死してなお死ぬ少女 (こっくん)
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スオムスの少女は死んだ

みんなも推しの前で死のう!


 私はリッリ。スオムスの一家ハータイネンの一人娘。近くにはユーティライネンさんたちが住んでる。

 スオムスの冬は厳しくて、吹雪く日には家で遊ぶしかなくて、今日もまた吹雪なのでエイラちゃんが家に遊びに来ている。

 

「リッリぃ……。たまには勝たせてよぅ。」

 

 今遊んでいるボードゲームはフォックスゲームで、キツネでガチョウを追い込むゲーム。わたしはこれで負けたことがなくて、今日もエイラ相手に勝ち星を増やしていたのだ。

 

「だってエイラに勝てるのはこれぐらいしかないじゃない。」

「むぅ……。わたしはこれでも負けたくないんだ!」

 

 仕方ない。手加減してあげよう。エイラだって運が絡むゲームなら絶対負けないのにね……。

 ……。

 

「うがー!結局勝てないじゃないか!リッリのバカ!帰る!」

 

 エイラは突然立ち上がって吠えた。そして家を飛び出していった。

 あっけにとられているとエイラの姿は吹雪の中に消えてき、ようやく気づいたわたしは急いでその後を追いかけた。

 

「エイラ!待って!」

 

――

 

 エイラは帰ると言っていた。ユーティライネン家に向けて追いかければよいはずだ。

 

 走る、走る。しかし猛吹雪で視界は狭く、足跡もすぐに消えていった。結局エイラには追いつけずにエイラの家に着いてしまった。

 ノックをして開けてもらう。

 

「こんにちは。エイラは帰ってきましたか?」

 

 しかし返ってきたのは意外な言葉だった。

 

「エイラ?ハータイネンさんのところに行くって言ったきり帰ってないわよ?」

「ほんとですか?わたしの家からは帰るって言って出たのですが。」

 

 ユーティライネンさんの顔がこわばる。私達は同じことを危惧していた。

 

「わたし探しに行ってきます!」

 

 ユーティライネンさんがなにか言ってたが、次の瞬間には吹雪にかき消されていた。エイラが危ない。この吹雪の中遭難したら命はない。

 しかしそれはわたしにとっても同じであることを忘れていた。

 

――

 

 リッリの家を飛び出してすぐにエイラは道をそれて隠れていた。

 

「リッリのやつ心配してるかな?ふふん。手加減しないバツだ。心配するといいや。」

 

 エイラは少し隠れたあと自宅に帰ってしまうつもりだった。しかし思わぬことでその時間は延びる事になった。

 

「エイラ!リッリ!どこに居るの!」

 

 遠くから聞こえた声。それを聞いたエイラは自身の失策に気づいた。

 

(あちゃ~。大人まで出てきちゃった。)

 

 エイラの母の声だ。エイラとリッリの間だけで済めばよかったのだが、大人たちが出てきてしまった。

 

(これバレたら怒られるだろうなぁ。)

 

 この吹雪だ。大人たちはとても心配しているだろう。エイラは事態が拡大することを恐れて、しかし出ていく勇気もなく悩みながら隠れ続けるのだった。

 

――

 

 エイラの家から走り出して数分。エイラの名前を呼んでいるが一向に返事がない。

 

「もしかしてどこかで怪我したんじゃ。」

 

 心配する気持ちから良くない妄想は歯止めがかからない。焦燥感とともにより一層道から外れて探しにいくのだった。

 

 ……。

 

 そして十数分後。

 

(寒い……。)

 

 わたしは動くこともままならなくなっていた。自身の遭難の危険性に気づいた時にはもう遅く。体温は低下し足も動かなくなっていた。

 

(わたし死んじゃうのかな。エイラ……生きてるかな……。)

 

 もはやうずくまって体の熱を逃さないようにすることしかできない。いつしか体は温もりに包まれていった。

 

――

 

 基地の一室。ブリテンも雪の季節であった。エイラとサーニャはお互いを温め合うようにして眠っていた。そしてその日はサーニャが先に起きたのだった。

 エイラが夢にうなされる声でサーニャは起きた。エイラは吹雪く日にはこのようにうなされる。決まってエイラは夢の内容は覚えていないのだけど、サーニャはどうしても心配になるのだった。

 

「エイラ。またうなされていたわ。」

「そうか?」

 

 今日もエイラはうなされた夢を覚えていない。エイラは夢を覚えるたちではないが、特にこの夢は覚えていないらしい。しかし今日はサーニャが寝言を覚えていた。

 

「ええ。リッリって名前も呼んでいたけど故郷のお友達?」

 

 サーニャに呼ばれたその名前にエイラの顔は歪んだ。

 

「エイラ?」

 

 しかしそれは一瞬で、エイラは無理矢理に明るい顔を作ってしまった。

 

「そ、そうだ!故郷に置いてきちゃったな。」

「そうなのね。」

 

 サーニャは気にはなったがあまり細かくは問い詰めなかった。思い当たる節はあったからだ。

 

「置いてきちゃったな……。」

 

 



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ダキアのウィッチは死んでいた

この小説の主人公すごく嘔吐します。
ダキアは現実でいうとルーマニアの平地部に相当します。サリチョイは黒海沿岸北部の都市です。
ダキアは南部にはモエシア(ブルガリア)があり、トランシルバニア山脈を含む北西のルーマニアはオストマルク(オーストリア)の領土になっています。


――

 

 暖かな雪の感覚を失い、わたしはベッドで目を覚ました。

 あたりを見回すとまずはスオムスにはなかった石造りの壁が目に入った。

 

(石壁?ここは……)

 

 次の瞬間、多くの記憶が頭の中に流れ込んできた。

 出生・父母の顔・友人。わたしの人生とは全く異なる他人の人生がわたしの中に流れ込んできた。

 

「うっ!うあああっ、うぐっ、おげぇ」

 

 自身の記憶と混濁する。体と脳がめちゃくちゃになるような感覚に吐き気をもよおし、床が胃液で汚れた。

 嘔吐感を無理やり抑えながら記憶の海を時間感覚がなくなるほど流された後、わたしは意識を失った。

 

――

 

「デボラ?目が覚めた?」

 

 二度目の覚醒。ようやく私は自分がどういう状態に置かれているかを認識した。どういうことかわからないが、私はスオムスから遠く離れたダキアのウィッチに憑依?しているようだ。

 この私を覗き込んでいる子はディラーラ。赤い巻いた髪と刺激的な琥珀の目が特徴的な女の子で、私と同じダキア空軍サリチョイ基地所属で同期のウィッチだ。そしてわたしはデボラ。同じダキア空軍のウィッチだ。

 

「デボラさん。運が良かったですね。一歩間違ったら死んでましたよ?」

 

 医者が小言を述べる。

 

「一時的に心停止していましたから脳障害の恐れがあります。気分はいかがですか?」

 

 一時は嘔吐するほど気分が悪かったが、今は全く気分は悪くない。

 

「大丈夫です。」

「それは良かった。では運動機能障害がないか確認しますので準備いたします。」

 

 そう言って医者は部屋を出ていった。

 

「デボラ。運が悪かったね。あんな突風が吹くなんて誰も思わないわ。」

 

 私は黒海周辺を哨戒飛行していた際に、突風で均衡を崩して錐揉み落下したのだ。

 

「でも運が良かった。こうして命はあるから。」

「そうね。私もデボラが死ななくてよかったわ。」

 

 そう言ってディラーラが抱きつく。そう。この娘ディラーラは私ととても仲が良いみたいで、軍属になってから同じ部屋に住んでいるようだ。

 ディラーラが私の胸で泣く。安心して気が抜けたらしい。

 死んだはずが生きている事実に対して私自身驚いたほど混乱は少なかった。なぜか、ここにいることが当然に思えるのだ。たぶん今までのデボラの記憶のせいだろう。

 

――

 

 それからの生活は記憶にあっても今まで経験したことのない生活だった。生活自体は記憶のとおりに行えば問題なかったのだが、リッリの頃の記憶と混ざって違和感が拭えなかった。

 それにしてもエイラ、大丈夫かな。結局あのあと見つかったのだろうか。

 

 エイラについても調べていたけど、遠くスオムスで遭難事件があったかどうかなんてダキアでは全く伝わってこない。仕方ないので諦めてダキアの空軍ウィッチとしての生活を続けていた。

 

 そして今日はハンガーでディラーラとともにストライカーユニットの整備だ。

 

「それにしても、ストライカーユニットの修理方法まで学ばないといけないの?」

 

 私達空軍のウィッチはここ数年からストライカーユニットと呼ばれる新型兵器を使うようになっていた。私自身墜落した原因はまだこのストライカーユニットに慣れていなかったことがある。

 そしてこれがまた以前の飛行器具に比べて複雑で、覚えることが多いのだった。だから無意識にディラーラに愚痴をこぼしてしまう。

 

「仕方ないじゃない。これすっごく高価なんだから壊れたから置いてきましたーなんて許されないのよ。」

「はあ。せめて私の命より安いことを願うわ。」

「それは笑えないわね……。」

 

 なんだか一回死んだからか無意識にブラックジョークが出てしまう。

 

「今日は整備が終わったら哨戒任務で、帰ってきたら夕食。」

「毎日変わらないね。」

「そうね。でもウィッチの毎日は変わらないほうがいいわ。」

「そうだね。」

 

 こういう話題が出るのにも理由がある。ヒスパニア・扶桑と近年また怪異が出現しているのだ。子供の頃に絵本で見たような化け物たちがまた人類に危害を加えようとしているのだ。

 

――

 

 定刻、私達はストライカーユニットを履くと出撃した。

 魔導エンジンの回転数を上げると断続的な音からほとんど連続した発破音になる。バリバリと空を震わせながら滑走し、推力を全開にして滑走路を離れる。ディラーラに続いて二人で並列して哨戒ルートに乗った

 

『今日もなにもないといいわね。ディラーラ。』

 

 空ではエンジン音に声がかき消されてしまうので会話は通信機を通してになる。

 

『そうね。デボラ。』

 

 私達の他にナイトウィッチしかいない弊基地ではいつも私達が哨戒任務を行う。いつしかこの哨戒任務は私達の楽しみになっていた。

 

 基地を充分に離れた頃、ディラーラはいつも通りベルトにつけた受信機でラジオを受信した。それを私の通信機のチャンネルにも流す。

 

『今日はロマンス映画の曲ね。』

 

 ラジオから甘い音楽が聞こえる。これは休暇に見に行ったロマンス映画のクライマックスの曲だ。

 

『あの映画かあ。随分人気なんだね。』

『そうね。ダキアの女の子はみんなあんな恋をしたいと思ってるのよ。』

 

 ディラーラはロマンス映画好きで、度々私も連れて行ってくれた。私もスオムスにいた頃と比べて文化的な物珍しさに惹かれて見に行ったのだ。

 

 一旦哨戒を止めて、ディラーラと手を取り合う。

 

『映画のダンス、覚えているかしら?』

『あんまり。』

『じゃあリードしてあげる。』

 

 ロマンス映画は貴族の物語で、そのダンスは貴族がするような社交ダンスだ。ディラーラが男役で私の動きを先導する。ストライカーユニットを履いているからステップはないので、少し簡単になったダンスは私も容易についていけた。

 

『~~♪』『~~♪』

 

 二人で歌いながら開放的な空の中を大きく使って踊り回る。

 ダンスに熱中しているとまるでここが王宮のように思えて、私たちはロマンス映画の愛し合う二人のように情熱的に踊るようになっていった。そして音楽はクライマックスに近づき、たしか最後は……

 

 

『ディラーラ。』

 

 ディラーラに腰を抱かれ、その顔を見上げる。音楽は終わり、ディラーラの顔は運動以上に何かでほの赤かった。ディラーラの刺激的な琥珀の瞳が私を魅了する。

 

『デボラ、結婚しよう。』

『ええ、喜んで。』

 

 そうして私達の唇は近づき……

 

『《さて今日の放送はおしまいです。次はニュースになります。》』

 

 顔がぼふっと真っ赤に爆発した。とっさに距離を取る。

 

『……哨戒を続けましょうか。』

『……そうね。』

 



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ダキアのウィッチは死んだ

いらん子中隊ReBOOTより初期のネウロイは銀色で、着弾時炸裂するような弾丸を撃ってきます。
あとダキアの壊滅が若干原作より早いです。
ヤンデレじゃないかもしらぬ……ヤンデレというより病んでる


 その日の哨戒任務はキス未遂を除いて安全に、何事もなく終了したのだった。

 ハンガーに戻り、そして夕食を取る間もディラーラは相手の顔は見れなかった。特にその唇は見ることができなかった。

 

 翌日、その翌日と哨戒任務に出たが、気まずくてふたりは任務以外のことはあまり喋らなかった。そしてそれは勤務交代ですれ違ったナイトウィッチにも見咎められた。

 

「ディラーラさん。デボラさんと喧嘩でもしたの?」

「別に、喧嘩してないわ。」

 

 ディラーラは気丈にそう言ってのけたが、正直いつも隣りにいる友人と張り詰めた関係になるのは心理的に辛いものがあった。

 

「それなら良かったけど。あのDDシスターズが喧嘩なんてありえないわね。」

「なにそのカッコ悪い呼び方。」

「DeboraとDilaraの二人でDDシスターズ。」

「わかるけどそんな呼ばれ方してたのね……。」

「それにしても喧嘩じゃないなら……痴話喧嘩?」

 

 にやりと笑ってナイトウィッチが茶化す。

 

「ちわっ!って結局喧嘩じゃない。」

 

 取り乱すディラーラに対してナイトウィッチはにじり寄り、その横でささやく。

 

「ウィッチ隊は女の子しか居ないからそういう趣味(・・・・・・)もよくあるみたいだけど、あなた達は仲が良すぎることで有名なのよ?女二人連れ立ってロマンス映画なんて。見せつけてるのかしら。」

「知らない!」

 

 ディラーラは無理やり話を打ち切って早足に部屋に帰る。もうデボラは帰っているはずだ。

 

――

 

 ディラーラが帰ってきたとき、デボラはすでにベッドに入っていた。

 

「はあ。何言ってるのかしら。」

 

 ディラーラはナイトウィッチに言われたことを頭の中で反芻していた。

 

そういう趣味(・・・・・・)も珍しくない。か。」

 

 眠っているデボラを見る。そしてそのベッドに腰を下ろした。

 覗き込むようにデボラの顔を見る。あの日、自身の目の前で止まった唇が目の前にある。

 

「……。」

 

 あの日からずっとディラーラはデボラの唇に意識を取られていた。この感情をなんと言うのかはわからない。好奇心だろうか?それとも……。

 眠ったデボラの唇に触れることは簡単だろう。触れてしまえばわかるかもしれない。しかしその行動は一方的に事態を悪くする事もわかっていた。

 

「デボラ。私はどうしたら良いのかな。」

 

 デボラは答えてくれなかった。

 

――

 

 翌日、ふたりは警報で叩き起こされた。

 

『警戒網に国籍不明の反応あり!デボラ・ディラーラ両名は直ちに出撃、不明機を確認せよ!』

 

 次の貧乏くじはダキアだったらしい。ふたりはすぐに着替えて部屋を飛び出した。

 

――

 

 急いで現地に向かうと、そこには私の体の数倍とある大きさの黒い物体があった。

 

『なんなのこれは!』

 

 通信機を通してディラーラの悲鳴が聞こえる。そして黒い物体は赤い輝きから熱線を放った。レーザー攻撃だ!

 

 とっさにディラーラの前に割り込んでシールドを展開する。

 

「くぅ……。」

 

 扶桑での事案で聞いていたが本当にこの怪異はレーザーを放つらしい。このレーザーは強烈でシールドの強度以上に推力で押し負けるほどだ。

 

『デボラ!』

 

 ディラーラが声をかけて私の後ろから腕を取り、シールドを支えた。シールドは力強さを増し、ついには怪異のレーザーをしのぎ切った。

 

『司令部!聞こえますか!』

 

 距離を取り、レーザーを躱しながら司令部に指示を仰ぐ。しかし聞こえたのは悲鳴と爆音だった。

 

『ディラーラ、これは……。』

『デボラ。どうやら私達は帰る場所がなくなったみたいね。』

『ええ……。』

 

 あまりの異常事態にかえって冷静になってしまった。この通信状態から察するに、基地は壊滅してしまったのだろう。

 

『諦めるにはまだ早いわ。ひとまず情報をどこかの基地に持ち帰りましょう。』

『わかった。』

 

 転身、最高速で南の直近の基地に向けて飛行する。

 

『こちらサリチョイウィッチ隊。コンスタンツァ基地聞こえるか。』

 

 通信機はノイズしか返さなかった。他の南の基地にも連絡を取るが、届く範囲ではどこも返事がない。

 

『ダメ。どこも反応しない。』

『近辺の基地が同時に全滅したの……?そんな……。』

 

 一縷の望みをかけて直近の基地まで近づいたが、しかしそこにも怪異が複数飛行していた。これはヒスパニアでも見られたような銀色の怪異だ。

 しかし目の前の基地にも居るので、後ろから追いかけてくる黒い怪異と挟まれるような形になってしまった。

 

『前にも後ろにも怪異だ。包囲された。』

『仕方ない。戦うわよ!』

『了解!』

 

 連れ立って飛行し、小型の銀色の怪異の後ろをついてまわる。ドッグ・ファイトだ。

 二人で小型怪異の後ろから集中射撃。小型は集中射撃されると装甲板はバラバラに砕け散った。

 

『やった!』

『小型なら撃墜できるわね!できるだけ早いうちに小型を殲滅してスキを見て逃げるわよ!』

 

 二人で手分けて小型を追い回して駆逐する。大型からの射撃を避けながらなので難しくはあったが、包囲網の隙間ぐらいは作れた。

 

『逃げるぞ!』

 

 速度を最大に、敵の少ない方向に向けて飛び抜けた。が、しかし。

 

『なんてこと……。』

 

 私達が飛び抜けた先、黒海には渦巻く黒い雲の塊があった。そこからひっきりなしに銀色の小型怪異が飛び出している。

 

『怪異の巣だ……。』

 

 そう形容するしかしかなかった。呆然とした。呆然とするしかなかった。

 

『っ!危ない!』

 

 通信機にディラーラの悲鳴が響く。しかし気づくのに一瞬遅れてしまった。足に激痛が走る。赤い光、片足がレーザーによって切り取られたのだ。

 瞬間、私のユニットと意識は揚力を失い急速に落下していった。

 

――

 

 ディラーラは墜落するデボラを追いかけて受け止めることに成功した。しかし木に隠れて地面に横たえると状態は最悪であることがわかった。

 

「お願い……止まって……。」

 

 半ば願うように止血する。右足はユニットごと根元から吹き飛んでいて、太ももを締めて止血するも余り効果がない。

 努力も虚しく、赤色の溜まりは広がっていった。

 

(こんな……こんな所でデボラを失いたくない!)

 

 無意識にディラーラは涙を流していた。数瞬前の戦いも、数日前の哨戒も、色んな後悔が頭の中を渦巻いていた。

 

「ディラーラ……。」

「目が覚めたの!?」

 

 デボラが意識を取り戻した。しかしその目は朦朧としていて、今にも閉じてしまいそうだ。ディラーラはデボラを覗き込むように見た。

 

「あはは……。私撃たれたのね。」

「笑い事じゃない!」

「泣くんじゃないよ。美人が台無しだ。」

「うるさい!」

 

 デボラは朦朧とした意識の中で口をついて冗談が出てきた。そのなんでもないような振る舞いに、歯の浮くようなセリフにディラーラの心はかき乱された。

 

「一つ確認したいんだけど、いいかな?」

「何?」

「私って、ディラーラのことが好きなのかな?」

「はあ?何言ってるのよ!」

 

 ディラーラは顔を真っ赤にしてしまった。しかし、思いを伝えるには今しかないということも同時に認識した。

 

(こうして失いかけてわかるなんて……馬鹿ね。)

 

「……。じゃあ私の答えを先に言ってあげる。私はデボラのことが好き。愛してる。」

「そっかあ。」

「そっかあ。って何よ!私にだけ言わせてそっちは言わないの!?」

 

 デボラはそれに答えるため、いや自分の答えを確認するためにディラーラの首に腕を回した。そして顔を引きつけるが、力加減を間違えてディラーラを抱きとめるようになってしまった。

 もう体の動かないデボラにはディラーラの頭を動かしてその唇に触れることは叶わない。だからこの言葉を残す他なかった。

 

「また、いつか会いましょう――」

「デボラ?デボラ?」

 

 ディラーラは自身を抱き締めるデボラの力が無くなったことを認識した。心音を聞くとまったく聞こえなかった。

 起き上がって手首を、首を、こめかみを、すべての脈拍を見るがすべてで鼓動は感じられなかった。

 

「デボラ……。ぐすっ……。デボラ……。」

 

 ディラーラは声を上げて泣いた。

 

(デボラをこんな形で失うなんて……。)

 

 デボラの答えを聞くことはできなかった。こんなことならデボラを避けずにしっかりと向き合っておけばよかった。

 一瞬ディラーラの脳裏に仇討ちが浮かんだが、今はできない。遺体を持ち帰らなくてはならないのだ。だから自暴自棄にここで怪異に挑み散ることはできなくなった。

 隠れて援軍が来るのを待つ他なかった。

 

――

 

 デボラの遺体とディラーラはダキア軍のトラックに揺られていた。撤退途中の陸軍トラックに拾ってもらったのだ。

 同時に隣国のオストマルクやモエシアから援軍のウィッチが到着、怪異相手の撤退戦が始まっていた。

 

「ダキアは完全に壊滅しました。ダキア軍は一時的にモエシア方面へ再展開します。」

 

 トラックに乗る陸軍将校がディラーラに状況を説明する。しかしディラーラは悲しみに暮れて聞くどころではなかった。

 

――

 

 モエシアに移動したのち、デボラの両親と連絡を取ろうとしたディラーラだったが、戦乱の混乱もあって連絡がつかなかった。仕方ないので自身の判断で墓を建て、識別タグを残してデボラを埋葬したのだった。



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ウィーンのウィッチ

憑依を繰り返すごとに記憶は混濁していきます。
あと単純にぼくは主人公が苦しむのが好きです。(この点若干愉悦系とは異なるかもしれない)
あと死んだ後のアフターストーリー強化をしてみることにしました(既に書き上がってる分で)


「起きて!早く!逃げるよ!」

 

 ダキアの地で安らかな眠りについたすぐあと、わたしは瓦礫の中でうずくまっていた。

 顔を上げると女の子が居て、この子はわたしの親友で、いや私、ぼくの親友で、ぼくはオストマルクの生まれで、空を飛んでるのはネウロイで、ダキアは奇襲で壊滅して、ネウロイは北西のオストマルクに進出して――

 

「ぼさっとしてないで!早く!」

 

 女の子に手を引かれてよろけながら立ち上がって走り出す。周囲は戦火に焼かれた町並みだ。足元も悪くて気をつけて歩かないと。

 しかし数歩歩いたところで転倒した。

 

「うくっ、う"え"っ。」

 

 その場に嘔吐する。また意識を失ってしまう――

 

――

 

 また目を覚ますと今度は周りはまったく見えなかった。

 頭を動かすこともできず、仰向けに倒れて僅かに手に触れているのは土のようだった。

 そして――ワタシは、わたしは、私は、ぼくは、オスト――ダキア?スオムス?出身で?ネウロイの襲撃――瓦礫の下?

