ポケットモンスターHEXA BRAVE (オンドゥル大使)
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序章
Shangri-La


 見渡す限り闇の断崖だ。それが広がっている。

 

 光を吸い込み、呼吸音さえも呑み込んでしまいかねない常闇に、カルマは視線を投じながら問いかける。

 

 ――ここはどこだ?

 

 足元を見やる。

 

 吸着剤を施された足裏が金属板を踏んでいた。金属板は幅がカルマの数十倍はある。太陽光を反射する部分が反対側についており、そちらに直接当たれば一瞬でたんぱく質の身体は炭化してしまうだろう。

 

 カルマは頭上を仰いだ。無辺の闇の中では頭上、という言い方さえも正しくなかったが、そう形容するしかなかった。見上げた先にあるのは赤茶けた大地だった。青白い光を漂わせる半球が視界を覆い尽くす。視界に捉えた対象物に対し、カルマは知っている、という認識を向けた。自分はあそこから来たのだ。青い地表は海だろう。まばらに縮れた雲が浮かんでいる。赤茶けて見える大地は決して広くはない。ほとんどが海だ。

 

 随分昔に、海を広げるべきという派閥と、陸を広げるべきという派閥がホウエン地方で抗争をしていたという話を思い出したが、こうして仰いで見れば、陸は圧倒的に不利なのではないだろうか。それとも、とカルマは思う。不利だから、戦おうとしたのかもしれない。最も幸福だったのは天空だろう。海の派閥が祭り上げたポケモン、カイオーガと陸の派閥が支持したポケモン、グラードンが争った時、天空を司るポケモンが争いを治めたと聞いている。さもありなん、とカルマは景色を見ながら思う。陸と海に分かれるよりも、天空という一単位に属したほうが賢明である。陸と海は繋がっているが、天空はそれらを覆っているのだから。支配、という位置関係には最も近いだろう。

 

『作業工程、Bプランに移行。16番、ノイズが多いが聞こえているか?』

 

 自分の担当する名前が呼ばれ、カルマは慌てて返した。「了解。通信環境は良好」と返した言葉に、『ならいいのだが』と渋い声が響いた。

 

『今次作戦を以って、歴史が変わるんだ。気を引き締めるように』

 

 硬い声は現場の指揮官としては優秀なほうである、とカルマは判断した。カルマは金属板が繋がっている対象物を見やる。それはたとえるならばバラの花のような形状をしていた。カルマのいる金属板はさしずめ茎から伸びる葉っぱである。花弁に当たる部分には遠心重力を発生させるドーナツ状のリングがある。花弁自体もゆっくりと回転しているようだった。

 

 カルマは命綱の伸びている先へと視線を向ける。小型のポッドだった。形状は円筒形で片側にバーニア、片側には船外作業用の銀色の取っ手が円弧を描いている。窓は少ない。来る時には大型のロケットが用いられたが、切り離されたポッドは小さなものだった。大人が五人も入ればもうすし詰め状態である。ポッドから三人の宇宙服がバラの花に取りついている。蜜を吸うアブラムシのようだった。ポッドには今は二人の同僚が常駐しているはずだ。その中の一人、リーダー格の男からの通信である。

 

 宇宙服が翻り、反射した光が網膜の裏に残る。カルマは今更に、ここが地上ではないと自覚させられた。宇宙空間での作業に当たって、カルマは一通りのマニュアルには目を通した。訓練もこなしてきたつもりだったが、実際にやるのとでは印象が随分と違う。現実感が希薄なのである。金属板の裏を踏みしめている足や、断続的にヘルメットの中に聞こえる自身の息遣い。通信を僅かに震わせる誰かの声や呼吸。全てが現実から遊離しているかに思える。落ち着け、と自分に言い聞かせる。何度も訓練を重ねてきたじゃないか。

 

 カルマは作業の手を休めずに、頭上の惑星へと意識を注いだ。遠くて分からないが、赤茶けた大地の上で自分達は生きている。

 

 生きて、争い、いずれは死んでいく。カルマはまだ二十代だったが、どこか諦観のようなものを抱いていた。どうせ、この世に希望などない。それが二年前の出来事でよく分かったからだ。カルマの生きてきた地方は、カイヘン地方と呼ばれていた。海に囲まれた特別景気がいいわけでもない地方だ。誰もが明日を当たり前のものとして享受し、それに疑問を挟むことなど決してない。

 

 その状況に一石を投じた事件があった。俗に「ヘキサ事件」と呼ばれている事件は、ポケモンマフィアであるロケット団残党の幹部、キシベが起こした内紛であった。首都が持ち上がった光景を今でも鮮明に脳裏に描くことができる。キシベの演説を、カルマはいつでも思い返すことができた。それほどに鮮烈な出来事だった。首都、タリハシティがこの世の終わりを想起させるように浮遊する光景。それは頭上に悪魔が舞い降りたかのようだった。誰の眼にも絶望的に映ったであろうそれは、カルマの眼には違って映った。

 

 圧倒的な破壊の光景が、同時に創造の儀式に見えたのだ。

 

 今までまどろみの中にあったカイヘン地方を揺り起こすには充分な起爆剤だった。カイヘン地方は目覚めを強いられ、侵攻対象となったカントー地方から睨みを利かせられることとなった。今では、カイヘン地方はほとんどカントーの属国である。それを快く思わない一派がいる。自分も、その一人だった。歴史が変わる、という声は間違いではない。今まさに、歴史の当事者として自分は無辺の闇の中に身を漂わせているのだ。

 

 しかし、この現実感の無さはどうしたものか。

 

 当事者というのはいつでもそのような心境なのだろうか。自分が自分でないような奇妙な感覚に襲われながら、手を動かす。半球状の黒い物体を等間隔で並べる。背面に吸着剤がついており、それぞれケーブルで繋がっていた。八個のうち、六個目の作業に差し掛かってきた時、声が耳朶を打った。

 

『聞こえるか、カルマ』

 

 その声はこの作戦に誘ってきた男の声だった。「聞こえているよ」と返すと、男はひひっと笑った。特徴的な笑い声だな、とカルマは思った。

 

『作業どうだ?』

 

「退屈はするけど悪くはない。これで変わると思えばね」

 

『変わると思うか?』

 

 疑問を含んだその声にカルマは眉をひそめた。今更にそんなことを聞くのは卑怯ではないだろうか。沈黙を読み取ったのか、男は慌てて言葉を引っ込めた。

 

『いや、悪い。今のはナシで』

 

「別に、いいんじゃないか。俺もなんだか実感湧かないし」

 

『だよな』と同意の声が返ってくる。どうやらこの心境は自分だけではないようだ。

 

『こんなこと、誘っておいてアレだけどよ。やっぱり負け犬の遠吠えって言うのかな。あ、気分を悪くしたのなら謝るよ』

 

「俺達は確かに負けたんだ。間違いじゃないだろ」

 

 敗北の苦渋を味わった。それは事実だ。ロケット団残党と、自警団ディルファンスとの抗争において、自分達は負けた。ロケット団として戦闘部隊にいたカルマは途中の戦闘中止命令に戸惑った。それはディルファンスも同じだったようで、彼らも勝ったのか負けたのか分からないといった様子だった。だが、後の状況から察するに自分達は負けたのだ。

 

 キシベが立ち上げたヘキサという組織。

 

 カントーへの侵攻を宣言し、タリハシティを空中要塞と化してシロガネ山まで踏み込んだという執念。

 

 その場までついていけなかった自分は敗北者も同然だった。ロケット団残党として、罪に問われなかった代わりに、自分達は置き去りにされたのだ。時代の波に乗れずに零れ落ちた存在である自分に、カルマは価値を見出せずにいた。ロケット団でもなく、ヘキサでもない。中途半端で終わった自分の身を持て余し、あっという間に二年が過ぎた。いっその事、何か起こしてやろうかと考えていた矢先に誘いを受けたのだ。仲間達は皆、元ロケット団のメンバーだった。今回の作戦はいわばロケット団として行き遅れた自分達が咲かせる最後の華だった。その舞台がバラを模した宇宙ステーションだというのは何とも皮肉である。ヘルメットの中で、思わず笑みがこぼれた。

 

『だよな。でも、俺はキシベ様についていけてたら、って今でも夢に見るんだ』

 

 男の言葉はカルマの言葉でもあった。カルマも同じように夢に見ることが多々あった。キシベについてヘキサとなり、カントーへの進軍をする部隊。逆賊と罵られることすら、誉れのようであった。空中要塞を操っていた構成員達の裁判を目にしたことがあるが、彼らは一様に自身が間違っていたと認めていた。何と愚かなことだろう、とカルマは思ったものだ。キシベについていけただけでも充分だというのに、それを自ら過ちと認めるなど。

 

 贅沢な悩みを抱えたまま、ヘキサの構成員達は極刑に処せられた。まだ刑の執行を待つ構成員もいるという。時代を変えた当事者達があの様子では、自分達が歴史を変えることも夢のまた夢のような気がしてくる。だが、確かにこの手足は今、時代の変革に触れているのだ。奮い立たせようと、カルマは強い口調で返した。

 

「俺達はこれから変えるんだ。ヘキサは理想郷だった。理想郷は、見るもので叶うものじゃない。そう割り切ろうぜ」

 

『だな』と男は返して通信を切った。発した言葉の通り、ヘキサは理想郷だった。あの場にいられれば、自分は何かを変えられたはずなのだ。少なくとも二年を無為に過ごす結果にはならなかったはずだ。その雌伏の二年も、この時のためと思えば消化できる。カルマは八つの半球体を金属板に固定し終えた。通信をポッドに繋ぐ。

 

「こちら16番。作業、B工程終了。これより最終工程に入る」

 

『了解。他の奴らはもう終わっているぞ。16番、遅れている』

 

「すまない」

 

『気負うなよ。全員でやるんだ。俺達の最後の花火を見せてやろうぜ』

 

 気安い声は、ロケット団の仲間であった時の繋がりを思い出させた。覚えず視界が滲む。カルマは目元を拭おうとして、ヘルメットのバイザーに遮られた。ここは宇宙空間なのだ、とまた自覚させられた。カルマは半球体の下部にあるボタンを順番に押し込んだ。タイマーを示す赤いランプが点き、八個全ての処理を終えたカルマは金属板を蹴りつけた。ふわりと身体が浮かぶ感覚に、カルマはバラの花の宇宙ステーションに手を振る。手を振り返す影はなかった。そういえば名前も知らなかったな、と今更感じた。

 

「ポッドへ。対象物の名称は?」

 

『何故、そんなことを?』

 

「手向けの言葉を送りたいと思って」

 

 カルマの言葉にポッドに残った仲間が苦笑するのが伝わった。

 

『〝リヴァイヴ・ローズ〟だ。この宇宙に人間が進出したことを忘れないように、と建造された実験ステーションさ』

 

「そうか」

 

 カルマは身に染み付いた挙手敬礼をリヴァイヴ・ローズに送った。その様子が見えたのか、男が『お前もそういうのが好きだな』と返す。視界の隅にポッドに戻る途中の宇宙服が見えた。こちらへと手を振っている。

 

『まぁ、俺もだけどな』

 

 その宇宙服は反転して、挙手敬礼をリヴァイヴ・ローズに向けた。フッと口元を緩ませて、カルマはポッドに戻ろうとする。

 

 その時、耳を劈くような警報が鳴り響いた。

 

「なんだ……?」

 

 その声が響く前に、青白い光条が常闇を裂いた。ポッドに戻りかけていた宇宙服の背中に突き刺さる。光は宇宙服を貫いて、闇の中に消えた。宇宙服から力が抜け、だらりと垂れ下がる。胸部を貫かれた仲間は即死だった。

 

『どこからだ?』

 

 ポッドの仲間が声を張り上げる。

 

『後方から熱源探知! 徐々に接近してくるぞ!』

 

『何が』

 

 起こっているんだ、と発せられかけた声を遮るように、また青白い光が景色を切り裂く。ポッドの仲間が声を上げる。

 

『危ねぇ! ここにいたら狙い撃ちされるぞ!』

 

『どうなっているんだ!』

 

 こちらが聞きたかった。混乱する頭の中に浮かんだのは、今の光が攻撃の光だというぐらいだった。カルマの耳朶を打つ怒声が悲鳴に転じたのは、次の瞬間の出来事だった。

 

 男の宇宙服のすぐ傍を、同じ青い光の帯が掠める。男のポッドから伸びている命綱が切れ、宇宙服がゆらゆらと回転を始める。飛散粒子が叩きつけたのか、カルマの耳に空気の漏れる音が聞こえてきた。通信の中に男の声が混じる。

 

『嫌だ! 死にたくない。どうなっている! カルマ!』

 

「分からない! 本当に分からないんだ!」

 

 返したその声を被せるように、『反応特定!』の声が響く。

 

『ポリゴンZだ! 三体、こちらに向かってくる!』

 

 その声にカルマは周囲を見渡した。すると、リヴァイヴ・ローズから三つの光が尾を引いて現れた。それは鳥のような形状をしていたが、鳥と本質的に異なるのは翼がないことだ。無機質で金属のようなフォルムは丸みを帯びており、ピンクと青のけばけばしい色で彩られたその姿は趣味の悪いかかしに見える。胴体から三本の手足が生えているが、それぞれ独立しているように映った。眼はぐるぐると渦を巻いていた。

 

 ノーマルタイプのポケモン、ポリゴンZ。異次元開発用に造られたポケモンである。水中を掻くように、ポリゴンZはポッドへと向かってきた。丸みを帯びた嘴をポッドに向ける。ポリゴンZの胴体部分がぎゅるぎゅると回転し、集束するかのように嘴の先へと青い球体が形作られる。「はかいこうせん」だ、と断じた思考に、カルマは叫んでいた。

 

「やめろ!」

 

 その声が響く前に、ポリゴンZ三体が放った破壊光線の光条がポッドを貫いた。カルマの叫びが音を伝達しないはずの宇宙空間に残響する。次の瞬間、内側から赤く膨れ上がったポッドは弾けるように破裂した。カルマは爆発の衝撃と命綱を切られた勢いで宇宙空間を回転した。視界が転がる。目まぐるしく移り変わる視野の中で、大地が見え、海が見え、空が掠める。銀色の光を放つリヴァイヴ・ローズの姿が視野に浮かんだ瞬間、リヴァイヴ・ローズの節々から光が迸った。爆発の光だった。銀色の鱗粉を撒き散らすかのように、リヴァイヴ・ローズがひしゃげて、砕けていく。カルマ達が仕掛けた爆弾が作動したのだ。

 

 回転する視界の中で、ああ、と思い返す。リヴァイヴ・ローズを破壊するテロを敢行することで自分達の存在証明としたかったのだ。しかし、それはあっけなく打ち砕かれた。ポリゴンZの胴体部分に刺青が彫ってある。それをカルマは見据えていた。

 

「WILL」と緑色の文字で刻まれている。ウィルとはカントーがカイヘン地方を統括する時に用いた独立治安維持部隊の名称だ。リヴァイヴ・ローズの研究と警備に一枚噛んでいたのだろう。ふと、自分の真上を行き過ぎていくポリゴンZの頭部にカメラが備え付けられているのが見えた。それが視界に入った瞬間、カルマは目を見開いた。ウィルのポリゴンZとリヴァイヴ・ローズ、それに監視されていた自分達をカルマは頭の中で結びつける。

 

 ――ショー、なのか。

 

 その答えにカルマは慄然とした。

 

 ウィルがカイヘン地方で発言力を強めるための一部として、自分達は利用されていたのか。ウィルは報道管制も行っていたために大いに考えられた。だとすれば、全て仕組まれていたというのか。自分達の最後の華舞台も、ここまで来た意思も。しかし、リヴァイヴ・ローズが破壊されることは想定の範囲外だったはずだろう。リヴァイヴ・ローズは今やしおれた花の如く、その身は散り散りになっていた。葉のように見える太陽光パネルは砕け、茎の部分はボロボロになっている。研究ブロックである花弁の部分が切り離され、遠心重力を発生させながら、ふわふわと無辺の闇を漂っている。自分達だけ逃げようという腹積もりなのだろう。カルマは手を翳し、中指を立てた。

 

「……思い通りに、させるか」

 

 その言葉がヘルメットの内奥を震わせた瞬間、研究ブロックから爆炎が噴き上げた。それを契機としたように、炎が研究ブロックを巻き上げる。穴の空いた水風船のようだった。

 

 そこらかしこから炎が上がり、研究ブロックは跳ねるように何度かよろめいた後、一際大きな爆炎が包み込んだ。研究ブロックにも時間差で爆弾が作動するようになっていたのだ。主人を失ったポリゴンZ達が戸惑うように首を巡らせる。カルマは回転する視界の中で、胎児のように丸まった。身体を広げていると、このままどことも知れぬ闇へと落ちていきそうだったからだ。しかし、もう今更なのかもしれない。ポッドは撃墜され、仲間は恐らく皆、死んだだろう。

 

 ロケット団の矜持などなかった。ここまで上がってきたのは、下手な三文芝居の役者よりも性質の悪い操り人形達だった。舞台を破壊したのだから、追放されるべきなのだろう。既に報いは受けた。これ以上、何があるというのか。そう考えると、カルマは笑えてきた。操り人形が発する笑い声が無辺の闇に響く。

 

 すぐに酸素もなくなり、自分も死ぬ運命にあるだろう。それでも酸素を浪費して笑い続けた。自嘲か、それとも最後の足掻きにかけた意地が発したものだったのか。分からないが、身体の内側にあるのはどうしようもない虚無感だった。

 

 何もできない。

 

 何もなせやしない。

 

 くるくると回転する視界の中で、惑星が映る。あの中に落ちていけたら。大気の腕に抱かれて、骨も残さずに焼けていけたら。一瞬の痛みのうちに全てを忘れさせてくれたら、どれだけいいだろう。恥を抱きながら回転するよりかはマシに思えた。

 

 その時、きらりと何かが太陽光を反射した。まだポリゴンZが、と思ったが違う。よくよく見れば、それは動く物体ではなかった。それはカプセルだ。オレンジ色の培養液で満たされたカプセルが引き寄せられるかのように、カルマへと近づいてくる。闇の中に浮かんでいるのは自分と、カプセルから放たれる光だけだった。カルマは思わず手を伸ばした。すると、カプセルは収まるべきところを見つけたかのように、カルマの腕の中にふわりと舞い落ちた。リヴァイヴ・ローズから流れてきたものだろうか。だとすれば、ほとんど奇跡としか言いようのない確率だった。カプセルの中を見やる。あったのは、単細胞生物にしか見えない、肉腫のようなものだった。

 

 ――助けにはならないな。

 

 もっとも、今更助けなど望んではいなかった。そう思って手から離そうとした直前、カプセルの中の単細胞が脈打ったような気がした。もう一度、カプセルを見ると、単細胞生物が膨れ上がった。悲鳴を上げようとした瞬間、カプセルが弾け飛んだ。オレンジ色の培養液がバイザーに飛び散る。視界を奪われたカルマは手をばたつかせた。それも宇宙空間では意味のない行動だったが、その手を取る感触があった。カルマは僅かに残った視界で、自分の手を取った者を見やる。逆光を浴びてよく見えなかったが、それは人型をしていた。しかし、よくよく見ればそのシルエットはヒトとは本質的に異なっている。頭頂部が尖っており、二重螺旋を描く腕は人間というよりは軟体動物に近い。

 

「何、だ……」

 

 呟くカルマへとその生命体は腕を伸ばしてきた。カルマの視界の中で、五指を形成していた指先が針のように尖る。それが振り上げられた瞬間、カルマは劈くような叫び声を上げる。

 

 無辺の闇の中に、その声は吸い込まれていった。

 



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最果ての少年
第一章 一節「エンドオブワールド」


 海面が風に揺らめき、陽光を淡く反射している。

 

 海のポケモン達が陽の光を浴びようと、海面まで上がってきているのが影で分かった。その時、ポチャリと波間に釣り糸が垂らされた。赤い浮きがゆらゆらと漂っている。ピンと張った革製の釣竿を持っているのは少年だった。オレンジ色の鍔つき帽子と、同じ色のジャケットを羽織っている。濃紺のズボンを穿いており、足をぶらぶらと揺らしていた。右足を左脚の膝に置いている。

 

 少年はどこか眠たげに浮きへと視線を落としていた。片手は釣竿を掴んでいるが、片手は頬杖をついている。いつでも眠れるような格好だった。時折、釣竿へと振動を加える。浮きを生きているように見せる仕掛けのつもりだったが、海のポケモンはそれほど馬鹿ではない。逆に海面まで上がってきていたポケモンの影は遠のいた。少年は欠伸を一つかみ殺した。

 

「釣れないなぁ……」

 

 呟いて空を仰ぐ。雲一つない突き抜けるような青い空が少年の寝不足な眼に染み渡った。少年は帽子を目深に被って、太陽光を遮る。そうしていると眠れそうな感じがした。思わずうつらうつらと夢の船をこぎ始める。少年の姿は傍から見れば今にも海に落ちそうな危うい状態に見えた。その時、背後から声が響き渡った。

 

「こら、ユウキ!」

 

 その声に少年はびくりとして、本当に海に落ちそうになった。全身を使って寸前のところで留まり、少年は振り返る。その視界に飛び込んできたのはおたまを片手に持った女性だった。水色のエプロンをしており、亜麻色の髪を後ろで一つに結っている。自転車でここまで来たようで、傍に赤い自転車が停車していた。女性は腰に手を当てて少年を睨み据えた。少年はげんなりとして、海へと視線を戻した。

 

「何しにきたんだよ、ミヨコ姉さん」

 

 女性――ミヨコはつかつかと少年へと歩み寄り、その首根っこをむんずと持ち上げた。少年はふるふると首を横に振って逃れようとするが、ミヨコの力のほうが強い。少年はいとも容易く持ち上げられてしまった。

 

「ユウキ。あんた、またスクールさぼったわね」

 

 その言葉にユウキと呼ばれた少年は首を引っ込めて、愛想笑いを浮かべる。ミヨコは、「笑うんじゃない!」と叫んで、ユウキを陸側に引き寄せた。ユウキは首を引っ掴まれたまま、ミヨコと向き合う形になった。釣竿が手から滑り落ちる。

 

「どうしてあんたはスクールにまともに行かないの? そんなんじゃ、まともなトレーナーになんてなれないんだから」

 

「僕がまともなトレーナーになったら、困るのは姉さんじゃないか」

 

 唇を尖らせて発した抗弁に、「減らず口を叩くな」という声が返る。

 

 ミヨコはおたまでユウキの額を小突いた。ユウキはしょげたように俯いた。首根っこから手を離し、ミヨコが両腕を組む。ユウキはその場に座り込んだ。彼女は目を瞑って懇々と言い聞かせる。

 

「あんた、スクールの授業料だってただじゃないんだから。いくらカントーの支援を申し込んでいるからって、カイヘンの財政は火の車なの。お上がその調子だから、あたし達がいい暮らしなわけないでしょ。その中で切り詰めてあんたをスクールに通わせているってのに、さぼるんじゃ意味ないでしょうが」

 

「別にさぼっているわけじゃないんだけどな」

 

 ユウキは帽子を取って後頭部を掻きながら、そうぼやく。その瞬間、ミヨコの睨みが飛んできた。ユウキは帽子を被り直し、深々と頷く。ミヨコの前ではユウキは頭が上がらなかった。ユウキが黙っていると、ミヨコがため息をついた。

 

「……何が嫌なのよ。いじめでもあった?」

 

「そういうわけじゃないけど」

 

「じゃあ、どうして?」

 

「そりゃ、ちょっと」

 

 言いにくそうにユウキが指でこめかみを掻く。ミヨコは遂に痺れを切らしたのか、「あー、もう!」と叫んだ。

 

「とにかく、行かなきゃ勿体無いでしょ! まだ授業やってんだから、さっさと支度しなさい」

 

 ミヨコの声にユウキは、「うーん」と呻った。

 

「今日の獲物がまだ釣れてないし、もうちょっとしたら行くから」

 

 ユウキが地面に転がった釣竿を拾い上げ、また海に向かい合おうとする。その肩をミヨコが掴んでガクガクと震わせた。

 

「それが、駄目だって、言ってるんでしょーが!」

 

「危ない! 危ない! 落ちるって、姉さん!」

 

 ユウキが慌てたように言うと、「おーい」と声がかかった。二人揃ってそちらを振り返ると、中年の釣り人が二、三人連れ立って手を振っていた。

 

「今日も仲いいね。お二人さん」

 

「ユウキ。何か釣れたかよ?」

 

 はやし立てる声と尋ねる声に、ユウキは「全然」と応じた。両方の答えにしたつもりだった。

 

「餌が悪いのか、釣竿が悪いのか。……それとも姉さんが悪いのか」

 

 小声で発した最後の言葉にミヨコは反応してユウキを見下ろした。ユウキは気づかない振りをしてやり過ごす。釣り人の一人が、快活に笑った。

 

「その調子じゃ、いつまで経っても釣れねぇよな。海辺で兄弟喧嘩して、俺らの収穫を減らさないでくれよー」

 

「水ポケモンも逃げちまうってもんだからな。ミヨコちゃんの怒鳴り声じゃ」

 

 その言葉にミヨコが顔を赤くして俯いた。釣り人達は笑いながら通り過ぎていく。ユウキは元の姿勢に戻っていた。その背中へとミヨコが声をかける。

 

「あんた。ちゃんと行きなさいよ」

 

 釣り人の言葉を気にしてか、ミヨコは少し小声になっていた。ユウキが片手を上げて応じる。ミヨコはユウキを気にかける視線を向けながらも、自転車に跨って元来た道を帰っていった。ユウキは少しだけ後ろを窺いながら、その背中が見えなくなるまで見送った後、深いため息をついた。

 

 釣竿が引かれる様子はない。ユウキは釣竿を固定するためにコンクリートに空いた穴へと釣竿を入れた。どうせ、もう釣るつもりはない。元より、釣りになど興味はないのだ。ただやることがないから、両親に買ってもらった「すごいつりざお」を試しているに過ぎない。この釣竿では一度も釣れたことがなかった。いつも引っかけるのは長靴やタイヤだった。漫画の中だけかと思っていたが、意外にもそういうものが釣れる。ユウキはその場に寝転がった。陽光が切り込むように差してくる。

 

「スクール、か……」

 

 ユウキは呟いた。ミヨコが言っていたのはトレーナーズスクールと呼ばれるトレーナー養成所のことだ。大抵は一つの地方に一つだが、八年前にカイヘン地方がカントー自治区へと併合されてから一つの街に一つ置かれるようになった。何でも、「正しいトレーナーを育成するため」という名目があるそうだ。しかし、誰もがその実情を知っていた。正しいトレーナー、なんていうお題目ではなく、トレーナーを管理するのが主な目的である。

 

 本来ならばトレーナーのポケモンの所持数は六体が限度だったが、カイヘンでは二体までに制限されている。二体以上になればポケモンを入れておく道具であるモンスターボールに自動的にロックがかかる仕組みになっている。モンスターボールを偽造したり、手製のモンスターボールを使用したりして法の網を逃れようとしても無駄だった。モンスターボール同士は常に同期されており、加えてトレーナー登録されていない人間がポケモンを持つことは違法となった。

 

 これを思想の弾圧、検閲と受け取った人間は少なくない。ポケモン所持数の制限はポケモンによる補助を必要とする人々からの反発を当然のように受け、一時期は一触即発のデモにまで発展したが、カントーは勅命を発布。「モンスターボール外でのポケモンの所有数に制限を設けない」とした。これによって、ポケモンをモンスターボールという便利な道具によって一瞬による調教という便利さからは離れたが、デモは鎮静化し、モンスターボールによる支配を「下劣」と主張してきた宗教団体からはむしろ賛美の声が上がっている。一方で、地下組織のモンスターボールは一刻も早くロックすべきだ、という過激派の声も小さくはない。しかし、地下組織に潜っているか、などといちいちチェックするのはそれこそ思想の自由、団体、組織結成の自由に反している。形骸化しかけているこの制限を支えているのは、申告制という心許ない善意だけだ。

 

 それもこれも、八年前にある事件が起こったからだ。その事件をきっかけにしてカイヘン地方は様変わりした。カントーの支配を呑み込み、カントーが与えるものを享受するようになった。それまでのようにカイヘン地方だけでは経済も政治も回らない。

 

 今やカントーに依存していると言っても過言ではなかった。しかし依存というのは実のところ正しくない。実際には緩やかな支配である。

 

 カイヘン地方はカントーに八年前の事件で負い目を感じている。カイヘン地方の誰もがカントー本土人に頭が上がらない。

 

 その事件は「ヘキサ事件」と呼ばれていた。

 

 ロケット団残党と、当時カイヘン地方で幅を利かせていた自警団ディルファンスが手を組み、カントー政府、セキエイ高原への侵攻を宣言した事件のことである。

 

 カイヘン地方の人間でこの事件のことを知らない人間はいない。当時の首都、タリハシティが丸ごと空中要塞となり、カントーへと侵攻したのは写真と映像記録で残っており、カイヘン地方の人間は元よりカントーの人間もまともに教育を受けているのならば何度も見せられる。ユウキもそれを何度も見た口だった。

 

「やってられないな。カイヘンの人間が全て悪いみたいで」

 

 八年前を契機にして、カントーが経済や財政に口を挟むようになり、遂には独立治安維持部隊を設立する始末だった。カイヘンの人間には、しかし抗弁を垂れる機会すら得られない。何をされても文句が言えないのが、今のカイヘンの実情だった。

 

 ユウキは帽子の鍔に手をかける。視界の半分が影になり、陽射しを遮った。何度目かの逡巡の瞬きの後に、ユウキはため息をついた。上体を起こして、陰鬱に呟く。

 

「やっぱり、行かなきゃ駄目だよな」

 

 ユウキは釣竿を仕舞った。釣竿は段階的に収納できるようになっており、中ほどで折り畳む。慣れた仕草でユウキはバッグに詰め込んだ。歩いて向かおうとすると、潮の匂いが鼻をついた。海辺のポケモンは人間の事情など知らないとでも言うように今日も変わらぬ毎日を過ごしている。

 

 ユウキは立ち去る間際、海を眺めた。赤く塗装されたクレーンが大きな音を立てながら緩慢に首を巡らせる。カントーから輸入された食物がコンテナに乗せて運ばれてくる。カイヘンで取れた食物はカイヘンで消費してもいいが、物流に関する一切はカントーの命令のほうが強い。ゆえに、カントーの食物を高い値段でカイヘンは買わされるのだ。物価も高騰し、嗜好品や医療費ですらまともな値段ではない。カントーの基準値に全て合わせられているのだ。重い音を立てながらコンテナが運び込まれる。擦り切れたように見えるクレーンの赤を眺めながら、「……本当」と口にした。

 

「やってられないよな」

 

 その言葉に応じる者は誰もいなかった。

 



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第一章 二節「ひねくれ者」

 トレーナーズスクールに着いた頃には既に太陽は中天に昇っていた。

 

 降り注ぐ熱線を忌々しげに振り仰ぎつつ、ユウキはスクールの敷地へと視線を転じる。スクールは全体像としてはコの字型を描く施設だ。二階まであり、淡く黄緑色の外観だった。グラウンドに実技のための白線が引かれており、四角く囲われた中央にモンスターボールを象った円がある。トレーナーはそれぞれ両端にある囲まれた敷地に入り、白線内部のポケモンに指示を出す。それがポケモンバトルの基本形だった。今も、ユウキより上のクラスの少年と少女がポケモンバトルを繰り広げていた。

 

 人垣の合間からユウキは視線を送った。

 

 少年が繰り出しているのは肥え太った黄色いネズミだった。細い尻尾の端が稲妻の形をしており、黒色と黄色という危険色を想起させる色合いのポケモンだ。

 

 世界で最も愛されているポケモンであるねずみポケモン、ピカチュウの進化系、ライチュウだった。ピカチュウを愛好する人間が多いためになかなかお目にかかることはできない。少年は実戦用にライチュウを鍛え上げているようだ。ピカチュウは、そうでなくともポケモンバトルで使われることは稀である。愛玩用として飼っているトレーナーが多いためだ。そのためにポケモンバトルを専門に行わないブリーダー用と揶揄されることもある。少年のライチュウはただ肥えているだけではない。筋肉の盛り上がりを感じさせる身体つきだった。特に脚が太い。ライチュウの足は元々短く、瞬発力に長けているものの長期戦となれば不利である。その弱点を克服するかのように逞しい脚だった。ユウキは眼がいいからか、血管が浮き上がる様子まで見える気がした。

 

 相対するのはピンク色で耳が長いポケモンだった。背中に未発達気味な羽根が生えており、面長な身体はまるで帯のようである。丸まった尻尾が垂れ下がっているその姿は、カントーのオツキミ山に生息するポケモン、ピッピの進化系、ピクシーであった。ピクシーはライチュウとは対照的にあまり戦闘向きには育てられていない印象を受ける。筋肉の引き締まりが少ないからだった。ピクシーも戦闘よりかは愛玩用にと育てられる例が多い。元であるピッピは商品化され、「ピッピ人形」として売り出されている。野生ポケモン用の疑似餌として人気があるだけに、人間からの人気も高い。ピッピは元々生息数が少ないため保護に走る人間も多いと言う。ライチュウもピクシーも特殊な〝石〟によって進化するポケモンである。ライチュウは雷の石、ピクシーは月の石である。うろ覚えな知識を頭からひねり出していると、ライチュウを操る少年が声を張り上げた。

 

「ライチュウ。電光石火!」

 

 その声に、ライチュウが身を沈ませると、一瞬にして姿が掻き消えた。先ほどまでいた地点で砂埃が微かに立ったのを視認する前に、ライチュウの体躯はピクシーの眼前にあった。

 

 ――速い。

 

 ユウキがそう思った直後、ピクシーはライチュウの頭突きを腹腔に食らった。ピクシーが後ずさるが、その眼からまだ闘志は消えていない。ピクシーは両手を突き出した。片手に紫色の光を発する宝玉が固定されている。命の珠と呼ばれる道具だった。所有するポケモンの体力と引き換えに攻撃力の強化を促す諸刃の剣だ。しかし、ピクシーは荒い息をつくわけでもなく平然としている。ピクシーの特性が影響していると思われた。現にピクシーの身体には纏いつくような薄桃色の光があった。

 

「多分、マジックガードか」

 

 呟いてユウキは顎に手を添える。「マジックガード」とは攻撃以外の技ではダメージを受け付けない特性である。

 

「すなあらし」などの天候を操る技による断続的ダメージや、猛毒、火傷によるダメージを受けない。状態異常による長期戦に特化したポケモンからしてみれば、難敵となる特性だ。その特性は道具にも及び、命の珠のマイナス効果を打ち消してプラス効果のみを引き出している。ピクシーの両手から黒い稲光が迸った。両手で稲光から発生した黒い霧を練り、ピクシーは球体を形成していく。不定形だった球体が黒い磁場を纏わせながら形状を安定させた瞬間、少女は叫んだ。

 

「ピクシー。シャドーボール!」

 

 ピクシーが鳴き声を上げ、突き出した両手から影の砲弾――「シャドーボール」を弾き出す。ライチュウはしかし、その攻撃をまともに受けるほど鈍重ではなかった。

 

「電光石火で駆け抜けろ!」

 

 少年の言葉に、ライチュウが左手で砂を掻く。その瞬間、脚の筋肉が盛り上がったのをユウキは見た。僅かな変化だが、その直後にライチュウの姿が消え、シャドーボールが空間を裂いた。ライチュウの姿はシャドーボールを放って攻撃の隙ができているピクシーの真横にあった。ライチュウの身が翻り、宙を舞う。ピクシーと少女の反応が追いつく前に、細い尻尾が振り上げられた。

 

「叩きつける!」

 

 稲妻の尻尾がピクシーの後頭部を打ち据える。ピクシーの身体が滑り、地面を転がる。

 

「ピクシー!」と呼びかける少女の声に、ピクシーは片手を地面に突き立てて制動をかけた。身を返して、受身を取りライチュウへと向き直る。

 

