三百億の男【完結】 (悠魔)
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映画が三百億突破した記念で書き始めたらいつの間にかとんでもねえ数字になってた。


「あっ」

 

 がつーん。

 

 切っ掛けは些細なことだった。

 何でもないある日に家の角で転んでしまって、頭を強く打った時に俺の頭に突如として膨大な量の記憶が流れ込んできたのだ。

 その記憶には覚えがある──所謂、前世の記憶というやつだ。

 俺は至って普通の、何てことない令和の大学生だったのだが、何の因果か大正時代に転生したらしい。それはもう驚いたね。子供の脳には衝撃が大きかったらしく、知恵熱を出して三日間も寝込んでしまったよ。

 

 ただ不幸中の幸いと言うべきか、この世界に来て数年経ってから記憶を取り戻せたのは大きかった。何てったって大正時代だ。もう慣れてるからいいけど、当時の環境は現代とは比べ物にならないくらい不便だ。

 いやさ、俺の今の住居は大分立派な家なんだけど、電気とかガスとかエアコンとかが使えないってだけで不便って感じるものなんだなー。

 で、今に至る。

 いいとこのお坊ちゃんに生まれた俺はそれなりに大正時代をエンジョイしていた。前世では親はすぐ亡くなっちまったし、苦労して大学行ったはいいけど流行り病のせいで就活うまくいかなかったからなー。だからこうして親から愛されながらぬくぬく育つってのは普通に楽しい。

 しかも違う時代のものは見てるだけで面白いし、親もそんな俺を見て喜んでくれているみたいだった。何故か竹刀を持たされて剣の訓練をさせられたけど、まあ昔はどの家も剣道をやるのが普通だったのかなってことで納得していた。

 

「住めば都ってやつだな!」

 

 そんなこんなで楽しく過ごしていた俺だが、しばらくして更なる衝撃に襲われることになる。家で日課の素振りをしている時にやたらでかい声が聞こえてきたのだ。

 

「君!少しずつ前のめりになっているぞ!もっと背筋を伸ばすんだ!!」

「えっ、こ、こうか?」

「うむ!いい姿勢になったな!!」

 

 その少年に言われた通りにすると格段に剣が振りやすくなった。

 礼を言おうと、声のした方を見ると……

 

「………………」

「おっと!いきなり声をかけてすまない!剣を振る姿が見えたものでな、つい話しかけてしまった!」

 

 その少年は大正時代において、いや百年後の未来でも奇抜な髪と眼だった。

 派手な金髪に、燃え盛るような毛先。眉は太く、カッと開かれた瞳は猛禽類のように鋭い。

 そして炎のように熱い意思と精神が伝わってくる力強い声──。

 煉獄杏寿郎。

 俺が大学時代に大流行していた漫画の登場人物で、そして俺が最も尊敬し好きだった、鬼殺隊一熱い男だ。

 俺が知っている『彼』よりは何歳か幼いようだが、それでも彼が本物なんだと分かる。生の煉獄さんにはそれだけの強さと格好良さがある!

 ……つーか、俺が転生した世界って。

 

「鬼滅の刃の世界じゃねえかああああああああああ!!」

 

 

 

▽▽▽▽▽▽

 

 

 

 わー煉獄さん生で見たらかっこいいーマジでかっこいいー。

 ひとしきり煉獄さんを堪能すると、彼は原作通り快活な笑顔でまた会おう!と言ってくれた。流石、未来の炎柱は言うことが違うぜ。

 

 後から聞いた話によると何でも俺の家は代々鬼殺隊に所属する隊士を輩出する家系だったみたいで、俺の日頃の訓練も隊士としての素質を見出すものだったのだとか。そして俺の祖先が同じく代々柱を輩出する煉獄家と仲が良く、たまにこうして遊びに来ることがあるらしい。グッジョブ先祖。

 それは嬉しいのだが、煉獄さんに会えた興奮が収まって冷静になると段々顔が青ざめていった。マジかよ?俺も鬼殺隊に入らなくちゃいけないの?

 てそう思って親父に聞いてみたところ、技術は継承していかなくてはならないので訓練は必須だが、隊士になるのは強制じゃないらしい。

 弱い者を守るのは強い者の責務だ。だがそれは必ずしも鬼殺隊でしかやれないことではない、ってのが家の意向らしい。けど、それでも俺の一族は鬼に立ち向かっていったんだ。

 だから俺も鬼と戦う覚悟を決めた。

 それに、原作を読んでいる俺ならこれから起こる未来を変えることだってできるだろうしな。原作は鬼との戦いで悲惨に死んでしまった人も多いけど、俺なら多少なりとも変化させられる筈だ。

 幼少期に家族を殺されたキャラとかも今のうちから保護なり何なりしてやりたいんだが、流石に正確な時間や場所が分からないからどうしようもない。けど、これからの人生を幸せにすることは不可能じゃない。俺は皆んなに生きていてほしいんだ。

 

 幸いなことに俺にはそこそこ才能があったらしい。流石に煉獄さんの成長ペースには追いつけないけど、将来的には柱にも成り得る剣の才が俺にはあった。

 たまにやって来る煉獄さんと剣の稽古をしては、お互いの力量を確かめ合い己の成長を実感した。

 死にそうな目に遭いながらも藤襲山の試練を突破したしな!