 

 吐き気が込み上げる。消化されて居なかった記憶が押し寄せて自我を侵食する。平衡感覚を失った脳が胃を痙攣させ、胃の内容物が喉から吹き出す。

 

「うぐっ。あ"……ゲホッ、う"」

 

 仰向けの状態で喉を遡った吐瀉物は重力に従って私の肺を侵した。

 咳き込みながらもどうにか気管の吐瀉物を取り除こうとしたが、それよりも先に意識を失った。

 

――

 

 目を覚ますと石造りの天井が見えた。ああ、今度は安全なところに――

 

「う"っ。」

 

 頭が痛い。私は、わたしは。ぼく、オストマルク、ウィッチ、あたし、私――

 必死の思いで頭だけを横に向けて意識を失った。

 

――

 

 二度目の覚醒、誰も私の傍には居なかった。服は替えられていたので誰かが世話はしてくれたらしい。

 この体はウィーン航空隊のウィッチのもので、撤退戦の途中に墜落して水没したらしい。

 以前の宿舎では仲の良い同室は数人いたはずだ。しかし誰も居ない。もしかしてみんな死んでしまったのかもしれない。

 不思議と悲しみは無い。これは私が冷徹になった訳でもなく、ただとにかく知識として友人が存在したことを認識しているからだ。経験が伴っていない。物語として聞かされたようで現実感がない。

 

 ズシン、という揺れが建物を襲った。窓に駆け寄って空を見上げる。

 

「ネウロイ……。」

 

 あの怪異、いつしかネウロイと呼ぶようになったらしい。巨大なネウロイと陸空の集団がこちらに向けて侵攻している。

 

「戦わないと……。」

 

 部屋を抜け出してハンガーに向けて走り出す。体は至って健康だ、戦えないことはない。

 ハンガーに着いたら既に基地のウィッチがばらばらに出撃していた。私もひとつのユニットを履いて空に飛び出す。

 

――

 

 ウィッチたちは個々で奮戦している。しかし多くの味方は全方位からの射撃に対応しきれずに風穴を開けて沈んでいった。

 

『助けて!いやああああああ!』

 爆発音。

『来ないで!来ないで!』

 地面を踏み均す音。

『北へ、北へにげ――』

 無音。

 

 無線が動く度、誰かの悲鳴が聞こえた。どれも幼い声だ。

 空をよく見ると戦っているウィッチ、いや蹂躙されているウィッチたちはみんな10かそこらの年齢だった。

 

「マトモなウィッチが居ないのか!これなら逃がした方がよっぽどマシだ!」

 

 この場でネウロイを殲滅することは諦めた。しかし救えるウィッチは誰か居るはずだ。必死に無線で声をかけ、ネウロイを殲滅する。

 この体は幸いなことにいくつかの有用な知識を持っていた。経験はない未熟なウィッチだったが、ネウロイに関しての新しい知識だけは詰め込まれていた。

『突っ込みすぎるな!距離を取れ!北西に向けて下がるんだ!』

 

 無線機に向かって叫ぶ。指揮系統の崩壊した今、この未熟なウィッチたちを撤退させるには私が頑張るしかない。

 しかし、完全にウィーンは包囲されている。

 

「せめて、せめて北西に抜けることができれば……」

 

 ウィーン北西はプラークだ。ズデーテンに囲まれた要塞は少なくとも陸上ネウロイだけでも止めてくれるはず……。

 願いをかけながら北西に向けてネウロイを撃墜していく。

 たまたま突出した小型ばかりが集中している領域があったのだ。ここを突いて突破するしかない。

 

『私についてきて!』

 

 数回、無線に返事があったように思える。そして確かに私の後に着いてくるウィッチが居た。

 ウィッチ達を連れて小型ネウロイを追い回す。私の残弾数も少ない。着いてくるウィッチたちに撃たせてしまおう。

 

『今だ、撃て!』

 

 バラバラと明後日の方向に飛んでいく弾丸もあったが、弾数が多い分たまたま弾丸が集中したところが破損して小型ネウロイは撃墜された。

 

『やめ!』

 

 これを繰り返して道を作り出す。途中で数人がシールドを張れなくて撃墜されていったが、庇い合いながらまだ生きているウィッチも少なくなかった。

 繰り返していくうちに突破口が見い出せた。

 

「よし!これなら通れる!」

『前方のネウロイを撃ちながら駆け抜けろ!プラークが待っているぞ!』

 

 喜びと共に無線機に叫び、私は追撃を防ぐために殿をつとめた。

 私は殿で追撃するネウロイたちを倒し続けた。倒して、倒して、下がろうと後ろを見た時――

 

「嘘……。」

 

 巨大な暗雲がプラーク上空に立ち込めていた。

 

『プラークが!』

『嘘、いや、いやああああああ!』

『北西に抜けれるんじゃなかったの!』

『嘘つき!』

 

「あ、ああ……。」

 

 逃がしたと思ったその先、ネウロイの巣という最前線に子供たちを送ってしまったのだ。

 

『ああああああ!!!!』

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』

『嫌だ!いや!』

『ママあああああ!』

『神様……』

 

 ウィッチたちは恐慌状態だ。そして巣から出てきたネウロイたちになすすべなく殺されていく。

 

「私のせいで……。」

 

 元々指揮経験なんてなかった。ただ安全そうな方向に向かえば良いと思っていた。

 ……でも言い訳になんてならない。私の指揮があの子たちを殺したのだ。

 

「私のせいで……あああああああああ!!!!」

 

 こめかみにサイドアームを押し付ける。これから先の記憶はない。わたしは責任から逃れたのだ。



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スオムスのウィッチ

エルマさんが戦闘以外でうろたえる様子が幻視できませんでした


 次に起きた場所は少し煙臭くて暖かい部屋だった。

 

「あ、起きたんですね。良かったです。」

 

 隣にはスオムスの軍服を着た女の子。銀ほどに薄い金髪でくりっとした目、まるふにゃっとした人だ。

 

「あなたは?」

「私は、エルマ・レイヴォネンです。ここの中隊長をしています。あ、ここは義勇独立中隊の基地です。」

 

 なるほどエルマさんね。そういえばスオムスに昔行ったことがあるような……突然に天地がぐるっと回った。差し迫った嘔吐感と混濁する意識の中、さまざまの記憶が入り乱れる。

 

「うっ……うぷっ……。」

 

 嘔吐感に口を押さえる。

 

「は、吐きそうなんですか!ちょっとまってください!」

 

 エルマさんは立ち上がって部屋の中を見回す。

 

「もう無理……ダメ……。」もう無理、口の中まで来てる。「え、ええっと、はい!」

 

 目の前に手が差し出される。私は耐えかねて嘔吐した。

 エルマさんの小さな手には多すぎる吐瀉物が溢れ、結局床を汚してしまった。

 

「ごめん……なさい……。」

 

 もう意識が持たない。

 

――

 

 再度起きたとき、私は混濁した記憶にある程度の秩序を得ていた。そしてそれは同時にウィーンでの悪夢を私に思い起こさせた。

 

「死ななきゃ……。」

 

 死んで新しい体の記憶で上書きしなくては。でなければ私は耐えられない。

 ベッドから起き上がって外に出る。私が寝かされていたのはリビングだったらしくドア一つで外に出られた。

 

 外に出るとハンガーが目に入った。ハンガーならきっとなにか危険なものがあるだろう。

 

――

 

 ハンガーに行くといろいろと資材だとか工具があった。

 工具ラックを確認すると金切りのこ、ハンマー、レンチとかがあった。

 

「流石にこれは痛いかな……。」

 

 あまり痛い死に方はしたくない。こう、一思いに死ねるようなものはないかな。

 しかし、金属加工工具が多く、長く鋭い刃を持った工具はあまりないのだった。

 

「なにかお探しですか?」

 

 声をかけられたので振り向くとそこには小さな白衣の少女がいた。刃渡りのある工具を探しているけど……目的は教えないほうがいいだろう。

 

「えっと……薪を切れるような刃物を探していまして。」

「薪……それならこちらに。」

 

 ストーブの近くに連れて行かれると、そこにストーブに入らない大きさの木を切るための鉈があった。それを渡してくれる。うん。これはなかなか丁度いい長さだ。これなら一思いに切れるだろう。

 

「これなら使えそうです。ありがとうございます。」

 

――

 

 ウルスラ・ハルトマンは出撃のない自由時間にハンガーで実験品の製作を行っていた。

 熱中して製作を行っていたが、一区切りがついたので周りを見渡すと見知らぬ人がいた。

 スオムスの軍服を着ているからたぶん基地関連の人だろう。そう当りをつけてウルスラは作業に戻った。

 

 ハンガーの中に製作する音と、ぶつぶつと小声で喋りながら工具をひっくり返して探す音が響く。

 

(うるさくて集中できない……。)

 

 ウルスラは集中を切らしていた。いつもはこのハンガーに入ってくる人はそんなに居ない。ストライカーユニットがある方に行くのだ。だから珍しく入ってきた人を正直邪魔に思っていた。

 

(探しものしてるなら、さっさと見つけてあげて帰らせよう。)

 

「なにかお探しですか?」

 

 聞くと彼女は薪を切る刃物を探しているらしい。

 

(丁度いい、薪ストーブ用の鉈があったはずだ。それを渡して帰ってもらおう。)

 

 薪ストーブの前に行って鉈を渡す。受け取った彼女は刃の状態を確認する。

 

「これなら使えそうです。ありがとうございます。」

 

(ああよかった、これでどっか行ってくれる……。)

 

 そして彼女は笑顔でそれを振り上げて、自分の首に振り下ろした。

 ウィッチの膂力で振られた鉈は彼女の首を容易に両断した。

 

「え……。」ウルスラは訳が分からなかった。なぜ彼女は笑顔なのか、なぜ彼女は鉈で自身の首を切っているのか。

 首の大動脈から溢れた血がウルスラの顔を濡らす。そしてウルスラの目の前の彼女の体は崩れ落ちた。

 

 ウルスラにとって死は縁遠いものではなかった。ミュンヘンに居たころも帰ってこないウィッチはいたし、スオムスでも陸軍の人が死ぬのを横目には見ていた。

 しかし、目の前で、それも自殺されたことはなかった。

 

「あ……ああ……」ウルスラはその場にへたりこんだ。顔は青ざめ、腕で耳と目を覆ってその場で縮こまった。

 

――

 

 昨日救助した子がリビングから出ていっている事に気づいたエルマはその子を探していた。宿舎内はだいたい探したが居なかったので、次に一番基地に近いウルスラのハンガーに向かった。

 

 扉を開けて入ると、薄暗い中エルマはウルスラが座り込んで震えているのを見つけた。

 

「大丈夫!?ウルスラさん!」

 

 エルマはウルスラに駆け寄っていくと、その奥に探していた彼女が倒れていた。

 

「うっ……」よく見ると彼女の首は無く、首周りに赤黒い血溜まりができていた。即死なのは明白だった。

 

「どうして……。」

 

(彼女は別部隊で被撃墜後遭難していたウィッチだ。つい最近まで問題なく戦っていたはずなのに。)

 

 エルマは中隊長として自身の基地で起こった事件の原因を究明する必要があった。そのためにまず一番近くに居たであろうウルスラに事情を聞いた。

 

「ウルスラさん、何があったんですか?」

「鉈を……貸したの……。」

 

 エルマが死体の近くを見ると真っ赤に染まった鉈が転がっていた。

 

「そうしたら……それを振り上げて……」

「振り上げて、どうしたの?」

「振り上げて……うっ、え"う"っ」

 

 ウルスラはえづいて、そのまま嘔吐した。

 

「大丈夫、無理しないで。あとで話しましょう。」

 

 ウルスラは弱々しく頷いた。エルマはウルスラを連れてハンガーを出る。ウルスラを寝かせてハッキネン大尉に報告しなくてはならない。



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不運な弟子

ロスマン先生は闇深であってほしい


 また、私は目覚めた。

 

――

 

「ごめんなさい……。」

 

 耳に少し聞こえた声で意識が覚醒する。目蓋を開けて部屋を見回すと、銀髪の小柄な女の子が部屋を出ていくのがちらりと見えた。

 

「うぐっ……」

 

 また目眩がする。体を起き上がらせようとするが腰に力が入らない。仕方ないので腕で押してどうにか体を横たえた。そして吐き出す。髪や頬が汚れてしまって気持ち悪い。しかしすぐに私の意識は落ちてしまった。

 

――

 

 エディータ・ロスマンは自身の選択を後悔していた。魔法力の少ない彼女を空に出してやるべきではなかったのだ。

 

「縛り付けてでも彼女に戦わせるべきじゃなかったわ……。」

 

 病室の彼女は熱意のあるウィッチであったが、魔法力が少なかった。ネウロイの攻撃を弾くシールドも不安定で戦いに出しても怪我するのは目に見えていた。

 それでもロスマンは彼女を空に出してやった。彼女の熱意にほだされたのだ。少なくとも一度戦ったという思い出だけでも彼女にもって帰ってもらおうとした。

 

 しかし、その一度の戦いで彼女は撃墜され、下半身と腹筋までの筋肉は彼女の思うように動かなくなった。彼女は二度と空を飛べなくなったのだ。

 

 ロスマンの居室がノックされる。

 

「私だ。ラルだ。」

 

 ロスマンと同じJG52のグンドュラ・ラルが居室を訪ねてきた。ロスマンは扉を開けて招き入れようとしたが、ラルは部屋に入ることなく伝言を伝えた。

 

「先日怪我をした彼女だが、起きたらしい。」

 

 その言葉を聞いてロスマンは部屋を飛び出した。

 

――

 

 再度の覚醒と同時に、自身の状態を把握した。

 この体は魔法力が少なかったのに無理を押して出撃し、そのまま撃墜されたらしい。馬鹿なやつだ。それに運も悪かった。

 ここはミュンヘンの基地で、ウィーン、プラークなどから撤退してきた部隊の最前線になっているらしい。

 

 病室の扉が開く。入ってきたのは銀髪の小柄な女の子。たしか私の教官のロスマン先生だ。

 

「よかった。意識が戻ったのね。」

 

 そう言いつつ私のベッドの横に座る。その表情は硬かった。

 

「……ごめんなさい。あなたを止めなかったから。」

 

 ロスマン先生は私が怪我したことを自分のせいだと責めているようだ。この体が馬鹿ならこのロスマンとやらも馬鹿だなあ。

 

「気になさらないでください、ロスマン先生。私が向こう見ず過ぎました。」

「……でも、あなたはもう……。」

「飛べなくたっても構いませんよ。むしろ、ロスマン先生が気に病んでしまう方がよっぽど損です。」

 

 なぜかわからないけど、私は戦うことに対して後ろ向きな気持ちがあった。この体の記憶も最期には戦いに対して後ろ向きになっていたことが大きかったが、それ以外にも何か戦いを避けるような気持ちがあった。

 それにロスマン先生は立派なウィッチだ。彼女が気に病んで指導を止めてしまうほうが損な話だ。

 

 ロスマン先生はかえってうつむいてしまった。そんな彼女の頭に手が伸びる。

 

「だから、気になさらないでください。」 「ひゃわっ!」

 

 いきなり体を引いたロスマン先生は重心を崩して椅子ごと転んでしまった。

 

「いたた……。」

「すみません。ロスマン先生。そんなに驚くとは……。」

 

 ロスマン先生がお尻をさすりながら立ち上がる。

 

「でも、気にしないでと言っても、あなたが後送されるまでは私が面倒を見るわ。それぐらいさせて?」

 

 ロスマン先生にとっても私に何もせずして送り出すのは心苦しいだろう。これは受けるべきだと思う。

 

「では、すみませんがお願いします。」

「はい!」

 

――

 

 その日を境に、出撃があった日でも一日一回以上ロスマン先生はお見舞いに来てくれた。

 今日もロスマン先生がお見舞いに来てくれたのだった。

 

「ロスマン先生は何か好きなことはあるんですか?」

「好きなこと……ウィッチたちへの指導は好きだけど、趣味的なものではないわね。あなたはなにかあるの?」

「私は……」

 

 えっと、なんだったっけ。いろいろあってなんだかまとまらない。

 

「ボードゲーム?」

「ボードゲームが得意なの?人は見かけによらないわね。……そういえば私もたまにはボードゲームをするわね。待機時間の暇なときぐらいだけど。」

 

 ロスマン先生が立ち上がる。

 

「もう戻られるのですか?」

「いえ、部屋から取ってくるわ。あと、お見舞いの果物があるようだからナイフも。」

「わあ、ありがとうございます。」

 

――

 

 ロスマン先生が持ってきたのはチェスだ。記憶の奥に名前とルールとの覚えはあった。

 

「やってみましょう。」「ええ。」

 

 ……。

 

「やっぱりロスマン先生は強いですね。」「あなたもね。」

 

 意外にもロスマン先生との対戦は五分五分で進んだ。

 

「そうですね、この勝負で負けたほうが果物を剥きませんか?」

「あら、いいわよ。」

 

 ……。

 

「私の負けですね。」

 

 少しばかりの差だったけど、ロスマン先生の攻め手の方が一手早かった。

 果物ナイフをロスマン先生から受け取って果物を剥く。オレンジだ。

 

「ところで、今戦局はどうなのでしょうか?」

 

 戦いに向かう意志がなくなったとはいえ、生活にも関わる戦争の行方は気になるものだ。

 

「そうね……。少し前線を押し返してウィーンの生存者を救出したわ。」

 

 ウィーンか、なぜか暗い気持ちになる。

 

「たしかウィッチが一人と民間人数十人だったわ。」

 

 どきり、と胸が鳴る。

 

「そのウィッチはプラークの巣から逃げてきたとか。」

 

――

 

(様子がおかしいわ……。)

 

 ロスマンが戦局について伝えると、病床の彼女は急に脂汗をかき、息が荒くなった。

 

「おかげで、ウィーン包囲の詳細な状況を聞けたわ。……大丈夫?」

 

 彼女はナイフを握りしめて震えていた。そして、何かうわごとのように呟いた。

 

「……思い出したくなかった。」

 

 そして、果物ナイフでその喉を突き刺した。

 ロスマンはあまりに突然のことになにもできなかった。ロスマンは彼女の手によって執拗にぐちゃぐちゃに引き裂かれる喉を見ていることしかできなかった。

 

「どう……して……?」

 

 ロスマンには訳が分からなかった。怪我はしたけどあんなに元気だった彼女が今、首にナイフが刺さったまま目の前で眠っているのだ。

 

「ねえ、起きて、ねえ!」

 

 その肩を揺する。当然、彼女は目覚めない。

 

「ねえ……お願い……ぐずっ。お願い……。」

 

――

 

「~~♪」

 

 雁淵ひかりは上機嫌だった。佐世保の実家から荷物が届いたのだ。

 

「みんなにも分けてあげなきゃ♪特にお世話になってるロスマン先生に!」

 

 ひかりはうっきうきで廊下を歩く。じきにロスマンの部屋にたどり着いた。

 ノックして部屋に入る。ロスマンも仕事を止めて歓迎した。

 

「あら雁淵さん。ご機嫌ね。」

「ええもちろん!実家からオレンジが届いたんですよ!」

 

 ひかりは箱を開いてロスマンに見せた。

 

「ここだと柑橘系があんまり食べられないから実家から送ってもらったんです!……先生?先生?」

 

 ひかりが箱を開けてすぐ、ロスマンは顔を伏してしまった。

 

「先生、大丈夫です――きゃっ!」

 

 ロスマンが突然ひかりの手からオレンジの箱を払い除けた。部屋に箱が転がり中身が散る。そして口を抑えてその場に座り込んだ。

 ひかりは驚いてその場に立ち尽くした。目の前にいるのは自分の知っているロスマン先生ではない人のように思えた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 ロスマンはうわごとのようにつぶやき続ける。

 

「先生……?大丈夫ですか?」

 

 その尋常じゃない様子を心配したひかりがその横に寄り添う。その手にはロスマンとオレンジを食べるために持ってきた果物ナイフがあった。

 果物ナイフがきらりとロスマンの視界に光る。

 

「ひぃっ!ごめんなさい、私が悪かったの、ごめんなさい!」

 

 ロスマンはひかりを突き飛ばして部屋から逃げ出した。

 

「ロスマン先生!」ひかりも部屋を飛び出した。ロスマンを追って廊下を走る。

 

 しかし、角を曲がったところで何者かにぶつかった。

 

「ラル隊長!ロスマン先生が!」

「……やってくれたな雁淵。」

 

 そこには今までにないほど恐ろしい顔のラルが立っていた。ひかりの顔が一瞬で青ざめる。

 

「雁淵。その果物ナイフを私に渡して今すぐに部屋に帰れ。命令だ。」

「は、はい!」

 

――

 

 じきにひかりを除く全員がロスマンを探すほどの大騒ぎになった。結局ロスマンは見つかったのだが、その日から数日はラルの部屋から出てこなかった。

 ロスマンが落ち着いた頃、ひかりはラルから呼び出された。

 

 ひかりはラルの前で恐縮していた。この数日、ラルはロスマンにつきっきりで基地業務に支障が出るほどだったのだ。とても重大なことをしでかしたと思っていた。

 ひかりの前に立ったラルはこちらもまた居心地を悪くしていた。

 

「まずはこちらから謝らなくてはならないことが二つある。ロスマンに関する大切なことを伝えていなかった。すまない。またオレンジと果物ナイフだがこちらで処分した。事後報告になってしまって申し訳ない。」

 

 ラルが頭を下げる。慌ててひかりも頭を下げた。

 

「なぜこのようなことになったかだが、ロスマンはオレンジと果物ナイフ恐怖症なんだ。」

「?」

「深い事情はロスマンが言いたくなった時に言うだろうからここでは言えない。ただ、ロスマンの前でオレンジと果物ナイフを出してはいけない。だからこの基地内では果物は切った状態で出しているし、オレンジは基地内に一切入れないようにしている。申し訳ないが協力を願う。」

「はい……。」



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パリのウィッチ

意図せずロスマン先生の誕生日前日に変なもん投稿してしまった
およそですが記憶は特別なことがない限り2人前ぐらいまでしか思い出せません
今原作入るぐらいを書いていますが、やっぱ宮藤のための物語なので入りどころが難しいですね


 また私は嘔吐していた。ぐるぐると渦巻き、明滅する複数人の記憶がありえない整合性を求めてぐちゃぐちゃなパズルを組み合わせていた。

 

「う"え"っ。お"う"。ろろろろ。」

 

 たまたまゴミ箱があったからよかったが、そうでなければまた?床を汚していただろう。

 

「う"ぐぅ。ハア……ハア……。」

 

 今回は意識が落ちないらしい。だがその分嘔吐感に苦しめられることになった。

 平衡感覚が壊れる。自分は今立っているのか、座っているのか、逆立ちしているのか……。

 

――

 

 ある程度落ち着くと自分の体の立場が理解出来た。

 私はガリア、パリの速成隊の隊員だ。年齢は10歳で、名前はエマ。

 この体は訓練中に事故死してしまったらしい。空戦機動の訓練で墜落。魂は帰らぬ人となった。

 

「エマちゃん!」

 

 部屋に子供が駆け込んでくる。彼女は同室のダイアナだ。

 

「うっ。臭い……。」

 