 脳震盪を起こしたのか、少しふらついているように見えた。ピクシー自身はさほど物理攻撃に特化しているわけではない。どちらかといえば攻撃を受け流し、隙をつくタイプの戦法を得意とするポケモンである。ゆえに接近戦は苦手分野なのだろう。ピクシーと少女は一瞬も気の緩みも許されない逼迫した表情をしていた。ライチュウが身を沈ませる。「でんこうせっか」から相手に接近し、懐に潜り込んで攻撃するのはトレーナーならば基本戦術であった。

 

 だが、とユウキは思う。

 

 まだライチュウは自身の本懐である電気技を一度として使っていない。一方、ピクシーもまだ攻撃に転じているわけではない。

 

 勝負はこれからだ。

 

 緊張の面持ちで見守っていると、不意にこめかみを叩かれた。ユウキが、「痛いな。何す――」と発しかけた声を詰まらせた。そこにいたのは背の高い女性だった。赤いブラウスを着込んでおり、白いシャツが晴天に眩しい。フレアスカートを穿いたその女性は、セミロングの髪をかき上げた。昔は染めていたのだという黒髪からはシャンプーの匂いがした。

 

「リリィ先生」

 

 その名をユウキは口にする。リリィは片手に持った出席簿で再びユウキの額を小突いた。

 

「ユウキ君。さぼりでのほほんと上級生の試合の観戦とは感心しないわね」

 

 その声にユウキはばつが悪そうに顔を背けた。

 

「別に、観ていたわけじゃないですよ」

 

「ふぅん、そう。どっちにしろ、後で職員室。分かっているわね」

 

 リリィは出席簿を片手につかつかとヒールの靴音を響かせながら去っていく。その後姿をしばらく見つめていると、人垣からわっと歓声が上がった。ユウキが見やると、勝負は既についていた。ライチュウをピクシーが下していた。いつの間に攻防が逆転していたのか、ライチュウは全身に砂粒による細かい傷を作っていた。恐らくはピクシーが地面タイプの技を使用したのだろう。一撃で沈んだということは、「ゆびをふる」からの「じしん」か、と当たりをつける。考えながら、ユウキは自身の思考に嫌気が差した。スクールに通うのを嫌がりながら、頭の片隅では必死にポケモン勝負を分析している。自分でも相反していると思える人格に、ユウキは息をついた。

 

「嫌だな、ポケモンバトルは。どうせ、ゲームみたいなものなんだから」

 

 ユウキは踵を返した。門へと向かおうとする身体に、先ほどのリリィの言葉が突き刺さる。職員室に呼ばれていたのだった。今すぐにでも家に帰りたい衝動を抑え、ユウキは校舎へと向かった。

 

 試合の後に浮き足立った人々が敗北した少年と勝利した少女に言葉を求めようと詰めかける。無駄なのに、とユウキは感じる。戦いの後に残るものなどない。虚しいだけだ。人はその虚しさを言葉で埋めようとするが、それこそ無粋というものである。

 

「何も言いたくない時だってあるんだよ。無神経だな」

 

 そう言い置いてユウキは校舎へと入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウキ君。君は、成績は特別悪いわけじゃない。むしろいいほうなの。でも、呼ばれている理由、分かるわよね」

 

 リリィは椅子に座って立っているユウキを見上げた。ユウキはリリィの教卓の傍で立ち尽くしている。言葉を発しないでいると、リリィはため息をついた。

 

 ユウキは職員室を見渡す。若い教員ばかりだった。それはトレーナーズスクールがポケモンジムも兼ねているからだ。ポケモンリーグに挑戦するための挑戦権であるジムバッジを手に入れるために、地方には八つのジムが設けられている。それぞれジムリーダーとジムトレーナーが挑戦者の行く手を阻み、その実力を試す。

 

 リリィはそのジムリーダーだ。コウエツシティは最後のジムだった。ゆえに、ここまで来たトレーナーは強豪揃いだ。若い力と戦うには若いジムトレーナーが求められる。リリィの下に集ったジムトレーナーは若いが、実力を伴った人材ばかりだった。だから、誰も馬鹿にはできない。現にトレーナーズスクールに詰めている教員はかつてポケモンリーグを目指した人間も多い。スクールに通っているトレーナー達は生きている教材から学ぶのだ。そうやってトレーナーを目指す人間も増えていく。

 

 ――悪循環だな。

 

 身の内に湧いたその言葉に、自身から嫌悪するようにユウキは顔をしかめた。それをどう受け取ったのか、リリィは頬杖をつく。

 

「出席日数が足りてない。どうしてスクールに来ないのか、教えてもらおうかしら」

 

「大した理由はありません」

 

 ここに来て初めて、ユウキは口を開いた。リリィは片手でボールペンを弄びながら、「大した理由、ってことは」と言った。

 

「小さな理由ならあるってことかな」

 

「小さな理由も、ないです。別に、ただ来る気が起きないだけで」

 

「そこが分からないのよね」

 

 リリィは背凭れに体重を預けて、仰け反った。リリィの胸元が強調されたブラウスが嫌でも目に入ったので、ユウキは直視しないように顔を背けた。

 

「ユウキ君。あなたには来ない理由はない。でも来たくないって事?」

 

 ユウキが頷くと、リリィは難しそうな顔をして、「うーん」と呻った。

 

「君みたいな生徒は正直、珍しいわ。実力がないわけじゃない。ポケモン勝負も、嫌いじゃないでしょう?」

 

「ポケモン勝負は嫌いです」

 

 そこだけは、はっきりと口にした。リリィはますます怪訝そうな顔になる。

 

「勝負が嫌い。だから来たくないって? でも、さっきのポケモン勝負を観るあなたの眼は真剣だったけど」

 

 図星をつかれた気がして、ユウキは一瞬言葉に詰まったが、すぐに口からは詭弁が漏れた。

 

「観るのとやるのとは違います。先生ならその辺は分かっていると思っていましたけれど」

 

 嫌味のような形になってしまった。リリィはボールペンのスイッチを押し込んで、手元の紙に何やら書き始めた。内申書かもしれない、とユウキは思った。

 

「確かに、戦う事は観るのと実際にやるのとでは大きく違うわね。でも、自分の勝負に真剣になれない人間が、他人の勝負に真剣になれるはずがないと思うけど」

 

「先生の理論でしょう。僕は違う」

 

「かもねぇ」とリリィは手元の紙の上に文字を走らせる。速くて小さい文字なので読み取ることは困難だったが、ユウキには、「ひねくれ者」と書かれたのが見えた。その通りだろう、と自分でも思う。だからといって、教師がそのような言葉を書くのはいささか感心しないな、と感じた。

 

「先生がまだジムリーダーだけをしていた頃はね」とリリィはボールペンを片手に喋り始めた。ユウキは黙って聞いていた。

 

「色んなトレーナーがそれこそ昼も夜も関係なしに来たわ。最後のジムだから、身を焼くような覚悟と執念が見て取れた。彼らが抱いているのは信念。ここまで来た自分と、パートナーであるポケモンを何より信じている。その信じる心と、あたしのジムリーダーとしての意地のぶつかり合い。それが連日でさ。疲れた時もあったけれど満ち足りていた」

 

「今は?」と思わず尋ねていた。リリィが目を向ける。その眼にはジムリーダーだけの仕事でよかった頃を懐かしんでいるというよりかは、羨望に近い光があった。ユウキへの羨望だ。何を期待しているのか、とユウキは訝しげな目を返す。リリィがため息をついた。

 

「今も、充実しているわ。ジムの仕事は夜だけになっちゃったけれど、生徒に教える事は楽しいし、あたしにとっても新しい発見がある」

 

 ジムとスクールの兼任は事実上不可能である。なので、ジムリーダーは昼と夜で生活をぴっちりと分けている人間が多い。街によっては夜にスクールを開設するところもあると言う。

 

「でも、先生は昔のほうが楽しかったように見える」

 

「そう見える?」と悪戯っぽい笑みと共に尋ね返された。ユウキはどう返していいのか分からなかった。リリィは教卓を押して、椅子を転がした。ローラーの音が静かな職員室に響く。リリィは頭の後ろに手をやりながら、どこか投げやりに言った。

 

「そう見えるんだとしたら、あたしは教師失格だな」

 

「僕なんかの言葉を真に受けなくてもいいですよ」

 

「そういうわけにはいかない。君も大事な生徒のうちだから」

 

 模範的な解答に思えたが、リリィは心の底からそう思っているのだろう。言葉には、嘘の香りはしなかった。ボールペンの先端でユウキを示し、

 

「ユウキ君はどうしてスクールに行かないんですか、って。お姉さんが心配していたよ」

 

「姉さんは関係ないでしょう」

 

「関係なくはないわね。あの子もあたしの教え子だから」

 

 ミヨコはスクール開設時の第一期生だった。その話を何度かミヨコから聞いた事がある。リリィはジムリーダーと教師の兼任をし始めてまだ一年足らずだったと言う。その頃の教え子からの相談ならば耳を傾けるのは当然と言えた。

 

「ミヨコさんは真面目だったわ。毎日熱心に通っていた」

 

「でも、姉さんはトレーナーにはならなかった」

 

「まぁね。教えは受け取る側の自由だから。あたし達は教えたいから教えている。トレーナーになる道を強制しているわけじゃない」

 

「だったら、僕が通わない事にだって正当性があるはずですよ」

 

「ならない道を選んでいるって? でも、君自身には才能があると思うけど」

 

「御免です。僕はポケモン勝負なんて、観るのもやるのも……」

 

 ユウキの言葉にリリィは分かったのか分かっていないのか、「ふぅん」と鼻息混じりに返した。また手元の紙に何やら書き込みながら、ユウキに声をかける。

 

「今日はこの辺にしておくわ。明日からちゃんと来るように。行ってよし」

 

 ユウキは、「失礼しました」と形だけの言葉を投げて、身を翻した。扉に差し掛かった時、ユウキは僅かにリリィのほうを見やり、言葉を発する。

 

「怒らないんですね、いつも」

 

 ユウキの言葉にリリィは文字を書く手を休ませずに、「うん?」と応じる。

 

「先生は、僕を怒ろうとしない」

 

「怒ったら来るの?」

 

 その質問に、ユウキは無言を返した。それが答えと言えた。リリィはボールペンを上げて、「じゃあね」と言った。人差し指と親指以外を開いて振る。ユウキは手を振り返さずにその場から立ち去った。

 



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第一章 三節「不可視網」

 スクールの門前でビラが撒かれていた。

 

 来た時にはいなかったので下校時を狙っていたのだろう。生徒達にビラを手渡す黒いジャケットを羽織った男の姿が目に入る。

 

 背中側に、水色の「R」をひっくり返した文字が刻まれていた。それを見て、ユウキは顔をしかめる。男がユウキに気づいて、社交的な笑みを振りまきながらビラを差し出した。ユウキはこういう場で断るのが苦手だった。何となしにビラを受け取る。歩きながら文字を追った。

 

「集え、若人。我々はリヴァイヴ団。カイヘン地方のかつての繁栄と秩序を取り戻そうではないか、ねぇ」

 

 ユウキはフッと笑みを浮かべた。ビラを丸めてポケットに詰める。リヴァイヴ団というのは近頃、カイヘン地方で力をつけ始めた地下組織だ。ロケット団を前身に持っているというが、真偽のほどは分からない。ただ、一つ言えるのは今のカイヘンではその活動自体が違法であるという事だ。

 

 振り返ると、男は規定の枚数をばら撒き終えたのか、すごすごと退散する途中だった。

 

 教師陣に見つかれば通報されるからであろう。

 

 通報する対象は警察ではない。ウィルと呼ばれる組織だ。

 

 八年前、カントーがカイヘンを統括する時に独立治安維持部隊の発足が決定した。最初のうちは名前などなかったが、宇宙で起こったテロ事件をきっかけにしてその組織はウィルと名乗り始めた。ウィルはカイヘンの実質的な支配者だった。八年前にカイヘンの実権を握っていた組織、ディルファンスとはまるで規模も志も異なる彼らはカイヘンの至るところに影響を及ぼしている。

 

『午後四時になりました。カイヘン地方統括、コウエツシティ支部よりお伝えいたします。労働者の方々は労働原則第二十条に則り……』

 

 スクールに備え付けてあるスピーカーからよく通る声が聞こえてくる。

 

 これがウィルの支配の一つだった。様々な法律を作り、カイヘンは雁字搦めにされた。それを悪だと断じる声は他地方からは上がらなかった。カイヘンの負い目を他地方も分かっているのだ。敗戦国が、勝った国に賠償金を払うのと何も変わるところはない。他の地方は実質的にカイヘンを見捨てていると言ってもいい。

 

 ユウキは左手に巻いたポケッチを見やった。ポケッチとはトレーナーが身につけることを前提に開発された支援用の端末である。時計機能の他に通信機能やポケモンのステータス確認機能などが充実しているがカイヘンのトレーナーがつけている最も重大な理由はポケモンの所持数の管理だった。これを付けている限り、いつでも見張られている感覚が纏いついてくる。ユウキは外そうかと思ったが、ポケッチはトレーナーである以上装着が義務化されており、保護者の許しがない限りは外す事などできない。

 

「これじゃ、監視社会だな」

 

 毒づいた言葉はユウキが常日頃から感じている事だった。ウィルに監視されている。トレーナーは飼い殺しにされ、その中で生きる事を余儀なくされている。この現状に疑問を差し挟む余地などない。与えられた世界がそれだけだったと割り切るしか道はないのだ。

 

「トレーナーになんてなりたくないのに……」

 

 呟いてユウキはポケッチの金具を掻いた。金具の部分の塗装だけが剥がれている。何度も抵抗した証だったが、その度に自身の無力さを痛感させられた。

 

 ユウキは歩きながら、そのまま帰るのも気が引けた。待っているのは鬼の形相をしている姉である。考えるだけで鳥肌が立ち、ユウキの足は自然と昼間までいた漁港へと向かっていた。スクールから一時間ほど歩けば漁港に着く。また釣り糸でも垂らそうかと、考えながらユウキはそちらへと続く道路へと歩み出す。

 

 コウエツシティでは車はほとんど見られず、たまにマッハ自転車が行き過ぎていくだけだ。自転車の最高速度などたかが知れているので、自動車ほど危険ではない。それでも偶に道幅ぎりぎりまで寄せた危険運転をしてくる自転車はいる。ユウキは嫌悪の眼差しを向けながらも、声を張り上げるような真似はしなかった。そんな事をしても疲れるだけだ。それにトレーナーだとしたらポケモン勝負を挑まれる可能性もある。目を合わせないように、ユウキは俯いて歩いた。

 

 漁港が近づいてくると、潮の匂いが鼻腔に届いた。波が打ち寄せる音が遠く響き渡る。ちょうど船が汽笛を鳴らしながら遠ざかっていくところだった。野太い汽笛の音が耳に残る。本土から渡ってくる人間もいるために、船は重要な交通手段だった。コウエツシティに始めて来る人間はポケモンを使った「なみのり」で渡ってくるか、船を使うしかない。

 

「そらをとぶ」で来られるのは一度行った事のある場所だけなので、コウエツシティにわざわざ来ようという人間は少ない。「そらをとぶ」が何故一度行った場所でないと使えないか、以前にリリィから授業の一環で聞いた事があった。

 

 ――ポケモンだって万能じゃないから、目的地の見えない空の旅は過度なストレスとなります。これはトレーナーに関しても同じ事が言え、体力的にも精神的にも「空を飛ぶ」で行ける距離には限りがあるのです。たとえ知識として知っていたとしても、ポケモンは主人を当ての分からぬ旅路に連れ出すような勇気はありません。これはモンスターボールによる弊害と言えます……。

 

 その続きを、ユウキは諳んじた。

 

「……モンスターボールに縛られたポケモンは野生の時のような冒険心は持っておらず、主人に尽くすのみとなります。野生の時に強かったポケモンが捕まえると弱くなるのは当然の理屈です。彼らはモンスターボールの支配に甘んじているのですから。その上、主人の事を第一に考えるように洗脳され、精神的な消耗は野生の時の比ではありません……、か」

 

 まるでカイヘンそのもののような話だ、とユウキは思った。カントーの支配を受け、いつの間にか反抗の牙も爪も失った哀れな獣。それがカイヘンの現状なのだろう。

 

 至った考えに、ユウキは我ながら笑えてきた。少し口元を緩めると、傍を行き過ぎた自転車の男が怪訝そうな目を向ける。皮肉を言うつもりはなかったのに、いつの間にかこの上ない皮肉になってしまった。この八年で変わってしまった事は自分の考え方も含めてなのだろう。幼い頃は自分の事だけを考えていればよかった。それが変わったのはいつからだっただろうか。思い出そうとして果たせなかった。

 

 昼間に使っていたポイントでは釣れない事が分かっていたが、ユウキは懲りずに同じポイントを目指した。ただの暇つぶしだ。実を求めているわけではない。クレーンが重機械特有の音を立てている。近づいてきたな、とぼんやり思っていると声が響き渡った。

 

「何だよ、足りねぇだろうが、オッサン!」

 

 荒々しい声にユウキは目を向ける。髪をオールバックにした若い男と他二人が中年の釣り人に絡んでいた。昼間に見かけた釣り人の一人だった。釣り人は首を横に振って呻く。

 

「……許してくれ。それだけしか出せないんだ」

 

 若い男の一人が釣り人を突き飛ばす。釣り人はその場に膝をついて土下座した。

 

「これ以上は、生活が……。折角、釣れたポケモンを売って得た金なんだ」

 

「その金は綺麗な金なのか? え?」

 

 男の声に釣り人は言葉を詰まらせたようだった。釣れたポケモンは基本的には個人の自由だが、売り買いする事は禁じられており、市場や個人間の取引すらカントーの税関の審査を受けなければならない。釣り人のやった行為は違法である。金が絡めば、カントーの目を誤魔化す事はできない。

 

「それなら俺らリヴァイヴ団の資金にしたほうが、まだ綺麗ってもんだろうが」

 

「リヴァイヴ団の金なら、カイヘン復興に回してやるよ、オッサン」

 

 髪の毛をまだらに染めたチンピラ風の男が舌を出して耳障りな笑い声を上げる。彼らがカイヘン復興に金を回すはずがなかった。自身の懐を潤すことくらいしか考えていないだろう。

 

「このオッサン、どうするよ?」

 

 短髪を逆立たせた男が靴先で釣り人を蹴る。まるで汚らわしいものにでも触れるかのようだった。オールバックの男が、「めんどくせぇ」と呟く。

 

「ウィルに売り払うか。そこでまた金にしようぜ」

 

 その言葉に釣り人が顔を上げた。オールバックの男の足にすがりつき、懇願の声を上げる。

 

「それだけはやめてくれ! この街にいられなくなってしまう!」

 

「うぜぇぞ、オッサン!」

 

 短髪の男が両手をポケットに入れたまま、釣り人の腹を蹴り上げる。釣り人は地面を転がった。何度か咳き込んで、苦悶に顔を歪めている。まだら髪の男が通信端末を取り出した。折りたたみ式の通信端末のプッシュボタンを押している。釣り人はウィルに通報されると思ったのか、腹を押さえながら這い進んだ。

 

「……た、頼む。ウィルだけは。家族がいるんだ、だから……」

 

「くどいな。お前の事情なんてどうでもいいんだよ。俺らは正義を執行しているだけだ」

 

「そうだ。あくどい金で腐りきった大人がよ。調子こいてんじゃねぇぞ!」

 

 短髪が釣り人の顎を掴んで無理やり立たせる。その眼にユウキが映った。こちらに気づいた釣り人は手を伸ばした。静観しようと思っていたユウキは舌打ちを漏らす。

 

「ゆ、ユウキ。助けてくれ!」

 

 喚く声に、男達がユウキへと視線を向ける。ユウキはその場から立ち去ろうとしたが、オールバックが呼び止めた。

 

「待ちな、ガキ。お前、見てたな」

 

「何も。僕は通りすがっただけです」

 

 その言葉に釣り人は目を慄かせて、「ユウキ!」と名を呼んだ。ユウキは顔を逸らして表情を曇らせた。睨みを飛ばそうかと思ったが、男達が勘違いしては面倒だと思ったのである。しかし、男達はユウキへと歩み寄ってきた。

 

 まずいな、と他人事のように考える。短髪は釣り人を掴んでいた手を離し、まだら髪は端末を閉じてユウキへとオールバックを先頭に近づいてくる。どうやら攻撃対象は完全にユウキに移ったようだった。釣り人が荒い息をついてその場に蹲る。

 

「ガキ。このオッサンの知り合いか?」

 

「いや。そんな仲じゃない。少なくともあなた方が思っているよりかは」

 

「それにしちゃ、親しく見えたがなぁ」

 

 短髪がユウキの顔を覗き込んでくる。ユウキは短髪の口から漂うヤニ臭い息に顔をしかめた。

 

「勘違いですよ。因縁はよしてください」

 

「どっちしにろ、ここまで来ておいそれと帰すわけねぇだろ」

 

 まだら髪はユウキの退路を塞ぐように背後に立った。それだけで気分が悪くなりそうだった。オールバックが懐から小さな箱を取り出す。シガレットケースだった。煙草を一本、取り出すと短髪が歩み寄って火を貸した。どうやらオールバックがリーダー格らしい。オールバックは紫煙を漂わせる煙草を片手に、ユウキへとずいと顔を近づけた。ユウキは後ずさろうとしたが、後ろのまだら髪が歩み寄って邪魔をした。

 

「ガキ。悪い事は言わねぇから、金だけ置いてけ。そうすりゃ、ここで起きた事、見た事、全てチャラにしてやれる」

 

 どこからの物言いなのだろうか、とユウキは考える。まるで全知全能の神のような言い草だ。

 

「……違うな。神様なら、もっと上品な言葉遣いをする」

 

 呟いたその声は小さかったが、オールバックには聞こえたようだった。額に青筋が走り、「あぁ?」と凄みを利かせた声を上げる。

 

「何だって。二人にも聞こえるように言えよ」

 

 ユウキはため息をついた。ここまで来れば、後に引ける気がしない。顔を上げ、馬鹿みたいに口を広げて言葉を発する。

 

「神様なら、もっと上品な言葉遣いをする、って言ったんですよ。お三方」

 

「ガキィ!」と短髪がユウキの胸倉を掴む。ユウキは反射的にベルトに手をやっていた。その行動にしまったと思う前に、ホルスターからモンスターボールを取り出す。中心の緊急射出ボタンに指がかかっていた。

 

「ん? お前、トレーナーか?」

 

 オールバックが気づいて煙草を吸いながら、モンスターボールを掴むユウキの手を見やった。ユウキは、「ええ、まぁ」と社交的な笑みを浮かべた。汽笛の音とクレーンの重低音が漁港を包み込む。

 

「ポケモン、出してみろよ。ただし、そんなことをしたらお前の綺麗な顔は滅茶苦茶になるぜ」

 

 短髪が顎をしゃくってユウキを挑発する。しかし、ユウキは応じなかった。その態度に苛立ったのか、短髪が、「何とか言えよ、コラァ!」と声を張り上げる。ユウキは耳元で響いた雑音に眉をひそめた。

 

「お三方。気づいておられないんですか?」

 

 ユウキがモンスターボールをホルスターに戻す。その行動を怪訝そうに三人の男は見ていた。ただボールを出しただけで、何も行動しなかったように見えただろう。

 

「やっていますよ。既に」

 

 その言葉が響き終える前に、短髪の頭が傾いだ。空気が弾け、破裂する音が響き渡る。短髪の手から力が抜け、その場に転がった。オールバックが驚愕の表情で固まったまま、仲間を見やる。短髪は白目を剥いていた。

 

「お前、何を!」

 

 まだら髪が背後から怒鳴りつける。ユウキはちらりと目を向けた。首を少しだけ傾ける。すると、まだら髪の身体が、まるで何かに衝突したかのように吹き飛んだ。まだら髪が地面を転がる。肩口に、水色の「R」を引っくり返した文字が刻まれている。リヴァイヴ団だと名乗ったのは嘘ではないようだ、とユウキは思った。

 

 オールバックが手から煙草を取り落とす。一瞬にして仲間が二人やられたことに理解が追いついていないのだろう。オールバックは僅かに後ずさった。周囲を見やる。何が起こったのかを必死に理解しようとしているのだろう。その眼には何も映っていないはずだった。それを証明するかのように、オールバックは口をパクパクとさせて何かを言おうとしている。言葉が喉で詰まっているのだろう。

 

「何ですか?」

 

 ユウキが一歩、歩み寄る。オールバックは目を見開いたまま、俄かに下がった。

 

「……何だ。何をした?」

 

「何も」

 

 短く答えて、ユウキは身を翻す。その背中へとオールバックが、「待て!」と言葉を投げる。振り向くと、オールバックは懐から折りたたみ式のナイフを取り出していた。

 

「何のトリックだ? お前、何をしやがった!」

 

「だから、何も、と言っているでしょう」

 

 ユウキは両手を上げる。オールバックは興奮した様子で、「嘘をつけ!」と喚いた。ナイフを振って、仲間達を示す。

 

「お前以外に誰がやるって言うんだ! 妙な術使いやがって!」

 

「術?」

 

 その言葉にユウキは思わず吹き出してしまった。なんて時代錯誤な言葉なのだろう。

 

「僕がやっている事が一目見て分からないんなら、言及するのはおすすめできません」

 

「なめやがって。殺す!」

 

 オールバックが激昂した様子で踏み込んでくる。一歩、近づくのを見て、ユウキは目を細めて忠告した。

 

「やめたほうがいい。あなたのナイフが僕の腹に突き刺さるより先に、あなたは自分自身を傷つける事になる」

 

「下らねぇ。今更、脅しが通じるかよ!」

 

 オールバックがナイフを振り翳し、ユウキへと狙いを定めるように切っ先を向ける。ユウキはそれに対応するかのように指を一本立てた。オールバックが胡乱そうな目を向ける。立てた指をオールバックに向けた。その行動にオールバックは腹を立てたのか、手元に構えたナイフで身体ごとユウキへとぶつかろうと駆け出す。雄叫びが喉から迸った。瞬間、ユウキは指を左に向けた。

 

 その行動とナイフの切っ先が引っくり返ったのは同時だった。オールバックのナイフを持った手が何かの力で捻じ曲げられたかのように内側に向く。オールバックがそれに気づいた時には、左肩にナイフが突き刺さっていた。力を入れすぎたのか、深々とナイフが突き立ち、オールバックが痙攣するように硬直し、身体を折り曲げる。痛みに呻き、血の浮き始めたシャツを撫でる。滴った血が左手から地面に落ちる。オールバックは荒い息をつきながらユウキを見据えつつ、後ずさった。

 

 近づけば危険だと判断したのは賢明だが、今更だな、とユウキは思った。

 

「お前……、リヴァイヴ団に楯突いて、どうなるか分かってんのか……」

 

 息も絶え絶えに発せられた声に、ユウキは「さぁ?」と肩を竦めた。

 

「少なくともあなたは僕に迂闊に近づけばどうなるのか、分かったはずですが」

 

 オールバックは舌打ちをして、身を翻した。まだら髪から端末を奪い取り、身体を引きずるようにして離れていく。充分に離れてから、ユウキは倒れている短髪に歩み寄った。肩にある「R」の文字に触れる。すると、簡単に剥がれた。

 

「……ステッカー、か」

 

 だとすれば本当にリヴァイヴ団なのか怪しいものだった。ウィルに通報しようとした辺り、リヴァイヴ団を騙った金銭目的の集団という線が濃厚に思えた。

 

「のびちまったのかい?」

 

 釣り人が不安そうにユウキへと尋ねる。ユウキは頷いた。

 

「少なくともここの二人は」

 

「あっちの、オールバックの奴は」

 

「大丈夫でしょう。こういう奴らは自分達の面子を必要以上に気にするものですし。大した事はないですよ」

 

「そ、そうかい」

 

 釣り人は一呼吸つくと、短髪へと歩み寄った。何をするのかと思えば、懐から財布を抜き出し、取られた金を取り返していた。ユウキは顔を背けた。

 

 卑しい行為だ、と心中では吐き捨てつつもそれを悪だと断じる事はできない。カイヘンの人間は皆、心が捻じ曲がってしまっているのだ。気絶している人間から金を奪うくらい平気でやる。カントーの支配に甘んじるのに慣れて負け犬根性が骨の髄まで染み付いている。そのような地方で生きている自分にも嫌気が差した。

 

 ユウキがホルスターからボールを抜き出し、中空を薙いだ。赤い粒子が流れ、ボールへと吸い込まれる。金を取り終えた釣り人が、「すごいな」と感心した声を上げた。

 

「ユウキのポケモンは何なんだ? 私には全く何が起こっているのか分からなかったよ」

 

「大した事はしていません」

 

「そうか。しかしそれだけポケモンを操る事に長けていれば、ミヨコちゃんがスクールに通わせたがるのも分かるな」

 

 釣り人の言葉にユウキは舌打ちを返した。帽子を目深に被り、顔を伏せる。

 

「……だから、ポケモンを出すのは嫌なんだ」

 

 呟いた声は釣り人には聞こえなかったようだ。「何だって?」と聞き返されて、「何でも」とユウキは笑みを浮かべた。釣り人も笑みを返したが、その笑顔がどこか卑屈に見えたのは気のせいではなかったのだろう。

 



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第一章 四節「正しさの行方」

 コウエツシティの西に団地がある。

 

 同じような四角い集合住宅が並んでおり、その中の一軒がユウキの家だった。斜陽が青い屋根を撫で、反射した光が道路に深い陰影を刻む。東の空は暗くなり始めている。

 

「そろそろだな」

 

 ユウキは呟いた。ポケッチを確認すると、五時を回ったところである。スクールからの帰りと考えれば順当な時間帯だ。先ほどのトラブルのせいで時間つぶしはできなかったものの、帰宅時間としては悪くなかった。リリィからの呼び出しがなかったと説明すればどうとでもなるだろう。ユウキは玄関から、「ただいま」と声を上げる。すると奥から「おかえり」と声が返ってきた。低い男の声である。ミヨコの声ではないが、ユウキにとっては耳慣れた声だった。廊下を駆け回っている小さな影を見つけて、ユウキは声をかけた。

 

「ラッタ」

 

 その声に一抱えほどある小型の影が立ち止まり、出っ張った歯と鼻先をユウキに向けた。匂いを嗅ぐように鼻を動かしている。主人の匂いが分かるのかもしれなかった。ラッタは薄茶色の体毛に身を包んだ、小型のねずみポケモンだ。進化前のコラッタに比べれば大きくなったものの、その大きさはポケモン界では小型の部類に入る。

 

 ラッタはユウキの姿をようやく認めたようだった。視力があまりよくないのだ。視覚よりも嗅覚に頼っている部分が大きいのだろう。鼻が張り出しており、両目が横についている。六本の髭を揺らして、ラッタはユウキの腕の中に飛び込んできた。ユウキはラッタの頭を撫でる。ラッタは気持ちよさそうに目を閉じた。

 

 ラッタを抱えて奥のリビングに行くと、キッチンに男が立っていた。青いシャツを着込んでおり、年の頃は先ほどの釣り人と同じくらいだろう。中年だったが、長身で若々しく見える。前髪を七三に分けている。それが男の空気を余計に真面目めいて見せていた。

 

「ただいま、おじさん」

 

 ユウキの声に、男は笑顔で頷いた。人懐っこい笑みだった。男は鍋の中のカレーを煮込みながら、「ミヨコ君は」と話し始める。ユウキはテーブルにある三つの椅子のうち一つに座って、テレビを点けた。ラッタはユウキの座った椅子の下で大人しくしている。ニュース番組がやっていた。

 

「ちょうど買い出しに行っていてね。私が今日の料理番というわけだ」

 

「おじさん、昨日もだったじゃないか。無理をしなくても」

 

「無理じゃないさ。君達のご両親の縁で住まわせてもらっているんだ。これくらいはしないとね」

 

 男の言葉にユウキは笑みを返した。

 

 男の名前はサカガミといった。ユウキはおじさんと呼んで慕っているが、元々両親と縁のある人間であり、ユウキやミヨコとは血が繋がっていない。しかし、ユウキもミヨコも家族同然だと思っていた。サカガミは働き者で、家の雑事は気づいたら全てやってくれている。それだと申し訳ないのでミヨコもユウキも頑張るのだが、サカガミの家事のスキルには到底及ばない。

 

 ニュースでは来月末に控えた議員選挙についての報道が行われていた。地方議員の街頭インタビューが流れる。

 

『ヘキサ事件の傷をようやく癒し始めたカイヘン地方と平和を願うカントー地方の潤滑油になりたいと考えております。そのために、ウィルの特殊権限を強化し、現地兵を増やす事こそが真の平和に繋がる事だと……』

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 思わずユウキは吐き捨てていた。これ以上カントーの奴隷になる事に何のメリットがあるというのだろう。サカガミは黙って鍋に視線を落としていた。サカガミにとってこのニュースは他人事ではない。その事を感じ取って、ユウキは別の番組に変えた。

 

「何もやってないね、テレビ」

 

 チャンネルを回しながら呟く。

 

「この時間帯だからなぁ。ドラマの再放送ぐらいじゃないか?」

 

 ドラマの再放送を流しているチャンネルに定める。男女の恋愛模様を流している。十年ほど前のドラマで、今からしてみれば時代錯誤としか言いようのない内容だった。これくらい現実感のないほうが純粋に楽しめる。

 

 先ほどの議員の言葉を思い返し、ユウキは苦々しい気分を味わった。「ヘキサ事件」に関してはタッチしない事がカイヘンの住民の中では浸透している認識だ。誰もがあの日の悪夢の出来事を思い返したくはない。ユウキもあの日の事は思い出したくなかった。

 

 首都、タリハシティが持ち上がり浮遊要塞としてカントーに向かう地獄絵図のような光景。フワライドの群れが覆い、当時のチャンピオンが使役したレックウザがフワライドを引き裂いていく。誘爆の光が広がり、空が血色に染められる。

 

 その中にはユウキの両親もいた、という。

 

 後から聞いた話なので確証は持てない。もしかしたらフワライドには乗っていなかったのかもしれなかったが、あの事件で市民はフワライドに乗せられ人間爆弾として、半数以上が亡くなったのは拭いようもない事実だった。そして、ユウキの両親が帰ってこなかったのもまた拭いようのない事実としてユウキに重く圧し掛かった。その頃からだ。ポケモンで争う事が下劣だと思えるようになったのは。人間はポケモンを道具としか思っていない。ポケモンも人間にそのような扱いを受けるだけだ。モンスターボールの支配を甘んじて受けている。

 

 ラッタはモンスターボールに入れていない。ほとんど野生に近い状態だった。それでもかつてユウキと共に戦った日々の事を覚えているらしく、野生に帰ろうとはしなかった。放し飼いでもラッタは粗相をする事もない。小さい頃から共にいるからユウキには分かる。ラッタも家族同然だと。ポケモンと人間は分かり合えるのだ。それでもモンスターボールの縛りが必要なところにユウキは歪さを感じずにはいられなかった。

 

「ユウキ君。ここ」

 

 サカガミが額を示す。どうやら知らぬ間に険しい顔になっていたようだ。ユウキは、「ゴメン。考え事してて」と返す。

 

「スクールで何かあったのかい?」

 

「いや、スクールでは何も」

 

 リリィの事が脳裏を過ぎったが、言わないほうが正解に思えた。サカガミは、「隠さなくてもいいよ」と言った。

 

「ミヨコ君には告げ口はしない」

 

「おじさんの事は信用しているよ。本当に」

 

「だったら、話してくれてもいいんじゃ」

 

「でも、ゴメン。何か、話す気にはなれなくて」

 

 その言葉にサカガミは残念そうに顔を曇らせた。家族にそんな顔はさせたくなかったが、余計な心配もさせたくなかった。ラッタが不安そうな声を喉から漏らして覗き込んでくる。家族三人分の沈黙が降り立った時、「ただいまー」と玄関先で声が響いた。ミヨコの声だった。がさがさと音がする。買い物袋をたくさんぶら提げてきたのだろう。ユウキは少し救われた気持ちで玄関に迎えに行った。

