時を越え君に会いに行く (Nattsu_ひよこ豆)
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共に旅立つ友人へ

第一話です。pixivに投稿しているものと同じです。おんなじ名前でやってるので気になったら探してみてください。
捏造、改変、妄想あります。



 濡れた石畳。満月が落ちてきそうな夜。雨が止むと共に現れた少女。

 横たわる少女の純白の髪は泥に汚れ輝きを失っていく。長い髪の隙間から顔が見えた。人形のような顔立ちだ。未だ目は開かないが、胸は上下している。小さな体躯に、整えられた何もかも。確かに少女は先ほどまで大人の庇護下にいたはずだ。

 なぜここに一人で? 一体何があったのか?

 この煙るロンドンの街で、少女を見てそんなことを考える大人は、ここにはいない。誰も彼女を見つけない。助けない。それどころか猫すら通りかからない。

 

 ふいに、伏されていたまつ毛が動く。瞼が開く。

 秘められていた紫の瞳が月を捉えた。

 

 少女が目を覚ます。

 

 

 

 目が覚めると共に、少女はゆっくりと体を起こした。背中や髪がびしょ濡れになっている感覚が嫌に鬱陶しい。手を付くと水が跳ねた。石畳の窪みに溜まった、ほんのわずかな水でさえ、今の彼女の心には驚異である。

 沁みるような寒さを最初に感じた。次に甘い雨跡の匂い。

 少女の意識はだんだんとはっきりしていった。

 視界は目の前の古びた屋敷をかろうじて捉える。不意にアァ……と響く何かの声。

 

 「私の声……?」

 

 ハッとし、口元に手を当てる。ああそうだ、私だ。この手は私の手だ。濡れているのは私の体だ。

 頭が冴えていく。自分の輪郭を捉えていく。

 それと同時に、恐ろしい事実が彼女を襲った。

 

 ここは何処だろう?

 

 頭を殴られたような衝撃に、たまらず少女は立ち上がる。早鐘を打つ心臓が、滑り流れていく血液が、彼女の足を動かした。

 息が荒い。じっとしていられない。

 彼女の足は、目の前の建物へと引き寄せられていく。

 そこにはわずかに灯りが灯っていた。きっと人がいるのだろう。そう信じて彼女は重い体を叱咤し歩く。

 一歩一歩、地を踏みしめるたびに色んなことを思い出した。

 空にある丸は月だ。私の背中を濡らしているのは水だ。顔に付いている不快な物は泥だ。

 鉄柵を開け、中庭を這い、屋敷の戸を叩く。あまりにも力無い音に、彼女は顔を歪め、力を込めて戸をもう一度叩いた。

 一心不乱にドアを叩く。

 叩くたびに、コンと音が響くたびに彼女の目からは涙が溢れた。

 

 __________思い出せない。それだけは。私はどこから来たのだろう。ここはどこなのだろう。分からない。自分の名前すら______。

 

「……助けて……」

 

 その言葉をきっかけに、少女の心の堰は決壊する。

 半狂乱になりながら、少女はもはやドアを殴りつけているような様相だった。

 

「助けて! 助けてくださいっ、誰かっ、お願い! 誰か_________」

 

 その瞬間、ドアが勢いよく開いた。

 少女の体は後ろに倒れていく。反応が遅れたのだ。

 だが、尻もちをついた痛みを少女が自覚することはなかった。

 

「こんな夜更けにどなたです!? 先程から騒がし_________あら、子供……?」

 

 屋敷から出てきたのは、寝巻き姿の女性だった。眉間に皺の寄った顔は、少女を見たことでふっと緩んでいく。

 大人だ。そうだ、大人とはこんな大きいものだった。

 肩が自然に上下する。息を吸うのがやめられない。

 助けてくれるだろうか。追い出されないだろうか。何を言えばいいのか。どうすれば_______。

 混乱の中、女性が少女に手を伸ばした。

 

「どうしたの? こんなところで。びしょびしょじゃないの。悪かったね。怪我は?」

 

 涙のせいでぼやける視界の中、少女は女性の手を取った。

 

「私っ、ああ……。わたし、は……」

 

 少女の目はまた閉じられる。意識を失ったのだ。フッと倒れていく上半身を、女性はすんでのところで受け止める。

 

「ちょっと!? しっかりして。誰か! 誰か来てちょうだい!」

 

 かくして少女はこの屋敷_______ウール孤児院にたどり着いたのだ。

 誰もが見捨てた夜の淵。月だけがそれを知っていた。

 

 

 

 「起きて」

 

 音が頭に染み込んで、それを言葉だと理解する間も無く目が開いた。

 少女が目を覚ましたのは、安っぽいベッドの上だった。廃病院で見るような、鉄でできた簡素なフレーム。しかし少女は久方ぶりのように感じる毛布の暖かさにぼんやりとしていた。

 ベッドの傍にいたのは随分と顔立ちが綺麗な男の子だった。服のみすぼらしさをものともせず、輝くような面立ちだった。

 少女が呆けて彼を見ていると、彼もなにも言わずそこを立ち去った。

 幽霊かしら、あれはあの子の声かしら、などと思っていると入れ替わりに女性が入ってきた。

 

「起きたようね。私はミセス・コール。あなたは? 昨日のことは覚えてる?」

 

 たった二つの質問に、少女は満足に答えられなかった。なにから答えればいいか分からない。少女は必死に言葉を絞り出す。

 

「わ……私、分からない……」

「……ゆっくりでいいのよ」

 

 そう言われて、少女の強張りは少し解けた。

 

「な、名前……分からなくて、怖くて……お、覚えてなくて……。昨日のこと、も、よく分からない……」

 

 ミセス・コールは面食らい、少しの間視線を彷徨わせたが、やがて大きなため息をついた。その様子にも少女は怯える。

 

「ああ……どうすればいいのかしら。本当に? なにも覚えてないの?」

「はい……あの、ここは……?」

「ここはウール孤児院です。本当になにも知らないのね」

 

 それからミセス・コールはこめかみを押さえながら、ぼそぼそと何かを呟き悩んでいる様子だった。少女がかろうじて聞き取れたのは『警察』と『医者』という言葉。どちらの言葉もあまり耳馴染みがない。

 しばらく、少女は壁や床を眺めていた。ゴミはないが古く見窄らしい。寂しげな場所だ。

 ミセス・コールはたっぷり黙って、つぎはぎの毅然とした態度を取り、また口を開いた。

 

「はぁ、この服を着て。あなたが着ていたものは捨ててしまったの。泥汚れも酷かったし。それにしても、ずいぶん上等なものだったわ」

 

 彼女は灰色のチュニックを差し出した。そうして初めて、少女は自分が半裸であることに気がついたが、羞恥心はなかった。もう一杯一杯で、事実を脳の表面で受け止めるのが精一杯なのだ。

 

「警察と、病院に行きます。立てるのなら早く準備をしてちょうだい」

 

 少女はその言葉にただ従った。袖を通したチュニックは少しごわついていた。

 

 

 

 「……なにも分からないなんて!」

 

 警察と医者に行った帰り道。ミセス・コールは憤慨し、少女はその様子に肩を跳ねさせた。

 結論から言えば、全くの無駄足としか言いようがなかった。警察はその珍しい容姿を手がかりに捜査してみる、としか言わなかったし、医者も曖昧で不確定なことしか言わなかった。

 医者が言うには、とりあえず少女は健康で、命に別状はないこと。記憶を失った原因は不明だが何かの拍子に取り戻す可能性があること。発育の状態から十歳未満、七歳程度だと推測できること。伝えられたのはその三つだった。

 それが分かってもなにになるのか。ミセス・コールはそう言いかけたが、少女の手前それはやめておいた。

 何もかもに怯えるような少女に、これ以上なにを言えると言うのだろう?

 暮なずむ道。夕日が未だに強く二人を照りつける。

 

「孤児院に帰ったら……」

「……?」

「名前を、名前をつけてあげましょう。不便ですからね」

 

 こうして少女はウール孤児院預かりとなる。

 燃える夕日。何かを咎めているような、厳しい日の光だった。

 

 

 

 少女改め、ライラ・オルコットが孤児院にやってきて1ヶ月が経った。

 ライラがようやく、自分の名前をつっかえずに言えるようになった頃のことだ。

 少し痩せ、腰まであった純白の髪は耳あたりまで短くなっていた。珍しい髪色だからと、切って売ってしまったのだ。

 彼女はすっかり、孤児院の一員になっていた。

 彼女の生来の性格か、記憶が失われたからか、はたまた環境がそうさせたのか、兎にも角にも原因は分からないが彼女はひどい人見知りだった。お陰で孤児院にはあまり馴染めていないのだ。白い髪、紫の目という珍しい容姿も相まってのことだった。

 そんなライラは、とある一人の少年との出会いを果たす。

 

「あ、あの、トム……。トム・リドル……で合ってるかな。私、ライラ・オルコット。よろ、よろしくね」

「ああ、うん。僕がトム・リドル。合ってるよ。よろしくね、ライラ。同い年かもしれないって、そう聞いてるよ」

 

 ライラがトムと会ったのはこれが初めてではなかった。ウール孤児院に初めて来た時のこと。ベッドの傍らに立っていた顔の綺麗な男の子、それがトムだった。

 ライラはすぐトムに懐いた。何故ならトムはライラが話し終わるのを待っていてくれる。つっかえても辛抱強く聞き直してくれる。言いたいことをちゃんと分かってくれる。

 彼と話す時だけは、ライラはあまりおどおどせずに話すことができた。

 きっと彼は孤児院の誰よりも綺麗で賢いのだろう。ライラはそう思った。だって誰も彼には逆らわないのだ。遠巻きに見て、おずおずとトムの様子を伺うだけの子が多いのだ。

 そんなトムと仲良くしていればライラは安全だった。

 

 ふとある時、ライラはトムといると懐かしい感覚が湧き起こってくることに気がついた。何故だろう、ライラがそう思ってすぐに聞ける相手はトムのみだ。

 

「あのね、トムといるとなんでか懐かしいの」

「へぇ。不思議だな。なんでだろう。失った記憶がそうさせてるのかな」

「そうなのかも。どこかで会ったこと、あるのかな」

「さぁ……。僕は生まれた時からここにいるから、預けられる前ってことはないし……。君に会ったことを忘れる方が珍しいだろう」

「そう……だよね」

 

 ライラの期待はあっさり崩れた。決して信じていたわけではないけれど、万が一、もしかしたら……そんな気持ちがどうしても湧き上がってしまう。

 落ち込む心を振り払って、ふと、トムが言った言葉に注意を向けた。そしてそれをあまり考えず口にしてしまったのは、ライラがトムを信頼している証だろう。

 

「生まれた時から……ってどういう意味? 預けられたんじゃないの?」

「言ったことなかったか。母が僕をここで産んで死んだんだ。ミセス・コールに教えてもらった。夜中に飛び込んできて、しばらくしたら僕が生まれた。死ぬ間際、名前だけを僕に残したんだ」

 

 トムはなんでもないように言っていたが、ライラはそれに大きな衝撃を受けた。本当の父や母が死んでいる、ということを考えもしなかったのだ。

 なんて悲しいことだろう。ライラはそう思った瞬間に、果たして自分はどうだろうか、という疑問が浮かんだ。

 トムのように、自分も親の顔を忘れてしまっている。顔も名前も、居所も知らない父や母が死んでも、死んでいても自分は悲しめるだろうか?

 想像の範囲では悲しかった。でも_______。

 ……悲しくても、悲しくなくても。その時、トムと同じような感情を持てていたらそれでいい。

 ライラはそれだけ考えて、あとは心の奥に仕舞い込んだ。

 

 

 

 トムとライラの仲は、年齢を重ねることにどんどん深まっていった。ただの友達ではない。孤児院にいるからこそ成り立つ、疑似兄妹のような仲の良さだった。少なくとも、ライラはトムを兄妹のように思っていた。

 二人をそこまで結びつけたのは、年齢が同じ(ライラがもしあの時七歳であれば)だからでも、共に孤児院にいたからでもない。

 

 二人だけの『秘密の力』があったからだ。

 

 ライラがその力に初めて気がついたのは、孤児院に来て初めての遠足の時だった。

 ウール孤児院では一年に一度、孤児と職員たち全員で外出する機会を作る。その時は海岸沿いにある草原だった。潮風や波のせいで、草原が途中で断ち切られたようになっている光景は圧巻のものだった。

 若い草と潮風が混じった匂いは、孤児院にはないものだ。

 トムはいつのまにか崖の方へ行っていて、ライラは一人でその景色を満喫していた。

 さあ、帰ろうと子供達が集まり始めた時、誰かが「エイミーとデニス、あとトムがいない」そう言った。

 その瞬間、周りの子供達の顔から表情が抜け落ちたのを、ライラは克明に覚えている。

 結局、三人は海辺の洞窟で遊んでいたらしい。

 ただし『恐ろしい何か』が起こったらしく、エイミーとデニスは少しおかしくなって戻ってきた。

 トムも、少しだけ傷を負っていた。

 

「トム……! どうしたの? 何があったの?」

 

 ライラは慌てて、トムに駆け寄った。他の子や職員たちはエイミーやデニスにかかりきりで、トムを案じたのはライラのみだった。

 トムは首を振るばかりで、何も教えてはくれない。

 

「いえ……言いたくないなら、いいの。きっとそれくらい恐ろしい事だったのね。……トム、手のひらに傷が……」

「……なんて事ないさ」

 

 心配のあまりライラはトムの手を取り、傷を見つめた。手のひらを横断するようにできた切り傷。ライラは自分のことのように心を痛め、そして傷が治りますように、そう祈った。

 そう、祈った(・・・)のだ。

 その瞬間、小さく光が灯った。

 小さく、昼の日の下では掻き消えてしまいそうなほどの淡い光。それはトムの傷を撫で、瞬くうちに治してしまった。ピタリと肉と肉がひっつき合い、流れ出た血がその間を埋め、もはや跡も残らない。

 ライラははじめ、その現象を神の思し召しだと咄嗟に思った。自分のやったことだとは露にも思わなかったのだ。

 彼女はその時の、トムの顔を忘れないだろう。恍惚とした______決して驚愕の念はない、執着の視線。

 

「……ライラも使えたのか……!」

「トム……? 一体なんのこと?」

「その力だ。君が、やったんだ。この傷は君が治した! 僕と一緒だ……!」

 

 にわかには信じがたかった。

 しかし、トムと一緒なら_______半信半疑のまま、ライラはその力を受け入れた。

 その執着は、決して自分には向けられていないと______自分の力に向けられているのだと、ライラは知っていた。

 

 結局のところ、ライラはトムの同胞だったと言って差し支えないだろう。

 その『秘密の力』は二人の絆を強固に結びつけた。

 二人は秘密を解明するべく、密かに研究を重ねた。

 物を浮かす、動物としゃべる、花を咲かす、傷を治す……研究と称した鍛錬を重ねれば、二人ができることがどんどん増えていく。

 孤児院の子達は知らない。大人にも扱えない。二人だけの『秘密の力』。それによってトムと繋がっていることがライラにとっては、この上ない幸福だった。

 普通の兄妹は、血によって繋がっているものだ。ならば私たちは、この『秘密の力』で繋がれた兄妹なのだろう。馬鹿げていると思いながらも、ライラはそれをトムにすら言うことなく、密かに、密かにそう信じていた。

 家族が欲しかったのだ。

 

 そんな二人は、もう少しで十一歳になる。

 十一歳の夏が来る。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 暗い夏。ウール孤児院に1人の男がやってきた。

 男の名は、アルバス・ダンブルドア。

 ダンブルドアは濃い紫のビロードに、派手なカットの背広を着ていた。その摩訶不思議でチグハグな格好に、周りの人は皆視線を浴びせる。しかし、ダンブルドアはその視線に気づかないのか、悠々と歩きウール孤児院への鉄柵を開ける。

 このご時世、孤児を引き取るような酔狂者はいない。ダンブルドアも孤児を迎える気などさらさら無かった。

 彼はウール孤児院の扉を叩く。すぐに若い女性がそれに応じた。彼女は珍しい物好き、噂好きで孤児の中で評判の女性だった。

 そんな彼女もダンブルドアの異様な格好に気付き、すぐさま野次馬根性を引っ込めた。観察するような視線はすぐに警戒心を露わにした眼へと変わる。

 

「こんにちは。アルバス・ダンブルドアと申します。ここの院長ですかな?」

「ああ……。あー、ミセス・コール!!」

 

 彼女が大声で屋内の方へと叫ぶ。かすかにミセス・コールが応える声が聞こえた。

 

「入んな。すぐ来る」

 

 ダンブルドアは怪しまれながらも迎え入れられた。

 やはり孤児院内に汚れやゴミはないが、見窄らしく寂しい様はライラがここに来た時から変わっていない。ダンブルドアも同じような感想を抱いた。

 つかつかと、ああ考えることが多すぎる、といった様子でミセス・コールは現れた。

 そして彼女もダンブルドアの格好に驚いたが、一つ咳払いをして姿勢を正し、何事もなかったかのようにダンブルドアと目を合わせる。

 

「こんにちは。アルバス・ダンブルドアと申します。ここに伺ったのは、手紙にも書いたように、トム・リドルとライラ・オルコットの将来の話をするためです」

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 怪しい男。ミセス・コールがダンブルドアに抱いた第一印象はそれだった。

 こんなご時世、孤児の将来を考える人なんてそれこそ奇跡のようなものだ。少なからずも期待を抱き、いざ会ってみればチグハグな格好に鳶色の長い髭。どうにも纏う空気の匂いが、只者ではないと告げる。そして何よりも、彼のキラキラした瞳は見る者全てを素直にしてしまいそうだった。

 ミセス・コールは、彼が持ってきたトム・リドルとライラ・オルコットの進学の話に、とっくのとうに納得していた。見せられた書類は完璧なものだったからだ。

 その安心感からか、ジンを開けてしまったのは失敗だったかもしれない。

 

「トムは口ではやってないなんて言いましたけどね_________」

 

 ミセス・コールが特に目を付けていたのはトムの方だった。

 ああ、トムも同じだ______この男と一緒だ。纏う空気が違うのだ。まるで別世界のように。

 そして、ある日突然現れた、天使のような女の子も。きっと。

 

「ああ、あと……ライラ。やけにトムとは仲が良くて、よく間をとりなそうとしてくれていました。私と、トムの。きっとあの子、私がトムを怪しんでるって知ってたんでしょうね。自分が怪しまれてることにも気づきながら。いい子ですよ。ええ、ええ……きっと」

 

 ミセス・コールはライラをそう評す。彼女らには心の距離がありながらも、妙に的確だった。

 ミセス・コールは複雑な______トムだけならこんな感情を抱かなかっただろう_______心境の中、ダンブルドアに全て押し付けるように話しきって、ジンも飲み干した。

 情けなくも、あの子たちの事を少なからず恐れている。今、どうしようもなくホッとしている。

 

「さ、ライラとトムのところへ案内いたしますわ」

 

 一歩踏み出したその足が、憑き物が落ちたように妙に軽かったのが癪に触った。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 コンコンと、突然トムの部屋にノックの音が響いた。

 これにはトムですら驚いた。普段、積極的に自分の部屋に入ってくるものなどいないからだ。

 そしてこの部屋にはライラもいた。二人はいつも隠れて『秘密の力』を研究している。みんなが怯えて立ち入らないトムの部屋は好都合だったのだ。

 ライラは浮かしていた(・・・・・・)石を慌てて掴み、窓の外に放り投げた。

 トムが返事をしてドアを開けると、ミセス・コールと見知らぬ男性がそこにいた。地味な職員の服、お揃いの灰色のチュニックを着た孤児達に慣れていたライラは、男性の濃い紫のビロードを見てなんだか久しぶりに色彩というものを思い出した気がした。

 つまりは、ライラはダンブルドアに注目しきりだった。

 

「トム、お客様ですよ。ライラも呼んで_______あら、いたのね。ちょうどよかった。こちら、ダンバートンさん、失礼、ダンダーボアさん。2人に話が……本人からにしましょうか」

 

 ライラはダンブルドアに注目しながらも、やはり人見知りは直らない。ダンブルドアが一歩踏み入るたびに後退り、やがてトムの背中に隠れた。

 トムがベッドに腰掛ければ、隣にピッタリついて出来るだけ自分の身を隠そうとする。ついには俯いて視線を切ってしまった。

 

「こんにちは。トム、ライラ」

 

 ダンブルドアは握手を求めて手を差し出す。トムは躊躇なくその手を取ったが、ライラは指先で少し触れただけで手を引っ込めてしまった。無礼は承知だったが、体がビクつくばかりでいうことを聞かない。

 彼はライラの無礼に意を介さず、小さな木椅子に腰掛けて二人の瞳をじっと見た。そして優しく語りかける。

 

「私はダンブルドア教授だ」

「_______教授(prof.)?」

 

 トムの態度は刺々しいものだった。ライラは怯えきり、トムは警戒心を露わにする。二人の態度は散々だったが、それでもダンブルドアは優しい雰囲気を忘れなかった。

 

「それは、医者という意味ですか? もしそうなら_______大方あの人が診察するように頼んだんでしょうけど、僕もライラも、悪いところは何一つない。僕らは病院なんか行かない!」

 

 ライラは何も言わず、ただダンブルドアとトムの様子を交互に見る。するとダンブルドアの青い瞳とライラの紫の瞳がかち合った。だが、ライラはすぐに目を伏せる。何故だか怖く感じてしまうのだ。

 

「いや、いや……。違ってそういうことではない。私は学校にいる教授だ」

「嘘だ_______真実を言え!」

 

 トムの厳しい口調に、ライラは思わず目を閉じる。ライラは知っていた。トムがこういった命令をすると_______『秘密の力』を使って命令するとみんな言うことを聞いてしまうのだ。トムはもっぱらそれを家事の押し付けに使っていた。便利なのだろうけどライラにとっては恐ろしかった。

 その力を使うのをやめて、なんて言えなかった。

 とかく、これで真実がわかるはずだ。ライラはどこか安堵していた。

 

「……私は教授だ。ホグワーツという学校のね」

 

 トムのショックが空気を通して伝わってくるようだった。

 ライラはどうしていいか分からなかった。今まで、トムの命令を聞かなかった人なんていなかった。本当なのかもしれない。本当にこの人は学校にいる先生なのかもしれない。そんな期待がライラの中に芽生えた。

 

「信じない……。嘘だ! いや______でも、そんな……」

「信じてほしい。私は精神病院から来たのではない。もし君が信じてくれるのなら、ホグワーツという学校について話して聞かせてあげよう。もちろん、嘘などつかない」

 

 しっかり、一言一言をダンブルドアはトムに言い聞かせた。まるで獣を手懐けているようだ。そして最後に彼はライラに、パチリと一つウィンクをしてみせた。興味や期待を見透かされていたのだ。

 なんだか恥ずかしくてたまらない。ライラは顔を赤くした。トムもライラのその様子を見て観念したようだ。

 ダンブルドアは姿勢を直し、またゆっくりと話をし始めた。

 

「ホグワーツは特別な力を持った者のための学校だ」

 

 二人は目を見開いた。心当たりがあるからだ。誰にも話したことはない。二人だけで共有していた『秘密の力』。

 聞き間違えじゃないかと、前のめりになる。

 

「君たちのような、魔法使いに門戸が開かれている。_______ホグワーツ魔法魔術学校。君たちが行く学校の名前だ」

 

 一つでも物音が立てば、全てが瓦解してしまうような、そんな静寂だった。息遣いですら憚られる気がした。

 ライラはトムを見た。トムはダンブルドアを見ていた。嘘をついていないか観察していたのだ。

 そしてライラとトムの目があった。

 トムが頷く。

 

「_______魔法?」

 

 言葉を口にしても、何も崩れやしなかった。変わらなかった。ただただベッドに座っていられた。

 

「そうだとも」

「私たちが______すぐ花を咲かせられるのも、物を浮かせるのも、傷を治すのも……全部? 全部、魔法?」

「もうそんなことまでできるのか! 二人は優秀なようだ」

 

 ダンブルドアは笑ってみせた。トムは咄嗟に言葉が出ないようで、手を組み額に当て、まるで祈るような格好で息をつく。

 

「ああ……知っていた_______特別だって_______知っていたけれど……」

 

 ライラはチラリと隙間からトムの表情を覗き見た。見えてしまったと言う方が正しいかもしれない。

 決して喜びではない。恍惚とした表情。今、トムは何もかもを忘れ確信のようなものをひたすらに味わっている。綺麗な顔が恍惚に染まるのは何故だか恐ろしかった。

 ライラはトムから目を離し、ダンブルドアに向きなおった。この瞬間だけは人見知りを忘れたように、言葉がするすると出ていく。

 

「教授も魔法使いなんですか?」

 

 ダンブルドアは大仰に頷く。

 『秘密の力』が二人だけのものではないことに、ライラは少し寂しさを覚えていた。しかし、仲間がいるというのは嬉しいものだ。

 

「もっと別の魔法もあるんですか? 複雑なものも? 私たちが知ってるのとは別の、高度なものも?」

 

 質問が止まらなかった。いつものライラからは考えられないほどに口数が多い。

 

「もちろんだとも。君たちは今まで学校では教えない、もしくは許されない方法で学んできたが、ホグワーツに行けば正しく、効率良い魔法の使い方を学べるだろう」

 

 その時のライラは、孤児院に来てから一番幸せだと感じていたし、それは傍目から見てもそうだった。トムですら見たことのないような、華やぐ笑み。そこにいたのは年相応の笑顔を浮かべた11歳の少女だった。

 トムはそんなライラの表情から目を離し、囁いた。

 

「証拠を……力を、示して」

 

 ダンブルドアはまた頷き、杖を取り出した。

 視線が杖の先に集中する。ダンブルドアは二人が十分に注目しているのを見て、ゆっくり、視線を誘導するように杖を振った。

 杖を振った先は、トムの部屋にある、洋箪笥だった。 

 箪笥が瞬く間に燃え上がる。

 

「ひどい!」

 

 ライラの叫び声が上がった。トムはダンブルドアに飛びかかる。

 時間にして一瞬のことだった。ダンブルドアはすぐ火を消した。焦付きもなく、箪笥は元からあったように佇んでいる。

 ライラは一瞬、白昼夢でも見たのではないかと思った。箪笥は燃えていたのに、何も変わっていない。部屋が燃えてもない。ただ息が荒くなっていく音がライラの耳につく。

 

「トム」

 

 ハッとして、ライラはダンブルドアを見た。トムは震え、怒りで顔が赤くなっている。

 

「トム、君はいけないことをした。わかってるね?」

 

 ライラはダンブルドアの言うことが一つもわからなかった。

 洋箪笥がいつのまにか、カタカタと揺れている。

 

「君は優秀だ。優秀だが、ホグワーツは盗人を受け入れない。ここと同じように、ホグワーツでも盗みは厳禁だ。『君が持つべきでないもの』がそこにあるようだね」

 

 洋箪笥の揺れは激しさを増していく。ライラは立ち上がって洋箪笥から離れた。何かが住み着いているような揺れだったからだ。

 

「取り出したまえ」

 

 ダンブルドアが命令する。トムは怯えた顔で躊躇った。『秘密の力』______魔法を使っていない、ただの言葉。しかし、有無を言わせぬ圧があった。

 トムはガタガタと揺れる洋箪笥の戸を開け、中から小さな箱を取り出した。真に揺れていたのはその小さな箱だったのだ。トムが手に取ることにより、揺れもおさまっていく。

 箱の中身を、ライラは垣間見た。見覚えのあるものがいくつかある。

 

「箱を開けなさい」

「はい」

 

 生気のない声だった。箱の中身がベッドの上にぶちまけられる。ライラはそれを見てもなお、信じられなかった。

 垣間見た中身。見間違いだと信じていた。

 人から見たらガラクタ同然の、宝物。孤児達の心の支え。それを無くしたと言って泣く子を幾度もライラは見ていた。

 古びたハーモニカ。ヒビの入ったビードロ。缶抜き。トムではない_______他の子達にとって大事なものばかりだ。

 突きつけられた現実に、ライラはクラクラする頭を押さえるので精一杯だった。

 

「謝って、返しなさい。いいね? 君が、ホグワーツに行きたいのならだがね」

「……返します」

「よろしい。そしてホグワーツに来るのなら、私を『先生』や『教授』と呼ぶように」

「はい。先生」

 

 淡々とした声だ。だからこそパニックになっていても頭に響く。ライラは一杯一杯で、もう二人には黙っていてほしい心地だった。

 トムは一つ一つ箱に丁寧に入れ直し、ベッドの上に放置する。洋箪笥にはもう隠さない、と言う意思表示だろう。

 

「あー、先生」

「何かな?」

「魔法使いは、普通、杖を使うものなのですか?」

 

 トムは杖を指差し、そう言った。ライラはついに呆然とし、呆気に取られる。自分にとってはショックでたまらないのに、罪を犯したことを暴かれるなんて自分にとっては酷く耐え難いのに、目の前では無かったことのように会話が続くのだ。

 

「来るべき時が来れば。ホグワーツでは杖を使い、魔法を制御する方法を学ぶ。いいかい、もう一度言うが君たちは学校では教えることのないやり方で魔法を学んできた。その力に溺れるものは多い。ホグワーツではそんな生徒を退学処分にすることは容易いし、魔法省は______我々の世界の政府のようなものだ_______罰を与えることができる。こちらの世界にも法律はある。従わなければいけないのはわかるね?」

「はい。先生」

 

 トムの顔に温度はなかった。先ほどまで怒りに染まっていた表情も抜け落ち、ただダンブルドアの言うことに従っている。

 ライラも返事をしなければならないと思ったが、喉が張り付き声が出なかった。

 

「先生、僕にはお金がありません」

 

 やっとライラの意識が戻ってきた。一旦考えるのはやめて、二人がそうするように、この先の話を聞こうと思ったのだ。

 孤児院にいてお金を貯めれる孤児など少ない。貯められても少額だ。

 

「その点は心配ない。二人には特別な援助が出るだろう。そう言った資金があるが、無限ではない。いくつかの教科書を古本で済ます必要があるだろう_____」

 

 そう言いながら、ダンブルドアは二つの巾着袋を取り出し、それぞれ二人に与えた。ずっしりと重い袋。鼻につく皮の香り。開けてみれば、ギラギラと光る分厚い金貨がこれでもかと入っていた。

 ライラの手から二の腕にかけてゾッと鳥肌が立ち、袋を取り落としそうになる。

 一方トムは未だ無感情だった。

 

「どこで買えるんですか?」

「ダイアゴン横丁で」

 

 聞いたことのない場所だった。

 

「私が付き添うことになっている。ここに必要なもののリストがあるから、探すのを手伝おう」

 

 リストには全く不思議な言葉ばかり並んでいる。それに聞いたことのない地名。魔法の息づく世界。不安だったライラの心は少し緩みを見せた。

 

「いえ、僕は______僕たちには付き添いは要りません。二人で行きます」

 

 そのトムの言葉にライラはまた驚愕した。しかし依然、緊張しきりで声が出ない。

 

「いつもロンドンを歩いているし、場所さえ教えてくれれば。そのダイアゴン横丁とやらはどこ________にあるんです? 先生」

 

 忘れていた、と言う風につけられた敬称。しかしダンブルドアが怒る様子は見せない。

 トムも異様だが、ダンブルドアも異様だ。ライラは知っていた。孤児が少しでも失敗すれば烈火の如く怒る大人がほとんどなのを。しかし彼は全く喋らないライラにも、冷たい態度のトムにも怒ることがない。怒鳴ることもない。

 しかもトムが付き添いを断ったことに、反論を唱えなかった。

 ダンブルドアがますます不思議に思えてくる。

 ライラがダンブルドアを眺めていると、また目があった。今度は目を逸らせなかった。

 

「ライラ。君は大丈夫かね」

「ぁ______は、はい。トムが、そう言うなら……」

 

 口も喉も乾きっぱなしで、掠れた声が出た。もう人見知りが戻ってきたようだ。そう答えるだけで声が震えた。

 

「そうか。場所を教えよう。よく聞くように」

 

 ダンブルドアは魔法界への入り口として『漏れ鍋』というパブの場所を二人にはっきり教えた。そして先ほど見せた教材のリストが入った封筒も、二人それぞれに与える。

 

「マグルには_____魔法を使えない者のことだ_____見えないだろうが、君たちには見えるはず。店に入ったら、バーテンのトムを訪ねなさい。案内してくれるだろう。図らずも、君と同じ名だ。覚えやすいだろう」

 

 ダンブルドアは意外だっただろうが、ライラはその言葉にトムは嫌がるだろうと分かっていた。

 トムは『特別』が好きで『平凡』が大嫌いなのだ。

 

「おや、『トム』という名前が嫌いかな?」

「平凡だ」

 

 簡潔でこれ以上ない答えだった。

 ふと、トムが顔を上げて堪えきれなかったというふうに呟いた。

 

「僕の父は魔法使いでしたか? みんなが教えてくれた。僕と同じ名の父は______」

 

 久々にトムの顔に表情が戻ってきたようだった。少し懇願するような表情でダンブルドアを見ている。ライラはそれをただ見ていた。

 

「すまないが私にはわからない」

 

 ダンブルドアは優しい声でそう告げた。

 トムは俯き、また呟いた。

 

「……母さんは魔法使いのはずがない。使えたなら……こんなにあっけなく死ななかっただろう」

 

 トムは自分に言い聞かせているのだ。ライラの気持ちはますます沈んでいく。

 『私の父、もしくは母……ファーストネームどころかファミリーネームすらわかりませんが______ご存知ありませんか?』

 そんなことを聞くなんて馬鹿げていると知っているからだ。

 

「父さんの方だ。絶対に。それで、必要なものを揃えたら、いつホグワーツに行けばいいんですか?」

「封筒の中の羊皮紙。二枚目に細かいことは書いている。九月一日。キングズクロス駅にて汽車が出発する手筈になっている。チケットもその中だ」

 

 トムは頷いたが、ライラはダンブルドアの話を聞くので精一杯だった。

 伝えることはこれで全てのようだ。ダンブルドアは立ち上がり、また手を差し出す。

 トムはそれを握り返し、最後にまた尋ねた。

 

「僕は蛇と喋ることができる。向こうが話しかけてきたんだ______。魔法使いにとってこれは普通なの?」

 

 トムはきっと答えをもう知っていただろう。ライラにそれができないのを知っていたはずだからだ。

 一瞬、ダンブルドアは躊躇した。

 

「……稀ではある」

 

 その時、ライラには分かった。そこに教師ではない______ただの大人の、ダンブルドアがいることを。生徒に対する態度ではない、興味と警戒を含ませた表情をしたことを。

 二人の目が合う。束の間の静寂の後、握手が解かれる。 

 次はライラの番だった。

 

「ライラ、何か質問あるかな?」

 

 手を握りながら、ダンブルドアはそう聞いた。もちろん、いくらかあったが、それを言葉にまとめられる気がしなかった。それに、握手という行為が恐ろしくて仕方がなかった。

 

「い、いえ……」

「そうか。では______またホグワーツで会おう」

 

 手は離れ、ダンブルドアは部屋を出て行く。ライラは何故だかその背中を追いたくなったが、グッと堪える。

 嵐のように、何もかもが変わって世界がひっくり返った気がしたのに、ダンブルドアが来る前の部屋と出て行った後の部屋はなんら変わりがない。

 また静寂が訪れる。静かな空気が身に刺さる気がして仕方がなかった。

 逃げたかった。

 

「トム、あの……私、部屋に戻る……。また、明日ね」

 

 あの小さな箱を見るのが嫌でたまらない。だからライラは走ってトムの部屋を出た。そして自室に滑り込む。

 もう少ししたら夕飯だ。貴重なご飯なのに、喉を通る気がしない。

 食べるために。明日も今日と同じく平和でいられるように。明日も、トムと過ごせるように。

 少しずつ、ライラは心に蓋をしていく。失望、猜疑心、安堵、不安……。いろんなものが渦巻いている。

 いいことがあった。でも良いことばかりじゃなかった。そうだ。今日はそんな一日だ。なんだ、普通じゃないか。

 そうしてライラは、トムに対する疑いに蓋をした。

 分かっている。友情を失いたくないだけだと。兄妹だとと思っていた人に失望したくないだけだと________。

 でも、それでも。どうか白昼夢ではありませんように。

 残ったのはそれだけだった。

 

 

 

 その日の夜。ライラは夢を見た。

 

『やっと気づいたね』

 

 しゃがれた声の見も知らぬ人がそう告げるだけの夢だった。

 あと三日も経てば忘れるような、そんな夢だった。

 




拙いですが楽しんでくれたらと思います。

2021.04.18
全編書き直しのため、修正更新いたしました。
大筋は変わっておらず、展開も話の切れ目もそのままです。
読んでくださった方々ありがとうございました。また楽しんでいただけたらと思います。


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杖に初めましてと告げる

2話目。ダイアゴン横丁へ行きます。


 

 

 随分、暑い夏が続いた。

 ダンブルドアが孤児院にやってきて一週間ほどが経った。その間、ライラはトムと会話することが減っていた。お互い示し合わせたように顔を合わせなかったのだ。ライラがトムと何を喋ればいいか分からない、と悩むと自然と今トムがいる場所が思い浮かんだ。これも『魔法』の力のなせる技なのだろう。ライラはもう知っていた。

 しかしある日、トムが突然ライラの部屋に入ってきた。

 すわ何かの悪戯か、とライラは身構えたのを後にトムに笑われることになる。トムは滅多にライラ含め他の子の部屋に入らなかったのだ。

 

「明日、学用品を買いに行くぞ」

「……あ、トム……」

「ライラ、お前は一人で行きたいのか?」

「う、ううん! 一緒に行こう。明日ね。じゃあミセス・コールに言いに行かないと」

 

 きっと、トムは盗んだものを全て謝って返したのだろう。ライラはそのことを終ぞ口に出すことはなかったが、そう信じた。

 これでトムも改めるだろうと信じ切っていた。

 

 

 

 八月に入り、ライラとトムは本格的にホグワーツへ行く準備を始めることになった。とはいえミセス・コールは魔法のことを何も知らない。秘密にしながら全て二人だけで揃えなければいけないのだ。 

 ミセス・コールは付き添いをする、とかなり粘ったが二人は大丈夫だと言い張り、強引にロンドンの街へと出てきていた。盗まれないように二人は金貨の入った革袋を懐に隠し、早足で進む。灰色のチュニックを孤児院の外でも着るわけには行かず、二人はお揃いの重たい茶色の半ズボンを履いて、ライラはキャスケット帽を被っていた。孤児院の職員の子供のお下がりだった。

 ロンドンの外れから外れへと。時には薄暗い路地を通り、時には衆目に晒されながら。ダンブルドアに教えられた場所辺りまで行くと、帽子を被ってなお見えるライラの珍しい容姿をしげしげと眺める人も少なくなった。

 ダンブルドアから教えられた、おんぼろパブ『漏れ鍋』。見つけるのは至難の業なのだ。

 

「他の人からは隠されてるって言ったって、私たちには普通のお店に見えるもんね。どこかな……あれは?」

「よく見ろ。店名が違うじゃないか」

「ねぇ、やっぱりあの人に……」

「僕たち二人で十分だ。二度と言わせないでくれ」

「……そうだね。あの人、少し怖かったから……」

 

 目も合わせないトム。あの人______ダンブルドアをよっぽど敵視しているのだと、ライラは少し残念に思った。でも怖いと思ったのも事実だ。箪笥が燃え上がった瞬間の、死を覚悟した感情は忘れ得ない。それに、僕たち二人で、という言葉にライラは少し嬉しくなっていた。

 あれでもない、これでもないとフラフラしているとしばらくして、二人は『漏れ鍋』の前へと辿り着いた。

 確かにオンボロパブだ。第一印象はそれだった。

 何度か店名を確認して、やっとライラは胸を撫で下ろす。無事、魔法界への入り口に着いたのだ。

 

「えっと、バーテンのトムさんに_____そんな顔しないで_____頼れば大丈夫なんだよね」

 

 トムはムッとしたまま、黙って先に漏れ鍋へと入っていく。ライラはそれを追いかけて慌ててドアを開いた。

 すると鼻にまとわりついてくるのは、爛れた大人の匂い______酒の匂いだ。壁にも椅子にも、グラスにだって酒気が帯びていそうなほどの濃いお酒の匂い。

 初めてパブに入ったライラにとっては新鮮だが、不快な匂いだった。外見に反して中は崩れそうなほどオンボロなところはなく、むしろポスターやステッカーが貼られていて賑やかな様子だ。

 やはり入り口らしく、人はそれなりにいる。いつもの通りライラは人見知りを発揮して、トムに追いついた途端に彼の影に隠れた。

 学校にも行くのだから、こんな性格は直したい。そう思ってもままならない自分の至らなさにライラは自省するが、それでも今、トムの影から飛び出す勇気はなかった。

 

「こんにちは」

 

 トムが騒がしいパブの中でも聞こえるように、カウンターにいたバーテンにはっきり挨拶をする。対してライラはトムの後ろに隠れたままのため、タイミングを失ってゴニョゴニョと何か唱えただけだった。

 バーテンのトムは二人を見てすぐ察したようで、子供受けする笑顔を浮かべる。

 

「こんにちは。お二人さん、ホグワーツかね」

「はい。バーテンのトムさんを尋ねろと言われました」

「おやおや付き添いは……親御さんや先生は?」

「いえ、僕ら二人だけです」

 

 バーテンのトムの言葉にライラはぎくりとしたが、トムはケロッとしている。その様子にバーテンのトムも何かを思ったのか、それ以上追求はしなかった。

 

「そうかい。ならついておいで。こっちに『ダイアゴン横丁』への入り口がある」

 

 そう言ってカウンターから出ていく彼を、二人は追いかけた。行く先はパブの裏だ。

 彼に追いつくとただのレンガの壁がそこにあるだけで、入り口らしいものは何もない。二人は思わず辺りを見回すが、ここは湿っぽいパブの裏であることに変わりはなかった。

 いつのまにか彼は杖を取り出していた。彼は舌を鳴らし、二人に注目を促す。

 レンガの壁を、彼は特徴的なリズムで叩く。カツカツ、カツ……。

 ふと、端の方のレンガが動いた気がした。ライラが意識を逸らした瞬間、前方からガタンと音がする。

 _________レンガが飛び出している。いや、動いている!

 複雑なパズルが解けるかのように、レンガは回転し、移動し、やがて明るい石畳が姿を表した。その先にある人のざわめきも、波のように二人の耳に届く。

 ライラは初めて、人が笑っているのを見た気がした。人はこんなにも楽しそうに笑うのだと、思い出せた気がした。

 

「ようこそ。ダイアゴン横丁へ」

 

 魔法で建てられたため、奇妙に歪んでいる店の数々。見たことのない商品。聴き慣れない音。華やかで、賑やかで、明るい________。

 二人は知らず知らず、一歩二歩、前に出ていた。恐れはなかった。二人にとってそこは、あまりに魅力的すぎた!

 

「それじゃあ、まずは『マダム・マルキンの洋裁店』に行って制服を買ってしまいなさい。『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』には教科書がある。そして何と言っても杖は、『オリバンダーの店』だ! 行ってらっしゃい。ホグワーツ入学おめでとう!」

 

 そう言ってバーテンのトムは二人を送り出した。二人もお礼を言って、横丁を歩み出す。彼に言われた通り、最初に目指すのは『マダム・マルキンの洋裁店』だ。

 

「良い人だったね」

「ああ……ライラ、逸れるなよ」

 

 もちろん、ホグワーツに入学するのは二人だけではない。学用品を買いに来る生徒は沢山いる。人混みに潰されそうになりながら二人はかき分けかき分け、近くて遠い看板を目指して歩き続けた。

 

「人が……こんなに……」

「ライラ! しっかりしてくれ。こんなのでへばってどうする」

 

 こんなにも人が多いのをライラは初めて経験したため、視界が次第にクラクラしていく。トムを見失いそうになった時、突然手が差し出された。

 思わずライラは立ち止まり、その手をぼんやり見ていた。

 

「僕の手をまじまじ見てどうする。早く行こう」

「あ……うん。ごめんね」

 

 ライラとトムは手を繋ぎ、また忙しない人混みをかき分け始めた。ゆっくりとだが、店頭は確かに近づいている。

 トムに引っ張られながら、人にぶつかりながら、ただお金の入った皮袋だけは握りしめて、二人はようやく『マダム・マルキンの洋裁店』に着いた。

 当然、店内もとんでもなく混雑している。むしろスペースが限られているため外より密度は相当高い。二人はぎゅっと手を握り直してまるで潜るかのように店内に飛び込んだ。

 ライラが後ろ手にドアを閉めた瞬間、巻尺が勢いよく宙を舞い、ガラス戸にぶつかった。何も、誰かが投げたわけじゃない。魔法がかかっているのだ。店内を見渡すと、巻尺やチャコペンシル、針、注文表などがふわふわと宙に浮いている。至る所で飛ぶ巻尺による採寸が行われ、新しいローブを着た歓声が上がる。

 実に賑やかで、摩訶不思議な洋裁店だ。

 

「ほら、そこのお嬢ちゃんにお坊ちゃん! 次だよ早くおいで」

 

 二人の採寸の順番がやってきた。当然だが一緒に採寸をするわけにはいかない。ライラはトムの手が離れることに幾ばくか不安を覚えたが、まるで赤ん坊みたいだと気づいて自分が恥ずかしくてたまらなかった。

 姿見の前に下着姿で立ちながら、何だか気恥ずかしくなって俯いてしまう。お陰で店員に前を向けと何度も注意されてしまった。

 

「お嬢ちゃんもホグワーツよね? あら……細いわねぇ……」

 

 ライラは苦笑いするばかりで何も言わなかった。食べていないわけではないが、全体的に量が足りないのだ。孤児院の子はみんなそんな様子だ。

 素早い採寸が終わると、二人は制服を持たされあっという間に店外へ放り出されてしまった。客がずっと入れ替わり立ち替わりと言った風に、ドアベルが絶えず鳴っている。二人は制服を抱えていそいそと次のお店を目指した。

 

 バーテンのトムに勧められたように、教科書は『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』の古本で一通り揃える。二人ともそれに不満を覚えることはない。安く済むならそっちの方が断然良いのだ。

 次は大鍋を、ドラゴンの革手袋を、望遠鏡を……と言った風に横丁をあっちへこっちへと歩き回っていた途中、二人はある一軒の店の前で立ち止まった。

 『イーロップふくろう百貨店』。ホグワーツはペットの持ち込みが許可されていることを、二人は持ち物リストによって知っていた。しかし、ペットは飼わないと_______否、飼えないと二人は結論づけたのだ。そもそもフクロウやネコ自体の値段が高い上に、日々の餌代も高くつく。援助金でやりくりするにはペットを飼うなど言語道断だった。

 しかし二人はペットなんかいらない、と思っているわけじゃない。

 ライラは、茶色や黒や白のふわふわとしたふくろうたちが大きな鳥籠の中にいて、それを子供が大切そうに抱えている光景をじっと見てしまった。父親や母親に頭を撫でられ、嬉しそうに笑っている。ありがとうや、大事にしろよなんて当たり前の会話が耳に届く。

 

「ライラ、次の店は?」

 

 ぼんやりと、それに魅入られ始めていたライラの耳に、やけに鋭いトムの声が届いた。

 

「えっ……『オリバンダーの店』だけど」

「そうだろう。ここに用はない。立ち止まるな。それともまだ僕が引っ張ってやらないといけないのか?」

 

 トムはライラの方を見なかった。

 

「ううん。ごめん。行こっか」

 

 二人はその場を立ち去った。

 最後の店は杖専門店『オリバンダーの店』だ。他の店よりも少し奥の方にあり、進んでいくと人混みがマシになっていく。それもそのはずで、魔法使いは基本杖を何本も持たない。つまりはここに来るものは殆どがホグワーツの新入生なのだ。

 

「ここが杖のお店?」

 

 てっきり他の書店や洋裁店と同じように賑やかで明るい店舗だと思い込んでいたライラは、少し怖気付いた。『オリバンダーの店』は少し薄暗く、窓から中の様子があまり見えない。それに人が殺到する様子もない。

 二人はしばらく店の向かい側で、様子を観察することにした。

 

「本当にこれが『オリバンダーの店』? なんだか……そう見えない」

「店名はあってるはずだ。けれど……」

 

 時々窓ガラスが震える様子を見て、ますます足が遠のく。でも、確かに同じ年の子供たちが入れ替わり立ち替わりといった様子で入っていく。

 

「ライラ、入ってみよう。ダメだったらすぐに出れば良い」

「う、うん……」

 

 人が出て行った瞬間を狙って、二人は『オリバンダーの店』へと滑り込んだ。

 ベルが控えめに音を立てる。

 カウンターには老人が一人。それと壁には細長い箱がぎっしり積まれている。よく見ると一つ一つにラベルが貼っているし、そこに製品名も書かれているのだ。ライラは店の中を見渡し、そこに必要ないものは何一つないことに気がついた。全て商品であり、ゴミではない。それなのにこのお店にはこれだけの物がある。窓から中の様子があまり伺えないのも当然だと思えた。

 

「いらっしゃい」

 

 夢中で店を眺めていたライラは、店主のオリバンダー老人の声でまたトムの背中に張り付いた。

 

「こんにちは。ここは杖のお店であってますか?」

「もちろんだとも。ここは杖専門店。あなた()選ぶ杖を見つける手助けをする店じゃ。では早速……お名前を伺ってもよろしいですかな?」

 

 オリバンダーは微笑み、二人に手を差し出す。その骨張った手を二人は順に握った。

 

「トム・リドル。はじめまして」

「……ラ、ライラ・オルコットです。よ、よろしくお願いします……」

 

 オリバンダーは鷹揚に頷き、にこにこと笑みを深める。ライラは外見から勝手に、職人気質の厳しい人を想像していたため、少し拍子抜けだった。

 

「さぁ……リドルさんから杖を選びましょうかな……。リドルさんはここに立って。オルコットさんは少し下がって」

 

 トムは素直に指示に従い、背筋を伸ばしてそこに立った。着てるものがもっと上等であれば良い家の坊ちゃんに見えただろう。対してライラは店の隅の隅へと引っ込んだ。

 すると『マダム・マルキンの洋裁店』で見たような浮かぶ巻尺がどこからか現れた。トムは驚いたがオリバンダーは何も言わない。

 

「杖腕……利き腕はどちらかな?」

「右です」

「よし……」

 

 巻尺は勝手にトムのあちこちを測っている。首の太さを測った時はトムといえど流石にぎくりとした。

 巻尺はやがてオリバンダー老人の手に収まり、トムは一旦自由の身になる。そこを狙ってトムが質問した。

 

「あの、杖が僕らを選ぶとはどういうことですか?」

「良い質問だ。杖作りの間では当然のことなのだが、杖は意思を持っている。忠誠心が強い杖もあれば、気まぐれを起こす杖もある。それは意思がなければ成せないことだろう。杖は道具だが、生涯のパートナーでもあるのだよ」

 

 そう言ってオリバンダーは店の奥へ引っ込んだ。なんとなく分かるような、分からないようなそんな答えにトムは釈然としていなかった。

 オリバンダー老人が箱をいくつか手にして店の奥からまた現れた。

 

「さぁ、試してご覧なさい。ハシバミ、ユニコーンの毛、24センチ……非常にしなる……」

 

 箱から取り出された細い杖を、トムは躊躇せず握った。

 

「振ってみて」

 

 手首を捻り、トムが杖を振ったその瞬間。後方の窓ガラスが悲鳴をあげ、割れた。

 ライラは悲鳴をあげる暇もないまま頭を抱えしゃがみ込む。

 

「おやおや。いかん」

 

 恐る恐るライラが目を開くと、窓ガラスの破片のかけらすら見当たらない。ガラスは元通りになっているし、トムは杖を取り上げられていた。

 そして何事もなかったかのように次の杖を試す。

 

「次は、ナシの木、ドラゴンの心臓の琴線、34センチ、曲がらない……」

 

 この杖はトムが触れるなりオリバンダーが取り上げてしまった。

 トムは一体何が何だか分からないまま、だんだん不機嫌になっていく。ライラはトムの様子と次に何が起こるか分からない恐怖でハラハラしっぱなしだった。

 

「うむ、次はこれでどうだろう。イチイの木、不死鳥の尾羽__________」

 

 オリバンダーがその杖を差し出した途端、トムは身を乗り出し、杖を奪い取った。弾かれたかのような動きだった。オリバンダーはもちろん、トムも自らの行動に驚いている。

 トムには予感があったようだ。何を言われずとも、杖をもう一度握り直し、そして振った。

 その途端、店内に緑の火花が溢れた。パチパチと煌めき、火花はぐるりと辺りを駆け回る。火花はライラの鼻先を掠め、最後にトムの周りをクルクルと回ってパンと弾けて消えてしまった。

 ライラはトムを見ていた。また、同じ顔をしていると思った。恍惚とし、全能感に支配されているようなそんな表情。ゾッとするほど美しい、そんな顔を。

 

「おお……素晴らしい! イチイの木の杖は平凡な者を嫌う傾向にある。リドルさん、あなたは偉大な魔法使いになるだろう! ああ、良いものを見せてもらった」

 

 トムは満足そうにして代金を置き、ライラと立ち位置を交代した。

 ライラはビクビクしながらオリバンダーの前に立つ。俯いて、服の裾を握りしめていた。

 

「オルコットさんだね? 杖腕は? うむ、右……」

 

 巻尺に巻かれているライラを放ってオリバンダーはまた店の前に引っ込んだ。やがて巻尺もライラを放って店の奥へ飛んで行ってしまう。

 やがてオリバンダーは頭に埃をくっつけながら戻ってきた。

 

「これはどうかな。ナナカマド、ドラゴンの心臓の琴線、23センチ、少ししなる……」

 

 ライラはそれを恐る恐る受け取って、少し撫ぜた。鈍く光る茶色の棒切れ。ただそれだけなのに、あんなにも摩訶不思議な力を行使するのが信じられない。好奇心半分、疑い半分でライラはその杖を振った。

 その瞬間、ドン! と大きな音が響く。何かが崩れたか、とライラは身構えたが、何も崩れてはいない。

 

「おや、悪戯かね。珍しい……ダメなようじゃな。次」

 

 言われずとも、とばかりにライラは杖を返した。ノミのような心臓がはちきれんばかりに鼓動している。なんとか落ち着こうと、グチャッと思考がまとまらない頭を回転させた。しかもトムがライラのその様子をくすくす笑ってるため、恥ずかしくて仕方がない。

 赤面するのを感じていると、オリバンダーがまた杖を持ってくる。

 

「これはどうかね? サンザシの木、ユニコーンの毛、25センチ、曲がりやすい……」

 