 申し訳ない。胃酸の酸っぱい匂いが部屋の中に充満してしまった。急いで窓を開けて換気する。

 ダイアナは私が起き上がっていることを認めて、こちらに飛び込んできた。

 

「エマちゃーん!無事でよかった!」

 

 魂は無事じゃなかったんだけどね。

 

「ありがとうダイアナ。奇跡的に助かったみたい。」

 

 ダイアナから話を聞くと、私の怪我は数日前には完治していて、あとは意識が戻るのを待っているだけだったらしい。

 

「うん!本当によかった……。」

 

 ダイアナの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

 その後医者が戻ってきて、意識状態も運動も問題ないことを確認して病室から出ることができた。

 

――

 

 速成隊の日常は訓練に次ぐ訓練、とにかく訓練でたまに休みだ。都合の良いことに今まで空軍ウィッチとしての訓練は色々している。昔過ぎて思い出せないこともあるけど、感覚的に分かる部分もあるから訓練はあまり辛くなかった。

 

 それにこの体はかなり有望で、保有する魔力量が多く固有魔法が炎の魔法で大域攻撃が可能だ。ウィッチとして不自由なく生活を送ることができるだろう。

 

 普通、軍宿舎では消灯時間が存在する。消灯時間がない宿舎は不規則な時間に出入りするナイトウィッチ宿舎ぐらいだ。

 この体になってから二ヶ月。基礎体力を向上させるために訓練に加えて毎日走り込みをしていた。しかし空戦訓練を行った日や座学中心の日にはかえってスタミナが余ってしまい、一日が終わっても疲れ切ってないことがあった。

 だから最近は消灯時間後にも外で走り込みをしている。消灯時間後でもナイトウィッチが訓練していることが多いので、その訓練に交ざってもそんなにバレはしない。

 

「よっと。」

 

 ダイアナを起こさないようにベッドから抜け出し、窓から静かにロープを垂らす。ここは四階だけどもうなれたもので、ロープを使ってすいすいラペリングして降りることができる。今日も紐を垂らしてすいーっと。

「動かないで。」と降りたところで後ろから頭に銃を突きつけられた。

 

「脱走兵さん?夜中はナイトウィッチが訓練してるのにこんな早い時間に脱走なんて。バカね。」

 

 なんと、脱走兵だと間違われたらしい。……たしかに自分の行動を見返してみると脱走兵にしか思えない。

 

「えーっと。……誤解です。」

「誤解?こんな時間に一般宿舎のウィッチが出てくるなんて誤解じゃなくても懲罰よ?」

 

 どう説明したものか……。もうめんどくさいし一回抑え込んじゃうか。魔法力をこっそりと集中して背後の女の子の耳元で爆発させる。

 

「きゃっ!」

 

 相手が怯んだ隙に銃を持つ手首を掴んで、相手の足を払う。怯んだことで重心がずれているのでその動きに逆らわないように相手を前から地に倒し、腕を後ろにひねり上げた。

 

「ごめんね。乱暴して。」

「やめっ。離して!」

「おっと静かに。」

 

 うるさくして人が集まってきてはかなわない。手首をひねって銃を取り上げる。マガジンを抜いて口でコッキングして薬室中の弾丸も取り除いて放り投げた。そして両手を片手で背後に押さえつけてもう一方の手で口を押さえる。

 

「むー!むーむー!」

「いやあごめんね。私はただ夜中に訓練したくて降りてきただけなのよ。昼間の訓練だけじゃ疲れきらなくてね、だから夜中も訓練しようかと思って。」

 

 ナイトウィッチは足を後ろに蹴って私の背中を叩き、身を捩って逃れようとする。

 

「嘘じゃないわ。信じて。」

 

 そこまで言うと拘束されたナイトウィッチは抵抗をやめた。手を離してあげる。

 

「ぷはあ!……拘束されたらしかたないわ。信じてあげる。」

「それはよかった。」

 

 拘束を解いて手を取って立ち上がらせる。ナイトウィッチはベルトやシャツについた土を払い落として銃を拾った。

 

「私はエマ・ローラン。あなたは?」

「私はアレクサンドラ・ウラジミーロヴナ・リトヴャク。ブリタニア少尉よ。」

「おっと。これは失礼いたしました。少尉。私はエマ・ローラン訓練生であります。」

 

 私達と同じ速成中のウィッチかと思ったけどなんと上官だった。上官侮辱罪とかになっちゃうのかな。上官拘束しちゃったよ。

 

「ええ。そうよ。私はあなたの上官。……ところであなた、訓練が足りないって言ってたわね。」

「はい。」

「じゃあ私が訓練つけてあげるわ。今日は寝られないと思ったほうがいいわよ。」

 

 リトヴャク少尉の可愛らしい人形のような顔が、いたずら好きの猫のような顔になった。

 

――

 

「じゃあまずは走りましょうか。ついてきて。」

 

 二人して並走する。グラウンドの外周を走るのだ。一周はおよそ2kmだ。

 

 ……一周、二周、三周と走る。隣を見るとリトヴャク少尉もこちらを見ていた。

 フン!と鼻を鳴らして少尉がペースを上げる。私もそれに倣ってペースを上げた。

 

 ……十二周ほどしたところ、少尉は使い魔の耳と尻尾を出した。黒猫だ。私もそれに倣って出そうとするが……

 

「あなたはダメよ。そのまま走って。」

 

 簡単に鬼畜なことを申すなこの少尉様は。私も意地で驚いてないふりをして更に上がったペースについていった。

 

 ……走ること十八周。どんどんと上がるペースに半ば意地で無理やりついていった。

 

「はあ……はあ……。う"っ、あ"あ"。」

 

 そして二十周。突然少尉は走るのをやめた。あまりに突然止まったので私はそのまま転んでしまった。

 倒れ込んだ私を少尉が覗き込む。

 

「あなたすごいわね。」

 

 少尉も魔法を使っていたとはいえ少し息を乱して頬を赤らめていた。

 

「光栄です。少尉。」

「サーニャって呼んでいいわよ。」

「え?」

「まさかこのペースで走り切るとは思わなかった。素直に尊敬するわ。だから勲章代わりよ。」

「ありがとう。サーニャ少尉。」

 

 サーニャ少尉が手を取って立たせてくれる。しかしふらついたので肩を貸してくれた。

 

「お部屋まで送りましょうか?」

「いえ、手は疲れていませんので、ラペリングには問題ありません。」

「そう。じゃあ壁までね。」

 

――

 

 一週間後また私は部屋を忍び出ていた。

 

「動かないで。」

 

 そしてサーニャ少尉に捕まっていた。

 

――

 

「はあ。本当に今週も二十周走ると思わなかったわ……。」

 

 またサーニャ少尉に走らされていたのだった。サーニャ少尉は呆れたような物言いだけど、顔は嬉しそうだった。

 

「うーんそうね。今度は敬語なしの栄誉でもあげましょうか。」

「光栄……。サーニャ……。」

 

 またも立ち上がれないので手をサーニャに差し伸べた。しかしサーニャは私の横に来ると膝裏と背中を支えて私を抱きかかえた。

 

「壁まで送ってあげるわ。」

「え、ちょっと別にいいですよ。」

 

 抱え上げられて思わず近いサーニャの顔に照れてしまった。それにうろたえるとサーニャは私の唇を人さし指で押さえた。

 

「敬語は禁止よ。エマちゃん。」



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パリのナイトウィッチ

思想的に主人公と相いれなくなる予定はないのですがアンチ・ヘイトがあった方がいいのかは悩みどころ。無駄につけるとただの検索妨害なので
誤字報告はぼくの知能が向上するのでうれしんす


 更に二、三週間と訓練を積むと、私は特例で基地任務につくことになった。もともと私は経験のあるウィッチである。ユニットが変わったとか、ダイブアンドズームだとかサッチ・ウィーブとか新戦術が増えたとかあったけどそれを学んで実践するのに普通の新兵ほどの時間はかからなかった。

 基地任務で割り当てられたのは夜間哨戒だった。

 

「ごめんねダイアナ。置いていくような事になって。新しい同室の子とも仲良くするんだよ。」

 

 夜間任務につくウィッチと昼間訓練するウィッチが同室だと生活習慣上問題が生じるのだ。仕方ない話だが私はダイアナを置いてナイトウィッチ宿舎に移動した。

 泣きじゃくるダイアナを置いて部屋を出るのは心苦しかった。

 

――

 

 夜間哨戒任務。それはサーニャとロッテを組んで行うことになる。そのため私のナイトウィッチ宿舎での部屋はサーニャと同室になった。

 バッグ一つにまとめてきた荷物を持ってサーニャの部屋を叩いた。

 

「はーい。」

 

 少し喜色のある声音で返事が聞こえた。しかしすぐ扉が開くことはなく、少し待ったあとに隙間からサーニャの顔が見えた。

 

「どうしたの?エマ。」

「本日付でサーニャの夜間哨戒ロッテとして配属されたんだ。」

「まあ。どうぞ入って。」

 

 部屋に招かれて入る。

 

「そっちがエマのベッドよ。」

 

 示されたベッドにバッグを置いて座る。サーニャも対面のベッドに座った。

 

「今日ロッテの相手が来るっていうのは聞いていたけど、エマだとは思わなかったわ。練成期間はどうしたの?」

「すごく頑張った。」

「……優秀なのね。」

 

 数瞬の沈黙が流れる。

 

「どうしてあなたはウィッチになろうと思ったの?」

 

 たしか……どうだっただろうか。祖国のためだっただろうか、今までではそれが一番多かったかもしれない。

 

「……難しい話だったかもしれないわね。」

 

 考えていたらサーニャに遮られてしまった。そして代わってサーニャが自身のウィッチになった理由を話す。

 

「私は……。オラーシャに家族が住んでて、黒海にネウロイが出たって聞いて志願したの。家族をネウロイから守りたくて。」

 

 そう言うと、サーニャは真剣な目で私を見つめた。

 

「もうネウロイの脅威は近くまで迫ってるわ。先日、ベルリンも陥落した。」

「ええ。」

「私も13歳だからこういうのも変だけど、10歳はまだまだ庇護下にあるべき年齢だわ。だから私と一緒に飛ぶ時は『何よりも自分を守って。』これだけは絶対。」

 

 そうサーニャには言われても、こちらは死んでも死なない身だ。仮にサーニャが死ぬときなら代わりに私が死んだ方が良いだろう。

 

「サーニャは優しいのね。でも、私が生き残ったって何も変わらないから。」 

「そんなことないわ!一人でも、一人でも生き残れば変わることもあるわ!」

 

 サーニャが立ち上がって吠える。

 

「ごめんなさい。驚かせちゃったわね。」

 

 サーニャは謝罪してこちらに来て私のそばに座った。

 

「私はね。家族を守るためだけに戦ってるわけじゃないの。……もちろんその気持ちはあるけど、それ以上に憧れがあって戦ってるわ。」

 

 サーニャは自身のサイドアームを取り出して私に見せた。

 

「このトカレフはね、そのあこがれの人のものなの。」

 

 どうしてか、そのトカレフには見覚えがあった。……きっと夜の訓練のときに見たのだろう。そう思った。

 

「私はね、ここに来る前はウィーンに居たの。ウィーンで訓練を受けていたわ。

 でも、攻めてきたネウロイにあっという間にウィーンは包囲された。私達訓練生は逃げたいのか、それとも戦いたいのか、戦わなくてはいけないのか、何もわからないままに空に出たわ。」

 

 サーニャから語られる話にはなぜか覚えがあった。

 

「一人、二人と殺されていったわ。でも、私は『私についてきて!』という無線を聞いたの。基地のウィッチだったと思う。彼女の指揮はけしてうまくはなかったわ。でも、混乱していた私達にするべきことを与えてくれたの。そして包囲網を突破したわ。……そのあとこれを頂いて――」

 

 そして私はその結末を知っていた。

 

「死んだのね。」

 

「――っ!……ええ。死んだわ。」

 

 なぜだろう。私は涙をボロボロとこぼしていた。

 

「同情はいいわ。私はもう慣れたわ。」

 

 同情じゃない。何故かこの涙は止められなかった。

 

「彼女の指揮によって私は生き残ったわ。一人でも、一人だけでも私の命を救ってくれたの。だからあなたが生き残ればいつか誰かを救うことができるわ。だから、生き残って。」

 

 サーニャは私の頭を胸に抱いた。私は悲しみではない、嬉しさの涙を流していた。

 

――

 

 サーニャはエマを撫でていた。

 

(泣くほどに悲しい話だったのかしら。)

 

 サーニャ本人にとってはもはや終わった話だ。どうしようもできないのだからこれからのことを頑張るしかないと割り切っていた。

 

(別に今日は休みだし、もうお昼だからゆっくり休むことにしましょう。)

 

 エマは眠りについてしまったが、ナイトウィッチの勤務は基本的に夜中だ。だからサーニャはこのまま眠らせてしまっても問題ないと判断した。

 

(それにしても……。眠ってるエマは初めて見たわ。)

 

 いつしかエマは安心した顔で眠りについていた。

 

(あどけない顔。こんな子供にまで……。)

 

 時刻はそろそろ十二時になる。サーニャも眠らなくてはいけない。明日は夜警の当番だ。前日には眠らなくては調子が狂う。

 しかし、サーニャがエマの腕から抜け出そうとしたらエマがその腕をきつく締めた。もう離さないと言わんばかりに。

 

 

「仕方ないわね……。」

 

 サーニャはベルトを外して上着を脱ぐと、エマを引きずってベッドに入った。



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パリの夜空

感想読んでますが返信するほど読み込むと恥ずかしくなるので返信できてないです。申し訳ない
あとダイナモ作戦とかの時系列が不注意で若干壊れてしまいました


 パリ上空、深夜の空の旅はサーニャと一緒だった。

 

『カールスラントの撤退戦はうまくいったみたいだね。』

『そうね。』

 

 ベルリンが陥落したカールスラントはやっとの思いで撤退戦を完了させた。しかし主力になっていたカールスラントが一時的に撤退したのは戦局にはとても厳しい。

 

『でも、いつ来てもおかしくはないわ。警戒しないと……。』

 

 ザール、メッスの基地は陥落したがランスの基地はまだ生きている。しかしランスとパリは防空圏を共有している。私達が戦うことも十分あり得た。

 そういった矢先、サーニャの魔導針が反応を示す。

 

『正面十二時の方向、未確認機。ネウロイよ!』

 

 十二時方向、東でランスの方だ。

 

『ランスの基地はどうしたの!?』

『わからない、でも速い!』

 

 高速で警戒網を突破したのか?どちらにせよ戦わないと!

 

『距離は?』

『もうかなり近づいてる。こちらからも距離を詰めるわ!』

 

 ミュンヘン空襲のこともある。ネウロイは重要拠点を奇襲するという狡猾さを身に着けつつあった。きっとこれもそういうたぐいだろう。

 早期に戦闘に移ってパリから引き離すために速度を上げて距離を詰める。

 

『来るわ!』

 

 赤い光が雲の隙間に見えたのも一瞬、爆発的な速度で私達とネウロイは交錯した。

 

『当たった!』

 

 ネウロイの機械的なうめき声とパリパリと装甲が剥がれる音が聞こえた。

 そしてネウロイもこちらを認めたのか大回りに切り返して戻ってくる。

 

『すごく小さいわね。』

『そうね。』

 

 敵ネウロイは胴が太く、小さな翼を備えていた。高速型の地上攻撃機だろうか?

 

『翼が小さい。あのサイズなら旋回半径はかなり大きくなるはず。』

 

 失速を伴わない水平旋回半径は、揚力の水平分力を向心力としてあとは速度で決まる。高速で翼の小さい機体はどうしても旋回半径が大きくなるのだ。

 

『旋回に回り込むわよ!』

『了解!』

 

 ネウロイが旋回してこちらに向かおうとする。私はサーニャと平行にその旋回の内側に入って、ちょうど180度ほど旋回したネウロイを背面から叩く!

 機関銃で射撃し、ネウロイの背面から装甲を叩く。切羽詰まったネウロイは急速に機首を上げ――そんなに機首を上げたら失速する!

 

『危ない!』

 

 失速して相対的にこちらに突っ込んでくるネウロイからサーニャを庇う。その後爆音と強烈な加速度を感じ――

 

――

 

 衝撃とともに目を覚ました。そして目の前には抱きしめたサーニャの頭が。私はまた墜落したらしい。

 

「う……うう……。」

 

 サーニャが目覚める。よかった、無事のようだ。

 空を見上げると爆発の跡があった。たぶんあのネウロイは都市を狙うフリをした、ウィッチを狙った攻撃機だ。あの機体の殆どに爆発作用があって、大きな旋回半径でウィッチを後ろに引き込んだあとに意図的に失速、交錯したところで起爆する。そういう戦術だったのだ。

 

「エマ!背中が……!」

 

 うぐぅ。言われて気づいたが背中がメチャクチャだ。足は動くから背骨はやられてないみたいだけど、結構な出血のようだ。

 伏せるようにひっくり返されてサーニャが止血を始める。だけど私には別に手段があるのでそれを止める。

 

「サーニャ、出血のひどいところに指先を当てて……。」

 

 自分ではうまく位置が把握できない。だからサーニャに手伝ってもらう。サーニャは困惑しているようだがどうにか説き伏せる。

 サーニャが指を当てた。そこに魔法力を集中して……。

 

「うぐぅ。あ"あ"っ……。ぁ……。」

 

 炎の魔法を局所的に起こす。出血する場所を焼いてしまえば血は流れない。

 サーニャは一瞬戸惑ったように指を止めたが、意を決したように傷をなぞった。私もとにかく魔法を小さく起こすことに注力する。

 どれほどかわからないが、長くて短い時間を過ぎたあとサーニャから声をかけられた。

 

「もう、もういいわ!あとは止血でどうにかなるわ!」

 

 その声を聞いて私は再度意識を手放した。

 

――

 

 サーニャは病室で、エマの病床の横に座っていた。

 

(迂闊だった……。いつもと同じように、いつもと同じように敵機を落とせばいいと思ってた……。)

 

 エマの失血量はギリギリだった。現在は血液量を戻すために入院中である。

 

「エマ、ごめんさない。私がもっとしっかりしていれば……。」

「仕方ないよサーニャ。自爆攻撃機なんて初めてだし。」

「で、でも!あのとき私が先に気づけば私があなたを守れた!」

「でもそれだとサーニャが怪我したよ。」

 

 サーニャは押し黙った。わかってはいたのだ。サーニャがあの爆発から守るためにシールドを張ったら、きっと大怪我でもすまなかっただろう。

 

「それに、私、サーニャのことを助けられた。」

 

 エマが笑顔でサーニャに語る。しかしそれはかえってサーニャにとって辛い言葉だった。

 

「私なんて!あなたが死んでしまったら意味がないわ!」

 

 サーニャ自身、何を言っているかわからなかった。昂ぶる感情のままに言葉が出た。座っていた椅子が倒れる。

 

「でも、私はサーニャを守りたかった。」

 

 エマは不思議な気持ちだった。サーニャのことを思うと決して離してはいけない。守らなくてはいけないと思うのだった。

 複数人の混濁した記憶の奥底にサーニャを救うだけの理由があったのかもしれない。でも彼女自身はそれを認識することはできなかった。

 

 エマがサーニャの手を取る。

 

「サーニャのことは何が何でも守らないといけない。不思議だけどそう思うんだ。」

 

 サーニャはまた別の理由で顔を真っ赤にした。

 

「でも……でも……。私……」

 

 ふるふると顔を振り、煩悩を振り払う。そしてサーニャはエマに向き直った。

 

「約束して。どうしてもダメなときは私とエマとふたりともが生き残る方法を考えて。あなたを犠牲にした命なんて私は欲しくないわ。」

「うん。」

約束(・・)して。」

「約束する。サーニャを守るために命を投げ出さない。」



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サーニャのウィッチ

このあとが難しいので調整期間取ります
僕は愚直に書いているので意外性ある展開というものの必要性を忘れていました


 その後、トロア基地が壊滅したために傷病兵である私はリールまで後送された。その後、一週間もしないうちにパリが陥落したという知らせが届いた。

 

「サーニャ大丈夫かな……。」

 

 およそサーニャはパリからの撤退戦をしているはずだ。私も失血による貧血は治ったのだけど、背中の火傷や傷跡の回復に手間取って結局まだ宿舎での療養中だ。

 

「それに、ダイアナも大丈夫かな?」

 

 ダイアナは順当であればまだ訓練生のはずだ。私と同じように後送されているはず。

 

「あらー?彼女の心配?」

 

 上のベッドから茶々を入れてくるのは私と同じ療養中のウィッチだ。顔は見たことはない。彼女はずっとそこにいる。

 

「ええ。」

「あら。お熱いのね。……そう。たしか私達、今度はドードー渡ってブリタニアに行くそうよ。残念ね、戦わずして逃げるのは。」

「そうですね。」

 

 ガリアの首都パリが陥落した時点で考えられた流れだ。ガリアは植民地も持っており、大陸に主要な都市がなくなれば外に逃げるほかないし、逃げる先もある。

 

「特に感傷はないのね。もう私は戦えないから割り切っちゃえるけど。」

 

 淡々と返事をする私に対して、上の彼女は冗談めかして言った。

 この体にとっては祖国であるが、祖国がたくさんある私にはあまり愛国心はなかった。私自身いつからかネウロイを倒すという意識的・無意識的な意志を持っていたから戦っていたのだ。しかし今となってはサーニャを守るという思いが戦う理由の一番に出てくるようになっていた。

 

「でも、サーニャのことは心配です。」

「あら、ダイアナちゃんのことはいいの?」

「ダイアナも心配ですが、まずはサーニャです。サーニャぁ……。」

 

――

 

 彼女が言ったように、でもかなりの慌ただしさで私達は逃げることになった。リールから列車に乗ってダンケルクへ、ダンケルクからは船での移動だ。私も船に乗ったが……。

 一時間と経った頃、この世のものと思えない鳴き声と共にレーザーがすぐ横の輸送船を沈めた。

 

「ネウロイだ!」

「ウィッチは!?」

「居るぞ!黒猫のウィッチだ!」

 

 黒猫?もしかして……。急いで人をかき分けて甲板に出る。

 

「サーニャ……!」

 

 空を見上げるとサーニャが大型ネウロイと戦っていた。

 

「なんなの……このネウロイの数は……。」

 

 サーニャだけじゃない。カールスラントのウィッチも居る。だけれど大型ネウロイが視界いっぱいの空を埋めていた。

 

「私も行かないと……!」

 

 私も戦わないとみんなやられてしまう。そしたらサーニャも危ない!

 甲板から急いで降りて、ストライカーユニットのところまで行く。この際なんでもいい。動くものがあれば……。

 

「あった!」

 

 水上機だ!むしろ好都合。滑走路がないからこれじゃないと飛べない。急いで履いて水上に降りる。

 

「待っててサーニャ……。」

 

――

 

 サーニャはパリ陥落後基地を転々としながら撤退戦をしていた。途中からカールスラントのエース部隊も合流して、規模はヨーロッパ最大の撤退戦となっていた。

 そして最後の一戦。あと船を無事ブリタニアに送ればよいだけとなっていた。しかし逆に物資や人員・非戦闘員は無防備な洋上に浮かんでいるだけの状態になっているため、これを好機とネウロイも一大攻勢をかけてきたのだ。

 

(大型ネウロイが何機も……。とんでもないわ!)

