引き絞られた足首から続くすらりとした脹脛、そして膝の上の健康的な太股。形の良いヒップに適度に括れたウエスト。小柄だが理想的なラインを描く肢体。

 濡れた白い髪を掻き上げ「ふぅ……」と息を吐く女性――白い髪の少女。シャワーを止め、軽くかぶりを振ると真珠色に輝く髪から飛び散った水滴がユニットの照明に煌めく。上機嫌で、鼻歌交じりに振り返る。細い肩と、その下で息づく豊かなバスト。スタイルの割に幼く見える顔立ち。

 

(八咫之……摩夜……なのか?)

 

 扉を開けようとする摩夜だが、締まっている筈のドアは既に開け放たれていた。戸惑いながら扉の先に視線を向ける。そこには間抜けな顔をして突っ立っている裸の男――つまり俺が居た。

 

「……?」キョトンと俺を見詰める蒼い瞳。それが震え、見開かれる。

 

「レイ……ト?」形の良い唇が俺の名を呟く。

 

(あ、この展開は――)頬を襲うであろう衝撃に耐えるべく身構える。しかし――

 

「目を覚ましたんだね。ボク、心配したんだから!」あられもない姿で抱きついて来る摩夜。

 

「おい馬鹿、やめろ――」予想外の行動に狼狽えた俺は、痛烈な摩夜のタックルを受けて仰向けに転倒する。押し倒すような姿勢で俺の上に覆いかぶさる摩夜。「きゃん」ムニュッとした柔らかな感触。抱き合うように絡まる裸の男女。ぱっと見色々大変な……いや非常に不味い状態だ。

 

「すまんが、早く退いてくれ……」

「う、うん。――あれ? なんか硬いのが」

「それは生理現象だ、触るんじゃないっ!」

 

 大騒ぎをしつつ、辛くも摩夜の身体を引き剥がす。「む~、レイトのエッチ」憮然とする摩夜。

 

(誰のせいだよ)俺は心の声を押し殺してバスタオルを放ってやる。無事だったのか、それとも気丈に振舞っているだけなのか。チラと盗み見た表情に陰りが無い事にひとまず安堵する。

 

「お前は……」そこまで言いかけて俺は躊躇う。あの後どうなったのか。それは場合によっては許されない質問だ。回れ右をした俺の後ろで身体を拭い、衣服を身に着け始める摩夜。どう声を掛けて良いのか……気まずい雰囲気が辺りを覆う。

 

「お前、あれから――」意を決して尋ねかけた時。……ぐう、と俺と摩夜のお腹が鳴った――

 

 

 ――そんな訳で、俺は久しぶりに一人分ではない朝食を作る事になる。

 

 とはいっても学生の朝食など多可が知れたものだ。卵料理にサラダ……そしてトースト。卵は摩夜の希望でスクランブルエッグにする。後はカップにお湯を注いで完成のインスタントスープ。

 

「レイト、料理得意なんだね。きっといいお嫁さんになれるよ~」

 

 そんな料理をさも美味しそうに食べる摩夜。よく考えたら昨夜から何も食べていないのだ。余程お腹を空かせていたのかもしれない。

 

「黙って食べろ。それと少しは遠慮するように」

 

 小柄な体の何処に入るのか。一斤丸ごと食べかねない勢いに苦笑するが、ここまで喜んでもらえると悪い気はしない。島に居た頃、漁で家を空けることの多い都筑(つづき)の両親の代わりに、俺があいつの朝食を作ってやっていた事を思い出す。そのうち何故か陽ヶ崎(ひがさき)も家で一緒に朝ご飯を食べるようになって――そんな追憶に口許を綻ばせる。

 

「あー、ボクの事、大喰らいって思ったでしょ?」

「違うのか? ならもう片付けるが」

「ゴメン、もう一枚……」

 

 やれやれと肩を竦め、焼きあがったトーストを渡すと満面の笑みを浮かべる摩夜。それを食べ終えてようやく人心地付いたのか、摩夜は食後のコーヒーを啜りながらペコリとお辞儀をした。

 

「ありがと、レイト。ボクを助けてくれて、ホントにありがとう」

「助けてなんかいないさ」

 

 苦い思いを胸に俺は俯いた。嘘偽りなく、礼を言われる事なんてしてはいなかったから。罪悪感が溢れ出し、俺は摩夜の顔を見ることが出来ない。そんな俺に対し摩夜は大きくかぶりを振ると、

 

「そんな事ないよ。レイトは、あの三人組からボクを逃がしてくれた。でなきゃボク、今頃どんな酷い目に遭っていたかわからないもん」

 

 頬を赤らめてそう言う摩夜。(どういう事なんだ?)俺は訝しむ。あの時、摩夜は――

 

「お前、大丈夫なのか?」恐るおそる尋ねてみる。

 

「えっ、何が?」首を傾げる摩夜。「それより、レイトの方が心配だよ。此処に運ぶ時、もう死んでるかと思ったもの」

 

「勝手に殺すな。ナノマシン処置を受けた奴は喧嘩(あの)程度じゃ死にはしないんだ」

 

 彼女が嘘を言っているようには思えなかった。俺は痛みの中で幻覚を見ていたというのか。

 

「…………」口を開きかけ、押し黙る俺。摩夜は今、昨夜と同じように笑っている。

 

「それならいいさ。ところであの後どうしたんだ?」話題を逸らすと俺は別の疑問を口にした。

 

 俺を此処まで運んだのは摩夜だというが、三人組はどうなったのか。無難に考えるのなら摩夜が憲兵を連れて来たのだろう。しかしその場合、喧嘩両成敗という形で俺も摩夜も間違いなく昨夜は詰所に招待されている。

 

「それは、その……」歯切れ悪く口籠る摩夜。

 

 と、その時。インターホンから冷たく響く男の声が聞こえた――

 

 

『八咫之大尉、お迎えにあがりました。任務を放り出しての社会見学は楽しめましたか?』

 

 悪戯がバレた子供のように身を竦める摩夜。

 

(誰だ……それに摩夜が大尉だって?)

(ボクのお目付け役って所かな。昨日はひと悶着あって逃げてたんだ。どこかに隠れようとしてたらアイツ等に声を掛けられて……あ、大尉ってのは本当だよ。軍人って訳じゃないけど)

 

 ひそひそと事情を説明する摩夜。焦れたのか玄関の呼び鈴の音が鳴り響く。

 

『すみませんが、鍵を開けて貰えますかね。()()()()はしたくないんですよ』

 

(手荒な事って何だよ?)選択肢など無いという形の依頼。苛立ちを覚えながら、俺は玄関へ向かうと鍵を開けた。古びたドアの軋む音。身を固くする摩夜。部屋の外には特徴の無い顔立ちの初老の男が立っていた。聖者をシンボルにしたエンブレムを飾り気のない白衣の胸に着けている。

 

「まったく、大尉の()()()をする私の立場も考えてくださいねぇ」男は大仰な仕草で俺達に辞儀をすると、丁寧だが毒のある物言いで摩夜を責めた。

 

「解ってる。もう“機関”には迷惑はかけない。約束するよ」

「そう願いたいものですねぇ……」

 

 感情の火が消えた声で謝罪する摩夜を、爽やかな声で煽る。(“機関”……?)事情はともあれ陰湿に少女を詰る男に俺は嫌悪を隠せなかった。

 

「おい、アンタは何処の何方様なんだよ? それに、こんな子供が大尉殿とか冗談キツイぜ?」

 

 自然、刺々しい口調となる。それに対し男は慇懃な態度を崩さずに、

 

「これはご無礼を致しました。私は諸角(もろずみ)静流(しずる)。とある“機関”に属する一介の研究者ですよ」

 

 そう自己紹介をすると、諸角という男は馴れ馴れしく握手を求める。俺は沈黙を以ってそれを拒絶するが、諸角はさして気にした風も見せずにお道化た仕草で肩を竦めた。

 

「そして、そちらの八咫之摩夜さんの事ですが、彼女は十四才ではありますが正真正銘、日本国国防軍の大尉ですよ。私も属する“機関”――華那庵(カナン)から出向した“特務大尉”という形になります」

 

 意外なほどあっさりと摩夜の出自を語る諸角。華那庵――Canaan――カナン。約束の地の名を持つ“機関”に所属する少女。怪訝な表情を浮かべる俺に諸角はにこやかに笑いかけ、

 

「貴方は1023小隊隊長の神崎零斗君……ですね。お会いできて光栄ですよ。私は貴隊のファンでしてね。特に純粋種(持たざる者)たる貴方の活躍には同志一同、何時も勇気づけられていますから……」

 

「それはどうも……」諸角の言葉に妙な()を感じ、俺はぞんざいに礼を言った。

 

「ふふ、これからも期待してますよ? ……さて、大尉。時間も押している事ですし、そろそろ参りましょうか――これを」

 

 俺の嫌悪感を他所に、手にした紙袋を摩夜に手渡す。中を確かめて「あ――!」と驚く摩夜。

 

「これ、取り返してくれたんだ」

「当然です。これを失くしたら、大尉を宥めるのに余計な面倒が増えますからね」

「……ありがと」

 

 刹那、摩夜は哀しげに笑った。紙袋を抱きかかえたまま、器用に靴を履く。

 

「行くのか?」

「うん、レイトにはいろいろお世話になったね」

 

 そういってペコリと頭を下げる。「感謝しますよ」それに付き合って諸角も辞儀をした。

 

「元気でな」

「うん、レイトもね」

 

 名残惜し気に手を振る摩夜。用は済んだとばかりにさっさと歩み去る諸角。何処に行くのかを尋ねても相手が軍関係者なら無駄だろう。俺は何も言わなかった。白衣の後を追う赤いセーターの小柄な少女。その姿が階段の先に消えてゆく。

 

(もう会う事は無いよな……)それを見届けると、俺は黙ってドアを閉ざした。

 

 

 その日、俺は学校を休んだ。

 怪我の事もあるが、色々な事があり過ぎて、そのまま日常に戻れる気がしなかったからだ。

 

 昨日まで皆勤だった俺の突然の欠席に(さかき)教官は理由を尋ねたが、風邪とだけ答え、昨夜の出来事については何も言わなかった。仮にあの事件を憲兵が処理していたのなら教官は本当の理由を知っている筈だし、もし知らないのなら公にはできない類の案件、という事になるのだから。

 

 気晴らしにテレビ端末を付けてみる。画面には地味なローカル局のキャスターが映っていた。

 

 ――本日未明、咲良市港地区のマンションの一室で激しい火災が起こり、現場から三人の焼死体が発見されました。遺体は損傷が激しいものの十代後半の未成年の男性と見られ、警察及び憲兵は身元の特定を急いでいます。近隣の住民の情報によると、火災のあった部屋に兵役拒否の少年数人が住んでおり、以前から何人かの未成年の女性を監禁、映画撮影と称して淫らな行為をしていたとの事で、警察は事件性についても調査を進めています――

 

(……これ、昨夜の?)確証はなかった。しかし俺の背筋に怖気が走る。誰が俺達を助けたのか。あの三人組はどうなったのか。その答えがあの特徴の無い顔の男にある。そう確信できた。

 

 摩夜を連れて行った白衣の男。聖者のエンブレム。俺の事を純粋種と呼ぶ時の妙な熱。

 

(諸角静流……あの男は――)

 

 俺の脳裏に浮かぶ、ある団体の名。

 ()()()()――表向きは対デザイア主戦派の政治団体だが、その実態はデザイアに関わる全てを世界から駆逐すべしと唱える過激派。デザイア由来のフェリオン技術を嫌悪し、かつてマイノリティであったサーキット保持者を迫害し、今もカラーズを人間と認めない狂信的な”人類至上主義者”を含む人員で構成された結社。諸角が同盟の一員なら、摩夜に対する態度にも合点がいく。

 

 そして華那庵(カナン)という機関。研究者と名乗る諸角が所属している、という事は神聖同盟の研究施設(ラボ)だと考えるのが妥当だ。其処に所属する大尉の階級を持つ白い髪の少女。摩夜は何らかの研究の被検体なのかもしれない。

 

 そこまで思考を巡らせてかぶりを振る。俺はとんでもないことに片足を突っ込んでいる。これは一介の学徒兵が深入りすべき問題ではない。

 

 ――けれど。

 

(あいつは()()()いるのだろうか……?)摩夜の少女らしい屈託のない笑顔を思い出して俺は陰鬱な気分になった。

 

 

 次の日。登校した俺が教室に入ると、水色の髪の少女――幼馴染の陽ヶ崎菜々星(ななせ)がホッとした様子で近付いて来た。喧嘩したままで病欠して、心配をかけたと思うと申し訳なく思う。

 

「ナナセ、一昨日はごめんな」

「ううん、いいよ。それより風邪は治った?」

 

 俺が頷くと、控えめに微笑む陽ヶ崎。長い髪を束ねたサイドポニーが揺れた。

 

「よかった。昨日お見舞いに行こうと思ったんだけど、わたしもリョウちゃんも訓練で忙しくて」

「いいよ。まだ寒いし、風邪がうつったら好くないしな」

 

 昨日のことを知られる訳にはいかない。皆を巻き込みたくは無かった。そんな俺の思いを見透かしたかのように金色の瞳をすっと細める陽ヶ崎。

 

「……レイト、何か隠し事してない?」

 

心話持ち(テレパス)相手には無駄な足掻きか)俺が溜息を吐くと陽ヶ崎は、

 

「能力とか関係ないよ。レイトって嘘つくとき声が優しくなるから、すぐわかる」

 

 そう言ってクスッと笑う。要するに幼馴染補正って奴か……俺は苦笑する。そもそも陽ヶ崎の心話は相手の思考を読み取る能力ではなかった。

 

「それって、わたしたちには言えない事?」

「……ああ」

 

 躊躇いながら俺が頷くと、

 

「レイトが言わないのは、理由(わけ)があるって事だもんね」どこか寂しそうに陽ヶ崎は呟いた。

 

 若干の後ろめたさを感じつつ、俺は教室を見渡す。俺達の席、そして花瓶が片付けられた佐塚の席。そう言えば一昨日、補充人員が入隊すると都筑が言っていたが――

 

「そう言えば、新しい隊員て、どんな奴なんだ?」

 

 そう尋ねた時、教室の入り口が開き、もう一人の幼馴染が顔を出した。

 

「レイト、来たのか。具合は良い様だな。うん、それは重畳」

 

 制服を着崩した少年――都筑(りょう)は上機嫌で二カッと笑う。そんな都筑をジト目で睨みながら、陽ヶ崎は拗ねた様に口を尖らせる。

 

「リョウちゃん、あの子は?」

「今は教官と話してる。もうすぐHRだし、直ぐに来ると思うぜ」

 

 そう言って席に着く都筑。(なるほど、女の子か)俺が心の中で呟くと(リョウちゃんてば、昨日からあんな調子……だらしないんだから)憮然とした陽ヶ崎の声が聞こえた。

 

「校舎を案内していたのか、リョウ? 女にはマメな事だな」

「まあな。可愛いんだけど、なんつうか、危なっかしいんで放っておけないんだよな~」

「そうか……」

 

 鼻の下を伸ばしながら語る親友を傍目に、俺は気の無い返事を返す。危なっかしくて放っておけない奴といえば、どうしてもアイツの事を思い出してしまう。あの能天気な白い髪の少女――八咫之摩夜の事を。関わった結果、酷い目に遭っただけなのに。どうして気になるのだろう?

 

「ほら、来たぜ」教室の扉が開き、一人の少女が入って来る。真新しい咲良第Ⅱの制服を身に着けた小柄な少女。真珠の様な光沢をもった白い髪。蒼く大きな瞳が一瞬見開かれて揺れた。陽ヶ崎と都筑が立ち上がって敬礼する。胸の階級章を見れば大尉殿だ。慌てて俺もそれに続く。

 

「あ、それはいいってば」苦笑しながら敬礼を返す少女。「ボクの階級はお飾り。教室ではクラスメイトで居て欲しいって昨日も言ったでしょ。それから――」

 

 白い髪の少女――八咫之摩夜は満面の笑みを浮かべると、「レイト、また会えたね♪」そう言って、呆けた様に突っ立っている俺に臆面もなく抱きついてきた。

 

「お、おい」

「照れない照れない。何たってボクたちは一晩を共にした仲じゃない」

「一宿一飯の恩義を感じているならそういう言い方はやめろ!」

 

 困惑する俺と無邪気に喜ぶ摩夜。騒然とした教室に榊教官が入ってきて頭を掻いた。

 

「なぬ、お前、いつの間に摩夜ちゃんと……」

「レイトって大尉と、どういう関係なの――!?」

 

 憤慨する都筑と、何故か頬を赤らめる陽ヶ崎。二人の幼馴染の追及は、呆れ果てた榊教官が雷を落とすまで延々と続くのだった――――

 

 

Continue to next Episode □□□

 

 

 □□□At that time, at that place__

 

 

『た、助け――』顔を青痣で腫れ上がらせた男がおぼつかない足取りで路地裏を駆けていた。何者かに追われているのだろうか。何度も後ろを振り返って誰も居ないことを確認すると、男は荒く息を吐きながら地面に座り込んだ。

 

『畜生、何んなんだよ、()()は……』

 

 悪態をつきながら、地面に血の混じった唾を吐く。安堵に弛む男の顔だが――

 

 男の周囲を照らす微かな街灯の光がすっと遮られた。『ひ……』男の喉が微かな音を鳴らす。逆光の中、人影が立っていた。小柄な、女性と思われるシルエット。薄闇の中、その瞳が赤く輝く。

 

 ドシャッ――

 

 ()()は手にしていた()を無造作に男の方へ放り投げる。続けてもう一つ。

 

『……ひ、ひぃぃぃ――――っ!!』

 

 男の口から溢れ出す情けない高音。それは男の心に絶望を突き立てる。

 

 柔らかいものが詰まった麻袋のようなそれから液体が滲み出し、冷たい路面を濡らしてゆく。水よりは粘度の高いその液体が、二つの液だまりを作る。どこか甘さを感じる生臭い香りと鼻をつくアンモニア臭が男の鼻腔を擽った。

 

 ――次第に目が薄闇に慣れてくる。

 

 二つの塊が落ちていた。細長いものと丸みを帯びた、臭気を帯びた肉塊。血だまりの中に転がるそれが変わり果てたヒトであることに気付くのに刹那の時間を、そしてそれが誰かなのかを認識するのには暫しの時間を、男の理性は要した。

 

『ここまで……する……か……?』やっとの事で絞り出した声。

 

 恐怖に見開かれた視線の先には人形の様に立ち尽くす少女の姿があった。着乱れた衣服が辛うじて肢体を覆い、全身に夥しい鮮血を浴びた、まるで幽鬼のような姿。その妖しさに、男は思わず喉を鳴らす。

 

 少女はゆっくりと近付いて来る。躰を覆う()()()()がはらりと路面に落ちた。それに視線を移した刹那、眼を剝き、血を吐く男。少女の細い腕が手刀で男の心臓を貫いていた。

 

『だって、キミたちは()()()()()()()だもん……仕方ないよね?』

 

 少女の抑揚のない声は届かない。既に男の身体は三体目の肉のオブジェとなっていた。

 

 クスクスと笑う声が響いた。少女は路面にへたり込むと夜空を仰ぐ。大きな()()()が震え、ポロポロと大粒の涙が溢れ出す。少女は笑いながら、肩を震わせて哭いていた。

 

『これは派手にやってくれましたね……大尉。いや、白い鴉(White Raven)

 

 突然の声に少女の瞳が赤く染まる。

 

 路地の陰から白衣の男が歩み出てきた。笑みを浮かべる長身の初老の男。

『怖い怖い、私ですよ?』鋭い視線を叩き付ける少女の裸身に着ていた白衣をかけると、男はお道化た仕草で肩を竦めた。

 

『どうして()()()を止めてくれなかったの?』擦れた呟きが少女の口から洩れる。

 

『無分別な力の保持者は悪です。助ける必要があるんですか?』何を今更と言った風に答える男。

 

『そもそも、何故あのような事態になっていたのですか? 貴女は()()ですが、最初から対処していれば()が酷い目に遭わずに済んだものを……』嬲るような男の言葉。

 

()()()振舞っても、貴女の本質は変わりませんよ。己が存在理由(raison d'etre)を弁えなさい』

 

『…………』俯き、唇をかみしめる少女。

 

『何れにせよ、貴女には更なる()()調()()が必要……ですね』

 

 コクンと頷く少女。男の手が白い髪に着けられた武骨なアクセサリーに触れると、仄かに緑色の燐光が辺りを照らす。すると少女はピクンと反応した後に声も無く冷たい路面に崩れ落ちた。その肢体を軽々と抱き上げる男。その背後に何人かの目立たない容姿のスーツ姿の男達が立っていた。

 

『主任、如何いたしますか?』スーツの男達のリーダー格が男に指示を仰ぐ。

 

『手段は問わず隠蔽を徹底。“鷹月”や“老人”に気取られる事だけは避けろ。警察や憲兵には私が手を廻しておく。それからダボ鯊(メディア)連中には()()()な情報をくれてやれ』

 

 少女と話す時とは違う、冷徹な声音。スーツの男達は一糸乱れぬ敬礼をすると行動を開始する。

 

『レイト……』微かな寝息の中、少女が囁く。あどけない顔に儚げな微笑みを浮かべて。

 

『ほう……』それを聞いた男の口許が僅かに吊り上がった。

 

 レイト……確かあの少年の名は神崎零斗……と言ったか。欠落者とされながら、それ故に戦術人形を駆る少年操縦士の一人。立派な事だ。だが男の興味は彼の()()()と神崎という彼の()にフォーカスされる。『そう繋がるとは……』無垢な少女の寝顔を前に、ククっと男は嗤う。またとない獲物を得た肉食獣のように。特徴の無い貌が歪み、心からの喜悦が広がってゆく。

 

『これは天祐というモノですかねぇ。感謝しますよ、()()?』天を仰いで嗤う男。それはやがて哄笑へと変わり、夜の路地に狂気となって響き渡った――――

 

 

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Episode3 故郷 ~ Where I'll be back someday

 

「うー、こういうのって苦手だなあ。暗いし、狭いし、空気は悪いし……」

 

 旧時代の原子力タービンが駆動する重低音が響く。薄暗い照明に照らされた艦内通路を歩きながら、白い髪の少女は不満そうに口を尖らせていた。実際に苦手なのか何処となく顔色が悪い。それを見た水色の髪の少女がクスッと笑う。

 

「大尉にも苦手なものがあるんですね」

「そりゃ、あるよ~。ナナセだって……例えばお化けとか怖いでしょ?」

 

 同意を求めるように水色の髪の少女――陽ヶ崎(ひがさき)菜々星(ななせ)に迫る白い髪の少女――八咫之(やたの)摩夜(まや)。その必死振りを見て、長い髪を()()()にした少年が思わず吹き出した。

 

「お化け……ナナセが……」

「なにが可笑しいのさ、リョウ?」

 

 やがて腹を抱えて笑い出した少年――都筑(つづき)(りょう)を憮然たる表情で睨む摩夜。

 

「リョウちゃん、笑い過ぎ……」そう言って陽ヶ崎が都筑のおさげを引っ張る。

 

「――――っ! 馬鹿力で引っ張るなっ!」大袈裟に痛がりながら陽ヶ崎を睨む都筑。

 

「髪が邪魔なら素直に切ったら、リョウちゃん?」

「うるさい、長髪は俺のポリシーなんだよ」

「男がおさげにしても可愛くないよ」

 

(また始まったか――)あの二人の何時もの遣り取り(レクリエーション)。俺は肩を竦めるとそんな二人を放置して歩を進める。都筑が髪を伸ばしてる理由を俺は知っていた。陽ヶ崎の想い、そして俺の気持ち――

 

 少し気圧の高い通路に騒々しい足音が響く。それが誰なのかは振り返らずとも分かった。学徒兵の制服の短いスカートを意に介さずに駆けて来る摩夜。

 

「ちょっとレイト。どうして先に行っちゃうのさ?」

「艦内は静かに歩け。作戦行動中……ですよ。大尉殿」

 

 小学生と言っても通じるような背丈は妖精の様でも、豊かな胸に着けられた階級章は現実のものだ。国防軍特務大尉。だがそう呼ばれる事を摩夜は嫌っていた。

 

「はぁい。でも、何であんなに笑ったの? リョウは」

 

 好奇心旺盛に俺に尋ねる摩夜。この隊に所属してはや二週間、こいつは俺達について何にでも興味を示してきた。学校生活や、趣味、そして島での思い出。一度こうなったらこちらが答えるまで質問が終らないという事を俺は身を以って知っていた。

 

「お前がライオンに肉は嫌いだよね、なんて質問をしたからだ」

 

 いつも通りの口調でそれに応える。

 

「ライオン……? もしかしてナナセって」意味を把握して、摩夜の顔が青ざめた。

 

「あいつは怖い話……ホラーとかオカルトが大好きなんだよ。確かラヴ〇ラフトの全作品を読んでるくらいだから。下手にスイッチが入ると一晩中語られる羽目に合うかもな……」

 

「そ、そう。貴重な情報提供、感謝する……」妙に硬い口調で意味も無く敬礼をする摩夜。

 

(なるほど……)これは良いことを知った。傍若無人なコイツにも弱点はあるって事だ。俺は悪い笑みを浮かべ、

 

()()()()()、興味がおありでしたら、俺からナナセに伝えておきますが――」

 

 俯く摩夜に、ワザと慇懃な口調で尋ねる。

 

「ホラー映画とか結構媒体で持ってるから、恐らく()()したものを貸してくれますよ?」

 

「……い……」絞り出すような声。細い肩が震えていた。

 

 果たして俺は過ちを悟る。そして次の瞬間――

 

「嫌ぁぁぁぁぁ―――――――――――!!!!」

 

 鼓膜を破るかのような大音量の悲鳴。

 それが俺たちの乗る艦、日本国防軍()()()()()()“オトヒメ”の艦内に響き渡り、それに反応して非常警報が鳴り響いた。騒然とする艦内。駆けつけた都筑と陽ヶ崎が顔を見合わせて溜息を吐く。

 

神崎(かんざき)零斗(れいと)准尉、及び八咫之摩夜大尉。至急、指令室に出頭を。……とっとと来い、頼むから』

 

 間を置かず、俺と摩夜を呼ぶ(さかき)指令の苦虫を噛み潰した様な声が艦内放送で流れた――

 

 

「二人とも、何故ここに呼ばれたのか分かっているよな?」

 

 ボサボサに伸ばした髪を掻きながら、俺達“鉄屑(Scrap)”の指令である榊泰吾(たいご)中尉――いや昇進して今は大尉――は、ぼやく様に言った。無精極まりない格好と仕草なのに何処となく様になって見えるのは、歴戦の勇士の貫禄か、円熟された男の魅力か。いや、単に地が良いからなのかもしれない。

 

「ボク、悪くないもん。レイトが悪いんだ」

 

 指令に対する言動としては不敬もいい所だが、名目上は同階級であることもあって摩夜は不貞腐れた様に呟く。じろっと榊指令の視線が俺を射貫いたが、俺の責任にされても困る。

 

(これでも大分マシになったんだよな……)榊指令の昇進は大尉である摩夜を指揮下に置く必要があるからで、あの研究者――諸角(もろずみ)静流(しずる)が国防軍に働きかけたからだという。神聖同盟の()なのだろう。過日の事件の結末を思い起こし、俺は背中に冷たいものが流れるのを感じていた。

 

「あのな、誰が悪いとか関係ない。榊指令が言いたいのは作戦行動中の潜水艦内で大声を出すとか、常識を考えろって事だよ。そうですよね、指令?」

 

 言外に俺は悪くない、という想いを込めて摩夜を窘め、俺は指令を見やる。だが指令はかぶりを振ると大きな溜息を吐いて、

 

「で、その大声を出させたのは誰なんだ、神崎准尉?」と、慈悲も無く俺に尋ねるのだった。

 

 

 一通りの訓示という名の説教を受けた後、摩夜は指令室を退出した。豊かな胸を張って、正義は我にありといったドヤ顔で。それを見送り肩を竦める榊指令に合わせて俺も溜息を吐く。

 

(あれじゃ大尉とは……いや学徒兵にすら見えないよな。()()

 

「まあ、座れ」指令は応接用のソファに腰を掛けるとポケットに忍ばせたミニボトルをラッパ飲みし、どうだとばかりに別の瓶を俺に差し出す。

 

「俺は未成年です。それに今は任務中なのでは?」流石に呆れて俺がそう言うと、

 

「エナジードリンクだ」そう答えて榊指令はソファにだらしなく凭れ掛かる。そう言えばアルコールの類の臭いはしなかった。少しだけ安堵し、キャップを取ってボトルの中身を口に含む。

 

 ――次の瞬間、俺は思いっきりむせた。

 

「――――!? 何なんですか、これは?」激しく咳き込みながら指令に瓶の中身を問い質す。

 

 口の中に拡がったのは強烈な甘さと苦さが混然一体化した、まるで砂糖の入ったコールタールのような味……というより刺激だった。

 

「身内に健康飲料を作るのが趣味な奴がいてな、試作品を貰ったんだ。……で、駄目か?」

「これじゃ健康どころか糖尿になりますよ……」

 

 差し出されたコップの水を飲みながら率直な感想を言うと、指令は苦笑して頬を掻いた。

 

「貴重な意見、ありがとな」テーブルの上のポートレートを手にしながら礼を言う指令。チラとそれを盗み見ると、そこにはまだ髭を生やしていない十代の指令と小学生くらいの()()の髪をした女の子が写っていた。背景の見事な日本庭園は指令の実家だろうか?