 その杖を見た瞬間、高鳴っていた鼓動が少しずつ落ち着いていく気がした。

 恐れはなく、自然とその杖を手に取る。どこか暖かい気がして、つい握りしめてしまった。まるで新しい友達ができたみたいだ。不思議な浮遊感に心を包まれる。

 この杖だ、という根拠のない確信を抱き、勢いよく杖を振った。

 

「わぁ……!」

 

 ライラの杖から飛び出したのは、赤と緑の光のリボンだった。天の川のように二つの光は混じり合い、トムやオリバンダー、店内にある箱の数々に光を落としながら駆け巡る。

 やがて光はライラの胸の中へと溶けていった。

 光が溶けていった部分に手を当て、ライラはしばらくそのままでいた。初めて、初めて杖を使った、と興奮する心が抑えられなかった。

 やっと、この世界は自分の夢幻ではないとライラは思えた。そして店の中を見渡す。積み上がる杖たち。まだ人の手に触れたことのない杖があるのがライラには信じられなかったが、それが余計に歴史というものを感じさせた。自分が歳を重ねたように、ここにも歴史があって、ちゃんと生きた人がいたのだとやっと実感できたのだ。

 そして今、何の因果が導いてくれたのか、杖は今自分の手の中にある。

 その事実が、とてつもない幸福だとライラは思えた。

 オリバンダーは静かに口を開く。それに気づいたライラはその言葉に耳を傾けた。  

 

「______サンザシの木の杖は、矛盾を孕んでいると言われておる。呪いに長けているはずなのに、治癒も得意である……そして、持ち主自身も混乱と矛盾を抱えたものだと……」

 

 その言葉にライラは少し怖気付く。しかし杖を手放そうとは微塵も考えない。 

 ただの迷信とは思えない、予言めいたオリバンダーの言葉にライラは決意した。何があろうともこの杖と人生を歩むという決意だ。

 オリバンダー老は励ますように、また一つ付け加える。

 

「全ては君次第、ということだ。大丈夫。杖があなたを導いてくれるだろう」

 

 ライラは代金を置き、お礼を言って二人で店を出る。オリバンダーは満足そうに笑って二人を見送った。

 二人は人混みの中、たっぷり黙ったのち、耐えきれなかったかのように歓声を上げた。

 

「すごい! ねぇ私たち、魔法使いだったんだよ! 本当に! 魔法を使ったんだ! トム、君の魔法、すごく綺麗だ!」

「ああ、ああ! 僕らは魔法を使ったんだ。なんだ、ライラ、君まだ手が震えてるじゃないか!」

「だってすごく興奮したんだもの! あんなに、あんなに綺麗な……」

 

 一通り叫ぶと、また沈黙が訪れた。二人とも肩で息をしている。生きてきた中で一番、と言えるくらい神秘的な体験だったのだ。

 

「なぁ、ライラ。聞いたか? 僕は偉大になるらしい……」

 

 トムは杖を掲げ、力を得たり、というふうにその顔は輝いていた。

 

「ただの迷信じゃない______ライラもそう思っただろ?」

「うん。じゃあ、私はトムが偉大になるところを見届けなきゃ。良いでしょ?」

「そうでないと困る」

 

 そう言って二人は笑った。自身を選んだ杖の謂れにライラは少し怖気付いていたが、トムがいるならそれで良いと思えた。偉大になる道には、きっと混乱なんて当たり前にあるのだろう。

 

「これくらい難ありじゃなきゃ、君と釣り合いが取れないや。選ばれて、本当に良かった」

「はは、変な理屈だ。じゃあ、帰ろうか」

「うん。今日はいい日だった。本当に」

 

 大荷物を抱えながら、二人は順調に漏れ鍋へと戻る。もう夕暮れだった。

 

「帰ったら予習をするからな」

「ええ……分かるかなぁ……」

 

「僕らにはハンデがあるんだ。孤児でお金はないし、教科書はほぼ古本。でも僕ならやってみせる。馬鹿になんてさせてやらない。君は?」

 

「……一緒に勉強させてね?」

「当然だ。バカと会話する気はない」

 

 その言葉にライラは微笑んだ。

 

「トムって物言いがあんまり素直じゃないよね」

「だからなんだ!」

「ううん。嬉しいの。とっても。それより、大鍋重いよね……床抜けないかな……」

「抜けたら大目玉だ」

 

 レンガの壁を越え、二人がマグルの世界へと戻る時。最後に、とライラは杖を取り出した。この先では隠さなければならないのだ。

 まるでロザリオを額に当てるかのように、ライラは杖に額を擦り付ける。小声で呪文を唱えるかのように、ライラは言った。

 

「私を選んでくれてありがとう」

 

 杖をしまった瞬間、トムは振り向きライラを見たが、彼女は笑うだけだった。

 九月一日まであと三週間あまり。二人の旅が始まるまで、あと少し_______。

 

 

 






2021.04.22
全編書き直しのため、修正更新いたしました。大筋は一緒でエピソードを追加しています。場面の前後があります。展開、話の切れ目は一緒です。
読んでくださったかた、ありがとうございました。


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友人となりうる者か

とうとう魔法界へ突入します。


 

 「ええと……ベリタセラム(真実薬)

「正解。次、初代『魔法大臣』は?」

「ウリック・ガンプ。1707年〜1718年。……ねぇ、本当にこれが役に立つのかな? だってどんな授業があるのかまだよく分かってないのに」

「やらないよりマシだ」

 

 二人で一つのオイルランプ。乏しい灯りを分け合い、訳も分からずただ教科書を捲った。

 ここ最近ライラとトムは夜な夜な二人で集まり、こっそり勉強をする日々を送っていた。昼間は職員の手伝いとして家事をする必要があったし、何より他の子供たちに教科書を取られたくなかったのだ。

 ただでさえ、二人だけ遠くの学校に行けると聞きつけた子供たちは妬ましそうにこちらを見てくるというのに。

 

「なんでも良い、知識を増やすことでハッタリが効くかもしれない。勉強は可能性や選択肢を増やす手段だ」

「_______マグル出身者は、あまりいい顔をされてないみたいだしね」

 

 二人は歴代『魔法大臣』の年表を見ていた。そのほぼ全てが生まれた時から魔法界にいる人物。マグルの中に突如現れた、ライラ達のような生い立ちの魔法使いはほぼいない。それどころか、年表に合わせて血縁関係まで書き込んでいる。大きな権力を持っている家があることは、容易に読み取れた。

 そしてマグルの世界との断絶。魔法界は様々な手段で秘匿され、その姿を明かすことを厭う。歴史の面から見てもそれは顕著だ。そして二つの世界を行き来するマグル出身者の魔法使いは、それに綻びを生むものとして厄介に思われている節がある。

 それが二人の結論だった。

 

「……このブラックって家。歴史上に何度も出てくる。しかも、魔法大臣の血縁がほとんど! いや……魔法大臣がブラック家の血縁関係にあることが多い……? 旧い名家なんだね。」

「そういう家は考えが凝り固まってそうだ。警戒しとこう。僕らが孤児であることを逆手にとって、血縁を誤魔化すんだ。……もし彼らが、血を重んじる者ならば」

「誤魔化されてくれるかな?」

「それこそ人によるだろう」

 

 できる限りの準備と、覚悟。二人はこの1ヶ月足らずでどんなことも吸収し頭に詰め込もうとしていた。

 決して苦行ではない。二人にとって、分からない単語一つ一つが宝箱のようなものだった。何か一つ知るたびに、あのダイアゴン横丁で垣間見たものと知識が繋がるたびに、未知の世界への期待が煽られていく。

 

「ブラック家……もう、たくさんいて覚えられない!」

「声が大きい! 夜中だぞ。それにミセス・コールに知られたら……」

「ごめんね。でももう勘弁……」

 

 ライラが音を上げた。立ち上がり教科書をあらかた隠してベッドに入る。杖はすぐ取り出せる場所に隠す。

 

「ねぇ、トムも寝たら? 体壊しちゃうよ」

「……わかった。灯りは消していく。また明日、同じ時間に」

 

 そう言ってトムも『魔法薬学』の教科書を閉じた。灯りが消え、ようやく二人にも夜の帳が下りる。トムは物音を立てないようにライラの部屋の扉を開いた。

 

「……知ってるんだから。この後すぐ寝ないことくらい」

「ふん。僕に置いていかれても知らないからな」

「トムこそ風邪ひいたって知らないからね。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 

 そう言ってトムは暗い廊下に溶け込んだ。ライラが耳を澄ますと、微かに布が擦れる音と床が軋むのが聞こえたが、やがてそれも無くなった。だが目を瞑れば未だにページを捲る音が聞こえる気がする。

 それを振り切るように、月光の下、ライラは指折り数えた。

 

「あと三日……」

 

 ぽつりと呟いた言葉は、そのまま空気に溶けて自分の中に染みるような気がした。少しだけ逸る心臓にくすぐったくなりながら、ライラも眠りについた。

 

 

 

 「早く起きろ!」

「うっ……え、今何時!?」

「モタモタしてる暇はないぞさっさと動け!」

 

 三日後。九月一日の朝。ライラはトムの声で飛び起きた。おそらく魔法が関係しているが、トムに起こされるとすぐに目覚められるためライラは密かにそれに頼っていたりする。

 今日はついに、ホグワーツに行く日だ。

 そう思うとライラは飛び跳ねるような心地だった。しかし時間を見るとそうも言ってられない。

 昨晩、やっぱりライラは不安になってベッドに入ってからも教科書に目を通したし、トムも当然そうしていた。トムだって本を握り締めながら飛び起きたのだ。

 

「早くしろ!」

「わかったから小突かないで……!」

 

 荷物を抱え、慌ただしく階下に降りていく。本来なら職員や子どもたちに挨拶をする予定だったが、見送りだけになってしまった。

 

「しっかり……学んでくるのですよ」

 

 ミセス・コールが言ったのはそれだけだった。二人もただ頷き、それじゃあ、とだけ言った。

 二人は小走りで孤児院を飛び出る。ライラが走りながら思わず孤児院の方を振り返ると、やはりミセス・コールと何人かの子供たちがこちらを見ていた。手も振らず、泣きもせず笑いもせず、ただ見ているだけ。それはライラも同じだった。

 本当を言うなら、手を振ろうかライラは迷っていた。しかしやはり、トムの方へ向き直って走りだす。

 このまま今生の別れであればまた違ったのだろうと、ライラは知っていた。きっとそうすればお互いに笑顔だったのだろうと。だが、二人の家は未だあの孤児院なのだ。

 ライラは寂しさともつかない不思議な感情を抱えながら、駅のホームへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 二人は九番線へと構内を駆ける。残り十分切ったところ。叫び出しそうなのを堪えて、二人は十番線と九番線の間で首を傾げていた。

 

「分かってたけど……九と四分の三番線なんて聞いたことない!」

「頼むから人に聞くなんてことをするなよ。あー、そうだ『国際魔法使い機密保持法』があるだろう」

「知ってるよ一緒に覚えたんだから!」

 

 時間は刻々とすぎていく。時計の針が進んでいくのを正気では見られなかった。周りを見渡し、何か手がかりがないかと探す。

 耳に入るのは通行人の声ばかりで、目に入るのも人、人、人……。もうだめだと目に涙が滲みかけた時だった。

 

「ライラ、フクロウだ」

「え? どうしたの?」

「『イーロップふくろう百貨店』だ! 覚えてるだろう!」

 

 トムが指さした先には鳥籠に入ったフクロウがいた。明らかに目立っているし、よく見たらそれを連れてる同い年くらいの子の服装もなんだかチグハグな気がした。親も同じようにチグハグだ。まるであの日のダンブルドアのように。

 そしてライラは思い出した。ダイアゴン横丁で見上げたふくろう百貨店のことを。認めたくないが、羨ましいと強く思ったことも。

 フクロウを連れた一家は二人の横を通り過ぎ、やがて柱に向かって小走りになる。 

 二人はそれを呆気に取られて眺めていた。親は怖気付く子供を引っ張り、段々と速度を上げ、柱へぶつかろうとする。

 ライラは悲鳴を上げかけ口を押さえた。

 なんと一家はするりと柱に飲み込まれたのだ!

 

「え……? トム、あれは……」

「想像もしなかった! ほら見ろライラ! ちゃんと十番線と九番線の間だ! クイズでもなんでもない、単純なものだったんだ!」

「あれが入り口?」

「おそらくは。時間が無い。行こう」

「ぶ、ぶつかっちゃうよ!」

「さっきまでお前は何を見てたんだ!」

 

 トムはライラの手を引いて柱へと歩く。腰が引けてなかなか進めないライラをとんでもない力で引っ張っていた。段々と速度も上がっていく。

 抵抗するも虚しく、柱は迫ってくる。レンガの隙間の荒れたモルタルが実に痛そうだった。

 二メートル……一メートル……30センチ……鼻先!

 ぶつかる_______しかし痛みを感じられず、ライラとトムは目を開けた。

 溢れ出る蒸気_______窓から手を伸ばす子どもたち_______なによりも黒と赤の重厚な蒸気機関車。

 二人は九と四分の三番線、ホグワーツ特急に辿り着いたのだ。

 

「見ろ。ちゃんと九と四分の三だ。早く乗ろう」

「……頭を打って死ぬのかと思った……」

「バカなことを言うな。あれくらいで人が死ぬもんか」

 

 ライラはそんなトムの言葉を聞き流し、秘匿されていた駅のホームを見渡していた。数え切れないほどの人。その全てが『秘密の力』を持つ同胞なのだと思うと、身震いした。そして、心根は変わらぬ同じ人だということも、肌で感じていた。

 ライラと同じように、学校へ行くのが不安そうな子供。母親にホグワーツへ行きたいと強請る幼児。激励を飛ばす父親。密かに涙を流す母親。ライラには得られない、しかしロンドンの街で溢れるほど見てきた、変わらぬ家族の光景。

 魔法使いは皆、変わり者だと思っていたが違うらしい。ライラはどこか寂しく、どこか安心した心持ちだった。

 

「惚けるな。早く乗るぞ!」

「ごめんなさい。もう……早く早くってそればっかり!」

 

 ライラが惚けていたせいか、2人が寝坊をしたせいかは定かではないが、ホグワーツ特急内のコンパートメントはほぼ埋まっていた。重いトランクを引きずりながら、空いているコンパートメントを探すのは至難の業だった。ライラは人見知りのため出来るだけ二人きりが良かったが、そうも言っていられない。

 ライラが弱音を吐こうとした瞬間、先を行くトムが一つのコンパートメントの前で止まった。

 トムにしては非礼にも、ノックをせず、ただ中を食い入るように見つめているため、ライラも気になって中を覗く。

 コンパートメントの中には、黒い髪を小さくまとめた綺麗な男の子がいた。友達や連れ合いはおらず、一人のようだ。運が良いとばかりに、ライラは喜色満面になる。

 

「トム。 お願いしてここに入れてもらわない?」

「……あぁ。そうだな」

 

 コンコンとノックをすれば、程なくして返事が聞こえてくる。柔いボーイソプラノは気品に満ち溢れている気がして、ライラは無意識に背筋を正していた。

 トムが扉を開け、続いてライラも入る。

 

「すみません。一緒に使わせてもらえませんか? どこも空いていなくって」

「是非。一人で使うのも勿体無いですし」

「ありがとうございます! 良かった」

「あ、ありがとうございます。失礼します……」

 

 四苦八苦しながらトランクを荷台に上げ、ようやくライラは腰を落ち着かせる。ただ、無意識に先客の前に座ってしまったのは失敗だと思った。お陰で緊張しきりで顔が上げられない。

 近づいてみれば、男の子は本当に綺麗な顔立ちをしていた。ライラは生まれて初めて、トムくらいに綺麗な男の子を見た気がした。しかも爪から始まり、服や靴まで輝くほど綺麗なのだ。

 俯けば自分の荒れた手が見えて、とうとう何処を見れば良いか分からなくなった。

 

「僕、ホグワーツ一年目なんです。あなたたちは?」

 

 そう言って男の子は微笑んだ。どうやら同い年のようだ。ライラは少し安心する。

 

「あぁ、実は僕らも一年目なんだ。同じだ」

「良かった! 先輩だったら少し緊張していたから……」

 

 よろしく、と言おうとして喉がつっかえる。ライラにとってはいつものことだった。結果、礼を欠くことが分かりきっていても、諦めてしまう自分が嫌だった。

 真正面も見れない。俯けもしない。そうなれば窓の外に視線が行くのは必然だった。

 涙を流す親子がいる。手と手が触れ合って、別れのキスをしている。忘れてしまった父母の代わりに思い出すのは、出会った頃のミセス・コールだった。もし、もしこれから行くのが普通の学校だったら、あんな風にお別れを言ってくれただろうか。

 

「もしかして……家族が来ているのかい? 窓を開ける?」

 

 窓の外ばかり見ていたライラに、男の子は気を利かせてくれる。窓が開いて、喧騒が流れ込んできた。

 

「あ、あの……ううん。違うの……ありがとう」

「そっか。ごめん、お節介だったね」

「い、いえ、その……でももう少し、このままで……」

 

 列車が動き出す。ついさっきの、孤児院を出た時のミセス・コールの顔を、ライラは思い出せなかった。こんなものだ。こんなものなら、きっとミセス・コールが自分のために涙を流すことなどしないだろう。

 列車が速度を上げ、喧騒は過ぎ去る。新しく、冷たい風と煙がすり抜けるように入ってくる。

 今度は、ちゃんと自分で窓を閉めた。

 隣のトムが顰めっ面をしているのは、きっと寒かったせいだろう。

 

「ごめん。寒かったよね」

「何を窓の外ばかり……。お前はいつもそうだ。放っておけば訳の分からない事ばかりする」

 

 そんなトムとライラのやりとりを見て、男の子は声を上げた。

 

「なぁんだ、君たち、友達だったの? てっきり初対面だと思ってた。幼馴染?」

「あ、えっと……その」

「それとも兄妹? 双子?」

「あ……」

 

 ライラは、自分とトムの関係を一言で表すことができなかった。この先も到底できそうにない事だ。言葉に表すことすら難しいのに。

 彼女が迷っているうちに、トムが代わりにさっさと答えてしまった。

 

「あー……すまない。この子は人見知りなんだ。彼女とは友達だ。僕はトム・リドル。彼女は……名乗るくらいは自分で出来るだろう?」

 

 トムにそう促され、ライラはようやく息を吸った。友達と迷わず答えられたトムに、少し複雑な感情を覚えていた。別に、本気で兄妹だと思っていたわけではない、と自分を慰める。兄妹じゃダメなのだろうか、と口にすることは出来ないだろう。

 

「ラ、ライラ・オルコット。よろしく」

 

 先程から緊張しきりで挙動不審なライラをなんとも思ってないかのように、男の子は手を差し出した。

 

「僕はアルファード・ブラック。よろしくね」

 

 

 





追記:2021.11.04
書き直しいたしました。大筋、話の展開等は変わっておりません。読んでくださった方、ありがとうございました。


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真の友を望む

 

 「アルファード・ブラック。よろしくね」

 

 その名乗りに、ライラとトムは目を見開いた。優しそうで、柔和な雰囲気を纏う目の前の少年は、二人がウンザリするほど目にしたあの姓(ブラック)を名乗ったのだ。

 否応にもライラの心臓は跳ね、しかしそれを抑えようと服の裾を握る。一方トムは動揺をおくびにも出さず、彼と朗らかに握手をした。ライラもおずおずと手を差し出す。穏やかとはいえない空気に、手が震えそうだった。

 魔法史の教科書ではぼかされていたが、聡明な者が読み解けば、マグル出身者へ過激に反応する魔法使いがいることは明白だった。特にブラック家の魔法使いは、そう言った意味でもよく名前が出てきていた。栄光ばかりではなく、権力と強大な魔法力で為した非道でページに名を刻む者がいる。アルファード・ブラックと名乗ったこの少年が、その手合いの者ではないとは限らない。どれだけ優しく、美しい少年に写っていたとしてもだ。

 ただ、ライラは人の家族を尊重できる______別れの機会を作ってくれる男の子が、非道な魔法使いには思えなかった。

 車窓の外はいつのまにかのどかな風景へと変わっていた。波立つ平原、快晴、時折通り過ぎる野鳥。うって変わって車内の雰囲気は微妙なものだ。ライラはどうすればいいか分からなかったし、トムは警戒心を無くしてはいない。

 それに一石を投じたのは、またしてもアルファードだった。

 

「君たち、マグル生まれ?」

 

 流石のトムも、まだ一言二言を交わしただけで見抜かれるとは露にも思わず、次に何を口に出すかを躊躇した。どう返答するかが運命を分けると思ったのだ。嘘をつくか、全て正直に話すか。同じだけの時間でアルファードがこちらの出自を見抜いたというのに、二人はアルファードがどんな人物が少しも分からない。

 応えたのは、ライラだった。

 

「そう、かも。でもそうじゃないかもしれない」

「……どういうこと?」

「私たち、孤児院で育ったの。マグルの中で育ったのは本当。でも血筋まではどうであるかは……誰にも保証できない」

 

 ライラは、彼が善き人物であることを信じた。トムが口を挟む暇もない。彼女は隠し立てしないことを選んだのだ。

 

「そっか。ちょっと怖がらせちゃったみたいだね」

 

 一気に空気が弛緩した。アルファードが事もなげに微笑んだからだ。ライラは息を吐き、トムは座り直した。

 

「いつ気づいたんだ?」

 

 トムは諦めたように、リラックスしたような姿勢でアルファードに問うた。何故、と聞くことは重要だ。特にこんな数分で看破された場合は。

 

「うーん……君たちがコンパートメントに入ってきた時かな」

「そんな早く? 私、何も言ってなかったのに……」

「そうだね。多分僕だから気づけたんだ。あの、結構、僕は……顔を知られてるから」

 

 アルファードは言葉を選びながら種明かしをしていく。

 

「僕の生家……ブラック家は、英国魔法界では有名なんだ。英国魔法界の王……だなんてことを言う人もいる。そんなことはないんだけどね。僕は正しくは分家の生まれなんだけど、確実に純血だと言われている」

 

 純血。耳馴染みのない言葉だった。王室やそれに連なる高貴な血のようなものだろうか。ライラがおうむ返しにぽつりと呟く。

 

「そう。親も祖父母も、先祖代々に渡って魔法使いであった血筋のことだ。

 そして、純血の間ではかなり密な交流がある。パーティーだったり会合だったり……様々だけど。君たちの顔はそこで見たことはない。特に、ライラの珍しい髪色に瞳の色は一度見たら忘れないだろうし。少なくともそこで君たちか純血に属してないことはわかった」

 

 ライラは息を呑む。アルファードは人をよく観察しているし、見抜くだけの頭がある。それに、アルファードの言うことが正しければ自分とトムが出自を隠す意味はないということだ。

 

「次に親が魔法使いの可能性もないと思った。ブラック家は数が多いんだ。ホグワーツの在学期間が被らないことは、まぁ、無い。色んな意味で有名だから、大抵の親はブラック家には気を付けておけ……だなんてことを子供に言ってるのかもね。でも君たちに嫌悪はなかった。僕を見定めているみたいだった。戸惑いがあるにも関わらず、押し込めて_______僕と握手をしてくれた」

 

 それが嬉しかったんだ、とアルファードは言った。

 アルファードの見事な推測に二人は閉口するしかなかった。

 

「でも、まさか孤児とは思いもしなかったんだ。ごめんね。無理やり言わせたようになってしまって」

「いえ、いいの……寧ろ、私たちこそ嫌な態度を」

「いいんだ。君たちなりの事情があったんだろう?」

 

 二人は、前もって読んだ魔法史の教科書からマグル出身者への迫害を推測し、万が一を考えて警戒するような態度をとってしまったことを話した。アルファードはそれを穏やかに聞き入れ、概ね正しいと頷く。

 

「確かにね。悲しいけれど、差別や迫害があるのは否定できない」

「やっぱりか。アルファード、もし良ければその辺りの事情を教えてくれないかい? できる限り勉強はしたけれど……教科書じゃ足りないようだ」

「もちろん! それも魔法族の務めだ。教科書じゃ処世術は身につかないからね」

 

 側から見たアルファードとトムが会話する光景は、まるで上流貴族のサロンがそこにあるかのようだった。自分は召使いにすらなれない、とライラは自嘲する。ならばせめて、背筋を伸ばして前を見ないと、と顔を上げた。

 

「じゃあ早速だけど、今、マグル生まれはどういった扱いを受けてるんだ?」

「そうだな……グリンデルバルドという魔法使いは知ってる?」

「知らないな。教科書じゃ見なかった」

「そりゃ見ないさ。だって今を生きる魔法使いだからね。ヨーロッパを中心に勢力を広げている闇の魔法使いだ。魔法界はどこもかしこも不安定だ。表には出てないけどね」

 

 闇の魔法使い。そう言われても、ライラはピンと来なかった。悪人だろうということはわかる。魔法を悪用する_______『秘密の力』を知った時から、脳裏を掠めていた使い方。それを実行する人がいるのだろう。

 

「グリンデルバルドの目的は、マグルの支配だと言われている」

「マグル出身者への当たりが強いってことか?」

「いいや、実は違う。これまでに比べれば、少しだけ軟化してるんだ。グリンデルバルドの信奉者と思われたくない純血家が、少しだけ実力主義的なポーズをとっている。ポーズなだけで腹の中は分からないけれど。信奉者はマグルの支配を声高に叫ぶけど、そんなの一部の人だけだ。そもそも、純血主義は_____純血を重んじる考えだけど_____要はマグルと関わりたくないってことだからね。支配なんてものに結びつけてしまう人は、ただ自分の力を誇示したいだけなんだろう」

 

 政治のむつかしい話のようだ……とライラは辟易してしまったが、自分とトムがそこにいるだけで、暴言を浴びるような立場にないことは理解した。

 

「それに、純血主義者も数が少ない。最近はマグルとの混血が増えてきたからね。安心してよ。危険な人はほんの一部だけさ。僕のこともぜひ信頼して欲しい」

「うん……ありがとう。あなたがとても良い人なのは分かった」

「本当? 嬉しいな」

 

 アルファードは一息ついて、また説明を始めた。

 

「ホグワーツの創設者、サラザール・スリザリンもまた純血主義者だった」

「それは知っている。ようやく教科書の知識が役に立ちそうだ」

「本当に勉強してきているんだね。純血主義は根強いものなんだ。一部だけど、だからこそ目立つ過激派もいる。特に『穢れた血』というワードは、マグル出身者への最大級の侮辱だ。口にする人とは関わらないほうがいい」

 

 ライラは黙って、『穢れた血』という言葉を脳内で反芻していた。悍ましい言葉だ。そんな言葉が口に出るほど、マグルへの忌避感が強い人間がいるのだ。それほどの思いを、ライラは理解できなかった。

 

「ところで、ホグワーツの組み分けのことは知ってる?」

「四つの寮に分けると書いてあったよ。グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフ」

「寮ごとに特色があるんだっけ……」

「そう。名前の通り、サラザール・スリザリンはスリザリン寮を作ったんだ。だから、純血を重んじる人は大抵スリザリンに組み分けされる」

「本では俊敏で狡猾なスリザリンって見たよ」

「間違ってない。その要素も重要だ」

「じゃあ、純血の家の子はみんなスリザリンなのか?」

「そうでもない。同じく純血のウィーズリーなんかはほぼグリフィンドールに行くし……。同じようにブラック家も代々スリザリンだ。思想や素質に関係なく、特定の血筋が組分けに影響することもあるらしい」

 

 アルファードはそう言って、諦めたように笑った。スリザリンへ行くことが誇らしいが、それと同じくらいつまらないと感じているのだ。

 

「アルファードはスリザリンに行くの?」

「そうだよ。ライラ。代々そうなんだ。分かりきっているのは安心だけど、少し退屈だね」

「……私たちはどこへ行くんだろう」

 

 ライラはそう溢した。魔法界を知るのに忙しくて、組み分けのことを考える余裕はなかったのだ。友人ができるかどうかは心配仕切りだったが……。

 

「そうだなぁ。勉強が苦ではないようだから、レイブンクローとか? でも僕は一緒の寮になれたら嬉しいな」

 

 アルファードが照れ臭そうに言ったその言葉に、二人は首を傾げた。突然、学者が解くような問題を出されたような気分だった。

 二人は同時に声を上げる。

 

「嬉しい? どうして?」

「なんで嬉しいんだ?」

 

 今度はアルファードが首を傾げる番だった。

 

「嬉しいに決まってるさ! 友達だもの」

「友達……」

 

 空気に溶けるように、実感のない言葉が飛び出る。それこそ魔法で口が勝手に動かされたように感じるほど、ライラには自分が呟いた自覚がなかった。

 友達って、こんな簡単にできるものだっただろうか。そう思ったライラの頭に、トムと出会った時のことが蘇った。いつのまにかよく言葉を交わすようになっていて、トムが相手だったらあまり緊張することもなくなっていて、友達よりもずっとずっと、かける想いが重くなる存在になっていた。

 

「いいの?」

「いいさ!」

「私達、出会ったばかりなのに……」

「友達ってそういうものでしょ?」

 

 アルファードの言葉は彼女にとって驚きばかりだったが、不思議と胸にすんなり沁み込んでいく。

 

「ありがとう、アルファード。心強いよ。改めて、よろしく」

「こちらこそ」

 

 胸に沁み込んだ言葉はライラの肺を動かし、するりと口を滑らせた。

 

「_____よろしく。アルファード」

「もちろん」

 

 心臓は暴れていなかった。むしろ、心地よく鼓動していた。今まで、初対面の人とはろくに喋れもしなかったのに。

 アルファードとの出会いは、ライラのこれまでの人生_____七歳から今まで_____で数えるほどしかなかった『期待』を彼女に抱かせた。

 本当に、ホグワーツで自分を変えられるかもしれない。幼少期の記憶を失っていることで、無力感に苛まれていた自分でも__________ホグワーツの生活で何かを為せるかもしれない。自分の生まれた意味、為すべき事、唯一、心の底で"在る"と信じている、誰しもが持つ使命のようなものを知ることができるかもしれない。

 アルファードはライラの言葉に満足したように、頷きながら言った。

 

「じゃあ、友人としての最初の助言だ。もし君たちがスリザリンに所属することになったら、出自は隠さない方がいい」

「何故?」

「君たちが言ったように、血筋が分からないからだ。スリザリンは結束が強いし……何より馬鹿じゃない。確実にマグル生まれだと分からないなら、静観する純血主義者は多いはずだ」

「分かった。君と同じ寮になれることを祈るよ。アルファード」

 

 私も、と賛同しようとしたものの、ライラは口をつぐんでしまった。どうにも、二人と同じような資質を持っているとは思えないのだ。

 ならば、二人の隣に堂々と立てるようになればいい……ライラは決意を胸に秘した。

 

 

 

 

 

 やがて、三人の間の覚束ない空気は消え、穏やかな会話が生まれていた。しかもライラは以前の自分からは考えられないほど、流暢に喋っていた。アルファードの優しい雰囲気がそうさせたのだろうか。これにはトムも驚いていた。

 窓からは夕暮れが見えている。青と橙の空が反発せず、混ざり合って濃紺へと変わる夕焼け空を、ライラは眺めていた。アルファードとトムは話しても話しても足りないようで、お互いに知識を共有しあっている。

 

「なるほど! グリンゴッツには行かなかったから……」

 

 トムが楽しそうに声を上げた時、コンパートメントの扉がノックされた。アルファードは何故かその音に身を縮こませる。

 

「ど、どうぞ。姉上」

 

 その言葉に二人はハッとした。姉上_____つまり、ドアの前にいる人はブラック家の子女なのだ。

 

「入るわよ。あら、お友達がいたのね」

 

 現れたのは、アルファードとそっくりな面立ちをした美女だった。波打つ黒髪。厳格さを表す目元。眼窩に収まる黒曜石の瞳は、誰も彼もを撃ち抜くようだった。

 姉と言われた通り上級生のようで、ローブの裏地が緑色に染まっている。

 

「私はヴァルブルガ・ブラック。そこのアルファードの姉よ。二年生なの。よろしくね」

「姉上、手前がトムで、奥にいるのがライラです。今日、このコンパートメントで出会いました」

「トム・リドルといいます」

「ライラ・オルコットです……」

 

 アルファードに促されるまま、二人は自己紹介をした。ヴァルブルガは眉を上げ、態度だけで訝しげにしてみせる。

 アルファードは萎縮し、ライラは今にも逃げ出したい気分だった。ただ一人、トムだけがその態度が気に入らないと言わんばかりに彼女を見据えている。

 

「貴方達、生まれは?」

 

 不躾な質問だが、彼女にはそれが許される。許されるような世界で生きてきたのだ。

 アルファードが説明しようとするが、二人を見て躊躇した。自分の口から語るようなことではないと弁えたのだろう。

 

「________まさか」

 

 ヴァルブルガは今にもヒステリックに叫び出しそうだった。あり得ないと目を見開く。それを遮るように声を上げたのはトムだった。

 

「僕たちは孤児です」

「何ですって?」

 

 トムは先程のアルファードの助言に従った。どうやらそれは正しかったらしく、彼女は思わず怯んだようだ。予想もしない答えだったのだろう。

 

「確かに、僕たちはマグルの中で孤児として育ちました。僕の母は僕を産んですぐに死んでいます。ライラは記憶を失ってしまい、両親の顔はおろか生死も分かりません」

 

 ヴァルブルガは勿論、アルファードもその言葉に驚く。この二人は、想像以上の不幸に見舞われているのだと。

 

「僕らの血筋が純血だと証明できないように、完全にマグルだとも証明できません。貴方の弟からは、スリザリンに属するものは思慮深いと聞きました。僕は理解してくださると信じています」

 

 それだけ言ってトムは黙ってしまった。ヴァルブルガもまた考え込んでいる様子だった。

 彼女が再び発言するまでの空気感は最悪で、ライラは泣き出しそうだったが、少し視界が滲む程度で済んだ。

 倍以上に長く感じられる数十秒の後、ヴァルブルガはため息をついた。眉間の皺は消えている。

 

「分かったわ。……失礼したわね。どうか弟と仲良くしてやって」

「はい。僕らこそ、よろしくお願いします」

「……! は、はい。よろしくお願いします」

 

 アルファードは驚きと喜びに目を輝かせ、姉と二人を忙しないフクロウのように交互に眺めた。

 姉らしく、落ち着きのない弟を視線で咎めながらヴァルブルガは言った。

 

「そういえば、貴方達、着替えてないようね。もうすぐホグワーツよ? 組み分けは私服で受けるつもりかしら」

 

 その言葉に、三人は一斉に慌て始めた。話に夢中になって忘れていたのだ、

 

「アルファード……忘れてたわね……?」

「ご、ごめんなさい姉上! 今すぐ着替えますから、どうか自分のお席に!」

 

 ガタガタと荒っぽくトランクを出しながら三人は着替える準備をする。しかし、そこでヴァルブルガの一喝が飛んだ、

 

「この馬鹿! アルファード、お前の大事な友人に、女性がいることを忘れたの?」

 

 アルファードとトムの視線がライラに注がれる。二人は情けなさと恥ずかしさに顔色を赤くも青くもした。ライラもライラで、あまりの距離の近さに性差を忘れていたことに気づき、恥ずかしさで俯く。

 

「貴方は私のコンパートメントで着替えなさい。すぐそこだし、女の子ばかりですから」

 

 ライラはヴァルブルガに引きずられるまま、ローブを抱えてコンパートメントを出た。強引にも手を掴まれていたが、ライラの手は決して傷まなかった。

 トム以外の人と手を繋いで歩くことなど初めてだったライラは、ついついヴァルブルガの手を眺めてしまう。白磁の手。爪は整えられ、骨は太くなる必要が無かったかのように、そのシルエットは洗練されていた。淑女の手だ。

 ライラが黙ってそうしていると、ヴァルブルガが口を開いた。目を合わせず、前を向いてそういうものだから、列車の走行音にかき消されそうな声をライラは必死になって聞き取る。

 

「オルコットさん、貴方の目や髪は生まれつき?」

 

 充分に予想できた質問だったが、ライラは目を白黒させながら答える。

 

「はい。き、記憶の限りでは……。あ、あの」

「何かしら?」

「ミス・ブラック、どうか、ライラと。オルコットさんなんて……年も下ですし」

 

 なんて厚かましいお願いをしてしまったんだろう、とライラは消え入りたくなった。これではまるで親しくなりたいと言ってるみたいだ、だが『オルコットさん』なんて分不相応だ……ライラの考えは止まらなかった。一つの言葉でひたすら考えを巡らせるのは彼女の美徳であり、欠点だ。

 

「そうね。では、ライラ。私のこともヴァルブルガと」

「え? そんな……」

「ミス・ブラックなんてこの世に何人もいるのよ。そうね、これから行くところにもいるし」

「あ……ヴァルブルガ……先輩……?」

「いい響きね」

 

 ヴァルブルガの表情は見えなかったが、何故かライラには彼女が微笑んでいるように思えた。体の強張りが解けていって、厳しいが優しい人なのだろうと想像する。

 だからか、口からするりと言葉が滑ってしまった。

 

「素敵な人……」

「……貴方ね、こんなすぐ絆されちゃダメよ?」

 

 

 

 

 ヴァルブルガが目的のコンパートメントの扉を叩く。中から、鈴を転がすような子女の声が聞こえてきた。随分と賑やかなようで、正しく秘密の花園といった雰囲気である。

 戸を開けば、そこには見事に名家の子女が集まっていた。

 

「おかえりなさい、ヴァルブルガ」

 

 ヴァルブルガとよく似た女性が声をかける。しかし彼女は少し大人びているようだ。

 

「ただいま、ルクレティア。一人、紹介したい子がいるのですけれど、いいかしら?」

「あら。どんな子かしら」

 

 ライラはヴァルブルガに背を押され、コンパートメントに詰め込まれる。中には他にも、痩せた少女や柔らかい髪の女性、黒髪をまとめた女性がいた。

 口をハクハクと動かすばかりのライラを見かね、ヴァルブルガが代弁する。

 

「愚弟の友人です。どうもまだ着替えてないようで……。ここで着替えさせてやりたいのですけれど、いいでしょうか?」

「勿論よ。貴方、お名前は?」

 

 柔らかい態度ながら、ヴァルブルガに最初に話しかけた女性_______ルクレティア以外に喋っている人がいない状況に、ライラは困惑していた。入る前の賑やかな様子とは大違いだ。話を賢明に聞いている様子でもなく、微かな上下関係のようなものをライラは感じ取った。

 

「ラ、ライラ・オルコットです」

「私はルクレティア・ブラック。ヴァルブルガの再従姉妹です。同い年なのよ。それにしても……オルコット?」

 

 ルクレティアが頰に手を当て優雅に首を傾げてみせれば、奥の二人も怪訝そうに顔を見合わせた。一番奥の痩せた少女は本に齧り付いているようで反応しない。

 

「ルクレティア、この子は孤児なの」

 

 ピシャリとヴァルブルガは切り込んだ。オタオタしていたアルファードとはまるで違う。トムがここに居合わせれば眉を顰めただろうが、ライラは違った。ますます緊張しただけだった。

 その言葉の意味を察したルクレティアは合点がいったようだ。

 

「そうなのね。ヴァルブルガ、大きな声で言うことではありませんよ。ごめんなさいね、疑うようなことをしてしまって……」

「いえそんな……大丈夫です」

「ああ、着替えに来たのよね。さぁ、奥に入って。六人がけですから、大丈夫よ」

 

 ルクレティアに促され、やっとのことでライラは着替えを始めた。制服というものを着るのは初めてだったので、上級生達に教えられながら着ていく。その間、突然喋り始めた子女達のお陰でコンパートメントの中は華やいだ雰囲気に包まれた。

 

「私、ドゥルーエラ・ロジエール! 四年生なの。勿論スリザリンよ。よろしくね!」

 

 茶髪の女性がそう名乗ったのを皮切りに、次々と自己紹介が飛んでくる。

 

「セドレーラ・ブラック。五年生よ。お見知り置きを」

 

 黒髪をまとめた女性はブラック家の人物だったようだ。ここにいるだけでブラックの姓を持つ人が三人もいる。アルファードも含めたら四人だ。自分が知らないだけで、もっといるだろう。魔法史の教科書にあれだけ名前が載るのに、ライラは納得した。それに、皆美しい面立ちを持っている。その黒い艶やかな髪も共通していた。

 

「アイリーン・プリンス。六年生……よろしく」

 

 痩せぎすな少女がそう名乗った。正直、ライラはアイリーンに一番親しみを覚えていた。読んでいた本に身を隠すかのようにして、ポソポソと自己紹介する彼女の気持ちが手に取るようにわかった気がしたからだ。だが言葉を交わそうにも、押しの強い子女達に囲まれてはままならない。

 

「ライラ、貴方の髪真っ白ね! 美しいわ! 『七変化』? 生まれつき? あら、目も紫じゃない! 素敵!」

 

 その中でも一等元気なのがドゥルーエラだった。ヴァルブルガも相当の圧だったが、ドゥルーエラは別格だ。

 

「先輩の髪も綺麗です……滑らかな栗色で」

「褒め上手なのね!」

「ドゥルーエラ様! ライラは着替えているのですから!」

「そんなに急かさなくたっていいじゃない、ヴァルブルガ。ホグワーツまで時間はあるわ」

「貴方に付き合わされちゃ、あっという間です!」

 

 きゃあきゃあと言い合う二人の合間を縫って、今度はセドレーラがライラに話しかける。

 

「ごめんなさいね。騒がしくって。それはそうと、貴方の髪、素敵だわ。伸ばさないの? 腰まで伸びたら、きっとアブラクサンの羽のように綺麗よ」

「アブラク……? 羽? ありがとうございます……?」

 

 アブラクサンとは天馬の一種で、かの有名なフランスのボーバトン魔法アカデミーも多数所有する馬なのだが、ライラがそれを知るよしもない。

 肩に付くか付かないかの辺りで切り揃えられた白髪をつまんで、ライラは答えた。

 

「えっと、伸ばす余裕がなくて。短い方が色々と楽ですから」

 

 セドレーラは残念そうに眉を下げた。受け答え全てがふわふわとした女性だ。

 

「髪を伸ばしたくなったら言ってね。髪の毛を伸ばす魔法薬があるの。爪も伸びちゃうのが難点だけれど」

 

 彼女のふんわりとした笑顔につられて、ライラも困ったように笑った。どんな怖い目に遭うかと思っていたが、礼を欠かなければ良い人たちばかりなのだろう。

 なんとか制服を着終わったライラは、コンパートメントを去る前に一言挨拶しようとした。しかしドゥルーエラとヴァルブルガの言い合いはヒートアップしていたようで、挨拶できそうな隙間はまるでない。

 

「あの時、私に葡萄酒ひっかけたの忘れてないんですからね!」

「それは事故じゃない! しかも謝ったしシミも取ったでしょ! いつの話ししてるのよ!」

 

 出るに出れない状況に、ライラは対処できなかった。セドレーラは静観してるようだし、ルクレティアは困ったような顔をしているがその実何もしていない。

 そんな最中、アイリーンが杖を取り出した。

 振った瞬間、二人の口がみるみる閉じていき、何と唇が皮膚の中に埋まって見えなくなってしまったのだ。

 ライラが驚いて口を覆い隠せば、アイリーンが口を開く。

 

「口塞ぎ呪文。貴方にはかけないから。ヴァルブルガはともかく、ドゥルーエラはすぐ解いてしまう。だから早く行きなさい」

「あ、ありがとうございます! 皆さん、色々教えてくださって本当に助かりました!」

 

 妙に声無き訴えを感じる中、ライラはコンパートメントを後にした。元居たところは覚えている。

 まだどの寮の色にも染まらない、真っ黒なローブ。それに袖を通しているのがたまらなく嬉しかった。お揃いの服を着ているのは孤児院と変わらないのに、制服となると嬉しくて仕方ないのは何故だろうか。

 トムとアルファードの顔が頭に浮かぶ。少ししか離れていないのに、早く会いたくなっている気がした。

 はやる気持ちを抑えきれず、ライラはノックもせずコンパートメントの扉を開ける。同じ制服を着た彼らを見て、嬉しさの理由が分かった。

 

「おかえり。大丈夫だった? 怖くなかった? 姉上は強引だから……きっとコンパートメントにはルクレティア様もセドレーラ様もいただろう? 何もされなかった?」

「気が利かなくてすまなかった。何か粗相はしてないか? 何もなかったか?」

 

 二人同時に喋るものだから、ライラは何一つ聞き取れなかったが、心配してくれることだけは分かった。あのトムが分かりやすく狼狽えているのだから。滅多に見れないその様子に、ライラはついつい笑ってしまう。

 

「大丈夫だったよ。でも、色々とすごい人たちだったかな」

「やっぱり! 姉上に悪気はないんだ。だから______」

「______だから、私、スリザリンに入りたいって思えたの」

 

 一体全体何が"だから"なのかが分からないが、アルファードは喜んだ。

 

「それより、制服似合ってるね。魔法使いって感じがする」

 

 ライラがそう褒めると、皆口々に互いの制服姿を褒めあった。

 まるで数年来の親友のような空気の中、三人は微笑む。

 ホグワーツ特急は、徐々に速度を落としていく。

 

 ホグワーツが近い。




2021.11.08
修正更新いたしました。これまで読んでくださった方、ありがとうございました。また機会があれば読んでくださると幸いです。


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我が家はいずこ

 

 

 

 「あと五分でホグワーツに着きます。荷物は置いて行ってください。別で届きます」

 

 そんなアナウンスがあったあと、やがてホグワーツ特急は完全に止まった。目的地についたのだ。

 

「降りよう」

 

 アルファードがそう言うなり、コンパートメントから飛び出た。よっぽど楽しみにしているようだ。ライラとトムも後を追う。

 知ったのはたった一ヶ月前で、それまではただ自分が魔法を使えるなんて思ってもみなかった。自分と同じような人がたくさんいるだなんて知らなかった。どうしようもなく期待が膨れ上がる。ライラはそんな心境でホグワーツ特急を降りた。夢中で、体が疲れていることなんて気にもしなかった。

 アルファードは先を行き、トムもそれに続く。ライラは二人の表情が見えなかったが、周りの同級生も、彼らも浮き足立ち歓喜していた。

 

「一年生! 一年生はこっちだ!」

 

 誰かがそう叫んでいた。たくさんの生徒達の喋り声の中でもその声はよく通った。新入生達は示し合わせたようにその方向を見る。

 その途端、ライラはあっ、と声を上げた。

 

「ダンブルドアだ!」

 

 誰かがそう言った。

 トムは驚いたようにダンブルドアに釘付けになっている。

 

「トム、大丈夫?」

 

 ライラがそう聞くと、トムは首を振ってこう答えた。

 

「あれだけで徹底的に嫌ってしまうのは早計だ。ちゃんと彼の人となりを理解しようと思うよ。だってまだ僕らは一回言葉を交わしただけだから」

 

 その言葉を聞いて、ライラは安心した。それと共に、トムが盗人だとダンブルドアに暗に告げられたことを思い出した。見て見ぬふりをして、勉強している間に忘れてしまっていた。

 

 見て見ぬ振りをした自分に、罪がないと言い切れるのだろうか? 

 

 ライラはふとそう思った。自分も共犯ではないか? 

 しかしその思考はすぐ途切れた。ダンブルドアが生徒を引率して歩き始めたからだ。

 ダンブルドアはランタンに魔法をかけ、通常のランタンよりも明るく、しかも宙に浮かして見せた。

 

ルーモス・マキシマ(強き光よ)!」

 

 箪笥を燃やしたときに見た、暗く攻撃的な光ではない。柔らかくて、冬の朝日みたいな黄金色をしていた。ライラは、ダンブルドアはきっと色んな面を持っているのだろうと思った。決して高圧的なだけの人ではないのだろうと、ライラは魔法を通じて理解したのだ。

 

「こっちだ。足元に気をつけて。逸れないで」

 

 暗い森の中、ただ一点の光に導かれて歩む。周りは図らずとも静まっていた。ただのランタンだったはずが、皆、もはや何か古代より伝わる聖遺物ではないかと錯覚していた。

 それくらい美しかった。

 しばらく進み、ダンブルドアが足を止める。

 そしてランタンを皆の右上に掲げて見せた。生徒達の視線もそれに誘導される。

 その先には_______千年其処にそびえ立つ古城________魔法使いの学舎_______古代の魔法が未だ息づく場所_______それを称える言葉はいくらでもある。

 ホグワーツ城がそこにあった。

 息を呑み、声無く驚く者、感激して飛び跳ねる者、ただ城に釘付けになる者……静かだった森の中は一斉に歓喜に満ち溢れた。

 

「さあ、乗り給え。一隻に三、四人くらいだよ」

 

 森の小道は大きな湖へと繋がっていた。通称、黒い湖と呼ばれている湖は波打つこともなく、ただ凪いでいた。そのため湖面は鏡のようになり、はっきりとホグワーツ城を写している。

 ライラは、ただ感嘆することでしか感動を表せなかった。

 魔法のかかっている小舟が、ひとりでにスッと現れた。

 恐る恐るだが、生徒達は次々に小舟に乗っていく。体重をかけた途端、ぐらりと揺れるため大半の子は怖がっていた。もちろんライラもその1人である。

 そんなライラの様子の一方で、アルファードは臆することなく、小舟に乗り込んだ。トムもそれに続く。

 ライラは二人を追いかけようとしたが、明らかに不安定な小舟に怖がり、なかなか足を踏み出せなかった。

 

「ライラ」

 

 湖面と小舟の境界を見つめ、ユラユラ揺れるそれに怯えていたライラは、アルファードのその声で視線を上げた。アルファードはライラに手を差し出していたのだ。

 トムはアルファードの行いを見て、盲点を突かれたような顔をした。その後、トムもまた手を差し出す。少し気恥ずかしそうな顔をしていた。

 

「……あ、ありがとう……」

 

 尻すぼみなお礼を言って、ライラは二人の手を取った。二人が手を差し出すだけで安心感がある。

 

「乗ったね? 出発!」

 

 ダンブルドアがそう号令をかけ、杖を振れば、小舟は現れたときと同じように誰の助けも借りず進んでいく。

 凪いだ黒い湖を行く様は、不可侵と思われた神秘に手を滑らすような、そんな不思議な感覚があった。やがて橋をくぐり、湖面の月を揺らして小舟はホグワーツの船着き場へと到着する。

 

「降りて! もうすぐだ。もうちょっと頑張ってくれ」

 

 長い階段を、列をなして生徒達は登る。どの子もしんどそうな顔をしていた。ダンブルドアはたびたび励ましの言葉を送って生徒達を鼓舞する。

そして、ダンブルドアが一際大きい声を上げた。

 

「着いたぞ!」

 

 大きな樫の木で出来た扉の前に、ダンブルドアは立ち、新入生が集まるのを待った。ランタンはすでにどこかへと行っていた。代わりに、灯された松明が生徒達を怪しげに照らす。グッと雰囲気が出たなとライラは思った。

 

「これから君たちはこの先の大広間での歓迎会の前に、組分けの儀式を受ける。そう、寮の組み分けだ。楽しみにしてる子は多いだろう。大事な儀式だ。なんてったって、ホグワーツにいる間は寮生が家族なのだから」

 

 ダンブルドアは、期待に満ちた囁き声が収まるのを待って続けた。

 

「グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。偉大なる創設者が築いた四つの寮だ。それぞれに歴史があり、誇りがある。君たちが良い子でいれば、得点という形で寮に貢献できるだろう。その逆も然り。悪いことは罰される。毎年、一番得点が多い寮が寮杯を受け取るのだ。ここまではいいかい? よし……それでは、大広間に入るまでに身なりを整えなさい。特に、そこの君、ローブに蛙チョコがくっついてる」

 

 ローブにくっいていた蛙チョコは、ダンブルドアがそういうなりぴょんとどこかへ行ってしまった。

 ダンブルドアが何も言わず前を向いたことで、新入生達は自ずと背筋を伸ばした。ライラは天を仰いで緊張をほぐそうとした。本物の月が見えて、なんとなくホッとする。

 

「時間だ」

 

 扉が開いた。

 万雷の拍手が大広間に鳴り響いている。ロウソクが宙に浮き、石造りの床をチカチカと照らした。沢山の生徒が興味深そうに新入生を眺めている。

 新入生は大広間の中、特に上の方をキョロキョロと見回した。天井には、魔法で描かれているであろう満天の星空が、宝石の如き美しさで輝いている。

 上にあるのは星空だけではない。半透明の人型……ゴーストだ。新入生達を目を輝かせ見ている。死してなおその目には火が灯るらしい。

 アルファードは背筋を伸ばし、前だけを向いて歩いた。

 トムとライラは、そんなアルファードに向けられるひそひそ声に、いつしか気がついた。

 

「あれが……」

「ヴァルブルガ様の……」

「…………ブラック」

 

 アルファードは聞こえているのかいないのか、その声を気にも留めなかった。

 ライラがアルファードを心配していると、新入生達の入場が止まり、扉が閉まった。

 大広間の一番奥、全体が見渡せる場所に、古びた椅子とそれ以上に古びてボロボロな布切れがあった。そして、驚くことにその帽子が動き出したのだ!

 

「組分け帽子だ」

 

 アルファードがコソッと二人に囁く。

 

「喋るんだよ」

 

 その言葉の通り、やがてそのボロ切れにシワがより、やがて口になり、目になり、不思議な顔になっていった。

 一際大きく口を開け、組分け帽子は歌い出す。

 

 

 はるか昔に作られた

 古代の叡智を閉じ込めた

 私を作ったあの人は

 名高き英雄グリフィンドール

 

 ただの帽子と思うでない

 ただのシワだと侮るでない

 見抜いてみせよう

 君の心を

 示してみせよう

 君の才能

 

 勇気ある者

 グリフィンドール

 騎士道精神極まれり

 

 誠実な者

 ハッフルパフ

 誰にも負けぬ忍耐強さ

 

 叡智宿す者

 レイブンクロー

 この世の真理を探求す

 

 俊敏なる者

 スリザリン

 美しき秘密の守り人

 

 告げてみせよう

 寮の名を!

 君のもう一つの家を!

 この組分け帽子にお任せを!