 

 そこからは無理しない程度に仕事をこなしていった。いくら才能があろうと人間、できることは限られているしな。

 だから俺は俺にできる範囲で努力を重ねる。

 欲を言えば転生特典で縁壱並の才能だったりとかを貰いたいところだったけど、まあ無いものはしょうがない。伊達に長く生きてるわけじゃない。無いものを強請っても意味はないのである。

 つーか鬼滅の刃の神様って割とシビアなイメージあるしな。

 そんな俺だが、今は死の危険を肌身全身で味わっているのだった。

 

 上弦の弍──『童磨』。

 

 原作でも特殊な倒し方でなければ屠ることができなかった最強クラスの鬼。

 到底俺なんかが太刀打ちできる相手ではないというのに、何故か俺はそいつと刃を交えているのだった。

 というのも、間の悪いことに俺はカナエさんが奴と戦っている現場に出会してしまっていたのである。気付かないフリをして逃げることもできた……が、それでは何のために訓練してきたか分からない。俺は未来を変えるための決断をした。

 胡蝶カナエを救う。

 原作沿いとか知ったことか。元より俺は鬼殺隊の人達を救うために生きてきた。怖いだとか言ってられるかってんだ。

 

「炎の呼吸、弍ノ型!昇り炎天!」

「おや?他にも鬼狩りがいたんだね」

 

 へらへらと軽薄な口調で人の神経を逆撫でするように言葉を紡ぐ。

 鬼は元は人間だが、その在り方は無惨によって大きく捻じ曲げられている。だがこいつは鬼となってからも価値観や行動基準が一切変わらない正真正銘の化物だ。

 哀れな存在だとは思うが、かといって赦せる相手でもない。

 驚くカナエさんを庇うようにして剣技の数々を浴びせてやる。

 

「貴方では上弦には敵わない!ここは逃げてください!」

「だからって退ける相手ではないでしょう!俺にも戦わせてください!」

「ッ──絶対、絶対死なせないわ!」

 

 童磨との戦いはより苛烈さを増していくが、二体一だというのに童磨は涼しい顔で俺達の攻撃を捌いていく。

 満身創痍のカナエさんと未熟な俺の剣技が通用する筈もない。が、それでも戦いの形になっているのは俺の原作知識が上手く作用していたからだ。この時こいつならこう動く、というのを脳内にインプットしていたからこそ動くことができた。

 そして訪れる夜明け──。

 童磨は至極残念そうな顔をして、「あぁまさか、君達二人を食べ損ねてしまうだなんて!次は仲良く喰らってあげよう!」と言い残して消えて行く。

 やったのか?という安堵と疲労で地べたにへたり込んでしまう。ふとカナエさんの方を見れば、……良かった。傷は多いものの明確な深手はないようだ。

 これなら療養すればいずれ治る。柱を引退するようなことはないだろう。柱が一人残っているだけでも後々の鬼殺隊の生存率は跳ね上がる。

 そんなことを思いながら、遠くから姉を呼ぶ声に振り返る余裕もなく、ずるずると泥のように眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

 この時俺は気付いていなかった。

 どうしようもなく致命的なミスを冒していたということに。



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「姉を救ってくださって、本当に、本当にありがとうございます!!」

「いいっていいって」

 

 しのぶが頭を下げてくるのはもう何度目か分からない。女の子が頭を下げているのを眺めている趣味はないしと伝えると、渋々ではあるがやめてくれた。

 俺は今蝶屋敷にいる。

 童磨との戦闘の後、しのぶが呼んできてくれた隠によってここまで運び込まれ、目が覚めるや否や彼女に頭を下げられたというわけである。……正直、姉エミュをしていないしのぶを見るのは何というか、新鮮なものがあった。

 原作通りの落ち着いた態度だったら何となく『しのぶさん』って呼ぶんだろうが、いまの彼女は単に『しのぶ』って感じだ。年相応の無邪気さがあって、うんうんお兄さん実に良いと思いますよー。

 

「本当に、君にはいくら感謝をしても足りない程の恩を受けたわ。正直言って四肢がついていることが信じられないくらい。上弦と会敵してまだ戦えることが奇跡みたいなものだもの」

「いえいえ、カナエさんがあの野郎に負けないくらい強かったんですよ」

「あらあら、そういうことにしておきましょうか。ふふっ」

 

 お見舞いには煉獄さんも来てくれた。

 あの人の激励を受けるだけで心の臓が燃え上がるのを感じる。この人メインアタッカーと思わせて実はバッファーだな?

 で、カナエさんと一緒に上弦の鬼と戦ったということで一度は柱への昇格の話も出たのだが、あれは向こうさんが舐めてかかっていたということと、俺自身そんな器じゃないということで断らせてもらった。胡蝶姉妹は残念そうにしていたけどあれは本当に色々な運と巡り合わせの末の逃げ切りだったからな。

 第一、炭治朗達が上弦を討伐しておきながら柱になってないのに、俺如きが柱になるだなんておこがましいだろう。

 

「せっかくの祝い話だというのに勿体ないですね……。しかし頭から血を被ったような鬼ですか。次会ったら私の新作の毒で嬲り殺してやるわ……」

(しのぶちゃんが原作通りのスーパー毒ガールになってる!)

 

 けどまあ、この調子なら捨て身特攻なんてことはしなさそうだな。

 しばらくして任務に戻り、再び鬼と戦う日々を過ごした。途中煉獄さんが柱に任命されたり継子ができたりという話もあったりした。というかあの風格でまだ柱じゃなかったことが驚きだ。

 数年が経った──。

 ついにその日はやって来た。

 無限列車。

 煉獄さんが死んでしまう場所。俺が運命を変える場所。

 ……知ったことじゃない。俺は決めたんだ。例えどんな手段を使ってでも、この世界で懸命に戦っている人達の命を守るって。

 

「死なせてたまるかってんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うまい!うまい!うまい!」

(うーん周りの視線が痛いぜ!)

 

 箸の使い方は綺麗なくせに一口ごとに大声を出すのは行儀が良いと言っていいのだろうか。しかし煉獄さんの食いっぷりは見ていて気持ちが良いのでヨシ!