 

 シールドを張って輸送船に向かうレーザーを弾き返し、牽制程度にしかならない射撃を繰り返す。

 

『こちらJG52、大型ネウロイを一機撃墜!我々はまだ戦えるぞ!』

 

 無線機から報告と鼓舞する言葉が聞こえる。カールスラントの精鋭部隊である。

 

(着実に数は減っている……。)

 

『艦砲射撃効果あり!』

 

 護衛戦艦も艦砲・高射砲の弾幕を張る。小型にはかえって当たらないが、中型には一定の効果はあるようだ。

 

(でも……もう……!)

 

 多くのウィッチが参加しているとはいえ大型ネウロイのレーザーを二、三回受ければ並のウィッチは魔法力をほとんど消耗してしまう。サーニャは才能あるウィッチではあったが限界が差し迫っていた。

 

『こちら第二護衛隊!もう持たないわ!』

 

 サーニャ以外のウィッチたちも消耗が激しかった。もはや崩れるのは時間の問題だ。

 サーニャの集中力もなくなってくる。そして――

 

「きゃあ!」

 

 正面からのレーザーを弾いたところに横合いから別のレーザーが飛んできた。幸いにもユニットの翼をかすめただけで済んだが、レーザーが飛んできた方向を見ると既にそこにあった部隊は壊滅していた。

 

(下がりそこねた!)

 

 気づけばサーニャは相対的に突出した位置になっていた。そしてレーザーが殺到し――

 

「さああああああにゃあああああああ!!!!」

 

 サーニャの周囲に人間大のシールドが展開され、殺到するレーザーは一本もサーニャを貫くことはなかった。

 駆けつけたのはエマ。ギリギリ間に合ったのだ。

 

「サーニャは下がって。私が代わる。」

 

 無線機がないので、エマはサーニャの耳に口を寄せて用件だけ伝えるとそのまま飛び去っていった。

 

――

 

 ギリギリ間に合った!無線機がないのでひとまず下がるようにだけサーニャに伝えて前に出る。

 目の前にいるのは大型ネウロイ。まだ他の部隊も手が回ってないみたいで、周囲を飛ぶウィッチは少ない。

 大型ネウロイは超大型爆撃機型でまさに空の要塞といったものだ。

 

「魔法力どれぐらいまでなら使えるかな……。」

 

 サーニャと約束したのだ。死なないように。だから魔法力の運用が重要になる。倒しても戻れなかったら意味がないのだ。

 急いで飛び出してきたので機関銃がない。サーニャからサイドアームをスりとってきたけどこれでは心もとない。固有魔法で戦うしかないだろう。

 

「うおおおおおおお!!!!!」

 

 敵大型ネウロイに飛び込む。まずは真ん中で真っ二つにしてやる!

 固有魔法を敵ネウロイの胴中央に叩き込む。中央部はおよそ半壊した。

 

「くう……。」

 

 上空からの襲撃を感知したネウロイはレーザーを上空の私に向けて集中させる。それをロールと急旋回を駆使して回避、不可能なものはシールドで受ける。

 

「もう一度近づいて!」

 

 同じ箇所に固有魔法で爆撃する。ついに後胴が分離した。

 後胴が崩壊したということはコアは前胴のどこかにあるはずだ。

 

 一息ついて背後から迫るレーザーを避ける。すると横合いから前胴に機関銃弾が着弾し、ネウロイが進路を変えた。

 横合いから撃ち込んできたのは茶髪のと犬っぽい金髪とマシンガン二丁持ったやつだ。何かしらこちらに連絡を取ろうとしているようだが、あいにくこっちは無線機を持ってない。

 

 しかし彼女らの射撃のおかげで側面からではコアが見えるほど装甲が壊れないことがわかった。

 回避行動を繰り返しながら高度を取り、前胴上部に固有魔法を使う。前胴の広い範囲で爆発が起こるとコアが露出した。

 ズキリ、と背中に鋭い痛みが走った。傷が開いたか……。

 

「そこだ!」

 

 トカレフでコアを撃ち抜く。大型ネウロイは結晶飛沫になって消滅した。

 ガクン、と魔導エンジンが呼吸する。水上偵察機で無理しすぎたか……。前を向くとカールスラントの部隊が居て、そちらもネウロイと戦っている。

 後ろを見ると……。

 

「嘘……。」

 

 さっきの大型ネウロイより一回り大きいネウロイがこちらに向かっていた。カールスラントの部隊はこのことを伝えようとしていたのか。

 こちらがネウロイをみとめたように、あちらもこちらに気づいたようだ。ネウロイがギラリと光ってレーザーを放つ。レーザーを受け止めると背中が痛む。見えないからどんな状態かわからないけど、明らかに脂汗が滲んできた。

 これは倒せない。逃げる、逃げないと!

 

 断続的にストールするエンジンを無理やり動かしながら水面付近に降りて空母を目指す。

 視界が霞む……。出血に応じて魔法力も低下し、意識も保てない。無理やり魔導エンジンを動かしてるから効率も悪い。あと空母まで数メートル。水上機仕様だからそのまま着艦できない。意識を保って衝撃を和らげ――

 

 



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憂鬱な黒猫

あと見通しが良くなったので隔日ぐらいで続けたいです


 ガリアからの撤退戦はまもなく完了した。

 最終便で撤退したサーニャもブリタニア沿岸基地での勤務に移行していた。

 

「今日も名前はないわね……。」

 

 サーニャは自室で新聞の行方不明者に関する欄を読んでいた。

 あの撤退戦の後、未だにエマはサーニャの元に戻ってこなかった。それにサーニャ自身別のネウロイに攻撃されていて、エマのことは見失ってしまっていた。

 軍によるMIA捜索は早々に打ち切られてしまった。そこでサーニャは新聞で情報を集めていたのだ。

 しかし、そこには散り散りにブリタニアに逃げたであろうガリアやカールスラント人の名前しかなく、ごく稀に同じ名前もあったが旧住所は異なっていた。

 

 サーニャはため息と共にベッドに体を投げ出す。エマが行方不明になってからサーニャの気分はすぐれなかった。確実に死んだわけではないということだけを頼りに日々を生きていた。

 

――

 

「あの子……いつも黙ってて不気味……。」

「やめなよ、聞こえちゃうじゃない。」

 

 夜間哨戒に向かう途中、すれ違いざまにサーニャは聞いてしまった。

 同僚のウィッチ達がサーニャの噂話をしていたのだ。それもあまり良い類ではないものを。

 

「行方不明の子まだ追いかけてるんだって。もう死んでるわよ。」

「ちょっと!」

 

 当人は聞こえないように話していたつもりだが、サーニャには聞こえていた。それでも反論するつもりにはなれなかった。家族のように疎開したことが明らかな場合ではなく、戦場で失踪して数週間も見つからなくてなければ普通死んでいる。そんなことは分かっていた。だけど諦めきれずにいた。

 

――

 

 夜間哨戒はサーニャにとって一番心が休まる時間だった。悲しいことは考えずに敵のことだけを考えていたらよい時間は気晴らしにはなった。

 この頃からサーニャは試作の噴進砲を使うようになっていた。なんでもカールスラントのスーパーエースの妹が開発したらしい。ナイトウィッチとしての適正が高く、夜間でも遠距離の敵を見つけることができるサーニャにとっては射程が長く勝手の良い武器だった。

 今日もまた夜の旅とネウロイとの戦いを続けていた。

 

――

 

 そんな日々を続けること数ヶ月、サーニャは基地司令官に呼び出された。

 

「リトヴャク中尉、第501統合戦闘航空団の話は聞いたことがあるだろうか。」

 

 司令はサーニャも聞いたことのある部隊名を口に出した。

 

「はい…少しだけなら。」

 

 当時の501はあまり良い噂はなかった。一人メンバーが追放されたとか、サーニャにとってあまり良い場所のイメージはなかった。

 そのことを司令も知っているのか、少しの躊躇いののち話を続ける。

 

「君の本国、オラーシャよりブリタニアに居るオラーシャウィッチの中で最も優れた成績であることから、君をオラーシャ代表としてその統合戦闘航空団に入団させたいという希望があった。

 …無論、嫌ならばこちらの都合で断ることもできる。君の希望に沿おう。」

 

 しかしサーニャにとってはある意味嬉しい提案だった。

 この基地には全然馴染めなかったし、心ないことを言われることも少なくなかった。それに、祖国の命令を聞いておけば後々両親を探す時にも役立つだろうと思っていた。

 

「了解致しました……。」

 

 サーニャは辞令書を受け取った。

 

――

 

 サーニャは海岸沿いに東へ移動し、501の基地にやってきた。

 まずは基地司令のミーナと書類の確認を行い、その後部隊のメンバーと顔合わせをした。簡単に名前の紹介をしたぐらいだったが。

 

「リトヴャク中尉には夜間哨戒にほぼ専任で就いていただきます。そのため夜間シフトは再編します。」

 

 サーニャは少しほっとした。自分の意思で来たもののあまり人と関わる気はなかった。だから一人で気ままに空を飛べる夜間任務につけて安心したのだ。

 その後はシフトの再確認をして解散となった。基地の案内はハルトマンがすることとなった。

 

――

 

「えっと、リトヴャクさんだっけ。私はエーリカ・ハルトマン。エーリカって呼んでよ。よろしくね。」

「……うん。」

 

 ハルトマンにとってはサーニャはハイデマリーを思い起こさせる人だった。物静かで無口。そして美人。胸は足りないけど。

 サーニャにとってはハルトマンは笑顔の眩しい人だった。あまり悩みがなさそうで、嫌いではないけど自分とは違うと思うのだった。

 

「ここはキッチン。炊事係も居るけどたまに誰かが料理することもあるよ。私はできないんだけどね。」

 

 ハルトマンはおどけたように言う。ハルトマンは以前の料理以来ミーナに書面で料理を禁止されているのだ。

 

「私の妹はザワークラウトだけなら美味しく作れるんだ。昔ずっとザワークラウトの作り方研究してて。」

 

 ザワークラウトはキャベツを発酵させて作る漬物の一種だ。一緒に漬け込む調味料で味が変わるので色々と試しがいはある。

 

「でもこの前会った時は作ってくれなかったんだよねー。」

 

 そのあとはお風呂だとか訓練場だとかを紹介して最後は宿舎に着いた。

 

「そして、最後にここが君のお部屋。ベッドと机とクローゼットしかないから他は自分で買ってね。じゃあ私も帰るから。じゃあね。」

 

 サーニャは自室に帰るハルトマンを見送る。ハルトマンは話し始めると相手のことなんてお構いなしに話し続けるタイプだった。サーニャは全然聞いていなかったが、聞いていなくても怒らないから気楽だった。

 

――

 

 その後の日々はサーニャにとって気楽なものだった。夜間哨戒は誰にも頼らないで、誰にも心配をかけること無く自分一人の力で解決することができた。

 サーニャにとって人と心を通わせることはとても恐ろしいことになっていた。いつ、また心通わせた友人が失われるかわからない戦時では、サーニャにとって心安らぐ相手はいつまでも居てくれるとは限らなかった。それにエマのように心通わせる相手になったことが失うきっかけにさえなった。

 

 ある日の夜間哨戒後、ユニットの調子が悪かったのでメンテナンスを頼んでいた。そして今日整備員から結果を聞くことになっていた。

 しかし、サーニャの使用するオラーシャ製ユニットはとても部品の入手が難しく、さらにブリタニアから遠く離れていることから細かい規格も異なるので修理できないと言われてしまった。

 

 サーニャは途方に暮れてユニットの前に座り込んでいたのだった。こんな時に相談できるほど仲の良い相手も居ない。こんなことなら、ハルトマンとぐらい仲良くしておくべきだったと思った。

 

 

 その時、遠くから飛行機の音が聞こえた。少し待っていたら輸送機が着陸して一人の白い少女が降り立った。

 

「どうかしたのか?」

 

 その少女はサーニャを覗き込んでそう言った。サーニャは勇気を出してこの少女のことを頼ってみることにした。

 

「……ユニットが……壊れて……。」

「ユニットが?」

「うん。それで、オラーシャ製だから部品がなくて……。」

 

 サーニャがその少女を涙目で見上げる。

 

「……助けて……。」

 

 月光にきらめく銀の髪、うるんだエメラルドの瞳は瞬く間に白い少女を魅了した。白い少女は頬のみを赤くしてその言葉に答えた。

 

「ま、まかせろ!このダイアのエース、エイラ・イルマタル・ユーティライネンがばしっと解決してやるんだな!」

 

――

 

 エイラが基地の司令官に会いたいと言うので、サーニャはミーナの元にエイラを連れて行った。

 

「あら。リトヴャクさんが連れてくるなんて意外ね。」

「……ちょうど会ったので。」

 

 エイラもまたサーニャが隊に着いたときと同じように書類手続きを終えたあと、サーニャの話を切り出した。

 

「ちょっと相談があるんだけど、いいか?」

「ええ。なんでも相談して頂戴。」

「リトヴャク中尉のユニットのことなんだけど……」

 

 エイラはミーナに事情を話した。

 

「わかったわ。MiG60またはそのパーツの購入を許可します。連絡はお願いするわ。」

 

 こんなに早く電話することになるとは思わなかったな。なんて言いながらエイラは電話を借りて通信をつないだ。そして相談を始める。

 

「リトヴャクさんも困りごとがあったら相談してくださいね。」

 

 優しい笑顔でミーナがサーニャへ声をかける。サーニャは黙りこくったまま目だけをそらした。

 

 

 エイラは電話口でいくらか会話したあと、ミーナに交代した。

 サーニャとエイラは並んで幾分か待っていると、ミーナは電話を終えて振り向いた。

 

「リトヴャクさん。ユーティライネンさん。一週間後までにはMiG60二機が届くわ。リトヴャクさんはユニットの故障で動けないのでそれに合わせて一週間は基地内でできる任務を割り振ります。」

 

――

 

 一週間後、サーニャのユニットは届いたユニットからパーツを取って修復された。そしてその夜、サーニャは久しぶりの夜間哨戒をするためハンガーに向かった。

 そうしたら、なぜかエイラがそこに居た。

 

「よ、よろしく!リトヴャクさん。」

 

 エイラは物音に気づいてすぐに振り返り、サーニャをみとめると駆け寄って挨拶をした。

 

「どうして……?」

「あれ?朝のミーティングで私が夜間哨戒のバディになったの聞いてなかったのか?」

 

 サーニャは記憶をたどったがすぐに諦めた。今日のミーティングは半分寝ていて覚えていなかったのだ。

 

「……じゃあよろしく。」

 

 サーニャはエイラを置いて自身のユニットのもとに向かった。無味な返事にあっけにとられていたエイラも遅れてその後ろについていく。

 二人はユニットを履いてタキシングでハンガーから出た。

 サーニャは発進前に振り返ってエイラを見た。エイラは少し緊張している様子だった。しかしサーニャはあえて無視した。

 

 爆音が空に響いて加速ののち上昇する。サーニャにとってはいつも通りの夜闇へ包まれた。

 おくれてエイラもついてくる。そしてサーニャの斜め後ろにピタリとついた。

 

(よかった。心配ないみたい。)

 

 エイラの飛行は安定していた。スオムスでは日没が早い。夜間飛行は否が応でもできるようになっていた。

 

『これから中佐に指定されたルートを哨戒するわ。』

『了解!』

 

――

 

 サーニャにとって落ち着ける夜間飛行は邪魔者付きになってしまった。サーニャ自身彼女に恩義を感じていたが、エマのことを思うと心苦しくても無視してしてしまうことにした。とはいえ、彼女が怒っていないだろうかとか気にしてしまい集中を切らしてしまうのだった。

 

『えーっと、リトヴャク中尉、私のことはエイラって呼んでくれよ。』

『……。』

『なあ、リトヴャク中尉、なんで私のことを無視するんだ?』

 

 サーニャは答えなかった。夜間哨戒は気まずいままに終わった。



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黒猫と黒狐

ぼく幸せな話一年ぶりに書いた
エイラ……イケメンになって……
余談ですが主人公が苦しむという点で非常に素晴らしいストパン二次があるので最近うれしいです


 エイラはあまりに無視するサーニャには何らかの事情があるのだろうかと考えていた。

 ユニットが直るまでの一週間のうちにエイラは基地のメンバーに歓迎されていた。サーニャは居なかったが、みんないい人だったしサーニャについていくつか聞くことができた。

 曰く、サーニャは誰に対してもあの態度だとか、いつも新聞を読んでいるとか。しかしよくサーニャと話すと言っていたハルトマンですらまったくサーニャのことは知らなかった。

 

 エイラはその翌日、夜間哨戒に備えて夜の軽食を作るためにキッチンに向かっていた。

 しかし先客が居たようだ。キッチンから水の沸き立つ音が聞こえる。

 

 エイラがキッチンの中を覗き込むと新聞を読むサーニャが見えた。

 

(サーニャが読んでるのは……行方不明者欄?)

 

 サーニャが熱心に読んでいるのは行方不明者の捜索に関する欄だった。ABC順に並んだ名前を一行一行見落とさないように読んでいる。

 

 いくぶんか後、読み終わったサーニャは新聞を畳んで振り返った。エイラはいけないものを見てしまったような気がして隠れてしまった。そして間をおいて何事もなかったかのようにキッチンに入った。

 

「よ、リトヴャク中尉。私も作っていいか?」

 

 けして先程のことは見ていないかのように、エイラは平静を装ってその横についた。サーニャは答えなかったが、横に来て食材を取ろうとするエイラの手を止めた。

 

「な、なんだ?」

 

 サーニャは答えない。だけど自身の作ったスープを二皿に分けて片方をキッチンに置いて食卓に向かった。

 

「……食べろってことか?」

 

 残されたスープはサーニャなりの気遣いだった。無視していることはサーニャにとってもあまり気持ちが良いものではなかった。

 エイラもスープを持って食卓に向かう。そしてサーニャの隣に座った。

 

「スープ、ありがとな。」

 

 サーニャは応えなかった。二人は黙ったまま食事を終えた。

 

――

 

 その日の夜間哨戒もまた双方にとって気まずいものだった。幸いネウロイには出くわさなかったが、お互いに神経をすり減らしていた。

 

 その翌日は給料日で、同時にロンドンへの買い出しの日であった。サーニャは今日も行かないが、エイラは不足している家具などを買うために街へ出た。

 ロンドンは活気にあふれていた。ただでさえ島国なのにそこに多くの避難民が入ってきたのだ。人口が増加したために産業は活性化、街を歩く人は多かった。

 

「ひとまず必要な物資は買い終わりましたので、あとは自由時間とします。四時までに戻ってきてください。」

 

 ミーナの言葉でみんな連れ立ったり、一人だったりで街の中に消えていった。エイラも目的の店に向かうのだった。

 

――

 

 エイラが目的としていたのは小物屋だ。サーニャに何かプレゼントを買いたかったのだ。

 

「意外と迷うな……。」

 

 小物屋に着いたエイラは困っていた。どれも可愛らしくできたぬいぐるみやアクセサリーでどれを買おうか悩んでいたのだ。

 

「あんまり高価なアクセサリーは困るかな……。うーん……。」

「お困りですか?」

 

 エイラは不意に声をかけられて振り向いた。そこには小さな巻毛の金髪の女の子が居た。ガリア空軍の制服を着ている。

 エイラに向けられている顔は年齢の割に幼く見えなかった。むしろ精悍とも取れる。

 

「恋人にプレゼントでもお買いに?」

「こっ、恋人ってわけじゃないんだな!……でもプレゼントを買おうと思って。」

 

 エイラは顔を赤くしてしまった。言われて一瞬恋人となったサーニャのことを思い浮かべてしまったのだ。

 金髪の少女は形式だけ謝り、自己紹介した。

 

「おっと、失礼しました。私はガリア空軍少尉のダイアナ・サニエです。そちらは?」

「私は第501統合戦闘航空団のエイラ・イルマタル・ユーティライネン。」

「エイラさん?もしかしてダイヤのエースの!?」

「あー、そうとも言われるな。」

 

 エイラは格好をつける方ではなかったから、ことさらに通り名で呼ばれると気恥ずかしかった。

 

「ふーん、なるほど。ダイヤのエースに想い人がね……。」

「お、想い人って……!」

「違うんですか?」

「違わないけどな……。ああ、そうだ、ダイヤのエースって気恥ずかしいからエイラって呼んでくれ。」

「わかりましたエイラさん。私のこともダイアナとお呼びください。」

 

 ダイアナは劇がかった口調でそういう。そして本来の用件に戻った。

 

「そういえばプレゼントを買おうとしていたんですよね?どのようなものを買おうと?」

 

 エイラは答えに詰まった。買うことだけ決めてきたけど思ったより種類があって困っていたのだ。

 

「実は……全然決まってなくて。」

「そうですか……ではその人の好きな動物とかはありますか?」

 

 エイラは考える。そういえばサーニャの使い魔は黒猫だった。

 

「猫……かな。使い魔が猫だし。」

「あら、ウィッチですか。まあそういうのもいいと思いますよ。……では猫のグッズを見てみましょう。」

 

 店内を歩いて猫のグッズをいくつか探し出す。それを店内の机の上に並べた。

 

「たぶん初めてのプレゼントですよね。それならあまりキラキラしたものは避けたほうがいいかもしれませんね。」

 

 品物を選り分けていくつか前に出す。

 

「それと、エイラさん自身の要素も入っているといいかもしれません。」

 

 ダイアナが前に出してきた中からエイラは猫のようなペンギンを拾い上げる。

 

「これは……丸くて可愛くていいな。スオムスにペンギンは居ないけど、まあ寒いとこっぽいしこいつにしよう。ありがとな、ダイアナ。」

「いえ、どういたしまして。……お礼代わりに想い人の名前を聞いても?」

「アレクサンドラ。アレクサンドラ・ウラジミーロヴナ・リトヴャク。」

 

 ダイアナはその名前を聞いて少し考え始めた。エイラが不審がっているとダイアナは何かを思い出した。

 

「アレクサンドラ……たしか私のエマを奪っていった泥棒猫じゃない。」

 

 ぽつりとそう呟いた。エイラはそれを聞き逃さなかった。

 

「リトヴャク中尉のことを知ってるのか!?」

 

 エイラはダイアナの肩を掴んで問いただした。サーニャの過去について手がかりがあるかもしれないと思ったからだ。

 

「わあ!ごめんなさい!」

「それはいいから、ダイアナはリトヴャク中尉の過去について何か知らないか!?」

 

 あまりにエイラに肩を揺らされるので、驚いたダイアナは思っていたことをそのまま言ってしまった。

 

「リトヴャクさんは私の同室だったエマとロッテを組んでたの!でもあの泥棒猫、私のエマを見捨てたのよ!」

 

 そこまで言ってダイアナは表現の悪さに気付いた。とっさに謝ったがもはやエイラはそんなことは気にしていなかった。

 

「もしかしてその事を気にして……。」

 

 そうつぶやくと代金を置いてネコペンギンを持って店を飛び出した。

 

――

 

 エイラが話を切り出すのに選んだ場所は夜空だった。エイラ自身ずる賢い手だとは思ったが、逃げられずに話ができる場所はここが一番だった。

 

『リトヴャク中尉、何をそんなに恐れてるんだ?』

 

 エイラが語りかける。しかしサーニャはまた何も答えなかった。

 

『ダイアナから聞いたんだ。エマの話。』

 

 サーニャの魔導針がぴくりとブレた。エイラは語りかけ続ける。

 

『悲しいことだし、同情する。……でも、いつかは乗り越えないといけないんじゃないかな。』

 

 サーニャは突然切り返してエイラの頬を叩いた。エイラは避けなかった。

 

「あなたに何がわかるのよ!」

 

 サーニャの大声は通信機を通さなくてもエイラの耳に届いた。それにエイラは大声で返す。

 

「私だって大切な友達を亡くした!」

 

 サーニャは思わず動きを止めた。

 

「でも!いつかなくなってしまう関係なら、私は今を大切にするべきだと思うんだ!