 

 

 歌は朗々と響き、新入生を圧倒した。一拍置いてパチパチと拍手がなる。

 

「今年は短めだな」

「流石にレパートリーも尽きてきたんじゃないか?」

 

 そんな声が聞こえて、毎年組分け帽子は歌っているのだとライラは知った。

 

「名前が呼ばれたら、前に来て椅子に座りなさい。ABC順だ」

 

 ダンブルドアがそう言って、アルファードはたじろいだ。彼はBlackだから早い方なのだ。

 

「アディントン・サム!」

 

 ツンツンとした茶髪の少年が、もっと深い茶色の組み分け帽子を被った。そして数秒後。

 

「レイブンクロー!」

 

 組み分け帽子が叫んだ。

 ワッとレイブンクローのテーブルから歓声が起こる。

 その後も数人続いて、帽子は次々に寮を告げた。そしてBの番が来る。

 

「ブラック・アルファード!」

 

 大広間、特に端っこのスリザリンのテーブルがざわめいた。本当にアルファードは顔が知られているのだと、ライラはやっと実感した。

 アルファード自身も、分かりきっていることだと笑っていたはずだが、実際にその時が来ると緊張しているようだった。ライラもそれに共鳴するように鼓動が速くなる。

 

「スリザリン!」

 

 組み分け帽子がそう叫んだ瞬間、スリザリンの方から割れんばかりに歓声が聞こえた。アルファードが机に向かえば勝手に席が空き、彼はテーブルの中心の方へと据えられている。そのすぐ隣には、ライラがコンパートメントで見たヴァルブルガも座っていた。すぐそばにルクレティアもいるはずだ。

 トムはR、ライラはOであるためその間はボーッと組み分けを見ていた。同級生の名前を覚えるわけでもなく、ただ組み分け帽子が叫び、寮生達が歓声をあげるというのを繰り返し、繰り返し聞いていた。

 

「オーツ・ベル!」

 

 その名前が聞こえたとき、やっとライラはハッとした。先の彼女はハッフルパフのようだ。

 きっと次かその次だとライラが思うと、一気に鼓動が加速した。隣のトムをチラリと見て、スリザリンのテーブルにいるアルファードを見る。どちらとも目があった。

 

「オルコット・ライラ!」

 

 ついに、ライラの名が呼ばれた。

 ライラが一歩踏み出すと、一気に視線が降り注ぐ。慣れない量の視線に頭が熱を持ってクラクラするような感覚がした。一歩一歩を踏みしめないとそのまま倒れてしまうような気がした。

 ライラは自分の何がそんなに気になるんだろうと疑問に思ったとき、ひらめいた。自分の髪色と瞳の色は魔法族の中でさえ珍しいものなのだと思い出したのだ。アルファードも、ドゥルーエラもそう言っていた。

 髪と目のせいかと思うと、なんだか心が軽くなった。

 ようやく椅子の前に辿り着き、ライラは座って帽子を引き下げる。ズボッと音がして、そのあとすぐに大広間の雑踏がぼやけたように聞こえなくなった。まるで水の向こう側のようだ。

 

「ふむ……どこがいいかね……」

 

 低く、摩訶不思議な声が聞こえてライラは肩を跳ねさせた。かろうじて声は出なかった。

 

「あ、あの……組み分け帽子?」

「そうとも。さっき歌ってみせただろう?」

「まさか、頭の中に話しかけてくるなんて」

「君の才能を見るためさ……そうだな。優しく……しかし守りの姿勢が強い。俊敏という点ではそぐわない……。君はスリザリンに行きたいようだね」

「うん。友達がそこに行ったの」

 

 なんだか、組み分け帽子しか聞いていないと思うと、ライラはすらすらと話すことができた。自分でも不思議に思うくらいだ。

 

「君がスリザリンに行けば、大いなる運命に巻き込まれるだろう……波乱、混乱……それでもいいなら君はスリザリンに行くことになる」

 

 組み分け帽子のセリフに、ライラはオリバンダーのことを思い出した。サンザシの木の杖は矛盾と混乱を孕む______そして持ち主も________。それと共に、トムの杖のことも思い出した。

 

「……大丈夫。もう一人の友達が偉大になる予定で、私はそれを見届ける約束をしているから。波乱混乱なんて分かってたことよ」

「決まりだ__________スリザリン!!」

 

 スリザリン寮のテーブルから歓声が上がる。

 特にアルファードは立ち上がり手を振ってライラを迎えた。

 

「アルファード!」

「ライラ! ようこそ!」

 

 嬉しさのあまり、二人は手を合わせて喜んだ。その様子を見て、スリザリン生の歓声はたちどころに止んだ。異様な視線に、ライラが目をあげると何人かのスリザリン生が汚いものを見るような目でこちらを見ている。

 ゾッとするような目つきだ。ライラの背中に冷や汗が伝う。何故かは分からないが弁解したくなる、謝りたくもなる視線だった。攻撃の意思を示している。自然にアルファードの手を離していた。

 その中の一人は顔を真っ赤にして、目をつり上げてライラを指差し捲し立てた。

 

「お前! その方を誰だと______分かっているのか! _______気安く触れていい方ではない____」

 

 途端に、アルファードは冷めた目を見せた。ライラとトムはホグワーツ特急では一度も見なかった目だ。軽蔑でも、威圧でもない、ただただ真っ直ぐに咎めてくる目だ。

 

「僕の友達だ」

 

 その一言で捲し立ててきた男……ヤックスリーは引き下がった。

 アルファードの新たな一面に、ライラは驚愕したが怖くは思わなかった。ホグワーツ特急でその人の人となり全てを見るなんて不可能だし、そもそも自分を庇ってくれた友達に怯えるなんてどうしてできよう?

 

「こちらにお座りなさい」

 

 凛とした声が響いた。ヴァルブルガだ。コンパートメントとで見た姿とは別物に見え、この方がライラは混乱した。本当にあの人はキャアキャアとドゥルーエラと言い合いをしていたのだろうか?

 周りの純血家の子息、子女は、何故か見も知らぬ女がブラック家の分家筆頭の二人に受け入れられていることに納得いかなかった。しかし、楯突くわけにもいかない。先陣を切ったヤックスリーが撃沈した様子であるため、他のものは静観を決め込むようだ。

 組み分けはそうこうしているあいだに進み、あっという間にRの順になっていた。

 

「あの……姉上。きっともう一人、来ると思うのです」

「あの子ね。トム・リドル……といったかしら」

「ええ。ぜひ、ライラか僕の隣に座って欲しくて」

 

 耳を澄まして動向を伺っていた周りの子息たちは仰天することになる。もう一人来るのか!

 

「リドル・トム!」

 

 トムはゆったりと、実にマイペースに歩いていった。萎縮して小走りになるわけでもなく、戸惑ってヨタヨタと歩くわけでもなく、大広間は我が道だとでもいうように、知らしめるように歩いていく。

 トムが組み分け帽子を被る頃には、大広間は異様な雰囲気に包まれていた。トムにだけ視線が注がれ、教員達でさえも見放せないとでもいうようにトムを見つめていた。ハンサムな顔立ちも相まって、女生徒の中には食い入るように見つめている人もいた。

 シン、とした大広間の中に、組み分け帽子のゴニョゴニョとした声が微かに響く。

 そして高らかに叫んだ。

 

「スリザリィィィン!」

 

 ライラは誰よりも先に立ち上がった。アルファードはライラの手をとり、一緒になって手を振った。歓声は後から湧いてくる。

 

「トム! こっち!!」

「トム!」

 

 歓声に負けないようにライラは声を張り上げた。トムは苦笑いしながらテーブルの方へ向かってくる。

 

「これで無事三人ともスリザリンだ」

 

 アルファードはトムに座るよう促し、そう言った。満面の笑みだ。トムはライラとアルファードの間に座る。

 

「これほど嬉しいことはないよ! 組み分け帽子様様ね」

 

 ライラはトムにそう言って笑った。あんまり嬉しくて笑ってしまうなんて初めての経験だった。

 

「スリザリン寮へようこそ」

 

 ルクレティアがトムにそう言った。トムは向かいに座るルクレティアを見る。直感で、今この場では逆らわない方がいいと判断したのだ。

 

「ルクレティア様。ライラにはお会いしたでしょう? 彼はライラと僕の、友人のトムです。トム、彼女はルクレティア・ブラック。僕の再従姉にあたる人だよ」

「トム・リドルといいます。はじめまして」

「ルクレティア・ブラックと申します。お見知り置きを。アルファードの友人はライラだけではなかったのね。いいことだわ」

 

 そう言ってルクレティアが笑った。周りの取り巻きも、笑顔を貼り付け同調する。素性のわからない輩がまた現れたという嫌悪感を必死に隠そうとしていた。

 

「アルファード、私達……ドゥルーエラ先輩にセドレーラ先輩、アイリーン先輩もライラのことは知っていますけれど、トムのことは知らないわ。それに他の方々にも紹介しなくては」

 

 ヴァルブルガがそう付け加える。ヴァルブルガが提案していること。それは反発を抑えるための根回しだった。ブラック家に近づきたいもの、過激な純血主義のものを敬遠し、ライラとトムに危害が及ぶのを避けるためだった。

 その目論見がライラには分かったが、ライラは何故ここまで用意周到になるのか、これから先の友情が保証されているわけでもないのにと思った。アルファードと偶然出会った自分達のために迅速に動いてくれている。彼らにとってはなんでもないことなのかもしれないが、ライラにとっては見たことのない世界だった。友達になったことを周りに周知させるなんて! 普通は自然と知るものだ。

 

「談話室でね」

「はい。姉上。……ごめんね。トム、ライラ、疲れてるだろうに、寮に行ったら少しだけ残ってて欲しいんだ」

「そんなのアルファードだって一緒でしょ? 大丈夫」

「大丈夫だ。僕らのためにやってくれていることなんだから」

 

 三人が話し終わった時、ちょうどグリフィンドール寮の歓声がなくなった。組み分けがちょうど終わったのだ。

 それと共に、組み分け帽子はどこかへとしまわれていく。

 教員の中から一人、真ん中の席に座っていた男が前へと出てきた。

 アーマンド・ディペット……ホグワーツ現校長である。

 ディペットは二、三回咳払いをして、それから勿体ぶって口を開いた。

 

「新入生諸君、入学おめでとう。在校生諸君、夏季休暇は楽しめたかね? さて、またホグワーツに新しい一年が訪れた!」

 

 流暢に、軽くそれを喋ってみせたディペットは、これからが本題だというように表情を変えた。

 

「新入生諸君に自己紹介をしておこう。私の名はアーマンド・ディペット。栄えあるホグワーツの校長である。まぁそれ以外はあんまり覚えなくてよろしい。

 さて、簡潔に行こう。禁じられた森には立ち入り禁止だ。入るには先生方の許可と同行が必要になる。校則は守ること。『ホグワーツの歴史』という書物を見てくれ給え。校長の長ったらしい話はこれで終いだ。あとは存分に飲んで食べて騒ぎなさい」

 

 ディペットは喋っている間、全く表情を変えなかった。ただ後ろ姿は満足そうなので自身が演説を面倒くさく思っている節があるのだろう。

 教員の拍手も生徒の拍手も形式的な様子だった。

 拍手が終わると同時に、どこからか豪勢なご馳走が現れる。

 ワッと歓声が上がった。皆、ディペットのことなんかは頭に残っておらず、ディペット自身も食事が出てきて嬉しそうである。

 

「あの人、お腹減ってただけなの……?」

 

「ホグワーツの校長はみんな魔法使いとしては優秀だけどどこかぶっ飛んでるんだ。必要最低限の貴重なお話からもわかるだろう? 先生として相応しいかって言われたら……」

 

「そのために理事会があるのよ」

 

 アルファードの言葉を引き継ぐように語ったのは、セドレーラだった。

 

「セドレーラ先輩」

「久しぶりね。アルファード。ライラも。さて……あなたがトム?」

「トム・リドルといいます」

「私はセドレーラ・ブラック。よろしくね」

 

 セドレーラは席を離れてここにきたようで、ヴァルブルガの隣に挟まり込んだ。元々ヴァルブルガの隣だった、レストレンジは驚きすぎて後ろに転がっている。

 

「えーと、ああ。理事会よね。ホグワーツの中枢には校長、教員の他に理事会というものもあるのよ。『魔法省』を除けば、校長に直接的にかけ合うことができるのは理事会メンバーだけね」

 

 ライラは話の切れ目を感じ取って、先ほどからお預けにされていたご馳走に手を伸ばした。

 たんと並べられたローストビーフ、付け合わせに大量のベイクドポテト。ミートパイは焼き立てのようで湯気をあげている。さらにダメ押しでシェパーズパイまであった。食べ盛りの学生のために、肉料理を多く採用しているようだ。ただし肉料理の隣には、大きなボウルで葉物野菜も並べられている。デザートも種類が豊富で、甘そうなトライフルに、山盛りのアップルパイ、カスタードプティングまであった。

 ライラがザッと見てこれだけなので、まだまだ品数も量もあるのだろう。

 

「ライラ。スコッチエッグがあるぞ」

 

 トムの指差す先にはこれでもかと盛り付けられたライラの好物のスコッチエッグの山だった。一体幾つの卵が使われたのだろう?

 

「……すごいね……」

 

 孤児院にいる頃は想像もしなかった料理の山。感動や驚愕ではなく、ライラはただただ衝撃を受けていた。この世にはこんなに食べ物があったのだ。

 

「あの子達にも……」

 

 ひっそりと呟かれたライラの嘆きは、誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 

 

 山のような食事が、生徒達によってあらかた片付けられしばらく経った頃、料理が盛ってあった皿達は忽然と姿を消した。

 ライラは料理が現れた時も思ったが、一体誰が、どこでこんなふうに食べ物を作って出して下げているんだろうと疑問に思った。それとも魔法でパッと出してしまえるのだろうか。もし魔法で食べ物を生み出せるのなら、孤児院の子達にもご飯を食べさせてあげたいと思った。子供達だけではなく、ミセス・コールを始めとした孤児院の大人達にも。ウール孤児院で飢えているのは、子供だけではないのだ。

 ライラがそう夢想していると、校長がまた静かに前に出て来た。

 

「さて……満足するまで食べたかね? では、寮に戻ろう。新入生は監督生について行くように。解散!」

 

 それと共に、セドレーラが立ち上がった。

 

「新入生! こちらに。並びなさい。寮へ案内します」

 

 セドレーラの雰囲気の変わりようにライラはびっくりした。コンパートメントではふわふわと笑っていたのに、今では整然とした顔つきである。後ろで纏めていた黒髪が、余計にセドレーラに毅然とした印象を持たせていて決して高圧的ではない、ついて行きたくなるようなリーダーを演出していた。

 

「……セドレーラ先輩って監督生? なんだ」

「学年で男女一人ずつで、五年生から監督生になれるんだ。寮につき六人いる。だからセドレーラ先輩は今年から監督生になったんだ。成績優秀で品行方正な人しか選ばれない。すごいことなんだよ!」

 

 アルファードが熱っぽい顔で弁を振るった。セドレーラに憧れを抱いているというよりも、監督生という立場に憧れがあるようだ。

 トムは興味深そうだったが、ライラはアルファードの様子に頷くことしかできなかった。自分にはできないな、とも思ったし、セドレーラはすごい人なんだとも思った。つまりはいまいちピンときていない。

 一年生はお行儀良くセドレーラについて行く。一年生の横には六年生などが控え、後ろにも他の学年が続いていた。

 スリザリン生一行は階段を降り、冷気の漂う廊下を歩く。明かりはあるが、少し薄暗い。じめっとした雰囲気も漂ってきた。少ない明かりが壁や床にテラテラと影を落としているのが不気味だった。

 コツコツという固い靴音が反響する。

 何かの秘密クラブに案内されているようだとライラは感じた。

 

「ここよ」

 

 セドレーラは冷たい石壁の前に立ち、新入生を振り返った。

 

「スリザリン寮に入るには、合言葉を言う必要があるわ。二週間ごとに変わるから、掲示板をよく見ること。他の誰かに教えたりしたらダメよ。組み分け帽子が謳ったように、私たちは『秘密の守り人』。固く守られた秘密はやがて絆に変わり、私たちを強く結びつける_________。合言葉はその秘密の一つ。寮の場所もね。

 じゃあ、今週の合言葉は……『蘇りの石』」

 

 セドレーラが高らかに合言葉を言った瞬間、壁の中から浮き上がってくるように石造りの扉が現れた。つるりと艶めき、パターン的な模様が刻まれている。アラベスク模様によく似た模様だ。

 

「さあ、入って。________スリザリン寮へようこそ」

 

 セドレーラに迎え入れられ、新入生たちは急足で談話室へと入った。

 

「スリザリン寮は城の湖……船で渡ってきたでしょう? その地下にあるの。だから窓からは魚が見えるわ。寝室に行けば、水の揺らぎと共に眠れる……」

 

 スリザリンの談話室は緑と銀を基調にシックな家具でまとめられていた。裕福な純血家が多く所属したため、その影響が見て取れる。壁にも柱にも美しい飾りが施してあったため、談話室自体が芸術作品の様だ。一番奥の真ん中にある暖炉の上には、シンボルである蛇の石像が飾られていた。目はエメラルドグリーンに輝いている。

 窓の外は妙に明るい水で満たされていた。月の光が差し込んでいるのだ。ぼんやりとした雰囲気が怪しさを引き立てている。

 少し明かりが足りない分は、緑色のランプで補っていた。仄かに青い緑が、水の揺らぎと共に寮生を照らす。ライラの顔を映すくらいに磨きあがれた石の壁も緑の光を反射し、より幻想的になっていた。

 

「綺麗……」

 

 ライラがそう呟いた。トムも談話室の様子に感嘆した様だ。アルファードは興奮しきりでかえって動けないようだった。

 

「みなさんの寝室はあちら。部屋割りはしてあるわ。女子が左で、男子が右。お互いにお互いの寮には立ち入り禁止よ。さ、部屋割りは掲示板に貼ってありますから同室の方と部屋を確認してから行きなさい」

 

 セドレーラがそう言った瞬間、新入生たちは掲示板の方に行った。誰と同室になるのか、何人部屋になるのか気になっている様だ。これから七年付き合うことになるのだから当然である。

 ライラもその流れに乗って行こうとしたが、トムにローブの袖を掴まれた。それでライラは思い出した。アルファードとトムと一緒に、他の上級生に挨拶に行くことになっていたのだ。

 談話室には何人かの上級生が留まっている。談話室のソファーに腰掛け、ライラたちを待っている様だ。

 

「緊張しなくていいよ。良い人達だから」

 

 アルファードは気軽にそう言ったが、ライラにはそうは思えなかった。

 窓から差し込む水の光が昏く上級生の背を照らしている。緑のランプの光がアクセントとなって、より威圧的にした。

 暴れる心臓を押さえつけ、ライラは一歩踏み出した。

 

 

 





組み分け帽子の歌はノリで作りました。


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鮮烈なりイザベル

 

 

 

 

 何か、恐ろしく強大なものに向かっているような感覚だった。止まることは許されず、ただ震えながら一歩一歩進むしかない。ライラは気を失いそうだった。人見知りのせいもあったが、そもそも今相対している人たちが異常なのだ。おんなじ制服を着てただソファーに座っているだけなのに、自分とは何かが決定的に違う。オーラとしか言えないものが、自分に迫ってきているとライラは茹だる頭の中で思った。

 トムは緊張しすぎているライラの様子を見て、どうにかできないものかと思ったが、どうすればいいかわからなかった。緊張しすぎて粗相をされても困る。

 まずはアルファードがライラとトムを紹介した。

 

「ライラ・オルコットとトム・リドルです。今日ホグワーツ特急で出会って、すっかり意気投合してしまって……」

 

 三人の真向かいにいた、中央のソファーに座るプラチナブロンドの男は微笑み、ライラとトムに視線を投げた。

 

「喜ばしいことだ。私はアブラクサス・マルフォイ。アルファードとは親の代……もっと前からの付き合いでね。嬉しいよ。本当に」

 

 食えない笑みだった。

 ライラは、よりにもよってアブラクサスが口を開いたことに不安を募らせた。なぜなら、その場にいるもので唯一初対面だったからだ。他の子女達とはコンパートメントで、案外カジュアルな雰囲気で挨拶を交わしたからだ。それでもトムに比べればマシだと思った。トムなんかはほとんどが初対面なのだ。当のトムは緊張なんておくびにも出していなかったが。

 

「はじめまして。トム・リドルといいます。どうぞよしなによろしくお願いします」

 

 トムはずいぶん謙った様子で、アブラクサスに挨拶をした。アブラクサスの目線はライラに集中する。

 

「あ……ライラ・オルコットと申します」

 

 ライラは会釈をしたまま顔を伏せた。見られていることが耐えられなかったのだ。

 

「ライラ、顔を上げて? そんなに怯えることはないんだ」

 

 アブラクサスが優しくそう言えば、ライラは恐る恐る顔をあげる。

 

「君たちは私の後輩だ。私を持ち上げる必要もないし、私が君たちに雑用を押し付けることもしない。私は監督生という立場で、後輩を導くから、是非君たちもそういう風に接して欲しい」

 

 随分と、雰囲気が柔和になった。

 値踏みは終わったのかとライラは勘ぐった。一体何が琴線に触れたのかは分からないが、とりあえず攻撃される対象ではなくなったようだ。

 

「あと、アブラクサスって呼んで欲しいな」

 

 そう言って微笑むものだから、ライラは警戒心を忘れた。人たらしというべきか、先ほどまでとは違った凄まじさを持つ雰囲気を発している。

 

「はい……アブラクサス先輩……」

 

 熱に浮かされたようにライラがそうつぶやけば、アブラクサスは頷いた。

 トムはライラを肘でこづく。いいように懐柔されるなということだろう。ライラはやっと自分がアブラクサスに精神的に手懐けられていたと気づいた。

 

「トムは他の方にも紹介しなきゃ。あの方がドゥルーエラ先輩。その右がアイリーン先輩だ」

 

 紹介された女性達はにこりと温和な笑みを浮かべた。下手したら惚れてしまいそうなほど美しい。

 

「ドゥルーエラ・ロジエールよ! よろしくね」

「アイリーン・プリンス……。よろしく」

 

 ドゥルーエラもアイリーンも、コンパートメントで会った時と変わらない様子だった。それにライラは安心する。セドレーラもヴァルブルガも、だいぶ変わった様子を見せていたから、もしや全く別の人なんじゃないかと思って不安だったのだ。

 

「皆さま……どうか、よろしくお願いします。弟の友人ですから、傷つく事がないように……。どうか」

 

 ヴァルブルガが静かにそう言った。緑のランプに照らされた顔が、神妙な雰囲気を物語っている。

 

「もちろんだとも。ライラ、トム、アルファード。困った事があれば、すぐ、この場にいるものなら誰でもいいから頼りなさい」

 

 アブラクサスがそう言えば、皆頷いた。アイリーンだけは自信のない様子でジッと三人を見るだけにとどめた。

 

「お心遣い感謝します」

 

 アルファードがそう言って頭を下げたので、ライラとトムも続けて頭を下げた。三人は知らないが、その横ではヴァルブルガも頭を下げ感謝を示している。

 

「さ、もう眠ろう。引き留めて悪かった。どうしても、君たちのことを知りたかったんだ」

 

 アブラクサスが二度手を叩けば、令嬢達はソファーから立ち上がり寝室へ向かう。三人は頭を上げた。

 ひと段落ついた、とライラは隠すこともなく息を吐いた。再びトムに肘でこづかれる。

 

「掲示板を見て、部屋が分かればこちらにアルファードとトムはこちらに。ライラは女子寮の方だ。案内人が沢山いるようだね」

 

 ライラはてっきりヴァルブルガ達は先に眠ると思っていたのだが、どうやら自分を待っていてくれるようだった。

 慌てて三人は掲示板を見る。ずらっと並んだ名前と数字の中に、ライラはしばらくして自分の名前を見つけた。二人部屋らしい。同室の女子は、全く知らぬ名だった。

 ライラの横で、アルファードがアッと声をあげる。

 

「トム。僕たち部屋が一緒だ」

「……七年間よろしく」

「こちらこそ! 嬉しいな。これってなんだか……まるで……」

 

 アルファードが言い淀んだ言葉をライラは引き継ぐ。

 

「運命みたい」

「そう。いざ聞くと恥ずかしい……」

 

 トムはアルファードの様子を見てフッと笑った。堪えられなかったようだ。ライラもつられて笑う。アルファードはじわじわ顔を赤くしていった。しかし満更ではない顔である。

 少しライラは寂しがったが、お互いの寮には入れない。それに寂しいよりも堪えきれない眠気がやってきていた。安心しきったのか、欠伸が出てくる。

 

「じゃあ、おやすみ。良い夜を」

「うん……また明日ね。トム、アルファード……」

「ちゃんと同室の人と仲良くしろよ」

「うん……」

 

 聞いちゃいない、とトムは肩をすくめ寝室に上がっていった。

 ライラも、待っていてくれた先輩方に囲まれ女子寮に入る。

 

「ライラ。眠いでしょうけれど、もう少し頑張ってちょうだい。階段だから気をつけて。あなた、ちゃんと目を開けてるの?」

「あら、ヴァルブルガったら母親みたいね」

「ルクレティア! 私は先輩ですもの」

 

 ライラは半分眠ったような意識の中でヴァルブルガ達の会話を聞いていた。もはや意味のある音として捉えられない。

 

「……思ったより様子が……もう寝てないかしら?」

 

 エドレーラの声だ。

 

「担ぐなんてできないよ」

 

 これはドゥルーエラ……。

 

「早く部屋に……」

 

 今のは誰だろう?

 ライラの頭の中には霞が現れ、もはや視界のほとんどは暗くなっていた。目を開けているのが億劫で、気力のみで足を動かしている。 

 やがて誰かに腕を支えられ、何かに放り込まれたのをライラは感じた。ふかふかとしていて、体が沈み込んでいく。ここが眠る場所だとライラは直感した。

 

「着替え…………」

「……………ハウス…………」

「…………は?」

 

 かろうじて聞こえていた声も、それを最後に聞こえなくなる。

 ライラの思考だけが残り、それも夢の中に溶けていった。

 窓を水が打つ。こうしてライラのホグワーツ生活は始まったのだ。

 

 

 

 ザ……ザ……と音がライラの耳に入った。何度も何度も反復され、心地よく安心できる音だ。

 そのうち、一際大きい音が鳴った。

 バチン!

 その音ともにライラは目覚めた。ヒュッと息を吸い込み、ほとんど驚いて起きたようなものだ。

 視界には全く知らない銀と緑のカーテンに、豪奢な天蓋がある。

 ここはどこだ_________そう思った瞬間、ライラはいつのまにか孤児院の前に立っていた時の恐怖を思い出し、パニックになりかけた。

 ここは_______私の名前は? 大丈夫、私の名前は__________。

 

「起きた!? もう。しっかりしてよね……。ああ、あなたの名前は?」

 

 甲高い声が聞こえ、ライラはベットの上で飛び上がった。ホグワーツの制服を着た______そうだ、ここはホグワーツだ_______少女がライラを覗き込んでいる。短い金髪に碧眼の人形のような少女だった。水越しの朝日が柔らかに彼女の睫毛を照らしている。

 

「ライラ……ライラ・オルコット……」

 

 ライラは口をはくはくしながら咳き込んで、ようやくそれだけ答えた。

 

「ああ、そうね。ライラ。そうだったわ。あなた、見た目の印象が強すぎて、名前が覚えられなかったの。私はイザベル・ブルストロード。あなたと同室よ。昨日は自己紹介しようとしたけど、あなた遅いんだもの。寝ちゃったわ」

 

 寝起きの頭にそれだけの言葉が入るわけもなく、ライラは一体何を言われたのか分からなかった。それよりも自分は朝の支度をしなければならない。今は何時だろうか?

 

「支度したほうがいいわよ。余裕はあるけど、授業初日だもの、何があるか分からない」

 

 イザベルの言う通りだった。余裕はあって困らない。

 ライラは部屋を駆け回って支度をした。よりにもよって今日はひどい寝癖が付いているし、制服を着るにも戸惑ったが、イザベルの助けも借りてなんとか五分後には支度を終えていた。

 

「行くわよ。一緒に朝食を食べてあげる。自己紹介も改めてそこでしましょう」

 

 テキパキとしたイザベルにライラは引っ張られるようにしてついていった。朝でも少し薄暗い談話室を通り抜け、大広間へ向かう。昨夜とおんなじ道を通っているはずが、時間が違うだけで全く雰囲気が違って見えた。

 大広間は賑わっていた。朝食も量がたっぷりあるようで、ベーコンにゆで卵にパンやサンドイッチが果てしなく並んでいる。

 ライラとイザベルはスリザリン寮のテーブルにつく。すぐ横を血みどろ男爵が通り過ぎて行った。

 まだ少しパニックが治まっていなかったライラは、鼓動が早まる心臓を宥めながら震える手でパンとベーコンを皿によそった。

 イザベルは知ってかしらずか、朝食を口に運びながら自己紹介をする。

 

「改めて。イザベル・ブルストロードよ。よろしくね。イザベルって呼んで」

 

 差し出された手を取り、固く握手をした。その時、イザベルがライラのことを探るように見たのを、ライラは敏感に感じ取った。

 

「私……ライラ・オルコット。ライラって呼んでくれると嬉しい……。よろしく、イザベル。昨日はごめんね。私、そのまま寝ちゃって……って、え?」

「何よ?」

「私、昨日制服から着替えなかった!」

 

 ライラの頭はだんだんはっきりしてきていた。先輩達にお休みの挨拶もせず、崩れるように寝たこと、それどころか誰かに支えてもらいながら寝室に行ったことも思い出してきていた。もしかしたら着替えまでさせてしまったんじゃないかとライラは震えた。もしそうだとしたら謝罪で済むのかと辟易した。

 

「ああ、それなら」

 

 しかし、ライラの問いに対する答えはイザベルが持ち合わせていた。

 

「ハウスエルフだと思うわ」

「ハウスエルフ?」

「知らないの? 屋敷に支える、妖精の召使いよ。大きい家だったら大抵住み着いているわ。特にこのスリザリン寮だったら馴染み深い生き物でしょうね」

 

 まさかあなたの家にはいないの? と言いたげな表情でイザベルは言った。召使いとはいえ、妖精とはいえ、裸を晒したのかと思うとライラは恥ずかしくて朝食を食べる手が止まってしまった。もしかして生きてきたなかで一番恥ずかしいのではないかとも思う。

 

「……安心しなさい。魔法を使えば、裸なんて見なくて済むでしょう。……きっと」

「そんな! わ、私、みっともない……そもそも昨日、先輩方の前で……」

 

 今にも泣き出しそうなライラの様子にイザベルはあたふたとした。ライラには自覚はないが、ライラのバックに有力な純血家が複数ついているのはもう寮内どころか学校中に知れ渡っているのだ。そんな子を泣かしたと思われたらたまったものではない。

 

「やだ! 大丈夫よ。そんな無粋な生き物じゃないわ。先輩方もきっと優しい方々よ。そ、それよりあなたの髪、綺麗ね。『七変化』でもないのにそんな色をしてるのは初めて見たわ」

 

 イザベルは無理矢理話を変えた。これでライラの気はそれた。受け答えをするのに必死になったのだ。

 

「えっと……よく言われる。ありがとう。イザベルの髪も綺麗……。あと、『七変化』って何?」

「生まれつき、姿を自由自在に変えられる能力のことよ。……ライラ、あなたマグル生まれなの?」

 

 ライラはパニックの後遺症からか警戒心を失っていた。好奇心のままに質問をしてボロを出してしまった。なるべくこういった質問は避けたかったのだ。だが、聞かれた時の返答も決まっている。

 

「……マグルの中で育ったの。孤児なの、私。七つの時に記憶喪失になって、気づいたら孤児院にいた」

 

 その返答に、もともと気が強そうに釣り上がったイザベルの眉はますます角度を上げた。疑っている表情だ。言葉を選ぶようにして、イザベルは会話を続ける。

 

「あー……その、そういうつもりじゃ。えっと、つまり、マグル生まれか純血か、分からないってこと」

「そう」

 

 イザベルは食事の手を止め、考え込んだ。ライラと付き合っていくべきか考えているのだ。分からないとはいえど、ライラの特異な容貌……白い髪に紫の目は魔法族の生まれ、半純血か純血の可能性が高かった。結論はすんなり出た。

 

「分かった。これからよろしく。ライラ。同室として七年間」

「……うん。ありがとう、イザベル」

 

 イザベルの思考には打算が多分に含まれていたが、それでも友好的な態度には変わりなかった。

 二人が朝食を食べている最中、大広間の奥の方からトムとアルファードがやってきた。

 

「あ、ライラ。おはよう! 起きて談話室で待ってたんだけど来ないから先来ちゃった。起きてて良かった」

「おはよう。ライラ、そこの女子は?」

「おはよう、トム、アルファード。この子は同室のイザベル。イザベル、私の友達。トムとアルファード」

「……知ってるわよ……。特にアルファード。イザベル・ブルストロードよ。よろしくね」

「よろしく」

 

 トムとイザベルは握手を交わした。二人は少し剣呑な雰囲気を醸し出している。お互いがお互いを強く疑っているのだ。二人の勘ぐりは熱烈で、なかなか手を離しはしなかった。今度はライラが話を無理やり変える番だ。

 

「あ、あのっ、イザベルってアルファードと知り合いなの?」

「……まぁね。私も彼も、純血だもの。パーティーで何度か」

「会うのは久しぶりだね」

 

 ライラはブルストロード家って純血なのか、と軽く捉えていたがトムはギョッとして慌てて手を離した。その様子を隠しもしなかったので、イザベルは口角をピクピクとさせている。

 

「……へぇ……純血だと、聖二十八族の一つだと敬われたことはあれど、こんな風に気持ち悪いとでもいうように拒絶されたことはないわ……。随分な態度じゃない……」

 

 髪が逆立つのではないかと思うくらいイザベルは怒っていた。それに恐ろしかった。美女の怒りはこの世で一番怖いものなのだ。

 トムは迂闊な行動をしたとあたふたし、アルファードは仕方ないなとでもいうふうに傍観していた。ライラはどうにかこうにかその場を諌めようと手をしっちゃかめっちゃかに動かす。

 

「ご、ごめん、イザベル。いつもトムはこんなんじゃないんだ。多分緊張してて。私からも謝るよ。本当にごめん! トムも謝って!」

「あなたに免じて許してやれるほど私たち仲良くないわよ」

「いや、あの、申し訳なかった。少し警戒が過ぎた。そんな高貴な血筋の子女の柔い手を握りしめていたのかと思うとつい驚いてしまって……」

 

 トムはあの迂闊な行動から立ち直ったのか、いつもの通り化けの皮をかぶってイザベルを言いくるめようとした。

 その場にいる全員がそれに気づいたが、そんなつもりはなかったと言われてしまえばそれ以上追求はできない。

 

「……ふん。いいわ。つまりはブルストロード家が純血であると知らなかった上の悲劇と言いたい訳?」

「その通りだとも」

「分かったわ。許します。私こそ朝食の席でみっともない姿を見せたわね」

 

 とりあえずその場は収まったらしい。

 ライラは一安心だが、このやりとりで純血というワードが出るたびにドギマギしていた。マグルではなく、純血ではないからと拒否されいじめられたらあまりにも辛いからだ。同室とは仲良くしていたい。

 

「寛大な心に感謝します」

 

 トムはそう言い残して、アルファードと去っていった。一足先に授業へ向かうのだろう。

 

「食えない男ね」

 

 イザベルはトムの姿が消えたのを見て吐き捨てるように言った。

 ライラは苦笑するだけにとどめる。

 果たして仲良くできるだろうか________特にトムとイザベルは_________できたら二人にも仲良くしていて欲しいのだ。そうしてライラ達は朝食を終える。

 ライラとイザベルの友情は、こうして少し歪に始まりを迎えた。

 

 

 



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よろしくとは言い難い

 

 

 

 ライラとイザベルは、朝食を終えた後授業のある教室に向かおうとした。初めての授業は呪文学である。

 ライラだけでなく他の一年生も、初めて行われる授業に気分が上がり、そしてどこか不安にもなっていた。

 

「次は呪文学よね?」

「うん」

 

 朝食の流れで共に行動することになっていた2人は大広間をでてしばらく歩いていた。呪文学の教室に向かうためである。向かうために歩いていたのだが……。

 

「……おかしいわね」

「教室ってどこだろう……」

 

 しばらくして二人は立ち止まった。何度か曲がり道を曲がり、動く階段を登り、そうしているうちに迷ってしまっていたのだ。ライラがイザベルに起こされたおかげで、急いで準備したおかげで授業には間に合う時間だったはずが、今ではもうギリギリの時間である。迷っている暇も、寄り道している暇もないのだ。

 

「ど、ど、どうしよう……どうしよう!」

「泣くんじゃないわよ。私も泣きたいのよ!」

 

 二人なりの気持ちの鼓舞の仕方だった。決して言い争っているわけではない。証拠に不安から二人は手を繋いでいた。

 

「こっちかもしれない……」

「先通ってきたところでしょう!」

 

 焦りばかり募って、不安から動けないまま少し時間が過ぎた。

 その時、ライラは目の端に動くものを捉えた。

 

「あ、人! 聞こうよ。上級生かも……」

 

 ライラはイザベルを引っ張りズイズイと歩いていく。曲がり角に消えたものを追い、角を曲がると、半透明の何かがいた。その半透明の何かは、オレンジのおどろおどろしい帽子を被り、つぎはぎだらけの赤い上着に、青いズボンを履いている、ピエロのような格好をしていた。

 

「おぉぉおおおやぁああぁああ!!! 可愛いチビちゃん!! 迷子の子羊かい?」

 

 とてつもない声量、大仰すぎる身振り、正気とは思えない言動。ライラは追ってきたことを早速後悔した。イザベルも声無く拒否を示し、ライラを反対方向に引っ張っている。それでも、背に腹は変えられない。

 

「あ、あの!」

「んん〜〜〜声が小さいなぁ?」

「あの!! 呪文学の教室ってどちらですか!?」

 

 人生で一番大きい声を出したのではないかと思うほど、ライラは声を張り上げた。廊下にうわんと声が反響している。後ろのイザベルが袖を引っ張る手を止めた。

 

「このオイラに道を聞くとは! 嬢ちゃんさてはオイラのこと知らないなぁ?? そりゃそうさ! 一年生だもの!」

「そうなの。昨日来たばっかりで迷って……」

「オイラはピーブズ。ポルターガイストのピーブズさ! 覚えておきな、オイラは悪戯が大好きなのさ! だから教えてなんかあげないし、クソ爆弾だってぶつけてあげる_________」

 

 全くもって行動が読めないピーブズに、二人はびっくり仰天して動けなかった。唐突に、理由もなく、悪意もなく悪戯をされる_______何かは全くわからないがぶつけられる_______ライラがイザベルを庇い、目を瞑った時、地の底から爆発するような声が聞こえた。

 

「ピーーーーーーブズ!!!!!」

 

 二人は反射的に目を開け、耳を塞いだ。先程と同じくらい、信じられない声量だ。

 廊下の奥から、また半透明のゴーストがやってきていた。

 

「ピーブズ。我が寮の生徒に、しかも新入生に! 悪戯はやめろ。しかも、幼気な少女たちにあろうことかクソ爆弾だと!! 恥を知れ! 反省しろ! さっさと消えるがいい!!」

 

「まずいっ、『血みどろ男爵』様だ! じゃあなチビちゃん達!」

 

 アーーハハハハハハ! とそこかしこに笑い声を反響させながらピーブズは床をすり抜け逃げていった。

 

「あやつめ、反省しないのは分かっている……毎年毎年……」

 

 何をされようとしていたのか、何が起こったのかはっきりわからなかったが、とりあえず目の前の二人目のゴーストが助けてくれたということだけは二人には分かっていた。もしかしたら道も聞けるのではないかと、ライラはコンタクトを試みる。

 

「あ、あの……」

「うむ。なんだね。ピーブズには何もされなかったか?」

 

 ライラの試みは容易く成功した。このゴーストは話が分かるのだ。

 そういえば、とライラは昨晩のことを思い出した。ヴァルブルガが言っていたのだ。ホグワーツにはゴーストが存在し、寮憑きのゴーストもいるのだと。そして、時たま助けてくれるとも……。

 

「私たち、迷って……呪文学の教室ってどちらですか?」

「案内しよう。ホグワーツは複雑だ。慣れないうちは集団で動くか上級生に案内してもらいなさい」

 

 パッとイザベルの顔が輝いた。ようやくどうにかなる目処がついたのだ。

 それと共に、ライラと手を繋いでいるということに恥ずかしくなったのか、さりげなく手を離していた。そしてなんでもなかったかのようにライラに囁く。

 

「よく話しかけたわね……あのピーブズってやつにも、こいつにも……」

「我ながら、どこからそんな度胸が湧いてきたんだろうって思うよ……」

 

 ピーブズのインパクトが強くて忘れていたが、目の前のゴーストもそれなり珍妙な見た目をしていた。なんてったって血まみれである。

 歩いている途中、ライラはお礼を言おうとゴーストに話しかけた。

 

「あ、あの、案内していただいてありがとうございます……ミスター?」

 

「血みどろ男爵でいい。皆からはそう呼ばれている。それに私はスリザリンの寮憑きゴーストだ。スリザリン生が困っているとあらば、助けぬわけにもいかない」

 

 そうして二人は無事に呪文学の授業に間に合った。というのも、ピーブズに出くわしたところからそう離れていなかったのである。

 血みどろ男爵に再度お礼を言い、ライラは授業開始5分前に呪文学の教室に入った。

 積み上げられた本に、中央に位置する教卓、その周りに並んだ勉強机。天井が高く、風通しの良さそうな教室だった。

 そこにいた生徒は数少なかったが、その中にトムとアルファードもいた。たまらずライラは駆け寄る。

 

「トム! アルファード!」

「あっ、ライラ」

 

 イザベルは躊躇しながらライラの後ろについていた。

 

「イザベルと一緒にきたんだね」

「うん……あと血みどろ男爵とも」

「ゴーストと?」

「迷っちゃって、案内してもらってたんだ」

「ふん。遅刻しないでよかったな」

「本当に良かった!」

 

 ライラがそう言って笑った時、イザベルがライラの袖を思い切り引っ張った。驚いたライラをそのまま引っ張り、空いていたトムとアルファードの上の席へと座り込む。

 

「……?? イザベル?」

「……さっさと座らないと先生に怒られるわよ」

「うん……そうだね……? ありがとう」

 

 困惑したライラを放って、トムとイザベルは睨み合った。アルファードは苦笑いをして目を逸らす。

 

「どうせ、貴様が考えもなしに突っ走って迷ったのだろう。ライラは馬鹿ではないから、そこらへんの上級生に頼るくらいの能はある」

「あら、ライラが迷うと思っていたのなら待ってあげれば良かったのではなくて? それとも、エスコートする余裕もないちっぽけな男なのかしら」

 

 トムとイザベルの出会いは最初から少し険悪だったが、それから数時間もたっていないのにここまで関係悪化が進んでいるなんてライラは思ってもみなかった。しかもここに来るまで会ってすらいなかったのに!

 トムは態度を繕う様子もなくイザベルに言葉を投げかけた。そんな態度を取っても大丈夫だと判断したのか、繕うこともできないくらい嫌悪を持っているのか、ライラには分からなかった。

 二人が冷徹に睨み合っているなか、大勢の生徒が遅刻寸前で教室に飛び込んできた。

 ライラの横にもトムの横にも、ぶつかるように生徒がなだれ込んできたことで、二人の睨み合いは一旦終わりを迎えた。それと共に先生も登場する。

 

「やぁ、遅刻寸前で来た生徒がたくさんだね。遅刻する生徒もいるだろう。この授業では大目に見よう。ホグワーツは油断すると私でも迷うほど複雑だからね________」

 

 ライラはその声が聞こえた方向を見たが、何も見えなかったことに首を傾げた。疑問に思った瞬間、ひょこりと何かが動いたのが見えた。やがてその何かは教卓に積み上げられた本の上によじ登り、その上に立つ。やっとその全貌が見えた時、ライラは驚きで目が離せなかった。

 呪文学の教師は、背が異様に小さく、耳が尖り、つぶらな目に丸メガネをかけた、決してマグル社会で目にすることのない男性だった。他の生徒もジッと彼を見ている。イザベルですら食い入るように見つめていた。

 

「初めまして。ホグワーツで呪文学の教師を務めている、フィリウス・フリットウィックだ。レイブンクローの寮監もやっている。これを言うといつも意外だと言われるのだが、これでも決闘チャンピオンでね」

 

 フリットウィックが機嫌良くそう言うと、生徒の間にさざめきが広がった。

 ライラにはよくわからないが、決闘チャンピオンというのはすごいものらしい。

 

「この授業では、魔法族が使う基本的な呪文について学ぶ。物を浮かせる呪文_______洗浄の呪文_______物を爆発させる呪文______シンプルだが、シンプルであるが故に範囲は広く、奥深い。呪文学は必修なため、七年間君たちとは付き合うことになるだろう。よろしく」

 

 にこやかに笑ったフリットウィックは、明らかに優しい人だった。楽しい授業になりそうだとライラは安心し、そして胸を躍らせた。

 

 

 

 最初の授業は簡単な物だった。ただ杖を振るだけ。杖の振り方を学び、そして次の時間に魔法を実践するらしい。

 ライラとイザベル、アルファードとトムは合流し、四人で次の授業に行くことになった。トムとイザベルは不満そうだが、迷ったときの保険である。

 次の授業は魔法薬学だった。

 

「……ビューン、ヒョイ、ビューン、ヒョイ。こんなものか。拍子抜けだ」

「たしかに、魔法を使えるってワクワクしてたから、拍子抜けかもね」

 

 呪文学の授業に不満があったトムにはライラが付き添い、その横で延々とトムを睨み続けるイザベルにはアルファードがそれぞれ付いた。ライラはトムとそれなりに気心が知れた仲であるため特に苦労はなかったが、アルファードとイザベルには個人的な付き合いが皆無であったため、イザベルの気を逸らすのにアルファードは骨を折った。

 魔法薬学の教室はスリザリン寮と同じ、地下にあった。

 教室に近づくにつれて、四人は喋るのを段々と辞めていった。何故なら奇妙な薬品臭が漏れ出しているからだ。ライラは純粋に恐怖した。あれこれ考えて自分でドツボにハマるような不安とか恐怖感ではない。ただただ命の危険を感じた。

 

「大丈夫かしら……」

「所詮は授業だ……その筈だ」

 

 誰かが喉を鳴らした。まさかのイザベルとトムが言葉を交わした。

 勇敢にもイザベルがそっと教室の扉に手をかけ、ゆっくりと開いていった。薬品臭が目に見えるように漏れ出してくる。吸い込まないように四人は気を張ってどうしようかと思案していた時だった。

 誰もの不意をついて男が扉から出てきたのだ。

 扉を開いていたイザベルは悲鳴をあげる寸前で堪えた。しかし弾かれるようにしてライラに引っ付きに行く。ライラ自身もショック状態から体を取り返そうとしていた。

 トムとアルファードはお互いの肩を掴んで後退りしていた。

 男はライラ達が怯えたことに驚いたようで、目をまん丸くしながら四人を教室に招く。

 

「おや! どうしたんだね。早くお入りなさい。遅刻で減点されたいのかな?」

 

 男はでっぷりとした腹を揺らし、もうわずかしかない髪を撫でつけながら言った。セイウチのような髭が目を引く。

 ライラ達は入らざるを得なかった。しかしもう減点されてもいいから逃げたいとライラは思っていた。恥も外聞も捨ててライラは匂いに対する嫌悪感を顔で訴えに出た。眉を潜め、眉間に皺を作り、口を真一文字に引っ張って、顔のパーツを全部鼻に寄せるような顔をした。

 ライラの様子に気づいたイザベルとアルファードは吹き出し、トムはライラの背中を叩いてやめろと示したがライラはやめなかった。むしろますます顔を酷くした。

 イザベルとアルファードは笑いを堪えるのに必死でもはや役に立たず、トムもなんだか笑えてきたためライラから目を逸らした。

 ライラの拒否の姿勢を察したのか、男はおどけたような顔をして弁解を始める。

 

「ほっほう、匂いに気づいたかね! すまない、すまない……。いや、何、個人的な研究でね……。すぐ片付けよう。危険なものじゃない。入りたまえ」

 

 引っ込んだ男に続いてライラ達はようやく教室に入った。

 酷い薬品臭があふれる教室だが、その実置いてあるものは魅力的だった。棚に並べられた材料、磨かれた大鍋、煮える何かの音、ライラの想像していた魔法の世界がそこにあった。

 匂いのことも忘れ、ライラはキョロキョロと教室を見渡す。すると、材料などの他に、赤いローブも目に入った。グリフィンドールの生徒だ。

 魔法薬学はグリフィンドールとスリザリンの合同授業なのだ。

 

「匂いは気にならなくなったかね? あー、ミス?」

「ライラ・オルコットといいます。はい。匂いは消えました。ありがとうございます」

「ミス・オルコット。君の名前はすぐ覚えれそうだ。その髪と瞳が目立つからね」

「……はい。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 ライラは返答があっているかトムをチラリと見て確かめた。トムだけではなくイザベルも頷いている。あしらい方も及第点だったようだ。アルファードだけは顔を顰め、誰にも見えないところで下品なジェスチャーをしていた。

 その時、ライラはグリフィンドールの方から嫌な視線を感じた。振り向けば四人の方を見てヒソヒソと何か喋っている。

 

「ほっときましょう。ライラ。こっちに」

 

 イザベルがそう言って引っ張るので、ライラは素直に従った。どうせ髪や目に関する何かだろうとたかを括って、授業の始まりを待った。

 

 

 

 

 しばらくして生徒が教室に揃ったため、教師である男が改めて教卓に立った。皆をジッと見て、そして点呼を取る。

 

「テリー・スペディング……シリル・ウィルソン……」

 

 やがて男はある名前で言葉を切った。

 

「……アルファード・ブラック。ほっほう! アルファード・ブラックかね! どの子だい? 手を挙げておくれ」

 

 アルファードは教室に入る前のライラみたいな顔をして手を恐る恐る挙げた。喜びを隠さない男はアルファードに駆け寄り、その手をガシッと掴んだ。

 

「やぁ、お目にかかれて光栄だ。私はホラス・スラグホーン。お姉さんのヴァルブルガか従姉妹だったか_____なんだったか、ルクレティアから私のことは聞いてるかね? 勿論、どっちも私の教え子だ。それに、私はスリザリンの寮監でもあるからね」

 

 あまりの勢いに当てられ、アルファードは目を白黒とさせた。同じ机を囲んでいたライラ達が抗議の視線を向けても、全く通じない様子でスラグホーンはアルファードに詰め寄り続ける。

 こんな奴がスリザリンの寮監なのかとトムは頭痛がする思いだった。

 その場にいる誰もが、こいつは贔屓をする嫌な奴だとなんとなく認識し始めていた。

 

「ええ。聞いています……とにかく凄い先生だと……ええ、凄い先生だと。姉の言葉通りだと、授業を聞くまでもなく分かりました」

「いやぁなんて殺し文句だ! 君のような生徒は嫌いじゃない。むしろ好ましい。ただそればかり聞いていると私の身は破滅してしまいそうだ。というわけで授業を始めよう。すまないね。お待たせした!」

 

 スラグホーンは咳払いをし、そのまま自己紹介を始めた。

 

「私の名はホラス・スラグホーン。魔法薬学の教授をしている。実は、私は魔法薬学に長けた者を集めて、『スラグ・クラブ』というのを開いていてね。今回の授業で何人が入ることになるのか、いやはや楽しみだ!」

 

 数人はスラグホーンから目を逸らした。目でもつけられたら大変なことになると分かっていたからだ。

 

「では今回は、簡単なものから調合をしてみよう。書き取りばかりしていても魔法薬学は修められないからね。今回作るのはおできを治す薬だ。教科書を開きたまえ。八ページ」

 

 スラグホーンによるおできを治す薬の作り方と注意事項の説明がようやく終わった後(何度も話が脇道に逸れた)生徒達は調合に取り掛かった。材料は全て摩訶不思議なもので、干しイラクサ、茹でた角ナメクジ……等、聞き覚えのないものばかりだった。

 しかし、やはり工程は細かく複雑であれど本質は料理と一緒だ。ライラは自分で想像していたよりも気軽に取り組めた。トムとペアを組んでいたのも緊張しなかった理由だ。

 

「ええと、私はナメクジを茹でておこうかな」

「じゃあ僕は蛇の牙をすり潰す」

 

 ライラは湯を沸かしていたが、そのうち入れることになるヌトっと輝く角ナメクジを見て少し苦い思いをした。気持ち悪い。そう、摩訶不思議なと言えば聞こえはいいがその実はマグルからすれば気持ち悪いとしか言いようがない材料ばかりだった。

 茹だった鍋にボトンボトンとナメクジを入れていく。生き物をそのまま茹でるという行為に、怖気を催しながらライラは鍋をかき回した。茹でたことがあるのは少しの肉か野菜なため、ライラは不思議にもここで命の尊さを再確認した。

 

「茹で上がったか?」

「多分これでいいよ」

「次は________」

 

「ちょ、ちょっと! 待って」

 

 トムとライラが次の作業に進もうとすると、イザベルから待ったがかかった。

 

「あなた達本当に初心者?」

「そうだけど……」

 

 信じられないものを見るような目でイザベルはアルファードと自分の作業場と、トムとライラの作業場を見比べた。

 

「周り見てごらんなさい、まだ蛇の牙をすり潰すのに苦戦してるわよ。あなた達ったらもう熱してる!」

 

 その時トムが大鍋を火から下ろし、杖を振った。蛇の牙の粉末を十秒熱する必要があったのだ。

 

「うん。今終わったね」

「どうやって? 何か裏技を……? いいえ、そんな様子は……」

「料理をよくやってたからかなぁ……分からないけど。アルファードもイザベルも、料理とかは召使いさんにやってもらうような身分でしょう? 私たちは自分で作ったりするから……」

 

 この説明で、今自分の肩を万力の力で掴んで離さないイザベルは離れるだろうとライラは思っていたが、イザベルは離れなかった。むしろ力が強まった。このお人形さんのような顔からは想像だにしない力が今ライラの双肩にかかっている。トムの厳しい目も背中に刺さっていた。イザベルに怒っているのではなく、作業をしないライラを咎める視線だった。

 

「……どうして料理と魔法薬学は繋がるの?」

「……えーっと……似てるからだよ。切ったり茹でたり潰したり……」

「……似てるの???」

「うん。私はそう思うよ」

「えっ、じゃあ私たちは角ナメクジを食べてるの???」

 

 真剣な顔でイザベルがそう言うものだから、ライラは一瞬魔法界ではそうするのかと思ったが、後ろの方でアルファードがお腹を抱えて崩れ落ちたのを見て、そうではないことがはっきりした。

 こんなやりとりをしているが、イザベルはそんなトンマでもバカでもない。今は少しパニックになっているだけだ……そうライラは引き攣りそうな腹筋を宥めて、首を横に振って見せた。

 

「ちっ、違う……違うよイザベル……。作業が、そう、作業が似ているの。ざっ、材料は全く別物だよ。つまり経験の差だって言いたいの。……ね、イザベルすぐできるようになるから……。作業に戻らないとトムに怒られる……」

「あっ、そうよね。授業中なのに。ごめんなさい。作業に戻るわ_______アルファード? どうしたの? 具合が悪いのかしら」

「い、いや! いや! 大丈夫。大丈夫だよ!」

 

 トムの冷たい視線を受けながら、ライラは作業に戻った。集中しないといけないのだが、イザベルのポカンとした顔が忘れられず手元が狂いそうだ。

 

「火から鍋を下ろしてくれ。山嵐の針を入れる」

「うん……ふふっ、イザベルったら……あははっ」

「集中しろ! 爆発してもいいのか」

 

 鍋を火から下ろし、トムが山嵐の針を振りかけるように入れた。そして時計回りに五回かき回す。杖を振り、薬がピンク色の煙を立てれば成功だ。

 トムとライラは顔を寄せて、大鍋から煙が上がる様子を観察していた。ゆっくりと煙が立ち上り、透ける桃色は、壁の色との対比でようやく見えた。

 

「……ピンクだ」

「……よし。成功だ」

「やったー! 早くメモ……レポート……」

「書くのはいいが片付けろよ。調合の時みたいになったら敵わない」

 

 その時、スラグホーンが鋭く嗅ぎつけトムとライラの方にやってきていた。

 

「もうできたのかね!」

「教授。見ていただけませんか?」

「もちろんだとも。ふぅむ……」

 

 スラグホーンは杓子に薬を取り、フラスコに入れ光にすかしたり振ったりして観察したのち、喜びの声を上げた。

 

「素晴らしい! 完璧だ。正確さもさることながらそのスピードには脱帽ものだよ! おや! ミス・オルコットがここにいた! いやはや魔法薬学が得意のようで嬉しいよ。そして君は? ミスター?」

「トム・リドル」

「ミスター・リドル! このままこの薬は私が預かろう。まぁ間違いなくトップの評価だ。我がスラグ・クラブへの加入の日も近いぞ」

 

 周りの、意外なものを見るような、まさしく出る杭を見るような目にライラは怯え隠れた。しかしトムはその視線を一身に受ける。視線を糧にして輝くかのように、トムは誇らしく立っていた。

 こういうところが、トムの尊敬できる部分だと______そして自分が甘えてしまっている部分だとライラは1人、静かにそう思った。

 

 

 

 

 スラグホーンが二度、手を叩いた。終了の合図だ。

 

「薬ができた者はフラスコに入れて提出するように。できなかったものはフラスコに詰めるか、それができそうになければ少し教室に残っていなさい。私が直接見よう」

 

 トムとライラはとっくに片付け終え、教室を出る準備をしていた。アルファードとイザベルも順調に薬を完成させ、今はレポートに記入している。

 

「何とかできてよかったわ……。ライラ、教えてくれてありがとう」

「ううん。イザベルもアルファードも完璧だったよ。違いはスピードだけ。教えることなんて何にもなかった」

「確かに調合に関してはそうかもね。でも、小刀の使い方とか、効率的な分担の仕方とか……ライラの言う通り経験の差がモノを言うところで助けてもらったわ。……悔しいけどあの男にもね……」

 

 まるでトムが発火するんじゃないかと思うくらいイザベルは悔しさを灯らせてトムを睨んだ。トムは鼻で笑うだけでイザベルの相手はしない。

 トムはさっさと教室を出て行く。アルファードもそれを追った。次は変身術の授業なので、迷わないよう付いていてくれるのだろう。

 ライラとイザベルも変身術の教室に向かおうとした時、イザベルがあっと声を上げた。

 

「やだ……教科書置いてきちゃった! 取りにいくわ。全く……地下室だからよかったものの……だめね。私」

「そんなこと……私のせいでバタバタさせちゃったし……。スリザリン寮まで付いてくよ。寮の前で待ってる」

「いいのよ。先に行って」

「イザベルがいないと私、迷って永遠にホグワーツから出られなくなるわ」

 

 イザベルは笑って、小走りにスリザリン寮へと向かった。

 ふわふわと走るイザベルを、なんだか妖精みたいだなと呑気に思いながらライラは後を追った。

 スリザリン寮に着いた途端、素早くイザベルは合言葉を言って扉に滑り込む。その様子をライラは見ていたが、合言葉が聞こえるか聞こえないかのところでイザベルすらぼやけて見えなくなるように感じた。外からはこんなふうに見えているのだと感心しながら、ライラは壁に寄りかかり、イザベルを待つ。

 しばしぼーっと壁を見つめていると、ガヤガヤと騒がしい足音と喋り声が微かに響いているのにライラは気づいた。

 その音が気になったライラは、寮の前を離れ、廊下を進んでその音の発信源に向かう。

 するとそこには、五人のグリフィンドール寮生がいた。しかもほとんど男性である。

 他寮生、殆どが自分よりも上級生……ライラは気づかれないうちに後退りし、その場を去ろうとしたが、そのうちの一人が大声を上げた。

 

「おい! お前盗み聞きしただろう!」

 

 全ての目がこちらに向いている。敵意が募った目だった。ギラつき、威圧的で攻撃的な目は、ライラにとってまるでメデューサの目のようだった。

 ライラは声を上げることもできず、動くこともできず、ただ首を振ることしかできなかったが、盲目的なグリフィンドール生は全く意に解さずもう一度大きな声で叫んだ。

 

「卑怯者め! 誰が言いつけた? 誰の命令だ? マルフォイか? ブラック家のどれかか? 入学したての一年生までスパイに使うとは、スリザリンは根から腐っているようだな」

 

 その言葉を皮切りに、嘲笑や暴言、聞くに耐えない罵詈雑言がライラにぶつけられていく。

 ライラは盗み聞きなんかしていない。ただ通りがかっただけの一年生だ。

 何故こんな目に遭うのだろう? 答えは明白だった。目の前の人達は、スリザリン生であれば誰だっていいのだろう。ここにいるのがトムであれどアルファードであれど、イザベルであれど……誰だっていいのだ。スリザリンに属しているなら、彼らにとっては皆悪なのだ。

 あまりにもショックだった。ライラの体はブルブル震え、全身が熱くも冷たくもなった。呼吸が荒くなり、勝手に涙が出てくる。頭が沸騰しそうだった。

 その時、ライラは気づいた。

 暴走機関車のようにライラの口を飛び出そうとしている言葉があることに。

 心の底から、熱された油のような、弾けて溢れ出そうな力があることに。

 この感情は恐怖などではなく、怒りであるということに!

