アサルトリリィ  LOST FLOWER (入江友)
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第1話 帰還、そして邂逅

 これで、よかったのかな。

 

 

 

 何も見えず、何も聞こえない。

 

 結梨の五感はすべて失われていたが、なぜか意識が海中をゆっくりと沈んでいくことだけは感じられた。

 

 このまま深さ数百メートルの海底まで沈んでいくのだろうか、それとも、この意識もやがて五感と同じように消えてしまって、何も無くなるのだろうか。

 

 だとしても、もう自分にはどうすることもできはしない。

 

 海の中を泳ぐための体が存在しているかどうかさえ、分からないのに。

 でも。

 

 もう一度、みんなに会いたいな。

 

 その感情が結梨の意識に浮かんだ時、

 

 君は皆の所に戻りたいんだろう?

 なら、そうするべきだ、いや、そうしなくちゃならない。

 

 知らない女性の声が何処からか聞こえた。

 落ち着きのある澄んだ美しい声だった。

 

 しかし、声が聞こえてきた方向も距離も分からない。

 もとより今の結梨には視覚も聴覚も機能していない。

 それどころか自分の体の存在さえも感じられないのに、なぜかその声ははっきりと結梨の意識に届いていた。

 

 あなたは、誰?

 

 結梨の意識だけの問いに一瞬の間を置いて、先ほどと同じ声が答えた。

 

 そうだな……言うなれば、君のお姉様のお姉様の、そのまたお姉様、というところかな。

 まあ僕のことはどうでもいい。

 

 僕が今、君に伝えたいのは、君が望むなら、君にはそれが出来る力があるかもしれない、ということだ。

 あくまでも可能性の話で恐縮だが。

 

 遠くに膨大なマギの存在を感じるだろう?

 ネストのマギは今なお健在だ。

 そのマギと沈みゆく君の体を、君の意識、いや意思で繋げれば、君の望むことができるはずだ。

 

 君は皆の所に戻りたいと思い、皆は君に戻って来てほしいと思っている。

 つまり、君には還るべき場所がある。

 理由はそれだけで十分だ。他に何も必要ない。

 

 ……ありがとう。やってみる。

 でも、どうして私に教えてくれるの?

 

 君はまだ死ぬべき運命ではないという、僕の独善だよ、そうとしか言えない。

 

 残酷な話だが、今ここで君が死んでしまったとしても、世界は変わらず動き続けるだろう。

 

 でも、君がいない世界よりも、君がいる世界のほうを、梨璃も、夢結も、皆も望むだろう。

 

 僕のお節介と君の意思でそれが叶うなら、そうしない理由なんて何処にもない。

 君の意思が君の未来を創り、皆の意思が皆の未来を創るんだ。

 

 だから、君は生きろ。

 

 皆の所へ戻って、皆と一緒に、この世界を救ってくれ。

 それが僕の願いだ。

 君の力なら、それができるはずだ。

 

 それが結梨に聞こえた最後の言葉だった。

 

 あの声が言った通り、離れた場所に巨大な魔法エネルギーの存在を感じることが確かにできる。

 それを意識だけで手繰り寄せ、形を留めているかも定かではない自分の体に、いや、体と思われるものに繋いでみる。

 

 すると、それまでのゆっくりとした沈降が止まり、暫くしてやがて上昇に転じたことが、はっきりと分かった。

 

 相変わらず体の感覚は無く、ただ意識が海中を揺られながら、ごくゆっくりと浮上していることが分かるだけだ。

 海面までどのくらいあるのか、数十メートルか、数百メートルか。

 何も分からないが、不思議と何も不安は無かった。

 

 海流と波の揺らぎのためか、しだいに眠気のような感覚が襲ってくるようになった。

 

 少しだけ、眠ろう。

 

 そう心の中で呟くと、結梨の意識はゆっくりとまどろみの中へ沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かすかに人の声が聞こえた気がした。

 また知らない女の人の声だ。

 

 ……さま、みつ……した

 ……やく……ちらへ……

 

 意識が朦朧として、声は途切れ途切れにしか聞こえない。

 

 間もなく、砂を踏んで足早に近づいてくる音が、しだいに大きくなってきた。

 

 足音は結梨のすぐそばで止まり、誰かに上半身を抱き上げられる感覚が生じた。

 

 結梨を抱き上げた足音の主は、まるで自分の子に話しかけるかのような口調で、愛おしげに結梨に囁いた。

 

 よかった、生きてるのね。

 

 その安堵した声に反応して、結梨はわずかに眼を開いた。

 

 太陽が逆光になって、顔がよく見えない。

 銀色の長い髪が、陽に透けてきらきらと輝いて見えた。

 

 梨璃じゃない……誰?

 

 結梨が小さく呟くように問いかけると、その女性は喜びの感情を抑えながら、努めて冷静に答えた。

 

「私は百合ヶ丘の特務レギオン、ロスヴァイセ所属のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットー。あの日から、ずっとあなたを探していたの、一柳結梨ちゃん」

 

 







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第2話 還るべき場所(1)

 

「ここは……?」

 

 まだ状況が分からない結梨に、ロザリンデは結梨の体をそれまでよりもう少し起こして、結梨が周囲の景色を見られるようにした。そして、

 

「百合ヶ丘のガーデンからかなり離れた海岸の砂浜よ。

あなたが波打ち際に倒れていたのを、私のシルトが見つけたの」

 

 そう言い終えてから、ロザリンデは自分の隣に立っている一人の少女を見やった。

 

「ガラスの天才たるこの私にかかれば、裸で倒れている女の子の一人や二人、たやすく見つけてみせますことよ、えっへん」

 

 ロザリンデとは別の、快活な声が誇らしげにそう言うのが結梨の耳に聞こえてきた。

 そう言われてみて初めて、結梨は自分の体に衣服を着ている感覚がまったく無いことに気づいた。

 

 結梨は首を曲げて声の聞こえてきた方向を見ようとしたが、体に力が入らず、声の主を見ることはできなかった。

 

「とんでもなく問題のある内容をごく当たり前のようにおっしゃらないでください、碧乙様。

それにガラスの天才って必ずしも褒め言葉じゃないと思いますけど……」

 

 また別の、大人しそうな少女の声が、碧乙と呼ばれた少女の隣から聞こえた。

 やはり結梨の視界にその姿を入れることはできない。

 

「ああ、私より先に結梨ちゃんを見つけられなかったから、伊紀は悔しがっているのね。大丈夫、あなたのシュッツエンゲルである私の心はこの海よりも広いから、あなたのその悔しさも全部受けとめてあげる。だから存分に悔しがるといいわ。さあ、好きなだけ悔しがりなさい、伊紀。私に気を遣って遠慮することなんて何もないのだから」

 

「……どうしてこの人のシルトになったんだろう、私」

 

 伊紀と呼ばれた少女は今にも頭を抱えだしそうな声で独り言のようにつぶやいたが、すぐに気を取り直した様子で、

 

「ロザリンデ様、外傷は無いようですが、早く結梨ちゃんをガーデンへ運びましょう。搬送の手配は私から理事長代行にしておきます」

 と提案した。

 

「ありがとう、私は医療搬送車が到着するまで結梨ちゃんを人目につかない場所まで背負っていきます。碧乙は周囲に人が現れないか状況予測を」

 

「分かりました、お姉様」

 

 碧乙は一転して真剣な口調になると、静かに目を閉じてファンタズムのレアスキルを発動した。

 

 誰も何も言葉を発しない。やがてロザリンデが小さく頷いた。

 

「分かったわ。では、早々に立ち去るとしましょう」

 

 ロザリンデは自分の上着を脱いで結梨に着せると、過去の戦場で負傷した仲間に何度もそうしたように、結梨の体を自分の背中に乗せた。

 そうして足下の白い砂を踏んでゆっくりと歩き始めた。

 

 ロザリンデの背中に揺られながら、彼女の体の温かさを自らの体に感じていた結梨は、また強い眠気が襲ってくるのを感じ始めた。

 

「ロザリンデ、私、眠い……」

 

「もう大丈夫よ、結梨ちゃん。今はただ、お休みなさい」

 

 そう優しくロザリンデに促されると、結梨は再び深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に結梨が目覚めると、見覚えのある白い天井が最初に視界に入った。

 それで結梨は、いま自分が百合ヶ丘のガーデンの病室にいることを知った。

 

 ただ前回と違うのは、部屋が完全な個室になっていて、室外の様子を窺うことが全くできないことだった。

 体を少し動かそうとしたが、力が入らず、起き上がることはできそうにない。

 

 どこも痛くも苦しくもないが、体を動かすための燃料がゼロになっているような感じがした。

 

 ふと、結梨は誰かが自分の手を柔らかく握っていることに気がついた。

 

 やはり首もまだ動かせない。

 視線だけをできるだけ横に向けると、視界の端に銀色の長い髪の女性が映った。

 

 その女性は質素な丸椅子に座り、ベッドに寝ている結梨の手を握ったまま、うつらうつらと居眠りをしていた。

 

 ロザリンデ。

 

 結梨が女性の名前を小さな声で呼ぶと、彼女は眠りからうつつに引き戻され、はっと目を開いた。

 

 

 

 



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第2話 還るべき場所(2)

 

 結梨に名前を呼ばれて目を覚ましたロザリンデは、少し恥ずかしそうな顔をしていたが、すぐに凛とした表情に戻ると、姿勢を正して結梨に向き直った。

 

「まず最初に、百合ヶ丘のすべてのリリィを代表して、あなたに心からのお礼を言わせていただきます。

あの時あなたがいなければ、百合ヶ丘のガーデンは無くなり、数多くのリリィが命を落としていたでしょう。

本当に、ありがとう。結梨ちゃん」

 

ロザリンデは、目の前のベッドに寝ている自分より何歳も年下の少女に、深々と頭を下げた。

 

仮に結梨がいなかった場合、あの長距離砲撃型ヒュージとの戦闘が困難を極めたであろうことは想像に難くない。

 

機動力が大きく落ちる海上で正面から攻撃すれば、マギの反射集光装置一つを破壊するためにレギオンの一つや二つは消える事を覚悟しなければならない。

本体を取り巻くあの装置は、全部でおそらく十基近くはあったはずだ。

 

さらにその後、ギガント級のヒュージ本体にノインベルト戦術での攻撃を行う必要がある。

撃破完了までに一体どれほどの犠牲が出ていたことか、考えただけでも空恐ろしくなる。

 

「うん、私、ちゃんとできたよ。あのヒュージ、やっつけたもん」

まだ弱々しい声で、しかしどこか得意気に結梨はロザリンデに言った。

 

だが、結梨のその顔を見ながら、ロザリンデは自身の複雑な感情を隠せなかった。

 

自分よりも何歳も年下の、そしておそらくその心は外見よりもさらに幼いであろう少女が、何のためらいもなく自分の命を惜しまずに敵を倒したという事実は、ロザリンデの心に少なからぬ動揺を与えていた。

 

一歩譲って、自らが覚悟の上でヒュージと刺し違えるのであれば、それはまだリリィの死に方として受け入れられるかもしれない。

 

しかし、おそらくはまだ死ぬということ自体をも十分に理解していないだろうこの少女が、危うく同じ「刺し違え」という死に方をしかけたことに対して、ロザリンデは強烈な違和感を覚えてしまうのだ。

 

そんな死に方は違うだろう、と。

 

たとえ生死を賭けた戦場においても、命は惜しむものだ。

命が惜しいから、生き残るために必死に戦うのだ。

 

自分が一人前だと認められるためなら死んでもいいなんて、そんな理由で戦って死ぬのは違うだろう、と。

たとえその時、彼女が明確にそれを意識していなかったとしても。

 

生き残るために必死に戦って、その結果として武運つたなく死ぬ。

それ以外の戦場での死に方を自分は認めたくない。

もちろんそれが自分以外のどのリリィであってもだ。

だから、

 

「でも、もう二度とあんなことはしないで」

 

ロザリンデはこれ以上なく真剣なまなざしで、結梨の目をまっすぐに見つめながら言った。

 

「どうして?」

結梨はきょとんとした顔でロザリンデを見つめる。

 

「あなたがヒュージを倒しても、あなたが還ってこなかったら、それは何の意味もないことなのよ」

 

「そうなの?」

 

「あなたが還ってこなかったら、みんなが悲しむ。

結梨ちゃんのためにみんなが悲しい顔をするのは、嫌でしょう?」

 

「うん、それはイヤ」

結梨は形の良い眉をひそめながら、はっきりと答えた。

 

「だから、結梨ちゃんが還ってこなくなるような戦い方は決してしないで、お願いだから」

 

「うん、分かった」

 

ロザリンデは結梨が納得できるように、できるだけ簡潔な理由付けで説明し、その結果、結梨はごくあっさりとロザリンデのその願いを受け入れた。

 

「私と約束してくれる?」

 

「うん、ロザリンデと約束する。必ず還ってくるって」

何一つためらうことなく、結梨はそう言い切った。

 

「ありがとう、結梨ちゃん」

ロザリンデは心からほっとした表情を、その端正な顔に浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病室での結梨とロザリンデの対面は、なお続いていた。

 

戦いとは別に、この先の結梨の生活がどうなるのかについて、ロザリンデは頭を悩ませていた。

 

結梨が生きていたことが公になれば、再びG.E.H.E.N.A.や日本政府が前回以上の執拗さで身柄の引き渡しを要求してくるのは目に見えている。

彼女が人であることが既に証明されたにもかかわらず。

 

その理由は明白で、ノインベルトも使わずにギガント級ヒュージを一撃で倒せるリリィなど、その出生経緯がどうであれ、一柳結梨以外には誰一人として存在しないからだ。

 

彼女の人権を無視した非道な表現をするならば、極上の生体サンプルだと言える。

 

結梨の身の安全を確保するため、現時点ではガーデンの判断で、結梨の体が回復次第、特別寮でロザリンデたちロスヴァイセのメンバーと一緒に生活する予定になっている。

 

特別寮はその性質上、外部からの目を完全に遮断できる構造になっており、さらには特務関係者以外のガーデン内のすべての者からさえ遮断可能だ。

 

それゆえ、特別寮から出ない限り、結梨の存在が外部に知られることはない。

 

しかし、だからといって彼女にアンネ・フランクのような生活を一生させるわけにはいかない。

それでは余りにも結梨が気の毒だ。

 

ヒュージとの戦いを終結させ、自らの意思で自由に生きること、その願いを持つことが結梨だけに許されないのは、理不尽そのものだ。

 

彼女自身には何の責任もないのに、ただ生まれ持って背負わされた過酷な運命が、彼女の未来を救いの無いものにしようとしている。

 

ふざけるな。この子を運命の生け贄になどさせるものか。

 

それならば、神ならぬ人の手で、この私の手で、彼女の運命を変えてやろう。

それこそが、私が彼女にできる唯一の恩返しとなるだろう、とロザリンデは決意した。

 

「あなたの運命を、私が救ってみせます。

この私の命と名誉にかけて、そのことを今ここに約束します」

ロザリンデはもう一度結梨の目をまっすぐに見つめて、そうはっきりと宣言した。

 

「うん、ありがとう、ロザリンデ。私もがんばる」

いつもと何も変わらない屈託のない笑顔で、結梨はにっこりとロザリンデに答えた。

 

 

 

 



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第2話 還るべき場所(3)

シリアスな展開が続いているので、箸休めとして激寒コメディー回を入れてみました。
凍死しないようにご注意ください。
今後ストーリーが進むと戦闘回も出てくる予定です。


 

 結梨とロザリンデが病室で面会している間、部屋の外の小ぢんまりとした待合室では、碧乙と伊紀が海岸で結梨を見つけた時のことを話していた。

 結梨の病室周辺の区画は特別寮に準ずる機密性が確保されており、会話の内容が外部に漏れることはない。

 

「でも、私たちが他の人より先に結梨ちゃんを見つけられたのは、つくづく幸運だったと思うわ」

 と、碧乙は伊紀に言った。

 

 確かに、もし他のリリィや民間人が先に結梨を見つけていた場合、GEHENAに対する情報遮断の点で相当に面倒なことになっていたのは間違いない。

 

「それに、何かの間違いで亜羅椰さんあたりが結梨ちゃんを見つけてたらと思うと、GEHENAとは別の意味で考えるだに恐ろしいわ」

 碧乙はそう言うと、何か冷たいものが背中を伝い落ちたかのように身震いした。

 

「どうしてですか?」

 伊紀は碧乙の言わんとする所が今ひとつよく分からず、その理由を尋ねた。

 

「それを私に言わせる気?……まあいいわ、説明してあげる。

たとえば、伊紀の目の前で一人の可愛らしい女の子が倒れていたとします。その子は何も服を着ていない状態です。

この場合、伊紀はどうする?」

 

「それは、まず自分の着ている上着を脱いで、その子に掛けてあげて……」

 伊紀はおずおずという感じで少し自信なさげに答えた。

 

「そう、それが常識ある人の行動よ。でも亜羅椰さんは、その場で自分の着ている服を全部脱ぎ始めかねないのよ。そういう人なのよ」

 

「全部脱いで、その後どうするんですか?」

 

「それを私に言わせる気?

伊紀って意外と鬼畜なのね。サディストなのね」

 碧乙はいかにも恨めしそうな目で伊紀をにらんだ。

 

「私、そんなに酷いこと言いました?」

 伊紀は碧乙の反応にきょとんとした顔をしている。

 

「実際に亜羅椰さんの前に裸で立ってみれば、私の言っていることの意味がよく分かるわ。いえ、そんなおぞましいことを私の可愛いシルトにさせるわけにはいかない。伊紀をあんな性的問題児の毒牙にかけさせるわけにはいかないわ。他の誰よりも伊紀を護れるのは、伊紀のシュッツエンゲルたる、この私だけなのだから」

 碧乙は途中から半ば自分に言い聞かせるような調子で、一気にまくし立てた。

 

「あの、碧乙様?何をおっしゃっているのですか?

亜羅椰さん、ちょっと押しが強いけど、とってもいい人ですよ」

 

「ダメダメダメダメ。いいこと、伊紀。よく聞いておきなさい。

絶対に亜羅椰さんと密室で二人きりになっちゃダメよ。保健室とか放課後の教室とか体育倉庫とか。

二人きりになったとたん、すぐにガチャっと鍵をかけてあんなことやこんなことをしてくるに決まってるわ。

『美味しかったわ、ごちそうさま』なんてことになってしまったら私はもう永遠に立ち直れない。どうすればいいの?

……ああ神様、どうかお願いだから私の愛しいシルトをあの盛りのついたネコ耳ピンクの魔手からお護りください」

 碧乙はわなわなと震える両手で青ざめた顔を覆い、伊紀の前にがっくりと両膝をついた。

 

「えーっと……」

 一人で勝手に盛り上がって勝手に絶望している碧乙を前にして、伊紀は、

 

「と、ところで、あのギガント級ヒュージと結梨ちゃんの戦闘はすごかったですね、お姉様」

 と、わざとらしく話題を変えた。

 

 

 

 



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第2話 還るべき場所(4)

 

 碧乙は伊紀に話しかけられた事にもすぐには気づかず、「絶対に許さない」「お姉様に言いつけてやる」「決闘を申し込む」などと、ぶつぶつと不穏な台詞をうなだれながら口にしていたが、ようやく気をとり直して、

 

「え、ええ……そうね、亜羅椰さんには私から直接クギを刺しておかないと。

それでも耳を貸さないようなら、実力行使に出るしかないか。

で、あの時の結梨ちゃんのことね」

 と、顔を上げて伊紀の方に向き直った。

 

「確かにいま思い出しても、あの時の結梨ちゃんのフィニッシュアタックは凄かったよね。

ネストのマギを利用してあんなウルトラ必殺技みたいな攻撃をしたんでしょ?

撃破後の退避方法さえ確立できれば無敵じゃない?

海岸からマギのビームサーベルがバッチリ見えるレベルだったもん。

いや、あれはもうビームサーベルを通り越して、ほとんどイデオンソードだったよ」

 

「あの、イデオンソードって何ですか?そんな名前のレアスキル、私は聞いたことないんですが……」

 興奮気味に話し続ける碧乙に、おずおずと伊紀が尋ねた。

 

「準古典映像文化概論まだ履修してないの?あれ選択科目だけどオススメよ。

昔の超面白いアニメとか漫画の資料がいっぱい見られるから。

で、イデオンソードっていうのは、その講義の資料動画でイデオンが使ってた超絶必殺ウェポンのことよ。惑星だって真っ二つにしちゃうんだから」

 

「はあ……」

 伊紀はまだ碧乙の話についていけない。

 

「そんなことも知らないの?」

 碧乙は半ばあきれ顔で伊紀に尋ねた。

 

「知りません」

 伊紀は実に素っ気なく答えた。

 

「じゃあ、イデオンガンもAメカBメカCメカも重機動メカも知らないっていうの?」

 

「全然知りません。大体イデオンって何なんですか?まずそこが分からないです」

 

「もう、仕方ないわね。一から説明してあげるから耳をかっぽじってよく聞いておきなさい」

 

 妙に張り切って鼻息を荒くしている碧乙は、わざとらしく咳払いをしてから意気揚々と説明を始めた。

 

「えへん、そもそもイデオンというのは、かつて第六文明人が無限精神エネルギーとしてイデの力を」

 

「やっぱり遠慮しておきます。いろんな意味で聞かないほうがよさそうなので」

 

 伊紀は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような複雑な表情で、即座に碧乙の話をさえぎった。

 

「ええー、イデオン超面白いのになー、ちぇっ」

 いかにも残念そうな様子で、碧乙は話を続けることを諦めた。

 

「たぶんそれは万人受けしない面白さだと思いますよ、お姉様」

 それに対して、何とも気の毒そうな調子で伊紀はそう言った。

 

(どうやら最近の碧乙様は、前世紀に映像表現が全盛期だった頃の作品群に魅了されているようですね。

当時の言葉でサブカルチャーと呼ばれていた副次的文化の一部みたい。

 

うーん、私が知っているニ年生の中で、この手の話が合いそうなのは、百由様くらいかしら。

 

でも、百由様なら確実に結梨ちゃんのCHARMを魔改造して、

 

「どうかしら、バリバリにカスタマイズした結梨ちゃん専用グングニル、名付けてイデオンソードモデルよ。追加オプションで真っ赤に塗ってツノも付けておいたわ。これで普通のCHARMより三倍速く動けるわよ!」

 

とか言いだしそうでちょっと怖い)

 

 そんな事をとりとめもなく伊紀が考えていると、十メートルほど先の結梨の病室のドアが開いて、中からロザリンデが出てきた。

 

 

 

 




今回までコメディー回となりました。
次回から平常進行のシリアス回に戻ります。
追記:百由様を一年生として誤記していたので訂正しました。大変申し訳ありませんでした。


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第2話 還るべき場所(5)

 

 碧乙と伊紀は結梨の病室から出てきたロザリンデに足早に近づいて、結梨のことを尋ねようとした。

 

「そうね、立ち話ですむような内容ではないから、そこの待合室で座って話しましょう」

 

 三人は先ほどまで碧乙と伊紀が会話していた待合室へ戻り、ロザリンデを真ん中にして横並びの椅子に腰を下ろした。

 

「まず、何から話しましょうか」

 

「今の結梨ちゃんの体調はどうなんでしょうか。

外傷は無いように見えたんですが、内臓や脳にダメージがあったりは……」

 

 先にロザリンデに問いかけたのは伊紀の方だった。

 

「念のため一通りの検査は実施したけど、医学的な問題は見られなかったとのことよ。

ただ、体内のマギがほぼ尽きていて、その回復に数日から一週間程度かかるのではないか、と病室を訪れる前にシェリス先生から説明を受けたわ。

マギが尽きていた原因については、今のところ不明だそうよ」

 

「そうですか、じゃあマギが回復すれば普通に生活できるということですね」

 

 碧乙と伊紀はほっと安心した様子で胸をなでおろした。

 

 なお、ロザリンデがその名前を挙げたシェリス・ヤコブセンは、特別寮支配人、教導官、保険医、ロスヴァイセの管理人を兼務するガーデンの教職員である。

 

「退院後は結梨ちゃんはどこで生活するんですか?」

 今度は碧乙がロザリンデに質問した。

 

「今の時点で結梨ちゃんの生存を公にするわけにはいかないから、さしあたって特別寮で私たちと一緒に生活することになるわ」

 

「公にできない理由は……」

 伊紀がロザリンデに聞こうとしたその途中で、

 

「言わなくてもアレしかないでしょう」

 ロザリンデは溜め息まじりにわざと曖昧な言い方をした。

 

「G.E.H.E.N.A.か……あいつらさえいなければ、すぐにでも一柳隊のみんなに逢わせてあげられるのに」

 

 碧乙はそれが行儀悪い仕草だと分かってはいたが、舌打ちせずにはいられなかった。

 

 結梨の戦闘能力を知ったG.E.H.E.N.A.は、いや、正確にはG.E.H.E.N.A.の急進派は、結梨が生きていると分かれば血眼になって結梨の身柄を奪おうとするに違いない。

 それは火を見るより明らかだ。

 

「実は結梨ちゃんは生きてました。これからは一人のリリィとしてヒュージ打倒のため、百合ヶ丘のみんなと一緒に頑張ります!

めでたしめでたし……なんてすんなり行くはずないよねえ……やっぱり」

 

「その場合、G.E.H.E.N.A.はどうやって結梨ちゃんの身柄を確保するつもりなんでしょうか?」

 

「さあね、無理やり難癖つけてきて、この前みたいなことしてくるんじゃない?」

 

 碧乙は深く考えるのも面倒くさいと言わんばかりに、肩をすくめて両手の手のひらを上に向けた。

 

「また戦車や装甲車がうようよ集まって来るんですか?あんなの、もううんざりですよ」

 

 伊紀は顔をしかめて、ぶんぶんと首を横に振った。

 

「ふん、来るなら来いってなもんよ。

戦車砲くらいでリリィの防御を抜けるかっての。

本気で私たちを仕留めたいならICBMでも持ってきなさいってんだ」

 

「そんな挑発的なことを江戸っ子みたいな口調で……いけません、お姉様」

 

 伊紀が諫めるように碧乙に言ったが、実際のところ、万が一そのような事態になれば、大多数のリリィが碧乙と同じような感情を抱くだろうとロザリンデは思った。

 

 あの時は結梨をヒュージとして捕獲するという大義名分があったため、追跡にあたった百合ヶ丘や他ガーデンのリリィは、政府命令の形をとったG.E.H.E.N.A.の指示に大人しく従った。

 

 しかし、現在は遺伝子情報から結梨は人であると証明されている上に、あのギガント級ヒュージから百合ヶ丘のガーデンとリリィを守り抜いた英雄のような存在だ。

 

 その結梨をG.E.H.E.N.A.に引き渡すということは、言わば救国の英雄を敵国の人体実験に差し出すに等しい。

 

 そんなことを黙って見過ごすくらいなら、百合ヶ丘の全リリィが身命を賭して結梨を護ろうとするだろう。

 

 ガーデンとしては、そんな事態が訪れることは何としても避けたいのは間違いない。

 

 その上で、G.E.H.E.N.A.のこれまでのやり口を考えると、やはり軽々に結梨の存在を明らかにするわけにはいかない。

 

 結梨の生存が明るみに出てしまう可能性自体は想定しておかなくてはならないが、G.E.H.E.N.A.に引き渡さずに済む保証が確立するまでは、やはり未帰還死亡扱いのままにしておくのが妥当だろう。

 

 実にすっきりしない状態ではあるが、今のところはこれが「まだ一番まし」な選択肢だとガーデンも判断するだろうとロザリンデは予想している。

 

 

 

 

「ところで、結梨ちゃんが特別寮の外に出られるようにすることはできるんですか?」

 

 碧乙がロザリンデに尋ねると、ロザリンデは小さくうなずいて口を開いた。

 

「それについては、理事長代行と生徒会の三役と私とで対応を考えるつもりよ。

必要ならガーデン外の機関に協力を要請する可能性もあると思う。

もちろん最終的にはガーデンからの承認が必要になるけれど」

 

「ガーデン外の反G.E.H.E.N.A.勢力ですか、それはそれでキナ臭いことこの上ないですね」

 

「百合ヶ丘のガーデンも反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの筆頭ですよ、碧乙様」

 

「まあそれはそうなんだけど……相手の実像が分からないと、どうしても警戒してしまうしね」

 

「ただ、もし何らかの形で特別寮の外に出ることが可能になったとしても、結梨ちゃんと面識のある人とは逢えない可能性が高いと思うわ。

表向きは死亡したことにしておく必要があるから」

 

 結梨の生存をガーデン内に公表した上で、百合ヶ丘のリリィ全員に箝口令を敷き、外部には秘匿するというのは難しいだろう、とロザリンデは考えている。

 

 たとえガーデン内であっても、結梨が一般教室や校庭に姿を見せれば、外部から覗き見られる危険が常にある。

 

 とすれば、結梨が特別寮以外でその存在を隠さなくていい場所は、ガーデン外で、かつ顔見知りがいない所という条件でのみ可能になる。

 もちろん念には念を入れて、何らかの外見的変装は必要になるだろう。

 

 あとはガーデン外で何かの機会に身分確認を要求されたときの証明となるものが必要だ。

 そのことも考えておかなければならない。

 

 いかにも特務レギオンにふさわしい政治的難題ね、とロザリンデは苦笑した。

 

 

 



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幕間  遠藤亜羅椰の誘惑

 待合室での会話から数日が経った頃、日没前の放課後の廊下で、伊紀は前から歩いてくる亜羅椰に声をかけられた。

 

「ごきげんよう、伊紀さん」

 

「ごきげんよう、亜羅椰さん」

 

「伊紀さん、ちょっといいかしら。

あなたのシュッツエンゲルのことでお話ししたいことがあるの。

ここでは何だから、図書室まで御一緒願えるかしら?」

 

 伊紀は亜羅椰の申し出を受け入れ、二つの人影が夕陽の差しこむ長い廊下を奥へと進んでいった。

 

 亜羅椰は伊紀と一緒に校舎の端にある図書室に入ると、伊紀に気づかれないように後ろ手で静かにドアの鍵をかけた。

 

 その時、わずかに亜羅椰の口元が緩み、妖しい微笑がその顔に浮かんだ。

 

「あの、碧乙様のことでお話って何でしょうか?」

 

「伊紀さん、ご存じ?

学校の図書室って、あなたが知っている以上にいろいろなことに使えるのよ。

たとえば、こんなふうに……」

 

 亜羅椰は実に自然な動きで、伊紀の身体を音も立てず壁に押しつけた。

 

 あまりの自然さに伊紀は何の抵抗もできないまま、自分のすぐ目前に迫った亜羅椰の顔を見つめた。

 

「あの、亜羅椰さん?何を……」

 

(これって、以前に碧乙様から気をつけるように言われた「絶対に亜羅椰さんと密室で二人きりにならないように」のシチュエーション?

確かに今はこの場に私と亜羅椰さんしかいないけど……)

 

 

「伊紀さん、あなたは本当に綺麗よ、上品で美しい。その心も身体も」

 

 亜羅椰の目は伊紀をまっすぐに見つめて離さない。

 

「……亜羅椰さんは、どうしてこんなことをするんですか?」

 

 伊紀もまた、亜羅椰の目を正面から見つめながら問いかけた。

 

「自分が好きなものは自分の手で抱きしめたい、それは自然なことだと思わない?

野に咲く可憐な花を手折って、自分のものにしてしまうことは誰にでもあるでしょう?

それと同じこと」

 

「いけないことをしているとは思わないんですか?」

 

「自分では、相手を傷つけるようなことはしていないつもりだけど。

もちろん、あなたのことも傷つけたりはしない」

 

 

 亜羅椰に悪意や含む所が無いことは分かっている。

 

 彼女は単純に自分の興味や欲望に忠実な行動をとっているだけなのだ。

 

 そして彼女の場合、それが同性に対するものであるということ、ただそれだけのことだ。

 

 

「傷つけなければ、自分の好きなようにしてもいいと、そう言うんですか?」

 

 緊張で全身をこわばらせながら、伊紀は亜羅椰になお問いかけを続ける。

 

「いいえ、そうではなく、お互いに楽しみましょう、ということよ」

 

 伊紀の耳元でそう囁いて、亜羅椰は右手の指をゆっくりと伊紀の左手の指に絡めながら、みずからの左手で伊紀の顔を軽く上向かせた。

 

 

「大丈夫、優しくしてあげるから。

怖がらずに力を抜いて、目を閉じて」

 

 

 伊紀は自分の身体に柔らかく触れてくる亜羅椰の細い指を、なぜか振り払えなかった。

 

 心臓の鼓動だけが、頭の中で早鐘のように激しく響いている。

 

 自分は今きっと間抜けな表情をしているに違いない、と伊紀は思った。

 

 目の前の亜羅椰を拒もうと思えば拒めるはずだ。

 

 そのはずなのに、それができない。

 

 この雰囲気に流されてしまうことに逆らえなくさせる何かが、亜羅椰にはある。

 

 この雰囲気をどこか心地良いと感じてしまう、もう一人の自分が心の中にいるのだ。

 

 魅入られる、という言葉の本当の意味を、今はじめて伊紀は理解できた気がした。

 

(お姉様が言われていたのはこのことだったのかな……でも、頭もぼんやりして身体もうまく動かないし、どうすることもできなさそう。

もう……いいか)

 

 すでに伊紀は半ば以上理性的に考えることができなくなり、自分の意思を投げ出して亜羅椰に委ねてしまおうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 が、互いの唇が触れ合う寸前で、亜羅椰は自身の動きを止めた。

 

「……なんてね。同じ一年生とはいえ、さすがに特務のリリィにちょっかいを出すほど私も命知らずじゃないわ」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、亜羅椰は伊紀から顔をそっと離した。

 

「それは、どういう……」

 

 急に現実に引き戻され、伊紀は茫然とした顔で亜羅椰の言葉を聞いていた。

 

 問い返せたこと自体、別の自分が機械的に話しているように感じられた。

 

「言葉通りの意味よ。

昨日あなたのシュッツエンゲルから直々に警告も受けているし。

つまみ食いの代償に、食事や飲み物に一服盛られたりしては、たまったものではないわ。

あなたも、虫も殺さぬ可愛らしい顔をして、意外と冷酷非情な人なのかしら。

それはそれで、また違った魅力だけれど」

 

「そんなこと……」

 

 どうも亜羅椰は特務レギオンの活動内容を、要人の暗殺か何かだと誤解しているようだった。

 

 しかし伊紀が亜羅椰の発言を訂正する前に、亜羅椰はドアを開けて立ち去って行ってしまった。

 

 去り際に亜羅椰はまだ茫然としている伊紀に向かって、

 

「あなたが特務のリリィでなければ、この世の天国を見せてあげられたのに、本当に残念だわ。

それは半分冗談としても、リリィである限り、お互い一年後は、いえ一ヶ月後だって生きているかどうかの保証なんて無いのだから、あなたも生きているうちに、したい事はしておくほうがいいわよ。

余計なお世話かもしれないけど」

 

と言い残したが、それが伊紀の耳に届いていたかどうかは誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 亜羅椰の勘違いに救われた伊紀は、自分の迂闊さと気恥ずかしさに耐えられなくなりそうな気持ちを必死に抑えて、足早に特別寮の自室へと戻って行きつつあった。

 

 特別寮の出入口を通り過ぎ、うつむきながら慌ただしく廊下を進んでいると、十歩ほど先によく見慣れたシルエットが伊紀の視界に入った。

 

 伊紀はその姿を見るなり、もう何も考えられなくなって反射的に走り寄り、そのまま強く抱きついた。

 

 いきなり伊紀に抱きつかれたその人物、つまり碧乙は、伊紀の突然の行動に面食らって何もできずにいる。

 

「ごめんなさい、お姉様……私は……」

 

 伊紀は消え入りそうな声で、かろうじてそれだけしか言葉にできず、乱れた息で身体を震わせて碧乙を抱きしめ続けている。

 

 碧乙は伊紀のその様子から、おおよその事情を察したようだった。

 

「怖い思いをしたのね?言わんこっちゃない。

まったく、クギを刺した昨日の今日であのネコ耳ピンクは……油断も隙もありゃしない。

いや、あの子のことだから、わざとやったのかも。

しょうがない子ね。後でとっちめてやる」

 

 やれやれという感じで碧乙は溜め息をついた。

 

 そして、それから一呼吸置いて、碧乙は伊紀の背中を撫でながら、優しく諭すように話しかけた。

 

「だからシュッツエンゲルの言うことはよく聞いておかないとだめよ。

分かった?お人好しのシルトさん」

 

伊紀は碧乙の胸に顔をうずめて肩を震わせながら、無言のまま何度もうなずいた。

 

「さあ、もう部屋に入りましょう。

熱い紅茶を淹れるから、それを飲みながらゆっくり落ち着くといいわ」

 

碧乙はそう言うと、涙ぐむ伊紀の手をとり、部屋のドアへ向けておもむろに歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というわけで、あなたをとっちめに来てやったわ。未成年者強制わいせつ未遂の容疑で」

 

 伊紀を慰めた後で特別寮を出て、カフェテリアの前で亜羅椰を見つけた碧乙は、すかさず彼女の前に回り込み、腕組みをして正面に立ちはだかった。

 

「心外ですわ、これじゃまるで私が悪者みたい」

 

 そう言いつつも、亜羅椰の態度は碧乙の出現を予想していたかのように落ち着き払っている。

 

「問答無用で悪者に決まってるでしょ、この節操なしのネコ耳ピンク。

あなたの出来心で私の可愛いシルトがカリスマ持ちならぬトラウマ持ちになってしまったら、どうしてくれるのよ。

まあ、その節操なさのおかげで私の株が爆上げしたから、今日のところは見逃してあげてもいいわ。ありがたく感謝なさい」

 

「それはどうも恐縮いたしますわ。

そんなに怖がらせてしまったのなら、あの時やっぱり寸止めせずに最後まで続けて、天国を見せてあげたほうが良かったかしら」

 

「良くない!

もう今後あなたが伊紀の半径5メートル以内に近づくことを禁じるわ。

それ以上近づこうとしたらどうなるか、その体に嫌というほど思い知らせてやるからね」

 

 この場にCHARMを持ってきておけば良かったと、碧乙は半分本気で考えた。

 

「望むところですわ。やれるものなら力づくで阻止していただいて一向に構いませんことよ、うふふ」

 

「ダメだこのネコ耳、全然反省してない……」

 

「……と言いたいところですが、伊紀さんについては手出しを控えさせていただきますので、以後のご心配は無用ですわ。

では、失礼いたします。ごきげんよう、碧乙様」

 

 そう言うと、亜羅椰は碧乙の横を通り過ぎ、そのまま廊下の角を曲がって歩き去ってしまった。

 

「え、ああ……ごきげんよう、亜羅椰さん。

妙にあっさり引き下がったわね。何か怪しいけど、まあいいか。

早く伊紀のところへ戻って一緒にいてあげないと。

何か甘いものでも食べさせてあげたほうがいいのかな……」

 

誰に言うでもない独り言を切り上げ、碧乙は伊紀の待つ特別寮の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 




後日譚として亜羅椰さん回を書いてみました。
一応R-15とガールズラブのタグを追加しました。
鬱展開にしたつもりはないのですが、もし不快に感じられたらすみません。


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第3話 特別寮にて(1)

 結梨のマギが順調に回復し、病室から特別寮にその身を移した日、現ジーグルーネで二年生の内田眞悠理は、カフェテリアで軽めの夕食を取った後、自室に戻らず特別寮へと足を向けた。

 

 シェリスには事前にロザリンデへの訪問を申請してあったため、出入口のセキュリティは眞悠理のIDで解除することができた。

 

 眞悠理がロザリンデの部屋のドアを軽くノックすると、中からロザリンデの声で返事が聞こえた。

 

 静かにドアを開けて中に入ると、部屋の中ではロザリンデが眞悠理のために紅茶を淹れようとしているところだった。

 

 部屋の中に二つあるベッドの片方には、眞悠理にも見覚えのある一人の少女が眠っていた。

 

 その少女、一柳結梨はわずかに寝息を立てながら、あどけない顔ですやすやと眠り続けている。

 

「こうして見ると、やはりまだまだ幼いですね。

とてもこの子があのギガント級を一人で倒したとは、いまだに信じられません」

 

「そうね。でも、その強すぎる力のために、こうしてG.E.H.E.N.A.から身を隠さないといけない状況になっている。

むしろごく平凡な能力の持ち主だったなら、今ごろは他のリリィと同じ生活をできていたでしょうに。

もっとも、その場合は私もあなたもあのギガント級相手に戦死して、今は仲良くお墓の中だったかもしれないけれど」

 

 ロザリンデは皮肉とも苦笑ともつかない表情で、部屋の中央にあるテーブルの椅子へ座るよう眞悠理に促した。

 

 席についた眞悠理は卓上に置いてある一冊の本に目を留めた。

 

「ハンナ・アーレント『全体主義の起源』ですか。名著ですね。

私も卒業までには読んでおきたいものです」

 

「それを人前で読んでいると、私が全体主義者だと思われるのには閉口してしまうわ。

この本の趣旨はむしろその逆なのに」

 

「近代特有のイデオロギーとしての全体主義の成立を、政治と歴史の観点から批判的に捉える、というような内容だと私は理解していますが」

 

「ごく大まかにはそのとおりだと思うわ。

 

権力者が大衆からの支持を強固なものにするため、社会的マイノリティをスケープゴートに仕立て上げ、迫害や差別の対象にする。

 

そのために大衆に都合のいいストーリーを作り出し、それを社会全体に拡散する。

 

かつての『リリィ脅威論』も、当時の為政者が意図的に作り出した、そんなプロパガンダの一つだったのかもしれない。

 

いえ、こんな穿った政治の話をするためにあなたに来てもらったわけではないわ。

 

そこに眠っている一人の女の子を助けるための相談にこそ、今日ここに来てもらったのだから」

 

 そう言うと、ロザリンデはベッドの上の結梨をいとおしげに見つめた。

 

 眞悠理はロザリンデと結梨を交互に見てから、「ところで」とロザリンデに語りかけた。

 

「この部屋にはベッドが二つありますが、たしかロザリンデ様は碧乙さんと同室だったと記憶しています」

 

「ええ、そのとおりよ。今は席を外してもらっているけれど」

 

「しかし今このベッドには結梨ちゃんが寝ています。このベッドは碧乙さんのベッドですか?」

 

「いえ、私のものよ」

 

「では、結梨ちゃんは今日からどこで寝泊まりするのですか?」

 

「もちろん、この部屋よ。シェリス様の許可もいただいているわ」

 

「つまり、ロザリンデ様は今日からこのベッドで結梨ちゃんと同衾されるということですね」

 

「仕方ないでしょう。この部屋にはこれ以上ベッドを置けないし。

断っておくけど、別に変なことをするつもりはないわ。私は亜羅椰さんではないから」

 

 ロザリンデは努めて冷静に言い切ったが、その頬と耳が微妙に赤く染まっていることに眞悠理は気づいていた。

 

「まったく、素直でない御方ですね。結梨ちゃんが可愛くていとおしくてたまらないからいつも一緒にいたいと、そう単刀直入におっしゃればよろしいではないですか」

 

「私の性格をよく知っているくせに、いえ、知っていてわざと言っているでしょう、眞悠理さん。人が悪いことね」

 

 ロザリンデは赤面しつつ何とも恨めしげな視線を眞悠理に送ったが、眞悠理はその反応を心から喜んでいるかのような微笑で応えた。

 

「つい先日、碧乙さんが私に嘆いていましたよ。

『私のシュッツエンゲルは結梨ちゃんの母親になってしまった。

巣の雛鳥にせっせと餌を運ぶ親鳥のように、病室にいる結梨ちゃんのもとに通い詰めている』とね」

 

「私のシルトはそんな文学的な表現はしないわ」

 

 碧乙が聞いたら憤慨しそうなことを、あっさりとロザリンデは言った。

 

「失礼、私の脚色を入れてお話ししてしまいました。

とにかく、ロザリンデ様が結梨ちゃんを我が子のごとく大切に思われていることはよく分かりました。

で、その結梨ちゃんの今後について、私に相談したいことがあると」

 

 眞悠理は一転して真剣な表情になり、視線を転じて再び結梨の穏やかな寝顔を見た。

 

「そう、どうすれば結梨ちゃんがG.E.H.E.N.A.の追跡を逃れ、堂々と胸を張って生きていけるようにできるのか、そのために何が必要なのか、どのように行動すればいいのか、あなたと話し合いたいの」

 

「それが解決できなければ、結梨ちゃんは一生籠の中の鳥、または逃亡者というわけですね」

 

 ロザリンデは眞悠理のその言葉に無言で小さくうなづいた。

 

「完全に、ではないけれど、それに近い状態になる可能性は高いと思うわ」

 

「承知しました。私でお役に立てるなら、喜んでロザリンデ様と一緒にこの頭を悩ませてみるとしましょう」

 

 眞悠理はロザリンデの瞳をまっすぐに見つめて、迷いのない口調で穏やかに宣言した。

 

 

 



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第3話 特別寮にて(2)

ストーリー構成の都合上、今回と次回は理屈っぽい説明回が続きます。
お読みいただいている方にはご不便をおかけしますが、
できるだけ読みやすいようにしますので、
今しばらくお付き合いくださるようお願いいたします。


 ロザリンデが眞悠理に語った問題点は大きく次の二つだった。

 

 一つは、なんらかの理由で結梨の生存がG.E.H.E.N.A.に露見した場合の対応。

 

 もう一つは、結梨をG.E.H.E.N.A.から隠し通せたとして、いつまで結梨がG.E.H.E.N.A.の目を逃れて生きなければならないのか、どうすれば梨璃や夢結たちと逢えるようになる日が来るのか、ということだ。

 

「一つ目の問題については、そんなことは決して起こって欲しくはないけれど、やはり万が一の事態に備えた善後策は必要だと思う。

 

起こって欲しくないことは想定しない、なんてどこかの無能な政治家みたいに考えることは愚劣極まりない行為だから」

 

「まったく同感です。常に最悪の事態に備えた想定はしておくべきです。

 

G.E.H.E.N.A.も一枚岩ではないし、穏健派も一定数は存在しているようですが、だからと言ってそんなものをあてにするわけにはいかないでしょう」

 

「G.E.H.E.N.A.相手に性善説で対処してハッピーエンドが待っているとは、まったく思えないものね。

 

だから、結梨ちゃんの存在をG.E.H.E.N.A.の急進派が嗅ぎつけ、武力を行使してでも身柄を確保しようとした時に、私たちがどう対応するかということを考えておかなければいけない」

 

「しかし、G.E.H.E.N.A.あるいはその傀儡を相手に一戦交えるわけにもいかないでしょう。

リリィと一般の人間、およびリリィ同士の武力衝突は回避しなければいけません」

 

「そうね、だからそうなった場合、G.E.H.E.N.A.の手が百合ヶ丘に伸びる前に、結梨ちゃんはガーデン外に逃がすつもりよ。

 

たとえガーデンが包囲されたとしても、特別寮の地下にある隠し通路からガーデン外の廃道に出ることができる。

 

それに実際には正式な手順を踏んで強制捜査しようとすれば、相応の手続きが必要になるし、ましてや大部隊を展開するにはかなりの時間を要する。

 

こちらはその間に悠々と結梨ちゃんを逃げさせることができるわ」

 

「三十六計逃げるに如かず、というわけですか。

 

ではG.E.H.E.N.A.が正規の手続きを取らず、少人数の強化リリィを特殊部隊として突然に強硬突入させてきた場合は、どうするのですか」

 

「令状なしにG.E.H.E.N.A.の強化リリィがガーデンに入れば、それは立派な不法侵入として成立するから、れっきとした犯罪行為として百合ヶ丘は対処できる。

 

飛んで火に入る何とやら、ガーデンのリリィ総出で迎撃してやればいいわ。

もちろん、あくまでも正当防衛の範囲内でね」

 

 そう言い終えたロザリンデの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「そして結梨ちゃんを逃がすと同時に、ガーデンに結梨ちゃんがいた形跡を完全に抹消するわ。

 

所持品だけでなく毛髪や指紋に至るまで、その何もかもすべてを」

 

「始めから結梨ちゃんは未帰還のまま、百合ヶ丘にはいなかったことにする。

それは適切な判断だと思います。

 

しかし逃亡に成功したとして、他の反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンや機関が、必ずしも結梨ちゃんをかくまってくれる保証はありません。

その場合はどうなさるおつもりですか」

 

「そうね、海外の反G.E.H.E.N.A.主義国家に亡命する選択肢も無いわけではないけれど、空港や飛行機の機内で待ち伏せされて包囲されてしまう危険を考えると、その選択は極力避けるべきだと思うわ。

 

もちろん、それ以前に偽造パスポートを用意できるかどうかの問題も当然あるでしょうし。

 

それよりは山岳ゲリラのように人目につかない所に潜んで、G.E.H.E.N.A.内外の状況が変わるまで長期持久を続けるほうが、G.E.H.E.N.A.から身を隠し通せる可能性は高いはずよ」

 

「ゲリラですか、それはまた何とも古典的というか前時代的というか」

 

「今でも国や地域によっては、そういった反政府勢力が実質的に支配している所は珍しくないわ。

戦術としては現在においても限定的ながら有効な手段よ。

 

そして絶対に発見されたくなければ、普通の人間が入ってこられないような所まで逃げなければいけない」

 

「まさか、ロザリンデ様がお考えになっているのは……」

 

「そう、ヒュージの勢力圏ならリリィ以外は立ち入ることはできない。

特にラージ級以上が出没するような所は」

 

 長期持久を想定する以上、CHARMが使えないような状況でも、結梨がラージ級から身を守れるレベルにまでしておきたいとロザリンデは考えていた。

 

 と言っても、何もラージ級を倒す必要は無く、足止めをしてその場から離脱できればそれでいいのだ。

 

 眞悠理はロザリンデの話を半ば呆れ、半ば感心して聞いていた。

 

「第二次世界大戦の際に、旧軍の情報将校で終戦後もフィリピンの小島に長期間潜伏し続けた人がいたそうですが、まさにそれを地で行くことになるわけですね。

 

となると、単純な戦闘能力だけではなく、常人離れした精神力と生存能力が必要になるでしょうが、それは結梨ちゃんに可能だと思われますか」

 

「それについては私が責任を持って、結梨ちゃんに必要な技術を身につけさせるつもりよ。

むしろそういった内容こそ、特務レギオンの本領が発揮できる分野だと考えているわ。

 

どちらかというと、難題なのはもう一つの『結梨ちゃんはいつまでG.E.H.E.N.A.から身を隠せばいいのか』ということね」

 

 そう言うと、ロザリンデの顔からそれまでの不敵さが消え、憂いと深刻さを帯びた表情へと変わっていった。

 

 

 

 



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第3話 特別寮にて(3)

 自分の目の前で頭を悩ませているロザリンデに、眞悠理は思うところを述べるべく口を開いた。

 

「一つ言えるのは、結梨ちゃんがG.E.H.E.N.A.の一般的な強化リリィと違う点は、G.E.H.E.N.A.との関係に結梨ちゃん本人の意思がまったく関わっていないことです」

 

 結梨はあのとき海岸で梨璃に発見されるまで、G.E.H.E.N.A.の培養繭の中で誰とも意思疎通することなく胎児のように成長させられていた。

 

 そのため、結梨とG.E.H.E.N.A.の間に、双方の意思に基づく契約関係や主従関係のような取り決め事は何も存在しない。

 

 G.E.H.E.N.A.は結梨の生みの親ではあるが、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

「つまりG.E.H.E.N.A.という極悪な毒親の娘である結梨ちゃんが、そのくびきを逃れるためにはどうすればいいか、というわけです」

 

 生みの親がG.E.H.E.N.A.である限り、いわゆる親権に相当するものはG.E.H.E.N.A.にあるということになるのだろう。

 

 結梨を見つけた場合、その権利に基づいてG.E.H.E.N.A.は結梨の身柄引き渡しを要求してくると考えられる。

 

 前回は結梨が人ではなくヒュージであるという前提だったので、その根拠となる権利が親権ではなくモノとしての所有権だったということだ。

 

 しかしG.E.H.E.N.A.を結梨の生みの親と認めるとしても、非人道的な虐待を受けるであろうことが明白な状況で、そんな親のもとに子どもを返せるわけがない。

 

「G.E.H.E.N.A.の子である結梨ちゃんは親の言うことに逆らえない。

でも逆に考えると、結梨ちゃんが成人すれば、G.E.H.E.N.A.の親権に服する義務は無くなると言えるのね」

 

「まさしくその通りです」

 

 結梨が成人であれば、親としてのG.E.H.E.N.A.のもとに戻ることを、自らの意思で合法的に拒否できる。

 

「私はG.E.H.E.N.A.には戻りません。自分の意志で自由に生きていきます」と正々堂々と宣言できる日が来るのだ。

 

 結梨が成人年齢である18歳になれば、それが実現可能になる。

 

「実際には、わざわざG.E.H.E.N.A.に宣言しなくても、結梨ちゃんが18歳になった時点で、G.E.H.E.N.A.の言うことを聞く筋合いは、これっぽっちも無くなるわけですが」

 

 それでもなおG.E.H.E.N.A.が手出ししてくるようなら、それは一個人に対するれっきとした拉致犯罪行為であり、正義の大義名分は今度はこちら側にある。

 

 その時こそ、G.E.H.E.N.A.を人道に反する悪の犯罪組織として糾弾し、結梨を諦めるように追い込めばいい。

 

「あとは今の結梨ちゃんの年齢が何歳だと認められるかということですが」

 

 年齢について言えば、培養繭から出てまだ一年も経っていないので、今の結梨は0歳であるともいえる。

 

 しかし繭の中で何歳相当まで成長させていたかの情報を利用すれば、現時点での身体と精神の発達段階に相当する年齢の個人として認められるだろう。

 

 はじめに結梨が海岸で一柳隊に発見された時に、ガーデンの医療施設で身体と知能の両面にわたって一通りの検査は済ませてある。

 

 今はまだ精神が身体よりもやや幼いが、それもやがて外見相応の段階まで発達するだろう。

 

 もし、そのデータと現在の発達状態に基づく年齢が認められなければ、その時は司法の場で正面から争えばいい。

 

 ヒュージではなく一人の人間として認められた時点で、結梨は国際条約と国の法律によって、他のすべての人と同じく人権を保障されているのだから。

 

「ふふ、何か離婚調停みたいで、話が急に庶民的になりましたね」

 眞悠理は苦笑しながらも、どこか安心した口調で言った。

 

「いいのよ、それで。

話のスケールが国家であろうと家庭であろうと、個人の権利に変わりはないわ」

 

「つまり、結梨ちゃんは18歳になるまでの数年間は、公式には未帰還死亡扱いの状態を維持する、というわけですね。

そして18歳の誕生日に、『まったく偶然にも』百合ヶ丘のレギオンによって生存が確認される、と」

 

 あるいはそれまでにG.E.H.E.N.A.に見つかって逃亡していたとしても、18歳になるまで逃げきれば、その時点でこちらの勝利が確定するということだ。

 

「ロザリンデ様、私はこのプランを強く推薦します。

現時点で最も実現性と確実性のある選択肢だと思います」

 

「ええ、こまごまとした課題はたくさんあるでしょうけれど、大枠としては妥当な着地点だと思えるわね。

ありがとう、この内容を一つの試案として、近々に私から理事長代行に説明するわ。

理事長代行がそれに納得したら、ガーデンの方針として採用されることに道が開けるはず」

 

「それについては、まず心配されなくとも良いと思います。

おそらく杞憂でしょうが、もしもこの案以上に優れたものがあるとしても、その場合はそちらを採用すれば良いだけのことですし」

 

 この場での結論として、今できる対応は結梨の存在を18歳になるまで隠し通すこと、もしそれが途中で露見した場合はガーデン外で18歳まで潜伏すること、そこまでだ。

 

 それ以上に踏み込んだことをすれば、規模の大小はともかく、G.E.H.E.N.A.との武力紛争に発展してしまう可能性が極めて高い。

 

「それにしても、私たちって本当にリリィなのかしら。

まるで権謀術数に明け暮れる旧世紀の軍閥にでもなった気分ね。

今回ほど特務レギオンの名前がぴったり当てはまる任務は記憶に無いわ」

 

 そう言ってロザリンデは大きく息をつき、部屋の天井を見上げた。

 

 眞悠理も肩の荷が下りたように表情を緩め、ロザリンデが眞悠理にねぎらいの言葉をかけようとしたその時だった。

 

「私が18歳になったら、梨璃に逢えるの?」

 

 まだ幼さを残した結梨の澄んだ声が、ベッドの上から二人の耳にはっきりと届いた。

 

 

 

 



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第3話 特別寮にて(4)

 ロザリンデと眞悠理が声の聞こえた方を振り向くと、ベッドの上で上半身を起こした結梨が二人を静かに見つめていた。

 

 その瞳には純粋な問いかけの意志だけが宿っていて、疑いの感情は微塵も感じられなかった。

 

「起こしてしまったみたいね、ごめんなさい」

 

 ロザリンデは先に謝ってから、いったん言葉を切って、再び口を開いた。

 

「そう、結梨ちゃんが18歳になれば、もうG.E.H.E.N.A.のことを気にせず生きていけるわ。

梨璃さんや夢結さんたちにも自由に逢えるようになる。一緒にいられる。

だからそれまでは、申しわけないけれどG.E.H.E.N.A.に見つからないように生活してもらわないといけないの」

 

 ロザリンデは結梨の不意の呼びかけに驚いたものの、落ち着いた冷静な口調で結梨に答えを返した。

 

「私が18歳になるまでG.E.H.E.N.A.に捕まらなければいいんだよね」

 

「ええ、その通りよ」

 

「私はG.E.H.E.N.A.に見つからないように隠れて、もし見つかった時は捕まらないように逃げ続けるってこと?」

 

「大体そんなところね。

だから明日から隠れんぼと鬼ごっこの訓練をたっぷりしましょう」

 

「ロザリンデと二人で?」

 

「そうよ、私の訓練はとっても厳しいから覚悟しておいてね」

 

「うん、よろしくね、ロザリンデ」

 

 結梨の無邪気な返事を聞いたロザリンデは、微笑みながら右手を結梨に差し出し、結梨とロザリンデは握手を交わした。

 

「結梨ちゃん、あなたをG.E.H.E.N.A.の手に渡したりなど決してしない。

あなたが18歳になるその日に、必ず梨璃さんに逢えることを約束するわ」

 

 

 

 

 

「ところでロザリンデ様、お二人の授業は如何なさるのですか」

 

 ロザリンデと結梨の会話を聞いていた眞悠理は、無粋と知りつつも現実的な疑問を口にした。

 

「私に関しては、卒業に必要な単位はすでに取得済みよ。

だから明日から好きなだけ結梨ちゃんを鍛え上げることができる。

結梨ちゃんについては、ガーデンで履修しないといけない課程はシェリス様が教えてくださるから、私たちが心配する必要はないわ。

それ以外の時間は、基本的にすべて逃走潜伏時のための訓練に充てる予定よ」

 

「それは羨ましい限りです。

都合が許せば私もその訓練に参加したいくらいですが、とてもお二人にはついて行けそうにありません。

ガーデンの片隅からご健闘をお祈りしています」

 

 そう言ってから、眞悠理はロザリンデから結梨の方へと向き直って姿勢を正し、深く一礼した。

 

「結梨ちゃん、ごめんなさい。あの時、私たちは誤った情報に基づいてあなたを拘束しようとしていた。

言い訳になってしまうけれど、その時点では情報を否定できる根拠が無かったために、指示に従わざるを得なかった」

 

「それはあなたたちの責任ではないわ、眞悠理さん」

 

「しかし一歩間違えれば、結梨ちゃんの運命を決定的に狂わせてしまうところでした。

百由さんと楓さんの尽力が無かったら、今頃はどうなっていたことか分かりません。

最悪の場合、結梨ちゃんをG.E.H.E.N.A.に引き渡した後に人であることが判明した上、あのギガント級が出現してガーデンは壊滅、戦死者多数となっていた可能性もあったのですから」

 

 沈痛な表情でそう語る眞悠理に、結梨は穏やかな口調で話しかけた。

 

「梨璃と一緒にガーデンから逃げたとき、私はヒュージで、そのあと夢結たちが迎えに来てくれたとき、私は人だったんだね。

変なの。ヒュージになったり人になったり。

私は私のままで、何も変わってないのに」

 

 結梨のその言葉を聞いて、眞悠理は結梨のもとへ歩み寄り、両手で結梨の手を包み込むように握りしめた。

 

「一柳結梨さん。

もし、この先あなたが窮地に陥ることがあれば、私は何をおいてもあなたを助けに行くことを約束します。

それが私にできるせめてものお礼です。

もっとも、ロスヴァイセの方々と一緒なら、まずその心配は必要ないでしょうが」

 

 そう言い終えると、眞悠理は次にロザリンデの方に向き直った。

 

「史房様と祀さんにも、今日のことは私から報告しておきます。

いずれお二人からも、結梨ちゃんに会いに来られる機会があるかと思います。

お二人とも私より融通が利かない性格ではありますが、今回の一件で結梨ちゃんに頭が上がらないのは間違いありません。

だから多少図々しい頼みごとをしても聞き入れてくれると思いますよ」

 

「そうね、せいぜいあの二人が頭を抱えそうなわがままを考えておくことにするわ」

 

 ロザリンデは悪戯っぽい微笑をたたえながら、そう軽口を叩いた。

 

「眞悠理さん、今日は私の無理難題に付き合ってくれてありがとう、このお礼は必ずどこかでさせてもらうわ」

 

「私こそ、結梨ちゃんが生きていてくれたおかげで、悔いを残すことにならずに済んで、ほっとしています。

私よりも年下のリリィが私たちとガーデンを護るために一人で命を失うなど、耐え難いことですから」

 

 眞悠理はそう言い終えると結梨のそばを離れ、ロザリンデに別れの挨拶をした。

 

「では、そろそろ私は失礼します。ロザリンデ様はこの後のご予定は?」

 

「結梨ちゃんと一緒にお風呂に入ってくるわ、もちろん大浴場には行けないので特別寮の浴場になるけれど。

結梨ちゃん、今から支度できる?」

 

「うん、ちょっと待ってて」

 

 結梨はロザリンデに返事をすると、ベッドから降りて着替えとタオルを用意し始めた。

 

「ロザリンデ様、急に開き直られましたね。

でも、私も結梨ちゃんの前途に希望が見えて、ほっとしているところはあります。

このまま何事もなく時間が過ぎてくれればいいのですが、私たちリリィとガーデンの置かれている状況を考えると到底望むべくもないですね」

 

「ええ、問題や危機は必ず起きる。そう考えておかなければいけない。

大事なのは悲観にも楽観にも偏らず、解決のために必要な情報を集めて分析し、判断し、戦略を構築し、実行すること。

と言っても、まだまだ先は長いのだから、今はこの日常を楽しまなければね。

あなたがさっき言ったように、悔いが残るのは嫌なものだから」

 

「まったくです。願わくばこの日常が一日でも多く私たちと共にありますように」

 

「ロザリンデ、用意できたよ。早く行こ」

 

 結梨がロザリンデの服の袖を引き、二人は今日の話を笑顔で切り上げた。

 

 

 

 




 今回までで、ひとまず結梨ちゃんのセーフティーネットは張り終えたと思っています。
 これ以上このレベルのシリアス回を続けていると、私の駄脳が負荷に耐えられずルナトラを発動しかねないので、今後はあまり重くない日常的な話を増やしていくつもりです。
 しかし例えば思い切りトンデモシリアスな展開にした場合、以下のようになります。


 梨璃のレアスキルであるカリスマをコピーした一柳結梨は、三人の生徒会長とロスヴァイセを自らの配下に置き、理事長代行からガーデンの全権を委任された。
 こうして結梨は百合ヶ丘を裏から操る影の支配者として君臨することとなった。
 そして御台場女学校を始めとする全国の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとの間で、安全保障に関する軍事同盟関係を結び、G.E.H.E.N.A.および親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに対して全面的な総力戦を展開していくのであった。


 こんな展開にしたら死人が何人出るか分かったものではありませんので、問答無用で却下です。
 まだ内容が固まっていませんが、次回は閑さんが登場するかもしれません。
 閑さんの時点でまた理屈っぽい内容になるのは確定していますが……

追記:梨璃さんのレアスキルをラプラスからカリスマに訂正しました。今の時点でラプラスとするのは勇み足のように思えたためです。



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幕間  眞悠理と閑

 ロザリンデとの話し合いから数日が経った頃、眞悠理は旧館寮の自室で、窓の外を流れる雲を眺めていた。

 

 今は薄暮、日没直後の空はまだ十分に明るい。

 夕焼けの赤い空の光が、カーテンを開けた窓から室内を薄明るく照らしていた。

 

「このガーデンのリリィは皆、あの子に大きすぎる借りを作ってしまったな……」

 

 眞悠理が誰に言うでもない独り言をつぶやいていると、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 

「どうぞ、入ってください。鍵はかかっていません」

 

「失礼します」

 

 聞き覚えのある落ち着いた声がドアの向こう側から聞こえ、ゆっくりとドアが開いていく。

 

 ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、一年生の伊東閑だった。

 

 彼女は眞悠理と同じシュバルツグレイルのレギオン所属で、かつ眞悠理のルームメイトである剣持乃子のシルトだ。

 それに付け加えるなら、閑は一柳梨璃のルームメイトでもある。

 

「ごきげんよう、眞悠理様。乃子様にお渡しする書類があって、それをお持ちしたのですが、ご不在のようですね」

 

「ごきげんよう、閑さん。私が預かっておいても構わないけど、せっかくだから乃子さんが戻って来るまで、少し私の話し相手になってくれない?閑さんの都合は大丈夫?」

 

「はい、喜んでお聞きします」

 

 窓際に置かれている二つの机の椅子に、眞悠理と閑が並んで座る形となった。

 眞悠理は窓の外を流れていく夕雲を一瞥した後、おもむろに閑の方を向いて話を始めた。

 

「確か閑さんは、梨璃さんと同室だったと記憶しているけど」

「はい、そうです」

 

「梨璃さんの様子はどう?まだひどく落ち込んでる?」

「謹慎処分が明けてしばらくは気の毒なほど消沈していましたが、髪飾りの一件があってからは落ち着いているように見えます」

 

「髪飾り?」

「はい。梨璃さんが海上で失った髪飾りを楓さんが見つけて、というか正確には楓さんが自分で代品を作って見つけたふりをして、梨璃さんに渡したということがありまして」

 

「それは何とも回りくどいというか、気を利かせすぎというか、面白いことをする人なのね」

 楓が一年生の中で特に優秀なリリィであることは眞悠理も知っていたが、その優秀さが、何かあった時に人並みではない行動として表れるということか、と思った。

 

「その場にいた者として言わせてもらいますと、策士策に溺れるという感じでした。

楓さんほどの人でも、思わぬ所で見落としをすることがあるのだと、良い教訓になりました。

 

それで、その時に梨璃さんがみんなの前で大泣きしたんですが、そのことで何かしら気持ちの整理がついたのかもしれません」

 

「それならひとまずは安心とまでは言えなくとも、極端に深刻な状態は脱したと考えていいと?」

 

「はい。私が一緒に生活している限りでは、そう感じられます」

 それを聞いて眞悠理は内心でほっと胸を撫で下ろした。 

 

 実は結梨が18歳になる前に梨璃に逢える方法が一つあることに、眞悠理は気づいていた。

 

 一つの手段として、梨璃が二年生に進級した時に、三つの生徒会長職のいずれかに就けば、彼女は結梨に逢うことができるようになる。

 現時点では、百合ヶ丘のリリィで結梨の生存情報が開示されているのは、三人の生徒会長とロスヴァイセのメンバーだけだからだ。

 

 しかしその場合、梨璃は夢結をはじめとする一柳隊のメンバーはもとより、ほとんどのリリィに対して結梨が死んだものとして接しなければならなくなる。

 梨璃は毎日のように顔をあわせる夢結や楓たちを欺き続けなければならないのだ。

 

 それはあまりにも残酷なことではないかと眞悠理には思われた。

 その状況が梨璃の心に及ぼす悪影響を考えると、その選択肢は採らない方が良いと眞悠理は結論づけた。

 

「眞悠理様、私からも眞悠理様に一つ質問させていただいてよろしいですか?」

 眞悠理がそんな考えを巡らせていると、今度は閑の方から眞悠理に話しかけてきた。

 

「いいわよ。私が答えられることでよければ」

 

「私って面倒くさい女ですか?」

 

 眞悠理は閑のその質問に絶句した。

 眞悠理はいま自分の隣に座っている少女が伊東閑ではなく、別の誰かの人格が憑依したのではないかと本気で思った。

 

「閑さんはそんなこと言わない。さっき聞こえたのは空耳もしくはあなたの幻聴」と、頭の中でもう一人の自分が呼びかけてきた気がした。

 

「閑さん、あなたは何を言って……」

 休暇で外出した時に悪い男か女かLGBTにでも引っかかったのか、その挙句の痴情のもつれというやつかもしれない。あるいはまさか亜羅椰か、亜羅椰なのか。

 

 でなければ自分が彼女に何か傷つけるような言動をしてしまったのかと、いささか混乱した頭で眞悠理はありえそうな原因を考えたが、閑の答えはそのいずれとも違っていた。

 

「だって私はいつも理屈っぽいことばかり考えて話して、レギオンでも私が一人で考えたややこしい戦術理論をみんなに押し付けているし、この間も部屋で梨璃さんに、ヒュージとの戦いが終わったら人間同士の争いが起こる、みたいなことを一方的に話して困らせてしまったし、振り返ってみると他にもいろいろあるに違いないと思うんです……」

 

 ああ、そんなことか。それは全部あなたの個性で、何も悪いことじゃない。

 

 あなたより出来の良い戦術を考えられる人はシュバルツグレイルにはいないし、私たちはヒュージとの戦いを終わらせるために命を懸けて日々戦っているのだから、その後のことに思いを馳せるのは至極当然のことだ。

 

「いいじゃない。あなたの戦術論文の内容に基づいて行なった戦闘で、確実にシュバルツグレイルの実績は積み上げられている。

レギオンの格付けもSSまで上がっているし、何も間違ってなどいないし、問題ないと思う。

梨璃さんのことは、閑さんが話す相手を間違えただけで、その手の話であれば私やロザリンデ様が相手なら一晩中でも語り合えるはずだから」

 

「そういうものですか。自分がいろいろと拗らせた性格だという自覚はあるのですが、眞悠理様は私のことをそうは感じられないのですか?」

 

「大丈夫、祀さんや神琳さんのような拗らせ名人に比べたら、あなたの拗らせ度なんて純真無垢な幼な子みたいなものよ」

「それは喜んでもいいことなんでしょうか、何か複雑な気分です」

 

「もちろんよ。もしあなたがあの二人なみの面倒くささだったら、私はとっくの昔にシュバルツグレイルを抜けている。だから安心して喜んでもらって構わないわ」

「ありがとうございます、眞悠理様。

まだまだ至らない点が数多くあると思いますが、これからもご指導よろしくお願いいたします」

 

「うん、どちらかと言うと、私は戦術よりも戦略に関心がある性格だから、その意味では閑さんの考えを進める上であまり役に立ててはいないと思っているけれど」

「そんなことはありません。私から見れば、眞悠理様は半分神様みたいな存在です」

 

「それはいくら何でも持ち上げすぎだわ。

今は何の因果かジーグルーネなんていう堅苦しい役職に就いているけれど、そんな大した人間ではなく、あなたより一つだけ学年が上のただの二年生リリィよ」

 

「いえ、眞悠理様は、私には無いものをお持ちです。

私は目の前の戦いに勝つための戦術を考えることしか能がありませんが、眞悠理様は百合ヶ丘におけるシュバルツグレイルの政治的立ち位置や、外征レギオンへの昇格スキームまで考えておられるのではないですか?」

 

「全然考えていないと言えば、それは嘘になるわね」

「そう思っていました。だから絶対にシュバルツグレイルが、私たちが進むべき道を誤らないように導いてください、眞悠理様」

そう言って閑は両手を眞悠理の手に重ねて眞悠理の目を見つめた。

 

「そうね。私が閑さんの期待外れにならないように、私にできる最善を尽くしてみるわ」

 そう眞悠理が答えたとき、部屋の入り口から拍手が突然聞こえた。

 

 眞悠理と閑が驚いてそちらを見ると、聖母のような微笑みをたたえた優しげな女性が、開いたドアの前に立って二人を見ていた。

「はい、二人とも大変良くできました」

 

「乃子さんは人が悪い。見ていたのなら何か言ってくれてもよかったのに」

 眞悠理は落ち着かない様子で、ルームメイトかつ閑のシュッツエンゲルである剣持乃子に文句を言った。

 

「二人がとてもいい雰囲気だったので、水を差してはいけないと思って」

「そういう誤解を招きかねない表現は控えていただきたいものだわ。

私は夢結さんのように週刊リリィ新聞のネタになりたくはないから」

 

「閑さん、私なにか変なこと言いました?」

「いえ、何も問題ありません。お気になさらず」

 閑は乃子にそう答えた後、眞悠理に小声でひそやかに話しかけた。

 

「眞悠理様、お姉様はそちら方面のことには全く疎い御方ですので、ご心配なさらずとも大丈夫です」

 そう言うと、閑は乃子の方へ歩いて行き、手にした封筒を差し出した。

 

「お姉様にお渡しする書類があってお部屋に伺ったのですが、ご不在でしたので眞悠理様とお話しさせていただいておりました。

これがその書類です、どうぞお受け取りください」

 

「ありがとう、閑さん。でもせっかく来てくれたのだから、もう少し三人でお話ししていきましょう。

ぜひ、さっきの話の続きを聞かせてほしいわ。

ちょうどこの上に私と眞悠理さんの屋根裏部屋もあることだし」

 

「乃子さん、それはちょっと困る……」

 困惑する眞悠理をなだめつつ、乃子はドアを静かに閉めた。

 

 

 

 




日常回をしようとしたら、四苦八苦した挙げ句、後半で閑さんの性格が変わってしまいました。
本来は限界を超えるまで、いや超えても気弱なことは言わない人ではないかと思います。
もう日常回は懲りたので、次回から大人しくストーリー進行します。


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第4話 STAND BY READY(1)

 その光景が眼前に現れた時、北河原伊紀は強烈な既視感に襲われた。

 日没が迫り、薄暗くなってきたガーデンの廊下の先に、一目でそれと分かる人影が見える。

 

 自分が学級委員長を務める一年李組の同級生であり、外征旗艦レギオンたるアールヴヘイム所属にしてフェイズトランセンデンスS級保持者、高慢と紙一重の自信に満ちあふれた美貌、猫の耳にも似た特徴的な形の髪飾り。

 

「ごきげんよう、二人きりで会うのはあの時以来ね。伊紀さん」

「……ごきげんよう、亜羅椰さん。今日は何のご用?」

 

「そんなに構えなくても、取って食ったりはしないわ。

あの時はあなたを怖がらせてしまったみたいで、申し訳なく思っているの。

あの後、あなたのシュッツエンゲルにもお叱りを受けたし、今思えば少々強引すぎたかもしれないと反省することしきりよ」

 

「自信満々の表情でそんなことを言われても困ります」

 伊紀は呆れ顔で亜羅椰の弁明を話半分に聞いていた。

 

 が、当然その程度でめげるはずもなく、亜羅椰は話を続けた。

 

「ところで、あなたのレギオンは私が考えていたような事はしていないみたいだけど、それは本当なのかしら?

次の日の朝、天葉様に特務レギオンのことについて尋ねてみたら、一笑に付されたわ。

『ふふ、亜羅椰、あなた小説か何かの読みすぎ。

全国で一二を争うようなエリートガーデンのリリィにそんな汚れ仕事をさせるとは、とても思えないけどね』と天葉様はおっしゃっていたわ。

天葉様のお言葉通りで間違いなくて?伊紀さん」

 

「はい、私が知る限り、誰かを殺めるような直命がガーデンからロスヴァイセに出されたことは今までにありません。

天葉様のおっしゃっていたことに相違ないと思います。

それに、万が一そんな直命がガーデンから出されることがあれば、その時は百合ヶ丘を去るつもりです。

そのことで罰を受けても構いません。

私は絶対に誰かを殺したくないし、殺されたくもありませんから」

 

 伊紀は自分に言い聞かせるように、きっぱりと言い切った。

 

 それを聞いた亜羅椰はしばらく黙ったままだったが、やがて小さく一つ息をついた。

 

「そうね、私たちの持つ力はヒュージと戦うための戦力であって、同じ人間同士で殺し合うためのものじゃない。

たとえそれが綺麗事と言われても、ということね。

ましてあなたのレアスキルを考えると、なおのことでしょうね」

 

 そこで亜羅椰はいったん言葉を切って、二人の間にしばしの沈黙が流れた。

 

「それなら、あらためて先日の続きをさせてもらっても問題ないということね」

 

 そう言うと、亜羅椰は不敵な笑みを浮かべ、前に一歩踏み出して伊紀に近づいた。

 

 しかし伊紀はそれに動じることなく、逆に自分も一歩亜羅椰に近づき、二人は至近距離で顔を見合わせる形になった。

 

「亜羅椰さん、私は友人としてはあなたとお付き合いできますが、恋人としてはできません。

亜羅椰さんがそれでもよければ、今まで通りの関係を続けていきたいと思っています。

いかがですか」

 

 伊紀は亜羅椰の目を真正面から見つめて彼女の意思を問いただした。

 

 意表を突かれた亜羅椰は伊紀から視線を反らさず黙っていたが、ややあって口を開いた。

 

「ふうん、この前とは違って、心の準備ができているということね。

そこまではっきり言い切られると、意外とすっきりするわ。

そういうことなら、ひとまずあなたとは良きお友達でいることにしましょう。

私も無理強いは本意ではないから」

 

 そう言って亜羅椰は伊紀の横を通り過ぎて去って行ったが、その際に、

「いつか必ず、あなたの心を私に振り向かせてみせる。

その時が来るのを楽しみにしているわ」

と、うそぶくことを忘れなかった。

 

 伊紀が後ろを振り返った時、すでに亜羅椰の姿は廊下の角を曲がって見えなくなっていた。

 

「はーっ……緊張した」

 大きく息をつくと、伊紀は何度か頭を振って気を取り直し、校舎を抜けて特別寮のミーティングルームへと向かった。

 

 

 




短い内容ですが、今回の話はわりとあっさりできました。
やはり亜羅椰さんか、亜羅椰さんの力なのか。


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第4話 STAND BY READY(2)

 伊紀が特別寮のロスヴァイセ専用ミーティングルームに入ると、碧乙がソファーに座って本を読んでいた。

 ロザリンデと結梨の姿は見えず、二人はまだ来ていないようだった。

 

「お姉様、遅くなってしまって申し訳ありません」

「私もさっき来たところだから、気にしなくていいわよ。

でも、伊紀が私より後に来るのって珍しいわね」

 

「実はここに来る途中で、亜羅椰さんと話し込んでしまって……」

 それを聞くと、碧乙は血相を変えてソファーから立ち上がった。

 

「伊紀、今すぐにあなたのCHARMを準備しなさい、B型システムも込みで。私も一緒に出るわ」

「何をなさるおつもりですか、ものすごく嫌な予感がします」

 

「決まってるでしょ、化け猫退治よ。いくらあの猫娘が化け物じみた強さでも、私のファンタズムと伊紀のインパクタースタイルがあれば確実に勝てる」

 

「待ってください。リリィ同士の私闘にB型兵装なんて使ったら、間違いなく無期限停学処分になってしまいます。

それに亜羅椰さんとは今の関係を保つことで平和裏に話をつけることができたので、ご心配には及びません」

 

 伊紀が先程のいきさつを一通り説明すると、碧乙はようやく納得してソファーに座り直した。

 

「うーん、まあそういうことなら当分は様子見でもいいか……」

 不承不承という感じで碧乙は亜羅椰のことを一旦考えの外に置いた。

 

「そう言えば、ロザリンデ様と結梨ちゃんは、昼間はどこで過ごされているんですか?

全然お姿を見かけませんけど。」

 

「空き時間はガーデンの裏山の超奥深くでビシバシ訓練してると聞いているわ。

ヒュージ警戒区域の真っただ中だから、人に見られる恐れは無いとのことよ」

 

「まるで鞍馬山の天狗ですね」

「いや、どちらかというとピッコロと悟飯じゃない?」

「そういう特殊な予備知識が必要な例えはお控えください、お姉様」

 

「で、その訓練メニューを記した冊子をロザリンデ様に見せてもらったんだけど、大体こんな内容だったわ」

 

 伊紀の指摘を特に気にする様子もなく、碧乙は制服のポケットから一枚のメモ用紙を取り出すと、それを伊紀に手渡した。

 

 伊紀が視線を落としてその文面を見ると、次のような事が書かれてあった。

 

・近接対人格闘時における遮蔽物利用テクニック

・通信途絶時のガーデンへの帰還シーケンス

・食料の現地調達、生水の安全な濾過

・GPS故障時の現在地確認手段

・不整地・傾斜地での野営・ビバーク……等々

 

 「何ですか?これ。ロザリンデ様は結梨ちゃんを防衛軍のレンジャー隊員にでもなさるおつもりですか?」

 伊紀は目を丸くして顔を上げ、碧乙の方を見た。

 

「ロザリンデ様の訓練表にはこの何十倍も項目があったけど、とても書ききれなかったからこれだけしか書いてないけどね。

 

この内容からすると、ヒュージよりもG.E.H.E.N.A.を相手にすることが主になる可能性を、ロザリンデ様は考えておられるんでしょうね。

 

それにガーデンの外で不測の事態に巻き込まれた時の対処とかもあるでしょうし」

 

「確かに私たちのレギオンは対人戦闘メインの部隊ですが、結梨ちゃんの場合はそれ以上の何か尋常ではない環境下で行動することが想定されているようですね」

 

「その辺のことについては、ロザリンデ様が来られてからお尋ねするようにしましょう。

 

それはそうと、先日、史房様と祀さんが結梨ちゃんのところに面会に来られていたけど、お二人とも結梨ちゃんに頭を下げて感謝なさっていたわ。

 

ということは、つまり今、百合ヶ丘のリリィでは実質的に結梨ちゃんが陰のナンバーワンということ……!」

 

「それは話が飛躍しすぎているのでは……」

 

「そしてその結梨ちゃんを預かっている立場のロスヴァイセは、陰から院政を敷き、このガーデンの実質的支配者となる……!」

 

「あの、それってほとんど悪の組織の発想ですよ。

速攻で一柳隊かアールヴヘイムあたりに成敗される展開しか思い浮かびません」

 

「言われてみると、自分がミネバ様を操るハマーン様みたいに思えてきたわ。

 

ノインヴェルト戦術で成敗されるのは御免だから、その代わりに祀さんに毎日昼食をおごってもらうくらいで我慢しておくことにするわ」

 

「私は無性に祀様に同情したくなってきました。とても他人事とは思えません」

 伊紀が諦め顔で溜め息をつくと同時に、ミーティングルームのドアが開く音がした。

 

「お待たせ、いま訓練から戻ったわ」

 碧乙と伊紀がそちらに視線を向けると、結梨を背中に背負ったロザリンデが入口に立っていた。

 

 

 

 



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第4話 STAND BY READY(3)

 ロザリンデに背負われてミーティングルームに入ってきた結梨の姿を一目見て、伊紀は思わず息を呑んだ。

 結梨の着ている制服には至る所に土や泥の汚れが付着しており、布地が裂けていたり擦り切れていたりしている箇所もいくつかあった。

 

 思わず伊紀はロザリンデと結梨のもとに駆け寄り、結梨の顔を覗き込んだ。

「だ、大丈夫ですか?どこか大きなケガとかしてないですか?

もしあれば私のレアスキルですぐ治療しますから」

 

「平気、どこもケガしてないよ。ちょっと疲れて動けないだけ」

 結梨はあちこちに汚れのついた顔で、事も無げに答えた。

 

「本当に?気づいていないだけで骨や関節に異常は……」

「たぶん無いと思うわ。お二人は毎日そんな感じで部屋に戻ってきてるけど、翌日は何事もなく起床して訓練に出て行ってるから。

伊紀は今日初めて訓練帰りの姿を見たから心配でしょうけど」

 

 動転した様子で結梨へ話しかける伊紀に、碧乙が冷静に説明した。

 

「ええ、毎日の訓練が終わった時点で結梨ちゃんの全身をチェックしているけど、今日まで擦り傷以上のケガをしたことは無いわ。

制服は予備を大量にガーデンに要求してるから、いくら着潰しても気にしなくていいようにしてあるし」

 

 そう言ったロザリンデの制服にもそれなりの汚れや傷みはあり、それが訓練の激しさを物語っていた。

 

 ロザリンデは結梨の体をソファーに寝かせると、その横に座って結梨を膝枕する形になった。

 

「では本日のミーティングを始めることにしましょうか」

「先に着替えとかお風呂とかしなくていいんですか?そのくらいお待ちしますよ」

「いえ、もうこの生活に慣れてしまったから、このままミーティングして、その後でゆっくり休ませてもらうわ」

 ロザリンデは自分の膝に乗せた結梨の頭を優しく撫でながら碧乙に言った。

 

 その様子を見た碧乙は、伊紀のそばに顔を寄せて耳打ちした。

「どう見ても親子よね、あの姿」

「どう見ても親子ですね、あの姿」

「どうかして?」

「いえ、お気になさらず。こちらの話です。

しかし、いつもながら壮絶な状態で戻って来られますね。

今日の訓練メニューはどんなものだったんですか」

 

「今ロザリンデと一緒に訓練してるのは、『ブービートラップ』と『アンブッシュ』だよ」

 碧乙の問いかけに答えたのは、ロザリンデではなく結梨の方だった。

「……」

 碧乙と伊紀はその返事に絶句して、とっさに返す言葉が見つからなかった。

 

 仕掛け罠と待ち伏せ攻撃、確かにそれらはゲリラ戦ではごく普通の基本的な戦術だ。

 しかしそういった単語が結梨の口から出てくると、碧乙と伊紀は何とも複雑な心境になって顔を見合わせてしまった。

 

「何というか、まるで動物園のパンダかコアラに自動小銃やバズーカを持たせてるみたいな感じね」

「異常なまでのギャップ感がありますね。シュールレアリズムってこういう時に使う言葉でしたっけ」

 

「ロザリンデ様は一体どんな状況を想定なさって、この訓練を続けられているんですか?」

 伊紀に訓練の目的を尋ねられたロザリンデは、先日眞悠理に話した内容を碧乙と伊紀にあらためて説明した。

 

「そうですか、下手をすると数年間は山中や廃墟でサバイバル生活を続けなくてはならなくなる可能性があるということですね。

しかもその場合はヒュージやG.E.H.E.N.A.の強化リリィとの戦闘も視野に入れておかなければいけない、と」

 

「特にG.E.H.E.N.A.からは配下の強化リリィに対して『一柳結梨の生死を問わず連れ帰れ』という命令が出されるかもしれない。

そうなっても生き抜けるように、私が持っている戦闘技術はすべて身につけてもらうつもりよ」

「うわぁ……そりゃ結梨ちゃんが毎日ぼろぼろの姿になるのも道理ですね」

 

「でも結梨ちゃんの戦闘センスは素晴らしいわ。

大した経験もない段階で、百由さん入魂のメカヒュージからの攻撃を防ぎきって十字斬りにしたのは、まぐれではなかったということね。

このまま訓練が順調に進めば、そう遠くないうちに一人でラージ級を倒せるところまで行けると予想しているわ。もちろんレアスキルを一切使わずに」

 

 飛び抜けた才能の特待生を発掘して惚れ込んだコーチのように、ロザリンデの言葉には熱がこもっていた。

 

「さて、訓練の話はこのくらいにして、そろそろ今日の本題に入りましょうか」

 そう言うと、ロザリンデは制服の内ポケットから一枚のIDカードを取り出して、ソファーの前のローテーブルに置いた。

 

 



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第4話 STAND BY READY(4)

第4話のタイトルを変更しました。
このエピソードは戦闘回にする予定でしたが、導入部が長くなったので話数を分割することにしました。
変更前のタイトルは次話以降で使用する予定です。


「今朝、結梨ちゃんのIDカードが届いた連絡があったから、訓練に行く前に理事長代行から受け取ってきたの。

ちょっと見てくれる?一応バレないような偽名にしたつもりだけど」

 そうロザリンデに言われた碧乙は、ローテーブルの上に置かれた結梨用のIDカードを手に取り、氏名欄を一瞥した。

 そこに印字されていた名前は―――

 

『北河原ゆり』

 

「バレバレじゃないですか、即却下です」

 碧乙はごくあっさりと言い放った。

「そうなの?本当はユリ・フリーデグンデ・フォン・オットーにするつもりだったんだけど、さすがに血がつながっているようには見えないから、断腸の思いで諦めたのに……」

 心底から残念そうな表情で言うロザリンデ。

「それはもっと論外です」

 碧乙は軽く目まいを覚えたように額に手をやった。

 

「でも、ちゃんとその名前で政府発行の正規IDカードとして使えるのよ。

これがあれば公的な身分証としてどこにでも行けるようになるわ。

しかもロスヴァイセは防衛軍の特務機関に準ずる扱いだから、軍や政府関連の施設にも問題なく入場できるし、このIDカードの名前も百合ヶ丘のリリィに見られない限りは不審に思われないはずよ。

それに加えて、戸籍情報も伊紀の父方の従姉妹として作成済みだし」

「本当ですか?凄いですね。

それにしても、よく死亡扱いのリリィのIDカードを偽名で正規発行してくれたものですね。

しかも戸籍まで作れるんですか。一体どんな手品を使ったんです?」

 ロザリンデの説明を聞いた碧乙は目を丸くして驚きを隠せなかった。

 

「これは私の推測だけど、おそらくガーデンから内務省の反G.E.H.E.N.A.グループに協力を仰いだ結果だと思っているわ。

ガーデンと同じく、内務省にも親G.E.H.E.N.A.派と反G.E.H.E.N.A.派があるから、その対立をうまく利用したんじゃないかと考えられるの。

でも、仮にその推測が正しかったとしても、そこまでの情報はまず開示されないでしょうから、真偽を確かめることはできないけれど」

「なるほど、ガーデンとしても使えるものは何でも使う、ということですか」

 そう言って碧乙はロザリンデの推論に感心しつつ納得した。

 

「ロザリンデ、私が伊紀の従姉妹になるの?」

 ロザリンデの膝に頭を乗せて話を聞いていた結梨が、不思議そうな顔で尋ねる。

「ある意味ではそうね。でもそれはあくまでも対外的な形式でしかないし、本名も一柳結梨のまま変わらないわ。

ガーデンの外に出る時の名前は北河原ゆり、ガーデンの中にいる時は一柳結梨というだけのことよ」

「うっ、それちょっとサーヴァントの真名みたいな感じでカッコいい。私も世を忍ぶ仮の名前が欲しい!」

「碧乙様、それは論点がずれています……

では、これで面が割れている人に会わなければ、結梨ちゃんは堂々とガーデンの外に出られるようになったというわけですね」

 伊紀は安堵した表情でほっと息をついた。

 

「ええ、あとは万が一の身バレを防ぐために、結梨ちゃんには外出時は原則としてサングラスを着用してもらうわ。髪型についてはポニテ一択とします」

「正体を隠すためにサングラスとか、クワトロ・バジーナ大尉みたいで素敵……もちろん表向きの理由は目に先天的な色素異常があるからですよね」

「誰ですか?その人。米軍か国連軍の軍人さんですか?」

「いえ、大尉はエゥーゴという反地球連邦組織の所属で……まあそれは後で詳しく説明してあげるから楽しみにしてなさい。

それで、サングラスはいいとして、なんで髪型がポニテ指定なんですか?」

「それは…………………………………………私の好みよ」

 たっぷり十秒近くも長考してから、ロザリンデはようやく恥ずかしそうに返事を口にした。

「ふふっ」 

 それを聞いて碧乙と伊紀は思わず噴き出した。

 

「うまい建前が思いつかなかったので、本音を出さざるを得なくなりましたね、お姉様」

「何とでも言うがいいわ、碧乙。ばっさり短くすることも考えたけど、せっかく綺麗に伸ばした結梨ちゃんの髪を切ってしまうなんて、そんな勿体ない事とても私にはできない。たとえ公私混同と言われても」

「別に髪型うんぬんで見破られることもないでしょうから、あまり気にせずポニテでもツインテでもセイバー巻きでも、好きな髪型でいいんじゃないですか」

「そうね、でもツインテはともかくセイバー巻きって何?そんな髪型は聞いたことないけど」

「何か嫌な予感がするので深く追及しないことにしましょう」

 これまでの経験に基づいて、伊紀はロザリンデの疑問を素早く制した。

 

「結梨ちゃんはポニテでいいの?他にしたい髪型とかないの?」

「うん、全然いいよ」

「こだわりないのね……まあ眞悠理さんみたいな妙にややこしい髪型にしたいと言われたら、それはそれで困るけど」

 ロザリンデの膝に頭を乗せたままの状態であっさりと答える結梨に、碧乙は拍子抜けした感じになった。

 

「では、これでようやく結梨ちゃんが外に出られる環境が整ったということで、次の休暇にみんなで遠出しましょうか」

「遠出って、どのくらい遠くまでお出かけになるおつもりですか?」

 と、伊紀がロザリンデに尋ねた。

「少なくとも鎌倉府の外までは出ようと思っているの。

できるだけ顔見知りがいなくて、あまりごみごみしてないような所がいいと思う」

「それなら首都圏よりも西日本の方がいいかもしれませんね。

でも、そうすると途中で陥落地域を横断しないといけなくなりますが」

「特務レギオン用にガーデンから支給されている車があるじゃない。

あれに各自のCHARMを積んでいけば、もし道中でヒュージに遭遇しても対処できるわ」

「自衛軍の車を魔改造した大型のオフロード車ですか。

あの車、シートが硬くて乗り心地はお世辞にも良いとは言えませんよ」

「元が軍用車両だから、どうしてもその辺は我慢しないといけないわね。

結梨ちゃんはどこか行ってみたい所はある?」

 

 ロザリンデが視線を下げて自分の膝の上に乗せた結梨の顔を見ると、結梨は静かに寝息を立てて眠っていた。

「疲れて寝てしまったのね、無理もないわ。

では続きはまた今度にして、今日はもう解散しましょう」

 ロザリンデは眠ってしまった結梨を慣れた動作で背負うと、碧乙と伊紀に先んじてミーティングルームを後にした。

 

 

 

 



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幕間  彼女の墓前

 休暇の前日の早朝、北河原伊紀はガーデンの高台にある霊園を訪れ、結梨の墓の前に立っていた。

 時刻はまだようやく日が昇ったばかりで、周囲に人の気配は全く無い。

 結梨の墓の周りには、彼女を知るリリィたちの手によって、多くの花や供え物が置かれている。

 

 だが、伊紀は何も結梨の墓に供えるものを持参してこなかった。

 周りに誰もいなければ「結梨の死を悼むふりをする」必要がないからだ。

 この墓の下には何も埋まっておらず、墓石に刻まれた名前の持ち主も自分とともに生活している。

 

 一柳結梨はその生存を知る者にとってのみ、死者ではないのだ。

 

 伊紀は結梨の墓の周りに立ち並ぶ七十に近い数の墓標を見回し、最後に再び足元の結梨の墓を見下ろした。

 

 戦い続ければ必ず犠牲になる者が出る。前回はそれが結梨だったが、結梨がいなければ自分たちがこの霊園の墓石に自らの名前を刻むことになっていたかもしれないのだ。

 

 メメント・モリ―――誰もがいつ命を落としてもおかしくない、それがこの世界の本質であることを、ここに来れば否が応でも思い起こさせる。

 

 現在はノインヴェルト戦術による集団戦のドクトリンが確立されているため、大型ヒュージとの戦闘で上位クラスのレギオンが大規模な損害を出すことは少なくなっている。

 

 しかし、かつて初めてギガント級が戦場に出現した時、最前線で戦っていたリリィたちの恐怖と絶望はどれほどのものだったのか、想像するだけで伊紀は身震いがしてくる。

 

 動けなくなった仲間を助けるためにその場に踏みとどまり、自分もまた消耗しつくして、もろともに命を失う。あるいは初めて目にしたギガント級を倒すため、考えられるすべての攻撃方法を試みた結果、夥しい数の犠牲者を出す。

 

 その時その場にいたならば、自分もそうして戦死し、この霊園に葬られたリリィの一人となっていたに違いないと伊紀は思った。

 いくら自分が強化リリィでリジェネレーターのブーステッドスキルがあるとはいえ、再生能力が追いつかないほどのダメージを受け続けて生きていられるとは思えない。

 

 そう考えると、自分ではない誰かがその戦場に立ち、死んでいったことは、結局のところ運命としか言えないのではないか。

 この世界に生まれてきた数年の差が、この霊園に眠る幾十のリリィと自分の生死を分けたのだ。

 

 それでは自分は死者となったリリィに対して何ができるのだろうか、何をすべきなのか、あるいはそのように考えること自体が生者の傲慢ではないか。

 

 答えの無い問いが伊紀の頭を巡り、結梨の墓石に刻まれた文字にふと視線を落とした時、伊紀の背後から控えめな口調の声が聞こえた。

 

「あの、李組の委員長の北河原伊紀さん、だよね」

「―――っ!」

 突然後ろから掛けられた声にとっさに振り向いた伊紀の目に映ったのは、いつも結梨と一緒にいた小柄で裏表の無さそうな印象の少女、一柳梨璃だった。

 

 伊紀は梨璃がすぐ背後に近づくまで、全く彼女の気配を感じなかったことに驚愕した。

 ロザリンデや碧乙に比べればまだまだひよっ子と自認しているが、それでも特務レギオンの端くれである自分が、これほど近づかれるまで微塵も気づかなかったとは。迂闊にも程がある。

 

「あ、ごめんなさい。私、いつの間にか人の間合いに入っちゃうみたいで。驚かせちゃった?」

 虚を突かれた様子で梨璃の方を振り返った伊紀に、まるでそれが日常茶飯事であるかのような慣れた感じで梨璃は謝った。

 

「ごきげんよう。結梨ちゃんのお墓に来てくれてたんですか?」

 梨璃はあらためて挨拶の言葉を伊紀に投げかけ、彼女の返事を待った。

 

「……ごきげんよう、一柳梨璃さん。はい、もっと早くここに来ておこうと思っていたんですが、延び延びになってしまって。今日やっと来ることができました」

 

 伊紀はそこでいったん言葉を切り、軽く息を吸い直して梨璃に問いかけた。

 

「梨璃さんは、どうしてこんな早い時間にここへ?毎日こうして来られてるんですか?」

「今日はたまたま早く目が覚めちゃって、寝付けなかったからここへ来てみただけだよ。そしたら先に結梨ちゃんのお墓の前に人がいたから、声をかけたの」

「そうだったんですか。まさかこんな早い時間に他の人が来るとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしてしまいました」

 

 歩み寄った梨璃が伊紀の隣に並び、二人はそろって結梨の墓の前に立つ形になった。

 伊紀は自分より少しだけ低い位置にある梨璃の横顔を見ながら、再び問いかけの言葉を口にした。 

 

「梨璃さんは、あのまま結梨ちゃんと二人でどこか遠くへ逃げてしまった方が良かったかもしれない、と思ったりはしませんか?

そうしていれば、今のような結果にはならなかったと考えたりはしませんか」

 

 梨璃にそう尋ねた後で、私は何を言っているのだと伊紀は自分が嫌になった。不躾な結果論であの時の梨璃の判断に疑問を挟んで何になる。彼女をいたずらに傷つけるだけではないか。

 

 しかし、そんな伊紀の思いとは逆に、梨璃の答えは迷いの無いものだった。

 

「ううん、そうは思わないよ。あの時は夢結様に『必ず迎えに行くから待っていて』って言われて、その通りにみんなが来てくれたの。

その時の夢結様と私の判断は間違ってなかったと思うし、その後にあのヒュージが現れることも、その時は誰にも分からなかった。結梨ちゃんが一人で飛び出してしまうことも。

でも、みんながその時に一番正しいと思うことをして、今がその結果なら、私たちはそれを受け入れなくちゃいけない。あの時ああしていれば良かった、って考えても結梨ちゃんが戻ってくるわけじゃないから」

 

 伊紀は身動き一つせずに梨璃の答えをただ黙って聞き、梨璃は更に言葉を続けた。

 

「結梨ちゃんは戻ってこないけど、みんなが結梨ちゃんのことを覚えていてくれてる。

結梨ちゃんの記憶が、みんなの、私の生きていくことを後押ししてくれてる。

結梨ちゃんが護ってくれたこの命を、無駄にしないように生きていこうって。

そうやって自分たちの命を大切に生きることでしか、私たちは結梨ちゃんに感謝できないと思うの」

 

 梨璃が自分の思いを話し終えると、二人の間に長い沈黙が流れたが、やがて伊紀が静かに口を開いた。

 

「そう……そうですね、その通りかもしれない。

そんなふうに考えられることは素晴らしいことだと思います。

私も梨璃さんを見習わないといけないですね。自分のことが恥ずかしくなります」

 

「そんなことないです、褒めても何も出ないですよ、伊紀さん」

 照れくさそうに手を顔の前で振って謙遜する梨璃。

 

「梨璃さん、あなたに一つだけ予言をしてもいいですか?」

 

「えっ、予言?……うん、いいよ」

 梨璃は唐突に伊紀の口から出た単語に一瞬驚いたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻して伊紀の言葉を待った。

 

「梨璃さんがこのガーデンを卒業した後には、きっとすごくいいことがあります。

私には分かるんです、それが」

 

「すごくいいことって、いったい何?」

 興味に駆られた様子で梨璃は伊紀に聞き返す。

 

「残念ながら、それは私の口からは言えないの。

でもそれは絶対に確かなことだから、どうか期待してください」

 

「……うーん、何だかよく分からないけど、ありがとう、伊紀さん。

その『すごくいいこと』を楽しみにしてるから」

 

「はい、ぜひとも楽しみに待っていてください」

 

 二人が一緒に霊園を後にした時、結梨の墓は朝の柔らかい日差しに照らされ、供えられた花々の上には幾つもの朝露が輝いていた。

 

 

 

 



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第5話 初陣、再び(1)

 自衛軍の車両に酷似した一台のオフロード車が、土煙を巻き上げながら無人の平野を疾走している。

 周囲は一面に放棄された農地が広がり、人影は全く見当たらない。

 結梨とロスヴァイセの一行を乗せた車は、かつての静岡県に相当する陥落指定地域を間もなく抜けようとするところだった。

 

「ああ、やっとまともな舗装道路が現れそうですね。これでパリダカールラリーなみの悪路から解放される……」

 ロザリンデがハンドルを握っているその隣の助手席で、碧乙が辟易した様子でロザリンデに話しかけた。

 それに対して、喋ると舌を噛むぞと言いたげに、ロザリンデはちらりと横目で碧乙を睨み、沈黙で応じた。

 後部座席では結梨と伊紀が、ヒュージの姿が見えないか、絶え間無く周囲を警戒し続けている。

 

 陥落指定地域と言っても、ヒュージの支配は面ではなく点の状態であるため、実際には陥落指定地域に進入しても、必ずしもヒュージに遭遇するというわけではない。

 しかし、もしひとたび遭遇してしまった場合、対抗する武力を持たない普通の人間では、なすすべもなくヒュージの餌食になってしまう。

 このため、陥落以前から現地に残って抵抗している一部のリリィや住民を除いて、通常は陥落指定地域に人が立ち入ることは無い。

 

 幸運にも結梨たちはヒュージと遭遇することなく陥落指定地域を通過し、さらに西へと車を走らせ続けた。

 濃尾平野を抜け、関ケ原を越え、琵琶湖を横目に見ながら、一行は正午前に京都盆地へと入った。

「旧市街地の少し手前で車を停めて、そこから歩きましょうか」

「そうですね、この車で洛中まで入ってしまうと、いかにも悪目立ちしてしまいそうですからね」

 ロザリンデの提案に碧乙が頷き、伊紀と結梨も特に異論はなかった。

 オリーブグリーンの車体は下半分が土と砂にまみれ、さながら戦場から戻ってきた軍用車両のような雰囲気を放っている。

 確かにこの状態で旧市街地の狭い道を走行すれば、悪い意味で注目を集めることは間違いない。

 

 車は鴨川の数百メートル東で国道1号線を外れ、適当な駐車場を探すために速度を落とした。

「ついに、はるばる京都までやって来てしまいましたね」

 しみじみと感慨深げな口調で伊紀が言う。

「最後の方はほとんどその場の勢いで目的地を決めちゃったからね。これが若さか……」

 日を改めて話し合われた場での妙な高揚感を思い出しながら、碧乙は目を閉じてうんうんと頷いた。

 

「この街ってすごく古いんだね。お寺と神社ばっかり」

「そうね、百合ヶ丘のガーデンがある鎌倉も相当に古い街だけど、ヒュージとの戦闘でほとんど廃墟になってしまったわ」

 興味津々で窓の外を眺める結梨の言葉にロザリンデが答えると、碧乙が助手席から後部座席の結梨を振り返って話しかける。

「いいこと、結梨ちゃん。この辺りの人にお茶漬けを勧められても額面通りに受け取っちゃダメよ。それは早く帰れって意味だから」

「そうなの?そんなこと初めて聞いた」

「どこからそんな怪しげな知識を仕入れてこられたのですか……今時そんな人いませんよ」

 呆れ顔で伊紀が碧乙に突っ込みを入れ、次いでロザリンデに話を振った。

「でも休暇とはいえ、私たちが鎌倉府の外に出るのって、広義の外征に相当する行為ですよね。よくCHARM込みでの私用外出許可が下りましたね」

「それについては、結梨ちゃんの一件でガーデンと生徒会は借りがあるから、大目に見てくれたんじゃないかしら。当然、この地域を管轄するガーデンには、その旨が連絡されているでしょう」

 ロザリンデは先日の眞悠理との会話を思い出しながら、碧乙と伊紀にその時の事情を説明した。

 

「そう言えば、史房様と祀さんが結梨ちゃんの所まで来られて感謝なさっていたのを、私も目にしました。生徒会のトップを配下に置くとは、我々がこのガーデンを牛耳る日も遠くないようですね」

「またその流れですか。裏からガーデンの支配をもくろむ特務レギオンなんて、冗談にもならないですよ」

「もう、わかってるってば」

 もちろん碧乙の言葉が本気のものではないと知っていても、伊紀はその生真面目さゆえに碧乙を諫めてしまうのだった。

 

 国立博物館近くの駐車場に車を停め、四人のリリィは旧市街地がある西へと歩き始めた。

 結梨はロザリンデと手をつないで並んで歩いていたが、数分も経たないうちに後ろを歩いていた碧乙と伊紀が相談を始め、碧乙がロザリンデに声をかけた。

「お姉様、できれば結梨ちゃんは伊紀と一緒に歩いてもらう方がいいと思います」

「どうして?何か問題でもあるの?」

「大ありです。お二人は何と言うか、器量が良すぎて人目を引きまくるんですよ」

 

 もともと整った顔立ちの結梨がティアドロップ型のサングラスをかけると、普段のあどけない雰囲気とは一変して、急激にクールな印象が強まる。

 加えて銀髪長身のロザリンデと並んで歩いているものだから、すれ違う人の大半が振り返って二人を見返している。

「言われてみると、確かにみんな私たちの方を見ているとは感じていたけど、そういうことなら涙をのんで結梨ちゃんと離れて歩くようにするわ」

「これだからご自分が美人の自覚がない御方は困る……」

 ロザリンデに聞こえないように碧乙が小声でつぶやいたが、それに気づいた者は誰もいなかった。

 

 結局、結梨は伊紀と、ロザリンデは碧乙と一緒に歩く形に変更し、結梨のサングラスも外した方が目立たないだろうという結論になった。

 ただし髪型についてはロザリンデのこだわりもあって、当面はポニーテールを維持することとした。

 「さすがに西日本まで来れば結梨ちゃんのことを知っている人はいないと思いますけど、髪型だけでも変えておいた方がいいのは間違いないですから、とりあえずポニテ継続で問題ないと思いますよ」

 

 碧乙の判断に伊紀と結梨も賛成し、変更した組み合わせで食事を取れる所を探していると、突然街中にけたたましい警報音が鳴り響いた。

「ああ、これは不味いことになりましたね」

「まったく、無粋にも程があるわ」

 腕組みをして渋面を作る碧乙と、うんざりした表情で相槌を打つロザリンデ。

 

「ロザリンデ、私たちでやっつけよう」

 何の迷いもなく結梨がロザリンデに言う。

「ええ、道中の用心のためとはいえCHARM持参でやって来て、このまま一般人のふりをしているわけにはいかないわ。まず、この近くで出動中のリリィかマディックを見つけて、その部隊と合流しましょう」

「そうと決まれば、すぐに車に戻ってCHARMを持ち出しましょう」

 そう言って踵を返した伊紀に続いて、結梨たちは先ほどまで歩いてきた道を引き返して、全力で走りだした。

 

 

 

 



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第5話 初陣、再び(2)

 駐車場に停めてあった車からCHARMを取り出すと、結梨たち四人は遠望が利くビルの屋上まで跳躍し、エリアディフェンスの外側から市街地に接近しつつあるヒュージ群の規模を確認した。

 

「ラージ級1、ミドル級30、スモール級100というところかしら。おそらくあの群れの後方にケイブが発生している。今ここから見えているのは第一波でしょうね」

「第二波以降の攻撃があるんですか?」

 ロザリンデの見立てに碧乙が問いかけをする。

「それは今の段階では分からないけど、可能性としては十分にありうると考えるべきでしょうね」

 

 考えうる作戦としては、接近中のヒュージ群を迎撃して排除し、その背後にあると思われるケイブを破壊する。

 あるいは戦闘を回避して群れの後方に回り込み、先にケイブを破壊、その後で群れの背後から攻撃する選択もある。

 「まず必要な情報として、ここのレギオンやマディックが現在どのように展開しているかを知らなければね」

 「あそこにいる人たち、マディックに見えるよ。行ってみよう」

 ロザリンデの言葉に結梨が眼下の百メートルほど先を指さして答えた。

 その方向を見ると、川に架かる橋のたもとに数人のマディックらしき制服の人影が集まっている。

 

 ただちにロザリンデたちはその場所まで移動すると、彼女たちの一人に尋ねた。

「不躾ですまないけど、あなたたちはこの近傍のガーデンに所属するマディックね。

私たちは休暇でここを訪れているリリィだけど、あなた達のガーデンのレギオンは?」

 

 ロザリンデに問いかけられたマディックの少女は、眼前に現れた四人の少女を一瞥した。

 服装は完全な私服だが、全員がCHARMを携えているので、確かにどこかのガーデンのリリィには違いないとマディックの少女は判断した。

「我々のガーデンの主力レギオンは、一時間ほど前に別方面に出現したヒュージの迎撃に出動しているところです。

先ほどガーデンに連絡して応援を要請しましたが、到着までには今しばらく時間を要するとのことです」

 

「ここにいるのはマディックだけなの?」

「そうです、応援のレギオンが来るまでの間、我々マディックの部隊でヒュージを食い止める必要があります。

現在、ここから南に約2キロの地点でマディックの迎撃部隊が展開中です。

ここにいる我々は戦闘部隊ではなく、前線で負傷して後方へ搬送されてくる者の救護に当たる予定になっています」

 

「そう、それなら私たちでラージ級を撃破するから、あなたたちはミドル級とスモール級の迎撃に専念してくれる?マディックだけでラージ級を相手にするのは無理でしょうから」

「四人だけでラージ級と戦うというのですか?そんな少人数でラージ級を倒すのは相当に骨が折れますよ」

「いえ、正確には私とこの子の二人で仕留めるつもりよ。他の二人には、ここで負傷者の救護を手伝わせてほしいの」

 ロザリンデは結梨の肩に手を置いて目の前のマディックに言った。

 

「無茶です。いくらリリィとはいえ、通りがかりの方にそこまでの事をしていただくわけにはいきません。

お言葉はありがたいのですが、我々のレギオンが到着するまで時間を稼いでくれるだけで十分です。

いたずらにあなた方を負傷させては申し訳が立ちません」

「心配しなくても、私たちだってここでやられるつもりはさらさら無いわ。

自分たちの力量は把握している。無理だと判断すれば時間稼ぎの遅滞戦術に移行するから、心配しないで」

 そうは言ったものの、ロザリンデも結梨もラージ級一体に後れを取るつもりは全く無かった。

 

「……分かりました。ではそのように前線の部隊長に連絡します。くれぐれもお気をつけて」

「ありがとう。あなたたちの指揮権を侵害するわけにはいかないから、私たちの行動は『通りすがりの見知らぬリリィ二人が単独で勝手にラージ級と戦闘を始めた』ことにしてもらえると助かるわ。あなたたちの作戦行動とは無関係にね」

 

 ロザリンデは目の前のマディックの少女にそう言った後、伊紀の方を振り返って指示を出す。

「伊紀、私たちのガーデンに連絡を」

「はい、休暇中の外出先にて偶発的にヒュージと遭遇したため、交戦規定に基づいて戦闘を開始する、と伝えます」

 

「では、これより私たち四人は二手に分かれてそれぞれの役割を果たします。散開」

 ロザリンデは行動開始の言葉を告げ終えると、結梨と共に高く跳躍し、瞬く間にヒュージの接近しつつある方向へと遠ざかって行った。

 

 建物の屋上を跳び越えて移動しながら、結梨とロザリンデはこの後の攻撃方法を確認していた。

 「敵ヒュージ群は前方に展開するマディック部隊に向かって進行中、それに対して私と結梨ちゃんは群れの左右から挟撃する形で奇襲をかける。

遮蔽物を利用してヒュージに気付かれないように群れの側面に回り込み、互いに準備ができたら私が陽動を仕掛けるわ。

そのタイミングで二人同時に群れの両側から攻撃を開始。その後は―――」

 

「ラージ級のまわりにいるミドル級とスモール級を最短でやっつけて、そのあと二人でラージ級をやっつける。

ただし第二波の可能性を考えて、できるだけレアスキルは使わずに、マギが減らないようにする。

ラージ級をやっつけたら、後ろにあるケイブを壊して、すぐに碧乙と伊紀のところに戻ってくる、で合ってる?」 

「良くできました。次はあのラージ級の前で再会ね。ここで二手に分かれましょう」

「うん、またね、ロザリンデ」

 あっという間に点のように小さくなる結梨の後ろ姿を見送って、ロザリンデは結梨の去って行った反対側へと移動を開始した。

 

 ヒュージの群れは前衛の部分がマディックと接触し、既に戦端が開かれていた。

 ロザリンデと結梨が攻撃目標とする一体のラージ級は、その前衛から距離を置いて約500メートルほど後方に位置している。

 ラージ級の周囲には直掩機の如く数十体のミドル級とスモール級が群れを成している。

 

 ロザリンデが攻撃開始位置まで移動を完了し、群れの反対側を遠望すると、胸元のポケットに入れている通信端末が音も無く振動した。それが結梨からの準備完了の合図だった。

 

 ロザリンデは対ヒュージ用の音響閃光手榴弾のピンを抜くと、群れの最後尾へ向けて力強く遠投した。

 ロザリンデの手から離れた手榴弾は不可視の放物線を描いて飛び、群れの後方数メートルの所で炸裂した。

 たちまち雷鳴のような轟音が響き渡り、純白の閃光が周囲の光景を漂白していく。

 

 それに驚いた群れ全体が動きを乱し始めるのと同時に、ロザリンデと結梨が間髪を入れずに群れに向かって全速で突撃した。

 

 

 

 



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第5話 初陣、再び(3)

2回に分けて投稿する予定でしたが、上手く区切れず、1回での投稿になりました。
いろいろと説明不足や描写不足の部分もあるかと思いますが、ご容赦願います。


 眼前のミドル級ヒュージが前腕を振り上げて攻撃態勢に入った時点で、既に結梨は両手に構えたCHARMを振り抜いている。

 袈裟懸けに斬られたヒュージの青い体液が空中にほとばしり、それが地面に落ちる前に、結梨の次の斬撃が隣のヒュージを薙ぎ払う。

 恐るべきスピード、恐るべき正確さで結梨はCHARMの一閃ごとにヒュージを斃していく。

 

 ロザリンデは自らも戦いの渦中に身を置きながら、その様子を群れの反対側の離れた場所から見ていた。

 以前、百合ヶ丘の戦技競技会でのエキシビションでは、メカヒュージの攻撃を受け流した上で結梨は反撃していた。その時の戦いぶりをロザリンデはよく覚えている。なにせ自分が結梨にそう戦うよう、外野からアドバイスしていたのだから。

 

 しかし今、結梨は敵に先制して攻撃し、敵が攻撃すること自体を許さない。

 エキシビションの時は、相手の力量を見極めた上で攻撃に転じていたが、今はその必要も無いということか。それとも最短時間・最大効率で戦闘を終わらせようとしているのか。

 

 結梨のその攻撃動作は、ヒュージが襲いかかってくるタイミングよりもわずかに早く開始されていた。

 つまり結梨はヒュージの動きを見切って反応しているのではなく、動き始める前の、今より一瞬先の動きを予測して攻撃している。

 ファンタズム?この世の理?いや、違う。結梨は最初からレアスキルを一切発動せずに戦っているように見える。

 

 では何が結梨にそのような攻撃を可能にさせているのか。ロザリンデは前に病室で結梨から聞いた話を思い出した。海上で結梨がギガント級ヒュージと戦ったあの時、ネストとヒュージの間でマギがつながっていることが分かったと。

 そして結梨はネストのマギを横取りする形で、通常では不可能な機動力と大出力での攻撃を可能にしたのだ。

 

 そんな常軌を逸した芸当ができるのなら、ヒュージの体内に存在するマギの挙動を見て取ることができるとしても不思議は無い。

 運動神経を伝わる微弱な電気信号によって筋肉が動くように、ヒュージの体の動きに先立って発生しているわずかなマギの変化を感じ取り、ヒュージが攻撃に移るタイミングを見極めているのかもしれない。

 いずれにせよ、異常ともいえる卓越した戦闘能力とセンスであることに変わりは無い。たとえそれが結梨本人には自覚の無い半ば無意識のものであったとしても。

 

(ネストのマギを利用したとはいえ、さすがにギガント級を一騎打ちで倒しただけのことはある。ミドル級までなら何百体いても問題なさそうね。後はあのラージ級か)

 ロザリンデは敵の攻撃を避けながら結梨の戦いぶりを遠目に見て、改めて驚きを禁じ得なかった。

 

 その現実離れした結梨の戦闘とは対照的に、ロザリンデの戦闘は合理性と堅実さを極めたものだった。

 ロザリンデは流麗な体捌きでヒュージの攻撃をすべて受け流し、あるいは回避していく。そして攻撃を流されて体勢を崩したヒュージを、返す一刀で確実に屠っていく。

 しかもロザリンデは常に自分の身体を、敵の攻撃方向の軸線上から外れた位置に高速で移動させ続けていた。

 この精緻な機械仕掛けのように巧みな体捌きにより、同時に複数の敵と対峙しても、実質的には常に一対一の状況を作り出すことができる。

 

 結果として、このポジション取りによって、多数の敵に囲まれても複数方向からの同時攻撃を許さず、一体ずつの各個撃破が可能となっていた。

 そして敵の攻撃をまともに正面から受け止めることは無く、すべて躱すか受け流し、体勢の崩れた無防備な相手の急所を攻撃して確実に仕留めていく。

 この一連の動作の間断無き反復こそが、「一人で戦局を打開できる」と評されたロザリンデの強さの源だった。

 

 二人が戦闘を開始して5分と経たないうちに、ラージ級を取り巻くミドル級とスモール級の群れは一掃されていた。

 累々たる死骸の中に、巨人型のラージ級はただ一体で巨大な体躯を晒して立っている。

  マディックの部隊と戦っている前衛のヒュージが戻ってくる前に決着をつけるべく、結梨とロザリンデは息つく間も無くラージ級に襲いかかった。

 

 ロザリンデと結梨は常にラージ級を挟みこむ形で、二方向から全く同時に攻撃を仕掛け続けた。

 二人はラージ級の頭部と脚部に対して、それぞれが交互に攻撃個所を入れ替えて斬撃を叩き込む。

 この攻撃方法は、攻撃を仕掛ける高さを分けることによって、ヒュージに攻撃を回避されても同士討ちしないための安全策も兼ねていた。

 

 ラージ級は複数方向からの同時攻撃を完全には防ぎきれず、見る間に一撃ごとに確実にダメージを蓄積させられていく。

 最小構成での一対多の群狼戦術、それが今ロザリンデと結梨が目の前のラージ級に対して実行している戦術ドクトリンだった。

 それを可能にしているのは、個人レベルの突出した戦闘能力と完璧なコンビネーション、その二つだけだ。

 逆に言うと、その二つを極めなければ、この戦術は決して成功しない。

 標準的な能力のリリィが用いる一般的な戦術としては、間違いなく採用されないだろう。

 

 ラージ級ヒュージへの攻撃開始から数分のうちに、ラージ級の足は止まり、移動することさえままならなくなった。

 その足元には既に青い体液の血溜まりが大きく広がっている。

 ロザリンデと結梨は動きを止めたラージ級を見ると、それまでのラージ級を挟み込む形から、ラージ級を中心として90度の角度へとポジションを即座に変更した。

 移動と同時にそれぞれのCHARMをブレードモードからシューティングモードへ変形し、二人の視線が合うとロザリンデは声を出すことなく唇だけを動かした。

 

『SHOOT』

 

 トリガーが引き絞られ、二つのCHARMの砲口からオレンジ色の発砲炎とともに弾丸が射出される。

 満身創痍のラージ級ヒュージは、その決定的な十字砲火を回避することも防御することもできなかった。

 立て続けに急所へ直撃を受けたラージ級は、十数箇所の弾痕から青い体液を噴き出し、その場に地響きを立てて崩れ落ちた。

 

 瞬く間にラージ級を仕留め終えたロザリンデと結梨は、息一つ乱すことなく周囲の警戒に移行している。

「前衛のヒュージの一部が、こちらに気づいて引き返してくる可能性がある。私はそいつらの相手をするから、結梨ちゃんはこの後方にあるケイブの破壊を。

破壊後は私と合流する必要は無いから、まっすぐ碧乙たちの所へ向かって。

もしケイブを破壊する前に第二波が出現した場合は、速やかに私のいる所まで一時撤退。できるわね?」

「うん、ちょっと行ってくる」

 先ほどロザリンデと別れた時と同じように、結梨はごく簡単に返事をすると、その俊足を存分に発揮して瞬時に走り去って行った。

 

 結梨の後ろ姿が見えなくなると、ロザリンデは再びアステリオンをブレードモードに戻して振り返り、数百メートル先に立ち込める戦塵の拡がりを見据えた。

(あの前衛ヒュージ群を背後から攪乱してマディックを掩護、群れをバラバラにして戦力を低下させる。後はケイブから新手が出て来なければいいけど。無事に戻って来てね、結梨ちゃん)

 心の中でつぶやき終えると、ロザリンデはヒュージの侵攻によって破壊された人工物と木々の間を縫い、背後から前衛のヒュージを急襲するべく行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞍馬山環境女子高等学校のリリィ、古田八重が前線の指揮所に到着すると、すぐにマディックの部隊長が戦況報告を行うべく歩み寄ってきた。

「八重様、お待ちしておりました。現在、戦局は掃討戦の段階に入ったところです。

目標のヒュージ群は集団での戦闘行動ができず、各個体が散り散りに敗走している状態です」

「分かった。しかしラージ級が一体いるとの連絡を受けているが、そいつはどうなった?マディックだけで手に負える相手ではないはずだが」

 

「偶然に後方の救護班の所に居合わせた他ガーデンのリリィが、極めて短時間でラージ級の排除に成功しました。

ヒュージの発生源となっていたケイブも、その後に破壊したと彼女たちから報告を受けました。

加えて前衛のヒュージ群に背後から奇襲をかけてくれたおかげで、敵集団の形が崩れ、こちらから攻勢に出る契機を作ることができました。

第二波の出現が無く、現在の戦況がミドル級とスモール級の掃討段階なのは、そのためです。結果として我々の損害も当初の想定より大幅に少なくなっています」

 

「ほう、それは大したものだ」

 マディック部隊長の報告を聞いた八重は、少なからず驚きを隠せなかった。

(二人だけでラージ級を瞬殺とは恐れ入る。

どこのガーデンのリリィか知らないが、相当の手練れであることは間違いない)

 

「その二人のリリィは今どこに?私からも一言お礼を言っておきたい」

「それが、後方で救護班と一緒に負傷者の治療にあたっていたお連れのリリィと一緒に、既に立ち去られました。

名乗るほどの者ではないと言われ、所属のガーデン名も聞けませんでした」

「そうか、それは残念な事だ。そのリリィの詮索は後にして、戦果と損害の確認結果を早急に取りまとめてガーデンに報告。

後は私たちのレギオンがマディックと交代して掃討と哨戒を続行する」

「承知しました。では戦闘中の部隊に陣形を維持しつつ、順次レギオンのリリィと交代するよう指示を出します」

 

 (休暇であっても他地域から来たリリィなら、外征宣言に相当する連絡がガーデンに入っているはずだ。問い合わせれば大まかな身元情報を得ることができるだろう。

だが名乗らなかったということは、名乗ると都合が悪い事情があるのかもしれない。

恩を仇で返すようなことはしたくない。詮索は無しだな)

 マディックから敬礼を受け、八重は自らがリーダーを務めるレギオンに指示を出すべく指揮所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロスヴァイセ主将、北河原伊紀です。理事長代行ですか?

先ほど攻撃目標としたラージ級ヒュージの排除が完了しました。

レギオンメンバーの死傷者、CHARMの損傷、ともにありません。

これより速やかにガーデンに帰投します。以上、通信終わります」

「ああ、せめて一口、生八ツ橋が食べたかった。おたべの生八ツ橋が。あと、出町ふたばの豆大福も」

「今回は縁が無かったと思って、また日を改めましょう、碧乙様」

 通信端末でガーデンへの報告を終えた伊紀が碧乙をなだめようとする。

「今度っていつなのよ……また日の出前にガーデンを出発して、あの道とも言えない道を何時間も車に揺られ続けるの?というか、これからまたその悪路をたどってガーデンに戻らないといけないんだけど。しかも、お土産もなく手ぶらで」

 往路と同じく助手席に座った碧乙は、ダッシュボードに突っ伏して嘆きの言葉を口にし続けている。

 

 四人のリリィは百合ヶ丘のガーデンへの帰途につくべく、駐車場に停めた車に戻っていた。

「私と結梨ちゃんは戦闘でそれなりにCHARMも酷使したし、少量とはいえヒュージの体液も体や衣服に付着してしまったわ。だから一度ガーデンに戻って検疫とCHARMの整備を受けないと」

 ロザリンデが後部座席を振り返って見ると、結梨は対ギガント級以来の本格的な戦闘で疲れたのか、隣に座っている伊紀にもたれかかって、すやすやと眠っている。

 伊紀は結梨の頭を撫でながら、

「今日はよく頑張りましたね、結梨ちゃん。ガーデンに着くまで、ゆっくり休んでください」

 と、ねぎらいの言葉をかけた。

 

 一方、碧乙はまだ諦めきれない様子でロザリンデの方を見た。

「それは私だって分かってますけど、あんまりじゃないですか。なんであのタイミングで出てくるかなあ、あのいまいましい怪生物どもは」

「でも、私たちがいたからマディックの人たちの損害が少なく抑えられたんですよ。救護所に後送されてきた負傷者もその場で完治できましたし。休暇をふいにしただけの甲斐はあったと思います」

「それはその通りだけど、でもやっぱりなあ……」

 伊紀の言葉を聞いてもまだ今一つ納得できない表情の碧乙。

「さあ、もう繰り言はそのくらいにして、出発するわよ。寄り道せずに走り通せば、日没までにはガーデンに到着できるでしょう」

 そう言ってロザリンデはイグニッションキーを回し、ゆっくりと車を発進させた。

 

 

 




ラスバレのメインストーリー早く更新してほしい。
結梨ちゃん実装してほしい。


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第6話 夢枕(1)

 ロザリンデとの共闘でラージ級ヒュージを苦も無く斃した結梨は、日没直前にロスヴァイセの三人とともに百合ヶ丘のガーデンに帰還した。

 

 その後すぐにロザリンデと一緒にガーデン内の医療施設で検疫を終え、その日のうちに特別寮に戻ると、結梨は吸い寄せられるようにベッドに倒れ込んだ。

 

「ロザリンデ、私まだとっても眠い。もう寝ちゃっていい?」

「ええ、一日で往復500キロ以上も移動した上にヒュージとの戦闘だから、疲れ果ててしまっても無理はないわ。好きなだけお眠りなさい。朝になったら私が起こしてあげるから」

「ありがとう、ロザリンデ。おやすみなさい……」

 

 そう言って目を閉じると、いくらも経たないうちに結梨はすうすうと寝息を立て始めた。

 いつもの結梨であれば、ロザリンデとの訓練で疲れて寝入ってしまっても、次の瞬間に目を覚ませば翌朝になっているはずだった。

 

 しかし、その夜は様子が異なり、深い眠りの中で、『あの時』海の中で聞こえた声が再び結梨の意識に呼びかけてきた。 

 

久しぶりだね、一柳結梨君。元気そうで何よりだ。

 

 美しい声はあの時と何も変わらず、抑制の効いた理性的な印象を聞く者の心に与える。

 結梨はそれを知ってか知らずか、いたって無邪気な声で返事をする。

 

あ、『そのまたお姉様』だ。ごきげんよう。

 

ごきげんよう。だが、その呼び名はちょっとね……『夢結のお姉様』でいいよ。

いや、そんな持って回ったような白々しい言い方は止めよう。

僕は川添美鈴、かつて白井夢結のシュッツエンゲルだったリリィだ。

 

美鈴っていうんだ、綺麗な名前だね。

でも、『だった』ってことは、今は夢結のお姉様じゃないってこと?

 

そうだ。今の僕は最愛のシルトである夢結を護ってやることはできない。

僕は既にこの世の人間ではないからだ。

二年前の甲州撤退戦で戦死し、それにもかかわらず、今こうして意識だけの状態で君の夢に現れている。

 

なぜ死んだはずの僕が君の前に二度も現れることになったのか、思い当たることが無いわけでは無いけれど、それはもう少し後で話すことにしよう。

 

君は僕に何か聞きたいことはあるかい?

今日はあの時と違って落ち着いて話ができそうだ。

僕が答えられる範囲のことであれば、君の期待に応えられるかもしれない。

 

 美鈴の言葉を聞いて結梨はしばらく黙っていたが、やがて何かを思いついたように質問を口にした。

 

美鈴は自分のこと、『僕』って言うんだね。

私、知ってるよ。美鈴みたいな人のこと、『僕っ娘』って言うんでしょ?

 

 それまでの深刻な発言をすべてひっくり返すかのような結梨の問いかけに、美鈴は絶句してしばらく答えを返せなくなった。

 それでも狼狽を隠せない口調ながら、ようやく返事を口にする。

 

何なんだ、その質問は……いや、どうしてそんな聞くに堪えない俗っぽい言葉を知っているんだ、君は。

 

碧乙が教えてくれたの。昔は自分のことを『僕』って言う女の子を、そういう呼び方してたって。

 

今の百合ヶ丘にはとんでもない俗文化にかぶれているリリィがいるようだ……待て、碧乙というと、まさか石上碧乙か、ロザリンデのシルトの。

 

うん、碧乙のお姉様はロザリンデだよ。

 

何てことだ、あの石上碧乙ほどの才媛に、そんな通俗的な趣味嗜好があったとは。

人は見かけによらないものだ。まあ、誰であろうと本当の姿なんて簡単には分からないか。

僕も人のことは言えないな。

 

 そう言った美鈴の声は、どこかしら自嘲じみているように結梨には聞こえた。

 

 

 

 

 




途中から二人ともネタキャラみたいになっていますが、ギャグ回ではありません。
次回から真面目に進行します。多分。


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第6話 夢枕(2)

前回と今回の話は、アニメ10話の髪飾りエピソード終了後から11話のヒュージ襲来前までの間の出来事として描いています。
かなり理屈っぽい内容になっていますのでご注意下さい。



 さて、君には聞きたいことが色々とあるけど、まずは僕のことから話そうか。

 君は僕のことを何も知らないだろうが、僕は君のことをそれなりには知っている。

 それでは少しばかり不公平に過ぎる。

 条件はなるべく対等にしておきたい。そうでないと、君に疑いを持たれては真実に辿り着けなくなってしまうから。

 それに、生前に一度も面識の無い君のことをなぜ僕が知っているのか、それも後で話してあげよう。

 

 結梨は黙って美鈴の言葉に耳を傾けている。

 

 まず、死者である僕が今こうして君の意識に現れ、言葉を交わしている状況がなぜ成立しているのか、その説明をしてみよう。

 甲州撤退戦で致命傷を負ったその時の僕は、夢結のCHARMだったダインスレイフの術式を書き換えて自らのCHARMとし、ヒュージに向かって行った。

 

 今となっては、なぜそんな行動をとったのか、僕自身にも判然とせず思い出すことができない。

 致命的な深手を負い、意識も半ば朦朧とした中での行動だったから、正常な判断ができなくなっていたのかもしれない。

 ひょっとしたら夢結のCHARMと共に最期を迎える覚悟だったのかもしれないが、それは僕の行動としてはちょっと感傷的すぎる。

 おそらくは何かしら現実的な目的があっての事だろうが、今の僕自身にも思い出せない以上は棚上げにしておくしかない。

 

 その時に僕が持っていたダインスレイフは、その後ヒュージと共に移動を繰り返し、最終的には相模湾のヒュージネストへと辿り着いたのだろう。

 なぜなら、相模湾のネストから百合ヶ丘へ襲来したラージ級ヒュージの体内に、正にそのダインスレイフが収まっていたからだ。

 アールヴヘイムと一柳隊によってそのヒュージは撃破され、ダインスレイフは再び百合ヶ丘のガーデンに戻った。

 今は工廠科の真島百由の管理下で保管と分析が行われている。

 

 そうした一連の動きをなぜ僕が知っているか。それは僕の自我、いや僕の非物質的情報が、そのダインスレイフの中のマギと共に存在していたからだと考えている。

 僕の記憶や人格といった非物質的な情報は、おそらくは僕がダインスレイフの術式を書き換えた後、クリスタルコアのマギを介してヒュージに、さらには相模湾上のヒュージネストに取り込まれた。

 それが百合ヶ丘のガーデンに襲来するヒュージの行動に影響を与えた、と僕は推測している。

 

 そう言ってしまうと、何か僕が問題の原因そのものみたいだが、それは僕の意図せざるところだ。

 大体、ヒュージと共にヒュージネストに入ったCHARMが、ヒュージの行動に影響を及ぼすかどうかなんて、何一つ確認されていない未知の事象だ。

 G.E.H.E.N.A.の物好きな研究者なら狂喜して研究対象にするかもしれないが、それは僕が今話そうとしていることの主題じゃない。

 

 そんなわけで、おそらく僕の記憶や人格というべきものは、ダインスレイフやネストのマギの中に存在しているのではないかと思う。

 それは勿論、幽霊でもなければ生霊でもなく、『僕が死を迎えた時点までの非物質的情報』なのだろう。

 

 ではただの情報に過ぎないそれが、なぜ生きている人間のように君に話しかけることができているのか。

 それは君の無意識がその情報を基にして、僕の人格をまるで生きているかのごとく動作させているのだと思う。いわゆるエミュレーションのような現象だ。

 僕が君のことを知っているのも実は逆で、君の無意識が、僕に君の情報を与えているんだ。

 

 なぜ君にそれが可能なのか。一つの理由として挙げられるのが、君とネストのマギとの接触だ。

 海上でのギガント級との戦闘時、そしてその後の海中での回復時において、君はネストのマギを自分の中に取り込んでいる。

 マギが単なる魔法エネルギーにとどまらず、それ以上の何かであるならば、CHARMの契約者の情報を何らかの形で内包している可能性もゼロではない。

 

 ダインスレイフの内に有ったマギ、そのダインスレイフを取り込んだヒュージ、さらにそのヒュージが辿り着いたネスト。

 そして、そのネストのマギを攻撃と回復のために自らの身体に取り込んだ一柳結梨。

 ここまで来れば、後は自ずから明らかだ。

 僕の記憶と人格は、マギを経由して君の中に移植されたんだ。

 

 そこまで語り終えて、美鈴の声は一息つくかのように間を置いた。

 じっと美鈴の話を聞いていた結梨は、彼女が話を区切ってしばらくの後、一つの疑問を口にした。

 

 でも、私は美鈴が言ってるダインスレイフを見たことも触ったこともないよ。

 ダインスレイフがヒュージと一緒にネストを離れた後は、ダインスレイフがどうなったか、ネストのマギには分からないと思う。

 いま私と話してる美鈴は、どうして今ダインスレイフがどこにあるか知ってて、それを私に伝えられるの?

 

 結梨の問いに対して、あくまでも一つの仮説にすぎないが、と断りを入れた上で美鈴は説明を始めた。

 

 ダインスレイフがこのガーデンの工廠科に保管されているということは、君から相当に近い距離にそれがあるということでもある。

 ネストの時のように直接に大量のマギを取り込む形ではなくとも、ごく微弱なものであってもダインスレイフが帯びるマギの影響を受けているのかもしれない。

 それによって一種の情報の同期とでも言うべき現象が発生しているかもしれない。

 

 その結果、ダインスレイフと共にあった出来事の情報が君の無意識に流れ込み、その情報が基となり、僕の記憶として話すことができているのかもしれない。

 かもしれない、ばかりで恐縮だが、僕も全知全能の存在なんかじゃない。

 結局の所は目の前で起こっている現象を観察して、仮説を組み立てていき、それが正しいか検証するしかないんだ。

 

 分かった。ありがとう、美鈴。

 

 ひとまずは、こんなところか。では次に、君のことについて話を進めてもいいかな。

 

 ここまでの話は前座だと言わんばかりに、美鈴の声は熱を帯び始めた。

 

 

 

 




美鈴様に無理やり説明役を担当してもらっています。
本来は百由様が適任なのですが、結梨ちゃんと直接会話してもらうわけにもいかないので、このような形になりました。

内容的には謎解きに属するものになっていますが、本文中で美鈴様が言及しているように、あくまで一つの仮説としてお読みいただければ幸いです。


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第6話 夢枕(3)

無駄に分かりにくい説明回は今回で終わりとなります。
前回と今回の話は、結梨ちゃんの能力に自分なりの理屈付けをしておきたかったためです。
読みにくいと感じられたらすみません。


 まず、僕から君への問いかけをする前に、君が持つ能力の特異性について今一度整理しておきたい。

 君の気分を害してしまうことがあるかもしれないが、ひとまずは黙って聞いていてほしい。

 

 さっきも言ったように、君は普通のリリィとは全く別の次元でマギを操ることができている。

 ちょうどあの海上のギガント級ヒュージがマギに操られず、逆にマギを操って砲撃をしてきたように。

 普通の人間とリリィの間に絶対的な差が有るのと同じく、普通のリリィと君との間にも絶対的な差が有る。

 

 およそマギが介在するものなら何であれ、君にはその動きと仕組みが手に取るように理解できているに違いない。

 君がギガント級ヒュージからの砲撃を全弾回避できたのも、ヒュージの体内にあるマギの動きを読み取って、発射前に反応できていたからだ。

 そうでなければ、ろくに実戦経験の無いひよっこのリリィである君が、あの砲弾の雨をかいくぐって敵の懐に飛び込めるわけがない。

 

 レアスキルの複数同時発動、ヒュージネストのマギを自らのものとして利用、ヒュージの動きを予測、いや正確には予知した上での戦闘行動。

 これらはすべて、君がマギを自由自在に感じ取り、操れることを意味していると僕は考える。

 

 それは攻撃や回避だけではなく、回復においても同様だ。

 あのギガント級ヒュージを君が撃破した後の爆発は、TNT火薬に換算して推定で数キロトン、戦術核にも匹敵する規模だった。

 おそらく砲撃のためにネストから供給された大量のマギがヒュージの体内に蓄えられていて、それが誘爆したためだろう。

 いかにリリィと言えど、そんなものに無防備で巻き込まれれば、ただでは済まない。

 たとえ撃破と同時に防御結界を展開したとしても、相当の負傷は免れない。

 にもかかわらず、君があの海岸で発見された時、衣服はすべて失われていたが、外傷は全く無い状態だった。ありえないことだ。

 

 だが、君の身体は特別製だ。

 並みのリリィなら確実に絶命してしまうような負傷でも、そんなことは君の場合、何の参考にもならない。

 同時に複数のレアスキルを発動して狂化の欠片すら見られなかったのも、同じ理由だろう。

 なぜ君が普通のリリィに出来ない事をいとも簡単にやってのけるのか。

 答えは簡単で、君の身体がそのように出来ているからだ。

 鳥に向かって、あなたはどうして空を飛ぶことができるのか、と問うようなものだ。

 

 私がヒュージの細胞から作られたから?

 

 気を悪くしたならすまない。でもこれは事実だ。

 君は遺伝子情報の上では、99.9%の割合で人間だ。

 だとすれば、人としての個体差と見なされる残り0.1%の部分に、その特別さの原因が存在している。

 人かヒュージかを判断する上で、不問に付されているその0.1%の中に。

 どうする?もうこれ以上のことは聞きたくないかい?

 

 ううん、かまわないよ。もっと話を聞かせて。

 

 ありがとう。では話を続けよう。

 あの時、君の身体はとても助かる見込みの無い状態で、生きているのが不思議なほどだった。

 それはヒュージへの攻撃にすべてのマギを使い果たし、爆発の防御に回すマギが全く残っていなかったからだろう。

 僕が君の身体とネストのマギを繋げることを提案したのも、確証があってのことじゃなかった。

 ただ他に何も可能性が無かったから、その方法を提案したに過ぎない。

 しかし結果として君は生還し、今またこうして僕と会話している。

 実際には肉声の無い意思だけのやり取りを、会話といっていいものかどうかは別にして。

 

 君はヒュージネストのマギを利用して、自らの身体を回復、もっとはっきり言えば『レストア』することに成功した。

 ネストのマギを攻撃に利用できるのなら、回復に利用できたとしても何も不思議は無い。

 そしてネストからの距離が開いて、ネストのマギを使えなくなって以降は、それまでに自分の体内に取り込んだマギを使って『レストア』を続けた。

 君が海岸で特務レギオンに発見された時、体内のマギがほとんど尽きていたのは、それが原因だろう。

 リジェネレーターもZも無しに、こうして君は自らの傷ついた身体を完全に回復した。

 

 これまでに発現した君の能力の説明は、こんなところだろう。

 さっきも言ったように、いま君に話しかけている僕は、かつて生きていた川添美鈴そのものじゃない。

 君の意識が知りたいと願っていることを、君の無意識が僕の姿を借りて説明しているだけだ。

 

 マギに蓄積されていた情報そのものは、君の意思で自由に引き出すことはできない。

 人が好きな時に好きな内容の夢を見ることができないように。

 君は自分が何者なのか、自分には何ができて、何をなすべきなのか、と考え続けているんじゃないか?

 それに応えるために君の無意識が夢の形をとって、君が望む情報を君に提供しているんだ。

 

 僕がこの場で君に問いたい事も同様に、君がこの先どのように生きていきたいかという事だ。

 君には極めて特別な能力がある。それをどう使うかは、結局のところ君次第だ。

 君は何のためにその力を使いたい?あるいは敢えて力を封印して生きていくかい?

 自らの危険も顧みずにギガント級に単独で突撃した君のことだ、後者は無いだろう。

 

 だからと言って、その身を公然と晒し、一柳隊の一員としてヒュージと戦うわけにもいかない。G.E.H.E.N.A.の目があるからだ。

 それに加えて、君の持つ強すぎる力はバランスブレイカーになりかねない。

 一柳結梨は、一人のリリィとして余りにも強すぎる。傑出している。

 皮肉にも、その事実が君の置かれている状況を、きわめて困難なものにしている。

 

 今の君は、いわば世界一の強力無比な剣だ。

 君の生存が明るみに出れば、誰もがその所有者になりたがるに違いない。

 

 他のガーデンが引き抜きを目論む程度は序の口で、非合法な手段に訴えてでも君を我が物にしたい組織や国家があることまで想定しておかなければいけないだろう。

 勿論その筆頭がG.E.H.E.N.A.であることは言うまでもない。

 

 それゆえに君の存在が公になった場合、君に生きていてもらっては都合が悪いと考える者さえ存在するかもしれない。

 鳴かぬなら殺してしまえ何とやら、くれぐれも用心することだ。

 

 そこまで美鈴の声が語った時、結梨は自分の意識が急速に覚醒へと引っ張られる感覚を覚えた。

 

 ……そろそろ僕の出番は終わりのようだ。

 次がいつになるか、そもそも次の機会があるかどうかも分からないが、それまでにはさっきの問いへの答えを用意しておいてくれると嬉しい。

 それではまた、ごきげんよう、一柳結梨君。

 

 ありがとう。また逢えるといいね、ごきげんよう、美鈴。

 

 急激に浅くなる眠りの中で、結梨は美鈴の声に別れを告げ、やがて意識は覚醒した。

 目を覚ました結梨は、自分がいつもの通りロザリンデに抱かれてベッドの中にいることを確認した。

 結梨が少し身動きすると、ロザリンデも目を覚まして結梨の顔を見た。

 もの言いたげな目で、じっとロザリンデを見つめる結梨に、ロザリンデが話しかける。

 

「どうしたの?怖い夢でも見た?」

「ううん、怖い夢じゃなくて、不思議な夢だった」

「不思議な夢?」

「うん、夢結のお姉様が出てくる夢」

「夢結って、二年生の白井夢結さんのこと?」

「そうだよ、夢結のお姉様の美鈴っていう人」

 

 それを聞いた刹那、ロザリンデの身体が一瞬こわばった。

 ぎこちない口調で苦しげに結梨に問いかける。

「……結梨ちゃん、どうしてその人を知ってるの?その人は二年前に亡くなっていて、結梨ちゃんと面識は無いはずなのに」

 

「ロザリンデ」

 結梨はロザリンデの問いには答えず、

「私、ロザリンデたちと一緒に、G.E.H.E.N.A.に苦しめられてるリリィを救いたい。

私もロスヴァイセの強化リリィ救出作戦に参加したい」

 そうはっきりと言い切った。

 

 

 

 



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第7話 天気晴朗なれども波高し(1)

 結梨が夢の中で美鈴の声と会話を交わしてから数日が過ぎた頃。

 伊紀が特別寮の自室で李組の日報を作成していると、ドアをノックする音が耳に入った。

 伊紀が入室を促す返事をすると、すぐにドアが開いて碧乙が姿を現した。

 

「ごきげんよう、碧乙様。何かご用ですか?」

「ごきげんよう。用事があったわけじゃないけど、今ちょうど私の部屋で三者面談が始まったから、人払いでこっちに来たの」

「三者面談、ですか?」

「ええ、結梨ちゃんとロザリンデ様と、理事長代行の三人で」

「えっ」

 意外な人物の名前が出てきたことに、伊紀は驚きを隠せない。

 

「何日か前に、結梨ちゃんが強化リリィの救出作戦に加わりたいってお姉様に言ったそうなの。

その件でガーデンとして参加を認めるかどうかの話をするんだと思う。

理事長室だと行き帰りの途中で誰かに見られる可能性があるから、代行直々にここまでお越し下さったというわけ」

 

「そうですか、結梨ちゃんがそんなことを……いろいろと思う所があるんでしょうね」

「そりゃまあ、記憶も無い状態で一柳隊に発見されて、それからいくらも経たないうちにヒュージ扱いで危うくG.E.H.E.N.A.送りにされかけて、その直後にギガント級と一騎打ちで刺し違えて、九死に一生を得て今度は私たちに発見されて、今は死亡扱いで潜伏中……となれば、何も考えない方がおかしいわよ」

「自分の人生どれだけハードモードなのかって思ってしまいますね、普通は」

 

 そう言う二人も強化リリィである以上、並々ではない過去を背負っているはずだ。

 しかし二人とも、今はそのことはおくびにも出さず結梨のことを気にかけている。

 

「自分も何か役に立ちたいと考えたのかもしれないけど、よりによって私たちの任務が対人戦闘メインの内容なのがね。これが対ヒュージだったなら、何のためらいも無く一緒に頑張ろうって言えるんだけど」

 

 無論、結梨もG.E.H.E.N.A.の強化リリィを仮想敵と想定した訓練は、ロザリンデを相手にして今日まで絶え間なく続けている。

 ただしそれは、G.E.H.E.N.A.に自分の存在を知られて逃亡することになった場合の備えとしてであるが。

 

「でも、実際に敵意や殺意を持ったG.E.H.E.N.A.の見知らぬ強化リリィを相手にして、迷いなく訓練通りの動きができるかどうか……そこが一番心配です」

「そうね。ヒュージの殺意には慣れていても、人の殺意なんて通常のレギオンには無縁のものだしね」

 伊紀の言うように、いざ現場でむき出しの敵意や殺意を向けられた時、心が乱れれば動きに隙を生じ、それが命取りになりかねない。

 

「私たちはただ、G.E.H.E.N.A.から逃れたい強化リリィを保護しようとしているだけなんですけどね。G.E.H.E.N.A.の強化リリィとだって、できるだけ戦いたくありません」

「足抜けを許さない反社会的組織そのものね。そもそも拉致同然のやり方で孤児や一般の女の子を組織に引きずり込んで、本人の同意も無く人体実験まがいの強化をしてる時点で外道の所業としか言えないけど」

 

 しかし現実には、G.E.N.E.N.A.の研究と実験によって実用化された強化とブーステッドスキルの技術があり、その成果と引き換えに表沙汰にはできない非人道的な扱いがG.E.H.E.N.A.の内部で数多く行われている。

 このことは今では誰もが知る、半ば公然の秘密となっている。

 にもかかわらず、社会全体としては必要悪としてG.E.H.E.N.A.の活動を黙認する考えが、無視できない割合にまで高まっている。

 

 全体の利益のために少数の犠牲を黙認するという思想、それは今に始まったことではなく、前世紀から連綿と続いてきた全体主義の系譜に位置付けられる。

 社会の中では少数派にすぎないリリィの、さらに少数派である強化リリィが抗議の声を上げにくいのも、ある意味では当然の成り行きなのかもしれない。

 

「だからと言って、G.E.H.E.N.A.のやることを大人しく黙って見過ごしてもいいってことにはならないわ。結梨ちゃんの希望そのものは何も間違ってなんかいない。

となると、あとは結梨ちゃん自身の覚悟の問題か……誰かを護るために他の誰かを傷つけるかもしれないという。たとえそれが明らかな敵対者であっても。難しいところね」

「私たちが口添えできるような問題ではないし、もしできたとしても、そうするべきではないのでしょうね。結梨ちゃんの心の中まで入り込んで、どうこう言えるほど無神経にはなりたくありません」

 

 いずれにせよ、この件に関して碧乙と伊紀は直接ガーデンに交渉できる立場ではないため、結梨とロザリンデが『面談』の結論を持ち帰ってくるのを待つことしかできないのだ。

 

「何とももどかしいですね、結果が出るのをここで待っているだけというのは」

「果報は寝て待て、とも言うわよ。さて、今ごろ御三方は何を話しているのやら」

 碧乙は先ほどまで自分がいた自室の方向を見やり、大きく一つ息をついた。

 

 

 




対G.E.H.E.N.A.の話になると、どうしても内容が重くなります。
重くはなりますが、鬱にはしないつもりです。
少なくとも百合ヶ丘ガーデン側の登場人物からは、死亡者と再起不能者は出さない予定です。
G.E.H.E.N.A.側はまだ分かりません。(内部での粛清とか普通にありそうなので)
G.E.H.E.N.A.がもう少しまともな組織なら、みんなで一致団結してヒュージと戦う胸熱展開に出来るのに……
結論:全部G.E.H.E.N.A.が悪い。


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第7話 天気晴朗なれども波高し(2)

今回は理事長代行が登場します。
独断と偏見により、老人口調ではなく一般的な話し方に変えています。
普通の口調だと言峰神父やブッカー少佐が脳裏に浮かんでくる……



 特別寮のロザリンデと碧乙の居室では、先刻から理事長代行の高松咬月を迎えて、結梨とロザリンデを合わせた三人での話し合いが行われていた。

 

「では、既に亡くなった川添君が一柳君の夢に現れて、そのように言ったと?」

 

「はい、当然ながら甲州撤退戦で戦死した川添美鈴さんと一柳結梨さんの間に面識はありません。

結梨さんも一柳梨璃さんや白井夢結さんから川添さんについて聞かされたことは無いそうです。

その川添さんが、先ほど私が説明した内容を結梨さんに伝えたということです」

 

「ネストやCHARMのマギを介して川添君の記憶と人格が一柳君の中に流れ込んだ結果、疑似的に川添君が一柳君の夢に現れ、一柳君の自己理解に必要な情報を与えた。

あまつさえ一柳君に今後の生き方についての意思確認まで促した、と」

 

「美鈴は、私の心が気にしてることを話すために夢に出てきたって言ってた。

私が知りたいことや、どうしたらいいか心の底で考えてることを、私に言うためだって。

夢の中の美鈴は本当の美鈴じゃなくて、私の心が作り出してる美鈴なんだって言ってた」

 

「おおよその経緯は分かった。単なる夢の話と片付けるには、少しばかり無理がありそうだな」

 

 咬月はそこで一旦言葉を切り、一呼吸置いた後で改めて話し始めた。

 

「以前に一柳隊がラージ級ヒュージから回収したダインスレイフに絡んで、最後の契約者が白井君ではなく川添君だったという情報がある。

それが事実なら、今聞かせてもらった一柳君の夢の内容とも一致する。

また、川添君のレアスキルについても不透明な部分が浮上している。

そのため、改めて川添君本人についての情報を一から洗い直しているところだ。

ダインスレイフの解析には二年生の真島君にも協力してもらって調査を進めている。

結果が判明次第、君にも情報が開示されるだろう」

 そう言って咬月はロザリンデの顔を見た。

 

「川添さんのレアスキルが不透明とは、どのような意味でしょうか?」

 ロザリンデは怪訝そうな表情で咬月を見返して尋ねる。

 

「これはまだ仮定の話だが」

 と、咬月は断りを入れた上で言葉を続ける。

「川添君のレアスキルは従来の我々の認識とは異なり、カリスマあるいはその上位スキルである可能性が高い。

君も知っての通り、カリスマは『類稀なる統率力を発揮する支援と支配のスキル』だ。

味方のマギを底上げし、士気を高揚させる。つまり、対象者の精神に強く影響を及ぼす。

仮に川添君のレアスキルがカリスマの上位種であった場合、相手の記憶を操作することさえ可能であると考えられる」

「つまり、川添さんについての私たちの記憶も、意図的に変更されていたかもしれないということですか?」

 

 しかし咬月は首を横に振り、ロザリンデの問いを肯定しなかった。

「今の段階でそこまで考えを進めるのは拙速に過ぎると思っている。

我々の記憶を操作して、川添君に何のメリットがあったというのか。

記憶の操作が事実なら、何の目的があっての事なのか、見当がつかないからだ」

 

「私の夢に出てきた美鈴は、変な感じはしなかった。私をだまそうとしてるような感じじゃなかったと思う」

 と、結梨は夢の中で会話した美鈴の印象を語った。

 

「君の夢に出てきた川添君は、本人そのものではないと言ったのだろう?

そうであるなら、生前の彼女とは別物と考えるべきだと思うが。

聞かせてもらった内容からは、夢の中の川添君は、君の本心をはっきりと意識させるための補助線として登場したように思える。

だから、ひとまずはレアスキルの件とは関係無いものとして扱った方がいい」

 

「私も代行のご意見に同意します。判断する材料に乏しい状態で、仮定に仮定を積み重ねていくことは危険に感じます」

「そうだ。言うまでもなく、今日の本題は川添君の問いに対する一柳君の答えの方なのだからな」

 そう言うと、咬月はロザリンデから結梨へ視線を転じた。

 

「一柳君、君は何ができるか、何をすべきかという川添君の問いかけに対して、G.E.H.E.N.A.の強化リリィを救うことを希望したと聞いている。

なぜ君が強化リリィの救出作戦に参加したいのか、その理由を君の口から聞いておきたい。

そのためにこそ、私は今日この場に来ていると言っていい」

 

 咬月の言葉を聞いた結梨は、しばらくの沈黙の後で静かに答えを口にする。

「それは、もう一人の私だから」

「どういうことかね?」

「私が梨璃と一緒に逃げた時、みんなが来てくれるのが間に合わなかったら、私はG.E.H.E.N.A.に送られてた。

今G.E.H.E.N.A.の中で苦しんでる強化リリィは、あの時G.E.H.E.N.A.に送られてたかもしれない私と同じ」

 

 咬月とロザリンデは何も言わず、結梨の言葉に耳を傾けている。

 結梨はなお言葉を続ける。

「梨璃や夢結たちが私を助けてくれたから、私は今ここにいる。

だから、梨璃や夢結たちが私を助けてくれたみたいに、私もその子たちを助けたい。

ロザリンデたちと一緒に、その子たちを助けたい。それが私の望み」

 

 結梨の答えを聞き終えた咬月は表情を変えないまま、

「君の考えはよく分かった。その答えをもって、私から理事長に上申しよう。

ガーデンの総意として君の作戦参加が承認されれば、次回の直命から出撃となるだろう」

 との発言によって、彼自身が結梨の回答を受け入れたことを表現した。

 

 ただし、と咬月は付け加える。

「限界的な状況下では、君とロスヴァイセの帰還を最優先する。

これはガーデンとして絶対に譲れない一線だ。

なぜなら、一人の強化リリィを救えないことより、君を失うことの方が遥かに重大な損失だからだ」

 そう言って、咬月は再び視線を転じてロザリンデを見る。

 

「仮にG.E.H.E.N.A.が一柳君を捕えて洗脳し、報復として百合ヶ丘を攻撃するように命令すればどうなるか、君には想像がつくだろう」

 咬月の指摘にロザリンデは目を伏せて沈黙したまま、何も言葉を発しない。

 咬月の視線は結梨に戻る。

「君の存在はそれほどまでに重いことをよく理解してほしい。いいかね、一柳君」

 

 咬月の言葉を聞き終えて、結梨は黙ってうなずいた。

「私が死んだり、G.E.H.E.N.A.に捕まって戻れなくなったら、ロザリンデたちが悲しい思いをする。

梨璃や夢結たちにも二度と逢えなくなる。そんなのは嫌。

だから約束する。必ず無事に生きて戻ってくるって」

 

 それを聞いて、隣に座っていたロザリンデは結梨の手を握り、咬月に、

「私の一命に代えても結梨さんを護る、というわけにはいかないのですね」

 と、確認をした。

「そうだ、君たちの誰一人欠けることなく帰還しなければならない」

「承知しました。必ず任務を果たし、全員が無事に帰還することを誓います」

 宜しく頼む、と咬月はごく簡潔に答えた。

 

 ロザリンデは次に結梨の方を見やって、気遣うように問いかける。

「でも、いいの?結梨ちゃん。

救出の過程でG.E.H.E.N.A.側の強化リリィと戦闘になることも往々にして起こりうる。

G.E.H.E.N.A.側の強化リリィと戦えば、相手を傷つけることになるかもしれない。

それでもいいの?」

「誰も傷つけないように戦って、助けるから」

「相手を傷つけないように無力化するということ?」

「うん」

「オットー君、それは可能なのか?」

 咬月がロザリンデの姓を呼んで問う。

「相手の体に攻撃を命中させず、CHARMのみを破壊できれば可能です。

ただし、それは圧倒的な彼我の実力差があって初めて成立する戦術です」

「一柳君にそれが出来ると思うかね?」

「彼女に日々の戦闘訓練を実施している、この私が保証します」

 今日の話し合いが始まってから初めて、ロザリンデは不敵な笑みを湛えて答えた。

「それなら重畳だ」

 咬月は安堵した表情でうなずき、本日この場で話し合うべき内容は終了した。

 

 

 

 

 

 咬月を見送った結梨とロザリンデは伊紀の部屋に向かい、ドアをノックした。

 すぐにドアが開き、碧乙と伊紀が顔を出した。

 碧乙が慌ただしくロザリンデに尋ねる。

「面談の結果はどうだったんですか、お姉様。

結梨ちゃんは救出作戦に参加できるんですか?」

「ええ、ほぼ内定したものと考えていいと思うわ。おそらく参加は認められる。

早ければ来週にも出撃の直命が下るでしょう」

 ロザリンデは碧乙と伊紀に、先程の話し合いの内容を手短かに伝えていく。

 

「……そうですか、敵に攻撃を当てずにCHARMだけを破壊する……

でも、結梨ちゃんがやられそうになったら、私が遠慮なく敵をぶっ飛ばすから、止めても無駄ですよ」

「大丈夫。私、結構強いんだよ。ね、ロザリンデ」

「そうね。私と一緒にあれほど日々訓練を重ねているのだから、並みの強化リリィでは百人がかりでも相手にならないでしょう」

 それはいくら何でも大げさなのでは、と碧乙は言いかけた。

 しかしロザリンデの本気の訓練について行けるということは、つまりそういうことなのだと碧乙は理解した。

 

「では事前に伝えられている作戦の概要を説明しておきましょうか。

伊紀、このまま部屋の中でブリーフィングをしてもいいかしら」

「もちろんです、ロザリンデ様。結梨ちゃんも一緒に聞いてもらうんですよね」

「ええ、なるべく噛み砕いて話すようにするわ。だから、よく聞いておいてね」

 そう言うとロザリンデは結梨の肩を抱き、二人は並んで伊紀の部屋に入って行った。

 




後半部はラスバレのヘルヴォルイベントストーリーを読んでから書いたので、その影響を受けているかもしれません。
エレンスゲ司令部と旧ヘルヴォルどんだけブラックやねん……


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第7話 天気晴朗なれども波高し(3)

 

 

 夜明け直前のまだ薄暗い林の中の廃道を、一人の少女が疾駆していた。

 満月は西の空に没しようとし、それと逆の東の空は白み始め、日の出が間近に迫っていることを示していた。

 少女の右手には一振りのCHARMが握られており、それは彼女が一人のリリィであることを表している。

 

 先程から少女はしきりに後方を気にしていた。

 誰かが背後から自分を追跡している。

 内通者の手引きで、うまく『施設』を、すなわちG.E.H.E.N.A.ラボを抜け出したつもりだった。

 だが、どこかで不可視波長の光学センサーにでも引っかかったのか。

 

 CHARMを持って常人離れした速さで走り続ける自分について来ているということは、追跡者も自分と同じリリィ、正確には強化リリィだ。

 もし追いつかれれば、確実に『施設』に連れ戻され、手ひどい処罰を受けるだろう。

 おそらくは今までよりも段違いに過酷な条件での『実験』に『協力』させられ、いっそう心身を蝕まれていくに違いない。

 

 少女が知っているだけでも、これまでに十を越える数の『被験者』が姿を消した。

 脱走に成功したのか、『実験』に失敗して狂化の果てに処分されたのか、意識の戻らぬ廃人と化したのか、それは誰にも分からなかった。

 その想像は少女の心に戦慄を与え、心拍と呼吸を乱させるに十分な恐怖を引き起こした。

 あんな所に戻されてたまるものか。何としてでも逃げ切ってやる。

 

 やがて少女は廃道の終点に達し、開けた草原に出た。

 野球場が幾つも入るほどの広い草原は、夜明け前の薄明に照らされて朝霧に包まれている。

 この草原の向こう側に救出者との合流地点があると、内通者からは聞かされている。

 そこまで辿り着ければ、この窮地を脱することが出来るはずだ。

 

 深い霧が一面に立ち込めているため、ここから草原の向こう側は見えない。

 だが、立ち止まれば即座に追跡者に追いつかれる。

 少女はこれまでの進行方向を維持したまま、速度を落とさずに霧の中を走り続ける。

 視界は10メートルから15メートルほど、遠望は全く利かない。

 あとどのくらいでこの草原を抜けられるのか、視覚では見当がつかなかったが、ただ全力で走り続ける。

 早くここを抜けて助かりたい。もう絶対に、あそこには居たくない。

 

 おそらくは草原の半ばまで進んだであろう時、少女のCHARMを持たない左手を突然誰かが掴んだ。

 咄嗟に振り向く暇もなく、その手を強く引っ張られ、少女は体のバランスを崩す。

 もんどり打って地面に倒れ込んだが、かろうじてCHARMを手放すことは免れた。

 すぐに起き上がって体勢を立て直し、周囲を見回すが、人影は見えなかった。

 草原の終端までは、まだかなりの距離があることは明白だった。

 

 とうとう追いつかれた。

 追いつかれてしまった以上は、追っ手を返り討ちにして逃げるしかない。

 相手は霧の中に隠れて気配を消している。

 どこから攻撃が飛んでくるか分からない。

 全身に緊張を張り巡らせ、敵の攻撃に備えるが、依然として相手は姿を見せない。

 どこにいる、早く出て来い。

 こちらから姿が見えないということは、向こうからもこちらが見えていないということだ。

 しかし、このままでは進むことも退くことも出来ない。

 

 ならばこちらから動いてみるかと少女が思案した時、前方の霧の中から、ゆっくりと一人の女性が現れた。

 少女より少し年上に見えるその女性は、やはり右手にCHARMを携えている。

 間違いなく追っ手の強化リリィだ。

 細身の長身と長い黒髪を持つその女性の目には、氷の如く怜悧な光が宿っていた。

 

「まったく、手を煩わせてくれる。

大した戦闘能力も無いくせに、逃げ足だけは一人前と来ている。

くだらない鬼ごっこに付き合わされる方の身にもなってほしいものだ」

 

「私が絶対に戻らないと言えば、あなたはどうするつもり?」

 

「施設長からは、お前の生死を問わず連れ帰るように命令されている。

どうしても『施設』に戻ることを拒否するのなら、お前にはここで死んでもらう。

だが、お前の死体を担いで帰るなどまっぴらだ。

死体はここに置いて認識票だけ持ち帰れば、それで事足りる」

 強化リリィはごく事務的な口調で、少女の首に掛けられている金属製の小さなプレートを見ながら言った。

 

 少女はその発言を聞いて覚悟を決めたのか、CHARMを正面に構え、目の前の強化リリィとの戦闘態勢に入った。

「そうか。無駄な行為だとは思うが、せいぜい足掻いてみることだな。

案ずるな、すぐに諦めさせてやる」

 

 強化リリィはゆっくりとCHARMを振り上げると、次の瞬間、少女に向かって飛び込み、斬りかかった。

 その攻撃が手加減したものか全力のものなのか、少女にはそれを見極める余裕など皆無だった。

 上下左右のあらゆる方向から自分に襲いかかってくる斬撃を受け止め、隙あらば繰り出される蹴り技を防御することしかできない。

 こちらから攻撃を仕掛けることなど論外で、ひたすらに防戦一方の状態を続けるのみだった。

 

「やはりこんなものか、まだまだだな」

 露骨に失望の表情をあらわにして、強化リリィは斬撃の速度を一段階上げた。

 たちまち少女は強化リリィの攻撃を凌ぎきれなくなり、一歩また一歩と後ろに押されていく。

 そして少女の防御能力が限界に達した時、強化リリィの回し蹴りが少女の右手首を強打した。

 その衝撃で少女の手から離れたCHARMが宙を飛び、10メートル以上も離れた場所に落下した。

 

 CHARMを失い徒手空拳となって茫然とする少女を、強化リリィは無表情に眺めている。

「どうした?あそこに転がっているCHARMを拾いに行って、私に攻撃しても構わないぞ。

お前がCHARMを拾い上げるまで、私はここで待っていてやろう」

「そう言っておいて、私が背を向けてCHARMを拾いに行こうとしたら、即座に斬り捨てるつもりでしょう」

「自分を殺そうとしている相手を信用できるはずもない、か……ではここで大人しく私に殺されることを受け入れるのだな」

 

「あなたと戦って勝てないことはよく分かったし、逃げおおせることも出来ない。

でも『施設』に戻るくらいなら、死んだ方がまだまし。

もう疲れた。もういい、ここで死なせて」

 痛む右手首を押さえながら、地面を見つめて少女は諦めの言葉を吐いた。

 

「『施設』に居れば命だけは保証されるというのに、それ以上のものを求めて死に急ぐ馬鹿者が後を絶たない。お前もその一人だ」

「命を保証される代わりに、ブーステッドスキル付与の人体実験を受けさせられて、モルモットになれと?

『実験』が失敗して狂化してしまい、処分される者も珍しくないのに。

そんなのは人として生きているとは言えない。使い捨ての奴隷よ。

私を見下しているあなただって、ただの奴隷警備兵みたいな存在でしかない。

きっとあなたも、いつかはG.E.H.E.N.A.に使い捨てられる。消耗品のように」

 

「遺言はそれだけか?なら、そろそろお開きにさせてもらうぞ」

 少女の言葉に心を動かされた様子も無く、強化リリィは少女の命を絶つべくCHARMを少女の頭上に振り上げた。

 少女は死すべき己の運命を受け入れ、その場に立ち尽くして身動き一つしない。

 

 その時、強化リリィの視界の片隅に小さな赤い点が生じた。

 強化リリィはその輝点がCHARMの発砲炎であることを瞬時に理解した。

 すぐさま振り上げたCHARMを防御に回すべく、射線上に押し立てる。

 次の瞬間、超音速で飛来した弾丸がCHARMに弾き飛ばされ、飛び散った火花が周囲を白く照らし出す。

 その光に一瞬遅れて、弾丸の発射音が霧に包まれた草原に響き渡った。

 

 不意打ちの攻撃をしのいだ強化リリィが少女に視点を戻した時、既にその姿は元の場所には無かった。

「どこへ行った……?」

 強化リリィが周りを見回すと、10メートルほど離れた所に人影が目に入った。

 そこにはCHARMを右手に携えた黒衣のリリィが、少女を左手に抱きかかえて立っていた。

「遅くなってごめん。もう大丈夫だから」

 まだ幼さの残る声で黒衣のリリィは少女に謝ると、強化リリィの方へゆっくりと向き直った。

 

 

 

 



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第7話 天気晴朗なれども波高し(4)

 

 強化リリィに対峙して立っている黒衣のリリィの右手には、砲口からマギの残滓がわずかに青白く立ち昇るCHARMが握られている。

 全てのパーツが黒色であること以外は、ごく一般的なアステリオンだ。

 そのアステリオンをシューティングモードからブレードモードへと、黒衣のリリィは変形させた。

 

 黒衣のリリィは対催涙ガス用であろうゴーグルを装着していて、人相は分からない。

 だが、全身に漆黒の制服を纏っていることから、一見して特殊部隊に類するレギオンのリリィだと判断できる。

 それにしては少女に話しかけた時の幼い声といい、やや未成熟な体つきといい、実戦の場に出てくるには少し早いような印象を強化リリィは受けた。

 

(こいつはまだ新米のひよっこか……大方、外部の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィだろう。

しかし、さっきの射撃は実に正確に私を狙ってきた。

発砲音とのタイムラグを考えると、射撃地点はここから100メートル近く離れていたはずだ。

その距離を瞬時に詰めたということは、こいつは縮地のレアスキルを持っているのか。

しかもかなり高ランクの)

 

 射撃と少女の確保を黒衣のリリィが一人で実行したであろうことは、いまだに第二射が来ないことからも明らかだった。

 草原を覆う霧はしだいに晴れつつあった。

 今のところ、三人の他に周囲に人影は見当たらない。

 

(こんな嘴の黄色いひよっこが出張ってくるとは、随分と舐められたものだな)

 自分の獲物を横取りされた強化リリィは、憤怒に燃える目で黒衣のリリィを睨む。

「お前、わざとCHARMの発砲炎が私の視界に入る位置から撃ったな。

なぜだ、背後から撃てば私を一撃で仕留められたかもしれないのに」

 

 怒りを露わにして問い正す強化リリィに対して、対照的に黒衣のリリィは冷静に答える。

「私はあなたを傷つけたくないから。ただ、この子を助けたいだけだから」

 

 その返答を聞いた強化リリィは、敵意に満ちたまなざしで酷薄な冷笑を浮かべた。

「ふん、非暴力不服従で正義の味方気取りというわけか。

いかにも反G.E.H.E.N.A.主義の連中らしい綺麗事だ。

エリートの絵空事を錦の御旗の如く振りかざして、自己満足の極みだな。

お前たちの陣営にも少なくない数の強化リリィがいるだろうに。

そいつらの戦力は対ヒュージ戦闘において重要な役割を果たしているはずだ。

自分たちは強化リリィの能力を戦力として利用しておきながら、その『製造元』であるG.E.H.E.N.A.の邪魔をする。

とんだダブルスタンダード、ご都合主義だ。そうは思わないのか?」

 

 黒衣のリリィはその挑発には何も答えず、黙って強化リリィとの間合いを計っている。

(やはり見えすいた煽り文句には乗ってこないか。

ひよっこと言っても一通りの感情制御訓練は受けているだろうからな。

それなら正面からやりあってみるとしよう)

 

 強化リリィは一歩前に進み出て、今一度、黒衣のリリィに問いかける。

「自分の身を危険に晒してまで助けるほどの価値が、そいつにあると思うのか?」

「あるよ。だってこの子はもう一人の私だから」

「何を言っている?そいつはお前の血縁者か?」

「違う、でも私はこの子を助ける。G.E.H.E.N.A.から救い出すの」

「分からんことを……それならやってみせることだ、この私を倒して」

「うん、そうする」

「上等だ。では遠慮なくやらせてもらうぞ」

 強化リリィは更に一歩踏み出し、CHARMを正面に構えた。

 

「危ないから後ろに下がってて。すぐに終わらせるから」

 黒衣のリリィは少女を自分の後方に下がらせ、自らは強化リリィに向かって迎え撃つ態勢を取る。

 

「そいつを護りながら戦えば、お前の戦闘能力は何割も低下するぞ。

それが分からないはずはない。

そいつを背後に庇いながら戦うということは、お前は私の攻撃をすべて受け止めなければいけない。

かわすことも飛び下がることもできない。

そんなハンデを背負って私に勝つつもりか?」

「あなたみたいな人には負けない」

「結構、それではお手並み拝見といこう。あの世で己の甘さを悔やむことだな」

 そう言い捨てると、強化リリィは黒衣のリリィに向かって一気に間合いを詰めて斬りかかった。

 

 身を引いて攻撃をかわすことが出来ない黒衣のリリィは、その斬撃をまともにCHARMで受け止める。

 強化リリィは黒衣のリリィを斬り倒さんとすべく、縦横無尽に斬撃を繰り出していく。

 しかし黒衣のリリィは一歩も退かず、繰り出されるすべての攻撃を受け止め、隙あらば反撃の一振りを強化リリィに浴びせようとする。

 

 十合も斬り結ばないうちに、強化リリィは相手が並みの使い手ではないと分かった。

 少なくとも先程の少女とは天と地ほどの実力差がある。

 

「なかなかどうして、やるじゃないか。大したものだ。予想以上だ。

人は見かけによらないとはこの事だ。

だが、護るものを抱えて戦っている時点で、お前に勝ち目は無い。

今からそれを証明してやろう」

 次の瞬間、強化リリィの姿が瞬時に消えた。

 

 黒衣のリリィは、強化リリィも自分と同じく縮地のレアスキルを持っていたことを知った。

 そして強化リリィがどこに移動するつもりなのかも。

 強化リリィに何百分の一秒か遅れて、黒衣のリリィも縮地を発動し、姿を消した。

 

 強化リリィは自らが縮地を発動した瞬間、己の勝利を確信した。

 相手より先に縮地を発動すれば、相手より先に移動を完了できる。

 強化リリィは、黒衣のリリィの背後にいる少女の眼前に瞬間移動するべく縮地を発動した。

 

 黒衣のリリィがそれに気付いて縮地を発動しても、自分の方が一瞬早く移動を終えられる。

 その一瞬のアドバンテージがあれば、丸腰の少女を斬り捨てることは造作も無い。

 少女が死んでしまえば自分の任務は達成でき、黒衣のリリィは任務に失敗する。

 任務に失敗した特殊部隊が、その場に留まる理由は無い。

 黒衣のリリィが撤退した後に、悠々と少女の遺体から認識票を回収すればいい。

 

 しかし強化リリィの目論見は、縮地の移動が完了した瞬間に潰えることとなった。

 強化リリィが少女の前に現れた時、その眼前には既に黒衣のリリィが立ちはだかっていた。

 強化リリィが驚愕の表情を作るよりも早く、黒衣のリリィがCHARMを下から上に振り抜き、強化リリィの手からCHARMを跳ね飛ばす。

 

 回転しながら空中に高く舞い上がる強化リリィのCHARMに向かって、黒衣のリリィは再び縮地を発動した。

 次の瞬間に、放物線を描いて宙を舞うCHARMの至近に黒衣のリリィは現れた。

 既にブレードモードからシューティングモードへ、CHARMの変形を終えている。

 そして強化リリィのCHARMのマギクリスタルコアに向けて、ゼロ距離から発砲した。

 

 寸分の狂いも無くマギクリスタルコアの中心に弾丸が命中し、破壊されたコアの破片が星屑のように輝きながら舞い散った。

 コアを喪失した強化リリィのCHARMは機能を停止し、ただの金属塊となり、地面に落下した。

 コアの破壊音を聞いた時、強化リリィは自分が無力化されたことを理解した。

 この時点をもって、強化リリィと黒衣のリリィの戦闘は実質的に終了した。

 

 

 

 




最後は能力バトルものみたいになりました。
やっと結梨ちゃんTUEEEEEEE!描写が出来た……つもり。
諸々の説明は次回の投稿でします。


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第7話 天気晴朗なれども波高し(5)

 

 空中で強化リリィのマギクリスタルコアを破壊した黒衣のリリィは、三度目の縮地を発動し、少女のすぐそばに現れ、着地した。

 少女を背にして強化リリィと対峙する構図は先程と変わらない。

 しかし相手の強化リリィは武装であるCHARMを失い、丸腰の状態である点が決定的に異なっていた。

 

 強化リリィは茫然とその場に立ち尽くしていたが、一度天を仰いだ後、気を取り直したように黒衣のリリィに向き直った。

「完敗か。これほど見事に一本取られたのは初めてだ。

こうなった以上、生殺与奪の権はお前にある。

煮るなり焼くなり好きにすればいい。

だが、その前に幾つかお前に聞いておきたいことがある。

気が向いたなら答えてほしい」

 強化リリィの言葉に、黒衣のリリィは黙ってうなずく。

 

「最初の射撃で、お前は視界の効かない霧の中から正確に私を狙って撃ってきた。

しかも 100メートル近い距離からだ。

それが出来たのは何故だ?そのゴーグルに赤外線を感知する機能があるのか?」

「違うよ、あなたとこの子のマギが分かったから」

「どういうことだ?」

「二つのマギの塊があって、一つがもう一つを追いかけて攻撃しようとしているみたいに感じたから。

それで、攻撃しようとしている方のマギに向けて撃ったの」

 

「お前は視覚によってではなく、マギを感知することで私の位置を正確に特定できたというのか。

にわかには信じがたい話だが……」

「うそじゃないよ。ほんとに分かるもん」

 黒衣のリリィは子供っぽい口調で、やや憤慨気味に反論した。

「そうか、面白いやつだ。

お前の身体にはマギを感知するレーダーが備わっているというわけか。

機能としては『この世の理』に似ているが、あれはマギというより力のベクトルを感じ取るものだ。

若干性質が異なっているようにも思われるな……」

 

 そこまで言って、強化リリィは少し考え込む様子を見せたが、すぐに気を取り直して、質問を続ける。 

「では、もう一つ聞かせてほしい。

私が縮地を発動した後で、お前は私の後から縮地を発動し、それにもかかわらず私を追い抜いて移動を完了させた。

お前の縮地はただの縮地ではないな。

少なくとも私より段違いに上のレベルであることは間違いない。

お前の縮地は『異界の門』と呼ばれるS級のレベルに達しているのか?」

 

「うーん、よく分からないけど、あれ以上は速く動けないと思う。あれが私の全力」

「……お前はもう少し自分の能力に対して意識的になるべきだ。

強すぎる力は使い方を誤れば、スピードを出しすぎた車のように自分を滅ぼしかねない」

「うん、それで一度死にかけて怒られた。それからは気をつけるようにしてる」

「やはりそうか。釘を刺してくれる者がそばにいるのなら、それでいい。

さて、丸腰になったとはいえ、私は無傷だ。

何とかして起死回生と行きたいところだが……」

「まだ私と戦いたいの?」

「ああ、正直なところ、まだわずかでも戦える可能性があれば、お前を倒したい気持ちはある。

だが―――」

 

 強化リリィの視線は、少女との戦闘で彼女の手から蹴り飛ばしたCHARMに向けられている。

(あそこに転がっている小娘のCHARMを拾って私と再契約すれば、まだ戦えるか?

しかし、果たして再契約する時間的猶予など作れるのか……?)

 強化リリィが逡巡したその時―――

 

「残念だけど、わずかの可能性も無いわ。今のあなたには」

 突然、強化リリィの背後から別の声が聞こえた。

 強化リリィが振り返ると、自分と同じか若干年上と思われる女性が、十歩ほどの距離を置いて立っていた。

「そこまでにしておきなさい。もう勝敗は決している。

これ以上抵抗しても意味は無い」

 その女性は、やはり黒衣のリリィと同じ漆黒の制服に身を包み、アステリオンを携え、ゴーグルを装着している。

 だが、銀色の長い髪と均整の取れた身体、一分の隙も無い身構え、明らかに先に現れた黒衣のリリィとは違う歴戦のベテランだと見て取れる。

 

「本当に危なくなったら戦闘に介入するつもりでいたけど、取り越し苦労だったようね」

 銀髪のリリィ―――ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーは、強化リリィの向こう側にいる黒衣のリリィ―――一柳結梨に声をかけた。

「私、できたよ。ちゃんと見ててくれたよね」 

 結梨はロザリンデに向かって元気よくぶんぶんと手を振った。

 

「もう一人いたのか、気配を消して潜んでいたな。まあそうだろうな。

いくら腕が立つとはいえ、こんな新米を単独で現場に出すはずもない。

支援する仲間が控えていてもおかしくはないと思っていたが、どうやらお前がこの新米の上官のようだな」

「どちらかと言うと、保護者か母親代わりみたいなものだと周りは思っているようだけど」

「そうか。大した逸材だな、このひよっこは。

反G.E.H.E.N.A.主義者でなければ、私の部下に欲しいくらいだ」

「それは残念ね。私と同じく、その子は筋金入りの反G.E.H.E.N.A.よ。

天地がひっくり返ってもあなたたちの陣営につくことは無いわ」

 ロザリンデはあっさりと強化リリィの発言を袖にした。

 

「さあ、決着はついたし、長居は無用よ。もう帰りましょう」

 そう言ってロザリンデはそのまま強化リリィの脇を通り抜け、結梨と少女の方へ歩み寄った。

 ロザリンデは強化リリィに読唇されないように口元を手で隠して、結梨の耳元でささやく。

「合流地点で碧乙と伊紀が待機しているわ。早々に引き上げましょう。その子の右手も早く治療してあげたいし」

 ロザリンデは赤く腫れている少女の右手首を見やった後、後方の合流地点に向けて出発するよう二人に促した。

 それを見た強化リリィは三人に向かって問う。

「待て、このまま私を見逃すつもりか。この場で私を始末しておかないのか」

「あなたを殺める理由など、どこにもない。

私たちは戦争をしているのではないのだから」

 ロザリンデは迷い無く言い切った。

 

「その甘さは、いつかお前たちを滅ぼすぞ」

「その甘さを捨ててしまったら、私たちはG.E.H.E.N.A.と変わらない存在になってしまう。

目的のために犠牲を強いるG.E.H.E.N.A.の理想と、私たちの理想は違う方向を向いている。

どちらが正しいのかは、後の歴史が証明することになるでしょう」

「逃げ口上が上手いな。次に会うことがあったとしても、私は躊躇なくお前たちを殺そうとするぞ」

「どうぞご自由に。その時はまたあなたのCHARMをスクラップにしてあげるから」

 その言葉とともに、ロザリンデは強化リリィの足元に催涙グレネードを転がした。

 

 たちまちグレネードから噴き出した白い催涙ガスが両者の間を覆い、強化リリィの視界を遮断した。

 催涙ガスに巻き込まれないように強化リリィはじりじりと後ずさる。

 その間に、結梨とロザリンデは少女のCHARMを回収し、少女とともに草原を後にした。

 数十秒の後に催涙ガスの塊が風に流された時、強化リリィの視界に三人の姿は映らなかった。

 草原の霧は既に晴れ、雲間から覗く朝陽が朝露に濡れる草の葉を照らしている。 

 

「営倉入りと降格は免れんか。己の実力を過信した愚か者にふさわしい自業自得だな。

こうなったからには、覚悟を決めて一兵卒からやり直すしかないな」

 強化リリィは自分以外誰もいなくなった無人の草原を眺め、自嘲の笑みを浮かべた。

 そして自らを縛りつけると同時に拠り所でもあるG.E.H.E.N.A.ラボへの道を戻るべく、踵を返して歩き始めた。

 

 




追記
前回の後書きでの「諸々の説明」とは、今回の強化リリィと結梨ちゃんの問答部分のことです。
次回はエピローグ的な内容を投稿する予定です。


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第7話 天気晴朗なれども波高し(6)

 

 救出作戦が終了した日の午後、特別寮のロスヴァイセ専用ミーティングルームには、結梨、ロザリンデ、碧乙、伊紀の四人と、それに加えてもう一人の人物が集っていた。

 

「では、本日早朝の作戦に参加したメンバーが全員揃いましたので、今から内容のレビューを始めたいと思います。よろしくお願いします」

 ロスヴァイセの主将である伊紀が、『極秘』の印が押された戦闘詳報の書類を各自に配布していく。

 

 書類を受け取った碧乙は、その文面に目を落とす前に、ロザリンデに向かって挙手をした。

「ロザリンデ様、私から一つ質問があります」

「どうかしたの、碧乙」

「はい、なぜかこの部屋に一人だけ部外者が居るんですけど、どういうことでしょうか」

 碧乙はその『部外者』を横目でじろりと見て、ロザリンデに異議を申し立てる。

 

「作戦の経過と結果について、生徒会を代表して直接内容の確認をしておきたいと連絡を受けたのよ。それで今日この場に同席してもらっているの」

「分かりました。で、その生徒会の同席者が、どうして結梨ちゃんを膝の上に乗せて頭を撫でてるんですかねえ?祀さん」

「もちろん、あくまでも私は生徒会のオブザーバーとしてここにいるのよ。

何もやましい所やよこしまな気持ちなんて無いわ、碧乙さん。

それに結梨ちゃんは当分の間、梨璃さんに逢える目処が立っていない。

だから私は梨璃さんの代理として、結梨ちゃんが元気でいるか確認することも兼ねてここに来ているの。

もっとも、結梨ちゃんのことを梨璃さんに伝えるわけにはいかないけど」

 久しぶりに結梨に逢えていかにも嬉しそうな様子で、オルトリンデ代行である二年生の秦祀は隣に座る碧乙に答えた。

 

 結梨は特に嫌がることもなく、祀の膝の上で頭を撫でられるに任せている。

「結梨ちゃん目当てに来ておいて、よくも白々しい建前をぬけぬけと……なら結梨ちゃんを膝の上に乗せてる理由は何よ、普通に座ればいいじゃない」

「これは単なるスキンシップの一つよ、どうぞお気になさらず」

「スキンシップの方が本命のくせに、この拗らせオルトリンデ代行は相変わらず面倒くさい…… もっと素直になりなさいよ」

 と、文句を言う碧乙の横で、おとなしく祀の膝に乗っている結梨を見た伊紀が問いかける。

「でも、結梨ちゃんは祀様のこと、もう大丈夫になったんですか?

以前は全く祀様に懐いていなかったと聞きましたけど」

「うん、今は別に嫌じゃない」

「初めの頃の拒絶は一体何だったのかしら……謎だわ」

 その時の原因について思い当たるところが無く、祀は苦笑した。

 

「結梨ちゃんの心が成長して、好き嫌いや人見知りが無くなってきたんでしょうか。良かったじゃないですか、祀様」

「ありがとう、伊紀さん。そうね、初めは好かれてたのに、後になって嫌われるよりは余程いいわ」

「結梨ちゃんも少しずつピーマンや納豆みたいな癖のある物が食べられるようになってきたということね」

「人をピーマンや納豆になぞらえるのは失礼ではなくて?碧乙さん」

「ああ、こんなややこしい人より、もっと竹を割ったようにさっぱりした人柄のリリィに来てほしかったなー、残念だなー」

 碧乙は祀と反対の方向を向き、わざとらしく独り言を口にした。

 

 それに対して、祀はあくまでも微笑を絶やさずにやり返す。

「それなら、私じゃなくてブリュンヒルデにお越しいただいた方が良かったかしら?

史房様ならあなたの希望にぴったりのお人柄だし、何も問題無いわよね?」

「祀さん、あなたの言ってることは真綿で首を締められるか、千尋の谷に突き落とされるかの二者択一を迫っているに等しいわよ」

「あら、私と史房様のどちらが真綿で、どちらが千尋の谷なのかしら」

「そのわざとらしい質問の仕方が、もう答えになってるじゃない。

こんな癖球のコーチにBZの指導を受けてる梨璃さんに同情を禁じ得ないわ」

「それは心外ね。あなたと違って梨璃さんは人を疑うことを知らない純真無垢なリリィだから、とっても素直に私の言うことを聞いてくれるわよ。あなたと違って」

「二度言ったわね」

「大事なことなので」

「結梨ちゃんも、こんな性悪の生徒会長代理の言うことなんて聞く必要ないんだからね。

何なら今から私の膝の上に乗り換えても構わないくらいよ」

「ううん、今日はこのままでいい」

 結梨は二人の不毛なやり取りには関心の無い様子で、伊紀から手渡された戦闘詳報に熱心に目を通している。

 

「二人とも、もうそのくらいにしておきなさい。この調子だと本題に入る前に日が暮れてしまうわよ」

「……はぁい」

 ロザリンデの仲裁に碧乙と祀が同時に返事をし、ようやく本日のミーティング内容である作戦結果のレビューが開始されることとなった。

 

 

 




遅筆のためエピローグが一回で書き切れなかったので、次回もこの続きとなります。
祀様の性格描写はこんな感じでいいのだろうか……


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第7話 天気晴朗なれども波高し(7)

 

「結梨ちゃん、これちょっとやりすぎだよ~。ドヤ顔が目に浮かぶじゃない」

 戦闘記録の詳報を見ながら碧乙が苦笑いした。

 

 今朝早く実施された救出作戦の結果を記録した詳報は、当然ながらその大部分が結梨の戦闘に関する記述で埋められていた。

 ローテーブルを囲んでソファーに座る五人は、それぞれの手元にある詳報の書類を読み込んでいるところだった。

 つい先程まで不毛な嫌味を言い合っていた碧乙と祀も、打って変わって真剣な表情で文面に目を通している。

 

「そうなのかな……早くコアを壊さないといけないと思って、急いでやったんだけど」

 結梨は意外そうな表情で碧乙に答えたが、碧乙は興味津々で内容を読み進めている。

 そして顔を上げて結梨の方を見ると、

「だって、相手のCHARMを空中に弾き飛ばして、それが落ちてくる前に自分も縮地で飛び上がって、そのままクリスタルコアを撃ち抜くって、恰好良すぎでしょ。

センターサークルからドライブシュート決めちゃう翼くんみたいなものよ」

 と、碧乙以外の者には理解できない例えで結梨の戦いぶりを褒めた。

 

「よくわかんない。伊紀、私の戦い方って変なの?」

「変じゃなくて、抜きん出てレベルが高くて目立ってしまうんです。

今の結梨さんなら、汐里さんや壱さんと一騎打ちしても互角以上に戦えるかもしれませんよ。

祀様はそう思われませんか?」

 

「その辺りは実戦の経験値も大きく影響してくるから、一概には言えないけれどね。

それでも結梨ちゃんのデュエル戦闘能力が一級品なのは間違いないわ。

百合ヶ丘のどのレギオンにいてもAZの軸になれるレベルよ」

 

「おまけに、その一つ前に発動した縮地は、発動継続時間がニアリーイコールゼロ。

CHARMの内蔵センサーでは計測不能なほどの短時間と来たもんだ」

 祀の見解に続けて、碧乙が付け加えた。

 

「これって、ごく短い移動距離とは言え、事実上のワープですよね。

ロザリンデ様、この時の結梨ちゃんの縮地は、ほぼS級に匹敵するレベルじゃないですか?」

 

「私も実際にこの目でS級の縮地を見たことは無いから、本当にこの時の結梨ちゃんの縮地がS級なのかは軽々に判断できないわ。

でも、先に縮地を発動した強化リリィを追い抜いたのは、CHARMに記録されたデータからも間違いない。

標準的なレベルの縮地とは段違いに上の領域に達しているのでしょうね。

……でも」

 

 と、ロザリンデは言葉を区切って声のトーンを落とす。

 

「結梨ちゃんが前面に出て戦うと、あまりにも目立ちすぎて危険だと思う。

弾き飛ばした敵のCHARMのコアを空中で正確に撃ち抜くような、目標も自分も動きながらの精密射撃は、私にも百発百中で出来るとは言えない。

面が割れていないとは言え、結梨ちゃんが今の戦い方を続けていたら、すぐに各地のG.E.H.E.N.A.ラボの間で賞金首になりかねないわ。

だから当分の間は、私のサポートとして一段後ろで行動してもらう方が安全だと思う。

結梨ちゃんはそれで構わない?」

 

「うん、私は一番前じゃなくても全然気にしないよ」

 ロザリンデの心配をよそに、結梨はごくあっさりとロザリンデの提案を受け入れた。

 結梨にとっては救出作戦に加わることに最大の意味があり、作戦時における自分の役割にはこだわっていないようだった。

 

「結梨ちゃんから何か聞いておきたい事はありますか?

私たちで答えられることであれば、何でも教えてあげられますよ」

 伊紀に尋ねられた結梨は少し考えた後、ロザリンデに質問を投げかける。

「作戦が始まる前は、G.E.H.E.N.A.の建物に忍び込むのかと思ってたけど、違ったんだね。

建物の中に入って助け出すことは無いの?」

 

「もちろんそうする場合もあるけど、それはどちらかというと最後の手段ね。

基本的には内通者――主に内務省や防衛軍の特務関係者だけど――の手引きで、保護対象の強化リリィに自力で建物の外まで脱出してもらって、可能な限り早いタイミングで私たちが保護するのがベストの形よ。

今回は濃霧が発生したために被保護者の発見が遅れてしまったけれど、基本的な作戦方針としては変わらないわ」

 

「どうして建物の中には入らないの?」

「そうね、まず第一に、各地に点在するG.E.H.E.N.A.ラボの内部には、どこにどんな対侵入者用のトラップが設置されているか分からない。

外部機関の内偵を使っても不確定要素が多くて、十分な情報を得られることの方が少ないのが実情なの。

だから、できるだけ建物の中には入らない前提で、作戦が立案されるケースが多くなっているわ」

 

「内部に侵入して発見されないかどうかは未知数だし、もし発見されてラボの中で戦闘になれば、警備に配置されている全ての強化リリィを相手に戦わなければならなくなる。

そうなれば戦闘が本格的で大規模なものに発展して、本来の目的である救出活動が困難な状況になってしまう。

最悪の場合、進退窮まって私たちがラボから脱出できなくなる可能性すらある」

 

「それに作戦自体が成功しても、その後はすべてのラボで格段に警備のレベルが厳しくなるから、次回以降の作戦遂行が非常に困難なものになってしまうと予想される。

当然だけど、強化リリィが一人脱走することと、戦闘行為でラボが壊滅的な損害を被るのとでは、G.E.H.E.N.A.側の事後対応が全く違ったものになってくるわ」

 

「今回の作戦で追っ手の強化リリィが一人だけだったのも、多くの追っ手を出して施設の警備が手薄になることを恐れての対応だった可能性が高い。

つまり、脱走が施設侵入のための陽動である可能性を考えた結果だと言えるわ。

だから建物の中には極力入らない方がいいの。

私たちの目的は保護を希望する強化リリィの救出であって、G.E.H.E.N.A.ラボを壊滅させることではないから」

 

 ロザリンデが長い説明を終えると、結梨は得心したようにうなずいた。

「私が助けた子も強化リリィだったの?」

「まだ今は医療施設での検査と並行してガーデンによる身元確認が行われているところだから、確実なことは言えないわ。

でもG.E.H.E.N.A.ラボの中に囚われていて、かつCHARMを扱えるということは、強化リリィである可能性が最も高いでしょうね。

ブーステッドスキルを付与されているかどうかは分からない。

作戦が終了した時点では、彼女の手首の負傷は残っていたから、少なくともリジェネレーターは持っていないようね」

 

「私たちがその子と会うことはできないの?」

「今はまだ必要な検査や確認が終わっていないから、連絡を取ることはできないわ。

可能性は非常に低いけれど、彼女がG.E.H.E.N.A.側のスパイである可能性も残されているから。

だからガーデンが彼女に対する聞き取り調査と、その裏取りをひとまず終わらせる必要があるの。

それが完了したら、早ければ数日中に面会は許可されるはずよ」

 

「ただし機密保持のため、その時点ではお互いの個人情報は話してはいけない禁則事項になっているわ。

その時は結梨ちゃんは名乗ってはいけないし、彼女の名前も聞いてはいけない。

その制限が付くとしても、彼女に会いたい?」

「うん、あの時は私もあの子もほとんど話す余裕が無かったから、会ってきちんと話したい」

「では、その旨を理事長代行に連絡しておくから、それまで待っていてね」

「ありがとう、ロザリンデ。伊紀、長くなってごめん。私の聞きたかったことは全部終わったよ」

 

「はい、分かりました。では次の議題に移ります。先ほどの内容を踏まえて、次回以降の作戦における連携フォーメーションの変更について――」

 レビューの進行を担当する伊紀が、落ち着いた声で議論を先へ進めていく。

 びっしりと作戦の経過が書かれた文章を目で追いながら、いつの間にか結梨は自分が助け出した少女のことばかり考えていた。

 もう一人の自分は――あの少女は、これで救われたのだろうかと。

 

 

 

 




説明ばかりになった上に、またしても終わりませんでした。
もう一回続きます。


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第7話 天気晴朗なれども波高し(8)

 

 結梨が救出した少女との再会は、それから二日後に実現することになった。

 面会の場所は特別寮のミーティングルームでも理事長室でもなく、特別寮の地下にある駐車場が指定された。

 

 結梨はロザリンデと一緒に、地下に降りる階段を下りながら質問をした。

「駐車場ってことは、これからあの子がどこかに行くのを見送るの?」

「そうよ。彼女は中等部の三年生に相当する年齢だった。

だからこの高等部のガーデンではなく、鎌倉府の別の場所にある中等部のガーデンに移動するの」

 

「来年になったら、あの子はまたここに戻って来られる?」

「それはまだ分からないわ。

彼女が高等部への進学を希望したとして、原則的には他の入学希望者と同じ試験を受けて、それに合格する必要があるから。

でも、もし彼女の得点が基準に達していなくとも、百合ヶ丘で保護すべき特別な事情があれば、その限りではないわ」

 

「特別な事情……」

「たとえば家族がすべて亡くなっていたり、結梨ちゃんのようにG.E.H.E.N.A.から追跡される恐れが非常に高い場合などね」

「私は家族もいないし、G.E.H.E.N.A.からも追われるから、その両方なんだね」 

 結梨がいつもより少し低い声で言うと、ロザリンデは並んで歩く結梨の手をしっかりと握った。

 

「もちろん結梨ちゃんが成人するまでは、私たちとガーデンが親代わりを務めるわ。

その後は結梨ちゃんが希望すれば、梨璃さんの妹として養子縁組するという選択肢もあるでしょう。

私たちは決してあなたを見捨てたりしない。

結梨ちゃんが置かれた状況がどんなに過酷でも、あなたを運命の犠牲になどさせるものですか」

 ロザリンデは目に見えない何かに宣言するように、力強く言葉を切った。

 

「ありがとう、ロザリンデ。もしあの子が来年ここに来たら、私があの子のお姉さんになって、あの子を護ってあげたい」

「そうね、元々のシュッツエンゲルの意義とは少しずれるかもしれないけど、そういう在り方もまた、私たちのようなリリィにはふさわしいのかもしれない。

――ああ、そろそろ駐車場に着くわね」

 

 二人が階段を下り終えて、地下の広いとは言えない駐車場に出ると、一台の車の横に先日の少女と並んで一人の女性が立っていた。

 あらためて見る少女の姿は、百合ヶ丘の制服を身にまとった、ごく普通のリリィに見えた。

 背中まで伸ばした黒髪を後ろで束ね、やや大人びた端正な顔つきは、結梨よりも年上だと言われても違和感を感じさせなかった。

 

「先生、お待たせしてしまって申し訳ありません」

 ロザリンデがその女性――教導官のシェリス・ヤコブセン――に声をかけると、

「いえ、まだ予定の時刻にはなっていないわ。早く来ておいた方がこの子と話す時間を長く取れると思って。さあどうぞ」

 と、シェリスはロザリンデに答えた後、少女を促した。

 

 シェリスの隣りに立っていた少女は結梨の前に進み出て、

「あの、このたびは本当に――」

 と、結梨に深く頭を下げて、感謝の言葉を口にしようとした。 

 

 その言葉を少女が言い終えるよりも早く、結梨は少女に歩み寄り、少女の手を包み込むように握った。

「ごきげんよう、身体の調子はどう?痛い所とかない?」

 結梨は少女の身体を気遣うように、口早に少女に尋ねる。

 

「ありがとうございます。おかげさまで、どこも問題ありません。

手首の負傷もあの後すぐに、ご一緒されていた御方に治していただきましたし」

 保護された直後の、まだ茫然自失の状態だった少女の傷を、伊紀がZで瞬く間に治療したのだ。結梨はその時のことを思い出していた。

 

「あの時は、ちゃんと話ができなかったけど、今日は時間が来るまで話せるよ。

でも、お互いの名前とかは聞いちゃいけないんだって」

「はい、その説明は既に受けています。

それでも目の前で直接お話しできるだけで十分です。

あの時あなたが来てくれなければ、今この場に私はいないのですから」

 

「G.E.H.E.N.A.って、なんであんなことするのかな。

簡単に誰かを傷つけたり殺そうとするなんて、絶対だめだよね」

「それはG.E.H.E.N.A.にとっては、ヒュージに勝利するという目的のための些細な対価にすぎないからよ」

 苦い表情でロザリンデが結梨の疑問に答えた。

 

「新しいブーステッドスキルやCHARM開発のための尊い犠牲、とでも言いたいのでしょうね、彼ら・彼女らは。

そして、それに従わない者は排除する、と」

「実験台にされる方は、黙ってそれを受け入れろというのですか?

こちらが望みもしていないのに拉致同然に身柄を拘束されて、まともな意思確認も無く、ほとんど脅されるような形で『協力』させられたのに」

 

「自分のしていることが正義だと無反省に思い込んでいる者ほど、他人の苦痛に対して信じられないくらい鈍感になるわ。

目的のためには手段を選ばなくなり、大を生かすために小を殺すような考えを平然と持ってしまう。

言うまでもなく、G.E.H.E.N.A.は大で、私たちは小ということね」

 

「G.E.H.E.N.A.の人は自分が弱い立場にならないから、そんなひどいことができるの?」

 結梨は形の良い眉をひそめてロザリンデに尋ねた。

「その通りよ。残念ながら、社会の現状としては、G.E.H.E.N.A.が裏で行っている非人道的な実験に薄々気づいていながら、それを黙認する状態になっているわ。

G.E.H.E.N.A.が研究開発を止めたら、どうやってヒュージと戦っていくのか、と言わんばかりに」

 

「本当にそうなんですか?」

 今度は結梨ではなく少女がロザリンデに質問した。

「いえ、G.E.H.E.N.A.の技術に頼らなくとも、CHARMの開発やマギの研究を行っている機関は他にいくらでもある。

現に百合ヶ丘で使われているすべてのCHARMは、G.E.H.E.N.A.由来の技術を完全に排除しているわ。

でも現実には各方面への様々な技術提供とロビー活動によって、簡単にはG.E.H.E.N.A.を社会から締め出すことができない構造になってしまっている。

それがこの問題の厄介なところよ。

だから現状では私たちのような特務レギオンが、あなたのような要救出者を個別に助け出す作戦を実施しているの」

 

「助けてもらった身で言うのも、おこがましいのですが――私のような者を一人ずつ救出していても、いたちごっこでしかないとは思われないのですか?」

「でも、私たちは現にあなたを助けることができた。

それはあなたを助けられなかった世界よりも良い世界でしょう?」

「それは――そうですけど、それって根本的な問題の解決にはならないと思います」

 

 いかにも生真面目に問いかける少女に対して、ロザリンデはそれを好ましく思ったのか、少し表情を緩めて微笑んだ。

「そうね。根本的な解決には、もっと別の戦略が必要だわ。

それならいっそのこと、リリィと強化リリィだけの独立国家でも作ってみる?」

 

 ロザリンデが悪戯っぽい微笑みをたたえながら少女と結梨に言うと、シェリスの大げさな咳払いが聞こえてきた。

「純真な子供たちに、あまり過激なことを吹き込まないように」

「冗談ですよ、先生」

「あなたの立場を考えると、その冗談は冗談に聞こえないのよ」

 

 百合ヶ丘の数少ない三年生の生き残りで、かつ特務レギオンの最上級生。

 単騎で戦局を変えられるほどの卓越した戦闘能力を誇る強化リリィ。

 政治哲学の議論を好み、現時点における一柳結梨の実質的な保護者。

 

 ロザリンデを形容するそれらの言葉をつなぎ合わせると、ある意味では危険極まりない重要人物と見なされても仕方ない。

「先生の言われる通りかもしれません。せいぜい自重するようにします」

 ロザリンデは大人しくシェリスの指摘を受け入れ、結梨と少女に向き直った。

 

「ごめんなさい、せっかくの面会だったのに、深刻な話をしてしまって」

「いえ、私はG.E.H.E.N.A.の施設に囚われていた間、ずっと『どうして私がこんな目に遭わないといけないの』って考えていたんです。

だから、さっきのようなお話を聞かせていただいて良かったです」

 

「また来年、ここで逢えるといいね。私もその時までここにいられるように頑張るから」

「?」

 結梨の言葉に怪訝な顔をする少女に対して、ロザリンデが補足の説明を入れる。

「この子にも少しばかり厄介な事情があって、事態が悪い方に転んだ場合、このガーデンを出なければいけなくなるかもしれないの」

 

「そうだったんですか。助けてもらったお礼は必ずさせていただきますので、私は絶対にこの高等部に進学するつもりです。

だから、それまで必ずここにいて下さいね」

「うん、ここでみんなと一緒に暮らそう。もう悲しい思いをしないように」

 

 シェリスの運転する車に同乗した少女を見送った後、ロザリンデに促されるまで、結梨は何も言わずに車の去って行った出口をじっと見つめていた。

 ――こうして一柳結梨が参加した初めての救出作戦は、成功裏に終わりを告げた。

 

 

 




ようやく強化リリィ救出作戦のエピソードを終えることができました。
長かった……

分かっていたこととはいえ、ストーリーが重い・説明が長い・結梨ちゃんとロザリンデ様の台詞が相当に理想主義的なので、かなり読む人を選んでしまう形になりました。

重い内容と悪文にもめげず、今回の投稿分までお読み下さった方、本当にありがとうございます。

途中で読むのをお止めになった方も、次回からしばらく軽めの話が続く予定なので、気が向いた時に覘いてやって下さい。

次回は1年李組の設定を使って一話書いてみるつもりです。


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幕間  1年李組のとある日常(1)

 

 海を遠く臨む南の窓から、午後四時の黄色味を帯びた西日が差し込んでくる。

 1年李組の放課後の教室では、二人の少女が窓際で言葉を交わしていた。

 教室の中には、他に数人の生徒がそれぞれ帰り支度を進めている。

 

「伊紀、これが今日の日報。記入漏れは無いと思うけど、一応目を通しておいてくれると助かる」

 他の生徒とは異なる白い制服を着た少女――王雨嘉が、もう一人の少女――李組の学級委員長である北河原伊紀にA4判の書類を手渡す。

 

「ありがとうございます、雨嘉さん。内容の確認と教室の設備クローズは私が済ませておきますので、先に帰っていただいて構いませんよ」

「ううん、私も一緒に手伝う。その方が早く終わるから」

「いいんですか。この後の予定があるんじゃないですか?」

「神琳には少し待ってもらうように連絡してあるから大丈夫。何から始める?」

「そうですか。では空調と通信のシャットダウンからお願いしま――」

 伊紀が雨嘉に言いかけた時、三人目の少女がごく自然に二人の間に入り込んできた。

 

「ごきげんよう、伊紀さん、雨嘉さん。

我がクラスの麗しきお二人が、揃って何の内緒話をしているのかしら。

ぜひ私も、その密談のお仲間に入れていただきたいわ」

 雨嘉や伊紀とはまるで違う、勝ち気で自信満々な雰囲気を放つその少女――遠藤亜羅椰は、ずいっという形容がぴったりな勢いで二人に話しかけた。

 

「亜羅椰さん、顔が近いです」

「うん、私も近いと思う」

「そうかしら。これが私のコミュニケーションにおける本質的な対人距離よ」

 伊紀と雨嘉は無言で一歩後退するが、その程度のことで気後れする亜羅椰ではない。

 

「お二人は先程から何を話していたのかしら」

「私たち二人で教室の設備の電源を順番に落としていこうと話していたところです」

「そうだったの。それなら最後には照明も落として、ドアも施錠するわけね」

「そうですけど、何か変ですか?」

 伊紀が訝しげに亜羅椰に尋ねた。

 

「いいえ。で、その時には、教室に私たちしかいなくなるのね」

「そうだけど、何か変?」

 今度は雨嘉が亜羅椰に尋ねる。

「いいえ、何も変じゃないわ。何も」

 そう言いながらも亜羅椰の目は爛々と輝きを増し、一刻も早く他の生徒が教室を出て行かないかと待ちかねている様子だった。

 

「亜羅椰さん、何だかそわそわしてないですか?」

「何か気になることでもあるの?」

「ええ、気になっているのはもちろん――」

 私の目の前にいるあなたたち二人よ、という言葉を亜羅椰は飲み込み、

「あそこであなたたちを眺めている待ち人よ」

 と、教室のドアがある方向に目線を転じた。

 

 雨嘉と伊紀がそちらを振り向くと、教室の入り口で書類を胸の前で抱えた郭神琳が、じっと三人の方を見つめて立っていた。

「ごきげんよう、神琳さん。そんなところに立ってないで、こちらにいらして下さい」

 伊紀が声をかけると、ごきげんよう、とにこやかに挨拶して神琳が李組の教室に入ってくる。

「少し遅くなるって連絡しておいたから、神琳がここに来るとは思ってなかった」

「たまたま用事があって李組の教室の前を通りかかっただけですよ。

待ちきれなくて来たわけじゃありませんから、気にしないで下さい。雨嘉さん」

「そうなの?それならいいんだけど……」

 

「たまたま、ねえ。本当にそうかしら」

「……何が言いたいのですか、亜羅椰さん」

 それまでよりも少し低い声で、神琳が亜羅椰に問いただした。

「嫌な予感がしたから、気になって居ても立っても居られなくなってここまで来てしまった、というのが本音ではなくて?」

 亜羅椰は挑戦的な目つきと不敵な笑みを浮かべながら、神琳に鎌をかける。

 

「そう思われるような心当たりがあるのですか?あなたには」

「私に心当たりが無くても、思い込みの激しい人も中にはいるから。誰とは言わないけど」

 とっておきの獲物を仕留めるのを邪魔された形になった亜羅椰は、それとなく嫌味を口にせずにはいられなかった。

「そうですか。それはなかなか面倒な人もいるものですね。

私も『根拠の無い』思い込みは持たないようにしているつもりですが、他山の石としなければいけませんね」

 一方、嫌な予感が的中した神琳は、亜羅椰の失望と苛立ちをよく理解した上で、白々しい切り返しをした。

 

 さらに神琳は亜羅椰に質問を続ける。

「ところで、亜羅椰さんはお二人と何のお話をされようとしていたのですか?随分と距離が近かったようですが」

「私がこのお二人とお話しすることに何か問題があるのかしら?」

「いえ、百合ヶ丘のリリィとして恥ずかしくない節度を持って接していただく分には、私は一向に構いませんよ」

 と、にこやかに微笑みながら神琳は言った。

 

「その割には、目が全然笑っていないのだけれど。

あなたのその目は『私の命よりも大切なルームメイトに指一本でも触れたら、媽祖聖札のガトリングで蜂の巣にして差し上げます』と言っている目だわ」

「それは亜羅椰さんの邪推です。私はむやみに実力行使は致しません。節度を守っていただける限りは」

「言い換えれば、節度を守らなければ容赦なく実力行使するってことね」

「あまり人の言葉の裏ばかり読むものではありませんよ、亜羅椰さん」

 裏だらけのくせに何を言う、と言わんばかりに亜羅椰は傲然と神琳の顔を見返す。

 

 目に見えない火花が亜羅椰と神琳の間に散り、火に油を注ぐかのように亜羅椰が挑発の言葉を口にする。

「無理しなくていいわよ、神琳さん。

あなた、雨嘉さんを私に取られるのが怖いんでしょう?

あなたより魅力のある、この私に」

 

 亜羅椰の露骨な挑発を受けた神琳の目がわずかに細くなり、雨嘉と伊紀は神琳の周りに青白いマギのゆらめきが見えたような気がした。

 これは血を見ることになる、と二人は直感した。

 

 

 



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幕間  1年李組のとある日常(2)

 

 ヒートアップしている神琳と亜羅椰の横で、伊紀と雨嘉は何とかこの場を収めるための方便を考えていた。

 

「あの……お二人とも、あまり熱くなりすぎないように。人目についてしまいます」

「そうだよ、吉阪先生にでも見つかったら、たっぷりお説教されちゃうよ。私はそんなの嫌だよ」

 

 しかしそんな二人の願いもむなしく、神琳の勢いは止まらない。

「亜羅椰さん、あなたはこのお二人と何のお話をするつもりだったのですか。

返答次第では私にも覚悟があります」

「口説き落とすつもりだったのよ」

 意外にも、実にあっさりと亜羅椰は白状した。

 

「首尾よく口説き落とせたら、その後はもちろん――続きを聞きたい?」

「私が肯定の返事をするはずがないと分かっていて、そんなことを言っているのですか」

「ふふ、それはどうかしら。まあ伊紀さんには既にお断りの通牒を突き付けられているから、どちらかと言えば今日の本命は雨嘉さんの方ね」

 

 亜羅椰の言葉を聞いた神琳は、伊紀が立っている方向を振り向いた。

「伊紀さんは亜羅椰さんに『そのような状況』で拒絶の意思を伝えたことがあるのですか?」

「私は……一度目は危うく難を逃れたというか、寸止めされたというか。

その後しばらくしてから、もう一度同じような状況になったので、その時はっきりと私の意思を亜羅椰さんに伝えました」

「そうだったのですか。やはり噂通りの問題児との認識で間違いなさそうですね」

 

 神琳は伊紀から亜羅椰へと再び向き直り、

「雨嘉さんに降りかかる火の粉は、この私がすべて振り払います。

たとえその相手が誰であろうとも」

 と、亜羅椰の目を見据えて決然と宣言した。

 

「ふふ、怖い怖い。でも雨嘉さんや伊紀さんのように控えめで上品な性格のリリィは百合ヶ丘では貴重な存在なのよ。

つい出来心で自分のものにしてしまいたくなる気持ちも分かっていただけるでしょう?」

「そう言えば、あなたは自分と同じアールヴヘイムの樟美さんにも粉をかけようとしていると聞いたことがあります。

樟美さんが自分になびかないから、その代わりに雨嘉さんに手を出そうとしているわけですか。

困ったものです。節操が無いにも程があるとは思わないのですか」

 

「あら、私が誰と仲良くしようと、それは個人の自由ですわ。

それほどまでに神琳さんが雨嘉さんのことを護りたいのであれば、私を力ずくで止めてみてはいかがかしら」

「いいでしょう、亜羅椰さん。ふしだら極まりないあなたのために、自制心というものをこの機会に教えてさしあげましょう」

 

 神琳のその発言を聞いた亜羅椰は、整った形の唇を軽く歪めて笑った。

「『あなたのために』という言葉は、いついかなる時も美しくない。

この意味がお分かりになるかしら、神琳さん」

「禅問答などする趣味はありません。私を煙に巻くつもりですか」

「いいえ、それなら解説してあげる。

あなたは雨嘉さんを自分一人だけで独占したい本心を隠して、私に節度ある振る舞いを教えるという大義名分を、これ見よがしに掲げているってこと」

 

 得意気に神琳を睨みつけながら、亜羅椰は神琳の心を見透かした。

「……あなたはもっと直情径行な人だと侮っていました。私はあなたに対する認識を改める必要があるようですね」

「ようやくお分かりいただけたようね。私のことを単に倒錯した色欲にまみれたケダモノだと思っているなら、とんだ勘違いよ」

 

 自信満々で言い切る亜羅椰に、横から伊紀と雨嘉のつぶやきが聞こえてきた。

「亜羅椰さん、何も自分をそこまで卑下しなくても……」

「亜羅椰、すごい。私にはとてもそこまで言えない」

「何なの、あなたたち。妙な哀れみに満ちたまなざしで私を見つめないで」

 生暖かい目で亜羅椰を見る伊紀と雨嘉に、亜羅椰は調子を崩しそうになった。

 

 が、気を取り直して再び神琳の方を向いて口を開いた。

「私は私のしたい事をしたいようにする。

それがあなたのしたい事と相容れないなら、私と戦って自分の正しさを証明することね」

 亜羅椰は神琳に事実上の宣戦布告をした。

 

「分かりました、私はあなたの土俵に上がった上で、あなたに勝ってみせましょう。

今からここで一戦交えるのもいいでしょう。ですが」

 神琳はそこで一旦言葉を切り、周囲を見回した。

 まだ教室に残っている生徒はわずかだったが、神琳と亜羅椰のただならぬ雰囲気を感じてちらちらと遠目にこちらを見ている。

 

「この教室では机や椅子で手狭な上に、人目につきます。場所を変えましょう」

「望むところよ。では一つ上階の廊下でどうかしら。あの階なら図書室や資料室ばかりで一般教室が無いから、見物客は来ないわ」

「それで構いません。ただし一度に連れ立って移動すると怪しまれるので、各自ばらばらに動きましょう」

「そうね、じゃあ私は先に行くから、せいぜい私を負かせるような作戦でも練っておくことね」

 亜羅椰は意気揚々とした足取りで教室を出て行った。

 

「神琳、もうこのまま帰ってしまった方がいいんじゃない?戦っても何もいいことないよ」

 雨嘉は敵前逃亡とも言える提案を神琳に持ち掛けたが、神琳はそれをすぐに否定する。

「いえ、それでは先延ばしにしかなりません。

彼女の行動原理は野生動物のそれと同じです。

一度正面から戦って、こちらが勝利すれば力関係を受け入れて、雨嘉さんのことを諦めるはずです」

 

「勝てるんですか、一対一で亜羅椰さんに」

 伊紀が心配そうに神琳に問いかける。

 それに対して神琳は余裕のある態度で伊紀に微笑みかけた。

「私は勝算の無い戦いはしませんよ。

それに、私たちリリィは戦うことと生きることが直結してしまっています。

だから戦わないことはイコール生きるのを放棄することです。

孫子の兵法では戦わずして勝つのが最上だと言いますが、ヒュージが相手ではそういうわけにもいきません。

戦って勝つ以外に選択肢は無いのです」

 

「あの、亜羅椰さんは人間で、ヒュージじゃないんですが……」

 思わず伊紀が突っ込みを入れるが、神琳は意に介していないようだった。

「もちろん今の表現は言葉の綾です。

彼女とは言葉より拳で語り合わなければ分かり合えないでしょうから。

そういう理解の形もあるということです」

 神琳はそう言うと、雨嘉の手を取って教室のドアへ向かおうとした。

 

「先ほど各自ばらばらにと言いましたが、私と雨嘉さんなら一緒に歩いていても不審には思われないでしょう。

すみませんが、伊紀さん、私と雨嘉さんは先に行かせていただきます」

「はい、私は教室の戸締りを終えてから上の階に上がらせてもらいます。どうぞ先に行っててください」

「伊紀、またね。上で待ってるから」

「はい、雨嘉さん。お気をつけて」

 

 神琳と雨嘉が教室を出て行くのを見送って、伊紀は一人で李組の教室の戸締りを進めていった。

 そして全ての箇所の戸締りを終えて廊下を歩き出したその時、誰かが後ろから突然に伊紀の右手を掴んだ。

 

 

 



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幕間  1年李組のとある日常(3)

 

 神琳と雨嘉が階段を上がりきって上階の廊下に出た時、亜羅椰は廊下を半分ほど進んだ所の窓際に立って、外の景色を眺めていた。

 神琳と雨嘉は不覚にも、夕日に映えるその横顔に見とれてしまった。

 黙っていれば誰もが認める美貌の持ち主なのだが、彼女の問題は押しの強すぎる性格にあった。

 

 神琳と雨嘉の到着に気づいた亜羅椰は、二人の方を振り向き、わずかに唇の端を吊り上げた。

 妖艶で高慢な笑みだ。

「来たわね。二人でここまで来る間に出来のいい作戦は思いついたかしら?」

「ご心配なく。作戦は教室であなたと話をしていた間に出来上がっています」

「その発言がハッタリでないといいわね」

 亜羅椰は一歩前に踏み出し、神琳を正面から見つめた。

 両者ともCHARMはこの場に持ち込んでおらず、素手の状態だった。

 

「決闘を始める前に、少しだけ雨嘉さんとお話をしても構いませんか?」

「好きにすればいいわ。あまり私を待たせないようにね」

「ご配慮感謝します」

 亜羅椰に背を向けて神琳は雨嘉の方を振り返り、至近といえる距離まで近づいた。

 神琳を見つめる雨嘉の瞳は、隠しようも無く憂いを帯びているように見えた。

 

「雨嘉さん」

「う、うん」

 神琳は両手を伸ばし、雨嘉の体を強く抱きしめた。

「神琳……」

 神琳に抱きしめられた雨嘉はしばらく身動き一つしなかったが、やがておずおすと両手を神琳の背中にまわした。

 

「これから少しばかり立ち回りを演じてきます。必ず勝って戻ってきますので、心配せずにここで見ていてください」

「でも、私のために神琳が傷つくようなことはしてほしくない」

「いいえ、これは雨嘉さんを他の誰にも渡したくない、私の独占欲です。だから私がどうなっても雨嘉さんが気にすることはありません」

「そんなの、気にするに決まってる」

 

「……そうですね。私の言い方が良くありませんでした。

だから言い直します。私は亜羅椰さんに勝ってみせる自信があります。

しかし勝負には運の要素も少なからずあります。

運が味方しなければ、私が敗れる可能性もあります。

もし私が敗れたとしても、きっと雨嘉さんは私を選んでくれるでしょう。

でも、私は亜羅椰さんに勝って雨嘉さんの所に戻って来たいんです。

下らないこだわりだと思われるかもしれませんが、そんな私の身勝手を許して下さい、雨嘉さん」

 

「……神琳は格好つけすぎ。

私が好きなのは、私を好きでいてくれる神琳だから、格好いいか悪いかは関係ないよ。

神琳が頑固なのはよく分かってるから、もう止めたりしない。

神琳の望むように戦って」

「ありがとう、雨嘉さん。その言葉だけで充分です」

 神琳はそっと雨嘉の体を離すと、亜羅椰に向き直った。

「お待たせしました。こちらの話は終わりましたので、本題である亜羅椰さんのお相手をさせていただきます」

 

「すごい。純愛ですね。感動しました」

 いつの間にか亜羅椰の近くに来ていた伊紀が、若干目を潤ませて二人を見つめていた。

「いや、たかが素手での決闘程度で盛り上がりすぎでしょう……って、いつ来たの。遅かったじゃない。吉阪先生に告げ口でもしに行ったのかと思ってたわ」

「……いえ、少し戸締りに手間取ってしまって、ここまで上がってくるのが遅れてしまいました」

「そう、それならいいわ」

 伊紀の返事にはわずかに不自然な響きがあったが、亜羅椰は特段、気には留めなかった。

 

「亜羅椰さん、今からでも遅くないから止めませんか」

「是非も無いことを今さら言わないで、伊紀さん。

あの二人の熱愛ぶりを見ていると、おなかいっぱいで胸焼けがしてきそうだから、もう結構よ……って言うとでも思った?残念だったわね。

愛とは奪い取るもの。それでこそ奪い甲斐があるというもの。俄然やる気が出てきたわ」

 

「本当に面倒な人ですね、あなたは」

 神琳は本格的にうんざりした表情になった。

 

「それはこちらのセリフよ。あなたにだけは面倒な人だと言われたくないわ」

「亜羅椰は、ちょっとがっつき過ぎだよ。もう少し相手の気持ちを考えて行動するほうがいいと思う」

「そんな扇情的で際どい制服を着ている人がそれを言うの?雨嘉さん。

はっきり言って目の保養……もとい目の毒よ、あなたのその姿は」

 

「そうなの?神琳」

「感じ方は人それぞれですから、亜羅椰さんの目にはそのように映るのでしょう。

よこしまな目には、よこしまな姿が映るということです」

「ちょっと、あなただって制服姿の雨嘉さんにムラムラすることが絶対あるでしょう。

なに自分だけいい子ちゃんぶってるの」

「では、その『いい子ちゃん』として一つ忠告しておきます。

亜羅椰さん、あなたの恋愛観は根本的に間違っています。

愛の無いセ……んっ、んんっ」

 

「神琳、それ以上は言っちゃダメ」

 雨嘉が素早く神琳の口を手で塞いだため、神琳は後に続ける言葉を発することができなくなった。

「危ないところでしたね、雨嘉さん」

 伊紀は雨嘉の咄嗟の機転をほめた。

「うん、これ以上神琳の迷言や言行録が増えるのは良くないから」

「ということは、これまでにも似たような言動が雨嘉さんの前でなされてきたんですね」

「神琳は正しいと思ったことは何でも口に出しちゃうから」

 

 口をふさがれた神琳が雨嘉に視線を送ってうなづいたので、雨嘉はようやく神琳の口から手を外した。

「ふう……雨嘉さん、止めなくてもよかったのに。

私が好奇の目で見られても、正しいことを言ったのなら気には留めません。

でも雨嘉さんには別の考えがあるのでしょうし、私はそれを尊重します」

 

 話を中断された神琳は、仕切り直しをするかのように咳払いを一つした。

 

「私と戦って勝てば、あなたは自分の闘争本能を満足させられる。

その上、あわよくば雨嘉さんも自分のものにできると踏んでの挑発だったのでしょう。

一石二鳥を狙ったわけです。

でも残念ながら、あなたはそのどちらも手にすることはできません。

今から私がそれを証明してみせます」

 

 神琳は亜羅椰に向かって一歩を踏み出した。

 それが戦闘開始の予告であることを理解した伊紀は、亜羅椰から離れて距離を取った。

 同じく雨嘉も後ろに下がって神琳から距離を取る。

 

「あなたは一柳隊でTZを務めるリリィ、レアスキルは支援系のテスタメント、CHARMは防御重視の媽祖聖札。

アールヴヘイムのAZでフェイズトランセンデンスS級の私にどうやって勝つつもり?