 だから……だから今まで何があったかなんて関係ない!」

 

 エイラはサーニャの肩を掴んで自身の方を向かせた。

 

「私は中尉のことが好きだ!だから!今!私のことを見てほしいんだ!」

 

 エイラにとって一世一代の告白だった。顔を真っ赤にしてサーニャの目を見据える。

 

「え……。」

 

 サーニャは驚いて口もあいたまま止まってしまった。しかしすぐにエイラの手を払って振り返った。

 

『……私のことが好きなら、なおさら……ぐすっ……私に近づかないで……。』

 

 サーニャは泣いていた。

 

『愛が深いほど、その愛は身を滅ぼすわ……。エマも、私のことを愛していたわ……。だから死んだし、遺される人の悲しみも深いの……。』

 

 エイラは泣き始めてしまったサーニャをどうしようか困り果てていた。

 しかし、その瞬間エイラの視界が真っ赤に染まった。

 

『中尉!』

 

――

 

 エイラはサーニャを抱きしめて、自身とともに無理やり横に動く。その横をレーザーが走り抜けていった。

 エイラの視界に写ったのは未来のレーザーだったのだ。

 

『ネウロイがこんな近くに……!』

 

 エイラに気を取られて魔法が不安定になっていたのだ。サーニャが信じがたい状況にうろたえていた。しかしエイラの行動は早かった。

 

『私は死なない!中尉のことも守る!』

『待って!エイラ!』

 

 サーニャの言葉を尻目にエイラは加速してネウロイに突撃する。ネウロイから飛んでくるレーザーの数は異常に多く、サーニャは半ば悲鳴のような声でエイラを引き留めようとする。

 

『こんなレーザー、私にかかれば楽勝だ!』

 

 未来予知でネウロイのレーザーを避けながら近づいていく。そして近距離から確実に敵を仕留めた。

 

『ありえない……あんな数のレーザーをシールドもなしに無傷で……!』

『へへん。「回避のエイラ」の私にかかればこんなもんよ!――っと!』

 

 ネウロイを倒した直後、下から別のビームが飛んでくる。

 

『エイラ!雲の中に!』

『わかった!中尉はそこで見てな!』

 

 エイラは未来予知を駆使して相手のレーザーの発生源を特定してそこに撃ち込む。

 

『あれ?手応えがないな。』

 

 エイラはたしかになにかを破壊したと思った。しかしネウロイのうめき声は聞こえない。

 かと思ったら別の位置から大量のレーザーが飛んできた。

 

『なんだ!?中型以上がたくさん居るのか!?』

 

 こんなに多くのレーザーを撃ってくるのは中型以上しかない。もう一体も仕留めたかと思ったらまた別の地点から同じほどのレーザーが飛んできた。

 

『また別のところから!?』

 

 エイラの経験と照らし合わせても、いくらなんでも数が多すぎた。しかしそこにサーニャからの通信が入る。

 

『エイラ!相手は射撃地点を偽装してるみたい!私が一番大きい反応に撃ち込むからそこを攻撃して!』

『わかった!』

 

 遠くからサーニャのフリーガーハマーが火を吹く。数本のロケット弾は航跡を描いて爆発。敵ネウロイの居場所を明らかにした。

 そこにエイラが飛び込んでネウロイは仕留められた。

 

――

 

 残りの敵が居ないかを確認してからサーニャが降りてくる。

 

『エイラ!無茶して死んだらどうするの!――きゃう!』

 

 エイラは勢いよく降りてくるサーニャを受け止めた。そして耳元でささやく。

 

「中尉。私は死なない。……私は、中尉と一緒にいたいんだ。」

「中尉じゃなくて、サーニャって呼んで。私の愛称よ。」

「サーニャ……。」

「基地に帰りましょう。……報告が必要だわ。ネウロイと、夜間哨戒の編成について。」

 

――

 

「これ、サーニャにプレゼントなんだな。」

 

 報告が終わったあと、エイラはサーニャの部屋にお邪魔していた。そしてロンドンで買ったネコペンギンを渡した。

 

「わあ、かわいい。ありがとうエイラ。」

 

 サーニャはネコペンギンを受け取って抱きしめる。

 

「エイラが居ない時はエイラだと思って大事にするわ。」

「喜んでもらえてよかったよ。」

 

「でも……。」サーニャはネコペンギンを机に優しく置いた。「今はエイラが居るから。」

 

 サーニャはネコペンギンの代わりにエイラを抱きしめた。

 瞬く間にエイラは真っ赤になる。

 

「ねえ、エイラ。私のことが好きって言ったけど、それはこ――」

「友達として!友達としてなんだな!」

 

 エイラは恥ずかしさに負けて友達として好きだということにしてしまった。すぐに後悔の念に駆られるがもう遅い。

 

「そうね。私たちは対等な友達。私もエイラと同じぐらいエイラが好きよ。」

 

 エイラは耐えきれずにサーニャの腕から抜け出してベッドに入って毛布を頭から被った。

 

「嫌だったかしら……。」

「違う!恥ずかしい!恥ずかしすぎるんだな!」



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ダキアの悪魔犬

早いうちに終わらせないとテストが迫っている
ユニットの設定はいらんこ中隊ReBOOT!参考ですが若干ガバかもしれません


 結局、私は空母にはたどり着かなかったらしい。それをわたしが認識した時には次の意識の濁流に飲まれていった。

 

――

 

 私はまた軍属のウィッチに憑依してしまったらしい。

 

 連合国がガリアから撤退した頃、黒海のネウロイにギリシアまで押し込まれていたバルカン諸国家はバルカン奪還作戦を実行していた。ネウロイの戦力が西側に集中している間にできる限りの領域を取り返そうというものである。

 

 私はその作戦のさなかモエシア奪還戦に従事するウィッチに憑依して15機の撃墜とともにエースとなった。――――のことが心配だったが、あまりの戦局に会いに行くことは叶わず、手紙を出すのが精一杯だった。しかし無理がたたってバルカン山脈にて体が動かなくなって戦死した。

 

――

 

 私はまたバルカンで戦っていた。今度はバルカンからダキアへ進む航空隊のメンバーだ。早くネウロイを倒して、戦局を安定させて、会いに行かなくてはいけない。……誰だったかは忘れてしまったけど。たぶん、私にとって大切な人だったと思う。

 私のロッテ長機は『悪魔(ディアボロ)』ディラーラ。正直邪魔くさい。私が事故を装って離れて一人で戦おうとしてもすぐに私を引き戻す。しまいには「リードでもつけましょうか、この駄犬。」とまで言われてしまった。

 それにディラーラはこの地域で一番のエース。流石に彼女を怪我させてまで私のスタンドプレーに付き合わせるわけにも行かない。だから私は不完全燃焼感があった。

 

「ディラーラ様。もう私のことは見捨ててくださいよ。」

 

 そんな愚痴も出てしまう。私は自身で戦うすべを身に着けているし、歳通りの子供のように扱われてはたまらない。

 

「何を言うのかしら駄犬。」

「だって、ディラーラ様が私の世話をする時間があればもっとネウロイを倒せるでしょう?さっさと私と替えればいいじゃないですか。」

「馬鹿者。あんな動きをするあなたを放って置いたら十分とせずに戦死するわ。助かった命を大事になさい。」

「ちぇ。」

 

 私はすねてお風呂に行った。

 

――

 

 そういえば私の名前はクリン・ストイカ。使い魔はイタリアン・コルソ・ドッグ。簡単に描写すると垂れ耳でしっぽの短い黒毛のガッチリした犬だ。

 ディラーラ様の僚機についてからは『悪魔犬(ケルベロス)』なんて呼ばれてる。別にエースってわけでもなくて、この呼ばれ方には主にディラーラ様の私の扱い方に原因があるとは思うけど。一度本当にリードをつけて出撃した時は流石に恥ずかしかった。

 

 この体は固有魔法を持っていて、それは『失神阻止』。とかく失神しなくなる。これを使うと急激に止まったときや旋回するときに感じる加速度によって血流がおかしくなっても、脳震盪を起こしても気絶しない。だから便利に使わせてもらってる。これを活用した戦術があるのだ。

 

 そもそもストライカーユニットは推力を生むものだ。私たちは推力に押されて飛んでいる。飛行機のように揚力でバカみたいな誘導抗力を生んで飛んでいるわけではないのだ。

 そして、重心後方からの推力で飛ぶというのはすごく不安定だ。新人がストライカーユニットになかなか慣れないのはこれも原因の一つ。だけど、不安定ということは言い換えれば非常に機動性がある。

 それに推力によって飛べるということは、左右の推力の大小関係や方向を変更すれば直ちに進行方向が変わるのだ。これは航空機にはありえない異常な挙動を可能にする。

 しかしこの飛行法は異常な加速度を伴う。でもそれは固有魔法で抑え込めばいいのだ。

 

 そんな事を考えていたらディラーラ様もお風呂に入ってきた。

 

「ここいらは火山のおかげでお風呂があるから助かるわ。」

「そうですね。」

 

 もう既に体は洗ったようで私の横に入る。

 

「ディラーラ様ってすごくお肌きれいですね。」

「ええ。大切にしてるわ。」

 

 ディラーラ様は戦績もさることながら美人であることでも有名だ。熾烈な赤髪、少し焼けたすべすべの肌、そして刺激的な琥珀の目。

 

「そういえば、どうしてディラーラ様って『悪魔』って呼ばれてるんですか?」

「さあ、なんでだったかしら。……たしか、私が100機撃墜を達成した頃だったかしら。あの頃は必死だったわ。必死過ぎて悪魔みたいに見えたのかもね。」

「へえ。そうだったんですか。」

 

 ちょっとした話を持たせるために聞いただけなのであんまりな返事が出てしまった。

 

「あんまり意外そうでもないわね。」

「部下に悪魔みたいに厳しいからとか思ってればよかったですか?」

「あら。私ほど部下に優しい人も居ないと思うけど。……あなたこそなんで『悪魔犬』なんて呼ばれてるのかしら。」

「ディラーラ様のせいですよ。人にリードつけるなんてありえません。」

「じゃあつけさせたあなたのほうがありえないわ。何度も言うけど、命は大事になさい。」

 

 私の返事を聞かないままにディラーラ様は出ていってしまった。私も別に長風呂の趣味はないので温まったら出るのだった。

 

――

 

 今日の作戦もまた地上部隊の援護。徐々にだが前線はブカレストに向かっている。

 

『クリンは周囲を警戒しながら付いてきなさい。けして離れないで。』

『了解。』

 

 ディラーラ様の指示に従って後ろについて飛ぶ。ディラーラ様は地上部隊にちょっかいをかけうる小型を潰し、私の発見した中型を潰し、私を引き戻し、七面六臂の活躍だ。私の撃墜数も久しぶりに伸びた。これで8体だ。

 

――

 

「クリン。言ったでしょう。離れるなって。」

「でも、今日私は3機も倒した。」

「倒したことは重要じゃないわ。あなたが命令を守れなかったことの方が重要よ。」

 

 ディラーラ様の自室。また私は地面に座らされて説教を受けていた。熱心なものだ。説教するぐらいならさっさと替えてしまえばいいのに。

 

「聞いてるの?クリン。」

「は~い。」

 

 適当に返事したら適当すぎる返事が出て、それを見咎めたディラーラ様に顎を押さえて上から覗き込まれてしまった。

 

「ク~リ~ン?」

 

 額が触れるほど顔を近づけて凄んでくる。普通は怖いんだろうけど、私はもう恐怖感覚が壊れてきているので怖くなかった。そして説教にほとほと飽きてきた私はそれに悪戯に返した。

 

「ぺろっ。」

「ひゃう!」

 

 頬を舐めるとディラーラ様は驚いて後ずさっていった。頬を真っ赤に染めて。

 

「な、何するのこの駄犬!」

 

 おっと、思ったより効いた。……そうだ、このままいたずらして懲戒で僚機から外されたらいいじゃん!これなら出撃停止処分にならずに僚機から外れれる!

 

「えいっ!」

 

 ディラーラ様の隙をついて足をすくって転ばせる。そして両手を押さえて顔を寄せる。

 

「実は私……ディラーラ様のことが大好きなんです。」

「な、何をばかなことを……。」

「もう我慢できません。」

 

 唇を近づけ、ディラーラ様の唇をついばむ。二、三とついばんでそして深く口を合わせた。

 最初は暴れていたディラーラ様もそのうち暴れなくなった。顔を離して様子を見るとディラーラ様は涙を浮かべていた。抵抗がなかったので手を離すと縮こまってしまった。

 

「ごめんなさい……デボラ……。」

 

 何ごとかディラーラ様がうわ言のようにつぶやく。デボラ?……デボラ?

 

「ディラーラ。」顎を掴んで無理やりこちらに向かせる。「デボラって誰?」

 

「言わない……。」

「じゃあ言うまでキスします。」 

 

 顔を近づけるとディラーラはうろたえながらも答えた。

 

「ダキアにいたときの……私の僚機。」

 

 ディラーラの僚機……何かが引っかかる。そして知り得ないはずのことを思い出し始める。

 

「デボラって一度死にかけた?」

「……そうよ。そして……死んだわ。」

「最期にはなんて?」

 

 そう彼女は最期に、最期になにか大切なことを言ったはずだ。しかしあまりに無遠慮な物言いがディラーラの怒りに触れてしまった。

 

「そんなの!あなたには関係ないでしょう!」

 

 ディラーラが怒って押し返してきた。ディラーラの胴には体重しかかかってないので、ウィッチの筋力なら腹筋だけでひっくり返せてしまう。

 そしてデボラはなんと言ったかだ。たしか、私は……

 

「また、きっと会いましょう」

 

 半分無意識に私の口から出てきた言葉に、ディラーラは目を見開いて驚いた。そして私は一つの記憶のストーリーラインを思い出した。

 

「ど、どうしてその言葉を……。」

「私……私帰ってきたわ。帰ってきたのよ、ディラーラ。」

「うそ、うそよ、デボラは死んだのよ。私の胸の中で。」

「だから、私帰ってきたの。」

 

 うろたえるディラーラに私は覚えてる限りの旅路を話した。あんまり覚えてなかったけど。

 話すうちにディラーラも落ち着きを取り戻して、私の話をきいてくれた。

 

「ただいま、ディラーラ。」「おかえり、デボラ。」

 

 手を取り合って笑い合う。

 

「あ、そうだ。デボラ、結局私のことは……どうなの?」

 

 ディラーラが恥ずかしがりながら私に尋ねる。そうだった、最期のときの回答をしそこねたんだった。

 

「そうね。結局あのとき確かめられなかったから、今確認してもいいかしら?」

 

 私は悪戯っぽくディラーラに提案する。そしてディラーラはそれを受け入れた。




ストライカーユニットはたぶんプロペラより効率よく推力が出るんだろうなぁ。でもたぶん術式効率みたいなのがあるんだろう。
空気力学的には翼で飛んだほうが必要出力は小さいですが(人力ヘリコプターは一分も浮けばすごい)、それを補うぐらい魔法のほうが効率いいんだろうな。
もしくは多少効率が悪くてもオスプレイ的な運用をしたいがためにこういう仕様なのかな。


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ブカレスト奪還戦

次回と合わせてセットなのでちょい短 日付間違って一日遅れになってしまった


 ディラーラとの再会を果たして数日後、私たちはブカレスト奪還の総攻撃に参加することになった。

 私たちはブカレストの制空権奪還を目標として、奪還後はとにかく敵が来なくなるまで耐えるか、地上施設が復旧するまで耐える。

 ネウロイもここを奪還されるとトランシルバニアの向こうまで下がらないといけない。必死の抵抗が予想される地域だった。

 

――

 

『クリン。後ろは頼んだわよ。』

『了解。ディラーラ。』

 

 ブカレストに至る道を私たちは飛んでいた。爆撃隊よりも、地上部隊よりも先を。

 使用ユニットはハリケーンで、この作戦に合わせてようやくオーバーホールして新品のパーツと入れ替えたところだ。バルカンでは割とブリテンの品が多い。それもそうで、工場が壊滅していなくて地中海を取られると困る国といえばブリテンだった。

 銃器も単発銃が多く、弾薬は減らなくていいが当たらない時はホントに当たらないという問題はあった。だから戦闘距離が近く、新人はすぐに撃墜される。

 ハリケーンの特徴は軽量で低高度で大出力なことがある。これはドッグファイトにおいて優位で、射撃が難しい武器と合わせて一撃離脱はそこまで流行ってなかった。

 

 ウィッチたちは若干の高高度を飛行し、ブカレストに進む。こちらを発見したネウロイたちが慌てて街から飛び出してくる。戦闘開始だ。

 

『上から叩いてあとはできるだけ仕留めて戻るわよ!』

 

 脚力で推力を偏向し降下姿勢になる。降下しながら小型ネウロイを射撃、小型はなすすべなく蹴散らされる。

 

 ネウロイと同程度の高度になると旋回性がものをいうドッグ・ファイトになる。基本的にはとかく敵機の後ろをとって射撃で破壊する。横合いから入ってきた敵機があったら僚機の私が倒す。たまに安全な時に高度を稼いで最初に戻る。

 

『随分強くなったのね。』

『ディラーラこそ。私が居なくて寂しくてネウロイ倒すぐらいしかしてなかったんじゃない?』

 

 軽口を言いながら戦闘を続ける。二度三度と降下すると弾薬が少なくなってきた。

 

『クリン、もう少しで弾がなくなるわ。一度戻りましょう。』

『了解。』

 

――

 

 一時的に戦線を離脱、たくさんの銃弾を携えてまた戻る。

 ブカレスト戦線は最悪というほどではなかった。犠牲者は出ているが、前線は進んでいるようだ。

 

 私たちはブカレスト上空まで進む。すると突然ブカレスト中に煙が立ち込め始めた。

 

『何これ!?』『煙?』

 

 あっというまにブカレストは煙に包まれて視界は失われた。

 

『司令部より伝達。ブカレストに謎の煙が発生。第一航空隊は原因を究明するわ。』

 

 隊長から無線機で指示が入る。私たちは高度を落としてまずは市内を確認することになった。

 

『ぜんぜん視界が利かないわね……。』

『そうね……。』

 

 十数メートル先までしか見通せない。視界が悪いので私たちは低速で街中を巡回する。

 

『きゃっ!』

 

 ディラーラが突然横合いから撃たれる。かろうじてシールドで弾いたものの射撃してきたネウロイはどこに居るのかまったくわからなかった。

 

『ディラーラ!大丈夫!?』

『大丈夫。それよりも早くさがないと陸上部隊が入れないわ。』

『そうだね。急ごう。』

 

 霧が濃くなる方向に進んでいく。路地を抜けて少し視界が開けたところにつくと、煙突のような黒いネウロイがもくもくと煙を上げていた。

 

『黒いネウロイ……!』

『あれが原因のようね。潰すわよ。』

 

 二人で射撃するが、射撃が数発命中するとネウロイは足を生やして走り出した。そして同時に周囲からレーザーが飛んでくる。

 

『くうっ……。追いかけるわよ!』

 

 急いで距離を詰める。同時に発見位置を隊に伝える。他の隊員もすぐに駆けつけると返事した。

 

『ちょこまかと……。』『当たんないわね。』

 

 煙突ネウロイは細かく動いて弾丸を躱す。それを追いかけていると横合いの路地からレーザーが飛ぶ。不意の攻撃をどうにかしのぎながら追いかける。

 しかし煙突ネウロイからは全く攻撃が飛んでこないな……そうだ。

 

『私があの煙突をつかまえる。』

 

 私の加速度を無視した機動ならあのスピードに追いつけるはずだ。このままじゃジリ貧すぎる。攻撃してこないならば捕まえても攻撃される心配はない。

 

『ダメ!そんなの危険すぎるわ!』

『でもいま捕まえないと!』

『もう少し耐えるのよ!じき隊のみんなが集まってくるわ!』

 

 ディラーラはそう答えるが、まだまだ味方は集まってこないのだった。味方は味方で他のところで足止めを食らってる。

 

『な!なななどうして!』

 

 その時突然、私のユニットが推力を失い始めた。気づいたディラーラも急制動して私の方に振り向く。すると突然ディラーラのユニットも煙を吹いた。

 

『え?私も!?』

 

 ディラーラのユニットも動きが悪くなっているようだ。二人とも結局煙突は取り逃がしてその場に着陸することになった。

 

「もう!なんで動かないのよ!」

「私もダメ。……この煙のせいなのかな。」

 

 全力で魔法力をユニットに押し込むが回転しない。燃料タンクを見ると燃料がすべて固化していた。

 

「燃料が固化してる……これも煙のせい?」

「最悪ね。ユニットはここで放棄するしかないわ。」

 

 動かないユニットではただの重荷だ。しかもここはネウロイの陣地真っ只中。こんな重荷を抱えて歩けない。

 ユニットに簡単な隠蔽を施して路地を歩く。もう顔も見えないぐらいの視界なので手を繋ぐ。

 

「絶対に離さないでね。」「うん。」

 

――

 

 周囲を警戒しながら歩を進める。幸いコンパスは使えるのでとにかく一方向に歩いて煙の外に出ようとする。時折ネウロイの気配がするので立ち止まって隠れながらだ。

 

「行ったようね。」「ええ。」

 

 私たちは数区画を進み、隠れ、数区画を進むというのを繰り返していた。張り詰めた緊張感の中、幾らか進んだことはわかっているがまだ街の外には出られない。

 明らかに街を出るのに必要な距離は歩いたはずだ。しかし街から出られない。私たちは焦りを隠せないでいた。……そしてそれがミスに繋がった。

 

 パキ、と足元で音が鳴った。瞬間、私たちの間にレーザーが直撃した。つないでいた手は離れて壁に叩きつけられる。

 

「逃げるわよ!」

 

 起き上がったところにディラーラの声が聞こえて、差し出された手に引かれて走り出す。

 走って、走って、わけが分からなくなるぐらい走って、気づいたら追ってくるネウロイの音も、レーザーの破壊音も聞こえなくなっていた。

 

「ありがとう……。ディラーラ……。」

 

 息を切らしながらディラーラに声をかける。しかし、その返事は返ってこなかった。不審に思って私が掴んでいるディラーラの手を見ると、その手は銀色をしていた。見覚えのあるくすんだ銀の輝きだった。

 

「ネウロイ!?」

 

 驚いて手を離す。しかしそれは手遅れで、私は地面から飛び出してきたネウロイに丸呑みにされた。



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ブカレスト奪還戦2

 暗い空洞の中を落ちていく。いつまで落ちるのかと思っていたら、突然に地面に叩きつけられた。

 

「いつつ……。」

 

 落下の衝撃で手にしていた銃が手を離れる。音を頼りに拾い上げようとしたが、どこまでも探しても見つかることはなかった。

 その代わりに地面についた手が壁に飲み込まれていった。引き抜こうとしてもびくともしない。そして次に足、腰、胴と対には体のすべてが飲み込まれてしまった。

 

 何が起きているのか、ネウロイに食べられているのか?