 グリフィンドール生達は、ライラに苛立ちをぶつけるように言葉を投げかけていたが、全くダメージが無さそうなことにさらに苛立っていた。目の前の蛇が、怒りに奮い立っていることにも気づかず、小さくとも恐るべき毒を持った蛇であることにも気づかず、少し驚けばいいと______軽い気持ちで________杖を抜いてしまった。

 ライラはそんな状況でも冷静だった。相手が杖を抜けば、自分も杖を抜いていいだろうと、そんなことを考えるくらいには冷静だった。

 

「ちょっとからかってやるよ。ラングロ(舌縛)________」

「黙って」

 

 その場にいた誰よりも早く、ライラは杖を抜き、そしてただ純粋な魔力を杖から放出させてみせた。

 バチン! と音が響き、呪いをかけようとしていたグリフィンドール生が後ろ向きに転ぶ。

 何人かのグリフィンドール生は、改めてライラを眺めた。紫の瞳は血走り、こちらを睥睨している。白い髪は怒りで逆立つようだった。あの怯えていた少女が、冷たい怒りを孕む美女に変貌している。

 恐怖と、少しのプライドが、ますます彼らを愚かにせしめた。

 

「ぺ、ペトリフィカス・トタルス(石になれ)!」

 

 未だ守る術を習っていないライラは、呪いを避けようとしたが間に合わない。万事休すかと、目を瞑った時、自分の後ろに気配があるのにライラは気づいた。

 瞬く間にライラの前に障壁が張られる。防衛呪文だ。

 

「校内での私闘は禁止。知っておったかね?」

 

 ライラは顔を上げた。忘れるわけがない。あの特徴的な服、顎髭、その声でさえも。あの特別な日の思い出に全て閉まってある。

 ライラの口から、自然とこぼれ落ちた。

 

「……ダンブルドア先生」

 

 

 






夢小説らしくなってきました。


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緑に染まる

 

 

「……ダンブルドア先生」

 

 気の緩みとともに吐き出されたライラの言葉に、ダンブルドアは頷いた。

 グリフィンドール生はまさかダンブルドアが現れるとは露にも思っておらず、みるみる顔を青くした。杖を取り落とし、なんとか逃げることができないかと怯えている。

 

「ライラ。大丈夫かね? 何があったか言ってみなさい」

「ダンブルドア先生! _______違うんです_____そいつが、卑怯な、そう卑怯な真似を___」

「私には、君たちが呪いを放ち、ライラに攻撃している場面しか見ていない。だから、正直に、どちらからも話を聞く必要がある」

 

 話せるか、と促された時ライラは喋ることができないほどに涙を流した。怒りはとっくに失われ、ただただあの酷い言葉の数々が醒めた頭に反響している。ひどく耐え難かった。

 

「ライラ。一旦落ち着こう。泣くことはない。もう怖くない……」

 

 涙を流せば、喋れない。喋れないから誤解されてしまうかもしれない……そんな考えがライラの頭の中で渦巻き、嗚咽に塗れながらライラは必死に言葉を発した。言葉にならない呻きが喉と胸を焼いた。

 

「わ、わた、私……ちがう、違うの。先生……私……」

「ああ。分かっている。だが君の口から聞きたい」

 

 ライラは手で顔を覆い、落ち着こうと肩を上下させる。ダンブルドアはその背をさすり、ライラの証言を辛抱強く待った。

 その間グリフィンドール生は、怯えていた少女、先程まで美しくも冷徹に怒っていた女、そして今、目が溶け落ちるのではないかと思うほど涙を流す少女……ライラが見せた全く異なる姿に目を白黒させていた。だんだん自分のやっていたことが、どれだけ最低であったかも分かってきていた。

 ライラはようやく息を整え、つっかえながらダンブルドアに説明した。

 

「イザベルが……教科書を忘れて、私、寮の前で、待ってたんです……。そしたら、そしたら______私、ただ気になっただけです。盗み聞きなんてしなかった……! すぐ戻ろうとしたら、その人たちが______盗み聞きしたって______卑怯だって……」

「なるほど。君は攻撃されたのか?」

「……怒ってたんです。私、彼らが杖を抜いたから……だから、私も杖を抜いて、黙ってって言ったら、何かが飛んで……」

 

 ダンブルドアは合点がいったように、ライラの魔力が当たったグリフィンドール生の方に駆け寄った。

 

「道理で。見事な舌縛り呪文だ。無意識の……しかし強い魔力による仕業だね。心配しなくていい。すぐに解ける……ほら」

 

 パッとライラの無茶苦茶な呪いを解いてみせたダンブルドアは、おどけたように笑った。ライラはそれをみて安心する。何か後遺症が残ったら、と心配だったのだ。

 

「君たちの言い分は?」

 

 ダンブルドアがグリフィンドール生にそう問うと、ほとんどの生徒は俯き、首を横に振った。

 

「よし……グリフィンドール、一人につき三十点減点。つまりは百五十点だ。新学期二日目から大幅な減点、グリフィンドール寮監として残念に思う。もちろん罰則もあるから、連絡を待ち給え。騎士道精神を重んじるグリフィンドール生であるにも関わらず、少女を、あろうことか大人数で責めたこと、恥と思いなさい」

 

 静かな説教にライラは身を固めたが、その後すぐ、ダンブルドアはライラに笑みを見せる。

 

「ライラ。次の授業は変身術だったね?」

「はい……」

「何を隠そう、変身術の教師は私だ。次の授業は出なくていい。医務室で療養しなさい」

「でも、私授業には……」

「いいから。大丈夫だ」

 

 ダンブルドアが歩き出したため、ライラも歩き出した。ライラがどれだけ抗議しようとも、ダンブルドアは医務室に行くつもりだろう。

 ライラの足は力が入り過ぎて、ガクガクと怪我をしたように、くずおれそうになっていたが、ダンブルドアはその速度に合わせて歩いた。

 

「あの……ダンブルドア先生。どうしてあそこを通りがかったんですか? 地下だし、変身術の教室は遠いのに」

 

 するとダンブルドアは得意げに笑ってみせた。

 

「イザベルだよ」

「イザベルが?」

「ああ。教室に遅刻寸前で飛び込むなり、ライラがいない、行方不明だ、迷ったのだと騒いだものでね。事情を聞けば、寮の近くにいるはずがいなかったということだったから、まずスリザリン寮の近くに来たのだよ。まさかこんなことになっていようとは……」

 

 ライラは今すぐにでもイザベルに抱きつきお礼を言いたい気分だったが、大人しく医務室へ歩いた。きっとそわそわしながら自習でもしているのだろうと思うと、ライラは気が気じゃなかった。

 

「イザベルには君は医務室にいると伝えておこう。もちろん、トムにも、アルファードにもね」

「ありがとうございます」

 

 しばらくして医務室につき、ダンブルドアはドアをノックした後、大きな声で人を呼んだ。

 

「マダム・ポンフリー! いるかね?」

「はい! ここにいますよ。どうされたのですか? 怪我ですか? 体調不良ですか?」

 

 マダム・ポンフリーと呼ばれた女性が奥からシャキシャキとした歩き方で出てきた。若いが、せっかちな年寄りのような雰囲気を纏っている。ある意味馴染みやすい雰囲気の女性だ。

 

「トラブルに遭ってね。可哀想に、まだ体がパニックを起こしている。休ませてあげてくれないかね」

「あらまぁ、こんなに震えて!」

 

 ライラはそう言われて震えがおさまっていないのに気が付いた。足があまりに遅かったのもそのせいだった。

 

「では、よろしく頼むよ」

 

 ダンブルドアを見送った後、ライラは医務室のベッドに通された。

 魔法薬学の教室とはまた違う、ツンと鼻につくような清潔感のある薬品臭が漂っている。ライラはこの匂いが少し気に入った。白いベッドも見るだけで安心できる。

 

「ベッドに入るか、腰掛けるかしなさい。紅茶か何か飲みますか? 落ち着きますよ」

「あ……じゃあ、いただきます」

「全く! 何があったんです? あなたが今学期初めてのお客様ですよ。まさか午前のうちにいらっしゃるとは」

「……ごめんなさい」

 

 ベッドに腰掛け、ライラは俯いてマダム・ポンフリーを待った。マダム・ポンフリーは紅茶を空中で作ってみせた。ひとりでにカップが空中を滑り、スプーンがカップの中で回っている。

 ライラはそれに見惚れながらそっとカップを受け取った。

 

「砂糖とミルクは要りますか?」

「……砂糖を一つだけ」

 

 マダム・ポンフリーが指をカップに向けて振れば、角砂糖の入った壺が飛んでいく。

 

「お飲みなさい。……まだ手が震えているわ」

 

 ライラの手は未だ震えていた。カップから紅茶がこぼれそうなほど。マダム・ポンフリーは火傷をしてはいけないと、ライラからカップを取り上げた。

 ライラも、カップを通して温かみが全く伝わってこないことに気づいていた。この調子じゃカップを取り落として割ってしまうだろうということも。

 

「何があったの? もちろん、ダンブルドア先生には伝えているでしょうけれど……」

 

 一体何を言うべきか_______何から話せばいいのかライラには分からなかった。あれは一体何だったのだろう。

 考えがまとまらないまま、ライラは口を開いた。

 

「……初めてでした……理由が全く分からないまま、暴言を吐かれるのは。今までは、髪とか、目とか……そういうことを揶揄ってくる人が多かったから。でも、彼らは、きっと『スリザリン』であれば何でもよかった。私じゃなくったって。あそこにあったのが、スリザリンの紋章でも彼らはきっと泥を投げる。分からない……分からないです。彼らは何に怒っていたのか」

 

 マダム・ポンフリーには、ライラが全てを語らなくとも何かあったのかおおよそ察したようだった。固く握りしめられたライラの拳を解くように、マダム・ポンフリーは手を添える。

 

「スリザリンとグリフィンドールの確執は、今に始まったことではありません。創設者自身が、確執を生み出したことから始まりました。だからといって仕方がないで済ませていけないのはこの学校の卒業生、そして校医として分かっているつもりです。貴方のように傷つき、医務室に運ばれてくる生徒が少なくないというのは由々しき問題でしょう……。しかし、先生方も手をこまねいているのが現状です。この学校の教師が、何代にもわたって頭を抱えている問題です。情けなくも、私が今できることはここで治療をするだけ……」

 

 マダム・ポンフリーの言葉には校医としての無力感や、悲しみがこもっていた。ライラにもやるせなさが湧き上がってくる。魔法薬学のあの気分の悪いひそひそ声は、そのためだったのだ。

 ライラは衝動にまかせ、問いかけた。

 

「先生。私は何に怒ったらいいんですか?」

 

 ライラは、ようやく手に温もりが伝わってきたのを感じた。そして頰に涙が伝っていくのも。

 

 

 

 

 

 「ライラ!」

「ここでは静かに!」

 

 マダム・ポンフリーの警告を無視して、医務室に飛び込んできたのはイザベルだった。

 ライラが手を上げて招く暇もなく、イザベルがライラに突進する。後ろ向きにベッドに倒れ込む直前、ライラの視界の端に息を切らしたトムとアルファードが入り込んだ。

 

「うっ……イザベル……」

「ダンブルドアから聞いたの! 何があったの? 痛いところは? 怪我は? 私のせいよ。私が教科書を忘れたせいで……ライラを1人にしてしまった!」

 

 悲痛な叫び声の前では、マダム・ポンフリーも注意はできなかったようだ。

 イザベルはライラに抱き着いたまま涙を拭った。

 

「イザベルのおかげで助かったの。大丈夫。大丈夫だから……」

 

 イザベルの背中を撫でながらライラはあやすように言った。マダム・ポンフリーのおかげでライラは随分落ち着いていたのだ。

 

「ライラ。何があったの!? ダンブルドア先生からは医務室にいるとだけ……」

 

 息を切らしてアルファードとトムがやってくる。イザベルと共に走ってきたようだ。しかしイザベルは息を切らすどころか叫ぶ余裕もあったため、ライラは密かに驚いている。

 トムはすぐ言葉を発さず、何を言えばいいか決めあぐねているようだった。ただ一人、ライラよりも暗い顔でベッドの横で佇んでいる。

 他の三人はトムが何を言うか予想がつかずただ黙って待った。

 

「ライラ」

「うん」

 

 静かにトムは口を開いた。

 

「ライラ、怪我は?」

「ないよ」

「置いていかなければ良かった」

「あんなの、誰にも予想できないよ」

「_________何があったか、聞かせてくれ」

「もちろん」

 

 イザベルと別れたところから、ダンブルドアに助けられたところまで、ライラは全てしゃべって聞かせた。 

 イザベルは憤怒の表情を浮かべ、アルファードは絶句していた。トムは真っ白な顔を真っ白な手で覆う。

 

「……僕のせいだ」

 

 アルファードがそう言った。

 

「僕が、スリザリンとグリフィンドールは仲が悪いことを言わなかったからだ。僕は……ただ怖がってほしくないだけだった。信じてくれ、決してこんなことを望んだわけじゃなかったんだ」

「アルファード。アルファードは悪くない」

「言っていれば、ライラもトムも警戒したはずだ」

 

 固く目を瞑ったアルファードは、ため息をついた。ライラはどうしていいか分からず、違うということをただ伝えたくて、口をパクパクさせた。

 

「……私がライラを一人にしたわ。そのせいよ」

「違う、違うよ。誰も悪くないってば。イザベルも、トムもアルファードも! ねえ、私は大丈夫だから。お昼休みでしょ? お昼ご飯にしよ!」

 

 ついにライラは強行手段を取った。イザベルとアルファードの手を取り、大広間へと引っ張っていく。

 もちろん医務室を出る時、マダム・ポンフリーにお礼を言うのを忘れなかった。

 

「ありがとうございました。お茶美味しかったです。おかげで落ち着きました」

「良かったです。しかし、そこの二人に医務室では静かにするよう言っておいてください」

「はい。失礼しました」

 

 アルファードとイザベルは為されるがままになり、トムはその隣をとぼとぼと歩くため、ライラはどうしたものかと頭を抱えた。とにかくまずは大広間に行きたい。

 結局、手を離しても着いてきてくれるため、ライラは三人が着いてきているか確認しながら大広間に向かうことになった。

 大広間でやっと昼食にありつく頃には、ライラは疲れ果てていた。三人とも明らかに足りない量で済ませようとしているので、ライラは皿にポンポンと料理を盛っていく。

 

「大丈夫だって言ってるのに。もう!」

 

 

 

 

 

「アルファード! ちゃんとヴァルブルガ様に報告しなさいよね!」

「言われなくてもやるさ」

「ライラ、あいつは本当に女か? 僕やアルファードよりも足が速かったぞ。息切れもしてなかった」

 

 お昼ご飯効果にライラは苦笑しながら、口々に喋る三人を見つめていた。元気になったようで何よりである。

 

「失礼ね! あんたの足が遅いのよ!」

 

 イザベルの怒号が飛ぶ。少々元気になりすぎではないかとライラは思ったが、口に出すのはやめておいた。

 実際、トムはロンドンの街を駆け回っているため人より遅いということはない。イザベルが類稀なる運動神経の持ち主なのだろう。

 イザベルとトムの口喧嘩が始まろうとしていた時、ばしっ、と奇妙な音が響いた。アルファードの足下からだ。

 アルファードとライラは真向かいに座っているため、ライラは机の下を覗き込んだ。

 すると、何か奇妙な生き物がいるではないか。

 長く尖った耳。大きな目玉。ボロボロの布巾のような服を纏った生き物。

 驚いたライラと、アルファードの隣だったトムは立ち上がり、上から覗き込もうとした。

 

「ああ、机の上に立って。君の姿を見せてあげて」

「かしこまりましたでございます」

 

 おかしな言葉遣いのその生き物は、机の上に立ってなお、ライラたちよりも身長が低い、小さな生き物だった。

 

「ハウスエルフだ」

「……ああ! イザベルが朝言ってくれた生き物ね! お屋敷に仕える妖精ね?」

「その通り」

「へぇ……」

 

 トムはしげしげとハウスエルフを眺める。ライラも色んな方向から眺めた。ハウスエルフは恥ずかしそうに身を縮こめる。

 

「普通はホグワーツでは『姿くらまし』はできないんだけど、彼らは妖精の魔法を使うから緊急の言付けをするのに便利なんだ。君、これを僕の姉のヴァルブルガ・ブラックと、五年生のアブラクサス・マルフォイ先輩に一枚ずつ渡してくれ。できるね?」

「承知いたしましたでございます!」

 

 メモを受け取ったハウスエルフは、また奇妙な音を響かせてどこかへと去ってしまった。この術とやらが『姿くらまし』なのだろうとトムとライラは理解する。

 

「瞬間移動ができるのね」

「僕たちも免許を取ればできるよ。でも成人してからだ」

「アルファード。メモにはなんと?」

「明日の放課後、談話室で話し合いがしたいと書いた」

「え?」

 

 ライラはつい、声を上げてしまった。報告だのなんだのと話していたが、まさか集会のようになってしまうとは考えていなかったのだ。

 アルファードは真剣な顔で言葉を続ける。

 

「ライラ、君は運良く助かったし、ちゃんとダンブルドア先生から相手は罰を受けたから君の中では整理がついているのだろう。でも、これはちゃんと話し合いをすべき問題なんだ。これから先、減点をよく思わなかったグリフィンドール生から傷つけられぬようにしないと。場合によっては報復だって考えなきゃならない。スリザリン寮のプライドに関わるんだよ」

 

 アルファードの様子から、自分が思っているよりも大きな問題なのだろうとライラは理解したが、大事になるのが上手く飲み込めなかった。

 それに自分達がプライドのために報復を考えるように、相手もプライドや体裁の為だったのかもしれない。

 ライラの気持ちには揺らぎが生じていた。何に怒ればいいのか、何故大事にしなければならないのかと、心の中にしこりができているのだ。

 

「……でも、私そこまで怒ってないよ」

「ライラ、アルファードの言っていたことをちゃんと聞いたか? プライド______面子の問題なんだ」

「でも、当事者の意思も尊重されて然るべきでしょう!? 怒ったって仕方ないじゃない。彼らに怒るのは間違ってるかもしれないんだから。話し合いなんかじゃなくて、報告程度に_________」

 

 その時、ライラの横から手が飛んできた_____ように見えた。イザベルだ。イザベルがライラの肩を掴み、揺さぶるようにしてイザベルは言った。大広間に響く大音量である。周りの視線が集まったが、原因がスリザリンのテーブルであるため多くは目を逸らした。

 

「間違ってるわけないでしょう! いい? ライラは怒っていいのよ。ライラは怒って然るべきなの! 仕方のないことじゃないわ。アイツらが加害者で、ライラが被害者! しかも、聞いてれば謝罪だってないんでしょう? 怒りなさい! 怒って、大事にしてしまえばいいわ! そしたら次の被害に対する抑止力にもなるでしょう」

 

 イザベルの勢いにライラは目がチカチカする思いだった。目に染み込んでいくような、イザベルのブロンドがライラの胸を打つ。場違いにも、ライラはイザベルがすごく綺麗だと、そう思った。

 

「で、でも……溝を深めてしまうかも……」

「そんなこと考えてたわけ!? 信じられない! あなたが怒れば、訴えれば、溝が深まるんじゃなくて埋まるの! ちゃんといけないことだって周知されれば、罰せられると知られれば、その行為は収まっていくかもしれないでしょう。なあなあにするのが一番いけないのよ!」

 

 イザベルの様子に、ライラはあの時、怒ったのは間違いではなかったと思えた。正当な行いであったと思えたのだ。許しを得られた気がした。

 

「……何に怒ればいいか、分からなかったの。確執を産んだ創設者に? ここまで放っておいた先生達に? それとも、卑怯って言われたスリザリン? 迂闊だった私? でも_______私、怒っていいのね。グリフィンドール生に怒っていいのね」

「当たり前よ! 寧ろここで怖気付くようじゃ引っ叩いてやるわよ」

 

 あの激しい怒りの余韻を感じて、ライラは胸に手を当てた。間違っていない。大丈夫だと、そう言い聞かせる。

 

「アルファード。ごめんね。先輩達を集めてくれてありがとう」

「いいんだよ。納得してくれたようで嬉しい」

 

 微笑んだアルファードの横で、トムは意地悪に口角を上げた。今から何が起こるのか、何が起こせるのか、件のグリフィンドール生に何をしてやろうかと考えると楽しくて仕方ないのだろう。ライラに見られていると気づいてなんとか口角を下げようとしたが、隠しきれていない。

 

「トム。私刑はダメだよ。君個人の」

「分かってるさ。今、先輩達をどう言いくるめようか考えてるから黙っててくれ」

「ほんっと、いい度胸してるわね」

「まぁ、姉上やアブラクサス先輩もライラの意見は取り入れるだろうし……トムの意見も聞いてくれると思うよ」

 

 ライラは少しバツが悪い気持ちがあったが、今日の昼食は昨日のご馳走よりも、今日の朝食よりも、何よりも美味しいと思った。

 結局、ライラは保守的で秘密を好むスリザリン生だ。仲間と秘密の話をするのは何よりも楽しい。甘美で芳しい、仄暗い毒がライラを満たしていく。

 散々な初日だが、悪いことばかりではない。

 明日が少し、嫌ではなくなった_________。

 自然に微笑んでいた口元を、ライラは手で覆い隠した。

 

 

 



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嵐の前の静けさ

 

 

 

 

 

 昼食後は、魔法史に薬草学を受けてその日は終わった。午前のドタバタとは打って変わって、穏やかな時間が素早く流れていったためライラは気付けば他の三人と一緒にスリザリン寮へ戻るところだった。

 魔法史の教授はカスバート・ビンズ先生_______ホグワーツで唯一のゴーストの教授だ。昔のある日、肉体を置き去りにしながらも授業を行ったその日から彼はずっとここにいる。ビンズの授業は、先生の前では至極真面目に振る舞おうとするトムですらも屈服させるほどの催眠効果があった。アルファードもイザベルもライラも、気づいたら眠りに落ちているほどの一本調子極まりない教科書の音読。

 

「自分で教科書を見てまとめた方がマシだ」

 

 結局眠ってしまったトムは、教室を出るなりそう吐き捨てた。寝ぼけ眼で迫力は半減していたが。

 薬草学の授業はそこそこ退屈しない授業だった。温室で授業があり、その温かさに生徒達はあくびが止まらなかったが教授が現れたことで、その場を飽和していた眠気は霧散してしまった。というのも、薬草学の教授であるハーバート・ビーリー先生は実に_______衝撃的な_______インパクトのある_______奇抜な________なんとも形容し難いが、印象に残る人物であったからだ。

 ハーバート・ビーリー先生がアマチュア演出家であることは、ホグワーツに半年もいる者なら皆知るところである。

 

「さぁ!! 始めますよ! ハッフルパフ生の諸君、このスカーガラフのタネを配って。スリザリン生の諸君、下の鉢を机の上に乗せたまえ!」

 

 温室の壁をビリビリと震わすほどの声量に、生徒達は顔を顰めながら耐えなければならなかった。演劇を愛する者らしく、芝居がかった口調だ。

 

「本当に芸術を理解できるのかしら。あの男」

 

 温室を出た後、今度はイザベルがそう吐き捨てた。曰く、繊細さに欠けているらしい。

 そうして放課後になり彼らは一旦スリザリン寮へと戻った。生徒が活気あふれる様子で談話室に溢れている。しかし、寮に戻って数分もたたないうちにそうだ、とアルファードが声を上げた。

 

「変身術だけ宿題が出たんだ」

「よりによって……はぁ」

 

 落ち込むのも無理はない、とばかりにイザベルがライラの肩を叩いた。

 

「ただの小手調べよ。えーと、羊皮紙の大きさは問わない、内容は『変身術の授業で興味がある分野について書きなさい。(内容次第では授業内容を変えることがあります)』幼稚なものよ」

 

 簡単そうな課題にライラはホッとしたが、何を書けばいいのかということにまた悩むことになった。興味のある分野と言われても、知らないのだから。

 

「だから、僕図書室に行こうと思うんだけど。一緒にどう?」

 

 アルファードの申し出に、ライラは飛びついた。こっそりトムも。

 

 

 

 

 ホグワーツの歴史は古く、イギリス唯一の魔法魔術学校であるため、いつだって歴史の最先端を走ってきた。つまりは、ホグワーツの図書室は叡智の結晶である。 

 果てしなく並ぶ、信じられないほど背の高い本棚。当然のようにひとりでに収まりに行く本の数々。そして、厳しい視線を図書室の隅々に張り巡らせる司書、マダム・ピンス。

 このマダム・ピンスは今年からホグワーツに配属されたのだが、配属一日目にして生徒達の反感を大いに買っていた。図書室の中では物音厳禁。貸し出された本へ一つのシミも許さず、短気で金切声を上げる気難しい人。

 立ち姿はピシッとしているが、マダム・ポンフリーのように気丈さを表すわけではなく、何か動物的な恐ろしさを感じさせるような姿勢だった。

 図書室は不気味なほど静まり返っている。勉強熱心な者の羽ペンの音すら聞こえない。

 

 その時、バーン!! と音が響いた。

 

 ライラから見える全ての生徒_______そしてライラ自身も音に殴られたかのように飛び上がった。あまりに驚きすぎて息が詰まる。

 

「何事ですか!」

 

 言葉の端々がキンキンとなるようなマダム・ピンスの声が飛んだ。物音の方向へと歩いて行ったのを見て、音を立てるのを恐れるあまり動けなかった生徒が一斉に図書室を出て行く。

 あの緊張の中鳴り響いたあの怪音は、単にとてつもなく重い本を二年のレイブンクロー生が落としてしまった音だったらしい。

 未だにライラ達は図書室の入り口に立っているというのになぜ分かったかというと、マダム・ピンスの説教が響き渡ったからだ。

 

「本を落とすなんて! いいですか、どんな汚れも傷も許しませんからね!!」

 

 いつのまにか、ライラ達の周りには入るのを躊躇する生徒が集まっていた。

 ライラはアルファードのローブの袖を引っ張った。出直すか、別の方法を探そうと思ったのだ。こんな環境じゃ課題をこなすことなど無理だ。

 

「そうだね……戻ろう。教科書に頼ろう」

 

 四人はすごすごとスリザリン寮へと戻った。

 地下階にあるスリザリン寮では、どこへ行くにもどこから帰るにも不便だったが、こうなっては仕方ない。ライラはスリザリン寮を素晴らしい寮だと思っていたが、この点に関しては少しだけ不満だった。ホグワーツの階段は長いし、一段一段が十一歳の子供にとっては大きいのだ。

 

「はぁ、疲れたなぁ」

 

 ライラの口からぽろっと溢れでた言葉に、三人は頷いた。

 

 

 

 

 「あら、『変身術』の課題ですの?」

 

 談話室に戻り、気分を沈ませながら課題に取り掛かっていた四人はその声に顔を上げた。

 セドレーラだ。

 

「セドレーラ様」

「お久しぶりですね。イザベル。ライラと同室だったのね」

 

 セドレーラとイザベルも、当然のように知り合いだった。純血のコミュニティは本当に密なようだ。

 セドレーラはそっと声を潜めて、周りに聞こえないように四人に告げる。

 

「ライラ……初日から大変でしたわね。話は聞きました。アルファード、明日のことですが放課後になったら談話室には行かず、八階の方に行っていただけます?」

 

 アルファードがどういうことかと聞く前にセドレーラは微笑んで、なんでもなかったかのようにまた喋った。

 

「それなら『変身現代』をお勧めしますわ。アルバス・ダンブルドア教授が論文を掲載したこともありますから、今回の課題には適しているでしょう。ちょうど持ってますから、差し上げますわ。分からなければ、上級生に聞きなさい。もちろん私にも」

 

 そう言って颯爽と離れていくセドレーラ。テーブルには、『変身現代』と書かれた学術雑誌が残されていた。「アニメーガスとなる条件四選」「ポリジュース薬と七変化の関連性」など、馴染みのない言葉が小難しく書かれている。

 

「内容はともかく、参考にはなりそうね」

「うん。アルファード、教えてくれない?」

「……は? いや、それよりも、明日のこと……」

「気にしたってしょうがないだろう。案外心配性なんだな」

「……たしかに」

 

 すんなり受けいれた三人を見て、アルファードは少々戸惑いながらもエドレーラの言ったことをそのまま受け入れることにした。考えたところで、実際に見に行かないと八階に何があるかなんて分かりっこないのだから。

 

「じゃあ、このアニメーガスって何?」

「ポリジュース薬ってなんだ?」

「ちょっと! 一人ずつで頼むよ!」

 

 

 

 

 課題を終わらせると、夕食の時間になった。大広間で夕食を摂り終えればすぐに就寝の準備である。

 数時間ぶりの自室に、ライラとイザベルはホッとして伸びをした。たった一日で、この部屋は安心できる部屋になっていた。

 

「はぁ……なんとか、初日が終わったわね」

「まだ一日目か……なんだか1週間経った気分」

「初日からトラブル起こしてるんだからそうでしょうよ」

「面目ない……」

 

 もはや、ライラとイザベルは数年来の友人のようだ。彼女ら自身もそのことを言葉にはせずとも少し驚いている。

 二人は支度を整えベッドに入り、お互いに仕切りを閉じた。

 ライラが目を瞑り、寝入るまで考え事をしていると、イザベルが声を出した。

 

「ライラ」

「何?」

「今日は悪かったわ」

「大丈夫だよ。あれは事故なんだから」

「そうは言っても……」

「イザベルのおかげで、私は傷一つ作らず助けてもらえたの。ありがとう」

 

 ライラはイザベルのベッドがある方を向いたが、彼女の顔は当然見えない。険しい顔をしているだろうか、笑っているだろうか。都合の良いように解釈して、ライラは言葉を続けた。

 

「私ね、女の子の友達って初めてなの」

「そうなの?」

「ずっとトムといたし、孤児院の子とは仲良くなれなかった。だから、イザベルがあの時私を起こしてくれて、本当によかったと思ってる。遅刻もしなかったしね」

「……そう」

 

 窓の外では、水が鳴っている。水槽みたいな寝室の中でライラとイザベルは顔が見えずとも、お互い通じ合えていた。表情も息遣いも、感情でさえも水を伝って伝わっているような感覚だった。

 

「出会って、数時間しか経ってないなんて思えない。昔会ったことあったかな?」

「無いわよ。ふふっ……きっとね」

 

 笑ってくれた、そう思うとライラは口角がゆるゆると上がった。胸の底がムズムズしてたまらず毛布をかき抱く。

 

「ねぇ、ライラ」

「なぁに、イザベル」

 

 イザベルはだいぶ眠たげな声で話している。

 

「あの時……ピーブズに会った時……私を庇ってくれたわ」

「……バレてた?」

「ええ……バレバレよ。……ありがとう」

 

 それだけ言って、イザベルが身じろぎする音が聞こえた。もう眠りに落ちかけているのだ。ライラもそれを感じ取り、そのまま目を閉じる。

 良い夢をみれますように、そう願って、ライラは眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 朝がやって来た。当然のようにライラはイザベルに起こされ、昨日と同じく四人で行動し、昨日とは違う教科を必死にこなしていると、あっという間に放課後になっていた。

 

「……今更だけど、緊張する」

 

 動く階段を死ぬ思いで登っていたライラがそう言った。呆れたため息がトムの方から聞こえた。

 

「ずっと緊張しているだろう。思い返してみろ。今日の飛行訓練に、闇の魔術に対する防衛術、変身術……惨劇だったぞ!」

「申し訳ないと思ってるよ……」

 

 今日のライラは散々だった。飛行訓練では暴走して飛び上がった。防衛術の訓練では杖を振った際に杖を離してしまい、教授のガラテア・メリィソートの額にぶつけた。改めて受けた変身術では、マッチ棒を針にするはずが紙巻きタバコにしてしまい、しかも燃やしてしまった。漂う匂いに、燃え盛るタバコ。

 それを呆然と見つめていたライラにダンブルドアが言った。

 

「もしかして喫煙者なのかい?」

「違います……」

 

 顔から火が出るような思いで、ライラはようやっとそう答えた。

 

「行くところ行くところで散々な事してたわよね」

「正直わざとかなって思ったよ」

「違うよ……違うんだよ……」

 

 おかげで今日で減点を十五点ほどくらっている。しかもトムが二倍にしてフォローしてくれた。情けないばかりである。

 そんな話をしていれば、八階はすぐそこにあった。セドレーラが指定した八階。そこに何があるのかライラ達は誰一人知らなかった。

 全員が全員、緊張した面持ちで落ち着かないとばかりにうろうろしながら先輩達を待つ。

 その時、大勢の足音が聞こえた。

 その音に、あの時のグリフィンドール生を思い出したライラはトムの後ろに隠れる。その様子を見た三人もさりげなく警戒した。隅により、すぐ杖を取り出せるようにしている。

 

「お待たせしたわね! ……あら、なぜそんな端っこにいるの?」

 

 一番に階段を上がって来たのはドゥルーエラだ。四人は警戒を解く。あの足音もスリザリンの面々だろう。

 

「ドゥルーエラったら、相変わらず速いわねぇ」

 

 セドレーラもやがて現れる。その後ろには知らない顔もいた。皆スリザリンの上級生だろう。しかも純血の血筋の。

 

「ライラ! 体は大丈夫なの?」

「ヴァルブルガ先輩……。はい。怪我はないです」

「そう……。アルファード、連絡を怠らなかったわね。報告してくれてありがとう」

 

 随分心配してくれていた様子のヴァルブルガを見て、ライラは胸が痛くなった。心配されて嬉しい気持ちが半分、迷惑をかけて申し訳ない気持ちが半分だ。

 アルファードは褒められて嬉しそうだったが、意を決して声を上げた。

 

「あの、姉上、この八階にした理由はなんですか?」

 

 その質問に、ただヴァルブルガは微笑む。そして突き当たりの壁を指さした。

 

「見ていなさい」

 

 セドレーラが壁の前に進み出る。目を閉じ、息を吐くのがよく見えた。

 ライラ達も周りの上級生も黙っている。

 セドレーラは目を瞑ったまま、足早にその壁の前を三回横切るように往復した。

 すると、壁に扉が浮き上がってくるではないか! 扉には豪奢な飾りもつき、元からそこにあったかのように佇んでいる。

 黙ったままのけぞるようにしてライラは驚いた。全く原理がわからない。魔法でしか成せない技だ。

 

「必要なものを思い浮かべながら、三度この壁の前を横切る。覚えておきなさい。それがこの『必要の部屋』の開き方よ」

 

 驚く四人を見て、ヴァルブルガが得意げにそう言った。

 

 

 

 



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蛇の会合は湿地にて

 

 

 

 『必要の部屋』______ホグワーツの八階、突き当たりの壁にその部屋は隠されている。そこに訪れた者が必要としているものを備えた部屋で、その形は不定形だ。トイレを願えばトイレが現れ、物を隠す場所を求めれば、物が溢れかえる物置が現れる。

 誰が作ったか、誰が最初に見つけたか誰も知らない。ただ、数人の生徒によりその存在を口承されるのみである。時たま、偶然にも発見する生徒が何人かいるが……。 

 セドレーラやヴァルブルガは親から伝聞され、必要の部屋の存在を知った。古くから続く純血の家は必要の部屋のことを知っている者が多い。

 

「入るわよ。さぁ、早く! 大勢でいるから、誰かに見られたら面倒よ。特にグリフィンドールの輩にはね」

 

 ドゥルーエラがどこか楽しみながらそう促す。ライラは少しビクッとしながら必要の部屋へと入った。

 部屋は広く、物々しい雰囲気で覆われていた。十何人が座れそうなほどの黒い長テーブルがあり、そのほかには暖炉と灯りしかない殺風景な部屋だ。

 

「やだぁ、辛気臭いわね。セドレーラ、もっと気の利く部屋にできなかったわけ?」

「シンプルで機能美を追求したのです。テディベアばかりの部屋では話し合いもままなりませんわ」

「……ブラックだからって調子に乗ってんじゃないわよ」

「学校という実力主義の場で家の格を意識するのはナンセンスよ」

 

 長いストロベリーブロンドの女性がセドレーラにつっかかった。甲高い声は、彼女曰く辛気臭い部屋によく響く。

 

「席に付きなさい。アビゲイル・ノット」

 

 いつのまにか先に一番端の席に着いていた女性が命令した。美しい黒髪を持っている。

 

「……はい」

 

 アビゲイルは咎められたことに不貞腐れながら真ん中あたりの席に座った。対照的にセドレーラは一番端の席の彼女と一つ席を開けて座る。

 続々と他の人々が席につく中、ライラを含めた四人はどうすれば良いかわからず突っ立っていることしかできなかった。ここにいるのは上級生ばかりでさっきから心臓の音が鳴り止まない。

 

「ライラ、正面の席へ。他の子は傍にある席に座りなさい」

 

 そう言ってヴァルブルガが指を指した先には、いつのまにか揃いの三つの椅子があった。最初から本当にそこにあったのか、と考えながらライラ以外の三人は我先にと椅子へ向かう。

 取り残されたライラは、ただ一つ余った、下手のいわゆる誕生日席に座るよりほかなくなった。嫌が応にも注目を浴びる席だ。

 躊躇する手に力を込めて椅子を引く。座った瞬間、衝撃が腹の中を駆け抜けるようだった。

 ライラの正面_________一番奥の席には、男性が座っていた。その男性の顔を真正面から見た時、まるで幼い時に読んだ聖書の天使みたいだと思った。一対二枚の羽が見えたように思えたし、後光が差しているようだとも思えた。その完璧なブロンドと碧眼が輝いているようだ。

 一瞬、惚けたライラは弾かれたように我に返った。その男性が口を開いたからだ。

 

「やぁ、ライラ」

「あ_________」

「緊張している?」

「はい……」

 

 優しく微笑むその男性は、ライラの緊張を解こうとしているようだった。まるで階段を降りていくように、鼓動のたびにライラの気持ちは落ち着いていく。なんだか現実味がないからだろうか。

 

「僕はノエル・グリーングラス。七年生の監督生だよ。よろしくね」

「ライラ……ライラ・オルコットといいます。どうぞ、よろしくお願いいたします……」

 

 ライラは気づいていないが、トムやアルファード、イザベルの立場からすればライラが受けているのは尋問当然だった。ノエルは心得ている。脅さず、圧迫せず、穏やかに情報を引き出す術を。

 

「さて、ライラ。昨日、君がとても酷い_______辛い_______凄惨な目にあったと聞いた。ぜひ、もし良ければ、もう一度聞かせて欲しい。君を助けるために必要なことなんだ」

 

 求められるまま、ライラは全てを詳らかに話した。話しているうちに、なんの面識もなかったスリザリンの上級生が憤っている姿が不思議に思えた。

 きっと、自分を心配してくれてるんじゃなくて、スリザリンに対する侮辱に怒っているのだろうとライラは正しく解釈する。

 ノエルは少し考えた後、全員を見渡した。

 

「これから話し合いに入ろうと思う。けどその前に、監督生諸君には自己紹介をしてもらいたい」

 

 すると監督生達______ノエルの周りに座る、奥の席の五人が立ち上がった。

 

「ドリア・ブラックです。六年生の監督生。どうぞよろしく」

 

 厳格そうな雰囲気の、先程アビゲイルに命令した黒髪の女性が名乗った。

 

「ケイリス・ブラック。七年の監督生。よろしくね」

 

 またブラックだ、ライラは魔法史の教科書を目の前にしたような気持ちだった。ブラック家の人々は美しい黒髪に整った顔が特徴だが、ここまで人が多いと顔と名を覚えるのも一苦労だ。

 ブロンドの、スコットランド訛りの男性が喋った。

 

「フィル・ヤックスリー……六年の監督生。よろしく頼む」

「あら、フィル。彼女には言うべきことがもう一つあるはずよ」

 

 セドレーラの厳しい言葉に、フィルは息を詰まらせた。それと共に、ライラは思い出す。組み分けの後、自分を責めてきた人だと。

 フィルは顔を真っ赤にし、目を堅く瞑って開け、そして息を吐いた。肩を上下させている。そこまでして謝って欲しいわけではないけれど____流石にライラはそれを口にする馬鹿ではなかった。

 

「悪かった……」

 

 本当に謝ってくれた……ライラはそれをボーッと見ていた。頭を下げて謝る姿を見て、こうすることも処世術なんだろうとぼんやり思っていると、傍にいるイザベル達が動いているのを感じて、ライラはそちらを見る。

 言葉を発するジェスチャーをしているようだ。全く気づかないライラに、もっと身振りを大袈裟にして伝えようとしている。

 イザベルが我慢ができないと言った風に、自分とトムを交互に指さした。そしてトムの頭をガシッと掴んで下げさせている。

 そこまでやってもらって、やっとライラは思い至った。謝られたら許さねばならないのだろう。

 その頃、ヤックスリーは屈辱にプルプルと震えていて、セドレーラは仕切りに咳払いをしていた。ヴァルブルガは忙しなく紅茶を口に運んでいる。他の純血家の面々も、声には出さないものの微妙な雰囲気を醸し出していた。

 慌ててライラは口を開く。

 

「えっと、すみません……あー、いいえ、そのミスター・ヤックスリー、私も浅慮でした。あれは監督生から後輩への温かい指導だと受け止めております。ええ、ですから……頭を上げてください」

 

 ほとんど懇願するような口調でライラは早口に捲し立てた。

 ヤックスリーはやっと動けるという態度で椅子に座る。疲労が滲み出ていた。セドレーラはホッとしたのも束の間、笑いを堪えるのに必死になっているようだ。

 

「終わった? _______ああ、いや、わだかまりが解けたようだね。本題に入ろう。さて、ライラの話通りだと、我らが小さな蛇は、グリフィンドール生により傷つけられ、侮辱された。由々しき事態だ_______しかし、残念なことにこれまで幾度もあったことだ。皆の答えは決まっているだろう」

 

 ノエルの演説は非常に効果的だった。少し緩みかけていた雰囲気が締まり、冷めていく。誰もがグリフィンドールへの怒りを思い出している。室温がぐっと下がってしまったみたいだ。

 

「報復か、否か?」

 

「報復!」

「報復!」

「報復!」

 

 宗教的な風景だった。誰もが冷たい表情で杖を掲げている。ライラはその光景をおぞましいと思った。もう、グリフィンドールへの怒りが血に、魂に染み付いてしまっているのだろうか。チラリとトム達の方を見ると、青ざめた顔でライラと同じく先輩方の方を見ていた。

 ノエルが口を開く。ずっとそうだ。ノエルが最初の一言を必ず言っている。

 

「ライラ。報復か、否か?」

 

 全員がライラを見ている。

 ノエルは変わらず天使のような笑みでライラを見ていた。

 ライラ自身の鼓動が、ライラの頭の中を支配している。息遣いが耳障りだ。自然と姿勢が前のめりになる。

 皆が杖を掲げているように、自分も掲げて報復をと告げねばならないのだろうか。本当に、報復が正しいのだろうか。しかし、報復を実行せねばまた嫌な目に遭うかもしれない。

 ライラはローブに手を突っ込んだ。杖を指の先に感じる。

 その時、ライラの頭の中にオリバンダーの言葉がスパークした。

 

「全ては君次第ということじゃ。大丈夫。杖が君を導いてくれるだろう」

 

 杖を取り出した。

 ライラは杖を掲げることもせず、ノエルに突きつけることもせず、ただただロザリオのように握りしめ額に当てて祈るような格好を取った。体全体が肺になったみたいに、激しく息をしている。

 その様子に、とうとう狂ったかとトムは天を仰いだ。

 ライラは細い糸のような声でplease……と囁く。

 

「教えて……お願い……お願い……私を導いて……」

 

 手は震え、堅く瞑った目からは涙がこぼれ出ている。怖くて怖くて仕方がないのだ。  

 皆、この場にいる皆はライラがこの雰囲気に呑まれてすぐ報復だと声高に叫ぶことを期待している。ライラはそれをよく知っていた。だから今、予想外の行動に視線が圧力を帯びたのだ。

 ライラが強く祈った瞬間、杖から光が飛び出した。

 その光はライラに降り注ぎ、周りの人々を煌びやかな黄色で照らす。降りかかった光はやがてライラの身に溶けていった。

 ライラは直感を得る。覚悟を決めた。

 

「____________否」

 

 会議の場が揺れる。長テーブルが軋んだ。

 

「貴様!!」

 

 無謀にもヤックスリーがまた叫ぶ。

 イザベルもアルファードも立ち上がった。トムはもう諦めた様子だ。

 

「まぁまぁ、落ち着きたまえ。落ち着きなさい_______静かに」

 

 またノエルの雰囲気に場は呑まれた。ライラはテーブルから立ったまま、ノエルと向き合う。

 

「どうしてだい? ライラ、君が一番、怒っているものだとばかり」

 

 ノエルが動揺している。隠しているが、少し声が震えている。

 ライラは直感を得ただけで、全くの考え無しに否と発言した。どうやって納得させよう、どうやって分かってもらおうか、なんの計画もないのだ。

 ただ、ただ心のままに声を出す。

 

「ほ、報復が_____いったいどんなものなのか、私は知りません」

「なんだ、そんなことか! そうだね。場合によるけれど、基本は倍にして返すのさ。我らは愚鈍なグリフィンドールのように真正面から向かったりしない。狡猾に、足元を掬うように______そうだな、濡れ衣を着せるとか、呪いをかけるとかは可愛い方だろう」

 

 そんなことをライラは望んでいなかった。グリフィンドールの生徒が傷つけられることも、スリザリンの生徒がみみっちい計画を立てるのも、全てが馬鹿馬鹿しく思えた。

 

「……私、報復なんか、望んでいません。ただ、ただ、私のような子が減るようにと思っています」

「_______では、そのように」

「え?」

「君がそう望むなら、そうしよう。言っただろう。君を救うのだと」

 

 ノエルは柔らかに言った。周りを見渡すと、反対の視線などはない。また会議を行う姿勢に入っている。

 ライラは報復を望まなかったことによって、スリザリンの面々に拒否されるとばかり思っていた。彼らはライラがそうするだろう、そうすればライラの傷は癒えるだろうと思い、報復を選ぼうとしたのだ。

 確執の根深さ、そしてスリザリン、ひいては魔法界との意識の違いを痛感しながらライラは口を開く。

 

「は、話し合いを望みます。杖を下ろし、机の上で戦うことを望みます」

「分かった。僕らが思っていたより、君は大人しい性格のようだ」

「……あの、どうしてそんなに私本意に進めてくれるんですか?」

「ん? 当事者の意思が最優先に決まっているだろう」

 

 驚きのあまり、クラクラする頭を支えながら、ライラはもう一度席についた。 

 周りの上級生は、何事もなかったかのように怒りも憎しみも治めてライラの言葉を待っている。

 それが何よりも怖かった。

 

 

 

 

 

 

「怖い……怖かった」

 

 会議が終わり、必要の部屋を出たライラが呟いた。隣にいる三人にしか聞こえない音量で。

 

「報復なんか、したくない。だから聞いてくれたのは良かった。でも反対意見も何もなくて、なんだか底が見えない……」

 

 身震いしながらライラは言い放った。

 トムは自分の考えを囁く。

 

「多分、ずっとこうなんだ。決まりがある。ライラの意見が最優先なのもそうだ。何度も繰り返されてきたから、大抵のスリザリンの生徒は報復を望むから、初めからライラに報復かと聞いたのもそのせいだろう」

 

 イザベルがライラを慰めるように言った。

 

「ずっと上流貴族社会で生き抜いてきた人たちよ。しかも、それなりに幅利かせてる。感情を抑える術も、真意を隠す術も、あなたを操る術も、全部が圧倒的だった。そんな中であんなことやってのけるんだから、十分よ」

「あんなこと?」

 

 ライラが首を傾げれば、アルファードがそれなりに大きな声で興奮したように言った。他のスリザリン生がとっくに先に行っているのは幸いだった。

 

「杖だよ。君、術を使おうとしたわけでもないのに杖が君に応えた! 何をしたの? 何か呟いていたようだけど」

 

 無我夢中で祈っていた時のことだ。杖が突如黄色の光を放ち、ライラに直感をもたらした。

 

「何も……ただ、教えて、お願いって言っただけ」

「それだけ?」

「そう」

「どういうことだ……いや、そもそも、なんで杖にそんなことを?」

 

 アルファードはあの現象に興味津々のようだ。学者のように問い詰めている。

 

「この杖を買ったとき、オリバンダーさんが言ってたの。杖が君を導くだろうって」

「なるほど……いや、何か分かったわけじゃないけど……。杖に関しては未だに分かってないことが多いから」

 