 

「もしかして、妹さんですか」

「ああ、祥子(しょうこ)っていうんだ。可愛いだろ?」

 

 そう自慢げに紹介する指令。写真を良く見せてもらうと、吊り目気味の、勝気そうな印象の女の子だ。長く伸ばした髪と、はにかみながら指令の腕にしがみ付いている姿が、確かに愛らしい。朧気に見覚えがある様な……そんな気もするが、記憶違いだろうか?

 

「今年、鷹月の高校に入るって話だ。ま、お前には()()()がな」

 

 ――妙な圧を感じ、俺は慌てて熟視していた写真を榊指令に返すと、

 

「話だ……って最近逢って無いんですか、祥子さんと?」最近の写真が無い事に違和感があった。

 

「ああ、俺が軍に入ってから、ずっとな。もう十年になるか――」

 

 少しだけ寂しそうに笑う榊指令。そう言えば俺は指令の事を詳しくは知らなかった。同門の師兄であり国防軍の元エースパイロット。そんな表向きの事しか知らない。この人にも今の俺達のような時間があった筈なのに。

 

「俺の親父は所謂政治家って奴でな。萩野(はぎの)利三(りぞう)……って知ってるか?」

 

 知っているも何も無い。陽ヶ埼流の高弟の一人にして言わずと知れた与党の最大派閥を率いる次期首相の最有力候補だ。タカ派として知られているが神聖同盟とは距離を置くバランス感覚の持ち主で、恵まれた体躯とルックスから若者や主婦から絶大な人気を誇っている。

 

「そんな偉いさんの息子が、末端の軍人なんてやってれば、そりゃ引くわな?」呆気にとられる俺を見て榊指令はうんざりした様な溜息を吐く。

 

「親父は当然のように俺を後継者に、と考えていた。だが俺は、学徒兵時代に()()()に出会っていた。漆黒の機体を駆って敵を駆逐する英雄。それに魅せられて俺は軍を目指した。理由にしちゃ結構()()だろ? 親父とはその時に大喧嘩をして、俺は萩野の家を勘当されたって訳さ――」

 

 事も無げに語る指令の声音に滲む憧憬の色。(また、あいつか)心の漣を、俺は仕舞い込む。

 

「……では指令の“榊”という姓は?」

「お袋の旧姓、だよ。もう死んじまったけどな。――それは兎も角」

 

 榊指令は雑談は此処まで、と責任者の表情で俺を見やった。

 

「八咫之の事だ。諸角主任から一応の説明は受けているが、隊長のお前が気付いた点も聞きたくてな。作戦迄には隊員の正確な情報を得ておきたいんだ」

「隊長っていっても俺よりアイツの方が階級は上ですよ。准尉なんて下駄を履かせて貰っても」

 

 指令の昇進に合わせた様に、俺は無階級の学徒兵の原則を外れて国防軍准尉を拝命していた。これも諸角の差し金なのだろう。ある意味学生という国に守られる身分から、形式とはいえ軍人という護る立場へ。あの男としては関わってしまった俺を監視下に置いておきたいのだ。

 

「まあな、しかしお前は隊長だ。どんな命令も俺から出た事にすればいい。責任は俺が取る」

 

 そう言って頼もし気に胸を叩く榊指令だが、

 

「……で、どうなんだ? なんでもあの子を()()()()()そうじゃないか? 神崎……お前は奥手と思っていたが、なかなかどうして……お兄さんは嬉しいぞ」

 

 そう言って急に絡んで来る。鼻腔を刺激するアルコール臭。見れば指令の手にしているボトルはいつの間にか()()に換わっていた。

 

「それは関係ないでしょう? 俺は、別に……」

「いいから話せ。これは指令からの命令である――」

 

 公私混同じゃないか。俺は目の前の()()()()に溜息を吐くと、あの晩の出来事を語った。それと同時に摩夜が隊に加わった二週間前を思い起こすのだった――

 

 

 真珠色の髪を持つ、どう見てもカラーズにしか思えない摩夜が“鉄屑小隊(Scrap Doll)”に入隊することを知った時、俺は驚きを隠せなかった。

 

 何故なら人型戦術兵器(タクティカルドール)の小隊である“鉄屑”には、普通の学徒兵が入隊することはできない。俺や都筑のようなサーキットを持たない、俺たちの世代では稀少となった者だけが、ナノマシン処置を受けて操縦士となることが出来るからだ。陽ヶ崎の場合は特例で、AIとの高い親和性から機上管制官の適性を持ち、さらには俺たちと同じ隊に入りたいという強い希望を榊指令が容れたためだった。

 

 当然、俺は摩夜も管制官の候補だと思っていたのだが、榊指令の紹介を受けて教壇に立った白衣の男――諸角によってそれは否定される。摩夜は戦術人形の操縦士(ドライバー)だというのだ。“鷹月”が開発中のSSSが脳裏に過ぎるが、操縦に必要なナノマシンも既に施術済みだという。

 

『お言葉ですが諸角主任。サーキット保有者へのナノマシン施術は国際条約によって禁止されています。成功の見込みが無いという医学的見地からだけでなく、人道的な理由からも――』

 

 放課後、俺以外の隊員を帰宅させた教室。得々と語る白衣の男への嫌悪感を辛うじて堪えながら、榊指令はその事を指摘した。それに対して諸角は小馬鹿にするかのようにかぶりを振ると、

 

『その国際条約に我が国は署名していませんよ、中尉? 可能性を自ら狭めるなど愚劣な行為でしかない。確かにサーキット保有者へのナノマシン施術は困難を極めます。しかし前例はある――』

 

『光芒教団の少年兵、ですか。しかしあれは……』榊指令の顔に苦渋が拡がる。

 

 光芒教団――デザイアを浄化の軍勢と唱えるカルト教団。世界の敵となり、追い詰められた彼らが起死回生の手段として作り出したのが、サーキットを持つ子供にナノマシン施術を行い操縦士とした戦術人形の部隊だった。教団壊滅後、その()()に魅せられた各国は挙ってその研究を行ったが成功例は無く、非人道的なこの試みは禁忌として闇に葬られる事となる――

 

華那庵(カナン)野蛮な狂信者共(ルミナスソサエティ)とは違いますよ。機密故詳しくは説明できませんが、十分な研究の末に()()したのが彼女――八咫之摩夜。その()()は保証できます』

 

(完成……性能、だって?)摩夜を工業製品のように語る諸角に、俺は憤りを隠せなかった。喉から出かかった言葉を榊指令の手が遮る。

 

『差し出口、失礼いたしました。軍司令部からの命令とあらば八咫之大尉の我が隊への出向の件、有り難くお受けさせて頂きます。我が隊も前回の出撃で欠員が出た所ですので』

 

 そう謝罪する榊指令を見る諸角の口許が薄く笑う。

 

『成果を期待させて頂きますよ、()()中尉。来栖(くるす)征史郎(せいしろう)の再来と呼ばれた貴方が率いる1023小隊の活躍は、()()()も見ておられる事でしょう――』慇懃に辞儀をして教室を去る諸角。

 

『廉い挑発だな。同盟の狗が――』静まり返った教室で榊指令は吐き捨てる様に呟いた。

 

 

 次の日から摩夜を交えた訓練が始まった。

 

 諸角が言うだけの事はあり、摩夜の兵としての資質は高かった。単純な体力作りの為のトレーニングだけでなく、修練が必要な武術や射撃といった技能訓練も摩夜は易々とこなせていた。調整済みの機体がないため戦術人形による実機訓練は行えなかったものの、シミュレーターではアジャストされていない操作系で俺や都筑に後れを取らないスコアを叩きだしている。カラーズでありながらナノマシン処置が行われているのは確かだった――

 

 とある日の装甲強化服(バトルドレス)教練の時間……

 

 ――対デザイア戦においてタクティカルドールと同じくらい人類の戦術を変えた装備、バトルドレス(硬直した運用しかできない従来の機械型武装外骨格に比べ、薄い人工筋肉で全身を鎧う本装備は歩兵の戦術をそのまま取れる為、歩兵の戦闘服として瞬く間に普及した)は、操縦士の生存性を高める目的から戦術人形のパイロットスーツにもなっている。機体から脱出した場合に備え、操縦士にもバトルドレスでの戦闘訓練は必須とされていた―― 

 

『なあ、レイト。摩夜ちゃんてスゲエな……』

 

 ドレスを装着しての走行訓練。前を走る二人を見ながら都筑がポツリと囁く。俺は荒い息を吐きながらそれに同意した。陽ヶ崎は中学時代、陸上県大会の中距離距で入賞したことがある。そんな相手に苦も無く着いて行ける摩夜。ちなみに俺達は周回遅れ且つ、今も引き離されつつある。ドレス装着時ならサーキット保持者との身体能力の差は縮まるというのに、情けない限りだ――

 

『それに引き換えナナセは……』今度は陽ヶ崎を見やって嘆かわしそうに溜息を吐く都筑。

 

(何を言ってるんだ? ナナセは別に――)奴の顔をチラ見した俺は全てを悟って脱力する。

 

 遠ざかる二人の少女の対称的な曲線があった。歩兵の戦術を邪魔しないよう薄く作られたバトルドレスはどうしても身体のラインをクッキリと曝け出してしまう。装甲やハードポイントがそれを覆い隠す歩兵用ならそれ程では無いのだが、狭いコックピットに合わせて設計されている操縦士用には最低限の装甲しか施されていないからだ。

 

『ま、性格以外は皐月さんに似て来たし、これからに期待って所だよな~』

 

『お前な……』無駄とは思うが忠告しようとした時、

 

『こら神崎、都筑。気合いを入れろ。三周遅れになるぞ!!』

 

 榊教官の怒鳴る声が響く。そして後ろから朗らかな少女達の声が聞こえた。

 

『リョウちゃん、それにレイトも真面目にね。体力は操縦士の基本なんだから』

『次の訓練、楽しみだな~ ナナセから教わった技、試してみたいし♪』

 

 次の時間。格闘技訓練で俺たち二人は榊指令の許可を得た二人によって何度も道場の宙を舞う事になる。俺と都筑は早々にリタイアする羽目となり、同乗の端で組み手を行う二人の少女の姿をぼんやり眺めていた。道着姿の二人。負けず嫌いなのか、何度も陽ヶ崎に投げ飛ばされながらも受け身を取り、再び挑む摩夜。

 

『なあ、レイト。摩夜ちゃんて、スゲエな……』

 

 先刻とは違う意味の呟きが、都筑の口から零れた。黙って頷く。そんな俺達の前で、やがて陽ヶ崎の身体が宙に舞った――

 

 

(つまり俺は愚かな騎士(ドン・キホーテ)だった訳だ)あの晩のことを思い起こし、俺は苦い思いを噛み締める。摩夜が本気を出したなら、あんな三人組に後れを取る事は無かったはずだ。俺がした事は、余計な手出しをして事態をややこしくしただけなのではないか?

 

「なんだ、神崎は八咫之を助けた事がお節介だったと思っているのか?」眠たげに話を聞いていた榊指令が、薄く眼を開いていった。

 

「そりゃ、俺も男ですから……間違った事をしたとは思ってません。けれど大尉には助けなんて要らなかった筈です。……アイツも一応女性ですし、状況に竦んでしまったのかもしれませんけど」

 

 俺がそう答えると、指令は「そうだな……」と暫し考え込んだ。

 

「八咫之は相手を傷つけたくなかったのかもしれないな。弁えた相手なら実力差を見せつければ事は済むだろうが、そうでない奴には逆効果になりかねない。徹底的に叩きのめす必要がある」

 

 少しばかり過激な指令の言葉を聴き、俺は(確かにな)と思った。

 

 無分別な相手、しかもカラーズ相手には流石に手加減など出来ない。摩耶が大尉と呼ばれるに値する戦闘技術を持っていたとしても、相手を無傷で制圧することは難しいだろう。だから摩夜は逃げていた。それなのに俺とぶつかって、俺を介抱して、俺が出しゃばった結果……あの結末を導いてしまったのだ。摩耶にとって、恐らくは望まない結末を。

 

「優しい娘なんだろうな、八咫之は……」榊指令の口から気怠げな言葉が漏れた。

 

「だから八咫之は……助けようとしたお前の気持ちも……分かってる……筈……さ……」

 

 酒が回ったのか船を漕ぐ指令。磊落な外観とは裏腹の、静かな寝息が静謐な室内に響く。

 

 摩耶の加入と共に急遽決まった第十四次青巒島上陸作戦。その任に就くべく俺達はこの艦に乗っている。作戦立案を行いつつ俺達の訓練を監督したこの二週間、榊指令はほとんど寝ていなかったのではないか。その()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのに。

 

「俺が言える事ではありませんが……ご自愛くださいね、榊指令。()()()助けて頂いた御恩を、俺も、リョウも、ナナセも……まだ返せていないんですから――」

 

 ソファに身を預ける指令に毛布を掛け、俺は敬礼をして部屋を後にするのだった――

 

 

 “オトヒメ”が青巒島沖で着底待機(ボトム)に入って二日後。俺達に司令部より作戦決行の通達が下る。

 

『1023小隊各機は日没後、一八三〇を以って青巒島の南岸に上陸。交戦を避け、防衛軍の駐屯地跡に向かわれたし。本作戦の主目的は駐在部隊の、敵侵攻時の記録の回収である――』

 

 榊指令の伝える内容に、俺は首を傾げた。戦いを避ける様な作戦は今まで行われた事が無かったからだ。抑々戦術人形の巨体はこういった潜入任務に向いていない。上陸して派手に交戦して撤退する。戦争ごっこと揶揄される今までの作戦とは明らかに趣が異なる内容に、俺は諸角の……その背後の神聖同盟の思惑を感じていた。

 

(今になって情報収集か……)末端の人間が如何こう出来る事ではないが、愚痴りたくもなる。

 

 中型ピラー程度の敵戦力である青巒島の奪還が未だ成し遂げられていない理由は、国防軍の戦力不足という事もあるが、離島という地理的要因が主な原因だった。

 実弾兵器を主軸とする人類に対し、敵性機甲体(デザイア)の主兵装は光学兵器(レーザー)だ。人類側のものより優れた技術によって創り出されたそれは、大気による減衰をほとんど受けず、正確かつ強力な対空火器として機能する。その為上陸部隊は有効な航空支援を受けることが出来ない状態で、旧世紀の如き血で血を洗う上陸作戦を決行する羽目になるのだ。

 デザイア戦の切り札である戦術人形はレーザーに対し強力な防御力を持つ光学装甲(フェリオンスキン)を持つ。しかし希少となった戦術人形の熟練操縦士をこんな僻地の島に割く余裕は、防衛軍には無かった。そこで俺達のような()()()()()を操縦士に仕立て、鋭意実行中というアピールをしている――

 

「どうしたの、レイト。難しい顔しちゃってさ」

 

 艦内格納庫へと向かう俺を、緊張感の欠片も無い顔をした摩夜が追いかけて来た。

 

「作戦前なんだから当たり前だろ……」仏頂面を隠せずに俺がそう言うと、

 

「パパっと行ってデザイアをやっつけて帰るだけじゃないの? 余計なこと考えずにさ」

 

 能天気に言い放つ摩夜。思わず俺は眉間を押さえ、

 

「この鳥頭、榊指令の話を聞いてなかったのか? 出来る限り戦闘を控えるのが今回の作戦の要なんだよ。上陸ポイントは今まで侵入したことがない島の南側。正確な敵戦力の把握も出来ていないんだ。加えて施設に潜入しての情報入手……これは機体から降りての任務になる。生身での白兵戦も考えなくちゃならない――」

 

 摩夜は瞳をパチクリとさせた後、ニッコリと微笑んで、「大丈夫だよ」そう言い切る。

 

「本当に分かってるのか? タダでさえ難しい作戦なんだ。そこに余計な条件が加わっている。リスクは大きい。俺は仲間を喪うのが……怖いんだよ」

 

 そう言って俯く俺の手に、摩夜の小さな手が重なった。

 

「大丈夫。レイトならきっとやれるよ。ボクがレイトを……皆を護るから。……だってそれがボクの()()なんだもん!」

 

 眼を輝かせ、まるで決定事項のように宣言する摩夜。(役割、か)その蒼く澄み切った瞳に耐え切れず、俺は視線を逸らす。

 

「気楽に言うなっての――」そう言いかけた時、突然、摩夜の顔がつっと近付いた。

 

「……ん……」

「…………!?」

 

 呆気にとられる間もなかった。唇に重なる柔らかな感触。目一杯背伸びした身体を俺に預ける摩夜。ややあって俺から飛び退く様に離れると、摩夜は悪戯っぽく微笑んだ。

 

「……エヘ♡」

「な、何を、いきなり――!!」

「元気が出る()()()()()だよ。ナナセの読んでた漫画でヒロインの子がやってた」

 

 ナナセ、と聞いて俺はがっくりと肩を落とす。一見すると大人しい文学少女のように見える陽ヶ崎だが、俺が知る限りその趣味は結構()()()なのだ。いったい何を参考にしたのか。抑々これって俺の()()の――混乱した俺の脳細胞が盛大に空回りを始める。

 

「うんうん、元気になったみたいだね。よかった♪」

「どこがだよ。痴女か、お前は!?」

 

 憮然とする俺を他所に、摩夜は一人納得すると、

 

「そろそろ出撃の準備を始めなきゃ。先に行くね、レイト――覗いたら駄目だからね」

 

 そう言ってバトルドレスを装着するために更衣室へ駆けていく。旧時代の戦略原潜を改修し、戦術人形の母艦とした“オトヒメ”には、格納庫に仮設された男女共用の更衣室にしかドレス装着の設備は無い。隊内の暗黙の了承でその順番は女子が先、となっていた。

 

「……するかよ。兎も角、今回お前は無職(リザーブ)なんだから張り切り過ぎるなよ?」

 

 作戦決行までに搬入される筈だった摩夜の機体は、結局間に合わなかった。出撃前に諸角が苛立たし気に通信を行っていたのを見る限り、華那庵での調整が遅延していたのだろう。この作戦中、摩夜は俺の機体に同乗する。陽ヶ崎とは違って管制官適性はゼロに等しいから、正に無職だ。

 

「強調しないでよ。気にしてるんだから」口を尖らせながら、摩夜は隔壁の向こうへと消えた――

 

 

 体育館程の広さの空間に二体の巨人が窮屈そうに蹲っていた。屹立すれば全高八メートル。全身を武骨な装甲で鎧った機械仕掛けの騎士――俺達の愛機である鷹月重工製の第二世代量産型戦術人形“月神”(ツクヨミ)。第三世代量産機である“雷神”(ナルカミ)実戦配備後は大陸戦線の一線を引いた旧型機だが、国内では未だ現役の信頼性の高い機体だ。

 

 飛び交う喧騒。特殊潜航母艦“オトヒメ”のTD格納庫では今、1023小隊の戦術人形二機の発艦準備が急ピッチで進められていた。

 

「タートルⅠ、タートルⅡ、コックピットの複座仕様への換装完了」

「装備は揚陸パック。取付け、急げ!」

「今回の武装は両機ともスタンダードでいいんですね?」

 

 真剣な表情で行き交う整備員の大人たち。少し離れた待機場所でその様子を眺めながら、俺は今回の作戦の概要を頭に思い描いていた。今まで三機で行っていた上陸だが、今回は二機。交戦を避ける任務とはいえ戦力の低下は痛手だ。そして潜入任務に於いて俺と都筑はカラーズである陽ヶ崎と摩夜……二人の少女に護られる立場となる――

 

「なんだか格好悪い装備だね……動き難そう」

 

 まるで海亀のような揚陸パックを背負った機体を見て、摩夜は不満そうにしていた。

 

「しかたないよ。揚陸パックは深海の水圧から機体を護る装備なの。本来陸戦兵器のTDを水中で活動させること自体に無理があるから、この作戦では必須……上陸後はパージするから、重量は気にしなくていいんだよ」

 

 宥める様に説明する陽ヶ崎。

 

「ふーん、ボク、島へは飛んで行くのかと思ってた。確か、強襲ブースターって奴。戦術教習の時に動画で見たよね?」

「空から行くのかい? 摩夜ちゃんは勇敢だなあ」

 

 空から舞い降りる機体を身振りで示す摩夜を見て、都筑が苦笑して言った。

 

「ブースターを使っての強襲は確かに有効だけど、デザイアの主兵装はレーザーだろ? TD自体はレーザーを装甲(スキン)で無効化できても、ブースターが破壊されたら機体は地面とキスする羽目になっちまう。降下ポイントが限られる島では狙い撃ちされやすくて危険すぎるのさ。それからデザイアの動力源はTDと同じフェリオンリアクターだ。今では大気を満たしているフェリオンだけど、未だに海には殆ど存在していない。だから海中は奴らの脅威に曝されない聖域になる――それが、俺達が潜水艦を母艦にしている理由なんだ」

 

「……そういうこと。だから安全策として、わたし達は海からの侵攻を選んでいるの」

「そ、そうなんだ……っていうか、リョウってば、そんな長くて難しい台詞言えたんだね」

「…………」

 

 流石にショックを受けて肩を落とす都筑。気持ちはわかる。まあDDO(ゲーム)で得た知識だろうけど。

 

 

『作戦開始三十分前。1023小隊は総員乗機せよ』

 

 何時しか整備が終った格納庫内に、榊指令の寂のある声が響き渡った。機体脇に整列し、こちらを見詰める整備員達。「行って来ます」そう言って俺達は敬礼をすると、各々の機体へと駆けた。

 

 機体に設けられた取っ手を使い、コクピットに踊り込む。背後に気配。摩夜が後部ハッチから小柄な体を滑り込ませていた。ハッチを閉鎖。計器を確認後、コネクタのある手首をソケットに接続する。神経接続ON――全身に蟲が這いずるような悍ましい感覚。それが収まった時、俺の感覚は八メートルの機体と同化していた。

 

 フェリオン濃度が低いことを示すアラート。機体動力をバッテリーに切り替える。人工筋肉である“素戔嗚(スサノオ)の腱”が軋む音を立て、駆動する。視点が上昇。巨人がゆっくりと立ち上がってゆく。

 

「この子、レイトに凄く馴染んでるんだね」

「わかるのか、そう言う事が?」

「うん……何となく、だけどね。()()()()みたいに話しかけては来ないけど」

「エルシャ?」

「第四世代型試製人型戦術兵器“暁”(エル=シャヘル)華那庵(うち)が開発したボクの機体だよ。ボクにとっては姉妹みたいな子さ。寂しがり屋で、とっても優しい子なんだよ」

 

「そうか……」戦術人形の意思が、摩夜には分かるとでも言うのだろうか?