 

「何? もう帰ってたの、あんた」

 

 ミヨコの棘を含んだ言葉にユウキは出迎えるのではなかったと少し後悔に苛まれたが、沈黙を抱え込むよりかはマシに思えた。

 

「ああ、ちょっと早く終わって」

 

「リリィ先生がよく帰してくれたわね」

 

 買い物袋を受け取りながらユウキは応じる。

 

「先生もジムの仕事があるから」

 

「夕方からだっけ。リリィ先生も大変よね」

 

 ミヨコはあらかたの荷物をユウキに任せて、ふぅと息をついた。額の汗を袖で拭っている。ユウキが荷物を受け取って、ゆっくりとした足取りでリビングに向かった。リビングではラッタとサカガミが出迎えた。

 

「おかえり、ミヨコ君」

 

 ラッタも一家の主の帰りに嬉しそうな鳴き声を上げる。ラッタが跳ね回ると、ミヨコは笑顔になった。

 

「なに、ラッタ。待っていてくれたの?」

 

 ラッタも先ほどの沈黙の重々しさを感じていたのだろう。ミヨコの帰りに救われたのは自分ばかりではない。ユウキはリビングの端に荷物を置いた。ミヨコが顎で指図する。

 

「ユウキ。生ものとか冷蔵庫に入れといて」

 

「はいはい。了解」

 

「はいは一回でいいって」

 

 面倒そうに応じた声に、ミヨコは返しながらキッチンへと歩み寄った。サカガミが調理している鍋を見やり、「カレーかぁ」と言った。

 

「昨日も作ってもらったのに、なんだか悪いような気がするわね」

 

「いいよ、ミヨコ君も忙しいし。ユウキ君はスクールがあるからね」

 

 嫌な話題を出された、とユウキが感じて身を強張らせた時には、ミヨコは、「そういえばユウキ」と声を発していた。既にユウキをその場から逃がす気はないらしい声音だった。

 

「行ったの? あの後」

 

 ユウキがぎくしゃくと振り返るとミヨコが腰に手を当てて仁王立ちでユウキの返答を待っていた。誤魔化しの言葉を自分の中に探そうとするが、うまい言い訳が見つからず正直に答える。

 

「行ったけど、別に」

 

「別にって何よ」

 

「何もなかったって事」

 

「リリィ先生が? まさか、そんな事ないでしょう」

 

 ミヨコの口ぶりからリリィが家に連絡した事はなさそうだったが、内容を詳細に言うのも憚られてユウキは話をぼかす事にした。

 

「本当だって。ちょっと注意受けただけ。大した事じゃないよ」

 

「本当かしら」

 

 ミヨコは疑っているようであるが、それ以上は追及してこようとはしなかった。わざわざリリィに電話をして確かめて不安の種を増やす事はないと考えたのだろう。ミヨコはキッチンに立った。水色のエプロンをして、サカガミの横に行く。

 

「おじさん。あたしも手伝います」

 

「いや、大丈夫だよ。ほとんどできているし」

 

「じゃあ、お惣菜を出しておきますから、おじさんはもう休んでいて。あまりおじさんにばかりやってもらうのも気が引けるし」

 

「そうかい? でも、私もこれくらいしかする事はないしなぁ……」

 

「洗濯物は」

 

「さっき畳んでおいたよ。乾いてない分は出しておいたし」

 

「じゃあ、掃除を」

 

「昼間にユウキ君を呼びに行っている間に済ませておいたけど」

 

 ミヨコは閉口して、考え込むように額に手をやった。サカガミは放っておくと全部こなしてしまう。ユウキはどこか微笑ましくその様子を見ていた。その時、玄関でチャイムが鳴った。

 

「はーい」とミヨコがぱたぱたとスリッパの音を立てながら駆けていく。ユウキが冷蔵庫に食材を入れていると、硬い声が聞こえてきた。

 

「……また、あなた達ですか」

 

 その声音にユウキは誰が来たのか直感的に分かった。冷蔵庫を閉めて、リビングから玄関を窺う。来ていたのは若い男の二人組だった。二人とも同じ服に袖を通している。緑色の制服だった。肩口に縁取りで「WILL」の文字が見える。ウィルの構成員だ。彼らの顔にユウキは見覚えがあった。

 

「今日こそ、サカガミ氏の身柄を引き渡してもらいに来たのですが」

 

 前に立った眼鏡の構成員が口を開く。ミヨコは腕を組んで首を横に振った。

 

「前にも申しました通り、おじさんを引き渡す事なんてとてもできません。それに彼はもう関係ないでしょう」

 

「関係ないわけではない。治安維持のために、悪性の芽は早めに摘み取っておかなければ」

 

「だったらなおさらです。おじさんは、もうそんな世界からは足を洗ったんですから」

 

「しかしですねぇ、ミヨコさん」

 

 眼鏡の構成員は懐から革製の手帳を取り出した。それをミヨコの目の前で広げる。上に顔写真があり、下には名前があった。イシカワ、というのが名前らしかった。名前のすぐ下に「WILL」の文字と、細かい文字の羅列が並んでいた。一度だけ、ユウキも見た事がある。確かカントーから治安に関する全権を任されているとか言う内容が書かれているはずだった。

 

「我々も仕事なんですよ。ご協力願いたい」

 

「だからといって家族を差し出すなんて真似はできかねます」

 

「元ロケット団員が家族ですか」

 

 眼鏡の構成員の後ろにいた男が嘲るような声を発する。ミヨコが睨んだのが気配で伝わった。イシカワが、「おい」と低く押し殺した声を出す。後ろの構成員は咳を一つして黙った。

 

「失礼。どうにもうちの中でもこういう手合いがいましてね。お許しいただきたい」

 

「いえ」とミヨコは軽く返すが、心中穏やかでないのは確実だった。

 

「ただ、これが一般の認識です。この集合団地で、肩身の狭い思いをするのは嫌でしょう。一度だけでいいんです。何分、任意なものですから」

 

 その言葉にサカガミが玄関へと向かおうとした。ユウキは慌ててサカガミの前に立ち塞がった。

 

「ユウキ君。たった一回でいいんなら、私は……」

 

「駄目だよ。一回で済むはずがないじゃないか」

 

 きっと拘留されるだろう。そうなればもう二度とサカガミとは会えなくなる。それがユウキには辛かった。ミヨコも同じ気持ちなのだろう。眼鏡の構成員の条件を断固とした口調で拒んだ。

 

「お断りします。もうあたし達に構わないでください」

 

「そうですか。今日はこれ以上説得しても無駄なようですし、引き上げましょう」

 

 構成員二人は頭を下げて、玄関から出て行った。その背中が見えなくなってから、ミヨコは扉を閉める。サカガミは玄関から歩いてくるミヨコの前で立ち尽くしていた。表情を翳らせて、サカガミは呟く。

 

「すまない。ミヨコ君。私のせいで、君達に迷惑をかけている」

 

「気にしないで、おじさん。あたし達は大丈夫ですから。ウィルがしつこいのが悪いんですよ」

 

「そうだよ、おじさんは悪くない」

 

 ユウキとミヨコの言葉にサカガミは少しだけ笑顔を返したが弱々しいものだった。

 

「部屋に戻るよ。カレーはできているから、二人で食べてくれ」

 

「おじさんは……」

 

「私は、後でいいよ。片付けはするから心配しないでくれ」

 

 サカガミは二階の部屋へと歩いていった。二人ともその背中を止める言葉を持たなかった。足音が遠ざかってから、ユウキは壁を殴りつける。

 

「ウィルの連中は、どうしてこんな……!」

 

「ユウキ。やめなさい」

 

 ミヨコは冷たい口調でそう言って、皿を並べ始めた。惣菜を取り分けつつ、「気持ちは分かるけど」と口を開いた。

 

「あたし達が喚いて、どうにかなる話じゃないわ」

 

「でも、おじさんはもう、そんな道からは足を洗ったのに……」

 

 ユウキは呻くように言葉を発した。ウィルの言っていた事を思い返す。それだけで灼熱の怒りが脳を焼き焦がしそうだった。家族を侮辱されたのだ。怒らないはずがない。

 

「それでも、ウィルみたいなところは分かってくれないものよ」

 

 ミヨコは淡々と告げながら惣菜を取り分け、テーブルに置いた。サカガミの椅子の前にも、もちろん皿を置く。

 

「元ロケット団ってだけじゃないか。もう八年も前の話だよ。それを蒸し返して」

 

「ユウキ。いいから。食べましょう」

 

 ユウキは下唇を噛んだ。何か言いたかったが、ミヨコに言ったところで何の解決にもならない。ユウキは椅子に座った。ミヨコはカレー皿にカレーとご飯を盛り付ける。福神漬けをアクセントに付けて、ユウキの前に置いた。

 

「……食欲、ないよ」

 

「でも、食べましょう。それが多分、一番だから」

 

 ミヨコが手を合わせる。ユウキも「いただきます」と手を合わせた。食べれば忘れられるような問題ではない。それでもいつも通りに接する事が一番なのだろう。ユウキはカレーを食べた。ほとんど味は感じなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が食事を済ませてから、サカガミは入れ替わりに下に降りたようだった。足音が遠ざかるのを聞きながら、ユウキは自室のベッドに寝そべって考える。

 

 元ロケット団というのは、それほどまでに蔑視されなければならないのだろうか。

 

 もちろん、ユウキとてロケット団の蛮行を知らないわけではない。スクールでも習ったし、話には聞いていた。だが、目の前にいるサカガミはそれら全ての話から関係のないように思えた。優しい風貌は、世界の敵だったという事実からは遊離している。それでもその事実が拭い去れるわけではない。

 

 サカガミはもうロケット団だった頃の制服も焼いた上に、ポケモンも逃がしている。それでも記録だけがサカガミを苦しめているのだ。記録は残る。記憶はなくとも、記録がある限り、人は価値基準を置きたがるものだ。記録に記された価値が低ければ、そうとしか見えなくなる。ウィルはサカガミを犯罪者にまつりあげて、どうしたいのだろう。今更、ロケット団員を晒し者にしたいのだろうか。今の敵はリヴァイヴ団や、利権を貪る議員達ではないのか。

 

 ユウキは部屋のテレビを点けた。ちょうどウィルの活動をPRするコマーシャルが流れていた。

 

『カイヘン地方をカントー地方と共に歩ませよう。悪を正し、正義を世に示す組織、ウィルの活動にご協力ください』

 

「ウィルに、正義なんてない」

 

 思わずユウキは呟いていた。ウィルは過去に傷のある人間を生贄に欲しているだけだ。傷を癒そうという間際に、その傷口に塩を塗り込む。それがウィルのやり口だった。

 

 カイヘンだって傷だらけなのだ。その地方を無理やり立ち上がらせ、まだ非難の矢面に立ち続けさせる事に正統性などない。住民達は気づいていながらも黙認している。カントーの支配に甘んじて、自分達の思考を停止させている。支配力を強めるウィルとカントー以上に、無関心を装うカイヘンの住民にユウキは腹が立った。

 

「ロケット団だからって、何なんだよ」

 

 ユウキはテレビを点けたまま、寝転がった。白い天井が視界に入る。帽子は勉強机の上に置いてあった。オレンジのジャケットも脱いでクローゼットに仕舞ってある。今のユウキはラフな格好だった。

 

 片手を額に翳して、ユウキは息をつく。脳裏に次々と浮かんでは消えていく。

 

 汚い金で生活をやりくりする釣り人の姿、その金を搾取するリヴァイヴ団、真面目に働こうとするサカガミの姿、サカガミの過去を咎めるウィル。

 

 どれが正しい在り方なのだろう。答えは出ずに、ユウキはベッドの上で身体を折り曲げた。

 

「何が正しいのかなんて、誰に決められるんだろう」

 

 発した言葉は誰にも聞き取られる事なく、無機質な壁に吸い込まれた。



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第一章 五節「ランポが来る!」

 窓から差し込む陽光と鳥ポケモンの声に、ユウキは目を開けた。

 

 どうやらあの後、眠りに落ちたらしい。夢も見なかったという事は深い眠りだったのだろう。ユウキは服を着替えて、顔を洗いに洗面所まで向かった。途中、サカガミとすれ違った。「おじさん。おはよ」と挨拶をすると、「ああ、おはよう」とサカガミは弱々しく返した。まだ昨日の事を気にしているようだ。顔を洗ってリビングに向かうと、ちょうど朝食を取っていたミヨコが顔を上げる。

 

「あら、ユウキ。早いのね」

 

「昨日はどうして風呂に呼んでくれなかったのさ」

 

「呼んだわよ。でも、起きて来なかったから」

 

「まぁ、いいけど」と椅子を引きながらユウキが応じる。朝食は目玉焼きとトーストだった。トーストを頬張っていると、ミヨコが念を押すように言った。

 

「今日はスクールにちゃんと行きなさいよ」

 

「ああ、分かってるよ」

 

 一瞬、また釣りにでも行こうかと思ったが昨日の釣り人と出くわす可能性がある事に気づいて、ユウキは頷いた。できれば一週間はあの顔を見たくなかった。見る度に、金を取った後の卑屈な笑みを思い出してしまう。それならばスクールに通ったほうがマシというものだ。

 

 朝食を終えて、ユウキは身支度をするために二階に上がった。オレンジのジャケットを羽織り、帽子を被る。

 

 ベルトのホルスターにモンスターボールを収めるべきか悩んだが、スクールに通う建前上、持っておくべきだと判断した。バッグを背負って下に降りると、ちょうどラッタが出迎えた。ユウキはラッタの頭を撫でて、「行ってきます」と言った。ラッタは細い尻尾を振ってユウキを見送った。

 

「ユウキ。お弁当は?」

 

「持ったって。じゃあ、行ってくるから」

 

「気をつけてね」

 

 リビングからミヨコの声が聞こえる。ユウキはサカガミにも言っておくべきだと思ったが、寸前で躊躇われた。ユウキの家からスクールまでは歩けば半時間ほどだ。できるだけゆっくり行こうとユウキは空を振り仰ぎながら歩いた。眩しい太陽が軒を連ねる家々の屋根に反射し、鋭い光を煌かせる。青く広大な空は夏本番を予感させた。

 

 遠くに積乱雲が見えるが、今日中にコウエツシティまで来る事はないだろう。

 

 自転車がユウキを追い越していく。スクールには基本的にダート自転車で通うのが規則だ。マッハ自転車は速過ぎて事故を起こす可能性があり、本土のサイクリングロードぐらいでしか使われなかった。そもそも自転車にこのような分類を付加したのはホウエンである。ホウエンの文化がカントーを経て、カイヘンに流れ着いているのだ。コウエツシティは「カイヘンの玄関」と呼ばれているだけに文化の出入りがより顕著なのだろう。もっとも、「玄関」としての役割はほとんど廃れていると言えなくもない。今のコウエツシティは、「玄関」と言っても開けっ放しだ。開閉の権限はカイヘンにはない。

 

 スクールが視界に入る。またリリィに叱られに来ているようなものだな、とそこに至って感じた。やはり漁港に行こうか。会うとも限らないし、釣りをして日がな一日過ごしているほうが自分には性にあっている。ユウキは人波に逆らって身を翻そうとした。

 

 その時である。

 

「おい、そこの」

 

 声がかけられた。最初は自分の事だと思わなかったのだが、次の言葉で自分だと確信した。

 

「オレンジの帽子の奴」

 

 ユウキは周囲を見渡す。オレンジの帽子は自分しかいない。

 

 振り返ると、白いジャケットを羽織った男が立っていた。一瞬、それが男に見えなかったのは髪型のせいだ。長い茶髪を背中で括っている。しかし顔立ちははっきりとしていて男だと分かった。背も高い。ユウキを見つめる瞳は鳶色だった。

 

「そうお前だ、お前」

 

 男はポケットに両手を突っ込んだままユウキへと歩み寄る。ユウキは一歩後ずさった。男は腰のホルスターにモンスターボールを収めていた。ポケモントレーナーなのだろうか。スクールの生徒にしては年齢が高そうだとユウキは思った。

 

「お前、俺の事を観察しているな」

 

 不意に男がそう言ったので、ユウキは心を読まれたのかと思った。男は落ち着いた様子で、「難しい事じゃないさ」と言った。

 

「お前の眼が鋭いからな。さっきから俺が何なのかって顔だし」

 

 それはその通りだった。男は何なのか。どうして自分に声をかけたのだろう。周囲をスクールの生徒達が流れるように歩く中、男だけがその流れに逆らうようにユウキへと近づいてくる。

 

「お前は考えている。必死に頭を巡らせているんだ。俺が何者なのか。どうして自分に声をかけるのかってな」

 

 男の姿だけが周囲の景色から浮き上がったように見える。男は片手をポケットから出した。ホルスターに伸びるかに思われた手は、地面を指差した。

 

「もし、ここで揉め事が起こったら、誰が解決するんだ?」

 

 唐突な質問に、ユウキは言葉を詰まらせた。何を言っているのだろうか。冗談を言っているにしては、男の眼は真剣だった。

 

「多分、スクールの先生じゃないですかね」

 

 ユウキの言葉に、男は「ふむ」と一呼吸置くように頷いた。

 

「スクールの先生ってのは、どうなんだ。強いのか?」

 

「そりゃ、ジムリーダーもやっていますし、ジムトレーナーもいますから、強いんじゃないんですかね」

 

 ユウキの答えに、男はまたしても「ふむ」と頷いた。一体何なのだろうか。堪りかねて、ユウキは質問した。

 

「あなたは、誰です?」

 

「俺の名前か? 俺の名はランポ。そういうお前はユウキだな」

 

「どうして、僕の名前を」

 

 ユウキは一歩後ずさった。ランポと名乗った男は口元を緩める。

 

「お前は目立つからな。オレンジの帽子にオレンジのジャケット。情報を集めるのは難しい事じゃなかった」

 

「だから、何なんです?」

 

「昨日の事だ」

 

 ユウキの質問を無視してランポは遠くに視線を投げた。

 

「昨日って……」

 

「漁港でリヴァイヴ団の下っ端が自分の肩にナイフをぶっ刺した」

 

 その言葉にユウキは心臓が大きく鼓動を打ったのを感じた。ランポはスクールの校舎を眺めたまま、言葉を続ける。

 

「下っ端の仲間も脳震盪で気絶。幸い意識は戻ったし、下っ端も全治二週間程度。命に別状があるわけじゃない。ただし、リヴァイヴ団としては示しがつかない。誰がやったのか調べている」

 

 ランポの眼がユウキへと向けられる。ユウキは唾を飲み下した。このランポと名乗る男は知っている。昨日、漁港で何が起こったのかを。しかし、あえて訊いているのだ。それはユウキの口から謝罪の言葉を出すためなのだろうか。それとも白状させるためなのだろうか。ユウキは早鐘を打つ鼓動を抑えるように、息を深く吸った。冷静になれ。そうでなければ余計なトラブルを抱え込む事になる。

 

「そう、ですか。だったら、下っ端に聞けばいいんじゃないですか」

 

 ランポは視線をユウキに据えた。ユウキはたじろがないようにその視線を真っ直ぐに受け止める。ランポが口元を緩めた。

 

「聞いたさ。だけどな、組織のオトシマエってのはそういうもんじゃないんだ。闇討ちを仕掛けるのがリヴァイヴ団のオトシマエの付け方じゃない。こういうのは本人の目の前で、直接話を聞くもんなんだ」

 

 その言葉を聞いてユウキは確信した。ランポはあくまでもユウキ自身の口からそれを言わせる事に拘っているのだ。知らぬぞんぜぬを通せるわけではないだろう。だが認めるわけにもいかなかった。

 

「……リヴァイヴ団」

 

「そう。リヴァイヴ団。聞いた事くらいはあるだろ? 俺だって下っ端の尻拭いなんてしたくはないさ。けどな、俺達のボスはそうじゃない。末端とはいえ、なめられたままじゃいられないんだ」

 

「チンピラみたいですね」

 

 率直なユウキの言葉にランポは笑い声を上げた。その声にスクールの生徒数人が振り向いたが、こちらを気にかけようという酔狂な人間はいなかった。ランポは頭に手をやって髪を掻いた。

 

「まったく、その通り。情けない話だが、俺もまた下っ端。そういうもんなんだ。だからさ――」

 

 ユウキはその瞬間、ランポの手がいつの間にかホルスターのボールを取り出している事に気づいた。緊急射出ボタンを親指が押し込む。

 

「許せよ」

 

 その言葉が放たれると同時に、ボールが開いて中から光に包まれた腕が飛び出した。ユウキが反応したその時には、腕がユウキの腹部へと鋭い一撃を加えていた。

 

 腹を押さえて思わず後ずさる。

 

 腕が光を振り払い、その全貌を現した。

 

 突き出された腕は青かった。手の甲から鋭い鉤爪が伸びており、爪の色は毒々しいオレンジ色だ。逞しい腕を払って、立っていたのは人型に近いポケモンだった。しかし、ヒトと決定的に異なるのは顔立ちだった。喉仏が張り出しており、丸い袋状になっている。歯をむき出しにした上唇は黒く縁取られており、白目の部分は黄色だった。細長い痩躯のポケモンは両腕を垂らして卑しく嗤っている。

 

「ドクロッグ」

 

 ランポがそのポケモンの名を呼んだ。ドクロッグは上唇を突き出す。

 

「ここでの揉め事はスクールの先生方が治めるようだが、しかし、そううまくはいくもんかねぇ」

 

 ユウキは周囲を見渡した。誰もが無関心を決め込み、足早に去っていく。ランポがにやりと笑った。

 

「ユウキ。お前はここで死ぬ事になる」

 

 ランポの言葉にユウキは全身が粟立ったのを感じた。

 



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第一章 六節「金色の刃」

 ドクロッグが腕を振り翳す。鉤爪の先端から何かが滴っていた。何だ、と感じたユウキの思考を読むようにランポが告げる。

 

「ドクロッグは毒突きポケモン。その名の通り、この鉤爪には毒がある」

 

 その言葉にユウキはハッとして腹部を見やった。チクチクと傷口が痛む。深くはないが刺されたようだ。

 

「深くはない、とか油断するなよ」とまたも思考を読んだかのような声が響く。

 

「ドクロッグはその毒の量を自在に操れるんだ。俺はお前に訊きたい事があるからな。今回は一時間で死ぬコースにしてやった。痛みはほとんどないが、一時間後に死ぬ。これは確定だ」

 

 ランポが歩み寄り、ユウキの眼前に立った。ユウキは覚えず膝から崩れ落ちる。毒が回ってきているのか、足の自由が利かなくなっていた。毒と同じように脅威なのはランポの放つ威圧感だ。

 

 足が竦むのは毒のせいだけではない。この男は本気で、公衆の面前で自分を殺そうとしている。その事実に目を慄かせる。ランポは何でもない事のように鼻を鳴らした。

 

「どうやったら生き残れるか、考えているな。もちろん、お前が一時間だんまりを決め込む可能性だってあるし、素直に白状してくれる可能性もある。そうなった場合、人殺しをするリスクを背負わなくて済む分、俺も楽だ」

 

 ランポが懐から小さな注射器を取り出した。掌に収まる程度の大きさだ。中にはオレンジ色の液体が揺らめいていた。

 

「ドクロッグの解毒剤だ。正直に吐くのならば、これをやろう。そうすりゃ、命は助かるな」

 

 命は、と言った辺りランポはここでユウキをただで帰すつもりなどないのだろう。ユウキはホルスターへと手を伸ばす。緊急射出ボタンに指をかけたところで、ランポが言い放った。

 

「やめておけ。この距離ならドクロッグはお前にもう一撃、撃ち込む事もできる。今度は致死量をお見舞いする。間違いなく一撃で死ぬリスクを背負うか、一時間の制限付きだが生き残る可能性を選ぶか。賢い奴ならどっちがいいかぐらいは分かるはずだ」

 

 ユウキは緊急射出ボタンに指をかけたまま俯いた。スピーカーの故障か、どこからか高い音が響き渡る。ランポはユウキの顔を覗き込みながら、「どうした?」と尋ねる。

 

「まだ舌が回らないほどの毒じゃないはずだ。話せるよな。それとも、話したくないか?」

 

 ユウキの顎を掴んで、ランポは無理やり顔を上げさせた。ユウキはモンスターボールを握った手をだらんと下げる。ランポは舌打ちをする。

 

「無気力野郎か。話す気がないんなら仕方がない」

 

 ランポは興味が尽きたように手を離し、ユウキの身体を突き飛ばした。ポケットに両手を突っ込み、ドクロッグに命令する。

 

「ドクロッグ。こいつに最後の毒を見舞ってやれ」

 

 ドクロッグが腕を振り上げる。オレンジ色の爪が妖しく輝いた。ランポが顔を背ける。瞬間、ドクロッグが爪を振り下ろした。

 

 しかし、その爪はユウキにかかる前で硬直した。何かに射止められたかのようにドクロッグの手が止まっている。ランポが異変に気づき、声を荒らげた。

 

「何をしている! ドクロッグ!」

 

 ドクロッグの手がぷるぷると震える。ドクロッグの意思でない事は明白だった。ランポがユウキへと再び視線を向ける。

 

「お前、何を――」

 

「だから、嫌いなんだ」

 

 遮って放たれた言葉に、ランポは発しかけた言葉を止めた。ユウキはゆらりと立ち上がる。次の瞬間、ドクロッグの身体が突き飛ばされた。何かに衝突したかのように、背中から地面に転がる。ランポはそれを驚愕の眼差しで見つめていた。何が起こったのか、理解していない眼が慄きに変わる前に、ユウキが告げる。

 

「僕はポケモンで争うのは嫌いです。だから、戦いたくはない。ここで死ぬのも仕方がないと一瞬は思った。でも、助かる可能性があるのなら、賭けるのは悪くない」

 

 ユウキは帽子を目深に被った。ランポにはその眼が先ほどまでとは違って見えていた。戦闘の光を湛えているトレーナーの眼だった。

 

 ドクロッグが腕の力でばねのように起き上がる。しかし、不意に横合いからドクロッグの顔を打ち据える衝撃があった。ドクロッグが叩かれて瞬きする前に、反対側からの衝撃が見舞う。ドクロッグの身体が徐々に押され、まるで見えない壁に阻まれているかのように後ずさり始めた。

 

 ランポは奇妙な感覚を味わっていた。ユウキの口ぶりからして恐らくはポケモンを出しているのだろう。だが、相手が見えない事などあるのか。正体不明の恐怖に、ランポが声を張り上げた。

 

「ドクロッグ! 騙し討ち!」

 

 ドクロッグが拳を振り上げ、眼にも留まらぬ速度で突き出した。鉤爪が黒いオーラを纏っている。悪タイプ必中の技、「だましうち」である。相手の回避率、命中率に関わらず必ず命中する技だった。しかし、放たれた拳は全て空を穿った。

 

「当たらないだと! どうして……」

 

 ランポの呻きにユウキは醒めた仕草で、「さぁ?」と肩を竦める。

 

「ないものを捉えようとしても、無駄なのかもしれませんね」

 

 ないもの、という言葉にランポの身体に衝撃が走った。まさか、と額を汗が伝う。ポケモンなど出ていないのではないか。ユウキという少年自身の力なのか、と考えかけて頭を振った。

 

「ありえん。モンスターボールを持っていて、不可思議な術など……」

 

 その言葉にユウキは吹き出した。因果な事に昨日のチンピラと同じ台詞をランポが口にしたからだ。

 

「術なんて、随分と非科学的ですね」

 

 ランポはじっとドクロッグと何者かとの攻防を見つめた。ドクロッグの放った拳はことごとく外れている。一方、何者かの放った正体不明の攻撃は少ないながらも確実にドクロッグの体力を奪っていった。ドクロッグに疲労の色が浮かぶ。このままでは消耗戦を続けるばかりだ。ランポはドクロッグを呼んだ。

 

「来い!」

 

 ドクロッグが主人の言葉で弾かれたように、地面を蹴ってその場から離脱する。ランポの隣に降り立つと、ランポを抱えた。

 

「跳べ、ドクロッグ!」

 

 その言葉でドクロッグが足に渾身の力を込めた。ユウキはドクロッグの脚が爆発的に膨れ上がるのを見た。次の瞬間にはドクロッグとランポがスクールの塀を跳び越えていた。ランポが一瞬だけ振り返る。追って来い、という事なのだろう。元よりそのつもりだった。ここで逃がすわけにはいかない。身元も割れている上に、ドクロッグの毒はまだ健在なのだ。

 

「……追うんだ」

 

 一拍の逡巡の後に、ユウキは言った。正体を明かす事になったとしても、今は解毒剤の確保とドクロッグとランポを行動不能にする事のほうが優先させられた。ユウキはスクールの正門に向かってゆっくりと歩を進めた。足が重い。まだ十分と経っていないのに、毒は確実に回りつつある。

 

「決着を早くつけないと」

 

 ユウキは傷口から滲む血を押さえながら、踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランポはドクロッグに抱えられ、スクールの中にあるグラウンドへと降り立った。

 

 グラウンドには模擬戦のために白線が引かれており、今まさに生徒同士が戦おうとしている最中だった。ポケモンを操っていた少年が驚いたように身を引く。担当していたジムトレーナーが声をかけようとするが、ランポは構ってなどいられなかった。校舎を見やる。二階部分の窓が視界に入り、ドクロッグにもう一度命じる。

 

「ドクロッグ! 二階の窓を突き破るぞ!」

 

 ドクロッグが心強い鳴き声を上げ、二階の窓へと向かって跳んだ。ランポを庇うようにドクロッグが前に出て、拳を突き出す。ガラスが砕け、破片が舞い散った。ちょうど廊下を歩いていた教師とすれ違うが、ランポは追及される前に身を翻して窓の外を振り返った。教師もランポをぎょっと見やって逃げていった。

 

「そこだ! 窓へと向かって拳を放て!」

 

 ドクロッグが振り返り様の一撃を窓の外に放つ。正体不明の敵とは言え、ドクロッグと自分を追ってくるのならば窓から来るはずだった。ならば、窓の一点に敵の進路を定めれば軌道が読めるはず、という考えである。

 

 ドクロッグの拳が確かな手応えを持って空間に食い込んだ。拳の先が捉えたものに、ランポは目を見開いた。

 

「これが、奴のポケモンの正体か」

 

 ドクロッグの拳がめり込んでいたのは、金色のポケモンだった。一対の翅を高速で震わせており、赤い無表情な眼がドクロッグを睨んでいる。身体は小さく、鋭い爪があった。高い音は翅から発せられていた。

 

 先ほどから聞こえていたのはスピーカーの故障などではない。このポケモンが震わせる翅が放つ高周波だったのだ。

 

 ランポは見覚えがあった。ホウエン地方に主に生息するポケモンである。虫・飛行タイプを持ち、高速戦闘に特化したポケモン。

 

「――テッカニン。なるほど、見えなかったのはそういう事か」

 

 テッカニンは一説では飛行があまりにも速いために視認されていなかったとされるポケモンだ。対人戦で用いられる事は少なく、野生でも滅多に見かけない。

 

 トレーナーが好んで使いたがらない理由はレスポンスについていけないからだ。テッカニンの反応速度とトレーナーの反応速度が一致せず、お互いの長所を潰してしまう。攻撃性能も高いわけではないために、使う人間などいないと思い込んでいた。

 

「こちらの認識が甘かったというわけだな。下っ端共が見えなかったと言っていた意味が分かったぞ。そして――」

 

 ドクロッグが食い込ませているほうとは反対の拳を振り上げる。テッカニンの姿が瞬時に掻き消えた。それでもドクロッグを攻撃するために屋内に入ったはずである。

 

 ランポは廊下を見渡した。屋外戦では速度を充分に活かしきれていたが、狭い廊下では窓枠や天井にぶつかって鈍い音を立てている。ユウキも近くにいないために完全な指示が出せていない。叩くならば今だとランポは断じた。教室の扉にぶつかって速度が減衰した刹那、ドクロッグに指示を飛ばした。

 

「見えていればどうという事はない! そこだ! ドクロッグ!」

 

 ドクロッグの拳が再びテッカニンを打ち据える。テッカニンの身体が傾ぎ、ダメージを負った身体が揺らいだ。もう一度高速の中に入ろうとする前に、ドクロッグが宙を舞って追い討ちをかける。

 

 掻き消える寸前にドクロッグが両手を固めて槌のように打ち下ろした。テッカニンが廊下へと叩きつけられる。高周波の翅が電気の弾けた時のような音を散らした。テッカニンが爪を立てて、起き上がろうとする。その身体へとドクロッグが既に鉤爪を突き立てていた。

 

「反応速度ではドクロッグのほうが上のようだな」

 

 テッカニンが耳障りな高周波の翅を震わせて鳴き声を上げる。三回ほど鳴いて、やがてピタリと動かなくなった。諦めたのだろうか。トレーナーも近くにおらず、高速戦闘の正体も破られたとあっては当然かもしれない。

 

「悪いが一時間も待っていられない。テッカニンだけは一撃で沈んでもらう」

 

 ドクロッグの鉤爪の先に毒が滴る。テッカニンは全く動く気配がなかった。ドクロッグが拳を振り上げる。

 

「くらえ! 毒突き!」

 

 鉤爪がテッカニンにかかると思われた瞬間、テッカニンの姿が光に包まれた。何事か、と感じた思考がドクロッグに伝わる前に、ドクロッグは鉤爪を振り下ろしていた。

 

 テッカニンへと一撃で致死量に至る毒が込められた突きが放たれる。対象物には、「どくづき」は確かに命中していた。しかし、何かがおかしかった。ドクロッグの鉤爪がテッカニンの手前で射止められたかのように硬直している。光に包まれたテッカニンへとランポは目を向けた。そこにいたのはテッカニンではなかった。姿は確かにそっくりだが、よくよく見れば形状が異なる。身体は水分が抜け落ちたかのような土色で、背中の翅は動いておらず枝葉のようだった。眼は黄色く、生きている者の光を宿していない。頭の上にはおあつらえ向きに天使の輪のようなものまで浮いている。

 

 今まさにテッカニンが死んで、魂へとなったかのようだった。しかし、それは決して魂などではない。ポケモンである事を、ランポは知っていた。

 

「ヌケニン、だと」

 

 そのポケモンの名を言い放つ。ヌケニンとはテッカニンの進化前であるツチニンが進化した際に、手持ちに空きがあれば勝手に入っているポケモンだ。その名の通り、テッカニンの抜け殻である、とする学説もあるが定かではない。

 

 ヌケニンの手前で同心円状の壁がドクロッグの一撃を防いでいた。ドクロッグの手元がその円で固定されている。ドクロッグはもう一方の拳で壁を叩いた。円が波のように揺れ、ドクロッグの手を離す。ドクロッグは後退しつつ、ランポへと視線を送った。現状が理解できないのだろう。ランポもどうしてヌケニンがここにいるのか分からなかったために、首を横に振った。

 

「何が起こった……?」

 

 一瞬にしてテッカニンがヌケニンと入れ替わった。そうとしか考えられなかった。しかし、どうやって入れ替わったというのか。ランポはヌケニンを睨みながら、考えを巡らせる。やがて、ハッとして窓の外を見やった。ランポが見下ろした先にはユウキが立っていた。片手にモンスターボールを握っている。ユウキはランポの視線を睨み返した。その眼差しに、やはり、とランポは予感を確信に変えた。

 

「バトンタッチによる高速入れ替え、か。テッカニンの速度を利用して、空間を飛び越えた入れ替えを可能にした」

 

 口にしてみても、まるで現実感が沸かないがそうとしか考えられなかった。「バトンタッチ」という技は戦闘中において、能力変化を保持したままポケモンの入れ替えを可能にする技だが、本来はトレーナーの見ている範囲でしか可能ではない。テッカニンが「バトンタッチ」を指示したタイミングがあったはずだった。ランポは先ほどまでの戦況を思い返し、「あの場面か」と歯噛みした。テッカニンが三度鳴いた、あの時に「バトンタッチ」をトレーナーへと命じていたのだ。