 アルファードは考え込んでしまった。少しレイブンクロー気質もあるのだろうか、とライラは思いながらアルファードがぶつかったり引っかかったりしないように障害物を避ける。動く階段に差し掛かった時は非常に困った。

 

「それにしても」

 

 トムが問いかけた。

 

「どうするつもりだ。話し合いなんてできるのか?」

 

 全くもって具体的な考えがないことを、ライラは今一度実感した。軽く考えてた理想が、唐突に現実になってしまうのだ。

 

「……どうしよう……」

「……お前というやつは……まったく……!」

 

 少し考え込んで、頭の中をパイプで口に直結させたようにライラは喋り始めた。

 

「うーん……最終の目的は、二度とこういったことがないこと。そのために、グリフィンドールと取り決めるべきは……協定? 同盟? 契約? 誰と……監督生同士が一番適しているかも。ていうかそもそもグリフィンドールが何か取り決めたところで守るとは思えない! あ、先生を挟むべきかな……でも積極的になってくれるとは思えない。う〜〜〜〜ん……」

「……なんだ急に。だが言っていることはわかる。それがお前の考えてることだな? 書き起こすか何かして整理しないと」

「よく分かったわね。早口すぎて何が何だか……」

「ごめん……でも独り言みたいなものだから」

 

 口に出して言ったことで、ライラの頭の中では何を考えるべきか整理はついた。

 グリフィンドールとどういった形で取り決めるかということ。

 誰がその場に出るかということ。

 大人が立ち会うかどうかということ。

 細かい部分は後で詰めればいいが、その三点に関しては最初に方針を決めとかなければならない。

 

「談話室についたら、ちょっと相談に乗ってくれない?」

「いいわよ。ここまで来て蚊帳の外は嫌だわ」

「当然、僕もだ。先の会議では口を挟む隙がなくて困った。それはそうとしてイザベル……お前のガサツなジェスチャーのせいで首が痛んで仕方がないのだが?」

「あら、トム。随分と弱々しい首なのね。すぐ切れちゃいそう」

 

 トムとイザベルが名前を呼び合っていることにライラは少し嬉しくなりながら、言い争いをおさめようとした時、アルファードが声を上げた。

 

「ライラ! 分かった! 何の木の杖か、杖の芯はどれか教えてくれない?」

 

 三人ともポカンとした目でアルファードを見つめた。アルファードも戸惑った顔で三人を見ている。

 

「アルファード……」

 

 イザベルの残念そうな声が冷たい石の壁に沁みた。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 一週間後のことだ。

 裏地が赤いローブをきた男が、苛立ちのままに下級生が楽しんでいたゴブストーンの球を蹴った。

 放課後の団欒の時間に突如現れた不届き者に、下級生は抗議しようとしたがあらぬ方向に転がっていく球を追わねばならず、彼に顰めっ面を見せるだけで終わった。

 

「クソっ……あのスリザリンの女が……あいつのせいで初日から百五十点も……」

 

 何を隠そう、彼はライラに舌縛りの呪いをかけようとして呪い返しをされたグリフィンドール生だった。あれから同級生たちに白い目を向けられ、ストレスが募りに募っている。元々気性が荒いこともあり、特にその心は荒んでいた。

 そんな彼の八つ当たりに巻き込まれた下級生は不運だったが、さらに災難だったのは下級生はゴブストーン部に入っていたことだ。そして五年生の時にゴブストーン部のキャプテンを務めた、アイリーン・プリンスがいたことも、災難であった。

 下級生の恨めしげな目、ゴブストーンへの想いからアイリーンは声をかけずにはいられなかった。

 

「そこの、ゴブストーンを蹴ったグリフィンドール生_______ちょっと待って」

 

 震える声で、震える体でアイリーンは引き止める。どうしてこんなことをしたのだと頭の中で後悔する。いつもなら見て見ぬ振りをするはずなのに。

 あの、自分と少し似た後輩に触発されたとでも言うのか。

 聞こえていないふりをして遠ざかるグリフィンドール生にアイリーンはもう一度待ったをかける。

 

「待って。少し話を___________待てと言っているでしょう!」

 

 グリフィンドール生が振り返る。

 誰も知らないところで、また一人、蛇が決意を固めた。

 

 

 

 



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決別の果てに

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 アイリーンは中庭を飛び出し、禁じられた森の方へと走っていた。時折そこらに隠れ、グリフィンドール生の攻撃を避ける。

 結局、話は聞き入れてもらえなかった。アイリーンはゴブストーンを蹴ったこと、下級生に対する振る舞いがなってないことを注意したが相手は機嫌をますます悪くしてアイリーンに詰め寄った。

 

「スリザリン如きが!! どいつもこいつも……!」

 

 一対一であることは幸いだった。頭に血が上っているグリフィンドール生に奇襲や待ち伏せを考える余裕はなく、一人であれば対処しやすいからだ。

 アイリーンはこの状況をもちろん不幸だと考えていたが、こうなったことに奇妙な満足感を覚えていた。

 

「やってやった……やってやった……!」

 

 引っ込み思案な性格が災いし、結束の強いスリザリン寮内ならともかく、他寮生には揶揄われることが多かった。特にグリフィンドールからは意気地なしだの根暗だのと言われ続けた学校生活だ。その全てが報われた気がした。それに、好きなものの為に立ち向かえたというのは気分がいい。

 こんなことをしようと思ったのは、『彼女』の影響だとアイリーンは理解していた。ライラだ。初めは自分と似たような、気の弱い女の子だと思っていた。思い違いだったと分かったのはその翌日だ。たった一人で複数の相手に立ち向かい、上級生ばかりを相手にしても意見を伝えられる内に秘めた度胸。見習いたいと思えた。

 アイリーンは杖を構えて息を殺し、グリフィンドール生が油断するのを待つ。

 不思議と頭は冴えていた。心臓は早鐘を打っているし息は上がっているのに、心と頭だけは冷えている。手は震えていない。視界はクリアだ。一つ息を吐き、吸って、グリフィンドール生を見据えた。

 

「_________くらげ足の呪い」

 

 呪いは直撃した。グリフィンドール生は足が震えてゼリーになったようにまるで立てなくなる。

 

「ああ!! クソ!! 俺が、俺がこんな……卑怯だぞ!! 根暗で________」

「ラングロック!」

 

 舌縛りの呪文も容易くかかった。モゴモゴと何かを喚き散らしながら暴れるグリフィンドール生を見て、やっとアイリーンは木陰から這い出る。

 

「どうせお前は無言呪文なんか出来ない。知っている。誰かと思えば________六年生のコリー・テイルズじゃないか。同学年だったなんて……やることなすこと幼稚で気がつかなかった」

 

 コリー・テイルズという男は、スリザリン生にとっては天敵だった。典型的なグリフィンドール信者で、無意識下で自分が選ばれた人間だと信じて疑わない。勇猛果敢を履き違える愚かな男。アイリーンもそのように見ていた。そして苦い思いをさせられたこともしばしばある。

 足元に転がる男を蹴っ飛ばしてやりたかったが、グッと堪えた。そのかわり、堪えきれない笑みをそのまま見せてやる。

 

「まぁいい。ゴブストーンを蔑ろにするのも、スリザリンを貶すのも許さない。________そして_________私は________根暗なんかじゃない!」

 

 未だ抵抗し続けるコリーから離れ、アイリーンはその場を立ち去った。

 どうしようもない爽快感を感じながら、アイリーンは過去との決別を果たしたのだ。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 「アイリーン!?」

 

 放課後のスリザリン寮の談話室に、ドリア・ブラックの悲痛な声が響いた。ライラたちは未だにグリフィンドール寮とどう付き合っていくかを考えている最中で、先輩方もライラの意見が固まるのを待っていた。今日も今日とてトムたちと意見を交えているところだった。

 

「どうしたの? ああ、そんな……」

 

 談話室に入ってきたアイリーンには傷があった。足や手が細かい擦れ傷で覆われている。頰にも一筋、切り傷が走っていた。

 

「顔に……! 早く治さないと、跡が残っちゃうわ。待ってね……」

「ハナハッカエキスならあるからいい」

 

 ドリアはポケットに手を突っ込んだりローブを上から叩いたりしていたが、アイリーンは至極冷静だった。

 

「何があったの?」

 

 談話室中がアイリーンに注目していた。アイリーンは少し萎縮しながら、ぽつりと言った。

 

「グリフィンドールの奴と少しトラブルになっただけ。大丈夫。相手の方が怪我してるし」

 

 さざなみのように談話室中に動揺が走った。アイリーンを取り巻くように囁き声が溢れ出す。

 ドリアは目を見開いて唇を震わせていた。顔が青白くもなっている。

 

「この怪我も葉っぱや木の枝でできたやつだから。隠れたりしてるうちにいつのまにか傷ついただけ。本当よ。それに、くらげ足の呪いに舌縛りに……とにかくいっぱい反撃したから。ねぇ、ドリア……大丈夫よ」

 

 アイリーンはドリアを宥め、談話室中に聞こえるように大丈夫だと言い続けた。ライラには分かった。それはライラの『話し合いがしたい』という願いを邪魔しないようにするためだと。

 アイリーンとライラの視線がかち合った。

 アイリーンがライラ達の方へと向かってくる。瞳が優しげで、ライラが恐れを感じることはなかった。

 

「ライラ」

「……はい」

「好きにやって。何が起きても気にしないで。私……あなたから立ち向かう勇気をもらえたの」

 

 ライラは全く心当たりがないことを言われ必死で記憶を探った。いくら探ってもアイリーンと直接会話したことは一回程度だし、勇気だなんてライラが一番欲しいと願っているものだ。

 

「あの……先輩、その……私そんな」

「私が勝手に受け取っただけよ。気にしないで」

「そうですか……。あの、怪我は大丈夫ですか?」

「大丈夫」

 

 ライラの目に、アイリーンはとても大きく映った。この前までは風が吹けば折れそうだったのに今では追いたくなるような背中をしている。その笑顔も華々しく、自信に満ち溢れていた。

 アイリーンはテーブルを去り、自室へと戻っていった。ドリアも後を追う。

 

「……アイリーン様って……あんな方だったかしら……」

 

 談話室に平常が戻った時、イザベルのその声がやけに響いた。

 

 

 

 

 

 最近のライラ達は、授業が終われば移動中に意見を交わし合い、放課後になれば意見を交わし合い、朝の空いた時間に……といった様子だった。意見を密に交わしていると言えばそれまでだが、難航していると同義だった。

 

「……入学して二週間でこんなことをしている生徒など前代未聞だろう」

 

 談話室でトムがぼやいた。

 三人は応えず苦笑するだけで、すぐまた頭を抱えた。

 

「まず、教授には関わらせない。七年生の監督生同士で話し合いの場に立ってもらう。そこまでは決まった。ノエル先輩にも、ケイリス先輩にも了承はもらっている。ここまでは決まった。だが……肝心の……取り決めの内容が決まらない」

 

 トムがイライラとした口調で確認するように話す。三人は頷くこともしなかった。

 

「意見がバラバラすぎるんだ!」

 

 四人が関わっているのは寮単位の話だ。寮全体の声を聞かねばならない。意見がバラバラになるのは当然のことだった。

 『必要の部屋』での会議は、ある意味根回しの場だった。根回しをしているおかげで方針はまとまっているが細かいところで意見がバラバラになっている。スリザリンとグリフィンドールを対等に扱うもの、スリザリン優位に仕向けようとするもの。日和見のものなど。

 

「もうライラ独断で決めたらどうだ」

「私の希望は寮単位のものだよ。私の独断でいいわけないじゃない。主は私の意見の分、他のスリザリン生やグリフィンドール生のことも考えなきゃ」

 

 また羊皮紙に向き直ったライラに、アルファードが言った。

 

「もし……グリフィンドールが話し合いに乗らなかったらどうする?」

「やだ。不吉なこと言わないで。でも、その可能性の方が高いわ。ライラ、どうするの?」

「……その時は仕方ないけど、諦めないよ」

 

 ライラは穏やかにそう言った。イザベルもアルファードも天を仰ぐ。予想はしていたが、それについていける気がしない。

 

「……まず、互いに傷つけ合わないこと。そして万が一スリザリンとグリフィンドールの争いがあった場合、教師に任せ生徒独自に復讐や報復をしないこと。反した場合……」

 

 羊皮紙をなぞりながらライラは改めて見直す。指が止まったところ。そこが寮内での争点だった。

 

「レストレンジ先輩はスリザリン優位派だ。ヤックスリー先輩も」

 

 アルファードが付け加える。

 

「ヴァルブルガ様も優位派。ケイリス様は対等派。えーとセドレーラ様も対等派」

「ノエル先輩とアブラクサス先輩は中立だ。それも、日和見ではない。影響が大きいのを分かって黙っている」

「……なんだかすごく大きなボールを投げられているみたい」

「なんだその訳の分からない例えは」

「圧迫感がひどい」

 

 気の利いた冗談も言えないくらいにライラは疲弊している。残念ながら、今日もまた、四日前から詰まっているところでお開きとなった。

 

 

 

 

 

 「_______はい。ペアとなって相手のフォームを見ること。悪い点を指摘し、良い点は見習うように。教科書十八ページに注意点が書いてあります。よく見るように」

 

 問題を解決する糸口を見つけたのは、翌日のグリフィンドールと合同の飛行訓練の時間だった。

 教師の言う通り、ライラ達はペアを組み箒で少し浮き上がる。イザベルは飛行訓練が得意なようで完璧なフォームで誰よりも高く飛んでいた。アルファードが地上でぼんやりとその様子を眺めている。

 

「トムー!! 足を伸ばして!」

 

 ライラは地上からトムに指示を飛ばしていた。どのペアもそんな様子である。

 

「なんだって!?」

「足を! 伸ばしてー!!」

「もう少し大きな声で言ってくれないか!!」

「だーかーらー!!」

 

 その時、ライラの目についたペアがいた。この時、グリフィンドールもスリザリンも生徒の数が奇数であったため、寮を跨いだペアができていたのだ。どちらもそっぽを向き、授業を真面目に受けている様子ではない。それどころではないようだ。

 

「_________あ」

「ライラ!! さっきから何を_______」

「分かったぁぁぁ!! 思いついたよーー!!!」

「何がだ!?」

「ミス・オルコット! おしゃべりの時間ではありませんよ!」

 

 

 

 

 

 

 「反した場合、罰として協力することを求める?」

 

 おうむ返しをしたアルファードに、ライラは頷いた。これ以上なく見事なアイデアだと自信を持っているようだ。

 いつも通り、放課後の談話室でライラがテーブルに手をつき力説する。

 

「こうすれば、親交も深められると思わない? さっきの飛行訓練の時間に思いついたの! ああいうふうにペアを組ませて、課題だったり授業だったりをこなすの」

「でもそれっていつか罰にならない日がくるんじゃ……ああ、そうなれば対立は無くなったことになるわね。いい考えだわ」

「でしょう? 決まりでいい?」

「異論無し」

「賛成」

 

 ライラは夢中で羊皮紙に記入した。これでひと段落ついた。

 

「決定! 改めて読み上げるね。まず、先生を立ち合わせず七年生の監督生同士で話し合うこと。その際は杖を置き、魔法を使用しないこと。話し合いの内容は『協定』を結ぶこと。えー……協定の内容……。お互いに争わないこと。傷つけ合わないこと。言葉で罵倒しないこと。万が一争いが起こった際はお互いに復讐や報復を実行しないこと。その際は当事者達に反した罰として、協力することを求める。協力とは、課題を一緒にこなしたり助け合うこととする」

 

 ライラが読み上げている間、三人は長く息を吐いて椅子に深くもたれていった。まるで溶けているみたいだ。課題をこなしながら意見を上げまとめ先輩方に調査する日々はなかなかに過酷だった。

 とりあえずまとまったことでライラは一安心だったが、そもそもまずこれはライラがどういった意見を持っているか、グリフィンドールに何を訴えたいかをまとめただけだ。まだスタート地点にも立っていない。この先は未だに希望的観測ばかりなのだ。

 グリフィンドールが話し合いについてくれただけで万々歳。このライラ達が考えた協定にも納得してくれたらそれは奇跡だ。

 胸中に不安な気持ちがどっと押し寄せてくる。荒波のようだ。しかしそれを我慢しない、曝け出す強さをライラはホグワーツの暮らしで獲得していた。

 

「……ねぇ、イザベル」

「何?」

「あの時みたいに言って。間違ってないって。当然のことだって」

「不安なの? 随分可愛いこと言うじゃない」

「……仕方ないでしょう。グリフィンドールがどんな反応をするのか……予想がつきすぎて、かえって緊張する」

「確かにね。_________大丈夫。ライラ。あなたは間違ってない。私たちが協力したこと、ノエル先輩が認めたこと。そしてあなたが心から望んでいること。これで間違っていないことの根拠たりうるかしら」

「……うん。ありがとうイザベル。トムも、アルファードも付き合ってくれてありがとう。三人がいないとできなかった」

「ライラが言ってくれなきゃ、僕はこの環境を変えようともしなかったよ。間違っていることを間違っていると言える君で良かった」

「まぁ僕の希望は全く通らなかったが満足はしているよ。君の望む通りにというのが先輩のお達しだからな」

「トムの案は全部攻撃的すぎるんだよ……」

「ケジメをつけていると言ってくれ」

 

 軽口を叩ける会話が戻ってきた。四人とも晴れやかな気分なのだ。まるでテストが終わったときのようで、ライラは複雑な気分になった。最初から最後まで一年生に任せていいのかという疑問があったが、終わらせてしまえばどうってことはない。あとは七年生の交渉の腕次第である。丸投げも同然だがライラは割り切っていた。

 

「あとは先輩に提出するだけ。……緊張する」

 

 巻いた羊皮紙をライラは抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

「__________うん。つまりは……グリフィンドールと協定を結ぶと」

「はい」

 

 『必要の部屋』で一堂に会した日から、ゆうに三週間が経っていた。九月の某日、ライラは他の三人と話し合ったことをまとめた羊皮紙をノエルに提出する。

 場所は当然のように必要の部屋だった。人が少ない分、がらんとした会議室は酷く不気味だった。冷たい空気が体の震えをさらに煽っている。

 ノエルとケイリスが内容を精査していた。ライラ含め主に関わった四人が立ち会っている中、緊張した空気が続く。

 

「うん。ケイリス。どう思う?」

「ええ……そうね。どちらにも対等なものだわ。グリフィンドールに納得してもらえる可能性が高い」

「よし。採用」

 

 あっさり決まったことにライラはびっくりして呆然とした。他の三人も怪訝な顔である。誰もが作り直しを要求される覚悟をしていたのだ。

 

「いやー、僕もこんなこと初めてなんだ。僕が見てきたのは、スリザリンの報復、それに対する報復、報復、報復……無為で不毛で、終わることのない争いだ。慣習も経験もデータも何もない。情けなくも、君に全て任せている。よく纏めたね」

「あ、ありがとう……ございます」

「君に全て任せたのだから、僕は君を信じねばならない。君の想いが伝わるように、最大限努力することを約束しよう」

「グリフィンドールとの対立は明らかに学業に妨げをもたらすものだわ。変われるように全力を尽くします。それじゃあ、グリフィンドールの監督生とコンタクトを取らなきゃ」

 

 ケイリスがそう言った。こめかみに手を当て、考え込んでいる様子だ。

 

「あの……」

「なんだい? アルファード」

 

 アルファードが控えめに手を上げ心配そうにノエルに問いかけた。

 

「グリフィンドールの監督生とは……その、対話ができるのでしょうか」

「心配いらない。僕らの代の監督生は良好な関係を築いている。仲の悪い寮生であるという前に、生徒を率いる監督生同士であるという考えの持ち主だ」

 

 アルファードはホッとしたようだ。ケイリスが言葉を引き継ぐ。

 

「過激派というのはなんでも数が少ないものよ。相手に積極的に関わろうとする者はあちらでもこちらでも少ないでしょう。殆どが面倒ごとにならないようにと、関わることを拒んでる」

「……その点で言えば……アブラクサスの代は少し不安だ。マルフォイ家とウィーズリー家だからな」

 

 いつも微笑を浮かべ、ポーカーフェイスを保つノエルが顔を顰め瞑黙している。よほど悩みの種なのだろう。

 ライラとトムはウィーズリーという名に聞き覚えがあった。アルファードがホグワーツ特急の中で口にした名前だった。ブラック家に生まれればスリザリンに選ばれるように、ウィーズリー家は代々グリフィンドールに所属するのだとアルファードは言っていた。

 

「ウィーズリーって……」

「ウィーズリー家は聖二十八族に選ばれる純血家だ」

 

 『聖二十八族』という言葉も聞き覚えがあった。イザベルがトムと出会った時に口走っていたのだ。

 

「あの……その、聖二十八族って何ですか?」

「ああ、限りなく純血であると認められた家系のことさ。といってもつい最近だけどね。ブラック家はもちろん、ブルストロード家、ロジエール家……全部で二十八の家系が認められている。スリザリンには多数所属している家系だ」

「ウィーズリーも純血……。あの、私、純血のものは皆スリザリンに組み分けされるとばかり……。私、アルファードに純血は交流を密にしているって聞きました。アブラクサス先輩とは何か問題があったんですか?」

 

 好奇心のまま、ライラはノエルを質問攻めにした。話が完全に脱線していることはお互いに気づいていないようだ。

 

「元々仲が悪いんだよ。スリザリンとグリフィンドールのように、マルフォイとウィーズリーは相性が悪いというか……とにかくずっと対立している」

 

 『ホグワーツの歴史』を読んだライラは知っていた。創設者であるスリザリンとグリフィンドールは初めは親友であったことを。それがない分、その二家系の方が厄介かもしれない。

 

「……それに、あいつらは『血を裏切るもの』だわ」

 

 ケイリスの冷たい声が響いた。

 ノエルの歯切れの悪い言葉を両断するように、ケイリスは吐き捨てる。

 今度はライラが聞くまでもなく、ノエルが補足した。

 

「ウィーズリー家はマグル擁護派の家系なんだ。純血家のほとんどは差異はあれど純血主義だ。そのウィーズリーの姿勢を、純血に相応しくないものと見ている家は多い。かくいう僕もあんまりよくは思っていない」

「純血の恥さらしよ」

 

 ケイリスはウィーズリー家に厳しい感情を抱いているようだ。

 ライラとトムには耳が痛い話だった。孤児で出自がはっきりしていないからここまで手厚い歓迎を受けているし、アルファードと友情を容易に築けたのだ。マグル生まれだと分かればきっと何かしら不都合があったはずだ。現にヴァルブルガは受け入れてくれたものの、最初はいい顔をしなかった。

 そこでトムは純粋な疑問を抱いた。マグルの血を忌避するのは分かる。魔法界の貴族達は新参者を拒む古い価値観を持っていると理解しているからだ。だが、純血主義の多くはマグルとの交流すら拒む。マグルへの嫌悪感はいったいどこから生まれているのだろう。

 

「ノエル。一つ質問が」

「いいとも。トム。なんだい?」

「そもそも、純血主義とは何のためにあるのですか? その、僕たちマグルの育ちには少し理解が及びません。僕には魔法が使えるヒト、というので一括りなのです。決して批判しているわけではなく__________知見を得たい」

 

 トムは慎重に発言した。この話がまとまろうとしている時に不興を買うのは致命的だからだ。

 ノエルは意に介さず、後輩の知識欲に真摯に応えた。

 

「純血主義のはしりは、魔法界の存在を秘匿しようとする者たちから始まったとされている。魔法族と非魔法族の交流を断とうとしたんだ。そこで必然的に数の少ない魔法族は隠れて暮らすこととなった、というのが定説だ」

「________なるほど。ということは、交流があった時代もあったということですか?」

「そうなる。最盛期は中世の時だ。魔女狩りという悪しきものも流行ったが……。マグル界にも伝説や民話の形をとって魔法界のことは少なからず伝わっている。僕は聞いたことはないが……君達が聞かされた寝物語などに紛れているかもしれない」

 

 トムとノエルの考察を傍で聞いていたライラは、孤児院で聞いたり見たりした御伽噺を思い返そうとした。そしてノエルの顔を見た時、『とある本』のことを思い出した。

 

「……聖書!」

 

 ライラのノエルに対する第一印象は天使だった。聖書には天使が頻出するため、連想されたのだろう。聖書の記述は往々にして人智を超えた描写であることは明白だ。

 

「まぁ……確かに奇跡が記されている。しかし、いささか飛躍しすぎだ」

 

 魔法族として聖書に親しみのない他の面々にはピンとこない話だった。トムとライラは孤児院で絵本がわりに読んでいた聖書の記述を思い出す。

 

「三賢者などもいたが……もし聖書が全て正しい歴史書という見方をしても、全てが魔法の御業だとするのは無理がある」

「本来魔女を排斥する立場にあるものだから……一部に紛れているくらいかもね。はぁ〜。ちょっとワクワクしたのになぁ」

 

 ライラとトムの学者気質な部分が表に出ていた。さらに考察を深めようとするライラとトム、何が何だかわからないが興味が出てきたノエルとケイリスに待ったがかかった。

 イザベルだ。

 

「……恐れながら申し上げますけど話が脱線していること。ご存知ですか?」

「……話を戻そう」

 

 考察はお預けだった。ノエルがなんでもなかったかのように話を戻す。ケイリスも恥じ入った顔で姿勢を正した。トムはしれっとしていたがライラの顔は真っ赤である。

 

「えー、ライラ及びトム、イザベル、アルファードの意見は全面採用。僕らはグリフィンドールの七年生の監督生と協定を結ぶことを目的に対談する。日時は追って知らせる。この四人であれば立ち会いは歓迎だ。ただ、相手方にも伝えないといけないので早めにいうこと。合ってるね?」

 

 ノエルのまとめに全員が頷いた。

 かくしてライラの仕事は第一フェーズを終了したのである。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

「ん……。何? フクロウ?」

 

 コツコツと自室の窓が叩かれたのを、髪の毛があっちへこっちへカールしている男性______ドミニク・プルウェットは聞き取った。

 ここはホグワーツで一番高所に存在するグリフィンドール塔。つまりはグリフィンドールの寮がある場所だった。

 

「ヒューっ、ラブレター?」

「直接渡しにくりゃいいのにな! 誰だ?」

「ちょっと。止めてくれよ。見せないよ!」

 

 同室のからかいを受け流しながらドミニクはフクロウから手紙を受け取った。返事をもらってくるよう言いつけられているようで、そのままフクロウは自室に入り込んでくる。

 ドミニクは手紙の中身を盗み見られないよう同室の生徒には背を向けて手紙を開いた。

 封筒には華奢で華美な書体で『誰にも見られないで』と書いてあった。普段ならシャイで可愛らしい女の子を想像したドミニクであったが、この時ばかりは嫌な予感がしていた。

 そしてその予感は的中することになる。

 

「……レイチェルはどこだ?」

「なんでレイチェルが関係あるんだよ」

「いや、ちょっと監督生同士で話し合うことがあったのを思い出した」

「おいおい、誤魔化しやがって。手紙は? ラブレター? 脅迫文? それともお告げか?」

「……ちょっと熱烈すぎるかな」

 

 ドミニクは咄嗟に手紙に何か書き込み、フクロウでまた送り返した。

 

 

 

 

ドミニク・プルウェット殿

 

 突然のお手紙大変失礼致します。早速本題に入らせてもらいますと、これはお茶会の誘いでございます。

 我々スリザリン寮一同はグリフィンドールとの軋轢を解消したいと考えております。その親交の第一歩として、我々七年生の監督生でまず友好を育みたいのです。

 お互いの寮生を刺激しないためにも、このことは限られたスリザリン寮生にしか伝えておりません。秘密裏に行いたいため、了承していただけるならぜひ、好きな茶葉の種類でも書き込んで今一度フクロウに括り付けてもらえたらと存じます。

 明後日の放課後、五時半頃、八階突き当たりの廊下の前でお待ちになってください。

 良い返事を心待ちにしています。

 

ケイリス・ブラック

ノエル・グリーングラス

 

 

 

 



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ヌワラエリアの香り





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 ドミニクがフクロウで手紙を飛ばし、同級生の茶化しを無視して談話室に降りた頃、同じくグリフィンドールの監督生であるレイチェル・アストリーもまた談話室へと降りてきたところだった。

 レイチェルのアンバーの瞳が、ドミニクの黒い瞳とかち合う。二人は示し合わせたように自然に会話を始めた。

 

「あ、レイチェル!」

「ドミニク。……来たわよね?」

「やっぱりか。なんて返した?」

「ヌワラエリアが好きですと」

「背伸びしたな」

「あんたは?」

「アッサムだ」

「シンプルね」

 

 二人は軽口を叩きながら談話室の外へと出ていく。周りは監督生の何か秘密のパーティーか何かの話だと思ったに違いない。

 人のいない空き教室に入り込み、二人は手紙の内容を思い返した。

 

「……あいつらの狙いはなんだ?」

 

 スリザリンがグリフィンドールを警戒するように、グリフィンドールもスリザリンを警戒している。特にスリザリンは秘密を強く守る傾向があるため、情報が無い分警戒心は強かった。

 特に今回、コリー・テイルズが大きな問題を起こし、その報復に備えてそれとなく警戒を強めた矢先のことだったため、警戒心は振り切れているといっても過言ではない。

 

「手紙の内容をそのまま信じるなら、私たちと和解しようということだわ。過去のことを水に流し、不毛な争いをやめようと言っている」

「俺には見え見えの罠に見える」

「その通りね。ただ、スリザリンはそこまで馬鹿じゃないのも確かよ。特にノエル。あいつが罠の予告状送ってくると思う? そしたらこれはノエルの名を騙った悪戯よ」

 

 考えても埒があかなかった。あらゆる可能性が想定されるなかで、ドミニクは、ある意味本質と言える質問をした。

 

「________行きたいか、行きたくないか?」

 

 レイチェルは即答した。

 

「行きたい!」

「俺もだ」

 

 緊迫した空気の中に笑い声が起こった。純粋な興味はあることはあるのだ。

 それに、監督生として五年生で交流を始めて二年と少し、年月の分それなりに信頼はある。

 

「ちょっと楽しみなの。無用心かしら?」

「考えても仕方ないしな。美味しい紅茶が飲めたら上々ってことにしとこう」

 

 案外気楽に、グリフィンドールとスリザリンのお茶会は滞りなく決行されることとなったのだ。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 ドミニクとレイチェルは手紙を受け取って三日後の放課後。八階の廊下、その突き当たりで合流した。

 彼らはそこに何があるかは知らなかった。

 彼らが集まったのを見計らったように『必要の部屋』は姿を表す。驚きはしたが怯むことはなかった。白く華美で、サロンに続くような扉だった。レイチェルが年季のはいった金属の持ち手を下げる。

 

「お待ちしておりましたわ」

 

 気品のある声がその場を圧倒した。ケイリス・ブラックだ。

 室内だというのに光が差している。豊かな紅茶の香りと、微かに漂う花の香り。十月が始まったというのに春のうららかな日の庭園がそこに広がっていた。

 白で統一された調度品の数々。素朴な色の茶菓子。それに対比するケイリスの美しい黒髪と、陽光に透けるノエルのブロンド。完成されきった美だと思えた。

 ドミニクもレイチェルも、次にどうすればいいのか分からず、ただ立ち尽くした。

 

「どうぞ。お座りになって?」

 

 ケイリスの一言でやっと二人は席につく。そこで、ケイリスとノエルの他に二人の少女がいることに気がついた。片方は短いブロンドにキリリとした碧眼で凛とした印象を受ける少女だった。もう片方は世にも珍しい白髪とバイオレットの瞳を持っている。眩しいほどのその白さにドミニクは思わず目を細める。二人とも当然のように造形が整っておりそろえて髪を短くしているため、何かの使者のような、聖なるものの使いようだとレイチェルは思った。

 この二人、何を隠そう、ライラとイザベルである。

 

 

 本来参加する予定のなかった者がなぜここにいるのか。牽制でも脅しでも罠でもない。事の発端はこうだ。

 

「お茶会っていいわねぇ。私も参加してみたい」

「お茶会って楽しいの?」

「面倒なことがなければね。お菓子にお茶にお喋りに……リラックスできるわ」

 

 イザベルが何気なく発した一言をケイリスは聞き逃さなかった。

 

「イザベル……」

「はっ! ……ケイリス様っ……」

 

 何かを間違えた、そう思ったライラは口をつぐんだ。ケイリスが笑っているのに恐ろしかったからである。

 

「そうね……お好きな茶葉は?」

 

 イザベルはヒィと声を上げた。ライラはこのケイリスの顔を一生忘れないだろう。現に夢に見るほどにこびりついてしまっている。

 

「だっ、だ、ダージリンを好んで飲んでおりますわ」

「わ、わたっ、私は、その……茶葉なんでも……ミルクティーが好きです」

 

 息も絶え絶えに要望を伝えた時、首が飛ぶかもしれないとライラは無意識に覚悟した。自然と頭を垂れてしまう。

 

「よろしい。不用意な発言にはお気をつけて。思いもよらない結果をもたらすことになりますからね。口は災いの元。頭に刻んでおきなさい」

「ご忠告痛み入ります……!」

「大変申し訳ありませんでした……」

 

 つまりは二人の不用心さに対する罰である。そして予告なしにこの場に現れたことを謝罪するまでがケイリスに言い渡されたお仕置きだった。

 

 

 ドミニクとレイチェルが席についたのを見計らってノエルが口を開いた。

 

「来てくれてありがとう。内容が内容だからもしかしたら……と思ったけれど、見誤ったようだよ。僕たちは僕たちが思うより親交を深めていたらしい」

 

 ノエルのいつもの様子にホッとした雰囲気が流れた。彼は意外とフランクなのだ。

 レイチェルがライラとイザベルを盗み見た。誰も話題に出さないから自分にだけ見える何かの使いかもしれないと疑い始めてしまった。それを察したケイリスがすかさずライラ達に言う。

 

「あら……挨拶をしていなかったわね。貴方達、こちら、グリフィンドール七年の監督生で、ドミニク・プルウェットさんにレイチェル・アストリーさん。二人ともご挨拶しなさい」

 

 密かに圧力が感じ取れてライラ達は身震いしながら立ち上がった。どんな授業よりも嫌だった。

 もしもあのやりとりが自室であればケイリスは何も言わなかったはずだ。談話室で大声で話していたからこんなことになった。秘密裏にという話だったのに情報漏洩に繋がりかねなかったのだ。心の底からライラは反省しながら二人と目を合わせた。

 

「イザベル・ブルストロードと申します。本日は突然お伺いすることになって申し訳ありません」

「りゃ、ライラ・オルコットといいます。事前のお知らせもなく、本当にごめんなさい。お目にかかれて光栄です」

 

 会釈をして二人は座った。ケイリスからのプレッシャーがマシになり、少し表情が緩む。ドミニクとレイチェルは苦笑しながら優しく二人に声をかけた。

 

「大丈夫だよ。こういうのは数が多いほど楽しいしね」

「よろしくね。二人とも。先輩だからって緊張することないわ。気軽に接してね」

 

 ライラは不意に涙が飛び出そうになったが耐えた。優しい人ばかりで良かった。

 すでに魔法でお茶の準備は進んでいた。監督生同士の歓談を眺めながらライラ達はそばに控え黙っている。

 

「今はアッサムを淹れているの。飲み終わったら次はヌワラエリアを淹れましょうね。香りが強いから後にしようと思ったの」

「用意してくれたの? 流石ね」

 

 やんわりとした長引くぞ宣言である。ライラは課題とトム達のことを思って空を仰いだ。清々しい紅茶の匂いが鼻に飛び込んできて癒されるやら悲しいやら。

 だが隣のイザベルがもっと申し訳なさそうな顔をしたためすぐライラは思い直す。どうにか前向きに捉えようと思ったのだ。イザベルが気に病んでいることを気づけなかった自分を恥じたからだった。

 ポットが空中に浮いてお茶を注ぎ始めた。順番にカップに琥珀色の液体が満たされていく。

 ポットとカップはもちろん一揃えの陶器でできたもので、精巧な飾りで彩られ優美で鮮やかな薔薇の絵が描かれている。何もかも魔法で済ましてしまうため、取っての部分は飾りで持ち辛そうだった。魔法界のアンティークにはよくあることだ。

 

「アッサムティーはミルクがおすすめよ。砂糖はいくつ? もちろんジャムもあるわ」

 

 ケイリスが華々しく笑った。そもそもお茶会が好きなのだろう。生き生きとしている。

 言葉通り、机の脇のティーカートには種類豊富なジャムがあった。無論ティーカートもジャムの入れ物も白で統一されたデザインだ。

 ライラは砂糖とミルクをもらった。ノエルは砂糖をドボドボと入れケイリスに嗜められている。レイチェルもドミニクも緊張がほぐれたようだ。イザベルもお茶会が好きだと言っていた通り、気持ちを切り替えて満喫している。

 一口啜れば、濃い口なのに飲みやすい、渋みの少ない茶が口いっぱいに風味を広げた。ミルクティーにすると口当たりも抜群である。今まで飲んだことがないほど美味しい、とライラは驚いた。きっと何から何まで高級品であるからだろう。茶器も水も茶葉も砂糖もミルクも、テーブルも、花々も、そしてここに集う______自分を除いた_____人々でさえも。

 和やかな雰囲気の中、自己否定感に囚われかけたライラの目を覚ますように、ケイリスが口を開いた。

 

「ライラ。味はどう? 楽しんでるかしら?」

「______っ、はい。とっても……とっても楽しいです。紅茶も美味しくて……」

「良かったわ! お茶菓子もあるから食べてね。イザベルも。遠慮しないで!」

 

 勧められるまま、各々好きな菓子を取った。ライラはマフィン、イザベルはスコーンを取ったようだ。

 食べると、焼き菓子特有の甘い香ばしさが鼻を抜けていく。これ以上なく幸せになれるお菓子だ。自然に頰が緩んでいく。

 雰囲気が柔らかになっていく。

 

「で、ここにきてもらった理由なんだけど、手紙に嘘偽りはないんだ」

 

 ライラはギョッとしてノエルを見た。その拍子にマフィンが喉に詰まりそうになる。

 まただ。ずっとそうだ。いつだって最初に喋るのは彼だ。そしてその場の雰囲気を支配して見せるのも彼だ。ライラはノエルを側から見てようやくその特異性に気づけた。彼は異様にその場を操るのが上手い。

 レイチェルもドミニクも戸惑い、完全に受け身になっている。

 

「ただ仲良くなりたいんだ。せめてこんな……傷つけ合う関係を止めたい」

 

 正直、グリフィンドールの二人は何か裏があると思っていた。気軽にこのお茶会にやってきたが、警戒心は忘れていない。どうせ、建前の薄っぺらい口実だと思っていたが、あのノエルがプライマリースクールに入学したての子供みたいなことを言っているのを見て面食らった。ライラ達の熱視線も相まって決して冗談ではないことを悟る。こういった状況の意味が分からずろくに言葉も返せなかった。

 

「……つまり……?」

 

 ドミニクがそう聞いた。その時、ノエルが反応する前にレイチェルが口を開いた。

 

「本当にそれだけ?」

「そうだよ」

 

 ノエルはさも当然だという顔をして頷いた。ドミニクはポカンとしているが、レイチェルは眉間に皺を寄せている。ノエルの態度を見てより一層皺が深まった。

 ライラはその様子を見て少し怖気付いた。ケイリスのような静かな圧力ではなく、あからさまでおおっぴらな威嚇だと感じたからだ。

 

「あのねぇ……そう言って、それだけの言葉で私が信じると思う? 仲良くって……今まで仕返しに次ぐ仕返しで……急に言われても怪しいわ。何があったわけ? きっかけは? 理由は? ただの気まぐれとかだったら私はすぐ出てくわよ」

 

 もっともな意見だった。ノエルは飄々とした態度を崩さず、微笑んで紅茶を飲む。一息ついて、独特の間を取ってからレイチェルに言った。

 

「発端はライラだ。君たちも知ってるだろう。コリー・テイルズのこと。その時のスリザリンの一年生というのがこの子だよ」

 

 今度こそライラの喉にマフィンが詰まった。自分の名前が出るなど予想もしていなかったからだ。自分たちはただ付き添いで傍観しているだけだと信じて疑っていなかった。イザベルに背中をさすられ咳き込む。マフィンが上等でホロホロと崩れるのがまた難点だった。

 驚いたのはドミニク達も同様だ。

 しかしここで嘆くべきは二人とも勘違いを起こしたことだ。二人の目には、ライラが事件のことを思い出してフラッシュバックを起こしているように映ってしまった。

 ライラは咳き込みすぎて涙ぐんでいた。それがさらに勘違いを加速させる。

 予告無しに現れたこと______この場に立ち会うべきか最後まで悩んでいたのではないだろうか。

 なぜ二人なのか________未だに傷が癒えず、親しい友達に付き添ってもらったのではないだろうか。

 二人の頭の中で間違った点と点が間違った線で結ばれていく。

 

「ゲホッ、んぐっ……。しっ、失礼っ……」

「ちょっと。喋らないで。紅茶飲みなさい! 少し驚いてしまったようで……すいません先輩方」

「構わないよ」

「すみっ、ません……ゲホゲホッ、ヴっ」

 

 ライラはそんなことも露知らず、ただただマフィンに喘いでいる。こうなると凶悪な兵器としか思えなかった。話の最中にマフィンに夢中になった罰だろうか。恥ずかしさと苦しさの中でライラは一人猛省した。

 ノエルとケイリスは、もうとっくにショックは薄れて回復していることを知っているため大して驚きはしなかった。そしてなんとなく、ドミニクとレイチェルがライラに対して勘違いを起こしていることも感づいている。

 ノエルはこれをチャンスと捉えた。

 

「ドミニク、レイチェル。君たちを責めるわけじゃないんだ。ただ、彼女が望んだ。報復ではなくグリフィンドールと話したいと。それを叶えるためにここにいる」

 

 紅茶を飲んで落ち着いたライラに視線が集まる。

 ノエルが説明を続けた。

 

「今まで、スリザリン生の殆どが報復を望んできた。僕らも、彼女がそれを望むだろうとたかを括っていた。でも彼女は上級生の集団を前にして言ったんだ。『私のような子が減るように』と。今日もショックが癒えぬのを押してこの場に来てくれている。僕らはこの高潔な精神に続くべきだと結論を出した」

 

 イザベルもライラも仰天しながらノエルの動向を伺った。手に取ったカップが落ちる寸前だった。ノエルは脚色たっぷりにライラを悲劇の少女に仕立て上げている!

 あんまりにあっけらかんと言うものだからライラは抗議するという考えも思い浮かばなかった。

 対してドミニクとレイチェルはすんなりとそれを信じた。申し訳ないという意識と勘違いがそうさせたのだ。

 

「そこで、協定を結ぼうと考えた。これの原案も彼女とその親友らが考えている」

 

 ライラ達がまとめた『協定』を書いた羊皮紙が差し出される。

 ドミニクとレイチェルはそれを舐めるように読んだ。

 

「嘆かわしいことに、こんな当然のことを僕らは出来ていなかった」

 

 先に読み終えたレイチェルが口を開く。

 

「なるほど……積極的に交流しようって内容じゃないのね。お互いに過ぎた干渉が無いように……」

「その通り。無闇矢鱈に仲良くしろって言ってるわけじゃ無い。それがポイントだ。寮同士の関係なんて、それが正常だったはずなんだよ」

 

 結果的に話し合いはうまくいっている。ライラはそれを落ち着いて見ていた。ドミニクもレイチェルも、もっとカッとなって激しい態度で詰め寄ってくると思っていたが、ちゃんと書面の内容を精査している。あのグリフィンドール生……コリーは元々カッとなりやすい性だったんだろう。

 

「それで? 僕らはどうすればいい? 論ずるのは簡単だが、そんなすぐに関わるなとか余計なことを言うなだとか……うちの寮生が出来るとは思えない」

「問題を起こした奴を、これまで以上に厳しく罰してほしい。もちろん寮内でだ。といっても限度があるだろうから……場合によっては先生に任せる。すぐに仕返しに出ないっていうのが肝になるだろう」

 

「もちろん、スリザリンでも躾は徹底しますわ。学校で家柄は関係ないと言ってもやはり年齢や実力で縦社会になるもの。加えて上の言うことを聞く素直な生徒が多いので、問題ないでしょう。まぁそれでもちらほら反抗的なのはいますが……その場合は罰を与えればいいだけ」

「問題はうちの寮よ。普段から反抗的で先生にも従いやしないのが大勢……。校則ですら破るのに……」

 

 レイチェルが首を振る。ドミニクも腕を組み瞑目していた。 

 コリー程でなくても、グリフィンドールの生徒は少々元気がいいのだろう。

 

「努力次第でどうにか出来るならそれはたいした問題ではない。努力でどうにもならない、となればまた策は考えるよ。困ったらいつでも相談に乗るし、協力する」

「頑張ってみるわ」

 

 レイチェルが意気込んだ瞬間、ふと、豊かな香りが室内に溢れた。

 

「紅茶のシャンパンと言われるだけあるわね。もう少し蒸らすから少しお待ちになって」

 

 ヌワラエリアの香りだ。ミルクティーを飲み干したライラは表情を固くしながら待った。どうやら自分は悲劇の少女らしいので、無闇に笑顔を見せてはいけないだろう。

 

「今回話したかったことはこれで以上だ。あとは気ままに茶会でもしよう」

 

 ノエルの一声で、場の空気は弛緩した。やっと一息つけるようになった。

 

「……その、ミス・オルコット」

 

 ドミニクがライラに声をかけた。

 

「先輩。どうかライラと」

「コリー・テイルズのことなんだが……」

「えっと……それはどなたのことですか?」

 

 ライラはあの場にいたグリフィンドール生であることは分かっていたが、複数人いるため誰のことかは分からなかった。

 

「多分、君に最初に攻撃しようとした男のことだ」

「……ああ! あの……彼には悪いことを……」

 

 わざとではなかったとはいえ、ライラは彼に舌縛りの呪いをかけてしまった。ダンブルドアがそこにいなければすぐには解けなかっただろう。

 ライラはそれを詫びようとすると、イザベルが確固たる意思でそれを阻んだ。

 

「どうしてライラが謝るのよ。正当防衛でしょう? 先輩は違うとお考えになってるのですか?」

「いや! もちろん。ライラがしたことは間違ってない。ただ……それでコリーが荒れていてな。見かけたらすぐに離れてくれ。君は目立つから、出会わないに越したことはない」

 

 ドミニクは慌てて弁明した。ライラは申し訳なさそうな顔をしたが、イザベルは違う。さらに目尻を釣り上げ、気に入らないと態度で示している。

 

「お言葉ですけど、そういうわけにはいきません」

「何故? ミス・ブルストロード、今、コリーとライラを引き合わすのは危険よ」

 

 レイチェルも口を挟む。ケイリスとノエルは傍観の姿勢をとっている。

 

「そのコリーとやらは、つい先日、アイリーン・プリンス様にも危害を加えるところでした。もちろん、ケイリス様もご存知です。詳細を直接聞きましたわ。ご存知でしたか? アイリーン様は寛大にも、ご自身で罰を与えたため大事にはしないとおっしゃっていました」

 

 ドミニクとレイチェルは青ざめていた。憂慮していた事態がとうに起こっていたのだ。

 

「コリー・テイルズは、ライラとアイリーン様に直接謝罪すべきです。私はそう思います。無理にライラと引き合わせる必要はないですが……」

 

 イザベルは興奮を抑えようとゆっくり息をした。先輩相手に意見するのはイザベルといえど勇気が必要だった。

 

「……その通りだ。済まなかった」

「先輩が謝ることないです! 謝罪すべきは、あの場に居合わせたグリフィンドール生のみ……。そうでしょう? イザベル」

 

 レイチェルも後に続いて詫びようとしていたが、ライラの言葉でどうしていいか分からなくなっていた。コリーをここに連れてくればいいのだろうか?