 

(第四世代機ねぇ……道具が意志を持つとか、非常識(ナンセンス)もいい所だよ)

 

 しかし、俺は不思議と違和感を感じなかった。物語世界(ファンタシー)から来た妖精のように奔放なこの少女と比べたら、AIが人格を持つ事などは現実的(リアル)な事象の一つに過ぎないとさえ思える。

 

(まったく、俺も毒されてるな)思わず含み笑う。戦いを前にした時の緊張感は既になかった。

 

『タートルⅠは発艦位置に移動してください。移動後注水を行います。最終気密チェック――』

 

 “オトヒメ”のオペレーターの指示が聞こえた。俺は誘導マーカーに従って機体を移動させる。連結器が脚部をロック、床がスライドして解放された隔壁の向こうへと機体を運ぶ。機体位置固定、隔壁閉鎖。アラートと共に海水が流れ込んでくる。発艦カウントダウン開始。

 

『いいか、お前ら。ややこしい任務だが、俺からの命令は一つ……必ず帰って来い、だ。後は神崎准尉の指示に従って()()()やる事。……いいな?』

 

 ノイズに混じって聞こえる榊指令の声。カウント0。通信途絶。低い金属音と共に発艦用扉(ハッチ)が解放される。脚部ロック解除。浮力を得た機体は、ふわりと床を離れた。艦を離れ、常闇の海中を浮上して行く。視覚情報は一切ない。唯一音響索敵(ソナー)が隣を浮上していくタートルⅡを捉えていた。

 

 深度五〇〇……タンクブロー、機体の浮上速度が上がってゆく。

 

 深度二〇〇で上陸ポイントへの移動を開始する。投影される海域データとソナーを頼りに海底を這うように機体を進ませる。沈船の影を回避。()()()、島を脱出しようとして沈められた船だろうか。深度一〇〇、五〇、二〇……接岸。揚陸パックをパージ。軽くなった機体を起こす。

 

「ここまでは予定通り、か」

 

 パックから解放されたセンサーヘッドが稼働し、周囲の索敵を行う。範囲内に反応なし。とはいえ機械であるデザイアに慢心という言葉は存在しない。油断すべきではないだろう。

 

『そうだなぁ。しかし基本武装(スタンダート)って事は俺もガチバトルか……』

「仕方ないだろ。二機編成じゃ遊撃で狙撃機(スナイパー)を配置する余裕なんかないんだ」

 

 都筑機――タートルⅡから愚痴めいたボヤキ。本来狙撃が得手である都筑としては、近接戦用の基本武装は不本意だろう。タートルⅢ――佐塚が居れば――その思いを俺はかぶりを振って否定する。奴はもういない。

 

砲手(ガンナー)はわたしがやるから、リョウちゃんは操縦に専念してくれればいいよ』

『あいよ。頼りにしてるぜ、ナナセ』

『……うん』

 

 すかさずフォローに入る陽ヶ崎。(ありがとな、ナナセ)そう思いつつ俺は軽く溜息を吐く。

 

 陸に引き上げた揚陸パックからアサルトライフルと高周波ブレードを取り出し、予備を背部ラッチにマウントさせる。陽ヶ崎からリアクター起動の許可を求める通信。俺は許可を出し、自機のリアクターを稼働させる。胸部の吸気口から大気が取り込まれ、()()()()()()()かのように機体の各機能が正常化して行く――

 

「へえ、ここが、レイトたちの故郷なんだね~」

 

 後部席から周囲を見回していた摩夜が感に堪えない様子で呟いた。互いに神経接続をしている為か、すぐ隣にいる様な、不思議な感覚。

 

「何もない所だろ?」無邪気な摩夜の反応に、つい皮肉な事を言ってしまう。

 

「そうなの? でも故郷ってそういう、自分にとっては()()()()()()()なんじゃないかな」

 

 そう言って寂しく笑う摩夜。「ボクには、そういうのが無いから、少し羨ましい、かな……?」

 

 故郷がない……記憶が無いのか、被検体として華那庵で生まれたのか。語られた事の無い過酷な摩夜の境遇に想いを馳せ、俺は己の思慮の足りなさを悔やんだ。

 

「それじゃ、此処をお前の故郷、って事にしたらどうだ? 俺たちは仲間なんだから」

「……ホント!?」

 

 冗談めかして言った俺の言葉に歓喜する摩夜。その反応に面食らいながらも、俺は思う。

 

(そうさ。故郷が無いのなら創ればいい。思い出が無いのなら俺達が創ってやればいい。そんな単純な事じゃないだろうけど、少なくともこの子は兵器なんかじゃないんだから――)

 

 作戦開始のアラート。二体の巨人の光学装甲が仄かに輝きを帯びる。最大駆動したフェリオンリアクターに反応して無数の小型デザイアの群れが接近して来る。何本かのレーザーが機体を捉えるが、装甲の前には無意味だ。ライフルを斉射、殲滅する。

 

「行くぞ、リョウ」

『おうよ。とっとと機密情報(お宝)をゲットしないとな……この辺りじゃあまり戦いたくはねぇし』

 

 島の南側。それは俺達の生まれ育った場所だった。遠くに陽ヶ崎神社の鳥居が見える。破壊された町並みの中には俺や都筑の生家がある筈だ。

 

『いつか、帰りたいな。皆で……』陽ヶ崎の囁くような声が聞こえた。

 

「帰れるよ、絶対に。その為にボクは居るんだからね」

「頼りにしてるよ、()()の大尉殿!」

 

 きっぱり請け負う摩夜を混ぜっ返す俺。「レイトの馬鹿……」憮然とする摩夜。果たして後続するタートルⅡから爆笑する二人の声が通信越しに聞こえた――――

 

 

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Episode4 追憶 ~ I was longing for that day

  

 作戦開始。海亀の甲羅のような上陸用の追加装備をパージした二体の巨人は島の内地へ向けて移動を開始した。そこに巨人から見れば蟲のような小型の機械が群がり、レーザーを放つ。しかし巨人の光り輝く装甲はそれをそよ風のように無効化する。

 

 ――光の鎧(フェリオンスキン)を纏う鋼の巨人、タクティカルドール。

 

 巨人の構えた巨大なアサルトライフルが火を噴くと、迫り来る虫型の機械群は一瞬にして粉砕され、沈黙した。対人用のビートル種はTDの相手にならない。問題は主敵である中型種以上の巨大デザイアだ。機体のセンサーヘッドを巡らせ周囲を確認して、

 

「摩夜、状況は?」

 

 上陸と同時に戦闘になるのは何時もの事だ。だが今回は残念な追加要素がある。薄暗いコックピットの中で俺は後部座席の少女に状況報告をさせるが、返ってきたのは案の定なモノだった。

 

「えっ、……えっと……周りに小さいのが沢山、あっ、それからおっきな反応が右……ううん、正面――あれ、お箸を持つ方ってどっちだっけ?」

「落ち着け、余計な操作はするなよ……っておい!」

 

 タートルⅠのセンサーヘッド脇の射出管から煙幕弾が発射され、周囲に白煙が立ち込める。誤操作による暴発。突然視界を奪われた背後のタートルⅡが障害物にぶつかる激しい音。続いて僚機の通信からぼやくような声が聞こえた。

 

「え、ボク、変なことしちゃった?」

「ったくお前は敵か? これじゃ猫の手の方がましだぞ」

「……ゴメン」

 

 肩書は新入隊員にして“機関”から出向してきたスペシャリスト。……ただし現在無職(・・)八咫之(やたの)摩夜(まや)は慣れない管制官役にすっかりテンパっていた。これでも階級は大尉殿なのだが。

 

『右方向からリザード三機。正面ギガースが二機接近中。甲虫種多数。どうする、レイト?』

 

 それを見透かしたかのように通信から控えめな声が聞こえた。同時に僚機から地形を含めた状況データが迅速に送られてくる。普段は俺の後ろでオペレーターをしている陽ヶ埼(ひがさき)菜々星(ななせ)からだ。

 

「サンキュー、ナナセ。なら煙に紛れて右方向に路地を曲がった先の漁協の建物跡を利用。誘い込んだところを挟撃して蜥蜴から始末する。鬼の相手はそれからだ。行けるな、リョウ?」

『おうよ。薄ら馬鹿(ギガース)どもは地味に硬いからな。タイマンでチャンバラは御免だ』

 

 打てば鳴る様に威勢の良い台詞が帰って来る。僚機の操縦士を務めるリョウ……都築(つづき)(りょう)。甲虫種を、文字通り蹴散らしながら機体を走らせる。

 

「ごめん、レイト。ボク、役に立ててないね」

「気にすんな。ああ見えてナナセは鷹月の試験小隊からスカウトもあった優秀なオペレーターだ。たとえお前に適性があっても敵わないよ。それよりこっちもガンナーは任せるからな」

「……うん、任せて!」

 

 少し無職ネタで弄り過ぎたか? 気落ちする摩耶をフォローするとあっけなく立ち直る摩耶。その単純さに苦笑しつつ、俺たちは港を出て機体を並走させる。煙幕の範囲から出ると、周囲は島の重要な産業である水産物を扱う加工場が立ち並んでいた場所だった。それが見る影もないほどに破壊されている。

 

『北側も大概だったが、こっちはさらに酷えな。いちいち建物まで更地にしなくてもいいじゃねえか。奴らは侵略というより土建屋でもしてるつもりなのかね?』

 

 都築が軽口らしきものを呟く。だがそこには多分に遣り切れない忌々しさの様なモノが滲んでいるのが俺にはわかっていた。

 

『リョウちゃん……』気づかわし気な陽ヶ埼の声。

 

「レイト、ここって……何かあったの?」

「リョウのお袋さんはここの工場長だったんだ。あの日(・・・)……二年前のクリスマスに降りてきた青巒ピラーから溢れ出たデザイア共が最初の攻撃目標にしたのはここだった。お袋さんはこの島の網元をやってた親父さんと一緒に逃げ惑う島の人々をなんとか纏めて、仲間と船を使って最後まで沖に停泊してた軍の救難船まで送り続けてくれた。……でも、二人は犠牲になってしまって――」

 

「……そう、なんだ」都筑のカラ元気を察してシュンとする摩夜。

 

『おいおい、いきなり辛気臭くなんないでくれよ、摩夜ちゃん。それにナナセもだぜ? 目の前で家族を殺されたお前に比べたら、俺なんて、な。……そろそろ会敵だ。頼むぜ、相棒(レイト)

「……ああ」

 

 岩戸の奥へ俺たちを逃がしてくれた陽ヶ埼の親父さん達。泣きじゃくる水色の髪(カラーズ)の少女を懸命に押さえつけ、暗闇の中で過ごした三日間。その絶望の中差し込んだ一条の光。漆黒の巨人から誰かが降り立ったのを霞む視界が捉えた時、俺の意識はぶつりと途切れた。

 

 ――助けてくれたのが俺たちの指令である(さかき)泰吾(たいご)大尉の隊だったのを知ったのは、咲良に入学して鉄屑小隊(スクラップドールズ)が結成されてからの事だった。

 

「……デザイアなんだね。リョウやナナセを悲しませたのは」

 

 後ろから微かな声が聞こえた。元気さの塊のような摩夜の、らしからぬ声。

 

「そりゃ……直接の原因は奴らだろうさ」

 

 軍の、あいつ(・・・)が来るのが遅かったから……喉まで出掛った言葉を飲み込む。それが八つ当たりでしかないという事を認められる程度には、俺も成長している。お伽噺(ファンタシー)英雄(ヒーロー)なんてこの世界には存在しないのだから。

 

「……レイトの家族も、死んじゃったの?」再び摩夜が尋ねる。

 

家族(・・)、か)胸の奥に蟠る、澱のような感情。俺は秘かに澱息を吐くと、

 

「――どうだかな。所謂行方不明って奴だから」

 

 とだけ答えた。

 

「……? そう、なんだ」

「ま、流石にもう生きてるとは思えないけどな。親父はこの島の数少ない開業医で、あの日も律義に遅くまで診察をやってた。お袋は家に居たんだが、親父を迎えにクリニックまで向かっていた所にピラーが降りてきた――」

 

 丁度急患が居て、その治療で逃げ遅れたのだ。そう伝えると患者だった近所の爺さんは涙ながらに俺に頭を下げた。それでも共に逃げれば助かったのに、持っていくものがあるからと言ってお袋と共に残ったのだ、と。避難した島民に必要な医療品を確保しておこうとしたのだろう。

 まるで絵にかいたような(・・・・・・・・・・・)模範的な医師としての行動。それだから――

 

「やっぱり……しなくちゃいけないよ。デザイアは、この星から……」

 

 物思いに沈んだ俺の耳朶に囁くように昏い摩夜の声が聞こえた。

 

(摩夜?)訝しく思い振り返ろうとした時、

 

『リザードとエンゲージ。攻撃圏内……レーザー、来るよ』

 

 陽ヶ埼の声が微かに上ずった。尾に当たる部分が鎌首を上げ、先端の大出力のレーザー照射孔が赤く光る。砲戦型であるリザード種の主砲に対しては、流石にタクティカルドールの光学装甲も無敵とは言えない。

 

「ナナセ、スモーク射出。リョウ、タートルⅡは右に回り込め」

 

 返答を待たずに俺は機体を加速させ、隊列を組むリザートの左側面を駆け抜ける。抜刀。立ち込める白い霧。多分に水蒸気を含んだそれはレーザーを僅かに屈折、減衰させる効果を持つ。果たして斉射された光の射線は機体から逸れ、わずかに翳めるに留まった。フレキシビリティに富んだ尾が第二射を放つためにこちらを捉えようと旋回するが、俺は一気に肉薄して高周波ブレードで斬り落としてゆく。

 

「レイト、照準波を確認。ロックオンされた」

 

 意外に冷静な摩夜の声。主兵装を失い回頭を始めたリザート群。両脇にあるロケットランチャーが解放されこちらを狙う。

 

「大丈夫だ」

 

 俺が答えるのと同時に三体のリザートのむき出しになった兵装部が火を噴き、次いで機体全体が爆散する。スモークが晴れると、炎の後ろには鋼の巨人がが両手にアサルトライフルを構え屹立していた。僚機のタートルⅡ。

 

『三機撃墜。どうだい、摩夜ちゃん。俺もなかなかなモンだろ?』

『今撃ったのはわたしだけどね。ギガースが追い付いてきたよ、距離三百』

 

 陽動と狩役。一人で戦うのではなく、連携で堅実に。鉄屑の流儀だ。榊指令が俺たちに叩き込んだ教え――必ず生き残れ――から導き出された戦術。それが落ちこぼれの俺たちを、軍の言い訳のための無茶な出撃ルーチンから守ってきた。佐塚を喪うまでは。

 

「タンク役は俺がやる。タートルⅡは隙を見て後ろから攻撃してくれ」

『了解。無茶はしないでね』

『わりぃな、レイト。隊長のお前にいつも接近戦を任せっきりにして。……佐塚ならお前に合わせられたのに』

「やれることはやれる奴がやればいい……それが俺達だろ。お前の狙撃にはいつも助けられてる」

 

 機体をダッシュさせるとこちらに向かってギガースも突進してくる。近接戦に特化した巨躯が迫る。ギリギリまで引き付けて右サイドステップ。剛腕が俺たちの居た場所を穿ち、砕けた路面が飛び散った。体勢を崩した一体と回頭して射撃体勢に入る一体。その装甲の薄い背面にタートルⅡの銃撃が加えられ爆散するギガース。俺は残る一体に斬撃を加える。数太刀斬り付け戦闘能力を奪った後にコアにブレードを突き入れる――指令程のエースなら装甲ごと両断できるらしいが――中枢を破壊されて残る一体も沈黙した。

 

「やるねレイト。中型デザイアをあっさり撃破するなんて」

「今まで何度もやってきたことだからな。それより回避した後の機体の立て直しが早かったのはお前の修正か?」

 

 いつもならあのまま反撃に転ずるのは俺には出来なかった。人型戦術兵器(タクティカルドール)を操縦士はナノマシンを介した神経接続によって一体化して制御する。だが人型であってもTDの構造は人とは異なる。それが違和感となって機体の動きは操縦士の反応より一拍遅れるのが常だった。複座型の場合は相性の良い熟練のオペレーターなら操縦士の癖を読んで最適な機体制御も雑作なく行うというが、けれど摩夜は俺と組むのは今回初めてのなのだ――

 

「あはっ、気づいてたんだ。レイトの腕なら余計だったかもしれないけど」

 

 少し弾んだ摩夜の肯定の返事。"機関"の特務大尉という肩書にそぐわない無邪気な声音。しかしそれが伊達ではないという事を俺は思い知らされる。つい先刻、あれ程パニックを起こしていたというのに。

 

「……そんな事はないさ」微かに滲む羨望。

 

 後部シートに収まる小柄な少女はサーキットを持つ戦後世代でありながら、"機関"に与えられた処置によりTAの操作に必要な神経接続を行う事が出来る。それはサーキットを持たない(落ちこぼれ)故にTD操縦士になれるという俺の数少ないアイデンティティに少なからぬ傷を与えていた。

 

「ん? どうしたの」

「――いや、何でもない」

 

 屈託のない声に俺はかぶりを振る。摩夜に、この仄暗い感情は向けたくはなかった。

 

 ――現状で彼女の性能は保証できます。

 

 機関の研究者だという男、諸角(もろずみ)静流(しずる)の無機的な言葉が蘇る。

 あの男にとって摩夜は研究の成果物でしかないのだろう。機関・華那庵(カナン)のラボで彼女がどんな扱いを受けてきたのか、俺はまるで知らない。だが、諸角に対する摩夜の反応を見る限り決して愉快なものでないのは明らかだった。

 

(こいつに比べたら、俺たちの境遇なんてありきたりなモノなのかもしれないな)

 

 二十年前デザイアの侵攻が始まって以来、世界は戦争の最中にある。自分達だけが悲劇の主人公のように振舞うのは、とんだ思い上がりだ。

 

『これからどうするんだ? 目的の施設までは御山(・・)を迂回して五キロって所だけどよ……』

 

 らしくない歯切れの悪さで都築が尋ねた。御山とは島唯一の神社である陽ヶ埼神社の境内のある小高い丘陵の事だ。

 

『気を使う必要ないよ、リョウちゃん。今回の任務は潜入なんだから余計なリスクは回避すべき』

『けどよ、せっかくここまで来たんだせ。二年前に俺達が助かったのはナナセの親父さんたちのお陰なんだ。礼位は言いに行かせてくれよ』

『けど――』

 

 あの日以来、俺たちが島の此方側に上陸したのは初めてだった。師匠……陽ヶ埼のおじさん達に何も言えてないという心残りは俺にもある。陽ヶ埼を生家に連れて行ってやりたい。

 

「……未知の領域では無駄な危険は避けるべきだ」俺は努めて冷徹に言った。

 

『無駄だって? おい、レイト!』

 

 通信越しに都築の憤りが伝わって来た。同時に微かに陽ヶ埼が諦念の息を吐く。

 

「――だが俺達の部隊(ScrapDolls)に軍が求めているモノはこの島の威力偵察だ。その為に俺たちは現場での裁量権を与えられている。諸角氏の依頼とは別に島の南側の情報をより多く収集する事は無駄とは言えないだろう。それには高所にある神社は打って付けの場所だ」

 

 そんな彼らに俺は一息に言った。ややあって都築の笑い声。

 

『ったく、物は言いようだな。そう言う事なら問題ないだろ、ナナセ?』

『ん……ありがと、ありがとね。リョウちゃん、レイト……』

 

 抑え付けていた生家への想いが陽ヶ埼から零れた。

 

「いいさ。でも、覚悟はしておけよ」

 

 ここの惨状から鑑みて神社が無事であるとは思えなかった。そして神社は陽ヶ埼にとって生家であると同時に、あの惨劇を思い起こさせる諸刃の剣でもあるのだ。家族の死を、彼女(ナナセ)だけは直に目に焼き付けているのだから――

 

『うん、分かってる』

『それじゃ、行くとしますか。それにしても餓鬼の頃から何度も登ったあの坂(・・・)をTDで行く事になるとはなぁ』

「――だな。しかし慣れた土地でもここは戦場としては未知の領域だ。油断はするなよ」

 

 気を引き締める陽ヶ埼の声と呑気な都築の声。警戒速度で俺達は機体の進路を御山へと向ける。

 

「クスッ、やっぱりレイトって優しいね」

 

 後ろから悪戯っぽい声が聞こえた。どうやらこっちの事情を気遣って口を挟まないでいてくれたらしい。微かに気恥ずかしさがこみ上げ、

 

「……大尉殿としては俺たちの勝手な行動変更を咎めなくて……良いのでありますか?」

「もう、そういう言い方止めてって言ってるでしょ」

 

 態と口調を変えた事に憮然とする摩夜。その様子に俺は思わず苦笑してしまう。

 

「悪い。でも榊指令はともかく諸角主任(お前の上司)は黙っちゃいないと思うぞ?」

 

 一見冷静沈着そうで慇懃無礼にすら見える諸角だが、実の所かなり神経質かつ粘着質である。研究者らしいと言えばそれまでだが、俺はその裏に妄執ともいえる狂気を感じていた。

 

「うーん、小言は嫌だけど大丈夫だと思うよ。あの人、結果にしか興味はないから」

 

 俺の心配をあっけらかんと一蹴する摩夜。確かにあの男ならそうだろう……とはいえ作戦に失敗したなら摩夜には相応のペナルティが加算されるに違いない。それを想うと胃に嫌な痛みが走る。

 

「大丈夫だって。何があってもボクがみんなを守ってあげる」自信満々に請け負う摩夜。

 

(お前の心配をしてるんだけどな)俺は小さく溜息を吐く。

 

 御山に陽ヶ埼神社の赤い鳥居が見える。幼いころから慣れ親しんだそれは、あの日を経ても変わらぬ姿でそこにあった。島の居住地区から離れた陽ヶ埼神社は、それゆえに二年前の惨劇において大規模な破壊を免れたのだろう。デザイアの行動原則は人類の殲滅が第一だからだ。

 あの時俺達は避難する人々で溢れ返る港へ向かわず、家族を心配する陽ヶ埼に付き添って神社へ引き返した。それが奏功し、山上の境内に取り残される形になったものの、デザイアの大攻勢をやり過ごす事が出来たのだ。

 

「あそこが陽ヶ埼神社。……ねえ、ナナセの家族ってどんな人たちだったの?」

 

 山上へ向かう坂を上る最中、何んと無しに摩夜が尋ねた。

 

「ナナセの親父さんはそこの神主を務めていたんだ。それと同時に陽ヶ埼流っていう古武術の継承者で、その道場も開いてた。俺も不肖の弟子ながら通ってたから師匠ってことになるな。全国に弟子を持っていて剣術も柔術も、まさに達人と言える人だった」

 

 ――なにしろ戦前世代だというのにサーキット持ちの娘たちが相手にならない程の腕前だったのだから。俺などはその動きを目に捉える事すらできなかった。

 

「でもお人好しでちょっと不器用な人だったな。陽ヶ埼の家は副業を家訓で禁じられているとかで門人から束脩を取らなかったり。東京で道場を開いている日本屈指の剣術家で政治家の萩野利三は師匠の同門の一人なんだけど、そういう事を一切吹聴することのない人だった」

 

 その萩野氏と指令の関係は昨夜知ったばかりだったが。俺が幼かった頃、指令が疎開の傍ら島へ修行に来ていたのは覚えている。その傍らに居た紺色の髪の女の子が、今にして思えば写真で見た妹の祥子さんだったのだろう――

 

「ふうん……凄い人だったんだね。ナナセが強いのはお父さん譲りって事か。このボクが未だに五本に一本しか取れないなんて」

「いや、一本取れるお前も大概だからな?」

 

 ナナセは戦後世代の中でも優秀なサーキット保有者であるカラーズ(・・・・)であり、大人しい文学少女の様な外見ながら武芸全般スポーツ万能の優等生だ。実の娘という事で目録止まりとなっていたが、本来なら陽ヶ埼流を皆伝まで修めている。その技はもうあの人(・・・)より――

 

 ――ねえ、零斗(れいと)君。キミは、青巒島(この島)が好き?