 

「ポケモンが戦況を分析し、技を選択してトレーナーがそれに応じる。高度なテクニックを要する戦術だ。それがお前のようなガキにできたとはな」

 

 ユウキはランポの言葉に、何も返そうとはしなかった。腹を押さえながら、手を振り払い様に指を鳴らす。

 

 その音に弾かれたようにヌケニンは動き出した。ふわりと木の葉のように舞ったかと思うと、目にも留まらぬ速度でドクロッグの懐へと潜り込んだ。ドクロッグが気づいて拳を振り下ろす。拳の軌道を読んでいるかのように、ヌケニンの身体が揺らいだ。ほとんど空気の流れに沿っているかのような動きだが、反応は早い。

 

「こいつ、バトンタッチの威力を充分に発揮してやがる」

 

「バトンタッチ」は先に出ていたポケモンの能力変化をそのまま引き継ぐ。テッカニンの特性、「かそく」を受け継いでいるのだ。「かそく」は時間が経てば経つほど速度を増す特性である。テッカニンが出ていたのはものの十分ほどだが、それでもかなり身体は暖まっていたはずだ。加速特性を引き継いだヌケニンは、ドクロッグと渡り合うのに必要な素早さを持っている。ヌケニン自身は大して速くないが、その特性が厄介だった。

 

「ドクロッグ。毒突き!」

 

 ドクロッグが雄叫びを上げながら、両拳で突きを繰り出す。しかし、ヌケニンに命中する直前に同心円状の壁が現れ、ドクロッグの攻撃を防いでいく。

 

「やはり、その特性は、不思議な護りか」

 

 ポケモンには特性が一体につき、一つは必ずあるが、同個体であっても違う特性を持つ者が存在する。ゆえに通常のポケモンならば攻撃するその時まで特性は分からない。ヌケニンは大きく二つの特性があった。一つは光の壁やリフレクターを無効化し、攻撃する事のできる「すりぬけ」という特性。もう一つはヌケニンしか持たない特性、「ふしぎなまもり」だった。「ふしぎなまもり」を持つポケモンは効果抜群以外の攻撃は一切受けつけない。

 

「だが、俺のドクロッグは効果抜群を与えることができる!」

 

 ドクロッグの拳が黒いオーラを纏う。その瞬間に、ヌケニンも動いた。ヌケニンの保持する爪から瘴気のような黒い影が浮かび上がる。影は刃のように鋭くなり、ヌケニンは爪を開いた。それと同時にランポの喉から叫びが上がる。

 

「ドクロッグ、騙し討ち!」

 

 ドクロッグの目にも留まらぬ拳がヌケニンに向けて放たれる。ヌケニンは枝葉のような翅を広げて、ドクロッグへと肉迫した。拳がヌケニンに食い込むのと、ヌケニンが一太刀浴びせるのは同時だった。ヌケニンの身体がドクロッグの背後に抜けていく。

 

 ドクロッグは拳を突き出した姿勢のまま固まっていた。ドクロッグの体力は先ほどのテッカニンとの戦いで削られており、ヌケニンとの戦闘でも緊張状態が続いていたために今のが完全な状態で放てる最後の一撃だった。しかし、ヌケニンを倒すのにはそれで充分なはずだ。

 

「ヌケニンの体力はないに等しい。不思議な護りで固めているという事は、本体は脆いという事。必ず当てられればいい」

 

 ヌケニンの身体が傾ぐ。同時にドクロッグもその場に膝をついた。ヌケニンの放った技、「シャドークロー」が急所に当たったのだろう。ドクロッグは肩口を押さえている。拳を上げるのはもう不可能なようだった。しかし、ヌケニンは倒せた。その安堵にランポが窓の外のユウキへと声を浴びせる。

 

「ユウキ。手こずったがお前のポケモンは倒した。今から降りていこう。お前に訊きたい事が山ほどできたからな」

 

 その言葉にユウキは沈黙を返した。諦めたか、とランポは思い、身を翻しかけて目の前が急に翳った。それに気づいて目を向けた刹那、影の刃がランポの肩口に走る。疾走した刃がジャケットを引き裂き、ランポは思わず後ずさった。荒い息をつきながら、刃を発した根源を見やる。ヌケニンは未だに健在だった。中空に浮いており、爪から影が迸っている。

 

「……どういう事だ。騙し討ちは確かに命中したはず」

 

 呟いたその声に、窓の外から、「大した事はしていません」という返答が聞こえた。ランポが窓に歩み寄ると、ユウキが帽子を目深に被ってランポを見上げていた。

 

「その様子だと、ヌケニンに一撃食らわせたみたいですね。でも、僕のヌケニンは効果抜群を一撃食らわされただけじゃ戦闘不能にはならない」

 

 その言葉にランポはヌケニンへと視線を移した。ヌケニンの片側の爪の付け根に何かが巻きつけてあるのをその時になって発見した。先ほどまではドクロッグの姿が壁になって、ヌケニンの様子がよく見えなかったが、目の前にした今ならば分かる。巻いてあるのは赤い布だった。

 

「気合のタスキ、か」

 

 ランポが言葉にして、舌打ちする。気合のタスキとは体力が万全であった場合のみ効果を発揮する道具だ。一撃で沈むような攻撃を受けた場合、一度だけ、体力を倒れる寸前で残して持ち堪える事ができる。たった一度きりの道具と馬鹿にはできない。なぜならば、ヌケニンには元々体力がないに等しい。必ず一撃で沈むというリスクがあるのと同時に、気合のタスキが必ず発動するという保障があるのだ。つまり一撃さえ乗り切ってトレーナーの喉元に至ればいい、という考え方ならばこれほど有効な手段もない。現にドクロッグを超え、今まさにランポを狙える位置へとヌケニンはいる。

 

「テッカニンでちまちま攻撃して体力を削らせていたのは全て計算だったのか。それとも俺のドクロッグのスタミナが足りなかったという事なのか。……いずれにせよ、この状態。あまり俺としてはいいものじゃないな」

 

 ドクロッグを見やり、ヌケニンに視線を向ける。ヌケニンの爪から影の刃が浮かび上がり、ドクロッグとの距離を頭の中で試算する。ドクロッグが傷ついた身体を押して拳を打ち込むまでの時間と、自分の喉をヌケニンが掻っ切るまでの時間を考える。

 

 ランポはため息をついた。窓枠へと歩み寄り、「ユウキ!」と呼びかける。懐から解毒剤を取り出し、ユウキへと放り投げた。ユウキが窓の下で受け止める。

 

「俺の負けだな。殺されるのはゴメンだ」

 

 その言葉にユウキは注射器を自分の腕に突き立てた。ランポは攻撃の姿勢のまま自分を睨みつけるヌケニンを見て、フッと口元を緩めた。

 

「そんなに睨むなよ。俺は負けを認める。諦めの悪いほうじゃないのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキは受け取った注射器を腕に突き立てた。一瞬だけちくりと痛みが走ったが、後は楽だった。まだランポが諦めていない可能性も視野に入れて、モンスターボールを握っていると、やがてランポが校舎から出てきた。背後にはぴっちりとヌケニンがついている。ドクロッグはいない。ボールに戻したのだろう。

 

 ランポは両手を上げた。

 

「トレーナーの指示の飛ばないところで、よくやったもんだ」

 

 笑みを浮かべるランポに、ユウキはまだ警戒を解いていない視線を据える。ランポは、「俺は」と話し始める。

 

「ドクロッグ以外のポケモンを持っていない。何なら確かめてくれてもいい。ドクロッグがやられれば俺の手はない。敗北を認めよう。そして」

 

 ランポが出し抜けに頭を下げた。その行動にユウキは目を見開いて驚いていた。

 

「謝罪しよう。昨日の件は下っ端への教育がなってなかった俺の責任だ。何ならオトシマエをつけてもいい」

 

「オトシマエ、とは」

 

 ユウキが聞き返すと、ランポは薄く笑って親指を突き出し、喉の辺りを掻っ切る真似をした。

 

「ここで命を絶たれてもいい、という事だ」

 

 ランポの意想外の言葉にユウキは目をしばたたいていたが、やがて首を横に振った。

 

「いいえ。ここで命を絶つような人じゃない」

 

「ほう。というと?」

 

 どこか挑発的な物言いに、ユウキは冷静に返した。

 

「あなたは僕を一撃で殺す事も、スクールの誰かを人質に取ることもできた。そうしなかったのはあなたがいい人だからだ」

 

 ユウキの言葉にランポは吹き出した。堰を切ったように笑い出す。ユウキはモンスターボールを突き出した。

 

「戻れ。ヌケニン」

 

 ヌケニンの身体が赤い粒子となってボールに吸い込まれていく。ランポは、「いいのか?」と尋ねた。

 

「俺はもしかしたらまだ諦めていないかもしれないぞ」

 

「そこまで物分りの悪い人でもないでしょう。僕が見た限りでは、あなたは覚悟して僕の前まで来た。僕がヌケニンに殺せと命じる事も視野に入れていたはずだ」

 

「買い被りすぎだ」とランポは言葉を発する。ユウキは息をついた。毒が抜けてきたのか、足の感覚が戻りつつある。

 

「あなたは、少なくとも僕が見たリヴァイヴ団の中では、いい人の部類だ」

 

「いい人はそんな組織に入ったりしないよ」

 

 ランポは笑みを浮かべて返す。暫しの間睨み合いが続いたが、それを中断したのはランポのほうだった。

 

「俺はここらで退散しよう。そろそろウィルが来てもおかしくない」

 

 ランポはユウキへと歩み寄ってくる。ユウキはホルスターから手を離していた。ランポが仕掛けてくる事はもうないと直感的に分かった。ランポはすれ違い様、ユウキへと耳打ちした。

 

「さよならだ。もしかしたらまた会うかもな」

 

 その言葉の意味を汲み取る前に、ランポは片手を上げて去っていった。その背中をユウキは暫く眺めていた。リヴァイヴ団の中では、ランポは下っ端だと言っていた。だが、ユウキは昨日相手にした下っ端とは違う空気をランポに感じていた。

 

「あなたは……」

 

 そこから先の言葉を発しかけたユウキへと甲高い声が耳朶を打った。振り返った刹那、眼前を水色の光線が行き過ぎる。ユウキの道を阻むかのように、円弧を描いた光線はランポの背中を見えなくした。氷柱が地面から突き上がり、ユウキの視界を遮る。

 

 ユウキを囲うように放たれたのは、「れいとうビーム」だった。二階へと視線を投じると、窓枠に足を乗せているリリィの姿が見えた。傍の空間には鬼の首のようなポケモンが浮いている。氷の皮膜を持っており、一対の黒い角が突き出しているポケモンだ。オニゴーリというリリィのパートナーだった。シャッターのような口から白い呼気が漏れている。そこから冷凍ビームが放たれたのだと知れた。

 

「それ以上動かないで、ユウキ君」

 

 リリィのいつもと違う、命じるような声音にユウキは身を強張らせた。見れば、周囲をジムトレーナーの教員達が囲っている。

 

「今、ウィルを呼びました。ユウキ君。あなたには聞きたい事があります。黙秘権や拒否権はありません。いいですね」

 

 他の言葉を許さない断固とした言葉に、ユウキはただ頷くしかできなかった。

 



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第一章 七節「チェンジザワールド」

 淡く光を発する机の端を、ユウキは見つめていた。天井に光源はない。どうして机から光が発しているのだろう、とユウキが思っていると、目の前の影が両手を顔の前で組んで話し始めた。

 

「ユウキ君、と言ったね。これは決して尋問ではない。単なる確認だ。だから君には黙秘権がある」

 

 リリィの言っていた事と違うではないか、と内心に毒づいてから、ユウキは目の前の影へと視線を向けた。空気を震わせる低い声からして男なのだろうが、逆行のようになっていてシルエットも判別できない。いっその事、何もないほうがマシだと思える姿だった。

 

「僕に確認したい事とは」

 

 ユウキが両手を上げようとする。鎖の鳴る音が耳に届いた。手首に圧迫感がある。両手には手錠がはめられていた。

 

「確認、と言っても構えなくていい。起こった事実を整理するだけだ」

 

 影が手を翳す。ユウキが身構えたのが伝わったのだろう。影の横にはもう一つ、細長い影が立っていた。何かを書きとめているようだ。影には現実感がないくせに、持っている板のようなものには妙なリアリティがあった。

 

「君は、リヴァイヴ団と面識があったのかな」

 

「いいえ」

 

「では、どうしてリヴァイヴ団と思しき男がスクールに押し入った?」

 

「さぁ?」

 

 ユウキの返答に、細長い影が歩み出ようとした。それを座っている影が制する。どうやら目の前の影のほうが細長い影よりも立場が上のようだ。

 

「リヴァイヴ団、だったんですか。あの男は」

 

「ああ、そうだ。君に対して何やら話していたと目撃証言にはあったが」

 

「大した話はしていません。向こうが勝手に因縁をつけてきただけで」

 

「そうか。では、君は被害者かな」

 

「どちらかといえば、そうなるかと思います」

 

 ユウキは机の下で貧乏揺すりを始めた。こんな質問に意味があるのか。何者かもこちらからは分からないというのに。これがウィルのやり方か、とユウキは歯噛みした。毎週のように家に訪れるウィルの構成員の顔が脳裏に浮かび、ユウキは苦々しい思いを味わった。

 

「確かに。あの男のドクロッグが君に攻撃した瞬間を見ていた者もいる。今のところ、目撃証言と君の証言は合致している」

 

 今のところ、という事はこれから変わっていくという事なのだろうか。だとすれば変わるのは自分が、証言のほうか。少なくともウィルが変わる事はありえないな、と感じた。

 

「しかしだね、ユウキ君。リヴァイヴ団の一員が君に接触した事を、我々は重く見ている。どうして白昼堂々と君を襲ったのか。君を暗殺する方法ぐらいいくらでも思いつきそうだがね」

 

 暗にいつでも殺せると言われているような気がして、怖気が走る。それを悟らせないような口調で返す。

 

「オトシマエ、とあの人は言っていましたが」

 

「オトシマエ?」と影がそのまま聞き返す。

 

「寝込みを襲ったりするのは流儀に反する、という事ではないでしょうか」

 

 推測の言葉に影は哄笑を上げた。ユウキには、その笑い声は耳障りな雑音に聞こえた。影は息を整えながら、「いや、失礼」と手を上げる。

 

「流儀、というのが彼らにあるとは思えなくてね。あるとするならば仁義、だとかだろうが、まぁ、それは彼ら流の言い回しだ。我々の常識と同じではないだろう」

 

 ユウキは顔を伏せた。一体、いつの話をしているのだろう。そもそもこの影は何の話をしているのだろうか。ユウキから何を聞きだしたいのだろう。リヴァイヴ団の情報だろうか。そんなものは一つも持っていない。あるとすれば「ランポ」という名前だけだが、それだけでは情報としての価値はないだろう。偽名の可能性もある。

 

「我々はね、ユウキ君。リヴァイヴ団を検挙したいと思っているんだ」

 

 影の言葉にユウキは心中の言葉を言い当てられたような気がしてどきりとした。その動揺を推し量ったように、影が頷く。

 

「だからどんな些細な情報でもいい。彼らについて何か知っているなら、教えてもらいたい」

 

 その言葉にユウキは逡巡の間を浮かべた。言うべきだろうか。しかし、とユウキは踏み止まる。ランポはただ「オトシマエ」をつけに来ただけだ。ユウキはその行動に対して、できる事を返したまでである。ユウキにも非がないわけではない。それなのに、ここでランポの事を言うのは憚られた。彼は真正面から自分に向かってきた。言ってみれば誠実である。その誠実さを裏切る行為のような気がして、ユウキは喉元まで出かけた言葉を呑み込んだ。

 

「……いいえ。多分、僕はあなた方の聞いている以上の事は知りません」

 

「果たして、そうかな」

 

 疑問を浮かべる声に、ユウキは顔を上げてはっきりと口にした。

 

「知りません。僕は、何も教えられていないんです」

 

 ユウキの口調に、影は「ふむ」と返した。納得したのだろうか。そう思っていると、細長い影が座っている影に耳打ちした。影が頷き、組んだ手の上に顎を乗せて再び話し始めた。

 

「ユウキ君。君の家には、元ロケット団員が住んでいるそうだね」

 

 その言葉にユウキの鼓動が跳ね上がった。一瞬にして血の気が引いていく。ここでその話題を引き合いに出されるとは考えていなかった。知らない、で通せる話ではない。その情報は事実としてウィルの中で伝わっているはずである。ユウキは正直に頷いた。

 

「とすれば、君はそういう団体に対して温情を抱いている可能性もあるという事だ」

 

「……直接的にそういう話にはならないと思いますが」

 

 押し殺したユウキの声に、「これは失敬」と影がおどけた様子で返した。他人を小ばかにしたような態度だ。

 

「でも、ロケット団といえば世界の敵だよ。それを匿っている事は決してプラスイメージにはならないと思うが、どうかね」

 

「両親の縁があるんです」

 

「ご両親の? どんな?」

 

「あの、そこまで話さなければならないんでしょうか。黙秘権とかあるんですよね」

 

「もちろんだとも、話したくない内容は伏せてもらっても構わない」

 

 そう言いつつも、ユウキが意図的に伏せた内容は後で徹底的に調べられるに違いなかった。ここで隠し立てしても無駄だと判じ、ユウキはぽつりと話し始めた。

 

「両親はヘキサ事件の時にタリハシティで滞在していました。おじさん、サカガミさんとはそこで知り合った仕事仲間だったようです」

 

 そこまで話すと意図が通じたのか、影が身じろぎした。

 

「なるほど。ロケット団だという事を両親は知らなかった」

 

 ユウキは頷いた。実際、サカガミはその頃にはユウキ達の家に招かれるほどに親しくなっていた。もしロケット団だと分かっていたのだとすれば、それは異常な光景だっただろう。

 

「サカガミさんはヘキサ発起の時に両親に告げたそうです。すぐにタリハシティ近辺から逃げろって。ヤマトタウンからタリハシティまでは戦場になるって。でも、両親はそれを本気にせず、仕事のためにタリハシティに残りました」

 

 一言発するたびに、身を削られる思いがした。八年前の傷跡を掘り返しているのだ。痛みが伴わないはずがない。それでも影は先を促そうとする。ユウキは顔を伏せて、せめて表情が見えないようにした。

 

「姉と僕は当時、キリハシティ近郊に住んでいました。留守を任される事も多かったので慣れっこだったんですけど、サカガミさんはその時ばかりは慌ててやってきて、僕らをすぐにその日の早朝の便でコウエツシティにある自分の家まで連れて行きました。まだ、僕が七歳くらいの頃です」

 

「なるほど。その後はずっとコウエツシティで?」

 

「はい。その日の夜に、全てを知りました」

 

 皆まで言わずとも影は理解したようだった。その日に「ヘキサ事件」は起こったのだ。ユウキはテレビの画面でその時の様子を知ったが、あれが本当に本土で起こっている事なのか、自分の生きている時間と同じ時間で起こっている事なのか判然としなかった。現実として受け止められたのは半年ほど後になっての事だった。テレビが同じコマーシャルを流すのをやめて、ようやくそれが事実として圧し掛かってきた。ニュースも忘れかけた頃に、ようやく現実認識が追いついたのである。両親が帰ってこなくなって、半年が過ぎていたというのに、まだ愚直に信じていた自分がいた。

 

「なるほど。辛い事を話させてしまったね」

 

 本心ではそんな事は欠片にも思っていないのだろう。影の放つ言葉はドライだった。与えられた常套句を話しているだけに思える。

 

「いえ。僕は別に」

 

 傷ついたのはむしろミヨコのほうだろう。一日にして自分と弟以外に肉親がいなくなったのだ。突然に顔見知り程度の男に連れ去られた不安はミヨコのほうがあったに違いない。

 

「そうか。ヘキサ事件の被害者か。だとしたら、余計に奇妙な因果だな。どうして君達はヘキサ事件に関与していたかもしれないロケット団員を信じられるんだ?」

 

「命を、助けてもらいましたから」

 

 それは紛れもない事実だ。本土にいれば、巻き込まれる可能性だってあった。タリハシティに行く可能性が万に一つもなかったわけではない。サカガミはせめて自分達だけはとコウエツシティに逃がしてくれたのだ。

 

「なるほど。恩がある、というわけか」

 

「恩、なんてものじゃありません」

 

 サカガミは幼い自分とミヨコの面倒を見てくれた。まだ右も左も分からぬミヨコへと教育を施し、自分達家族を立ち直らせてくれた。家族同然の存在だ。

 

「僕達の命を、拾ってくださったのはおじさんです。おじさんがいなければ、今の僕達はないかもしれない」

 

 ユウキの言葉に影は頬杖をついて、「ふぅん」と頷いた。被害者の心情に興味があるのだろうか。それともロケット団員を信じられる心情に興味があるのだろうか。恐らくは後者だろう。

 

「しかし、こうは考えられないかい? もしそのおじさんさえいなければ、両親は死なずに済んだのではないかって」

 

 その言葉にユウキは顔を上げた。思わず影を睨みつける。

 

「……そんな事、考えた事もありません」

 

「考えさせる余裕を意図的に作っていなかったとしたら? つまり君達は、意図せずしてマインドコントロール可能な状態にあった」

 

「おじさんを疑っているんですか?」

 

 ユウキが立ち上がりかける。ジャラ、と手錠が鳴った。細長い影が駆け寄ってその肩に手を置く。強い力だった。有無を言わせず従わせる力だ。ユウキは椅子に座り直された。それでも影を睨みつけ続ける。影は、「悪い意味に取らないでくれよ」と手を振った。今の言葉を悪い意味以外に受け取る事は不可能だろう。

 

「別におじさんを責め立てようとしているわけじゃないんだ。もちろん、君達を侮辱しようというのでもない。ただの可能性だよ。そう考えなかったのは不自然だと、言いたいだけだ」

 

「僕達がおじさんに操られたって言いたいんですか……」

 

「そういうわけじゃない。ただ、それを考えなかった事が――」

 

「おじさんは、そんな人じゃない!」

 

 ユウキが暴れ出そうとするのを制するように手錠がきつく締まった。呻き声が喉から漏れる。手錠の端にある赤いランプが点灯している。細長い影がリモコンらしきものを持っていた。影が落ち着き払った態度で、「まぁまぁ」と手を差し出した。その手を噛み千切りたい気分だった。

 

「そう興奮しないで。穏便にいこうじゃないか」

 

「……僕は僕の尊厳以上に、家族が傷つけられるのが嫌です」

 

「分かった。君が家族思いなのはよく分かったさ」

 

 何も分かっちゃいないのだろう。分かったというパフォーマンスだ。ユウキはここで喚いても埒が明かないと感じ、椅子に座り込んだ。その様子を見て、影が頷く。物覚えのいい奴だとでも思っているのだ。

 

「話が逸れたね。リヴァイヴ団については、君は本当に知らない?」

 

「知りませんよ。あなた方のほうが物知りのはずだ」

 

「そうだね。そうだった」

 

 これまでの話は何だったのだろう。そこで話は打ち切られた。細長い影へと、影が指示を出す。

 

「もういい。外してあげてくれ」

 

 細長い影が歩み寄り、ユウキの手首から手錠を外した。一瞬だけ机からの光源で細長い影の顔立ちが見える。頬のこけた中年の男だった。その素顔はすぐに闇の中に没した。後ろの扉が開き、四角く切り取られた光が漏れる。

 

「行きたまえ。有意義な時間だった」

 

 自分にとっては無意味だった、と返しかけてやめた。もう話したくなかった。皮肉の一つを返す事すら億劫である。ユウキは身を翻して、歩き出した。出たところでウィルの構成員が立っており、建物の外まで案内された。道中、ユウキは手首を気にしてさすった。食い込んだ後が罪の証のように赤く見えた。

 

 ウィルの構成員は渋々と言った様子でユウキを自宅まで届けた。コウエツシティではウィルぐらいしか使わない車でユウキは家に着いた。既に周囲は暗くなっており、街灯がまばらに点いている。空気が湿っぽかった。雨が降るかな、と思った。

ユウキは形だけの礼を返し、扉を開けようとしてはたと気づいた。玄関が半開きになっている。

 

「無用心だな。姉さん、ただいま」

 

 その声に返す者はいない。怪訝に思いながら、ユウキはもう一度呼びかけた。

 

「ただいま」

 

 誰の声も返ってこない。サカガミの声も、である。不審に思ったユウキはウィルを呼び止めた。

 

「ちょっと待ってもらっていいですか」

 

 ウィルの構成員は一瞬だけ嫌悪の感情を浮かべたが、渋々頷いたようだった。

嫌な予感がした。ユウキは早鐘を打つ鼓動を抑えるように左胸に手を当てて、家の中に入る。

 

「姉さん? おじさんもいないの?」

 

 いないのだったら返事が返ってくるわけがないが、それでもユウキは自分の気持ちを鎮めるために言葉を発した。リビングに電気が点いていた。ユウキはゆっくりとリビングの戸を開ける。

 

 目の前に飛び込んできたのは赤だった。

 

 赤い血溜まりの上に転がっている影がある。一つに結った髪が垂れている。水色のエプロンが血で汚れていた。

 

 思わずユウキは後ずさった。棚に置いてあった電話機にぶつかって電話機が床に転がる。ユウキは息も絶え絶えに、転がっている影の名を呟いた。

 

 鼓動がうるさい。

 

「……姉さん」

 

 ミヨコは何も言葉を返さなかった。背中にナイフが突き立っている。そのナイフには見覚えがあった。昨日、リヴァイヴ団を名乗るチンピラが振り翳していたものと同じだった。小さな鳴き声が漏れ聞こえた。そちらへと視線を向ける。ラッタが倒れていた。出っ歯の先に血がついている。抵抗の跡だったのだろう。

 

 どこからかサイレンのようなけたたましい声が聞こえてくる。それが自分の喉から迸った悲鳴だと判断するのには時間がかかった。家の前にいたウィルの構成員が押し入ってきて、ミヨコの状態を見やり、端末で電話をかける。ユウキはその場に尻餅をついた。動けなかった。身体が鉛のように固まって、震え続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直ちにミヨコは病院に送られた。ラッタは緊急用のモンスターボールに入れられた。ポケモンはモンスターボール内ならば傷が悪化する事はない。ユウキも一時的に言葉を失っていたせいか、病院にウィルの車で送られた。ユウキは暫く何が起こったのか分からなかった。全てが嵐のように行き過ぎて、頭で整理する時間がなかった。ようやく落ち着いた時、ユウキは集中治療室の前にいた。ソファに座って、病室のミヨコを見やる。ミヨコは重態だった。その状態について医師に説明を受けたがまるで頭に入っていなかった。現実認識がようやく追いつき、ユウキは立ち上がって病室の窓に手をやった。ミヨコの呼吸と脈拍を測る機械が緑色の波形を刻む。開いていた手を拳に変えて、ユウキは殴りつけようとしたが寸前で思い留まった。

 

「ユウキ君」

 

 その声にユウキは振り向く。サカガミが凝った影のように廊下に立っていた。リノリウムの床が非常通路の緑のランプを反射している。サカガミの表情はほとんど見えなかった。

 

「おじさん」

 

「すまない。私がついていながら」

 

「どうしてなんですか」

 

 責める言葉のつもりはなかったが、サカガミは「すまない」と押し被せた。

 

「ウィルに拘留されていたんだ。一回きりの尋問でいいと言われて、君達の迷惑にならないのならと、私はそれを受け入れた。その間の出来事だった」

 

 サカガミは両手で顔を覆った。その場に膝から崩れ落ちる。ユウキは何か言おうとして果たせなかった。サカガミは悪くない。では誰が悪いのか。裁かれるべきは誰なのか。

 

 ――分かりきっている。

 

 ユウキはサカガミを残して歩き出した。「ユウキ君?」とサカガミの声が背中にかかるが、ユウキは立ち止まらなかった。病院を出て、夜風に当たる。

 

 雨がしとしとと降りしきっていた。暗雲が立ち込め、月を隠している。雨に当たったが、それでも頭は冷えなかった。ぬるい風が余計にユウキを苛立たせた。叫び出したい気分だったが、叫んだところで何にもならない事は明白だった。

 

 その時、背後から声がかかった。

 

「ユウキ」

 

 名を呼ぶ声に、振り返ると昼間に見た影だった。白いジャケットが闇の中で浮き立っている。ずっと待っていたのか、背中のほうで括った長髪が湿っていた。ポケットに両手を突っ込んだまま、影がユウキへと顔を振り向けた。

 

「ランポ、さん」

 

 敬称をつけたのはまだ理性が働いている証拠だったが、ユウキは今にも爆発しそうな感情を必死に押し止めた。奥歯を噛み締める。

 

「あんた……」

 

 歩み寄ってランポの胸倉を掴む。ランポは何も言わなかった。ユウキは拳を振り上げた。打ち下ろした拳はランポの頬を捉えた。ランポが僅かに後ずさる。ユウキは荒い息をついたまま、振るった拳に目をやった。人を殴ったのは初めてだった。

 

 ランポは一つ息をついて、ユウキへと視線を向けた。

 

「気が済んだか?」

 

 その言葉にユウキは自身の中が急激に冷えていくのを感じた。先ほどまであった熱が勢いをなくしていく。ランポは殴られた頬に手をやった後、何でもない事のように告げた。

 

「俺じゃない、と言っても信じてもらえないか」

 

 ランポの言葉にユウキは呼吸を整えながら、殴った拳を開いて見つめた。何度か感触を確かめるように開いたり閉じたりしてから、ランポへと視線を向ける。

 

「俺が殴られて済むんなら、何発でももらおう」

 

 ランポの言葉にユウキは歯噛みした。身を翻し、背中を向ける。その背中へとランポの声がかかった。

 

「待て。どこへ行く?」

 

「決まっているでしょう」

 

「復讐か。下っ端の不始末は俺の不始末だ。一発で気が済まないのなら、もう一発殴ればいい」

 

「あんたを殴ったところで何にもならない」

 

「分かっているのなら、何故行こうとする。そいつらをどうする?」

 

 ユウキはオールバックの男達を脳裏に描いた。拳を握り締め、喉の奥から声を発する。

 

「殺したい。そうじゃなくっても、姉さんと同じ苦しみを味わわせる」

 

「その行動の意味は? お前がされた怨念返しと何が違う?」

 

 ユウキは振り返った。ランポは落ち着き払った様子で、ユウキを見つめ返している。真っ直ぐな瞳に、ユウキは顔を逸らした。

 

「……じゃあ、どうしろっていうんだ」

 

 怨念返しは意味がない。そんな事は言われなくとも分かっている。しかし、とユウキは下唇を噛んだ。どうしようもないと諦めるしかないのか。それが果たして正しいのだろか。ランポは静かに口を開いた。

 

「こんな組織なんだ。下っ端が取るに足らない理由と面子で報復をする。ウィルは見て見ぬふりだ。今回の事件、ウィルは何をした?」

 

 ユウキは爪が食い込むまで拳を握った。ウィルに拘留されていなければ、ミヨコに危害は及ばなかったのだろう。サカガミが拘留される事態にもならなかったのだろう。

 

「これが今のカイヘン地方なんだ。俺達は、現実を受け入れるしかない」

 

 ランポの言葉にユウキは顔を上げた。ランポを真正面から睨みつけ、「それでも」と声を返す。

 

「僕は、この現実が間違っていると言いたい」

 

 こんな事がまかり通っていいはずがない。それだけは確信をもって言えた。ランポが息をついて、「変えられるだけの力がなければ、それはただの不満だ」と返す。

 

「不満を動力に変えるかどうかは、その人間次第だ。お前は、どうする」

 

「僕は……」

 

 ユウキは呼吸を一つついた。ランポが覚悟を問いかける眼差しを送ってくる。その眼へと応じる言葉を発した。

 

「リヴァイヴ団の中から変えてみせる」

 

「そんな事ができるのか? 俺とて下っ端だ。ボスの素性なんて分かったもんじゃないし、この組織の事だって大して知っているわけではない」

 

「でも、あなたはいい人だ」

 

 ユウキは落ち着いて言葉を口にする事ができた。ユウキの言葉に、ランポは昼間と同じように自嘲気味に返す。

 

「いい人はこんな組織にはいない」

 

「それでも、あなたみたいな人を育んだ環境があったんでしょう。あなたのような心意気の人間を下っ端にできるような組織に、僕はしたい」

 

「それは組織に属しながら、組織を変えるという事だ。大がかりな事になる。生半可な事ではない」

 

 ランポはユウキの目を見やった。「無謀に立ち向かう眼だな」と口にする。

 

「あなただって、そういう眼をしている」

 

 ユウキの言葉にランポは少し口元を緩めた。志は同じなのだ。今は互いに力がないだけで、目指す場所は同じはずだ。

 

「僕はリヴァイヴ団に入ります」

 

 決断の声に、ランポは肯定するわけでも否定するわけでもなかった。ただ確認の声を被せる。

 

「そうか。褒められた場所ではないが、いいんだな?」

 

「少なくとも、ウィルに入って怨念返しを考えるよりかは、自分が見えそうですから」

 

 その言葉にランポはユウキへと歩み寄り、拳を掲げた。ユウキは拳を押し当てる。拳同士が硬い音を立てた。男の誓いだった。

 

「いいだろう、ユウキ。お前のその意志の強さに、俺は賭けてみよう。世界を変えようじゃないか」

 

 大仰な言葉でランポは頷き、ユウキへと問いかける眼を向ける。ユウキは決意の光が宿った双眸を返した。雨が強くなってくる。ジャケットを濡らし、身体を冷やす。それでも熱は燻り続ける。

 

 身体の内側に暖流を囲っているようだった。雨の寒流とぶつかり合い、自分の体温を自覚させる。それはこれからやってくる嵐の前触れに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一章 了



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入団試験
第二章 一節「勲章」


 熱帯夜だった。

 

 肌に纏いつくような熱気が夏の到来を感じさせる。

 

 ユウキは呼吸すら億劫になるのを感じて目を覚ました。時計を見やると、夜中の二時である。息をついて顔を拭うと、もう眠れそうになかった。

 

 電気を点け、クローゼットの中を整理する。もう使わないであろう服はまとめて外に出しておいた。その中に、懐かしい服を見つける。ユウキはそれを手に取った。赤い帽子と水色の短パンだった。それはかつてキリハシティ近郊に住んでいた頃、短パン小僧として戦っていた時の名残だった。

 

「笑っちゃうよな。あの時は、これで何でもできるような気がしていたんだから」

 

 水色の短パンは勲章のようなものだった。ユウキは夏でも冬でもその服装を貫いたのを覚えている。今にして思えば、子供は風の子、という常套句に任せた無茶だった気がするが、無茶を通せた頃が懐かしい。今はもう無茶は通せない。赤い帽子は久しぶりに被ろうとすると、やはり頭に入らなかった。

 

「成長したって事かな」

 

 赤い帽子を手元で眺めながらそう口にする。父に買ってもらった帽子だった。水色の短パンと赤い帽子だけでどこまでも強くあれた。

 

 緒戦のポケモントレーナーにとっての関門である短パン小僧を名乗れたのは何も自分だけの力ではない。

 

 両親の力や、その時のパートナーであったラッタの進化前、コラッタの力でもあった。考えながら、ラッタはどうしているだろうと思う。恐らく、ポケモンセンターで治療を受けているだろう。深い傷には見えなかったが、ミヨコと同じように人間によって害されたのだ。もしかしたら、見た目以上に心に傷を負っているかもしれない。戻ってくる頃にはユウキでさえ信じてはくれないかもしれない。胸を掠めた感傷に、ユウキは頭を振った。

 

「駄目だな。悪いほうに考えてしまう」

 