 俺達は短期間に四十人もの人間が行方不明になったと報せを受けて二人で列車に乗り込んでいる。鴉の話では、これから三人ほど若手の隊士が増援にやってくるとのことだ。そろそろ来る筈なんだが……。

 

「ん?オーイ、君達も鬼殺隊だろ?」

「あっ、こんにちは!竈門炭治郎です!」

「すげえすげえ!こいつすげえ速さで走ってやがるウワハハハハ!!」

「馬っ鹿伊之助!外に身を乗り出すなよ危ないなあ!!」

「うまい!」

 

 うーん、このカオスである。

 しかしまあこうして生で見るとほんと個性的な三人組だ。大正時代に転生してからこっち金髪の人間なんて初めて見たし、猪頭の半裸人間なんて前世でも見られなかったもんなあ。これで内面まで突き抜けてるんだからほんと鬼殺隊って異常者の巣窟。

 さて、ここまでは原作通り。

 ここからは原作にいなかった俺という存在が戦局を左右することになるだろう。

 

「紹介する!彼が先の柱合裁判で話題になった溝口少年だ!」

「ええと、竈門です」

「鬼を連れてるって話だろ?そりゃまた……まあ長い人生色々あるわな」

「切符を拝見」

 

 出た。

 この車掌に切符を切ってもらうと強制的に眠らされてしまうのである。だがまあ、血鬼術の仕組みさえ分かってしまえばさほど苦戦はしない。

 煉獄さん生存ルートで鬼門なのは魘夢よりも猗窩座の存在だ。魘夢は相性最高の炭治郎達が倒してくれるのでいいのだが、猗窩座は単純に強いし隙が無いし、はっきり言って小細工の一つや二つでどうにかなる相手じゃない。

 だから、猗窩座と遭遇しなければいいだけの話なのだ。

 原作の猗窩座はたまたま近くにいたから無惨に指示されて炭治郎を襲った。なら、列車がその地点まで行ってしまう前にさっさと帰ってしまえばいい。

 かといって列車の人を見殺しにするわけにもいかない。それじゃ本末転倒だ。

 だからさっさと魘夢を倒して帰るのが一番の解決策なのだ。

 魘夢の攻略法なら漫画で読んであるから知っている。

 

(ここで予め用意しておいた偽の切符を渡して俺だけは起きていてこっそり魘夢の頸を切るって寸法よォーッ!)

「よし、ちゃんと寝ているな。じゃあ、言われた通りに縄を……」

「とォアア!」

「へぶっ」

 

 寝たフリをしてやり過ごし、後からやって来た一般人の人達の意識を落とす。

 ……確かこの中には、重い病気に罹っていて、将来に希望が持てないから魘夢に縋った人もいたんだったな。

 どうか許してくれ。そして見ててくれ。煉獄さんや炭治郎の戦いを見たらきっと心が洗われる筈だから。

 

「よし、次は……禰豆子ちゃん!」

「ムー?」

「アッカワイイ!いいか禰豆子ちゃん、君の力が頼りだ!炭治郎達を君の炎で起こしてやってくれ!」

 

 言葉が通じているのかいないのか、ポカンとした様子だったが、程なくして炭治郎達は禰豆子ちゃんの炎に包まれた。ヨシ!ちゃんと燃えてる!

 もう少ししたら勝手に起きるだろう。とりあえず俺はそこそこの魘夢一匹倒して列車を降りることにするぜ。俺は安全にこの列車を降りたいんだよ。

 列車の上に登ると、……いた。魘夢が不気味な笑みと共に立っていた。

 

「あれぇ、もう起きたの──」

「オラァ!炎の呼吸壱の型不知火!」

「ごはッ」

 

 列車の上という不安定な場所でも動けるように訓練しておいて良かったぜ。

 煉獄さん仕込みの炎の呼吸の型であっさりと頸を切られた魘夢だったが、すぐに気味の悪い肉塊を生やして列車の屋根へと根を張った。

 

「お前が本体じゃなかったのか」

「うん、そうだよ。ふふふ、本体はもう既にこの列車全体を取り込んで融合しつつあるからね。果たして君に本当の頸が見つけられるかな?」

「何か勘違いしているようだが、ここにいるのは俺だけじゃねえ。俺達だ」

「?………まさか!?」

 

 ようやく気付いたようだな、列車内部で戦闘の音が繰り広げられていることに。

 魘夢の余裕は消え失せ、どこかに去ってしまう。さて、ここは先輩隊士として炭治郎達をサポートしなきゃな。

 列車内に戻ると、ああよかった、炭治郎はもう起きていて乗客達を守っている真っ最中だった。

 

「炭治郎!鬼は列車と融合している!奴の急所を探してそこを切れ!」

「は、はい!」

「俺と煉獄さんは乗客を守る!お前は頸を探すことだけに専念するんだ!

 ……あと勘だが、おそらく頸は列車の前の方だ!」

「分かりました!」

 

 炭治郎に指示を飛ばすと、俺は乗客を守るために走り出したのだった。

 そして、少しの戦闘の後──。

 

「ギャアアアアアアアア!」

 

 魘夢の断末魔とともに列車全体が傾く。俺は即座に窓に向かうと技を出して列車の横転を抑える。離れた窓からも技を出す音が聞こえたのできっと煉獄さんが技を出したのだろう。以心伝心だぜ。

 揺れが収まると、前方車両で戦っていた筈の炭治朗達のところへと向かう。

 このまま、このまま何もないままでいてくれるのが一番いいが……。

 煉獄さんと倒れ伏す炭治郎がちょうど視界に入ったところで、

 

 ドォン!