 

「――それで、ナナセのお母さんは?」

 

 思考の片隅に追いやっていたあの雪の日の光景。呼び覚まされたそれを、すっかり聞きたがりになった摩夜の問が搔き消した。

 

「陽ヶ埼のおばさん……ナナセのお袋さんは、アイツが三つの時に病気で亡くなってる。元々体が弱かったんだ。それに加えて神社の跡取り娘二人がカラーズだった事で受けた謂れのない中傷による心労が重なって――」

「そんな――」

「お前が生まれる少し前……俺たちが餓鬼の頃はまだカラーズへの偏見が酷かったのさ。辺鄙な島だから余計にな。……そんな訳でアイツの母親代わりになったのは四つ年上の姉さん(・・・)だった」

 

 降りしきる雪の中、駆けてゆく後ろ姿。風に靡く藍緑色(シアン)の長い髪。皐月さん――

 

「ナナセのお姉さんかぁ……きっと素敵な人だったんだろうな」

「ん……まあ、な。島では評判の美人だったし、それにおじさんが生活面ではちょっと頼りない人だったから、小さいころから家事全般を切り盛りしてて、料理も俺のお袋から色々教わったりして得意だった。女子力は(・・・・)相当に高い人だったな」

「何だか曖昧な言い方……」

 

 やや言葉を濁すと、果たして摩夜は不満そうに鼻を鳴らした。俺はクスリと笑うと、

 

「そりゃ、皐月さんは全島の男子から憧れであると同時に畏怖される存在だったからな」

「……え?」

「見た目は清楚な大和撫子。だけど勝気というか控えめに言っても男勝りで、特に子供の頃は頃はカラーズだからと自分達……特にナナセを虐めたりした奴を悉くわからせて(・・・・・)いたものさ。幼馴染の俺やリョウは手下扱い。それでいて面倒見はいいから大人たちの信頼は厚かった。所謂ガキ大将みたいな人だったよ」

 

 奇抜な遊びを思いついては皆を驚かせたり、遊び場が潰されそうになった時は子供たちを代表して大人たちに抗議したり、海岸で綺麗な石を見つけて無邪気に微笑んだり――破天荒なところもあるけど、あの頃から既に俺は彼女に惹かれていたんだと思う。

 そんな皐月さんも本土の高校に入る頃にはすっかり落ち着いていた。咲良第Ⅱに通っていた頃は別の意味で男子生徒に恐れられていたというが……そのきっかけを与えたのは、多分榊指令なのだろう。休暇で島に戻るたびに綺麗になってゆく皐月さんに抱いた想い。叶わぬモノと知りつつ、俺の中でそれは次第に大きくなっていった。

 

 ――それじゃ、行ってくるね。

 

(結局、何も言えなかったけどな)叶わずとも想いを伝えた皐月さんに比べて、俺はなんと弱かったのだろう。そしてあの雪の舞う闇の中に、彼女の姿は永遠に消えた。

 

 島の中央に突き立てられた巨大な柱(ピラー)。あれが全てを変えてしまった。

 

「皐月さん……」女々しく思いつつも、摩夜に気取られぬように呟く。堰を切ったように感情が溢れ出し、頬に熱いものが流れるのを感じた。……何が覚悟しておけだ。情けない。一番辛いはずのナナセより、俺は覚悟なんて出来て無いじゃないか――

 

「泣いているの、レイト?」

 

 三つも年下の癖に、まるで姉のように優しく摩夜が尋ねた。話してもいない俺の気持ちをわかっているかのように。

 

「潮風が目に染みたんだよ」

「……そっか」

 

 密閉されたコックピットにそんなものが入る筈もない。精一杯の強がり。けれど摩夜は沈黙を保ってくれた。

 

 神社の鳥居が間近に迫る。

 

『帰ってきたんだな、俺達』

『……うん。ただいま、お父さん。そしてお姉ちゃん』

 

 通信越しに幼馴染達の湿った声が聞こえた。

 神社の石段前の鳥居の所で俺達は機体を制止させる。この先は徒歩で向かうしかない。参拝する人の車がターンするために設けられた僅かなスペースに、二体の巨人は窮屈そうに蹲った。

 

「各員、警戒を厳にしてくれ。それでは状況開始だ」

 

 そう指示を出し、ハッチを解放。流れ込む懐かしい空気が肺を満たした。バトルドレスに白兵用の追加装甲を装着し、サブマシンガンを手に取って降機する。

 

(いつかこの島を取り戻すんだ。必ず、俺達の手で)

 

 仲間と石段を駆け上がりながら、俺はその誓いを新たにする。あの日喪われたモノはもう戻る事はない。その事実を噛みしめながら――――

 

 

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Episode5 虚影 ~ Illusion Vol.Ⅰ

 

 境内に凛とした掛け声が響く。

 社殿の離れに作られた道場。そこで俺は竹刀を構え、一人の少女と対峙していた。藍緑色(シアン)の長い髪をポニーテールに結って悠然と構える皐月さんが不敵に笑う。体の節々が痛かった。

 

(何でこんな事になったんだっけ?)……そうだ、あれは道場で不貞腐れて放った一言が原因だった。入門して数年。陽ヶ埼のおじさんに筋が良いと言われ、天狗になっていた。そんな時、戯れにやった柔術の組手で入門したての菜々星に完敗したのだ。俺が主に学んでいたのは剣術だったとはいえ、ほぼ未経験者である、小柄な菜々星に手も足も出なかった事は、サーキットを持たない無能力者であるという俺の中の自虐感を否も応もなく肥大させた。

 

『――色付き(・・・)に勝てるかよ』

 

 俺を気遣って差し伸べられた菜々星の手を払いのけて放った言葉。それがどれほど彼女を傷つけるのか、幼い頃からの付き合いで知っている筈なのに。大きく見開かれた菜々星の金色の瞳が揺れた瞬間、俺の身体は宙に舞っていた。叩きつけられた衝撃から回復するや竹刀を持たされて叩きのめされる。鬼気迫る皐月さんに呑まれ、あまりの理不尽さに情けなくも鼻をすすりながら必死に打ち込む俺。

 

 やがて辛うじて一本を取れた時、俺の身体を柔らかな感触が包み込んだ。盗み見た皐月さんの頬に流れる二筋の光――それは誰に向けたものなのか。霧散していく心の澱。

 

『もっと自分を信じて、零斗君。能力と可能性は必ずしもイコールじゃないの。……これはある人の受け売りなんだけどね』

 

 耳元で優しく囁く皐月さんの声が聞こえた――

 

 

「遠目から見た時はちょっとばかし期待しちまったんだがよ……」

 

 あの日、小型デザイアの侵入とそれらとの戦闘は、当然ながら此処でもあった。主目標にならなかっただけだ。焼け落ちた神社は、一年半の時間によって静かに朽ち始めていた。そんな中、奇跡的に外観を保っていた陽ヶ埼の道場も、中は酷い有様だ。それを目の当たりにして立ち尽くす菜々星をちらりと見やると、亮は掠れた声でつぶやいた。

 

「わたしは平気だよ、リョウちゃん。覚悟してたもん……あの日から、ずっと――」

 

 懸命に笑みを浮かべようと戦慄く菜々星の唇が溜息のように言葉を紡ぐ。

 

「……帰ってきたよ。お父さん、お姉ちゃん……」

 

 道場の外れのにある黒ずんだ滲み。そこから少し離れた場所に鈍く輝くものがあった。注意して見なければ分からない窪んだ床。近づいて拾い上げると、それは不器用な造りの手製のペンダントだった。俺はそれを菜々星に手渡す。「――!」絞り出すような声とともに漏れ出る嗚咽。皆で探した石で作り、師匠に贈った物。遺体は回収されても、それは想いと共に此処に残っていたのだ。俺達が此処に戻って来るのを待つかのように。

 

「そいつは……あの時の?」

 

 亮の問いに俺は黙って頷くと、

 

「周囲の偵察をしてくる。ナナセは任せた」そう言ってその場を離れた。

 

「――って待てよ、おい!」

 

 呆れと、次いで憤りを含んだ亮の声が背を打ったが、俺はそれを無視して道場の裏へ向かう。デザイアの足止めをするためにここに残った師匠。雪の中出撃していった皐月さん。あの日、三人で身を潜める事しかできなかった己の無力さから逃げ出したかった。我ながら身勝手だと自嘲する。女々しく引きずっているのはどっちだ?

 

 神社の裏からは林を縫って小道が続いており、その先は島の農家の生活を支える里山となっていた。そして雑木を切り開いた広場は子供たちの遊び場だった。野山を駆け回る、なんて本土に住む俺達の同世代ではもうお伽噺のようだけど、長閑なこの島では割と普通の事……ある人物(・・・・)に振り回されていたからともいえるが。

 

 木々が開け、眩しさと共に懐かしい光景が視界に飛び込んできた。しかし――

 

 約二年の間に荒れ放題になっているかと思われたなだらかな傾斜は綺麗に整えられ、秋には背丈ほどに伸びるススキも綺麗に狩り取られていた。ただ、それは敷草を集めるためにというよりは規則的に、余計なものを消しゴムで消し去るかのように無機的に除去されている……そんな風に俺には思えた。

 

(……何だ? これは――)

 

 丈の低い枯草の間から除く、三十センチ程の大きさの石。それが一メートルほどの間隔で規則正しく斜面一面に並べられていた。恐らく神社のある御山の奥にある石切り場から持ってきた物だろう。あそこはかつて孤島である青巒島にとって、貴重な建材の供給地だった。だがこの石群を、何時、誰が、どうやって並べたんだろう。

 

「これはまるで墓場……だな」それ以外の言葉を思いつかず、そう呟いた時、

 

「ひゃう!!」と情けない悲鳴が鼓膜を揺らした。

 

「何やってるんだ、お前は……?」

 

 振り返ると地面にへたり込んでいる真珠色の髪の少女が居た。摩夜は大きな蒼い瞳をさらに大日く見開いて、縋るようにこちらを見つめている。目の端には大粒の涙を浮かべて。

 

(そういや、こいつ苦手(・・)だったよな)やれやれとかぶりを振って手を指し伸ばし助け起こす。

 

「なんだ、ついてきたのかよ? ナナセ達はどうしたんだ」

「……それ、レイトが言える台詞~?」

 

憮然と俺を睨む摩夜。確かに敵地で軽率な事をしている。

 

「大丈夫だよ。リョウが一緒に居るから。思ったよりナナセも落ち着いてる」

「そうか」

 

 平常心でいるなら心配ないだろう。正直なところ強化戦闘服(バトルドレス)での白兵戦はカラーズの菜々星の方が俺より頼りになる。それに狙撃機を愛機としている亮の射撃の腕はかなりのものだ。

 

「それに――」

 

 そう言いかけて摩夜は何かを探る様に周囲を見渡す。

 

「……それに?」

「言ったでしょ、ボクが守るって」

 

 自信ありげに答える摩夜。いつもなら何を根拠に、とぼやきたくなる所だ。しかし島での実戦を経た今となってはこの小学生のような背丈の少女に何か(・・)がある事を、渋々ながら俺は認めざろう得なくなっていた。何せ機関(ラボ)お墨付きの大尉殿なのだ。

 

「そりゃどうも――ってお前……」

 

 何気なくそう答え、精一杯の抵抗として頭でも撫ぜてやろうした俺は、次の瞬間呆然と摩夜の顔を見る事となった。大きな瞳がきょとんと俺を見やる。距離が近い。

 

「……!? どうしたのさ、レイト?」

 

 何を勘違いしたのか飛び退いて顔を赤らめる摩夜。それに対し俺はかぶりを振ると、

 

「いや、何でもない。戻るぞ」

 

 憮然とする摩夜を後目に俺は境内の方へ踵を返した。

 

「……もう、なんなのさ」慌てて後を追おうとする摩夜。

 

(まさかな)改めてかぶりを振る。懐かしい陽ヶ埼の霊域で神経過敏になっているのだろう。小柄な菜々星よりさらに子供っぽい摩夜から、大人びた、まるで別人の存在を感じられるなんて。気のせいに違いない。

 

(そういや一瞬アイツの瞳が赤く見えたような? ……光の加減って奴か)

 

 きっとそうだ。亮なら『それってギャップ萌えって奴だぜ、レイト』とか下らない事を言うんだろう。そして菜々星からジト目で生暖かく睨まれるに違いない。確かに摩夜は世間一般的には可愛い娘だとは思うが、俺は最近までランドセルを背負っていたような娘は趣味じゃない……発育はともかく……筈だ。 ――そんな他愛もない妄想が脳裏をよぎった時。

 

「――隠れて!!」

 

 後ろを歩く摩夜が強く腕を引っ張り、俺を雑木の中へと引きずり込んだ。体躯とは不釣り合いな物凄い力。バトルドレスに覆われた体は無事だがむき身の俺の顔には細かい枝に引っ掛かれて幾つもの傷が出来てしまう。

 

「ったく、いきなり何を――」

 

 顔を顰め悪態をつくが、直ぐに緊張感を呼び覚ます。故郷であろうとここは敵地だ。それも世界に数十柱しかない規模を誇る敵の橋頭保、中型ピラーのお膝元なのだ。この青巒島にさしたる戦略価値が無いからか、デザイアも左程の戦力を配備しておらず、下手な小型ピラーよりも脅威度が低いとされてはいても――

 

(あれは……)

 

 小柄な摩夜の頭越しに様子をうかがう。墓地(・・)の向こう側、石切り場へとつながる山道の方が何かが歩いてくる。ゆっくりと、覚束ない足取り(・・・)で歩いてくる。

 

「そんな……まさか……」

 

 呆然と呟く。ありえない――そう、そんな筈はない。そう信じていた。耳を塞ぎたくなる島の皆の悲鳴。闇に浮かぶ無数の赤い光点。島が放棄されてから一年半。人を狩る機械の悪魔(デザイア)が闊歩する孤島。絶望の渦中に取り残されて、アレから逃れて、今なお。

 

「生存者が、居た……のか?」

 

 今までの上陸作戦で俺達が見たのはヒトというものは打ち捨てられた遺体だけだった。だがそれは島の北側。それもすべてを踏破したわけじゃない。そして今回は初となる南側上陸。そう、可能性は零じゃない――

 

 人影は二つ。フード付きのコートを着ていて顔はよく見えない。何かを抱えていた。広場の、石群の外れにそれを置くと、同時に携帯していたスコップで穴を掘り始める。黙々と、厳かに。それはヒトにとって神聖な儀式を想起させた。

 

 ナノマシンの視力調整を行い、覗き見る。行方不明となった全ての人の顔を知っている訳じゃない。けれど、もし知っている人なら。渇望する期待が現実を覆いつくす。心臓が高鳴る。

 

――じゃあ、行ってくるね。

 

 雪の中で聞いた別離の言葉が蘇った。だがその勝手な期待は直ぐに落胆へと変わる。フードから除く髪の色は二人とも黒ないし茶褐色で、体型も明らかに男性のものだ。

 

(それでも、可能性はあるってことだよな)

 

 元々不自由ながらも自給自足が出来た島だ。身を潜める場所があれば、そして運が味方さえすれば。ここでどうやって生き延びたのか。他にも生存者がいるかもしれない。まずは彼らに話を聞いてみる事だ――

 

「あの――」

 

 藪から立ち上がり、危害を加える心算はないことを示すため両手を軽く上げる。傍らで微動だにせず様子を窺っていた摩夜が息を吞む気配がした。制止の叫びが耳を打った。けれど、目の前の光景に見たい現実を重ね合わせていた俺の耳には届かなかった。

 

「…………」

「……」

 

 黙々と穴を掘っていた二人の動きが止まり、ゆっくりとこちらを向く。海からの風が木々を揺らし、彼らのフードがはらりと肩に落ちた。

 

「――――!」

 

 異臭――かなりの距離があるというのに耐えがたい吐き気がこみ上げてくる。露になった其処にあったのは落ち窪んだ眼窩と鼻腔、肉が溶け始めた黝い死者の顔。

 それでもその顔にはまだ生前の面影が残ってた。確か親父の診療所にもよく来ていた漁師の親子だ。息子の方は俺達より一回り年上で、島では久しぶりの結婚式を挙げたばかりの新郎だった。両親の仕事柄、俺よりは亮の方が親しい相手。けれど旧知の変わり果てた姿は浅墓な幻想に浸っていた俺をフリーズさせるには十分だった。

 

 ――活死体(ゾンビ)。俺の脳裏にゲームのモンスターの名が浮かぶ。馬鹿な、有り得ない。そんなものは空想世界(ファンタシー)の存在だ。だが常識という夢想に縋ろうとする俺を無視してゾンビたちは手にしたスコップを得物にこちらへにじり寄って来る。感情のない知人の顔。模倣義体(ドッペルゲンガー)の存在は知っていた。ヒトに擬態して都市に紛れ込みテロ行為を行うデザイアの一種で、大陸からの帰還者(リターナー)が畏怖と蔑視を受ける要因。こいつもそれと同様にヒトの心理を突いた兵器なのかもしれない。

 

(考えるのは後だ)俺は携帯するサブマシンガンを構え、視界に迫る無残な姿に銃口を向け引鉄に指を掛けた。幾度となく人型戦術兵器(タクティカルドール)での戦闘をこなしてはきたものの生身での実戦……それも直に敵を討つのは初めてだった。それも旧知に向けて。唇を噛みしめ指を――

 

「退いて!!」

 

 引き金に掛けた指が絞られる前に鋭い声が背を打つ。間髪入れずに後方から銃声が響き、ゾンビたちの頭部が西瓜のように破裂した。それでも前進を止めない死者に容赦なく撃ち込まれる銃弾。見た目通りの腐敗した肉体には俊さなどはなく、蜂の巣となったゾンビたちは腐肉をまき散らして沈黙する。呆然とそれを見つめる俺。

 

「全く、デザイアのやる事は一々悪趣味ね」

 

 後方から抑揚のない少女の声が聞こえた。振り返れば摩夜がその身には不釣り合いな大口径の軍用拳銃を構えて立っていた。さすが大尉というべきか。墓場に怯えてさっきまで俺の背にしがみ付いていた娘とは思えない、凛とした物腰。

 

(苦手じゃなかったのかよ)苦笑しながら俺は、状況を把握すべく動かぬ遺体へと歩み寄る。異臭に猛烈な吐き気が襲うが、変わり果てた姿とは言え知人だ。せめて確認位は……そう思い遺体へ手を伸ばした時、俺は思わず硬直した。キラキラ光る何かが無数に蠢いている。

 

(なんだ、あれは――)モゾモゾ蠢く様はまるで蛆虫だ、俺は思わず顔を顰める。

 

寄生タイプ(パラサイト)。ナノマシン型のデザイアよ。遺体に取り付いて活死体(リバーサー)……まぁゾンビでいいか。ああいったのを作り出すの。見た通り戦力として甚だ疑問だけど、ヒトの尊厳を冒涜した最低最悪のユニットと言えるかもね。……ちょっと離れてて頂戴」

 

淡々と説明しつつ、摩夜は俺を押しのけて遺体の前に立つ。

 

「何時まで隠れてるの? 仮にも機械の悪魔(デザイア)なんでしょ。精々足搔いてくれなきゃ」

「え……摩夜?」

 

 俺は違和感を感じる。摩夜の声は氷のように冷たく、嬲る様に挑発的だった。いつもの子犬のように天真爛漫な雰囲気は消え失せ、猟犬のような得物を狩る者特有の酷薄な紅い瞳が爛と輝いている。……紅い瞳だって?

 

(あれは見間違いじゃなかったって事か。それにこの感じ……まるで別人じゃないか)

 

 困惑する俺を尻目に摩夜は遺体に手を伸ばす。その瞬間、それぞれの遺体の首筋あたりから勢いよく何かが飛び出してきた。体長十五センチ程の、蜈蚣の様な悍ましい物体――パラサイトの本体だ。

 

「――摩夜!!」

 

 襲い掛かるパラサイトから守ろうと駆け寄る俺。だがその行動は無意味だった。摩夜は男でも目を背けるそれをあっさり素手で捕えると、

 

「うんうん。悪役はこうでなくちゃね」

 

 クスッと嗤い、無造作に引き裂いて破壊する。悪童が捕らえた虫に対して戯れにするように。

 

「お前は……」

 

 誰なんだ? という問いが喉から出そうになる。無邪気な残虐性。デザイアに対するのとは別の嫌悪感が声音に滲んだ。だが――俺はかぶりを振る。相手は島を襲ったデザイアじゃないか。しかもヒトの遺体を冒涜する様な悍ましい寄生体を壊して何が悪い。

 

「どうしたの、レイト。ボク、何か変な事しちゃった?」

 

 視線を感じる。摩夜がきょとんと此方を見ていた。吸い込まれる様な蒼い瞳(・・・)――

 

「……何でもない。それよりこいつらは何をしようとしてたんだ?」

 

 掘り起こした穴の傍に、彼らが運んできた布の包みが置かれていた。慎重に解く。

 

「これって――」

 

 摩夜が息を呑む。出てきたモノは生後半年ほどの赤ん坊の遺体だった。それもまだ温かい。

 

(この子は死後そんなに経っていない。それは母親か、少なくとも保護できる誰かとついさっきまで一緒に居たって事だ。きっとゾンビたちとは別に生き残りがいるんだ)

 

 再び、仄かな希望が灯った。だが、同時に疑問も浮かぶ。状況から考えるにゾンビたちはこの赤ん坊を明らかに埋葬しようとしていた。この墓地(・・)を作ったのも彼らなのだろうか。異星体であり知性がある事は分かっていてもその実は人類抹殺に傾倒したバーサーカーであり無機体そのものであるデザイア。奴らが攻撃対象である俺達に、そんな感傷めいた行動を取るのだろうか?

 

「生きてる人が居るなら助けに行かなきゃね」

 

 そんな想いを知ってか知らずか摩夜があっけらかんと宣言する。

 

「そりゃそうだが、これ以上の寄り道は作戦時間に支障をきたすぞ……大尉殿」

 

 一応釘を刺しておく。無線封鎖下においての独立行動の権限が俺達にはあるが、時間は有限なのだ。

 

「いいって。元々こういった調査が目的なんでしょ? さっきも言ったけど主任は結果しか見ないし、得られる情報が多ければ榊指令も喜ぶよ。ナナセのお姉さんの事もあるし」

 

「――そうだな」確かにこの状況なら指令も無下にはしない筈だ。島民に生き残りが居るかもしれない。そして、皐月さんは未だ行方不明、なのだ。

 

「それじゃ、何処から探そっか……レイトは何か心当たりはない?」

 

 まるで近所にお使いに行くかのような摩夜。まあ、決定権はそっちにある。島民が隠れていそうな場所には確信があった。恐らく石切り場だ。ここからそんなに離れていない所にある。道中、急な傾斜も多いからタクティカルドールでは進めないけど、それはデザイアも同じことだから強力なデザイアに襲われることも少ないだろう。隠れ家には最適と言える。あのゾンビもそこから来たと思われるのは気がかりだが――

 

「おーい、レイト!」墓場(・・)の入り口でこちらを探す亮の声が聞こえた。作戦中に不用意に大声を出すんじゃない、と言いそうになるが、対デザイアに関しては電子的手段の方が危険性が高いだろう。それに勝手な事をしたのは自分の方だ。軽く手を挙げてそれに答える。

 

「ナナセ達が来たならさっさと行こうよ。行先、分かってるんでしょ?」

「ああ……」

 

 やけに急かす摩夜の言に振り返って、俺は思わず吹き出してしまった。引き攣ったような笑みと目の端に涙、青ざめた顔。極め付きは戦慄いている手足。自分の知る、怖がりな女の子の姿。それでいて大尉らしく振舞おうとしているのだから笑わずにはいられない。憮然とする摩夜。

 

「もう、何笑ってるんだよ、レイト」

「具合が悪いようですね、大尉殿。小官が背負って差し上げましょうか?」

 

 心中ほっと息を吐きつつ、務めて慇懃に上申する。果たして摩夜は顔を真っ赤にして、

 

「そ、そんなことないもん! さあ、作戦開始。行くよっ!」

 

 そう言って見当違いの方向へ歩き出す。……が、墓場を歩く事数歩で足早に引き返してきた。そもそも俺は石切り場(目的地)について何も話してないというのに。堪え切れずにへたり込む摩夜を助け起こす。そんな俺たちの姿を追いついた幼馴染達は何とも言えない微妙な表情で見詰めていた――――

 

 

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Episode6 虚影 ~ Illusion Vol.Ⅱ

 

 小さな沢に沿って縫うように小道が続く。記憶では人の手によってそれなりに整備されていたこの道も、一年半に及ぶ放置のせいで早くも獣道の様な様相を呈している。潺の音を搔き消して響く靴の音。身に纏う強化戦闘服(バトルドレス)の補正もあり、俺達は文字通り跳ぶ様に谷間を駆けていた。

 

 ――ゆらり。前方で影が蠢く。鼻を衝く異臭。

 

「く、来るよ!! 迎撃して」

 

悲鳴に近い情けない指示。それを待つまでもなく俺と亮はサブマシンガンを斉射していた。忽ち腐肉をまき散らして沈黙する活動死体(リバーサー)の群れ。頭部に潜むコア寄生体を破壊さえすれば、醜悪な外観の割には脅威ではない……その事を教えてくれた大尉殿は後方に控える菜々星の後ろで縮こまっているのだが。

 

「ちっきしょう……デザイア共が」

 

 ヒトだったモノの残骸から飛び出してきた機械の蜈蚣(パラサイト)を荒々しく踏み躙りながら亮は苦々し気に毒づいた。どうやらこちらに逃れてきた人々は島の漁協関係者……つまり亮の知り合いが多いようだった。そしてあの墓地を作ったゾンビたちはその成れの果て。奴らが何故そのような事をしていたのか? デザイアの意図は分からない。けれどその遺体を冒涜し、操るデザイアのやり口には嫌悪感しか抱かなかった。亮の憤りは俺以上だろう。

 

「リョウちゃん……」そんな彼を菜々星が哀しげに見やっていた。

 

「心配すんなって、ナナセ。活死体だか何だか知らねえが、あんな蜈蚣(むかで)に乗っ取られてるなんて、皆も報われねえよ。解放してやらなきゃな――」

「……うん」

 

 淡々と呟く亮の言葉と、それにコクンと頷く菜々星。そこには決意が込められているように感じられた。俺が意図的に無視している、皐月さんとの再会が最悪なもの(・・・・・)である可能性……現状を見ればその可能性の方が高い……に対する覚悟。果たしてその時、俺は――

 

「……達治さんの子がまだ死んで間もなかったんだろ? なら、遥さんがまだ生きてるかもしれない。急ごうぜ、相棒!」

 

 殊更明るく響く亮の声。空元気であろうと、今は有り難かった。

 

 達治さんとは墓場で遭遇した活動死体の生前の名であり、遥さんはその新妻だった女性だ。埋葬されようとしていた彼らの赤ん坊の遺体が生後数か月という事は、ピラー降着後のこの島で、赤ん坊を生み、暮らすことができる環境があったという事になる。俺達が向かっている石切り場はその候補の一つだ。だが此処までに倒した活動死体の数。山間部で脅威となる甲虫種(ビートル)が殆ど探知されないとはいえ、あれだけの不死者(ゾンビ)の群れを前に身を護れる戦闘力が避難民にあるのだろうか。

 

(そもそも寄生体って何なんだ?)