 

 ……痛い!突然に耳の中に何かが入ってきた。そして頭皮の皮膚感覚の内側に、何故か痛みを伴わないままに何かが入っている感覚がする。

 ぞわぞわと頭の中を這い回る不快感が続き、止まったと思ったらこれまでに感じたことのない激痛を感じた。

 オーバーフローして消失しそうになる意識を無理やり魔法で拘束して耐える。痛みは徐々に、徐々に大きくなり、いつしか全身の痛みになりうるすべてを刺激されているようになった。

 

 刺激はいつまでも続いた。最初の決意はどこへやら、私は自身の落ちない意識を呪っていた。無理に固有魔法を多用したがために逆に固有魔法が切れなくなってしまったのだ。もう既に心は折れてこの痛みから逃れたいとしか思っていなかったが、それすら叶わなくなってしまった。

 

 別事に意識を追いやって耐えていたが、いつの間にか私は痛みも感じなくなっていた。それをネウロイも察知したのか、もうめったらにすべての感覚を刺激し始めた。

 

 そして、ついには私の魔法力が尽きた。

 

――

 

「クソッ!」

 

 ディラーラは苛立ちを隠せないでいた。あのあと這うぼうの体で第一航空隊は撤退できたが、地上部隊はブカレストに入れなかった。そして何よりも……

 

「なんでクリンが帰ってきてないの!」

 

 ディラーラの拳が壁を叩く。ディラーラは自室で怒りと焦燥感を感じていた。必死に逃げてきた第一航空隊だが、クリンのみが行方不明のままだった。

 壁を殴りしびれた手を開くと爪が食い込んで手が少し血濡れていた。

 

「この手を……この手を離すべきでなかった……。」

 

 怒りは自罰的な感情に至る。その日は、ディラーラは全く寝れなかった。

 

――

 

 数日のうちに対抗作戦が策定された。解決策は単純だった。上空からのエーテル観測で煙の中心点を捜索、周辺を爆撃して煙を晴らした後高速で航空隊が突撃、再度煙が立ち込める前に仕留める。

 

『第二航空隊が煙の濃い地点を確認。じきに陸上部隊が砲撃に移る。砲撃後に私の号令で突撃する。』

『了解!』

 

 第一航空隊隊長が作戦概要を再度確認する。……砲撃が開始された。

 榴弾砲が爆風で煙を晴らす。その中に確かに煙突ネウロイは居た。

 

『突撃!』

 

 号令に従って第一航空隊は煙の隙間に突撃した。それに呼応して陸上から黒いネウロイが複数上がってくる。

 その中に一人の人影が混ざっていた。

 

『クリン!?』

 

 虚ろな目をしたクリンがディラーラに対して飛んでくる。足には見たこともない黒いユニットを履いている。手には黒い機関銃。そしてクリンは機関銃を構えた。

 

『クリン!あなた何をして――』

 

 機関銃はディラーラに向けて射撃された。わけがわからないディラーラだったが、かろうじて回避する。そしてそのまま交錯した。

 しかしクリンはありえない速さで切り返し、ディラーラを追ってダイブした。

 

『操られてるの……?』

 

 クリンは機関銃を構えてディラーラを追いながら射撃する。ディラーラはブカレストを離れる方向に舵を切った。

 

『こちらディラーラ。ストイカ軍曹を発見。しかし混乱状態のため戦域外に誘導する。』

 

 隊長からも許可を得てディラーラはブカレスト郊外の区域までクリンを引きつけた。クリンはそれを追いかけながら明確にディラーラを落とすために射撃している。

 

『ストイカ軍曹はネウロイによって操られている模様。こちらで引きつけておくのでそちらで原因の究明をお願いする。』

 

 隊長は操られているという情報に困惑したものの、煙突ネウロイを守るように地面からせり出した大型ネウロイの妨害を受けて、ひとまずディラーラの判断に任せることにした。

 

――

 

 ディラーラはクリンの方に意識を戻した。クリンは射撃を繰り返し、それをディラーラはかわす。

 

(あの黒いユニットを撃てば行動不能にはできるはず……。)

 

 初めて遭遇する事態だから確証はなかった。しかし行動を抑えるにしても手にある銃を狙うことは難しい。ユニット部分に射撃するのならば可能かもしれない。

 

(クリンはドッグ・ファイトでは反則級の固有魔法を持ってる。だからドッグ・ファイトに持ち込むのは不利。だけどロッテ戦術は使えないし……。)

 

 ディラーラはクリンの履いているユニットを目視で確認した。あれはたしかハリケーン以前にバルカンに配備されていたユニットと似ている。ユニット自体の性能差があれば高度有利を取ることは可能だ。そして確かにクリンはハリケーンの全速力より遅かった。

 ディラーラは速度差で距離を離し、ループして頂点でロール、インメルマンターンで高度有利を確保した。そして上空からクリンめがけてダイブする。

 

(あたれ!)

 

 ディラーラは願いをかけながらクリンの少し先の空間を撃った。しかしクリンは急旋回でそれを回避した。

 一発目を外したことを認識したディラーラは繰り返し射撃するが数発は小型のシールドに阻まれる。阻まれなかった弾丸はクリンの脇腹を掠めた。

 ディラーラは降下速度が十分上昇したところで体を引き起こし、再度速度を高度に戻した。その間にクリンから射撃を受けるもシールドで弾く。

 

(シールドも使えるのね……。それに狙ってもクリンを殺しかねない。)

 

 単発の偏差射撃で狙ったところに当てるのは困難が過ぎた。クリンを追うようにしないとユニットに当てる自信はない

 

(でも追いかけても簡単に回り込まれる……ユニットの性能以上の動きができるクリンには敵わない。

 ……そうだ、追いかけなければいい!)

 

 ディラーラは出力を落としながら再度ループで高度を稼ぎ、速度が低下したところで切り返して水平にクリンに向けて突撃する。クリンとは対向する形になる。

 基本的に対向することは接触墜落の危険性があるので避けられる。しかしクリンは固有魔法で即座に避ける事が可能なため、敵機と対向する状況に乗ってくると予想された。

 そしてディラーラの思惑通り、クリンは対向することに気付いて軌道を対向姿勢に持っていった。そしてディラーラに向けて機関銃を射撃する。対向すると弾丸は当たりやすい。クリンの撃つ弾丸の多くはディラーラに当たる軌道だ。

 

「ぐぅ……。」

 

 弾丸がディラーラのシールドを叩くが、弾丸程度ならディラーラのシールドは破れない。

 両者の距離は近づく。そしてクリンは接触直前で固有魔法を駆使した回避行動に移るが――

 

「と、ど、け!」

 

 それをディラーラは追いかけた。当然、双方は衝突することになる。

 ディラーラはシールドを展開したままクリンのユニットを殴りつける。クリンのユニットは損壊。推力を失って落下し始めた。

 ディラーラはそれを追いかけてクリンをつかまえる。暴れるクリンを押さえつけながら森の中に軟着陸した。

 

――

 

「痛っ!」

 

 軟着陸してすぐに、クリンはディラーラの腕に噛み付いて拘束から逃れた。そしてコンバットナイフを抜き取る。

 ディラーラも鞘ごとナイフを抜き取って構える。

 ウィッチといえども一応の白兵戦訓練は受けている。それぞれの型でナイフを持ってジリジリと近づく。

 

 戦いはクリンが優勢だった。それも当然だ。むき身のナイフは相手の動きを大きく制限する。制限されないクリンとされるディラーラではいかに実力が拮抗してもクリンが優勢になるのだった。

 ディラーラは無線を通して助力を乞うが向こうの戦闘も苛烈さを増していて、こちらには来られないようだった。

 仕方なくディラーラはナイフの鞘を取った。そしてクリンにそれを向ける。

 

「ごめんなさい……。殺しはしないわ。」

 

 形勢は五分にまで持ち込まれた。ディラーラのナイフを防ぐ必要ができたクリンは先程の自由な動きはできなかった。しかし拘束することが目的のディラーラと殺すことが目的のクリンではまた動きが異なってくる。

 そしてそれは戦局を変えた。

 ディラーラのナイフがクリンの胸に刺さろうとする。しかしクリンはそれを避けようとせず、無理矢理前に出た。

 驚いたディラーラはナイフを引き戻す。しかしそれによって重心は崩れる。隙だらけの脇腹にクリンのナイフが突き刺さった。

 

「がっ……ああっ!」

 

 ナイフが引き抜かれた傷口から血が溢れる。ディラーラは脇腹を押さえたままナイフを構えてクリンを見据える。しかし失血によって力が抜けて崩れ落ちた。

 クリンは虚ろな表情を変えず、ディラーラを足蹴にして裏返した。そしてその横に座り込んでナイフを振り上げた。

 

――

 

 暗闇が終わったと思ったら霞がかった視界の中に赤色を認めた。いつの間にか振り上げていた腕が重力に従って落ちてくる。そしてその手には血濡れたナイフが握られていた。

 

「どうして……?」

 

 わけがわからない。ネウロイに食われたと思ったら私の手には真っ赤なナイフがあって――

 

「ディラーラ……?どうしてディラーラは倒れてるの……?」

 

 目の前にはディラーラが倒れていた。脇腹から流された血が私の膝を濡らしている。

 

「よかった……解放されたのね……。」

 

 ディラーラが震える手で私の頬に触れる。

 

「……ごめんなさい。あなたともっと一緒に居たかったわ……。」

「ディラーラ……?どうして……どうしてそんなお別れみたいなことを言うの……?」

 

 突然、ディラーラに抱き寄せられた。ディラーラの顔が私の真横に来る。

 

「お願いクリン……私のことを忘れないで……。お願い……。」

 

 ディラーラの抱きしめる腕の力が抜けていく。そして不規則だった吐息は完全に停止した。

 

 わけが分からなかった。だけど、今目の前でディラーラは死んだ。……死んだのだ。

 ディラーラの顔を見る。ディラーラはただ眠っているようだった。でも、目を覚まさない。頬を触っても何も反応しない。

 

「ああ……あああ……。」

 

 私の頭の中にはディラーラとの思い出が巡っていた。ロマンス映画を見に行ったこと、一緒にラジオを聞いたこと、一緒に戦ったこと……そしてその次は来ないことを知った。

 どうして幸せは、許しは私の指の間をすり抜けていくの?この手はなにも掴めないの?……私はなにも手に入れられないの?

 

 手に握られたナイフをぼんやりと見る。そしてゆっくりとその刃を自分の首に押し当てた。

 指が震える。息が早くなる。……私は死ねない。だけど、いつか私は、今の私は次の私に飲まれて消えることはできる。

 

「だけど……だけど私は……ディラーラのことを忘れたくない……。」

 

 ナイフを手放す。私はいつの間にか泣いていた。ディラーラにすがりついて大声を上げて泣いた。



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第501統合戦闘航空団

なんかこう、特色出したいけどなかなかぼくの実力がない


 ネウロイに操られていたとはいえ、ディラーラを殺した罪で軍法会議にかけられた私はまもなく一人きりの懲罰部隊に移籍された。

 ネウロイに食われてからはすべての身体感覚が希薄になっていた。そして睡眠が取れないという問題を抱えていた。しかし、懲罰部隊に属する私はそんなことなど無視された。

 

 懲罰部隊で一人で激戦を戦うことになっていたが、ディラーラを殺す原因になったネウロイは憎かったし、無理をすれば体もついてきてくれた。しかしいくらネウロイを殺しても、当然心の隙間は埋まらなかった。何度も死のうと思ったけど、ディラーラの思い出を忘れてはいけなかった。

 私はこれ以上心の隙間が大きくならないようにディラーラとの思い出をそこに詰め込んで無理矢理塞いだ。

 その後戦局が安定するまで戦い続けた。戦績にはカウントされなかったが実質的なエースになったのだった。

 

――

 

 戦局が安定して懲罰部隊から除隊された私は、階級なしから少尉として昇任された。

 しかし同じ基地のメンバーにはその過去から避けられていたし、結局一人で戦い続けていた。そしてある日、基地指揮官に呼び出されたのだ。

 あれ以来任務外で外には出ていなかったが、指揮官に呼ばれては出ていくしかない。

 

 執務室に入ると指揮官が待っていた。

 

「……クリン・ストイカ少尉、参りました。」

 

 敬礼をし、身分を述べる。指揮官もそれに敬礼を返し話に入る。

 

「先日、ブリタニアにおいて各国エースをまとめた戦闘部隊を結成する運びになった。我が国ダキアも以前から多くの支援をもらっているため、こちらからもウィッチを派遣することになった。」

 

 指揮官が封筒を取り出した。

 

「クリン・ストイカ少尉。貴君を連合国第501統合戦闘航空団にダキア代表として派遣する事となった。これは決定事項だ。」

 

 そして辞令書をこちらに差し出す。これを私は受け取った。ディラーラの墓のあるここから離れるのは嫌だったけど、決定事項とまで言われてしまっては逆らえない。

 

「……拝命いたします。」

 

――

 

 地中海をぐるっと回ってブリタニア。私は慣れない基地にやってきた。

 ブリタニアに至るまで、私はディラーラとの思い出と今まで覚えていることすべてを日記にまとめていた。私はディラーラのことを忘れたくなかったのだ。

 ディラーラを忘れたくないから死にたくはない。だけどきっとこれからまたいつか死ぬかもしれない。その時にこの日記帳があれば埋もれた記憶を思い出せるように思えた。

 

 付き添いが基地の守衛に確認をとって入れてもらう。そして一路執務室に向かった。

 

「……本日着任致しました。クリン・ストイカ少尉です。」

「基地司令のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐よ。ようこそ501へストイカさん。」

 

 ここの基地の司令官はウィッチらしい。挨拶をして書類を確認した。

 

「早速ストイカさんを基地のメンバーに紹介したいところですが、数日のうちに扶桑からのウィッチもいらっしゃるのでその時に合わせてしたいと思います。」

「了解しました。」

 

――

 

 さて部屋に戻る。

 

「広いな……。」

 

 これまでこんなに広い部屋を与えられたことは無かった。なんだかかえって違和感がある。

 書類を机の上に置いてぱらぱらとめくる。半分は生活に関しての内容で、半分は規律についてだった。

 

「まあ別に変なルールはないだろうし。」

 

 適当に読んで書類を棚にしまうと日記帳を開いて今日の記録をした。そのあと上着を椅子にかけて布団に潜り込んだ。先程ヴィルケ中佐と確認したところでは私の着任はもう少しあとの予定だったから、今はできることはないらしい。

 私は頭まで布団を被って丸くなった。

 

――

 

 寝れなかったけど布団にくるまっていると21時ほどになった。

 夏だった。ダキアに比べて緯度が高くとも海流の影響でブリタニアは意外と暖かい。思ったより汗をかいてしまった。

 

「おふろ……。」

 

 なんとこの基地にはお風呂があるらしい。モエシアの基地に居た時は立地の関係でお風呂があったけど、ここはわざわざ沸かせて風呂にしているとか。だからお風呂の時間じゃないとお風呂に入れない。……と書いてあった。

 脱衣所があって、そこで服を脱ぐ。中からはきゃあきゃあと楽しそうな二人の声がしていた。

 

 中に入ると気づいた一人がこちらを向いた。リベリアンの典型みたいな人だ。もうひとりはその女に抱きついている子供だ。

 

「お、あんたが新人か。」

「はい。」

 

 声をかけられたので最低限だけ返して頭を洗い始める。傷が気になるからタオルは着けたままだ。

 頭を洗い始めた頃、それは突然だった。

 

「うう~ん、やっぱり残念賞。」

 

 子供っぽい声が後ろから聞こえる。目を開けられないので見えはしないがさっき見た子供がタオルの上から私の胸を揉んでいるらしい。

 別に害はないからいいか。頭流そう。

 

「うじゅ……怒った?」

「……怒ってないよ。」

 

 静かにしていたから怒ったかと勘違いしたらしい。髪も流したし振り返って撫でてあげる。でも悲鳴を上げて逃げていってしまった。またでかい女のもとに戻る。

 体も洗ったし湯船に浸かることにした。仕方ないからタオルを取った。

 

 ……少し温まったのでお風呂を出る。後ろからなにか聞こえた気がしたけど、まあ私のことじゃないだろう。

 

――

 

 翌日。扶桑から新人を連れて坂本という人が戻ってくるとブリーフィングで聞いた。

 しかし丁度ネウロイの襲撃が重なってしまったらしく、基地のみんなは出撃してしまった。

 その日は昼食は少し食べた。夕食は食欲がなかったけど自室で無理やり食べた。夜は眠れなかった。

 

――

 

 そのまた翌日、朝から私と扶桑から来たらしい新人は基地のメンバー全員の前に立っていた。

 

「みなさんこちらの方は事前に資料で確認されたと思いますが、ダキアからいらしたクリン・ストイカ少尉です。」

「よろしくお願いします。」

「そしてこちらは坂本少佐が扶桑皇国より連れてきた宮藤芳佳さん。階級は軍曹になります。」

「宮藤芳佳です。よろしくお願いします。」

 

 同期?の子は宮藤芳佳というらしい。無垢でかわいらしい子供だ。……私も子供ではあるけど。

 横目に見ていると宮藤は突飛なことを言い出した。サイドアームは要らないということだ。……正直意味がわからない。武器は持ってればそれだけ便利なのに。呆れた一人のウィッチが出ていってしまった。

 

「宮藤さんはリネットさんに、ストイカさんはルッキーニさんに基地の紹介を受けてください。階級も同じだから付き合いも楽だと思うわ。」

 

――

 

 そのあと簡単な自己紹介があり、朝食を終えてルッキーニ、リネット、宮藤、私の四人は基地内の探索に出ていた。ルッキーニはリネットに隠れていたが。

 

「ストイカさんはお部屋どこなんですか?」

 

 宮藤さんがこちらに話を振る。私はそこと指した。

 

「あれ、そこのお部屋だったんですか。」

 

 というのはリネット。そういえば廊下でリネットに会ったことはない。

 

「あまり外に出てなかったから。」

 

 そう言われてリネットは納得したようだ。

 

――

 

 そのあとはキッチンを見に行った。基本炊事職員が居るけど、たまにウィッチたちも料理を作ることがあるらしい。

 訓練場とか外を見回っていると、ちょうどハルトマンが取材を受けているところに遭遇した。

 

「ハルトマン中尉は200機撃墜しているスーパーエースなんです。奥のバルクホルン大尉は250機で、ミーナ中佐も160機ぐらいです。あの三人が居なかったら今頃どうなっていたか……。」

 

 そうリネットが教えてくれる。でもリネットの表情は誇らしさというより悔しさを滲ませていた。

 

「ストイカさんはダキアのエースと聞きましたが、やっぱり凄いんですか?」

「クリンでいいよ。……たしか公式には15機だったかな。」

「公式には?」

「昔の記録はないんだ。」

「そうなんですか……。」

 

 リネットは不思議そうにした。

 

――

 

 その後の基地生活は訓練・出撃・休暇のいつもと変わらない生活だった。直近の出撃では陽動奇襲攻撃を受けた。私は奇襲するネウロイの足止めをしていたが、リネット・宮藤の活躍によってネウロイは倒された。それで宮藤とリネットはずいぶん仲良くなったらしい。二人でいるところを見かけることも多くなった。

 私はダキアの頃と変わらずの生活習慣を続けていた。眠れないから訓練や出撃の時間を除けば部屋で静かにしているのだった。

 

 昼食後、ヴィルケ中佐に呼ばれた。執務室に入ろうとするとごきげんなルッキーニが出てきて、私の顔を見てそさくさと逃げていった。流石に気付いたが私はルッキーニに嫌われているらしい。

 ルッキーニに続けて部屋に入ると、ヴィルケ中佐に分厚い封筒を渡された。

 

「……これは?」

「半月の給金よ。」

「失礼ですが中身を確認しても?」

「ええ。」

 

 封筒を開いて確認する。そこにはすべてプリタニアポンドでぎっしりと詰まっていた。

 

「……間違いはございませんか?」

「ええ、10ポンド入っているはずよ。」

 

 数えると間違いない。10ポンド入っている。

 

「不足があったかしら?」

 

 ヴィルケ中佐が心配そうにこちらに確認する。そうじゃない。私は別のことに驚いていたのだ。

 

「あまりに多くありませんか?これじゃあ私の半年の俸給と変わりません。」

 

 その言葉にヴィルケ中佐は一瞬動きを止めた。

 

「……失礼するけど、ストイカさんはダキアではこれが半年の俸給だったのかしら?」

「はい。」

 

 墓に供えるものを買って、あとはそう使うことは無かったけれど。結局ダキアに置いてきてしまったし。

 

「そうなのね……。とにかく、10ポンドで間違いないわ。どう使うもあなたの自由よ。」

 

 そう言われて半ば追い出されるように部屋を出た。

 

――

 

 部屋に戻ったら給金を机に置いて頭から布団をかぶった。

 目を閉じてじっとしていると、扉を叩く音が聞こえた。

 

「どうぞ。」

 

 布団から出るのが手間だったのでそのままで呼び込む。失礼しますという声は宮藤の声だった。

 布団から顔を出して確認すると、居心地悪そうな宮藤がドアの近くに居た。仕方ないので布団を出て立ち上がって対応する。

 

「どうしたの、宮藤さん。」

「えっと、あのね、クリンさん今日のお昼あまり食べてなかったから、もしかして好きじゃない物があったのかなって思って……。」

 

 なんだ、そういうことか。たしか今日は宮藤が料理を作ったんだ。たしかペリーヌが豆料理に文句をつけていたな。扶桑の料理は特殊だから私の口に合わなかったのかと心配になったらしい。

 別に口に合わなかったわけじゃない。食欲が無かったのだ。でも食事に同席しないと怒られるかなと思って、同席はしていた。

 それに栄養が足りない分は無理矢理レーションで補っていた。

 

「ぜんぜん。美味しかったよ。特にあのプティングかな?甘くて美味しかった。」

 

 宮藤の扶桑料理にはプティングに似た見た目の料理があった。扶桑ほど遠い国でも同じような料理があることに驚いて印象に残っていた。

 

「……甘かったんですか?」

 

 しかし、宮藤は不思議そうな顔で私を見た。……もしかして味間違えたかな。

 

「い、いや!間違えた、甘くはなかったんだった!でも美味しかったよ。」

「……それならよかったです。」

 

 結局宮藤はそれだけを確認して部屋を出ていった。



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お料理会

またストックなくなるのでテスト終わった土日に書きます


 宮藤はクリンに対して不審を抱いていた。

 

「茶碗蒸しだから甘いはずがないのに……。みんなも甘いとは言ってなかったからレシピを間違えてもないはず。」

「芳佳ちゃん。どうかしたの?」

 

 突然に声をかけられて宮藤は飛び上がった。いつの間にかリネットが近くに居たのだ。

 

「ううん。なんでもない。」

 

 クリンのことについてはまだ確証がなかったので、宮藤は考え事については触れなかった。しかし、茶碗蒸しの味付けだけは確認したかった。

 

「リーネちゃん。この間私が作った茶碗蒸しってどんな味だった?」

「え……ダシ?だったっけ。あの独特の味がして美味しかったよ。」

「やっぱりそうだよね!うん。」

 

 確かに宮藤は間違いなく茶碗蒸しを作っていた。宮藤の脳裏に一つの懸念がよぎった。

 