 そんな衝撃音とともにやってきた、瞳に上弦の参と刻まれた短髪の鬼。

 猗窩座だ。クソ、原作より大分早く魘夢を退治することができたってのに、それでもこいつはやって来るのか。

 まあそれもそうか。鳴女という最上級の空間転移の血鬼術の力と、上弦の脚力をもってすれば、この程度の距離なんてすぐに詰められるか。……計算内だが、ここからは覚悟を決めなきゃならない。

 すなわち猗窩座と戦う覚悟だ。

 俺の実力は柱に勝るとも劣らないレベル。煉獄さんの脚を引っ張るようなことはないだろう。ここで時間を稼いで日の出まで持ち堪えるしかない。

 ……魘夢を早々に討伐したのが仇になったな。まあ、その分煉獄さんに余計な負担がかかっていないだけ良しとしよう。

 

 俺が力をフルに発揮さえすりゃあ、時間は稼げる。

 そうすれば煉獄さんが死ぬことはない……

 ……そう思っていたんだが。

 

「やあやあ、奇遇だね猗窩座殿。まさか俺の活動範囲とぴたり被るとは。たまさか街の方まで出向いて良かった。こうして肩を並べて戦うのは初めてのことだ」

「黙れ」

「上弦が……二体……!?」

 

 嘘だろ──。

 どうやら俺が魘夢を倒すのを急いだせいで列車が中途半端な位置で止まってしまい猗窩座と童磨、二人の上弦がやって来れる位置に入ってしまったのだという。

 けど……けどそんなことってあり得るのか?たまたま上弦の活動範囲が被るだなんて、そんなこと……

 

「ああ、いたいた。俺が活動範囲を広げていたのは君を追跡するためだよ」

 

 童磨の虹色の瞳が俺を見据えていた。

 ………俺?

 

「君の、まるで俺のことを知っているかのような動きを警戒してね、確実に殺しておくように命を受けているのさ」

「────!!」

 

 心臓がバクバクと波打った。

 思い当たる節ならある。

 俺は先日、胡蝶カナエの命を救っている。

 そこで童磨に、ひいては無惨に目をつけられてしまったというのか?

 そんなの──そんなの、どうしようもないじゃないか。俺が加勢しなければカナエさんは死んでいた。あの時は運命を変えられたことに感動したというのに、今度はそのせいで窮地に陥ってしまっている。

 俺のせいで童磨が来てしまった。

 その事実が受け入れられない。罪を告発された犯罪者のようだった。

 正史を捻じ曲げたことで、未来が捻じ曲がってしまった。

 胡蝶カナエを助けたことが間違いだったとでもいうのか──?

 

(……いや!童磨が来ようが、所詮はにわか仕込みのコンビネーション。俺と煉獄さんの二人なら負ける要素はない──)

 

 そう思っていた俺の見積もりは甘かった。

 煉獄さんは死んだ。

 

「煉獄さん!!そんな、そんな……!!」

「ぐ……ぁ……!」

 

 細身ながらも巨木の如く鍛え上げられた腕で胸を貫かれ、煉獄さんは絶命した。

 俺はといえば、童磨にいいようにしてやられてしまい、血反吐を吐いて地面に転がっているところだった。虚無と絶望が上からのし掛かる。

 猗窩座は童磨がいることで勝負を楽しむよりも任務を遂行することの方に重点を置いてしまった。童磨は前回の戦闘で俺の情報を最大限引き出して理解していた。

 その二つの要素が絡み合い、煉獄さんはその生涯を閉じてしまった。

 俺のせいで。

 俺の、せいで──。

 

「──そんな……」

「強い男だった。鬼となれば更なる境地へと至れたものを。まあいい、肉体の損傷はお前と……列車の乗客やそこの小僧を喰って埋め合わせるとしよう」

「………!?」

 

 胃の腑に冷たいものが落ちる。

 まずい。相手は上弦二人、俺だけでは時間稼ぎすらままならないだろう。このままではきっと原作以上に血が流れてしまう。

 朝日はまだ昇らない。

 俺が死ぬのはまだいい。煉獄さんが死んでしまうのも、受け入れたくはないが呑み込むしかない。だけどここで炭治郎達が死んでしまうのは駄目だ。

 ここで彼が死んでしまったら、鬼滅の刃の物語が──いや、煉獄さんが守り抜いた筈のものがなくなってしまう。

 それは、それだけは駄目だ。

 この無限列車で煉獄さんは全員の命を守りきったんだ。煉獄さんが守った人間の中に不幸に死んでいった人はいない。皆んな幸せに天寿を全うしたんだ。炭治郎だって伊之助だって善逸だって生きてる。

 彼が守りたかった人達はちゃんと守られている筈なんだ!

 

「やめろォオオオ────ッ!!」

 

 思わず、叫んでいた。

 叫ばずにはいられなかった。

 果たして何の奇跡か、俺以外のものの動きがピタリと止まった。童磨や猗窩座はおろか、炭治郎達や乗客や果ては風の動きまでもが。俺以外の時間が止まったのだ。

 呆然とする俺に更なる衝撃が訪れる。

 時間が巻き戻っていくのだ。

 ぎゅんぎゅんと、高速で、時計の針が逆方向へと巻き戻っていく。血鬼術ですらあり得ない光景に、俺は言葉もないまま目を見開くしかなかった。

 

「ハッ──」

 

 気がつけば駅にいた。

 もう少しで列車に乗り込む、というところで時は再始動を始めた。

 時の奔流が穏やかなものになった瞬間にはまるで水中から飛び出した時のような解放感さえ感じた。同時に、この世界に来てから初めての孤独を味わった。

 何故俺はまたここにいる──?