 

 デザイアは機械の身体を持つ侵略的存在だ。戦闘に特化していると言っていい。人間世界への浸透目的なら模倣義体という高性能な擬態能力を持つ存在が既にある。脆く壊れやすい生身の人間の身体を再利用する必要などないのだ。俺は今日までその存在を知らず、摩夜も対処法以外は殆ど知らなかった。気が進まないものの秘匿回線を用い榊指令経由で機関(カナン)の諸角主任へ問質しても『できればサンプルを持ち帰っていただきたいですねぇ』と例の慇懃無礼な口調で頼まれる始末だ……

 

「さて、着いたぜ。付近にゾンビ共は居ねぇみたいだが――」

 

 亮の言葉に我に返る。沢の脇の切り立った崖。そこに幅高三m程の穴が穿たれていた。良質な建材を得るために大昔から利用されてきた、島の皆からは“石切り場”と称される人口の洞窟。人気がない事から子供の頃の俺達には肝試しの舞台としての記憶が強い。過疎化が進むこの島では家の新築は珍しく、立て直すにしても以前の石材を再利用することが多い。この場所は、既に時代から取り残された遺構となりつつあったのだ。

 慎重に、警戒を怠ることなく洞窟へと侵入する。本来の任務ではないが、事前の潜入訓練は役に立った。殿を亮と菜々星に任せて先頭を歩く。

 

「大丈夫。中もデザイアの気配はないよ」すぐ後ろで摩夜が告げた。

 

 どうやら彼女には“敵”(デザイア)に対するアンテナ(・・・・)のようなものがあるらしい。自分たちがここまで無事に来れたのはその才幹に助けられたのが大きかった。

 

「ナナセの方は何か感じ取れないか?」

 

 水色の髪が示す様に菜々星は戦後世代でも特別な"カラーズ"と呼ばれる異能力者であり、人の心を感知するテレパスの"異能"(エフェクト)を持っている。

 

「――待って……聞こえる、聞こえるよ。嘆きが、悲しみが伝わって来る」

「遥さんか?」

「私、リョウちゃん程その人のこと知らないから……でも、多分」

「なら急ごう」

 

 歩を早めると奥に微かな明かりが見えた。ナノマシンの暗視モードを切る。暗視ゴーグルを外した菜々星がペンライトを点灯しようとするのを制止。この闇の中で過ごして来た者に光は安息を与えるとは限らない。息を潜め進む。坑道の先、幅十メートル程の掘りぬかれた空間。そこにすすり泣く女性の声が響いていた。黴臭い、据えた臭い。だがそれは生きている者がその場に居る事を如実に示していた。仄かな明かりに目が慣れて来る。フェリオン粒子を用いない古めかしい照明が天井に固定されていた。バッテリーの消費を最低限にして長持ちさせていたのだろう。その光は夜光虫の輝きのように儚かった。

 

「……戻って、来たの?」

 

 掠れた抑揚のない声。生に絶望した諦念が虚ろに響く。視力補正をかけ、暗がりの奥を凝視すると壁に身を擦り付けるかのようにして怯える妙齢の女性の姿があった。声を掛けようとして、しかし……俺は息を呑む。バサバサとなった長い髪、棒のように痩せ細った四肢。逃避行で着のみ着はボロボロとなっており、覘く胸元は老婆のように皺が浮かんでいる。

 

「遥さん、遥さんだろ?」

 

 沈黙する俺に業を煮やしたのか亮が明かりの中へ身を曝した。それを見た女性の無機質な顔に微かに血の気が戻ったような気がした。死人が蘇生したかのように。

 

「リョウ君、なの? どうしてここに……」

「助けに来たんだよ、俺達。学徒兵になって、ようやく此処に……けど、遅くなっちまったな」

 

 絞り出すように言葉を紡ぎながら俯く亮に、俺は背嚢から防寒シーツを取り出して手渡した。亮がそれを遥さんにそっとかけると、彼女の枯れた瞳から大粒の涙が零れ落ちる。それが悪夢を思起す呼び水になったのか、嗚咽は石切り場を満たす激しい泣声となって響き渡った。

 あの日黒い戦術人形に助けられ、脱出できた俺たちに知る由もない、彼女が体験した一年半の地獄。それを吐露するかのように彼女はただ泣き続けた――

 

 

 遥さんが落ち着くまでの間に俺は母艦である“オトヒメ”へ連絡を取り、榊指令と今後の作戦について指示を仰ぐことにした。元々が危険度の高い潜入任務だった。それに加えて民間人の安全の確保と並行して遂行することは不可能に近い。子供じみた故郷への想い。例えそれが生存者発見という奇跡に繋がったのだとしても、任務に支障を来たした責任は隊長である自分にある――

 

「――申し訳ありません、指令」

『一介の学徒兵が気に病むな。上陸中の偵察行動は任務の一環だし、お前たちの帰省(・・)はそれを逸脱してる訳じゃない。上司に怒られるのは大人の役目だ。そうだろ、神崎?』

「はい……それで遥さんの処遇はどうなるのでしょうか?」

『どこで聞きつけたのか、青巒島担当である西部方面軍司令部に報告した途端に機関の研究者(狂信者)共から検疫要請という名の引き渡し命令が入ったよ』

「そんな――」

『っと、心配するな。大丈夫だ。西部方面指令の結城中将は対デザイア主戦派ではあるものの神聖同盟とは距離を置いている……糞親父の同輩だからな。それに主任(・・)が擁護に動いてくれた』

「諸角主任が!?」

『意外だろ? どうも奴さんの腹の内は同盟とは微妙に違うらしい。信用ならない陰険野郎なのは確かだがな。兎も角、彼女の事は心配しなくていい。作戦も中断して帰還してくれ』

「……了解しました」

 

 俺はホッと息を吐いて通信を切った。

 遥さんのような帰還者(リターナー)への機関の干渉を撥ね退けられたのは、この国における神聖同盟の力を考えれば奇跡に近かった。そんな事も深く考えずに、生存者救出という英雄的行動(ヒロイズム)に酔って行動していたのだ。俺達は。榊指令に感謝するしかない。そして一応諸角主任にも。

 

(摩夜に対する言動は典型的な神聖同盟の主義者なんだがな……)

 

 一体何を考えているのか。俺は華那庵(カナン)という同盟の機関から摩夜と共に出向してきた諸角静流(しずる)という男に考えを巡らせた。

 摩夜は興味のない事には無関心な人、と判断している。今回の件も単純な人道的見地から擁護した訳ではないだろう。とはいえ根っからの冷徹な人物では無いのかもしれない。彼から被検体扱いされている筈の摩夜も(苦手にはしているものの)諸角を左程毛嫌いしていない様に思えた。

 

(警戒する必要はある。けど勧善懲悪的な悪役(ヴィラン)なんて、ヒーロー物だけで十分だしな)

 

 纏まらぬ思案に強引にケリを付け、俺はぐるりと洞窟の周囲を見渡してみた。島から人類が駆逐された以外、あの頃と変わらない光景。森と清流が育んだ清涼な空気。

 ここで皆と遊んだ記憶が蘇った。肝試しと同じくらい遊んだのが、当時流行っていた子供向け特撮番組の、所謂ごっこ遊び(・・・・・)だった。亮と俺が怪人役で、攫われる女の子役は菜々星。ヒーロー役はもちろん皐月さんだ。もう中学生になっていた皐月さんだったが、結構ノリ良く付き合ってくれていた気がする。部活や色々な習い事が始まって忙しくなった皐月さんにとって、童心に戻る事が出来る気晴らしだったのかもしれない。

 お化けとかホラーに滅法強い菜々星の上げる緊張感のない悲鳴。それを聞きつけてヒーローらしからぬ鬼の形相で追いかけて来る皐月さん。あの頃のままの沢の小径に、小鳥の囀りと潺の音が響いている。あの向こうから今にも藍緑色(シアン)の髪を靡かせて駆けてきそうだ……

 

(サツキさん……)懐かしい追憶に向けて、俺はポツリとその名を呼んだ。

 

 ――その時。

 

 ――ふわりと微風が頬を撫ぜた。

 

 ――風が木々を揺らし、何匹かの小鳥が谷を縫って飛んで行く。

 

 その先に人影があった。学徒兵のバトルドレスに身を包んだ人影。歩兵仕様の無骨な装甲があってもハッキリ女性と判る曲線。彼女(・・)は飛び去って行く小鳥を目で追った後、こちらを怪訝そうに見つめて小首を傾げる。艶やかな藍緑色の髪がはらりと揺れた――

 

(間違いない……)幼馴染と同じ黄金色の瞳を不躾に凝視し、俺はすぐにでも駆け寄りたい衝動を懸命に抑え込む。清楚さと悪戯っぽさが混ざり合った顔立ちはあの頃のままだった。

 

「……あら、お客様って()だったのね」こちらを認識したのか、女性は歩み寄ってきた。あの冬の日とはは逆に、けれど変わらぬ朗らかな笑みを浮かべて。(でもどうして?)そんな想いは喜悦の前には霧散してしまう。

 

「久しぶりね、零斗君。一年と半年ぶりかしら?」

「サツキさん……ですよね?」

 

 あっけらかんと再会を喜ぶ皐月さんに対して、俺は微動だず出来ずにいた。想いが溢れて止まらない。幼い頃の思い出。あの冬の日の記憶。学徒兵になってからの戦いの日々。知っていた彼女の想いと諦めきれなかった俺の想い――

 

「そうよ。大丈夫、お化けじゃないわ。ちゃんと足は付いているでしょう?」

 

 そんな葛藤を他所に、皐月さんは俺の手を取って自らのスラリとした足へ押し当てて見せた。バトルドレス越しに柔らかな感触が伝わってきて、俺は慌ててその手を振り払う。

 

「揶揄わないでください、俺だって餓鬼じゃないんだから」

 

 憮然と抗議する俺を見て、皐月さんはクスクスと笑う。馬鹿にして……けれどこの奔放さは確かに皐月さんだ。胸に熱いものがこみ上げ、俺は続ける言葉を失ってしまった。

 

「……ゴメン。昔から零斗君て生真面目だから、揶揄いたくなっちゃうのよね」

「酷いな」

 

 頬を熱いものが伝う。それはこの島に捨ててきた筈の物だった。歪む視界。それを彼女に見せたくなくて、俺は顔を伏せる。そんな俺の頭をポンポンと皐月さんの手が撫ぜた。頼りになるお姉さんと思っていた彼女の掌は思いのほか小さく思えた。

 

「やめてよ、恥ずかしい」 

「ううん、止めない。でも大きくなったね、零斗君。もう私の方が背伸びしないといけないなんて。ちょっと悔しいな」

「一年半前の時、もう俺の方が背丈あったですよ」

「そうだっけ?」

 

 惚けた口調で笑う皐月さん。

(そうか、やっぱりあの頃の俺は彼女にとって……)心の中で確定する諦念。でもそれは不思議と晴れやかな気分だった。拭えぬ靄が霧散したかのような。

 

「あの後、俺たち、榊中尉……泰吾(たいご)さんに助けられて本土の学校に通うことになったんです。皐月さんと同じ咲良第Ⅱの学徒兵になって、人型戦術兵器(タクティカルドール)のパイロットになって……」

「泰吾さんには感謝しなくちゃね。まだ学徒兵の教官を兼任なさってるおられるのかしら?」

「はい、俺もリョウも、それからナナセもお世話になってます。よく怒られますけどね、主にリョウがやらかして。でも理解のある良い教官です」

「――そう。あの人も変わらないわね」

 

 溜息。届かぬ思いを秘めたそれに俺はかぶりを振って、本来しなければならない質問を彼女に向けた。

 

「島の防衛隊は全滅したって聞きました。皐月さんは今までどうしていたんです? 国防軍の生き残りが……いるんですか?」

 

 カラーズで陽ヶ埼流の後継者と言っても皐月さんは元はただの女子高生だ。俺達と違って学徒兵の訓練を平時のカリキュラムでしか受けてはいない。そんな彼女が侵攻してきたデザイアとの戦いをプロの軍人の助けなしで切り抜けられるとは思えない。

 

「……居ないわ。みんな死んでしまったから」

 

 俺の頭から手を放し、皐月さんはポツリと答えた。先程までとは打って変わった様な、淡々とした口調。

 

「じゃあ、ここで遥さん達と?」

 

 隠れていたのか……そう尋ねようとして、俺は強い違和感を感じた。一年半の隠遁生活で無残にやつれ切った遥さんの姿を思い起こす。それに比べて皐月さんの藍緑色の髪は艶やかに靡き、整った顔立ちは瑞々しい肌を保っている。そしてよく見れば損傷の殆どないバトルドレスの形式は廉価な学徒兵用の物ではなく、正規の軍仕様の物だ。

 

 ――喉が渇く。

 

「遥さん……ああ、あの家族ね。興味(・・)があったから偶に様子を見に来ていたのよ。今日ここに来たのはそれが理由なの。元気だった?」

 

(興味……だって?)同じ立場の相手じゃないのか。違和感がはっきりと形を成してゆく。見たい現実だけを見て、島の現実からから目を背けていた。それを思い知らされる。ここに来るまでに倒したゾンビの群れ。それを見た時に覚悟していたじゃないか。腐り堕ちた醜悪な姿を目の当たりにしたが故に、あの頃のままの姿が非情な可能性を切除していた。

 

「どうしたの、零斗君。怖い顔しちゃって?」

 

 きょとんと尋ねる皐月さんだが、俺の表情から全てを悟ったのか薄く笑った。

 

「だったら透過捜査……してみる?」唇に指を当てながら、彼女は囁く。

 

 透過捜査……スキャニングとは人類社会に浸透して破壊工作をするデザイアの模倣義体を見破る為に不審な相手に対し行われる捜査だ。その性質上の執行対象の意志を無視した強権的なものであるゆえに民間では警察または憲兵が令状を得て初めて行う事が可能となっている。一方で戦場においてはそのような悠長さが通じようもないため、兵士は各隊の判断で執行が可能となっていた。俺の体内の戦闘用ナノマシンにも隊長権限としてその機能がインストールされている――

 

「疑ってるんでしょ、私を」挑発的に顔を寄せる皐月さん(・・・・)

 

「そんな事――」

 

 ない。そう言い切る事が出来なかった。唇を噛みしめてナノマシンのスキャンモードを起動。彼女は口の端に薄く笑みを浮かべ、微かに息を吐いた。寂寥感と諦念。だがそんなヒトらしい感情は次の瞬間には消え失せ、彼女は能面の様な無表情で横っ飛びに跳んだ。

 

 タ――――ン……

 

 彼女の居た場所を、弾丸が貫いていた。優れた体幹で体勢を立て直し、皐月さん(・・・・)はホルスターから軍用拳銃を抜くと不敵に笑った。

 

「やれやれ、幼馴染の感動の再会にいきなり発砲だなんて。まるで狂犬ねぇ」

世界の敵(デザイア)を撃つのに許可が要るの?」

 

 背後の洞窟の方から冷徹な少女の声が聞こえた。振返ると摩夜が軍用拳銃を構え、俺を挟んで皐月さん(・・・・)と相対していた。木漏れ日で萌黄色に染まる真珠色の髪。妖火のように燃える瞳。それは墓地でゾンビと初めて遭遇した時に摩夜が見せた狩人の姿だった、

 

「ま、待ってくれ、摩夜。サツキさんへのスキャンはまだ――」

 

 俺は慌てて摩夜を制止する。あの時の冷徹な、デザイアに対する憎悪にも似た酷薄な感情。それを皐月さん(・・・・)に叩きつけられる事に対する畏れ。さっきの銃撃は確実に心臓を狙ったものだった。

 

「その必要はないわ、レイト。アレは貴方の好きだったヒト(・・・・・・・・・・)じゃない。悪趣味な怪物(ドッペルゲンガー)よ」

 

 断定的に摩夜は言うと、呆然とする俺の脇を駆け抜け、皐月さん(・・・・)との距離を一気に詰めた。間髪入れずに銃声。正確な射線が疾駆する摩夜を捉える……が、摩夜は無造作に身体を捻ってそれを回避。続け様に二発銃弾を放つ。左と右。相手の回避を織り込んだ予測射撃。しかし皐月さん(・・・・)はそれを読んだのか軽く頭を傾げただけで死弾を躱した。

 

「怖い怖い。そんなに私を殺したいの? 私が貴女に何をした訳でも無いのに」

「デザイアと戦うのに理由なんていらない。あの子(エルシャ)がお前を敵だと言っている。それにあなたが死ぬとか笑えない冗談ね。壊れる(・・・)の間違いでしょ?」

 

 渓谷に殺意を纏った言葉と銃弾が飛び交う。俺はジリジリと後退しながらかける言葉を失っていた。下手に手出しする事も出来ない。拮抗した状況ではちょっとした外因でどちらかが命を失う事になる。それは兎も角、摩夜のあの頑なな態度。俺は普段の無垢で天真爛漫な彼女から想像も出来ないでいた。

 

(解析はまだか――旧式ソフト(ポンコツ)め、早くしやがれ)

 

 視界の端に表示される処理完了までの時間は九〇秒。模倣義体の疑いさえ晴れれば二人が戦う理由はなくなる――

 

(エルシャって、確かアイツの専用機とやらのAIの名前だったよな。どういうことだ?)

 

 焦りの中、そんな疑問が俺の脳裏を過った。それが摩夜の熾烈なまでのデザイアへの敵意と関係しているのだろうか?

 

「おい、何の銃声だ……って、おいレイト、一体どういう事なんだよ!?」

 

 激しい銃撃の音を聞きつけて洞窟の奥から亮たちが駆けて来る。二人で。安全のため遥さんには奥で待機してもらっているのだろう。そんな二人の瞳が驚愕で見開かれていた。

 

「――お姉ちゃん?」

 

 生き別れた姉の姿を目の当たりにして呆然とする菜々星。それが友人と撃ち合っている。

 

「駄目だよ、マヤちゃん! お願いレイト、二人を止めて!」

 

 悲鳴のような叫び。サーキット持ちの凄い力で揺さぶられる。だが俺は黙って首を振る。皐月さんの現状はリターナーとして楽観視できなかった。兎も角スキャニングの結果が出なくては。それを悟ったのか亮も菜々星も押し黙って二人の撃ち合いを傍観するしかない。

 

 <ソウサケッカヲシュツリョクシマス>

 

 脳内にナノマシンの無機質なメッセージが響く。データを閲覧し、即座に皆へそれを転送。と同時に俺は絶え間なく射撃を続ける少女に向かって叫んだ。

 

「止めろ、摩夜。皐月さんは模倣義体じゃない――」

「でもデザイアでない確証はない……でしょ、レイト?」

 

 互いに弾倉交換(リロード)で銃声が止んだ狭間に冷徹に響く摩夜の言葉。生体反応はある。皐月さんの身体を構成しているのは冷たい機械ではなかった。だがその識別はアンノウン――該当データ無しと表示されている。インストールされた戦術プログラムは彼女が人類種であるという判断は下していなかった。身体的構造はヒトと何ら変わらないというのに。どういうことだ?

 

「味方でないのなら敵だよ。それにみんなも見たでしょ」無造作に再開される銃撃。

 

「そんなのって……」

 

 絶句して立ち尽くす菜々星。俺達は知っている。ヒトの肉体を支配する寄生種(パラサイト)という存在を。未だ未知の存在であるデザイアに楽観は許されない。

 姉との再会という希望に絶望を突き付けられて大きく見開かれた菜々星の金色の瞳が揺れた。

 

「……クソ、悪い冗談だぜ」

 

 舌打ちして亮は愛用のライフルを構える。普段の茶化した表情は消えていた。狙撃兵らしい冷徹な目。その判断は正しい。だが、しかし――

 

「サツキさんを撃つのか、リョウ!?」

「……敵なら撃つさ。でもそうだと決まったわけじゃないんだろ。戦う力を奪えば二人ともクールダウンするんじゃね?」

 

 そう言って片眼を瞑り弱装弾を込め直す亮。こういう時にはタフな奴だ――

 

「やれるのか?」

「本職を嘗めんなって」

 

 皐月さんの動きは早いが、摩夜との戦闘に彼女の意識が向いている今なら、亮の射撃の腕ならば腕を狙って無力化させる事は十分可能だ。

 

「サツキさんの方は俺が何とかする。均衡が破れた時に隙が生まれるはずだ。レイトは摩夜ちゃんを頼んだぜ」

「分かった」

 

 狙撃ポジションへ移動する亮。それを横目でチラ見した後、俺は銃撃を続ける摩夜の動きを目で追った。遮蔽物から遮蔽物へ。身を曝す時間は最小限にしつつ、その短い時間で複数回の射撃を的確に行っている。アクション映画の様な派手さはないが、一部の隙も無い特務大尉としての肩書に相応しい動きだ。

 

(さて、どうする)

 

 一瞬の逡巡、デザイアに対する激しい敵意から聞く耳を持たない状態の摩夜をどうやって止めるか。亮の様な狙撃の才能も経験もない俺にとって出来るのは組み付いて止める事だけだ。だが機関の特殊戦闘訓練を受けた少女をどうやって? 菜々星なら可能かもしれないが、今のあいつは戦える状態じゃない――

 

『撃つぜ、レイト』

 

 通信越しに亮の声。一拍遅れて銃声が響き、甲高い金属音と共に皐月さんの手から軍用拳銃か弾き飛ばされた。刹那呆然とする皐月さん。その隙を摩夜が見逃すはずがなかった。確実な一撃を放とうと銃を構える。

 ――摩夜の足が止まった。意識が集中した故の隙。(今だ――)その瞬間俺は無我夢中で背後から摩夜にしがみ付いていた。

 

「ひゃうん」

 

 何とも間抜けな叫びが聞こえた気がするが、構わず地面に引き倒す。カラーズの身体能力があっても互いにバトルドレスを装着していれば決定的な差にはならない。振り解こうとジタバタ暴れる摩夜だが、やがて観念したのか大人しくなった。

 

「取り敢えず銃を収めろ、摩夜。俺達の任務は偵察だ。デザイアの殲滅じゃない」

「分かった、分かったから――」

 

 そう言って銃を手放す摩夜。スイッチが切れたかのように口調は何時ものモノに戻っていた。憮然とした子犬のような様はとても先の銃撃戦を行っていた当事者には見えない。

 

「そろそろ……手を、離してよ」

 

 ジトとこちらを睨む青い瞳と少し上気した頬。掌の柔らかな感触。俺は咳ばらいをすると可及かつ速やかに摩夜を解放した。

 

『ドサクサに紛れて役得かよ』

『……知らん。それよりサツキさんは?』

 

 綱渡りの後だというのに平常運転の亮に呆れつつ、俺は渓谷の先、皐月さんがいた方向に目をやった。

 

「撃ったのはリョウ君かしら。道場での弓術の稽古はサボりがちだったのに中々の腕ね。ま、降参するわよ。抑々私は戦う心算なんてなかったんだから」

「嘘、ボクを本気で狙ってきたくせに――」

「……先に撃ってきたのは貴女じゃない。発育の割にちょっと頭が不自由な子なのかしら?」

 

 憤懣やるかたない摩夜をあしらいながら、皐月さんはお道化た仕草で両手を挙げて見せた。

 背後でライフルを構える亮の射線に捉えられてホールドアップ、といった感だが、彼女がその気なら銃撃を躱して逃走することも出来るはずだ。それをしないのは彼女に敵意はないという証左だろう。事実、皐月さんは摩夜から攻撃を受けるまで武器を手にすることはなかった。少なくとも敵対的存在ではなかった。

 

「油断しちゃだめだよ、レイト。デザイアは人類の敵なんだから」

 

 傍らで警戒心を露に摩夜が囁く。彼女が言う通り、今の所彼女に敵意はなくとも"X"であることに変わりはない。二十年前に突如として侵攻を開始し、破壊と殺戮の限りを尽くしたデザイアは忌むべき敵だ。確かにそうだが、それでも――

 

「分かってる。でもデザイアっていうのは人類を狩るバーサーカーの筈だ。模倣義体にしたって戦術目的のために人に擬態しているだけで、そこに個の意志なんて存在しない。けれど彼女にはそれがある……さっき話してそう感じたんだ。確かにサツキさん本人を」

「楽観しすぎじゃない?」

「そうかもな。だけど――」

 

(異質な存在をデザイアと決めつけたらお前の嫌いな神聖同盟の連中と変わらないぜ?)……そう言いかけた時、堪え切れず菜々星が皐月さんに向かって駆け出していくのが見えた。

 

「お姉ちゃん!」

「はぁい、菜々星、元気してた? って――」

 

 拒絶するような安っぽい再会の言葉。しかし何かを感じ取ったのか菜々星は迷うことなく皐月さんの胸に飛び込んでいった。泣きじゃくる菜々星。それはかつて俺達がこの島で何度も見た仲の良い姉妹の姿だった。

 

「……不用心だよ、菜々星。私が敵だったらどうするの」

「そんなの関係ない。お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ」

「……っ……」

 

 あっけなく崩れてゆく奔放を装う仮面。想いが溢れ、言葉にならない嗚咽を漏らす菜々星の水色の髪を、皐月さんの指がそっと撫ぜる。頬を伝う二筋の光。菜々星をあやす皐月さんの横顔は、胸が締め付けられる程に優しかった。あの頃と何ら変わる事無く。

 

「……もう、これ反則だよ。ボクが悪者みたいじゃないか」

「言うまでもなく聞く耳持たずに暴走したお前が悪いな」

 

 憮然としつつも摩夜の表情は和らいでいた。姉妹であるだけでなく。菜々星はヒトの本質を見抜くテレパスのエフェクトを持っている。菜々星が認めている以上、彼女が皐月さんである事は受け入れるしかない。例え以前の皐月さんとは別の存在であるのだとしても。

 

「心配かけてごめん。ごめんね……」

 

 ややあって紡がれた謝罪の言葉。それは深淵から零れ出たかのような昏い響きがあった。あの雪の日に彼女の身に起きた、決定的な何か。それが秘められている。そんな気がした。

 

「取り敢えず、何とかなったな」

「お前のお陰だ。助かったぜ、リョウ」

 

 戻ってきた亮にそう答えたものの、実の所、問題は詰みあがったままで何ら解決はしていない。戦時の今、皐月さんの立場は避難民である遥さんより深刻だ。榊指令とて庇いきれるものではない。どうすべきか……兎も角、会話が成立するなら本人から事情を聴くしかないだろう。

 

「サツキさん。話してくれませんか、あの後何があったのかを(・・・・・・・・)

 

 意を決して問いかける。

 皐月さんは漸く落ち着いた菜々星から身を離すと、こちらに向き直った。

 

「聞いてどうするの?」

 

 深い溜息。それは彼女自身にもどうする事も出来ない事情があることを想起させた。

 

島の部隊(私たち)がどうなったのか、は知ってるわよね――」

 

 雪の降る聖夜に青巒島に現われたピラー。同時期に出現した血染めの聖樹(ブラッディツリー)群の中では小規模であるとはいえ、デザイアの要塞といえる中型クラス。そこから溢れ出たデザイアの群れ。島の防衛隊は決死の覚悟で防衛を行ったが、人型戦術兵器(タクティカルドール)も配備されていない島嶼防衛隊戦力で出来る事は限られていた。

 住民の避難を支援するための無謀な遅滞戦術。兵士の命を捨て石にする死守命令。絶望的な状況で島民の過半を生還させ、"青巒島の奇跡"と本土のマスコミが美談として賞賛することになる撤退作戦の実情がそれだった。そんな中で一介の学徒兵である皐月さんは――

 

「召集の後、学徒兵を含んだ私たちの隊へ防衛隊指令から下った任務は岬の灯台へ向かって囮となる事だった。遅滞戦術の一環として市街地へ侵攻するデザイアの戦力を分散させるためにね」

「そんな……岬へは一本道しかない。籠る灯台だって堅固な造りじゃないし包囲されたら逃げ場は無いじゃないですか」

「……そうね。でも軍において命令は絶対。本来抗命は許されないわ。けれど私たちの隊長さんは納得できなかった。正規の軍人じゃ無い学徒兵まで道連れににするのをね。だから私たちは途中にある崖下の洞窟に身を隠すよう言われたの。そこで身動きせずに救助を待て……ってね」

 