CHARM無しの格闘戦であっても、基本的な戦闘スタイルは変わらないはず。

防御しているだけでは勝つことなど出来ないわよ」

「もちろん、攻撃して勝つつもりですよ。

『どうやって』の部分は作戦内容に関わるので、見てのお楽しみですが」

「そう、なら見せてもらうわ。その作戦とやらを」

 

 亜羅椰は勢いよく神琳の間合いに飛び込むと、くるりと体を回転させて中段への回し蹴りを繰り出した。

 神琳は一歩後ろにステップを踏んで、最小限の動きで亜羅椰の攻撃を回避する。

 亜羅椰の踵が神琳の制服をかすめ、風切り音が雨嘉の耳まで届いた。

 攻撃は最大の防御と言わんばかりに、亜羅椰は途切れなく神琳の隙を狙って蹴りと突きを仕掛けていく。

 

 神琳は亜羅椰の攻撃をすべて回避しているが、反撃は全くできない。

 亜羅椰の攻撃は勢いだけで突っ込んでくるように見えて、その実、攻撃をかわされてもカウンターを食らわない計算されたモーションを描いていた。

 一つの攻撃がそのまま次の攻撃につながり、攻撃を避けた神琳が反撃の機会をうかがうタイミングを与えない。

 間断の無い亜羅椰の攻撃に、神琳は反撃の機会を与えられず、防戦一方に見えた。

 

 離れた所から二人の戦いを見ていた雨嘉は、望んではいないが予想していた通りの展開に心を沈ませていた。

 

(やっぱり神琳と亜羅椰じゃ相性が悪い。一度でも神琳が亜羅椰の攻撃を見切れなくなったら、決定的な一撃を受けてしまう。その前に神琳から亜羅椰に攻撃を当てないと。でも、どうやって?)

 

「――くっ」

 執拗な亜羅椰の攻撃を避け続ける神琳のステップがわずかに乱れ、体勢に一瞬の隙が生じた。

 その致命的な神琳の隙を、亜羅椰が見逃すことは無かった。

 決定的な一撃を叩き込むべく、大きく踏み込んで神琳の胸元に掌底を叩きこもうとする。

 

「もらったわ」

「いいえ、もらったのは私の方です」

 神琳は全身を大きく後ろに倒れ込ませて、亜羅椰の攻撃を回避しようとした。

 

「後ろに倒れて攻撃を避けたとしても、その後はどうするの?どん詰まりじゃない」

「こうするんですよ」

 神琳は攻撃のために突き出した亜羅椰の腕を取り、後ろに倒れ込みながら右足を亜羅椰の太ももの付け根に押し当てた。

 そして、そのまま亜羅椰の攻撃の勢いを利用して、後ろ上方へ力強く投げ上げた。

 巴投げだ。

 

 亜羅椰は自分の体が宙に浮く感覚を認識した。同時に視界が上下逆に回転する。

 

(投げられた?私が?)

 

 神琳は亜羅椰を投げ上げると、間髪を入れずに体を起こして廊下の床を蹴った。

 一方、天井近くまで投げられた亜羅椰は空中で体勢を立て直そうとした。

 しかしその間に神琳は亜羅椰に向かって跳躍し、飛び蹴りを叩き込まんとしていた。

 

(直撃する……やられる)

 

 神琳の蹴りが届くまでに防御姿勢を取ることはできる。

 だが、体を支えるものの無い空中では、蹴りそのものを防御できても、神琳の勢いまでは止められない。

 その勢いを受け止めたまま、亜羅椰の体は天井あるいは壁面に激突するに違いない。

 そうなれば後頭部か背中を強打し、脳震盪を起こすか呼吸困難に陥る。

 

 そして動きの鈍った亜羅椰を神琳は見逃さず、とどめの一撃を打ち込んでくるだろう。

 数秒後に訪れる自らの敗北を、亜羅椰は正確に予測した。

 その上、今となっては、その敗北を逃れる術が無いことも理解していた。

 

(嘘でしょう、この私が敗けるの?)

 

 つい先程までは勝利することを疑いもしなかった。

 その慢心が、この敗北必至の状態を生み出したのだと悔いても遅い。

 慢心の対価は肉体的苦痛と精神的屈辱によって支払われるだろう。

 

(私の実力も、その程度だったということか)

 

 それでも亜羅椰の体は半ば無意識に防御姿勢を取り、神琳の攻撃を受け止めようとする。

 ついに亜羅椰の体に神琳の蹴りが届かんとするその時、神琳の視界の端を人影が横切った。

 

「――っ!」

 

 次の瞬間、亜羅椰の姿が神琳の視界から消失し、神琳の蹴りは空を切った。

 決定的な一撃が空振りに終わった神琳は、廊下の床に膝をついて着地した。

 そして落胆した様子でおもむろに顔を上げ、後ろを振り向いてつぶやいた。 

 

「余計な事をしてくれましたね、壱さん」

「ごめんね、今日のところはこの辺で勘弁してあげて」

 

 神琳の視線の先には、1年椿組の学級委員長である田中壱が、亜羅椰を抱えて立っていた。

 

「壱、どうしてここに」

 雨嘉が突然現れた壱に問いかける。

「李組の教室から、やたらとやる気満々の亜羅椰が出てきて階段を上がって行くところを見たの。

その少し後に神琳さんと雨嘉さんが出てきて、同じく階段を上がって行ったから、これは何かあるなと。

で、最後に教室から出てきた伊紀さんを捕まえて、事情を聴いたっていうわけ。

そしたらこれから決闘するっていうから、見つからないように廊下の柱の陰に隠れて、止めに入る機会をうかがってた」

 

「すみません。本来なら李組の委員長である私が、お二人を止めるべきだったのですが」

「この二人を伊紀さんや雨嘉さんに止められるとは思えないから、まあ不可抗力ね」

 

 そこまで壱が話した時、彼女の腕の中で亜羅椰が文句を言いだした。

「離して、まだ勝負はついてない。まだやれる。あれしきの蹴りなんて余裕で防げたのに」

「はいはい、往生際の悪い子猫ちゃんは私が預かって行くから。それじゃ皆さん、これにて失礼。うちのレギオンの問題児が迷惑かけてごめん」

 そう言って壱は駄々をこねる亜羅椰の首根っこを引っ張るようにして、二人で廊下の向こうへと去って行った。

 

 その場に残された三人は狐につままれたような表情で、壱と亜羅椰のいなくなった空間を眺めていた。

 

 最初に口を開いたのは伊紀だった。

「これで良かったというべきでしょうか」

「良くないです。せっかく亜羅椰さんに雨嘉さんを諦めてもらう絶好の機会だったのに、振り出しに戻ってしまいました」

 即座に神琳が否定の言葉を口にした。

 

「でも、誰も怪我せずに済んだから良かったよ。それは間違いないから」

「……雨嘉さんがそう言うなら、この場はそれで良しとしておきましょう。

もう日が暮れます。私たちも寮に帰りましょう」

 既に太陽は水平線のすぐ上まで落ち、夕闇が廊下を侵食し始めていた。

 

「では、私はカフェテリアに寄って日報の内容確認をしておきますので、お二人は先にお帰り下さい」

「それなら、カフェテリアじゃなくて私たちの部屋に来て確認したらいいよ。ね、神琳」

 カフェテリアに向かおうとする伊紀を雨嘉が引き留めて、神琳に同意を求める。

「そうですね。今日はただならぬ迷惑を伊紀さんに掛けてしまったので、お茶の一杯でもご馳走させて下さい」

「いいんですか、ではお言葉に甘えてお邪魔させていただきます」

 日報を含めた数種類の書類の束を鞄に入れ、伊紀は雨嘉と神琳と一緒に黄昏時の廊下を後にした。 

 

 普段より少しばかり波乱に満ちた1年李組の一日は、こうして幕を閉じた。

 

 



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第8話 侵入者(1)

 今回のエピソードは、アニメ第11話のヒュージ襲来時に起こったものとして書いています。
 このエピソード終了後は、アニメの時系列からラスバレの時系列に移行する予定です。



 

 空に灰色の雲が厚く垂れ込めていた或る日のこと。

 突然、聞き慣れない電子音が、廊下のスピーカーを通して部屋の中まで聞こえてきた。

 

「あれ?何この放送。こんなの今まで聞いたことないよ」

「これは避難命令の警報音だわ。ガーデンに極めて重大な事態が発生した場合、すべてのリリィは速やかに指定の避難場所まで移動しなければならない。それを指示するためのものよ」

 特別寮の自室で、ロザリンデは突然鳴り響いたアラートについて、結梨に説明した。

 

「さっきの地響きと関係あるのかな?」

「その可能性が高そうね。ただの地震ではなさそうな揺れ方だったし、おそらくヒュージ絡みの現象でしょう」

 

「お姉様、私たちもガーデン裏側の高台まで避難しますか」

 碧乙がロザリンデに避難場所の確認をする。

「そうね、命令には従わなければ」

「でも、結梨ちゃんを人目に付かせるわけにはいきませんよ」

「ええ、かと言って結梨ちゃんを一人でここに残すわけにもいかない。

ロスヴァイセの誰かが一緒にいて、状況の判断をする必要があるわ」

 

「それなら、お姉様がご一緒なさるのが一番良いかと」

「いえ、現状では何が原因で避難命令が出されたのかすら分からない。

今発生している不測の事態に対して、取るべき最善の選択をできるのは私ではなく、碧乙、あなたよ」

「私のレアスキルですか」

 

 ファンタズム。無数に分岐する未来の可能性から、自分が欲する最適な結果に至るための行動を見い出すためのレアスキル。

 

「そう。必要と判断したら、地下の通路からガーデン外に出ても構わない。その判断はあなたが一番正確に出来るはず」

「そうですね。それが出来なければ、何のためのファンタズムか分からないですもんね。

では私と結梨ちゃんは状況が判明次第、この部屋から移動します」

 

 その時、ドアをノックする音がした。

 ロザリンデが返事をすると、ドアが開いて伊紀が顔を覗かせた。

「失礼します。先ほど由比ヶ浜ネストからラージ級とみられるヒュージが射出されました。

この後、地球上空を一周してここに戻ってくるとの予測です」

 

「大気圏を超える高度から降下するということ?」

「そうです。弾道軌道でそのまま落下してきた場合は、ヒュージ自体が質量兵器としての破壊力を持ちます。

もしガーデンに直撃すれば、おそらく建物は完全に破壊され、落下地点には直径100メートル以上のクレーターが形成されると思われます」

「では、やはりすぐにガーデンの外に避難するべきね。

私と伊紀は他の生徒と合流して指定の避難場所に向かうわ。

碧乙、結梨ちゃんをお願い」

 

 ロザリンデが伊紀から碧乙の方に顔を向けると、碧乙はすぐに返事をした。

「はい。私は結梨ちゃんと一緒に、特別寮の地下通路を使って一番遠い隠し出口へ向かいます。

それが他の生徒に最も見つかりにくいルートですから。

その後は避難場所から十分に距離を取った地点で待機します。

結梨ちゃん、念のためにゴーグルを着けておいてね」

「分かった。あと、CHARMも持っていくんでしょ。用意してくる」

 

 そう言って結梨は部屋の隅にあるCHARM収納庫の扉を開け、ケースに入った各自のCHARMを取り出し始めた。

「何か異常事態が発生したら、通信端末で連絡を取ること。特に碧乙と結梨ちゃんは他の生徒と離れて単独行動になるから、十分に注意して」

「はい、お姉様方もお気をつけて」

 

 四人は部屋を出ると二手に分かれ、結梨と碧乙は地下へと降りる階段へ向かった。

「ごめん、碧乙。私がいるせいで迷惑をかけて」

「結梨ちゃんは何も悪くないわ。悪いのは全部G.E.H.E.N.A.なんだから、結梨ちゃんが気にすることなんて、これっぽっちもないの」

「ありがとう。……G.E.H.E.N.A.が私を見つけたら、やっぱり私の身体で実験するのかな」

 

「いい事をしてるつもりなのよ、あいつらは。

本人が望みもしないのに、人体実験で無理やりブーステッドスキルを付けたり、薬物を投与して人為的に肉体を強化したり。

中には上手くそそのかして、詐欺みたいに本人から進んで実験を受けるように仕向けるケースもあるみたいだし。

その結果、ヒュージに対して有利に戦えるようになれば、それで実験は成功。

副作用や拒否反応なんて薬で抑え込めばいい。

運悪く死んだり廃人になったりしても、それはヒュージに勝利するための尊い犠牲。

だからどんどん実験してデータを集めていくっていう考え方ね。

はっきり言って頭おかしいんじゃないの、って思うわ」

 

「怖いね、そういう人たち」

「盲目的に『正義』を振りかざす人間ほど残酷になると、お姉様は言っていたわ。

そして、決して私たちがそうならないようにと」

 最後の方は、ほとんど独り言のように碧乙はつぶやいた。

 

 二人は階段を下り終え、駐車場を経由して、一番奥にある通路の入口へ向かった。

 通路内に設置されている照明の間隔は広く、光が届かない箇所が断続的に存在している。

 その通路を数十メートル進んだところで、急に結梨が碧乙を制止した。

 

「碧乙、待って。この先に誰かいる」

「えっ?」

 結梨の注意に驚いた碧乙が足を止め、前方を凝視した。

 すると少しの間を置いて、通路の奥、照明の届ききらない暗がりの中から女性の声が聞こえてきた。

 

「こんなところに隠れていたのね。G.E.H.E.N.A.謹製の人造リリィさん」

 

 その艶やかな声は、抑えきれない高揚感に満ちていた。

 

 

 



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第8話 侵入者(2)

 

「出て来なさいよ、そこの不審者」

 アステリオンを構えた碧乙が結梨の前に出て、通路の先の暗がりに向かって呼びかける。

 すると、その暗がりの中から一人の女性が現れた。

 

 背格好から推測される年齢は、碧乙と同じくらいか少し上。

 長い黒髪と均整の取れた身体。

 黒いドレスのような服に身を包み、暗がりから出て悠然と二人に歩み寄ってくる。

 

「ごきげんよう、百合ヶ丘のリリィさんたち」

 優雅に挨拶をしたその女性は、一見して常人ではない雰囲気を漂わせていた。

 そもそもこのタイミングで、この場所にいること自体が普通の人間ではない。

 

 女性の頭には、丸みを帯びた三角形の髪飾りが二つ装着されていた。

(こいつも猫耳を付けてるのか……どうして私の前に現れる猫耳付きは曲者揃いなの?しかもご丁寧に首に鈴まで付けて)

 

 碧乙は警戒を微塵も緩めることなく、目の前の女性に問う。

「百合ヶ丘のリリィじゃないわね。どうやってここまで入ってきたの。

外部との出入口は植生でカモフラージュされていて、複数の監視装置が常時作動している。

出入口を見つけた上に、監視にも引っかからずにここまで来るなんて考えられない」

 

「さあ、どうやってでしょうね。聞けば何でも教えてもらえると思わないことね」

「それなら、多分これも無駄だと思うけど聞いてみるわ。

私のファンタズムでもあなたの出現は予知できなかった。これにも何か仕掛けがあるの?」

「仕掛けという表現が適当かどうかはさておき、それに相当する何かは当然あるわ。

でもそれが何なのかは自分でお考えなさい」

 

「そう言うと思ったわ。ということは、あなたの正体も答える気は無いというわけね」

「その子と一緒にいるのなら、あなたは『そういうことを担当するレギオン』のリリィでしょう?

少し気合を入れて調べれば、私の情報くらいそれなりに出てくるはずよ。このレベルのガーデンなら」

 

「さいですか。それじゃ後で調べさせてもらうとして、今は目の前の本人から直接喋ってもらうことにするわ」

「ふうん、どうやって?」

「もちろん、力ずくでよ。あなた、丸腰みたいだけど、CHARMは持ってないの?」

 碧乙は右手に持ったアステリオンを、正面に立つ女性に向けた。

 

「今日は必要無いと判断したから、持って来ていないわ」

 女性は平然と言い放った。

「手ぶらで敵地に侵入してくるとは、このガーデンも随分と舐められたものね」

「私はあなたたちの敵ではないつもりだけど」

「G.E.H.E.N.A.の関係者がぬけぬけとそんな事を言って、誰が信用するの」

 

「私はG.E.H.E.N.A.の関係者だなんて一言も言ってないわ。関係無いとも言ってないけど。

でも少なくとも、その子をモルモット扱いする輩の味方ではないつもりよ」

 そう言って、女性は碧乙の肩越しに結梨を見た。

 

 結梨はポケットから通信端末を取り出して画面を確認したが、今は地下通路の中ほどにいるためか、電波は圏外表示になっていた。

 この状態ではロザリンデに連絡を取ることはできない。

 

「この子が誰だか知ってるのね」

 碧乙はアステリオンを正面に構えたまま、あらためて女性に確認した。

 

「それはもう、鎌倉府や東京のガーデンでは誰一人として知らぬ者の無い有名人だもの」

「捕獲命令が出た時のことを言ってるの?」

「そうよ。逃亡中の凶悪犯同然に、手配書が鎌倉府と東京の全域に配布されていた。

何がしかのガーデンに所属しているリリィなら、誰でもその子のことを知っている」

 

 そこで一度言葉を切って、女性は結梨の顔を見つめた。

 

「人としての名前は一柳結梨」

「結梨ちゃんは人間よ。ヒュージじゃない」

「今この場で、その議論をするつもりは無いわ」

 女性は更に前へ進み、碧乙との距離が縮まる。

 

「止まりなさい。それ以上近づいたら攻撃する」

 碧乙が警告をしたが、女性の歩みは止まらない。

「くっ――」

 警告を無視された碧乙がアステリオンを振りかざそうとした時、結梨が碧乙の前に出て攻撃を制止した。

 

 碧乙に背を向けたまま、結梨は自分の考えを口にする。

「この人が敵かどうか、私には分からない。

でも、戦うためにここに来たわけじゃないことは分かる。

それに、今の私たちがCHARMを使っても、多分この人には勝てないと思う」

 

「あなたは本質を良く理解しているようね。私の前ではゴーグルは意味が無いから外しなさい。素顔を見せて」

 その言葉に従い、結梨は黙ってゴーグルを外し、女性と向き合った。

 

「良い目をしているわね。本来ならもっと早くここに来たかったけれど、なかなか機会が訪れなくて。

今日ようやく、あのヒュージのおかげで警備が手薄になってくれた。

さすがにこのガーデンのリリィが揃っている状態では、侵入したところで大立ち回りになってしまうから」

 

「私に用があったから、ここまで会いに来たの?」

「ええ、あなたが死んでいない可能性に賭けて、百合ヶ丘のガーデンに忍び込むチャンスをうかがっていた。見ての通り、結果は大当たりだった」

 自らの読みが的中した女性は、会心の笑みを浮かべた。

 

「あなたは藍や来夢とも違う、現時点でオンリーワンの存在。ぜひ私の力になって欲しい。いえ、なりなさい」

「ちょっと、藍とか来夢って誰のこと?結梨ちゃんをどこかへ連れていくつもり?」

 女性の不可解な発言に碧乙が口を挟んだ。

 

「いいえ、今はまだその時ではない。いずれしかるべき時機に、あらためてこの子を迎えに来る。

だから、それまではこの子をG.E.H.E.N.A.の下衆連中からしっかり護ってあげなさい。傷一つ付かないように」

 

「なんであなたにそんな事を指図されないといけないのよ。だいたい結梨ちゃんの意思はどうなるわけ?」

「無論、彼女の意思を無視して身柄を拘束するなどどいう事はしない。私の考えを充分に説明して、それに納得した上で私と行動を共にしてもらうわ」

 

「見た目通りの結構な自信家なのね。結梨ちゃんを連れて何をしでかすつもりなのか知らないけど、どうせろくでもない事でしょうよ」

「それを言うなら、あなたたちのガーデンが力を入れている強化リリィの救出も、私から見れば好事家の道楽のようなもの。

でも、それはあなたたちの自由であって、その行為に異を唱える気は無い。せいぜい一人でも多くの可哀想な強化リリィを救ってあげればいい」

 

「ふん、あなたのやろうとしている事は、さぞかしご立派な人助けなんでしょうね」

 できる限り皮肉っぽく碧乙は女性に言ったが、女性は歯牙にもかけない様子だった。

 

「そんな些末な事よりも――」

 女性は結梨に向かってさらに歩を進め、手を伸ばせば触れられるほどの距離にまで近づいた。

 

「結梨、今日はあなたの生存を確認し、こうして直接会えた。それだけでも望外の幸運だった。

だから私の事情が許す限り、特別にあなたの疑問に答えてあげる。あなたの知りたいことは何?」

 打算とも親しみとも判別しがたい微笑を浮かべて、女性は結梨に質問を許可した。

 

 女性の言葉を受けて、結梨は間を置かずに『最初に知りたいこと』を口にした。

「あなたの、名前を教えて」

 

 

 



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第8話 侵入者(3)

 今回投稿分の内容には、舞台「The Fateful Gift」の情報が含まれています。
 ネタバレに相当するものがあるかもしれませんので、あらかじめご承知おきください。



 

 結梨のこれ以上なく簡潔な要求を聞いた女性は、少しだけ目を細めた。

 それが気分を害したゆえのものか、それとも単刀直入すぎる求めに小気味良さを感じたためなのか、結梨と碧乙には判断がつきかねた。

 

 女性は唇の端でわずかに微笑し、穏やかに結梨に語りかけた。

「いいでしょう、信用してもらおうとする相手に自分のことを何も知らせないのは、筋が通っていない。私のことは『御前』と呼びなさい」

「『御前』……」

「『御前』って、静御前とか巴御前とかの、あの御前?」

 横から碧乙が口を挟んだ。

 

「何か問題が?」

「本名じゃないわよね、当然」

「本名は名乗れない。簡単に私の身元や素性を探られるわけにはいかないから」

「格好つけて。ただの中二病のくせに。真名も名乗れない根性無しのへぼリリィ」

 

「そんな見えすいた挑発には乗らないわ。それに私は今、結梨と話をしようとしている。

あなたとは気が向いたら後で話してあげるかもしれないから、それまで大人しく待っていなさい」

 

「はいはい、おっしゃるとおりに致しますよ。それじゃ結梨ちゃん、話の続きをどうぞ」

 碧乙はいかにも不承不承といった態度で話を切り上げ、結梨の発言を促した。

 

 うなずいた結梨は再び『御前』に質問を投げかける。

「『御前』は私を探しに来て、私に力を貸すように求めた。『御前』は私の力を使って何をするつもり?」

「いきなり核心を突いてくるのね。実に率直で明快な質問、とても好みだわ」

 『御前』はおもむろに右手を伸ばして、結梨の頬に軽く触れた。

 

「あなたは自分が普通のリリィではないという自覚は当然あるわよね。それどころか人間扱いさえされずに、危うくG.E.H.E.N.A.送りになるところだった。

そもそもリリィ自体がヒュージ化した人と言われることもあるのに、その時の都合でなされた恣意的な線引きなど、本質的には何の意味も無い。

たとえリリィの力の源がヒュージと同根のものであっても、それが超常の能力であることに変わりは無いわ。

そう考えると、リリィやヒュージという存在は、既存の生物種よりも進化した形態と言えるのではないかしら」

 

 それは危険な考えだと、『御前』の発言を聞いていた碧乙は思った。

 より進化した生物種、それは既存の種を駆逐し、場合によっては絶滅すらさせるかもしれない。

 自然界の淘汰に従えば、駆逐される既存の種とは、リリィとしての力を持たない『普通の』人間だ。

 リリィが存在しなければ、とうの昔に人類はヒュージによって絶滅させられていた。

 逆に言えば、リリィが『普通の』人間を護らなくなった時、世界はリリィとヒュージだけが生きる世界になる。

 

(まさか、そんな荒唐無稽なことが起こるわけない……でも、この『御前』はそれを本気でやろうとしている?)

 

「あなたは奇跡的な偶然によって誕生したワンオフの個体。

ヒュージの姫たる藍や来夢は、胎児の時にヒュージ細胞を埋め込まれた人間。

それに対して、あなたはヒュージ細胞そのものから作られた人間。

元々G.E.H.E.N.A.の研究者は、ヒュージ細胞を基にして、あなたを純粋な超高性能の戦闘マシンとして設計したかもしれない。

でも、それはより強力なリリィを作り出すことしか頭に無い彼らの浅慮にすぎない。

あなたの本質は人類、いえ、生命の革新を示す可能性の体現だと言える。

この私の手で、それを証明してみせる。そして――」

 

 『御前』が言葉を続けようとした時、航空機ともロケットとも形容しがたい騒音が地下通路まで響き、小刻みな地響きが床を振動させた。

 『御前』は視線を上に向け、通路の天井の向こうにある何かを見ているようだった。

 

「ネストから飛び立ったヒュージが着陸したのね。おそらくあれも一癖ある個体でしょう」

「あのヒュージについて何か知ってるの?」

「慌てなくとも、結梨との話が終わったら説明してあげる。それまでは大人しく私の話を聞いていなさい」

 碧乙の問いを制して、『御前』は結梨への語りかけを再開した。

 

「燈と同じく、あなたも間違いなく『こちら側』のリリィよ。

でも、最初のボタンの掛け違いでこんなことになってしまった。

査問委員会の鈍物どもが軽率な対応を取ったからだ。許せない」

 

「ともしび?」

 聞き慣れない名前に結梨が反応した。

「司馬燈。御台場女学校の強化リリィよ。あのガーデンを訪れる機会があれば、ぜひ会っておくといいわ。

ただし、少々過激な性格だから、火傷しないように充分注意しなさい。

それよりも今は――」

 『御前』は腕組みをして、結梨の目を正面から見つめた。

 

「結梨、あなたは私の計画が予定された段階まで進んだ時に、琴陽とともに私の右腕、懐刀として働きなさい。

そして、もし私が志半ばで斃れた時には、私の後を引き継いで計画を完遂しなさい。

私の理想が実現すれば、あなたはもう人目をはばかって生きる必要は無くなる。

だから――」

「ちょっと、何をとんでもないことを」

 堪えきれずに碧乙が『御前』の発言を遮ったが、結梨はあくまでも平静を保っていた。

 

「『御前』の計画って、何をするの?」

「少しばかり世界をすっきりさせるのよ。私たちのような者が生きやすくなるために」

 

「……あなた、リリィやヒュージの力を利用して、不要な人間を粛清するつもりじゃないでしょうね」

 碧乙は戦慄すべき予感に襲われて、『御前』に問いたださざるを得なかった。

 

「まさか、私は粛清なんて野蛮なことはしない。

私はただ、ヒュージとの戦いのために過酷な実験と戦闘に曝されている強化リリィを、その苦しみから解放してあげたいだけ。

彼女たちが真に自由に生きられるような世界を創りたいだけ。

ただし、その過程で、それ以外の人がどのような運命をたどるのかまで関知するつもりは無いわ」

 

「積極的に手を下さないだけで、救済の対象とならない人間がどうなろうと知ったこっちゃないってことか……」

 

 『御前』は碧乙の言葉には反応せず、結梨に語り続ける。

「できればすぐにでも私と行動をともにして欲しいけれど、私の言ったことを急に受け入れることは難しいでしょう。

それに、私自身もこれ以上のことは今は口にできない。でも――」

 『御前』の言葉が途切れたが、結梨は黙ってその続きを待つ。

 

「私はあなたの敵ではなく、あなたを道具として利用しようとしているのでもない。

今日そのことを伝えられただけでも意義はあった。

それ以上のことは、この先ゆっくりと機会を見つけて解きほぐしていくつもり。

だから、私の思いを語るのはここまでにしておくわ」

 

 自らの話に区切りをつけるように、『御前』は軽く頭を振って気持ちを切り替えた。

 

「一ついいこと――かどうかは分からないけれど、私の話を聞いてくれたお礼に、とても重要なことを教えてあげるわ、結梨。

以前、あなたの捕獲命令が取り消された直後に出現したヒュージがいたでしょう?」

 

「うん、よく覚えてる」

 危うく刺し違えて命を落としそうになったのだ。忘れるはずも無い。

 

「あなたが海上で単独撃破した、あの長距離砲撃型のギガント級ヒュージ、あれは自然に発生した個体ではないわ」

 

 

 



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第8話 侵入者(4)

 

「……今、何て言ったの?」

 碧乙の理性は『御前』の発言を言葉通りに解釈しようとし、碧乙の常識はその内容を拒絶した。

 その結果としての聞き返しが、碧乙の口から発せられた。

 

「言い方が回りくどかったかしら。では言い直しましょう。

あの時のギガント級ヒュージは、人為的に作り出された個体よ」

 

「作り出された、って……誰があれを作ったというの?」

「それが愚問だと、本当は自分でも分かっているでしょう?」

 

「G.E.H.E.N.A.……」

 結梨が消え入りそうな声で小さくつぶやく。

 

「うそ、ありえないわ、そんなこと」

 碧乙は自分の声が上ずって、心拍数が急上昇するのが分かった。

 

「そうかしら。あのギガント級が出現したタイミング、ネストのマギを利用した特異な攻撃方法、撃破後の異常な規模の大爆発、それらすべてが不自然だとは思わなかった?」

 

「それは……言われてみれば変なことばかりだったとは思うけど。

G.E.H.E.N.A.にそこまでの技術があるというの……」

 碧乙は愕然とした様子を隠すこともできず、言葉を途切れさせた。

 しかし、何とか気を取り直して『御前』に反論する。

 

「それでも、いきなりそんなことを言われても、頭がついて行かないわ。

第一、あなたの言葉を裏付けるだけの物的証拠はあるの?」

「無いわ。私の言葉をあなたが信じるかどうか、それだけよ」

 

「今日初めて会った、得体の知れない相手の言うことを信じろと?」

「信じたくなければ、信じなければいい。どこの誰とも分からぬ者の戯言と聞き流しておけばいい。

でも、その結果、取り返しのつかない事態を招くことになっても泣き言を言わないで」

「くっ――」

 

「そのつもりがなくとも、あなたたちは少しばかり、あの組織を侮っている部分がある。

G.E.H.E.N.A.は人権を無視した人体実験と、危険なCHARMもどきの開発だけしているわけではない。

ヒュージ細胞から人間が作れるのなら、ヒュージそのものも作れると考えるのが当然でしょう」

 

 『御前』は伏し目がちに結梨の方を見ると、初めて申し訳なさそうな表情をした。

 

「結梨、ごめんなさい。あなたを傷つけるようなことを言ってしまって」

「ううん、平気。ヒュージの細胞から作られたとしても、今の私は人間だから。

でも、あのヒュージがG.E.H.E.N.A.の作ったものでも、何のためにそんなことをしたの?」

 まるで教師に質問する生徒のごとく、結梨が『御前』に尋ねた。

 

「あなたと百合ヶ丘のすべてを、この世から消し去るためよ」

「G.E.H.E.N.A.が私を殺そうとしたんだ……」

 

「どうして結梨ちゃんを殺そうとするのよ、奴らにとっても最重要人物のはずなのに」

「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰、ということでしょう。

結梨が人間であることが証明されて、その身柄は百合ヶ丘のガーデンが保護することが確定した。

しかし、G.E.H.E.N.A.は敵対勢力である百合ヶ丘に結梨を取られるくらいなら、いっそガーデンごと消し去ってしまおうとした。

無論、あなたたち百合ヶ丘のリリィも含めて」

 

「じゃあ、G.E.H.E.N.A.は結梨ちゃんを確保できなかった腹いせに、ヒュージを使ってガーデンごと私たちを皆殺しにしようとしたってこと?」

 

「簡単に言えば、そういうことね。

おそらく、査問委員会の連中が議論に勝てなかった場合の善後策として、用意しておいたのでしょう。

ネストの近傍に人工のケイブを発生させて、ネストからヒュージが出現したように偽装したものと思われるわ」

 

「まともじゃないわ、狂ってる」

 嫌悪感を露わにして、吐き捨てるように碧乙は言った。

 だが『御前』はそれには何も答えず、事務的な口調でさらに説明を続ける。

 

「あのギガント級の体内に蓄えられた膨大なマギは、砲撃のエネルギー源であるだけでなく、撃破された際には周囲を巻き込んで大爆発するための自爆装置でもあった。

百合ヶ丘のガーデンが灰燼に帰すまで海上から砲撃を続け、リリィに撃破されれば内部のマギに誘爆して大爆発する、一種の特攻兵器のようなヒュージ。

あなたたち百合ヶ丘のリリィが多大な犠牲を払った末に、ようやく撃破したと思ったら、その場で大爆発を起こして生き残りのリリィも大多数が戦死、というシナリオだったはず。

その後は――」

 

「もう充分よ。それ以上は聞きたくない」

 青ざめた顔で碧乙は『御前』の説明をさえぎった。

 

「碧乙、大丈夫。あのヒュージは私がやっつけたから。私たちは生きてるから」

 結梨が碧乙を支えるかのような言い方でなだめようとする。

 

「……ありがとう。ちょっと今の話は刺激が強かったわ。

こんな姿をお姉様や伊紀に見られたら、シュッツエンゲルの契りを解消されても文句は言えないわね。我ながら情けない」

 碧乙は大きく深呼吸して落ち着きを取り戻し、『御前』に向き直った。

 

「まだあなたの話を鵜呑みにするわけにはいかない。

でも、もしそれが本当なら、G.E.H.E.N.A.は絶対に許せない。人の命を何だと思ってるの」

 

「何とも思っていないでしょうね」

 あっさりと『御前』は言い切った。

 

「それはあなたたち自身が、これまでのG.E.H.E.N.A.との確執でよく分かっているはず。

だから強化リリィの救出作戦という慈善事業に精を出しているわけでしょう?」

 今の碧乙は『御前』の皮肉に反論する気にはなれなかった。

 

「分かっていたつもりだったけどね。いざ自分たちが抹殺のターゲットにされてみると、とても冷静ではいられないものだと思い知らされたわ。

あれがG.E.H.E.N.A.の手によるものだと、あなたは知っていた。ということは、今回が初めてじゃないってことね」

 

「ええ、既に何度も、G.E.H.E.N.A.は自分たちが作ったヒュージにリリィを襲わせている。

特型に分類されるヒュージの一部は、G.E.H.E.N.A.製のヒュージだと考えられる」

「なんてこと……」

 

 G.E.H.E.N.A.は自分たちの手でヒュージを作ることができ、それを道具として利用している。

 自分の意思を持ち、反旗を翻しかねない強化リリィよりも、本能のままに破壊行動を行うヒュージの方がG.E.H.E.N.A.にとっては都合が良い。

 戦闘能力でリリィを凌駕するヒュージの開発と量産化に成功すれば、この地球上でG.E.H.E.N.A.に対抗できる勢力は存在しなくなる。

 いや、実際には見えないところで、既にそのような状況が出来上がりつつあるのかもしれない。

 

「ということは、G.E.H.E.N.A.がその気になれば、そう遠くない未来にヒュージを使って世界を征服できるってこと?」

 まるで三文小説のような安っぽい話だと、碧乙は苦々しく思った。

 事実は小説より奇なりというが、これはあんまりだ。

 

「このままG.E.H.E.N.A.を放っておけば、いずれそうなるでしょうね。

それは私にとっても実に望ましくない展開。

だからあなたたちのような反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンには、この事実を認識してもらって、G.E.H.E.N.A.の目論見を妨害してもらわないといけない。

少なくともその点については、私とあなたたちは利害を共有する関係にある」

 

 そこまで言って、『御前』は碧乙の隣りに立つ結梨の顔を見た。そして、

「それが結果的には、結梨の運命を救うことにもつながる」

 と、半ば自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 

 

 



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第8話 侵入者(5)

 

「それなら、いま地上にいるヒュージもG.E.H.E.N.A.が作ったものなの?」

 結梨は不安になりそうな気持を押し殺して、天井を見つめた。

「それは何とも言えない。自分の目で確かめたわけではないから。

ここから分かることと言えば、あれが一種のジャミングを掛けていることくらい」

 

「ジャミング?」

「あなたたちの手にしているCHARMをよく御覧なさい」

「えっ?」

碧乙と結梨がそれぞれのアステリオンを見た。

どちらのマギクリスタルコアにも光は無い。

 

「CHARMにマギが入ってない。碧乙、これって……」

「CHARMのOSが起動できない。二つとも同じ現象ということは、CHARMの機械的故障じゃないわ」

「それが上にいるヒュージの影響。マギの固有波長に干渉する力場を形成して、レアスキルとCHARMを使用不能の状態にしている」

「何それ。そんな攻撃をしてくるヒュージなんて聞いたことないわよ」

 

「上にいるヒュージも特型?」

 結梨が『御前』に尋ねる。

「攻撃の性質からすれば、特型に分類されてもおかしくない。

でも、それ以上のことは今この場では分からないわ。

それに、このジャミングもそう長くは続かないかもしれない」

「どうして『御前』はそう思うの?」

 

「一人だけCHARMを起動できているリリィがいるようだから。

そのリリィならヒュージの干渉を打ち消して、ジャミングを解除できる可能性がある。

それができれば、後はガーデンのリリィ総がかりで攻撃できるから、撃破は難しくないでしょう」

 

「それなら、地上のことはそんなに心配しなくてもいいわけね。

あ、言ってるそばから」

 二人の手にしているアステリオンのコアが発光し、ルーン文字が表面に浮かび上がった。

 

「さあ、これで思う存分CHARMを振るえる状態になったわけだけど、どうする?

腕試しをしてみる?二人がかりでも私は構わないけど」

 素手であるにもかかわらず、『御前』には全く動じる気配が無い。

 

「それじゃ、せっかくだからお言葉に甘えて、やらせていただきますか。結梨ちゃんも一緒に戦ってくれる?」

「うん……」

 結梨はあまり気乗りしない様子だったが、『御前』の実力を実際に確認しておく必要があると考えたのか、アステリオンを構え直した。

 

 二人はじりじりと間合いを詰め、攻撃範囲内に達すると同時に『御前』に斬りかかった。

 二方向からの同時攻撃を受けた『御前』は、完全にその軌道を読み切り、難無く二つの斬撃をかいくぐって二人の背後に出た。

 

 攻撃を回避された碧乙と結梨が振り返るよりも早く、『御前』は二人に対して同時に攻撃を仕掛ける。

 碧乙と結梨は、かろうじてアステリオンを身体の前に出し、信じられないほどの速度で連続して繰り出される蹴りを防御する。

 

 ラージ級と一騎打ちできるほどのリリィである結梨と碧乙が二対一で、しかも素手の相手に対して防戦一方で全く歯が立たない。

 『御前』の攻撃と回避は、明らかに通常の戦闘行動の範疇から完全に逸脱していた。

 

(完璧にこちらの動きを見切った上に、私たち二人に対して同時に攻撃をしている。ファンタズムでもこっちの攻撃が命中する未来は視えない。間違いなく『この世の理』を発動している。それもS級の)

 

 何十発目かの蹴りをCHARMで受け止め、勝機が無いことを悟った碧乙と結梨は、示し合わせたかのように後方に跳び下がって距離を取った。

 もし『御前』がCHARMを持参していたら、最初の数秒間で勝敗は決していたと認めざるを得なかった。

 

「結梨、どうしてレアスキルを使わなかったの?まさか出し惜しみをしたわけでもないでしょうに」

 『御前』は不思議そうな表情で結梨に問いただした。

 

「レアスキルを使っても、あなたには勝てないと思ったから」

「随分と謙虚なのね。あなたは少なくとも二つのレアスキルを同時に発動できるはずだけど、それでも私に勝てないと?」

「分からない。でも私の力は誰かを助けることや護ることに使いたいから。ただ誰かと戦うだけのことには使いたくない」

 

「……いいでしょう。私はその意志を尊重する。

あなたが本気で戦った時の実力は、あの海上での戦闘でよく分かっている。

あらためて無理強いする道理は無い。

あなたの持つ圧倒的な力は、あなたが背負わされた圧倒的な理不尽と闘うためにこそある。

だから、あなたが必要と思った時には、ためらわずにその力を使いなさい。

闘いなさい、自分の未来を切り開くために。

それができて初めて、あなたは本当に自分の人生を生きることができる」

 

 『御前』の言葉は、運命を共にする朋友に語りかけているように、結梨には聞こえた。

 

「――さて、これで私を侵入者として拘束するのは不可能だと理解してもらえたと思う。

伝えるべきことは伝えたつもりだから、後はあなたたちのガーデンの問題として取り組みなさい。

今よりももっと状況が進展すれば、私がしようとしていることの具体的な形が、あなたたちにも見えてくるはず。

その時に再び私はあなたの前に現れるから、良い返事を聞かせてくれることを期待するわ、結梨」

 

「もし私たちの方から『御前』に連絡を取りたくなったら、どうすればいいの?」

 思いがけない結梨の発言に、隣りにいた碧乙が驚いた顔をしたが、『御前』はそれを気にも留めていない様子だった。

 

「これは嬉しいことを言ってくれるわね。そう、その時はルドビコの戸田・エウラリア・琴陽というリリィにコンタクトを取りなさい。

彼女は私の第一の協力者だから、あなたの情報が漏れたりする心配は無い」

 

「ルドビコって、東京のルドビコ女学院のこと?

あのガーデンは親G.E.H.E.N.A.主義の代表みたいなところで、百合ヶ丘とは完全な敵対関係にあると言っても過言じゃないけど」

 警戒感を露わにして、碧乙が『御前』に問いただした。

 

「そう、ガーデンとしてのルドビコは、確かにG.E.H.E.N.A.と癒着していた。

しかしガーデン内部での一連の事変を経て、一部のリリィはガーデンに反旗を翻し、独立した行動を取り始めている。

琴陽はレギオンには所属せず、表向きはルドビコのガーデンに従っているけれど、実際には私の協力者として行動している。

だから、あなたたちはルドビコのガーデン本体を通さずに、琴陽と直接接触するようにすればいい。もっとも、具体的な方法はそちらで考えてもらう必要があるけど」

「また無理難題を言ってくれるわね。まあいいわ、あまりにも手取り足取り教えてくれると、それはそれで気持ち悪いから」

 

「――上の方の戦闘もそろそろ決着がつきそうだから、その前に失礼させてもらうわ。

このガーデンに来たついでに、もう一人会っておきたいリリィがいたのだけれど、それはまたの機会にしましょう。あのCHARMも彼女に持ち出されてしまったようだし。

では、再会できる日を楽しみにしているわ。ごきげんよう」

 

 そう言うと、『御前』は身を翻して二人に背を向け、通路の奥へと歩き去って行った。

 結梨と碧乙は、その後ろ姿が通路の暗がりに隠れて見えなくなるまで、目を離すことができなかった。

 

「行っちゃったね」

「ええ、もし彼女が敵意を持った侵入者だったらと思うと、ぞっとするわ」

 素手の『御前』相手に手も足も出なかったのだ。CHARMで武装した状態で襲われれば、ひとたまりも無かっただろう。

「とにかく、ひとまず上に上がってお姉様に報告しましょう。私たちだけでどうこうできる問題でないのは明らかだから」

 

 二人が通路を戻り、地下駐車場を通り抜けて階段を上がっていたその時、轟音が響き渡って建物全体が激しい揺れに襲われた。

「これは、何かの爆発?」

「さっき『御前』が言ってた戦闘の決着がついたのかも」

「ガーデンのすぐ近くか、あるいは敷地内で撃破したみたいね。この衝撃だと、建物に結構な被害が出ている可能性がありそうね」

 

 階段を上がり終えて特別寮の廊下に出ると、固定されていない物が倒れていたり、壁や床の一部が損傷していたが、建物が崩れるほどの被害は発生していなかった。

 ただし、特別寮はガーデンの校舎に隠れるように奥まった所にあるため、深刻な被害を免れた可能性が高い。

「結梨ちゃん、ちょっとここで待ってて。外の様子を見てくる」

 

 結梨を残して特別寮の外へ出て行った碧乙が戻ってきたのは、数分後のことだった。

「駄目だった、校舎は思ったより派手にぶっ壊れてたわ。爆発の衝撃をまともに食らったみたいね。当分は授業どころじゃなさそう」

「ロザリンデたちは大丈夫かな」

「外に出た時に見つけたリリィをつかまえて状況を聞いてみたけど、負傷者はほとんどいないとのことだったわ。どうもガーデンのリリィ全員でノインヴェルト戦術を実行したみたい」

 

「すごい、そんなことできるの?」

 結梨は半信半疑で碧乙に尋ねた。

「参加したのは二十人程度って主張してるリリィもいたけど、実際にできたみたいだから、そうとしか言いようがないわね。理論上はあり得ないけど。

でも、その時の過負荷でほとんどのCHARMが全損状態になっているでしょう。

だから生き残りのヒュージが少しでもいたら、それがスモール級でも危険よ。

予備のCHARMってどのくらいあったっけ……」

 

 碧乙がやきもきしながら今後の取るべき行動を考えていると、廊下の向こう側にロザリンデと伊紀の姿が見えた。

 二人ともボロボロに損傷したアステリオンを手に持っている。

「良かった、二人とも無事だったのね。私たちの方は――」

 近づいてきたロザリンデが結梨と碧乙に声をかけると、ロザリンデの言葉が終わらないうちに、碧乙が深刻な表情で答える。

 

「お姉様、私たちは避難の途中で『御前』と名乗る人物に遭遇しました。

そいつは結梨ちゃんを自分の仲間に引き入れるつもりで、恐ろしく強くて、何かとんでもないことをしようとしていて、G.E.H.E.N.A.がヒュージを作ってると言って――とにかく、すぐにガーデンに報告して、史房様たちと一緒に、早急に今後の対応を協議する必要があります」

 

 大破した校舎のことなどまるで眼中に無いかのように、碧乙は一気にまくし立てた。

 

 

 



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第8話 侵入者(6)

 

 梨璃と夢結が由比ヶ浜ネストのアルトラ級討滅のため、輸送機に搭乗して出撃した翌日。

 

 大きな被害を免れた特別寮のミーティングルームに、高松咬月・出江史房・秦祀・内田眞悠理・ロザリンデ・碧乙・結梨の七名が集合した。

 

「――以上が、私と一柳結梨さんが地下通路で『御前』と遭遇した内容の概要です。

なお、会話の内容は通信端末に、戦闘データはCHARMに記録されていますので、それらを遭遇時の証拠としてガーデンに提出しました」

 

 石上碧乙は過日の『御前』と遭遇した一連の経緯を口頭で報告し終えると、ローテーブルを囲んで座る一同の顔ぶれを見渡した。

 理路整然とした説明からは、『御前』に遭遇した直後の動揺は微塵も感じられず、碧乙はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 

「あの時のギガント級がG.E.H.E.N.A.の差し金ですって……」

 思いがけない内容に、愕然とした表情で祀が絶句する。

 

 それに対して眞悠理は、以前から多少なりともその可能性を見越していたのか、冷静に自分の意見を述べる。

「にわかには信じがたい話だけど、それを否定できるだけの根拠を私たちが持ち合わせていないことも事実。

『御前』とやらの言ったことは確かに筋が通っている。

不本意ながら、私は彼女の考えに同意せざるを得ない」

 

「百由さんが『性格のひん曲がってそうな役人だか政治家だかを、けちょんけちょんに論破してやったわ』って、得意げに言っていたけど、それが余程頭に来たのかしら」

「いえ、彼らは単なる傀儡でしかなかった。その上にいる者が命令を出したのでしょう。

議論の場で敗れた場合のプランBが、結梨さんと私たちの抹殺、そしてガーデンの完全な破壊だったということです」

 

「よくそこまでドラスティックな選択ができるものね」

 祀と眞悠理の会話を聞いていた史房が、嫌悪とも軽蔑ともつきかねる口調で嘆息した。

 

「G.E.H.E.N.A.が過去にも同様のことをしてきた可能性は充分あると、私は思います。

そうでなければ、あまりにも手際が良すぎる。

自分たちに歯向かう者を、ヒュージを使って排除する。

そのヒュージがG.E.H.E.N.A.の仕向けたものであると立証できない限り、奴らを法で裁くことはできない。完全犯罪の成立です」

 眞悠理は苦々しげに自らの考えを述べ終えた。

 

 生徒会長たちの第一の関心は、敵か味方かさえ判然としない『御前』よりも、直接的な脅威となりうるG.E.H.E.N.A.のヒュージに向けられていた。

 

「しかし、『御前』の言ったことは現時点では証拠の無い仮説にすぎません。今この仮説を事実として、百合ヶ丘の一般生徒に伝えるわけにはいきません」

「そうだな。その仮説を聞いて逆上したリリィが一方的にG.E.H.E.N.A.に攻撃を仕掛ければ、それこそ向こうの思う壺だ」

 理事長代行の高松咬月が、眞悠理の意見に同意する。

 

「それに、その『御前』が意図的に我々をその仮説に誘導しようとしていることも考えられる。

その誘導によって彼女が我々とG.E.H.E.N.A.を全面的に争わせ、共倒れを狙っている可能性もある。

それゆえ、証拠を掴むまでは、これまで通りガーデンに襲来するヒュージの迎撃に徹するしかないだろう。

だが、白井君と一柳君が今まさに赴いているアルトラ級の討滅に成功すれば、その負担は劇的に少なくなる。今はそれに期待しよう」

 

 咬月はヒュージネストがある海の方角を向いて、祈るように言葉を発した。

 

「では、次に『御前』なる人物についてですが――」

 碧乙が咬月を見て、彼の言葉を待つ。

 

「君たちの会話と戦闘の内容は確認させてもらった。確かに石上君の言う通り、尋常な人物では無さそうだ。

監視カメラの映像にも彼女の姿が映っていたが、ある瞬間から忽然と出現したように見える。

地下通路から外部への出入口にも、扉を開閉した形跡は一切無かった」

 

「ということは、一種のテレポーテーションのような能力を使ったと考えられるのですね」

 

「それに該当するレアスキルは、S級レベルの縮地『異界の門』です。

これはワームホールによる空間移動なので、扉も壁も無視して移動することができます」

 

「つまり彼女がその気になれば、いつでも好きな時にこのガーデンに入って来れるというわけね」

 

「ただし、光学迷彩の能力までは持っていないようですから、人目につかずにガーデンの中を動き回るのは難しいはずです。

彼女自身の発言にもあるように、今回は全校避難でガーデンが無人に近くなったため、千載一遇の好機と見て侵入を決行したのでしょう」

 

 三人の生徒会長が口々に『御前』の能力について言及し、その実力を見極めようとする。

 

「碧乙さんの報告では、『御前』は戦闘時に『この世の理』を発動していた。それに加えて侵入時に縮地も使用していたとなると、彼女は複数のレアスキルを使えることになる」

 という史房の指摘を聞いて、「それではまるで結梨と同じではないか」と、その場にいた誰もが思ったが、口に出すことは控えた。

 

 結梨は黙ったまま、表情を変えずにロザリンデと碧乙の間に座っている。

 

 その結梨を気遣うように見てから、ロザリンデは自分の思うところを咬月に話し始めた。

 

「彼女の目的にしても、自らが望む世界を創りたいという漠然としたことしか語らず、具体的に何をするつもりなのかは不明です。

おそらくはリリィあるいは強化リリィによる理想の社会を実現しようとしているのだろうと思われますが、それ以上のことは何も分かりません。

その理想の社会が、周囲から孤立した閉鎖的な集団なのか、国家レベルで統治・支配するほどの野望を持っているのか、今のところは判断する材料がありません」

 

 ロザリンデが発言を終えた後に、史房が言葉を続ける。

「彼女は自分の理想を実現するための重要な協力者として、結梨さんに目をつけた。

だから結梨さんの仲間である私たちに対して、今のところは敵対的な行動を取ることは無いと考えていいと思います。

だとしても、このまま『御前』を無視しておくわけにはいきません。

彼女について、可能な限り多くの情報を収集するべきだと思います」

 

 二人の言葉を聞いた咬月は、彼女たちの意見を肯定することに抵抗は全く無かった。

 

「それについては、私も同じ考えだ。

まずは『御前』の言っていたルドビコ女学院の戸田・エウラリア・琴陽、彼女とコンタクトを取る必要がある」

「罠ではないのですか」

 史房は警戒心を隠す素振りも無く咬月に問う。

 

「罠だとしても、他に確実な手掛かりとなるものが無い以上、選択の余地は無い」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですか」

 

「無論、虎に襲われても対抗できるよう、備えは当然しておく。

しかし、現実問題としてルドビコのリリィに直接コンタクトを取るのは難しいだろう。

ルドビコが親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの代表格であることに加えて、詳しい事情は不明だが、現在は組織としてのガーデンそのものが崩壊しているという情報もある。

当然、ルドビコの理事会が機能しているのかどうかも分からない」

 

「かと言って、無断でルドビコのガーデンに潜入するわけにもいきません。

それでは私たちが『御前』のような不法侵入者になってしまいます」

「それなら、百合ヶ丘と友好的な関係にある東京のガーデンに、伝手を頼ってみましょうか。

ルドビコのリリィと知己の関係にある生徒がいるかもしれません」

 史房の指摘を受けて、代替案を提示したのは祀だった。

 

「たとえば?」

「御台場女学校とか……」

 史房は祀に尋ねたが、その隣に座っていた眞悠理がぽつりとつぶやいた。

 その校名を聞いて、祀が最初に反応した。

 

「そうね、あそこなら百合ヶ丘と頻繁に交流もあるし、私たちと面識のあるリリィも一人や二人ではない。候補としては最有力に違いないわ。

理事長代行から御台場のガーデンに、訪問の申し入れをお願いできますでしょうか?」

「それは構わないが、誰が御台場のガーデンに行くつもりかね?

ヒュージを討伐するための外征ではない以上、大人数での訪問は許可できかねるが」

 

 咬月の問いかけに応じて、一人のリリィが間を置かずに挙手をした。

 

「私が行きます。このガーデンを代表するリリィとしては、私をおいて他に適任者はいないでしょう」

 名乗り出た人物は、百合ヶ丘のレギオン統括職たるブリュンヒルデを務める出江史房だった。

 

 

 



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第9話 御台場女学校訪問(1)

 前回投稿分からストーリーとしては連続していますが、エピソードの区切りとなるため、話数を第9話としています。
 また、今回投稿分から御台場とルドビコのリリィが順次登場します。
 本作の世界線は今後もアニメおよびラスバレの世界線とし、その中に御台場とルドビコのリリィも存在するものとして記述します。(『御前』も同様です)
 今回のエピソードの時系列は、アニメ第12話後半で梨璃さんと夢結様がアルトラ級を討滅してから、海岸に漂着するまでの期間のものとしています。



 

「御台場に行くのは、私ではだめなのかしら」

 名乗り出た史房に対して、ロザリンデが尋ねる。

 

「特務レギオンのリリィであるあなたが行けば、向こうの警戒心を呼び起こして、痛くもない腹を探られかねない。

だから、ここは生徒会長かつ百合ヶ丘の全レギオン代表である私が行くのが最善よ」

 

「分かったわ。この件については、あなたに一任しましょう」

 ロザリンデは史房の指摘を素直に受け入れ、史房は咬月に再び発言する。

「理事長代行、では私が代表者として訪問することを先方にご連絡いただけますか」

 

「よろしい、この後で速やかに申し入れをしてみよう。

ただし、訪問に当たっては、こちらの事情を説明する必要に迫られるかもしれない。

その場合は、一柳君や『御前』の存在を御台場に伝えなくてはならなくなる可能性がある。

当然、百合ヶ丘と御台場の間での極秘事項として、その情報は厳重に管理される。

君たちはその条件を受け入れることができるかね?」

 咬月はその場にいる六人のリリィの顔を見渡した。

 

 咬月の意思確認に対して意見を述べたのはロザリンデだった。

 

「御台場はメルクリウスと並んで、百合ヶ丘にとって最も信頼のおけるガーデンの一つです。

それに、もし事態が悪化して結梨さんがこのガーデンを離れなければならなくなった時、身柄を受け入れてくれる所があれば非常に重要なセーフティーネットとなります。

御台場としても結梨さんの生存を知った場合、彼女がG.E.H.E.N.A.の手に落ちることは避けたいはずです。

G.E.H.E.N.A.が結梨さんの細胞を使ってクローンを作り、強化リリィやヒュージに勝る生体兵器として反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンを襲わせる、というのは悪夢以外の何物でもありません。

ですから、善後策の選択肢を作っておくという意味でも、御台場に結梨さんの事情を説明することは双方にメリットがあると考えます」

 

「分かった。一柳君は、それで構わないかね?ガーデンは君の同意無く話を進めることはしないつもりだ」

 咬月はロザリンデの意見を聞き終えると、結梨を見て情報開示の可否を確認した。

 

 結梨は黙って頷き、肯定の意思表示をした後、自らの思うところを静かに話し始めた。

 

「『御前』の力は私とよく似てた。

『御前』は私と同じように、ヒュージの細胞から作られた人間なのかもしれない。

それで私を仲間だと思いたいのかもしれない。

でも、私にはまだ『御前』のことがよく分からない。

だから私は、あの人が何を考えて、何をしようとしているのか、もっと知りたい。

もし、それが誰かを犠牲にするのと引き換えのものなら、私はあの人を止めないといけない。

――私は、あの人と分かりあいたい」

 

「そうか。あまり彼女に肩入れするのは危険だとは思うが、直接言葉を交わした者にしか分からないことがあるのかもしれんな。

……では決まりだな。理事会に諮った上で、御台場に訪問の申し入れをする。

回答が得られ次第、再び君たちに招集をかけることになるだろう。

今日のところは、これでひとまず解散とする」

 

「承知しました。では私たちはガーデンの損壊した設備の復旧を行うとともに、残存する予備のCHARMをかき集めて、周辺の哨戒に当たります。

祀さん、眞悠理さん、行きましょう。百合ヶ丘の全アーセナルを集合させるわ」

 

 ライフラインがストップし、自然災害に襲われた避難所のようになっているガーデンを取りまとめるべく、三人の生徒会長はミーティングルームを後にした。

 

「それでは、私たちも失礼します。二人とも、部屋に戻りましょう。

これまでの情報を洗い直して、会話と戦闘のデータから『御前』に関連する手掛かりが他にないか、再確認するわ」

 

 ロザリンデが碧乙と結梨に声をかけ、三人は咬月に会釈してミーティングルームを出て行く。

 

 咬月は彼女たちの後ろ姿を見送った後、姉である理事長に連絡を入れるべく席を立ち、特別寮のミーティングルームは静寂が支配する無人の空間に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数日後、史房と結梨は御台場女学校の制服を着て、東京へ向かう列車の座席に向かい合って座っていた。

 

 御台場からの回答は、条件付きで百合ヶ丘のリリィの訪問を認めるものだった。

 その条件とは、以下のようなものだった。

 

・今回の訪問に結梨本人が同行すること。訪問時のCHARM所持は可とする。

・箝口令を敷いた上で、御台場の中核レギオンであるヘオロットセインツとロネスネスに、結梨と『御前』についての情報を極秘事項として開示すること。

・結梨の存在が露見することを防ぐため、御台場の制服を着用した上で訪問すること。同様に露見防止のため、ガーデンへの入退場およびガーデン内の移動は、指定のルートを使うこと。なお、制服は御台場側から支給するものとする。

 

 再度招集された六人のリリィは、訪問時に御台場側が機密の保持に細心の注意を払うように念押しした。

 その上で御台場側の提示した条件を承諾し、史房と結梨の訪問は全会一致で議決された。

 

 二人の身体を列車の振動が小刻みに揺らし、窓の外、ビルの隙間から水平線がわずかに見え隠れする。

 列車の運行に遅延が生じなければ、あと十分ほどで御台場の最寄り駅に着くはずだった。

 

「結梨さんの同行は、御台場の理事会ではなく生徒会からの希望だと、理事長代行から言われたわ。

あなたはあの事件ですっかり有名になっていた上に、今まで未帰還死亡扱いだったから、どうしても自分たちの目で確かめておきたいのでしょう」

 

「私はそんなに大したリリィじゃないと思うけど……」

 どことなく困惑した様子で結梨が答える。

 

「あなたは自分のことをもっと高く評価するべきね。

それが生まれつきのものか、これまで生きてきた中でのものかの違いはあれ、誰にでも背負いながら生きている何かがある。

それに振り回されるか、目を背けて無視するか、逆境として乗り越えるかは、その人次第よ」

「……ありがとう、史房」

 その言葉が史房なりの気遣いなのだと、結梨は理解した。

 

「――そう言えば、『御前』に連絡を取る方法を尋ねたのは、碧乙さんではなくてあなただったと聞いたわ。意外と策士なのね」

「その時は、別に深く考えたわけじゃなかったんだけど。もっとたくさん話をしないと、あの人のことが分からないと思ったから」

 

「おそらく彼女の中では、救うべき者とそうでない者は明確に線引きされているでしょう。

それは間違いなく彼女自身が背負っている何かと結びついていて、しかもG.E.H.E.N.A.が裏で策動してきたこととも無関係ではないはず」

 

「リリィがヒュージを全部やっつけても、それで終わりじゃないんだね」

「世界がもっと簡単に出来ていれば、こんな面倒なことを考えずに済んだのにね。

――ああ、もう着くわね。降りましょう」

 

 駅に接近した列車が速度を落とし、史房と結梨はそれぞれのCHARMが収められたケースを持ち上げて席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御台場女学校から指定された校内への進入ルートは、正門ではなく来賓用の専用ゲートからガーデンに入るものだった。

 

 ゲートの周囲と、そこから敷地内に続く道には人の姿は全く見られなかった。

 おそらくガーデンがあらかじめ人払いをして、二人が人目に触れないように配慮したものと思われた。

 

 史房と結梨がゲートを通過して数十メートル歩いた先に、さほど大きくない面積のエントランスが現れた。これも来賓用のものだろう。

 

 そのガラス張りの扉の手前に、一人のリリィと思しき生徒が立っていた。

 長い黒髪を橙色のリボンでまとめ、寸分の乱れも無い姿勢で二人を静かに見ている。

 

 近づいてきた二人に向かって穏やかな微笑を浮かべると、そのリリィは結梨を見て軽く会釈し、自分から先に言葉を発した。

 

「御台場女学校生徒会長の月岡椛と申します。はじめまして、一柳結梨さん」

 

 

 



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第9話 御台場女学校訪問(2)

 

「はじめまして。一柳結梨です」

 借りてきた猫のように大人しく、結梨は挨拶の言葉を口にした。

 

「ごめんなさいね。私たちのわがままでここまで来てもらって」

「いえ、勝手なお願いを先にしたのは私たち百合ヶ丘の方です。

御台場の方々がお気になさる必要はありません」

 結梨を気遣う椛に、史房が同じく気遣いの言葉を掛ける。

 

 椛はあらためて史房に一礼し、品の良さをうかがわせる口調で話しかけた。

「史房様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。

この度はガーデンの建物が甚大な被害を受けたそうですが、人的な被害も出たのですか?」

 

「いえ、ヒュージが襲来するまでの間に生徒は全員避難済みでした。

その後の戦闘でも深刻な負傷を負った者はいませんでしたので、実質的な人的被害はありませんでした」

 生徒の無事を告げる史房の返答に、椛は安堵の表情を浮かべた。

 

「そうですか。それは不幸中の幸いでしたね。

建物はまた再建できますが、失われた人命は二度と元に戻りませんから」

「ええ。それに今は白井夢結さんと一柳梨璃さんの二人が、由比ヶ浜ネストのアルトラ級討伐に向かったところです。

これが成功すれば、百合ヶ丘周辺のヒュージの脅威は劇的に少なくなります。

外征による東京方面への支援にも、より多くのレギオンを派遣できるようになるでしょう。

崩壊状態にあるというルドビコの穴を埋める意味でも」

「お二人が任務を果たし、無事に帰ってくることを私も心より願います」

 

 三人はエントランスを通り抜けて、校舎の奥へ続く廊下を歩いていく。

 やがて、ある扉の前で椛が立ち止まった。結梨と史房もそれに合わせて歩みを止める。

 

「副会長のゆず――いえ、川村楪は、教導官との打ち合わせが終わり次第、こちらへ来る予定になっています。すみませんが、それまでこの来賓室でお待ちください」

 椛は重厚な木製の扉をゆっくりと開き、結梨と史房に入室するよう求めた。

 

 二人が来賓室の中に入ると、広い部屋の窓際に立つ三つの人影が見えた。

 窓の外から差し込んでくる光が逆光となり、その姿はシルエットになっていた。

 そのため表情などは、はっきりとは分からない。

 

 三人とも癖の無い長い髪を腰まで伸ばし、うち一人はヒュージサーチャーらしき三角形の髪飾りを二つ装着している。 

 

「あなたたち、もう来ていたの」

 結梨と史房の後ろから椛の声が聞こえた。

 

「どうしても待ちきれなくて、つい予定の時間より早く来てしまいましたわ。そちらのリリィが一柳結梨さんでいらっしゃるのね」

 三つの人影の一つが前に進み出て、自信に満ち溢れた口調で結梨に話しかけた。

 

「私はロネスネスで主将を務める二年生の船田純と言いますの。以後よろしく。

あちらに控えている女性が私の双子の姉の初姉様、その隣が同じロネスネスの一年生で司馬燈」

 純の言葉の後で、窓際にいた二つの人影が、結梨と史房に向かって軽く頭を下げる。

 

 純と名乗ったリリィは結梨の前まで来ると腕組みをして、拍子抜けした感情を隠さなかった。

「ギガント級を一人で倒したというから、どんな怪力自慢のリリィかと思ったら、まだほんのお子様ですのね。

こんな子にG.E.H.E.N.A.が躍起になって身柄を拘束しようとしたとは、にわかには信じられませんわ」

 

「その物言いは失礼ですよ、純。もう少し言葉遣いに気をつけなさい」

 窓際にいた人影の一人、船田初が妹の純に向かって歩み寄りながら注意をした。

 純白の長髪を優雅に揺らめかせる姉は、純とは対照的に穏やかな口調と雰囲気の持ち主だった。

 

 それがいつものことなのか、純は特に悪びれる様子も無く、初に自分の意見を述べ始めた。

「姉様、私は感じたままを正直に言葉にしたまでですわ。別にこの子を軽んじているわけではありません。

この子が一人でギガント級を倒したことは事実。それなら外見からは分からない特別な力が、必ずあるはずですわ。

その辺りはいかがなんですの?結梨さん」

 

「あれはネストが近くにあったから、そのマギを使えただけで、私一人だけの力じゃなかったし……」

 

「ほら御覧なさい。やっぱりそんな非常識な曲芸ができるではありませんか。

言い換えれば、あなたはヒュージネストの近くでなら、無尽蔵にマギを使えるということに他ならない。

ノインヴェルト戦術を用いなくとも、あなたがいればネストは討滅できる。

ラージ級以下の雑魚ヒュージは他のリリィに任せて、あなたはギガント級とアルトラ級だけを相手に戦えばいいのですわ」

 

 勝ち誇ったように言う純に対して、初が水を差す。

「そんなことをしたらCHARMが持たないわ。

百合ヶ丘から提供された資料にも、撃破後に回収されたCHARMのマギクリスタルコアが喪失していたとありました。

だから、そのやり方でギガント級を一体倒しても、後が続きません。

それに近距離で撃破した後の離脱方法の問題もあります。

話はそう簡単ではありません」

 

「そう言えば、今あなたの使っているCHARMは専用のカスタマイズがされているのかしら?ちょっと見せて下さる?」

 CHARMに話が及ぶと、窓際に残っていた一年生の司馬燈が結梨の傍まで近づいてきた。

 彼女が純に負けず劣らずの生粋のアタッカーであることは、彼女の全身から放たれる雰囲気でも明らかだった。

 

「うん、どうぞ」

 その求めに応じて、結梨は背負っているケースからアステリオンを取り出すと、燈に手渡した。

 

 燈は結梨から受け取ったアステリオンを一瞥した。

「見たところ、何の変哲も無いアステリオンですわね」

「うん、ほとんど標準仕様のまま。その方が作戦行動中の故障対応やメンテナンスに都合がいいから」

「もったいない」

「えっ?」

「あなたほどの傑出した能力なら、それに見合ったカスタマイズを施した専用のCHARMを装備するべきですわ」

「そうなの?」

「ええ、私の使っているCHARMは第四世代のヴィンセツ・リーリエ。

私は特別優秀な強化リリィだから、第四世代のCHARMでも心身へのリスクをほとんど気にせず使いこなせますの。

資料に目を通した限りでは、あなたは強化リリィ以上のポテンシャルを生まれながらに持っていますわ。

そのあなたなら、第四世代CHARMの方が間違いなくあなた自身の生存率も向上するし、倒せる敵の数も助けられる人の数も、今より格段に多くなる。

トラブル対応やメンテナンスの問題については、私の使っているヴィンセツ・リーリエのように分離型のCHARMを使えば、片方が故障しても戦闘不能にはならない。

ぜひ御一考なさることをお勧めいたしますわ」

 

「確か、百合ヶ丘でも第四世代CHARMの開発が行われているはずですが」

 燈の発言を引き継いで、初が史房を見て確認を求めた。

 

「ええ、百合ヶ丘の工廠科で開発を進めているのは事実です。

しかしまだ実戦に投入できる段階には至っていません。

第四世代のCHARMは精神直結型ですので、装備するリリィへの負担を考慮して、今のところは慎重な姿勢を取っています」

 

「そうですか。では百合ヶ丘での本格的な導入には、まだ相応に時間を要するということですね」

「残念ながら、おっしゃる通りです」

 史房は微妙な表情を浮かべて初の発言を肯定した。

 

「ところで結梨さん。あなたのレアスキルについて少し尋ねたいことが――」

 なおも結梨を囲んであれこれと話し続ける純と燈に、椛が口を挟む。

「あなたたち、結梨さんに興味があるのは分かるけど、今日は結梨さんのことを聞くのが本題ではないでしょう。

G.E.H.E.N.A.とヒュージの関連性、『御前』なる人物の情報、ルドビコへのコンタクト手段について、双方で意見の取りまとめをして今後の方針を定めておかなければいけません」

 

「はいはい、相変わらずお堅いことですわね、ヘオロットセインツの隊長様は」

 

 純の嫌味に椛が何事かを口走ろうとした時、来賓室のドアが開いて一人のリリィが顔を出した。

 

 室内にいる四人の御台場のリリィとは異なるミディアムボブの髪型、そして首に掛けた大きなヘッドホンが結梨の目に留まった。

 

「ごめん、教導官との打ち合わせが予定より長引いて遅くなった。

――ああ、あんたが噂の一柳結梨か。

私はヘオロットセインツの副隊長で、そこにいる椛のルームメイトの川村楪。

色々ヤバいことに巻き込まれてるみたいだけど、私たちが必ず助けてやるから、何も心配しなくていい。一緒に力を合わせて乗り越えよう」

 目に見えない熱気が伝わって来そうな勢いで、楪は結梨に励ましの言葉を掛けた。

 

 

 



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第9話 御台場女学校訪問(3)

 

「……その『御前』によれば、あの騒動のすぐ後で百合ヶ丘を襲ったヒュージはG.E.H.E.N.A.の手によるもので、彼女は自分の理想とする世界を実現するために結梨さんを仲間に引き入れようとした。

そして自分に連絡を取りたければ、ルドビコ女学院の琴陽というリリィに聞くようにと。そう申したのですね」

 

 来賓室の中央に置かれた大きなテーブルの両側に、合わせて七人のリリィが革張りのソファーに座っている。

 百合ヶ丘は結梨と史房、御台場は椛、楪、初、純、燈だ。

 

 椛は百合ヶ丘から提供された情報を簡潔にまとめて、その内容に相違無いか史房に確認を求めた。

 

「そうです。荒唐無稽な話と思われるかもしれませんが、彼女の言ったことには一定の合理性があると認めざるを得ません。

鵜呑みにするわけにはいかなくとも、充分に吟味する価値のある情報だと、百合ヶ丘のガーデンは判断しました。

特にG.E.H.E.N.A.とヒュージの関連性に関しては、非常に現実的な眼前の脅威となりうる問題だと認識しています。

それを裏付ける物的証拠は何もありませんが、この件についての信憑性はいかがなものと思われますか?」

 

 史房はテーブルを挟んで向かい合って座っている、御台場の五人のリリィに問いかけた。

 

 いくばくかの沈黙の後で、船田姉妹の妹である純が、その美しい唇を忌々しげに歪めて口を開いた。

 

「ふん、そんな事だろうと思っておりましたわ。あの連中なら、邪魔者と見なせばガーデンの一つや二つは平気で潰してもおかしくありませんわ」

 

 史房が説明した内容をごくあっさりと純が認めたため、結梨と史房は咄嗟に反応することができなかった。

 その様子を見て、姉の初が言葉を継ぐ。

 

「百合ヶ丘のガーデンは鎌倉府の中心から離れた場所にあり、海上の由比ヶ浜ネストから襲来する少数の大型ヒュージを準備万端で迎え撃つのが主戦場。

だから正規戦には慣れていても、特型のヒュージが突発的に思いもよらぬ所から発生して襲ってくるような、非対称戦やゲリラ戦には不慣れなリリィが多いはず。

もちろん外征経験のあるレギオンのリリィなら、充分に対応する能力はあるでしょうけれど。

他方で、私たちのように東京を国定守備範囲とするガーデンは、自然現象というには余りにも不自然なヒュージの発生を一度ならず経験しています。

ルド女崩壊の件にしても、ガーデン内のラボでG.E.H.E.N.A.が秘密裏に危険な実験を繰り返した挙げ句に、実験用のヒュージが大量に外部に逃げ出したと言われていますわ。

東京エリアに出現する特型ヒュージのかなりの割合が、ルド女から逃げ出した個体だとする見方もありますの」

 

 初の説明に続けて、今度は楪が発言する。

「しかも、G.E.H.E.N.A.がヒュージの研究をしているということは、当然ケイブの研究もしていると考えられる。

もしケイブが発生する仕組みを解明できれば、次はそれを人工的に発生させようと試みるマッドサイエンティストがいてもおかしくはない。

G.E.H.E.N.A.の障害となる邪魔者の近くにケイブを発生させ、ラボで培養した特型のヒュージをワームホール経由で送り込み、そのケイブから出現させる。

後はヒュージの攻撃本能に任せ、目に入った邪魔者を片っ端から殺させて一丁あがりってわけだ。

もっとも百合ヶ丘の場合は、あんたが奴らの予想以上に強かったために失敗したけど」

 

 楪はそう言って結梨に軽くウィンクした。

 結梨はそれに戸惑ったような照れたような表情を隠そうとしたのか、少し顔をうつむけて視線をテーブルに落とした。

 

「でも、これも所詮は私たちの考えた仮説に過ぎないのですわ。

さすがにそう簡単にはG.E.H.E.N.A.も尻尾を掴ませてはくれませんの」

 と、純が溜め息まじりに現状を嘆いた。

 

「では、御台場の方々は既に、ヒュージの不自然な出現とG.E.H.E.N.A.の間に関連性があると考えておられてたのですね」

 史房は御台場側の認識をあらためて確認しようと、椛に尋ねた。

 

「そうです。私たちは特型のヒュージがイレギュラーな出現をするたびに、裏で何かがうごめいているような得体の知れない気持ち悪さを感じてきました。

それは御台場に限ったことではなく、東京を国定守備範囲とするガーデンのリリィであれば、多かれ少なかれ誰もが気づいていると思います。

背後で策動する目に見えない何者か――おそらくはG.E.H.E.N.A.ですが――の悪意と殺意、それが誰の目にも見える形で顕現したのが、百合ヶ丘の方々が経験されたギガント級の襲来です」

 

「では私たちの認識は一致していると考えてよさそうですね。良かったわね、結梨さん」

 史房は隣に座っている結梨の横顔を見て、安堵の微笑みを浮かべた。

 

 そして史房は再び椛の方を向くと、

「実はここに来るまでは、私たちの被害妄想ではないかと疑われることも想定していました。

正体不明の人物の妄言に惑わされて、あさっての方向に考えを向けている愚か者と」

 と、表には出さなかった心情を吐露した。

 

「そんなことはありませんよ。どこの誰とも分からぬ者の言葉を、みずからが経験した事実と照合して合理的に解釈し、私たちと同じ結論に至った。

百合ヶ丘の方々は正しく現実を認識なさっていると思います」

 

 椛は素直に百合ヶ丘の判断を称賛し、両者の見解が一致していることが確認された。

 

 話が一段落すると、それまで黙っていた燈がおもむろに口を開いた。

 

「ところで、結梨さん」

「は、はい」

 突然、燈に名前を呼ばれた結梨は、背筋を伸ばして彼女の言葉を待った。

 

 燈は妖しさを揺らめかせる瞳で結梨を見つめ、結梨が思ってもみなかったことを口にした。

 

「あなた、もし百合ヶ丘を落ち延びねばならなくなったら、御台場に来なさいな。

あなたを餌にすれば、G.E.H.E.N.A.製の活きの良い特型やギガント級がわんさか襲ってくるのでしょう?

まさしく飛んで火に入る夏の虫。返り討ちにする絶好の機会ですわ。

ヒュージの後ろに隠れて糸を引いているやつばらを逆に引っ捕まえて、手近なG.E.H.E.N.A.ラボの前で晒し首にして差し上げますわ」

 

「えっと……」

 冗談にしては妙に力の入った口調で話しかける燈に、結梨はどう返事したものかと途方に暮れて史房の顔を見た。

 

 史房は目を閉じて眉間にしわを寄せつつ、燈の言葉が聞こえなかった振りをしている……ように結梨には見えた。

 心なしか、史房のこめかみがぴくぴくと痙攣しているようにも見える。

 

 無視を決め込んでいる史房の代わりに、純が燈の勢いにブレーキを掛けようとした。

「燈、戯言は程々にしておきなさい。結梨さんが困ってますわよ」

 

「あら、純お姉様、私はいつだって大真面目ですわ。

おそらくG.E.H.E.N.A.は人工的にケイブを発生させて、そこから自前のヒュージを出現させている。

それならケイブを発生させるための装置が必ずどこかにあるはず。

その所在さえ突き止めれば、そこを百合ヶ丘の特務レギオンなり、私たちロネスネスなりが強襲して占拠してしまえばいい。

行く手を阻む奴らは根こそぎ血祭りですわ、うふふ」

 

 臆面もなく物騒なことを言い放つ燈に、椛は少し離れた席で頭を抱えていた。

 

 そしてついに燈の放言に我慢ができなくなったのか、椛が燈の方を向いて正論を語り始めた。

 

「とにかく、たとえG.E.H.E.N.A.が私たちの仮説通りの悪事を働いていたとしても、こちらが一方的に武力を用いて排除することは許されません。

彼らを裁くのはあくまでも国の法律です。

証拠となるものを押さえた上で、それをガーデンから防衛軍なり国の治安機関なりに報告し、裁判にかけるのが適切な方法です」

 

 しかし燈は椛の発言を鼻で笑うかのように軽くあしらった。

 

「ふん、そんなお行儀の良い事をしても、どうせ裏から手を回して裁判所や検察を丸め込むに決まってますわ。

たとえば百合ヶ丘の理事長代行を査問委員会に呼び出した政府の役人ども。

あの連中がG.E.H.E.N.A.の息がかかった者だったと、御台場のガーデンも見抜いているではありませんか。

まともな順法主義が通用するような相手ではないことは明白。

それなら向こうから先に第一撃を撃たせて、正当防衛としてその場で片付けてしまう方が現実的なやり方ですわ」

 

 交わることのない燈と椛の議論を止めるため、楪が二人の間に入った。

 

「まだ仮説に過ぎないことを前提にして、これ以上話を先走らせるのはよそう。

まずは始めに椛が話したように、G.E.H.E.N.A.の企みを百合ヶ丘に先んじて知っていた『御前』、彼女の情報をたどることを優先するべきだ。

彼女は私たちよりも遥かに深くG.E.H.E.N.A.の内部事情に精通している可能性がある。

それに、彼女がしようとしている事についても、手掛かりを集めていって、その全体像を推察するしか手立ては無いし」

 

 話の方向性を建設的な方へ変えようとした楪に合わせて、初が後に続けて発言する。

 

「そこで『御前』から御指名があったルド女のリリィに会いに行く必要があるわけですね。

でも筋金入りの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるルド女のリリィに、どうやって連絡を取るんですの?」

 

「ああ、それなら私の友人がルド女にいるから、彼女を通して琴陽というリリィに会わせてもらえばいい」

 初の問いかけに対して、至極簡単に楪は答えを返した。

 

 

 



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第9話 御台場女学校訪問(4)

 

 楪の発言に最初に反応したのは椛だった。

「ルドビコにいるゆずの友人って、ひょっとして――」

 

「御台場迎撃戦の第1部隊で一緒だった幸恵だ」

「やっぱり。確かに彼女ならルドビコのリリィでもトップクラスの実力と人望を兼ね備えている。ガーデン内で人探しをするには最も頼りになる人ね」

 

「幸恵って誰?」

 結梨は自分の知らないリリィの名前を楪に尋ねた。

「福山・ジャンヌ・幸恵。ルドビコ女学院の二年生で、今はアイアンサイドっていう自主結成レギオンの隊長を務めてる。

確か、百合ヶ丘の白井夢結も私と同じ第1部隊だったから、幸恵を知っているはずだけど」

 そう言って楪は史房の方を見た。

 

「夢結さんは一年生の一柳梨璃さんと一緒に、由比ヶ浜ネストのアルトラ級討滅に出撃中で、今は不在の状態です」

「二人だけでアルトラ級をやるんですの?ちょっと信じられない話ですけれど」

 狐につままれたような顔で純が史房に質問する。

 

「現在は活動を停止している状態なので、討滅に戦力は必要ないのです。

必要なのは彼女が契約しているCHARMそのもので、それにアルトラ級を滅ぼすウィルスのような仕掛けを組み込んでいるのです」

「それはまた何とも凄い戦術を考案したものですわね。たった二人のリリィでアルトラ級を倒せるとは」

 

「いえ、この作戦は幾つかの特殊な条件が重なって可能になったもので、いわば今回に限り有効な方法です。

一般的な戦術として使えるようなものではありません」

「まあそんな旨い話が簡単に転がってるわけありませんわよね」

 都合のいい期待を裏切られた純は、気を落とす素振りも無く肩をすくめた。 

 

「それに、結梨さんの生存情報は百合ヶ丘でもごく限られた者にしか開示されていません。

結梨さんと同じレギオンだった夢結さんや梨璃さんでさえ、開示の対象には含まれていないのです。

それは迂闊に情報開示の範囲を広げてG.E.H.E.N.A.に嗅ぎつけられるわけにはいかないからです」

 

「ごもっとも。だとすると、結梨をルド女に連れて行くのは不味いんじゃないか?

百合ヶ丘はルド女のリリィに結梨のことを知られたくないだろう。

幸恵個人が信頼できるリリィであっても、ルド女自体はガチガチの親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンだ。

どこでG.E.H.E.N.A.の目が光っているか分からない」

 

「ええ。この後で百合ヶ丘のガーデンに連絡を取るつもりですが、恐らくルドビコへは私しか行くことを許可されないと思います。

それも安全上の問題から、ガーデンの敷地内へは入れない可能性が高い。

必然的に、敷地の外で会う形に限定される。

残念だけど、結梨さんには百合ヶ丘へ戻ってもらうことになるでしょう。

結梨さん、あなたはそれを受け入れられる?」

 

「……うん、『御前』に会う前にG.E.H.E.N.A.に捕まったら意味が無いよね。私は一人で帰るから大丈夫」

 少しの思案の後で、結梨は大人しく史房の言葉に従った。

 

「もう少しあんたと話したいこともあるし、途中までなら一緒に行っても構わないんじゃないか?

ルド女のガーデンは新宿御苑の近くにあるから、六本木あたりまでなら帰りもそう遠回りにはならないだろう?」

 楪は結梨から史房に視線を移して尋ねた。

 

「そうですね。その方向でガーデンから許可が下りるように連絡してみますので、少し席を外させていただきます」

 史房は席を立つと、来賓室の扉を開けて廊下へ出て行った。

 

「ゆず、あなたは幸恵さんに連絡を取ることは出来るの?」

 椛が楪の方を見て確認を求める。

 

「ああ、できるとも。ちょっと待っててくれ」

 楪はポケットから携帯端末を取り出すと、史房とは違って席に座ったまま幸恵に電話をかけ始めた。

 

「もしもし、御台場の楪だけど、今からそっちのガーデンに行ってもいいかな?

ちょっとルド女のリリィで会わせてもらいたい子が一人いる。

……うん、別にその子とのトラブルってわけじゃない。

こちらからは百合ヶ丘の出江史房様が私と一緒に行く予定になってる。

詳しいことはそっちについてから話すつもりだけど、それで構わないかな?」

 

 楪は何度か頷いてから感謝の言葉を口にして、幸恵との連絡を終えた。

 

「オーケー。幸恵は来てもいいって言ってる。

ただし御台場の制服を着たリリィがルド女のガーデンに入るのは、いろんな意味で問題になりかねない。御台場のガーデンも認めないだろう。

だから正門の少し外側で待機するようにと」

「良かった。後は史房様の方だけど、上手くいくかしら」

 

 楪が幸恵との連絡を終えてしばらくして、来賓室の扉が開いて史房が戻ってきた。

 

「お待たせしました。百合ヶ丘のガーデンは私がルドビコへ行くこと自体は許可しました。

しかしガーデンの敷地内には絶対に入らないようにとの条件が付けられました」

 

「やはりそうですか。結梨さんについてはどうでしたか?」

「途中まで私と一緒に行くことは構わないが、六本木までを目安にして百合ヶ丘への帰途につくようにとの指示です」

 

「それは仕方ないでしょうね。途中まで同道できるだけでも十分だ」

 予想通りの内容に、楪は我が意を得たりとばかりに頷いた。

 

「では、今日のところはこれで解散します。

これ以降は楪さんがルドビコへ行った結果を確認してから、後日あらためて話し合いの場を設けることにします。

ロネスネスの皆さんも、ご退出をお願いします」

 

 椛が会議の終了を告げると、ロネスネスの三人のリリィは各自の任務に戻るべく席を立つ。

 

「次に会う時まで、決してG.E.H.E.N.A.の手に落ちるのではありませんよ。

『御前』とやらが何を考えているか知りませんが、あなたの存在が全体の状況を左右する決定的な要素になりうることは確か。

あなたの行動次第で大勢の人の死活が決すると自覚しておきなさい」

 

 船田姉妹の姉、初は去り際に結梨にそう言い残して、扉の向こうへ姿を消した。

 

 結梨はその後ろ姿を黙って見送り、少しプレッシャーを感じたのか溜め息をついた。

 

「私って、いつからそんなに大したリリィになったんだろう」

 

 その結梨の肩に楪が手を置いた。

 

「あんたは気負わずに、最低限の指示以外は自分がすべきだと思ったことをすればいい。

百合ヶ丘は世界でも屈指の優秀なガーデンだ。リリィが本質的な判断を誤るような教育はしてないだろう?

あんまりあれこれ考えを巡らせすぎると、直観的な判断が出来なくなる。

だから自分と周りの仲間を信じて、後は自分の中の正義に従って行動することだ」

 

「ありがとう、楪」

 楪の言葉に安堵した結梨は、表情を緩めて楪に笑顔で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御台場のガーデンを出立して数十分の後、三人は地下鉄の六本木駅のプラットフォームに立っていた。

 

「結梨ちゃん、ここで私たちとは別れるけど、何かトラブルが発生したら、必ず理事長代行に連絡して指示を受けて。

もし途中で誰何されることがあったら、例のIDカードを提示すること。決して本名を名乗っては駄目」

「うん」

「あと、寄り道や買い食いをせずに、まっすぐ百合ヶ丘へ帰るのよ」

 

 冗談にしては真剣すぎる表情と口調で、史房は結梨に念押しをしたが、結梨はそれに少々不満な様子だった。

 

「私、そこまで子供じゃないつもりだけど……それに何があってもガーデンに帰るための訓練はしてるから、一人でも大丈夫だよ」

「分かったわ。それではまた百合ヶ丘で会いましょう。楪さん、行きましょうか」

「ええ、この次に結梨に会える時は、百合ヶ丘の制服を着ているところを見れるといいな」

「是非それが実現できるようにしたいものです」

 

 史房と楪は新宿方面へ向かう便に乗り込み、結梨は二人を乗せた列車が小さくなっていくのを見送った。

 

「えっと、ここから鎌倉まで直通の路線は無いから、横浜まで出て、そこから乗り換えで……」

 そして自分の向かうべき方面へのプラットフォームへ移動すべく、一番近くにある階段へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨と別れた史房と楪は、新宿御苑の近くにあるルドビコ女学院の正門近くに到着した。

 ガーデンの中に入ることは出来ないが、正門の外側から敷地内をうかがう限りでは、建物に目立った損傷は無いように見える。

 しかし、ガーデンを取り囲む塀の一部は崩落している箇所が幾つも見られ、実験用のヒュージが逃げ出したという情報を裏付けているかのようだった。

 

「ルドビックラボと呼ばれているメインの研究施設はガーデンの外にありますが、ガーデンの中にもラボに準ずる実験施設が存在していた可能性は高いと思います。

おそらく、ヒュージを培養していた施設はガーデンの最奥部にあって、ここからは見えないでしょう。

教導官も多数死亡したと聞いていますが、今はルド女の内情に首を突っ込むわけにはいきません」

「そうね。今日は琴陽さんを呼び出して話をすることが第一の目的。

それ以外の詮索は後回しにしましょう」

 

 今一度、史房が正門から校舎へと続く道を覗き込むと、ルドビコの制服を着た一人の少女がこちらへ小走りに向かってくるのが見えた。

 まだどことなく幼い感じを残した三つ編みの少女は、史房と楪を見つけると、二人の前まで走り寄って礼儀正しく一礼した。

 

「百合ヶ丘の出江史房様、御台場の川村楪様ですね。

幸恵様は会議が長引いていて、約束の時間には間に合いません。

申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。

私は幸恵様のシュベスターで、一年生の岸本・ルチア・来夢といいます」

 

 

 



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幕間  さすらいのアーセナル

 今回投稿分からしばらくの間、結梨ちゃんのいる六本木とルド女のある新宿の二ヶ所で並行してストーリーが進行します。
 場所の遷移時には連続した空白行で表現しますので、よろしくお願いします。

 今回の内容はストーリー的には前回から連続していますが、独立したエピソードの性格が強いので、幕間の話としました。
(いずれ結梨ちゃんに主人公らしいCHARMを装備してもらいたい願望で書きました。今のところ伏線などはありません)



 

「あれ?電車が動いてない……」

 

 史房たちと別れ、地下鉄六本木駅の横浜方面行プラットフォームに立った結梨は、電光掲示板に表示されている運行情報を見つめていた。

 

 <架線トラブルのため、現在は上下線とも運転を見合わせています。運転再開の見通しは上り方面が二十分後、下り方面は未定です。お客様には大変ご不便・ご迷惑をおかけ致しますが――>

 

(ここでしばらく待って、それでも動かないようだったら、別の路線で迂回して帰ろう)

 

 結梨は近くのベンチに腰を下ろし、ざわつく構内を見やりながら様子見を決め込もうとした。

 

 と、その時、傍を通りかかった一人の少女が、結梨のすぐ近くで立ち止まった。

 

「隣に座らせてもらってもいいかしら?」

 ごく自然な感じで少女は結梨に話しかけた。

「う、うん、どうぞ」

 

 結梨はガーデンの外で面識の無い人から話しかけられることに慣れていない。

 ぎこちない返事を返した結梨に頓着せず、少女は結梨の隣に座り、足下にCHARMケースを置いた。

 

(この人もリリィだ。見たことがない制服を着てる。鎌倉府や東京のガーデンの制服じゃない)

 

 その少女は結梨よりも少し年上に見えた。夢結や梅と同じくらいか。

 黒を基調とする、ゆったりとした独特な意匠の上着。

 白銀のような美しい髪を腰のあたりまで伸ばし、悠然とした雰囲気を漂わせている。

 

 結梨は一瞬、その少女がG.E.H.E.N.A.に関係しているリリィである可能性を考えた。

 しかし、彼女から敵意や殺気は全く感じられなかった。

 

 少女は先ほどから、ちらちらと結梨とその足下のCHARMケースを見ている。

 結梨が横目で少女の方を見ると、ちょうどその少女と目が合った。

 お互いの視線が絡み合い、一瞬の沈黙が流れる。

 先に口を開いたのは、少女の方だった。

 

「こんにちは」

 少女はにっこりと微笑んで、結梨に挨拶した。

「こ、こんにちは」

 相変わらずぎこちない口調で結梨は挨拶を返す。

 

 少女は興味津々といった目で結梨に話しかける。

「あなた、御台場女学校のリリィ?」

「えっ……」 

 結梨は咄嗟のことに返答に詰まった。

 今の自分は御台場女学校の制服を着た百合ヶ丘のリリィだ。

 YESと言うべきか、NOと言うべきか。

 

 その結梨の沈黙を、少女は自分に向けられた不快感と受け取ったのかもしれない。

 結梨の返事を待たずに、再び少女の方から言葉を口にする。

 

「ああ、ごめんなさい。こちらから名乗るべきね。不躾だったわ。

私は新潟の柳都女学館のリリィで天津麻嶺。さすらいのアーセナルと人は呼ぶわ」

「……」

「――あ、こいつ痛い奴だと思ったでしょ」

「そういうわけじゃ……」

 

 どういうリアクションを返せばいいのか困り果てて、結梨は麻嶺と名乗ったリリィの顔を見た。

 

 「あなた、どこか面白いリリィね。雰囲気が独特。

ね、ちょっとあなたのCHARMを見せてもらえるかしら?」

 そんな結梨の困惑など気にかけることもない様子で、麻嶺は好奇心を隠さずに結梨に自分の希望を伝えた。

 

 結梨は麻嶺から邪気を全く感じなかったので、素直にその求めに応じてケースからCHARMを取り出し、麻嶺に手渡した。

 

「ふーん、何の変哲も無いアステリオンね。これは何か特定の意図があってこの仕様で使っているの?」

 奇しくも麻嶺は燈とよく似た内容の発言をした。

 

「これは作戦行動時の汎用性とメンテナンス性を考えて、わざとカスタマイズをしない仕様にしてるの」

 と、結梨はロザリンデから以前に聞いた説明の受け売りで答えた。

 

「確かにそれはそれとして一つの運用思想ではあるけど、それだけじゃ物足りなくない?」

「それって、どういう意味?」

「そのアステリオンとは別に、バリバリのカスタマイズとキレッキレのチューニングを施した自分専用のCHARMを持っていても損はないんじゃない?」

 その瞳にアーセナルらしい情熱を宿して、麻嶺は結梨に提案をした。

 

「今日、同じことを御台場の人にも言われた。

その人は強化リリィで第四世代のCHARMを使ってて、私も同じくらいのCHARMを使うべきだって」

「ふーん、やっぱり御台場くらいになると、結構な目利きのできる人がいるのね。

第四世代を使いこなしている時点で、並みの強化リリィではないでしょうけど。

ところで、あなたも強化リリィなの?」

 

「ううん、私は強化リリィじゃないけど……」

「けど?」

「……それ以上は言えない」

「訳ありってことね。リリィをやっていれば言いたくないことの一つや二つ、あってもおかしくない。無理に聞き出そうとは思わないわ。

ところで、まだあなたの名前を聞いてなかったわ。私の方は名乗ったのだから、あなたのことも教えて頂戴」

 

「わ、私は百合ヶ丘のリリィで、北河原ゆりっていうの。これがIDカード」

 結梨は以前にロザリンデが設定した偽名を名乗り、その名前が印字された身分証を麻嶺に見せる。

 

 それをまじまじと見た麻嶺は意外そうな顔をした。

 

「あなた、百合ヶ丘のリリィなの?それならどうして御台場の制服を着てるの?」

「……こ、これは趣味のコスプレ。御台場の友達から借りてきた制服で、これから百合ヶ丘に帰るところ」

 

 結梨は碧乙から聞いたことがある過去のサブカルチャー知識を引っ張り出して、その場を苦し紛れの方便で切り抜けようとした。

 

「ふーん、変わった趣味があるのね。

まあいいわ。私の興味があるのはそんな事じゃないから。

ちょっと手を出してくれる?」

 結梨は麻嶺の求めに応じて、素直に右手を差し出した。

 

 差し出された結梨の手を麻嶺は握手するように握り、そのあと両手で揉みしだくように満遍なく触って行く。

 

「うんうん、いい感じじゃない。あなた、初心者みたいに見えるくせに相当できるわね。

それに、対ヒュージより対人戦闘に重点を置いた訓練を受けている」

「そんなことまで分かるの?」

「そりゃ分かりますとも。さすらいのアーセナルを舐めたらダメよ。

人とヒュージでは大きさも動きも全然違うから、CHARMの扱い方もそれに応じて変わってくる。

それが手のひらにできるタコの状態に表れるの。

今はスキャナが手元に無いから、三次元データの収集は無理か。

でも第四世代CHARMなら飛行型や分離型があるから、その場合はグリップのフィットよりもCHARM使用者との精神波適合性の方がより重要で……」

 

 途中から自分独りの思考に没頭し始めた麻嶺は、しばらくぶつぶつと呟いていたが、やがて何度か頷くと結梨の方に向き直った。

 

「ゆりさん、少し時間はかかるかもしれないけど、あなた専用に一つCHARMを作らせてもらえないかしら?

もちろん、最終的にはカスタマイズやチューニングを追い込んでいかないといけないけど、とりあえず素の状態の試作品を作ってみるから、使用感を聞かせてほしいの。

そこから逐次フィードバックして、段階的に細部の仕様を詰めていくから」

 

「うん。それは構わないけど、本当にそんなことしてもらっていいの?

私はそんなに大したリリィじゃなくて、今日初めて会ったところなのに」

 

 結梨はまだどこか確信が持てない気持ちを捨てられなかったが、麻嶺の方はこれまでの経験によるものか、自分の感覚に絶対的な自信を持っているようだった。

 

「私は今日ここで偶然にあなたと出会って、あなたに興味を持った。

直感やインスピレーションは、必ずどこかに必然性が隠れている。

だから、あなたは私の興味を引く何かを持っているに違いないと思う。

これが私の正直な動機、含むところは無いと信じてほしい」

 

「うん……じゃあお願いしてもいい?」

「よろこんで。と言っても、一から設計するのか、開発中の機種を大規模にカスタマイズするのか、まだ全然決めてないわよ。

これからじっくり考えるから、気長に待っていて。

そのうち百合ヶ丘にあなた宛ての荷物が届くと思うから、それを見てのお楽しみと言うことで」

 

「ありがとう。それまではこのアステリオンを使い続けるから、麻嶺のCHARMが届くのを楽しみに待ってる」

「あなたの期待を裏切らないことを約束するわ」

 麻嶺は自信に満ちた明朗な笑顔で、結梨と握手を交わした。

 

 ほどなくして麻嶺が向かおうとしていた上り方面の列車がホームに入線し、麻嶺はそれに乗車して結梨の視界から去って行った。

 

 麻嶺を見送った結梨は、自分の乗るべき下り方面の電光掲示板を仰ぎ見た。

 下り方面の運行状況は未定のままだった。

 

「今頃、史房と楪は琴陽に会えてるのかな……」

 

 あと10分待っても運行が再開しなければ、海沿いを走る路線で帰ろうと決め、結梨は隣が無人に戻ったベンチに座り直した。

 

 



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第10話 RETURN TO GARDEN(1)

 新しいタイトルが付いていますが、ストーリーは前回からの続きです。
 結梨ちゃんが復路のターンに入ったため、それに合わせてタイトルを付けました。
 また、場面は再びルド女に変わります。



 

 史房と楪に挨拶をした来夢は、いかにも一年生らしい初々しさに溢れていた。

 

「私は御台場の川村楪。あんたは幸恵のシュベスターなのか。

それなら先に事情を説明しておく方がよさそうだ。史房様、お願いします」

 

 楪は史房に軽く会釈して、自分の身を一歩後ろに引いた。

 史房はそれを受けて小さく頷くと、来夢に説明を始めた。

 

「はじめまして、百合ヶ丘のブリュンヒルデを務めている出江史房です。

先日、百合ヶ丘に特異なラージ級のヒュージが襲来した際に、避難行動のためガーデンの警備レベルが一時的に大きく低下しました。

その隙を突いて、一人のリリィらしき人物が外部からガーデン内に侵入したのです。

彼女は自らを『御前』と名乗り、G.E.H.E.N.A.がヒュージを使って敵対勢力を排除していると指摘しました。

その時に相対した百合ヶ丘のリリィ二人によると、彼女は素手であったにもかかわらず、完全武装の二人を全く寄せ付けない戦闘能力の持ち主だったとのことです。

このことから、彼女は相当なレベルの強化が施された強化リリィの可能性が高いと考えています。

また、彼女は一般市民を二の次にして、強化リリィの理想社会を作りたいようです。

その計画を実行するための右腕として、百合ヶ丘の或るリリィをスカウトしに来たというわけです。

結局、その場は何もせずに去って行きましたが」

 

 史房は一旦そこで言葉を切って、楪の方を見た。

 楪は史房の説明を引き継いで話を続ける。

 

 「それで、こちらから連絡を取りたい時の窓口として『御前』が指名してきたのが、ルド女の戸田・エウラリア・琴陽というリリィだ」

 

 それを聞いた来夢は、驚きを隠せずに目を見開いた。

 

「今のところは、『御前』が敵か味方かは分からない。

おそらくは、こちらの出方次第でどちらにもなりうると私たちは考えている。

できれば彼女とは敵対したくないが、彼女の目的次第では、そうも言っていられなくなる。

それを見極めるために、彼女についての情報をできる限り集めておきたい。

そのために琴陽に会いにここまで来たというわけだ」

 

「来夢さんは琴陽さんのことをご存じなの?」

 

 史房の質問に来夢は肯定の返事をした。

 

「はい、琴陽さんは私と同じ一年生ですが、特定のレギオンには所属せず、シュベスターの契りを交わしている方もおられないはずです。

あまり積極的に人と関わるタイプではないようなので、彼女のことをよく知っているとは私には言えませんが……」

 

「彼女をここに呼び出すことは出来るかな」

 

「正直なところ、琴陽さんは神出鬼没のリリィなので、所在を確認するだけでも簡単ではないと思います。

やみくもに校内を探し回っても、見つかる可能性は低いと思います」

 

「何かいい方法はないものかしら……」

 

 三人が頭を悩ませていると、そこへルドビコの制服を着た一人のリリィが通りかかった。

 眼鏡をかけたそのリリィは、どことなく挙動不審な動作で来夢に声をかけた。

 

「おや、来夢さん、こんな所で御台場のリリィと立ち話ですか。

何の目的で御台場のリリィがルドビコに……って、あ、あああああなたはもしかして、あのヘオロットセインツの、か、かかかか川村楪様でいらっしゃいますか?」

 

「あ、ああ、そうだけど、何か私の変な噂でも広まっているのか?」

 

 明らかに異常な興奮状態で楪に話しかけたそのリリィは、急に姿勢を正すと、そのまま最敬礼でもしかねない勢いで自己紹介を始めた。

 

「わ、私はルドビコ女学院二年生の松永・ブリジッタ・佳世と申す者であります。

テンプルレギオン所属、レアスキルはルナティックトランサー、使用CHARMはダインスレイフ・カービンであります。

楪様におかれましては、わざわざこのガーデンまで御足労下さり、恐悦至極に存じまする。

何か御用がおありの際には、何もご遠慮なさらずにこの不肖のリリィにお申し付けくださいませ、ませ」

 

 常軌を逸したテンションで一方的に盛り上がる佳世を横目で見ながら、史房は決して視線を合わせないように、じりじりと佳世から距離を置いた。

 

 一方、楪は佳世の勢いに押されつつも、本来の目的を忘れることは無かった。

 

「……実は、このガーデンの一年生の戸田・エウラリア・琴陽に会いたいんだが、彼女をどうやって呼び出したらいいか困っていたところだ。

あんたは何かいい方法を知らないか?」

 

 それを聞いた佳世は少し考え込んでいる様子だったが、やがて何かを思いついたらしく、目の前にいる三人の顔を見渡して得意気に提案を始める。

 

「一年生の琴陽さんですか。ふむ、彼女の習性を利用すれば、ここに呼び出すことなど造作もありません。

この私めにお任せあれ。必ずや琴陽さんをここに出現させてみせましょう。

では、しばしお待ちを」

 

 そう言うが早いか、佳世は一目散に校舎の中へと駆け込んでいった。

 あっという間に三人の前から姿を消した佳世について、楪が来夢に質問する。

 

「一体あの佳世っていうリリィは何者なんだ。どう見ても様子が普通じゃなかったぞ」

 

「佳世様は筋金入りのリリィオタクなので、スターリリィである楪様にお会いできて完全に舞い上がってしまわれたのだと思います。

御台場の制服を着ていたために史房様のことは気づかなかったようですが、もしご本人と認識していれば、楪様に対するのと同じ振る舞いをされていたと思います」

 

 それを聞いた史房は、自分と同じガーデンの一年生リリィを想起せずにはいられなかった。

 

(挙動不審だったり、鼻血を出したり、どこのガーデンにも似たようなリリィがいるものなのね……)

 

 しばらくすると、校舎のある方角から佳世の声で校内放送が聞こえてきた。

 

「一年生の戸田・エウラリア・琴陽さん、正門の近くであなたと手合わせを希望するリリィがお待ちです。

とっても強いリリィで、幸恵さんや日葵さんよりも強いかもしれません。

ただし、早く来ないと帰ってしまうかもしれませんよ~。以上」

 

 ブツッとマイクを切る音がして放送は終了し、周囲に静寂が戻った。

 楪は来夢の方を見て、再び琴陽について尋ねる。

 

「こんな誘いに乗ってくるような好戦的なリリィなのか、その琴陽って」

 

「確かにちょっと変わった人ですが、悪い人ではないと私は思っています」

 

「何か答えになっているようで、なっていない言い方ね……」

 

 微妙にピントのずれた来夢の回答に、隣で聞いていた史房は苦笑して首をかしげた。

 

 すると、放送が終わってから一分も経たないうちに、史房たちの背後から少女の声が聞こえてきた。

 

「お待たせしました、御台場女学校のリリィ御二方。どちらが私の相手をしていただけるのですか?」

 

 振り返ると、グングニル・カービンを携えた一人の少女が、好奇心に満ちた挑戦的なまなざしで史房と楪を見据えていた。

 

 二人は困惑の表情を浮かべて、お互いの顔を見合わせた。

 

 

 



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第10話 RETURN TO GARDEN(2)

 

 楪は視線を史房から琴陽に転じ、その好奇心と闘争心に満ちた顔を見据えながら話しかけた。

 

「あんたが琴陽か。私は御台場の川村楪っていうリリィだ。

こちらは百合ヶ丘の出江史房様。事情があって今は御台場の制服を着ているが」

 

「あなたが、あの川村楪様ですか。はじめまして、ルドビコ女学院一年生の戸田・エウラリア・琴陽と申します。

噂に名高いヘオロットセインツの副隊長とあらば、相手にとって何ら不足はありません。

急いで駆けつけた甲斐があったというものです」

 

 琴陽は目をきらきらと輝かせて、とっておきの玩具を見つけた子供のように興奮していた。

 

「琴陽さん、やめてください。身の程を知らないにも限度があります」

 

 来夢は、琴陽の無謀な挑戦を何とか取り下げさせようと止めに入る。

 楪も来夢の言葉に続けて、琴陽を引き下がらせるために説明する。

 

「さっきの校内放送は佳世っていうリリィが、あんたを呼び出すためにでっち上げた方便だ。

私たちはあんたと手合わせするつもりは無い。少しばかり聞きたいことがあるだけだ」

 

「そうですか。しかし佳世様が勝手におっしゃったことであっても、私がお二人と手合わせを希望することには何の変わりもありません。

私に聞きたいことがあるのなら、手合わせの後でお話に応じましょう」

 

「参ったな……むやみに他校のリリィと手合わせなんてしたら、私闘扱いで謹慎処分を受けてもおかしくない。

そういうのは、せめて同じガーデンのリリィ同士に限ってくれないか」

 

「それなら、楪様か史房様が私に特別に稽古をつけて下さるという建前にすれば、私闘にはならないと思いますが」

 

「物は言いよう、か。正直、詭弁だと思うが、どうしても手合わせしないことには話が進まないみたいだな。

史房様、彼女の提案に乗りますか?」

 

「……私も全く気が進まないけど、彼女にこちらの希望を受け入れてもらう選択肢は他に無さそうね。

人目につかない所で、かつ攻撃を身体に当てない寸止めの形式に限定するという条件でなら、ギリギリ目を瞑っても……本当は決して認めたくない不本意極まりない選択だけど」

 

 目的のために手段を選ばないという判断を強いられた史房は、苦渋の思いで琴陽の申し出を認めようとした。

 

「受けていただけるということですね。ありがとうございます。

では、お二人のどちらが私の相手をしていただけますか?」

 

「私が琴陽さんの相手になりましょう。この件は百合ヶ丘が発端になって御台場に伝手を頼んだのですから、楪さんに任せるわけにはいきません」

 

「いや、史房様、それは不味い。

いくら予防線として建前を講じても、さすがに鎌倉府のリリィが東京のリリィと私的にCHARMを交えるのは、結構な問題になりかねない。

それも百合ヶ丘のレギオンを統括する立場の史房様なら、なおさらだ。

この場は私が彼女の相手をします」

 

 楪は背中に背負ったCHARMケースからグングニルを取り出すと、軽く一振りして得物の調子を確認した。

 

「よし、それじゃ適当に人目につかない場所に案内してくれ。さっさと片付けて本題に入らないと、日が暮れてしまう」

 

「ありがとうございます、楪様。ではこちらへ。近くにちょうどいい広さの空き地があります」

 

 琴陽の先導で一同が歩き出そうとしたその時、

「……あの、楪様、史房様」

 それまで三人の傍で黙っていた来夢が何かに気づいた様子で、おずおずと声をかけた。

 

「どうかしたの、来夢さん」

「――お姉様、いえ幸恵様が、おいでになりました」

 

 振り向いた来夢の視線の先をたどると、そこには憂慮と不安の感情を目に浮かべて立っている福山・ジャンヌ・幸恵の姿があった。

 その瞳は、右手にそれぞれのCHARMを携えた楪と琴陽をまっすぐに見つめている。

 

「佳世さんの声でとんでもない内容の校内放送が聞こえたから、会議を抜け出してここへ駆けつけたの。

楪さん、琴陽さん、二人とも抜き身のCHARMを持って何をしようとしているの?

まさか――」

 

「その『まさか』だ。幸恵。

多分あんたの想像通りのことを、私とこの子はしようとしている。

あんたのことだ、この後の言動は私にも察しがつく。そんなことは――」

 

「そんなことは看過できません。すぐに二人ともCHARMを収めて。

リリィ同士がCHARMを向け合うなど、到底許されないことです。

どうしても引き下がらないというのなら、私が強制的に介入してあなたたちを制止します」

 

 幸恵は二人の間に割って入り、琴陽と楪の手合わせを阻止しようとする。

 円環の御手をレアスキルに持つ幸恵だが、今この場にはCHARMを持って来ておらず、その両手は素手の状態だった。

 

「たとえそれが訓練や稽古であっても、ですか?幸恵様」

 

 いかにも不服そうな顔で、琴陽が幸恵に疑問を投げかけた。

 しかし幸恵の方は琴陽の意図など先刻お見通しのようだった。

 

「あなたの魂胆は分かっています。そういう名目であれば、あなたの好きな手合わせを憚ることなくできると考えたのでしょう。

ですが正規の訓練以外でリリィ同士がCHARMを交えて戦うことは、いかなる理由があっても認めるわけにはいきません。

楪さんも、戯れは程々にしてください。これは度が過ぎています」

 

「まあ、堅物の幸恵なら、そう言うと思ったよ」

 取り立てて悪びれる様子も無く、楪は肩をすくめて口笛を吹いた。

 

 さて代案はどうしようかと楪が考えを巡らせ始めた時、聞き覚えのあるサイレンが突然周囲に鳴り響いた。

 ヒュージの出現を告げ知らせる警報音。

 しかし、それ以上の情報がガーデンの校内放送から流れてくることは無かった。

 

「来たのか。何とも間の悪いことだ。

ヒュージをそっちのけにして手合わせに興じるわけにはいかないな。

琴陽、手合わせは一旦お預けだ。――史房様」

 

「ええ、この続きはヒュージを片付けるまで棚上げね。

私たちもルドビコのリリィと一緒に迎撃戦に加わりましょう」

 

「お二人とも、ありがとうございます。来夢、出現したヒュージの情報はどうなっているの?」

 

 幸恵から確認を求められた来夢は、通信端末を耳に当てながら状況を報告する。

 

「はい。たった今、防衛軍の索敵部隊から連絡が入りました。

ヒュージの出現箇所は新宿から六本木にかけての広範なエリアに渡って散発的に発生。

ほとんどはスモール級とミドル級の個体ですが、一部のエリアではラージ級の存在が確認されたとのことです」

 

「その一部のエリアっていうのは、具体的にどこなんだ?」

 

 今度は楪が来夢に問いかけた。来夢は楪の方を振り返って回答する。

 

「現時点で確認できたのは二ヶ所です。

ここ新宿御苑の近傍で六体、それに地下鉄六本木駅の南西約1000メートルの地点に三体が確認されています。

それぞれに十数体のミドル級とスモール級が随伴しています。

また、六本木の個体はいずれも北東方向へ向かって侵攻中です」

 

 まさかこれもG.E.H.E.N.A.がやらせていることなのかと、史房は楪に目線で問いかけた。

 

 楪は黙って首を横に振って、

「今の時点では判断するための材料が不足しています。

ですが、ギガント級がいないことから、おそらくその可能性は低いでしょう。

奴らの関与の有無については、戦闘が終わった後で考えましょう」

 と、この場で断定することを避けた。

 

「分かったわ。――幸恵さん、このガーデンの司令部は機能しているの?」

 

 史房の問いに対して、幸恵は否定の言葉を口にした。

 

「いえ、現在は教導官が多数欠員の状態になっているため、司令部は事実上機能を停止しています。

今のところは鷹の目やレジスタのレアスキルを持つリリィが、個別にヒュージの分布を把握し、各レギオンにその情報を連絡する形での運用が続いています」

 

「となると、ガーデンの各レギオンを統合したレベルでの組織的戦闘はできないな。

レギオン単位、あるいは個人でのデュエル戦闘でヒュージを退けるしかない」

 

「今の指揮体制だと出現したヒュージをすべて倒すまでには、それなりに時間がかかりそうね。

すぐにここを片付けて六本木に向かうことはできないか……

でも、東京地区には大規模なエリアディフェンスのシステムが稼働してるのではなかったのですか?」

 

「はい、史房様。都内各所のエリアディフェンスは正常に作動しています。

おそらくエリアディフェンスの外側から下水道や雨水管を通って侵入したか、ラボから逃げ出した個体が近くに潜んでいたかのどちらかでしょう。

エリアディフェンスといっても、あらゆるパターンに対応できるわけではないのです」

 

(六本木か。結梨が何事もなく帰途についていれば、ヒュージとは遭遇しないはずだが……)

 楪が史房の方を見ると、史房は承知しているとばかりに小さく頷いた。

 

「一年生とはいえ、彼女も一人前のリリィです。

もしヒュージと遭遇しても、適切な対応を取れるだけの能力は持っています。

私たちは目の前の敵を掃討することに全力を挙げるべきです」

 

「分かりました。あの子のことは、この戦闘が終わった後に考えることにします。

確か六本木にあるガーデンは……」

 

「行きましょう、楪さん。私たちは幸恵さんの指示に従ってルドビコのリリィを支援する必要があります」

 

「ええ、ヒュージ相手なら遠慮なく思う存分CHARMを振るうことができる。

寸止めの稽古もどきなんかより余程すっきりしている」

 

 楪は先程までの割り切れないものが吹っ切れたような気持ちになり、右手に持ったグングニルを握り直した。

 

(結梨さん、必ず無事に百合ヶ丘に戻ってきて。こんなところであなたを失うわけにはいかないのだから)

 史房は六本木のある南東の方角を仰ぎ見て、言葉には出さずに心の中でつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ時刻、ヒュージ襲来の警報は、結梨が足止めされている六本木の街にも鳴り響いていた。

 地下鉄の駅から地上に出た結梨は、逃げ惑う人々の間をすり抜けて、見通しのきく場所へ移動しようとしていた。

 離れた所から断続的に、破壊音と爆発音と発砲音が入り混じって聞こえてくる。

 そのたびに結梨の周囲から、恐怖に駆られた悲鳴が上がった。

 

(もう戦闘が始まってる。南西の方角、距離はここから約1000メートル。

あの破壊音だと、たぶん大型のヒュージが複数いる。

応戦してるのは通常兵器だけで、CHARMの攻撃は無いみたい)

 

 即座に状況の判断を下すと、結梨は携帯端末を取り出して、百合ヶ丘のガーデンに回線をつないだ。

 

「理事長代行先生ですか?一柳結梨です。

ガーデンへ帰還する途中の六本木でヒュージが出現しました。

まだ視認はしていませんが、ラージ級以上の個体が複数いると思われます。

すでに現地の部隊が応戦を始めていますが、リリィはまだ到着していないようです。

すぐに私に出撃の許可をお願いします」

 

 普段の口調とは違う改まった言葉遣いで、結梨は理事長代行の高松咬月に出撃許可を求めた。

 その視線は、並び立つ高層ビルの向こうに幾筋も立ち上る黒煙に向けられていた。

 

 

 



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第10話 RETURN TO GARDEN(3)

 

 結梨から求められた出撃の許可に対して、咬月は即答することができなかった。

 紛れも無く、結梨にはリリィとしてヒュージと戦う義務と責任がある。

 

 その一方で、ヒュージとの戦闘によって彼女を失うリスクはゼロではない。

 また、白昼での戦闘時に、結梨の存在が露見するリスクも存在しないとは言えない。

 

 数十人あるいは数百人の民間人の命と、唯一無二の絶対的な能力を持つ一人のリリィ。

 今、咬月が判断しなければならない事は、その両者を天秤にかけることに他ならなかった。

 そして、その理想と現実の間で、咬月の判断に一瞬の逡巡が生じた。

 

 結梨は咬月からの返事を待たずに、切迫の度を増した口調で咬月へ言葉を重ねる。

 

「このままだと、ここで沢山の人がヒュージに襲われるかもしれません。

私はCHARMを持ったリリィで、私が戦えば、その分だけ犠牲になる人を減らせます。

私が戦わなければ、今ここに私がいる意味はありません。

だから、お願いします、戦わせてください」

 

 その純粋すぎる、あるいは単純すぎる正論を、咬月は拒否できなかった。

 

「……分かった。交戦規定に基づく戦闘を許可する。

ただし、必ず無事に戻って来なさい」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 短い返事の後で結梨は通信を終了し、六本木から西麻布方面へ延びる広い道路に出た。

 

 ケースからアステリオンを取り出すと、すぐにOSを起動させ、道路照明灯の上まで跳び上がる。

 避難する車で渋滞する車道を見下ろして、結梨は照明灯の間を跳躍して、戦闘が行われている地点へ向かった。

 すると約500メートル前方、見通しの良い大きな交差点で、マディックの小隊が防衛線の隊列を展開しているのが見えた。

 

 そこへヒュージの姿がビルの陰から現れた。

 数は全部で三つ。体長はいずれも5メートルから10メートル。

 ラージ級だ。マディックの火力では阻止できない。

 だが、マディックの部隊が後退する気配は無い。その命令が出ていないのだろう。

 

 ここから全力で走り、跳躍しても、あの場所まであと10秒は必要だ。

 既に先頭のヒュージは攻撃態勢に入っている。

 このままでは自分が到着するまでに、あの部隊は半壊する。

 おそらく10人、いや20人以上が死ぬ。

 

 自分が手に持っているアステリオンはブレードモードだ。

 シューティングモードに変形して射撃をする時間的猶予は無い。

 瞬時にあの交差点まで移動、三体のラージ級に攻撃を許すことなく撃破しなければならない。

 

 方法は――ある。自分にはそれができる力がある。

 あの三体以外に大型ヒュージの気配は感じられない。

 それならば、何をためらうことがある。

 全ての力を出し惜しみせず使い切ればいい。

 そのために自分は今ここにいるのだ。

 その後は、あのマディックたちを信じよう。

 

 そう決断した瞬間、結梨の姿はその場所から消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨が三体のラージ級を発見する少し前、その場所に向かって、あるガーデンから出撃を開始した一隊のレギオンがあった。

 その人数は五人、一般的なレギオンの編成である九人には満たない。

 

 そのレギオンは司令部からガーデンの防衛を命じられ、最前線への出撃が認められない状態をヒュージの出現直後から強いられていた。

 

 しかし、彼女たちはようやく司令部の説得に成功し、今こうして遅まきながら、対ヒュージ戦闘の最前線に赴くべく全速で移動している。

 

 そのレギオンのリーダーらしき少女が、隣を走る仲間のリリィに話しかける。

 

「防衛軍と現場のマディックからの情報では、この先に三体のラージ級が存在しています。

私たちがその三体を排除するべく出撃すれば、その分だけガーデンの防衛が手薄になります。

その場合、別方面から新手が現れた時に、ガーデンの防衛に充分な戦力が確保できなくなることを恐れたのでしょう」

 

 司令部はそのリスクを嫌って、ガーデンのトップレギオンである彼女たちに出撃を命令しなかったのだ。

 

「出現したヒュージがラージ級以上なら、撤退して防衛線を下げるしかありませんが……」

 

 おそらく司令部はマディックの撤退を許可しないだろう。

 これまでの経験から、自分たちが所属するガーデンの司令部が、そのような判断をすることは考えられなかった。

 

「馬鹿の一つ覚えの死守命令か。時間稼ぎのためだけの」

 

 ボブカットの紅い髪のリリィが、苦々し気な口調で吐き捨てるように呟いた。

 

「おそらく、その時間稼ぎをしている間に、他の場所にいるレギオンを向かわせるつもりなのでしょう。

でも彼女たちにしたって、それぞれの場所で戦闘を行っている。

簡単にその場のヒュージを排除して、別の戦場に向かえるとは限らない」

 

 現在の戦力だけでは戦線を維持できないことが明らかになってからでないと、自分たちの司令部は後退を認めない。

 しかしその段階というのは、その部隊の組織的戦闘が不可能になるほどの損耗率に達した状態なのだ。

 その段階に至って初めて、他の戦場から増援を回す決定をするというのが恒例のようになっていた。

 

「私たちがガーデンに所属するリリィである以上、その司令部の命令には従わなくてはならない。その中で最善を尽くすしかない。ですが――」

 

 その先の言葉をリーダーのリリィが口にするのを、紅い髪のリリィが押しとどめた。

 

「今その事を考えるのは適切じゃない。今はこの先で戦っているマディックの部隊と一刻も早く合流すること、それに集中するべき」

「……そうですね。私たちが間に合わなければ、何のためにしつこく司令部を説得したのか、意味が無くなってしまいます」

「受け取った情報だと、あと少しで目的の地点が見えてくるはずだけど」

 

 五人のリリィが全速で進んで行くその数百メートル前方に突然、青白い閃光が三つ連続して発生するのが、ビルの間から垣間見えた。

 そしてその光からわずかに遅れて、何かが炸裂したような衝撃音が周囲の建物に反響しながら聞こえてきた。

 次第にその響きが減衰していくのと同時に、青白い光も急速にフェードアウトしていく。

 

「今のはリリィによる攻撃?私たちより先に到着したレギオンがいた?」

「おそらくは。さっきの光は大量のマギを使用して攻撃した際のもの。

少なくとも三人がほぼ同時に、同じレアスキルで攻撃をしたみたい」

 

「あの光り方は、フェイズトランセンデンスね。あたしのレアスキルだから見間違えることはないわ」

 

 後ろから、別のリリィが少々軽い口調で、先ほどの閃光の正体を特定した。

 

「それにしてもフェイズトランセンデンス持ちが三人いるレギオンなんて、滅茶苦茶攻撃的な構成だね。早くこの目でメンバーを見てみたいな……あ、現場が見えてきたよ」

 

 五人が防衛線となっていた交差点に到着した時、すでに主要な戦闘は終了していた。

 布陣していたマディックの小隊は、小型ヒュージの掃討を進めており、大きな脅威は先ほどの攻撃で取り除かれた後だった。

 

 派手に破壊された広い道路の中央には、三体のラージ級の死骸が横たわっている。

 その死骸は、いずれも正確に急所のみをえぐり取られるように破壊されていた。

 それは最大効率での撃破と、その後の爆発の回避を目標としていたように、彼女たちには見受けられた。

 

 ふと、負傷者と思われる少女を背負ったマディックの姿が、五人の目に入った。

 マディックに背負われたその少女は、自分たちとは別のガーデンの制服を着ていた。

 

「一葉。あの子、御台場の制服着てるよ」

 五人の中でひときわ幼い外見のリリィが、一葉と呼ばれたリーダーのリリィに話しかけた。

 

「確かに、あの制服は御台場女学校のもの。どうして御台場のリリィがこんな所に?」

 首をかしげる一葉に、先ほどの軽い口調のリリィが疑問を口にする。

 

「ねえ、あの子の顔、どこかで見たことない?」

「そうですか?気のせいではないですか?恋花様」

「うーん、もう少しで思い出せそうなんだけどな。瑶はどう思う?」

「そう言われてみると、私も見覚えがあるような気がする」

「もっと近くまで行ってみましょう。戦闘の経緯などが聞けるかもしれません」

 

 五人のリリィが少女を背負ったマディックに近づくと、そのマディックは反射的に敬礼しようとして危うく少女を落としそうになった。

 御台場の制服を着た少女は意識を失っていて、目を覚ます気配は無い。

 一葉はマディックにこれまでの状況の説明と、その少女について分かっていることを尋ねた。

 

「この交差点で防衛線を張っていた私たちの部隊に、三体のラージ級が襲いかかりました。

しかし、その攻撃が届く寸前で、次々に青白い閃光が炸裂して、ラージ級が斃れていきました。

おそらくあの攻撃はフェイズトランセンデンスによるものだったと思います。

攻撃が止んだ後に私たちが目にしたのは、いま私が背負っている一人のリリィだけです」

 

「このリリィが一人で三体のラージ級を倒したのか。しかもほぼ同時に。そんなことが可能なのか」

 

 独り言のように呟く一葉の隣りで、彼女より年長の落ち着いた雰囲気のリリィが、マディックに問いかける。

 

「フェイズトランセンデンスということは、彼女はマギを使い果たして気を失っているの?外傷などは無いの?」

「はい、千香瑠様。彼女は気を失っているだけで、負傷はありません。体内のマギが自然回復すれば、目を覚ますはずです」

「そう、それなら一安心ね。まだ一年生みたいに見えるけど、すごい実力なのね」

 

 そう言って千香瑠は背負われているリリィの顔をのぞき込んだが、急に表情を引き締めた。

 

「分かりました。このリリィの救護は私たちが引き継ぎます。

あなたは原隊に復帰して、本来の任務を継続してください。

また、この件は口外無用とします。このリリィについての詮索は一切禁じます」

 

 口止めをしたマディックからリリィを預かると、千香瑠は一葉に向き直った。

 

「このリリィは私がガーデンまで後送します。

一葉ちゃんたちは、この子の使っていたCHARMを探してください。

回収しておかないと、後々面倒なことになりかねません」

 

「CHARMを探すのはいいけど、ガーデンって、まさかここから御台場まで運ぶつもり?ちょっと遠すぎない?」

 

 突然の千香瑠の発言に、恋花は驚いた様子で尋ねた。

 

「いいえ、エレンスゲのガーデンへ。ヘルヴォルのミーティングルームか私の部屋に運びます」

「マジで?どうやってバレずにガーデンに運び込むつもり?」

 

「途中で予備の制服を調達します。手に入らなければ、その辺りのマディックの上着を借りてでも。

いつも通りなら、戦闘の後は負傷者の搬送などで校内は相当にバタつきます。

エレンスゲの制服を着ていれば、部外者とは分からないはずです」

 

 ただならぬ雰囲気の千香瑠に、四人のレギオンメンバーは彼女の方針に従うべく、黙ってCHARMの捜索へと散開していった。

 

 

 





2022.9.16追記
 かなり前になりますが、本文中の「後送」という表現について誤字のご指摘がありました。
 あらためて確認したところ、「戦場で、前線から負傷者、捕虜などを後方へ送ること」の意味でした。
 このため、変更はせず、そのままの表記としました。
 ご指摘くださった方、ありがとうございました。


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第10話 RETURN TO GARDEN(4)

 

「結梨さん、どこに行ってしまったの……」

 

 ヒュージの出現によって戦場となった六本木の市街地、その最大規模の戦闘が行われた交差点に史房は立っていた。

 周囲の建物や道路には、戦闘の生々しさを物語るように、至る所にヒュージの攻撃による破壊の爪痕が残されている。

 

 史房と楪がその場所に到着した時、既にリリィとマディックは現場から撤収し、防衛軍の工兵部隊が重機を使ってラージ級の死骸を撤去する作業の最中だった。

 

 楪は史房から少し離れた所で、部隊長と思しき防衛軍の将校に聞き込みを行っている。

 周囲は黄昏の気配が漂い始め、次第に薄暗さを増していきつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数十分前、新宿でのヒュージとの戦闘の後、琴陽は史房たちの前に姿を見せなかった。

 念のため、琴陽の安否について幸恵に確認してもらったところ、ルドビコのガーデンへは無事に帰還した記録があった。

 

 戦闘そのものはギガント級の個体が出現しなかったこともあり、史房と楪の支援を得たルドビコのリリィたちは、大きな損害を出すこと無くヒュージの排除に成功した。

 

「そうすると、琴陽はあえて私たちを探してまで会う意思が無くなっていたのかもしれない」

 

「もしかしたら、あの後で『御前』に連絡を取って、結梨さんが直接会いに来たのでなければ、対応しなくていいとの指示を受けたのかもしれません。

彼女にそこまでの勘の良さがあればの話ですが」

 

「なら、今はこれ以上琴陽のことを追いかけるのは難しそうだ。

こちらに大きな被害が無かったとはいえ、戦いの後でガーデン内が騒然となっている。

とても人探しができる状態じゃない。今日はもう引き上げた方がいいんじゃないですか」

 

「そうですね。私は結梨さんに連絡を取ってみます。

何事も無ければ、今頃は横浜を過ぎて鎌倉の手前あたりまで行っているはずです」

 

 しかし、史房からの通信は結梨の端末につながらなかった。

 話し中ではなく、呼び出し自体が出来ない通信途絶の状態になっていた。

 

 この状況で単なる端末の故障と考えるほど、史房も楪も楽観主義者ではなかった。

 百合ヶ丘への帰還の途中で戦闘に巻き込まれ、その際に通信端末が故障したか破壊されたか、その可能性が最も現実的にあり得ると思われた。

 

「結梨さんの帰還ルート上で、ヒュージが最も大規模に出現したのは六本木。

考えられるのは、そこで結梨さんはヒュージと戦い、その際に通信端末が壊れた。

その場合、一般回線は盗聴されるリスクがあるから、結梨さんからは連絡できない。

それなら、私たちが現場に行って状況を直接確認するしかない」

 

「そうですね、私もこのままでは居ても立っても居られない。史房様に同行させてもらいます」

 

 そう言うと、楪は少し離れた所で待機していた幸恵に声をかけた。

 

「幸恵、私と史房様はこれから六本木に行って人探しをする。

今日はきちんと話が出来なくてすまない。後であらためて事情を説明するから、今はこれで失礼させてもらう」

 

「まったく、勝手に琴陽さんと手合わせを始めようとしたり、もう少しお行儀よくしてほしいものね。

でも、今日はお二人がいらっしゃって、とても助かりました。本当にありがとうございました」

 

 幸恵は史房と楪に深々と頭を下げた。

 

「今日お聞きする予定だった内容は、また日を改めて相談することにしましょう。

琴陽さんとは別に探さないといけない人がいるのなら、早く行ってあげてください。

私と来夢もガーデン内の取りまとめをしないといけないので、ここで別れましょう」

 

「ああ、それじゃ、なるべく近いうちにまた会おう」

「失礼します、幸恵さん」

「ごきげんよう、史房様、楪さん。今度はもっと落ち着いて話ができるといいですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 史房と楪は幸恵と別れてルドビコを後にすると、すぐに六本木へと向かった。

 しかし二人が六本木に到着した時には、主要な戦闘は終了した後の状態で、結梨の姿も見つけることはできなかった。

 

 史房は百合ヶ丘のガーデンに結梨が戻っていないか連絡を取ってみたが、その結果は否だった。

 交差点の反対方向から楪が史房の方に近づいてきたが、その表情は一目で分かるほど曇っていた。

 

「だめだ、この周辺にはいなさそうです。防衛軍の中には結梨の姿を見た者はいませんでした。結梨は既にここを離れている可能性が高い。

これ以上ここで捜索を続けても見通しは明るくない。

ひとまず私たちはそれぞれのガーデンに戻って、今後の方針を決めるのが賢明でしょう」

 

「……そうね、そうせざるを得ないわね。この状況では」

 

 史房は感情より理性を優先させ、苦々しい表情で楪の進言を受け入れた。

 二つのガーデンを代表する二人のリリィは、その場で別々の方向へと別れ、各自が所属するガーデンへの帰途についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六本木に位置する親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン、エレンスゲ女学園。

 そのトップレギオンであるヘルヴォルの一員、芹沢千香瑠の部屋に六人のリリィが集まっていた。

 もっとも、その中の一人はベッドに横たわって深い眠りについていたが。

 

 残る五人のリリィ、すなわちヘルヴォルを構成する相澤一葉、佐々木藍、飯島恋花、初鹿野瑶、芹沢千香瑠は、そのベッドから少し距離を取った所に椅子を置いて座っている。

 

「千香瑠、この子のこと知ってるの?」

「間接的にはね。多分、この子は藍ちゃんとよく似たリリィのはずよ」

「藍、この子とは全然似てないと思うけど……」

 藍は昏々と眠る結梨の顔を見ながら、不思議そうに言った。

 

「私も思い出した。この子、以前に指名手配されてた例の訳ありリリィでしょ?なら黙っててあげないと。

この子が戦ってくれてなかったら、私たちが到着するまでにマディックが何十人も死んでたかもしれないし。恩を仇で返すわけにはいかないもんね」

 

 自らの所属するガーデンに対する背信行為とも取られかねない発言を恋花がすると、瑶が同意の言葉を重ねる。

 

「そう。司令部に報告するわけにはいかない。私たちが、あの司令部にそこまで義理立てする理由はどこにも無い。

自校のマディックを使い捨てにしようとする司令部と、自らの危険も顧みずに見ず知らずのマディックを救ったリリィ。

どちらに正義があり、どちらの味方をするべきか、言うまでもない」

 

 瑶は更に言葉を続ける。

 

「それに、この子の指名手配はとっくに解除されている。

私たちは逃亡中の指名手配犯を匿ってるわけじゃない。

ヒュージとの戦闘で人事不省になった一人のリリィを保護しているだけ」

 

「しかし三体のラージ級をほぼ同時に斃すとは、凄まじい戦闘能力ですね。

G.E.H.E.N.A.の関係者が因縁をつけてでも、強引に百合ヶ丘から奪い取ろうとしたのも頷けます」

 一葉は率直に結梨の戦闘能力の高さを評価した。

 

「なぜか御台場の制服を着てたのが謎だけど。単なる変装か、それとも何か他の理由があるのかもしれないけど」

 

「もしかすると、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの間で何らかの協力関係を結んでいるのかもしれません。

この子がG.E.H.E.N.A.の手に渡れば、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンにとっては存亡の危機になりかねませんからね」

 

 一葉の発言の後に、結梨の寝顔を黙って見つめていた千香瑠が、この後に取るべき行動についての方針を述べる。

 

「その辺りの事情は断定できませんが、この子が百合ヶ丘の一柳結梨さんなら、無事にガーデンに帰してあげる責任が私たちにはあります。

今日はこのまま寝かせてあげましょう。

フェイズトランセンデンスを使ったのなら、マギの回復には一晩かかると見ておく方がいいはずです。

明日彼女が目を覚ましたら、ここに運び込んだ時と同様、エレンスゲの制服を着せた上で、できるだけ他のリリィやマディックの目につかないようにガーデンの外に連れ出します。

もちろん、回収したCHARMも持たせて」

 

「せっかくだから、何かお土産も持たせてあげる方がいいんじゃない?千香瑠の作ったお菓子とか」

 

「恋花様、彼女は観光や物見遊山で鎌倉から東京まで出てきたわけではないと思いますが」

 

 一葉が隣に座る恋花をジトッとした目で見ながら釘を刺した。

 

「堅いなあ。それなら、お土産じゃなくてマディックを助けてくれたお礼としてなら構わないでしょ?どうよ」

 

「う、それはまあ……そういうことなら、認めるにやぶさかではありません」

 

 一葉の扱いを心得ている恋花は、易々と一葉を丸め込むことに成功した。

 

「そろそろ私たちは各自の部屋に戻ろうか。あまりここで長話しては、この子の眠りを妨げてしまうかもしれない」

「そうですね。続きはまた明日の朝にしましょう」

 

 瑶の言葉に一葉が同意し、千香瑠と藍を除く三人が部屋から退出していった。

 藍はその場に残り、ベッドの上の結梨の寝顔をじっと見ている。

 

「千香瑠。藍、もう少しこの子のそばにいてもいい?」

「ええ、いいわよ。気になるの?」

「うん、この子は何か不思議な感じがする。うまく言えないけど、普通のリリィとは違う感じがする」

「そう。この子が目を覚ましたら、お話してみましょうね」

 

 しばらくして千香瑠が藍の方を見ると、藍は結梨の眠るベッドに膝を着いてもたれかかり、かすかに寝息を立てていた。

 その背中に掛けるための毛布を取り出すべく、千香瑠は音を立てないよう静かに収納庫の扉へと歩いて行った。

 

 

 

 




今回投稿分で結梨ちゃんが百合ヶ丘に戻るところまで書きたかったのですが、力及ばず途中までしか書けませんでした。
これも最近ゲヘナ化した職場環境が悪いのです……
今のところは次回か次々回でアニメの時系列を終えて、以降はラスバレの時系列に入る予定です。


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第10話 RETURN TO GARDEN(5)

 

 ヒュージとの戦闘から一夜明けた早朝。

 眠りから目覚めた結梨の目に、朝の光を柔らかく反射する白い天井が見えた。

 

 結梨は自分が今、見知らぬ部屋の見知らぬベッドに寝ていることに気づいた。

 着ている服も御台場の制服ではなく、若干サイズが大きいパジャマを着ていた。

 

 少し身体を動かすと、自分ではない誰かの身体に手が触れた。

 掛けられた毛布をめくってみると、自分よりも幼く見える少女が隣りで眠っている。

 

 その気配で目を覚ましたのか、少女はゆっくりと目を開けた。

 そして目をこすりながら、いかにも眠そうな声で「おはよう」と結梨につぶやいた。

 

 次に少女は上半身を起こし、部屋の奥の方へ顔を向けて、

「おはよう、千香瑠。いま起きたよ」

 と、朝食の支度をしていたらしい女性に声をかけた。

 

 千香瑠と呼ばれた女性は、少女に挨拶を返した後で、微笑を浮かべながら結梨の顔を見た。

 

「おはようございます、一柳結梨さん。ゆうべはよく眠れましたか?」

 

 いきなり本名を呼ばれた結梨は、びくりと身体を震わせ、不安げな表情になった。

 

「……私のことを知ってるの?」

 

 警戒感を隠せない結梨の質問に対して、千香瑠は少し考え込む素振りを見せた。

 

「知っている、と簡単に言えるほどには知りません。

あなたについて私が知っていることは、あなたを捕まえるよう命令が出た時の情報くらいしかありませんから。

でも、そんな情報は人としてのあなたについては、何も知らせてくれません。

だから私にとっては、あなたの昨日の行動と、今こうしてあなたと話していることでしか、あなたを知ることはできないの」

 

「千香瑠の言うことは難しくて、よく分からない」

 結梨の隣りにいた少女が、不満げな顔で千香瑠に文句を言った。

 

「らんは、佐々木藍。あそこにいる人は芹沢千香瑠。あなたは結梨っていうの?」

「……うん、ここはどこ?」

「エレンスゲのガーデンの、千香瑠の部屋。結梨が気を失ってたのを、千香瑠が運んでくれたんだよ」

「そうだったんだ……」

 

 結梨は頭の中で、エレンスゲについてロザリンデから教わったことを記憶から引き出そうとした。

 

 エレンスゲ女学園。六本木に位置する親ゲヘナ主義のガーデン。

 経営母体は同じく親ゲヘナ企業のアウニャメンディ・システマス社。

 外征宣言無しで他地域への外征に出撃することで有名。

 それはヒュージ討伐の実績を積み上げ、出資者からの支援をより多く引き出すためと考えられている。

 そのために、百合ヶ丘ではエレンスゲを無法者として軽蔑するリリィも少なくない。

 トップレギオンの名前はヘルヴォル。

 そのレギオンを構成するリリィは、相澤一葉、飯島恋花、初鹿野瑶、佐々木藍、芹沢千香瑠の五人。

 

 その中の二人が、いま自分の目の前にいる。

 

「私のことは誰にも話さないで」

 

「大丈夫。現場のマディックにも、御台場の制服を着たリリィの事は決して口外しないように念押ししておきました。

他にあなたのことを知っているのはヘルヴォルのリリィだけ。

エレンスゲのリリィがこんなことを言うのは変かもしれないけど、私たちはあなたを安全に百合ヶ丘まで帰す責任があると思っています」

 

「どうして?エレンスゲは親G.E.H.E.N.A.のガーデンなのに、私を捕まえようとしないの?」

 

「今のあなたは指名手配されていないし、指名手配されるような人じゃないこともよく分かったから。

それに、ここのガーデンにあなたのことを知らせたら、あなたが不幸になることは容易に想像がつきます。

私たちはあなたを不幸にしたくない。

だから、少なくとも私たちヘルヴォルのリリィは、あなたの敵じゃないって信じてほしいの」

 

 千香瑠と藍が悪意や敵意を持っていないことは、結梨にはすぐに分かった。

 もし彼女たちがG.E.H.E.N.A.の忠実な下僕なら、こうして柔らかいベッドで目覚めることなど到底できなかったに違いない。

 おそらくは無機質な冷たい手術台の上か培養槽の中で、冷酷な科学者の視線を浴びていたことだろう。

 結梨は自分を保護したリリィが彼女たちであったことに感謝した。

 

 と、結梨の隣りにいた藍が、結梨の服の袖を軽く引いた。

 結梨が藍の顔を見ると、邪気の欠片も無いまなざしで藍が結梨の目をのぞき込んだ。

 

「結梨は自分のガーデンに帰りたいんだよね。エレンスゲの制服を着て、ここのリリィのふりをすれば、たぶん簡単に出られるよ」

 

 あっけなく言う藍の言葉に続けて、千香瑠が説明を加える。

 

「できるだけ人目につかない経路を選んで、結梨さんがガーデンの外に出られるようにします。

念のために出発前に私たちが先にルート上を見回って、他のリリィを遠ざけておくつもりです。

ガーデンの外に出てしまえば、後は結梨さんの力があれば、どうにでもできるはずです。

回収したアステリオンはかなり傷んでいましたが、私たちのできる範囲でメンテナンスしておきました。

通常の戦闘程度なら問題なく使用できると思います」

 

「ちょっと一葉たちを呼んでくる。待ってて」

 藍はパジャマ姿のまま、三人のリリィを呼びに千香瑠の部屋を出て行った。

 

 二人きりになった部屋の中で、結梨は千香瑠に、

「今、何時?」

 と、時間を尋ねた。

「朝の六時。結梨さん、一晩中眠っていたのよ」

「帰らないと」

 

 結梨はベッドから身体を起こそうとした。普通に身体を動かせる程度には回復していると感じた。

 それを見た千香瑠は、気がはやる結梨を落ち着かせようと押しとどめた。

 

「待って、おなかが空いているでしょう。まず何か口に入れておく方がいいわ。

顔を洗ったら朝食にしましょう」

 

 食卓には、スライスしたライ麦のパンにサワークリームと輪切りにしたトマトを乗せたオープンサンドが用意されていた。

 

「飲み物は紅茶とコーヒーのどちらにします?紅茶はアッサムとダージリンがあるけど、どっちが好みかしら。

デザートは昨日作っておいたフルーツタルトがあるから、後で冷蔵庫から出してきますね」

 

 久しぶりにヘルヴォル以外のリリィに料理を振る舞うことになった千香瑠は、いそいそとキッチンの方へ戻って行った。

 

 用意された朝食を結梨がほぼ食べ終えた頃、藍に呼ばれたヘルヴォルの三人のリリィが部屋に入ってきた。

 

 一見して明朗で快活な雰囲気をまとった少女が、最初に結梨に言葉をかけた。

 

「おはようございます、一柳結梨さん。

私はヘルヴォルのリーダーを務めている一年生の相澤一葉といいます。

こちらの二人は二年生の飯島恋花様と初鹿野瑶様です。

昨日は、私たちのガーデンに所属するマディックを助けていただき、本当に――」

 

「堅い、堅いよ一葉。もっとフレンドリーに話さないとダメだって」

 

「しかし、恋花様。初対面の他ガーデンのリリィに対して、あまり砕けた口調で話しかけるのは失礼ではないかと思いますが……」

 

「だからって、堅けりゃいいってもんじゃないよ。

まあ、あたしも今から少しばかり、この子に堅いことを言うつもりなんだけど」

「それはどういうことですか……?」

 

 恋花は一葉の問いには直接答えずに、結梨の傍にいた千香瑠に声をかける。

 

「ごめん、ちょっといいかな。あたしからこの子に聞いておきたいことがある」

「恋花さん?」

 恋花は結梨に視線を移し、改まった口調で話し始めた。

 

「あんたが私たちのガーデンのマディックを助けるために戦ってくれたことには、本当に感謝してる。

あそこの防衛線が突破されてたら、その後の抑え込みが相当面倒なことになっていたのは間違いない。

死傷者も段違いに増えていたはず。それについては、あんたがしたことは文句なしの人助けだった」

 恋花はそこで一旦言葉を切って、どこか苦しそうな表情になった。

 

「でも、あんたはラージ級を倒すためにフェイズトランセンデンスを使って、その結果、意識を失うレベルにまで消耗してしまった。

勇敢ではあるけど、無謀とも言える。

戦闘不能になれば、一体のスモール級にすら殺されてしまう。

あんたはあそこで死んでいたかもしれないんだよ」

 

 しかし、結梨は恋花の指摘に対して、きっぱりと反論した。

 

「無謀……じゃないよ。ラージ級をやっつければ、残りのミドル級とスモール級はマディックの人たちがやっつけてくれる。

だから私はラージ級だけを全力でやっつけて、マディックの部隊が無傷で残るようにしたの。

それに、ラージ級をやっつけた時に爆発しないように、急所だけを攻撃したの」

 

「……そう、そこまで考えての行動なら、あたしはこれ以上あんたのやり方に口は挟まない。

てっきり目の前の人間を全部助けるために一か八かで突っ込んだのかと思って、一言お説教してやろうと思ってたんだ。

そこの熱血バカに普段してるみたいに」

 

 そう言って恋花は一葉の方を一瞥した。

 

「そう言われると面目ありませんが、やはりすべての人を救うのが私たちヘルヴォルの目指すべきところであり、理想だと思います。

青臭いと言われても、私は簡単にその考えを変えるつもりはありません」

 

 頑として自分の主張を譲らない一葉に、恋花は肩をすくめて苦笑した。

 

「……と、こういう感じで、まだレギオンとしては一つにまとまり切っていないのがヘルヴォルの現状。

そもそもそんな選択をせざるを得ない状況を、うちの司令部が作ってるのが根本的な問題だと、私は思ってるけど」

 

 冷静な口調で瑶は司令部の作戦指揮を批判したが、それについては他の四人も異論は無いようだった。

 

「まあ引っかかってたことも解決したし、後はあんたを安全にこのガーデンから出してあげることが、本日の私たちの最重要課題ってわけ。

それじゃ、準備にかかるとしますか」

 

「ちょっと待って。結梨さんに持って帰ってもらうお土産を用意するから、恋花さんたちは先にルートの確認をお願いします」

「お土産ですか……」

 

 それまでの神妙なやり取りから一転して、急に緊張感の無い話を始める千香瑠。

 そのギャップに一葉は困惑したが、千香瑠は気にせず自作のお菓子をあれこれと紙袋に詰め始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、百合ヶ丘のガーデンでは、朝から生徒会長の三人とロザリンデが理事長室で今後の対応を協議していた。

 もちろん理事長代行の高松咬月も同席している。

 

 先に単独で百合ヶ丘に帰還した史房が、現在までの状況を説明する。

 

「一晩経っても結梨さんは帰って来ませんでした。

昨日の状況から判断すると、帰還の途中でヒュージとの戦闘に巻き込まれた可能性が最も高いと思われます。

事実、理事長代行のもとに出撃の許可を求める連絡が結梨さんから入り、代行が許可を出しています。

想定される会敵地点は地下鉄六本木駅の周辺。結梨さんとの通信は現在も途絶したままです。

なお、政府発表の死傷者リストには結梨さんの名前――この場合は北河原ゆり名義ですが――はありませんでした。

以上のことから、結梨さんは何らかの理由で行動を制限され、通信端末も使用不能になっているものと考えられます」

 

「それって、つまり最悪の事態ということ?」

 余裕の無い表情でロザリンデが史房の状況認識を確認する。

 

「確定したわけじゃないわ。最悪の事態を想定しておくべき、と言っているの。

通信端末の信号が途絶した座標は、ラージ級と現地の部隊が交戦した地点とほぼ一致している。

結梨さんがヒュージと戦闘し、その際の衝撃で端末が故障または破損したと考えれば、整合性が取れるわ」

 

「それなら、その場にいた部隊が何らかの形で、結梨さんの身柄を確保したとしか考えられない。

そして防衛軍にその事実を連絡せず、秘密裏に結梨さんを確保し続けている」

 眞悠理があくまでも冷静に、自分の思うところを口にする。

 

「迂闊に防衛軍に結梨さんの情報が伝わるのも危険だけど、だからと言って行方不明のままでは……」

 祀は眞悠理とは対照的に心配を隠せず、表情を曇らせている。

 

「六本木にいた部隊が所属するガーデンは?」

 咬月の問いにロザリンデが答える。

「現場から最も近くにあるガーデンは、エレンスゲ女学園です。おそらくはエレンスゲの可能性が最も高いかと」

 

「……もしそうなら、結梨さんの身柄を返してもらえる可能性は、限りなくゼロに近いわね。

問い合わせたところで、まともな返答が返ってくるとも思えない。

エレンスゲに潜入して、強制的に結梨さんを奪還するしか選択肢は無いかもしれません」

 史房は目に見えない何かを振り払うように、自らの意見を発言した。

 

 親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに侵入し、場合によってはガーデン内での戦闘が発生する。

その方針を選ぶことが、どのような結果をもたらすか――出席者の全員が重苦しい空気に包まれた。

 

 誰にその決断ができるというのか、誰にその責任が取れるというのか。

 沈黙が永遠に続くかと思われたその時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 

「入りなさい」

 理事長代行の高松咬月が、絞り出すような声で入室を促した。

 

 静かに扉を開いて入ってきたのは、ロスヴァイセ主将の北河原伊紀だった。

 ここまで走って来たのか、一目で分かるほど息が乱れている。

 

「どうしたの、伊紀。緊急に伝えないといけない事があるの?」

 ロザリンデが尋ねると、伊紀は乱れた呼吸のまま、途切れがちに答えを口にした。

 

「はい、たった今、結梨さんが帰還しました。

特別寮のロスヴァイセ用ミーティングルームで待機しています」

 

 その瞬間、理事長室で席についていた全員が同時に立ち上がった。

 

 一同は走り出したい気持ちを押し殺して、一刻も早く結梨の姿を自分の目で確かめるべく、無言のまま足早に特別寮へと向かった。

 

 数分後、特別寮のミーティングルーム前まで辿り着いた理事長代行とリリィたちは、半ば震える手でゆっくりと部屋の扉を開いた。

 

 そこにはエレンスゲの白い制服に身を包んだ結梨が、行儀よくソファーに座っていた。

 

 結梨は室内に入って来たロザリンデたちの姿を見ると、おもむろに席を立って深く一礼した。

 

「遅くなってごめんなさい。いま戻りました」

 

 自らが下した決断と、自らが持つ幸運によって、一柳結梨は百合ヶ丘への帰還を果たした。

 

 

 




このエピソードは、あと1回続きます。
ここで終わると余りにも余韻が無いので、エピローグ的にその後の状況を描写します。
また、次々回の投稿からはラスバレの時系列としてストーリー展開する予定です。

追記
本文中で「親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン」と表記すべきところを「反G.E.H.E.N.A.主義ガーデン」と表記していたため、当該の箇所を訂正しました。
ご連絡下さいました方、本当にありがとうございました。

追記2
誤字報告がありましたため、藍ちゃんの一人称を「私」から「らん」に訂正しました。
ご連絡下さいました方、本当にありがとうございました。

いろいろと間違いだらけで申し訳ありません……


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第10話 RETURN TO GARDEN(6)

 

 親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるエレンスゲの制服を着た結梨の姿を見て、その場に居合わせた誰もが複雑な表情を隠せなかった。

 

 正確には一人、オルトリンデ代行の秦祀を除いて。

 

 祀はエレンスゲの制服を気にかける様子も無く、ごくあっさりと結梨に歩み寄って、微笑みながらその両手を包み込むように握った。

 

「おかえりなさい、結梨さん。どこか怪我や具合の悪い所はない?」

「うん、大丈夫。どこも調子悪くないよ」

 

「良かった。それなら問題なく元通りの生活に戻れるってことね。

……あら、みなさん、変な顔をしてどうなさったの?

結梨さんはこうして無事に帰ってきたのに」

 

 祀が後ろを振り返って尋ねると、史房が半ばあきれ顔で祀に理由を説明した。

 

「祀さん、あなたは地域第一主義者だから、よそのガーデンには興味が無いかもしれないけど、エレンスゲと言えば悪名高い札付きの問題校よ。

宣言無しに管轄外の地域に外征をするわ、自校のリリィやマディックを使い捨てにして戦績を稼ごうとするわで、はっきり言ってまともなガーデンとは呼べないような所よ。

おまけに親G.E.H.E.N.A.主義とくれば、百合ヶ丘や御台場とは潜在的な敵対関係にあると言っても過言ではないわ。

そんなガーデンの制服を着て帰って来たら、どんな事情があったのかと、誰でも気にせずにはいられないでしょう?」

 

「そうだったんですか。確かに私はその辺りに関してはあまり頓着しないので、それほどまでに問題のあるガーデンとは知りませんでした。

でも、結梨さんを見た限りでは、ひどい扱いを受けたようには思えませんけれど」

 

 そう言う祀と結梨の隣りに眞悠理が近づくと、緊張した真剣な表情で結梨に問いかけた。

 

「結梨さん、単刀直入に聞くわ。変な薬を飲まされたり、変な注射を打たれたり、変な手術をされたりはしなかった?」

 

 眞悠理の質問を横で聞いた祀は驚いて目を丸くしたが、結梨は特に気にすることも無く、自然な口調で答えを返した。

 

「ううん、そういうことは無かったよ。千香瑠たちは私のことを、エレンスゲのガーデンには内緒にしてくれたから。

だから私は無事にエレンスゲから帰って来られたんだと思う」

 

「千香瑠って、二年生の芹沢千香瑠さんのこと?」

「うん、千香瑠とヘルヴォルのみんながとっても親切にしてくれて、私がエレンスゲのガーデンに見つからないように、この制服を着せてくれたの。

あと、これは千香瑠が持たせてくれたお土産のお菓子」

 

 結梨はソファーの上に置かれた白い紙袋を持ち上げて、中にぎっしりと入っている手製の洋菓子を眞悠理に見せた。

 

 ソファーに置かれているもう一つの紙袋には、百合ヶ丘を出発した時に着用していた御台場の制服が入っていた。

 

 それを見た眞悠理はようやく安心した様子で、その表情を緩めた。

 

「そうだったの。彼女なら百合ヶ丘の次期獲得候補リストに選ばれたほどのリリィだから、個人としては信用に足る人物と考えていいでしょうね。

ロザリンデ様、ひとまずは問題なしと判断してもいいと思いますが」

 

「そうね、もしエレンスゲが私たちを何かしらの罠に掛けようとするなら、わざわざ自校の制服を着せて結梨さんを帰すことはしないでしょう。

もし結梨さんに何かあった場合に、自分たちを疑ってくれと言わんばかりのことをするはずがない。

だから本当に芹沢千香瑠さんを含めたヘルヴォルのリリィたちは、ガーデンには内密に結梨さんを保護していたのでしょうね」

 

 ロザリンデはゆっくりと結梨に歩み寄ると、自分より頭半分ほど小さいその身体に腕を回し、優しく抱きしめた。

 

「結梨ちゃん、無事に戻ってきてくれて、本当にありがとう。

あなたと理事長代行の選択は間違っていなかったと、今でも思っているわ。

目の前の市民を見殺しにして、戦わずにガーデンへ帰還していれば、確かに今回のような事態は回避できたでしょう。

でも、それと引き換えにあなたは自分を責め、私たちのガーデンは私兵集団と変わらなくなってしまう。

だから、もし私があなたと同じ立場だったとしても、やはり同じ選択をしていたと思う」

 

 そこまで言ってロザリンデは一旦言葉を切って、小さく吐息をついた。

 そして少し憂いを帯びた表情を見せ、半ば自分自身に言い聞かせるように話を続けた。

 

「ただ、それとは別に、あなたが単独で行動することは極力避けるようにしなければいけないでしょうね。

事実、一歩間違えば今回の事態は、あなたと私たち全員の命取りになりかねない危険があった。

今更だけど今回のようなケースなら、史房さんと別行動になる時点で、百合ヶ丘から結梨ちゃんの所へもう一人リリィを派遣するのが最善の形だったわ。

その判断が出来なかったのは、私たちの甘さが原因であり、結梨ちゃんの取った行動に問題があったわけじゃない。

それだけははっきり言っておきます」

 

「ありがとう、ロザリンデ。

もしあの時、出撃の許可が出なかったら、私は命令を無視してヒュージをやっつけに行ってたと思う。

それで罰を受けると分かっていても」

 

「いいえ、あなたにそんな決断をさせることがあってはならない。

あなたにそんな事をさせてしまったら、それは間違いなく私たちの責任に他ならない。

だから、あなたは自分の判断に自信を持っていいのよ」

 

 そう言い終えたロザリンデは結梨から離れて振り返り、後ろに控えている一同にこの後の予定を告げた。

 

「今日は終日、結梨さんの休養日としましょう。

御台場やルドビコのことは、明日以降に改めて私たちで集まって内容を確認するわ。

できれば結梨さんにも同席してもらう形で。

それで構わないでしょう?史房さん」

 

「ええ、私は御台場とルドビコへの訪問結果について、先行して理事長代行に報告しておきます。

ここでは何ですから、理事長室へ戻ってお話しする方がよろしいかと思いますが」

 

 ロザリンデの提案を受けた史房は、隣に立つ咬月に同意を求めた。

 

「そうだな、それがいいだろう。

一柳君、君一人に負担をかけてすまなかった。

君は正しい行動を取った。これからも君は君の信念に基づいて、進むべき道を選んでほしい」

 

 咬月は結梨と握手を交わした後、史房と一緒にミーティングルームから退出して行った。

 

 二人が出て行くのを見届けて、再び祀がいそいそと結梨のそばに歩み寄った。

 

「これでやっと結梨さんはいつもの生活ができるのね。

本当は私の部屋に来てもらって色々と話を聞かせてほしいけど、他のリリィの目に付いてはいけないから、このままここでお茶会にしましょうか」

 

「ロスヴァイセのリリィでもないくせに、なんであなたが仕切ってるのよ」

 

 いつの間にかミーティングルームに入って来ていた石上碧乙が、どうにも釈然としない表情で祀に文句を言った。

 

「あの、祀様。私と碧乙様も同席させていただいて構わないでしょうか?」

 

 伊紀が若干おずおずと祀に尋ねると、祀は即座に快諾した。

 

「もちろんよ。ただし結梨さんの隣りには私が座るから、それは承知しておいてね」

 

「そんな決定権があなたにあるの?」

 

 まだ納得しきれていない碧乙は突っ込みを入れたが、伊紀は祀が場を取り仕切っていることは気にならないようだった。

 

「結梨ちゃん、アルトラ級の討滅に出撃していた梨璃さんと夢結さんも、無事に戻ってきましたよ」

 

伊紀の手元には、今日の日付で発行された週刊リリィ新聞があった。

それを伊紀から受け取った結梨は、すぐに文面に目を通し始めた。

 

「……梨璃と夢結が二人でアルトラ級をやっつけたんだ。すごいね」

 

「梨璃さんに少しお話を聞いたところでは、海岸に漂着するまでの間に、夢の中で結梨ちゃんが現れたそうです。

自分が二人を必ず帰してあげると、梨璃さんに言ったと」

 

「そうなんだ……私って梨璃の中では結構頼りにされてるのかな」

 

「結梨ちゃんは芯がしっかりしていますから、リーダーシップを取るタイプかもしれませんね。

もし結梨ちゃんが二年生や三年生だったら、きっとみんなを引っ張っていくリリィになっていると思いますよ」

 

「なれるのかな、そんなリリィに」

「なれますとも。G.E.H.E.N.A.が手出しできないほどのリリィになって、いつか一柳隊のみなさんに、立派に成長した結梨ちゃんを見てもらいましょう」

 

 伊紀はきらきらと目を輝かせて、同じ一年生の結梨の手を強く握りしめた。

 

「伊紀さん、お茶会の支度をするから、こちらに来て手伝っていただけるかしら。

結梨さんは主賓だから、ソファーの真ん中に座って用意ができるのを待っていてね」

 

 祀がミーティングルームの簡易キッチンの方から伊紀を呼び、伊紀は「失礼します」と結梨に軽く会釈して、そちらの方へ行こうとする。

 

「待って。千香瑠がお菓子の他に紅茶の葉もお土産に持たせてくれたから、それを淹れよう」

 

 そう言って結梨はソファーに置いた白い紙袋の中から、紅茶の葉が入った缶を探し始めた。

 

 

 






 前回の予告通り、今回投稿分でアニメの時系列を終えることになります。
 次回投稿分からラスバレの時系列でのストーリーとなります。
 いよいよ情報のインプットと消化が間に合わなくなってきたので、今後は週1回、日曜日の更新とする予定です。
 更新頻度が少なくなってすみませんが、今後ともよろしくお願いします。




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第11話 江ノ島探索任務(1)

 

 結梨がエレンスゲのガーデンから帰還した翌日、特別寮のロスヴァイセ用ミーティングルームに、昨日の面々が集まっていた。

 

 参加者は理事長代行の高松咬月、出江史房、秦祀、内田眞悠理、ロザリンデ、結梨の六人。

 

 ソファーの中央に座る結梨の両隣りには、ロザリンデと祀が姿勢正しく腰を下ろしている。

 

 祀は、さすがにこの場で結梨を膝の上に乗せることは控えたが、隙あらばあれこれと結梨の世話を焼こうと余念が無かった。

 

「結梨さん、昨日はゆっくり休めた?朝食はいつもと同じ量を食べられた?

もし途中で体調が悪くなったら、我慢せずに私に言ってね。

すぐに医務室に連れて行ってシェリス先生に診てもらうから」

 

 その様子を横目でちらりと見たロザリンデは、何か言おうとして唇を動かしかけた。

 しかし口出ししても詮無しと思ったのか、諦め顔でそのまま口をつぐんだ。

 

 別の一人掛けのソファーには、咬月と史房と眞悠理がそれぞれ座っている。

 

 その中で眞悠理だけは足を組んで左手の肘を肘掛けにつき、学内の風紀を司るジーグルーネとしてはいささか行儀の悪い姿勢を取っていた。

 

 しかし結梨以外の四人は既にそれを見慣れているのか、特に眞悠理をたしなめるようなことはしなかった。

 

 一方、珍しいものを見るような目で眞悠理の方をつい見てしまう結梨に、祀がこれ見よがしに結梨の耳元でささやく。

 

「結梨さん、眞悠理さんの真似をしてはダメよ。

あれはきっと『デカダンスとニヒリズムを気取って政治哲学に耽溺する自分』を演出してるだけだから。いわゆる中二病というやつね」

 

 その言葉は眞悠理の耳には届いていないはずだったが、眞悠理は察しがついたのか、じろりと祀を一瞥するとそれ以上の発言を制した。

 

「祀さん、結梨さんに妙なことを吹き込まないで。

今は内輪の集まりだから砕けた姿勢を取っているだけで、外部の人がいる場では、それに応じた振る舞いをするくらいは私もわきまえているわ。

それに結梨さんが私の真似をするかしないかは、結梨さん自身が決めること。

祀さんがあれこれ過保護に接する必要は無いと思うけど」

 

 ある意味もっともな眞悠理の指摘を受けた祀は、少し頬を膨らませて眞悠理に言い返す。

 

「もう、眞悠理さんも昔は梨璃さんや結梨さんみたいに素直ないい子だったのに、今ではこんな煮ても焼いても食えない面倒なリリィになってしまって……いえ、よくよく考えてみると、元々あなたは今と大して変わらなかったわね。

ロザリンデ様はともかく、先代のジーグルーネも相当に癖の強い人だったから、ことさらあなただけにどうこう言っても仕方ないのかもね」

 

「千華さんは私とは別次元の存在だから、あの人のことを常人の物差しで推し量るのは不可能よ」

「それについては私も全く同感ね」

「珍しく意見が一致したわね。雨が降らなければいいけど」

 

 二人の益体も無いやり取りを聞いていた史房は、いい加減にしなさいと言わんばかりに、わざとらしく咳払いを一つした。

 

「あなたたち、今日は御台場とルドビコへ訪問した結果を踏まえて、今後の方針を決めるために集まっているのよ。

結梨さんが無事に戻って来られたことを喜ぶ気持ちは理解できますが、だからと言って本題をおろそかにしてはいけません。

理事長代行、私から説明を始めさせていただいてよろしいでしょうか」

 

 咬月が無言でうなずくのを確認して、史房は先日の経緯をまとめた内容を話し始めた。

 

 その内容には、あらかじめ先行して史房と咬月が話し合った結果まとめられた個人的な見解と方針も含まれていた。

 

 史房が説明した概要は以下のようなものだった。

 

 

 

 

 第一に、G.E.H.E.N.A.がヒュージを使って敵対勢力を亡き者にしようとしている可能性については、訪問先の御台場女学校でも既に同じ認識を持っていた。

 

 この点については、百合ヶ丘の特別寮地下通路で『御前』が碧乙と結梨に話した内容と一致している。

 

 東京エリアではこれまでにも、自然現象としては不自然なヒュージの出現がたびたび確認されており、何者かが人為的な操作によってヒュージを出現させている疑いがあると御台場のリリィたちは考えている。

 

 その容疑者あるいは重要参考人として真っ先に挙げられるのが、対ヒュージ研究の第一人者的存在であると同時に、過激な思想を持つ多数の研究者を擁する組織、すなわちG.E.H.E.N.A.である。

 

 もっとも、今の段階ではG.E.H.E.N.A.がヒュージの行動そのものを操ることは実現できていない可能性が高い。

 

 たとえそれが特型の個体で、攻撃や回避のパターンに一定レベル以上の知能を感じさせることがあったとしても、その攻撃対象は無差別的であり、大型の肉食獣が人を襲う行動と本質的には変わらないからだ。

 

 従って、ヒュージ自体を意のままに操ることは、おそらく現在のG.E.H.E.N.A.には不可能である。少なくとも今のところは。

 

 では、どのようにしてG.E.H.E.N.A.はヒュージに敵対勢力を襲わせているのか。

 それについて、御台場の川村楪と司馬燈が指摘したのがケイブの存在だった。

 

 本来であれば発生因子となる特殊粒子の偏在によって自然発生するケイブを、G.E.H.E.N.A.は人工的に発生させることに成功した。いや、したと思われる。

 

 その基になった基幹技術は、おそらくはエリアディフェンスの原理であると考えられる。

 

 G.E.H.E.N.A.は特殊粒子の抑制によってケイブの発生を阻害するエリアディフェンスの技術を応用して、逆にケイブの発生を誘発する技術を確立した。

 

 その技術によって任意の場所にケイブを発生させ、あらかじめラボで用意しておいたヒュージをワームホール経由で送り込むことを可能にした。

 

 これが今のところ考えうる、最も可能性の高い仮説である。

 

 以上のことから、第一に目標とするべきは、ケイブの発生装置を発見し、それをG.E.H.E.N.A.関与の物的証拠として確保することである。

 

 次に、正体不明の人物である『御前』については、その実質的な代理人であるルドビコ女学院の戸田・エウラリア・琴陽と直接対面することは実現した。

 

 しかし、彼女から『御前』の情報を聞く前に、ルドビコの周辺を含む地域にヒュージが突如出現した。

 それに対応するため、出撃時に琴陽とは離れ離れになり、その後は再会できなかった。

 

 ヒュージとの戦闘終了後に、琴陽が史房や楪と会う意思があったかどうかは不明である。

 

 現在、楪とルドビコの福山・ジャンヌ・幸恵に仲介してもらう形で琴陽に連絡を取ろうと試みているが、まだ回答は得られていない。

 

 一つの推測として、結梨本人がルドビコを訪問しなかったため、『御前』から琴陽に「対応不要」の指示が出された可能性が考えられる。 

 

 だが、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの代表格であるルドビコを、現時点で結梨が訪れることは極めて危険であり、その危険を冒して得られる見返りも不透明である。

 

 このため、『御前』および琴陽の件に関しては一旦棚上げとし、新しい情報が入るまでは積極的な調査は行わない方針とする。

 

 

 

 

 

 以上の内容を史房が説明し終えると、最初にロザリンデが発言を求めて挙手した。

 

「『御前』よりもケイブの発生装置を優先して探すことには、私も賛成するわ。

相手の出方をうかがうだけではなく、G.E.H.E.N.A.にとって命取りになるカードをこちらが手に入れることは、決定的に重要だから。

その場合、由比ヶ浜の海上で結梨さんが戦ったギガント級ヒュージ、あれを出現させたケイブの発生元が探索の第一候補として適当ではないかしら」

 

 ロザリンデの提案に対して、すぐに賛同の意見を続けたのは眞悠理だった。

 

「そうですね。いきなり百合ヶ丘の国定守備範囲の外で探索を行うのは、いくつもの点で問題があります。

まずは鎌倉府の中で、百合ヶ丘に最も近い候補地を最初に調べるべきでしょう」

 

「あの時、G.E.H.E.N.A.は自然に出現したヒュージが百合ヶ丘を襲おうとしたと、私たちに思い込ませようとした。

でも、今思えば由比ヶ浜のネストからあのギガント級が出てくるところは、誰も目撃していなかった」

 

 ロザリンデが当時の状況を改めて確認すると、史房はそれに基づいて自分の考えた推論を説明し始めた。

 

「そう、あのギガント級は由比ヶ浜の西方、稲村ヶ崎の向こう側から現れたのが複数のリリィによって目撃されている。

もしかしたら、ネストではない場所からヒュージが出現するのを、直接見えないように隠蔽する意図があったのかもしれない。

では、稲村ヶ崎の向こう側にあるのは何か。それが手掛かりよ」

 

「……江ノ島か。確かにあそこなら、普段は防衛軍も百合ヶ丘のリリィも立ち入ることはありません。島へ渡る唯一の橋も平時は封鎖されています。

G.E.H.E.N.A.の人間が船で接岸して上陸し、秘密裏にケイブの発生装置を設置するには絶好の場所です」

 

 史房の意を汲んで解答を口にした眞悠理に、史房が会心の笑みを浮かべる。

 

「では決まりね。ケイブ発生装置の最初の探索対象地域は江ノ島の島内全域、いえ、おそらくは装置は対岸から見えない島の裏側に設置されている可能性が高い。

任務の内容としては、どう考えても特務レギオンの仕事になりそうね」

 

 史房は、既に心構えが出来ているロザリンデと結梨の顔を頼もしげに眺めた。

 

 






 作中では前回のラストから一日しか経過していませんが、一応今回からラスバレ時系列のストーリーに入ったものとして記述しています。
 今後の展開は今月10日に更新予定のラスバレメインストーリーを見てから考えるつもりです。



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第11話 江ノ島探索任務(2)

 本文中で結梨ちゃんたちがヒュージとマギについて語っている部分がありますが、これは原則として仮説・推論であって、あくまでも一つの可能性としてお読みくださるようお願いします。
 また、江ノ島の地形などは、できるだけ現実のものに沿うように描写しています。



 

 夜明けまであと一時間を切った頃、まだ夜の闇に包まれた相模湾の海上を、一隻の小型軍用ボートが速度を抑えて静かに航行していた。

 

 空には月と星の光しか海上を照らす光源は無い。

 

 以前なら、その月明かりと星明かりに照らされて、巨大な竜巻のようなヒュージネストが浮かび上がっていたはずだった。

 

 しかし今その場所には、ただ遮るものの無い水平線が見えるばかりだ。

 

 暗灰色に塗装されたボートの船上には、四つの人影が見えた。

 

 ボートを操舵している一人を除いて、他の三人は海上に船影や人工の光源が見えないか、周囲を絶えず警戒している。

 

 ボートは数十分前に由比ヶ浜の海岸を離れ、西へ向かって航行を続けていた。

 

 やがて稲村ヶ崎の岬をボートが過ぎると、数キロメートル先の海上に江ノ島の島影が視界に入ってきた。

 

 海面の波は比較的穏やかで、ボートの揺れは十分に会話ができる程度に収まっている。

 

 船上の一人、石上碧乙は注意深く周囲に目を配りながら、操舵を担当しているロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーに話しかける。

 

「夜が明ける前に敵前上陸なんて、本来はロスヴァイセよりシグルドリーヴァの領分に属する作戦じゃないですか?

もっとも、今の江ノ島にG.E.H.E.N.A.の関係者が常駐してるとも思えませんけど」

 

 後ろから碧乙に問いかけられたロザリンデは、視線を前方に向けたまま答える。

 

「今回の件については機密性が非常に高く、容易に情報開示対象者の範囲を広げられないと、史房さんからは言われているわ。もちろん結梨ちゃんのことも含めて。

この先、ガーデンと生徒会が情報開示の必要ありと判断すれば、その時はシグルドリーヴァと私たちが合同で作戦に参加することになるでしょう」

 

「じゃあ捺輝さんが私たちと一緒に行動することもありうるってわけですか?

あの人、優秀なんだけど、何か微妙にドジっ子属性あるんだよなあ……まあシグルドリーヴァの主将を務めてるくらいだから、実戦ではドジは踏まないんだろうけど」

 

 同じ二年生の遠野捺輝について独りごちる碧乙の隣りで、一柳結梨は黙って由比ヶ浜ネストのあった方角を見ている。

 

 今は海と空以外に何も存在しないその方向を、何も言わずに見つめている。

 

 その様子を見た北河原伊紀が、結梨に声をかける。

 

「何か気になることがあるんですか?」

 

 結梨は伊紀の方を振り向いて、遠くを見るような目で答えた。

 

「うん、どうしてヒュージはこの世界に生まれてきたのかな、って考えてた」

 

「それは難題ですね。人類だけがなぜ特異な進化をしたのか考えるのと同じくらい、答えの出しにくい疑問かもしれません」

 

「G.E.H.E.N.A.が最初のヒュージを作ったわけじゃないんだよね?」

 

「私の知る限りでは、ヒュージが約50年前に初めてその姿を確認された時点で、G.E.H.E.N.A.はまだ存在していませんでした。

少なくとも、最初に発見されたヒュージが人工的に作り出されたものであるという資料は存在しません。

だから、種としてのヒュージは自然の進化によって誕生したと考えていいと思います」

 

 伊紀がそこまで話した時、碧乙が二人の会話に入ってきた。

 

「ヒュージを生物種と呼んでもいいかどうかは、少なからず問題があると思うけどね。

一般的には、既存の生物種が体細胞の変化によってヒュージ化すると考えられているわ。

そうした変化の原因としては、たとえば何らかのウィルスに感染して細胞が変異を起こしている可能性が挙げられる。

でも、現時点ではそんなウィルスは確認されていない。

それ以外の原因として考えられるのは、最有力候補としてはマギになるけど、マギとヒュージ化の因果関係は今のところ完全には証明されていない。

もちろん放射線のように、マギのエネルギーが生物の細胞を変異させている可能性は否定できない。

むしろその可能性が極めて高いと考えられているわ。

ただし、マギ自体が魔法エネルギーとしか表現できない未解明の部分がある以上、マギがヒュージ化の絶対的な原因だと断定するまではできないでしょうね」

 

「それに、もしマギが生物をヒュージ化させる原因になっているのなら、ある時点を境にしてマギが地球上に存在するようになったと考えられます。

あるいは地下資源のように、それまでは人の目に付かない場所に存在していたマギが、ある時点で地上に現れて生物の体に影響を及ぼすようになった。

おそらくはそのどちらかだと思われますが、これも決定的な証拠は存在しません」

 

「それなら、世界からマギが無くなれば、ヒュージもいなくなるの?」

 

「マギが生物をヒュージ化させる唯一の原因かどうかはともかく、マギが無ければヒュージは活動を続けることはできない。

だから自動的にいなくなると言ってもいいかもね。

ただし、同時にリリィもCHARMを使えないただの人に戻ってしまうけど」

 

「でも、マギは世界のどこにでもあるんだよね?」

 

「ええ、場所によってマギインテンシティの差はあっても、マギは空気と同じく世界中に遍在しています。

世界のどこにいてもマギの影響から逃れることはできません」

 

「そうなんだ。私はリリィじゃなくなっても構わないから、ヒュージがいなくなってほしいけど、マギを無くすことはできないんだね」

 

「残念ながら、現在の人類の技術では不可能だと思います。

地球上から空気や水を無くすことができないのと同じように」

 

 伊紀の例えを聞いた結梨は、納得したように頷いて再び物思いにふけり始めた。

 

 三人の議論が一段落ついたのを確認して、ロザリンデは結梨たちに、教師が生徒に向けるような口調で話しかける。

 

「なかなか興味深い内容の話をしているようね。

確かに、地球上のすべてのヒュージネストとアルトラ級を討滅すれば、それがヒュージとの戦いの実質的な終結を意味すると思っている人は多いでしょうね」

 

 ロザリンデは操舵のために前を向いたまま、以下のように説明を続けた。

 

 ラージ級以上のヒュージを絶滅させることができれば、ミドル級以下の個体は通常兵器で倒せるため、人類にとって決定的な脅威とはならない。

 

 ただ、それはヒュージが通常の生物と同じく、生殖活動によって個体数を増やす生態であることが前提となる。

 

 さきほど碧乙や伊紀が論じたように、マギの影響によって通常の生物がヒュージ化するのなら、理論上はアルトラ級やギガント級もそのように発生しうる可能性があると言える。

 

 その場合はマギがある限り、文字通り人類はヒュージとの終わりなき戦いを強いられることになるだろう。

 

「自然災害や伝染病と同じように、ヒュージの脅威も完全に無くなる日は来ないと考えておく覚悟が必要かもしれないわね。

ヒュージがこの世界に現れる前だって、人間同士の戦争は常に起こっていたし、一時期は全面核戦争の危機さえ存在した。

今ヒュージがもたらしている人類絶滅の危機も、その原因が同じ人間の手によるものから異種生命体に取って代わっただけとも言えるわ」

 

「これまでのところ、その脅威の深刻さが少しばかり洒落にならないってのが、困ったものですけどね」

 

 碧乙は冗談めかしながら苦笑して、右手に持ったアステリオンを握り直した。

 

「もうすぐ江ノ島の海岸に着きそうですね。上陸の準備を始めましょう」

 

 伊紀の言葉に反応して結梨が前方を見ると、夜明け直前のわずかな薄明にうっすらと浮かび上がった島影が目の前に迫っていた。

 

 G.E.H.E.N.A.の関係者が島にいる可能性を考慮して、ボートは白波を立てないように速度を落としつつ、慎重に南側の海岸に接近していく。

 

 江ノ島の南側の海岸は、かつてヨットハーバーがあった東半分はコンクリートの護岸になっている。

 

 一方、西半分の海岸は波に浸食された滑らかな岩場が広がっていて、その背後は切り立った断崖になっている。

 

 万が一にも人目につかないように、ボートは西の入り組んだ海岸線の奥へ進んで行き、最も奥まった所に接岸した。

 

 ボートが流されないようにロザリンデがロープを岩に結び付け、四人のリリィは江ノ島の海岸に上陸した。

 

「この崖を登るの?」

 

 結梨は波が緩やかに打ち寄せる岩場から、鬱蒼と樹木が生い茂る断崖の上を見上げた。

 

 高低差は二十メートルから三十メートルといったところか。

 

 普通の人間であれば登攀はほとんど不可能な、ほぼ垂直に切り立った斜面だ。

 

「そうよ。この崖を越えて、なるべく歩きやすい所を選んで、以前に使われていた道路に出ましょう。私の後について来て」

 

 アステリオンを手にしたロザリンデは何事も無いかのように簡単に跳び上がり、断崖の途中にあるわずかな凹凸を跳躍の足場にして、あっという間に崖の上に消えて行った。

 

 ロザリンデに続いて結梨、伊紀、碧乙の順に、何度かのジャンプで軽々と断崖を登り終え、全員が崖上に出た。

 

 結梨が後ろを振り返ると、茫漠と広がる太平洋の水平線から朝日が出ようとするところだった。

 

 水平線の上にたなびく雲の下側が茜色に染まり、結梨たちの立っている場所も次第に明るさを増し始める。

 

 その景色に見とれていた結梨の背中からロザリンデの声が聞こえた。

 

「太陽が完全に出たら、島内の探索を始めましょう。それまでは現在位置と地図情報の再確認をしておきます。

いま私たちのいる所から北側に100メートルほど進むと、かつて人が住んでいた当時の道路に出るわ。

道路の両側には住宅や店舗として使われていた建物があるけど、現在はすべて廃墟になっているはず。

G.E.H.E.N.A.がケイブ発生装置を設置するとすれば、倒壊の恐れがあるそれらの建物を避けて堅固な構造物を構築するか、もしくは地下ということも考えられるわ」

 

「森林の中に設備を作られていると、見つけるのは容易ではないですね」

 

 碧乙が口にした仮定に対して、伊紀が薄明の空を見上げながら自分の意見を述べる。

 

「でも、設備構築のために周囲の木々を切り倒すと、上空から発見される可能性があるので、そのケースは考えにくいと思います。

出発前に目を通した航空写真でも、不自然に森林を切り開いたような場所は見当たりませんでした。

別の手段として、地下に隠して設置すれば発見される恐れはゼロに近くなります。

ですが、その場合は工事のために重機が必要になり、その搬入・搬出が人目につくリスクがあります」

 

「いずれにせよ、ケイブ発生装置およびそれを格納している構造物は、海上や上空から見えないような所に配置されていると考えるべきでしょうね」

 

 四人の前にどこまでも広がっているかのような常緑樹の深い森林。

 ロザリンデはその薄暗い奥の方を見据えた。

 

「ヒュージネストが無くなったとはいえ、島内にヒュージがいる可能性もある。

ここは見通しが利かなくて咄嗟の対応が難しい。

最短経路で道路跡まで出て、道沿いに何か手掛かりが無いか探してみましょう」

 

 長期間に渡って人の手が入らなかった結果、原生林に近づいた状態の森林を抜けると、朽ち果てた住宅や商店が並ぶ細い道に出た。

 

 かつては多くの観光客で賑わったであろう石畳の歩道は、今は大部分が植物に覆われて、遺跡のような状態を呈していた。

 

 道の両側に立ち並ぶ木造の家々も、屋根は崩れ、柱は傾いて、倒壊寸前の廃屋としか形容できない有様だった。

 

 それを見た碧乙が溜め息交じりにロザリンデに話しかける。

 

「やはり、いつ崩れるか分からないような建物の中に装置を設置するようなことはしてなさそうですね。

そうなると、これといって手掛かりになるものが見当たりませんが、どうしましょうか?」

 

「まず、この道に沿って一通り周辺の状況を確認しましょう。

地上から目視で分かる範囲を最初に潰していくしかないわね」

 

 ロザリンデの判断に従って一行が道を進んで行くと、入り組んだ崖の近くを下る階段に出た。

 

 海に向かって開けた地形になっているその場所には、両側の切り立った崖下の磯に打ち寄せる波の音が聞こえてくる。

 

 すると、海の方をしばらく黙って見ていた結梨が、何かに気づいたようにロザリンデに声をかけた。

 

「ロザリンデ、あそこの崖に穴が開いてる」

 

 結梨が指さした方をロザリンデたちが見ると、海に面した断崖の途中に、高さ3メートルほどのアーチ状の空洞があった。

 

 その周囲には、ほとんど崩れてはいるが、柱や床のような構造物が残骸のように残っている。

 

「伊紀、地図であそこに何があるか確認してくれる?」

 

「えっと……あれは昔、江ノ島岩屋と呼ばれていた観光用の洞窟みたいです。

かつては崖沿いに通路が設置されていたようですが、今は風化してほとんど使用不可能な状態になっていると思われます」

 

「もともと存在していたものなら、目に付いても誰も怪しむことはない……か」

 

「私たちのような者を除いて、ですか」

 

 碧乙が興味津々で洞窟の入口を見ながらロザリンデに問いかけた。

 

「そういうこと。行ってみましょう」

 

 四人のリリィは崖を登って来た時とは逆に、数十メートルの断崖を一気に飛び降りて海岸の岩場に降り立った。

 

 彼女たちはそのまま跳躍を繰り返して、一分もかからずに洞窟の前のわずかなスペースに到達した。

 

 幅2メートルほどの入口から中をのぞき込むと、光源は一切無く、内部は完全な暗闇に包まれている。

 

「最奥部の状況までは分かりませんが、ファンタズムで予知できる範囲では、この中に人やヒュージはいません。

何らかの警備システムが作動している様子もありません。

そもそも今は通電自体されていないようです」

 

 碧乙が目を閉じて前方に意識を集中しながら、確信に満ちた口調で言葉を発した。

 

「それは重畳。このまま探索を続けましょう。

私が先頭で進むから、碧乙、結梨ちゃん、伊紀の順で後に続いて」

 

 ロザリンデたちは各自ヘッドライトを装着し、漆黒の闇が支配する洞窟の中へ歩を進め始めた。

 

 

 



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第11話 江ノ島探索任務(3)

 

 かつては江ノ島岩屋と呼ばれ、観光客でにぎわっていたであろう洞窟の中は、今は結梨たち四人以外の何者も存在していないはずだった。

 

 白いヘッドライトの光だけを頼りに、結梨たちは真っ暗な空間の奥へと慎重に歩を進めていく。

 

 洞窟は人がすれ違える程度の幅しかなく、高さもCHARMを振り上げれば天井に届いてしまいそうなほどだった。

 

 ここではCHARMを振り回してヒュージと戦うことはできない。

 

 かと言ってCHARMをシューティングモードにすれば、ヒュージが先制攻撃してきた時に、CHARMを盾にして防御できなくなる。

 

 先頭を歩くロザリンデは選択の結果、アステリオンをブレードモードにして正面に構えつつ前進することにした。

 

 洞窟内は湿度が高くじめじめしているが気温は低く、生物は小さな昆虫が時おり地面や壁面を這っているのが、ヘッドライトの光に捉えられるのみだった。

 

 

 

 

 

 洞窟に入ってから数十メートル進んだあたりで、結梨は前方に微小なマギの偏りを感じた。

 

 ヘッドライトの光は、ただ足元の岩だらけの通路を照らし出すだけで、生物の姿は今はどこにも見えない。

 

 だが、その光の届かない真っ暗な闇の先に、確かにマギの密度が周囲より高くなっている部分がある。

 

 洞窟に入る前に確認した地図では、その部分はほぼ最奥部にあたる場所だった。

 

 結梨の第六感としか表現できない感覚で捉えた、そのマギの偏りが、わずかに揺らめいたように感じられた。

 

 すると、マギの偏りは急速に一点に収束するかのような動きを見せ、結梨は反射的にロザリンデに向かって叫んだ。

 

 「ロザリンデ!」

 (前方から撃ってきます!防御してください!)

 

 結梨が声を発するのと、碧乙がファンタズムのテレパスを飛ばすのとは同時だった。

 

 その直後、暗闇の一点が白く光ると、それは一瞬の内に結梨たちに向かって襲いかかるエネルギー弾となった。

 

 先頭のロザリンデは即座にアステリオンを前面に押し出して盾とし、エネルギーの塊を弾き返す。

 

 アステリオンのブレードに弾かれたエネルギー弾は、一瞬だけ周囲を白く照らし出し、跡形も無く消滅した。

 

 洞窟内を再び暗闇が支配する。

 

 敵の姿はなお見えない。ヒュージか、G.E.H.E.N.A.の強化リリィか。

 

 その判断をする暇も無く、立て続けに弾が飛んでくる。

 

 発射間隔は毎秒数発程度で、機関銃ほどの連射速度ではない。

 

 しかしアステリオンをシューティングモードに変形して、こちらから撃ち返す余裕は無い。

 

 しかも狭い洞窟内では、左右に動いて回避することもできない。

 

 敵は正面に向かって先制して撃ち続けるだけで、一方的にロザリンデたちに攻撃を加えることができる。

 

 ロザリンデは、この攻撃パターンを予想していたがゆえに、アステリオンをブレードモードにしておいた。

 

 しかし、だからと言って防戦一方となることを強いられるのに変わりは無かった。

 

 飛来するエネルギー弾の全てを弾き続けるロザリンデのアステリオンは、見る見るうちに熱を帯び、ブレードには刃こぼれが増えていく。

 

「全員、後退して。洞窟の外に出る」

 

 絶え間なく続く射撃を防御するロザリンデの指示を受けて、最後尾の伊紀が向きを変え、注意深くアステリオンを構えながら洞窟の入口へ戻り始めた。

 

 もし敵が洞窟の入口からも入って来れば、前後から挟撃される形になる。

 

 それは最も恐れるべき事態だったが、進入前の哨戒で、洞窟周辺に敵の気配が無いことは確認済みだった。

 

 念のために碧乙がファンタズムで直近の未来を予知したが、やはり洞窟の外に敵が出現する可能性は無かった。

 

 その結果を受けて、碧乙は伊紀と結梨に指示を出す。

 

「伊紀、洞窟の外に敵はいない。

最短時間で結梨ちゃんと一緒に外に出て、B型兵装とノインヴェルト戦術用特殊弾の準備を。

もちろん、いざという時の攻撃手段としてだけど。

私はお姉様が被弾した場合に備えて、お姉様と一緒に後退するわ」

 

「分かりました。結梨ちゃん、先に行きましょう」

「うん」

 短く言い終えると、伊紀と結梨は入口に向かって全力で走り出した。

 

 

 

 

 

 後退を始めてから数分後、結梨たち四人は背後からの攻撃を受けることなく、洞窟の入口まで全員が後退することに成功した。

 

 先行して脱出した伊紀と結梨に続いて、ロザリンデと碧乙は洞窟の外に出ると、すぐに数メートル下の岩場に展開する。

 

 そしてシューティングモードにアステリオンを変形させて、敵が洞窟から現れるのを待ち構えた。

 

「のこのこ出て来ますかね。今度は自分が狙い撃ちになると分かっていて」

 

 碧乙が数メートル離れた場所にいるロザリンデに問いかけた。

 

「少なくとも、あの洞窟の中に敵がいることは確定できたわ。

それだけでも情報としては充分に有益よ。

もし敵が出て来なければ、こちらが攻め手として洞窟戦の攻略を考えればいい。

このアステリオンは情報を得た代償としてボロボロになってしまったけれど」

 

 ロザリンデのアステリオンはブレードの至る所が傷つき、刃こぼれを起こしていて、本格的な近接戦闘には耐えられそうにない状態だった。

 

(射撃なら何とか持ちこたえられるか……)

 

 ロザリンデはアステリオンの消耗度を確認して、洞窟の入口に狙いを定めた。

 

(あと5秒で出現。姿が見えた瞬間に全員で一斉射)

 

 碧乙のテレパス通り、正確に5秒後に黒い影が洞窟の入口から飛び出した。

 

 間髪を入れずに、四つのアステリオンの銃身から同時に発砲炎が上がる。

 

 四つの弾丸は寸分の狂いも無く目標に殺到したが、それらは全て目標の表面で跳ね返された。

 

 斉射が止むと、目標は動きを止め、ロザリンデたちはその姿をはっきりと目にすることができた。

 

 その姿は紛れも無くヒュージそのもので、丸みを帯びたその形は、以前に真島百由の管理下から脱走したミドル級の個体に酷似していた。

 

 ただし、大きさはミドル級とスモール級の中間くらいのサイズで、それは幅2メートルほどの洞窟内に不足なく収まるものだった。

 

「ルンペルシュティルツヒェンと工廠科で呼んでいたヒュージによく似ているわね。

今あそこにいる個体は、一回り以上小さいけれど」

 

「あいつ、ブレード状の腕を盾にして、弾丸を弾きました。

しかも弾丸の軌道に対して斜めの角度で受け流すように」

 

「まるで戦車の避弾経始装甲ですね。

あの個体は一定レベルの知能を持つ特型ヒュージと考えた方がよさそうです」

 

 ロザリンデ、碧乙、伊紀が、数十メートル先に立つヒュージを視界に捉えながら、その特性を見極めようとする。

 

「射撃がだめなら、斬りかかってみてもいい?」

 

 結梨が今にも飛び出しそうな体勢でロザリンデに尋ねたが、ロザリンデは首を横に振った。

 

「いいえ、あのヒュージはこれまでにない行動パターンを取ってくる可能性が高い。

接近戦をするのであれば、負傷した場合を考えて、リジェネレーターがある私か伊紀が最初に仕掛けるのが適切だわ」

 

「ロザリンデ様のアステリオンではブレードモードでの戦闘は無理です。私が行きます」

 

 伊紀はアステリオンをブレードモードに変形し終えると、前方のヒュージに向かって全速力で走り出した。

 

 ロザリンデたち三人は左右に展開して、ヒュージの動きを封じるための掩護射撃を始める。

 

 射撃に対して防御姿勢を取るヒュージの至近に伊紀が迫ると、三人は同時に掩護射撃を停止した。

 

 そしてヒュージが防御姿勢を解く前に、伊紀はすかさず斬りかかる。

 

 アステリオンのブレードがヒュージを両断するかと思われたその時、ヒュージは瞬時に加速して伊紀の横をすり抜け、その背後に出た。

 

「えっ?」

 

 予想を超えたヒュージの機動に、伊紀が一瞬その姿を見失った時、彼女の右肩から鮮血が飛び散った。

 

 切り裂かれた制服の裂け目から出血が見る見るうちに広がって行き、制服の右半分を真紅に染めていく。

 

 伊紀は右肩に殴りつけられたような衝撃を感じ、思わず足元の岩場に片膝をついた。

 

 伊紀の攻撃を回避して背後に回り込んだヒュージは、とどめの一撃を叩き込もうと伊紀の頭上にブレード状の腕を振り下ろす。

 

 しかし、その致命的な攻撃が伊紀に届くことは無かった。

 

 ヒュージの腕は突然出現した別の物体に衝突し、金属質の鈍い打撃音が周囲に響き渡る。

 

「やらせないよ」

 

 振り下ろされたヒュージの腕は、伊紀とヒュージの間に縮地で瞬間移動した結梨のアステリオンによって受け止められ、その動きを制止させられていた。

 

「伊紀、そのヒュージから離れて!距離を取りなさい!」

 

 碧乙の叫びが伊紀の耳に届き、伊紀はほとんど反射的に、転がるようにしてヒュージの攻撃範囲から離脱した。

 

 その伊紀の傍に碧乙がすかさず駆け寄り、自らが盾となる位置にアステリオンを構えて立ちふさがった。

 

 一方、ヒュージの攻撃を受け止めた結梨は、伊紀がヒュージから離れたのを確認すると、再び縮地を発動して後方へ転移した。

 

 それを見たロザリンデが、ヒュージに対して続けざまに射撃を行い、ヒュージの追撃を封じる。

 

 戦況は再び、一体のヒュージを四人のリリィが距離を置いて包囲する形へと戻った。

 

 碧乙は自分の後ろで荒く息をついている伊紀に、背中を向けたまま振り返らずに問いかける。

 

「伊紀、怪我の度合いはどの程度?」

「ご心配なく。もう傷は塞がっています」

 

 伊紀が立ち上がった時、強化リリィ固有のブーステッドスキルであるリジェネレーターの発動によって、出血は既に止まっていた。

 

 右半身を朱に染め、伊紀はやや青ざめた顔で碧乙の方を見た。

 

「油断したつもりは無かったのですが……」

「ええ、後ろで見ていたからよく分かるわ。あのヒュージの動きは尋常じゃなかった」

 

 伊紀の太刀筋を初見で見極め、驚異的な瞬発力で斬撃を回避、そして伊紀の右側をすり抜けざまに、その肩に一撃を叩き込んだのだ。

 

 ヒュージから攻撃を受けた伊紀の傷は深手だった。

 リジェネレーターを持たない普通のリリィなら、出血多量で失血死する可能性さえあった。

 

 運よく失血死を免れたとしても、戦闘を継続することは確実に不可能になっていただろう。

 

 碧乙は前方のヒュージを見据えたまま、苦々しげに言葉を吐き出す。

 

「あいつ、まるで居合い斬りの達人みたいな体捌きをしていたわ。

到底、野生の生物にできる動きじゃない。

明らかに何らかの学習能力がある特型の個体に間違いない」

 

「過去にリリィと戦って生き延び、ヒュージネストに戻ってレストアされたのでしょうか?

それともG.E.H.E.N.A.が人工的に作り出したヒュージなのかも」

 

「さあね、そこまでは分からない。

でも、あの個体は、ただマギに支配されて暴れまわるだけのヒュージとは全くの別物よ。

対人戦闘に特化した殺人マシーンだと考えるべきだわ」

 

「こんなことなら、水蓮様や瑳都さんたちも一緒に来てもらった方が良かったですね。

リリィがヒュージに物量戦を仕掛けるのも変な話ですが」

 

 伊紀はガーデンの特別寮で待機しているであろう、ロスヴァイセ所属の強化リリィの名前を挙げた。

 

「フルメンバーだとボートも大型のものが必要になるし、何かと人目につきやすくもなる。

だから、軽々に全員を出撃させるわけにはいかなかったのでしょうね、ガーデンも」

 

「これほど厄介な敵が目的地に居座っているとは……と考えるのは私たちの想像力不足なのでしょうね」

 

「予想外の事態なんて、これまでにも数え切れないほどあったし、それが一つ増えただけと開き直るしかないわ。

さて、今の状況で私たちが切ることの出来る手札はと言うと……まずはあなたのポケットに入っている『それ』かしら」

 

 碧乙が言及した『それ』を確かめるように、伊紀は制服の胸元を細い指先で触れた。

 

「ロザリンデ」

 少し離れた場所でシューティングモードのアステリオンを構える結梨が、ロザリンデに視線を送って合図する。

 

 それを見たロザリンデは、黙って小さく頷くと伊紀に向かって指示を出した。

 

「伊紀、あなたが持っている特殊弾を私に預けなさい。

これより、目標のヒュージに対してノインヴェルト戦術を開始します」

 

 

 

 



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第11話 江ノ島探索任務(4)

 

「伊紀、私たち三人が今から掩護射撃をする。その隙にこちらへ走って来て」

 

 ロザリンデは碧乙の後ろにいる伊紀に呼びかけると、碧乙と結梨にハンドサインで射撃開始のタイミングを指示した。

 

 ロザリンデ、碧乙、結梨が各自の配置からアステリオンを構える。

 

 そして伊紀が碧乙の傍から離れて走り出すのと同時に、三人のアステリオンから弾丸が射出された。

 

 ロザリンデに向かって走る伊紀に向けて、ヒュージはエネルギー弾を発射しようとする。

 

 が、それよりも早く飛来した三つの弾丸がヒュージの眼前に迫った。

 

 ヒュージはやむを得ず防御の姿勢を取り、そのブレード状の腕で弾丸を跳ね返す。

 

 ロザリンデたちはそれに構わず、伊紀がロザリンデの背後にたどり着くまでアステリオンのトリガーを引き続けた。

 

「ロザリンデ様、ノインヴェルト戦術用の特殊弾です。お受け取り下さい」

 

 伊紀は胸元のポケットからケースに入った一発の弾丸を取り出すと、そっとロザリンデに手渡す。

 

 一般的なライフル弾によく似た形のそれは、薬莢の一部にルーン文字が刻印され、弾頭と薬莢の間には幅1cmほどの透明な部分がある。

 

 その部分にはマギスフィアを形成するための源となる、粒子の塊のような球体が封入されている。

 

「ありがとう。私のアステリオンはブレードの損傷が激しくて、マギスフィアのパス回しには耐えられそうにない。

私がノインヴェルト戦術の起点になるから、あなたと碧乙でパスを回して。

フィニッシュショットは結梨ちゃんに撃ってもらうわ」

 

「結梨ちゃんがフィニッシュショットを撃つのは、何か理由があってのことですか?」

 

「ええ。あのヒュージが特型なら、マギリフレクターを使ってくる可能性がある。

既にラージ級やギガント級では、マギリフレクターを使ってノインヴェルト戦術のマギスフィアを防御した事例が複数確認されているわ。

あの個体はそれらよりも遥かに小さいけれど、だからと言ってマギリフレクターが使えないとは限らない。

もしマギリフレクターにマギスフィアが防がれて、ノインヴェルト戦術が失敗した場合、私たちは決定的な攻撃方法の一つを失うことになる」

 

「結梨ちゃんなら、マギリフレクターを突破できるんですか?」

 

「そのための訓練は重ねてあるわ。

実戦で使うのはこれが初めてだけど、今のところ、この方法が最もマギリフレクターに対抗できる可能性が高いはずよ」

 

「分かりました。では結梨ちゃんのお手並み拝見といきましょう。

私たちはそのお膳立てをするわけですね」

 

「そういうこと。あのヒュージはラージ級やギガント級に比べて遥かに小さい。

フィニッシュショットの前に動きを封じておかないと、マギスフィアを回避されてしまうわ。

だから、今から全員で、あのヒュージが動き回れないように攻撃を仕掛ける」

 

 再びロザリンデは結梨たちにサインを出した。

 

 今度は伊紀も含めて、ロザリンデ以外の三人はアステリオンをブレードモードに変形して突撃の態勢を取る。

 

 ロザリンデのみがアステリオンをシューティングモードのまま、ヒュージに照準を定める。

 

 そしてロザリンデが射撃を開始すると同時に、他の三人がヒュージに向かって全速力で走り出した。

 

 先程と同じく、ヒュージは射撃から身を守るために防御態勢を取る。

 

 その間に結梨たちはヒュージとの距離を詰め、三方向から同時にヒュージに向かって斬りかかった。

 

 フレンドリーファイアを防ぐため、ロザリンデは射撃を停止し、アステリオンの弾倉に弾丸を補給する。

 

 ヒュージの防御能力を超える三方向からの同時攻撃を仕掛けた三人の斬撃は、だが、その全てが空を切った。

 

 アステリオンを振り終えた結梨たちが上を見上げると、直上数十メートルに跳び上がったヒュージの姿が目に入った。

 

 そのヒュージに向かって、ロザリンデは再び射撃を開始した。

 

 ヒュージはこれまでと同様に、そのブレード状の腕でアステリオンの弾丸を弾き飛ばす。

 

 しかし、踏ん張る足場となる地面の無い空中では、弾丸の運動エネルギーを全て受け流すことはできず、ヒュージの体勢がわずかに崩れる。

 

 ロザリンデはヒュージに体勢を立て直す時間的余裕を与えずに、休むことなく弾丸を発射し続けた。

 

 その弾丸を防御するたびに、空中にあるヒュージの体は傾きの度合いを増していく。

 

 アステリオンの弾倉が空になるまでロザリンデが撃ち終わった時、結梨たち三人は空中のヒュージに向かって跳躍し、またしても三人同時に斬りかかった。

 

 体勢を完全に崩したヒュージは、かろうじて防御姿勢を取って、その攻撃に耐えようとする。

 

しかし三人がヒュージを叩き落とす形で斬りつけたため、ヒュージは眼下の岩場に向かって真っ逆さまに落下した。

 

 激しい衝撃音が響き渡り、ヒュージの体は岩を砕きながら、その半分以上が地中にめり込んだ。

 

(これでヒュージが動き出すまで時間の猶予ができた。ノインヴェルト戦術を開始できる)

 

 ロザリンデはアステリオンの弾丸を撃ち尽くすと、すぐにノインヴェルト戦術用の特殊弾を装填していた。

 

「碧乙、伊紀にパスを回して!」

 

 まだ地面に落下している途中の碧乙に向かって、ロザリンデは特殊弾を発射した。

 発射された特殊弾は、瞬時に球体のマギスフィアへと形態を変化させる。

 

「伊紀、行くよ!」

 

 碧乙は自分に向かって飛んでくるノインヴェルト戦術のマギスフィアをキープせずに、同じく落下中の伊紀に向けて即座に弾き飛ばす。

 

「結梨ちゃん、お願いします!」

 

 伊紀は碧乙からパスされたマギスフィアを結梨に回すべく、碧乙と同じように空中でアステリオンを振り抜いた。

 

 ただし、そのラストパスは直接結梨に向けたものではなく、地面にめり込んだまま起き上がれないヒュージの真上に向かってだった。

 

 ヒュージ直上の空中高くに向けて飛ぶマギスフィアに対して、落下中の結梨は縮地を発動して、マギスフィアの至近に転移した。

 

 既に結梨のアステリオンはブレードモードからシューティングモードへ、その姿を変形し終えている。

 

 結梨はアステリオンでマギスフィアを受け止めると、そのまま空中でチャンバーに装填し、真下のヒュージにアステリオンの銃口を向ける。

 

 ヒュージまでの距離は約100メートル、倒立状態の姿勢で急降下しながら結梨は照準を微調整する。

 

「――捉えた」

 

 照準の修正完了と同時に、結梨の華奢な白い指がアステリオンのトリガーを引き絞り、ノインヴェルト戦術のフィニッシュショットが発射された。

 

 発射完了後、すぐに結梨はアステリオンを再びブレードモードへ変形させる。

 

 結梨のアステリオンから放たれたマギスフィアは、眼下のヒュージをめがけて一直線に飛んでいく。

 

 そのマギスフィアがヒュージに命中する寸前で、突然ヒュージとマギスフィアの間に魔法陣のような円盤状の障壁が出現した。

 

 マギスフィアは障壁を貫通できず、その表面で停止する。

 

 後方で待機しているロザリンデは、眉一つ動かさずにその光景を見つめていた。

(やはりマギリフレクターを使える個体か。ここからが勝負ね)

 

 マギリフレクターの発生を確認すると、即座に結梨は縮地を再発動し、マギスフィアの直前まで移動、フェイズトランセンデンスを発動した。

 

 結梨の身体とアステリオンの周囲に、青白い燐光にも似たマギの粒子が無数に舞い上がる。

 

「これで――決める」

 

 フェイズトランセンデンスが可能にする最大マギ出力で、結梨はマギスフィアにアステリオンのブレードを叩きつけた。

 

 その瞬間、威力を劇的に増したマギスフィアによって、マギリフレクターはわずかにその形を歪めた後、ガラスが割れるかのように破壊され、消失した。

 

 同時にアステリオンのブレードも衝撃のエネルギーに耐えられず、粉々に砕け散る。

 

 マギリフレクターを突破したマギスフィアは、その勢いを落とすことなくヒュージの中心部に命中した。

 

 炸裂したマギスフィアの閃光が、周囲を一瞬だけ青白く染め上げる。

 

 結梨はフェイズトランセンデンスが体内のマギを使い果たす直前に、三度目の縮地を発動して安全圏へ離脱した。

 

 ロザリンデのすぐそばに現れた結梨は、マギが尽きて力が入らず、地面に倒れ込みそうになる。

 その細い身体をロザリンデが咄嗟に支え、抱きかかえた。

 

 マギスフィアの直撃を受けたヒュージは、その体がラージ級やギガント級に比して遥かに小さかったために、爆散せずにマギスフィアのエネルギーによって跡形も無く消滅していた。

 

「ご苦労様、上手くいったみたいね」

「うん、でもCHARMが……」

「私のアステリオンも、ブレードは形を保っているに過ぎないわ。

二人とも、これ以上の戦闘は無理ね」

 

 大破した結梨のアステリオンをロザリンデが見やっていると、伊紀と碧乙が二人の所へ駆け寄ってくる。

 

「何とか仕留められましたね。

でも、この後はどうしますか?

もう一度あの洞窟を探索するのは……」

 

 伊紀の問いかけに、ロザリンデは即座に否定の言葉を返す。

 

「論外ね。現時点での損耗が大きすぎる。

人とCHARMの両方とも無傷なのは碧乙だけでしょう?

そんな状態であそこに入って、同じヒュージがもう一体いたら、今の戦力では間違いなく全滅するわ」

 

 ロザリンデのアステリオンはブレードが全損寸前、結梨はフェイズトランセンデンスの発動でマギが尽き、CHARMも大破。

 伊紀は傷が塞がったとはいえ、多量の出血で休養が必須の状態だった。

 

「では、これ以上の任務続行は不可能なため、帰投するとガーデンに連絡します」

 

 伊紀は通信端末を取り出して発信を始めたが、回線に接続することはできなかった。

 

「駄目です。対岸から見て、ここは島の裏側にあたるため、電波が届かないようです。

島の北側まで移動して通信を試みますか?」

 

「いえ、現有戦力で島内を進むリスクを冒したくない。

すぐにでもボートを出す準備をして、出発を急ぎましょう。

ガーデンへの連絡は海上に出てからすればいいわ」

 

「分かりました。私と碧乙様は先行してボートの確認をしてきます。

ロザリンデ様は結梨ちゃんを護りながらボートに向かってください」

 

 伊紀と碧乙がボートを係留してある場所へ走り去って行くのを見届けて、ロザリンデは苦い表情で言葉を吐き出す。

 

「フルメンバーでないとはいえ、このロスヴァイセが小型ヒュージ一体にこれ程てこずるとはね。

同じタイプの個体がもう一体出現していたら、敵を倒すどころか、命がけで撤退しないといけなくなるところだったわ」

 

「ロザリンデ、ガーデンに戻ったら、あの洞窟で戦うための作戦をみんなで考えよう」

 

 ロザリンデに背負われてボートのある場所へ向かいながら、結梨は洞窟の方を口惜し気に見つめていた。

 

「そうね。暗視装置、ヒュージサーチャー、耐久性と防御力を優先したCHARM、作戦に参加する人員の見直し、いろいろと準備するものがあるわね」

 

 洞窟探索の障害となっていたヒュージの排除には成功したが、まだ洞窟内にケイブ発生装置があるかどうかは確認できてない。

 

 必然的に、再び洞窟内部への探索を行わなければならないが、同種のヒュージが洞窟内に残っている可能性は否定できなかった。

 

 その場合に備えて、ロザリンデたちは一度百合ヶ丘へ戻り、CHARMの修理と人員の休養、装備と作戦の変更などを行う必要があった。

 

 やがて四人が乗ってきたボートのすぐ傍まで、ロザリンデと結梨はたどり着いた。

 碧乙と伊紀はボートのエンジンを始動し、二人が乗り込むのを待っていた。

 

「防御重視のCHARMというと、1年生の郭神琳さんの媽祖聖札があるけれど、あれは一機だけのユニーク機体だし、あとは私が知っている限りではシャルルマーニュくらいかしら。

百合ヶ丘でシャルルマーニュを使っているリリィは……」

 

 ロザリンデの発言を引き継いで、出発の準備を終えた伊紀が言葉を続ける。

 

「シャルルマーニュは、汐里さんが使っている防御用の方のCHARMです。

あれはグランギニョル社製のCHARMなので、楓さんに一機融通してもらえないか、私が掛け合ってみます。

楓さんが承諾してくれればメーカー直送になるので、ガーデンに申請するより早く調達できるかもしれません。

首尾よくシャルルマーニュを入手できたら、汐里さんに使い方の手ほどきをお願いしましょう」

 

「ええ、そうさく倶楽部で顔を合わせた時に、私から汐里さんに相談しておくわ。

でも、そうすると、今度はどうやって洞窟の中でヒュージに攻撃するかという問題が出てくるけれど」

 

 防御機能に特化したCHARMであるシャルルマーニュを、先頭で進むロザリンデが装備した場合、ヒュージからの攻撃は防御できても、こちらから攻撃することが困難になる。

 

 狭い洞窟内では、ロザリンデの後ろで碧乙や結梨がアステリオンを構えて射撃するには無理がある。

 

 今回と同じようにヒュージが洞窟の外に出てきてくれればいいが、そうならなかった時には、攻略の手段が存在しなくなってしまう。

 

「その点もガーデンに戻ってから検討しなくてはならないわね。

とんだ伏魔殿だったようね、あの洞窟は」

 

 往路と同じくボートの操舵を担当するロザリンデは、次第に遠ざかる江ノ島を見つめながら、苦々しい口調で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満身創痍と言っても過言ではない状態で百合ヶ丘に戻った四人を、特別寮のミーティングルームで待っていたのは、伊紀のルームメイトの小野木瑳都とオルトリンデ代行の秦祀だった。

 

 二人は部屋に入ってきた結梨たちを見ると、すぐに顔色を青ざめさせて駆け寄ってきた。

 

「伊紀さん、その怪我は――」

 

 右半身を血に染めた伊紀の姿を見て、瑳都が愕然とした表情で尋ねる。

 

「心配させてごめんなさい。ヒュージに一撃もらってしまったの。

リジェネレーターで傷は治っているから、後は失った血を回復するための休養を取れば問題ありません」

 

「そうだったの。大事に至らなくて良かったわ。

こんな事になるなら、無理を言ってでも私も参加させもらうべきだった」

 

 悔しそうに言う瑳都の隣りで、祀がロザリンデに背負われた結梨を気遣わしげに見ている。

 

「ロザリンデ様、結梨ちゃんはどこか負傷しているんですか?それとも――」

 

「大丈夫、フェイズトランセンデンスで体中のマギを使い尽くしてしまっただけよ。

一日休めば普通に動けるようになるわ。

それより祀さん、あなたが座っていた所に置いてある大きな荷物は何?

あなたのCHARMが入ったケースなの?」

 

 ソファーの上に置かれた楽器ケースのような物体に視線を送りながら、ロザリンデは祀に尋ねた。

 

「あの荷物は、結梨ちゃん――いえ、正確には『北河原ゆり』さん宛てに今日届いた物です。

結梨ちゃんが戻ってくるまで、私が一時的に預かっていました。

もちろんX線検査をして、危険物でないことは確認してあります」

 

「宛て名が本名ではないということは、結梨ちゃんが外部で出会った人が送ってきたのね。

一体、誰から送られてきた物なの?」

 

「送ってきたというか、正確には、このガーデンまで送り主本人が直接持ってきたんです。

あいにく結梨ちゃんが任務中で不在だったので、応対した私が代理で受け取る形になりました。

その人は確か――柳都女学館の天津麻嶺と名乗りました」

 

 

 



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第11話 江ノ島探索任務(5)

 新CHARM導入回です。オリジナルの機種ではなく、既に他メディアで登場済みの機種です。
 本当は洞窟再チャレンジまで進めたかったのですが、予想外に長文になったため、そこまでたどり着けませんでした。
 なお、途中でガンダムネタが少し入りますので、お嫌いな方はご注意ください。



 

「天津麻嶺って、あの有名なアーセナルの?」

 

 碧乙が驚いた表情でロザリンデの方を見て言った。

 

 CHARMメーカー天津重工総帥の令嬢にして御台場迎撃戦の功労者、真島百由の知己で放浪癖のある天才的アーセナル。

 それが碧乙が知る天津麻嶺という人物の情報だった。

 

「CHARMケースらしき荷物を届けに来て、柳都女学館所属なら、本人に間違いないでしょうね」

 

「結梨ちゃん、そんな人と知り合いだったの?」

 

 今度は結梨の方を振り向いて、碧乙は尋ねる。

 

「うん。史房と一緒に御台場に行った帰りに、六本木の地下鉄の駅で出会ったの。

私にCHARMを作ってあげるって言ってたから、その荷物がそうだと思う」

 

「祀さん、天津麻嶺さんがこの荷物を――おそらくはCHARMでしょうけど――届けに来たのは、いつ?」

 

 ロザリンデはソファーの上に置かれたCHARMケースらしき荷物を横目で見ながら、祀に確認する。

 

「今から二十分くらい前だったと思います」

「移動手段は車だった?」

「いえ、駅から徒歩で来たようでした」

 

「結梨ちゃん、追いかけましょう。車を出すわ。うまくいけば駅までの道の途中で追いつけるかもしれない」

 

「このケースも持って行く?」

「そうね。説明を受ける時に、現物がある方がいいでしょうから。体の調子はどう?」

 

「ヒュージと戦うのは無理だけど、普通に動くくらいなら、もう出来ると思う」

「よかった。じゃあ一緒に行きましょう」

 

 祀たちに見送られて、結梨はCHARMが入っているであろうケースを抱えて、ロザリンデと一緒にミーティングルームを出ていった。

 

 地下の駐車場からガーデンの外へ出て、ロザリンデが運転するオリーブグリーンの高機動車は、江ノ電の鎌倉駅へ向かう。

 駅まであとわずかの所で、歩道を歩く女性の後ろ姿が目に入った。

 

 ロザリンデは緩やかに車を減速させ、女性の横に車を並走させた。

 助手席の窓を開けて結梨が顔を見せると、女性と視線が合った。

 

「ごきげんよう、麻嶺。久しぶりだね」

「あら、ゆりちゃん。ごきげんよう。もう任務から戻ったの?任務は上手くできた?」

 

「ううん、ヒュージはやっつけたけど、途中でガーデンに戻らないといけなくなって、まだ終わってないの。

CHARMも壊れちゃったし、次に出撃するまでには時間がかかりそう」

 

「そうだったの。それなら、ちょうどいいタイミングだから、私が持ってきたCHARMをさっそく使ってみる?