 心臓が恐怖を刻んだ。

 額より脂汗が垂れるが、やがて覚醒した頭は一つの結論を導き出す。

 ……まさか。列車の中へと入りその確信が正しいことを確かめる。

 車両の扉を開けて、開けて、開けて──

 ああ、いた。

 彼は相も変わらず、溌剌とした笑顔を浮かべて弁当を食べていた。

 煉獄さんが生きている。

 特徴的なその髪が、その瞳が、確かにそこにあることに、俺はひどく安心して、その場に膝をついたのだった。

 

──煉獄さんの死の瞬間から俺は巻き戻っていたのだ。

 

 

 

 

 そしてここからが地獄だった。



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 結論から言えば、俺には死ぬ危機に瀕した瞬間に、時間を巻き戻す能力を得ていたらしい。神様とやらの転生特典だろうか。半信半疑ではあったが、同じ光景を何度も見せられれば納得もする。

 煉獄さんが死ぬ、あの瞬間を──。

 彼はそれぞれの時間軸においてあらゆる手段でもって惨殺された。猗窩座に心臓を潰されたり、頭をかち割られたり。はたまた童磨の氷で半身をもっていかれたり、袈裟斬りにされたりと様々だ。

 己の弱さに腹が立った。

 上弦と戦うことも想定して訓練を想定していたというのにまるで歯が立たない。

 元来、この二体の鬼は作中でも屈指の実力者達がたゆまぬ鍛錬の後に何とか相性勝ちできたレベルの怪物だ。上弦、それも参より上が相手では柱が何人いても足りないだろう。俺も何度も戦うことで擬似的に訓練を積もうとしたが、最早訓練どうこうでどうにかなる段ではなかった。

 俺の剣技の腕は柱にも勝るとも劣らない程度。だが、それだけ。

 どうしてもその先へ行けない。

 痣は出せず、

 赫刀も使えず、

 透き通る世界にも入れない。

 鬼滅の刃がどれだけシビアな世界か身をもって思い知らされた。鬼が怒ったり覚醒したりして倒せるならとっくの昔にこいつらは全員死んでいる。

 

「なら、強さ以外で煉獄さんを救う」

 

 死に戻ったのが何度目か数えるのか億劫になった辺りで俺はそう決断した。

 上弦が二匹以上いる可能性があると鴉に伝えて近くの隊士に送ったり、敢えて無限列車に乗らず近くの場所に突破口を探したり。……だけど、無駄だった。

 すぐ駆けつけられる位置に隊士はいなかった。

 猗窩座も童磨も、俺達だけで討伐せねばならなかった。

 何より、俺がいないことで煉獄さんや炭治郎達が知らぬ間に死んでいるというのは慣れていたつもりであっても臓腑が千切れそうだった。

 煉獄さんは死んだ。

 

(魘夢を殺すタイミングをずらしてみよう)

 

 無駄だった。

 魘夢をいくら早く殺そうが、敢えて生かしておこうが、どちらにせよ上弦の二体はやってきた。……泣きながら禰豆子の箱を列車の外へと放り投げて、魘夢を生かしてみたものの結局は煉獄さん達が廃人になるだけで終わってしまった。

 煉獄さんは死んだ。

 

(気にするな、俺が殺したわけじゃない。俺はタイミングを見計っただけだ。他の方法も試してみよう。そうだな、例えば、煉獄さんを列車に乗せない、とか)

 

 無駄だった。

 煉獄さんは俺の言葉を訝しんで、俺を縄で縛って拘束した。血鬼術にかけられている可能性があるとのことだ。炭治郎や善逸が匂いや音で心情を感じ取りってくれはしたが、俺の言葉を聞くと困惑した。

 そりゃあ、そうだよな。

 上弦が二体だとか、このままじゃ全員死ぬとか信じられねえって。気でも狂ったかのような目で見られるのが一番辛かった。

 列車外に鬼がいる可能性があると言っても駄目だった。どれだけ証拠をでっち上げても『列車に乗った人物が行方不明になっている』という確固たる情報があるし、炭治郎達が俺の嘘を見破ってしまう。

 そもそも、列車に乗る前のタイミングに死に戻るなんて時間が足りなすぎる。

 俺は馬鹿だ。

 こんなことなら継子の一人や二人作っておくべきだったんだ。童磨を撃退したことで天狗になってしまったんだ。猗窩座相手にも粘れると勘違いしてしまったんだ。

 

 ……些か違和感のようなものを感じた。

 何で俺は他の柱と交流を持ったり、継子を持ったり、いや、そもそも列車内に人員を連れて来ていなかったんだろう……?

 そんな予防策くらいすぐに思いつきそうなものなのに……

 

(……まあいい、他にないか、他に策は)

 

 無駄だった。

 列車を破壊しても、その場から逃げても、煉獄さんが死ぬという事実だけは回避することができなかった。思い付く限りのことは全て試した。それでも彼は死に、彼が死ぬことによりもっと多くの人が死んだ。煉獄さんを敗者にしてしまった。

 計算外の童磨の存在。それが全てを狂わせてしまった。奴と戦って勝てる可能性が高いのは実は初戦なのだ。初戦は奴は受けに回って動きを観察し、技を全て出し切らせてから殺すという戦法なので、逆に言えばあらゆる戦法を見せつけてやれば日の出まで時間を稼げる可能性がある。

 けれども次の戦いからは戦法を把握しているのであらゆる動きを読まれてしまう。

 呼吸を変えたりする程度では奴の観察眼を欺くことはできない。筋肉や動きのクセを尋常ならざる頭脳で把握されていては小細工など通じない。

 煉獄さんは死んだ。

 

(そうだ、煉獄さんが死ぬというのなら、どうせなら俺が殺してしまってはどうか)

 

 煉獄さんに炭治郎、善逸、伊之助。そして二百人あまりの列車の乗客。彼等は俺を恨むかもしれない。けれど許してくれ。だって何度繰り返しても貴方達は死んでしまうんだよ。

 貴方達が死ぬたびに俺は死に戻ってしまうけれどそれを億劫だと思ったことは一度だってない。俺の不甲斐なさで貴方達を死なせてしまうことが一番苦しい。

 だからせめて俺が葬る。

 無惨が禰豆子に価値を見出すことこそが無惨を殺す切っ掛けとなることは承知している。だから、俺がそれ以外の役割を担当する──炭治郎達の代わりに何倍も何十倍も強くなればいい。

 乗客の人達もごめん。

 俺が愚かだったばかりに死ななくてもいい命が増えてしまった。俺にとってこの世界の人達はもう漫画の中の登場人物じゃない。俺のせいで──。

 煉獄さんは死んだ。

 列車を爆破し、遠くからその様子を見て俺は呆然と立ち尽くしていた。

 

「まさか……同士討ち……とはな」

 

 びくりとして振り返るとそこには上弦の壱が立っていた。

 思考を破却した。

 何で?