 俺達は安堵の息を漏らす。中型以上のデザイアは人の隠れる閉所には入れず、小型デザイアの登坂能力は高くない。閉所には奴らの持つ生体感知波も届きにくい。それで助かったのか――しかし皐月さんは首を振って俺達の淡い期待を残酷に否定した。

 

「銃声が消え、軍人さんたちの怒号や悲鳴、そしてデザイアの駆動音が消えて、私たちは島での戦闘が終わったのを知った。助かった……そう皆が思った時、洞窟内の空間が揺らいだの――」

「まさか、ゲートが?」

 

 皐月さんは悲しげに頷いた。

 デザイアの持つ空間転移技術。それを人類は転移ゲートと呼称していた。文字通り空間と空間を一瞬で移動できる手段であり、デザイアはこれによって兵站を無視した戦術を取る事が出来た。圧倒的なアドバンテージではあるもののその使用にはデザイア側にも制約があるらしく、このような戦闘レベルの戦いで使用されることは無い……筈だった。

 

「そして其処から無数の甲虫種(ビートル)が溢れ出て来た――後はもう戦いになんてならなかった。この島に集められた学徒兵の仲間は練度不足で、何より覚悟が足りていなかった。私を含めて進学の点数稼ぎが目的って子も多かったしね。呆然としたままレーザーに撃たれ、切り刻まれる仲間。洞窟に満ちる焼け焦げた血と肉の匂い。一方的な虐殺を前に、私の要である陽ヶ埼流の矜持もあっけなく砕かれてしまったわ……」

 

 ビートルのセンサーが放つ無数の赤い光点。逃げ場は無く追い詰められて。単体では最弱とされる小型デザイアも、群体としてはしばしば訓練された正規兵の部隊すら蹂躙する脅威だ。阿鼻叫喚の中で皐月さんが味わった恐怖はどれほどのモノだったのだろう。

 

「あの時の私の姿は、ちょっとあなた達には見られたくないわね。最後に覚えているのは焼け付く様な痛み。それがレーザーに貫かれたモノだって分かった時、私は死んでいた――」

 

 自らの決定的な真実を淡々と語り終えて皐月さんはふぅと息を吐いた。本人から語られる死という非現実に俺達は呆然と立ち尽くす。機械の悪魔(デザイア)に蹂躙された島で彼女が生きている筈がない。頭では判っていたことだ。解かっていた筈だった。

 

「それじゃ、お姉ちゃん(・・・・・)は……」

「――そうよ、菜々星。今の私はわたしではないの。大いなる慈悲の元、仮初の生を得た虚影(・・)。かのモノの願いを叶える為のヒトの器」

 

 何かを察した菜々星に向かって皐月さんは芝居がかった抑揚で告げる。ならば目の前の皐月さんは誰なのか。菜々星の表情には疑念も不信も感じられなかった。菜々星は目の前の皐月さんを信じている――それが何を意味するのか。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれサツキさん。それはラノベか何かの設定? それともゲーム……どこかで聞いた事があるんだけど……」

「こんな時にふざけてる場合か。……サツキさん、それは一体どういう事なんですか!?」

 

 場違いな質問をする亮を遮って俺は皐月さんに詰め寄った。絶対に聞かなければならない事。しかし皐月さんは哀しげに微笑むだけだった。

 

「答えてくれ、サツキさん。俺達には知る権利がある……そうだろっ!」

 

 絶対的な壁。ずっと一緒だった俺達を拒むそれに苛立ちを覚え、俺は皐月さんの肩を揺さぶって問質そうとした。と、その時――

 

「――そんな資格は貴様らには無いな」虚空から無機質な声が響いた。「下がれ、雑兵」

 

「――レイト、危ないっっ!!」

 

 次の瞬間、摩夜が鋭く叫び俺を突き飛ばす。俺の居た位置に強烈な衝撃波が走った。まるで不可視の刃の様な。遥か後方の樹々が粉砕され、鈍い音を立てて倒れていった。

 

(硬質化のエフェクトか?)起き上がりつつ攻撃を受けた方向を凝視する。首筋が泡立つ感覚。摩夜が俺を庇うように立つ向こう、皐月さんの目の前に蒼く輝く門が形成されていた。転移ゲート。

 

「レイト!!」亮と菜々星が同時に叫び、こちらに駆け寄ろうとする。

 

「来るなっ!」

 

 俺はそれを制止してゲートを、そこから顕現する何かを凝視した。あの摩夜が微動だにせずに身構えている。それは畏怖すべき存在を感じ取っているからに違いない。ゲートの中からあの恐るべき攻撃を繰り出した揺らぎ。それが次第に形を成し、門の外に歩み出る。

 

「ほう、彼我の力量を弁えるか、雑兵。最低限の武は嗜んでいる様だな。そして白髪の娘。貴様がかの機関(・・・・)の創りし凶鳥……という訳か」

 

 ガチャリ、と重い音を立てる紅の装甲。それは旧世代の強化外骨格とさえ呼べないほど古めかしく、それは伝え聞く古きエウロペの甲冑そのものだった。だが其処彼処にある機械的意匠には高度な技術が伺える。微かに響く駆動音。それは甲冑の起てたものか、それとも――

 

機械仕掛けの騎士(Machinery Knights)……?」

 

 菜々星の呆然とした呟き。それを睥睨する騎士の兜のスリットから赤いセンサーアイの様な光が覗いていた。俺達と騎士、双方を見やって皐月さんは重く溜息を吐く。

 

「ハミルトン卿……」

「……自儘は此処までと致しましょう、公女殿下(・・・・)。お迎えに上がりました」

 

 紅の鎧纏う騎士。彼は恭しく皐月さんに対して膝まづくと臣下のように首を垂れた――――

 

 

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Episode7 脱出 ~ Escape

 

 その場が凍り付いていた。俺も亮も菜々星も、そして摩夜すらまるで身動きできずにゲートから顕れた深紅の騎士を呆然と見つめていた。公女と呼ばれる皐月さん。そしてハミルトンと呼ばれるこの男。突然の事態に俺の思考も完全にフリーズしていた。ただ一つ判っている事は、目の前の騎士と皐月さんは彼らだけが理解できる会話をしているという事だった。

 

「この者たちに手出しは無用ですよ」

「――御意」

「では聞きましょう。卿自ら此処に参られた理由を」

「金の巫女姫の封印が破られたのです」

「宰相派の浸透……ですか」

「は、既にメインフレームの六割が掌握されつつあります。最早猶予は――」

「是非も無し、という事ですね。ならば自儘も此処まで。戻るといたしましょう。それではハミルトン卿、よしなに……」

 

(何なんだ、こいつは?)男の高圧的な物言いに敵愾心が首をもたげる。

 

 古めかしく威圧的な鎧を纏うこの男は抑々ヒトなのか。自分達には日本語としか思えない言葉を発してはいるものの、ゲートから顕れたということはデザイアに関係する存在に違いは無い。ならば躊躇の必要はなかった。俺はスキャニングモードを起動する――

 

「覗き見とは無作法な事だ。だが今その非礼は不問としよう」

 

 冷徹に騎士が呟く。その言葉に俺は鋭い冷気のようなものを感じた。

 

「な、なんだよ。アンタらは!?」驚愕する亮の声。

 

 振り返ると国防軍のバトルドレスを着た男達に羽交い絞めにされた遥さんの姿があった。当身を喰らわされたのか彼女の身体はぐったりと弛緩している。助け出そうと摩夜が駆け出すが、拘束する男が遥さんの喉元にナイフを突きつけると悔し気にその動きを止めた。溶けだした口元が吊り上がる――活動死体(リバーサー)

 

(しまった)俺は臍を噛む。安全のために洞窟内で待ってもらったのが裏目となった。デザイアには理性も感情もないとされるが、ヒトの殲滅という目的のためには言葉を解し策を弄する明らかな知性はあった。その気になればデザイアには転移ゲートもある。

 

「……騎士様が人質とは良い料簡だな」

「見誤るなよ、雑兵」

 

 精一杯の皮肉。だが騎士にとってもリバーサーは招かざる客のようだった。皐月さんに一礼して立ち上がると鞘より帯剣を解き放つ。

 

寄生体(パラサイト)……この国を護りし戦士の誇りを貶めるか」

『劣等種へカケル慈悲ナド不要ダ。全テハ祖国ト閣下ノ為ニ』

 

 遥さんを盾にした隊長格のリバーサーが笑う(・・)

 

『動クナ、不正因子(イレギュラー)。サア殿下、我ラノ元へ』

「なるほど。この者らと殿下の会話から人質として使えると学習したか。しかし――」

 

 話し終える前に騎士の姿が消える。衝撃音。次の瞬間、バトルドレスの強靭な人工筋肉の繊維ごと薪の様に断ち切られるリバーサーの群れ。コアを破壊され崩れ落ちる腐肉の向こうに遥さんを抱きかかえた深紅の騎士が立っていた。

 

「それが可能なのは動揺を利用できる範囲(・・)に相手が居た時だけだ。覚えておくがいい」

 

 汚れ一つついていない刃を鞘に納めると、誰に向けてか騎士は寂のある声で嘯いた。

 

「化け物だね」

 

 ポツリと摩夜が呟く。恐らく彼女には騎士の動きが見えていたのだ。燃えるような紅い瞳が畏れに揺れていた。脅迫者に一切妥協せず、完膚なきまでに粉砕する。それを躊躇わずに行えるのは狂者か強者。人質に手を掛ける暇すら与えぬこの男は真の強者なのだろう。

 

「此の位はやれたのではないか、凶鳥? 本来の(・・・)貴様ならな」

 

 騎士の挑発めいた言葉に摩夜は押し黙ったままだった。それを一瞥すると、騎士は遥さんの身を俺に預け、皐月さんの元へと戻ってゆく。形成されつつある転移ゲートの元へ。

 

「待って、お姉ちゃんをどこに連れて行くの!?」それを見て菜々星が叫んだ。

 

「在るべき処に。既にしてこのお方はお前の姉ではないのだ」断定的に騎士は告げた。

 

(どういう事なんだよ――)遥さんを人質にしたリバーサーもそれを殲滅した騎士も、目的は皐月さんという事らしい。それはどんな理由で? 一度死んだという皐月さんの身に、一体何が起きたのか? 騎士にも皐月さん自身にも問質したい事は山の様にあった。

 

 ――騎士に促され、皐月さんは歩いてゆく。形成された蒼いゲートに去ろうとしている。

 

「どうして――」強張った俺の声帯がやっと吐き出した問い。

 

 ――けれど本当に言いたい言葉は別にあった。本当はあの雪の日に言いたかった言葉。

 

「どうしてかしらね。でもきっと、これはずっと昔から決まっていた事(・・・・・・・・・・・・・)だから」

 

 ――寂しげに皐月さんは微笑んだ。言葉通りに、それが運命(さだめ)であるかのように。

 

「さっきから訳分かんねえよ。レイトもナナセも、皐月さんの事、きっと生きてるって信じてたんだ。榊指令だって。何があったのか知らねえけど、やっと会えたんだ。話せたんだ。それなのにそんなぽっと出の奴(・・・・・・)の言いなりになって、俺達を置いて行っちまうのかよ!!」

 

 声を枯らして亮が叫んだ。その飾らない言葉は俺達幼馴染全員の想いそのものだった。皐月さんが居なくなってしまう。今度こそ、永遠に。高校進学で島を出た時。つかの間の帰郷と雪の日の出陣。そして今。俺が言いたかった言葉は一つだった。

 

(行っちゃ嫌だよ――)

 

 だがそれを口にするよりも先に、皐月さんの姿はゲートの奥へ消えてゆく。それを俺達三人と摩夜は呆然と見続けるだけだった。

 

「お別れね、皆。最後に会えて嬉しかったよ――」光粒子の向こうに滲む皐月さんの微笑み。

 

 ――光が弾け門が消失する。

 

(もう置いて行かないでよ、サツキさん――)

 

 届かぬ想い。そうして彼女は俺の世界から居なくなっていた(・・・・・・・・・・・・・・)。まるで泡沫の夢幻の様に。彼女の言った虚影であったかのように。静寂が渓谷に戻っていた――

 

 

月神(ツクヨミ)・メインシステム起動≫

≪ドライバー神崎准尉とライドオフィサ八咫之(やたの)大尉の搭乗を確認≫

≪神経接続を開始して下さい≫

 

 無機的なAI音声が響く。ソケットに接続端子のある手首を挿入すると羽虫が蠢くような悍ましい感覚が駆け抜ける。鼻腔に鉄錆た感覚。起動時のお馴染みとなった儀式(・・)を経て、鋼の巨人が立ち上がる。上昇する軽いG。機体を駆動させる素戔嗚の腱(メタルマッスル)の軋む音。ナノマシンによって機体とリンクした視界にヘッドセットが投影する戦術画面が重なった。

 

「タートルⅠ、戦闘システム・オールグリーン……タートルⅡはどうだ?」

 

 周囲を見渡しながら起動に手間取っている僚機に声をかける。だが亮の返事は無かった。

 

『タートルⅡライドオフィサより報告。ドライバーとの神経接続完了……行けるよ』

 

 代わりに菜々星の淡々とした返信が返ってくる。

 

「遥さんは?」

『麻酔で寝てもらってる。対G緩和剤も投与してあるから無理しなければこっちも――』

「いや、戦闘はこっちに任せてくれ。ナナセたちは港に辿り着くことを最優先に」

『了解だよ、レイト』

 

 感情を押し殺した何時もの冷静な声音。それが微かに震えていることに俺は気付いていた。(ナナセ……)彼女の心境を想い、俺は唇を噛みしめる。

 

「リョウ、気持ちを切り替えろ。榊指令の指示した"オトヒメ"の浮上時間まで後ニ時間無いんだ。今から中型デザイアの犇めく市街を抜けなきゃならないんだぞ」

 

 人の事は言えない苛立ちが、詰るような口調となって表れていた。

 

『切り替えろ……だって? よくそんな事が言えるな、レイト』

 

 らしからぬ声音で昏く呟く亮。

 

『俺達はデザイア側の"人間"と接触したんだぜ。騎士だの公女様だの宰相閣下だの……コテコテのRPGかよ? そしてサツキさんはその仲間だった。あっち側の人間だったんだよ』

 

『リョウちゃん――』息を呑む菜々星。

 

「まだ敵だと確定した訳じゃない。お前も言ったじゃないか」

 

 胸倉を掴んで殴り飛ばしたい激情を堪え、俺はリョウを諭す。

 

『そうかもな。けどさ、昔からサツキさんて特別だったよな。美人で、カラーズだからとか関係なしに、勉強も運動も何でもできた。俺達島の餓鬼からだけじゃなく大人からも一目置かれてた。俺さ、何となく感じてたんだ。なんでこの人が俺達とつるんでるんだろって――』

 

 淡々と、愚痴めいた口調で亮は喋り続けた。そうせずには居られないのだろう。自らの心を護るためには。責める気にはなれない。けれど通信越しに微かに聞こえる少女の嗚咽。それが亮を現実へ引き戻す。

 

『――すまねえ、レイト』

「謝る相手が違うだろ?」

 

 菜々星を泣かせない事。今も昔も、それが俺達のルールだった。

 

『――ああ。ごめんな、ナナセ。お前の方がずっと辛いのに、俺は……』

『グス……いいよ、リョウちゃん。ていうか、ある意味らしい(・・・)?』

『――って、何だよそれは』

 

 何時もの調子に戻った二人がタートルⅡを起動させる。それを確認して俺はホッと息を吐くと、

 

「では任務を中断して帰投する。総員状況開始――」

『了解。道草厳禁、家に戻るまでが遠足ってね』

『もう、リョウちゃん真面目にやって』 

 

 例え痩せ我慢でも、今はそれでいい。他愛もない言い合いを放置して俺は思考アクセルを踏み込む。機体が加速し、身体がシートに押し付けられる。遠ざかる赤い鳥居。地響きを立て、二体の巨人は御山を駆け下りて行った――

 

 

「随分と大人しいな、大尉殿?」時速四〇キロ程で機体を走らせながら後部座席に声をかける。

 

 摩夜はあの騎士との遭遇の後、何も喋らなかった。押し黙ったまま道中俺達の護衛を務め、コックピットに乗り込んだ後も最低限の応答しかしていない。根拠がどこにあるのか分からない自信溢れる言動が持ち味の摩夜とは思えない態度だった。

 

(一丁前に落ち込んでるのか、コイツ?)そんなことを思いつつ返事を待つ。卓越した戦闘能力を持つ摩夜をして化け物と呼ぶ紅の騎士。奴に威圧された事を恥じているのか。そんなことを言ったら身動きすら出来なかった俺達は奴の言う通り雑兵(・・)そのものなのだが。

 

 ――凶鳥(レイヴン)

 

 騎士は摩夜の事をそう呼んでいた。()の機関というのは諸角(もろずみ)の属する華那庵(カナン)の事だろう。デザイアを嫌悪する神聖同盟に属する組織を奴は知っていた。開戦以来デザイアとの戦闘以外の接触は無い……奴らは破壊と殺戮に特化したバーサーカーである……それが世界の常識だ。それなのにデザイアと思われるあの騎士は摩夜の事を認識し、興味を持っていた。これは何を意味するのか――

 

(この戦争の根底が覆るんじゃないのか、これって)

 

 正直一介の学徒兵の埒外の事態の連続だ。早く榊指令に丸投げしてしまいたい。そんな事を考えていると後部座席からくぐもった呻き声が聞こえてきた。

 

「摩夜?」

 

 流石に気になって後ろを振り返る。すると摩夜は両手を握りしめて俯いていた。

 

「……ごめんね、レイト」

「何だよ、いきなり」

「ナナセのお姉さんともっと話せたかもしれなかったのに。ボクのせいだよね」

 

 心からの謝罪。あの時の頑なな態度が嘘のようだった。確かに摩夜の暴走によって皐月さんとの再会は最悪なものになりかけた。しかしながら戦場において軽率だったのは自分の方だ。自分の見たい現実に浸ってしまっていたのだから。そして皐月さんは――

 

「ま、そうかもな」心の内で感謝しつつ、俺は揶揄うように言った。

 

「うう……フォロー無し?」

 

 忽ち憮然とする摩夜。(それでいい。殊勝なお前は似合わないからな)

 

「当たり前だ。でもアイツからちゃんと俺を守ってくれただろ? それでチャラにしてやる」

 

 騎士の放った斬撃のエフェクト。樹々を粉砕した恐るべき一撃。あの時摩夜が突き飛ばしてくれなければ恐らく俺は死んでいた筈だ。

 

「ところでアイツはお前の事を知ってるみたいだったよな。どういう事なんだ? まさか機関(・・)は奴と……デザイアと関わりがあるのか?」

 

 話を切り替えるために俺は疑問を口にするが、摩夜は苦笑して、

 

「それこそまさかだよ、レイト。基本カラーズってだけでヒトを人間扱いしない連中だよ、カナンのセンセイたちってさ。神聖同盟にとってデザイアは絶対の殲滅対象。ま、その点だけは同意するんだけど。多分機関に潜入させた模倣義体(スパイ)とかでボクの情報を得たんじゃないかなあ」

「それじゃ凶鳥(レイヴン)っていうのは」

「……カナンではボクの事、白い鴉(ホワイトレイヴン)て呼ぶんだ。コードネームって奴? 失礼しちゃうよね。ボクには“八咫之摩夜”っていうちゃんとした名前があるのに」

 

 殊更お道化た口調で摩夜は言った。

 

「自分の名前、好きなんだな」

「当然でしょ? 親を知らないボクに、大切な人が付けてくれた名前なんだから」

「もしかして諸角主任か?」

「違う―――!!」

 

 心底嫌そうに叫ぶ摩夜。慇懃無礼な男だが流石に微かに同情する。(大切な人か――)被検体になる前の摩夜は何処で何をしていたのだろう。そんな事を思いつつ機体を前進させる。

 

「ボクには思い出がないから、それが唯一の記憶……その人の顔ももう忘れちゃったんだけどね」

「……そうか」

 

 機関の記憶操作の類だろうか。俺はかける言葉を持たなかった。

 

『そろそろ市街だよ。郊外にギガース四体、リザード八体。その他小型種多数。こちらを補足はしていないけど進路上をふさいでる』

 

 平地部に到達した地点で菜々星からの通信。対処可能な戦力だが、タートルⅡに遥さんを同乗させている以上戦闘は避けるべきだろう。ビートル等小型種のレーザーは人型戦術兵器(タクティカルドール)光学装甲(フェリオンスキン)を貫通出来ず、ギガースやリザードの速力は旧式の月神よりかなり劣る。

 

「一気に駆け抜けよう。リザードのレーザーはスモークで対処」

『ん、賛成。それに周辺の重力場異常も気になるからね』

『それってゲートが開く前触れって事かよ』

『そういう事。さっきの騎士が関係してるのかもしれない』

 

 騎士という言葉に、通信越しに苛立たし気な亮の舌打ちの音が聞こえた。

 

「どちらにしろ増援が来たら厄介だ。急ごう」急ぎ俺が指示を出した瞬間――

 

「レイト、前!!」

 

 摩夜の緊迫した叫び。探すまでもなく視界に形成されつつある蒼いゲート。その大きさは月神と同サイズのギガース用の物より一回り大きい。中央で滲む巨大な影は人型とは違う二足歩行型で巨大な尾を持っていた。それは古代の大地を支配したモノの姿――

 

「……恐竜種(レックス)」その名を口にしつつ俺は唇が戦慄くのを感じていた。

 

 数体しか発見例のない要塞級や艦船クラスに相当する大型種を除けば最強とされる中型機甲体(デザイア)。小規模なピラーからの出現は極めて稀で、俺達も一度しか遭遇したことがない難敵。その一度だけの会敵で俺達は大切な仲間を失い、敗走した。

 

『レイト、あれを見ろよ。奴の頭に突き刺さっているのは――』

 

 巨大な体躯に比しても過大な頭部が実体化する。そこにある角のような突起。

 

対装甲槍(アーマーピアッサー)のパイル……あれは佐塚(さづか)の……」

「佐塚君て、ボクの前に隊に居たっていう……?」

「ああ、佐塚篤志(あつし)。前回の上陸作戦で戦死した鉄屑(おれたち)の仲間だ」

 

 苦い記憶。立て続けに任務をこなして行く内に生まれた慢心。中型種のデザイアも問題無く撃破できるようになった俺達にとってゲートから顕れたそいつ(・・・)は毛色の違う、ちょっとしたレアキャラ(・・・・・)のように思えた。それが最強の機甲体(デザイア)である事を知っていた筈なのに――

 

『データ照合……間違いない。コイツはあの時の個体だよ』

 

 大人しい菜々星の声音に怒りが滲む。普段は指揮官機でライドオフィサを務める菜々星が体調不良で参加できなかったあの作戦。“オトヒメ”の通信席で菜々星は一人佐塚の断末魔を聞いた。

 

『ちっくしょう……あの時俺が外さなけりゃ――』

「逸るな、リョウ! 今はリベンジしてる場合じゃない」

 

 仇敵を前に身構える僚機を制し、俺は思考を巡らせた。

 何しろフル装備の実戦仕様で惨敗した相手だ。極めて強固な装甲を持ち、それでいて月神と互角の機動性を誇る。ミサイル、レーザーといった武装は持たないものの、巨大な尾による殴打は相手を錻力(ブリキ)の様に拉げさせ、巨大な咢による噛みつきは相手を木っ端のように粉砕する。物理攻撃に特化した機体性能は防御を光学装甲に頼るタクティカルドールの正に天敵と言えた。

 

『どうする、レイト? レックスからは逃げられないよ』

 

 速力が同じ相手を振り切ることは難しい。戦うのは論外だ。任務優先で汎用装備を選択したのが仇となっている。戦力は単体でも相手が上で、此方は有効な武装(アーマーピアッサー)も持っていない。まだ気付かれていないとはいえ隠れていても制限時間は迫って来る。

 

(どうする。どうすればいい?)八方塞がりで打開策は見えない。

 

 俺達鉄屑はこの島で何度も戦って来た。落ちこぼれと言われつつも何度も作戦を成功させる事で周囲の俺達を見る目を変えてきた。けれど前回の作戦で佐塚を失い、再びその敵と遭遇して呆気なく窮地に陥っている。皐月さんを連れ去ったあの騎士には歯牙にもかけられなかった。

 要するに、単に今まで俺達は運が良かっただけなんだ――

 

「大丈夫。ボクがみんなを護るから」

 

 立て続けの事態に摩耗した俺の心をあっけらかんとした摩夜の言葉が嬲る。

 

「いい加減な気休めは止めてくれ」思わず愚痴めいた悪態が零れた。

 

「気休めなんかじゃないよ。だってボクは“白い鴉”なんだから」

「それって、どういう――」

 

 どういう意味だ……そう聞き返そうとして俺は押し黙った。敢えて摩夜が嫌っている筈のその名を出すのには意味がある筈だ。白い鴉。ありえない事を示すその名。神話において零鳥、あるいは凶鳥とされる。

 

「やっぱりこの子(・・・)、レイトの事が好きなんだね。力を貸してくれるみたい」

 

 嬉しそうに摩夜は呟く。

 

(この子……俺の機体の事か?)そう言えば艦内で摩夜はそんな事を言っていた。人工知能をまるで生きた人間……友人のように捉える感性。脳裏に違和感。戦術画面にライドオフィサが神経接続を行ったという表示があった。

 

「何をする気だ、摩夜?」

 

 問質そうと後部席を振り返ると(……!?)すぐ傍に摩夜の顔があった。息が届きそうな位置に彼女の桜色の唇。そして――俺は慌てて視線を前に戻す。

 

「……バトルドレスはどうした」寄り添う摩夜は一糸も纏っていなかった。

 

「仕方ないでしょ。ここ(・・)に服を再構築する時間が無いんだもん。今の状況、解かる?」

 

 解る訳が無い。憮然とする俺。説明を求める。

 

「レイトは今、ボクを中継してこの子と接続している。だからボクが近くに見える(・・・)の」

「どうしてこんな事をするんだ? 神経接続できるならお前が操縦すればいいじゃないか」

「この子はエルシャじゃないから……きっとレイトの方が上手く動かせるよ。ボクより実戦経験は上だしね。港でギガースと戦った時の事、覚えてる?」

 

 俺は黙って頷く。機体との一体感。考えるより先に機体が敵を断っていた。もしかしたら生身で剣を振るうよりあの時の太刀筋は鋭かったかもしれない。あれならレックスにも対応できるに違いない。しかし――