 水でも飲んで、無理やりでも身体を休めよう。そう思って、下階に降りた。すると、リビングの電気が点いていた。扉を開けて中を見やると、サカガミが椅子に座っていた。「おじさん」と呼びかけると、サカガミは振り返った。この数時間で少しやつれたように見えるサカガミは弱々しく笑って、「起きていたのか」と言った。

 

「うん。眠れなくってね」

 

 歩み寄って、「おじさんも?」と尋ねる。サカガミは頷いた。ユウキはコップを棚から取り出して、蛇口を捻った。水を入れながら、サカガミの顔を窺う。サカガミは額に手を当てたまま、そのままの姿勢で硬直していた。ずっとその姿の彫像のようだった。水を入れたコップを片手に、ユウキはサカガミの対面に座った。サカガミは黙っていた。

 

 ユウキは水を口に含みながら、サカガミの言葉を待つ。サカガミは何度か言葉を口にしようと唇を開きかけては噤むを繰り返していた。言葉がうまく出てこないのだろう。ユウキも同じだった。どちらかがこの状況の突破口となる言葉を探して、言いあぐねている。時計の秒針を刻む音が鮮明に聞こえてきた。静寂を破ったのはユウキのほうだった。

 

「おじさん」

 

「うん?」

 

 ようやくサカガミは違う姿勢になった。額にやっていた手を膝の上に置く。ユウキは何度か惑うように言葉を彷徨わせたが、やがてはっきりと口にした。

 

「僕はリヴァイヴ団に入ります」

 

 その言葉にサカガミの表情が凍りついた。わなわなと目を震わせる。ユウキはテーブルの下にやっていた拳をぎゅっと握り締める。ここで逃げ出しては駄目だ。ユウキはひと息に言い切った。

 

「姉さんを傷つけたリヴァイヴ団を、僕は許せない。でも、怨念返しは意味がない。だから、僕は内側から変える。そう決めた」

 

 ユウキの確固とした声に、サカガミは何度か言い返しかけて躊躇い、やがてぽつりと口にした。

 

「ユウキ君。それは自分で決めた事なのか?」

 

 その質問にユウキは頷いた。サカガミは手で顔を拭い、伏せた目のまま口にした。

 

「私はね、ユウキ君。ロケット団に入っていた事を悔いている」

 

 それは罪の告白だった。ユウキは黙って聞いていた。

 

「世界の敵となる自覚などなかった。だがそれは、覚悟がなかったのと同じなんだ。どんな場所であれ、覚悟を抱いていない人間は過去を悔いる事となる。そうなってしまっては駄目だ。人生の袋小路に入ってしまう。私は、その袋小路から未だに抜け出せていない」

 

 サカガミは立ち上がった。その後姿を眺めていると、ユウキと同じように棚からコップを取り出して、水を汲んだ。コップを持って戻ってくると、座ると同時に水を喉に流し込んだ。仮初めでも潤滑剤のようなものがなければ話せない話なのだろう。

 

「ロケット団に入っていて、私がやった事は少ない。だが、色んな人の人生を狂わせてしまった。その中には君達のご両親や、君達自身も入っている。巻き込むつもりなどなかった、というのは逃げの方便だ。しかし、私は逃げた。だからこうして生きながらえている。逃げた事への後悔もある。どっちつかずなのさ、私は」

 

 責任を背負い込む事もできず、だからといって無関係を装う事もできない。不器用な生き方だ、とユウキは思った。

 

「ユウキ君。君はリヴァイヴ団に入ってどうする? ミヨコ君の復讐のために生きるつもりかい?」

 

「いえ。僕は、変えたいんです。生きている世界を。カイヘン地方を」

 

 理想論かもしれない。だが、理想を抱いた人間だけが前に進む事ができる。少なくとも絶望を胸に抱いて日々を浪費するよりかはずっといいはずだとユウキは自分に言い聞かせた。

 

 サカガミは、「そうか」と呟いた。ユウキの言葉を青臭いと否定する事も、肯定する事もしなかった。

 

「私には持てなかった、大きな信念だ。それが胸にあるのならば、私の言葉では止められない。止める事は、君を侮辱する事になる」

 

 ユウキは覚えず頭を下げていた。認めてくれなかったらどうしようか、という懸念はその言葉で吹き飛んだ。サカガミとて本心では止めたいに違いない。しかし、自分の言葉でユウキの覚悟を止められない事を知っているのだ。それはかつて覚悟を抱けなかった後悔から来ているのかもしれない。または覚悟を胸に抱いた先人の言葉だろうか。

 

「頭を上げてくれ、ユウキ君。仰々しい事を言うつもりはないんだ。君の決断だ。誇りを持てばいい」

 

 誇り、という言葉に似合うだけの行動なのだろうか、とユウキは思う。もしかしたらわがままと大差ないのではないだろうか。その疑問を読み取ったようにサカガミは、「行動にはいつだって覚悟が付き纏う」と続けた。

 

「どんな小さな決断であれ、それをした事に意味があるんだ。それこそ、英断というものだよ。君は君の人生を変える決断を自分で下せた。それだけで誇らしい」

 

 ユウキは覚えず視界が滲むのを感じた。それを悟らせまいと顔を伏せる。サカガミは自分にできなかった事を、自分がしてきた事の話をしている。サカガミの人生とて、覚悟がなかったはずがない。ロケット団に入った事も覚悟なら、それを裏切ってユウキ達を助けたのも覚悟だ。

 

「ユウキ君。せめて私から言わせてもらうとすれば、最後の最後まで自分を見失わない事だ。我を忘れてはならない。自分一人じゃないんだ。それだけは肝に銘じてくれ」

 

 ユウキが僅かに顔を上げると、サカガミは笑顔を向けた。弱々しい笑みではない。心の底からユウキの決断を後押しする笑顔だった。誇り、だと言ってくれた事にユウキは感謝した。その言葉は躊躇っていたユウキの背中を押してくれた。

 

「ありがとう。おじさん」

 

 涙を隠しもせずに、ユウキは顔を上げて言葉で伝える。言葉で伝わるうちに伝えるべきなのだ。何かの拍子に全てが変わってしまう事があることをユウキは二度も経験している。臆面もなく伝えた感謝に、サカガミは謙遜するように手を振った。

 

「そういうのはもっと必要な時にとっておきなさい。きっと、誰かのために、もっと大切な人のために言える時が来るはずだから」

 

 そこまで言ってサカガミは照れ隠しのように後頭部を掻いて、席を立った。コップを洗って、リビングを後にしようとする。

 

「おやすみ、ユウキ君」

 

 ユウキにとって、いつも通りの言葉が返ってくるのがありがたかった。このやり取りも、何度もできるわけではない。自分は修羅の道を進む事に決めたのだ。

 

「うん。おやすみ、おじさん」

 

 サカガミは笑って手を振った。リビングに残されたユウキはコップの底に僅かに残った水を見た。自分の顔が映っている。十五年間、積み重ねてきたユウキという自分。それを引っくり返すような事をしようとしている。しかし、何も大仰な事ではない。成長すれば誰だって経験するものなのだ。サカガミやミヨコも、そんな経験をくぐり抜けて来たに違いない。その上に今の自分を持つ。それこそが重要なのだろう。

 

 ユウキは水を飲み干した。喉の奥へと、澄んだ水が流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院に行くと、ランポが待っていた。昨夜と同じ、白いジャケットである。何着も持っているのだろうか。さすがにミヨコの病室までは来なかったが、入り口の前で丸めた紙を渡された。

 

「指定されている時間と場所に来い。そこで落ち合おう」

 

 ランポはそう言って立ち去っていった。ユウキはミヨコの病室に行く直前にその紙を開いた。看護婦にミヨコの病室に案内される。

 

 ミヨコは、峠は越えたようだった。しかしナイフによる傷は深く、しばらくは意識も戻らないという。点滴のチューブが腕から伸びており、水色の病人の服を着させられていた。呼吸と脈拍が一定のリズムを刻む。ユウキはベッドの傍にある椅子を引き寄せて座った。面会時間は十分ほどらしかった。看護婦に十分経ったら呼びに来る旨を伝えられ、十分だけの姉と弟の対面となった。開けられた窓から清らかな風が流れてくる。ミヨコは目を閉じていた。当然、口も開かれない。ユウキは五分間だけじっとミヨコを見ていた。思えば、こうして静かに対面する機会はなかったような気がする。

 

「こんな時じゃないと、静かに話せないんだもんな、姉さんは」

 

 減らず口を叩いてもいつものような声は返ってこない。ユウキは決意した顔をミヨコに向けた。拳の中にある紙を握り締める。

 

「姉さん、怒るかもしれないけど、聞いて欲しい」

 

 恐らく、このようなまどろっこしい言い方をミヨコは嫌うだろう。そう思いつつ、発した言葉だった。

 

「僕はリヴァイヴ団に入る。姉さんを殺そうとした組織だ。多分、反対するだろうと思う。でも、僕は姉さんの復讐がしたいんじゃないんだ。それだけは分かって欲しい。僕は、ずっと嫌だった」

 

 自分の心中の吐露は思ったよりも覚悟が必要だった。今すぐに逃げ出したい衝動に駆られる。これがサカガミの言っていた事なのだろう。逃げ出さずに、今は向き合う。ユウキは呼吸を整え、ミヨコへと静かに語りかけた。

 

「この世界が嫌だったんだ。あの日、ヘキサ事件で父さんと母さんが死んでから、僕の世界は止まってしまっていた。何もかもが急に色褪せたんだ。ポケモンバトルも、勉強も、何もかも。他人でさえ動いているのか、どうなのか分からない時があって。でも、姉さんだけは変わらないように接してくれた。それだけが嬉しかった。だから、姉さんは僕にとって大事な人だ。でも今のままの世界じゃ姉さんみたいな人が、傷ついてしまう。大切な人が傷ついたり、消えてくのを僕は見たくない。僕は、変えにいくんだ。リヴァイヴ団の内側から、この世界を」

 

 ユウキはそこまで言ってから、くすりと笑った。「馬鹿だって思うかもしれないけど」と前置きする。

 

「本気なんだ。姉さん。僕は本気で世界と戦いにいく。もう一度、僕の世界を取り戻すために」

 

 ユウキは立ち上がった。ミヨコは何も言わない。言い置くのは卑怯かもしれない。いつものミヨコならば、ユウキを怒鳴りつけて間違っていると説教をしてくれるかもしれない。しかし、今だけは怒らないで欲しかった。ユウキが立ち去る間際、小さな声が聞こえた。

 

 ――頑張れ。

 

 空耳だったのかもしれない。またはその言葉を望んでいた自分が引き寄せた幻聴だったのかもしれない。しかし、ユウキの耳には確かにそう届いた。背中を向けたまま、ユウキはその言葉に応じる。

 

「うん。頑張るよ」

 

 ユウキは病室を出た。すれ違った看護婦が、「もういいんですか?」と尋ねてきたが言葉を返さずに病院を出た。涙を見られたくなかった。

 



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第二章 二節「燃ゆる決意」

 コウエツシティの漁港は東西南北四つのエリアに分かれている。

 

 ユウキがいつも釣り糸を垂らしていたのは南のエリアだった。ちょうど本土からの人間が船に乗って来るのが南エリアだ。

 

 西エリアは他地方との貿易に使われており、南エリアと地続きになっている。北エリアはコウエツシティを越えたところにある人工島、カイヘン地方ポケモンリーグに向かうトレーナーには重要な港だ。

 

 北エリアにはポケモンセンターが設置され、最後の旅路に向かうトレーナーを見送る。逆にポケモンリーグから戻ってきたトレーナーを優しく出迎える漁港でもある。ポケモンリーグという荒波に耐えられなかったトレーナーはこの北エリアで最初の傷を癒すのだ。

 

 このようにそれぞれの漁港に意味があったが、東エリアだけは封鎖されていた。東エリアは元々、他地方との貿易で栄えた市場があったが、事実上の鎖国にカイヘンが晒され、一番に打撃を受けた地区だった。活気のあった市場は見る影もなく消え、今は浮浪者達の溜まり場になっていた。

 

 コウエツシティをよく知らない人間や他の街の人間は「F地区」と呼んでいる。

 

 ランク付けがあるわけではなかったが、人間が住むには最底辺の場所だという意味で使われていた。事実、F地区の住民達には住民票がなく、その日暮らしの劣悪な生活を強いられていた。海が近いので食事に困らないと思われがちだが、カイヘンはそうでなくとも漁獲量の制限をカントーから受けている。彼らが生活の糧にしているのは合法すれすれの仕事と、僅かしか釣れない獲物だけだった。その獲物さえ、住民同士の小競り合いで奪い奪われを繰り返している。

 

 コウエツシティの人間も見て見ぬふりで、ウィルさえもF地区の治安には関わってこようとはしない。自分から面倒ごとに突っ込む趣味がある人間以外はF地区には臭いものには蓋の理論で、近寄ろうともしなかった。

 

 ユウキとて、ランポが指定したのがF地区でなければ一度だって来る事はなかっただろう。スクールの規定でF地区には近寄るなと言われていた事に加え、ミヨコも普段から口を酸っぱくして言っていたからだ。

 

 ユウキは初めてF地区に踏み込んだ。

 

 F地区の入り口にはかつて市場であった頃の名残か、鳥居のようなゲートが設えてあった。経年劣化で錆びついているものの、赤みがかっているのが分かった。ゲートを抜けると座り込んでいる住民達が目についた。

 

 F地区の住民だろう。夏が近づいているというのにぼろぼろの外套を着込んでおり、ユウキを見やると卑しく笑みを浮かべた。ユウキはできるだけ目を合わせないようにしながら、ランポの指定した場所へと向かう。

 

 饐えた臭いが立ち込めている。ゴミ袋が捨ててあると思えば、そのゴミ袋は動き出した。緑色の手足を持っており、異臭を放っていた。ゴミ袋の中央付近には眼と口がある。ヤブクロンと呼ばれるポケモンだった。海が近いというのに、側溝からはヘドロのようなポケモンが不気味な声を上げていた。泥まみれの手を振り翳している。ベトベトンと呼ばれるポケモンだ。これらのポケモンが生息する地域は、主に産業排水などが流されている荒んだ場所である。

 

 F地区は昼間だというのに薄暗い。市場であった頃に建てられた背の高い建物が陽射しを遮っている。

 

 ユウキはそんな建物の中の一つに目を留めた。茶色の看板が立てかけられている。ほとんど掠れた文字で、「BARコウエツ」と書かれていた。看板の横には地下へと続く階段がある。ユウキは唾を飲み下した。来た道を見返せば、既に浮浪者がユウキを狙って集まり始めていた。一人で帰るのは危険だった。

 

 もう一度、紙を確認する。『13時にBARコウエツで待つ』と書かれている。ユウキは息を深く吸い込んだ。

 

 粘性を伴った生暖かい空気が肺に溜まり、一瞬むせ込んだが、すぐに持ち直した。自分は今からこの暗闇よりも暗い場所に踏み込もうとしているのだ。だというのに、この程度で臆してどうする。

 

 そう言い聞かせ、ユウキは階段を降りていった。湿っているような壁に手をつきつつ、下階にある扉に目を向ける。木製の扉だったが、ペンキで何やら書いてあった。何重にも塗り固められており、本来の色は分からない。ユウキは扉を引いた。

 

 店内には静かなジャズが流れていた。外とは打って変わって落ち着いた空気であるが、置いてあるテーブルやカウンターは随分と古びて見えた。椅子が倒れている。ユウキがそれに視線を注いでいると、いつの間にか近づいてきた店主に気がつかなかった。店主はスキンヘッドの男で、厳つい体格だった。眼の下に濃い隈がある。コップを拭いていたが、拭いている布きんは薄汚れていた。

 

「なんでしょう?」

 

 低いバリトンの声だった。ユウキは気圧されそうになりながらも、「約束をしているんです」と店内を見渡した。ランポはカウンター席の一番奥に座っていた。ランポが立ち上がり、店主へと呼びかける。

 

「俺の約束相手だ。通してやってくれ」

 

 店主はランポとユウキを何度か見比べた後、ユウキを奥へと通した。カウンターに戻った店主は、まだコップを拭いていた。ランポの隣へと、ユウキが歩み寄る。

 

「座れ。手短に済ませよう。長居すれば厄介な連中がやってくるからな」

 

 ユウキは頷いてランポの隣に座った。ランポはオレンジ色のカクテルを飲んでいた。ランポが店主を呼びつける。

 

「こいつにはソフトドリンクでいい。何がいい?」

 

「何でもいいです」

 

「じゃあ、サイコソーダでもやってくれ」

 

 店主は頷いて、カウンターの奥にある暗がりの中に消えていった。ソフトドリンクは別に扱っているのかもしれない。カウンターには酒瓶が並んでいたが、どれもユウキには縁のなさそうなものばかりだった。高級なのかどうなのかすら区別がつかない。酒瓶を気にするユウキへと、ランポは口元に笑みを浮かべて、「飲んでみるか?」と尋ねる。

 

「いえ。これから話すってのに、酔っちゃ駄目ですから」

 

「酔うとは決まったわけじゃないさ。俺のように酔えない体質かもしれない」

 

 そう言ってランポはカクテルを飲み干した。同性から見ても気持ちがいい飲みっぷりだった。

 

「酔わないんですか?」

 

「ここの酒じゃ酔わないさ。まだ分からないかもしれないが、そういう風にできているもんだ」

 

 ランポのその言葉が終わった時に、ユウキの前へとコップに入ったサイコソーダが出された。いつの間に戻ってきていたのか、店主が暗い目を向けている。ユウキは「どうも」と返したが、店主は何も言わずまたコップを磨き始めた。

 

「入団試験だが」

 

 ランポが少しも酔った様子がなく告げる。ユウキはコップに口をつけていた。市販のサイコソーダよりも炭酸が抜けており、水飴のように甘ったるかった。

 

「明日の夜だ」

 

「急ですね」

 

 思った通りの返答をすると、ランポは少し笑った。

 

「いつだって物事ってのは急なもんさ。まぁ、毎月やっているんだが偶然一番近い日が明日だったという話だ。日にちは問題じゃない」

 

「受かるでしょうか」

 

「どうかな」とランポは頬杖をついた。その言葉にユウキは視線を向ける。ランポは静かな微笑みを湛えてユウキをじっと見つめていた。

 

「お前は、どんな試験だと思う?」

 

 突然の質問に、ユウキは面食らったように返せなかった。「えっと……」と返事に窮していると、店主が口を挟んだ。

 

「お連れさん。リヴァイヴ団に入られるんで?」

 

「ああ。そうだ」

 

 ランポが何でもない事のように返す。店主は口元に引きつった笑みを浮かべた。

 

「まだ子供に見えますが、大丈夫なんですかね」

 

「ここまで来たんだ。肝は据わっているさ」

 

 ランポの言葉に店主は、「そういうもんですかね」と曖昧な返事をした。その意味をはかりかねていると、ランポはユウキへと再び視線を向けた。ユウキは店主とのやり取りのクッションがあったからか、幾分か落ち着いて返せた。

 

「少なくともスクールみたいな試験じゃない」

 

 その言葉にランポが笑い声を上げた。低い天井にランポの声が反響する。店主も僅かながら笑っているようだった。小さな声で呟く。

 

「なるほど。確かに肝は据わっていらっしゃる」

 

「だろう?」とランポは返して、笑いを徐々に鎮めていった。

 

「いいぞ。そういう考え方じゃなきゃな。受かるもんも受からない」

 

 ユウキの肩をバンバンと叩く。少し酔っているのではないか、と疑った。

 

「結局、どういう試験なんですか?」

 

 尋ねると、ランポは首を引っ込める仕草をした。

 

「俺にも分からん。その時の試験官によって異なるからな」

 

 では今のやり取りは何だったのだろう。ランポのいいように泳がされていたような気がして、ユウキは少しだけ気分が悪かった。「ただ」とランポは真面目な顔になって続ける。

 

「そう簡単ではない。お前の言った通り、スクールみたいな試験では決してないんだ。蹴落とす者と蹴落とされる者がいる。それだけは理解しておけ」

 

 ユウキは頷いた。ランポは視線を飲み干したカクテルに向けた。ランポの顔が歪曲してグラスに映る。

 

「難しく考え過ぎるな。お前はただ受かる事だけを考えろ」

 

 そう言ってランポはジャケットの内側から一枚の手紙を取り出した。蝋で封がしてある。蝋の文様は「R」を逆さまにしたものだった。

 

「俺の推薦状だ。ただ推薦状があっても受かるという事を保障できるわけではない。これは受かってから真価を発揮するだろう」

 

「どういう風にです?」

 

「それは受かれば分かるさ」

 

 ランポは口元を緩めた。店主も同じような笑みを浮かべる。二人の間で暗黙の取り決めでもあるのだろうか、と思った。

 

「場所はコウエツシティの中心地、コウエツグランドホテル。一階ロビーにスーツの男がいる。そいつに声をかけてリヴァイヴ団の入団試験に来たと言えばいい」

 

「そう易々といくでしょうか? それにスーツの人間だって何人もいる」

 

「いいんだ。お前はスーツの人間を簡単に見つけ出せるだろう。その時から、既に試験は始まっている。もしかしたらそいつのほうから話しかけてくるかもな」

 

 ランポの言葉には正体不明の自信があった。その自信に引っ張られるように、ユウキは頷く。

 

「明日の夜、八時までにそいつに声をかけろ。そうすれば後はどうにかしてくれる」

 

「いい加減ですね」

 

「そんなもんさ」

 

 ユウキは手紙を受け取った。自分のジャケットの内側に入れる。その様子を俯瞰するように店主が見ていた。その視線は大丈夫なのだろうかという杞憂を浮かべていると、「マスターは大丈夫だ」と見透かした声が返ってきた。

 

「俺達を突き出すよりも、もっとマシな稼ぎ方を知っている。だろ?」

 

「恐れ入ります」

 

 店主は歯を見せて微笑んだ。右の犬歯が金歯だった。店主もまた、裏の世界に生きる人間なのだろう。ランポは紙幣をカウンターに置いた。

 

「うまいカクテルだった」

 

「毎度どうも」

 

 その返答はまるで約束されているかのように滑らかだった。ランポが立ち上がる。ユウキも財布を取り出しかけて、ランポがそれを制した。

 

「お前の分も払っておいた」

 

 ユウキはランポへと頭を下げる。ランポはフッと口元を緩めた。

 

「サイコソーダ一本くらい、なんて事はないさ。その程度で他人に義理を感じる必要はない」

 

 ランポとユウキは店を出た。店主から何か言葉のかかる事はなかった。階段を上ると、すぐ近くで浮浪者が待ち構えていた。ユウキが出てくるのを待っていたのだろう。しかし、ランポを見やると、すごすごと退散していった。ランポの背中に続きながら、F地区を歩くと、時折言葉が投げられる事があった。

 

「おう、ランポ。最近どうだよ?」

 

 フードを目深に被った浮浪者だった。手足が細く、腫れぼったい瞼をしている。ランポは顎に手を添えて、「どうとは?」と返す。

 

「儲かっているのか、って話さ。ここで、どうかって聞くのは健康かどうかってわけがないだろ」

 

「違いないな。まぁ、そこそこもらってはいる」

 

「いいよな。お前は、リヴァイヴ団のチームで。行く行くは幹部か?」

 

「そううまくはいかないさ」

 

「俺は、お前がいいところまで行くと思っているぜ」

 

「買い被るなよ」

 

 浮浪者は、ひひっと笑ってユウキ達の脇を通り抜けていった。一瞬だけユウキを見やったが、特に追及してくるわけではなかった。浮浪者の背中が見えなくなってから、「この街は」とランポが口を開く。

 

「いつからかこうなっちまった。俺はF地区の生まれだ」

 

 その言葉に思わず、「えっ?」という声が漏れていた。ランポは笑って、「ここがまだ市場だった頃の話さ」と遠くに視線を投げた。

 

「その頃は随分と栄えていたんだが、落ちぶれるもんは落ちぶれるのさ。ある意味、仕方のない流れだと思っている」

 

「でも、F地区がこうなったのはカントーやウィルのせいなんじゃ」

 

 ユウキの言葉にランポは歩みを止める事なく、「かもな」と返す。ユウキはランポがどこへ向かおうとしているのかはかりかねていた。少なくともF地区を出るルートではない。どちらかといえば深部へと踏み込んでいる。先ほどよりも浮浪者の数が増え、道行くユウキ達を物珍しそうに見やる。

 

「だが、それを受け入れて怠惰に流されたのはここに生きる人間の責任能力の欠如だ。確かにそういう状況には落とされたさ。だが、そこから盛り返す力を持たなかったのもまた罪だ」

 

 ユウキはランポのあり方に疑問を抱くわけではなかったが、リヴァイヴ団ならばカントーやウィルを悪と断じているものだとばかり思っていた。とかく、白と黒を分けたがるのだ。だからこそ、ランポのような灰色の道を歩く人間がいた事に新鮮さを覚えた。

 

「ランポさんは……」

 

「さんはいらない。俺とお前はほとんど対等だ。そういう線引きは好きじゃない」

 

 意外な返事に、ユウキはすぐに対応した。

 

「ランポは、そういうものを是としたカイヘンの人間を憎んでいるんですか?」

 

「憎む、か。そういうわけじゃない。確かに俺の育った環境は悪くなった。カントーやウィルのせいでもあるだろう。しかし、責任を一方に押しつける事はできないと言っているんだ」

 

「でも、F地区の人達は」

 

「ああ、虐げられていると思って生きているだろうな。だが、そこから這い上がる術だってあるんだ。同時に、それが地獄ではない。本当の地獄というものが、まだこの世にはいくらでも存在する」

 

 まるで見てきたような言い草だった。事実、そうなのかもしれないが問いただすつもりにはなれなかった。潮の香りが漂ってくる。前を見ると、紫色の布が建物を跨いでかけられていた。向こう側の景色を覆い隠している。ランポは布の向こうへと歩みを進めた。ユウキもその背中についていく。

 

 開けた景色は一面の青だった。

 

 灰色のテトラポッドが居並び、波打ち際は白い。布の向こうは階段状になっており、降りたところには小さいが砂浜があった。砂浜が太陽の光を反射して、宝石を散りばめたような光を発している。

 

「ここは……」

 

 ユウキは呆然としながら呟いた。ランポが階段を降り始める。

 

「ここはF地区の最深部だ。F地区の住民はここで漁をする。一日の始まりをこの海岸で感じ、一日の終わりをここで思う。見えるか、ユウキ」

 

 ユウキは光る砂浜と焼きつくような海の青さに目を奪われていた。他のエリアでも見た事がない、まさしく輝く海だった。

 

「こんな場所がF地区にあるなんて」

 

「言ったはずだ。地獄ではない。ここはな、次へと踏み出すためのステップなんだ」

 

 ランポがポケットに手を突っ込んで、海岸線に視線を向ける。潮風が長髪を撫でた。中天に昇った太陽が、段階的に海を照らし出す。明日へと向かう階段に見えた。

 

「ここから踏み出せる人間だけが、明日を掴む事ができる。覚えておけ、ユウキ。どんな場所でも地獄ではない。地獄とは、絶望した瞬間に現れるものだ。希望を胸に抱けるのならば、そこはまだ地獄じゃないんだ」

 

 ランポは振り返る。ユウキは胸元に手をやった。鼓動が高鳴っている。まだ生きている。明日へと踏み出す原動力もある。応援してくれている人もいる。ならば、まだ諦めるには早い。地獄から這い上がるチャンスはある。

 

「F地区のこの風景を知らない人間は多い。ここまで来ないんだ。知る由もないだろう。かつて誰もが胸に希望を抱けたこの景色を、俺はまた誰もが見られるようにしたい。地獄の底にいる人間が、また希望を抱けるような景色を、永遠ではない一瞬を、また誰もが見れたら」

 

「それが、あなたの望みですか」

 

「そんな大層なもんじゃないさ」とランポは肩を竦めた。踵を返し、ユウキとすれ違い様に肩に手を置く。

 

「この景色を覚えてくといい。何も説教を垂れようと言うんじゃない。そこは誤解しないでくれよ」

 

「ええ」とユウキは目の前の景色から視線を外せずにいた。

 

 黄昏時には海は朱色に染まるのだろう。月夜には海底に星を抱き、月を映す鏡となる。そして、朝を迎えれば水平線の向こう側から明日を連れてくる。この海は全ての人間にとって、始まりと終わりを告げるものなのだ。

 

「これを見て、明日に繋げようという人間もいる。同時に、布で覆ってこんなものは見たくないという人間もいる。世界はそうして回っているんだ。誰の目にも希望と絶望は等価ではない」

 

 価値観が同じではないのなら、受け取り方次第だろう。ランポは絶望を希望に変えろと言っているのだ。その言葉に確かに胸が熱くなるのを感じた。

 

「僕はリヴァイヴ団に入ります」

 

 海に向けて、もう一度その言葉を口にする。まるで誓うかのように。ランポが、「簡単ではない」と言葉を被せる。ユウキはランポへと振り向いた。その双眸に宿った決意はもはや揺るがなかった。

 

「入ります、必ず」

 

 その眼差しを受けたランポは、静かに瞑目した。

 

「そうか。期待している」

 

 ランポは歩み出した。その背中へと黙ってついていく。一瞬だけ、海のほうを振り返る。凪の時間に入った波が静かにそよいでいた。

 



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第二章 三節「拭えぬ過去」

 その日の夜は家へと帰り、サカガミと夕食を共にした。サカガミの夕食を食べられる最後の夜だと思うと、こみ上げるものがないわけではなかったが、ユウキはぐっと堪えた。サカガミが作ったのはカレーだった。いつも通りであろうとして、一昨日と同じ食事になってしまった事に、サカガミは苦笑していたが、ユウキは「おじさんらしい」と笑って返した。

 

「明日の夜、入団試験がある」

 

 カレーを口に運びながら、何でもない事のようにユウキは告げた。サカガミは、「そうか」とスプーンを置いて顔を伏せた。

 

 自分の事ではないのに、サカガミはユウキよりも深刻そうに見えた。当然だろう。家族同然のミヨコが重態であるというのに、弟であるユウキがリヴァイヴ団に入ると言い出したのだ。心中、穏やかでないのは確実だったが、サカガミは声を荒らげる事もなくいつも以上に平静を装った。その姿が逆に見ていて胸を締め付けられるようだった。

 

「私から言える事はない。ロケット団に入った時には……」

 

「おじさん。言いたくなかったら言わなくてもいい」

 

 ユウキの言葉に、サカガミは「すまない」と返した。

 

「でも、言わせてくれ。私なりのけじめだ」

 

 サカガミの言葉を無慈悲に否定する事はできなかった。自分も言いたい事を言っている。ならば、サカガミにも言う権利はあった。

 

「私がロケット団に入ったのは、ロケット団黄金期の頃だった。今から数えると、十六年前だ。ちょうど、ユウキ君ぐらいの時かな」

 

「おじさんは、どうしてロケット団に」

 

 発してから惨い質問だと感じて、「ゴメン」と顔を伏せた。サカガミはゆっくりと首を横に振った。

 

「いいんだ。当然の疑問だろう。そうだな。シルフカンパニー、という会社を知っているかい?」

 

「確かポケモン事業で成功したって言う。教科書とかで習った。ロケット団の資金の隠れ蓑にされていたって」

 

 ユウキの言葉にサカガミは頷いた。

 

「シルフカンパニーの事業というのは、今で言うと資金洗浄の意味があったんだ。裏で稼いだ金を表の事業に充てる。どこの裏組織でもやっていた事だ。ただシルフカンパニーは規模が段違いだった。ポケモン関係の道具のシェアをほとんど一〇〇%保持していたからね」

 

「その技術がなければ、今の繁栄はない」

 

 その言葉にもサカガミは頷いた。

 

「そうだ。だから、その当時のシルフカンパニーに入社というのは、かなり箔がついた。私は最初、ロケット団とシルフカンパニーが裏で通じている事を知らなかった。無知な若者だったんだ」

 

 今ではシルフカンパニーといえば、八年前のヘキサ事件前後に起こったディルファンスとロケット団の抗争においても語られる事が多い。ロケット団と繋がりのあった企業だが、未だシルフカンパニーは継続している。

 

 カントーではロケット団の被害者というイメージが強い。

 

 幹部連を一新し、脱ロケット団を掲げたシルフカンパニーはクリーンな企業というイメージを確立している。だからこそ、十六年前のサカキによるシルフカンパニーとカントーの首都、ヤマブキシティの占拠において最も多大な影響を受けた企業として最高裁に控訴する事もできた。最高裁は捕らえたロケット団員をろくな裁判もせずに有罪判決を確定。幹部達を失脚させたが、肝心のサカキを捕らえられていない。ロケット団を壊滅させた伝説のトレーナーの行方共々未だに不明と聞く。

 

「だが、知らなかったで通せる話ではない。シルフカンパニーにいた社員の多くが身に覚えのない不当な取調べを受けた。私は、かろうじて取調べを受けずに済んだ。両親が便宜を図ってくれたらしい事が分かったが、私は故郷には帰れなかった。今更、世界の敵の一員であった人間が戻って何になるだろう。家族を苦しめるだけだと私は判断し、カイヘンへと単身、渡った。それが十三年前。ちょうどジョウトでロケット団残党による電波塔ジャックがあった頃だ」

 

 サカガミは自分の辿った道を話してくれている事が分かった。それと同じか、それ以上の道を歩む覚悟があるかどうか問いかけているのだ。ユウキは、「おじさんは」と口を開く。

 

「後悔していないの?」

 

「しているさ。様々な後悔が何度も過ぎった。いっその事、罪は暴かれて欲しいとさえ思った。もしかしたら家族に被害が及んでいるのかと考えるとね、夜も眠れなかったよ。私は、カイヘンでまだ企業イメージの悪くなかった企業へと転職した。シルフカンパニーカイヘン支社と繋がりのあった企業だ。そこで君の両親と出会った。私が元ロケット団だという事を、君の両親は知っていた」

 

 意想外の言葉に、ユウキは「えっ?」と聞き返した。知っていたとは思わなかったからだ。「驚くのも無理はない」とサカガミは続ける。

 

「知っていて、君の両親は私を差別しなかった。対等な人間として扱ってくれたんだ。君の両親は立派な人だった。誇りにしていいと思う」

 

 こんな場面で両親の話が出るとは思っていなかった。ユウキは完全に虚をつかれた形で、口を噤むしかなかった。両親が生きていれば、今回の事件も変わってきているだろう。誇りにしていい、という言葉に素直には頷けない自分がいた。ならば、自分の行動はその誇りを踏みにじっているのではないだろうか。その気配を察してか、サカガミは続けた。

 

「ユウキ君。私は、親代わりなんて言えるほどの事は何もしていない。それどころか君達に負担を負わせた。しかし、一つだけ言える事がある。生きていてさえくれればいいんだ。それだけで自然と救われるものがあるんだよ。私は君達と過ごして、その感情を知った。どうもありがとう」

 

 サカガミが頭を下げる。ユウキは両手を振って、顔を上げるように言った。

 

「どうしておじさんが頭を下げるのさ。僕らのほうだよ、感謝するのは」

 

「私も君達から得たものがあったという事さ。一方通行じゃないんだ、愛って奴は」

 

 その言葉を最後にして、サカガミは食事に戻った。ユウキはそれ以降の言葉を継げなかったが、サカガミの放った最後の言葉だけが胸の中に残った。

 

 愛は一方通行じゃない。

 

 誰かを愛するという事は、誰かに愛されるという事なのだろう。まだユウキには漠然としていて全体像が掴めなかったが、そうやって世界は回っているのだろうという感情だけが思考に昇ってきた。カレーを口に運ぶ。甘口のカレーが、今は少ししょっぱかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽光が窓から差し込んできて、ユウキの顔にかかった。薄っすらと目を開けて、朝の到来を感じる。目覚まし時計が鳴る前に目を覚ましたユウキは、「今日だ」と呟いた。

 

 今日の夜、自分は一線を越える事になる。その現実が自分の中ではまとまりがつかない。

 