次に出撃する時までに操作に慣熟できれば、ヒュージとの戦闘は断然有利に進められるようになると思うわ」

 

「やはり、あの荷物はCHARMだったのですね。

あなたほどのアーセナルが製作したものなら、通り一遍の代物ではないと考えて構わないのでしょう?」

 

 停車した車からロザリンデが降りてきて、麻嶺に軽く会釈する。

 

「はじめまして、天津麻嶺さん。私は百合ヶ丘女学院3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーという者です」

 

「はじめまして、ロザリンデさん。あなたがゆりちゃんのシュッツエンゲルなんですか?」

 

「いいえ、まだ彼女には正式にシュッツエンゲルの契約を交わしたリリィはいません。それに私には既にシルトがいますので。

私は彼女の保護者のような立場だとお考え下さい」

 

「分かりました。私がゆりちゃんにCHARMを贈ることに何か問題はありますか?」

 

「ガーデンの審査は必要になりますが、あなたの評判は既に広く知られています。

百合ヶ丘のリリィにもあなたの作ったCHARMを使っている生徒はいますから、CHARMの承認については、まず問題なく認められると思います」

 

「だといいんですけど。今回作ったCHARMは、かなり尖がった機体なので、承認されるまでにはそれなりに時間がかかるかもしれません。

だからそれを見越して、百合ヶ丘のガーデンにはCHARMの仕様書と安全性についてのテスト結果を先行して送ってあります」

 

 麻嶺の話を聞いた結梨は、後部座席に置いてあるCHARMケースを見た。

 アステリオンやグングニルのものに比べて一回り大きいケース。

 まだその中に収められているCHARMの本体を確認してはいない。

 

「麻嶺、ここでケースを開けてみてもいい?」

「どうぞ、自分の目で確かめてみて」

 

 だが、ロザリンデはそれを制止した。

 

「ここは人目につくわ。いつも訓練に使っているガーデンの裏山まで移動して、そこで確認しましょう。麻嶺さん、ご一緒願ってもいいかしら?」

 

「はい、特に急いでいるわけでもなし、構いませんよ。でも、人目を避けるということには何か理由が?」

 

「私たちは専ら機密性の高い任務を担当するレギオンのリリィです。

そのため、いたずらに装備品を第三者の目に触れさせることは避けないといけないからです。

それが最新の装備であれば、なおさらです」

 

「そうだったんですか。それであの時、ゆりちゃんは御台場の制服を着ていたんですね。御台場のリリィとして行動する必要があったから」

 

「そういうことです。では車に乗っていただけますか?ここから15分ほどで到着できると思います」

 

 空いている後部座席に麻嶺が乗り込んだのを確認して、ロザリンデはゆっくりと車をUターンさせて、先程来た道を引き返し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 三人を乗せた車は、百合ヶ丘のガーデンの北方約1キロメートルの山中にある、開けたスペースにたどり着いた。

 周囲に人の気配は全く無い。

 

 CHARMケースを持って車を降りた結梨は、背の低い草むらの上にケースを置いてロックを解除する。

 ゆっくりとケースを開くと、中に収められているCHARMが姿を現した。

 

 そのCHARMを見た時、結梨はそれがこれまで見てきたどの機種とも似通っていないことに、すぐに気づいた。

 

「これ、CHARMなんだ。ユニットがいっぱいある」

 

 ふと横からケースの中をのぞき込んだロザリンデの表情が、急に緊張をはらんだものに変わった。

 

「このCHARMは――まさか」

 

 振り向いたロザリンデの視線を正面から受け止めて、麻嶺は小さく頷いた。

 

「そう。元々は百合ヶ丘の工廠科で開発がスタートし、一度は実戦テストまでこぎつけた後、諸般の事情で棚上げ状態になっていた第4世代の精神直結型CHARM、エインヘリャルです」

 

「なぜ、百合ヶ丘以外のガーデンがこのCHARMを作っているの?」

 

「エインヘリャルの開発を天津重工でも進められるように、以前から百合ヶ丘との間でカスタマイズ込みのライセンス契約を結んでいたんです。

この機体は、その完成した第1号機です。

もちろん量産なんてまだまだ遠い将来の話だけど、圧倒的な性能を持つ第4世代CHARMの開発自体は進めておかなければいけませんから。

百合ヶ丘では、現在は別の第4世代CHARMであるヴァンピールの開発を優先させていると聞いています。

おそらくはエインヘリャルよりヴァンピールの方が扱いやすい機体であることから、そちらに開発リソースを投入しているのでしょうね」

 

「第4世代のCHARMは使用者の精神に大きな負担をかけると聞いているけど」

 

「その点については、私も重々承知しています。

百合ヶ丘の開発初期段階の機体では使用者が重大な後遺障害を負ったり、その後の改良版でも精神薬を服用した上で実戦テストを行った記録があることも知っています。

だから、このエインヘリャルの開発を天津重工で引き継ぐに当たっては、安全性と安定性を最優先させて、内部の設計を大幅にリファインしてあります。

第1号機のこの機体は、可能な限りの安全マージンを持たせて、ドが三つ付くくらいのフラットな設定でセッティング済みです。

それに加えて、使用者の脳波の状態を常時モニタリングして、異常な値を記録した時には、出力のスロットリングおよび緊急停止を実行するモジュールを追加しています」

 

 麻嶺の説明を聞いたロザリンデは幾分その表情を緩めたが、まだ全面的に気を許したわけではなかった。

 

「安全対策に万全を期していることは分かったわ。

でも物事に絶対は無い。万が一の事態が起こった時はどう対処するの?」

 

「このエインヘリャルが異常な動作をしたにもかかわらず停止できなかったり、使用者の心身に明らかな異状が見られた場合は、その場でCHARMそのものを破壊してもらって構いません。

CHARMはまた作り直せるけど、人はそういうわけにはいかないから」

 

「承知したわ。その時は遠慮なく壊させてもらいます。

でも、私のCHARMは修理中だから、もう一人ここにCHARMを持って来てもらうわ」

 

 そう言うと、ロザリンデは通信端末を取り出して、碧乙に連絡を取り始めた。

 

「碧乙、ガーデンの北にある演習場まで、あなたのアステリオンを持って来てくれる?目的?実は、今から結梨ちゃんが新型CHARMの試運転をするの。

……いえ、そんなに慌てて来なくても逃げたりはしないから、落ち着いて。

あと、念のために史房さんに連絡を入れておいてくれるかしら」

 

 通話を終えたロザリンデに、結梨がエインヘリャルについて尋ねる。

 

「ロザリンデは、このCHARMのこと知ってるの?」

 

「ええ、実物を見たのは今日が初めてだけど、情報としては以前から知っていたわ。

脳波コントロールによる無線誘導の飛行ユニットを備え、遠隔操作での複数同時攻撃を可能にした次世代型のCHARM、それがこのエインヘリャルよ」

 

「そうなんだ……ケースから出してみてもいい?」

「そうね、先に内容を確認しておきましょう」

 

 二人がケースから取り出したエインヘリャルのパーツ構成は次のようなものだった。

 

 まず、腰の周囲に装着する流線型のプレートのようなユニットが五つ。

 

 うち一つはマギクリスタルコアが取り付けられたメインユニット、残りの四つはサブユニットで、五つのユニットすべてにマギビットコアまたは単にビットと呼ばれる分離型の飛行ユニットが備わっている。

 

 マギビットコアは剣の刀身のような形をしていて、その後部に推進用と姿勢制御用のスラスターが複数存在する。

 

 これらとは別に、手に持ってビームブレードとして使用するサブユニットが一つと、頭の左右に装着する脳波コントロールユニットが二つある。

 

「全部で八つのユニットか……脳波による無線誘導システムといい、やはり既存のCHARMとは完全に別物と考えた方がよさそうね。

装備する前にCHARMとの契約をしておきましょうか」

 

 結梨は右手の中指に嵌めた指輪を、メインユニットのマギクリスタルコアに触れさせた。

 マギクリスタルコアの表面に結梨のルーンが浮かび上がり、CHARMのOSが起動する。

 それを見た麻嶺が結梨に声をかける。

 

「CHARMの契約はもう済んだ?それなら各ユニットを実際に装備してみましょう」

 

 ケースから取り出した大小八つのユニットを、結梨は麻嶺に手伝ってもらいながら一つずつ装着していく。

 

「このCHARM、全部装備するのにちょっと時間が掛かるね」

 

「そうよ。だからどんな状況でも対応できる潰しの利くタイプじゃないってこと。

アステリオンやグングニルならケースから出してすぐに戦えるけど、このエインヘリャルには、それほどの即応性は無いわ。

理想としては準備万端の状態で、見通しのいい広い場所で全てのマギビットコアを自由に飛ばして戦うのが、このCHARMの性能を最も発揮できる環境ね。

その環境なら、大げさじゃなくエインヘリャル1機で1個レギオンに匹敵する攻撃力が出せる。

だからと言って、それ以外の場面で全然使えないわけじゃないけど」

 

「たとえば洞窟の中とかは?」

 

「狭い場所だと全部のマギビットコアをビュンビュン飛ばすのは難しいから、そこは工夫が必要ね。

逆に言えば、敵も多数を同時に展開できないから、ビット一つでも充分に攻撃できるはずよ」

 

「そうなんだ……じゃあロザリンデが先頭で、そのすぐ後ろは私と碧乙のどっちがいいのかな……」

 

再び訪れることになる江ノ島の洞窟での戦い方を、結梨が頭の中でシミュレートしていると、ロザリンデが結梨の肩に手を置いた。

 

「それは後でゆっくり考えればいいわ。今はこのCHARMがうまく動くかどうか、そのことだけに集中しましょう――ああ、碧乙が来たみたいね」

 

 ロザリンデが見た方向を結梨が振り向くと、アステリオンを持った碧乙が廃道同然の林道から走り出てきた。

 

「結梨ちゃん、お待たせ。うおっ、それが新しいCHARMなの?

SFメカと魔法少女を足して二乗したみたいな感じね。ひょっとして空を飛べたりするの?」

 

「結梨ちゃん自身は飛べないけど、CHARMの一部が分離して、それが脳波コントロールで飛行できるようになっているの」

 

「しかも脳波コントロールできる!フハハ怖かろう――ってやつですか。最高ですね」

「?」

「結梨ちゃん、碧乙の言うことは気にしなくていいわ。たぶん過去の映像作品でよく似た兵器が登場するんでしょう」

 

 ロザリンデは少々あきれた様子で碧乙の戯言を受け流すと、優しく結梨の手を取った。

 

「マギの状態はどんな感じ?CHARMを使えるくらいまで回復してる?」

「まだレアスキルは使えなさそうだけど、軽く動き回るくらいならできると思う」

「もし少しでも変な感じがしたら、無理をせずにすぐにCHARMを停止するのよ」

「うん、分かった」

 

 そうして間もなく、八つあるエインヘリャルのユニットすべてが結梨の体に装着された状態になった。

 

「よし、これで全部のユニットを装備できたわ。さっそくマギビットコアを動かしてみましょう。

ゆりちゃん、頭の中で腰のベースユニットからマギビットコアが分離するイメージを描いて。

脳波がうまくCHARMと同調すれば、ベースユニットとのロックが外れて、マギビットコアのスラスターが作動開始するから」

 

「うーん……」

 結梨が地面を見つめて眉を寄せる。その数秒後にカチッという小さい音がして、ユニットのロックが解除された。

 

 腰に装着した五つのベースユニットからマギビットコアが分離して、地面から数十センチメートルの高さを頼りなげにふらふらと漂っている。

 

 マギビットコア後部のスラスターからは、ビットに推力を供給している青白い噴射炎のようなものが、わずかに見えている。

 

「すごい、浮いてる」

「頭が痛いとか、気持ちが悪いとかは無い?」

「うん、別に変な感じはしてないよ」

 

 ロザリンデの問いかけに、結梨は気負いのない自然な表情で答えた。

 

「こんなに異質なCHARMなのに、すんなり馴染んでるみたいね」

 

 ロザリンデは結梨とエインヘリャルの親和性の高さに感心した様子で、宙に浮くマギビットコアを眺めた。

 

 だが、まだ結梨がエインヘリャルの操作に慣れていないためか、マギビットコアの動きはぎこちない。

 

 五つのビットは相変わらず不規則な動きで結梨の周りを漂っているが、それを見つめる麻嶺は満足げに小さく頷いた。

 

「マギビットコアの方はまずまず問題なさそうね。

今はまだ使い始めで上手くコントロールできないでしょうけど、練習を重ねれば段々スムーズに動かせるようになっていくから」

 

「このCHARMは、どうやってヒュージを攻撃するの?」

 

「いま目の前に浮かんでいるマギビットコアがビームの発射装置を兼ねているの。普通のCHARMはトリガーを指で引けば弾が発射されるけれど、このエインヘリャルは使用者のイメージで装置が作動するわ」

 

「頭で考えるだけで撃てるの?」

 

「そう、体を動かす必要は全くない。マギビットコアの操作は、すべて使用者の脳波で行えるようになっているの」

 

「まさか現実にファンネルが動くのを、この目で見られる日が来ようとは……生きててよかった」

 

「碧乙、ファンネルって何?」

 結梨はきょとんとした顔で碧乙を見ている。

 

「ふふ、後でたっぷり説明してあげるから、楽しみにしていて」

 

「碧乙、あまり自分の趣味に走った知識を押し付けては駄目よ」

 

 以前に一晩中その類の話を碧乙から聞かされ続けた経験のあるロザリンデは、碧乙に釘を刺したが、どこまでそれが効力を発揮するかは甚だ怪しかった。

 

 その会話を隣りで聞いていた麻嶺が、山の方を指さして結梨に指示を出す。

 

「次は、あの崖の中腹にある大きな岩を目標にして、射撃してみてくれる?全力全開で」

 

「思い切り撃っていいの?」

 

「ええ、まず100%の出力で、どれくらいの威力が出るかを確認しましょう。

そこから力をコントロールして、必要に応じて適切な出力で射撃できるように訓練していくの。

と言っても、今はチューニング無しの完全にフラットな設定になってるから、大した威力は出ないかもしれないけど」

 

「どうやって目標を狙ったらいいのかな」

 

「まずビットが目標の方を向くようにイメージして、角度を調整して……そう、そんな感じでいいわ。じゃあ撃ってみて」

 

「えいっ」

 

 結梨が目を閉じて間もなく、エインヘリャルの五つのマギビットコアそれぞれから純白に輝く光線が発射され、200メートルほど離れた直径約15メートルの巨岩に命中した。

 

 その瞬間、五本のビームが直撃した巨岩は瞬時に融解・蒸発して大爆発を起こした。

 

 発生した爆風と衝撃波がたちまち結梨たちのいる場所まで到達し、その場にいた全員が身を守るために慌てて地面に身を伏せた。

 

 爆散した岩石の破片が周辺一帯にばらばらと降り注ぎ、爆発音が何度も周囲の山々に木霊して響き渡る。

 

 しばらくして衝撃が収まり、結梨たちが伏せていた顔を上げると、巨岩のあった場所には直径数十メートルのクレーターのような穴が空き、煙は数百メートルの高度まで立ち昇っていた。

 

「……何これ?さっきのCHARMの攻撃でこうなったの?」

 

 崖の方角を見ながら、茫然とした表情で碧乙がつぶやく。

 

 麻嶺は驚きの表情を隠せずに結梨の顔を見た。

 

「これほどの威力が出るとは予想してなかったわ。

体内のマギをエネルギーとしてエインヘリャルのユニットに伝送する効率が、際立って高くなっているようね。

ゆりちゃん、もしかして、あなた強化リリィなの?」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「このエインヘリャルに限らず、精神直結型である第4世代のCHARMは、第3世代以前のCHARMに比べて、普通のリリィよりも強化リリィの方が適性が高く出る傾向があるの。

いま頭痛がしたり、気持ち悪くなったりはしていない?」

 

「別に変な感じはしないけど……」

 

「それなら、やっぱり強化リリィ並み、あるいはそれ以上の適性があるのは間違いないわ」

 

「この子はちょっとその辺りの事情が特殊なので、あまり突っ込まないでもらえると助かるのだけど」

 

 ロザリンデが二人の会話に割り込む形で、麻嶺の発言にストップをかけた。

 

「分かりました。そういうことなら、使用者に起因する理由をこれ以上考えるのは止めておきます。

それに、このレベルのCHARMをデフォルトの設定で問題なく使えているのなら、大幅なチューニングは必要ないでしょうし」

 

 麻嶺はあっさりと言って、それ以上の原因追究を中止した。

 

 その時、碧乙の通信端末が振動し、誰かが連絡を取ってきたことを示した。

 

 碧乙が制服のポケットから端末を出して通話を開始すると、史房の上ずった声が結梨やロザリンデの耳にまで聞こえてきた。

 

「ちょっと、あなたたち一体何をしでかしたの?

物凄い爆発音が生徒会室まで聞こえてきたわよ。

裏山の方からキノコ雲みたいな煙も上がってるし、まさかCHARMのテスト中にヒュージが出現してノインヴェルト戦術を使ったの?」

 

「いえ、結梨ちゃんが新しいCHARMの試射をしただけで、それが少しばかり威力が強すぎたようです。ご心配には及びません。

このエインヘリャルが量産の暁には、ギガント級なぞあっという間に叩いてみせますよ」

 

「――今、エインヘリャルって言った?本当にあのエインヘリャルを使ったの?

とにかく、すぐに今いる場所から離れなさい。

どこからどんな野次馬が集まってくるか分かったものではないわ」

 

「分かりました。ただちに撤収します」

 

 碧乙が史房との通話を終えて結梨たちの方を見ると、既に結梨はCHARMのOSをシャットダウンして、体からユニットを外しているところだった。

 

「CHARMを外し終わったら、車に戻ってガーデンに向かいましょう。

隠し通路から特別寮地下の駐車場に入るわ。

麻嶺さん、連れ回してすみませんが、その後で駅までお送りします」

 

 一礼するロザリンデに対して、麻嶺は小気味の良い微笑を浮かべて返答する。

 

「気になさらなくて構いませんよ。今日はこのエインヘリャルの思っていた以上の性能を見ることができて幸運でした。

 この状態のままでも充分に実戦に耐えると思いますが、いずれ機会を見つけて、少しずつチューニングを進めて行きましょう」

 

 百合ヶ丘のガーデンへ戻る途中の車中で、麻嶺はエインヘリャルのメンテナンスについて説明を始めた。

 

「この機体は基本的な整備や軽修理なら、百由レベルのアーセナルじゃなくても標準的な能力のアーセナルなら誰でも出来るように、極力シンプルな構造にしてあります。

 整備マニュアルはケースの中に同梱してありますので、後で確認しておいてください。

もちろんオーバーホールや脳波コントロールに関係する部分の重修理は無理だから、そのレベルの整備が必要になった時は、天津重工に現物を送ってください。

整備期間中は代品の機体をそちらに送るので、別のCHARMを使う必要はありません」

 

「それは助かります。私たちのレギオンのCHARMは、特定のアーセナルにしか整備を任せることを許可されていませんので」

 

 特務レギオンの作戦は極めて機密性が高い。そのため、その戦闘データが記録されているCHARMの整備は、ガーデンが指定した専任のアーセナルが担当している。

 

 現時点では百由は結梨の生存情報を開示されていない。

 この機体が百由でないと整備できない難易度であれば、頭を悩ませなければならないところだったのだ。

 

「今日はありがとう、麻嶺。このCHARMでうまく戦えるように頑張るよ」

 

「さっき見た限りでは、毎日訓練すれば1ヶ月もかからずに実戦でヒュージと戦えるんじゃないかと感じたわ。

ただし、近接戦闘ではサブユニットのビームブレードひとつだけしか武器が無いから、懐に入り込まれないように気を付けてね。

ロザリンデさん、くれぐれもその点はサポートが行き届くようによろしくお願いします」

 

「分かりました。戦闘時には必ず直掩のリリィを随伴させるようにします」

 

 やがて車は特別寮の地下にある駐車場に到着した。

 結梨と碧乙はドアを開けて降車し、車内に残っている麻嶺に結梨が声をかける。

 

「またね、麻嶺。いつか私も麻嶺のガーデンに行ってみたいな」

 

「アールヴヘイムが一緒に戦ってくれたおかげで、佐渡のヒュージネストも討滅できたことだし、外出許可を取ってぜひ一度来てちょうだい」

 

 別れの挨拶を終えた麻嶺を助手席に乗せて、ロザリンデの運転で車が走り出す。

 それを見送った後で、碧乙は結梨の肩を抱いて不敵な笑みを浮かべた。

 

「さて、それじゃあこのエインヘリャルを使って、あの洞窟をどう攻略するか、じっくりと作戦を考えましょうか」

 

 




 今回、麻嶺様が持ってきたエインヘリャルは、2冊目の小説版に登場する機体を改良したものとして設定しています。
 どうしてもエインヘリャルを装備した結梨ちゃんを描きたかったので、かなり強引な形で実現させました。
 ただ、小説版のエインヘリャルをそのまま使用するのは危険すぎるので、麻嶺様が大幅に改良するという形で導入しました。
 また、小説とアニメは別の世界線であるという認識が一般的なようなので、エインヘリャルに関する過去のトラブルについては、個人名を出さずにぼかした表現にしてあります。
 この点については、後で記述を変更または削除するかもしれません。


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第11話 江ノ島探索任務(6)

 

 最初の探索任務から二週間後、結梨たちは再び江ノ島の南側海岸に立っていた。

 

 海はあの日と何も変わらず、平らな岩場に緩やかに波が打ち寄せている。

 

 まだ朝日は水平線の下にあり、周囲はようやくわずかに薄明るくなってきたところだった。

 

 「日の出を待って洞窟の探索を開始します。洞窟に入る者は装備の最終確認、それ以外の者は洞窟周辺の哨戒任務にあたるように」

 

 前回の作戦に加わらなかったロスヴァイセの六人のリリィたちが、哨戒につくため、ロザリンデの指示に従ってそれぞれの持ち場へ散っていく。

 既に島の地形は隅々まで各自の頭に入っている。

 

 結梨たち前回参加組の四人は、洞窟へ向かう前に各々の装備と戦術の最終的な確認を始める。

 

 四人のうち、碧乙と結梨は少し離れた場所で、洞窟内での戦闘時のコンビネーションについて打ち合わせをしている。

 

 その頭上には、作戦開始前の慣らし運転なのか、五つのマギビットコアがゆっくりと旋回している。

 

 ロザリンデと伊紀はその様子を見ながら、結梨の装備しているエインヘリャルについて思うところを口にしていた。

 

「ロザリンデ様、結梨ちゃんはエインヘリャルの操作には、もうすっかり慣れたみたいですね」

 

「ええ、あれから毎日私と一緒に訓練して、ビットのコントロールとビームの出力制御、どちらも実戦で使えるレベルまで慣熟できているわ」

 

「洞窟の中であの飛行ユニット――マギビットコアを使って攻撃するんですよね」

 

「もちろん。前回と同じタイプのヒュージがいた場合、私が先頭でシャルルマーニュを使って防御に徹するから、結梨ちゃんは私の後ろからビットでヒュージを撃つ。

碧乙にはファンタズムで結梨ちゃんの攻撃を補佐してもらうわ。

今あそこで二人が打ち合わせているのは、その最終的な擦り合わせね」

 

「すごいですね。でも、何のチューニングも無しに、あれほど高度な脳波コントロールのシステムをそのまま操れるなんて、そんなことが本当にありえるんですか」

 

「これは結梨ちゃんには話さないでほしいのだけど」と前置きした上で、ロザリンデは自分の考えた推論を伊紀に説明し始めた。

 

「以前、結梨ちゃんの捕縛命令が出た時に百由さんが調査した結果では、結梨ちゃんの遺伝子情報は不自然なくらい余りにも平均的だと報告されていたわ。

もしかしたらヒュージの幹細胞から結梨ちゃんの身体を培養する時に、最大限の安定性を確保するために、G.E.H.E.N.A.の研究者がそのような遺伝子操作を行ったのかもしれない。

その結果、きわめてフラットに初期設定されたエインヘリャルの脳波コントロールシステムに、偶然にもぴったり適合した……とは考えられないかしら」

 

 結梨にとってG.E.H.E.N.A.が生みの親であることは否定できない事実だ。

 

 しかし、生みの親がG.E.H.E.N.A.であっても、記憶を持たない彼女を育てたのは一柳梨璃であり、百合ヶ丘女学院のリリィたちだ。

 

 ロザリンデは、G.E.H.E.N.A.から生まれた存在であることに結梨が囚われて、結梨自身の人生を生きづらいものにしてほしくなかった。

 

 だから必要以上に結梨の存在とG.E.H.E.N.A.を結び付けて考えさせてしまうようなことは、結梨に聞かせたくなかったのだ。

 

「あるいは強化リリィと同じく、人工的にヒュージの力を付加されたリリィの脳波は、一般的なリリィよりも第4世代の精神直結型CHARMに馴染みやすいのかもしれません。

麻嶺様の話を拡大解釈すると、そういうことも充分考えられると思います。

どちらにしても結梨ちゃんの耳に入れたくはない話ですね」

 

 ロザリンデの示した推論に対して、伊紀は別の可能性を口にしたが、それもやはり結梨に聞かせたい内容ではなかった。

 

「私たちのように似ても焼いても食えない開き直った強化リリィとは違って、結梨ちゃんは繊細で傷つきやすい女の子だから、その辺りは充分に配慮しないとね」

 

「似ても焼いても食えない側に、私も入れられてるんですね……」

 

 伊紀はロザリンデの発言に少なからず異議申し立てをしたげな様子だったが、その事については置いておき、ロザリンデの手に握られているCHARMに視線を落とした。

 

 それに気づいたロザリンデは、

「そう言えば、このシャルルマーニュ、すぐ私の手元に届いたのだけど、やはり楓さんが根回しをしてくれたの?」

 と、右手に持った真新しいシャルルマーニュを目の高さまで上げて、伊紀に尋ねた。

 

「はい、前回任務の翌日に私が楓さんに相談したところ、二つ返事で快く引き受けて下さいました」

 

 椿組の教室までやって来た伊紀の前で、楓は次のように事も無げに言ってのけた。

 

 

 

『構いませんわ。CHARMの一つや二つ無償提供したくらいで、グランギニョルの経営が傾くわけではありませんもの。

すぐにお父様に連絡して手配してもらいます。

それに特務レギオンのあなたが直々に依頼してくるということは、G.E.H.E.N.A.絡みの作戦にシャルルマーニュが必要なのでしょう?

あの連中の事は私もいい加減腹に据えかねていますので、あなたたちの手助けができるのなら、お安い御用ですわ』

 

 

 

「さすがに世界規模のCHARMメーカーの御令嬢ともなると、出来ることの次元が違ってくるのね。

エインヘリャルも天津重工から百合ヶ丘女学院への完成サンプル寄贈という形で、やはり内々に無償提供されたし、CHARMメーカー恐るべしね」

 

 そう言ってロザリンデはシャルルマーニュを軽く一振りした。

 

「あ、碧乙様と結梨ちゃんの打ち合わせが終わったみたいですね」

 

 伊紀の見ている方をロザリンデが振り向くと、結梨と碧乙が並んで二人の方へ歩み寄ってこようとしているところだった。

 

 その後ろからエインヘリャルの五つのビットが、二人を追うように空中を飛んで来る。

 

 そして鳥が木の枝に停まるような滑らかさで、ビットは結梨の腰に装着されているベースユニットに次々と収まった。

 

 伊紀はその様子を感心した表情で眺めていた。

 

「もうすっかり自分のものにしてしまったみたいですね。

問題はヒュージがまだ洞窟内に存在しているとして、こちらの予想通り動いてくれるかどうかですが」

 

「前回と同種のヒュージなら、個体が違っても同じ反応をする可能性が高いと考えていいわ。

もし違う行動を取ったとしても、今度は装備も人員も十分な量を確保している。

最悪の場合、ヒュージがマギ切れを起こすまで持久戦を継続しても構わない。

無論、そうならないことを願うけれど」

 

「碧乙様と結梨ちゃんの連携は――」

 

「攻撃の確実性を高めるために、碧乙のファンタズムで結梨ちゃんの射撃タイミングと目標の座標を正確に誘導してもらうわ。

結梨ちゃんが私の後ろにいると、直接ヒュージを目視できないから。

ヒュージがエネルギー弾を撃っている間は、敵の防御はお留守になる。

私が先頭でシャルルマーニュを使って防御に徹するから、結梨ちゃんは私の後ろからエインヘリャルのビットを操ってヒュージを撃つ。

もし攻撃に失敗してヒュージが洞窟の外へ出てきたら、レギオンの全員で包囲して群狼戦術で攻撃、最終的にノインヴェルト戦術へ移行。でも――」

 

「できる限りヒュージが自由に動き回れない洞窟の中で勝負をつける、ですね」

 

「そう。洞窟の外で取り逃がした場合、視界の利かない森の中に潜まれると厄介なことになるから」

 

 ロザリンデが伊紀にそこまで説明した時、結梨と碧乙が二人のすぐ隣りまで来ていた。

 

「結梨ちゃん、もうエインヘリャルは思い通りに動かせるようになったみたいですね」

 

「うん、毎日一生懸命練習したんだよ。

『鍛錬あるのみです。血反吐を吐くまで頑張りましょう』って、前にエレンスゲで一葉が言ってたから、私もそのくらい頑張らないといけないと思って。

でも、まだ血反吐は吐いたことないから、私の頑張りが足りないのかな……」

 

「血反吐、ですか……」

 

 無邪気な顔で物騒な言葉を口にする結梨に、伊紀は思わず絶句する。

 

「一体どんな指導をしているの、あのガーデンは……」

 

 ロザリンデは頭痛を覚えたかのように、額に手を当ててため息をついた。

 

「碧乙、アーセナルの子は、もうエインヘリャルの整備には慣れたの?」

 

「はい、お姉様。整備を開始した初日は絶望の余り床に突っ伏して号泣していたのが、昨日は半泣きのレベルでしたから、何とか物になりそうです」

 

「それは一安心していいものなんでしょうか……確かに整備自体はきちんと出来ているみたいですが」

 

 一抹の不安を覚えた表情で、伊紀は結梨の身体に装着されているエインヘリャルを見た。

 

「整備が終わったエインヘリャルを受け取りに行くたびに、泣き言を聞かされてきたから、始めはどうなることかと思ったけどね」

 

 碧乙は結梨の代わりに、ケースに入ったエインヘリャルを工廠科の専属アーセナルに届けるのが日課のようになっていた。

 

 整備を開始した当初、碧乙とアーセナルのやり取りは以下のようなものだった。

 

 

 

 

 

 

『調子はどう?エインヘリャルは問題なく整備できてる?』

 

 碧乙の呼びかけに、まだあどけなさを残した顔立ちのアーセナルが、目に涙を浮かべて答える。

 

『こんなの無理ですよぅ。いつも整備してるCHARMと全然違うじゃないですかぁ。

アステリオンは2機ともブレードの全交換だけで済んだのに。

ユニット一つに四つも五つも付いてるスラスターを一つずつメンテするなんて、日が暮れちゃいますよ。

いえ、日が暮れるどころか、既に毎日徹夜に近い生活なんですけど』

 

『麻嶺さんは標準レベルのアーセナルなら誰でも整備できるって言ってたわよ。

整備マニュアルも手元にあるし、できないわけないわ』

 

『麻嶺様や百由様は正真正銘の天才だから、簡単にそんなこと言うんです。

天才には凡人のレベルがどれくらいのものか分かってないんですよ』

 

『これも天才に近づくためのスキルアップの一環だと思って、頑張ってみなさい。精進あるのみよ』

 

『うぅ、鬼だ……特務レギオンの専属アーセナルなんて引き受けるんじゃなかった……

前任のアーセナルが引き継ぎの時に妙に晴れ晴れとした表情だったのは、こういうことだったんですね』

 

『まあ、前の人は伊紀のアステリオンにB型兵装を組み込む時に、かなり無理をさせてしまったからね。

普通は特注仕様のCHARMを用意するのが当たり前だけど、あの時はノーマル仕様のアステリオンを強引に改造してB型兵装を取り付けられるようにしたから。

たぶん途中で何度か血反吐を吐いたんじゃないかしら』

 

『ちへど……ちへどですか……』

 

『あなたも1年生で特務レギオンの専属アーセナルに任命されたんだから、それにふさわしい能力の持ち主だとガーデンが判断したのよ。自信を持ちなさい』

 

『そんなこと言って、本当は特務レギオンの専属アーセナルがブラック環境すぎて、上級生が逃げ回ってるだけなんじゃないんですか?』

 

『……それは邪推よ。歪んだレンズには歪んだ像しか映ってないのよ』

 

『どうして後ろめたそうに目を反らしながら言うんですか』

 

『とにかく、今エインヘリャルの整備を任せられるのは、あなたしかいないんだから、血反吐を吐いてでもよろしく頼むわよ。それじゃ』

 

『鬼。悪魔。人でなし。訴えてやるぅ』

 

 後ろで恨み言を口走るアーセナルを置き去りにして、碧乙は工廠科の校舎を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「……そんなわけで、いたいけな1年生アーセナルの尊い犠牲のもとに整備されているこのエインヘリャルで、必ずあの洞窟を攻略しなければならないのよ、結梨ちゃん」

 

「うん、頑張ってヒュージをやっつける。血反吐を吐くまで整備してくれるアーセナルのために」

 

 またしても無邪気な笑顔で頷く結梨。

 

「アーセナルに血反吐を吐かせるのも、正直どうかと思いますが……今度差し入れでも持って行ってあげましょうか」

 

 ため息まじりに伊紀がアーセナルを気遣う発言をした時、朝日が水平線の上に現れ、オレンジ色の太陽光線が周囲を照らし出した。

 

「そろそろね。伊紀は哨戒に出ている六人に、洞窟の入口付近に集合するよう連絡を」

 

「はい、ロザリンデ様。了解しました」

 

「全員が揃い次第、私たち四人は洞窟への進入を開始。

内部にヒュージがいた場合は排除した上で、最奥部まで探索を続けるわ」

 

「ところで、このヒュージサーチャー、使うのは私でいいんですか。

結梨ちゃんはエインヘリャルの頭部ユニットを着けているから無理ですが」

 

 通信端末をトランシーバーモードにして集合の連絡を始めかけた伊紀は、見慣れた猫耳型の髪飾りを手に取って碧乙に確認した。

 

「その猫耳を上級生が着けるのは羞恥プレイでしょ。他のガーデンだって、着けてるのは1年生ばかりじゃない」

 

「『御前』は着けてたけど……」

 結梨が控えめな口調で碧乙に突っ込みを入れる。

 

「あいつは頭のネジが何本か吹っ飛んで無くなってるタイプだから、議論の対象外よ。

まかり間違って私やお姉様がこれを着けている姿を週刊リリィ新聞にでもすっぱ抜かれた日には、しばらく教室に顔を出せないわ」

 

「分かりました。では私が装着させていただきます。――皆さん、哨戒を中断して洞窟の前に集合してください」

 

 伊紀が哨戒に出ていた六人のリリィに連絡を取り、やがて結梨を含めて十人のリリィが洞窟の入口に集まった。

 

「水蓮さんたち六人は、ヒュージが外に出てきた場合に備えてここで待機。

私たち四人は前回と同じく洞窟の中を最奥部まで探索する。

何か質問はある?」

 

 ロザリンデの確認に、1年生の小野木瑳都が手を挙げた。

 

「もしケイブ発生装置が洞窟の中にあった場合は、その後どうするんですか?」

 

「私たちがいきなり装置を操作することはできないから、その場に装置があったことを確認して、ガーデンに報告するまでが私たちの任務になるわ。

その後の対応については理事会と生徒会の判断次第だけど、おそらくは解析科と工廠科に調査を引き継ぐことになると思われるわ」

 

「分かりました。中にヒュージがいたら、ぶちのめして一番奥まで探検するわけですね。単純明快で実に結構な話です」

 

「そういうこと。ではそろそろ中に入りましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 ロザリンデ、結梨、碧乙、伊紀の順で、四人が洞窟の中へと入って行く。

 今回はヘッドライトの代わりに軍用の暗視装置を全員が装備している。

 

 暗闇の中で慎重に歩を進めること数分、伊紀が前を進む三人に小声で呼びかける。

 

「ヒュージサーチャーに感有り。洞窟内のため数は判別できませんが、やはりこの先に潜んでいるようです」

 

「このままの速度で前進して、ヒュージから仕掛けてくるのを待つ。

その後は予定通りの作戦行動に入る。結梨ちゃん、碧乙、よろしくね」

 

「うん、練習通りやってみせる」

 

「テレパスで送られてくるイメージに合わせるだけでいいから、難しく考えないでいいわよ。今度はこっちが目に物見せてやるわ」

 

 そこから十歩も進まない内に、ロザリンデが足を止めた。

 前方数十メートルの所に、前回遭遇した時と同じヒュージのシルエットが、暗視装置の緑色の視界に浮かび上がった。

 

 ロザリンデはシャルルマーニュを持っていない左手で、後ろにいる結梨たちに合図する。

 結梨はそれを見て、エインヘリャルのマギビットコアを二つだけ分離させ、洞窟の左右の地面すれすれに配置した。

 

「向こうもこちらに気づいたようね。この後の展開はおそらく――」

 

 前方で閃光がひらめき、ヒュージがエネルギー弾を発射する。

 その攻撃を待ち構えていたロザリンデは、シャルルマーニュで防御しながらゆっくりと後退を始めた。

 後ろの三人もロザリンデに歩調を合わせて後退する。

 

 ヒュージはエネルギー弾による射撃を継続しつつ、後退するロザリンデたちを追いかけるために前進を開始した。

 

 結梨は二つのマギビットコアをその場に固定したまま、自身は隊列に合わせて洞窟の入口方向へと下がって行く。

 

 前進するヒュージと位置を固定されたマギビットコアの間の距離は、次第に縮まっていく。

 

 その距離が10メートルほどにまで縮まった時、結梨の頭の中に発射のタイミングと照準の座標がテレパスで流れ込んできた。

 それが碧乙のファンタズムによる合図だった。

 

(撃って)

 

 次の瞬間、二つのマギビットコアがわずかに向きを変えると同時に、左右からヒュージの中心をめがけてビームが発射された。

 

 ロザリンデに向かってエネルギー弾を連射していたヒュージは、攻撃に対して全く無防備な状態になっていた。

 

 その発射口にマギビットコアの二本のビームが直撃し、ヒュージの体を貫通して洞窟の天井まで届いた。

 

 ビームの出力は先日の試射と違って正確に制御されていたため、天井が崩落するようなことは起こらなかった。

 

 ビームの直撃を受けたヒュージは動きを止め、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。

 

 その姿は、紛れも無く前回と同じルンペルシュティルツヒェンに似た個体だった。

 

 ロザリンデはまだ注意深くシャルルマーニュを構え続け、警戒を解いてはいない。

 

「ヒュージサーチャーの反応が消えました。目標ヒュージの排除完了を確認しました」

 

 伊紀の声が後ろから聞こえてきて、ようやくロザリンデはシャルルマーニュを下ろして一息ついた。

 

「この間、あんなに苦労して倒したヒュージと同じ種類とは思えないほど、あっさり倒せましたね」

 

 碧乙が拍子抜けした顔で言うと、ロザリンデが先ほどの戦闘について説明する。

 

「自由に動き回れない相手の注意を一点に向けさせ、こちらが別方向から虚を突いたり不意打ちできれば、一方的に攻撃を成功させることができる。

今回は一本道の狭い洞窟とエインヘリャルの遠隔攻撃という条件を利用できたから、上手くいったのよ」

 

 そしてロザリンデは碧乙のすぐ後ろにいる伊紀に向かって確認する。

 

「伊紀、もうヒュージサーチャーに反応は無いのね」

 

「はい。この洞窟内のヒュージは、今倒した個体で最後だったようです」

 

「念のために、引き続き私が先頭で進むわ。このまま最奥部まで行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 一行はヒュージの死骸の横を通り過ぎて歩き続け、やがて洞窟の突き当りに到達した。

 

「これか……」

 

 突き当りと左右の壁面に沿うように、大型のコンソールが複数台設置されている。

 

 装置の背面からは何本かの太いケーブルが出ていて、洞窟の壁に開けられた穴の中へ通されている。

 

「いかにも、って感じですね。このケーブルは電源の供給と通信用でしょうか」

 

「おそらくは。でも今は通電されていないし、このままでは装置を動かすことはできそうにないわ」

 

 ロザリンデたちが発見した装置は、筐体のカバーが開けられている箇所が存在した。

 

 その中をのぞき込むと、制御基板や電装部品の一部が取り外されていて、装置は使用できない状態になっていた。

 

 それを見た碧乙は特に驚く様子も無く、両肩をすくめて苦笑した。

 

「まあ、放棄する設備をそのままの状態で残していくわけありませんよね。

作動しないことには、これがケイブ発生装置かどうかも確認できないわけですし。

やっぱり実際に装置を動かしている現場を押さえないと、決定的な証拠にはならなさそうですね」

 

「たとえ不完全な形であっても、物的証拠になりうるものを発見できたこと自体は、一歩前進には違いないし、全くの無駄足だったわけではないわ。

装置を破壊しなかったのは、これを再び使用する可能性を見越してのことでしょう。

必要とあればいつでも部品を戻してケイブを発生させ、百合ヶ丘を攻撃できるようにしておくために。

それをさせないためにも、G.E.H.E.N.A.が気付かないうちに、この装置を百合ヶ丘へ運び出してしまう必要がある」

 

「今回の私たちの任務は、ひとまずここまでということですか」

 

 伊紀は肩の荷が下りた安堵感を覚えながら、ロザリンデの顔を見た。

 

「ええ。私たちはガーデンに装置発見の報告をして、その後の搬出と分析については解析科と工廠科に引き継ぐことになるでしょう。

場合によっては防衛軍の電子装備研究所と協力して調査を進めることもあるかもしれない」

 

「でも、現時点で誰の物かも分からない物を、勝手に持ち出していいんでしょうか?」

 

「これを置いて行ったのがG.E.H.E.N.A.かどうかは、まだ分からないんだよね?」

 

 それを聞いた碧乙は顔をしかめて、伊紀と結梨に諭すように話し始めた。

 

「またそんなお行儀の良いことを。よく聞きなさい、伊紀、結梨ちゃん。

こんな物騒なヒュージのいる洞窟のドン詰まりに正体不明の装置が置いてあるのよ。

しかもここは橋が封鎖された無人の江ノ島。どう考えてもまともな代物じゃないわ。

G.E.H.E.N.A.だって、『これは自分たちの所有物だから返せ』なんて名乗りを上げるわけにはいかないでしょう。

そんな事をしたら墓穴を掘るにも程があるってものよ」

 

 碧乙の発言を補足するようにロザリンデが説明を続ける。

 

「所有者の看板が立っているわけでもないし、搬出の是非についてはガーデンが決めることだから、私たちが気にする必要は無いわ。

報告用の資料として使う写真を撮り終わったら、速やかに洞窟の外に出て帰還の準備を始めましょう」

 

「賛成です。こんな暗くて狭苦しい所には長居したくありません」

 

 

 

 

 

 

 写真を撮り終えたロザリンデたちが洞窟から出てきた時、太陽は既に高く昇り、待機組の六人が入口の周りに散開して、状況の推移を見守っているところだった。

 

「お待たせ、首尾は上々よ。不完全な状態だったけど装置の存在は確認できたわ。

これからガーデンに帰投して報告を上げるから、ボートを出す準備をして」

 

「了解しました。すぐに出航の用意を始めます。みんな、行きましょう」

 

 2年生の大島水蓮の指示で、待機組のリリィたちはボートを係留している海岸へ向かって駆け出していく。

 

 ロザリンデたち探索組の四人は、屋外で不要となった暗視装置を外し、海上に不審な船影やヒュージの姿が無いか目視で確認をする。

 

「海上には特に変化は無いようね」

 

「ヒュージサーチャーにも反応はありません」

 

「では、私たちもボートに向かいましょう」

 

 数分後に、十人のリリィを乗せた暗灰色の軍用ボートが海岸を離れ、江ノ島の沖に出た。

 

 空は雲一つ無い快晴で、先ほどまでの暗闇の中での探索とは対照的な景色が広がっている。

 

「前回と違って、今回は予想外の深刻な問題が起こらなくて助かりましたね。

これでしばらくは大きな問題が発生しなければいいですけど」

 

「伊紀、フラグを立てるのは止めておきなさい。

そんなことを言ってると、舌の根の乾かぬうちに碌でもない問題が勃発するに決まってるじゃない」

 

「そんな、考えすぎですよ。今は由比ヶ浜のヒュージネストも無くなったし、洞窟で見つけた装置も、すぐにガーデンが対応してくれます。

そうそう大きな問題が起きるとは思えませんが……」

 

「だといいけどね」

 

 数十分後にボートが由比ヶ浜の外れの海岸に近づくと、そこに一人の人影が見えた。

 

 砂浜に立って、誰かがこちらを見つめているようだ。

 

 一瞬、ボート上の全員に緊張が走ったが、その人影は出江史房のものであると分かり、警戒を解いて肩の力を抜いた。

 

「史房様なら作戦内容の詳細をご存知なので、この場所にボートが接岸することも分かっておられます。特に気にするようなことではないかと」

 

「いや、史房様がわざわざ私たちの帰りを待ち構えてるってことは、きっと何か無理難題を吹っかけてくるに違いないわ」

 

 碧乙の予感が杞憂であることを伊紀が願っているうちにボートは砂浜に接岸し、結梨が真っ先にボートから砂浜に飛び降りた。

 

「史房、私たち、ヒュージをやっつけて洞窟の奥で機械も見つけたよ。

これでG.E.H.E.N.A.がヒュージを使って百合ヶ丘を襲うのは出来なくなるんだよね」

 

 自信満々で成果を報告する結梨に、史房は結梨の手を握ってねぎらいの言葉を掛ける。

 

「ご苦労様、結梨さん。百合ヶ丘についてはこれで一安心できそうね。

――でも、それとは別に困ったことが起きてしまったの」

 

 そら来た、と言わんばかりの表情で碧乙が伊紀をじろりと見る。

 

「あの、史房様、その困ったこととは一体――」

 

 おずおずと伊紀が史房に質問すると、史房は一同を見回した後、はっきりと宣言するように言葉を発した。

 

「今しがた、東京のエリアディフェンスが崩壊したという情報がガーデンに入ったわ。

あなたたち特務レギオンのリリィにも、特別に外征の直命が出される予定よ」

 

 

 

 




 投稿後に読み返してみると、アーセナルの1年生が気の毒に思えてきたので、後で何かフォローというか埋め合わせの描写をするかもしれません。

 現在は半泣きレベルまで腕が上達している設定なので、文中の描写よりは大幅にストレスは減っているものとお考え下さい……

 次のエピソードでは、ラスバレメインストーリーの裏側で、結梨ちゃんとロスヴァイセが色々と暗躍(?)します。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(1)

 まるごと会議回です。
 ラスバレメインストーリーの裏側でこんなことがあったかもしれない、くらいのつもりで書いています。
 なので、ガチ考察的な内容としては読まないでください。
 なお、後半部分でルド女舞台のネタバレ(?)らしき内容がありますので、ご注意ください。


 

 特別寮のロスヴァイセ専用ミーティングルーム、その室内には、百合ヶ丘に帰投したロザリンデ、碧乙、伊紀、結梨、それに理事長代行の高松咬月、生徒会長の出江史房、秦祀、内田眞悠理の八名が集合していた。

 

「江ノ島の洞窟でケイブ発生装置の可能性がある機器を発見したとの報告を、先ほど出江君から聞いた。

これについては、速やかに現地から百合ヶ丘へ当該の機器を移動し、ガーデン内にて分析を行う。

報告では重要部品に欠品があり、作動不可とのことだが、出来る限り機能を復元することを目指す。

この件に関しては、ロスヴァイセに課せられた任務は現時点を持って完了とする。

以後は解析科と工廠科による分析の結果待ちとなる。

ご苦労だった、ゆっくり休んでくれと言いたいところだが――」

 

 そこで咬月は一旦言葉を切り、斜め向かいのソファーに座っている史房の顔を一度見た。

 

「あいにく、休む間もなく次の任務を君たちに告げなくてはならなくなってしまった。

出江君、君から説明してもらえるかね?」

 

「はい、ガーデンに戻るまでに簡単に事情は話しましたが、改めて状況を説明させていただきます」

 

 そう言って史房は東京で発生した「エリアディフェンスの崩壊」について説明を始めた。

 その内容は以下のようなものだった。

 

 今から数十分前に、新宿の都庁に設置されているエリアディフェンスシステムの基幹設備が突如「爆発的事象」を起こし、機能を停止した。

 

 現時点では「爆発的事象」の原因は不明、まだ現場からの報告は入っていない。

 

 そして、エリアディフェンスの機能停止によってケイブの発生を抑制できなくなったため、都内にはヒュージが至る所で出現を始めている。

 

 しかし、東京および鎌倉府の主要ガーデンの外征レギオンは、そのほとんどが他地域への外征に出撃中であり、それらのレギオンをただちに呼び戻すことは困難な状況にある。

 

 エリアディフェンス崩壊時点で機動的な作戦行動が可能なレギオンは、西東京防衛構想の会議に出席するため新宿にいた一柳隊、ヘルヴォル、グラン・エプレの3レギオンのみ。

 

 それ以外のレギオンは、各所属ガーデン周辺のヒュージ迎撃に手一杯で、広範な部隊展開が出来ない状態にある。

 

 臨時に編成された統合司令部からは、以上の事情を踏まえ、支援戦力として出撃可能なレギオンの派遣要請が百合ヶ丘に来ている。

 

「……で、私たちロスヴァイセにお呼びが掛かったというわけですか。

しかし、どうして世界に冠たる百合ヶ丘女学院の外征レギオン群が、よりによってこのタイミングで空っぽになってるんですか?」

 

 ロザリンデ、伊紀とともにソファーに腰掛けた碧乙は不満たっぷりの表情で、少し離れたソファーに座っている史房に嫌味っぽく問いかけた。

 

  アールヴヘイム、ローエングリン、レギンレイヴ、サングリーズル。

 

 いずれのレギオンも遠隔地への外征に出撃中で、すぐに東京へ向かうことは出来ない状態にあった。

 

 史房は碧乙の嫌味を気にする様子も無く、涼しげな顔で碧乙の疑問に答えようとした。

 

 もっとも、それが内心の動揺を隠し、平静を装ったものでない保証は無かったが。

 

「由比ヶ浜ネストが討滅されて、このガーデンにSSSクラスのレギオンを常駐させておく必然性が無くなったからよ。

散発的に発生するケイブから現れるヒュージに対応するだけなら、そこまでの戦力は必要無いわ」

 

「しかし、SSクラスのレギオンなら、ロスヴァイセでなくとも他に幾らもあるでしょうに。

他のレギオンではなく、私たちが選ばれた何がしかの理由があるんですね?」

 

「そう。さっき説明したように、鎌倉府の他のガーデンや東京のガーデンでも、主要な外征レギオンはほとんど他地域に外征中という連絡が臨時統合司令部から入っているの。

御台場女学校、イルマ女子美術高校、聖メルクリウスインターナショナルスクール、どこも百合ヶ丘と似たり寄ったりの状況よ。

ルドビコ女学院については、別の事情で戦力は期待できないし」

 

「確率としては全くあり得ないことではないけど、それにしても間の悪い事この上ないわね……なんて答えを期待しているわけではないのでしょう?史房さん」

 

 そう言って、ロザリンデは意味ありげな視線を史房に送る。

 

「お察しの通りよ。それぞれが非常に低い確率でしか起こりえない二つの状況、それらが同時に発生する確率は限りなくゼロに近い。

現在の状況が自然に発生したものであると考えるのは、それこそ余りにも不自然だと言えるわ」

 

「つまり今のこの状況は、人為的に仕組まれたものだということですね」

 

 その結論を口にしたのは、碧乙の隣りに座っている伊紀だった。

 

「ええ。単なる事故が元でエリアディフェンスが機能停止したのなら、対ヒュージ戦闘を任務とする通常のレギオンを派遣するのが適当よ。

でも、そうではなく何者かがこの状況を作り出し、何かの目的に利用しようとしているのであれば、そういうわけにはいかないわ」

 

「回りくどい言い方はお止め下さい、史房様」

 

 それまで黙っていた眞悠理が、ぽつりと囁くように史房に言った。

 

「今の日本でこんな大掛かりな企み事、いえ、計画的テロに等しい事を実行できるのはG.E.H.E.N.A.以外に存在しません。

全国各地にヒュージを同時多発的に大挙出現させて、主要ガーデンの外征レギオンを残らずそちらに振り向けさせる。

その上で、首都のエリアディフェンス設備の破壊を計画するなんて、一朝一夕に出来ることではありません。

おそらく相当入念に時間をかけて準備してきたのでしょう。

奴らは手薄になった都内に無差別にヒュージを出現させ、何らかの『実験』と呼ぶべきものを行おうとしているはずです。

これまでにも、東京では不自然なヒュージの出現がたびたび確認されていると聞きます。

その現象にG.E.H.E.N.A.が関与しているのは、百合ヶ丘のガーデンでも把握しているのではないですか?」

 

 眞悠理はソファーの肘掛けに左肘をつき、足を組んだ不遜な姿勢で咬月を見やる。

 

 咬月は目を閉じて一つ息をつくと、正面から眞悠理を見据えて重い口を開いた。

 

「断定はできないが、これまでに防衛軍から寄せられた情報として、ギガント級を含む大規模なヒュージ群との戦闘が発生した際、その上空にG.E.H.E.N.A.の救命輸送機が飛行しているのが複数回目撃されている。

通常の治療では救命不可能な致命傷を負ったリリィをG.E.H.E.N.A.ラボへ搬送し、強化処置を施して蘇生させるということが頻繁に行われているようだ。

それ自体はリリィの命を救うための止むをえない措置だと考えることもできるが――」

 

「意図的に強力なヒュージとリリィを戦わせ、致命傷を負ったリリィを強化リリィへと作り変える。

こうすれば合法的かつ本人の承諾なしに、強化リリィを『生産』できるというわけですね」

 

 眉間にしわを寄せて、苦々しげに吐き捨てるように、眞悠理は咬月の言葉を引き継いだ。

 

「ロザリンデ、G.E.H.E.N.A.は東京で何をしようとしてるの?」

 

 二人掛けのソファーに祀と並んで座っている結梨は、憂いを帯びた瞳でロザリンデの顔を見て問いかけた。

 

「そうね……一つには眞悠理さんと理事長代行の指摘のように、強化リリィをまとめて確保しようとしている可能性があるわ。

でも、膨大な準備コストをかけて、東京という大都市圏のインフラを大規模に棄損させてまで実行するほどのことでは無いと思う。

それよりも、強力なレギオンがその場に存在しない環境を作り出して、ヒュージを用いた重要な『実験』を邪魔されないようにしたいのではないかしら」

 

「でも、そんな事をしたら、巻き添えで人がいっぱい死んだり傷ついたりするよね」

 

「G.E.H.E.N.A.にとって、自分たちの役に立つ者以外の命は、鳥の羽根よりも軽いわ。

それが言い過ぎだとしても、彼らが達成しようとしている目的のためには、その程度の犠牲は容認できると考えている。

当然、彼ら自身はその犠牲に含まれない前提で」

 

「G.E.H.E.N.A.って、本当に悪い人たちだね」

 

 結梨は頬を膨らませて純粋な感情のみで怒っていたが、ロザリンデは複雑な表情で、結梨に諭すように自らの考えを言葉にする。

 

「地獄への道は善意で舗装されている、と言うわ。

表向きは、彼らは人類のために良い事をしているつもりなのよ。

その裏側に隠れている支配欲や権力欲、残忍さを自覚しているかどうかは別として」

 

 ロザリンデの発言の後、重苦しい沈黙がその場を支配した。

 その沈黙を破ったのは、咬月の声だった。

 

「現時点ではG.E.H.E.N.A.がエリアディフェンスの崩壊に関与している証拠は無い。

しかし偶然に発生した事故であると断定するには、不自然な点が多いことも事実だ。

それゆえ、臨時統合司令部からの支援要請に応じる形で、特務レギオンであるロスヴァイセを現地に派遣する。

そして戦力支援の任を果たした上で、今回の『爆発的事象』が人為的なものかどうか、そうであればG.E.H.E.N.A.が関与しているのかどうかを確認してもらいたい」

 

 次いで、史房が手元の資料に目を落として、要請についての説明をする。

 

「その臨時統合司令部からの支援要請の内容は、新宿御苑およびその周辺地域に対して重点的な戦力投入を求めています。

その理由としては、山手線の内側にまでヒュージが入り込んでいて、近傍に位置するルドビコ女学院のリリィだけでは抑えきれない可能性があるため、とのことです」

 

 その時、碧乙が何事かを思い出したように史房の方を見た。

 

「そう言えば、史房様が以前ルド女を訪問された際の報告書にもありましたね。

教導官が多数欠員の状態になっていて、現在は複数のレギオンを有機的に連動して運用できない旨の説明を受けたと」

 

「そのルドビコの教導官欠員についてですが、もう少し詳しい情報が入っています。

史房様、私から説明してよろしいでしょうか」

 

 史房は説明の許可を求めた祀に対して黙って頷き、肯定の意を表した。

 

「では説明します。ルドビコ女学院が実質的に崩壊したという情報を得る少し前の時点で、泉・ローザ・莉奈という教導官が、殺人事件の容疑者として全国に指名手配されていたことが分かりました」

 

「はぁ?殺人ですって?……ひょっとして、ルド女が崩壊したっていう情報は、その泉って教導官が関係してるの?

とても無関係とは思えないんだけど」

 

 にわかには信じがたいという表情で、碧乙が祀に食って掛かった。

 その碧乙に祀は困惑気味に答える。

 

「そこまでは何とも……分かっているのは、ルドビコの教導官が多数欠員となっていて、その大部分は何らかの理由で死亡したと思われることよ。

そのためにガーデン全体での指揮統制が困難になり、現在はガーデンの周辺に限定した戦闘しかできなくなっていると考えられるわ」

 

「まさか、容疑者の教導官が同僚を何人も殺して逃亡したっていうの?

めちゃくちゃな話ね。何をどうしたら、そんな事になるの?推理小説じゃあるまいし」

 

「いえ、指名手配時の一般公開情報では、被害者は海堂・ベアトリス・千春という教導官一人だけよ。

背中にCHARMで攻撃されたような傷があり、それが致命傷になったと。

それ以外の欠員となっている教導官については消息不明、おそらく死亡していると百合ヶ丘では見ているわ。

一方で、泉教導官が最近ルドビコのガーデン内で目撃されたという未確認情報もある。

この件については、かなり情報が錯綜しているようね」

 

「……まともに考えようとすると頭が変になりそうだわ。

今はルド女のことは置いておいて、話を新宿御苑防衛の任務に戻しませんか?史房様」

 

 その時、碧乙の発言に続けて、ロザリンデが史房に確認の言葉を重ねた。

 ただし、碧乙の意図とは逆の方向で。

 

「そういうわけにはいかないのでしょう?史房さん。

ルドビコ女学院の実質的な崩壊にも、G.E.H.E.N.A.が関わっている可能性がある以上は」

 

 またしても意味深な目で史房を見るロザリンデに、碧乙が意外そうな表情をする。

 

「もしかして、ルド女が親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンだから、その内部でG.E.H.E.N.A.が関与して生じた問題が原因でルド女のガーデンが崩壊したと、お姉様はお考えなのですか」

 

「その可能性は大いにあると見ていいわ。

危険な実験に失敗して多数の死傷者を出したか、あるいは仲間割れを起こして大規模な殺人事件に発展したか……すぐに思いつくのはこれくらいだけど」

 

「どれだけトラブルメーカーなのかしら、あの組織は」

 

 あきれた顔でため息をつく碧乙とは対照的に、史房は不敵な笑みを浮かべて白い歯を見せた。

 

「その意味でも、臨時統合司令部が新宿御苑周辺を担当区域として百合ヶ丘に支援要請してきたのは、僥倖だったと言えるわ」

 

「実はそれも何者かの思惑が介在した結果じゃないんですか?

司令部の中に反G.E.H.E.N.A.か親G.E.H.E.N.A.どちらかの軍人や官僚がいて」

 

 すっかり陰謀史観に囚われた碧乙は、すべての成り行きが何者かによって仕組まれたものであるかのように思われてきた。

 

 一方、史房は何者かの意図が背後にあったとしても、それを利用して、むしろこの状況に積極的に介入していくべきだと考えていた。

 

「それは今の私たちには分からないわ。

でも、もしそうであったとしても、この好機を黙って見過ごすわけにはいかない。

突然の大規模なヒュージの出現で、おそらく現地は混乱を極めているはず。

その隙に乗じて、平時では近づくことが不可能なレベルの情報を、できる限り集めておくチャンスと捉えなさい。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、よ」

 

「生徒会長は虎穴に入らずにすむから、そんな事を言えるんですよ。

虎穴に入る方の身にもなってくださいよ」

 

 段々と前のめりになって来た史房に、幾分辟易した様子で碧乙は文句を言った。

 

 一通りの情報共有が終わったことを見届けて、咬月が改めてロザリンデたちに任務の目的を説明する。

 

「君たちロスヴァイセに下される直命の内容は次の二点だ。

一つはエリアディフェンス設備の『爆発的事象』の現場を訪れ、それが事故なのか、人為的に破壊されたものかを確認すること。

人為的なものであった場合、可能ならば、G.E.H.E.N.A.の手によるものか特定できる証拠を確保すること。

もう一つはルドビコ女学院が実質的に崩壊した経緯と現在の状況について、可能な限りの情報を得ること。

当然ながら、臨時統合司令部からの支援要請任務を果たした上でのことだ。

また、直命の任務は機密扱いとなるため、一柳隊およびヘルヴォル、グラン・エプレとの接触は一切禁止する」

 

「それほどの内容となると、逐一ガーデンに連絡を取りながら許可や承認を求めていては、機を逸することになりかねませんが」

 

「それについては、君たちに現場での判断を一任する。

その結果に対してはガーデンが全責任を負う。

君たちが罰せられることは無いと保証する」

 

「分かりました。現地への移動手段はどのように?」

 

 ロザリンデの質問に答えたのは、咬月ではなく史房だった。

 

「外征用のガンシップを出すわ。空路で新宿御苑上空まで移動し、敷地内に直接パラシュートで降下してもらいます。

あなたたちも定期的に訓練は受けているでしょう?」

 

「私たちロスヴァイセは特務レギオンであって、空挺部隊じゃないんですけどね」

 

 碧乙は少なからずうんざりした口調で史房に皮肉を言ったが、史房はそれを全く意に介さない様子だった。

 

「ガンシップは二十分後に離陸させます。各自それまでに出撃の準備を完了させておくように」

 

「結梨ちゃん、必ず無事に戻って来てね。本当に危なくなったら、私に直接連絡しても構わないからね。何だったら無理を言ってでも、私も一緒に出撃させてもらおうかしら」

 

「祀様、それはいくらなんでも困ります……」

 

 あながち冗談とも言い切れない祀の言葉に伊紀は困惑し、結梨の方をちらりと見る。

 

「大丈夫、今度はロスヴァイセのみんなと一緒だし、私の力がみんなの助けになるなら、私は行かなくちゃいけない。

だから、祀は心配せずに百合ヶ丘で待ってて」

 

 過保護な母親のように結梨を気遣う祀に、結梨は祀の目を見て毅然とした態度で決意の言葉を告げた。

 

 



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第12話 エリアディフェンス崩壊(2)

 小説版では呪いの装備的な扱いだったエインヘリャルの、実戦での運用モデルを描写してみました。
 小説以外の媒体でも登場してほしいのですが、他のCHARMとリリィの出番を全部食ってしまうので、可能性はほとんど無さそうです。
 なお、この作品は結梨ちゃん全肯定ストーリーなので、見せ場を遠慮なく総取りしています。



 

 巡航速度で飛行するガンシップの丸い窓から、東京の街並みが眼下に広がってきたのが結梨の目に見えた。

 

 広大な市街地の至る所から黒煙が立ち上り、その光景は既に都内各所でヒュージによる破壊と戦闘が行われていることを告げていた。

 

 数週間前にこの地を史房とともに訪れ、帰途に六本木でヒュージの襲来に巻きこまれた時は、この下で右往左往する避難者をかき分けて戦場へ向かったのだ。

 

 あの時に自分とすれ違った何十人、何百人の人々が、今また生命の危険にさらされている。

 

 東京全体では数百万の人間が、この空の下で逃げまどっているのだ。

 

 自分一人の力で全体の戦局を変えるのが不可能なことは、途方も無い市街地の広さを見れば嫌でも理解せざるを得ない。

 

 しかし、自分が全体の戦局を変える力の一部になることはできる。

 

 司令部から支援要請を受けた区域のヒュージを殲滅し、百合ヶ丘のガーデンから命じられた任務を果たす。

 

 エリアディフェンス爆発現場の確認、ルドビコ女学院崩壊の真相、いずれも一般的なレギオンには無縁の調査対象だ。

 

 そして、それらのどちらにもG.E.H.E.N.A.が関わっている可能性がある。

 

 自分を生み出した主体であり、自分を人ではなくヒュージあるいは生体兵器として扱おうとする存在、それが結梨にとってのG.E.H.E.N.A.の定義だった。

 

 毒親という俗語を、何かの機会に耳にしたことがある。

 

 G.E.H.E.N.A.から救出されて百合ヶ丘に在籍しているリリィにとっては、誰もが縁を切ってしまいたいと願ってやまない毒親、それがG.E.H.E.N.A.なのだろう。

 

 いつかはG.E.H.E.N.A.が自分たちの脅威でなくなる日が来るのだろうか。

 

 一体、それは何をどうすれば可能になるのだろうか。

 

 梨璃や夢結やロザリンデたちと一緒に、自由に、平和に生きていける日は――

 

 

 

 

 

 

 

 

「結梨ちゃん、どうしたの?何か気になるものでも見えるの?それとも飛行機酔い?」

 

 無言で窓の外を見つめ続けていた結梨に、ロザリンデが心配そうに尋ねかける。

 

 そのロザリンデに向かって、結梨は軽くはにかんで返事をする。

 

「ううん、ちょっと考え事をしてただけ。もうすぐ新宿に着くんだよね」

 

「ええ、さっき多摩川を越えたところだから、もう間もなく新宿御苑の上空に差しかかるはずよ。

離陸前に言ったとおり、素顔が直接見えないようにゴーグルをしておいてね」

 

「うん、パラシュートも準備できてるし、いつでも降りられるよ」

 

 やがて、窓の外に特徴的な形の都庁舎が見えてきた。

 

 ガンシップの後部座席に搭乗しているオペレーターの声が、結梨たちがいるカーゴブロックのスピーカー越しに聞こえてくる。

 

「現在、新宿御苑とその周辺にミドル級以上のヒュージは確認されていません。

パラシュートでの降下は可能と判断します。

ただし、南の方角から接近中の群れがあります。

降下完了後はただちに戦闘態勢に入ってください」

 

「了解。その群れにギガント級はいるの?」

 

 ロザリンデがマイクを使って問い返すと、オペレーターは否定の返事をした。

 

「いえ、現時点でギガント級の存在は確認されていません。

ラージ級が12体、各個体にそれぞれ十数体のミドル級とスモール級が随伴しているとの情報が、臨時統合司令部から入っています」

 

「一個レギオンで相手をするには少々骨が折れるわね。

まともに正面から交戦したら、掃討に1時間以上は必要だわ。

周辺に私たち以外の戦力は無いの?」

 

「ルドビコ女学院のリリィが展開中ですが、ガーデン周辺を防衛することに専念しているようです。

ガーデンの司令部が実質的に機能していないため、積極的な作戦行動ができないものと思われます」

 

「やはり、ルドビコの戦力をあてには出来ないということか……」

 

「目的地の上空に到達しました。降下を開始してください」

 

 ガンシップ後部のカーゴドアが開き、ロスヴァイセのリリィが各自のCHARMを携えて、順次空中へダイブしていく。

 

 新宿御苑の上空に次々とパラシュートが開き、合計10名のリリィが広大な敷地の東寄りにある整形式庭園に着地した。

 

 着地後、ただちにパラシュートを身体から脱着し、陣形を展開可能な状態に集合する。

 

「今のところ、この近くには私たち以外のリリィはいないみたいですね。

降下前に聞いた情報では、もうすぐ南方面からヒュージの群れが現れるはずですが……」

 

 伊紀が隣りに立つ碧乙の顔を見ると、碧乙は南の空を眺めながら、不敵につぶやく。

 

「噂をすれば何とやらで、おいでなさったみたいよ」

 

 碧乙が見つめる御苑南側の林の遥か向こうから、巨大な生物がうごめく気配がわずかに漂い始めた。

 

 同じくその気配を感じ取ったロザリンデは、レギオンの全員に戦術の指示を出す。

 

「群れが御苑に入ってくるのを待たず、その手前で縦隊になっている状態を叩きましょう。

大きな群れであっても横方向に展開できなければ、先頭の個体から順に各個撃破できるわ」

 

「分かりました。それではロスヴァイセは御苑の外へ出て、片側三車線の都道418号線でヒュージを迎え撃ちます」

 

 主将である伊紀がロザリンデに答え、ロスヴァイセの9人のリリィと結梨は御苑東側のメインゲートを通って敷地の外に出た。

 

 目の前には既に走行する車も歩行者も無く、無人の状態となった都道418号線が南北に走っている。

 

 周囲の建物には破壊の後は無く、まだここまでヒュージは侵攻していないことがうかがわれた。

 

 あらためてロザリンデが全員に対してフォーメーションの確認をする。

 

「BZとTZのリリィは結梨ちゃんを中心に輪形陣を形成。

ラージ級はすべて結梨ちゃんがエインヘリャルで攻撃する。

碧乙は結梨ちゃんの隣りでヒュージの動きを予知してテレパスで伝達。

私と伊紀はAZでミドル級以下の個体が近づかないように排除する。

討ち漏らした個体は直掩のBZとTZが迎撃して」

 

 その指示に従って、結梨を中心とした新しいフォーメーションが整然と展開され、ヒュージの出現を待つ。

 

 すると200メートルほど先、緩やかに道路が左にカーブしている所から、群れの先頭を進むラージ級の巨体が現れた。

 

 その周りには、大小十数体のミドル級とスモール級が群れを成している。

 

「レギオンには近寄らせない」

 

 結梨はエインヘリャルのマギビットコアをベースユニットから分離させ、前方のラージ級を含む群れへ向けて飛翔させた。

 

 ベースユニットから分離した五つのマギビットコアは、スラスターの出力を絶え間なく変化させ、ジグザグの不規則な軌道を描きながら、ヒュージの群れをめがけて急速に接近する。

 

 それに対して、ヒュージがエネルギー弾を射出してマギビットコアを撃ち落とそうとしても、標的の小ささと動きの不規則さのため、ほとんど狙いを定めることができない。

 

 何体かのヒュージが対空砲火のようにエネルギー弾を発射したが、照準合わせが全く追い付かず、弾は虚しくマギビットコアの遥か後方に飛んでいく。

 

 そうしている内にも、マギビットコアは先頭のラージ級ヒュージを包囲するように距離を詰めていく。

 

 結梨は目を閉じて、隣りにいる碧乙のファンタズムによる予知イメージに従ってマギビットコアを操っている。

 

 そして五つのマギビットコアが攻撃配置につき終った瞬間、結梨の目が豁然と開き、発射されたビームがラージ級の四本の足を集中的に攻撃した。

 

 上下左右360度あらゆる方向から変幻自在に発射されるマギビットコアのビーム攻撃に、ラージ級は全く反応できない。

 

 瞬く間に四本の足すべてを繰り返し撃ち抜かれ、ラージ級の動きが停止する。

 

 そこへマギビットコアは胴体の中心を狙って、五方向から一斉にビームを発射した。

 

 そのすべてが正確無比にラージ級の急所を貫き、一瞬の後にその巨大な体躯は轟音とともに跡形も無く爆散した。

 

 後に残ったのは、ラージ級の周囲を猛禽類のように飛び回っていた五つのマギビットコアのみ。

 

 攻撃開始から撃破完了まで、要した時間はわずか十数秒。

 

 一機のCHARMで一隊のレギオンに匹敵する性能を持つと天津麻嶺が豪語したエインヘリャル。

 

 その驚異的な攻撃力を目の当たりにして、ロスヴァイセのリリィたちは茫然と立ちすくんだ。

 

「何あれ、CHARMにあんな攻撃ができるの?まるで人が蜂の群れに襲われてるみたいだった……」

 

「あれが第4世代CHARMの能力……今までの機体とはまるで別物だわ」

 

 眼前で展開された一方的な戦闘を、輪形陣の一端から眺めていた1年生の小野木瑳都は、結梨の隣りに立っている碧乙に話しかけた。

 

「あのCHARMが本格的に実戦配備されれば、リリィに対するヒュージの数的優位を劇的に逆転できるのではないですか、碧乙様」

 

 瑳都の言葉に振り向いた碧乙は、「そう上手くいけばいいんだけどね」と肩をすくめて苦笑いした。

 

「問題は、現時点でエインヘリャルを実戦レベルで扱えるリリィが、結梨ちゃん以外に存在しないことよ。

他のリリィがあのCHARMを使おうとすれば、強烈な頭痛や目まいに襲われて、最悪の場合は廃人になりかねないわ。

今は安全装置が多重的に追加されているから、そこまでの事態にはならないけど、マギビットコアを起動させるだけでも殆どのリリィには出来ないでしょう。

だから、あのエインヘリャルは事実上の結梨ちゃん専用ユニークCHARMと考えておく方がいいでしょうね」

 

 最優先の攻撃目標であったラージ級を撃破した結梨は、休む間も無く、その周囲を取り巻いていたミドル級とスモール級に攻撃の矛先を向けていた。

 

 直上数十メートルの死角から落雷のようにマギビットコアのビームが降り注ぎ、ミドル級とスモール級は回避運動も取れないまま次々と撃ち抜かれていく。

 

 ビームの直撃を受けた個体は跡形も無く爆発四散するか、その場に崩れ落ちてそのまま動かなくなるかのいずれかだった。

 

 一斉射につき確実に5体のヒュージを屠っていくエインヘリャルの攻撃によって、片側三車線の広い車道は見る見るうちにヒュージの死骸で埋まりつつあった。

 

 エインヘリャルの攻撃から運よく逃れたわずかな個体も、AZの底で待ち構えていたロザリンデと伊紀に全て駆逐され、輪形陣の近くまで辿り着いたヒュージは皆無だった。

 

 先頭の群れを完全に壊滅させたことを確認すると、結梨はマギビットコアをその後ろの群れにいるラージ級に向かって再び突入させていく。

 

 数十秒後に先程と同じ光景が展開され、ラージ級は満足な反撃一つできないままに爆散し、ミドル級とスモール級は天から稲妻のごとく降り注ぐ純白のビームに貫かれて、次々と屍を路上に積み上げていく。

 

 戦闘開始から30分を待たずして、12体のラージ級と、その十倍以上に上る数のミドル級とスモール級ヒュージは全滅した。

 

 そのほとんどは、わずか一機の新型CHARMによって為す術も無く蹂躙されるだけの存在でしかなかった。

 

「お疲れさま。想定通りではあったけど、いざ実際に攻撃するところを見せつけられると圧巻ね。

体調に変化は無い?マギはどのくらい残ってるか分かる?」

 

 マギビットコアを腰のベースユニットに戻した結梨に、碧乙がその肩に手を置いてねぎらいの言葉を掛けた。

 

「ちょっと疲れたけど、気持ち悪くなったり頭痛がしたりはしてないよ。マギもまだ半分以上はあると思う」

 

 一騎当千の活躍をした割には、余りにもあっさりとした返事を結梨は碧乙に返すのだった。

 

 一方、AZを担当するロザリンデと伊紀は、結梨と碧乙を囲む輪形陣から数十メートル離れた所に立っていた。

 

「今現在、ヒュージサーチャーに反応はありません。このあたりのヒュージは先程掃討した群れ以外にはいないようです」

 

「では司令部に状況の終了を連絡、次の指示を――」

 

 ロザリンデが伊紀に言いかけた時、突然、彼女たちの耳に拍手の音が聞こえてきた。

 

 その場にいた全員が拍手の聞こえてきた方向を一斉に見ると、グングニル・カービンを携えた一人のリリィが、ゆっくりとロスヴァイセの輪形陣に近づいてくる姿が目に入った。

 

 そのリリィは、輪形陣の中心にいる結梨の姿をまっすぐに見据えていた。

 

「ヒュージの群れを追ってみれば、随分と面白いCHARMを使うリリィがいるみたいですね。それに、とてもお強い。

――是非、この私と手合わせをお願いします」

 

 結梨の隣りにいた碧乙が一歩前に進み出て、結梨の姿を隠すように立ちふさがった。

 

「その制服、ルドビコ女学院のものね。戦場でヒュージとの戦闘そっちのけでリリィ同士の手合わせを挑んでくるなんて、親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンにふさわしい不作法ぶりね」

 

「いえ、これはガーデンの校風とは関係ありません。純粋に私個人の意思に基づく行動です」

 

 そのリリィは一歩も退くことなく、堂々とした態度で碧乙に相対した。

 

 ただならぬ雰囲気に気づいたロザリンデと伊紀が、結梨たちの近くまで走り寄って来る。

 

「手合わせですって?この非常時に何をふざけた事を――」

 

 その見知らぬリリィの姿をはっきりと視界に捉えたロザリンデは、一瞬にして表情をこわばらせた。

 

 ルドビコ女学院の制服、頭に装着されたヒュージサーチャー、得物のグングニル・カービン、髪型、顔立ち、背格好……そのすべてが史房の報告にあった特徴と一致していた。

 

「戸田・エウラリア・琴陽……!」

 

 『御前』が代理人に指名した当の人物を目の前にして、ロザリンデは上ずった自分の声を抑えることができなかった。

 

 




 御台場の舞台を配信で視聴しましたが、とんでもない登場人物が一人いて衝撃を受けました。
 今後の御台場絡みのエピソードは一から考え直しになりそうです……


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第12話 エリアディフェンス崩壊(3)

 

「お姉様、このリリィが『あの』琴陽なんですか?」

 

 碧乙が驚きを隠せない表情でロザリンデの方を見た。

 

「史房さんの記憶に間違いが無ければね。いきなり手合わせを挑んでくるところと言い、何一つ疑う余地は無いわ」

 

 結梨を含めて、その場にいる百合ヶ丘の十人のリリィ全員が、琴陽の姿から目を離すことができない。

 

 それに対して、見ず知らずの相手からいきなり名前を呼ばれた琴陽は、きょとんとした顔でロザリンデたちを見ていた。

 

「私のことを御存じなんですか?自分がそんなに有名だとは思いませんでした」

 

「ここで会ったが百年目、ってね。不用意に私たちの前に現れてくれて、どうもありがとう。感謝するわ」

 

 挑戦的な視線を送ってくる碧乙に対して、琴陽は動じる様子も無く十人のリリィを見回した。

 

「その制服は、鎌倉府の百合ヶ丘女学院のものですね。

不思議ですね、私はあなたたちとは面識が無いはずなんですが」

 

「そっちに無くても、こちらにはあなたに色々と聞きたいことがあるの。

あなたは私たちに指名手配されているみたいなものよ。

泉・ローザ・莉奈っていうルド女の教導官と同じように」

 

 その言葉に琴陽がぴくりと眉を動かして反応した。

 無邪気さすら漂わせていた可憐な表情が、一転して凛と引き締まる。

 

「あなた方は、ただのリリィではありませんね?

ルドビコ女学院の何をどこまで知っているんですか?」

 

「ルド女の内情ももちろん調べておきたいところだけど、あなたというリリィが現れたからには、それよりも優先して確かめておかなければならないことがあるわ」

 

 碧乙は一度そこで言葉を切って間を置いた。

 そして、ゆっくりと息を吸い直して、琴陽の目の奥まで見るような視線を投げかける。

 

「あなたは『御前』を知っているわね?

彼女と連絡を取るために、あなたに取り次ぎをしてもらいたいんだけど」

 

 『御前』の名前を聞いた刹那、琴陽の身体が強張るのがはっきりと見て取れた。

 だが、琴陽はすぐに冷静さを取り戻し、渋い表情で碧乙に反問した。

 

「一面識も無いリリィから、そんな不躾な頼み事を押し付けられても『はい』と言えるわけがありません。

逆に問いますが、あなたたちはなぜ『御前』の存在を知っているんですか?その情報源はどこですか?」

 

 碧乙は小気味よく「ふっ」と笑った後、一歩後ろに下がって結梨の肩に手を置いた。

 

「私とこの子が、その『御前』に直接会ったことがあるからよ。

わざわざ向こうから百合ヶ丘まで押しかけてきてね。

だから、情報源は『御前』本人よ。

彼女、結構なラスボス感を漂わせていたけど、あなたが彼女の手下というわけ?」

 

 碧乙の返事を聞いた琴陽は、急に肩の力が抜けたように緊張を解いた。

 

「……そうですか、そういうことだったんですね。

では、そちらの第4世代CHARMを装備しているリリィが、一柳結梨さん本人なのですね」

 

 琴陽は一歩前に出て、ゴーグルを掛けた結梨の顔を正面から見据えた。

 

「『御前』からあなたのことは聞き及んでいます。

もちろん、あなたの存在を第三者に口外するのは『御前』から固く禁じられていますので、ご心配なく」

 

 そして結梨が身に纏っているエインヘリャルの各ユニットを、興味津々の様子で眺め始めた。

 

「さすがにあの御方が目をお掛けになるだけのことはありますね。

いまだ本格的な実戦運用の目途さえ立っていないとされる第4世代の精神直結型CHARM。

それを易々と自分の手足のように使いこなしている。

その一事だけで、あなたがヒュージの細胞から生まれたという情報は間違いではなかったと、いま私は確信しました。

あなたは来夢さんすら超える潜在的能力の持ち主かもしれません。

ますます私自身の手で、その実力を確かめたくなりました」

 

 とびきりの宝物を見つけた子供のように琴陽の目は爛々と輝きを増し、グングニル・カービンを握っている手が小刻みに震え始めるほどだった。

 

「では、『御前』に取り次ぐ条件として、結梨さんに私と手合わせをしてもらうということで、どうでしょうか。この際、勝敗は関係ありません」

 

「『御前』は、あなたにそんな条件付けを認めていないと思うけど。

あなたの独断で勝手にそんなことを決めてもいいのかしら?」

 

「後で『御前』からお叱りを受けてでも、今この場で結梨さんと手合わせしてみたいということです」

 

「根っからの戦闘狂なのね、あなた」

 

 碧乙はあきれた顔で琴陽を一瞥してから、ロザリンデの方を振り向いた。

 

「お姉様、どうしますか?本来の任務以外でリリィ同士が戦うのは……」

 

「目的のためには手段を選んでいられない、か。

ここは彼女の申し出に付き合ってあげましょう。

結梨ちゃん、申し訳ないけれど、彼女の相手をしてあげて。

ただし、彼女に怪我をさせないように戦って」

 

「分かった。訓練用のレーザービームを使うから、もし琴陽の身体に当たっても何ともないよ」

 

 特に気負った様子も無く、結梨はロザリンデに軽く微笑みかけた。

 

「お願いね。それから、琴陽さん、あなたも必ず攻撃は寸止めにすること。

もし、この子の身体にCHARMの攻撃が当たった場合は、その時点で即、手合わせは中止とします。

それが守られない場合は、私が強制的に介入してあなたたちを止めます」

 

「承知しました。私のわがままを聞いてくださって、ありがとうございます」

 

「それから、この道路上に留まっていると、今度は私たちの方が前後からヒュージに挟撃される恐れがある。ひとまず新宿御苑に戻りましょう。

琴陽さんも、それで構わないわね?」

 

「はい、異論はありません。おっしゃる通りだと思います」

 

 結梨を含むロスヴァイセの全員は、琴陽を同行させて再び新宿御苑の東側ゲートを通り、見通しの利く広い整形式庭園に戻った。

 

「一対一の勝負だと、私のファンタズムのサポートが無くなるけど、大丈夫?」

 

 碧乙が若干の心配を込めて結梨に尋ねたが、結梨は全く気にしていないようだった。

 

「うん、相手も条件は同じだから。私だけハンデをもらうわけにはいかないよ」

 

 琴陽は実弾から模擬弾に換装したグングニル・カービンを構え直し、戦闘態勢に入った。

 

「それでは結梨さん、そろそろ始めましょうか」

 

 それを見た結梨はマギビットコアをベースユニットから分離し、自身はロスヴァイセのリリィたちから離れて一人になった。

 

 30メートル程度の距離を置き、一対一で結梨は琴陽と対峙する。

 

 その前方上空の高度10数メートルには、5基のマギビットコアが等間隔で浮かび、琴陽を包囲する形でビームの発射口を向けて旋回している。

 

 琴陽は自分に狙いを定めるマギビットコアを冷静に意識しながら、結梨の戦術を見定めようとしていた。

 

(やはり、あなた自身はそれ以上近づいてきませんね。

CHARMの使用者本人は直接攻撃しないため、攻撃目標に接近する必要が無いから。

その代わりに敵の近接攻撃が届かないアウトレンジの死角から、複数の飛行ユニットで同時攻撃を仕掛ける。

しかも敵の運動能力を圧倒的に上回る飛行ユニットの機動性と速射性で、敵からの反撃を一切許さない。

使いこなすことさえできれば、これほどリリィの生残性を高めてくれる機体は無いでしょう)

 

「どうぞ、そちらから先制攻撃してください。

攻撃は最大の防御、それがそのCHARMの本領でしょうから」

 

「――うん、行くよ」

 

 その言葉を合図にして、琴陽をめがけて五つのマギビットコアから一斉にビームが発射された。

 

 同時に琴陽は自身の身体を射線上から外すべく、直ちに自らのレアスキルを発動させる。

 

(お優しいことですね。もし私にビームが命中しても怪我をしないように、模擬戦用の可視光レーザーを発射している。

もちろん私もあなたを負傷させるつもりはありません。

ただし、手加減するつもりも毛頭ありません。

第4世代CHARMの性能と私のレアスキル、どちらが上か、この場で勝負させてもらいます。

さあ、この私に攻撃を当てられるものなら当ててみなさい)

 

 驚くべきことに、琴陽に向かって発射されたビームが、その身体に触れることは全く無かった。

 

 逃れるスペースを全て塞ぐ形で発射されるマギビットコアのビームの、その包囲の外側に琴陽の身体が現れる。

 

 琴陽は全方位から絶え間なく降り注ぐビームを間一髪のタイミングで避け続け、一瞬たりとも動きを止めることなく回避運動のステップを踏み続ける。

 

 琴陽の異常とすら言える回避能力は、彼女の体捌きによるものだけではなく、明らかに一瞬その身体自体が消えているように見えた。

 

 離れた場所から二人の手合わせを見守っているロザリンデたちは、予想を上回る琴陽の戦闘能力に目を見張った。

 

「何、あの子の動き……後ろに目が付いているみたいに五方向からの同時攻撃を全部かわしてる。

どう見ても物理的には絶対に避け切れないはずなのに」

 

 独り言のように呟く碧乙に、その隣にいたロザリンデが琴陽の能力を看破する。

 

「瞬間移動を伴う驚異的な回避能力……あれは『縮地』と『この世の理』のサブスキルを複合させたレアスキル『ゼノンパラドキサ』。

しかも並みの使い手ではないわ。

あれほどの動きができるなら、S級のレベルに到達している可能性も十分にあると思う」

 

「本当ですか?百合ヶ丘でもゼノンパラドキサS級の保持者は、現時点では確認されていないはずですよ。

私が知っているS級保持者は御台場女学校の菱田治、ただ一人だけです」

 

「彼女はただの戦闘狂ではなかったということね。

S級のレアスキルを使われたら、同じくS級のレアスキルで対抗しない限り、相手に攻撃を命中させることはできないでしょう」

 

「たとえそれが第4世代CHARMであってもですか?」

 

「それは、この後の展開を見れば分かることよ」

 

 自分と結梨の戦いを見つめるロザリンデたちの視線を感じながら、琴陽は回避から攻撃に転じるタイミングを作ろうと、虎視眈々とそのきっかけを狙っていた。

 

(確かに、護衛のリリィが何人も傍についている状態では、いくら私でもあなたの懐に飛び込むことはできなかったでしょう。

でも、今の一対一の状況なら、それができる。

この飛行ユニットとあなたの間には、何も障害となるものは無い)

 

 間断無く襲いかかってくるエインヘリャルのビームをことごとく紙一重で回避しながら、琴陽はその動きの中で、グングニル・カービンから一発の弾丸を結梨めがけて発射した。

 

(回避運動の途中で射撃を仕掛けてくるとは、あのリリィ、やはり非凡なセンスをしている)

 

 琴陽の攻守連動の戦闘モーションを目の当たりにしたロザリンデは、内心で驚きを隠せなかった。

 

 琴陽が発射した弾丸は、結梨の手にあるエインヘリャルのビームブレードで容易く弾き返せる程度の照準精度でしかなかった。

 

 しかし、琴陽が狙っていたのは弾丸を結梨に命中させることではなく、防御によって生じるごく一瞬の攻撃のタイムラグだった。

 

 そして、結梨がブレードで弾丸を弾いたその一瞬を、琴陽は決して見逃すことは無かった。

 

 琴陽の姿がその場から掻き消えたと思った瞬間、マギビットコアが方向を転換するよりも速く、琴陽は結梨との間合いを瞬時に詰めていた。

 

 ゼノンパラドキサが可能にする超越的な高速移動によって、琴陽は結梨の懐に潜り込むことに成功した。

 

 そしてグングニル・カービンの柄を結梨の胸元に打ち込まんと全速で突き出した――無論、結梨の身体の寸前で打撃を止めるつもりで。

 

 だが、その一撃は空を切り、一瞬前の琴陽と同じく結梨の姿もまた、その場から忽然と消え失せていた。

 

 入魂の攻撃が空振りに終わったにもかかわらず、琴陽は動揺する様子を見せず、落ち着いた声で自分に言い聞かせるように呟く。

 

「……そうですよね。あれほどの練度で第4世代CHARMを使いこなせるリリィが、レアスキルに覚醒していないわけありませんよね」

 

 振り返った琴陽の視線の先に、こちらをじっと見返して静かに佇む結梨の姿があった。

 

「レアスキル『縮地』ですか。

しかも一切の予備動作無しにテレポートとは、相当に高いレベルで発動できるようですね。

S級まであと一歩というところでしょうか」

 

 気を取り直してグングニル・カービンを構え直す琴陽と、その頭上をいつの間にか悠然と包囲旋回しているエインヘリャルのマギビットコア。

 

 先程の攻防が再び展開されようとしたその時、周囲の空気を鋭く切り裂くように、女性の澄んだ声が響き渡った。

 

「そこのリリィ二人、何をしているの!? 今すぐにCHARMを収めなさい!」

 

 その声が聞こえた方向、整形式庭園の並木の陰から二人の少女が現れた。

 二人とも琴陽と同じルドビコ女学院の制服を着ている。

 ただし、制服の上に黒いジャケットを羽織っている点が琴陽とは異なっていた。

 

 二人のうち年長と思われる方の少女は、両手にそれぞれ別のCHARMを携えている。

 それは彼女が『円環の御手』のレアスキルを保有していることを示していた。

 

「幸恵様でしたか。ごきげんよう。……また見つかってしまいましたね」

 

 ばつの悪そうな顔をする琴陽に向かって、福山・ジャンヌ・幸恵はその上品な顔立ちに似つかわしくない憤然とした表情を浮かべていた。

 

 





2022.9.16追記
 作中で「ハンデをもらう」という表現について、要訂正のご指摘がありました。
 あらためて確認したところ、主にゴルフの時などに「ハンデを与える/もらう」と表現することがあるようなので、変更はせず、そのままの表記としました。
 ご指摘くださった方、ありがとうございました。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(4)

 今後しばらくの間は、舞台の情報のうち、アニメやラスバレの設定と矛盾しなさそうな部分を使ってストーリー展開していきます。
 (現状では各メディア展開の中で、舞台が最も先行して情報の更新が進んでいるため)

 また、上級生間の会話が中心となるため、結梨ちゃんをはじめ1年生のセリフが少なくなっていますが、決め所ではできるだけセリフを多くするつもりです。

 注)今回投稿分ではルド女レジスタンス編のネタバレがあります。



 

 木陰から現れた二人のリリィは、ゆっくりと琴陽と結梨の方へ歩き始めた。

 

「幸恵様に来夢さん。どうしてここへ?

ガーデンの防衛に当たっていたのではなかったのですか?」

 

 不思議そうな顔で尋ねる琴陽に、幸恵は幾分落ち着きを取り戻した声で説明する。

 

「ヒュージサーチャーに反応があって、新宿御苑の南方からヒュージの一群が侵攻しているのが分かったから、来夢と一緒にガーデンから索敵に出てきたの。

でも、御苑に着いた時には既にヒュージの反応は消えていたわ。

代わりにこの庭園で手合わせをしているあなたたちを見つけたというわけ」

 

 幸恵は琴陽の前に立つと、腕組みでもしかねない雰囲気で琴陽を問い詰めようとした。

 

「――さて、先日は御台場、今日は百合ヶ丘。

琴陽さん、あなたは一度ならず二度までも他校のリリィにCHARMを向けて、何を考えているの?あなたに風紀委員としての自覚は無いの?」

 

「すみません、幸恵様。強そうなリリィを見ると、つい体が勝手に動いて手合わせを挑んでしまうんです」

 

 琴陽は慌てて幸恵に謝ったが、あまり悪びれた様子も無く、姉に悪戯を見つかってしまった妹のような無邪気ささえ感じさせた。

 

「まったく、あなたという人は……」

 

 額に手を当てて困った様子の幸恵に対して、少し離れた所から碧乙の声が聞こえてくる。

 

「あなたのガーデンのリリィ、もう少しきちんと躾けておく方がいいんじゃない?」

 

 結梨と琴陽の手合わせが中断されたことを受けて、ロザリンデと碧乙が彼女たちの所へ歩いてきた。少し遅れて伊紀もその後に続く。

 

 幸恵は近づいてきたロザリンデたちに向かって謝罪の言葉を口にした。

 

「ルドビコのリリィがご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。

私たちは――この琴陽さんは違いますが――ルドビコ女学院の自主結成レギオン、アイアンサイドのリリィです。

私は2年生の福山・ジャンヌ・幸恵、この子は1年生で私のシュベスターの岸本・ルチア・来夢です」

 

 幸恵の隣りで成り行きを見守っていた来夢は、名前を呼ばれるとロザリンデたちに向かって軽く一礼した。

 

「ふうん、あなたがあの御台場迎撃戦で名を馳せた福山・ジャンヌ・幸恵さんなの……

しかもトップレギオン制のルド女で自主結成レギオンとは、色々と複雑な事情がありそうね」

 

 幸恵の名を聞いた碧乙は興味深げな視線でその姿を一瞥した。

 

「それについては私たちのガーデンの問題ですので、今ここで事情を説明するのは控えさせていただきます。ところで――」

 

 幸恵は視線を転じてエインヘリャルとゴーグルを装着した結梨の姿を見た。

 

「あなたも、まだ1年生みたいだけど、訓練以外でリリィ同士がCHARMを向け合って戦ってはいけないわ。

どんな理由があっても、必ず断らなければ」

 

「えっと……」

 

 幸恵に注意された結梨が何事かを口にしようとしたその時、ロザリンデが結梨と幸恵の間に入ってきた。

 

「これは私の判断で彼女に手合わせの申し出を受けるよう指示した結果です。

ですから、責任はすべて私にあります」

 

 ロザリンデは少しの迷いも無い口調ではっきり言い切ると、幸恵に深く頭を下げた。

 

「あなた方が臨時統合司令部からの要請で支援に来られた百合ヶ丘女学院のレギオンですね。

その連絡はルドビコのガーデンにも届いています。

私たちの都合で他校のリリィに負担を強いてしまって、申し訳なく思っています」

 

「お気になさらず。私たちは百合ヶ丘のロスヴァイセというレギオンのリリィです。

私は3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットー、こちらは私のシルトで2年生の石上碧乙です」

 

 先程の来夢と同じく、姉としてのリリィから名前を呼ばれた碧乙は、だが、来夢とは違って礼はしなかった。

 

「お姉様、幸恵さんの言う通り、私たちは不足しているルド女の戦力を補うためにこの場所に派遣されたんですよ。

しかも、その戦力不足の原因は、おそらくルド女内部の問題から生じているものです。

さっきの手合わせだって、元はと言えば向こうから先に仕掛けてきたも同然じゃないですか。

向こうから頭を下げられこそすれ、お姉様が頭を下げる理由なんて、これっぽっちも無いと思いますよ」

 

 自らの敬愛するシュッツエンゲルが親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに頭を下げた事に、碧乙は承服しがたい感情を抱いていた。

 

「そもそも、ガーデンに所属する教導官が同僚を殺して指名手配されるなんて、前代未聞の不祥事を起こしておいて、恥ずかしくないのかと思いますね」

 

 碧乙のその発言を聞いた来夢は、思いつめた口調でその内容を否定しようとした。

 

「海堂先生を殺したのは、泉先生じゃありません。

泉先生は、ガーデンのやり方に逆らって無実の罪を着せられたんです」

 

「はぁ?あなたたちのガーデンは一体何がどうなってるの?

現役の教導官が殺されたこと自体とんでもない大事件なのに、その罪を別の教導官になすりつけるなんて。

教育機関でもあるガーデンで殺人、その上に冤罪まで起こしているなんて、言語道断にも程があるわ。

その挙げ句に、今回の事態に充分な戦力を展開できなくなってる始末じゃない」

 

 憤懣やるかたない碧乙の剣幕に、幸恵と来夢は悄然として、うなだれることしかできなかった。

 

「そう言われると返す言葉もありません。

私たちのガーデンの問題で他のガーデンにまでご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」

 

碧乙たちに深々と頭を下げる幸恵。その姿を見た来夢は耐えられず、涙目になりながら碧乙に訴えた。

 

「幸恵お姉様は何も悪くありません。悪いのは全部ルドビコのガーデンとG.E.H.E.N.A.なんです」

 

「碧乙。幸恵は悪い人なんかじゃないよ。私には分かるもん」

 

「そうですよ、碧乙様。幸恵様ほどの優れたリリィでも、ガーデンの一生徒であることに変わりはありません。

この顛末の責任を問うのは酷というものです」

 

「まあ、それはその通りだけど……」

 

来夢、結梨、伊紀の三人の1年生から懇願とも非難ともつかない目で見つめられた結果、碧乙は両手を挙げて降参のポーズをとった。

 

「……はいはい、分かったわよ。揃いも揃って純真な目で私を見つめないでよ。

これじゃ、まるで私が底意地の悪い姑みたいじゃない」

 

 まだ碧乙たちに頭を下げたままの幸恵に、ロザリンデが気遣わしげに声をかける。

 

「幸恵さん、顔を上げてください。彼女たちが言うように、あなたにルドビコで起きた問題の責任があるわけではありません。

まして自主結成レギオンを作ったということは、あなたたちも泉教導官と同じく、ルドビコのガーデンに従わない道を選んだのではないですか?

親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに所属している者が、ガーデンの方針に反旗を翻すことが、どれほど危険なことかはよく分かります。

下手をすれば命を狙われる恐れさえあったはずです」

 

「それは……確かにおっしゃる通りです。

でも、ルドビコのガーデンが隠していた真実を知ってしまった以上、それに目をつぶり続けるわけにはいきません」

 

「反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンに所属するリリィとして、私たちはあなたたちのような人と話し合いたいことがあります。

先程ヒュージサーチャーに捕捉された群れは、私たちのレギオンが全て掃討しました。

しばらくはこの周辺にヒュージが出現する可能性は低いでしょう。

よろしければ、少しお話をさせていただく時間を取らせてもらえませんか」

 

「はい、琴陽さんがご迷惑を掛けた件もありますし、お断りする理由はありません」

 

「ありがとうございます。――でも、その前に」

 

 ロザリンデは言葉を切って琴陽の方を振り向く。

 

「琴陽さん、あなたの希望には答えられたと思う。今日はこれまでということにしていただけるかしら?」

 

「はい、承知しました。幸恵様に見つかってしまった以上、続きをするわけにもいきませんから」

 

 琴陽は横目でちらりと幸恵を見てから、ロザリンデに答えた。

 

「では、約束は守ってもらえるわね」

「はい、もちろんです」

 

 琴陽はすっきりした表情でロザリンデにそう言うと、結梨に歩み寄って顔を近づけた。

 

 そして結梨以外の者には聞き取れない小声で、そっと琴陽はささやいた。

 

「私を経由して『御前』に連絡を取る方法は、後日私から結梨さんにお知らせします。

少し時間はかかるかもしれませんが、必ず約束は守りますので、それまで待っていてください」

 

「うん、分かった。ありがとう、琴陽。

手合わせ面白かったよ。琴陽ってすごく強いんだね。また会えるといいね」

 

 屈託の無い笑顔を見せる結梨に、琴陽は嬉しそうに頷いた。

 

「こちらこそ、私のわがままに付き合ってくださってありがとうございました。

次は水を差されない所で、マギが尽きるまで続けたいものです。

それでは失礼します。ごきげんよう」

 

 琴陽は結梨と握手した後、ロザリンデと幸恵たちに一礼してその場を去って行った。

 

 その後ろ姿を見送ってから、あらためてロザリンデは幸恵に向き直った。

 

「では、先程の話の続きをしましょうか。

相当に機密性の高い内容になると思いますので、人払いをした上で、あなたたちお二人と私で話し合いを――」

 

 言葉を途切れさせたロザリンデが自らの手元を見ると、結梨がロザリンデの制服の袖を軽く引っ張っていた。

 

「ロザリンデ、私も一緒に話を聞いていたい。いい?」

 

 少しだけ考え込んだ後で、ロザリンデは肯定の返事を口にした。

 

「――いいわよ。G.E.H.E.N.A.と親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンがしようとしていることについて、あなたには知る権利がある。

それに、お互いの信用のためにも、こちらから一方的にルドビコの事情だけを聞くわけにはいかない。

私たちも同じように自分たちの抱えている事情を、幸恵さんたちに話しておく必要がある。

そのためにも、あなたに同席してもらうのは、とても重要なことに違いないわ。

おそらく、私たち二人と幸恵さんたちは相似的な関係にあると思う。

――幸恵さん、すみませんが少しここでお待ち願います。

必要であれば、幸恵さんたちもアイアンサイドの本隊に一時離隊の連絡を入れておいてください」

 

 ロザリンデは碧乙を連れて少し離れた所へ行き、これから自分と結梨が幸恵たちと話をする間、ロスヴァイセは交代で小休止と周辺の哨戒を行うように指示を出した。

 

「少し話が長くなるかもしれない。もしヒュージサーチャーに反応が出たら、すぐ私に連絡して。臨時統合司令部から連絡が入った場合も同様」

 

「分かりました。ところで、幸恵さんと一緒にいる1年生は、来夢と名乗っていました。

ということは、あの時『御前』が言及していた人物の一人ですよね。

予備知識なしだと、どこにでも居そうな単なる新米リリィにしか見えませんね」

 

「それは結梨ちゃんも同じよ。望むと望まざるとにかかわらず、他者から背負わされた特別な能力を持っているだけで、それ以外は何も変わらない普通の女の子なのだから」

 

 碧乙と別れたロザリンデは幸恵たちのいる所へ戻り、薔薇の植え込みに囲まれた芝生の方を指さした。

 

「お待たせしました。そこの芝生で私たち四人でお話しする形でよろしいでしょうか」

 

「はい、構いません。行きましょう」

 

 ロザリンデ、幸恵、来夢、結梨の四人は芝生の上に二人ずつ向かい合って座る形になった。

 四人の中で、最初に口を開いたのは来夢だった。

 

「あの、そちらのリリィはどなたでしょうか?たぶん私も幸恵お姉様も会ったことは無いと思うんですが……」

 

 来夢が結梨を見てどことなく不安げな表情で尋ねると、ロザリンデが結梨に話しかけた。

 

「結梨ちゃん、もうゴーグルを外しても構わないわ」

「本当にいいの?」

「ええ、それが今は必要なことだと思うから」

「分かった。じゃあ外すよ」

 

 ゆっくりと結梨がゴーグルを外し、素顔が現れると、来夢より先に幸恵が気付いた様子で目を見開いた。

 

「あなたは確か、以前に捕縛命令が出ていた――」

 

「はじめまして。百合ヶ丘女学院1年生の一柳結梨です」

 

 結梨は幸恵に自らの名前をはっきりと名乗って、ぺこりと頭を下げた。

 

「あの時は突然に命令が取り消され、その後の情報は何もガーデンからは知らされていませんでした。

素顔を隠していたということは、何か事情があってのことなのですか?」

 

 幸恵が結梨とロザリンデを交互に見て問いかけ、その質問に答えたのはロザリンデの方だった。

 

「彼女は捕縛命令の取り消し後、突然出現したギガント級ヒュージと交戦の末、未帰還で生死不明の状態になり、百合ヶ丘のガーデンからは死亡扱いとされました。

しかしその後、幸運にもガーデンから離れた海岸で倒れていたのを、私たちのレギオンが発見したのです。

その状況を利用し、公には死亡したものと思わせて、G.E.H.E.N.A.の目から隠しているのが事の真相です」

 

「やはりG.E.H.E.N.A.が関与していたのですね。であれば賢明な判断だと思います。

この子――来夢の父親である岸本教授も、今はG.E.H.E.N.A.から身を隠して潜伏していると泉先生から聞きました」

 

「その人もG.E.H.E.N.A.に追われるような立場だったのですか?」

 

「はい、岸本教授は或る強化実験のプロジェクトに関わっていて……この事はまた後でお話しします。

でも、どうして私たちに結梨さんの事を明かしたのですか?

この場に同席してもらわずに、秘密にしておいた方が良かったのではないですか?」

 

「それは、これから話し合いをする上で、あなたたちに私たちを信用してもらうためです――こちらが隠し事をしていない事実を示すことによって。

また、彼女が自らの存在をはばかることなく、自由にあなたたちと話し合うことが出来るようにするためでもあります。

その方が彼女自身の存在を肯定することにもなると考えたからです」

 

「分かりました。そこまでの秘密を打ち明けられたからには、私たちもそれに応えなければいけませんね」

 

 幸恵はジャケットの襟を正すと、落ち着きのある口調で静かに説明を始めた。

 

「ルドビコのガーデンはG.E.H.E.N.A.と結託して、生徒であるリリィに不当な強化実験を繰り返していました。

ある者には強化の処置以外では救命できない致命傷を故意に負わせ、また別の者には自ら進んで強化実験を受けざるを得ないように仕向け、様々な策を弄して強化リリィを生み出していたのです。

強化実験には常に失敗のリスクが伴います。

強化の過程で命を落としたり、理性を失いヒュージとして処分されたリリィも少なくありません。

G.E.H.E.N.A.の手先となって働いていた教導官たちの言い分では、強化実験はより強いリリィを作り出し、ヒュージに対して優位に戦うことを目的としていると。

しかし、その実態は犠牲を厭わない非人道的な人体実験そのもので、多くのリリィに悲惨な末路をたどらせる結果になりました。

私たちのレギオンであるアイアンサイドにも、複数の強化リリィがいます。

いま私の横にいる来夢も、その強化リリィの一人です」

 

 幸恵は複雑な面持ちで、黙って自分の隣りに座っている来夢の横顔を見た。

 

 その来夢は、これまでにルドビコで起こった事件の数々を思い出しているのか、重苦しい表情で視線を芝生の上に落としていた。

 



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第12話 エリアディフェンス崩壊(5)

 ルド女舞台のネタバレ全開の説明回です。

 内容はほとんど幸恵様とロザリンデ様の会話で埋め尽くされています。

 アニメ・ラスバレ・舞台の情報を統合しようとしてキャパオーバー気味です。読みにくいです。すみません。

 結梨ちゃんと来夢さんはほぼ隣りで話を聞いているだけの状態になってしまい、申し訳なく思っています……



 

「来夢さんが、強化リリィ……」

 

 ロザリンデと結梨の眼前に座っている来夢は、結梨と同じく一見普通の少女にしか見えない。

 

 だが、来夢はあの『御前』が「ヒュージの姫」と、わざわざ特別な呼び名を用意したほどのリリィだ。

 

 単なる強化リリィの一人に過ぎないはずは無いと、ロザリンデは考えざるを得なかった。

 

 言葉を途切れさせたロザリンデに、幸恵は来夢についての説明を続ける。

 

「ただし来夢の場合は、彼女が特別な出自を持つ強化リリィだったため、通常の強化実験を受けさせられることはありませんでした」

 

「特別な出自とは?」

 

「それは――」

 

 口ごもった幸恵に代わって、来夢が自らの持つ秘密を告白した。

 

「私がお母さんから生まれる前、胎児の段階で体内にヒュージ細胞を埋め込まれたことです。

私は生まれついての強化リリィなんです。

そのためか、今まで私はヒュージから攻撃されたことがありません」

 

「――!」

 

 来夢の発言を聞いたロザリンデは頭の中が真っ白になり、返す言葉が出て来なかった。

 

(それで『御前』が彼女のことを「ヒュージの姫」と呼んでいたのか……しかし)

 

 ようやく、その口から息苦しそうに言葉を吐き出すことが出来たのは、十数秒も経ってからだった。

 

「胎児にヒュージ細胞を埋め込む……仮に母親の同意があったとしても、そんな事は法律と倫理の両面で許されるはずがありません。

人権を無視した明らかな犯罪行為です。

必ず首謀者と実行犯に法の裁きを受けさせるべき、いえ、受けさせなければなりません」

 

「あなたと同じように、泉先生も一連の実験に携わった関係者を告発すると言っていました。

ですが現実問題として、それらの実験の物的証拠を集めるのは容易なことではありません。

実験の記録は全てルドビコのガーデンとルドビックラボが管理・保管していて、令状が無い限り、それらを押収することはできないでしょう。

私たちからの告発だけを根拠にして令状が出され、捜査機関が動いてくれる保証はどこにもありません。

かと言って、私たちリリィが武力をもって強制的にラボに侵入すれば、逆にこちらが犯罪者として裁かれる立場になってしまいます」

 

 幸恵の説明を聞きながら、結梨は御台場女学校を訪れた際に、強化リリィの司馬燈が口にしていた発言の内容を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

『ふん、そんなお行儀の良い事をしても、どうせ裏から手を回して裁判所や検察を丸め込むに決まってますわ』

 

『まともな順法主義が通用するような相手ではないことは明白。それなら向こうから先に第一撃を撃たせて、正当防衛としてその場で片付けてしまう方が現実的なやり方ですわ』

 

 それは法で裁くことの出来ない悪を、力で断罪するための権謀術数と言ってもいい、悪魔的な魅力を持った手段だった。

 

 しかしその手段を採用すれば、証拠を手にすることが出来たとしても、敵味方のいずれか、あるいは両方に死傷者を出すことは免れない。

 

 目的のためには手段を選ばないマキャベリズムに身を委ねておきながら、表向きは勧善懲悪のストーリーの主人公のごとく自らを演出する。

 

 あまりにも政治的な、その方法を躊躇なく選択できるほど、自分たちは「大人」にはなりきれない。

 

 

 

 

 

「誰も傷つけずに、みんなを助けたい――私たちのしようとしてる事って、綺麗事なのかな」

 

「私たちの力は、その綺麗事を貫くために与えられたのだと信じましょう。青臭い子供の理想論だと鼻で笑われても」

 

 憂いを帯びた結梨の横顔を見たロザリンデは、その結梨の気持ちを目に見えない何かから守ろうとするかのように、そっと手を握った。

 

 そしてあらためて幸恵と来夢に向き直り、再び来夢についての質問を始めた。

 

「ところで、先ほど幸恵さんが少しお話しされた、岸本教授が関わっていたプロジェクトとは、来夢さんの身体にヒュージ細胞を埋め込む実験のことだったのですか?」

 

「いえ、岸本教授がこのガーデンでの実験に携わり始めたのは、来夢が生まれた後のことです。

来夢の実験に直接関与していたのは、来夢の親友――天宮・ソフィア・聖恋の父親である天宮教授という人物でした。

当初は胎児の聖恋にヒュージ細胞を埋め込もうとしていたようですが、聖恋の母親が実験の前に逃亡したため、来夢の母親が代わりの被験者に選ばれたそうです」

 

 自分の妻と子供を人体実験の被験者にしようとする時点で、その天宮教授という人間は間違いなく常人ではないとロザリンデは確信した。

 

 それだけの事ができる者なら、家族でもない赤の他人をどれほど実験台にしようとも、何の罪悪感も覚えなかっただろう。

 

「おそらく岸本教授は強化実験のプロジェクトに関わっていく過程で、良心の呵責に耐えかねたか、身の危険を感じて姿をくらましたのだと思います」

 

「お父さんは元々、自然環境をヒュージが出現する前の状態に戻すための研究をしていたそうです。生き物がヒュージに変化しないような仕組みを見つけようと」

 

「それがどうして強化リリィの人体実験に関わることになったのか、詳しい事情は分かっていません。

また、岸本教授が具体的にどのような強化実験に関わっていたのかも現時点では不明です」

 

「G.E.H.E.N.A.が強化実験なんてしなければ、お姉ちゃんは死なずに済んだんです。

小阪先生や風音様だって、あんなことにはならなかった……」

 

 その時の光景が脳裏に甦ったのか、来夢は声を詰まらせて目に涙を溜めていた。

 

 幸恵は言葉を途切れさせた来夢の肩をそっと抱き、その様子を見たロザリンデは、しばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。

 

「私たちの事もお話しておきます。私の所属するLGロスヴァイセは、対ヒュージ戦闘を任務とする通常のレギオンとは異なり、強化リリィの救出やG.E.H.E.N.A.に対する機密性の高い任務を担当する特務レギオンです。

そして、このたびの支援要請にロスヴァイセが派遣された理由の一つは、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるルドビコ女学院の実質的崩壊についての情報を、可能な限り多く得るためです」

 

「そんなにはっきりおっしゃられると、こちらもどう答えていいものか困ってしまいますね」

 

 あまりにも率直に自らの目的を打ち明けたロザリンデに、幸恵は思わず苦笑した。

 

「私は、あなた方LGアイアンサイドのリリィと信頼関係を築きたいという希望を持っています。

ともにG.E.H.E.N.A.に対して『NO』を突き付ける仲間として。

そのためには、こちらが秘密を隠したままで相手に信頼してもらおうというのでは、筋が通りません。

だから、こうして私たちの目的も隠さずに話しておく方が良いと思ったのです」

 

「あなたたちが私たちを謀ろうとする意思が無いことは分かりました。続けて下さい」

 

「もう一つお話しておかなければならない事があります。

彼女――一柳結梨さんは、G.E.H.E.N.A.とグランギニョル社によってヒュージの幹細胞から生まれたリリィです。

当然のことながら実験を主導したのはG.E.H.E.N.A.で、グランギニョル社はG.E.H.E.N.A.に唆される形で協力してしまったようです。

そしてG.E.H.E.N.A.は彼女を保護した百合ヶ丘女学院から身柄を奪い返すために、政府機関に働きかけて捕縛命令を出させたのです」

 

「そうだったのですか。明らかに裏のありそうな命令内容だったので、不審に思っていたのですが、G.E.H.E.N.A.ならそのような非人道的な実験でも躊躇なく行うでしょう」

 

 人倫を無視したG.E.H.E.N.A.の強化実験の実態を、繰り返し目の当たりにしてきた幸恵と来夢は、ロザリンデの説明を聞いても全く動揺しなかった。

 

「結梨さんがいなければ、突然出現したギガント級に私たちは多大な犠牲を強いられ、最悪の場合は百合ヶ丘のガーデンが壊滅していた可能性もありました」

 

「私たちにしても、来夢がいなければマギの回復もできないままギガント級に殺されていたでしょう。

来夢がカリスマで全員のマギを回復させ、ギガント級が来夢を守るために小阪先生を、いえ正確には天宮教授を攻撃したからこそ、私たちは助かったのですから」

 

「ちょっと待ってください。教導官や教授が敵としてあなたたちのレギオンと直接戦ったのですか?」

 

「はい。私たちの最後の敵となったのは、教導官である小阪先生の中にいた天宮教授でした」

 

「それは、どういう意味ですか?」

 

「天宮教授は、自身の脳――おそらくは自我の意識と記憶に関わる部分を小阪先生に移植し、結果として二つの自我が小阪先生の中に存在していたのです」

 

「他人への脳移植……自分の身体を捨ててまで、そんな常軌を逸したことをしたのですか?その天宮教授という人物は。狂気の沙汰としか言いようがない」

 

 自らの妻子を人体実験の被験者とするような人間なら、そのくらいのことは簡単にやってのけるというのか。

 

 正真正銘のマッドサイエンティストが現実に存在することを、ロザリンデと結梨は今この瞬間に思い知らされた。

 

「そしてヒュージを使って私たちを絶体絶命の窮地に追い詰めることによって、来夢にさらなる能力を覚醒させようとしたのです。

結果として、ギガント級が来夢を守る行動を見せたという現象を、私たちは目の当たりにしました。

でも、それが来夢の意思に基づくものだったかまでは分かりません。

来夢本人も、その時のことはよく覚えていないそうです」

 

「つまり、来夢さんはヒュージの行動を支配できる可能性があると。

それが事実なら、G.E.H.E.N.A.にしてみれば垂涎の能力であることは間違いないでしょう」

 

「そうです。G.E.H.E.N.A.は任意の場所にケイブを発生させる技術はあっても、ヒュージそのものを操る技術はまだ持っていません。

もっとも、明確にヒュージが来夢を守る行動を見せたのは、その時だけですが」

 

「結梨さんも、捕縛命令解除の直後に現れたギガント級と戦った時、複数のレアスキルを同時に使用したという目撃情報が残っています。

これも来夢さんと同様、他のリリィが持っていない極めて特別な能力です」

 

「G.E.H.E.N.A.にしてみれば、どちらも喉から手が出るほど欲しい能力でしょうね。

それらの能力を自らの技術として利用できるようになれば、G.E.H.E.N.A.は今とは比較にならないほど強大な力を手にすることができます」

 

「つまり、それらの能力を持った彼女たちの身柄を自らの手中に収めたい。唯一無二の貴重な生体サンプルとして。G.E.H.E.N.A.はそう考えているに違いありません」

 

「G.E.H.E.N.A.とルドビコのガーデンは、自分たちに歯向かったリリィを排除することと、来夢をより高次の能力に覚醒させることを一石二鳥で実現するために、私たちを抹殺しようとしました。

その戦いの中で何人もの教導官が命を落とし、最後には天宮教授に人格を支配された小阪先生もマギの暴走で死亡しました。

こうして、G.E.H.E.N.A.が出現させた大量のヒュージや、教導官とリリィとの戦いによって、ルドビコのガーデンは甚大な人的物的損害を被り、実質的にガーデンとしての機能を喪失した状態になりました。

これが巷で噂されているルドビコ女学院崩壊の真相です」

 

「そういうことだったのですか。実は捕縛命令の解除直後に結梨さんが戦ったギガント級も、G.E.H.E.N.A.が私たちを抹殺するために出現させたヒュージである可能性が非常に高いと考えています。

あのギガント級を倒せなければ、百合ヶ丘もルドビコ同様にガーデンが壊滅し、多数の戦死者を出していたでしょう」

 

「ヒュージを使って敵対者を殺害するやり方は、G.E.H.E.N.A.の常套手段です。

それ以外にも、高次のレアスキル覚醒や新型ヒュージの性能テスト、特殊な環境下における特異現象の再現など、G.E.H.E.N.A.はあらゆる実験にリリィとヒュージを利用しようとします。

もちろん、その際に犠牲になるリリィや一般市民のことは一切眼中にありません。

目的とする実験の成果が充分に得られれば、彼らはそれで満足なのです」

 

 幸恵の説明は、特務の強化リリィとしてのロザリンデがよく知るG.E.H.E.N.A.の実態そのものであり、何ら違和感を感じることの無い内容だった。

 

 むしろ、味方であるはずの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィを容赦なく使い捨ての実験材料にしてしまえるドラスティックさに、乾いた笑いさえこぼれそうになった。

 

「どうやら私たちの認識に不一致は見られないようですね。

今、私たち百合ヶ丘女学院のガーデンは、異形生命体としてのヒュージとの戦いとは別に、同じ人間の組織であるG.E.H.E.N.A.との戦いを強いられようとしています。

あなたたちの自主結成レギオン、LGアイアンサイドが反G.E.H.E.N.A.主義であると見込んで、これからも相互に情報を共有し、共闘関係を築くことを希望します」

 

「分かりました。そのご提案を受けさせていただきます。

実働部隊である教導官の多くを喪失したため、ルドビコのガーデンはまだ具体的な善後策の動きを見せていない状態です。

私たちも泉先生と一緒に、どのようにガーデンに相対していくか、今後の活動方針を手探りで進めようとしているところです。

もしこの先、アイアンサイドがルドビコのガーデンやG.E.H.E.N.A.と再び決定的に対峙しなければならなくなった時には、お力になっていただけると助かります」

 

 幸恵とロザリンデは、来夢と結梨が見ている前で堅く手を握り合い、その握手をもって両者の協力関係が成立した。

 

「微力ながら助力させていただきます。さて、そうなると喫緊の問題であるエリアディフェンスの崩壊についてですが」

 

 ロザリンデはロスヴァイセが布陣している新宿御苑の西方、山手線を越えて都庁のある方角を眺めた。

 

「現在、新宿都庁でのエリアディフェンス設備の爆発的事象を発端として、都内各所でケイブおよびヒュージが発生していますが、これもG.E.H.E.N.A.が仕組んだことではないかと百合ヶ丘では考えています」

 

「これまで東京で起こってきた数々のイレギュラーなヒュージの出現を考慮すれば、その考えにたどり着くのは自然なことだと思います。

加えてルドビコのガーデンでは、G.E.H.E.N.A.が人工的にケイブを発生させて、何度もヒュージにリリィを襲わせてきました。

その事実を、私たちは教導官の口から直接聞きました。

主な目的は致命傷を負ったリリィに強化処置を施して救命し、強化リリィとするため。

今起きている大規模なヒュージの発生も、裏でG.E.H.E.N.A.が何らかの重要な実験をしようとしているのでしょう」

 

「その実験の目的とは、先ほど幸恵さんが言われたように、被験者として目を付けたリリィを絶望的な状況に追い込み、より高いレベルの能力の覚醒を促すことでしょうか。

あるいは新たに開発したヒュージの性能テストでしょうか」

 

「これまでに私たちが経験してきたことから推測すると、その両方である可能性が高いと思います。

G.E.H.E.N.A.が何を目論んで今回の事態を引き起こしたのか――根底にあるのは実験の完遂とその結果から得られる力、この二つのみです。

であれば、おそらく今この戦場に立っているリリィの誰かが、その実験台に選ばれたということです――それが来夢なのか、結梨さんなのか、それとも他の誰かなのか」

 

 過去の戦いの記憶が甦ったのか、重苦しい表情をする幸恵に結梨が歩み寄った。

 

「幸恵、もうこんなことは私たちで終わりにしよう。

これ以上G.E.H.E.N.A.のせいで悲しんだり、苦しい思いをするリリィを出さないように」

 

 結梨の言葉に重ねるように、来夢も幸恵に訴えかける。

 

「そうです、幸恵お姉様。私や結梨さんが持っている特別な力は、G.E.H.E.N.A.が自分たちの力として独占していいものじゃありません。

私たちの力は、すべてのヒュージを倒して平和な世界を創るためにこそ使うべきです」

 

 それがどれほど困難なことか、年長者であるロザリンデと幸恵にはよく分かっていた。

 

 現実には、G.E.H.E.N.A.は犠牲を顧みない実験を数え切れないほど繰り返し、夥しい被験者の命と引き換えに、より強力な力と危険な技術を手に入れてきた。

 

 歯向かう者には容赦の無い弾圧と制裁を加え続け、時には暗殺同然に命を奪うことも辞さない。

 だが――

 

「それでも――立ち止まるわけにはいかない、か」

 

 抵抗することを止めてしまえば、それは直ちに自分たちの生殺与奪の権をG.E.H.E.N.A.に委ねることを意味する。

 

 自分たちの力は自らを守るためにあり、自分以外の誰かを守るためにある。

 

 決して他の誰かを支配するためにあるのではないと、自らの力で示さなければいけないのだ。

 

「そうね、あなたたちの言う通りだわ。私たちにはそれが出来るだけの力がある。

あなたたちの様なリリィは特に。なら、そうしなければね」

 

 幸恵はロザリンデと顔を見合わせた後、半ば自分に言い聞かせるかのような口調で来夢と結梨に語りかけた。

 

 そして来夢と結梨が幸恵の言葉に頷くのを見てから、ロザリンデが幸恵に言葉を掛ける。

 

「最後に一つ、もし来夢さんの前に『御前』と名乗る正体不明の女性が現れた場合、来夢さんをかどわかす可能性があります。十二分に用心してください」

 

「誘拐とは穏やかではありませんね。一体どういうことですか?」

 

「私たちにも詳しいことは分かりませんが、彼女は特別な能力を持つ強化リリィを自らの仲間に引き入れて、自分の理想を実現しようとしている節があります。

異常に高い戦闘能力を持つことから、彼女自身がG.E.H.E.N.A.に関係している強化リリィの可能性もあります。

それゆえ、『御前』が友好的な態度を取ったとしても、その正体が判明するまでは気を許すべきではないと考えています」

 

「分かりました。ガーデンや戦場で来夢が一人にならないように注意します。

――失礼します、司令部からアイアンサイドに連絡が入ったようです」

 

 幸恵がジャケットから通信端末を取り出し、ガーデン防衛に当たっているアイアンサイド本隊からの連絡に応答する。

 

 それを見たロザリンデと結梨がロスヴァイセの待機している方を振り向くと、広い庭園の中央付近に数人のリリィが集まり、通信端末を耳に当てていた。

 

 しばらくの後、通信を終えた伊紀が仲間のリリィに短く指示を出してから、ロザリンデと結梨の所へ走り寄ってきた。

 

「先程、臨時統合司令部から連絡が入って、新宿御苑周辺で防衛軍の工兵部隊が小型エリアディフェンス装置の設置を進めているとのことです。

設置完了までの間、ロスヴァイセは当地にて哨戒任務を継続。

その後、休息と補給のために御台場女学校へ向かうようにとの命令を受けました」

 

 




追記

・天宮教授の漢字が間違っていましたので訂正しました。ご連絡下さった方、本当にありがとうございました。

・来夢さんがヒュージに攻撃されたことが無い(ヒュージに傷つけられたことが無い)記述を追加しました。


さらに追記(2021年10月24日)

・ルド女の再演舞台を配信で見ていたら、小阪先生の漢字を間違えていたことに気づいたので訂正しました。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(6)

 

 ロザリンデと結梨が幸恵たちとの話し合いを終えてから三時間後、防衛軍の工兵部隊は新宿御苑周辺における小型エリアディフェンス装置の設置を完了した。

 

 それに伴って実質的に彼らの護衛役を務めていたロスヴァイセの任務も終了し、休息と補給のために御台場女学校へ向かうこととなった。

 

 既に日は沈み、周囲一帯は停電している。

 普段は街灯に照らし出されている建物や道路は、僅かな月明かりを反射するのみだった。

 

 ロスヴァイセのリリィ九人と結梨は、市ヶ谷の臨時統合司令部から手配された防衛軍の装輪装甲車に乗り込み、臨海部にある御台場女学校へと向かっていた。

 

 運転席と隔てられた車両後部のロングシートに五人ずつが対面で座り、彼女たちの身体を時おり不規則な振動が揺らし続けていた。

 

 通信端末で司令部とのやり取りをしていた伊紀が通信を終え、ロザリンデに状況の報告を始める。

 

「司令部からの情報では、ヒュージの駆逐を達成できた区域から順次、小型エリアディフェンス装置の設置が進められています。

この車両はその区域を選択して通過し、御台場女学校へ向かうとのことです」

 

「ガンシップは使えなかったの?」

 

「ガンシップを新宿御苑上空に呼ぶことは許可されませんでした。

都庁周辺に未知の特型ヒュージが出現し、その個体の戦闘能力の全容が不明のため、司令部は空路での移動を危険視したようです」

 

「長射程の対空砲火を撃ってくるかもしれないということか……遮蔽物の無い空中で狙い撃ちにされたらひとたまりも無いものね。

都内全体の戦況はどうなっているの?」

 

「今のところ、一進一退よりは幾分良い状況です。

ヒュージを駆逐した区域の小型エリアディフェンス装置は、少しずつですが設置が進み、以降のケイブ発生を抑制しています。

また、不幸中の幸いで、これまでギガント級の出現は確認されていません。

目下のところ最大の障害となっているのが、新宿の都庁最上部に居座っている特型のヒュージです。

これは先ほどガンシップを呼ぶに当たって障害となったヒュージと同一の個体と見られます。

現在は巨大な繭の様な物体を形成して、その動きを止めているとのことです。

おそらく次の行動に移るための準備を、繭の中で進めているのではないかと推測されます」

 

「今のうちに、その繭を壊してしまうことはできないの?」

 

 伊紀の説明を隣りで聞いていた結梨が尋ねると、伊紀はやや沈んだ表情で首を横に振った。

 

「現地で展開中のレギオンが放ったノインヴェルト戦術のフィニッシュショットを、その特型ヒュージがマギリフレクターで防御したとの報告が入っています。

なので、通常の攻撃で撃破することは難しそうです」

 

「それなら、私たちがそこに行って一緒に戦うことはできる?」

 

 再度の結梨の問いに、またしても伊紀は否定の返事を返す。

 

「残念ですが、これ以上の都庁周辺への戦力投入は禁止されています。

現時点で当該地点に展開されているレギオンのみで、目標の特型ヒュージを排除せよとの命令です」

 

 その内容を不可解に思ったロザリンデが、訝しげな表情で伊紀に尋ねる。

 

「なぜ司令部はそのような命令を出しているの?防衛軍の幕僚長からの指示なの?」

 

「いえ、防衛軍ではなく、一部の政府筋からの要請があったとのことです。

都庁の特型ヒュージは極めて特殊な個体であるため、可能な限り多くの情報を収集したい。だから無闇な増援は必要無いと」

 

(つまり、ヒュージの能力を最大限まで引き出すように、拮抗した彼我戦力差を維持するというわけか。だが、現地で戦っているレギオンの負担、いや危険は計り知れない――)

 

 そこまで考えを進めた時、ロザリンデは何かを思いついたように息を呑んだ。

 

(違う。幸恵さんたちから聞いた話を踏まえると、能力を最大限まで引き出させようとしている対象はヒュージではなく、そこで戦っているリリィの方だわ)

 

(被験者としたリリィを更なる能力に覚醒させるため、そのリリィや仲間を絶体絶命の窮地に追い込む。そしてその局面を打開するために、限界を超えた力を発揮させる。それがG.E.H.E.N.A.のやり方だと)

 

(その政府筋とやら、まさか以前の査問委員会と同様に、G.E.H.E.N.A.の息がかかった人間が策動している?)

 

「いま都庁周辺で戦っているレギオンは――」

 

「一柳隊、ヘルヴォル、グラン・エプレの3レギオンです」

 

(その中の誰かが今回の実験対象者……今の段階では特定する材料に乏しいか)

 

「お姉様、どうします?今から都庁へ駆けつけますか?」

 

 碧乙がロザリンデに意思確認をすると、ロザリンデは冷静に否定の返事を口にした。

 

「いえ、わざわざそんな禁止命令を出すということは、当然そのような行動を取る者の存在を想定しているに違いないわ。

もし私たちが命令に背いて都庁に向かったとしても、ただちに行く手を阻むための対応が取られるはずよ。

その対応に動員されるのが、防衛軍の部隊か近隣のガーデンのリリィかは分からないけれど。

そして私たちがその妨害を排除して進もうとすれば、人間同士の戦闘に発展してしまう事態になる」

 

「その結果、交戦規程違反、軍法会議、刑事裁判のフルコースが待ち構えているというわけですか。

リリィが命令に反してCHARMで人を傷つけたとなれば、下手をすれば百合ヶ丘のガーデンそのものが取り潰しになる可能性すらありますね」

 

「そう。だから、今は都庁で戦っている3レギオンの支援に向かうことはできない。

悔しいけれど、敵は用意周到に実験場を作り上げている。

迂闊に立ち入ろうとすれば、たちまち陥穽に陥るように様々な仕掛けが張り巡らされているでしょう。

都庁への増援を禁止する命令も、そうした策の一つに過ぎないわ」

 

 一方、ロザリンデの説明を聞いていた結梨は、眼前で展開されていた深刻な見解とは異なる意見を口にした。

 

「梨璃たちが自分の力でヒュージを倒すしかないってことなんだね。

でも、『御前』が来た時に現れたヒュージは、梨璃がレアスキルを使って、百合ヶ丘のリリィ全員でノインヴェルト戦術をして倒したって聞いたよ。

今度も梨璃がいれば、一柳隊だけじゃなくて三つのレギオン全員でノインヴェルト戦術ができるんじゃない?」

 

 結梨の指摘を聞いたロザリンデは、再び幸恵の説明を思い出した。

 

(……そうか。おそらく、それこそが実験の狙い。あの時よりも過酷な状況で、より強力なヒュージを倒すために、より高次のレアスキルの発動を余儀なくさせる。梨璃さんのレアスキルは来夢さんと同じカリスマ。そして、カリスマより高次のレアスキルと言うことは――)

 

 その先へ考えを進めようとした時、碧乙の声が耳に届いて、ロザリンデは思考を中断した。

 

「お姉様、私たちは特務レギオンである上に、結梨ちゃんを帯同しています。

御台場女学校へ入るに当たっては、人目につかないようにする必要があります」

 

「そうね。伊紀、百合ヶ丘の理事長代行に連絡して、その旨を御台場へ申し入れていただくようにお願いしてくれる?」

 

「分かりました。少しお待ちください」

 

 伊紀は理事長代行の高松咬月としばらくの間、通信端末を介して話し合いをし、何度か頷いた後、通信を終了した。

 

「お待たせしました。私たちが来賓用の特別ゲートから入れるように、百合ヶ丘から御台場のガーデンへ要請して下さるそうです。

また、機密保持のため、史房様と結梨ちゃんが御台場を訪問した際に応対したリリィを呼んでいただけるとのことです」

 

「それなら一安心ね。でも、御台場も主だったレギオンは外征に出撃していて不在のはず。生徒会の誰かがガーデンに残っているのかしら」

 

「でも、生徒会長の月岡椛様も副会長の川村楪様も、LGヘオロットセインツの要です。お二人を抜きにしてレギオンが外征に出撃するとは考えにくいのですが」

 

 自分たちを出迎えるものが誰なのかを気にするロザリンデと伊紀に対して、碧乙は特に気掛けていない様子だった。

 

「いずれにせよ、御台場なら百合ヶ丘と同じ反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンです。

ルドビコやエレンスゲのような親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンに入るのとは訳が違います。

今夜はゆっくり休んで明日に備えさせてもらいましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 一行を乗せた車両が東京湾の臨海部に位置する御台場女学校に到着したのは、それから約30分後のことだった。

 

 正門を避けて敷地の目立たない所にある来賓用のゲート前で車両は停止し、結梨を含めた十人のリリィは整然と降車した。

 

 ゲートを通って敷地内に入った結梨が見た景色は、史房と一緒にここを訪れた時と寸分も変わってはいなかった。

 

 前回はこの先のエントランスで、生徒会長の月岡椛が出迎えてくれたのだ。

 しかし先ほどの話では、椛がガーデンに残っている可能性は高くなさそうだった。

 

 果たして、一行がエントランスに近づいた時、前回と同じくガラス張りの扉の向こうに人影が見えた。

 そのシルエットは結梨が知る月岡椛のものとは異なっていたが、見覚えがある別人のものだった。

 

「ごきげんよう、百合ヶ丘女学院の皆様方。遠路ようこそ御台場女学校へ。

寝所も補給物資も既にご用意しておりますわ。明日のために充分ご準備・お休みなさいませ」

 

「燈、久しぶり。元気だった?」

 

 エントランスで一同を出迎えた司馬燈に、結梨が前に進み出て親し気に話しかけた。

 

「お久しぶりですわね、一柳結梨さん。お変わりありませんこと?

あなたこそ随分とご活躍なさったようで、何よりですわ。

少し見ない間に、変わったCHARMを使うようになったのですわね。

そのCHARM、いかにも第4世代の機体に見えますが」

 

 エインヘリャルを装備した結梨の全身を、燈はしげしげと興味深そうに眺めている。

 

「うん、御台場から百合ヶ丘に帰る途中で、麻嶺っていうリリィに会って、その人に作ってもらったの。

元々は百由が作ろうとしてたんだけど、百合ヶ丘ではなかなか使いこなせるリリィがいなくて、途中で止まってたのを麻嶺が引き継いだんだって」

 

「当然ですわ。そのCHARMは精神直結型の完全無線誘導方式でしょう。

私と同等以上の適性が無い限り、到底使いこなせるものではありませんわ。

無理に動かそうとすれば精神に重大なダメージを受けて、最悪の場合は廃人になりかねませんわ」

 

「そうなんだ……でも、私は初めから普通に使えたよ」

 

「あなたはあらゆる意味で規格外のリリィですから、何が出来ても不思議ではありませんわ。

――これは私見ですが、その気になれば全てのレアスキルに覚醒できるのではないかとさえ思えてくるほどですもの」

 

「どうも話を聞いていると、第4世代CHARMってほとんどニュータイプ専用機みたいな機体なのね。

現状では、とても一般的なレギオンに標準配備できるような代物じゃ無さそうね」

 

 結梨の後ろで燈の説明に耳を傾けていた碧乙は、隣りにいる伊紀に半分あきらめ顔でささやいた。

 

「懸念があるとすれば、G.E.H.E.N.A.がリリィを過度に強化させて、無理やりにそうしたCHARMを使わせることですね。

あるいはCHARM自体の性能に異常なブーストを掛ける改造をして、強化リリィではない一般のリリィに装備させることも考えられます」

 

 その伊紀の発言が耳に入ったのか、燈は表情をやや鋭く引き締め、何事かを口にしようとした。

 

 その時、燈の発言よりも早く、結梨の隣りにいたロザリンデが燈に話しかけた。

 

「自己紹介がまだでしたね。私たちは百合ヶ丘のLGロスヴァイセのリリィです。

私は3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーと申します。

このたびはお忙しい中、私たちを受け入れてくれる準備を整えていただき――」

 

「堅苦しい挨拶は省いてもらって構いませんわ。今は非常事態、私たちリリィは武人。余計な社交辞令は不要ですわ」

 

「あなたが『鞍馬の女天狗』と呼ばれた司馬燈さんですね。お噂はかねがね耳にしています」

 

 司馬燈。かつて京都のG.E.H.E.N.A.研究施設を脱走し、山中に潜んでいたところを御台場女学校の船田純と戦い、それ以来彼女を慕うようになったという曰く付きの強化リリィ。

 

 脱走の際に司馬燈の担当研究員は全員死亡、研究室の設備もことごとく破壊されたとの機密情報を、ロザリンデは事前に把握していた。

 

「私の二つ名をご存じとは、そちら方面の事情に詳しい方がいらっしゃいますのね。

と言うよりも、あなた方のレギオン自体が、私と極めて近しい属性のリリィばかりで構成されていると表現した方がよろしいかしら」

 

「やはり、分かるのですね」

 

「ええ、分かりますとも。あなた方が普通のレギオンでないことは、私のようなリリィにはよく分かりますわ。

――あなた方、結梨さん以外は全員強化リリィですわね。

私も強化リリィなので、一目見れば察しがつきますわ。

そんなメンバー構成のレギオンが、単なる対ヒュージ戦闘部隊なわけがありませんわ。

そして、そのようなレギオンを百合ヶ丘が派遣したということは――」

 

「それは、あなたがLGロネスネスの外征に同行せず、このガーデンに残っている理由と同じでしょう」

 

 双方が次の言葉を探している少しの間に、結梨が思わず質問を口にする。

 

「燈。ロネスネスやヘオロットセインツのみんなは……?」

 

「あいにく、私を除いて全員出払っていますわ。

複数の遠隔地でヒュージが同時多発的に出現したため、東京中のガーデンから主力レギオンがごっそり対応に回されてしまいました。

私はロネスネスとヘオロットセインツが外征中、純お姉様の言いつけで留守を預からせていただいてますの。

最近、この御台場周辺でも非常に不可解なヒュージの出現がありましたので、旗艦レギオン不在の隙を突かれないようにと御配慮されたのでしょう」

 

「やはりそうですか。百合ヶ丘でも主だった外征レギオンは全て遠方に出撃中です。

本来なら私たちではなく、それらのレギオンが支援に駆け付けるはずだったのですが」

 

「さもありなん。そうなるように計らった輩がいるのですから、してやったりと今頃ほくそ笑んでいることでしょう。

またぞろ、ろくでもない実験を都内のどこかで仕掛けようとしているに違いありませんわ」

 

「どうやら考えていることは同じのようですね。

他の誰でもなく、あなたが留守番を任されたのも、御台場のリリィでは一番よく連中のことを知悉しているからでしょう」

 

「そのお言葉、喜んでいいものかどうか複雑な心境ですわ。

備えあれば憂い無しと言いますが、ヒュージとの戦闘よりも、その後ろで糸を引いている連中の手管の方がよほど厄介ですもの。

――さて、いつまでもここで立ち話をしているのも何ですから、滞在していただく部屋へご案内いたしますわ。私の後について来て下さいませ」

 

 

 

 

 

 

 

 一行が無人の廊下を燈に先導されて進んで行くと、何度かセキュリティゲートを通過した後に、校舎の奥まった所にある部屋の前にたどり着いた。

 

 その一角は一般生徒が立ち入らないよう、厳重に隔離された構造になっており、秘密裏に訪問者を滞在させるための設備であることが窺われた。

 

「特定の権限を持った者以外はここまで入り込めないようになっていますの。

ここに来ることができるのは教導官、生徒会、ロネスネス、ヘオロットセインツのリリィくらいですわ。

食事は後ほど私がお持ち致します。

弾薬やCHARMの交換部品なども、申し付けて下さればこちらで御用意します。

入浴等もこの中で出来ますので、今夜はここで御一泊下さるようお願いしますわ」

 

「お気遣いいただきありがとうございます。

しかし、これほど厳重に隔離された場所に案内されるということは、御台場にも何かしらの特別な事情があるのですか?もちろん結梨さんのことがあるにしても」

 

 ロザリンデの問いかけに、この日初めて燈は自信に満ちた表情をわずかに曇らせた。

 

「恥ずかしながら、この御台場のガーデンの中も絶対に安全とは言えない状況が生じていますの。

その危険要素との接触を避けるために、このような所に滞在していただかざるを得ませんでしたの。

特に結梨さんについては用心していただくのがよろしいかと。

結梨さんが今ここにいることを知られると、後々まずい事態に発展しかねない恐れがありますので」

 

「分かりました。結梨さんには室内の構造を把握した上で、部屋の外から見えないように行動してもらいます。

また、あなた以外の誰かがこの部屋に来た時には、念のために結梨さん以外の者が応対するようにします」

 

「くれぐれもお気をつけて。では私はひとまず失礼いたしますわ。

御用の際は部屋の中にある電話でお呼びいただければ、いつでも応対いたしますので、よろしくお願いいたしますわ」

 

 

 

 

 

 去って行く燈の後ろ姿を見送った後、ロスヴァイセの九人のリリィと結梨は広い室内に入り、さっそく各自のCHARMを点検し始めた。

 

 と言っても、ヒュージと直接戦闘したのは結梨とロザリンデと伊紀の三人のみだったので、実質的には十人で三機のCHARMを点検する形になった。

 

 十人のリリィが黙々と点検を進めていると、不意にドアをノックする音が室内に響いた。

 

 座っていた椅子からロザリンデが立ち上がり、用心深くドアの方へ近づいていく。

 

 するとドアの向こう側から、落ち着きのある、それでいて艶めいた女性の声が聞こえてきた。

 

「夜分遅くごめんなさい。私はこのガーデンの校医を務めている中原・メアリィ・倫夜といいます。

あなたたちの体調について一通り確認しておきたくて、訪問させてもらったの」

 

 ゆっくりと慎重にドアを開くと、白衣を着た美しい大人の女性が、ロザリンデの目の前に立っていた。

 

 

 



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第12話 エリアディフェンス崩壊(7)

御台場女学校の舞台ネタバレがありますので、ご注意ください。
今のところ、あと一回でエリアディフェンス崩壊のエピソードは終わらせる予定です。

追記(2021年10月25日)
想定外に内容が膨らみまくったため、あと一回では全然終わりませんでした……


 

 応対に出たロザリンデは部屋の入口を塞ぐような形で倫夜の前に立ち、黙って倫夜の顔を見ていた。

 

 倫夜の佇まいは成熟した知性と落ち着きを感じさせるもので、先程まで相対していた司馬燈とは全く異なる人格の持ち主であることが窺われた。

 

 ロザリンデはわずかな時間、考え込むような仕草を見せた後、努めて冷静に倫夜に答えた。

 

「はじめまして、中原先生。私は百合ヶ丘女学院3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーと申します。

ご訪問の意図は分かりました。ですが、その前に少し私とお話しする時間を取っていただけますか?」

 

「ええ、私は構わないわ」

 

「できればここではなく、人払いできる別の場所がいいのですが」

 

「それなら保健室まで来てもらえるかしら。

今は負傷者もいないし、あそこなら二人きりになれるわ。

ただし、ここから少し歩かないといけないけど」

 

「問題ありません。では、すぐに行きましょう。

――碧乙、私は少しこの場を離れるから、後のことをお願い。

何か不測の事態が発生した場合は、ただちに私の端末に連絡を」

 

 ロザリンデの発言が予期しないものだったのか、碧乙は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに気を取り直してロザリンデに答えた。

 

「はい。分かりました、お姉様。お任せください」

 

 

 

 

 

 

 

 九人のリリィを部屋に残して、ロザリンデと倫夜は薄暗い廊下を無言で歩き続け、やがて保健室の前に到着した。

 

 倫夜が静かに扉を開け、室内の照明を灯す。

 

 照らし出された誰もいない無人の室内がロザリンデの目に入り、倫夜の後に続いてロザリンデは保健室に足を踏み入れた。

 

 静寂が支配する保健室の中で、二人は医者と患者のように向かい合って椅子に座った。

 

 先に口を開いたのは倫夜の方だった。

 

「ご覧の通り、ここには私たちの他には誰もいないわ。何でも話したいことを言ってもらって構わないわよ」

 

「そうですね。では、遠慮なくお話しさせていただきます」

 

 一度言葉を切り、軽く深呼吸してロザリンデは倫夜の目をまっすぐに見た。

 

「どうしたの、ロザリンデさん。私の顔に何か付いてる?」

 

「――中原先生、あなたは私に隠していることがありますね」

 

 ロザリンデの唐突な発言の意図が理解できなかったかのか、倫夜はきょとんとした表情を見せた。

 

「突然どうしたの? 探偵ごっこでも始めるつもり? あなたはそんな事をするような人には見えないけど」

 

 倫夜の反応をあえて無視するかのように、ロザリンデは口調を変えず冷静に質問を続ける。

 

「私たちの体調を確認するというのは建前で、本当は別の目的を持って私たちの所に来ましたね」

 

「私はこのガーデンの校医よ。他にどんな理由があって戦闘を終えたあなたたちの所に行ったというの?」

 

 ロザリンデは倫夜の返事を全く意に介さず、一方的に質問を続ける。

 

「中原先生、あなたは私たちのレギオンに何をするつもりだったのですか。本当の目的をお答えください」

 

「何をって、あなたたちの身体と精神に自覚の無い異常が無いか、念のために確認を……」

 

「白々しい嘘をつくのはお止めなさい。私には分かりました。あなたはこのガーデンにいること自体がおかしい存在だと」

 

 ロザリンデは先程より口調を強めて、倫夜の言葉を途中で遮った。

 

「……それは一体どういう意味なの? まさか私が医師免許を偽造しているとでも?」

 

「いいえ、そうではありません。あなたが偽っているのは、もっと別の決定的な事です」

 

「では、その決定的な事というのは何なのか、あなたの口から教えてもらえるかしら?

何の証拠も無く言いがかりをつけているのでなければ、当然言えるわよね」

 

「いいでしょう。そのためにわざわざこの保健室まで来て二人きりになったのですから」

 

 ロザリンデは深呼吸するように大きく息を吸い込んで、その息を半分ほど吐き出したところでぽつりと囁いた。

 

「――匂いがするんです」

 

「匂い? そんなに不潔にしているつもりは無いけれど。それとも香水の匂いが気に入らないの?」

 

「いいえ、そうではありません」

 

「では、何の匂いだというの?」

 

「――あなたからは、私がよく知っている匂いがする。

かつて嫌というほど味わわされた、ラボの匂いが」

 

 ごく低く抑えた口調で、噛みしめるようにロザリンデは呟いた。

 

 その言葉を聞いた倫夜は、しばらく表情を消して沈黙していたが、やがて抑えきれないかのように含み笑いの声を漏らし始めた。

 

 ロザリンデは何も言わずに、含み笑いをこらえようとして小刻みに震える倫夜の肩を見つめている。

 

 やがてその肩の震えも収まると、倫夜の唇が開かれ、含み笑いは薄笑いへと変わった。

 

「……驚いたわ。分かる人には分かってしまうのね。

ねえ、司馬さん。そこにいるんでしょう? この人もあなたの同類みたいよ」

 

 そう言って倫夜が視線を転じると、保健室のドアがゆっくりと開かれ、その隙間から司馬燈が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

「盗み聞きなんてお行儀の悪いことをしてはいけないわ。私たちの跡をつけてきたのかしら?」

 

「いいえ、そうではありませんわ。

食事の希望時間を確認するために部屋に行きましたところ、中原先生とそちらのロザリンデ様がお話をするために保健室へ向かわれたと聞きましたの。

それで急きょ私もここへ参らせていただきましたのよ。

何をしに私がこの場所に来たのか、なんて愚問は口になさらないで下さいな」

 

 事情を倫夜に説明した燈は、次にロザリンデの方を見て満足げに頷いた。

 

「なかなか良い嗅覚をお持ちのようですわね。やはり百合ヶ丘の強化リリィともなると、並のリリィとは一味も二味も違いますわね」

 

「……本当に匂いがしたわけではありません。

中原先生を一目見て、ラボの研究者に特有の雰囲気が隠しきれていないように感じられたのです。

隠しても隠しきれない、狂気を孕んだ研究者の気配が。

それで一か八か鎌をかけてみた次第です。

あなたが口にしていた危険要素とは、中原先生のことだったのですね」

 

「実際にG.E.H.E.N.A.の研究者と直接接触したことのあるリリィなど、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンでも一部の者に限られますわ。

ましてや一目でそれと分かるほどに見分けが付けられるなど、よほど強化実験で繰り返し痛めつけられたリリィでなければ無理ですわ。

ロザリンデ様も私と同じく、かつてG.E.H.E.N.A.の研究施設から逃れた強化リリィでいらっしゃいますのね」

 

 好奇心に満ちた興味深げな燈の問いかけに対して、だが、ロザリンデは無言で首を横に振った。

 

「今ここで私の過去を語るのは、話の本筋から外れたことです。

私が知りたいのは、中原先生のような人が、なぜ反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである御台場女学校に校医として勤務しているのかということです」

 

「それは私の方が先生にお聞きしたいものですわ。ねえ?先生」

 

 しかし、倫夜はロザリンデと燈の質問を意図的に無視して、逆に燈に全く別の質問を投げかける。

 

「御台場の旗艦レギオンであるヘオロットセインツとロネスネスは外征中で不在のはず。

ロネスネス所属のリリィであるあなたが、なぜガーデンに残っているの?」

 

「純お姉様から留守番を仰せつかりましたの。

私たちが居ない間に良からぬことを企む輩が出てこないとも限らない、だからあなたに留守を預かってほしい、と。

さすが私のお慕い申し上げる純お姉様は慧眼であられますわ。

まさかエリアディフェンスが崩壊して、都内に無差別にヒュージが現れようとは、ここにいる誰もが想像だにしなかった事態ですわよねえ?先生」

 

 そう言って燈は皮肉気に唇を歪め、ねっとりとした視線で倫夜の顔を一瞥した。

 

「あなたのその言い草と表情は、この事態が起こる事を私が知っていたとでも言わんばかりね」

 

「いいえ、滅相もありませんわ。

よもや東京における反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの筆頭である御台場女学校に、G.E.H.E.N.A.の手先が潜り込んでいるなんて、万が一にもそんな事があるわけありませんわよねえ?」

 

「そんなに露骨な嫌味を言わなくても、あなたの言いたいことは分かっているわ。

この騒ぎに便乗する形で、私が百合ヶ丘女学院のリリィにちょっかいを出そうとしていると考えたのでしょう?」

 

「間違っているんですの?」

 

「いいえ、あなたの認識は正しいわ。

反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである百合ヶ丘女学院のレギオンが、休息と補給のために御台場女学校を訪れるという連絡が入った。

戦場以外で他校の、それも世界でもトップクラスである百合ヶ丘女学院のレギオンを直接この目で見られるなんて、そう頻繁にある機会ではないわ。

それで私の権限の範囲で、この人たちのレギオンについて情報を探してみたの」

 

 ロザリンデと倫夜の視線が交錯する。ロザリンデの目を見つめたまま、倫夜はゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

 

「レギオンの名はLGロスヴァイセ。構成メンバーの全員が強化リリィ。

そしておそらくは事情や経緯の違いこそあれ、G.E.H.E.N.A.に囚われていたところを百合ヶ丘女学院に保護された少女たち。

あなたたちは百合ヶ丘女学院のガーデンを親とし、G.E.H.E.N.A.を仇敵としている。

まるで反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの結晶の様なレギオンね」

 

 つい先程の燈がそうしたように、倫夜もその形の良い唇を歪め、含みのある微笑を浮かべた。

 

「どうしてこの状況下で、そんな曰くありげなレギオンをわざわざ差し向けたのか、いかにも裏がありそうな話じゃない?

この事態が単なる偶発的な事象ではないと、百合ヶ丘も勘づいていると考えて構わないわよね?」

 

「あなた方の『実験』に振り回される方の身にもなってほしいものです。

そのおっしゃりようだと、私たちがどこまで事態の真相に迫っているのか、探りを入れに部屋まで来られたようですね。

その上で、私たちの存在が『実験』の障害となるようであれば、何らかの妨害工作を仕掛けることも辞さないつもりですか」

 

「それはあなたたちの動き次第ね。

予防措置として、当該地点への戦力投入を禁止する命令は既に出されているわ。

けれど、それを無視して支援に向かおうとするレギオンがあれば、当然看過するわけにはいかないことは分かるでしょう?」

 

「やはり、G.E.H.E.N.A.が裏から手を回して、司令部の作戦指揮に干渉しているのですね」

 

「G.E.H.E.N.A.だって万能の組織ではないわ。出来る範囲で出来ることをしているだけよ」

 

「その『出来る範囲』とやらが、結構な問題なのですわ」

 

 ロザリンデと倫夜の会話に、突然、燈が割って入った。

 

「先日の御台場迎撃戦の模倣――いえ、『原初の開闢』の再現実験と言い、G.E.H.E.N.A.の方々は近頃やんちゃが過ぎるのではありませんこと?

ガラテイアシステムと申しましたか? あの怪しげなブーステッドCHARM。

あれを2年生の菱田治様に持たせたのは先生ですわよね?

そのせいで治様だけではなく、純お姉様と初様まで危険な目に遭われたではありませんか。

下手をすれば誰かが命を落としていてもおかしくない状況だったと、後で純お姉様から聞きましたわ」

 

「あれは少しだけ彼女とCHARMの相性が悪かったのよ。そのせいであんなことになってしまって、私も心苦しく思っているの」

 

「ぬけぬけとよくも言えたものですわね。

先生――いえ、G.E.H.E.N.A.は御台場迎撃戦を再現するかのような特型ヒュージを出現させた上で、治様にブーステッドCHARMを使わせて暴走させ、『特異点のリリィ』同士を戦わせるよう仕向けた。

そしてそれによって、世界で最初にヒュージが出現した『原初の開闢』の状況を再現する実験を決行した。

その結果、気温の急激な上昇、突然の激しい降雨、ヒュージの異常行動などが観測され、実験は一定の成果を得られた。

純お姉様たちの命を危険にさらすことと引き換えに。

――できるものなら、この場であなたの息の根を止めて差しあげたいところですが」

 

「では、なぜそうしないの? すべきことを我慢しているなんて、あなたらしくないわ」

 

「挑発には乗りませんわ。いま先生を捕縛または告発しようとしても、確実に何かしらの逃げ道は用意してあることでしょう。

何のリスクマネジメントも無しに、G.E.H.E.N.A.の関係者がこのガーデンに潜り込んでくるはずがありませんもの。

それに、先日のブーステッドCHARMの件と言い、先生がどんな隠し玉を用意しているか分かったものではありませんわ。

下手をすれば返り討ちに遭って、こちらが不審死を遂げかねないとさえ思いますわ。

ルドビコ女学院の教導官がガーデンの中で殺害されたように」

 

「あら、ルドビコ女学院でそんなことがあったの?怖い怖い。私たちも気をつけないとね」

 

「ふん、白々しいことを。大方、先生もルド女崩壊の件に一枚噛んでいたのではないんですの?」

 

「いえ、ルドビコ女学院での『実験』は私の管轄外よ。

あれは元々はルドビコのガーデンとG.E.H.E.N.A.が共同で主導して始めたプロジェクトだった。

その中心的な関係者だった天宮教授という人物が途中から独断で暴走した結果、あのような惨事に発展したと報告されているわ。

結局、その天宮教授本人はマギが制御不能になって死亡したものの、岸本・ルチア・来夢のさらなる能力覚醒という成果が得られた。

それがルドビコ女学院の実質的崩壊という対価に見合うものであったかについて、私は評価を下す立場に無いわ」

 

「そういうことなら、ひとまずは先生のお言葉を信じますわ。

――付け加えるなら、先生は今回の『実験』の管理者的な立場の人かもしれませんが、それならその『実験』を立案あるいは承認したG.E.H.E.N.A.の上位者がいるはずですわ。

どうせなら、先生の後ろにいる黒幕の尻尾を掴むまで泳がせておく方が好都合と判断しましたの」

 

「ある意味では寛大な対応と解釈してもいいのかしら。末端の現場で働くトカゲの尻尾としては、大いに感謝するわ」

 

 不敵な微笑を浮かべて燈を見る倫夜に対して、燈火は不服気に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

 一方、倫夜はロザリンデの方に向き直り、すぐにその表情を引き締めた。

 

「それにしても、旗艦レギオンでないとは言え、あなたたちのレギオンの実力は私の予想を大きく超えるものだったわ。

あなたたちのレギオン――LGロスヴァイセの戦闘記録が司令部に報告されていたので、ガーデンの権限で少し拝見させてもらったわ」

 

 倫夜は白衣の胸ポケットから取り出した紙片に目を落とし、その内容を淡々と読み上げた。

 

「当該の戦域において、鎌倉府の百合ヶ丘女学院から派遣されたLGロスヴァイセは、通常の半分に満たない時間でヒュージの一群を殲滅。

その数はラージ級12体、ミドル級とスモール級が合計で約200体。

ロスヴァイセの死傷者、CHARMの損害ともにゼロ」

 

 言い終えた倫夜は視線を上げて、ロザリンデの顔を興味深げに見つめた。

 

 その目には純粋な知的好奇心と、ロザリンデの思惑を探ろうとする策略家の意志が宿っているように感じられた。

 

「一体どんな戦い方をすれば、これほど一方的な戦果が得られるのかしら?

ノインヴェルト戦術に匹敵するほどの画期的な戦術を考案したか、革新的な新兵器の開発に成功し、それを実践に投入したか、あるいはその両方か。

さしあたって考えられるのは、そんなところだけど」

 

 倫夜の推測を聞かされてもロザリンデは少しも表情を変えず、至って事務的な口調で倫夜に返答する。

 

「戦術も兵器も日進月歩で進化するものです。いつ何時、それまでには存在しなかったものが突然戦場に現れても不思議ではありません。

先ほど司馬さんが言及していたブーステッドCHARMという代物も、G.E.H.E.N.A.の研究機関が開発した新兵器なのでしょう? それと同じです」

 

「ごもっとも。だからこそ、そんな未知数の強力な戦闘能力を持ったレギオンが『実験』に介入してもらっては困るのよ。

残念だけど私の素性に疑いを持たれた以上、私があなた以外のロスヴァイセのリリィと接触することは、ほとんど不可能になってしまったわ。

だから私ができることは、これから『実験』が終了するまでの間、ロスヴァイセが無断で都庁に向かわないか監視するのみね」

 

「ロスヴァイセ以外のレギオンが都庁に向かう可能性もあると思いますが」

 

「いま都内の戦場に展開しているレギオンで、自分たちのガーデンを離れて機動的な作戦行動が可能で、かつエヴォルヴを撃破できる実力の部隊は、あなたたち以外にはおそらく存在しない。

エレンスゲ女学園の一部のリリィが独断で都庁周辺へ支援に入ろうとしているようだけど、その程度の有象無象の雑魚リリィには戦局を覆すほどの力は無い。

好きにやらせて一柳隊やヘルヴォルの露払いをさせるには丁度いいわ。

でも、あなたたちの様なSSS級に匹敵する実力のレギオンをあそこに行かせるわけにはいかない。

簡単にエヴォルヴを倒されてしまっては『実験』が成立しないから。

せっかく苦労して主要ガーデンの旗艦レギオンを遠隔地への外征におびき出したのに、こんなところで『実験』を台無しにされてはたまらないもの。

あくまで絶体絶命の極限状況に被験者を追い込んで、通常では覚醒しないレベルの能力を引き出すのが『実験』の目的なのだから」

 

 滔々と説明を続ける倫夜を見据えて、ロザリンデは倫夜の言葉の中から自分が求めていた単語を拾い上げた。

 

「その被験者とは誰のことですか?都庁でエヴォルヴという特型ヒュージと戦っている3レギオンのリリィの誰かなのですね?」

 

 数秒間の沈黙の後、倫夜はロザリンデが問いただした内容に、意外にもはぐらかすことなく答えた。

 

「……いいでしょう。この『実験』が終了すれば、いずれ分かることだから特別に教えてあげるわ。

今回の『実験』の被験者はカリスマのレアスキルを持つリリィ。

彼女のレアスキルをより高次の段階に覚醒させることができれば、『実験』は成功と見なされる」

 

「――カリスマの上位スキルと目されているラプラスですか。

確かにほとんど未知のレアスキルゆえに、G.E.H.E.N.A.が目を付けるのもおかしくはありません。

しかし、そのために都庁を中心とした西新宿一帯が灰燼に帰しても構わないと?

万を越える数の都民が犠牲になっても構わないというのですか?」

 

「ラプラスのレアスキルにはそれだけの価値があるということよ。

誇張ではなく、ラプラスの能力のポテンシャル次第では、今後の世界の在り方を左右する可能性すらあるとG.E.H.E.N.A.では考えられているわ」

 

 倫夜は横目で燈を一瞥し、すぐにロザリンデに視線を戻した。

 

「この『実験』が成功すれば、ラプラスの覚醒者は三人目となる。

司馬燈、鈴木因、そして一柳梨璃。

四人目の候補者は――そう、ルドビコ女学院のLGアイアンサイド。あの自主結成レギオンに所属している強化リリィかしら」

 

 




ほぼぶっ通しで会話が続き、ほとんど地の文が無くなってしまいました。
次回は結梨ちゃんが登場します。一柳隊も少しですが登場する予定です。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(8)

 

 岸本・ルチア・来夢。

 

 倫夜がその存在をほのめかした人物に、半日ほど前にロザリンデは直接会っていた。

 

 まだ実戦の経験も十分に積んでいないように見える、ルドビコ女学院の1年生リリィ。

 

 福山・ジャンヌ・幸恵の陰に隠れるように、控えめな態度の大人しそうな、しかしそれでいてどこか意志の強さを感じさせるその姿が、ロザリンデの記憶に残っている。

 

 彼女の秘密を知らなければ、彼女を見た誰もが、何の変哲も無い一介の新米リリィだと思うだろう。

 

 だが、ロザリンデは来夢が単なる平凡なリリィではないことを既に知っていた。

 

 岸本・ルチア・来夢はG.E.H.E.N.A.によって胎児の段階でヒュージ細胞を体内に埋め込まれた、生まれついての強化リリィ。

 

 そのためにヒュージからは仲間と見なされるのか、攻撃されることは無く、あまつさえギガント級が来夢を守ったことさえあったという。

 

 その彼女がラプラスのレアスキルに覚醒すれば、自らの意思でヒュージを操ることすら可能になるかもしれない。

 

 現段階では、G.E.H.E.N.A.は任意の場所にケイブを発生させることはできても、ヒュージの行動そのものを自由に支配することはできない。

 

 しかし来夢の能力をもってすれば、それが実現できる可能性は非常に高い。

 

 ラプラスの能力で人心を操るだけではなく、ヒュージの行動をも支配する。

 

 来夢のような性質を持った特別な強化リリィ――『御前』はそれを「ヒュージの姫」と呼んでいた――とラプラスの複合によって、それが実現可能となる。

 

 それこそが、G.E.H.E.N.A.が目指しているラプラスの利用価値の核心だというのか。

 

 一歩譲って――それが本当に可能であるならだが――「ヒュージの姫」がラプラスでヒュージの行動を支配することは、戦略的に絶大な影響をもたらすだろう。

 

 ラプラスのレアスキルを持つ「ヒュージの姫」がいる戦場では、理論上は彼女がそう望むなら、ヒュージとの戦闘は発生しない。

 

 それどころか、任意にヒュージをケイブに撤退させたり、同士討ちをさせることも可能だろう。

 

 そうなれば、G.E.H.E.N.A.にとっての残された課題は、「ヒュージの姫」を「量産」できるのか、「ヒュージの姫」をG.E.H.E.N.A.に従わせることができるのか、の二点となる。

 

 これまでにも非人道的な数々の人体実験を重ねてきたG.E.H.E.N.A.が、それらの課題を克服するために今更手段を選ぶとは思えない。 

 

 このままG.E.H.E.N.A.の動きを放置すれば、法律や倫理など無視した暴力的な手段で、目的のリリィ――この場合は第一に岸本・ルチア・来夢だろう――の身柄を確保しようとするだろう。

 

 彼女は結梨と同じく、現時点ではこの世に二人と存在しない貴重な生体サンプルなのだから。

 

 より正確には、来夢がラプラスに覚醒した後で、彼女を肉体的・精神的にG.E.H.E.N.A.の支配下に置こうとするだろう。 

 

 もう一人、エレンスゲ女学園の佐々木藍も、『御前』が「ヒュージの姫」と呼んだ以上、来夢と同様に胎児の時点でヒュージ細胞を体内に埋め込まれた強化リリィなのは確実だ。

 

 しかし、佐々木藍のレアスキルはカリスマではなくルナティックトランサーだ。

 

 この点では藍は来夢とは異なり、G.E.H.E.N.A.の欲する能力からは外れている。

 

 従って、あくまでもG.E.H.E.N.A.は来夢を最も優先順位の高い被験者として「実験」の計画を進めていくだろう。

 

「人もヒュージも自分たちの思いのままに操ることが実現できれば、世界の覇権を握る原動力に直結する。それがG.E.H.E.N.A.の狙いですか」

 

 湧き上がる不快な予感に耐えながら、ロザリンデは呻く様に倫夜に詰め寄った。

 

 しかし倫夜は不自然なまでに無表情のまま、黙ってロザリンデの顔を見返すのみだった。

 

 倫夜の答えが是か非か無回答か、そのいずれであっても、結論を自ら導いたロザリンデには最早関係の無いことだった。

 

 

 

 

 

 

 倫夜に回答の意思が無いことを見て取ったロザリンデは、かつて百合ヶ丘にもラプラスのレアスキルを持ったリリィがいたことに、今更ながら気づいた。

 

 いや、正確には「ラプラスのレアスキルを持っていたかもしれない」と表現するべきか。

 

 彼女の名前は川添美鈴。ロザリンデと同じ3年生――ただし、それは彼女が生きていたならばの話だが。

 

 川添美鈴は二年前の甲州撤退戦で戦死し、その遺体には彼女のシルトであった白井夢結のCHARM――ダインスレイフによる傷が残されていたという。

 

 そのダインスレイフは、どのような経緯をたどったのか、レストアされたラージ級ヒュージの体内から一柳隊によって数ヶ月前に回収された。

 

 工廠科の真島百由による分析では、ダインスレイフの中で書き換えられた術式が、由比ヶ浜ネストから発生するヒュージの性質や行動に特異な影響を及ぼしたと結論づけている。

 

 本来は白井夢結のCHARMだったダインスレイフを、川添美鈴は術式の書き換えと再契約によって自らの得物としていた。その目的や動機などは不明。

 

 回収されたダインスレイフは現在、討滅された由比ヶ浜ネストがあった海域の海底に沈んでいると推定されている。

 

 由比ヶ浜ネストのアルトラ級ヒュージを滅ぼすために、白井夢結と一柳梨璃によって使用され、ネストのあった場所に残されたままになっているのだ。

 

 しかし放置しておけば再び災厄の原因になりかねない代物であることは間違いない。

 

 いずれ防衛軍か海洋資源庁の潜水艇を手配して探査・回収することになるのだろうが、それはロスヴァイセの管轄外の事項だ。

 

 

 

 

 

 ロザリンデは思考をダインスレイフから再び川添美鈴へ戻した。

 

 ガーデンからロスヴァイセに開示された情報では、川添美鈴が自らのレアスキルを偽り、百合ヶ丘女学院のガーデン関係者全員に偽の記憶を植え付けていた可能性があると指摘されていた。

 

 それが事実ならレアスキルを悪用した重大な問題であり、美鈴本人が存命であれば、退学処分に発展していても不思議ではなかっただろう。

 

 しかし実際には、その疑惑が発覚する前に川添美鈴は死亡し、真相は闇の中だ。

 

 彼女が皆の記憶を改竄して何をしようとしていたのか、その目的も皆目分からないままだ。

 

 単に個人的な虚栄心や願望を満たすための軽挙だったのか、それとも個人のレベルを超えた遠大な企みがあってのことか。

 

 だが、彼女のシルトだった白井夢結に美鈴の目的を尋ねることは憚られる。

 

 夢結の精神が不安定になったきっかけが、美鈴の死だったことは明らかであり、美鈴について話すことが夢結にプラスの影響を与えるとは到底思えない。

 

 一柳梨璃のシュッツエンゲルとなったことで、夢結の精神は徐々にではあるが安定しつつあると聞いている。

 

 それが梨璃本人の性格によるものか、あるいはカリスマの潜在的影響かは分からないが、その流れに水を差すことはすべきでないだろう。

 

 川添美鈴が、同じ3年生の自分や出江史房とは明らかに異なるタイプの性格であることは、ロザリンデも以前から認識していた。

 

 彼女には、どこか危うさを内に秘めた執着のようなものを感じないわけではなかった。

 

 掴みどころの無い、何かを隠して生きているような素振りが彼女に全く無かったと言えば嘘になる。

 

(まったく、厄介なことをしてくれたものね。美鈴さん)

 

 死者を呼び出して本人に事情を聴くわけにもいかず、百合ヶ丘に襲来した何体もの変種のヒュージを思い出すと愚痴の一つも言いたくなってくる。

 

 しかし、今はG.E.H.E.N.A.の「実験」とラプラスに意識を集中させるべきだ。

 

 思考の向く先を川添美鈴からラプラスに戻したロザリンデは、目の前の椅子に座っている倫夜を見つめ、念を押すように確認の言葉を口にした。

 

「いかがですか、先生。私の指摘したことは決して的外れではないと思いますが」

 

 ロザリンデの問いかけに対して、倫夜は数秒間の沈黙の後、おもむろに座っていた椅子から立ち上がった。

 

 そのままゆっくりロザリンデの横を通り過ぎ、扉の方へ向かう。

 

 扉に手を掛けて、ロザリンデに背を向けたまま、倫夜は少し疲れたように言葉を吐き出した。

 

「今日はもうこのくらいにしましょう。

これ以上あなたが私から答えを引き出そうとしても、私にも権限というものがあるの。

たとえあなたの推測が的中していたとしても、私がそれについて言及することは許されないわ。

だから今回の『実験』の先に何があるのかについては、あなた自身の目で確かめなさい。私が言えるのはそれだけよ」

 

 ロザリンデは返事をせずに白衣をまとった倫夜の背中を見つめ、燈は少し離れた所から二人の様子を見守っていた。

 

 倫夜はロザリンデが沈黙している間に、それまで言い忘れていたことを思い出した。

 

「後は……当然だけど、この東京でG.E.H.E.N.A.の『実験』に携わっているのは私一人ではないと断りを入れておくわ。

ルドビコ女学院のような親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンは都内にいくつも存在する。

その中のどのガーデンでどのような『実験』のプロジェクトが進められていて、何人の担当者がいるか、私にだって全容は分からないわ。

今回の都庁での『実験』にしても、プロジェクトを進めているマネージャーが私なのか、それとも他の誰かなのか、明言はできない。

知りたいことがあれば、私の言葉に頼るのではなく、あなたたち自身の知力と武力をもって真実を明らかにすることね」

 

 倫夜はそう言い終えると、静かに扉を開いて退室しようとする。

 

 その背中に向かって、ロザリンデは最後に自らの意思を示す言葉を投げかけた。

 

「G.E.H.E.N.A.の非人道的な『実験』を認めることは絶対にできません。

しかし先生が一方的に自分の価値観を押し付ける人ではないことも理解できました。

できれば時と場所を改めてもう一度、先生と話し合いをする機会を持ちたいものです」

 

「その時まで生き残っていられたらね、あなたも私も」

 

 皮肉めいた口調で言い残して、倫夜は扉の向こうに姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 後に残されたロザリンデと燈は、お互いに何も言葉を発することは無かったが、次に取るべき行動が何であるかを理解していた。

 

 二人は揃って保健室を後にし、ロスヴァイセのリリィたちがいる部屋に戻るべく廊下を歩き始めた。既に倫夜の姿は見えなくなっていた。

 

「司馬さん、中原先生がG.E.H.E.N.A.の関係者であることを知ってしまった以上、私は百合ヶ丘のガーデンに事実を報告しなければいけません。

あなたは自分以外に先生の秘密を打ち明けたことがあるのですか」

 

「それはお答えできませんわ。私にもそれなりに考えがありますので。

無論、百合ヶ丘には百合ヶ丘の考えがあるでしょうから、そちらの対応に干渉するつもりはありませんわ。

中原先生の件が百合ヶ丘の理事会から御台場に伝わったとしても、その時は先生も私も、それに応じた対処をするまでのことですわ」

 

「もしそうなったとしても、先生がG.E.H.E.N.A.の関係者である証拠は、私たちが個人的に聞いた先生の発言くらいしかありません。

例のブーステッドCHARMも決定的な物的証拠になるかどうか、怪しいものだと思っています」

 

「おっしゃるとおり、ガラテイアと呼ばれたブーステッドCHARMは、純お姉様が居合い斬りでマギクリスタルコアを破壊し、証拠となるデータのサルベージは不可能になりましたわ。

もっとも、治様を救うにはそれ以外の方法はありませんでしたので、コアの破壊が悪手だったとお思いにならないで下さいまし」

 

(どこまで出来るか分からないけど、ガーデンに戻ったら中原・メアリィ・倫夜の経歴を徹底的に調査しなければ。御台場に正規の職員として勤務しているのなら、能力的には一流の人物に違いない。どこかでG.E.H.E.N.A.の思想に染まったのか、それとも技術に魅入られたのか)

 

 燈の話を聞きながら、ロザリンデは倫夜に対する考えを巡らせつつも、別の懸念を口にした。

 

「私たちが宿泊している部屋に、盗聴器や隠しカメラが仕掛けられている可能性もあるのでは?」

 

「それに関しては、あなた方が到着される前に一通りの確認は済ませておきましたわ。

そういった類の物は存在しませんでしたのでご安心を。

それでもご心配なら、この後で気が済むまで部屋中くまなくお探しになられるとよろしいですわ」

 

「ありがとう、そうさせてもらうわ」

 

「さすがに特務の強化リリィともなると、用心深いことですのね」

 

「いえ、実のところ私は面倒くさがりで、その手の仕事は他のレギオンメンバーに押し付けてしまうの。

どうも私は多分に理屈倒れになってしまう傾向があって、地道な手仕事が苦手のようで」

 

 それまでよりやや砕けた口調で、ロザリンデは燈に答えた。

 

「理屈倒れ、必ずしも悪くないと私は思いますわ。

必要な情報を集めて敵の戦略を看破し、先手を打つためには何がしかの理屈が必要なのですから。

特務のリリィたる者、目の前のヒュージとの戦いしか見えないようでは、とてもG.E.H.E.N.A.の裏をかいて一泡吹かせることなど覚束ないですわ。

降りかかる火の粉を払うだけでは、火元を消すことは出来ませんもの」

 

「そう言ってもらえると少し気が楽になるわ。

ところで、中原先生は結梨ちゃん――いえ、結梨さんのことについては、御台場のガーデンから情報の開示を受けているの?

もしそうなら、すぐにでも結梨さんをここから逃がさないと危険だわ」

 

「私も、ごく一部の教導官にのみ情報開示されているとしか知らされていませんの。

ですが、先程の先生の様子を見るにつけ、それらしき言動はありませんでしたので、まず問題無いかと思いますわ」

 

「そう、それなら明日私たちと一緒に、出来るだけ目立たないようにここを出立します。

まさかこの御台場にG.E.H.E.N.A.の関係者がいるなんて、その可能性を見過ごしていた私も迂闊だったわ」

 

「まったく油断も隙もありませんわ。案外、百合ヶ丘にも一人や二人、既に入り込んでいるかもしれませんことよ」

 

「……ガーデンに戻ったら、すぐに全生徒と教導官の身元を洗い直すわ。

今更ながら、私たちが生きているのは、謀略や暗殺がすぐ傍にある世界だと思い知らされた気分よ」

 

「いっそのこと、『御前』について行ってみるお考えはありませんか?

意外とあの御方は良い指導者になるかもしれませんわよ」

 

「冗談を。彼女はリリィと強化リリィ以外の人間を切り捨てるつもり、控えめに言っても救済の対象外とするつもりでしょう。

力を持たない人々を守るべき存在が、自らの安寧だけを追求するなど許されない。

だから彼女の計画に賛同するわけにはいきません」

 

「まあ、あなたのような方なら、そうおっしゃると思っていましたわ。

今のは私の戯言です。忘れて下さいまし」

 

 やがて二人はロスヴァイセの一行が滞在している部屋の前に戻って来た。

 

 あらかじめ決めておいたリズムと回数でロザリンデがドアをノックすると、少し間を置いて静かにドアが開く。

 

「お帰りなさい、お姉様。先生とのお話し、かなり長引きましたね。どんな内容だったんですか?」

 

 ドアの隙間から何気なく碧乙が顔を見せた。いつもと何も変わらない、屈託の無い表情だ。

 

 ロザリンデは自分のシルトにこれから説明すべき事を思うと、胸の奥が重苦しくなるのを自覚せずにはいられなかった。

 

 




思ったより分量が多くなり、予定の半分ほどしか話が進みませんでした。

結梨ちゃんの出番までは辿り着けませんでした……次回こそは結梨ちゃんも一柳隊も登場します。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(9)

 

 翌朝、ロスヴァイセの9人のリリィと結梨は日の出と同時に起床し、ごく簡単にレーションを口にした後、出撃の準備に取りかかった。

 

 ロザリンデは昨晩、校医の中原・メアリィ・倫夜がG.E.H.E.N.A.の関係者であることを、結梨も含めた全員に説明した。

 

 そして、彼女が今回のエリアディフェンス崩壊事変に何らかの形で関わっていることと、新宿都庁での『実験』の第一目的が一柳梨璃のラプラス覚醒であることを明らかにした。

 

 ロザリンデの話を聞いた一同は、各自が程度の差こそあれ、動揺を隠せなかった。

 

 無理も無い。東京における反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの筆頭である御台場女学校に、G.E.H.E.N.A.の人間が紛れ込んでいたのだから。

 

 ロザリンデの指示で室内をくまなく捜索した結果、燈の発言どおり、盗聴器や隠しカメラの類は一切発見されなかった。

 

 倫夜がそこまでの小細工をしなかったのは、盗聴の証拠を握られるリスクを警戒してのことか、それとも盗聴という手段が彼女の流儀にそぐわなかったのだろうか。

 

 いずれにせよ、本人に理由を聞いても、まともな答えが返ってくるとはロザリンデには思えなかった。

 

 特務レギオンであるロスヴァイセのリリィたちは、当然のことながら諜報に関する教育や訓練も充分に受けている。

 

 それは彼女たちが諜報活動を行うためというよりも、対G.E.H.E.N.A.関連の特殊任務を遂行するに当たって、自分たちの身を守ることや、機密情報を漏洩しないことなどを主な目的とするものだった。

 

 それゆえ、彼女たちは通常のレギオンに所属するリリィとは大きく異なり、スパイ・謀略・暗殺などの事柄には強い耐性があるはずだった。

 

 その彼女たちでさえ、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの正規職員、それも校医という重要ポストにG.E.H.E.N.A.の人間が就いているという事実は衝撃的だった。

 

 G.E.H.E.N.A.の手は既に自分たちの想像を超えた深い所にまで及んでいる。

 

 もはや反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの中ですら安全とは言えなくなっているのだ。

 

 その事実を百合ヶ丘に戻って報告し、ガーデン全体として今後の対応を協議しなくてはならない。

 

 しかし、その前にすべきことがある。

 

 都庁で発生したエリアディフェンス設備の爆発現場を訪れ、それが事件か事故かの確認を、この目で行わなければならない。

 

 倫夜の発言からも、都庁舎で発生した爆発がG.E.H.E.N.A.の手による爆破テロであることは明らかだったが、そうであっても実際に現場を自分の目で確かめることは不可欠だった。

 

 敵対勢力である者の言うことを、何らの事実の裏付け無く信じるなどありえないのだから。

 

 そのためには一刻も早く御台場から新宿へと向かう必要があったが、一夜明けた現在も、都庁にはエヴォルヴと命名された特型ヒュージが居座っている。

 

 現地で戦闘を続けている一柳隊を始めとする3レギオンがエヴォルヴを排除するまで、都庁に近づくことは命令で禁止されている。

 

 昨夜の時点では、市ヶ谷の防衛省に設置された臨時統合司令部からの命令は、「LGロスヴァイセは新たな指示があるまで御台場女学校にて待機を継続」だった。

 

 それは司令部の裏で作戦行動に干渉するG.E.H.E.N.A.の妨害工作であろうと、ロザリンデたちは判断した。

 

 夜が明けて、出撃の準備は既に整っている。

 

 しかし、いまだ司令部からの連絡は無く、十人のリリィは室内に留まり続けていた。

 

 あらためて司令部に確認を取るために、主将の伊紀が制服のポケットから通信端末を取り出そうとした時、部屋に備え付けの電話がコール音を鳴らし始めた。

 

 伊紀は端末を一旦ポケットに戻し、電話の受話器に手を伸ばした。

 

「はい、LGロスヴァイセ主将の北河原伊紀です」

 

「おはようございます、校医の中原です。ゆうべはよく眠れたかしら?」

 

「――っ!」

 

 電話口の向こうにいる相手の名を認識した瞬間、伊紀の全身は金縛りに遭ったかのように硬直し、受話器を持つ手が小刻みに震えだした。

 

 電話とはいえ、G.E.H.E.N.A.の人間が自分と一対一で相対している。

 

 G.E.H.E.N.A.の人間と一対一で会話することなど、特務レギオンのリリィであっても、そんな機会は滅多にあるものではない。

 

 反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに潜り込んだG.E.H.E.N.A.の人間が、ぬけぬけと別の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに連絡を取ってくる。

 

その大胆不敵さに閉口しながらも、伊紀の身体は蛇に睨まれた蛙の如く固まっていた。

 

 過去の強化実験によって肉体と精神に刻み込まれた苦痛と恐怖の記憶が、呪いのように伊紀の身体を縛り上げ、一片の言葉を発することさえできない。

 

 伊紀の沈黙の意味を悟ったのか、倫夜はあくまでも冷静かつ優しげな口調で伊紀に話しかける。

 

「……その様子だと、私のことはロザリンデさんから聞いているようね。

そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私は見境無しに強化実験でリリィを使い潰すような真似はしないわ」

 

 しかし、それは裏を返せば強化実験そのものは否定しておらず、実験対象を厳選して確実に成果を出そうとするタイプだと言えるではないかと、唇を動かせない伊紀は心の中で反論した。

 

「……何の……ご用ですか……」

 

 伊紀は、かろうじてそれだけの言葉を喘ぐように発するのが精一杯だった。

 

 ただならぬ伊紀の様子の変化にロスヴァイセのリリィたちが気づき、緊張した面持ちで伊紀を見つめている。

 

「現在、再出撃した一柳隊とヘルヴォル、グラン・エプレの3レギオンが都庁でエヴォルヴと交戦しているわ。

戦闘が終結するまで、もう少し時間がかかりそうだから、それまでは我慢してそこで大人しく待っていて。

戦闘が終わって『実験』の結果が判明したら、その時点であなたたちは自由に動けるようにしてあげるから」

 

「……私たちは都庁以外の戦場にも支援に行けないのですか?」

 

 倫夜の現実的な内容の説明を耳にして、ようやく伊紀は理性的に言葉を発することができるようになった。

 

「今回の事変は新宿の都庁での『実験』が中核になっているわ。

一柳梨璃さんがラプラスに覚醒し、都庁に陣取っている特型ヒュージのエヴォルヴを倒せば、その時点で『実験』は無事終了。

都内各所に残存しているヒュージは統率を失い、ケイブへ撤退を始めるでしょう。

これまでのところギガント級は出現していないはずだから、外征レギオンクラスのリリィでなくとも戦力的にはそれなりに対抗できる。

だから、都庁以外の場所であっても、あなたたちが出撃する必要は無いわ。

『実験』が終わるまで御台場のガーデンからは出さない」

 

「私たちが隙をついて都庁に向かうことを防ぐために、念には念を入れておく、ですか。

でも、なぜあなたが司令部からの連絡に先んじて、今後予定されている命令の情報を得ているんですか。

この御台場と同じように、司令部にもG.E.H.E.N.A.の人間が入り込んでいるんですか」

 

「さあ、それはどうでしょうね。

私の言うことが信じられないなら、直接あなたから司令部に命令内容の確認をすればいいわ。

もっとも、単なる二度手間になるだけでしょうけど」

 

「G.E.H.E.N.A.関係者の発言を裏付け無く信用することはできません。

お言葉どおり、私自身の目と耳で確認させていただきます」

 

 伊紀は半ば言い捨てるように電話を切り、呪縛から解放されたかのごとく、大きく肩で息をついた。

 

「伊紀、顔が真っ青だよ。大丈夫?」

 

 結梨が心配そうに伊紀の顔をのぞき込むと、伊紀は無理に作り笑いをして、

「ごめんなさい、気を遣わせてしまって。ちょっとびっくりしただけだから、平気ですよ」

と、電話から離れて歩き出そうとした。

 

 が、思わず足元がふらついて倒れそうになるところを結梨に支えられてしまう。

 

「伊紀、無理しない方がいいわ。ベッドで少し横になっていなさい」

 

「……不甲斐無いシルトで申し訳ありません、お姉様」

 

 伊紀は碧乙に謝ると、ルームメイトの小野木瑳都と結梨の二人に支えられ、近くのベッドに腰を下ろした。

 

「さっきの電話は不意打ちだったから不可抗力よ。

それにしても、あの中原っていう校医も随分いい性格してるわよね。

自分の正体がバレた後で、わざわざ自分から連絡を入れてくるなんて、こっちを舐めているにも程があるわ」

 

「この御台場女学校で、彼女がG.E.H.E.N.A.の諜報員や工作員としての役割を果たしている以上、ガーデンの中で目立った動きはできないはず。

威嚇であっても物理的な攻撃は仕掛けられないでしょう。

だとすると、さっきのように言葉による揺さぶりをかけてくる。

それに対して私たちがどう反応するのか、その結果を観察したいのかもしれないわね」

 

 ロザリンデは昨夜の対面で、倫夜がG.E.H.E.N.A.の研究者たるにふさわしい科学的精神の持ち主であることを理解していた――それは決して褒め言葉ではなかったが。

 

「それも彼女のささやかな『実験』みたいなものですか。

またしても私たちリリィは『実験』のモルモット扱いされるというわけですね」

 

 

 

 

 

 

 昨夜、ロザリンデたちができる範囲で調べた限りでは、中原・メアリィ・倫夜は、傑出した多彩な才能を持つ天才と表現しても差し支えない人物だった。

 

 真島百由やミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウスと同じ「戦うアーセナル」出身にして、ヴァルキュリアスカート・マギ・リンカーネーションシステムを始めとする多くの開発プロジェクトに参画。

 

 その実績として、既に彼女の手によって実現された幾つもの革新的システムが、御台場女学校にて導入済み。

 

 同時に医師の資格を持ち、鷹の目S級のレアスキル保持者。

 

「よくもこれだけ目が眩みそうなキンキラキンの才能を取り揃えたものですね。

なんでこんな優秀な人が、G.E.H.E.N.A.のような下世話な組織に仲間入りしてしまったんでしょうか」

 

「天才的な科学者であっても、人命を軽視した危険な思想に傾倒することは、歴史上幾つもの実例があるわ。

倫理の枷を外すことができれば、人間を実験材料にして使い捨てても罪に問われず、多くの成果を手にすることができる。

それは悪魔と契約して、あらゆる望みを叶えることと同じことかもしれない。

でも、その代償を支払う時は必ず訪れる。

それが契約者自身の命なのか、他の何かなのかは分からないけれど」

 

「因果な連中ですね、G.E.H.E.N.A.の科学者という人間は」

 

 その時は碧乙の苦笑めいた言葉で倫夜についての会話は終わったが、敵に回せば底の知れない能力の持ち主であることは重々承知しておく必要があった。

 

 

 

 

 

 ようやくベッドから立ち上がった伊紀から電話での会話内容を聞き取ると、碧乙は胸ポケットから通信端末を取り出し、ロザリンデの方を見る。

 

「あの校医の言ったとおり、本当に命令に変更が無いのか、私が伊紀に代わって司令部に連絡を取ってみます」

 

 碧乙が自分の通信端末で司令部に回線をつなごうとした時、再び部屋の電話が鳴り始めた。

 

「私が出るわ。碧乙はそのまま司令部に確認を――はい、LGロスヴァイセ、ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーです」

 

 ロザリンデが受話器を上げて電話に出ると、忘れようも無い声が耳に伝わってきた。

 

「昨夜は有意義な話し合いをありがとう、ロザリンデさん。北河原さんはどうしたのかしら?」

 

 倫夜の声を聴くなり、ロザリンデは通話をスピーカーホンに切り替え、全員に倫夜の言葉が聞こえるようにした。

 

「ご心配なく。少し席を外しているだけです。それよりも、あなたがまた電話をかけてきたということは――」

 

「そう、たった今、LGロスヴァイセに対する待機命令は解除されたわ。

おめでとう。一柳梨璃さんはラプラスのレアスキルに覚醒し、一柳隊、ヘルヴォル、グラン・エプレは特型ヒュージ・エヴォルヴの排除に成功したそうよ」

 

「今回の事変は全てあなた方の掌の上だったわけですね。さぞかし気分のいいことでしょう」

 

 ロザリンデの苦々しげな嫌味に、倫夜は正面から答えずに話を続ける。

 

「もうすぐ各地に外征していた主要ガーデンの旗艦レギオンが都内に戻ってくるでしょう。

あなたたちも新宿でも何処でも好きな所に行って、残ったヒュージと幾らでも戦ってくるといいわ」

 

「今回の実験は無事、成功裏に終了。後は野となれ山となれ、ということですか」

 

「解釈はお好きなように。あなたたちにも何かしら特別な任務があるのでしょう? 早くしないと機を逸してしまうわよ」

 

 挑発の色をにじませた口調で、倫夜はロザリンデに畳みかけるように言葉を重ねる。

 

「――そう、言い忘れていたことが一つあったわ。

エヴォルヴを排除したといっても、一柳隊に死傷者が出ているかどうかは未確認。

心配なら一刻も早く現地に駆けつけて、自分の目で確かめることね」

 

倫夜はそう言い残して電話を切った。

 

 自分たちの行動を誘導しようとしているのか、とロザリンデは勘ぐったが、都庁に行かないという選択肢は存在しない。

 

 しかし、おそらく移動手段は相当に限られている。

 

 ロザリンデは燈に連絡を取って、御台場女学校のガンシップが使用可能か問い合わせたが、外征レギオンを引き戻すために全機出払っているとの回答だった。

 

 車両であれば使えるものが何台かあると言われたが、高速道路は崩落している箇所が確実にあるだろう。

 

 一般道を車で移動するよりは、自分の足で建物の屋上を跳び移る方が速いか。

 

 ロザリンデが逡巡していると、後ろから不意にロザリンデの手を結梨が握った。

 

 ロザリンデが振り返ると、結梨のもう一方の手は伊紀が握っていた。

 

「私がロザリンデと伊紀と一緒に行く。ロザリンデ、アステリオンを持って私の手を離さないで」

 

 既に結梨はエインヘリャルと素顔を隠すためのゴーグルを装備し終えている。

 

「結梨ちゃん、何をするつもり?」

 

「新宿の都庁まで行くの。私なら、みんなより速く移動できる」

 

「縮地で移動するつもり? そんな長距離を縮地で移動できるの? 身体への負担は大丈夫なの? それに、まず建物の外に出ないと――」

 

 その時、突然ロザリンデの視界が砂嵐のように乱れ、何も視認できなくなった。

 

 同時に、身体には重力が消失したかのような感覚が発生した。

 

 ごく一瞬の後に、ロザリンデの視界は強い光にさらされ、そのまぶしさにロザリンデは思わず目を細めた。

 

 明るさに目が慣れてくると、周囲の光景は一変していた。

 

 それまでいた室内とは異なり、明らかに屋外だと分かる路上に三人は立っていた。

 

 まぶしさの原因は直射日光がまともに目に入ったことだった。

 

(建物の外に、いえ、ガーデンの敷地外に出た? 縮地を使って?

でも縮地はあくまでも物理的な高速移動で、壁をすり抜けたりは――)

 

 ゴーグルに隠された結梨の顔をロザリンデは思わず見つめてしまう。

 

「結梨ちゃん、あなた今、何を――」

 

 結梨はロザリンデの手を固く握ったまま離さない。

 

「もう一回跳ぶよ。絶対に手を離さないで」

 

 結梨が言い終わるや否や、再びロザリンデの視界は乱れ、また別の光景が目の前に出現する。

 

 今度は高層ビルの屋上に三人の身体は移動していた。

 

 周囲のビル群の形から、ロザリンデは自分たちが品川駅の近くにいることを理解した。

 

(御台場から品川まで一瞬で移動した。だとすると、移動距離は少なくとも2000メートル以上)

 

 この移動自体は、縮地のレアスキルによるものには違いない。

 それ以外には考えられない。

 

 しかし、建物の壁を通り抜けたり、これほどの長距離を一度に移動することは明らかに尋常ではない。

 

 新宿御苑での手合わせの際、琴陽は結梨の縮地がS級の一歩手前だと言っていた。

 

 それならば、今まさに結梨がやってみせた瞬間移動が、ワームホールを利用したS級の縮地「異界の門」だというのか。

 

 梨璃たちの身を案じる結梨の心が、縮地のレベルをS級にまで引き上げたのか。

 

 一柳梨璃が仲間の命を守るためにラプラスに覚醒したのと同じように。

 

 間を置かず、結梨は三度目の縮地を発動した。

 

 またしても、何処かのビルの屋上に三人の姿が出現した。

 

 ロザリンデの眼下には見覚えのある広いスクランブル交差点があった。

 

 今は避難する人も既にいなくなった渋谷駅の近くに移動したのだ。

 

「結梨ちゃん、身体に異常はありませんか? 気分が悪くなったり、頭痛や吐き気がしていませんか?」

 

「大丈夫だよ、伊紀。何ともないから。もう少しで新宿に着けるね」

 

 結梨を気遣う伊紀の問いかけに、結梨は何事も無いかのように答えた。

 

 そしてロザリンデと伊紀の手をきつく握り直して、都庁のある北の方角を一心に見つめていた。

 

 





 やはり予定より分量が多くなり、結梨ちゃんの出番までしか進めませんでした。

 縮地S級の描写については、公式設定を踏まえたつもりですが、あくまでも想像で書いていることをご了承ください。

 縮地に限らず、結梨ちゃんのレアスキルやエインヘリャルの能力は、今後段階的に拡大・向上していく予定です。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(10)

 

 都庁舎の最上部を占拠していた新種の特型ヒュージ・エヴォルヴは、一柳隊を始めとする3隊のレギオンによって激戦の末に討滅された。

 

 戦いの中で一柳隊隊長の一柳梨璃は、カリスマの上位スキルであるラプラスのレアスキルに覚醒し、3隊のレギオンのリリィ全員によるノインヴェルト戦術を見事に成功させた。

 

 そして戦闘終結直後に都庁へ向かっていた結梨・ロザリンデ・伊紀の三人は、結梨が発動した四度目の縮地によって、都庁舎の西側へと瞬間移動した。

 

 移動先の周囲に人影は無かったため、一柳隊を発見するべく、三人は注意深く都庁舎の東側へ回り込んだ。

 

 巨大な都庁舎の陰に隠れて都民広場の方をうかがうと、十九の人影が集まっているのが目に入った。

 

 結梨たちからその集団までは100メートル近くの距離があったが、結梨はすぐにそれらの人影が誰であるか見分けることができた。

 

(一柳隊とヘルヴォル、それに知らない制服のリリィが5人……グラン・エプレっていうレギオンかな。 ……よかった、みんな無事だったんだ)

 

 結梨は全員の無事を確認すると、胸を撫で下ろして安堵した。

 

 その結梨の肩にロザリンデが手を置いて声をかける。

 

「結梨ちゃんと伊紀はここで待っていて。私が一柳隊と話をしてくるわ。

ゴーグルを着けているとはいえ、建物の陰から顔を出さないでね」

 

 二人をその場に残してロザリンデが建物の陰から姿を現し、一柳隊の方へ歩き出す。

 

 その姿に最初に気づいたのは夢結だった。

 

「誰かがこちらへ近づいてくるわ。あれは百合ヶ丘の制服……私たち以外にも東京へ来ていた百合ヶ丘のリリィがいたのね」

 

 夢結に続いてロザリンデを視界に捉えた楓は、わずかばかり訝しげな視線で、自分たちの方へ歩いてくるロザリンデを見つめていた。

 

「あのリリィは3年生のロザリンデ様ですわ。でも、なぜお一人でここへ?

妙ですわね。何かしらの事情があるのでしょうか」

 

「もしかすると、この一件に百合ヶ丘のガーデンが疑問を持って、調査のためにリリィを派遣したのかもしれませんね」

 

「疑問って何だよ、神琳。まさか――」

 

「いえ、私の勇み足かもしれません。気にしないで下さい、鶴紗さん」

 

「途中で話を止められると余計気になるって。まあ何となく察しはつくけど」

 

「ロザリンデ様がどうかしたんですか?楓さん」

 

 しだいに近くなるロザリンデの姿から目を離さず見つめている楓に、不思議そうに梨璃が尋ねる。

 

「いいえ、何でもありませんわ。きっと防衛軍から百合ヶ丘に支援の要請があって、それに応じる形でロザリンデ様のレギオンが派遣されたのだと思います。

梨璃さんは何も気になさらなくて構いませんのよ」

 

(……と言い切れないのが困ったところですが。これは百合ヶ丘に戻ってから色々と調べてみる必要がありそうですわね。お父様にも連絡を入れておかなくては)

 

 梨璃に余計な負担を掛けさせまいと、楓は内心をおくびにも出さず笑顔を作ってみせた。

 

 その楓を横目で見ながら、神琳は何か言いたげな表情をしていたが、彼女の口が開く前にロザリンデが一柳隊に声をかけてきた。

 

「ごきげんよう、一柳隊の皆さん。それにエレンスゲ女学園と神庭女子藝術高校の方々も」

 

「ごきげんよう、ロザリンデ様。ロスヴァイセも東京へ来られていたのですか?」

 

 ロザリンデの挨拶に夢結が最初に答えた。

 

「ええ、そうよ。でも移動手段のトラブルがあって、今は私を含めた三人がロスヴァイセの本隊とは別行動を取っているわ。

エリアディフェンスが機能停止した時点で、百合ヶ丘の外征レギオンが全て不在だったために、ロスヴァイセに出撃するよう命令が出されたの。

でも、少しばかり厄介な足止めを食って、ここへ来るのが遅れてしまった。

結果的にあなたたちの役に立てなくて申し訳なく思っているわ」

 

「お気になさらないで下さい。私たちが会議への出席のために新宿に来ていた時に、偶然にも爆発事故が発生してエリアディフェンスの機能が停止しました。

その時点で、その場に居合わせたリリィは私たちの他にはいませんでしたので、私たちがケイブから出現したヒュージとそのまま戦闘に突入せざるを得ませんでした。

私たちはリリィとして当然の義務を果たしたまでです」

 

「そう……それは立派な心構えね。これからも後輩たちの良き手本となるようにお願いするわ」

 

 エリアディフェンス崩壊の裏事情を知っているロザリンデは、夢結にお仕着せの褒め言葉を発している自分に、少なからず嫌悪感を覚えていた。

 

(ごめんなさい、夢結さん。あなたたちばかりに負担を掛けてしまって。

本来なら私たちが先んじてG.E.H.E.N.A.の謀略を察知して、未然に予防措置を取らなければいけなかったのに)

 

 その思いを表情に出さないように注意しながら、ロザリンデは十九人のリリィを見渡した。

 

「ところで、あなたたちの中に怪我をしてる人はいない?

この近くに伊紀が待機しているから、負傷者がいればレアスキルのZですぐに治療できるわ」

 

「ありがとうございます。幸い、レアスキルでの治療が必要なほどの負傷者はいません。

私たちは出発の準備が出来しだい、それぞれのガーデンに戻る予定です」

 

「くれぐれも気をつけて。ケイブに撤退しつつあるとはいえ、まだ都内には各所にヒュージが残っているから」

 

「お気遣い痛み入ります」

 

 ロザリンデと夢結の会話に区切りがつくのを見計らって、全く物怖じしない態度で神琳がロザリンデの前に進み出た。

 

「私からも質問させてください。なぜ特務レギオンのロザリンデ様がここへいらっしゃったのですか?」

 

「私はガーデンの指示で、都庁舎で起きた爆発の現場を確認しに来たのよ」

 

 ロザリンデの言葉を耳にした神琳の目が、興味深げに光を宿す。

 

「現場の検証ですか?設備の技術的なことならアーセナルを派遣するものだとばかり思っていましたが。

それに、まだ戦闘が終わったばかりなのに、こんなにすぐに現地に入れるなんて、随分と段取りがいいことですね」

 

 神琳の頭の中で様々な推測が目まぐるしく考えられているのは、ロザリンデにはすぐに見て取ることができた。

 

(1年生の郭神琳さん。楓さんと二人で司令塔を務めているだけあって聡明な子ね。下手な小細工で煙に巻くようなことは言わない方がいい)

 

「そのあたりの事情も含めて、私を含めたロスヴァイセのリリィが派遣されたと考えてもらって構わないわ。

もちろん百合ヶ丘のアーセナルも後日現地入りして、爆発の状況を調査するでしょう」

 

「分かりました。ロザリンデ様にも特務レギオンのリリィとしてのお立場があることは承知しています。

これ以上野暮な質問をしてロザリンデ様を困らせるようなことは慎みます」

 

「ありがとう。そうしてもらえると助かるわ」

 

 そう言い終えたロザリンデは、百合ヶ丘女学院所属ではない十人のリリィに向き直った。

 

「エレンスゲと神庭女子の方々も、このたびは新宿での防衛戦にご協力いただいて、本当にありがとうございました。

百合ヶ丘女学院のガーデンを代表してお礼を言わせてもらいます」

 

 折り目正しく頭を下げるロザリンデに、グラン・エプレの隊長である今叶星が慌てて返事をする。

 

「とんでもありません。夢結さんが言われたように、私たちはリリィとして当たり前のことをしただけです。

どれほどの難敵であっても、力なき人々をヒュージから守れるのはリリィしかいないのですから。

ここにいる全員が最後まで全力で力を合わせて、その結果、エヴォルヴを倒すことができました。

私はその事実を誇りに思います」

 

「あなたたちのようなレギオンが一柳隊と一緒にいてくれたことを、神様に感謝するわ」

 

 ロザリンデはエレンスゲと神庭女子の十人のリリィに向かって微笑むと、その視線を再び一柳隊のリリィたちへと向けた。

 

「もうそろそろ都庁舎の中に入らないといけないわ。

最後に、一柳隊の隊長に一言お礼を言っておきたいのだけれど」

 

「わ、私ですか?」

 

 夢結のすぐ後ろに立っていたリリィが、あからさまに驚いた様子で自分を指さしている。

 

 一柳梨璃。この子がラプラスに覚醒したのか。

 

 戦死した川添美鈴を除けば、現時点では世界にまだ三人しかいないラプラスの使い手。

 

 その姿は結梨と同じように、リリィとしてはまだ未熟な半人前に見える。

 

 だが、その半人前のリリィが、この場にいる誰よりも絶大な効果を持つレアスキルに覚醒したのだ。

 

 そう言えば、梨璃の髪の色がわずかに紫がかっているように見える。

 

 これはラプラスの発動に伴う副次的な現象なのだろうか。

 

 既にラプラスの効果は消えつつあるのか、ロザリンデが自身の身体にその影響を感じることは無かった。

 

 考えに耽るうちに、いつの間にかロザリンデは梨璃の顔をじっと見つめていた。

 

「私の顔に何か付いてますか?ロザリンデ様」

 

「……いいえ、何でもないわ。今回の戦いは大変だったみたいね。

梨璃さん、一柳隊の隊長としてよく頑張ってくれたわ。本当にありがとう」

 

「そんな……夢結様と叶星様が言われたとおり、リリィとして当たり前のことをしただけです。

みんなが心を一つにして力を合わせてくれたから、あのエヴォルヴを倒すことができたんです。

私一人だけの力だと、何もできなかったと思います」

 

(確かにそうかもしれない。でも、あなたの力が無ければエヴォルヴを倒すことは決してできなかった。G.E.H.E.N.A.によって、そうなるべく仕組まれていたことを私は知ってしまった)

 

 その言葉をロザリンデは飲み込み、代わりに感謝と別れの言葉を一同に告げて、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 一方、ロザリンデと十九人のリリィがいる広場から離れた都庁舎の陰では、伊紀が結梨に申し訳なさそうに謝っていた。

 

「結梨ちゃん、ごめんなさいね。本当は梨璃さんたちと直接対面して話ができるようにしてあげられればいいんですが」

 

「ううん、私は気にしてないから大丈夫だよ。

生きていれば、きっとまた逢える日が来るから。

そうなれるように、私が自分の力で道を切り開くから」

 

 結梨は気丈にそう言った後、軽く握りしめた自分の右手を黙って見つめている。

 

 伊紀は結梨の真剣な表情を見て、気遣わしげに声をかける。

 

「もしかして『G.E.H.E.N.A.が私に手出しできないくらい、私が強くなればいいんだ』なんて思ってたりします?」

 

「……やっぱりそんな感じに見えてるの?」

 

 図星を指された結梨は、少し上目遣いになって伊紀の表情をうかがった。

 

 伊紀はあくまでも柔和な態度を崩さず、しかしはっきりと結梨に釘を刺した。

 

「あまり無理をしては駄目ですよ。G.E.H.E.N.A.は力押しだけでなく、様々な搦手から罠を仕掛けてきますから。

彼らは目的達成のためには手段を選びません。それはこの東京が今回の事変で、どれほどの混乱と被害を被ったかを見れば分かるでしょう?」

 

「うん。私一人で先走って、それでG.E.H.E.N.A.の罠にかかってみんなを悲しませたら、取り返しがつかないよね」

 

 結梨が伊紀の言葉にうなずいた時、ロザリンデが二人のいる所に戻ってきた。

 

「二人とも、待たせたわね。都庁舎に入りましょう」

 

「ロザリンデ、エリアディフェンス設備のある階まで縮地で移動する?」

 

 結梨の問いにロザリンデは首を横に振った。

 

「いえ、非常階段から徒歩で上がりましょう。

庁舎内部に何らかの罠が仕掛けられているかもしれないし、既に敵が待ち構えているかもしれない。

建物内の状態を確認しながら進まないと、敵の真っただ中に縮地で移動してしまう可能性もあるわ」

 

 

 

 

 三人は一柳隊がいた都庁舎の東側とは反対の西側から庁舎内に入った。

 

 停電した庁舎内を警戒しつつ進み、非常階段を伝ってエリアディフェンス設備のある階へ近づいていく。

 

 薄暗い庁舎内は静まり返っており、人の気配は全く感じられなかった。

 

 庁舎内に入って暫くの後、三人のリリィは目的の階に到達した。

 

 エリアディフェンス設備のある部屋の扉は爆風で吹き飛び、変形して、廊下の離れた所に転がっていた。

 

 廊下には至る所に瓦礫が散乱しており、壁にも亀裂が縦横に走っている。

 

 ロザリンデたちは爆発前に扉が存在していた出入り口から、注意深く部屋の中に目を走らせた。

 

 内部には人の姿は無く、一面に機器の破片が散らばっている。

 

 窓ガラスも扉と同様に爆風ですべて割れ、窓の外から不規則に強風が吹き込んでくる。

 

 そのために、爆発による火災の焦げ臭い匂いは、大半が風に流されて気にならないレベルだった。

 

 しかし、その空気の中に硝煙のような匂いが、わずかに残っていた。

 

 爆発箇所も室内の複数に存在しており、それは設備を確実に機能停止させるために、爆発物を人為的に設置した可能性をうかがわせた。

 

「やはり何者かがここを爆破したのは間違いないようですね。

あちこちに爆発物を仕掛けた形跡があります」

 

 部屋の中に入った三人は室内の状態をくまなく確認し終え、都庁舎のエリアディフェンス設備は人為的に破壊されたという結論に達した。

 

「予想していた通りだけど、この場所の爆発が人為的に起こされた爆破テロだという確認はできたわ。

後は記録を残しておきましょう。伊紀、爆発箇所の写真を撮っておいて」

 

「はい、ロザリンデ様。少しお待ちください」

 

 ロザリンデの指示を受けた伊紀が、携帯式の写真機を取り出そうとしたその時。

 

「残念だけど、写真撮影は控えてもらえるかしら」

 

 突然背後から聞こえてきた声にロザリンデたちが思わず振り返ると、白衣の女性が部屋の入口に立っていた。

 

 見間違えようも無い。御台場女学校校医の中原・メアリィ・倫夜だ。

 

 その手には見慣れない形のCHARMが握られており、それは既に起動状態にあった。

 

 CHARMのマギクリスタルコアには見たことの無い紋様が浮かび上がり、紅い光を放っている。

 

 彼女がここから自分たちをただで帰してくれるとは到底思えない。

 

 ロザリンデは結梨と伊紀をかばうように二人の前に立ち、眼前に現れた白衣の女性を睨みつける。

 

 一戦交えるしかないのかと、ロザリンデは右手に持ったアステリオンを両手で持ち直し、身体の正面に構え、倫夜と対峙した。

 

 




 67回目の投稿にして、ようやく一柳隊の登場を実現できました。
 しかしゲヘナ絡みのストーリーゆえに、楓さんや神琳さんのような参謀タイプのセリフが中心になり、9人全員にセリフを用意することができませんでした。無念。

 それと、御台場のスクールカウンセラーの稲葉先生は怪しすぎる……なんで右手にアンプル持ってるんですか。



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第12話 エリアディフェンス崩壊(11)

 

「随分早かったわね。もっと時間がかかるものと思っていたのだけど」

 

 ロザリンデたちにとって未知のCHARMを携えた倫夜は、その目に好奇心と警戒心の両方を宿らせて三人のリリィを見つめている。

 

「まさか私より先に都庁舎に入るとはね。あなたたちの力を過小評価してしまったわ」

 

 CHARMを持っていなければ、彼女は知性と美貌を兼ね備えた才媛の医師にしか見えない。

 

 その倫夜に向かって油断なく間合いを計りつつ、ロザリンデは苦々しく噛みしめるように問いただした。

 

「中原先生は、ここへ証拠の隠滅を図るために来られたのですか?」

 

 だが、ロザリンデの推測に反して倫夜の答えは否だった。

 

「いいえ。ここには隠滅を要するほどの証拠は残っていないわ。

この爆発が人為的なものであっても、それがG.E.H.E.N.A.の手によるものだという痕跡はどこにも無いもの。

ごく一般的な火薬やリード線しか使用されていなければ、爆発物から持ち主を特定することなんて不可能だと思わない?

どれほど入念にこの現場を検証しても、何者かによる爆破テロだという事実以外の物的証拠は見つけられないでしょうね」

 

「では、なぜわざわざここに足を運んだのですか?