 

「それで、お前は大丈夫なのか?」

 

 ライドオフィサが接続を行いドライバーの操作補助を行う事はある。だがそれは極めて短時間に限られていた。元々個人に調整されている機体に他者が接続を行うというのは、器の隙間に強引に自己を捻じ込むようなモノであり無理があるからだ。他者と機体の繋ぎ(・・)となるという摩夜の行っている接続はそれより深度が高いもので、ドライバー以上の負担がかかっているのは間違いない。

 

「言ったでしょ。ボクがみんなを護るって」耳元で摩夜は朗らかに笑った。

 

(無茶してるって事か)俺はかぶりを振って道を塞ぐレックスの威容を睨んだ。こいつを倒せたとしても残りのデザイアが襲い掛かって来る。増援も来るだろう。迎撃して港へ進むには弾薬も時間も足りない。道は二手に分かれ片方は市街へ、そしてもう一方は岬へと続いていた。

 

『どうする、レイト?』焦りを隠せない亮の問い。

 

「――よく聞け、リョウ。俺が飛び出したら一分後に港へ迎うんだ。脇目もふらず、一直線に」

 

 思ったよりも自分の声音は落ち着いていた。

 

『レイト、それって――』

『馬鹿野郎、特攻でもする気か。戦うなら一緒に――』

 

 俺の意図を察して反対する二人。それを押し留めて、

 

「遥さんを乗せたままじゃタートルⅡは戦えないだろ。これがベストな方法だ」

『けどよ――』

「俺だって死ぬ心算は無い。今まで黙ってたけど諸角主任に俺の機体へブースト機能(・・・・・・)を施してもらっているんだ。摩夜を乗せる為の改修を受けた時にな。だから心配しなくていい」

『マジかよ!? DDOじゃないんだぞ』

『……信じていいんだね、レイト』

「ああ、適当な所でさっさと逃げるさ。約束する」

 

 そう請け負って俺は通信を封鎖した。浅い噓。チクリと胸が痛んだ。

 

「行くぞ、摩夜」

「了解、ボクを好きに使っていいからね、レイト」

 

 その言い方――と叫びそうなのを堪える。意味を解って使ってる訳じゃない筈だ。兎も角、摩夜の緊張感の無さが今は逆に有難かった。前進。思考アクセルを踏み込む。加速する機体。索敵圏内に踏み込んだ事でレックスの巨体が臨戦体勢に入った。それに呼応して近くのデザイアの群れが此方へ一斉に回頭を開始する。複数のレーザー照準波を探知。

 

「スモーク射出」

「OK」

 

 脳裏に摩夜の言葉が響く前に月神はタスクを完了させていた。センサーヘッドの脇にある多目的ランチャーから煙幕弾が射出。視界を満たす白煙。その向こうから空気を切り裂く音と共に長大な質量物が横薙ぎに叩きつけられる。レックスのテイルアタック。俺は機体を跳躍させてそれを回避する。激しい上下のGに胃の中がかき回されるが、機体は驚くべき滑らかさで俺の意を反映してくれていた。

 

(これが普段サーキット保有者の見ている景色か……)憧憬と羨望。その中でもナノマシン処置まで施されている摩夜は特別なのだろう。本来相反する二つを融合させる禁忌の技術。それと引き換えに彼女は過去を失った。

 

「熱源接近。ミサイル、来るよ」

 

 後方に待機するリザートの弾幕を最小限の動きで回避しつつレックスの背後に回り込む。旋回力の低さがこの中型最強種の弱点だ。両腕で保持した高周波ブレードでテイルパーツに一撃。斬撃を弾く甲高い金属音。だが効果は薄くとも注意を引く事は出来る。案の定、回頭を終えたレックスは猛り狂ったかのように此方へ突進してきた。

 

(行け、リョウ!)心の中で叫ぶ。

 

 俺の意図したタイミングを狙い澄ましたかの様にタートルⅡが港へ向かってダッシュする。何機かのリザートがそれを察知してレーザーを放つが、未だ滞留する煙幕によって射線を逸らされ命中する事は無かった。戦術画面上のタートルⅡを示す蒼い光点が遠ざかってゆく。

 

(レイトの嘘つき。私もリョウちゃんも怒ってるんだよ。帰って来なかったら赦さないんだから)

 

 脳裏に憮然とする菜々星の心話(テレパス)が響いた。当然か。けれど、それでも従ってくれたのは俺を信じてくれているからだ。二人を裏切る訳にはいかない。レックスの突進からの噛付き攻撃をステップ回避。それと同時に俺は機体をダッシュさせてレックスの脇を摺り抜ける。

 

「よし、俺達も逃げるぞ」

「……え?」

 

 戦うんじゃないの? と呆然とする摩夜を無視して俺は思考アクセルを全開にする。出力が上がりフェリオンリアクターの吸気音が悲鳴を上げる。六〇、七〇、八〇、九〇、加速する機体。逃げる……とは言ってもそれは港へではない。それでは意味がない。反対の方向。島の岬へ。

 

「後ろからミサイル……レーザーも来るよ。避けて避けて――!!」頭の中でサラウンドで鳴り響く摩夜の悲鳴。「頭の中で騒ぐな!」遮れない騒音に負けじと怒鳴り返す。

 

(ナナセ達が帰還できれば、後は榊指令が何とかしてくれるはずだ)

 

 数キロの鬼ごっこ(・・・・)の結果、間近に迫る岬の灯台。背後に月神と同速のレックスが追い縋る。しかし鈍重なギガース、それよりも鈍足なリザードは遥か後方に引き離されていた。

 

「そっか、レイトはこれを――」

「何も相手の土俵で戦う必要はないからな」

 

 支援型との連携が無ければ前衛タイプのレックスの戦闘力は低下する。それに岬の先端は左右が海へ落ちる崖となっていて多勢の利は活かせない。此方も退路は無いが、共和国の古代の武将も敢えてこの形勢を取る事で兵の士気を奮い立たせたという。

 

「後は勝つだけだよ。やっちゃえ、レイト!」

「簡単に言ってくれる……」

 

 前提条件は整えた。後は摩夜の言う通り勝機をどこに見出すかだ。機体を旋回。思ったよりも距離を稼げている。後を追うレックスが僅かに斜行していたからだ。頭部に撃ち込まれたパイル。恐らくそれが奴の機体制御に不具合を引き起こしている。佐塚の置き土産――

 

対装甲槍(アーマーピアッサー)さえあれば――)無い物強請りだが、今は強く思う。

 

 と、同時に脳裏に過るのは榊指令が教習で何度も見せてくれた漆黒の機体の動きだった。

 最初期の戦術人型兵器(タクティカルドール)"荒神"とは思えない滑らかな動作。派手さは無いが勝利へ至る軌跡を着実に(なぞ)ってゆく直向きで迷いのない戦闘機動。そして初期型ブレード(なまくら)を用いて要塞級の装甲を切り裂いた陽ヶ埼流と思われる“鎧断ち”の技の冴え――

 

(……来栖(くるす)征四郎(せいしろう))その名を呟いたとき去来する澱固まった感情。

 

 ピラー降着から三日が経過し、最早生存者など居ないとされる青巒島に独断で隊を出撃させた墜ちた英雄。その結果、部下であった榊指令の活躍もあり俺達は助け出された。あの時感じたのは確かな安堵。けれど胸を満たしたのは島を護れなかった英雄に対する理不尽な失望と憎しみ。榊指令に助けられたのだ。そう思い込むことで彼の存在を黙殺していた。

 

 ――英雄なんだろ。俺達の島を、死んだ皆を返してくれよ!!

 

 彼に叩きつけた言葉。それは子供染みた八つ当たり。そんな事は判っていた。

 本当に言うべき言葉は言えないままに、三か月後、彼はペルシアの地で帰らぬ人となった。

 

(ただ為すべきことを成せ。大地を照らす日輪の如く――)

 

 陽ヶ埼流"陽光"の教え。理屈っぽい俺に師匠が与えてくれた言葉。蟠りを捨て去った後に残る想いが一つの形を練り上げてゆく。それは漆黒の機体の放つ只一太刀の一閃。

 

「摩夜、今からイメージする動きをトレースできるか?」

「ん、腕部と脚部に大分無茶がかかるけど……大丈夫。任せて――」

 

 気軽に請け負う摩夜だが、後部座席から聞こえる呼吸音は荒くなっていた。バイタル表示も危険域に近い。(機体を気にかけてる場合じゃないだろ)心の中で詫びつつ俺は高周波ブレードを両手持ちに構える。地を揺らし迫るレックスの巨体は僅かに右に(かし)いでいた。

 

(佐塚……)機体を反対側にステップさせる。ブレのない柔らかな足運びは摩夜の技術によるものだろう。背面へ回り込む。待ち構えたかのように旋回に合わせて振るわれるテイルパーツ。だがそれはこちらの狙い通りだった。ビルを粉砕する威力のそれを摩夜が紙一重で回避してくれる。巨大な尾が伸びきった刹那――

 

「其処だっ!!」

 

 素戔嗚の腱が軋みをあげ、機体は上段にブレードを構えた両椀を一気に振り下ろす。甲高い金属音。しかしそれは弾かれたものではなかった。テイルパーツが斬り飛ばされ崖下へ転がり落ちてゆく。バランスを失ったレックスは酔漢のように脚部を縺れさせ、反対側へと滑落していった。この辺りの海は深い。装備のない鉄の塊が水没すれば浮上することはまず不可能だろう。

 

「最強って割にはあっけないね。でも勝ちは勝ち♪」

 

 コアや動力部の破壊が困難である以上取れる戦術は限られていた。傍らで(はしゃ)ぐ摩夜を他所に俺はホッと息を吐く。"鎧断ち"……俺にも出来た。剣士でもないのに高まる高揚感。

 

「やったね、レイト……」無垢な摩夜の声が今は心地よかった。

 

「ああ、そうだな――」そう答えて摩夜の方を見る。「――摩夜?」

 

 イメージである摩夜の姿が固まっていた。笑顔を張り付かせたまま、次の瞬間、全身にノイズが走り消失する。後部座席で崩れ落ちる音。そして戦術画面にはライドオフィサが意識喪失状態であることを示す紅点の明滅。

 

月神(ツクヨミ)・メインシステムより警告≫

≪ライドオフィサ八咫之大尉の生命維持に重篤な問題発生≫

≪速やかに降機して適切な回復処置を求む――≫

 

 冷たく薄暗いコックピットに無機的な筈のAI音声が悲鳴のように鳴り響いていた――――

 

 

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Episode8 帰還 ~ A return

 

 海からの強風が身体を激しく煽る。眼下には打ち付ける荒波。海に沈みゆく夕日の中で俺は断崖の壁面を垂らしたザイルを辿って慎重に降りていた。

 背に背負う少女の重み。それは驚くほど軽く、背中越しに伝わる鼓動は儚く弱弱しかった。

 

(摩夜、ごめんな……)こうなる事は薄々気づいていた。だが強敵を前に彼女に頼る以外に術はなかった。隊の生存を優先した結果、彼女は倒れた。

 

 長時間の逃走と生兵法による"鎧断ち"で被った機体の関節部の損耗は著しかった。コックピット内に居れば小型デザイアから身を護る事は出来るが、もし中型種に襲われたなら満足に動けない機体に乗っているのは寧ろ危険だ。何より摩夜を休ませなければ……一刻も早く横になれる安全な場所に移動する必要がある。その為に俺は機体灯台跡に隠し、登山家の真似事をして岬の崖を降りている。皐月さん(・・・・)の話ではそこに彼女らが身を潜めた洞窟がある筈だった。灯台跡で見た防衛軍と思われるバトルドレスを着た白骨。だとすれば其処には――

 

「……ッ……」

 

 カラカラと音を立てて足を掛けた岩から小石が転がり落ちてゆく。海抜五〇メートル程の崖の下はレックスを飲み込んだ深い海だ。潮流も早く、バトルドレスを着たままで滑落したなら自分達も奴と同じ運命を辿るだろう。焦りながらも慎重に降りる。データによれば本来洞窟までは国防軍の設置した桟道が設けられていたようだが、追っ手を阻むためかそれらは全て消失していた。

 

(ん? 此処か……)漸く右方向に口を開けた洞窟を発見する。突き出た岩を手探りして横移動していく。ロッククライミングの経験など無い俺だったが、バトルドレスの筋力補正のお陰で左程苦労することなく入り口に到達する事が出来た。踏みしめる地面の確かさ。安堵の余りへたり込みそうになる脚を叱咤して踏みとどまる。周囲を見渡すと少し奥に閉ざされた隔壁があった。

 

「……ゥ……ン……」

 

 苦し気に魘される背に負った少女。幸い呼吸はしっかりしている。恐らくこの症状は神経接続による脳疲労の蓄積によるものだろう。サバイバルセットのエアマットを展開し、その上に摩夜を横たえる。心成しか彼女の表情が和らいだ気がした。

 とは言え問題は此処からだ。兵士としての身体能力飛躍的に高めるバトルドレスだが、全身を覆う人工筋肉の繊維はお世辞にも着心地の良いものとは言えなかった。有体に言えば全身に強化ギブスを装着しているようなモノで、寝衣(パジャマ)には全く適さない。教習でも傷病者からはは速やかに脱がすよう教わっている。

 

(要するに役得って事だろ?)亮が戯けたことを言ってるような気がするのを心の中で締め上げて、菜々星にジト目で睨まれているような居心地の悪さを感じながら、摩夜の襟元のファスナーを引き降ろす。別にコイツの裸を見るのは初めてじゃない――胸元を開けると小柄な肢体に不釣り合いな豊満なバストが零れ出る。だが次の瞬間俺は呪いの言葉を呟かずにはいられなかった。

 

 ――鳩尾から腹部にかけて刻まれた幾つもの施術痕。

 

 それは再生治療によって目立たなくなっているとはいえ、新しいものはまだ生々しい赤みを帯びていた。シャワールームでは湯気で気付かなかった、摩夜の過去に刻まれた爪痕。本来なら相反するサーキットとナノマシンを併用させた理想の兵士(ブーステッド)を生み出す為の妄執の烙印。

 

(どの口が言いやがる……)我々は野蛮な光芒教団(ルミナス)とは違う――抜け抜けとそう言った諸角に対し言いようのない憤りが込み上げてくる。

 

……ない……で……」微かに漏れる囁き。

 

ボク、頑張るから……皆を護れるように強くなるから……だから……置いてかないで……

 

 お決まりな摩夜の台詞。俺はその原風景に想いを馳せる。

 そこに彼女自身の意志はあると言えるのだろうか。他者の願望を叶えるだけなら、それは最早呪いと同じではないか。何故そんなモノに直向(ひたむき)になれる? 

 千々に乱れる思考。それを押し殺して、俺はマニュアル通りに淡々と摩夜の介抱を続けた――

 

 

 ――遠くで日暮れを告げるカラスの鳴き声が聞こえた。

 

 薄暮の道を歩きながら、この時の僕は途方に暮れていた。既に二時間は歩いている。けれど目的の場所には一向に辿り着けずに居る。当然だろう。何処に行けばいいのか、僕自身がそれを分っていないのだから。

 季節は秋。鶴瓶落としの様に海へと沈んでゆく太陽。刻々と夜の闇が迫る中で、焦りと心細さが僕を満たしてゆく。

 

 あれは僕の七回目の誕生日の事だった。お祝いの本土へ旅行の約束。それが急な仕事で中止になって僕は不貞腐れていた。文句を言ってやるんだ。そんな想いでこっそり家を抜け出した。

 

 僕の父さんは軍属の研究者でシベリアの任地から久し振りに帰国したばかりだった。典型的な研究者気質で、軍に協力していたのだって直にデサイアの技術に触れられるからというのが主な理由だという。不愛想な事もあって生まれ故郷だというのに島では煙たがられていた。そんな父さんが後に開業医として島の皆から頼られる事になるのは以外と言う外ない。

 

「父さんの馬鹿……」鼻を啜りながらポツリと呟く。

 

 僕も正直苦手だった。それは今でも。けれど父親から旅行に誘われたのは素直に嬉しかった。それを反故にされたのが裏切りに感じたのだろう。触れ合う機会が少ない親だったから余計に。

 

(何処だろう、迷っちゃったのかな)

 

 ふと気づけば辺りは薄暗い森となっていた。青巒島は島とは言えそれなりの広さはあった。子供にとっては世界そのものと言えるほどに。子知らぬ土地に投げ出され、心細さは恐怖へと塗り替えられてゆく。樹々が揺れる音が悪魔の騒めきの様に聞こえ、僕の足を竦ませる。

 

「確か、前連れてきてもらった時はこっちだった気が――」

 

 うろ覚えの記憶をたどって森の中の道を進む。すると前方に仄かな明かりが見えた。小さいながらもしっかりとした造りの施設……父さんの仕事場だ。安堵と共に駈け出そうとする。けれどその足は次に見たものによって凍り付いてしまった。

 

 ――黒光りする小銃(ライフル)を構える物々しい人影。

 

 彼らが着ているのは今にして思えば防衛軍のバトルドレスだったのだが、ツルリとしたフェイスガードを付けた外見は、その時の僕には何か異形の怪物のように見えた。息を呑んで後ずさる。バキッと足元で小枝を踏み折る音がした。

 

「――誰だ!?」鋭い誰何の声。僕は声にならない悲鳴を上げて逃げ出した。

 

「……子供か?」

「おい、待つんだ、坊や――」

 

 慌てて制止する声も聞こえたが、恐慌に陥った僕の耳には意味をなさなかった。雑木の中を泣き喚きながら走る。何度も灌木に足を取られては転び、頬や手足に無数の引っ掻き傷が出来たけれど怖さには抗えなかった。縺れた足が宙を切る。気が付くと僕は急な斜面を転がり落ちていた。地面に投げ出され、全身を激痛が貫く。

 

「……大丈夫!? ねえ、しっかりして!」

 

 薄れてゆく意識。視界に揺蕩う紫がかった長い白い髪。それはこれが夢の中の出来事であるかのように月明かりに煌めいていた。何処かで懸命に呼びかける誰かの声が聞こえた――

 

 

 磯の香りのする夜風。下方から打ち寄せる波の音が聞こえる。薄暗い洞窟の外も既に夜の帳が降りていた。どうやら壁に凭れて小一時間程微睡んでいたらしい。一仕事を終えて気が抜けたのだろうが、敵地だというのに油断にも程がある。

 

(……結局、誰だったんだろうな)

 

 幼き日の失態。あの後、俺が目覚めたのは自宅のベッドの上だった。母が顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのを今でも鮮明に思い出せる。罪悪感と疑問。俺は深夜に家の玄関で倒れているのを母が見つけたのだという。全身の怪我にしっかりと手当てをされた状態で。果たして誰が助けてくれたのか。母は答えてはくれなかった。

 あの時、朧げに聞こえた少女の声。彼女が助けてくれたのは間違いない。きっと皐月さんだ……幼い俺はそう自分を納得させていた。けれど幾ら皐月さんでも十歳かそこらの身であんな場所に来れる筈が無い、という事を今では理解している。月に煌めいたあの長い髪。あれは一体――

 

「おはよう、レイト♪」

 

 呆然と過去へ意識を飛ばしていた俺を騒々しい声が引き戻す。其方へ視線を移すとタオルを体に巻いただけのあられもない姿の少女が猛然と此方に駆け寄ってくる所だった。ひょいと片手を挙げて雑に突進を押し留める。ありがとう筋力補正。バトルドレスを着たままでよかった。

 

「むう……倒れてた女の子に対して、扱い酷くない?」

「それだけ元気なら大丈夫だ。起きてたならバトルドレスを着とけ。敵地なんだからな」

 

 そう言って摩夜に背を向ける。言葉が思いつかない。あれ(・・)を見てしまったのは生れたままの姿を見た事より寧ろ気不味かった。そんな俺の意図を察したのか、摩夜は黙ってドレスの装着を始める。身繕いする音が静まり返った洞窟に、やけに大きく響いた。

 

「――聞かないんだね」

「何を?」

「ボクの身の上話」

「聞いて欲しいのか?」

「……今は、いいや」

「なら言わなくていい。過去は俺達にとって今を生きる糧でしかない。其れに縛られず、如何に未来へ生かせるかが大切なんだ」

「……何それ?」

「陽ヶ埼流、黄昏の教えだ。要は気にするなって事さ」

「それ、端折りすぎ」

 

 クスと笑う摩夜。俺としては真面目に言ったつもりなんだが、笑うところか? 些か不本意だが、兎にも角にも辛気臭いのはコイツには似合わない。

 

「もういいよ、レイト」

 

 振り返るとニッコリと微笑む摩夜の姿があった。視線を逸らす。バトルドレスの特性上仕方がないとはいえ、身体にフィットしすぎるそれは小柄な割にメリハリのある摩夜の肢体を際立たせてしまう。榊指令が謂う所のトランジスターグラマー、という奴か――

 

「えっち」

「俺のストライクゾーンには背丈が十センチ足りてないから安心しとけ」

 

 忽ち憮然とする摩夜。それを無視して、

 

「なんであんな格好で居たんだ。流石に不用心だぞ」

 

 そんな苦言に摩夜は「水浴びしてたから」とあっけらかんと答えた。示す方向には天井から降り注ぐ水。それは隔壁内へ繋がる配管から噴き出していた。こんな時に何を――そう言いかけた俺の鼻腔が異臭を捉える。それは今日幾度となく嗅ぐ羽目となったモノだった。

 

「見てきたのか、中を?」

「うん、整備ハッチからちょろっとね。流石に奥までは行ってないよ。電源を復旧して空調システムは作動させといたから、今は大分マシになってる(・・・・・・・・・)と思うけど」

 

 タオルで髪を拭いながら、染みついた臭いに顔を顰める摩夜。

 

「入ってみる? 今なら其処から入れる筈だよ、隔壁のロックも解除してあるから」

「……ああ、そうだな」

 

 あの時の皐月さんの言葉が真実なら、此処はあの日召集された学徒兵達が無残な最期を迎えた場所だ。つまりそれは彼女の死を確定する現実を突き付けられるという事でもある。今日遭遇した生前そのままの皐月さんの姿。目を背ければその虚影に縋りついていられるかもしれない。

 

 けれど――

 

(それじゃ何も始まらない。それに此処で死んだ仲間だって)

 

 どんなに望まない死であろうと、結末であろうと。確かに自分たちはその瞬間まで生きていたんだ、と。彼らは知って貰いたいに違いない。他ならぬこの島出身の学徒兵である俺に。それは傲慢な、独り善がりな想いかも知れないけれど、それでも。

 

「よし、開けてくれ」

「分かった」

 

 開閉レバーを摩夜が下すと巨大な鉄扉が軋みながら開いてゆく。換気の関係で下がっていた内部の気圧が落ち着くと形容しがたい異臭が漏れ出て来る。思わず鼻を抑える。これでもマシ(・・)になったというのか。フェイスガードを慌てて装着する。暗視モード起動。

 

「……なんだよ、これは――!!」

 

 握りしめた拳が戦慄いていた。生死の狭間である戦場は何度も経験してきた。廃墟に残る遺体は何度も目にしている。覚悟はしていた。けれど目前の光景はそんなものは粉々に消し飛ばしてしまう。所詮自分の見てきた戦場などコックピットの中で見た上品なものでしかなかったのだと。

 

 ――外に逃れようとしたのか折り重なるように倒れるバトルドレス。不自然にバラバラになった各部位から覘く干乾びた肉片をこびり付かせた白骨。無秩序に転がる頭蓋骨。眼球の溶け落ちた眼孔が虚ろに此方を見つめている。戦場ですらない、凄惨な虐殺の残滓。

 

 喉を酸いモノが駆け上って来るのを懸命に堪える。それは彼らへの冒涜だ。

 

「やっぱりデザイアは絶滅させなくちゃ。この星から絶対に……そうでしょ?」

 

 背後から微かに聞こえた昏い声音。それに答える代りに溜息を吐いて俺は奥へ進む。遺体の数は奥に行くほどに疎らになり、抵抗した学徒兵が倒したのか時折甲虫種(ビートル)の残骸が転がっていた。

 

「レイト、大丈夫?」

「なんとかな。お前は平気なのか?」

 

 手で鼻を抑えてはいるものの、摩夜は特に気にした風も無く俺の後をついて来ていた。フェイスガードも付けていない。抑々換気前にも摩夜は此処に入っている。システムを直したのは彼女だからだ。

 しかし臭いは兎も角、コイツ怖がりじゃなかったか? 墓地やゾンビに一々大騒ぎしていた筈なんだが、一体どうやって――

 

「……()には恐怖や嫌悪感を防ぐフィルター(・・・・・)があるの。任務遂行のために必要だから」

 

 俺の怪訝な視線を受けて、摩夜は極まり悪げにそう言って目を伏せる。長い睫の奥の紅い瞳(・・・)が揺れていた。俺はかぶりを振る。時々摩夜に感じていた違和感。それが何なのか漸く合点がいった。

 

「なるほどな。お前(・・)が"エルシャ"か」

 

 半ば以上の確信をもってそう言うと、摩夜の大きな瞳に僅かな変化が現れた。摩夜の無垢で無邪気なあどけない眼差し。そこに大人びた色が加わってゆく。たったそれだけで、まるで小妖精(パック)が蠱惑的な森妖精(ドリュアド)へ変わったかの様に俺の目には映る。

 

「知ってたんだね」囁くように彼女(・・)は言った。

 

摩夜(アイツ)から聞いてたからな。気付いたのはついさっきだけど」

 

 摩夜の専用機(・・・)のAIだというエルシャ。それを摩夜は恰も姉妹であるかのように語っており、時折それと意思疎通をしている様な素振りがあった。本土で調整中の実機と交信しているのかと思っていたが、初めから摩夜の中に居た(・・・・・・・・・・・)のなら話は早い。放っておけない無邪気な少女とデザイアに対する冷徹な狩猟者の二面性。人格の憑依などと言えばオカルト染みているが、例えばタクティカルドールの操縦方法は脳に直接学習させられる。他者の記憶そのものをコピーすることも理論上は可能なのだ。記憶に紐付けられる人格も可能なのかもしれない。当然ながら人道というお題目を吐き捨てさえすれば、という注意書きが付くが。

 

(能力はあっても兵士としては不適格な摩夜に完璧な兵士であるAI人格を必要に応じて上書きする。今の状態でも十分な性能……諸角の言っていたのはこういう事か。だけど――)