 何で何で何で何で何で何で何で何で何で?

 何で上弦の壱から参加が集合している?

 童磨の存在は、まだ許容できる。だけど何でこいつまでいる?

 これで死に戻ってしまうようなら俺は猗窩座と童磨を殺す努力をしようと漠然と考えていた。けれど、黒死牟までいるとなれば話は別だ。

 勝てるわけがない。

 生き残れるわけがない。

 鬼殺隊がこいつらに勝てたのは死を代償に手繰り寄せた奇跡のようなもの。

 何でこいつまで──

 

「……ふむ……あの御方の血を分けてやろうと思ったが……今のお前からは生きようとする気概が感じられぬ……せめてあの世へのはなむけに……我が剣技で安らかに葬ってやろう……」

「ぁ、」

 

 瞬きよりも早く死んでいた。

 駅に立っていた。

 靴裏を冷気が突き刺す。死人のような俺を人々は気味悪がった。

 死に戻ってしまった。

 最悪の事実を知ってしまった。

 鏡に映った俺の姿は蝋人形のようだった。

 俺が死ぬことはいい。

 耐えられないのは煉獄さんや炭治郎が死んでしまうこと。そしてその原因は俺だ。

 何千回と俺が死なせた。彼等が死ぬ確率が上がることが何より苦しい。

 黒死牟までいるとすれば、もうどれだけ策を弄しても意味がない。

 これ以上先へ進むことができない。

 これが悪夢なら醒めてほしい。

 これが悪夢なら、

 

「悪夢?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれぇ、もう起きたの。もっと寝ててもよかったのに」

 

──そう。

 俺は一つの思い違いをしていたのだ。

 



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 吹き荒む風。無限列車の背の上で、俺と魘夢は対峙していた。

 

「いつからだ?いつから俺を夢の世界に陥れた?俺はお前の血鬼術対策はしっかりしていた筈だ」

 

 過程をすっ飛ばして尋ねた。

 答えに辿り着いた俺に魘夢は僅かに目を細めたが、それは狂笑へと変わる。

 魘夢の血鬼術──人を眠らせる術は切符を切ることで発動する。無理矢理眠らせるという荒技もできるが、少なくともこいつは直接対峙することを避けて俺達を眠らせていた筈だ。

 だから眠ったフリをしてやり過ごしたのにまんまと術中に嵌ってしまっている。

 これはどういうことか。

 

「うん、だって、さあ。君がいくらその方法を知っていたとして、俺の術を回避することは不可能だよ」

「──……?」

 

「君の正体はねえ、ただの獣畜生だよ。鬼狩りが連絡用に使う、鎹鴉?だっけ?に転生しただけのただの一般人。輪廻転生って本当にあるんだねえ。けれど、人間がまさか烏に転生するなんて、なんとまあ惨めで滑稽な話だろう!」

 

 魘夢の話はこうだった。

 現実世界において鬼狩りを眠らせた後に念の為鎹鴉をも眠らせた。

 すると、眠らせた鴉の中に未来からの転生者がいることに気が付いた。

 それが俺。

 俺は鎹鴉に転生していたのだ。

 

「君が人間として過ごした記憶、それら全ては俺が見せた都合の良い夢さ。鬼狩りとして修練を積んだのも、あの鶏冠頭の柱と古くからの知り合いだったというのも、蝶の姉妹を救ったというのも、全ては俺が見せた都合の良い夢に過ぎない。幻想なんだよ。夢の中でこそ人間の姿でいられるが、現実の君はただの鴉でしかないのさ」

 

 足先が砂になって消えたようだった。

 煉獄さんと過ごした日々が、全て嘘?

 こいつの作り上げた幻影?

 そんなこと信じられるか──そう言おうとして気が付いた。俺がカナエさんと協力して童磨を撃退した時のことだ。あれは童磨の性格故になんとか粘れたのだと思っていたが、そもそも上弦の弐を相手にして御体満足で生き残れる可能性があるとは思えない。あれは夢だったから?

 ……奴と戦ったときのことがよく思い出せない。靄がかかったかのようだ。

 

「無限列車で鬼狩りを待ち受けるにあたって、連絡を取られると厄介なので血鬼術で俺は鴉をも眠らせたのさ。動物相手には切符を使わずに眠らせられるというのは俺も初めて知ったけれど、驚いたのはその後。まさか鴉の中に百年近く先からやってきた人間がいたとは思わなかった」

 

 つらつらと魘夢は綴った。

 

「君は所謂『前世の記憶』を忘れたまま、今の今まで鴉としての生を過ごしていた。けれど夢に落ちた弾みでその記憶を思い出したみたいでね。

 俺は未来の人間でありながら鬼の鬼狩りの戦いを知っている君のことが気になって記憶を読み取ろうとしたけれど、どうしてか断片的にしか読み取ることができなかったんだ。青い彼岸花のことやこれから先の未来は分からず、これから先死に行く鬼狩りのことしか読み取れなかった。

 無惨様に捧げるにしては酷く不出来な哀れな存在だと思ったものさ」

 

 何の為に転生したのか分からない。

 記憶を忘れたあまりか、鎹鴉の身では戦うことすらできない。

 

「俺は暫く考えて、夢の中で君の記憶を弄って、敬愛する鶏冠頭の柱の死を何度も見せることにした。使えないなら愉しませてもらうしかない。死んだ鬼狩りの情報をもとに君を何度も絶望させた」

「………そんな」

 