私たちと違って、あなたたちはこの事件を仕組んだ側の人間です。

犯人が犯罪の現場を訪れることは相応のリスクがあるはずなのに」

 

「まだ分からない?あなたたちがここに来ることは自明だった。

そして本来なら私の方が先にここへ到着して、あなたたちが来るのを待ち構えるつもりだった」

 

 倫夜は生徒に講義を行う教師の如く、自分から距離を取って対峙しているロザリンデに説明を始めた。

 

「私はエヴォルヴとの戦闘が終わるのを待たずに御台場のガーデンを出立したわ。

あなたたちへの戦闘終了の連絡は、ガーデンの外から実行したのよ。

でも実際には、私より先にあなたたちの方が先に都庁にたどり着いた。

私より早くここへ来ることができるなんて、一体どんな手管を使ったのかしらね。

ぜひ教えていただきたいものだわ」

 

「先生の目的はこの現場での証拠隠滅ではなく、私たちだったというのですか」

 

「そう。そして私は今、武装している。この意味をよく考えてみなさい」

 

「私たちを殺害して、爆破テロの現場を目撃した者を消す……」

 

 息苦しさを覚えたかのように、ロザリンデが押し殺した低い声で答えた。

 

 だが、倫夜はロザリンデの答えを一笑に付しただけだった。

 

「まさか。G.E.H.E.N.A.がこの事件の実行犯だと特定できる証拠は何も無い。

それなら現場検証でも何でも好きにさせておけばいいわ。

それが反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィやアーセナルであろうと、防衛軍の憲兵であろうとね。

さっき写真撮影を制止したのは、万が一のことを考えてよ。それ以上の意味は無いわ」

 

「それでは、先生は私たちとCHARMを突きつけ合って戦うために、ここに来たというのですか。

私たちの戦闘能力がどれほどのものか、自分自身の手で確かめるために」

 

「あなたたちが新宿御苑付近の戦闘で記録した戦果は素晴らしいものだった。

ロネスネスやヘオロットセインツでも、あれほどのスコアは簡単に達成できるものではないわ。

戦術、兵装、それ以外の未知の要素……一般的なレギオンには無い何かしらの特別な優位性が、あなたたちのレギオンにはあるはずよ。

私はそれが何なのかを自分の目で知りたいの」

 

 倫夜は自らの知的好奇心を抑えられずに、無遠慮に三人のリリィを眺めまわした。

 

 その目がロザリンデと伊紀の後ろに隠れるように立っている結梨に留まった。

 

「そちらのゴーグルの子は1年生のようね」

 

 伊紀がさらに一歩横に動いて、倫夜から結梨の身体を完全に隠すような位置取りをする。

 

「この子は私の従姉妹です。所属レギオンが未定なので、私が主将を務めているLGロスヴァイセが暫定的に預る形になっています」

 

「ふうん……素顔を隠しているということは、何かしらの事情があるのね。

まあ、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの強化リリィなんて、ほとんどが訳ありですものね。

どこかのラボから『救出』されたか、それとも司馬さんのように自力で脱走したか……いちいち気にかけていたらきりが無いわ。

その様子だと、どうせ内務省の反G.E.H.E.N.A.派閥あたりに手を回して、過去の経歴も抹消済みなんでしょう?」

 

 全員が強化リリィで構成されているロスヴァイセと行動を共にしていることから、ゴーグルの少女もまた強化リリィであろうと倫夜は決めつけていた。

 

 ロザリンデと伊紀はその誤解をあえて訂正せずにおくため、何も返答をしなかった。

 

 その沈黙を消極的な肯定と解釈したのか、倫夜は更に結梨のエインヘリャルに目を留めて、舐めるように観察した。

 

「それにしても、変わった形のCHARMを装備しているのね。とても興味深いわ。

私がここに来たのは、このブーステッドCHARMの性能を改めて実戦で確認しておくことも兼ねているの。

何なら、あなたから先に相手してあげても構わないわよ。それとも三人まとめてかかってくる?」

 

 倫夜の挑発めいた言葉に、ロザリンデはきっぱりと否定の返答をする。

 

「この二人は私の大事な後輩です。

得体の知れない改造CHARMの試し斬りになど付き合わせるわけにはいきません。

あなたの相手は私一人で充分です」

 

「そう、ではあなたがこのCHARMの性能テストの被験者になってくれるのね。

先に言っておくけど、くれぐれも手加減なんてしないことね。

これはとても強力なCHARMだから、並のリリィ相手ではうっかり殺してしまいかねないの。

強化リリィのあなたなら、私が本気で戦っても簡単に死んだりしないでしょう?」

 

「それは私の戦闘能力のことを言っているのか、それともリジェネレーターのブーステッドスキルのことを言っているのか、判断がつきかねます」

 

「両方よ。あなたほどの強化リリィなら、このブーステッドCHARMの相手にとって不足無し。

あの船田姉妹が二人掛かりでようやくコアを破壊できたほどのCHARMですもの。

半端なリリィが相手では性能の限界を確認するどころか、気がついたら息をしていなかった、なんてことになりかねないわ」

 

「あなたと戦うことなく、私たちがこの場を去ることは叶わないのですか」

 

「部屋の出口は私の後ろにある。あなたたちは私を倒さない限り、外には出られないわよ」

 

 出口を塞ぐように立ちはだかる倫夜に向かって、今一度ロザリンデは揺さぶりをかけてみることにした。 

 

「教導官でもある校医とリリィがCHARMで戦えば、重大な問題と見なされますよ。

事が公になれば、あなたも御台場を去ることになるかもしれない」

 

 だが、交戦に関する規則など、倫夜は一顧だにしていない様子だった。

 

「交戦規定なんて気にする必要は無いわ。

表沙汰にならないように私が全部揉み消してあげるから、遠慮なく全力でかかって来なさい。

そうでなくてはあなたたちの実力テストにも、このCHARMの性能テストにもならないもの」

 

 倫夜はCHARMをロザリンデたちに向けて、戦闘態勢に入ろうとする。

 

(あれが例のガラテイアというブーステッドCHARMか。確かにコアが妙な光り方をしている。

それに腰のベルト、あれはおそらくヴァルキュリアスカート・マギ・リンカネーションシステム。

ブーステッドCHARMの使用で発生する負のマギを、リンカネーションシステムで浄化する仕組みだ。

準備万端でここに乗り込んできたというわけね)

 

 相手は一人とはいえ、得体の知れない改造CHARMとヴァルキュリアスカート・マギ・リンカーネーションシステムを装備している。

 

 それに加えて、ロザリンデたちが調べたところでは、倫夜は鷹の目S級のレアスキル保持者だ。

 

 実際に鷹の目S級持ちのリリィと戦ったことは無いが、鷹の目S級は相手の弱点を見抜くことができるという。

 

 これらの点を考えると、倫夜が現役を退いているとはいえ、簡単に押し通らせてくれそうにないことは明らかだった。

 

 また、倫夜がその気になれば、いつでも増援を呼べるのだろうが、幸い今の所その気配は全く感じられない。

 

 いずれにせよ、退路に立ち塞がられている以上、この場を脱するためには倫夜と戦い、彼女を退けるしかない。

 

 覚悟を決め、倫夜に応じてアステリオンを構え直そうとするロザリンデ。

 

 その手を後ろから結梨が強く握った。

 

 驚いたロザリンデが思わず振り返って結梨の顔を見る。

 

 その表情はゴーグルに隠されて、うかがい知ることはできない。

 

 結梨はもう一方の手に伊紀の手を握っていた。

 

 ささやくような小声で、しかし迷いの無い口調で結梨が短く言う。

 

「そんなことする必要ないよ。もう行こう、ロザリンデ」

 

 結梨が言い終えると同時に、倫夜の前から三人の姿が一瞬にして掻き消えた。

 

 倫夜は咄嗟に後ろを振り返ったが、背後の廊下にも人の気配は全く感じられない。

 

 もしやと思って倫夜は窓辺に駆け寄り、ガラスの無くなった窓から外を見下ろした。

 

 すると、自分のいる階から100メートル以上隔たった地上に、点のように小さい三つの人影が目に入った。

 

 それらの人影が、先程まで自分と対峙していた三人のリリィであることは明らかであり、倫夜はロザリンデたちが既に庁舎の外に出たことを理解した。

 

「……何よ、百合ヶ丘にS級の縮地持ちがいるなんて聞いてないわよ。

あの1年生リリィ、とんだ食わせ者ね。G.E.H.E.N.A.の情報部も存外あてにならない」

 

 倫夜はその理知的な表情をわずかに乱れさせたが、すぐに落ち着きを取り戻し、誰に向かってでもなく独り言をつぶやいた。

 

「このまま彼女たちの実力を再確認できずに、まんまと鎌倉府へ戻られるのも口惜しいわ。

せっかく想定外の面白いレギオンが東京まで出てきたのだから、もう一度その力を見せてもらうわよ」

 

 倫夜は白衣の懐から通信端末を取り出すと、いずこかへ連絡を取り始めた。

 

 回線の向こうにいる相手が電話に出ると、努めて冷静な声で、ごく手短に自分の意思を伝える。

 

「御台場女学校の中原です。至急、作戦部長に取り次いでもらえるかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリアディフェンス設備のある階から一瞬で都庁前の地上に降り立った三人は、倫夜が追って来ないことを確認して、その場から離れつつ碧乙に連絡を取った。

 

 一柳隊を始めとする十九人のリリィは、既に広場から撤収を完了して姿は見えなくなっていた。

 今はもうそれぞれのガーデンへの帰途についているのだろう。

 

 一方、ロザリンデたちに遅れて御台場女学校を出立したロスヴァイセのリリィたちは、あと10分ほどで新宿に到着するところまで来ていた。

 

 各所で道路が寸断されているため、碧乙たち七人は自力でビルの屋上や高速道路を移動して都庁に近づきつつあった。

 

 通信端末のスピーカーから碧乙の声が聞こえてくる。

 

「さっきはいきなり目の前から姿が消えたから、びっくりしましたよ。

やっぱりあれは結梨ちゃんのレアスキルだったんですか?今は都庁に?」

 

「そうよ。しかも都庁舎で例の校医と鉢合わせしたわ。

このまま都庁付近に留まってあなたたちを待つのはリスクが大きすぎる。

合流地点を都庁から新宿御苑に変更、それで構わない?」

 

「分かりました。では進路を変更して新宿御苑に向かいます。

御苑内のランデブーポイントは、昨日の整形式庭園でいいでしょうか」

 

「ええ、そこで落ち合いましょう。爆発現場の確認はできたけれど、中原先生に邪魔されて写真は撮れずに終わったわ」

 

「とんでもないトリックスターでしたね、あの先生は」

 

「後は、私たちがこれ以上トラブルに巻き込まれずに百合ヶ丘に帰還できるかどうか……」

 

「それ以上のお話しは顔を合わせてからにしましょう、お姉様。

その仰り方はフラグを立てているようにしか聞こえませんよ」

 

「そうなの? ではこれで通信を終わるわ。また後でね」

 

 新宿御苑の西側から進入したロザリンデたちは、合流地点の整形式庭園が見えてきた時、そこに数人の人影を視認した。

 

 人影はこちらに背を向けて、何事かを話し込んでいるように見える。

 

「先客がいるみたいですね。人数は四人。全員がルドビコ女学院の制服に黒いジャケットを羽織っています」

 

「LGアイアンサイドのリリィかしら。ヒュージがケイブに撤退を始めたので、その追撃にガーデンから出てきたのかもしれないわ」

 

「あの二人、幸恵と来夢じゃない?後ろ姿でも見覚えあるよ」

 

 三人が足早に近づいて行くと、四つの人影もロザリンデたちに気づいた様子で、こちらを振り返った。

 

 その四人の中に、確かに福山・ジャンヌ・幸恵と岸本・ルチア・来夢の姿があった。

 

 他の二人には面識が無く、着ているジャケットからLGアイアンサイドのリリィであることしか分からない。

 

 幸恵は姿勢を正してロザリンデたちに軽く会釈し、品の良い笑顔で挨拶する。

 

「ごきげんよう、ロザリンデ様。今日もロスヴァイセは新宿方面に出撃ですか。

私たちアイアンサイドは二手に分かれて、撤退するヒュージの掃討をひとまず終えたところです。

私たちはこれから別動隊と合流してルドビコのガーデンに戻る予定ですが、ロザリンデ様たちはこれから何かの任務があるのですか?」

 

 ロザリンデが幸恵の質問に答える前に、幸恵の傍にいたルドビコのリリィが先に質問を重ねる。

 

「幸恵さん、この方たちと面識があるの?」

 

「ええ、この方々は鎌倉府の百合ヶ丘女学院から支援要請に基づいて派遣されたLGロスヴァイセのリリィよ。

昨日はこの付近でヒュージの一群を掃討していただいて、とても助かったわ。

あの群れがルドビコのガーデンに向かっていたら、相当の戦力を割いて対処しなければならなかったはず」

 

「ごきげんよう、幸恵さん。まず、そちらのお二人に自己紹介させてください」

 

 ロザリンデと伊紀と結梨は見知らぬ二人のリリィの前に立った。

 

「幸恵さんが説明されたように、私たちは鎌倉府の百合ヶ丘女学院に所属するリリィです。

私は3年生のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットー、こちらの二人は1年生の北河原伊紀と彼女の従姉妹のゆりです」

 

 幸恵と来夢以外には結梨のことを知られたくなかったため、ロザリンデは偽名で結梨の名前を紹介した。

 

 無論、結梨は素顔を隠すためのゴーグルを着用したままだ。

 

 そのロザリンデの言葉を聞いていた幸恵と来夢は、結梨の事情を察して沈黙を守っている。

 

「はじめまして。私はLGアイアンサイドの2年生、黒木・フランシスカ・百合亜。

この子は私のシュベスターで1年生の――」

 

 美しい顔立ちながら、どことなく人形めいた無表情で自己紹介をする百合亜。

 

 その発言の途中で、ショートカットの髪型のリリィが百合亜の言葉を引き継いだ。

 

「俺は天宮・ソフィア・聖恋。百合亜様のシュベスターで来夢の幼馴染だ」

 

「女の子なのに自分のこと俺って言うんだ……」

 

 思わず結梨がぽつりと言葉を漏らすと、聖恋が鋭い視線を結梨に向けた。

 

「何だよ、文句あるのかよ」

 

「やめて、聖恋ちゃん。この人たちは昨日、ガーデンから離れられないルドビコのリリィを支援するために戦ってくれたんだよ。だから喧嘩しないで」

 

 結梨に食って掛かろうとした聖恋を、慌てて来夢が引き留める。

 

「そんなつもりは無いよ。ちょっと気に障っただけだ。

まあ、百合ヶ丘なんてお嬢様学校にいたら、みんな『ですわ』とか『なさいませ』なんて言葉遣いで喋ってるのかもしれないけどさ」

 

 聖恋が指摘したとおり、確かに百合ヶ丘の一部のリリィには、育ちの良さからそのような言葉遣いをする生徒もいるのは事実だ。

 

「言われてみれば、百合ヶ丘には俺っ娘はいませんね。ゆりちゃんが驚くのも無理は無いです」

 

 伊紀は碧乙から聞いたことのある「俺っ娘」という単語を無意識に口にしたが、聖恋はそれが気に入らないようだった。

 

「その俺っ娘っていう言い方は気持ち悪いからよしてくれ。虫唾が走りそうだ。

それで、鎌倉府の百合ヶ丘のリリィが、どうして二日続けて新宿御苑なんかに来てるんだ?」

 

「昨日は戦力支援で、今日は別行動になってしまったレギオンメンバーと、ここで落ち合う予定になっているんです。

もう間もなくここに到着すると思います」

 

 そう言って伊紀が周りを見渡すと、整形式庭園の向こうにあるプラタナスの並木の奥に、百合ヶ丘の制服らしきシルエットの人影が目に入った。

 

「あ、碧乙様たちが到着されたようです。並木道の向こうに姿が見えました」

 

 伊紀が碧乙たちに手を挙げて所在を知らせようとしたその時、緊迫した聖恋の声が五人の耳に届いた。

 

「ヒュージサーチャーに感有り。かなり遠いな。場所はここから東に約15キロメートル、旧都県境の辺り。ギガント級を含む大きな群れだ」

 

 聖恋がヒュージの出現を告げ終えると同時に、ロザリンデの通信端末に着信を知らせるバイブレーションが生じた。

 

 ロザリンデがすぐに電話に出ると、端末のスピーカーからは昨日から何度も耳にしてきた声が聞こえてきた。

 できれば今は最も聞きたくなかった声が。

 

「ごきげんよう、LGロスヴァイセの皆さん。

あなたたちのために、わざわざ特別に追試験場を用意してあげたわ。

今度こそ存分にあなたたちの実力を見せてちょうだい」

 

 

 

 




 今回の投稿をした日の夜にルド女の舞台を配信で視聴しました。
 ゲヘナはいつも通り安定の鬼畜ぶりでとても満足……いえ憤慨しました。

 予定より大幅に内容が膨らんでしまいましたが、次回の戦闘で本当にエリアディフェンス崩壊のエピソードは終えるつもりです。
 もちろんメインアタッカーは結梨ちゃんですが、百合亜様が戦術上のキーパーソンになる予定です。



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第12話 エリアディフェンス崩壊(12)

 

「さっきはまんまと私のテストから逃げられてしまったから、今度はもっとやる気が出るような試験場を用意させてもらったわ」

 

 端末のスピーカーから聞こえてくる倫夜の声は余裕に満ちていた。

 

 それに舌打ちしたい気持ちを抑えて、ロザリンデは冷静に彼女に質問を返す。

 

「なぜ先生が私の端末の回線番号を知っているのですか?」

 

「その端末、私物ではなくて百合ヶ丘のガーデンからの支給品でしょう?

私は御台場女学校の正規職員として、協力関係にあるガーデンの緊急連絡先を利用する権限が与えられているの。

今は緊急事態そのものではなくて?」

 

「便利な立場を手に入れたものですね。で、今になって私たちに出撃しろと?」

 

「今はまだ各ガーデンの主力レギオンは東京に戻って来る途中。

戦力的にはあなたたちロスヴァイセか、ルドビコ女学院のアイアンサイド、テンプルレギオンあたりが最も頼りになる。

もちろん現地のガーデンからもレギオンが出撃するでしょうけど、ギガント級を含んだ大群を相手にするだけの戦力は無いでしょうね。

あなたたちはどうする?指を咥えて彼女たちを見殺しにはできないはずよ」

 

「ここからヒュージの出現場所まではかなりの距離があります。

私たちが到着する前に現地のレギオンは壊滅するかもしれません」

 

「そちらには縮地S級持ちのリリィがいるはずよ。

その子の力を使えば、一人や二人はすぐに戦場に到着できる。

そこで時間稼ぎをしている間に他のレギオンメンバーが後を追いかければ、倒せない相手ではないと思うけれど。

あなたたちの実力が私の期待通りなら、犠牲者は出ないはずよ」

 

「もう一度あの縮地を使わせる気ですか?

その上で、ギガント級を含むヒュージ群と私たちを戦わせ、その実力を試すつもりですね。

私たちの力を知るためだけに、そんな茶番を仕組んで他校のリリィを危険にさらすというのですか」

 

「その通りよ。その程度の対価で詳細不明のレギオンの力が判明するなら安いものだわ」

 

 いとも簡単に倫夜は言い切った。

 

「私にもう一度あなたたちのレギオンの力を見せてほしいの。さっきの子の縮地も含めて」

 

「そのあたりの考え方は、いかにもG.E.H.E.N.A.の価値観に毒された者の思想だと言わざるを得ません。

あなたたちはいつもそうだ。己の目的のためには平気で他人の命を生贄に捧げる」

 

「だって、そうでもしないとあなたたちは私の言うことを聞いてくれないでしょう?」

 

「私たちの力を試すことでしか、先生が私たちを理解できないのは残念です。

これ以上の押し問答は時間の無駄です。失礼します」

 

 静かに通話を終えたロザリンデの表情は失望の色に満ちていた。

 

「ロザリンデさん、今の電話は……」

 

 近くでロザリンデと倫夜のやり取りを聞いていた幸恵が、心配そうに声を掛けてきた。

 

「詳しい話は後です。ルドビコのガンシップは使用可能ですか?」

 

「いえ、すぐに離陸するのは無理です。教導官の欠員で管制室が機能していないので、周辺空域の安全確認にかなりの時間が必要です」

 

 空路での移動は事実上不可能、車両や自分たちの足で移動するには時間が足りない。

 

 何か最速で現地に到着できる手段は他にないか。

 

 ロザリンデが考えを巡らせていると、隣りにいた結梨が切迫した口調で呼びかけてきた。

 

「ロザリンデ、やっぱり私が縮地で……」

 

「駄目よ。今日はもうこれ以上縮地を使うのはやめなさい。

あなたはまだS級に覚醒したばかりなのよ。

いきなり続けざまに発動するのは予測できないリスクがある。別の方法を考えましょう」

 

「他の移動方法……」

 

 ロザリンデたちに合流し、伊紀から事情を聴いた碧乙が、悩ましげな表情で天を仰いでいる。

 

 その碧乙が、ふと何かを思いついたようにロザリンデの方を振り返った。

 

「エインヘリャルのマギビットコアをここから飛ばして、離れた所にいるヒュージを攻撃する……とか」

 

「そんな、無茶よ。あのCHARMは基本的に目視でマギビットコアを操作するように作られているわ。

あなたのファンタズムで空間座標のイメージを受け取るとしても、ここから10キロメートル以上も離れている所なんてファンタズムの効果範囲外よ。

テスタメントの支援でも無い限りは。

今のロスヴァイセにテスタメント持ちのリリィはいない。実現は不可能だわ」

 

「テスタメントのレアスキルなら、私が使えるわ」

 

 その時、ロザリンデたちの話を聞いていた百合亜が軽く手を挙げて、至って冷静な口調で提案した。

 

「えっ――」

 

「どうしたの? 早く出撃しないといけないんでしょう? それともルドビコのリリィの力を借りるのが嫌なの?」

 

「い、いえ、そういうわけではないけど……」

 

「そう。なら早くしましょう。出撃が遅れれば、それだけ現地で戦っているリリィたちの身が危うくなる。今はあれこれ考えている余裕は無いはずよ」

 

「……分かったわ。あなたの力、借りさせてもらいます」

 

 唐突な百合亜の申し出に戸惑いつつも、ロザリンデは彼女の提案を受け入れた。

 

 その百合亜に碧乙はもの言いたげな視線を向けていたが、ロザリンデと百合亜の会話が終わると同時に独り言をつぶやいた。

 

「何かつっけんどんなリリィね。隣りにいる1年生のシュベスターは俺っ娘だそうだけど、変わり者同士でくっついたのかしら」

 

「だから、その俺っ娘はやめてくれって言っただろ。

それに百合亜様はちょっと愛想が無くてドSっぽく見えるだけで、本当は人を思いやることができる優しい心の持ち主なんだ。変わり者なんかじゃない」

 

「ありがとう、聖恋。あまり褒めているようには聞こえないけど、褒めてくれているのね。あなたのようなシュベスターを持って嬉しく思うわ」

 

「ありがとうございます。俺の方こそ、百合亜様のシュベスターにふさわしい立派なリリィになれるように頑張らないと」

 

 百合亜と聖恋のやり取りを聞いていた碧乙は、あきれ顔で口を挟む。

 

「あなたたち二人が変人だということはよく分かったわ。

でも変人であることと、リリィとしての能力は別であるのも事実。

あなたのテスタメントの力、ありがたく使わせてもらうわ」

 

「あなたも初対面のリリィに向かって、随分ずけずけと言いたい放題言ってくれるわね。

いきなりぶっつけ本番で、知らないリリィのテスタメントをファンタズムにリンクさせるなんて、簡単にできることではないわよ。あなたにそれができるの?」

 

「私もガラスの天才と呼ばれた百合ヶ丘のリリィよ。そのくらいのことは朝飯前にやり遂げてみせるわ」

 

「『ガラスの』という冠が引っかかるけれど、まあいいわ。時間が無いのでしょう?さっさと始めましょう」

 

「そうね、私は先にファンタズムを発動して待機しているから、あなたはテスタメントを私に向けて使ってみて」

 

「分かったわ。ではさっそく始めるわよ」

 

 百合亜は額に指を当てて目を閉じ、静かにレアスキルを発動した。

 

 その直後、碧乙は驚いたように百合亜の顔を見つめる。

 

「何よ、この出力。普通のリリィより段違いに大きい。もしかして、あなたは――」

 

「私は強化リリィよ。それがどうかしたの?」

 

 眉一つ動かさずに百合亜は碧乙に答え、碧乙は対照的に不敵な笑みを百合亜に返す。

 

「奇遇ね。私もよ」

 

「そう、お互い色々と大変ね。それで、あなたのファンタズムは順調に領域範囲を拡大できているの?」

 

「ええ、一人の時より遥かに遠くの場所の未来まで視える。これなら現地の戦場まで充分にビットの飛行をサポートできるわ」

 

「飛行ということは、何かの兵器をここから飛ばして戦闘に使用するの?」

 

「それは見てのお楽しみよ。ゆりちゃん、飛行経路のイメージをテレパスで送るから、それに沿ってマギビットコアを操縦してね」

 

「うん、いつでもいいよ。私にイメージを送って」

 

 碧乙も目を閉じて、百合亜が発するテスタメントの増幅効果を最大限に受け止めようと意識を集中させる。

 

「テスタメントの発動を確認。ファンタズムとのリンケージに成功しました。

エインヘリャルの脳波コントロールユニットとの同調も問題ありません。

いつでも出せますよ」

 

 碧乙がロザリンデに状況報告をすると、ロザリンデは小さく頷いて結梨に発進の指示を出す。

 

「ゆりちゃん、マギビットコアをベースユニットからリフトオフ。フライトを開始して」

 

「うん」

 

 エインヘリャルのベースユニットから分離した5機のマギビットコアは、結梨たちから少し離れた場所までゆっくりと低空を移動した。

 

 その後、ホバリングに近い状態で、機体を垂直に近い角度に調整する。

 

 来夢と聖恋は目を丸くして、宙に浮いているマギビットコアを見つめている。

 

「幸恵様、あのCHARMは……」

 

「間違いなく第4世代。しかも、まだどこのガーデンも実用化に成功していない精神直結型だわ。

まさか百合ヶ丘が実戦配備の段階まで進んでいたとは。

彼女は天才の中の天才、『特異点のリリィ』の一人だったということね」

 

「――行け」

 

 結梨が短くささやいた瞬間、マギビットコアのスラスターから噴き出す青白い炎が急速に拡大する。

 

 5機のマギビットコアは噴射炎で地面を蹴り上げるように上空へ舞い上がり、瞬く間に点となり、東の空へと消えていった。

 

 マギビットコアは離陸から10秒に満たない時間で1000メートル近い高度まで上昇、その後は水平飛行に移行し、さらに速度を増しつつあった。

 

「スラスト全開、このまま最大戦速まで増速」

 

「もう全開だよ」

 

 碧乙の指示に結梨が即答した。

 

 スラスターの最大出力で加速し続けるマギビットコアの飛行速度は音速を超えた。

 

 ビットが飛び去った後に超音速によって生じた衝撃波が、爆発音のような音響を伴って地上の建造物をビリビリと小刻みに震わせる。

 

 飛行開始から約1分で、マギビットコアは旧都県境の戦闘区域まで数百メートルの上空に差しかかった。

 

 その地上では、西へと侵攻するヒュージの一群を阻止するべく、現地近傍のガーデンから一隊のレギオンが出撃していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長、いくら何でもあの大群は、旗艦レギオンならともかく、私たちのような二線級のレギオンが太刀打ちできる相手ではありません。一時撤退して戦線を下げましょう」

 

「群れの総数は数百体、ギガント級も1体いる……か。

確かに正面から戦っては、勝ち目は万に一つも無いわね。

でも、増援が来るまで持たせればいい。まともにあの群れとぶつかる必要は無いわ」

 

「持ちますかね。増援のレギオンが出撃したという情報はまだ入っていません。

しかも群れの後衛にギガント級までいるじゃないですか。

時間稼ぎすら無理筋に思えてきます」

 

 この世の終わりのような顔をしながら副隊長は溜め息をついたが、隊長はまだ勝負を諦める気は全く無かった。

 

「泣き言ばかり言うのはおやめなさい。まだここから背後の市街地までは相当の距離がある。

遮蔽物を利用して、移動しながら威嚇射撃で牽制しましょう。

命中しなくても、少しでもヒュージの前進を遅らせられればいい。

止まったり、複数人で固まっていたら狙い撃ちにされるから、各個に群れの周囲に散開して遊撃戦を仕掛けるのよ」

 

「私たちが群れに追いつかれるのが先か、増援が来るのが先か、運任せですね」

 

「勝負は時の運と言うわ。私たちが今日まで生き残って来られたのも、運が私たちに味方した局面があったから。今回もそうだと信じましょう」

 

 それが気休めにすぎない考えであることは自覚していたが、隊長は半ば自分自身に言い聞かせるように言葉を発した。

 

「あと少しで先頭のヒュージがこちらの射程距離に入るわ。あなたも散開して自分の持ち場に――どうしたの、早く行きなさい」

 

「今、何かが上の方で光ったような……」

 

 二人が上空を見上げると、ほぼ真上にある太陽の中に、ごく小さい黒点が五つ見えた。

 

 その黒点は少しずつ大きさを増しつつあり、こちらへ接近しつつあることが見て取れた。

 

「何かがここへ向かってくる? それとも落ちてくる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――見えた。間に合った」

 

 結梨の意識に送られてくるファンタズムの予知イメージに、地上にひしめくヒュージの一群が浮かび上がった。

 

 その総数はギガント級1体を含む約300体。

 

 遊撃戦のフォーメーションを展開しつつあるレギオンとの間で、戦端が開かれる直前だった。

 

「群れの上空に直掩の飛行型ヒュージ無し。このまま攻撃を開始」

 

 碧乙の指示に従って、結梨はマギビットコアの飛行角度を変え、地上への攻撃態勢に入った。

 

 5機のマギビットコアは一糸乱れずに編隊を組み、約1500メートルの高度から急降下を始める。

 

 群れの直上へ一直線にダイブするマギビットコアは、ラージ級の個体を優先して照準を定め、第一撃を斉射した。

 

 群れの前衛に位置していた一体のラージ級に5本のビームが命中し、無防備の急所に直撃を受けたラージ級は瞬く間に青白い閃光を放って爆発する。

 

 今まさに最前線でヒュージと交戦を開始しようとしていたリリィたちは、突如として上空から現れた援軍に、唖然として眼前の光景を見つめた。

 

 彼女たちの視界の上端に白い輝点が映った直後、前方に迫っていたラージ級が轟音とともに弾け散ったのだ。

 

 全長1メートルに満たない白い飛行物体は前衛のラージ級を撃破後、即座に反転上昇し、次の目標への攻撃に移ろうとする。

 

 空からの攻撃に気づいたヒュージが一斉に上空へエネルギー弾を発射するが、それらの対空砲火は全て虚しく宙に吸い込まれていく。

 

「航空支援? あれは防衛軍のドローン兵器なの?」

 

「まさか。あんな桁違いの機動性と火力のドローンなんて見たことありませんよ」

 

「でも、無人攻撃機にしては機体が小さすぎるわ。それに主翼も垂直尾翼も無い。

スラスターの推力だけで姿勢を制御しているように見える。あれは一体……」

 

「そもそも通常兵器でラージ級は倒せません。だから、あの飛行物体がCHARMの一種であることは間違いありません」

 

「あれがCHARMだっていうの? 私たちの使っている機体とは似ても似つかないわ」

 

「案外、どこかのCHARMメーカーの新製品かもしれませんよ。

あんなトンデモ兵器を作ることができるのは、余程の技術者がいるメーカーでないと不可能でしょうけどね。

ついでに言うなら、あんなトンデモCHARMを扱えるリリィも、イカれた能力の持ち主に違いありません」

 

 戦場を覆う砂塵と煙の遥か上空で、マギビットコアは純白の機体を乱舞させ、縦横無尽にヒュージを屠っていく。

 

 ファンタズムの未来予知によって、対空砲火の弾道は射出前に結梨の意識にイメージとして伝えられている。

 

 各ヒュージが移動する先の座標も同様に、すべて結梨の知るところとなっていた。

 

 突如現れた空からの敵影にヒュージの群れは恐慌状態となり、見境無しに上空のマギビットコアに向かって砲撃を続けている。

 

 その対空砲火の全てを掻い潜り、再びマギビットコアは次のラージ級に向かって狙いを定める。

 

 5機のマギビットコアから寸分の狂い無く発射されるビームが、次々にラージ級を撃破していく。

 

(あの無人機はラージ級を優先して攻撃している。

ギガント級は群れの最後方に控えていて、今は全てのヒュージが無人機への応戦に気を取られている。

これは千載一遇の好機だ。レギオンの総力を挙げて攻撃しなければ)

 

 無人機の出現によって一変した戦況を判断するとすぐに、隊長は通信端末を無線機モードにしてレギオンの全メンバーに指示を出す。

 

「これは天祐よ。この機に乗じてBZのリリィも含め、レギオンを2個分隊に分けて全員で群れを攻撃する。

全レギオンメンバーは十字砲火のシフトへフォーメーションをただちに変更。

ラージ級以上はあの無人機に任せて、私たちはミドル級以下の個体にレギオンの全火力を集中。

弾種を徹甲弾から榴散弾に換装して弾幕を張れ。

一体を撃破するより十体を行動不能にせよ。ヒュージに反撃の隙を与えるな」

 

 二手に分かれて布陣を完了したリリィたちは、隊長の合図の下、ヒュージの群れに向かって一斉射撃を開始した。

 

「攻撃始め。砲身が焼けつくまで撃ちまくれ」

 

 頭上のマギビットコアに気を取られていたヒュージは、側面からの突然の攻撃に全く対応できなかった。

 

 射撃開始と同時に、外縁部の個体が次々とCHARMの砲火に曝されて倒れていく。

 

 地上での十字砲火とマギビットコアの空爆による立体的な半包囲陣形が形成され、ヒュージの群れは為すすべも無く、見る間にその数をすり減らしていく。

 

 最初の攻撃開始から10分を待たずして、300を超える数のヒュージが骸と化し、無傷で残っているヒュージはギガント級1体のみとなった。

 

 累々たるヒュージの死骸の向こうに、高さ20メートルを超える巨人のようなギガント級の姿がそびえ立っている。

 

 リリィたちは過熱したCHARMの砲身を冷却しながら、その異形の巨体を遠望していた。

 

「やった……後はあのデカブツを倒せば終わりですね」

 

 しかし、隊長は首を横に振って副隊長の言葉に否定の意を表した。

 

「私たちには、まだギガント級の討滅経験は無い。

ノインヴェルト戦術の訓練は積んでいても、ギガント級の攻撃をかわしながらパス回しをできるレベルには達していない。

だからガーデンに連絡して、旗艦レギオンが戻る予定時間まで遅滞戦術を取る方が確実だわ」

 

「でも、あの無人機はやる気満々みたいですよ」

 

 ラージ級以下の駆逐を終えた5機のマギビットコアは、休む間も無く矛先を残ったギガント級に向け、その周囲を旋回しつつ攻撃の機会をうかがっている。

 

「あの動き……囮になってギガント級を攪乱しようとしているの?

それなら私たちでもノインヴェルト戦術のパス回しができる隙が生じるわ」

 

「はい、私たちがノインヴェルト戦術をやってみる価値はあります。やりましょう」

 

 副隊長の呼びかけに、隊長は目を閉じて沈黙していたが、やがて意を決したかのように目を開いて副隊長に答えを返した。

 

「……分かったわ。これより目標のギガント級ヒュージに対してノインベルト戦術を開始。

各レギオンメンバーは速やかにパス回しの配置につきなさい」

 

「了解しました。ノインヴェルト戦術用特殊弾を装填。私を起点にしてパス回しを始めます」

 

 




 新宿御苑近傍の戦闘では、ほぼエインヘリャル単独での攻撃でしたが、今回は陸上戦力を支援する空爆の形を取りました。
 大規模な集団戦闘の場合は、こちらの方がより適切な戦術モデルではないかと思います。

(エリートガーデン以外の平均レベルのリリィやマディックは、歩兵的な戦術を取ることが多いのではないかと考えて、このような戦闘描写にしてみました)

 現時点では、本格的な空対地戦闘および空対空戦闘が可能なCHARMは、エインヘリャル以外には存在していないようです。
(ヴィンセツ・リーリエとヴァンピールは低空での攻撃はできるようですが)

 原作の設定上、ここまでのスペックがエインヘリャルに備わっているかは不明ですが、それをいいことに好き放題にチートCHARM化してしまいました。

 また、いかに強化リリィとはいえ、これほどのレアスキルの能力があるのかは分かりません。

 アニメ第10話で皆で手をつないだ時に、鷹の目で宇宙空間から地球が見えていたので、このくらいは出来るかもしれない……ということでご了承下さい。


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第12話 エリアディフェンス崩壊(13)

 ようやく今回でエリアディフェンス崩壊のエピソードが終わります。

今回投稿分は
①ギガント級との戦闘パート
②ゲヘナの中の人パート
③結梨ちゃん百合ヶ丘に帰るパート
の3本立てで構成されています。

 ①と②は登場人物がほとんどモブキャラです。
 また、②は非常にくどい内容になってしまっています。

 読みにくい場合は、③の「結梨ちゃん百合ヶ丘に帰る」パートだけ読んでいただいても問題ないと思います。

 また、セリフの読みやすさを優先するために、やたらと改行が多くなっていることをご了承ください。



 

 地上に展開するリリィたちがノインヴェルト戦術のパス回しの準備に入ると、ギガント級を牽制しつつ包囲していたマギビットコアは一斉に攻撃を開始した。

 

 5機のマギビットコアがそれぞれ独立した飛行パターンでギガント級に照準を定め、前後左右から手足と胴体に向けて同時にビームを発射する。

 

 ギガント級は五方向からの同時攻撃をすべて回避することはできず、マギビットコアの一斉射ごとにいずれかの箇所に命中弾を食らい、ダメージを蓄積させていく。

 

 クジラを襲うシャチにも似た、マギビットコアの執拗な波状攻撃によって、ギガント級の肉体はわずかな時間の間に満身創痍の状態になりつつあった。

 

 ギガント級は延べ数十回に渡るビットからの攻撃を受け、通常兵器では傷つけることができない体表面の至る所から青い体液が流れ出ている。

 

 それらの傷の一つ一つは致命傷に至るものではなかった。

 

 しかし体の奥深くまで貫通したマギビットコアのビームによって、四肢を動かす筋繊維は至る所で断裂されて、ギガント級はほぼ動きを止めていた。

 

 今や立っているのがやっとのギガント級に、リリィたちを攻撃したり、マギリフレクターを展開するだけの余力が残されていないことは明らかだった。

 

 その様子を見た隊長は、パス回しを開始したレギオンメンバーたちに大声を張り上げて呼びかけた。

 

「あれだけボロボロの状態なら、未熟な私たちのノインヴェルト戦術でも止めを刺せる。

マギインテンシティを確保するために、もっとギガント級の近くでパスを回して。

ギガント級の動きは全てあの無人機が引き付けてくれている。

思い切って接近しても攻撃は来ない。

みんな、落ち着いて確実にパスを回して」

 

 マギビットコアの援護を受けて、レギオンのリリィたちはギガント級の周囲で悠々とパス回しを重ねていく。

 

 副隊長を起点とするパス回しを開始して数十秒で、フィニッシュショットを担当する隊長にラストパスが回った。

 

(よし、ギガント級は棒立ちの状態。体の中心にマギスフィアを命中させれば確実に仕留められる。落ち着け、しっかり狙いを定めれば外すことは無い)

 

 全員のマギを載せたマギスフィアが隊長のCHARMにキープされている。

 

「私がフィニッシュショットを撃つ。全員、ギガント級から離れて距離を取れ」

 

 隊長は動きを止めたギガント級の真正面に立ち、シューティングモードのCHARMをギガント級の中心に向けてトリガーを引き絞った。

 

 CHARMの先端から勢いよくマギスフィアの青白い球体が発射され、一直線にギガント級をめがけて飛んでいく。 

 

 誰もが、このマギスフィアが狙い通りにギガント級に直撃し、その巨体が爆発四散するものと信じて疑わなかった。

 

「――えっ?」

 

 しかし、ノインヴェルト戦術のフィニッシュショットが放たれた直後、ギガント級は大きく前のめりに体勢を崩し、フィニッシュショットの弾道から体の位置が完全に外れた。

 

 その動きは回避行動ではなかった。

 

 全身の負傷の程度が限界に達し、直立姿勢を維持できなくなった結果であり、それはリリィたちにとって最悪のタイミングで起こった。

 

(フィニッシュショットを外した。あのギガント級を仕留めそこなってしまう。私たちに二発目を撃つだけのマギはもう残っていない)

 

 全員の顔が青ざめ、レギオンに動揺が走る。

 

 マギスフィアはそのまま無情にギガント級の頭上を通り過ぎ、地面に落下して消滅すると思われた。

 

 だが、体勢を崩したギガント級の背後から一機のマギビットコアが現れ、その先端部でマギスフィアを受け止めた。

 

 碧乙のファンタズムでギガント級の動きを予知していた結梨が、マギビットコアをバックアップの配置に回していたのだ。

 

 マギビットコアはマギスフィアを保持したまま、機体の角度を変えて急上昇する。

 

 そして上昇を終えた後、今度は真下を向いてホバリングに移行、ギガント級の直上約100メートルで照準を定めた。

 

「――シュート」

 

 遥か十数キロメートルの後方からマギビットコアを操る結梨が、思念によってフィニッシュショットを発射するように命じる。

 

 マギビットコアの先端から放たれたマギスフィアは、そのまま真上からギガント級の頭部に命中し、炸裂して大爆発を起こした。

 

 「全員、目と耳を塞いで地面に伏せろ。決して頭を上げるな」

 

 隊長の指示で爆風と衝撃波から身を守るために、レギオンの全員がその場にうつ伏せに突っ伏して、爆発のエネルギーをやり過ごす。

 

 しばらくして嵐のような爆風と朦朦と立ち込める砂塵が収まってくると、リリィたちは顔を上げて周囲の状況を確認した。

 

 既にギガント級の姿は跡形も無く、上空を舞っていた5機の無人機も見えなくなっていた。

 

 全身に被った砂埃を手で払いながら、空を見上げて隊長のリリィが呟く。

 

「あの無人機がいない。もう帰投したのか?」

 

「隊長、あそこを見て下さい」

 

 副隊長が指さした東の方角へ数百メートル離れた所で、五本の白い光が空中から地上へ一直線に走った。

 

 その直後に、地上と光線の接点で青白い閃光が浮き上がるように現れ、すぐに消えるのがリリィたちの目に入った。

 

「ケイブを破壊したのか。後始末まで任せて手間を掛けさせてしまったわね」

 

「ヒュージサーチャーに反応は全くありません。この戦場における全てのヒュージ討滅を確認しました」

 

「よし、私たちはガーデンに戦闘終了の連絡を入れましょう。

現時刻をもって、出現したヒュージ全個体の討滅を完了。

特記事項として所属ガーデン不明の飛行型CHARMによる航空支援あり。

当レギオンの戦果への貢献、極めて大なり――とね」

 

「分かりました。すぐに私からガーデンへ通信回線を繋ぎます」

 

 副隊長が通信の準備に入ると、隊長のリリィは再び上空を見上げた。

 

 雲一つ無い蒼穹の中を、かろうじて視認できる大きさの機影が五つ、東から西へと急速に移動していくのが確認できた。

 

 それが先程までここでヒュージを駆逐し、ケイブを破壊した無人のCHARMであることを知っているのは自分たちだけだろう。

 

「あれの使い手は余程の強化リリィか、それとも名だたる名門ガーデンの天才か、そんなところでしょう。

できれば直接会って一言お礼を言わせてほしいものだけど……」

 

 五つの機影が消えていった西の空を、地上のリリィたちは飽くことなく眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数時間後、都内某所にある高層ビルの一室で、少壮の研究者然とした一人の女性が、彼女の上司と思しき年上の女性の前で報告を行なっていた。

 

「――以上が、西新宿一帯を対象区域として実施された新型ヒュージ・エヴォルヴの性能確認実験と、一柳梨璃のラプラス覚醒実験の報告となります。

 

総括としては、いずれの『実験』も所期の目的を達成し、概ね期待された結果を得ることができたと言えます。

 

次に、都庁舎でのエリアディフェンス設備の爆発的事象については、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである鎌倉府の百合ヶ丘女学院をはじめ、防衛軍や警察など幾つかの組織によって現場検証を実施する動きが確認されています。

 

その中にはG.E.H.E.N.A.を爆破テロの容疑者と見なしているものもあると思われますが、これを刑事事件として立件する動きは今のところ見られません。

 

おそらく証拠不十分で捜査令状を出すことが叶わないものと思われます。

 

また、それらの組織に先立って現地入りした御台場女学校の校医からも、G.E.H.E.N.A.が関与した物的証拠が現場に残っていないことは確認済みです。

 

これらの事実から、今回の『実験』に関して司法の手がG.E.H.E.N.A.に及ぶ可能性は極めて低いと結論づけることができます。

 

次に、今後のロードマップとしては、現在開発中の特型ヒュージを工程計画の前倒しによって、当初の予定より1ヶ月以上早く『実験』への投入を実現します。

 

それと並行して、次のラプラス覚醒候補者として名前が挙がっているルドビコ女学院の岸本・ルチア・来夢の現状確認作業を進め――」

 

 整然と説明を続ける女性を、年上の女性が遮った。

 

「そのあたりのことはもういいわ。既に概要は頭に入っているから。

それよりも私が気になっているのは、新宿での『実験』終了後に、旧都県境に発生させたヒュージとの戦闘のことよ。その説明をしてちょうだい」

 

 部下の女性はすぐに手に持っていた書類を入れ替え、気を取り直して報告を再開した。

 

「――では、本日の新宿での『実験』終了後に都内東部の旧都県境にて発生した、ヒュージ群との戦闘についてご説明します。

 

この戦闘における特筆すべき点として、当該の戦域において複数の無人攻撃機による空爆が行われた事が挙げられます。

 

この航空支援と、それを受けた地上のレギオンによって、ギガント級以外のヒュージ約300体は短時間のうちに全て駆逐されました。

 

残った1体のギガント級も、空爆による致命傷こそ免れたものの、この無人機が放ったノインヴェルト戦術のフィニッシュショットによって撃破されました。

 

これらの情報から、旧都県境での大規模戦闘において、第4世代の精神直結型CHARMが使用されたものと考えられます。

 

なお、該当するCHARMの使用者は百合ヶ丘女学院の特務レギオン、LGロスヴァイセのリリィであると推測されます。

 

これは先程の御台場女学校の校医からの情報に基づくものです」

 

 部下の報告を聞いて、上司の女性はいぶかしげな表情を隠せなかった。

 

「どういう事? なぜ隠密行動が主体の特務レギオンに、そんな派手な飛び道具が配備されているの?

大体、精神直結型CHARMはまだ実用化の目処がついていなかったはずよ」

 

「現時点では、何らかの技術的なブレイクスルーがあって実用化に成功したとしか言えません」

 

 部下の女性はそこで一度言葉を切ると、改まった態度で上司の女性に向き直った。

 

「少しばかり進言をさせていただいても構いませんでしょうか」

 

「何? 言ってみなさい」

 

「あのような遠隔操作による空爆が可能なCHARMを、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンが特務レギオンに配備したという事実、これはG.E.H.E.N.A.にとって極めて憂慮すべき事態であると考えます」

 

「あのCHARMが私たちの脅威になると?」

 

「そうです。一つの可能性として、百合ヶ丘はあのCHARMをG.E.H.E.N.A.の要人暗殺に使うつもりかもしれません。

 

あの機体サイズゆえレーダーでは捕捉困難、その上に超音速飛行可能でラージ級を容易く仕留められるほどの攻撃力です。

移動中に目を付けられたら一溜りもありません。

 

たとえ複合装甲の重戦車に乗っていても、被弾した瞬間に車体ごと跡形も無く蒸発するでしょう。

 

あるいは今回の実戦配備はG.E.H.E.N.A.に対する示威行為の可能性もあります。

 

自分たちに危害を加えるなら、この新兵器で報復すると。

自分たちがその気になれば、いつでもお前たちを始末できるぞ、と。

 

何も組織の全てを潰す必要はありません。

トップと数人の幹部を暗殺するだけで、その組織は簡単に機能不全に陥ります。

少なくとも戦略レベルでの意思決定は、長期間に渡って不可能になります」

 

 上司の女性は無言で部下の発言を聞いていたが、ふと口を開いて質問を返す。

 

「確かに、『一つの可能性としては』否定できないわ。

でも、だとすれば、なぜ百合ヶ丘は急にそんな過激な方針に転向したのかしら?

まるで20世紀の核抑止論や相互確証破壊の概念が復活したみたいじゃない」

 

「人造リリィの一件で、G.E.H.E.N.A.との対決姿勢を鮮明にしたのかもしれません。

おそらく由比ヶ浜ネストの近くに突如出現したギガント級も、G.E.H.E.N.A.の手によるものと勘づいたのでしょう」

 

「人造リリィか……あれは惜しいことをしたわね。

査問委員会の無能連中がしくじったばかりに強硬手段に出た挙げ句、ギガント級もろとも彼女を失ってしまった。

グランギニョル社の協力が得られなくなった今、もう一度あの人造リリィを作るのは事実上不可能になったと言えるわ」

 

「しかし、御台場の校医の報告では、LGロスヴァイセの中にゴーグルで素顔を隠していたリリィがいたそうです。

しかも、見たことの無い形のCHARMを装備していたとのことです。

 

もしやそのリリィ、G.E.H.E.N.A.とグランギニョル社が共同で開発し、捕縛命令解除後の戦闘で死亡したはずの人造リリィではないのですか?」

 

 部下の指摘に、上司の女性は少しの間を置いてから、少し疲れた様子で答えを返した。

 

「もちろん、その可能性を考えなかったわけではないわ。

彼女の遺体を確認した者は誰一人いない。

出撃後、ギガント級の爆発に巻き込まれて未帰還だから戦死扱いになっているだけ。

 

実は生還しているにもかかわらず、その事実を百合ヶ丘が隠蔽しているのかもしれない。

 

その場合、政府か内務省の反G.E.H.E.N.A.シンパに協力を仰いで架空の戸籍を用意し、個人情報は官報レベルの情報共有に限定する。

 

もし私が百合ヶ丘の人間だったとしても、それと同じことをするでしょうね。

隠し持っておけば、これほど強力な切り札は無いもの。

 

複数のレアスキルを同時に発動でき、単騎でギガント級を撃破したほどの人造リリィに、第4世代の精神直結型CHARMを装備させる。

 

現時点でこれに対抗できる戦力は、アルトラ級ヒュージ以外には存在しないでしょう」

 

「G.E.H.E.N.A.が保有している戦力では、その人造リリィを上回ることはできないと考えておられるのですか?」

 

「不本意ながら、その事実は認めざるを得ないわね。

しかも、あの航空兵器がCHARMであるという一点において、百合ヶ丘は唯一無二の空軍力を獲得したと言える。

 

あのCHARMを撃墜できる通常兵器は存在しない。

できるとすれば、同等の性能を持った第4世代のCHARMしかない。

 

そしてそのようなCHARMは私たちの知る限り、未だに実用化されてはいない。

この事実が意味するところは何か分かる?」

 

「……今や戦力的に優位に立っているのは、G.E.H.E.N.A.ではなく百合ヶ丘だということです」

 

「そう。百合ヶ丘は首都圏のいかなる場所へも即時展開し、CHARMでの空爆を可能にする戦力を手に入れた。

 

G.E.H.E.N.A.がどれほど百合ヶ丘を追い詰めようとも、トップや幹部の居所を知られた時点でゲームオーバーよ。

もちろん、この私も例外ではないわ。

 

私は自分の命を賭けのチップにする趣味は持ち合わせていない。

私以外の幹部も同じ考えでしょう」

 

「その人造リリィをG.E.H.E.N.A.が取り返すことは……」

 

「仮にゴーグルのリリィが人造リリィだったとして、極めて困難だと思われるわ。

 

以前に一度、G.E.H.E.N.A.は政府機関を傀儡として、彼女を人ではなくヒュージとして捕縛しようとした。

 

結果は失敗。彼女がG.E.H.E.N.A.に決定的な敵愾心を抱いたことは想像に難くない。

 

しかも遺伝子情報の分析結果から、彼女は法的に人間だと認められてしまった。

 

再び彼女の身柄引き渡しを要求する法的根拠は失われたのよ」

 

「それなら、いっそのこと力ずくで彼女を奪還するのは……」

 

「冗談でしょう? 複数のレアスキルを同時に発動できて、第4世代の精神直結型CHARMを使いこなせる人造リリィを相手に、誰が力ずくで彼女を拘束できるというの?」

 

「CHARMを装備していない時に不意を突けば、あるいは可能かもしれません」

 

「あるいは、ですって?

彼女は既に縮地S級に覚醒し、都庁舎の上層階から地上まで瞬間移動したのよ。

たとえ丸腰の状態でも、彼女を捕縛できるとはとても思えないわ」

 

「……」

 

「それに、もしそれが失敗に終わった時、こちらがどのような報復を受けることになるか想像できる?

旧都県境で発生した大規模戦闘の記録は、あなたが報告した通り。

数百体のヒュージを10分程度で殲滅可能な航空戦力を持つ相手に、決闘状を叩きつけるに等しい行為よ」

 

「……」

 

「幸い、今のところ彼女はG.E.H.E.N.A.に対して積極的な攻撃の意思を持っていない。

都庁で御台場の校医と遭遇した際にも、仲間のリリィと一緒に縮地でその場から逃亡しているわ。

 

触らぬ神に祟りなし、今は彼女には手を出さない方が得策よ。

くれぐれも軽挙妄動は慎み、早まった真似をしないこと。いいわね」

 

 部下の女性はまだ釈然としない表情だったが、それ以上の反論は口にせず、上司の前から退出していった。

 

(しかし、この戦闘の記録はG.E.H.E.N.A.内部で共有されることになる。

勘のいい馬鹿者が、功名心に駆られて独断専行しようとしてもおかしくない。

大事に至らないように、色々と根回しをしておく必要がある……)

 

 自分以外誰もいなくなった部屋の中で、上司の女性は机上の電話機に手を伸ばし、アドレス帳を見ることなく番号をプッシュし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結梨ちゃぁぁぁぁぁぁぁん!お帰りなさい!」

 

 旧都県境での戦闘を終え、その日の夕刻に百合ヶ丘に戻ったロスヴァイセと結梨を特別寮で出迎えたのは、三人の生徒会長だった。

 

 その一人、オルトリンデ代行の2年生、秦祀は結梨の姿が目に入るや否や、他のリリィを押しのけて結梨に駆け寄り、その身体を強く抱きしめた。

 

「苦しいよ、祀」

 

 いきなり祀に抱きしめられた結梨は、少し息苦しそうに手足をばたつかせる。

 

「ごめんさない。嬉しくて、つい力が入ってしまったわ。

結梨ちゃんがいない間、心配でたまらなかったから。

 

補給が不足してお腹を空かせてないか、瓦礫につまづいて転んで膝を擦りむいたりしてないか、ガラの悪いリリィに因縁を付けられて襲われたりしてないか、それから――」

 

「大丈夫だよ。みんなと一緒だったし、ルドビコのリリィもいい人たちだったよ」

 

「そうよ、私たちが付いていたんだから、心配する必要は無いでしょうに。

それに結梨ちゃんも自分の身は自分で守れるだけの力はあるわ。

少々過保護が過ぎるんじゃない? 祀さん」

 

「碧乙さん、あなたには子を思う親の気持ちが分からないの? なんて薄情な人。

 

やっぱり私も東京行きに同行すべきだったかしら……でも私は地域第一主義者として、この鎌倉府を離れるわけにはいかないし。

 

かと言って結梨ちゃんの意思を尊重せずに、外征に行かないでとも言えないし。

ああ、このジレンマをどう解決したらいいのかしら」

 

 そう言いながら祀はまだ結梨の身体を離さずに、愛おしげに抱きしめ続けていた。

 

「解決する必要は無いから、好きなだけ悩んでいなさい。

――お姉様、そろそろ本題に入りましょう」

 

 ハムレットの台詞のごとく頭を悩ませる祀を横目に、碧乙はロザリンデの方を向いて話を本筋に戻そうとした。

 

「そうね。――史房さん、感動の再会はこのくらいにして、東京で遭遇した事態についての説明をしておきたいのだけど。

概要は帰投前にガーデンへ報告ずみだから、生徒会にも情報は伝わっているはずよ」

 

「それは、都庁での爆発がG.E.H.E.N.A.の仕業だったこと?

それとも御台場にG.E.H.E.N.A.の関係者が入り込んでいたこと?

それぞれ理事長代行から手短に話は聞いているわ」

 

「両方ね。東京では鎌倉府よりも遥かに深い所までG.E.H.E.N.A.の勢力が浸透しているわ。

 

その気になれば、G.E.H.E.N.A.は都内のどこにでもケイブを発生させて、ヒュージに都民やリリィを襲わせることができると考えるべきね。

 

都庁だけではなく親G.E.H.E.N.A.ガーデンや反G.E.H.E.N.A.ガーデンも含めて、G.E.H.E.N.A.は都内のあらゆる場所を実験場にすることも辞さない。

 

そして被験対象リリィのレアスキルや特型ヒュージの能力を、より高いレベルに引き上げようとしているわ」

 

「研究熱心なことね。できればその情熱を自分たちの権力拡大ではなく、平和な世界の実現に向けてほしいものだけど」

 

「より強い力を持つヒュージとリリィを自分たちの道具として意のままに操る。

それによって、この世界の支配者となることがG.E.H.E.N.Aの最終的な目標。

 

そして、行き過ぎた権力欲と支配欲は、必ず独裁政治や恐怖政治へとつながる。

それがリリィの命を犠牲にした上で成立するものなら尚のこと、私たちは断固としてG.E.H.E.N.A.と闘わなければいけない」

 

「その考えに異論は無いわ。

でも今のところ、エリアディフェンス崩壊事変のように、私たちはG.E.H.E.N.A.が一方的に仕掛けてくる『実験』に振り回されている。

事実、一柳隊も梨璃さんのラプラス覚醒のために、新宿までおびき出された形になっていたのだから」

 

「何かこちらから対抗手段は取れないものかしら」

 

「G.E.H.E.N.A.の施設や人を直接攻撃するのは論外。

でも、こちらがやられっぱなしというのも癪に障るわね」

 

 その時、生徒会長の一人でジーグルーネの内田眞悠理が、史房とロザリンデの会話に割って入った。

 

「それでしたら、私に一つ考えがあります。

まだ試案の段階なので、この後で色々と協議していく必要がありますが」

 

「本当に? この場で聞かせてもらうわけにはいかないの?」

 

「いささか自信が無いので、人の多い所では恥ずかしいですね。

近いうちに場を改めてご相談させていただきます。

――それとは別に、東京では結梨さんが大した活躍をされたようですが」

 

 眞悠理の発言を聞きつけた祀が、すかさず目を輝かせて口を挟んでくる。

 

「そうなのよ。二日間で合計600体以上ものヒュージを倒して、その上ギガント級まで結梨ちゃんが撃ったノインヴェルト戦術のフィニッシュショットで撃破したんだから。

本来なら聖白百合勲章ものの大戦果よ」

 

「あれは、碧乙とルドビコの百合亜が私をサポートしてくれたから出来ただけで、私ひとりの力じゃないから……」

 

「そんな謙遜しなくてもいいのよ。結梨ちゃんはあそこにいる人と違って『ガラスの』なんて冠を付ける必要のない、正真正銘の天才リリィなんだから」

 

「いちいちトゲのある言い方をするわね。そんな調子だから、あなたのレギオンは周りじゅう敵だらけになるのよ」

 

「出る杭は打たれるという諺はご存じよね? 碧乙さんは私の立ち位置を羨んでいるのかしら」

 

「私があなたの立場になったらギスギスした人間関係に耐えられなくて、三日で胃に穴が開くと思うわ」

 

「さすがに『ガラスの天才』と呼ばれるだけのことはあるのね。見た目はそれほど繊細に見えないのに」

 

「……祀さん、ちょっと後で屋上まで来てもらえるかしら?」

 

「おやめなさい、二人とも。くだらない戯言を交わしている場合ではないでしょう。

確かに結梨さんの挙げた戦果は赫々たるものと言えるわ。でも――」

 

 言葉を途切れさせた史房に代わって、ロザリンデがその後を引き継いで発言する。

 

「――でも、その突出した戦果を挙げたがために、G.E.H.E.N.A.に目を付けられた可能性があるわ。

少なくとも、御台場の校医は結梨ちゃんが目の前でS級の縮地を使うのを見たために、強い興味を持ったに違いない。

 

それに加えて、旧都県境での戦闘に関しては、間違いなくG.E.H.E.N.A.に内容をモニタリングされているわ。

その結果、あのCHARMをあのレベルで扱えるリリィは、今の百合ヶ丘には存在しないことが分かるはず。

 

現アールヴヘイムの番匠谷さんでさえ、開発中の試験機を一度実戦で使用しただけで、その後は全く進展なしだもの」

 

「でも、エインヘリャルを使わなかったら、あのリリィたちはみんな死んでたかもしれない。

だから私は後悔してないよ。それで私のことがG.E.H.E.N.A.に知られても。

同じことがもう一度あったら、やっぱり私は同じやり方を選ぶと思う」

 

 毅然とした迷いの無い表情で、結梨はロザリンデと史房にきっぱり言い切った。

 

 結梨の発言を聞いて二人は顔を見合わせ、ロザリンデが複雑な感情をにじませながら結梨にうなずいた。

 

「ええ、それでいいわ。結梨ちゃんの判断は何も間違っていない。

人の命よりも大切なものは無いという、あなたの考えを私は否定できない。

それを否定したら、私たちはG.E.H.E.N.A.と同じになってしまうから」

 

「でも、結梨ちゃんとエインヘリャルの戦闘能力を知った上でG.E.H.E.N.A.が手出しをしてくるなら、命知らずもいいとこだと思いますよ。

こっちは専守防衛を大前提としていても、正当防衛で反撃することまでは禁止されていないですからね」

 

 妙にやる気満々の様子な碧乙に、隣りに立っている伊紀が気遣わしげに声をかける。

 

「お姉様、くれぐれもこちらからG.E.H.E.N.A.を挑発するような行動は控えて下さいね。

G.E.H.E.N.A.との間に何事も起きなければ、それに越したことは無いんですから」

 

「まだそんな生ぬるい事を言ってるの?

あいつらは『実験』のやり過ぎで親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのルド女を丸ごと使い潰して、今度は御台場に手を出してくるような連中よ。

うかうかしていたら百合ヶ丘にだって間者を紛れ込ませてくるかもしれないわ」

 

「それについては、既に理事長代行の指示で全生徒と教導官の身元を改めて確認する作業に入っているわ。

相応の時間と人手が必要になるけれど、御台場の状況を鑑みると躊躇している余裕は無いわ」

 

 そう言ってから、史房はロスヴァイセのリリィたちを見渡した。

 

「今日はひとまず解散して、あなたたちはゆっくり休んでちょうだい。

明日またここに集まって、今後の対応を協議しましょう。

 

結梨さんも、今回は本当にお疲れ様。

あなたの行動によって多くの命が失われずに済んだことは事実よ。

 

あなたのことは百合ヶ丘の威信にかけて必ず守り抜くと約束するわ。

だから、これからもその力を、守らなければならない人々のために使ってほしいの」

 

「ありがとう、史房。私の力が誰かの命を守るための役に立つなら、私は迷わずに力を使うよ。

そのために私はこの力を持って生まれてきたんだ、って思うから」

 

 それは同時に、この先に待ち受けるであろう幾多の困難を乗り越えていく力でもあった。

 

 史房を見る結梨の目に迷いは無く、実力に裏打ちされた言葉は力強くリリィたちの心に刻み込まれた。

 

 結梨にとってのエリアディフェンス崩壊事変は今、この言葉をもって終止符が打たれた。

 

 

 






 当初何となく考えていた内容より大幅に長くなりましたが、一応これでラスバレのメインストーリーに追いついた形になりました。

 メインストーリー第2章または1月の一柳隊舞台までは、枝葉の部分というか細かい部分の話を、百合ヶ丘とその周辺で展開してみるつもりです。

 御前が登場したあたりから舞台のノリに影響されすぎた嫌いがあるので、もう少し緊張感を緩めて日常感が出るようにしてみたいとも考えています。

 また、いただいた感想への返信で、意図せず失礼な事を書いてしまっているかもしれません。
 すべて私のコミュ力不足のせいですので、気にしないで下さい。


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第13話 再会(1)

 

 新宿エリアディフェンス崩壊事変の収束から幾日かが経ち、一時は極度の混乱に陥った都内も徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。

 

 無論のこと、被害の大きかった区域では、防衛軍を始めとして複数の関係機関が今なお復旧対応に追われていた。

 

 一方、数十キロメートルを隔てた鎌倉府の百合ヶ丘女学院では、東京での騒乱など存在していないかのように静穏な状態が続いていた。少なくとも表面上は。

 

 百合ヶ丘女学院とG.E.H.A.N.A.の双方は互いの出方を探り、両者が置かれている状況は一種の膠着状態となっていた。

 

 特務レギオンの主要任務である強化リリィ救出作戦についても、G.E.H.E.N.A.側の対応を見極めるために一時的に停止の判断が下され、LGロスヴァイセは待機状態が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……平和、ですね」

 

「平和ね」

 

 特別寮のロスヴァイセ専用ミーティングルームで、ロザリンデ、碧乙、伊紀、結梨の四人がソファーに座り、ローテーブルを囲んで優雅に紅茶を飲んでいる。

 

 日々の授業や訓練などはいつも通りにこなしているが、作戦行動に関しては「別命あるまで待機」が明確に指示されている。

 

 つまりは一般の高校生とあまり変わらない生活を送っているのだが、それまで命を懸けた戦いを続けてきた彼女たちには、何とも調子の狂うものだった。

 

「そう言えば、工廠科の百由様も新宿の都庁へ現場検証に行かれたそうですよ。

あの方なら、他の人では分からないような手がかりを見つけられるかもしれませんね」

 

 伊紀は百由の東京行きに期待をにじませていたが、碧乙は別の角度から百由の身を少なからず案じていた。

 

「百由さんもアーセナルとしては間違いなく天才だけど、意外と脇が甘い所があるからなあ……東京でG.E.H.E.N.A.の関係者に目を付けられなければいいけど」

 

「同じ工廠科のミリアムさんも同行しているとのことなので、二人一緒なら心配しなくてもいいんじゃないですか?」

 

 伊紀は二人のことを信頼しているようだったが、やはり碧乙は一抹の不安を拭うことができずにいた。

 

「でも彼女、すごく良い家柄のお嬢様なんでしょ? 相手の裏をかいてくるような人間と接したことなんて、ほとんど無いんじゃないの?

そんな子が海千山千のG.E.H.E.N.A.の工作員にかかったらイチコロなんじゃないかしら」

 

「もしG.E.H.E.N.A.の関係者が二人に接触してきたとして、深刻な事態に発展する恐れが生じた場合は、私たちに事態解決のための直命が下されるでしょう。

今はそうならないように願うことしか、私たちにはできないわね」

 

 ロザリンデがその表情にわずかな懸念を浮かべながらも、それを碧乙たちに感じさせないように努めて冷静な口調で説明する。

 

「確かに、誰かが東京に行くたびに、ここで私たちがあれこれ心配してもきりがないですもんね。

百合ヶ丘の国定守備範囲にいる限りは、そんな気を遣わなくても済むんですけど、皆が祀さんみたいに引きこもっているわけにもいきませんし」

 

 碧乙は祀が耳にしたら間違いなく憤慨するであろう軽口を叩いた後で、話を百合ヶ丘の中の問題に方向転換した。

 

「それに、深刻さは全然違いますけど、ガーデンの中でも問題が無いわけではないです。

2年生の間で噂になっているんですが、最近、霊園の近くで二人で『隠れんぼ』をする生徒がいるみたいですよ。それも深夜に」

 

 碧乙の言葉を聞いたロザリンデは、危うく飲みかけの紅茶をむせ返しそうになった。

 

「不埒な。わざわざ立て札を設置して禁止しているのに。

風紀委員は何をしているのかしら。職務怠慢ね」

 

「正確には、霊園の傍を通り過ぎた先に傾斜の緩い開けた場所があって、そこが『隠れんぼ』に使われているそうです」

 

「よくそんな所を見つけられるものね。物好きにも程があるわ」

 

「隠れんぼって、夜中に二人ですることもあるの? 知らなかった」

 

「私も初耳です。高校生が深夜に二人きりで隠れんぼとは、変わった人もいるものですね」

 

 「隠れんぼ」という言葉が一種の隠語としてガーデンの風紀に関わっていることを、結梨と伊紀は知らなかった。

 

 しかし、あえて二人にその言葉の意味を解説する気は、ロザリンデと碧乙には全く無かった。

 

「……あなたたちは知る必要の無いことよ。そんなことをするのは一部の特殊な性癖の持ち主だけだから」

 

「性癖……ですか」

 

 顎に手を当てて考え込む伊紀に、結梨が何気なく尋ねる。

 

「伊紀、『せいへき』って何?」

 

「そうですね……性癖というのは、辞書的な意味では性質の偏り、人間の心理面の傾向や嗜好を表します。

また、誤用としては性的な行動の対象や目的に関する好みの傾向を指すことがあり――」

 

 これはまずいと思ったのか、碧乙がすかさずロザリンデに意味ありげな視線を送って小声でささやく。

 

「お姉様、この話をこれ以上続けると二人の教育上、重大な支障が出かねません。話題を変えましょう」

 

「それが良さそうね。この件については該当者を特定して然るべき指導を行うよう、私から風紀委員長に伝えておくわ」

 

「うわぁ……『吸血鬼』の岡田綺更様ですか。

先代の若菜様と違って、あの人は千華さん並みの超絶サディストだから、その不届き者には合掌してしまいますね」

 

 碧乙は軽く祈りの仕草をして、それからふと気がついたようにロザリンデに尋ねた。

 

「ところで、エリアディフェンス崩壊の一件以後、ぱったりとG.E.H.E.N.A.の動きが止まったみたいですけど、何があったんでしょうか?

ガーデンの調査でも、校内にG.E.H.E.N.A.とつながりのある者は発見されませんでしたし」

 

「あれだけ派手に百合ヶ丘のレギオンがエインヘリャルを使ったのだから、それを踏まえた対応をG.E.H.E.N.A.内部で検討しているのかもしれないわね」

 

「迂闊に百合ヶ丘に手を出すわけにはいかなくなったってことですか?」

 

「おそらくは。私の知る限り、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンで第4世代の精神直結型CHARMを実戦配備しているところは存在しないわ。

 

今の時点ではエインヘリャルによる攻撃――つまり極めて高機動・高火力な複数機のCHARMによる空からの奇襲に対して、G.E.H.E.N.A.には有効な防御手段が存在していない可能性が高い。

 

だから、いたずらに百合ヶ丘を刺激するような、露骨なプレッシャーをかけることは控えているのでしょうね」

 

「でも、こちらは先制攻撃禁止の専守防衛を旨とする平和主義ガーデン……とまではいかなくとも、G.E.H.E.N.A.の人や施設を直接攻撃するようなことは当然認められない。

お互いに様子見の状態が続いているわけですか」

 

「G.E.H.E.N.A.だって一枚岩の組織ではないわ。

派閥争いも当然あるでしょうし、部門間の軋轢や個人レベルの独断専行もあると考えておかなければいけない。

 

予想外の危険があるとすれば、主流派の統制から外れた一部の過激派の暴走が一番厄介ね。

 

それに、通常では考えられないけれど、このガーデンにG.E.H.E.N.A.の刺客や密偵が侵入してくることだって、絶対にあり得ないとは言い切れないわ」

 

「『御前』に匹敵するほどの実力者でない限り、そんなことは不可能なんじゃないですか?」

 

「百合ヶ丘だってG.E.H.E.N.A.の全てを知り尽くしているとはとても言えない。

 

私たちは『御前』や御台場のG.E.H.E.N.A.関係者の存在を知らなかったし、結梨ちゃんが生存していることの確証をG.E.H.E.N.A.が得ているかどうか分からない。

 

不確定な情報・未知の情報が存在していると前提した上で、双方が腹の探り合いをしている――今はそれが私たちの置かれている状況」

 

「でも、いつかはその均衡が破られる時が来るんですよね。

これまでは常にG.E.H.E.N.A.が仕掛けてくる側でしたが、強化リリィの救出以外で百合ヶ丘から先手を打つことがあるんでしょうか」

 

「人を殺傷することなくG.E.H.E.N.A.の活動を妨害できれば、その可能性もあるわ。

以前に江ノ島でケイブ生成装置を探索したように、無人の施設や設備が対象であれば、少なくとも対人戦闘は発生しないから」

 

「誰も傷つけずにG.E.H.E.N.A.をやっつけられるなら、それが一番いいよね」

 

 ロザリンデの隣りで話を聞いていた結梨は、そのような作戦の方向性に大いに乗り気な様子だった。

 

「いつもそんな作戦ができればいいのだけれど、なかなかそう上手くはいかないのが難しいところね」

 

 結局、その場はそれ以上の有意義な進展は無く、四人はそれぞれのルーティンへと戻るべく、ミーティングという名目のお茶会を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜半、結梨は眠りの途中で目を覚ました。

 

 悪夢にうなされたり、物音が聞こえたりしたわけではなかった。

 

 窓の外からはカーテンを通して青白い月光が差し込み、室内をわずかに薄明るく照らしている。

 

(……きれいな光だな。外に出て直接、月を見たいな)

 

 まだぼんやりとした意識の状態で、結梨は月光に惹かれるように身を起こした。

 

 隣りで眠っているロザリンデを起こさないように、そっとベッドから抜け出して、静かに部屋の外へ出る。

 

 ゆったりとした白いパジャマを着た結梨は、そのまま廊下を歩き進んで特別寮の外に出た。

 

 しかし外に出てみると、月は校舎に遮られて、結梨の立っている位置からは見えなかった。

 

 涼しげな夜風が結梨の頬を心地良く撫でていく。

 

(あの月を一番よく見える場所から眺めてみたい。どこがいいかな)

 

 深夜で周囲に人の気配が無いことを確認して、結梨は校舎裏の高台へ続く道を歩き出した。

 

 数分後、結梨はガーデンを見下ろす高台――ただし、そこは数十の墓石が立ち並ぶ霊園の入口だったが――に立っていた。

 

 空には幾筋かの雲が絶えず流れ、ほぼ満月に近いほどに満ち満ちた月を時折隠している。

 

(まだここには来たことなかった。私のお墓もここにあるの?)

 

 結梨の前には、月光に照らし出された墓石が整然と列をなして佇んでいる。

 

 結梨はその月光の下、ゆっくりと霊園の中へ足を踏み入れた。

 

 すると、墓石の形はすべて同じだったが、その中に一つ、墓石の周りに幾つもの献花や供え物が置かれているものがあった。

 

 結梨はその墓の前に立ち、墓石に彫り込まれた文字を読んだ。

 

(私のお墓だ……)

 

 献花と供え物は、結梨が皆の前から姿を消して以来、彼女の墓を訪れる者が絶えないことを示していた。

 

 自分を認めてほしくて一人で先走ってしまった結果が、目の前の光景であることを、結梨は嫌というほど自覚させられた。

 

(みんな、悲しませてごめんなさい。いつかみんなの前に出て行って、きちんと謝るから、それまでは……)

 

 足元の自分の墓に視線を落とし、結梨はただ悔いることしかできなかった。

 

 

 

「自分の墓の前に立った気分はどうかな? 一柳結梨君」

 

 

 

 不意に前方から聞こえてきた声に、結梨は確かに聞き覚えがあった。

 

 声が聞こえてきた方を見ると、数メートル先の墓石に軽くもたれかかるようにして、こちらを見ている人影が目に入った。

 

 月はいつの間にか雲に隠れ、その人物の顔を隠していたが、それでも結梨には間違いようも無く、それが誰であるかを認識できた。

 

 むしろ問題は、なぜその人物が今ここに存在することができるのかという点にあった。

 

 やがて雲間から月が現れ、冴え冴えとした月光が眼前の人物を照らし出した。

 

「どうして――ここにいるの?」

 

 月明りの下、微笑を浮かべて佇む川添美鈴の姿を見て、結梨の口からほとんど無意識に言葉が漏れていた。

 

 



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第13話 再会(2)

仕事がデスマーチ気味のため、いつもより更新が遅くなってしまいました。
まだ推敲が充分にできていないので、数日中に誤字の訂正や加筆があるかもしれないことをお断りしておきます。



 

「美鈴、どうして……今は夢の中じゃないのに」

 

 突然に現れた川添美鈴の姿を見て、言葉とは裏腹に、結梨はこれが現実なのか自信を持てなくなった。

 

「案外、ここは君の見ている夢の世界かもしれない」

 

 目の前の美鈴にそう言われた結梨は、自分の頬をつねってみた。

 

「痛い」

 

 それを見た美鈴は思わず笑いをこぼす。

 

「これで、君が今見ているのは夢じゃないことが分かった。では別の可能性は何だと思う?」

 

「私が美鈴の幻を見てる……」

 

 結梨が首をかしげながら出した答えに、またしても美鈴は苦笑した。

 

「ふふ、君は自分が精神に異常をきたしていると言うのかい?」

 

「うーん……それとは少し違うかも。

前に私が海の上で大きなヒュージと戦った時に、私にはネストとヒュージをつなぐマギの流れが見えたの。

 

私の夢の中に美鈴が出てきたのは、私が自分の体を治すのにネストのマギを使ったからだって、美鈴は言ってたよね。

今の美鈴の体も、たぶんマギが何かの形で関係していると思う……体がマギでできてるとか。

 

だから夢の中じゃなくても、美鈴が私の目に見えてるのかもしれない」

 

「少し会わないうちに、随分と理屈っぽい考え方をするようになったものだ。ロザリンデの薫陶のおかげかな。

まあ、ロザリンデや史房のようなリリィなら、規範から外れたようなことは口にしないだろうから、その点は僕と違って安心だ」

 

「美鈴は二人とは違うリリィなの?」

 

「僕は色々な意味で癖のある人間で、生徒の模範たらねばならない史房たちとはかなり立ち位置が違う。

今では彼女たちは、僕がラプラスの力で生徒や教導官の記憶を改竄していたことにも気づいたようだ。

だとしても、僕の企図するところなど、彼女たちにはきっと理解できないだろう」

 

「何のために美鈴はみんなの記憶を書き換えたの?」

 

「君は何のためだと思う?」

 

「みんなに知られたくないことがあったから……とか?

もし私にラプラスのレアスキルが使えたら、みんなの記憶を変えてしまうかも――私が普通のリリィだって」

 

「君はそういうことをしそうな性格には見えないけどね。

ありのままの自分を認めてほしいと、君は思っているんじゃないか?

それは結局、最後まで僕にはできないことだったが」

 

「どうしてできなかったの?」

 

「抽象的な表現になってしまうけれど、僕の本質が一般的な規範から逸脱していたからだ。

ありのままの自分をさらけ出すことは、自分が規範から外れた人間だと告白するに等しかった。

 

たとえ相手がごく親しいはずの存在であっても、それは僕にはできなかった。

きっと自分の本質が相手に理解されないことを恐れたのだろう」

 

 美鈴はそう言うと、結梨から視線を外して遠い目をした。

 その表情は、ここにいない誰かのことを想っているように結梨には見えた。

 

「また、ラプラスに記憶の改竄能力があることが知られれば、僕に対する感情がラプラスによってコントロールされたものだと、誰もが思うかもしれない。いや、確実に思うだろう。

 

そうなれば戦闘時のレギオンメンバー間の連携は言うに及ばず、日常の人間関係にまで支障をきたす恐れがあった。

 

それなら、僕がラプラス持ちだと言う記憶をラプラスの力で隠してしまえばいい。

何とも逆説的な方法だが、これは有効に機能したと思っている」

 

 美鈴の口調は結梨に対して語りかけると言うより、自分に話しかけるかのような独白じみた様子を帯びていた。

 

「本当の自分を理解してほしい。でも本当の自分をさらけ出すことはできない。

拒絶され、嫌悪され、失望されるのが怖かったからだ。

 

この二律背反に囚われて、僕は自分が生まれて来たこの世界と自分自身の両方を呪うようになってしまった。

 

夢結のダインスレイフの術式を書き換えた時に、その思いがマギクリスタルコアに保存されている情報に影響を与え、結果として由比ヶ浜ネストのヒュージに特異な行動を取らせる原因になったのだろう。

 

でも僕は自分のシルトや仲間のリリィを呪いたくはなかったし、事実そんな事はしなかった。それだけははっきり言い切れる」

 

 ほとんど自分への弁明のような美鈴の強い口調に、結梨はそれを黙って聞いていることしかできなかった。

 

「君は始めから君が生まれながらに抱えている問題を周囲の者に知られていた。

しかし僕は僕が抱えている問題を誰にも知られてはいなかったし、知られたくも無かった。

良い悪いは別にして、それが君と僕との決定的な違いだ」

 

 再び自分に言い聞かせるように美鈴は発言し、それをもって区切りをつけたかのように前方を指さした。

 

「少し自分語りが過ぎたようだ。ずっと墓の前で立ち話も何だから、向こうで座って続きを話そうか」

 

 二人は霊園の敷地終端、現在は廃墟となった鎌倉の旧市街と相模湾を遠くに見下ろす斜面の始まりに、並んで腰を下ろした。

 

 満ちた月は水平線の遥か上に昇り、海を遠望する二人の頭上に輝いている。

 

 もう今は、巨大な竜巻の如く海上に鎮座していた由比ヶ浜ネストは存在しない。

 

 美鈴が術式を書き換えて自らの得物としたダインスレイフは、アルトラ級ヒュージの討滅に使用された後、海底深くに沈んでいるはずだ。

 

 いつかあのダインスレイフを海底からサルベージし、再び百合ヶ丘に戻せる日が来るのだろうか。

 

 それともまたヒュージの体内に取り込まれ、美鈴の精神の影響を受けた個体として自分たちの前に現れるのだろうか。

 

 今はただ月光をわずかに反射させて自らの存在を示すだけの海。

 

 それを遠くに眺めながら、結梨は夢結から美鈴へと契約者を変えたダインスレイフに考えを巡らせていた。

 

 そんな結梨の横顔を黙って美鈴は見つめていたが、意識して軽い口調で別の話題を持ち出した。

 

「ところで、東京では大した活躍をしたようだね。

君がロスヴァイセ預かりの身ではなく、正規のレギオンメンバーだったなら、間違いなく勲章ものの戦功だ」

 

「私が東京に行った時のことを知ってるの?」

 

「知っているよ。君の記憶は僕の記憶と共有されているからね」

 

「でも、私には美鈴の記憶は無いよ」

 

「それは僕には分からない。君の心や脳が、そのように機能しているとしか言えない。

決して僕が君の記憶に手を突っ込んでいるわけじゃない。

それに、もし僕が君の記憶を改竄しようとしても、おそらくそれは不可能だと思う」

 

「どうして?」

 

「梨璃と同じく、君にもラプラスのレアスキルに覚醒する素質があるからだ」

 

「私にラプラスが?」

 

「そうだ。その根拠について説明しようか。

君はG.E.H.E.N.A.の実験船から流出した培養繭の中にいた。

そして海岸に漂着した培養繭と最初に接触した者は、一柳梨璃だった。

 

今更言うまでもないが、君は他のリリィの技やレアスキルをコピーして自分のものにできるという、極めて特殊な能力を持っている可能性が非常に高い。

梨璃は最初の接触以来、君と最も長い時間一緒にいたリリィだ。

 

それなら当然、彼女のレアスキルであるカリスマ――今はラプラスに覚醒しているが――もコピー済みであると考えていい。

 

君はまだカリスマあるいはラプラスを発現したことは無いようだが、潜在的には君が強く望めばいつでも使うことができるだろうと僕は考えている。

これまでは単にラプラスを使わなければいけない状況が無かっただけだと。

 

それでは、ラプラス持ちが同じラプラスのレアスキルを持つリリィの記憶を改竄できるか。

これは実に興味深い命題ではあるけれど、G.E.H.E.N.A.でさえ、そんな実験はしたことがないだろう。

それは希少レアスキルであるラプラス持ちのリリィを二人揃えること自体が、極めて難しいからだ。

 

例えが適切かは分からないが、毒を持つ生物は自分の毒で死んだりはしない。

毒を無効化する何らかの仕組みが体の中に存在しているからだろう。

 

だから自分の記憶を改竄できないように、同じラプラス持ちのリリィの記憶も改竄できないんじゃないかと僕は考えている。

 

それに、君の記憶を改竄するということは、それを共有している僕自身の記憶も改竄することになる。

もし改竄が成功したとしても、自分の記憶を書き換えた僕の精神は混乱して、異常をきたすかもしれない。

 

そんな危険な実験に君を巻き込むわけにはいかないし、とてもじゃないが僕自身も試してみる気にはなれない。

これで納得してもらえたかな?」

 

「うん……でも、私がカリスマやラプラスを使えるのなら、梨璃や来夢みたいにG.E.H.E.N.A.が私を実験台にしようとするってことだよね」

 

「その通りだ。君は既に確認されている能力に加えて、現在G.E.H.E.N.A.が最優先でその情報を得ようとしているカリスマとラプラスの潜在的な保持者である可能性が高い。

 

従って、君の生存についてG.E.H.E.N.A.が確証を得られれば、以前にも増して手段を選ばず君を手中に収めようとするだろう」

 

「やっぱり、そうなってしまうの……」

 

 結梨は落胆の表情を隠せなかったが、対照的に美鈴の態度は落ち着き払っていた。

 

「……と、普通なら考えるところだが、ここで先日のエリアディフェンス崩壊の一件を考慮する必要がある。

 

第4世代の精神直結型CHARMを使用したリリィの働きは、G.E.H.E.N.A.にとっては驚異的であると同時に脅威的なものだっただろう。

 

航空優勢の確保、つまり制空権という観点から、百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.より圧倒的に有利な立場を手に入れたわけだ。

 

当然、G.E.H.E.N.A.はそのCHARMの使い手として、君が生存している可能性を完全には排除していないはずだ。

 

その場合、これまで人間扱いしてこなかった相手が、自分たちがまだ実用化できていない水準のCHARMを実戦で易々と使いこなし、画期的な戦果を挙げたということになる。

 

自分たちよりも段違いに戦力が上回る敵を捕虜にできるか。

そのように考えれば、G.E.H.E.N.A.がおいそれと当該のリリィ――つまり今の君に手出しできないことは明白だ。

 

現にエリアディフェンス崩壊事変の後、G.E.H.E.N.A.は百合ヶ丘に対して目立った動きを見せていない。

反撃を受けるリスクがG.E.H.E.N.A.にとって致命的なものであれば、態勢が充分に整うまでは身動きが取れないだろう」

 

「それならいいんだけど、でも、いつかはG.E.H.E.N.A.が私を捕まえに来ることに変わりはないよね」

 

「その時は戦うなり逃げるなり、適切な選択をすればいいさ。

君一人で何もかも背負い込む必要は全く無いし、今の君を無力化して拘束できるだけの戦力はG.E.H.E.N.A.には無いだろう。

 

百合ヶ丘の理事会がどのような考えを持っているかは知らないが、慎重に彼我のパワーバランスを見極めながら、今後の戦略を策定しようとしているのだろう。

 

いずれ方針が定まれば、君にもロスヴァイセにも、それに基づいた様々な直命が下される。

それまでは束の間のささやかな休暇だと思って、学生らしいことを謳歌していても構わないと思うよ」

 

「……ありがとう、ちょっと気が楽になったかも」

 

「少しばかり話が長くなりすぎてしまった。

君がここに来た理由を僕は知らないが、純粋な偶然か、それとも何らかの条件が揃った結果、僕が君の前に現れたのか。

 

気になるなら、ロザリンデたちに相談して、原因を調査してもらうといい。

ただし、調べたからといって必ず原因が判明するとは限らない。過度な期待はしないことだ」

 

 そう言い終えると、美鈴は結梨の隣りから立ち上がり、霊園の入口へ向かって去って行った。

 

 結梨は美鈴を追いかけることはしなかった。

 

 それが美鈴の意思である以上、追いかけるべきではないと結梨は判断した。

 

(もう部屋に戻ろう。結構長い時間、外に出ちゃった。ロザリンデが目を覚ましてたら、きっと心配してる)

 

 結梨はもう一度自分の墓の前に立ち、その光景をあらためて心に刻み込んだ。

 

 そして決心したように振り返ったその時、霊園の入口の向こうに二つの人影が立っているのが目に入った。

 

 美鈴ではない。自分の知らないリリィだ。

 

 数十メートルの距離を隔ててはいるが、青白い月光の下、遠目にも分かるほど凍りついた表情でこちらを見つめている。

 

 ――ああ、そうか。あの二人は『隠れんぼ』をしに来たんだ。

 

 昼間にミーティングルームで碧乙が口にしていた言葉が、結梨の脳裏をよぎった。

 

 次の刹那、結梨の姿は二人のリリィの視界から消失していた。

 

 

 





2022年1月22日追記(舞台ネタバレあり)

 このエピソードではアニメでの情報に基づいて、記憶の改変能力がラプラスのレアスキルによるものとして描写しました。

 しかし一柳隊の舞台「Lost Memories」にて、美鈴様の記憶改変能力はラプラス以外のレアスキルによるものであることが明かされました。

 このため、このエピソードでの描写は、「Lost Memories」公演以降の設定とは齟齬があることをご了承下さい。

 なお、本日以降の投稿分については、原則として「Lost Memories」での情報に合わせて描写していきます。


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第13話 再会(3)

 

 二人のリリィに姿を見られた直後、結梨の身体はS級の縮地によって、瞬時に霊園から特別寮の自室に戻っていた。

 

 室内は結梨が出て行った時と同じように静まり返っている。

 

 幾ばくかの時間が経過した分だけ、窓辺から差し込む月光の角度が変化しているが、それ以外は何も変わりは無い。

 

 結梨はおもむろにロザリンデのベッドに歩み寄ると、軽く彼女の肩を揺すった。

 

「ロザリンデ、起きて。話さないといけないことがあるの」

 

「……どうしたの、こんな夜中に。何かあったの?」

 

 目をこすりながらゆっくり上半身を起こしたロザリンデに、結梨は硬い口調で話し始める。

 

「どうしてか分からないけど目が覚めて、その時に窓の外に見えた月が綺麗だったから、つい外に出ちゃったの。

そのまま景色のいい高台に上がったら、霊園の入口があって、自分のお墓もあるのかなって見に行ったの。

そうしたら、私を呼ぶ声が聞こえてきて、そっちを見たら美鈴が立ってた」

 

「な……」

 

 思わずロザリンデは絶句したが、すぐに気を取り直して結梨に続きを話すように促した。

 

 結梨は美鈴と会話した内容を詳細に説明した後、最後に二人のリリィに自分の姿を目撃されたことを告白した。

 

「私はその二人を知らなかったけど、向こうは私のことを知ってたと思う。

私が誰か分かってる顔をしてたから。

私は縮地でそこからこの部屋まで移動したけど、私が霊園にいたのは間違いなく見られたと思う。

ごめんなさい。私が勝手に外に出てしまったから、こんなことになってしまって」

 

 消沈した様子で頭を下げている結梨に、ロザリンデはその肩を優しく抱いた。

 

「気を落とさないで。まだその事実だけで決定的に深刻な事態に陥ったかどうかは分からないわ。

今は深夜だから、すぐに動き回って情報を集めるわけにはいかない。

今夜はもう休んで、朝になったら状況を調べるのと並行して善後策を考えましょう」

 

「うん……」

 

「大丈夫。ガーデン内での目撃情報なら、理事会や生徒会、特務レギオンが動けば情報の拡散を抑えることは可能よ。

だから後のことは私たちに任せて、今は心を落ち着けて眠ってしまいなさい」

 

「ごめんなさい……」

 

 ベッドに寝かされて、その華奢な身体をロザリンデに柔らかく抱かれながら、結梨の意識はいつの間にかまどろみの中へ落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガーデンの霊園に一柳結梨の幽霊が出た――

 

 翌朝の一時限目が終わる頃には、百合ヶ丘女学院のリリィの少なからぬ割合が、何らかの形でその噂を耳にしていた。

 

 それを単なる流言飛語の類として聞き流すには、少しばかり噂の広まる速さに勢いがつき過ぎていた。

 

 2年生の或る教室では、一人のリリィが数人の同級生に早口で話し続けていた。

 

「本当よ。一柳結梨さんのお墓の前に、白い服を着た女の子が背中を向けて立っていて、こっちを振り向いたの。

あれは間違いなく結梨さんだったわ。

戦技競技会の時に、メカヒュージと戦っているところを観戦していたから、顔はよく覚えているもの。

 

結梨さんは私たちを無言でじっと見つめた後、突然その姿が消えたのよ。

私が幻を見たのかと思ったけど、一緒にいた子も同じように結梨さんの姿が見えていたって言うから、見間違いなんかじゃないわ。

 

きっと志半ばで戦死してしまったから、この世に未練があるに違いないわ。

だから幽霊になって霊園で自分のお墓を見ていたんじゃないかと思うの」

 

「――そのお話、とても興味深いわ。詳しく聞かせてもらえるかしら」

 

 話をしていたリリィが振り向くと、そこに立っていたのは同じ2年生の石上碧乙だった。

 

「石上さん。あなたは別のクラスなのに、どうしてここに……」

 

 碧乙はその質問には答えず、結梨のことを話していたリリィに顔を近づけて小声で耳打ちする。

 

「その話は皆の前でこれ以上しない方がいいわ。

あなたの話が噂の発信源として風紀委員の耳に入ったら、確実に生徒指導室に呼び出しをくらうわよ。

 

どうしてかって?深夜に二人でそんな場所に居たなんて、怪しまれるに決まってるじゃない。

 

幽霊のことよりも、元々は何をしようとしていたのか根掘り葉掘り訊かれるわよ。

どうせ『隠れんぼ』をするために逢い引きしていたんでしょう?」

 

「それは……」

 

 そのリリィは碧乙に図星を突かれて、思わず言葉に詰まった。

 

 その様子を見て、すかさず碧乙は畳みかけるように彼女に交換条件を持ち出す。

 

「あなたが噂の出所だってことは、生徒会の伝手――祀さんと眞悠理さんのことだけど――を使って風紀委員には伝わらないようにしてあげる。

 

もし、この件で『吸血鬼』の風紀委員長に目を付けられたら、この先、卒業まで風紀委員会のブラックリスト入りすること間違いなしよ。

 

それを防ぐ代わりに結梨さんの件について、私に当時の具体的な状況を一から説明してくれる?」

 

「……分かったわ。私の話は本当にあったことだけど、別件で取り調べを受けるのは真っ平御免だもの。

ここは人目があるから、石上さんの都合のいい場所で話すわ」

 

「話が早くて助かるわ。じゃあ、ちょっと図書室にでも行きましょうか」

 

 碧乙はそのリリィを伴って教室を出て行き、そのまま二人は廊下の向こうへと歩き去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というわけで、やっぱり結梨ちゃんの姿はばっちり目撃されていました。ただし幽霊として」

 

 事情を聴き終えた碧乙が特別寮のミーティングルームに戻り、あらためて結果を報告すると、その場にいたロザリンデ、結梨、伊紀、祀の間にほっとした空気が流れた。

 

「では目撃者が勘違いしてくれたおかげで、結梨ちゃんの安否については、これまで通り『未帰還のため死亡扱い』の認識を維持できるということね」

 

 ロザリンデが確認を求めると、碧乙は自信に満ちた微笑を浮かべて肯定した。

 

「はい。それと、彼女たちは霊園を出て行った美鈴様の姿は見ていないようです。

霊園へ向かう道の途中では、誰ともすれ違わなかったと言っていました」

 

「それなら、美鈴さんの姿は結梨ちゃんにしか見えていなかったと考えるのが妥当だわ。

美鈴さんが結梨ちゃんの幻覚でないとすれば、やはりマギが何らかの指向性を持って、美鈴さんの姿として結梨ちゃんの知覚に作用しているのかもしれないわね」

 

「実際、リリィの中には他のリリィのマギが色として見える人もいるみたいですし、可能性としては考えられなくはないですね」

 

「良かったわね、結梨ちゃん。

結梨ちゃんが生きているという情報が広まってしまったら、G.E.H.E.N.A.に対する戦略の方針変更を余儀なくされるところだったけど、その事態は回避できたのね。

これで一件落着ね。めでたしめでたし」

 

 すっかり安心した様子の祀を見て、伊紀がやんわりとそれを否定する。

 

「一件落着じゃありません、祀様。

たまたま結梨ちゃんが夜中に目が覚めて、月に惹かれて霊園に足が向かった。

そこに美鈴様の幻のような姿が現れるなんて、偶然にしては出来すぎていると思われませんか」

 

「美鈴様が結梨ちゃんを霊園に呼び出したってこと? 二人きりで話をするために?」

 

 祀の質問に答えたのは、伊紀ではなくロザリンデだった。

 

「そこまで決めつけるには判断する材料が不足しているわね。

結梨ちゃんに見えていた美鈴様は、以前に夢に出てきた時と同じく、一種の疑似的な人格のようだし。

 

むしろ、美鈴様の疑似人格を使ってこれまでの情報を整理するために、結梨ちゃんの無意識がそのような行動を取らせた可能性も考えられるんじゃないかしら」

 

 ロザリンデが指摘した内容に、今度は伊紀が一つの質問を挟む。

 

「無意識って、フロイトの精神分析に出てくるような意味での無意識ですか。

意識としての自我、そしてそれと対になるものとしての無意識……」

 

「そうよ。ひょっとしたら、霊園にいるところを『隠れんぼ』に行く途中で通りがかったリリィに目撃されて、幽霊だと勘違いさせることまで結梨ちゃんの無意識が計算していたのかもしれない。

 

そこまでいくと一種の予知能力に匹敵するレベルだから、私の勇み足である可能性も大いにあるけど」

 

「では昨夜の一連の行動は、結梨ちゃんの無意識が潜在的に取らせたものだと、ロザリンデお姉様はお考えなのですね」

 

「今はまだ一つの根拠無き仮説に過ぎないわ。

でも事実として、結梨ちゃんは美鈴様と霊園で出会い、彼女との会話で、これまで自覚していなかった幾つかの可能性をはっきりと認識した。

 

その上、通りすがりのリリィに姿を見られたことによって、逆に結梨ちゃんが故人だという認識を、百合ヶ丘のリリィ全員に改めて強く植え付け直す結果になった。

 

夜中に目が覚めたところを起点として、これらの一連の出来事が偶然に発生する確率はほとんどゼロに近い。

単純な気の緩みなどではなく、昨夜の出来事には何か特殊な要因が働いている可能性があるわ。

 

そうであれば、何がしかの意志とでも呼ぶべきものが必然的に結梨ちゃんの行動を導いた……私の考えすぎかもしれないけれど」

 

「その何かが偶然ではないとしても、結梨ちゃんに不利に働くものではないようですし、ひとまずは様子見でいいと思いますよ」

 

 碧乙は自らが聞き取った当時の状況とロザリンデの仮説を比較した結果、昨夜の一件を危険なものとは見なしていなかった。

 

 ロザリンデも基本的には碧乙の意見に肯定的で、むしろ今はその出来事の原因を調べることの方が重要ではないかと考え始めていた。

 

「そうね。結梨ちゃんには念のためにフィジカルとメンタルの両方で検査を受けるよう、シェリス先生から指示が来ているの。

この後で私が結梨ちゃんに同行して検査室まで行くことになっているわ」

 

「私は放課後に霊園に行って、現在の状況を確認してきます。

結梨ちゃんのお墓を訪れているリリィが何人かいるはずなので、それとなく話をして一般生徒の認識を調べておきます。

祀様はこの後いかがなさいますか?」

 

 伊紀に予定を聞かれた祀は、少し困ったような表情をした。

 

「もちろん、ここで結梨ちゃんが検査から戻るのを待たせてもらうつもり……だったんだけど、片付けておかないといけない書類が溜まってるから、一度生徒会室に戻らせてもらうわ。

結梨ちゃん、また後でね。何も異常が無いことを祈っているわ」

 

「うん。ありがとう、祀。ロザリンデ、私はもう準備できてるから、いつでも検査に行けるよ」

 

「分かったわ。では祀さん、噂の出所が風紀委員に伝わらないように、よろしくお願いするわね」

 

「はい、お任せください。本人たちには生徒会から直接厳重に注意して、以後同じことをしないように釘を刺しておきます。

 

正直、隠れてこそこそしているのなら、悪いことをしているという自覚があるだけましだと思います。

1年生の猫耳さんに比べれば可愛いものです」

 

「あの猫耳ピンクか……一度ならず二度までも、私の可愛いシルトに手を出そうとした不届き者。

いつか尻尾を掴んで謹慎させてやらないと」

 

「碧乙様、あまり先走ったことはなさらないで下さいね。

一応、今は亜羅椰さんとは話がついた状態になっていますので」

 

「そんなもの、あの子のリビドーの前では何の抑止力にもならないわ。

伊紀、霊園に行った時に彼女がその場にいたら、いつでも逃げられるように充分に距離を取って対処するのよ。

あの子なら『隠れんぼ』どころか、その場で事に及びかねないわ」

 

「いくら何でもそれは無いと思いますよ……いえ、ひょっとしたら、あるかもしれませんね」

 

 伊紀は少しあきれた様子で碧乙に答えながらも、これまでの亜羅椰とのやり取りを思い出し、碧乙の注意があながち大げさとも言い切れないことに苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸いにも、放課後に伊紀がガーデンの霊園を訪れた時には、亜羅椰はそこに来ていなかった。

 

 霊園の入口で伊紀は数人のリリィとすれ違った。

 

 すれ違いざまに、彼女たちが交わしていた会話の中に「結梨ちゃん」という言葉が出てきたのを伊紀は聞き逃さなかった。

 

 伊紀が結梨の墓に近づくと、既に結梨の墓の周りには普段の数倍の花が置かれているのが見えた。

 

 先程すれ違ったリリィたちも結梨の墓を訪れ、その帰りだったのだろう。

 

 伊紀は膝をついて、持参した花を結梨の墓の前にそっと置いた。

 

 胸の前で手を組み、目を閉じて祈っていると、後ろから人が近づいてくる気配がした。

 

 目を開けて振り向くと、そこには梨璃と夢結の姿があった。

 

 梨璃は伊紀の姿を見ると、やや硬かった表情を和らげて伊紀に話しかけた。

 

「伊紀さん、結梨ちゃんのお墓に来てくれたんですね。やっぱりあの噂を聞いたんですか?」

 

「はい。心の整理をするために、あらためて一度ここに来ておこうと思いました」

 

 伊紀は梨璃に偽りの返事をせざるを得なかった。

 

 結梨の生存情報は、軍隊であれば第一級の軍機に相当する内容だ。

 

 特務レギオンの任務上、現在もなおロスヴァイセと生徒会長以外のリリィに結梨のことを話すわけにはいかない。

 

 そんな良心の呵責を顔に出さず答えた伊紀とは逆に、梨璃は表情を曇らせて苦しげに言葉を吐き出した。

 

「ごめんなさい。あの時、結梨ちゃんが一人で飛び出す前に、私が結梨ちゃんを引き留められていたら、こんなことにはならなかったのに……」

 

 その様子を見ていることに耐えられず、伊紀は梨璃に近づいて、梨璃の手を自分の両手で包み込んだ。

 

「梨璃さん、私たちがこの目で確認したのは結梨さんのグングニルだけです。

それ以外には私たちは何も見ていないんです。だから――」

 

 その言葉の途中で、梨璃の後ろに立っていた夢結が冷静に伊紀に話しかける。

 

「伊紀さん、梨璃のことを気遣ってくれるあなたの気持ちは嬉しいわ。

でも結梨はもういない。それは紛れもない現実よ。

その現実を受け止めて、私たちは前に進まなくてはならないの。つらいとは思うけれど」

 

「……そうですね、夢結様のおっしゃるとおりです。

私が未練がましいことを言ったばかりに、梨璃さんの心を乱してしまっては申し訳がありません。

今はただ、結梨さんのために祈ることだけをさせていただきます」

 

「ありがとう、伊紀さん。みんなが結梨ちゃんを覚えてくれている限り、結梨ちゃんはみんなの心の中で生きていてくれるから」

 

 梨璃はそう言うと、伊紀の横に並んで結梨の墓に正対した。

 

 そして、先ほど伊紀がそうしたように、膝をついて手を胸の前で組み、静かに祈りを捧げ始めた。

 

 伊紀も同じく、梨璃の隣りで再び祈りの姿勢を取る。

 

 二人の背中を、その数メートル先にある自らのシュッツエンゲルの墓を、夢結は何も言わず黙って見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も美鈴みたいに、別の私が梨璃の夢の中に出てきてたりしてるのかな」

 

 一通りの検査を無事に終えて特別寮のミーティングルームに戻って来た結梨は、ふと思った疑問をロザリンデに投げかけてみた。

 

 ロザリンデは少し考え込む素振りを見せた後、おもむろに形の良い唇を開いた。

 

「梨璃さんは夢結さんと一緒に由比ヶ浜ネスト討滅に向かった際に、ダインスレイフを介してアルトラ級ヒュージに接触しているわ。

 

その結果、アルトラ級のマギから何らかの潜在的な影響を受けている可能性も考えられる。

だから美鈴さんのように、梨璃さんの無意識下で結梨ちゃんの疑似人格がエミュレートされていてもおかしくないわ。

 

もっとも、梨璃さんは死んでしまった結梨さんの魂が自分の夢に出てきていると考えているかもしれないわね。

そちらの方が一般的には自然な考え方でしょうから」

 

「ふーん……そうなんだ。伊紀、もし梨璃とまた話すことがあったら、私が梨璃の夢に出てくることがあるか聞いてくれる?」

 

「はい、構いませんよ。梨璃さんとはクラスが別なので、近いうちに何か理由を作ってコンタクトを取ってみます」

 

 伊紀は結梨の頼みをごく簡単に引き受け、さっそく梨璃と会うための口実を考え始めた。

 

「そうだわ、伊紀さん。今度の休日に、気分転換に結梨ちゃんと二人で出かけてみたら?

もちろん事前に外出の許可申請は済ませておいてね」

 

 書類の処理を終えて戻ってきていた祀が、結梨と伊紀に外出の提案をした。

 

「分かりました。結梨ちゃん、どこか行ってみたい場所はありますか?」

 

「うーん、自然があって静かなところがいい。のんびり周りの景色を眺めていられるようなところ」

 

 伊紀が書架から地図帳を取り出し、ローテーブルの上に置いてページを開く。

 

「それなら、この辺りはどうでしょうか。杉並区に大田黒公園という所があって、とっても綺麗な日本庭園が中にありますよ。

他には中央区の浜離宮もお薦めですが、海の近くなので内陸部よりヒュージが出現するリスクが高いですね……」

 

 結梨と伊紀は首都圏全域が見開きで掲載されている地図を見ながら、あれこれと行き先を検討し始めた。

 

 昨夜から今朝にかけての一連の問題がひとまず収束し、一同はようやく緊張から解放された。

 

 その場にいる全員が安堵感に包まれ、平穏な日常が戻ってきたことを疑わず、数日後の休暇に羽を伸ばすことを心待ちにしていた。

 

 ――その休暇が血塗られたものになるとは、この時は誰も想像だにしていなかった。

 

 




 前回に続いて更新が遅くなってしまい、すみません。
 当分の間は更新の遅れや文字数の減少などが避けられなさそうです。
 プロット自体はそれなりにできているので、少しずつでも進めていくつもりです。

 本文の最後の一文が不穏極まりないですが、構成上の都合で先に戦闘回(?)を一つ入れておくことにしました。

 アニメ1周年でラスバレに結梨ちゃんのストーリー予告が来ていました。
 内容はアニメの焼き直しのようですが、今後の展開でどうにかして復活してくれないものかと一縷の望みを抱いています。
 このまま回想でしか登場しないのは悲しいので、「結梨ちゃんが復活するイベントストーリーを希望します」とアンケートには回答しました……


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第14話 凶刃(1)

 タイトルからも分かるように、今回投稿分には物理的に残酷な描写がありますのでご注意ください。
 最終的には不快な展開にはしないつもりです……



 

 霊園での一件から数日後、ガーデンの配慮で平日に休暇を取ることができた結梨と伊紀は、東京の杉並区にある大田黒公園を訪れていた。

 

 平日の午前中ということもあって、晴天の下、園内は閑散としており、ほとんど貸し切りのような状態だった。

 

 二人は日本庭園の端にある小さな東屋のベンチに腰を下ろしていた。

 

 東屋は全周100メートルほどの小さな池に面しており、その水面下では十数匹の大きな錦鯉がゆっくりと泳いでいる。

 

「平日に休暇を取らせてくれるなんて、百合ヶ丘のガーデンも粋な計らいをしてくれるものですね。

これなら他のリリィの目を気にすることも無くて済みますね」

 

 念のために結梨は伊達眼鏡を掛け、髪型を変えて変装していたが、今のところそれが効果を発揮する機会は訪れていなかった。

 

「この公園は、今は私たちの他には人がいないみたいだね。すごく静か」

 

「そうですね。たまには誰もいない所で、のんびり景色を眺めるのもいいものですね」

 

 休暇の前日に伊紀は梨璃に会い、あらためて結梨のことを聞いてみた。

 

 すると、夢の中に結梨が現れたことはこれまでに何度かあったと梨璃は伊紀に答え、伊紀はその事実を結梨に伝えた。

 

「それに、梨璃さんが一柳隊の人たちと一緒に結梨ちゃんのお墓に行った時に、結梨ちゃんがすぐそばで呼びかけてくれたみたいな感じがしたって言ってましたよ」

 

「ふふ、変なの。私はちゃんとここにいるのに」

 

 知らない自分が知らない時に梨璃と接している姿を想像した結梨は、どことなく気恥ずかしそうな様子だった。

 

「結梨ちゃんが美鈴様の姿を見たのも霊園でしたし、やはりあの場所には何かしらマギの特異な偏りのようなものがあって、それがリリィの知覚に影響しているのかもしれませんね。

 

そうであれば、他にもそういう感覚を経験したリリィがいてもおかしくないですね。

死んだはずの人の姿が見えたら、普通は死者の霊か幻だと思うのでしょうけど……

 

ロザリンデお姉様の解釈では、特定の条件下でマギがリリィの精神と知覚に作用して、そのリリィの記憶から人格と姿をエミュレートさせているとお考えのようです。

 

それが当人には幻覚や幽霊として認識されるのだと」

 

「ロザリンデは幽霊やお化けはいないって考える性格みたいだから……」

 

「そうですね。ロザリンデお姉様は科学的・論理的思考と理性を、人にとって不可欠な価値のあるものだと仰っていました。

そして、それらを放棄して安易にオカルト的な考えに傾倒するのは、非常に危険なことだとも」

 

「マギって、いろんなことに関係してるんだね。

生き物がヒュージになるのも、リリィがレアスキルを使えるのも、その場にいない人の幻を見せるのも……」

 

「はい。まだマギについては、それが一種の魔法エネルギーとでも呼ぶべきものとしか分かっていません。

 

でも、そのマギを使って、物理的な兵器であるCHARMのエネルギーとして利用しているのだから、科学的に説明できるものであることは確かだと思います。

 

かつては未知のエネルギーだった核分裂・核融合エネルギーのように。

 

だから、生物がヒュージ化するプロセスも、リリィがレアスキルを使える仕組みも、いずれは科学で解明されるでしょう。

 

問題は、その科学的知見や技術がG.E.H.E.N.A.のような組織に悪用される可能性があることです。

 

今でも既に一部の特型ヒュージは、G.E.H.E.N.A.の技術を使って開発された個体だという未確認情報もあります」

 

「私たちはそれをさせないように頑張らないといけないんだね」

 

「そうです。ヒュージのこともG.E.H.E.N.A.のことも、みんな解決したら、胸を張って梨璃さんたちに逢いに行きましょうね」

 

 そこに至る道程は今のところ、皆目見当がつかない。

 

 だが、そのためにこそ自分たちの力はあるのだと、伊紀は前向きに考えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと伊紀が視線を動かした時、東屋から伸びている道の向こうから、CHARMケースを背負った一人の少女が歩いてくるのが見えた。

 

 少女は伊紀や結梨と同じくらいの年頃に見え、遠目にも分かるほど整った顔立ちをしていた。

 

 CHARMケースを背負っていたため、彼女がリリィであることは明らかだったが、着ている制服は伊紀の知らないものだった。

 この近隣のガーデンのリリィだろうか。

 

 少女はベンチに座っている伊紀と結梨の方へ近づき、その容姿に相応しい澄んだ声で一つの質問をした。

 

「すみません。ある人を探しているんですが、もし何かご存じだったら教えていただけませんか?」

 

「はい。どのような方でしょうか?」

 

 伊紀と結梨はベンチから立ち上がり、伊紀が少女に確認の反問をした。

 

 少女の答えは、二人の全く予期せぬものだった。

 

「鎌倉府の百合ヶ丘女学院に在籍しているリリィで、一柳結梨さんという方を探しています。

今日この辺りにいらっしゃると聞いて、少しお話をさせていただこうと思ったのですが」

 

 伊紀は一瞬虚を突かれたが、可能な限り平静を装って少女に答える。

 

「……申し訳ありませんが、そのような人は知りません。他を当たっていただけますか」

 

「そうですか。それでは失礼します。どうもありがとうございました」

 

 少女は軽く会釈して、ゆっくりと二人の横を通り過ぎていった。

 

 ――その直後、結梨の身体がぐらりと前方に崩れ落ち、そのまま地面に倒れこんだ。

 

「えっ? ど、どうしたんですか」

 

 倒れた結梨の身体を伊紀が慌てて抱き起すと、手にぬるっとした暖かいものが触れる感覚が生じた。

 

咄嗟に伊紀が手の平を自分の方に向けると、それは真っ赤に染まっていた。鮮血だ。

 

伊紀の心臓が激しく拍動し、一瞬で精神が混乱する。

 

――何が起きた? 血はどこから出ている? 自分はどうすればいい?

 

 定まらぬ視線が結梨の身体を視界に収めた時、その脇腹の辺りが自分の手と同じく真紅に染まっていることに伊紀は気がついた。

 

 結梨の服には長さ数センチメートルの細長い裂け目が入っており、出血はその部分を中心に今も広がり続けていた。

 

 何かの刃物で刺されたのか。一体、誰に?

 

 その答えが一つしかないことに、すぐに伊紀は思い至った。

 

 伊紀が視線を転じて周囲を見回すと、先程の少女はまだ二人の近くに立って、こちらを静かに見下ろしている。

 

 その右手にナイフのようなものが握られているのを、伊紀の目は確かに見た。

 

 それは刃の根元まで血に濡れており、足元の石畳には刃先から落ちた数滴の血が点々と跡をなしている。

 

「あなたが、やったんですか……」

 

 伊紀は、かろうじてそれだけの言葉を口にするのが精一杯だった。

 

 少女は伊紀の質問には答えず、全く表情を変えることなく落ち着き払った口調で伊紀に言葉をかける。

 

「あなたは百合ヶ丘女学院の特務レギオン、LGロスヴァイセ主将の北河原伊紀。

そして倒れている子は、あなたの従姉妹の『北河原ゆり』……で間違いないわね」

 

「……どうして私たちのことを知っているんですか?」

 

「さあ、どうしてでしょうね。それにしても、あなた嘘が下手ね。

そんな調子じゃ、特務レギオンの主将なんて務まらないわよ」

 

 少女は右手に持ったナイフを目線の高さまで持ち上げて、刃に付いた血を一瞥した。

 

「ふうん、ヒュージの細胞から生まれた人間でも、血は赤いのね。

青い血が出るのかと思ったけど期待外れだったわ。

それとも、もしかしたら本当に人違いだったのかもしれないけど、どちらにしてもがっかりね」

 

 少女はいかにもつまらなさそうに、ナイフを無造作に池に投げ込んだ。

 

 ナイフは放物線を描いて水面に落ち、幾つかの波紋を作り出した後、すぐに水底へ沈んで見えなくなった。

 

 その様子を見ながら、伊紀は今目の前で起きている状況を理解しようと、必死に考えを巡らせていた。

 

 G.E.H.E.N.A.の刺客? こんな白昼堂々と? なぜ自分たちの居場所が分かった? 百合ヶ丘のガーデン内に疑わしい者は見つからなかったはずなのに。

 

 自分の足元で結梨を抱きかかえている伊紀を見下ろして、少女は淡々と説明する。

 

「心配しなくても急所は外してあるわ。その子に死なれては元も子も無いから。

でも放っておいたら、いずれ失血死するわよ。

一刻も早く救急医療施設に搬送する方がいいと思うけど」

 

「ぬけぬけとよく言ったものですね。

傷の治療にかこつけて、G.E.H.E.N.A.ラボへ収容する腹積もりなんでしょう?

致命傷を負ったリリィに強化処置を施す手口と同じ、G.E.H.E.N.A.の常套手段」

 

「よく分かってるじゃない。その子が私の探している一柳結梨かどうかは、ラボに搬送して調べればすぐに分かる。

今から近傍のG.E.H.E.N.A.ラボに連絡して、ここに輸送機を回してもらうわ。

 

一柳結梨が行動不能の重傷でここにいる、と私が言えば、G.E.H.E.N.A.は血相を変えて飛んでくるでしょう。

目の前に人参をぶら下げられた馬のようにね」

 

「――ふざけないでください! そんなこと、させるわけないでしょう!」

 

 激昂した伊紀が思わず声を荒げると、自分の腕に抱いている結梨が苦しげに呻く声が、伊紀の耳に聞こえてきた。 

 

「う……」

 

「ゆりちゃん、しっかりしてください。こんな傷なんか、私がすぐに治してあげます」

 

 伊紀は結梨をベンチに寝かせると、傷口に両手を当ててレアスキルを発動した。

 

 見る間に青白いマギの微粒子と光が二人の周囲に漂い始める。

 

 それとともに数秒で傷口からの出血は止まり、血に濡れた服の下で結梨の傷がたちどころに治癒していく。

 

 伊紀は結梨の傷が消えたのを確認して、手を傷のあった箇所から離し、ほっとした様子で声をかけた。

 

「これで傷は完全に無くなりました。

でも、痛みが消えるまではしばらく時間がかかるはずなので、苦しいでしょうけど我慢してくださいね……ゆりちゃん?」

 

 伊紀の呼びかけに結梨は目を閉じて返事をしなかった。

 

 青ざめた伊紀がすぐに結梨の呼吸と脈拍を確認する。

 

 そのどちらもが途切れていないことを確かめて、伊紀は大きく安堵の息をついた。

 

 その様子を見た少女が、意識を失った結梨の姿をじっと眺めている。

 

「痛みで気を失ったのね。今まで戦闘でそのレベルの負傷をしたことがなかったのかしら。

化け物じみた戦闘能力の割には、意外と脆いものね」

 

 そして少女は結梨から伊紀に視線を転じて、その美貌を皮肉げに歪めながら言葉を吐いた。

 

「レアスキル『Z』か……衛生兵が随伴しているとは結構な御身分だこと。

これがマディックなら、自力で原隊まで戻らなければ失血死するしかないのに」

 

 傲然とした態度を隠しもせず、伊紀と結梨に宣言するかのように少女は言い放つ。

 

「これでその子の自由は奪った。御自慢の第4世代CHARMもここには無く、休暇中のあなたたちは二人とも丸腰の状態。俎上の鯉も同然よ」

 

 勝者の余裕に満ちた顔をする少女に対して、伊紀は先程と同じく、目まぐるしく思考を走らせ続ける。

 

 ――落ち着け。まずは相手が何者なのかを見抜けるかどうかだ。

 

 CHARMケースを背負っているということは、フェイクでない限り彼女がリリィであることは間違いない。

 

 だが、制服までフェイクでないという保証は無い。

 少女が着ている制服は伊紀の全く知らないものだ。

 

 そして、少女は眼鏡やメイクなどで変装らしきことはしておらず、堂々と素顔を晒している。

 

 身元が分からないと思っているのか、それとも分かったところでどうということはないと踏んでいるのか。

 

 何が偽装で、何が正しい情報なのか、判別するための手がかりとなる情報は、やはり今の状況では人相しかない。

 

 鎌倉府と東京の主要なガーデンなら、反G.E.H.E.N.A.、親G.E.H.E.N.A.を問わず、主だったリリィの顔と名前と所属レギオンくらいは特務レギオンの基礎情報として頭に入っている。

 

 目の前にいる少女に該当するリリィは誰か。

 それが分かれば、この襲撃に隠されている情報を明らかにする糸口になる。

 

 伊紀は頭の中でデータベースを検索するかのごとく、記憶にある限りのすべてのリリィの顔写真を目の前の少女と照合していく。

 

 そして何百人目かの照合の末、伊紀は遂に該当する人物に行きついた。

 

 伊紀は感情を押し殺して顔を上げ、自分を見下ろしている少女の美しくも傲慢な表情に事実を突きつける。

 

「――あなたの正体が分かりました。

あなたは親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるエレンスゲ女学園の序列2位レギオン、LGクエレブレの隊長、松村優珂。間違いありませんね?」

 

 





 今回は結梨ちゃんには大変申し訳ない展開になっています。
 エレンスゲのLGクエレブレは相当な外道レギオンのようなので、隊長の松村さんに外道リリィとして登場してもらいました。
 そのうちラスバレにもサブキャラで登場しそうですが、意外と真人間だったらどうしよう……



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第14話 凶刃(2)

 奇跡的に順調に書き上げることができたので、従来の時間帯に投稿できました。
 前回に引き続き今回も流血シーンがありますが、次回からは多分ありません。


 

 目の前の少女の身元を見破った伊紀は、意識を失ったままの結梨をかばうように、油断無く松村優珂と結梨の間に立った。

 

「その制服はエレンスゲのものではありませんね。

わざわざフェイクの制服まで用意するとは、念の入ったことですね」

 

「これは半分趣味みたいなものよ。自分でデザインした制服をオーダーメイドで作らせるの。

もっとも、今回みたいな使い方をしたのは、これが初めてだけど」

 

 優珂は細い指先で胸元のタイを軽く撫でた後、興味を隠しきれない目で伊紀の顔を一瞥した。

 

「でも、全く面識の無いリリィの顔を情報として記憶していることまでは想定していなかったわ。

その点は素直にあなたの能力を認めましょう。

だからといって見逃してあげるわけにはいかないけど」

 

「傷が完治した以上、この子をG.E.H.E.N.A.ラボへ搬送する大義名分は無くなりました。

あなたの企ては失敗に終わったんです。潔く諦めてエレンスゲに帰ってください」

 

「いいえ、まだ終わっていないわ」

 

 おもむろに優珂は背中のCHARMケースを地面に降ろし、中に収められているCHARMを取り出した。

 

「あなたを排除した後で、もう一度その子を傷つければ――やり直せる」

 

 悠然と、だが一分の隙も無い動作で、優珂は伊紀に向けてCHARMを正面に構える。

 

「正気ですか? そこまでして、あなたがこの子に執着する理由は何ですか」

 

「その子が本当に一柳結梨なら、身柄を確保できれば値千金の戦功に勝る大手柄よ。

 

ヒュージネストの一つや二つを討滅するよりも、よほど価値のある実績としてG.E.H.E.N.A.内部で評価されるに違いないわ。

 

階級の三つや四つは簡単にスキップして昇進できるでしょう。

教導官だって私には頭が上がらなくなるはず」

 

「出世欲……ですか。誰かの命を踏み台にしてまで、あなたは自分が上に上がりたいんですか。

 

あなたはそんな身勝手な考えで、この子から幸せに生きる権利を奪おうとしているんですか。

 

――それが武人であるリリィたる者のすることですか! 恥を知りなさい」

 

 思わず声を荒げた伊紀の言葉にも、優珂が心を動かされた気配は微塵も無かった。

 

「衛生兵風情が大きな口を叩くものではないわ。

死にたくなければ黙って大人しく引っ込んでいなさい」

 

 眼前にCHARMの刃を突き尽きられた伊紀は、一歩後ずさり、後ろを振り向いて優珂に背中を見せた。

 

 伊紀の視線の先には、先程から意識を失ってベンチに横たわる結梨の姿があった。

 

 伊紀は数メートル先にいる結梨のすぐそばまで近づき、膝をついてかがみこんだ。

 

 穏やかに眠っているかのような結梨の顔を手の平で撫でながら、伊紀は優しく結梨の耳元で呼びかける。

 

「ゆりちゃん、もう少しここで待っていてくださいね。

すぐにあの人を追い払って、戻ってきますから」

 

 結梨は目を閉じたまま、規則正しく呼吸を続けている。

 

 結梨の容態が安定していることを確認した伊紀は、静かに立ち上がって優珂の方を振り返った。

 

 そのまま歩を進めて前に出て、再び優珂の前に立ちはだかる形になる。

 

 優珂は伊紀の目を正面から見据えて、伊紀の次の行動を待っている。

 

「……で、この後あなたは私をどうするつもり?」

 

「この場から今すぐに立ち去ってください。そして二度と私たちの前に現れないでください」

 

「私が素直に『はい』と言うと思う?」

 

「言わなければ、力ずくで言わせてみせます」

 

 伊紀の言葉を聞いた優珂は思わず失笑した。

 

「意外だわ。あなた、冗談も言えるのね。

悪いことは言わないから、その子を置いて失せなさい。

丸腰のあなたに何ができるというの?」

 

「私はここを動きません。どうしてもゆりちゃんを連れ去りたいなら、そのCHARMで私を倒してからにしなさい」

 

「……何を考えているのか知らないけど、私は本当にやるわよ。

痛い目を見たくなければ、大人しくそこをどきなさい」

 

 優珂の警告を受けても、伊紀は一歩もその場から動かなかった。

 

 その瞳はまっすぐに優珂の目を射るように見つめ、それによって優珂は伊紀の意思を正確に理解した。

 

「――そう、馬鹿ね」

 

 優珂はゆっくりとCHARMを振り上げ、一切の躊躇なく伊紀の肩口に振り下ろした。

 

 CHARMの刃は伊紀の着ている服と、それを纏っている身体を易々と切り裂いた。

 

 左肩から右脇腹にまともに斬撃を受けた伊紀の身体はその場に崩れ落ち、石畳には真紅の血溜まりが広がり始める。

 

「一応、即死しない程度に手加減はしておいたわ。

でも、このままここに放置して死なれると後始末が厄介ね。

予定外だけど、この子も一緒にラボに搬送するしかないか……何?」

 

 地面に倒れていた伊紀の身体がわずかに持ち上がり、優珂は信じられないものを見る目をした。

 

「まさか、あの傷の深さで動けるはずは無い。手応えは間違いなくあったのに」

 

「……ええ、ものすごく痛かったですよ。

それにしても、非武装の相手をよくも簡単に斬り捨てられるものですね。

これまであなたがどういう戦い方をしてきたのか、よく分かりました」

 

 伊紀はぎこちない動作でふらつきながらも起き上がり、またしても優珂の前に立ちふさがった。

 

 血に染まった伊紀の服は大きく袈裟懸けに切り裂かれていたが、その下に見えている素肌には傷は無く、出血も完全に止まっていた。

 

「忘れていたわ。百合ヶ丘の特務レギオンは全員が強化リリィだったわね」

 

 リジェネレーターによってごく短時間で傷が治癒した伊紀の身体を見て、思い出したように優珂はつぶやいた。

 

 一方、立ち上がった伊紀の手にはヨートゥンシュベルトに似た形の、真っ赤なCHARMらしき物体が握られている。

 

 それは伊紀のもう一つのブーステッドスキルであるアルケミートレースによって、自らの血で形成された疑似CHARMだった。

 

「あなた、自分の血を流すために、わざと私に斬らせるように仕向けたわね」

 

 伊紀の手元を見た優珂は、舌打ちとともに伊紀を睨みつけた。

 

 対する伊紀は、普段の彼女に似つかわしくない不敵な笑みを、その顔に浮かべている。

 

「あなたが挑発に乗ってくれて助かりました。

これで私もCHARMを持って、あなたと戦える状態になることができました」

 

「そんな急造のCHARMもどきで、この私と戦うつもり? 随分と舐められたものね」

 

「新興ガーデンの序列2位ごときに後れを取るつもりは毛頭ありません。

あなた程度の相手には、このくらいでちょうどいいハンデです。

さあ、かかって来なさい。マディック上がりの二等兵」

 

 我ながら安っぽい煽り文句だと伊紀は内心で苦笑したが、優珂は大いに自尊心を傷つけられたようだった。

 

「言ってくれるわね。どうやら、さっきの一撃では足りなかったみたいね。

それなら見せてもらいましょうか、百合ヶ丘の特務レギオンの実力とやらを」

 

 憤怒の感情に満ちた目でCHARMを構え直した優珂に対して、伊紀は結梨を巻き込まないように注意深く立ち位置を移動した。

 

 結梨から10メートルほど離れた場所に移った二人は、慎重に間合いを計りつつ、互いに攻撃を繰り出すタイミングをうかがっている。

 

 わずかに伊紀のCHARMの刃先が動いた瞬間、優珂が先制の一撃を浴びせた。

 

 優珂の斬撃は威力・スピード・軌道のいずれもが、序列2位のランクに相応しい水準のものであり、彼女の自信は決して慢心ではなかった――相手が百合ヶ丘女学院の特務レギオンでなかったなら。

 

 伊紀は優珂の斬撃を防戦一方で受けながら、彼女の攻撃が自分の頭の中のデータベースにある、いずれのパターンに該当するかを分析している。

 

 対人戦闘においてリリィが可能なあらゆる攻撃パターンは、伊紀の頭に叩き込まれている。

 

 事実上無限と言っていい肉体的な形態のバリエーションを有するヒュージとは違い、人であるリリィが可能な身体のモーションは有限のパターンに限定される。

 

 どれほど独創的な戦闘スタイルを持つリリィであろうとも、その一つ一つの動きは人としての身体構造によって制限されている。

 

 いかに変幻自在に見える攻撃であっても、個々の動作は人の筋肉と関節が可能にする限りのパターンから構成されている。

 

 相手の連続した動きを個別の要素に分解し、次の動きを予測すると同時に、自分が望む動きへと誘導する。

 

 これが対人戦闘における伊紀のドクトリン、すなわち戦闘教義だった。

 

 優珂が攻撃を繰り出すたびに、伊紀の中のデータベースと優珂の攻撃パターンが対比され、分析されていき、太刀筋を見抜く精度が上がって行く。

 

 十数合の斬り合いを経て、伊紀は優珂の攻撃をほぼ見極めることに成功していた。

 

 優珂がCHARMを繰り出すタイミングと軌道を見切った伊紀は、攻撃を最小限の動作で回避しつつ、自らのCHARMの刀身を優珂のCHARMに絡みつけるような動きをした。

 

 攻撃をかわされた優珂が体勢を立て直すより早く、伊紀は自身のCHARMを使って彼女の手からCHARMをもぎ取った。

 

 CHARMを握った優珂の手が、強烈に何かに引っ張られるような感覚を覚えた時、既に彼女のCHARMは手から離れ、十数メートル先の地面に転がって行った。

 

 何が起こったのか優珂が理解しようとした時、その喉元には真紅のCHARMが突きつけられていた。

 

「勝負ありですね。あなたには色々と尋ねたいことがあります。答えてくれますね?」

 

「……私が本当のことを答えると思っているの?」

 

「嘘でも構いません。真偽は私が判断します。

その結果次第では、少々痛い思いをしてもらうかもしれませんが」

 

「果たして、人道主義者のあなたにそんなことができるのかしら?」

 

 皮肉げに歪められた唇から吐き出される優珂の言葉を聞いても、伊紀の表情は変わらなかった。

 

「ゆりちゃんを守るためなら、あなたを傷つける覚悟はあります。

私にとって、ゆりちゃんの命はあなたの命よりも重い。

この言葉を嘘だと思いますか?」

 

「……分かったわ。何でも訊きたいことを訊きなさいよ」

 

「ありがとうございます。でも、その前に一つ言っておかなければならないことがあります」

 

 伊紀は優珂に向けた視線を動かさず、大きく息を吸い込んで張りのある声を出した。

 

「近くの茂みでCHARMを構えている狙撃手。

おかしな真似をしたら、この人が二度とCHARMを握れない身体にしますよ。

これは脅しではありません」

 

 伊紀は警告の言葉とともに、CHARMの切っ先を優珂の喉元から右手首へと移動させた。

 

「目的のためには手段を選ばないあなたのことです。

不測の事態に備えて、あらかじめ狙撃手を配置している可能性は察しが付きました。

何だったら、試しに撃たせてみても構わないですよ」

 

 図星を突かれた優珂は内心で舌打ちをしながらも、その額には脂汗が浮かんでいた。

 

 一か八かで伊紀を狙撃させることはリスクが大きすぎた。

 

 撃てば発砲炎と発射音で狙撃手の潜んでいる位置が露見してしまう。

 

 相手はリジェネレーターのブーステッドスキルを持つ強化リリィだ。

 一発の弾丸で伊紀を戦闘不能にできる保証はどこにも無い。

 

 先程の伊紀の警告がブラフでないことは承知している。

 

 それゆえ、優珂には自分の右手を賭けのチップにすることはできなかった。

 

 優珂に抵抗の意思が無いことを見て取った伊紀は、攻撃態勢を維持したまま優珂に話しかけた。

 

 自分が倒れれば結梨を守る者は誰もいなくなる以上、それは当然の対応だった。

 

「これでようやく落ち着いて話ができますね。

――まず、あなたはどうやって私たちが今日ここに来ることを知ったんですか?」

 

 優珂から襲撃の真相を聞き出すまで、伊紀は一歩たりとも退くつもりは無かった。

 

 



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第14話 凶刃(3)

 

 松村優珂からCHARMを引き離し、彼女を強制的に武装解除した伊紀は、思い直したように質問を変更した。

 

「……いえ、質問の順序が適当ではなかったかもしれません。

 

最初にすべき質問は『あなたはエレンスゲのガーデンあるいはG.E.H.E.N.A.からの指示で、この襲撃を実行したんですか?』の方が適切ですね。

 

これについてはどうなんですか?」

 

 優珂は伊紀の問いかけに対して特に言いよどむことも無く、淡々と返答を始める。

 

「この計画の立案と実行にはエレンスゲのガーデンもG.E.H.E.N.A.も一切関わっていないわ。

私が個人レベルで考えて決行したのよ。

現に大人数であなたたちを包囲したりはしていないでしょう?」

 

「……いいでしょう、ひとまずその発言に基づいて質問を続けます。

では、なぜあなたは私たち、いえ、正確にはゆりちゃん――北河原ゆりを一柳結梨さんとして目を付けるに至ったんですか?」

 

「……そうね、どこから話しましょうか」

 

 優珂は少し考えこむ素振りを見せた後、おもむろに口を開いた。

 

「東京のエリアディフェンス崩壊事変が一段落した頃、私は当時の都内各所で展開された対ヒュージ戦闘のデータ――リリィスタッツを分析していたわ。

 

あなたも知っての通り、スタッツは特に秘匿されている情報ではなく、何らかのガーデンに在籍しているリリィなら誰でも閲覧できる。

 

今後の参考になるものがあればと思って、大規模な戦闘の後は、いつもスタッツの分析は欠かさないことにしているの。

 

そして、私はそれらの中に際立って特異な戦闘データがあることに気づいたわ。

 

それは百合ヶ丘女学院のLGロスヴァイセのもので、第4世代、それも精神直結型のCHARMが使用されたと思われるものだった。

 

考えられる使用者として最も可能性が高いのは、LGロスヴァイセ預りの形で配属されていた1年生リリィ――そこで気を失っているあなたの『従姉妹』よ。

 

でも、その子の情報はごく限られた範囲しか開示されていなかった。

まるで私のガーデンの相澤一葉さんみたいに。

 

これって、その子が一葉さんと同じくらい訳ありのリリィってことじゃない?

あれこれ調べられると困る事情があるとしか思えないんだけど。

 

まだどこのガーデンでも実用化の目処が立っていない精神直結型の第4世代CHARMを実戦で使いこなし、かつ具体的な個人情報はほとんど公開されていない。

 

ここまで来れば、思い当たる人物の候補は、あの人造リリィが最初に思い浮かぶでしょう?」

 

「それだけでは、少しばかり根拠としては弱いように思えますが」

 

 伊紀は表情を全く変えずに、優珂の問いかけに事務的な口調で反論した。

 

 その伊紀の反応を見た優珂は、更に説明を続けることにした。

 

「では、もう少し推理を補強する材料を話しましょうか。

 

あなたの『従姉妹』である『北河原ゆり』は、一柳結梨の捕縛命令が出た一件から一月も経たないうちに百合ヶ丘女学院に転入してきたことになっている。

 

あの人造リリィの一件の後で、百合ヶ丘に転入または編入したリリィは何人かいるけど、『北河原ゆり』以外のリリィは情報が極端に隠されている形跡は見られなかったわ。

 

そして『北河原ゆり』は百合ヶ丘の特務レギオンであるLGロスヴァイセ預かりの身分となったため、レギオンの性格上、その作戦行動は一切表には出てこなかった――東京のエリアディフェンスが崩壊するまでは。

 

なぜ『北河原ゆり』は、全員が強化リリィで構成され、事実上の対G.E.H.E.N.A.特殊部隊に位置付けられているLGロスヴァイセの預かりとなったのか。

 

まさか、彼女があなたの『従姉妹』だからという理由ではないでしょう?

 

無論そうではなく、百合ヶ丘は『北河原ゆり』の存在を可能な限り隠しておく必要があった。

だから、彼女を秘匿性の高い特務レギオンの保護下に置く措置を取った。

 

それほどの慎重な対応を百合ヶ丘のガーデンが取らなければならなかった理由は、『北河原ゆり』なるリリィが一柳結梨と同一人物だから、というのが私の推理。

 

あながち牽強付会とは言えないと思うけど、これで納得してもらえたかしら」

 

「あなたの考えは理解しました。では次の質問をします」

 

「私の推理が当たっているかどうかは教えてくれないの?」

 

「教える必要はありません。あなたには私の質問に答えることだけをしてもらいます」

 

 ごく素っ気なく伊紀は優珂に言葉を返し、新しい質問を投げかける。

 

「最初に出した質問に戻ります。あなたはどうやって私たちが今日ここに来ることを知ったんですか?」

 

「……国定守備範囲をまたぐリリィの外出には、事前の申請が必須でしょう?

 

その情報は統合サーバー上のデータベースに保存され、各ガーデン間で共有されている。

 

そのデータベースを参照すれば、どのガーデンの誰がいつどこへ外出するか知ることができるわ」

 

「しかし、ガーデンの正規職員、それも少なくとも教導官以上の職位でなければ、データベースへのアクセス権限は付与されていないはずです。

 

ガーデンの一生徒に過ぎないあなたが、そのレベルの情報にアクセスする権限を持っているわけはありません。

 

まさかあなたは、自校の情報管理システムに不正侵入して、統合サーバー上にある他ガーデンの外出許可情報を盗み見たんですか?」

 

「いいえ。工廠科でも解析科でもない私にそんなスキルは無いわ。

私のガーデンには脇の甘い教導官が居てね。隙を見て彼女の端末を覗かせてもらったのよ」

 

「――何てことを。それが発覚すればただでは済みませんよ」

 

「もちろんリスクは承知しているわ。

でもサーバー上のデータベースを覗こうが、独断専行で動こうが、一柳結梨の身柄を確保したという既成事実さえ作ってしまえば、そんなことは些事でしかなくなる。

 

言い換えれば、それだけのリスクを冒すほどの価値が一柳結梨にはあるということよ」

 

「……」

 

 優珂の言葉を伊紀は否定できなかった。

 それが事実であること自体は認めざるを得なかったから。

 

 伊紀の返事を待たずに、優珂は更に説明を続けた。

 

「一柳結梨の可能性がある人物――この場合は『北河原ゆり』だけど――の情報を探して、私はガーデンの情報管理システムに入り込む機会をうかがっていたわ」

 

「それで、教導官が端末から離れた隙をついて、統合サーバー上のデータベースにある百合ヶ丘女学院の情報を覗き見たわけですか」

 

「そう。そこで百合ヶ丘の特務レギオンLGロスヴァイセのリリィ二名が、東京への外出許可を申請した情報に運良く行き当たった。

 

しかも、うち一名は一柳結梨の可能性が最も高いリリィである『北河原ゆり』だった。

これは千載一遇の好機だと思ったわ」

 

 ろくでもない相手に目を付けられたものだと伊紀は苦々しく思ったが、優珂の説明によって事の経緯が把握できたことは確かだった。

 

「いいでしょう。今のところあなたの説明にこれといった矛盾があるようには思えません。

では次の質問に移ります。

 

あなたは組織的にではなく個人的に一柳結梨さんの身柄を拘束しようとしたとのことですが、それとは別にG.E.H.E.N.A.が組織として彼女を捕えようとする動きはあるんですか?」

 

「いいえ、私がエレンスゲの学内データベースを調べた限りでは、そうした兆候は全く見られなかったわ。

 

それどころか、学内データベース上に存在する一柳結梨の生死に関する情報には、ことごとく厳重にプロテクトが掛かっていて、全く知ることができないようになっていた。

 

これはおそらくエレンスゲだけではなく、他の親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンでも同様の措置が取られているはずよ。

 

このことから、『北河原ゆり』が一柳結梨であろうとなかろうと、そもそも一柳結梨が生存しているかどうかを調べること自体が一種の禁忌のような扱いになっていると感じたわ。

 

まるで、一切それに触れてはいけないかのごとく――これはあくまでも私が情報アクセスのプロテクトレベルから推測した結論だけど。

 

彼女が生きているのか死んだのかの情報すら封印されている状態なのだから、彼女の生存を前提とした捕縛命令なんて出るわけはないわ」

 

「では、少なくとも現時点では、G.E.H.E.N.A.は一柳結梨さんが生きていたとしても手出しするつもりは無いと?」

 

「さあ、そこまではどうかしら。G.E.H.E.N.A.の上層部が何を考えてそんな対応を取っているのか、末端の一リリィには知る由も無いのだから。

 

でも、防衛軍を動員した上で政府に捕縛命令を出させた時と比べると、G.E.H.E.N.A.の認識が大きく変化しているのは間違いないでしょうね」

 

 ここからはほとんど私の憶測になるけど、と前置きした上で優珂は話を続けた。

 

「当初、G.E.H.E.N.A.は一柳結梨を世界初の人造リリィの貴重な生体サンプルと認識していたけれど、リリィとしての能力は未知数だった。

 

おそらくは、一般のリリィの損耗を軽減するための代替的な戦力として利用することを考えていたのでしょうね。

 

でも、その後の海上での戦闘によって、その認識は一変した。

 

複数のレアスキルを同時に発動し、更にはヒュージネストのマギを自らのエネルギーとして攻撃に使用した事実までも確認されている。

 

はっきり言って人間業じゃないわ。

 

使い捨てにできる代替的な人造リリィという兵器から、世界中のどのリリィよりも絶対的な戦闘能力を持つ『特異点のリリィ』へと、G.E.H.E.N.A.は一柳結梨に対する認識を根本的に変更した。

 

海上で特型ギガント級ヒュージの爆発に巻き込まれて、彼女は戦死したものと思われたけれど、その遺体は未だに確認されていない。

 

一柳結梨が常識では全く測れない能力を有していたことから、G.E.H.E.N.A.は彼女が生存している可能性を完全には否定していなかったんでしょう。

 

極端な話、細胞の一片からでも身体を再生したり、あるいはヒュージネストでレストアされた可能性すら想定しているかもしれないわ。

 

でも、彼女の生死を決定づける証拠は何も見つからないまま、時間だけが過ぎて行った。

 

それに加えて捕縛騒動の後、グランギニョル社は人造リリィに関するG.E.H.E.N.A.との技術提携を解消。

 

おそらく一柳結梨が人間だと認められたことで、社内で倫理面での問題が取り沙汰されたのでしょうね。

 

これらの経緯を経て、G.E.H.E.N.A.は一柳結梨の生死についての調査と判断を保留し、他のプロジェクトへの対応に組織のリソースを割くことにしたんじゃないかしら。

 

それに伴って一柳結梨の生死に関する情報収集についても、事実上封印される形で彼女の存在は過去のものになろうとしていた。

 

ところが、東京で起こったエリアディフェンス崩壊事変をきっかけに、突如として一柳結梨が生存している可能性が浮上したというわけ。

 

――ここまでの説明で、私の話にどこかおかしい点はあるかしら?」

 

「……いえ、内容の整合性は取れていると思います。

東京でエリアディフェンスが崩壊した際にロスヴァイセが現地に派遣され、二度の戦闘で突出した戦果を挙げた。

それがG.E.H.E.N.A.の目に留まったというわけですね?」

 

「ええ。並のリリィでは到底扱えない次世代CHARMが実戦で使われ、その使用者と目されるリリィは、人造リリィ捕縛命令の一件後に百合ヶ丘女学院に『転入』した1年生の『北河原ゆり』。

 

しかもその個人情報はほとんど非公開。いやが応でも興味を引くわね」

 

「……」

 

「同時に、ここでG.E.H.E.N.A.にとって重大な懸念事項が持ち上がった。

 

一柳結梨であるかもしれないリリィ――『北河原ゆり』が反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務レギオン預かりの身で戦闘に参加していることが判明した。

 

しかも彼女は最新鋭の精神直結型第4世代CHARMを装備している可能性が極めて高い。

 

これはG.E.H.E.N.A.にとって充分な脅威となるわ。

 

『北河原ゆり』が一柳結梨である場合、自分を人間扱いせず、軍を動員して強制的に身柄の引き渡しを要求した組織に対して、彼女が好意的であるはずが無い。

 

いつ彼女が復讐心に駆られてG.E.H.E.N.A.を襲撃してもおかしくないと、G.E.H.E.N.A.の上層部は考えているでしょう。

 

想定される事態として、G.E.H.E.N.A.の敵対者となった彼女が先制攻撃を加えるケースでは、G.E.H.E.N.A.側に正当な反撃の理由が生じる。

 

当たり前だけど、この正当防衛を成立させるには、決してG.E.H.E.N.A.から先に手を出してはいけない。

 

あるいは、彼女に対抗できる新兵器や特型ヒュージを開発する時間を稼ぐために、彼女に対するアクションを一切起こさないようにしているのかもしれないわ。

 

今のところG.E.H.E.N.A.が彼女に対して表立った動きを全く見せていないのは、そういった目算があるんじゃないかと思うの」

 

「――よく分かりました。

裏が取れない以上、あなたの話を鵜呑みにするわけにはいきませんが、内容そのものに不自然な点は見受けられません」

 

「……で、結局のところ、その子が一柳結梨なのかどうか教えてはくれないの?」

 

 『北河原ゆり』が一柳結梨であるか否かに優珂が固執するのは無理からぬことだったが、伊紀はそれに付き合う気は全く無かった。

 

「一柳結梨さんのことよりも、あなたは自分が今置かれている立場をよく考えた方がいいですよ。

 

さっきあなたが言ったように、一柳結梨さんの生死についての情報は、G.E.H.E.N.A.関連の組織内で禁忌の扱いなんでしょう?

 

ゆりちゃんが一柳結梨さんであってもなくても、その可能性のある人物に接触すること自体が実質的に厳禁されているんですよね。

 

あまり深入りして詮索すると、最悪の場合、あなたがG.E.H.E.N.A.から処分されかねませんよ」

 

「そう言われると耳が痛いわね。

そのリスクも込みで勝負に出たつもりだったけど、万事休すか……」

 

「今回の襲撃が失敗に終わった以上、あなたは金輪際、私たちに関わらない方がいいと思います。あなた自身の身の安全のためにも。

 

……これで私からの質問は終わりです。

私たちは休暇の予定を変更して百合ヶ丘へ戻ります」

 

「何の報復もせずに私を見逃すつもり?」

 

「あなたから聞き出すべき情報は既に得られました。

 

私はこの内容を百合ヶ丘のガーデンに報告して、今後の対応については理事会と生徒会で協議することになるでしょう。

 

――最後に、私個人としてあなたにしておかなければいけないことがあります」

 

 伊紀は優珂に突き付けていたCHARMを足元に下げると、空いていた左手を顔の高さまでゆっくりと上げた。

 

 次の瞬間、伊紀は優珂の頬を手の平で思い切り打った。

 

 破裂音のような乾いた音が周囲に響き渡る。

 

「――っ!」

 

 打たれた勢いで優珂の上半身が揺らいだ。唇の端からは血が滲んでいる。

 

 優珂は伊紀を睨み返そうとしたが、その前に再び伊紀の手が優珂の頬を打った。

 

「痛いですか? ゆりちゃんはこの何十倍、何百倍も痛かったんですよ」

 

 伊紀は怒りを表情に出さないまま、繰り返し優珂の頬を打ち続けた。

 

 その度に、乾いた音が静寂な空間に響き続ける。

 

「――調子に乗るな、強化リリィ」

 

 何度目かに振り上げた伊紀の左手を優珂は右手で掴み、左手で伊紀の頬を打ち返そうとした。

 

 その時。

 

「やめなさい! 何をしているんですか、あなたたち」

 

 二人が突然に声の聞こえた方を向くと、白を基調とした制服に身を包んだ一人の少女が、張り詰めた面持ちで立っていた。

 

 その制服と少女の顔を、優珂は見間違えようも無かった。

 

「かず……は……さん?」

 

 優珂の目は信じられないものを見たかのように大きく見開かれていた。

 

 





 今回のストーリーはゲヘナ側の認識を一定程度、百合ヶ丘が情報として知るための展開として書きました。

 内容は以前ゲヘナの中の人が語っていたのと大体同じで、優珂さんの独演会みたいになってしまいましたが……

 結梨ちゃんが意識を回復するのは次回になります。
 申し訳ありませんが、それまでしばらくお待ち願います。


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第14話 凶刃(4)

 

「あなたは、優珂さん……ですか?」

 

 相澤一葉は、眼前に広がる光景の意味をすぐには理解できなかった。

 

 地面に転がっている血にまみれたCHARM、ベンチに横たわって意識を失っている少女、そして掴み合いの喧嘩をしているかのような二人の少女。

 

 三人の少女がその場に居たが、意識の無い一人は服の脇腹のあたりが血で赤く濡れ、別の一人に至っては赤い服を着ているのではないかと見間違えるほどに、その身体を自らの血で染め上げていた。

 

 少女の服は左肩から右脇腹にかけて大きく切り裂かれ、その下からは血まみれの素肌が覗いている。

 

 服の裂け目からのぞく透き通るような白い肌には、血糊がべったりと付着している。

 

 周囲の地面には所々に血だまりの跡のような赤黒い円が描かれていた。

 

 目立った外傷が無いのは三人目の少女――LGクエレブレの隊長である松村優珂だけだった。

 

 優珂は何故か一葉の知らない制服を着ていて、右の頬を赤く腫らしていた。

 

 一体、何がこの場で起こったのか。一葉は状況を理解しようと考えを巡らせた。

 

 地面に転がっているCHARMを見るに、この中の誰かがCHARMを使ってヒュージと戦ったのか?

 

 血に濡れた二人の少女はヒュージの攻撃で負傷した?

 

 それならなぜ、その内の一人と優珂が掴み合いの喧嘩のような体勢を取っている?

 

 それに、地面に転がっているCHARMの刃には、ヒュージの青い体液ではなく、赤い血が広範囲に付着している。

 

 まさか、CHARMで人を斬ったのか。

 

 斬られたのが誰なのかは、目の前の光景を見れば明らかだ。

 

「優珂さん、あなたはまさか――その二人を」

 

「……どうして」

 

 優珂は伊紀の左手首を掴んでいた右手を離して、一葉の方に向き直った。

 

 一葉を見つめる優珂の目は悔しさと苛立ちに満ちていた。

 

「どうして、あなたがここにいるの。どうして」

 

「……私は個人的な所用があって、この近くで待ち合わせをしていたんです。

そうしたら、何かを叩くような物音が繰り返し聞こえてきたので、ここへ駆けつけたんです。

優珂さんこそ、一体何をしていたのですか?

この様子はどう見ても尋常ではありません」

 

「それは……」

 

「そこに転がっているCHARMは優珂さんのものですね。

なぜ刃に血が付いているのですか?」

 

「――くっ」

 

 優珂は伊紀の手を離して自らのCHARMに駆け寄り、それを拾い上げると大きく跳躍して木々の上を越え、その姿は公園の林の向こうへと消えた。

 

 伊紀は茂みの中に感じ取っていた狙撃手の気配が消えていることに気がついた。

 

 襲撃者は撤退した。窮地を脱したことを認識した伊紀は、「かずは」と呼ばれていた少女の方を見て尋ねた。

 

「あなたは、さっきのリリィと知り合いなんですか?」

 

「……はい。あのリリィは私と同じエレンスゲ女学園に在籍するLGクエレブレの松村優珂さんです。

私はLGヘルヴォルで隊長を務めている相澤一葉といいます。

失礼ですが、あなたもリリィなのですね?」

 

「はい、私は鎌倉府の百合ヶ丘女学院に通っています。

LGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀と申します。

今日は休暇でここに来ていました」

 

「百合ヶ丘の方でしたか。一体ここで何があったんですか?」

 

「それは……」

 

 伊紀は「一柳結梨」の名前を出すことを躊躇した。

 

 何をどこまで話したものか思案していると、一葉の方から先に話を切り出してきた。

 

「私が見るところでは、優珂さんがあなたとベンチで意識を失っている子をCHARMで……いや、まさかそんな……」

 

 一葉は最も考えたくない想像をせざるを得なかった。

 

 その想像に耐えられず、一葉は思考を別の方向へ切り替えた。

 

「……いえ、今はそんなことを考えている場合ではありませんね。

お二人ともひどい怪我をしています。すぐに手当てを」

 

「お気遣い無く。私たちの負傷はもう完治しています。

私はZのレアスキルを持っていますし、リジェネレーターで自分の傷は自動的に治癒しますので。

ベンチで気を失っている子も、時間が経てば意識を回復するでしょう」

 

「そうでしたか。しかし、あなたもその子もひどい出血ですよ。

ヒュージと戦っても、これほどの負傷は滅多にしません。

そのままの格好でガーデンに戻るわけにはいかないでしょう。

ひとまず私の上着を着てください。それから、顔や手に付いている血糊を拭きましょう。

それから――」

 

 一葉は制服の上着を脱いで伊紀に羽織らせると、伊紀から結梨に目を転じて、そばに近づこうとした。

 

 が、結梨の顔を見た一葉の身体は一瞬にして硬直した。

 

「この子は……以前に千香瑠様が六本木の戦場で保護した……まさか、優珂さんは――」

 

 伊紀から事情を聞かずとも状況を理解した一葉は、蒼白な顔で伊紀を見た。

 

 伊紀は一葉の言葉と表情から、彼女がベンチに横たわる少女を一柳結梨と認識したことが分かった。

 

「その節は結梨ちゃんがLGヘルヴォルの皆さんに大変お世話になりました。

あの時に結梨ちゃんを発見したのが他のレギオンだったら、私たちは二度と結梨ちゃんに会えなくなっていたと思います」

 

 伊紀は血まみれの上半身を深く折って一葉に頭を下げた。

 

「そんな……やめてください。さっきあなたたちを殺そうとしていたのは、私と同じガーデンのリリィです。

あなたからお礼を言われるなんて、とんでもありません」

 

「彼女は私たちを殺す気は無かったようです。

彼女の目的は結梨ちゃんを負傷させてG.E.H.E.N.A.ラボへ運び込むことでした。

私がそれを妨害したので、彼女は私を排除しようとしたんです」

 

「あなたの姿を見る限り、優珂さんに殺意が無かったとはとても思えませんが」

 

「私が彼女を挑発して斬らせるように仕向けたんです。このCHARMを私の血で作るために」

 

 伊紀は右手に携えていた疑似CHARMを軽く持ち上げて一葉に見せた。

 

「それは血でできたCHARM……なのですか?」

 

「私のブーステッドスキルです。これでも非常用としては充分役に立つんですよ」

 

 伊紀は近くの水飲み場へ歩いて行くと、足下の排水口で疑似CHARMを元の血液に戻し、顔と手に付いた血糊とともに綺麗に洗い流した。

 

 再び一葉の所へ戻ってきた伊紀は、結梨の方を見ながら感情を押し殺して意見を述べた。

 

「……彼女はどうしても結梨ちゃんの身柄を確保したかったんでしょう。

目的のためには手段を選ばないタイプの性格に思えました」

 

「ご指摘の通りです。万事その調子で事を進めるものですから、LGクエレブレ――ひいてはエレンスゲ女学園の悪評は百合ヶ丘にも伝わっていると思います」

 

 生徒会長の出江史房がエレンスゲを蛇蝎の如く嫌っているのは、その辺りに原因があるのだろうと伊紀は推察した。

 

 状況を把握した一葉は、先程とは一転して決断力に満ちた目で伊紀に提案する。

 

「事情は分かりました。そういうことなら、このままここに留まっているのは危険です。

優珂さんがこの場所で一柳結梨さんを発見し、動けない状態にしたことを誰か――特にG.E.H.E.N.A.関係者が知れば、非常に不味い事態に発展しかねません。

私が結梨さんを背負いますから、すぐにこの場から離れましょう」

 

「それが良さそうですね。申し訳ありませんが、結梨ちゃんをよろしくお願いします。

でも、結梨ちゃんを背負って長い距離を歩いたり交通機関を利用すると、人目についてしまいませんか?」

 

「私に考えがあります。さっき私が待ち合わせをしていると言ったことを覚えていますか?」

 

「はい、所用があってこの近くで待ち合わせをしていると」

 

「先日の都庁での戦闘に関するスタッツをあるリリィと二人で分析するために、この公園で落ち合い、図書館へ向かう予定になっていたんです。

その待ち合わせの相手に協力をお願いするつもりです。

たぶん今ごろ私を探していると思います――ああ、あそこに姿が見えました」

 

 伊紀が一葉の視線をたどると、その先に一人の少女の姿が目に入った。

 

 それは紅い制服を着た長い髪の少女だった。

 

「叶星様、こちらです。申し訳ありません。少し事情があって、待ち合わせの場所から離れてしまいました」

 

 一葉が叶星と呼んだ少女――神庭女子藝術高校のLGグラン・エプレ隊長、今叶星は息を切らせて一葉たちの所へ駆け寄ってきた。

 

「一葉、こんな所にいたの? ごめんなさい、少し来るのが遅れてしまったわ。

……な、何? これは。

この人たちはヒュージに襲われたの? この人たちもリリィなの?」

 

 先程の一葉と同じく、叶星も目の前の状況に困惑を隠せない様子だった。

 

「叶星様、事情は後で説明します。今はこのお二人を保護するのが最優先です。

申し訳ありませんが、ベンチで意識を失っている子に叶星様の上着をお願いできますか」

 

「……え、ええ、そうね。 あなたたちは……」

 

「私は百合ヶ丘女学院のLGロスヴァイセ隊長、北河原伊紀です。

そちらの子は私の従姉妹で北河原ゆりといいます。

失礼ですが、神庭女子藝術高校の今叶星様ですね」

 

 叶星は結梨と直接の面識が無いためか、眼鏡とポニーテールの髪型で変装していた結梨には気づいていないようだった。

 

 そのため伊紀は叶星に結梨を本名で紹介せず、表向きに名乗っている「北河原ゆり」の名義を使用した。

 

 伊紀への叶星の返事を待たず、一葉は叶星に向かって単刀直入に話を切り出す。

 

「叶星様、一つお願いしたいことがあるのですが」

 

「それはこのお二人に関することなのね?」

 

「はい、ここから荻窪にある神庭のガーデンまでは徒歩圏内です。

お二人とも現在は負傷は完治していますが、少なくない量の血を失っています。

ひとまずお二人を神庭のガーデンで休ませることは可能でしょうか?

その上で、北河原さんには百合ヶ丘に連絡を入れてもらって、迎えのリリィを寄越してもらうのが良いかと思うのですが」

 

「……そうね、校長先生には『百合ヶ丘女学院のリリィ2名が正体不明のヒュージに襲われた模様』と連絡しておくわ」

 

「ありがとうございます。この件は非常にデリケートな要素を含んでいますので、神庭の校長先生とグラン・エプレのリリィ以外には口外しないで下さい。

 

もし何か問題が生じた場合、その責任はすべて私が負います。

今はこれ以上のことは言えませんが、話せる時が来ればすべて叶星様に説明します。

ですから――」

 

 切迫した調子で叶星に畳みかける一葉の言葉を、叶星は途中で遮った。

 

「分かったわ。一葉、あなたを信じる。

かなり深刻な事情があるみたいだから、今ここで話し込んでいる場合ではないということね。

それなら早く移動を始めましょう。

私が北河原さんの従姉妹のゆりさんを背負っていきましょうか?」

 

「いえ、神庭のガーデンに着くまでは私に背負わせてください。

その後で私はエレンスゲに戻って、この件に関する情報をただちに収集します」

 

 一葉はそう言うと、叶星から伊紀へと向き直って頭を深く下げた。

 

「――北河原さん、この償いは必ずさせていただきます。

エレンスゲ女学園の序列1位であるこの私とLGヘルヴォルの名に懸けて」

 

「気にしないで下さい。あなたの責任ではありませんから。

親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンにも、あなたのようにG.E.H.E.N.A.的なやり方に疑問を持つリリィがいることは理解しています」

 

 この少女――相澤一葉もルドビコ女学院の来夢や幸恵のように、ガーデンに叛意を翻す時が来るのだろうか。

 

 それを自分が知った時、自分はどのような行動を取るべきなのか、何が正しい選択なのか――伊紀は無意識のうちに考えに耽り込んでいた。

 

「北河原さん、どうしたんですか。早く行きましょう」

 

「す、すみません。相澤さん、結梨ちゃんをよろしくお願いします」

 

 一葉に声を掛けられて、伊紀は我に返った。

 

 先に歩き始めている一葉と叶星の後を慌てて追う。

 

(まずロザリンデお姉様か碧乙お姉様に連絡を入れて、生徒会にも情報を伝えてもらうようにしなければ。

でも、誰かに迎えに来てもらうにしても、非常事態でもないのにCHARMを持った百合ヶ丘のリリィが神庭のガーデンに入るのは、認められないかもしれない。

それに、グラン・エプレのリリィに私たちの事をどうやって説明しよう……)

 

 伊紀はこの後の事をあれこれと考えつつ、結梨を背負った一葉と叶星の後に続いてその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けると、見知らぬ白い天井が結梨の視界に映った。

 

 天井は窓の外から差し込んでくる午後の柔らかな光を反射して、ごくわずかに黄色味を帯びていた。

 

 ここはどこだろう?

 目が覚める前、自分は何をしていたのだろう?

 思い出さないと。

 

 そう、伊紀と一緒に休暇を取って、東京の杉並区にある公園を訪れて、そこに知らない女の子が現れて――

 

「意識が戻ったんですね。もう大丈夫ですよ、ゆりちゃん」

 

 声の聞こえた方に結梨が顔を向けると、そこには安堵した表情の伊紀と、その後ろに五人の少女が控えているのが見えた。

 

 杉並区の荻窪に位置する神庭女子藝術高校、その中にあるLGグラン・エプレのミーティングルームで結梨は目覚めていた。

 

 





 何とかギリギリで結梨ちゃんが意識を回復するところまでこぎつけました。
 次回は年末年始の休みを利用して、もう少し余裕を持って更新できるといいのですが……


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第14話 凶刃(5)

 

「伊紀……ここは?」

 

 結梨はソファーに寝かされた状態で、自分の置かれている状況を把握することができなかった。

 

 ゆっくりと首を動かして周りを見回したが、広い室内の全てが結梨の見たことの無い調度品で占められていた。

 

 結梨が自分の身体を見ると、室内と同じく見たことの無い服を着ていることに気がついた。

 

 同様に、結梨のそばにいる伊紀も、公園にいた時までとは違う服を身に着けていた。

 

 結梨の問いかけに対して、伊紀は結梨のそばに膝をついて、そっと囁くように説明する。

 

「あの公園の近くにある神庭女子のガーデンです。

この部屋はLGグラン・エプレの控室――ミーティングルームですよ」

 

 LGグラン・エプレ。神庭女子藝術高校のトップレギオン。

 

 あの時、都庁前の広場で一柳隊やヘルヴォルと一緒にいたレギオン。

 

 確かに、伊紀の後ろにいる五人の少女が着ている紅い制服には見覚えがあった。

 

「……私はどうなったの? 伊紀と一緒に公園にいて、知らない女の子が私のことを訪ねてきて、横を通り過ぎて行って、それから――分からない」

 

 負傷時の痛みが記憶を乱していたのか、結梨は当時の状況をそれ以上思い出すことができずにいた。

 

「無理に思い出さなくてもいいんですよ。

いきなり敵に襲われて、痛みで気を失ってしまったんですから、覚えていなくても仕方ありません。

私たちが着ていた服はひどく破れて血で汚れてしまったので、グラン・エプレのリリィの私服をお借りしています」

 

「……そうだったんだ。伊紀、ごめんね。私が迷惑をかけちゃって」

 

「いいえ、ゆりちゃんは何も迷惑なんかかけていません。

あれは私のミスです。私がゆりちゃんの盾になる位置にポジションを取るべきでした。

そうしていたら、最初の一撃をゆりちゃんが受けることは無かったはずです。

こんな調子で特務レギオンの隊長なんて、おこがましいですよね。

お姉様たちに合わせる顔がありません」

 

 伊紀は表情を曇らせて、自らの判断が誤っていたことを悔いていた。

 

 それを見た結梨は上半身をソファーの上で起こして、伊紀の手を優しく握った。

 

「そんなことないよ。あの時に伊紀が私を守ってくれたから、私は今ここで伊紀と話すことができてるんでしょ?

だから、私は伊紀にお礼を言わなくちゃいけない。ありがとう、伊紀」

 

「……もう二度と同じ間違いは繰り返しません。

あの敵が再び私たちの前に現れる可能性は不明ですが、その時には決してゆりちゃんに指一本たりとも触れさせません」

 

 周囲にグラン・エプレのリリィがいる状況ゆえに、伊紀は「敵」がエレンスゲのリリィであったことを意図的に伏せて結梨との会話を行った。

 

 手を握って互いに見つめ合う結梨と伊紀から少し離れたところでは、グラン・エプレの三人の1年生がそれぞれに思っていることを口にしていた。

 

「尊いです。めちゃくちゃ尊いです。土岐は目の前が滲んで、よく見えなくなってきました」

 

「あの子、特務レギオンの隊長なの? 信じられないわ。全然そんな感じじゃないのに」

 

「一柳隊だって、楓や神琳じゃなくて梨璃が隊長なんだから、そういうこともあるんじゃないかな。

人は見た目だけじゃ分からないよ。定盛だってグラン・エプレの副隊長だし」

 

「何気に失礼なことを言ってくれるわね。

いつからそんな皮肉屋になったのよ、灯莉」

 

「ぼく、なにか失礼なこと言ったかな。

『すごい人に見えないのに実はすごい人だった』って、いいことじゃない?

少なくとも、その逆よりはよっぽどいいと思うよ」

 

「ぐぬぬ……そう言われると何も反論できないわ。

灯莉がひめかを言い負かすなんて、ひめかの副隊長としての沽券に関わるわ。

もっと成長して、誰が見ても副隊長らしいひめかにならないと……」

 

 灯莉と姫歌のやりとりには目もくれず、紅巴は頬を赤らめながら、おずおずといった様子で伊紀と結梨に質問する。

 

「あの……お、おふたりは将来を誓いあった仲だったりするのでしょうか?」

 

「……」

 

 紅巴の質問が予想外だったのか、結梨と伊紀は思わず顔を見合わせた。

 

「いえ、私たちはそういう関係では……」

 

「伊紀、『将来を誓いあう』って、どういう意味なの?」

 

「単刀直入に言うと、ゆりちゃんと私が結婚の約束をするということです」

 

「結婚……私と伊紀が?」

 

 結梨は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、紅巴の脳裏には「結婚」の二文字が強烈に焼きついて離れなくなっていた。

 

(ふわああああああ! 何という率直すぎる表現!

おふたりはそのような会話を何のためらいもなくできる関係なのですね。

土岐は今日まで生きてこられたことを神様に感謝しなくてはなりません。

こんな尊みを極めた場面を目の当たりにできるなんて、土岐は神庭女子一の果報者です……)

 

「ふわっ……な、なんですか? 姫歌ちゃん」

 

 一人で勝手に盛り上がっている紅巴の肩を叩いたのは姫歌だった。

 

「ちょっと紅巴、あんた頭の中で妄想を羽ばたかせすぎよ。

みんながみんな尊みの何とかな訳ないでしょ?」

 

 そして姫歌は結梨と伊紀の方を見て、少し気恥ずかしそうに二人に謝った。

 

「悪かったわね、うちのレギオンのリリィが変なことを言って」

 

「私とゆりちゃんは、一緒に闘う大切な仲間であって、結婚とかそういうことは全然別の話で……

それに、ゆりちゃんには今は事情があって会えない家族がいて、その家族と一緒に暮らせるようになることの方が大事なので――」

 

 この場で梨璃の名前を口にするわけにもいかず、伊紀は家族という言葉で結梨の事情をほのめかすにとどめた。

 

 そのタイミングで、1年生たちの会話を聞いていた叶星が伊紀に話しかけた。

 

「お二人は百合ヶ丘女学院のLGロスヴァイセというレギオンに所属するリリィだと、ここに来る途中で北河原さん――伊紀さんの方から聞いたのだけど」

 

 叶星が口にしたレギオン名に最初に反応したのは紅巴だった。

 

「LGロスヴァイセというと、普段は衛生レギオンとして活動しつつ、本来の職務は特務に分類される隠密作戦と噂される、百合ヶ丘の秘蔵レギオンじゃないですか。

 

そのようなレギオンが存在するのは知っていましたが、実際に所属リリィを見たのは初めてです。すごいです。感動です」

 

 目を輝かせて結梨と伊紀を見つめる紅巴の後ろで、2年生の宮川高嶺は興味深げに二人を眺めていた。

 

 そして、おもむろに彼女の唇が開き、伊紀に向けて含みのある言い方で質問を投げかけた。

 

「ということは、あなたたち二人を襲った『敵』も、ただのヒュージではなく、何らかのいわくつきなのかしら?

――あるいはヒュージですらない別の何かだったりして」

 

 高嶺の問いかけに対して伊紀は、あくまでも礼儀正しい口調を崩さずに返答する。

 

「休息を取らせて頂いている立場でこんなことを言うのは心苦しいのですが、私たちを襲った敵についてお話しすることは控えさせてください。

 

特務レギオンの機密事項に抵触する可能性がありますので。

 

それに、この件に関して神庭女子の方々を巻き込むのは私たちの望むところではありません。

それ以外のことなら、できる限りの範囲でお答えさせていただきます」

 

 伊紀の返事を聞いた高嶺は、その内容が自分の想定していたものと相違ないことを確認したかのように、小さく頷いた。

 

 御台場女学校中等部から神庭女子に進学した彼女には、百合ヶ丘の特務レギオンが抱えている機密事項なるものが何なのか、おおよそ察しがついていた。

 

「そういうことなら、迎えのリリィが百合ヶ丘から来るまで、お二人が負傷した件についてあれこれ尋ねることは止めておきましょう。

 

お二人は色々と複雑な事情を抱えているようだから、あなたたちもそれを考慮した上でお話しするようにお願いするわ」

 

 高嶺が姫歌・紅巴・灯莉に配慮を促すと、三人の1年生リリィは黙って頷いた。

 

 三人の中で最初に再び結梨と伊紀に話しかけたのは姫歌だった。

 

「それにしても、あなたたち、なんで二人とも妹キャラなのよ。

しかも一人は優等生、もう一人は天然系で役割分担してるし。

 

その上、秘密の指令を受けて隠密行動に勤しむ特務レギオンのリリィだなんて、おいしすぎる設定を独占してるじゃない。

そんなのずるいわ。そう思わない? 灯莉」

 

「……うーん、百合ヶ丘って楓みたいな名家のお嬢様リリィが何人もいるガーデンなんでしょ?

それなら優等生でも天然でも別におかしくないと思うけど。

 

それに、ぼくにはよく分からないけど、特務レギオンの仕事って、とっても大変なんじゃない?

きっとぼくたちには想像できない色々な難しい問題があるんだと思うよ」

 

「そ、そうですよ。さっきの尊い場面も、特務レギオンの過酷な任務を果たす過程で、自然と生まれたものに違いありません」

 

 結梨は三人の会話を耳にしながら、ソファーから身体を完全に起こして立ち上がってみた。

 

 まだ少しだけ倦怠感のような感覚が残っていたが、通常の動作をするには支障無いと結梨は判断した。

 

「伊紀、百合ヶ丘からリリィが私たちを迎えに来るの?」

 

「はい。ここへ来る途中でガーデンに連絡を入れて、ロザリンデお姉様におおよその状況を報告しておきました。

できるだけ早く迎えに行くとおっしゃっていましたが、誰が来るのかまではその時点では決まっていませんでした。

たぶんロザリンデお姉様か碧乙お姉様のどちらかが来られるのは確実だと思いますが、それ以外にも誰かが同行するかもしれませんね」

 

「一緒に来るとしたら、誰が来るのかな」

 

「事態の重大さを鑑みれば、生徒会のどなたかが同行される可能性が高いとは思いますが……祀様は地域第一主義なのでおそらくここには来られないでしょうね」

 

「お二人とも、迎えのリリィが来るまでお茶でも一緒にいかがかしら?」

 

 叶星が結梨と伊紀に提案した時、ドアをノックする音が聞こえた。

 

 室内にいた全員がドアの方に視線を向けると、扉の向こうから落ち着いた女性の声が耳に届いた。

 

「遅くなって申し訳ありません。鎌倉府の百合ヶ丘女学院から参った者です。

こちらの部屋で我が校のリリィ二名が休息を取らせていただいているとお聞きしています。

中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞお入りください。鍵はかかっていません」

 

 叶星が返事をするとドアがゆっくりと開いて、百合ヶ丘の制服を着た二人の少女が姿を現した。

 

「失礼します。私は百合ヶ丘女学院で生徒会長職を務めています、3年生の出江史房と申します。

こちらのリリィは同じく3年生で、LGロスヴァイセ所属のロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーです」

 

 史房の言葉を聞いたグラン・エプレの五人は、全員が思わず反射的に起立した。

 

 結梨は二人の姿を見ると、グラン・エプレの五人の横を通り過ぎて史房とロザリンデの前に立った。

 

「史房、ロザリンデ、心配かけてごめんなさい。

私を守るのも、敵をやっつけるのも、伊紀が全部一人でしてくれたの」

 

「ええ、伊紀さんから話は聞いているわ。

負傷はしたものの、二人とも傷は完治して敵は撤退したと。

伊紀さん、よくゆりさんを守り抜いてくれたわね。感謝します」

 

 史房からねぎらいの言葉を受けた伊紀は、だが、表情を緩めることは無かった。

 

「いえ、私が油断しなれば負傷することも無く、もっと確実に敵の襲撃を防げたはずです。

つくづく自分の未熟さを痛感させられました」

 

 苦い顔をする伊紀の肩にロザリンデが手を置いて、小さく首を横に振った。

 

「あらゆる可能性をあらかじめ想定するのは容易なことではないわ。

ひとまず『敵』を退けることができただけでも良しとしましょう。

むしろこの後、百合ヶ丘に戻って今後の対応を考えることの方が重要よ」

 

(ゆりって子、3年生の生徒会長を呼び捨てで呼んでた。天然にも程があるわ)

 

(生徒会長が直々に迎えに来るなんて、やっぱり特務レギオンのリリィってすごいんだなあ……)

 

(ひょっとして、あの3年生のお二人も尊い関係にあるのでしょうか?

……もう今日は眠れそうにありません)

 

 グラン・エプレの三人の1年生はそれぞれが史房たちに聞こえないように、ごく小さい声で囁きあっていた。

 

 史房とロザリンデがCHARMケースを背負っていないことに叶星は気づいた。

 

「見たところ、出江様とロザリンデ様はCHARMをお持ちでないようですが……」

 

「CHARMを所持していると、外出の許可が下りるまでの手続きが多くなってしまいます。

ですから、CHARMは持たずにここへ来ました」

 

 叶星の質問に答えた史房に、高嶺が一つの提案をする。

 

「それなら、国定守備範囲の境界まで私たちが護衛します。

再び『敵』が1年生のお二人を狙って出現する可能性もありますので」

 

「伊紀さんからの報告を聞いた限りでは、その可能性は非常に低いと思われますが……そうですね、念のためにお言葉に甘えさせていただきます」

 

 史房とロザリンデは高嶺の提案を受け入れ、それに応じて叶星がグラン・エプレのメンバーに指示を出す。

 

「承知しました。では、さっそく出立の準備を進めます。

みんな、各自のCHARMを用意して。百合ヶ丘の方々と一緒にガーデンから出ましょう」

 

 それぞれのリリィが自分のCHARMケースを持ち出そうとしている中、偶然に伊紀と叶星の視線が交錯した。

 

 叶星の目を見た時、伊紀は神庭女子のガーデンへ向かう道中で彼女から言われた言葉を思い出した。

 

『伊紀さん、私が一葉と公園で待ち合わせしていたことは誰にも話さないでね。

聞いた人が誤解するといけないから』

 

『誤解……ですか?』

 

『そう、誤解。私と一葉はスタッツの分析をするために待ち合わせをしていた。

決して一葉と二人きりになる機会を作りたくて、スタッツの分析を持ちかけたわけではないの。本当よ』

 

『……』

 

 この件には深入りしない方が良さそうだと伊紀は直感で判断した。

 

 叶星と話している時の高嶺の素振りが、友人関係以上の感情を漂わせていることが伊紀には分かったからだった。

 

(人にはいろんな事情があるものですね。

私も碧乙様が他のリリィとそのような関係になったとしたら、平静でいられる自信はありません。

――叶星様の前途に幸あらんことを)

 

 伊紀は心の中で叶星のために十字を切った。

 

 そして結梨とともに史房たちの後に続いて神庭女子のガーデンを出発し、百合ヶ丘女学院への帰途についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨たちが神庭女子のガーデンを離れてからしばらくの後、エレンスゲ女学園のLGクエレブレ控室へと続く廊下の途中で、一葉は教導官の女性に声をかけた。

 

「教導官殿。松村さんは今どこにいるかご存じですか?」

 

「相澤か。松村は謹慎中だ。貴様が会うことは叶わない」

 

「いつ謹慎が解かれるかは……」

 

「未定だ」

 

「謹慎の理由は……」

 

「非公開だ。正確には、この件に関して箝口令が敷かれている」

 

「箝口令……」

 

 一葉はその言葉を聞いて思わず唾を飲み込んだ。

 

 その様子を見ても教導官は顔色一つ変えない。

 

「他に質問はあるか?」

 

「私はあの現場に偶然居合わせました。当時の状況について事情を尋ねることは……」

 

「当該の件については一切の口外を禁ずる。

何を見て、何を聞いたか、誰と接触したか、それら全てだ」

 

「……」

 

「もし、この件に関して貴様から情報が漏洩したと判断されれば、貴様も松村と同等以上の処分を科されると思え」

 

「承知しました。肝に銘じます」

 

「分かったらさっさと自分のレギオンに戻れ。

貴様には他に幾らでもやるべきことがあるはずだ」

 

 一葉は遠ざかる教導官の背中を無言で見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 松村優珂は、エレンスゲのガーデンの最奥部にあるラボの一室に拘禁されていた。

 

 室内は手術室の無影灯のような白い照明が幾つも天井から吊り下げられており、そこから発する無機質な光が部屋の隅々まで照らし出していた。

 

 座り心地の悪いスチール製の椅子に座らされた優珂の前には、白衣を着た数人の男女が並んで立っている。

 

 彼ら・彼女らの年齢はいずれも二十代から三十代に見えた。

 

 身体を拘束されてはいないものの、一柳結梨と目される百合ヶ丘のリリィを襲ったことについて何らかのペナルティを課すために、優珂がこの場所に連行されたことは明らかだった。

 

 半ば開き直った態度で、優珂は目の前の研究者らしき風体の男女に質問した。

 

「どういうつもりですか、こんな所に連れてきて。

罰として私に危険度の高い強化実験でもするんですか?」

 

 意外にも、返ってきたのは否定の言葉だった。

 

「いや、そうではない。

――松村優珂、貴様は記憶を改変できるレアスキルを知っているか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園での襲撃から数日が経った頃、一葉は廊下の向こうから歩いてくる人影を見て息を呑んだ。

 

 無期限の謹慎処分を受けているはずの松村優珂が、一葉を見つけて軽く右手を挙げた。

 

「あら、一葉さん。ごきげんよう。久しぶりね」

 

 一葉は周囲に人がいないことを確認して優珂に近づき、小声で話しかける。

 

「優珂さん。もう謹慎は解けたんですか?」

 

「何のこと? 私は謹慎処分なんて受けていないわよ」

 

「えっ?」

 

 一葉は優珂の言っていることの意味が理解できなかった。

 

「少し体調を崩して寝込んでいただけよ。私としたことが不甲斐無い」

 

「……」

 

「どうしたの、一葉さん。何か言いたいことでもあるの?」

 

「い、いえ、何でもありません。すっかり回復されたようで、何よりです」

 

 一葉は注意深く優珂の表情を観察したが、どこにも不自然な様子は見られなかった。

 

(優珂さんは嘘をついている? いや、そんな感じではない。

では記憶が書き換えられている? まさかガーデンがやったのか?

しかし、どうやって? 薬物か催眠術のようなものを使ったとでも?)

 

 優珂は先日の結梨と伊紀への襲撃そのものを憶えていなかった。

 

 このことから、これ以上優珂に質問を重ねても怪しまれるだけだと一葉は判断した。

 

 当たり障りの無い会話を多少交わした後、一葉は優珂と別れ、ヘルヴォルの控室へ向かうことにした。

 

(エレンスゲのガーデンは先日の件をまるごと無かったことにするつもりなのか。

しかし、それで百合ヶ丘が黙っているだろうか。

親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィが反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィを襲い、重傷を負わせた上で拉致しようとした。

もし私が百合ヶ丘女学院の指導的立場にある人間だったら、この一件を不問に付すことは無いだろう……)

 

 この時の一葉の予感は後日的中することになる。

 

 松村優珂による襲撃から二週間後、エレンスゲ女学園の事実上の支持母体であるG.E.H.E.N.A.に対して、百合ヶ丘女学院は報復攻撃を実行した。

 





 ここに来て初めてグラン・エプレのリリィが全員登場することができました。

 せっかくなのでいろいろ盛り込んでみようとしましたが、何とも言えない実に微妙な出来になりました……

 ネット上で見かける「かなかず」ネタも少し入れてみましたが、これが何かの伏線になったりする予定は今のところありません。多分。

(高嶺様)「叶星を殺して私も死ぬ。そうすれば叶星は永遠に私以外の誰のものにもならないわ」
みたいな修羅場展開を書いてしまうと、ラスバレの世界線から明らかに外れてしまいますので……

 そして最後に物騒な一文がありますが、ドシリアスな展開にはならない予定です。


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第15話 報復は人道的に(1)

 

「G.E.H.E.N.A.への報復攻撃――ですか」

 

 松村優珂による襲撃から一週間が経とうとする頃、百合ヶ丘女学院の特別寮にあるLGロスヴァイセのミーティングルームでは、とある話し合いが持たれていた。

 

 そこに集まっていたリリィの一人であるロザリンデは、複雑な感情にとらわれていた。

 

 生徒側の出席者は、ロザリンデの他に結梨・碧乙・伊紀と、生徒会のオブザーバー名目で同席している秦祀の計五名。

 

 ソファーの真ん中に座っている結梨の両隣には、伊紀と祀が結梨を挟むように座り、幾分緊張した面持ちで結梨の手を握っている。

 

 ローテーブルを挟んでロザリンデたちの正面には、理事長代行の高松咬月が一人掛けのソファーに座っている。

 

 これまでに彼から告げられたことの無い類の直命に、ロザリンデは戸惑いを隠せなかった。

 

「……エレンスゲ女学園は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの主要な一角であり、そこに在籍するリリィが休暇中の結梨さんと伊紀さんを襲ったことは事実です。

 

ですが、伊紀さんの報告によれば、襲撃はガーデンの指示に基づくものではなく、リリィ個人の独断専行だったとのことです。

 

そのリリィの行為自体は明らかに違法であり、その罪に対する罰を受ける必要があることは理解できます。

 

そうであれば、エレンスゲのガーデンに彼女を罰するべく要求するのが適切ではないかと思いますが」

 

「無論、襲撃事件の翌日には百合ヶ丘からエレンスゲ女学園へ、この件についての質問状を送っている。

 

だが、エレンスゲからは『そのような指摘は当ガーデンの関知するところではない』という趣旨の回答が返ってきただけだった」

 

 咬月の言葉を聞いたロザリンデは、舌打ちしたい気持ちを抑えて考えを先に進めた。

 

「……エレンスゲは、しらを切るつもりですか。

エレンスゲの内部にもG.E.H.E.N.A.からの出向者は相当数いると思われます。

それらの人間が今回の襲撃について何も知らないはずはありません。

 

にもかかわらず、そのような回答を百合ヶ丘に返したということは、元締めであるG.E.H.E.N.A.自体も知らぬ存ぜぬを貫く方針だと、理事長代行はお考えなのですね」

 

「そうだ。G.E.H.E.N.A.とエレンスゲにとっても、今回の事件は想定外だった可能性が高い。

だが、彼らはそれを逆手に取って、百合ヶ丘がどのような対応に出るかを試しているのかもしれない。

 

もし今回の襲撃とエレンスゲ側の対応に対して、百合ヶ丘が何の反応もしなければ、彼らはより大胆な行動に出てくる可能性も考えられる」

 

「お互いに相手の出方をうかがっているという点では、これまでの膠着状態と変わらないわけですね。

ですが、手札を切らなければならないのは、今や百合ヶ丘の側だと」

 

「君の言う通りだ。こう言っては何だが、先に攻撃を仕掛けてきたのは相手側であるがゆえに、こちらには反撃――より正確には正当な報復の権利がある。

 

そして今回の襲撃が一人のリリィの独断で行われたものであっても、エレンスゲのガーデンには生徒の監督責任がある。

ひいては、ガーデンの母体であるG.E.H.E.N.A.にもだ。

 

ましてや、襲撃の事実が存在することを認めないのであれば、百合ヶ丘に対して彼らが敵対的な態度を取っているのは明らかだ」

 

「しかし報復と言っても、エレンスゲのリリィやG.E.H.E.N.A.の構成員を私たちが直接攻撃することはできません。

 

人を傷つける目的での攻撃、あるいは人を巻き込む恐れのある攻撃をすることは、教育機関でもあるガーデンにとって許されない行為です」

 

「君の指摘はもっともだ。それについては、相手方に一切の人的被害を出さない形での作戦を考えている」

 

「そんな事が可能なのですか?

人の命が失われていたかもしれない攻撃への報復としては、相当な規模の損害を与える必要があります。

 

ただし、攻撃対象として無人の施設を破壊するとしても、ラボを始めとして一定規模以上の施設では、維持管理のために何らかの人員が施設内に常駐していることがほとんどです。

 

完全な無人状態の施設は、せいぜい小規模な観測機器が設置されている所くらいではないでしょうか」

 

 ロザリンデの懐疑的な言葉を聞いた咬月は、一つ咳払いをして間を取った。

 

「――それについては、ちょうどいい攻撃目標がある。

この作戦が成功すれば、単にG.E.H.E.N.A.に相応の損害を与えるだけではなく、百合ヶ丘のガーデンにとって頭の痛い懸案事項を取り除くことも同時にできる」

 

「そんな都合のいい無人の施設が存在するのですか?」

 

「エリアディフェンス崩壊事変が収束して君たちが東京から帰還した際に、内田君が考えがあると君たちに話したそうだが、憶えているかね?」

 

「そう言えば、眞悠理さんがそんなことを言っていたような気がします」

 

 ロザリンデは当時の会話を思い出そうと記憶をたどった。

 

『それでしたら、私に一つ考えがあります。

まだ試案の段階なので、この後で色々と協議していく必要がありますが』

 

 確かに眞悠理はこちらからの対抗手段について、案を持っていると言っていた。

 

「あの時の眞悠理さんの案を今回の作戦に採用するわけですか。

具体的な内容は、あの時点では眞悠理さんは何も口にしていませんでしたが」

 

「それについては今、生徒会室で出江君と内田君がこの作戦に参加するレギオンのリリィに説明をしているところだ。

君たちには今から私が作戦内容を説明する。

 

この作戦は通常の対ヒュージ戦とは異なり、本来であれば特務レギオンの担当する領域に近い内容となる。

このため、13レギオンの代表による軍令部作戦会議は行わず、例外的にガーデンからの直命による作戦実施とする。

 

本作戦に参加するレギオンは、君たちロスヴァイセ以外に一柳隊とアールヴヘイムの計3レギオンとなっている。

 

ただし、ロスヴァイセは本作戦において他の2隊とは別行動を取り、2隊を間接的に支援する任務に当たってもらう」

 

「私たちが支援任務ということは、この作戦の主体となるレギオンは一柳隊とアールヴヘイムなんですか?」

 

 伊紀の質問に対して、咬月は軽く頷いてから答えを返した。

 

「そうだ。作戦の内容を考慮した結果、攻撃目標を破壊するために必要な戦力として、ガーデンはこの2隊を選抜した」

 

「お話は分かりました。では理事長代行のおっしゃる攻撃目標は、一体どこにあるんですか?」

 

 今度は碧乙が質問をし、咬月は黙って右手の人差し指で真上を指差した。

 

「……上の方……空?」

 

 ミーティングルームの白い天井を見上げた結梨が、ぽつりと不思議そうに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「G.E.H.E.N.A.の人工衛星を撃墜する? 本気ですか?」

 

 その頃、生徒会室では出江史房と内田眞悠理が、招集された一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちに作戦内容の説明を始めたところだった。

 

 





 正月明け早々、デスマーチとパワハラが襲いかかって来て、あまり書き進められませんでした……
 今回は前回のエピソードに比べると、わりと軽い内容になる予定です。
 誰かが傷ついたりする場面はありませんので、ご安心下さい。


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第15話 報復は人道的に(2)

 

 特別寮で高松咬月がロザリンデたちに作戦の説明を始めた頃、校舎の一角にある生徒会室には、この作戦に参加する主力となるレギオンのリリィが招集されていた。

 

 そこでは生徒会長の出江史房と内田眞悠理が、一柳隊とアールヴヘイムのリリィ計18名に、同じく作戦の概要を説明しているところだった。

 

 二人の生徒会長のうち、2年生の眞悠理が淡々とした口調で、彼女の前に居並ぶ2隊のレギオンに話しかけている。

 

 エレンスゲと松村優珂の名前を伏せた以外は、特別寮で咬月がロザリンデたちに説明したのと同じ内容が伝えられていた。

 

「先ほど説明したように、この作戦は百合ヶ丘女学院のリリィ2名が、先日ある親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに襲われ、重傷を負ったことに対する報復攻撃としての意味を持っています。

 

被害を受けたリリィは、現在は二人とも傷は完治し、後遺障害などもありません。

 

一方、加害者のリリィが在籍している親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンは説明責任を拒否し、この件に関して事実上の無視を決め込んでいます。

 

百合ヶ丘としては、被害に遭ったリリィが複雑な個人的事情を持っているため、一般の刑事事件として被害届を出すことはしない方針です。

 

また、この方針が採用されたのは、加害者もリリィであることから、世論によるリリィ脅威論の蒸し返しを回避するためでもあります。

 

以上の事から、百合ヶ丘のガーデンは相手ガーデンおよびその母体であるG.E.H.E.N.A.に対して、相応の反撃を行うことを決定しました。

 

しかし、いくらこちらに正当な反撃の権利があるといっても、相手ガーデンのリリィを私たちが攻撃することは許されません。

 

それはいかなる理由があっても、リリィ同士が敵味方に分かれて戦うことは認められていないからです。

当然、人が人を傷つけることに対する人道的な問題もあります。

 

そのために、今回の作戦では攻撃の目標を『人』ではなく『物』に設定したのです。

しかも攻撃に際して、人を巻き添えにする可能性が存在しないような『物』に」

 

 眞悠理の説明を聞いていたリリィたちの中から、最初に神琳が挙手をした。

 神妙な面持ちで史房に対して意見を述べる。

 

「それで、設定された対物目標がG.E.H.E.N.A.の人工衛星、正確には低軌道上の偵察衛星というわけですか。

 

眞悠理様のご説明では、百合ヶ丘女学院を始め、鎌倉府一円のガーデンを監視対象に収めている厄介な代物とのことですが」

 

「そうよ。衛星は毎日複数回にわたって、軌道上からこのガーデンの画像を撮影しているわ。

 

もちろん垂直に近い角度からの撮影になるから、画像から判別できる情報には自ずと限界はある。

 

でも、屋外にいる人の数と位置は正確に確認できるし、髪や服の色からレギオンや個人の特定まで可能かもしれない。

 

地上の出歯亀だけでは得られない情報を入手するために、不可欠のものだと言えるわ」

 

(……出歯亀って何?)

 

 史房が口にした未知の単語に、何人ものリリィの頭に疑問符が浮かんだ。

 

 しかし、その疑問を尋ねる前に、史房は一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちに話を続けた。

 

「本来なら、G.E.H.E.N.A.に対するこのような作戦は特務レギオンの担当になるわ。

 

でも、今回は特務レギオンの戦力では作戦の遂行が不可能なことから、特務以外の複数のレギオンの戦力を例外的に用いることになったのよ」

 

「史房様、一つ質問をしてもいいでしょうか?」

 

「どうぞ、壱さん」

 

「作戦の意義は分かりましたが、その偵察衛星が撮影している画像というのは、あくまで数時間あるいはそれ以上の間隔の静止画像なんですよね」

 

「そうよ」

 

「それなら、もし屋外でフォーメーションの訓練をしていても、画像から分かるのは撮影時の配置だけで、各リリィの動きまでは分かりません。

 

それに、衛星が私たちの姿を撮影可能なのは、私たちが屋外に出ている時だけと考えていいんですよね?」

 

「ええ、そう考えてもらって構わないわ。

校舎や寮の中にいる場合は、建物に遮られて人やCHARMを写すことはできないわ」

 

「……確かに上から覗かれているというのは、何とも気持ちが悪いものです。

 

とは言え、ここには軍事施設のようにミサイルの発射台や、ドックで建造中の艦船があるわけではありません。

 

ですからこの偵察衛星の存在は、ガーデンにとっての脅威としては限定的なものではないかと思いますが」

 

「単に戦力としてのガーデンを監視または情報収集するだけの道具と考えれば、確かにそうでしょうね。

――でも、これを見ても同じことが言えるかしら」

 

 史房は足元に置いていた鞄の中から、一枚のA4判ほどの大きさの写真を取り出して壱に手渡した。

 

「この写真は?」

 

「内務省の情報部が入手した衛星画像の一部よ。

G.E.H.E.N.A.の偵察衛星が、鎌倉府の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンを秘密裡に撮影しているという未確認情報は、以前から存在していたの。

 

そして最近になって、G.E.H.E.N.A.に潜入している内務省の内偵を通して、証拠となる画像が提供されたわ。それがこの写真よ」

 

 史房が差し出した写真をのぞき込んだリリィのうち、最初に発言したのは梨璃だった。

 

「これは……上空から撮影した百合ヶ丘のガーデンですか?

建物の形に見覚えがあります。

でも、あちこち壊れてるみたいですけど……」

 

 梨璃の言葉に続けて、夢結が写真について意見を述べる。

 

「このあたりに人の姿らしきものが写っているわね。

周囲は岩場みたいな所で、水のようなものが溜まっているみたいだけど」

 

「本当ですね。でもここに写っている人たち、服を着ていないように見えませんか?」

 

「そう言われてみれば、肩や手足の部分は素肌のように見えるわね」

 

 見せられた写真についてリリィたちが口々に言葉を交わしているところへ、眞悠理が口を挟んだ。

 

「以前、由比ヶ浜ネストから射出されて地球を一周してきたヒュージがいたでしょう。

全校生徒が避難してレアスキルが使えなくなったことを憶えているわよね?」

 

「うん、あの時は数十人がかりのノインヴェルト戦術で目標のヒュージを倒して、その後で湧き出た温泉に入って気持ちよかったなあ……」

 

 天葉は当時のことを思い出してしみじみと感慨にふけっていたが、そこへ眞悠理の言葉が水を差した。

 

「言っておくけど、あの露天風呂で入浴していたところも撮影されているわよ。

あなたたち、あのヒュージを倒した後に、湧き出ていた温泉でたっぷりくつろいでいたでしょう?

この写真はあの時に撮影されたものよ」

 

「……は? 何だって?」

 

 気色ばんだ様子で食って掛かるように顔色を変えたのは天葉だけではなかった。

 

 一斉にリリィたちの表情が剣呑なものになり、その場に殺気すら漂い始める。

 

「――眞悠理さん、その情報に間違いは無いのね?」

 

 天葉の隣りにいた依奈が念を押すように眞悠理に確認した。

 

「嘘だと思うなら、納得するまでその写真を見てみるといいわ」

 

「……確かに、これはあの時の温泉に違いないわ。

それなら湯着だけで温泉に入っていた私たちの姿が、真上からとはいえバッチリ撮影されてたってこと?」

 

「その通りよ。この付近一帯はヒュージが爆発した影響で通信障害が発生したけど、衛星軌道上までは影響が及ばなかった。

 

偵察衛星は通常通りガーデンの上空から撮影を行った結果、その画像が得られたのよ。

 

しかも、この衛星は今も上空数百kmの軌道上を周回飛行しながら、鎌倉府一円のガーデンを毎日撮影し続けているわ」

 

「じゃあ、もし将来このガーデンに露天風呂が作られても、その偵察衛星がある限り、私たちが安心して入浴することはできないのね。なんてこと……」

 

 百合ヶ丘女学院が敷地内に露天風呂を作る計画は全く無かったが、依奈は勝手に思い描いていた期待を打ち砕かれて肩を落とした。

 

 その依奈の肩に手を置いて、天葉は励ましの言葉を掛ける。

 

「依奈、絶望するのはまだ早いよ。この作戦を成功させて、G.E.H.E.N.A.の衛星を宇宙の星屑にしてしまえば、安心して露天風呂に入れる日が来る」

 

「ソラ……そうね、何としても成し遂げないとね。

下世話な輩にあたしたちの素肌を盗撮なんて金輪際させるものか」

 

 目の前の二人の後輩のやり取りを聞いていた史房が、自分の横にいる眞悠理を見た。 

 

「眞悠理さんの案、いいタイミングで使えることになって良かったわね」

 

「はい。いずれ機を見て作戦案を実行に移すつもりでしたが、偶然にG.E.H.E.N.A.側から攻撃してくる事件が発生し、その反撃作戦として採用されたのは僥倖でした」

 

 一つ気になることがある、とそれまで黙って話を聞いていた2年生の渡邉茜が、眞悠理に質問を始めた。

 

「G.E.H.E.N.A.の偵察衛星を撃墜する必要があることは、この写真を見て嫌というほど分かったわ。

でも、偵察衛星は低軌道とはいっても高度100km以上よ。ほとんど宇宙空間じゃない。

そんな所にあるものをどうやって攻撃するの?

私たちのCHARMの射程距離なんて、せいぜい数kmがいいところなのに」

 

「それについては、この作戦向きの特殊なCHARMが工廠科にあるわ。

今は格納庫で埃を被っているかもしれないけど、あの機体なら軌道上の人工衛星を射程内に収めることができるはずよ」

 

 自信に満ちた表情で、眞悠理は工廠科の校舎がある窓の外へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、特別寮では咬月から説明を受けた四人のリリィのうち、我が意を得たりと言わんばかりに碧乙が発言した。

 

「なるほど。その衛星撃墜作戦に、百由さんが以前作ってお蔵入りになっていたハイパー・メガ・バズーカ・ランチャーを使うんですね」

 

「はいぱーめがばずーからんちゃー?」

 

 要領を得ない顔で結梨が伊紀の方を見ると、伊紀も若干曖昧な様子で疑問を口にする。

 

「あの長射程高出力砲にそんな名前ついてましたっけ……?」

 

 首をかしげる二人を気にも留めず、碧乙は目を閉じて腕組みをして、何事かを考えているようだった。

 

「あの時だって、ラー・カイラム並みの電源が確保できていれば、いきなり停電なんてみっともない事態にはならなかったのに。

やっぱり核融合エネルギー技術が実用化されないうちは無理なのかなあ……」

 

 碧乙の言うラー・カイラムなるものが何なのか、咬月を含めた他の四人には皆目分からなかった……が、その部分は受け流し、伊紀が少し不安げな表情で碧乙に尋ねた。

 

「でも、あんな長射程のCHARMで人工衛星を狙えるリリィがいるんですか?

目視の直接照準ではとても不可能だと思いますけど」

 

「そこはほら、おあつらえ向きのレアスキルを持ってる子が一柳隊にいるじゃない」

 

 碧乙は気軽な口調で言ってから結梨の顔をにやりと見た。

 

 結梨は思い当たったように目を輝かせて大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、私がやるの? そんな遠くの目標なんて、撃ったことないよ」

 

 撃墜作戦の狙撃手に指名された雨嘉は途方に暮れた表情で、すがるように神琳の顔を見るばかりだった。

 

 



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第15話 報復は人道的に(3)

 

「大丈夫ですよ、雨嘉さん。あなたならできますよ」

 

 不安な表情で神琳の顔を見つめる雨嘉に、神琳はいつもの余裕に満ちた微笑で応えた。

 

「神琳は何の根拠も無いのに、そんなこと言う……」

 

 雨嘉は不満げに頬を膨らせて、神琳の励ましを額面通りには受け取らなかったが、これはいつものことだった。

 

 そんな雨嘉の反論を軽く受け流し、神琳は再び雨嘉に励ましの言葉を重ねた。

 

「私の言葉が根拠です。だから自信を持ってください、雨嘉さん。

人工衛星の一つや二つ、雨嘉さんにかかれば縁日の射的の景品を撃つも同然です」

 

「……いつもながら無茶苦茶なこと言ってるな、神琳は」

 

 二人のそばでやり取りを聞いていた鶴紗は、隣りにいた二水に苦笑いしながら小声で囁いた。

 

「人工衛星なんて、観測する条件が揃っても輝点にしか見えないのに、どうやって狙撃するんだ?

天の秤目って、そこまでのことができるレアスキルなのか?」

 

「それは私には何とも言えませんが……でも能力的に最も狙撃の成功確率が高いのは、雨嘉さんですからね。

これまでの一柳隊での戦績を見ても、雨嘉さん以上にこの任務に適したリリィはいませんよ。

神琳さんの言い方は、雨嘉さんはもっと自分の実力を客観的に認識するべきだという意味じゃないですか?」

 

「……まあ、この作戦内容なら、雨嘉が射手として適任なのは間違いないな。

狙撃に使うCHARMは、さっき眞悠理様が言われていた『特殊なCHARM』とやらを使うみたいだけど、二水に心当たりはあるのか?」

 

「おそらく、過去に二回だけ使用されたと言われている、長射程高出力砲のことだと思います。

超大型の対物ライフルのような形をしていて、電源ケーブルを接続することで、外部電源からCHARMにエネルギーを供給する仕組みになっている……と聞いています」

 

「外部電源って……」

 

「このガーデン全体、場合によっては周辺地域も含めた電力網の電気です」

 

「なるほど、無理やり周りから電気をかき集めて、CHARMの砲撃エネルギーとして利用するんだな。

要するに盗電みたいなものか」

 

「それは人聞きが悪いです。

高出力砲による砲撃のエネルギーを確保するには、それほど莫大な電力が必要になるという条件から、他に手段が無いんです。

事実、過去に高出力砲が使用された際には、二射目でガーデン全体が停電したそうです」

 

「なんとも傍迷惑なCHARMだな。

それなら、今回は計画停電のお知らせを事前に周知しておかないといけないわけだ。

万が一、工廠科や解析科のデータが消失したら冗談じゃないな」

 

「停学で済めば御の字ですね」

 

 肩をすくめて軽口を叩く二水に、眞悠理が近づいて言葉を掛ける。

 

「言い忘れていたけど、雨嘉さんが狙撃を行う前段階で、あなたにも重要な役割が与えられているわよ、二水さん。あなたのレアスキルでね」

 

「わ、私がやるんですか? そんな遠くの目標、鷹の目で見つけたことないですよ」

 

 先程の雨嘉と同じような台詞を二水は慌てて口走った。

 

「もちろん、あなた一人の力ではなくて、ここに集まっている全員の力を合わせて、衛星の発見と照準合わせをするの。

それに、レアスキルを補助するための装置を百由さんに作ってもらっているから、あなたはいつも通りに鷹の目を使ってくれればいいわ」

 

「そ、そうですか……精一杯がんばらせていただきます」

 

 二水の脳裏をよぎったのは、海岸で梨璃の髪飾りを探した時に、何十人ものリリィが手をつないでレアスキルを合成し、ミリアムと亜羅椰のフェイズトランセンデンスで大量のマギを供給した光景だった。

 

(もしかして、あれをもう一度やるんですか……確かにあの方法なら、通常では実現不可能なレベルで目標を発見できそうです)

 

 二水は窓の外――まだ見ぬG.E.H.E.N.A.の偵察衛星が飛行しているであろう遥か上空を見上げて、心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方、工廠科の格納庫では、保管用のシートを外した長射程高出力砲を目の前にして、百由とミリアムが並んで腕組みをしていた。

 

「まさか、この高出力砲が再び日の目を見る時が来るとは。長生きはするものね」

 

「百由様、わしらはまだ高校生なんじゃが」

 

 ピント外れの表現をする百由に、渋い表情でミリアムが応じたが、百由は全く意に介さない様子だった。

 

「まあまあ、それは言葉の綾ってものよ。

ところで、この高出力砲の攻撃目標はG.E.H.A.N.A.の偵察衛星だっていうじゃない。

相手にとって不足無し。

超長距離狙撃用の特注スコープも完成したし、宇宙の星屑どころか、デブリの欠片も残さず消し去ってやるわ」

 

 眼鏡の奥の瞳が妖しく光り、百由は唇の端でわずかに笑みを浮かべた。

 

「しかし、本当にこの高出力砲で人工衛星を撃ち落とすなんて出来るんじゃろうか?

低軌道の偵察衛星でも高度は100キロメートル以上じゃろ?」

 

「砲の出力を最大まで上げれば、大気中でのエネルギー減衰を考慮しても、装甲の無い人工衛星のような構造体なら充分に破壊可能よ」

 

「ふむ、威力はそれでいいとして、照準合わせはどうするんじゃ?

通常の狙撃のようにはいかんのではないか?」

 

「人工衛星なら、毎日同じ軌道で地球上空を周回しているから、一定の精度までは機械的に位置を算出できるわ。

 

もちろん、地上から上空の人工衛星を狙撃するためには、そこから更に桁違いの照準精度が必要になるけど。

 

そこで観測と狙撃の能力に特化したレアスキルを持つリリィの出番ってわけ」

 

「二水と雨嘉か……しかし、いきなりスコープを覗いて視界に人工衛星を収めるのは、さすがにリリィでも無理だと思うがの」

 

 懐疑的な意見を口にするミリアムとは対照的に、百由は自信に満ちた態度を崩さなかった。

 

「心配無用よ。あらかじめ作戦開始時刻に合わせた偵察衛星の推定位置を算出して、二水さんに鷹の目で衛星を実際に発見してもらうわ。

 

その確定した位置情報を狙撃手である雨嘉さんに伝達するために、二水さんの脳波を解析して、衛星の位置する座標を数値化するのよ。

この測定装置を兼ねた通信ユニットを使ってね」

 

 髪飾りやイヤリングのような形をした幾つかの小さなデバイスを持ち出して、百由はそれをミリアムに見せた。

 

「これ自体は装着者の脳波を測定して、工廠科の校舎内にある解析装置にデータを無線で送信するためのものよ。通話機能も付いているわ。

 

そして、解析装置で数値化された衛星の位置座標を高出力砲のスコープに転送・表示して、衛星をスコープの視野に収めるの。

 

そこから先の最終的な照準合わせ――地球の自転・重力・磁気などの影響の補正は、天の秤目を使うことになるわ」

 

「最近やたらと熱心に何かいじくりまわしていると思ったら、通信機能付きの脳波測定ユニットを作っていたんじゃな」

 

 そこまで言った時、ミリアムはふと何かを思いついたように百由の顔を見た。

 

「ところで、あの高出力砲で偵察衛星を狙撃するということは、上空に向けて荷電粒子ビームをぶっ放すわけじゃが、無関係の航空機を巻き込んだりする恐れは無いのか?百由様」

 

「それなら安心して。狙撃が予定されている時間帯にはガーデンの周辺空域を飛行しないように、防衛軍を始め関係各方面に事前通告は済ませてあるわ。

あくまでも超長射程CHARMの『試射』をする名目でね」

 

「そうじゃったのか……もしや、その通告先にはG.E.H.E.N.A.も含まれておるのか?」

 

「ええ。理事会の判断で、G.E.H.E.N.A.にも通告は出されているわ。

もっとも、通告を受けたところで人工衛星の軌道を大幅に変更するなんて不可能だし、ましてや偵察衛星の存在なんて表沙汰にはできないでしょうね」

 

「『試射』の結果、偶然にもG.E.H.E.N.A.の人工衛星に命中してしまったという建前を取るわけじゃな。

まあG.E.H.E.N.A.も、スパイ活動用の人工衛星を撃墜されたから賠償しろとは言い出せんじゃろな。

なかなか百合ヶ丘のガーデンもセコいというか、腹黒い策を巡らせるもんじゃの」

 

「今回は相手が相手だからね。

まともに正面から立ち向かっても、足元をすくわれるだけになると分かっているんでしょう、百合ヶ丘の理事会は」

 

「誰も傷つくことなく、上首尾に作戦が終わってくれるといいんじゃがな……」

 

 これまでに経験したことの無い類の作戦に、ミリアムは掴み所の無い見通しの悪さを感じていた。

 

 それを見て取ったのか、百由はミリアムの耳に顔を寄せて、努めて明るい口調で囁きかける。

 

「ぐろっぴ、一ついいことを教えてあげるわ。

狙撃任務を担当する一柳隊とアールヴヘイムの他に、G.E.H.E.N.A.の攻撃に備えて別動隊が配置されるって、眞悠理さんから聞いたわよ」

 

「一体どのレギオンなんじゃ? アールヴヘイム以外のSSS級レギオンは外征中じゃから、それ以外のレギオンか……」

 

「別動隊の出番が無ければいいんだけど、G.E.H.E.N.A.も通告を受けている以上、何かしらの妨害はしてくると思っておく方がいいかもね」

 

「何かしらの妨害……まさかCHARMの試射程度の通告で、実験体のギガント級をけしかけてくるなんてことは無いじゃろうな」

 

「どうかしらね。江ノ島に設置されていたケイブ生成装置は撤去したし、そう簡単に代替の装置を設置できるとも思えないけど……」

 

「その別動隊とやらのレギオンに期待するしかないかのう」

 

 目の前に鎮座している高出力砲の長大な砲身を眺めながら、ミリアムは小さく溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、G.E.H.E.N.A.が作戦を邪魔しようとしてきたら、それを防ぐことが私たちの任務なの?」

 

 同刻、特別寮では自室に戻った結梨がロザリンデに質問しているところだった。

 

「そうよ。勘のいい人間なら、通告で指定されている時間帯が、偵察衛星がガーデン上空を通過するタイミングと一致していることに気づくかもしれない。

 

自分たちの衛星が狙撃されるかもしれないのに、黙って手をこまねいているとは思えないわ。

これまでのG.E.H.E.N.A.の出方を考えると、ケイブからヒュージを出現させて百合ヶ丘を襲わせると考えるべきよ」

 

「でも、私たちは江ノ島に隠してあった装置を見つけて、後で工廠科のリリィがその装置を百合ヶ丘に運び出したんだよね。

それなら、もうケイブは作れなくなったんじゃないの?」

 

「ええ。でもケイブ生成装置は江ノ島以外の場所に残っている可能性もあるわ。

ガーデンの南側は見通しの良い場所が多いから、装置を人目につかないように設置するのは難しいでしょう。

 

一方、ガーデンの北側は木々が鬱蒼と生い茂る山地が広がっている。

その一帯のどこかにケイブ生成装置を仕掛けて、必要に応じてヒュージにガーデンを襲わせることは充分にあり得るわ」

 

「それをやっつけるのが私たちの任務……」

 

「そう。通常のヒュージなら彼我戦力差だけを考えればいいけれど、今回はG.E.H.E.N.A.が絡んでいるのが厄介なところだわ。

 

とりわけ、問題は特型の実験体を投入してきた場合ね。

どんな特殊能力を持っているかは、実際に相対してみるまで分からないから」

 

 ロザリンデの言葉を聞いた結梨は、少し下を向いて考え込んだ後、何かに気づいたように顔を上げてロザリンデに答えた。

 

「その場でどう戦うか、自分で考えないといけないってことなんだね。

でも、ルドビコや御台場のリリィは、ずっとそんな戦いを東京で続けてきたんだよね。

だったら、私も来夢や幸恵や燈たちと同じように、自分の力でやっつける方法を見つけてみせるよ」

 

 結梨の脳裏には、東京で出逢った幾人ものリリィの姿が浮かんでいた。

 

 彼女たちのように在りたいと想う結梨の心には、一点の曇りも存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室と特別寮での説明から一週間後、終日にわたって良く晴れた日の日没直後に、偵察衛星撃墜作戦は開始された。

 

 



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第15話 報復は人道的に(4)

 

「百合ヶ丘女学院担当の監視員から連絡が入りました。

校舎の屋上に超大型の対物ライフルのような形状のCHARMを視認。

CHARMの周囲には二十名ほどのリリィが待機し、事前の通告通り試射の準備を進めている模様。

以後の指示を乞う、とのことです」

 

 都内某所の高層ビルの地下深く、艦船の戦闘指揮所にも似た暗く広い室内。

 

 その壁面を埋めるように大小数十のディスプレイが整然と並んでいる。

 

 それらのディスプレイの前には十数名の人間が座席に着き、それぞれの画面に表示されている外界の各種情報に目を走らせている。

 

 部下の男性から報告を受けた指揮官の女性は、軍服に似て非なる濃紺の制服に身を包み、まだ壮年と呼ぶには早すぎる容姿の持ち主だった。

 

 彼女は部下の報告を聞いても表情を変えず、海岸線と地形が模式的な描線で表された画面の一つを、至って事務的に見つめていた。

 

「――通告はフェイクではなかった。

百合ヶ丘は律儀に予告通りの日時にCHARMの『試射』を行うつもりよ。

監視員に、そのCHARMの砲身が向いている方位と仰角を報告させるように」

 

 女性は簡潔に部下に指示を出すと、部屋の中央やや後方にある自席に座り、目を閉じて今後の対応に考えを巡らせた。

 

 しばらくして、指示を受けた部下が一枚の紙片を持って戻り、それを緊張した面持ちで女性に手渡した。

 

 彼女は手渡された紙片に目を落とすと、先程と同じく眉一つ動かさずに独り言を呟いた。

 

「やはり『試射』の目標はG.E.H.E.N.A.の偵察衛星か。

百合ヶ丘も今になって随分と積極的な動きに転じたものね。

これまでは、せいぜい実験施設から強化リリィを『救出』する程度だったのに」

 

「百合ヶ丘は本気で我々の偵察衛星を撃墜するつもりなのでしょうか?」

 

 方針変更の引き金は、おそらく先日のエレンスゲ女学園のリリィによる襲撃事件だろうと彼女は考えていた。

 

 百合ヶ丘から何らかの報復がある可能性をG.E.H.E.N.A.では想定していたが、その報復がこの『試射』というわけだ。

 

 百合ヶ丘の攻撃目標がG.E.H.E.N.A.の偵察衛星であることも、事前通告で指定された日時から彼女には見当がついていた。

 

(今回の百合ヶ丘の動きは、エレンスゲ女学園のリリィが独断で百合ヶ丘のリリィ2名を襲い、拉致しようとしたことへの報復の可能性がある――そのように情報部からは説明を受けた。

 

そして被害者の一人は、戦死したと思われていた人造リリィかもしれないという噂が、誰ともなく囁かれている。

だが現在は、人造リリィの生死に関する情報は完全にアクセスが禁じられており、箝口令も敷かれているらしい。

事実を把握しているのは、ごく一部の限られた幹部と、彼らから指示を受けて動いているエージェントくらいだろう。

 

まったく、エレンスゲのリリィは余計な事をしでかしてくれたものだ。

功名心に駆られて人造リリィと思われる者を拉致しようとしたのだろうが、それが仇となって百合ヶ丘の態度を先鋭化させてしまった。

 

考えてみれば当然だ。

自校の生徒の安全が暴力で脅かされたのに、ガーデンが黙って泣き寝入りする筈も無い。

相応の報復は、むしろ納得できる反応だと言える。

それで向こうの気が済むのなら、人工衛星の一つくらいくれてやればいいとさえ思う。

相当の費用は発生するが、再び衛星を打ち上げること自体は不可能ではない。

 

しかし、だからと言って、こちらも何もせずに黙って見ているにはいかない。

職務怠慢で上から処分を食らうのは願い下げだ。

現状の戦力で出来る限りの手は尽くさせてもらう)

 

「だとしたら、やるだけのことはしなければね。

とは言え、江ノ島に設置していたケイブ生成装置は百合ヶ丘に発見・撤去されてしまった。

現時点ですぐに使えるのは丹沢山地の装置か……あれは距離が離れているわね」

 

「百合ヶ丘のガーデンからは20キロメートル以上あります。

しかも山中を踏破することになるので、今からケイブを発生させても、ヒュージのガーデン到達までに衛星を撃墜されてしまうかと」

 

「今すぐに出せる飛行型を全部出して。

時間稼ぎの陽動くらいにはなる。

その間に、例の開発中の実験体をケイブへ送り込みなさい。

うまくいけば百合ヶ丘の目論見を阻止できるかもしれない」

 

「現状では、あの実験体に攻撃能力はありませんが、それでもよろしいのですか?」

 

「衛星の撃墜を阻止できれば、百合ヶ丘に損害を与えられなくても構わない。

いえ、むしろその方がいいのかもしれない。

無闇に報復の連鎖を招くような攻撃をする必要は無い。

あくまでも我々の目的は衛星の撃墜阻止、それ以上でも以下でもないのだから」

 

 そう言い終えると、彼女は座席に深く座り直し、百合ヶ丘女学院とその周辺地域が表示された画面上の地図に視線を移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、百合ヶ丘女学院の校舎屋上では、一柳隊とアールヴヘイム、それに工廠科の真島百由が集合し、百由は偵察衛星を発見するための指示を二水に出していた。

 

 二水は百由が格納庫でミリアムに見せた脳波測定ユニットに加えて、衛星の座標特定に利用するための特殊ゴーグルも装着していた。

 

「二水さん、半透過型ゴーグルの調子はどうかしら。

視界の中央周辺部に推定座標の基準数値が表示されているはずだから、それが全項目ともゼロになるように顔を動かして。

視線はまっすぐ前に向けておいてね」

 

「は、はい。ええと……できました。X・Y・Zの各数値ともゼロになりました」

 

「よし、それで人工衛星の推定座標に視点が定まったわ。

その視点を維持して鷹の目を発動してちょうだい。

それじゃ亜羅椰さんとぐろっぴ、例のあれをよろしくね」

 

「お任せください。ミリアムさん、始めますわよ」

 

「おう、わしらに任せるのじゃ。フェイズトランセンデンス!」

 

 百由の指示で亜羅椰とミリアムがフェイズトランセンデンスを発動し、手をつないだ一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちに膨大なマギの供給が始まる。

 

 梨璃の髪飾りを海岸で捜索した時とは異なり、今回は鷹の目のレアスキルをリリィ全員に分散して合成するのではなく、二水の負荷が限界を超えないようにマギの量を調整するのが目的だった。

 

 亜羅椰とミリアムから供給されるマギによって鷹の目の俯瞰視野は飛躍的に拡大し、あっという間に大気圏の外まで上昇していく。

 

 反透過型ゴーグルの画面に表示されている座標からズレないように、二水は視点を固定したまま、俯瞰視野の高度を注意深く上げていった。

 

 すると、高度百数十キロメートルの宙域で、一基の人工衛星が二水の視界に入った。

 

 地上は既に日が沈み、夕闇が周囲を支配し始めていたが、大気圏外の人工衛星は太陽光線を反射して、二水の目に眩しく映った。

 

「み、見えました。人工衛星です。あれがG.E.H.E.N.A.の偵察衛星ですか……すごい」

 

「よし、ここまでは順調ね。

雨嘉さん、さっきの二水さんと同じように、スコープの中に表示されている数値を全部ゼロになるまで高出力砲の方角と仰角を微調整して。

それが鷹の目で実際に確認された偵察衛星の厳密な座標よ。

座標情報が正しければ、照準の真ん中に人工衛星が輝点として見えるはずよ」

 

 極太の電源ケーブルに繋がれ、頑強な架台に乗せられた高出力砲の長大な砲身が、ゆっくりと僅かに角度を変える。

 

 その高出力砲のスコープを覗き込む雨嘉の肩に右手を置いているのは、神琳だった。

 

 神琳の左手は鶴紗の右手が握っており、その鶴紗の左手を梅が握り……一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちの手が数珠つなぎとなり、その終端は二水だった。

 

 雨嘉が高出力砲の向きを調整し終えると同時に、超長距離狙撃用スコープの照準の中央に、白く輝く一つの点が映り込んだ。

 

「見えた……衛星の動きを追いながら、ここからは天の秤目で照準の最終調整……」

 

 大気の揺らぎや重力・磁気・地球の自転の影響などを、フェイズトランセンデンスで増幅された天の秤目で補正し、最終的な狙撃方向を決定する。

 

 天の秤目を発動した雨嘉の照準調整が順調に進行し、間もなく高出力砲の発射が可能になると思われた――その時だった。

 

「ヒュージサーチャーに反応あり。

ガーデンの北西より急速に接近してきますわ。

まだ姿は見えませんが、数は四十体から五十体。

進行速度から飛行型ヒュージの一群と思われますわ」

 

 亜羅椰が顔を校舎の山側に向けて表情を険しくする。

 

 突然のヒュージの襲来に対応するため、即座に天葉が百由に声を掛けた。

 

「来たか。百由、アールヴヘイムが対空迎撃戦の準備に入る。

みんな、各自散開して本校舎だけじゃなく工廠科校舎の屋上にも布陣、各個射撃の用意を――」

 

 天葉たちは繋いでいた手を離そうとしたが、百由はそれを制止した。

 

「その必要は無いわ。

予想されるG.E.H.E.N.A.の妨害に備えて別動隊が配置されているから、私たちは偵察衛星の狙撃に専念すればいいわ」

 

「そうなの? でも、もし別動隊の防衛線が突破されたら、その時は私たちが戦うからね」

 

「その別動隊もガーデンの直命で作戦に参加しているレギオンらしいから、心配は要らないと思うけどね」

 

 ヒュージの襲来を聞いて前のめりになる天葉に対して、百由は両手を頭の後ろで組みながら、深刻さを感じさせない口調で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エインヘリャルのメインユニットから分離した5機のマギビットコアは、ガーデンの上空1000メートル付近を遊弋し、周辺地域からのヒュージの接近に対して哨戒態勢を取っていた。

 

 その遥か下の地上で、LGロスヴァイセの9人と結梨は、校舎の屋上からは死角になっている場所に陣取っていた。

 

 ――正確にはもう一人、生徒会長の一人である内田眞悠理が彼女たちと行動を共にしていた。

 

「ヒュージサーチャーに反応あり。距離は約20キロメートル。

北西方向の丹沢山地から侵攻してくるようです。

種別はすべて飛行型と思われます」

 

 伊紀がヒュージの出現を告げると、隣りにいた碧乙が結梨に指示を出す。

 

「来た来た。飛んで火に入る何とやら。

結梨ちゃん、もう少ししたら私がテレパスでイメージを送るから、ヒュージが視界に入ったらすぐに攻撃を開始して」

 

「分かった。今からマギビットコアを北西の方角に移動させるね」

 

 結梨は碧乙に答えて、目を閉じて思念でマギビットコアの操作を始める。

 

「さっき説明したとおり、眞悠理さんはテスタメントで私のファンタズムを増幅してね」

 

 碧乙はロザリンデと一緒にいた眞悠理を見て、彼女のレアスキル発動を促した。

 

「東京に行った時に、ルド女の強化リリィにテスタメント持ちがいて、私のファンタズムを補助してもらったんだけど、すっごく便利だったのよ。

肉眼では見えない距離のイメージを得られるから、遠隔攻撃には持って来いの組み合わせだわ」

 

「それで私をここに呼んだというわけね。

今のロスヴァイセにはテスタメント持ちのリリィがいないから」

 

「そういうこと。神琳さんを呼ぶわけにはいかないし、となると眞悠理さんが適任だと考えたのよ。

他にも百合ヶ丘にテスタメント持ちのリリィは何人かいるけど、結梨ちゃんに会っていいのは眞悠理さんだけだから」

 

「ごもっともね。これで結梨さんが百合ヶ丘にいる限り、一歩たりともヒュージに鎌倉の土を踏ませないようにできるのね」

 

「今回は飛行型のヒュージだから、土を踏むのは最初からできないけどね」

 

 軽口を叩く碧乙に、眞悠理の横で会話を聞いていたロザリンデが口を挟んだ。

 

「話の腰を折るものではないわ、碧乙。

もしかしたらヒュージサーチャーで捕捉した飛行型の他にも、何らかの戦力が隠されているかもしれない。

気を緩めずに、各自周辺に警戒を怠らないように」

 

「分かりました。

結梨ちゃん、今から北西方向の出来るだけ遠くの予知イメージを伝えるわ」

 

「うん、お願い」

 

 眞悠理のテスタメントによって増幅された碧乙のファンタズム、その能力は肉眼で見えるよりも遥か遠方の場所の未来を見ることを可能にした。

 

 マギビットコアの飛行位置に合わせて、結梨の意識にファンタズムの未来イメージが流れ込んでくる。

 

 百合ヶ丘のガーデンから北西に約10キロメートルの地点で、低空で飛行するヒュージの一群がイメージに捉えられた。

 

「雨嘉の邪魔はさせない」

 

 5機のマギビットコアは約1000メートルの高度から急降下を開始し、直上から飛行型ヒュージの群れに襲いかかった。

 

 





ラスバレでの松村優珂さんの登場が思っていたより早くて、少し意外でした。

「べ、別に一葉さんのことなんて全然気にしてないんだからね!」とか言い出しそうなベタなツンデレツインテにしか見えませんが、この見た目で避難中の一般市民を見捨てたりしているのか……



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第15話 報復は人道的に(5)

 

 飛行型ヒュージの群れへ急降下する5機のマギビットコアから、白く輝く光線が発射され、正確に5体の飛行型ヒュージを貫いた。

 

 攻撃を受けたヒュージは直後に爆散し、マギビットコアは次の攻撃への態勢を取るべく急旋回を開始する。

 

 マギビットコアからの攻撃を受けて、ミドル級で構成された飛行型ヒュージの群れは即座に散り散りになった。

 

 約50体の個体がバラバラの方向へ進路を変え、襲いかかるマギビットコアから全力で逃れようとする。

 

(戦わずに逃げるつもり?……違う、まだヒュージは百合ヶ丘を襲うつもりだ)

 

 結梨が操る5機のマギビットコアは、百合ヶ丘のガーデンへ直進する個体を最優先に攻撃を継続した。

 

 しかし、それ以外の方向へ飛んでいった個体は、マギビットコアの射程外まで出ると向きを変え、交戦域を迂回する形で百合ヶ丘へ向かおうとする。

 

 速度、機動性、火力の全てで圧倒的な優位性を誇るエインヘリャルのマギビットコアだったが、それに対して十倍近い数のヒュージは、分散して広範囲から百合ヶ丘を目指そうとする戦術を取っていた。

 

(逃げたみたいに見えるヒュージも、遠回りして百合ヶ丘に向かってる。追いかけなくちゃ)

 

 ヒュージの動きに対応するべく、それぞれのマギビットコアが5方向へ散開した。

 

 ヒュージより高い高度へと上昇し、百合ヶ丘から最も近い位置にある個体から順に格闘戦を展開する。

 

(全部のヒュージをやっつけるには、時間がかかるかも)

 

 決して百合ヶ丘へヒュージを到達させない、自分の任務がその一点にあることを結梨は改めて自覚し、次の攻撃目標へと狙いを定めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院の校舎屋上では、遥か遠方の空中で次々とヒュージが撃墜されていく様子を、一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちが見つめていた。

 

 天葉と並んで手をつないでいた依奈が、怪訝な表情で天葉に尋ねる。

 

「ソラ、あれってヒュージサーチャーに反応があった方角よね。

すごく小さい点にしか見えないけど、爆発しているように見えるのは飛行型ヒュージなの?」

 

「おそらくは。でも、あんな離れた場所に百合ヶ丘のレギオンが配置されているはずは無いけど」

 

「それなら、どうやって飛行型ヒュージを撃墜しているの?

少なくとも地上からの対空砲火ではないわ……防衛軍がスクランブル発進したわけでもなさそうだし……まさか、誰かがCHARMで空中戦をしているとでも?

そんな事がリリィに可能なの?」

 

「どうかな……可能だとすれば、開発中の新型CHARMか何かが実戦投入されたのかもしれない。

戦技競技会の時にサングリーズルの冬佳さんが使っていたのと同じような機体なら、あるいは」

 

 依奈と天葉のやり取りを近くで聞いていた百由は、アーセナルとして興味津々な態度を隠しもせず、右手で眼鏡を掛け直した。

 

(ふーん……誰だか知らないけど、随分と面白いことをしてるじゃない。

飛行型のヒュージ相手にあんな戦闘ができるのは、たぶん第4世代の精神直結型CHARMよね。

依奈レベルのリリィがギリギリ何とか実戦で扱えるような代物を、自分の手足のように操縦しているっていうの?