「ねえ、リーネちゃん。今度クリンさんと一緒にお料理しない?」

「クリンさんと?案内したときぐらいしか話してないけど……。」

「話は私がつけるから。おねがい。」

「うん。わかった。」

「わーありがとう。リーネちゃんだいすき!」

 

 宮藤はリネットの胸に飛び込んだ。

 

――

 

 翌週のお昼前、宮藤はクリンの部屋に来ていた。

 

「クリンさん。今日は一緒にお料理しませんか?」

 

 クリンはまた部屋で布団の中にうずくまっていた。宮藤の提案を聞いて顔を出す。

 

「いやだ。」

「お願い!ダキアの料理も食べてみたくて。」

 

 珍しくお願いする宮藤の姿にクリンは困惑していた。そして先日のことを怪しまれてるのだろうと察しがついた。

 このまま断り続けるのももっと怪しい。となれば料理を問題なく作れば良いだろう。そうクリンは考えた。

 

「わかった。ダキア料理作ってあげる。下手でも文句言わないでね。」

「わあ。ありがとうクリンさん!」

 

――

 

 クリンは宮藤についていって厨房に入った。そこにはリネットも居て三人で料理することになる。

 宮藤とリネットに調理器具と調味料と食材の所在を教えてもらい、クリンを含め三人で料理を始めた。

 

 クリンの知っているダキア料理は昔ディラーラと作ったものだった。ディラーラは苛烈な見かけによらず料理が得意で、何度か一緒に料理をしたのだった。

 食材を冷蔵庫や棚から取り出して包丁で切る。

 

「クリンさんってお料理得意なんですね。」

 

 宮藤がクリンの手元を見ながらそう言う。たしかにクリンは手慣れた様子で野菜を切っていた。

 

「……別に。」

 クリンはそこまで腕に自信はなかった。料理ができるのは自分が料理を作らないと食べられない事が多かったからだ。

「自分で作らないと食べられないから。」

「あ…あはは…。」

 

 藪蛇だったかな。宮藤はそう思った。自分の調理に戻る。

 少しあと、宮藤はやっぱり気になってクリンを見た。そして包丁に少し赤色が付いていることに気づいた。

 

「ああっクリンさん!手切ってますよ!早くこっちに見せてください!」

 

 慌てる宮藤の姿にクリンはまさかと思って手元を見ると、左手の指先が血まみれになっていた。指先を深く切っていてどくどくと血が溢れている。そして、包丁もまた赤く濡れていた。

 クリンは不意に息が上手く吸えなくなった。

 

――

 

「クリンさん!クリンさん!しっかりしてください!」

 

 宮藤は急に早い息になって倒れたクリンを受け止めた。

 

(ええっと、発作の時はどうしたら……。)

 

 突然のことに宮藤は混乱していた。そこにリネットが助言する。

 

「芳佳ちゃん。まずは怪我を治そう。私はハルトマン中尉を呼んでくる!」

「うん!」

 

 リネットに言われたように宮藤はまず指の怪我を治した。回復魔法はまだ不安定だったけど、切り傷ぐらいなら治せる。

 

「クリンさん!しっかりしてください!じきハルトマン中尉が来ますから!」

 

 苦しそうに息をするクリンの背を撫でながら宮藤は声をかけ続ける。

 じきにハルトマンとバルクホルンがやってきた。ハルトマンはクリンの状態をひと目見て理解した。

 

「これは過換気症候群だね。ストイカさん。とにかくゆっくり息をして。吸って、吐いて~。吸って、吐いて~。」

 

 ハルトマンがクリンの前に座って呼吸を意識させる。過換気症候群は息を吐くことを意識した呼吸をさせることである程度緩和する。

 宮藤もハルトマンの指示に従って回復魔法をかける。じきにクリンの呼吸は落ち着いた。

 

「でぃらーら……でぃらーら……私、どうしたら……」

 

 しかし呼吸が落ち着いたあともクリンの状態は良くなかった。うずくまって501のメンバーは知らない誰かの名前を呼び続ける。

 

「エーリカが必死に走ってるなんて久しぶりに見たけど、何があったのかしら?」

「ミーナさん!」

 

 騒ぎを聞きつけたミーナがキッチンに入る。そしてその顔を、いや髪を見たクリンは突然ミーナにすがりついた。

 

「ディラーラ!私、私はあなたのこと忘れてないわ!片時も……あなたのことを……」

「わあ!クリンさん?」

 

 ミーナは突然クリンに縋りつかれて驚いた。しかし、落ち着いてみると、クリンが許しを求めているような様子がわかった。だからミーナはその頭に手を置いた。クリンの震えがぴたりと止まる。

 

「大丈夫よ。誰もあなたを責めはしないわ。大丈夫よ、クリン。」

 

 ミーナはクリンの頭を撫で続ける。

 

「いいの……?」

「ええ。誰も、あなたのことを責めはしないわ。」

 

 ミーナはクリンの頭を胸に抱く。クリンはひさしぶりの深い眠りについた。

 

――

 

 クリンが初めて501に来た時、ミーナはあまりに資料写真と違って驚いた。写真には笑顔で写るクリンがあったが、今目の前に居るクリンには奇妙なほど笑顔がなかった。

 しかしミーナはクリンが心配してはいけないと思い、気にしないふりをした。

 

――

 

 クリンはダキアのエースとしてミーナに対して伝えられていたが、その実力はいかほどなのかはあまり伝わっていなかった。そこで、坂本が訓練ついでにその実力を計ることになっていた。

 

 窓の外で坂本に追従して飛ぶクリンをミーナは執務室から見ていた。

 

「扶桑のエースのドッグファイト機動に寸分の遅れもなくついていく、ね。」

 

 たった15機を撃墜してきたと思えないその洗練された動きにミーナは息を呑んだ。扶桑といえばドッグファイトで世界一とも言える機体と練度の国だ。その国のエースの動きについていくだけでも異常だが、クリンはさらにそれを写したかのように正確に追従した。

 

 見ているといつの間にか訓練は坂本との模擬戦になった。クリンは見たこともない動きで坂本を翻弄する。

 

「鍵はあの高速旋回のようね……。」

 

 ミーナの見立ては正しかった。クリンはユニットの左右推力比を異常に大きくすることで高速な旋回を実現していたのだ。

 真っすぐ進んだかと思えばほぼ直角に軌道を変更する。明らかに体の負担が大きい飛び方だった。

 

「無茶な飛び方ね……。できればしてほしくないのだけど、ああいうタイプは結局無理するのよね。」

 

――

 

 キッチンでの一連の出来事の後、クリンを自室に寝かせたミーナはダキアに電話をつないでいた。

 

「そうですか……。失礼します。」

 

 ミーナは努めて冷静に受話器を置いた。そしてペンを机に叩きつけた。

 

「『本人から聞け』なんて、あんな状態になる理由を聞けるわけないじゃない!」

 

 ミーナはダキア空軍にクリンの経歴について聞いていたのだ。しかし、返答は『本人に聞け』の一点張りだった。

 クリンはあれ以来数日と眠ったままだった。一応の点滴をしているが、クリンの顔色はみるみると良くなっていった。

 

「……やっぱり、聞くしかないのかしら。」

 

――

 

 一週間後、クリンは元気に起き上がった。無表情なのは変わらなかったけど、顔色は随分良くなった。

 ミーナはクリンを執務室に呼び出した。今、執務室にはミーナとクリンの二人きりだ。

 

「お騒がせしてしまって、すみません。」

 

 クリンはキッチンでの出来事をよく覚えていた。だから怒られるものと思ってミーナの前に居た。

 

「いえ、気にしないでいいわ。こちらの配慮不足だったわ。」

 

 ミーナ自身は不幸な事故だと思っていた。そして、ここに呼んだ本来の用件を切り出した。

 

「こんなことを聞くのは心苦しいのだけど、昔、何があったのかを教えてくれるかしら。」

 

 クリンは椅子に座ったまま身じろぎをした。

 

「もちろん、言える部分だけでいいわ。私は隊長として知っておかないといけないの。」

 

 ぽつり、ぽつりとクリンは自身の過去について話し始めた。

 

――

 

 クリンが語ったのはクリン・ストイカとしてのほとんどすべてのことだった。途中、何度かミーナが止めたけど、最終的にはクリンはすべてを話した。

 

「ぐすっ……うっ……ごめんなさい……私が泣いてしまって……あなたのほうがよっぽど泣きたいはずよね……。」

 

 ミーナはあまりにも悲しい話に途中から涙が止まらなくなっていた。

 ミーナは腕で涙を拭いながらクリンを手招きした。自身も机から離れてクリンの目の前まで歩く。そしてクリンを抱きしめた。

 

「つらい思いをしてきたのね……。少なくとも、ここでは不当な扱いを受けることはないわ。安心して。」

 

 クリンはミーナの撫でる手の心地よさを感じていた。しかし、我に返ってためらいながらも優しくミーナを押し返した。

 

「私は……ディラーラのことを忘れてはいけないんです。だから……ごめんなさい。」

 

 クリンはミーナの優しさを受け取ることはできなかった。クリンにとってミーナの優しさはディラーラからもらった愛情を上書きするように思えて恐ろしかった。

 

「そう……。でも、何かあったらすぐに相談してくださいね。……きっと、力になれるわ。」

 

 クリンは顔を伏せたままだった。



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料理会の後始末

ごめんね。描写追加してたら時間過ぎてた……。
あとクリンの容姿等の描写足りてなかったので追加します


 「芳佳ちゃん。……芳佳ちゃん?」

 

 リネットが呼びかけるものの、宮藤はうわの空のまま答えなかった。クリンが料理中に倒れた翌日、宮藤はうわの空となっていることが多かった。

 

「もう!芳佳ちゃん!」

「うわあ!リーネちゃん!?」

「やっと気付いてくれた……。」

 

 ようやくリネットに気付いた宮藤は飛び上がった。

 

「午後から訓練でしょ。準備しなくちゃ。」

「う、うん。」

 

――

 

「芳佳ちゃん!」

 

 今日は坂本を敵ネウロイと見立ててのロッテ戦術の訓練だった。

 宮藤が少し考え事をしていた隙に坂本が撃ち込む。リネットが呼びかけて宮藤は集中を取り戻したがもう遅く、横合いから飛んできたペイント弾で被撃墜とされてしまった。

 

「なーにやってる宮藤!」

「すみません!」

 

――

 

 訓練終了後、宮藤とリネット、坂本は連れだってハンガーに戻る。特に空戦訓練後はハンガーに戻ってから口頭での確認をしていた。燃料もタダではないのだ。飛行時間はできるだけ少なくしたかった。

 坂本が宮藤を見据える。

 

「ストイカのことを気にする気持ちはわかる。しかし戦いにまで持ち込んでいては宮藤、お前が死ぬことになるぞ。」

 

 宮藤の悩みはお見通しだった。キッチンでの出来事はそれなりの大事になったので、当事者でなかった坂本も事情をよく知っていた。

 その上で、クリンには申し訳ないがこれも一つの宮藤への試練と考えていた。戦場ではよそ事を考える余裕などない。どんな時も集中力を保つ必要があるのだ。

 

「そう、ですが……。」

「過去のことをくよくよ考えても仕方ないじゃないか。問題は自分でしか解決できないぞ。」

 

 坂本の助言ももっともだった。もうすでにあることは誰にだって変えられないのだ。

 

「リネットは宮藤のことを気にしすぎだ。まず自分の心配をしろ。」

「はい……。」

 

 坂本は二人を置いて先にシャワーを浴びに行ってしまった。ハンガーに宮藤とリネットだけが取り残される。

 

「ごめんね、リーネちゃん。私のせいで怒られちゃった。」

「ううん。気にしてないよ。……でも、やっぱり坂本少佐の言うとおりだよ。これからのことを考えないと。」

 

――

 

 汗を流したあと、宮藤とリネットはクリンの部屋を訪ねていた。クリンはまだ目覚めていない。自室で点滴を受けて眠っていた。

 宮藤はベッドの横に椅子を持ってきて座る。クリンの部屋には椅子は一つしかなかった。

 

「クリンさんのお部屋って物が全然ないよね。」

「そうだね……。」

 

 クリンの部屋は宮藤が着任した時と一切が同じだった。机、ベッド、クローゼット。それだけだった。殺風景な部屋は少しだけ寂しく感じられるのだった。

 改めて宮藤はクリンの顔を見る。クリンは静かに眠っていた。

 

「あら……宮藤さんも居たのね。」

 

 宮藤とリネットは振り向く。そこにはタオルとお湯を持ったミーナが居た。クリンの世話をしに来たのだ。

 

「ミーナさん!私がやります!」

 

 宮藤は立ち上がってミーナのもとに向かう。そしてミーナの手の上からタオルを掴んだ。宮藤にとって今からでもクリンにできることといえば世話することだった。実際に宮藤は世話の経験もあった。

 

「私のせいでクリンさんは倒れたんです。だから、私にやらせてください。」

 

 ミーナは突然駆け寄ってきた事に驚いた。聞けば宮藤はクリンの世話をしたいらしい。宮藤は医学を多少なり勉強していると聞いているし、患者の世話の勝手は自身よりわかっているだろうとミーナは考えた。それに、何かクリンのためにできることをしたいという心理も理解できた。だから宮藤に任せることにした。

 

「じゃあお願いするわ。」

「ありがとうございます。」

 

 宮藤はタオルとお湯を受け取ってそれを椅子の上に置いた。ミーナは部屋を出て自身の仕事に戻った。

 

「わ、私も手伝うよ。」

「うん。ありがとう。」

 

 リネットも宮藤を手伝う。リネットは服を脱がし、宮藤はクローゼットから替えを取る。上着の前を開くとクリンの肌が顕になった。

 

「……っ」

 

 リネットは口を押さえて出そうになった悲鳴を抑える。……クリンの肌はボロボロだった。脇腹の肉は銃弾でえぐれたようになっていて、胸部には胸はなく、熱傷のケロイドが広がっていた。

 

「どうしたの?リーネちゃん。」

 

 宮藤が振り返る。そしてクリンの肌を見て宮藤もまた目を見開く。しかし、リネットより先に我に返ってすぐにクリンのもとに駆け寄った。そして治癒魔法をかける。

 

「……ダメ。手応えがないよ……。」

 

 ケロイドは傷跡が過剰に回復することで、傷口の周りに肉の溜のようなものができる症状だ。既に回復しきっている状態なので、代謝を伴う自然治癒か外科手術でないと治らない。怪我からの自然治癒の延長線上にある治癒魔法では効果がなかった。

 

「芳佳ちゃん。今は体を拭こう?」

「……うん。」

 

 上着を完全に脱がせて体を拭いていく。進めるごとに宮藤とリネットの顔は暗くなっていった。いつも夏にも関わらずクリンは長袖長ズボンだから気づいていなかったのだが、胸部・腹部に限らず手足も熱傷のケロイドが酷く、背中にはなぜかフォークで何回も刺されたような跡まで残っていた。

 

「ひどい傷……。」

 

 ぽつり、とリネットが呟いた。ネウロイとの戦いで負傷したとしても、適切な治療と回復魔法を受けられればこれほどまで酷く怪我が残ることはない。それにフォークでの外傷なんてネウロイとの戦いではつくはずもない。

 

「昨日のことも考えると、クリンさんはダキアではそんなに良い扱いを受けてなかったのかな。」

「……そう見えるね。」

「でも、501に来たんだからもう大丈夫。そうだよね芳佳ちゃん。」

「うん。」

 

 クリンの世話をするうちに宮藤にひとつの思いが芽生えていた。クリンのことを助けてあげようと、守ってあげないとと思うようになっていたのだ。

 

――

 

 ミーナと話したあと執務室から自室に戻ると宮藤が待っていた。

 

「あの……ごめんなさい。私が誘ったから……。」

 

 なんだそんなことか。少し恥ずかしい思いをしたけど、私はディラーラの事を忘れていなかったんだと思えて少し安心したんだ。だから、そんなに宮藤のことは別に嫌ってはいなかった。

 

「別に、宮藤さんは悪くないですよ。少し都合が悪かっただけです。」

 

 私は宮藤の隣を抜けて自室に入った。

 

――

 

 翌日の夕方。夕食の時間に宮藤は私のことを訪ねてきた。窓からは夕日が差し込んで部屋の中は少しだけオレンジに明るかった。

 

「あの、クリンさん。もしよかったら。」

 

 そう言って宮藤が食事を私に差し出す。きっと今日の夕食だろう。

 

「……ごめんなさい。あんまり食欲がないの。」

 

 毎日、毎日、食べても食べても温かいだけの固形物なのは食欲を失わせる。どうしても食べないといけないときもレーションを無理やり流し込んでいるだけだ。

 

「……味を感じないんですよね。でも、一緒に食べませんか?味を感じなくても楽しく食事をして欲しいんです。」

 

 薄々気付いてはいたけど、やはり感覚が鈍くなっていることに気づかれていたらしい。包丁で自分の指を切っても気づかなかったところも見られているし仕方ないか。

 

「そう……だけど。別にいいわ。」

「一緒に食べましょう!」

 

 宮藤は引き下がらない。トレイをこちらに差し出す。……だから私はあまり良くないけど、実情を見せることにした。私とて食べたくないわけではないのだ。

 

「身勝手ね……。」

 

 身勝手なことだ。宮藤には心配をかけるだろう。私はトレイを受け取ってベッドに座った。椅子を机代わりにしてトレイを置く。いつも椅子の隣には掃除用のブリキのバケツがある。

 そしてスープを一口、二口と啜る。ちらりと宮藤を見ると安心したような顔をしていた。……ごめん。

 

「……少しぐらいなら食べられるの。」

 

 そう。少しだけなら食べられるのだ。

 意を決して震える手でスープを口に運ぶ。それを口に含んだが、飲み込めずにかえって先程食べた分をすべてもどしてしまった。

 

「う”ぇっ……うう……。」

 

 宮藤は青い顔をして立ちすくんでいた。

 

――

 

 宮藤は自身の考えのなさを後悔していた。クリンは食べたくないのではない。食べたくても食べられなくなっていたのだ。

 宮藤の目の前でクリンはスープを啜ってはもどしてしまうのを繰り返していた。我に返ってクリンを止める。

 

「クリンさん!無理しないでください!」

 

 宮藤はクリンの手を掴んで止める。そして食道の炎症を抑えるために回復魔法を使った。

 

「……ごめんなさい。こんなことをして。」

「謝らないでください。……私が考えなしでした。」

 

 宮藤はクリンが何をしたかったのかわかった。バカな自分のためにわざわざ食べられないことを実演してみせたのだ。

 

「ごめんなさい。食事も、それも私が片付けますね。クリンさんは休んでいてください。」

「待って……。」

 

 クリンは宮藤を止めてバケツを抱え込む。

 

「う"あ"っ……エ”ッ……」

 

 お腹から波打つように体がしなり、開いた口からは唾液が滴り落ちる。二度、三度とえづくと急激に体を震わせてほとんど血のような吐瀉物を吐き出した。

 ベタベタと粘りがある液体がバケツの中の吐瀉物に混ざっていく。クリンの顔からは血の気が引いていき、玉のような汗がにじみ出ていた。そして不意にバケツが腕の中から滑り落ちた。

 ブリキのバケツが床に打ち付けられ、ガラガラと大きな音が響く。内容物が床に広がっていく。

 

「クリンさん!」

 

 大きな音で我に返った宮藤が力を失ってへたり込んだクリンを抱えあげる。クリンは意識はあり、息をしていたものの全く体に力が入っていなかった。

 宮藤はクリンをベッドに横たえる。見たままではよく分からなかったが、吐血ということなので、腹部に手を当てて回復魔法を使った。すると見るまにクリンの顔色は改善していった。

 

「宮藤さん……このことは誰にも言わないください。」

「え?」

「お願い、宮藤さん。私はここに居たいの。……お願い。」

 

 クリンは焦点の合っていない目で乞うように宮藤を見つめる。宮藤は困惑していた。こんな怪我では普通戦うこともままならないはずだ。それに、気づかなかっただけで一週間前はこれ以上に酷い状態だったはずだ。

 こんな状態のクリンを戦いには出せない。そう宮藤は考えた。

 

「でも、こんな状態で戦いに出るなんて自殺行為ですよ!」

「嫌だ……帰りたくないの……!いや……」

 

 クリンは宮藤に背を向けて震えて縮こまった。

 

「……もう……あんな扱いは……いや……。」

 

 クリンは震える声で呟く。

 宮藤は以前見たクリンの傷跡のことを考えた。普通に治療されていたらああなるはずはない。それに傷跡には人為的につけられたものもあった。……つまり、今の状態も考えると明らかにクリンはダキアでは不当な扱いを受けていたに違いなかった。

 これなら戦闘不能になるほど重体であるとしてダキアに送り帰すのは気が引けた。こんな状態でダキアに帰せば今度こそ死にかねない。

 しかし、クリンが酷い状態なのは間違いない。そこで次善の案を考えた。

 

「じゃあクリンさん。条件があります。」

「なに……?」

「毎日、できる限り私がクリンさんを治療します。クリンさんもそれを受け入れてください。だったら言いません。」

「……わかった。」

 

 クリンは宮藤に背を向けたまま答えた。

 宮藤は条件を受け入れてくれたことにひとまず安心した。クリンの状態は酷いものであったが、回復を繰り返せば少しずつは改善するはずだ。



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夜間専従班

エイラの感情がわからなくなってしまったので延びました
4話5話など本筋に関係ない原作シーンは完結後暇な時に追加します


 バルクホルンと宮藤のいざこざとか、私は参加しなかったのだけど海での訓練が終わったあと、夜間哨戒に出ていたリトヴャクさんは夜間に襲ってくるネウロイと遭遇した。そしてそのときに逃がしてしまったので、501は夜間シフトを組むことになった。

 特に夜間のみ活動する夜間専従班には宮藤さん、リトヴャクさん、エイラさん、そして私が選ばれた。

 

 夜間専従班には部屋が与えられた。リトヴャクさんの部屋だったけど。エイラさんの部屋からベッドを持ち込んで四人が寝られるスペースを確保した。

 

「真っ暗だねー。」

 

 宮藤が見たままの感想を言う。それを聞いたエイラがその理由を答える。夜目に慣らすためだとか、昼寝するためだとか。

 

「そうだな、タロットでもするか?」

 

 エイラがカードを取り出す。

 

「タロットですか?」

「占いだよ。私の未来予知も合わせてちょっと先の未来ぐらいならわかるんだ。」

 

 エイラが並べたカードを宮藤に引かせる。宮藤のカードは太陽の正位置。エイラによると今一番会いたい人に会えるらしい。

 

「クリンも取ってみな。」

 

 エイラは明け透けというか、あまり相手に頓着しないタイプだった。だからなのかずっと黙っていた私に占いを勧めてきた。

 エイラがカードを並べ直して私に促す。私も言われたとおりにカードを取った。

 そのカードを見せるとエイラは顔を曇らせた。

 

「もう一回取ってくれ。」

 

 言う通りに二枚目を取る。それもまたエイラに見せるとエイラはほっとしたようだ。

 

「幸せは身近にあるんだってよ。今日はいいことあるかもな。」

 

 幸せは身近に……か。

 

「私は……いつになったら本当に幸せになれるのかな……。」

 

 ぽつり、とその言葉は漏れた。私はいつまでも失うばかりだ。ディラーラも、なにもかも取り返した途端に失ってしまった。

 その言葉を聞いたリトヴャクさんが呟いた。

 