 否定したくて、否定せねば今までの全てが崩れ去るような気がして、ぱくぱくと鯉のように口を開いては閉じた。

 風の音が遠くに聞こえた。

 

「発狂しそうになればその都度記憶を塗り替え元通りにした。あらゆる死因を試しては悲嘆させた。その数たるや、すわ三百億はくだらない。鬼狩りが来るまでの間とはいえ随分楽しめた。君の場合は夢の中の時間が現実と比べて非常に遅かったから、それこそ何億回と絶望を味わえた」

「記憶を塗り替えた……?」

「ああ。君が発狂して飛び降り自殺をしたこともあったんだよ?けれど悪夢とは理性あってこその悪夢だ、理性を失った君を見るのはとても退屈だったので記憶を消去した後にまた絶望させた」

 

 頭の裏から記憶が湧き出した。

 煉獄さんを救えなかったことに絶望して逃げ出した時の記憶。

 炭治郎達が死ぬ瞬間を見て悲しんだ時の記憶。

 そして──それらに絶望してこの身を投げ出した時の感情を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──

 

「ああああああああああ!!」

「思い出したようだね。三百億回の苦痛を廃人にしない程度に味わわせてあげたんだけど、……はははは、存外にとても良い貌で泣くじゃないか」

「殺す……殺す殺す殺す殺す!!お前を殺してやる!!ぶち殺してやる!!」

「やれるものならやってご覧よ、鴉の身で何ができるか知らないけれど」

 

 畜生。

 畜生!!

 何で俺は鎹鴉なんかに転生してきちまったんだよ。刀を持てない、呼吸も使えないただの鴉なんかに生まれ変わっても何の役にも立てないじゃないか。

 しかも、忘れてた、だと?

 ふざけんなよ。何でそんな肝心なことを忘れてしまえるんだ。

 挙句、俺が三百億も繰り返して変えようとした未来は無駄だった。

 全ては魘夢の掌の上。

 何もできない、何も為せない。

 

「……ハァッ、なら、俺は鬼殺隊にこれから起こることを伝える!!俺が知り得る知識の全てを御館様と柱に伝える!!」

「無理だよ。君は夢から出たら夢の中の出来事を全て忘れてしまう。夢の中で前世の記憶を思い出したんだから夢の外に出れば忘れるのは道理さ」

「嘘だ!!炭治郎は夢から醒めても夢の世界の記憶は保持していた!!」

「うん、まあ、止めはしないよ。君の苦悶の貌にも飽きたところだし。君が醒めた後に何をしようが関係ないしね」

 

 魘夢の興味を失った貌を見て全てを察してしまった。この鬼の言っていることは嘘偽りない。まごうことなき事実だ。

 こいつにとって俺なんて慰めモノ以上の価値を持たないんだ。苦しめばそれを見て愉しむが、飽きたなら棄てる。夢から醒めようが醒めまいがどちらでも構わない。鴉を喰ったところで大した栄養にはならないのだから。

 となれば。

 俺が現実に戻ってもできることはない。俺が生きていることに何の価値もない。

 前世の記憶という破格の情報を持っていながら何もできない。

 このまま起きれば、カナエさんが童磨によって殺され、煉獄さんが猗窩座によって殺される原作通りの結末に元通りだ。

 ああ、いいのか。俺のせいで死ぬわけじゃないんだから。

 現実に帰れば煉獄さんの死は確定するけれども炭治郎や乗客の命は守れる。

 俺が彼等の死を認めさえすれば……。

 

 俺、が……。

 

 

 

 俺は──




次回最終回です。


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 正直に言って。

 俺はこいつに一矢報いてやろうだとか、出し抜いてやろうだとか、そんな気概はまるっきり失せていた。やる気がなかった。

 何もかもがどうでもよくて、俺が夢から覚めようが覚めまいが煉獄さんが死ぬという事実は揺らがない。

 けれど──

 たった一つ変わるとすれば、

 煉獄さんの生き様を伝えることができるのは俺だけだということ。

 

「俺は俺の責務を全うする」

 

 この戦いに意味はない。

 鬼の頸一つ落とすことができない俺が夢から覚めたところで、戦いの趨勢は変わらないだろう。

 だけど──だけど。

 それじゃあ、鬼の頸一つも切れなかったからといって、刀を振るえなかったからといって、その人の想いは無駄になってしまうものなのだろうか?

 それは違う。

 絶対に違うんだ。

 煉獄千寿郎という少年がいる。

 彼には剣の才はない。鬼の頸一つ斬り落とすことができない。彼が行った行動なんて些細なものに過ぎない。彼が鬼狩りに貢献したことなんて、全体から見れば砂粒一つ分にも満たないことなのかもしれない。

 けど──そんな砂粒の想いが連なったからこそ無惨を倒せた。

 千寿郎君が鬼を殺せなかったことを、自分にできることをやったことを、否定する人間なんていない。

 同じ、なんだ。

 

「この戦いに意味はない」

 

 ここから出れば煉獄さんは死ぬ。

 それは定まった運命で、もう絶対に変えることのできないものだ。

 ……でも、だ。俺は鬼殺隊だ。

 意味がなくても、何も為せなくても、俺は戦わなければならないんだ。……ナントカの呼吸って言ってかっこよく戦うことも、運命を変えることも、何一つできなかったけれど。俺は、鬼殺隊だから。

 役に立つとか立たないとか、そんなことに憧れたのではない。その在り方に感動したから俺はここにいる。

 貴方達のような立派な人に俺もなりたい。

 

「けれど俺は──お前と戦う」

 

 魘夢は不愉快そうに、俺の行動が理解できないと言わんばかりに片眉を上げた。

 ……ああ、本当にその通りだと思う。

 でも、俺の空虚な行動に意味を持たせてくれる人がきっといる。それでいい。

 たった砂粒一つ分しか運命が変わらないなら、全力でその一粒を動かそう。

 強くなりたいと願った決意を餞に。

 