もしそうなら、あのCHARMの使い手がとんでもない適性の持ち主なのは間違いないわ。

少なくとも今の百合ヶ丘に、第4世代の精神直結型CHARMをあの水準で動かせるリリィは存在しないはず。

御台場か聖メルクリウスあたりの反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンから、凄腕の強化リリィでも助っ人に呼んだのかしら。

あれほどの別動隊をあらかじめ用意しておくなんて、うちのガーデンも大した食わせ者ね)

 

「百由様、高出力砲の照準合わせが完了しました。いつでも発射できます」

 

 スコープを覗いたままの姿勢で、雨嘉が上空を眺めていた百由に呼びかけた。

 

 百由は雨嘉を振り返って、彼女に軽くウィンクした。

 

「おっ、準備万端ね。それじゃ一発盛大にお見舞いしてさしあげましょうか。

――ファイア!」

 

 百由の号令とともに、雨嘉が高出力砲のトリガーを引き絞る。

 

「……?」

 

 だが、高出力砲から荷電粒子のビームは発射されなかった。

 

 再び雨嘉が注意深くトリガーを引いたが、やはり結果は同じだった。

 

「まさか、故障?」

 

 沈黙したままの高出力砲を前に、一同の顔が青ざめる。

 

「百由様、ゴーグルの視界に表示されている数値が途切れがちになっています」

 

 高出力砲に駆け寄った百由に、少し離れた所から二水が声を上げた。

 

「スコープ内の座標表示も乱れています。

今は天の秤目で目標をロックオンしていますが、もし目標をロストしたら、もう一度目標をスコープの視界に捉えることはできなくなります」

 

 二水に続いて雨嘉も切迫した声で百由に状況を報告した。

 

 さらに、上空を見上げた亜羅椰が鋭く全員に警告を発した。

 

「ヒュージサーチャーに反応あり。

直上にスモール級1体、高度約1500メートルですわ」

 

 亜羅椰の声に全員が反応し、真上を見上げた。

 

 日が沈み、ほぼ漆黒に近くなった空の中に、星とは違う極めて微小な白い点が、わずかにリリィたちの目に映った。

 

「あれがそのヒュージ? ほとんど点にしか見えないな」

 

 目を細めて訝しむ天葉の近くでは、一柳隊のリリィたちも突然のヒュージの出現に虚を突かれていた。

 

「あのヒュージ、いつの間にあんな所に現れたんだ?」

 

 驚きを隠せない様子の梅に、もう一人の2年生である夢結が落ち着いた口調で答える。

 

「百合ヶ丘と同じく、G.E.H.E.N.A.も別動隊を用意していたということかしらね」

 

 夢結の言葉に続けて、楓が自らの考えるところを口にする。

 

「真上に来るまでヒュージサーチャーにも引っかからなかったということは、ステルス機能のような能力が備わっているのかもしれませんわ」

 

「雨嘉さんは衛星から狙いを外さないで、衛星を狙撃することだけに集中して。

あのスモール級は私たちで何とかするから」

 

 百由は雨嘉に声をかけると、脇に置いていた自分のアステリオンを構えて上空へ発砲したが、弾丸は虚しく空中に吸い込まれていくだけだった。

 

「やっぱりダメか。標的が小さい上に遠すぎて、目視での直接照準では命中できないわ。

天の秤目なら狙撃できるかもしれないけど、雨嘉さんは今スコープの照準から偵察衛星を外すわけにはいかない。

しかもこのまま時間が経てば、衛星は高出力砲の射程外に出てしまう。

どうすればいいものか、困ったわね」

 

「百由、この上にいるスモール級ヒュージが高出力砲の発射を妨害しているの?」

 

 アステリオンを抱えて途方に暮れていた百由に、依奈が尋ねた。

 

「そうとしか考えられないわ。

動作に障害が発生しているデバイスは、何らかの電子回路を内蔵しているものばかりよ。

だから、上空のヒュージが妨害電波のようなものを放射して、電子回路の動作を不安定にさせているとしか考えられない。

どうやら一種のECMに相当する攻撃を仕掛けているようね」

 

「なんでヒュージにそんな事ができるのよ?」

 

「あのヒュージがただのヒュージではないからでしょうね」

 

「あれがG.E.H.E.N.A.の特型実験体なら、そういう能力を持たせるのも可能かもしれない……ってことか。

G.E.H.E.N.A.も小癪な手妻を使ってくるわね」

 

 一柳隊とアールヴヘイムのリリィたちは、遥か上空に滞空しているスモール級ヒュージを見上げ、手詰まりとなっている現状に焦りを抱きつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、屋上から離れた死角の場所に布陣しているロスヴァイセと結梨と眞悠理も、ヒュージサーチャーの反応によって上空のスモール級に気づいていた。

 

「結梨ちゃん、飛行型のミドル級はまだ掃討中なの?」

 

 ロザリンデの問いかけに、結梨は少し表情を曇らせた。

 

「うん、全部のヒュージがバラバラになって百合ヶ丘に向かってるから、一体ずつ追いかけてやっつけないといけないの」

 

「そう……ではマギビットコアをガーデン上空まで戻して、この上にいるスモール級を撃墜するのは難しいのね」

 

「ごめんなさい」

 

「気にしないで、結梨ちゃんの責任ではないわ。

高出力砲の予定発射時刻は既に過ぎているのに、屋上からは何も動きが無い。

おそらく上空のスモール級が何らかの妨害をしているのでしょう。

あれを何とかして排除しないと、偵察衛星撃墜のタイミングを逸してしまうわ」

 

「でも、どうやってあんなに高い所にいるヒュージを攻撃するんですか?

私たちのCHARMでは、射程距離内であっても照準精度の問題で命中は困難です」

 

 上空のスモール級を排除あるいは無力化しない限り、作戦の成功は実現できない。

 

 この事実を認識した伊紀の言葉は焦燥感に満ちていた。

 

「射撃が無理なら斬撃……はもっと無理か」

 

 溜め息まじりに碧乙が天を仰いで額に手を当てた。

 

 その碧乙の言葉を聞いた結梨は、マギビットコアの操縦を続けながら考えを巡らせ始めた。

 

「斬撃……そうか、そうだよね」

 

 何かを思いついたように結梨はうなずき、隣りにいた伊紀に声をかけた。

 

「私が行く」

 

「えっ?」

 

 伊紀が振り向いた時には、もう結梨の姿は見えなかった。

 

 次の瞬間、縮地S級を発動した結梨は、高度1500メートル付近に滞空しているスモール級の至近に出現した。

 

 「――やあっ!」

 

 ヒュージが反応するよりも早く、結梨の手に握られたエインヘリャルのビームブレードが一閃し、体長数十センチメートルのスモール級の胴体を両断した。

 

 ビームブレードを振り抜くと同時に結梨の姿は再び消え、わずかの間隙も置かず伊紀の隣りに現れた。

 

「ただいま。あのヒュージ、やっつけたよ」

 

 ほんの少しだけ得意げな表情を浮かべ、事も無げに結梨は言ってのけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「百由様、ゴーグル内の表示が正常に回復しました」

 

 二水の声に続いて、雨嘉も百由に呼びかける。

 

「こちらもスコープ内の座標表示の乱れが解消しました」

 

「――ヒュージの妨害が無くなった?

よし、雨嘉さん、狙撃シーケンスを続行。今度こそ高出力砲を撃って」

 

「了解しました。――高出力砲、発射します」

 

 百由の指示を受け、みたび雨嘉は高出力砲のトリガーを引いた。

 

 長大な高出力砲の砲口から純白の光線が一直線に夜空へ伸び、同時にガーデンの照明が全て消えた。

 

 少しの間を置いて非常用の照明が点灯し、校舎の窓がそれまでとは比べ物にならないくらいの薄明るさで浮かび上がる。

 

 今は星明りの弱い光だけが、校舎屋上のリリィと砲撃を終えた高出力砲を静かに照らしている。

 

 雨嘉が覗くスコープの視界には、先程まで照準に捉えていた偵察衛星の輝点は存在していなかった。

 

「目標への命中を確認、偵察衛星の撃墜を達成しました」

 

 作戦のプレッシャーから解放されて、雨嘉は大きく肩で息をついた。

 

「百由様、ヒュージサーチャーからスモール級の反応が消えましたわ」

 

 亜羅椰からの報告を受けて、百由は安堵したようにうなずいた。

 

「別動隊がスモール級を撃破したってことか。

一体どうやって……というのは後でゆっくり考えればいいか。

――みんな、お疲れ様。これで本作戦は成功裏に終了。

残敵の出現に警戒しつつ、速やかに屋上から撤収しましょう」

 

「あの物凄く重たい高出力砲を、また皆で担いで工廠科の格納庫へ戻すんですね。

……うう、明日は筋肉痛間違いなしだ」

 

 作戦前に高出力砲を屋上へ運び上げた時の苦労を思い出し、壱は樟美の肩に手を置いて溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マギビットコアによって飛行型のヒュージを全て撃墜した後、ロスヴァイセのリリィたちと結梨は特別寮に戻ってきた。

 

 眞悠理は生徒会への報告のために結梨たちと別れ、一足先に校舎の中へと姿を消していた。

 

「作戦も無事に成功したことだし、一休みしたら皆でミーティングルームに集まってお茶でも飲みましょうか。

私はその前に、ガーデンに取り急ぎの報告を上げておくわ」

 

 ロザリンデが結梨たちをねぎらいながら部屋に入ると、窓の外に一羽の鳩が留まっているのが目に入った。

 

「あんな所に鳩がいるわ。珍しいわね」

 

 ロザリンデに続いて部屋の中に入った結梨も、すぐに鳩の存在に気づいた。

 

「あの鳩、ずっとこっちを見てる。何かあるのかな?」

 

 結梨がゆっくりと窓辺に近づいても、鳩が逃げる素振りは全く無かった。

 

 そのまま窓を開けると、鳩の足には円筒型の小さな金属製の容器が取り付けられているのが見えた。

 

 そっと結梨がその容器を鳩の足から外し、中を開けると、そこには何重にも折りたたまれた小さい紙片が入っていた。

 

 その紙片を広げると、几帳面な細かい字で書かれた文字列が結梨の目に映った。

 

「中に文章が書いてる……誰かからの手紙?」

 

「伝書鳩とは、何とも古風な連絡手段ね」

 

 結梨に歩み寄りながら、ロザリンデは鳩の正体にたどり着いていた。

 

「結梨ちゃん、その手紙の差出人は誰なの?」

 

 ロザリンデの問いかけに少しの間を置いて、ぽつりと結梨はつぶやいた。

 

 ――戸田琴陽、と。

 

 



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第16話 誰が為の四者会談(1)

注意:舞台「Lost Memories」のネタバレがあります。



 

 百合ヶ丘にもG.E.H.E.N.A.にも死傷者を出さずに終了した偵察衛星撃墜作戦から数日後の夜。

 

 特別寮のミーティングルームには、ロザリンデと結梨の二人だけがソファーに並んで座っていた。

 

 あの日、伝書鳩の足に付けられていた手紙には、『御前』が琴陽とともに結梨に面会を希望する旨の内容が綴られていた。

 

その手紙の書き出しの文面は以下のようなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 一柳結梨様

 

 拝啓

 ご無沙汰しています。戸田琴陽です。

 

 約束していた連絡が遅くなってしまい、とても申し訳なく思っています。

 

 結梨さんはその後、お変わりありませんでしょうか。

 

 過日の新宿エリアディフェンス崩壊事変の際には、大変なご活躍をされたと聞き及んでいます。

 

 新宿御苑での手合わせでは、幸恵様に見咎められてしまい中断を余儀なくされましたが、再戦の機会があれば是非あの時の続きをお願いしたく思っています。

 

 このたび『御前』におきましては、あらためて結梨さんとお会いすることが可能な状況になり、その希望を結梨さんにお伝えするために筆を執った次第です。

 

 

 

 

 

 

 いかにも琴陽らしい話の切り出し方だと、手紙を読んだ結梨は思わず口元をほころばせた。

 

 その後に続く文で、面会が可能であれば、希望の時間と場所を指定してほしいこと、ただし結梨以外の同席者はリリィ一名に限ることなどが簡潔に記されていた。

 

 また、この手紙の存在および面会が実現した際の会話内容をガーデンに報告することについては、特段の制限を設けるものではないとも。

 

 結梨はロザリンデに琴陽の手紙を見せた上で、面会の希望日時と場所を相談の上で決め、ガーデンへの報告を行うことにした。

 

 さしあたって必要な最低限の段取りを済ませた後、結梨は返信の手紙をしたため、伝書鳩の足に付けられている容器にそれを収めて静かに窓を閉めた。

 

 翌朝になって起床した結梨が窓の外を見ると、既に鳩の姿は窓辺から消えていた。

 

 ガーデンからの面会許可は、翌日すぐに結梨とロザリンデに伝えられた。

 

 その時点でガーデンが把握している『御前』の情報が、限定的ながら二人に説明され、面会においては『御前』の真意をできる限り引き出し、より深い情報を得ることが求められた。

 

 そして結梨とロザリンデが『御前』と琴陽を迎える場所として指定したのは、二人が現在いる特別寮のミーティングルームだった。

 

 約束の時間までは、まだ5分ほどの猶予があった。

 

 結梨はミーティングルームに入った時から、どことなく落ち着かない様子でドアの方をしきりに気にしている。

 

「特別寮って、ガーデンの許可を受けたリリィしか中に入れないんだよね。

場所はどこでもいいって手紙には書いてたから、ここにしたけど。

『御前』と琴陽は、どうやってここまで来るつもりなのかな」

 

 結梨の質問を受けたロザリンデは対照的に、その事については全く気に留めていなかった。

 

「以前に『御前』が地下の通路に侵入してきた時も、通路の出入口や通路内に設置されている監視装置を難無く潜り抜けて来たわ。

 

何らかの高次のレアスキルを使っている可能性が高いけれど、『御前』が強化リリィなら未知のブーステッドスキルを付与されているのかもしれないわ。

 

いずれにしても、彼女には大抵のセキュリティシステムは役に立たないでしょう。

だから『御前』がここまで来られない可能性は、結梨ちゃんが考えなくても大丈夫よ」

 

「そうなんだ……今の私みたいに縮地で建物の壁を通り抜けられるのかな。

それとも――」

 

 結梨が『御前』の能力について考えを巡らせ始めた時、部屋のドアを軽くノックする音が二人の耳に聞こえた。

 

「どうぞ、そのままお入りください」

 

 ロザリンデが落ち着き払った声で、ドアの向こう側にいるであろう者に声を掛けた。

 

 すると、ゆっくりと静かにドアが開いていき、二人の女性が姿を現した。

 

 女性は二人とも、黒を基調としたドレスに似た服を纏っている。

 

 年長の一人は見事な長身痩躯と長い黒髪、もう一人はCHARMケースを背負い、結梨と同じくらいの年頃の少女だった。

 

 その二人が紛れも無く『御前』と琴陽であることを結梨は認識し、ソファーから立ち上がった。

 

「ごきげんよう、琴陽。久しぶりだね。二人とも元気だった?」

 

「ごきげんよう。結梨さんこそ、お元気そうで何よりです。

そちらのリリィは新宿御苑で御一緒だったレギオンの方ですね?」

 

 屈託も邪気の欠片も無い結梨の言葉に答えたのは琴陽だった。

 

 琴陽の呼びかけに、結梨に続いてロザリンデが立ち上がり、『御前』と琴陽に軽く会釈した。

 

「私は百合ヶ丘女学院の特務レギオンであるLGロスヴァイセ所属の3年生、ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーです。

『御前』には初めてお目にかかります。以後お見知りおきを」

 

 ルドビコ女学院の制服ではなく、『御前』とよく似た意匠の服を着ている琴陽をロザリンデは見た。

 

「あなたはルドビコ女学院1年生の戸田・エウラリア・琴陽さんね。

新宿御苑で私たちと会った時と少し雰囲気が変わったかしら」

 

「……事情があって、今はルドビコのリリィではなくなりました。

ですから洗礼名も名乗っていません。

今の私はただの戸田琴陽です」

 

 わずかに寂しげな表情を見せつつ、琴陽は自らの名を訂正した。

 

「はじめまして、ロザリンデ。私のことは自己紹介した方がいいかしら」

 

 琴陽の一歩前に出た『御前』は唇の端に微笑を浮かべ、余裕に満ちた態度でロザリンデを一瞥した。

 

 前回、結梨と碧乙が『御前』と遭遇したのは薄暗い地下通路の中だったため、『御前』の正確な年齢の見当は付けにくかった。

 

 しかし、今のミーティングルームの通常の照明下では、ロザリンデよりもさらに年上の、教導官に近い年齢であるように見えた。

 

 『御前』の確認の言葉に、ロザリンデは首を横に振った。

 

「いいえ、その必要はありません。ようこそ百合ヶ丘女学院へ。

『御前』――いえ、白井咲朱さん」

 

「私の本名を知っているということは、夢結からそれを聞いたのかしら」

 

 ロザリンデの言葉に動じる気配も無く、『御前』こと白井咲朱は、若干の挑戦的な光を瞳に宿らせてロザリンデの顔を見据えた。

 

「あなたの実の妹である夢結さんから本名を直接聞いたわけではありません。

もちろん、ここにいる結梨さんも、それは同じです」

 

 ロザリンデはそこで一旦言葉を切り、咲朱と琴陽にソファーへの着席を促した。

 

 二人がソファーに腰を下ろすと、ローテーブルを挟んで向かい合う形で、別のソファーにロザリンデと結梨が並んで座る。

 

 ロザリンデは咲朱の顔を正面から見つめ、話の続きを再開した。

 

「東京で一柳隊との間に一悶着あったそうですね。

その件に関して色々とガーデンに報告が上がっています。

ただし、その内容は第一級の機密扱いに指定され、一般の生徒にはあなたの情報は伏せられています。

 

今の時点で情報が開示されている生徒は、一柳隊のリリィ以外には、私を含むロスヴァイセの一部のリリィと結梨さん、それに三人の生徒会長だけです。

結梨さんには、あなた方がこの部屋を訪れるまでの間に、私から説明済みです」

 

「そう、それなら話は早いわ。

私が今日ここに来たのは、私が望んでいた形ではなかったにせよ、その一悶着が決着したから。

 

その結果、私はこれまでの状況を一度整理し、それを踏まえた上で私の目指す高みへと昇るために、次の計画をあらためて定める必要があった。

 

その一環として、以前に私が自ら会いに来たリリィである一柳結梨と話をしに来たというわけ」

 

 傲慢と紙一重の自信に満ちた咲朱の様子は、一見した限りでは地下通路で結梨と碧乙に遭遇した時と何ら変わらないように見えた。

 

 だが、結梨は咲朱が漂わせている雰囲気に、目に見えない変化を感じ取っていた。

 

「『御前』――ううん、咲朱は少し変わったね」

 

「私のどこが変わったというのかしら?」

 

「少し大人になったみたいに見える」

 

 咲朱は結梨の意外な言葉を聞いて、どこか困惑したような、それでいて興味を引かれたような表情を見せた。

 

「大人になった……か。

まさか、自分よりずっと年下のリリィにそんなことを言われるとは思わなかったわ。

結梨、もう少しあなたの言わんとするところを聞かせてちょうだい」

 

「……咲朱は何かにこだわって張りつめていた感じが無くなったみたい。

どうしても欲しかったものが手に入らなくて、今は手に入らなかったことを受け入れて生きていこうとしてるような、そんな感じがする」

 

 自分より遙かに幼いと思っていた結梨の説明を、咲朱は神妙な面持ちで聞いていた。

 

 結梨の言葉を聞いた彼女の胸中に何が去来したのかは分からない。

 

 しかし、少なくとも結梨の発言内容に対して、咲朱が不快な感情を抱いた様子は見受けられなかった。

 

 咲朱は視線を結梨の瞳から胸元へと下げ、声の調子を少し落として話し始めた。

 

「東京での私と一柳隊との一部始終を、どこまであなたとロザリンデが知らされているかは、私には知りようもない。

 

でも、あなたが私と夢結の関係を知ったのなら、今あなたの口から出た言葉も納得できる。

 

もう今の夢結に私は必要ない。

 

夢結は自分のシルトやレギオンの仲間たちとともに進むことを選んだ。

 

それなら、私は夢結自身の決断と意思を尊重しないといけない。

 

――そして、私は夢結なしで私が目指す高みへと昇らなくてはならない」

 

 それが結梨の感じ取った咲朱の変化の本質であることを、咲朱の言葉は告白していた。

 

 



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第16話 誰が為の四者会談(2)

 

 実の妹である夢結との決別を受け入れた咲朱の言葉を、結梨は静かに聞いていた。

 

 そして咲朱が語り終えると少しの間を置いて、結梨は咲朱の瞳を覗き込むように尋ねかけた。

 

「本当に咲朱は夢結のお姉さんなの?」

 

「ええ。そうは見えないかしら?」

 

「よく分からない。雰囲気は似てないと思う」

 

「雰囲気、か。確かに依存する主体と依存される対象では、違っていて当たり前かもしれないわね」

 

「どういうこと?」

 

「こちらの話よ。あなたが気にすることではないわ」

 

 話の流れに区切りをつけるためか、咲朱はロザリンデの顔をちらりと一瞬だけ見てから結梨に視線を戻し、ゆっくりと語りかけ始めた。

 

「私は東京で夢結を一柳隊から離れさせて、私と一緒の道を進ませようとした。

それが私の望みであり、夢結にとっても最善の選択だと思ったから。

 

でも、夢結はそれを自分の意思で断った。

夢結は自分のシルトやレギオンの仲間たちと一緒に進む道を選んだわ。

 

つまり、私は妹に振られてしまったというわけ。

それで柄にもなく傷心を癒すための時間が欲しかったの。

 

――本当に、人の心は思い通りにならない」

 

 紅く美しい唇を皮肉げに歪めて、咲朱は自嘲気味に呟いた。

 

 結梨の隣りに座っていたロザリンデは小さく息を吐き出し、同情と憐憫が混ざり合ったかのような表情を浮かべて、ローテーブルの上に視線を落とした。

 

 そしておもむろに顔を上げて咲朱の方を見ると、重苦しい口調で咲朱に自らの意見を口にする。

 

「結局、夢結さんはあなたとシュッツエンゲル、二人の姉に振り回され続けたわけですね。

美鈴さんといいあなたといい、夢結さんには女難の相ならぬ姉難の相が出ているとしか思えません」

 

「川添美鈴と私を一括りにして論じるのは、やめなさい。

あなたは川添美鈴が夢結にしたことを知っているの?

 

川添美鈴は自身のレアスキルで夢結の記憶から私の存在を消し、夢結の心が自分だけに向けられ、自分に依存するように仕向けた。

 

シルトの記憶を操作してまで、その愛を自分だけのものにしようとするなんて、とてもまともなシュッツエンゲルとは言えないと思わない?」

 

「確かに美鈴さんの愛情が歪なものであったことは事実かもしれません。

 

だからといって、実の妹をシルトやレギオンから引き離し、自分の陣営に取り込もうとしたあなたを正当化することもできません。

 

あまつさえ夢結さんを殺して、その後で生き返らせようとするつもりだったと聞いています。

正気を疑うような話です」

 

「咲朱は夢結を殺そうとしたの? どうしてそんなことを?」

 

 結梨が驚きに目を丸くして咲朱の顔を見つめる。

 

 咲朱は特段気にする様子も無く、ごくあっさりとその理由を説明した。

 

「私のように、より強い力を持ったヒュージの姫として甦らせるためよ」

 

「ヒュージの姫として……夢結を?」

 

「咲朱さん、あなたは一度戦死した後で生き返ったと一柳隊のリリィたちに語ったそうですが、それは本当なのですか?」

 

 思わず口を挟んだロザリンデの顔を、咲朱は面白くも無さそうに一瞥した。

 

「ええ、本当よ。信じてもらえるとは思わないけど」

 

「あなたが百合ヶ丘女学院の卒業生であり、教導官として百合ヶ丘に赴任する直前に戦死したことは事実です。

 

そして戦死したはずのあなたが、今ここに生きて姿を現したことも事実です。

そうであれば、考えられる可能性は二つ。

 

一つは、戦死の事実そのものが何らかの偽装工作だったこと。

もう一つは、あなたの言う通り、本当に戦死した後に生き返ったこと。

 

後者の可能性はとても信じることはできません――死んだ人間が生き返ることなど、ありえない」

 

「ありえない、なんてことはありえないわ。

一度死んで生き返ったのは、今あなたの隣りにいるリリィも同じでしょう?」

 

 咲朱の言葉を聞いた結梨が自分の方を振り向いたことに、ロザリンデは気づいていた。

 

 だが、ロザリンデは結梨の顔を見ることができなかった。

 

 今自分がどんな表情をしているのか、結梨に見られることが怖かった。

 

 ロザリンデは震える声で咲朱に反論した。

 

「……結梨さんは生きている状態で私のシルトが発見しました。

私もこの目で確認しました。

確かに結梨さんは死んではいませんでした」

 

「発見時に生きていたからと言って、それは一度死んだことの反証にはならないわよ」

 

「……一度死んだ人間が生き返るなど、ありえないことです」

 

 息苦しそうに、喘ぐように、ロザリンデが先程と同じ発言を繰り返した。

 

「目の前に私という実例がいるのに、あなたは信じないの?」

 

「あなたの発言自体がブラフかもしれません。

あなたが今ここで自ら命を絶って、その後に蘇生したのなら信じますが」

 

「さすがに特務レギオンのリリィだけあって、用心深いことね。

いくら私でも、何の設備環境も無い所で生き返ることはできないわ。

それは結梨も同じよ。

あの時はヒュージネストが近くにあったからこそ蘇生――いえ、レストアが可能だった」

 

「そのような表現は控えてください」

 

 咲朱の言葉に反応して、ロザリンデの表情が急激に険しくなる。

 

「ロザリンデ、私は気にしてないから……」

 

 憤然とした感情を隠せないロザリンデだったが、咲朱は意に介せず話を続ける。

 

「表面上の言葉を飾ったところで、本質は何も変わらないわ。

ヒュージネストのマギを操れたところで、結梨が人であることに変わりはない。

無責任な野次馬が勝手な線引きをして、ヒュージだ人だと騒いでいるに過ぎない」

 

「私たちは、あなたのように本音だけで生きていけるほど強い力を持っていないのです。

それに、形式に従うことで避けられる争いもあります」

 

「その形式とやらで査問委員会の鈍物連中を正面から論破した結果がどうだったか、忘れたとは言わせないわよ。

結梨が戦っていなければ、百合ヶ丘の霊園に建てる墓標の数が数十、あるいはそれ以上増えていたでしょう」

 

「それは……」

 

 率直すぎる咲朱の物言いに、ロザリンデは返す言葉を失った。

 

 議論に敗れたG.E.H.E.N.A.は、間を置かずに特型ギガント級――後に個体名ハレボレボッツと名付けられた特異なヒュージを差し向けてきた。

 

 その目的が百合ヶ丘に壊滅的な打撃を加えることにあったのは想像に難くない。

 

「G.E.H.E.N.A.は目的を達成するためなら躊躇なく人を殺す。

ある時はヒュージを、別の時には教導官を使って。

もちろん、それがG.E.H.E.N.A.の仕業であることは証明できないような形で。

いわば一種の完全犯罪として」

 

 反論できずにいるロザリンデに畳みかけるように、咲朱は言葉を重ねる。

 

「特務レギオンのリリィとしてG.E.H.E.N.A.と相対してきたあなたなら分かるでしょう。

話の通じない相手なら、力には力で対抗するしかない。

リリィがヒュージと戦う時と同じように」

 

「……」

 

 憮然として沈黙を続けるロザリンデから結梨へと、咲朱は視線を転じた。

 

「結梨、自分の道は自分の力で切り開きなさい。

何ものにも脅かされず、自分らしく自由に生きるために。

あなたの力はそのためにこそある。

燈もそうやって生きてきた。

燈にできてあなたにできないはずは無い」

 

 この場にいない御台場女学校の強化リリィの名を出して、咲朱は結梨に励ましの言葉をかけた。

 

 それに対して、ロザリンデは水を差すかのように咲朱に反論する。

 

「あまり結梨さんを焚きつけないでください。

まだ彼女の心は幼い。

むやみに危険な状況に足を踏み入れるような事はさせるべきではありません」

 

「それはどうかしら。結梨は言葉遣いは幼くとも、物事の本質はよく見えているし、状況の判断も適切にできるレベルに達していると思うわ」

 

「琴陽さんのように、結梨さんも自分の配下に引き入れるつもりですか」

 

「以前の私なら、間違いなくそう考えていたでしょうね。

力の質は違えど、結梨の力はヒュージの姫に比肩する。

 

結梨は戦力として、そしてこの世界の行く末を左右する上で、決定的な役割を果たす可能性がある『特異点のリリィ』よ。

 

ぜひ私とともに高みを目指してほしいのは山々だけれど――あなたは結梨のことをどう思っているの? 琴陽」

 

 咲朱から発言を促された琴陽は、満を持したかのように身を前に乗り出し、結梨の顔を正面から見つめた。

 

 そして小さく頷いてから咲朱の方を振り向いて、琴陽は言葉を紡ぎ始めた。

 

「はい、新宿御苑で手合わせしていただいた時も結梨さんはとても強くて、私がゼノンパラドキサS級持ちの強化リリィでなかったら、結梨さんの攻撃を避けることは到底できなかったと思います。

 

あの遠隔操縦タイプのCHARMは第4世代の精神直結型CHARMに間違いありません。

あのタイプのCHARMを自在に使いこなせるリリィは、現時点で私の知る限り結梨さん以外には存在しません。

 

それだけでも比類ない能力の持ち主なのに、複数のレアスキルを同時に使えるとも聞いています。

手合わせの時は縮地を一度だけ使っていましたが、少なくともフェイズトランセンデンスも同時に使えるんですよね。

 

それなのに全然偉ぶったり鼻にかけたりすることも無くて、いつも自然体な姿勢はとても素敵だと思います。

 

だから私はこの先、咲朱様の下で結梨さんと一緒に戦っていけたら、とても幸せで充実した悔いの無い日々を過ごせると信じています」

 

 滔々と一気に自らの思いを語り続ける琴陽は、自分の言葉に興奮しているのか、その白い頬を紅潮させ、生気に満ちた瞳は熱を帯びたように輝きを増していた。

 

「……だそうよ。随分惚れ込まれてしまったみたいね、結梨」

 

「ちょっと照れくさいかも」

 

 頬を少し赤らめてはにかんだ結梨の隣りでは、ロザリンデが一歩引いた態度で琴陽を見つめていた。

 

「思い込みが激しい子だとは感じていたけれど、あらためて目の当たりにすると気圧されるほどの勢いね。

 

でも、琴陽さん。咲朱さんと一緒に進めば、彼女が高みに昇り詰める前にあなたは命を落とすかもしれないわよ」

 

 諫めるようなロザリンデの言葉を受けても、琴陽は全く自分の考えを変える気は無かった。

 

「もとより、その覚悟はあります。

でも、私は死ぬために咲朱様とともに進むわけではありません。

人はいつか必ず死にます。

ただ長く生きれば幸せというわけでもありません。

いかに生き、いかに死ぬか。

それが人の生の本質的な意味だと私は思います」

 

 琴陽が咲朱に心酔していることは、ロザリンデは情報としては知っていた。

 

 しかし、それをいざ彼女自身の言葉として直接聞かされると、その危険な情熱とでも形容すべき感情をまともに浴びせられ、ロザリンデは全身に汗が滲み出てくるかのような感覚に襲われた。

 

 ロザリンデからの返答を待たず、琴陽はさらに言葉を続ける。

 

「これまで幾百幾千のリリィが志半ばで戦死していきました。

彼女たちの中で、自らの死に納得できた者がどれほどいたでしょうか。

 

誰もが最後まで戦い抜いて生き残り、ヒュージのいない世界をその目で見たかったはずです。

では、彼女たちの死は無意味だったのでしょうか。

 

それについての是非を述べることは、生者の傲慢だと私は思います。

彼女たちの死を賛美することも貶めることも許されるべきではありません。

 

もし私が戦死者の列に並ぶことになったとしても、それが私が自ら選んだ戦いの結果であれば、悔いはありません」

 

 自らの決意を最後までためらいの欠片も無く表明した琴陽に、ロザリンデは反駁の言葉を持たなかった。

 

 それを見た咲朱は軽く苦笑して琴陽の肩に手を置いた。

 

「琴陽、もうそのくらいにしておきなさい。

あなたの気持ちは嬉しいけれど、今ここで話す内容としては少しばかり哲学的に過ぎるわ」

 

「申し訳ありません。出過ぎた真似をしてしまいました」

 

「いいのよ。さて、今度は私からこの場で話したかったことを言わせてもらうわ。

構わないわよね、二人とも」

 

 咲朱の確認の言葉に、結梨とロザリンデは黙って頷いた。

 

 それを見た咲朱は満足したように微笑を浮かべ、美しい唇を開いた。

 

「結梨、あなたに初めて会ってから今日まで、あなたについて私が考えたことを聞いてくれるかしら」

 

 



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第16話 誰が為の四者会談(3)

 

 咲朱はロザリンデと結梨の顔を交互に見た後、改まった口調で結梨に語りかけ始めた。

 

「一柳結梨――あなたは極めて特殊な出生の事情を持ち、それゆえに人として、リリィとして扱われず、あわや実験体のヒュージ同様にG.E.H.E.N.A.のモルモットにされるところだった。

 

百合ヶ丘女学院関係者の尽力により法的に人として認められた現在も、あなたがヒュージ幹細胞を元にして生まれた人間である事実は変わらない。

 

それを裏付けるかのように、来夢や藍と同じく、あなたは他のリリィが持ちえない超越的な能力を既に幾度も発揮してきた。

 

自分の意思とは無関係に、生まれながらに背負わされた十字架。

 

そして、それと引き換えに得た唯一無二の力。

 

これから先、あなたはその二つを抱えながら、命が尽きるまで生き続けなければならない。

 

その十字架は生涯消えることは無いでしょう。

 

でも、それはあなただけではなく、来夢や藍、燈のような強化リリィも同じ。

 

彼女たちは自分が背負った運命から目を背けず、自分が得た力を武器にして運命を切り開いて行こうとしている。

 

それならば、彼女たちに勝るとも劣らぬ力を持つあなたも、その力を使って自らの運命に立ち向かい、自分の手で望む未来を掴み取らなければいけない。

 

あなたにはそれが出来ると私は信じている。

 

そのためにも、あなたがこれからどう行動すべきなのかを、私から話しておきたい」

 

 咲朱の言葉を黙って聞いていたのは、結梨もロザリンデも同じだった。

 

 が、素直に咲朱の話に聞き入っている結梨とは違い、ロザリンデは咲朱には何がしかの目的があって、このような話を始めたのだという読みがあった。

 

 表情には出さないロザリンデの疑念を知ってか知らずか、咲朱はなおも話を続ける。

 

「あなたは今後もずっと――そう、卒業まで今の生活を続けるつもり?」

 

 咲朱の質問を受けた結梨は、少し首を傾けて困ったような顔をした。

 

「えっと……それは、あんまり考えたこと無かった。

ロザリンデたちと一緒に、強化リリィの救出作戦や外征支援の任務に出撃することが、今の私にできることだって考えてたから」

 

「結梨、あなたの考え自体は間違っていない。

 

でも、それはあなたの能力や目指すべきものに対して、少々控えめに過ぎると私は思っている。

 

現状の任務を卒業まで続けても、あなたや百合ヶ丘が置かれている状況を根本的に解決できるとは思わない。

 

あなたが目指すべき目標は、あなたがリリィとしての能力を完全に発揮できる年齢――つまり高等部卒業までの間に、G.E.H.E.N.A.の追跡や監視、拘束を受けずに済むような体制を確立することではないかしら。

 

それが実現できれば、あなたは人目をはばかることなく梨璃や夢結にも会えるようになる。

 

ロスヴァイセ預かりの立場から離れ、一柳隊への復帰も可能になるでしょう」

 

「……うん。咲朱の言うようにできたらいいとは思うけど……私にはそのやり方が分からない」

 

 結梨は途切れがちに咲朱の意見を肯定し、その答えを予想していたかのように咲朱は核心的な提案を結梨に差し出した。

 

「率直に言うわ――理想の実現のために私と一緒に高みを目指すつもりは無い? 結梨」

 

 そら来た、と言わんばかりにロザリンデの剣呑な眼光が咲朱の顔を射抜くが、咲朱はそれを平然と無視して言葉を続けた。

 

「琴陽もそれを望んでいる。目指す頂に登った暁には、きっと素晴らしい景色が見えることと思うわよ」

 

 咲朱が隣りにいる琴陽を横目で見ると、琴陽は生気に満ちた目を輝かせて、大きく何度も頷いた。

 

 琴陽の反応を確認した咲朱は軽く微笑むと、再び結梨に視線を戻して話し始める。

 

「G.E.H.E.N.A.の生体兵器として生まれた気の毒で可哀想なリリィとして卒業まで耐え忍んで生きる、なんてことをあなたが選ぶとは思えないし、選ぶべきでもない。

 

G.E.H.E.N.A.があなたに手出ししてくるか否かにかかわらず、あなたは自分の理想を実現するために邁進すればいい。

 

その上で、もしG.E.H.E.N.A.があなたの行く手に立ちふさがるようであれば、それを排除して前に進めるだけの力をあなたは持っている。

 

G.E.H.E.N.A.の実験台となっている全ての強化リリィを解放し、あなた自身もG.E.H.E.N.A.のあらゆる干渉や束縛から自由の身になる――それがあなたが実現すべき最終的な目標ではないかしら。

 

そのために私と行動を共にすることは、あなたと私の双方にメリットがあると私は思っているけれど、あなたの考えはどうなの?」

 

 咲朱は余裕に満ちた表情で結梨の顔をじっと見つめ、結梨の答えを待っている。

 

 結梨はしばらく目を閉じて沈黙を保っていたが、やがてゆっくりとその瞼を開き、咲朱に向かって話し始めた。

 

「……今の私は、この世界に生まれてきてよかったと思ってる。

 

梨璃や夢結や一柳隊のみんなや、ロザリンデたちが私を守ってくれて、一人の人間として私を見てくれたから。

 

でも、このガーデンの外では、G.E.H.E.N.A.のラボや親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンで、死んだ方がましなくらいのひどい実験を受けさせられている強化リリィがいる――全部で何人いるのか分からないくらい、たくさん。

 

私たちはそんな強化リリィを一人ずつ助け出しているけど、そのやり方で全部の強化リリィを助けられるとは思ってない。

 

それは咲朱の言う通りだと思う。

 

でも、もし代わりになる別の方法があるのなら、私はそれを選んで、それをやってみたい。

 

その方法が、私が百合ヶ丘の外に出ることでしかできないのなら、私はそうしないといけない――」

 

 その時、結梨が自分の考えを言い終える前に、ロザリンデが二人の会話に割って入った。

 

「待ちなさい、結梨ちゃん。軽々にその判断をすることは許されないわ。

 

第一、咲朱さんは今はもう百合ヶ丘の人間ではない。

 

現在はG.E.H.E.N.A.との関係を絶っていることを百合ヶ丘でも把握しているけれど、それはただちに咲朱さんが私たちの味方であることを意味しないわ。

 

それに、百合ヶ丘のガーデンにいる間は、ロスヴァイセのリリィを始めとして人的・物的なあらゆる手段であなたを守ることができる。

 

でも、一たびガーデンの外に出れば、G.E.H.E.N.A.のみならず、あらゆる不確定要素の中で行動しなければならなくなる。

 

ガーデンの直命で私たちと一緒に出撃するならともかく、結梨ちゃんが単独で百合ヶ丘から離れることは、結梨ちゃんの一存で決められることではないわ」

 

 緊張に満ちた口調で結梨の発言を制止したロザリンデを、咲朱は対照的に冷静な目で眺め、それから少しの間を置いて苦笑を浮かべた。

 

「あなたならそう言うと思ったわ、保護者気取りのお姉さん。

この場では話がつかないと事前に予想していた通りね。

 

では、予定通り決定権を持っている人物に交渉してみることにするわ。

――ロザリンデ、少し結梨を借りるわよ」

 

 そう言うと、咲朱は座っていたソファーから身を乗り出して、ローテーブル越しに右手で結梨の肩に軽く触れた。

 

 次の瞬間、咲朱と結梨の姿は忽然と消失し、ロザリンデと琴陽の二人だけがミーティングルームに残された。

 

「琴陽さん、咲朱さんと結梨さんはどこに行ったの?

まさかこのまま結梨さんを連れ去るつもりではないでしょうね」

 

 もしそうならただでは済まさないと言わんばかりの勢いで、ロザリンデは琴陽に詰め寄った。

 

 しかし、琴陽は全く落ち着き払った態度でロザリンデに返答した。

 

「ご心配には及びません。

今の咲朱様はそのような事をなさる御方ではありません。

この私が保証します」

 

「今の、という言葉が引っかかるけど……」

 

「咲朱様は夢結様の一件以来、お変わりになりました。

もう相手の気持ちに反するような強引な事はなさらないと思います」

 

「……だといいのだけれど。

ところで、あなたがここに持参したCHARMは護身用として?」

 

 琴陽が座っているソファーの脇には、彼女が背負っていたCHARMケースが寄り添うように置かれていた。

 

「それもありますが、もう一つ別の目的があって持ち込みました。

咲朱様と結梨さんが戻られたらお話ししますので、すみませんが、それまでお待ちください」

 

 もしやここで手合わせを願い出るつもりかとロザリンデは気を揉んだが、一方の琴陽は涼しい顔でポケットから手帳を取り出し、何やら熱心に書き込みを始めている。

 

 それを見たロザリンデは、深く溜め息をつくとソファーに背をもたれかけ、天を仰ぐように天井を見上げた。

 

「……果報は寝て待て、なんて気分にはとてもなれないわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミーティングルームで途方に暮れているロザリンデから離れること約100メートル、咲朱と結梨は百合ヶ丘の校舎内の一室に瞬間移動していた。

 

 その室内に結梨は見覚えがあった。そこにいた四名の男女にも。

 

 突如として目の前に現れた咲朱と結梨に唖然としているのは、高松咬月と三人の生徒会長だった。

 

 咲朱によって百合ヶ丘女学院の理事長室にその身を移したことを、結梨は理解した。

 

 



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第16話 誰が為の四者会談(4)

 

 突然に結梨を伴って理事長室に出現した咲朱は、驚きの表情を隠せない高松咬月に深く頭を下げた。

 

「お久しぶりです。理事長代行――いえ、高松先生」

 

「……この目で実際に見るまでは信じられなかったが、本当に白井君なのだな。

それにしても、随分と雰囲気が変わったようだが」

 

「最後にお目にかかってから今日まで色々とありましたから。

そちらの三人は生徒会のリリィですか?」

 

「そうだ」

 

 ソファーから立ち上がり、身を固くして自分を見つめている三人の生徒会長を、咲朱は軽く一瞥した。

 

「はじめまして、百合ヶ丘女学院のリリィたち。

特別寮での私たちの面会が終わるのをここで待機していた、というところかしら。

あなたたち、そんなに警戒しなくてもいいわよ。

少なくとも今のところは、私は百合ヶ丘とは敵対していないつもりだから」

 

「『御前』……どうやってここに」

 

 咲朱と直接の面識がある祀が思わず言葉を漏らし、それを隣りで聞いた眞悠理が半信半疑で祀に問いかける。

 

「『御前』? この人が亡くなったはずの夢結さんのお姉さんなの?」

 

「ええ、東京で一柳隊の前に何度も現れた『御前』と名乗る人物――白井咲朱さんに間違いありません」

 

 一方、史房は咲朱の横に立っている結梨に、彼女には似つかわしくない余裕の無い口調で呼びかけた。

 

「結梨さん、その人から離れなさい。その人は危険よ」

 

「咲朱はそんなリリィじゃないと思うけど……」

 

 咲朱に対する二人の認識の違いは、そのまま言葉の違いとなって表れていた。

 

 咲朱を含めて理事長室にいる五人のリリィは、誰もCHARMを持っていない。

 

 にもかかわらず、室内には一触即発の張り詰めた空気が漂っている。

 

 その空気は全て三人の生徒会長から発せられていた。

 

 一柳隊の報告にもあるように、『御前』こと白井咲朱は桁違いの戦闘能力を持つリリィだと分かっている。

 

 現に彼女は何の前触れもなく、いきなり理事長室に結梨を伴って現れた。

 

 理事長室の扉も窓も全て閉まっている。

 

 エリアディフェンス崩壊事変の際に結梨が東京で覚醒したという縮地S級、その高次レアスキルを咲朱も有していることは明らかだった。

 

 加えて、一柳隊の報告ではレギオンの全員が総がかりで戦っても、咲朱に対して優位に立つことは全く出来なかったとあった。

 

 もし咲朱がこの場で攻撃を仕掛けてきたとしたら、自分たちだけで咲朱を抑え込むことは不可能に思われた。

 

 史房は額に脂汗をにじませながら、目の前に立っている咲朱に自己紹介の言葉を口にした。

 

「……はじめまして、白井咲朱さん。

私はブリュンヒルデを務めています、3年生の出江史房です。

こちらの二人はオルトリンデ代行の秦祀とジーグルーネの内田眞悠理、二人とも2年生です」

 

「はじめまして。出江さん、秦さん、内田さん。

秦さんは東京で一柳隊と一緒にいたわね、見覚えがあるわ」

 

「東京でのあなたの振る舞いを目の当たりにした身としては、友好的な態度は取りかねます」

 

「それは構わないわ。あなたはあなたの感じた通りに私に接してくれればいい」

 

 祀の反応など歯牙にもかけないと言わんばかりの咲朱の物言いに、祀は頬を僅かに引きつらせた。

 

 だが、咲朱と初対面の史房や眞悠理とは違い、祀は既に東京で咲朱と面識を持っている。

 

 そのためか、夢結の姉である咲朱が妹に抱いている人間臭い感情を、祀は感じ取っていた。

 

(この人、夢結さんを私たちに取られたと思っているのかしら。

それならちょっと揺さぶりをかけてみましょう)

 

「……ふふ、私は自室に戻ればいつも夢結さんと二人きり。

私と夢結さんが毎夜どんな時間を過ごしているか、咲朱さんには知る由もありませんね。

夢結さん、あれで結構可愛らしいところもあるんですよ」

 

 いささかあざとい仕草でくすくすと笑ってみせる祀に、咲朱は柳眉を逆立てて睨みつけた。

 

「……あなた、私を挑発しているの? いい度胸ね。

夢結に変なことをしたら、ただでは済まさないわよ」

 

 珍しく感情をあらわにする咲朱に、祀はあくまで平静を装って言い返す。

 

「私と夢結さんの間に何があろうとも、それは当人同士の問題です。

それが愛であれ、憎しみであれ。

実の姉であっても、私たちの関係に干渉することはできませんよ」

 

「そう、あなたの考えはよく分かったわ。

どうやら夢結は面倒なルームメイトを持ってしまったようね。

私が予定通り教導官として百合ヶ丘に赴任していたら、あなたと夢結を同室にすることは決して認めなかったでしょう」

 

「あなたが百合ヶ丘の教導官でなかったこと、神様に感謝します」

 

 うやうやしい動作で祀は十字を切り、胸の前で両手を組んだ。

 

 祀が自分を挑発している確信を得た咲朱は、我慢ならず一歩前に足を踏み出した。

 

 その時、咲朱と祀の間に割って入ったのは結梨だった。

 

「祀、咲朱と喧嘩しないで。

私たちは争うためにここに来たんじゃないから」

 

「大丈夫よ、結梨ちゃん。

夢結さんのお姉さんなら、そんな軽率な行動は取らないと分かっているから。

そうね、結梨ちゃんの顔に免じて、この場は大人しく引き下がりましょう。

――咲朱さん、申し訳ありませんでした。少々悪ふざけが過ぎました」

 

 先ほどまでの態度とは一転して、しおらしく頭を下げる祀に、咲朱はあきれた様子で毒気を抜かれたようだった。

 

「何なの、このリリィは……夢結の人格形成に悪影響が無ければいいけど」

 

 頭を振って気を取り直そうとする咲朱に、咬月が話しかける。

 

「白井君、経緯はどうあれ、君が生きていたのはこの上ない吉報だと私は考えている。

君の意志が変わっていなければ、改めて教導官としてこのガーデンに着任する気はないかね」

 

 だが、それを聞いた咲朱は軽く首を横に振った。

 

「高松先生のお言葉はありがたいのですが、今の私は以前の私とは違います。

 

ガーデンの一教導官として後進を育成し、それを自らの為すべき使命として全うする――以前の私なら、そのような生き方を善しとしていたでしょう。

 

でも、今の私は違う。

今の私はこの世界をまるごと変えられるほどの力を手に入れた。

 

それならば、その力を使って自分にしか為しえないことを為すべきだと、私は考えています」

 

「……」

 

「そして、それはこの子も同じ。

特務レギオン預かりの一リリィとして、この後の二年余りを過ごさせるのは役不足に過ぎると思いませんか?

 

一柳結梨というリリィは、百合ヶ丘女学院が手にしている最高のワイルドカードです。

 

その切り札をゲームが終わるまで手元に残しておくなんて、勝負に勝つ気が無いと思われても仕方がありません」

 

 そう言って、咲朱は結梨の肩に手を置くと軽く微笑んだ。

 

「君は一柳君を自分の陣営に加える腹積もりなのか」

 

「そうできれば良いとは考えていますが、無理強いするつもりはありません。

夢結の一件で、私にも思うところがありますので。

 

ですが、結梨はもっと広い世界でその力を発揮するべきだと、私は思っています。

それが彼女の理想を実現するために最も適切な選択だと」

 

「君の言わんとすることは理解できる。

だが、G.E.H.E.N.A.の目がある限り、簡単に一柳君を百合ヶ丘の外に出すわけにはいかないのも事実だ」

 

 咬月の慎重な発言を聞いた咲朱は、どこか懐かしいものを見るような目で彼の顔を眺めた。

 

「石橋を叩いて渡る御人柄は変わらないようですね。

 

現在、G.E.H.E.N.A.では、一柳結梨の可能性があるリリィに対して一切の積極的関与を禁止しています――当然、武力を用いた攻撃や身柄の拘束も。

 

先日は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるエレンスゲ女学園の松村優珂から襲撃を受けたそうですが、それも襲撃者である松村優珂の完全な独断専行だった。

 

加えて、今の結梨はCHARMにしてもレアスキルにしても、G.E.H.E.N.A.が迂闊に手を出せないほどの実力を持っています。

 

それであれば、思い切って結梨を百合ヶ丘の外に出してみることも、対G.E.H.E.N.A.戦略の一環として考慮する価値はあると思いますが」

 

「君がなぜその事件の詳細やG.E.H.E.N.A.内部の事情を知っているのかね」

 

「私が今でもG.E.H.E.N.A.と関係を保っているとお考えなのですか?

残念ながら、それはお門違いです。

 

今の私はG.E.H.E.N.A.とは無関係の存在であり、G.E.H.E.N.A.自体にも興味はありません。

 

だから、ある意味では反G.E.H.E.N.A.と親G.E.H.E.N.A.のどちらでもない中立の立場です。

 

ただし、G.E.H.E.N.A.が私の進む道に立ちふさがるようであれば排除するし、それに先立ってG.E.H.E.N.A.内部の動向を探ることは欠かしません。

 

私自身はG.E.H.E.N.A.に興味が無いと言いましたが、ヒュージの姫になりうるリリィや特異点のリリィが、ガーデンの不作為で失われるのは耐え難い。

 

それが戦死であっても、被験体としてG.E.H.E.N.A.の手に落ちる形であっても。

 

私とともに新しい世界の一翼を担うかもしれないリリィが、無為に失われていくのを看過することはできない。

 

――ただ、それだけのことです」

 

 持論を言い終えた咲朱に、それまで黙っていた眞悠理が、深い憂いを帯びた視線を向けた。

 

「咲朱さん、あなたは生き急いでいるように見えます」

 

「誰でも自分が生きている間に理想を実現したいと考えるのは当然だと思うけど、違うかしら?

 

あなたたちだって、ただヒュージネストを討滅する害獣駆除だけが、このガーデンの使命だと考えているわけではないでしょう?」

 

「それはG.E.H.E.N.A.に対する方針の事を仰っているのですか?」

 

「そうよ。今までのやり方を続けていても、いずれG.E.H.E.N.A.に押し込まれて、百合ヶ丘や御台場が第二、第三のルドビコになることは火を見るよりも明らか。

 

現に、今の御台場女学校はG.E.H.E.N.A.による『実験』の最前線となっている。

 

少し前にガーデンの近傍で発生した特型ギガント級との戦闘でも、『原初の開闢』に酷似した気象現象が確認されているわ。

 

この先、御台場が繰り返し行われる『実験』でルドビコのように崩壊すれば、G.E.H.E.N.A.は次の新しい実験場候補に食指を伸ばすでしょう。

 

それがこの百合ヶ丘女学院でないという保証はどこにも無い。

 

ならば、最優先で御台場に支援となる戦力を送るのが、最善の選択ではないかしら」

 

「……」

 

 押し黙る眞悠理の代わりに、咲朱に返事をしたのは咬月だった。

 

「君の考えは理解できたが、それに対する回答は、この場では即答しかねる。

日を改めて君と話し合いの場を持つことで、この議題は預からせてもらいたい」

 

 咬月の返答を予期していたかのように、咲朱は悠然とした態度で咬月を振り返った。

 

「高松先生なら、そう仰ると思っていました。

ですが、私は即断即決を旨として、今日百合ヶ丘を訪れました。

ここからは私の望むように動かせていただきます」

 

 咲朱は少し膝をかがめ、隣りに立つ結梨の目を正面から見つめた。

 

「結梨、私はこれから高松先生のお姉さんとお話ししてくるから、あなたは一足先に特別寮へ戻りなさい。

また後で会いましょう」

 

 咲朱は結梨の額に軽く口づけると、次の瞬間にはその姿を掻き消していた。

 

 



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第16話 誰が為の四者会談(5)

今回投稿分でストーリー構成の区切りをつけるために、かなり詰め込み気味の内容になっています。



 

 結梨を理事長室に残し、咲朱は咬月の姉、すなわち高松祇恵良のもとへ移動するべく姿を消した。

 

 その現象は、現れた時と同じく縮地S級の発動によるものであることは間違いなかった。

 

 唐突に一人少なくなった理事長室を静寂が支配している。

 

 ややあって、最初に口を開いたのは祀だった。

 

「『高松先生のお姉さん』って、まさか――」

 

「理事長に直談判しに行った……」

 

 途切れた祀の言葉を史房が引き継ぎ、さらに眞悠理が言葉を継ぐ。

 

「大した行動力ですね。さすがに一柳隊から強引に夢結さんを引き抜こうとしただけのことはあります」

 

「感心している場合ではないでしょう、眞悠理さん。

代行、私たちは何もしなくていいんですか?」

 

 渋い顔で眞悠理を見てから、史房は咬月に確認した。

 

 咬月は複雑な表情を浮かべ、それに似つかわしい割り切れない答えを吐き出した。

 

「今の白井君の行動を制止するのは、我々にはできないだろう。

 

以前はあれほど積極的な方針を前面に主張する性格ではなかったと思うが……彼女の意見にも一理あるのは認めなくてはならない」

 

「いくら私たちの大先輩で、教導官になっていたかもしれない人とは言え、ちょっと図々しすぎませんか?」

 

「確かに以前の白井君とは相当に印象が違っていた。

しかし彼女が白井咲朱本人であることは間違いない。

経験が人を変えたとしか今は言えん」

 

 咲朱が去り、残された結梨に心配そうに声をかけたのは祀だった。

 

「結梨ちゃん、この後ですぐに検疫、いえメンタルとフィジカルのチェックを受けましょう。

さっき咲朱さんは何か仕込んでいったかもしれないわ。

シェリス先生に連絡しないと」

 

「さっきって?」

 

「咲朱さんが消える前に、結梨ちゃんの額にキスしたでしょう?

単なる別れの挨拶ではない何かがあったのかもしれないわ」

 

「何か……」

 

 結梨はまだ要領を得ない表情のままだった。

 

「美鈴様はレアスキルを使って夢結さんの記憶を操作していたんでしょう?

同じようなことを咲朱さんができても不思議は無いわ。

これまでの出来事で何かが思い出せなかったり、思い出そうとすると頭が痛くなったりはしない?」

 

「べつにそんな感じはしないけど……」

 

「それに、咲朱さんは一柳隊と戦った時、相手の身体に触れずに指先一つで金縛りを掛けていた。

あの人がどんな未知の能力を持っているか分からない以上、用心するに越したことは無いわ。

代行、すみませんが私と結梨さんは先に退室させていただいてよろしいでしょうか」

 

「分かった。シェリス教導官には私から連絡しておこう。

一柳君、秦君と一緒に検査室までレアスキルで移動してもらえるかね。

徒歩で移動すると、途中で誰かに君の姿を見られる恐れがある」

 

「うん。祀、行こう」

 

 結梨は祀の手を取ると、先程の咲朱と同じく瞬時に姿を消した。

 

 咬月は保険医兼教導官であるシェリス・ヤコブセンに電話で連絡を終えると、咲朱が示した提案を再び論じるべく、史房と眞悠理に向き直った。

 

 議論は眞悠理の発言によって再開された。

 

「反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである百合ヶ丘と御台場は、いわば同盟関係にあるガーデンです。

現在、その御台場がG.E.H.E.N.A.の実験場になっているとあれば、百合ヶ丘が支援戦力を投入することに正当性はあると思います」

 

 理事長室に残っているもう一人の生徒会長である史房は、何らかの形で御台場を支援すること自体には肯定的だった。

 

 史房は眞悠理の発言を引き継ぐ形で、自らの考えを説明する。

 

「でも、それは同時に百合ヶ丘が積極的にG.E.H.E.N.A.の『実験』を妨害する姿勢を表明していると、G.E.H.E.N.A.からは解釈されるわ。

 

これまで百合ヶ丘は原則として、強化リリィの救出を対G.E.H.E.N.A.戦略の主軸として進めてきた。

 

ただし、御台場がG.E.H.E.N.A.の標的にされているとなれば、百合ヶ丘としても、これまでより一歩前に出る対応を迫られることは間違いない。

 

百合ヶ丘がこのまま静観を決め込んで、御台場がルドビコのように崩壊すれば、さっき咲朱さんが言ったように百合ヶ丘が次の標的にされてもおかしくない。

 

御台場女学校は東京御三家の一角だけど、同じ御三家のルドビコ女学院が現在どのような状態になっているかを鑑みれば、百合ヶ丘としても、ただ手をこまねいて状況の推移を見守るわけにはいかないでしょう」

 

「かと言って、百合ヶ丘がレギオン単位で御台場にリリィを派遣し、常駐させれば、G.E.H.E.N.A.が政府機関を使って社会問題化させるのは目に見えています。

 

大方、リリィ脅威論と絡めて反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの戦力や権限を削減させる方向へ持って行こうとするでしょう。

 

従って、可能な限り少ない人数で、最大限の戦力を投入できる形が理想です。

それも世間に名が知れている有名リリィではない方が望ましい。

となれば、必然的に候補となるリリィは極めて限定されます」

 

 史房の発言を踏まえた上で、眞悠理は自らの意見をさらに展開し、咬月に意見を求めるかの如く視線を送った。

 

「それで白井君は、一柳君を支援戦力の切り札として御台場に派遣すべきだと主張したのだな」

 

「しかし、結梨さんをG.E.H.E.N.A.の実験場となっている御台場へ派遣することは、非常な危険を伴うのではありませんか?」

 

 史房は眉間にしわを寄せて、結梨の派遣に慎重な姿勢を示している。

 

「白井君の話していたことは、北河原君がエレンスゲのリリィから聞いた内容――一柳結梨の可能性があるリリィへの関与を事実上禁止する――と一致している。

 

であるなら、理屈の上では一柳君が御台場女学校にいることをG.E.H.E.N.A.が知ったとしても、手出しはしてこないと言えるが……」

 

「その禁止がいつまで有効なのかは不明です。

一時的なものか恒久的なものか、今の段階では全く分かりません。

そんなものをあてにして、切り札を失うことになれば取り返しがつきません」

 

 慎重論を崩す気配の無い史房に、咬月は反論する理由を持たなかった。

 

「……二人の話し合いが終わるのを待とう。

今この場にいる我々は最終的な意思決定者ではない。

この件についての各人の賛否は、姉の判断を確認してからでも遅くは無い」

 

 一人のリリィの死活にかかわる問題であるがゆえに、その是非を自分たちだけで決定することは重すぎると咬月には思われた。

 

 百合ヶ丘女学院の理事長である高松祇恵良から連絡が来るのが先か、咲朱が理事長室に戻るのが先か、理事長室を重苦しい空気が支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祀を伴って、結梨が特別寮のミーティングルームに戻ると、待ち構えていたかのように琴陽が部屋の入口で出迎えた。

 

「お帰りなさい、結梨さん。咲朱様は御一緒ではないのですね」

 

「うん、咲朱は理事長代行先生のお姉さんのところに行ったよ」

 

「そうですか。では咲朱様がお戻りになるまで、今しばらく中で待ちましょう」

 

 そこで琴陽の視線は、結梨の隣りにいる祀に向けられた。

 

「そちらのリリィは、東京で一柳隊と一緒にいた……」

 

「2年生の秦祀です。夢結さんは私のルームメイト、梨璃さんは私の弟子、そして結梨さんは私の娘なの」

 

(最後のは違うと思うけど……)

 

 ロザリンデと結梨は期せずして同じ突っ込みを心の中で発した。

 

 一方、琴陽は祀の自己紹介を特に気にしない様子で、自らの紹介を始めた。

 

「私は咲朱様と行動を共にさせていただいています、戸田琴陽です。

秦様も私と同じゼノンパラドキサS級の使い手と聞いています。

もしよろしければ、是非この後で私と手合わせを――」

 

 琴陽が言い終える前に、彼女の背後で咳払いの音が聞こえた。

 

 琴陽が振り返ると、その目に映ったのは苦虫を噛み潰したようなロザリンデの顔だった。

 

「琴陽さん、あなたは私に幸恵さんの役回りを演じて欲しいのかしら」

 

 幸恵の名を耳にするなり、琴陽は直立不動の姿勢を取り、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません。つい気がはやってしまいました。

手合わせはまたの機会にします」

 

「いえ、誰彼構わず手合わせを申し込むこと自体が問題なのだけれど……」

 

 ズレた答えを返す琴陽にロザリンデは困惑したが、気を取り直して祀に尋ねかける。

 

「ところで、どうして祀さんは結梨さんと一緒にここへ来たの?」

 

「ちょっと結梨さんにメンタルとフィジカルのチェックを受けてもらいました。

結果はオールグリーン。

スキラー数値も50のまま変化なし、その他もすべて前回検査時との有意差は無し。

どこにも不自然な点は見られませんでした」

 

「メンタルとフィジカルのチェック?何のためにですか?」

 

 きょとんとした顔で琴陽は祀に尋ねた。

 

「理事長室で咲朱さんが結梨さんの額にキスしたから」

 

「それがどうかしたんですか?」

 

「咲朱さんが何か良からぬことを仕込んで行ったんじゃないかと、用心のためにね」

 

 祀の返答を聞いた琴陽は、いかにも心外そうに頬を膨らませた。

 

「咲朱様はそんなことはなさいません。

私たちは悪の秘密結社ではありませんよ。

もし咲朱様が結梨さんに何かをなさったとしたら、それは結梨さんと私たちの双方に利があることに違いないです」

 

「それならいいのだけど。

あの人も手の内を全部見せる気は無さそうだから、その点が今一つ信用できないのよね」

 

「私は咲朱様のお考えになっていることは詮索しないようにしています。

ただ咲朱様の進まれる道に最後まで御一緒できることを願うだけです」

 

 しかし、その咲朱は夢結の心を自分のものにすることには失敗した。

 

 いかに超越的な能力を有していても、咲朱とて全知全能の存在ではない。

 

 人間らしい感情もあれば、策略に失敗することもある。

 

 それゆえ、咲朱に対する琴陽の認識に、ロザリンデや祀が簡単に同調するわけにはいかなかった。

 

 ロザリンデは話題を転換し、琴陽のCHARMについて改めて問い正す。

 

「ところで琴陽さん、あなたが持ち込んだCHARMのことだけど、咲朱さんと結梨さんが戻ってきたら理由を話すと言っていたわね。

 

咲朱さんはまだ戻らないけれど、先に理由を聞かせてもらえるかしら?」

 

「はい、承知しました。

今ケースに入っているCHARMは、私が東京で使っていたもので、第3世代のトリグラフという機体です。

よろしければ、結梨さんに使っていただきたくてお持ちしました」

 

 琴陽はソファーのそばに置いているCHARMケースを持ってくると、両手で結梨に手渡した。

 

「私に琴陽のCHARMをくれるの?」

 

「そうです。新宿御苑で結梨さんと手合わせした時、私はグングニル・カービンを使っていましたが、その後このCHARMに変更したんです。

 

あの時に結梨さんが使っていた第4世代の精神直結型CHARMは、近接戦闘には不向きなように感じました。

 

それを補うために、このトリグラフを使ってもらえたらと」

 

「ありがとう。でも、私にこのCHARMを渡したら、琴陽の使うCHARMはどうするの?」

 

「咲朱様が新しく用意して下さいますので、それについてはご心配なく。

このトリグラフは円環の御手が使えなくても、分離させて両手で扱える優れものなんですよ。

二刀流でも二丁拳銃でも自由にできますよ」

 

 得意げな表情でトリグラフの機能を説明する琴陽だったが、ロザリンデは彼女の説明に水を差した。

 

「待って、トリグラフの最低起動スキラー数値は55だったはず。

結梨さんのスキラー数値は50だから、トリグラフは起動できないわ」

 

 しかし、琴陽はロザリンデの言葉を聞いても動じる様子は無かった。

 

「それも心配無用だと思います。

咲朱様の見立てでは、結梨さんは可変スキラー数値のリリィである可能性が非常に高いとのことです。

複数のレアスキルを同時に使用できるのも、第4世代CHARMを難無く扱えるのも、それが一因ではないかと」

 

「そんな荒唐無稽な。可変スキラー数値のリリィなんて聞いたことが無いわ」

 

「複数のレアスキルを使えるリリィも聞いたことありませんよね。

でも現実に結梨さんや咲朱様はそれができています。

それなら、可変スキラー数値もあり得るとは思われませんか?」

 

「……この場ですぐに認めるわけにはいかないけど、仮説としては否定できないわね。

ただ、このトリグラフは実質的に『御前』から受け取ったCHARMとして扱うことになるわ。

だから工廠科で機体の確認は徹底的にさせてもらうけれど、それで構わないわね?」

 

「はい、構いません。

完全に分解して、部品の一つ一つまで確認していただいて結構です。

G.E.H.E.N.A.製のCHARMと違って、妙な負荷のかかるパーツは一切使用していませんから」

 

 堂々と胸を張る琴陽だったが、その時、開けられたままのドアをノックする音が一同の耳に聞こえた。

 

 全員が入口の方を見ると、いつの間にか特別寮に戻って来ていた咲朱が、そこに佇んでいた。

 

 咲朱の姿を目にするや、すぐに琴陽が歩み寄って言葉をかける。

 

「咲朱様、お帰りなさいませ。

百合ヶ丘の理事長とのお話は無事に終了したのでしょうか」

 

「それをこの場で口にするのは控えておくわ。

早ければ明日中にでも、百合ヶ丘のガーデンから関係者に情報が伝えられるはずよ」

 

 咲朱の表情からは、交渉の結果をうかがい知ることはできなかった。

 

 その件については、ひとまず棚上げすることにして、ロザリンデは咲朱に確認しておかなければならないことがあった。

 

「咲朱さん、あなたが結梨さんの額に口づけしたことには、何か特別な意味があるんですか?」

 

「そんなことを気にしていたの?

あれは私から結梨への、ちょっとした贈り物のようなもの。

あなたが気にかけることではないわ」

 

「やはり何か仕掛けたんですね。一体何をしたんですか」

 

 咲朱は結梨が自分の顔を見つめていることに気づいて、わずかに微笑を浮かべて結梨に向かって説明を始めた。

 

「今のあなたは、これまでより色々なことができるようになっているはずよ。

その力をどう使うかは、あなた次第。

せいぜい上手くやってみせることね」

 

「たとえば、どんなことができるようになったの?」

 

「一つには、あなたの中に眠っていたレアスキルに関する能力をアンロックしたわ。

あなた自身が望めば、いつでも発動できるようにね」

 

「私が今使えるレアスキル以外にも、新しく使えるようになったレアスキルがあるってこと?」

 

「あなたは以前、梨璃と同じレギオンにいたのだから、当然カリスマのレアスキルもコピー済みよね?

ひょっとしたらラプラスも使えるのかしら」

 

「私はカリスマやラプラスを使ったことはないよ。

使えるかどうかも全然分からない」

 

「正直なのね。一柳隊のリリィと一緒に訓練していたのなら、彼女たちのレアスキルは理論上すべて使えるようになっているはずよ。

後はあなたの気持ち次第。

それ以外にも幾つかの能力を解放しているけど、それは見てのお楽しみとしましょう」

 

 すべてをこの場で明らかにしようとしない咲朱に、ロザリンデは彼女を全面的に信用する気にはなれなかった。

 

「ありがとうございます、とは言いません。

あなたにも相応の打算があった上で、そのようなことをしたのでしょうから」

 

「小気味いい反応ね。特務レギオンのリリィはそのくらいでなければ。

心配しなくても、大切な特異点のリリィを損なうようなことは決してしないわ。

むしろ、結梨が生き残る可能性を少しでも上げるために、私にできることをしただけよ」

 

「咲朱、ありがとう。

私も、私にできることをしてみせるから。

そのための力だから」

 

「次に会う時まで、必ず無事でいなさい。

そしてできればいつの日か、一緒に高みを目指しましょう。

琴陽、もう結梨に伝えておくことは無いわね。

後の事は百合ヶ丘の判断に委ねましょう」

 

「はい、咲朱様。

結梨さん、それではこれで失礼します。

ロザリンデ様と秦様もお元気で」

 

「またね、琴陽。今度はリリィの任務と関係ないところで会えるといいね」

 

「その日が来るのを楽しみにしています」

 

 咲朱と琴陽は三人の目の前で姿を消し、ロザリンデと祀は緊張が解けたように大きく息を吐き出した。

 

「今日はあの人に振り回されたけれど、さっきの様子だと理事長と喧嘩別れしたわけではなさそうね」

 

「はい、何らかの合意は形成されたと考えていいと思います。

内容は……早ければ明日にでもガーデンから説明があると、咲朱さんが言っていましたね」

 

「それまでは、あれこれ考えても仕方ないわね。

今すべきことは、まずこのトリグラフの件をガーデンに報告して、工廠科への確認申請を準備するくらいか……」

 

「私は理事長室に戻って、ここでの内容を報告します。

結梨ちゃんは、いつも通りの生活をしていてね。

レアスキルのアンロック云々は、明日以降に理事長代行やシェリス先生と相談しながら確認を進めましょう」

 

「うん、私は自分の部屋に戻るけど、さっきのことは碧乙と伊紀には、まだ話さない方がいいの?」

 

 結梨がロザリンデに確認を求めると、ロザリンデは小さく頷いた。

 

「そうね、今日はまだ止めておきましょう。

祀さんから理事長代行への報告が完了して、ガーデンから情報共有の承認が出るのを待たないといけないわ」

 

「分かった。それじゃいつも通り、碧乙と一緒に勉強してる」

 

 何事も無かったかのようにミーティングルームを出て行く結梨の後ろ姿を見送りながら、ロザリンデと祀は彼女の前途に幸福が待っていることを願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の午後、結梨とロザリンデの二人は、特別寮のミーティングルームに高松咬月と出江史房を迎えていた。

 

 昨日はローテーブルを挟んで、咲朱と琴陽が結梨たちと向き合っていたが、今はその席に百合ヶ丘の理事長代行とブリュンヒルデが座っている。

 

 ソファーに腰を下ろすと間もなく、咬月は感情を殺した表情で結梨に話を切り出した。

 

「一柳君、この場を借りて君に話しておかなければならないことがある」

 

「うん、何?」

 

 気負った様子も無く、結梨は普段と変わらない口調で返事をした。

 

「君の同意を得た上で、君に御台場女学校へ一時編入してもらいたい」

 

 それが昨夜、白井咲朱と高松祇恵良の両者が至った結論であることを、結梨とロザリンデははっきりと理解した。

 





ということで、次回から結梨ちゃんは一時的に御台場のリリィになります。

この展開は、現在進行形の舞台が御台場のみであること、ラスバレのメインストーリーが東京方面を中心に展開していること、の2点から決めました。
(ルド女と一柳隊の舞台は現時点では完結扱いと考えています)

また、公式でもラスバレと舞台の情報がクロスオーバーしつつある状況を踏まえて、現時点で舞台にのみ登場している人物も、ラスバレの世界線に存在しているものとしています。

この小説を書き始めた当初から、結梨ちゃんが百合ヶ丘を離れて他のガーデンに移る展開は考えていました。
が、それはG.E.H.E.N.A.に追われる逃亡者のような立場を想定したものでした。

実際には積極的な戦略として御台場に一時編入する形になったので、結果オーライではないかと思っています。

くどいようですが、鬱展開になる予定はありません。


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第17話 一柳結梨、御台場女学校のリリィになる(1)


 タイトルがラノベみたいですが、内容はいつも通りです。



 

 白井咲朱が百合ヶ丘女学院の結梨のもとを訪れてから十日後、結梨は秦祀とともに東京へ向かう列車に乗っていた。

 

 列車は多摩川の広い河川敷の上を越え、稠密な東京の市街地へと緩やかにカーブした線路上を進んで行く。

 

 二人は普通列車のロングシートに並んで座り、窓の外を流れる景色に目を向けていた。

 

 品川か、それとも丸の内か、遠くに都心の高層ビル群が屹立しているのが結梨の視界に入る。

 

 旧市街地の大半が無人の廃墟と化している鎌倉から来た身には、いやがおうにも全く異なる環境に身を置くことになるのだと認識させられる。

 

 これまでにも何度か結梨は東京を訪れていたが、それはあくまでも作戦や休暇での一時的なものであって、東京で継続的に生活するというのは初めてのことだった。

 

 車内には数人の乗客が二人から離れた所にまばらに座っており、平日の午前十時という時間帯であることを考慮しても、閑散と表現していい状態だった。

 

「電車が空いていてよかったわね。

通勤時間帯の東京の電車なんて、絶対に乗りたくなかったもの」

 

 百合ヶ丘の制服を着た祀は、御台場の制服を着ている結梨を見て、穏やかに微笑みかけた。

 

「ロザリンデ様は結梨ちゃんに付き添えなくて残念だったわね。

その代わりに私が結梨ちゃんを御台場まで送ってあげられることになったから、役得なんだけど」

 

 少し悪戯っぽい笑顔になった祀に、結梨は率直に疑問をぶつけた。

 

「どうしてロザリンデは私と一緒に御台場へ行けないの?」

 

「ロザリンデ様が特務レギオンのリリィだから。

御台場のガーデンに無用な警戒心を持たれると困るのよ」

 

「そうなんだ……」

 

「鎌倉と比べると、この辺りはやはり大都市ね。

まるで市街地の規模が違うもの」

 

「私、祀は鎌倉の外には出ないリリィだと思ってたけど、そうじゃないんだね」

 

「私だって、相応の理由があれば国定守備範囲の外に出るのよ。

でも、百合ヶ丘のリリィからは偏屈な引きこもりみたいに思われているかもしれないわね」

 

 祀が地域第一主義者であることは、結梨も知っていた。

 

 そして、その原因が彼女のシルト候補だった幼馴染の戦死であったことも。

 

 考えてみれば、自分も表向きには戦死したことになっている以上、梨璃も祀と同様の境遇に置かれていると言える。

 

(梨璃、ごめんね。G.E.H.E.N.A.のことが解決したら、必ず逢えるから、それまでもう少し待っていて)

 

 ふと梨璃のことが頭に浮かび、結梨は祀に梨璃の所在を尋ねてみることにした。

 

「梨璃も今、一柳隊のみんなと一緒に東京に行ってるんだよね。

たしか、東京圏なんとか……会議で」

 

「東京圏防衛構想会議ね。

一柳隊は他の有力ガーデンと同じく、ルドビコ女学院で会議に参加しているの。

しばらくはルドビコのガーデンに滞在することになると聞いているわ。

 

知っての通り、ルドビコ女学院は新宿御苑の近くにあるから、結梨ちゃんが一柳隊と鉢合わせする心配は無いわよ」

 

「祀、それ『ふらぐが立つ』っていうんだよ。碧乙が教えてくれた」

 

「あの人、変な言葉ばかり、どこから仕入れてくるのかしら。困ったものね」

 

 並んで座っている二人の足元には、それぞれCHARMケースが立てて置かれている。

 

 それらはどちらも結梨のCHARMが収められており、一つはエインヘリャル、もう一つには咲朱とともに百合ヶ丘を訪れた琴陽から受け取った第3世代CHARM――トリグラフが収納されていた。

 

 あの日の翌日、夕刻近くになって高松咬月と出江史房は特別寮を訪れ、結梨に御台場女学校への一時編入を要請した。

 

 その時のやり取りを、結梨は列車の不規則な振動に揺られながら思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、何とおっしゃられましたか?」

 

「一柳君に御台場女学校への一時編入をしてもらいたい、と言った」

 

 ロザリンデの確認に、咬月は表情を変えずに同じ発言内容を繰り返した。

 

「では、昨夜の理事長と咲朱さんの話し合いは、咲朱さんの主張を受け入れる形で決着したのですね」

 

「最終的に、姉と白井君が同じ結論に達したとしか私には言えない。

二人が全く同じ考えを持っているとは思わないし、午前中に招集された緊急の理事会でも全会一致の議決とはならなかった。

 

理事の中にも出江君のような慎重論の持ち主は複数名いた。

それでも、大半の理事は理事長である高松祇恵良の提案を支持した。

その結果に従って、私と出江君がここに来たということだ」

 

「経緯は理解できました。

私も個人的な意見としては、史房さんの慎重論に近いと言わざるを得ません。

ですが、理事会の方々がリスクとリターンを充分に認識しておられるのであれば、それに従うのみです」

 

 複雑な表情を浮かべるロザリンデと史房の視線が交錯する。

 

 史房は無言で小さく頷いたのみだった。

 

「君や出江君の懸念を否定するつもりは無い。

未来は常に不確実だ。

何が最善の選択なのか、確信をもって答えられる者は誰も居ないし、もし居たとしたら、それは自ら情報を制限して視野を狭めた上での無謀な希望的観測だろう」

 

 咬月はロザリンデから結梨へと、少しだけ顔の向きを変えた。

 

「それゆえ、一柳君にこの要請を強制することはできない。

一柳君には議決結果への拒否権がある。

この要請を断っても、決して不利な扱いを受けることは無いと約束するが――」

 

「行く」

 

 咬月の言葉が終わるのを待たず、結梨は即答した。

 

「結梨ちゃん、今すぐに答えを出さなくてもいいのよ。

少し時間を置いてからでも……」

 

 結梨が意外と頑固な性格のリリィであることを、ロザリンデはよく理解していたがゆえの発言だった。

 

 だが、そのロザリンデの言葉を聞いても、やはり結梨の意思はいささかも変わらなかった。

 

「たぶん、時間がたっても私の考えは変わらないと思う。

御台場が今どうなってるか、私にはよく分からないし、私が御台場に行くことが本当に正しいのかどうかも分からない。

 

でも、私は御台場のガーデンがルドビコみたいになってほしくないし、そうならないように私が手伝えるなら、私は御台場へ行かないといけない。

 

ロザリンデ、心配させてごめんなさい。

必ず御台場のリリィと一緒にガーデンを守り抜いて、百合ヶ丘に帰って来るから、私を御台場に行かせて」

 

「……分かったわ。結梨ちゃんの意思とガーデンの判断が一致する以上、私と史房さんはそのバックアップを全力で務める。

 

――代行、口を挟んで申し訳ありませんでした。お話の続きをお願いします」

 

「君と出江君の心配はもっともだ。

ルドビコ女学院の崩壊後、御台場女学校周辺では特型ヒュージの出現する頻度が急激に増加し、ギガント級の個体も一度ならず確認されている。

 

今の所、それらの特型ヒュージがG.E.H.E.N.A.の手によるものだという確たる証拠は得られていない。

 

当然ながら、G.E.H.E.N.A.が今後具体的にどのような『実験』を実行しようとしているのかも不明だ。

 

そのような状況下に一柳君を送り出そうとしている以上、一時編入が実現すれば、一柳君の安全を最大限に確保することが大前提となる。

 

昨日、一柳君が戸田琴陽君から受け取った第3世代CHARMも、不審な箇所が無ければエインヘリャルとともに一柳君の装備品となる。

 

また、万が一の際には一柳君の判断で御台場を離れ、百合ヶ丘のガーデンに帰還することができるよう、御台場側と交渉する予定だ」

 

「私が御台場のリリィになるって、御台場のガーデンは知ってるの?」

 

 結梨の質問に、咬月は肯定の返事で答えた。

 

「今日の朝一番で、姉から御台場の理事長に話は打診してある。

結果、その場で御台場の理事長の賛同は得られたとの連絡を姉から受けている。

 

君が一時編入に同意した旨が御台場に連絡されれば、理事会が一柳君を受け入れるための調整に入るだろう」

 

「では、具体的な日程や段取りは、この後で順を追って決めていくことになるのですね」

 

「そうだ。こちらにも向こうにも、相応の準備が必要となる。

様々な事態に対処するためのシミュレーションも含めて、緊密に連携していく必要があるためだ。

いきなり明日から一柳君が御台場のリリィというわけにはいかない」

 

「分かりました。後はG.E.H.E.N.A.側の動きがどうなるかですが……

『北河原ゆり』の名で編入したとしても、年度途中での編入生となれば、目に留まることは間違いありません」

 

「一柳君が御台場に編入する目的は、第一に御台場のガーデンがG.E.H.E.N.A.の『実験』によって崩壊するのを防ぐことだ。

 

その上で、もし校医の中原・メアリィ・倫夜以外のG.E.H.E.N.A.関係者が御台場のガーデンに入り込んでいた場合は、必ず報告を上げてほしい。

 

中原校医もしくはその人物が一柳君に危害を加えるような兆候が確認された場合は、即座に御台場のガーデンを離脱するための対応を取る」

 

「あの先生もやり方を間違えてるだけで、本当は悪い人じゃないかもしれないと思う。

もし、もう一度先生に会えたら、もっと話をしてみたい。

……あ、でもG.E.H.E.N.A.の人は、私とそういうことをするのは禁止されてるんだね。残念」

 

 心配そうなロザリンデと史房の視線を浴びながらも、結梨は御台場に編入してからのことをあれこれと考えるのに余念が無い様子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祀と結梨は御台場女学校の最寄り駅で下車し、そこから徒歩で御台場のガーデンに向かった。

 

 ほどなくガーデンの校舎が視界に入り、二人は前回史房と結梨が通った来賓用の入口からガーデンに足を踏み入れた。

 

 両側を木々に挟まれた人気の無い道を数十メートル歩くと、その先に見覚えのあるエントランスが現れた。

 

 前回の訪問時は、そこにヘオロットセインツの隊長である月岡椛が二人を待っていたが、今は守衛の男性が一人立っているのみだった。

 

 自分たちが百合ヶ丘女学院からの訪問者であることを祀が告げると、守衛の男性は愛想よく答えた。

 

「百合ヶ丘女学院からの一時編入生の方ですね。

ガーデンから連絡は受けています。どうぞ中へお入り下さい」

 

「失礼します。この子は私の自慢の娘なんですよ。うふふ」

 

「はあ……」

 

 返事に困っている守衛を後にして、祀と結梨は校舎の中へ入り、無人の廊下を奥へと進んで行く。

 

 やがて結梨の目に、記憶に残っている重厚な木製の扉が見えてきた。

 

 扉の前まで来ると、「北河原ゆり様控室」と印字されたプレートが二人の目に入った。

 

「ここ、前に史房と一緒に来た部屋だよ。ここに入ったらいいのかな」

 

「そうみたいね。では失礼しましょうか」

 

 祀が扉を軽くノックすると、室内から入室を促す女性の呼びかけが聞こえた。

 

 やや強気にも聞こえるその声に、結梨と祀は聞き覚えがあった。

 

 ゆっくりと扉を開けた二人が見たのは、それぞれが異なる御台場の制服を着た三人のリリィだった。

 

「ようこそ。武のガーデン、御台場女学校へ。

……そろそろこの口上も手垢が付いてきましたわね」

 

 軽く苦笑いしながら、船田純は二人に歓迎の言葉をかけた。

 

 



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第17話 一柳結梨、御台場女学校のリリィになる(2)

 

 部屋に入った結梨と祀を出迎えたのは、御台場女学校の三人のリリィだった。

 

 彼女たちはいずれもレギオンの隊長を務めており、一人はLGロネスネス隊長の船田純、二人目はLGヘオロットセインツ隊長の月岡椛、そして最後の一人はLGコーストガード隊長の弘瀬湊だった。

 

 コーストガードの白い制服を着た湊は、純の後ろに椛と並んで立っている。

 

 そしていかにも闘志をむき出しにした純とは対照的に、湊は穏やかな雰囲気を漂わせていた。

 

 その点では品行方正な優等生の椛に幾分似た印象だったが、学生然とした椛に比べると、湊は大人びた印象を与えるリリィだった。

 

 前回、結梨が史房と二人で御台場のガーデンを訪問した時には、湊は同席しておらず、代わりに船田初と川村楪、司馬燈がその場にいた。

 

 一日限りの訪問だった前回とは異なり、今回は一時編入という形で御台場のガーデンに一定の期間滞在することになる。

 

 そのため、結梨の情報が開示されているレギオンの最高責任者である隊長が、この場に呼ばれたということだろう。

 

 純に続いてヘオロットセインツ隊長の椛が二人に挨拶する。

 

「ごきげんよう、結梨さん。それに祀さんも。

祀さんは一柳隊と一緒に『御前』との戦闘に参加されたということで、驚いていますわ。

百合ヶ丘の秦祀と言えば、有名な地域第一主義者として知られていましたから」

 

「一柳隊の隊長は私の弟子筋で、彼女のシュッツエンゲルは私のルームメイトなんです。

なので、彼女たちが困っているとあれば一肌脱がずにはいられません。

柄にも無く私が東京まで出張って行ったのは、そういった事情があってのことです」

 

「そうでしたか。

……現在、御台場とその周辺エリアは、大小あらゆる特型ヒュージの出現に悩まされていますの。

 

これまで実験場だったルドビコ女学院を使い潰してしまったために、この御台場女学校が次の実験場としてG.E.H.E.N.A.に目を付けられてしまったと、私たちは認識していますわ。

 

そして、もしこのガーデンがルドビコと同じように崩壊すれば、次の実験場となるのは――」

 

 椛の途切れた言葉に続けて純が発言する。

 

「特型ギガント級との戦闘に耐えうるだけの戦力を保有する強豪ガーデン……つまり百合ヶ丘女学院も最有力候補の一つに挙げられますわ。

 

それを未然に防ぐために、支援戦力として百合ヶ丘は一柳結梨さんを御台場のガーデンに、一時編入という形で派遣しましたのね。

 

――まさか虎の子のリリィを敢えて虎穴に入らせるとは。

 

武のガーデンたる御台場のリリィとして、百合ヶ丘の決断に心からの敬意を表しますわ」

 

 素直に賛辞を贈る純の態度には、いささかの装飾も無かった。

 

 ロネスネスの隊長からそのようなお言葉を頂けるのは光栄の至りです、と祀が答えた。

 

「百合ヶ丘としても、この事態をただ静観していては、G.E.H.E.N.A.に追い込まれるのを待っているだけになると判断したのでしょう。

 

理事長を始めとする理事会の考えは、私には知る由もありません。

しかし、G.E.H.E.N.A.の目的遂行のために有力ガーデンが崩壊していくことを看過できないのは、当然だと思います」

 

 祀の発言を聞いた純は、その内容を踏まえた上で、両ガーデンが選択した戦略を解釈した。

 

「そのために、建前は一時編入という形を取って、最少の人数で最大の戦力を最前線に投入したわけですのね。

 

しかも結梨さんは直近まで、百合ヶ丘の特務レギオンであるLGロスヴァイセの預かりだったと聞いていますわ。

 

それであれば、なおさら一般のリリィとは違って、G.E.H.E.N.A.に関する情報も一通りは頭に入っているはず。

 

戦闘能力の高さだけではなく、G.E.H.E.N.A.のやり口というべきものを知悉しているリリィは貴重な存在ですから、大いに期待していますわ」

 

「私は御台場で何をしたらいいのかな?

純や椛と一緒に戦ったらいいの?」

 

 純は結梨の質問に、首を横に振って否定した。

 

「いえ、残念ながら私たちはガーデンから離れた戦場での外征に出撃して、ガーデンを不在にすることが多いんですの。

 

ですから、結梨さんは原則としてコーストガード預かりの形で、ガーデン防衛の任務についてもらうことになりますわ。

 

コーストガードはロネスネス、ヘオロットセインツと並んで御台場を代表するレギオンですが、万が一にもヒュージに防衛線を突破されることは許されませんので。

 

――湊さん、結梨さんをよろしくお願いいたしますわ」

 

 それまで黙って会話に耳を傾けていた弘瀬湊が、にこやかに返事をする。

 

「もちろんです。はじめまして、一柳結梨さん。

LGコーストガード隊長の弘瀬湊と申します」

 

 湊は前に進み出て、結梨に右手を差し出した。

 

 結梨が湊の手を握って握手すると、湊は結梨に微笑んだ後、落ち着きのある理知的な声で説明を始めた。

 

「コーストガードはロネスネスやヘオロットセインツとは違って、ガーデン防衛に特化したレギオンです。

 

そのため、レギオンの出撃に際しては、ガーデンの周辺で発生したヒュージを速やかに排除し、都内防衛の要である光壁システムを維持することが最優先の目標となります。

 

また、あなたが一柳結梨であることは、3レギオンの隊長と副隊長、それにロネスネスの司馬燈さんに限定して情報が開示されています。

 

それ以外のリリィにとっては、あなたはあくまでも百合ヶ丘女学院から一時編入した『北河原ゆり』なのです。

 

ですから、決して自分から一柳結梨であることを明かしてはいけませんよ」

 

「うん。でも、私は御台場のガーデンで普通に生活してもいいの?

百合ヶ丘では、ロスヴァイセと生徒会長以外のリリィには姿を見られないようにしないといけなかったんだけど」

 

 結梨の質問に答えたのは、湊ではなく純だった。

 

「ここではそんな配慮は無用ですわ。

堂々とガーデンの中を闊歩しても全然構いませんわよ」

 

「本当に? 私、指名手配されてたから、誰か気づくんじゃないかと思うけど」

 

 結梨の懸念に対して、純はふんと鼻を鳴らして、面白くもなさそうに事情を説明し始めた。

 

「あんな手配書、御台場では誰もまともに目を通していませんわ。

 

G.E.H.E.N.A.の使い走りで岡っ引きの真似事なんて真っ平御免ですもの。

 

みんな捜索にかこつけて、これ幸いとコンビニやファミレスで羽を伸ばしていましたわ。

 

だから御台場で結梨さんの顔を知っているリリィは、私たち3レギオンの隊長・副隊長と燈以外にはいないでしょう。

 

馬鹿正直に手配書を読み込んでいたのは、せいぜい生徒会長と湊さんくらいのものですわ」

 

 純が椛の方を振り返って見ると、椛はその上品な顔立ちに似つかわしくない苦笑いを浮かべていた。

 

「私だって、G.E.H.E.N.A.が裏で糸を引いているに違いない命令なんて、できれば無視しておきたかったんですよ。

 

でも、そのおかげで結梨さんの顔を知っているリリィがいないのは、思いがけない怪我の功名でしたね」

 

「とは言っても、年度途中での一時編入なんて極めて変則的ですから、どうしても目立つのは避けられませんが。

 

まあ今は髪型もポニーテールに変えていますし、念のために伊達眼鏡でも掛けておけば、あなたが一柳結梨だとバレる心配はありませんわ」

 

 純の話を聞いた結梨は、ようやく安心した様子で胸を撫で下ろした。

 

「そうなんだ……それなら、いろんなリリィと会って話をしても大丈夫ってことだね」

 

「身バレにつながるようなことさえ口にしなければ問題ありませんわ。

 

――そろそろここでの話は切り上げて、ガーデンの中を案内しましょうか。

祀さんも御一緒なさいますか?」

 

「そうしたいのは山々ですが、色々と片付けなければならない仕事が溜まっていますので、私は先に失礼させていただきます。

 

純さん、椛さん、湊さん。

結梨さんが任務を終えて無事に百合ヶ丘に帰還できるよう、御助力よろしくお願いします」

 

 祀は三人のリリィに頭を下げた後、結梨の両肩に手を置いて、守るべき言いつけを口にした。

 

「――結梨ちゃん、隊長さんたちの言うことをよく聞いて、独断専行はしないようにね。

 

それから、知らない人に声をかけられても、絶対に一人でついて行ったりしてはダメよ」

 

「私、小学生じゃないよ。そのくらいは分かってるもん」

 

 心外そうに結梨は反論したが、祀は結梨に対して過保護な母親のように、どこまでも気を揉んでいた。

 

「では皆様方、部屋の外に出ましょうか。

ガーデンの案内はヘオロットセインツの1年生に任せるつもりですわ。

もうそろそろ、この部屋の近くまで来ていると思いますが」

 

 椛が先頭に立って部屋の扉を開くと、そこにはヘオロットセインツの制服を着た幾つかの人影が見えた。

 

「あなたたち、もう来ていましたのね。

ちょうど良かったですわ。

こちらのリリィにガーデンの中を案内して――」

 

 椛が話し終わるのを待たずに、結梨よりも華奢な体つきをした幼い印象の少女が、元気よく結梨に話しかけた。

 

「その子が転校生の北河原ゆりちゃんですね。

はじめまして、ゆりちゃん。

私、ヘオロットセインツの1年生で河鍋(なずな)っていうの。

ガーデンの中を案内し終わったらハーブティーのお茶会をするから、百合ヶ丘のこと、いろいろ聞かせてね」

 

 あっけらかんとした無邪気な薺の態度に、結梨は御台場女学校というガーデンの校風を垣間見た気がした。

 

 




2022年3月28日追記
 自分が読めない漢字にルビを振らないのはいかがなものかと思い、河鍋薺さんの名前にルビを振りました。


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第17話 一柳結梨、御台場女学校のリリィになる(3)

 

「大体さぁ、百合ヶ丘のリリィって優等生すぎない?

みーんな、お上品な感じがするんだよね。

実際、名家のお嬢様もいっぱいいるみたいだし。

あの中に入っても違和感が無いのって、椛様くらいじゃない?」

 

「それではまるで、私たちが下品なリリィであると言っているように聞こえますが」

 

 河鍋(なずな)の発言に、いささか憮然とした表情で一人の少女が口を挟んだ。

 

 が、薺はそれを気にする様子も無く話し続ける。

 

「だってさぁ、この間、会議に出席しにルド女へ行った時も、みんなお行儀よく振る舞ってて、いかにもお嬢様学校です、って感じだったもん。

 

普通の庶民っぽい感じのリリィって、隊長の子とエビフライの尻尾みたいな髪型の子くらいだったよ。

 

……あの会議、何ていう名前だったっけ? 桂」

 

「東京圏防衛構想会議ですよ、薺。

自分たちが参加した会議の名前も覚えていないのですか。

桂は少々呆れました」

 

 薺に桂と呼ばれた少女――薺と同じくLGヘオロットセインツの1年生リリィである速水桂は、小さく溜め息をついて、手にしていたティーカップを静かにテーブルの上のソーサーに置いた。

 

「あなたもれっきとしたヘオロットセインツの一員なのですから、もう少し色々な情報を正確に頭に入れておくべきです。

 

そうすれば予期せぬ突発事態に遭遇しても、慌てたり動揺することもなく対処できるというものです」

 

「うー、人が気持ちよくお茶を飲んでる時くらい、お説教しないでよ。

お茶が不味くなるじゃない。

……って言うか、誰も私の淹れたお茶飲んでないし」

 

 テーブルに肘をついて先程からぶつぶつと管を巻いている薺の隣りで、桂は薺とは対照的に、背筋を伸ばして椅子に座っていた。

 

 その物言いに相応しく、桂はやや行き過ぎた堅苦しさを感じさせるほどの真面目な性格のリリィだった。

 

 そして、薺のもう一方の隣りには、同じくティーカップを手に持った結梨が座っている。

 

 結梨は先程までとは一変した様子の薺に驚いた様子で、薺の向こう側の桂に尋ねた。

 

「薺って、自分の淹れたお茶を飲むと、いつもこうなるの?」

 

「はい。本人には不名誉な話ですが、ゆりさんの仰る通りです。

彼女のハーブティーのブレンド技術には少なからず問題があって、今の段階では本人以外に飲ませることは控えてもらわざるを得ないのです」

 

 御台場女学校のガーデン内を一通り結梨に案内した後、薺はヘオロットセインツの控室に結梨を誘い、ハーブティーと簡単なお茶請けを用意してもてなした。

 

 そのささやかなお茶会には、結梨と薺の他に二人の同席者がいた。

 

 一人は速水桂、そしてもう一人のリリィは――

 

「桂さん、いつものことながら、薺さんのハーブティーのブレンドは、いつになったら改善されますの?

この調子では危なっかしくて、他の人に薺さんの淹れたお茶を飲ませることなんて、未来永劫できませんことよ」

 

 LGロネスネスの1年生リリィである司馬燈は、もう何度目になるか分からない辟易した様子で、桂をじろりと横目でねめつけた。

 

「無論、それは桂も承知しています。

好きこそ物の上手なれ、とは申しますが、彼女の腕が人並みの水準に達するには、まだ相当の時間を要するものと桂は推測します」

 

「……薺さんがお茶会を開くたびに、私がお茶を用意するというのもおかしな話ですわ。

まあ今の薺さんの有様を見れば、誰も彼女の淹れたお茶に手を伸ばす気にはなれないでしょうけど」

 

「どーいうこと? 私のハーブティーの何が問題だっていうのよぉ。

わらひはなにもおかしくなってなんかいないんらからぁ……」

 

 呂律が回らなくなった薺は、そのままテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。

 

「とうとう酔い潰れたようですね。

別にアルコールを入れたわけではないのでしょうが、自作のハーブティーを飲んで、このようになるとは器用な人です」

 

「薺は大丈夫なの? 保健室に連れて行った方がいいのかな」

 

 心配げな表情で薺の寝顔をのぞき込む結梨が桂に尋ねるが、桂は首を横に振って否定した。

 

「お気遣い痛み入ります。

この人は飲むといつもこんな感じなので、目が覚めるまでこのままにしておきましょう」

 

 そう言うと、桂は結梨の顔をじっと見つめ始めた。

 

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

 

「これでようやく、あなたとまともにお話ができるようになりました。

桂は、あなたのことがとても気になります。

幾つか桂からあなたについてお聞きしても構わないでしょうか?」

 

「私のこと? うん、いいよ。私が答えられることなら」

 

「ありがとうございます。ではお尋ねさせていただきます。

――北河原ゆりさん、あなたはただのリリィではありませんね?」

 

「えっ?」

 

 探偵もしくは刑事よろしく、自分の正体について桂は疑いを持っているのかと、結梨は内心でぎくりとした。

 

 二人のやり取りを見ていた燈は、ティーカップを口元に運びながら、いつもと何ら変わりの無い口調で結梨の代わりに答えた。

 

「それは当然ですわ。

こんな中途半端な時期に、ガーデン防衛の支援戦力として一時編入の形で派遣されるなんて、ただのリリィなわけはありませんわ」

 

「……それはどのような意味で? もう少し具体的にお願いします」

 

「ただの平凡なリリィではなく、一人で戦局に影響を与えることができるほどの優秀なリリィだということですわ。

桂さん、先ほど彼女がガーデンに持ち込んだCHARMケースをご覧になりましたわよね」

 

「はい、確かCHARMケースは二つありました。

それぞれケースの形と大きさが違うので、異なる機種のCHARMが中に収められていることは桂にも分かります。

燈さんはゆりさんの装備CHARMについてご存知なのですか」

 

 燈は桂の問いかけに頷き、説明を始めた。

 

「私が入手した情報では、一つは第3世代のトリグラフ、もう一つは第4世代の精神直結型CHARMであるエインヘリャルですわ。

 

おそらく遠距離での対地・対空攻撃用と近接戦闘用で、それぞれ用途を使い分けるためだと思われますわ。

ゆりさん、私の情報に間違いはありまして?」

 

「ううん、間違ってないよ。

どっちのCHARMも、私が知り合ったリリィからもらったものなの」

 

「本当に第4世代の精神直結型を扱えるのですか?

それは凄い。聞くところでは一機のCHARMで一隊のレギオンに匹敵する戦力だそうですが、それならあなたが単独で派遣された理由も納得できます。

 

椛様からは、ゆりさんはLGコーストガード預かりの立場でガーデン防衛専任となると聞いています。

けれども、可能であれば是非ヘオロットセインツのスーパーサブとして、お力添えいただきたいものです」

 

「あら、それはロネスネスとて同じですわ。

私の装備CHARMであるヴィンセツ・リーリエに加えてエインヘリャルも配備されれば、二機の第4世代CHARMが運用されることになり、最強レギオンの名をますますほしいままに出来ますもの」

 

「しかし、いくらヘオロットセインツやロネスネスが外征で戦果を上げようとも、留守中に本陣である御台場のガーデンが失陥してしまえば元も子もありません。

 

その配慮もあって、ゆりさんをガーデン防衛の支援戦力として配置することに決まったわけですね」

 

「ごもっともですわね。

都内の至る所でエヴォルヴの幼体ヒュージが出現し、さらには複数の特型ギガント級まで確認されている今、私たちがガーデンを留守にする頻度は大幅に増加しているわけですから。

 

外征から戻ってみれば、御台場のガーデンがルド女のように崩壊していたなんて、冗談じゃありませんわ」

 

「今のところはゲリラ的に出現する特型ヒュージに対する迎撃で手一杯の状況ですね。

問題は、その特型ヒュージの発生原因です。

 

先日の東京圏防衛構想会議では、槿様の説明にはG.E.H.E.N.A.のゲの字も出て来ませんでした。

 

ですが、新宿エリアディフェンス崩壊事変以後の一連の事象には、G.E.H.E.N.A.が関与しているのは確実だと桂は考えています」

 

「それも証拠が無ければ、立証のしようがありませんわ。

こちらが尻尾を掴まない限り、反転攻勢のきっかけを手にすることは出来ませんもの」

 

「急いては事を仕損じる。急がば回れ。

まずは目の前の問題に対処することに注力し、敵が馬脚を現すのを待つしかなさそうですね。

 

――ゆりさん、面倒に付き合わせる形になってしまって申し訳ありませんが、どうかお力添えの程、よろしくお願いいたします」

 

 間に寝潰れた薺を挟み、桂は結梨に向き直って頭を下げた。

 

「ううん、私も誰かの助けになれるなら、自分の力を使って戦うことに誇りを持てる。

それは今ルド女のガーデンにいる一柳隊のみんなと同じだと思うから」

 

 結梨と桂が握手を交わそうとした時、二人の間にいた薺が弱々しいうめき声をあげて身動きした。

 

「う~、私は潰れてなんかいない……まだ飲める……桂の馬鹿」

 

 桂は薺の寝顔を見て苦笑すると、薺の身体を起こして彼女の白い頬をごく軽く叩いた。

 

「……今日はここまでにしましょう。

私は薺を部屋まで運びますので、ゆりさんと燈さんはどうぞご自由にしてください。

テーブルの上も私が後で片付けておきますので、お気遣い無く」

 

 桂は小柄な薺の身体を背負うと、結梨と燈に一礼して控室を出て行った。

 

 桂と薺の姿が廊下の向こうに消えるのを確かめてから、燈は神妙な口調で結梨に話しかけた。

 

「結梨さん、場所を変えて少しお話ししたいことがありますの。

ここでは口にしない方がいいと思いますので。

付き合っていただけますかしら?」

 

「いいよ、G.E.H.E.N.A.のことでしょ?

私も燈にいろいろ聞いておきたいから」

 

 簡単にティーカップとお茶請けをテーブルの隅に寄せた後、二人はヘオロットセインツの控室を後にし、無人となった室内には静寂が戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時編入から数日が経った日の放課後、結梨は教室で下校の支度を進めていた。

 

 夕陽が差し込む教室の中には、まばらに数人の生徒がいたが、彼女たちも結梨と同じく帰り支度の途中だった。

 

 すると、校内放送のチャイムが鳴り、教導官らしき大人の女性の声が聞こえてきた。

 

「1年生の北河原ゆりさん、編入後のメンタルケアとしてカウンセリングを受けていただきます。

まだ下校していなければ、すみやかに保健室まで来てください」

 

「私が呼ばれてる? 保健室に行かないと……」

 

 結梨はそそくさと荷物をまとめて教室を出た。

 

 急ぎ足で保健室まで来た結梨は、ドアの前で足を止め、軽くノックした。

 

 間を置かず、中から先程の校内放送と同じ声が聞こえ、結梨に入室を促した。

 

 静かに結梨がドアを開けて保健室に入ると、部屋の奥の椅子に腰かけた白衣の女性が目に入った。

 

「はじめまして、北河原ゆりさん。

スクールカウンセラーの稲葉(まゆみ)です。

どうぞ、そこの椅子に座って」

 

 いかにも人当たりの良さそうな柔らかい口調で、白衣のカウンセラーは結梨に自らの名を告げた。

 



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第17話 一柳結梨、御台場女学校のリリィになる(4)

 今回投稿分の文字数が少ないのは、ラスバレのアプデ不具合に巻き込まれて右往左往していたためです……


 

 さほど広いとは言えない保健室の壁際に、ごく簡素な事務机とキャスター付きの丸椅子が配置されている。

 

 スクールカウンセラーの稲葉(まゆみ)は、自分が座っているのと同じ型の丸椅子――それは彼女から一メートルほど離れた所にあった――を指し示して、結梨に座るよう勧めた。

 

 檀の言に従って、結梨は軽く頭を下げた後、黙ってその椅子に腰を下ろし、二人は正面から向き合う形になった。

 

 先に口を開いたのは、檀の方だった。

 

「そんなに緊張しなくてもいいのよ。

堅苦しいメンタルチェックをするわけではなくて、思っていることを率直に話してくれればいいだけだから」

 

 檀の口調は努めて軽い調子を出そうとしているようで、それは結梨に不要なストレスを与えまいとする気遣いに感じられた。

 

「……よろしくお願いします」

 

 初対面の大人の女性を前にして、結梨は珍しく敬語でぎこちなく答えた。

 

 その様子を確認して、檀はあくまでも柔らかい話し方で結梨に質問を開始した。

 

「北河原さんが御台場に来てから何日か経ったけれど、このガーデンには馴染めそうかしら?

何か環境面や対人関係で、困っていたり不安に思っていることは無い?

編入前に在籍していた百合ヶ丘と比べると、いろいろと違っているところもあるでしょう?」

 

「何人かのリリィとは前に会ったことがあるし、みんな親切にしてくれるから、嫌なことや苦しいことは何も無いよ。

ガーデンの雰囲気は百合ヶ丘とは全然違うけど、どっちも私は好き。

だから、私はみんなと一緒に戦って、絶対にこのガーデンを守らないといけない」

 

 結梨は檀の質問に答えたつもりだったが、最後はなぜか決意表明のようになってしまった。

 

「そんなに気を張っていると、いつかどこかで疲れてしまうわ。

あなたは優秀な能力を持ったリリィかもしれないけど、一人で使命感を背負い込むのは良くないわ。

自分の力を見極めて、それを超える行動は取らないようにしないと、命取りになりかねないから」

 

「それは……今は分かってるつもり」

 

 相模湾の海上で特型ギガント級ヒュージ・ハレボレボッツ――それはおそらくG.E.H.E.N.A.の実験体ヒュージだった――と刺し違えた時のことを思い出し、結梨の声は幾分か低くなった。

 

 結梨の表情がわずかに曇るのを見て取った檀は、両手を伸ばして結梨の手に重ねた。

 

「別にお説教をするためにここに呼んだわけではないのよ。

ただ、あなたたちリリィはいくら桁違いの力を持っていても、年齢的にはまだ高校生の女の子であることに変わりは無いの。

だから時には感情的な行動を取ってしまったり、状況判断を誤ることも往々にして起こりうるわ。

それを未然に防ぐ可能性を少しでも高めるために、メンタルを安定した状態に保っておくことが重要なの」

 

「ありがとう、先生。

私も桂や燈みたいに、もっとしっかりした心を持てるようになりたい。

同じ1年生なのに、私よりずっと大人っぽくて、考え方もちゃんとしてて……」

 

 それを聞いた檀の目が訝しげに細められ、やや咎めるような口調で結梨に問いかけた。

 

「燈って、ロネスネスの司馬燈さんのこと?

北河原さん、彼女とはよく知っている仲なの?」

 

「うん、編入する前に一度御台場に来た時も、私のことを気にかけてくれて、いろいろ教えてもらったの。

ちょっと怖い感じもするけど、本当はすごく優しいリリィだと思う」

 

「……北河原さん、司馬さんとは関わらない方がいいわ。

彼女は他のリリィとは違って、極めて特殊で厄介な事情を持っているから」

 

「燈が? でも燈はそんな悪い人じゃないよ」

 

「あなたに話しておかなければいけないことがあるわ。

今から私が言うことは、決して他の人には口外してはダメよ」

 

「……分かった」

 

 そこで檀は少し間を置いて、慎重に言葉を選びながら結梨に語り始めた。

 

「彼女――司馬燈は、かつて京都の鞍馬にあるG.E.H.E.N.A.の研究施設にいて、ある日突然に、そこから脱走したの。

その後、船田純さんとの二度の戦いを経て、最終的には御台場女学校のリリィになったのだけれど、問題は脱走時の彼女の行動なの」

 

「脱走した時に、燈が何かしたの?」

 

「彼女は、施設内の職員や研究員を一人残らず殺害して、施設から脱走したのよ。

つまり――彼女は人殺しなの」

 

「燈が人を殺した……」

 

 結梨はただそれだけの短い言葉を発して、それ以上は何も口にしなかった。

 

「そうよ。驚いた?

怖いわよね、同じガーデンで生活しているリリィに殺人を犯した者がいるなんて」

 

「……」

 

 結梨は檀の言葉を聞いて何事も口にせず、俯いて沈黙したままだった。

 

「かわいそうに、怖くて声も出せないのね。無理も無いわ。

でも、これは本当のことなの。

だから彼女とは決して二人きりにならないこと。

あなた自身の身の安全のために」

 

 結梨は視線を下に下げ、依然として黙り続けていたが、しばらくするとゆっくりと顔を上げて檀の顔を見、何かを話そうとした。

 

 檀はじっと結梨の言葉を待っている。

 

 果たして、結梨が発した言葉は檀の予想だにしないものだった。

 

「その時、檀先生も燈に殺されたんだよね」

 

「――!」

 

「どうしたの? 私、何か変なこと言った?」

 

 結梨の言葉を聞いた檀は混乱し、驚愕していた。

 

 その目は信じ難いものを見たように大きく見開かれ、呼吸は激しく乱れていた。

 

 息苦しそうに、かろうじて檀は切れ切れに言葉を吐き出す。

 

「変なこと、ですって?

無邪気な顔をして、よくもそんなことを平然と言えるものね。

あなた、気は確かなの?

自分が何を言ってるか、分かっているの?」

 

「うん。燈がG.E.H.E.N.A.の施設から脱走する時に、檀先生もその場にいて、燈に殺されたんだよね」

 

 あらためて誤解のしようも無いほど、はっきりと結梨は檀に言い切った。

 

 動揺を隠せない檀は、思わず声を上ずらせて結梨に問う。

 

「あなたは何者なの? なぜその事実を知っているの?

……いずれにせよ、答えを聞くまでは、この部屋から出すわけにはいかないわ」

 

「そんなの、私が話したからに決まってますわ」

 

 突然、閉ざされた保健室のドアの向こうから、艶のある皮肉げな少女の声が聞こえてきた。

 

 ゆっくりとドアが静かに開いて、ロネスネスの制服を着た一人のリリィが姿を現す。

 

 そのリリィ――司馬燈の眼には、してやったりと言わんばかりの不敵な光が宿っていた。

 

 燈の姿を視界に収めた檀は、ようやく全ての事情を理解した。

 

「――そう、あなたたち二人は、ぐるだったのね。

あなたたち、この私を()めたわね」

 

 驚愕と動揺の感情から一転して、憤怒に燃える眼で、檀は結梨と燈を交互に見比べた。

 



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第17話 一柳結梨、御台場女学校のリリィになる(5)

 今回投稿分はほとんど檀先生の説明台詞と推論で占められています。
 情報を詰め込みすぎで読みにくいとは思いますが、ゲヘナ側の認識を改めて提示しておく必要があったためで、ご了承願います。


 

 結梨は先程まで意図的に装っていた無邪気さとは打って変わって、今は眉間にわずかな皺を寄せて、息が詰まるような重苦しさを感じさせる表情を浮かべていた。

 

 怒りの感情を露わにする檀を前にして、結梨は訥々と言葉を吐き出し始めた。

 

「私、燈からその時のことを聞いたの。

燈を逃がそうとしてくれた人が、燈の目の前で殺されて――それで燈は何も分からなくなって、気がついたら周りにいた人はみんな死んでいたって。

その時、燈は自分では憶えていなかったけど、燈が殺してしまった人の中には檀先生も含まれていたって、先生が燈に言ったんだよね。

……そして、先生はその施設の研究員だった」

 

 結梨の言葉を聞いた檀は、その鋭い視線を燈に向けた。

 

「あなたが当時の顛末を彼女に話したのね、司馬さん」

 

「先生ほどのマッドサイエンティストが、ゆりさんのようなリリィに目を付けないわけがないと、最初から私は考えていましたわ。

だから編入初日に、彼女に一通りの情報を伝えておきましたの。

あなたに妙な入れ知恵をされる可能性がありましたから。

現に、あなたは私とゆりさんを分断しておこうとしましたわ」

 

 編入の初日、お茶会の後で薺たちと別れた結梨と燈は、燈の居室で二人きりで話をした。

 

 燈は会話の中で、校医の中原・メアリィ・倫夜が御台場のガーデンを去ったこと、新たにスクールカウンセラーの稲葉檀が赴任したことなどを説明した。

 

 倫夜と同じく、檀もまたG.E.H.E.N.A.の関係者であると。

 

 そして檀が、かつて燈が囚われていたG.E.H.E.N.A.の研究施設――それは京都の鞍馬に位置していた――の一員だったことも。

 

 先手を打たれたことに屈辱を感じた檀は、その美しい唇を憎らしげに歪めて燈に答えた。

 

「あら、私は事実しか彼女に伝えてはいないわ。

あなたが人殺しだという事実をね」

 

「先に殺人を犯したのは、あなたたち施設側の人間でしたわ。

私を逃がそうとしてくれた人を、あなたたちは私の目の前で撃ち殺した。

そして、そのショックで我を失い錯乱した私は、私を捕らえようとした人間を無我夢中で攻撃し、一人残らず殺してしまった。

当時の記憶には欠落している部分も多くありますが、あなたと倫夜先生の言葉を信用するなら、私はその時、確かにあなたを殺していますわ」

 

「……だそうよ。この話を聞いてあなたはどう思うのかしら?北河原さん」

 

 檀から意見を求められた結梨は、慎重に言葉を選びながら返答を口にする。

 

「……私には、それが本当かどうかを確かめることはできない。

でも、先生がその施設にいたこと以外は、私が百合ヶ丘にいた時にガーデンから伝えられて知ってた。

私だって、私の大切な人が殺されたら、自分がどうなるかなんて想像できない。

だから、燈の言ってることはおかしくないと思う」

 

「その事件で私が司馬さんに殺されたのに、今ここに生きている事実については、どう思うの?」

 

「普通なら絶対にありえないことだけど、先生が普通の人じゃなければ、先生は本当に生き返ったのかもしれない」

 

「随分と意味深なことを言うのね。

まるで私以外にも、一度死んで生き返った人間を知っているみたいに」

 

「……」

 

 結梨の脳裏には、戸田琴陽と共に百合ヶ丘を訪れた白井咲朱の言葉が浮かんでいた。

 

 咲朱は教導官として百合ヶ丘に赴任する直前に戦死し、その後に生き返ったと結梨とロザリンデに対して言明した。

 

 そして、結梨もまた一度死んで生き返ったのだと。

 

 つまり白井咲朱、一柳結梨、そして稲葉檀という三人の人物が、死亡後に生き返ったということになる。

 

 しかし、いずれも証拠となるものは公式には一切存在せず、本人たちの証言以外に依拠するものは何も無い。

 

 黙ったままの結梨を見た檀は、先程より幾分か表情を和らげ、感情よりも理性が彼女の精神を支配したようだった。

 

「沈黙もまた答え。

あなたの沈黙は、私が知りたい事実を雄弁に語ってくれているわ。

あなたは白井咲朱というリリィを知っているわね。

――ああ、返事はしなくていいわ。

その一事だけで、あなたの正体は見当がついたから。

今から私が話すことは、私の独り言として聞いて」

 

 檀は結梨の顔に視線を定めたまま、知的好奇心と、それに伴う気分の高揚を隠しきれずにいた。

 

「『北河原ゆり』さん。

今から私はあなたを一柳結梨と仮定した上で、私の持論を述べるわ」

 

 この展開をあらかじめ予想していたのか、燈は結梨の後ろに立って、黙って檀の話を聞いている。

 

「御台場のガーデンを防衛するための支援戦力として、ただ一人で百合ヶ丘女学院から一時編入したリリィ。

その情報が目に留まったから、あなたのことを個人的に調べてみたの。

すると、百合ヶ丘では特務レギオン預りの身分だったことが分かった。

あなたはエレンスゲ女学園の序列1位と同じく、詳細な個人情報は全て抹消済み、あるいは非公開。

編入時に持ち込んだCHARMは2機、うち1機は第4世代の精神直結型。

後者のCHARMは、エリアディフェンス崩壊時に新宿御苑付近と旧都県境の戦場で使用された機体と同一であると推測される。

これに該当すると思われる機種はエインヘリャル、公式には実戦検証機の扱いになっているわ。

ただし、実戦で使用された記録として残っているのは、数ヶ月以上前に2年生の番匠谷依奈による一度のみ。

現在の使用者に関する情報は不明――おそらくは、これも意図的に非公開とされているのでしょう。

極めつけに、先程の発言から、あなたはヒュージの姫の頂点たる白井咲朱の存在を知っているか、直接の面識がある。

これらの情報を総合すると、御台場女学校に派遣された百合ヶ丘女学院のリリィ『北河原ゆり』は、一柳結梨である可能性が極めて高い」

 

「先生がどう思われようと、それは先生の勝手ですわ」

 

 熱っぽく語る檀に、冷ややかに水を差す燈だったが、当の檀はそれを一顧だにしない様子だった。

 

「戦死したはずの一柳結梨が生きていたとして、私の考えた筋書きは――」

 

 檀が結梨と燈に向かって展開した持論は、以下のような内容だった。

 

 一柳結梨が爆発に巻き込まれて生死不明になった事実を利用して、百合ヶ丘は彼女の生存を公表せず秘匿しておくことにした。

 

 そして彼女を通常のレギオンではなく特務レギオンの預りとすることで、対G.E.H.E.N.A.戦略における重要な戦力として位置付けた。

 

 これまでの所、この方針は有効に機能していると思われる。

 

 実際、彼女の能力は突出し過ぎていて、他のリリィとの差がありすぎる。

 

 それならば、個人のデュエル戦闘能力を問われるような戦場、あるいは一般的なレギオンでは対処できない特殊な作戦に投入するのが適任と考えられる。

 

 そのような戦場の一つが、今やG.E.H.E.N.A.による『実験』の最前線となっている、この御台場女学校だった。

 

 ガーデン防衛の名目であっても、アールヴヘイムやレギンレイヴのようなSSS級のレギオンを百合ヶ丘から御台場へ派遣すれば、百合ヶ丘の外征任務に支障をきたすだけではなく、御台場の既存戦力とのバランスや連携も根本的に見直す必要がある。

 

 何より外部の組織や世間一般の目につく。

 

 これにはG.E.H.E.N.A.だけではなく防衛軍や政府機関も含まれる。

 

 百合ヶ丘も御台場も、大規模にSSS級レギオンを動員して世論を刺激したくない。

 

 対G.E.H.E.N.A.戦略にG.E.H.E.N.A.以外の勢力が介入して、事態をコントロールできなくなることは避けたい。

 

 かと言って、ランクの低いレギオンを派遣しても、頭数が増えるだけで大幅な戦力増強につながるかは疑問だ。

 

 そうした思惑の結果、百合ヶ丘と御台場は『北河原ゆり』なる無名の1年生リリィを、単独で派遣するという内容で合意に至った。

 

「『北河原ゆり』が一柳結梨と同一人物である可能性は否定できない。

そしてその『北河原ゆり』が御台場のガーデンに派遣されること自体は、秘密でも何でもなく、一般に公開されている情報よ。

にもかかわらず、G.E.H.E.N.A.から私には何の連絡も指示も来ていない。

これは実に興味深い事実だと、私は考えているわ」

 

「G.E.H.E.N.A.が一柳結梨の存在を故意に無視していると、先生は考えているわけですのね」

 

「そう。おそらくG.E.H.E.N.A.の上層部は一柳結梨が生存していた場合でも、現状では不干渉の方針を取っていると思われるわ」

 

 その理由の第一は、これまでの戦闘によって、一柳結梨の持つ能力がG.E.H.E.N.A.の想定を遥かに上回っていたことだった。

 

「一振りのグングニルしか装備していなかった時とは違って、今の『北河原ゆり』は桁違いの戦力を持つ存在となった。

縮地S級保持者のため、身柄の拘束はほぼ不可能。

加えて第4世代精神直結型CHARMの装備により、支援系のレアスキルとの組み合わせで即時に遠隔地を無人機で空爆可能。

こんなリリィを一柳結梨として強制的に捕えようとして失敗すれば、どれほどの報復攻撃を覚悟しなければならないか、想像に難くないわ」

 

 その意味では、先般発生したエレンスゲ女学園のリリィによる襲撃事件は、極めて重大な結果を引き起こす可能性があったと、檀は呟いた。

 

「エレンスゲのラボが原因不明の爆発事故を起こして消滅したり、理事会の幹部が何人も行方不明になっていてもおかしくなかったと思うけど、幸いそのような事態には発展しなかった。

その代わりかどうかは知らないけど、最近G.E.H.E.N.A.所有の偵察衛星が1基ロストしたわ。

偶然にも、その日は百合ヶ丘女学院で大型CHARMの試射が行われたそうね。

あれもあなたの仕業なのかしら?」

 

 ちらりと結梨を一瞥した檀に、すぐに結梨は首を横に振って否定した。

 

「ううん、違う」

 

「そう。まあいいわ、私はロストの原因自体に興味は無いから」

 

 檀の関心は、『北河原ゆり』の存在を巡ってG.E.H.E.N.A.と反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの双方が、彼女をどのように位置付け、関係を構築しようとしているかにあった。

 

 なぜなら、その前提条件が、檀が御台場で展開しようとしている『実験』の計画に、決定的な影響を及ぼす可能性があるからだった。

 

「今のあなたの能力を考慮すれば、G.E.H.E.N.A.が強制的に身柄を拘束するのは、限りなく不可能に近いわ」

 

 かと言って、今さら頭を下げて研究への協力を求めたところで、袖にされるのは目に見えている。

 

 それならば、状況が大きく変化するまでは、『北河原ゆり』の機嫌を決定的に損ねないように、様子見を決め込むのが妥当な選択肢だと、G.E.H.E.N.A.の上層部は判断した。

 

 その判断に基づいて、G.E.H.E.N.A.は組織の内部に保存されていた一柳結梨に関する情報を封印し、一般の構成員はアクセス不可とする措置を取った。

 

一方、百合ヶ丘女学院にしてみれば、一柳結梨が極めて特異な出生の事情を持つリリィゆえに、G.E.H.E.N.A.に身柄を引き渡すことは考えられない。

 

 加えて、彼女は人であることが法的に認められている以上、彼女をヒュージとして捕縛する命令が出ることは無い。

 

 その反面、一柳結梨が『北河原ゆり』として一般のリリィと同じように表舞台で戦えば、世間一般に彼女の存在が知れ渡り、厄介な議論を呼び起こす可能性が高い。

 

 少なくない割合の人間が、彼女を『理性を持った人型のヒュージ』と見なし、現行の法律を改正しようとするかもしれない。

 

 そうなれば、当然G.E.H.E.N.A.も息を吹き返し、あらゆるプロパガンダを使って、その議論を恣意的に誘導しようとするだろう。

 

 従って、火の無い所に煙を立たたせないために、百合ヶ丘は彼女の存在を秘匿し、ごく限られた者にしか、その情報を開示しなかった。

 

 しかし、これほどの能力を有するリリィを飼い殺しのようにガーデンに閉じ込めておくことは、戦力面からも、本人の人権と自由意志を保障する教育機関としても、不適切なのは明らかだ。

 

 それゆえ、『北河原ゆり』がリリィとして生きるために、何らかの活動の場を設ける必要が、百合ヶ丘のガーデンにはあった。

 

「それが対G.E.H.E.N.A.作戦行動を主たる任務とする、特務レギオンLGロスヴァイセの活動であり、この御台場女学校のガーデン防衛支援だったというわけ。

少なくとも現時点では『北河原ゆり』を名乗っている一柳結梨の存在を表に出さない方が得策だと――G.E.H.E.N.A.と反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの双方が、期せずして方針の一致を見た――何とも皮肉な結果ね」

 

 自信満々に持論を展開し終えた檀に、再び燈が冷めた眼で質問を口にする。

 

「……で、結局のところ、先生は彼女をどうしたいんですの?」

 

「もちろん、唯一無二の貴重な研究対象として観察し、入手可能なありとあらゆるデータを収集したいわ。

私以外の誰一人として持っていない情報を活用できれば、私の研究は飛躍的な成果を上げられる可能性がある。

研究者として、こんな魅力的なチャンスをみすみす見逃す手は無いわ。

それにタイミング良くあの女も御台場を去ったことだし、私にもようやく日の目を見る機会が巡ってきたということね。

リリィでも強化リリィでもない、極めて特殊な存在である一柳結梨。

彼女は未知の情報の宝庫よ。

彼女の内に秘められている情報の可能性は、岸本・ルチア・来夢や、ヒュージの姫の頂点に君臨する白井咲朱に勝るとも劣らない。

他の誰にも関わらせたりするものですか」

 

「ですが、G.E.H.E.N.A.は一柳結梨に対して不干渉の方針だと、さっき先生は言われましたわ。

先生の発言には矛盾があると思いますけれど」

 

「当然、私からは彼女に危害を加えたり、身柄を拘束したりするつもりは一切無いわ。

でも、このガーデンに特型のギガント級ヒュージが出現し、それに対して彼女が迎撃のために出撃しても、それは私から彼女への干渉にはならないでしょう?

彼女が自らの意思で『実験』に介入することは、私の関知するところではないのだから。

ただ私はその状況をモニタリングして、データを収集させてもらうだけ。

その結果、私の手元に各種のデータが揃ったとしても、それは彼女への干渉に基づくものではないと言えるし、G.E.H.E.N.A.の方針に反することは何一つしていないわ。

これって、我ながら良くできたロジックだと思うけど、どうかしら?」

 

「似ても焼いても食えない詭弁家ですのね、どうぞご勝手になされば」

 

 あきれ顔で燈は溜め息をつき、結梨を椅子から立ち上がらせた。

 

「もう行きましょう、ゆりさん。

これ以上ここにいても、先生の毒気に当てられるだけですわ」

 

 燈はごく簡潔に檀に退出を告げると、結梨を伴って保健室を出て行った。

 

 結梨と並んで廊下を歩きながら、燈はようやく肩の荷を下ろしたように表情を和らげた。

 

「でも、先生の独演会のおかげで、推論とは言えG.E.H.E.N.A.側の認識を確認することができたのは、こちらにも収穫でしたわ。

念のために、ここで聞いたことの内容は他言無用に願いますわ。

ガーデンへの連絡は、私の判断に一任するということで」

 

「うん。分かった。

私はいつも通りにしてればいいのかな?

何か特別に気を付けておかないといけないことはある?」

 

「檀先生がG.E.H.E.N.A.の人間だということだけ念頭に置いていれば、後はこれまでと同じように生活していただいて結構ですわ。

いずれ、あの人が何かしらの『実験』を仕掛けてくるのは間違いありませんが、私たちリリィは今までと変わらず、力の限り戦うのみですわ」

 

「そうだね。……あ、あそこにいるの、英じゃない?」

 

 結梨の視線の先を燈が追うと、廊下の奥に一人のリリィが右手を上げて軽く振っているのが見えた。

 

 それは結梨を預かっているレギオンであるLGコーストガードの1年生、岸田(はなぶさ)だった。

 

 二人が英の近くまで来ると、英はリリィらしからぬ、おっとりとした口調で結梨に話しかけた。

 

「ゆりちゃん、こんな所にいたんだ。

燈ちゃんも、ごきげんよう。

二人で保健室から出て来たみたいだけど、どっちかが体調悪くなったのかな?」

 

「ご心配には及びませんわ。

ゆりさんが檀先生に簡単なカウンセリングを受けていただけで、何も問題はありませんでしたわ」

 

「そうなんだ……よかった。

ちょっとゆりちゃんと新しいフォーメーションの話をしたいんだけど、一緒にコーストガードの控室まで来てもらってもいいかな?」

 

「うん、カウンセリングはもう終わったから、大丈夫だよ。

燈、今日はありがとう。

燈が保健室に来てくれて、すごく嬉しかった」

 

「どういたしまして。

ところで、控室には湊様もお待ちなのでしょう?

早く行ってあげた方がよろしいと思いますわよ」

 

「うん、またね、燈」

「じゃあね、燈ちゃん」

 

 結梨と英は燈と別れて廊下の向こうへと去って行く。

 

 二人の後ろ姿を眺めていた燈の耳に、英の話し声が聞こえてきた。

 

「あのね、私のB型兵装とゆりちゃんのCHARMを連携させて、ノインヴェルト戦術を使わずにギガント級を……」

 

 それを聞いた燈は思わず苦笑した。

 

「とんでもない戦術を考えつきますのね。

まあ、あの二人にはヒュージとの戦いだけに専念させてあげたいものですが……」

 

 燈は保健室のある方を振り返り、檀の姿が見えないのを確認してから、自らもロネスネスの控室へ赴くべく廊下を歩き始めた。

 




追記
 前回と今回で、結梨ちゃんが「殺される」などと発言するのは問題があるかとは思いました。
 しかし、舞台ではそれなりの頻度で人が死んだり殺されたりしているので、避けて通ることは出来ないと考えて、このような台詞回しとなりました。
 アニメやラスバレではこのような場面は皆無なので、舞台未見の方は違和感を覚えられたかもしれませんが、ご理解のほどお願いします。

さらに追記
 よく考えてみたら、一葉さんの過去の記憶は↑に近いものがありますね……


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第18話 ルドビコ女学院再訪(1)

 前回の内容は設定の整合性にこだわるあまり非常に読みにくくなってしまい、大変反省しています。
 その割には説明しきれていない部分や描写不足の部分も少なからず残ってしまったように思います。
 今年いっぱいは新規の舞台も無く、ラスバレのメインストーリー更新もいつになるか分からないので、もう少し肩の力を抜いて続けていくつもりです。



 

「ヒュージ、全然出てこなくなっちゃったね……」

 

 よく晴れた日の放課後、御台場女学校の校舎の一角にあるLGコーストガードの控室。

 

 その室内では、1年生の岸田英がテーブルに頬杖をついて、窓の外を流れる雲を所在なさげに眺めていた。

 

「うん、せっかく二人で連携フォーメーションの特訓してたのにね」

 

 英の隣りに座っている結梨は、同じく手持ち無沙汰というか、肩透かしをくらったようなもどかしさを感じている。

 

 御台場女学校へ一時編入する前に百合ヶ丘のガーデンで受けた説明では、御台場では特殊能力を備えたG.E.H.E.N.A.の実験体と思われる特型ヒュージが一度ならず出現し、出撃の都度、その対応に苦慮しているとのことだった。

 

 そのため、御台場では休む間も無いほど頻繁に出撃が繰り返されるものと、結梨は覚悟していた。

 

 しかし、実際に御台場のガーデンへ来てみれば、少なくとも今のところはガーデンの周辺は全く静穏で、ヒュージの姿を見ることも、その気配を感じることも皆無だった。

 

 結梨が御台場女学校に一時編入して10日ほどが経過したが、その間ヒュージ出現の警報音がガーデンに鳴り響くことは一度たりとも無かった。

 

 それとは対照的に、都内各所、とりわけルドビコ女学院の周辺部では、特型ヒュージ・エヴォルヴの幼体とみられる個体が多数出現し、その抑え込みにルドビコをはじめとする近隣ガーデンのリリィが躍起になっていた。

 

 御台場でも、結梨の一時編入より少し前には、ドミネーターと名付けられた特型ギガント級ヒュージの出現があり、LGロネスネスが中心となって迎撃にあたった。

 

 その時の戦闘ではドミネーターを仕留めることができずに取り逃がしたものの、先日、レストアされた同一個体であるメイルストロムを房総半島にて撃破した。

 

 その後も、ロネスネスとヘオロットセインツは、国定守備範囲外への外征に頻繁に出撃していた。

 

 一方、結梨の一時編入以来、御台場のガーデン防衛を任務とするLGコーストガードに出撃命令が下されることは無く、いわば開店休業の状態が続いていた。

 

「あなたたち、ヒュージが出現しないのは良いことなのよ。

軍隊や警察と同じように、リリィが出動する機会が無い方が望ましいことに違いは無いのだから」

 

 後輩である英の手前、そう言ってはみたものの、コーストガードの隊長である2年生の弘瀬湊は、当然この状況を訝しんでいた。

 

「G.E.H.E.N.A.の『実験』が予定の区切りまで進んで一段落ついたのか、それともG.E.H.E.N.A.の内部で何かしらのトラブルが発生して、計画を一時中断しているのか……」

 

「せっかく百合ヶ丘からゆりちゃんが来てくれたのに、これじゃ宝の持ち腐れですね。

腕がなまっちゃいそうです」

 

「逆に、ゆりさんが来たからこそ『実験』が中断されているのかもしれないわ」

 

「それって、どういうこと?」

 

 頭の上に疑問符を浮かべているかのような表情で、結梨が湊に尋ねた。

 

 『北河原ゆり』が一柳結梨であることをガーデンから知らされている湊には、一つの仮説があった。

 

 結梨の一時編入以来、急にヒュージが出現しなくなった理由、それは御台場に一柳結梨と思しきリリィが加わり、防衛戦力のバランスが大きく変わったことだと、湊は考えていた。

 

「御台場に想定外の戦力が加わったことによって、G.E.H.E.N.A.は『実験』のシミュレーションに入力するパラメータの大幅な変更と再計算を余儀なくされた。

これについては、ほぼ確実でしょうね」

 

「はあ……何だか難しいお話ですね」

 

 英は分かったような分からないような曖昧な返事を返す。

 

「その結果、それまで準備を進めていた実験内容では、所期の目的を達成できないことが判明した。

だから今は、ゆりさんの戦力を追加したデータを新しい基準値として、実験内容の調整と変更を進めていると考えていいでしょう」

 

「そうなんですか……G.E.H.E.N.A.もいろいろと苦労してるんですね」

 

 何やら間の抜けた感想を述べる英だったが、それはいつものことなのか、湊は英の発言を咎めだてたりはしなかった。

 

「英、ゆりちゃんとの連携攻撃は上手く出来そうなの?」

 

「はい、いま取り組んでるコンビネーションが成功すれば、ノインヴェルト戦術を使わなくてもギガント級を倒せると思います。

でも、それはB型兵装を使うのが前提の戦術なので、一度の戦闘で一回しか使えないんです。

だから私がフィニッシュを撃った後は、ゆりちゃんが頼みの綱なんです」

 

「うん、私がフェイズトランセンデンスを使わなければ、マギを使い切ることはないから大丈夫だと思う」

 

「ゆりちゃん、それ『ふらぐ』っていうんだよ」

 

「碧乙もそれ言ってた。

『ふらぐ』って英語のflagのことかな」

 

「すごーい。私、英語苦手なんだ。

今度のテストの範囲で分からないところ教えてほしいな……」

 

「いいよ。明日の放課後に図書室で一緒に勉強しよう」

 

「あなたたちの会話を聞いていると、とてもここが対ヒュージ防衛の最前線とは思えなくなってくるわね」

 

 苦笑いする湊の横で、結梨と英はあれこれと話を進めている。

 

 今日も何事も無く一日が終わるかと思われたその時、控室のドアをノックする音がした。

 

 入室を促した湊の声に応じて入ってきたのは、LGヘオロットセインツの小柄な1年生リリィ、河鍋薺だった。

 

「ごきげんよう、湊様。

少しお邪魔させていただいても構わないでしょうか?

先日は、あまりゆりちゃんとお話しできずに終わってしまったので」

 

 薺の手には、やや大ぶりの銀色の魔法瓶が抱えられている。

 

 それを見た湊は、猛烈に不吉な予感に襲われた。

 

「ええ、それはいいけど、薺さん、その手に持っているものは――」

 

 湊の質問に、薺はあっさりと答えた。

 

「ハーブティーが中に入っています」

 

 予感は的中した。湊は更に質問を続ける。

 

「……それは、あなたが自分で淹れたものかしら?」

 

 薺の返事しだいでは、丁重にお引き取りいただかなければならない。

 

 どうすれば薺を傷つけずにお茶の招待を断れるだろうかと、湊が頭の中で方便を巡らせていると、薺の方が先に答えを口にした。

 

「いえ、最初は自分でブレンドしたものを淹れようとしたんですけど、桂が必死の形相で止めたので、結局、燈に淹れてもらいました」

 

 いかにも残念そうに溜息をつく薺とは対照的に、湊は心の中でほっと胸を撫で下ろした。

 

 自分の事はともかく、1年生の英と結梨に悪魔的な調合センスのハーブティーを飲ませるわけにはいかなかったからだ。

 

 しかし、その気持ちを顔に出すわけにもいかず、湊は薺に調子を合わせて沈みがちな口調で声をかけた。

 

「そうだったの。それは残念だったわね。

私たちは今日はもう予定は無いから、燈さんのハーブティーを堪能させていただこうかしら。

英、戸棚から御茶菓子とティーカップを出してちょうだい」

 

「はい、ちょっと待ってください」

 

 湊の指示を受けて、いそいそと英が戸棚の方へ歩き出した時、校内放送の短いメロディーが控室の中まで流れてきた。

 

「1年生の北河原ゆりさん、至急生徒会室まで来てください。

繰り返します、1年生の……」

 

「――私が呼ばれてる、行かなきゃ」

 

 座っていた椅子から立ち上がり、ドアの方へ向かおうとした結梨の脳裏に、稲葉檀から呼び出された先日の校内放送がよぎった。

 

 また罠かもしれないと結梨は一瞬疑ったが、生徒会室であれば檀はいないだろうし、最悪の場合、縮地S級で瞬間移動すれば脱出できると判断した。

 

「ゆりちゃんが戻ってくるまで待ってるから、大丈夫だよ。

早く行かないと、生徒会の人たちを待たせちゃうよ」

 

 薺が手に抱えていた魔法瓶を軽く持ち上げて結梨に示すと、振り返ってそれを見た結梨は軽く微笑んだ。

 

「ありがとう。なるべく早く戻ってくるから、少し待ってて」

 

 足早にコーストガードの控室を出た結梨は、そのまま生徒会室へと直行した。

 

 生徒会室の前まで来て扉をノックすると、中からよく知っている声が聞こえてきた。

 それは生徒会長の月岡椛の声だった。

 

 安心した結梨が扉を開けると、室内には椛と副会長の川村楪の姿があった。

 

「よっ、久しぶり。調子はどうだい?」

 

 以前に会った時と変わらない軽いノリで楪が声を掛けてきた。

 

「うん、どこも調子は悪くないけど、ヒュージが全然出てこないの」

 

「それは日頃の行いがいいんだな。結構なことだよ」

 

 軽口を叩く楪の横で、対照的に落ち着き払った様子の椛が言葉を発した。

 

「ゆず、私から結梨さんに、ここに来てもらった用件を伝えてもいいかしら」

 

「ああ、構わないよ。

私はその用件とやらを聞かされてないけど、まだ結梨は御台場のリリィになって日が浅いんだから、そんなにややこしい話じゃないんだろ?」

 

「それが――」

 

 椛は少し困ったような素振りで言葉を詰まらせ、楪と結梨を交互に見た。

 

「椛、私は気にしないから、話してみて。

どんな内容でも、私はそれを自分で受け止めないといけないから」

 

 他の多くのリリィと同じく、既に何度も戦場にその身を置いてきた結梨の精神は、椛の言葉を待つ心構えができていた。

 

 その意志を見て取った椛は、少し間を置いた後、努めて平静に話し始めた。

 

「そう……ではお伝えするわ。

――結梨さん、あなたに防衛軍から出頭要請が来ているの」

 

 椛の言葉はごく無機的に生徒会室の壁に反響し、その後には静寂だけが室内を満たしていた。

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(2)

 

「しゅっとうようせい……?」

 

「防衛軍が結梨さんを呼び出しているということよ」

 

 努めて冷静に結梨に答えた椛に対して、楪は対照的に気色ばんで早口に疑問をぶつける。

 

「どうして軍がリリィ個人を呼び出すんだ?

しかも、よりによって結梨を。

そもそも、出頭の要請を出したのは一体どこの司令部なんだよ。

百合ヶ丘女学院のある鎌倉府なのか?」

 

「いえ、市ヶ谷の防衛軍本部へ直接出向くように、との内容よ」

 

 楪は椛の言葉を聞くと、腕組みをして思わず顔をしかめた。

 

「それは、ますますもって剣呑な状況だな。

どう考えても何か裏があると見て間違いなさそうだ。

まさか、その場で身柄を拘束、そのまま憲兵が取り調べなんてことはないだろうな」

 

 楪の懸念を、椛は首を横に振って否定した。

 

 その表情は、あくまでも事態を理性的に把握しようとする意志を、楪と結梨に感じさせるものだった。

 

「いいえ、ひとまずその心配はしなくてもいいと思うわ。

御台場と百合ヶ丘の両ガーデンはこの要請を了承していると、理事長から私に連絡があったから」

 

「それなら、出頭要請の理由は何なんだ?

なぜこのガーデンに何百人もいるリリィの中から結梨を選んだんだ?」

 

「それについては現時点では何も情報が無いの。

それに、防衛軍は『北河原ゆり』を指名して出頭を要請してきているそうよ。

一柳結梨という名前はどこにも使われていないわ」

 

「結梨の名を出していないってことは、この件を表沙汰にする気は無いのか。

それとも、『北河原ゆり』が一柳結梨であることを知らないのか。

後者の線は薄そうだが……もし出頭を拒否した場合はどうなる?」

 

 椛は結梨の方を見てから少し間を置いて、楪に視線を移して意見を述べた。

 

「百合ヶ丘在籍時の結梨さんに捕縛命令が出た時のように、防衛軍の機甲師団が出動するかもしれない……とまでは考えにくいわ」

 

「なぜ、そう言えるんだ?」

 

「幾つかの条件が、この出頭要請に付随しているからよ。

一つには、出頭に際してはCHARMの携行が許可されていること。

二つめは、出頭要請の発令者が憲兵隊長ではなく、対ヒュージ部門のトップであること。

そして最後に、この要請の対象となっているリリィに対しては、本人の意思を最大限尊重する、と」

 

「呼び出しの目的は、ヒュージ絡みの用件ってことか?

それも、そのトップとやらは、『北河原ゆり』が一柳結梨であることを知っている可能性がある。

その上で、何かしら厄介事にこちらを巻き込もうとしてるんじゃないのか?」

 

「仮にそうだとしても、ヒュージに対する何らかの戦略や作戦に関することであれば、こちらも無下に断るわけにはいかないでしょう。

事実、百合ヶ丘と御台場のガーデンはこの要請を了承しているのだから」

 

「その内容については防衛軍が関わっているから軍機扱いで、私たち部外者のリリィには教えられないってことか。

単にヒュージと戦うのではない、何か特殊な作戦を考えているのか……」

 

「私、行ってみる。

もし何か良くないことが起こっても、いざとなったら自分で何とかできるから。

それに、防衛軍が私のことをどう考えてるかは、実際に行ってみないと分からないし」

 

 なおも気を揉んでいる楪に、結梨は毅然とした態度で自分の考えを表明した。

 

 これまでに経験してきた戦場での戦いに加え、他ガーデンのリリィやG.E.H.E.N.A.関係者とのやり取りを経て、自分を取り巻く環境との付き合い方を、結梨は身に付けつつあった。

 

 百合ヶ丘のガーデンの外での経験が、自らの運命を自らの判断と行動で切り開く力を養っていることを、結梨はまだ自覚していなかったけれども。

 

「まあ、あんたをどうこうできる人間がそうそういるとは思えないし、条件を聞いた限りでは、必ずしも強制的に事を運ぼうとしているわけじゃなさそうだ。

案ずるより産むが易し、と考えた方がいいのかもしれないな」

 

 ようやく要請を認めようとした楪に続けて、椛が念を押すように結梨の安全を保障しようとする。

 

「万が一の事があれば、生徒会からガーデンを通して断固とした対応を取るように働きかけるわ。

防衛軍だって、リリィやガーデンと協力しなければ、ヒュージから人々を守れないことはよく分かっているはずだもの」

 

「ありがとう、椛、楪。

きっと無事に戻ってくるから、心配しないで待ってて」

 

 未来は常に不確定で、でもそれを恐れずに立ち向かわなければ、道は開けない。

 

 今までもそうしてきたし、これから先も、そうしなければならない。

 

 それが未来をより良い方向へ変えていく唯一の方法だと、結梨は自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼前、あと1時間ほどで太陽が南中しようとする頃、結梨は市ヶ谷の防衛軍本部の前に立っていた。

 

 その背中に負っているCHARMケースには、エインヘリャルではなく、戸田琴陽から譲り受けたトリグラフが収められている。

 

 緊急時の護身用としては、装着に時間を要するエインヘリャルよりも、ケースから取り出してすぐに起動できるトリグラフの方が適していると考えたからだ。

 

 本部の前まで一緒に行きましょうかと椛からは言われたが、自立心旺盛な結梨はその申し出を丁重に断って、一人で御台場から市ヶ谷まで来たのだった。

 

 防衛軍本部の建物はガーデンとは違い、いかにも「威容を誇る」という形容が当てはまる、巨大な中層建築物だった。

 

 建物のエントランスに続く道の手前には、堅牢なゲートが行く手を塞いでいる。

 

 そのゲートに向かって、結梨は一度深呼吸すると、落ち着いた歩調でゆっくりと進んで行った。

 

 ゲートの前には衛兵と思しき軍服姿の男性が両側に立っている。

 

 御台場の制服を着た結梨の姿が近づいてくるのを見た二人の兵士は、直立不動の姿勢から完璧な敬礼をした。

 

 このような対応には、もう何度も戦場で遭遇してきたのだが、未だに何となく面映ゆい気分になってしまう。

 

 結梨が差し出した学生証のカードを手に取って確認した後、兵士はうやうやしく結梨にカードを返した。

 

 もちろん、学生証の名義は「北河原ゆり」になっている。

 

「御台場女学校のリリィの方ですね。

ご訪問の連絡は聞かされております。

どうぞ中へお入りください」

 

 少し照れくさそうに兵士にお辞儀をして、結梨は見上げんばかりの巨大な建物の中へと入って行った。

 

 どうやら自分は何かの容疑者として呼ばれたわけではなさそうだ。

 

 ほっと安心した結梨は、いくらか軽い足取りになって廊下を進んで行く。

 

 途中で何人かの将校とすれ違ったが、一人の例外も無く相手から先に敬礼してきた。

 

(ロザリンデは確か、私たちは防衛軍では「さかん」としての扱いを受けるって言ってた。

「さかん」って何だったっけ……)

 

 とりとめも無く考え事をしながら歩いているうちに、結梨は事前に説明を受けていた部屋の前まで辿り着いていた。

 

 重厚な木製の扉を控えめにノックすると、中から男性の声で返事があった。

 

 その穏やかな声は、結梨に入室を促していた。

 

 結梨が扉を開けて室内をのぞくと、部屋の中央に設置された応接用と思われるソファーと、それに座っている壮年の男性が目に入った。

 

 男性の着ている軍服は将官用のものであり、顎鬚を生やした精悍な顔つきをしている。

 

 結梨の姿を見ると男性はおもむろに立ち上がり、何の気負いも無く結梨に歩み寄った。

 

 結梨は男性から威圧感を覚えるようなことは無く、むしろ彼が自分に対して友好的たらんと努めていることを感じ取っていた。

 

「はじめまして、『北河原ゆり』君。

私は防衛軍で対ヒュージ戦略の責任者を務めている石川精衛という者だ。

 

今日は君に頼みたいことがあって、ここまで御足労願った。

私が直接御台場のガーデンまで出向くと、いかにも悪目立ちしそうだったのでね」

 

 精衛は結梨にソファーに座るよう勧め、二人は二つのソファーに向かい合って座る形になった。

 

 結梨は精衛より先に、最も気になっていることを口に出した。

 

「あなたは、私のことを知ってるの?」

 

「知っている……と言えば知っているかな。

しかし今は君を『北河原ゆり』として、話をさせてもらおうと思っている」

 

 結梨の問いかけに精衛は若干曖昧な答えを返し、一柳結梨の名を口にしないまま説明を続けた。

 

「私は百合ヶ丘女学院の理事長代行とは旧知の仲だ。

君にここに来てもらったのも、私から彼に連絡を取って、私の依頼する任務に適任の人物を推薦してもらった結果だ。

 

君の身柄をどうこうする趣旨で呼んだわけではないことを理解してほしい。

無論、指揮命令系統の規則上、正式な指令は御台場のガーデンから発令されることになる」

 

「任務……って?」

 

「君は新宿御苑の近くにあるルドビコ女学院というガーデンを知っているかね?」

 

「うん、知ってる。まだルドビコのガーデンに行ったことは無いけど」

 

「では、ルドビコで『本当は』何が起こって、今は事実上ガーデンが崩壊した状態になっているのかは?」

 

「……知ってる」

 

 結梨は新宿御苑で幸恵と来夢から聞いたルド女崩壊の真相を思い出しながら、ごく短く返事をした。

 

「そうか。やはり伊達に百合ヶ丘で特務レギオン預かりの立場でいたわけではないということだな。

 

一般のリリィには、大規模なヒュージ群との戦闘で甚大な人的物的被害が発生し、その際に隣接するルドビックラボから実験体ヒュージが大量に逃げ出した、としか説明されていない。

 

それ以上の事を知っているのは当事者であるルドビコのリリィと、ルドビコ以外の一部のガーデンの、ごく限られた関係者だけだ。

 

そして君はその、ごく限られた関係者の一人というわけだ。

今回の件に、百合ヶ丘の理事長代行が君を推薦した理由もそこにある」

 

「……」

 

 結梨は黙って精衛の話に聞き入っている。

 

「ルドビコ女学院は現在、教導官のほとんどを失い、対ヒュージ戦闘組織としてのガーデンの機能は麻痺している。

 

今はガーデン周辺の防衛力を補うために、幾つかのレギオンが国定守備範囲外のガーデンから派遣され、そのまま駐留している状態だ。

 

ヒュージとの戦いについては、ひとまずそれで戦力的な穴埋めは出来るだろう。

だが、それとは別に、そのままにはしておけない問題がルドビコにはある」

 

「……その問題のために、私を呼んだの?」

 

「そうだ。君がまだ百合ヶ丘女学院に在籍していた当時、江ノ島の洞窟で何者かによって設置されていた機器を発見・押収しただろう?

 

幾つかの状況証拠を総合すると、その機器はケイブを人工的に生成する目的で造られたものと考えられる」

 

 ロザリンデたちと一緒に探索した洞窟の奥で、ヒュージを倒したその先に見つけた装置。

 

 その後、工廠科と解析科のリリィが装置を洞窟から運び出したと聞いている。

 

「現在、防衛軍では百合ヶ丘の工廠科・解析科と共同で当該の機器の分析を進めているところだ。

 

しかし、機能の中心となる制御基板と、実行プログラムがインストールされていた記憶装置が取り外されていたため、装置全体の復元は難航している。

 

それについては今ここで議論する主題ではない。

問題は、その装置が何者によって造られ、設置され、使用されたかだ」

 

 結梨には精衛の言わんとするところが何となく分かってきた気がした。

 

 ケイブ生成装置、ルドビコ女学院の崩壊、特務レギオン預かりの立場だった自分が呼び出されたこと……それらの座標が交わるところに、「任務」の目的はあるのだと。

 

「ルドビコ女学院の周辺では、ガーデンの崩壊が起こる以前から不自然なほど高い頻度で、特異なヒュージの出現パターンが観測されていた。

 

――まるで任意の場所に任意のタイミングで、ヒュージを出現させることができるかのように」

 

 精衛は黙って自分を見つめている結梨に、苦々しい口調で説明を続ける。

 

「ヒュージが出現するのは、そこにケイブがあるからだ。

 

もちろん、姿を隠しているヒュージが現れる場合もあるが、ルドビコの場合はケイブ発生の警報が必ずと言っていいほど鳴っていたと、ルドビコのリリィから証言を得ている。

 

その上に、君が知っている崩壊の真相を重ね合わせれば、答えは自ずと明らかだ。

 

ルドビコのガーデンあるいはルドビックラボの中に、江ノ島で発見したものと同種の機器があると、私は推測している。

 

ヒュージを使って敵対する人間や特定のリリィを襲わせていたとすれば、これは歴然たる犯罪行為であり、当然、法的な捜査対象になりうる。

 

しかし、防衛軍の兵士をガーデンやラボの捜索に投入するのは困難だ。

 

命令を発する根拠となる物証は無く、特殊部隊を秘密裏に突入させても、実験体ヒュージや狂化した強化リリィが建物内に残っていれば、機器を確認するどころか生還すら覚束ないだろう。

 

かと言って、特務レギオンのリリィを派遣して戦闘が発生すれば、G.E.H.E.N.A.および反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの報復を招く恐れがある」

 

「それで、今は特務レギオンとは関係なくなった私を呼んだの?」

 

「その通りだ。君はルドビコ崩壊の真相を知っている上に、特務レギオン預かりの立場だったため、一般のリリィでは知りえないG.E.H.E.N.A.の情報も頭に入っている。

 

それに加えて、君の戦闘記録を拝見させてもらったが、やはり君は間違いなく特別なリリィだ。

 

一部では『特異点のリリィ』という呼称が使われているようだが、君もその一人に含まれるのは確実だろう」

 

 ルドビコ女学院に御台場の一リリィとして入りこみ、その内部に今も残されているであろうケイブ生成装置を確認すること。

 

 それこそが、精衛が結梨を出頭要請という形で、この場に呼び出した目的だった。

 

「君には、もう一人のリリィと共同で任務に当たってもらいたい。

予定通りなら、もう間もなくここに来るはずだが……」

 

 精衛の言葉が終わらないうちに、部屋の扉がノックされる音がした。

 

 先程とは異なり、精衛が返事をする前に扉は開かれた。

 

 姿を現したのは、結梨が実際に見たことの無い――知識としては知っていたが――ダークブルーの制服を着た少女だった。

 

 いかにも負けん気の強そうなその少女は、うんざりした様子で精衛に文句を言った。

 

「何度来ても、ここは堅苦しくて息が詰まるわ。

お父さんも、少しは羽目を外して仕事のこと忘れないと、メンタルをやられちゃうわよ」

 

 精衛が口を開くより早く、少女はソファーに座っている結梨に視線を落とし、明快な口調で話しかけた。

 

「――ああ、あなたが私とコンビを組んでルド女に潜入するリリィね。

はじめまして、私は相模女子高等学館1年生の石川葵。

私と一緒なら、必ず任務を達成して無事に戻れるから、大船に乗ったつもりで安心して」

 

 高校生らしい活気に満ちた少女は、頭の左右で結った髪を軽く揺らしながら、元気よく結梨に名を告げた。

 

 





これが若さか……葵ちゃん、私を修正してください(謎)


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第18話 ルドビコ女学院再訪(3)

 

「ふーん。あなた、最近百合ヶ丘から御台場に編入したんだ」

 

「うん。でも、ずっとじゃなくて、御台場のガーデンを守り切れたら百合ヶ丘に戻る予定になってるの」

 

 市ヶ谷の防衛軍本部で石川精衛から説明を受けた結梨と葵は、新宿御苑近傍にあるルドビコ女学院への道中で、お互いの持つ情報を交換しているところだった。

 

 それぞれのCHARMケースを背負った二人は、新宿駅を出て徒歩でルド女のガーデンへ向かっていた。

 

「ガーデン防衛の支援戦力としてなら、何もたった一人で編入までしなくてもいいと思うけどね、個人的には。

 

まあ、ルド女みたいに外部のガーデンから複数のレギオンが駐留してるのとは、まるで事情が違うのは想像がつくわ」

 

「その辺のことは、あまり話さないようにって言われてるの……」

 

 結梨はやや歯切れの悪い口調で葵に答えた。

 

 葵は「北河原ゆり」が一柳結梨であることを知らない様子だった。

 

 百合ヶ丘にいた時のことを詳細に話してしまうと、そこから自分が一柳結梨であると気づかれてしまうかもしれない。

 

 特に、自分が一柳隊の一員だったことを口にするわけにはいかなかった。

 

 そのため、結梨は葵に対して、どうしても言葉少なにならざるを得なかった。

 

「そうでしょうね。噂では、ルド女が崩壊した後、今度は御台場に特型ヒュージがやたらと出現するようになってるって聞いてるわ。

 

ルド女が崩壊した原因も、単なるヒュージの襲撃ってわけじゃなさそうだし、裏に何かキナ臭い陰謀があるのは私でも想像がつくもの。

 

ま、それは実際にルド女の中に入ってみれば、嫌でも分かることだけど。

 

あなただって、百合ヶ丘にいた時は特務レギオンの預かりで、そのレギオンの隊長があなたの従姉妹なんでしょ?

 

親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンが調査対象、ケイブ生成装置、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務預かりのリリィ……

ここまで出揃えば、私にだって問題の輪郭は見極められるわ」

 

 精衛が言及した極めて不自然なケイブの発生パターンについては、ルド女の崩壊以後は確認されていないとのことだった。

 

 ケイブを発生させていたのがルド女のガーデン――実態としてはG.E.H.E.N.A.の息がかかった理事や教導官たちだが――だったとすれば、彼ら/彼女らは現在はほとんどが死亡あるいは行方不明となっている。

 

 つまり、ケイブ生成装置を操作する者が存在しなくなったため、結果として人為的なヒュージの出現は無くなったということだろう。 

 

 その代わりに、ルド女のリリィたちは、エヴォルヴの幼体やスプリッタ―と呼ばれる特型ヒュージの不規則な出没に悩まされているというわけだ。

 

 この現象が、御台場で進められているG.E.H.E.N.A.の『実験』と関連があるかどうかまでは、現時点では分からない。

 

 それよりも今、結梨と葵がしなければならないのは、持ち主を失ってルド女のガーデンのどこかに眠り続けているはずのケイブ生成装置を見つけることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて二人の前方に、ルド女のガーデンとその手前に立つ人影が見えてきた。

 

 人影の数は二つ。

 どちらもCHARMケースを背負っている。

 動かずにこちらを見ているようだった。

 

 距離が縮まり、相手の顔が判別できるまでに近づくと、それは福山・ジャンヌ・幸恵と岸本・ルチア・来夢であることが分かった。

 

「ごきげんよう、幸恵様。来夢。

お出迎えいただいて恐縮だわ」

 

 葵の挨拶に答えたのは幸恵だった。

 

「ごきげんよう、葵さん、ゆりさん。

防衛軍と御台場のガーデンから連絡は受けているわ。

 

このガーデンのどこかにあるケイブ生成装置の探索に、あなたたちが来ると。

 

装置がある場所の見当は付いているけど、今はセキュリティのロックが掛かっていて、それを解除しないと中に入れないの」

 

「それは話が早くて助かります。

セキュリティの掛かっているゲートだか扉だかを物理的に破壊すると不味いんですか?」

 

「その場合、何が起こるか分からないから、迂闊なことはできないのよ。

 

例えば爆破装置のようなものが作動して、建物が崩落してしまう恐れもあるわ」

 

「そうなると、私たちは脱出できたとしても、そこから先の探索は不可能になってしまうわけですね。

 

とりあえず、そのセキュリティのある所まで行ってみるしかないか……場所はどこなんですか?」

 

「このガーデンの最奥部にある指令室、そのどこかに設置してある可能性が最も高いと思うわ。

 

そこに無いとすれば、ガーデンに隣接しているルドビックラボの中でしょう。

 

もっとも、ルドビックラボも現在は閉鎖中で、中に入ることはできないのだけど」

 

「それなら、先に指令室に行ってみるのが手っ取り早いですね。

セキュリティの解除方法はその場で考えるとして。

さっそく行きましょう」

 

 単刀直入に事を進めようとする葵に、来夢が心配そうな顔をして念を押す。

 

「でも、指令室には何があるか分からないんですよ。

中に入れたとしても、何か罠が仕掛けてあるかも……

それでも行くんですか?」

 

「そこに何があるか分からないからこそ、確かめに行くのよ。

そうでしょう、ゆり」

 

「うん、私たちはそれを自分の目で確かめに来たんだから、何が待っていても行くよ」

 

「……そう、分かったわ。

戦闘が発生する可能性も十分あるから、決して気を抜かないようにね」

 

 葵と結梨に全く退く気が無いのを見て取った幸恵は、覚悟を決めたように小さく頷いて、二人をガーデンの中へと案内した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校舎の中へ入った四人のリリィは、ガーデンの深部に向かって廊下を進んでいた。

 

 一般の区画を抜けて問題のセキュリティーゲートがある箇所までは、まだかなりの距離が残っていた。

 

 途中で何人かのルド女のリリィとすれ違ったが、つい先日まで東京圏防衛構想会議で様々なガーデンのリリィが滞在していたためか、誰も葵と結梨には注意を払わなかった。

 

 あと数分で四人が一般に開放されている区画を抜けようとした時、前から歩いてくる他校のレギオンらしき一団のリリィが目に入った。

 

 彼女たちは結梨がつい最近まで着ていたのと同じ制服――つまり百合ヶ丘女学院の制服を身に纏っていた。

 

 見間違いようも無い。一柳隊の九人のリリィだ。

 

 四人の最後尾を歩いていた結梨は、自分の前にいた来夢の後ろに、さりげなく身を隠した。

 

 今は御台場の制服を着ている上に、ルド女の佳世と同じような眼鏡を掛け、髪型もポニーテールに変えている。

 

 まともに顔を見られないように注意すれば、自分だとは気づかれないはずだと、結梨は心の中で言い聞かせた。

 

 四人のリリィと一柳隊の九人のリリィは、数メートルの距離を置いて歩みを止めた。

 

 一柳隊のリリィたちの目は、先頭を歩いていた葵の姿に集中していた。

 

 それは当然のことで、余程鈍いリリィでない限り、石川葵の名を知らない者は東京にも鎌倉府にも居ないだろう。

 

 世界最高格付けを記録した聖メルクリウスの中等部レギオン予備隊でヘッドライナーを務め、現在は相模女子高等学館の特務レギオンである生徒会特選隊メンバー、90オーバーのスキラー数値を誇る「蒼き皇女」……

 

 数々の輝かしい名声を、彼女はその小柄な身体で成し得てきたのだった。

 

 葵は一柳隊の先頭にいる楓を見つめたまま黙っている。

 

 葵の姿を見て、一柳隊のリリィたちが口々に思ったことを声に出し始めた。

 

「あのリリィ、下北沢での外征で私たちと一緒に戦った……」

 

 梨璃が口にした言葉に最初に反応したのは二水だった。

 

 二水は興味津々の様子で、自分たちの前にいる葵から目線を外さない。

 

「相模女子高等学館1年生の石川葵さん、ですね。

楓さんが中等部時代に付き合っていたという噂を聞いたことがあります。

 

彼女は相模女子の入試で全学科満点でトップ合格した、超優秀なリリィなんですよ」

 

「何か凄く自信満々な感じでこっちに歩いてきたけれど、相模女子のリリィがルド女へ何しに来たのかしら」

 

 夢結が怪訝な顔をしていると、梅が前方にいる楓の後ろ姿を見ながら答える。

 

「ひょっとして、楓に話があって来たんじゃないのか。

二水の話だと、葵って楓の元カノなんだろ?」

 

「そ、それって、『私たち、よりを戻さない?』みたいな尊い内容の相談なんでしょうか。

もし紅巴さんがここにいたら、感動のあまり涙で前が見えなくなること間違いなしです」

 

「あの子は何でも、そっち方面に結び付けて妄想するからな……」

 

 この場にいない紅巴のことを思い出して、鶴紗は隣りにいる二水に肩をすくめてみせた。

 

 その後ろでは、神琳が雨嘉の目を見つめながら、熱っぽく語りかけている。

 

「雨嘉さん、私たちの愛は永遠です。

何が起ころうとも、私と雨嘉さんが離れることは絶対にありませんので、ご安心ください」

 

「神琳、今そんなこと言わなくてもいいから……恥ずかしいよ」

 

 周りの目を気にして頬を赤らめる雨嘉だったが、神琳は一向に気にしていない様子だった。

 

「愛は常に確かめ合うものです。

誰にも何も遠慮する必要なんてありませんよ。

 

私は私の愛を惜しみなく雨嘉さんに与えることができます。

 

そして見返りも答えも求めない愛こそが、真の愛なのだと分かってはいますが、私の愛はまだ、その域には届いていません……」

 

 何やら後ろの方で愛について語り始めた神琳の声を聞きながら、楓は振り向かずに少々うんざりした口ぶりで水を差した。

 

「……皆様方、もう少し静かにしていただけませんこと?

周りであれこれ騒がれると、気が散って仕方ありませんわ」

 

 葵は楓のすぐ前まで来ると、歩みを止めて正面から楓の顔を見つめた。

 

 その表情は、旧知の相手への親しみを込めた柔らかさに満ちていた。

 

「楓、久しぶり。ルド女に来てたんだ。

やっぱり東京圏防衛構想会議の絡みなの?」

 

「ええ。ルド女周辺エリアの防衛力強化のために、百合ヶ丘から派遣されているレギオン――一柳隊の一員として、しばらくはここに駐留する予定ですわ」

 

「そう、元気そうで良かった」

 

「葵さんこそ、相模女子では生徒会特選隊でご活躍されていると聞いていますわよ」

 

「うん、うちは百合ヶ丘と違ってスパルタ式で、実戦で戦果を上げるのが至上命題なの。

その上、上級生が武闘派揃いだから、必ず活躍しないと普段の訓練メニューが悲惨なことになるのよ。

 

それに、うちの隊長なんて、3年生のくせに事あるごとに焼肉だのお寿司だの、値の張る食事ばかり私に奢らせてきて参ってるわ。

普段はもずくと豆腐ばっかり食べてるのに。

 

それでいて、自分のことを『妖艶なる水の女神』だの『策謀と奸計に優れた傾国の悪女』だのとうそぶいてるから、他のレギオンからは失笑されてるし。

 

でも実家は没落した名家で、昔から貧乏で苦労してきたっていう話だから、そのせいで性格が複雑骨折した中二病みたいになっちゃったのかもしれないわね……

 

そう考えると、あの人も色々と大変なんだなって思えて、あまり邪険にも扱えないわ」

 

「葵さん、話が思いきり脇道にそれてますわよ」

 

 葵の言う「うちの隊長」とは、相模女子の生徒会特選隊隊長である松永遊糸(ゆい)のことだろうと楓は推察した。

 

 話を聞いていると、ほとんど葵とは腐れ縁のような関係に思えたが、遊糸が隊長に就任して以来、特選隊は無敗の戦績を誇っていると聞く。

 

 相当に癖のあるリリィなのだろうが、レギオンの隊長として極めて優秀であることは間違いない。

 

 葵の言葉にトゲのようなものは感じられなかったので、何だかんだで遊糸とは良好な関係にあるのだろう。

 

 ――と、楓の隣りまで来た梨璃が、何気なく葵について尋ねた。

 

「楓さん、葵ちゃんと以前からの知り合いなんですか?」

 

「ええ、葵さんとは聖メルクリウスの中等部で一緒に学んだ仲ですわ。

 

私にとって、誰よりも大切な無二の親友……いえ、決して梨璃さんと葵さんを比べてどうこうというわけではありませんわ。

 

お二人とも私にはかけがえのない存在なのですから」

 

「楓、その人はあなたのレギオンの隊長よね。

確か、名前は一柳梨璃さん……楓とはどんな関係なの?」

 

 葵の問いかけに楓は少しだけ逡巡した後、それまでより幾分控えめなトーンで答えを口にした。

 

「私が……好意を寄せている方ですわ」

 

 楓の返答を聞いた葵は、口元を両手で押さえて目を見開いた。

 

「ひどいわ、楓。

あんなに愛し合っていたのに、私を捨てて百合ヶ丘で新しい相手にぞっこんなのね。

私のことは遊びだったのね。

もう私は二度と立ち直れない」

 

 葵は楓と梨璃の目の前で膝をついて、がっくりとうなだれた。

 

「あ、葵ちゃん……」

 

 楓は自分の隣りで思わず驚きの声を上げた梨璃を横目に、葵のすぐ傍まで近づいてしゃがみ込み、それから葵の腕を取ってゆっくりと立ち上がらせた。

 

 やれやれという形容がぴったりな表情で、楓は葵の耳元で小声で囁いた。

 

「下手な小芝居はおよしなさいな、葵さん。

あなたという人がそんな柄でないこと、分からない私だとお思いですの?」

 

 すると、悪戯が見つかった子供のように、葵は小さく舌を出して照れ笑いのような表情を作った。

 

「やっぱりバレバレか。

ちょっと驚かせてみようと思ったんだけど、楓が引っかかるわけないよね」

 

「相変わらずですのね、そういうところが葵さんらしいのですけれど」

 

 葵を立ち上がらせた楓は、苦笑いしながら葵の膝に付いた埃を手で払った。

 

「今は葵さんとは別々のガーデンに離れてしまいましたが、私たちの関係は何も変わりませんわ。

 

梨璃さんは私の最愛の人であり、葵さんは私の無二の親友、その事実は微塵も揺るぎませんもの」

 

「最愛の人……」

 

 そう呟いた葵が梨璃の顔をじっと見つめると、梨璃は恥ずかしそうに下を向いて視線を反らした。

 

「楓さんは梨璃と付き合っているわけではないので、その点については勘違いなさらないようにね、葵さん」

 

 わざとらしく咳払いをして、夢結が楓を横目でじろりと見ながら葵に断りを入れた。

 

 夢結の発言について楓は何事か言いたげな表情だった――が、後ろから鶴紗のものらしき咳払いも聞こえてきたので、この場での反論は控えることにした。

 

「来夢、『もとかの』って?」

 

 一方、四人の後ろの方では、梅の言葉を耳に留めていた結梨が来夢に尋ねた。

 

「えっと……説明をお願いできますか、幸恵お姉様」

 

「わ、私に聞くの?

……あ、あなたたちも、もう少し大人になれば分かることよ。

今はまだ理解する必要は無いわ。この話はここまでよ」

 

 いかにも強引に話を打ち切った幸恵は、足早に葵と楓に歩み寄って、自分たちはガーデンの所用でこの先に行くから、今日はこれで失礼すると一柳隊に伝えた。

 

 それほど幅の広くない廊下を、葵たち四人と一柳隊がすれ違って離れていく。

 

 結梨は来夢の後ろに隠れるようにして、顔をうつむかせたまま一柳隊の横を通り過ぎた。

 

 その結梨の背後から、よく知っている低い声が聞こえてきた。

 

「御台場のリリィも来てるのか。

何の用件か知らないけど、詮索しない方がいいだろうな。

しかし、あの後ろ姿、どこかで見覚えがあるような……」

 

 鶴紗の独り言に反応したのは梅だった。

 

「御台場のリリィに知り合いがいるのか?鶴紗」

 

「……いえ、たぶん私の気のせいです。行きましょう」

 

 廊下の角を曲がって、一柳隊から見えない所まで来た結梨は、ようやく安心して、ほっと息をついた。

 

 G.E.H.E.N.A.との確執に終止符を打つまで、その日が来るまで、自分は仮の名と姿を捨てるわけにはいかない。

 

 今ルド女に来ているのも、そこへと至る一歩なのだと、結梨は自分に言い聞かせて、校舎の廊下を奥へ奥へと葵たちと進んで行った。

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(4)

 

「ガーデンの見取り図では、この先に戦闘時の指揮を執るための指令室があるわ。

入室できるのは職員のみで、生徒の入室は許可されていなかったの。

だから、私と来夢も指令室の内部がどうなっているのかは知らないのよ」

 

 先頭に立ってルドビコ女学院の廊下を進む幸恵が、すぐ後ろを歩いている葵と結梨に説明していた。

 

 ルド女崩壊後の指令室は、セキュリティゲートのロックが解除できないため、事実上の閉鎖区画になっているという。

 

 来夢は一行の最後尾で後方を警戒しながら、注意深く歩を進めている。

 

 今や四人が進んでいるのは、廊下というよりは通路と呼ぶ方が適切な様相を呈していた。

 

 通路の幅は人がすれ違えるほどしかなく、照明の間隔も広くなり、壁面には窓も無い。

 

 圧迫感に満ちた薄暗い通路を四人が無言で進んで行くと、やがて前方に彼女たちの行く手を塞いでいる扉が見えてきた。

 

 その扉は暗灰色の重厚な金属製で、上下から咬み合わさるような二枚の隔壁で構成されていた。

 

「これが、例のセキュリティゲート……」

 

 葵がつぶやくと、幸恵は扉の脇にある赤いランプの点いたセンサーを指さした。

 

「今は扉がロックされて、開くことができない状態になっているわ。

何らかの方法でセキュリティロックを解除しない限り、この中には入れない」

 

「鍵になるものが必要なんですね。

鍵穴が見当たらないってことは、電子的な方法で鍵が掛けられている……?」

 

「おそらく、そこのセンサーで何らかの認証を行って、ロックを解除するようになっていると思うわ」

 

「個人の認証方法というと、生体認証なら顔、指紋、指静脈、虹彩パターン。

それ以外の電子的な認証なら、IDカードあたりですか……」

 

「この長方形のセンサー形状を見る限り、生体認証よりもIDカードの方が可能性は高そうね」

 

「私たちが持っているIDカードというと、公的な身分証を兼ねたガーデンの学生証くらいですね」

 

 学生証には非接触型のICチップが内蔵されており、その情報を電子的に読み取って、個人の認証に利用することは可能だ。

 

 葵と幸恵の後ろで会話を聞いていた来夢と結梨は、制服の内ポケットからそれぞれの学生証を取り出した。

 

「やってみましょう、幸恵お姉様」

 

「そうだよ。少しでも可能性があるなら、試してみるべきだと思う」

 

 やや前のめりになっている二人に対して、幸恵はあくまで冷静にその意見を受け入れた。

 

「……分かったわ。

でも、何が起こるか分からないから、念のために全員CHARMをケースから出して、不測の事態に備えておいて」

 

 幸恵の指示に従い、各自がCHARMをケースから取り出して起動させる。

 

結梨と葵はトリグラフ、幸恵はフィエルボワとシャルルマーニュ、来夢は故人である姉の岸本・マリア・未来が使用していたアステリオン。

 

 全員のCHARM起動完了を確認した幸恵は、まず自分の学生証をセキュリティゲートのセンサーに軽く触れさせた。

 

 ――反応は無かった。

 閉ざされた扉は微動だにせず、センサー横のランプも赤色のまま変化しなかった。

 

「ロックは解除されていないようですね。次は私がやってみます」

 

 幸恵に続いて葵が試してみたが、やはり結果は先程と寸分も変わらなかった。

 

「葵さんのIDでも無効ね。来夢、お願い」

 

「はい、お姉様」

 

 来夢が進み出て、手に持った学生証をセンサーに当ててみたが、またしても反応は無かった。

 

 これで、まだ認証を試していないのは結梨のみとなった。

 

 結梨のIDでもロックが解除されなければ、別の開錠手段を模索しなければならない。

 

 幸恵と葵は既にそのための思考を巡らせ始めていたが、その矢先に二人の耳に聞き慣れない電子音が聞こえてきた。

 

 音のした方を見ると、結梨が学生証をセンサーに当てたところだった。

 

 センサー横のランプは、先程までの赤色から緑色に変わっていた。

 

 それと同時に、四人の行く手を遮っていた隔壁が、音も無くゆっくりと開いていく。

 

「開いた……」

 

 幾分呆然とした感じの声で、結梨がつぶやいた。

 

「どうして、ゆりのIDでだけロックが解除されたんですか?」

 

 思わず、葵は幸恵に半信半疑で尋ねた。

 

 幸恵は当惑した表情を浮かべながらも、目の前で起こった現実を理性によって辛うじて受け止めていた。

 

「それは……私にも分からないわ。

私たちの中で、ゆりさんだけが指令室への入室を許可されている、としか今は言えないわ」

 

「まさか、ゆりがG.E.H.E.N.A.側の人間なわけないですよね。

そんな策を弄するような子じゃないのは、私にだって分かるもの」

 

 なぜ自分一人だけが幸恵たちと違う結果を引き起こしたのか、結梨は自問していた。

 

 IDカードの名義は、御台場女学校1年生の「北河原ゆり」だ。

 

 理由があるとすれば、「北河原ゆり」が一柳結梨である可能性をG.E.H.E.N.A.が想定し、特別な権限を付与している――それ以外には考えられなかった。

 

 何のために? 自由に行動させてデータを収集するためか、それとも隙を見て懐柔や拘束を試みるためか、今はまだ見当がつかない。

 

「ゆり、どうする? この先へ行ってみる?

G.E.H.E.N.A.の罠かもしれないわよ」

 

葵の確認に、結梨は力強く答える。

 

「うん、行く。この先にあるものを確かめないといけないから。

そのために、私たちはここに来たんだから」

 

 たとえ罠が仕掛けられていようとも、それを自分たちの力でくぐり抜けなくてはならない。

 

 CHARMもレアスキルも、そのためにあるのだ。

 

 今度は結梨を先頭にして、四人のリリィがCHARMを構えつつ、セキュリティゲートの先へと進んで行く。

 

 来夢に代わって幸恵が殿(しんがり)を務め、後方から異状が発生しないか神経をとがらせている。

 

 一行が二十メートルほど先の角を曲がると、通路の向こうに先程の隔壁とは異なる一般的なドアが見えた。

 

 おそらくそれが指令室の扉であると思われた時、閉じられていた扉が静かに開き始め、そこから一人の人影が姿を現した。

 

 その人物は白衣を身に纏った成人の女性で、彼女は細身の体躯に似つかわしくない、大型の武骨な形のCHARMを携えていた。

 

 その姿に結梨は見覚えがあった。

 忘れようはずもない、その女性とは――

 

「先生……」

 

 薄暗い通路の先に佇む女性に、結梨のつぶやくような小さい声が聞こえたかどうか。

 

 彼女は結梨を視界に捉えると、知性と理性と、そしてごくわずかな狂気をにじませた微笑を浮かべた。

 

「こんな所まで入り込んでくるなんて、見かけによらず問題児なのね。

リリィとしての本分から外れた行動は感心しないわ」

 

 指令室から出てきた女性――以前、御台場女学校で校医として勤務していた中原・メアリィ・倫夜(ともよ)は、教師然とした口調で結梨をたしなめた。

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(5)

 

「あなたが御台場の制服を着ているということは、今は百合ヶ丘のリリィではなく、御台場のリリィになったのね。

反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンも、裏で色々と策を巡らせているようね」

 

「先生……どうしてここにいるの?」

 

 CHARMを持って指令室から現れた倫夜に向かって、結梨は重苦しい気分で問いかけを口にした。

 

 自分たち四人が指令室に入るためには、倫夜が障害となって立ちはだかることは明白だと思われたからだ。

 

 倫夜は結梨の質問には答えず、再び結梨をたしなめる言葉を投げかけた。

 

「それはこちらの台詞よ。

この先の指令室は一般生徒の立ち入り禁止になっているはず。

まして他ガーデンのリリィが足を踏み入れるなんて、規則違反も甚だしいわ」

 

「でも、彼女のIDでセキュリティゲートのロックは解除されたんですよ」

 

 結梨の後ろにいた幸恵の言葉に、倫夜は驚いた表情を見せた。

 

「――何ですって?」

 

「だから私たちはここまで来ることができたんです。

それに、あなただってルド女の教導官ではありませんね。

あなたの方こそ不法侵入者ではないのですか?」

 

「私はルド女のガーデン――いえ、その上からの命令で、ここに入ることを認められているわ。

以前にこのガーデンを管理・運営していた主体が許可しない限り、セキュリティエリア内に立ち入ることはできない。

……でも、その子はセキュリティの管理者から入室を許可されているのね」

 

 そう言ってから、結梨たちの前で倫夜は少し考え込む仕草をした。

 

「ゆり、あの女の人は誰なの?」

 

 怪訝な顔で葵が結梨に問い、結梨は用心深く倫夜の方を見たまま、自分の後ろにいる葵に答える。

 

「中原・メアリィ・倫夜先生。

少し前まで、御台場で保健室の先生だった人。

今は別のカウンセラーの先生が、入れ替わりに保健室の先生をしてるの」

 

「何で御台場の校医だった人がルド女の指令室にいるの?

まさかルド女の教導官として赴任したなんていうんじゃないでしょうね」

 

 葵の確認に答えたのは結梨ではなく倫夜だった。

 

「いいえ、違うわ。

私はこの指令室に残されているデータをサルベージしに来ただけ。

私が知りたい研究や実験の情報が、ここのデータベースに記録されているはずだから」

 

 その倫夜の回答に、今度は幸恵が疑問を口にした。

 

「それなら、どうして反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの職員だった人が、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのセキュリティエリアに入っているの?

 

セキュリティゲートのシステムは、ルド女崩壊以前にガーデンを管理していたものが、まだ作動しているわ。

 

だから、旧体制のガーデンから許可されていた者しか、セキュリティエリアには入れないはず。

 

あなたがここにいるということは、つまりあなたは――」

 

「それはあなたたちの想像に任せるわ。

私とその子――『北河原ゆり』は、セキュリティの管理者から許可されて、この場にいることを認められている。

 

そして私はここにいる間、あなたたちのような者が侵入してこないよう警備をしているの。

『別命あるまで何人たりとも指令室には入れるな』との命令でね。

 

その見返りとして、この指令室のデータベースを利用させてもらっているの。

それ以上でも以下でもないわ」

 

「でも、ゆりさんのIDでセキュリティゲートのロックは解除されたわ。

あなたが受けた命令内容とは矛盾していると思いますが」

 

「それは私の与り知るところではないわ。

少なくとも私の直属の上長は、私に『誰も指令室に入れるな』と命令したわ」

 

 G.E.H.E.N.A.とて一枚岩の組織ではない。

 

 G.E.H.E.N.A.のシステム内で『北河原ゆり』のIDに特別な権限を付与したのは、倫夜が属しているのとは別の派閥によるものかもしれない。

 

 あるいは、指令室に保存されている情報の機密保持と、セキュリティシステムの管理は、それぞれ別部門の管轄になっている可能性もある。

 

 さらに穿った見方をすれば、セキュリティシステムを管理している者――あるいはその上位者は、結梨と倫夜を闘わせ、戦闘データの収集を目論んでいるのかもしれない――そう幸恵は推測した。

 

 その時、倫夜の話を聞いていた葵が、幸恵に代わって疑問を口にした。

 

「あなた、さっき自分がここにいるのは、知りたい情報があるからって言ったわよね。

一体、何を調べにここに来たの?」

 

「本当なら、あなたたちに答える理由なんて少しも無いのだけど、今日は特別に話してあげるわ。

――そこにいる二人に深く関係することだから」

 

 そう言って倫夜が見たのは結梨と来夢だった。

 

「……私?」

 

 二人は思わず同時に声を出した。

 

「そう、あなたたち二人はリリィとして――『特異点のリリィ』としても、余りに異質な存在。

 

本来なら私は天然もののリリィにしか興味が無いわ。

でも、あなたたちほど異次元な水準で作り上げられたリリィなら、そのプロジェクトの詳細を何としても知りたい衝動に駆られるの。

 

親G.E.H.A.N.A.主義ガーデンの代表格であるルドビコのデータベースには、それを知る手掛かりが残されているかもしれない。

 

そう考えて、今は閉鎖状態にあるこの指令室で、二人に関する研究資料を漁っていたの。

その結果、私はプロジェクトの核心に至る決定的な情報を得ることができた。

 

それによれば、あなたたち二人は単なる対ヒュージ戦闘の切り札ではなく、この世界の――」

 

 その時、葵が前に進み出て倫夜の話を遮った。

 

「ちょっと、ゆりと来夢が訳ありのリリィだからって、それが何だっていうのよ。

リリィなんて、誰でも大抵は何かしらの事情があるのが普通じゃない」

 

「そう、あなたは知らないのね……その二人はとても特別なリリィなのよ。

もしかすると、彼女たち以外の全ての『特異点のリリィ』を合わせたよりも」

 

「やけに勿体ぶるじゃない。

いいわ、言ってみなさいよ。

あなたが知ってる二人の特別な事情とやらを」

 

 意識的に挑発めいた言い方をする葵に、倫夜は平静を保って彼女の言葉を聞き入れた。

 

「ええ、話してあげるわ。

武装は解除するから、もう少し近くに行ってもいいかしら」

 

 倫夜は攻撃の意思が無いことを示すために、CHARMをシャットダウンさせ、通路の脇に置いた。

 

 指令室に至る通路の幅は、先程のゲート付近よりも大きく広がっており、四人が余裕を持って並んで歩けるほどだった。

 

 素手になった倫夜は、葵の前まで歩いて行き、手を伸ばせば触れそうな距離まで近づいた。

 

 その余りにも悠然とした態度に、葵が若干のたじろぎを見せた時、倫夜はおもむろに右手を高く上げた。

 

「?」

 

 不可解な倫夜の所作に、葵がトリグラフを握り直して身構えようとした。

 

 その刹那、二人の間に青白い燐光のような光が湧き立ち、葵の視界を遮った。

 

「――っ!」

 

 葵は咄嗟に後ろに飛び下がろうとしたが、その前に意識を消失してその場に崩れ落ちた。

 

 通路の床に倒れ込もうとする葵の身体を倫夜が抱きとめ、不敵な微笑を浮かべる。

 

「何を――」

 

 隣りにいた幸恵が驚いて、フィエルボワを倫夜に向けようとする。

 

「部外者には眠ってもらったわ。

これで落ち着いて話ができるわね」

 

 倫夜は艶然と微笑んだまま、フィエルボワを構えて警戒する幸恵に葵の身体を預けた。

 

「さあ、あらためて話の続きをしましょうか。

岸本・ルチア・来夢さん、『北河原ゆり』さん」

 

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(6)

 

 気を失ったままの葵を抱きかかえた幸恵は、正面に立つ倫夜を警戒しつつ睨みつけていた。

 

「……さっきの光、あれは何らかのレアスキルによるものなの?」

 

 その倫夜は幸恵の視線に動じる様子も無く、口元に笑みをたたえながら答えをはぐらかした。

 

「ちょっと違うかしら。

何なのか知りたければ、自分で調べてみなさい。

私からの宿題にしておくわ」

 

 もしかすると倫夜は強化リリィで、先ほど葵の意識を失わせた青白い光は、G.E.H.E.N.A.が開発した未知のブーステッドスキルによるものかもしれない。

 

 幸恵がそんな考えを巡らせている間に、倫夜は通路の脇に置いていた自分のCHARMを持ち上げ、いつでも戦闘状態に入れる態勢を取った。

 

「話があるのはあなたではなくて、そちらの1年生二人なの。

 

指令室に残されていたデータには、従来の強化リリィとは根本的に異なる方法によって、革新的な能力を持つリリィの開発プロジェクトが記録されていた。

 

それが実現した姿が、私の目の前にいる二人のリリィ――岸本・ルチア・来夢と一柳結梨――ああ、『北河原ゆり』さんが否定しても、私は勝手にあなたを一柳結梨として扱わせてもらうわ。

 

構わないわよね。気を失っている子以外は、あなたの事情を知っているのでしょう?」

 

 倫夜の発言に、三人のリリィは押し黙ったまま、一言も言葉を発しなかった。

 

 今は黙って倫夜の説明を聞き、彼女が何を伝えようとしているのかを見極める必要があると判断したからだ。

 

 倫夜は三人の沈黙を消極的肯定と解釈し、満足した様子で話を続けた。

 

「まず、岸本・ルチア・来夢さん。

あなたは胎児の段階で体内にヒュージ細胞を埋め込まれ、生まれながらの強化リリィとしてこの世に生を受けた。

 

ヒュージからは仲間と認識され、そのためヒュージに攻撃されることが無い――G.E.H.E.N.A.の実験体ヒュージを除いては。

 

また、6才という極めて早い段階でレアスキルに覚醒した事実が、非公式に記録されている。

 

極めつけには、ルドビコ女学院が崩壊した際の戦闘において、あなたを殺そうとした教導官の攻撃を、ギガント級が防御したという情報があるわ。

 

このギガント級の取った行動が、あなたの意思によるものか、ギガント級の自発的行動なのかは不明のまま……

 

いずれにせよ、こんな事ができる強化リリィは他に存在しない――いえ、もう一人、エレンスゲ女学園に同じタイプの強化リリィがいたわね。

 

でも、現時点で彼女はエレンスゲのガーデンの管理下に置かれ、その詳細な能力や出生の経緯についての情報は、厳重にプロテクトが掛かっている。

 

G.E.H.E.N.A.の管理から逃れ、データの蓄積が断絶したあなたたち二人とは、大きく状況が異なっている。

 

だから今はエレンスゲの強化リリィ――佐々木藍のことは脇に置いておくわ」

 

 倫夜が口にした来夢の特異な能力は、幸恵には既知のものであり、結梨にとってもある程度は来夢から聞かされて知っている内容だった。

 

 おそらく倫夜は、お互いの認識を一致させるために、あらかじめ情報の整理をしておきたかったのかもしれない。

 

 だとすると、それは来夢だけではなく結梨に関しても同様だと思われた。

 

 案の定、倫夜は来夢から結梨へと視線を移し、先程までと同じように説明を再開した。

 

「次に、ヒュージ幹細胞からヒトの遺伝子を抽出して、人工的に体組織を培養した人造リリィである一柳結梨。

 

数十あるいはそれ以上の個体が繭の中で育てられ、その中でただ一人だけ孵化に成功し、誕生した稀有な存在、それが彼女だった。

 

人造リリィは当初、リリィの損耗を補い、人権に配慮する必要無く、使い捨てにできる代替的な戦力として、プロジェクトが企画・開発されたものと考えられる。

 

結果として、人造リリィは単に既存のリリィを置き換えるだけの存在ではなく、極めて強力な対ヒュージ戦闘能力を有するリリィであることが確認された。

 

レアスキルの複数同時使用を始めとする特異な能力の数々は、訓練によって習得されたものではなく、先天的に備わっていたとしか考えられない――岸本・ルチア・来夢と同じく」

 

 そこまで話すと倫夜は一旦言葉を切り、首を少しかしげて三人の顔を見回した。

 

「でも、これって本当に偶然の産物なのかしらと、私は疑問に思ったの。

 

ヒュージ幹細胞からヒトの遺伝子を取り出しただけで、こんな超人的なリリィが生まれる確率は天文学的な低さよ。

 

それも、多数あった繭の中から一つだけが孵化に成功したのも、私には引っかかったわ。

 

ゼロでもなく、二つ以上でもなく、ただ一つだけが生存し、人として生まれ出た。

 

しかも、一般的な強化リリィを遥かに凌ぐ能力を持つにもかかわらず、理性を失って狂化することも無い。

 

これが偶然でないとしたら、始めからそうなるように計画されていたとしか考えられない。

 

ここで私は一つの仮説を考えたわ。

 

人造リリィの『設計者』が、始めからあなた一人だけを繭から孵化するように仕組んでいたとしたら?

 

最初から超越的な能力を持つようにあなたの遺伝子を操作して、自分の設計図通りに理想とするリリィを生み出そうとしていたなら?

 

――そして、それはおそらく岸本・ルチア・来夢も同じではないか?とね。

 

これは私のような野心的な科学者にとって、実に魅力的な仮説だったわ」

 

 やや興奮気味な口調で自説を展開する倫夜に、幸恵は用心深く疑問を口にする。

 

「それを裏付けるような証拠はあるの?

あなたの思い込みに過ぎない可能性だって否定できないと思うわ」

 

 証拠とまでは言い切れないかもしれないけど、と前置きした上で、倫夜は幸恵の疑問に答える。

 

「なぜなら、胎児にヒュージ細胞を埋め込むプロジェクトと、人造リリィの開発プロジェクトには、同一人物が関与していた可能性が高いことが分かったからよ」

 

「何ですって?」

 

「ここのデータベースを漁って、二つのプロジェクトに関する資料に可能な限り目を通したわ。

 

その結果、公開されていたのは年齢と性別と幾つかの情報だけで、氏名は非公開になっていたけれども、一人の研究者が両方のプロジェクトに参加していたことが確認できたの。

 

つまり、十数年の隔たりがあるとは言え、この人物は双方のプロジェクトに携わり、中心的な役割を果たしていた可能性があるのよ」

 

「その研究者はG.E.H.E.N.A.の指示に背いて、自分の個人的な目的を果たそうとしたというの?」

 

「いえ、それは違うわ。

彼あるいは彼女は、G.E.H.E.N.A.の命じた内容を実現させることから外れた行為はしなかった。

 

事実、二人のリリィはG.E.H.E.N.A.がプロジェクト発足時に期待していた以上の能力を持って生まれて来たのだから。

 

その上で、その研究者は、新しい人工的なリリィの開発という枠組みを超えて、自分が理想とする世界の実現への一歩として、彼女たちを創造したのではないかしら」

 

「その、理想とする世界とは何なの?」

 

「第一の理想は、ヒュージをこの世界から駆逐し、ヒュージが出現する以前の生態系を回復すること。

 

でも、全てのヒュージを地球上から討滅できる日が来るのはいつになるか、見当もつかない。

 

文字通り、ヒュージとの終わりなき戦いを、私たち人類は強いられている。

 

自分が生きている間に全ヒュージの討滅が叶わず、その後も人類は永遠にヒュージと戦い続けなければならないかもしれない。

 

それであれば、ヒュージの存在する世界でも、人類が安定して生存できる環境の構築を次善の策として目指すべきではないか――その研究者はそのように考えたのでしょう」

 

「環境の構築……しかし、全世界の面積の数十パーセントはヒュージが支配しているわ。

戦況次第では、人類の可住地域は今より縮小するかもしれない。

そのような安全な環境の構築など、とてもできる情勢ではないはずよ」

 

 幸恵の反論を予想していたかのように、倫夜は落ち着き払ってそれに答えた。

 

「そう、残念ながら現実的とは言えない、今は実現の可能性に乏しい方策ね。

 

その代わりに、環境を変えられないのなら、人類の方を環境に合わせて造り替えることを、その研究者は選択した。

 

その結果として生まれて来たのが、私の目の前に立っている二人のリリィよ」

 

「な……」

 

 幸恵は絶句して、隣りにいる来夢と結梨を思わず顧みた。

 

 倫夜は表情を変えずに来夢と結梨を見つめたまま、預言者が託宣するかのごとく二人に言い放った。

 

「――その研究者にとって、あなたたち二人はヒュージに対抗するための戦力ではなく、ヒュージの跋扈する世界でも生きられる、新しい人類のプロトタイプだった」

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(7)

 

「私と来夢が、新しい人類……?」

 

 結梨のすぐ横で、金属が何かにぶつかる鋭い音がした。

 

 結梨がそちらを向くと、来夢がアステリオンを床に落とし、両手で口元を抑えている姿が目に入った。

 

 その白く細い手は、小刻みに細かく震えていた。

 

「どうしたの、来夢。顔が真っ青だよ」

 

「その研究者って……」

 

 来夢は結梨に声を掛けられたことに気づいているのかどうか、半ば独り言のように小さく呟いた。

 

「来夢には心当たりがあるの?」

 

「……ううん、まだそうと決まったわけじゃない」

 

 結梨は心ここにあらずといった様子の来夢から、倫夜へと視線を変えた。

 

「その研究者は今もG.E.H.E.N.A.にいるの?」

 

「それは私には分からないわ。

その研究者がG.E.H.E.N.A.の人間だったかどうかも定かではないもの」

 

「どういう意味?」

 

「ヒュージやリリィの研究をしている機関は、G.E.H.E.N.A.の他にも世界中に星の数ほどあるわ。

 

あなたたちのプロジェクトに関わった研究者だって、必ずしも全員がG.E.H.E.N.A.に所属していたとは限らない。

 

現に人造リリィのプロジェクトでは、フランスに本社を置くグランギニョル社が技術提携していたのだから」

 

 人造リリィのプロジェクトについては、結梨の捕縛を巡る一件後に、グランギニョル社が一方的にG.E.H.E.N.A.との提携を打ち切ったと言われている。

 

 その後、新たな人造リリィの存在が確認されていないことから、プロジェクトは一時的に停止または無期限に凍結された可能性がある。

 

 技術的な再現性の欠如、コスト面での不採算性、生命倫理上の問題……考えうる理由は幾つもある。

 

 倫理的な理由でG.E.H.E.N.A.が人造リリィのプロジェクトを中断したとは考えにくい――そのような組織でないことは、この場にいるリリィたちには嫌というほどよく分かっていた。

 

 そうであれば、プロジェクトの核となる技術を握っていたのは、G.E.H.E.N.A.ではなくグランギニョル社の方だったのかもしれない。

 

 ともあれ、今ここで倫夜を問い詰めたところで、有意義な答えが得られる見込みは無さそうだった。

 

「世界を変えることが叶わないのなら、自分たちを変えるしかない。

その研究者は、そう考えたのかもしれないわね」

 

 倫夜が推測した研究者の選択を、幸恵は簡単には受け入れられそうになかった。

 

「それにしたって、人類を人工的に進化させようだなんて、何て大それたことを」

 

 それは神をも恐れぬ行為に他ならないのではないか――幸恵の非難めいた言葉に対して、倫夜は全く動じる気配を見せなかった。

 

「人類が種として生き延びるための選択肢――そう考えれば理解できるわ」

 

 倫夜は再び結梨と来夢を見た。

 

「あなたたち二人は、人類がヒュージに敗北する可能性に備えた、箱舟のような存在。

もし人類がヒュージに滅ぼされても、あなたたちだけは生き残ることができる」

 

「むー、そんなの全然うれしくない」

 

 頬を膨らせて、結梨は憤然とした表情で言った。

 

 来夢も結梨と同じ見解のようで、倫夜の言葉を受け入れようとはしなかった。

 

「そうです。人類が滅んだ世界で自分たちだけ生き残るなんて、そんなの寂しすぎます。

私はイヤです」

 

「ノインヴェルト戦術の確立によって、ヒュージとの戦いは今のところ人類が優勢に立っている。

その一方で、ヒュージも日々進化を続けている。

 

マギリフレクターを備えた個体も現れているし、ノインヴェルト戦術がいつまで決定的な有効性を保てるか、決して楽観はできない状況よ。

 

だから、あらゆる可能性に備えて代替のプランを用意しておくのは、当然ではないかしら」

 

「実験体のヒュージを野に放っている組織の人間が、ぬけぬけとそれを言うの?」

 

 倫夜の発言に我慢ならず、幸恵は思わず横から口を挟んだ。

 

「そもそも、なぜあなたは、そんな重大なことを私たちに話す気になったの?」

 

「私があなたたちの敵でないことの証として、二人の出生についての秘密を話してあげた……と言ったら、信じてもらえるかしら。

 

それに、私がこの仮説を上申しても、上の意向次第では黙殺される可能性があるかもしれない。

 

それなら、少なくとも直接の当事者である二人に、仮説ではあっても真実の一端を知らせておきたい気持ちもあるわ。

 

私は岸本・ルチア・来夢と一柳結梨の境遇に、少なからず同情してもいるのよ」

 

 倫夜の言葉を額面通りに受け取るほど、幸恵は楽天家ではなかった。

 

 しかし、校医であると同時に科学者でもある倫夜の仮説に、大きな矛盾は無いように思われた。

 

 倫夜の告げた真相――らしきものを受けて、来夢と結梨がどう動くのか、それを倫夜は確かめたいのかもしれない。

 

 いや、もしかすると、それこそがG.E.H.E.N.A.の本当の目的かもしれないのだ。

 

 倫夜の発言内容の真偽を、この場で判断することは不可能だ。

 

 そのためには、倫夜の言及したプロジェクトの当該研究者が実在することを確認し、本人に真意を問い正す必要がある。

 

 だが、それは今ここで考えるべきことではない。

 

 自分たちが今しなければならないことは――

 

「先生、私たちは指令室の中にあるものを確かめに来たの。

だから、中に入らせて」

 

 幸恵に先んじて、結梨が倫夜に自分たちの目的を告げた。

 

「……はいどうぞ、というわけにはいかないわね。

あなたたちだって、すんなりここを通してもらえるなんて思ってないわよね」

 

「むー……」

 

 またしても結梨は頬を膨らせてむくれ、来夢は逡巡した様子で幸恵を見た。

 

「幸恵お姉様、どうしましょう」

 

 気を失ったままの葵を通路の壁際にもたれかけさせて、幸恵は倫夜に向き直った。

 

 倫夜は自らの得物であるブーステッドCHARMを構え、指令室の扉の数メートル前に立ちはだかっている。

 

(本来なら訓練以外でCHARMを人に向けることは厳禁だけど、今はそうも言っていられないか……)

 

 フィエルボワとシャルルマーニュを両手に携えた幸恵が、倫夜と事を構えることも辞さない覚悟で前に出ようとした。

 

「待って、幸恵」

 

 結梨は幸恵の動きを制し、自分が進み出て倫夜の前に立った。

 

「先生が、『原初の開闢』を再現して世界を救おうとしてるってことは、燈から聞いて知ってる。

 

でも、その再現のために、命を失うかもしれない戦いをリリィ同士にさせるのは、間違ってる。

 

そんなやり方で世界を救おうとするのは間違ってる」

 

「では、今のあなたに対案はあるの?」

 

「……」

 

「無いのなら、黙って私の『実験』を見守っていなさい。

対案無き批判は無意味よ」

 

「でも……」

 

「『特異点のリリィ』が死なないように、できる限りの配慮はしているつもりよ。

100%の安全なんて存在しないことは、あなたにも理解できるはず」

 

「ヒュージと戦う危険は分かるけど、わざとリリィ同士を戦わせたり、実験体のヒュージにリリィを襲わせるなんて、そんなのは間違ってる」

 

「そういう子供っぽい青臭さは嫌いじゃないわ。

それなら、私を力ずくで止めてみる?」

 

 結梨は首を横に振って、倫夜の挑発を明確に拒絶した。

 

「私は誰とも戦いたくない。

それがG.E.H.E.N.A.の人でも。

私たちは私たちのやり方で、この世界を救ってみせる」

 

「……そうね、世界を救う方法が一つとは限らない。

せいぜい頑張ってみることね。

――さあ、そろそろお手並み拝見といきましょうか」

 

 倫夜は結梨との会話を打ち切り、赤い大型のブーステッドCHARM――ガラテイアをゆっくりと振り上げた。

 

 だが、その後に結梨が取った行動は、倫夜の予想を裏切るものだった。

 

 結梨は両手に持っていたトリグラフをシャットダウンさせて足元に置き、徒手空拳の状態になった。

 

 その姿を来夢が目を見開いて見つめている。

 

「ゆりちゃん……」

 

「気は確か? 武装した私の前でCHARMを手放すなんて」

 

 あきれた表情の倫夜と、全く後に退く気配の無い結梨。

 

「私は誰とも戦いたくないって言ったよ。

その言葉通りにしてるだけ」

 

「……困ったわね。丸腰のあなたにCHARMを振るっても、何の意味も無い。

それどころか、もし無抵抗のあなたを負傷させてしまったら、確実に私の首が飛ぶわ。

そして、おそらく私の上長の首も」

 

 そう言うと、倫夜は渋面を作って押し黙った。

 

(あまり良い手ではないけど、これしかないか……)

 

 仕方なくという様子で倫夜はCHARMを下ろし、先ほど葵の前でやって見せたように、右手を上げかけた。

 

 ――その刹那、結梨の姿は倫夜の前から消え失せた。

 

(縮地か……!)

 

 咄嗟に背後を振り返った倫夜が見たのは、指令室の扉に手を掛けている結梨の後ろ姿だった。

 

「待ちなさい――」

 

 結梨の肩を掴もうと倫夜が手を伸ばした時、けたたましい警報音が通路に響き渡った。

 

 



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第18話 ルドビコ女学院再訪(8)

 

 通路に響き渡った警報音は、その場にいたリリィたちには聞き慣れたものだった。

 

 ヒュージの出現を告げ知らせるその警報に、全員の注意が引きつけられる。

 

 それは倫夜も例外ではなかった。

 

 結梨は後ろから自分の肩を掴もうとした倫夜の動きが一瞬止まった隙に、指令室の扉を思い切って開いた。

 

 その先にあったのは、広い室内を埋め尽くすかのように壁一面に設置された大小数十のモニターと、十に近い数のコンソール、そしてそれらを操作する者が座る同数の椅子だった。

 

 それらの機器は全て電源が入っておらず、指令室の中は温度と湿度を自動的に調整する空調システムの作動音が、わずかに聞こえてくるのみだった。

 

 指令室の薄暗い照明に照らし出されたそれらの設備――それを入口から結梨が視認すると、落ち着きを取り戻した倫夜の声がすぐ後ろから聞こえてきた。

 

「どう、気は済んだ?あなたのお目当てのものはあったかしら?」

 

 結梨が室内を一瞥した限りでは、自分とロザリンデたちが江ノ島の洞窟で発見した装置と同じものは確認できなかった。

 

 この指令室と狭い洞窟の中では、当然ながら機器の設置条件が大きく異なる。

 

 ケイブ生成装置なるものが、同じ形・同じ大きさの一機種とは限らない。

 

 視界に映る大量の制御機器の中から、どれが自分たちが探しに来たケイブ生成装置なのか、短時間で見分けることは不可能に思われた。

 

 再び背後から倫夜の声が聞こえるとともに、右肩を掴まれる感覚が発生した。

 

「一見しただけでは、どれが何の機能を果たしているものか、分からないでしょう?

あなたたちは警報を無視して、このまま指令室の捜索を続けるつもり?

出現したヒュージの数と等級次第では、戦死者が出るかもしれないのに」

 

「あなたがヒュージを出現させたの?

私たちに指令室の捜索をさせないために」

 

 結梨と倫夜から少し離れた所にいた幸恵は、意識を失ったままの葵を抱き起しながら倫夜を睨みつけた。

 

 幸恵の刺さるような視線を後ろから浴びながら、倫夜は平然とそれを否定した。

 

「いいえ、私にそんなことはできないわ。

今ヒュージが出現しているのは、単なる偶然よ」

 

 その言葉を鵜呑みにする気は幸恵には全く無かったが、ここで自分たちがその真偽を検証する時間的余裕も手段も持ち合わせていないのは明らかだった。

 

 校舎の外では、ルド女のガーデンに駐留しているレギオンが、迎撃のために出動しているだろう。

 

 出現したヒュージの規模が想定を上回っていれば、それらの戦力だけではヒュージを撃退できないかもしれない。

 

 出撃中であろうレギオンのリリィを支援に行かず、指令室の捜索を続ければ、倫夜が言ったように犠牲者が出る可能性は否定できない。

 

 その場合、自分たちはその判断を正しいものとして受け入れることができるだろうか。

 

 自分はともかく、来夢や結梨にその結果を背負わせるのは重すぎる。

 

 そう考えれば、幸恵にとって結論は自明のものだった。

 

 幸恵は前方で倫夜と対峙している結梨に向かって、努めて冷静に呼びかけた。

 

「指令室の捜索は中断しましょう。

全員で校舎の外に出てヒュージの迎撃に向かうわ」

 

 幸恵の判断を見透かしていたかのように、倫夜は余裕に満ちた表情で勝利宣言するかのように言い放った。

 

「そう、あなたたちは仲間を見捨てることはできない。

早くここから立ち去って、外で戦っているリリィを助けに行ってあげなさい」

 

 あなたに言われなくとも、と幸恵は倫夜に食って掛かりたい気持ちを抑えて、結梨と来夢に退去を促した。

 

 指令室の中を見ていた結梨は、幸恵の方を振り返って大きく頷いた。

 

「分かった。誰かの命を犠牲にしてまで、探し物を見つけようとするのは間違ってる。

この指令室以外のどこか別の場所にも、私たちが探しに来たものはあるはずだから、今はみんなを助けに行く」

 

 おそらく指令室を再び捜索することは不可能だろうと、幸恵たちは認識していた。

 

 倫夜に自分たちの企図を知られてしまった以上、指令室は今より格段に厳重なレベルで封鎖されるだろう。

 

 江ノ島での探索時のように、機密を保持するために重要な部品が撤去される可能性も充分にある。

 

 倫夜の存在とヒュージの出現によって、指令室の捜索は失敗に終わったと認めざるを得なかった。

 

 それよりも今、自分たちがすべきことが厳然とある。

 

「幸恵お姉様、すぐに通路を引き返して外に出ましょう。

葵さんは……」

 

 意識を失ったままの葵を心配そうに見る来夢に、倫夜は本職である校医らしい口調で話しかけた。

 

「その子はただ眠っているだけよ。

少し刺激を与えてあげれば、意識を回復するでしょう。

――今日はここまでね。

またどこかであなたたちに会えることを楽しみにしているわ」

 

 そう言い残して倫夜は白衣を翻し、指令室の中へと入り、静かに扉を閉じた。

 

 その後ろ姿を見送って、幸恵は抱きかかえた葵の頬を軽く叩いた。

 

「葵さん、目を覚まして。あなたの力が必要なの」

 

「……ん」

 

 葵はうっすらと目を開けると、まだぼんやりとした意識で幸恵の顔を視界に収めた。

 

「……あの女の人は?」

 

「もういなくなったわ。あなたは不意打ちの目くらましを食らったのよ」

 

「……すみません、油断しました」

 

「気にすることは無いわ。

既知のレアスキルでもなく、閃光弾のように物理的な兵器によるものでもない、何か魔法のような技に見えたもの。

初見であれを予測するのは不可能よ」

 

「今の状況はどうなってるんですか?」

 

「この警報を聞いての通り、ヒュージが出現したわ。

指令室の捜索は断念して、これからヒュージを迎撃に向かうところ」

 

「私も行きます。私のトリグラフはどこですか?」

 

「どうぞ、これが葵さんのCHARMです」

 

 隣りにいた来夢が葵のトリグラフを両手に持って差し出した。

 

 それを受け取った葵は、すぐに立ち上がって周囲を見回す。

 

 姿勢がふらつくようなことも無く、既に意識は明瞭になっていた。

 

「あれが指令室の扉ね。ここまで来て……」

 

 幸恵は歯噛みする葵の肩に手を置いて、なだめるように言う。

 

「気持ちは分かるけれど、今はヒュージを倒すのが先よ。

みんな、すぐに通路を引き返して外に出ましょう。

その後、各自散開して戦闘中のリリィを支援に向かうこと」

 

「了解」

 

 幸恵の指示に三人のリリィは同時に答え、それぞれのCHARMを手に、元来た通路を駆け戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラン・エプレのリリィ、土岐紅巴は一人でスモール級ヒュージの群れに包囲されていた。

 

 ヒュージ出現の警報を聞いて、叶星たちと一緒にルド女のガーデンから市街地へ出撃したが、戦闘中に他の四人のリリィと分断され、孤立した状態で応戦を続けていた。

 

(完全に包囲されてる……迂闊でした、いつの間にか私とみんなの間にヒュージが入り込んで、気がついた時には私一人でヒュージと戦っている状態になっていて……)

 

 紅巴の視界に叶星たちの姿は見えない。

 

 周囲を取り巻くスモール級は、四方八方から間断無く襲ってくる。

 

 その攻撃を大鎌のような形のシュガールで防御するのがやっとのことで、通信で救援を求める連絡を取る余裕は全く無かった。

 

(もうこれ以上はかわしきれない……)

 

 既に制服の数ヶ所には、スモール級の攻撃を避けきれなかった裂け目がついている。

 

 紅巴を襲うスモール級の数は増加の一途をたどり、今や数十体のスモール級が紅巴を取り囲んでいる状態だった。

 

 一対一、あるいは数体が相手であれば、通常は支援の役回りを担当する紅巴でも後れを取ることは無かったが、数十体に包囲された状態では多勢に無勢でしかなかった。

 

(私一人の力では、この場を切り抜けられない……だんだん身体が重くなってきました……)

 

 何十回目かの横からの攻撃を回避した際に、紅巴のステップが乱れて姿勢が大きく傾いた。

 

 間を置かず、次の一撃が後ろから来る気配がした。

 

 この攻撃は回避できない――自分が深手を負うことを悟った紅巴は、間に合わないと分かってはいたが、それでも身体を反転してシュガールを盾にしようとした。

 

 この一撃を受ければ、おそらく自分は戦闘不能になる。その後は――

 

(……ごめんなさい、土岐はここまでみたいです)

 

 スモール級の蟷螂に似た前脚が、紅巴の背中を袈裟懸けに切り裂こうとした時――竜巻のような一陣の旋風が、紅巴の周りを吹き抜けた。

 

 その強烈な風圧に耐えられず、紅巴の身体は地面に倒れ込み、視界が横向きになった。

 

(何かが至近距離で爆発した?いえ、火薬の匂いも破片の飛散も無いようです……)

 

 朦朦たる砂塵が宙に舞い上がり、視界は十秒以上に渡って閉ざされた。

 

 やがて視界が回復し、上体を起こして周囲を見渡すと、直前まで自分を包囲していたスモール級の死骸で地面が埋まっているのが見えた。

 

 全ての個体が息絶えて活動を停止しており、それが先程の旋風によってもたらされたことは疑いの無い事実だった。

 

(この攻撃は……高嶺様のゼノンパラドキサ?)

 

 紅巴の予想は的中しなかった。

 

「レギオンの仲間とはぐれたの?

デュエル戦闘が得意じゃないリリィは、一人にならない方がいいよ」

 

 不意に後ろから声を掛けられ、驚いて紅巴は振り向いた。

 

 そこには、累々たるスモール級の死骸の間に一人のリリィが立っていた。

 

 そのリリィは御台場女学校の制服を身に纏い、長い髪をポニーテールにまとめている。

 

 彼女が両手に握っているトリグラフの刃は、ヒュージの青い体液に濡れていた。

 

 このリリィが、自分の周りにいたヒュージの群れを一瞬で斬り伏せたのか。

 

「あなたが……攻撃したんですか?」

 

「うん、そうだよ」

 

 御台場のリリィは事も無げに言った後、紅巴の姿を気遣わしげに見た。

 

「制服は破れてるところがあるけど、血は出てないみたいだから大丈夫かな……」

 

 そのリリィの顔に紅巴は見覚えがあった。

 

「あなたは、杉並の公園で負傷して神庭のガーデンに運び込まれた……確か、休暇中の百合ヶ丘のリリィだったと記憶していますが」

 

「今は御台場のリリィになったの。それ以上は秘密」

 

「秘密、ですか……さっきの攻撃はレアスキルによるものですよね?