「……幸せになるには、幸せになるしかないわ。」

 

 リトヴャクさんが起き上がってエイラを後ろからやわらかく抱きしめる。

 

「『今を大切にするべき。』そうよね、エイラ?」

「そっそそそそうだな!だから囁かないでくれ~!」

 

 サーニャがエイラの耳元で囁く。そしてこっちの事など知らない様子でいちゃつき始めた。もう。何か伝えたかったのならはっきり言ってほしい。

 私はベッドに入って目を瞑った。

 

――

 

 私が寝たからか、ほか三人も静かに布団に入った。宮藤も私の背中側に入った。

 いつも夜は長い。今は昼間だけど。安らかに眠れたことは少ない。もしかしたら以前のキッチンでの一件のあとに眠ったときがあれ以来初めての安らかに眠れた日だったかもしれない。

 

 もぞもぞと背中側で宮藤が動く。無意識のうちにだろう。宮藤は私に抱きついた。宮藤はなかなかおっぱい好きとは聞いたけど寝てまでくっついてくるのか……。

 

 ……随分くっつくものだから夏の夜にはとても暑い。私は宮藤の腕からなんとか逃れて扉のすぐそばに枕を敷いて座った。扉の隙間から入り込む風が少しだけの涼しさを提供してくれる。

 私はまた、目を瞑った。

 

――

 

 エイラにとって、クリンのことは昔の自分やサーニャを見ているようだった。大切な人を亡くしてしまい、その人のことが忘れられなくて頑なに心を閉ざしている。キッチンでの一件を見て以来、少しばかりの親近感と同情を感じていた。

 だから、エイラはこの夜間専従班はいい機会だと思っていた。いつも訓練以外は部屋に閉じこもっているクリンと話す時間ができるからだ。

 

 エイラは最初に話題にしようと思ってタロット占いを始めた。宮藤の引いたカードは太陽、その先に予感された未来は再会だった。宮藤はもう会えないと言っていたが、エイラ自身はこのタロットに自信はあったし、いつか別の形で成立するのだろうと思った。

 そして、次にクリンに引かせる。

 先程と違って、一枚目はクリンの心理状態を予測するものだった。おまけ程度であったが、相手のことを知れば話しやすいだろうという考えだ。

 そして、引いたカードは塔だった。あまりに酷いカードに一瞬エイラの顔も曇ってしまう。このカードを引くということは、クリンの状態は思った以上に最悪なようだった。実際にクリンの感情はディラーラにのみ繋ぎ止められていて、それを失えばたちまちのうちに崩れ去るような状態だった。

 気を取り直して希望に関するカードを引かせる。二枚目のカードは運命の輪だった。それを足掛かりにエイラはクリンの希望を読み解く。そして、クリンの幸せは意外なほど身近にあることがわかった。……ただそれが何なのかまではわからなかった。

 

――

 

 夜中、エイラは偶々目が覚めた。目の前にはサーニャの寝顔が見えて、気恥ずかしくて寝返りをうった。するとその先に枕を座布団にして座り込んでいるクリンが居た。

 なぜだろう。その思いが先立った。

 

「クリン?どうしたんだ?」

 

 エイラはクリンが起きているのはわかっていた。だけどきっかけを作るためにあえて肩を揺する。クリンは顔を上げて暑かったからと答えた。

 

「ふーん、そっか。」

 

 エイラはクリンの横に肩を寄せて座る。……エイラにとってクリンは気になる存在ではあったが、距離感を掴みかねていた。いきなり過去のことについて聞くのも失礼だし、かといって何を話そうかと思っていた。

 

「クリンはさ、夜間飛行得意か?」

「苦手ではないわ。」

「じゃあよかった。きっと宮藤は夜に慣れてないだろうからな。2人も居るとさすがにな。」

 

 あまり話は続かない。クリンは続ける気がないし、エイラはクリンのことをあまり知らないから話題には困った。

 

「えっと……クリンはダキア出身なんだよな?」

「うん。」

「私はスオムス。北欧の東さ。」

「……。」

「スオムスはなんと言っても寒くてさ、ブリタニアの比じゃないんだ。だからブリタニアに来て一番に夏の暑さにまいったな。クリンはさ、ブリタニアに来てなんか困ったことあったか?」

「ないわ。むしろ快適。」

 

 クリンは立ち上がった。そして宮藤の寝るベッドに向かった。

 

「おやすみなさい。エイラさん。」

 

 振り向かずにそうとだけ言って宮藤の横に寝転んだ。エイラはあっけにとられたままだった。宮藤の方に向いて寝転んだクリンの背中が見える。

 

「……取り付くしまもないか。」

 

 クリンはやはり他人との交流を拒んでいるようだった。仕方ないのでエイラもベッドに戻る。そしてサーニャを見て、少し気恥ずかしいので背を向けてベッドに寝転んだ。

 

 エイラも寝ようと目を瞑ってしまう。

 

「……悪いキツネさんね。」

 

 びくり、とエイラが震える。サーニャがエイラに後ろから囁いたのだ。

 

「な……なんのことかなー?」

「聞いてたわよ。あなた、薄幸な少女だったら誰でもいいのかしら。」

「え、えっと……あー」

 

 しどろもどろに返事をするエイラ。サーニャはそれがおかしくなって、問い詰めるような声から一転笑ってしまった。

 

「うふふ。冗談よ、エイラ。」

「な、なんだ冗談かよー。」

 

 ほっと胸をなでおろすエイラ。

 

「それで、どうしてストイカさんに?」

「……そうだな。やっぱり、ほっとけなくって。」

「自分や、私と同じような境遇だから?」

「そう……だな。」

 

 たしかにエイラはクリンに同情していた。だけど、他に思うところもあるのだ。

 

「他にあるの?」

「……身勝手な話だけどいいか?」

「……ええ。」

「私も、たまに昔のことを思い出すんだ。それで、その度にその子に申し訳なくなるんだ。私のことを忘れて、あなたばかりいい思いね。なんてそんなこと言われてるみたいで。」

 

 エイラはサーニャの手をきゅっと握りしめる。

 

「でも、私は彼女のことを忘れるつもりもないし、私自身の幸せを諦めるつもりもない。どちらも折り合いをつけてると思ってるんだ。……だから、クリンも折り合いをつけてくれたら私の考え方も間違ってなかった、なんて勝手に納得できるような気がするんだ。」

「それは……自分勝手ね。だけど、それで救われた身だから気にしないわ。」

「ありがとう、サーニャ。でも、サーニャは、ほ、本当に、す、好きだから……」

 

 消え入りそうな声でエイラが答える。でもしっかりとサーニャは聞いていた。

 

「うふ。私も好きよ、エイラ。」



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ひとり待つ

話が進まない 主人公壊しすぎたわ


 夜間専従班の一日は夕方から始まる。専従班には四人居るけど実際に動くのは三人で、一人は即応状態で待機する。今日は私以外の三人の日だから私は待機だ。

 

「じゃあね。クリンさん行ってくるね。」

 

 宮藤がわざわざ私に挨拶して部屋を出ていく。

 

――

 

 夕方のこと。宮藤、エイラ、サーニャの三人は部屋を出て実質的な朝食を取りに向かった。

 

「なあ宮藤、クリンのやつは朝食一緒に食べないのか?」

 

 エイラが宮藤に聞く。いつも昼食にしか姿を見せないし、あまり食べないから少し心配していたのだ。

 

「えっと……クリンさんは恥ずかしがりだから……。」

 

 宮藤も本当の理由は言えないのでなんとかごまかそうとする。

 

「食べるとこ見られるのそんなに恥ずかしいか……?」

 

 エイラが訝しむが宮藤は笑って誤魔化すようにした。それはかえってなにか事情があることを雄弁に語っていた。

 

「それに、前の海の訓練も来てなかったよな。」

「それは……よく知らないの。」

 

 宮藤は傷跡のことで肌を晒すリスクを避けたのだろうとある程度予想はついていた。だけどあまり下手に言い訳するほうが良くないことに気付いたので、知らないふりをした。責めるようなつもりはなかったエイラだったが、宮藤が黙ってしまったのですこし気まずくなってしまうのだった。

 

――

 

 三人が食堂に着き、みんなが集まるとペリーヌが自信たっぷりにマリーゴールドのハーブティーを出した。なんでも夜目が利くようになるという謂れがあるとか。

 先日がはじめての紅茶だった宮藤にとってこれもまた目新しい飲み物だった。

 

「山椒みたいな香り……。」

 

 褐色の見た目にそぐわない香りだった。飲んでみるとすごく爽やかな味で、たしかに何だか目に良さそうだ。

 そしてブルーベリーのときのようにまたルッキーニが舌の色が変わることを期待していたが、そんなことはなくて残念がっていた。

 

「ペリーヌさん。このお茶、少しもらって帰ってもいいですか?」

「え、ええ。よろしくてよ。宮藤さんはこのお茶の良さがおわかりになるのね。」

 

 意外な申し出に戸惑ったペリーヌだったが、もらって帰りたいほど気に入ったのかと少し嬉しく思った。

 

「う、うん。珍しい味だからクリンさんも喜ぶかなって。」

 

 クリン。その名前を聞いたペリーヌは笑顔から一転苦々しい表情になった。

 

「宮藤さん、あのダキア人とつきあってますの?よしたほうがよろしいのでなくて?」

 

 ペリーヌにとって訓練にも食事にも顔を出さず、部隊の和を乱すクリンは好ましくなかった。そのくせ空戦機動は坂本よりも上手というのが更に気に食わないのだった。

 しかし宮藤は宮藤で付き合う、という表現を別に取ってしまって慌てていた。

 

「つつつ付き合ってなんてないよ!」

「えー?前、宮藤が夜遅くにクリンの部屋から出てくるの見たけどなー?」

「エーリカさん!」

 

 それを少し遠くで聞いていたエーリカが茶化す。それに一番に反応したのはバルクホルンであった。

 

「なんだって!?ハルトマン、本当に見たのか!?」

 

 エーリカの肩を掴んで揺する。

 

「ほんとだって~!……ずいぶん疲れた様子で出てきたよね?」

 

 エーリカはバルクホルンのもとを抜け出してにやりと宮藤を見た。

 

「は、破廉恥なっ!」「みやふじぃ……。」「なんのはなし?」

「ほんとになんでもないんだって~!」

 

 真っ赤になって目をそらすペリーヌ、絶望した顔のバルクホルン、何もわかってないルッキーニと必死に否定する宮藤と、食堂はにぎやかだった。

 

――

 

「随分災難だったな宮藤。」

 

 エイラ、宮藤、サーニャの三人はハンガーで出撃準備をしていた。

 

「ほんとにそうですよ。もう。エーリカさんもあんな冗談を言って……。」

「冗談だったのかしら?私も夜中に廊下を歩いてる宮藤さんを何度か見たことあるわ。」

「え、まさか……。」

 

 宮藤は冗談とごまかしたが、またサーニャの目撃証言が出てしまった。それを聞いてエイラが冗談めかして驚く。

 

「ほんとに違うんですって!」

「あははわかってるよ。昼の様子もそんなに変わったことなかったしな。ほら、いくぞ。」

 

 エイラとサーニャはユニットを履いて始動する。宮藤も自身のユニットを始動した。

 

――

 

 初めての夜間哨戒を終えてすぐ、宮藤は汗を流しに行ったエイラたちとは別れて一足先にサーニャの部屋に戻っていた。

 ベッドにはクリンが寝ていて、宮藤はそのお腹に手を当てて回復魔法を展開していた。

 宮藤は残りの魔力の殆どを費やして治療を施し終えた。一息ついてからクリンに話を切り出す。

 

「クリンさん。ペリーヌさんにマリーゴールドのハーブティーを頂いたんです。一緒に飲みませんか?」

 

 あまり食べ物を食べられないクリンだったが、飲み物程度ならそれなりに飲めるようになっていた。

 たいていクリンは返事を返してくれない。だけれども作れば断ることはないと知っていたので宮藤は準備を始めた。

 

 クリンの前に置いたティーカップにハーブティーを注ぐ。

 

「めしあがれ。」

 

 クリンは黙ったままハーブティーを飲む。そして突然むせた。

 

「大丈夫!?まだダメだった?」

「にがい……。」

 

 宮藤は自分が飲んだときの色だけを参考にして作ったから分量を間違えたのだ。爽やかさを通り越して激しい苦味だけがクリンの舌をしびれさせた。

 

「苦いの?」

「うん……にがい?」

 

 宮藤とクリンは顔を見合わせる。

 

「にがみがわかる。……わかるの。」

「もしかしてクリンさん、味覚が治ってきてるんですか?」

 

 クリンは落ち着いてもう一度ハーブティーを飲む。そして苦みに眉をひそめ、だけども顔をほころばせた。

 

「……ありがとう。宮藤さん。」

「そんな!治ってよかったです。」

「……なにか、お礼でもしたほうがいいかしら。」

「そうですね……。」

 

 ディラーラのことを想い、心を鬼にして宮藤のことは無下に扱っていたクリンだったがこればかりは何かお礼をしたほうがいいのだろうかと思っていた。

 そして宮藤もこれを一つの好機に捉えていた。これだけボロボロなクリンのことだから摂食障害以外の障害があってもおかしくなかった。それを聞き出せると思ったのだ。

 

「体のことで他に問題はないですか?」

「……ないわ。問題ないわ。」

「嘘ですよね。」

 

 ぴしゃりと言い切る。

 

「嘘なことないわ。あなたのおかげでほとんど治ったの。」

「治療のお礼だと思って正直に話してください。」

 

 だけれどもクリンは答えない。クリンが身体の不調を告白することをためらったのは、心配をかけさせたくないという思いよりも、宮藤にこれ以上優しくされたくないという思いがあるからだった。ここで不調を答えれば、また宮藤が治そうとして宮藤に対する負債が溜まるばかりだ。

 ディラーラに負い目を感じているクリンにとって、宮藤の優しさは心をじわじわと蝕む甘い毒のようだった。自分ばかりがいい思いをしていることをディラーラに申し訳なく思う。だけど宮藤が体を治してくれることを密かに喜んでいたし、宮藤の厚意を無下にすることも心苦しかった。

 

「本当にいいんですか?」

 

 伏せてしまったクリンの顔を宮藤が覗き込む。クリンは宮藤に手で目隠しをして遠ざけた。

 

「お願い……私に優しくしないで……。私はあなたの厚意を受け取る資格なんてないの……。」

 

 その言葉に宮藤は憐れみを感じた。こんなに身も心もボロボロなのに、さらに幸せを遠ざける姿はとても見てられなかった。

 しかし、クリンのために何かをしたくても、それがかえってクリンを追い詰めてしまうこともわかった。宮藤にとっても八方塞がりなのだった。

 

「ごめんなさい。クリンさんの気持ちをあまり考えていませんでした。……今日のところはいいです。でも、いつか話したくなったら言ってください。その時は力になります。」

 

 宮藤はそうクリンに伝える以上のことはできなかった。



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問題解決

ストパン一期って宮藤による501攻略ギャルゲ感があるんですよね(クソ解釈)
というわけで攻略されました。


 そのまた翌日は私と宮藤、エイラでの出撃になった。私にとっては久しぶりの夜間飛行となる。

 

「エイラさん。あの……。」

 

 ユニットを履き、ハンガーを出たところで宮藤はおずおずとエイラに手を差し出した。

 

「またか?しかたないなあ~。」

 

 口先ではそう言うけど、エイラは少し嬉しそうに手を取った。

 

「クリンはいいのか?」

「えっと……。」

 

 見るに夜間飛行に慣れていない宮藤は手をつないで先導してもらっていたらしい。エイラは私と手を繋がなくて良いのか聞いているらしい。

 そして宮藤はためらっていた。先日のこともあって少し思うことがあるのだろうか。だけど宮藤はすぐにこちらに近寄って私の手を取った。

 

「クリンさん。お願いします。」

 

 正直、宮藤を遠ざけたい私にとってはあまり嬉しくない申し出だった。

 

「私のこと、助けてくれませんか?」

 

 続けて宮藤はそう言う。乞うような目で私を見つめる。その仕草は私の心をくすぐった。

 

「……それぐらいなら。」

「ありがとう!じゃあ、行きましょう!」

「おいおい、お前が先行くなよー。」

 

 宮藤に引かれるように私とエイラは空に出た。

 

――

 

 雲の上まで出ると星々のみが私たちをささやかに照らしていた。新月だ。夜目だけでは隣の宮藤の顔もあまり見えない。

 

 夜間哨戒の任務は既定ルートの周回だ。敵が来なければ正直暇な時間になる。そのため哨戒任務に出るウィッチにはラジオ等の娯楽は黙認されることがままあった。

 しかし、私たちはこれといって準備をしていなかったから、自ずと会話をすることになってしまった。

 

「そういえばエイラさん。エイラさんってサーニャさんといつから知り合いなんですか?」

「サーニャとか?こっちの基地に来てからだな。」

「えー!てっきり幼馴染だと思ってました!」

「そうか?」

「だってこんなにも好きってわかりやすい二人今まで見たことないですから。」

 

 宮藤が素直にエイラとサーニャのことを形容してしまう。他意はなく友愛として伝えたのだが、エイラは別に受け取ってしまった。きっと真っ赤になっているだろう。

 

「みっ宮藤はどうなんだよ!」

 

 狼狽えるエイラは宮藤に話を振る。しかし宮藤は何のことかよくわかっていない。

 

「ほら、昨日は帰ってきたらすぐにクリンのところに戻ったじゃないか。そんなに好きなのか?」

「そ、そういうのじゃないって!リーネちゃんと一緒に入るから時間合わせてただけなの!」

「ふーん?じゃあクリンはどうなんだ?」

 

 エイラが私に振る。私にとって宮藤か……。なぜか私に優しいし、嫌いじゃない。

 

「嫌いじゃないわ。」

「そ、そうか。」

 

 結局、私の返事はそっけなくなってしまった。エイラも狼狽えることを期待していたのか、そっけない返事に拍子抜けだったようだ。

 

――

 

 その後もネウロイは現れなかった。お昼になってまた私たちは眠っていた。いや、私は眠れてないのだけど。

 目の前で宮藤は何の気兼ねもなくぐっすりと眠っていた。

 

「……嫌いじゃないのだけどね。」

 

 この数日、今までにないほど宮藤と一緒にいる時間が多かった。だからこそ、宮藤の厚意は私の心を侵食していた。

 だけど、今日宮藤の手を引いて雲の上まで昇ったとき、暗くて見えにくかったけど、開けた視界に感動する宮藤の表情はすごく嬉しそうで、私まで少し嬉しかった。

 そこで思ったのだ。宮藤の厚意に耐えられないならば少しずつでも宮藤に返してしまえばいい。……方法はあまり思いつかないけど、困った時は助けてあげよう。

 

「お母さん……。」

 

 宮藤が寝言でつぶやく。宮藤は優れた才能を持つウィッチだ。だけどただの14歳の少女でもあった。郷愁を覚えることもあるのだろう。

 私は宮藤の頭を撫でた。思わずだった。

 

「……んぅ。」

 

 宮藤が私の腕を枕にして私の胸にすり寄る。……私は母ではないのだけど。

 でも、宮藤のためになにかできていると思えて、少し嬉しかった。

 

――

 

 そして少しあと。宮藤は目覚めると誰かの胸に抱かれている事に気づいた。顔を上げると目を瞑ったクリンの顔が見えた。クリンはいつも疲れたような顔をしている。目の下のクマも酷いし、お世辞にも肉付きが良いとは思えない。

 そんなクリンに胸に抱かれているのは少し気が引けた。だから宮藤は寝ぼけながらクリンの頭を胸に抱いた。

 

 クリンは驚いたものの、害があるわけでもなし、素直に従った。

 

 その日のこと、クリンは久しぶりに夢を見た。雪道を走ったり、海の上を飛んだり、いろいろな場面を巡っていった。場面が変わって少しすると吹雪やネウロイ、ウィッチに襲われる。だけど危機が迫るといつも宮藤が来てくれて、クリンの手を引いて危険を退けてくれた。

 

――

 

「おーい、宮藤、クリン、起きろ。」

 

 夕方、先に起きていたエイラはお互いに抱きしめたまま眠る宮藤とクリンに呆れていた。

 

「これで付き合ってないんだから不思議なもんだよなー。」

 

 宮藤とクリンを揺する。もうすぐ出なくては間に合わない。先に起きたのは宮藤だった。

 

「ふぁ……おはようございます……。」

「ほら、いちゃついてないで早く準備するぞ。」

「い、いちゃついてなんてないですよ!」

 

 宮藤は飛び起きてクリンを起こす側に移る。今日の出撃は宮藤、クリン、サーニャだ。

 

――

 

 それから数日、サーニャが出撃した時は気配はあるものの、ネウロイとの直接戦闘には至らなかった。

 一度宮藤に抱きしめられた時には眠れたのだが、気恥ずかしさからこの数日は宮藤から離れるようにして寝ていた。治療によって不眠が解消されたのかと思っていたがそうではなく、結局寝られなかった。

 

 そして宮藤、エイラ、サーニャが出撃する日にネウロイは現れた。

 報告が入ってすぐに私は出撃した。

 

 無線にネウロイのものと思しき歌声が響く。私は全速力で三人の元へ向かった。そして、突然にその歌声は途切れた。

 サーニャからネウロイを倒したという連絡が入る。私の視界にも三人の誘導灯が見えていた。

 

「クリンさーん!」

 

 胸に飛び込んできたのは宮藤だ。それを受け止める。

 

「やりましたよ!クリンさん!」

「おいおい、宮藤はサーニャを担いでただけだろ?」

「でも、助かったわ。」

 

 えへへ。と宮藤が笑う。私たちはそのまま基地に戻った。

 

――

 

 帰投してすぐに全員が集められて報告会が開かれた。その場で夜間体制は解除、夜間専従班も解体することが決定された。

 そして私と宮藤はみんながシャワーを浴びている間に治療をし、時間を遅らせてシャワーを浴びて部屋に戻った。

 

「それで……クリンさんの部屋はもう少し奥ですよね?どうしてここで止まっているんですか?」

 

 自室に入ろうとする宮藤が立ち止まったままの私を不審がってそう言った。

 

「別に、気にしないで。」

「は、はあ。」

 

 宮藤が部屋に入る。そしてその後に続いて私も入った。

 

「クリンさん?」

 

 宮藤はこちらを振り向く。私は重い口を開いた。

 

「あの……図々しいお願いだとは自分でもわかってるのだけど……。でも、久しぶりにぐっすり寝れて、助かったから……」

 

 要領を得ない私の言葉に宮藤は困惑する。言いよどんでも仕方ないから、私は覚悟を決めて伝えることにした。

 

「私を抱きしめて、一緒に眠って……?」

 

 最初は何を言っているのか、といった様子だった宮藤だったが、すぐに真っ赤になってしまった。

 

「そ、そそそそいういうのは……!」

「お願い、宮藤さん。実は酷い不眠症で、あなたの腕の中でなら眠れたの。だからお願い。」

 

 このとき、私は心地よい睡眠に飢えていたのかもしれない。私の話は結局要領を得なかった。だけど宮藤は私が不眠症であること、一緒に眠れば症状が緩和するかもしれないことは理解してくれた。

 

「私で良ければ……よろしくおねがいします。」

 

 私は、その夜はぐっすりと眠れたのだった。



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