 現実感が希薄なのだ。サカガミと昨夜話し、ランポやミヨコにも誓ったというのに自分の中では現実として結実していなかった。ユウキはいつものように朝食を取った。サカガミはいつも以上の事は言わなかった。いつもの朝がいつものように過ぎていく。ユウキは荷物を確認した。もしかしたら二度と家には戻れないかもしれない。その覚悟を物語ったような大荷物、というわけではなかった。いつものように釣竿の入った軽装のバッグだ。変わるところは何もない。ユウキはサカガミの作ってくれた弁当を持って、玄関まで出た。玄関にはサカガミが既に見送る準備をしていた。

 

「行くのかい?」

 

 言外の意味を含んだ言葉に、ユウキは頷いた。いつものようにスクールに行くわけではない。もう戻れない道を辿ろうとしているのだ。ユウキは靴を履きながら、サカガミへと声をかける。

 

「何だか、現実感がないんだけど」

 

「そんなものさ。いつだって踏み出す時の現実感なんてないものなんだ。踏み出して、行き先が定まってから、ようやく来た道を振り返ることができる」

 

 ユウキは立ち上がった。サカガミが見下ろしている。いつか、この日の朝を思い返す時が来るのだろう。その時、見送ってくれた人の事も思い出すに違いない。

 

「夜まではどうするんだい?」

 

「多分、南エリアで釣り糸を垂らしていると思う。スクールに行く気はないし」

 

 いつの間にかそれが当たり前の事になってしまっていた。いつも通りの事をして、少しでも心を落ち着かせよう。ユウキが玄関の扉へと手をかける。振り向いて、口を開いた。

 

「行ってきます」

 

「ああ。行ってらっしゃい」

 

 ともすれば最後になるかもしれない挨拶は思ったよりも呆気ないものだった。特別な意味を持たせられるのはいつだって後になってからの話だ。

 

 ユウキは外に出た。一瞬だけサカガミを振り返る。サカガミは誇らしげな笑みを浮かべていた。一人の人間が旅路の始まりに立ったのを見送っている事を、心底嬉しいと思っている。そのような顔立ちに見えた。ユウキは自分の背中を押してくれる人の顔が笑顔だという事に安堵と喜びを覚えて、口元を緩めた。

 

 背中で扉が閉まる。この瞬間、覚悟は現実を歩むための動力として働く事になる。ユウキは歩き出した。そのままの足で南エリアの漁港に向かう。赤いクレーンが陽光を浴びて、錆びたその身を輝かせている。他に釣り人はいない。

 

 ユウキはいつもの場所へと踏み出し、座り込んだ。釣竿をバッグから出して、段階的に伸ばす。疑似餌と浮きをつけ、ユウキは釣り糸を海へと投げた。ポチャンと軽い音がして、波間へと浮きが流れる。ユウキは釣竿を足元の穴へと固定して、その場に寝転がった。中天に昇りかけた太陽が切り込むように差して、ユウキは帽子を目深に被る。いつだってこうやって時間を潰していた。その日々も今日で終わりなのだと思うと名残惜しくなってくる。ミヨコの言いつけを守らずスクールをさぼり続けた日々だって、それはユウキを形作る重要な日々なのだ。今までの日々は決して無駄ではない。誰の人生も無駄ではないのと同じだった。

 

 釣竿は揺れなかった。これもいつも通りだ。海にいる水ポケモン達もユウキの心情を汲んでくれているのかもしれなかった。釣り人も今日は現れない。今、旧知の人間に会えばもしかしたら甘えが出てしまうかもしれなかったので、ありがたかった。

 

 斜陽が差し込むまで、ユウキはその場に寝転がっていた。クレーンの重低音が腹に響く。ユウキがようやく起き上がった頃には、水平線の向こうへと太陽が沈むところだった。半分くらいは眠っていたかもしれない。ユウキは大きく伸びをして、釣竿を握った。少しだけ揺らしてから、薄く笑う。

 

「釣れないなぁ……」

 

 自分が発した台詞に我ながら笑えてきた。それを望んでいたくせに、言ってみればおかしなものだ。

 

 ユウキは釣竿を海から上げて、バッグに仕舞った。もう使う事はないだろう。海に投げ捨てようかと思ったが、これは繋がりだと感じた心がそれを躊躇った。両親との繋がりであり、生きてきた日々との繋がりでもある。

 

 ユウキは中心街に向けて歩き出した。行き先は決まっている。ランポに告げられた場所――コウエツグランドホテルだ。何が待ち構えているのかは分からない。それでも歩みを止めるわけにはいかない。

 

 ユウキの一歩に応じるように、海から甲高い声が響いた。振り返ると、噴水のような水柱が海から上がっていた。潮吹きだ。潮吹きをするポケモンといえば、相場が決まっている。ホエルコか、または現存するポケモンの中で最大級の大きさを誇るホエルオーだろう。ユウキは苦笑を漏らした。

 

「なんだ、いるんじゃないか」

 

 一度も釣り糸にはかかってくれなかったくせに。見送りだけはきちんとしてくれるらしい。ユウキは手を振った。水柱が応じるようにもう一度上がり、飛沫が舞った。

 



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第二章 四節「入団試験」

 中心街は活気に包まれている。

 

 コウエツシティがウィルの監視下にあるとはいえ、街は発展する。カントーの景気に左右はされるが、コウエツシティの中心街にはビルが乱立し、暮れかけた空へと灰色の手を伸ばしている。

 

 灰色のコンクリートジャングルと海だけを切り取れば人工島の様相が強い。実際、コウエツシティは海に浮かぶ人工島だ。元々は資源を掘り起こすための島だったのだが、人が住み、資源も枯渇すれば帰結する先は開発だけになってくる。ビル群の中の一等地に、金色の意匠を施されたビルがあった。

 

 コウエツシティの中でも一番に贅を凝らした建築物であるそれこそがコウエツグランドホテルだった。遠く、西側にある大観覧車がイルミネーションを灯している。大観覧車を背景に一望できるのもグランドホテルの強みだった。

 

「僕には永遠に縁のないものだと思っていたけれど」

 

 呟いて、ユウキは懐から手紙を取り出す。この推薦状が意味を成すのは入団してからだと聞いた。だとすれば今ではない。恐らくグランドホテルに泊まれるだとか言う話ではない。

 

「何かあるって事か」

 

 独りごちて、ユウキは豪奢なロビーに入った。天井が高く、大理石を敷き詰めたロビーはシャンデリアの光を浴びて黄金に輝いている。

 

 真正面に見えるエレベーターホールの前にはポケモンの彫像があった。二体の屈強そうなポケモンが睨み合っている。彫像は水晶でできているようだった。光の乱反射を受け、内側から輝いている。

 

 ロビーにはチェックインを済ませるためのフロントと、大きく取られたサロンがある。ユウキはきょろきょろと辺りを見渡した。フロントのホテルマンや、エレベーターの前の添乗員、サロンに座っている客などを見たが、スーツの人間は多い。この中からどうやって探せというのだろうか。一人一人聞いてくわけにもいくまい。ユウキはどうするべきか頭を抱えて悩んだが、ランポの言葉が思い出された。

 

 ――その時から既に試験は始まっている。

 

 ユウキは顔を上げた。リヴァイヴ団に入るには実力を持っていなければならないだろう。その人間によって必要とされる条件は異なってくるかもしれない。自分の場合はポケモントレーナーとしての強みを活かす事だ。ユウキはホルスターに手をかけた。モンスターボールを握り、緊急射出ボタンに指をかける。

 

「いけ、テッカニン」

 

 手の中でボールが二つに割れ、光を一瞬で振り払いテッカニンが空気の中に消える。高周波の羽音が耳に届く。テッカニンを出してどうするか、ユウキのすべき事は決まっていた。

 

「テッカニン。スーツを着た人間達からモンスターボールを奪え」

 

 ユウキがテッカニンに命じると、テッカニンは羽音を震わせて、瞬時に掻き消えた。ユウキは視線を巡らせる。その中の一人に目が留まった。仕立てのいいスーツを着た背の高い男だ。口髭を蓄えており、髪を撫で付けている。その男は懐を気にしていたかと思うと、腰を気にして、ポケットをまさぐっている。ユウキはその男に歩み寄った。ボールを払ってテッカニンを赤い粒子として戻しながら、狼狽している様子の男へと言い放つ。

 

「あなたが、リヴァイヴ団の試験官ですね」

 

 ユウキの言葉に男は目を見開いていたが、やがて読めない笑みの中にその感情を隠した。

 

「どうして、そんな事を?」

 

「これから試験が行われる。もちろん、中にはポケモンを持っている人間だっている。ポケモンに対抗できるのは原則、ポケモンだけだ。当然、試験監督者もポケモンを護身用に持っておくのが定石。だというのに、直前にポケモンをなくしては話にならない。今、この場でポケモンの有無を真っ先に気にしたのはあなただ。だから僕は、あなたが試験官だと踏んだ」

 

 ユウキの言葉に男は暫く黙っていたが、やがて顎に手を添え、「なるほど」と呟いた。

 

「伊達ではないな。そうとも、私が試験官だ」

 

 ユウキへと手を差し出す。握手を求めているのではない。ユウキは再びテッカニンを繰り出し、空気の中から弾け出されるように多くのモンスターボールを手に取った。床にばら撒く。

 

「一瞬でそれだけのボールを掏るとは。さて、私のはどれだ?」

 

 試験官は数多のボールの中から探し始める。ユウキは、「どこなんです?」と尋ねた。試験官が顔を上げる。

 

「何がだ?」

 

「試験会場です。ここではないでしょう」

 

「そうそう焦るなよ。お前のせいでなかなか時間がかかる」

 

 試験官はようやく自分のボールを見つけ出した。懐にボールを入れて、胸元を叩く。

 

「これで一安心だ。さて、案内しようか」

 

 試験官はユウキへとついて来るように促した。試験官が行ったのはエレベーターホールだ。添乗員へと煙草の箱を手渡す。その中に金が入っているのが僅かに見えた。添乗員がボタンを押すと、エレベーターが一階へとやってきた。扉が開き、試験官が乗り込む。ユウキも乗った。他の客が乗ろうとするのを添乗員が押し止めた。試験官が扉を閉ざす。何十個と配されたボタンの下に、カードキーを通す認証パネルがあった。試験官が懐からカードキーを取り出して、認証パネルに通す。すると、ガコンと音を立ててエレベーターが下り始めた。一階より下は確か駐車場のはずだったが、扉の上にある階層表示を見ていると、地下一階どころかさらに下へと下っていくではないか。

 

 やがて、「レベルJ」と表示された。突然に、エレベーターの周囲が透けて見渡せるようになる。ユウキは飛び込んできた光景に息を詰まらせた。眼下に広がったのは街だった。それも現代風ではない。屋根が低く、灰色の道路が縦横無尽に走っている。飾りではないらしく、明かりがついていた。それを呆然と見つめていると、試験官が口を開いた。

 

「コウエツシティがその昔、監獄として使われていたことを知っているか?」

 

 試験官は口髭を剥がしていた。どうやら生えていたものではないらしく、変装の一部だったようだ。口髭を剥がした試験官の年齢は分からなかった。若くも見えるし、年齢を重ねた中年のようにも見える。

 

 試験官の質問にユウキは首肯を返した。

 

「ええ、スクールで習いましたから」

 

 コウエツシティは人工島として名を馳せる一方で、脱出不可能な監獄として使われていた。大勢の刑の執行者が強制労働をさせられていたのだという。しかし、それは昔の話のはずだ。今はもう埋め立てられて監獄などないと聞いていた。

 

「その監獄だ。今も刑を執行中の罪人が強制労働をしている」

 

「まさか」

 

 ユウキは目を見開いた。今の時代に強制労働などあるとは思えなかった上に、そのような事が黙認されているなど冗談にしても性質が悪い。しかし、試験官からは冗談を言っている様子は見受けられなかった。

 

 徐々に下層へと下っていく。天井が透けていないので分からなかったが、随分と下ったようだった。ようやくエレベーターが到着する。

 

 下層表示を見やると、「レベルJ」で止まっている。Jとはやはり監獄という意味なのだろうか。それを問い質す前に、扉が開いた。

 

 表のエレベーターホールとは打って変わって暗い空気が蔓延していた。背中合わせのポケモンの彫像がある。頭部の部分が削られたようになくなっていた。試験官に続いて暗がりの中を歩むと、不意に重い音がして眩い光が暗闇に慣れかけていた網膜を刺激した。どうやら照明が焚かれたらしい。丸い照明がそこらかしこから届いて、ユウキ達を照らし出す。

 

 試験官が歩み出したそこには数十人の男達がいた。服装もバラバラだが、彼らが一様に戸惑っている事だけは分かった。男達の中には、灰色の簡素な服を着た者もいる。囚人、という言葉が一番に思い至った。まさか、罪人とも争うのだろうか、と考えていると、試験官は指を鳴らした。すると、暗がりの中から黒ずくめの服装に身を包んだ集団が現れた。試験官を取り巻くように黒服達が立ち止まる。ユウキは彼らに隙を見出そうとして、できなかった。統率された集団だ、という事と、並みの人間ではないことだけは分かった。試験官がユウキを顎で示す。

 

「彼らに加われ、これから入団試験の説明をする」

 

 ユウキはその言葉に従って数十人の中に加わった。彼らの中にはユウキのような子供が珍しいのか訝しげな視線を向けてくる者もあった。ユウキはそれを無視して試験官を見やる。試験官はポケットから煙草の箱を取り出した。黒服の一人が火を用意する。蛍火のように明滅する煙草の煙を吸い込み、長い息を吐き出した。試験官の眼が自分を含めた参加者に向けられる。その瞳が蔑むような光を携えている事にユウキは気づいた。

 

「お前らが今回のリヴァイヴ団の入団試験を受ける人間だ。総勢三十八名。もちろんの事だが、全員を入れてやる事はできない。分かっているな」

 

 そのような甘い条件でない事は百も承知だった。ユウキが息を詰めていると、「なぁ!」と大声が近くで弾けた。灰色の服を身に纏った男だった。

 

「これで合格すりゃ、本当に地上に出してくれるんだろうな!」

 

 久しく人と話していなかったのか、男の声は異常なほど大きい。試験官も顔をしかめている。

 

「約束はできかねるな。まずは説明を聞いてもらわなければ」

 

「そんな悠長な事は言ってられねぇんだよ!」

 

 男は試験官へと歩み寄った。試験官はしかし、男が歩み寄ってくるのをほとんど無視している。その態度が癪に障ったのか、男が拳を振り上げた。

 

「何とか言えよ! この――」

 

「カイリキー」

 

 試験官がそう口にすると同時に、懐から光が迸った。眩い光に男が一瞬立ち止まると、次の瞬間には男の腕を何かが摘みあげていた。男の眼がそちらに向く。ユウキ達もそれを見た。

 

 一言で言うのなら、四つの腕を備えた巨漢だった。コンクリートのような灰色の身体をしており、黒いブーメランパンツを穿いている。腰には王者の証のようなベルトが輝いている。黄色いたらこ唇で、同じ色の毛髪のようなでっぱりが三つ入っていた。明王のような赤い眼が男を睥睨する。

 

 格闘タイプのポケモン、カイリキーだった。ワンリキーからの二進化ポケモンであり、豪腕の持ち主である。カイリキーは男の腕を捻り上げた。まるで昆虫でも摘むかのように人差し指と親指だけで男の腕に圧力を加えている。男が喚き声を上げた。試験官が眉をひそめる。

 

「無様な。カイリキー、やれ」

 

 その声でカイリキーが摘んだ男の腕を振るい上げた。男は身体ごと持ち上げられる。次の瞬間、男の身体は地面に叩きつけられた。果実が潰れた時のような音を発する。一度ではなく、何度も打ち付けた。頭蓋が砕け、血が飛び散る。ユウキ達は覚えず後ずさっていた。カイリキーは全身に血を浴びている。試験官がすっと片手を上げると、ようやくカイリキーは叩きつけるのをやめた。

 

 男はぼろ雑巾のようになっており、意識があるのかないのか分からなかった。試験官はカイリキーが離した男へと歩み寄り、その頭を蹴りつけた。男が呻き声を上げる。まだ生きていたが、それは逆に惨い結果といえた。こんな状態になってまで生きているのは苦痛だろう。試験官は、「はい。一名脱落」と言った。

 

「質問のある奴はいるか? 尤も、説明前に私に質問しようなんていう命知らずはもういないだろうがな」

 

 その通りだった。誰もが黙りこくっていた。試験官はわざとらしく咳払いして、「では」と話し始める。男は黒服達が両脇を抱えて運んでいった。男はどうなるのか、その末路に背筋が凍った。

 

「説明をしよう。お前ら全員をリヴァイヴ団に入れるわけにはいかない。入団試験なんだ。こちらの与える試練を突破してもらおう。合格枠は、そうだな、十人だ」

 

 その言葉に俄かに騒然となった。今は三十七人。約四分の一を蹴落とさなければならない。ユウキは覚えず男達を見渡した。ユウキと同じような視線を巡らせている人間も大勢いた。

 

「そう難しい話じゃない。この地下区内である地点まで辿り着いてくれればいい。ここは中心街の地下だが、コウエツシティ全土に地下空間は広がっている。お前ら、ポケッチは持っているな?」

 

 ユウキは左手のポケッチへと視線を落とした。他の男達も同じように見ている。ポケモンを持っているのならば義務化されている。持っていて当然と言えた。試験官が左手を掲げる。その手にもポケッチがあった。

 

「これからお前らにその座標を渡す。その指定座標に二十四時間以内に辿り着けばクリアだ。どうだ? 簡単だろう」

 

 そんなはずがない、とユウキは思った。何か裏があるはずだ。その思考を読んだかのように、試験官は言った。

 

「ポケモンの使用は自由だ。ただし、地下空間からの脱出は不可能。テレポートや穴抜けの紐は厳禁とする。ただし、地下空間内でのテレポートならばいくら使っても構わない。あくまで出なければいい。それが基本ルールだ」

 

 やはり潰し合いか。半ば予想通りの言葉にユウキは歯噛みした。つまりここにいる全員が敵という事だ。誰も頼れない。

 

「こいつらから指定座標を受け取れ。言っておくが、他人と指定座標は変わらん。全員が同じ場所を目指す事になる。誰かを殺して座標を奪っても意味はないぞ」

 

 試験官は笑ったが、誰も笑えなかった。黒服達が前に歩み出て、並ぶように指示する。ユウキ達は並んで座標を受け取った。ポケッチへと黒服のポケッチからの赤外線通信によるデータが転送される。黒服もポケッチを持っているという事はトレーナーなのだろうか、とユウキは思ったが問おうとは思わなかった。

 

 ポケッチ内に地図を呼び出す。地上と位置関係は変わらなかったが、変化しているのは街並みと起伏だ。道も違うために、ほとんど別の場所だと思うしかなかった。

 

 ユウキはポケッチで方角を確認する。地下では方角が分からなければ目指しようがない。調べてみると、ポケッチに搭載されている方角システムがエラーの表示を灯した。何度試しても、である。ポケッチは高度なGPSを搭載しているために、海底であろうが天空であろうが同じ性能を示すはずだった。それがエラーを起こしている原因は意図的な妨害としか考えられなかった。誰もがそれに気づいたようだったが、先ほどの男の例もあり口にする者はいなかった。

 

「全員、座標の確認を終えたか?」

 

 その声にユウキは指定座標を確認する。中心街から計算すれば歩いて三時間ほどの場所にある座標だった。ほとんど正方形のコウエツシティの俯瞰図の右端に位置している。普通に考えれば東エリア、つまりF地区だったがどこをどう歩けばいいのかなどの詳しいガイドはなされていない。

 

「ではその座標で待つ。諸君らの健闘を祈る」

 

 黒服の一人がテレポート可能なポケモンを繰り出し、試験官の姿が青いオーロラの向こうに消えていく。ユウキ達はそれを見ながら何も言う事ができずにいた。試験官と黒服の姿が消えても、誰一人として動き出そうという者はいない。全員、与えられた状況に戸惑うばかりだった。

 

 ユウキはもう一度、ポケッチの地図を見やる。やはり方角を示すシステムが狂っているのか、地図が一回でも回転すればどこをどう行けばいいのか分からなかった。地図の縮尺を初期値に戻し、ユウキは周囲を見渡す。灰色の服を身に纏った男達は俄かに動き始めていた。囚人、という言葉が突き立つと同時に、なるほど、と納得する。彼らはここで強制労働を強いられていたのだ。ならば地理にも明るいはずである。この状況で一番に動き出すのは囚人である事は自明の理だった。ならば次に動き出すのは、と考える。

 

「次は、多分度胸のある奴、か」

 

 あるいは無鉄砲か、と思考する。地図の方角があてにならない中、動き出すのは危険である。二十四時間あるので、一通りの人間が動き出してから動いても充分に間に合うかもしれない。しかし、ここで先着十人しか枠が取られていない、というプレッシャーが圧し掛かってくる。もし、囚人でも十人到達すればその時点で自分達は失格だ。ならば早く動き出すか、あるいは――。

 

「あるいは、動いた奴を始末しながら目的地を目指す」

 

 ユウキはフッと笑みを浮かべた。よくできている。潰し合わせるための仕掛けだ。戦いを望んでいなくとも、戦わなければ先へは進めない。

 

 殺しても意味がないと試験官は言ったが果たしてそうだろうか。殺しながら、進むのが一番の手ではないか。ユウキは首筋に嫌な汗が滲むのを感じた。早くに歩き出せば、狙われるリスクが付き纏う。かといって歩き出さなければ、先を越されるかもしれない。畢竟、ここから進めない。囚人達は失うものがないから、いくらでも進める。いや、彼らとて命は惜しいだろう。だからこそ、ポケモンを所持しているのだ。

 

 ユウキは、額に手をやって一通り考えてから、顔を上げた。

 

「進まなきゃ、勝てないだろう。誓ったんじゃないか」

 

 輝く海とランポに誓った言葉を思い返す。ミヨコやサカガミに言った覚悟を思い出す。誓いと覚悟を胸に一度抱いたのならば、自分だって怖いものなど何もない。失うものも、この命だけだ。ここまで来たのに、覚悟をなくして進むのを臆する事のほうが馬鹿馬鹿しいというものだ。

 

 ユウキは踏み出した。ポケッチの地図機能をオンにしながら、歩み出す。どうやら囚人以外で進み始めたのはユウキが最初のようだった。他の男達の視線が背中に突き刺さる。ユウキはそれさえも糧とするように前に進んだ。GPS機能が制限されているために、自分がどちらに進んでいるのかすら判然としないが、スタート地点で闇雲に考えを巡らせるよりかはマシだ。

 

 進む足に力を込めようとすると、背後から声がかかった。

 

「なぁ、お前」

 

 ユウキは振り返る。そこにいたのは二人の少年だった。片方はユウキよりも少しだけ背が高い。背が高いほうの少年は脱色した赤毛のような髪の色をしており、癖毛なのか少し巻いている。眼は緑色だったが右眼に黒い革製の眼帯をしている。そちら側の眼は分からなかった。

 

 もう片方はユウキと背丈は同じくらいで、頭に包帯を巻いている。前髪が眼にかかるくらいで、眼も髪も黒色だった。

 

 赤毛の少年は身体にフィットするシャツを着込んでおり、肉体の凹凸がよく分かった。鍛えているようだ。背中に何かを担いでいる。ちょうどヴァイオリンでも入るケースに見えた。重そうだが、赤毛の少年は別に苦にしている様子はない。もう片方、黒髪の少年は細身で着ている服もぶかぶかである。少し頼りなさ気であった。

 

「僕、ですか?」

 

「そう、お前だよ」と赤毛の少年が言った。

 

「何か用でも?」

 

 ユウキが身構えながら言葉を発する。片手はいつでもホルスターにかけられるようになっている。黒髪のほうの少年が俄かに眉を上げた。涼しい目元が鋭く細められる。やる気か、と構えた仕草に赤毛の少年が、「待てって」とお互いを制した。

 

「ここで争うのはやめねぇか?」

 

「それは、どういう……」

 

「だからさ、共同戦線を組まないかって話だよ」

 

「共同戦線?」

 

 この状況で発している言葉とは思えなかった。正気を疑う目を向けると、赤毛の少年は、「俺は正常だぜ」と肩を竦めた。

 

「異常なのはこの状況のほうだ。その中で正常であろうとしなくてはどうする。呑まれたらお終い、だろ」

 

 真実、正常と見える目を向ける少年に、ユウキは勢いを削がれたように構えていた手を下ろした。黒髪の少年はまだ身構えていたが、赤毛の少年が肘でつつく。

 

「そう構えるなよ、マキシ。こいつは危なくねぇ。それは目を見りゃ分かるんだ」

 

 マキシ、と呼ばれた少年はその言葉でようやく警戒を解いたようだった。ユウキが赤毛の少年にも目を向けていると、意味を察したのか、「おう、俺か?」と赤毛の少年は自分を指した。

 

「俺の名はテクワ。まぁ、ミサワタウンで育った田舎者だ。んで、こいつはマキシ。同じミサワタウン育ち。よろしくな」

 

 テクワと名乗った少年はマキシの肩に手を置く。マキシはユウキを睨んだ。どうやらユウキにも名乗れという意味らしかったが、まだ共同戦線を張るつもりはないユウキは名乗るのを控えた。

 

「あなた達は、どういうつもりなんです?」

 

「どういうつもりってのは?」

 

 テクワが応じる。ユウキはポケッチを突き出した。

 

「これはサバイバルゲームだ。先着十人以外は意味がない。かといって進む手立ても少ない。どうするっていうんです?」

 

「先着十名なんだろ。だったら、俺らで三枠埋めりゃいい話じゃねぇか」

 

 意想外の言葉に、ユウキは改めてテクワを見た。本当に正気なのだろうか。しかし、共同戦線を張るというアイデア自体は悪くなかった。

 

「なるほど。しかし、どうやって進むんです? 方位磁石はいかれている」

 

「先に進んだ奴らの後を追えばいいだろ」

 

「それじゃ、先着十名には入れない」

 

「おいおい。これを見ろよ」

 

 テクワは足を踏み鳴らした。見ると仕立てのいい靴を履いていた。

 

「靴が何か?」

 

「鈍い奴だな。地面だよ、地面」

 

 その声にユウキは地面を見つめた。見れば少しだけ地面はぬかるんでいる。海の水がしみこんできているせいだろう。

 

「何も一番に着こうってわけじゃない。でもよ、六番くらいなら確率はあるんじゃないかと思うんだよな」

 

「どういう根拠で?」

 

「だーかーら、地面がぬかるんでいるだろ。ぬかるんでいるって事は、足跡が着くって事だ。足跡が着くってのはよ、やっぱりたくさん人が通れば固められるって寸法よ」

 

 そこまで言われればユウキでも分かった。

 

「先に行った人間の足跡を辿っていくってわけですか」

 

 その言葉にテクワは頷いた。

 

「おうよ。さらに言えば、多分さっきの黒服とか試験官は下見をしているはずだ。まだ新しい足跡があって、なおかつ数が多ければそちらが正解ってわけだ」

 

「なるほど。分かりますけど、一つ問題が」

 

 ユウキが指を一本立てる。

 

「なんだよ」

 

「囚人は強制労働をさせられています。その足跡と誤認する可能性があるんじゃないですか?」

 

「馬鹿だねー、お前」

 

 テクワが顔をしかめて明らかに小ばかにした表情を浮かべる。ユウキは少しむっとなった。

 

「何がですか」

 

「囚人どもの足元見てないのかよ。そこ」

 

 テクワが顎で示した位置を見やる。そこには裸足の足跡が残っていた。ユウキの頭の中で閃くものがあった。

 

「そうか。裸足なんだ」

 

「ご明察。囚人の足跡は裸足だ。すぐに見分けられる。裸足じゃなくって、数が多いほうに進めばそっちが正解。どうだ? 俺の推理」

 

 ユウキは再びテクワを見やった。思っていたよりも観察力に優れ、頭がいいのかもしれない。だが信用すべきかという面でいえばまた違ってくる。共同戦線となればお互いの手の内を明かす事になるだろう。そこまで信用していいものか、と考えていると、テクワが焦れたように頭を掻いた。

 

「まーだ悩んでいるのかよ。さっさと決めろ、オレンジ野郎」

 

「オレンジ野郎?」

 

 言われた言葉を聞き返すと、テクワは、「おう」と頷いた。

 

「名前も名乗らないで、一端に呼ばれると思うなよ。こっちは名乗ったんだ。フェアじゃねぇだろ」

 

 その点では確かにテクワ達のほうが手の内を明かしている。名前くらいいいか、とユウキは感じて名乗る事にした。

 

「ユウキです。コウエツシティ育ち」

 

「へぇ。じゃあ地理とか分かるのか?」

 

「いや。僕も地下にこんな空間があるのはさっき初めて知った」

 

「なんだよ、使えねぇなー」

 

 テクワが頭を掻いて喚いた。この少年は頭がいいのか悪いのかよく分からない。一方、マキシは先ほどからユウキへと警戒の眼を注いでいる。テクワに警戒するなと言われて表面上は気にしていないものの、先ほどから肌を焼くような視線を感じていた。テクワは、「じゃあ」とユウキを指差した。

 

「余計に共同戦線張るべきじゃねぇか。一人で行けると思っているのかよ」

 

「他の人間は皆、ライバルです。先を越されては堪ったものでは――」

 

「だから、三人で三枠埋めようって言ってんじゃねぇか。分からず屋だねー、お前」

 

 テクワの言葉にユウキは眉をひそめた。マキシはテクワの言葉に何も思うところはないのか黙っている。ユウキは意地になって言い返した。

 

「そう簡単にいくとは思えません」

 

「それに関しては俺も同感だ」

 

 テクワの言葉にユウキが目を見開いていると、テクワは足を踏み鳴らしながら、

 

「たった一人で攻略できると思っていない。ただ座標を目指して一日歩くだけなら、本当に運頼みだろう。そうじゃないんだ。きっと、何か裏がある」

 

 テクワの言葉はユウキも思っていた事なだけに、自然と言葉がついて出た。

 

「……ポケモンによるバトルロワイヤル」

 

「例えば、それだな。もしくは、もっと何かがあるのかもしれない」

 

「何かって」

 

 何だろう。ユウキが真っ先に思い浮かべたのは潰し合いだったが、他に何があるのだろうか。

 

「どちらにせよ、一人じゃ無理だろ。意地張らずに共同戦線と行こうぜ」

 

 テクワが手を差し出した。ユウキは握るべきか迷ったが、テクワの言っている事ももっともだ。思っていたよりもこの少年は冷静である。ユウキはマキシの様子を窺った。マキシは異論がないのか、睨む目だけを寄越している。

 

 ユウキは差し出された手を握った。

 

「じゃあ、少しの間だけ共同戦線という事で」

 

「おお、決まりだな」

 

 テクワが繋いだ手を振るって笑顔を浮かべる。人がいいのかもしれない。ユウキは苦笑いを浮かべた。素直に笑う事はできなかった。

 



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第二章 五節「弱点」

「どれ、まずは地図を確認しようぜ」

 

 テクワがポケッチを差し出す。ユウキは口を挟んだ。

 

「地図は全員、同じものだって聞いたけど」

 

「そんなの確認してみないと分からねぇじゃん。もしかしたら座標が違うかも知れないし」

 

 テクワの言葉にユウキもポケッチを突き出した。三人がそれぞれお互いのポケッチを見やったが、どれも表示されている地図は同じだった。座標も同じで、方位磁石が狂っているのも同じである。

 

「やっぱ、そう簡単な話じゃないか」

 

 テクワは後頭部を掻いた。マキシは前髪を気にしている。ユウキはポケッチの電源を確認しながら、「それでも収穫がなかったわけじゃない」と言った。

 

「というと?」

 

「黒服や試験官は、嘘は言っていないことが証明された」

 

 少なくとも安心できる材料にはなる。与えられた情報に嘘が混じっていないという事実は、進む上で原動力になるはずだった。だが、テクワは気落ちを隠しきれない様子で肩を落とした。

 

「でも、結局、地道な方法しかねぇってことだもんな」

 

「テクワさんが言ったんでしょう。足跡をつけていくしかないって」

 

「ん、でもな。やっぱ、少しくらい楽したいじゃん」

 

 正直な反応だった。ユウキは少しだけ笑えた。

 

「とりあえず、進みましょう。そうすれば、何かヒントがあるかもしれない」

 

「だな」とテクワも同意の声を出して、ケースを担ぎ直した。ユウキはテクワの腰元を盗み見る。モンスターボールを吊るすホルスターの類はない。だとすれば、ケースの中に入っていると考えるのが順当だろう。だが、トレーナーが所持できるポケモンの数は二体までだ。ケースにわざわざ仕舞っておく必要性はない。

 

 考えを巡らせていると、マキシがじっと睨んでいる事に気づいた。ユウキが声をかける。

 

「何か?」

 

「別に」

 

 冷たい声音だった。ここに来て初めてマキシの声を聞いたが、声は高いのに、どこか醒めている感じだった。

 

「とりあえず、最初は囚人についていこうぜ。その後、ルートを決めていけばいい」

 

 テクワの提案にはユウキも同意だった。一番に方角を分かっているのは囚人達だ。ただし、彼らよりも先に行かなければ先着十人には入れない。途中からは独自ルートを取る必要があった。

 

 三人は目についた囚人の後ろを気づかれないように距離を取ってついていった。囚人の足首には鎖がつけられている。じゃら、と歩くたびに鎖が地面に擦れて音を発した。固まって歩きながら、ポケッチに視線を落としていると、テクワが、「なぁ」と話しかけてきた。ユウキが顔を上げる。

 

「何か用でも?」

 

「堅苦しいのはなしにしようぜ。そう歳も変わらないんだからよ。俺の事はテクワでいいし、こいつの事はマキシでいい」

 

 テクワがマキシの頭を掴む。マキシは特に嫌がるわけでもなく、ポケッチの地図を見ながら淡々と歩いている。

 

「ええ、でも僕の癖みたいなものですから。それに歳が変わらないといっても、僕よりかは年上でしょう」

 

「多分な。お前は何歳?」

 

「十五です」

 

 その言葉にテクワは、ほうと声を上げた。

 

「若いね。っても、俺も十六になったばかりだから、そう変わらないけどな」

 

「じゃあ、マキシも」

 

 ユウキの声にマキシが鋭い視線を投げてきた。テクワの許可があったので呼び捨てでいいと思っていたが、そうでもないのか。その視線に気づいたテクワはマキシを肘で小突いた。

 

「馬鹿。せっかくフレンドリーにいこうと思っているのになんて目をしてやがるんだ」

 

 その言葉でマキシは視線を伏せた。ユウキが見ていると、「気にしないでくれ」とテクワが言った。

 

「こいつ、とにかくキレやすいんだ。頭の怪我もよー、もうすぐ入団試験だってのに、今朝作ってきやがった。泊まっていた民宿でトラブル起こしたみたいでさ」

 

「そういえば、どうしてミサワタウンから?」

 

「ああ。ユウキは知らないのか。リヴァイヴ団の入団試験って、ここでしかやってねぇんだ」

 

「この地下空間でしか?」

 

 尋ねた声に、テクワは頷いて天井を仰いだ。ユウキもその視線の先を追ったが、天蓋は灰色でところどころくすんでいる。太陽の光はおろか、月や星の光さえも拝めそうになかった。ぽつぽつと立っている街灯だけがこの空間を照らしている。ほとんど真っ暗闇に近かった。街灯だって、リヴァイヴ団が後から建設したものだろう。そうでなければ、強制労働のために作られた名残か。そう考えると身震いした。血の滲んだ道の上を自分達は歩いているのだ。

 

 テクワはユウキの想像など露知らず、話を進める。

 

「そうそう。カイヘンの各地でPRやっているくせに、入団試験はここだけだ。どうしてだと思う?」

 

 ユウキは顎に手を添えて少し考える仕草をした後、広大な地下空間を見渡しながら言葉を返す。

 

「ここぐらいしか隠密に動ける場所がないから、じゃないでしょうか」

 

「多分、正解だ」

 