「──まったく、人間という生き物は度し難く理解ができないものだなぁ」

 

 俺は自分の首を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──煉獄さん?」

 

 音を立てて崩れゆく世界の中で邂逅したのは、燃えるような羽織の青年だった。

 夢の世界がなくなるのは存外ゆっくりで、その世界の中に何故か彼はいた。

 

「な、んで──あなたが」

「うむ。魘夢の夢の世界は完璧ではなかったようだな。違う人間同士の夢が混ざってしまったのだろう」

 

 ……いや、たぶん、それ以外にも要因はある。

 そういえば煉獄さんは幸せな夢を見ていなかった。彼の夢は槇寿郎さんは酒に溺れているし、溜火さんは死んでいた。今の煉獄家の家庭環境がありのまま夢として投影されていた。

 ……それは、その夢を煉獄さんは幸せだと思っていたから。

 老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだから。

 彼にとってその家庭環境は悲惨なものではなく、胸を張って幸せな家庭と言えるものだったから。彼は誰よりも現実を正しい形で見据えていた、そんな彼の精神が、魘夢の支配を打ち破るに至ったのか……?

 

「よく耐えたな。何億回もの絶望に心折れずよく戦った。俺は君を尊敬する。君の活躍を忘れてしまうことが残念だが」

 

 そう労ってくれる煉獄さんの言葉が胸に熱くて、だけど罪悪感が立ち昇った。

 俺の志なんてそんな崇高ないものじゃないんだ。今思えば、鬼への怨みなんて大して感じていなかったのかもしれない。

 死ぬ筈だった人間をどうにかして生かすことで、自分に都合の良い世界を作ろうとしたに過ぎない。それだけだ。

 

「……違う、違うんだ煉獄さん。俺は夢の中で列車の人達を見殺しにしてしまったり危険に晒してしまったんだ。俺は鬼殺隊失格だ。俺は貴方に尊敬されるような人間じゃない。俺はただの馬鹿で役立たずなどうしようもない男なんだ」

「本当にどうしようもない人間はそんなことは言わない。君は一貫して、乗客や俺の命を全て救うことに固執していた。固執してくれていた。彼等が死んだ時は心の底から苦しんでいた。投げやりになっていてもおかしくなかったというのにだ。

 人生は選ぶことの繰り返し。けれども選択肢も考える時間も無限にあるわけではなく、刹那で選び取ったものがその人を形作っていく。

──だが君はこれまでのどの選択においても他人を優先していた。清らかでひたむきな想いは人でなくとも関係ない」

「……俺の心は麻痺しています。いつからか貴方達が死ぬのが当たり前になった。俺は自分の身勝手な欲のために他人を切り捨てることができる人間なんです」

「ならば、これから償っていくしかないな」

 

 そう言う彼の言葉はとても暖かかった。

 懐かしい思いに囚われて、残酷な世界に泣き叫んで、もう何一つだって失いたくなかった自分を恥じた。こんな単純なことに気が付かずに、何億回も馬鹿を繰り返してしまったんだ……。

 煉獄さんを死なせたくないと思ったのに、彼の意思を継ぎたいと思ったのに、全部半端で終わってしまった。阿保らしい。

 

「君がそのことを悔いているならば、今からだってやり直せる。俺の死を、意思を、君の言葉で繋げてほしい。君の心はまだ燃えているだろう?」

「………煉獄、さん……」

「俺の死を悲しんでくれるのは嬉しい。だけどそれよりもっと大切なことがある。俺は短い人生だったが自らが不幸だと思ったことはないんだ。これでいいんだよ。

──それを伝えたかった。君は、俺と長い時を過ごした戦友だからな」

 

 とめどなく零れる涙の意味が変わっていく。

 たまらず彼の手を取った。

 手を取って──そして離した。

 未来のために。

 それが俺の罪の償いだから。

 煉獄さんを看取ることが俺の戦いだから。

 彼の死をなかったことにしてはいけない。

 彼の生き様を否定してはいけない。

 彼が何のために生きて、何のために死んだのかを俺が伝えるんだ。

 声の限り叫んだ。

 

「さよなら。ありがとう──」

 

 輝いて消えてゆく。未来のために──

 

 

 

 

 

 

▽▽▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 煉獄さんは死んだ。

 猗窩座に殺された。

 けれども彼は乗客全員の命を守り抜き、自分以外のたった一人の犠牲者を出すこともなく儚く散っていった。

 死に際の彼の言葉をよく覚えている。

 

「胸を張って生きろ──」

 

 何故だか、その言葉を聞くと、無性に胸が締め付けられる。俺は胸を張れているのだろうか。俺は彼の鎹鴉にふさわしい人間になれているだろうか。

 あの時俺はまんまと眠ってしまっていた。

 俺は刀を振るうことはできない。俺は鬼と戦うことはできない。

 俺はただ、煉獄さんが殺されているのを傍観していることしかできない。

 けれど、ヤケクソにはならない。

 悲しみに飲まれ落ちてしまえば痛みを感じなくなるけれど、彼の言葉も、彼の願いも守り抜くと誓ったんだから──。

──いつ、そんな誓いをしたんだったか?

 まあ、いいか……。

 

 思いを継ぐというのは、俺の使命だから。……だから、涙はどうか許してほしい。

 振り返らずに進むから。

 前だけ向いて叫ぶから。

 心に炎を灯して──まだ遥か遠い幸せな未来まで飛ぼう。

 遠い未来まで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カァー!煉獄杏寿郎、死亡!上弦ノ参トノ交戦デ死亡!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──『三百億の男』完




ここまで読んでくださってありがとうございます!

この小説は「原作では語られなかったけどこんな物語があったのかもしれない」という点を意識していて、原作や映画をより楽しめることを目的として執筆したものです。
読了後にお手元の漫画を読み返したりしてもらえると幸いです!

ではまたー!


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