高嶺様のレアスキルによく似ていましたけど……」

 

「あれは琴陽のレアスキルだから、ゼノンパラドキサ。

琴陽はS級だったから、私のゼノンパラドキサもS級だと思う。

初めて使ったけど、わりとうまくできたみたい。

あの時、私の力を『あんろっく』したって咲朱が言ってたけど、それが関係してるのかな……」

 

「えっ……? ど、どういうことですか?」

 

 御台場のリリィ――一柳結梨が言っていることの意味を理解できず、紅巴の頭上にはクエスチョンマークが幾つも浮かぶ。

 

 結梨は砂塵にまみれた紅巴の身体を起こして立ち上がらせると、彼女の制服に付いた埃を手で払って微笑んだ。

 

「このあたりのヒュージは全部やっつけたから、レギオンの仲間を探しに行っても大丈夫だよ。

たぶん、あっちの方にいるんじゃないかな」

 

 紅巴が結梨の指し示した方向を見ると、遥か前方の路上に、ごく小さい人影のようなものが視界に入った。

 

「あ、あの、ありがとうございました。

もしよければ私のレギオンに合流して一緒に――」

 

 紅巴が振り返った時には、結梨の姿は既に無く、遠くから紅巴を呼ぶ姫歌と灯莉の声が聞こえてくるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルド女の指令室捜索が中原・メアリィ・倫夜とヒュージの出現によって阻止されたこと、そして倫夜が結梨と来夢の出生に関わっていた研究者の存在について言及したこと。

 

 この二点についての情報は、速やかに御台場と百合ヶ丘の両ガーデンに報告され、結梨と葵はそれぞれが所属するガーデンに帰還するように指示が出た。

 

 報告を受けた鎌倉府の百合ヶ丘女学院では、直ちに生徒会長とLGロスヴァイセの主要メンバーが理事長室に集まり、理事長代行である高松咬月とともに今後の対応を協議する運びになった。

 

 



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第19話 屋根裏部屋の三人のリリィ(1)

 形式上は番外編の扱いになっていますが、ストーリーは前回からの続きです。

2022年7月3日追記
 本エピソードは番外編の扱いで進めてきましたが、やはりストーリーの本筋に大きく絡んでいるため、第19話として変更しました。



 

「今後どう対応するのか、結局あの場では具体的な結論は出ませんでしたね」

 

「仕方ないわ。いきなり『新しい人類』だなんて言われても、こちらだってどうしていいか面食らってしまうもの」

 

 内田眞悠理とロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーの二人は、1メートル四方ほどの木製の机を挟んで椅子に座り、机の上には眞悠理が淹れた紅茶のティーカップが置かれていた。

 

 旧館寮の屋根裏に作られた図書館のような空間――それは眞悠理が中等部時代から清掃と整備を欠かさず続けた結果の産物だった。

 

 部屋の内部は幾つもの間接照明によって薄明るく照らし出されており、壁面に沿って天井近くまで書架が並んでいる。

 

 読書用のささやかであるが充分な面積の机が部屋の中央に置かれ、二人はそこで紅茶を飲みながら、理事長室で昨日行われた会議の内容を振り返っていた。

 

 ルドビコ女学院の指令室手前で、結梨たち一行が遭遇した中原・メアリィ・倫夜によって語られた真実――それはデータベースに保存された資料を基にした倫夜の推測ではあったが、報告を受けた会議の出席者一同を驚かせるに余りある内容だった。

 

 一柳結梨と岸本・ルチア・来夢は、ヒュージの支配する世界でも生存できるよう人工的に進化した、新しい人類のプロトタイプである――唐突に出て来たスケールの大きい話に、出席者の誰もが意表を突かれ、言葉を失った。

 

 ヒュージによって奪われた人類の居住地を奪還し、ヒュージの支配領域を狭めていく――その絶え間ない繰り返しによって、最終的には地球上の全てを人類の支配地域として取り戻し、ヒュージとの戦いに終止符を打つ。

 

 自分たちリリィの果たすべき役割は、それ以上でも以下でもなく、それ自体を自明のこととして考えていた。

 

 だが、その目標が叶わなかった場合、人類はヒュージを絶滅させることができず、地上の大部分をヒュージが支配する環境に適応して生活しなければならなくなるかもしれない。

 

 そのような可能性を想定し、その事態に対応するための能力を持った存在として、結梨と来夢は生み出されたというのだ。

 

「それが事実であれば、二人のプロジェクトに関わった研究者とやらは、自分を神の代理人とでも考えているとしか思えません」

 

 眞悠理は飲みかけのティーカップを手に持ったまま、苦々しい表情でロザリンデに語りかけた。

 

 一方のロザリンデは、会議で報告された一連の内容を自分なりに咀嚼し、できる限り合理的に考えを進めようとしていた。

 

「人類を存続させるために、生まれてくる前の時点で決定的な運命を本人に背負わせる――少なくとも平時においては倫理的に許されることではないでしょう。

でも、今は非常時。

目的を達成するための手段が他に無ければ、その研究者はG.E.H.E.N.A.の目的とは別のところで、自分の理想を実現しようとしたのかもしれないわ」

 

「その人が功名心に駆られたマッドサイエンティストだったのか、それとも人類の未来を案じて使命感でそのような研究に手を染めたのか……今は判断する材料が無い以上、何とも言えませんが」

 

 眞悠理は言葉を切って紅茶を一口だけ喉に流し込むと、静かにティーカップを机の上に戻した。

 

「できることなら、研究者本人に直接会って問い正したいところです。

しかし、G.E.H.E.N.A.のデータベースに侵入するなど絶対にガーデンが許可しないでしょうし、技術的にも非常に困難でしょう。

個人の特定はほぼ不可能と考えた方が良さそうですね」

 

「目星なら付いていないことも無いけど」

 

 何気ないロザリンデの一言に、眞悠理は自分の耳を疑った。

 

「――今、何と言われましたか?」

 

「結梨ちゃんと来夢さんのプロジェクトに関わった人物を特定する手がかり――それに心当たりがあるかもしれないと言ったのよ」

 

「本当ですか?ロザリンデ様は私の知らない何がしかの情報をお持ちなのですか?」

 

「もちろん私だって、ルド女にあるデータベースに侵入して資料を漁ることはできないわ。

でも、それとは別に、機密扱いになっているルド女の内部情報に、中原・メアリィ・倫夜が話した内容に関連するものがある――私の狙いが見当違いでなければ」

 

「ルド女のデータベース以外に、既存の情報の中に手がかりがあるというのですか?」

 

 眞悠理の質問にロザリンデは小さく頷いて肯定の意を示した。

 

「生徒会長の一人であるあなたなら、情報自体は既にアクセス権限があると思うわ。

特務レギオンの私が直接情報を伝えると機密漏洩になる恐れがあるから、自分で調べてみて」

 

「分かりました。この後で、私が閲覧できるルド女関連の資料を全て洗い直してみます。

――ところで、本来の目的だったルド女指令室のケイブ生成装置捜索は不首尾に終わっています。

結梨さんはそのことで意気消沈してはいないのですか?」

 

「いえ、案外そうでもないみたいよ。

神庭女子のリリィ一名が孤立して、スモール級の群れに包囲されていたのを、結梨ちゃんが間一髪で救出したと報告されているわ。

捜索任務を中止して、出撃中のレギオンを支援する判断は間違っていなかったと、納得している様子だったわ」

 

「結梨さんと直接お話ししたんですか?」

 

「ええ、電話で少しだけ。

現在のところ、御台場のガーデン周辺では大規模なヒュージの出現は確認されていない。

結梨ちゃんが御台場に学籍を移したことで、おそらくG.E.H.E.N.A.はこれまでの『実験』計画を修正する必要に迫られているんじゃないかしら。

今は計画の内容変更とリスケジュールを進めている最中なのでしょう」

 

「今の段階でG.E.H.E.N.A.が結梨ちゃんの存在について沈黙を守っていることについては……」

 

「少なくとも今は結梨ちゃんの存在を世間一般の目にさらすべきではない――G.E.H.E.N.A.も私たちと同じことを考えているのでしょう。

その理由は――」

 

「第三者的な勢力が結梨さんを横取りしようとするのを、未然に防ぎたい――ですか。

確かにこれ以上事態がややこしくなるのは御免ですからね。

夢結さんのお姉さんが、ちょっかいを出してきたのも比較的最近のことですし」

 

 戸田琴陽を伴って、白井咲朱が自分と結梨の前に現れた時のことを思い出し、ロザリンデは小さく溜め息をついた。

 

「あの人は敵に回したくないわね。

一柳隊が全員でも抑え込めなかったほどのリリィですもの。

可能性は低いけれど、もし力づくで結梨さんを仲間に引き入れようとしてきたら、おそらく私たちの力では到底太刀打ちできない」

 

「そうならないことを願います。

私の見方では、彼女はヒュージの存在を前提とした世界において、ヒュージを従える特別なリリィの長として君臨したいのかもしれない――そう考えています。

これは彼女が『ヒュージの姫』という言葉を何度も口にしていたという情報からの推測ですが」

 

 それが実現すれば、一般のリリィを含めたほとんどの人間は、白井咲朱を筆頭とするごく一部の特別なリリィの支配下に置かれることになるかもしれない――いや、その可能性は極めて高いと言わざるを得ないだろう。

 

「それはそれで願い下げもいいところね。

おそらくG.E.H.E.N.A.もヒュージや強化リリィを利用して、世界を牛耳る存在を目指しているのでしょうけど、いずれにせよ独裁体制の主体がG.E.H.E.N.A.か『ヒュージの姫』かの違いでしかないわ。

そんなろくでもない未来を実現させるわけには――」

 

 ロザリンデの言葉の途中で、少し離れた床下からノックの音が聞こえた。

 

 誰かが階下まで来て、屋根裏への梯子を上って天井をノックしているのだ。

 

 屋根裏部屋は眞悠理の手によって入念に防音処理が施されているため、会話の内容が階下に漏れることは無い。

 

 室外から聞こえるのは壁や床を直接振動させる音――正に今、眞悠理とロザリンデの耳に届いているノックのような音だけだ。

 

 そして旧館寮の屋根裏部屋の存在を知る者は限られているし、そこを訪れる者は更に限られている。

 

 眞悠理はルームメイトの剣持乃子が来たのかと思い、床面の扉の(かんぬき)を外したが、そうではなかった。

 

 出入り口となっている床の一部がゆっくりと開き、そこから顔を出したのは乃子のシルトである1年生の伊東閑だった。

 



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第19話 屋根裏部屋の三人のリリィ(2)

 

 階下の天井に設けられた出入り口から姿を現した閑は、屋根裏部屋の床に立つと、二人に向かって折り目正しく一礼した。

 

「ごきげんよう、ロザリンデ様、眞悠理様。

乃子様が部屋にいらっしゃらなかったので、こちらに来られているのではと思って来てみたんですが……あてが外れたみたいです」

 

 室内に乃子の姿を確認できなかった閑は、少し声の調子を落としてロザリンデと眞悠理に事情を説明した。

 

「乃子さんなら食材の調達に出かけているから、夕方までは戻らないと思うわ。

戻って来たらここにも顔を出すはずだから、閑さんもそれまでお茶でも飲みながらここで待ってみる?」

 

 眞悠理の提案を断る理由は、今の閑にはどこにも無かった。

 

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。

――ところで、お二人は何のお話をされていたのかお尋ねしても構わないでしょうか」

 

「そうね、少し大げさに言えば、人類とリリィの未来について……かしらね」

 

 結梨のことを閑に話すわけにもいかず、ロザリンデは抽象的な答えを閑に返した。

 

 すると、ロザリンデの言葉を聞いた閑の瞳は大きく見開かれ、その輝きを何割も増したように見えた。

 

「人類とリリィの未来……」

 

 気分の高揚を抑えきれない様子の閑は、早口にロザリンデと眞悠理に向かって話しかける。

 

「もしお邪魔でなければ、そのお話の続きに私も加わらせてもらえないでしょうか?」

 

「閑さんはそういう話題に興味があるの?」

 

 ロザリンデの確認に、閑は二度三度と大きく頷いた。

 

「そうだったの。眞悠理さん、シュバルツグレイルのレギオンでそういう話をすることは無いの?」

 

「はい、私たちのレギオンは(もっぱ)ら戦術論が中心で、それ以上の戦略レベルでの議論はそれほどしません。

するとしても、せいぜい国定守備範囲や外征レベルの議論までで、国家間や世界全体についての話をすることまでは、ほとんどありません」

 

「そうなんです。だから、ロザリンデ様と眞悠理様がそのようなお話をされていたのなら、こんな貴重な機会を逃す手はありません。

後学のために、ぜひ私にもお話を聞かせていただきたいんです」

 

 伊東閑とはこんなにも幼い表情をする子だったのかと、子供のように目を輝かせている閑の顔を見ながら、眞悠理は意外な気持ちになった。

 

 眞悠理が知っている普段の閑は、冷静沈着を絵に描いたような性格で、それが高じて「氷帝」という二つ名までつけられている。

 

 その閑が感情を露わにするところを目の当たりにして、眞悠理は自分がまだ知らない彼女の一面に触れていることを自覚した。

 

(閑さんの能力を(かんが)みれば、その思考が戦術レベルに留まらないのは当然か。

それにしても、これほど興味を示すということは、平素からそういうことを考えていても、議論をする相手がいなかったのかしら。

……まあ、ルームメイトの梨璃さんは明らかにそういうタイプではなさそうだし、シュッツエンゲルの乃子さんも家庭的な人柄だから、無理もないかもしれない)

 

 眞悠理がそのようなことを考えてる間に、その隣りまで来ていたロザリンデは、少し困ったような顔で閑に微笑んだ。

 

「そんな御大層な内容では無くてよ。

たかが高校生の空想みたいなもの、期待外れに終わって肩透かしを食うだけかもしれないわ」

 

「いえ、ご謙遜なさらずとも、お二人の博識ぶりはよく存じ上げているつもりです。

私も末席に加えていただければ、これに勝る幸運はありません」

 

 ロザリンデと眞悠理が政治哲学に傾倒していることを知ってか知らずか、閑は二人の知識や思考能力について全く疑いを持っていないようだった。

 

 三人は先程までロザリンデと眞悠理が向かい合って話をしていた机に戻り、閑は眞悠理の隣りの椅子に腰を下ろした。

 

 眞悠理が閑のために紅茶を一杯淹れ、閑の前に静かに置いた。

 

 閑は軽く頭を下げてお礼の言葉を言うと、眞悠理が自分の隣りに座ったのを見て、ロザリンデの発言を待った。

 

 ロザリンデは一口だけ紅茶を喉に流し込むと、仕切り直したように閑に向かって、先程までの話の続きを再開した。

 

「私と眞悠理さんは、人類がヒュージを滅ぼせなかった場合の、シミュレーションじみた考えを話していたの」

 

 そのような未来を想定して生み出された新しい人類が結梨と来夢である――その事実を閑が知ったら、どんな顔をするだろうか。

 

 しかしそれは現段階で極秘扱いの情報になっている以上、ここで閑に打ち明けるわけにはいかなかった。

 

「そうだったんですか。

私は人類が全てのヒュージを滅ぼした後の世界についてばかり考えていました。

ヒュージがいなくなった世界で、人類はリリィを兵士として人間同士の戦争に利用するのではないかと」

 

「今の世界からヒュージがいなくなれば、確かにその可能性は否定できない――いえ、むしろ高い確率でありえる話だと思うわ」

 

「やはりロザリンデ様も同じお考えなのですね」

 

 閑は我が意を得たりと表情を緩めたが、ロザリンデの考えは閑の思考とは違う方向へ向いていた。

 

「ええ。でも、実際には地球上からヒュージを全て駆逐できる日は永遠に来ないかもしれない」

 

 聞く者によっては敗北主義者と見なされかねない発言だったが、閑は全くそのような表情は見せず、逆に興味の度合いを増した様子でロザリンデに尋ねた。

 

「なぜ、そうお考えになるのですか?」

 

「一つには、ヒュージは既存の生物種がマギの影響を受けた結果、その体組織が変化して生まれる存在だということ。

だから少なくとも理論上は、ヒュージを絶滅させるということは、必然的に地球上の生物すべてを絶滅させることと同義になってしまうわ」

 

 ロザリンデの説明を聞いた閑は黙って頷くだけだった。

 

 早く話の続きを聞きたいのか、真剣な表情でまっすぐにロザリンデの目を見つめている。

 

 それに促されるように、ロザリンデは形の良い唇から言葉を再び紡ぎ出した。

 

「しかも今のところ、ヒュージは絶え間なく変異を続け、次々と新しい能力を持つ個体が出現している。

エリアディフェンス崩壊時に新宿に出現したエヴォルヴや、最近都内で存在が確認されたスプリットなど、特型に分類されるヒュージは増加の一途をたどっているわ」

 

 もっとも、それらの特型ヒュージの少なからぬ割合がG.E.H.E.N.A.の実験体だろうとロザリンデは考えていたが、この場でそれを口に出すことはしなかった。

 

「この世界にマギがある限り、生物はヒュージに変化し、人はリリィになる。

裏を返せば、マギを地球上から無くすことができれば、生物がヒュージ化する現象は起こらなくなるわ。

でも、マギは世界にあまねく遍在する空気のような存在。

それを人の手で無くすことは事実上不可能よ」

 

「……確かに、それはその通りですね。

それなら、ヒュージの存在しない世界を想定すること自体が、無意味な仮定だという考え方にも納得できます」

 

 閑は得心した様子で頷き、言葉を切ったが、ロザリンデの話はそこで終わりではなかった。

 

 次にロザリンデは、始めに閑が考えていた未来の世界像に関連して、自らの思うところを述べ始めた。

 

「でも、閑さんの想定と全く同じではないけれど、リリィが人類に相対する存在として、代替的に機能する可能性は想定しておくべきかもしれないわね――ヒュージが存在しているか否かにかかわらず」

 

「それはどういう意味でしょうか?

リリィが人類の敵となるような……いわゆるリリィ脅威論のことですか?」

 

「リリィ脅威論とは少し違っているわね。

正確には、リリィが他の人類から独立した存在になる可能性と言うべきかしら」

 

 結梨と来夢の存在を念頭に置いたロザリンデの言葉は、閑の関心を否が応(いや おう)にも掻き立て、さらなる議論の深みへと閑を(いざな)おうとしていた。

 





 このエピソードは今回で終わるつもりでしたが、遅筆のため半分しか書けませんでした。
 なお、閑さんの敬語が妙に仰々しくなっているのは、「鎌倉殿の13人」を視た後で書いたことが影響しています。


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第19話 屋根裏部屋の三人のリリィ(3)

 本エピソードは番外編の扱いで進めてきましたが、やはりストーリーの本筋に大きく絡んでいるため、第19話として変更しました。



 

 リリィが他の人類から独立する――ロザリンデの念頭にあったのは、新しい人類の原型として人工的に生み出されたリリィであると中原・メアリィ・倫夜が推測した、結梨と来夢の存在だった。

 

 ヒュージから仲間と認識されるため、攻撃されることの無い来夢と、複数レアスキルの同時使用・戦技コピー能力など、リリィとして異次元とも言えるレベルの能力を持つ結梨。

 

 将来、彼女たちのようなリリィが既存のリリィに取って代わるようなことになれば、ヒュージは人類にとっての脅威たりえず、文字通り新しい人類としてヒュージ出現後の世界を生き抜く生物種となるだろう。

 

 加えて、通常のリリィであれば決定的な問題となるはずの、年齢によるマギの減衰についても、彼女たちには当てはまらないのではないかとロザリンデは考えていた。

 

 なぜなら、その二人に劣らず特異なリリィである白井咲朱――彼女もまた極めて特殊な立場に位置しているリリィであることは明らかだった――の存在があったからだった。

 

 10代後半で能力のピークを迎える通常のリリィとは異なり、歳を重ねてもマギの保有量が衰えない特殊なリリィが存在するのではないか。

 

 その一例が、新宿で一柳隊から白井夢結を離脱させようと画策した白井咲朱だ。

 

 彼女は白井夢結の姉であり、百合ヶ丘女学院の卒業生であると同時に、教導官として百合ヶ丘に赴任する予定だった人物だ。

 

 既に成人しているはずの咲朱が、一柳隊の全リリィを相手に圧倒的な戦闘能力を誇った事実――それは彼女のリリィとしての能力が、年齢によって衰えてはいないことを証明している。

 

 彼女は教導官として赴任する直前に戦死し、その後に生き返ったと言った。

 

 いかにリリィであっても、死んだ人間が生き返ることなどありえない――いや、死亡して時間が経たないうちに何らかの特殊な強化を施せば、蘇生は可能かもしれない――もちろんそんな事が可能な技術を有するのは、G.E.H.E.N.A.以外には存在しないだろう。

 

 もしそうだとすれば、人工的かつ先天的にリリィとしての能力を付与された結梨と来夢も、年齢によるマギの減衰に耐性があってもおかしくはない。

 

 仮に自分が二人の「設計者」であれば、当然そのようなスペックを備えさせるだろう――とロザリンデは思った。

 

 事実、岸本・ルチア・来夢は、6才という通常ではありえない若さでレアスキルに覚醒している。

 

 マギが減衰しない場合、彼女たちはガーデンを卒業し、リリィを引退するという、従来であれば避けられない運命から外れ、一生涯リリィとして生きることになるかもしれない――当然、その人生において目指すべき目標も、一般的なリリィとは全く違ったものになるだろう。

 

 そして少なくとも、白井咲朱に関しては「目指すべき高み」という何らかの野心めいた目標を持っていることは確実だ。

 

 その具体的な内容はまだ明らかになっていないが、その「高み」が世界全体に対して少なからぬ影響を与えるであろうことは想像に難くない。

 

 その「高み」なるものが、「ヒュージの姫」がヒュージを従え、世界を支配することであるなら、人類社会の構造を根本から変化させることは間違いない。

 

 白井咲朱、一柳結梨、岸本・ルチア・来夢、「ヒュージの姫」……彼女たちが人類の上位者たることを、人々は認めるだろうか。

 

 その時、閑や眞悠理を含めた自分たちのようなリリィは、彼女たちをリリィの頂点に君臨する者として認めるだろうか、それとも――

 

「閑さん、もし超越者のようなリリィが出現して、これから理想の世界を創るから、その実現に協力するよう彼女から命じられたら、あなたはそれに従う?」

 

 ロザリンデは紅茶の入ったティーカップを口元に運びながら、閑の考えを知るための質問を放った。

 

 閑は一瞬ロザリンデの質問に面食らった様子だったが、少し視線を落として沈黙した後、自分なりに考えた答えを口にした。

 

「それは……分かりません。

人類の歴史を顧みれば、超越的な人物が必ずしも正しい考えの持ち主とは限りませんから」

 

「――そうね、その通りだと私も思うわ」

 

 歴史上に現れた何人もの英雄や支配者を想起しながら、ロザリンデは複雑な気持ちで閑の発言を肯定した。

 

「そのリリィの考え方次第では、真の意味でリリィが人類の脅威となる可能性もあります」

 

「それはどういった内容で?」

 

「超越的なリリィというのが、レアスキルを始めとする戦闘能力を指すものか、リリィとしての限界を超越したものか――それによっても意味合いは違ってきます」

 

 ロザリンデは黙って閑の話に耳を傾け、先を促した。

 

 閑の頭の中の知識がロザリンデの質問と結びつき、閑の思考として展開していくのが見て取れたからだ。

 

「リリィがその存在を社会から認められているのは、ヒュージに対抗できる唯一の戦力であると同時に、その戦力維持が一定年齢の期間に限定されているからです。

その枷が外れた状態になれば、リリィの存在は意思を持った戦術核兵器と同じ意味になるかもしれません。

……幸いにも、その制限から逃れたリリィを私は一人しか知りません」

 

「その一人とは、誰のことかしら?」

 

「このガーデンの高松祇恵良理事長は、ノスフェラトゥと呼ばれる詳細不明のブーステッドスキルによって、若さとマギの保有量を維持していると聞いています。

その意味では、理事長は紛れも無く超越的なリリィの一人だと私は思います」

 

 理事長にはロザリンデも直接の面識は無く、その外見については噂で伝え聞くのみだったが、それは閑も同じなのだろう。

 

「百合ヶ丘女学院の方針は、ヒュージの脅威から人々を守り、G.E.H.E.N.A.に囚われた強化リリィを一人でも多く救出して保護する――その二点に集約されています。

逆に言えば、それ以上の事をするのは、リリィ脅威論を蒸し返す恐れがある以上、決して踏み込むことはできない――そう理事長はお考えなのかもしれません」

 

 ロザリンデの質問への答えを得た閑の言葉は、最初のためらいがちな口調から確信に満ちたものへと変わっていた。

 

「ですから、私が百合ヶ丘のリリィである限り、その超越的なリリィの理想がガーデンの方針に反するものであれば、従うことはできません」

 

「実に明快な答えだわ。

さすが三姫様と呼ばれる1年生の一人ね」

 

「ありがとうございます。

――ところで、ロザリンデ様。

私からも一つお尋ねしたいことがあるのですが」

 

「何かしら?話してみて」

 

「少し前から、ロスヴァイセに第4世代の精神直結型CHARMが、実戦検証用に導入されているという噂を聞きました。

私の知っている範囲では、そのタイプのCHARMを実戦で扱えるリリィは、ほとんど存在しないはずです。

実際、百合ヶ丘では過去に一度だけ依奈様が使われたのみで、その後はお蔵入りになっていると聞いています。

ロスヴァイセに、第4世代の精神直結型CHARMを扱えるリリィが、新しく加わったのでしょうか?」

 

 ロザリンデは閑の質問を聞いて、彼女がリリィに関する異常なレベルのスペックマニアであることを思い出した。

 

 確かに結梨の能力は、閑のような人材マニアのリリィにとっては垂涎の的に違いないが、ここで結梨の話をするわけにはいかない。

 

「それについては機密扱いで、特務レギオンと生徒会長以外には情報を開示されていないの。

いずれ話せる時が来たら、あなたにも説明するから――」

 

 ロザリンデが言葉を濁した時、床下から誰かが扉をノックする音が聞こえた。

 

 閑の隣りに座っていた眞悠理が席を立ち、床面に設置された扉の閂を外す。

 

 開かれた扉から顔を見せたのは、眞悠理のルームメイトで閑のシュッツエンゲルの剣持乃子だった。

 

 どことなく母親のような優しげな雰囲気を放つその2年生リリィに、眞悠理が声をかける。

 

「お帰りなさい、乃子さん。食材の買い物は首尾よくできた?」

 

「ええ、今しがた部屋の冷蔵庫に入れてきたところよ。

閑さんが私を訪ねてきたと聞いて、ここじゃないかと思って来てみたの」

 

「ごきげんよう、乃子お姉様。

お姉様が戻られるまで、ここで待たせていただきました」

 

「そうだったの。

お二人となら、普段私としないようなお話をする良い機会だったでしょう」

 

「はい、とても自分一人では及ばないところまで考えが深まりました。

――ロザリンデ様、眞悠理様。

またこのような機会があれば、ぜひお話を聞かせてください」

 

「ええ、ここにはいつでも来てもらって構わないわ。

でも、あまり入り浸っていると乃子さんに怒られるかもしれないから、程々にね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 眞悠理の言葉に閑は大きく頷いて、乃子のために椅子をもう一脚用意し始めた。

 

 そう言えば、と乃子は眞悠理にぽつりと呟いた。

 

「買い物の途中で、少し変わったことがあったの」

 

「それはどのような?」

 

「珍しく天然ものの(うなぎ)が売っていて、最後の一尾だったから買っておこうとしたら、もう一人その鰻を買おうとしていた子がいたのよ。

その子もリリィのようだったわ」

 

「そうだったの。百合ヶ丘のリリィだった?」

 

「いいえ、百合ヶ丘のリリィではなさそうだったけれど、頭に猫耳型のヒュージサーチャーを着けていたから、どこかのガーデンのリリィなのでしょうね」

 

「猫耳……」

 

「その子ったら、私が百合ヶ丘のリリィだと知ると、いきなり手合わせを申し込もうとしてきたのよ。

びっくりしちゃったわ」

 

「まさか、そのリリィ……」

 

 ロザリンデと眞悠理は思わず顔を見合わせた。

 

「私がCHARMを持ち合わせていなかったから、その場は何事もなく終わったけどね」

 

「乃子さん。そのリリィ、背が高くて髪の長い女性と一緒ではなかった?」

 

 ロザリンデが尋ねると、乃子はその質問に否定で答えた。

 

「いいえ、その子ひとりだけでした。

良い鰻を探して、この辺りまで足を延ばして買い物に来たそうです」

 

「あの子にそんなこだわりがあったなんて、初めて知ったわ」

 

「そのリリィをご存じなんですか?」

 

「ええ、詳しいことは話せないけれど、少し厄介な揉め事に巻き込まれてね。

思い込みが激しいけど、決して悪い子じゃないのよ」

 

「そうですか。結局、鰻はその子に譲りました。

普段は東京に住んでいて、暇を見つけては色々な土地を巡っていると言っていました」

 

「彼女、ガーデンを去った後はどうやって生活しているのかしら。

やはりあの人と一緒に……」

 

「あの人とは誰のことですか?」

 

「今はそのリリィの保護者兼指導者……とでも言うべき人ね。

実家が裕福でしょうから、生活は何とでもなるのかも」

 

「ロザリンデ様、その猫耳のリリィをご存じなら、彼女のレアスキルやCHARMについてお聞きしたいのですが」

 

「眞悠理さん、あなたもその二人を知っているの?

猫耳のリリィの子がガーデンを去ったということは、今はどのガーデンにも在籍していないということ?」

 

 ロザリンデの説明を聞いて、閑と乃子は琴陽と咲朱に興味を持ち始めた様子だった。

 

 これは不味いと思ったロザリンデと眞悠理は、早々に話を切り上げた。

 

 ロザリンデは自室へと戻って行き、屋根裏部屋に残った眞悠理は二人からの質問攻めを避けるために、いそいそと紅茶のティーカップを片付け始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロザリンデが旧館寮の屋根裏部屋から特別寮の自室に戻ると、同室の碧乙は不在だった。

 

 特務レギオンの活動報告をまとめておこうと、書類をキャビネットから取り出そうとした時、制服のポケットに入れている端末が、着信を知らせる振動を始めた。

 

 モノクロの小さな画面に表示された発信者の名前は、一柳結梨だった。

 

 ロザリンデはすぐに通話ボタンを押して電話に出た。

 

 耳に当てた端末のスピーカーから聞こえてくる結梨の声を聞きながら、ロザリンデは何度も小さく頷いた。

 

「……そう、まだ御台場にヒュージは出現していないのね。

えっ、頼みたい事がある?

珍しいわね、結梨ちゃんが私に頼み事なんて。

いいわよ、話してみて」

 

 再びスピーカーから結梨の声が流れ始め、それを聞くにつれてロザリンデの表情は真剣さを増していった。

 

「……分かったわ。私から理事長代行に相談してみる。

結果が分かったらこちらから連絡するから、それまでは御台場で待機していてね」

 

 通話を終えたロザリンデは、一つ大きく息を吐き出すと、理事長代行職の高松咬月に連絡を取るべく、端末のボタンを確かめるように押し始めた。

 

 





 以下、ラスバレの直近メインストーリーに言及しています。
 未プレイの方はご注意ください。










 エレンスゲの研究施設への襲撃者がロスヴァイセだったら超展開ですが、伏線無しの登場かつ唐突すぎるので、たぶん違うでしょうね……


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第20話 佐々木藍という名のリリィ(1)

 前回まで藍ちゃんについての記述がほとんどなかったので、それを補うためのエピソードです。


 

 結梨がロザリンデに連絡を取ってから数日後の午後。

 

 御台場女学校の生徒会室では、生徒会副会長の川村楪が、机の上に置いたタブレットの画面を見つめていた。

 

「新宿方面への外出申請……目的は私用。

この内容で、よくガーデンの許可が下りたもんだな。

いいのか?また襲われたりする可能性は――」

 

 楪が画面から視線を移した先にいたのは、生徒会長の月岡椛だった。

 

 以前、結梨が休暇中に親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに襲われたことは、百合ヶ丘女学院から御台場女学校へ情報が伝達されていた。

 

 ただし、ガーデン名とリリィの個人名――襲撃者がエレンスゲ女学園のLGクエレブレ隊長である松村優珂だったことは伏せられていた。

 

 椛は楪の視線を受け止めると、軽く目を閉じて首を横に振った。

 

「ガーデンが結梨さんの申請を許可している以上、私たちにそれを止める権限は無いわ。

それに、G.E.H.E.N.A.は結梨さんに対して不干渉の姿勢を取っているという情報もあるし。

さしあたり今のところは自由に行動できると考えていいんじゃないかしら」

 

「だといいんだけどな……」

 

 もし不測の事態が起これば、必ずガーデンに連絡を入れるよう、結梨には指示が出ているはずだ。

 

 それがガーデンから離れた場所であれば、コーストガード以外のレギオン、すなわちヘオロットセインツあるいはロネスネスのリリィが現地に向かうことになる。

 

 だが、事態が切迫していてガーデンに連絡できないような状況であれば、結梨本人が独力でその局面を打開しなければならないだろう。

 

「私用といっても、本当にただの私用ってわけじゃないんだろ?

護衛役の一人でも同行させるべきじゃなかったのか?」

 

「下手な護衛では、かえって足手まといになりかねないわ。

彼女、一対一の戦いなら、私たちより強いかもしれない」

 

 結梨の戦闘能力についての椛の評価を、楪は否定するつもりは無かった。

 が、無条件に肯定することもしなかった。

 

「いくら結梨の潜在能力が桁違いでも、実戦にはいろんな要素がある。

駆け引きとか、未確認の敵の特殊能力への対応とか。

だから一概には言い切れないさ」

 

「結梨さんが百合ヶ丘にいた時は、特務レギオンの預りだったそうだから、その辺りは抜かりないと思うけれど」

 

「……仮に、こちらから救援を出す事態になったら、誰を向かわせるんだ?」

 

「現地にできるだけ早く到着することを考えるなら、能力的には(あまね)様が適任だと思われるわ」

 

「周様……縮地のレアスキルか。

もし御台場に対G.E.H.E.N.A.の特務レギオンがあったら、間違いなく周様が筆頭でメンバーに抜擢されるだろうな」

 

「ええ。それについては私も異論は無いわ」

 

 椛が名前を挙げた「周様」とは、ヘオロットセインツのサブメンバーで、縮地のレアスキルとステルスのサブスキルを持ち合わせた3年生の円山周のことだった。

 

 加えて、周はかつてG.E.H.E.N.A.の施設に囚われていた強化リリィでもある。

 

 保護されたガーデンが御台場女学校ではなく百合ヶ丘女学院であれば、確実にロザリンデとともにLGロスヴァイセの一員となっていたことだろう。

 

「今は周様の出番が回ってこないことを願いましょう、ゆず」

 

「ああ、まったくだ。これ以上G.E.H.E.N.A.に振り回されるのは願い下げだ」

 

 同じLGヘオロットセインツのメンバーでも、子供っぽさを多分に残した1年生の河鍋(なずな)や鈴木(ちなみ)とは違い、円山周は侍のような雰囲気を漂わせたリリィだ。

 

 その姿を思い浮かべながら、楪はタブレットをスリープモードに切り替えた。

 

「私たちも都内各所で出没している特型ヒュージの対応に当たらないといけない。

あれだって、G.E.H.E.N.A.が一枚噛んでるに違いないはずだ。

先に行ってるよ、椛」

 

 そう言うと、楪はヘオロットセインツの控室へ向かうべく、生徒会室のドアを開いて廊下へと姿を消した。

 

 後に残された椛は、新宿区がある北の空を、生徒会室の窓から無言で眺めていた。

 

(ガーデンは結梨さんの外出目的の詳細を、私たち生徒会にも説明していない。

ということは、おそらく対G.E.H.E.N.A.関連の特務に分類される作戦行動である可能性が高いのでしょうね。

百合ヶ丘の特務レギオンは、その主任務が強化リリィの救出作戦だと聞いているけど、そちらの任務で呼び出しがかかったのかしら……)

 

 御台場から新宿までは10キロメートル近く離れている。

 

 今はその途上にいるであろう結梨のことを思い、椛は日が傾き始めた午後の空を見上げ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦力支援のためルドビコ女学院に常駐している3隊のレギオンの一角、エレンスゲ女学園のLGヘルヴォル。

 

 そのレギオンに所属するリリィである相澤一葉、芹沢千香瑠、佐々木藍の三人は、新宿御苑へ向かう道を進んでいるところだった。

 

「千香瑠、新宿御苑に何しにいくの?

らん、早くルド女に戻っておやつ食べたい」

 

「藍ちゃんに会いたいっていう人がいるの。

それで、一葉ちゃんにも一緒にいてもらおうと思って」

 

 藍を真ん中にして並んで歩きながら、千香瑠は藍の頭越しに一葉に話しかけた。

 

「そうだったんですか。私と藍も知っている人なんですか?」

 

「ええ、二人とも面識のある人よ。

もうすぐ新宿御苑の入口に来る予定になっているわ」

 

「その人、エレンスゲのリリィじゃないの?」

 

「エレンスゲじゃなくて、別のガーデンのリリィよ」

 

「ふーん。らんの知ってるガーデンだと、百合ヶ丘、神庭女子、ルド女、御台場……」

 

 制服の長い袖から手を出し、指を折って数える藍。

 

「千香瑠様、あそこに見える人がそうじゃないですか?

手を挙げてこちらを見ているようです」

 

 一葉の指さす方を千香瑠が見ると、100メートルほど先の路上に小さな人影が目に入った。

 

「そうね、時刻も予定通りだし、間違いなさそうだわ」

 

 三人が歩を進めてその人影に近づくにつれ、一葉の目が驚きに見開かれていく。

 

「ち、千香瑠様、あの人は……」

 

「驚いた?彼女の方から私に連絡を取ってきたのよ」

 

 まっすぐに伸びた道の向こうから、白いワンピースを着た少女が三人に向かって歩いてくる。

 

 長い髪をポニーテールの髪型にまとめ、縁の細い眼鏡を掛けているその少女――彼女が一柳結梨であることは、一葉には見間違いようもなかった。

 

 杉並の公園でLGクエレブレ隊長の松村優珂に脇腹を刺され、意識を失っていた結梨の姿を一葉は思い出していた。

 

 傷は深手だったはずだが、結梨に同行していた百合ヶ丘のリリィがレアスキル「Z」で治療を行い、全快した――それは次第に近くなる結梨の姿を見れば明らかだった。

 

 結梨は三人のすぐ近くまで来ると、その歩みを止め、軽く会釈して微笑んだ。

 

「ごきげんよう、一葉、千香瑠、藍。

今日は来てくれてありがとう」

 

 結梨の外見はどこにでもいるごく普通の少女にしか見えず、それは彼女がリリィではなく一個人として、この場に現れたことを意味していた。

 

 



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第20話 佐々木藍という名のリリィ(2)

 

 結梨と一葉・千香瑠・藍の四人は、新宿御苑の一角にある庭園へと向かった。

 

 不審者の接近やヒュージの出現など不測の事態に備えて、周りを低い生垣で囲われた見通しの良い芝生の上に四人は座った。

 

 結梨と藍が互いに向かい合う形となり、二人の隣りに一葉と千香瑠がそれぞれ分かれて腰を下ろす。

 

 周囲に自分たちを監視する者が潜んでいないか、一葉は警戒を怠らなかった。

 

 結梨と接触した事実を、エレンスゲのガーデンに知られるわけにはいかなかったからだ。

 

 結梨を襲撃して重傷を負わせたLGクエレブレの松村優珂は、一連の記憶をガーデンによって抹消されたのだから。

 

 エレンスゲ女学園の管轄地域から外れたこの新宿であれば、まず大丈夫なはずだが、用心しておくに越したことは無かった。

 

 一葉たち三人はリリィとして行動しているため、制服姿でCHARMを収めたケースを携行していたが、結梨はガーデンの制服もCHARMケースも身に着けていない。

 

 それは結梨が私人として――ガーデンの直命ではなく、ガーデンから許可された結梨個人の意思として――一葉たちに会いに来たことを示していた。

 

 一方の一葉は、結梨が杉並の公園で松村優珂に脇腹を刺され、意識を失っていた姿を思い出していた。

 

 その時は同行していたリリィのレアスキル「Z」で事無きを得たが、一歩間違えばG.E.H.E.N.A.の研究施設に搬送されて、身柄を拘束されていたかもしれなかったのだ。

 

 簡単に再開の挨拶を交わし、今は御台場女学校に一時編入していることなどを結梨が話した後、一葉が神妙な面持ちで結梨に尋ねた。

 

「あなたはG.E.H.E.N.A.から狙われている立場のはず。

こんなに白昼堂々と姿をさらすのは危険なのではないですか?」

 

 だが、結梨は首を横に振って一葉の心配を否定した。

 

「今はG.E.H.E.N.A.は私に関わらないようにしてるんだって。

だから、都内なら今くらいの変装をしておけば外出してもいいって、御台場のガーデンからは言われてるの」

 

「そうですか、それならまずは一安心ですね」

 

「それと、ここで私と会ったことは、他の人には内緒にしてほしいの」

 

「分かりました。私もガーデンに記憶を消されてはたまりませんからね」

 

「えっ?」

 

 松村優珂の一件を考えれば、迂闊に結梨のことを口にできないのは当然だった。

 

 以前、優珂は独断で結梨の身柄確保を企て、休暇中の結梨を杉並の公園で襲撃した。

 

 しかし、結梨に同行していたLGロスヴァイセの北河原伊紀によって、優珂の目論見は阻止された。

 

 その後、襲撃の事実を知ったエレンスゲのガーデンは、優珂の記憶を改変し、襲撃事件はその存在自体を隠蔽されたのだった。

 

「いえ、こちらの話です。気にしないで下さい。

ところで、今日は結梨さんから藍にお話ししたいことがあると、千香瑠様から聞きました」

 

「うん、どうしても藍に言っておかないといけないことがあって、それで千香瑠に連絡したの。

私のわがままを聞いてくれて、ありがとう」

 

 三人に向かって頭を下げる結梨に、千香瑠が慌てた様子で結梨に話しかける。

 

「そんな……私たちはエレンスゲのマディックを結梨さんに助けてもらった恩があります。

だから、このくらいのことは何でもありませんよ」

 

 かつて結梨は六本木の戦場で、マディックの一隊を攻撃しようとしていたラージ級3体を、フェイズトランセンデンスの発動によって倒したことがあった。

 

 その後、マギを使い果たして意識を失った結梨を、LGヘルヴォルのリリィたちが秘密裏にエレンスゲのガーデンに運び込んで、休息を取らせたのだ。

 

 もしあの時に結梨が攻撃していなければ、ヘルヴォルが現着する前にマディックの部隊は全滅していたに違いない。

 

 それを考えれば、多少の時間を工面してルド女のガーデンから外出するなど、些細な事に過ぎなかった。

 

 加えて、一柳結梨というリリィが佐々木藍というリリィに会いに来て、直接話したいことがあるという事の意味を、一葉と千香瑠は重く受け止めていた。

 

 一葉と千香瑠は結梨について、それほど多くを知っているわけではない。

 

 だが、鎌倉府と都内全域に結梨の捕縛命令が出されたこと、生存しているにもかかわらず表向きは戦死扱いになっていること、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィに襲われたこと、百合ヶ丘から御台場に一時編入したこと……

 

 結梨の身に起きた出来事のいずれもが、彼女のリリィとしての特異さを示して余りあるものだった。

 

 一方、親.G.E.H.E.N.A.主義ガーデンすなわち実質的にG.E.H.E.N.A.の管理下に置かれている、極めて特殊な能力を持つ強化リリィ――それは岸本・ルチア・来夢と同じく、胎児の時点でヒュージ細胞を体内に埋め込まれたことに起因していた――としての佐々木藍。

 

 その藍を一柳結梨というリリィが訪れ、彼女に伝えたいことがある――一葉と千香瑠はその一事だけで、結梨がこれから口にする内容を想像することができた。

 

 それはつまり――

 

「私は、藍に百合ヶ丘のリリィになってほしいと思ってる」

 

 結梨は正面に座っている藍の目をまっすぐに見つめていた。

 

 それが単なる他ガーデンへの引き抜きを意味する言葉ではないことを、一葉と千香瑠は理解していた。

 

 だが、当の藍は結梨が発した言葉の真意を測りかねているようだった。

 

 きょとんとした表情で、藍は結梨の顔を見るばかりだった。

 

「どうして?ゆりはらんと一緒にいたいの?

それなら、ゆりがエレンスゲのリリィになればいいのに」

 

「藍、そうじゃない。結梨さんが言いたいのは……」

 

「藍ちゃんがこのままエレンスゲのリリィでい続けると、藍ちゃんや私たちが必ず危険な目に遭う――それもヒュージではなく、エレンスゲのガーデンが原因で――そういうことね?」

 

 一葉の言葉を引き継いだのは千香瑠だった。

 

 結梨は千香瑠の方を向くと、こくりと頷いた。

 

 藍の能力は来夢と同種のものである可能性が高く、胎児へのヒュージ細胞埋め込みに成功したリリィは、現時点でこの二人だけだ。

 

 それゆえ、エレンスゲのガーデンはどれほどの犠牲を払おうと、未知数の可能性を秘めた藍を絶対に手放そうとはしないだろう。

 

 それどころか、ルド女のガーデンが来夢の能力を覚醒させるために、意図的に仲間のリリィを生命の危機に陥れようとした事実を考えれば、ヘルヴォルのリリィが同じ危険にさらされる可能性は非常に高い。

 

「藍が持ってる力を目覚めさせるために、エレンスゲのガーデンはヘルヴォルのリリィをヒュージに襲わせて殺そうとするかもしれない」

 

 結梨は特務レギオンであるLGロスヴァイセの預かりだったゆえに、一般のリリィが知りえないルド女崩壊についての情報にアクセスすることを許可されていた。

 

 その情報によれば、G.E.H.E.N.A.とルド女のガーデンは、体制に背いた教導官である泉・ローザ・莉奈に海堂・ベアトリス・千春殺しの濡れ衣を着せ、殺人事件の容疑者として全国に指名手配させた。

 

 そしてヒュージと体制側の教導官がルド女のリリィたちを一方的に襲い、LGアイアンサイドとLGテンプルレギオンは絶体絶命の窮地に追い込まれた。

 

 そのような極限状況下において来夢の能力は劇的な覚醒を遂げ、ルド女のリリィたちは辛うじてG.E.H.E.N.A.とルド女ガーデンの攻撃を退けることに成功した。

 

 しかし、その代償としてほとんどの教導官の命が失われ、ルドビコ女学院のガーデンは事実上崩壊した。

 

 自分たちの目的のためには計画的な殺人すら厭わない組織――その一端に連なるガーデンに、ヘルヴォルのリリィたちは在籍しているのだ。

 

「藍の力を引き出そうと無理な実験を繰り返せば、エレンスゲだってルド女みたいに崩壊してもおかしくない」

 

 佐々木藍というリリィが特別な存在であればあるほど、エレンスゲのガーデンは彼女に過酷な実験を課し、その能力の限界値を探ろうとするだろう。

 

 そして、その能力を利用して、ヒュージに対してより有利に戦いを進め、G.E.H.E.N.A.が人類社会の中で占める地位を、絶対的かつ独占的なものへと高めようとするだろう。

 

 だが、もし彼女がその能力をもってしても打開できないような窮地に立たされ、生命が危ぶまれる事態に陥ればどうなるか。

 

 おそらくエレンスゲのガーデンはヘルヴォルのリリィやマディックを盾にしてでも、藍を戦場から撤退させるだろう。

 

 数年前に起きた日の出町の惨劇において、当時のヘルヴォル隊長がマディックを殿(しんがり)にして撤退しようとしたように。

 

 今後、藍を含むヘルヴォルのリリィたちが、そのような局面に置かれる状況は極めて高い確率で発生すると考えられる――百合ヶ丘と御台場のガーデンは、そう結論づけざるを得なかった。

 

 そうした事態を回避し、エレンスゲのリリィとマディックをガーデンの「実験」に巻き込ませず、同時に藍の身の安全も保障する――そのためには藍を反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンで「保護」することが最善の選択肢だった。

 

 その提案自体は結梨が発案したものだったが、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの方針に相反するものではなかったので、百合ヶ丘・御台場の両ガーデンとも提案に反対することはなかった。

 

 ただし、当然G.E.H.E.N.A.とエレンスゲのガーデンが黙って藍を見逃すはずはない。

 

 現在でも安藤鶴紗に対して限定的ながら干渉を続けているように、G.E.H.E.N.A.との因縁は簡単には断絶できないだろう。

 

 来夢に続いて藍までもがG.E.H.E.N.A.の管理下から逃れる事態になれば、非合法的な手段で藍の身柄を奪い返しにくる恐れは充分にある。

 

 それでも、このまま藍をエレンスゲのガーデンに留めおくよりは、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに保護する方が状況は改善するはずだ。

 

 そうした趣旨の説明を、結梨は時折り言葉に詰まりながらも、エレンスゲの三人のリリィに向かって話し続けた。

 

 結梨が真剣な表情で話す内容を藍は黙って聞いていたが、結梨の説明を聞き終ると、普段と変わらない訥々とした口調で自らの考えを口にした。

 

「ゆりの言いたかったことはわかった。

でも、らんはやっぱりエレンスゲで一葉たちと一緒にいる方がいい。

百合ヶ丘のリリィにはならない。ごめん、ゆり」

 

 藍の答えを聞いても、結梨は失望した様子を見せず、むしろどこか安堵したような柔らかい表情になった。

 

「――ううん、いいの。

私が藍の立場だったら、やっぱり断ってたと思うから」

 

 両親の所在すら判然としない藍にとって、ヘルヴォルのリリィたちは家族も同然の存在だ。

 

 危険が迫っているとしても、家族と離れ離れになるよりは一緒にいる方を選ぶ――それが藍の答えの本質だった。

 

 それを思えば、客観的な合理性や戦略とは別の判断基準で、藍が自身の進む道を選んだのも無理はない――結梨は藍の選択を責める気には到底なれなかった。

 

 ある意味でそれは感情に流された結果だと言うこともできるが、人は木石ではない。

 

 理性と感情を併せ持つ存在が人である以上、藍の選択を否定することは結梨にはできなかった。

 

「申し訳ありません、結梨さん。

せっかくここまで来ていただいたのに、結梨さんの希望に沿うことができなくて」

 

 沈んだ口調で結梨に謝る一葉だったが、結梨は全く気落ちしている様子は見られなかった。

 

「そんなことないよ。藍の気持ちを直接聞けただけでも、今日ここに来てよかったと私は思ってるから。

それに、藍が一葉たちと一緒なら、危ない目に遭っても切り抜けられると思う。

でも、もし私や百合ヶ丘のガーデンの力が必要な時は必ず知らせて。

みんなで力を合わせれば、きっと誰も犠牲にならずにすむから」

 

「ありがとう、結梨さん。

ルド女のリリィと同じように、私たちエレンスゲのリリィも自分たちの力で仲間を守り

、ガーデンが間違った方へ進まないように、正しい在り方へ変えていきたいと思っています。

万が一の事が起こった場合は、遠慮なくお言葉に甘えさせていただくと思いますので、よろしくお願いします」

 

 一葉が差し出した右手を結梨はしっかりと握り、両者の合意が成立したその時、結梨が着ているワンピースの腰のあたりから低い振動音が聞こえた。

 

 それはリリィが連絡のために携帯している通信端末が、ワンピースのポケットの中で着信を知らせているものだった。

 

「どうぞ、出ていただいて構いませんよ。

機密に関わる内容であれば、私たちは離れた所にいますから」

 

「ありがとう……えっと、この番号は……」

 

 結梨はポケットから端末を取り出し、小さいモノクロの液晶画面に表示された相手先の番号を確認する。

 

 そのまま端末を耳元に当て、結梨が電話に出ると、聞き覚えのある女性の声がスピーカーから結梨の耳に聞こえてくる。

 

 一葉たちの前で電話に出た結梨が発した言葉は、彼女たちが全く思いもよらないものだった。

 

「咲朱、久しぶりだね。うん、私は元気だよ。

――えっ、琴陽が私にご飯をごちそうしたい?

ちょっと待ってね、今ヘルヴォルのリリィと一緒にいるから、また後でかけ直すよ」

 

 結梨は短い通話を終えて端末をポケットに戻した。

 

 そして結梨が一葉たちの方へ向き直ると、その顔を一葉と千香瑠が呆気(あっけ)に取られたように見つめていた。

 





 最後の咲朱様からの電話はネタではなく、次回エピソードの前振りです。念のため……



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第21話 リリィたちの昼餐会(1)

 

「じゃあ、結梨ちゃんはヘルヴォルのリリィがいる前で、咲朱さん――『御前』からの電話に出たんですか?」

 

「うん、一葉と千香瑠はびっくりしてた。

藍は不思議そうな顔してたけど」

 

 東京の品川区にある戸越公園のベンチに、結梨はLGロスヴァイセ主将の北河原伊紀と並んで腰かけていた。

 

 土曜日の昼前、空はよく晴れ渡り、趣のある広い公園の池の上を、緩やかに風が吹き抜けていく。

 

 結梨と伊紀は戸田琴陽がこの場所に現れるのを待っていた。

 

 待ち合わせに指定された時間までは、あと十分ほどある。

 

 買い物をしていた琴陽が百合ヶ丘のリリィから鰻を譲ってもらったので、そのお礼として結梨を食事に招きたいと言っている――そう咲朱は結梨に電話口で伝えたのだった。

 

 いったん電話を切って、一葉と千香瑠の顔を見た時のことを結梨は思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うん、分かった。またね、咲朱。

……どうしたの?二人とも」

 

 通話を終えた結梨の顔を、一葉と千香瑠が驚いた様子で見つめている。

 

「今、咲朱って……」

 

「うん、夢結のお姉さんからの連絡」

 

「夢結様のお姉さんというと、まさか、さっきの電話の相手は『御前』ですか?」

 

「そうだよ。咲朱のこと、一葉たちも知ってるの?」

 

「知っていますとも……忘れようはずもありません」

 

 新宿で外征中の一柳隊の前に仮面を着けて現れ、白井夢結を自分のものにしようとした謎のリリィ。

 

 自らを『御前』と名乗ったそのリリィの正体が、戦死したはずの白井夢結の姉である白井咲朱だと、戦いの後で一葉たちは一柳隊から知らされたのだった。

 

 その『御前』が結梨に電話で連絡を取ってきたという事実は、一葉と千香瑠を驚かせて余りあるものだった。

 

「結梨さんは普段から『御前』と連絡を取りあうような関係なのですか?」

 

「ううん、咲朱から私に電話がかかってきたのは、これが初めて。

百合ヶ丘のリリィに鰻を譲ってもらったお礼をしたいって、琴陽が言ってるんだって」

 

「う、鰻ですか……」

 

 新宿で一柳隊と共に白井咲朱や戸田琴陽と対峙した一葉としては、彼女たちの姿と鰻が結びつかず、どうにも妙な気分だった。

 

「結梨さんは咲朱さんの連絡先を知っていたの?」

 

 やや心配げな表情で千香瑠が結梨に尋ねると、結梨は至って自然に頷き返した。

 

「うん、咲朱が私にキスした後に、咲朱の端末の番号が分かるようになったの」

 

「まあ、二人はそんな関係だったの。意外と進んでるのね」

 

 思わず両手で口元を抑える千香瑠。

 

「キスって言っても、唇じゃなくておでこだけど……」

 

 結梨は咲朱が百合ヶ丘女学院を訪れた帰り際に、自分の額に口づけをしたことを思い出していた。

 

 あの時の接触で、自分と咲朱の間に色々な情報のやり取りがなされたのかもしれない――咲朱なら、そのような普通ではありえない力を持っていても不思議ではないと、結梨は考えていた。

 

「……そ、そうだったんですか。唇じゃなくて額ですか。そうですよね。安心しました」

 

 動揺を隠せない一葉は、落ち着かない様子で制服のポケットからハンカチを取り出して、額に浮いた汗を何度もぬぐっていた。

 

 一葉と千香瑠にとっては、白井咲朱は一柳隊との戦いの末に夢結を諦めて去って行った、どちらかと言えば敵対的な人物として認識されている。

 

 結梨は一葉たちに、咲朱と琴陽が自分たちの敵ではなく、進もうとしている道が違うだけなのだと説明した。

 

「らん、知ってる。ことぴは悪いリリィじゃないって。

だから、ことぴと一緒にいるさあやも悪いリリィじゃない」

 

 新宿での戦いで途中から一柳隊と行動を共にし、咲朱や琴陽の言動を間近に見てきた藍は、概ね結梨と同じ認識を持っていた。

 

「分かりました。二人がそう言うのであれば、私たちも咲朱さんと琴陽さんに対する見方を変える必要がありそうですね」

 

「ええ。今は彼女たちはG.E.H.E.N.A.とは無関係で、G.E.H.E.N.A.には関心が無いとも言っていたわ。

だから、私たちが一方的に敵視するのは間違っているのかもしれないわね」

 

 しかし、咲朱が何を目指しているのか、具体的な事がまだ分からないのも確かだった。

 

 結論として、より詳しい情報が得られるまで、咲朱と琴陽に対しては中立的な態度で臨むことで四人の認識は一致し、その場は解散することとなった。

 

「ゆり、ことぴとさあやに会ったら、らんは元気だって伝えて。

一葉、千香瑠。ことぴって、らんと来夢のこと『姫』って呼んでたんだよ。

変なの。らんも来夢もお姫様じゃなくてリリィなのに」

 

 「姫」――それが「ヒュージの姫」を意味することを、藍はまだ理解できていないのかもしれない。

 

 その意味を知った時、藍は何を思い、どう行動するのか。

 

 それを確かめるためにも、咲朱と琴陽に会っておく必要が結梨にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨と伊紀が東京で琴陽と待ち合わせをしている頃、百合ヶ丘女学院の生徒会室では三人の生徒会長とLGロスヴァイセのロザリンデ、そして石上碧乙が集まっていた。

 

 生徒会長の一人であるジーグルーネの内田眞悠理が、結梨を誕生させる契機となった人造リリィ計画について、知らせたいことがあると連絡したためだった。

 

「今日はお集まりいただいて恐縮です。

お伝えする内容が内容なだけに、理事長代行に報告する前に、私たちで認識を共有しておきたいと思いまして」

 

 話を切り出した眞悠理に、彼女と同じ2年生のオルトリンデ代行である秦祀が頷いた。

 

「ええ、分かっているわ。私たちの意見が分かれた状態では、理事長代行への報告も一貫性を欠いたものになってしまうものね」

 

「ところで、伊紀さんの姿が見えないけれど……」

 

 全員が席に着くと、ブリュンヒルデの出江史房がロザリンデと碧乙を見て、疑問を口にした。

 

「伊紀なら、結梨ちゃんの付き添いで東京へ外出しているわ」

 

 答えたのはロザリンデだった。続けて事情を説明する。

 

「結梨ちゃんが、ある人から食事の招待を受けているの。

その件については、百合ヶ丘と御台場のガーデンから外出許可が出ているわ。

でも、一人だけで行かせるのは不安があったので、伊紀に一緒に行ってもらうことにしたのよ」

 

「一人では不安って、その食事に何か危険な要素があるの?」

 

「結梨ちゃんを招待した人がね……」

 

 ロザリンデは小さく溜め息をついて、隣に座っている碧乙を見やった。

 

 碧乙はロザリンデの途切れた言葉を引き継いで、史房に答えた。

 

「夢結さんのお姉さんなんですよ」

 

「白井咲朱さんが?どんないきさつで?」

 

「何でも、戸田琴陽さんが剣持乃子さんから鰻を譲ってもらったそうで、そのお礼とのことです」

 

「乃子さん?鰻?まるで要領を得ない話ね」

 

 事情をよく理解できずに首をかしげている史房に、碧乙が更にその時の状況を説明する。

 

「何でも、琴陽さんは鰻が大の好物だそうで、遠路はるばる東京からこの近くまで、天然物の良い鰻を求めに来ていたようです。

そこで買い物中の乃子さんと一尾の鰻をめぐって、ちょっとしたやり取りがあったと」

 

「つまり、乃子さんと琴陽さんの二人とも、リリィの任務とは全く無関係の出来事だったというわけね」

 

「はい、二人とも私人として行動していた時に起こったことです。

ですから、今回の食事の招待も、その流れの延長線上にあります。

咲朱さんは一般のリリィに正体を明かしたくないので、乃子さんを招くわけにはいかなかったのでしょう」

 

「そうだったの。それならいいんだけど……」

 

 碧乙の説明を聞いて、一応は納得した素振りを見せた史房だったが、やはり『御前』だった人物をすぐに信用することは出来なかった。

 

「普通なら、ちょっといい話で終わるところだけど……相手が相手なだけに、素直に額面通り受け取っていいものかどうか、判断に迷うわね」

 

 新宿での夢結をめぐる一柳隊と『御前』との戦闘について、生徒会でも一通りの報告は受けている。

 

 最終的に『御前』こと白井咲朱は夢結を諦めて建物を破壊し、撤退したが、彼女の思惑については不明な点も多く残されている。

 

 史房の言葉に乗っかる形で疑念を口にしたのは祀だった。

 

「罠じゃありませんか?

養子縁組して結梨ちゃんを自分の義妹にしようと考えてるとか。

そうよ、白井結梨なんて出来すぎてるネーミングじゃない。

そして咲朱さんは義姉として教育の名の下に、結梨ちゃんにあんなことやこんなことを――」

 

「祀さん、それは心配するところがズレてると思うわよ……」

 

 ロザリンデは頭を抱えている祀を横目に、史房と眞悠理に説明を続ける。

 

「少なくとも今のところは、白井咲朱は百合ヶ丘女学院に対して敵対的な態度は取っていないとガーデンは判断しているわ。

その認識に基づいて、結梨ちゃんが白井咲朱と戸田琴陽からの招待を受けることが許可されたのよ」

 

「まあ、百合ヶ丘のガーデン――実質的には理事長と理事長代行だけど――がそうお考えなら、一任するしかないわね。

――それでは、私たちは今日の本題に入りましょう。

眞悠理さん、説明をお願いできるかしら」

 

「はい、説明に入らせていただきます。

結梨さんが生まれるきっかけとなった人造リリィ計画と、ルドビコ女学院の強化リリィ実験を巡る一連のプロジェクト。

双方に関わっていた人物について、このガーデンで閲覧可能なすべての資料に目を通して調査した結果、一人の研究者が捜査線上に浮上しました」

 

「何だか刑事ドラマみたいになってきたわね……」

 

「その研究者とは――」

 

 眞悠理は手元の資料に視線を落とすと、当該の人物の名を口にし、生徒会室は長い静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あそこにいるの、琴陽じゃない?こっちだよ、琴陽」

 

 結梨がベンチから立ち上がり、大きく手を振って合図すると、その視線の先にいた黒い服の少女が手を振り返して答える。

 

「ごきげんよう、結梨さん。遅れてすみません。

お連れの方も、ご足労頂きありがとうございます。

私は白井咲朱様にお仕えさせていただいています、戸田琴陽と申します」

 

 手合わせを挑む時以外は至って礼儀正しい態度の琴陽は、近くまで駆け寄ってくると、結梨と伊紀にぺこりと頭を下げた。

 

 琴陽が頭を上げると、今度は伊紀が立ち上がって琴陽に一礼した。

 

「百合ヶ丘女学院の特務レギオン、LGロスヴァイセで主将を務めています、1年生の北河原伊紀です。

本日はお食事にお招きいただき、ありがとうございます」

 

「特務レギオンの主将……あなたが」

 

 伊紀の言葉を聞くと琴陽の瞳が妖しく輝き、口角がわずかに持ち上がった。

 

 同時に、何も持っていない琴陽の手が、目に見えないCHARMを握りしめるかのような動きをするのが、結梨の視界に入った。

 

「琴陽、私たち今日はCHARMを持ってきてないから、手合わせはできないよ」

 

「そうでしたね、残念です……」

 

 心の底から残念そうに琴陽は肩を落としたが、すぐに気を取り直すと二人に出発を促した。

 

「ここからしばらく歩いた所に咲朱様のお住まいがあります。

私が案内しますので、後について来て下さい」

 

 結梨と伊紀は琴陽に先導されて公園を出た。

 

 三人が細い路地を何度も曲がりながら進んだ先に、一件の邸宅が姿を現した。

 

 広大な敷地は武家屋敷さながらの白壁に囲まれており、木製の大きな門の前で三人のリリィは歩みを止めた。

 

「どうぞ、お入りください。この中で咲朱様がお待ちです」

 

 琴陽は門の脇にある勝手口のような小さな扉を開け、二人を招き入れようとした。

 

 扉の向こうには玉砂利が敷き詰められた日本庭園に似た空間が広がっており、その先に平屋建ての古式ゆかしい和風建築が目に入った。

 

 あの屋敷の中に白井咲朱が自分たちを待っている――結梨は無言で、ただ静かに一歩を敷地の内側に踏み入れた。

 

 



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第21話 リリィたちの昼餐会(2)

 

 琴陽に促されて結梨と伊紀が武家屋敷さながらの敷地に入ると、幾らも進まないうちにどこからか香ばしい匂いが漂ってきた。

 

「いい匂いがする。これが鰻を焼いてる匂いなの?」

 

 結梨が自分たちの前に立って歩いている琴陽の背中に向かって尋ねた。

 

「気づかれましたか?

咲朱様がこの裏手にある土間で鰻を焼かれているところです。

もう程なく焼き上がると思いますので、中に入って座敷でお待ちください」

 

「咲朱が自分で料理してるの?」

 

 琴陽は振り返り、にこりと笑って結梨に頷く。

 

「そうです。意外ですか?

咲朱様は何事も自分が率先して行うべきだというお考えの持ち主なので、身の回りのことは一通りご自分でなさるんですよ」

 

「隗より始めよ、ですか」

 

 伊紀がぽつりと呟いた言葉を琴陽は聞き逃さず、我が意を得たりとばかりに満足げに伊紀を見やった。

 

「お分かりいただけたようで幸いです。

――どうぞ、ここからお上がりください。

廊下の奥の右手にある部屋でお待ちくださるようお願いします」

 

 結梨と伊紀は広い玄関で靴を脱ぐと、そのまま板張りの廊下を奥へと進んだ。

 

 先ほど琴陽が言った通り、廊下の右側に見えた襖を開けて二人は畳敷きの和室へ入る。

 

 琴陽は結梨と伊紀の来訪を咲朱に知らせるため、二人と別れて土間に向かって去って行った。

 

 十畳ほどの和室の中央には、大きめの円い座卓が置かれており、障子戸の向こうからは外光が柔らかく透過して、室内を明るく照らしている。

 

 座卓には既に箸と湯呑みが置かれており、食事の準備が進められていることを示していた。

 

「この家、すごく広い。お屋敷みたい。

琴陽は咲朱と二人でここに住んでるのかな」

 

 用意されていた座布団の上に正座して、結梨は興味深そうに伊紀に尋ねた。

 

「この部屋に来るまでに、琴陽さん以外の人影は見えませんでした。

玄関の靴の数からしても、二人だけで生活しているようですね」

 

 伊紀が概算で見積もったところでは、敷地の広さは二百坪から三百坪。

 

 明らかに一般的な生活水準からは大きくかけ離れた住環境だ。

 

 どのようにして咲朱と琴陽がこの住まいを確保したのかは想像する他ない。

 

 だが、自分たちをここに招いたということは、隠し立てするようなものではないということか――伊紀は、まだ姿を現していない咲朱を待ちながら、そのような考えを巡らせていた。

 

「お待たせしました。咲朱様が料理をお持ちになりました」

 

 襖の向こうから琴陽の声が聞こえ、そのすぐ後に襖が静かに開かれた。

 

 そこに見えた咲朱の姿は、やはり琴陽と同じく黒を基調としたワンピースの服を着ていた。

 

「ごきげんよう、結梨。

それに、そちらのリリィは北河原伊紀さんと仰るのね。

今日は鎌倉から御足労いただいたことに感謝するわ」

 

 咲朱が腰をかがめて畳に膝をつくと、大きな盆に四つの黒い漆塗りの重箱が載せられているのが、結梨と伊紀の目に入った。

 

 咲朱の手が悠然と結梨と伊紀の前に重箱を置いていく。

 

 それを見た琴陽が結梨と伊紀に声をかける。

 

「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください。

お二人とも、いろいろと仰りたいことはあると思いますが、まず箸をつけてからゆっくりとお話ししましょう」

 

「――分かりました。お言葉に甘えていただかせてもらいます」

 

「いただきます」

 

 伊紀の隣りに座っていた結梨が、手を合わせてから重箱の蓋を開ける。

 

 伊紀は特務レギオンのリリィらしく、料理に一服盛られている可能性を考えないわけではなかった。

 

 だが、咲朱が本気で強引に事を進めようとするなら、そんな回りくどい手は使わないだろうと、大人しく琴陽の言葉に従うことにした。

 

 咲朱の作った鰻重は素晴らしく美味だった。

 

 最初の一口だけで、結梨にも伊紀にも、それははっきりと分かった。

 

「すごーくおいしいね、伊紀」

 

「はい。琴陽さん、この鰻は天然ものですか?

これほどのものは口にしたことがありません」

 

「そうです。咲朱様と二人で奥多摩方面まで遠出して、何か所も仕掛けを仕込んで捕まえたんですよ」

 

「待ってください。あの辺りはヒュージ警戒区域だったはずですが」

 

「はい、もちろん武装した上で、準備万端で出かけました。

道中で何度かヒュージに遭遇しましたが、特段危険な状況に陥ることはありませんでした」

 

 さもありなんと伊紀は納得した。

 

 咲朱と琴陽なら、二人だけでも優に一個レギオンを上回る戦力たりうる。

 

 たとえギガント級が出現しても、大した脅威にならないのは明らかだった。

 

 それとは別に、伊紀は結梨がこの場に招かれた理由についても考えていた。

 

 咲朱と琴陽は、素性を明らかにして百合ヶ丘の一般リリィに関わることは避けたい。

 

 それゆえに剣持乃子の代わりに結梨を招いて礼をする――一応は筋が通っているようにも思えるが、それは結梨を呼び出すための口実に過ぎないのではないか。

 

 供された食事をほぼ食べ終えた時、伊紀は頃合いを見計らって咲朱に尋ねた。

 

「まさか、今日は鰻を御馳走になってお開きというわけではありませんよね?」

 

「どうしてそう思うのかしら?」

 

 咲朱は伊紀の質問に動じる気配も無く、落ち着き払って反問した。

 

「わざわざ人払いのような状況を作った上で、私たちを呼んだということは、相応の目的があると考えたからです」

 

「そう思うのは、あなたが特務レギオンのリリィだから?」

 

「そのようにお考えいただいて結構です。

私があなたの立場なら、この機会を利用しない手はないと考えますから」

 

「――ふふ、別にあなたたちを罠に嵌めたりするつもりはないから、安心しなさい」

 

 咲朱は微笑を浮かべてその視線を伊紀から結梨に移し、興味深げに話しかけた。

 

「結梨。あなたに関係する興味深い情報を掴んだので、食事のついでに伝えておこうと思ったのよ」

 

 「ついで」ではなく、それが今日の本題ではないのかと伊紀は思ったが、今は黙って咲朱の話を聞いておくことにした。

 

「ルドビコ女学院の指令室を捜索しようとした際に、御台場女学校の元校医と遭遇したそうね。

その時に彼女があなたに話した内容について、少し考えたことがあるの」

 

「倫夜先生が私に話したこと……」

 

 当時の状況を思い出そうとする結梨の隣りで、伊紀は剣呑な視線を咲朱に向けていた。

 

「待ってください。どうしてその事実をあなたが知っているんですか」

 

 捜索に参加したリリィは、その任務が極めて機密性の高いものであることを全員が理解していた。

 

 当然、捜索の内容は部外秘とされ、各ガーデンの内部で厳重に管理されている。

 

 百合ヶ丘でも、捜索の情報を開示されているのは生徒会長と特務レギオンだけだ。

 

「G.E.H.E.N.A.にも反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンにも所属していないあなたが、その情報にアクセスできるはずはありません。まさか――」

 

 咲朱か琴陽のどちらか、あるいは両方がG.E.H.E.N.A.と通じていて、情報を得ているのか――そのような伊紀の疑念に対して、否定の言葉を返したのは琴陽だった。

 

「いいえ、私たちはもうG.E.H.E.N.A.とは何の関係もありません」

 

「それなら、一体どうやって機密情報を入手しているんですか?」

 

「今は咲朱様が必要な情報をG.E.H.E.N.A.のデータベースから取得されています」

 

「……つまり、G.E.H.E.N.A.のネットワークに侵入して、データベースに記録されている情報を閲覧していると?」

 

「その通りです。

咲朱様はリリィという概念を超越された存在です。

そのお力をもってすれば、ネットワークの攻性防壁など豆鉄砲も同然です」

 

 自信満々で胸を張る琴陽だったが、伊紀は呆れ顔で肩をすくめた。

 

「不正アクセスをそんなに自慢げに言うのは、いかがなものかと思いますが……」

 

 非難がましい目で伊紀は咲朱を見たが、当の咲朱は一行に気にしていない様子だった。

 

「あら、あなただって特務レギオンのリリィでしょう?

諜報活動や偵察任務はお手の物だと思うけど」

 

「それはそうですが……では私たちがG.E.H.E.N.A.に対して実施した作戦や、G.E.H.E.N.A.が関与した事件は、全てその内容を把握しているわけですね」

 

「ええ。エリアディフェンスの崩壊や偵察衛星のロスト、結梨とあなたがエレンスゲの強化リリィに襲撃されたこと。

そして、ルド女の指令室前で中原・メアリィ・倫夜が結梨たちに語った持論についても、G.E.H.E.N.A.のデータベースに彼女の報告書が保管されていたわ」

 

「倫夜先生は、私と来夢がヒュージのいる世界でも生きられるように創られた人間だって言ってた」

 

 結梨が倫夜の発言を思い出して咲朱に伝えると、咲朱はそれを確認するように頷いた後、倫夜の説を語り始めた。

 

「そう、あなたと来夢を生み出した研究プロジェクトは、いずれも今の人類がヒュージに滅ぼされた場合でも、人工的に進化した新しい人類が種として存続するための足掛かりだった……というのが中原・メアリィ・倫夜の考えね」

 

「はい、捜索に参加したリリィ4人の報告でも、彼女はそのようにプロジェクトの真相を推測していたと記録されています」

 

 そうね、と咲朱は伊紀の発言を肯定した上で、今度は自らの解釈を展開した。

 

「でも、私の考えは彼女のそれと少し違っている。

二つの研究プロジェクトが真に目指していたのは、ヒュージを脅威としない人類社会の確立であり、それを可能にする新たな超越的人間の誕生だった。

すなわち、既存の人類を統率し、次の時代へ導くための先駆者となるべく生み出された存在。

それが一柳結梨であり、岸本・ルチア・来夢というリリィだった」

 

 確信に満ちた口調で自説を語る咲朱に、結梨は黙って耳を傾けている。

 

「結梨や来夢、藍のような特別なリリィは、私と同じくヒュージとの戦いを事実上終わらせる可能性を持っている。

私たちの力が無ければ、人類は次の時代に進むことはできないでしょう」

 

「あなたは、その二つのプロジェクトの両方に関わった研究者を知っているんですか?

G.E.H.E.N.A.の裏をかいて自分の理想を実現しようとした研究者のことを」

 

 伊紀の質問に、咲朱は余裕たっぷりに肯定の返事をした。

 

 まるで、それについて尋ねられるのを待っていたかのように。

 

「もちろん知っているわ。

今日ここに来てもらったのは、それを伝えるためでもあるのだから。

――結梨、あなたの生みの親は岸本・ルチア・来夢の父親よ」

 

 





・人造リリィ計画については公式で新たに語られることは無さそう
・できるだけオリジナルのキャラを出さずにストーリー展開したい
 上記二つの前提から、ルド女舞台で名前のみ登場した岸本教授をキーパーソンとしています。

 また、次のエピソードでジャガーノートが登場する予定でしたが、ラスバレに先を越されてしまいました……
 ジャガーノートの扱いについては、メインストーリー更新分を読んでから、どうするか決めるつもりです。



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第21話 リリィたちの昼餐会(3)

 一話まるごと説明回です。
 公式の設定に存在しない部分は、全て筆者の想像であることをお断りしておきます。


 

「結梨さんを創ったのは、ルド女の来夢さんのお父さんですって?」

 

「はい。かつてルドビコ女学院での強化実験に関わっていたとされる人物の一人……岸本教授です」

 

 東京で結梨と伊紀が白井咲朱から説明を受ける少し前、百合ヶ丘女学院の生徒会室では、奇しくも内田眞悠理が同じ真相を口にしていた。

 

 眞悠理から手渡された資料に目を通しながら、出江史房と秦祀の二人は驚きを隠せずにいる。

 

「旧体制のルド女およびルドビックラボで研究活動を行っていた科学者として、岸本教授と天宮教授という二人の人物がいたことは私も知っているわ。

 

でも、来夢さんの父親である岸本教授は、ルド女が崩壊するかなり以前から行方不明になっていたと、手元の資料には記載されている。

 

その彼が、どうやって結梨さんを生み出す元となったG.E.H.E.N.A.の人造リリィ計画に関わったと言えるの?」

 

 史房の疑問に対して、眞悠理は碧乙の隣りに座っているロザリンデの顔を見た。

 

「続けて、眞悠理さん」

 

 ロザリンデが小さく頷いたのを確認してから、眞悠理は説明を再開する。

 

「最も重要な根拠となる事実は、G.E.H.E.N.A.が人造リリィ計画のプロジェクトを進めるに当たって、グランギニョル社との技術提携を行ったことです。

 

考えてみれば、人造リリィという極めてG.E.H.E.N.A.的な概念に基づくプロジェクトの技術提携を、外部のCHARMメーカーであるグランギニョル社に求めるというのが妙な話です。

 

その事情として推測されるのは――おそらくG.E.H.E.N.A.は自らの力だけでは人造リリィを完成までこぎつけることができなかった。

 

そして人造リリィを創り出す上での核心的な理論や技術、それらを有する組織あるいは個人を探し求めた結果、たどり着いた先がグランギニョル社だったということです」

 

「なぜグランギニョル社がそんな技術を持っていたの?」

 

 本業がCHARMの設計開発と製造であるグランギニョル社が、人造リリィに関する技術を有していること自体が不自然極まりない。

 

 それを指摘した祀の疑問に対して、今度はロザリンデが眞悠理に代わって答える。

 

「考えられるのは、グランギニョル社に元G.E.H.E.N.A.の科学者が在籍しており、かつその人物が人造リリィ計画の技術開発面においてコアになる人材だということ。

 

それほどの能力を持ち、かつてG.E.H.E.N.A.あるいはG.E.H.E.N.A.に関係する組織に所属していた科学者――それはルドビコ女学院とルドビックラボから姿を消した――いえ、正確には逃亡した岸本教授が、グランギニョル社に身を寄せていたからよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず、どのような経緯で岸本教授があなたを生み出すに至ったか、それを先に説明しておきましょうか」

 

 その頃、東京では白井咲朱が結梨と伊紀の前で、岸本教授と人造リリィ計画との関わりを次のように説明した。

 

 

 

 

 

 ルドビコ女学院とルドビックラボに在籍していた当時、岸本教授は天宮教授ともにリリィの強化実験についての研究に従事していた。

 

 当初、岸本教授は従来の生態系を回復させるための研究の一環として、動植物の体がヒュージ化する際の生物学的プロセスについての研究を行っていた。

 

 その過程で、岸本教授は致命傷を負ったリリィを救命するために、リリィの体内にヒュージ細胞を埋め込んで、回復力と治癒力を劇的に高める手法を発見した。

 

 しかし、皮肉にもそれは被験体となる強化リリィを生み出す目的に利用され、G.E.H.E.N.A.によって故意にリリィに致命傷を負わせる行為を常習化させる結果となった。

 

 リリィを強化リリィへと変える処置は、元々は致命傷を負ったリリィに対する最終的な救命処置として考案されたものだった。

 

 それは通常の外科的治療では救命できないリリィを救うための唯一の手段であると同時に、一般のリリィが持ちえない特殊な能力と身体機能の大幅な強化をもたらすものだった。

 

 その一方で、強化処置によってリリィの心身には多大な負荷がかかり、中には絶命する者や、理性を失って攻撃衝動のみの狂人となる者も少なくない割合で発生した。

 

 このため、強化処置は致命傷を負ったリリィの命を救う最後の手段としてのみ施術が認められる――それが強化処置を運用する上での大原則だった。

 

 だが、G.E.H.E.N.A.はその原則を悪用して、強化の対象としたいリリィが致命傷を負うような戦況を意図的に作り出していた。

 

 こうして、やむをえない場合の救命手段としてのみ許容されていた強化処置は、やがて任意のリリィを強化リリィにするための手段へと変質していった。

 

 リリィがG.E.H.E.N.A.による人体実験の被験者にされることに対して、岸本教授は強く反発した。

 

 あくまでもリリィの命を救うための次善の策としてのみ、強化処置は認められるべきだとする岸本教授の主張は、G.E.H.E.N.A.とルドビコ女学院のガーデンにとって目障りなものに映った。

 

 当時、ルドビコでは強化実験の一環として、胎児にヒュージ細胞を埋め込む計画が進められていた。

 

 当然のことながら、岸本教授はこの計画に全面的に反対する立場を強硬に取っていた。

 

 結果として、ルドビコ女学院における胎児へのヒュージ細胞移植実験については、もう一人の研究者である天宮教授が主導する形で、その工程が進められることになった。

 

 だが、天宮教授の考案した手法には不完全な部分があり、そのままではヒュージ細胞を埋め込まれた胎児が人間として誕生できないことに、岸本教授は気づいていた。

 

 胎児へのヒュージ細胞埋め込み実験を止められないと悟った岸本教授は、天宮教授の研究の問題点を補完し、更には彼自身の希望を少しでもそこに入れ込もうとした。

 

 一例として、岸本・ルチア・来夢がヒュージから仲間と見なされ、攻撃されないという特性は、岸本教授の研究結果に基づくものだったと考えられる。

 

 胎児へのヒュージ細胞埋め込み実験は、はじめ天宮教授の妻を被験者としていたが、彼女が実験の直前にルドビコから逃亡したため、岸本教授の妻を代理の被験者として実験は実施された。

 

 その結果生まれたのが岸本・ルチア・来夢であり、同時期に別の受精卵から生まれた佐々木藍だった。

 

 そして岸本教授は、これ以上同じ被害者を出さないように、胎児へのヒュージ細胞埋め込み技術の核となる資料を処分し、その後にルドビコ女学院およびルドビックラボを出奔した。

 

 現在に至るまで、岸本・ルチア・来夢と佐々木藍以外に同様の強化リリィが存在しないのは、このような事情に基づいている。

 

 ルドビコから逃亡し、公式には行方不明となった岸本教授は、G.E.H.E.N.A.の追跡を逃れるため、亡命同然に欧州へ渡った。

 

 そして彼は幾つかの国を転々とした末に、フランスのグランギニョル社に身を寄せた。

 

 彼はそこで無名の一研究員として密かに勤務を続けていたが、一年ほど前にG.E.H.E.N.A.からグランギニョル社に、あるプロジェクトの共同研究が持ちかけられた。

 

 それが例の人造リリィ計画だったことは、単なる偶然ではなかった。

 

 G.E.H.E.N.A.は岸本教授がグランギニョル社に在籍していることを突き止め、彼の身の安全を保障することと引き換えに、人造リリィ計画への協力を要請した。

 

 人造リリィ計画を成功させるためには、その前段階の研究である「胎児へのヒュージ細胞埋め込み」のノウハウが不可欠だったからだ。

 

 再びG.E.H.E.N.A.の人体実験に関わることを余儀なくされた岸本教授は、G.E.H.E.N.A.の思惑を逆手に取って、自分の理想の一端を実現することを目論んだ。

 

 来夢の時と同じように、いや、それ以上に完全な形で自分の理想を実現しようとしたのだ。

 

 G.E.H.E.N.A.が目指していた、単なる使い捨ての代替戦力としての人造リリィではなく、ヒュージ支配下の環境でも生きることができる新しい人類の一人として、岸本教授は人造リリィの遺伝子を設計した。

 

 そしてヒュージ幹細胞から岸本教授が選択した塩基配列のみを抽出し、ヒトの遺伝子として再構成したのが人造リリィの遺伝子だった。

 

 これによって人造リリィの遺伝子情報は、国際法で人として認められるボーダーラインの数値をクリアしている。

 

 ただし、G.E.H.E.N.A.が実験のために用意した人工子宮としての培養繭は、百を超える数のものだった。

 

 これほど大量の繭から超越的な能力を持つ人造リリィが一度に誕生すれば、それらの人造リリィの所有者となるG.E.H.E.N.A.の軍事力に抗える者は存在しなくなる。

 

 この事態を回避するために、岸本教授は一つの個体を除く全ての卵細胞に、繭からの孵化を阻害する因子を密かに組み込んでおいた。

 

 こうしておけば、G.E.H.E.N.A.がどのような手段を講じようとも、生まれてくる人造リリィはただ一人きりで、彼女が与える影響は最小限に抑えることができる――そう岸本教授は考えた。

 

 実験の結果、由比ヶ浜ネストのマギから影響を受けた多くの培養繭が付近の海岸に漂着し、後に一柳結梨と名付けられる一個体のみが孵化に成功した。

 

 こうして人造リリィ計画は、G.E.H.E.N.A.にとっては極めて限定的かつ想定外の、岸本教授にとっては目論見通りの成功を収めることになった。

 

 そして一柳結梨を巡る一連の騒動の後、岸本教授は人造リリィ研究の技術資料とともに再び姿を消した。

 

 その行方は現在でも(よう)として知れない。

 

 



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第21話 リリィたちの昼餐会(4)

 

「――ここまでが私の知っている岸本教授の消息よ。

でも、G.E.H.E.N.A.内部の情報が入手できなくても、あなたたちが入手できる情報だけで二・三歩手前くらいまでは辿り着けるんじゃないかしら?

それとも、百合ヶ丘は既に岸本教授の所在を突き止めているとか?」

 

 咲朱は伊紀の顔を一瞥すると、その形の良い唇に妖艶な笑みを浮かべた。

 

「……それは私の知るところではありません。

ガーデンからは岸本教授についての情報は何も知らされていません」

 

 人造リリィ計画については、ロザリンデが調査を進めていることを伊紀は知っていた――が、咲朱にその情報を与えるのは控えるべきだと判断した。

 

 咲朱はあくまでも結梨を自分の味方につけたいがために、百合ヶ丘のガーデンとリリィに友好的な態度を取っている――その認識を伊紀は手放さなかった。

 

 万が一、結梨が咲朱の下に参じれば、咲朱は百合ヶ丘に対して以後一切の関わりを断つ可能性すらあると伊紀は考えていた。

 

 少なくとも今のところは、一柳結梨を擁する百合ヶ丘女学院は、白井咲朱にとって利用価値があるガーデンだ。

 

 だからこそ、通常の手段では到底入手できないG.E.H.E.N.A.の機密情報を、こちらに流してくれるのだ。

 

「今日私が話したことは百合ヶ丘のガーデンに報告して構わないわ。

その上で、あなたたちがどう動くのかを見定めさせてもらうから」

 

「あなたは高見の見物を決め込むわけですね。

もし私たちが岸本教授の居所を掴んだとして、あなたはどうするつもりですか?」

 

「別にどうもしないわ。私は岸本教授に用は無いから。

結梨が自分のルーツについて知る手がかりを与えたかったから、岸本教授の話をしたのよ。

単なるG.E.H.E.N.A.のモルモットとしてではなく、一人の人間の理想の結晶として、一柳結梨が生まれたのだという事実を知ってほしくて」

 

 そう言うと、咲朱は表情を和らげて結梨の顔を見た。

 

「私のために岸本教授の話を?」

 

「そうよ。同情というと失礼かもしれないけど、自分の過去について分からないことが残り続けるのは、気持ちの悪いことではなくて?」

 

「それは……うん、そうだと思う」

 

 考え込みつつ咲朱の言葉に頷く結梨を見ながら、伊紀は咲朱の話した内容を頭の中で整理しようとしていた。

 

 岸本教授についてこれ以上知ることが、結梨にとって良いことなのかどうか、伊紀には判断がつきかねた。

 

 岸本教授は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに所属していた研究者であり、真偽は未確認ながら、来夢の姉である岸本・マリア・未来の強化実験に関与していた可能性もあるからだ。

 

 彼の本当の人格は、直接本人に会わなければ見極められないだろう。

 

 今は咲朱が提供した岸本教授の情報を百合ヶ丘女学院へ持ち帰り、今後の対応はガーデンと生徒会の判断に委ねるのが最善だと、伊紀は自分の考えに区切りをつけた。

 

 そのような伊紀の心情を知ってか知らずか、咲朱は結梨への言葉を続けた。

 

「少なくとも岸本教授の件については、知っておく方があなたにとってプラスに作用するはずよ」

 

「知らないままより知っておく方がいいってこと?」

 

「そう。この世界には知らない方がいいことも沢山あるわ。

でも、私はあなたがG.E.H.E.N.A.のモルモットとして生まれたのではないことを知ってほしかった。

それを伝えるために、私はあなたを今日この場へ呼んだのよ」

 

 咲朱は一旦言葉を切り、湯呑みに入った熱い茶を一口喉に流し込んでから、改めて結梨に向き直った。

 

「岸本教授は彼の持つ才能の全てを使って、あなたの遺伝子を設計し、誰よりも優れたリリィとして、新たな上位の人類として、あなたがこの世界に生まれるべく、力の限りを尽くした。

この力があれば、あなたは自らの意志で世界を変えることすらできるかもしれない。

――後はあなたの気持ち次第」

 

「私の気持ち……私がどうしたいか……?」

 

 結梨が生まれた意味は岸本教授によって与えられたが、それをどう理解し、どう生きていくかを決めるのは、結梨自身に委ねられているのだ。

 

「そうよ。だから、それを実現するために、私と一緒に『高み』を目指してみる気は――」

 

「そこまでです、咲朱さん」

 

 咲朱の発言にストップをかけたのは伊紀の言葉だった。

 

「学外からのスカウトはお断りします。

まして、あなたたちは現状どのガーデンにも所属しないゲリラのような勢力。

今はG.E.H.E.N.A.と無関係でも、状況が変われば利害関係次第で百合ヶ丘と敵対する可能性もあります。

そのような勢力に結梨ちゃんを預けるわけにはいきません」

 

「……もし私が力ずくで結梨を奪おうとしたら?」

 

「私の命に代えても阻止します」

 

 伊紀は咲朱の顔を正面から見据えて、迷いなく言い切った。

 

「伊紀、私は……」

 

 咲朱について行くつもりはないよ、と結梨が言いかけた時、咲朱がその機先を制した。

 

「冗談よ。私も夢結の時と同じ轍は踏みたくないもの。

それに、あなたを手にかけたりしたら、結梨は永遠に私を許さないでしょうから」

 

「咲朱はそんなことをする人じゃないと思う。そう信じてる」

 

「そう言われると、ますます手荒な事ができないように予防線を張られた気分になるわね」

 

 結梨と伊紀の四つの瞳に正面から見つめられた咲朱は、降参の意を示すように両手を軽く上げた。

 

その様子を横から見ていた琴陽は、苦笑いしながら結梨と伊紀に向けてなだめるように言葉をかける。

 

「私たちも百合ヶ丘と事を構えるような事態は望みません。

いずれ咲朱様の理想を皆様にも理解してもらえると思いますので、私たちは順を追って少しずつ計画を進めていくことになるでしょう」

 

 その理想とやらを具体的に語ってくれればいいものを、と伊紀は心の中で呟いたが、咲朱はまだ時期尚早と考えているのか、彼女にその意思は無さそうだった。

 

「私が話したかった事はここまでよ。

岸本教授の居所を探すかどうかはあなたたち次第。

もっとも、彼が今も生きているという保証があるわけではないし、所在を突き止めたとしても面会を拒否するかもしれない。

G.E.H.E.N.A.のデータベースに存在しない情報は、私にも分からないのだから」

 

「承知しました。情報を提供して下さったことには感謝します。

でも、これで借りを作ったとは思っていません。

くれぐれも私たちがあなたの思い通りに動くとは思わないで下さい」

 

「もちろん。あなたたちは自分たちの意思で、自分たちが正しいと思うことをすればいい。

私たちは私たちで、それを観測しながら今後の出方を決めさせてもらうわ。

ひとまずはそれで手打ちとしましょう。

――ところで」

 

 咲朱は話題を変えるように伊紀から結梨へと視線を移した。

 

「結梨は今、御台場女学校に一時的に学籍を移しているのね。

でも、どうやらしばらくG.E.H.E.N.A.による『実験』は、別のガーデンが中心になると思うわよ」

 

「またG.E.H.E.N.A.がルドビコで『実験』をするの?」

 

「いいえ、ルドビコは既に実験場としての機能を喪失している。

設備的にも人員的にも、旧体制を復活させるのは不可能よ。

そちらの特務レギオンのお嬢さんなら知っているのではなくて?

最近は御台場よりエレンスゲの周りが騒がしくなってることを」

 

「そうなの?伊紀」

 

 隣りに座っている伊紀を見て結梨が尋ねると、伊紀は頷いて咲朱の発言を肯定した。

 

「はい、エレンスゲに近い対ヒュージ研究施設が何者かによって次々に襲撃され、既にかなりの数が破壊されているようです」

 

「どうしてそんなことをするの?

対ヒュージ研究施設って、ヒュージをやっつけるための方法を考えてる所だよね」

 

「襲撃の動機や目的はまだ不明です。

襲撃対象が無差別的ではないことから、今のところヒュージによる攻撃の可能性は低いと考えられています。

エレンスゲ内部の関係者による犯行である可能性も考えられますが、だとすればエレンスゲに何のメリットがあるのか……」

 

「この件についてはエレンスゲでも調査中で、まだG.E.H.E.N.A.に最終的な報告は上がっていないわ。

気になるのなら、あなたたち特務レギオンが出張って調べてみる手もあると思うけれど――」

 

「それは百合ヶ丘女学院のガーデンが判断することです。

ガーデンの直命が無い限り、特務レギオンが出撃することはありません」

 

「もし百合ヶ丘がその件に首を突っ込むつもりなら、一つ忠告しておいてあげる。

人型の特型ヒュージに気をつけることね」

 

「ギガント級のことですか?それなら今までにも人型の個体は何度も確認されているはずですが」

 

「いいえ、ミドル級あるいはスモール級の個体が六本木エリアで確認されているのよ。

その個体と交戦したレギオンは、エレンスゲ女学園のLGヘルヴォル。

ひょっとしたら、施設を破壊して回っているのは、その人型ヒュージかもしれないわね」

 

「ヒュージの侵攻は無差別な破壊行動が特徴です。

特定の種類の施設だけを順番に攻撃していくというのは、これまでにない行動パターンです。

知的な行動をとる人型のヒュージ。

――おそらくは人間、それもリリィをヒュージに変えた個体ではないかと思われます」

 

「あっさりと言うのね。

さすがに特務のリリィだけあって、G.E.H.E.N.A.の本質をよく理解している。

感情で判断を鈍らせないのは、日頃の訓練が行き届いている証ね」

 

「……ですが、そうだという直接の証拠があるわけではありません。

まず当該の個体を捕獲して、ガーデンへ移送することを目標とするべきでしょう」

 

「仮に、生け捕りにできないほどの戦闘能力を持つヒュージだったら、どうするつもり?」

 

「死なせてしまっては元も子もありません。

もし意思の疎通が可能であれば、そのヒュージと何らかの交渉を試みることも検討するべきかと」

 

「ヒュージと意思疎通とは、随分危険なことを口にするわね。

百合ヶ丘のガーデンにも、父親がその嫌疑をかけられた強化リリィがいるはずだけど」

 

「元が人間であれば話は別です。

これまでのヒュージとは全く異なる存在としての対応が必要になるでしょう。

そして、なぜそのようなヒュージが生まれたのかの究明も」

 

「G.E.H.E.N.A.としては、とても表沙汰にできる事ではないわね。

さて、一体誰がそのヒュージを生み出したのかしらね……」

 

 口元に歪んだ笑みを浮かべる咲朱の顔は、先程までの真摯な表情とは打って変わって、どこか禍々しいものを伊紀に感じさせた。

 

「結梨ちゃん、変な事を考えてはいけませんよ。

ガーデンの指示が出るまでは、独断でそのヒュージを探したりしないように」

 

「……うん、分かってる」

 

 先回りして伊紀に釘を刺された結梨は、渋々といった様子で頷いた。

 

 G.E.H.E.N.A.の「実験」に関して、ある程度の情報を得ているリリィであれば、誰しもが他人事ではないと感じるだろう。

 

 まかり間違えば、自分が実験台としてヒュージに変えられていたかもしれないのだから――

 

「ともかく、まだ証拠が無い段階であれこれ先走って考えを巡らせるのは止めましょう。

――白井咲朱さん、今日はこの場にお招きいただき、ありがとうございました。

私と結梨ちゃんは百合ヶ丘のガーデンに戻って、今後の対応を協議します」

 

「結梨さんは御台場へ戻らなくていいんですか?」

 

 伊紀は琴陽の問いに、首を横に振って否定した。

 

「私から百合ヶ丘の理事長代行に事情を話して、御台場へ連絡してもらいます。

岸本教授の件については、当事者である結梨ちゃんに協議の場に同席してもらうべきですから。

では、これで失礼します。結梨ちゃん、行きましょう」

 

 席を立った伊紀に続いて、結梨が咲朱に別れの挨拶をする。

 

「うん。咲朱、今日は来夢のお父さんのこと教えてくれてありがとう。

またいつか会えるといいね」

 

「どういたしまして。

あなたとは今後とも良好な関係を築いていきたいから、私の力が必要になった時は遠慮なく連絡してもらって構わないわ」

 

 咲朱と琴陽は門前で結梨と伊紀を見送った後、母屋へ戻るべく歩き始めた。

 

「咲朱様、ジャガーノートの存在を結梨さんと伊紀さんに話しても良かったのでしょうか?

百合ヶ丘や御台場が介入すれば、事態が複雑になって、エレンスゲの管轄エリア外に影響が及ぶ恐れがあると思うのですが」

 

「遅かれ早かれ、ジャガーノートの件は彼女たちの耳に入るわ。

それならこちらから先に情報を提供して、先手を打つなり相手の出方を見るなり、戦略を考えて、準備する時間を確保させてあげる方がいいでしょう?」

 

「おっしゃる通りです。それにしても『彼女』は思い切ったことをしたものですね。

それほどの『実験』に踏み込んでまで、自分の研究を実証したいのでしょうか」

 

「まったくね。あの元校医、何を考えているのやら……」

 

 咲朱は小さく溜め息をつくと、エレンスゲ女学園のある六本木の方角を見上げた。

 

 その上空には幾つかの積雲がゆっくりと西から東へと流れ、人間の思惑や欲望など存在していないかのような蒼穹が広がっていた。

 





 結梨ちゃんの遺伝子に由来する能力については、ガンダムSEEDにおける(スーパー)コーディネイターの概念を参考にしています。

 (この小説では、アニメ第9話で発揮された能力は偶然の産物ではなく、厳密に計算された上でのスペックとする立場を取っているため)

注:筆者はガンダムSEED未視聴です。(スーパー)コーディネイターの内容については、wikipediaなどの記述を参照しました。

 また、以前に描写した倫夜先生の主張は、漫画版「風の谷のナウシカ」が元ネタになっています。

 二つの主張は必ずしも排他的なものではないと考えているので、当分の間は両論併記的な扱いで進めていく予定です。


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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(1)


 これまでアニメ基準で「ミーティングルーム」としていた表記を、今回投稿分からラスバレ基準の「控室」に変更しています。



 

 東京で白井咲朱と戸田琴陽に別れを告げた結梨と伊紀は、咲朱から聞かされた話の内容を百合ヶ丘女学院に報告し、夕刻には百合ヶ丘のガーデンに戻っていた。

 

 結梨と伊紀が報告した「胎児へのヒュージ細胞埋め込み実験」と「人造リリィ計画」の真相は、奇しくも同日、百合ヶ丘の生徒会室で眞悠理が説明した内容とほぼ一致していた。

 

 ただし、ルド女を出奔した後の岸本教授の消息と研究内容に関しては、G.E.H.E.N.A.のデータベースから情報を得た咲朱の説明が、格段に詳細だったことは言うまでもない。

 

 二人からの連絡を受けた百合ヶ丘では、早急に今後の対応を協議するために、特別寮のLGロスヴァイセ控室に関係者が集まった。

 

 協議には理事長代行の高松咬月、出江史房、秦祀、内田眞悠理、ロザリンデ、石上碧乙、北河原伊紀、そして一柳結梨の計八名が参加することになっていた。

 

 しかし八人のうち、咬月だけはまだ姿を見せていなかった。

 

 史房によれば、理事長代行としての所用が終わるまで、今少し時間を要するとのことだった。

 

 三人掛けのソファーの真ん中に結梨が座り、その両隣りには伊紀と祀が腰を下ろしている。

 

 当たり前のように結梨の隣りを占領している祀に、同じ2年生の碧乙は多少なりとも口出しせずにはいられなかった。

 

「なんで祀さんが、いつも結梨ちゃんの横にいるのよ。

あなたは生徒会長の一人であって、ロスヴァイセのリリィじゃないでしょ」

 

「あら、私は単にオルトリンデ代行としてここにいるだけではないわ。

私が結梨ちゃんの隣りにいるのは、結梨ちゃんの保護者として当然のことです」

 

「それって『自称』が頭に付くでしょ……」

 

 碧乙の嫌味を気にする様子も無く、祀は結梨の方へ身を乗り出して顔を近づける。

 

「結梨ちゃん、夢結さんのお姉さんに変なことをされなかった?

契約書みたいな書類にサインをさせられたとか、白井家の養子にならないか、とか」

 

「そういうことはなかったけど……」

 

 祀の意図するところがよく分からず、きょとんとした顔で結梨は祀に答えた。

 

 それを見た碧乙はわざとらしく額に手を当てて、いかにも頭が痛そうな仕草を取ってみせた。

 

「祀さんは一体あの人を何だと思っているの……」

 

「もちろん、隙あらば結梨ちゃんを自分のものにしようとする不逞の輩として」

 

「自分のことは棚に上げて、自信満々で言い切ったわね。

仮にも自分のルームメイトの姉なのに」

 

「それはそれ、これはこれ。

あの人は夢結さんと違って、煮ても焼いても食えないタイプよ。

予定通りに教導官として百合ヶ丘に着任しなくてよかったわ。

吉阪先生を超える鬼教導官になっていたに違いないもの。

神様に感謝しなくてはね」

 

 祀は大げさに胸の前で十字を切ると、両手の指を組んで祈りの姿勢を取った。

 

「祀さんの口から煮ても焼いても食えないっていう言葉を聞くと、何とも複雑な心境になるわね」

 

「碧乙さんは、私が煮ても焼いても食えないリリィだと言いたいのかしら?」

 

「自覚が無いとは言わせないわよ」

 

「二人とも、そのくらいにしておきなさい。

でも、祀さんの意見も、あながち的外れとも言えないのが悩ましいところね」

 

 祀と碧乙のやり取りを止めたロザリンデは、史房を見て同意を求めた。

 

「ええ。G.E.H.E.N.A.に加えて、彼女も結梨さんを自分の手の内に収めたがっている。

今はこちらに友好的な態度を取っているけれど、この先はどうなるか分からない。

次に結梨さんに接触してくる時には、やはり百合ヶ丘からも必ず同席者を出すべきでしょうね」

 

 史房が自身の見解を述べ終えた時、控室の扉がノックされる音が聞こえた。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 室内にいたリリィの中で眞悠理が答えると、ゆっくりと扉が開かれた。

 

「すまない、遅くなった。私以外は揃っているようだな。

一柳君は久しぶりだな。元気そうで何よりだ。

白井君の様子は以前と変わりなかったかね?」

 

 姿を現した咬月は結梨を視界に収めると、どこか安心したように表情を緩めた。

 

「うん、咲朱は岸本教授のことと、教授がどうして私にすごい力を持たせたのか、たくさん話してくれた。

でも、咲朱の話は私にはちょっと難しかったかも……」

 

「北河原君と一柳君から上がってきた報告には、先ほど目を通した。

……あの内容では一柳君が困るのも無理は無い。

 

白井君の考えはリリィとヒュージの戦いという範囲を超えて、将来における人類社会の構造変化にまで踏み込んでいる。

 

彼女はおそらくその先頭に立ち、君や岸本君や佐々木君を同志の一員に加えるつもりなのだろう」

 

「そんな大きい話、私にはよく分からない……

人類の未来を導くなんて、私にはできないし、どうすればいいのかも分からない」

 

 結梨は自信無さげに小さい声で呟くと、途方に暮れた様子で首を傾げた。

 

 元々、結梨の行動原理は至ってシンプルなものだった。

 

 一人前のリリィになって自分を守り、レギオンやガーデンの仲間を守り、力無き市井の人々を守り――それが最終的にはヒュージからこの世界を守ることにつながる。

 

 自らの内にあるこの力は、運命によって与えられたこの力は、そのためにこそ使われなければならない――それが自分のなすべきことであると、結梨は確信していた。

 

 それに比べると、咲朱が結梨に話した内容は、政治的・社会的な戦略性が非常に強く、一個人の感覚からは大きくかけ離れたものだった。

 

 結梨の隣りに座っていたもう一人のリリィである伊紀が、悩む結梨の肩に手を置き、結梨に代わって咬月に答えた。

 

「結梨ちゃんははまだ高校1年生で、リリィになってから1年も経っていないんですよ。

そんな女の子にする話じゃないと思います。

咲朱さんは余りにも性急すぎます」

 

 珍しく感情的な物言いになった伊紀だったが、咬月はその発言をたしなめることはしなかった。

 

「……そうだな。白井君の語ったことはスケールが大きすぎて、正直、私にも手に負いかねると言わざるを得ない。

それはこの場にいる君たちも同じだろう。

白井君の示した見解に対して、意見のある者はいるかね?」

 

 咬月が一同を見渡すと、少しの間を置いて一人のリリィが静かに手を挙げた。

 

 挙手をしたのは2年生の内田眞悠理だった。

 

 眞悠理は軽く咳払いをすると、理路整然とした調子で思いを語り始めた。

 

「理事長代行の言われる通り、咲朱さんの話は雲を掴むような、地に足の着かないものであり、すぐにどうこう動きがあるものとは思えません。

 

彼女がこれから同志に取り込もうと考えているリリィは、少なくとも三人。

代行が言われたように、一柳結梨さん、岸本・ルチア・来夢さん、佐々木藍さんの三名です。

 

ですが、彼女たちはいずれも1年生のリリィであり、その能力特性が一般のリリィとは完全に一線を画しているとはいえ、リリィとしては成長の途上にある存在です。

 

 伊紀さんの報告では、咲朱さんが結梨さんに誘いをかける素振りもあったと記録されていますが、おそらく本気ではなかったと思います。

 

 ですから、ただちに咲朱さんが彼女たちを仲間に引き入れるべく、具体的な行動に出る可能性は低いものと思われます。

 

 しかし、緊急性が無いからと言って、こちらが何もせずに手をこまねいているというのも無策に過ぎます。

 

 咲朱さんの思惑に対して、然るべき対策を講じておく必要があるのは確かですが、私にも明確にどうするべきかは――まだ分かりません」

 

 いつもの彼女には似つかわしくなく、眞悠理はやや歯切れの悪い口調で発言を終えた。

 

 眞悠理の発言の後、しばらくの沈黙が室内に漂ったが、それを終わらせたのは史房の声だった。 

 

「――理事長代行、私から一つ提案があります」

 

「何かね、出江君」

 

「百合ヶ丘女学院の実質的な意思決定者である高松祇恵良理事長に、この件の扱いを委ねることは可能でしょうか?

 

理事長は、以前咲朱さんが百合ヶ丘を訪れた際にも、直接やり取りが有ったはずです。

 

理事長室で代行や私たちと話していても埒が明かないので、咲朱さんは縮地S級で理事長の所へ瞬間移動しました。

 

結局、その時は理事長と咲朱さんの話し合いの結果、結梨さんが御台場に一時編入することが決まりました。

 

その経験からも、私たちの手に負えないレベルの問題であれば、理事長に判断していただく以外に方法は無いと考えます」

 

「……出江君の言い分は理解した。

この件はひとまず私が預かって、理事長に対応を相談しよう。

追って君たち全員に結果を連絡する。

それまでは一柳君にも百合ヶ丘に留まってもらうことになるが、構わないかね?」

 

 咬月の意思確認に結梨がこくりと頷くと、すかさず隣りに座っていた祀が、結梨の手を取りながら咬月に協議の終了を確認する。

 

「では、難しい話はここまでということですね。

――結梨ちゃん、ちょうど乃子さんが作ってくれたケーキが生徒会室にあるの。

今から生徒会室に行って取ってくるから、少し待っててね。

碧乙さん、私が戻ってくるまでにお茶の用意を済ませておいてくれるかしら?」

 

「なんで私に言いつけるのよ。紅茶の葉も生徒会室から持ってくればいいじゃない」

 

 口をとがらせて祀に文句を言う碧乙を、伊紀が押しとどめて仲裁に入る。

 

「私が支度しますので、皆さんは祀様が戻られるまでおくつろぎ下さい。

――理事長代行は、もう出て行かれるのですか?」

 

 咬月は席を立って、控室の出入口へ足を踏み出そうとしていた。

 

「私は理事長の所へ行くので、これで失礼する。

せっかく久しぶりに一柳君が戻ったのだから、君たちはここでゆっくりしていくといい」

 

 咬月は控室を退出する前に、改まった口調で結梨に言葉をかけた。

 

「一柳君、これは君一人で抱え込むようなことではない。

今は一時的に百合ヶ丘の学籍を離れているとはいえ、百合ヶ丘のガーデンは君の保護者であり指導者だ。

 

必ず君がリリィとして、一人の人間として正しく生きられるように、ガーデンは責任を持つ。

だから、この百合ヶ丘女学院を信じて、君は君の望むように生きてほしい」

 

 そう言い残して、咬月は扉の向こうへ姿を消した。

 

 理事長である高松祇恵良から咬月を通して、結梨に呼び出しがかかったのは、その翌日のことだった。

 



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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(2)

 今回投稿分で高松祇恵良理事長が登場しますが、外見についてはほとんど想像で描写していることをご了承下さい。


 

 白井咲朱の邸宅から鎌倉府の百合ヶ丘女学院に戻った翌日、伊紀がロザリンデと碧乙の部屋を訪れると、室内に結梨の姿は見当たらなかった。

 

 ロザリンデと碧乙は部屋の中央に置かれたテーブルを挟んで、向かい合って椅子に座っているところだった。

 

「ごきげんよう、ロザリンデお姉様、碧乙お姉様。結梨ちゃんは……」

 

 言葉を途中で途切れさせた伊紀に答えたのは、ロザリンデの方だった。

 

「ごきげんよう、伊紀。結梨ちゃんは不在よ。

さっき理事長代行から連絡が入って、理事長のところへ向かったわ」

 

「そうですか。

……やはり先日の咲朱さんとの件で、理事長が直々に結梨ちゃんとお話しされるのですね」

 

 伊紀はロザリンデの方を見て話していたが、答えたのは碧乙だった。

 

「そうよ。あの人が大風呂敷を広げるようなことを大真面目に口にしたものだから、こんな誇大妄想みたいな話につきあわざるを得なくなったのよ。

 

高校生の私たちはもちろん、理事長代行の手にも負えそうにないから、昨日のやり取りの通り、理事長が出張ってこないといけなくなったってわけ」

 

 そう言って碧乙はテーブルの上に置かれていた十数枚の書類を手に取って、伊紀に見せた。

 

 それは伊紀と結梨が百合ヶ丘へ戻ってすぐにまとめた報告書で、そこには咲朱が二人に語った内容が記されていた。

 

「一体何なのよ。人類の上位種とか、新しい人類とか、人工的な進化とか。

この調子だと、あの元校医と夢結さんのお姉さん、そのうち人類補完計画でも始めかねないわよ」

 

「補完……ということは、人類に何か足りないものがあるという意味ですか?」

 

「出来損ないの群体として行き詰まった人類を、完全な単体へと進化させる――それが人類補完計画の真実よ」

 

「はあ……」

 

「具体的には、セントラルドグマの地下に隠されているアダムと使徒が接触すると、サードインパクトが発生すると考えられているの。

それを未然に防ぐため、アダムとセントラルドグマの管理組織であるゼーレによって――」

 

 何やら妙に熱のこもった口調で説明を始めた碧乙を、ロザリンデが制止した。

 

「そこまでにしておきなさい、碧乙。話が横道に逸れすぎよ。

伊紀、そういうわけだから、しばらく結梨ちゃんは戻ってこないわ。

理事長との話し合いが終わり次第、ここに戻る予定になっているから、それまでは私たちと一緒に待つことしかできないわ」

 

「分かりました。私もお邪魔して待たせていただきます」

 

 伊紀はテーブルの傍にあった三脚目の椅子に腰を下ろし、碧乙が机の上に置き直した報告書を手に取って、その内容を再確認し始めた。

 

 それを見た碧乙が、テーブルに頬杖をついて、誰にともなく呟いた。

 

「それにしても、まだ1年生なのに、咲朱さんといい理事長といい、ラスボス級のリリィばかり相手にしないといけない結梨ちゃんに同情するわね」

 

「咲朱さんはともかく、ご自身の在籍するガーデンのトップをラスボス扱いするのは、どうかと思いますが……」

 

 さすがに不敬だと思ったのか、伊紀が控えめに碧乙を諫めたが、当の碧乙は意に介していない様子だった。

 

「ルド女だって教導官の一人がラスボスだったんだから、あながち喩えとしては間違ってないでしょ?

それに、こう言っちゃ何だけど、理事長代行だって黒幕っぽい感じじゃない?

ストーリーが佳境に差し掛かったところで、

『御苦労、君たちの役目はここまでだ。

今まで実によく働いてくれて感謝しているよ。

この後はゆっくり休んでくれたまえ――天国で』

なんて言い出して、おもむろに懐から拳銃を取り出すのよ。

きっとそうなるに違いないわ、何て恐ろしい」

 

「それ、少年漫画の読みすぎですよ……」

 

 碧乙の悪乗りに顔をしかめた伊紀がロザリンデに目配せをしたが、ロザリンデは肩をすくめて、いつものことだと言わんばかりに苦笑するだけだった。

 

「結梨ちゃんは大丈夫でしょうか。

咲朱さんから聞いた内容は、私も充分に整理しきれないほどの情報量がありました。

いきなりあれだけのことを聞かされては、混乱しても仕方ないと思います」

 

「さっきまでこの部屋にいた時は、落ち着いているように見えたわ。

でも、内心では色々と考え込んでいるのは間違いないでしょうね」

 

 碧乙は一転して真面目な表情に戻り、ロザリンデに代わって伊紀に答えた。

 

 碧乙に続いてロザリンデが伊紀に説明を続ける。

 

「G.E.H.E.N.A.への対処方針とは別に、ガーデンが岸本教授の捜索に乗り出すのかどうか、そして今後咲朱さんが結梨ちゃんに接触してきた時の対応についても、認識のすり合わせをしておく必要があるわ。

 

岸本教授も咲朱さんも、過去にG.E.H.E.N.A.と深く関わりのあった人物。

加えて話の内容が一つのガーデンの範疇を超えている以上、百合ヶ丘でこの件を扱えるのは理事長しかいない――あとは結梨ちゃんと理事長の話し合いが、首尾よく着地してくれることを願うしかないわ」

 

「うまくいくといいですね……」

 

 伊紀自身も含めて、百合ヶ丘のほとんどの生徒は、理事長である高松祇恵良に直接会ったことは無い。

 

 理事長は体調を崩しがちなため、日常の職務は理事長代行である弟の高松咬月が執り行っているからだ。

 

 従って、その人となりは想像するしかないが、これまでロスヴァイセに発令されたガーデンの直命に、納得できない内容のものは一つとして無かった。

 

 ガーデンの理事長という立場ゆえ、政府や防衛軍と比べれば権限には限りがあるだろうが、結梨にとって最善の対応を導いてくれると信じて今は待つしかない。

 

 早く結梨の安心した顔が見たい。

 何もせずに結梨の帰りをただ待っていることに耐えられず、伊紀は三人分の紅茶を淹れるべく席を立ち、窓際のキッチンへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、結梨は校舎の一角にある理事長の居室に足を踏み入れていた。

 

 と言っても、特別寮の自室からここまで歩いてきたわけではない。

 

 一般生徒の目に触れることを避けるため、結梨は咬月からガーデンの見取り図を見せられた後、理事長の居室内へ縮地S級のレアスキルによって瞬間移動したのだ。

 

 初めて見る理事長の居室は、居住用の部屋というより病院の個室に近い印象で、広い室内は全体が白を基調とした内装で統一されていた。

 

 結梨の目の前数メートルの所には一台のベッドが置かれ、その上に一人の少女が上半身を起こしてこちらを見ていた。

 

 部屋着のような丸首のゆったりとした服を身に纏った少女は、黙って静かに結梨を見ている。

 

 年の頃は高等部の3年生と同じくらいか、それより少しだけ上に見える。

 

 癖の無い長い黒髪を背中まで伸ばし、前髪は形の良い眉に少しかかる辺りで揃えられている。

 

 髪と同様の漆黒の大きな瞳は、どこかしら愁いを帯びた光を宿している。

 

 何も事情を知らなければ、戦闘で負傷した上級生のリリィが治療を受けているようにしか見えないだろう。

 

 だが、目の前の少女に外傷は無い。

 

 そしてその美しい少女は、明らかに外見の年齢とは全く異なる空気を、その周囲に漂わせていた。

 

 彼女に似た雰囲気の持ち主を結梨は知っていた――理事長代行の高松咬月だ。

 

 それに気づいた結梨が言葉を発しようとした矢先に、少女の方が早く結梨に挨拶をした。

 

「はじめまして、一柳結梨さん。こんな格好でごめんなさい。

強化実験の反動が今頃出てきたのか、体調が優れない日が多くて」

 

「はじめまして。あの……」

 

 結梨が少し口ごもった時、その意図を先回りして少女は言葉を続けた。

 

「弟から話は聞いています。

私が百合ヶ丘女学院理事長の高松祇恵良です。

――どうぞ、そこの椅子に座ってください」

 

 祇恵良はベッドの脇に置かれている丸椅子を指し示すと、結梨に着席を促した。

 

 結梨が椅子に腰を下ろし、祇恵良と同じ目線の高さになると、祇恵良はベッドの上で身体の向きを変え、結梨と正対する形になった。

 

「縮地S級とは便利なものですね。私も実際に見たのは久しぶりです。

……数ヶ月前の捕縛命令の件では、あなたにつらい思いをさせて申し訳なく思っています」

 

「私はヒュージじゃなくて人だって、みんなが証明してくれたから、それはもう気にしてないよ。

だから、理事長先生が謝ることなんてない」

 

 結梨は気負った様子も無く、いつもの砕けた口調で、だが真剣に祇恵良に答えた。

 

「そうですか、それを聞いて少し肩の荷が下りた気分になりました。

それでは今日の本題に入りましょうか」

 

 表情を和らげた祇恵良は、ベッドの脇に置いていたA4判の十数枚の書類を手に取った。

 

 その書類に何が記されているか、結梨は既に理解していた。

 

「北河原さんとあなたが作成した報告書には目を通しました。

色々と『御前』――いえ、白井咲朱さんから聞かされたようですね」

 

 結梨が黙って頷くと、祇恵良は軽く書類の文面に目を走らせた後、結梨の方へ向き直った。

 

「幾分か彼女に都合のいい部分を選んで話した嫌いがあるけれど、明らかな誤りや虚偽の内容と思われる箇所は認められませんでした。

 

白井さんが伝えたことは、本来は百合ヶ丘のガーデンで情報を収集して、あなたに説明すべき内容でした。

 

ですが、こちらが情報を集め終えるより早く、G.E.H.E.N.A.のデータベースに不正アクセスできる彼女に先を越されたという次第です」

 

 状況の説明を簡単に終えた祇恵良は、一呼吸置いてから、はっきりとした口調で結梨に語りかけた。

 

「一柳さん、白井咲朱さんの言ったことは気にしないで。

 

究極的には世界の統治者を目指している白井さんと、自分の周りの人たちを守りたいあなたとでは価値観が違い過ぎて、あなたが戸惑うのも無理はありません。

 

それに、岸本教授や白井咲朱さんがあなたを何者として定義づけたとしても、それは彼や彼女の個人的な都合に基づいた見解に過ぎません。

 

彼らにそれぞれの理想や正義があるように、あなたにもあなたの理想と呼ぶべきものがあるはずです――それがまだどれほど未熟で不完全だとしても。

 

あなたの理想と彼らの理想が一致せず、時には相反するものであれば、あなたには彼らの理想を拒否する権利があります。

 

あなたはあなたの意志で自分がどう生きるかを決めていい、いえ、決めなければいけません。

 

そうでなければ、あなたの人生はあなたのものでなくなってしまい、他の誰かの従属物になってしまうでしょう」

 

「……うん、理事長先生の言ってること、難しいけど分かる」

 

 結梨が納得したのを確かめてなお、祇恵良の言葉は更に続く。

 

「同じことはあなただけではなく、この百合ヶ丘女学院の全てのシュッツエンゲルとシルトにも言えます。

 

シュッツエンゲルが一方的に自分の理想や都合をシルトに押し付ければ、シルトの精神はその負荷に耐えられず、徐々にマイナスの方向へ蝕まれていくでしょう。

 

そうではなく、互いが歩み寄り、理解を重ね、二人の思いが一致する点を見つけ確かめ合う――それによって姉妹として、リリィとして成長することができるのです。

 

残念ながら、それが最終的に叶わなかったシュッツエンゲルとシルトも過去には存在しました。

――分かりますね?あなたなら」

 

 そう言った祇恵良が見ていたのは結梨ではなかった。 

 

 結梨のいる方とは反対の方向に、祇恵良の目は向けられていた。

 

「私……じゃない。誰?」

 

 結梨が祇恵良の視線の先をたどると、そこには百合ヶ丘女学院の制服を着た一人のリリィの姿があった。

 

 結梨が彼女の姿を目にするのは、これが初めてではなかった。

 

 前回は深夜のガーデンの霊園。

 

 そして今、百合ヶ丘女学院理事長の居室に彼女は再び現れた。

 

「あなたからも色々と聞いておきたいことがあったのだけれど、この機会に答えてくれるかしら?」

 

 それまでとは一転して緊張を孕んだ口調で、祇恵良はそのリリィから視線を外さずに名を呼んだ。

 

「――ねえ、川添美鈴さん」

 

 



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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(3)

 

 百合ヶ丘女学院理事長の居室に忽然と出現した川添美鈴の姿を、結梨は確かに視認した。

 

 その姿は以前、深夜の霊園で結梨の前に現れた時と全く変わりなかった。

 

「あの時と同じ……でも、あの時は美鈴とすれ違ったはずのリリィには、美鈴の姿は見えてなかったってロザリンデと碧乙は言ってたけど」

 

 自分だけでなく、高松祇恵良理事長にも美鈴の姿が見えている。

 

 それなら、今自分の目の前にいる美鈴は、幻ではなく物理的な肉体を持って存在しているのか――

 

 だが、結梨の疑問は、その内心を見透かしたかのような祇恵良の言葉によって否定された。

 

「一柳さん、あなたにも川添さんの姿が見えているのね。

でも、故人である彼女が生き返ったわけではありません。

 

彼女の姿が私たちに見えているのは、あなたと私のマギが共感現象を起こすことによって、あなたの無意識に存在する川添さんの情報が視覚化されているためです。

 

つまり、私たち二人は揃って同じ幻を見ているということです」

 

「でも、私は美鈴が生きてる時に会ったことはないけど……」

 

「彼女が死の直前に術式を書き換えて契約者となったダインスレイフ。

 

それはヒュージによって甲州から紆余曲折の末に由比ヶ浜ネストへ移動し、ネストから発生するヒュージを特異化させる原因となりました。

 

あなたはダインスレイフの影響を受けた由比ヶ浜ネストのマギを、戦闘時にエネルギーとして体内に取り込んだ。

 

またその後、あなたがヒュージの爆発に巻き込まれて海没し、蘇生と回復を行った際にも、由比ヶ浜ネストのマギを利用しています。

 

由比ヶ浜ネストのヒュージが、ダインスレイフを経由して川添さんの人格と能力に影響を受けたように、あなたもまた由比ヶ浜ネストのマギを通して川添さんの情報を体内に吸収したのです。

 

その情報が基になって共感現象が引き起こされることにより、彼女の姿が私にも見えているというわけです」

 

「美鈴が現れたんじゃなくて、私と理事長先生が美鈴を呼び出したの?」

 

「おそらくは。意識的にではなく、私という極めて特殊なリリィが傍にいることで、一柳さんの無意識が川添さんの情報を引き出して、知覚化するためのエミュレーションを始めたのでしょう。

 

これは私にとって僥倖でした。

 

川添さん、せっかくですから、この機会に改めてあなたに聞いておきたいことがあります。

――何のことか分かっていますよね?」

 

 結梨と祇恵良の会話を黙って聞いていた美鈴は、そこで初めて口を開いて言葉を発した。

 

 彼女の表情は、生前と変わらない一種の不敵さを秘めた微笑を湛えている。

 

「『御前』――白井咲朱が一柳隊のリリィに告げた内容について、でしょう。

彼女が何処からその情報を得たのか知らないが、内容自体は真実に相違ありません。

……それで、理事長は僕をどうなさるおつもりですか?」

 

 祇恵良は美鈴の質問に直接答えることはせず、順を追って美鈴の過去についての言及を開始した。

 

「白井咲朱さんが一柳隊に語った内容を検証することから、あなたについての再調査は始まりました。

 

あなたはかつて甲州撤退戦で致命傷を負い、自分が間もなく死ぬことを悟った。

 

『あなたはすぐに依存する』と、咲朱さんは東京での戦いで白井夢結さんに言ったそうです。

 

自分が死ねば、シルトである白井夢結さんの依存対象が、自分から実の姉である咲朱さんへ移り、自分への愛は永遠に失われてしまう――あなたはその想像に耐えられなかった。

 

そして、あなたは死の淵で一つの決断をした。

 

夢結さんの記憶から咲朱さんの存在を抹消し、自分の死後も夢結さんの愛が自分だけのものであり続けるようにと。

 

記憶の消去は成功し、夢結さんの愛は故人となった川添美鈴さん――あなた一人だけに向けられ続けることになりました。

 

ですが、その代償として、あなたの死という事実に加えて、自我の形成に深く関わっていた咲朱さんの記憶を抹消したことにより、夢結さんの精神は著しく不安定になりました。

 

それと同時に、夢結さんはレアスキルであるルナティックトランサーを制御することもできなくなりました。

 

幸い、今は一柳梨璃さんというシルトを得たことによって、夢結さんの精神は安定を取り戻しつつありますが」

 

「知っています。梨璃はカリスマ持ち――いや、今はラプラス持ちか――だから、ルナティックトランサーの使い手である夢結との相性は良いはずだ。

 

……梨璃の存在を持ち出したということは、僕のレアスキルについてもお見通しなのですね?」

 

「ええ。あなたは甲州撤退戦の前から、自身の欲望を夢結さんに悟られないように、都合の悪い記憶を一度ならず消していた形跡があります。

 

そして、その事実を察知されないように、自らのレアスキルについての情報も、ガーデンの教職員と生徒全員を対象に偽装していたことも分かっています。

 

あなたはサブスキルであるカリスマを、ブーステッドスキルのエンハンスメントを使うことによって、あたかもラプラスであるかのように見せかけていました。

 

自身が強化リリィであること、レアスキルがラプラスではなくユーバーザインS級であること、そしてシルトの記憶を恣意的に喪失させたこと――あなたはこれらの事実を隠蔽していました。

 

これは重大な処罰に値する行為です。

 

本来であれば長期間の謹慎あるいは除籍処分を課されても当然です――事実、G.E.H.E.N.A.のスパイであったことが発覚したルドビコ女学院のリリィは、ガーデンから追放されたと聞き及んでいます。

 

ですが、あなたは既にこの世の存在ではなくなっています。

 

いわば被疑者死亡のため、あなたが罪に問われることは無くなりました。

 

事の真相を知っているのは、東京で白井咲朱さんから直接それを告げられた一柳隊のリリィたち。

 

そして一柳隊から報告を受けた百合ヶ丘の理事会と教導官、生徒会長、特務レギオン……今のところ、情報が開示されているのはここまでです。

 

とても全校生徒に聞かせられるような内容ではありませんからね」

 

 射貫くような祇恵良の視線を浴びても、美鈴は身じろぎ一つせず、表情を変えることもしなかった。

 

「御配慮に感謝します、とでも言えばいいのですか?

僕は自分がした行為の結果について、その責を負う覚悟はできていました。

 

記憶を操作することが夢結の精神に悪影響を及ぼすとしても、僕はそれを止めることはできませんでした。

 

それは理事長がおっしゃったように、夢結の愛を失うのが怖かったからです。

 

夢結が僕に依存していたように、僕もまた夢結の愛に依存していました。

 

夢結の愛を失うことは、僕にとって生きる意味を失うことと同義でした。

 

だから、それが人の道を外れた行いであっても、僕は夢結の愛を繋ぎとめておきたかった。

 

それが罪であると分かっていても、僕はその罪を犯さざるを得なかった。

 

――僕自身の命より、夢結の愛の方が僕には価値があったのです」

 

 告解とも言うべき心情の吐露を終えた美鈴の顔からは、既に微笑は消え、その端正な顔立ちには深い苦渋の色が満ちていた。

 

 そのコントラストは、人として、シュッツエンゲルとしてのあるべき姿と、現実の自分の感情に引き裂かれた彼女の精神を如実に表していた。

 

 同様に、先程まで美鈴を追及しようとしていた祇恵良の顔からも、彼女を問い詰めようとする勢いは失われ、慈愛とも憐憫ともつかない感情が、その瞳に宿っていた。

 

「……愛は盲目とはよく言ったものです。

 

あなたのような冷静沈着なリリィが、愛という感情に支配されて、自覚していながら倫理を逸脱した行動を取ってしまうのですから。

 

あなたの歪んだ愛は自分と世界を呪い、結果として由比ヶ浜ネストのヒュージに影響を与えただけではなく、シルトの心までも半ば壊してしまいました。

 

死者になったあなたが、夢結さんに対して罪を償う行動を取ることは、もはや叶いません。

 

疑似的な意識のみの存在となったあなたが、これからどうするかは――」

 

 祇恵良が言葉を途切れさせた時、その視界の端を人影が横切った。

 

 人影の主は、座っていた椅子から立ち上がり、美鈴のもとへと歩み寄った結梨だった。

 

 結梨はベッドを挟んで反対側にいる美鈴の傍まで近づくと、その手を両手で握った。

 

 美鈴の姿が目に見え、声が聞こえるだけではない。

 手に触れることもできる。体温を感じることもできる。

 

 それが幻の感覚だとしても、今自分の前に立っている美鈴は、生きている人間と何も変わらなかった。

 

「美鈴は苦しかったんだね。

大好きなシルトが本当の自分の心を知ったら、自分のことを嫌いになるかもしれないって」

 

「結梨……」

 

「私には美鈴の本当の気持ちは分からないかもしれない。

 

でも、美鈴が夢結のことを愛していて、ずっと一緒にいたかったってことは分かる。

 

だから、いつか私が夢結に会える時が来たら、美鈴の代わりに私が美鈴の気持ちを伝える」

 

 結梨の言葉を聞いた美鈴は僅かに表情を緩めて、苦笑いに似た笑みを浮かべた。

 

「まさか、自分よりずっと幼い君に頼る日が来るとは思わなかったな。

 

……分かった。君にお願いすることにしよう。

 

もし君がいつの日か夢結に会える日が来たら、『君を苦しませてすまなかった』と川添美鈴が言っていたと伝えてほしい。

 

そして、僕が消してしまった夢結の記憶を戻してやってほしい」

 

「私には誰かの記憶を戻すなんてできないよ」

 

 困惑した表情を浮かべる結梨の手を、美鈴は少しだけ力を込めて握り返した。

 

「ダインスレイフを取り込んだ由比ヶ浜ネストのマギ――それを君は自身の身体に二度も入れている。

 

僕の本当のレアスキルであるユーバーザインS級の情報も、ダインスレイフを経由したマギを媒介に、君の中に記憶――正確に言えば記録かな――されているはずだ。

 

僕が消した夢結の記憶についても、記憶の情報そのものが消失したわけではなく、記憶情報にアクセスする神経回路のルートが遮断されている状態だろう。

 

だから、君の心が望めばユーバーザインS級を発動して、記憶の回復ができる可能性はあると僕は考えている」

 

「そうなんだ……」

 

「無理難題を押しつけることになって申し訳ないが、よろしくお願いするよ」

 

「うん、任せてなんて言えないけど、できるように頑張ってみる」

 

 夢結に会うということは、必然的に梨璃に会うことにも繋がる。

 

 その日が訪れることを目標としているのは、これまでもこれからも変わらない。

 

 手を握りあう結梨と美鈴の横で、ベッドの上で身体を起こしている祇恵良が小さく咳払いをして、自分の方へ二人の意識を向けさせた。

 

「川添さんのことはひとまず落着したとして、本題である一柳さんの相談を再開しましょうか。

せっかくだから、あなたも同席していただけるかしら?」

 

「僕は結梨の保護者でもシュッツエンゲルでもありませんが……」

 

「あなたが過去に白井夢結さんに対してしたことは認めるわけにはいきません――ですが、あなたが優秀なリリィであること自体は間違いありません。

 

客観的な立場であれば、あなたは判断を誤ることは無いはずです」

 

「――分かりました。僕でよろしければ、ご相談に加わらせていただきます」

 

 美鈴が空いていた予備の椅子に腰を下ろし、結梨も元の椅子に戻って座り直した。

 

「では、白井咲朱さんが一柳さんに語ったことのうち、まず岸本教授について今後どう対応するか、お話ししましょうか」

 

 祇恵良は手元にあった報告書に一度視線を落とした後、ゆっくりと結梨の顔を見つめ直した。

 



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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(4)

 

「御台場女学校の校医だった中原・メアリィ・倫夜さんによれば、岸本教授はあなたを『ヒュージ支配下の環境でも生存可能な新人類のプロトタイプ』として生み出した――間違いありませんね」

 

 ベッドの傍の丸椅子に座っている結梨に、祇恵良は改めて確認した。

 

「うん、倫夜先生はそう言ってた。

将来、人類がヒュージを倒せなかった時のために、そんな世界でも人類が絶滅しないように、私を創ったって」

 

「それはあくまでも彼女の考えた解釈にすぎず、岸本教授が直接そのように発言したわけではありません。

また、そう書き記した資料が残っているわけでもありません。

ですから、裏取りをしないまま彼女の発言を鵜呑みにすることはできません」

 

「岸本教授から直接話を聞かないと、倫夜先生の言ってたことが本当に正しいかどうかは分からないの?」

 

「そういうことになりますね」

 

「でも、咲朱は岸本教授が行方不明だって言ってた。

今はどこにいるか分からないって」

 

「そうですね……彼の消息については、グランギニョル社から失踪して以後、これといった情報が得られていない状態です。

 

最悪の場合、既に死亡している可能性もあります。

 

岸本教授の行方を調べるということになれば、ロスヴァイセやシグルドリーヴァの任務としては、これは少しばかり特務レギオンの範疇から外れるかもしれません。

 

彼は今はG.E.H.E.N.A.所属の研究者ではなく、G.E.H.E.N.A.から追われる一民間人という立場になるからです。

 

さて、どうしましょうか……」

 

 顎に手を当てて思案する祇恵良を結梨はじっと見ていたが、恐る恐るという感じで小声で提案してみた。

 

「私が岸本教授を探すのは、だめ?」

 

 その言葉を予期していたかのように、祇恵良は小さく溜め息をついて声の調子を落とした。

 

「……正直、あまり乗り気にはなれません。

G.E.H.E.N.A.は今のところ一柳さんに対して不干渉の方針を取っていると、百合ヶ丘女学院では判断しています。

 

ですが、G.E.H.E.N.A.の機密情報を保持している関係者に、一柳さんから接触するとなると、G.E.H.E.N.A.の姿勢が変化する可能性が出てくるからです。

 

それを考慮すると、G.E.H.E.N.A.への直接の干渉ではなくとも、G.E.H.E.N.A.の活動を間接的に妨害すると見なされる行動も、本来は控えるべきなのですが……」

 

 祇恵良が結梨の身を(おもんぱか)って躊躇していると、ベッドを挟んで結梨の反対側から美鈴が手を上げた。

 

「理事長、僕から発言しても構いませんか?」

 

「ええ、どうぞ。川添さんには、そのために居てもらっているのですから」

 

 祇恵良から発言を促された美鈴は、一度結梨と目を合わせた後、小さく頷いて祇恵良に視線を戻した。

 

「岸本教授が生きていると仮定した場合、G.E.H.E.N.A.に先んじて、百合ヶ丘を含めた反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンが岸本教授を保護することは、極めて大きな意義があると考えます。

 

結梨と同じく、その身柄がG.E.H.E.N.A.側に渡れば、研究者としての彼の持つ能力がG.E.H.E.N.A.に恣意的に利用されるとみて間違いないからです。

 

人類をヒュージの脅威から守り、ヒュージとの戦いに勝利するという大義名分の下に、人命を軽視した人体実験が繰り返されるのは確実でしょう」

 

「やっぱり、岸本教授がG.E.H.E.N.A.に見つかる前に、私たちで見つけないといけないんだね」

 

「そうだ。捜索に当たる者が誰であっても、岸本教授の行方と安否を確認しなければならないことに変わりはないと、僕は考えている」

 

 美鈴の説明をベッドの上で聞いていた祇恵良に、大きな異論は無いようだった。

 

「川添さんの考えは分かりました。

すぐに結論を出すことはできませんが、岸本教授の捜索は何らかの形で進めるよう考えてみましょう。

捜索に当たるリリィの人選については――やはり特務レギオンの中から若干名を選ぶべきかしら」

 

「結梨が岸本教授を探したいというのなら、結梨に任せてみるのがいいんじゃないですか」

 

「私が探してもいいの?」

 

 意外な発言に、結梨は驚いた表情で美鈴の顔を見た。

 

 美鈴が結梨に何事かを言いかけた時、先に祇恵良が美鈴に質問を発した。

 

「川添さんは、本当に一柳さんを岸本教授の捜索に当たらせるべきだと考えるているのですか?」

 

「はい。それに、岸本教授を探すのが結梨でなくとも、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとしての百合ヶ丘女学院が、岸本教授を捜索することに変わりはありません。

 

捜索の主体が結梨以外の百合ヶ丘のリリィであっても、結梨が百合ヶ丘のリリィである以上、G.E.H.E.N.A.は結梨だけを切り離して考えてはくれないでしょう。

 

かと言って百合ヶ丘が岸本教授の消息について関知せず、何もせずにいることは、重要人物がG.E.H.E.N.A.の手に落ちるのを黙って見過ごすに等しい。

 

それなら、いっそのこと当事者である結梨自らが岸本教授を探すのというのも、一案ではないでしょうか。

 

もちろん、情報収集にあたってはグランギニョル社の協力なども要請するでしょうから、サポートの人員は複数必要になるはずです」

 

「百合ヶ丘が岸本教授を捜索すれば、一柳さんに対するG.E.H.E.N.A.の出方が変わる可能性がある。

 

逆に岸本教授を捜索しなければ、教授が生存していた場合、彼の身柄がG.E.H.E.N.A.に確保されて新たな実験に利用される可能性がある――いえ、極めて高い。

 

この二つを天秤にかけて判断する必要がある、ということですね」

 

 岸本教授が人造リリィ計画に関与していた事実が明らかになり、それによって百合ヶ丘は二者択一の対応を迫られる状況となった。

 

 この場にいる三人の認識が一致したことを確認して、美鈴は自身の発言を締めくくる言葉を発した。

 

「その通りです。そして、僕が言えるのはここまでです。

その先については、意思決定の権限を持つ方々にお任せすることになります」

 

「分かりました。ただし、形式上は一柳さんは今、御台場女学校のリリィです。

事を進める上で、事前に御台場のガーデンとも協議しておく必要があります。

ですから、この場で私が即断というわけにはいきません。

岸本教授の件については、ひとまず私が預かって百合ヶ丘と御台場の理事会で方針を決定した後、一柳さんに結果を連絡します」

 

「よろしくお願いします。結梨はそれで構わないかい?」

 

「うん、私は結果が出るまで、御台場に戻っていつも通りにしてたらいいんだね」

 

「そうです。でも今日はまだこれで終わりというわけではありませんよ。

もう一人の重要人物である白井咲朱さんについてのお話と、それから一柳さんの今後についてもお話しておきましょう。

川添さんも引き続き同席していただきたいのだけど、よろしいですね?」

 

 そう言うと、祇恵良は再び手元の報告書に視線を落とし、咲朱の発言についての記述に目を通し始めた。

 



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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(5)

 

「以前に白井さんが直接この部屋に乗り込んできた時にも感じたことですが……」

 

 祇恵良は報告書に目を通し終えると、やや困ったような感情をその顔に浮かべて苦笑した。

 

「この報告書を読んだ限りでは、白井さんは少なからず、自分の力に酔いしれているところがあるようですね」

 

「咲朱はすごく自信満々で、何でもできるみたいに見えたけど……」

 

 半世紀以上を生きてきた祇恵良と違い、まだ年少の結梨にしてみれば、咲朱の言動は強引ではあっても、何かしらの正しさに裏打ちされているのだろうと思っていた。

 

「彼女自身は事実、そう信じ込んでいるのかもしれませんが――」

 

 しかし、祇恵良の発言は、結梨の思い込みを添削するかのように訂正するものだった。

 

「白井さんはG.E.H.E.N.A.の実験体ヒュージであれば、ギガント級でも意のままに操れると報告されています。

それ程の力を持っているという点において、彼女は正に『ヒュージの姫』の頂点に君臨する存在です。

個人の戦闘能力でも、おそらく彼女に敵うリリィは存在しないでしょう。

しかし、それが統率者、支配者、統治者としての適性に直結するとは限りません。

力さえあれば人々が従うわけではないのです」

 

 結梨よりも早く祇恵良の考えに賛意を表したのは美鈴だった。

 

「同感ですね。僕は結梨の記憶を共有して現在の白井咲朱について情報を得ていますが、彼女には互いに理解し合うという姿勢が少なからず欠けています。

策略や武力によって夢結を一柳隊から奪おうとして失敗したことが、その端的な表れなのでしょう。

結局は、梨璃をはじめとする一柳隊のリリィたちの思いが、リリィとしての力では咲朱に到底及ばなかったにもかかわらず、夢結の心を繋ぎ止めたのですから」

 

「その通りです。

――ですから、一柳さん」

 

「う、うん」

 

 咲朱とさほど変わらない年齢に見える容姿の祇恵良は、教育者としての態度を崩すことなく結梨に語りかける。

 

「年長者の発言や行動は、それ自体が無条件に正しいわけではなく、その正しさは『誰が』ではなく、その内容によって判断されるべきなのです」

 

「分かった。でも、咲朱は『高み』を目指すために、私に協力してほしいって……」

 

「彼女が自分の理想を語るのは結構ですが、一柳さんがその理想に付き合うかどうかは別問題です。

彼女の理想は、欲望とほとんど紙一重の、極めて危ういバランスの上に存在しています。

特別な力を持った特別な人間が社会の頂点に立ち、人類の進むべき方向を決定する。

それは一見正しいことのように見えて、その実、とても危険な可能性を秘めています。

彼女が『ヒュージの姫』の力によって世界を変えるつもりなら、私たちはその目論見を阻止するために、彼女と決定的に敵対することになるかもしれません」

 

「私が咲朱を止めないといけなくなるの?」

 

 結梨の問いかけは祇恵良に向けられたものだったが、またも美鈴が祇恵良より先に答えを口にした。

 

「何も結梨一人で問題を背負い込む必要は無いよ。

必要と判断されれば、百合ヶ丘のガーデンが然るべきレギオンに然るべき指示を出すだろう。

百合ヶ丘女学院単独での目標達成が困難であれば、御台場なり聖メルクリウスなり、他の反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンと共同戦線を張ることもできる。

――今はそのような認識で必要十分だと思いますが、違いますか?理事長」

 

「そうですね。白井さんが具体的な動きを見せるまでは、一柳さんに対するG.E.H.E.N.A.の出方と同じく、私たちも白井さんに対しては様子見に徹して構わないでしょう。

――そして、もう一点だけ一柳さんに言っておきたいことがあります」

 

 黙って祇恵良の言葉を待つ結梨に、祇恵良はこれ以上なく明快に宣言するように言う。

 

「白井さんが一柳さんに対して行った定義付け――一柳結梨とは何者であるかということは、彼女があなたに押し付けているだけのものです。

自分が何者であるかは、自らの意志と行動によって示すべきことで、一方的に他者から定義付けされるものではありません。

ですから、白井さんの言ったことについては、一柳さんが深刻に考えこむ必要はありません。

それに、あなた自身は自覚していないかもしれないけど、今のあなたは白井さんよりずっと大人ですよ」

 

「えっ……私が?」

 

 祇恵良の言葉の意味を理解しかねて、結梨は思わず視線を泳がせた。

 

 身体的にも精神的にも、自分が咲朱より大人であると思われるところは全く思い当たらなかったからだ。

 

 戸惑っている結梨に、祇恵良は穏やかな口調で、ゆっくりと諭すように説明する。

 

「あなたは白井さんと同じく、一般のリリィとは完全に別次元の能力を持っています。

にもかかわらず、少しも驕らず、尊大になっていない。

それは白井さんが持っていない、あなたの長所なのは間違いありません。

リリィの力は誰かを支配するためではなく、誰かを守り救うためにあると、私は信じています。

ですから、これからも一柳さんの力は、それが直接的なものではなくとも、力無き人々やG.E.H.E.N.A.に苦しめられている強化リリィを助けるために使ってください」

 

「……うん、理事長先生の言ってくれたことができるように頑張ってみる」

 

 結梨の心が落ち着いたのを確認して、祇恵良は話題を咲朱の事から転換するべく、報告書をベッドの脇に避けた。

 

「では、白井さんの話はここまでにして、ここからは一柳さん、あなたの今後についてお話ししましょうか。

さしずめ進路についての三者面談というところかしら」

 

「三者って……?」

 

「せっかくだから、川添さんもこのまま同席を続けていただいていいわね?」

 

「僕は結梨の保護者でもシュッツエンゲルでもありませんが……」

 

 珍しく困惑した表情を浮かべる美鈴に、祇恵良は悪戯っぽい笑みで答えた。

 

「一柳結梨さんの名付け親は一柳梨璃さんで、そのシュッツエンゲルは白井夢結さん。

そして白井夢結さんのシュッツエンゲルは川添美鈴さん、あなたです。

ですから、あなたは間接的に一柳結梨さんと疑似姉妹の関係にあると言えます。

ここまで言えば、もう分かっていただけますね」

 

「……分かりました。僕もお話に加わらせてもらうことにしましょう」

 

 美鈴が半ば観念したように、結梨の顔を見て苦笑いする。

 

「良かったわ。それでは早速始めるとしましょうか」

 

 祇恵良は微笑みながら言うと、先程の報告書とは別の書類を、ベッド横のキャビネットから取り出してページをめくり始めた。

 





 前回の投稿は、「雑念が多い+体内時計が狂い気味」のため集中力を欠き、その結果、質・量ともに不十分な内容となってしまいました。
(今回投稿分についても、文章量はこれまでの半分程度となっています)

 なるべく工夫して良い出来となるように努めますが、当分の間は低空飛行の状態が続くかもしれません。

 かと言って更新の間隔を空けても内容が改善するかは分からないため、毎週更新は継続する予定です。

 もし判断を変更して更新の間隔を変更する場合や休載する場合は、その時点で後書きにてお伝えします。


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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(6)

 

 今後の進路と言っても、これまで結梨はリリィとして為すべきことを果たすのに精一杯で、今はそれ以上のことをじっくりと考えるための手がかりもまだ見つかってはいなかった。

 

 そんな結梨の心を見透かしたかのように、理事長の高松祇恵良は直近の現実的な内容から話を開始した。

 

「卒業した後のことよりも、まずは目先のことから話しておきましょうか。

 

一柳さんは今は御台場女学校に一時編入していますが、戦力支援という所期の目的を果たした後は、再びこの百合ヶ丘女学院に学籍を戻す予定になっています。

 

もっとも、編入初日から今に至るまで、いまだ御台場女学校の周辺に大規模なヒュージの侵攻はありません。

 

これが偶然なのか、それともG.E.H.E.N.A.の作為に基づくものなのか――おそらく後者の可能性が高いと考えてはいますが、確たる証拠はありません」

 

「うん、時々ガーデンの近くで小さいヒュージの群れが見つかることはあるけど、ギガント級やラージ級はまだ出てこないね。

 

コーストガードのリリィも、こんなことはすごく珍しいって言ってた」

 

 結梨が御台場に編入してから出撃したのは、自然発生したと思われるミドル級やスモール級の小規模な群れが対象で、特型やギガント級を含む大集団が襲来する事態は一度も無かった。

 

 中原・メアリィ・倫夜の後任として御台場女学校の校医を務めている稲葉檀も、編入当初の保健室での一件以来、結梨に接触してくることは無かった。

 

 G.E.H.E.N.A.の上位者から指示が出ているのか、彼女自身の判断によるものなのか、それもまた不明の状態が続いている。

 

「可能性は低いですが、G.E.H.E.N.A.が御台場から別のガーデンに『実験』の場を移したケースも考えられます。

 

事実、六本木のエレンスゲ女学園周辺では、関連する研究施設が何者かによって次々に襲撃され、大きな被害が出ています。

 

攻撃の主体がヒュージかどうかは明らかにされていませんが、自然発生したヒュージによる襲撃とは考えにくい状況です。

 

これについては現時点でエレンスゲが公表している情報が少なく、場合によってはこちらから内情を調査する必要が出てくるかもしれません」

 

「百合ヶ丘の特務レギオンがエレンスゲのことを調べるの?」

 

 必要な情報を得るための諜報活動あるいは威力偵察であれば、LGロスヴァイセかLGシグルドリーヴァの任務になると考えられる。

 

 今は一時的に籍を離れているとはいえ、結梨もロスヴァイセ預かりの立場であるから、その任務への直命が発令されれば、彼女たちと行動を共にする可能性は充分にある。

 

「あくまでも『場合によっては』です。

 

親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの国定守備範囲に反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務レギオンが足を踏み入れるということは、それ自体が非常にデリケートな問題です。

 

特に、エレンスゲのレギオンはLGクエレブレを筆頭に、周囲への被害を軽視して戦闘行為に及ぶ傾向が強くあります。

 

こちらが特務レギオンを派遣することでエレンスゲのレギオンとの戦闘が発生すれば、極めて深刻な事態に発展しかねません」

 

「そう、百合ヶ丘が迂闊に首を突っ込むことは避けないといけない。

 

双方に死傷者が出たり、一般市民を巻き込んだりしたらガーデンの存続すら危うくなる。

 

だから、余程切迫した事態――例えば百合ヶ丘の一般レギオンがエレンスゲの国定守備範囲内でヒュージと戦闘し、そのレギオンが支援無しでは全滅の危険ありと判断される――それが『場合によっては』ということですね?」

 

 確認を求める美鈴の発言を、祇恵良は間を置かずに肯定した。

 

「そうです。現在、百合ヶ丘からはLGラーズグリーズ、つまり一柳隊がルドビコ女学院に駐屯し、周辺地域の防衛力強化任務に就いています。

 

それだけではなく、必要な場合にはルドビコ女学院以外の国定守備範囲にも支援に駆けつけなければなりません。

 

当然、それが親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの国定守備範囲であっても、です」

 

 一柳隊を支援するためであっても、特務レギオンがエレンスゲの国定守備範囲に入ることを疑問視される恐れは否定できない。

 

 何がしかの大義名分は必要だろうが、それが叶わない場合はルドビコ女学院のLGアイアンサイドに協力を求めることも考えなくてはならない。

 

「エレンスゲの研究施設襲撃については、まだ事態が流動的で不透明な部分が多くあります。

 

まだ未確認ではありますが、エレンスゲのガーデン内で校長と教頭が二派に分かれ、それぞれの派閥にトップクラスのレギオンのリリィが傘下に入っているという情報もあります。

 

これについては、当面は事態の推移を見守るのが妥当だと、私は判断しています」

 

「ガーデンの中で仲間割れしてるの?どうしてそんなことするの?」

 

「G.E.H.E.N.A.も一枚岩ではありません。

 

元々過激派が主流だったエレンスゲに、穏健派の人物が教頭として赴任したことが事の発端でしょう。

 

であれば、なぜそのような人事異動をG.E.H.E.N.A.が仕組んだのかも疑問ですが、まだよく分かっていない状態です」

 

 祇恵良の言葉を黙って聞いていた美鈴が、唇の端に皮肉っぽい微笑を浮かべて結梨に話しかける。

 

「百合ヶ丘だって、仲の悪いレギオンは一つや二つじゃないさ。

 

夢結のルームメイトのリリィのレギオン、あれは何と言ったかな……」

 

「祀のこと?だったら秦祀隊……LGエイルだと思う」

 

「それだ。彼女のレギオンはLGサングリーズルやアールヴヘイムと折り合いが悪かったはずだ。

 

幸い、この百合ヶ丘女学院は理事長と理事長代行が上手く運営されているから、ルド女やエレンスゲのようにガーデンの中で内紛なんてことにはならないと思うよ」

 

「みんなで仲良くできればいいのに」

 

 眉根を寄せて少しむくれた表情をする結梨の顔を見て、美鈴は苦笑しながら結梨に諭すような口調で説明する。

 

「人が十人いれば十通りの考え方があり、それが意見の対立や仲違いの原因になりうる。

 

大切なのは、お互いの考えを尊重して、相手の立場を侵害しないことだ。

 

人は完全に解りあうことはできないが、折り合いをつけることはできるからね。

 

ガーデンが単なる仲良しリリィの集まりではない以上、そうやって適度な距離を保ちながら、関係を維持するのが最善策なのさ。

 

――違いますか?理事長」

 

「……生徒会や各種委員会のポストを巡る競争、各レギオンの戦術論の違いなどを考慮すると、川添さんの意見に同意せざるを得ないのが正直なところです。

 

今はレギオン間の諍いが深刻な事態に発展しないよう、出江さんたちが取りまとめてくれるので、一柳さんが心配することはありません。

 

あなたはあなたのすべきことに集中してください」

 

 結梨が黙って頷いたのを確認して、祇恵良は話を元の位置に収めるべく咳払いを一つした。

 

「現在、ヒュージとG.E.H.E.N.A.に関する様々な状況は、ここ鎌倉府ではなく東京を中心として展開しています。

 

ですから、一柳さんにも当分の間は、御台場のリリィとして引き続きガーデン防衛支援と、加えて必要が生じた時には、特務レギオンのリリィとしての任務に従事してもらいます。

 

この点については、これまでと大きな変更点はありません」

 

 祇恵良は一度言葉を区切った後、それまでより幾分か表情を和らげて結梨に語りかけた。

 

「――さて、少し回り道が長くなってしまいましたね。

 

ここからは、あなたがこのガーデンを卒業した後のことについてお話ししましょう」

 





 予定では結梨ちゃんがガーデンを卒業した後のことを話し合うところまで書くつもりだったのですが、そこまでたどり着けませんでした。

 次回でこの三者面談は終了し、結梨ちゃんは御台場に戻ってジャガーノートと会敵する予定です。


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第22話 私立百合ヶ丘女学院理事長(7)

 

「改めて確認しておきますが、一柳さんは、一柳梨璃さんの家族になることを希望していると考えていいのですね?」

 

「うん、私は梨璃の家族になって、梨璃と一緒にいたい」

 

 倫夜や咲朱による自分への定義付けとは対照的に、その点に関しては結梨の態度ははっきりしていた。

 

 今は自分が生きていることを表向きは隠しておかなければならないが、いつかは必ず梨璃と一柳隊の前に立てる日が来る――そう信じる心が、結梨を前に進ませている原動力の一つなのは間違いなかった。

 

 祇恵良は当然その答えを予期していたかのように、静かに頷いた。

 

「分かりました。在学中は難しいかもしれませんが、ガーデンを卒業して成人した時点で、何らかの形で一柳さんの希望が実現できるよう、いくつかの案を考えているところです。

 

その内の一つは、現1年生が卒業するタイミングで、あなたの『生存が確認される』というものです。

 

それまで生死不明だった一柳結梨が『偶然に』発見されるというパターンが一つ。

 

もう一つのパターンは、現1年生が卒業するのと同時に『北河原ゆり』が一柳結梨であると判明するものです。

 

あなたはそれまで『北河原ゆり』として百合ヶ丘女学院の生徒であり続け、誰もあなたが一柳結梨だとは気づいていなかった……という筋書きです」

 

 ベッドの脇の椅子に座って祇恵良の話を聞いていた美鈴は、そこで思わず苦笑して口を挟んだ。

 

「G.E.H.E.N.A.にしてみれば、『何をぬけぬけと白々しい』と言いたくなるでしょうね。

 

ガーデンの外では特務レギオン隊長の従姉妹として正体を偽り、ガーデン内では一般生徒の目につかないよう生活していれば、誰も気づかないのは当たり前だ、と」

 

「騙し合いなのはお互い様です。今に始まったことではありません」

 

 美鈴の揶揄する言葉を祇恵良は平然と受け流し、結梨に向かって説明を続ける。

 

「卒業によって一柳さんはリリィを引退し、以後の作戦行動には一切関与しないという形式を取ります。

 

これによって一柳さんはガーデン卒業後は社会的にはリリィではなくなり、一般の成人女性として扱われることになります。

 

この方法によって世間からのリリィ脅威論は回避できます――ただし、G.E.H.E.N.A.の干渉までは排除できないでしょう」

 

「私がリリィを辞めても、G.E.H.E.N.A.は私を狙ってくるの?」

 

「残念ながら、そう考えざるを得ません。

先程、一柳さんは他のリリィと同じく、ガーデン卒業後は社会的にはリリィではなくなると言いました。

 

ですが、リリィとしての能力が失われるわけではないと私は考えています。

 

私や白井咲朱さんと同様、『極めて特殊なリリィ』であるあなたは、年齢を重ねてもマギが減衰しない可能性が高いのです」

 

 少し前まで軽口を叩いていた美鈴は、今は真剣な表情で祇恵良の意見に同意する言葉を重ねる。

 

「結梨の遺伝子を設計したとされる岸本教授が、極限まで理想化したリリィとして結梨を定義していたのなら、あり得る話です。

 

十代後半でマギの保有量がピークを迎え、やがて普通の人間に近づくようであれば、それは一般のリリィと何ら変わらないことになる。

 

僕が岸本教授なら、生涯に渡ってリリィとしての能力を維持できるような塩基配列を、遺伝子の構造に組み込むでしょう」

 

「リリィの力が変わらないのはいいんだけど、それでG.E.H.E.N.A.に狙われ続けるのは困る……」

 

 眉尻を下げて困った顔をする結梨。

 だが、祇恵良はその懸念を払拭するための案を既に用意していた。

 

「一柳さんが成人後もリリィとしての能力を維持していることが判明すれば、G.E.H.E.N.A.はリリィ脅威論の蒸し返しを試み、世論を煽ろうとするでしょう。

 

そして、一般社会の安全を保障するという大義名分を掲げ、一柳さんの身柄を拘束し、対ヒュージを名目にした人体実験に利用するつもりでしょう」

 

「G.E.H.E.N.A.のいつものやり口ですね。

理事長はそれに対して、どのように対抗するおつもりですか?」

 

「そのようなG.E.H.E.N.A.のプロパガンダに利用されないためにも、まず一柳さんがリリィとして武装解除した状態であることを、百合ヶ丘女学院が政府や防衛軍に対して示さないといけません。

 

このため、ガーデン卒業後も、何らかの形で百合ヶ丘女学院が一柳さんの状態を継続的に確認する必要があります」

 

「具体的には、どのような形式を取るのですか?」

 

 祇恵良は美鈴の問いに直接答えず、結梨の顔を見て質問を投げかけた。

 

「一柳さん、最初にあなたは一柳梨璃さんの家族になって一緒にいたいと希望しました。

他に希望はありますか?」

 

「えっと……誰かの役に立ったり、誰かを助ける仕事ができればいいって考えてる……それがまだどんなものなのか、はっきりとは分からないけど」

 

 少し頼り無げな結梨の言葉を聞いた祇恵良は、少しの間を置いてから再びゆっくりと話しかけ始めた。

 

「――これは私の個人的な希望ですが、卒業後は一柳さんを百合ヶ丘女学院の職員として雇用したいと考えています。

 

ただし、私の希望を押し付けることはできません。

選択するのはあくまでも一柳さん自身の意思によらなければならないからです」

 

「私の気持ち……」

 

 言葉を途切れさせた結梨に代わって、美鈴が祇恵良に不敵な表情で話の先を促す。

 

「そのお話に興味があります。続きをお聞かせ願えますか?」

 

「――その場合は、CHARMに触れないことが前提条件となるので、教導官としては採用できません。

 

一案として、理事長あるいは理事長代行付きの職員としてのポストを用意することも考えています。

 

もちろん、これを一柳さんに強いることはできませんし、政府や防衛軍の関係者にも、事前に根回しをしておく必要があります。

 

その上で、私が現時点で提示できる最善の選択肢が、この案なのです」

 

「つまり、G.E.H.E.N.A.に結梨を奪われないように、卒業後も実質的に百合ヶ丘の保護下に置くというわけですね」

 

「そうです。単なる一般市民ではなくガーデンの職員であれば、リリィとしての一柳さんに危害を加えようとする者には、ガーデンとして対処することができます。

 

それがたとえ勤務時間外で、一柳梨璃さんと一緒に生活している時であってもです」

 

(CHARMがなくても、リリィとしての力があればレアスキルは使える。

もしG.E.H.E.N.A.に襲われても、梨璃と一緒に逃げることはできる)

 

 万が一の事態が起これば、結梨は梨璃を守るために力を使うことに躊躇いは無かった――無論、敵であるG.E.H.E.N.A.の人間も傷つけるつもりは無い。

 

 そんな結梨の心を知ってか知らずか、美鈴は祇恵良の説明に納得した様子で頷いた。

 

「なるほど。そのような態勢を整えておけば、G.E.H.E.N.A.の干渉に対しても、組織的に対応することが可能になる。

 

ですが、それでG.E.H.E.N.A.が大人しく手を引くとは思えません。

 

拉致や誘拐に等しい犯罪的な手段で結梨の身柄を確保しようとする可能性は、十分に考えられますが」

 

「仮に、百合ヶ丘の力では一柳さんの身を守り切れないと判断した場合は、白井咲朱さんに一柳さんを預けることも考えています」

 

「本当にいいのですか?咲朱は自分の野望のために結梨の力を利用するに違いない」

 

「一柳さんがG.E.H.E.N.A.の手に落ちることは、何としても避けなければなりません。

 

確かに今の白井さんは、手に入れた力に驕っている面があります。

 

ですが、東京での一柳隊との戦闘でも、最後には妹の夢結さんを奪うことを断念し、彼女たちの気持ちを尊重しています。

 

ですから、かつての白井咲朱さんが全くの別人になってしまったわけではないと、私は思っています」

 

「もし咲朱が悪いことをしようとしたら、私が止めないといけない……」

 

 やや緊張した面持ちで両手を握りしめる結梨に、美鈴は努めて軽い口調で呼びかけた。

 

「結梨一人でどうにかする必要は無いよ。

何なら夢結や梨璃に協力してもらって、咲朱を説得してもらえばいい。

彼女に人の心が残っているのなら、自分の妹やそのシルトの言い分には耳を傾けるだろう」

 

「……うん、分かった」

 

 自分の言うべきことを美鈴が代弁したのを確認して、祇恵良は話の締めくくりに入るべく言葉を引き継いだ。

 

「――今お話ししたことは、不確実な未来に基づいて想定したものです。

 

もしかすると事態が予想よりも遥かに楽観的な方向に動いて、一柳さんの卒業までに、全ヒュージの根絶とG.E.H.E.N.A.の無力化や解体が実現しているかもしれません。

 

けれども、私たちは常に最悪の事態に備えて対応策を考えておかなければいけません。

そのような心構えを持って、事に臨んで行かなければならないのです」

 

 そう言い終えると、祇恵良は一呼吸置いて結梨に軽く微笑んだ。

 

「随分長く話し込んでしまいましたから、このくらいにしておきましょうか。

一柳さん、今日はご苦労様でした。

特別寮の自分の部屋に戻って、私と話し合った内容について考えておいて」

 

「うん。理事長先生、またね」

 

 結梨はぺこりと頭を下げて一礼すると、次の瞬間に縮地S級によってその姿を消失させた。

 

「行ってしまったわね。一柳さんと私が物理的に離れた状態になったということは――」

 

 祇恵良が結梨のいた方向と反対の方を振り向くと、そこにはさっきまで椅子に座っていたはずの美鈴の姿は無かった。

 

 誰も腰を下ろしていない無人の椅子を眺めて、祇恵良は独り言を呟いた。

 

「共感現象が消滅し、幻として見えていた川添美鈴さんの姿も知覚することができなくなった……理論通りの結果ね」

 

 祇恵良はベッドの近くに置いてある電話の受話器を取り上げて、理事長代行の高松咬月に連絡を取る。

 

「私です。いま一柳さんとの話し合いが終わったところよ――思わぬ客人が一人、追加で参加したけれど――いえ、その事は気にしないでいいわ。

 

今後の事で幾つか相談したいから、こちらに来てもらえるかしら――ええ、あなたの仕事の区切りがついてからでいいから」

 

 電話を終えて咬月が自分の所に来るまでの間、少しばかりの休息を取るために祇恵良はベッドに横たわり、軽く目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「進路指導って、結梨ちゃんがガーデンを卒業した後のことまで話し合ったってこと?」

 

 高松祇恵良理事長との面会を終えて、自室に戻った結梨を待っていたのは、ロザリンデと碧乙の二人だった。

 

 結梨が一通りの説明をしている途中で、碧乙が驚いた表情で結梨に尋ねた。 

 

「うん。私が卒業したら、百合ヶ丘のガーデンの職員になってほしいって」

 

「それって就職内定ってこと?まだ1年生なのに?

ちょっと早すぎるんじゃない?」

 

「その話、結梨ちゃんはどうするつもりなの?」

 

 ロザリンデの確認に、結梨は少し迷ったような顔をして首をかしげた。

 

「それは理事長先生の希望だから、どうするかは最後は私が決めていいんだって。

でも、どうするのが一番いいのか、今はまだよく分からない……」

 

「将来の選択肢は多いに越したことはないわ。

どの道を選ぶかは、これからゆっくり考えていけばいいのだから」

 

「ぐぬぬ、就活も始めないうちから内定獲得なんて、羨ましいにも程があるわ」

 

「おそらく結梨ちゃんの身の安全を優先して考慮した結果、でしょうね。

ガーデンの職員なら、もしG.E.H.E.N.A.が手を出そうとした時に、ガーデンとして組織的に対処できるから」

 

「理事長先生もそう言ってた。

でも、百合ヶ丘で私を守り切れないときは、私を咲朱に預けるかもって」

 

「何それ。あんないけ好かない女王様気取りのリリィに頼らなくても、私たちの力で……って卒業した後の事だから、その時どうなってるのか分からないか……

いっそ私も教導官として百合ヶ丘に……でも上司が吉阪先生やシェリス先生になるのか……それはそれで胃が痛くなりそうな展開だわ」

 

「あまり先の事ばかりに気を取られていても仕方が無いわ。

今日の話は、それはそれとして心に留めておいて、今は自分が任されている任務の遂行に専念しないと」

 

 ロザリンデの言葉に頷いた結梨の胸元で、ポケットに入っていた通信端末が振動を始めた。

 

 結梨が端末をポケットから取り出して応答する。

 

「もしもし、一柳結梨です。

……うん、いま自分の部屋に戻ったところ。

理事長先生といろいろ話したの。

私が卒業した後のこととか。

……うん、百合ヶ丘の職員になってほしいって。

えっ……いいよ、そんなことしなくて。

でも……うん、分かった。いったん切るね」

 

「結梨ちゃん、誰からの電話だったの?」

 

 困惑した表情で通話を終えた結梨に碧乙が尋ねた。

 

「祀から。これからお祝いの準備をするから、ロスヴァイセの控室を使わせてほしいって。

それから、保護者として理事長先生にお礼のあいさつをしたいから、面会の予約を取れるように理事長代行先生と交渉してみるって……」

 

「はあ?何考えてるの、あの人。

まさか就職祝いならぬ就職内定祝いをするつもり?

まだ結梨ちゃんが何も決めてないうちから先走りすぎなのよ。

ちょっと控室に行って、オルトリンデ代行殿の頭を冷やして差し上げるわ」

 

 碧乙は憤然とした様子で部屋のドアを開けて出て行った。

 それを見てロザリンデは諦め顔で溜め息をついた。

 

「あの二人のことは放っておきましょう。

余りにもエスカレートするようなら、伊紀が知らせに来てくれるでしょうから。

結梨ちゃんは明日御台場へ戻る予定になっていたわね。

もう準備はできているの?」

 

「まだ装備の点検とか、御台場のガーデンに提出する届け出を書くとか、残ってる……」

 

「私も一緒に手伝うから、手早く済ませてしまいましょう。

先にCHARMから見ておきましょうか。

クローゼットからCHARMケースを出してちょうだい」

 

「うん、ちょっと待ってて」

 

 結梨はロザリンデと二人で黙々と為すべきことを終わらせ、翌日の朝、御台場女学校へ戻るべく百合ヶ丘のガーデンを出立した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャガーノートと名付けられたスモール級の特型ヒュージが、御台場女学校の近傍に出現したのは、結梨が御台場のガーデンに戻って数日の後だった。

 



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第23話 生存闘争(1)

 

 結梨が高松祇恵良理事長との面談を終え、百合ヶ丘女学院から御台場女学校へと戻った数日後。

 

 新宿御苑近傍の市街地では、ルドビコ女学院周辺地域の防衛力強化を目的として派遣された一柳隊が、一群のヒュージと戦闘を繰り広げていた。

 

 戦端が開かれてから15分、約60体のヒュージと一柳隊の戦いは、徐々に、だが確実に一柳隊の優勢に傾きつつあった。

 

「鶴紗さん、少し前に出過ぎです。

あと50メートル後退して、左サイドの夢結様をサポートする位置につけてください」

 

 TZで楓とともに指揮を取る神琳が、AZの鶴紗にポジション修正の指示を出した。

 

 それに応えて鶴紗が前方のヒュージを警戒しつつ、俊敏な動きですぐさま方向転換を始める。

 

「了解。右サイドから展開中のスモール級とミドル級は雨嘉の狙撃で阻止して。

私は夢結様が相手にしてるラージ級を、二方向から挟撃する態勢に入る」

 

「頼みます。

――楓さん、ここから見える範囲にはギガント級はいないようですが、ルド女のLGアイアンサイドから情報は入っていますか?」

 

「いいえ、アイアンサイドも別エリアで出現したヒュージの迎撃に出動中で、こちらにはヒュージの戦力に関する情報は届いていませんわ。

二水さん、この周囲の状況はいかがですの?」

 

 楓からの確認を待っていたかのように、双眸を赤く光らせた二水が、前方を見つめたままの状態で答える。

 

「はい、鷹の目を使って索敵したところ、現時点で周辺にギガント級の姿は確認できません。

ですが、前方のヒュージ群の後方300メートルの地点に、複数のケイブが発生しているのを確認しました。

統合司令部にもすぐ連絡します」

 

「速やかに破壊の必要あり……ですわね」

 

「梅様がフリーの状態なので、縮地でヒュージ群の後方へ抜け出して、ケイブの破壊へ向かってもらいましょうか?」

 

 BZからTZへ上がってきた梨璃が提案すると、それにミリアムが賛同した。

 

「そうじゃの。早くケイブを壊しておかんと、いつ後続の群れが出てくるかもしれんからの」

 

「それなら私がAZに残っている梅様に連絡を――」

 

 梨璃が梅に指示を出そうとした時、遥か前方の上空で何かが光ったのが見えた。

 

 その光は瞬時に一直線に地上とつながり、同時にビル群の陰から青白い燐光のような輝きが広がった。

 

 光線の本数は全部で五つ、そして地上で発生した青白い燐光も同じ数だった。

 

 一柳隊がその光を目撃した約1秒後に、重々しい地響きのような爆発音が彼女たちの耳に届いた。

 

「あれ、ケイブのある方角です。さっきの光が関係してるんでしょうか?」

 

 再び鷹の目を使って、その地点の状況を確認しようとする二水。

 

「梅様、聞こえますか?単騎で先行してヒュージ群後方のケイブを――」

 

 改めて梅へ連絡しようとする梨璃の言葉を、楓がやんわりと制止した。

 

「梨璃さん、それには及びませんわ。

たった今、ケイブの破壊に成功したとの連絡が入りましたの」

 

「えっ、私たち以外のレギオンがこのエリアで展開しているんですか?」

 

「いいえ、この辺りにいるレギオンは一柳隊だけですわ」

 

「そ、それならケイブを破壊して楓さんに連絡を入れたのは誰なんですか?」

 

「多分、あれがそうじゃないですか?」

 

 楓に代わって梨璃の疑問に答えるべく、神琳は真上に近い前方の空を指さした。

 

 梨璃が上を見上げると、遥か上空を5つの小さな紡錘形の物体が、円を描くように等速で旋回していくのが見えた。

 

「あれ、空を飛んでるんですか?あれがケイブを破壊したんですか?」

 

「状況証拠的には、『あれ』しか考えられません。

楓さん、ケイブ破壊完了の連絡はどこから入ったのですか?」

 

「御台場女学校のアキラ・ブラントン教導官からですわ。

統合司令部から御台場へ、ケイブの位置情報が連絡されたのでしょうね」

 

 思いもよらなかった楓の答えに、梨璃は返す言葉を失った。

 

 そんな梨璃の肩に楓はさりげなく手を回し、空を見つめている梨璃の耳元で囁いた。

 

「一体どこの誰が操縦しているのか知りませんが、大した腕前ですわ」

 

「あれ、CHARMなんですか?ということはリリィが動かしてるんですか?」

 

 楓の話を聞いていた二水が、すかさず梨璃と楓のところへ駆け寄ってきた。

 

「う、噂では、御台場女学校のLGコーストガードに第4世代の精神直結型CHARM――その実践検証機が配備されたそうです。

 

ですが、最近は御台場の周辺に出現するヒュージが少ないので、他のガーデンの担当エリアへ航空支援に出撃することがあるそうです」

 

「でも、第4世代のCHARMって、すごく使うのが難しいんだよね?」

 

「はい、百合ヶ丘でも実戦レベルで使えるリリィはまだいないはずです。

 

私が知っている限りでは、2年生の長谷部冬佳様が戦技競技会でヴァンピールを操縦していたのを見たのが唯一です。

 

……ただ、私たちがアールヴヘイムと共同で、ガーデン本校舎の屋上から高出力砲を発射したことがありましたよね。

 

あの時も、遠隔地から百合ヶ丘へ向かっていた飛行型のヒュージを、第4世代のCHARMで迎撃したという未確認情報があります。

 

もしかすると、今上空を飛んでいるのと同じCHARMだったのかもしれませんね」

 

「ふーん……世の中にはすごいリリィがいるんだね。

私みたいなへぼリリィなんて、足下にも及ばないよ」

 

 梨璃の言葉を聞きとがめた神琳が、すかさずフォローの言葉を入れる。

 

「あら、梨璃さんだって、もう二度もラプラスに覚醒したじゃありませんか。

 

梨璃さんの他にラプラス持ちは、御台場の司馬燈さんと鈴木因さんしか確認されていないんですよ。

 

そのくらい希少なレアスキルの持ち主だということを、梨璃さんはもっと誇っていいと私は思います」

 

「そ、そうかな。私って、実はすごいリリィだったりして……でも、レアスキルだけすごくても、普段の戦闘やノインヴェルト戦術で役に立たないと意味が無いし……そうだ、もっと私もパス回しとか上手くなって、確実にフィニッシュショットが撃てるようにならなきゃ……」

 

 ぶつぶつと独り言をつぶやき始めた梨璃を横目に、楓は区切りをつけるように、わざとらしく咳払いを一つした。

 

「皆様方、いつまでもここで油を売っていては夢結様たちにどやされますわよ。

ケイブが全て破壊されたのなら、私たちは目の前のヒュージを殲滅することに全力を上げなくてはなりませんわ。

 

二水さんはBZで引き続き鷹の目で周囲を警戒、梨璃さんには二水さんの直掩をお願いしますわ。

 

他のメンバーは攻撃中の夢結様たちのバックアップに回って、残存するヒュージを一匹残らず掃討……で、よろしいですわよね?神琳さん」

 

「ええ、もちろん構いませんよ。

では、最後の仕上げと行きましょうか。

 

私とミーさんはAZまで上がりますので、楓さんはTZの底で梨璃さんと二水さんのサポートをお願いします」

 

「私が梨璃さんの傍にいられるようにとのお気遣い、心から感謝いたしますわ」

 

「いえ、私はそのようなつもりでは……」

 

「さっさと戦いを終えてルド女に戻って、梨璃さんの心も身体も、私が手取り足取り癒して差し上げなくては。うふふ……うふふ……

 

――上空のCHARMも、ケイブ破壊の任務を終えて帰り支度を始める頃でしょうしね」

 

 軽口を叩いた楓が見上げる視界には、もうほとんど点にしか見えない5機のマギビットコアが、雲一つない青空の中を旋回していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「OK、現地で展開中のレギオンから統合司令部経由で、確認完了の連絡が入ったわ。

目標エリアのケイブは残らず破壊できたわよん。

さあ、用事が済んだらさっさと撤収撤収」

 

 妙に軽い口調でその場にいた者たちに呼びかけたのは、御台場女学校のアキラ・ブラントン教導官だった。

 

 日英ハーフの彼女は、長い金髪をなびかせて大学生然とした雰囲気すら漂わせていたが、御台場の教導官らしくスパルタ式の訓練でリリィを鍛え上げるタイプだった。

 

 彼女は今、御台場女学校の校舎屋上で、何人かのリリィとともに新宿エリアへの航空支援任務を指揮していた。

 

 アキラ教導官の言葉を受けて、LGコーストガードの隊長である弘瀬湊が指示を出す。

 

「結梨さん、現地上空のマギビットコアを全機反転。

対地攻撃態勢を解除して速やかに現空域から離脱、御台場への帰投ルートに移行してください」

 

「りょーかい」

 

「ガーデンに到着するまで巡航速度を維持してくださいね」

 

「はーい」

 

「これでケイブの破壊完了、か。遠隔操作できるCHARMってのは便利なもんだな。

御台場のガーデンに居ながら、新宿に発生したケイブを攻撃できるんだもんな」

 

 全く気負いの無い返事をする結梨を見て、何やら感慨深そうな様子で腕組みをしているのは、LGヘオロットセインツの川村楪だった。

 

 屋上では、結梨の他に生徒会長の月岡椛と副会長の川村楪、LGコーストガードの弘瀬湊、岸田(はなぶさ)の計五人のリリィが集まり、アキラ・ブラントン教導官の指揮の下、航空支援の任務に参加していた。

 

 その戦術は以下のようなものだった。

 

 現地から報告された攻撃目標の位置情報を基に、楪のテスタメントで英のファンタズムを増幅し、エインヘリャルのマギビットコアの飛行コースをテレパスで誘導する。

 

 必要があれば椛のレジスタも加えて各メンバーの能力を底上げし、確実に現地の目標を捕捉できるようにする。

 

 現地のレギオンがケイブから出現したヒュージと戦っている間に、上空のマギビットコアがヒュージ後方のケイブを空爆、破壊し、後続を断つ。

 

 マギビットコアによる攻撃は、目標上空からの急降下による一撃離脱の戦術を原則とする。

 

 地上で交戦中のレギオンが苦戦するようであれば、ケイブを破壊した後に群れの背後からヒュージを攻撃し、前後から挟撃する態勢を取ることができる。

 

 航空支援任務全体の指揮はアキラ・ブラントン教導官が取り、それを湊が補佐する。

 

 このような体制で、戦力が手薄な都内各所の戦場に随時出撃し、大型ヒュージやケイブなど、戦略的に優先して排除すべき目標の攻撃に、彼女たちは従事していた。

 

 また、これは第4世代の精神直結型CHARMである、エインヘリャルの運用テストも兼ねたものだった。

 

 航空支援とはいえ、あくまでもテストであるから、ヘオロットセインツやコーストガードが外征やガーデン防衛に出撃する場合は、そちらの任務が優先されることになる。

 

「これが一般的な装備として普及すれば、リリィの犠牲も劇的に少なくできるのにな」

 

 口惜しそうとも、残念そうとも受け取れる口調で楪が言うと、対照的に努めて冷静な物言いで椛が答えた。

 

「現状で使いこなせるのは結梨さん一人だけ。

それを踏まえた上で、最大限に効率的な運用を目指すのが妥当でしょうね」

 

「1機で複数体のラージ級を撃破できるほどの航空戦力が、テスト運用とはいえ確立した……か。

うーん、それだけでも喜ぶべきなんだろうな、本来は」

 

「ゆず、欲張りすぎはだめよ。

一度に何でも解決する方法なんて、あてにしてはいけないわ。

 

遠隔地でも短時間で到達可能で、ギガント級以外はほぼ一方的に空爆で撃破することができる――特に海上のヒュージネストを攻略する際には、非常に重要な戦力になりうるわ」

 

「そうだな、まずは東京エリア全域で、地上からの攻撃が難しい目標をピックアップして――」

 

 楪の話の途中で、鋭い警報音が校舎の屋上にまで鳴り響いた。

 

 続いて、教導官の声が落ち着いた、だが緊張をはらんだ調子で、スピーカーから流れ出る。

 

「ガーデン近傍の廃墟エリアに特型ヒュージ1体の出現を確認。

LGコーストガードは直ちに出撃準備に入り、目標を排除あるいは捕獲せよ」

 

「特型ヒュージだって……久しぶりだね……ギガント級かな~」

 

 その実力に似合わないのんびりとした口調で、1年生の英が結梨に話しかける。

 

「大きさは言ってなかったね。ここからはヒュージの姿は見えないけど……」

 

 結梨は目を凝らしてガーデンの向こう側に広がる廃墟を眺めたが、ヒュージらしきものは全く見当たらなかった。

 

「ギガント級ならビルより大きいから、ラージ級以下だね……」

 

「出現したのが1体だけというのは不自然です。

その1体は陽動か偵察で、後方に群れが控えているのかもしれません。

私と英で先行して仕掛けてみます。

結梨さんはマギビットコアが戻り次第、コーストガード本隊に合流、指示があるまで待機してください。

行きましょう、英」

 

「はい、湊様。じゃあ先に行ってるね、ゆりちゃん」

 

「うん、また後でね」

 

 緊急時ゆえ、悠長に階段を駆け下りるわけにはいかず、湊と英はそれぞれのCHARMを携えた状態で屋上から身を躍らせた。

 

 文字通りの超人的な身体能力とマギの防壁展開によって、二人は難無く数十メートル下の地面に着地し、そのままガーデンの外へと走り去って行く。

 

 ガーデンの敷地から出て、隣接する廃墟の路上へと二人は歩を進めた。

 

 サーチャーは前方にヒュージ1体の存在を示している。

 

 半ば朽ち果て、破壊された建物の陰に隠れて、用心深く湊と英は前進する。

 

 ヒュージまでの距離はあと数十メートル程度と思われたが、まだその姿を目にすることは無かった。

 

 ラージ級ではない。スモール級かミドル級。

 

 おそらくこの先の角を曲がった所にいる。

 

「私が先に出ます。もし攻撃が来たら、掩護射撃をお願い」

 

「はい、分かりました。湊様」

 

 湊が建物の陰から飛び出すと、やや幅の広い道路の中央に一体のヒュージが立っていた。

 

 銀色の表皮に全身を覆われたその特型ヒュージは、大きさも形も人間に酷似していた。

 

 ヒュージは身動き一つせずに、路地から出てきた湊と十メートルほどの距離を置いて、正面から向き合う形になった。

 

 湊はそのヒュージを知っていた。

 

 正確には、湊はそのヒュージについての不十分な情報を知っており、そのヒュージが何者であるかを知らなければならないと思った。

 

「……特型ヒュージ、ジャガーノート。

エレンスゲ女学園に続いて、ここ御台場にも現れたのですね」

 

 



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第23話 生存闘争(2)

 

「湊様。あのヒュージ、人の形をしてますね……」

 

 廃墟の路上でジャガーノートと対峙する湊の背後で、(はなぶさ)がぼそっと呟いた。

 

 全身が鈍い銀色の装甲のような表皮で覆われてはいるものの、ジャガーノートの外見の身体的特徴は、紛れもなく人間の女性を想起させるものだった。

 

 湊は目の前に立っているジャガーノートから目を離さずに、自分の後ろでリサナウトを油断なく構えている英に説明する。

 

「あれはジャガーノートと呼ばれている特型ヒュージ。

 

エレンスゲの報告ではミドル級からスモール級に変化したとありましたが、私たちの前にいるのは、人間と変わらない大きさ――つまりスモール級です」

 

「何のためにミドル級からスモール級に変わったんでしょうか……?」

 

「分かりません。ですが、ヒュージとしての力は、スモール級に変化した後の方が格段に高くなったそうです。

 

その時にジャガーノートと遭遇したエレンスゲのトップレギオン――LGヘルヴォルは大きなダメージを与えることができずに、ジャガーノートに逃走を許したと報告されています。

 

この個体が六本木に出現したのと同じものかどうかは分かりませんが、同種のヒュージであることは間違いありません」

 

 ジャガーノートはその場から一歩も動かず、間合いを取って攻撃の機会を窺っているようにも見える。

 

 ここでいつまでも睨み合いを続けていても、状況は良い方に変化しないだろう――そう湊は判断した。

 

「二人で同時に仕掛けます。

英はファンタズムのイメージをテレパスで私に」

 

「はい、湊様。じゃあ始めますよ……」

 

 シューティングモードのリサナウトを構えた英が、ファンタズムを発動すると同時に、湊は左斜め前方へ跳躍した。

 

 湊の後ろ10メートルほどの位置にいた英は、ジャガーノートの左胸に照準を定めてトリガーを引き絞る。

 

 その射撃を予見していたかのごとく、ジャガーノートは最小限の動作でリサナウトの弾道から身を反らした。

 

 回避運動中のジャガーノートに、斜め前方へ跳躍した湊が間合いを詰め、ティルフィングで斬りかかる。

 

 体勢を変えられないジャガーノートは、上段から斬りかかってきた湊のティルフィングを、白羽取りのように両手で挟み込んで防御した。

 

「な――!」

 

 ジャガーノートはティルフィングの刀身を万力のような強さで挟み、湊は攻撃を封じられたことに驚愕した。

 

(こんな動きをヒュージがするなんて)

 

「湊様!」

 

 射撃後にリサナウトをすぐさまブレードモードに変形させた英が、がら空きになったジャガーノートの脇腹を狙って突撃した。

 

(さっきの湊様の斬撃で一太刀浴びせられるはずだったのに、なんでファンタズムの予知が外れたんだろう……?)

 

 一瞬、疑念が英の脳裏をよぎったが、今はそれを気にしている時ではなかった。

 

 一直線にジャガーノートに殺到するリサナウトと英。

 

 その切っ先がジャガーノートの腹部に到達する手前で、リサナウトを握る英の手には押し返されるような感覚が生じた。

 

 感覚はすぐに衝撃となって英の手を痺れさせ、リサナウトの刃先に青白い火花が飛び散った。

 

(ヒュージがマギで障壁を展開した……すごい強度)

 

 通常の攻撃では、このヒュージが展開している障壁は突破できない――刹那の内に英はそう判断した。

 

 ここでB型兵装を使い、一気に障壁を破壊するべきか――右手中指に装着した指輪から、英は自身のマギをリサナウトのマギクリスタルコアに流し込もうとした。

 

 その時、ジャガーノートの体内で急速にマギが収束する気配を、湊と英は感じ取った。

 

「英、退きなさい!エネルギー弾の砲撃が来る」

 

 湊が英に向かって叫ぶ。

 

 湊はティルフィングをジャガーノートの両手に挟み込まれているため、回避するにはティルフィングを手放して後退するしかない。

 

 だが、それは武器を放棄してヒュージの前で丸腰になることを意味していた。

 

 ジャガーノートは次の瞬間にもエネルギー弾を発射するかもしれない。

 

 湊の一瞬の逡巡に、ジャガーノートは恐るべき膂力でティルフィングを横へ押しのけ、湊は体勢を崩した。

 

(しまった……!)

 

 ジャガーノートは両手でティルフィングを挟み込んだまま、湊の側頭部に回し蹴りを叩き込まんと右足を振り上げる。

 

「湊様!」

 

 間に合わないことを知りながら、英がジャガーノートの攻撃を妨害すべくリサナウトで斬りかかろうとする。

 

 ジャガーノートの右足が湊の頭蓋骨を粉砕しようとしたその時、ジャガーノートは瞬時に蹴りの動作を止め、後方へ飛び下がった。

 

 次の瞬間、ジャガーノートがそれまで立っていた所に光の矢が突き立ち、アスファルトの路面が一瞬にして融解した。

 

「英、後ろへ!」

 

 その熱エネルギーは直後に爆発を引き起こし、飛散する大小の瓦礫と粉塵が周囲の空間を埋め尽くす。

 

 ジャガーノートがティルフィングを手放して後退したために自由になった湊は、英とともに後方へ跳躍し、爆発の衝撃から身を守った。

 

 朦朦と立ち込める土煙の外側で、二人のリリィは注意深く周りを警戒している。

 

「今の攻撃……どこからでしょう?」

 

「あれでしょうね」

 

 湊が顔を動かさずに目線で上を指し示す。

 

 英が湊の視線の先を見上げると、100メートルほどの高度に、白い紡錘形の物体が四つ旋回しているのが視界に入った。

 

「エインヘリャルのマギビットコア……ゆりちゃんのCHARMですね」

 

「そのようね。あれが上空からジャガーノートを攻撃しなかったら、私は戦闘不能になっていたわ」

 

「でも、マギビットコアって、全部で五つだったと思うんですけど……

あと一つはどこに行ったんでしょう?」

 

「ここにあるよ」

 

 突然、後ろから聞こえてきた声に英が振り向くと、少し離れた路上に結梨が右手を上げて立っていた。

 

 その右手には、残る1機のマギビットコアが、近接戦闘用のビームブレード兼ビームガンとして装着されている。

 

「本当はさっきの攻撃でやっつけるつもりだったんだけど、よけられちゃった」

 

 いかにも残念そうに言う結梨の傍に、英が駆け寄る。

 

「ゆりちゃん、どうしてここへ?」

 

(すずな)が行ってもいいって言ってくれたから、応援に来たの」

 

 菘とは、LGコーストガードの副将を務める2年生の曽我菘で、英と同じく攻撃に特化したタイプのリリィだった。

 

「ありがとう、結梨さん。命拾いしました」

 

 菘なら当然そのように判断するだろうと湊は納得し、危ういところを救われた礼を結梨に述べた。

 

 やがて立ち込めていた土煙が少しずつ薄くなり、次第に周囲の状況が見えるようになり始めた。

 

 三人のリリィは目を凝らして周りを見回したが、ジャガーノートの姿はどこにも見当たらない。

 

「あのヒュージ、逃げたのかな?」

 

 結梨の疑問に答えたのは湊だった。

 

「いいえ、そんなことはなさそうです」

 

 湊は前方やや右寄りの一点をじっと見つめている。

 

 その視線の先、瓦礫が埋め尽くす地面の向こう側には、崩れかけた建物が道路に沿って並んでいる。

 

 建物の陰から、ゆっくりと人影が――いや、人影に似たものが姿を現した。

 

「まだ戦うつもりのようですね、あのヒュージ――ジャガーノートは」

 

「あのヒュージ、雰囲気が普通のヒュージと違うね。

姿も人間みたいだし……」

 

 不思議そうにジャガーノートを見ている結梨に、英が答える。

 

「エレンスゲの近くにも出たことがあるみたいだよ。

ヘルヴォルっていうトップレギオンが戦ったんだけど、その時は逃げられたんだって」

 

「そうなんだ……一葉たちも戦ったんだ」

 

 親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの一角であるエレンスゲに、人型のヒュージが出現した――いかにも禍々しい連想を引き起こさせる出来事だと、湊は苦々しく思った。

 

 今度はジャガーノートの方からゆっくりと歩を進め、20メートルほどの距離を置いて、三人のリリィと一体のヒュージは向かい合う形になった。

 

 油断なくCHARMを構え、ジャガーノートに対して半包囲の位置取りをする三人の意識に、何者かの声が突然伝わってきた。

 

『お前たちは、何のために戦っている?』

 

 



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第23話 生存闘争(3)

 このエピソードはジャガーノートがラスバレに登場する前(立体化の原型が発表された時)に考えたものなので、ジャガーノートの挙動がラスバレとは全く異なります。

 ラスバレのジャガーノートとは同一種の別個体と考えていただけると助かります。



 

「何?今の声。直接頭の中に聞こえてきたみたい……」

 

「ゆりちゃんにも声が聞こえたの?湊様は――」

 

「ええ、私にも聞こえました。

まるでファンタズムのテレパスが、意識に流れ込んできた時のように」

 

 廃墟の路上でジャガーノートを半包囲している三人のリリィは、困惑した様子で互いに目配せをした。

 

「あのヒュージ、マギビットコアがビームを発射する前に、よけようと動き始めてた。

まるで私が攻撃するタイミングを分かってたみたい」

 

「じゃあ、私が湊様にファンタズムで伝えた予知が外れたり、マギビットコアの攻撃が回避されたのは……」

 

「あのヒュージ――ジャガーノートもファンタズムを使える、あるいはファンタズムに相当する能力を持っている……と考えざるを得ませんね」

 

「リリィと同じ力を持つヒュージ……」

 

 ぼそっと結梨が呟くと、耳聡くそれを聞きとめた湊が、ジャガーノートから目を離さずに答える。

 

「姿だけではなく、能力も人間であるリリィと同等――それが、あのジャガーノートが特型に分類されている理由なのでしょう」

 

 相手がこちらの行動を予知できるのなら、初見であっても攻撃を見切られて当然だ。

 

 先手必勝とばかりに迂闊に手を出せば、先程のようにカウンターで致命傷を食らいかねない。

 

 加えて、ジャガーノートは人間そのもののような体捌きで湊の攻撃を受け止め、動きを封じた上で、急所である頭部に蹴りを入れようとしてきた。

 

 眼前のジャガーノートが能力だけではなく、知能面でも人間――正確にはリリィと同じレベルにあることは間違いなかった。

 

(では、意識に直接聞こえてきた、この声の主は、やはり――)

 

『お前が兵隊蟻の隊長か?』

 

 再び、先程の声が三人の意識に聞こえてきた。

 

 物理的な音声ではないゆえ、声の性別を判断することは不可能だった。

 

 だが、ジャガーノートが湊の方を向いていることから、その声がジャガーノートから発されているのは明らかだった。

 

 沈黙している湊に対して、ジャガーノートは質問を続ける。

 

『どうした?なぜ全員で攻撃してこない?

お前たちは私を殺したいのだろう?

 

それに、後ろの蟻塚にも相当数の個体が待機しているはずだ。

三人では心許無いのなら、いくらでも増援を呼べばいい』

 

 蟻塚とは御台場のガーデンのことか。

 

 湊は額に脂汗を滲ませながら、やや上ずった声でジャガーノートに問う。

 

「なぜ、ヒュージが人間の言葉を話しているの?

お前はかつて人間だったの?

――G.E.H.E.N.A.の実験によって、強化リリィがヒュージに変化したの?」

 

 だが、ジャガーノートが湊の質問に対して解答を与えることは無かった。

 

『……我の問いには答えないくせに、我に質問を返すのか。まあいい。

 

なぜヒュージである我が人間の言葉を話しているのか――自分たちで考えて答えを導いてみるがいい。

 

ここは学び舎ではなく戦場だ。

我から答えを聞き出したくば、我を捕えて尋問か拷問にでもかけるがいい』

 

 ジャガーノートが元は人間であったのか、理性や知識の面からはそれを肯定する材料しか見当たらないが、仮に元が人間であっても、今はヒュージだ。

 

 ヒュージは全て倒さなければならない。たとえそれが元は人間だとしても。

 

 湊は頭の中の逡巡を振り切り、決然としてジャガーノートに宣言するように告げた。

 

「私たちはお前を倒さなくてはならない。

リリィはヒュージと戦い、ヒュージを倒す存在。

 

そして、お前が何者かの手によって誕生したヒュージなら、私たちはその真相を究明し、首謀者を告発する」

 

 湊の言葉を聞いたジャガーノートは――その鈍い銀色の装甲に覆われた表情が変わることは無かったが――どこかしら満足げな調子で答えを返した。

 

『そうだ、それでいい。

我が理性を持つヒュージだからといって、お前たちが気にする必要は無い。

 

これは人間とヒュージという、いわば種の間の生存競争だ。

敗れた種は滅び、生き残った種が勝者だ。

 

簡単な話ではないか。

人間もそうやって、数えきれないほどの夥しい生物種を滅ぼしてきた。

 

今はお前たち人間が、滅ぼされる側に回ったというだけのことだ』

 

「ヒュージが人間を襲い、この世界から人間を滅ぼそうとしているから、人間はヒュージと戦っている。

 

私たちは好き好んで戦っているわけではない。

ただ、滅びたくないから必死に戦っているだけ」

 

 湊の反論がジャガーノートの想定内だったのか、ジャガーノートは自らの論調を変えることは全く無かった。

 

『多くの種を一方的に滅ぼしておきながら、自分たちは滅びたくないと言う。

その矛盾に気づいていないわけではなかろう。

 

人間がヒュージから守ろうとしている場所のほとんどは、有史以前には他の野生動物が生息していた。

それらの動物を駆逐したからこそ、人間という種は現在の繫栄を手にすることができた。

 

熊を殺し、虎を殺し、狼を殺し……そうやって人間は自分たちの生存圏を拡大し、豊かな生活を実現してきた。

現在はその立場が逆転しているに過ぎない』

 

「……」

 

 敵であるヒュージから適者生存のロジックを聞かされるとは――三人のリリィは、ただ黙り込むことしかできなかった。

 

 それを見たジャガーノートは、なおも畳み掛けるように、彼女たちに対して自らの考えを語り続ける。

 

『無論、お前たち人間には抵抗する権利がある。

滅びを回避するために、力の限り抵抗してみせるがいい。

 

その抵抗がヒュージの力を上回れば、人間は生き残ることができるだろう。

ヒュージはただ、過去の野生動物が人間によって奪われた領域を奪還しようとしているだけだ。

 

人間が自分たちの居住地を明け渡したくなければ、ヒュージと戦って縄張りを守るしかない。

事の本質は、それが陣取りゲームではなく、文字通り生死を賭けた生存競争であることだ』

 

 湊とジャガーノートのやり取りを聞いていた結梨は英に――二人は互いに10メートルほど離れてはいたが――できるだけ小声で話しかけた。

 

「あのヒュージとは、できれば戦いたくないね」

 

「そうだね……たぶん元は人だったんだろうね……」

 

 ジャガーノートと直接相対してプレッシャーを受けている湊とは異なり、結梨と英は普段とそれほど変わらない様子で、目の前の事態と向き合っていた。

 

 ジャガーノートが、ただ攻撃衝動に支配されて人間を襲うだけのヒュージではないため、勝手が違うのは如何ともしがたかったが。

 

 まだ攻撃に移る意思を示さない三人のリリィに、ジャガーノートは区切りをつけるように一歩後ろへ下がり、湊たちの顔を順に見回した。

 

『我が言うべきことは言い終えた。

お前たちは自分たちの巣に戻って、我の言葉を女王蟻に伝えるがいい。

もっとも、多少なりとも頭の切れる者なら、我が話した内容の本質など先刻承知だろうが……』

 

 言い終えると同時に、ジャガーノートは大きく後方へ跳躍し、三人との距離を瞬く間に数十メートルに広げた。

 

 そして、ジャガーノートは一転して踵を返して走り出し、廃墟の崩れかけた建物の陰へと姿を消した。

 

「逃げた……?」

 

「追いましょう、湊様。あのヒュージをこのまま逃がすわけにはいきません」

 

 言うが早いか、英はリサナウトを携えて走り始めている。

 

 それを追って湊と結梨も英の後に続く。

 

「この先に罠が仕掛けてあるかもしれない。一人で突出しないように」

 

「分かりました。あの建物の向こう側に他のヒュージがいるのかも……」

 

 ジャガーノートが身を隠した建物の陰へ続く道――その曲がり角に、英を先頭に三人が差しかかった。

 

 その時、数百メートル先の建物の間に、見慣れた物体が英の目に入った。

 

「ケイブ……あんな所に」

 

 ジャガーノートの姿はケイブの手前すぐに迫っていた。

 もう一刻の猶予も無い。

 

「間に合わない。逃げられちゃう……」

 

 リサナウトをシューティングモードへ変えようとする英。

 

「私が止める。先に行くよ」

 

 言い終えると同時に縮地を発動した結梨の姿が、並走していた湊の視界から消えた。

 

 その姿は次の瞬間にジャガーノートのすぐ背後に出現し、結梨の左手がジャガーノートの左手首を掴んだ。

 

(後ろを取った。このまま抑え込んでケイブに入れないようにしないと)

 

 だが、ジャガーノートの膂力は結梨の想像を超えていた。

 

 結梨の左手に強烈に引っ張られる感覚が生じ、身体が前方に飛び出すのが分かった。

 

 目の前のケイブが急激に大きく膨らみ、それはケイブが膨張したのではなく、自分がケイブに投げ込まれているから――そう理解した時には、結梨の姿はジャガーノートとともにケイブの中に消えていた。

 



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第24話 虜囚(1)

 

 結梨が御台場女学校近傍の廃墟にて、新種の特型ヒュージであるジャガーノートと交戦中に行方不明となった――その情報は御台場から鎌倉府の百合ヶ丘女学院へと直ちに伝えられた。

 

 史房、祀、眞悠理の三人は、今後の対応を協議すべく生徒会室に集まっていた。

 

 ソファーに腰を下ろす余裕も無く、三人とも立ったまま落ち着かない様子で顔を見合わせている。

 

「ケイブに落ちたんですか……結梨ちゃんが?」

 

 動揺を隠せない祀の質問に対して、3年生の史房は表情を変えることなく、当時の状況を客観的に説明する。

 

「正確には、ケイブに逃げ込もうとしたジャガーノートを取り押さえようとして、ジャガーノートにケイブの中へ投げ込まれたそうよ」

 

「なんて無茶なことを。

結梨ちゃんが交戦していた、そのジャガーノートというヒュージはどうなったんですか?」

 

「結梨さんと一緒にケイブの中に入った後、間もなくケイブ自体も自然に消滅した……と報告されているわ」

 

「結梨さんの行方を捜す手がかりは……」

 

 眞悠理の言葉は途中で途切れた。

 

 史房は憂いをにじませた眞悠理の顔を見ると、先程の祀への返答と同じく、努めて冷静に事実を告げた。

 

「今のところ、全く無いわ。

ケイブは一種のワームホールとして機能していて、ヒュージの移動手段として利用されている……それ以上のことははっきり分かっていないから」

 

「ワームホールであれば、別の場所に出口となるもう一つのワームホールがあるはずです。

その出口のワームホールを特定できれば、結梨さんの居場所も分かるはずです」

 

「その出口の位置座標を知る方法を、私たちは持ち合わせていないわ。

それに、入口のワームホールが消滅したのなら、出口のワームホールも今は存在していないはず。

 

粒子の固有パターンを観測できれば、ある程度の探知は可能だけど……ケイブが消滅してしまっている以上、望み薄ね」

 

「では、結梨さんがケイブに消えた当時の、首都圏一帯のケイブ発生情報を全て集めて、可能性の高そうな場所を百合ヶ丘と御台場のリリィが捜索する……というのは?」

 

 首都圏全体で一日に何ヶ所でケイブが発生しているのか、数ヶ所か、数十ヶ所か、それ以上か――解析科のリリィでもない限り、普段は気に留めることも無い。

 

 だが、その数が幾つであれ、何もせずにいることはできなかった。

 

「……そうね、今はそれくらいしか取れる方法は無さそうね。

でも、結梨さんの存在を一般のリリィに知られるわけにはいかないから、捜索に当たるリリィは相当に限られるわね。

 

祀さん、私は理事長代行に連絡するから、祀さんは先に特務レギオンの2隊に根回しをしておいてもらえる?」

 

「分かりました。すぐにロスヴァイセとシグルドリーヴァのリリィに連絡を取って、人員の確保とガンシップの離陸準備を進めます」

 

「くれぐれも碧乙さんと喧嘩しないようにね」

 

「はい、なるべく気をつけます」

 

 祀が苦笑いして慌ただしく生徒会室を出て行った後、眞悠理は抑えた声で史房に話しかけた。

 

「祀さんの前では口に出せませんでしたが、結梨さんがジャガーノートと一緒にケイブに入ったということは、その後も戦闘が継続している可能性があると思います」

 

「ええ、その通りね」

 

「最悪、結梨さんがジャガーノートに倒されている可能性も視野に入れなくてはならないかもしれません」

 

「今は予断を挟むべきではないわ。

私が知る限りでは、リリィやマディックがケイブの中に入ったなんて、聞いたことが無いもの。

 

でも、結梨さんはヒュージ由来のマギと非常に親和性が高い。

それなら、ケイブに入ったことも結梨さんの不利に働くとは限らない――そう私は考えているわ」

 

 かつて結梨がハレボレボッツと命名された特型ヒュージと海上で戦った時、結梨は由比ヶ浜ネストのマギを自らのエネルギーとして利用した――その信じ難い事実を念頭に置いた上での、史房の発言だった。

 

「そうかもしれません。何でも悲観的に考えるのは私の悪い癖です」

 

「今はできる事を進めましょう。

眞悠理さんは当時のケイブ発生情報の取りまとめを早急に。

私は理事長代行に連絡するから」

 

 そう言うと、史房は眞悠理から離れて窓際まで歩いて行き、通信端末を制服のポケットから取り出した。

 

 細い指で端末のボタンを数回押し、あらかじめ登録されている内線番号を発信する。

 

 数度のコール音の後、相手が受話器を取ったことが分かった。

 

「出江です。結梨さんが戦闘中に行方不明になった件で、理事長代行にお話ししたいことが――」

 

 史房の口調は先程までと少しの変化も無く、それはブリュンヒルデらしく、事に臨んで動じない平静さを保ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を回復した時、結梨は自分が見慣れぬ森の中に横たわっていることに気づいた。

 

 僅かに開いた瞼の間からは、柔らかい太陽の光が目の中に差し込み、結梨は眩しさを覚えた。

 

「……生きてる」

 

 目は見える。視界には地面を埋め尽くす落葉、木々の間からは木漏れ日が地面をまだらに照らし出している。

 

 太陽の高度と色温度の変化から、結梨は自分がジャガーノートによってケイブに投げ込まれてから、二時間以上が経過していることを知った。

 

 日没まではあと一時間半ほどだった。

 

 次いで、結梨は横たわったままの姿勢で、ゆっくりと手足を動かしてみる。

 感覚は全く正常だった。

 

(痛みはない、ケガはしてない。うん、だいじょうぶ)

 

 手をついて上半身を起こし、周囲を見回すと、そこには落葉広葉樹の雑木林が広がっていた。

 

 落葉の中に半ば埋まる形で、数メートル離れた所にエインヘリャルのマギビットコアが一つ転がっている。

 

 ケイブに投げ込まれる前に結梨が右手に装備していたユニットだ。

 

(他の四つはケイブの向こう側に置き去りになったんだ……)

 

 結梨はおもむろに立ち上がり、ヒュージの気配を探ったが、今は何も感じることは無かった。

 

 そのままマギビットコアの所まで歩いて行き、それを拾い上げる。

 

 エインヘリャルはシャットダウンされていたが、腰の後ろに装備したメインユニットのマギクリスタルコアに、右手中指の指輪を触れさせると、再起動を開始した。

 

(よかった、壊れてない。ガーデンに連絡しないと)

 

 制服のポケットを探ると、携帯電話型の通信端末が指に触れた。

 

 端末をポケットから取り出すと、これもCHARMと同じくシャットダウンした状態になっていた。

 

 だが、こちらはCHARMと違って、電源が入らない。

 

(壊れたのかな。それとも電池が切れたのかな)

 

 通信端末が使えない以上、ガーデンと連絡を取ることはできない。

 

 それは自力でこの場を離れて、何らかの方法で通信可能な環境まで移動しなければならないことを意味していた。

 

(ここ、どこだろう。外国じゃないよね)

 

 雑木林の植生は関東地方の低山によく見られる一般的なものだった。

 

 そこから推察すれば、遠く見積もっても、御台場から数十キロメートル程度離れた場所ではないかと思われた。

 

(自分の力でガーデンまで帰れるかな……)

 

 このままここに留まっていても意味は無い。

 

 結梨は周囲に警戒しつつ、日没までにこの雑木林を抜けて、開けた場所へ出るべく歩き始めた。

 

 太陽の位置を基準に、緩やかな斜面を南へと下って行くと、遠くから風に乗って僅かな異音が聞こえてきた。

 

 何かがぶつかるような衝撃音、弾けるような破裂音……ごく小さな音ながら、それらが戦闘に由来するものであることはすぐに分かった。

 

(この先で誰かが戦ってる。行かないと)

 

 結梨は気配を殺して木々の間を縫うように進む。

 

 やがて、異形の生物が不規則に森の中を動き回っている姿が、遠目に見えるようになってきた。

 

(やっぱりヒュージだ。

ミドル級が数体と、スモール級が20体くらいかな。

ジャガーノートはいないみたい)

 

 ヒュージの一群と戦闘状態にあるのは、リリィではないように見受けられた。

 

(戦ってるのは女の子だけど装備がリリィのものじゃない。

あれはアンチヒュージウェポンっていうのかな……)

 

 黒い制服を纏ってヒュージと交戦しているマディックの一隊は、明らかに苦戦しているように見えた。

 

 彼女たちが増援無しにヒュージを撃退できる確率は高くないと、結梨は即座に判断した。

 

 そして増援が来るとは限らないし、もし来たとしても手遅れになる可能性は否定できなかった。

 

 ヒュージは目の前のマディックに気を取られて、後方の結梨には気づいていない。

 

 このまま戦場を避けて森を抜けようとすることは可能だった。

 

 だが、そうすれば見知らぬマディックの部隊は良くて敗走、悪ければ全滅する可能性がある。

 

 結梨の手の中にあるのは、近接戦闘用に右手に装備しているマギビットコア1機のみ。

 

 アウトレンジの死角から同時攻撃可能なマギビットコアは、全5機中4機がケイブの向こう側に取り残されたままだった。

 

 4機のマギビットコアを失ったエインヘリャルの攻撃力は、最大スペックの五分の一にまで落ちている。

 

 それでも、マディックを襲っているミドル級とスモール級を相手にするには充分すぎた。

 

 結梨は迷うことなく跳躍して、前方の戦場へと突入した。

 

 ビームブレード兼ビームガンとして右手に装備したマギビットコアで、瞬時に数体のスモール級を撃ち抜く。

 

 不意に背後からの攻撃を受けて動きが止まったヒュージの群れに、結梨は間髪を入れず斬りかかった。

 

 ビームブレードでミドル級の四肢を斬りつけ、動きが鈍ったところに至近距離から急所へビームガンのエネルギー弾を撃ち込む。

 

 攻撃を受けたミドル級の全身が爆発し、周囲にヒュージの青い体液が飛び散る。

 

「ミドル級は私がやっつけるから、そっちはスモール級に集中して」

 

 言い終える前に、結梨は既に次のミドル級に向かって走り出している。

 

 突然の思いがけない方向からの攻撃に、マディックとヒュージの双方が動きを止めていたが、先に事態を理解したのはマディックの方だった。

 

「増援が来た?それにしては早すぎる」

 

「何でもいい、これは天佑。私たちには運がある。

ヒュージが態勢を崩している間に陣形を再編、群れを包囲しつつ、各個にスモール級を攻撃」

 

「りょ、了解」

 

 それまで劣勢に立ってはいたが、戦闘の経験自体は少なからずあるようで、マディックの部隊は冷静に統率された行動でヒュージに反撃を開始した。

 

 正面からマディックの部隊、背後から結梨に挟撃されたヒュージの群れは、一気に形勢を逆転され、10分と経たずに包囲殲滅された。

 

 戦闘が終了した戦場で、数十体のヒュージの死骸の間に、マディックの少女たちと結梨が立っている。

 

 御台場女学校の制服を着ている結梨の前に、隊長らしきマディックの少女が進み出た。

 

「助かりました。あなたがいてくれなかったら、私たちは無事にこの戦いを終えることはできなかったでしょう。

それどころか全滅していたかもしれません。

――さぞかし名のあるリリィとお見受けしますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「私は……」

 

 結梨が口ごもっていると、マディックの少女は、はっと気がついたように深く一礼した。

 

「失礼しました。まずはこちらから名乗るのが礼儀ですね」

 

 そう言うと、彼女は姿勢を正し、仰々しい口調になって自己紹介らしき口上を述べ始めた。

 

「私たちは……いえ、我等は鎌倉府の一角を守護し、悪しき異形の獣たちとの戦いに日々明け暮れる存在」

 

 それに呼応するように、少女の後ろに控えていたマディックの隊員が応える。

 

(しか)り。口惜しくも我等は非力なる存在――なれど、民草の命を守らんとする志は、魔女に(いささ)かも劣ること無し」

 

(何か難しい言葉で話してる……歳は私と同じくらいなのに)

 

 呆気に取られてぽかんとしている結梨を気にする様子も無く、黒い制服の少女たちは半ば陶然とした表情で口上を続けた。

 

「我等は黒き魔女の忠実な(しもべ)にして御使い。

その身命を賭して剣となり盾となり、世界の秩序と安寧を守り抜く者たち」

 

「人々は戦場の灰燼に佇む我等を指さし、尊崇と畏敬の念を込めて、こう呼ぶであろう――

『黒十字マディック隊』と」

 



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第24話 虜囚(2)

 

 「黒十字マディック隊」と自らの部隊名を名乗った黒い制服の少女たちは、いかにも仰々しい自己紹介を言い終えると、一呼吸置いて急に相好を崩した。

 

「隊長、今日の口上は完璧に決まりましたね!」

 

 隊長と呼ばれた明るい栗色の髪の少女は、満足げに頷いて顎に手を当てた。

 

「うん、なかなかいい出来だった。

この感触を忘れないように、明日からも日々鍛錬を積んでいかなければ」

 

「はい、録音もしておいたので、ガーデンに戻ったら再生して皆で聞きましょう」

 

「そうね。各員、装備の状態を確認。

負傷した者がいれば、程度にかかわらず、すぐに申し出るように。

副隊長、黒十字マディック隊は哨戒任務を終えてこれより帰投すると、ガーデンに連絡を」

 

「了解。ガーデンとの通信を開始します」

 

 ぽかんとした表情のまま黒十字マディック隊の隊員を見ていた結梨に、隊長の少女が気づいた。

 

「――すみません、つい自分たちの事ばかりかまけてしまって。

先ほど申し上げたように、私たちはシエルリント女学薗に所属するマディックの部隊で、部隊名は黒十字マディック隊といいます。

私は隊長を務めている道川深顯という者です」

 

 さっきまでの大仰な物言いとは一変して、深顯と名乗った少女は、ごく普通の礼儀正しい口調で結梨に話しかけた。

 

 結梨はここで本名を名乗るわけにはいかなかったので、表向きの設定である北河原伊紀の従姉妹としての名前を口にした。

 

「はじめまして。私は御台場女学校の北河原ゆり。

ヒュージと戦ってる時にケイブに投げ込まれて、気がついたらこの森の中にいたの」

 

 結梨の説明を聞いた黒十字マディック隊の隊員たちは、一様に驚いた表情になり、結梨の姿を見つめた。

 

「言われてみれば、その制服は御台場女学校のものですね。

この辺りでは見かけないデザインの制服だと思っていましたが、まさかケイブによって東京からここまで転移したとは」

 

「ここは鎌倉府なの?」

 

「はい、私たちのガーデンがある金沢文庫の近くです。

一時間ほど前に、この付近でケイブが発生した可能性ありと観測されたため、私たちが確認のために哨戒任務に出動したんです」

 

「ここで特型のヒュージを見なかった?人みたいな形をした」

 

「いいえ、そのようなヒュージは見かけませんでした。

そのヒュージと戦っていたのですか?」

 

「うん、捕まえようとしたんだけど、そのヒュージにケイブの中に投げ込まれたの」

 

「そうでしたか。ではこれから御台場のガーデンに戻られるのですか?」

 

「そのつもりだけど、通信端末の電源が入らなくて、ガーデンに連絡できないの」

 

「それでしたら、一度私たちのガーデンまで来ていただいて、そこで所定の手続きをすれば回線を使わせてもらえると思います。

私たちが持っている端末では、外部との通信はできませんので。

――副隊長、まだガーデンとの通信はつながってる?」

 

 少し離れた所で通信端末を耳に当てていた副隊長のマディックは、黙って頷いた。

 

「私たちを助けてくれたのは、御台場女学校の北河原ゆりさんと仰るリリィだと伝えて。

現在は通信端末が使えない状態だから、ガーデンの回線を使えるように申請したいと」

 

 深顯からの指示を受けた副隊長は、しばらくガーデンとのやり取りを続けていたが、その表情は急激に緊張感を孕んだものに変わっていった。

 

 強張った顔で通信を終了した副隊長は、ぎこちない足取りで結梨に近づき、告げた。

 

「北河原ゆりさん。申し訳ありませんが、ガーデンまで同行の上、事情聴取に応じていただきます」

 

「どういうこと?御台場女学校は反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンだけど、北河原さんがここにいた経緯ははっきりしているのだから、不審者のように扱うのはおかしくない?」

 

「はい、私もそう説明したのですが、CHARMと通信端末を没収した上で、ガーデンまで任意同行させるようにと」

 

「何ですって……」

 

 確かに武装したリリィが外征の事前連絡無しに、国定守備範囲外の地域に移動することは違反行為だ。

 

 しかし先程の説明では、原因は戦闘中の不可抗力によるものであるから、一方的に不法侵入者扱いするのは、やり過ぎに思えた。

 

「取り付く島もないという感じで、もし抵抗する場合は強制的に拘束せよとの命令でした」

 

「しかし……」

 

 結梨の方を振り返った深顯は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

 相手は一人とはいえ、れっきとしたリリィだ。

 

 本気で抵抗されれば、マディックの十人や二十人で抑え込めるものではない。

 

 拘束しようとしたところで、怪我人を多数出した挙げ句に逃走されるのは目に見えていた。

 

 それでも、ガーデンからの命令であれば従わざるをえない。

 

 事態の余りの急転直下ぶりに、深顯は目まいを覚えそうになったが、辛うじて踏みとどまった。

 

 アンチヒュージウェポンを持つ手を震わせながら、深顯が結梨に話しかけようとした時、結梨の方から先に言葉を発した。

 

「私がCHARMと端末を深顯たちに預けて、シエルリントのガーデンに行けばいいんだね」

 

 落ち着いた口調で言うと、結梨はビームブレード兼ビームガンとして右手に持っていた、マギビットコア付きのサブユニットを地面に置いた。

 

 次いで、腰の周りに装備していたエインヘリャルのメインユニットとサブユニットを取り外し始める。

 

 結梨は全てのユニットを身体から外し終えると、ポケットから取り出した電源の入らない通信端末と一緒に深顯へ差し出した。

 

「これでいい?」

 

「え……どうして?」

 

 深顯には結梨の取った行動が信じられなかった。

 

「あなたの力なら、私たちから逃れることは簡単なはずなのに」

 

「私が逃げたら、深顯たちがガーデンから怒られるでしょ?」

 

「な……」

 

 何のためらいも無く言い放った結梨に、深顯は絶句した。

 

 偶然に迷い込んだに等しい場所から強引に離脱しても、釈明など後からどうにでもなる。

 

 しかし、目の前のリリィはその選択肢を放棄して、初対面のマディックの身を案じたのだ。

 

 それはかつて日の出町の惨劇で自分の姉を盾にして戦死させた、エレンスゲ女学園のリリィと余りに対照的だった。

 

「あなたは甘すぎます。そんなことではこの先、生き残れませんよ」

 

「私は私の戦い方で生き残ってみせるから、心配しないで」

 

「……それが過信でないことを祈ります。

副隊長、再度ガーデンに連絡を。

北河原ゆりさんを武装解除、通信端末預かりの上でガーデンにお連れすると」

 

「分かりました。

――こちら黒十字マディック隊。先程拝受した命令を実行に移します。

ガーデンへの到着予定時刻は……」

 

 丸腰の状態になり、前後を十数名のマディックに挟まれて、結梨は森の中の細い道をゆっくりと下っていく。

 

 不思議と不安は感じなかった。

 

 これから行く所が、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山と目されるシエルリント女学薗であるにもかかわらず。

 

 自分の出生にまつわる出来事だけではなく、東京での一連の不可解なヒュージの動きやエリアディフェンス設備の爆発事件、ルドビコ女学院の崩壊……それらの全てにG.E.H.E.N.A.が深く関与しているのは、最早既定の事実と言っていい。

 

 そうであれば、ただG.E.H.E.N.A.から逃げ回るよりも、好機があれば虎穴に入ることも一つの戦略と、結梨は無意識に考えていたのかもしれない。

 

 やがて地面の傾斜はほとんど無くなり、森を抜けると道の先にキリスト教の大聖堂のような建築物が見えてきた。

 

 それはビブリオテカという名の、マギに関する世界一の蔵書を有するシエルリント女学薗の図書館だった。

 

 おそらくシエルリントのガーデンからの指示だったのだろう、結梨を伴った深顯たち黒十字マディック隊の一行は、正門ではなく人目に付かない通用門からガーデンの敷地内に入った。

 

 中世の教会を模した校舎の中へと入り、結梨は奥まった部屋の一つに案内された。

 

「しばらくの間、ここでお待ちください。

事情聴取の準備ができ次第、お呼びしますので」

 

 そう言って深顯は部屋を出て行き、結梨は広い室内に一人きりの状態になった。

 

 部屋の内装を見るに、どうやら来賓用の応接室であると思われた。

 

(私のこと、一柳結梨だって分かったのかな……)

 

 単なる不法侵入者と見なされたのか、それとも百合ヶ丘女学院の一柳結梨としてここに連れてこられたのか――それによって自分が何をどこまで話すかが決定的に違ってくる。

 

 その両方を想定して、結梨があれこれと事前問答のシミュレーションを頭の中で進めていると、小さくドアがノックされる音が聞こえた。

 

「はーい」

 

 結梨が普段と変わらない口調で返事すると、静かに扉が開き、深顯の姿が現れた。

 

「お待たせしました。こちらへ」

 

 深顯の先導に従って結梨は部屋を出て廊下を進んで行く。

 

 薄暗い廊下を何度か曲がりながら進んだ先に、目的の部屋が現れた。

 

 重厚な樫の木で作られた大きな扉を、深顯がノックした。

 

 部屋の中から返事は聞こえなかったが、深顯には何がしかの応答が感じ取れたのか、後ろに控えていた結梨の方を振り返って呼びかけた。

 

「どうぞ、中にお入りください。私はここで失礼します」

 

 深顯は一礼して結梨の前から去って行った。

 

 再び一人になった結梨は、深顯に言われた通りに扉のノブに手をかけて、ゆっくりと開いた。

 

 最初に結梨の目に映ったのは、薄暗くも広い室内の各所に配置された、中世キリスト教の黒ミサを思わせる数々の呪物だった。

 

 動物の骨の一部らしきもの、植物の根の標本、人間や獣を模したと思われる奇怪な形の木彫り……

 

 室内の照明は天井近くにある細長い天窓から差し込む光と、壁際の数ヶ所に置かれた燭台の蝋燭のみ。

 

 時刻が薄暮に差しかかっていたこともあり、室内はお世辞にも明るいとは言い難い状態だった。

 

 内装は明らかにキリスト教の教会そのものだったが、呪物と照明が神聖さを塗りつぶして魔的な空間を構成していた。

 

 そう言えば、黒十字マディック隊の隊員たちは、自己紹介の口上で「魔女」という言葉を口にしていた。

 

 その言葉と眼前の光景が一致しているのは偶然ではないだろう。

 

 だとすれば、この部屋の主たるべき人物もまた――

 

「お前が例のホムンクルスか。

思っていたよりも少し幼く見えるな……」

 

 部屋の最奥に設えられた祭壇から、「魔女」の声が聞こえてきた。

 





 シエルリント女学薗の描写については、公式設定に存在する情報以外は全て作者の想像であることをお断りしておきます。


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第24話 虜囚(3)

 

 キリスト教の教会さながらの生徒会室で、結梨に話しかけてきたのは一人の少女だった。

 

 天窓から差し込む黄昏時の弱々しい光が、彼女の姿をぼんやりと照らし出している。

 

 黒十字マディック隊の隊員と同じく、少女は黒ずくめの制服を身に纏っているが、そのデザインはマディックたちのものとは大きく異なっていた。

 

 両肩から足首までを覆うゆったりとした布地は、幾重にもドレープを形作り、微妙な明暗の陰翳をその表面に描き出している。

 

 それは制服というよりは魔女の普段着と表現する方が適切で、長い黒髪を腰まで伸ばした彼女自身の風貌もまた同じだった。

 

 明らかに上級生らしき年長者の雰囲気を漂わせ、眉目秀麗な整った顔立ちには、高慢とも傲慢とも計りかねる一種独特の尊大さが感じられた。

 

 少女は祭壇から進み出て、結梨が立っている入口の方へゆっくりと歩み出した。

 

 少女の踏み出す足の靴音が、広い生徒会室に反響して結梨の耳に届く。

 

 二十を超える回数の靴音が止まった時、少女の姿は結梨のすぐ目の前にあった。

 

 その大きな漆黒の双眸は、結梨の顔を10センチメートルほど上から見下ろしていた。

 

「ほむんくるす……?」

 

 先程少女が口にした単語を結梨が呟いた時、少女の口に微笑が浮かんだ。

 

「ホムンクルスとは、人の手によって生み出された人間のことだ。

私も実際に見るのは今日が初めてだ」

 

 少女は更に結梨の至近まで歩み寄り、思い切り顔を近づけた。

 

「やはり普通の人間と寸分変わらない。素晴らしいな」

 

 結梨の目には、微笑から会心の笑みへと変わった少女の表情が映っている。

 

「私のことを知ってるの?」

 

「知っていなければ、ホムンクルスなどという言葉を口にしたりはしない。

それとも、お前は自分のことを人造リリィと呼ばれる方がいいのか?」

 

「どっちも呼んでほしくない。私は――」

 

「では、望み通り一柳結梨と呼んでやろう。

私はこのシエルリント女学薗の生徒会長を務めている、蓬莱玉という魔女だ」

 

「ほーらいぎょく?変な名前」

 

 結梨の返答はいかにも不躾なものだったが、蓬莱玉と名乗ったリリィはそのような反応に慣れているのか、特に気分を害した様子も無かった。

 

「蓬莱玉は真名ではない。

魔女は簡単に真名を他人に教えたりしないものだ」

 

「どうして本当の名前を名乗らないの?