 テクワがびしりと指差す。多分、ならば最初から正解などないではないかと思ったが言わないでおいた。

 

「リヴァイヴ団はまだ目立った活動をしたわけじゃないが、カイヘンでは着実に手を伸ばしている。このままいけば、第二のロケット団にはなるかもな」

 

「ロケット団……」

 

 口にしてみてサカガミの事が思い出された。残してきた家族、その存在が今更に感じられる。今朝、決意を固めて出て行ったというのに、まだ未練はあるらしい。

 

「うん? どうした、ユウキ」

 

 ユウキの発した言葉のニュアンスの微妙な違いに気づいたのか、テクワは眼帯のほうの眼を向けてきた。その眼帯の下が気になったが、そちらには触れずに、ユウキは話題を変える事にした。

 

「いえ。テクワ達は、どうしてここまで来たんです? そうまでしてリヴァイヴ団に?」

 

 言ってからいきなり踏み込んだ質問になってしまったか、と感じたが、テクワは気にする素振りもなく応じた。

 

「ああ。俺はさ、お袋がロケット団だったんだ」

 

 意外な告白に、「えっ」と返事に窮した。テクワは鼻の下を擦りながら続ける。

 

「それでさ、ミサワタウンって結構、いい人達ばかりだったんだけどやっぱ、ちょっと知らない街とか役所とか行くと軽蔑の眼差しを向けられたりとか、差別受けたりとかあったんだよ。俺が気にし過ぎだったのかもしれないけどさ。元ロケット団員は旅行の一つすら自由じゃねぇし、そういう迫害みたいなの、を結構、肌で感じてきたわけよ」

 

「すいません。なんかいきなり聞いちゃいけない事を聞いたみたいで……」

 

 言ってから、これが差別なのではないかと感じた。そうやって線引きする事こそがテクワの嫌がっている事ではないのか。気づいたユウキは被せて謝罪した。

 

「すいません」

 

「謝るなよ。俺が悪い事してるみたいだろ」

 

 テクワの言う通りだ。こうやって線を引いて相手は自分と違うと思う事こそが、既に差別なのだ。境遇も似通っているというのに、どうして実の親がロケット団だったというだけで憐れみを向けられなければならないのだろう。テクワはきっと、胸を張って生きたいだけなのだ。

 

「まぁ、あれだ。そういう事でさ、ロケット団を排斥すべきみたいなウィルにはいいイメージ持ってねぇの。お袋は俺に多分、リヴァイヴ団なんかに入って欲しくないんだろうけど、俺は自分で道を選びたかった。お袋や、他のロケット団の人達がもうちょっと顔を上げて往来を歩けるようにはしてあげたいんだよ」

 

 自分の理想と重なって見えるテクワの話には希望があった。ユウキは思わず笑みをこぼす。それを見て、テクワは怪訝そうな目を向けた。

 

「なんだよ」

 

「いや、あなたはいい人だと思って」

 

「うるせぇ。照れるだろ」

 

 テクワは少しだけ頬を紅潮させて、ユウキを小突いた。マキシは黙ってポケッチに視線を落としながら歩いている。どうやら会話に加わる気はなさそうだったが、テクワがマキシの肩を引き寄せて、指差した。

 

「こいつは別にそんな事ないんだけど、キレやすくってさ。ウィルから度々マークされてやがんの。だから自然と仲良くなっちまったみたいなところはあるかな。はぐれ者同士でさ」

 

「やめろよ」とマキシがテクワの手を振り解いた。テクワは肩を竦めて、ユウキに向き直る。

 

「ユウキは? どうしてリヴァイヴ団に?」

 

「僕も、テクワと似た理由で家族のためなんです。僕のせいで傷つけてしまった人がいて、今も傷つき続けている人がいて、その二人をどうにかしたくって、僕はリヴァイヴ団に入る事を決めました」

 

「へぇ、じゃあ俺らって似た者同士って事か」

 

「そうなりますね」とユウキが笑うと、テクワは人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「いいな、そういうの。お前、いい奴じゃんか」

 

 テクワが指鉄砲を作って、ユウキに向けた。ユウキも同じように指鉄砲を作る。お互いに心を見せ合えたような気がしていた。こうして人の輪は広がっていくのだろう。

 

「そういや、お前のポケモンって何だ? 俺の手持ちは特別だからちょっと出すのに手間取るけど、お前はホルスターだろ」

 

 テクワがユウキの腰のボールに気づいて指を向ける。ユウキは見せるべきか一瞬悩んだが、テクワの気安い笑みに押されるように見せる事にした。ほとんど似た境遇を持っているのだ。警戒する必要はないと感じたのである。

 

「これです。テッカニン」

 

 さすがにボールから出すのは気が引けて、ユウキはボールだけ手渡す。テクワはボールを明かりに透かして中のテッカニンを見たようだった。

 

「ほう。テッカニンか。珍しいな」

 

「ツチニンなら野生でいますよ。野生のテッカニンは少し珍しいかもしれませんけど」

 

「いや、このポケモンを使っている奴が珍しいって話」

 

「そうですか?」と応じながらも、ユウキ自身珍しいと感じていた。スクールにいた頃もテッカニンを使っているトレーナーは一人もいなかった。

 

「ありがとな。なんか信頼してくれてるみたいで嬉しいよ」

 

 テクワはユウキにボールを返した。その時である。

 

「テクワ。地面を見ろ」

 

 そう言って足を止めたのはマキシだった。テクワとユウキもマキシの示す方向を見やる。道が二つに折れており、両方に踏み固められた跡があった。ユウキとテクワは顔を見合わせる。

 

「早速、作戦失敗か?」

 

「いえ、そうとも限りません。囚人がどっちに行くか見ていれば」

 

 その場で固唾を呑んで囚人の行方を見守る。囚人は少しだけ惑うような挙動を見せたが、右側の道へと折れていった。ユウキが頷いて、テクワ達に促す。

 

「右側に行きましょう」

 

「いや、俺は一応左も見てくる」

 

 テクワが一歩踏み出して、左側の道を目指す。その背中にユウキは声をかけた。

 

「テクワ。あなたが言い出したんですよ」

 

「分かってるっての。だから言い出したモンの責任って奴よ。左側を暫く見てから、そっちに追いつく。なに、心配すんな。左が正しい道だった時は呼び戻してやるからよ」

 

 ユウキが呼び止めようとするのも聞かずにテクワは鼻歌を口ずさみながら歩いていく。背中のケースが等間隔に揺れた。ユウキは、しかしその歩みを止める決定的な言葉を持たずに、その場で立ち尽くすしかなかった。テクワの背中が見えなくなってから、マキシが歩き出す。ユウキが声をかけようとするが、マキシは鋭い一瞥を向けただけだった。その眼差しに何も言えなくなっていると、

 

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 

 一言だけ告げて、マキシは右側の道に向けて歩き出した。ユウキは暫くその場で硬直していたが、やがてマキシの背中を追って歩き出した。テクワを信じるのならば、マキシと共に行くしかない。

 

 マキシはポケッチに視線を落としており、ユウキと話す気は毛頭ないようだった。少し遠くなった囚人の背中を追う。マキシに話しかける気にはなれなかった。マキシ自身、そういう馴れ合いのようなものは望んでいないようだ。

 

 無言の距離が思ったよりも遠く感じる。先ほどまでかなり近い距離の会話を楽しんでいたからだろう。リヴァイヴ団の試験に来て楽しんでいる自分を発見し、ユウキは少しばかり驚いた。こんな時でも、人は笑えるものなのだ。胸のうちに暖かいものが湧いてくる感覚がする。それをマキシとも共有したくて、話しかけようとした。

 

 その時である。

 

 マキシが立ち止まり、険しい表情を囚人に向けた。

 

 それとほぼ同時に、囚人に向けて空気を裂く球体が発せられた。黄金の電流を発し、球体は囚人の頭部を割った。囚人の側頭部から血が迸り、余剰の電流が皮膚を焼いていく。囚人は跳ねるように二、三度痙攣した後、その場に倒れ伏した。

 

「誰が……!」

 

 ユウキはホルスターにあるボールに手をかける。マキシが周囲を見渡す。マキシも腰のボールに手をやっていた。地面を見やり、下唇を噛む。

 

「濡れているな。ちゃんと靴は履いてるだろうな」

 

 その問いに、ユウキは足元を見やった。今の攻撃が電気タイプのポケモンのものならば感電を恐れたのだろう。ユウキは頷いた。

 

「大丈夫。ちゃんとそういう対策はしてある」

 

「なら、いい」

 

 マキシの言葉は短いが、警戒を解く事はない。戦い慣れている、という言葉が突き立った時、静寂を破る哄笑が聞こえてきた。ユウキとマキシが同時にその笑い声の方向へと目を向ける。

 

 そこにいたのは金髪の男だった。獅子のように豊かな金髪で、黒いジャケットを羽織っている。屋根の上に二、三人の男達と連れ立っていた。その中の一人は灰色の囚人服を着ていた。自分達と同じように徒党を組んでこのサバイバルゲームを乗り切ろうとしている輩だろうと当たりをつける。

 

「待っていたぜぇ」

 

 金髪の男がそう口にする。男の足元で何かが蠢いた。ユウキはそれを見つめる。現れたのは黄金の体色をした大蜘蛛だった。緑色の複眼を有しており、複数の脚を同時に動かしている。生物の根源的な部分が忌み嫌うような動きをしていた。臀部から青い体毛がV字型に逆立っている。

 

「デンチュラの射程にお前らが入るのをよぉ」

 

 デンチュラと呼ばれたポケモンが前足を掲げる。体表で電気が跳ね、前足へと集約されていく。瞬く間に球体を成し、余剰電流が屋根の上で弾けた。

 

「デンチュラ、エレキボール!」

 

 デンチュラが電気の塊を放った。電気タイプの技、「エレキボール」。素早さが高ければ高いほどに威力を発揮する技だ。ユウキとマキシの道を塞ぐように、眼前へと「エレキボール」が着弾する。泥が跳ねた。

 

 ユウキは飛びのき様に、緊急射出ボタンを押し込んだ。光を纏う前に、テッカニンが空間へと消える。高周波の羽音が聞こえ、デンチュラを操っている金髪の男へと狙いを定める。こめかみに一撃を加えればいい。そうすれば卒倒させるくらいはできる。

 

 見たところ電気タイプのデンチュラに対して真っ向勝負を挑むのは危険だった。

 

 テッカニンは虫・飛行タイプである。いくら素早くとも、電気タイプに対しては効果抜群の優位を取られる事になる。一撃で仕留める自信ならポケモンよりもトレーナーを狙う事だった。

 

 幸いにして、ポケモンを繰り出しているのは金髪の男だけだ。相手はこちらの戦力をなめきっている。

 

 今ならば、とユウキは感じた。ユウキの眼にさえテッカニンの姿は映らない。高速戦闘時にはユウキは感覚でテッカニンを操る事になる。だが、テッカニンはユウキの思考パターンを理解しているために、この時はどう動くかという事に関しては叩き込んであった。間違いなく、金髪のこめかみを狙い打てる。そう感じた瞬間だった。

 

「あめぇんだよ」

 

 その言葉の意味を解する前に、テッカニンが空間で止まった。男のこめかみへとあと数十センチのところだ。そこで何かの壁に阻まれたようにテッカニンの動きが鈍ったのである。

 

「何が……」と声を上げたユウキは次の瞬間、空気に溶けるような細い銀色の糸を見た。男達を囲うように銀色の糸の籠が張り巡らされている。その糸はよく見れば、青い電流が走っていた。ユウキの眼でなければ見えなかったであろう糸の存在に、金髪の男が、「その距離でも見えるとはな」と鼻を鳴らす。

 

「これはエレキネット。デンチュラの技だ。相手の素早さを下げる効果を持ち、同時にこちらを護る鉄壁の糸の結界を作り出す。そして――」

 

 金髪の男がテッカニンへと眼を向ける。しまった、と感じた時には糸を手繰るようにデンチュラがテッカニンへと前足を向けていた。

 

「まんまと引っかかったわけだ。何も知らない無知な獲物がな」

 

 男が耳障りな笑い声を上げる。それにあわせるように、他の男達もポケモンを繰り出した。全員、デンチュラだった。脚の付け根や複眼など細部の色が異なるが、ほとんどレベルも同じだろうとユウキには見えた。デンチュラ達が口から糸を吐き出す。「エレキネット」の糸が絡まり合い、太くしなやかになっていく。

 

「デンチュラ四匹によるエレキネットの相乗効果ははかり知れない。それもこれも、お前らのお仲間のおかげだよ」

 

 思いがけぬ言葉に、ユウキは「何だって?」と聞き返していた。金髪の男は酔ったように身をくねらせた。

 

「さっきお前らの下を離れた眼帯の奴だよ。そいつにテッカニンの情報を教えてもらっていたのさ。素早いから用心しろってな。それさえ封じればこっちのほうが素早いってのによー!」

 

 ユウキはその言葉に愕然とした。目の前で何かが崩れ去るような気がした。視界が暗くなり、ゆらゆらとぐらつく。ユウキは立っていられなくなりそうだった。まさか、テクワが騙したというのか。至ったその考えに、マキシへと目を向ける。マキシは醒めた様子で、唇から言葉を紡いだ。

 

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 

 先ほどと同じ台詞が先ほどとは違う意味で心を抉った。マキシは知っていたのだ。知らなかったのはユウキだけだった。裏切られた、という言葉が突き立ち、ユウキはその場に膝を落とした。金髪の男が顔に手をやって、「騙されるほうが悪いんだよー!」と叫んだ。

 

「これはサバイバルゲームなんだぜ? 信じたほうが馬鹿を見て、誰も信じられない人間が得をする。裏の世界ってそういうもんだ。それを、知りもしないケツの青いガキがよ。こいつだけで勝てると思っていやがる」

 

 テッカニンは電気の網を何重にも身体に受けて動けないようだった。翅を高速で震わせるが、堅牢な電気の結界は解けそうになかった。

 

「せっかくだから教えておいてやる。こいつの弱点を」

 

「……弱、点」

 

 ユウキはほとんど暗がりのような視界でその声を聞いた。顔を上げると、金髪の男は勝利の愉悦に浸った顔で口にした。

 

「この速度そのものだ。高速戦闘のために、翅を震わせる。その音こそが弱点。熟練すりゃだいたいの位置は分かるんだよ。アホくせー、まるで意味なしだ」

 

 その事実はユウキをさらなる奈落へと突き落とすには充分だった。テッカニンは先手さえ取れれば無敵だと思っていた。屋外戦ならば弱点を看破される前に敵を倒す事ができると。しかし、そのような弱点があるとは思いもしなかった。スクールでは弱点などなかった。誰にも負けることはなかったというのに。

 

「ここはスクールじゃねぇんだよ」とユウキの心境を読んだように金髪の男が告げる。

 

「まさに井の中の蛙だな。スクールで勝てたから、リヴァイヴ団にも簡単に入れると思い込んでいたんだろ。なめてんじゃねぇぞ、ガキ」

 

 ユウキの中で絶望的な響きを伴って反響する。デンチュラが前足を掲げて、動けないテッカニンへと狙いを定めた。「エレキボール」が生成され、体表を無数の電気が跳ね回る。テッカニンへと指示を出す気力もなかった。「バトンタッチ」で切り抜けるべきだという思考も働かない。そもそもエレキネットに絡め取られた時点でバトンタッチが有効とも思えなかった。四匹のデンチュラが絡め取られたでくの坊と化したテッカニンを葬るために、エレキボールを放射しようとする。

 

「じゃあな。これでお前らの主力は潰した! 脱落しやがれ!」

 

 エレキボールが放たれるかに思われた、その瞬間である。紫色の残像がデンチュラを一体、引き裂いた。デンチュラの身体が傾ぎ、断ち割られた脚が宙を舞う。不意打ち気味のその攻撃にエレキボールが中断された。

 

「何だ?」と男が呻く前に、もう一撃、紫の刃が襲い掛かった。屋根瓦を砕き、男達の足場が脆くなる。男達は咄嗟に飛び退いた。地面へと着地し様に、攻撃してきた対象を見る。ユウキもそれを見ていた。

 

 そこにいたのは細い体躯を持つ人型のポケモンだった。眼光鋭く、赤と黒を基調とした服のような身体は王宮に仕える騎士のような井出達である。腹部から円弧を描いた刃が突き出しており、全身これ武器のような鋭角的な身体をしている。出刃包丁のような手を振り翳していた。その手に紫色の波動が宿っている。今の攻撃はそこから放たれたのだと知れた。金髪の男が、「何だ、ありゃ」と呻くように言い放つ。

 

「聞いてねぇぞ。まだ戦力がいやがったのか」

 

 騎士のようなポケモンは後ろから歩み寄る主人の気配を感じて、その手を下ろした。

 

「――キリキザン」

 

 主人――マキシがそのポケモンの名を呼ぶ。キリキザンは出刃包丁のような手を振るい上げた。

 

「サイコカッター」

 

 キリキザンの振り上げた手に紫色の波動が浮かび上がり、オーラのように纏いつく。膨張した光を一点に留め、刃のような輝きを宿した瞬間、キリキザンは腕を振るい落とした。紫色の波動の刃――「サイコカッター」は降り立ったばかりでまともに戦闘準備ができていないデンチュラ一体を襲う。左部分の脚を断ち切り、地面に傷跡を刻みつけた。バラバラになった脚が舞い散る中、金髪の男はようやく事態を察知したのか叫んだ。

 

「散れ! このままじゃ、切り刻まれるぞ!」

 

 その声に弾かれたように男達とデンチュラが駆け出した。キリキザンとマキシは周囲へと視線を配りながら、鼻を鳴らす。

 

「雑魚なりに動きやがるか。面倒だな」

 

「なめんな、ガキィ。いいから、脱落しろよ!」

 

 男の中の一人がキリキザンを指差した。デンチュラが脚を巧みに動かして、前足を突き出す。「エレキボール」を放つ前兆だった。

 

「素早さはデンチュラのほうが上! そっちがどれだけ強かろうがよ!」

 

 エレキボールがキリキザンへと放たれる。だが、キリキザンは何もしなかった。逆に身体を開いて攻撃を受け止めた。キリキザンの予想だにしない行動に、男が目を見開いていると、エレキボールがキリキザンに直撃した。黄金の電流が跳ね、キリキザンの身体を蝕む。

 

 その時、キリキザンの身体が俄かに輝き始めた。電流の光ではない。キリキザン自身から光が放射されていく。暗闇を切り裂く光がキリキザンの腹部へと集約され、飛びかかろうとしていたデンチュラが惑う挙動を見せる。

 

 キリキザンは腹部の刃を開いて、腰だめに腕を構えた。瞬間、光が弾丸のように放射された。

 

 キリキザンの腹部の刃を引き移した光の弾丸がデンチュラへと叩き込まれる。一撃目でデンチュラの前足が切り刻まれ、二撃目で複眼へと攻撃が至り、それ以降の攻撃はユウキの目を以ってしても追いきれなかった。

 

 光速のラッシュがデンチュラの身体を際限なく切りつけ、遂には後ろにいた男へと襲い掛かった。男の身体がいとも容易く吹き飛ばされる。男は近くの家屋に背中から突っ込んだ。他の仲間達は黙ってそれを見ているしかできなかった。バラバラになったデンチュラと瓦礫の中の男とをユウキは交互に見やった。

 

「メタルバースト。相手の攻撃を倍にして相手に返す、鋼の刃の応酬。見えたかよ」

 

 マキシの言葉にようやく男達は我に帰ったようだった。ハッとして周囲を見渡し、どうするべきか迷うようにキリキザンとデンチュラを見比べる。力の差は歴然だった。キリキザンが腕を振り上げ、「サイコカッター」を放つ。サイコカッターの刃はテッカニンの周囲に張り巡らされているエレキネットの結界を切り裂いた。自由になったテッカニンが高周波の翅を震わせて、中空を舞う。呆然とユウキが眺めていると、マキシはユウキを見下ろして口を開いた。

 

「解放してやったんだ。早く指示を出せ」

 

 その言葉にユウキはようやく指示を出すだけの頭が働いた。

 

「て、テッカニン、バトンタッチ」

 

 テッカニンが光に包まれてボールに戻ると同時に、ユウキの持つボールが割れて入れ替わりに影が躍り出る。ヌケニンだった。テッカニンの速度を得ているヌケニンはすぐさま、デンチュラの懐へと入る。デンチュラを操る男の反応が届く前に、ユウキは声を張り上げた。

 

「シャドークロー!」

 

 影の刃が爪の先から迸り、デンチュラを下段から突き上げた。デンチュラが仰け反り、衝撃で目を回す。もう一撃、とヌケニンが続け様に攻撃を放った。デンチュラはそのまま仰向けに倒れる。起き上がる前に、ヌケニンがデンチュラの真上を取る。これで反撃の機会は奪ったはずだった。

 

「残り二体、だな」

 

 マキシの言葉にキリキザンが再び腕へと紫色の波動を輝かせる。囚人服の男は短い悲鳴を上げて、デンチュラをボールに戻した。金髪の男が、「おい!」と声を上げる。

 

「まだ勝負は――」

 

「ついてんだろ」

 

 そう応じたのはマキシだった。駆け出したキリキザンが金髪の男のデンチュラへと肉迫する。それに気づくが既に遅い。突き上げられた思念の刃がデンチュラの頭部を割った。血が飛び散り、金髪の男の服を濡らす。金髪の男は後ずさった。デンチュラがまだ動こうとするのを、キリキザンが踏みつける。その身に向けて、叩きつけるようにサイコカッターを放った。腹腔が破れ、脚が弾けたように飛び散る。

 

「脱落すんのは、あんたらのほうだ」

 

 マキシの言葉に、男達は何も言えないようだった。最初に動いたのは金髪の男だ。情けない悲鳴を上げ、背中を向けて逃げ出した。他の仲間が呼び止めようとする。

 

「俺はっ、こんなところで――」

 

 続きかけた言葉を遮るように、音もなく頭蓋が弾けた。何が起こったのか、男達はもとよりユウキにも分からなかった。地面に何かが突き刺さる。ユウキはそれを見やった。拳大の針だ。すり鉢状の針が地面に食い込んでいる。それを見て、ようやく男の頭部を何者かが狙撃したのだと知れた。

 

「何だ?」と言葉を発した男の顎から上が弾け飛ぶ。血が撒き散らされ、囚人服の男にかかった。囚人服の男は腰を砕けさせてその場に尻餅をついた。ユウキはヌケニンを見やった。ヌケニンはデンチュラの上を取ったまま、微動だにしていない。キリキザンに視線を転じたが、キリキザンの仕業とも思えなかった。

 

 マキシがどこかに視線を投じながら、顔をしかめる。

 

「……また、こういうやり方かよ」

 

 その意味を汲み取る前に、マキシはキリキザンをボールに戻した。赤い粒子が棚引いて、キリキザンの姿が消える。囚人だけが相手側のチームで唯一、意識があった。だが、今にも失神しそうだった。

 

 何が起こったのか、それを整理するには時間がかかりそうだった。



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第二章 六節「狙い撃つ、影」

 姿勢を低くして、テクワはスナイパーライフルを構える。

 

 ただし、通常のスナイパーライフルではない。銃の中央部にモンスターボールがあり、折り畳まれていたそれを組み上げると同時に、ボールの中から光が弾けて飛び出した。

 

 現れたのは直立したサソリのような体躯のポケモンだ。紫色で全身に棘がある。上半身と下半身を繋ぐ腰は細く、くびれている。頭部が大きく、頭部から直接腕が生えていた。口の端から白い髭が生えており、脚と身体をくねらせた。

 

「ドラピオン。奴さんはどういう調子かな」

 

 相棒のポケモンの名を呼んで、テクワは眼帯を外した。右眼の色は左眼とは異なっていた。湖畔の月のような蒼だ。照準を覗き込むと、ちょうど敵が現れてユウキがそれに応戦しているところだった。テッカニンを繰り出すが予定通り、デンチュラの網にかかったようだ。

 

「あーあ、やっぱりか」

 

 予想していた事とはいえ、その程度のトレーナーだった事に落胆を隠せない。

 

 テクワはスナイパーライフルの銃口を金髪の男に向けた。しかし、ライフルの銃口は閉じている。溶接されたように穴は塞がっていた。代わりにドラピオンが姿勢を低くして、突き上げて構えた尻尾から針を生成する。ドラピオンの眼が蒼く輝き、瞳孔が収縮する。ドラピオンの特性は「スナイパー」だった。対ポケモン戦においては急所に当たれば威力が二倍になる技だ。しかしテクワはそのような使い方をしなかった。ドラピオンが狙いを定める。ドラピオンの視界と同期した右眼が金髪の男の動向を見据えていた。マキシが動き、手持ちであるキリキザンがデンチュラ達を片付ける。

 

「いいぞ。そうやって戦力を減らしてくれ」

 

 キリキザンがテッカニンを解放し、ヌケニンと一瞬にして入れ替わる。これは想定外だった。ヌケニンの存在をテクワは事前に知らなかったのである。目を見開いて驚いた。

 

「なるほど。テッカニンの速度からヌケニンの特性を利用したローテーションの戦い方か」

 

 フッと口元を歪める。どうやらその程度のトレーナーと判断するのは早計かもしれない。ヌケニンがデンチュラの上を取る。これで形成は逆転した。金髪の男が逃げ出そうとする。その頭部へと狙いを定め、テクワは引き金を引いた。

 

 瞬間、ドラピオンから針が弾き出される。ドラピオンの放った針は、正確無比に金髪の男の頭部を貫いた。

 

「オーケー。ヘッドショット、ヒット。ターゲット1、クリア」

 

 事務的に告げ、次の獲物へと標的を変える。既に撃ち抜いた相手に興味はない。状況を呑み込めていない男へと狙いをつけ、引き金を引いた。ドラピオンから放たれた針が頭を射抜く。男の顎から先が飛び散った。近くにいた囚人服の男に血が飛ぶ。

 

「ヘッドショット、ヒット。ターゲット2、クリア」

 

 テクワは先ほどマキシが吹き飛ばした男へと照準を向けた。男は完全に気を失っており、止めをさす必要はなさそうに見えた。あとは囚人だけだが、テクワはそこでライフルから視線を外した。ライフルを折り畳むと、赤い粒子になってドラピオンが戻る。

 

 テクワは息をついて、ケースに仕舞いかけたライフルを裸で出す事に決めた。どうせ説明を求められるはずだ。ならばライフルを見せたほうが分かりやすいだろう。

 

 眼帯をつけ、立ち上がった、テクワがいたのは二階層分ほど高い屋根の上だった。階段を降りて、ユウキ達の待つ道へと向かう。暫くは両者共に動けないだろう。マキシが自分のやり方をユウキに話しているかもしれない。

 

「そしたら、手間が減るんだけどな」

 

 テクワは口元に笑みを浮かべて、鼻歌を口ずさみながら歩いていった。

 



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第二章 七節「本物」

 テクワが現れた時、何が起こったのか平静を忘れて掴みかかった。

 

 自分の中の感情を抑えられなかった。自分にしては珍しい事だ、と心の中のどこか冷静なユウキが分析する。テクワは襟元を掴んでいるユウキの手を押さえて、「まぁ落ち着けって」と言った。片手にスナイパーライフルを構えている。中央部にモンスターボールがはめ込まれたライフルの異様を見やって、事がそう簡単ではない事を理解した。ただ自分達を利用したわけではない。ユウキはそう分かっていても掴んだ手を離す事はできなかった。テクワが深く頷く。

 

「よーく、分かるぜ。信じていたと思っていた奴に裏切られたんだからな」

 

 テクワの口から放たれた言葉に、ユウキは目を剥いて怒りを露にした。

 

「……どうして、僕の手持ちの弱点を教えたりした」

 

 様々な罵声の言葉が出そうになるのを必死に堪えて発したのはそんな台詞だった。テクワは悪びれる様子もなく肩を竦めた。

 

「俺程度に看破される弱点なら、早めに知っておいたほうがいいだろ? 後々、大事な局面で知る事になるよりかは、今知っておいたほうがいいに越した事はないぜ」

 

 テクワの言葉にユウキは掴んだ手から力が抜けていくのを感じた。そんな理由で裏切られたのか。いや、共同戦線を張るのならば早めに弱点を知る事は有効だったかもしれない。それは同時に、テクワはユウキのポケモン程度ならばいなす事ができるという事実を示していた。自分からは裏切れない。今更独断を取るのは危険だ。この三人には絆はなくとも、裏切ればお互いに不利になる状況だけはある。

 

 ユウキは奥歯を噛み締めた。信じられる人間だと思った。その結果がこれだ。ユウキの心境を察したのか、テクワは肩に手を置いた。

 

「……信じていたか。無条件に。こいつだけは裏切らないって」

 

 ユウキはその手を振り解く。テクワが一歩引いて、「甘いんだよ」と呟いた。

 

「俺達が入ろうとしているのは裏の組織だ。その入団試験でそんな甘さを見せてどうする? 全ての事態を掌握して、自分の思うとおりにコントロールするつもりでいろ。そうじゃなきゃ、簡単に裏切られちまう」

 

 テクワの言葉には不思議と重みがあった。経験の上から来る言葉であることが分かる。テクワもかつて人を無条件に信じて裏切られた事があるのだ。しかし、だからといって他人を裏切っていい理由になどなるのだろうか。自分がされたからといって、他人にしていい理由にはならない。

 

「……だからって、僕は誰かを利用する気なんてない」

 

 負け惜しみのような抗弁は子供の理屈だった。それだけは自分の中で線引きをしておきたい。そうでなければ本当に戻れなくなってしまう。ミヨコやサカガミに顔向けできなくなってしまいそうで。

 

 テクワは息をついた。

 

「分かるよ。お前は心底、いい奴なんだろう。だがな、この場所じゃいい奴ほど馬鹿を見る。ここはまだスタート地点ですらねぇ。これから先、どれだけの裏切りと離別があるんだか分からないんだぞ」

 

 テクワは囚人へと歩み寄った。囚人は腰が抜けているのか、立ち上がれないようだった。テクワは屈み込んで、囚人に告げた。

 

「お前はわざと生かしてやった。知ってんだろ、正規ルート。案内してもらう。異論はないな」

 

 先ほどまでとは打って変わって冷たい声音のテクワにユウキはマキシへと目を向けた。マキシはユウキを僅かに見やり、ぼそりと呟いた。

 

「あいつはいつもあんな感じだよ」

 

 同じ台詞なのに、ずしりと腹に重い物を据えられたような気がした。思えばこの台詞は自嘲でも諦めでもないのだ。ただ事実を告げている。それだけに、受け止めるのには時間がかかりそうだった。

 

「こ、このまま東に真っ直ぐ行けば、目的の座標につく」

 

 囚人が歯を鳴らしながら言葉を発する。テクワは囚人の頭を掴んだ。

 

「本当かー? つーか、東ってどっちだよ。それが分からねぇから、苦労してんだろうが」

 

 囚人の頭を無理やり押さえつけ、テクワが低い声で言った。囚人は慌てて言い直す。

 

「こ、この道で合ってる! この道を真っ直ぐ行きゃ、今度は三つに折れる道があって、そいつを左に、い、行けばいい。そうすりゃ、着けるよ! だから、殺さないでくれ!」

 

 囚人を暫しの間睨んでから、テクワは立ち上がった。ユウキ達へと向き直る。

 

「よーし、このまま真っ直ぐ行くぞ。折れ曲がる道で、俺は一応、張る事にする」

 

 張る、というのは先ほどのような行為を意味するのだろう。マキシは最初から了承しているかのように頷いた。ユウキが頷きかねていると、テクワはユウキの眼前まで歩み寄ってきた。

 

「異論はねぇな?」

 

 確認の声にユウキは渋々了承した。テクワに逆らうつもりはない。その時であった。

 

 テクワの背後で雄叫びが弾けた。

 

 テクワが振り返った時、囚人が腰だめにナイフを握っていた。どこから取り出したのか、咄嗟にテクワはポケモンを出そうとするが、ライフルと一体化しているモンスターボールは唐突な判断には向かなかった。マキシがボールに手をかけようとした瞬間、囚人の身体が横っ飛びに弾け飛んだ。地面を転がり、囚人が醜い小動物のような呻き声を発して倒れ伏す。テクワは暫くそれを眺めて呆然としていた。

 

「――テッカニン」

 

 その声にテクワがユウキへと振り返る。ユウキはボールで空間を薙いだ。赤い粒子が空間に僅かに居残る。テクワがようやく、ユウキがテッカニンで囚人を突き飛ばしたのだと理解した。

 

「僕は、誰も裏切ったりしない」

 

 断固とした口調でユウキは言った。それも一つの覚悟の形だと自分で思った。

 

 裏切り、裏切られが自然の摂理だと言うのならば、自分はその摂理から外れてみせる。

 

 外道に落ちようが構わない。

 

 それでも自分を曲げたくない。落ちるのならば、落ちるなりに自分を貫きたい。

 

 わがままかもしれない。青臭い理想論かもしれない。それでも、突っ走ればそれは王道になるはずだ。そう信じて発した言葉に、テクワは暫く言葉を失っていた様子だったが、やがてぷっと吹き出した。堰を切ったように笑い転げ始める。ユウキが呆然と眺めていると、テクワは笑いを鎮めながら、「いいね、いいね」とユウキの肩を叩いた。

 

「お前、本物だな。いいな、いい奴だ。そこまで貫けりゃ、お前は本物だ」

 

 何の本物だと思われているのかは分からなかったが、テクワは上機嫌の様子だった。九死に一生を拾ったからハイになっているのかもしれない。それとも、元々のテクワの性分なのかもしれない。どちらにせよ、ユウキには分からぬ事だらけだった。マキシが構えた手をだらんと垂らし、ユウキを一瞥する。ユウキはその視線を見返そうとしたが、その前にマキシが視線を外した。テクワはまだ少し笑っている。この、どこか不釣合いな二人は何なのだろうか。今更に生じたそんな疑問を吹き飛ばすように、テクワが勢いをつけて言った。

 

「さぁ、行こうぜ。あと、制限時間までどれくらいだ?」

 

「あと二十二時間四十分。まだまだ時間は有り余っている」

 

 答えたのはマキシだ。時間が余っているといっても、ゆっくりと行っていいわけではない。

 

「でも、急がなきゃな」と発した声は既に戦闘の冷たさを含んでいた。テクワは倒れ伏した囚人へと歩み寄る。何をするのかと思えば、囚人の持ち物を検分し始めた。さすがにユウキも呆れた。屍を漁るようなものだからだ。しかし、テクワはそのような認識などないようで、囚人の持ち物から興味深い物を持ち出した。

 

「いい物、見っけ」

 

 そう言って取り出してきたのは方位磁石だった。どうやら強制労働をする囚人ならではの持ち物らしい。テクワは他の死体となった男達の持ち物も漁ったが、方位磁石を持っていたのは先に殺された囚人と転がった囚人だけだった。

 

「この方位磁石によると……。確かにこの先の道が東みたいだな」

 

 原始的な方位磁石だった。GPSの補助も機械的な計算もない。だからこそ、今の状況では何よりも信用できた。

 

「よーし、信用もできたし、行こうぜ。このまま真っ直ぐだ」

 

 テクワは少し楽しそうだったが、ユウキは心中穏やかではなかった。このメンバーでは裏切り裏切られる可能性はないとしても、不安はある。その上、相手も徒党を組んで襲撃してくる可能性は充分にありえる事が分かった。先ほどまでのように警戒をほとんど解いた状態で歩く事はできなかった。そうなると、最初のほうのマキシの行動も頷ける。

 

 マキシは最初からそのつもりだったのだ。だからあれだけ無言を貫けた。実際、同じような境遇に立ってみるとユウキも言葉少なだった。テクワだけが、「お前の好きな食べ物って何だ?」だとか、「俺はマカロニグラタンが好きかな。やっぱり、お袋の作った奴がさ」などと場違いなほど明るい話題を振ってくる。ユウキは曖昧に頷くばかりだった。