 

「それは追い追い決めましょう。ライラの気持ちが落ち着いてからでいいわ。イザベル、良いことを言いましたね。謝罪が無ければ許すこともできないのですから」

 

 ケイリスの言葉に、ライラはハッとした。正直形式的な謝罪は要らないと思っていたし、関わらないことが双方にとっていいのではないかと思っていたが、謝罪を受け入れるという慈悲もあるべきだと思えた。

 

「レイチェル。どうぞお飲みになって。好きなんでしょう?」

 

 いつのまにかヌワラエリアの紅茶がカップに入っていた。

 明らかに先程のアッサムティーよりも香りが強い。

 

「ありがとう」

 

 ライラも同時に口をつけた。

 

 こうしてグリフィンドールとのお茶会は、大した問題もなく、終わりを迎えた。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 ところ変わってスリザリンの談話室にて。

 トムとアルファードは課題をこなしながら、お茶会が終わるのを待っていた。

 

「ライラ達はお仕置きで連れて行かれたが……そんな怖いのか? あのお茶会は」

「ん〜……少々空気は悪くなるだろうけど……。グリフィンドールの監督生よりケイリス先輩の方が怖いはずだよ。あのイザベルがうなされたって言ってるくらいだし」

 

 闇の魔術に対する防衛術の課題は、羊皮紙ふた巻きに失神呪文を防ぐ術を調べてまとめることだった。

 帰ってきた時、ライラ達が困ることがないように仕上げておかなければならない。

 

「見て! この本では、卑怯だが二、三人で同時に放てば絶大な効果を発揮するだろう……って書いてある。これを防ぐのは至難の業だね」

「それが卑怯か。ただの作戦だと思うが……」

 

 ふと、トムは閃いた。

 

「アルファード」

「何?」

 

 そう言いながらも、アルファードは嫌な予感がしていた。トムが口元を押さえ、動揺していたからだ。

 

「ライラは卑怯者だと言われたって言っていたな? それに、盗み聞きだとも」

「グリフィンドール生に?」

「そうだ」

「確かにそう言っていた気がするけど……」

 

 アルファードの言葉に、トムはさらに考え込んだ。なぜこんなことに気づけなかったのか、そうトムは自身を叱咤した。

 

「ただの世間話なら、盗み聞きだとは言わないだろう。卑怯者、とも。アイツらは何を話していた? あと、マルフォイ家やブラック家のスパイか? とか何とかも……」

「まさか……何か企んでいる? それも、純血家の筆頭がらみで……」

「そうだ。ただの喧嘩じゃ済まないかもしれない」

 

 空気が冷える。魚が二人に影を落とした。

 二人は頷き、談話室を出る。

 ホグワーツがやけに静かな気がした。

 

 







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昔を想うには早すぎる


短め


 

 

 「あれ? アルファードとトムじゃない」

「えっ。どうして?」

 

 ライラ達がお茶会を終え、必要の部屋を出た時だった。八階の廊下を走るトムとアルファードが見えたのだ。ドミニクとレイチェルは誰だか分からず警戒する。ライラはノエルとケイリスの仕業だと思ったが、二人もキョトンとしているためトム達の独断だと気がついた。

 

「アルファード、トム。どうなさったの?」

 

 彼らは息を切らしながらも真剣な顔をして告げる。

 

「ケイリス先輩。あの、僕ら気づいたことがあって________」

「グリフィンドールの監督生方にもお伝えしたいと思って来たのです」

 

 スリザリンの面々はそれを聞いてすぐ意見を聞く体制になったが、グリフィンドールは違う。関係者なのは分かるが、誰かも分からない子の話をすんなり聞けるほど愚鈍ではない。

 

「ちょっ、ちょっと待て。ケイリス。この子達は?」

「ああ。紹介するわ。トム・リドルに、アルファード・ブラック。ライラの友人よ。貴方達、こちらはグリフィンドールの監督生方よ。ドミニク・プルウェットさんに、レイチェル・アストリーさん」

 

 手短に自己紹介をしたことでドミニク達は戸惑いながらも話を聞く体制を取った。とにかく関係はしているのだろう。何があったのか聞く方が重要だ。

 ノエルが促した。

 

「話してみてくれ」

「その前にライラに聞くことが……。ライラ、グリフィンドールの生徒は確かに『盗み聞きだ』『スパイか?』『どこの家の差し金だ』って言ってたんだよね?」

 

 アルファードは切羽詰まった様子でライラに尋ねる。気圧されながらライラは頷いた。

 

「大体そんなようなことは……」

「やっぱりそうか。先輩。僕らは重要なことを見落としていたようです。ライラに危害を加えた生徒は、何か企んでいます。それも、マルフォイ家やブラック家などの純血絡みで」

 

 トムは早口に捲し立てた。その場は騒然となる。驚くのはライラ達だけではなく、ドミニク達もだった。

 

「確かに……そう、そうよ。なんで私気が付かなかったんだろう! ただの立ち話を聞かれただけであんなに怒る道理はないわ!」

「だとしたら……ライラ、話してた内容は全く聞こえなかったのね?」

「うん。全く……」

「もう一ヶ月経ってるわ。作戦を練るには十分すぎる」

 

 イザベルは冷静に務めようと状況を分析した。

 一方、ノエルとケイリスは驚きもせず、さして反応もない。不思議に思いながらも、アルファードはドミニク達に質問した。

 

「プルウェット先輩。生徒に不自然な動きや怪しい集まりなどはありませんでしたか?」

「思い当たることはない……が、君たちの話を聞く限り何か企んでいるという可能性は高い」

「……私も心当たりはないわ。調べてみる」

「お願いします。僕らはグリフィンドールに近づけないから」

 

 とりあえず、ドミニク達との協力体制を築けた。これで手がかりが掴めるかもしれない。

 

「これは内密にしておこう。いいね?」

 

 ノエルの一言で、その場はお開きとなった。

 

 

 

 

 グリフィンドールとは八階で分かれ、大所帯となりながらもスリザリンの面々は談話室に戻っていった。外はとっくに暗くなっている。

 

「『ヴィペラ・セクレティウム(毒蛇の秘密)』」

 

 ケイリスが囁き声で合言葉を言い、いつものように扉が現れる。

 ライラ達が中へ入っていくなかトムはノエルのローブの袖を掴み、引き留めた。ケイリスすらそれに気づかぬまま二人は廊下に留まる。ノエルに動揺した様子はなく、トムを見て微笑んでいた。このことを予見していたかのように。

 

「トム。どうしたんだい?」

 

 全く動揺しないノエルにトムは苛立つが、辛抱強く瞳を見つめた。目は口ほどに物を言う。瞳には感情が色濃く現れる。そして、『命令』するのに目を見るのは効果的だということをトムは知っていた。

 

「先輩は察していたはずです。ライラの話からグリフィンドールが何かを企んでいると。どうして言わなかったんですか? 一ヶ月も放置していた!」

「そんなこと……恥ずかしながら僕は気づけなかったよ」

 

 しらを切っている________。

 トムの瞳が赤く輝いた。

 

「『真実を言え!』」

 

 ノエルは_____トムが見る限りでは初めて_____強い動揺を見せた。口元を抑え、青ざめる。いつも穏やかに微笑み感情を隠す、蛇を体現したような人が、慌てている。窮地に陥っている。トムは確かな手応えを感じていた。魔法使いにもこの力は通用する、と。

 

「たっ……確か、くそっ。確かに……知っていたとも……」

 

 監督生は優秀なものから選ばれる。特に七年生は一年生であるトムよりもはるかに魔法の腕は良いはずだ。しかし、ノエルはトムの力に抗えなかった。

 

「だが、僕は……なんの策も講じなかったわけじゃない……。泳がしていたんだ……。特に、ドミニクとレイチェルの反応を見るために。君が、いつか気づくことも織り込み済みだった……だが、まさか乗り込んでこようとするとは。見くびっていたよ」

「何か策があるとは思ってたけど、なるほど。監督生、もしくは寮ぐるみで何か企んでいる可能性も考えてたのか」

 

 トムの目から赤い光が消える。本人はそれに気づいていなかったがノエルはそれが錯覚などではないと分かった。

 

「トム……これはなんだ? なんの呪文だ?」

「大変失礼なことをいたしました。どうか非礼をお許しください」

「そんなのはどうだって良い。今のはなんだ? 君は僕に何をした?」

「ただ命令しただけです。これも魔法の力の一部でしょう?」

 

 トムの力は明らかに異常だ______ノエルは考え込んだ。本人は当たり前のように振る舞っている。だが杖も使わず呪文も唱えず、ただ命令しただけ……それだけでノエルの口を割ってみせた。ノエルを操ってみせた。

 恐ろしい。

 ノエルは久方ぶりに純粋な恐怖を味わった。

 

「……そんなのは、卓越した力を持つ魔法使いのすることだ……だが君は一年生だ。十一歳で、魔法界のことを最近まで知らなかった……幼い……」

「年齢など実力に差したる影響を与えません。これくらい、みんなできるものだとばかり」

「君の近くにはライラがいたはずだ。分かっただろう。自分の力が特別なことが。卓越していると、異常だと……知らなかったとは言わせない。『みんなできると思ってた』なんて通じない!」

「ライラもできますよ」

 

 トムはあっけらかんと言い放った。とうとうノエルのポーカーフェイスは崩れ去る。

 

「なんだって?」

「ライラはあまり好まなかっただけで、動物を操ったり、『お願い』したり……。使えるものは使えば良いと再三言っているのですがね……」

「……君は、君たちは、何者だ? 本当に一年生なのか? 君達には何ができる?」

「……大抵のことは。ライラと僕は同じように訓練していましたから。でも、僕に使えてライラに使えないのが一つ」

 

 ダンブルドアを持ってしても稀だと言わしめたあの力。トムが自分を特別だというのは、この力があったからだ。

 

「組み分け帽子は言ってくれた。『貴方はスリザリンに行くべきだ』と。______僕は、蛇と話すことができる」

「……っ、パ、パーセルマウス……」

「へぇ、そう言うのか」

 

 目が見開かれ眼球が素早く動く様子がよく見えた。ノエルは腰を抜かしトムを見上げる。

 畏怖と驚愕に塗れた美しい顔を見下ろすのはさぞ気分がいいことだろう。現に、逆光になってノエルには見えていないが、トムは世にも恐ろしい恍惚とした顔を見せていた。

 

「僕は……結局君たちはマグル生まれだと……そうどこかで思っていた。だが、違うようだ! パーセルマウスは使えるだけで歴史書に名を刻めるほど希少だ。しかも、かのサラザール・スリザリンもパーセルマウスだったという。ライラも純血家である可能性が高い! あぁ、僕は幸運だ。生きてる間にお目にかかれるなんて……」

 

 ノエルは完全にトリップ状態になっていた。プライドも鉄面皮も崩れ落ち、ただただ憧れと尊敬に陶酔した子供になっていた。

 

「さ、先輩。戻りましょう」

 

 トムはノエルに手を差し伸べる。

 その手は、恭しくとられた。

 

 

 

 

 

 ハロウィンがやってくる。十月三十日。ゴースト達にとっての祝祭。魔と繋がるこの日は、魔法使いである彼らと結びつきが強い。

 

「イザベル……あげるこれ」

 

 ホグワーツでは、カボチャの日と言っても過言ではない。

 しかも甘い。

 ライラが向かいのイザベルに差し出したパンプキンパイはすげなく返された。

 

「要らないわよ! 自分で食べなさい」

「だってこれ……信じられないくらい甘い」

 

 大広間はカボチャの香りで溢れかえっていた。ライラは朝食のパンプキンパイに悪戦苦闘している。調子に乗ってとったはいいが、甘すぎて食べきれないのだ。軽口を叩かないとやってられないくらいに。

 ライラは甘いものというのをたくさんは食べて来なかった。お菓子というのはえてして高いものだからだ。孤児院も日に食事を二度で精一杯。今の状況は信じられないくらい恵まれているのだ。

 ライラの隣に座るトムも顔を顰めている。トムはライラの反応を見てパンプキンパイは取らなかった。

 

「朝からこの甘さはないよ」

「そう? 美味しいのにな」

 

 けろりと言ったのはアルファードだ。彼は相当な甘党のようで、もうパイを三切れは食べている。

 

「紅茶と食べなよ。ライラは甘いのがあんまり好きじゃないんだね」

「いや……アルファードがすごいというか……そうだね。紅茶と一緒に食べるよ」 

 

 甘さを堪えながらライラがパイを片付けていると、大広間の入り口の方から悲鳴が上がった。

 原因は分かっている。グリフィンドール生の悪戯だ。誰も彼もが騒がしくなる朝食の席にうんざりしているというのに、悪戯は朝から止みはしない。

 

「はぁ……魔法界のハロウィンってこんな過激なの?」

「騒ぎたい奴らが異常なだけよ。お菓子をもらえるだけありがたいって気持ちはないのかしら」

「あ! 近々絶対小テスト出るよ」

「抜き打ちでか? なんで分かる?」

「サウィン祭……昔のハロウィンについてが出るんだよ。メリィソート先生が出すはずさ。シー(妖精)から身を守る方法とか……。毎年恒例なんだって。今日それについて授業があるはずだよ」

 

 魔法界のハロウィンとマグル界のハロウィンは少し認識が違うようだった。マグルのハロウィンは行事的なもので、魔法界のハロウィンは正しくお祭りなのだ。

 

「サウィン祭なんて久しぶりに聞いたわ。おじいちゃんしか言わないわよそんな単語」

「サウィンか……聞いたことないな。どんなことをしてたんだ?」

 

 ライラはパンプキンパイにかまけて黙ってその話を聞いていた。量がまったく減らない。

 

「僕らの前身であるケルトのお祭りなんだけど、色々捧げて火を焚いて、その火を分けて家の中を温める。そして悪いシー(妖精)を追い払う……って内容だったみたい」

「随分ざっくりとした説明だな」

「昔本で読んだだけなんだ。僕はやったことない」

「やったことある人なんて生きていないでしょう」

 

 パンプキンパイを口に突っ込みながらライラは感心していた。ハロウィン一つとっても歴史があって、学びがあるのだ。

 パンプキンパイをようやく処理したライラは、ふと思い出したように口を開いた。

 

「『ガイ・フォークス・デイ』はこっちにはないの?」

 

 イザベルとアルファードは首を傾げた。トムだけはそんなものがあったな、という顔をしている。

 

「なんだいそれ」

「人の名前?」

「うん。ガイ・フォークスって人がきっかけになったの。十一月五日がその日だよ」

「ハロウィンみたいなものかしら?」

「いや、ガイ・フォークスって人が王様を暗殺しようとしたんだけど、阻止された日。王が生き延びたことを祝う日なんだ。フォークスに見立てた人形をみんなで引き摺り回すの。そして焼く。ハロウィンは参加できなかったけど、これはよくやってたなぁ」

「僕らみたいなやつにこそお菓子をくれたっていいのにな。どうも関わりたがらないらしい」

「いいストレス発散だったよね」

 

 あっけらかんと言うライラ達に、イザベルとアルファードは絶句した。おんなじような顔が二つ並んでいて少し可笑しい。

 

「……随分怖いお祭りね」

「完全に処刑じゃないか……しかも中世の」

 

 魔女狩りを想起させるそのお祭りが魔法界に伝わらないのは当然だろう。

 

「まぁ、私たちが知らないのも無理ないわね。だって英国魔法界はイギリス王室には無関係だもの」

「えっ? イギリス人なのに?」

「確かに私達はイギリス人だけど……。魔法界がマグルに接触する機会なんてそう無いわ。ライラ達も一緒でしょう? 魔法界の存在すら知らなかった」

「確かに。マグル生まれの魔法使いくらいしか両方の世界を経験できない」

「いくら高貴だとはいえ、結局はマグルだ。別にこれは差別的な発言じゃなくて……僕らについて知る機会がないってこと。ああ、マグルの首相ぐらいじゃないか? 知ってるのは」

「え!? 知ってるの!?」

 

 首相が魔法界の存在を認知している。陰謀論を彷彿とさせるその事実に、ライラとトムは衝撃を受けた。

 

「変わるたびに使者を送るのよ。向こうの首相は変わるのが早いわね。すぐ死ぬの?」

「任期ってやつがあるんだよ……。首相はそんな危険な仕事じゃない」

 

 ライラは聖書というものが分からなかったノエルとケイリスを思い出した。どこか異国の人と話しているようで、お互いに知識を共有するのは大変だけれど興味深い。

 

「ガイ・フォークス・デイ……ガイ・フォークス・ナイトとも言うんだけど、火を使うのはサウィン祭と一緒ね」

「悪いシー(妖精)を火を使って遠ざけ、罪人を火を使って焼く……。通ずるところがあるかも」

 

 アルファードが生き生きとし始めた。もし彼が血筋に縛られなければレイブンクローに選ばれていただろうとライラはことあるごとに思っている。

 

「マグルにも火は悪を祓うものとして伝わっているのね。魔法使いはマグルの中の突然変異みたいなものっていうのが通説だし……」

「そうなの?」

「過激な純血主義者には受け入れ難い考えらしいけど、今はそれが主流の説よ」

「最初の魔法使いはどんな気分だったんだろう……」

 

 埋もれてしまった昔に想いを馳せる。ゴースト達も生前を懐かしみ、ハロウィンを祝っていた。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 ハロウィンにかこつけて悪戯だのなんだのと騒ぐ奴らが憎い。ドミニクはレイチェルに鬼のような顔でそう言った。

 ドミニクとレイチェルは悩んでいた。スリザリンと協力し、グリフィンドール内で渦巻いている()()()()()()企みを暴くと決めたは良いものの、この一ヶ月でまったく進展しなかったからだ。

 

「もうコリーに直接聞く?」

「絶対言わないし、俺たちが調べているのがバレるだろう」

「……はぁ……。なかったらなかったで良いんだけどね。ライラの証言を鵜呑みしたら怪しいところが何点かあるのよね」

 

 二人の話は聞かれてはならない。廊下の隅、空き教室、いもり試験もあるというのに空き時間を利用して調査する日々。

 おかげで恋仲ではないかと噂が立ったので二人はノイローゼになりかけだった。

 だからドミニクがこんな提案をするのも無理はなかったかもしれない。

 

「ゴースト……」

「え?」

「ゴースト……使うか……!」

 

 

 








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ウィル・オ・ウィスプの残り火

 

 「ほとんど首無しニックを利用するわけ?」

 

 レイチェルは手をひらひらさせて難しい顔をした。ドミニクが何を考えているのかさっぱり分からない。

 

「もう俺たちは限界だ。そうだろう?NEWT(いもり)試験に就職に……ありもしない噂が流れて……このままじゃグリフィンドール塔から身を投げるのも時間の問題だ」

「……その通りだけど」

「ゴーストなら壁とかをすり抜けて盗み聞きなりなんなりができる。俺たちが必死に壁に耳を当てて聞かなくていいんだ。多分暇だろうから喜んで引き受けてくれるだろう」

 

 ドミニクは限界なようで、リスクも何もかも考えず思いつきで行動している。レイチェルは危機感を覚えたが、思考が働かず、強く反論しないままドミニクに従った。

 グリフィンドールらしく猪突猛進に行動し、二人は早速グリフィンドールの寮憑きゴーストに相談した。

 ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿である。『ほとんど』首無しニックのあだ名の通り、彼は今日も打ち切られきっていない首をぷらぷらさせていた。

 ドミニクは彼を大広間から言葉巧みに連れ出し、廊下の隅の方でこっそりと交渉を始めた。レイチェルはそれをボーッと見ていた。

 

「ほとんど首無しニック! ちょっと頼みがあるんだ」

「ふむ。今日はハロウィンで気分が良い。聞きましょうとも。あと、私のことは是非________」

「実は、寮生の中に悪巧みをしてるかもしれない奴らがいるんだ。その透ける体なら盗み聞きは簡単だろう? なんでも良いんだ。情報が欲しくて___________」

「お断りします」

「なんでだよ〜〜〜!」

 

 頭を抱えたドミニクとため息をつき蹲ったレイチェルを見て、首無しニックはぐっと詰まった。後輩にここまで失望されるのは心に堪えるのだ。しかし己の矜持を汚すわけにもいかない。

 

「盗み聞きなど騎士道に反する行為! 誇り高きグリフィンドールの生徒なら正面から向かっていくのが宜しい」

「そんなこと言ったって……。これは作戦みたいなものさ。騎士も無策でいるわけにはいかないだろう?」

「その通りですが、貴殿の言うそれは密偵がやること。騎士がやることではございませんぞ」

「お願いだよ。もう俺らじゃ________」

 

 ドミニクが食い下がって頼み込もうとした。その時。

 

「もう良いわよ!!」

 

 レイチェルの怒号が響いた。

 

「もう良いわ。ドミニク。行きましょ」

「えっ、ど、どうしたんだよ。レイチェル?」

「レディ? 何か……」

「ごめんなさいね。ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿。私たちは誇り高きグリフィンドールの騎士がやるべきでない密偵行為をずっとやってたのだけれど、なんの成果もなかったわ。騎士が密偵の真似事をしたって上手くいくわけないものね。無駄な時間を取らせて悪かったわ」

 

 レイチェルはとてつもない早口で捲し立てた後に、とてつもない早足で首無しニックから離れていく。ドミニクも後を追うしかなかった。首無しニックはポカンとしたまま廊下に取り残されている。

 ドミニクはレイチェルに追いついた時、息切れを起こしていた。

 

「ちょっと、ちょっと待ってくれよ……。レイチェル。どうしたんだ?」

「______何も。イライラしちゃっただけよ。それより、ドミニク」

「な、なんだよ」

 

 怒られるんじゃないかとドミニクは身構えたが、レイチェルの顔は案外明るかった。

 

「これは努力しても解決できない問題だわ」

「なんだって?」

「私たちはどれだけ努力しても壁をすり抜けられない。まぁ、グリフィンドール塔から身投げするなら別だけど。そして、ほとんど首無しニックの気持ちを変えるより、他のゴーストに頼んだ方が早い……」

「まさか……血みどろ男爵か!?」

「当たりよ。ノエルから頼んでもらった方が受け入れてくれる可能性が高いわ。ああ、馬鹿正直に自分の寮憑きゴーストに頼むんじゃなかった!」

 

 レイチェルは清々した顔をしてふくろう小屋へと向かった。すぐにでも手紙を出すのだろう。ドミニクは首無しニックと同じようにポカンとするしかなかった。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 四時間目の変身術が終わったあと、ライラはいつもの四人組で昼食をとりに大広間へと向かっていた。朝食もカボチャ尽くしだったが昼食もレパートリーはそこまで変わらない。甘いカボチャの匂いは強まっていた。

 ライラは無難にサンドイッチと紅茶を選んだが、アルファードはまた甘いものを食べている。

 

「……今日はカボチャの日だったっけ?」

「いいや。ハロウィンだ」

「僕にとってはスイーツの日」

「そのスイーツの日は一体年に何日あるんでしょうね。病気になるわよ……全く……」

 

 多分、アルファードはバレンタインもクリスマスもイースターも全てスイーツの日だと言うのだろう。病気にだけならなければ良いや、と呆れながらライラはサンドイッチを頬張った。

 そんなライラ達の元に、ノエルがふわふわした足取りで近づいてきた。

 

「やぁ、君たち」

「あっ、先輩。どうなさったんですか?」

「んー……この中に血みどろ男爵と仲が良い子はいるかな?」

 

 理由の分からない問いに、四人は顔を見合わせた。血みどろ男爵とは寮付きゴーストとして面識があるくらいだ。仲が良いかと言われたら、そうとは言えない……。微妙な空気が漂うなか、トムが言った。

 

「ライラとイザベルがこの中では適当ではないでしょうか。道案内をしてくれたとか……」

 

 完璧に面倒を押し付けられた。ライラは思わず閉口する。イザベルは怒鳴りそうになったがノエルの手前ぐっと堪えた様子で、代わりにトムのことを蹴った。

 声もなく痛がるトムと、どんな顔をしていいか分からないアルファードを気にせず、ノエルがライラ達に言う。

 

「そうなのかい? じゃあ頼みたいことがあるんだけど……」

「なんでしょう?」

「僕と一緒に、放課後、血みどろ男爵に会いに行って欲しいんだ」

「ええ……承知しました。でも、どうしてですか?」

「______一緒にお茶会でもどう?」

「……! はい。放課後ですね。談話室でお待ちしております」

 

 イザベルが愛想良く対応し、ノエルは話が終わるとすぐ行ってしまった。ライラは何が何だか分からない。

 

「なんで紅茶?」

「やだ、分かんないの? ゴーストは活きた食べ物を食べないわ。つまり……あれは暗号よ。最近、お茶会といえば?」

「ああ! やっとわかった……。あの人たちに関係してることね」

「大きな声で言うんじゃないわよ」

 

 分かりづらいな……そう声にはしなかったが、ライラはサンドイッチを頬張りながら心中でぼやいた。

 

 

 

 放課後。イザベルと共にライラは課題をしながらノエルが来るのを待っていた。血みどろ男爵も見当たらず、ノエルが探しに行ってるのだろうと思いながら課題をこなしていく。

 

「ライラ! イザベル! ノエル先輩が呼んでるわ」

 

 教科書の次のページを開こうとした瞬間、ヴァルブルガがライラ達を呼んだ。

 

「談話室の入り口にいるから、早く行ってらっしゃい」

「はい。ありがとうございます」

 

 談話室の入り口、表の扉から入ってすぐのところに、血みどろ男爵とノエルがいた。

 血みどろ男爵は半透明の体でふわふわと宙に浮いている。当然、何か変わったところなどない。

 

「先輩。お待たせしましたわ。ごきげんよう。男爵」

「お久しぶりです。先輩、血みどろ男爵とは何を……」

「ああ、この子達かね。少し背が伸びたか? 髪が伸びたか? 顔立ちが変わったか? 子どもは成長するのが早いからな……」

 

 男爵はライラ達を矯めつ眇めつ眺めた。その声と視線は冷気を纏っているようで、ライラとイザベルは身震いを堪えられなかった。

 ノエルは平然として男爵に語りかける。

 

「まだこの子達が入学して二ヶ月ほどしか経ってませんよ。男爵……ぜひ、この子達の助けになって欲しいのです」

「ふむ。内容を聞こう」

「グリフィンドールの生徒に、僕らスリザリンへ、しかもブラック家へ危害を加えようと画策している者がいます」

「何……。しかし、それは平常と変わりないのでは」

「そう言われてしまうと……。しかし、僕らはグリフィンドールとの和解を望んでいます。それの立役者がこの子達なのです。僕は今年で卒業してしまいます。ぜひ、この子達の願いを……これからここで過ごす子達の望みを叶えてあげたい。そのために、未然に、徹底的に阻止しなければならない」

 

 ノエルは微笑んではいなかった。

 イザベルはノエルの言葉を聞いて、一歩下がる。ライラはそれを見てイザベルを一歩前へ押し出した。ノエルがそう言うのなら、イザベルだって立役者なのだ。

 

「私に何を望んでいる?」

「怪しいグリフィンドールの生徒の監視を。グリフィンドール寮の監督生に協力してもらっていますが、なかなか情報が掴めないようで。最初はサー・ニコラスに頼んだようですが、矜持を前にしては諦めるしかないと」

「あやつは頑固だからな。承った。それとなく校内を探査してみよう。グリフィンドール寮には入れない。目立つからな」

「大丈夫です。グリフィンドール寮は監督生が探索しているでしょう。校内で隠れられる場所、奥まったところ……複数人いるようなのである程度開けた場所を調査してもらいたいです」

 

 男爵は大仰に頷いた。ノエルもライラ達もパッと顔を明るくさせる。

 ライラはノエルに改めて事情を聞くことにした。

 

「てことは……プルウェット先輩達はゴーストを頼ろうとしたんですね?」

「そうだ。交渉が失敗したらしい。困ってる時に助けてくれないで何が騎士だと憤慨してたよ」

「あはは……。男爵様、協力してくださってありがとうございます」

「入学早々ご苦労だな。もう君も迷うことは無くなったかね。そこのブロンドのお嬢さんもだ」

 

 イザベルは目を瞬かせた。

 

「ええ……。ピーブズから助けてくれた時よりは。あの時は本当にありがとうございました」

「なに。ピーブズから? 何されたんだい?」

「クソ爆弾なるものをぶつけられそうになって……」

「それは災難だったね。悲惨だよあれは……」

 

 遠い目をしたノエルを見て、イザベルは興味半分、恐ろしさ半分といった顔をした。クソ爆弾というものに触れたことがないのだ。

 

「ともかくこれで終わり。血みどろ男爵も、ライラ、イザベルも、時間をとってくれてありがとう」

「とんでもございません」

「定期的に談話室で報告しよう」

「ありがとうございました」

「なにか有益な情報があったら伝えるよ。僕はドミニク達に手紙を出してくる」

 

 そう言ってノエルはそのまま寮を出て行った。血みどろ男爵も壁を通り抜けどこかへ行ってしまう。ライラとイザベルは課題の続きをしなければならない。

 

「ハロウィンだっていうのに、課題ばっかりで嫌になるわね」

「カボチャよりかはマシかな」

「たしかに……。ねぇ、さっきのノエル先輩、らしくないこと言ってたわね。私たちの前で……」

「そう? 何か変なこと言ってた?」

「この子達の望みを________のくだり。あんな情熱的な思いがあったのね、と思って」

「そう言われたらそうかも……」

 

 ノエルが笑みを絶やすことは珍しい。

 ライラはもしかしたらノエルが本音を言えたんじゃないかと思った。本当の言葉、本心からの想い。

 ゴーストにしか言えないのだったら……。

 なんて皮肉なんだろう。

 ライラはそう思った。蘇ることのない死者に本音を言っても、決して今を癒すことにはなり得ないのだ。

 ライラは他の人たちの好きなものや夢をほとんど知らないことに気づいた。まだここに来て二ヶ月だが、同年代と仲を深めるには充分な時間が立ったのかもしれない。

 他の人とも、おしゃべりしてみたい_______。

 ライラに社交性が芽生える兆しだった。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 「はは……あっさりサインくれたな」

 

 図書室の近く、『禁書貸出許可証』と書かれた紙を持ったグリフィンドールの男達が笑った。

 

「さっさと借りようぜ。早ければ早いほど良い。材料を集めるにも時間がかかる」

 

 ひそひそ声が響く。

 マダム・ピンスが眉をピクリと動かしたが、お咎めはなしだった。

 

「すいません。許可証あるので、禁書の棚に入らせて欲しいんですけど」

 

 計画が動き始めていた。

 

 



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雪の下、スリザリン寮にて

短いです。




 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 十二月に入った。ホグワーツは冷え切り、連日雪が降っている。黒い湖は凍り、薬草学で使う温室ですら肌寒く感じるほどの冬。

 クリスマス休暇が近づいていた。

 

「学校に残るものは名簿に記入するように!」

 

 スラグホーンが腹を揺らし、魔法薬学の授業の中でそう言ったのをライラは思い出した。

 ちょうど朝の支度をしているトムとアルファードを待っていたため、名簿に記入する。

 

「ライラは学校に残るの?」

「うん。孤児院に帰っても迷惑だろうから」

「……そう。クリスマスプレゼント、贈るわね」

「え? いいの? どうしよう。私何を渡せばいいか……」

「気にしなくていいのよ。無くたっていいわ」

「そんなわけにも……」

 

 少し焦りがライラの顔に浮かんだ時、明るい声が響いた。

 

「おはよう! 待たせてごめん」

「おはよう、アルファード。レディより支度に時間がかかるなんて、よっぽど寝癖が酷かったみたいね?」

 

 アルファードはバツの悪そうな顔をしながら降りてきた。トムはその後ろでまだ眠たそうにしている。寝ぼけ眼でライラが記入している名簿を見たトムは名簿に向かって指を指す。イザベルとアルファードは首を傾げたが、ライラはその意味を理解した。

 

「トム! 自分で書いてよ。勝手に書かれているって思われたら帰されるかもしれないよ?」

「似せろ……」

「トムの字体なんて知らないよ! 放課後自分で書いて!」

 

 なんだそんなことか、と二人は呆れた。頼むトムもそうだが分かってしまうライラもライラである。

 イザベルはトムからライラを引き剥がした。早く食堂に行ってしまいたいのだ。育ち盛りはお腹が空いて仕方ない。

 

「早く行くわよ。遅れちゃうじゃない! 自分で字もかけないなんて立派なことね」

「……。頭に響く……」

 

 せき立てようと嫌味を言ったイザベルだったが、トムが反論してこないことに拍子抜けした。大抵は言い返しあって口論になるのだ。イザベルとトムなりのコミュニケーションだった。

 様子のおかしいトムに、イザベルは戸惑う。

 

「ちょっと、やだ、どうしたの? 変なものでも食べたの?」

「なんでもない……気にするな」

 

 珍しくあたふたするイザベルにライラは笑いを堪えた。普段のギスギスも仲がいいからこそなせる技なのだ。

 ライラは笑ってイザベルに言った。

 

「大丈夫だよ。トムは冬になるといつもこんな感じなの。寒いのが苦手なんだって。冬生まれなのにね。特に朝はぼんやりしてて……」

「……いつものことなのね?」

「うん。心配しなくていいよ」

「トムって冬生まれなんだ。誕生日はいつなの?」

「十二月三十一日」

「もうすぐじゃないか。じゃあトムには誕生日プレゼントも贈らなきゃね」

「……? 何が目的だ?」

「君ずいぶん寝ぼけてるみたいだね。紅茶飲んでスッキリしよう」

 

 なされるがままにトムは三人に引っ張られ、大広間へと向かった。朝ごはんも一苦労で、ぼんやりして紅茶をこぼさないよう気をつけなければならなかった。

 意識がはっきりすれば恥ずかしさで拗ねるか開き直るかするんだろうな……とライラは思ったが、言わないでおく。

 

「毎日これだとしんどいと思うけど……。成長したら体質も変わるかもしれないし。ただクリスマス休暇の時は僕が起こしてやれないからなぁ……。最悪引きこもって飢えるかも」

「私も入れない……。トム、自分で起きれる?」

「……何か、言ったか?」

「駄目だね」

「ハウスエルフに頼みましょう。フライパンで叩いて起こすように言いつけたら一発よ」

「そりゃ一発で死ぬだろうよ」

「……」

「……駄目ねぇ。笑いもしないわ」

 

 起きてもこれじゃあ授業もままならない。

 

「うーん……孤児院だと放っとけ、って言われてて……。なんでかって一回ぼーっとしてる時に冷水被って風邪ひいてさぁ。その時は流石に目が覚めたらしいけどすぐ寝込んじゃった。本人は目が覚めたら自分がベッドに居なくてびっくりしたらしい」

「筋金入りね」

 

 ライラはイザベルが笑うかと思ったが、イザベルは案外真剣な顔をしていた。もちろん、ジョークとして話したつもりもなかったが。

 どうやって起こそうかと悩んでいたら、不意に光明がさした。

 ルクレティア・ブラックがやってきたのだ。

 

「あらあら、皆さんお困りかしら?」

「ルクレティア先輩! おはようございます」

 

 彼女はアルファードのいとこである。ブラック家らしく今日も輝かんばかりの顔をしていた。

 

「あの……トムがなかなか目覚めなくて……」

「ご飯は食べてるわよ?」

「僕たちが食べさせてるんです。これじゃ授業に間に合いません」

 

 ルクレティアは困ったように、顎に手を当てた。

 

「元気爆発薬は……耳から煙が出るものね……。そうね、効くかは分からないけど、試してみてもいい?」

「何かあるんですか?」

「ええ……リナベイト(蘇生せよ)

 

 ルクレティアが杖を振った瞬間、トムは弾かれたようにして目を覚ました。何も覚えていないようで、何故大広間にいるかが分からず、パニックになっている。

 

「起きた? 効いてよかったわ。失神呪文の反対呪文なの。ちょっと刺激が強かったかしら」

「すごい、起きた! 先輩、もし時間があれば教えてもらってもいいですか?」

「え、ええ。いいわよ。もちろん。でもどうして……」

「私、私とトムのクリスマス休暇が懸かってるんです! どうか!」

「ちょっと待てこれはなんだ、ライラ? 説明してくれ!」

「ああ、もう、トム、落ち着いて!」

 

 朝の時間は平和に過ぎていった。

 雪は色んなものを覆い隠す。真実や、目論みでさえも。

 計画は着実に進行していた。血みどろ男爵でさえ、それに気づくことはなかったのだ。

 

 

 

 

 「いい休暇をね。どうしてもトムが起きなかったらもうほっとくのよ!」

 「手紙を送るよ。何かあったらすぐに言って! じゃあまたね」

 

 イザベルとアルファードはそんなことを言って帰ってしまった。他のスリザリン生も同様で、クリスマス休暇に入った今、スリザリン寮にはライラとトムしかいない。

 トムはハウスエルフに起こされると談話室に降りてくることはできたので、毎朝ライラがそこで呪文をかけて起こしていた。毎日呪文をかけても大丈夫かと少しハラハラする。

 

リナベイト(蘇生せよ)

「……おはよう」

「おはよう、トム」

「毎朝こうだと堪えるな。情けない」

「仕方ないよ。トムがこうしたいわけじゃないんでしょ? それに、元気出して! 今日はクリスマスだもの!」

 

 そう、今日は十二月二十五日。クリスマスプレゼントがツリーの下に並ぶ日である。

 ライラとトムはツリーの下に駆け寄った。箱がいくらかあるのだ。

 

「本当にくれるんだな。アルファードとイザベルから……孤児院からも、メッセージカードが来てるぞ」

「本当? 届いてるといいな……保存食になっちゃったけど……」

 

 クリスマスが来るにあたって、二人もアルファード、イザベル、そして孤児院に贈り物をした。

 孤児院にはキッチンで分けてもらった保存食。そしてライラとトムは二人に魔法薬を送った。もちろん素人判断ではいけないので、スラグホーンの監督付きである。

 

「あんなのしか贈れなくて残念だな……。レターセットとかにすればよかったかな?」

「レターセットなんて大層なものどこにあるんだ」

 

 ライラがそう言うのは、もちろん、二人がくれたプレゼントと釣り合っていないと思ったからだ。

 ライラはイザベルから可愛らしいハンカチ、アルファードからはマフラーをもらった。どちらもスリザリンらしく緑があしらわれている。

 一方トムはイザベルから手袋をもらった。アルファードからは上等そうなセーターをもらっている。

 

「二人ともセンスが良い! すごい、どれくらいの価値が……触れてるのが恐ろしくなってきた」

「誕生日プレゼントを楽しみにしててね……本当にくれるのか? 金がどれくらいあるんだ?」

「どうしよう……私たちウィゲンウェルド薬詰め合わせだよ」

「……来年返せば良いだろう」

「考えても仕方ないか」

 

 ライラはそう言いながら数年前のことを思い出した。九つの頃。出会って二年が経ち、そしてライラにも魔法力があるということが分かった年の、クリスマスのことだ。

 孤児院でのクリスマスは、食事が少し豪華になるだけで、プレゼントや催しみたいなものはなかった。余裕がないのだ。

 プレゼントをもらって喜ぶこどもたちが羨ましかった。サンタを信じ、無邪気に雪の中ではしゃぐ子どもを見ているのは身が焼かれる思いだった。

 プレゼントが欲しかった。

 二人は一年かけて準備した。クリスマスまでに、何かしらをお互いに贈れるように。

 ゴミを磨いて売り、靴を磨いて、落ちた小銭を拾う。金目のものを盗めばすぐに稼げたのだろうが、それだけはしなかった。

 九歳のクリスマス。彼らはプレゼントを贈りあった。

 ライラはトムに黒いノートを。

 トムはライラに紫のリボンを。

 孤児院の子供たちに取られてしまわないようにしっかりと隠したそれらは、今はトランクの底にある。

 ライラは髪が伸びたら切って売ってしまうので、いつか伸ばせる時が来たらそのリボンをつけようと思っていた。トムがノートをどうしてしまったかは知らない。

 

「嬉しいけど……来年も二人でいられることが一番嬉しいな」

「そうだな。一年必死に働いてこれじゃあ割りに合わない」

 

 そう笑い合ったことを容易に思い出せる。

 だから今年もライラとトムはお互いにはプレゼントを贈らなかった。

 

「来年はプレゼントどうする?」

「どっちだって良い。ただくれるのなら早めに言え。用意するから」

「本当? じゃあ考えとく」

 

 二人は丁寧にプレゼントをしまい、部屋に片付けた。この後、すぐ大広間で朝食をとり、夕方になればクリスマスディナーである。

 昨日から何人かの生徒で飾り付けもしていた。

 

 そのクリスマスディナーで、ホグワーツの歴史に残る珍事件が起こるとは、誰も想像しやしなかった。

 

 





2021.01.23
修正追記入れました。


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大珍事クリスマス

 

 ホグワーツでのクリスマスは人生で一番幸福だった。プレゼントを貰えたし、朝から豪華な食事を食べられる。

 それに今年も二人で一緒にいられたのだから何も言うことはない。

 外は一面雪景色だった。校内に残った何人かの生徒は元気に雪合戦をしている。それを窓越しに見ていた。

 

「どうする? 私たちも行こうか」

「勘弁してくれ。明日起きられなくなる」

「雪だるま作るのは?」

「一人で行ってこい。僕は課題をする」

「しょうがない。ねぇ、今日はドラゴンのレポートにしない?」

「なんだって良い」

 

 結局、二人はその輪に混ざることはなかった。内向的に結束が固いスリザリン生をよく表している。

 二人は寒々しい地下の廊下を歩いてスリザリン寮に戻る。

 スリザリン寮の談話室は緑と銀で統一され、緑色のランプで照らされている。おそらく創立当初より変わることがない景色なのだろう。

 

「冷たい緑じゃなくてよかった。冬に見ると温かみを感じる。不思議ね」

「……黒い湖が凍っているな。いつもより暗い」

 

 窓の外はいつもより流れが穏やかに感じられた。冬になるにつれて魚は姿を見せなくなった。時たま現れた大イカの吸盤も、水中人だって今じゃめっきりだ。

 

「寂しいね」

 

 課題の準備をしながらライラは言う。残念ながらトムには理解できなかったようだが。

 

「冬だからこその美しい景色もある」

「確かに。でも、ほんとにそう思ってる?」

「今はドラゴンのことしか考えられない」

「あはは、やっぱり!」

 

 トムらしい。いつだって彼は模範解答を苦もなく答えてみせるのだ。世渡りが上手だなといつも感心している。

 心が無いと言う人もいるが、ライラはそれを気にしなかった。全て模範解答な訳じゃない。彼の本音もちゃんとあるのだ。

 

「範囲が広いわ。ドラゴンに関してならなんでも良い……。トムは何にする?」

「ドラゴンの血の活用法」

「んー……私は……そうね。神話と魔法生物の比較でもしようかしら」

「面倒くさそうだな」

「共同研究にしない?」

「暇になったら手伝ってやる」

 

 図書館で本を借り、片手間に昼食を食べるなどをしていると、あっという間にディナーの時間になった。

 ずっと窓の外は暗い水で満たされているため、時間が計りにくい。

 

「ライラ、時間だ。一旦大広間に行こう」

「……え? 嘘! 半分も終わらなかった……」

 

 慌てて身なりを整え、暗くなった校内を歩く。二人だけで歩くのは少し怖かった。神秘的な遺跡に入り込んだようだ。

 ただ所々クリスマスらしい飾りも見られる。それを見るたびにホッとした。

 大広間の扉につけば、中は少し騒がしい。

 

「……遅れちゃった」

「やっぱり地下階は不利だ」

「今度から時計をちゃんと見るようにするよ」

 

 一息に、二人で扉を開く。

 暗い校内からは想像ができないほどの、煌びやかなクリスマスツリーが正面に見えた。細かな雪が天井から降ってきている。

 大広間の机は普段と違い、たった一つになっていた。教師も他寮生もまとめて同じテーブルに着くのだ。

 ご馳走はまだ来ていない。人数が少なすぎて自分たちが最後なのかもわからなかった。

 

「好きなところにお座りなさい」

 

 ガラテア・メリィソート教授がそう言った。

 生徒の中に顔見知りはいない。グリフィンドール生の中には顔を顰める人もいた。

 

「あの……お待たせしてすみません」

「あなた達が最後ではありません。ハーバートがまだですから、気にすることはありませんよ」

 

 ハーバート・ビーリー教授は薬草学を担当している教授だ。アマチュアの舞台の演出家でもあるらしい。確かに、教師陣の中にあの舞台映えする顔はなかった。

 適当に________グリフィンドール生からは離れたところに二人は座る。

 二人がひと心地ついた頃、盛大な音を立ててハーバート教授がやってきた。

 

「失礼! 準備に戸惑いまして……」

 

 準備とは? その場の誰もが疑問に思ったが、誰もが分からなかった。

 

「お待たせいたしました。さ、校長、音頭を」

 

 冬だというのにハーバードは汗をかいたような様子だ。

 

「うむ……メリークリスマス」

「メリークリスマス」

 

 皆でゴブレットを掲げた。

 静かなクリスマスディナーだ。教師陣との会話もなく、グリフィンドール生との会話なんてもってのほか。

 皆仲の良い人とヒソヒソと会話をする。

 

「わ……クリスマスプティングだよ……。豪華!」

「僕の分も取ってきてくれ」

「やだよ。あ、そこのターキーとって」

「厚かましいな!」

 

 なんだかんだトムがローストターキーを取ってくれたのでライラもクリスマスプティングを取り分けた。

 

「ありがとう。あー……美味しー……」

 

 ライラがターキーを堪能した時だった。

 ジャン!

 たくさんの楽器が鳴った音がした。

 大広間の奥の方からだ。普段は教師陣が座り、今ではクリスマスツリーが立っている場所である。

 誰かと思えば、ハーバード・ビーリー教授だった。

 

「さぁ! 皆さんご注目! このハーバード・ビーリーが僭越ながら、クリスマス・ショーを開幕いたしますよ!」

 

 いつものように響く大声だ。大広間に反響しまくってライラは耳を塞いだ。そのせいで食事に集中できず不機嫌になる。

 

「演目は『豊かな幸運の湖』とくとご覧あれ!」

 

 その言葉と同時に、いく人かの生徒が舞台装置を持って駆けた。何回かリハーサルをしたのだろう。瞬く間に舞台は組み上がり、魔法によって飾り付けられる。

 オープニングの音楽がかき鳴らされ、大広間は市場のように賑やかになった。

 雪さえ溶かし尽くす勢いだ。

 ハーバードが言った『豊かな幸運の湖』とは魔法界ではお馴染みの『吟遊詩人ビードルの物語』に収録されている物語である。

 困惑したライラが耳を塞いでいるうちに劇は始まってしまった。

 ライラとトムは吟遊詩人ビードルのことなんて全く知らない。当たり前のように知らない単語や知らない人、知らない魔法が登場し、魔法界の共通認識が通じず一分半で見るのをやめた。

 食事をする方が大事に決まっている。だが周りの生徒や教師は余興を楽しむ余裕があるようだった。

 

「アッシュワインダーだ!!」

 

 次にライラとトムが食事を突くのをやめたのは誰かがそう叫んだ時だった。

 アッシュワインダーとは火を燃やし続けることができる真っ赤な目をした白蛇の魔法動物である。劇では旅路を阻むイモムシとして登場したようだ。

 トムとライラ含めた一年生は魔法動物に触れる機会が少なく、ただの白蛇にしか見えなかったが、その考えはすぐ改められた。

 そのアッシュワインダーには肥らせ呪文がかけられていたのだ。

 蛇はみるみる膨らんでいき、アッシュワインダーは大蛇と化す。こうなれば神話の化け物のようだった。恐怖のあまり、ライラだけでなく周りの生徒も席を立った。

 トムは蛇語を使おうか迷い躊躇したようだが__

 

「トム! 逃げよう! つぶされちゃうよ!」

「ああ__________」

 

 _____時間切れだった。

 逃げ出そうとした瞬間アッシュワインダーは哀れにも爆発してしまったのだ。火の粉と灰が大広間を満たし、アッシュワインダーは盛大に炎上している。

 古代ローマのポンペイを彷彿とさせる地獄絵図。

 舞台装置にも火が移ったようで大広間はパニックになっていた。

 もはや花火どころか噴火のような爆発が演出であるはずもなくハーバード・ビーリーはあたふたするのみで対処に移れていない。

 

「嘘!? ______うっ、熱い……!」

 

 ライラは驚き咄嗟に上を向く。その瞬間、頬に何か触れたと思ったら、一瞬でそれは熱くなった。駆け巡るような痛みにライラは頬を抑える。火の粉がかかってしまったのだ。

 

「ライラ! 下を向け! ローブを頭までかぶってっ_______腕が_______」

 

 二人は火傷を負いながら大広間を脱出した。他の生徒や教師も同様で、大広間には幾らかの教師が火消しにまだ残っているのみとなった。

 

「トム、火傷は? 冷やさなきゃ!」

「ライラ、顔に火傷してないだろうな?」

 

 お互いがお互いに火傷の確認をしようとする。二人も避難したとはいえパニックなのだ。

 ローブをめくり、袖をめくり、火傷をした部分を確認する。この時ばかりは冬であるのを忘れていた。

 結局、ライラは頬とふくらはぎに、トムはローブを脱いだ瞬間に腕に大きい火傷を負った。どれも深刻ではないので医務室に行けば綺麗さっぱり治る程度だ。

 

「くそっ、跡になったらどうしてくれようか……」

「今となってはイザベルはもっともなこと言ってたね……」

 

 ________「繊細さに欠けてる」脳内にイザベルの総評がリフレインするばかりだった。

 

 

 

 

 その夜の医務室は非常に混雑していた。マダム・ポンフリーも含め複数の教師が怪我をした生徒の治療にドタバタしている。

 トムとライラの怪我は軽い方で、もっとひどい怪我をしている生徒もいた。何故かあの騒動の最中、舞台の役を巡って決闘していた二人がその代表だ。腕にも足にも顔にも魔法の傷と火傷がある。

 この騒動の原因は、シルバヌス・ケトルバーンという魔法動物学の教師がアッシュワインダーを用意したこととなり、彼はのちに謹慎をくらう。

 

「はぁ……ロクな教師がいないな」

「そんなこと……言う気持ちもわかるけど」

 

 ライラの頬の火傷に薬が染み込んだ湿布を貼りながらトムは言った。

 二人でやってくれと教師に言われたのだ。手が足りないらしい。

 ライラもトムの腕に包帯を巻く。

 

「勝手に帰ろうか。どうせ先生達も気づかないだろうし」

「帰るか。早く寝たい」

 

 治療し終わった二人はさっさと医務室を抜け出し、スリザリン寮へと帰った。

 冬の空気は火傷にしみたが、騒がしい医務室にいるよりよっぽど良い。あんな騒動があった後じゃ二人だけの廊下は怖くなかった。

 

「はぁ……メリークリスマス!」

「いい皮肉だ」

 

 イザベルとアルファードにいの一番に話してやろう……そう思いながら二人はスリザリン寮へ入った。

 

 ちなみに、アーマンド・ディペット校長がこの日の騒動をきっかけにホグワーツでの演劇を全面禁止にするのはもう少し後の話である。

 

 



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目には目を、歯には歯を、蛇には蛇を

 

 

 クリスマスを終え、課題をひたすらにこなしていればすぐに年は移り変わった。年が明けて少ししたら生徒たちはホグワーツに戻ってくる。生徒たちが戻ってくればすぐにクリスマス休暇も終わりだ。

 一月三日、スリザリン寮には今日もライラとトムしかいなかった。

 

「ああ〜〜どうしよう課題が……」

「必要最低限やればいいのにあれもこれもとやるからだ。興味本位で面倒臭い研究をするな。バランスを考えろ」

「散々言うね……」

 

 トムの言うことは的を得ている。ライラは興味の赴くまま、一年生の範囲を越えたテーマのレポートを仕上げようとしていた。例えばクリスマスに取り掛かっていた『ドラゴンと神話、民話の符合の例』は完全に興味だけで取り組み始めた、課外のテーマである。一年生なので容易に取り組めるようテーマを広くした教授の計らいが、全く汲めてないのだ。

 今は薬草学の課題に取り掛かっている。

 机で唸っていたライラの隣にトムが座った。

 

「分からないところはないな。作業が多すぎるのか」

「……! そう。そうなの! もう必要なことは調べ終わって、あとはまとめるだけなんだ。でも書くことの量が多くて……」

「量が多すぎて頭の中で構成がまとまってないのが丸わかりだ。だから作業が遅くなる。何から書き出したら教授の関心を引けるか、伝わりやすくなるか考えて余りの羊皮紙に書き出してみろ。僕は資料を整理する」

「ありがとう! 助かる! あのね『聖なるハーブ、蛇と悪魔、聖油』は談話室に置いてあったから図書館に返さなくていいよ」

「詩的すぎる本だな、全く……」

 

 そんな風に二人は年始を過ごしていた。アルファードとイザベルがホグワーツに帰ってきたのは、その三日後である。

 

 

 

 「イザベル! アルファード!」

 

 スリザリン寮に人が戻ってきた。イザベルとアルファードの姿が見えるなり、ライラは抱きつきに行く。

 

「ライラ。なんだか久しぶりね。いい休暇だった?」

「うん! あの、ハンカチ、ありがとう。すっごく嬉しかった!」

「いいのよ。ライラたちも薬をくれたわ」

「お返しになったか分からないけど……」

 

 イザベルとの再会を喜んでいるあいだ、アルファードとトムも肩を叩いて再会を喜んだ。またいつもの四人が揃ったことが何よりも嬉しいのだ。

 

「アルファード。マフラー、ありがとう! すごく助かったの!」

「いいんだ。ライラたちこそ、ウィゲンウェルド薬をあんなに……大変だっただろう?」

「ううん。ちゃんと効果は実証済みだから、安心してね」

「疑ったことなんてないさ!」

 

 珍しく寮内が騒がしかった。皆会えるのを楽しみにしていたのだ。

 四人はお土産話として代わる代わるいろんな話をし続ける。話は尽きることがなく、ライラは紅茶をいつもより多く飲んだ。

 

「うちのハウスエルフがね、クリスマスケーキをひっくり返したの________」

「うちでもパーティーがあったんだけど、姉上や従姉妹たちが……」

「聞いて! アッシュワインダーって知ってるよね。ホグワーツのクリスマスディナーが……」

「ウィゲンウェルド薬を作った時の話なんだが、スラグホーンがな________」

 

 顔を見れなかった時間を埋めるように、四人は笑い合った。

 友達というものを、ライラは離れた時間を持つことで実感できるのだとこの時初めて知ったのだ。

 何よりも尊い気づきだと、そう思えた。

 

 

 

 

 その日の夜。ライラとイザベルの部屋で、二人は久々に夜更かしをしていた。ベッドに入ったが、眠る気にならないのだ。

 女の子だけにしか言えない話もある。

 窓の外の水は未だ暗い。月明かりが差し込むことはなく、闇と氷にその秘密は保たれる。

 

「本当、何度聞いても笑えるわね! ケトルバーンはまた謹慎……。魔法動物学は取るつもりなのに、こうも教授がひどいと考えものだわ」

「三年生からの選択授業だっけ。楽しいって聞くけど、私も心配。だってアッシュワインダーを爆発させる人よ!」

「あはは、ひどいわね! ほんと……。でも、二人に傷が残らなくてよかったわ」

「軽い火傷だったから。三日もすれば消えちゃった」

 

 まだベッドに備わったカーテンは閉まっていない。

 ライラは横たわって、イザベルはベッドの淵に座って話をしていた。

 イザベルは突然、少し黙ってライラの目を見た。ライラは戸惑ったが、忌憚なく見つめ返す。イザベルは何かを言おうとしている。ライラはそれを肌で感じ取った。

 

「ライラ________。……血みどろ男爵は何か言っていたかしら」

「……ううん。なにも。報告は全てノエル先輩に直接行くことになってるし、緊急のことは何もなかったんだと思う」

 

 言う直前で翻意したのをライラは理解したが、イザベル自身が悩まず言える時を待とうと、追求はしなかった。

 

「そう。このまま何もないことが一番だわ。変な企みのせいで、あなたの計画がストップしているんだもの」

「仕方ない。慎重にしないと。何年かかるか分からないけど……卒業した後かもしれないけれど、グリフィンドールとスリザリンの融和が進めば、きっとここはもっといい場所になる。イザベルが一緒になってやってくれて、とても嬉しいの」

「そう。でも勘違いしないでよね。こっちは打算も込みよ。グリフィンドールの名家との繋がりも確保しておきたいもの。というか、賛成しているスリザリン生の大半はそれ目当てよ」

「それでもよ。……ふふっ」

「……笑うんじゃ……もう! なんで私が恥ずかしく思っちゃうの!」

「あはは。いつものイザベルだ!」

「何ですって!?」

 

 イザベルは立ち上がって抗議したが、その顔は笑っていた。

 さらに夜が更けた頃、やっとカーテンは閉まり寝息が部屋に響くようになる。ホグワーツの日常が戻ってきたのだと、誰もがそう思う夜だった。

 

 

 

 

 ライラがこの年、ノエルと初めて会話したのはクリスマス休暇明けの一日目、昼ごはんを食べ終え、温室に向かう時だった。

 

「ライラ」

「ノエル先輩。お久しぶりです」

「やぁ、みんな元気そうで何より」

 

 風が吹き、丸まったハリモグラが全身を覆っているような厳しい寒さの中、生徒は縮こまりながら歩いている。ノエルも例外ではない。普段より背が小さく見えた。

 

「クリスマス休暇は穏やかに過ごせたようで何よりだ。ホグワーツは噂が回るのが早い。君達に聞かずとも、アッシュワインダーの話はすぐ耳に入った。僕には情報通の友達がいるからね。友達曰く、スリルが足りなかったとか……」

 

 ノエルが言わんとしていることを、ライラはすぐに理解した。情報通の友達とは血みどろ男爵のことだろう。彼からしてもクリスマス休暇の間は何の動きもなかったらしい。

 理解したはいいが、どうやって遠回しに返答しよう。そうライラが悩んでいると、トムがさっさと答えてしまった。

 

「はい。何にも変え難い平穏でした。スリルもいいですが、危険と紙一重です。ぜひ、ご友人にはお気をつけてと」

「伝えておこう。じゃ、また」

 

 ノエルはそれだけ言って人混みの中へ紛れてしまった。

 

「……トムは頭がいいねぇ」

「何だ急に。当然だろう」

 

 四人は目くばせをし、理解したかどうかを確かめ合う。寮に戻ればすぐにまたこの話題を出すだろう。 

 一拍置いて、アルファードが思い出したように言った。

 

「ビーリー教授ってどうなったの? ケトルバーン教授はまた謹慎だって聞いたけど」

「さぁ……。どうだろう。大怪我はなかったし、つぎはぎのローブ着てるくらいじゃないかな」

「髪の毛も全部燃えたら良かったんだ」

「同意よ。あんな繊細さの欠片も無い奴……。せめて授業中は舞台がかった喋り方をやめて欲しいわ!」

 

 イザベルはすこぶるビーリー教授を嫌っている。芸術に対する考え方が合わないのだろう。カリキュラムに対しては全く文句を言わないため、教授としては思うところはないようだ。

 温室に入り、少しした頃。頭がヒョウ柄みたいになったビーリー教授が入ってきた。髪の毛がまだらに焦げてしまったのだ。 

 その場にいた生徒が全員目を剥き、そして口元を押さえた。グッ、とかぶっ、とか吹き出す音もどこからか聞こえた。

 ビーリー教授自身も少し自信を喪失しているようである。

 

「はい。それでは、授業を始めますよ」

 

 温室を揺らすような声も、文字通り鳴りを潜めている。

 

「……しっ、芝居がかってないよ。良かったね」

「……なんだか、可哀想だわ」

 

 イザベルも同情するほどの悲惨な髪型。弁が立つトムもフォローの仕様がないらしく、その日の温室は不気味なくらい静まり返っていた。

 

 

 

 

 放課後。寮に入り、遠回しな会話をしなくても良くなったアルファードが直球にライラ達に聞いた。

 

「本当に何もなかったの? ライラ達はともかく、血みどろ男爵まで何も掴んでいないなんて……。クリスマス休暇は人がいなくなるし、何よりクリスマスのプレゼントに紛れて怪しいやり取りもしやすくなる」

「催しはクリスマスディナーの時と、年が明けたころ少し挨拶しあったくらい。私たちは大抵談話室か図書室で課題をしていたし……。本当に何もなかったんだと思う。グリフィンドール生も少なかった」

「何もないに越したことないわよ。人が少ないってことはできることも限られてくるってことよ。クリスマス休暇に限ってはホグワーツ外の動きに注目できたら良かったんだけど……そんなの不可能だわ」

「……何かあったという前提で考えるなら、休暇前になにか仕掛けていたかもしれないと考える方が自然だ。何かのきっかけ、例えば雪や気温、魔法で作動するような仕掛け……だとしたら厄介だ。でも何も目立ったことは無かった……」

 

 四人は考え込むが、他寮生の動きなんて逐一知れるわけがない。これに関しては血みどろ男爵に最初から最後まで任せた方がいいのだろう。

 話はすぐに別のことに変わった。

 

「そういえば、劇ってなんの演目をやったの?」

 

 そう言ったのはイザベルだった。散々アッシュワインダーについては話したが、ライラはビーリー監督の劇を、ただ単に劇としか言っていなかったのだ。

 

「えーと、『豊かな湖』?」

「違う。『豊かな幸運の湖』だ。劇はそんなに見ていない。予備知識が無いせいで面白みがなかったからな」

「ああ、ビードルの。魔法界じゃ定番さ。僕もよく読み聞かせしてもらった」

「魔法界じゃ定番……マグル育ちには分かんないよ」

「でしょうね。でも、なんでそれにアッシュワインダーが出てくるの?」

「えーと……イモムシの代わり? イモムシはなんと無く聞こえた気がする……」

 