それに魔女って……あなたはリリィじゃないの?」

 

 そう言ってから、名前についてはそのまま現在の自分にも当てはまることに結梨は気がついた。

 

「お前とて、表向きは百合ヶ丘の特務レギオン隊長の従姉妹という身分と名前を用いているだろう。

シエルリントのリリィもまた、真名を明かさぬ魔女として振る舞わねばならぬ事情があるのだ」

 

「事情って、どんな?」

 

「話せば長くなるし、そもそも部外者のお前に秘密を明かすわけにはいかない。

無論、お前が一柳結梨であることもマディックたちには話していない」

 

「でも、誰かが気づくかも」

 

「心配には及ばない。マディックの隊員たちには箝口令を敷いておいた。

この件について少しでも口外すれば、命は無いものと思え――とな」

 

「深顯たちを傷つけないで」

 

 気遣わしげに蓬莱玉の顔を見上げる結梨に、蓬莱玉は人が悪そうな苦笑をしてみせた。

 

「無論、冗談だ。命まで取られることは無い。

ただし、機密情報を外部に漏らした場合、何らかの処罰を受けることにはなる。

 

だが、あのマディックたちは口が堅いし、私の指示には実直に従ってくれる。

お前がここに来たという情報が、管理外の範囲に漏洩する恐れは無い」

 

「それならいいけど……」

 

「――ここで立ち話を続けるというのも不作法だな。

こちらへ来るがいい」

 

 結梨は蓬莱玉の後に続いて部屋の奥へ進み、祭壇の前に設えられている木製のベンチに並んで腰を下ろした。

 

 これで落ち着いて話ができる、と蓬莱玉は結梨の横顔を興味深げに眺めながら言った。

 

「先に言っておくが、お前をこのガーデンに半ば強制的に連行するよう命令を出したのは、私ではなく理事会と教導官たちだ。

 

マディックの隊員を救ってくれた礼を述べるために、ガーデンに招くという形式を私は取りたかったのだが……どうもここの大人たちは頭が固くてな。

 

彼ら・彼女らの要求を呑む代わりに、事情聴取は私に一任するということで決着した訳だ」

 

「そうだったんだ……」

 

「この話を信じるかどうかはお前次第だ。

お前が信じなくても、私は別に構わない。

 

お前が偶然にシエルリントの国定守備範囲に現れたのは、私にとってまたとない僥倖だったと思っている。

 

私は出不精ゆえ、そうでもなければ直接お前に会える機会は無かっただろう」

 

 蓬莱玉は一度言葉を区切って間を置いた後、話題を変えた。

 

「お前は人型の特型ヒュージと戦闘中にケイブに投げ込まれたと、マディックに説明したそうだな」

 

「うん、ジャガーノートっていう名前で湊は呼んでたけど、この辺りでそのヒュージを見なかった?」

 

「私もジャガーノートなる特型ヒュージの存在は認識しているが、これまでシエルリントの国定守備範囲内でジャガーノートの目撃情報は無い。

 

しかし、私とてこのガーデンの全ての情報を把握しているわけではない。

 

シエルリントのラボの特定のセクションが、ジャガーノートの開発や実験に関与していないとは言い切れない。

 

特に、最近は一部の過激派が東京の幾つかのラボと連携して、実験的な装備を我がガーデンの魔女やマディックに使わせたがっているようだからな。

 

何ヶ月か前に、横浜港の警備任務に就いていた黒十字マディック隊の隊員に、怪しげなCHARMもどきが支給されたこともあった。

 

その時は別の任務で横浜に来ていたエレンスゲ女学園のレギオンが、マディックの支援に当たって事無きを得たが、一歩間違えば人死を出すところだった」

 

「エレンスゲ……そのレギオンって、もしかして」

 

「エレンスゲのガーデンからは、決して所属ガーデンとレギオンを名乗らないように命令を受けていたそうだ。

 

だが、隊長が仁義に厚いというか馬鹿正直な性格だったようで、戦闘中に自らの正体をマディックたちに明かした――自分たちはエレンスゲ女学園トップレギオンのLGヘルヴォルだと」

 

「一葉たちは何のために横浜に来ていたの?」

 

「横浜港に陸揚げされる積み荷の護衛だったそうだが、その任務はヒュージの襲来で有耶無耶になったと聞いている。

 

エレンスゲのガーデンが、LGヘルヴォルに正体を隠すよう命令した理由も不明のままだ。

 

……ルドビコ女学院が崩壊して以来、どうにもエレンスゲの動きが怪しい。

あのガーデンは何かを企んでいる」

 

「シエルリントって、エレンスゲと同じ親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンじゃないの?」

 

「確かにシエルリントは親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山ではあるが、それは過激派の総本山と同義ではない。

 

従来はマギについての基礎研究を始めとして、それに関連するマギクリスタルコアやヒュージの生態を理論的に探究することが、このガーデンの主流だった。

 

それらの研究の蓄積として、世界に冠たる大図書館である『ビブリオテカ』が、シエルリントの敷地内に存在しているのだ。

 

しかし、最近になって一部の過激派が勢力を拡大し、他ガーデンの過激派と協力して、ブーステッドCHARMの開発や強化実験に手を染め始めた。

 

私にしてみれば、それらの行為は外法の類だと言わざるを得ない」

 

「げほう?」

 

「そうだ。魔法と外法は似て非なるものだ。

 

天然自然の理を利用して、その力を自らのものとして使うのが魔法の正道であり、CHARMとレアスキルも当然その理論に基づいて用いられるべきなのだ。

 

だが、過激派の開発しようとしている技術は、薬物の投与や外科的な施術、常軌を逸したマギクリスタルコアの改造によって、限界を超えた能力や性能を引き出そうとするものだ。

 

それらの技術を使えば、一時的に驚異的な戦闘能力の向上を得ることが可能になる。

 

しかし、同時に負のマギが被験者の心身に過大な負荷をかけ、いずれは狂人や廃人に追いやってしまう。

 

――これが外法以外の何ものだというのか」

 

 それまでの落ち着いた様子から一転して、蓬莱玉は憤りの感情を表に出した。

 

 一方、結梨は黙って蓬莱玉の言葉を聞いている。

 

 その様子を見た蓬莱玉は、自分の気持ちに区切りをつけるように咳払いをした。

 

「すまない、私としたことが感情的になった。

そういうわけで、ジャガーノートに関しては私から回答できることは無い。

 

今度は私からお前に聞くが、それはお前がシエルリントの国定守備範囲に入り込んだことについてではない。

 

事情聴取というのは単なる名目だ。

一通りの状況は黒十字マディック隊から聞き取り済みだからな。

 

それに、お前に関する情報は以前から既に調べ尽くしてある。

――理由は分かるな?」

 

 蓬莱玉の問いかけに結梨は黙って頷いた。

 

「一柳結梨。お前は私の知的好奇心を刺激して止まない存在だ。

 

はっきり言えば研究対象として――もちろん人体実験などという野蛮極まりない方法ではなく、観察と記録のために私の手元に置いておきたいくらいだ」

 

 思いがけなく眼前に現れた結梨の姿を目にして、蓬莱玉は彼女に似つかわしくない様子で興奮を抑えきれずにいた。

 

 



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第24話 虜囚(4)

 

 蓬莱玉は自分をシエルリントのガーデンに閉じ込めて逃がさないつもりか――結梨は心の中で危ぶんだが、それは杞憂だった。

 

 薄く紅を指した蓬莱玉の唇が笑みを浮かべると、彼女は結梨の心を見透かしたかのような言葉をかけた。

 

「心配するな。シエルリントの魔女を束ねる立場の私と言えど、一存でお前の身柄を自由に扱えるほどの権限は無い。

 

それに、もし私が生殺与奪の権を握っていたとしても、お前をここに幽閉したりはしない。

 

野生の動物を檻の中で飼育したとて、本来の生態は観察できないからな」

 

「私はゾウやライオンじゃないよ」

 

 野生動物扱いされて不満げな表情を浮かべた結梨に、蓬莱玉は肩をすくめてみせた。

 

「気を悪くするな。これでも私はお前の敵ではないつもりだ。

 

私は一柳結梨というリリィを、極めて貴重な研究対象として認識している。

 

それゆえにお前に死なれたり、リリィとして戦えなくなってもらっては困るのだ」

 

 どうやら蓬莱玉は、ある意味でシエルリントにおける自分の身の安全を保障してくれる人物のようだと、結梨は理解した。

 

 しかしそれは、仲間や味方という意味とは少しばかり異なる文脈に位置するものだった。

 

 蓬莱玉の言葉は、なおも続く。

 

「私はお前の成長を見届け、記録する者でありたいと考えているが、私はお前の家族でも親友でもない。

だから私に愛や友情のような感情を持つことはするな。

 

お前の自我と記憶がこの世界に生まれてから、まだ数ヶ月しか経っていない。

それを思えば、家族や親友に抱くような愛情を他者に求めても無理は無い。

 

だが、お前はお前の家族や親友に対して愛や友情を求めるべきであり、私にそれを求めてはいけない。

 

私はお前をかけがえのない貴重な研究対象として観察する。

逆に、お前も私の存在を政治的に利用すればいい。

 

国内の親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンで、シエルリントの蓬莱玉を知らぬ者はいないだろう。

 

私の名を出せば、未だ無名のリリィである『北河原ゆり』であっても邪険に扱われることは無い。

 

生徒会長や教導官程度なら、すぐに取り次いでもらうことができるはずだ」

 

 蓬莱玉は自分の存在を一種の顔パスとして使えと結梨に言ったが、結梨の関心は別のところにあった。

 

「G.E.H.E.N.A.は私に関わらないようにしてるって聞いたけど、それが変わったの?」

 

「いや、お前に関する情報のプロテクトは解除されていないし、身柄を拘束する類の命令も現時点では出ていない。

 

今回の件も、御台場女学校の『北河原ゆり』なる詳細不明のリリィが、シエルリントの国定守備範囲に侵入したという態での事情聴取だ。

 

ただし、お前が一柳結梨であることは、早々にG.E.H.E.N.A.本部の知るところとなるだろう。

 

そうなれば、一柳結梨の身柄を確保できたと認識したG.E.H.E.N.A.は、これまでの不干渉の方針を転換する可能性がある。

 

今はその猶予期間というわけだ。

 

お前はどうする? 逃げるなら今のうちだが。

私はお前の逃走を妨害する気は無いぞ」

 

「私が逃げても、G.E.H.E.N.A.は私を捕まえようと追いかけてくるんでしょ?」

 

 結梨の脳裏には、梨璃と一緒に百合ヶ丘女学院から脱走した時の記憶が甦っていた。

 

 それを見透かしたかのように、蓬莱玉は結梨の発言を受けて状況を説明する。

 

「以前のようにG.E.H.E.N.A.が――正確にはG.E.H.E.N.A.の傀儡の政府関係者が、だが――防衛軍の機甲師団を動員して大規模な捜索をすると考えているのか?

 

だとしたら、それは見当違いだ。

あの時と違って、G.E.H.E.N.A.はお前が生きていることを公にしたくないのだ。

 

お前を単なるモルモットと見做していた当時とは異なり、超越的な戦闘能力を持つ唯一人の人造リリィについての情報を、第三者に知られたくないからだ。

 

――『御前』こと白井咲朱の存在が、今も一般のリリィには秘匿されているように」

 

 この点についての認識はG.E.H.E.N.A.だけではなく、百合ヶ丘や御台場といった反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンも同じようだ、と蓬莱玉は最後に付け加えた。

 

 ルドビコ女学院が崩壊に至った真相も、一柳隊が参加した東京圏防衛構想会議の場では語られなかった。

 

 その状況を、結梨は特務レギオンであるLGロスヴァイセに開示された資料で知っていた。

 

 今や自分は機密情報に埋め尽くされた世界で生きていることを、結梨はあらためて自覚せざるを得なかった。

 

「まったく、常人より優れた力を持つというのも痛し痒しだな。

 

この私とて、今でこそシエルリントの魔女の元締めたる生徒会長を務めてはいるが、それは外野の干渉を排して知の探究を極めるための手段に過ぎないのだ。

 

お前も可能であれば、一介のリリィとしてヒュージと戦い抜き、高等部を卒業した後はリリィを引退して自由に生きたいのであろう?」

 

「うん。私はただ、普通に梨璃と一緒に暮らしたいだけなんだけど……」

 

「お前の気持ちは私にも理解できる。

だが、英雄や王侯貴族が身分を捨て、市井の民として生きるというのは、そう簡単な話ではないのだ。

 

人並み外れた力を持つ者は、それに見合うだけの果たすべき義務を背負っている。

例外は無い。お前も、この私も」

 

 こんな話がある、と蓬莱玉は生徒に講義する教導官のような口調で、結梨に語り続けた。

 

「三国時代の中国で、俗世を離れて隠棲していた諸葛亮の住処を、劉備というつまらぬ男が何度もしつこく訪れた故事は知っているであろう?

 

結局、彼は劉備の求めに応じ、希代の軍師として後世の歴史に名を残した。

 

しかし、果たしてそれが真に彼の求める幸福であったかどうか、私は常々疑問に思っている」

 

「私も梨璃も、一人前のリリィになりたいだけで、有名になったり注目されたいわけじゃないのに」

 

 それは力を持って生まれた者の定めだ、と冷静に蓬莱玉は述べ、

「そう言えば、百合ヶ丘女学院の一柳梨璃はお前の名付け親だったな」

 と、梨璃に関心を向けた。

 

「一柳梨璃か。由比ヶ浜に漂着した繭を最初に発見したのは彼女だった。

 

一柳結梨の第一接触者である一柳梨璃は、カリスマのレアスキル保持者だった。

そして彼女は、後に司馬燈と鈴木因に続く三人目のラプラス覚醒者となった。

 

これは実に興味深い事実ではあるが、今は一柳梨璃について考察している時間は無い。

 

今の私の第一の探究心は、一柳梨璃よりも一柳結梨に向いているのだから」

 

「蓬莱玉は私の何を知りたいの?」

 

 結梨の質問に、蓬莱玉は待っていたと言わんばかりに身を乗り出して、結梨の目を見つめた。

 

「まず、お前の持つ能力の源である先天的な資質、次いでそれが発現する契機となる状況だ。

と言っても、どちらもそれなりに推測はついている。

 

先天的な資質とは、つまり遺伝子の構造に基づく身体的機能の特異性だ。

 

現在、人造リリィ計画の技術資料は、その核心部分がロストしている状態になっている。

 

どうやら当時G.E.H.E.N.A.と技術提携していたグランギニョル社の研究者が、その資料を処分あるいは持ち逃げしたようだ」

 

(岸本教授のことだ……)

 

 その研究者が岸本教授であることを蓬莱玉が知っているのかどうか、結梨はうかがい知ることができない。

 

 だが、ここで自分から岸本教授の名を出せば、彼の身に危険が及ぶかもしれないと結梨は考え、黙って蓬莱玉の話に耳を傾けた。

 

「複数レアスキルの同時使用、戦闘技術のコピー能力、ヒュージネストのマギを自らのエネルギーとして利用する能力……

 

これらは全て、最初から人造リリィの性能諸元として、遺伝子の塩基配列に組み込まれたものだったと考えられる。

 

ただし、遺伝子の全構造のどの箇所が、それらの能力を可能にしているのかは全く不明だ。

 

捕縛騒動の際、百合ヶ丘女学院から政府の査問委員会に、お前の遺伝子情報に関する資料が提出されている。

 

それを基にG.E.H.E.N.A.の複数のラボで解析が進められているが、今のところ当該の箇所が判明する目処は立っていない」

 

「そんなに難しいの?」

 

「そもそもヒュージ幹細胞からヒトの遺伝子のみを抽出して、尚且つ先天的な異常を引き起こさずに、これだけの超越的な能力を持たせたこと自体が奇跡的だ。

 

これほどの離れ業をやってのけることができる研究者は、世界に何人もいないだろう。

 

私が入手できる範囲の情報では、個人の特定まではできないが、おおよその察しはつく。

……が、それについては今ここで云々すべきことではないな。

 

今はお前の力の秘密について、もう少し私の考えを聞いてもらおう」

 

 蓬莱玉はそれまで自分の内に溜め込んでいた思考の内容を開陳する相手を見つけて、興奮を隠しきれない様子だった。

 

「先程お前が生まれつき持っている能力について述べたが、少なくともレアスキルについてはコピー能力ではなく、お前の遺伝子に最初から全てのレアスキル因子が埋め込まれているのではないかと、私は考えている。

 

それらのレアスキルは初期状態では封印された状態になっているが、何らかのきっかけでアクティベートされ、解放された状態になる。

 

これによって各レアスキルを発動するために必要なマギの固有代謝構造が、基底状態から励起状態へ遷移することが可能になる――それが私の仮説だ」

 

「そう言えば、咲朱は私の力を『あんろっく』したって言ってた……」

 

 結梨の言葉を聞いた蓬莱玉は、驚きと好奇心の感情をその端正な顔に浮かべ、何やら考え込む様子で腕組みをした。

 

「そうか、お前は『御前』と面識があったのか。

それは最も直接的な契機の一つだ。

 

お前と同じく、彼女もまた一般のリリィが持ちえない超常の能力を、幾つも隠し持っているようだ。

 

『御前』は、おそらく彼女なりの考えで、お前の能力解放を前倒ししたのだろう――どうも彼女は何かと事を急ぐ性格のようだからな。

 

もう少し慎重な方法を取っていたなら、あるいは実の妹を篭絡することもできたかもしれないが……いや、これはまた別の話だな。失礼した」

 

 これから案内したい所がある、と蓬莱玉は言い、結梨にシエルリントの制服に着替えるように指示した。

 

「御台場の制服のままでは人目を引いてしまうからな。

着替えが終わったら、私の後についてくるがいい。

今後お前が生きる上で、何がしかの手がかりになるものを与えておきたいのだ」

 

 蓬莱玉からシエルリントの黒い標準制服を手渡された結梨は、躊躇することなく、その場で手早く着替えを進めていく。

 

 数分後、二人は生徒会室を出て、人通りの少ない廊下を選んで進んだ。

 

 迷路のように入り組んだ薄暗い廊下を何度も曲がった先に、行く手を遮る堅牢なセキュリティゲートが現れた。

 

 そのゲートこそ、シエルリント女学薗が誇る大図書館「ビブリオテカ」の入口だった。

 

 蓬莱玉が進み出て自身のIDカードをゲートのセンサーに触れさせると、ゲート脇のランプが赤から緑に変わり、自動でゲートが両側にスライドして開かれた。

 

 「ビブリオテカ」は古色蒼然たる大聖堂のような外観とは対照的に、その内部は機能性を極めた閉架式の書架で埋め尽くされた空間が広がっていた。

 

「反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのリリィで、この図書館に足を踏み入れたのは、お前が初めてかもしれない。

ここはマギの理論に関しては世界一の蔵書量を有している」

 

 ドーム式の野球場ほどもある広大な空間と、そこに整然と立ち並んでいる千を優に越える数の書架。

 

 それを言葉を失ってぐるりと眺めている結梨の隣りに立って、蓬莱玉はタブレット状の端末を差し出した。

 

「私の権限で閲覧できる書架はロックを解除している。

書架の開閉制御と文献検索のための端末を渡しておくから、必要な情報は全て頭の中に入れておくといい」

 

 



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第24話 虜囚(5)

 

 シエルリント女学薗の大図書館「ビブリオテカ」の中に入った結梨の視界には、100メートル近く先まで閉架式の書架が整然と立ち並んでいる。

 

「ここ、図書館なの? すごく広い……」

 

 書架に埋め尽くされた広大な屋内空間に戸惑ったように、結梨は蓬莱玉に尋ねた。

 

 蓬莱玉は隣りに立つ結梨の顔を見て満足げに頷くと、自身が持っていたタブレット端末を結梨に手渡した。

 

「そうだ。せっかくの機会だ、知りたいことがあるのなら、ここで調べていけ。

反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンでは入手できない情報が存在するだろうからな。

 

今は館内を貸し切りの状態にしてある。

好きなだけ書架に収められている書物を渉猟するがいい」

 

「本当にいいの? 後で蓬莱玉が怒られたりしない?」

 

「構わん。閲覧できるのは私の権限で許可されている範囲だけだからな。

 

ただし、内容を紙に書き留めることはするな。

知ったことは全てお前の頭の中に記憶しておけ」

 

「分かった」

 

「とは言え、この図書館に収蔵されている文献の大半は、マギについての理論的な研究論文だ。

 

反G.E.H.E.N.A.主義者が憎んで止まない、リリィの強化実験に関するものはほとんど無い――少なくとも、私が閲覧を許可されている範囲では。

 

お前の欲している情報と合致する可能性は低いかもしれないが、それでも構わないか?」

 

「うん、ありがとう。

でも、どうして蓬莱玉は私にこんなことをしてくれるの?」

 

「――率直に言えば、これはお前に対する私個人の実験だ。

 

お前に我がガーデンが所有している情報を与え、その結果、どのような変化がお前に起こるのかを観察する」

 

「その実験をシエルリントのガーデンが認めたの?」

 

「そうだ。投薬や物理的な施術は、お前の心身に不可逆の悪影響を及ぼす恐れがある。

 

それに、お前と同じ能力を持つ人造リリィは、今のところ再現不可能だ。

 

さっきも言ったように、コアとなる技術を開発した研究者が失踪したそうだからな」

 

「……」

 

「それゆえG.E.H.E.N.A.としても、今お前を傷物にするわけにはいかないのだろう」

 

 蓬莱玉はそう言うと、身を翻して図書館の入口へ向かって戻り始めた。

 

 が、何かを思い出したように一度立ち止まると、振り返って結梨の顔を見た。

 

「私の内線番号を教えておくから、食事や飲み物が必要なら備え付けの電話で連絡するがいい。

入口の前まで道川深顯に届けさせよう」

 

 蓬莱玉は自身の内線番号を口頭で結梨に伝えると、また後で来る、と言い残して去って行った。

 

 蓬莱玉が立ち去った後で閉ざされた図書館の扉を、結梨は少しの間見つめていた。

 

「私が知りたいこと……ここでしか知ることができない情報……」

 

 そして何かを決心したように、手近な席に座ってタブレット端末を操作し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓬莱玉が「ビブリオテカ」に戻ってきたのは、六時間近くも経過して日付が変わろうとする深夜だった。

 

 入口のロックを解除して館内に入った蓬莱玉が目にしたのは、机の上にうず高く積み上げられた様々な厚さの書籍や学会誌の数々だった。

 

 その机に突っ伏すような姿勢で椅子に座っている、シエルリントの黒い制服を着た結梨の姿があった。

 

 蓬莱玉は眠っている結梨に静かに歩み寄ると、そっとその肩に手を当てて軽く揺すった。

 

 それに反応して、結梨の頭がゆっくりと持ち上がり、すぐ傍に立っている蓬莱玉の顔を見上げた。

 

「ん、私……」

 

 瞼をこすりながらあくびをかみ殺す結梨に、蓬莱玉はそれまでと変わらぬ口調で状況を説明する。

 

「さすがに疲れたか。目当ての情報は見つかったか?」

 

「難しくてよく分からないけど、関係がありそうなものは全部目を通したつもり」

 

「そうか、それなら良しとしよう。

……だが、すまないが時間切れだ。

お前を別の場所に移送するよう、ガーデンから命令が出た。

これから御台場の制服に着替え直して、移送用の車両に乗り込んでもらう」

 

 そう言った蓬莱玉の手には、結梨が着ていた御台場女学校の標準制服があった。

 

「私、どこに連れていかれるの?」

 

「行き先は私にも知らされていない。

おそらくは、いずこかのG.E.H.E.N.A.ラボである可能性が高い」

 

「そうなの……」

 

「本当に逃げなくていいのか? 今が最後のチャンスだぞ」

 

 G.E.H.E.N.A.がその戦闘能力を恐れて、積極的に手出しできなかった人造リリィが、思わぬ形で手元に転がり込んできたのだ。

 

 しかも抵抗することなく武装解除に応じて、今は丸腰の状態だ。

 

 この絶好の機会を見逃して解放する手は無いと踏んだのだろう。

 

 蓬莱玉は結梨がシエルリントのガーデンから逃亡しようとしても妨害しないつもりだったが、やはり結梨に逃亡の意思は無かった。

 

「うん、逃げない。

もう少しG.E.H.E.N.A.のこと調べてみたいから」

 

 きっぱりと言い切る結梨に、蓬莱玉は肩をすくめて苦笑した。

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か。

見かけによらず大した度胸だが、今のお前は徒手空拳の丸腰だ。

裏付けとなる武力は存在しない状態なのだぞ」

 

「一応、大丈夫なように考えてはいるんだけど……」

 

 何やら含みを持たせた結梨の言い方に、蓬莱玉は何かを察したようだった。

 

「……お前、何がしかの隠し玉を持っているな?

それも、丸腰の状態からでも敵地を脱出できるだけの」

 

「……」

 

 表情を変えず、黙ったままの結梨。

 

 それを見た蓬莱玉は、これ以上の詮索は無用と判断したのか話を切り上げた。

 

「……好きにすればいい。それもお前の選択だ。

私は私の好きにさせてもらう」

 

 結梨が御台場女学校の制服に着替え終えると、蓬莱玉は結梨を伴って「ビブリオテカ」を出た。

 

 関係者以外は通行できない特殊通路を進みながら、蓬莱玉は自分のすぐ後ろを歩く結梨に、振り向かずに話しかけた。

 

「お前は世界で最も理不尽な運命の下に生まれたリリィであると同時に、世界で最も特別な力を持って生まれたリリィでもある。

 

それならば、お前はお前自身の持つ力で自らの運命を切り開くがいい。

今の私がお前にかけられる言葉はこれくらいだ」

 

 少しの間を置いて、蓬莱玉の背中に結梨の声が返ってきた。

 

「ありがとう、きっと無事に帰ってみせるから。

またシエルリントに来ることができたら、もっとお話ししようね」

 

 二人が長い通路を抜けた先に、来賓用のエントランスが現れた。

 

 そこで出迎えたのは、黒十字マディック隊の隊長である道川深顯だった。

 

「お待ちしておりました、『北河原ゆり』様。

ここから先は、私が移送用の鉄道車両までご案内いたします。

どうぞ、私の後について来て下さい」

 

 箝口令を言い渡されているためか、心なしか深顯の表情は緊張していた。

 

「よろしく頼む。私は『ビブリオテカ』に戻って机の上を片付けておく」

 

 蓬莱玉はそう言うと、結梨に簡単に別れの言葉をかけて去って行った。

 

 その後ろ姿が見えなくなるまで、結梨と深顯は黙って蓬莱玉の背中を見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨と別れて「ビブリオテカ」に戻ってきた蓬莱玉は、結梨が机の上に積み上げたままの各種の文献を一瞥した。

 

 一番上に積まれている学会誌を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていく。

 

 その指が止まり、蓬莱玉は特定の箇所に視線を走らせる。

 

 間もなく手にしていた学会誌を机の上に置くと、別の著書を持ち上げてその背表紙を見た。

 

 その行為を何度か繰り返し、やがて確信を得たかのような表情で、蓬莱玉は独り言を呟いた。

 

「決してお前を謀ったわけではないのだが……これで私の推測が裏付けられた。

感謝するぞ、一柳結梨」

 

 満足げな様子で書籍を机の上に戻した蓬莱玉は、意識を切り替えるようにポケットから通信端末を取り出した。

 

(――さて、お前はああ言ったものの、万が一の事があっては取り返しがつかない。

石橋は叩いて渡らせてもらうぞ)

 

 蓬莱玉は慣れた手つきで手元の端末を操作して、相手先との回線を接続した。

 

「私だ、久しぶりだな。

……まあ、そう邪険にするな。

実は、少しばかり興味深い話があってな。

貴公の耳に入れておく方が適切かと一考した次第だ。

無論、貴公がそれを望まぬというのであれば、要らぬ世話は焼かぬことにするが――」

 

 電話口でしばらく何者かとのやり取りを交わした後、蓬莱玉は相手が自分の意向を受け入れたことに感謝の言葉を述べて、通話を終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、金沢文庫近傍の車両基地で、結梨は深顯と別れ、窓の無い移送用の鉄道車両に一人で乗り込んだ。

 

 それから数十分が経過した頃、一隊のレギオンが現場に現れた。

 

 列車はまだ発車予定時刻を迎えておらず、車両基地で停車中の状態だった。

 

 レギオンの隊員は全員がエレンスゲ女学園の制服を身に纏い、CHARMを携行している。

 

 隊長と思しき一人のリリィが、隣りに立っている隊員のリリィに声をかける。

 

「この車両が都内の目的地に到着するまで護衛せよ。

極秘任務につき、積載物についての情報は非公開。

――どうせ例によって碌でもないものを積んでるんでしょうよ」

 

「実験体の特型ヒュージか、新開発のブーステッドCHARM……そんなところか」

 

「こんな運び屋みたいな任務、ヘルヴォルにやらせておけばいいのよ、この間みたいに」

 

「列車の上で忍者のコスプレみたいなカスタマイズ戦闘服を着ていたという、あの件か。

全くふざけた連中だ。

だが、今回の護衛任務がヘルヴォルではなく、このクエレブレに命令されたということは……」

 

「あいつらの目には絶対に触れさせたくない何かを運ぶから……か」

 

「校長は私たちにも詳細を説明しなかった」

 

「知らない方が幸せ、ってことなんでしょうね。

さて、一体どこに何を運ぶのやら……」

 

 エレンスゲ女学園の序列2位である松村優珂は、同じLGクエレブレに所属する副隊長の牧野美岳に肩をすくめてみせた。

 

 美岳はそれには応えず、窓の無い車両の内部を透視するかのように見つめていた。

 

 結梨をその中に乗せた移送用の列車は、あと少しで定刻どおり車両基地を発車しようとしていた。

 



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第24話 虜囚(6)

 

 日付が変わり、雲間から時折顔を出す満月が中天を過ぎた頃、結梨を乗せた移送列車は予定通り静かに発進した。

 

 線路は単線の非電化区間、先頭車両はディーゼル式の機関車、その後ろに六両の客車が連結、牽引されていた。

 

 結梨の乗った車両は最後尾の客車で、一見しただけでは不自然な点は見当たらない。

 

 だが、実際には窓に見える部分はダミーの造形で、外から客車の中を見ることはできなかった。

 

 当然、客車の中からも外の様子は分からない。

 

 最後尾以外の車両が何を積んでいるのか、それとも積んでいないのかも分からない。

 

 客車の中は、いかにも贅を凝らしたソファーやテーブルなどの調度品が配置されていた。

 

 窓の外が見えない点を除けば、高級寝台列車そのものの内装に、結梨は戸惑っていた。

 

(この列車が私を運ぶために用意されたの?)

 

 一個人の移送用としては大げさに過ぎるものだったが、G.E.H.E.N.A.にとっての最重要人物の一人という今の自分の立場を鑑みれば、そういうものと納得するしかなかった。

 

(どこかのG.E.H.E.N.A.ラボに行く可能性が高いって、蓬莱玉は言ってたけど……)

 

 行くとすれば都心の中核ラボか、さもなくば人里離れた場所に設置された隠しラボのどちらかだろうと、結梨は考えていた。

 

 だが、今はそれを判断する材料は持ち合わせていない。

 

(せっかくだから、どこのラボでも中を見ておきたいな)

 

 勿論、自分の身に危険が迫った場合、脱出するためのシミュレーションは頭の中で繰り返している。

 

 それを勘案しても、結梨の行動は蛮勇に相当するものだったかもしれないが。

 

 客車内に入って一息つくと、急に疲労感と眠気が結梨を襲い始めた。

 

(今日は色々あって、ちょっと疲れちゃった……列車が目的地に着くまで休もう)

 

 柔らかなソファーに深く身体を沈ませ、結梨が目を閉じてから眠りに落ちるまで、幾らも時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、移送列車の屋根では、護衛任務に当たっているエレンスゲ女学園のLGクエレブレが、油断なく周囲の警戒を続けていた。

 

 列車は規則正しく線路の繋ぎ目を通過する音を響かせて、深夜の鉄路を進んで行く。

 

 車両の屋根に陣取ったLGクエレブレの五人のリリィは、無駄口を叩くことなく無言で前方の線路脇を見つめている。

 

 襲撃があるとすれば、線路脇に潜んでの待ち伏せ攻撃が、最も可能性が高いと思われたからだ。

 

 線路を爆破すれば列車が脱線して積載物が損壊する恐れがあるし、空から襲撃する場合はエンジン音で気づかれる上、走行中の列車に降下するのは至難だ。

 

 列車が金沢文庫を出て二十分ほどが経った時、変化は訪れた。

 

 列車の走行音に紛れて、コツ、コツ……と硬い靴音が、優珂たちの背後から聞こえたのだ。

 

 クエレブレの五人全員が瞬時にそちらを振り向く。

 

 十の瞳が見つめる先には、月光に照らし出された一人の女性の姿があった。

 

「止まりなさい。走行中の列車の屋根にいるなんて、普通の人間じゃないわね。

あんたを誰何する。

本名と所属ガーデン、ここにいる目的を答えなさい」

 

 優珂が問いただすまでもなく、女性の手に握られた大型のCHARMから、彼女がリリィであることは明白だった。

 

 均整の取れた見事な長身、長い黒髪、頭部に装着されたヒュージサーチャー、そして――

 

「迷子の子猫ちゃんを迎えに来た……と言ったら信じてもらえるかしら?」

 

「何を言ってるんだ、あの女」

 

 呆れた口調で呟く美岳の隣りで、優珂がいかにも胡散臭いものを見る目で再度問う。

 

「あんた、誰なの? それに、その恰好は何?

ここは仮面舞踏会の会場じゃないわよ」

 

 クエレブレの前に現れたリリィは、顔の上半分を隠す仮面を着けていた。

 

 そして、その身体は黒いドレスのような衣装を纏っている。

 

 明らかにリリィが戦闘時に着用するものとは思われなかったが、手にしているのは、れっきとしたCHARMだ。

 

「……あんた、普通のリリィじゃないわね。

かと言って特務レギオンのリリィでもない――そんなふざけた服装で任務に出撃する特務のリリィがいるはずない」

 

「私が何者か知りたければ、私と戦って私を負かして吐かせればいい。

まさか5対1でも勝てません、なんて言わないわよね」

 

 露骨な挑発の言葉をクエレブレに向かって投げる仮面のリリィ。

 

 優珂たちの間に一気に剣呑な空気が漂ったが、さすがに易々と煽り文句に乗ることはしなかった。

 

「馬鹿にしてくれるわね。

その恰好と物言いで、あんたがまともなリリィじゃないことはよく分かったわ。

さしずめ、どこかの組織に雇われた潜りの野良リリィってとこか……」

 

 眼前のリリィについての情報を持たない優珂は、最も妥当と思われる可能性をぼそっと呟いた。

 

「あのリリィは不審者として身柄を拘束、ただし抵抗する場合は負傷させることも止む無し……でいいな?」

 

 美岳が優珂に確認を求めると、優珂は黙って頷いた。

 

 目の前にいるリリィは囮で、本隊が別に控えているのかもしれないと優珂は勘ぐったが、今の所それを窺わせる兆候はどこにも感じられなかった。

 

「どうやらやる気になってくれたみたいね。

私も用事は手早く終わらせたいの。

五人まとめてで構わないから、さっさとかかって来なさい」

 

 気負った様子も無く、仮面のリリィは右手に携えていたCHARM――それはカスタマイズされたティルフィングだった――をいかにも無造作に構えた。

 

「馬鹿にして。その思い上がった態度を後悔させてやる」

 

 優珂と美岳は列車の屋根の上で跳躍し、仮面のリリィを飛び越えてその背後に着地した。

 

 仮面のリリィは前方に三人、後方に二人のリリィに挟まれる形になった。

 

「相手が一人でも容赦するな。

――このLGクエレブレを愚弄した罪、その身をもって贖うがいい」

 

 美岳の言葉が終わると同時に、クエレブレの五人のリリィは一斉に仮面のリリィに斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠りに落ちていた結梨が目を覚ましたのは、離れた車両から聞こえて来る物音によってだった。

 

(なんだろう、あの音)

 

 結梨は眠い目をこすりながら、身を横たえていたソファーからゆっくりと起き上がった。

 

 数両先から聞こえるその音は、何らかの金属がぶつかり合うような響きだった。

 

 時折ひときわ大きな衝撃音が聞こえたかと思うと、束の間だけ静寂が支配し、再び同じ音の繰り返しが始めるのだった。

 

(これ、誰かがCHARMで戦ってる音? リリィどうしが戦ってるの?)

 

 音は結梨が乗っている最後尾の車両より前方から聞こえて来る。 

 

(前の車両には……行けないんだよね)

 

 前方の車両につながる扉は存在せず、事実上車両間の移動はできないようになっていた。

 

 結梨は後部の扉から車両の外へ出ようとしたが、出入り口のドアはロックが掛かっていて開かない。

 

 縮地S級で車両の屋根にテレポートすることも考えたが、外の状況が分からない以上、丸腰で飛び出すことは思いとどまった。

 

(もう少し待ってみよう)

 

 再び結梨はソファーに腰を下ろし、聞こえてくる音を聞き洩らさないように、じっと耳を澄まし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あんた、一体何なの?

何をどこまで強化したら、そんな化け物じみた強さになるのよ。

どうしてそれほどの強化をして正気を保っていられるの?

信じられない」

 

 憎らしげに仮面のリリィを睨みつけて、優珂はうめく様に言葉を絞り出した。

 

 既に列車の屋根の上には、優珂以外にクエレブレのリリィの姿は無い。

 

 剣戟が始まって数分も経たないうちに、優珂を除く四人のリリィは得物のCHARMをその手から弾き飛ばされ、間髪入れず脇腹に回し蹴りを叩き込まれて、線路脇の草むらに転落していった。

 

 勿論リリィの脚力をもってすれば、走行中の列車を追いかけて飛び乗ることは十分可能だが、肝心のCHARMが明後日の方向に飛ばされていては意味が無い。

 

 まず見失ったCHARMを回収し、エレンスゲのガーデンに報告を入れるのが優先事項にならざるを得なかった。

 

 事ここに至って、優珂は自分たちが相手にしているリリィが、全くの規格外であることを認めないわけにはいかなかった。

 

 決して手を抜いたわけではないし、慢心があったわけでもない。

 

 しかし五人のリリィの全ての戦闘技術とレアスキルは、目の前に立つ唯一人のリリィに対して全く無力だった。

 

 前後から完璧にタイミングを合わせた同時攻撃は、後ろに目がついているかのような動作で容易く回避され、あるいは受け流された。

 

 挙げ句には、金縛りのような攻撃でクエレブレのリリィの動きを止めた後、悠々とCHARMを彼女たちの手から弾き飛ばしたのだ。

 

 仮面のリリィの実力は、才能や努力では決して追いつけない、異次元の超能力とでも呼ぶべき何かを見せつけられているかのようだった。

 

「あなたがレギオンのリーダー?結構粘ったわね。

その制服は六本木のエレンスゲ女学園か……

新興のガーデンにしては、それなりによく訓練されているようね」

 

 息一つ乱さずに、仮面のリリィは余裕に満ちた態度で講釈を垂れた。

 

 平素なら一対一で後れを取ることなど、優珂にはあり得ないことだったが、今日は何もかも勝手が違っていた。

 

「任務に失敗したからと言って、悲観する必要は無いわ。

ガーデンにはこう報告すれば、罰せられることは無いでしょう。

――『御前』と名乗る謎のリリィが現れた、と」

 

「……どこまでもふざけた事ばかり言うリリィね。

一矢でも報いなきゃ、このままおめおめとガーデンに戻れやしないわ」

 

 優珂は残った闘志を振り絞り、CHARMを握り直して、仮面のリリィに向かって斬りかかった。

 

 この夜最後の剣戟音が、月明りに照らされて疾走する列車に響き渡った。

 

 



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第24話 虜囚(7)

 

(静かになった。戦いが終わったんだ)

 

 列車の走行音だけが規則正しく響く客車の中で、結梨は前方の車両で続いていた戦闘が終了したことを認識した。

 

(誰と誰が何のために戦ってたんだろう。

この列車は私を運ぶためのものだから、私を取り戻すために百合ヶ丘か御台場のリリィが来たのかな)

 

 しかし、その場合は今夜この列車で結梨が移送されるという情報を、百合ヶ丘や御台場がどのように入手したのかという問題がある。

 

 親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山であるシエルリント女学薗が、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの重要人物を手中に収めたのだ。

 

 結梨の身柄を確保しておきたいのなら、然るべき時機が訪れるまで情報は伏せておくだろう。

 

 結梨の行方を問い合わせる連絡が百合ヶ丘や御台場からシエルリントに来ても、知らぬ存ぜぬを貫き通す可能性が高い。

 

(私をG.E.H.E.N.A.のラボに運ぶつもりなら、シエルリントは百合ヶ丘や御台場に前もって連絡しないよね。

私を運ぶのを邪魔して下さいって言ってるみたいなものだから)

 

 だとすれば、戦闘を仕掛けてきたのは、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの関係者ではなく、それ以外の勢力によるものだと考えられる。

 

(えっと、他に私を知ってる人や組織で、私がこの列車で運ばれる情報を手に入れられるのは……)

 

 結梨が首をひねって考え込んでいると、突然頭の上から女性の声が聞こえてきた。

 

「この客車の天井を今から破壊するわ。

危ないから、車両の端に移動して」

 

 その声には聞き覚えがあった。

 結梨はすぐに元気よく返事を返す。

 

「わかった。ちょっと待ってて」

 

 言うが早いか、結梨はただちに客車の最後部まで走って行って、天井に向かって呼びかけた。

 

「もういいよ。一番後ろの隅っこまで移動したから」

 

 結梨が言い終えると、一瞬の間を置いて天井に甲高い音が響き、何本もの亀裂が走った。

 

 紙のように切り裂かれた客車の天井は上方に吹き飛び、客車の中からは正方形の形にくり抜かれた夜空が見えた。

 

 天井に開けられた2メートル四方ほどの穴から、一人の女性が客車内に飛び降りてきた。

 

 それが先程まで前方の車両で戦いを繰り広げていた張本人であることは明らかだった。

 

「ごきげんよう、結梨。

おおよその事情は聞いているわ。

どこも怪我してはいないわね?」

 

 親しげに結梨に微笑みかける女性は、仮面を外していた。

 

 もっとも、仮面を着けていたとしても、結梨にはその女性が誰なのかはすぐに分かっただろうが。

 

「咲朱……」

 

 結梨はなぜ白井咲朱がこの場にいるのかが分からなかった。

 

 咲朱と戸田琴陽は現在どのガーデンにも所属しておらず、G.E.H.E.N.A.とも協力関係には無いはずだった。

 

 その彼女が、どうして結梨の移送計画を察知し、事態に介入することができたのか。

 

 反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務レギオンであっても入手できないレベルの機密情報――それを、いわばフリーランスのゲリラに等しい咲朱が、どのように入手したのか。

 

 咲朱の顔を見て不思議そうに黙り込んでいる結梨に、咲朱は先回りをして答えた。

 

「あなたの考えていることは分かっているわ。

あなたがここにいることを、なぜ私が知っているのか……でしょう?」

 

「うん……」

 

「あなたに勿体ぶっても仕方ないから教えてあげる。

心配性の魔女が私に電話をかけてきたのよ。

あなたにもしもの事があっては困るって」

 

「魔女って……もしかして蓬莱玉のこと?」

 

「そうよ、彼女の個人的な考えとしては、あなたをラボに行かせたくなかったようね」

 

「私はG.E.H.E.N.A.ラボの中を、自分の目で見てみたかったんだけど……」

 

 社会見学あるいは校外学習が中止になった子供のように、結梨はどこかしら残念そうな様子を隠しきれなかった。

 

 それを見た咲朱は、軽く首を横に振った後、結梨の肩に優しく手を置いた。

 

「ラボの中を見ても、今のあなたの教育に悪い影響しか無いわ。

それに、ラボの中は伏魔殿も同然。

私でも知らないような侵入者排除のシステムがあるかもしれない。

だから、ラボの社会見学は保護者同伴で、またの機会にしましょう」

 

「……うん、分かった」

 

「それに、あなたのリリィとしての目的は、G.E.H.E.N.A.を滅ぼすことではないわ。

あなたにはG.E.H.E.N.A.への憎しみや復讐に囚われることなく、もっと先を見据えていてほしいの」

 

「それは、前に咲朱が言ってた『高み』のこと?」

 

「ええ。この世界が目指すべき『高み』。

人類は『ヒュージの姫』を頂点として、来るべき次の新しい時代を生きるべく、社会の在り方を変化させていかなければならない」

 

「私には、その『高み』がよく分からないけど……」

 

「今はまだ分からなくてもいいわ。

一朝一夕に為しえることではないし、幾つもの段階と計画を踏まなければ、実現は覚束ないのだから。

ただ、G.E.H.E.N.A.がその理想に立ちふさがるのなら、障害物として排除することも辞さない、というだけよ」

 

 咲朱の言葉に危険な響きを感じつつも、結梨はこの話題について話し込むことを避け、別の話題を持ち出した。

 

「前の方の車両で咲朱と戦ってたのは……?」

 

「列車の屋根に陣取っていたのは護衛の強化リリィ。

大方G.E.H.E.N.A.がエレンスゲ女学園に連絡して派遣させたのでしょう。

意外と悪くない腕前だったけど、この私が相手ではね……」

 

「エレンスゲのリリィが護衛をしてたの?」

 

「ええ、彼女たちは全員がエレンスゲ女学園の制服を着ていたわ。

五人組だったから、東京の一部のガーデンでの基準人数とされている、一個レギオンの部隊だったようね」

 

「そのレギオンって……」

 

 まさかLGヘルヴォルが護衛任務に当たっていたのかと結梨はぎくりとしたが、それは杞憂だった。

 

「彼女たちはLGクエレブレと名乗っていたわ。

それが本当なら、エレンスゲ女学園の序列2位レギオンであり、過激派の校長の隷下にあるレギオンの筆頭ね」

 

「クエレブレのリリィをやっつけたの?」

 

「丁重に途中下車していただいたわ。

走行中の列車から落ちたくらいで、リリィが怪我をすることは無いでしょう。

しばらくは脇腹が痛むかもしれないけど、骨や内臓にダメージは無いはずよ」

 

「そうなの、よかった……」

 

 ほっとした様子で結梨は胸を撫で下ろしたが、すぐに別の心配事に思い当たった。

 

「私のCHARMと通信端末はシエルリントで没収されちゃったんだけど、もう戻って来ないのかな……」

 

「いえ、その心配はしなくていいわ。

明日以降、百合ヶ丘女学院に『北河原ゆり』宛ての荷物が届くわ。

その中に没収されたエインヘリャルと通信端末が入っているそうよ。

ただし、差出人の名前と住所は架空のもの。

おそらく指紋も念入りに拭き取られているでしょう。

今回の一件は、これでひとまず手打ちになるんじゃないかしら」

 

「それも蓬莱玉が教えてくれたの?」

 

「そうよ。でも、このことは他の人には内緒にしておいてね。

私に情報を流したことが露見すると、シエルリントでの彼女の立場が危うくなるから」

 

「わかった、誰にも話さないから」

 

 今回の件に関しては、ガーデンとしてのシエルリントは事を表沙汰にする気は無く、結梨を一時的に拘束した事実も認めないつもりのようだ。

 

 その代わりに『御前』の襲撃や結梨の逃走についても騒ぎ立てることはせず、全ては舞台の裏側で進行する権謀術数の世界、ということになるのだろう。

 

「ある意味、自然発生したヒュージとの戦いは既に茶番劇と化しているのかもしれないわね……

この世界の真実は、G.E.H.E.N.A.と『ヒュージの姫』と『特異点のリリィ』に集約されている、と言っても過言ではないでしょう」

 

 当然、その中には白井咲朱と一柳結梨も含まれる。

 

 自分が望むと望まざるにかかわらず、世界の行く末を左右する事態に関与せざるを得ない。

 

 それならば、いっそ自分から積極的に解決策を模索するのも一つの手かもしれない。

 

 結梨の考えが方向性を持ち始めた時、咲朱の言葉がその思考を中断した。

 

「この先の海岸近くで、琴陽が車で待機しているわ。

エレンスゲが追っ手を差し向けてくる前に、列車を降りてこの場から離脱するわよ。

――さあ、行きましょう、結梨」

 

 咲朱の意図を理解した結梨は、咲朱の後に続いて、破壊された屋根の穴から車両の外に脱出し、二人は夜の闇へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、約10キロメートル後方の線路上では、咲朱に列車から蹴り落とされたLGクエレブレの隊長である松村優珂が、エレンスゲのガーデンに連絡を取っていた。

 

「――はい、相手は一人だけでしたが、異常な戦闘能力の持ち主で、私たちの力では排除できませんでした。

襲撃者の特徴ですか?

その襲撃者は仮面を着けていて、素顔は確認できませんでしたが、確か『御前』と名乗りました」

 

 松村優珂の報告を受けたエレンスゲ女学園の校長、高島八雲は『御前』の名を聞かされると、途端に緊張感を孕んだ声に変わった。

 

『その襲撃者のリリィは確かに『御前』と言ったのね。

――分かりました。LGクエレブレは直ちに現地から撤収。

速やかにエレンスゲのガーデンに帰投しなさい』

 

「しかし、現場の検証や車両の状態確認など、各種の事後処理が残っていますが」

 

『それらには別の人員を配置して対応します。

LGクエレブレの護衛任務は現時刻をもって終了。

以後、本件に関する情報について、一切の口外を禁じます』

 

「……」

 

 事実上の箝口令を告げる八雲の言葉に、優珂は黙らざるを得なかった。

 

 幾つかの簡単な返事を返した後、優珂は通信を終えた。

 

「私たちの任務は終わり。さっさとガーデンに戻りなさい、だって」

 

 どこかしら投げやりな態度の優珂に、隣りに立っていた副隊長の牧野美岳が、やや感情的に問い詰める。

 

「あの『御前』というリリィを追わなくていいのか?

今頃は積み荷を奪取して逃走中のはずだ。

エレンスゲやシエルリントから増援を出して、非常線を張れば捕まえられるかも」

 

 美岳の提案に、優珂はすげなく首を横に振った。

 

「多分、その程度でどうにかできるようなレベルじゃないんでしょ。

あの仮面のリリィ、私たちが思っている以上にヤバい相手に違いないわ」

 

「それは、たとえばどんな?」

 

「他にも手練れの仲間がいるとか、隠している能力があるとか……異常な戦闘能力だけが、あのリリィの全てという保証なんて、どこにも無いわ」

 

「逆に言えば、校長はその情報を持っているから、私たちに撤退命令を下したのか」

 

 あの仮面のリリィもまたジャガーノートと同じく、表の世界には出せないG.E.H.E.N.A.の産物なのか。

 

 自らの技術によって生み出した存在が、自らのコントロールから逃れて制御不能になる――そう考えればG.E.H.E.N.A.という組織も意外と脇が甘い――優珂と美岳は顔を見合わせて思わず苦笑した。

 

 いずれにせよ、今ここで校長の命令に背いても何一つ益は無い。

 

 LGクエレブレの五人のリリィは、西に傾き始めた月の下で、黙々と撤収の準備に取り掛かり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨が鎌倉府の百合ヶ丘女学院に戻ったのは、移送列車から脱出した翌朝のことだった。

 

 通常であれば、東京の御台場女学校へ戻るのが妥当だった。

 

 だが、状況の特殊性を鑑みて、本来の所属ガーデンである百合ヶ丘女学院へ戻ることを、咲朱が提案したのだった。

 

 結梨は琴陽が運転する車で、百合ヶ丘女学院の北側に広がる山地の林道からガーデンに接近した。

 

 ガーデンの敷地手前で同乗していた咲朱とともに車を降り、隠し通路から敷地内へ入る。

 

 生徒手帳兼身分証明書のIDカードはシエルリントで没収されなかったので、通路のロックは正規の手順で開錠できた。

 

 これによって「北河原ゆり」がこの通路からガーデンに入ったという情報は、理事会を始め生徒会や特務レギオンのリリィに伝達されるはずだ。

 

 結梨は念のために通路内の監視カメラに顔を向けて手を振ってみた。

 

 幅の狭い地下の通路を通り抜け、特別寮地下の駐車場に出る。

 

 そこからさらに階段を上がり、特別寮の廊下に出る。

 

 結梨と咲朱は人目に付かないよう、特務レギオン専用の廊下を通ってLGロスヴァイセの控室前まで来た。

 

 結梨が軽くドアをノックをすると、返事が返ってくる前にゆっくりと控室のドアが開かれた。

 

 ドアの隙間から見えた顔は、LGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀のものだった。

 

「ただいま」

 

 結梨は少し申し訳なさそうな声で、伊紀に帰宅の挨拶をした。

 

 伊紀は結梨の顔を見ると、そのままドアを大きく開き、結梨に抱きついた。

 

「結梨ちゃん、無事だったんですね。よかった……」

 

 目に涙を浮かべて結梨の背中を撫でていた伊紀の手が止まったのは、結梨の後ろに控えていた人物の姿を確認したからだった。

 

「どうして、あなたがここにいるんですか?」

 

 急に剣呑な表情に変わった伊紀の顔を見て、咲朱は皮肉げに唇を歪めてみせた。

 

「随分と嫌われているのね。

無力なあなたたちに代わって、私が自ら結梨を保護してあげたというのに」

 

「私たちに貸しを作るための、あなたの自作自演という可能性も否定できません」

 

 伊紀は特務レギオンの隊長として、あくまでも咲朱に対して警戒を解くつもりは無かった。

 

 二人のやり取りを控室の中から見ていたロザリンデと碧乙が、頃合いを見計らってソファーから立ち上がり、二人のいるドアの方へと歩み寄った。

 

「伊紀、今はそこまでにしておきなさい。

――白井咲朱さん、経緯は分かりませんが、結梨さんを百合ヶ丘女学院へ無事に帰していただいたことにお礼を申し上げます」

 

 伊紀の前に出たロザリンデは、黒いドレスを着て目の前に立つ咲朱に深々と頭を下げた。

 

「さすがに上級生は立場をわきまえているようね。

いいでしょう。あなたに免じて隊長の非礼は不問に付してあげるわ」

 

(何を偉そうに。年増のおばさんが)

 

 ロザリンデの後ろで、碧乙が苦々しげに咲朱を非難する目で見る。

 

 そのような各人の思惑を知ってか知らずか、結梨はいつもと変わらない屈託の無さで、その場にいる全員に言葉をかけた。

 

「私、みんなと話したいことがあるの。相談に乗ってくれる?」

 

 



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第25話 尋ね人(1)

 

 咲朱に伴われて結梨が百合ヶ丘女学院へ帰還してから、数日が経過していた。

 

 生身でケイブに入ったことによる心身への影響の有無を確認するため、結梨はメディカルチェックを受けた上で、当面の間は御台場に戻らず経過観察が必要――と、百合ヶ丘のガーデンは判断した。

 

 また、結梨が装備していたエインヘリャルのユニット――それは咲朱の言葉通り、架空の発送元から百合ヶ丘女学院に届けられた――についても、ハードウェアのオーバーホールとソフトウェアのセキュリティチェックは必須だった。

 

 エインヘリャルは解析科と工廠科で秘密裏に確認作業が行われた後、改めて製造元である天津重工へ送られる予定になっている。

 

 エインヘリャルの予備機は製造工程の途中であるため、今のところ代替機は結梨の手元には無く、非常時には琴陽から譲り受けたトリグラフを使って戦うことになる。

 

 結梨自身は普段通りの生活を送るようにと、ガーデンから指示を受けていた。

 

 ただし、原則として一人での単独行動は禁止され、経過観察のためにロスヴァイセあるいは生徒会長のリリィが常時帯同することが義務付けられた。

 

 経過観察中であるという点を除けば、いつもの日常とほとんど変わらない生活ではあったが、帰還後の結梨にはそれまでとは違った明確な目的意識が芽生えていた。

 

 それは岸本教授の研究が、ヒュージとの戦いを終わらせる手がかりとなる可能性があるという、一種の確信めいた考えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨が咲朱と一緒に百合ヶ丘のロスヴァイセ控室に戻ってきた時、話したいことがあると言ったのは、岸本教授についてだった。

 

 既に咲朱は結梨に別れを告げて百合ヶ丘のガーデンを去っており、その時点で控室には結梨、ロザリンデ、碧乙、伊紀の四人だけが残っていた。

 

「来夢のお父さん――岸本教授は、ヒュージがいる世界でも人が生きていけるように、人の身体を変えようとしたの」

 

 それがヒュージから仲間と見なされ攻撃されず、さらにはヒュージに自分を守らせることすら可能にした岸本・ルチア・来夢であり、ヒュージと戦うためのあらゆる能力を先天的に備えて生まれた一柳結梨だった。

 

 来夢や結梨のような人間が新たな人類の姿となれば、もはやヒュージの存在は脅威ではなくなり、熊や虎のように人の力で危険を抑え込める程度の猛獣扱いになるだろう。

 

 だが、岸本教授の考えは余りにモデル化され過ぎ、理想主義的に過ぎた。

 

 確かに彼女たち個人のみを考慮するなら、それはヒュージとの戦いを終わらせる究極的な人類の姿に見えるかもしれない。

 

 しかし、人類の一定割合を来夢や結梨のような人間が占めるためには、全世界規模での大規模な遺伝子操作が必要となり、これが生命倫理上の大議論を巻き起こす事態は容易に想像できる。

 

 議論が決着するまでどれほどの時間を要するか、全く想像もつかない。

 

 その上、遠い未来にその方針が認められたとしても、今度は「新しい人類」と「従来の人類」の間で様々な摩擦が生じるのは、火を見るよりも明らかだ。

 

 「従来の人類」は「新しい人類」に庇護されなければ、生存することはできない。

 

 ちょうど今の世界で、リリィが戦わなければ一般市民はヒュージから身を守れないように。

 

 現在の時点では、強化リリィを除けばリリィは人工的に生まれるものではなく、その能力も年齢によって減衰する限定的なものだ。

 

 それゆえにリリィの存在は決定的に危険視されることを免れている面がある。

 

 しかし、遺伝子操作によって生涯その能力を維持できる「新しい人類」が、人類の数十パーセントを占めるようになった時、その社会的な対立構造は人類同士の戦争すら引き起こしかねない。

 

 それは以前、伊東閑が一柳梨璃に話した危惧と同種のものかもしれなかった。

 

「だから、人を作り変えることは無理だって、岸本教授はそう考えるようになったのかもしれないって、私は思ったの」

 

 それはシエルリント女学薗の大図書館「ビブリオテカ」で、結梨が限られた時間で一心不乱に岸本教授の文献に目を通した結果、得られた考えだった。

 

「それとは別の方法で、岸本教授はヒュージとの戦いを終わらせるための何かを考えてるんじゃないかって」

 

 現在、ヒュージとの戦いは、世界各地に点在するヒュージネストと、その主であるアルトラ級ヒュージの討滅を戦略的な目標に据えている。

 

 これらのヒュージネストとアルトラ級を全て討滅することができれば、人類はヒュージとの戦いに戦略レベルで勝利したことになる。

 

 だが、地球上にマギが存在し続ける限り、あらゆる生物はヒュージに変異する可能性があり、必然的に新たなヒュージネストとヒュージが絶えず生まれ続けることになる。

 

 この原理的に解決不可能な構造こそが、ヒュージとの戦いが「終わりなき戦い」と言われることの根底に存在しているのだ。

 

 岸本教授はそのような「ヒュージとの終わりなき戦い」以外の戦略で、ヒュージとの戦いを終わらせる方法を考えようとしている――結梨は自らの意見として、そのように提案した。

 

 そして、その手がかりとなるものこそが岸本教授の研究ではないか――という趣旨の発言を結梨がした時、その場にいたロザリンデ、碧乙、伊紀の三人は、複雑な表情で顔を見合わせた。

 

 岸本教授は元々、親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるルドビコ女学院に所属していた研究者であり、実子である岸本・ルチア・来夢の、胎児段階でのヒュージ細胞埋め込みにも関与していた可能性が指摘されている。

 

 当時の詳細な状況は、未だに完全には明らかになっていない。

 

 しかし、岸本教授本人の人間性がどうであれ、彼が結梨や来夢と同じく、今なおG.E.H.E.N.A.の監視対象となっている人物であることには違いない。

 

 その上、彼は結梨が誕生することになった人造リリィ計画にも、グランギニョル社の研究員としてコアとなる技術を開発していた――中原・メアリィ・倫夜と白井咲朱はその事実に辿り着き、結梨にそれを告げたのだった。

 

 岸本教授が研究者として極めて優秀であることは、結梨と来夢の超越的な能力を鑑みれば、疑いようの無い事実だ。

 

 しかし、それは同時に生命倫理面での大問題を引き起こし、さらには社会での彼女たちの立場を危うくし、社会から排除される可能性すらもある諸刃の剣だと言える。

 

 もし岸本教授が親G.E.H.E.N.A.主義的な思想の持ち主でなければ、百合ヶ丘や御台場のような反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに協力してもらうことも可能かもしれない――その考えがロザリンデの脳裏をよぎった。

 

 とは言え、結梨の捕縛命令を巡る一連の騒動の後、彼はグランギニョル社を出奔して再び行方知れずになっている。

 

 岸本教授に対してどのような姿勢で臨むか、ということの前に、まずは彼の安否と居所を知ることが第一の課題だった。

 

「毒を以て毒を制す……か。

もし彼の身柄がG.E.H.E.N.A.――特に旧ルド女のような過激派の手に落ちれば、

またリリィがG.E.H.E.N.A.の野望達成の手段として利用されることになりかねないわ」

 

 ロザリンデの考えに同意するように、碧乙が答えを返す。

 

「岸本教授の真意がどうであれ、やはり彼をこのまま放っておくわけにはいきませんね」

 

「そうすると、どうやって岸本教授の所在をつきとめるか、考えなくてはね」

 

 グランギニョル社から失踪した後の岸本教授の消息は、依然として不明。

 

 フランスに留まっているのか、既に出国して他の国に潜伏しているのか、それすらも判然としない。

 

 いかに特務レギオンとはいえ、海外まで行方不明のG.E.H.E.N.A.関係者の捜索に乗り出すことは容易ではない。

 

 ロザリンデと碧乙が頭を抱えていたところに、伊紀が声をかけた。

 

「私に考えがあります。

岸本教授の件は私に一任していただけるでしょうか」

 

「それは構わないけど、何か勝算があってのことなのね?」

 

「自信があるわけではないですが、試してみる価値はあると思います」

 

 あくまでも控えめな言い方の伊紀だったが、ロザリンデは伊紀に任せてみることに迷いは無かった。

 

「いいわ、やってみなさい。

私と碧乙は、これと言った策は持ち合わせていないのだから」

 

「ありがとうございます。

さっそく準備に取り掛かりますので、私は先に失礼します」

 

 伊紀はロザリンデたちに軽く礼をして、いそいそと控室を出て行った。

 

 その後ろ姿を見送って、碧乙がロザリンデに小声で囁いた。

 

「珍しく浮き足立っていましたね。

よほど妙案を思いついたんでしょうか」

 

「果報は寝て待て、ではないけれど、私たちは私たちにできる事をしておきましょう。

結梨ちゃん、もう少し岸本教授の研究について聞かせてくれる?」

 

「うん、岸本教授はもともと、どうして生き物がヒュージに変わるのかっていうことを研究してたみたいで……」

 

 結梨の説明にロザリンデと碧乙は時間が経つのを忘れて聞き入り、三人の話し合いは小一時間ほども続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後の放課後、百合ヶ丘女学院の校舎を見下ろす高台にある霊園。

 

 その敷地内に一人の人影――それは少女のものだった――が佇んでいた。

 

 西に傾いた午後の太陽が、彼女の横顔に美しい陰翳を描き出している。

 

 百合ヶ丘の制服に身を包んだ少女は、自分の周囲を埋める墓の数々をゆっくりと見回した。

 

 現在はノインヴェルト戦術の確立によって、戦死者の数は以前に比べて劇的に減少している。

 

 だが、それまでは突如出現したギガント級に対抗する戦術は存在せず、結果としてこれほどの犠牲者を出すに至ったのだ。

 

 ヒュージは今も絶えず変異と進化を続けている。

 

 複数回のノインヴェルト戦術によっても撃破できない個体が出現した時、過去の悲劇が繰り返されない保証はどこにも無い。

 

 そして皮肉なことに、今では特異な変異を遂げた個体の多くが、おそらくはG.E.H.E.N.A.の実験体である――その事実が彼女の心に影を落としていた。

 

(人が人を支配するためにヒュージを利用するなんて、ブラックユーモアここに極まれり、ですわね)

 

 少女は赤みを帯びて緩やかにウェーブした髪を、海から吹く風になびかせている。

 

 その視線の先には、かつて巨大な竜巻の如くそびえ立っていた由比ヶ浜ネストは無く、ただきらきらと海面を輝かせる水平線が伸びているだけだ。

 

(……ヒュージネストも討滅したことですし、このガーデンも最前線基地としての役目を終えましたわね。

ゆくゆくは中等部のある場所に移転するのかしら)

 

 少女が物思いに耽っていると、霊園の入口の方から誰かが駆けてくる足音が聞こえてきた。

 

 その足音の主もまた、百合ヶ丘女学院の制服を着た少女だった。

 

「遅くなってすみません、教導官への事務連絡に時間を取ってしまって」

 

「お気になさらず。

私は一向に構いませんことよ、李組の学級委員長さん」

 

 息を切らして走ってきた「李組の学級委員長」に返事をした少女は、余裕に満ちた態度で微笑んだ。

 

「それにしても、随分と乙な所に呼び出してくれますわね」

 

「今日お話しすることには、この場所が一番適していると思いましたので」

 

「それで、特務レギオンの隊長であるあなたが、こんな所でこの私に何のお話しですの?」

 

「グランギニョル社トップの御息女としてのあなたに、お尋ねしたいことがあります。

――楓・J・ヌーベルさん」

 

 1年李組の学級委員長にしてLGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀は、目の前に立つ楓の顔をまっすぐに見据えていた。

 

 



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第25話 尋ね人(2)

 

 百合ヶ丘の霊園で、待ち合わせの相手である北河原伊紀を前に、楓・J・ヌーベルは伊紀の視線を真っ向から受け止め、見つめ返した。

 

 数秒の後、ふと伊紀は楓から視線を逸らして、近くにある一つの墓を見た。

 

 その墓の周りには、幾つもの献花や供え物が置かれている。

 

 それらを見ている伊紀から言葉が発されるまで、楓は無言で待っていた。

 

 伊紀は視線を墓から楓に戻して、尋ねた。

 

「以前、一柳結梨さんの身柄を巡って、彼女に対する捕縛命令を、政府が防衛軍に発したことは覚えていますか?」

 

「もちろん、忘れるはずもありませんわ。

今更この場で、当時の状況を逐一振り返る気にはなりませんが」

 

「結梨さんは戦闘中に特型ヒュージの爆発に巻き込まれ、以後行方不明のまま――公式には『missing in action』の扱いになっています。

 

もっとも、ほとんどのリリィは結梨さんが戦死したと思っているようですが」

 

「普通のリリィなら、あの爆発に巻き込まれて生きているとは思えませんわ……」

 

 楓はそこで言葉を途切れさせた。

 

「普通のリリィなら……そうでしょうね」

 

 伊紀の言葉を反芻するように、楓は半ば独り言のように呟く。

 

「確かに、結梨さんは普通のリリィではありませんでしたわ……普通のリリィでは」

 

 様々な思いが去就しているのか、表情を曇らせる楓。

 

 その楓に、伊紀は話を切り替えるように、少し声を大きくして呼びかける。

 

「楓さん、LGロスヴァイセでは、あの時に出現した特型ヒュージ――ハレボレボッツがG.E.H.E.N.A.の実験体だったのではないかと考えています。

 

政府機関の官僚は査問委員会での議論に敗北しました――彼らはG.E.H.E.N.A.の息が掛かった傀儡だったと思われますが。

 

その結果を見て、G.E.H.E.N.A.は『鳴かぬなら殺してしまえ』とばかりに、実験体の特型ヒュージを百合ヶ丘に差し向けたのです。

 

結梨さんともども、この百合ヶ丘女学院を灰燼に帰すために」

 

「それが特務レギオンの見立てた筋書きというわけですのね。

いかにもG.E.H.E.N.A.のやりそうなことですわ。

でも、あの特型ヒュージがG.E.H.E.N.A.の手によるものだという証拠はありますの?」

 

「……ありません。あくまでも当時の状況からの推測です」

 

 苦々しい表情で呟く伊紀の顔を見て、楓はさもありなんとばかりに頷いた。

 

「でしょうね。私たちも東京でエリアディフェンスが崩壊した後に現れたエヴォルヴという、あまりにも厄介な特型ヒュージに遭遇しましたわ。

ですから、その辺りの事情は察しがつきますわ」

 

「ですが、私たちを滅ぼそうとした犯人を野放しにしておくわけにはいきません。

今もなおロスヴァイセは、ガーデンからの指示で調査を継続しています」

 

「未だに当時の情報を執念深く集め続ける――それ自体は事の重大さを鑑みれば、さほどおかしなことではありません。

 

……ですが、私には他に決定的な理由がありそうにも思えますわ。

 

わざわざ私をこの場に呼び出したのも、何かしらの必然性があってのことではありませんの?」

 

「どう思われるかは楓さんの自由です。

私が口出しすべきことではありません」

 

 楓は伊紀の言葉に引っかかるものを感じて、探りを入れてみることにした。

 

「何か特別な情報を掴んでいますのね、百合ヶ丘のガーデンと特務レギオンは」

 

「それは……」

 

「端的に申し上げて、それは結梨さんの生死に関係していますの?」

 

 今度は楓が結梨の墓を見やりながら、伊紀に問いかけた。

 

「……」

 

「いかがですの?LGロスヴァイセ隊長の北河原伊紀さん」

 

 しばしの沈黙の後、伊紀はできる限り抑揚を抑えた声で、楓に答えた。

 

「――そのお墓の下には誰も眠っていません。

今の私に言えるのは、それだけです」

 

「今の伊紀さんには、そこまでしか話す権限が無いというわけですのね。

構いませんわ。それを聞けただけでも、今日ここに来た甲斐はありましたもの」

 

 そこで楓は一旦言葉を切って、伊紀の顔をやや挑戦的な目で見つめた。

 

「……それで、私に尋ねたい事とやらの本題は何ですの?」

 

 楓の視線を受け止めた伊紀は、結梨から話題が外れたことにほっとして、己の本分に戻ることにした。

 

「以前、グランギニョル社に岸本という名前の日本人が、研究員として在籍していました」

 

 楓は黙って伊紀の言葉の続きを待っている。

 それに促されるように、伊紀は更に説明を続ける。

 

「彼はかつて教授としてルドビコ女学院およびルドビックラボに在籍していた人物で、LGアイアンサイドの岸本・ルチア・来夢さんの父親でもあります」

 

「来夢さんには既に何度も東京でお会いしていますわ。

確か梨璃さんと同じカリスマ持ちだと記憶していますが」

 

「では、来夢さんが『極めて特殊な強化リリィ』であることはご存じですか?」

 

「ええ、それとなく認識はしておりますわ。

もちろん、個人のプライバシーに関わることですので、あまり根掘り葉掘り聞くわけには参りませんが」

 

「岸本教授は、来夢さんが『極めて特殊な強化リリィ』になった原因に関与していた可能性があります。

――そして、結梨さんが『人造リリィ』として生まれることになった原因にも」

 

「……それが、グランギニョル社トップの娘をここに呼び出した理由ですのね。

ようやく腑に落ちましたわ。

結梨さんの件については、グランギニョル社は共犯者も同然の立場ですものね」

 

「いえ、そこまでは……」

 

「経緯がどうであれ、あの一件でグランギニョル社は、倫理的に許されざる行いをしてしまった――それは事実ですわ。

 

リリィの損耗を避けるために、ヒュージ幹細胞から人の遺伝子を抽出し、戦死しても惜しくない戦力としての人造リリィを生産する。

 

当の人造リリィにしてみれば、たまったものではありませんわね。

 

遺伝子情報的にも外見的にも、普通の人間と何ら変わらないのに、ただ兵器として戦うためだけに生まれさせられるなんて。

 

どこかの外国の紛争地域で戦わされる少年兵と同じ――いえ、それよりもっと救いの無い、人間の罪深さを思い知らされますわ」

 

 その計画に自分の父親が加担していた――楓の心はその事実から目を背けることはできなかった。

 

「いいでしょう。私の力でお役に立てるのであれば、協力は惜しみませんわ」

 

 楓から肯定的な答えが返ってきたことに、伊紀は心の底から安堵した。

 

「ありがとうございます。

私たちは今、岸本教授の行方を捜して調査を続けています。

楓さんには、グランギニョル社を通して彼の消息を確認していただきたいんです」

 

「承知しましたわ。

ですが、あなたたちは何のために、岸本教授という人物の行方を知ろうとしていますの?」

 

「ヒュージとの戦いを終わらせるためです」

 

 あまりにも簡潔に即答した伊紀に、楓は思わず口笛を吹いた。

 

「これはまた大きく出ましたわね。

岸本教授なる一個人に、それほどのことができると?」

 

「彼はルドビコ女学院の岸本・ルチア・来夢さんの父親です」

 

「……」

 

「そしておそらくは、結梨さんを生み出した人物でもあります。

これが何を意味するか、楓さんほどの人なら想像がつくと思います」

 

「……仮に岸本教授の行方を突き止めたとして、彼の協力を仰ぐつもりですの?百合ヶ丘は」

 

「まだそこまでは分かりません。

彼の人柄や思想など、調べなくてはならないことは沢山ありますから」

 

 岸本教授についての情報は、中原・メアリィ・倫夜と白井咲朱の発言、それに結梨がシエルリントで読み込んだ岸本教授の文献から、ある程度はまとまりつつあった。

 

 しかし、直接彼と会った者は百合ヶ丘にはいない。

 

 最終的には結梨またはロスヴァイセの誰かが、岸本教授と面会し、彼の真意を確かめる必要があった。

 

「伊紀さんのご要望は確かに承りましたわ。

さっそく父に連絡してみますので、私は先にガーデンの自室に戻らせていただきますわ」

 

 ではごきげんよう、と優雅に手を振って、楓は足早に霊園を去って行った。

 

 楓の姿が見えなくなるまで、伊紀はその後ろ姿を見送った。

 

 そして、「その下には誰も眠っていない」と自分で言った結梨の墓の前で、伊紀は静かにひざまずいて祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楓からの連絡は、ロスヴァイセのリリィたちが考えていたよりも、ずっと早く返ってきた。

 

 それは伊紀が楓に調査を依頼してから三日後のことだった。

 

 伊紀が、彼女にしては珍しく、足音を響かせてロスヴァイセの控室に駆け込んできた。

 

 控室の中では、ロザリンデと碧乙の二人がソファーに座って、資料の書類に目を通していた。

 

 結梨は校医でもあるシェリス・ヤコブセン教導官の医務室で、定期的なメディカルチェックを受けているため不在だった。

 

 ロザリンデと碧乙の姿を確認した伊紀は、息を整える時間も惜しんで、肩を上下させながら二人に報告する。

 

「たった今、楓さんから連絡がありました。

岸本教授はグランギニョル社を去ってから約1ヶ月後に、日本に帰国しています」

 

 伊紀の報告を聞いた二人は、一様に安心した表情を見せた。

 

 その後で、ふと碧乙が何かに気づいたようにロザリンデに尋ねる。

 

「でも、教授がフランスを出国して日本に帰国していると、どうやってグランギニョル社は突き止めたんでしょうか?

そんな調査能力が一民間企業にあるんですか?」

 

「世界有数のCHARMメーカーであるグランギニョル社のことだから、フランス政府や軍にも当然何らかのチャンネルを持っているのでしょう。

 

岸本教授がそれほどの重要人物なら、もし偽名でパスポートを使用していても、内務省や軍の情報部が本気になれば、本人の特定は可能だわ」

 

「今更ながら便利なものですね、国家権力というものは」

 

「それが国民の抑圧や圧政に利用されると、悲惨な事態を引き起こす諸刃の剣なのだけれどね」

 

 ロザリンデの話が横道に逸れかけていることに気づいて、伊紀はすかさず説明を挟み込む。

 

「ただ、帰国後の消息はグランギニョル社では確認できないとのことです。

本社があるフランスとは違って、日本支社の調査能力には限界があると」

 

「ありがとう、帰国していることが分かっただけでも大きな成果だわ。

でも、グランギニョル社がG.E.H.E.N.A.に先んじて、岸本教授の帰国を知りえたかどうかは分からない。

G.E.H.E.N.A.だって岸本教授の行方を調べているはず」

 

「フランスにも、G.E.H.E.N.A.の組織はパリをはじめ各地に存在しています。

日本のように、政府内に親G.E.H.E.N.A.主義者が入り込んでいれば、彼らも岸本教授の行方を知ろうとするでしょう。

事によると、岸本教授が日本に帰国している情報を、私たちよりも先に掴んでいるかもしれません」

 

「そうなると、次は岸本教授が日本国内のどこにいるか――それを調査する段階に移行するわけね」

 

「帰国後の足取り、それをどうしても知る必要がありますね。どうしたものか……」

 

 顎に手を当てて考え込む碧乙に、伊紀が再び情報を追加して説明する。

 

「楓さんによると、帰国した際の航空便までは特定できているということです。

つまり、岸本教授が利用した空港とその日時は分かります。

 

それなら、空港の監視カメラの情報から、該当する人物がいるかどうか確認できるかもしれません。

 

それができれば、付近の駅や街頭の監視カメラの情報と照合して、教授の足取りがつかめる可能性があります」

 

「それは私たちだけの力では実現不可能だわ」

 

 碧乙は肩をすくめてお手上げのポーズを取った。

 

 隣りでそれを見たロザリンデは、少し悪戯っぽい表情で碧乙と伊紀に提案する。

 

「では、私たちも国家権力をあてにしてみましょうか。

理事長代行に連絡して、内務省と防衛軍の反G.E.H.E.N.A.派閥に協力を要請、情報提供してもらうよう求めましょう」

 

「いかにも昔のスパイ映画みたいな展開になって来ましたね。

私たちは引き続き、手元にある資料の洗い直しを続ける……でいいでしょうか」

 

 碧乙の確認にロザリンデは頷き、自らは高松咬月に連絡を取るべく、携帯電話型の通信端末を制服の胸ポケットから取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院に一人の訪問者が現れたのは、その数日後だった。

 

 正門の前で、その場にいた百合ヶ丘のリリィに、訪問者は尋ねた。

 

 ――1年生の北河原ゆりさんはいらっしゃいますでしょうか、と。

 

 



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第25話 尋ね人(3)

 

「結梨ちゃんに会いに来た人がいるですって?」

 

 放課後、ロスヴァイセの控室で伊紀から連絡を受けた碧乙は、そう聞き返した。

 

「はい、正門の所でその人から尋ねられた生徒が、生徒会に連絡してきたそうです。

『一柳結梨』ではなく『北河原ゆり』と尋ねたとのことで……」

 

「それって、どこの誰なの。何の用事で結梨ちゃんを訪ねてきたのよ」

 

「それが……シエルリント女学薗の黒十字マディック隊隊長、道川深顯(みあき)と名乗ったそうです」

 

 困惑気味の表情で答えた伊紀に、結梨が驚いた顔で反応する。

 

「深顯が私を訪ねてきたんだ……私、シエルリントに忘れ物でもしてきたのかな」

 

「シエルリントって、この間結梨ちゃんが拘束された上に、どこか別の場所に移送されそうになった当事者のガーデンじゃない。

それも、よりによって親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山」

 

「はい。ですが、今日は私人として伝えたいことがあると言っているそうで……

アンチヒュージウェポンは携行しておらず、服装もマディックの制服ではなく、私服とのことです」

 

 伊紀と碧乙の会話を聞いていたロザリンデは、ソファーに座りながら腕組みをして難しい顔をしている。

 

「どうも要領を得ない話ね。

他校の生徒を許可なくガーデン内に入れるわけにはいかないし……」

 

「今は眞悠理様が、道川と名乗ったマディックを、正門から離れた人目に付かない所に移動させたそうです。

先日の件が関係しているのなら、事情からしてロスヴァイセの誰かが対応すべきかと」

 

「私が行くわ。問題は結梨ちゃんも一緒に来てもらうかどうかだけど……」

 

 ちらりと結梨を見たロザリンデに、結梨は迷うことなく答える。

 

「私も行く。深顯は私に会いに来たんでしょ?

私も深顯と会って、直接話をしたいもん」

 

「――分かったわ。結梨ちゃんも一緒に行きましょう。

ただし、万が一の事を考えて、私を除くロスヴァイセの全メンバーは現場周辺に展開。

ガーデンの周囲に異状が無いか、監視と警戒を厳に。

それに、もし現場に近づく百合ヶ丘の生徒がいたら、未然に阻止するように」

 

 指示を受けた伊紀は、すぐにソファーから立ち上がってロザリンデに返事をした。

 

「はい。すぐに他のレギオンメンバーに指示を出します」

 

「それじゃ、結梨ちゃん。行きましょうか」

 

「うん、早く行こう」

 

 心なしか早足に、結梨とロザリンデは控室を出て行き、碧乙と伊紀はロスヴァイセのメンバーに招集をかけるべく準備に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正門からかなり離れた人気の無い場所に、道川深顯は内田眞悠理と並んで立っていた。

 

 深顯は私服を着ているという情報だったが、彼女の服装は制服とあまり変わりのない、黒と暗灰色を基調としたフォーマルなものだった。

 

 ロザリンデとともに近づいてくる結梨の姿を確認すると、深顯は軽く頭を下げて挨拶した。

 

「ごきげんよう、お久しぶりですね。北河原ゆりさん。

お元気そうで安心しました」

 

「ごきげんよう、深顯。今日は一人で百合ヶ丘まで来たの?」

 

「はい。ゆりさんにお伝えしなければならないというか、どうしても聞き届けていただきたいことがありまして」

 

「私に?」

 

「そうです。ゆりさんに行ってもらいたい場所があります。

今日はそれをお伝えするために来ました」

 

「私が?どこに?」

 

「それは、東京の――」

 

 その時、深顯と結梨の会話にロザリンデが割って入った。

 

「道川さん、待ちなさい。

その要望はあなたの意思に基づくものではないわね?

いくら隊長といえど、マディックが他校のリリィに指図するなんてありえないもの。

あなたは一体誰の指示を受けて動いているの?」

 

 深顯が上位者のメッセンジャーとして百合ヶ丘を訪れたことを、ロザリンデは見抜いていた。

 

 ロザリンデの質問を予期していたかのように、深顯は彼女の顔を見て簡潔に答えた。

 

「蓬莱玉様のご指示です」

 

「蓬莱玉ですって?蓬莱玉と言えば、確か――」

 

「シエルリントの生徒会長だよ」

 

 ロザリンデが答えにたどり着くよりも早く、結梨が蓬莱玉の肩書を口にした。

 

「……大物ね。ゆりちゃんをどうするつもりなの?彼女は」

 

 結梨がシエルリント女学薗で一時拘束された時、蓬莱玉と名乗った生徒会長のリリィは、それとなく結梨に便宜を図ってくれたという。

 

 だがその一方で、彼女は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山であるシエルリントのリリィでもある。

 

 彼女がシエルリントのガーデンとどのような関係を保っているのか、特務レギオンのロスヴァイセでも詳細な情報は入手できていない。

 

 結梨の話では、蓬莱玉は研究者または観察者として結梨に接していたようだが、それは単純に彼女が結梨の味方であることを意味するとは限らないのだ。

 

(蓬莱玉は結梨ちゃんに何をさせようとしているの?)

 

 そのようなロザリンデの思惑を知ってか知らずか、深顯は軽く首を横に振って、落ち着いた口調でロザリンデに説明を始めた。

 

「私には蓬莱玉様の深謀遠慮を推し量ることなど、到底できません。

蓬莱玉様はこの世界の行く末を知ろうと、日夜あらゆる努力と研鑽を重ねておられる御方です。

 

そして、平素は世界の観察者たらんとすべく、個別の事象への介入は極力行わないことを信条とされています。

その蓬莱玉様が明確に他者に対して行動を指示されたことは、ほとんど青天の霹靂に等しいと言えます。

 

つまり、北河原ゆりさんはそれほどまでに、リリィとして特別な存在だということです」

 

「道川さん、あなた自身は何をどこまで知っているの?」

 

 深顯の返答次第では厄介な事になりかねないとロザリンデは危惧したが、幸いにも深顯の言葉はロザリンデを安堵させるものだった。

 

「私はゆりさんが元々は百合ヶ丘女学院のリリィで、現在は御台場女学校に一時編入中ということしか知りません。

 

それ以上のことを今の私が知る必要は無いと、蓬莱玉様からは言われています。

――この世界には知らぬ方が幸せなこともある、と」

 

「賢明な判断ね。この件に迂闊に首を突っ込むと、あなたの身に危険が及ぶ可能性があるわ」

 

 内心でほっと胸を撫で下ろしながら、ロザリンデは次の疑問点に関心を移した。

 

「さっきは話の腰を折ってしまったけど、あなた――いえ、蓬莱玉はゆりちゃんをどこに行かせるつもりなのかしら?」

 

「東京の清澄白河にガーデンを構えるイルマ女子美術高校です。

そこに求めているものの手がかりがあると」

 

「イルマ女子って、私まだ行ったことない。行ってみたいけど……」

 

 隣りに立つロザリンデの横顔を見ながら、結梨は彼女の反応を待った。

 

 深顯の言葉を聞いたロザリンデは、それまでより一層難しい顔になって、腕組みまで始めた。

 

(イルマ女子……東京御三家の一角にして、穏健派の親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン。

旧ルド女やエレンスゲのような過激派ガーデンは論外としても、親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンに結梨ちゃんを行かせるのは、避けたいところだけど……)

 

 ロザリンデが結梨の方を見ると、結梨はこれまで訪れたことのないガーデンに興味津々といった様子でそわそわしている。

 

 それはいかにも子供らしい好奇心に満ち溢れたものだったが、結梨が置かれている立場を考えると、すぐに答えを出せるものではなかった。

 

 しばらく無言で考え込んでいたロザリンデの唇が動いたのは、一分ほども経ってからだった。

 

「……これは私の手に余る問題だから、ガーデンに連絡して判断を仰ぐ時間を少しもらえるかしら?」

 

「どうぞ。良いお返事がいただけることをお待ちしています」

 

 核心的な情報を知らされていない深顯は、重苦しいロザリンデの心とは対照的に、ごく簡単に彼女の申し出を承諾した。

 

「百合ヶ丘の対応としては、それで構わないかしら?眞悠理さん」

 

 それまで黙って三人の会話を聞いていた眞悠理は、ロザリンデの確認に微笑んで肯定の返事をした。

 

「はい、私もその対応で問題ないと思います」

 

 ロザリンデは少し離れた所まで移動して、理事長代行の高松咬月に電話で連絡を取った。

 

 咬月はさらに理事長である姉の高松祇恵良へと回線を繋ぎ、彼女からの回答が得られるまで数分を要した。

 

 ロザリンデは何度か頷く仕草をした後、通話を終了して結梨と深顯の所へ戻ってきた。

 

 1年生どうしで屈託の無い会話をしていた二人に、ロザリンデは努めて何気ない口調で声をかけた。

 

「待たせてしまったわね。ガーデンの判断が出たわ。

道川さんの要望通り、ゆりちゃんはイルマ女子へ向かうようにと」

 

「よかった。私、イルマ女子に行っていいんだね」

 

「ただし、条件があるわ。

それは、こちらから同行者をつけること。

 

と言っても、外征でもないのに鎌倉府の百合ヶ丘女学院のリリィが東京のイルマ女子を訪れることは問題があるわ。

 

それに、百合ヶ丘は反G.E.H.E.N.A.主義、イルマは穏健派とは言え親G.E.H.E.N.A.主義のガーデン。

 

その意味でも特務レギオンの私が一緒に行くわけにはいかないわ。

途中で御台場のリリィに同行の引き継ぎを依頼しないと」

 

 同行の条件は結梨が経過観察中であることにも関係していたが、深顯の前でそれを口にすることは控えておいた。

 

「私がイルマ女子に行くのは問題ないの?」

 

「ゆりちゃんは今は御台場に一時編入中のリリィだから、都内での移動なら大きな問題にはならないでしょうけど……それよりも」

 

 そう言って、ロザリンデは結梨から深顯へと視線を向け変える。

 

「道川さん、イルマ女子に訪問のアポはあらかじめ取ってあるの?」

 

「いえ、そのようなことはせぬようにと、蓬莱玉様から言われています」

 

「アポ無しで電撃訪問しろというのね、まったく……」

 

 やはり一筋縄ではいかない相手のようだと、ロザリンデは心の中でため息をついた。

 

「ゆりさんがイルマ女子に行って下さるとのお答えを頂けましたので、私はこれで失礼します」

 

「深顯は私と一緒にイルマに行かないの?」

 

「私が所属するシエルリント女学薗も百合ヶ丘女学院と同じく、鎌倉府のガーデンです。

残念ですが、ゆりさんと一緒には行けません」

 

「そうなんだ……今日はここでお別れなんだね」

 

 残念そうな様子の結梨に声をかける深顯の表情は、目的を果たした達成感で晴れやかだった。

 

「またお会いできる日を楽しみにしています。

蓬莱玉様が言われるには、我等はこの先も色々と関わりを持つことになるであろう、とのことでしたので」

 

 その言葉を吉凶どちらに解釈すればいいのか、再びロザリンデの胸中は悶々とするばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、よりによって同行者があなたとはね」

 

 御台場のガーデンで結梨とロザリンデを出迎えたのは、LGロネスネスの1年生、「鞍馬の女天狗」こと司馬(ともしび)だった。

 

 場所は百合ヶ丘で深顯に応対した時と同様、ガーデンの敷地外で人目に付きにくい所が選ばれていた。

 

 同じ反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとはいえ、特務レギオンのリリィであるロザリンデが御台場のガーデンに足を踏み入れることは避けるべきだったからだ。

 

 目の前であからさまに嘆息するロザリンデに、燈は不敵な笑みを浮かべて彼女を見返した。

 

「あら、随分とご挨拶ですこと。

百合ヶ丘の特務レギオンの方にそう言われると、何とも複雑な心境になってしまいますわね」

 

 相変わらず1年生とは思えない凄みと妖艶さを醸し出す燈と、対照的に幼さが多分に残る結梨の組み合わせは、いかにもアンバランスな見た目ではあった。

 

 燈が非常に戦意の高い攻撃的な――一歩間違えれば戦闘狂とも見なされかねない――強化リリィであることは、多少なりとも彼女を知る者であれば、周知の事実だった。

 

 当然、その情報は特務レギオンのリリィであるロザリンデにも伝わっている。

 

 加えて、燈はかつて囚われていた京都のG.E.H.E.N.A.ラボから脱走した際に、ラボの研究員を皆殺しにしたという未確認情報もあった。

 

 そのような疑惑のある強化リリィが結梨と同行することに、ロザリンデは一抹の不安が無いわけではなかった。

 

 一方、そんなロザリンデを見て、燈はいかにもおかしそうにくすくすと笑った。

 

「そんなに心配なさらなくとも、私だって己の分はわきまえておりますわ。

無闇に他校のリリィと揉め事を起こしたりは致しませんもの」

 

 もっとも、それは彼女が一方的に好意を抱いているLGロネスネスの2年生――船田純の目を気にしてのことなのだが。

 

「その言葉が掛け値なしのものであることを願うわ。

――結梨ちゃん、必ず無事に戻ってくるのよ」

 

「うん、じゃあ行ってくるね」

 

「私がいるからには、何が起ころうとも必ず二人揃って御台場に帰ってみせますわ。

とは言っても、二人とも丸腰では説得力に欠けるかもしれませんが」

 

 燈の言葉通り、結梨と燈は御台場の制服を着ているが、CHARMは携行しておらず非武装の状態だった。

 

 これはアポ無しで他ガーデンを訪問する以上、止むを得ない措置だったと言える。

 

 だが、当の結梨はそんなことなど全く気にする様子も無く、燈の手を引いて駅のある方向へ歩き出そうとしている。

 

 CHARMケースは背負っていないが、マギクリスタルコアだけは制服のポケットに入っている。

 

 訪問の途中でヒュージが現れ、いざ戦闘となれば、結梨はイルマ女子のリリィから予備のCHARMを借りてでも戦うつもりだった。

 

(私も百合ヶ丘に戻って、万が一の事態に備えておかないと)

 

 次第に遠ざかる二人の姿を見送りながら、ロザリンデは突発的なアクシデントに対応するための善後策をシミュレーションし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御台場のガーデンを出立して約1時間後、結梨と燈は清澄白河のイルマ女子美術高校に到着した。

 

 閑静な清澄庭園の程近くに、イルマ女子のガーデンはあった。

 

 その正門に二人が近づいた時、イルマ女子の制服を着た数人のリリィが視界に入った。

 

「結梨さん、あそこにいるリリィに声をかけてみましょう。

誰かに話をしないことには、ガーデンの中に入れませんわ」

 

「うん、なんて話そうかな……深顯は『求めているものの手がかり』って言ってたけど」

 

 結梨が迷っているうちに、一人のイルマ女子のリリィが先に話しかけてきた。

 

「その制服、御台場女学校のものだよね?

御台場のリリィがイルマに来るなんて、珍しいこともあるもんだね」

 

 遠慮なく結梨のすぐ傍まで近づいて、そのリリィは結梨の顔をのぞき込んだ。

 

「えっと……」

 

 言いよどむ結梨の言葉を待たず、イルマのリリィは結梨に質問を重ねる。

 

「今日は誰かに会いに来たの?

私が知ってるリリィなら、呼んできてあげるよ。

それとも、生徒会の学校間会議とか、ガーデンの用事で来たのかな?

それだったら教導官の先生に連絡する方がいいのかな……」

 

 腕組みをしてうんうんと考え込むイルマのリリィを、燈は少しあきれ気味に眺めていた。

 

(何ですの、このリリィは。結梨さんに負けず劣らず子供っぽいですわね。

ヘオロットセインツの(なずな)さんと似たタイプなのかもしれませんわ)

 

 だが、子供っぽさとリリィとしての実力が別であることも、燈にはよく分かっている。

 

 それは隣りに立っている結梨と、LGヘオロットセインツの河鍋薺だけでも充分に実証されていることだ。

 

 頃合いを見計らって結梨とイルマのリリィに燈が割って入ろうとした時、別のイルマ女子のリリィがストップをかけた。

 

「そのくらいにしておきなさい、羽来(わく)

御台場のリリィが困っているでしょう」

 

 落ち着きのある澄んだ声がその場に伝わり、結梨たちは声の聞こえた方を振り向いた。

 

 いかにもリリィ然とした雰囲気を纏った少女は、ゆっくりと結梨と燈の前に歩み寄り、軽く頭を下げた。

 

「私の仲間が不作法を働いて申し訳ありません。

よろしければ、当ガーデン訪問のご用件を伺います」

 

「話の分かりそうな方がお出ましになりましたわね。

私は御台場女学校の1年生で、LGロネスネス所属の司馬燈と申しますの。

こちらは百合ヶ丘女学院から一時編入中の――」

 

「はじめまして。私は1年生のひとつ――じゃなかった、北河原ゆり……です。

よろしくお願いします」

 

 結梨はぺこりと頭を下げて、イルマ女子のリリィに仮の名前を名乗った。

 

 結梨と燈の前に立つ少女は、毅然とした態度で明快に自分たちの名を口にした。

 

「私はイルマ女子美術高校2年生でイルミンシャイネス隊長の西川御巴留(みはる)

彼女は同じイルミンシャイネスの2年生で日比野羽来(わく)

後ろに控えているのが、これも同じくイルミンシャイネスの2年生、手島恋町(こまち)

さっそくだけど、あらためて訪問の目的を――」

 

「ゆりちゃん、燈ちゃん、よろしくね!

御台場はとっても厳しいスパルタ式の訓練で、アキラ・ブラントンっていう、すっごくデュエルが強い教導官の先生がいるんだよね。

いいなー、私も御台場に一時編入してアキラ先生に教えてもらえないかなー」

 

 どこまでもその場の空気を読まない羽来のおしゃべりは、見かねた恋町が羽来の口を手でふさぐまで続くのだった。

 



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第25話 尋ね人(4)

 

「……それで、あなたたちがイルマに来た用件は何かしら?

まだそれを聞かせてもらっていないわ」

 

 ようやく羽来のおしゃべりを止めることに成功した御巴留と恋町は、御台場女学校の制服を着た結梨と燈を見て、あらためて問い直した。

 

「あの……なんて言ったらいいのかな……」

 

 結梨は言葉を詰まらせて口ごもった。

 

 そもそも、結梨がイルマ女子に来たのは、突然に百合ヶ丘女学院を訪れた道川深顯の要請に基づいたものだ。

 

 しかも、深顯の要請は、彼女が在籍するシエルリント女学薗生徒会長の蓬莱玉から指示されたものだった。

 

 結梨はどう説明するべきか迷った末に、いきさつをありのまま話すことにした。

 

「蓬莱玉が、ここに『求めるものの手がかりがある』って……」

 

「……何とも曖昧な表現ね。

それに蓬莱玉って何?人の名前なの?」

 

 結梨の言葉を聞いて首をかしげる御巴留だったが、その御巴留に、恋町が何かに思い当たったかのように声をかける。

 

「――御巴留、待って。

私の記憶違いじゃなければ、蓬莱玉はシエルリント女学薗の生徒会長よ」

 

「それ、本名じゃないわよね?」

 

「ええ。シエルリントではリリィは本名を名乗らず、仮の名前で呼びあうと聞いているわ。

それに、自分たちのことをリリィではなく魔女と呼んでいると」

 

「それ、真面目に言ってるの?」

 

「本当のことみたいよ。

重度の中二病育成ガーデンって言われてるのは、伊達じゃないってわけね」

 

「……いくらふざけた習慣でも、あのシエルリントの生徒会長の指示となると、無碍にはできないわ。

しかも、シエルリントの生徒会長が御台場のリリィに指示なんて、普通は絶対にありえないもの」

 

「シエルリントって、そんなにすごいガーデンなの?」

 

 羽来が御巴留と恋町の会話に割り込んで、良く言えば無邪気な、悪く言うと緊張感に欠ける調子で尋ねた。

 

「と言うか、シエルリントは親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの総本山だから。

色々ときな臭い噂もあるガーデンだけど、今のところ大きな事件は起こしていないわ」

 

「ふーん、そのシエルリントの生徒会長が、ゆりちゃんたちにイルマへ行くように言ったんだ……」

 

「私はゆりさんの付き添いみたいなものなので、お気になさらないでくださいませ」

 

 涼しい顔で御巴留たち三人に断りを入れる燈。

 

 その燈を御巴留はちらりと見て、勘ぐらずにはいられなかった。

 

(このリリィ、司馬燈と名乗ったわ。

「鞍馬の女天狗」と呼ばれた強化リリィまで同行しているなんて、きっと何か裏があるに違いない)

 

「……どうやら私たちでは手に余る用件みたいだから、教導官に連絡すべきね。

羽来、誰か先生を呼んできてちょうだい」

 

「分かった。ちょっと待っててね」

 

 御巴留から言われて、羽来は校舎の方へ小走りに去っていった。

 

 それから程無くして、羽来は一人の年若い女性の教導官を伴って戻ってきた。

 

 紅い瞳と透けるような白い肌の教導官は、結梨の顔を見て、えも言われぬ艶のある微笑みを浮かべた。

 

「はじめまして。あなたが北河原ゆりさんね。

百合ヶ丘女学院の高松理事長から連絡は受けています。

私はイルマ女子美術高校の教導官で、篠田澪瑚といいます。

ここで立ち話を続けるわけにもいかないので、校舎の中へどうぞ」

 

 結梨と燈はイルミンシャイネスの三人と別れ、篠田教導官の後についてイルマ女子のガーデンへと足を踏み入れた。

 

 キリスト教の大聖堂や教会を想起させるシエルリントのガーデンとは対照的に、イルマ女子のガーデンは近代的な幾何学デザインで設計されており、さながら芸大や美大のそれをイメージさせるものだった。

 

 白亜の校舎に入り、幅の広い廊下を進んだ先に、応接室の扉が見えてきた。

 

 篠田教導官が自身のIDカードでロックを解除し、横開きの一枚扉をスライドさせると、室内へと二人を招き入れた。

 

 結梨と燈はローテーブルを挟んで篠田教導官と向かい合う形で、ソファーに腰を下ろした。

 

 先に口を開いたのは篠田教導官の方だった。

 

「ここなら落ち着いて話ができるわね。

そちらのリリィは司馬燈さんね。

北河原さんが戦闘時の影響を経過観察中のため、付き添いとして同行……と聞いているわ」

 

「その通りですわ。

メディカルチェックでは異常なしとのことですが、念のためゆりさんを一人にしないように、と百合ヶ丘から申し送りされていますの」

 

「分かりました。

では、さっきの話の続きになるけれど、高松理事長からあなたの訪問について連絡があったのは事実です。

ただし、訪問の具体的な目的については北河原さんから直接聞くように、と言われたのよ」

 

「そうなんだ……やっぱり私が説明しないといけないんだね。

何から話せばいいのかな……」

 

 深顯は蓬莱玉の言葉として「求めているものの手がかり」と言った。

 

 しかし、結梨は自分が何を求めているかを蓬莱玉に語った覚えは無い。

 

(私、蓬莱玉に何か言ったかな……あ、そうだ)

 

 結梨が蓬莱玉に案内されたシエルリントの大図書館「ビブリオテカ」、そこで結梨は数時間に渡って貪るように文献を渉猟した。

 

 そして蓬莱玉が戻ってきた時、結梨はそれら数十冊の文献を机の上に残したまま「ビブリオテカ」を退室した。

 

(蓬莱玉は私が机の上に置きっぱなしにした本を棚に戻す時に、誰が書いた本なのかを見たんだ。

それで私が何を知ろうとしてたのか分かったんだ)

 

 黙り込んでいる結梨の顔を覗き込むように、燈は努めて軽い調子で話しかけた。

 

「結梨さんが言いたいことを言ってみればよろしいのでは?」

 

「私が言いたいこと……やっぱり岸本教授のことかな」

 

 結梨の言葉を聞いた篠田教導官の顔に緊張が走った。

 

「北河原さん、あなた今、何て言ったの?」

 

「岸本教授。ルドビコ女学院の来夢のお父さん」

 

「……あなたはなぜ、その人を知っているの?」

 

「私は岸本教授を探してるの。

教授に会って、聞きたいことがあるから」

 

 篠田教導官は溜息を一つつくと、小さく首を横に振った。

 

「――岸本教授については何も答えることはできないわ。

聞きたい事というのが彼についてであるのなら、このままお引き取り願います」

 

 取り付く島も無いという表現がぴったりな篠田教導官の態度だったが、結梨はなおも言葉を続けた。

 

「岸本教授は私にとって特別な人だから、どうしても会わないといけないの」

 

 結梨の言葉を聞いた篠田教導官の眉がぴくりと動き、胡乱な目で結梨に質問を投げかける。

 

「……北河原さん、あなたは岸本教授とどういう関係なの?」

 

(特別な人って……まさか、この子が岸本教授のかつての教え子で、相思相愛の関係になった挙げ句、痴情のもつれでここまで押しかけてきた……いえ、岸本教授に限って、そんな事ないわよね)

 

 篠田教導官の推測は見当違いも甚だしいものだったが、彼女の正面に座っている結梨は篠田教導官の心中など露知らず、自分の考えを素直に口にした。

 

「うーん……岸本教授は、たぶん私を作った人……かな」

 

 篠田教導官は一瞬ぽかんとした表情になった後、目に見えて狼狽し始めた。

 

「そ、そういう話なの?

認知をしてほしいとか、養育費を出してほしいとか、相続の権利を認めてほしいとか、それから……

――ああ、何てこと。教授がそんな人だったなんて!」

 

 落ち着きと妖艶さを兼ね備えた容姿に似つかわしくなく、篠田教導官は結梨と燈の目の前で、頭を抱えて嘆きと失望の声を上げた。

 

 結梨の隣りに座っている燈火は、妙ににやにやとした表情で、肩を震わせて笑いをこらえている。

 

 その燈の耳元で、結梨は小声で尋ねた。

 

「どうして教導官の先生は慌ててるの?燈」

 

 燈は結梨が人造リリィであることを知っている。

 

 そのため、篠田教導官の勘違い――北河原ゆりが岸本教授の隠し子、私生児だという考えが、燈には手に取るように分かっていた。

 

「どうやら先生は明後日の方向に思い違いをなさっているようですわね。

面白いので、もう少しこのままにしておきましょう。うふふ」

 

 人が悪い笑みをその美しい顔に浮かべて、燈は楽しげに篠田教導官の様子を観察するばかりだった。

 

 一分ほど時間が経過して、篠田教導官は何度か頭を振った後、ようやく落ち着きを取り戻して結梨の顔を見た。

 

「……分かりました。あなたの事情を特別に考慮して、ガーデンの理事会に問い合わせてみましょう。

ただし、必ず岸本教授に会えるとは約束できません。

しばらくここで待っていてちょうだい」

 

 篠田教導官は二人を応接室に残して、足早に部屋を出て行った。

 

「岸本教授、イルマにいたんだ」

 

 驚いた様子の結梨の肩に、燈は軽く手を置いてにやりと笑った。

 

「期せずして鎌をかけた形になりましたわね。

結果オーライとはこのことですわ。

上出来ですわ、結梨さん。意外と策士ですのね」

 

「そうなの?私は言いたいことをそのまま言っただけだけど……

それに、『にんち』とか『よういくひ』って何のこと?」

 

「その辺りのことは私ではなくて、百合ヶ丘に戻ってからガーデンの方々と話し合われるのがよろしいかと思いますわ」

 

(この場で結梨さんに婚姻関係や親権の意味を一から説明するのは、私には荷が勝ちすぎていますから)

 

 燈は法律上のデリケートな説明を放棄して、結梨とともに篠田教導官が戻るのを待つことにした。

 

 待つこと約10分、応接室の扉の向こうから靴音がかすかに聞こえてきた。

 

「お戻りになったようですわね。

さて、返答の内容やいかに――」

 

 扉がノックされ、結梨と燈が返事をすると、開かれた扉から篠田教導官が姿を見せた。

 

 篠田教導官は平素の彼女がそうであろう、冷静な口調で結梨と燈に結果を告げた。

 

「ガーデンとしての見解が出ました。

北河原さん単独でという条件で、岸本教授との面会を認めます。

司馬さんについては、面会が終了するまで、この応接室で待機してもらいます」

 

「ゆりさんは経過観察中で、付き添いが必要な状態ですわ」

 

「司馬さんの代わりに、私が教授との面会場所まで北河原さんに同行します。 

面会中は私が隣りの別室で待機しています。

それで構わないかしら?」

 

「構いませんわ。でも、もし何かありましたら必ず私にも連絡をお願いいたしますわ」

 

「ええ、そのように対応させてもらうわ。

では、北河原さん、今から岸本教授のところへ行きましょうか」

 

 篠田教導官は結梨を促し、二人は連れ立って応接室を出た。

 

 速い歩調で廊下を進む篠田教導官の背中に、結梨は質問を投げかける。

 

「岸本教授はこのガーデンで先生をしてるの?」

 

「いえ、教授はイルマ女子のガーデンではなく、イルミンリリアンラボに研究者として勤務しているわ。

だから、イルマの生徒は岸本教授の存在を知らないのよ」

 

「イルミンリリアンラボって、G.E.H.E.N.A.のラボなの?」

 

「そうよ。でもイルマ女子は穏健派のガーデンだから、人体実験のような非人道的な研究はしていないわ。

それに、岸本教授がイルミンリリアンラボに勤めていることも、外部には秘密にしているわ」

 

(もっとも、シエルリントの生徒会長がイルマを名指しして、教授の関係者を訪問させたということは……勘づかれたと考える方がよさそうね)

 

 篠田教導官は険しい顔つきで前方を見つめながら、ラボへとつながる連絡通路を進んでいく。

 

 そのすぐ後ろに結梨が続き、二人が間もなく教授の待つラボの入り口にたどり着こうとした時――けたたましい警報音が通路内に、正確にはイルマ女子のガーデン全体に響き渡った。

 

『ケイブ発生、ケイブ発生。

場所は清澄白河から北東に約1500メートルの地点、ギガント級を含むヒュージの一群が毎時20キロメートルで進攻中。

LGイルミンシャイネス及び出撃可能なリリィは直ちにこれを迎撃、討滅せよ』

 

 ヒュージの出現を告げる緊急放送を聞いて、篠田教導官が言葉を発するより早く、結梨は彼女にこう言った。

 

「先生、ヒュージが来たの?

だったら、私も戦う。

予備のCHARMを私に使わせて」

 

 



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第25話 尋ね人(5)

 

 岸本教授の勤務するイルミンリリアンラボに結梨と篠田教導官が向かう途中、ケイブ発生の警報がイルマ女子のガーデンに鳴り響いた。

 

 結梨はイルマ女子の予備CHARMを使わせてくれるよう、篠田教導官に求めた。

 

 結梨の言葉を聞いた篠田教導官は、一瞬だけ困惑した表情になった。

 

 だが、切迫した様子で自分を見つめる結梨の顔を見て、すぐに彼女本来の凛とした態度に戻った。

 

「……そうね、自分のガーデンの守備範囲外であっても、ヒュージが現れたのにリリィが戦いを後回しにはできない。

こっちへ来て。予備CHARMの格納庫があるわ。

すぐに使えるのはノーマル仕様のアステリオンかグングニルくらいだけど」

 

「ありがとう、先生。

燈の分のCHARMもお願いしていい?」

 

「分かったわ。でも、岸本教授との面会は戦いが終わった後になってしまうけれど、あなたはそれでいいの?」

 

「うん。早くヒュージをやっつけて、岸本教授のところへ行く」

 

 結梨と篠田教導官は連絡通路を引き返し、教導官の権限で解錠した格納庫から二振りのアステリオンを持ち出した。

 

 二人が応接室の前まで戻ると、扉の前の廊下で燈がじれったそうに立っていた。

 

 燈は二人の姿を確認すると、すぐさま足早に近づいてきた。

 

「お戻りになると思って、ここでお待ちしておりましたわ。

篠田先生、私とゆりさんも当然、戦闘に加わって構いませんわよね?」

 

「ええ、今はLGイルミンシャイネスを先頭に出撃して、ヒュージ群を迎撃する態勢に入っているわ。

二人はイルマ女子周辺の土地勘が無いでしょうから、イルミンシャイネスの近くで彼女たちから離れないように戦って」

 

 篠田教導官は自分の手に持っていたアステリオンを燈に渡した。

 

「承知いたしましたわ。

私とゆりさんは通常どちらもAZを担当するリリィですが、いつも通りの戦い方をしてよろしいですの?」

 

「ええ、それで構わないわ。

普段と違う役割をしても本領は発揮できないでしょうから」

 

 篠田教導官が答えた後、結梨は燈の制服の袖を引っ張った。

 

「燈、早く御巴留たちのところへ行こう。

ギガント級がいるって、放送で言ってたから」

 

 せっかちな結梨の求めに、燈は苦笑しながら答える。

 

「そうですわね。

――では私たちも出撃いたします。

また後程お会いしましょう、先生」

 

 そう言い残すと、燈は結梨と一緒にあっという間に廊下を駆け抜けていき、篠田教導官の視界から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イルマ女子のガーデンから北東に1000メートルほど離れた地点で、LGイルミンシャイネスを中心とするイルマ女子のリリィたちは、ヒュージ群との戦闘に入っていた。

 

 イルミンシャイネスはギガント級を目標として、ノインヴェルト戦術を展開するためのシフトを敷き、その障害となるラージ級以下のヒュージを優先的に排除しようとしている。

 

 その戦術は、個々人のデュエル戦闘能力と、レギオンメンバー間の緊密な連携を両立したものだった。

 

 イルミンシャイネス以外のリリィはレギオンを構成せず、群れの周辺部に展開して各個にヒュージと戦っている。

 

 それはイルミンシャイネスが最短でギガント級に対するノインヴェルト戦術を開始できるよう、最大限に有利な戦況を作り出すための戦術だった。

 

 結梨と燈が戦場に到着した時、既にヒュージ群の個体数は半減しており、着実にギガント級を攻撃するための布石が打たれつつある状況だった。

 

 イルマ女子の戦いぶりを後方から見た燈は、やれやれと言わんばかりの苦笑いを見せて結梨の顔を見た。

 

「噂には聞いていましたが、イルマ女子は随分と杓子定規な戦術パラダイムをお持ちのようですわね。

平素の訓練時に数えきれないほどの細かい連携を、さぞかし徹底的に叩き込んでいるに違いありませんわ」

 

「レギオンで戦ってるのはイルミンシャイネスだけなのに、みんな動きがまとまってて、乱れが全然ないね」

 

「あの戦い方を見ていると、日葵様がイルマからルド女に移ったのも、さもありなんと納得してしまいますわ」

 

「『ひまり』って?」

 

「一之宮・ミカエラ・日葵様ですわ。

ルド女のトップレギオンたるLGテンプルレギオンの隊長であり、『自由で華麗な戦い』の戦闘スタイルを求めてイルマ女子から転校したと言われていますの」

 

「自由で華麗……」

 

「ここから見る限りでは、イルミンシャイネスはがちがちの堅実な守備と連携に裏打ちされた、計算通りの戦術を展開していますわ。

もちろんそれは個々人の極めて高い技量があって、初めて成立するものではありますが――」

 

「自由で華麗な戦い方とは違うってことだね」

 

「そのどちらが正しい戦術かを問うことは無意味ですわ。

ただ、日葵様は自分の心を偽らなかった結果、イルマ女子を去り、ルド女へ転校した。

それ以上のことをあれこれ言うのは野暮というものですわ」

 

「……うん、私たちは今できることをしよう。

私たちもイルミンシャイネスのところまで行って、いっしょに戦おう」

 

 二人はそれぞれ自らのマギクリスタルコアを装着した予備のアステリオンを構え、ためらうことなく戦場の中心へと突入していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨と燈が数十体のミドル級以下のヒュージを薙ぎ払い、イルミンシャイネスが戦っている場所までたどり着いたのは、約10分後のことだった。

 

 イルミンシャイネスのリリィで二人の接近に最初に気づいたのは、BZを担当する1年生の日下部蓮月だった。 

 

 ツインテールの髪形をした勝ち気な性格の蓮月は、イルマ女子の国定守備範囲にいないはずのリリィを見て首をひねった。

 

「あれ?御台場の制服を着たリリィが二人いる……

おーい。あなたたち、どうしてこんな所にいるのよ。

ここは御台場の国定守備範囲じゃないわよ」

 

 結梨と燈は蓮月の傍まで来て立ち止まった。

 

 燈が、アステリオンを持っていない方の手を、結梨の肩に置いて説明する。

 

「この子が個人的な事情で面会したい人がイルマ女子にいますの。

篠田先生がその手続きをして下さっている途中でヒュージが出現したので、私たちも戦いに加わらせてもらった次第ですの」

 

 同じ1年生ながら、にやりと凄みのある微笑を浮かべる燈に、蓮月は思わず気圧された。

 

「そ、それはどうもありがとう……」

 

 蓮月が言葉を途切れさせた時、燈の横でやり取りを聞いていた結梨が控えめに声をかけた。

 

「あの……私は北河原ゆり、私の隣にいるのは司馬燈っていうリリィなんだけど、あなたの名前を教えてほしいの」

 

「――ああ、そうだったわね。

私は日下部蓮月。LGイルミンシャイネスでBZを務めている1年生よ」

 

「レギオンとして戦っているのは、あなたたちイルミンシャイネスだけのようですが、ほかにレギオンは出撃していませんの?」

 

「イルマ女子にはもう一つ、自主結成レギオンのLGハコルベランドがあるわ。

でも、今はあいにく外征中で不在なの。

トップレギオン制であるイルマでは、今は私たちLGイルミンシャイネスだけが出撃可能なレギオンよ」

 

「では、あなたたちがあのギガント級を討滅する枠割を担っているというわけですのね」

 

「そうよ。でも――」

 

「まだイルミンシャイネスはノインヴェルト戦術を始めてない……」

 

 再び声を詰まらせた蓮月に、結梨がそれを補うように言葉を続けた。

 

 さらに燈が重ねるように蓮月に尋ねる。

 

「日下部さん、私の見たところ、ノインヴェルト戦術を開始する状況はできているようですが、それはなぜなんですの?」

 

「――あのギガント級が、おそらく特型だからよ」

 

 蓮月の返答を聞いた結梨と燈は、前方数100メートルの地点に屹立している二足歩行の巨人のようなギガント級を遠望した。

 

「確かにあのギガント級、以前に下北沢で戦った個体とよく似ていますわね」

 

「特型のギガント級だから、ノインヴェルト戦術を使えないってこと?」

 

 結梨の質問に答える蓮月の表情は、本来の彼女の性格には似合わない翳りに満ちたものだった。

 

「……正確には『使っても倒せない可能性が高い』ね」

 

 蓮月の短い答えを補うように、燈が説明を続ける。

 

「マギリフレクターを備えている個体であれば、一度しか使えないノインヴェルト戦術を防がれてしまうと万事休すですわ。

あのギガント級を倒す術は無くなってしまいますの」

 

「そうよ。この戦場でノインヴェルト戦術を使えるのはイルミンシャイネスだけ。

複数レギオンによる多重ノインヴェルト戦術は不可能。

だから、まだノインヴェルト戦術を開始するわけにはいかないのよ」

 

「でも、このままだとギガント級は倒せない……どうしたらいいのかな……」

 

 結梨は黙り込んでしばらく考えに耽っていたが、何かを思いついたかのように顔を上げて蓮月と燈に提案した。

 

「ギガント級がマギリフレクターを使っても、私がノインヴェルト戦術弾を命中させる。

だから、私にフィニッシュショットを撃たせて」

 

 その結梨の提案に、蓮月は渋い顔で答えた。

 

「どうやってマギリフレクターを突破するの?

それを聞かせてもらわないことには、いきなり現れた他ガーデンのリリィにフィニッシュショットを任せることなんてできないわよ」

 

「うん、あのね……」

 

 結梨は蓮月の耳元で何事かを呟いた。

 

 それを聞いた蓮月の表情は、驚きに満ちたものへと変わった。

 

「……すぐに御巴留様に伝えるわ。

 あなたたちも御巴留様のいるTZまでついてきて」

 

 言うが早いか、蓮月は前方へ向かっていきなり駆け出す。

 

 それを見た結梨と燈は、すかさず蓮月の後に続いて走り始めた。

 

「どうやら妙案を思いついたようですわね、結梨さん」

 

 不敵な微笑を浮かべて並走する燈に、結梨は対照的にあどけない笑顔を返した。

 

「きっとこの戦い方で倒せると思う。

特型のギガント級がマギリフレクターを使っても、この戦い方で」

 

 三人のリリィは数十秒後に、イルミンシャイネス隊長の西川御巴留の所へ到着した。

 

「蓮月、どうしてここへ?それに、あなたたち二人も」

 

 怪訝な顔で三人を見つめる御巴留に、蓮月が事情を説明する。

 

「御巴留様。あのギガント級をノインヴェルト戦術で倒す方法を、御台場のリリィが――」

 

 蓮月の説明を聞いた御巴留は、先程の蓮月と同じく意表を突かれて驚いた様子だったが、間もなく落ち着きを取り戻した。

 

「それが本当にできるなら、やってみる価値はあるわ。

でも、あなたにそんなことができるの?」

 

 1年生という学年を差し引いてもなお幼さの残る結梨を見て、御巴留は幾分不安な様子だった。

 

 その御巴留に詰め寄るように燈が距離を縮めて、御巴留の目を真正面から睨むように見つめた。

 

「信じられないのなら、御台場女学校のLGロネスネスで船田姉妹とともにアタッカーを務めている、この司馬燈が保証いたしますわ」

 

「……分かったわ。どの道このままでは、あのギガント級を倒すことはできない。

いくらかでも成功の可能性があるのなら、それに賭けてみるしかないわ」

 

 御巴留は覚悟を決めたように一瞬目を閉じた後、周囲に展開しているイルミンシャイネスのリリィたちに号令をかけた。

 

「これよりLGイルミンシャイネスによるノインヴェルト戦術を開始する。

訓練通りギガント級に最接近してパスを回し、マギスフィアの威力を極限まで高めなさい」

 

 一呼吸置いて、御巴留は一段声を大きくして宣言するように叫んだ。

 

「――そして、フィニッシュショットへのラストパスは、ギガント級の直上へ撃つように!」

 

 




追記
ラスバレやOPED原画集の特典などで唐突に結梨ちゃん推しが始まりましたが、これは結梨ちゃん復活のフラグなのだろうか……
夢オチや闇落ち復活だったら嬉しさ半減ですが。
とりあえず20日のメモリアストーリーをおとなしく待つことにします。


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第25話 尋ね人(6)

 

「ラストパスはギガント級の直上へ、って……誰がフィニッシュショットを撃つの?」

 

 御巴留の前方、AZのセンターで特型ギガント級と対峙していた恋町が、戸惑ったように振り返った。

 

 これまでのノインヴェルト戦術において、イルミンシャイネスはそのような戦術を取ったことが無い。

 

 余程の地の利に恵まれた戦場でない限り、高さ数十メートルのギガント級の頭上からフィニッシュショットを叩き込むことなど、神業に近い芸当だ。

 

 その恋町へ向けて、御巴留は再び大きな声で呼びかける。

 

「御台場のリリィがフィニッシュショットを担当するわ。

私たちイルミンシャイネスの9人は、訓練通りパスをつないで、ここにいる北河原さんにラストパスを回す。

彼女ならそのギガント級の真上からフィニッシュショットを撃てるそうよ」

 

「でも、あのギガント級はおそらく特型。

それならマギリフレクターを使ってくるはず。

仮に無防備な頭上からフィニッシュショットを撃てたとしても、マギリフレクターを展開されたら本体に命中させることはできないわ」

 

「それについても、北河原さんはマギリフレクターを突破できる『技』を持っているそうよ。

ノインヴェルト戦術は一度しかできない以上、私たちはそれに賭けるしかない。

やってみましょう」

 

 一度しか使えないノインヴェルト戦術を失敗すれば後がない、だから少しでも成功の可能性が高い選択肢を取るべきだ――御巴留の説明に、恋町はそれ以上反論する術を持ち合わせていなかった。

 

「……分かったわ。今はそのやり方しかないみたいね。

でも、もし失敗したら――」

 

「ただちにヒュージの侵攻速度をできる限り低下させるための遅滞戦術に移行。

他ガーデンの増援が到着するまでの時間稼ぎに徹することになるわ」

 

「それは願い下げにしてほしいものね。

ノインヴェルト戦術を終えた後に、まだ時間稼ぎの戦闘を続けないといけないなんて」

 

「まったくだわ。

――さあ、いつまでもここで話し込んでいるわけにもいかない。

ノインヴェルト戦術を開始しましょう。

北河原さんと司馬さんは……」

 

 近くに控えていた二人の方へ御巴留が視線を移すと、燈は自信に満ちた声で自分たちの行動を説明する。

 

「私とゆりさんは二手に分かれて、ラージ級以下をデュエル戦闘で排除しつつ、ギガント級の左右から牽制攻撃を実行しますわ。

イルミンシャイネスのパス回しが少しでもスムーズに進められるように」

 

 燈の言葉に続けて、結梨がいつものおっとりとした口調で御巴留に要望する。

 

「ラストパスは、ギガント級の真上の100メートルくらいのところに上げてほしいな」

 

「恋町、お願いするわね」

 

 御巴留が改めて前方の恋町に呼びかけると、恋町はCHARMを構えていない方の手で、OKのハンドサインで答えた。

 

 それを確認して、御巴留はBZの日下部叢雨にノインヴェルト戦術を開始するよう指示を出す。

 

 日下部蓮月の妹である叢雨は、姉と全く似つかない弱弱しい声で御巴留に答えた。

 

「は、はい。ただ今からノインヴェルト戦術を開始します……お姉ちゃん、お願い」

 

 叢雨からパスされたマギスフィアを受け止めた蓮月は、次のパスを出すための最善のポジションへと移動を開始する。

 

 それに合わせて一糸乱れぬ連携で、イルミンシャイネスのリリィたちはフォーメーションを変化させていく。

 

 ノインヴェルト戦術のパス回しが始まったことを確認して、結梨は燈と別れて走り出そうとした。

 

「お待ちなさい、結梨さん。少し景気づけをして差し上げますわ」

 

 燈がそう言った次の瞬間、彼女の体から急激にマギの波動が拡散し、結梨の全身を通り抜けて戦場全体へと広がっていく。

 

 結梨は通常とは全く異なるレベルで、力がみなぎってくる感覚を明瞭に自覚した。

 

「すごい、体が軽くなってマギの量がすごく増えたみたいに感じる。

これって……」

 

「私のレアスキル、ラプラスですわ。

皆さんが少しでも戦いやすくなるようにと、私からささやかなお手伝いをさせていただきましたの」

 

「ありがとう。これでずっと戦いやすくなったよ。

燈、行ってくるね」

 

 今度こそ結梨は走り出し、縮地を使いながらあっという間にギガント級の左側面へ移動した。

 

 ラージ級以下のヒュージを次々に屠りながら、アステリオンをシューティングモードに変形させてギガント級に弾丸を撃ち込んでいく。

 

 無論、通常の攻撃でギガント級に致命的なダメージを与えることはできない。

 

 が、これはあくまでもイルミンシャイネスのパス回しを支援するための陽動であるから、ギガント級の注意を引き付けることができれば、それで目的は達成されるのだ。

 

 結梨と呼応して、燈も逆サイドからギガント級に同様の射撃を加えており、ギガント級がそれらの攻撃に気を取られている間に、イルミンシャイネスは着実にパス回しを進めていった。

 

 本来のフィニッシュショット担当である恋町の手元にマギスフィアが渡った時、結梨はギガント級の左側面100メートルほどの位置に立っていた。

 

「恋町、ギガント級の真上にラストパスを送って」

 

 結梨の求めに応じて、恋町はティルフィングを再設計したユニーク機のリヒトブリンガーを構えた。

 

(北河原さん、あの距離からギガント級の直上に移動するの?

縮地を使っても、一度にあそこまでは無理じゃない?)

 

 恋町の胸中を一抹の不安がよぎったが、一度のノインヴェルト戦術でマギリフレクターを突破できる可能性のある方法は他に無い。

 

(やるしかない。上手くキャッチしてよ)

 

 恋町は全身に力を込めてリヒトブリンガーを振り抜き、マギスフィアをギガント級の上空へと投げ上げた。

 

(すごくいい勢いで飛んで行った……マギスフィアもいつもよりずっと大きい。

これって明らかに誰かが私の力を底上げしてる)

 

 先程から妙に身体の動きが軽快で、全身に力が満ちている感じがする。

 

(BZで叢雨がカリスマを使ったの?

カリスマよりももっと強い効果が出てるみたいだけど)

 

 それが燈のラプラスによるものだと恋町は気づいていなかったが、同様の感覚はイルミンシャイネスをはじめ、戦場に展開している全てのリリィが感じ取っていた。

 

 マギスフィアのラストパスが、恋町の手でギガント級の直上へと投げ上げられたのを結梨は見た。

 

 青白い光を放つ空中のマギスフィアを、離れた場所から見ていた結梨は、ふとある思いに囚われた。

 

(私がイルマ女子に来てる時にケイブが発生した……

これって偶然かな、それともG.E.H.E.N.A.が私を戦わせるために、わざとヒュージを出現させたのかな)

 

 だが、すぐに結梨はその疑問を振り払い、距離を取って対峙しているギガント級へと意識を戻した。

 

(どっちにしても、あのギガント級をやっつけないと、先には進めないんだ。

岸本教授にも会えなくなっちゃう)

 

 どちらの原因であっても、自分が為すべき事にはいささかの変りも無い。

 

 ヒュージとの戦いを真に終わらせるために、岸本教授に会って話を聞かなければならない。

 

 そのためには、ここで敗けるわけにはいかないのだ。

 

(あのマギスフィアのところまで行く。レアスキルを使って)

 

 そう結梨が思った瞬間、結梨の身体は立っていた場所から消失し、間髪入れずにギガント級の上空100メートルほどの空間に出現した。

 

 結梨の眼前には放物線の頂点に達する寸前のマギスフィアがあった。

 

 シューティングモードのアステリオンでそのマギスフィアを捉え、あっという間に装填を完了させる。

 

 遥かに見下ろす地上から、イルマ女子のリリィたちのどよめきが聞こえた気がした。

 

 それに気を取られることなく、結梨は直下に見えるギガント級の頭部に照準を合わせ、トリガーに指をかける。

 

 だが、同時にギガント級は自らの頭上に魔法陣のような円形の障壁を展開した――紛れもなく、それはマギリフレクターと呼ばれる、特型ヒュージ特有の能力に他ならなかった。

 

(だめだ。やはりマギリフレクターがある限り、特型ギガント級にノインヴェルト戦術は通用しない)

 

 地上から結梨を見上げていた御巴留が絶望に囚われかけたその時、再び結梨の身体は消え、マギリフレクターと特型ギガント級の間に現れた。

 

(マギリフレクターを抜けた……これでフィニッシュショットを撃てる)

 

 結梨はためらうことなくアステリオンのトリガーを引き絞り、ノインヴェルト戦術のフィニッシュショットを発射した。

 

 至近距離からマギスフィアを撃たれたギガント級に、回避する手段は存在しなかった。

 

 マギスフィアはそのままギガント級の頭頂部に命中し、炸裂した。

 

 膨大なマギのエネルギーが光と熱となって解放され、ギガント級の全身を破壊する。

 

 そのエネルギーが大爆発を起こす直前、三たび結梨の身体は消え失せた。

 

「全員、地面に伏せて爆風と衝撃波から身を守れ!

決して顔を上げるな」

 

 御巴留たちが戦場に展開していた全てのリリィに聞こえるよう、大声で指示を出す。

 

 ギガント級の爆発は轟音とともに、周囲に大量の爆煙と灰燼を巻き上げ、しばらくの間、戦場の視界はほとんど失われた状態だった。

 

 それが時間の経過とともに次第に収まり、周りの状況が明らかになっていく。

 

 既にギガント級の姿は跡形も無く消え失せ、残っているのはラージ級以下のヒュージの死骸と瓦礫の山だけだった。

 

「みんな、自分の周りのリリィが無事か確認して。

負傷者がいれば、すぐに後方へ運ぶように」

 

 イルミンシャイネス隊長の御巴留は素早く指示を出し、状況の把握を開始していた。

 

 その中で、御巴留の視線は誰かを探すように、戦場のあちこちを見回している。

 

(彼女は……北河原さんはどうなったの?

あの爆発からどうやって離脱したの?

まさか爆発に巻き込まれたのでは――)

 

 焦りを感じ始めた御巴留は、動揺を抑え込もうと何度も深呼吸を繰り返した。

 

 すると、その後ろから、小さな足音が聞こえてきた。

 

 反射的に振り返った御巴留の目に映ったのは、制服についた埃を手で払いながら歩いてくる結梨の姿だった。

 

「北河原さん、無事だったのね。

でも、どうして私の後ろからやって来たの?

あなたはここから数百メートル前方でギガント級と戦っていたのに」

 

「私、瞬間移動のレアスキルが使えるの。

縮地っていうんだって」

 

「あれが縮地?普通の縮地とはまるで別物のように見えたけど」

 

 首をひねる御巴留の隣に、同じイルミンシャイネスの日比野羽来が近寄ってきて無邪気に言う。

 

「私には、篠田先生が使う縮地と同じに見えたよ。

ワープとかテレポーテーションみたいな感じだったもん。

ゆりちゃんの縮地って、もしかしてS級なんじゃない?」

 

「うん、私のはS級の縮地だって、前に言われたことがあったと思う」

 

 あっさりと認めた結梨を、御巴留は目を丸くして見つめていた。

 

「あなたがそんな傑物だったとはね……鞍馬の女天狗が太鼓判を押すのも当然だわ。

北河原さんは百合ヶ丘女学院から御台場へ一時編入中だと聞いたけど、御台場エリア防衛の戦力支援としては申し分ないわね」

 

 そこへ戻って来た燈が、御巴留と羽来に説明を補足する。

 

「ただし、ロネスネスやヘオロットセインツがガーデンにいる時は、基本的にゆりさんの出番はありませんわ。

あくまでも、それら2レギオンが外征中で不在の場合に、LGコーストガード預かりのリリィとして戦闘に参加することになっていますの」

 

「確かに、本来の戦力が揃っている時に、他ガーデンの助っ人を最前線に出すのはありえないわね」

 

「もうヒュージはやっつけたから、みんなで早くイルマのガーデンに戻ろう」

 

 燈の制服の袖を引っ張りながら結梨が言った。

 

 燈は苦笑いしながら結梨の肩を抱いて、御巴留と羽来に自分たちの予定を告げる。

 

「そういうわけですので、私たちは一足先にガーデンに戻らせていただきますわ。

元々ゆりさんが面会する予定だった人を待たせて出撃した状態ですので」

 

「私たちだけ先に戻っていいの?」

 

「イルマ女子のリリィは状況の確認やガーデンへの報告などで、しばらくはここから動けないはずですわ。

ゆりさんは会わなくてはならない人がいるのですから、そちらを優先すべきだと思いますわ」

 

「分かった。じゃあまたね、御巴留、羽来」

 

 手を振りながら燈と一緒に遠ざかっていく結梨の姿を見て、御巴留は半ばあきれたように羽来に呟く。

 

「自分のレアスキルでギガント級を仕留めたというのに、まるで普段通りって感じね」

 

「百合ヶ丘には世界トップクラスのレギオンとリリィがいっぱいいるから、ゆりちゃんレベルのリリィは珍しくないんじゃない?」

 

「それにしても縮地S級とは恐れ入ったわ。

レアスキルに関しては、今の時点で篠田先生に並んでるってことだもの」

 

「ゆりちゃんだけじゃなくて、もう一人の燈ちゃんはラプラスを使ったって言ってたよ。

イルマではまだラプラスに覚醒したリリィはいないから、やっぱり御台場もレベル高いなあ……」

 

「あの感じ、あれがラプラスだったの?

パス回しを始めた時に、これまでに感じたことのないレベルで身体が軽く動くようになった……あの感覚が」

 

(北河原さんと司馬さん、あの二人が明らかに突出した能力を持ったリリィなのは間違いない。

あの二人ほどのリリィが「求めるものの手がかり」って、一体何なの……それほどの何かが、このイルマにあるっていうの?)

 

 いくつもの考えが取りとめもなく、ぐるぐると御巴留の頭の中を巡った――が、御巴留は詮無き事と思案を停止し、目の前の戦場の後処理に専念することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 程なくしてイルマ女子のガーデンに戻った結梨と燈は、当初の目的通り岸本教授との面会に赴くことにした。

 

 CHARMケースを背負った二人を正門の前で迎えたのは、篠田教導官だった。

 

「おかえりなさい。イルミンシャイネスから連絡が入っているわ。

見事にギガント級の討伐に成功したそうね」

 

「うん、考えてた作戦通りにやっつけられたから、ちょっと自信がついたかも」

 

 少し照れくさそうな、嬉しそうな結梨の顔を見て、篠田教導官も相好を崩しかけたが、すぐに気を取り直して表情を引き締めた。

 

「では北河原さん、仕切り直して岸本教授の所に行きましょう。

司馬さんは面会が終わるまで、さっきの応接室で待機していてもらいます」

 

「承知しましたわ。ゆりさんが岸本教授と良いお話ができることを願っていますわ」

 

 結梨と篠田教導官は燈と別れて再びイルミンリリアンラボへの連絡通路を進み、今度こそ岸本教授の研究室にたどり着いた。

 

「岸本先生、ヒュージの出現で中断していた面会の件ですが、北河原さんをお連れしました」

 

 篠田教導官が結梨の前に進み出て、ドアのすぐ前で部屋の中に向かって呼びかけた。

 

「どうぞ、中へ入りなさい」

 

 ドアの向こうから、まだ若さを幾分か残した、落ち着きのある男性の声が聞こえてきた。

 

「北河原さん。私は書庫になっている隣の部屋で待機しているから、あなたは一人でこの部屋に入って。

面会が終わったら、私の所に連絡しに来てね」

 

「うん」

 

 結梨は静かにドアのノブを右手で回し、内開きのドアをゆっくりと開いていった。

 

 部屋の中は30平方メートルほどの広さで、両側の壁には天井に近い高さまで本棚が立ち並び、壁面をほぼ埋めていた。

 

 部屋の中央にはやや大きめの、来客対応のためのローテーブルが置かれていたが、その上には数十冊の文献が積み上げられている状態だった。

 

 ローテーブルの向こう側、部屋の奥には木製の執務机があり、一人の壮年の男性が椅子に座って、静かにこちらを見ていた。

 

 性別こそ違うものの、その顔には彼の娘である来夢の面影がどことなく感じられた。

 

「岸本教授、私は……」

 

 結梨の言葉を途中で制して、岸本教授は覚悟を決めたような表情で、まるで教会で告解でもするかのように重苦しく言葉を吐き出した。

 

「いつかこの日が来ると思っていた。

お世辞にも片付いているとは言えない所だが、ここで話し合おう。

――私からも君に話しておかなければならないことが沢山ある」

 



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第25話 尋ね人(7)

 

 ローテーブルを挟んで、結梨は岸本教授と向かい合う形でソファーに座った。

 

 目の前の岸本教授は、不惑に差し掛かるかどうかという年齢に見えた。

 

 その顔には本来の彼――ヒュージが出現する以前の生態系を回復したいという理想を持っていた研究者――には似つかわしくなく、深い苦悩の影が差していた。

 

 しばらくの沈黙の後に、先に口を開いたのは岸本教授の方だった。

 

 彼は覚悟を決めたかのような落ち着きで、ゆっくりと結梨に話しかけた。

 

「北河原ゆり――いや、本名は一柳結梨ということは知っている。

君は私を恨んでいるだろう。

この場で君が私を殺そうとしても、私は抵抗するつもりはない。

もっとも、君の力をもってすれば、成人男性一人の抵抗など紙人形にも等しいだろうが」

 

「どうして、私が岸本教授を恨んで殺そうとするの?」

 

「私は君を生まれながらのリリィという、一種の人造人間として誕生させた。

それもヒュージの幹細胞からヒトの遺伝子を抽出するという方法で」

 

 その事実は既に結梨も知っている。

 それゆえ、今さら驚くようなことではなかった。

 

「言うなれば、君はヒュージから生まれたヒトだ。

君は私にとっては理想と希望の象徴だったが、私以外の人間には、ヒトとして扱われない実験体の一つに過ぎなかった。

そのような存在として君を生み出した私を、君が許さなくてもおかしくはない」

 

「でも、私は人で、リリィだよ。

梨璃が私を連れて百合ヶ丘のガーデンから逃げてた間に、百由と理事長代行先生が私を人だって証明してくれたの」

 

 自分の力だけではできなかったことを、何人もの仲間が助けてくれたおかげで、自分はG.E.H.E.N.A.に引き渡されずに済んだ――そのことを結梨は決して忘れるわけにはいかなかった。

 

「生徒会の人たちも、今はみんな私を人だって思ってる。

だから、私は誰のことも恨んでなんかないし、とっても感謝してるよ」

 

 至って明快な結梨の考えは、眼前に座っている岸本教授にも向けられた。

 

「岸本教授だって、私を実験に使うために生み出したわけじゃない。

人がヒュージと戦って必ず勝てるように、ヒュージのいる世界で必ず生き残れるように、新しい人類として私を作ったんだって」

 

 岸本教授は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに事情を理解したと見えて、無表情と紙一重の、元の冷静な表情に戻った。

 

「その通りだ。

君がどのように生まれ、その力の何たるかを正確に理解すれば、その結論に至る他は無い。

 

本当は誰もがそれを正しいことだと心の中で認めていると、私は考えていたのだが……これについては後で話すことにしよう。

 

ところで、ヒトであるリリィがマギを利用してレアスキルを使ったり、CHARMを振るえたりするのはなぜか、君は知っているだろうか?」

 

 教授の質問に対して、結梨はこれまでの経験とシエルリントの大図書館で読み込んだ文献から、一つの考えを導いていた。

 

「人と人以外の生き物は、根っこは同じだから、どっちもマギを使うヒュージの力とリリィの力も同じもの。

でも、ヒュージと違ってリリィには人の心が残ってる。

だからヒュージみたいにただ暴れるだけじゃなくて、その力を使って誰かを守るために戦うことができる。

それがリリィがヒュージと違うところ……たった一つの違い」

 

 結梨の言葉を聞いた岸本教授は黙って頷いた。

 

 彼の反応は、結梨の考えが教授のそれと食い違ってはいないことを示していた。

 

 そして彼は次に、結梨に対して講義を開始するかのように、説明口調で話し始めた。

 

「生物がマギによってヒュージ化するのはなぜか。

私はマギが生物の体組織に及ぼす影響を研究し、その仕組みを解明することに、ある程度成功したと考えている。

少し長くなるが、はじめにその内容をごく簡単に説明しよう」

 

 岸本教授はローテーブルの上の書籍を脇に押しのけて、空いたスペースに白紙を置いて書き込みを始めた。

 

 結梨はその書き込みに目を走らせながら教授の説明に耳を傾けている。

 

「まず、マギは生物の体内に入ると、放射線と同じく細胞組織の構造に変異を引き起こす。

 

放射線の場合は、その強力な電離作用によってDNAの二重螺旋を切断するはたらきがあり、これが様々な放射線障害や突然変異を引き起こし、また発癌の原因にもなる。

 

一方、マギは細胞内のミトコンドリアに作用し、ATPによる通常の代謝とは異なる、きわめて特殊なエネルギー代謝の経路を作り出す。

 

端的に言えば、マギがミトコンドリアを変異させることによって、生物が活動するためのエネルギーとしてマギを利用できるようになる。

 

こうして生物がマギをエネルギーとして利用することによって、これまでの常識では考えられなかった体細胞の変異と、それに伴う劇的な代謝構造の変化が起こった。

 

また、その影響は脳組織にも及び、個体の行動は極端な攻撃衝動に支配される。

 

これが生物がヒュージ化し、既存の生物学や物理学を超越した体躯と破壊力を持つ、異形の生命体となる理由だ。

 

そして、ヒュージの能力は潜在的に全ての生物種に共通して備わっている――もちろんヒトもその中に含まれる。

 

ヒトの場合、マギのエネルギー代謝は、ATPによるエネルギー供給効率を遥かに上回り、通常ではありえない筋力と骨密度などの上昇、更にはレアスキルと呼ばれる超物理的な能力の発現を可能にする。

 

ただし、君が先ほど指摘したように、ヒトは他の生物種と異なり、理性を保ったまま姿を変えることもなく、ヒュージの潜在的能力を選択的に使用することができる。

 

これがリリィが持つ能力の本質であり、マギによって駆動するCHARMの機能の源であることは言うまでもない。

 

ヒトがなぜ完全にヒュージ化せず、部分的なヒュージの能力の発現に留まるのかは、現在のところ不明だ。

 

一説によれば、他の生物に比べて格段に発達した大脳新皮質が、マギの代謝を抑制し、理性を保つ役割を果たしているという。

 

一方で、これとは逆に、ヒトの感情の源となるA10神経の活性化によって、マギの代謝レベルが一時的に励起され、その結果リリィがレアスキルに覚醒するとも言われている――だが、この仮説は現時点で推測の域を出ていない。

 

いずれにせよ、他の生物に比して発達した大型の脳を持つ人類については、マギが特異なパターンで心身に影響を及ぼしている可能性が高いと考えられている。

 

また、男性より女性にマギの影響が顕著に表れる理由については、染色体の差異が関係していると思われるが、これは科学的にはまだ解明されていない。

 

――差し当たっての説明としては、こんなものだろう。

ここまでの内容で疑問に思うところは?」

 

 岸本教授の確認に対して、結梨はまるで彼の生徒であるかのように、軽く右手を挙げて質問した。

 

「私以外の人を、私みたいな力を持ったリリィに変えることはできないの?」

 

「それは原理的に不可能だ。

既に誕生したヒトの遺伝子を組み替える技術は、現在の科学では確立されていない。

人工的に先天的なリリィを生み出せるのは、あくまでも発生初期の幹細胞でのみ可能な技術だからだ」

 

 あるいは、胎児の段階でヒュージ細胞を体内に埋め込むことによって、来夢や藍のように生まれながらの強化リリィとすることもできる――それは岸本教授も結梨も十分に認識していることだった。

 

 しかし、それについて今ここで話を持ち出すことは、二人とも適当ではないと考えていた。

 

 超越的な能力の代償としての負の影響が全く無い結梨に比べると、来夢や藍の能力はまだ不安定であり、強化リリィ特有の身体への負荷も無視できないレベルにあるからだ。

 

「それなら、人はこれからも今までのやり方で、ヒュージと戦い続けないといけないの?」

 

 結梨の問いかけに岸本教授は視線を落として数十秒も黙り込んだ――その後で、何かを決意したかのように、結梨の顔を正面から見て答えた。

 

「それを回避する方法はある。

人類社会が君のようなリリィを新しい人類として認め、人類を人工的に進化させる道を選ぶことだ。

 

私はそれが人類をヒュージとの終わりなき戦いから決別させ、ヒュージの存在を脅威としない時代を創る最善の選択肢だと信じていた。

 

――だが、人類はそれほど理性的でも合理的でも理想主義的でもない存在だった」

 

 岸本教授の理知的で聡明な相貌は、再び苦々しい悔恨と苦悩の感情で満たされた。

 

 



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第25話 尋ね人(8)

 前回と今回は設定をSF的に解釈しようとして、かなりくどい内容になっています。
 ほとんど岸本教授の独演会みたいになってしまってすみません……

 岸本教授の話は次回の前半くらいまで続く予定です。
 その後は一度百合ヶ丘に戻って方針を再確認、再び東京へ結梨ちゃんが出発します。


 

「ヒュージ幹細胞から抽出したヒトの遺伝子には、ヒュージのみに特有と考えられていたマギの代謝能力が含まれていた」

 

 岸本教授の説明は結梨をただ一人の生徒として、なおも続いていた。

 

「考えてみれば当然のことだ。

ヒトとヒト以外の生物の間には、根本的な遺伝子の違いなどありはしない。

 

従って、全ての生物がマギの影響でヒュージ化する可能性があるのなら、その原因となる塩基配列も、あらゆる生物の遺伝子に存在していると考えられる。

 

その結果、ごく一般的な生物の、ごく普通の細胞がマギの影響でヒュージ化する。

そしてヒトはその発達した脳の機能によって、ヒュージ化を極めて部分的にしか発現しない。

 

ヒトはヒト以外の生物種とは異なり、細胞の形そのものは変わらず、代謝構造の変化による身体能力の劇的な向上と超物理的能力の覚醒のみが引き起こされる。

 

これがヒュージとリリィの違いであり、査問委員会において遺伝子情報のデータから一柳結梨がヒトであるとジャッジされた根拠だ」

 

 岸本教授の説明を真剣な表情で聞いていた結梨は、しばらく考え込んだ後、極めて本質的な結論を口にした。

 

「ヒュージの細胞からリリィの部分だけを取り出したのが、私なの?」

 

「その通りだ。

君の遺伝子には、現在確認されている全てのレアスキル因子が含まれている。

つまり、潜在的には君はあらゆるレアスキルを使うことができると言える。

 

もっとも、レアスキル因子というものは『公式には』確認されていない。

私が自身の研究の中でその存在を指摘し、実証する機会を窺っていた概念だ」

 

 岸本教授の話は、もしこの場に第三者の聞き手がいたならば、彼のことを誇大妄想狂と思うに違いないものだった。

 

 だが、現に結梨はレアスキルの複数同時使用をはじめとして、他のどのリリィにも不可能な、幾つもの超常的な戦闘能力を発揮してきた。

 

 彼の理論を体現したのが、目の前に座っている一人の少女であることは、疑いようのない事実だった。

 

「G.E.H.E.N.A.は私が潜伏していたグランギニョル社に、人造リリィ計画への技術提携を持ち掛けてきた――あれは私にとっては事実上の脅迫に等しいものであり、拒否することはできなかった。

 

グランギニョル社のトップも、『未成年の女性であるリリィの生命を守るため』という建前のお題目に乗せられた形で、計画への協力を決定した。

 

G.E.H.E.N.A.にしてみれば、人権に配慮せず好き勝手に人体実験を進められる絶好のプロジェクトだっただろう。

 

しかし、G.E.H.E.N.A.の目論見を私は逆手に取って、自らの理想を実現しようとした。

――使い捨ての消耗品としての人造リリィではなく、ヒュージ支配下の世界でも生存できる、新しい人類を作り出そうと」

 

 そのプロトタイプとして生まれたのが一柳結梨であり、これまでのところ、結梨はその能力を存分に発揮している。

 

 だが、そのような岸本教授の思惑など、彼以外には知る由もないことだった。

 

「海上でのハレボレボッツとの戦闘記録から、G.E.H.E.N.A.は君の能力に驚愕した。

そして、その余りの強大さに恐れをなし、人造リリィ計画を一時的に凍結する決定を下した。

 

単なるモルモットとしての実験体だったはずが、自分たちを滅ぼす破壊神となりかねないことに気づいたからだ」

 

「私はG.E.H.E.N.A.は嫌いだけど、G.E.H.E.N.A.にもいろんな考え方の人がいることは知ってる。

だから、G.E.H.E.N.A.を全部やっつけるなんて思わないよ」

 

 自分はそんなに暴力的な人間ではないと、頬を膨らませて抗議する結梨。

 

 そんな結梨をなだめるつもりがあったのかどうか、岸本教授は表情を変えずに説明を続けた。

 

「G.E.H.E.N.A.の中でも、いわゆる過激派の派閥に属している者は、いつ自分が襲撃されはしないかと、戦々恐々としているはずだ。

 

だから今は、表立って君に危害を加えるようなことはしていないのだろう。

 

ただし、今日のケイブ発生は、君がイルマ女子に向かっていることを知った過激派が、戦闘データを収集するために仕組んだものかもしれないが」

 

 今の過激派にできるのはせいぜいこの程度で、強制的に身柄を拘束したり、刺客を差し向けることはできないのだろう、と岸本教授は述べた。

 

「自分たちより強いものが、自分たちを滅ぼすかもしれない。

 

これはヒュージと人類との関係だけではなく、有史以来――いや、それ以前から常に、種の繁栄と絶滅を巡って繰り返されてきた生存競争の原理だろう。

 

そして、先ほど私が話したように、一般的な人間も、人工的な人類の進化に対して理性的に向き合えないことが明らかになった」

 

 人類はそれほど理性的でも合理的でも理想主義的でもない存在だった――岸本教授は確かにそう言った。

 

「私は対ヒュージ戦略に関する様々な研究会や会議の場で、ヒュージに対抗するための人工的な進化の必要性を説いた。

 

強化リリィに特徴的な、後天的な投薬や外科的施術では、被験者の心身への負担が極度に大きく、廃人となったり命を落とすことも珍しくない。

 

また、強化が成功したとしても、重篤な副作用のリスクが生涯に渡って継続し、被験者のQOLを著しく損なうことは看過できない問題だ。

 

被験者を募集する手段についても、その多くは人権を侵害するような、極めて問題のある方法で行われているのが実情だ。

 

新しく生まれてくる人間が万能の能力を持つリリィであれば、これらの問題は根本的に解決され、いずれ人類はヒュージを脅威としなくなる――これが私の持論だった」

 

「教授の言ってることは間違ってないと思うけど……」

 

「君がこの世界に生まれてから、まだ一年も経っていない。

 

君が所属しているガーデンも、いわば理想的な環境の、理想的な仲間たちの存在で成り立っている世界だ。

 

だが、G.E.H.E.N.A.をはじめとして、一歩ガーデンの外へ出れば、そこは様々な思惑が渦巻く、欲望と打算にまみれた人類社会が待ち受けている」

 

「そういえば、戦技競技会の時に、ガーデンの外からいろんな人が中を覗き見してたって、史房や祀が言ってた……そんな人がいっぱいいるってこと?」

 

「そうだ。各個人は自らの利益のために行動し、それが結果として社会全体の利益につながる――それが上手く循環しているのが良い社会というものだろう。

 

だが、ヒュージを脅威としない人類社会を創るために、現在の人類が新しい人類に取って代わられることを、人々は良しとしなかった。

 

かつてホモサピエンスに取って代わられて消えていったクロマニヨン人やネアンデルタール人のように、自分たちも新しい人類に置き換えられて消えていく――力無き存在として、劣等種として、不必要なものとして――その想像が、おそらくは人々の胸の内に生じたのだろう。

 

私が意見を発表した狭い研究会や会議の場でさえ、大半の出席者が疑念、不信、警戒心を露わにした。

 

また別のある者は、人が遺伝子を設計した人造人間を新しい人類とすることは、神の意志に背く行為であるとして、私の考えを否定した。

 

つまり、私の研究は一種の危険思想のようなものと見なされていた。

 

こうした状況に置かれていたため、私の研究は理論段階に留まり、大規模な予算と設備が必要な実証研究の段階に進むことができないでいた」

 

「その時にG.E.H.E.N.A.がグランギニョル社に近づいてきたんだね」

 

 結梨が岸本教授の話の先を読んだ発言をすると、彼は幾つもの複雑な感情が混じり合った表情を浮かべて話を続けた。

 

「……正確には、私の所在を突き止めたG.E.H.E.N.A.が、と言うべきだろう。

私は、自分の研究結果を実現する機会は、これをおいて他には無いだろうと考えた。

 

そして、それが社会の承認を得ておらず、倫理的に解決されていないことも充分に認識した上で、プロジェクトへの協力を承諾した。

 

――どうしても自分の理想を実現したかったからだ」

 

 ある意味、岸本教授はプロジェクトを秘密裏に私物化していたとも言える。

 

 それは当時、彼が所属していたグランギニョル社に対する背任行為であるだけではなく、社会全体への反逆的行為とさえ見なされかねないものだった。

 

 それでも、岸本教授は己の意志を貫徹して、彼の理論を完璧に実現したリリィを生み出すことに成功した。

 

 岸本教授の話を聞いていて、結梨はある思いにとらわれていた。

 

(岸本教授も、美鈴や梨璃と同じなんだ。

美鈴は夢結の愛を自分のものにしておきたくて、自分が死ぬ前に咲朱のことを忘れさせた。

梨璃は私を助けるために、ガーデンの命令を無視して私を連れて逃げてくれた。

みんな、それがいけないことだって分かっていても、どうしてもそうしないといられなかったんだ)

 

 第三者から見れば、それは周囲の者に迷惑をかけ、組織や社会のルールに反する行為であることは否定できない。

 

 しかし、岸本教授は自らの理想を諦めることはできなかった。

 

 川添美鈴はシルトの愛を手放すことはできなかった。

 

 一柳梨璃はヒュージと見なされた少女を見捨てることはできなかった。

 

 その結果、岸本教授は再びG.E.H.E.N.A.過激派に追われる身となり、白井夢結は心を病み、一柳梨璃は営倉入りの処分となった。

 

 だが一方で、現在の夢結は精神の安定を取り戻し、梨璃は一柳隊の隊長として復帰し、結梨はG.E.H.E.N.A.に引き渡されることなく生きている。

 

 では、岸本教授は――

 

「私がイルマ女子のラボにいることは、やがて過激派に露見するかもしれない。

そうなれば、また身を隠せる別の場所を探して逃亡することになるだろう。

だから、君が再び私に会える保証は無い」

 

「もう二度と教授には会えないかもしれないの?」

 

「どうしても私に会う必要が生じた時は、ルドビコ女学院の泉教導官を訪ねるといい。

彼女は私と同じくルドビコの体制に疑問を抱いたために、殺人事件の容疑者として濡れ衣を着せられ、一時は指名手配犯となったことがある。

 

私と泉教導官は、ともにG.E.H.E.N.A.から追われる逃亡者となり、互いに連絡を取り合って追跡の手を逃れた。

 

ルドビコが崩壊した現在も、過激派は私と泉教導官を危険人物としてマークしており、隙あらば口実を見つけて拘束しようとするだろう」

 

「泉先生に会って話をすればいいの?」

 

「泉教導官に会って私の名を出せば、私への取り次ぎはしてくれるだろう。

後で泉教導官には私から連絡を入れておく」

 

 ルドビコの名前が持ち出されて、結梨は岸本教授の実子であるリリィのことを思い出した。

 

「教授は来夢には会ってるの?」

 

「……いや、会ってはいない。

来夢に会えば、ルドビコ崩壊の際に明らかになった事実について、何も話さずにいることは許されない。

だが、ルドビコ崩壊の真相については、まだ完全に解明されていない部分が残っている。

私はそれを明らかにするまで、来夢には会わないつもりだ」

 

「それなら、来夢に会っても教授のことは話さない方がいいんだね」

 

「そうしてもらえると助かる。

私を探そうと来夢が動き回れば、来夢自身の身に危険が及ぶ恐れがある。

泉教導官にも、来夢に私のことは極力話さないように頼んである」

 

「うん、わかった」

 

 素直にこくりと頷く結梨に、岸本教授は自分に言い聞かせるかのように独白する。

 

「私は未来と来夢の父親でありながら、二人が強化リリィとなるのを防げなかった。

未来は強化の果てに命を落とし、来夢はこれからも強化リリィとして生きていかなければならない。

 

来夢を強化リリィの呪縛から解き放ち、一人の人間として自由に生きられる世界を創る――それが、私が未来と来夢にできる唯一の贖罪だ」

 

「自由に生きられる世界……」

 

 そのような言葉を、かつて査問委員会で高松咬月が口にしたことを、結梨は出江史房から聞いていた。

 

 岸本教授の理想も、道筋は違えど咬月と同じ方を向いているのだと、結梨ははっきりと理解した。

 

 岸本教授はそんな結梨の心に気づいていたのかどうか、宣言するがごとく言葉を続けた。

 

「そうだ。そして私はそれを実現するきっかけ、手がかりを見つけることに成功した。

もう誰にも十字架を背負わせることなく、ヒュージとの戦いを終わらせる方法を」

 



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第25話 尋ね人(9)

 

 果てしないヒュージとの戦いを終わらせ、リリィが自由に生きられる世界を創る――しかも、ヒトを人工的にリリィとして進化させることなく。

 

 岸本教授の言葉は確信と決意に満ちており、結梨の心には、その先を聞いてみたいという思いが湧きあがった。

 

「教授はどうやってそれを実現するつもりなの?私、知りたい」

 

「この計画は個人としてのリリィに対するものではない。

もっと大掛かりで、これまでよりも遥かに大規模な設備と人員、予算が必要になる。

 

特に理論段階の次の開発・検証のステージでは、とても私一人の手には負えない。

――だから、私はこの計画を私以外の人間に委ねることを決めた」

 

 岸本教授の表情は、ようやくそれまでの重苦しいものから脱して、彼本来の希望と理想と――そして、ほんの少しの野心を、その整った顔立ちに浮かべていた。

 

 だが、一方の結梨は、岸本教授の返答に一抹の不安を抱いていた。

 

「教授の研究は秘密にしておかなくていいの?

そのことをG.E.H.E.N.A.……の過激派に知られたら、邪魔されるんじゃない?」

 

「隠していても、いつかは過激派の知るところとなるだろう。

 

それに、いつまでも私だけが情報を抱え込んでいては、ルドビコの時のように多くの人が計画を巡る陰謀に巻き込まれ、命を落とすことさえある。

 

この計画によってヒュージとの戦いが終結すれば、G.E.H.E.N.A.が実験体のヒュージを保有する根拠は失われる。

 

また、全てのリリィが武装解除される可能性とともに、リリィに対する強化実験も全面的に禁止されるだろう。

 

過激派はそれを危惧し、かつてのルドビコで行われたように、実験体のヒュージや隷下の強化リリィを使って、妨害工作を仕掛けてくることが予想される。

 

計画を阻止しようとする過激派との争いによって、リリィや教導官に再び何人もの犠牲者を出すことになるだろう。

 

その事態は何としても避けなければならない。

 

そのためには、いっそ彼らが容易に潰すことのできない組織へと、計画そのものを移してしまえばいい――そう私は考えた。

 

そうすれば、もし私の所在が過激派に露見して、私を拘束したり殺害しても、もう計画が止まることはない。

 

そこから先は計画の移譲先とG.E.H.E.N.A.過激派との、硬軟織り交ぜての闘争が繰り広げられるだろう」

 

 岸本教授が計画を移したという組織はどこなのか、結梨はすぐには思いつかなかった。

 

 計画を委譲した先の組織というのは、百合ヶ丘や御台場のような反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンではなさそうだが、それならば一体どこへ?

 

 結梨が首をひねって考え込んでいると、その様子を見ていた岸本教授が回答の端緒を口にした。

 

「一柳君は防衛軍の石川さんという人を知っているだろうか?」

 

(石川さん……葵のお父さんのことかな)

 

 結梨が岸本教授に確認の言葉を口にする前に、彼は「石川」なる人物について語り始めた。

 

「防衛軍の対ヒュージ戦略部門のトップに石川精衛という人がいる。

後で私から連絡を取って君のことを伝えておくから、彼に会って直接話を聞くといい。

 

私は計画の基本的なコンセプトと、それを実現するためのコアとなる理論を彼に提供した。

順調に計画が進んでいれば、今は実験と検証の初期段階にあるはずだ」

 

「今、計画の内容を教授に教えてもらうことはできないの?」

 

「計画のハンドルを握っているのは、今は石川さんであって私ではない。

だから、計画の内容については、この場では話せない。

その代わりに、私が石川さんを選んだ理由を話そう」

 

 教授はソファーから立ち上がり、ドアと反対方向の部屋の奥へゆっくりと歩いていった。

 

 そして窓際で立ち止まると、じっと窓の外を見つめたまま結梨に語りかけた。

 

「……計画は私一人の力では到底実現できない規模のものだ。

 

だが、G.E.H.E.N.A.穏健派の組織力に頼れば、いずれ過激派が嗅ぎつけて計画を捻じ曲げられるか、さもなければ関係者ごと抹殺されるかのどちらかだろう。

 

だから、私はG.E.H.E.N.A.以外の組織に計画の協力者を探した。

 

無論、生半可な組織ではG.E.H.E.N.A.過激派の干渉や妨害があった場合、それに対抗することはできない。

 

結果として私が協力を求めたのは、防衛軍内部の反G.E.H.E.N.A.主義――とりわけ過激派に対して否定的な派閥だった。

その代表格が石川さんだったというわけだ」

 

「葵のお父さんなら知ってる。

ルド女の指令室を調べに行くときに、葵と一緒に話を聞いたから。

指令室の中を調べるのは、途中でやめることになったけど」

 

 結梨の言葉を聞いた岸本教授は、驚きとあきれた感情がないまぜになった表情で、結梨の顔を見つめた。

 

「あの部屋に入ろうとしたのか……

だが、運よく中に入れたとしても、機密データは削除されているか、機器そのものが物理的に動作しないように処置されているはずだ。

見た目には正常でも、おそらく内部の基板や記憶装置は取り外されているだろう」

 

「指令室の中を調べても、G.E.H.E.N.A.が悪いことをしてた証拠は見つからない……」

 

「そうだ。当然、悪事の証拠は念入りに隠滅されている。

正攻法でG.E.H.E.N.A.を糾弾するための物証を集めるのは、非常に困難だ。

 

私の計画は、そうした一般的な方法ではなく、最終的にはG.E.H.E.N.A.という組織自体が不要の存在になることを目指したものだ」

 

 岸本教授はあくまでも、計画の具体的な内容をここで説明する気は無いようだった。

 

 話の区切りをつけるように、岸本教授は窓際を離れて再び結梨の前に歩いてきた。

 

 ソファーに座っていた結梨に立ち上がるよう促し、ドアの方へ導きながら言葉をかける。

 

「私がルドビコやイルマ女子のようなガーデン、あるいはグランギニョル社といった企業に在籍して研究してきたのと同じく、君とて百合ヶ丘女学院という名の、れっきとした組織に身を置く人間だ。

 

『御前』のように完全なフリーのリリィとは違う。

 

君はひとまずは所属元である百合ヶ丘女学院に戻り、ガーデンとしての今後の対応を協議することになるだろう」

 

「また葵のお父さんのところへ行くことになるのかな?」

 

「百合ヶ丘のトップは石川さんとも懇意にしていると聞いている。

私の計画では、ごく少数の極めて能力の高いリリィの支援が、途中の段階から必要になってくる。

 

百合ヶ丘が判断を誤らなければ、君が計画に関わることにGOサインを出すだろう。

――ガーデンの結論が君の未来にとって良きものであることを願っている」

 

「ありがとう。岸本教授の計画が成功したら、教授は来夢に会えるようになる?」

 

「おそらくは」

 

「私、やってみる。もうヒュージと戦わなくていい世界をつくるために」

 

 結梨は岸本教授と握手を交わして別れ、隣りの別室で待機していた篠田澪瑚教導官を呼びに向かった。

 

 篠田教導官と一緒にイルミンリリアンラボからイルマ女子のガーデンへの連絡通路を戻る途中で、結梨は篠田教導官から話しかけられた。

 

「北河原さんは百合ヶ丘から御台場へ一時編入中と聞いたけれど、百合ヶ丘にも疑似姉妹制度のようなものがあるのでしょう?

イルマでは『冠輝の誓い』というのだけど。

あなたも誓いを交わした相手がいるのかしら」

 

 プライバシーに関わることゆえか、篠田教導官は岸本教授の話題を出さないように配慮していた。

 

 結梨は小さく首を横に振って、篠田教導官の質問に否定で答えた。

 

「ううん、私のお姉さんみたいなリリィはいるけど、まだ私にはシュッツエンゲルはいないの」

 

「いずれは、そのリリィとシュッツエンゲルの関係になるつもりなの?」

 

 再び結梨は否定の返事を篠田教導官に伝えなければならなかった。

 

「……それはできないの。

そのお姉さんリリィは私と同じ学年だから、私はシルトにはなれないし、今は会うこともできないの」

 

「そうだったの。それは残念ね」

 

 気遣いの言葉をかける篠田教導官の視線には、それだけではない湿度の高い感情が込められていた。

 

「北河原さん、もっとあなたのこと知りたくなったわ。

この後、生徒指導室で話を聞かせてくれないかしら」

 

「うん、いいよ」

 

 篠田教導官の求めに結梨が素直に応じようとした時、いかにもわざとらしい咳払いの音が前方の通路から聞こえてきた。

 

 二人が視線をそちらの方に向けると、御台場女学校の制服を着た一人のリリィが腕組みをして立っていた。

 

 そのリリィはいかにも含むところのある目つきで、篠田教導官の顔をまっすぐに見据えている。

 

「予定より面会の時間が長引いているようなので、応接室を出てラボに向かっていたところでしたの。

ちょうど岸本教授とのお話が終わったようで、何よりですわ。

さあ、さっさとガーデンに戻りますわよ、ゆりさん」

 

 言うが早いか、燈は足早に歩み寄ると、結梨の手を取って元来たイルマ女子のガーデンがある方へどんどん歩き始めた。

 

 有無を言わせず結梨を伴って視界から消えていった燈の後ろ姿を見送って、篠田教導官は舌打ちをしたい気分を抑え込んでいた。

 

(勘のいいリリィね。私のことを知っていたのかしら。

せっかく二人きりで『色々と』教えてあげようと思ってたのに……)

 

 一方、篠田教導官の妖しい個人指導から結梨を免れさせた燈は、これをどう説明したものかと頭を悩ませていた。

 

(あの教導官はそちらの方面に手が早いと評判なので、お気をつけなさい――と言って結梨さんに理解できるかどうか……

ここは「時間の都合で迎えに来た」ことに徹するのが上策ですわね)

 

 そんな篠田教導官と燈の思惑など知る由もない結梨は、早く百合ヶ丘に連絡してガーデンに戻る準備をしようと、気ぜわしく考えるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 市ヶ谷の防衛軍本部へ出向くよう、百合ヶ丘のガーデンから結梨に指示が出されたのは、結梨が燈とともにイルマ女子を訪問して数日の後だった。

 

 





 この先の展開は、岸本教授の計画を軸として、少しずつエンディングへ向かっていくことになります。(あと何話必要かは分かりませんが)

 その前に、次回は番外編としてアサルトルベルムの二次創作を投稿してみる予定です。
(アサルトルベルムは楓さんと葵ちゃんが聖メルクリウスへ進学する世界線のストーリー。
次回投稿予定の二次創作では結梨ちゃんも登場します)

 上手くいったら不定期で細々と投稿できればいいな……くらいの感じです。


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番外編 アサルトルベルム プラス(1)

 前回投稿時の予告通り、アサルトルベルムの二次創作です。
 文体は葵ちゃん視点の一人称で描写しています。
(叙述トリックのつもりではありません)
 また、葵ちゃんの性格について解釈違いがあると思いますが、その点についてはご容赦ください。



 

 穏やかに晴れた日の放課後、私はいつものように街の食料品店で買い出しを終え、両手にずっしりと食材の入ったマイバッグを持って家路につく。

 

 夕暮れが近くなり、私と同じように学校や勤務先から帰宅する途中、または買い物のための外出で、人通りはやや多い状態ではあるけれど、混雑しているというほどでもない。

 

 私が中等部から通っているガーデン、横須賀市の聖メルクリウスインターナショナルスクールは、鎌倉府5大ガーデンの一角だ。

 

 その聖メルクリウスからの帰り道で、私は自分と同居人の食事を賄うための買い物を済ませたところだ。

 

 聖メルクリウスとその周囲の市街地は、堅牢な城壁に囲まれた城塞都市の様相を呈していて、人々はその城壁によってヒュージの襲来から守られた生活をしている。

 

 もちろん私もその一員であり、これから私の同居人が借りている大きな洋館のような屋敷に帰るところだ。

 

 もう何年もの間、私はその同居人と寝食を共にして、家族同然の関係にある。

 

 いや、より正確には家族というよりも恋人同士のような間柄だ。

 

 つまり、私たちはお互いに愛し合っていると言える状態にあるのだけど、その辺りの話は、また後の機会にでもしよう。

 

 こういう感じで、私生活ではわりと安定した日々を送っていた私だったけど、最近その生活に一つの変化があった。

 

 私が両手に持っている食材の量は、1週間ほど前から約1.5倍に増えている。

 

 その理由はまあ、家に帰れば明らかになることだ。

 

 買い物を終えて十数分後に、私は明治時代に建築されたらしい大きな洋館の入り口に立っていた。

 

 これが私と同居人が住んでいる家なのだが、二人で住むには余りにも大仰に過ぎると思う。

 

 部屋の数は正確に数えたことは無いけど、たぶん三十くらいはあるんじゃないかな。

 

 当然、全部の部屋を使っているわけではなく、一階の適当な広さの一室をLDKの内装にリフォームして、そこを生活の場として主に使っている。

 

 寝室は隣りの部屋に設けていて、広い室内にキングサイズよりさらに大きい特注仕様のベッドが置かれている。

 

 寝室の中でベッドはその一つだけで、私と同居人はそのベッドで毎日眠りについている。

 

 しかもそのベッドはレースのカーテンで囲まれた天蓋付きで、どこの王侯貴族かと言いたくなるほどのものだ。

 

 でも私の同居人によれば、このくらいは全然普通で大したことはないと言う。

 

 実際、慣れてしまえば確かに違和感を感じることもなくなり、特段どうというものではなくなってしまった。

 

 つくづく慣れとは恐ろしいものだ。

 

 そんなことをつらつらと考えながら、私は自宅である古めかしい洋館の中に入り、リビング兼ダイニングキッチンへと至る廊下を進む。

 

 数十歩後に足を止め、これまた大げさなウォールナット材でできた重厚な木の扉を開けると、いつもと変わらない同居人の姿がそこにあった。

 

 リビングのソファーに座っていた私と同い年の同居人は、私がドアを開けたのに気づいて、にこやかに、優雅に微笑んだ。

 

「おかえりなさいませ、葵さん。

いま結梨さんの宿題を二人で解いていたところですわ。

もうすぐ区切りがつきますので、あと少しお待ちくださいな」

 

 同居人の隣りには、結梨と呼ばれた、まだあどけなく幼い雰囲気の少女が座っていた。

 

「楓、私も一緒に料理のお手伝いする。

だから早く宿題終わらせよう」

 

 この少女、一柳結梨が1週間ほど前からこの洋館に住み始めて、私の同居人は二人になった。

 

 元々の同居人である楓・J・ヌーベル――この洋館自体はヌーベル家のものではないらしいけど、ヌーベル家の伝手で楓が借りているという。

 

 楓はとびきり才媛のリリィで、両親ともに貴族の家系で、しかも父親は世界的CHARMメーカーのトップという正真正銘のサラブレッドだ。

 

 その出自にふさわしく、聖メルクリウスの中等部レギオン予備隊では、楓は世界最高格付けを獲得した時の司令塔を務めていた。

 

 今は訳あって聖メルクリウスにおける楓の立場は微妙なものになっているけど、その実力が折り紙付きなのは当時も今も変わりはない。

 

 その楓が、同じく訳ありの様子で連れてきた少女が結梨だった。

 

 結梨は元々は同じ鎌倉府の百合ヶ丘女学院のリリィだったけど、百合ヶ丘にいられない事情ができて、この聖メルクリウスに転校したと楓からは聞いている。

 

 その事情というのは、まだ楓からは詳しく聞かされていないけど、どうやらG.E.H.E.N.A.が関係しているらしい。

 

 私が察するに、結梨はたぶん強化リリィで、ラボから脱走したところを百合ヶ丘が保護していたんじゃないかと思う。

 

 私や楓と同い年にしては妙に幼い印象を受けるのも、ラボでの生活が影響しているのかもしれない。

 

 そして、百合ヶ丘の力ではG.E.H.E.N.A.から結梨を守り切れなくなったので、百合ヶ丘と同じく反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであり、城塞都市のような聖メルクリウスに結梨を預けることになった……ってとこかな。

 

 それだけではなく、結梨がそんな事情を持つに至った背景には、楓のお父さんが少なからず関係していて、そのために楓が結梨の保護者代わりに一緒に生活することになったそうだ。

 

 ただし、そういう事情はものすごく個人のプライバシーに関わることだから、こちらから尋ねたりすることは控えて、結梨が自分から話してくれるまで待つとしよう。

 

 楓の隣りで結梨は一所懸命に宿題に取り組んでいる。

 

 その姿を見ていると、私も楓と一緒に彼女のことを守ってあげなくてはという気持ちになってくる。

 

 私の視線に気づいたのか、結梨が顔を上げてこちらを見る。

 

「葵、今日の晩ごはんは何?」

 

「えっと、鶏むね肉のガトー仕立てパセリソース、トマトのソルベサラダ、フレンチオニオンスープ、フランボワーズとブルーベリーのクレープ……」

 

「すごい……」

 

 指を折って数える私を、結梨は羨望のまなざしで見つめている。

 

 と言っても、これらの料理は、私が楓から作り方を教えてもらったもので、食費も大半はヌーベル家からの仕送りで賄われている。

 

 私の実家もどちらかといえば裕福な方に入るのだろうけど、ヌーベル家はちょっと格が違いすぎる感じだ。

 

「もう少しで宿題が終わるから、すぐに私も手伝う」

 

「ありがとう。キッチンで待ってるわ。

楓、結梨のことよろしくね」

 

「お任せください、葵さん」

 

 楓と結梨のいるリビングからキッチンへと、私は食材を持って移動し、調理する順番に下ごしらえの段取りを考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹が減っては戦はできぬ、の言葉通りに遠慮なく夕食を口に運んだ私たち三人は、食後のコーヒーをゆっくりと時間をかけて飲み、食器を洗って片づけた後、各自入浴と翌日の訓練の準備を済ませた。

 

 明日も朝早くから訓練が始まるので、夜更かしするわけにはいかない。

 

 結梨は私や楓と同じく、レギオンには属さないバックアップのリリィとして聖メルクリウスで活動する予定だ。

 

 でも転校生の結梨はともかく、中等部からのトップクラスの生え抜きである私と楓が、どのレギオンにも所属していないのは明らかに不自然だ。

 

 これにもやや深刻な事情があるのだけど、それについては折を見て結梨に話すことにしよう。

 

 さっさと就寝の準備を済ませた私たち三人は、寝室のキングサイズより大きいベッドで川の字になって寝る。

 

 楓がネグリジェで私と結梨がパジャマなのは、まあ見ての通りということで、特に深い意味はない……ないんだから。

 

 ベッドの真ん中に結梨を挟んで、私たちは何やら親子のような雰囲気さえ漂っている。

 

 結梨は楓の腕に抱かれて、規則正しく静かに寝息を立てている。

 

 以前は私が楓の抱き枕役をしていた……いや、私が自発的にそんなことをしてたわけじゃなくて、いつの間にかそれが習慣になっていたのだ。

 

 結梨が私たちの家に来て一緒に暮らすようになるまで、私と楓は同じベッドで眠るのが当たり前になっていた。

 

 今はそれに結梨が加わって、三人が一つのベッドで睡眠をとっている。

 

 私と楓の関係は、周りから見れば恋人同士のように見えるに違いないけど、私の実感はそれとは少し違っている。

 

 私の楓への気持ちは、恋愛というよりも友情に近いものだと思っている。

 

 一方、身も心も愛し合うのが自然な愛の表現だと、楓は言う。

 

 その辺りの考え方が楓と私で少し違っているかもしれないけど、私にとって楓がかけがえのない大切な存在だということに変わりはない。

 

 私は楓といつも一緒にいたいし、楓も私といつも一緒にいたいと思ってる。

 

 それだけで充分だ。

 

 だから今はお互いの価値観を何から何まで一致させようなんて考えてないし、そんなことは相手の気持ちを尊重することにはならないだろう。

 

「葵、難しい顔してる。

何か考えごとしてるの?」

 

 小さくささやくような声が聞こえて、そちらを見ると、結梨が目を覚まして私の顔を見つめていた。

 

 私はまだ幼い子供のような物言いをする結梨に、ふと尋ねてみた。

 

「結梨は百合ヶ丘に大切な人がいる?」

 

「うん。今は会えないけど、いつか一緒にいられる時が来るように頑張る」

 

「そう、その日が早く来るといいね」

 

 どちらからともなく、私と結梨は手を差し出しあい、お互いの手を緩く握ったまま眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結梨さん、朝ですわよ。

お目覚めにならないと、早朝の訓練に遅れてしまいますわ」

 

 楓の声で私は目を覚ました。

 

 私に呼びかけた声じゃなかったけど、私もつられて目を覚ました。

 

 寝返りを打って声の聞こえた方を見ると、結梨が眠そうに目をこすりながら上半身を起こそうとしていた。

 

「もうそんな時間?

あとちょっと寝ていたい……」

 

「それはできませんわ。

さあ、パジャマを脱いで、この制服にお着替えなさい」

 

 楓はもう自分の着替えを済ませて、結梨の着る制服を手元に準備している。

 

 その様子は、まるで幼い我が子の面倒を見る母親のようだ。

 

「お母さん、私の着替えも用意して」

 

 私はふと気まぐれに、冗談のつもりで楓に言ってみた。

 

 すると楓は急に真顔になって、私の顔をまじまじと見つめた。

 

「葵さん……」

 

 叱られるのかと一瞬思ったが、それはまったくの的外れだった。

 

 楓は何か新しい発見をした子供みたいに、興奮を隠しきれない上ずった声で私に話しかけた。

 

「葵さんにそんな趣味があったなんて初耳ですわ。

そういう趣向がお好みなら、もっと早く言ってくだされば色々とご用意しましたものを。

そうですわね……まず、年齢の設定は何歳にいたしましょうか?」

 

「いや、その……」

 

 どうやら、さっきの一言が変なスイッチを入れてしまったみたいだ。

 

「葵さんのご希望はいかがかしら?

遠慮なさらず、正直に本音をおっしゃってくださいな。

恥ずかしがる必要なんてどこにもありませんわよ。

私は葵さんのすべてを受け入れてみせますわ」

 

「本気にされても困る」

 

 目を輝かせて想像、いや妄想を巡らせ始めた楓に、私はすかさず水を差した。

 

 このまま楓を放っておくと、今日の午後には私が楓の娘としてロールプレイするための舞台装置が完成しているに違いないからだ。

 

 私の言葉に楓は我に返り、いかにも残念そうに想像もとい妄想を中断した。

 

「あら、私はいつだって葵さんの言葉を一言一句まで真摯に受け止めていますわ。

葵さんの望みとあらば、この楓・J・ヌーベル、骨身を惜しまず尽力いたしますわよ」

 

「それはありがたいけど、自分のことは自分でするから」

 

 私は起き上がって自分の着替えを取り出しに、クローゼットへ足を向けた。

 

 白を基調とした制服に袖を通しながら、ちらりとベッドの方を振り向くと、結梨が楓から制服を受け取って、私と同じように着替えを進めている。

 

 着替えを済ませて、結梨は一足先に寝室を出ていった。

 

 結梨がいなくなった後の寝室で、私は楓に尋ねる。

 

「結梨は――あの子はこれからどうなるの?」

 

「今は事情があって会えませんが、結梨さんには百合ヶ丘女学院に同じ1年生のご家族がいらっしゃいますの。

いつか問題が解決すれば、その方と一緒に暮らせる日が来る――私はそう聞いていますわ」

 

 楓の話した内容は、私が結梨から聞いたものと同じだった。

 

「なら、それまでは楓が保護者として結梨の面倒を見るってことね」

 

「そうなりますわね。でも、保護者役は私一人ではありませんわよ」

 

「……ひょっとして、私も?」

 

 思わず私は自分を指さす。

 

「もちろんですわ。

私だけでは何かと行き届かないことも出てくるはずですもの。

結梨さんが百合ヶ丘に戻れる時が来るまで、私たち二人が結梨さんを守らなくてはなりませんわ」

 

 楓は私よりも精神的に大人だけど、私は高校1年生という年齢相応の考え方しかできない。

 

 そんな私に親代わりなんてできるのだろうかと、少し途方に暮れかけていた――その時に、寝室のドアが開いて、隙間から結梨が顔をのぞかせた。

 

「楓、葵、早く朝ごはん食べて登校しないと、訓練に間に合わないよ。

私が朝ごはんの準備しておくから、早く来てね」

 

 そう言い残して、結梨はドアの向こう側に姿を消した。

 

 私と楓は急いで登校の支度を済ませ、朝食を用意している結梨のいるリビングへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして同じ屋根の下で暮らすリリィの仲間が一人増え、その分だけ家の中がにぎやかになった。

 

 でも、それは平穏無事な生活が保障されることを意味しているわけじゃない。

 

 私たちの前には内容や程度の差こそあれ、それぞれに立ち向かわなければいけない問題が立ちはだかっている。

 

 ただ待っているだけで問題が解決することはない。

 

 自らの意志で行動し、私自身のレアスキルのように、不確実な未来から最善の選択をして、望む未来を実現する。

 

 その先にヒュージとの終わりなき戦いの終焉もあるに違いないと、そう信じて私たちリリィは生きている。

 

 その日が来るまで、私たちは戦い抜いて生き延びなければならない。

 

 改めてそう思って、私は隣りを歩いている楓の手を握った。

 

「楓、これからもよろしくね」

 

 楓は私への愛に満ちた表情で、私に答えを返す。

 

「こちらこそ、葵さんが私と一緒にいてくだされば、どんな未来でも実現できますわ」

 

 楓の望みが叶うかどうか、私には予知できない。

 

 でも、楓と一緒なら、望む未来へ進めると信じられる。

 

 その想いこそが、人が生きる力そのものなのだから――

 

 





 試みにプロローグ的なストーリーを描いてみました。
 次回投稿の予定は全く未定です……気長にお待ちください。


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第26話 共同作戦(1)

 

 爽やかに晴れた日の朝、百合ヶ丘女学院1年生の北河原伊紀は、結梨とともに東京の市ヶ谷に位置する防衛軍本部に向かっていた。

 

 今は午前9時を10分ほど過ぎた頃で、二人は横浜駅で一人のリリィと落ち合う予定になっていた。

 

 先日、結梨と司馬燈が清澄白河のイルマ女子美術高校を訪問した際に、岸本・ルチア・来夢の父である岸本教授から、ある重要な事実を聞かされた。

 

 それはヒュージとの戦いを終わらせるための決定的な計画を、防衛軍の対ヒュージ戦略最高責任者である石川精衛に託したという内容だった。

 

 その計画が具体的にどのようなものなのかについては、石川精衛から直接聞くようにと、岸本教授は結梨に言ったのだった。

 

 イルマ女子から百合ヶ丘女学院に戻った結梨は、そのことをガーデンに報告し、百合ヶ丘の理事会はただちに防衛軍の石川精衛に連絡を取った。

 

 その結果、岸本教授の計画について直接口頭で説明したい、ついては指定した日時に防衛軍本部を訪れるように、との回答が得られた。

 

 ただし、訪問者は岸本教授と面会した『北河原ゆり』と同行者一名、そして石川精衛が指名したリリィ一人の計三名、との条件が付帯していた。

 

 百合ヶ丘のガーデンはその条件を承諾し、こうして結梨とLGロスヴァイセ隊長である伊紀が防衛軍本部を訪れることになった。

 

 そして今、二人は石川精衛が指名したリリィを、横浜駅のコンコースで待っているところだった。

 

 大っぴらにはできないものの、今日の防衛軍本部訪問はガーデンの公式な任務という建前がある。

 

 結梨は一応の変装として、髪形をポニーテールにして御台場女学校の制服を着ているが、伊紀は普段通り百合ヶ丘女学院の標準制服を着用している。

 

 作戦行動での外出ではないため、二人ともCHARMは携行していない。

 

「私たちと一緒に行くリリィが誰なのか、ガーデンからは教えてくれなかったね」

 

 結梨が隣りに立っている伊紀に話しかけると、さりげなく周囲に注意を払っていた伊紀が、目線を結梨から逸らしたまま答える。

 

「岸本教授の計画というのは、おそらく非常に機密性の高い内容でしょう。

だから、情報が漏洩しないように、私たちを監視するための要員なのかもしれません」

 

 この動作は特務レギオンであるLGロスヴァイセのリリィとして、ほとんど本能のように伊紀の身についていた。

 

 結梨は意外そうな表情を見せて伊紀に尋ねる。

 

「そのリリィが私たちを見張るの?」

 

「その可能性は想定しておくべきです。

万が一であっても、これが何かの罠かもしれないと」

 

 石川精衛がG.E.H.E.N.A.――特に過激派に対して相当に批判的な姿勢を取っていることは、伊紀も特務レギオンの情報として知っていた。

 

 しかも、彼は百合ヶ丘女学院の教導官である吉坂凪沙とシェリス・ヤコブセンの元上官だ。

 

 それを考えれば、彼が百合ヶ丘女学院に対して敵対的な行動を取る可能性は、限りなくゼロに近い。

 

 だが、特務レギオンの一員である伊紀には、それでもなお気を抜けない理由があった。

 

 反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである御台場女学校に、複数のG.E.H.E.N.A.関係者が職員として入り込んでいた可能性がある――その情報を百合ヶ丘女学院が秘密裏に入手していたからだ。

 

 現在、それに該当する者はいずれも既に御台場女学校から去っており、一名はエレンスゲ女学園のラボに転籍、他は消息不明となっている。

 

 エレンスゲのラボに所属を移したのは、元校医の中原・メアリィ・倫夜であり、消息不明の一名は、倫夜の後任となったスクールカウンセラーの稲葉檀だった。

 

 立て続けに二人のG.E.H.E.N.A.関係者が、易々と反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンに入り込んでいた事実を、伊紀は極めて重く受け止めていた。

 

 御台場とて職員や教導官を採用する際には、全員に対して厳格な身元確認を実施している。

 

 そのチェックを搔い潜って、ガーデンに間者を入り込ませるための手練手管をG.E.H.E.N.A.は備えている、としか考えられなかった。

 

 もし石川精衛がG.E.H.E.N.A.過激派に取り込まれていれば、事態は非常に深刻な状況に陥ってしまう。

 

 かつてルドビコ女学院において、岸本教授の同僚だった天宮教授は、教導官の意識を乗っ取って自我を同化することに成功したという。

 

 百合ヶ丘のガーデンは、それを外科的な手術によって脳組織の一部を移植したものと当初は想定していた――移植に伴う拒絶反応の問題が課題として残されてはいたが。

 

 だが、調査を進めるうちに、自我の同化は医学的な方法ではなく、G.E.H.E.N.A.内部においても禁忌とされている研究――それは「同化と統制」と呼ばれている――によるものであることが判明した。

 

 肉体と精神を分離し、精神のみを他者の肉体へと移動させ、その自我を乗っ取る。

 

 しかも、精神の移動先は人間に限定されず、ヒュージの肉体に自らの精神を移動させ、その行動を支配することすら可能である――

 

(そのような研究が何者かの手で進められているのなら、私たちは誰も信用できなくなってしまいます……そんな人間が目の前に現れたら、一体どうすれば……)

 

 この情報はガーデンの理事会とごく一部の生徒――それは生徒会長と特務レギオンのリリィだった――にしか開示されておらず、また完全に確定したものでもない。

 

 自分たちの周りに不審な行動を取っている者はいないか、これまでにも増して絶えず注意を払わなければならないと、伊紀は考えていた。

 

 その伊紀の視界の端に、一人の青い制服の少女が映り込んだ。

 

 結梨も同時にその少女を見つけたとみえて、伊紀の耳元で囁く。

 

「来たみたいだね」

 

「はい。でも、まさか彼女が私たちと一緒に行くことになるとは……」

 

 その青い制服の少女を、結梨も伊紀も知っていた。

 

 結梨は以前に彼女と直接会ったことがあり、一方の伊紀は面識はなかったが、彼女が余りにも有名なリリィであるがゆえに。

 

「葵が私たちと一緒に行くんだ……」

 

 結梨が葵と呼んだそのリリィ――相模女子高等学館の1年生、石川精衛の娘である石川葵は、結梨と伊紀の姿を認めると、二人に歩み寄って軽く右手を挙げて微笑んだ。

 

「ゆりじゃない、久しぶりね。

ええと、そっちのリリィは……」

 

 葵の視線が結梨から伊紀に転じると、伊紀は礼儀正しく葵に一礼した。

 

「はじめまして。百合ヶ丘女学院1年生の北河原伊紀です。

本日は石川さんが防衛軍本部への訪問にご同行されるということでしょうか」

 

「うん。百合ヶ丘のリリィと一緒に防衛軍の本部まで来てほしいって、お父さんから連絡があったから、相模原から横浜まで出て来たのよ。

ところで、あなたの名字が北河原ってことは……」

 

「ゆりさんは私の従姉妹です。

家庭の事情で、少し前までは離れて生活していましたが、今は私と一緒に百合ヶ丘のガーデンで生活しています」

 

「ゆりは御台場の制服を着てるけど――」

 

「御台場女学校の戦力支援を目的として、今は一時編入の形式で御台場に籍を置いているんです」

 

「ああ、そういうことだったのね。腑に落ちたわ」

 

 石川精衛は結梨が一柳結梨であることを知っていたが、それを娘の葵には伝えていないようだった。

 

 伊紀はそれに合わせる形で、結梨を自分の従姉妹という設定の「北河原ゆり」として葵に紹介した。

 

 結梨は以前にルドビコ女学院の指令室を捜索する任務の際に、葵と行動を共にしていた。

 

 そのため、結梨と葵は久しぶりに顔を合わせた友達同士のような雰囲気で、あれこれと雑談を始めている。

 

「ルド女の指令室に行こうとした時は、あの物騒なCHARMを持った女医に、変な妖術だか魔法だか分からない何かを仕掛けられて、不覚を取ったわ」

 

「先生は、きっと私たちを傷つけるつもりはなかったんじゃないかな……」

 

 少し自信なさげに言う結梨の言葉に、葵は腕組みをして遠慮なく疑問を呈する。

 

「あんな凶悪そうなCHARMを持って?

あのCHARM、とんでもなくヤバい改造をしてるのが見ただけで分かったわ。

あんなのとまともに戦ってたら、こっちまでまともに負のマギの影響を受けて、おかしくなってしまってたわよ。

それに、あの女医のしてたゴツいベルト。

あれはおそらくヴァルキュリアスカート・マギ・リンカネーションシステム。

あのCHARMを使っても、自分は負のマギを浄化できるように装備していたに違いないわ」

 

 当時の様子を思い出して興奮気味に話す葵。

 

 その様子を傍で見ていた伊紀は、葵の言葉とガーデンから開示されている機密情報を照合し、葵の言う「女医」が中原・メアリィ・倫夜であることを確認した。

 

(葵さんの言っているCHARMは、ガラテイアと呼ばれるブーステッドCHARM。

御台場からの情報では、「原初の開闢」を再現するために、中原・メアリィ・倫夜が特異点のリリィにあのCHARMを使わせたそうですが……

彼女は「原初の開闢」を再現して、その先に何をしようとしていたのでしょうか)

 

「伊紀、早く電車に乗って防衛軍の本部に行こう。

約束の時間に遅れちゃうよ」

 

 自分の考えに耽り始めた伊紀の手を結梨が引いて、改札口の方へと導こうとする。

 

 伊紀は結論の出ない自問自答を中断して、結梨と葵に挟まれる形で横浜駅のコンコースを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市ヶ谷の防衛軍本部に三人が到着したのは、それから約1時間後のことだった。

 

 石川精衛から事前に連絡が届いていると見えて、営門の両側に直立不動で控えている衛兵は、三人の姿を認めるとすぐに敬礼で応じた。

 

 結梨たち三人のリリィは、軽く会釈をして営門を通過し、防衛軍本部の敷地内に足を踏み入れた。

 

「相変わらず堅苦しいわね、軍隊は。

話をするなら、どこか別の場所でしてくれればいいのに。

まあ、お父さんが直々に私やゆりを呼び出して話をするってことは、この間みたいな秘密作戦に違いないわ」

 

 そう言って葵は意味ありげに、ちらりと横目で伊紀の顔を見た。

 

 葵の目は、(そんな秘密の作戦の話に呼ばれるってことは、あなたも普通のリリィじゃないんでしょ?)と言っているように伊紀には感じられた。

 

 それは確かに事実だったので、伊紀は否定も肯定もせず、無言で結梨と葵に並んで建物の中を歩き続けた。

 

 何人もの将校とすれ違うたびに敬礼をされ、結梨と葵がいささか辟易していた時、ようやく石川精衛の待つ司令官室が見えてきた。

 

「石川司令官殿、入るわよ」

 

 葵が軽く扉をノックして、返事を待たずにそのまま開いた。

 

 無造作に開かれた扉の向こうに見えた姿を、結梨は既に知っていた。

 

 高松咬月理事長代行を何十歳か若返らせたような風貌の男性――司令官室の主である石川精衛は、努めて砕けた調子で結梨たちに声をかけた。

 

「三人とも、今日はこんな所まで呼び出してご足労だった。

そこのソファーに座って、少し待っていてくれ。

飲み物はコーヒーと紅茶のどちらが――」

 

「お父さん、さっさと本題に入りましょう。

何かただ事でない用件で私たちをここに呼んだんでしょう?」

 

 葵は話の前振りをすべてスキップして、秘書に電話をかけようとしていた精衛を呼び止めた。

 

 精衛は気分を害した様子もなく、やれやれという感じで肩をすくめながら、三人に向き合う形で別のソファーに腰を下ろした。

 

 そして、一つ間を置いた後、三人の顔を見渡してゆっくりと口を開いた。

 

「では、私が岸本教授から託された、ヒュージとの戦いを終わらせるための計画について話を始めるとしよう」

 

 



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第26話 共同作戦(2)

前回に引き続き読みにくい内容ですみません。
説明会は今回で終わり、次回は実戦というか戦闘回になる予定です。



 

「ちょ、ちょっと待ってよ。

岸本教授って誰?計画って何?

私は何も聞かされてないんだけど」

 

 慌てて精衛の話に割って入った葵は、防衛軍司令官である自分の父親にぶっきらぼうな口調で尋ねた。

 

「そうだったか。では改めて説明するとしよう。

岸本教授という人物は――」

 

「岸本教授は来夢のお父さん。

元々はヒュージが現れる前の、生き物の世界を取り戻そうとしていたの」

 

 精衛の言葉を引き継いで説明したのは結梨だった。

 

「来夢って、ルド女の岸本・ルチア・来夢のことなの?」

 

「うん、教授は生態学……っていうのかな、いろんな生き物の生活のことを研究してたんだけど、どうして生き物がヒュージに変わるのかってことが気になったみたい」

 

 結梨は以前にシエルリントの大図書館で、時間の許す限り岸本教授の著作物に目を通していた。

 

 専門的な内容はほとんど理解できなかったが、彼が何を考え、その思考がどのような過程をたどって現在の研究へとつながっていったか、おおよその筋道を結梨は把握することができた。

 

「生き物はマギの影響でヒュージに変わるから、マギのことを調べれば、生き物がヒュージに変わらないようにする方法が分かるはずだって、教授は考えたの」

 

「ふうん、ヒュージ出現以前の環境を回復するためには、まずヒュージが出現しないようにする必要があるってことね。

 

一理ある考えだけど、もしそれが可能になったとして、既に世界中に出現したヒュージはどうするの?

 

これまで通りリリィがネストを一つずつ討滅していかないといけないのなら、ヒュージとの戦いを終わらせる計画とは言えないわ」

 

「それについては、私から話そう」

 

 精衛は手元の資料に視線を落としながら、同席している三人のリリィ――結梨、伊紀、葵に説明を始めた。

 

「北河原ゆり君が話してくれたように、岸本教授は、元々ヒュージが世界に出現する以前の生態系、自然環境を回復するための研究に取り組んでいた。

 

その中で、なぜ生物がヒュージに変化するのか、という疑問に突き当たり、マギが生物の体組織に及ぼす影響について関心を持つことになった。

 

そして彼は長年にわたる研究の末に、生物がマギによってヒュージ化するメカニズムを解明した。

 

彼の理論によれば、ATPとミトコンドリアによる通常のエネルギー代謝とは別に、マギが細胞を変異させることによって、特殊なエネルギー代謝の回路が生物の体内に形成される。

 

人間以外の生物では、マギが引き起こす細胞の変異は全面的なもので、表皮や内臓、骨格に至るまで、全身の組織がいわゆるヒュージ細胞へと変異する。

 

これによって、生物が食物を消化してエネルギーとして利用するように、ヒュージはマギをエネルギー源とする驚異的な肉体の強靭性と運動能力を獲得する。

 

一方、人間の場合は細胞へのマギの影響は限定的で、それは主としてエネルギー代謝構造の変化と筋肉や骨格の強度上昇などに限られている」

 

「そのエネルギー代謝構造の変化って、もしかしてリリィの力のこと?」

 

「そうだ。人間は他の生物とは異なり、組織や細胞の形そのものが変化することはなく、マギの影響はレアスキルの発現や超越的な身体能力の上昇という形で現れる。

 

その原因については、他の生物との脳の発達程度の差が、マギの影響に関連しているのではないかと岸本教授は考えているようだ。

 

と言っても、これはまだ理論的な仮説の段階に留まっていて、完全に証明されたものではないのだが。

 

ともあれ、マギによる極めて特殊な細胞の変異とエネルギー代謝のシステムこそが、生物がヒュージへと変化し、人がリリィになる原因だと彼は結論づけた」

 

 精衛はひとまずの説明を終えて、三人の反応を待った。

 

 少しの沈黙の後に、最初に発言したのは葵だった。

 

 葵は結梨の隣りで腕組みをしながら、難しい顔をして精衛に話しかける。

 

「一応の理屈は分かったわ。

でも、それって研究者の論文レベルの話よね。

私たちは現実の戦場でヒュージと戦い続けてる。

岸本教授の理論だけじゃ……」

 

 言葉を途切れさせた葵に代わって、伊紀がその続きを補うように話し始める。

 

「葵さんの言いたいことは、岸本教授の理論が正しいとしても、それだけでヒュージの発生を食い止めたり、既に発生したヒュージを倒すことはできないんじゃないか、ってことだと思います。

 

ケイブの発生を抑えるエリアディフェンス装置のように、何かしらの道具や設備がないと、現実にヒュージの脅威を取り除くことはできない……葵さんはそう言いたいんですよね?」

 

 黙って頷く葵と、その指摘を予期していたかのように微笑する精衛。

 

「君たちの言いたいことは私にもよく理解できる。

岸本教授個人では、理論の先にある実践、いや実戦の段階にまで歩を進めることは困難だ。

 

だから彼は防衛軍の対ヒュージ戦略責任者である私に協力を仰いだ。

現在、岸本教授の理論を基にした対ヒュージ用兵器の開発を、防衛軍の研究所で進めているところだ」

 

「なんだ、もう実戦を想定した段階に入ってたのね。

それを早く言ってくれればいいのに」

 

 口をとがらせて葵は文句を言ったが、その口調にはどこか安堵したものがあった。

 

「マギが世界中に遍在する限り、人を含む全ての生物は、その影響から逃れることができません」

 

 伊紀の言葉に続けて、ぽつりと結梨がつぶやく。

 

「世界からマギをなくすことは――できない」

 

 議論の前提となる発言を受けて、清衛はその先を語り始める。

 

「そうだ。しかし彼はそこで考えを止めることをしなかった。

 

原因物質であるマギを無くすことができないのなら、マギが生物の体内で作用しないような方法を考えようとした。

 

生物の体内に入ったマギは、ミトコンドリアをはじめとする特定の細胞を変異させ、マギをエネルギー源として利用できる代謝構造を作り出す。

 

この代謝構造の割合が閾値を超えると、人間以外の生物はヒュージとなり、人間、特に未成年の女性の一部はリリィとなる。

 

マギのどのような性質が生物の細胞を変異させるのか、具体的な原因やプロセスは未だに不明だ。

 

これについては、大きく分けて二種類の仮説がある。

 

その一つは、物質としてのマギが細胞に物理的に接触することによって、ウィルス感染のように細胞の遺伝子情報を変化させるというものだ。

 

もう一つには、マギから放射される固有波形の電磁波が、放射線のように細胞の遺伝子に突然変異を引き起こすという仮説もある。

 

今のところ、マギが生物の細胞に影響を与えるプロセスの仮説は、大きくこの二つに分類されている。

 

いずれにしても、マギとは何なのか、その性質がより詳細に解明されない限り、どちらの仮説が正しいのかを確定することは困難だろう。

 

そして、岸本教授は仮説の二者択一に固執することなく、いずれの場合であってもマギの影響を無効化できる方法を考えた。

 

それがこの報告書――事実上は岸本教授の研究論文に示されている」

 

 精衛は手元に置いていた一冊の報告書を、結梨たち三人に見せた。

 

 三人のリリィは早速その数十ページに渡る書類に目を通し始めたが、幾らもしないうちに葵が音を上げた。

 

「これはちょっと私には無理。

お父さん、私にも分かるように、かいつまんで簡単に説明してくれる?」

 

「これは一種のナノマシンの設計書だ。

理論部分は岸本教授が考案し、設計と試作は防衛軍の兵器研究所で行っている。

 

このナノマシンは物質としてのマギにのみ反応し、スピン相互作用の自己発電によって自立的な運動が可能になっている。

 

実戦段階の運用としては、このナノマシンを何らかの手段でヒュージの体内に侵入させる。

方法としては、特殊な方法での空中散布による、体表面や呼吸器からの浸透を想定している。

 

ヒュージの体内に入ったナノマシンは、マギの粒子を多数のナノマシンで取り囲み、マギ粒子の表面をナノマシンでコーティングして、細胞への物理的接触を防ぐ。

 

さらにこのナノマシンは、マギから放射される固有波形の波動を打ち消す周波数の電磁波を放射する。

 

原理的にはノイズキャンセリングやジャミングのようなものと考えてくれればいい。

 

これらの働きによって、マギは生物の体内で体組織に変異を起こさせることはなくなる。

また、マギをエネルギーに変換することもできず、特有の代謝システムは機能しなくなる」

 

「それって、ヒュージがマギを使えなくなるの?」

 

 精衛の説明に黙って聞き入っていた結梨が、結論となる質問を短く発した。

 

 精衛は大きく頷いて結梨の言葉を肯定する。

 

「その通りだ。ヒュージがマギをエネルギー源として利用できなくなるということは、生命活動そのものができなくなることを意味する。

 

つまり、このナノマシンを体内に入れられたヒュージは死ぬということだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、百由様。

最近見慣れぬ技術書や論文が部屋のあちこちに散乱しておるんじゃが、何か新しい研究でも始めたのか?」

 

 鎌倉府、百合ヶ丘女学院の工廠科研究棟。

 

 その一室では、実験が一段落して椅子の背もたれに身を預けている、2年生の真島百由の姿があった。

 

 その百由に向かって、同じ工廠科の1年生であるミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウスが尋ねた。

 

「ああ、それは防衛軍からの依頼で手伝ってるものよ。

新兵器の開発で、防衛軍の兵器研究所だけでは人的・技術的に開発リソースが不足してるからって」

 

「防衛軍の新兵器じゃと……防衛軍で使う兵器の開発を、どうしてガーデンが手伝うのじゃ?」

 

「それが、普通の兵器じゃなくてマギに関連するものなのよ」

 

「防衛軍がマギを使う兵器を開発しておるのか?

そんなもの、リリィでなくては使えるはずがあるまい」

 

「ん-とね、ちょっとややこしい話なのよ。

マギ関連の兵器と言っても、CHARMみたいに物理的な攻撃兵器じゃなくて、一種のBC兵器みたいなものを作ろうとしてるんだって」

 

 百由の返答に、ミリアムはぎょっとした表情になる。

 

「それはまた穏やかではない、というか物騒極まりない話じゃな。

BC兵器の開発など、国際法違反ではないのか?」

 

「最初から話すと、防衛軍が開発しようとしてるのは、ヒュージの体内でマギを作用しなくさせるナノマシン。

 

このナノマシンの本質は、ヒュージの体内でマギのエネルギー代謝を阻害し、マギをエネルギー源として利用できなくすること。

 

そして、その結果としてヒュージを死に至らしめること。

つまり対ヒュージ用の一種のBC兵器みたいなものよ」

 

「改めて聞いても、やはり物騒な話じゃな。

そのナノマシンは人間には害は無いのか?」

 

「普通の人間には全くの無害よ。

普通の人間はマギをエネルギーの源として利用することはできないから」

 

「妙に引っかかる言い方じゃな。

普通ではない人間には害があるということか?」

 

 ミリアムの質問に、百由は我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。

 

「その通り。マギをエネルギー源として活動する人間がいたら、ヒュージと同じようにマギを利用した力は使えなくなる。

つまり、ここから導かれることは――」

 

「百由様、それはもしや……」

 

 ミリアムの額に脂汗がにじみ出ているのが百由には見えた。

 だが、それを気にすることもなく、百由はごくあっさりと答えを口にする。

 

「お察しの通りよ、ぐろっぴ。

私たちのようなリリィは、このナノマシンによってリリィとしての力を喪失する。

 

ヒュージみたいに生命活動までは停止しないけど、レアスキルやCHARMの使用をはじめとして、リリィ特有の能力はすべて使えなくなると考えるべきね」

 

「うむむ……それは諸刃の剣じゃな。

リリィが力を失って普通の人になってしまったら、ヒュージとは戦えなくなる。

痛し痒しというところか」

 

 ミリアムは腕組みをしてしばらく考え込んでいたが、はっと気がついたように百由の方を振り向いた。

 

「ところでそのナノマシン、どうやってヒュージの体内に入れるのじゃ?

まさか一匹一匹に注射していくわけにいかんじゃろ?

 

かと言って大気中に広範囲にナノマシンを散布すれば、その戦場で戦っているリリィにも被害が及ぶ。

実戦で使うのは、かなり難題だと思うぞ?」

 

「それについては、私たちリリィより防衛軍の方がエキスパートね。

彼らは化学戦に対応できる訓練も一通り積んでいるはずだから」

 

「そう言われるとそうじゃな……ヒュージとの戦闘では、負のマギによる汚染に曝されることはあっても、こちらが毒ガスを使ったりすることはないからのう」

 

「さて、このナノマシンを実戦でどう運用するのか、防衛軍のお手並み拝見というところね」

 

 百由の目が知的好奇心を抑えきれない光を帯びている――そのことにミリアムは気づいていたが、いつものことと嘆息して、いつものように二人分の紅茶を淹れることにした。

 

 





 説明しきれていない部分が多々残っていますが、それらについては次回以降、折に触れて少しずつ補足してていきます……


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第26話 共同作戦(3)

 

 結梨たちが市ヶ谷の防衛軍本部にて、石川精衛から対ヒュージ用ナノマシンの説明を受けた日から数日の後。

 

 鎌倉府の百合ヶ丘女学院で、見慣れない形の物体が校庭の隅を運搬されていくのを、王雨嘉は目撃した。

 

 物体はダークグリーンの帆布で覆われ、正確な形状は不明だが、人の身長を大きく超える横長の何かであることは分かった。

 

 百合ヶ丘女学院の制服を着た二人の生徒が、それぞれに物体の両端を抱えて、いかにも重そうに歩を進めていく。

 

 雨嘉のいる教室からは100メートル以上の距離が離れているため、生徒の顔立ちまでは判別できなかった。

 

 だが、背格好や髪形などから、雨嘉は二人の生徒が誰であるか、すぐに特定できた――彼女のレアスキルである「天の秤目」を使わなくとも。

 

 時刻はまだ始業の一時間近く前、教室の窓辺で雨嘉と並んでその様子を見ていた郭神琳は、興味深げに雨嘉に囁いた。

 

「シートをかけて中身が見えないようにされていますが、あれは大型のCHARMですね」

 

「そうなの?」

 

「はい。おそらく工廠科で開発していた新型CHARMの試作機でしょう。

これから校外へ搬出して、実地検証のための試運転でもするんじゃないですか」

 

「確かに、あれを運んでいるのはミリアムと百由様だけど、あんな大きいCHARM見たことないよ」

 

「ですから、私は新型のCHARMと申し上げましたよ、雨嘉さん。

もちろん私も確実な情報を持っているわけではありませんが、百由様ならどんな突飛な機体を開発しても不思議ではないと思いませんか?」

 

「それはそうだけど……それでも、ちょっと大きすぎるっていうか、長すぎると思う。

あんなの、接近戦じゃ取り回しが悪くて使えないよ」

 

「その点については雨嘉さんのおっしゃる通りだと思います。

あのCHARMは遠距離での戦闘に特化した機体かもしれません」

 

「ブレードモードに変形しない、シューティングモード専用の機体……御台場女学校にそんなCHARMを使うリリィがいるって聞いたことはあるけど」

 

「LGロネスネスの1年生、今村(ゆかり)さんですね。

彼女の使用CHARMであるケラウノスは、ブレードモード無しの3段変形仕様で、短距離での連射、中・遠距離での狙撃、高出力砲の各モードに分離合体できる構造になっています。

 

つまりケラウノスは全ての状況下において、シューティングモードのみで対応することを想定した射撃特化型の特殊なCHARMであり――」

 

 神琳の話が横道に逸れ始めたので、雨嘉は校庭の隅を運ばれていくCHARMらしき物体に話題を戻すことにした。

 

「じゃあ、あのCHARMも射撃専用の変形しない機体なの?」

 

「射撃専用かもしれませんし、そうではないかもしれません。

そもそも、あの厳重に布に覆われた物体が、本当にCHARMなのかどうかも定かではありませんし。

 

真相を知りたいのなら、ミリアムさんか百由様に直接聞いてみるしかありませんね。

もっとも、開発中の機体について、あのお二人が簡単に話してくれるとは思えませんが」

 

「そうやって神琳はいつも煙に巻く。

そういうの、あんまりよくないと思う……」

 

 少し恨めしげに雨嘉は神琳を見やったが、神琳はいつものように涼しげな顔で雨嘉に微笑みかけた。

 

「いつまでもここから見ていると、ミリアムさんと百由様に気づかれてしまうかもしれません。

場所を変えましょう、雨嘉さん。

お主ら、早朝の教室で不埒な行いをしていたのではあるまいな――なんて言われたくありませんからね」

 

 ミリアムの口調を真似て、神琳は左手首の腕時計をちらりと見た。

 

「そろそろカフェテリアが開く時間です。

そちらでお茶でも飲みながら戦術論の課題を進めましょう」

 

 神琳は雨嘉の手を取って教室を出ていこうと促し、雨嘉はそれに従って踵を返した。

 

 窓辺を離れる際に雨嘉は振り返り、窓の外の遠くを運ばれていくCHARMを今一度見返した。

 

 その時、ミリアムと一緒にCHARMを抱えて運んでいた百由が、こちらに気づいて片目を閉じてウィンクした――ように雨嘉には見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院から搬出されていく大型のCHARMらしき物体を、雨嘉と神琳が目撃した一週間後、関東平野北部のとある遊水地では、防衛軍の機甲師団が展開を始めていた。

 

 かつて河川増水時の氾濫に備えて造成されたその遊水地には、今は巨大な竜巻のような構造体が聳え立っている。

 

 直径・高さともに100メートルを優に超えるその構造体は、曇天無風の天候下で一種の前衛芸術のモニュメントのごとく、異様な存在感を放っていた。

 

 それはヒュージネストと呼称される構造体で、中心部にはアルトラ級のヒュージが女王蜂のように棲息し、ギガント級以下のヒュージを絶え間無く生み出している。

 

 人類とヒュージの戦いは、アルトラ級を倒すことによるネストの討滅が戦略的な目標となっている。 

 

 過去数ヶ月の間に、佐渡ヶ島や由比ヶ浜など幾つかのネストが討滅されており、直近の戦況は人類側がやや優勢で推移していた。

 

 しかし、数年前にそれまでは存在しなかったギガント級が突然に出現したように、全く新種のヒュージがいつ現れないとも限らない。

 

 従って、ヒュージの変異や進化を未然に防ぐためにも、その源となるネストの討滅が、戦略的に最重要の攻略目標であることに変わりは無かった。

 

 そのヒュージネストの南方向から展開する防衛軍の機甲師団は、その大半が戦車のみの部隊であり、随伴歩兵や自走砲などは含まれていなかった。

 

 それは明らかに火力と防御力に重点を置いた編成だったが、防衛軍の陸上戦力の限りを尽くしても、対抗できるのはミドル級までだった。

 

 ラージ級以上のヒュージに対しては、55口径120mm滑腔砲の徹甲弾および成形炸薬弾のいずれも、ラージ級やギガント級の体表面を貫通することはできない。

 

 それゆえ、ネストの討滅に当たっては、真打ちとなるリリィによって複数の外征レギオンを展開し、アルトラ級以下のヒュージに総攻撃を加えるのがセオリーだった。

 

 だが、今日この戦場に展開しているレギオンは、わずか1個部隊に過ぎなかった。

 

 しかも防衛軍の機甲師団の両翼外側に二手に分散しており、通常であればネスト討滅の戦力としては全く不足している状態だった。

 

 その二手に分かれた片方の半個レギオン部隊では、ロザリンデ・フリーデグンデ・オットーと彼女のシルトである石上碧乙が言葉を交わしていた。

 

「お姉様、防衛軍の戦車部隊は、今回の作戦について事前に説明を受けているんでしょうか?」

 

「どうかしらね。ナノマシンの開発については、防衛軍の内部でも極秘扱いのはず。

 

画期的な新兵器を実戦に投入して、大規模な外征レギオンの展開無しにヒュージネスト討滅の戦術を確立する、くらいの説明は作戦前にしてあるかもね」

 

「戦略的にあまり重要でない僻地のネストを選んで、実戦検証の最初の目標とする……妥当な判断だと思いますよ。

 

ちょうど周囲は無人の放棄地で、ほとんど人も住んでいない所だから人目につきませんし」

 

 ロザリンデをはじめLGロスヴァイセのリリィ9人と結梨、そして石川葵の計11人は、作戦の責任者である石川精衛から既に内容の説明を受けていた。

 

 この作戦については、ナノマシンの使用によるリリィへの被害を避けるため、投入するリリィの戦力は最小限に留める。

 

 そのために、防衛軍の部隊は陽動として最前線に展開して、ヒュージをネストからおびき出し、あたかも戦車部隊が主戦力であるかのように見せかける。

 

 ラージ級以上が出現した場合は、両翼外側に布陣しているLGロスヴァイセのリリィが攻撃を加え、その動きを足止めする。

 

 ネストから出て来たヒュージを南側に展開する防衛軍の戦車部隊に引きつけ、その隙に反対側のネスト北側から、本命の攻撃部隊のリリィが突入する。

 

 その本命の攻撃部隊とは、つまり――

 

「できるだけ少人数での攻撃が望ましいとはいえ、あの三人で大丈夫でしょうかね?」

 

「三人とも実力については心配無用ね。

むしろこちら側で防衛軍に死傷者を出さないように、私たちが援護する方が骨が折れるかもしれないわね」

 

「ごもっともです。

それにしても、作戦の秘匿性がらみで私たち特務レギオンにお呼びがかかるのは分かるとして、石川司令の御息女が参加しているのは理由があるんでしょうか?」

 

「対ヒュージ用ナノマシンは一歩間違えると、リリィの能力喪失という決定的な被害を与えてしまうものよ。

 

だから運用にあたっては細心の注意を払うとともに、私たちから信頼を得るために葵さんをこの作戦メンバーに加えたんじゃないかしら」

 

「それはまあ、私たちだって、もしナノマシンが体内に入ってしまったらリリィ廃業ですからね。

 

危険な作戦に自分の娘を赴かせることで、同じ戦場にいるリリィの信用を得る――なかなか気苦労の多そうな立場ですね、石川司令官は」

 

 碧乙は肩をすくめておどけた仕草をし、葵たち三人が布陣しているであろうネストの向こう側を仰ぎ見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防衛軍とLGロスヴァイセが展開しているネスト南側と反対の北側では、北河原伊紀、石川葵、一柳結梨の三人のリリィが岩陰から様子を窺っていた。

 

 周囲は開けた平野で、背の高い雑草の間に幾つもの巨岩が転がり、それらを遮蔽物として三人は身を隠していた。

 

 ヒュージネストまでの距離は約1000メートル、予定通りなら間もなく反対側に布陣している防衛軍の戦車部隊がネストに砲撃を開始する時間だった。

 

 やがて遠くから、風に乗って重く破裂するような砲撃音が響いてきた。

 

「始まったわね。

せいぜいネストからヒュージを一匹でも多くおびき出してもらわないと」

 

 岩陰からわずかに顔を出して前方を見ている葵がつぶやいた。

 

「お父さん、じゃなかった、石川指令から通信が入ったらネストへ向けて前進。

ネストの周りに残っているヒュージがいたら、それらを掃討しつつ予定された距離までネストに接近。

ネスト中心部へのフィニッシュショットはゆりが撃つ、その馬鹿でかいCHARMで」

 

「うん、わかってる。このCHARMで、あのネストをやっつける」

 

 エインヘリャルを装備した結梨は、足元に全長3メートル弱の大型CHARMを横たえていた。

 

 それはかつて百合ヶ丘女学院で1機のみ試作された高出力砲をベースにした機体であり、一週間前に雨嘉が教室の窓から目撃した物体の正体だった。

 

 その大型CHARMは機体全体を高出力砲より小型化した上で、外部電源不要の実体弾仕様とし、砲撃に特化した大口径CHARMとして全面的に再設計されていた。

 

「ところで、まだ聞いてなかったけど、そのCHARMは何ていう名前なの?」

 

 葵に尋ねられた結梨は、そう言えばまだ聞いていなかったと、伊紀の方を振り返った。

 

「えっと、何だっけ?伊紀」

 

「正式な機種名はまだ決まっていません。

碧乙様は勝手にⅤ2アサルトバスターキャノンと呼んでいましたが」

 

「ぶいつーあさるとばすたーきゃのん……かっこいい名前」

 

 目を輝かせる結梨とは対照的に、葵はやや不服そうな表情だった。

 

「長いわね」

 

「はい、ですから私は単にバスターキャノンと呼んでます」

 

「縮めてみたところで全然CHARMっぽいネーミングじゃないわね。

アサルトバスターはともかく、Ⅴ2って何の意味があるの?」

 

「おそらく碧乙様は昔のアニメか漫画作品を元ネタに……」

 

「何ですって?」

 

「いえ、何でもありません。気にしないでください」

 

 思わず聞きとがめた葵に、伊紀は慌てて手を振った。

 

 小型化したとはいえ、機体の全長は2メートルを優に超え、3メートルに迫るものだ。

 

 結梨はエインヘリャルを装備した上に、更に自分の身長の2倍近い長さの大口径CHARMを携えてネストに攻撃を仕掛けるのだ。

 

「もうすぐ連絡が来るかな……CHARMを再起動しなきゃ」

 

 結梨は再起動してマギを通した大口径CHARMを持ち上げようとした。

 その姿を見た葵が、伊紀に問いただす。

 

「ちょっと待ってよ。

ゆりの腰の周りに四つか五つ装備してるユニットもCHARMでしょ?