 

「私が出ている時(・・・・・)冷酷にふるまうのは、私がそう創られたから。デザイアを駆逐する。それが私の唯一の存在理由(raison d'etre)。だから此の子を責めないであげてね」

 

 摩夜は彼女(・・)の事を優しい子と言っていた。相手を庇う物言い。確かにそれは彼女(・・)の"やさしさ"なのだろう。計算されたモノかもしれないが実にAIらしくない。こんな状況なのに自然口元が綻ぶ気がした。

 

「いい奴なんだな、お前。摩夜が気に入ってる訳だ」

「そんな事、ない……」

 

 照れたようにプイ、と横を向く。見た目の年相応の愛らしさに俺は思わず、

 

「俺も結構好きだぜ、そういうの」

「…………」

 

 ――中身は兎も角、摩夜(・・)相手に何言ってるんだ、俺は。彼女は黙ってフェイスガードを装着するとスタスタと先へ歩いてゆく。流石に呆れられたかもしれない。

 

「レイト()てさ――」

 

 暫く進んで彼女はこちらを振り返る。フェイスガードに阻まれてその表情はよく見えない。

 

「なんだよ?」

「結構たらし(・・・)だって自覚しておいた方が良いから」

 

「……は?」あまりに不本意な指摘に絶句する俺。

 

「それじゃ、後は摩夜(この子)の事よろしくね」

「おい、ちょっと待て――」

 

 冗談ではない。こんな所で戻られたら(・・・・・)――俺は慌てて引き留めようとしたが無駄だった。呆けたように立ち尽くす摩夜の肩が戦慄く。プルプルと震える拳。

 

「嫌あぁぁ!こんな所で帰らないでよ、エルシャ――――!!」

 

 間髪入れず響き渡る摩夜の絶叫。

 洞窟内に反響するそれが、容赦なく俺の鼓膜を殴りつけていた――

 

 

「――落ち着いたか?」

「……うん。ごめんね、レイト」

 

 既に遺体が折り重なる区域を抜けていたのが幸いしてか、摩夜は程なく冷静さを取り戻してくれた。尤もしがみ付かれた俺はバトルドレスを着たカラーズの膂力で墜とされそうになった訳だが。フィルター役が突然居なくなるとか迷惑極まりない。

 

「あの人は嘘ついてなかったって事か~」

 

 及び腰ながらも俺から離れ、周囲を見渡す摩夜。換気システムの効果で異臭もようやく収まってきたようだ。俺がフェイスガードを外すと摩夜もそれに倣った。ナノマシンの暗視モードを作動させたのか蒼く大きな瞳が仄かに輝いている。

 

 ――青巒島派遣学徒兵小隊全滅。それは間違いようのない現実だった。

 

「でも……活動死体(リバーサー)にならずに済んだのは良かったかもね」

「……確かにな」

 

 せめてもの救いというべきか。この島を必死に守り、死んだ英霊たちが遺体を利用され尖兵とされる。そんな惨い屈辱は無いだろう。防衛軍の遺体に取り付いた寄生体(パラサイト)に向けた"騎士"の台詞が頭を過る。墓地で見た達治さんの活動死体は我が子の遺体を埋葬しようとしていた。彼らには辛うじて意識が残っていたのだ。だとしたらやり切れない。

 

「仕方ないよ、レイト。そうするしか無かったんだから」俺の内心を知ってか、摩夜は消え去りそうな小声で呟いた。

 

 元々狭い岬にある洞窟だ。隔壁から三〇メートルも歩けば最奥に辿り着く。人工的に掘削が加えられコンクリートで補強された空間。防衛軍は此処を物資の貯蔵庫として活用する予定だったようだ。非常食が収められたコンテナや水が収められたポリタンク。此処で行われた戦闘によってかそれらは著しく破損していた。零れ出た物資が放つ黴臭い臭い。

 

「さっきは此処までは見てないけど、見つからないね」

「……ああ」

 

 俺達が探していたのは鮮やかな藍緑色(シアン)。朽ちた遺体であっても見間違えるはずがない皐月さんの長い髪。此処で死んだと云う彼女の姿を俺達は見つける事が出来なかった。

 

(彼女は助かったのでは)再び擡げる淡い希望。

 

「……ん? あそこにあるのは何だろ?」

 

 摩夜が崩れたコンテナの方へ駆けて行く。慌てて後を追った俺は足元の異物で転びそうになった。放射状にまき散らされた甲虫種の残骸。それらは恐るべき力で粉砕され、原形を留めていない。一体其処で何があったのか?

 

「何か見つけたのか?」

「うん」

 

 摩夜は身を屈めて床に落ちている物を拾い上げる。脱ぎ捨てられた女学生用のバトルドレス。レーザーによる幾つもの穴でボロボロとなったそれの着用者は凡そ身長一六〇センチ位と推測できた。合致するシルエット。そして腕に付けられた部隊章に記された名前――

 

「……皐月さん」

 

 致死の攻撃の痕跡と見つからない遺体。それはあの時の彼女の話を裏付けるものだった。彼女は確かに此処で死に、何らかによって変わってしまった(・・・・・・・・)のだ――

 呆けたように立ち尽くす俺。それを気遣ってか摩夜は黙って周囲の探索に向かった。頭を切り替えバトルドレスを手に取る。ポシェットを探るとカラン、と音を立てて何か小さな物が床に転がった。摘まみ上げ凝視する。

 

(これは情報媒体か? 民間の物じゃないな)

 

 全長五センチ、幅一センチ。小型化よりもデータの保護を重視した頑丈な造り。恐らく軍用だろう。黒地のセラミック製で白で三本足の鳥が描かれている。八咫烏……それはこの国の霊鳥。摩夜の名字。白い鴉は彼女のコードネームでもある。とはいえ安易に結びつけるのは危険だ。けれど俺には到底無関係とは思えなかった。そして皐月さんは何故これを持っていたのだろうか。

 

(この厳重さ。かなりの機密事項だろう。生還の望みがある者に託されたのだ。隊長……いやもっと上の存在から。此処に逃げ込んだ学徒兵は本来なら生存率が高い筈だった。こんな処にゲートさえ顕れなければ――)

 

 青巒島にそんな重要な何かがあったというのか。本土から離れた過疎化が進む辺鄙な孤島。軍事的要地とも言えず軍も碌に駐留していない。抑々何故この島にピラーが降着したのか。

 

(軍の施設なんて漁港に併設された港湾施設と捜索対象になっていた駐屯所――)

 

 そういえば親父の勤めていた研究所……あそこにも軍人が常駐していたような気がする。子供の頃迷子になり、白い髪の女性に助けられた時の記憶。親父はあそこで何を研究していたのだろうか。そしてあの雪の日。デザイアの侵攻を受けたクリスマスの夜。診療所に残った親父は脱出する船には乗っていなかった。迎えに行った母と共に行方不明のままだ。

 

「レイト~」周囲を回っていた摩夜が駆け寄って来る。

 

「収穫はあったか?」

「全然。ビートルの残骸がいくつかあっただけだよ。そっちはどう?」

 

 俺は黙って首を振ると、摩夜に気取られぬよう媒体をポシェットに滑り込ませた。これに諸角の欲している情報が記録されているのかもしれない。けれど皐月さんの遺品ともいえるこの媒体はノイズの無い状態で軍人である榊指令に渡すべきだと思ったからだ。摩夜の事を疑っている訳では無い。しかし彼女の中に神聖同盟のAIであるエルシャが居る以上慎重になる必要があった。

 

彼女(・・)は兎も角、諸角は信用ならない。抑々要請には失敗してるしな。神聖同盟の偏向した思想にこの島を利用されてたまるか)

 

「ん? どうしたの?」

 

 都合のいい言い訳を考える俺をキョトンと見つめる無垢な瞳。それに罪悪感を覚えつつ、

 

「撤収する。この場の遺体は専門家に任せよう」

「……そだね。いつの日にか、きっと――」

 

 出来れば手向けとして花や線香の一本でも供えたい所だが、生憎そんな気の利いたものは無い。俺と摩夜はしばし仲間たちの魂に黙祷を捧げ、その場を後にした――

 

 

 岬から見える水平線が微かに白み始めていた。黎明の静寂の中、鋼の巨人が立ち上がる。損傷こそ無いものの機体各所が不協和音を奏でていた。

 

≪ツクヨミ・神経接続を確認≫

≪戦闘システム・コンディションイエロー≫

≪機体駆動効率45%・戦闘機動は推奨できません≫

 

 薄暗いコックピットに戦闘AIの声が響く。機体各所に表示される赤い警告(レッドアラート)。控えめに言っても希望を持てる状況ではない。

 

「無理させちゃったね。この子に」

「……まあな」

 

 操作したのは俺とは言え、専用機が必要な程に優秀な強化兵士(ブーステッド)である摩夜の反応速度に曝されたのだ。十年前の旧式機である月神(ツクヨミ)には酷に過ぎたに違いない。恐竜種(レックス)に対処するには仕方がなかったのだが、確かに無理をさせてしまった。

 

「榊指令の指示は港へ迎えって事なんだが……」

 

 洞窟の調査を終えた頃、俺達は"オトヒメ"からの通信を受けた。榊指令は無茶をしたことに怒り心頭といった具合ではあったが、一応冷静な判断だったと渋々ながら俺の行動を認めてくれているようだった。

 

「当初の予定ではロープで下まで降りて装載艇で迎えに来てもらう心算だったんだがな」

「駄目だよ、この子を連れて帰らなきゃ」

 

 摩夜は頑なにタートルⅠを回収することに拘っている。機体AIを友人のように捉える彼女としては共に戦った戦友を見捨てて行くのは忍びないのだろう。それに機体の戦闘経験は貴重なデータだ。特に俺の様な凡庸な操縦手のモノは他の機体にフィードバック出来る。

 

「とは言っても如何するんだ。道中敵だらけだぞ?」

「仕方ないでしょ。ボク泳げないんだから!」

「…………」

 

(それが本音かよ)こんな状況だというのに俺は苦笑してしまう。"オトヒメ"でも居心地悪そうにしていたものな――

 

 戦術画面にびっしりと映る赤い光点。レックスを引き回した際に振り切った敵がそのまま溜まっているのだ。小型が殆どで、中型も鈍足のギガースやリザートばかりだが、脚部に損傷のある今の状態で振り切る事は困難だ。

 

「大丈夫だよ」

「まさかまたアレを使う気じゃないだろうな」

 

 自信ありげに答える摩夜に、俺はあの時を思い出す。機体との一体化。この状態で使えば機体も摩夜も更に重篤な状態に陥るのは間違いない。

 

「違うよ。でも、大丈夫」

 

 どうする心算なんだ。そう思いつつも言葉は飲み込む。摩夜が言い切った以上何かある……そんな不思議な信頼感があった。昨日、確かに摩夜は俺達を護ってくれた。先の通信で自分とは別に指令と話していたことと関係があるのか?

 

「……行くぞ」俺は思考アクセルを踏み込んで機体を前進させる。

 

≪警告・フェリオン探知波多数確認≫

 

 デザイアの索敵範囲に入ると戦術画面の自機に幾つものラインが集中する。後方からミサイルの熱源感知。AIの予測データを元にランダム回避を開始する。同時にスモークを射出。間一髪。機体脇を偏光されたリザードの高出力レーザーが過る。今の状態でもリザートは引き離せる。問題はギガースだ。進路上に三体。

 

『――神崎、聞こえるか』

 

 突然の通信。戦術画面の遠方、港の方向にタートルⅡの光点が現れる。

 

「榊指令!?」

 

 居ない筈の名を叫ぶ。物凄い速度で進撃を開始するタートルⅡ。戦術画面上で近づく光点は次々と消えて行く。寄らば斬る。まるでDDOの熟練プレイヤーの様に。狙撃の腕は折り紙付きだが機体操縦は苦手な亮にあんな戦闘機動が出来る筈がない。ゲームなら話は別だが。

 

『榊? そんな奴は知らんな。こちらタートルⅡ。迎えに来てやったぞ、格好つけ野郎』  

「……個人調整(アジャスト)されてない機体で無茶しないでください。実戦も一年振りでしょう?」

『人を勝手にロートル扱いするな』

「してませんけど――」

 

 なんだかなぁ、と苦笑する摩夜。それに同意しつつ俺は目前のギガースに意識を集中する。思考アクセル全開でも速力四〇。小走り程度しか出来ない機体コンディション。迫る敵の巨躯に姿勢を低くして高周波ブレードを一閃。脚部を切断する。もんどりうって転倒するギガース。それを無視して二体目、三体目を同様に処理(・・)して駆け抜ける。撤退するだけなら撃破の必要はない。

 

「サンキューな、摩夜」

「エヘヘ、どういたしまして」

 

 機体の不具合を摩夜が補正してくれている。オペレーター適性が無い事を散々煽りはしたが、神経接続が出来る事による直接的な補助はいつもコンビを組む菜々星にはない有難味があった。

 

(このまま行けば……)ミサイルを躱し、進路上にスモークを置きながら進む。あと少し――

 

「ごめん、避けきれない!」

 

 摩夜が鋭く叫ぶ。新たに処理(・・)した二体のギガースの内の一体が剛腕を伸ばしタートルⅠの脚部を掬った。堪え切れずに転倒する。乗員保護機構が吸収しきれない激しい衝撃がコックピット内を襲った。

 

『零斗!!』

 

 榊指令の叫ぶ声。デザイアの群れを蹴散らしながらタートルⅡが此方に向かって来る。だがその距離一キロ以上。センサーヘッドを巡らせ周囲の索敵。思っていた最悪以上に敵の密度は濃く、このままでは指令とてミイラ取りに成りかねない。何とか機体を起こし、悪足掻きをするギガースのコアを破壊する。

 

「指令、引き返してください。このままでは――」

 

 タートルⅠの周囲を数十機のリザートとその子機である小型デザイアが取り囲んでいた。脚部稼働率三〇%。もはや歩く程度の移動しか出来ない。さらには戦闘反応に引き寄せられてギガースの群れも近付いて来ていた。

 

『馬鹿野郎、諦めるな。それでも陽ヶ埼の門下か』

「でも、指令まで――」

 

「――大丈夫だよ」いつもの悲観論に取り込まれそうな俺を引き留める様に摩夜が囁く。

 

 鎌首を上げる様にこちらを狙うリザードのテイルレーザーの砲列。そんな事で事態が好転する筈がないのを知りながら、それを俺は睨みつける。死んでたまるか――

 

 その時。機体の収音機構が空の彼方で風を切る音を捉えた。

 

「……間に合ったようだな」微かな安堵を込めた榊指令の声。

 

(一体、何が……?)次の瞬間、俺の視界に眩い光が満ちた。上空より大地に突き立てられた光の柱が薙ぎ払うかのように一閃すると、リザードの群れは紅蓮の炎に包まれ爆散してゆく。それが大出力の光学砲によるものだと気が付くのにはしばしの時間が必要だった。全く以て非常識な火力。それを放った相手を視認すべく虚空を凝視する。

 

あの子(・・・)が来てくれたよ、レイト」

 

 上空にあったのは遠距離移動用の飛行ブースターを装着した一機のタクティカルドールだった。

 装備に隠れて判別しづらいが見慣れない機影。新型か? しかし無謀だ。残りのリザートが回頭し一斉にレーザーの照準を向ける。不意を突けたのはいいが対空戦闘は光学兵器に秀でたデザイアの十八番だ。忽ち無数の射線が上空へ走った。着弾。爆散したパーツが降り注ぐ。

 呆然とする俺の背後で後部ハッチが開く音。微かな潮風がコックピットに流れ込んだ。

 

「摩夜……?」

 

「安心して。あの程度の攻撃で()は墜とせないんだから」確信を込めて嘯く摩夜。

 

 果たして爆煙の中から何事もなかったかのように降下する鋼の巨人。その威容に俺は目を奪われた。傷一つない白磁の装甲。優美かつヒロイックな、恐らくは亮あたりが喜びそうなシルエット。正規採用された月神の質実剛健な外装とは似ても似つかない。それは()の機体が何らかの試験機であることを示していた。

 

『そいつが諸角の奴が言っていた華那庵(ラボ)謹製の最新鋭機さ』

 

 さも面白く無さげな榊指令の通信。調整中の機体を強引に本土から飛ばしてきたというのか。

 逆制動を掛けながら降下中の機体に向けてリザードから第二射が放たれる。だがそれは機体周囲の球形の力場によって悉く霧散させられてしまう。まるで一部のカラーズの使う防御型エフェクトの様に。

 

「……世界初の第四世代型試製人型戦術兵器。それが()――“暁”(エル=シャヘル)

 

 摩夜(・・)は後部ハッチから身を乗り出して微笑む。紅い瞳が悪戯っぽく煌めいた。

 

「それじゃ、行ってくるね――」

「お、おい!!」

 

 戦闘中に機外へ飛び出すなんて自殺行為だ。そんな俺の制止を無視して彼女は装甲のフックを巧みに伝って地面に降り立つと“暁”の降下地点へ駆けていった。それを狙って数多のデザイアが襲い掛かる。振り上げられるギガースの剛腕。辛うじて俺は其処に機体を割り込ませ盾とした。機体の右腕が拉げる嫌な音――

 

『無茶しないでよ、レイト』

「お前がそれを言うか? で、乗り込めたのか」

『うん、後は任せて――』

 

 起動に成功し立ち上がる“暁”から軽やかなフェリオンリアクターの駆動音が響く。それに呼応して輝きを増していく装甲は眩い金色に輝いていた。携帯する光学砲で薙ぐ様に斉射すると攻撃態勢に入っていたリザートの砲列は順を追って次々と爆散してゆく。それを呆けたように眺めながら俺は自機に組み付くギガースに隻腕で止めを刺した。

 

『行くよ、エルシャ』

 

 エネルギー切れした光学砲を破棄すると黄金の巨人は閃光のように駈ける。散った仲間の紅蓮の炎に引き寄せられるように群がって来るデザイア。稲妻の様なステップワークで摩夜はその中に機体を踊り込ませる。すれ違い際に“暁”の両椀から輝きが伸びた。

 

 ――光の剣。それがギガースの巨体をバターの様に切り裂く。

 

 機械の悪魔の群れの中で、舞うように戦う“暁”の姿に俺は何時しか見惚れていた。デザイアを駆逐する力。それが一人の少女の犠牲の上に成り立つ力であることを知りながら。

 

『艦砲クラスの光学砲に鷹月で試験中の光粒子溶断機(ムラクモ)模倣品(パクリ)か。あの陰険野郎(・・・・)が悦に入るだけの事はある。この分だと俺の出番はなさそうだな』

 

 視認できる距離に到達したタートルⅡから通信が入る。流石に無傷とはいかないものの、港から此処まで未調整の旧式機単独で辿り着ける榊指令もやはり尋常な操縦士(ドライバー)ではない。

 

「戦いは装備だけでは決まりませんよ」溜息とともに俺は呟いた。

 

『……そうだな』片膝をつく俺の機体の傍らに榊指令はタートルⅡを停止させて、

 

白い鴉(White Raven)……八咫之の事を知ってしまったんだな、零斗?』

「はい、確証はありませんが、大凡は」

『そうか……』

 

 暫しの沈黙。

 目前の戦いも終わりを迎えていた。最後のギガースを“暁”が両断する。だが――

 

『アハッ、やっぱりかぁ』通信から喜悦めいた摩夜(・・)の声が聞こえた。

 

 “暁”と俺達の間に蒼いゲートが現れる。具現化していく巨大な影。尾を失い満身創痍の機械の怪物は、それでも恐るべき咢を天に向けて咆哮した。恐竜種――レックス。

 

「アイツ……まだ稼働(いき)ていたのか――」歯軋りする俺。

 

『転送されていたんだろう。並みのレックスとは扱いが違う……所謂、固有個体(ネームド)って奴だ。デザイアにも稀にいるんだよ。人類側のエースパイロットのような存在が』

 

 そう言って榊指令は携帯している対装甲槍(アーマーピアッサー)を地面に突き立てると、俺の機体から高周波ブレードを取り上げてレックスの前に進み出た。

 

『八咫之、コイツは俺にやらせてくれないか?』

『……うん、いいよ』

 

 レックスの巨大な頭部に突き立ったパイルが鈍く輝いていた。爆炎の中で屹立する黄金の巨人(あかつき)より旧型機(つくよみ)の方が与し易いと判断したのか。軋む駆動音を響かせながら指令に向けて突貫するレックス。武器である巨大な尾を失った以上それが限られた手段であるにしても、その攻撃はあまりにも朴訥で潔過ぎた。それに対して指令は高周波ブレードを上段に構えて、不動。

 

『……デザイアのくせに』ポツリと呟く摩夜。

 

 そして二機が交差する瞬間――

 

『セエェェ―――――――イッ!!』

 

 裂帛の気合と共に振り下ろされる高周波ブレード。陽ヶ埼流の鎧断ち。それは俺の付け焼刃などとは比べ物にならない鋭利さでレックスの重装甲を頭部から真っ二つに捌いた。コアが砕かれ、分断された機体が爆散する。破壊されたフェリオンリアクターから四散する高濃度の粒子が周囲に虹のように煌めいた。

 

(流石、英雄の後継者だよな)榊指令の技の冴えに見惚れながら、俺は英雄……来栖征四郎に対する蟠りが霧散しつつある事を自覚する。多分指令が彼に感じた想いもこれに近いのだと。

 

『やったね、指令♪』

 

 無邪気に喜ぶ摩夜。それに対し溜息を吐きつつ、

 

『まあ佐塚の仇は取りたかったからな。だが――』

 

 そう言って榊指令は“暁”のセンサーヘッドを機体のアームで殴りつけた。まるでひと昔の教師が生徒に拳骨を喰らわすかのように。次いで半壊した俺の機体にも。八メートルの巨人が行うには頗るシュールな光景だが、コックピットに伝わる衝撃は本物だった。情報システムが集約された頭部はタクティカルドールで最も高価なパーツだというのに――

 

「何をするんですか、いきなり……」

『むー、暴力反対~』

 

 憮然とする俺達だが、思い当たる節は山ほどあった。

 

『これは無茶をした罰だ。俺の分はこれでチャラにしてやるが、陽ヶ埼と都筑も言いたいことが山ほどあるそうだ。艦に戻ったら覚悟しておけよ?』

 

 帰投するぞ――タートルⅡが俺の機体を助け起こし、三機は港へ向けて移動を開始する。進路上にデザイアの反応は無かった。想像以上に榊指令は暴れ回っていたらしい。怪我の治療の名目で教官という後方勤務を続けてきた榊指令だが、この調子なら現場復帰は近いのかな……と喜びと同時に寂しさを感じていると――

 

『――あの、榊指令……上手く纏めた心算になって肝心なこと忘れてませんかぁ?』

 

 ノイズ交じりの通信からどんより沈んだ亮の恨み声が聞こえた。そして――

 

『搭乗禁止命令を破って勝手に出撃した事で“オトヒメ”の艦長さん、カンカンだよ。ハッチ抉じ開けたり未調整の機体で出撃したりで乗組員と整備員の皆も怒ってる。連れて行って貰えなかったことでリョウちゃんイジケちゃったし……それに――』

 

 長い付き合いから俺はヘッドセットを外そうと試みる。しかし間に合わなかった。

 

『泰吾さんも摩夜ちゃんもレイトも。私の気持ちも考えずに無茶ばっかりなんだから。一杯心配したんだよ。馬鹿――!!』

 

 普段の菜々星からは想像もつかない大音量が鼓膜を襲う。聴力大破。残響に耳を抑えながら俺達は黙然と帰艦する事となる――――

 

 

Continue to next Episode □□□

 

 

 □□□At that time, at that place__

 

 ――漆黒の静謐。

 

 そこに港の風景が映し出されていた。破壊された燻り続ける間を三体の鋼の巨人が歩いている。損壊の激しい一体を他の巨人が支えながらゆっくりと。

 

「何故、□□□□□を行かせたのですか?」

 

 鈴声が静寂の中で波紋のように響く。

 無明の空間に、映像の光に照らされて二人の男女が佇んでいた。

 一人は古風なドレスを纏ったうら若き女性。

 そしてもう一人は古の甲冑を身に着けた偉丈夫。

 

「――雪辱の機を欲しておりました故」

 

 慇懃に答える甲冑の男。その無機的な物言いに女性は眉を顰め、

 

()は既に戦える状態ではなかったのに。どうして――」

「戦士の本懐、無下には出来ませぬ」

 

 哀し気に囁く女性。それを嗜めるように男は断固とした口調で遮った。

 女性はかぶりを振ると眦を怒らせ、

 

「何れにせよ、あの者たちに手出しは無用と言ったはず。次は卿と云えど赦しませんよ?」

「…………」

 

 嫋やかな身の何処にその様な畏があるのか。

 甲冑に阻まれ表情は掴めない。だが男は雷に撃たれたかの如く恭しく首を垂れる。

 

宰相(・・)派の牙城へ向けたこの星の民の攻勢が近づいています。卿も次の差し手に備えなさい」

「――御意」

 

 蒼白い燐光と共に男の姿が消えると、疲れた様子で女性は背後の豪奢な椅子に腰を下ろす。映像に映るのは破壊された街並みと港。そして遥か彼方には浮上している潜水艦の姿が見えた。俯く女性の唇から深い溜息が漏れる。豊かな藍緑色(シアン)の髪がシャワーのように彼女の貌を隠していた。

 

「これでよかったの? 貴女は――」自問するように呟く。

 

「ごめんなさい。私にあの方(・・・)のような力があれば、貴女は貴女のまま居られたのに」

 

 謝罪、あるいは懺悔の言葉。

 それと共に彼女の髪は艶やかな藍緑色から氷の様な白銀へと変貌してゆく。

 二筋の雫が彼女の頬を濡らしていた。

 

「ありがとう、サツキ。そしてさようなら。貴女の未来を贄として、私は私の道を進みます」

 

 ドレスの胸元で光る古びたロケット。それを開くと其処には二人の少女の姿が収められていた。屈託なく微笑む金色の髪の少女と含羞(はにか)む銀色の髪の少女。

 

(何処に行ってしまったの? エレアノーラ様……私に此の責は――)

 

 肩を震わせる女性の眼前の映像が消え、周囲は完全な闇の帳に覆われてゆく。

 漆黒の静謐の中、少女は一人咽び泣き続けた――――

 

 

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