 その時、イザベルとアルファードは顔を見合わせた。話が見えなくてライラは首を傾げる。

 突然、イザベルとアルファードは二人を質問攻めにした。

 

「アッシュワインダーに肥らせ呪文をかけてイモムシに見立てた?」

「多分……?」

「誰が持ってきたの?」

「ケトルバーンだと聞いている」

「グリフィンドール生の名前はわかる?」

「知らない子だったし、騒ぎで顔も覚えてない」

 

 イザベルは真っ青になって口元に手を当てた。アルファードは額に手を当て眉間に皺を寄せている。

 

「あの……何かまずいことでも……」

 

 ライラが恐る恐る聞くと、イザベルが話し始めた。

 

「魔法動物学を習い始めたら知ることなんだけど、魔法動物は魔法省によって五つの危険度に分けられるわ」

 

 これを魔法省分類、もしくはM.O.M分類と呼ぶ。一番危険度が高いものは、XXXXXというクラスに振り分けられる。『魔法使いが飼い慣らせない魔法動物』というのがXXXXXに振り分けられる基準だ。有名どころでいえばアクロマンチュラがそこに分類される。

 件のアッシュワインダーはXXXに分類される動物で、『有能な魔法使いのみが対処すべき動物』のクラスだ。存外危険な動物だと魔法省によって明言されているのだ。

 

「てっきり、ドラゴンの演出に使ったと思い込んでいたの。ドラゴンの登場がやけに早いな、とは思っていたけど、よりによってイモムシとして出したの? 信じられない……」

「イモムシなら、それこそレタス喰い虫(フロバーワーム)で良かったはずなんだ」

 

 レタス喰い虫(フロバーワーム)の分類はX。XXが無害とされるため、安全極まりない虫なのだ。

 

「えーと、つまり?」

「いくらビーリーでも安全には配慮するでしょう。彼だけならレタス喰い虫(フロバーワーム)を使ったはず。現にアッシュワインダーを持ってきたのはケトルバーンだわ。でもケトルバーンが積極的に演出に関わろうとしたとは思えない! つまり、ケトルバーンは誰かにアッシュワインダーを使えばいいと唆されたのよ」

「ここには有能な魔法使いがいる。安全だと思って、舞台が派手になると思ってビーリーも採用したんだろう。結果はこうだ。大怪我はなかったものの、あわや大惨事。クリスマス休暇でなければ、大勢の生徒がパニックになって被害が増えていただろう」

「……実験だわ。きっと。体のいい実験台にされたのよ。これだけ話題になれば結果はすぐ耳に入る。トムの言う仕掛けというのはある意味的を得ていたわ」

 

 ただの事故。誰もがそう思って疑っていなかった。ディペット校長でさえも怒りに任せて劇の禁止を言い渡しただけで、これはとうに楽しい噂話になっている。

 ライラは背筋が凍る心地だった。頬に幻痛が走る。この程度じゃ済まなかったかもしれないのだ。

 

「ケトルバーンは謹慎だ。どうする?」

「謹慎明けを待つ間……は……。とりあえず! 先輩方に報告よ」

 

 巧妙に仕掛けられた悪意。

 ライラは入学当初の、必要の部屋の会議を思い出した。

 『濡れ衣を着せるとか、呪いをかけるとかは可愛い方だろう』

 ノエルの言葉だ。

 どちらが先に手を出したか。そんな創設者の時代に遡ったって分からないことはどうでもいいのだ。報復に次ぐ報復、相手に何倍にもして返す復讐、その果てがこれなのだろうか。

 誰の業だろう。誰が悪かったのだろう。もしや誰も悪くなかったりするのだろうか。 

 それもまた、誰にも分からない。

 思いがけず深い奈落に落ちかけているような、怖気と震えがライラを襲っていた。

 

 



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白いため息

 今すぐにでも、先輩方に報告する必要があった。

 

「姉上は? それか監督生……」

「アブラクサス様がいるわ。呼んでくる」

 

 席を立ちアルファードとイザベルは慌ただしく寮内を歩き回る。トムとライラは自然に声を潜め、誰がケトルバーンを唆したか考え込んでいた。

 

「ビーリー先生は知っていると思う? ああ、こんなことならしっかり劇を見ておけばよかった……」

「忘れているかもしれないぞ。三日やそこらで劇の準備はできない。有力な証言は取れないとみていい。ケトルバーンも覚えていないかもしれない」

「情報が少なすぎるよ。そもそも事故ではなく故意に引き起こされたものかも確定していない。でも、イザベルやアルファードが『ドラゴンの演出に使ったと思っていた』って言ってたから……。きっとイモムシとして使うのはあり得ないことなのかな」

「ビーリーもケトルバーンも暴走しやすい性質だからな……。だが、何事も疑わなければならない。お前は恨みも買っているだろうしな」

 

 入学直後、ライラはグリフィンドール生とトラブルになり、結局グリフィンドールから150点の点数が引かれたことは記憶に新しい。それから今日まで目立ったトラブルはないが、何かよくない感情が燻っているのは確かだ。

 

「ライラ。トム。先輩方が話を聞きたがっているわ。来てちょうだい。私たちも一緒に話すから」

 

 イザベルから声がかかった。緊急のため必要の部屋は使われず、談話室の一角を占領して監督生等有力な上級生が集まっている。

 ライラは組み分けの後、上級生たちに自己紹介をした日のことを思い出した。同じようなメンバーだ。

 他の生徒は命じられたのかぞろぞろと自室に上がっていく。

 イザベルやアルファードから概要は聞いているのか、上級生たちは顰めっ面をしていた。アルファードの姉、ヴァルブルガは見るからに機嫌が悪い。

 放課後といえど急遽声をかけたにも関わらず、人数が集まったのはスリザリンの結束の固さがうかがえた。

 ライラたち四人も席につく。焦りの空気が充満していた。

 

「……イザベル、アルファード。君たちの言ったことは本当かい?」

 

 ノエルが口を開いた。

 

「その可能性が高いといえます。未だ可能性の範疇で、証拠も、現場も私たちは見れていません。ですが、ライラ達の話は怪しい部分があります。慎重になるべきだと思います」

 

 イザベルは重圧の中、ハキハキと答えた。ライラが感心したのも束の間、自分も喋らなければならないのだと気づく。上手くこなせる気がしなかった。

 不意に、透き通った声が聞こえた。

 

「クリスマスディナーの劇は『豊かな幸運の湖』だったのね。私は『三人兄弟の物語』だと聞いていたわ」

 

 発言したのはドリア・ブラック。六年生の監督生だ。

 

「あら、私は爆発したのはクリスマスツリーだと聞いていましてよ。随分違うようね」

 

 セドレーラ・ブラックがそう言った。

 

「ホグワーツの噂は二割合っていれば上々だ。確かな情報を知っているのは少ないだろう」

 

 アブラクサス・マルフォイも呟く。

 喋りやすいようにしてくれているのだと、ライラはすぐに気がついた。入学当初にはなかったことだ。それなりの信用をライラは築けたのだ。

 

「私とトムがこの目で見たことを全てお話しします」

 

 トムとライラはお互いに補足し合いながらクリスマスの出来事を語った。今度は何も取りこぼさないように、その日一日のことを全て。

 語り終えた後、残っていたのは沈黙だった。考え込む者、楽観的に捉えていいか迷う者、顔色が悪くなる者、反応は様々だ。

 

「イモムシ役にアッシュワインダーなんて、随分突飛な発想じゃないか。ケトルバーンらしいが……確かに、彼は劇より動物の方が好きだろう。少し違和感があるね」

 

 ノエルがそう言った。

 場の空気はノエルに従う。様々だった反応は掻き消え、取り敢えず疑ってみようという姿勢になった。

 

「正直なところ、こじつけだと思う人も多いだろう。証拠もない。彼女らが目撃したのはアッシュワインダーが爆発したところだけ。……でも、少しでもその可能性があるのなら一考の余地はあり」

 

 イザベルがホッとした。慎重に、何事にも疑ってかからなければならない。それが伝わったのならもう一安心だと思ったのだ。彼女はノエル達上級生に全幅の信頼を寄せていた。

 しかし、その顔はすぐ凍りつくこととなる。

 

「男爵は忙しいから、君達で調べてみたまえ。君たちが望むなら手を貸そう」

 

 丸投げとも取れる発言をされ、ライラは頭がクラクラするのを感じた。ノエルが正しいことを言っているのは理解できるのだが突き放されたように感じたのだ。

 いや、何故か『ノエルならどうにかしてくれるだろう』という思い込みがあったと言う方が正しいだろう。

 イザベルはあからさまに首を突っ込むんじゃなかったという顔をした。目が据わっている。

 ライラも正直しまったと思った。学業の合間を縫って色んな聞き込みをするのは大変であることをよく知っている。

 

「頼んだよ。じゃ、解散」

 

 ライラ達は顔を見合わせた。ため息ばかりがそこに残った。

 

 

 

 

 「……いや、分かってるわよ。ノエル様の言うことは正しいわ。証明したきゃ自分で調べるしかないわよね」

 

 自室に戻ったイザベルは戸を閉めるなりそう言った。

 言葉はどんどん出てくるようで、イザベルはドアの前で腕を組み、むすっとしたまま喋り続けた。

 

「あんなの丸投げじゃない。いいえ、分かってるのよ? 分かってるの。私たちが試されてるのもね。確かに不確実な要素が多いわ。でも、なんだか……先輩方にとってはこのことは大事じゃないみたい。私たちの捉え方と齟齬が……。あぁ、こんな子供みたいなことを言う自分も嫌だわ。もう……」

「イザベル……。分かるよ。私も大ニュースだって思ったけど、けろっとしてた先輩もいたもの」

「うぅ……。ごめんなさい。また忙しくなっちゃうわ」

「謝ることないよ。必要なことなんだから、忙しくたって平気。何もなかったなら両手をあげて喜ぶだけよ。もう休もう。そんなとこに立ってないで」

 

 二人はすぐにベッドに横たわった。休暇明けで疲れていたし、ちょっとでも英気を養いたかった。

 

「また波乱の日々ね」

「私たちなら大丈夫。きっとね」

 

 

 

 

 

 「へ? ああ、ケトルバーン先生に提案されたのです。アッシュワインダーを演出に使うのは手軽ですしずっと使われてきた手法ですが、ああも序盤に出すというのは斬新かつ効果的。サーカスのような高揚を与えられたでしょう! ああ、でもケトルバーン先生が芸術に理解を示してくれるとは! 意外でした。芸術の理解者が増えるというのは____________」

「ありがとうございます。もう結構です。よく分かりました」

 

 アルファードがきっぱり言って話から逃げた。

 

 結論から言うと、ビーリー教授からの収穫はゼロだった。期待はしていなかったが、がっかりするものだ。

 

「あのまだら頭! 何にも知らないじゃないの」

「演劇の話になるとみるみる元気になるのが癪に触る」

 

 イザベルとトムが口々に言い合う。この二人はそういう部分で波長が合う。良いのか悪いのかライラにはわからなかった。

 二人は放っておいて、ライラがアルファードに言う。

 

「分かってはいたけど、手詰まりかも……。どうする?」

「そうだな……グリフィンドール生だと仮定して、演劇クラブのメンバーから絞る。ライラが見たことあればその人を調べてみよう。何かにつながるかも……」

「手探りだね。困ったな……」

 

 四人は幸せの吹き溜まりができそうなほどのため息をついた。

 

「……男爵に話だけでも聞くよ。話を聞くだけなら大丈夫でしょ」

 

 ホグワーツにとどまり続けた彼らの叡智は計り知れない。だが、知らないことも当然あるのだ。

 ため息を吐いていても物事は前進しないのは分かっているが、苦労をため息だけで発散できるなら大したものだ。

 雪解けはまだらしい。白いため息がひどく鬱陶しかった。

 

 




短くて申し訳ないです。
感想、誤字報告めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます。
返信はなるべくするよう心がけます。


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羽の生えた蛇は神である

 

 

 「こんにちは。男爵」

「ごきげんよう。男爵」

 

 男爵と会話するのはいつもノエルかライラとイザベルだった。トムは仲のいい人が行けばいいと口では言っているが、どう考えても面倒の押し付けである。そこらを徘徊するゴーストを探すのは骨が折れるのだ。

 今日もまた、イザベルとライラは日が沈み、ますます冷える校舎の中を男爵を探して歩き回った。ようやく見つけた時、血みどろ男爵はグリフィンドール寮に程近い廊下で浮いていた。

 

「む、どうかしたかね」

「少しお話がしたくて伺いましたの。男爵にはお礼も言わなければなりませんわ」

「ノエルに言付けをしてくれればこちらから伺っただろう。体は冷えていないか?」

「突然伺ってごめんなさい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」

 

 血みどろ男爵と話すのは、もう二人にとって怖いことではなかった。彼は紳士だし、年長者(計り知れないほどの歳だが)の余裕が滲み出ている。下手に上級生に頼るよりも安心感があった。

 

「あなたから忠告が無かったのをみるに、きっと冬休みの間は平和だったのだと思うのですが、どうしても信じきれなくて……。現に、アッシュワインダーの件は仕組まれた可能性があります」

「……ノエルから聞いている。だが、休暇中に怪しい動きはなかった。残っている生徒は少なかったから容易に動向は追える。確実だとは思うが……。今後も何か掴んだら、ノエルに伝えておこう」

 

 そこで二人は違和感を覚えた。ノエルも男爵も、頑なにまず二人だけでやり取りをしようとするのだ。イザベルやライラに直接何かを伝えることはほぼない。こうして直接接触しない限りは。 

 誤魔化している人を揺さぶりたい時、頭が回るのはイザベルの方だった。

 

「私たちには教えてくださらないのですか……?」

 

 まるで孫のような顔をしてイザベルはしれっと聞いた。甘えるような雰囲気だ。年齢な年齢なら色仕掛けと言われても遜色ないだろう。

 

「情報の取捨選択をしている。それに、君たちが知らなくていいこともたくさんあるのだ」

「でも……手間がかかるでしょう? ノエル様はお忙しいですし、情報の伝達に時間もかかります」

「緊急であればすぐ伝える。その必要がないということだ。まぁ、君らは食い下がるだろうが……」

 

 男爵は透明な顎をなぞって宙を見つめた。体が半透明で辺りが暗いせいで、ライラはそれが悩んでいる様子だと気づくのに時間がかかった。

 

「ノエルとの約束だと言えば引き下がってくれるかね?」

「……!」

「……どういうこと?」

 

 思わずといった風にイザベルは小さくつぶやいた。

 

「なら仕方ないですね。ありがとうございました。では、また」

 

 ライラは引き下がった。ノエルに楯突くのは避けたかったし、どうせ男爵は口を割らないだろうと判断したからだ。

 

「ああ、また」

「……失礼します」

 

 ライラはイザベルが怒ると思ったが、意外にも彼女は男爵とまるきり同じように顎の手を当てて何か考えている様子だった。

 不可解なことだらけだ。男爵がノエルを介してでしか情報を渡さない理由が見当もつかない。

 

「私たちに言えない何かがあるってことよね?」

「そうだね。一体……一体何を隠しているの?」

 

 

 

 

 

 

 

 「そりゃあ、一連の事件の犯人ってことじゃないか?」

「どうしてそう身も蓋もないこと言うの!」

 

 トムはにべもなくそう言い放った。

 談話室に戻り、隅の方で四人はいつものように情報共有しあった。話題はもちろんノエルのことに集中する。

 

「うーん……。無いと言いたいけど、ノエル先輩ってああ見えて秘密主義だからな……。他の先輩方に比べるととっつきやすいけどね」

「男爵が悪事に加担するかしら? 本当の目的を隠して利用してるなら別だけど」

「そもそも! そもそも、ノエル先輩はスリザリン生だよ。何があったらスリザリン寮を攻撃しようとするの」

「さぁ? もしかしたら回り回ってグリフィンドールにダメージを与える作戦かもしれないぞ」

「なんとでも言えるわよ。何も情報がないから! はぁ……困ったわね。また振り出しだわ」

 

 イザベルの言う通りだった。焦りは失敗を生むが、時間が有限なのは常である。なるべく早く情報収集を進めておきたい。

 手遅れだったなんてことがあってはならないのだ。

 

「他に信用できる人、それでいて何かを知ってそうな、知れそうな人……いるかい? そんなの」

 

 アルファードの出した苦悶の声に、全員が首を振った。ついに四人とも語ることがなくなり、黙って考えるだけになる。

 その時、ライラの鼻に紅茶の匂いが届いた。寮の談話室でティータイムと洒落込むのは、スリザリンではよくあることだった。

 ライラはその匂いを知っていた。そうだ、この華やかで鮮烈な香り_________。

 

「ヌワラエリア……」

「え? 何ですって?」

「グリフィンドールの監督生よ。あの人たちなら何を聞いても不審に思われることはない!」

「グリフィンドールの監督生って、プルウェット先輩とアストリー先輩のことだよね。プルウェット家か……。中立的で、つかず離れず。過剰な純血主義とも聞いたことがない。______純血主義をよく思ってないとも聞いたことがない」

「信用していいのか、少し疑問だけれど……今度尋ねてみましょう」

「_____あの二人なら信用していいんじゃないか? ノエル先輩が何もしていないのを見るに」

 

 疑うような素振りがないトムの言葉に三人はギョッとした。トムに信用という言葉が似合わないのを、ライラだけではなくイザベルもアルファードもとっくに知っていた。

 当の本人もそれを自覚しているようで、少し困った顔をして見せただけだった。

 

「じゃあ、トムとライラ行ってらっしゃいよ」

「何で二人だけ!?」

「あの二人はライラに弱いわ。引け目を感じてるもの。マフィンに咽せたのをショックで泣いていると勘違いしてね」

「……間抜けめ」

「まっ_______トム!」

 

 トムはそっぽを向いて顔を真っ赤にして怒ったライラをあしらった。アルファードもそこまで興味はないようで、頬杖をついて残念そうに呟く。

 

「僕らは家の関係があるからね……」

「え? そうなの?」

「うん。ブラック家とブルストロード家は純血主義的な家だし……。プルウェット家とはつかず離れずで、何とも微妙な関係なんだよ」

「その微妙な関係を保ってたいのよ。馬鹿みたいに敵を四方八方で作る必要はないわ」

「へぇ……。薄々思ってたけど、やっぱりプルウェット家も純血の家系なのね」

「そうよ。聖二十八族に選ばれる由緒ある家系よ」

「ふうん。それでも、アルファード、君の親戚はお茶会に出向いたじゃないか」

「ケイリス先輩のこと? 確かにね。でも言ってただろう。他寮の生徒である前に、監督生であるのだと。あれは寮の垣根だけじゃなくて……。監督生である限り、あの人たちに血筋などは関係ないらしい。今の代はそういうふうに割り切ってるのさ。珍しいけどね」

 

 アルファードは未だ頬杖をつきながら、ため息を吐いた。ライラはアルファードが面白く思っていない訳ではないとすぐ気がついた。どちらかと言うと、羨んでいるような表情だ。

 

「そういう訳よ。二人で聞き込みに行ってらっしゃい。適任だわ。ごめんなさいね、ライラ! でもこうやってトムに用事押し付けたかったの!」

「まぁ、いいよ。行ってみる。それでいい? トム」

「ああ……チッ」

「今舌打ちした? したわよね? 聞こえてるわよ!」

「何の話だ?」

「あんたってやつは……信じられない!」

「言葉が崩れてるぞ。良家の子女とあろうものが」

「……どうしましょう。私がアズカバンにいる様子が頭に浮かぶわ。予言かしら……」

「え!? イザ、イザベル! ダメだってストップ! 分かったから。座るんだ。あー! 杖に手を伸ばしちゃダメだ!」

「トム! も〜〜! いつか本当に怒られるよ!」

「見極めるさ。しかし、あぁ、本当に……愉快だな」

「懲りてないじゃない!」

 

 困りながらも、ライラは少しホッとしていた。トムが作り笑いで人間関係をこなすより、こっちの方がずっといい。トムがこうして揶揄ったりするのは親愛の表れなのだと、ライラは知っている。

 ライラは感情の表現が下手で、しかも希薄だった。だからこうして感情表現が豊かなイザベルがいてくれて良かったとライラは心底思った。ホグワーツに来てから、トムは何だかんだ楽しそうなのだ。こんなに笑っているのを孤児院では見られなかった。

 

「あ、そう言えばアストリーって……」

「何!? ああ……そうね、あまり聞いたことはないわ。半純血かマグル生まれじゃないかしら」

「今の七年生がこうなったのは彼女のおかげだとも聞いたことがあるよ。そう思ったら……あの監督生同士の関係って君の理想像に近いんじゃないか?」

 

 寮も、血筋も関係なく学生として向き合う監督生達は、確かにライラの理想に近いだろう。現に七年生の監督生同士ではグリフィンドールとスリザリンは手を取り合えてるのだ。

 

「確かに……! その話も聞けたらいいな」

「その前にライラ、イザベルを夕食までに落ち着かせてくれ」

「本当、そういうとこじゃないかな」

「何がだ?」

 

 無自覚……。ライラはすんでの所でその言葉を飲み込んだ。

 でもそんな所をちょっと楽しんでるのはライラだけの秘密である。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 レイチェル・アストリーはマグル生まれの魔女である。マグルに対して好意的なグリフィンドールに入れたのは幸運だったが、優秀であったが故に監督生になったのは不運だったかもしれない。

 彼女は未だに夢に見る。

 時たま彼女は悪夢で目を覚ますのだ。

 今日もまた静かな自室の中で、彼女の荒い息だけが響く。

 

「いやね……。もう終わったことよ……そうでしょう」

 

 そう呟いて、彼女はまた毛布を被った。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 「えっ? ドミニク?」

 

 ノエルは意外そうに言った。

 例によって放課後の自由な時間を犠牲にしている。特に今日は珍しく暖かい晴れの日であり、余計にそのことが惜しまれた。雪はまだ溶けきっていないが、雪の降る日は少なくなってきている。

 一昨日トムはイザベルと一悶着あったが、結局この二人はいつのまにか元通りになっている。動物の約束行動のようなものである。

 トムも素直にドミニク・プルウェットを訪ねようとライラについてきていた。

 

「あー……彼なら……どうだろうな。外かも。魔法動物学の実習地にいるかもね」

「外……ですか?」

 「うん。彼、魔法動物好きなんだ」

 

 ノエルの言葉は当たっていた。ライラとトムは三年生になるよりも先に、魔法動物学の実習地に踏み込むことになったのだ。

 

「こんにちは」

「おわっ、え!? 誰……ってあのノエルの……」

「お久しぶりです。ライラ・オルコットといいます」

「トム・リドルです」

 

 ドミニクは少しの間狼狽えていたが、離れたところからライラ達が自己紹介をすれば、少し落ち着いたようだった。

 彼は天馬の一種、イーソナンの世話をしていた。羽が生えている以外は栗毛の豊かなただの馬に見える。

 ライラはつい、興味津々に眺めてしまった。選択授業の中でも魔法動物学はとっておくべきだと、一年生の間でも有名なのだ。

 

「あ……場所を変えようか?」

 

 それを非難の目だと思ったドミニクは申し訳なさそうにそう提案した。

 

「あっ、いえ! 突然伺ったのはこちらですし……。それに、興味があります」

「本当? ならこっちにおいでよ。危険じゃない」

 

 ライラは足を踏み出したが、トムがその袖を引っ張った。

 

「本当に危険じゃないんだ。イーソナンは天馬の一種で……。天馬はそもそも人になつきやすい。この子は実習に参加する分、優しい気性だし。あっ、違うんだ。無理にこっちに来てって言っている訳じゃなくて、誤解されたくなくて。それだけ。紐を繋いだら、そっちに行くよ。待っててくれるかい?」

 

 ライラはトムを見て、その手を振り切った。

 

「ライラ」

「ねぇ、トム、見て! 優しそうな子よ。馬なんて初めて見た! 馬車なんてもうお話の中にしかないもの」

「……そうかい」

 

 トムも渋々近づいていく。

 イーソナンは凪いだ目をしていた。栗毛が日に照らされると輪郭が黄金に輝き始める。美しく、よく手入れされた馬だった。何よりその翼は鳥のそれより柔らかそうに見え、触ったならきっと撫ぜる手が止まらないだろうと容易に想像できる。

 

「綺麗だろ。天馬はいろんな亜種がいるんだ。ボーバトンっていう魔法学校は天馬の馬車があるらしいぜ。羨ましい……」

「他にも魔法学校があるんですか?」

「おっ、そ、そう。色んな国にあるらしい。……天馬じゃないのな……」

「イーソナンの分類はどのクラスですか?」

 

 トムはいつのまにかライラの後ろに立って、イーソナンを眺めていた。それなりに興味はあるらしい。

 

「もうそんなことも知ってるのか。勉強熱心だなぁ。M.O.M分類はXX。『無害』さ。それで、今日は何しに来たんだ?」

 

 一瞬目的を忘れかけていたライラは、背筋をびっと伸ばした。初めて見た魔法動物が魅力的すぎたのだ。

 ライラはなおって、事情を話した。クリスマスの騒動が、誰かによって意図的に起こされた可能性があるということを。

 

「へぇ、俺はサラマンダーがクリスマスツリーを燃やしたって聞いてたからな。ホグワーツの噂話しなんてこんなもんか。しかし、アッシュワインダーが爆発……」

 

 二人はドミニクが胸を痛めているのがすぐに分かった。背中に悲しみが漂っている。誰も気にしていなかったが、確かにあの瞬間一つの命が失われていたのだろう。

 少し経ってパチンとドミニクは唐突に手を叩き、何かを思い出した様子だった。

 

「あ、心当たりが_______。あぁ、でもこれ言っていいかな……。レイチェルに止められてるんだ」

「な、何でもいいんです! 何か、何か情報があるのなら……」

「待て、ライラ。アストリー先輩に止められてる?」

「ああ、そうなんだよ。そんな大したことじゃないんだけど……。君たちを心配してのことなんだ。誓って何かを隠してる訳じゃなくて」

 

 渋るドミニクにトムはイライラしていたが、当たりはしなかった。

 イーソナンが地面を前足で蹴る音だけが聞こえる。

 

「それが_________」

 

 突然、イーソナンがいなないた。空気を震わすその声にライラとトムは後ずさる。

 

「うわっ、どうした!? ごめんって、落ち着け。ちょっと待ってて! やっぱり厩舎に繋いでくるよ」

 

 ドミニクは奥へ引っ込んでいく。

 ライラ達はふと後ろを振り向いた。いや、何かの気配を察したからかもしれない。振り向いたからにはそんなことはどうでもよかった。

 

「怖がらせちゃったかしらね」

 

 そこには笑顔だが刺々しい雰囲気のレイチェルがいた。

 不穏な空気だ。

 ライラ達が知る由もないが、馬はとても繊細な動物である。穏やかな性格のイーソナンが鳴いたのにもそれなりの理由がある。

 そして馬が地面を前足で蹴るのは______理由は様々だが______不安や不調の訴えであることが多い。

 

「お久しぶりね。ライラにトム……合ってるかしら?」

 

 

 




イーソナンの情報があまりないのをいいことにめちゃくちゃ捏造しました。


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おかしなお菓子

pixivの方では試験的に単語変換機能を導入してます。つまり、名前変換できるようになってるはずです。仕組みがよく分かってません。そうしたい方はぜひpixivもご覧ください。


 「こんにちは。アストリー先輩」

「覚えててくれたの? 嬉しいわ」

 

 グリフィンドールの監督生、レイチェル・アストリーは一見すると普通のようだった。しかしその冷たい笑みは、明らかに何かが不満だと告げている。隠しきれていないのだ。

 ライラはその様子に萎縮してしまった。トムがライラを引っ張って隠し、矢面に立つ。

 

「私はドミニクに用があったの。二人は?」

「えぇ。僕たちも所用が……。先輩は今イーソナンを連れて厩舎に行っています。実はまだ話が終わってなくて。お急ぎの用でしたらお先にどうぞ」

「ふうん……。別に私も急いでるわけじゃないの。あなた達の方が先なんだし、ゆっくり話して。それにしたってドミニクったら……。場所も変えないのね」

「いえ、時間がもったいないから僕たちが断ったんです。ついでにイーソナンを見れたのは良い経験でした」

 

 トムは臆することなくにこやかに話す。側からそれを眺めているライラにとっては末恐ろしいものだった。二人とも笑顔が怖いのだ。

 

「おーい! 待たせたな。これでゆっくり話ができる_____レイチェル! どうしたんだ?」

「ドミニク。いいえ、先にこの子達に付き合ってあげて」

「ああ、そうなんだけど……。なぁ、レイチェル、どうしたんだ? 顔が怖いぜ」

 

 ただでさえ怖がっていたライラはドミニクの言葉でさらに体を震わせた。トムもげんなりした顔をしている。そんなことをもしイザベルに言えば倍にして怒られるし、トムは何度もそれでイザベルを怒らせているからだ。

 しかしレイチェルは至極冷静な顔をしていた。

 

「……デリカシーがないわよ。それに、大したことないわ。あんたも下級生放ってないでさっさと話でもなんでもしてやりなさいよ」

 

 レイチェルを除いた三人共が同じような顔をして、そんなことはないだろうとおんなじように思ったが、誰も何も言わなかった。

 

「あー……あのさ、レイチェル。あの事……言ってもいい?」

「あの事って……あの事? あれはノエルが止めろって言ってたじゃない! まさか忘れちゃった訳? 話してないでしょうね!?」

 

 またノエル_____? ライラ達が予想だにしなかった名前が出てくる。レイチェルだけではなく、ノエルからも止められた話。彼は一体何を隠しているのだろう。

 

「あれ? ノエルも言ってた? ほら、コリーが________」

「このバカ! その口、エバネスコ(消滅せよ)されたいの!?」

「ごめんってレイチェル!」

 

 今にも殴られそうな勢いでドミニクはレイチェルに詰め寄られる。

 ともかく、この様子じゃ二人に話を聞くのは無理かもしれない。話を引き出すにしても、ドミニク一人じゃないといけない。

 

「あっ、レイチェルは何しに来たんだよ!」

「あんたを呼べってダンブルドア先生に言われたのよ! また何かやらかしたようね!」

「何もしてないよ!」

「あー……じゃあ、僕たちお暇します。それでは」

「お話ありがとうございました……」

 

 二人の喧嘩はヒートアップし続けている。ライラとトムは無念のまま実習地を後にした。

 放課後の貴重な時間を使って得られたのはイーソナンという天馬の情報だけ。校舎への野道を二人はため息をつきながら歩いた。

 

「まいった……。また『ノエル』か」

「男爵も『ノエル』、プルウェットさん達も『ノエル』。先輩は一体……。あっ、しまった! アストリー先輩に聞きたいことあったのに……」

「監督生がどうのこうのって話か? 後にしろ。警戒心が強い……会話で探ってきた。癪に触る」

 

 トムにとってはレイチェルは敵のようだ。普段人に見せないような顔をして悪態をついている。

 

「また機会があれば話聞くよ。ああ、それにしても……これからどうする? もうあてが無いよ」

 

 ライラは焦っていた。アッシュワインダーの話は、まるで雲を掴むように定かでは無い。しかしあまりにも怪しすぎる。ずっと嫌な予感がしているようで、落ち着かない。

 何かが動いている。それだけはわかるのに……歯痒い気持ちを、ライラは隠しきれなかった。

 

「へぇ、慌てるライラは何度も見てきたけど、焦って歯噛みするのは初めて見たかもしれない」

「えっ? あぁ、分かる? ちょっと落ち着くよ」

 

 ライラは両手で口元を隠して深呼吸をした。年頃の子供らしく、自分の焦っている姿は少しカッコ悪く感じてしまうのだ。目を伏せ、ゆっくりと息をする。

 トムはそんなライラを傍目に喋り続けた。

 

「焦る気持ちもわかる。確実に何かがあるんだ。万が一何もなくても、ノエル先輩が何を隠しているかは知りたい」

 

 ライラの表情はあまり見えなかったが、トムはすぐに茶化すような、誤魔化すような、少し咎めるような声が聞こえるだろうと思った。「そんな詮索するような……でも、そうだね」返答としてはそんなところだろう、とたかを括っていた。

 だが、このホグワーツでの生活の中でトムの予想以上にライラは強かになっていたらしい。

 

「あの澄まし顔……すぐ剥がしてやる。早く二人とも相談しなきゃ」

「ライラ、君_______もしや焦ってるんじゃなくて苛立ってるのか?」

「やだ_________そう見える?」

 

 ライラは手の中、隠していた微かな笑みを指でなぞった。

 

 

 

 トムとライラは、談話室に帰って早速イザベルとアルファードにことの顛末を告げた。反応は大方予想通りで、雰囲気が暗くなる。

 

「はぁ、これは……どうしようか。アストリー先輩を揺さぶってみる? ドミニク先輩の方が吐くかな……。そもそも大元のノエル先輩に思い切って……。困ったな」

「アストリー先輩には完全に怪しまれちゃったわね。今頃釘刺されてるわよ」

 

 イザベルは今にも舌打ちしそうだった。アルファードは天を仰いでソファーにもたれかかり、動かなくなる。周りはギョッとしていたが、触れることもできず四人からスッと目を逸らした。

 声を潜めたイザベルが呟く。

 

「先輩は何しにきた訳? 私達見張られてるなら……不味いわよ」

「先輩が言うには、ただダンブルドア先生が呼んでたから、呼びに来ただけって」

「ほんとに?」

「そうだと思うけどなぁ……。嘘だったらこんな内容でなくともいいと思うよ。誤魔化すだけならなんだっていいのにさ」

「まぁ確かにね。運が悪かったってこと?」

 

 あの馬が怯えるほどの冷たいオーラは警戒だったのか、とライラは思ったが、それにしてはどうにも異様だった。それこそ、苛立ちのような……。自分たちに向けられていないと感じていたのだ。

 

「決めるべきは次どうするかだ。何か案はある?」

 

 アルファードがそう言ったが、目が宙しか映してないのが丸わかりである。疲弊しているのだ。まだ学期初めからそう日は経っていないが、もたもたしていたらすぐ二月が来るし、その先にはイースター休暇がある。それまでにはあらかた明らかにしておきたかった。

 その時、トムが何気なく言った。

 

「先生に頼ればどうだ」

「はい?」

 

 大抵こういう時トムが何を言おうと、イザベルはくってかかる。

 

「名前が出たろう。ダンブルドアだよ。あの人はグリフィンドールの寮監だ。何か知ってるだろうさ。それに、ノエルの圧力も先生には届かない」

 

 イザベルは黙る。突くところはない、やってみても良いだろうという証だ。

 

「良い考えだと思うよ。でもさ、トム。こういう話題の時、いつも誰が探りにいくかで揉めるのは覚えてる……?」

「ライラとイザベルで行ってこい」

「そういう物言いどうにかしなさいってずっと言ってんでしょうが!」

「ほら……」

 

 結局、言い出しっぺが行けと言うイザベルと、アルファードの懇願の目に押されてまたライラとトムが行くことになった。ライラも不満に思うことはない、ないが______別にアルファードで構わないだろうと思わないこともない。

 

「ドミニク先輩はコリーが……と言いかけていた。どんな心当たりかは知らないが、そこから攻めていくのが妥当だろう。果たして……寮監という立場の人は僕たちをどれだけ見ているかな……」

「寮監の教授がここで寝泊まりする訳じゃないもんね。でもきっと私たちより視野は広いはず」

「じゃあ、二月になる前に行ってらっしゃい。私たちも何かできないか調べとくから」

「二月になる前って……一ヶ月も時間があるでしょ」

「……授業が過酷になるんだよ……」

 

 アルファードのげんなりした言葉通り、次の日からドッと課題が増え、授業も何回になっていった。クリスマス休暇ボケをしていた人達は叩き起こされたかのように苦しんでいる。教授達が甘くみてくれる時期は終わったらしい。四日あれば十分だろう、と言ったのはどの教科の教授だったか。

 アルファードやイザベルは前もって親や兄妹から聞いていたようだったが、予想をはるかに越えたようだ。ひたすらに課題に向かっている。

 それに、先生を捕まえようと思っても校舎が広いため全く追いつけないのだ。ゴーストより苦労している。

 そうこうしているうちに二週間以上経っていた。

 

「授業後に話しかけに行こうと思っても、質問に行く生徒で埋まっちゃうの。昼休みは先生がいるかいないかまちまちだし、人目もあるし……。放課後は余計に行方しれずになっちゃうの!!」

 

 そう叫んだライラに面食らいながら、アルファードがそっか……と小さくつぶやいた。まだ聞きに行ってないのかい?と気軽に質問したのが敗因だ。

 

「大声でそんなこと言うな。目立つ」

  

 トムは羊皮紙から目を離さずに言った。ライラは素直に従い、ストンと椅子に座り直す。目を瞑って項垂れていた。

 

「ああ〜、どこに誰がいるかすぐにわかる道具ないの?」

「無いわよ。作るのに何年かかるか」

「……」

 

 机に突っ伏したライラの頭をトムが小突く。髪の毛が散らばって邪魔なのだ。

 

「魚ほど単純だったらよかったのに……」

 

 三人共が重症だなと思ったが、言わないであげた。

 

 

  後にライラは、先生は回遊魚だったと語る。データの蓄積が功を奏したのだ。

 

 「うむ。では放課後おいで。そうだな……三時くらいなら私は準備室にいるだろう。その時間に」

 

 ライラはその場で飛び跳ねないようにするのにとてつもなく神経を使った。苦節二週間と六日。ようやくダンブルドア教授のアポが取れたのだ。機会に恵まれずここまで時間がかかってしまったというのは暴れ出したいほど無念だったが、今のライラにとってはどうでも良い。

 変身術の教室を出てすぐ、ライラは声もなくガッツポーズをし、拳をぶんぶんと振り回す。隣にトムがいることを忘れるくらいに嬉しかったのだ。

 そう、ここは廊下である。

 ライラの顔が赤くなるのに時間はかからなかった。

 話は戻して、今日は土曜日で半日で授業が終わる。時間のある日にアポが取れたのだ。ライラはわからないところがあるとのことで時間をとってもらったが、さしたる問題はない。

 

「お前はそこにいるだけでも目立つことを自覚しろ!」

 

 トムが小さい声で怒るも、ライラには響いていない。

 

「やった! トム、三時だって。三時だよ! 忘れないようにしないと」

「忘れないだろうさ。この後の授業も集中してくれよ」

 

 イザベル達と合流し、成果を告げると二人とも同じような反応をして喜んだ。これで前に進めるかもしれないのだ。

 

「頑張ってくれ。僕たちはダメだった時のことを考えてスラグホーンに媚び売ってくる」

「なんでスラグホーン教授?」

「ケトルバーンの謹慎解除を早めてもらうために掛け合ってるの。言ってなかったっけ? あいつが一番話が通じるわ。一介の教師だから効力は弱いけど」

 

 全てケトルバーン教授が謹慎でホグワーツにいないからこそ起こっていることである。未だにシルバヌス・ケトルバーンは謹慎を言い渡されていた。代わりの教師の方が評判が良いので、複雑だが戻ってきてもらわないと困る。

 

「結果を楽しみにしてるわ」

「精一杯頑張るよ」

 

 

 

 三時十五分前。ライラとトムは廊下を足速に歩いていた。

 

「ダンブルドア教授……直接お話しするのは久しぶりだね」

「……そうだな」

 

 トムとダンブルドアは少し、確執のようなものがあった。衝撃的だが、話せば解けるような小さなしこりが未だに残っている。

 

「トムが言ったんでしょ? 私は覚えてる。ホグワーツ特急を出た時に……」

「彼の人となりはそれだけではわからない?」

 

「そう。その通りだと思う。だから良い機会だって思うよ。私にも、教授はとても多面的な人物に映っているから」

「_______分かり合えると思う?」

 

 珍しく、トムは泣きそうな顔をしていた。

 ライラはトムが盗みを働いたことを反省しているか、ということを気に留めず接していたが、この様子だったら大丈夫だと信じていた。

 トムがこうして本当の本当に分かり合いたいと、そう思っていることがライラは嬉しかったのだ。

 

「対話をしなきゃそれはわからないけれど……。歩み寄ろうとしたことはトムにも、教授にも良いものをもたらすと思う。分かり合えなくても、その記憶があればいがみ合わないで済むと思う。これは教授に限った話じゃないよ」

「そう……か」

 

 変身術の教室の扉を叩く。返事が聞こえるとすぐにトムが扉を開けた。

 

 「いらっしゃい。ライラ、トム、よく来たね」

「お忙しい中、ありがとうございます教授」

「お久しぶりです。……僕とは八月以来でしょうか」

「そうなるね。まぁトムと話す機会はそれなりにあるさ。君は優秀だから、授業中の私の質問にもよく答えてくれる」

 

 ダンブルドアは二人を快く迎え入れた。

 冷えた廊下とは違い、教室は暖かい。ダンブルドアは教室の奥の、準備室へと二人を誘った。

 

「掛けたまえ。紅茶もあるし、お菓子もある。何が良い? 百味ビーンズ? レモンキャンディー? 蛙チョコレートにするかい?」

 

 準備室はさらに暖かく、暖炉の前のテーブルにお茶会の準備が整っていた。

 ティーセット一式はもちろん、お菓子もたくさんテーブルに載っている。お菓子といっても茶菓子などではなく、大衆的な、子供が菓子屋で欲しがるようなお菓子だった。

 スリザリンに属する純血家の子息子女のお陰で、しばらくこういった毒々しい色のお菓子は見ていなかったから、ライラは少し新鮮な気持ちになる。

 椅子に腰掛けると甘い香りが漂ってくる。刺々しくて、甘ったるいという方が正しいような香りだ。だが、馴染みがあった。たまに孤児院でもらえる甘味は、ほとんど砂糖の塊でこんな匂いをしているのが常だったからだ。

 お菓子なのに、未知を孕んでいる。それもなんだかおかしい。

 ライラは自然に微笑みながら口を開いた。

 

「どれも、初めて見ました。教授が好きなのはどれですか?」

「私が好きなのは……そうだな。レモンキャンディーだが、君たちには百味ビーンズをお勧めしよう。これは何人かの友人と食べるのが一番楽しいのだ。私はそこまで好みではないが、今日は久しぶりに食べようと思う」

「ふふっ。じゃあそれをいただきます」

 

 トムは怪訝な顔をしていたが、そろそろと興味を示し始めた。いつもと立場が逆で、ライラはつい微笑ましく思ってしまう。

 

「……色がすごいな……。何味なんです?」

「良い質問だ。食べてからのお楽しみだよ」

「私この青いのにする。トムは?」

「食べ物の色ならなんでも良い……あ、そこの赤いのをとってくれ」

「じゃあ私はこれにしよう。白だ。きっと大丈夫」

 

 三人は一斉に百味ビーンズを口に入れた。トムは眉間に皺を寄せ、ライラは首を傾げた。一番反応が面白かったのはダンブルドアで、驚いたかと思えばすぐに紅茶を飲んで流し込んだのだ。

 

「こりゃ酷い。せっけん味だった」

「せっけ……え? じゃあなんだろうこれ……」

「百の味があるから百味ビーンズ。ライラのは……ブルーベリーじゃないかい?」

「そう言われたらそうかもしれません。トム? 大丈夫?」

「……僕はもう二度とこれを食べない」

 

 苦い顔を隠さないため、よっぽどまずいのだろう。トムもすぐ紅茶に手をつけた。

 

「ミミズ味か、チェリー味か……。私は昔鼻くそ味を引いてそれ以来嫌いになった」

「本当に食べ物なんですか?」

「ハハハ、おそらく。魔法界のお菓子は実にユーモアに富んでいる。蛙チョコレートも本当に動くんだ」

 

 ダンブルドアは興味の視線に聡いようで、二人が前のめりになるとすぐに蛙チョコレートを開封した。

 その途端、勢いよくカエルが飛び出す。

 

「きゃあ、本当に動いた!」

「______勘弁してくれ!」

 

 ダンブルドアは一通り二人がびっくりしたのを見計らって杖を振る。カエルは宙で静止し、やがてゆっくり回転し始めた。

 

「すまないすまない。口の中で動くが、平気なら食べるといい」

「えぇと、遠慮します」

「ならこれをあげよう」

 

 またダンブルドアが杖を振る。すると、手の中にあった何かが二つに増えた。

 

「おや_____『腐ったハーポ』か。古代ギリシアの魔法使いだね。カエルチョコレートには著名な魔法使いのカードが付くんだよ」

 

 一枚ずつ、お揃いの『腐ったハーポ』のカードが手渡される。カードの中の厳しい顔の彼はホグワーツにある肖像画と同じように動き、そして時間が経つと去っていった。

 ライラは彼を見ていると_____本当に不思議だが______何か懐かしい思いが感じられた。郷愁とも言うのだろうか。遥か遠く、昔の人なのに、ここまで姿が残っている。それに何か感動を覚えているのかもしれない。

 

「あのカエルチョコは後で私が食べよう。レモンキャンディーも、気になったらいくらでも取っていくといい。ストックがあるからね」

 

 今のダンブルドアが知る由もないのだが、この記憶はライラの______彼女の人生において大切なものとなる。

 ライラにとって、ダンブルドアは見たことのない大人だった。彼はいくつも、初めてという言葉を連れてライラの前に現れている。

 初めて、こうして気兼ねなくお菓子をくれた大人。初めて、泣くライラの話を辛抱強く聞いてくれた大人。初めて、道を示してくれた大人。

 特別で、不思議で、知らず知らず信用していた大人だった。 

 孤児院の一歩外に出れば、大人は哀れみや嫌悪を向けてくるものだった。特に老人なんかはボケているから、孤児だと声を張り上げ、指を指すこともあった。

 

 「さぁ、今日はどうしたんだい?」

 

 _______ライラの悪い癖は、何かを感じとっていても黙っていることだ。見て見ぬ振りをして、後戻りできなくなるところだ。

 見なかったことにするのが得意だった。

 ライラは知っていた。ダンブルドアの瞳は何か不思議な力があると。心がざわついているのにも気付かぬふりをして、ライラは笑うことに努める。

 

「えぇ、他愛もない話なんですよ」

 

 




久しぶりにダンブルドアを出せて嬉しかったです。
三人の触れ合いには泣きながら書きました。自分でもびっくりした。


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ラットが噂を運ぶ

 

 「えぇ、他愛もない話なんですよ」

 

 自分たちはただ質問をしに来ただけではない、ダンブルドアはもうそのことを知っているだろうとライラは確信していた。方法はとんと分からないが、何かしらの魔法だろう。トムは無自覚かもしれないが、緊張などで大きなストレスを受けている。ライラはそれを感じ取り、冷静に判断した。

 自分が矢面に立たねばならない。

 ただ、ライラは腹の探り合いをする気はさらさら無かった。

 

「先生もご存知かと思いますが、クリスマスディナーの劇の最中、アッシュワインダーが爆発したでしょう?」

「ああ、あれは酷かった。君たちは真っ先に避難していたね。怪我も軽かったようで何よりだ」

 

 人見知りを忘れたようにライラはするすると言葉を紡いでいた。不思議だが、古くからの友人を前にして喋る時のようだ。教授だというのに、全く緊張していない。

 

「ええ。私もトムも軽い火傷で済みました。そこでお聞きしたいのは……先生方はあれを事故だと捉えられたのでしょうか?」

「うーむ、今日は君からどんな質問が出るかと心待ちにしていたのだが……。ほら、ここに専門書も積んである」

「ごめんなさい。でも、私にとっては重要なことなんです」

 

 ダンブルドアが気を害した様子はなかった。微笑みながら顎髭を触っている。

 一方でトムはますます緊張しているようだった。自身やダンブルドアが思うより、孤児院での出来事はショックを残していったのだろう。

 ライラにはトムの様子の方が気がかりだった。

 

「私はアッシュワインダーを誰かが故意に爆発させたのだと思っています。呪文をかけるなどの直接的なものではなく、ケトルバーン教授を介する、間接的なものです」

「具体的には?」

「ケトルバーン教授のお人柄を鑑みるに、お世辞にも舞台に造詣が深いとは言えません。ケトルバーン教授が自発的にアッシュワインダーを用いた演出を提案したのではなく、大広間での爆発を目論んだものが、ケトルバーン教授に提案したのではないかと考えました」

 

 教授は関心する様子もないが、疑う素振りも見せない。人によっては戯言だと一蹴されるようなことだが、ダンブルドアは一旦話を聞くことにしたのだ。それにライラは驚愕しながらも、また息を吸った。

 

「私も、本当ならこんなことを考えません。でも……警戒をしなければ……。特に私は、敵をつくっています」

「入学直後のことだね。心配かい?」

「いえ、心配ではなく……我々スリザリン寮は私とトラブルになったコリー・テイルズらを危険視しています」

 

 トムが信じられないといった顔をした。

 ライラとしても最初はここまで言うつもりはなかったが、隠し事をするのは逆効果だと感じたのだ。特にダンブルドアに対しては……。

 

「テイルズは私以外ともトラブルを起こしているだけでなく、何か……そう、何かしらを企んでいる可能性があると判断しました。あまりにも怪しいことが続いています。それは……テイルズに留まっていません……」

 

 ノエルすら謎の塊だ。そもそもの発端であった、テイルズらがなんの企みをしているかすら全容を掴めていないのに。

 ダンブルドアは黙っている。

 ライラはどうにか教授を味方につけたいと思い始めていた。思考がまとまらないまま、思いのままに発言する。

 

「……私はスリザリン生である以上、同じ寮の生徒と助け合うために、狡猾で俊敏でなければなりません。そしてそうあるためには何事も疑わないと後手に回ってしまう。どうか先生、テイルズについて……いえ、校内での怪しい行動やスリザリンに敵対するものの心当たりがあれば教えていただきたいのです」

 

 懇願するような話し方をする。この時、ライラはトムの話し方を参考にしていた。無闇に相手を褒めず、ただ自分の立場は弁えている態度で、そして使命感を匂わせる。

 ただライラの印象からすれば、教授は大事なことははぐらかす、徹底した秘密主義者だ。優しい教師の面を持ちながらも、(さか)しい大人の面を隠しもしない。グリフィンドール寮の寮監であることが不思議なくらいだった。

 

「ここの生徒は皆賢い。教師であれど目を見張るようなことが日常に当たり前にある。良いか悪いかは置いておいてね」

 

 紅茶を口にし、落ち着いた声で話すダンブルドア。ライラは自分の口がカラカラなことにそこでようやく気がついた。

 

「怪しい行動なんていくらでもある。それはわかるね? 全て伝えるには……『ホグワーツの歴史』を読了するほどの時間が必要だろうし、その間にまたどこかで何かが起きてる」

 

 教え諭す言い方だった。今の彼は教授の振る舞いをしている。

 

「だから名前が出たコリーの話をしよう」

 

 心臓が跳ね上がったような心地だった。

 獲物にがっつくような、そんな醜態は晒せない。しかし、やっと確かな情報に出会えるかもしれないという興奮が、ライラの手に現れていた。

 

「最近、私はよく相談を受けているんだ。コリーについてね。確かにコリーはグリフィンドールの特性が濃く現れている生徒だ。真っ直ぐで、自分の芯を持っている。ただそれで突っ走り過ぎる生徒」

 

 ライラは顔を顰めた。ダンブルドアはライラとコリー達の諍いの現場をその目で見ている唯一の人だ。それなのにどうしてこうも好意的に言い表せるのだろう?