ゆりは二種類のCHARMを同時に使えるの?」

 

「使えるみたいですね」

 

「みたいですね……って、簡単に言ってくれるわね。

それって『円環の御手』が使えるってことよ。

しかもこんな特殊極まりないCHARMを、2機も同時になんて」

 

「ゆりちゃんは特別なリリィですから。

私たちにはできないことが当たり前にできるんです」

 

 胸を張って自慢げに言う伊紀だったが、葵はまだ目の前の現実に面食らっていた。

 

「本当に簡単に言うのね。

以前のルド女の指令室捜索の件といい、お父さんがゆりに声をかける理由がよく分かったわ」

 

 あきれた様子で葵が腰に手を当てた時、ポケットの中の通信端末が振動を始めた。

 

 葵はすぐに端末を取り出して、司令部からの命令を受信する。

 

 ごく短いやり取りで葵は回線を閉じ、結梨と伊紀の方を見て決然と言った。

 

「これより目標のヒュージネスト本体に攻撃を仕掛けるわ。

二人とも、用意はいいわね」

 

 結梨と伊紀が頷いたのを見るや否や、葵は先陣を切って岩陰から飛び出し、前方のヒュージネストへ向かって疾走を始めた。

 



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第26話 共同作戦(4)

 

 関東地方北部の遊水地に存在する比較的小規模なヒュージネストの一つ、そこでは防衛軍の機甲師団1個連隊がネストに向けて砲撃を開始していた。

 

 戦車のみで構成された部隊は、ネストとの距離約2000メートルの地点で停止し、巨大な竜巻のようなネストの構造体に主砲を斉射する。

 

 次々とネストに砲弾が命中し、その度に白煙が上がるが、砲撃そのものはネストにダメージを与えることは全くできない。

 

 それは当の防衛軍が過去におけるヒュージとの戦いで、嫌と言うほど思い知らされてきた事実であり、従ってこの攻撃もネストを破壊することが目的ではなかった。

 

 戦車部隊の両翼外側にはそれぞれ4人のLGロスヴァイセのリリィが展開しており、彼女たちの任務もまたヒュージネストの討滅ではなかった。

 

 攻撃を受けたネストからは、続々とヒュージが出現してきた。

 

 ギガント級の姿こそ無かったものの、その数はラージ級を含めて100体を超えていた。

 

「予想通り、巣を突かれて兵隊蟻が巣穴から出てきましたね。

ミドル級とスモール級は戦車の主砲と重機関銃で倒せますが……」

 

 二手に分かれたLGロスヴァイセの一方では、碧乙が前方を見つめながらロザリンデに話しかけた。

 

「――最後尾にラージ級が二体出てきたわね。

後続がネストから出現する前に、私たちで倒してしまいましょう」

 

 ロザリンデの言葉に碧乙はこくりと頷いた。

 

「ネストの反対側から攻撃を仕掛ける結梨ちゃんたちのために、一体でも多くこちらにヒュージをおびき出す――防衛軍はよく囮役を引き受けてくれましたね。

 

もっとも、この作戦自体は防衛軍の石川司令官が考えたものですが」

 

「兵士も戦車の攻撃でネストを破壊できないことは理解しているはず。

 

戦車部隊に対する命令は、ネストから距離を取って射程ぎりぎりからの主砲斉射、そしてネストから出てきたヒュージを各個に撃破――ただしラージ級以上は直掩のリリィが対応する。

 

そうやってヒュージを最大限にネストの南側に引きつけておいて、その隙に北側から結梨ちゃんたち三人のリリィがネスト本体に攻撃を仕掛ける。

 

そのフィニッシュショットは――確かに私たちの中では結梨ちゃんにしか出来ないわね」

 

 そう説明したロザリンデの表情には、わずかな曇りがあった。

 

 そして、それを彼女のシルトである碧乙が見逃すことは無かった。

 

「お姉様、何か気がかりでも?」

 

「ナノマシンの実戦検証を目的とした、この作戦自体はおそらく成功するでしょう。

 

でも、この先も同じ戦術を用いるなら、これまでのノインヴェルト戦術を軸にしたネスト討滅のドクトリンと本質的には変わらないのではないか――そう私は考えているのよ」

 

「それはどのような意味でですか?」

 

「ネスト討滅の手段がノインヴェルト戦術からマギの代謝を阻害するナノマシンに代わっただけで、一つずつネストを討滅していくことに違いはないからよ」

 

「それは確かにそうですが……」

 

「しかもネストへのフィニッシュショットを撃てるリリィは、ノインヴェルト戦術よりも更に限られた、ごく一部のリリィのみ。

 

これで本当に全世界のネストを討滅して、その上、全ての生物をヒュージ化することから守れるのかしら」

 

 2000メートル先のネストから出現した2体のラージ級を睨みながら、ロザリンデは浮かない表情を隠せなかった。

 

 そのロザリンデに碧乙は顔を近づけ、対照的に努めて楽観的な口調で囁いた。

 

「今回の作戦はあくまでも第1回目の実戦テストです。

計画が進んでいけば、別の新しい戦術が採用される可能性もあります」

 

「石川司令官には何かしらの考えがあるに違いないと?」

 

「防衛軍の対ヒュージ戦略最高責任者が、無策な人物であるわけがありません。

フィニッシャーがリリィであるとはいえ、防衛軍が対ヒュージ戦闘の表舞台に立てる好機が巡ってきたんです。

きっと能力の限りを尽くして、あれこれと戦術を考えていると思いますよ」

 

「ありがとう、碧乙。そう期待しましょう」

 

 ようやく表情を緩めたロザリンデから一歩離れ、碧乙は戦車部隊の向こう側を遠望した。

 

 そこには二手に分かれたLGロスヴァイセの、半個レギオンがいるはずだった。

 

「水蓮さんたち四人が動き始めたようです」

 

「私たちも後れを取らないように展開を開始しましょう。

戦車部隊の射線を避けて側面からラージ級に接近、中距離射撃で動きを牽制して足止めするわ。

磋都さんと諒さんは私から離れないように」

 

 ロザリンデはすぐ後ろに控えていた1年生の小野木磋都と安井諒に声をかけると、彼女たちの返事を待たずに、こちらへ接近しつつあるラージ級の左側へ回り込むべく走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防衛軍とLGロスヴァイセのリリィ八人が展開するネスト南方面の反対側では、南側で戦端が開かれたのを確認した葵たち三人が、ネストに向けて前進を開始していた。

 

 三人の先頭には葵が立ち、ファンタズムで直近の未来を予知しながら注意深く、かつ迅速に走り続けている。

 

 その後ろを結梨と伊紀の二人が、葵から20メートルほどの距離を保って追いかけていた。

 

 装備しているCHARMがアステリオンの伊紀はともかく、エインヘリャルと大口径CHARM――それはとりあえずバスターキャノンと呼ぶことにした実体弾砲撃専用の大型CHARMだったが――を両方とも装備した結梨も追随していた。

 

 並のリリィであれば、そもそも二種類のCHARMを装備すること自体が不可能だが、結梨はそれを難なくこなし、ほぼ全速力で疾走する葵について来ている。

 

(この子、縮地も使えるんだ。

そうじゃなければ、あの装備で私と同じ速さで走り続けられるはずがないもの。

逸材……って言葉で片づけるには桁外れの能力ね)

 

 葵は複数のレアスキルを平然と使いこなす結梨に舌を巻いていた。

 

 一方、葵の後ろで結梨と並走している伊紀は、結梨を気遣うように声をかける。

 

「結梨ちゃん、重くないですか?

葵さんについていくのが苦しいようなら、少しスピードを落としてもらいますよ」

 

 結梨は断続的に縮地を発動して、葵と伊紀の走る速度に合わせて高速移動を繰り返していた。

 

 CHARMを起動してマギを通せば、その重量は大幅に軽くなる。

 

 その事は伊紀もよく承知してはいたが、それにしても満艦飾のようなフル装備の結梨を見ると、思わず気を遣わずにはいられなかった。

 

 結梨は普段と変わらない気負いの無い様子で、事も無げに伊紀に微笑みを返した。

 

「CHARMはぜんぜん重くないからだいじょうぶ。

それより、今はエインヘリャルが使えないから、伊紀は葵を手伝ってあげて」

 

 エインヘリャルの飛行ユニットを使えば、その下にリリィがいるとヒュージに気づかれる恐れがある。

 

 そのため、エインヘリャルは緊急時以外はこの作戦では使用しない方針だった。

 

 ネストの北側にも、少数ながらヒュージは存在していた。

 

 フィニッシュショットを撃てる状況を作るために、それらのヒュージを掃討するのは葵と伊紀の役割だった。

 

「分かりました。

もし危なくなったら、必ず呼んでくださいね」

 

 伊紀は結梨から離れて前方の葵と並び、葵からのテレパスを受けて的確にヒュージを撃ち抜いていく。

 

 三人がネストに向かって前進を開始してから数分後、彼女たちはネストから数百メートルの地点まで接近していた。

 

 ネストの南側からは、絶え間なく砲撃音が鳴り響き続けている。

 

 三人の周囲に最早ヒュージの姿は無く、行く手にはただ巨大なネストの姿のみが視界に映っている。

 

 足を止めた葵は、油断なく周りを警戒しながら通信端末で司令部に連絡を取った。

 

「別動隊、所定の位置に到達しました。

以後の指示をお願いします」

 

 葵は司令部からの指示に何度か応答した後、回線を閉じた。

 

 そして、自分のすぐ近くで司令部との通信が終わるのを待っていた結梨と伊紀の方を見た。

 

「ネストへの攻撃命令が出たわ。

ゆり、どこまでネストに接近すればフィニッシュショットを撃てる?

必要な距離までは私と伊紀が援護しながら進むわ」

 

 結梨は砲身を下に向けていたバスターキャノンを持ち上げ、迷いのない表情で穏やかに葵に答える。

 

「ありがとう、葵。

ここからは私が一人で行くから、ここで待ってて」

 

 伊紀が一歩結梨に近づき、結梨の瞳を正面から見つめる。

 

「ゆりちゃん、お願いします。

あなたでなければ出来ないことを」

 

「うん、行ってくるね」

 

 結梨はごく簡単に答え、ネストの方を向いてバスターキャノンを構え直した。

 

「あのネストをやっつける」

 

 一瞬の間を置いて、結梨の姿はその場から消えた。

 

「えっ?」

 

 意表を突かれて、思わず葵は周りを見回したが、結梨の姿はどこにも見えなかった。

 

 「あの子、ゆりはどこへ行ったの?」

 

 「あそこですよ、葵さん」

 

 伊紀が斜め上の空間を指さす。

 

 その先に葵が見たのは、高さ数百メートルはあろうかというネストの上空に、ぽつんと浮かぶ人影だった。

 

 そのシルエットから、その人影が結梨であることは明らかだった。

 

「縮地を使って、あそこまで一瞬で移動したの?

あんな距離を一度に移動できるなんて」

 

 目を丸くしている葵とは対照的に、伊紀は冷静にネストの周辺に目を配っていた。

 

「驚いている暇はありませんよ。

万が一、地上からゆりちゃんを攻撃するヒュージがいたら、私たちが即座に阻止しなければいけません。

周囲の警戒を厳にしてください」

 

 一方、ネストの上空200メートルほどの位置に転移した結梨は、眼下に広がる巨大な台風の目のようなネストの中心を視界に収めていた。

 

 結梨の身体は重力に引かれて、既に自由落下を始めている。

 

 結梨はネストの中心に向かって落下しながら、倒立姿勢でバスターキャノンの照準を定める。

 

 この位置からは、アルトラ級の姿は全く視認できない。

 

 だが、ネストの最深部にいるアルトラ級に砲弾を直撃させる必要は無い。

 

 弾頭に超高圧でナノマシンを充填した砲弾をネストの中心に撃ち込むことが、この作戦の最終的な目的だったからだ。

 

(あの中にアルトラ級がいるんだ)

 

 巨大な生物が奥底に潜んでいる気配を感じながら、結梨はバスターキャノンのトリガーを引き絞った。 

 

 オレンジ色の発砲炎が砲口から瞬間的に噴き出し、戦車の主砲に匹敵する大口径の砲弾が、ヒュージネストの中心に吸い込まれていく。

 

 暗黒のネストの深奥に小さな赤い点が灯り、それはすぐに闇に溶けるように消滅した。

 

 それが砲弾が炸裂した証であることを認識した結梨は、またしても一瞬にしてその姿をかき消した。

 

 ほとんど間を置かずに、結梨の姿は葵と伊紀のいる場所に再び現れた。

 

「ただいま。

ナノマシンをネストに撃ってきたから、これで作戦はおしまい。

みんなで早く帰ろう」

 

 事も無げに言う結梨に葵は言葉を失ったが、伊紀は安心した様子でにっこりと結梨に微笑んだ。

 

「やりましたね、ゆりちゃんにかかれば、このくらいお手の物ですね。

お姉様たちにも後でほめてもらいましょう。

葵さん、司令部に連絡をお願いします」

 

 余りにもあっけなくフィニッシュショットが成功したことに、葵はまだ半ば呆然としていたが、伊紀の呼びかけに気を取り直した。

 

「え、ええ、そうね。

すぐに作戦成功の連絡を入れるわ。

――こちら別動隊、ネスト中心部へのナノマシン発射に成功。

作戦の目的は完遂、以後の指示を乞う」

 

 一分間ほどの司令部との通信を終えた葵は、結梨と伊紀にこの場からの撤退を伝える。

 

「ゆりが言った通り、この作戦は終了。

私たちは全力でネストから離れるように、だって」

 

「ネストの中心でばら撒かれたナノマシンが周囲に拡散を始めるからですね。

退避が遅れてナノマシンが体内に入ってしまったら、私たちはリリィとしての能力を喪失します。

ゆりちゃん、葵さん、すぐにこの場を離れてガーデンへ戻りましょう。

ネストの南側に展開しているロスヴァイセのリリィにも、同じ指示が出ているはずです」

 

 伊紀は二人を促して、風下を注意深く避けて戦場となった遊水地を後にした。

 

 同刻、ネスト南側のLGロスヴァイセと防衛軍の戦車部隊にも同様の撤退命令が出されていた。

 

 予定通りアタッカーのリリィがネスト上空でのナノマシン発射に成功、作戦行動中の防衛軍機甲師団1個連隊とLGロスヴァイセは、速やかに撤退を開始。

 

 追いすがってくるヒュージがあれば、戦車部隊はスモークとフレアを全て放出してそれらのヒュージを振り切り、戦場から離脱。

 

 直掩のリリィも全速でナノマシンの有効拡散範囲の外側へ離脱せよ、と。

 

 ネスト周辺に展開していた防衛軍とリリィが全て撤退すると、生き残っていたラージ級以下のヒュージは、次第にネストへの帰巣を開始した。

 

 無人となった広大な遊水地で、大小百体余りのヒュージがネストの構造体の中へ次々に戻っていく。

 

 その様子を、数キロメートル離れた山中から窺っていた一隊の集団がいた。

 

 全員がリリィと同じくらいの年頃の少女で、漆黒の制服を身に纏い、CHARMに似て非なる武器を携行している。

 

 その中の一人が、隊長らしき明るい栗色の髪の少女に報告する。

 

「防衛軍の部隊が撤退していきます。

少人数に分かれて展開していたレギオンも、防衛軍に合わせて後退を始めました」

 

 報告を受けた少女は意外そうに応じる。

 

「どういうこと?

さっきネストの真上にいきなりリリィが現れて、大口径の対物ライフルみたいなCHARMで砲撃をしていたけど……」

 

「ヒュージネストの様子に変化は見られません。

生き残ったヒュージはネストに戻りつつあります。

一体あの攻撃は何だったのでしょうか?

作戦は失敗したのでしょうか?」

 

(防衛軍が主戦力となってヒュージネストを攻める作戦が進められている、との情報が入った。

これを監視して、結果をつぶさに報告せよ――ガーデンからは、そう命令されたけど、果たしてこれをそのまま報告してもいいものか?)

 

 隊長らしき少女は、返事をせず心の中で迷っていた。

 

 二人の周りにいる十人ほどの少女たちも、同様に困惑した様子で顔を見合わせている。

 

 しばらくして、隊長らしき少女が思い切るように発言した。

 

「いつまでもここにいても埒が明かない。

事実をありのままに報告することが私たちに課せられた任務。

全員、撤収の準備を始めなさい。

ただちにこの場を離れ、ガーデンへ帰投する」

 

 少女の指示に従って、隊員たちが出発の準備に取り掛かろうとした、その時。

 

「そうはいかないわ。

全員その武器を足元に置いて、両手を上げなさい」

 

 突然に彼女たちの背後から女の声が聞こえてきた。

 

 



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第26話 共同作戦(5)

 

「聞こえなかったの?

こちらを振り向かずに、さっさと武器を足元に置いて両手を上げなさい。

後ろを取られていることは分かっているでしょう?

おかしな動きをしたら、痛い目を見てもらうわよ」

 

 再度、背後から聞こえた女の声は武装を解除するよう求めた。

 

 黒い制服を着た少女たちの一隊は、その声が自分たちと変わらない年齢のものだと認識した。

 

 自分たちと同じく、このような場所に潜んでいて、完璧に気配を消して背後を取ることができる存在――思い当たるのは一つしかない。

 

(この付近を哨戒していたリリィか……)

 

 隊長の少女はそう推測し、抵抗を断念した。

 

 自分たちの戦闘能力では、リリィに太刀打ちできないことは明らかだ。

 

 背後にいるリリィが本気になれば、たとえそれがただ一人であっても、自分たち全員を戦闘不能にすることは造作も無いだろう。

 

 以前にガーデン近傍の森の中で、御台場女学校の制服を着たリリィを包囲したことがあったが、今はその時とは逆の状況になっていた。

 

「……逆らっても意味は無い。

皆、アンチヒュージウェポンを置きなさい。両手を上に」

 

 十数名の隊員の少女たちは、大人しく隊長の指示に従い、ぎこちない動作でCHARMに似た武器を各自の足元に置いた。

 

 そして空になった彼女たちの両手が上げられたのを見て、背後から聞こえた声の持ち主は次の命令を出した。

 

「物分かりが良くて助かるわ。

そのままゆっくりこちらを向きなさい」

 

 その命令に続いて、別の女の声があきれたような口調で聞こえてくる。

 

「こんな所で出歯亀なんて感心しないわね。

まずは所属と目的を……って、聞くまでもないか」

 

 極度に緊張した面持ちで振り向いた少女たちの目に入ったのは、一見してリリィと分かる二人の女性だった。

 

 一人は前髪を分けて額を出した髪形をしており、もう一人は前髪をすだれのように整えている。

 

 二人ともカスタマイズされたアステリオンを携え、油断なくこちらに機体の切っ先を向けている。

 

 身に纏っている濃紺の制服は、あるガーデンの標準制服をカスタマイズしたものだろうと隊長の少女は判断した。

 

 二人が歴戦のリリィであることは明白だったが、その雰囲気はどこかしら普通のリリィとは異なっているものを感じさせた。

 

 最初に何をこの二人に言うべきか、思案していた隊長の少女に、隣りにいた隊員の少女が小声で尋ねた。

 

「隊長、『でばがめ』って何ですか?

我々のことを言っているようですが」

 

「私にもよく分からない。

何らかの特殊な暗号なのかもしれない」

 

 それよりも、今の自分たちが考えなければならないことは――

 

「この場から逃げおおせようなんて思わないことね。

私たち二人以外にも、この周辺に他のレギオンメンバーが配置されているから。

 

誰かが盾になって私たちを足止めして、その隙に一人か二人が逃げ出しても、この戦域から出ることは叶わない」

 

 このリリィの言っていることはブラフではないだろうと、隊員の誰もが考えざるを得なかった。

 

 思考を先回りされた隊長の少女は、自分たちが俎上の鯉であることを自覚した。

 

「抵抗や逃亡を試みることが無駄なのは分かりました。

ですが、易々と自分たちの身元や目的を喋るわけにはいきません」

 

 こちらが口を割らない場合、相手はどう対処するだろうか。

 

 このリリィが所属するガーデンあるいは付属のラボへ自分たちを連行して、隔離された状態で行われることは……隊長の少女は想像し、顔色は蒼白になった。

 

 その様子を目に留めたリリィは、またしてもあきれた様子で溜息をついた。

 

「まさか私たちがG.E.H.E.N.A.よろしく、あなたたちを拷問したり無茶な強化実験の被験者にするなんて考えてるの?」

 

 隊長の少女はびくりと身を震わせた。

 

 この状況下で、目の前のリリィはごく自然にG.E.H.E.N.A.の名を出した。

 

 ということは、彼女たちが所属しているレギオンは、G.E.H.E.N.A.についての裏情報に精通しているのだ。

 

 隊長の少女の正面に立つリリィは、諭すように話しかけた。

 

「私たちは人間同士の戦争をしてるわけじゃない。

秘密警察や憲兵じゃあるまいし、ここから覗き見をしていただけで身柄を拘束する権利なんて、私たちには無い」

 

 その隣に立っていたもう一人のリリィが、興味深げな視線を隊長の少女に送った。

 

「もっとも、あなたたちの元締めは、私たちと同じ考えの持ち主とは思えないけどね。

――シエルリント女学薗のマディック部隊、黒十字マディック隊の皆さん」

 

 いとも簡単に二人のリリィは少女たちの素性を見抜いていた。

 

 だが、それは当然のことで、自分たちの来ている制服は黒十字マディック隊のもので、この制服を着て偵察任務に赴くように命じたのは、他の誰でもないシエルリントのガーデンそのものだった。

 

(そもそも、なぜ私たちマディックの部隊がこの任務を命じられたのか、その理由すらガーデンからは聞かされていない)

 

 ガーデンの思惑を読み取れずにいる隊長の少女、道川深顯の前で、二人のリリィも同じことを考えていたようだった。

 

「何の意図でシエルリントがリリィではなくマディックをここへ差し向けたのか、その辺りは判然としないわね」

 

「下手に力のあるリリィを偵察に出して、リリィ同士の本格的な戦闘が発生するリスクを避けたかったのかも」

 

「防衛軍主導の新戦術を覗き見していたことが表沙汰になるよりは、未熟なマディックを捨て石覚悟で偵察任務に出撃させる……か。

 

ケイブやヒュージを使ったテロ同然の実験が当たり前のG.E.H.E.N.A.にしては、ちょっとセコい感じもするけど」

 

「今回の作戦は防衛軍が本格的に絡んでるからね、慎重になってるんじゃない?」

 

「ガーデンやリリィ相手には横暴の限りを尽くす癖に、その辺がG.E.H.E.N.A.って小悪党っぽいのよね」

 

 自分たちの目の前で、あれこれ議論を始めた二人のリリィに、深顯は会話が途切れた瞬間にすかさず尋ねた。

 

「あの、お二人が所属しているガーデンは……」

 

 答えるはずもないと思われたが、深顯の質問を受けたリリィは、あっけらかんと自分たちの正体を口にした。

 

「よくぞ聞いてくれたわね。

私は鎌倉府にある百合ヶ丘女学院の特務レギオン、LGシグルドリーヴァ隊長で2年生の遠野捺輝。

私の隣りにいるのは、同じく百合ヶ丘の2年生でLGシグルドリーヴァの副隊長、大角梓氣よ」

 

「えっ……」

 

 特務レギオンのリリィが簡単に素性を明かしたことに、深顯はその理由を理解できなかった。

 

 LGシグルドリーヴァといえば、危険地域の強行偵察任務を主とする特務レギオンであり、そのメンバーも百戦錬磨の実力と経験を持つリリィで構成されている。

 

 それであれば、偵察に最適な場所を割り出すことはお手の物であり、素人同然の黒十字マディック隊を発見することなど、赤子の手を捻るに等しかっただろう。

 

 だが、黒十字マディック隊を拘束しないにせよ、わざわざ自分から名乗りを上げる必然性がどこにあるのか、その意図を深顯は図りかねていた。

 

 頭の上に疑問符を浮かべているかのような深顯の顔を見た捺輝は、まるでクラブ活動の先輩が後輩に指導するような調子で話しかけた。

 

「酔狂にも私たちが身元を明かした訳が知りたいんでしょ?

それなら教えてあげる。

 

私たちがここにいた事実を含めて、あなたたち黒十字マディック隊が目にした全ての情報をシエルリントへ持って帰れって、私は言ってるのよ」

 

「……あなたたちは、何を企んでいるんですか?

私たちを泳がせて、逆にシエルリントのガーデンやG.E.H.E.N.A.を罠にかけるつもりですか?」

 

 深顯は一筋縄ではいかない特務レギオンのリリィと相対しながら、息苦しそうに胸に手を当てた。

 

「さあ、それは想像にお任せするわ。

この世界には色々と裏側で蠢いている大人の事情があるからね。

私たちだって、今起きていること全部のからくりを知ってるわけじゃないし」

 

 煙に巻くように言ってから、捺輝はちらりと横目で副隊長の梓氣を見た。

 

「ねえ、梓氣。早くこの子たちを帰して、私たちも百合ヶ丘のガーデンに戻ろう。

注文してたニルギリの紅茶が届いてるから、早く飲みたいの」

 

 仕方ないわね、と梓氣は苦笑した後で深顯たちに向き直った。

 

「もうあなたたちはシエルリントのガーデンに戻りなさい。

これ以上先に進むことは私たちが認めません。

そのアンチヒュージウェポンを持って、すぐにここから立ち去りなさい」

 

 LGシグルドリーヴァ副隊長の大角梓氣は深顯たちにきっぱりと告げ、ガーデンへの帰投を促した。

 

 それに続けて、すかさず捺輝が追加で念押しをする。

 

「ここから鎌倉府との境までは尾行させてもらうから、悪く思わないでね。

くれぐれもガーデンに戻るふりをして、あそこの戦場に近づいたりしないように」

 

(今日はここまでか。これ以上は何もさせてもらえないことは明らか。

全員が五体満足でガーデンに戻れるだけでも良しとしなければ)

 

 観念した深顯たち黒十字マディック隊の一行は、足元のアンチヒュージウェポンを持ち直し、整然と隊列を組んで山を下り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナノマシンを使用したヒュージネスト討滅の作戦終了から1週間後。

 

 百合ヶ丘女学院の1年椿組の教室では、二川二水が一柳梨璃に少し上ずった口調で一柳梨璃に話しかけていた。

 

「梨璃さん。先日、北関東にある小規模なヒュージネストが討滅されたんですが、どうやら防衛軍が主体となって、新しい戦術を試した結果だそうです」

 

「外征レギオンのリリィが戦って討滅したんじゃなくて、防衛軍が?」

 

「はい、公開されている情報によると、フィニッシュショットはリリィが撃ったそうですが、それ以外の攻撃は大半が防衛軍の戦車部隊によるものだったと」

 

「フィニッシュショットってことは、ノインヴェルト戦術でアルトラ級を倒したの?」

 

「いえ、どうもそれが違うみたいです。

ノインヴェルト戦術のマギスフィアとは全く異なる弾丸と言うか砲弾を、直接ネストの中心部に打ち込んで、アルトラ級以下のヒュージを倒す戦術とのことです」

 

「そんなことができるんだ……」

 

「しかも、物理的なエネルギーで破壊するのではなく、何らかの遅効性の物質によってヒュージの生命活動を停止させると、公開された資料には記載されていました。

 

事実、作戦終了の数日後には、ネストを構成する雲のような構造体は消失し、アルトラ級以下の全ヒュージは死滅、体組織の分解が進んでいたとのことです。

 

ただ、その物質が何なのかは、軍機により開示されていません」

 

「それって、ノインヴェルト戦術を使わなくても、ネストを討滅できるようになったてことだよね。

すごいね、これで今までよりも早く、ヒュージに奪われた地域を解放できるんだ」

 

「はい。防衛軍の戦力をネスト討滅に投入できれば、それはネスト討滅の戦力増大に直結します。

鎌倉府の未開放エリアや甲州の奪還も、前倒しで進められる可能性が出てくるかもしれません」

 

 梨璃と二水の会話を少し離れた席で聞いていた伊東閑は、それまで読んでいた戦術理論の分厚い書籍をぱたんと閉じた。

 

 二水の話している内容は公開されている情報である以上、いずれは閑の耳目にも触れるものだ。

 

 だが、その内容は読書を中断させるほどに、閑の関心を引いて余りあるものだった。

 

(防衛軍がそんな戦術を開発していたのね……

梨璃さんと二水さんは無邪気に喜んでいるみたいだけど。

 

でも、それって純粋にヒュージとの戦いを優位に進めるためだけに開発されたものなのかしら。

ガーデンと防衛軍は今はヒュージとの戦いで協力関係にあるけれど、これからも常に同じ方向を向いているとは限らない。

 

これまでの状況や力関係が変化すれば、お互いの目指すべき目標や最終的な社会の在り方も変わるかもしれない。

 

仮に防衛軍がリリィに匹敵するレベルの戦闘能力を持つに至るとしたら……

これは気になる動きとして、心に留めておいてもいいかもね)

 

 閑はいつもの彼女らしくなく、気をはやらせて席を立ち、自らも情報を集めるために教室を出てLGシュバルツグレイルの控室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜の森の中、満月に近い月の光が、青白い木漏れ日となって林間に降り注いでいる。

 

 この森は金沢文庫のシエルリント女学薗からほど近くにあり、普段はほとんど人が立ち入ることのない場所だった。

 

 その落葉広葉樹の森の中に、一人の女が佇んでいた。

 

 女は黒いゆったりとした衣服を身に纏い、天空に浮かぶ月を見上げていた。

 

 女の周囲はやや開けた平坦な地形となっていて、地面にはクヌギやブナの落ち葉が一面に積もっている。

 

 じっと月を見ながら物思いに耽っているかのような女の耳に、かすかに落ち葉を踏む足音が聞こえた。

 

 その方向に目をやると、薄明るい月光の下でこちらに歩み寄ってくる一つの人影が見えた。

 

 その人影が誰であるか、近づいてくる前から女には既に分かっていた。

 

「来てくれると思っていたぞ。

そうでなくては興が乗らぬからな」

 

 人影はその貌を月光の下で露わにし、女の妖しい笑みを正面から受け止めた。

 

「この白井咲朱をこんな所に呼び出して、詰まらない話をきかせたらどうなるか、分かってるでしょうね」

 

 白井咲朱と名乗った女性は、魔女のような黒い服を着た女に、挑戦的な微笑を返した。

 

 黒い服の女は微塵も動じる様子無く、悠然と白井咲朱に答える。

 

「話すのは、これからの人の世の在り方に関することだ。

無論、ヒュージとその姫の在り方もな」

 

 



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第27話 大人と子供(1)

 今回は一話まるごと腹黒会話回となっており、誠に申し訳ありません。
 次回は結梨ちゃんの正論ティー攻撃が炸裂する……かもしれません。



 

「言ってくれるわね、蓬莱玉。

その口ぶりなら、さぞかし面白い情報を仕入れたのでしょうね」

 

 黒いドレスを纏って現れた『御前』こと白井咲朱の面前に立つ女性――彼女もまた、ゆったりとした黒衣でその身を包んでいた。

 

 咲朱を呼び出した黒衣の女性、すなわちシエルリント女学薗の生徒会長である蓬莱玉は、口元に微笑を浮かべながら咲朱を見返している。

 

「現時点では不確定要素が多いが、今後の展開次第では状況は大きく動くと、私は見ている。

それを左右する決定的な要素の一つが、貴公の存在なのだ」

 

 蓬莱玉の言葉を聞いた咲朱の眉がぴくりと動いた。

 

 自分の行動如何で今後の状況が大きく変化すると聞かされれば、無視して立ち去るという選択肢は排除せざるを得ない。

 

「聞かせてもらおうかしら。

その『状況』と、私との関係を」

 

 咲朱の反応を見た蓬莱玉は、我が意を得たりとばかりに、その表情を微笑から会心の笑みへと変えた。

 

「感謝するぞ、白井咲朱。

この件については、貴公くらいしか話せる相手がおらぬのでな。

――では、まず発端から話すとしよう」

 

 蓬莱玉が咲朱に語った内容は、大筋で以下のようなものだった。

 

 一週間ほど前に、関東平野北部の小規模なヒュージネストを目標にした討滅作戦が実行された。

 

 この作戦については、事前にごく大まかな情報が一般に公開され、誰でもアクセスすることができた。

 

 無論、戦術の細部や部隊配置などの詳細な内容については、機密事項のため公開されていない。

 

 それが通常のネスト討滅作戦と異なっていたのは、戦力の大部分を防衛軍の戦車部隊が占めていたことだった。

 

 防衛軍がヒュージとの戦闘に参加することは珍しくないが、それは市街地などの拠点防衛を主な任務とし、ミドル級以下のヒュージを通常兵器で排除することが殆どだ。

 

 ネスト討滅の戦力として防衛軍を攻撃の中心に据えるというのは、それが戦車部隊であっても常識的には狂気の沙汰だと言える。

 

 ミドル級以下のヒュージは戦車砲と重機関銃で倒せるが、ラージ級以上が出現すれば対抗手段が存在しないからだ。

 

 結果として、やはり戦力の大半を占める防衛軍の戦車部隊は陽動であり、決定的な攻撃はリリィの手によって行われた。

 

 それだけであれば、ノインヴェルト戦術担当のレギオンを支援する戦力が、リリィから防衛軍の戦車部隊へ置き換えただけとも言える。

 

 だが、その作戦においてはノインヴェルト戦術ではなく、全く別の新しい戦術が実行された可能性が高い。

 

 シエルリントのガーデンが派遣した偵察部隊によれば、ノインヴェルト戦術特有のマギスフィアのパス回しは確認されなかった。

 

 一人のリリィが突然ヒュージネストの上空に現れ、大口径の砲撃型CHARMで直下のヒュージネスト中心部に向けて射撃したと、報告にはある。

 

 しかもノインヴェルト戦術による攻撃とは異なり、砲弾が命中したにもかかわらず、爆発は起きなかった。

 

 砲弾が不発だった可能性も考えられるが、第二射は実行されず、戦場に展開していた全てのリリィと防衛軍の戦車部隊は、速やかに撤退した。

 

 戦闘が終了したことを確認した偵察部隊は、その場から撤収し、シエルリントのガーデンへ帰投しようとした。

 

 しかし、付近を哨戒していた百合ヶ丘女学院の特務レギオン、LGシグルドリーヴァのリリィに発見され、一時的に武装を解除された。

 

「ちょっと待ちなさい。

その状況に陥ったシエルリントの偵察部隊が、なぜ情報を持ち帰ることができたの?」

 

 至って客観的に一連の流れを説明していた蓬莱玉に、思わず咲朱が口を挟んだ。

 

 当の蓬莱玉はそれを平然と受け流し、涼しい顔で咲朱をあしらう。

 

「まあ、そう先走るでない。順を追って話しているところだ。

シグルドリーヴァのリリィは偵察部隊の身元を確認した後、彼女たちを解放した。

アンチヒュージウェポンも没収せず、シエルリントのガーデンに戻ることを認めたのだ」

 

「どうしてシグルドリーヴァのリリィは偵察部隊を拘束しなかったのかしら?

何らかの意図があってのことでしょう?」

 

「その通りだ。

この件に関しては、お互いの陣営が腹の探り合いをしていると思われる節がある。

 

まず、防衛軍は意図的かつ限定的に情報を公開した。

それに食いついてくる組織を炙り出すことが、一つの目的だったのだろう。

 

そしてネスト討滅作戦の情報を入手したシエルリントのガーデン、すなわちG.E.H.E.N.A.は、それがこれまでの戦術とは大きく異なるものであることを知り、諜報活動に乗り出した。

 

ただし、偵察の任務を命じられたのは、リリィではなくマディックだった」

 

「なぜリリィではなくマディックを斥候に出したのかしら?」

 

「諜報活動はあくまでも隠密偵察であって、威力偵察や妨害工作ではないからだろう。

マディックであれば、相手方のリリィと遭遇して本格的な戦闘に発展する可能性も無い」

 

「力の差がありすぎて、あっという間に勝負がついてしまうものね」

 

「そうだ。下手に力のあるリリィを派遣すれば、リリィ同士の本格的な戦闘に発展する可能性もあった。

リリィではなくマディックの部隊を出したのは、その事態を回避する目的もあったのだろう。

 

加えて、もしマディックが抵抗してリリィの攻撃で死傷すれば、それを材料にして逆に百合ヶ丘を非難することもできるわけだ」

 

「何というか、騙し合いというか、化かし合いね。

防衛軍と百合ヶ丘は、マディックに一定の情報を持ち帰らせて、G.E.H.E.N.A.がどう動くか見定めようとしている。

双方の陣営に結構な古狸がいるようね」

 

「私見だが、G.E.H.E.N.A.は動かぬよ。

いや、動けぬという方が正確か。

ただ傍観することしかできないだろう」

 

 言い切った蓬莱玉に対して、咲朱はいぶかしむような視線を送った。

 

「なぜ、そう言えるの?

今回のネスト討滅作戦が失敗したから、何もする必要は無いと?」

 

「いや、作戦は成功した。

軍の発表では、討滅目標となったネストのヒュージは、作戦の数日後に全滅が確認された。

ネスト自体も主を失って消滅したと報告されている。

どうやら、何らかの遅効性の毒物のようなものをネストに投入したらしい」

 

「それなら、なおのことG.E.H.E.N.A.は看過できないはず。

ノインヴェルト戦術によらないネスト討滅が可能になれば、『実験』を始めとする様々な活動が展開しづらくなる。

今の動きを放置することは、G.E.H.E.N.A.にとって決して得策とは思えないけれど」

 

「G.E.H.E.N.A.が動けないのは、この新戦術に基づく作戦は、防衛軍が主導しているからだ。

 

それを外部の組織であるG.E.H.E.N.A.が妨害したとなると、軍は憲兵隊や情報将校を動かすだろう。

 

未だに防衛軍の内部では、G.E.H.E.N.A.に対して懐疑的な見方をする者が多数を占めている。

 

曰く、G.E.H.E.N.A.はヒュージとマギの研究にかこつけて貪欲に勢力を拡大し、政財界の各所に食い込み、自らの権益を際限なく拡大しようとしている。

 

曰く、G.E.H.E.N.A.は腹の底では何を企んでいるか分からぬ、秘密結社のごとく怪しげな組織ではないか。

 

将官の中には、G.E.H.E.N.A.は最終的に社会そのものを牛耳り、世界の支配者となることを目指しているのではないかと主張する者もいるそうだ」

 

「事実、G.E.H.E.N.A.はそれを否定しきれないでしょうに。

軍の認識もまんざら捨てたものではないわね」

 

「確かに過激派の一部には、そのような身の程知らずの野心を抱く者もいるだろう。

G.E.H.E.N.A.の全てが過激派ではないのだが、過激派を内包した組織と見なされても否定はできぬ。

そして、G.E.H.E.N.A.が軍に牙を剥いたとなれば、憲兵隊はこれを潰す絶好の機会と捉えてもおかしくはない」

 

「反G.E.H.E.N.A.主義のガーデンに対してはテロ同然の破壊工作をしても、軍を相手に強化リリィや実験体のヒュージを使って同じことはできない……か」

 

「そうだ。対ヒュージ戦闘が主戦場となった現代において、防衛軍の通常戦力は脇役の存在となって久しい。

 

長年の間、リリィの引き立て役に甘んじてきた軍人が、共同作戦の囮役とはいえ、対ヒュージ戦闘それもネスト討滅の表舞台に立てるのだ。

 

それを邪魔立てしようとする輩など、令状無しで片っ端から憲兵が拘束しても不思議ではないだろう。

 

内乱罪の容疑で極刑の適用も充分にありうると、私は踏んでいる」

 

「反G.E.H.E.N.A.主義者の中に、それを見越して軍に主導権を委ねた者がいるのなら、なかなかの知恵者ね。

百合ヶ丘か御台場か、それとも別の何者か……」

 

「……さて、それが誰であろうと、我々には思い及ばぬものであろう」

 

 蓬莱玉の脳裏に、大図書館で大量の文献を読み込んでいた結梨の姿が浮かんでいることを、咲朱は知らない。

 

 その文献の著者である岸本教授こそが、ナノマシンによるヒュージ絶滅の計画を、防衛軍の石川精衛に託したことも。

 

 蓬莱玉は素知らぬ顔で咲朱に語りかけた。

 

「そこで話は振出しに戻るわけだ。

今後の展開を左右する決定的な要素が貴公である、と言った意味はそこにある」

 

「あなたは、G.E.H.E.N.A.とは縁が切れている私に情報を与えた……ということね」

 

 蓬莱玉の意図に気づいた咲朱の目が、急激に剣呑な光を帯び始めるが、蓬莱玉は気にする様子も無い。

 

「いかにも。貴公がそれを知った上で、どう動くかを確かめたい。

これはガーデンの指示ではなく、私個人の独断専行だ」

 

「またあなたの観察に付きあわせようとするつもり?」

 

「私はこの世界がこれからどう動くのか、自分の目で確かめたい。

そのために必要な情報を必要な人物に提供する。

私はその結果を目にすることができれば、それで満足だ」

 

「正直、あなたの掌で踊らされている気がしないでもないけど」

 

「そう思うのなら、私から情報を得なければいい。

貴公が私との関係を絶たないのは、貴公にもメリットがあると判断しているからではないのか?」

 

 蓬莱玉の指摘が図星だったのか、咲朱は暫く黙り込んでいたが、ようやく決心したように口を開いた。

 

「いいわ、乗ってあげる。

でも、私の判断があなたの望む方向と同じかどうかまでは知らないわ」

 

「それで構わぬよ。貴公は貴公の望むままに生きればいい。

 

ヒュージの姫の頂点に君臨する貴公に、私がどうこう指図するなど、烏滸がましいにも程がある」

 

「私の判断が、これからの世界の在り方、ヒュージとその姫の在り方を決める……そして軍の新戦術がそれに大きく影響する……あなたの言いたいことは分かったわ。

 

でも、礼は言わないわ。

あなたはあなたの利益のために、私に情報を提供したのだから」

 

「分かっている。私も貴公のすることに手出しはせぬ。

今日伝えたかったことはこれで全てだ。

私と貴公はお互い何も知らぬし、会ったこともない。

その取り決めを守るなら、この先も今の関係を維持できるであろう」

 

「お互いのためにも、それに異論は無いわ」

 

 にやりと咲朱は妖しく微笑んで、蓬莱玉に背を向けた。

 

「――私はもう行くわ。

また話したいことができたら知らせなさい。

気が向いたら話を聞いてあげるから」

 

 言い終わった瞬間に、咲朱の姿は忽然と消え失せていた。

 

「……さて、観察のための種蒔きはこれで終わった。

後はどのような芽が出て花が咲き、実をつけるか。

それとも上手く育たずに途中で枯れてしまうか……

最後はお前次第かもしれぬな、一柳結梨」

 

 蓬莱玉はこの場にいないリリィの名を呼んで、ガーデンへ続く森の中の道をゆっくりと戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咲朱の腹心である戸田琴陽が結梨の前に現れたのは、それから三日後のことだった。

 





 軍の呼称について、ラスバレのグラン・エプレ最新メインストーリーでは、国防軍と記述されていました。
 しかし、これまでの各メディア展開において防衛軍という表記が多くみられるため、この小説でも防衛軍としています。


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第27話 大人と子供(2)

 

 ナノマシンによるヒュージネスト討滅作戦の終了から一週間ほど後――それは白井咲朱が真夜中の森の中で蓬莱玉と密談する数日前でもあったが――鎌倉府の百合ヶ丘女学院では、六名のリリィが特別寮のLGロスヴァイセ控室に参集していた。

 

 参加者は以下の通り。

 生徒会長ブリュンヒルデの出江史房。

 同オルトリンデ代行の秦祀。

 同ジーグルーネの内田眞悠理。

 LGロスヴァイセのロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットー。

 LGシグルドリーヴァ隊長の遠野捺輝。

 そして現在は御台場女学校に籍を置く一柳結梨。

 

 百合ヶ丘のガーデンは東京エリアを中心とする首都圏での活動を考慮して、結梨の学籍を御台場女学校に置き続けていた。

 

 だが、今日のような会議やメディカルチェックのために、結梨が一時的に百合ヶ丘へ戻る場合は、百合ヶ丘女学院の制服を着用していた。

 

 他の五名のリリィも同様に、所属レギオンの専用制服ではなく、百合ヶ丘女学院の標準制服を着て、会議のため控室に集まっていた。

 

 時刻は既に会議の開始予定を数分過ぎており、ソファーに腰を下ろしたリリィたちに、ようやく祀が資料を配り終えたところだった。

 

 会議の開始が遅れたのは、極めて珍しく眞悠理が遅刻して来たためだった――それは一分にも満たない時間ではあったが。

 

「すみません、閑さんとの話が長引いてしまって、遅くなりました」

 

 数分前、息を切らせて控室に入ってきて頭を下げた眞悠理に、3年生の史房は上級生らしく鷹揚に構えて微笑んだ。

 

「私も結構ギリギリでここに来たから、気にしなくてもいいわ。

でも、眞悠理さんが予定の時間より遅く来るなんて初めてじゃない?」

 

「言われてみると、確かにそうかもしれません」

 

「閑との話って?」

 

 興味を引かれた結梨が眞悠理に尋ねると、眞悠理は肩をすくめて苦笑いした。

 

「昨日あたりから、新戦術でのヒュージネスト討滅作戦について根掘り葉掘り聞かれてて、それに答えるのに苦労してるの」

 

「それって、防衛軍と一緒に私たちがやっつけたネストのこと?」

 

 結梨が言う「私たち」とは、ナノマシンによるネスト討滅作戦に参加したLGロスヴァイセと石川葵のことだ。

 

「ええ、作戦の概要と戦果は一般にも公表されてるから、百合ヶ丘のリリィも当然その情報を得ているわ。

 

もちろん、大部分の詳細な情報は機密扱いで非公開になっているけれど。

ただし、ノインヴェルト戦術によらないネスト討滅の新戦術が成功した点は、はっきりと言及されているのよ。

 

閑さんはその新戦術が対ヒュージ戦略に与える影響について、とても関心を持ったみたいで……同じレギオンの私が話相手に選ばれたというわけ」

 

「戦闘、戦術ではなく戦略レベルでの議論をするなら、ここにいるリリィか、各レギオンの司令塔クラスじゃないと、歯ごたえのある内容にはならないでしょうからね。

閑さんの人選はもっともだと思うわ」

 

 しれっと結梨の隣りに座っている祀が、至極当然とばかりにコメントした。

 

 それに対して、眞悠理は難しい顔で腕組みをした。

 

「とはいえ、私たちにしても、今後の作戦展開については何も知らされていないわ。

新戦術の決定的要素が、マギの代謝を阻害するナノマシンだということ以外は、他のリリィと持っている情報に差は無いと思う」

 

「公表された情報には、ナノマシンについての記述は無かったわ。

防衛軍はまだナノマシンの情報を伏せておきたいのでしょうね」

 

 そう言ったロザリンデに反応したのは、またも眞悠理だった。

 

「閑さんは全てのヒュージを討滅した後の世界に興味があるようで、その未来では人間同士の戦争にリリィが戦力として投入されるのではないか、と懸念を持っています。

 

ですが、この新戦術はネストの討滅スピードを画期的に加速するものではありません。

 

縮地S級のレアスキルを使って、直接ネストの中心部にナノマシン入りの弾頭を撃ち込む――それほどの戦闘技術を持つリリィはごく限られています。

 

ノインヴェルト戦術とは比較にならないほど特殊な技術を要求される戦術が、果たして世界全体でのネスト討滅にどれほどの有効性を持つのか……」

 

 言葉を途切れさせて考え込む眞悠理とは対照的に、あっけらかんとした表情と口調で声をかけたのは、LGシグルドリーヴァ隊長の遠野捺輝だった。

 

「眞悠理さん、そう決めつけるもんじゃないわ。

先日の作戦はあくまでもナノマシンの実戦検証が第一の目的なのよ。

 

戦術そのものは、その時点で最適な選択肢が採用されただけだと考える方がいいんじゃないかしら」

 

 だから先の事はあまり気にするなと言わんばかりの捺輝だった。

 

「さて、そうなると、防衛軍が今後どんな戦略と戦術を考えて、その作戦に私たちリリィが戦力として参加するのか。

史房様、それについて何かしらの情報はあるんですか?」

 

 捺輝から話を振られた史房は、簡単に首を横に振って否定した。

 

「今後の作戦については、まだ何も防衛軍からの情報は来ていないわ。

ただ、司令官をはじめとして何人かの将官が、国内や海外の各地を忙しなく飛び回っているそうよ。

ナノマシンも実戦検証が成功したことで、既に量産化に入っているとガーデンから伝えられているわ」

 

「大量生産したナノマシンをどうやってヒュージやネストに使うつもりなのか、司令官の心中や如何に……というところね」

 

 石川司令官には何らかの成算があってのことだろうと、ロザリンデは思わずにいられなかった。

 

「防衛軍の対ヒュージ戦略最高司令官は、相模女子高等学館1年生の石川葵さんの父親であり、吉阪先生やシェリス先生の元上官でもあるわ。

 

そんな人が先を読まずに目先の戦果だけに囚われるはずもない。

必ず何らかの策を練っているに違いないわ」

 

 ロザリンデの言葉を聞いた結梨の記憶には、市ヶ谷の防衛軍本部で会った時の石川精衛の姿が浮かんでいた。

 

(葵のお父さんは私よりずっと大人だけど、どこか子どもみたいな表情をすることがあった。

ヒュージから人を守るだけじゃなくて、ヒュージとの戦いを終わらせることを、葵のお父さんは本気で考えてた。

だから、きっとすごい作戦を考えてると私も思う)

 

 いつの間にか、知らず知らずのうちに前のめりの姿勢になっている結梨を見て、隣りに座っていた祀が心配そうに結梨の顔をのぞき込む。

 

「結梨ちゃん、大丈夫?

体調が悪いのなら、すぐに医務室へ行きましょう」

 

「ううん、そうじゃなくて考え事してたの」

 

 結梨は慌てて手を振って祀に答え、気になっていた事をロザリンデに尋ねた。

 

「ロザリンデ、私たちの次の作戦は……」

 

「さっき史房さんが言った通り、まだ何も聞いていないわ。

もう一度同じ戦術でどこかのネストを討滅するのか、それとも何か別の戦術が考えられているのか……特に情報が無い状態よ」

 

「今は待つしかないんだね」

 

 区切りを入れるように、史房がタイミングを見計らって全員に対して発言する。

 

「今日はこれまでの状況を整理して、お互いの認識を一致させておくために集まってもらったけど、他に議題に挙げたいことがあれば発言を」

 

 それに対して、すかさず捺輝が挙手した。

 

「シエルリント女学薗のマディックが戦場を偵察していた事実については?」

 

 捺輝の質問に答えたのは史房ではなく、捺輝とは別の特務レギオンに所属するロザリンデだった。

 

「防衛軍が新戦術でヒュージネスト討滅の作戦を開始する、という情報は事前に公表されていたわ。

 

今思えば、許容できる範囲で意図的に情報を流して、探りを入れてくる組織を特定しようとしたのでしょうね。

 

そして案の定、G.E.H.E.N.A.は総本山であるシエルリントのガーデンを使って、新戦術の情報を収集しようとした。

 

ただし、偵察である以上、大部隊は展開できない。

 

かと言って、少人数の強化リリィを派遣して本格的な戦闘になれば、防衛軍を敵に回す可能性があった。

 

なぜなら、軍主導の作戦を妨害したと見なされかねないから。

 

その事態を避けるために、充分な戦力たり得ないマディックを派遣した……というわけね」

 

 ロザリンデの説明を聞いた捺輝は、いかにもうんざりした表情で顔をしかめた。

 

「G.E.H.E.N.A.って、相変わらずセコいことばっかり考えてるんですね。

私たちがマディックと戦って、うっかり死なせでもしてしまったら、体よく殺人事件として騒ぎ立てる算段だったかもしれない、ってことか」

 

「そうよ。あなたと梓氣さんがマディックを拘束せずに解放したのは正解だった」

 

「事情を知らされていないマディックを拘束したところで、面倒が増えるだけですからね。

ですが、結果としてシエルリントに新戦術の情報を持ち帰らせてしまいましたが」

 

「戦場の外縁部からの偵察では、ナノマシンのことは分からないわ。

防衛軍も、G.E.H.E.N.A.が関心を持っていることが確認できれば、充分だったのでしょう」

 

「この先どう手出しをしてくるか……例によって実験体の特型ヒュージを差し向けるかもしれませんね」

 

「現状ではG.E.H.E.N.A.も防衛軍の戦略は見通せていないはず。

それが判明するまでは、安易な妨害工作はしてこないと私は思っているけれど」

 

「なるほど。そう願いたいものです」

 

 それぞれ異なる特務レギオンに所属するロザリンデと捺輝は、互いの認識が一致したことを確認して会話を終えた。

 

「では、今日の話し合いはここまでにしましょう。

防衛軍の次の作戦が決定すれば、ガーデンの理事会から生徒会長と特務レギオンに通達が入ります。

それまでは各自で情報の収集に努め、報告すべき点があれば私か理事長代行へ連絡するように」

 

 史房は会議の終了を告げ、六人のリリィはそれぞれに控室を退出していく。

 

「結梨ちゃん、久しぶりに百合ヶ丘に戻って来たんだから、もっとお話ししましょう。

校舎へは行けないから、ロザリンデ様のお部屋に行きましょうか。

ロザリンデ様、お邪魔させていただいても構いませんでしょうか?」

 

「ええ、いいわよ。

私は伊紀と少し話をしておきたいから、祀さんと結梨ちゃんは先に部屋に戻っていて」

 

「ありがとうございます。では結梨ちゃん、一緒に行きましょうか」

 

 仲の良い姉妹か母子よろしく、手をつないで去っていく祀と結梨。

 

 自分と同室の碧乙が祀と一悶着起こさなければいいが、とロザリンデは少々不安に思いながらも、黙って二人の後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一週間後、鎌倉府から東京へと移動した結梨の前に現れたのは、戸田琴陽だった。

 

 結梨はLGロネスネスのリリィである司馬燈とともに、ハーブティーを買いに休日の都心へ出かけていた。

 

 正面から二人に向かって歩いてきた琴陽は、その距離が2メートルほどにまで近づいた時、ようやく足を止めた。

 

 燈は結梨をかばうように、一歩前に出て結梨の身体を琴陽の視線から遮ろうとする。

 

「何の御用ですの?

あなたはスパイ行為が発覚して、ルド女のリリィではなくなった。

それなのに、こんな白昼堂々と姿を晒して、何を考えているのやら。

まさか、ここで手合わせでも申し込むつもりなんですの?」

 

 琴陽は燈の挑発的な質問を無視して、結梨の顔をじっと見つめた。

 

「琴陽……」

 

 戸惑いを隠せない結梨に向かって、琴陽ははっきりと自らの意思を表明した。

 

「咲朱様が、結梨さんにお尋ねしたいことがあると。

つきましては、私と一緒に咲朱様の所まで来ていただけますでしょうか」

 

 琴陽の目は、一歩たりとも退かない決意に満ちていた。

 

 





 会議のシーンが思った以上に長くなってしまい、咲朱様の再登場まで進められませんでした……orz


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第27話 大人と子供(3)

 

 琴陽の言葉を聞いた二人のうち、先に反応したのは燈だった。

 

 腕組みをして琴陽の正面に立つ燈は、いかにも斜に構えた皮肉げな目つきで、琴陽の顔を睨みつけている。

 

「何を言い出すかと思えば、『御前』の所へ呼び出しとは……

そんなに大事な話があるのなら、直接ここに『御前』が来ればよろしいのですわ」

 

 琴陽は燈を相手にする気は無いらしく、至って素っ気ない返事を返す。

 

「この件に関して燈さんは部外者です。

咲朱様がお呼びになっているのは、結梨さんお一人ですので」

 

 そして燈の背後に半ば隠れている結梨を見て、思いつめたような表情で再び尋ねた。

 

「いかがですか、結梨さん。

私としては手荒な真似はしたくありません。

大人しく私と一緒に咲朱様のもとへおいで下さい」

 

「もし私が断ったら……」

 

 突然現れた琴陽に戸惑いながら、結梨は囁くような小声で呟いた。

 

「力ずくでも従っていただきます」

 

 琴陽の背中にはCHARMケースが背負われているのが見える。

 

 それに対して、休日の外出中である結梨と燈はCHARMを携行していない。

 

 ここで琴陽がCHARMを抜けば、いかに結梨と燈と言えど、防戦一方になるのは明らかだった。

 

「ヒュージが出現した訳でもないのに、こんな街中でリリィ同士が戦うなんて、改めてあなたの正気を疑いますわ」

 

 白昼の路上でリリィ同士の私闘など、言語道断も甚だしい話で、停学はもとより除籍や退学の処分も充分にあり得る。

 

「私としても、お二人にご迷惑はかけたくありません。

ですが、私とて子供の使いではありません。

何としても咲朱様のご指示を遂行しなければいけないんです」

 

 琴陽は少しの余裕も無い真剣な表情で、結梨と燈を見つめている。

 

(目的を達成するためには手段を選ばない……

この分からず屋は見境がつかなくなっていますわね。

この調子だと二手に分かれて逃げたとしても、結梨さんだけを狙って追いかけてくるでしょうし、どうしたものでしょうか……)

 

 この場を切り抜ける良い方法は無いものかと燈は思案していた――すると、その後ろから結梨の声が聞こえてきた。

 

「私が咲朱の所に行けばいいんだね。

……分かった、行く」

 

 結梨はすたすたと燈の横を通り過ぎて、琴陽のすぐ前まで近づいた。

 

「その選択には同意しかねますわ。

休暇中の行動であっても、とびきり曰くつきのリリィに会いに行って、何か問題が起きたらどうしますの」

 

 驚いた燈は結梨の背中に向かって声をかけたが、結梨の決意は変わらなかった。

 

「咲朱が私に聞きたいことがあるんだったら、それをはっきりさせたい。

咲朱が何を考えてるのか、私も知りたいから」

 

 ごめんね、と結梨は振り返って燈に言い、ほっとした表情の琴陽と並んで、雑踏の中へ姿を消した。

 

 燈はほんの僅かの間、呆然としていたが、すぐに気を取り直して思考を巡らせ始めた。 

 

(せっかくの休日でしたのに、とんだ問題児の登場で卓袱台をひっくり返されてしまいましたわ。

こちらがCHARMを持っていない以上、力ずくで阻止することもできませんし。

とはいえ、あの二人がどこへ向かうのかだけでも、確かめておかなくてはなりませんわね)

 

 結梨と琴陽が消えていった人ごみの中へ、燈は注意深く視線を走らせながら追跡を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨が燈と別れてから三十分ほど歩いた時、細い路地の向こうに広大な邸宅が出現した。

 

 それは以前に結梨が伊紀と一緒に訪れた、咲朱と琴陽の住まいだった――正確には隠れ家と表現する方が適切だろう。

 

 結梨は琴陽とともに武家屋敷さながらの敷地の中へ入り、数百坪はありそうな日本庭園を物珍しげに見回している。

 

「このお屋敷は咲朱のものなの?」

 

 前回訪れた時に気になっていたことを、結梨は琴陽に質問してみた。

 

「詳しくはお話しできませんが、この土地と建物は白井建設の所有物として登記されています。

咲朱様は公式には戦死されていますので、公に名前を出すわけにはいかないんです」

 

 白井家が咲朱の生存――咲朱自身の発言によれば、死亡とその後の復活だが――を知って住処を案配しているのか、それについては琴陽は語らなかった。

 

「ここはれっきとした私有地ですから、先程の街中とは違って、思う存分手合わせできますよ。

ですが、今日は先に咲朱様にお会いしていただかなくてはいけないんですよね……」

 

 残念そうに琴陽は言って、結梨を建物の中へと案内した。

 

 前回と同じように二人は板張りの長い廊下を進み、その奥の和室へと至った。

 

「咲朱様、結梨さんをお連れしました」

 

 閉じられた山水画の襖越しに部屋の中へと琴陽が声をかけると、一瞬の間を置いて、

 

「入りなさい」

 

 と、何度も聞き覚えのある声が返ってきた。

 

 琴陽が襖を静かに開くと、いつものように黒い服に身を包んだ咲朱の姿が目に入った。

 

 咲朱は広い座卓の前に座り、落ち着いた様子で結梨の姿を見ている。

 

「結梨、久しぶりね。

シエルリントの輸送列車以来かしら。

そんな所にいつまでも立っていないで、私の前にお座りなさい」

 

 咲朱の言葉に従って、結梨は座卓を挟んで咲朱の正面に行儀よく正座した。

 

 琴陽が咲朱の隣りに並んで座ると、咲朱は早速結梨に話を切り出した。

 

「今日はあなたに確かめておきたいことがあって、ここまで来てもらったのよ」

 

「うん、ここに来るまでに琴陽からそう聞いたよ」

 

「それなら話は早いわね。

まず、少し前から防衛軍がこれまでとは違う動きを見せている。

ヒュージネスト討滅の作戦は、通常は有力ガーデンの外征レギオンが担うものよ。

 

それなのに、先日行われた作戦では防衛軍が戦力の大半を占め、しかもネストへの決定的な攻撃はノインヴェルト戦術によるものではなかった」

 

「……」

 

 結梨は真剣な面持ちで、黙って咲朱の話に耳を傾けている。

 

 咲朱は結梨の表情を窺いつつ、さらに説明を続けた。

 

「戦場の外縁部では、百合ヶ丘女学院の特務レギオンが哨戒任務に当たっていた。

それとは別の特務レギオンも、陣形の両翼で防衛軍の直掩として戦闘に参加していたそうよ。

 

そして、フィニッシュショットを撃ったリリィは、超大型の砲撃用CHARMを持って突然ヒュージネストの直上に現れ、ネスト中心部にマギスフィアではない砲弾を発射した。

 

砲弾は目標に命中したものと思われたが、直後には何らの変化も起こらず、展開していた部隊はリリィも含めて全て撤退した。

 

この作戦は失敗と思われたが、数日後にはネストのヒュージは全滅、ネスト自体も消滅していたわ。

 

……さて、一体全体、何が起こったのかしらね」

 

 話を終えた咲朱は、じっと結梨の顔を見つめている。

 

「咲朱が私に聞きたいことって、そのことなの?」

 

「そうよ、少なくとも数百メートル離れた場所から、瞬時にヒュージネストの上空に移動できる――そんなレアスキルを持つリリィは縮地持ち、しかもS級に限られる。

 

その上、作戦には百合ヶ丘女学院の複数の特務レギオンが参加していた。

百合ヶ丘のリリィで該当するレアスキルの持ち主は、吉村・Thi・梅と有馬充音。

でも、彼女たちはS級の認定は受けていないし、特殊な作戦に参加するリリィでもない。

 

――そうなると、可能性のあるリリィは唯一人」

 

 その先は言うまでもないと、言葉を切って咲朱は結梨の目から視線を外さない。

 

 咲朱の隣に座っている琴陽も、結梨の反応を待って落ち着かない様子を隠せない。

 

(もし、結梨が簡単に口を割らないようなら……)

 

 咲朱は結梨が否定の返事をした場合を想定して、その後の問答を考えていたが、その必要は無かった。

 

「うん、私がネストにフィニッシュショットを撃った」

 

 ごくあっさりと結梨は事実を認め、咲朱に回答した。

 

「凄いです。結梨さんはそんなことができるようになったんですね。

私もこれまで以上に精進して、結梨さんに後れを取らないようにしないと」

 

 しきりに感心している琴陽には目もくれず、咲朱は思いの外スムーズに話が進んでいることに手応えを感じていた。

 

 だが、咲朱にとって最大の難関は、この後に控えていた。

 

「その答えを聞かせてもらった上で、あなたにお願いしたいことがあるの」

 

「私が聞けることなら……」

 

 自信無さげに言う結梨に、咲朱は少し身を乗り出して自らの希望を告げた。

 

「今あなたが関わっている計画から身を引いて欲しいのよ」

 

「えっ……」

 

 予想していなかった内容に、結梨は思わず言葉を途切れさせた。

 

「どうして?」

 

「私が『高み』を目指すに当たって、障害となる可能性を排除しておきたいからよ」

 

「分からない。咲朱の言ってることは、私には分からない」

 

 困ったように言葉を返す結梨に、咲朱は順序立てて彼女なりの説明を始める。

 

「ノインヴェルト戦術によるヒュージネストの討滅は漸進的なもので、世界中のネストを討滅するには、これから長い時間が必要よ。

 

だから当面は放置しておいても、全体的な状況が短期間に一変する可能性は非常に低い。

 

でも、防衛軍が主導して進めようとしている新戦術は未知の部分が多く、今後の展開次第では、ノインヴェルト戦術を凌ぐ速度でネストの討滅が可能になるかもしれない。

革新的な戦術となる可能性があると、私は考えているわ」

 

「それは、私にも分からない。

これから先のことは、何も聞かされてないから」

 

「防衛軍はガーデンとは違う組織だから、ガーデンとは違う論理で動いている。

作戦や計画の立案者が何を考えているのか、私にも計りかねるところがあるわ」

 

「早くヒュージがいなくなるのは、いいことじゃないの?」

 

 結梨の極めて単純な質問に対して、咲朱は極めて明瞭に回答する。

 

「私はヒュージの姫だから、私の目指す『高み』には、ヒュージの存在が必要なの」

 

「ヒュージがいても、いいことなんて何もない」

 

「ヒュージの姫はヒュージから敵と見なされず、能力次第ではヒュージを従えることさえできる。

この私や、ルド女崩壊時の戦闘で一時的に覚醒した岸本・ルチア・来夢のように。

ヒュージの姫にとって、ヒュージは使役可能な武器であり、戦略的な兵器たりうる存在なのよ」

 

「ヒュージを使って、自分のしたいことを叶えるなんて間違ってる」

 

「この世界はあなたが思っているほど単純ではないわ」

 

 頑なに咲朱の考えに反対する結梨と同じく、咲朱もまた自らの信条を曲げるつもりは無かった。

 

「力無き者は、より強い力を持つ者に従属し、時には生殺与奪の権すらも握られることになる。

リリィ以外の人間がヒュージに命を奪われるのも、その人たちにリリィの力が無いがため。

 

全ての人にリリィの力があれば、ヒュージと戦って自らの命を自らの手で守れる。

人は決して力を手放して生きることはできない」

 

「ヒュージが全部いなくなったら、リリィだって命がけで戦わなくてもよくなる。

私はその世界で梨璃や夢結や楓たちと一緒に、仲よく暮らせたらそれだけでいい。

他には何もいらない」

 

「そういうのが意外と一番難しい望みだと、もう少し大人になったら分かるわ」

 

 結梨に反論する隙を与えず、咲朱は畳みかけるように言葉を続ける。

 

「私は実験体のヒュージを、来夢は通常のヒュージを従える力がある。

私や来夢のようなヒュージの姫が世界の頂点に立てば、ヒュージに人を襲わせないようにすることだってできる。

だから、世界から全てのヒュージを討滅する必要は無いのよ」

 

 だが、それは同時に、ヒュージの姫の意志に従わない人間を排除することを意味している。

 

 それを見抜いていたわけではなかったが、結梨は尚も頑強に自分の意見を曲げなかった。

 

「それでも、私はヒュージのいない世界の方がいい」

 

「……今日はこれ以上の説得は無理のようね」

 

 咲朱は根負けしたように表情を緩めたが、それは彼女が自分の野望を諦めたことを意味してはいなかった。

 

「でも、私も防衛軍の計画を座視する訳にはいかない。

彼らがこれ以上計画を前進させれば、私の目指す『高み』が遠のく恐れがあるから」

 

「私たちの邪魔をするの?」

 

 嫌な予感がして結梨が咲朱に問うと、咲朱はそれを否定しなかった。

 

「あなたが協力的な態度を取ってくれない以上、仕方ないでしょう?

それが嫌なら、力ずくで私を止めてみることね」

 

「……分かった。そうする」

 

「えっ?」

 

 驚きの余り、琴陽が思わず結梨に聞き返した。

 

 結梨の目はまっすぐに咲朱の目を見つめている。

 

「私と勝負して。

私が咲朱に勝ったら、私たちの邪魔をしないって約束して」

 

(それって、手合わせと言うか、私闘と言うか、決闘と言うか……何だかすごい展開になってきました。

不謹慎ですが、私は今日この場に居合わせて最高に幸せです)

 

 気分の高揚を隠しきれず、もじもじと身体を身じろぎさせる琴陽。

 

 その琴陽を一度横目でちらりと見た咲朱が、結梨に向き直って答えようとした時。

 

「僕は結梨の判断に賛成しかねる。

未知の不確定要素が多すぎて、何が起こるか分からないからだ」

 

 突然、部屋の壁際から女性の声が聞こえてきた。

 

 咲朱と結梨が思わずそちらの方へ視線を向けると、百合ヶ丘女学院の制服を着た一人のリリィが立っていた。

 

 肩まで届かない長さの灰色の髪、奸智と紙一重の際立った知性を宿らせた瞳、しなやかな体躯で軽く腕を組んでいる、そのリリィは――

 

「あなたが夢結のお姉さんか。

写真で夢結に見せてもらったことはあったけど、随分と雰囲気が変わりましたね」

 

「お前は……まさか……」

 

 信じられないものを見る目で、咲朱は呻くように言葉を絞り出した。

 

 一方のリリィは余裕に満ちた表情で、飄々と咲朱を見下ろしている。

 

「実際に会うのはこれが初めてかな。

はじめまして、と言っておきましょう。夢結の姉君」

 

 そのリリィは咲朱に軽く会釈した後、簡潔に、そして正確に自らの正体を名乗った。

 

「僕は白井夢結のシュッツエンゲル、川添美鈴。

そして、夢結の記憶からあなたの存在を消したリリィでもあります」

 

 



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第27話 大人と子供(4)

 

「なぜお前がここにいる?

川添美鈴は甲州撤退戦で戦死したはず」

 

 目の前の現実を認められず、白井咲朱は目を見開いて美鈴の姿を凝視している。

 

「まさか、お前も蘇ったの?

私と同じようにG.E.H.E.N.A.の技術で。

――いや、そんな情報は私の知る限り存在していない」

 

 半ば自分自身に問いかけるかのように、咲朱は自らの記憶を辿り、美鈴が現れた原因を探そうとしていた。

 

 咲朱の様子を隣りで見ていた琴陽は、きょとんとした表情で咲朱の顔をのぞき込んでいる。

 

「いかがなさいました?咲朱様。

川添美鈴がどうかしたのですか?

この部屋には、咲朱様と私と結梨さん以外には誰もいませんよ」

 

「何を言っているの?どうかしているのはあなたの方よ。

今そこに川添美鈴が立っているのが見えないの?」

 

 咲朱は震える声で数メートル離れた壁際を指さしたが、それに答えたのは琴陽ではなく結梨だった。

 

「琴陽には見えてないかもしれない。

咲朱が見ている美鈴の姿は、本物の美鈴じゃないと思う」

 

 結梨の声に反応して、咲朱はぎょっとしたように視線を結梨へと移す。

 

「……随分と落ち着いているのね。

死んだはずの川添美鈴が現れたのは、これが初めてじゃないみたいに」

 

「うん、前にも同じことがあったから」

 

「どういうこと?その時の状況を詳しく話して――」

 

 咲朱が結梨に説明を求めようとした時、結梨よりも先に美鈴が言葉を発した。

 

「極めて特殊な特異点のリリィが二人集まったことによって、互いのマギが共感現象を引き起こし、その結果、僕の幻が立ち現れた――そう理解してもらえればいい」

 

「お前の姿は幻で、実体としては存在していないと?」

 

「そうだ。あなたに僕の姿が見えているのは、こういうことだ。

 

――甲州撤退戦の折にダインスレイフへ保存された僕の記憶や人格の情報は、由比ヶ浜ネストのマギを経由して結梨の身体に流れ込んだ。

 

それがハレボレボッツと命名された特型ヒュージとの戦闘時なのか、その後の身体の修復時なのかは分からないが。

 

その後の由比ヶ浜ネストの討滅と同時に、ネスト内に保存されていた僕の情報は霧消しただろう。

 

だが、結梨の体内に保存された僕の情報は今も健在で、マギが特殊なパターンの活性化を起こす時、それは共感現象によってエミュレートされ、実体と見分けがつかない幻として知覚される。

 

事実、僕が前回現れたのは、結梨が百合ヶ丘女学院の理事長と面会している時だった」

 

 百合ヶ丘女学院の理事長である高松祇恵良もまた、齢を重ねても現役時の姿を保つ強化リリィであり、おそらくは紛れもない特異点のリリィなのだろう。

 

 美鈴の姿は共感現象を起こしている特異点のリリィ――この場合は咲朱と結梨だが――にのみ知覚され、他の者には何も感じ取ることはできない。

 

「それで琴陽にはお前の姿は見えていないということね……特異点のリリィではないから」

 

「おそらくは特異点のリリィであっても、僕と何らかの関わりがある者でなければ共感現象による幻は現れないのかもしれない。

 

結梨が来夢や船田姉妹と一緒にいても、僕の幻が現れることは無かったのだから」

 

「……一応の理屈は分かったわ。

幻であったとしても、お前が現れたのは千載一遇の好機。

お前には問いただしておきたい事がある。

答えてもらうわよ、川添美鈴の亡霊」

 

 ここで会ったが百年目と言わんばかりに、咲朱は結梨をそっちのけにして美鈴の幻に食ってかかった。

 

 一方、気色ばむ咲朱とは反対に、美鈴は平静さを崩す様子は無かった。

 

 軽く息を一つつくと、美鈴は皮肉っぽく苦笑して咲朱に応じる。

 

「好きにすればいい。せっかくの機会なので、僕もあなたに自分の考えを伝えておくべきでしょうね。

――夢結の今後のためにも」

 

 剣呑な雰囲気が両者の間に漂い始め、咲朱を心配する琴陽は結梨に尋ねた。

 

「結梨さん、あなたには川添美鈴の姿が見えているんですか?」

 

「うん、そこの壁の近くに美鈴が立ってる。

今は私と咲朱だけにしか見えてない、美鈴の幻」

 

 白井夢結の実の姉とシュッツエンゲルが相対する――一人は死後蘇ったヒュージの姫、もう一人は死者の幻。

 

 先に口を開いたのは、座っていた姿勢から立ち上がった咲朱の方だった。

 

「お前は死の直前にレアスキルを使って、私の存在を夢結の記憶から消した。

夢結の愛情を自分の死後も独占するがために。

百合ヶ丘女学院のシュッツエンゲルとして品位を欠く、などという表現では到底収まらない行為よ。

死を目前にしていたとはいえ、見苦しいにも程がある。

恥を知れ、川添美鈴」

 

 咲朱は一気に言葉を吐き出し、柳眉を逆立てて美鈴の顔を正面から睨みつけた。

 

 それに対して、美鈴は告解するかのように重苦しく独白を始めた。

 

「僕の愛が歪なものであったように、夢結の愛もまたどこか健全さを欠くところがあった。

シュッツエンゲルの誓いを交わし、僕のシルトになった夢結は、僕を理想の姉として尊敬し、僕の全てを肯定して愛そうとした。

 

僕は夢結の期待に応えるために、自らの邪な部分を押し殺して夢結に接し続けた。

だが、僕も一人の人間である以上、完璧な存在であろうはずもない。

 

抑圧された僕の欲望は、折に触れて夢結の前で顔をのぞかせた。

僕はそれを隠すために、夢結の記憶からその事実を忘れさせた」

 

 夢結の愛情の対象であり続けるために、美鈴は夢結の記憶のみならず、百合ヶ丘女学院における自分の情報すらもレアスキルで改竄した。

 

 夢結の愛への執着が、夢結の愛を失うことへの怖れが、美鈴を情報の隠蔽と改竄へと駆り立てていった。

 

「何度も繰り返し改変された夢結の記憶は、次第に彼女の精神を潜在的に蝕み始めていた。

僕はその事に気づいていたが、夢結の前で自分の邪な欲望を曝け出すことは最後までできなかった。

そして、それは僕の死によって顕在化し、遂に夢結は精神の均衡を失うに至った」

 

 司祭に告解するカトリック教徒のごとく、美鈴は沈痛な面持ちで咲朱に語った。

 

 だが、咲朱は美鈴の言葉に心を動かされた様子も無く、嫌悪感を露わにして美鈴を非難する。

 

「自分の死後も夢結の愛を繋ぎ止めるために、お前は結果として夢結の心を壊した。

お前が本当の自分を夢結に見せられなかったがために、私の妹は心を病み、何年も苦しみ続けることになった。

お前は本当に罪深い存在よ、川添美鈴」

 

 半ば嘲るような、罵るような咲朱の言葉を浴びても、美鈴の態度は変わらなかった。

 

 それまでと変わらない口調で、美鈴は淡々と説明を続ける。

 

「――夢結が心を病んだ直接の原因は僕にある。

しかし、夢結が常に依存する対象を求めるリリィであったことも事実です。

 

人は一人で生きられない以上、多かれ少なかれ他者に依存することは避けられません。

 

ですが、夢結の依存は少なからず度を過ぎた部分があった。

その原因の一端はあなたにあったのではないかと、僕は思っている」

 

「……言ってみなさい、聞いてあげるわ」

 

 眉をぴくりと動かした咲朱は、美鈴に続きを促し、美鈴はそれに応じた。

 

「かつてのあなたは一人のリリィとしてあまりにも優秀だった。

百合ヶ丘女学院に在籍時はオルトリンデとジーグルーネを歴任し、卒業後は教導官として百合ヶ丘に赴任する予定だった。

 

あなたが百合ヶ丘女学院のリリィとして、歴代でも屈指の逸材だったことは疑いがありません。

ゆえに、その妹である夢結はあなたを完璧な理想の存在として崇拝し、強く依存するようになったのではないですか」

 

「そうだとして、それに何か問題が?」

 

「あなたは夢結の依存体質を知っていながら、それを改善することをせず、戦死するまで夢結を自分に依存させ続けた。

 

あなたの死によって依存の対象を失った夢結は、僕とシュッツエンゲルの契約を結び、夢結の愛はあなたから僕に向けられることになった。

 

その後の経緯は、先程僕がお話しした通りです。

そして僕が死んだ後、あなたは夢結の前に現れ、夢結の依存対象を再び自分に振り向けようとした。

 

それは自らの理想である『高み』に上るために、夢結の力が必要だったからだ。

夢結を自分と同じく一度死んで蘇ったリリィとし、自分と同じ力を得たリリィとして。

 

つまり、あなたが夢結を必要としているのは、姉妹の愛情ではなく理想を実現するための道具としてだった。

 

結局、あなたとの戦いの末に、夢結は一柳隊に留まることになった。

それは彼女自身の人格形成のためにも、最善の結果だったと僕は思っています」

 

 きっぱりと言い切った美鈴の表情は、背負っていた重荷を下ろしたかのように憂いが消えていた。

 

 だが、咲朱は憤然とした表情で怒りが収まらないようだった。

 

「よくもぬけぬけと。

お前が幻でなければ、私の手で引導を渡してやるところよ。

でも今日はいつまでもお前の相手をしていられない。

結梨と大事な話をしていたところだから」

 

 ようやく実の姉とシュッツエンゲルの確執について一段落したところで、結梨は美鈴に質問した。

 

「美鈴が現れた時に、私と咲朱の勝負に賛成できないって言ったのはどうして?」

 

「それは第一に、君と咲朱が極めて特殊なリリィだからだ。

特異点のリリィであるというだけではなく、二人ともが極端に人工的に能力を付与された存在。

 

スキラー数値やマギ保有量といった、既存の物差しでは計りきれない未知の要素が、どれだけあるか分からない。

 

能力的に計測不能なレベルのリリィ同士が、全ての力を解放して戦った時、どんな現象が発生するか、誰にも予想できないからだ」

 

 中原・メアリィ・倫夜は船田姉妹を互いに戦わせ、原初の開闢を疑似的に再現する実験を試みた。

 

 それと同等、あるいはそれ以上の超常的な現象が発生する可能性がある――美鈴が指摘したのは、そのような意味合いだった。

 

「だから、仮に手合わせのような形であっても、僕は二人が戦うことに反対する。

この意見を聞いた上で、二人はどう思う?」

 

 美鈴は先に結梨を見た。

 

 結梨は美鈴の視線を正面から受け止め、いつもの彼女らしい口調で返事をした。

 

「何が起こるか分からなくても、私はヒュージのいない世界を創りたい。

それに、咲朱と直接会って勝負できる機会なんて、次はいつになるか分からない。

だから、私はやっぱり咲朱と今勝負して、咲朱に勝ちたい」

 

「……と、この無鉄砲な女の子は言っていますが、あなたはどうお考えですか?」

 

 美鈴は諦めたように苦笑して咲朱の方を見た。

 

 咲朱はいかにも彼女らしい不敵な笑みを浮かべて、考え込むこともなく即答する。

 

「受けて立つに決まっているでしょう。

ヒュージの姫の頂点に立つこの私が、他のリリィに後れを取るなんて、あってはならないこと。

私が目指す『高み』に到達するためにも、ここではっきり力の差を見せつけて、結梨には身を引いてもらうわ」

 

 咲朱の返答を隣りで聞いた琴陽は、美鈴の姿が見えずとも咲朱の意志に完全に同意した。

 

「そうですよね!

戦って自分の進む道を切り開くのがリリィの本分。

もしケイブやネストが出現しても、私たちで戦って討滅すればいいだけのことですから」

 

 性格は違えどいずれも武闘派の三人を前にして、美鈴は頭を抱えたくなったが、最早是非も無しと覚悟を決めた。

 

「……分かった。当事者が決めたことなら仕方ない。

これから起こることは全てあなたたちの責任になる。

ただし、無関係の一般市民に被害が及ぶことだけは絶対に避けてほしい」

 

「それなら、射撃を禁止して斬撃だけの勝負としましょう。

それでいいわね?結梨」

 

「うん、それでいい」

 

「でも、結梨さんはCHARMをお持ちでないようですが……」

 

 琴陽が心配そうに結梨を見ると、結梨は全然気にしていないように琴陽に答えた。

 

「ここにある予備のCHARMを使わせてくれればいいよ」

 

「標準仕様のトリグラフならありますが、それで構いませんか」

 

「いいよ。見せてもらってもいい?」

 

「では、こちらへどうぞ。

離れの建物を武器庫として使っていますので」

 

 琴陽の後に続いて部屋を出ようとする結梨に、美鈴が声をかける。

 

「君と咲朱が一定の距離以上に離れれば、共感現象は収束し、僕の姿は消えるだろう。

その前に僕に言っておきたいことはある?」

 

「次に会える時までに、世界からヒュージがいなくなってるといいな……」

 

「同感だ。もっとも、あちらのお姉様はそう考えていないようだが」

 

「いつか咲朱にも分かってもらいたい」

 

 結梨はそう言い残して、琴陽と一緒に廊下の向こうへ姿を消した。

 

 咲朱は美鈴の姿をじっと見つめていたが、結梨が部屋を出てしばらくすると、その姿は不意に消えた。

 

「私はヒュージの姫として、来るべき世界に君臨する存在。

何者であっても私の進む道を遮ることはできない。

それを今からこの手で証明してみせるわ」

 

 自分以外誰もいなくなった部屋で、咲朱は決意を改めて言葉にした。

 

 そして自らも得物のティルフィングを装備するために、先に結梨と琴陽が向かった離れへと歩み始めた。

 

 



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第27話 大人と子供(5)

 

 離れの武器庫からCHARMを取り出した結梨と咲朱は、敷地の中の広大な庭に移動した。

 

 庭は全体として日本庭園の趣を醸し出していたが、よく観察すると、それは戦闘訓練に適するように樹木や庭石が遮蔽物として各所に配置されていた。

 

 日頃は咲朱と琴陽が、この数百坪はありそうな庭を訓練の場として使っていることが窺われた。

 

 太陽は既に西に傾き始め、黄色味を帯びた午後の日差しが周囲を照らしている。

 

 結梨と咲朱は十メートル程の距離を置いて対峙している。

 

 結梨の手には借り物のトリグラフ、咲朱の手には手慣れたティルフィングR型がそれぞれ握られている。

 

 リリィとしての強さによって自らの希望を通さんがため、今から二人は手合わせならぬ果し合い――すなわち私情による決闘を始めようとしていた。

 

 両者の中間に審判として立つ琴陽は、興奮を表情に出さぬよう抑えつつ、状況を改めて説明する。

 

「ガーデンや戦場など、公の場でリリィ同士が戦えば、それは重大な処分の対象になります。

ですが、ここは白井建設の所有する私有地。

中で何が行われようとも、それが犯罪行為でない限りはお咎め無しです」

 

「刑法には決闘罪というものが存在するはずだけど、それには該当しないのかしら」

 

「該当すると思います」

 

 咲朱の指摘を琴陽はあっさりと認めたが、すぐに説明を補足した。

 

「ですが、お二人は単なるリリィではなく、その力の強大さゆえに超法規的措置の対象になりうる存在です。

 

仮に今から行われる戦いが官憲の知るところとなっても、必ず政治的・軍事的な方面から圧力がかかり、決闘罪は適用されないでしょう。

 

ですから、咲朱様も結梨さんも、気兼ねなく全力で戦っていただくことができます」

 

 琴陽は元ルドビコ女学院の風紀委員とは思えない発言をしたが、当人は至って涼しい顔で二人に決闘開始前の確認をする。

 

「お二人とも、何か先に言っておくことがありましたら、どうぞご発言をお願いします」

 

 先に発言したのは咲朱の方だった。

 

 分離させたトリグラフを両手に持って立つ結梨に、咲朱は宣言するかのように言葉を告げる。

 

「決闘の結果、私が勝ったらあなたは防衛軍の計画には今後関わらない。

あなたが勝ったら私は防衛軍の計画を妨害しない、もちろんあなたの行動にも干渉しない……で間違いないかしら」

 

 結梨は咲朱の顔を見つめたまま、こくりと頷いた。

 

「うん、それでいい。

戦い方は射撃なしの斬撃だけ。レアスキルは……」

 

 結梨が口ごもると、咲朱は余裕の態度で無制限のレアスキル使用を認めた。

 

「二つでも三つでも、それ以上でも、好きなだけ使っていいわよ。

この決闘は、結果次第で世界の未来に決定的な影響を与える。

だから、お互いに手加減なしの全力で勝負しましょう」

 

「分かった。もし咲朱を傷つけてちゃったらごめん」

 

「この私に攻撃を当てるつもりでいるなんて、随分と自信をつけたみたいね」

 

「一柳隊と咲朱が戦った時、最後に梨璃が咲朱に一撃を当てたって……」

 

 それを聞いた咲朱の美しい顔が屈辱に歪む。

 

「あの時の私はどうかしていた。

あのリリィの力を侮っていたのか……カリスマ、いえラプラスの力を。

――違う、私があんな小娘に後れを取る筈は無い。

次に会った時には、二度と私に歯向かう気が起きないよう、私の力を完膚無きまでに思い知らせてあげるわ」

 

「梨璃には手を出さないで。

私が勝ったら、梨璃に関わらないって約束して」

 

 だが、咲朱はその点に関しては、結梨の要求を受け入れる意志は持ち合わせていなかった。

 

「残念ながら、この決闘での約束は防衛軍の計画に関する事だけ。

それ以外の事は、また別の戦いで話をつけましょう」

 

 これ以上の話は無用とばかりに、咲朱はティルフィングを構え直した。

 

 それに応じて、結梨も両手に持ったトリグラフを中段の位置に構えて、体勢を幾分低くする。

 

 両者が臨戦態勢に入ったことを悟った琴陽は、二人の間合いから離れるべく無言で後退した。

 

 決闘開始の合図は必要無いと言わんばかりに、咲朱は結梨に先制攻撃を求めた。

 

「好きなタイミングで仕掛けていいわ。

遠慮せずに私を殺すつもりで攻撃しなさい。

手加減して勝てるほど私は甘くないわよ」

 

 そう咲朱が言い終わった刹那、結梨の姿は咲朱の視界から消えた。

 

 一瞬の間も置かず結梨の姿は咲朱の背後に現れ、その背中にトリグラフの刃を振り下ろす。

 

 だが、その第一撃を咲朱は難無く正面で受け止めた。

 

 体捌きによって身体を反転させたのではなく、縮地によって、その場で瞬時に身体の向きを入れ替えたのだ。

 

「躊躇無く背後から攻撃するなんて、それでこそ特務レギオン預かりだった甲斐があったというものね。

 

勝つために戦法を選ばない戦い方、両手にそれぞれ携えた得物……宮本武蔵の五輪書でも教科書にしたの?」

 

 冗談めかして言う咲朱だったが、結梨は文字通りの真剣勝負で、持てる力の全てを出し切らないと咲朱には対抗できないと覚悟していた。

 

「私は私の全力で咲朱に勝つ。

ヒュージのいない世界をつくるために」

 

 咲朱がリジェネレーターのブーステッドスキルを持っていることを、結梨は情報として知っていた。

 

 一柳隊との戦いで梨璃から腹部に一撃を受けた咲朱は、その後すぐに傷を回復させて戦場から去って行ったと。

 

 攻撃が当たっても咲朱を死なせることは無い――その確信が、結梨の躊躇無き攻撃の後ろ盾となっていた。

 

 結梨は攻撃を受け止められた後も動きを止めず、縮地を連続して発動し、更にゼノンパラドキサS級も同時に使用して咲朱に連撃を浴びせた。

 

 その攻撃の悉くを咲朱は受け流し、あるいは回避して反撃の隙を窺う。

 

「今、私がどんな気持ちか分かる?結梨」

 

「分からない。私には咲朱の気持ちは分からない。

ヒュージを従えて、力でみんなを支配しようなんて」

 

「今の私はあなたにとても共感しているわ。

それが何故だか分かる?」

 

「分からない。咲朱と私が目指してるものは違う」

 

「目的は違っても手段は同じ。

あなたも私と同じく、言葉ではなく力によって、自らの望みを叶えようとしているからよ」

 

「私の力はヒュージと戦うためのもの。

リリィと戦うための力じゃない。

咲朱とだって戦いたくない」

 

「世界からヒュージがいなくなれば、人間同士で戦争する時代へと逆戻りするだけ。

当然、リリィも決定的な戦力として戦場に投入されるでしょう」

 

「私はリリィ同士で戦うなんてしたくない」

 

「この状況でそれを言うの?

この戦いを挑んできたのはあなたの方よ」

 

「咲朱が私の言うことを聞いてくれないから……」

 

「私には私の正義があるわ。

私たちはお互いに、それぞれの理想と正義に基づいて生きようとしている。

 

言葉で相手を説得できなければ、力の優劣こそが勝者を決める。

実にシンプルで分かりやすい方法だと思うわ」

 

 結梨の攻撃を見切った咲朱は防御から攻撃に転じ、双方の攻防が入れ替わった。

 

 結梨はゼノンパラドキサS級の能力で、咲朱の攻撃を紙一重で避け続ける。

 

 ティルフィングの切っ先が結梨の身体の至る所を掠め、一撃ごとに服に小さな裂け目が刻まれていく。

 

 しかし、結梨の動きは恐るべき精妙さでコントロールされ、咲朱の攻撃は結梨の身体そのものに命中することは無かった。

 

 その間にも、咲朱は結梨に己の信条を言葉で投げ続ける。

 

「世界から全てのヒュージを滅ぼしたとしても、その先に待っているのは人間同士の戦争よ。

ヒュージに殺されていた人間が、同じ人間に殺される世界へと変わるだけ。

それよりもヒュージを道具として使い、社会の統治に利用する方が賢明な選択だと思わない?」

 

「思わない。

ヒュージの姫だけが世界を自分たちの好きなようにできるなんて、おかしいよ」

 

「マギとヒュージの出現は世界の運命だった。

そして、ヒュージの姫はその運命に選ばれた存在。

 

人類にとっての天敵であるヒュージですら、ヒュージの姫には下僕も同然。

世界の運命から与えられた力で世界を変え、自らの理想を実現する。

 

これこそ世界の意志そのものだと私は思うわ」

 

 咲朱の言説は留まるところを知らず、尚も結梨に浴びせ続けられる。

 

「マギとヒュージの両方を操れるヒュージの姫こそが、運命に選ばれた存在。

そして私はヒュージの姫の頂点に君臨するリリィ。

私の邪魔をすることは、世界の運命に背くこと。

 

世界はヒュージの姫を盟主とし、ヒュージをコントロールすることによって秩序を維持する。

ヒュージの姫は人類の上位種として、人類を超越した存在として、ヒュージ出現後の世界における生態系の玉座に収まるのよ。

 

それを全部ご破算にして元の木阿弥なんて、そんな愚行を認めるわけにはいかないわ」

 

 咲朱の一撃を正面から受けて止めて、結梨の身体は大きく体勢を崩して傾いた。

 

 咲朱はそれを見逃さず容赦の無い追撃を繰り出し、ティルフィングの長い刀身が結梨の身体に迫る。

 

 だが、結梨はすぐさま縮地で十数メートル後方へ瞬間移動し、咲朱との間合いを取って息を整える。

 

 半ば苦し紛れに結梨は咲朱に尋ねた。

 

「咲朱はG.E.H.E.N.A.と協力してるの?」

 

「いいえ。でも、G.E.H.E.N.A.は実験体のヒュージを次々と絶え間なく開発し続けている。

それは結果として、私の手足として使役できるヒュージが増えていくことになる。

 

私にとってはこの上なく好都合な状況だから、G.E.H.E.N.A.にはこのままヒュージの研究に邁進してほしいのよ」

 

「でも、G.E.H.E.N.A.の実験でたくさんのリリィが傷ついて、中には死んでしまうリリィだっている。

そんなことは私たちの力で終わらせないといけない」

 

「さっきも言ったように、ヒュージとマギは世界の運命が生み出した存在よ。

人類はその運命に抗い、マギの力を利用してヒュージに対抗してきた。

 

ギガント級が出現した時は、ノインヴェルト戦術を編み出すことによって対抗できたわ。

でも、複数回のノインヴェルト戦術が全く通じないヒュージが現れた時、リリィはそのヒュージに対抗できるかしら?

 

ヒュージの進化と種の固定が次第に進みつつあることは、東京エリアを中心に各地で確認されているわ。

一方、各ガーデンは自分たちの国定守備範囲を防衛することに汲々として、ヒュージが支配する地域の解放へ投入できる戦力は以前より限定されている。

 

今のままでは、ヒュージの進化にレギオンの戦術が対応できなくなる日が、いずれ訪れる。

その時、ヒュージの姫の力が無ければ人類は生き残れず、ヒュージに滅ぼされるでしょう」

 

「そんなことは……」

 

 結梨は咲朱の言葉を何とか否定しようとしたが、咲朱は最早聞く耳を持っていないようだった。

 

「結梨、あなたはヒュージの姫ではないけれど、ネストのマギを自分のものとして操り、ヒュージの姫と同じく、ヒュージの跋扈する世界に適応した新しい人類。

だから、人造リリィであるあなたとヒュージの姫は共存できると、私は思っているわ」

 

「私はヒュージがいる世界より、ヒュージのいない世界で生きたい」

 

「進化がもたらす生存競争と淘汰こそが生物の本質。

ホモサピエンスが旧人に取って代わったように、人もまたその摂理から逃れることはできないわ。

 

あなたはヒュージと戦って生き残るために生み出された人造リリィ。

その事実を認めず、力無き現生人類と馴れ合うような、愚かな選択をするべきではないわ」

 

「世界からヒュージがいなくなったら、リリィの力は必要なくなる。

リリィもリリィじゃない人も、みんな同じになる」

 

 両者の主張はいつまでも交わらず、業を煮やした咲朱は妖艶な微笑を浮かべて結梨を見た。

 

「――今、素敵な考えを思いついたわ」

 

「えっ?」

 

「夢結の代わりにあなたを私と同じにするのもいいかも、って」

 

「私を、夢結の代わりに……」

 

 結梨が咲朱の言葉の意味を解釈するより早く、咲朱はティルフィングを構えて結梨の胸に狙いを定めた。

 

「大丈夫、即死しないように急所は外してあげるから」

 

「……」

 

「私を蘇らせたラボに連絡すれば、すぐに迎えをよこすでしょう」

 

 咲朱の頭の中で目まぐるしく段取りが組まれていくのが、結梨には見て取れた。

 

「死亡確認後の蘇生が成功すれば、あなたもヒュージを操れるようになるし、あらゆるブーステッドスキルも付与できる。

施術の結果次第では、不老不死のヒュージの姫として生まれ変われるかもしれない」

 

「ヒュージの姫になんかなりたくない。

私は人だから、他の何にもなりたくない」

 

 咲朱は結梨の言葉に耳を貸さず、瞬時に距離を詰めて結梨に襲い掛かった。

 

 咲朱の攻撃は一段と激しさを増し、結梨は防戦一方に追い込まれた。

 

 それだけではなく、咲朱の太刀筋には、それまでは無かった明確な殺意が込められていた。

 

 一度死んだリリィをヒュージの姫として蘇らせる、その有言実行を体現すべく、咲朱は自分を殺す決意を固めた――そう悟った結梨は、持てる力の全てを一度に解放する決断をした。

 

 その場合、マギを使い果たすまでの時間はごく僅か。

 

 だから、次の一撃に全てを賭けなければならない。

 

 結梨はゼノンパラドキサS級とフェイズトランセンデンスS級を同時に発動し、分離させた二刀のトリグラフで同時に、かつそれぞれが別々の軌道で咲朱に斬りかかった。

 

 二種類のレアスキルの同時発動によって、結梨のトリグラフは限界を超えて加速した。

 

 その速度は音速の数十倍に達し、周囲のマギインテンシティとの相乗効果により、多重次元屈折現象を発生させた。

 

 二つに分離したトリグラフから、四つの異なる太刀筋が上下左右から咲朱に殺到する。

 

 それらの斬撃のタイミングは完璧に同一であり、時空の歪みによって通常ではありえない攻撃となって咲朱の身体に襲い掛かった。

 

「――っ!」

 

 結梨が同時に繰り出した四つの太刀筋を見極めるため、咲朱はこの世の理S級を発動する。

 

 更に重力操作のブーステッドスキルを極限まで解放し、極小時間のみ存在するマイクロブラックホールをトリグラフの予測軌道上に出現させた。

 

 これらのレアスキルとブーステッドスキルの複合使用は、結梨の太刀筋の軌道を、事象の地平面において捻じ曲げることを目的としていた。

 

 これによって咲朱は結梨の必殺の斬撃を受け流し、マギを使い果たした結梨を返す一撃で仕留めんとした。

 

 両者の解放したマギは臨界点を遥かに超え、それぞれのCHARMがぶつかり合った瞬間、異常な量の蒼白い光が溢れ出て周囲を埋め尽くした。

 

 結梨と咲朱を中心として、薄暮の周辺一帯が白昼の何十倍もの明るさで照らし出される。

 

 両者の戦いを十メートル程の距離で見守っていた琴陽は、その余りの眩しさに視界が漂白されて何も見えなくなった。

 

(何かが爆発したのではないようです……爆風も爆発音も破片の飛散も無い……マギの純粋な反応によるこれほどの発光……こんな現象は経験したことがありません)

 

 膨大な光の奔流のみが空間を支配し、琴陽はその渦中にいるであろう結梨と咲朱の安否を確認することなど到底不可能だった。

 

 ようやく数十秒後に琴陽の視界が回復し、彼女の両目が開かれた時、その視界には誰の姿も捉えることはできなかった。

 

「……一体、何が……お二人は……」

 

 目の前の地面には、著しく損傷しマギクリスタルコアの砕け散ったティルフィングとトリグラフが転がっている――それだけが琴陽が目にした戦いの痕跡だった。

 



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第27話 大人と子供(6)

 

「……で、お二人はどこに消えてしまったんですの?」

 

「それが私にも……CHARMの刃がぶつかり合った瞬間に蒼白い光が溢れ出て、何も見えなくなってしまいました。

しばらくして光が収まった時には、もうお二人の姿は……」

 

「何か手掛かりはありませんの?

まさか、お二人とも光になって消滅してしまったわけではありませんでしょうに」

 

 結梨と咲朱が決闘した広い屋敷の庭――それは登記簿上は白井建設の所有地だったが――そこで今、琴陽に詰め寄っているのは、憤然と腕組みをした司馬燈だった。

 

 燈は琴陽と結梨を尾行して、この屋敷に辿り着き、張り込みの刑事よろしく敷地の外側から中の様子を窺っていた。

 

 やがて待つ内に、敷地の中から激しい剣戟の音が聞こえてきた。

 

 音は次第に激しさを増し、それが頂点に達した時、周囲一帯を蒼白く染め上げる程の光が燈の視界を灼いた。

 

 おそらくはマギによるであろうその発光が消えた後、燈火は思い切って塀を跳び越えて敷地の中に侵入したのだった。

 

 二人の足元には、過大なマギの負荷に耐えられず大破したティルフィングR型とトリグラフが転がっている。

 

 どちらのCHARMも、マギクリスタルコアは粉々に砕け散って跡形も無い。

 

 その有様からも、CHARMの持ち主が限界まで力を解放して戦ったことが窺われた。

 

「ど、どうすればいいでしょう?

こんなことは初めてで……」

 

 普段の強気な態度とは異なり、おろおろという形容がぴったりな琴陽を見て、燈はふんと鼻を鳴らして腕組みを解いた。

 

「姿が消えたということは、ここではない別のどこかに移動、転移したと考えるのが妥当ですわ。

まずはこの屋敷をくまなく捜し、見つからない場合は捜索の範囲を段階的に広げていくのが適切ですわ」

 

「……わ、分かりました。

私は建物の中を捜しますので、燈さんは庭を捜していただけますか?」

 

「承知しましたわ。

では二手に分かれて捜索を始めましょう」

 

 燈の言葉に琴陽は無言で頷き、足早に建物の中へと入っていった。

 

(先程の異常な眩しさの光は、おそらくマギによるもの。

お二人の姿が消えたことからも、単なる発光現象でないことは明らか。

もしそれがケイブのワープ作用に類するものなら、何かしらのサーチャーに引っかかっているかもしれませんわね)

 

 そう考えた燈は胸元のポケットから通信端末を取り出し、御台場女学校へ連絡を取るべく細い指先で端末のキーを打ち始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨と咲朱が姿を消してから一時間後、太陽は高層ビルの陰に隠れ、街には夕闇が次第に忍び寄りつつあった。

 

 依然、二人の行方は杳として知れなかったが、事の性質上、多人数での大規模な捜索を行うわけにはいかなかった。

 

 また、当該エリアでのケイブ発生に類似した反応は、咲朱の屋敷では観測されておらず、ワープアウトに相当する情報も得られなかった。

 

 御台場女学校は警察にも「北河原ゆり」名義で捜索願を出したが、現時点では手がかりは何も得られていなかった。

 

 結梨が行方不明となった知らせは鎌倉府の百合ヶ丘女学院にも届き、捜索のために東京エリアにLGロスヴァイセを派遣するかどうかの議論が交わされていた。

 

 理事長室に参集した三人の生徒会長とロザリンデは、理事長代行の高松咬月を前に、それぞれの考えを口にしていた。

 

「前回はジャガーノートにケイブへ投げ込まれて行方不明。

今回は『御前』と決闘中に謎の発光現象が起こって行方不明。

どちらも不可抗力とはいえ、よくよくMIAに縁があるリリィね、結梨ちゃんって」

 

 手のかかる子供を持った母親のように秦祀がぼやくと、同じ2年生の内田眞悠理が顎に手を当てて、祀の言葉を反芻する。

 

「missing in action……作戦行動中行方不明、または戦闘中行方不明。

思えば最初のハレボレボッツとの戦いでも、爆発に巻き込まれて行方不明になっていたわね」

 

 当時、海岸で結梨を発見したLGロスヴァイセのロザリンデは、その時の状況を思い出しながら祀に話しかける。

 

「これまでのいずれも結果的に見つかっているわけだから、今回もそうだといいけど」

 

「でも、いくら休暇中の行動であっても、まさか『御前』と決闘するなんて……向う見ずにも程があります」

 

「声をかけて来たのは向こうからだったそうよ」

 

「一体、何の目的で?

また結梨ちゃんを自分の陣営にスカウトしようとしたんですか?」

 

「いいえ、違うわ。

防衛軍が進めている新戦術の計画にこれ以上関わるな、と要求してきたそうよ。

 

もし首尾よく防衛軍の計画がトントン拍子に進んで、世界からヒュージが全て駆逐されてしまったら困るんですって」

 

「従えるべきヒュージのいない『ヒュージの姫』なんて、様にならないですものね」

 

 咲朱の顔を思い浮かべたのか、祀はこれ見よがしに遠慮の無い皮肉を口にした。

 

 一方のロザリンデは、苦々しい表情を隠さずにいられなかった。

 

「それは向こうの身勝手な都合に過ぎないわ。

私たちの最終目標はヒュージとケイブを全て討滅し、ヒュージとの戦いを終わらせること。

それを阻もうとする者は私たちの敵であり、同じリリィであっても許すわけにはいかないわ」

 

「まあ、手に入れた絶大な力を手放したくない、そのエゴは満更分からないでもありませんけど」

 

「あなたが言うと冗談に聞こえないから止めていただけないかしら、祀さん」

 

 ブリュンヒルデの出江史房が形の良い眉をしかめて祀を見たが、当の祀はわざとらしく肩をすくめて苦笑いするだけだった。

 

「あら、私は夢結さんのお姉さんみたいに世界を支配したいなんて野望は、これっぽっちも持ってません。

 

私はただ、ヒュージに奪われた土地を取り戻して、亡くなった人々の魂が安らかに眠れるように望んでいるだけです。

 

力はその目的を達成するための手段でしかありません。

ですから、目的を誤らない限りは躊躇なく行使すべきだと思います」

 

「その矛先には充分に注意してね、と申し添えておくわ」

 

 オルトリンデ代行、級長連絡会議議長、LGエイル隊長を兼務する祀は、百合ヶ丘女学院における権力を自らの身に着々と集中させつつある。

 

 だが、百合ヶ丘のリリィの中には、祀とLGエイルへの権力集中を快く思っていない者も決して少なくない。

 

 特にLGサングリーズルやLGアールヴヘイムは、彼女が率いるLGエイルと折り合いが良くないことは周知の事実だった。

 

 自分やロザリンデを含む3年生が卒業した後、レギオン間での勢力争いが表面化しなければいいが、と史房は気を揉まずにはいられなかった。

 

 しかし、今は将来の懸念に気を取られている場合ではなかった。

 

「百合ヶ丘女学院としては、結梨さんの捜索にLGロスヴァイセを派遣するかどうか、この場で決める必要があるわ」

 

 史房はロザリンデの意思を確認するように彼女の顔を見た。

 

 その視線を受けて、ロザリンデは史房の意を汲んだかのように小さく頷いた。

 

「白井建設の所有地での異常な発光現象は、他のガーデンも感知している可能性があるわ。

ケイブ発生に類する反応は観測されなかったけれど、何からのイレギュラーなマギの反応が起きたことは間違いない。

現在、結梨ちゃんの捜索に当たっている御台場女学校以外にも、この事象を調査しているガーデンがあってもおかしくないわ」

 

「だとすると、結梨さんが第三者のガーデンに発見されることは避けないと」

 

「もし敵対的なガーデンが結梨ちゃんを発見した場合は、武力で奪還せざるを得ない可能性があるわ。

そしてそれとは別に、『御前』が一緒にいた場合、結梨ちゃんを人質に取って、防衛軍の計画から手を引くように要求する可能性も考えられる」

 

 事ここに至っては、LGロスヴァイセを捜索に派遣しない選択肢は存在せず、生徒会長の三人とロザリンデは、高松咬月にLGロスヴァイセ出動の直命を求めた。

 

「……」

 

 四人のリリィの会話を黙って聞いていた咬月が口を開こうとしたその時、彼の机の上の電話が不意にコール音を鳴らし始めた。

 

 咬月が電話に出ると、受話器の向こう側から女性の声が聞こえた。

 

 聞き慣れたその声は、教導官の吉阪凪沙のものだった。

 

「吉阪です。緊急の用件につき失礼します。

理事長代行宛てにエレンスゲ女学園から連絡が入っています。

回線を繋ぎますので、ご対応をお願いします」

 

「エレンスゲだと?

向こうから直接連絡を取ってくるなど、聞いたことがないが……」

 

 咬月の言葉を聞いた四人のリリィに緊張が走り、咬月の反応をじっと待つ。

 

 数秒の後、回線が切り替わる音が受話器から聞こえ、咬月の耳に別の女性の声が伝わってくる。

 

「……聞こえていますでしょうか。エレンスゲ女学園の者ですが」

 

 それは大人の女性の声だったが、年齢は吉阪教導官とそれほど変わらないように感じられた。

 

「百合ヶ丘女学院理事長代行の高松咬月です。

教導官の方でしょうか。ご用件は――」

 

「校長の高島八雲と申します。

急ぎお伝えしたいことがあって、不躾ながらご連絡させていただきました」

 

「な……」

 

 咄嗟に返す言葉を失った咬月に、八雲はゆっくりと言い聞かせるように告げる。

 

「――貴校から御台場女学校へ一時編入中の『北河原ゆり』さんを、エレンスゲで保護しています」

 



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第27話 大人と子供(7)

 

 エレンスゲ女学園の高島八雲校長が、百合ヶ丘女学院に連絡を入れた時刻から遡ること約一時間。

 

 エレンスゲの序列2位レギオンであるLGクエレブレは、二手に分かれてガーデンから約1キロメートル離れた有栖川宮記念公園の中を捜索していた。

 

 隊長である松村優珂は副隊長の牧野美岳とともに公園の北側に、そして1年生の賀川蒔菜と森本結爾は南側に展開している。

 

「緊急の出動命令なんて珍しくないけど、ヒュージの出現じゃなくて捜索・探索の任務とはね」

 

 日は既に沈み、樹木が生い茂る広い公園の中は、夜の闇に覆われつつある。

 

 美岳は池の上に架けられた古い石橋の上から周囲を注意深く見まわし、少し離れた所にいた優珂に話しかけた。

 

「しかも任務の詳細については説明なし。

現地で何らかの異状が認められた場合は、即座に報告するようにとの達しだった」

 

 美岳から十メートルほど離れた池の岸辺に立っていた優珂は、視線を木々の間に向けたまま美岳に答える。

 

「命令は教導官からではなく校長の直命でした。

つまり、私たち以外にはこの件に関して情報を知らせたくないということです」

 

「つい先日も、西村教頭が更迭されたばかりだからな。

他にも良からぬ事を企てている輩が、エレンスゲに潜んでいないとも限らない。

だから迂闊に情報を出すことは極力避けたいのだろう」

 

「ひょっとしたら、校長自身も状況を把握できていないんじゃないですか?」

 

「それはまだ何とも言えないな。

……ここから見える範囲では特に変わったことは無さそうだ。

もう少し先へ行ってみよう」

 

 美岳と優珂は用心深く歩を進め、御料池から梅林へと移動を始めた。

 

 数分歩いたところで、二人は道の先に一つの人影を目敏く見とがめた。 

 

 警戒感を露わにして、美岳が女性と思しき人影に声を掛ける。

 

「そこの女、その場を動くな。

少し尋ねたいことがある。

ここで何をしていた?」

 

 夜の公園で女の一人歩きとは、いかにも不用心だが、普段ならリリィが誰何するほどの事でもない。

 

 だが、今の自分たちは校長から直々に命令を受けて、この一帯を探索している。

 

 目の前に立つ女性が「異状」な何かである可能性は否定できない。

 

 黒いドレスのような服を着た長身の女性は、ゆっくりと優珂と美岳の方を振り返った。

 

「それはこっちが尋ねたいわ。

気がついたら、こんな何処とも知れない公園の中にいて――」

 

 女性の顔を見た優珂と美岳の表情が凍りつく。

 

 その顔は、以前LGクエレブレが護衛していた移送列車を襲撃したリリィと同じものだった。

 

 まっすぐな長い黒髪と鍛え抜かれて均整の取れた身体、そして何よりも野心と自信に満ち溢れた鋭い眼光を忘れようはずもない。

 

「……なぜお前がここにいる、『御前』」

 

 美岳は猫が全身の毛を逆立てるようにティルフィングを正面に構えた。

 

 『御前』はいかにも詰まらなさそうに美岳の顔を見て、こう言った。

 

「だから、それは私の方が聞きたいって言ってるじゃない。

あの時、互いのCHARMがぶつかり合った瞬間に光が溢れ出て、次の瞬間には周りの景色が一変していたのだから」

 

「『あの時』って何よ。

詳しく話を聞かせてもらうから、私たちとガーデンまで同行してもらうわよ」

 

 美岳と同じく優珂もマルテを構えて『御前』に詰め寄ろうとした。

 

 『御前』はその手にCHARMを持っておらず、丸腰の状態だった。

 

 対して、優珂と美岳はリリィとして完全武装の状態にある。

 

 今、高島校長に連絡を入れている余裕は無い。

 

 悠長に電話などしていたら、目の前にいる『御前』に逃亡される隙を与えることになるからだ。

 

 優珂と美岳はじりじりと『御前』との間合いを縮め、彼女の退路を断とうとする。

 

「二人がかりで徒手空拳の私を捕らえようと?

どうぞ、やってみなさい。

ヒュージの姫でもないただの強化リリィが、私に敵うとは思わないけど」

 

「……減らず口を叩く。

今度こそあんたをとっ捕まえて、洗いざらい正体を白状してもらうわ」

 

 優珂は言い終えると同時に、美岳とタイミングを合わせて『御前』に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同刻、公園の南側では1年生の賀川蒔菜と森本結爾が、草むらに倒れていた一人の少女を発見していた。

 

「おーい、生きてる?

……呼吸と脈拍は正常。気を失ってるだけか」

 

「ヒュージに襲われたんでしょうか。

着ている服があちこち切り裂かれてボロボロですね」

 

「でも、身体には傷が一つもついてない。

仕掛けられた攻撃を全て紙一重で躱してる。

それに、この服の裂け方はヒュージの攻撃でできたものじゃない」

 

「よく見ると、確かにCHARMで攻撃されたようですね」

 

 結爾は意識を失っている少女の右手を見た。

 

 その中指には見慣れた指輪が嵌められている。

 

「この子はリリィですね。

私服を着ていることから、休暇中に戦闘に巻き込まれた……というよりは何者かに襲われたと考えるのが妥当でしょう」

 

 蒔菜はリリィの少女を抱き起しながら、結爾に答える。

 

「その場合、襲撃者は一般人じゃないね。

別のリリィに襲われたか、もしくはリリィ同士で戦闘になった。

――まるで先日の私たちとヘルヴォルのように」

 

 蒔菜の言葉を聞いた結爾は、苦虫を嚙み潰したような顔になった。

 

「ろくでもない事を思い出させないでください。

とはいえ、他のガーデンでリリィ同士が戦うなんて、寡聞にして存じませんが」

 

「他所のガーデンがどんなお家事情を抱えているかなんて、外側からは分からない。

事実、ルド女はガーデンの体制が維持できなくなるほどの大規模な事態に発展して、その結果ガーデンは崩壊した。

御台場女学校だって、G.E.H.E.N.A.の関係者が教職員として入り込んで、色々と掻き回したそうじゃないか」

 

「それらの事件がどれもG.E.H.E.N.A.絡みというのが、何とも頭の痛いところです」

 

「まあ、あたしらはG.E.H.E.N.A.の兵隊じゃなくて、あくまでエレンスゲ女学園のリリィであり、もっと言えば高島校長という個人の腹心でもある。

あの人の本当の望みは、もしかすると――」

 

「それ以上は止めましょう。

校長のお考えは私たちが詮索すべきことではありません」

 

 すかさず結爾が釘を刺すと、蒔菜は苦笑いして肩をすくめて見せた。

 

「そりゃそうか。

校長には校長なりの深謀遠慮があって、あたしたちにあれこれ指示を出してるわけだからね」

 

 蒔菜はリリィの少女を背負うと、器用に自分の胸元のポケットから通信端末を取り出した。

 

「まず隊長に連絡しないとね。

……あれ?優珂、電話に出ないな」

 

 通信端末の小さな画面を見て蒔菜が訝しむ。

 

「何らかの理由で電話に出られない状況なのかもしれません。

直接このリリィを連れて隊長の所へ向かいますか?」

 

「いや、先に校長に連絡して指示を仰ぐ。

優珂と美岳先輩の確認はその後」

 

 蒔菜はそう言うと、高島校長の直通番号を端末から発信し、今度はすぐに回線が繋がった。

 

「LGクエレブレの賀川蒔菜と森本結爾です。

探索対象の場所で意識不明のリリィ一名を発見しました。

CHARMは持っておらず、何者かに攻撃を受けたような衣服の損傷が多数あります。

また、別行動の松村優珂隊長、牧野美岳様とは連絡が取れない状態です。

この後の行動について指示を願います」

 

 短いやり取りの後、蒔菜は通話を終えて結爾を見た。

 

「すぐにこのリリィを保護してエレンスゲに戻るように、だって」

 

「優珂さんと美岳様はどうするんですか?」

 

「このリリィの保護が最優先、二人の状況については引き続き、通信による連絡を試みるようにと――」

 

 蒔菜がポケットに戻した端末が振動を始め、着信を知らせた。

 

 結爾が蒔菜の胸元のポケットから端末を取り出し、電話に出ると優珂の声が耳元に飛び込んできた。

 

「蒔菜、今どこにいるの?

こっちには絶対に来ないで。

できるだけ目立たない経路を通って、この公園から今すぐ離脱しなさい」

 

「優珂さんですか?結爾です。

そちらの状況を――」

 

「以前に移送列車を襲った『御前』というリリィがいたのよ。

美岳先輩と二人で捕らえようとしたけど、金縛りみたいな妙な技を使ってきて、まんまと逃げられてしまった」

 

 苦々し気な優珂の様子が電話越しに伝わってきたが、二人とも無事であることが分かって結爾は安堵の息をついた。

 

「私たちは意識不明のリリィ一人を発見しました。

何者かに襲われたか、交戦したものと思われます。

校長先生からは、このリリィを保護して、エレンスゲに戻るように指示を受けました」

 

「すぐにそうして。

この公園に留まっていると『御前』と鉢合わせする可能性があるから、私たちのいる北側とは反対方向へ離脱して」

 

「分かりました。直ちに移動を開始します」

 

「私たちは『御前』の逃走経路を追跡するわ。

エレンスゲに戻ったらクエレブレの控室で会いましょう」

 

 優珂との通話を終えた結爾は、リリィを背負った蒔菜のポケットに端末を戻して耳元で囁く。

 

「例のヤバいリリィが現れたそうです。

私たちは一刻も早くこの場を離れて、エレンスゲに戻りましょう」

 

「それが良さそうね。

ここから出口までは50メートルちょっとだから、さっさと見通しのいい道路に出てガーデンに撤収っと」

 

 結爾のファンタズムで行く手に危険が無いかを確認し、二人は一目散に六本木のエレンスゲ女学園へと戻るべく、公園を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結梨が目を覚ました時、最初に視界に入ったのは見知らぬ白い天井だった。

 

 以前にも、目覚めた時に白い天井を見た記憶があるが、それは百合ヶ丘女学院の病室で、今の自分が見ている天井とは異なるものだった。

 

(ここ、百合ヶ丘じゃない……私、どこにいるの?)

 

 百合ヶ丘の病室で目覚めた時と同じく、身体はまともに動かせない。

 

 結梨の身体は窓の無い個室のベッドに横たわっていたが、力が入らず身体を起こすことはできそうになかった。

 

 (身体の中のマギが無くなってる。咲朱と勝負した時にマギを全部使っちゃったから)

 

 首や手を動かす程度はできたので、結梨は枕元に置かれているナースコールのようなボタンを押してみた。

 

 一分ほどが経過した頃、病室のドアが開かれてスーツ姿の女性が姿を現した。

 

 白衣を着ていないので医師でないことは明らかだったが、教導官というよりは理事長然とした堂々たる雰囲気を漂わせている。

 

 女性は落ち着いた態度で結梨の顔を見ると、肩の荷が一つ下りたように僅かに微笑んだ。

 

「お目覚めのようね。気分はいかがかしら?」

 

「……ここ、どこなの?」

 

 結梨の質問に、女性は軽く咳払いをして説明する。

 

「ここは六本木にあるエレンスゲ女学園の関連施設です。

あなたはここから1キロメートルほど離れた公園の中で、気を失って倒れていたの。

その場にいたエレンスゲのリリィがあなたを発見・保護して、ここへ運び込んだ……これで納得してもらえたかしら」

 

「……あなたは誰?」

 

 目の前の女性を信用してよいものかどうか迷っている結梨は、質問をもう一つ重ねた。

 

 その質問を待っていたかのように、女性は結梨の目を興味深げに見つめて答えた。

 

「私はエレンスゲ女学園で校長を務めている高島八雲です。

ようこそエレンスゲへ、『北河原ゆり』さん」

 

 

 



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第27話 大人と子供(8)

 

 結梨は咲朱との決闘の末に、自分がエレンスゲの関連施設――十中八九ラボであろう建物の中で目覚めたことを知った。

 

 マギを使い果たしてベッドに横たわる自分の目の前にいるのは、そのエレンスゲ女学園の校長である高島八雲と名乗る女性。

 

 彼女は結梨のベッドの傍にある丸椅子に腰かけ、二人の距離は1メートルに満たなかった。

 

 ルドビコ女学院の体制が事実上崩壊した現在、エレンスゲ女学園は東京エリアにおける親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの筆頭となっている。

 

 この状況は以前、シエルリント女学薗で拘束された時以上に、結梨に身の危険を感じさせるものだった。

 

「どうして私の名前を知ってるの?」

 

「服の胸ポケットに、生徒手帳を兼ねたあなたのIDカードが入っていました。

着ていた服はひどく損傷していたので、私の判断で着替えさせてもらっています」

 

 そう言われて初めて、結梨は自分が入院患者が着るような病衣を身に纏っていることに気づいた。

 

「もちろん、『北河原ゆり』があなたの本名でないことは知っています」

 

「……どうやって私を見つけたの?」

 

「あの場所にLGクエレブレのリリィを派遣したのは、始めからあなたを捜索するためではありませんでした。

 

数時間前、ガーデンの南西方向に、これまでに見たことの無いマギの特異なエネルギー反応が観測されたためです。

 

この反応は通常のサーチャーで捉えることはできず、ラボの研究用観測機器でのみ感知可能なものでした。

 

情報は直ちにエレンスゲのラボから私へと報告され、私は状況確認のために現地へ麾下のレギオンを派遣したのです」

 

 その結果、LGクエレブレのリリィは『御前』と『北河原ゆり』を発見し、後者のみをエレンスゲに収容できたと、高島校長は語った。

 

「エレンスゲがあなたを保護していることは、百合ヶ丘女学院とお台場女学校の両校に連絡済みです。

マギが完全に回復するまでの数日間、あなたにはこの施設で休養を取ってもらいます」

 

 淡々と説明を続ける高島校長を見て、結梨は彼女の真意を測りかねていた。

 

 ここがエレンスゲ女学園の一部であり、エレンスゲが親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンである以上、高島校長が結梨を解放する理由は存在しないように思われた。

 

「私はここから出られないの?」

 

「マギが回復するまでは、あなたはここで休んでいなくてはいけません。

その後のことは、追ってお知らせします」

 

 やはり簡単にエレンスゲの外へ出ることは叶わないと、結梨は消沈しかけた。

 

 だが、続く高島校長の言葉は意外なものだった。

 

「百合ヶ丘や御台場の関係者をエレンスゲの中へ入れることはできません。

私が考えているのは、あなたの身柄を国定守備範囲の境界で、百合ヶ丘あるいは御台場の関係者に預けることです」

 

 それを聞いた結梨は驚きを隠せなかった。

 

「マギが回復したら、ここから出られる?」

 

「ええ、そうです。何か疑問が?」

 

「私はもう、ここに閉じ込められて出られないと思ってた……」

 

「そのような命令はどこからも受けていません。

G.E.H.E.N.A.からの指示は、マギが回復次第、一柳結梨の身柄を解放せよ。

そして、この件に関してはエレンスゲの関係者に一切の口外を禁止すると。

エレンスゲを出るまでの間、あなたの身の安全は私が――いえ、正確にはG.E.H.E.N.A.が保証します」

 

「どうして?」

 

「何がですか?」

 

「校長先生の言ってることが分からない。

もともと、G.E.H.E.N.A.は私をヒュージとして捕まえようとしたのに」

 

「それはあなたが単なる使い捨ての代替戦力として認識されていた当時のことです。

現実には、あなたはG.E.H.E.N.A.が想定していなかった規格外の能力を持っていました。

 

後の調査で、人造リリィ計画に携わっていたグランギニョル社の研究者だった人物――岸本教授が、あなたの遺伝子に独断で全面的な改変を加えたことが明らかになっています。

 

つまり、当時とは状況が全く異なっているのです」

 

「今のG.E.H.E.N.A.は私のことをどう考えてるの?

校長先生は私の味方なの?」

 

「残念ですが、私はあなたの味方ではありません。

それはG.E.H.E.N.A.も同じです」

 

「やっぱり、エレンスゲが親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンだから……」

 

「ですが、私もG.E.H.E.N.A.も、あなたを敵に回したいとは思っていません」

 

「敵でも味方でもない……?」

 

「こう言えば理解してもらえるでしょうか――今のところG.E.H.E.N.A.の上層部は、白井咲朱や一柳結梨との敵対を望んでいない、と」

 

 自分と咲朱が同じ括りにされていることに結梨は違和感を持ったが、さも当然のように高島校長は話を続ける。

 

「白井咲朱・一柳結梨の両名に関しては、G.E.H.E.N.A.に対する人的・物的な破壊行為を行わない限り、原則として不干渉とする方針が内々に決定されています。

 

白井咲朱については、百合ヶ丘のかつてのエースリリィが戦死後にG.E.H.E.N.A.の技術で蘇り、今やヒュージの姫の頂点として、世界の行く末を左右しかねない存在となっている――そのような事実、公にできようはずもありません」

 

 高島校長は結梨の右手中指に嵌っている指輪をちらりと見た。

 

「そして一柳結梨は当初の想定から外れ、リリィとして究極的な能力を先天的に備えた『超人』が生み出された――それもG.E.H.E.N.A.に対して叛意を示した研究者の手によって。

 

彼女は白井咲朱と同様に、望みさえすれば人類の頂点に君臨することも不可能ではない――そうG.E.H.E.N.A.は考えています」

 

「私はそんなこと望んでない……」

 

「白井咲朱や一柳結梨のようなリリィは、今やG.E.H.E.N.A.にとって鬼子に等しい存在。

迂闊に彼女たちを敵に回せば、G.E.H.E.N.A.が壊滅的な損害を被る可能性ありと判断されたのです」

 

「私は今、マギを使い切って動けないよ。

それでもG.E.H.E.N.A.は私を捕まえておこうとしないの?」

 

「あなたを拘束しない理由の一つは、今のあなたは防衛軍の新戦術計画に参加している、いわば軍の関係者だからです。

あなたを不当に拘束すれば防衛軍が事態に介入し、G.E.H.E.N.A.は軍を敵に回すことになります。

そしてもう一つは、あなたを生み出した研究者――岸本教授のことがあるからです」

 

 高島校長は岸本教授と面識があるのか否か、それを彼女の表情から窺い知ることは、結梨にはできなかった。

 

「今や人造リリィの研究と開発のノウハウは失われ、計画は無期限に凍結されています。

 

岸本教授はコアとなる研究資料を全て廃棄し、その知識と情報は、今や彼の頭の中にしか存在しません。

 

そして彼の身柄は、穏健派のガーデンであるイルマ女子が秘密裏に匿っていることが分かっています。

 

岸本教授は自分の娘である岸本・マリア・未来と岸本・ルチア・来夢が、強化リリィにされたことを深く悲しみ、悔やんでいます。

 

その事実を考慮すると、あなたを実験の被験者にした場合、彼が何らかの報復や復讐に目覚めないとも限りません。

 

白井咲朱や一柳結梨や岸本教授が、本気でG.E.H.E.N.A.を攻撃する意志を持てば、どのような事態に発展するか――G.E.H.E.N.A.はそれを危惧しているのです。

 

最早かつてのルド女のように、力づくで抵抗勢力を排除する方法は取れないのです。

これで分かってもらえましたか?一柳結梨さん」

 

「うん、分かった。

私はG.E.H.E.N.A.を壊したいとは思ってない。

でも、G.E.H.E.N.A.の実験に苦しんでる強化リリィを助けることはやめない」

 

 その点に関して、結梨は譲歩するつもりは微塵も無かった。

 

 ベッドに横たわったまま毅然と宣言した結梨に、高島校長は穏やかに微笑んだ。

 

「それは問題の構造全体に影響するものではないので、G.E.H.E.N.A.は関知しないでしょう。

 

事実このエレンスゲでも、常軌を逸した過度の強化実験にのめり込む者は後を絶ちません。

つい先日も生徒に対する過剰な実験の疑いで、一名の教職員を更迭したばかりです。

 

反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務レギオンが、そのような実験の被験者を救出するのなら……私個人としては、それを看過しても構わないとさえ考えています」

 

 高島校長は何事かに思いを巡らせているかのように目を伏せていたが、ふと気を取り直すように咳払いをした。

 

「……つい話し過ぎてしまいました。

私の方からも質問させてもらいます。

――あなたは発見された場所で気を失っていたそうですが、それまでの状況を覚えていますか?」

 

「別の所で咲朱と一対一の勝負をしてたら、CHARMがぶつかった瞬間にすごい光が出て、それっきり何も分からなくなったの」

 

「二人のマギが臨界に達して特異な反応を起こし、別の空間座標に転移したか……

どうしてあなたと白井咲朱はそんなことをしたの?」

 

「私はヒュージとの戦いを終わらせて、ヒュージのいない世界を創りたい。

でも、咲朱はヒュージの姫として、ヒュージのいる世界で自分の望みを叶えたい。

それで、負けた方は勝った方の邪魔をしないっていう条件で、咲朱と勝負したの」

 

「……おおよその事情は分かりました。

第三者から言わせてもらえば、あなたがその気になれば、白井咲朱と組んで世界の頂点に君臨することも、決して夢物語ではないと思いますが――」

 

 結梨は寝たままの姿勢で首を弱々しく振って、高島校長に否定の意志を表した。

 

「私はそんなことしたくない。

力で誰かを従わせるのは間違ってる」

 

「だから白井咲朱と勝負して、彼女を止めようとしたのですね。

その勝負自体が、力によって勝者の言い分を敗者に強いるものではありますが」

 

「私は誰とも戦いたくない。

咲朱が私の言うことを受け入れてくれたら、戦わなくてもいいのに……」

 

「ヒュージの姫である白井咲朱は普通の人間と違い、ヒュージと共存できるリリィです。

ヒュージの姫は人類から進化した新しい種として、この世界における来るべき時代の覇者となる存在なのかもしれません」

 

「でも、ヒュージの姫以外の人はヒュージと共存なんてできない」

 

 高島校長はあくまでも客観的な視点に立ち、自分の存在すらも捨象しているかのような言葉を吐く。

 

「この先も人類は永遠にヒュージと戦い続けるのか。

それともヒュージの姫が世界を支配する時代が訪れるのか。

あるいはまた、ヒュージを滅ぼし、戦いに終止符を打つことができるのか。

ヒュージは人類にとって天敵、ではヒュージの姫は人類にとって何なのでしょう」

 

「ヒュージがいなくなったら、ヒュージの姫はヒュージの姫じゃなくなる。

ヒュージがいなくなったら、ヒュージの姫も私たちと同じになるのに」

 

 ヒュージを使って世界を支配するという考えを、どうしても結梨は受け入れることはできなかった。

 

 だが、それは同時に、これからも咲朱と戦い続けなければならないという運命を、結梨に背負わせる結果となっていた。

 

 高島校長は安易に結梨の味方をすることなく、結梨が自分で考えることへと導く態度を保ち続けた。

 

「どの未来が正しいのか、私は語るべき言葉を持ちません。

ですが、あなたに伝えておきたいことはあります。

 

世界を変えるのは力を持つ者の意志と選択の結果であり、あなたもまた白井咲朱と同じく、その力を持つ者の一人なのだと。

 

それは望むと望まざるとにかかわらず、あなたという人間に課せられた運命なのです」

 

「私はヒュージのいない世界を創りたいけど、咲朱と戦って傷つけることもしたくない。

どうしたらいいのかな……」

 

「今ここで答えを出す必要はありません。

あなたの周りには何人もの仲間や大人たちがいるはずです。

その人たちと一緒に何度も粘り強く考え抜くことです。

今は休んで身体を回復させることに専念しなさい」

 

「うん……」

 

 高島校長に促されて結梨は目を閉じ、やがて深い眠りの底へと意識は沈んでいった。

 

(この子が人類の未来を左右するかもしれないリリィの一人……

佐々木藍と岸本・ルチア・来夢も、今後の覚醒次第では白井咲朱に匹敵するヒュージの姫となる可能性がある。

世界の行く末を決めるかもしれない少女たちの存在を、ほとんどの人々は知らない。

人々の知らないところで世界の運命は決していく……それが幸福か不幸か、私に分かるはずもない)

 

 結梨が眠りについたことを見届けて、高島八雲は病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後に結梨がエレンスゲでの休養を終えて百合ヶ丘女学院に戻り、季節が変わろうとする頃、ナノマシンを使った防衛軍の新戦術計画は、次の新たな段階に進もうとしていた。

 

 



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第28話 運命の日(1)

 

 エレンスゲ女学園の付属ラボでの数日間の休養を経て、結梨は本来の所属ガーデンである百合ヶ丘女学院に無事戻ることができた。

 

 当初、エレンスゲの高島八雲校長から『北河原ゆり』を「保護」した旨の連絡を受けた百合ヶ丘では、結梨を人質として何らかの取引や交渉を迫られるのではないかとの懸念を抱いていた。

 

 だが、その心配は杞憂だった。

 

 高島校長が必要と認めた数日間の休養期間の後、結梨の身柄は鎌倉府との国定守備範囲境界付近で、百合ヶ丘から出向いた出江史房と秦祀によって引き取られた。

 

 その時の結梨の様子は健康そのもので、数日前に『御前』と一対一の戦いをしてマギを使い果たしたとは思えない回復ぶりだった。

 

 ただ一点、その戦いで着ていた服がひどく傷つけられたため、結梨はエレンスゲの制服を着ていた――その姿を見た二人の生徒会長は、複雑な表情をその顔に浮かべた。

 

 とかく良からぬ噂の絶えないエレンスゲから、史房と祀は一刻も早く結梨を取り戻したかった。

 

 結梨に同行していたエレンスゲの女性教導官に対して、二人はごく形式的に礼を述べ、祀が結梨の身体を自分の後ろに隠すようにして引き取った。

 

 一方のエレンスゲの教導官も高島校長から指示を受けていたのか、余計な事は一言も口にしなかった。

 

 教導官は必要最低限の伝達事項だけを事務的に述べ、結梨を史房と祀に預けると、すぐにその場を立ち去ってエレンスゲに戻っていった。

 

 その後ろ姿が見えなくなるまで、祀は結梨を庇うように立ちつつ、周囲の警戒を怠らなかった。

 

(これまでの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの動向を見れば、気を抜くことなんて絶対にできない。

今は何もしていなくても、次の瞬間には態度を豹変させるかもしれないもの。

結梨ちゃんを人質に取られたり、エレンスゲの内部抗争に巻き込まれるなんてことになったら、救出のために特務レギオンを出撃させるかもしれなかったのだから)

 

 高島校長と対面で会話した結梨と違って、祀と史房は高島校長の人格や思惑までは知る由も無い。

 

 ルド女の旧体制が事実上崩壊した今、東京エリアにおいて、エレンスゲ女学園は過激派寄りの親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン筆頭となっている。

 

 そのエレンスゲに対して、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの雄たる百合ヶ丘女学院が、最大限の警戒を払わねばならないのは当然だった。

 

 「そんなに悪い人には見えなかった」という結梨の言葉に対しても、日々ガーデン内外の権謀術数に頭を悩ませている史房や祀には、容易に信じられるものではなかった。

 

「結梨ちゃんはまだ子どもだから、人を疑うことを知らないのよ。

エレンスゲの高島校長だって、ひょっとしたら、とんでもない腹黒校長かもしれないわ。

そうね……さしずめ結梨ちゃんを懐柔しておいて、いざという時は自分の味方として戦力にする腹積もりかも」

 

「祀さんが言うと説得力があるわね」

 

 史房は軽口のつもりで言ったが、果たして祀は図星を指されたのかどうか、いかにも不本意だとばかりに渋面を作って抗議した。

 

「史房様、こんな時に冗談はお止めください。

私は無闇矢鱈に敵を作りたいわけではなくて、行きがかり上どうしても、そのような状況になってしまうことがあるだけで……」

 

「あなたとLGエイルの事情は私も理解しているわ。

でも、百合ヶ丘のレギオン間で派閥争いをしていては、G.E.H.E.N.A.に付け込まれる隙を作ってしまう恐れもある。

自分たちの勢力拡大をあまりに優先して希求するのは、褒められたものではないわね」

 

 最上級生の生徒会長として史房は祀に釘を刺した後、百合ヶ丘のガーデンへ戻るよう祀と結梨に促した。

 

「今は学内政治の話などしている時ではないわ。

早く百合ヶ丘へ戻って、確認や報告をしなければいけないことが山ほどあるから。

結梨さん、夢結さんのお姉さんとのことや、エレンスゲでのこと、詳しく聞かせてもらうわよ」

 

「うん。私もこれからどうしたらいいか、みんなに話して相談したい」

 

 百合ヶ丘女学院に戻るまで、結梨は両脇を史房と祀に守られて、あれこれと今までの出来事を二人に説明したのだった。

 

 約一時間後、無事に百合ヶ丘女学院に戻った結梨には、最初に入念なメディカルチェックを受けるように指示が出された。

 

 『御前』である白井咲朱との戦いによる心身への影響、その後に続く空間座標の転移、更にはエレンスゲ女学園の付属ラボでの「休養」。

 

 それらのいずれか、あるいは全てが、結梨の心と体に何らかの変化を及ぼしているか否か。

 

 それを確認することが、百合ヶ丘のガーデンとして為すべき最優先の事項だった。

 

 数日間に渡って、結梨の心身の状態について徹底的なメディカルチェックが実施された。

 

 その結果、身体及び精神の健康状態は問題なし、外科的な施術及び投薬の痕跡も確認されなかった。

 

 また、結梨本人の証言によれば、現在のG.E.H.E.N.A.は結梨に対して、原則として不干渉の方針を取っている。

 

 このことからも、エレンスゲのガーデンは結梨を実験材料あるいは政争の具とすることなく、いわば厄介事を抱え込まぬよう身柄を解放した――そう百合ヶ丘のガーデンは判断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心身の無事が確認された結梨は、再び東京の御台場女学校へ戻り、LGコーストガード預かりのリリィとして、ガーデン防衛の通常任務を再開した。

 

 それと並行して、百合ヶ丘女学院から強化リリィ救出の要請が入れば、LGロスヴァイセのリリィとともに作戦に随時加わり、各地のG.E.H.E.N.A.ラボに囚われている強化リリィを次々と助け出していった。

 

 無論、防衛軍が進めているマギ代謝阻害ナノマシンによる新戦術の計画についても、結梨の作戦参加の方針に変更は無かった。

 

 だが、防衛軍内部での進捗状況によるものか、新たな作戦の連絡は百合ヶ丘女学院へ届かない状態が続いた。

 

 そのような日々が二ヶ月に差し掛かろうとした或る日、防衛軍の石川精衛司令官から一通の連絡が百合ヶ丘女学院にもたらされた。

 

 それは停滞していたかに見えた新戦術の計画に関するもので、結梨とLGロスヴァイセに作戦への協力を要請する内容だった。

 

 ただちに百合ヶ丘のガーデンで理事会が招集され、防衛軍への協力が多数決により全会一致で可決された。

 

 その決定は百合ヶ丘女学院から御台場女学校へと通知され、指定された日時に市ヶ谷の防衛軍本部へ赴くよう、結梨に伝えられた。

 

「ノインヴェルト戦術によらないヒュージネストの討滅……防衛軍はそんな計画を進めているのですね。

そう言えば、数ヶ月前に防衛軍が戦略的にあまり重要でないネストを一つ、討滅したという情報がありました。

戦術の詳細については公表されておらず、その後は防衛軍によるネスト討滅の続報はありませんでしたから、あまり気に留めていませんでした」

 

 LGコーストガードの控室で、隊長の弘瀬湊は結梨から防衛軍の作戦への参加予定を伝えられていた。

 

 湊自身の認識では、防衛軍が開発中の新戦術はまだ実戦検証が始まったばかりであり、ノインヴェルト戦術に代わってヒュージネスト討滅の主役となるには、順調に進んでも数年あるいはそれ以上の時間が必要だろうと考えていた。

 

 その認識を裏付けるかのように、返ってきた結梨の言葉は確信に満ちたものではなかった。

 

「これが成功すれば、いくつものレギオンが命がけでネストを攻めなくても、防衛軍の戦力中心でネストをやっつけられるの。

ただ……」

 

「ただ、何かしら?」

 

「今のやり方だと、ネストの真上からフィニッシュショットの砲弾を撃ち込まないといけないの。

それができるのは縮地S級が使えるリリィだけだから、そんなに早く次々にネストをやっつけていくことはできないの。

だから、防衛軍がたくさんの戦力を作戦に参加させても、ネストをやっつけていくスピードはあまり変わらないかもって思う……」

 

「そうだったのですか。

ですが、ノインヴェルト戦術にしても、戦術が確立してすぐに普及したわけではありません。

 

それまでのデュエル戦闘中心の戦術から、チームワークを中心に据えた集団戦術への切り替え、マギスフィアのパス回しとフィニッシュショットの命中精度……

新しい戦術が一般的なものとして広く普及するには、相応の時間が必要となります。

 

一朝一夕に出来上がるものではない以上、目先の状況に一喜一憂するべきではありません。

時間はかかっても、一歩ずつ確実に前に進んでいくことを目指すべきです」

 

 これまでにLGヘオロットセインツを経てLGコーストガードへと、リリィとして数多の戦闘を重ねてきた湊は、結梨とは違っていささかも気落ちしていないようだった。

 

「……ありがとう、湊。

私、少し焦ってたみたい」

 

 湊の言葉に、結梨は肩の力が抜けたように少しだけ微笑み、防衛軍本部への訪問及び作戦参加への申請書類を、湊に手伝ってもらいながら作成していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一週間後、LGロスヴァイセ主将の北河原伊紀と一緒に防衛軍本部を訪れた結梨は、司令官室のドアを開いたところで石川葵の姿を目にした。

 

 司令官室の中には葵一人が来客用のソファーに座っていて、部屋の主である精衛の姿は見えなかった。

 

 葵は以前と同じく、負けん気の強そうな自信に満ちた笑顔を結梨と伊紀に向けて、軽く手を振った。

 

「二人とも、久しぶりね。元気だった?」

 

 結梨の隣りに立っていた伊紀は、礼儀正しく会釈をして葵に挨拶を返す。

 

「お久しぶりです、葵さん。

ようやく次の作戦が決まったようで……」

 

「散々待たされたものね。

てっきり計画が頓挫して、これっきりになっちゃうのかと思ってたわ」

 

「葵は作戦のこと、お父さんから聞いてないの?」

 

 結梨の問いかけに、葵は多少芝居がかった調子で肩をすくめて見せた。

 

「全然。連絡を取ろうとしても捕まらないのよ。

いったいどこを出歩き回っているのやら。

忙しいのはいつものことだけど、最近はちょっと度を越えてるわね」

 

 結梨と伊紀が葵と並んでソファーに座り、精衛の秘書が淹れた紅茶を飲みかけた時、制服を着た壮年の軍人が姿を現した。

 

「三人とも、随分ご無沙汰にしてしまって済まない。

言い訳になってしまうが、今後の計画について色々と軍の内外で根回しが必要で、それに手間取ってしまった」

 

 精衛の釈明に葵は遠慮なく、わざとらしく溜息をついた。

 

「国内だけじゃなく、海外も方々飛び回っていたみたいだけど、そんなにあちこち根回ししないといけなかったの?」

 

「その辺りの事情については後で話そう。

今日の本題は、ナノマシンの新戦術計画がようやく次の段階に進めるようになったことだ」

 

「やっと動いたのね、計画が。

それなら、手っ取り早く本題に入りましょう。

作戦内容の説明をお願い」

 

 葵に促されて、精衛は三人と向かい合う形でソファーに腰を下ろし、軽く咳払いをしてから話を始めた。

 

「では、来るべき次の作戦について説明しよう。

前回のマギ代謝阻害ナノマシンの実戦検証では、ヒュージネストの直上からナノマシン弾頭を搭載した砲弾を発射し、ネスト内部へ直接ナノマシンを撃ち込んだ。

 

作戦は成功し、マギ代謝阻害ナノマシンがヒュージネスト及びヒュージに対して、完全に有効であることが証明された。

だが、この戦術は縮地S級のレアスキルを保有する極一部のリリィによってのみ可能となるものであり、著しく汎用性を欠いている。

 

そこで今回は、前回とは異なる戦術でヒュージネストの討滅を試みる」

 

「それって、どんな方法なの?」

 

「防衛軍が保有する弾道ミサイルによるヒュージネストへの攻撃を実行する。

これはヒュージ出現以前の時代に、国内各地の米軍基地に秘密裏に構築されたICBM発射施設を利用するものだ。

 

ミサイルには核の代わりにマギ代謝阻害ナノマシンを充填した特殊弾頭を搭載する。

作戦の概要は機密部分を除き、事前に一般に公表される予定だ。

 

LGロスヴァイセ・『北河原ゆり』・石川葵には、ガーデンを通して本作戦への参加を要請済みだ」

 

 精衛の発言を聞いた葵は呆気に取られた表情で、彼の顔をまじまじと見つめた。

 

「防衛軍の地上部隊と私たちじゃなくて、弾道ミサイルでネストを攻撃?

それじゃ私たちリリィは作戦に参加して何をするの?」

 

 精衛は一瞬黙った後、決然とした口調で三人のリリィに命令を伝えた。

 

「君たちにはネストへの攻撃ではなく、ミサイル基地の警備及び防衛を担当してもらいたい。

そして作戦を妨害する『何か』が出現した場合、それを排除することが君たちの任務となる」

 

 



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第28話 運命の日(2)

 

 鎌倉府の金沢文庫に位置する親G.E.H.E.N.A.主義ガーデン、シエルリント女学薗から程近くの森の中、夜の闇に紛れるように二人の女性が佇んでいる。

 

 上弦の月は深夜の西の空に没しようとし、雲間から樹々の間に射し込む光は星々の明かりのみとなりつつあった。

 

 女性は二人とも漆黒の衣に身を包み、数メートルの距離を置いて向かい合っていた。

 

 一人はこれから夜会にでも赴こうかと見紛うようなロングドレス、もう一人は中世の魔女が着ているような、足首までを覆う丈の長いローブを纏っている。

 

 先に言葉を発したのは『魔女』の方だった。

 

 目深に被ったフードの奥の双眸が妖しく輝き、対面に立つ年上の女性の顔を興味深げに見やった。

 

「貴公から私を呼び出すとは、珍しいこともあるものだ。

余程重大な要件ができたと見える」

 

「あなたも知っているでしょう、先日発表された防衛軍の作戦計画を」

 

「無論、知っているとも。

私もいつ貴公――『御前』に連絡を取るべきか思案していたところだった」

 

 そう言って、『魔女』すなわちシエルリント女学薗の生徒会長である蓬莱玉は、『御前』こと白井咲朱に一歩近づいた。

 

「数ヶ月前、防衛軍は新たに開発した対ヒュージ用の新兵器を用いて、関東平野北部に位置するヒュージネストの一つを討滅することに成功した。

 

作戦の詳細は明らかにされていないが、戦力の中心は防衛軍の機甲部隊、ただしネストへの新兵器の投下はリリィによって実行された。

 

その実績を踏まえ、今般の作戦は最終的な攻撃までを全て防衛軍の戦力で遂行することを目的とする――軍の広報機関はそう喧伝している」

 

 咲朱は先刻承知とばかりに頷いて、蓬莱玉に応じる。

 

「軍の戦力だけでヒュージネストを討滅できれば、ネスト攻略に投入できる戦力が格段に増強される。

その核心となる攻撃手段は、前時代の旧式兵器――ICBMを頂点とする弾道ミサイルだということね」

 

「弾道ミサイルの弾頭に対ヒュージ用の新兵器を搭載して、遠距離からヒュージネストに対して攻撃を行う。

これまでであれば、ネストとラージ級以上のヒュージに対しては、通常兵器での攻撃は効果が無かった。

たとえ核兵器を使用しても、アルトラ級やネストの構造体を完全に破壊することは叶わなかった」

 

 過去にユーラシア大陸と北米大陸の一部で、無人地帯に存在するヒュージネストに対して、戦術核および戦略核兵器による攻撃が試みられたことはある。

 

 その結果、一定程度の破壊効果は認められたものの、攻撃目標となったネストそのものは健在であり、その主であるアルトラ級ヒュージも生存していることは確実であると判断された。

 

 ヒュージネストとアルトラ級が完全に消滅するまで、繰り返し核攻撃を行うことも一度は検討の俎上に載せられた。

 

 しかし、それは大国間の全面核戦争と同じく、膨大な量の放射性物質を大気中に巻き上げて死の灰を撒き散らし、地球に核の冬を招来することと同義だった。

 

 そのため、核ミサイルによるヒュージネストとヒュージへの攻撃は無期限に封印され、ICBMを始めとする各種射程距離の弾道ミサイル群は無用の長物と化した。

 

「核ミサイルから核弾頭を取り外し、代わりに対ヒュージ用の新兵器を弾頭部分に搭載する。

これなら既存の兵器システムを流用できて、近距離での戦闘も必要無く、兵力の喪失も回避できるというわけね。

でも、G.E.H.E.N.A.ならともかく、よくそんな兵器が軍に開発できたものね」

 

 咲朱の発言に対して、蓬莱玉は首を横に振って否定の意を表した。

 

「その新兵器を開発したのは防衛軍ではなく、岸本教授――岸本・ルチア・来夢の父親だろう。

彼は元々ルドビコ女学院のラボに研究者として在籍し、ヒュージ出現以前の生態系を回復するための研究を進めていた。

 

だが、途中からガーデンの干渉によって、彼は強化リリィの実験に参画するよう強制された。

そして最終的にはそれが発端となり、ルドビコ女学院のガーデンそのものを崩壊させる内部抗争へと発展した。

 

その後、彼は身を隠して国内外を転々とし、一時は人造リリィ計画にも関わっていた。

私の見立てでは、彼がヒュージの生命活動を停止させるような、何らかの化学兵器や生物兵器のようなものを考案したのではないかと考えている。

 

彼のこれまでの研究実績を考えれば、最も防衛軍の新兵器に近い分野の研究を積み重ねてきたのだから」

 

「元は親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの研究者だったから、ヒュージに関する研究のとびきりのエキスパートというわけね。

G.E.H.E.N.A.はヒュージと強化リリィの研究については世界一の組織だけど、軍との関係については表立って情報を耳にしないわ」

 

「ヒュージとの戦いでは脇役に甘んじているが、軍には軍の権益というものがある。

安易にG.E.H.E.N.A.の関係者を招き入れて、主導権を握られるような事態は避けたいのが本音だろう」

 

「その軍が、G.E.H.E.N.A.から離反した研究者の技術を用いて、対ヒュージ用の新兵器を実用化しようとしている。

G.E.H.E.N.A.にしてみれば、いかにも面白くない話に違いないわ。

そこのところはどう考えているの?」

 

 ちらりと咲朱は蓬莱玉の顔を覗き見たが、当の蓬莱玉自身は我関せずの素っ気無い態度を示すのみだった。

 

「どう考えている、の主語がG.E.H.E.N.A.なら、面白くはないが手出しはできないというところだろう。

 

これまで対ヒュージ戦闘において端役の存在だった軍が、リリィと同等の力を持てる可能性が出て来たのだ。

これを邪魔する勢力があれば、軍は全力を挙げて潰しにかかるだろう。

 

一応は民間の組織である反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとは違い、一国の正規軍に対して妨害工作や破壊活動を行えばどうなるか。

いかにG.E.H.E.N.A.の過激派でも、そこまで愚かではなかろう」

 

「では、あなた自身はどう考えているのかしら?

G.E.H.E.N.A.の総本山であるシエルリント女学薗の生徒会長様は」

 

「私はこの件についてどうするべきかという考えは持っておらぬし、何もせぬよ。

私はただ、この世界がどう変わっていくのか観察し、その意味を考えたいだけだ。

 

防衛軍の新兵器が実用化され、遠くない未来にヒュージとネストが全て討滅され、その結果、人間同士の戦争が再び始まるとしても――

それは人類が背負い、克服しなければならない運命だからだ」

 

「まるで宗教家か哲学者のような物言いね。

あなただって、戦力として人間同士の戦争に駆り出されるかもしれないのに」

 

「それについてはあまり心配しておらぬ。

その防衛軍の新兵器とやらは、ヒュージだけではなくリリィに対しても有効ではないかと思っているのでな」

 

「何ですって?」

 

 思いもよらない蓬莱玉の発言に、咲朱は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 

 蓬莱玉は咲朱の反応には興味を示さず、探偵のように手を顎に当てながら、自らの考えを説明する。

 

「おや、ヒュージの姫ともあろう者が、気がついていなかったのか?

ヒュージはマギを生命エネルギーの源として活動している。

リリィの能力もヒュージと同様にマギに由来するものだ。

 

ヒュージの生命活動を停止させるということは、マギをエネルギー源として利用できなくすることと同じ。

新兵器がそのような効果を有するものであれば、それはヒュージのみならずリリィにも有効だと考えるのが自然ではないか?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。

来夢の父親や防衛軍は、何を考えてそんなものを実用化しようとしているの?」

 

「軍にしてみれば、全てのヒュージとネストを討滅することが最優先の目標だ。

新兵器の効果がリリィにも及ぶとしても、ヒュージとの戦いを終わらせるためには、なりふり構わず事を進めるだろう。

私が軍の責任者であっても、そう判断するに違いない」

 

「何てこと……そんな事態になったら、私は目指している『高み』に上れなくなってしまう。

従えるべきヒュージが世界から存在しなくなり、ヒュージの姫としての力も失われてしまうかもしれない……

――そんな未来、認めるわけにはいかない」

 

 無意識に両手を固く握りしめた咲朱を見て、蓬莱玉は眉をひそめて問いただす。

 

「貴公は自分の力で軍の計画を頓挫させる気か?

そうなれば、貴公は人の身でありながら人類の敵として生きていくことになるのだぞ」

 

「私はヒュージの姫の頂点に立つ存在。

そしてヒュージと共に存在することを運命づけられたリリィ。

ヒュージのいない世界でただの人間として生きるよりも、ヒュージの跋扈する世界で支配者として君臨する未来を、私は望む」

 

 覚悟を決めたかのように咲朱は宙の一点を見つめ、それまで正対していた蓬莱玉に背を向けて歩き始めた。

 

「今日は良い話を聞かせてくれてありがとう、蓬莱玉。

おかげで自分の手で時計の針を先に進める決心がついたわ」

 

 次第に遠ざかっていく咲朱の後ろ姿に向かって、蓬莱玉はそれまでより語気を強めて言葉を投げかける。

 

「貴公が自らの意志で決めたことなら口出しはせぬ。

絶大な力を手に入れたことも、それを手放すことが出来ぬのも、貴公自身が背負った運命だ。

それを失っては生きている価値が無いと思うもののために、人は命を懸ける。

貴公が悔いの無い選択をすることを、私は他の何にも増して尊重しよう」

 

 たとえその選択の先に待ち受けるものが、殆どの人類にとって重く苦しみに満ちた運命であったとしても――

 蓬莱玉はその言葉を飲み込んで、咲朱の姿が樹々の間に見えなくなるまで、視線を咲朱の背中から外さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白井咲朱と蓬莱玉の密談から数日後、奇しくもシエルリント女学薗の南南東5キロメートルに位置する旧米海軍横須賀基地に於いて、防衛軍のヒュージネスト討滅作戦が開始された。

 

 



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第28話 運命の日(3)

 

 晴れ渡った蒼穹に白い綿菓子のような積雲が幾つも浮かび、それらはゆっくりと西から東の空へと流れていく。

 

 雲を移動させている西風は、横須賀基地のある陸上では、三浦半島から東京湾へと吹き抜ける毎時数メートルの風向を示していた。

 

 防衛軍の次なる対ヒュージネスト討滅作戦は、かつて米軍が日本国内に内密で構築した弾道ミサイル発射設備を利用するものだった。

 

 それらの設備は国内各地に存在する米軍基地の敷地内地下に築かれ、外見上は単なる駐車場や幅員の広い道路にしか見えなかった。

 

 今回の作戦の舞台となった旧米海軍横須賀基地に於いてもそれは例外ではなく、現在もなお複数の長距離弾道ミサイルが常時発射可能な態勢で発射命令を待ち続けていた。

 

 ヒュージ出現後の世界に於いては、陣営の東西を問わず、軍の最優先攻撃目標は敵国の大都市と軍事施設からヒュージ及びヒュージネストへと変わった。

 

 皮肉にもヒュージの出現によって、国家間の戦争は地球規模でその発生を完全に停止した。

 

 その代わりに、戦争に投入されるべき各国軍事力のリソースは、その殆ど全てが対ヒュージ戦闘へと全面的に振り向けられることとなった。

 

 だが、核弾頭を搭載した弾道ミサイルの使用は、ヒュージへの一定の打撃力と引き換えに地球環境の極端な破壊をもたらし、自らの攻撃によって人類とその社会を滅ぼすことは確実だった。

 

 そのため、発射装置に据え付けられたミサイルの弾頭からは核が撤去され、最低限のメンテナンスを維持した状態で、いつ果てるとも知れない永い待機の眠りについていた。

 

 ここ横須賀基地でも、米軍の人員は僅かな数の保守要員を残すのみであり、発射命令発令時のオペレーションは防衛軍に委任された状態となっていた。

 

 もっとも、核弾頭を撤去した弾道ミサイルなど、その重量分だけの極めて限定的な質量兵器に過ぎず、戦略兵器としては全く重要性を失っていた。

 

 その空になった弾頭部分に、今は対ヒュージ用のマギ代謝阻害ナノマシンを充填した格納容器が搭載されている。

 

 攻撃目標は小笠原諸島の洋上に位置する中規模のヒュージネスト、発射予定時刻は数十分後に迫っていた。

 

 外見上は平素と全く変わらないように見える横須賀基地だったが、2キロメートル程の距離からそれを見下ろす高台に、一隊のレギオンが待機していた。

 

 彼女たちの大半は百合ヶ丘女学院の特務レギオンであるLGロスヴァイセの隊服を着ており、二人だけがそれと異なる服装をしていた。

 

 一人は相模女子高等学館の青い制服を着たリリィ、もう一人は御台場女学校の標準制服を身に纏っていた。

 

 二人とも分離させたトリグラフを両手に携えているが、御台場の制服のリリィはそれに加えて、第4世代の精神直結型CHARMであるエインヘリャルを装備している。

 

 LGロスヴァイセと二人のリリィは、作戦中に外部からの妨害や攻撃を受けた場合、それらの敵を排除し、基地を防衛することが任務として課せられていた。

 

 相模女子の青い制服のリリィ、つまり石川葵が、隣りに立つ御台場の制服を着た結梨に話しかける。

 

「ここからだと、全然何も変化無いように見えるわね。

どこにミサイルの発射台があるのかさえ分からない」

 

 結梨も葵と同じく目を細めて2キロメートル先の基地を眺めていたが、やはり発射口らしきものを見つけることはできなかった。

 

「発射台って地面の下に隠してあるんだよね?

発射の時は地面のどこかにある扉が開いて、その下からミサイルが飛んでいくって、ロザリンデは言ってた」

 

「私も昔の映像資料を見てみたけど、世界中の軍事基地にあんな仰々しいものを造っていたなんて。

――それも一度使えば人類が滅びるかもしれないものを」

 

「でも、今はもう使うことはなくなったんでしょ?」

 

「ヒュージを滅ぼす前に、自分たちが滅びてしまっては本末転倒だからね。

その代わりに対ヒュージ用のナノマシンを弾道ミサイルに積んでネストを討滅する――この作戦が成功すれば、戦術自体にはリリィの力は必要なくなる。

 

防衛軍としては名誉も予算も人員も、これまでとは比べ物にならないほど手に入るようになるわ。

加えてリリィの負担や損耗も、その分だけ減らせるとなれば、誰も反対する者はいないでしょうね。

――ヒュージがいなくなって困る者を除いては」

 

 いかにも含みのある言い方を葵はして、少しだけ眉をしかめてみせた。

 

 そして、少し肩の力を抜いて気分転換するように、ふーっと深呼吸をした。

 

「それにしても、お父さんがあんな事を考えていたなんて、想像もしてなかったわ。

この数ヶ月、あちこち飛び回って全然捕まらないと思ってたら、裏で色々と根回しをしてたなんてね」

 

「葵のお父さんが考えてるとおりなら、この作戦がうまくいけば……」

 

「うまくいけば、誰も犠牲にせずヒュージのいない世界を創ることができる――といいんだけどね。

まずは目の前の任務を遂行することに集中しないと。

あっちで待機してる百合ヶ丘の特務レギオンも、同じこと考えてるのかしら」

 

 葵の視線の先を結梨が目で追うと、20メートルほど離れた場所で並んで立っているロザリンデと碧乙の姿が視界に入った。

 

 果たして、その二人が話している内容も、その根本においては葵と結梨のそれと同じだった。

 

 ただし、彼女たちは結梨たちより歴史や政治についての知識を蓄えている分、幾分か物事を俯瞰的に理解しようとしていた。

 

「人類は初めて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。

これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である――」

 

 ロザリンデが基地を遠望しながら誦んじてみせた言葉に、碧乙は腕組みをして記憶を辿ろうとする。

 

「それ、世界史の講義で聞いたことがあるような気がします。

確か百年以上も昔の戦間期の、政治家か軍人が書き記した本の内容だったような……」

 

「今はそのシステムを流用して、人類は自分たちの天敵を滅ぼそうとしている。

道具というものはその合目的性――それが持つ意味の解釈によって、存在の仕方を変えるということ。

そして私たちリリィも、ヒュージが存在しない世界では、自ずと世界の中での位置づけに根本的な変化を余儀なくされるわ」

 

「そこまでの見通しを含めての防衛軍の計画、いえ、正確には石川司令官の構想でしたね。

世界中のヒュージとネストを討滅し、その後の世界でリリィが戦争に動員されないようにする……どちらか一方だけでも夢物語のようですが、本当にできますかね」

 

「防衛軍がやたらこの計画を大々的にアピールしていることに、『敵』が乗ってきてくれればね」

 

 ロザリンデはそう言って、ぐるりと周囲の景色を見回したが、今の所は特に状況に変化は見られなかった。

 

「当たり前ですが、この作戦自体は『人間』しか知らないものです。

ヒュージが偶然にこのエリアに出現する可能性はゼロではありませんが、確率上はごく僅かです。

もし、作戦のタイミングに合わせてヒュージが出現するようであれば――」

 

「何者かが人為的にヒュージを出現させたと見てほぼ間違いないわ。

そして、そんなことができる主体は、これまでの異常なヒュージの出現パターンを鑑みれば……伊紀、どうしたの?」

 

 不意にロザリンデと碧乙の傍に駆け寄ってきた伊紀は、二人に向かって緊張した面持ちで連絡する。

 

「基地に設置されている大型のヒュージサーチャーに反応があったと、たった今、連絡が入りました。

ヒュージ反応は葉山方面から毎時30キロメートルで接近中。

早期警戒中のドローンからの観測では、ギガント級1体を含む総数80体ほどの群れとのことです」

 

 それを聞いた碧乙は、待ってましたと言わんばかりに得物のアステリオンを握り直し、にやりと笑った。

 

「来た来た。ギガント級なら相手にとって不足無し。

いつもG.E.H.E.N.A.の強化リリィを相手にしてばかりだと、ノインヴェルト戦術の使い処が無くて腕が鈍ってしまうもんね。

たまにはギガント級の一つも倒して、レギオンの格付けアップに王手を掛けておかないと」

 

「とは言っても、出現したギガント級が特型なら、マギリフレクターを使ってくるかもしれません。

その場合は、一度しか使えないノインヴェルト戦術ではギガント級は倒せません」

 

「……うーん、それならあんまり気乗りしないけど、あれしかないかなあ……」

 

 隣りに立つロザリンデと碧乙の視線が合うと、ロザリンデは小さく頷いて伊紀に指示を出す。

 

「伊紀、バックアップとして後方で待機中のLGシグルドリーヴァに連絡を。

二個レギオンでの多重ノインヴェルト戦術を仕掛けるわ」

 

「分かりました。作戦上の必要から隊長の捺輝様に出動を要請します」

 

 伊紀は自分の携帯通信端末を取り出して、手早くLGシグルドリーヴァの遠野捺輝に回線を接続した。

 

 捺輝はLGロスヴァイセからの出撃要請を受諾し、直ちに自分たちのレギオンを合流させることを回答した。

 

 それを受けて、ロスヴァイセのリリィたちは合流予定地点への移動を開始する。

 

 一方、結梨と葵はロスヴァイセのリリィたちと行動を共にせず、西へ向かうロスヴァイセとは逆の方向へ――すなわち横須賀基地のある東へと戻るよう、ロザリンデから指示を受けた。

 

「ヒュージの出現は想定の範囲内よ。

出現したギガント級が本命なら、ロスヴァイセとシグルドリーヴァが多重ノインヴェルト戦術でギガント級を討滅するわ。

でも、もしギガント級を含むヒュージの群れが陽動であり、囮だった場合は、『本隊』が基地のミサイル発射施設を狙ってくるはず。

だから、あなたたちは基地の近くに戻って、基地施設の直掩に回ってちょうだい」

 

「うん」

「分かりました」

 

 結梨と葵は簡潔に返事すると、すぐに走り出し、東の方角へ向かって全力疾走で高台を駆け下りていく。

 

 二人の後ろ姿はたちどころに見えなくなり、それを見届けたロザリンデたちはシグルドリーヴァのリリィたちと合流すべく、西の方角へとレギオンの移動を開始した。

 

 横須賀基地から約200メートルの地点に達した結梨と葵は、足を止めて基地の様子を確認した。

 

 基地の敷地内に変わった様子は見られず、特に異状なく発射開始までの準備が進んでいると思われた。

 

「このまま何事もなく発射が完了すれば、それはそれでいいけど……」

 

 基地の建物群を見ながら呟く葵の制服の袖を、結梨が引っ張った。

 

「どうしたの?」

 

 葵が結梨の方を見ると、結梨は葵とは反対方向の、基地から延びる道路の先を凝視していた。

 

「だめみたい。ロザリンデや葵のお父さんが考えてたとおりだった」

 

 やり場の無い沈痛な表情を浮かべる結梨の視線の先には、CHARMを携えた二人の女性が立っていた。

 

 それが白井咲朱と戸田琴陽であることは、遠目であっても葵にも判別できた。

 

「葵、行こう。咲朱を止められるのは、私たちしかいないから」

 

 避けては通れない運命を前にして、結梨は再び白井咲朱と戦う覚悟を決めた。

 

 



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第28話 運命の日(4)

 

 三浦半島の東岸に位置する旧米海軍横須賀基地、その正面ゲートから東京環状道路16号線へと伸びる広い道路の中央に、結梨と葵は立っていた。

 

 基地の中は人影も無く静まり返っている。

 

 ギガント級ヒュージ出現の情報が入った時点で、作戦は一時中断の命令が下され、基地要員の全員が地下深くの対爆シェルターに避難していた。

 

 二人の視線の先には、一柳隊の前に現れた時と同じく、黒いドレスのような戦闘服を着た『御前』こと白井咲朱と戸田琴陽が、ゆっくりと結梨と葵の方へ近づきつつあった。

 

 咲朱はR型のティルフィング、琴陽はトリグラフを携えているのも当時と同じ、もっとも今は相対するリリィは九人ではなく二人だけだったが。

 

 咲朱と琴陽は、10メートルほどの距離まで結梨たちに近づいたところで足を止めた。

 

「やはりここで待ち構えていたのね。

そちらのリリィは有名人ね。

初めましてかしら?石川葵さん」

 

 結梨の隣りに立つ葵の姿を見て、咲朱は余裕に満ちた表情で微笑んでみせた。

 

 それに対して葵は咲朱とは対照的に、仏頂面で咲朱に応じる。

 

「直接こうして顔を合わせるのは初めてかもね。

あんたのことは調べさせてもらったわ、『御前』」

 

「どうして私のことを知っているのかしら?

隣りにいる子から私のことを聞いたの?」

 

「いいえ、あんたが東京で一柳隊の前に初めて現れた時、私も同じ戦場にいたからよ。

後で一柳隊から聞いたわ――『御前』と名乗る謎のリリィが、白井夢結様を誑かそうとしたってね」

 

 咲朱の眉が僅かに動き、急に剣呑になった目で葵の顔を睨む。

 

 針のような視線を向けられた葵は、だが、全く動じる気配を見せずに話を続ける。

 

「まさか、あんたが夢結様の実の姉だったとはね。

百合ヶ丘女学院で将来を嘱望されていた生え抜きのリリィが、教導官赴任目前で戦死。

その後G.E.H.E.N.A.の技術で生き返り、今はヒュージの姫の頂点に君臨――なんて、とても世間一般に公開できる情報じゃないわね」

 

 黙って葵を睨みつけ続ける咲朱から、葵はその一歩後ろに控えている琴陽に視線を移した。

 

「そしてルド女の戸田・エウラリア・琴陽は、G.E.H.E.N.A.の密偵でありながら、『御前』と名乗る謎のリリィに情報を流していた。

スパイ行為が発覚した彼女はルド女を追われ、洗礼名も失って『御前』と共に地下へ身を潜めることとなった。

そして今、防衛軍のヒュージネスト討滅作戦を妨害するために、『御前』の腹心としてここに現れた……間違いないわね?」

 

 葵から事実を突きつけられた琴陽は、葵の視線を正面から受け止めながら問い返す。

 

「葵さんはどうやって私たちのことを調べたのですか?」

 

「結構苦労したのよ、あんたたちの正体を調べるのは」

 

 下北沢を始めとする東京での戦いに区切りがつき、相模女子に戻った葵は、『御前』の情報を求めて生徒会とガーデンの機密資料を漁るのみならず、防衛軍の付属機関である対ヒュージ戦略研究室に入り浸った。

 

 それは対ヒュージ戦略最高司令官である石川精衛の娘、という立場を最大限に利用した際どいものだった。

 

 だが、結果として葵は独力で第一級のヒュージ関連機密情報である『御前』の正体に辿り着くことができた。

 

「ヒュージの姫の力を使って人類の支配者になろうだなんて、陳腐な野望にも程があるってものよ」

 

 葵は手に持ったトリグラフの切っ先を咲朱に向けて糾弾した。

 

 一方の咲朱は、傲然とした表情で葵の指摘を受け止め、何が悪いのかといわんばかりの態度で自らの持論を述べる。

 

「ヒュージとヒュージの姫は、地球の新しい生態系に組み込まれ、現生人類に代わって食物連鎖の頂点に立つ存在。

最も強い力を持つ者が、生態系の最も高い地位に君臨する。

とても単純で、これ以上なく明快なルールだと思わない?」

 

「人間はヒュージの食べ物じゃないし、ヒュージの姫に支配される存在でもないわ。

あんたの身勝手な理想とやらに従ってたら、人類は皆ヒュージの姫に唯々諾々と従うだけの人生を強いられる。

そんな未来を受け入れられるわけないでしょう」

 

「これまでの歴史で数えきれないほどの生物を絶滅させ、野生動物を家畜として飼い馴らしてきた人類が、それを言うことこそ笑止だわ」

 

 諧謔と皮肉に満ちた嗤いを浮かべる咲朱に対して、結梨が葵の前に出た。

 

 結梨は、彼女には似つかわしくない憂いに満ちた表情で、咲朱の目を見つめて問う。

 

「咲朱、どうしてもヒュージのいない世界を創ることには反対するの?」

 

「私はヒュージの姫だから、ヒュージのいない世界では目指す『高み』に上ることはできない。

ヒュージの姫はヒュージの存在する世界でこそ、その存在理由を見出すことができる。

だからヒュージとヒュージの姫は、人類に卓越して人類を支配する存在でなければならないのよ。

それを邪魔しようとする者は、何者であっても私の力で排除するわ」

 

「リリィの力はヒュージと戦うためのもので、リリィ同士で戦うためのものじゃない。

こんな戦いはもうやめよう。

ヒュージのいない世界で、みんなで仲良く生きよう」

 

 だが、懇願に似た結梨の呼びかけにも、咲朱が耳を貸すことは無かった。

 

「言葉で私を説得できないことは、誰よりもあなた自身がよく分かっているはず。

だから、そんな完全武装で私が来るのを待ち構えていたのでしょう?」

 

「そんなこと――」

 

 上手く言い返すことができずに結梨は唇を嚙む。

 

 確かに今、自分が武装を解除したところで、咲朱は躊躇なく自分を倒して先に進む――結梨にはそれが分かっていた。

 

 それを見透かしたかのように、咲朱は畳みかけるように言葉を続ける。

 

「あなたたちに自分たちなりの正義や理想があるように、私にも実現したい世界がある。

それを希望と呼ぶか野望と呼ぶか欲望と呼ぶか。

そんなもの、それぞれの立場によって認識が異なる主観でしかないわ」

 

 咲朱はゆっくりと前に歩を進めながら、結梨たちとの距離を詰めていく。

 

「私たちはどちらも、自分の望みを叶えるためにリリィとしてこの場に立っている。

それなら、リリィとして能力の優れている方が望みを叶えるのは道理。

今こそ望みを実現するために雌雄を決する時、ここから先は言葉など無用。

防衛軍の作戦は私の手で阻止させてもらうわ」

 

 ティルフィングを正面に構えつつ、結梨に近づいてくる咲朱。

 

 その前に立ちはだかるべく葵が身を動かした時、突如として空気を切り裂く斬撃が横から襲い掛かってきた。

 

 葵は両手に持ったトリグラフでその斬撃を受け止める。

 

 襲撃者は葵と同じくトリグラフを得物とする琴陽だった。

 

 琴陽の頬は興奮で紅潮し、その瞳はこれ以上ない手合わせの相手を逃すまいとする、狂気にも似た輝きを帯びていた。

 

「流石です、石川葵さん。

スピード系ファンタズムの使い手にして、スキラー数値90オーバー。

『蒼き皇女』と呼ばれるあなたの力、存分にこの私に示してください。

あなたほどのリリィが相手なら、私のゼノンパラドキサS級も使い甲斐があるというものです」

 

「この戦闘狂が――そんなに手合わせがしたいのなら、手加減なしで相手してやるわよ。

そっちのゾンビリリィは金縛りみたいな術を使ってくるようだから、私向きじゃないわ。

ゆりに任せる」

 

 ゾンビ呼ばわりされた咲朱は憤然とした顔で葵を睨みつけたが、今は葵の相手をしている時ではなかった。

 

 エインヘリャルとトリグラフを同時に装備した結梨を見て、咲朱は油断なくティルフィングを正眼の位置に構えた。

 

「では、こちらもあの時の続きを始めるとしましょうか。

あの時は互いのマギが過剰に同調して空間転移を引き起こしたけど、それが分かっていれば未然に防ぐことは難しくない。

あの忌々しい川添美鈴の幻も、共感現象が起きないように私のマギをコントロールすれば、出ては来れない」

 

 事ここに至っては、最早咲朱との再戦は避けられないと結梨は決断した。

 

「私はヒュージのいない世界を創りたいから、咲朱を止めないといけない。

だから――ごめん、咲朱」

 

 言い終えると同時に結梨の姿は消え、瞬時に咲朱の直前に出現する。

 

 両手に持った結梨のトリグラフが一閃し、ティルフィングの刀身とぶつかり合って火花を散らす。

 

 結梨の初撃を難無く受け止めた咲朱は、満足げに頷いて笑みを浮かべた。

 

「そう、それでいいのよ。

生きることは戦うことであり、戦いに勝った者だけが己の望みを叶える。

力無き言葉は無力であり、力によって生き残った者が次の時代の覇者となる。

それこそが、この世界が生きとし生ける全ての存在に課した運命。

そして、私はあなたに勝って、私が目指す『高み』に上ってみせる」

 

 これ以上の言葉は無用とばかりに、咲朱は連続して斬撃を繰り出していく。

 

 大型のティルフィングによる斬撃を、分離させたトリグラフでまともに受け止めることはできない。

 

 結梨は紙一重で咲朱の攻撃を受け流しながら、エインヘリャルのマギビットコア全てを腰のユニットから分離させ、空中に飛翔させた。

 

(咲朱との距離を開ければ、空からマギビットコアで攻撃できる。

その隙を作らないと)

 

 単騎で一柳隊の全員を相手に渡り合った咲朱の技量は、一騎当千という言葉すら生ぬるく感じさせるものだった。

 

 その太刀筋は寸分の狂いも無く、必殺の軌道を描いてあらゆる方向から結梨に襲い掛かり、こちらから斬り返す隙を見出すことなど到底不可能に思えた。

 

 だからと言って前回の戦いのように、一撃に全てを懸けた攻撃を仕掛けることはリスクが大きすぎた。

 

 今は防衛軍の作戦を妨害させないために、つまり基地と弾道ミサイルの発射装置を防衛するために戦っている。

 

 戦いに敗れる事はすなわち基地防衛任務の失敗を意味する以上、一か八かの選択肢を選ぶことは許されるものではなかった。

 

 正面からの斬り合いで防戦一方の状態を続けていた結梨は一計を案じ、縮地S級を発動して咲朱から約20メートルの距離に後退した。

 

 同時に、上空に待機していた5機のマギビットコアが、直上の死角から咲朱に対してビームを発射する。

 

 その攻撃の全てを回避することはできず、5本のビームのうち少なくとも一つは咲朱に命中するはずだった――致命傷とならないようにビームの出力は抑えられていたが。

 

 だが、咲朱は難無く4本のビームを回避し、残る1本のビームをティルフィングの刀身で受け流した。

 

 マギビットコアの5本のビームはアスファルトの地面を溶かし、路面には直径数十センチの深い穴が穿たれた。

 

「悪くない攻撃だったけど」

 

 マギビットコアの攻撃を全て防ぎ切った咲朱は、結梨に向き直ってやや失望したように問うた。

 

「あなたは私には決して勝てない。どうしてか分かる?」

 

「……」

 

「あなたには私を殺してでも任務を遂行しようとする覚悟が無い。

さっきの攻撃も急所を狙ったものではなかったし、ビームの威力も最大出力ではなかった。

私を殺す気で攻撃していれば、ティルフィングの刀身を融解させ、私に命中させることもできたかもしれないのに」

 

「人を殺すなんて私にはできない。

できることなら、CHARMだけを壊して咲朱に戦いをやめさせたい」

 

「そう、それが私とあなたの決定的な違い。

私はあなたを殺しても、私と同じように生き返らせてヒュージの姫にしてあげられる。

だから、命中すれば致命傷となるような攻撃でも、私は躊躇なく繰り出すことができる。

あなたがいくら優れた戦技コピー能力を持っていても、この違いがある限り、あなたは私には決して勝てない――そういうことよ」

 

 咲朱の言葉に結梨は沈黙するしかなかった。

 

 もとより、結梨は咲朱が憎くて戦ってるわけではない。

 

 説得が無理なら、相手のCHARMを破壊して戦闘不能の状態にする――それが最善手だと信じてはいたが、咲朱はそれが通用する技量の相手ではなかった。

 

(私じゃ咲朱には勝てない。どうすれば……)

 

 葵と琴陽は50メートル程離れた場所で、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

 両者ともスピード系のレアスキル持ちであり、お互いに決定的な一撃を相手に与えることは困難な状態だった。

 

(このままロザリンデたちが戻るまで、持ちこたえられれば……)

 

 一対一での勝負に拘泥せず、ロスヴァイセとシグルドリーヴァがギガント級を含むヒュージの一群を討滅し、こちらへ合流すれば戦況は一変する。

 

 対人戦闘の能力に限定すれば、一柳隊と特務レギオンの間には圧倒的な差がある。

 

 特務レギオン二隊を同時に相手にしては、いかに『御前』といえど苦戦を強いられるのは間違いない。

 

(ロスヴァイセとシグルドリーヴァは、もうノインヴェルト戦術を始めてる?)

 

 結梨が咲朱から注意をそらさずに遠方を眺めると、北西の方角2キロメートル程の距離に、低空を飛び交う光の球体が目に入った。

 

 山の陰になって視認できないが、ギガント級がその付近にいることは推測できた。

 

(マギスフィアのパス回しが進んでる。

ギガント級にノインヴェルト戦術で攻撃しようとしてるんだ)

 

 結梨の視線に気づいた咲朱は、後ろを振り返って大して面白くもなさそうな口調で呟いた。

 

「ふうん、もうノインヴェルト戦術のパス回しを始めたのね。

流石に百合ヶ丘女学院が誇る秘蔵の特務レギオンだけあって優秀ね」

 

 そして何事かを考えるような素振りを一瞬だけ見せたかと思うと――

 

「ちょうどお誂え向きね。

あのマギスフィア、私がいただくわ」

 

 そう言って笑みを口元に浮かべた次の瞬間、咲朱の姿は結梨の前から消えた。

 



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第28話 運命の日(5)

 

 巨人型のギガント級1体を含むヒュージの一群は、三浦半島西岸の葉山方面から逗子を経由して、旧米海軍横須賀基地へと進攻しつつあった。

 

 防衛軍の作戦に同期してヒュージの群れが出現し、かつそれが弾道ミサイルの発射予定地点である横須賀基地を目指している。

 

 この事実から、ヒュージ迎撃に向かったLGロスヴァイセとシグルドリーヴァのリリィたちは、このヒュージの出現と行動が人為的にコントロールされたものだと判断していた。

 

 ロスヴァイセとシグルドリーヴァは、横須賀基地から約2キロメートル離れた逗子インターチェンジ付近でヒュージの群れを迎え撃つ態勢に入っていた。

 

「ロスヴァイセが先にノインヴェルト戦術のパス回しを開始するわ。

パス回しの間、シグルドリーヴァはギガント級の動きを牽制しつつ、ラージ級以下のヒュージを攻撃してパスコースの確保を」

 

 ロザリンデがLGシグルドリーヴァ隊長の遠野捺輝に指示を出す。

 

「了解。ギガント級がマギリフレクターを展開した場合、シグルドリーヴァも直ちにノインヴェルト戦術を開始。

ロスヴァイセのマギスフィアが防がれた後、ギガント級にフィニッシュショットを発射します」

 

「よろしくね。もし不測の事態で二度目のノインヴェルト戦術も防がれてしまった時は、足止めの遅滞戦術に移行して増援を要請するわ」

 

「そうならないよう願っています」

 

 捺輝はロザリンデに軽くウィンクしてみせると、レギオンの指揮を執るために十時方向へと走り去っていった。

 

 LGシグルドリーヴァは捺輝の指示の下に、ヒュージの群れを半包囲する陣形を展開し、各リリィがデュエル戦闘で次々とラージ級以下のヒュージに襲い掛かる。

 

 ヒュージの群れはシグルドリーヴァとの戦闘によって、その進攻速度を大幅に落とさざるを得なくなった。

 

 それを確認した後方のロスヴァイセは、左右に分かれて群れの外縁をなぞるようにギガント級への接近を試みる。

 

「私たちはギガント級に可能な限り近づいてパス回しを開始。

できるだけ横須賀基地から離れた場所で、あのギガント級を仕留める」

 

 ロザリンデの指示に従って、石上碧乙と北河原伊紀を始めとするロスヴァイセのリリィたちは速やかに散開し、群れの左右に回り込むべく移動を開始した。

 

 ギガント級の前方に展開するラージ級以下の群れを迂回して、ロスヴァイセはギガント級を取り囲むように配置についた。

 

「特殊弾の装填、完了しました。

これより目標のギガント級ヒュージに対して、ノインヴェルト戦術を開始します」

 

 碧乙がアステリオンに装填したノインヴェルト戦術用特殊弾を射出し、ロスヴァイセによるノインヴェルト戦術のパス回しが始まる。

 

 自分のパス回しが終わったリリィ、あるいは自分にパスが回ってくるまで猶予のあるリリィは、ギガント級への牽制攻撃を間断無く続け、フィニッシュショットを撃つ伊紀へと順調にパスを繋いでいく。

 

 八人目の大島水蓮までパス回しが進み、浄水場の給水塔でラストパスを待つ伊紀へとマギスフィアが放たれた時、そのパスコースの中間地点に突如として人影が出現した。

 

 黒い人影は髪形や服装から女性のものであり、彼女はCHARMを使って空中でマギスフィアを受け止めた。

 

「えっ?」

 

 ロスヴァイセのリリィたちは目の前で起こった状況に一瞬面食らったが、それは自分たちと同じリリィによってパス回しがインターセプトされたのだと、すぐに理解した。

 

「あれは『御前』……私たちのマギスフィアを奪った?」

 

 『御前』すなわち白井咲朱と彼女のCHARMであるR型のティルフィングは、その刀身にマギスフィアを乗せ、重力による自由落下を始めている。

 

「マギスフィアの錬成ご苦労様。

これは私が有効に使わせてもらうわ」

 

 してやったりと言わんばかりの笑いを浮かべた後、咲朱とティルフィング、それに直前までロスヴァイセがパス回しによって作り上げたマギスフィアは消失した。

 

 咲朱が消えた虚空を見つめながら、碧乙が地団太を踏むかのように悪態をつく。

 

「何なの、あいつ。超むかつく。

見計らったみたいにノインヴェルト戦術の邪魔をしたってことは、あのヒュージを出現させたのは――」

 

「間違いないでしょうね。

防衛軍の作戦自体は事前に公表されていたし、当然彼女も情報は入手していたはず。

私たちも何らかの妨害が入る事態は想定していたし、『御前』が介入することも可能性の一つに入れていた」

 

「それにしても、マギスフィアを奪っていくなんて、一体何を考えてるんでしょうか?」

 

「マギスフィアを使ってすることと言えば……」

 

 顔を見合わせたロザリンデと碧乙の背筋を冷たいものが流れた。

 

 二人の所へ駆け寄ってきた伊紀が、切迫した様子で提案する。

 

「お姉様、横須賀基地へ向かいましょう。

基地には結梨ちゃんと葵さんがいます。

『御前』の目的が作戦の妨害なら、ヒュージではなく自らが行動して基地を襲うかもしれません」

 

 それを聞いたロザリンデは、すぐにシグルドリーヴァ隊長の遠野捺輝に通信端末で連絡を取る。

 

「捺輝さん、ロスヴァイセのマギスフィアが『御前』に奪われたわ。

でも、ギガント級への攻撃を妨害することが彼女の第一の目的ではないと思う。

 

だからシグルドリーヴァによるノインヴェルト戦術のパス回し自体は予定通り開始して。

私たちは二手に分かれて、一方はここに残ってシグルドリーヴァを支援するわ。

もう片方は横須賀基地へ向かって基地の直掩を支援する」

 

 ロスヴァイセのリリィはロザリンデ・碧乙・伊紀の三人が横須賀基地へ向かい、残る六人のリリィはシグルドリーヴァと共同で、ギガント級以下のヒュージとの戦闘を継続する。

 

 その方針の下に、ロスヴァイセの九人のリリィは、ギガント級に対する包囲を一旦解いた。

 

 ロザリンデたち三人は戦場を離脱、残る六人はギガント級を牽制しつつ、シグルドリーヴァと合流すべく陣形を再編した。

 

(『御前』はおそらく強奪したマギスフィアを使って、弾道ミサイルの発射を妨害しようとする。

結梨ちゃんと葵さんだけでそれを阻止できるかは分からない。

基地防衛の戦力差を、できるだけこちら側に有利にしておかないと)

 

 だが、咲朱が見せた先程の瞬間移動は、縮地S級のレアスキルと思われた。

 

 自分たちが全速力で駆けつけたとしても、おそらく間に合わないだろう――ロザリンデは心の中では分かってはいたが、それでも咲朱の行動を黙って見過ごすことは出来ようはずも無かった。

 

 もし横須賀基地の弾道ミサイル発射作戦が阻止された場合は、それに対応した別のオペレーションが発動される予定になっていた。

 

 それは石川精衛司令官から作戦に参加するリリィ全員にも伝えられてはいた――が、その結果がもたらす重大さゆえに、ロザリンデたちは押し黙って彼の説明を聞くのみだった。

 

(今はその事について考えていても仕方ない。

個々のリリィが事の是非を判断できるレベルではなかったのだから。

私たちが『御前』の行動を止めることこそ、現在の最優先目標として集中しなければ)

 

 ロザリンデたち三人のリリィは、横須賀基地へ向かって旧横須賀線の線路上を無言で駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マギスフィアをいただく、ですって……」

 

 結梨の前から忽然と消えた咲朱の言葉は、琴陽と戦っている葵にも聞こえていた。

 

 すかさず葵は琴陽から距離を取って周囲に目を配ったが、咲朱の姿はどこにも見えなかった。

 

「さすが咲朱様です。

相手の攻撃手段を我が物として自らの攻撃に使うなんて、並大抵のリリィでは思いもつかないことです」

 

 目を輝かせて自慢げに言う琴陽に対して、葵はこれ以上なく胡散臭そうに琴陽を一瞥した。

 

「偉そうなこと言っておいて、特務レギオンからノインヴェルト戦術のマギスフィアを横取りするなんて、本当にできるの?」

 

「咲朱様なら、その程度のことは朝飯前の日常茶飯事、赤子の手を捻るにも等しい児戯です」

 

「吹かしまくってくれるわね。

攻めあぐねた挙げ句に、あんたを残して撤退したかもしれないじゃない」

 

 葵は琴陽に揺さぶりをかけてみたが、当の琴陽はそのような可能性は微塵も想定していなかった。

 

「いいえ、そんなことは絶対にありません。

――ほら、あそこに現れなさいました」

 

 全幅の信頼を裏付けるかのように、琴陽は宙の一点を指さした。

 

 そちらの方を葵が仰ぎ見ると、基地の上空200メートル程の所に黒いドレスのリリィが浮かんでいた――いや、正確には突然空中に出現し、その身体は携えているCHARMとともに自由落下を始めていた。

 

 その姿を見た葵は、すぐに少し離れた路上にいる結梨にファンタズムのテレパスを送る。

 

(咲朱がマギスフィアを使って基地を……)

 

 結梨は空中で待機中のマギビットコアを即座に回頭させ、スラスターの出力を全開にする。

 

 咲朱は落下しながら射撃姿勢を取り、ロスヴァイセから奪ったマギスフィアを弾道ミサイルの発射装置が隠してあると思しき地点に向けて発射した。

 

 ティルフィングの砲身から射出されたフィニッシュショットは、一直線の軌道を描いて基地の道路上に着弾しようとする。

 

(――間に合って!)

 

 マギスフィアが路面に着弾する直前、超音速で飛来した5機のマギビットコアがそれを受け止める。

 

 無論、マギビットコアでノインヴェルト戦術のフィニッシュショットを受け止めることなど、仕様の範囲を遥かに逸脱した無謀な行為だった。 

 

 ヒュージのマギリフレクターの如く、マギスフィアのエネルギーをまともに受け止めたマギビットコアは、見る間に機体の外殻に亀裂が走り、各部のスラスターがオーバーロードに耐えられず次々と破裂していく。

 

「あっちに飛んでけ!」

 

 結梨はマギビットコアが完全に破壊される前に、受け止めたマギスフィアを最大出力で射出させた。

 

 マギスフィアの光球が放物線を描いて、北西の方角へ、すなわちギガント級ヒュージの存在する地点へと消えていく。

 

 役目を終えた5機のマギビットコアは、生き残った僅かな数のスラスターを使って、基地の敷地外の路上へと辛うじて不時着した。

 

(これでマギスフィアから基地を守れた……)

 

 結梨がほっとして息をついたその時、葵の声が結梨の耳に飛び込んできた。

 

「だめ、間に合わない。やられた」

 

 はっとして結梨が葵の見つめている方に視線を向けると、空中で再び射撃体勢に入っている咲朱の姿が視界に映った。

 

 フィニッシュショットを阻止された咲朱は、シューティングモードのティルフィングで、先程マギスフィアが目標としていた路面をめがけて砲撃した。

 

 比較的速度の遅いノインヴェルト戦術のフィニッシュショットと違い、CHARMによる砲撃の弾速は超音速であり、盾として使えるマギビットコアは既に全機が飛行不能となっていた。

 

 咲朱の砲撃は成功し、砲弾は直撃した路面を貫通して大爆発を起こした。

 

 深紅の爆炎が周囲を染め上げ、次いで濛々たる黒煙がきのこ雲のように立ち昇る。

 

 衝撃波が建物の窓ガラスを粉砕し、外壁を振動させながら爆発地点から同心円状に走り抜けていく。

 

 爆発地点の地下に弾道ミサイルが格納されていたかどうかは定かではないが、この状況下での作戦の続行が不可能なことは明らかだった。

 

「そんな……」

 

 呆然と基地の方を眺めるしかない結梨と葵の耳に、別方向の遠くからもう一つの爆発音が聞こえてきた。

 

 それは先程マギビットコアがマギスフィアを射出した方角、つまりギガント級ヒュージのいた地点からのものだった。

 

 そちらからも大きな黒煙が立ち上っており、それがノインヴェルト戦術によるものであることは結梨と葵にも分かった。

 

「ヒュージの討滅は成功したか……でも、こっちがこの有り様じゃ……」

 

 憮然とした表情の葵に、結梨が歩み寄って消沈した様子で呟く。

 

「ごめん、私の力が足りなかったせいで……」

 

「ゆりのせいじゃないわ。

『御前』の戦い方が私たちを上回っていただけのこと。

それに、これで全てが終わったわけじゃない。

『御前』は自分の手で時計の針を進めた――彼女の予期しない方向へと」

 

 気丈な面持ちで葵は結梨を気遣ったが、それを少し離れた所から見ていた琴陽は怪訝そうに葵に尋ねた。

 

「葵さん、防衛軍の弾道ミサイル発射は阻止されました。

あなたたちは任務に失敗したんです。

それなのに、時計の針がどうの、妙なことを言うのはどうしてですか」

 

「そうね、私も聞かせてほしいものだわ」

 

 いつの間にか三人の傍に近づいていた咲朱が、勝ち誇った顔で葵と結梨を見た。

 

 勝利を確信した咲朱に葵が口を開こうとした時、咲朱の背中越しに見覚えのある人物の姿が目に入った。

 

「この勝負、あなたの負けよ。『御前』」

 

「何ですって?」

 

 声が聞こえた来た方を咲朱が振り向いた先には、ロザリンデ・碧乙・伊紀の三人が、肩で息をしながら立っていた。

 

 



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第28話 運命の日(6)

 

 ギガント級との戦闘から離脱し、横須賀基地へと辿り着いたLGロスヴァイセの三人のリリィを前にしても、白井咲朱は彼女たちの存在など歯牙にも掛けてはいなかった。

 

「私の負け?

たかが特務レギオンの強化リリィが三人増えたところで、私に敵うとでも思っているの?」

 

「……」

 

 挑発めいた咲朱の問いに、ロザリンデたちは押し黙ったまま咲朱を睨んでいる。

 

 三人の視線を正面から受け止めて、咲朱は手柄を自慢するかのような口調で事実を告げる。

 

「それに、基地の設備は私が既に破壊したわ。

弾道ミサイル本体が損害を受けたか否かにかかわらず、もう発射は不可能よ」

 

 咲朱は後ろを振り返り、未だに黒煙が立ち上る基地の敷地内を眺めた。

 

 ギガント級出現の時点で、基地要員は全員が地下深くの対爆シェルターに避難している。

 

 基地の中では、動くものの姿は何一つ見えず、ただ破壊の跡だけを咲朱や結梨や葵たちの前に晒すのみだった。

 

 風はこれまでと変わらず、西から東へと、すなわち陸側から海側へと緩やかに吹き続けている。

 

「風向きが変わらないうちに、ここから離れる方がいいんじゃなくて?

もし私の攻撃で弾道ミサイルが破壊されていたら、弾頭に搭載されている『何か』が外部に放出される可能性があるわ。

私の見立てでは、その『何か』はヒュージに対する毒ガスや細菌兵器のようなものだと考えているのだけど、どうかしら?」

 

 視線をロスヴァイセの方へ戻し、咲朱は再び余裕に満ちた表情で質問した。

 

 咲朱の攻撃した箇所はミサイルの発射設備から外れていたと、ロザリンデは基地へ向かう途中で防衛軍から連絡を受けていた。

 

 だが、建物や道路の破壊状況を鑑みれば、ミサイルが無事であっても作戦の続行が不可能なことは、誰の目にも明らかだった。

 

 溜息に似た吐息をついたロザリンデは、覚悟を決めたように咲朱の目を正面から見つめて口を開いた。

 

「ミサイルの弾頭に搭載されているのは、生体内におけるマギの代謝を阻害するナノマシンよ。

正確には、搭載されているのはナノマシンを超高圧で充填した格納容器と言うべきだけど。

 

そのナノマシンは、マギ粒子を取り囲んで覆うように凝集する性質を持っている。

マギと生物細胞との接触を遮断し、細胞がヒュージ化することを防ぐと同時に、既にヒュージ化した細胞へのエネルギー供給を不可能にする機能があるわ」

 

「……ふうん、そんな小賢しいものを作っていたのね。

そのナノマシンとやらがマギの代謝を阻害するのなら、当然リリィの能力にも致命的な影響を与えるはず。

この世界からヒュージと共にリリィの力が失われてしまうのは、人類にとって大いなる損失だと思うけど」

 

「世界からヒュージがいなくなったら、リリィがリリィでいる必要もなくなる」

 

 突然、咲朱とロザリンデの会話に結梨が割って入った。

 

「だから、ヒュージのいなくなった世界――私はその世界をまだ知らないけど――そこでリリィも普通の人になって生きればいい」

 

 それが決して咲朱に受け入れられることのない考えだと分かってはいたが、結梨はそう言わずにはいられなかった。

 

 それに対する咲朱の返事は、やはり否定そのものだった。

 

「私はそんな世界を望んではいない。

あなたたちがヒュージをこの世界から絶滅させようとするなら、私はこれからも何度でも作戦を妨害し、防衛軍に計画の遂行を断念させてみせる。

何なら、今この場で私と戦って、実力行使で私を止めてみる?

増援も来たみたいだし」

 

 挑戦的な目で、咲朱はロザリンデたちLGロスヴァイセのリリィ三人を見回した。

 

 結梨と葵を含めて五人がかりでも、咲朱と戦って勝つことはできない――ロスヴァイセのリリィ三人は、彼我戦力差を見誤ることは無かった。

 

「いいえ、私たちはあなたと戦わない」

 

 ロザリンデの言葉に、咲朱は一瞬きょとんとした顔になった後、嘲笑をその唇に浮かべた。

 

「……特務レギオンのリリィらしからぬ発言ね。

進む道に立ち塞がる者があれば、躊躇せず武力をもって押し通る――そういう気概の持ち主だと思っていたけど、とんだ腰抜けなのね」

 

 咲朱の挑発的な言動にも、ロザリンデは感情的に反応することは無かった――碧乙と伊紀は眉をぴくりと動かしてCHARMを握っている手に力が入ったが、ロザリンデは二人を制して言葉を続ける。

 

「私たちがあなたと戦わないのは、もう私たちの誰も、あなたと戦う必要は無くなったからよ」

 

「ますますもって意味不明ね。

私はあなたたちが参加している防衛軍の計画を妨害すると言っているのに、私と戦わない、戦う必要が無いですって?

もったいぶった言い方をして、人を煙に巻こうとしているのなら――」

 

 咲朱がティルフィングを振りかぶろうとした時、ロザリンデは表情を変えないまま、咲朱に今起きている状況の本質を告げる。

 

「あなたは目の前の戦闘に勝利した。

でも、戦略においては敗北した――私が言いたいのはそれだけよ」

 

「私が戦略で敗北した?負け惜しみを言っているの?

私は今日の作戦を完全に失敗させたのよ。

これからも何度でも作戦を妨害して、その全てを遂行不能へと導いてあげるわ」

 

「『これから』は無いのよ、『御前』……あなたは自分の手で時計の針を最後まで進めてしまったから」

 

「何を分からないことを。

私が防衛軍の弾道ミサイル発射を阻止したことが、どうして時計の針とやらを最後まで進めることになるのよ」

 

 ロザリンデは表情を押し殺して、感情を露わにせず、意志の力のみで精神の動揺を制御して説明を始める。

 

「決定的な妨害が入らない場合、防衛軍は漸進的にヒュージネストの討滅を進めていく予定だったわ。

計画が順調に進めば、今後5年から10年ほどの期間で、地球上のヒュージネストを全て討滅できると予測されていた。

でも、計画そのものが頓挫しかねないレベルの妨害工作や破壊活動が発生した場合には、軍は決定的な手段でネスト討滅のプロセスを前倒しすることを決めていた」

 

「……あなた、何を言ってるの?」

 

 ロザリンデの言葉に一抹の不安を覚えた咲朱が、怪訝そうにロザリンデの顔を見るが、ロザリンデはそれを意図的に無視して説明を続ける。

 

「今日あなたが作戦の中心になっていた横須賀基地を攻撃した結果、基地の設備は重大な損害を被り、作戦の実行は不可能となった。

ヒュージの姫の頂点に立つ『御前』が今後も作戦を妨害すれば、同じことが繰り返される。

だから、ナノマシンを搭載した弾道ミサイルによるヒュージネスト討滅の計画は、現時点をもってプランBへと移行する――そう防衛軍は判断するでしょう」

 

「――待ちなさい。

防衛軍が事前に発表した作戦内容では、プランBの存在なんて一言も触れられていなかったわ」

 

 咄嗟に咲朱はロザリンデに対して疑問を投げかけたが、それに答えたのはロザリンデではなく、一歩後ろに控えていた碧乙だった。

 

「戦闘や戦術が第一級の実力でも、それに溺れていては戦略面で足元を掬われるってこと、教えてあげるわ。

さあ、耳をかっぽじって、ロザリンデお姉様のお話をよく聞いておきなさい」

 

「碧乙お姉様が自慢げに言うことでもないと思いますが……ロザリンデお姉様、お話の続きをお願いします」

 

 得意満面で胸を張る碧乙を伊紀が控えめにたしなめ、ロザリンデに説明の続きを促した。

 

 それに応じてロザリンデは咲朱に質問を投げかける。

 

「この横須賀基地が、元々米海軍のものだったということは知ってるわね?」

 

「それがどうしたっていうのよ。

さっさと話を進めなさい」

 

「かつて日本には非核三原則という安全保障上のルールが存在し、国内に核兵器を持ち込むことは禁止されていた。

でも、米軍はそれを無視して、秘密裏に日本各地の米軍基地に核ミサイルの発射装置を建造し、核弾頭の搭載が可能な数百キロトン級のICBMを多数配備していた。

 

この横須賀基地から小笠原諸島のヒュージネストへの攻撃も、当時造られた発射装置を利用して実行される予定だった。

それがヒュージの姫である『御前』の攻撃によって基地の一部が破壊され、弾道ミサイルの発射は阻止された。

 

――この事実が意味するところが、あなたに分かるかしら?」

 

「防衛軍のネスト討滅計画が、過去の核ミサイル発射設備を利用しているってことでしょう?

それがいったい何だというの?」

 

「ヒュージ出現以前の時代に、世界には安全保障上の決定的なシステムとして、戦略核兵器による相互確証破壊という概念があった。

 

敵国から核兵器による攻撃を受けた場合、直ちに同じく核兵器による全面的な報復攻撃を実行する――この横須賀基地も当然、その相互確証破壊システムの一端に位置づけられていたわ」

 

 いつの間にか咲朱のすぐ隣りに移動していた琴陽が、得体の知れない不安に襲われながら咲朱の手を握っていた。

 

「咲朱様、私たちは……」

 

 琴陽はすがるような目で咲朱の横顔を見つめたが、咲朱は唇を噛みしめてロザリンデの顔から視線を外そうとしない。

 

「ナノマシンを搭載した弾道ミサイルによるヒュージネスト討滅作戦においては、敵となる存在は国家ではなくヒュージとヒュージネスト。

 

防衛軍は米国を始めとした弾道ミサイルを保有する国々に協力を求め、相互確証破壊のアルゴリズムに変更を加えて計画の一部に組み込んだ。

 

そしてこの横須賀基地は今日、ヒュージの姫である『御前』の攻撃によって甚大な損害を被り、ヒュージに対する全面的な報復攻撃を実行する要件が満たされた」

 

「……この基地から弾道ミサイルを発射することは当分の間できないわ。

復旧には少なくとも数か月を要するはずよ」

 

「さっき言ったでしょう、かつて米国は日本各地の米軍基地に核ミサイルの発射装置を建造したと。

――ご覧なさい、あれがその証拠」

 

 ロザリンデは後ろを振り返って、遥か遠く北北西の地平線を仰ぎ見た。

 

 咲朱や結梨たちもロザリンデの視線を追ってその方角に目を凝らす。

 

 彼女たちの目に入ったのは、距離にして50キロメートル以上は離れているであろう地点――すなわち旧横田基地から立ち上る、十数条の白い煙だった。

 

 人工衛星の打ち上げにも似た噴射煙が、緩やかな曲線を描いて晴れ渡った青空の中を伸びていく。

 

 それはヒュージ出現以前の世界において、人類の文明と社会が終焉を迎える時に目撃されるであろう黙示録的な光景だった。

 

 その目撃者は数十分後には、大陸から飛来するICBMによって跡形も無く消滅し、世界はあまねく死の灰と核の冬に覆われる運命を迎える。

 

 だが、今は目に映っているのは、核の代わりにナノマシンを搭載した対ヒュージネスト用のミサイルであり、数百キロトン級の核爆発を起こすことは無い。

 

「あの十数発のミサイル以外にも、国内だけでなく海外の同盟関係にある国家の軍事基地からも、ナノマシンを搭載した弾道ミサイルが発射されているでしょう。

 

それらの目標は、報復攻撃の対象である世界各地のヒュージネスト。

遅くとも一時間程度で、地球上の主要なヒュージネスト全てにミサイルが着弾するわ」

 

「そんな……ことが、私のしたことは……」

 

 咲朱は言葉を失って呆然と立ちすくんでいる。

 

「あなたは防衛軍の計画を妨害し、頓挫させる目算で基地を攻撃した。

それが防衛軍の準備していたプランBの導火線に火をつけたのよ。

 

そして相互確証破壊は敵からの先制攻撃を大前提とする以上、ヒュージ及びヒュージに類するものと認識される存在からの攻撃が必要だった。

 

あなたと戦って勝てる人間は、地球上に一人として存在しないでしょう。

でも、人類の社会が持つ技術とシステムの前には、あなたの比類なき戦闘能力は無力だった。

これで、あなたが負けたことを理解してもらえたかしら?」

 

「……まだよ、まだ終わっていないわ」

 

 咲朱の目はまだ闘志を失ってはいなかった。

 一縷の望みにすがるように、気丈な声で咲朱はロザリンデに反論する。

 

「G.E.H.E.N.A.のラボにだって実験体のヒュージはいるわ。

いくら軍でも、数十名かそれ以上の人間が勤務しているラボにミサイルを撃ち込むなんてできない。

そんなことをすれば、それは一種の虐殺行為であり、戦争犯罪に問われるのは間違いないわ。

だから、世界中の全てのヒュージを滅ぼすなんて、できるはずが無い」

 

「残念だけど、必ずしもミサイルを直撃させる必要は無いのよ」

 

 咲朱の必死の反論にも、ロザリンデは顔色を変えずに冷静に答えるのみだった。

 

「ナノマシンの格納容器を弾頭に搭載した弾道ミサイルは、目標となったヒュージネストに命中し、ナノマシンはネストの中にいるヒュージの生命活動を停止させる。

 

ナノマシンはネストが消滅した後、マギとともに大気中に拡散し、やがて地球全体へと行き渡る。

それは戦略核兵器の使用による全面核戦争が、世界中に死の灰と呼ばれる放射性降下物を降り注がせるのと同じ。

 

たとえヒュージネストが地下や海中に存在していても、マギが存在する所には必ずナノマシンが凝集する。

いずれにせよ、世界中のヒュージは、その全個体が遅かれ早かれ生命活動を停止するわ」

 

 沈黙したままの咲朱をじっとみつめたまま、ロザリンデはこれから自分たちに訪れるであろう運命を告知する。

 

「……そして私たちリリィの能力も、やがてはナノマシンによって喪失する。

あなたもヒュージの姫ではない一人の人間、白井咲朱に戻るのよ」

 

「咲朱様……」

 

 咲朱の隣りに立つ琴陽が、震える手で咲朱の手を握りしめる。

 

 既に琴陽は咲朱と一緒に、この先に訪れる運命を受け入れる覚悟を固めようとしていた。

 

 だが、咲朱は反証可能な全ての論拠を失ってなお、自らの果たすべき望みを手放すことを拒否した。

 

「私は諦めない。

こんなところで、私が目指すべき『高み』が失われてしまうなんて、私は認めない――絶対に」

 

 咲朱は残った気力を搔き集めて言葉を吐き出し、琴陽の身体を半ば抱えるようにして、この場から去ろうとする。

 

「咲朱、どこへ行くの?」

 

 結梨は力ずくでも咲朱を止めようと考えたが、エインヘリャルのマギビットコアは全機が半壊状態で地上に横たわっている。

 

 残っているトリグラフのみで咲朱の行動を制止するのは不可能だった。

 

「ナノマシンの影響が可能な限り低くなる環境を探すわ。

これからのことは、その環境が見つかってから考える」

 

 背中を向けて遠ざかっていく咲朱に、葵が大きな声で呼びかける。

 

「核シェルターの中にでも引きこもる気?

そんなことしても、外に出られない限り何の意味も無いわよ。

あんたの目指す『高み』は、あんた以外の誰も幸せにしない」

 

 咲朱は葵の呼びかけには答えず、沈黙を守ったまま結梨たちの前から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、世界各地で展開中のリリィによるヒュージネスト討滅作戦には、即座に中止命令が下された。

 

 それに従い、作戦行動中のレギオンは可及的速やかに戦場から撤退を完了。

 

 レギオンの撤退から間を置かず、大気圏外からヒュージネストに向かって突入した弾道ミサイルが命中し、ネスト内にマギ代謝阻害ナノマシンが充満した。

 

 相互確証破壊システムの発動によって、各国の軍事基地と戦略原潜から発射された弾道ミサイルは数百発に上り、その殆どが正確に目標のヒュージネストに着弾した。

 

 旧米海軍横須賀基地で発生した事象は、それを端緒として、人類の存亡を掛けたヒュージとの戦いを、一日にして劇的な終結へと導く契機となった。

 

 



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最終話 ONE MORE FINALE

 

 旧米海軍横須賀基地に於いて、マギ代謝阻害ナノマシンを搭載した弾道ミサイルの発射作戦は、ヒュージの姫の頂点である白井咲朱の手によって阻止された。

 

 その事態に対して即座に、世界各地の主要なヒュージネストに対して、全面的な報復攻撃が実行された。

 

 それは米・英・仏・露・中・印などの核保有国がかつて配備していた、ICBMを中心とした数百発の長距離弾道ミサイルによるものだった。

 

 ただし、その弾頭には、いずれも超高圧で充填されたマギ代謝阻害ナノマシンの格納容器が搭載されていた。

 

 それらの弾道ミサイルは、戦略的攻撃目標として予め設定されていた各個のヒュージネストに正確に着弾し、極めて短時間の内にネストの内部をナノマシンで充満させた。

 

 マギ代謝阻害ナノマシンを体内に取り込んだアルトラ級以下の全ヒュージは、数日の内にその生命活動を停止し、ナノマシンはネスト構造体の崩壊と共に大気中へ放出されていった。

 

 弾道ミサイルに搭載されていたナノマシンの総量は、地球上に存在すると推定される全てのマギを無効化するに充分なものだった。

 

 核戦争によって放射性降下物があまねく地球を覆い尽くすように、ナノマシンは数週間で世界の全域に拡散し、ネストの外にいたヒュージの命を奪い、リリィの能力を喪失させた。

 

 ヒュージ及びそれに類する存在が、日本国に於けるヒュージネスト討滅拠点に対して致命的な攻撃を加えたため、相互確証破壊システムの発動によって、全世界のヒュージネストへの全面的報復攻撃を実行した――各国の軍と政府は、そうした内容の声明を相次いで発表した。

 

 ヒュージの絶滅と同時にリリィの能力が失われたことは、今後は各国の正規軍が保有していた軍事的リソースを、ヒュージ出現以前の時代の内容へ回帰させることを意味していた。

 

 日本国内に於いても、一定期間の経過観察を経た上で、ヒュージの絶滅が公式に確認されれば、対ヒュージ戦闘を絶対的な前提とした部隊編成は改変され、司令官である石川精衛は叙勲の後に予備役へ編入される予定となっていた。

 

 人類の存亡をかけたヒュージとの戦いが終焉に導かれ、世界は次の新たな段階へと進みつつあった――それが人類にとって幸福な時代となりうるか否かは、当の人類自身の叡智による選択に委ねられる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本国、鎌倉府に位置する百合ヶ丘女学院高等部では、国内外の他のガーデンと同じく、在籍する全てのリリィが能力を失っていた。

 

 要するに、彼女たちは一般の高校生と何ら変わらない存在となったのだ。

 

 当然のことながら、CHARMを用いた実技訓練は停止されたが、戦術理論などの座学に関しては、暫定的な措置として従来通り実施されていた。

 

 もっとも、ヒュージの絶滅が正式に確認されれば、ヒュージと戦うための戦術など、一般の高校生には不要以外の何物でもない。

 

 つい先日まで、異形生命体との命懸けの戦闘を強いられてきた少女たちは、突然の終戦を迎えた兵士のように、目の前の事態をどう受け止めたものか戸惑っていた――というのが正直なところだった。

 

 1年椿組の教室では、一柳隊の隊長である一柳梨璃の周りに、同じ一柳隊のリリィである二川二水、安藤鶴紗、郭神琳、楓・J・ヌーベル、そして梨璃と同室の伊東閑が集まっていた。

 

「半月ほど前から世界中で確認されている、リリィの能力喪失については、ヒュージネスト攻撃用の弾道ミサイルに搭載されていたナノマシンの影響によるものだそうです」

 

 二水が手元のタブレットに視線を落としながら現状の説明をすると、梨璃が不思議そうな表情で尋ねた。

 

「ナノマシンって何?」

 

「ウィルスと同じくらいのサイズで、ものすごく小さい人工の機械のことです。

弾道ミサイルにそのナノマシンが入っていて、それがヒュージに対して致命的に作用したと発表されています」

 

「そんなすごいものを防衛軍は作ってたんだ……」

 

「――で、ナノマシンの副作用としてリリィの能力にも同じく致命的な影響を与えた……それが現在の私たちの状況ということですのね」

 

 二水の話の先を読んだ楓が指摘し、二水はこくりと頷いて楓の発言を肯定した。

 

 楓に続いて神琳が、いつもの思慮深さを発揮して、現象の背後に隠れているであろう事情を洞察する。

 

「ヒュージを滅ぼせるなら、リリィがリリィとしての力を失っても構わない……おそらく、そのような判断を各国の軍や政府は下したのでしょう」

 

「まあ、私が政治家や軍人の立場でも、同じ判断をすると思いますわ」

 

「むしろ、その方が人間同士の戦争にリリィが動員されず好都合でしょうね……かつての軍事的地位を取り戻したい軍にとっては」

 

 一柳隊に混じって話を聞いていた閑は、顎に手を当てて得心したように頷いた。

 

 それまで黙って彼女たちの話を聞いていた鶴紗が、不意に思いついたように口を開く。

 

「……そのナノマシンとやら、まさかG.E.H.E.N.A.ラボが開発したものじゃないだろうな?」

 

 鶴紗の疑問に答えたのは楓だった。

 

「表向きは防衛軍が開発したことになってますが、真相が別であっても軍機の壁に阻まれて、数十年は情報開示されないと私は思いますわ。

私個人の考えでは、そのナノマシンを開発したのはG.E.H.E.N.A.ではないと考えていますわ――正確にはG.E.H.E.N.A.過激派ではない、と言うべきでしょうけれど」

 

「どうして、そう思う?」

 

「ヒュージが存在しなくなれば、これまでG.E.H.E.N.A.が開発してきた実験体の研究データが水の泡ですもの。

それに、ナノマシンの副作用でリリィの能力も失われるとなれば、強化リリィやブーステッドCHARMの成果も同じく水泡に帰すことになりますわ」

 

 楓の発言を裏付けるかのように、各地のG.E.H.E.N.A.ラボでは実験体のヒュージは全個体が死滅し、今後の組織運営に関して根本的転換を迫られる事態になっていた。

 

「確かにそうだな。

でも、その副作用のおかげで、私も忌まわしい強化リリィの呪いから解放された。

それを考えれば、ヒュージがいなくなった今、リリィの力もこの世界に存在しない方がいいのかもしれない」

 

 二人の会話を聞いていた神琳が、鶴紗の肩に手を置いて微笑む。

 

「それはそれで、今後の進路やら人生設計やら色々と考え直さないといけなくなって、悩ましいところでもあるのですが。

鶴紗さんが私と雨嘉さんと一緒にいることには何の変りもありませんから、御心配なさらずとも大丈夫ですよ」

 

「今はそういう話をしてる場合じゃないだろう……」

 

 少し照れくさそうに鶴紗は頬を赤らめて、表情を見られないように神琳から顔を背けた。

 

 その様子を見た二水が鶴紗に気を遣って、いささか強引に話題を転換する。

 

「ところで、今日は転校生がこの椿組に来るそうで、さっき吉阪先生から伺いましたよ、鶴紗さん」

 

「この半端な時期に、しかも事実上は単なる高校になった百合ヶ丘に転校してくるなんて、変な話だ」

 

「まあ、人にはいろんな事情があるでしょうから、そういうこともあるんじゃないですか」

 

 二水もそれ以上の細かい情報は持っていないようで、そうこうしている内に始業を告げるチャイムの音が校内に鳴り始めた。

 

 教導官の吉阪凪沙の影が廊下側の磨りガラス越しに映ったのを見て、梨璃の周りに集まっていた椿組の一柳隊リリィたちと閑は、慌ただしく自分たちの席に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、百合ヶ丘女学院の旧館寮では、2年生の白井夢結が机に向かってガーデンに提出する書類を書いていた。

 

 夢結が書類を八割方書き進んだところで、同室の秦祀が部屋に戻ってきて、その様子を目に留めた。

 

「あら、珍しく外出届を書いているの?

どこかへ遠出でも?」

 

「ええ、週末に実家に戻ろうかと思っているの。

どうしても帰っておかなければいけない用事ができて」

 

「理由を聞かせてもらっても構わないかしら?」

 

「――咲朱お姉様が戻られたの」

 

 夢結の言葉を聞いた祀は、一瞬金縛りにでもあったかのように身体を硬直させた。

 

 それを見た夢結は、複雑な表情で祀に事情を説明し始める。

 

「お父様から連絡があって、数日前の夜半に、突然咲朱お姉様が白井家に戻って来たと。

ひどく憔悴した様子で、琴陽さんに付き添われて……お父様が事情を尋ねても、その時は何も答えず、食事もほとんど口にしなかったと聞いているわ」

 

「そう……あの人がそんなことになっていたの。

全ての力を失って、目指していた『高み』に上ることもできなくなり、絶望したのね」

 

 それは人類にとっては僥倖と言う他なかった――が、一度は敵として自分たちの前に立ちはだかったとは言え、ルームメイトの姉である人物の凋落を、祀は喜ぶ気にはなれなかった。

 

「幸い、今は少しずつ落ち着きを取り戻しているようで、日常生活も支障なくなってきているそうよ。

事情はともかく、咲朱お姉様が生きて戻ってきてくれたのだから、それだけでも良かったと、お父様もお母様も喜んでいらっしゃったわ。

――もちろん、私も」

 

「……そうね、その通りね。

あの人だって、元々はとても優秀なリリィで、本来なら教導官として百合ヶ丘に着任する予定だったんですものね。

あまりにも度が過ぎた力が人を狂わせてしまっただけで、彼女の本当の人柄や人格は、夢結さんが尊敬して止まなかったお姉様なのだから」

 

 生徒会の用事を思い出したから、しばらく戻らないと言い残して、祀は部屋を出ていった。

 

(私も、昔の咲朱お姉様のように、梨璃や一柳隊の1年生から理想とされる存在にならないと……私が咲朱お姉様に教わることは、数えきれないほどある)

 

 祀の後ろ姿を見送り、夢結は書類の末尾に自分の名を署名するために、机の上に置いていた万年筆を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、事情があって暫く別のガーデンに在籍していた生徒が戻ってくる。

あなたたちもよく知っているリリィだ。

――入りなさい」

 

 教導官の吉阪凪沙が教室のドアの向こうに声を掛けると、ゆっくりとドアが開き、百合ヶ丘の制服を着た一人の少女が姿を現した。

 

 少し戸惑ったような様子で、少女は教室の中を見回す。

 

「あの……」

 

 その少女を見るなり、教室内の全てのリリィが席を立ち、少女の周りに走り寄って人垣を作った。

 

 いや、正確には一人を除く全てのリリィが、だった。

 

 人垣の中心にいる転校生は、一柳結梨その人に他ならなかった。

 

「結梨、今までどこにいたんだ。生きていたなら早くそう言え。

戦死扱いになって霊園に墓まで作られたんだぞ」

 

 喧嘩腰のような口調で結梨に詰め寄る鶴紗だったが、その目からは大粒の涙がこぼれ、頬を伝っていた。

 

「ごめん……いろいろ理由があって、今日までみんなの前には出てこれなかったの」

 

「そうですよ、鶴紗さん、人には事情というものがあるんです。

ヒュージがいなくなって、リリィの力が無くなって、G.E.H.E.N.A.が強化実験をする理由が無くなったから、結梨ちゃんは百合ヶ丘に戻ってくることができたんです」

 

「そんなことは言われなくても分かってる。分かってる……」

 

 結梨に代わって一所懸命に理由を並べ立てる二水に、鶴紗は理性的に反論できず、言葉を詰まらせることしかできなかった。

 

 一方、人垣のすぐ外側では、腕組みをしている楓が、同級生に囲まれている結梨を見ながら微笑んだ。

 

「何となく、こんな展開じゃないかと思っていましたわ」

 

「楓さんは、結梨さんが生きている何かしらの証拠でも掴んでいたんですか?」

 

 隣りに立っている神琳に尋ねられた楓は、あっさりと首を横に振って肩をすくめた。

 

「いいえ、証拠と言うほどのことは何も。

ただ、ロスヴァイセの伊紀さんと霊園でお話をした時に、このお墓の下には誰も眠っていません、と言われただけですわ」

 

 神琳と同じく楓の横に立っていた閑は、それを聞いて心底から羨ましそうな顔をした。

 

「それが伊紀さんにできる最大限の情報開示だったというわけね。

あーあ、私も特務レギオンにコネを作っておかないと、裏で展開している真相に気づかずに置いてけぼりを食ってしまうわね」

 

 人垣の外側であれこれと裏の事情を考察する三人の会話など露知らず、結梨は席に座ったままの一人のリリィから目を離さなかった。

 

「みんな、ごめん。ちょっと通して」

 

 結梨は自分を囲む人の輪を抜け出して、目の前の現実に呆然として椅子から立ち上がれない梨璃へと近づいていく。

 

 梨璃の席のすぐ前まで来た結梨は、膝をかがめて目線の高さを梨璃と同じにした。

 

 まだ子供のような無邪気な結梨の瞳が、戸惑いに見開かれた梨璃の目をまっすぐに見つめる。

 

 そして結梨はにっこりと笑って、少しだけ誇らしげに、梨璃に呼びかけた。

 

「ただいま、梨璃。 私、できたよ」

 

 





 いつもよりかなり遅くなりましたが、今回投稿分にて完結となります。
 最後までご愛読くださり、本当にありがとうございました。
 あとがき的なことや次回作については、明日以降ここに追記していく予定です。


2023.7.12追記

・次回作は、本作中の番外編で1話のみ投稿したアサルトルベルム二次創作の続きになります。

・アサルトルベルムはアサルトリリィの公式パラレルワールドで、現在は若干の設定資料のみ公開されている状態です。

・第1話は番外編の内容に多少の設定変更を加えて再投稿する予定です。

・主人公は結梨ちゃん、楓さん、葵ちゃんの三人です。

・文体は葵ちゃんの一人称視点から、通常の三人称に変更するかもしれません。

・今月中に第1話を投稿、その後は月に1~2回の不定期更新を考えています。

・あまり風呂敷は広げず、ゲヘナ的な価値観と正面から対峙する構図になります。


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