 

「彼についてのトラブルは昔からある。入学当初からね。君のよく知るアイリーン・プリンスもよく巻き込まれていた。我々教師陣の中でも有名で、道を正してやらねばならない生徒の一人」

「あの、先生。彼の人となりを聞きたいわけでは________」

「ああ、そうだろう。つまりは彼の起こした問題について、教師達は把握できているはずだった(・・・・・)ということだ」

 

 ダンブルドアがもたせた含みを二人は正しく理解した。

 

「……最近、グリフィンドール寮ではペットのネズミが消えていることがある。少し前、ハウスエルフは校内でネズミを見かけなくなったと言っていた。そして一人、グリフィンドールの生徒がネズミ駆除に協力してくれたとも」

「ネズミ……?」

「ああ。ペットのネズミを失った生徒の一人が、コリーが盗んだのだと訴えているのも、私は聞いている」

「コリーがネズミを集めているということですか? なんのために?」

「分からない。そこなんだ。不可解な部分は。言っただろう。彼は真っ直ぐで猪突猛進な性格をしている。すぐ目立つようなトラブルを起こし、罰則もその度受けている。それでも自分が正しいと思っているから、隠れることをしない。だから私たちは把握できていた。しかし今、確かにコリーについての噂があるのに物的証拠がない。君は付き合いがないから分からないだろうが、これは十分異常なんだ」

 

 ダンブルドアの言葉には熱が入っていた。

 隠れ方を知らない人物が何を起こしても噂で済むくらいの隠密行動をし、情報を掴ませないでいるのは衝撃なのだろう。

 

「コリーの様子も何かがおかしい。君たちと一緒だ。何かが変だと確証はあるのに、その何かがわからない」

 

 ダンブルドアが明かしたのはこれだけだった。

 驚きだったのは、彼は案外生徒をよく見ているということだ。スリザリン寮監のホラス・スラグホーンはあまりそういうことに熱心ではない。

 

「あの……先程ネズミ駆除を手伝ってくれた……とおっしゃいましたが、失われたペットのネズミって……」

「……クリスマス前から多発してるが、未だに一匹たりとも見つかっていない」

 

 

 

 

 

 

 ダンブルドアと話が終わった後、二人は中庭の隅にいたイザベルとアルファードと合流した。

 雪が降っているおかげで、雪遊びをしている生徒が多い。騒がしいのは密談に最適だ。

 

 「はぁ? ネズミぃ?」

 

 イザベルが素っ頓狂な声を上げた。ライラもそんな声を上げたい気分だった。

 

「でも一歩前進だ。プルウェット先輩が言おうとしたのも、このことじゃないか? 噂は生徒の方がよく知ってるから」

 

 アルファードの言葉で幾分か気分が軽くなる。

 トムは結局、ダンブルドアとの会話に一言も口を挟まなかった。でも口論もしなかった。今は少し心ここに在らずといった様子だが、これで良いのだろう。ライラはどうにも、トムとダンブルドアには諍いあってほしくなかった。

 

「ノエル先輩が隠そうとしていた理由も気になるけれど、アストリー先輩を揺さぶれば分かりそうだね。最低限だけど、最大の情報を手に入れたかもしれない!」

「あまりに不思議だけどね。ネズミ……ネズミねぇ。害獣だけど、ペットまで手にかけようとするなんてアズカバンにいる奴のやることよ。本当にコリーだったら……ゾッとするわ」

 

 ライラにペットはいなかったが、アルファードはフクロウを、イザベルはネコをそれぞれ飼っている。ペットを失うことを想像すると胸が張り裂けそうなのだろう。そんな表情だった。

 

「じゃ、アストリー先輩に聞きに行こう」

 

 ライラがトムの様子を伺ったが彼は何も言わない。三人で顔を見合わせて、そして笑う。

 

「全員で行こうか」

「そうね。今からよ!」

「今から? アストリー先輩怖がっちゃわないかな。ね、トム、行くよ?」

「……ああ、なんだ? どこに行くって?」

「あなたはいつもそう言うけど、絶対、ぜーったい全員で行く方が面倒がないんだから!」

「待て! なんの話だ?」

「今からアストリー先輩に会いに行くの。そのままボーッとしてるなら置いてっちゃうよ。ダンブルドア先生の話、覚えてる?」

「ああ、なんだ……そうか。うん______覚えている」

 

 連れ立って歩き始める四人は雪遊びをしている生徒のように、朗らかな笑顔をしていた。トムでさえ。

 

 

 

 

 

 「私ってば、後輩に好かれてるのね」

「ごめんなさい突然……」

 

 レイチェルは七年生で、試験に就職にととにかく忙しい身だ。今日も放課後を天文学の勉強に費やしていたようで、天文塔の近くにいた。

 急に四人で訪ねたにも関わらずレイチェルは笑っていた。不機嫌であれば反発で有耶無耶にして揺さぶることができるが、こうも人がいいと良心が痛む。

 

「どうしたの? ドミニクが変なこと言ったかしら?」

「いえ。先輩にお話があります」

 

 躊躇したライラを切り捨てるかのように、イザベルが一足飛びに切り込んだ。暖かった空気が一瞬で冷めていく心地だ。レイチェルの顔から笑顔も消えていく。

 

「テイルズのこと、どうしてノエル先輩と一緒になって隠すんです? 噂になれば大なり小なり私たちの耳に入ってきます。間違っていてもです。隠す必要なんてないじゃないですか」

 

 真っ直ぐ目を見て、素直にそう言うイザベルにレイチェルはたじろいだ。

 少し迷ってから、レイチェルはようやく口を開いた。観念した様子だ。

 

「……知ってるのね?」

「はい。ネズミを殺したとかなんとか」

「あけすけに言うわね。そうよ。ノエルの頼みでもあったし、私もコリーにあなた達を近づけたくなかった」

「どうしてですか?」

「魔法界でどう言われてるか知らないけど、マグルの世界じゃ小動物を殺す奴はやがて人も殺すってもっぱらよ。我慢が効かなくなるの。ネコやネズミから始まって、イヌ……ここだったらフクロウ、どんどん狙う動物が大きくなっていくの。最後は人。特にライラはテイルズから恨み買ってるだろうし、その余波であなた達四人も怪我するかもしれないじゃない。極力近づけたくなかったの。イザベル……あなたは真摯じゃないと非難するでしょうけど、命あっての物種よ」

 

 レイチェルは嘘をついている様子ではなかった。

 ライラは信用に足ると思ったが、そもそもレイチェルをよく思っていないトムはそうではないらしい。

 一歩前に出て詰め寄った。

 

「ノエル先輩はあなたにそう言って頼んだのですか? ノエル先輩も、同じような意見を述べて僕たちへの情報を止めるように言ったんですか?」

「……いいえ。これは私の考え。彼は一度たりとも理由を言わなかった。思うことは概ね一緒でしょう? 危険視しているのは一緒だもの」

「それは完全に同じ情報を得ていたのなら言える話です。でも、先輩は僕たちのことを考えてくれているんですね」

「監督生だもの。後輩を守るのは当然のことだわ」

 

 寒々しい風が入り込んでくる中、そう言ったレイチェルは怯むことなくそこに立っていた。

 ああ、本当にこの人は監督生になるべくしてなったのだと、ライラは理解した。トムも疑うのを辞めたようだ。一旦信じることにしたのだろう。

 

「へぇ……本当に……。本当に、崇高な考えをお持ちなんですね」

「崇高なんて言葉は相応しくないわよ。ただ……人より、許せないことが多かっただけ」

 

 レイチェルは一瞬、あらぬ方向を見たがすぐライラ達に向き直った。

 

「話はこれだけ? まだあるなら全部聞くわよ」

「先輩がノエル先輩が隠してることについて知ってるなら別ですけど、知らなさそうですもの。お時間ありがとうございました」

「ノエルね……アイツは本当に食えない男だから気をつけなさい。じゃ、あなた達もこんなところにいないで暖かいところに行くのよ。ここは寒いから」

 

 四人とレイチェルは揃って階段を降りていく。ライラは終始黙っていたが、ふとアルファードを見て思い出した。聞きたいことがあったのだ。

 

「あ、あの……先輩」

「どうしたの?」

「聞きたいことがあって……。七年生の監督生達の関係について……」

「______また誰かから聞いたのね? 人の口って本当に戸が立てられないのね」

 

 呆れた顔をしたレイチェルにライラは怯んだが、彼女は立ち止まり話を聞く姿勢をとった。

 

「三人は先に行っていなさい。ライラはちゃんと送り届けるわ。……信用できないのはわかるけど。心配ならノエルに言付けなさい。迎えに来てくれるでしょうから」

 

 警戒したアルファード達だったが、結局レイチェルを信じることにしたようだ。グリフィンドールといえどこれまでの付き合いがある。

 ただ角を曲がった瞬間、手を叩く音が聞こえたので、アルファードがハウスエルフを呼んだなとライラは察した。

 人気のない廊下の隅。レイチェルは冷たい壁に背中を預けて、ずいぶんラフな姿勢をとった。寒いにも関わらずローブを脱いでライラに着せる。

 

「スリザリンのローブは脱いで、上から私のを着てなさい。大きいだろうけど。グリフィンドールの奴らに見られたら面倒臭いわ。ただあなたは目立つから……まぁ気休め程度に」

 

 レイチェルのローブはインクの匂いがした。

 

「何から話しましょう? 何が知りたい?」

「私は……その、アストリー先輩達の距離感がとても理想的だと思っていて。特に、グリフィンドールとスリザリンが協力体制にあるというのは驚きました。どうやったらそんな風になれるのか知りたくて」

「つまり全部ね」

「そっ……そう、です」

「これでも私も苦労したのよ? 長くなるけど、この後予定はない? 風邪を引かないように場所を移動しなくちゃね。着いてきなさい」

 

 レイチェルに着いていくと、たどり着いたのは空き教室だった。少しライラは怯んだが、中を覗くと誰もいない。

 

「怯えなくていいわよ。そんなに……。でもこれがきっと、私たちが知るべき業なのね……」

 

 静かに呟きながら、レイチェルは暖炉に火を灯す。薄暗い教室の中、真っ赤な火だけが柔らかく二人を照らした。

 暖炉の前、二人は並んで座る。じんわり暖かさが伝わってきて、ライラはホッと息をつく。手足は気づかぬうちに冷え切っていた。

 

「そうね……私が五年生になって、監督生バッジを貰ったところから話し始めましょうか」

 

 アストリーが語り始めたのは、不平等な現実、根強い差別、マグル生まれの苦労______その全てだった。

 想像もつかないことを、スリザリンにいるからこそ味わうことのなかった苦渋をライラは知ることになる。

  

 薪がパチリと爆ぜた。

 

 



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箱の底に希望はあり

お待たせしました。




 

 

 空き教室は埃まみれで決して綺麗ではない。長いこと使われていないためか建て付けが悪く、隙間風が差し込んでくる。

 その中で暖炉だけが唯一の明かりで温もりだった。

 表面からだんだんと暖かさが広がっていくのを感じながら、ライラはグリフィンドールのローブに身を埋めた。レイチェルの身が心配だったが、ライラには好意の断り方がまだ分からなかった。

 

「夏休み……母や父は、そのPと書かれたバッチを見てよく分からない顔をしてた。説明すると、褒めてくれたし喜んでくれたわ。私も不安だったけれど、これまでの頑張りが目に見える成果で出たのは嬉しかった」

 

 レイチェルは胸のあたりにある監督生バッチを指先で弄んでいた。

 

「そうね……問題は、ホグワーツ特急に乗り込んだ時からかしら」

 

 影が濃くなる。暖炉の火は調子付いてきている。

 

「監督生には専用のコンパートメントを与えられているの。それだけじゃないわ。専用のお風呂場もあったり……。大変な仕事だけど、その分特権だって与えられる。

 大抵はそのコンパートメントで、その代の監督生の顔ぶれを知ることになるの。ドミニクをそこで見た時はびっくりしたわ。でも、意外ではなかった……」

 

 ライラも少ししかドミニクとは交流してないが、レイチェルがそこでドミニクを見て驚いたことも、それでも意外ではないことも納得できる気がした。

 彼はレイチェルのように思慮深くないが、親しみやすさがあるのだ。

 

「人望があるもの。私はよくとっつきにくいって言われるから、それを補うためだと思ってた……」

「そうじゃ……なかったんですか?」

「ええ。スリザリンの監督生を見ればすぐに分かった」

「ケイリス先輩とノエル先輩ですよね」

「そうよ。ケイリス・ブラック……。ブラック家の子女、過激な純血主義者」

 

 その言葉に、ライラは頭を殴られたようだった。

 ライラが見る限り、ケイリスは純血主義者の片鱗を見せながらも、それは過激とはかけ離れたものだった。それに自分やトムにも良くしてくれるし、何よりお茶会で二人は仲良く会話をしていたのだ。

 

「ブラック家は学外では権力を持っている。学内でも生徒間で駆け引きが見られるわ。そのために、ブラック家は優先的に監督生にされる。もちろん優秀であることが前提だけど……。ブラック家は純血家が多いスリザリン寮を率いるのにちょうどいいらしいわ」

 

 全て監督生になってから知ったことよ、とレイチェルは付け加えた。

 ドミニクは純血家であるプルウェット家の男児だ。アルファードとイザベルが、プルウェット家とは微妙な関係を保っていたいと言っていたのを、ライラは思い出した。

 

「じゃあプルウェット先輩が選ばれたのは……」

「それもお友達から聞いてるみたいね。ブラック家を牽制するためよ。まぁ、本当に人望が厚いっていうのも一因だと思うけれどね」

 

 監督生を選ぶのは教師達だったはずだ。

 一体先生達は生徒のどこまでを知って、なにを考えているのだろう。まるで政治のようだ。

 

「私はそれを察したわ。初めて会った時、私はノエルとケイリスとは挨拶したきりだった。ドミニクも分かってくれたみたいで、私の代わりに話してくれていた。

 ケイリスは私がいることが本当に嫌だったみたい。すぐにコンパートメントを出て行ったの。ノエルは朗らかに接してくれたけど、私の方から拒絶してしまった」

 

 監督生に選ばれるほど優秀で賢い彼女だからこそ、受け止めてしまっていることも多いようだった。

 

「ケイリスに、穢れた血って、真っ向から言われることもあったの」

 

 レイチェルはなんでもないようにその言葉を口にした。

 火に当たっているにもかかわらず、ライラは背筋がサッと凍えていくのを感じた。アルファードからとても差別的だと聞いた言葉だ。ライラは幸運にもこの言葉を聞くことはなかったが、それでもその言葉は怖かった。

 

「あなた、怒らないのね」

「え?」

「先輩はそんなこと言わないって、怒らないのね」

「……私は何も知りませんから」

「へぇ、お人好しだと思ってたけど、違うのね」

 

 レイチェルはライラを見ていた。しかし、すぐに目を逸らし、暖炉の火を見つめる。

 

「五年生になって、少しした時、ドミニクが言ったの。『ケイリスはずっとこうして育ってきたんだ。もう治らないんだ。洗脳みたいなもので……レイチェル、ごめん。俺が出来るだけ、遠ざけるようにするし、関わらなくていいようにするから……』って」

「……でも、今は……」

「その時ね、私『諦めたくない』って言ったの。自分でもびっくりしたわ。普通だったら、それまでの私だったら距離を取ることが最善だと思ったのに……」

「それからどうしたんですか?」

「ノエルに色々相談したの。グリーングラス家はブラック家よりも過激ではないと聞いたから。それは本当だったみたい。ノエルは私にもそれなりに接してくれた。ケイリスと私の仲を取り持つとも言ってくれたの」

 

 ノエルは変わらない、ライラはふと思った。穏やかに、自分が利を得るなら惜しみなく手を差し伸べる……昔からそうだったようだ。

 ライラはレイチェルが話し始めるのを待ったが、沈黙は長い間続いた。 

 レイチェルは震え、膝を抱えて俯いている。

 

「……ケイリスは_______私は……」

 

 彼女が小さく、言いたくない、とこぼしたのをライラは聞き逃さなかった。手を伸ばし、そっと背中を撫でようとした、その時。

 

「先輩。あの……いいんです。無理やり聞こうとしたわけじゃないんです。先輩、ごめんなさい。本当に……言いたくないなら_________」

「_______でも、言わなければ!」

 

 ライラが伸ばしたその手を、レイチェルが掴み取る。その目は涙に濡れることなく、爛々と輝いていた。

 

「私はきっとあなたを待っていたの。あなたがグリフィンドールとスリザリンの確執を解消したいと言ってくれた時、本当は喜びたかった! 本当よ。信じられなかったのも本当だけど……。

 私はあなたに、その先にどれだけの苦難が待っているかを伝えなければならない。先輩としてね。だから、言わなきゃならないわ」

 

 レイチェルはライラの手を握りながら、一つ一つ、簡潔に話していった。

 ケイリスやその他の純血主義者に危害を加えられたこと。

 仲間であるはずのグリフィンドール生ですら、彼女を避けたこと。

 レイブンクローの監督生には愚かだと蔑まれ、ハッフルパフの監督生には関わらないでくれと言われたこと。

 ドミニクが代わりに矢面に立ったことにより、少しずつ憔悴していったこと。

 ……ケイリスすら、少しずつ気を病んでいったこと。

 

「ケイリスは冷徹で心のない人間じゃないわ。付き纏われたら誰だって気を病むわよね。私は必死だった。意地になってたの。……ただ普通に会話したかっただけなのにね……。

 何度も何度も彼女に会いにいった。その度にケイリスはものすごく……そうね、虫を見るような目だったわ。

 私の話は聞いてくれなかった。でも、春に差し掛かったころ、足を止めてくれるようになったの」

「……なんだか、馴れ初めを聞いてるみたいです」

「やだ_____私もそう思うわ。ふふふ、今では笑い話ね」

 

 レイチェルは晴れやかに笑う。

 暖炉の火に照らされ、柔らかな影が落ちる。いつもの厳しい印象とはうって変わって、あどけない顔をしていた。

 

「足を止めてくれたケイリスに、周りの取り巻き____って言ったら失礼ね。ケイリスの友人たちも驚いていたわ。何故か彼女は友人を散らして、私と二人きりにしたの。そしたら彼女、泣きはじめちゃって」

「えっ?」

「……その時の私は分からなかったけれど、悩んでるのは私だけじゃなかったわ。私が彼女に話しかけるたびに、普通に会話がしたいって言い続けるたびに、彼女も苦しんだ。生まれた時からの常識を否定され続けるようなことだもの。辛いに決まってるわよね。

 『もう分からない』って泣きながら言っていたのを覚えてる。

 恥ずかしいけれど、その時やっと、私は間違っていたことに気が付いたわ。相手にエゴを押し付けてただけだったの」

 

 ケイリス・ブラックは女王然とした態度を取り、スリザリンを支配しているんじゃないかと思えるほどのオーラの持ち主だと、ライラは思っていた。その女性が泣く姿なんて考えられなかった。

 

「必死に謝ったわ。『謝られてもどうしたらいいか分からない』って言われたけどね。

 それでやっと私たち、同じ席に着くことができたの。話し合うこともできたわ。

 もう、話をするとかそういうことじゃなかった。私は当事者でありながらマグル生まれへの差別を本当の意味でわかっていなかったし、その根深さも、ケイリスのようにそれが当たり前だった人のことも考えられていなかった。

 そのあと私たちの代の監督生全員で集まって、そして決めたの。私たちは何よりもまず、ホグワーツの監督生であるということ、それを踏まえてお互いに接することを約束したわ」

「……想像しているのとは全く違いました」

「そう? 言ったでしょ。私は人より許せないことが多かっただけ……。正しいことをしたわけじゃないわ。結果今こうなっているだけ。間違って、間違って、間違った先に今があるの」

 

 それでも、後悔はしていない。レイチェルは態度でそれを語っていた。

 

「途中、取り乱してごめんなさい。当時のことをまだ夢に見ることがあるの。あの時、私だけが間違っていたわけじゃなかったわ。暴力はダメよ……絶対にね。

 でも、私は恨まないわ。その先に、あなたがいたもの」

「私……ですか?」

「ええ。勝手だけど、私はあなたに期待してる。もう私は卒業してしまうけれどあなたはまだ一年生だわ。きっと、ここを変えていける」

 

 ライラはその時、知らぬはずの母をレイチェルと重ねていた。慈しむような目。幸せを祈り、疑わない目。

 暖炉で少し明るく見えるアンバーの瞳は光を讃えている。全てを託された。そんな気がした。

 

「あら……。ライラ、見てみて」

 

 レイチェルがそう言って指さした先、窓の外には、緑の光が漂っていた。ライトグリーンの淡い魔法の光だ。まるでティンカーベルのようなその光は、やがて壁をすり抜け、ライラたちのもとにやってきた。

 そして瞬く間に、ライラの鼻先でパチリと弾ける。一瞬、周りが緑の明かりに一斉に照らされ、しゅわしゅわとその光は解けていった。

 その途端、教室のドアが開く。

 

「こんなところにいた……。はぁ。レイチェル、ライラ、話は終わったかい?」

「ええ。ちょうど今ね。ライラ、お迎えよ」

「あ、あの今のは……」

「ハウスエルフの道標さ。案内してくれたんだ。妖精の魔法の一つ。あいつらは手を引いて道案内なんてことはしない」

 

 三人は人気が無いのを確認してから廊下に出た。変な噂が立っては困るのだ。

 

「ライラ、君、グリフィンドール生だったのかい?」

「あっ、忘れてました。ローブ……ありがとうございました。暖かかったです」

「いいのよ。さ、早く行って。またね。二人とも」

「えぇ、お話できてうれしかったです」

 

 ライラはレイチェルとはそこで分かれた。

 ノエルと共に、地下階へと階段を降りていく。

 

「アルファードやトムは案外心配性なんだね。用心深いのは美徳だけれど」

「二人はアストリー先輩とは付き合いが薄いですから」

 

 ノエルにも、もちろん聞きたいことがある。しかしライラは言い出せずにいた。一線を越えてしまうような、勘としか言えないがそんな感覚があるからだ。

 もう外は暗くなり、夕食の時間も近づいている。

 

「一旦寮に帰る? それとも大広間に入るかい?」

「トム達は寮にいますよね。……寮に一旦帰ります」

 

 冷えた空気が足を這いまわっている気がした。春も近いというのに、未だに地下は冷えている。

結局、ライラはスリザリン寮への入り口にたどり着いたその時に、決心した。

 

「あの……先輩。聞きたいことがあります」

 

 ノエルは笑っていた。ライラが次に何を言うかわかっているのだ。

 

「君たち……本当に兄妹みたいだね。よく似ている」

「何の話かわかりませんが……」

「こっちの話さ。それで、質問は?」

 

 ライラは喉に力を入れ直した。

 暖炉の火が未だ、胸に灯っている気がした。

 

「先輩が隠していること、教えてください」

 

 







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どうかあたたかな晩餐を

短いです。すいません。


 

 

 「隠していること……ねぇ」

 

 ノエルは微笑み、考えている素振りを見せた。ライラはそれがただのポーズだということを分かっていたし、彼もそれを承知でしらを切る。

 先手を打ったのはライラだった。

 

「いいんです。ノエル先輩は色んな秘密を抱えてそうですもの。ゆっくり思い出してくれれば、それで」

 

 イザベルやトムを真似してみたが、合っているかは分からない。効果的なのかも分からない。ノエルは微笑みを絶やすことの方が少ない人物だ。表情から感情を読み取るのは困難だろう。

 

「随分直球に言うね。まったく。スリザリンらしくないなぁ。気になったから聞いている、今聞けると思ったから聞いている。絶対に情報を引き出すっていう意思がない」

 

 威圧的に、煙に巻くようにノエルは言葉を返した。

 スリザリン寮の扉の前。おそらく目眩し呪文がかけられている範囲には入り込んでいるが、寮から出てくる生徒から見られることは避けられないだろう。

 今すぐにでも崩れそうな緊迫した空気と、崩れそうにないノエルのポーカーフェイス。

 それでもライラは臆していなかった。人見知りで気弱な彼女からは考えられないが、とにかく、彼女は今とても穏やかにそこに立っていた。決心は揺らがなかった。

 ノエルの言うことは合っている。ライラは今すぐにノエルから聞き出そうとは考えていなかった。

 ただ、話したかっただけなのだ。彼が何を考えているのか知りたかっただけなのだ。

 

「ノエル先輩は結構、私たちのこと好きですよね」

「……急にどうしたのかな?」

「アストリー先輩が言ってました。私たちにテイルズを近づけたくなかったって。おそらくノエルもそう思ってのことだろうって」

「そんなの」

「えぇ。アストリー先輩の想像です。私も、それ以外に裏があるんじゃないかって思いました。でも、血みどろ男爵と話していたときのことを思い出したんです」

 

 あれは昨年のハロウィンのことだった。血みどろ男爵に、協力の要請をノエルが行ったときだ。寮の入り口、今とは違ってその内側。薄暗い廊下で見たノエルの顔は、いつになく真剣だった。

 

「覚えていますか? 覚えていますよね……。私たちの望みを叶えたいって。もう、僕は卒業してしまうからって……。本心だったと、貴方は敵ではないと、私は信じています」

「……本当に不用心だね」

「スリザリンらしくないですか?」

「いや、同胞を大事にするのはとてもスリザリンらしいよ」

 

 ノエルは力を抜いた。威圧的な空気はなくなる。

 ライラはまるで、初めてノエルと向き合った気がした。

 

「そのまま、僕を信じてほしい。ライラ、僕も君を……君たちを信じるから。頼むよ。僕はスリザリンのためならなんでもするさ。好きなんだ。ここが。意外かな?」

「いいえ。……奇遇です。私と一緒ですね」

「それは良かった」

 

 ノエルは覚悟を宿していた。胡散臭く微笑むのではなく、心からライラに懇願していた。

 その表情は揺らぎそうになかったが、裏腹に何故か儚く感じられる。ライラは守られるだけの立場に、ローブを握りしめたが、寮に入っていくノエルに続く。

 アラベスク調の扉は静かに閉じられた。

 

 

 

 

 

 「ちょっと……本当に、それだけ……?」

 

 トムの後ろに隠れながら、ライラはごめん、と小さく呟いた。

 夕食の時間になっていたのでライラは三人と合流してすぐ大広間へ向かっていた。皆、思い思いにしゃべっているので案外秘密の話はバレないのである。

 イザベルはライラの成果にフォークを折りそうなほど握りしめていた。

 トムも小さく野蛮人め、と呟いている。聞こえることがないようライラは必死で祈った。

 

「……いいえ、ええ、そうね。完全に信用するならノエル先輩は敵ではないと……。何かしら秘密は抱えてるけど敵ではないと……そう言うことね?」

「うん。その……おいおい……ね?」

「何がおいおいよ! 今の時点で他の何も起こってないのが奇跡なくらいなんだから! 今すぐ何かあっても不思議じゃないのよ。時間がないわ!」

「まぁまぁイザベル。声が大きいよ。それに今は夕食中だ。またケイリス先輩にマナーがなってないって叱られる」

 

 イザベルはベイクドポテトにナイフを突き立てた。普段はこんなことしないのだ……普段は。

 

「状況を整理しようと思う」

 

 アルファードがそう言った。

 

「まず、事の発端はライラが複数のグリフィンドール生とトラブルになった事だ。9月2日。授業が始まった日だね。

 殆どのスリザリン生は自分でその場で報復するか、寮を巻き込んで報復するかの二択だったのに、ライラは根本から解決することを選択」

 

 なんだか自分の日記を見られているような感覚がしてライラはますますトムの背に隠れた。しかしアルファードは辞めない。

 

「その一週間後、コリー・テイルズとアイリーン・プリンス先輩がトラブルになる。しかしその時はアイリーン先輩がコリーに反撃したことで大きなトラブルにはならなかった。ライラは知らないかもだけど……アイリーン先輩のおかげで、グリフィンドール生とトラブルになっても寮を巻き込んで報復するというのは今のところないんだ。つまり、本当に(・・・)当人同士の喧嘩で終わってる」

 

 それはライラにとって驚きだった。確かにあれ以来大きなトラブルは聞いていない。

 ライラの予定には、スリザリン生の意識の改革も入っていたが、ぐっと楽になりそうだ。

 

「その次、グリフィンドールの7年生の監督生とのお茶会。そこで『協定』について話し合い合意を得たけど、僕らが水をさしちゃったね」

「ううん。私、パニックを起こしてそんなこと気に留めてなかったから、あれで良かったの」

「コリー・テイルズ率いる、複数のグリフィンドール生が有力な純血家を巻き込んだ計画を立てている可能性が浮上。ライラにしたように、危害を加える可能性が高いことから、問題は全てそちらに流れた……。『協定』に関することは、この時点で事実上凍結。問題の解決が先になる……」

 

 ライラはそれが少し残念だった。頭を捻って、第一歩を踏み出した矢先にこれなのだ。でも、今はそれどころではない。

 

「ハロウィンの日、血みどろ男爵に協力を要請。現在まで協力は続いている……んだよね? ノエル先輩によると」

「ここからノエル先輩が胡散臭くなってるのよね」

「イザベルの方がよっぽど直球よ……」

「ライラ?」

「なんでもない」

「クリスマス。パーティーの催し物によって持ち込まれたアッシュワインダーが爆発。僕らはこれをテイルズの仕業、計画的な犯行と見てるけどまだ憶測だ。この日からケトルバーン教授は謹慎中……。

 えーと、男爵、プルウェット先輩、ダンブルドア教授、アストリー先輩に聞き込み……。

 ダンブルドア教授から、テイルズは最近不審な行動をしているとの情報を得た。

 そして今日。ノエル先輩がただ信用しろ……とだけ……」

 

 アルファードはそう締めくくった。

 

「すごい。全部覚えてるの?」

「いいや……見て」

 

 アルファードがこっそり机の下からノートを取り出す。日記帳だった。アルファードは悪戯っ子みたいに笑う。

 

「まとめてあるのさ。ややこしくって!」

「なんだ。それにしてもマメなのね。毎日書いてるの?」

「僕はね。トムはたまにさ」

「え? トム、日記書いてたの?」

「たまにね……。暇な時に。冬は全く書けなかった」

 

 トムは冬、いつもよりも意識を覚醒させるのが困難だ。放っておいたら半日は寝ぼけたような状態になる。ライラが気つけ呪文をかけるようになっても少しぼんやりしていた。最低限、課題をするだけにしてセーブしていたのだろう。

 ライラはトムが日記をつけていることを全く知らなかった。少し寂しかったが、全部知っている方がおかしいだろう、と納得した。

 

「僕の日記なんて関係ない。それより、次は何が起こるか考える方が先だろう」

 

 トムの言葉に全員が考え込む。

 

「イースター休暇中にまた何かあるとは考えられない? クリスマスよりも生徒が残るわ」

「テストがあるからな。テスト終わりとかにまた何か起こるんじゃないか?」

 

 全く具体性はないが、時期に関しては意見が出る。しかし、出来れば早期に抑えたいためアクションを待つだけにはなれないのだ。

 

「……ネズミを追ってみる?」

 

 ライラが言った。トムはため息をつく。誰もがそう一度は考えたが言わなかったのだ。

 

「……嫌よ。ライラ、アストリー先輩が言ったこと聞いてたの?」

 

 イザベルが思わず立ち上がり、ライラの肩を掴む。考えうる最悪がそこにある気がするのだ。それはライラも同じだった。だからこそ、それを避けつつ、危険が避けられるものたちに聞く。

 

「違うよ。次に聞き込みをするのはハウスエルフ。それだったらすぐ呼べるでしょう?」

「……なによ。焦って馬鹿みたいじゃないの」

「ごめん。驚かせちゃった」

 

 笑ってしまったライラを見てイザベルは顔を赤くし、そっぽを向いてしまった。

 

「ハウスエルフに聞いてどうする? 教授が言っていただろう。ネズミ駆除を手伝った男子生徒がいたと。証言はそれだけだ」

「そうだけど……念のためにね。それに、考えがないわけじゃないの」

「なんだ」

 

 話始めようとしたライラは、手元を見て言った。

 

「……夕食が終わってから言うよ。冷めちゃうから」

 

 

 






あまりにも最新話が書けないため、現在はここまでの本編を書き直す期間と設定しています。pixivやTwitter、ここの活動報告でもその旨をお知らせするため良ければご確認ください。
大筋は変えず、エピソードを変更したり削ったり等細かいところで修正が入りますが、自分が納得できなければまた新たに書いたりします。
ここまで読んでくださった方もぜひもう一度、楽しんでいただけたらと思います。
お気に入り登録、しおり、コメント、何より読んでくださってありがとうございます。誤字報告には助けられてばかりです。感謝しています。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。

2021.04.08
Nattsu


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ドアを叩いて、踏み出して

大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。8ヶ月ぶりとなり、自分でも驚いております。書き直しも進めております。重ねてになりますが、更新が止まってしまい申し訳ございませんでした。


 ホグワーツ地下階。冬の、どこか澄んだ空気の中、ライラ、トム、アルファード、イザベルの四人は連なって歩いていた。

 

 「本当にこっちであってる?」

「そのはずよ。血みどろ男爵が間違ってなければね」

 

 ライラたちに手掛かりを与えたのは、またもや血みどろ男爵だった。教授や生徒よりも長くこの古城に留まり続けるゴーストは、ホグワーツの精通者と言ってもいいだろう。

 ところで、ホグワーツには多数の絵画がある。そのほとんど全てに魔法がかかっているのだ。多くは肖像画で、絵の中の人物は意思を持ち言葉を話す。

 四人は『梨が描かれた絵画』の前でピタリと止まった。

 

「これにも魔法がかかってるの? 綺麗ね」

「肖像画じゃないね。てっきり何か喋ってくれるのかと」

「うるさくなくて良いじゃない。私、沢山絵が見れるって聞いてちょっと楽しみにしてたのに。来てみればガッカリよ。どいつもこいつもお喋りで付き合い切れないったら!」

「ふうん、同族嫌悪というやつか」

「なんですって!?」

 

 いつものように、すぐじゃれだすトムとイザベルを放っておいて、ライラは絵画に手を伸ばす。芸術品に手を触れる、というのは度胸のいることだったが、少し色褪せた絵画の『梨』をくすぐった。

 ここはホグワーツ。喋らない絵画でも、そこに魔法は宿っている。

 シームレスに絵は開いた(・・・)。その先は、ホグワーツの食を支えるハウスエルフの牙城。

 限られた生徒しか知らない、ホグワーツのキッチン。四人の目的地はそこだ。

 血みどろ男爵の知識に感嘆しつつも、ライラは光の漏れる内扉を開く。

 まず認識したのは、覚えのある芳香だった。朝昼夕と、大広間に溢れる食べ物の匂い。次に木べら、トング、金物がぶつかり合う音。調理器具の温かみのある音だ。眩しさに慣れた視界が見たのは、スケールは違えど、確かに魔法族の生活の粋だった。

 皿は隊列を為して自ら洗われにいく。輪切りになった芋はフライパンへ吸い込まれていく。洗剤の泡で遊ぶハウスエルフが、別のハウスエルフに小突かれている。木べらは一人でに鍋を掻き回し、ポットは意志を持ったように鳴いた。幾台もある釜。幾台もあるフライパン。満ちた食料。

 圧倒的な物量に、ライラは思わず声を上げた。

 

「これ、全部ハウスエルフが!?」

「そうよ。妖精の魔法ってすごいんだから。見慣れない訳じゃないけど……ここまで数がいると壮観ね」

 

 イザベルが感心したその時、プティングにつられて一歩踏み出したアルファードの鼻先を、熱い何かが通り過ぎていった。まるで隕石のようだ。

 

「あつっ。何今の!?」

「嘘だ。あれスターゲイジーパイだぞ!」

 

 スターゲイジーパイの隕石がやってきた方向を見ると、確かに釜の蓋が開いている。キーキーと金切声をあげて謝罪するハウスエルフに、アルファードは軽く手を上げた。

 

「ナイフだったら死ぬところだった……」

「そうよ! あんた、どうせスコーンにでもつられたんでしょうけど、気をつけなさいよ!」

「……プティングだよ」

「どうでもいいっ。甘いものに対するそのこだわりは何!?」

「こんなにハウスエルフがいるなんて思ってもなかった。どのハウスエルフが暇だろう……」

「それどころか一歩踏み出すのも命懸けだ。ライラ、引き返そう。そうじゃなきゃ君が行け」

「私だからいいけど、イザベルには絶対言わないでね……面倒くさいから」

 

 ライラは孤児院でのことを思い出していた。トムが他の子に命令したのを______もっとも、ライラはそれをよく思っていなかったが______真似して動物に『お願い』した時のことを。動物が言語を介した訳ではなかったが、確かに意思疎通ができていたのだ。トムを除けば、当時のライラが素直に胸の内を吐露できるのは動物だけだったと言えるだろう。

 調理器具が飛び交う音に負けぬよう、ライラは声を張り上げた。

 

「お手隙の妖精さん! 少しお話しさせてちょうだい!」

 

 砕けた口調であろうとも、命令に耳敏いハウスエルフ達は一斉に手を止めた。大きい目玉がライラを見留め、自ら声を張り上げたにも関わらず、少し後退りしてしまう。決してこれは彼女の『お願い』の力ではない。ハウスエルフの本能の表れだった。

 妖精の魔法で宙を舞っていた皿、芋、ニンジン、ナイフ……全てが音を立てて、無残にも床に落ちていく。ガラスの砕ける甘やかな音に、ライラは思わず耳を塞いだ。

 

「お嬢様! ぜひ! ぜひ私めに!」

「お嬢様! ご用事はなんでありますか!」

 

 ハウスエルフの歓声は実に耳障りだった。どのハウスエルフも両手を上げ、群がるように四人の足元へと駆け寄ってくる。

 

「あっ、違うの、一人でいいのよ! ほら、ちゃんと料理をこなさなきゃ!」

「曖昧にするからこうなるのよ。良い? そこの鼻のひしゃげたあなた! 残りなさい。他は仕事に戻る! ほら! 散るのよ!」

 

 イザベルの助け舟によって事なきを得たものの、もしライラ一人だったら嬉々とするハウスエルフをどういなしていいか分からなかっただろう。やはりアルファードやイザベルは慣れている。幼い頃から命じる立場にいる人と、『お願い』などと言って誤魔化してきた(・・・・・・・)自分とでは染み付いているものが違うのだ。ライラはその差を感じ取り、密かに、心の底で自分が卑怯者だと思ってしまった。

 イザベルに選ばれたハウスエルフは、名をクインシーといった。彼女が指摘した通り、確かに彼は鼻が付け根の方から右曲がりに歪んでいる。ライラがつい、まじまじとそれを眺めていると、クインシーはサッと鼻を隠してしまった。

 

「クインシー、この子の頼みを聞いて欲しいの。わかった?」

「かしこまりました。お嬢様」

 

 ライラはクインシーと目を合わせるためにしゃがみ込んだ。大振りの水晶玉が二つ嵌め込まれたような、キラキラとした瞳を見る。数え切れないほどにいるハウスエルフの中で、唯一名前を知ったとあると、そのひしゃげた鼻やシワだらけの耳がライラには何故だかチャーミングに見えてくるのだ。

 

「はじめまして、クインシー。私はライラ。残ってくれてありがとう」

「お嬢様、ご挨拶など必要ございません。ただ、命令してくださればいいのです」

「そうなの? ごめんなさい……不慣れで。それにね、私、命令っていうのが向いてないみたい」

 

 アルファードとイザベルは、そんなライラの様子を見て、己の幼少期を思い出していた。ある意味で立場を弁えず、家に仕えていたハウスエルフと友達になろうとするのは魔法界の子息子女には定番の過ち(・・)だ。本当に彼らのためを思うのなら、善き主人でなければいけないのだ。だがそれをライラに言うほど二人は無粋ではなかった。

 

「あなた達はとても勤勉だと聞いたの。この前、ネズミ取りを頑張ったってダンブルドア先生に伺って……。どうやってネズミを駆除したのか、教えてくれないかな?」

「はい。お恥ずかしながら、ハウスエルフも数多いとはいえ、その何倍もの数がいるあの畜生どもの駆除は骨が折れるものでした。しかし昨年の秋、グリフィンドールの生徒の方が我々に罠をこしらえてくれました。お陰で大半のネズミの駆除が出来ました。しかし相手はネズミ。十分ではないでしょう」

「心優しい方がいたのね。そのグリフィンドールの生徒のお名前、知ってる?」

「いいえ。お嬢様のように、我々に自己紹介をする人は珍しいのです。無闇に妖精に名を教えになるのはよされたほうが……」

「……そう、なの? ごめんなさい、勉強不足だったわ。じゃあ、その罠を仕掛けたところに案内してくれないかな」

「申し訳ありません、お嬢様。罠を仕掛けたのは屋根裏や我々だけが知る通路です。危険ですのでお連れできません」

「それじゃあ仕方ないか。罠は何を使ったの?」

「『生ける屍の水薬』でございます」

「それは毒?」

「いいえ、強力な眠り薬です」

 

 眠り薬であれば、血痕などの手がかりは無いだろう。聞いたことのない魔法薬にライラは戸惑ったが、後で調べれば良い話だ。

 最後に、一番気になっていたことを質問する。

 

「ネズミはどうしちゃったの?」

「知りません。グリフィンドールの生徒の方が、何かに使えるかもしれないからと、全て持っていってしまわれました」

 

 

 

 

 

 クインシーとの会話は、手がかりに富んでいるように思われた。キッチンから寮までを歩きながら、四人は密かに会話する。

 

「『生ける屍の水薬』って、本当に強力な眠り薬だよ。上質なものならもう二度と目覚めることはないって言われるくらい。それに作るのも難しいんだ。六年生か七年生か……NEWT(いもり)レベルなのは間違いないよ」

NEWT(いもり)レベルって?」

「一段階上の専門的な授業のことさ。とにかく、その薬を作るには相応の実力がいるんだよ。そんな薬をネズミ駆除に使うなんて……」

 

 アルファードはその薬をよく知っているのか、困惑が隠せないようだった。それに、とイザベルが口を挟む。

 

「いくら強力って言ったって、所詮は眠り薬よ。ネズミを生け捕りにしたの? 駆除じゃなくて? ネズミが邪魔なのかと思ってたけど……違うのね、必要なんだわ」

「ネズミなんて何に使うんだ? 魔法薬学はそこまで野蛮な教科なのか?」

「そんなはずはないけど……。当たり前だけど、忘れ去られてるレシピもある。図書館で探してみよう」

「あの中から? 禁書の棚にあったらどうしよう……」

 

 馬鹿ね、こういう時のためにスラグホーンに媚を売ってあるのよ_______と言おうとしたイザベルの脳裏に、ある人が浮かんだ。

 

「そうだ。アイリーン様がいらっしゃるわ!」

 

 パチン、と手を合わせた音が廊下に響く。

 

「アイリーン先輩がどうしたの?」

「この前、魔法薬学が得意だと伺ったの。それにコリー・テイルズと同じ学年だわ。もちろん、図書館で色々調べる必要はあるけど、まずはアイリーン様に話を聞いてみない?」

「アイリーン様って、プリンス家の彼女のことか。良いかもね。温厚な方だし……」

「今度、お話ししておくわ。魔法薬学についても教えていただきたいし!」

「それが目当てだろう、君」

 

 不思議と、関わりが無いながらにライラはアイリーンのことが気になっていた。第一印象でシンパシーを感じたのもそうだが、次に言葉を交わした時______あなたに勇気をもらえたの______そう言ってくれたことを、ライラは鮮明に覚えていた。その言葉にこそ、ライラは背中を押してもらった気がしたのだ。

 何故か波立つような心を抑えて、ライラは三人の後に続く。まだ謎は晴れていない。嫌なことがあったわけでも無いのに、曇り空のような心が嫌でたまらなかった。

 




未熟なばかりに、定期的な投稿は確約できませんが、精一杯これからも書いていこうと思います。


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その人たらしめるモノ

 

 自室への階段を、音を立てないように登っていく。もし騒々しく足音を立てるようなことがあれば、まず淑女にあるまじき所作だと注意されるのが目に見える。不思議だ。起こされたことよりも何よりも、スリザリンに相応しい振る舞いを、と求められるのは。窓の外、水の底で見る朧月に、ライラはついつい立ち止まってしまう。イザベルが何をしているのだと睨むから、名残惜しくもその場を離れた。

 ドアを開けると、イザベルが一気に気を抜いた。

 スリザリン寮は基本静かだ。湖水の底に位置するという神秘性がそうさせるのか、寮生の気質がそうさせるのか、談話室以外で騒がしい場所はほぼ無い。

 入学したての頃はライラも気を張っていたが慣れてしまった。一方イザベルは未だに圧倒されているようで、息を止めているのかと思うほどの様子で談話室から部屋までの道のりを歩く。

 

「はぁっ、ようやく寝れるわ」

「今日も疲れたね。イザベル、アイリーン先輩は……」

「約束を取り付け済みよ! ああ、私ったらその日のうちにこなしてしまうなんて、なんて仕事が早いのかしら!」

「うん。イザベルの行動力には助けられてるよ」

「やぁね、今のは軽く流すところよ」

 

 二人は寝支度をしながら軽口を叩き合う。他愛無いと言えど、その日一日を整理するこの時間は、健やかな明日のために必要なことだ。

 ライラはふと、引っかかっていたことをイザベルに質問した。

 

「ねぇ、クインシーが言ってたの。『妖精に不用意に名前は教えるな』って……。それってどうしてなの? そう言われても、私はとっくに名乗ってしまった後だったから……」

 

 ライラの問いにイザベルは的確な答えを返す。というのも、マグル育ちの彼女がする質問の答えは魔法界の常識であることが多いからだ。

 

「昔の風習よ。今はそこまで厳しくないわ。別に名乗ってもいいし、名乗らなくてもいいし。あのハウスエルフは頑固なのね。言葉遣いも……昔厳しく躾けられたのかしら」

「でも、召使いがご主人様の名前を知らないなんてことはないでしょう?」

「当たり前でしょう。昔、妖精に名前を教えるということは、ちゃんとした契約を結ぶということだったの。名前が、今よりずっと力を持っていた時代の話よ」

 

 話が長くなると踏んだイザベルは、着替えてしまうとベッドの縁に腰掛けた。ライラも向き合って彼女の講義を聞く。

 

「私は家のハウスエルフにちゃんと名乗っているわ。ちゃんと契約した妖精だもの。でもここのハウスエルフが契約しているのはホグワーツ……その代表の校長先生になるわ。だから名乗る必要がそんなにないの」

「名乗っても良いのは、名前の持つ力が薄れてしまったからってこと?」

「そう。名前を知られるのは、その昔の魔法使いにとって杖を奪われるのと等しい行為だったと伝わっているわ。流石に大袈裟だと思うけど」

「そんなに?」

 

 ライラはフリットウィックの授業を思い出した。兎にも角にも杖を離さないように、折らないように、粗末に扱わないようにと教えられる。杖は魔法使いにとってパートナーであり生命線であるのだと、他の教授も言っていた。

 確かに名前は大切なものだが、杖のように、命に関わるものだったとは思っても見なかったのだ。

 

「どうして薄れてしまったの?」

「えぇと……まず、名前の存在意義は個人の特定だということはわかる?」

「うん。何となくは」

「例えば呪いとか闇の魔術とか……そういうものを、特定の誰かにかけるには名前が必要だったの。だから名前を知られるのは命に関わったのよ。特に妖精は悪戯好きだしね」

「呪い……でも今それは……」

「機能しないわ。というより、誰も使わないの。だって名前を知らなくったって、杖一本向ければ呪いをかけれる時代よ? それもこれもルーン魔術の流入が________やだ、喋りすぎたわ」

「イザベルってやっぱりすごい。魔法についてとても熱心なんだね」

「違うわよ。熱心とか……そんなこと考えもしなかった。今のはお母様達に仕込まれたの。これくらい覚えなさいって。意味も理解してない暗記よ」

「いいお母様なのね」

「そう……かしら」

 

 まだ魔法史でも習わない、旧き魔法。その片鱗にライラは胸を躍らせた。また図書館に行って役立ちそうな本を見つけなければならない。

 そして一つ、また新たに湧いた疑問があった。

 

「イザベル。私の名前って、孤児院の人に貰ったものなの。本名ではないと思うんだけど……それでも呪いって効くのかしら?」

 

 ライラは軽い気持ちで質問をしたが、イザベルは悲痛な面持ちをしている。その顔を見て、ライラはしまったと思ったが、聞いてしまったものは仕方がなかった。

 

「そ、そうだったわね。でも……うん。それでも効くと思うわ。名前って突き詰めれば記号よ。今のあなたを表す記号。あだ名ならともかく、今のあなたはライラなんでしょう? だったら……きっと」

「そうなのね。教えてくれてありがとう。ずっと気になってたの!」

 

 講義はそこで終わった。ライラにとっては知らないことばかりで非常に為になるものだったが、イザベルは複雑そうな顔をしている。

 寝る前、彼女はこう付け加えた。

 

「……孤児院の人に貰ったのなら______由来を聞いてみたら? 込められた意味があるかもしれないし、そうでなくとも……自分の名前がどう付けられたかって知るのは……何か、意味がある気がするの。ごめんなさい、お節介だったわね」

「ううん。考えたこともなかった! 帰ったら聞いてみる。そんな仰々しい理由はないと思うけど……。確かに気になるしね」

「……ええ。覚えてたら、聞いてみて」

 

 イザベルは決して晴れやかな顔ではなかったが、それに反してライラは笑顔だった。少しだけ、孤児院に帰るのが嫌ではなくなったからだ。自分の名前_______ライラ・オルコットという名前。一体何を思って、一体何を願って名付けられたのか________。

 ベッドに沈み、目を閉じればトムの顔が浮かんでくる。自身の名前を平凡として嫌うトム。それでいて、同じ名の父親を魔法使い(特別)だと信じてやまないトム。死を悟った母親からの最初で最後の贈り物。ライラは、彼は自分や周りにとっての凡、非凡ではなく、ただただ理由が欲しいのではないかと思っている。確かに、彼は特別を好むが……名前に限ってはそうではないのかも知れないと思っているのだ。

 父親の様に、立派に育ってほしいと願われたのではないか。そう想像することは容易だろう。でも、もう誰も答え合わせができないのだ。トムでさえ________そう思うと、ライラはひどく胸を痛めた。そうしてまた一つ理解する。イザベルも、同じような気持ちだったのだと。

 

 

 

 

 

 

 アイリーン・プリンスは、魔法薬学以外で目立つことのない少女だ。他に何か挙げるとするならば、ゴブストーンくらいだろうか。大人しく、慎ましく、黙することが何よりも得意な少女。だからか、他寮生からは陰気で根暗な少女だと思われることが多い。

 しかし、彼女が根暗なんかでは無いことは、彼女と距離が近い者なら知って余りある事実だろう。

 リスクを顧みず魔法薬学の実験に果敢に挑む姿に端を発し、ついにはグリフィンドール生を一人呪いで撃退するという冒険譚の随所にその証拠は揃っている。

 入学当時は純粋な行動力であったが________他寮生の誤解(・・)のために、今ではそれが鬱屈した爆発力となってしまっている。それも大人になる過程での成熟と考えれば、彼女はスリザリン寮でスリザリンらしく育ったと言えるだろう。

 そんな彼女に、性質が真反対な少女______イザベルが魔法薬学の教室の入り口から声をかけた。

 

「アイリーン様! お手伝いに来ました!」

「イ、イザベル。ありがとう。でももう少しその……声量を抑えてくれると……手元が狂うから」

「あっ、すみません」

 

 いくら根暗という評が間違いだとはいえ、彼女が無口で大人しいのは事実である。アイリーンがイザベルに圧しきられ、それを情けなく思っていること、しかし自身から話をする必要が無いことに安堵している様子が、一緒に来たライラには手に取るようにわかった。言葉のいらない共感に、ライラは胸元をキュッと押さえる。

 イザベルは、アイリーンから話を聞くために彼女が魔法薬学の雑用を引き受けたところを狙ったのだ。何故なら彼女がかしこまったお茶会などが嫌う性格なのは周知の事実であったし、特に親しい人としか食事をしないことをイザベルは知っていた。そこで、彼女が魔法薬学に才能を発揮するあまり、スラグホーンに雑用を頼まれやすいことを利用したのだった。

 

「ライラも来てくれたの?」

「はい。二人の方が便利かと思ったので……」

 

 アイリーンは手元のカノコソウの根を弄びながら、ライラに柔らかい視線を向けた。何を言うでもなく、次の瞬間にはカノコソウの根を刻んでいたため、ライラは自分の勘違いかと思った。

 

「じゃあ、乾燥したアスフォデルがそこにあるの。根を切り分けて粉にするの。茎や花は置いといて。それも使うから」

 

 二人は言われた通りに、萎びた植物を手に取った。シワシワで黄ばんだ花に、濃い緑の葉っぱ。カサカサとした手触りに、恐る恐るライラはナイフを構えた。土のついた根を切り取る。短い牛蒡のような根を少しずつ集めていく。なかなか骨の折れる作業だ。

 イザベルは慣れたとみるや、作業をしながらアイリーンと話し始めた。

 

「アイリーン様、これって何に使うんですか?」

「当然ながら魔法薬の材料よ。これは……前習ったから覚えてる。『生ける屍の水薬』の材料ね。スラグホーンから直接は聞いてないけれど」

 

 その言葉にライラは顔を上げたが、アイリーンは作業に没頭していて気づかない。イザベルは手を止めたが、動揺を出すことはしなかった。

 

「それってどんな薬ですか? すみません不勉強で」

「強力な眠り薬よ。もはや毒と言っていいくらいにね。高品質であれば、二度と目覚めないと言われてるわ。アスフォデルは冥界の花だと言われているの。水薬に欠かせない主材料よ。だからお願いね」

 

 作業の手が止まってはいけない、とライラは辛うじてまた一つ根を落としたが、どうしても意識が二人の方に向いてしまう。アイリーンは集中するあまり、今なら何でもしゃべってくれそうな様子だった。

 イザベルはそれを知ってか知らずか本題に切り込む。

 

「アイリーン様、とても難しい薬だと察するのですけれど、件のコリー・テイルズはこれを作れますか?」

「……コリーが? 無理に決まってる! そもそもアイツはO.W.L.(普通魔法レベル)試験の成績が悪くて、魔法薬学はもう学んでない! イザベルまさか、アイツが作ってたなんて_____」

「いいえ、違うんです。ただ、所持している可能性が高くて……」

「嘘_______じゃあ、これって」

 

 アイリーンは手元のカノコソウの根を見つめる。アスフォデルの根の粉末、カノコソウの根を刻んだもの、ニガヨモギ、催眠豆。雑用を任された素材の全てが、水薬に結びつくことをアイリーンは気づいていた。ただ『何故生ける屍の水薬が必要なのか』を考えたことはなかったのだ。

 

「……そうよ、習ったはずなの。とっくに。だから……授業で使うんじゃないんだわ。これ」

「コリーがお気に入りの生徒ってことはないでしょうから、おそらく盗んだんでしょう。スラグホーンは見栄を張って隠してる。でも補充はしなくちゃいけないから……」

「アイリーン先輩に尻拭いの下準備させてるってこと? ひどいわ。授業で使うならまだしも、これは自分の責任のはずでしょう?」

 

 アイリーンは身勝手な作業の押し付けをされたことを、特段ショックには思っていなかった。元々好きな分野の範囲であるため、そこまで苦では無いし、もしそうならスラグホーンは多めに点数をくれるだろうと思ったからだ。

 ただ、不安なのはコリーのような輩に薬が渡ったかもしれないということだった。ただでさえ問題児なのに、最近は輪にかけて生徒の噂の的だ。ああいう手合いは、時に誰も予想がつかない事を思いつく。

 

「いえ、それは別にいい。でも、もし本当にコリーが盗んでたら……簡単に人を殺せるわ。危険よ」

「それが……アイリーン様、これをネズミ取りに使ってるんですって」

「ネズミ?」

 

 彼女は思わず裏返った声を出した。そんな馬鹿な話があるはずがない。馬鹿だ馬鹿だと心の底から思ってはいたが、予想を飛び越えて馬鹿だったらしいとアイリーンは内心で毒づく。

 

「ハウスエルフに聞いたんです。最近、ネズミ取りを手伝ったグリフィンドール生がいると知って、そのことを聞くために。そしたら、罠にその薬を使っていたと」

「なに、それ? コリーかもしれないけれど、そこまで馬鹿だとかえって疑うわ。コリー・テイルズってそこまで馬鹿だったのかしら? 仮にも六年生よ?」

 

 馬鹿馬鹿とコリーを貶してやまないアイリーンだが、その様子に二人は、コリーが薬を作れるわけがないと確信する。まさか考えもつかないところでアイリーンにしわ寄せが行っていると思いもやらなかったが、イザベルはもう一つの質問を切り出した。

 

「コリーはネズミを集めてるようなんです。何の目的があってかは分かりませんが……アイリーン先輩、ネズミを使った魔法薬などはご存知ありませんか?」

「そうね……ネムリネズミの毛とかは材料になるけれど……。ただのネズミが材料になることなんて滅多にないわ。実習で使ったこともない。魔法薬の材料なんて基本は薬草で、たまに牙だったり脳だったり……生薬みたいなものを使うのが大抵よ」

 

 NEWT(いもり)レベルの魔法薬学を学ぶ彼女でも心当たりはないようだった。そのかわり、コリーの薬の入手方法の手がかりが掴めたのは思わぬ収穫だ。

 

「そう……ですか。ありがとうございます。教えてくださって。作業に戻ります」

「いいえ。大した答えがなくてごめんなさい。私も調べてみるわ。それで……イザベル、ライラ。ローブのポケットにあるレポートには気づいているの。教えてあげるから、早く作業を終わらせて」

「……ありがとうございます……」

 

 アイリーンの慈しむような微笑みがますます二人の羞恥を煽っていたが、当の本人は気づいていない。二人は顔を真っ赤にしながら、黙々と作業に取り掛かった。

 

 



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