 

 テクワの手にあるライフルを盗み見る。ライフルの中央部にモンスターボールがはめ込まれており、中心付近で折り畳めるようになっている。銃口も見たが、穴は塞がっていた。という事はテクワが狙撃するために必要としているものではない。

 

 先ほどの狙撃を思い返す。拳大の針が収まるほど銃身は太くない。それに銃声もなかった。そう考えればあれはポケモンの技なのだろう。しかし、そう考えても不審な点は残る。どうやってポケモンを繰り出し、どうやって狙いを定めたのか。尋ねようかと考えたが、それは弱点を晒すようなものだと思い、やめておいた。どうせまともな答えは返ってこないだろう。

 

 テクワがマカロニグラタンとはいかに素晴らしいかを語り始めたあたりで、三つに分かれた道に突き当たった。左に行けばいい、と囚人は言っていた。テクワが方位磁石で改めて方位を確かめる。東へと続くのは確かに左の道だった。

 

「よし。お前らは左の道へ行け。俺は真ん中の道の、そうだな、あの辺に陣取る」

 

 テクワが指差したのは二階層分ほど高い建築物だ。縦長のビルのような外観をしているが、ガラスも何もはめ込まれておらず、中身ががらんどうなのは見るに明らかだった。陣取る、という言葉通りならばやはり狙撃のポイントとして使うのだろう。どのように狙撃するのか、知りたい気がしたがテッカニンで調べようにも既にこちらの手は割れている。ヌケニンで調べて先ほどのような襲撃にあえば「バトンタッチ」による戦術も取れない。畢竟、手詰まりだと感じ、ユウキは追求するのはやめておいた。

 

「分かった。何分後に落ち合う?」

 

「二十分は張っておく。すぐに追いつくから気にせず歩け」

 

 マキシの手馴れた様子の質問に、本当にこの二人は示しあっていたのだなと再確認させられる。知らぬは自分だけだったという事だ。体よくあしらわれたようなものである。

 

「分かった」とマキシは歩き始める。テクワは真ん中の道を行った。もちろん、ここで自分がすべき事はマキシについていくしかない。マキシの背中について歩く。襲撃者がいないかどうか周囲に緊張を張り巡らせた。

 

 テッカニンがいつでも繰り出せるようにボールには手をかけていたが、果たして通用するのだろうかという疑問が鎌首をもたげる。またテクワは襲撃者に自分の情報を与えていないだろうか。そうなれば今度はヌケニンの情報も筒抜けという事になってしまう。そうなった場合、自分が生き残れる可能性は低い。

 

 もしかしたらこの二人は最初から自分を踏み台にするために誘ったのではないだろうか。そうだとしたら、裏切る裏切られない以前に、自分にはその程度の利用価値しかないことになる。この二人にしてやられる程度では、リヴァイヴ団でのし上がるなど夢のまた夢だろう。ランポの言っていた事が実感させられる。簡単ではない。分かっていたつもりだった。だが、実際にはどうだ。容易く騙され、それでも信じ続けようとしている自分はおめでたい人間以外の何者でもないのではないか。ユウキの思考は徐々に沈んでいく。その時、前から声がかけられた。

 

「大丈夫だ。もうテクワはお前の手持ちを誰かに明かしたりはしない」

 

 マキシの声だった。話しかけられるとは思っていなかったので、ユウキは少し面食らった。マキシはそんなユウキの様子を見やって続ける。

 

「あいつはいつもあんな感じだ。誰かを最初っから信じ込む事なんてない。誰だって最初は疑うんだ。こっちは信じたふりをする。そうしたほうが馬鹿を見ずに済む。あいつなりの処世術なんだよ」

 

 言外に裏切った事を責めないでくれと言っているようなものだった。ユウキは素直に頷く気にはなれなかった。

 

「だからといって、あんな風に人の心の隙間に分け入っていい理由にはならない」

 

 テクワの気安い様子を思い出す。ああやって他人を信用させた裏で自分は安全圏から狙撃をする。もしユウキが裏切る素振りを見せれば、今だって頭を撃ち抜かれるかもしれない。テッカニンの入ったボールを握り締める。マキシはそこで不意に立ち止まった。ユウキも歩みを止める。マキシはユウキへと振り向いてから、フッと口元を緩めた。笑ったのだと認識した時にはマキシは既に前を向いていた。

 

「真っ直ぐだな、お前」

 

 その言葉が本当に放たれたのかどうか定かではなかったが、ユウキは確かにその声を聞いた。

 

「……馬鹿だろうと思っているんでしょう」

 

「いや、羨ましいよ。俺もテクワも、そういう風に他人を見る事はできなかったからな」

 

 装飾のない言葉に、ユウキはマキシの背中を見つめた。自分よりも幾分か小柄だが、その身体と心には自分以上の重石があるのだろう。紡ぐ言葉の一つ一つは重たかった。

 

「俺はキレやすいからな。この怪我も、この街で作ったもんだし。それ以外にも色々と生傷の絶えない日々を過ごしてきた。どうしてだかな、俺は許せる沸点が低いんだよ」

 

 自分の事を語っているのだと分かり、ユウキは黙って聞いていた。マキシはテクワからキレやすいと紹介されていたのを思い出した。

 

「どういう理由で、頭の怪我は作ったんですか?」

 

「ああ、これはな。釣り銭が二百円足らなくって、それを文句言っていたらいつの間にか相手を殴っていた」

 

 意想外の言葉にユウキは目を見開いた。マキシが肩越しにユウキを見やる。その眼が少し笑っているように見えたのは気のせいだったのだろうか。

 

「……っていう冗談」

 

 果たしてそれは本当に冗談だっただろうか。大いにありうると思える反面、そんな風に他人を自分の尺度に落としこんでしまうのは失礼だと判じる自分もいた。

 

「お前は、結構温室育ちって感じだな」

 

 マキシは振り返らずにユウキへと言葉を投げる。ユウキは自分を顧みた。温室育ち、と言われても仕方がないような気がしていた。テクワやマキシのように誰かを疑い続けたり、衝突し続けたりしていたわけではない。何となく、の反抗心でスクールをさぼっていた程度だ。その程度で不良を気取っていたのだから、今考えると少しおかしかった。

 

「かもしれない。マキシの言う通りで」

 

「だろうな」

 

 ここに来て話す事になった境遇にユウキは不思議さを感じていたが不自然な感じはしなかった。思えばユウキは最初からマキシをよく思ってはいなかった。それをマキシも強く感じていたのだろう。テクワとばかり打ち解けようとしていたが、マキシも話してみれば悪い人間ではない。

 

「襲撃はないな。この様子なら、もう少し行けば着くんじゃないか?」

 

「そう簡単にいくでしょうか。何か、罠でも仕掛けてあるかも」

 

「かもな。俺はテクワほど楽観的じゃないから、お前の意見には賛成だ」

 

 マキシがボールの緊急射出ボタンに指をかけた。キリキザンが光を切り裂いて現れる。キリキザンはマキシに指示されて前を歩いた。

 

 何のつもりなのだろうと思っていると、キリキザンは片腕を掲げた。

 

 紫色の思念の刃が宿り、大きく後ろに引いたかと思うと、砂煙が渦巻いた。生じた砂煙を引き裂くように、キリキザンが腕を振り上げる。地面がサイコカッターを受けて抉れ、遠くに見える路地の突き当たりにぶつかった。

 

 すると、射線上の地面が突然盛り上がり、何かが飛び出してきた。ユウキが目を向ける。銀色の楕円形だった。針が全身についており、小窓のような顔は緑色である。テッシードと呼ばれるポケモンだった。テッシードが二、三体飛び出したかと思うと辺りに向けて全身から針を撃ち出した。一瞬にして周囲が針地獄と化す。もし何もせずに踏み込んでいれば、今頃二人は針の雨に打たれていただろう。

 

「キリキザン。もう一発だ」

 

 マキシの声にキリキザンが反対側の手にサイコカッターの波動を帯びさせる。振り落とした手の軌跡が刃を成し、テッシードを薙ぎ払った。その刃は減衰せずに奥の建築物に突き刺さる。

 

 衝撃波が建築物を揺らし、中から叫び声が聞こえてきた。見ていると二、三人の男達が建物から飛び出してきた。ユウキが目を見開いていると、どこからともなく針が飛んできて男達を一人一人、着実に始末する。血飛沫が舞い、脳しょうが撒き散らされる。惨憺たるありさまだった。

 

「やっぱり張られていたか。まぁ、分かっていたんだけどな」

 

 マキシの言葉にユウキは舌を巻いていた。この二人の状況判断はどうなっているのだろうか。そう考えると確かに自分は温室育ちと言われても仕方がなかった。マキシがキリキザンを引っ込めずに、男達の死体が並ぶ場所まで歩いた。周囲をあらかた確認してから、ユウキを手招く。ユウキが歩み寄ると、強い血の臭いが鼻をついた。テッシードを配していた男達は全員、頭部を撃ち抜かれていた。正確無比な狙撃だ。ユウキは地面に突き刺さっている針を目にした。針に触れようとすると、マキシが、「触れるな」と声を上げた。

 

「まだ毒が残っている」

 

 毒、という言葉にユウキは手を引っ込めた。触れていればどうなっていた事か、と触れかけた手を震えさせる。

 

「テクワのポケモンは毒針を操るんですか?」

 

 その問いにマキシは答えなかった。手の内を明かす事になるからだろう。まだ信用されているわけではないのだな、とユウキは手を撫でながら思った。

 

「ここで待とう。テクワがもうすぐ来るはずだ」

 

 その予告通り、テクワは五分も待っていれば追いついてきた。鼻歌混じりにライフルを肩に担いでいる。何か訊こうかと思ったが、何から尋ねればいいものかユウキは迷った。

 

「よーし。あとは警戒の必要ねぇだろ。ここからは三人で進もうぜ」

 

 方位磁石を当てにしながら、ユウキはテクワを先頭にして進んだ。テクワは自分から前に出たがっていた。マキシの援護を期待しているのだろう。ユウキも危なくなったら援護する気でいたので構わなかったが、それでも二人の信じたわけではないというスタンスは厳しかった。テクワは勝手に自分の事を話すが、ユウキは不用意に話す気にはなれなかった。

 

 ――利用されるのが怖いからだ。

 

 自分に毒づいてユウキは自嘲する。なんと臆病な事か。これでリヴァイヴ団をなり上がろうとしていたのだからお笑い草である。それでもユウキは自分からは裏切らない、という事だけを心に留めた。どれだけ裏切られても自分からは裏切らない。それは人がいいという事になるだろう。あるいは騙されやすいという事にもなるかもしれない。それでも自分の心が汚れる気がして、誰かを積極的に疑う気にはなれなかった。

 

「……それでよ、マカロニグラタンはうまいんだが、油っこいのが玉に瑕だ。ガキの頃はよ、口の周りべとべとにして、よくお袋と博士に怒られたもんさ」

 

「博士?」

 

 今までの会話に出ていない単語が出てきて、ユウキは反応した。テクワは頷く。

 

「そう博士。ミサワタウンに住んでいるヒグチ博士っていうんだけどよ。こいつがもう、俺の父親みたいなもんなのよ。お袋と仲いいからさ、俺もとっととくっついちまえ、とか思っているんだけど、本人達って鈍感なのな。俺はサキ姉ちゃんと姉と弟の関係っていうのにも憧れているから、いいんだけどな」

 

「サキ、っていうのは?」

 

「ああ、博士の娘さんだよ。もし、博士とお袋が結婚したら義理の姉ちゃんになるわけ。それって萌えないか?」

 

「萌え?」

 

 ユウキは首を傾げる。マキシは最初から興味がないようで、キリキザンと共に周囲を警戒している。

 

「憧れの女性が姉になるってのは古今東西、男にとってはこれ以上ないシチュエーションだと思うわけよ。まぁ、マコ姉ちゃんもいいんだけどな。ちょっと抜けてる感じがこう、守ってあげたいって言うかさー」

 

 テクワが拳を握り締めて熱く語る。ユウキはどこか別次元の話のように感じていた。自分には実の姉がいるのに、そんな事を考えたためしはない。

 

「……羨ましいな」

 

 覚えず口にしていた。テクワは巻き毛の赤い髪を掻いて、「羨ましいか?」と聞き返す。

 

「羨ましいよ。何だか、テクワは楽しそうに思えますから」

 

「それって暗に馬鹿にしてねぇ?」

 

「いや、そんなつもりは」と言いかけて、少し迷ってから、「……そうかも」と返した。テクワは、「マジかぁー」とこの世の終わりのような声を出す。その様子がおかしくてユウキは笑っていた。笑ってからハッと気づく。裏切られる事を怖がっていたのに、どうして自分は笑えているのだろう。少し前まで疑っていた人間の話で心の底から笑う事ができた。

 

「人の心は迷宮だな」

 

 口にしてから詩的な台詞だと感じた。テクワも目を丸くして、「何だ? そのポエムみたいな台詞」と言った。

 

「かもしれない」とユウキは返した。怖がってばかりいては上を目指す事などできない。ここで自分を鍛え直さずして何とする。ランポやミヨコ、サカガミに誓った言葉を自分から捨てる事になる。それだけはしたくなかった。

 

「あれだ」とマキシが出し抜けに言葉を発する。テクワとユウキはそちらを見やった。そこには人が集まっていた。とは言っても少人数だ。ざっと十人と言ったところだろう。その中の三人は黒服と試験官だった。試験官がユウキ達に気づく。

 

「おう。遅かったな、少年。何だ、お前らも徒党を組んだのか」

 

 試験官の言葉を無視して周囲を見渡す。巨大な照明が備え付けられており、何重にもこの場所を照らしていた。試験官と黒服の後ろには巨大なエレベーターがある。振り仰ぐと、どうやら地上まで繋がっているようだった。ぽつぽつと街灯があった今までの道とは違うのは明白である。

 

「ここがゴールですか?」

 

 ユウキが尋ねると試験官は頷いた。

 

「そうだ。よく辿り着いたな。ええと、これで……」

 

 試験官が自分達を含めて数を数え始める。ユウキ達以外の男達は全部で七人だった。囚人も二人ほど混じっている。どうやら徒党を組んだのはユウキ達だけではないようで、大きく二つのチームがいたようだった。三人と四人のチームだ。

 

「これで十人。定員だな。おめでとう、諸君。君達は晴れてリヴァイヴ団の一員だ」

 

 試験官の声に男達が安堵した気配が伝わる。もしかしたら十人ちょうどにならなかった場合、潰し合いでも計画されていたのかもしれない。黒服が歩み出て、男達へと何かを手渡していく。見ると、小さなバッジだった。自分達にも渡されて、それを見やる。水色の「R」のバッジだ。「R」の一番上の線だけが赤く塗られている。

 

「リヴァイヴ団の正規団員のバッジだ。Rの文字が逆さまになるようにつけろよ。ちゃんと上下が分かるように赤く塗ってあるだろ」

 

 そういう意味か、と察してユウキはバッジをジャケットにつけた。小さな証である。今までリヴァイヴ団といえば大げさに誇示している人間ばかり見たが、彼らは正規団員ではなかったということなのだろう。あるいは正規団員に雇われた人間なのかもしれない。見れば、試験官のスーツの襟元にも同じバッジがあった。恐らく他の人間はそれを見て、この男が試験官だと分かったのだろう。ユウキは、自分は何とまどろっこしい真似をしたのだろうかと少し後悔した。

 

「テクワはどうやって試験官を?」

 

 小声で尋ねると、テクワは今しがた受け取ったバッジを胸につけながら、「これだよ」と言った。

 

「いい狙撃ポイントがあったから、そっから眺めていたんだ。そしたらこれをつけてる奴を見つけた。そいつが試験官だという確信はなかったが、物は試しに訊いてみたらそうだった」

 

 運のいい奴だ、と思うと同時にとてつもなく眼がいいのだろう。自分以上かも知れない。マキシも胸元にバッジをつけていた。どこか安堵しているように見えたのは気のせいだったのだろうか。先ほどまでの緊張と戦闘状況に晒された空気とは隔絶しているように思えた。マキシも人間だ。ゴールして安心しているのだろう。

 

「さて、お前ら十人はこれから振り分けさせてもらう。というのもリヴァイヴ団にはチームがあってな。それぞれがチームごとに行動する事になる。推薦状を持っている奴はいるか?」

 

 その言葉にユウキは懐から推薦状の入った封筒を取り出した。ランポは入団してから意味があると言っていた。試験官に歩み寄り、それを手渡す。試験官は「R」の印を見やってから、手紙を開いて中に入っている紙を見た。目で追ってから、ユウキを見やり、何故だか鼻で笑った。

 

「あのチームか。まぁ、本人の希望ならいい。お前だけか?」

 

 問われた言葉に、ユウキはテクワ達へと肩越しの視線を向けた。振り分け、という事は彼らとは別のチームになる可能性もあるのだろう。同じ組織に属するとはいえ、ここまでやってきたのだ。ユウキは試験官へと向き直った。

 

「僕と一緒に来た両名もお願いします」

 

「いいだろう。数の制限は特に設けられていないしな。それに、あのチームなら、数が多いほうがいいだろう」

 

 試験官は口元に手をやって笑いを堪えているようだった。何だ、と疑問に思う前に試験官は片手を上げた。すると、影が実体を持ったように、突然黒服達が試験官の後ろに現れる。それに驚く間もなく、ユウキ達の来た道へとバリケードが張り巡らされた。半分の黒服がバリケード内に残り、もう半分が外へと飛び出して行った。

 

「脱落者の始末だ。お前ら以外の人間にここを公言されるわけにはいかないからな」

 

 その一言で、黒服達が何のために行ったのか察しがついた。自分達十人以外は組織にとって不要なのだ。脱落者の烙印を押された彼らに生きている価値はない。情報漏えいを防ぐためにも、生きていてはいけない存在だった。

 

「……殺すんですか」

 

 押し殺したユウキの声に、試験官は、「いけないかね?」と首を傾げた。今までも、これからもそうなのだろう。入団試験が行われる度に、何人もの人間が犠牲になったに違いなかった。

 

 ユウキは骨が浮くほどに拳を握り締めている自分を発見した。割り切れていない自分がいる。こんな異常な事態でありながら、それでも命は尊いと思っている自分が。甘いと断じる事は簡単だろう。それを切り捨てる事もこれから必要になってくるのかもしれない。それでも、ユウキは今の感情を否定したくなかった。身を翻し様に、試験官へと呟く。

 

「……滑りやすくなっています。足元にご注意を」

 

「うん? まぁ、気をつけよう。地上へはこのエレベーターで上がれる。行きたまえ」

 

 試験官は怪訝そうな眼をユウキに向けていた。襟元を正して歩み出そうとすると、試験官の足が空を掻いた。何が起こったのか理解する前に、試験官はぬかるんだ地面にしこまた身体を打ちつけた。泥だらけになって、試験官が背後の黒服へと怒声を飛ばす。

 

「お前! 足を引っかけたな!」

 

「いえ、何もしておりません」

 

 黒服が困ったように両手を前に振るう。試験官の仕立てのいいスーツはすっかり汚れてしまっていた。行き場のない怒りを持て余すように、試験官が地面を蹴りつけようとすると、またもその足が滑り、今度は尻餅をついた。黒服へと、「また、お前か!」と声を張り上げるも、黒服は戸惑うばかりである。

 

 ユウキはその様子を肩越しに眺めながら、ボールで空気を薙いだ。赤い粒子が僅かに居残る。ユウキがエレベーターに向けて歩み出すと、テクワが近づいてきて肩に手を置いた。

 

「危ない事するよなー。合格取り消しになっても知らないぜ?」

 

 テクワには見えていたのだろうか。ニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべていた。マキシも口を斜めにしている。どうやら笑っているようだった。この二人にはテッカニンで足を引っかけた事がばれているのだろう。

 

「飽きない奴だ」

 

 そう口にしたのはマキシだった。ユウキはその言葉に返すわけでもなく、「転ぶほうが悪い」と言った。すると、テクワが弾かれたように笑い出した。

 

「違いねぇ。やっぱお前、いい奴だ。色んな意味でな」

 

 どういう意味なのか問い質したい気持ちもあったが、今はやめておいた。エレベーターに十人の合格者が乗り込む。全員乗ると、自動的にエレベーターは動き出した。どこに通じているのだろうか、と思っていると視界が閉ざされた。シースルーではなく、灰色の景色が周囲を覆う。圧迫感があった。どこまで上がるのだろうか、と考えていると、不意にエレベーターが止まった。扉が開く。

 

 聞こえてきたのはジャズのナンバーだった。聞き覚えのある曲だと思っていると、扉の前に人影が立ちはだかった。それが誰なのか、ユウキにはすぐに分かった。スキンヘッドで目の下に縁取りのように隈がある。「BARコウエツ」の店主だった。

 

「ようこそ、皆さん。ここに来たという事は、新しいリヴァイヴ団のメンバーですね。祝杯を一人一杯ずつならご馳走しますよ」

 

 そう言って店主は合格者達を導いた。合格者達は店主の背中に続いていくと、バーカウンターに出た。まさかここに通じているとは思わなかった。ユウキが目を丸くしていると、店主は含み笑いを浮かべた。

 

「どうです? 一杯」

 

 その声に、しかしほとんどの人間は遠慮した。死に物狂いの戦いの中にあったのに、そんな気分にはなれないのだろう。店主は仕方なしに、そういう合格者には手紙を渡した。ユウキが持っていたのと同じ、「R」の蝋で封をしてある手紙だった。

 

「そこに書かれているチームがあなた方のチームです。リヴァイヴ団にて最適の健闘を祈ります」

 

 合格者達はめいめいにそれを受け取って、バーを出て行った。誰もが疲れた表情をしており、店主の顔色がまだマシに見えた。店主は息をついて、ユウキを見やった。

 

「おめでとうございます。まさか、本当に合格されるとは思っていませんでしたよ」

 

 店主の言葉に、ユウキは「はぁ」と生返事を返すしかできなかった。店主がリヴァイヴ団の関係者だった事に少なからず驚いていたのもある。

 

「後ろのお二方は、何か飲まれますか?」

 

 店主がユウキの後ろにいたテクワとマキシに話しかける。テクワはカウンター席にどんと座って、「じゃあ、お任せで」と注文した。マキシへと店主が視線を向けると、マキシは小声で、「同じので」と応じた。この状況下で注文できるだけ肝が据わっているというものだ。店主が奥へと引き返していく。ソフトドリンクを取りにいったのだろう。さすがに合格者といえど酒は飲ませられないか、とユウキは少し微笑ましい気分になった。

 

「ユウキ。お前、あの店主と知り合いなの?」

 

 テクワの言葉に、ユウキはカウンター席に座りながら応じた。

 

「ああ、まぁ、僕も昨日会ったばかりだけど」

 

「コネだったりしたわけか?」

 

「まさか。対等だよ」

 

 どうだかな、とテクワは含みのある言い方をした。マキシは頬杖をついてディスプレイされている酒瓶を眺めている。しばらくすると、店主がサイコソーダの入ったグラスを三つ、持ってきた。テクワが早速、「喉渇いてたんだよなー」と口に運ぶ。一口飲んだ瞬間、「うえっ」と吐きそうな表情をした。

 

「何だよ、これ。炭酸も抜けてるし、ほとんど水飴じゃん。飲み物じゃねぇよ」

 

 その言葉に店主とユウキは顔を見合わせて笑った。

 



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第二章 八節「覚悟の一歩」

 バーを出る直前、店主から手紙が送られた。

 

 三人は同じチームではあるが、それぞれに個別で会いたいのだという。封を開けると、ランポの筆跡で『三時間後に西エリア近郊にあるカフェテリアで待つ』とあった。二人も手紙を開けたが、見られたくないだろうと思い、見ないでおいた。念には念を入れて一時間前に行くと、既にランポが待っていた。新聞を広げ、コーヒーを飲んでいる。ユウキに気づいて、片手を軽く上げた。ユウキは心持ち頭を下げる。

 

「どうも」

 

「入団試験に合格したようだな。まずはおめでとうと言っておこう」

 

 ランポに促され、ユウキは対面の椅子に座った。丸いテーブルで透かし彫りがしてある。テーブルの中央から伸びた傘が張り出しており、雨でも問題なさそうだった。ユウキは空を仰ぐ。雲が少ない晴天だった。この傘は役に立ちそうにない。

 

「どうだった?」

 

 入団試験の事を問われているとのだと分かり、ユウキは身を硬くして応じた。

 

「色々と、ありました」

 

「色々、というのは?」

 

「裏切られたり、とかですかね」

 

 ユウキの言葉にランポは口元に笑みを浮かべた。

 

「そういうものだ。人は必ず誰かを裏切る。自覚しようがしまいが同じ事だ。裏切りの上に今がある」

 

「分かっています。でも、僕は信じようと思ったんです」

 

「信じる? この組織でか?」

 

 ランポが新聞を折り畳んで、ユウキへと向き直る。真っ直ぐなその瞳に、この人も同じだ、とユウキは感じた。同じように裏切られ、裏切り、それでも信念を貫いている。だから他人の眼を真っ直ぐに見られる。

 

「ええ」

 

「理想論だな」

 

「それでも、僕は貫きたい」

 

「綺麗事だけで世の中回るほど単純にはできていないさ。お前は誰かを裏切る事になるだろう。それは俺かもしれないし、他の誰か。あるいは、お前自身かもしれない」

 

 ランポの言葉はユウキの心の中に突き刺さった。誰かを裏切る事でしか、世の中をうまく回す方法はないのかもしれない。それでも、とユウキは思う。それでも信じ抜けたのなら。愚直でも誰かを信じる事ができたのなら。世界はまた彩りを変えるのではないだろうか。

 

「俺は助けない」と出し抜けにランポは言った。

 

「お前がヘマをしてボスに見咎められ、裏切り者の烙印を押されても、助けはしない。逆に、俺がヘマした時は見捨てていい。それがリヴァイヴ団という組織のためだ」

 

 ランポはコーヒーを啜った。ウェイターが注文を取りに来る。ユウキがコーヒーを注文すると、ウェイターが引き返して行った。ユウキはランポの言葉を自分の中で呑み込んだ。

 

 それは覚悟だ。

 

 自分の事は自分で決着をつけるという覚悟の現れである。組織のため、というお題目があるが、ランポは本当のところ組織など気にしてはいないだろう。これは究極的に個人の問題なのだ。覚悟を胸に抱いた者だけが先に進む事を許される。

 

 ランポは新聞に視線を落としていた。ユウキはコーヒーが来るのを待っていた。晴天から降り注ぐ陽射しが関節を温める。冷たい地下にあった身体が太陽の光を欲していた。

 

 コーヒーがユウキの前に置かれる。ユウキはミルクも砂糖も入れずに、カップを掲げた。それに気づいたランポもカップを上げて、笑みを浮かべる。

 

「ブラックでいいのか? お子様だろう?」

 

「いいんです。今日から、こうやって自分を変えていこうと思って」

 

 ユウキの言葉にランポはフッと口元を緩めて、コーヒーを飲み干した。ユウキも同じようにコーヒーを呷る。喉の奥で熱さと苦味が走ったが、ユウキは迷いなく喉の中に落とし込んだ。カップを置いて息をつく。ランポは、「まだまだだな」と笑った。ユウキも笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランポに連れられ、F地区へとユウキは向かった。他の二人との面会はいらないのか、と尋ねると、

 

「問題ない。既に仲間の二人がやってくれている。そうだ。言っておくのを忘れていた」

 

 ランポはF地区の路地で振り返った。肩にかかった茶色い長髪を払う。

 

「俺以外に今は二人のチームメイトがいる。全員、ポケモントレーナーだ。ただし、信用されなきゃ、その手の内は明かさないがな」

 

 ランポの言葉にユウキは手に視線を落とした。信用、とはとても難しい問題だ。組み立てるのが難しく、その上、脆く崩れやすい。しかし、本当の信用が得られたのならば、それは何よりも堅牢なものとなる。自分が得なければならないのはまず信用だ。それがなければ組織の中でのし上がる事などまず不可能だろう。

 

 バーへと続く道をランポは歩いた。どうやら、「BARコウエツ」がランポ達の本拠地らしい。途中で浮浪者に会ったが、リヴァイヴ団の入団バッジが見えているのか、昨日とは打って変わって随分と気安かった。

 

「よう、新入り」と声をかけてくる人間もいたくらいだ。リヴァイヴ団は裏社会では圧倒的な地位を誇っているのだろう。それが実感できた。

 

 バーへと降りる階段の前でテクワとマキシが立っていた。二人を認め、ランポが声をかける。

 

「新しく入った二人だな。紹介は中でしよう。お前らを見た奴らは?」

 

「もう中だぜ」

 

 臆する事なくテクワが階段の下を親指で示す。ランポは、「そうか」と一言応じて、階段を降り始めた。その背中に続こうとすると、テクワに肩を引っ掴まれた。何だろう、と思っていると、テクワは耳元で、「ラッキーだな」と口にした。

 

「ラッキー? 何が?」

 

「同じチームになった事がだよ。俺はお前の手の内を知っているし、お前もある程度分かっている。潰し合う手間が省けたって事だ」

 

 そこまで考えていなかった。ユウキはただ同じ苦楽を共にしたのならば、一緒のチームのほうがいいと考えただけだ。テクワは見た目よりも随分と頭が回るらしい。他のチームにしなかったのは結果的に正解だと言えた。

 

「何をしている? さっさと来い」

 

 ランポが階段の下で急かす声を出す。テクワが、「あいよー」と慣れた様子で返して、階段を降りる。マキシと目が合った。マキシはテクワを一瞬見やり、「あいつはいつもあんな感じだ。だけど」

 

 マキシの眼が初めて敵意以外の光を湛えてユウキを見やる。

 

「仲良くしてやってくれ」

 

 その言葉に、もしかしたらマキシのほうがテクワの事を思っているかもしれない、と感じた。マキシがすぐに顔を伏せたのでそれ以上は追及できなかったが、ユウキには温かい心の持ち主だと思えた。

 

「ユウキ。早く来い」

 

 階段の下でランポが待っている。テクワとマキシも同じようにユウキを見上げていた。ユウキは息を長く吐き出した。ダイビングをする時のように肺の中の空気を入れ替える。これから自分が吸う空気は今までと違うのだ。空っぽの肺に空気が取り込まれる。

 

 歩み出す直前、ユウキは感じた。

 

 ――これがきっと、覚悟の一歩だ。

 

 小さな一歩だが、覚悟は重い。それを引きずってでも、前に進む。階段を降りたユウキは、ランポに導かれ、新たな場所へと踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章 了



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結成、ブレイブヘキサ
第三章 一節「潜入任務」


 穏やかなジャズの調べが店内を満たしている。女神の腕に抱かれているような安息を聴く者に与える音色にカウンターの中でコップを磨いていた店主は目を瞑っていた。

 

「よし、勝負だ」

 

 その声に店主は目を開く。

 

 視線の先に二人の青年がいた。

 

 一人は灰色の髪を撫で付けており、がっしりとした体躯はいかにも老練しているかのように見えるが実のところはまだ歳若い。眼鏡をかけており、神経質そうに手に持ったトランプを眺めている。店主は彼の名前を知っていた。エドガーというリヴァイヴ団の団員だ。

 

 対面に座っているのは長い前髪で片目が隠れている青年だった。細身で少々虚弱な印象を受ける。声を発したのは、このミツヤという青年のほうだった。彼の声は上ずったように高いため、耳に残る。

 

「いいが、ミツヤ。予め聞いておくが、イカサマがあった場合、どうなるのか分かっているんだろうな」

 

 エドガーが片肘をテーブルについて訊く。ミツヤは、「もちろんだとも」とトランプで顔を扇いだ。

 

「賭けた金の倍払うんだろ。エドガーの旦那、あんたはちょっと気にしすぎだと思う。そう神経質になるもんじゃない」

 

 ミツヤが首を引っ込める真似をすると、エドガーは承服したようにトランプに視線を向けた。その瞬間、ミツヤの手首からトランプが交換されたのが店主の目に入った。エドガーは自身の手札に集中していて、見逃したようである。ミツヤは素知らぬ顔で、「あまりいい手じゃないな」と呟いた。エドガーは息をついて、「よし、いいな?」と確認の声を出した。ミツヤは緊張の面持ちで頷く。

 

 お互いの手札が出されたが、ミツヤの手札は最強の手だった。それを見てエドガーが目を見開く。ミツヤはひそかに笑みを浮かべる。テーブルの中央に置かれていた紙幣を手に取り、「じゃあ、これはかけ金として俺の分に……」と引き寄せようとしたのをエドガーの手が掴んだ。ミツヤが掴まれた手首を振り解こうとすると、手首からトランプが滑り落ちた。ミツヤが、「あっ」と声を上げた瞬間、エドガーがミツヤの襟首を締め上げた。

 

「イカサマだ!」

 

 激昂したエドガーを宥めるように、ミツヤが、「まぁまぁ」と口にする。

 

「そう怒ることないじゃないか。な? 俺達だけの勝負なんだし」

 

「身内の勝負なら何をしてもいいって言うのか? お前は?」

 

 今にも殴りかかろうと拳を振り上げたエドガーに対してミツヤは、「悪かったって」と言った。

 

「もう一回やり直そう。そうすりゃ、結果も違ってくるだろうさ」

 

「お前はいつもそうだな」

 

 エドガーがミツヤを突き飛ばす。ミツヤは椅子から転げ落ちて呻き声を上げた。

 

「一回イカサマをする。次はイカサマをしないと誓う。その勝負ではイカサマはしない。そうだ、確かに約束は守られているようではある。しかしだな、そもそもの前提としてイカサマをしないのが当然のことだろうが」

 

 エドガーが指差して糾弾すると、ミツヤは肩を竦めた。

 

「悪いとは思っているよ。でも、悪癖ってのは抜けないもんなんだ」

 

「この野郎!」

 

 エドガーがミツヤに掴みかかった。ミツヤは逃れようとしたが、エドガーの力が強いためにすぐに引き寄せられた。テーブルの上にミツヤが叩きつけられる。エドガーが拳を振り上げた。その時である。

 

「何してるんだ、お前ら!」

 

 突如響き渡ったその声に、その場にいた三人は同時に目を向けた。ランポが新入り三人を引き連れて、店内に入ってきたところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキは目の前の光景に首を傾げた。

 

 片方の虚弱そうな男が屈強な男に羽交い絞めにされ、今にも殴りかかられそうになっている。これがランポのチームの実態なのだろうかと思うと、先行きが不安に思えた。

 

 試験官の言葉を思い返す。あのチームならば人が多いほうがいいと言っていたのは皮肉だったのか。

 

 ランポが二人へと歩み寄ると、屈強な男は姿勢を正してランポに向き直った。灰色の髪を撫で付けており、老練した印象を受ける。虚弱そうな男は襟元を正しながら、ため息をついた。ぎろりと屈強そうな男が睨む。彼は長い前髪を撫でて、肩を竦めた。ランポが、「どっちが原因だ」と詰め寄る。二人はお互いに目配せし合い、やがてどちらも顔を背けた。ランポは店主に尋ねる声を寄越す。

 

「マスター。見てたな?」

 

「ええ。ミツヤさんが例の如くイカサマをなさって、エドガーさんが怒った形ですね」

 

「いつもの奴か」

 

 ランポは呆れ声を二人に向けた。「旦那だってすぐに暴力を振るうのが悪い」とミツヤと呼ばれた男が抗弁の口を開く。エドガーは、「何だと」と拳を振るいかけたが、ランポの視線一つでその拳を仕舞った。どうやらランポがこのチームでリーダー的存在なのは間違いないらしい。

 

 ランポは息をつき、「お前らはチームなんだ。これから入ってくる新入り達の前で醜態を晒すんじゃない」と注意の声を発した。二人はそれぞれ身を硬くして、新入りであるユウキ達を見やった。テクワは、「どうもっス」と軽く頭を下げた。マキシも無言ではあるが頭を下げる。ユウキもそれに倣った。

 

「ユウキです。これからお世話になります」

 

 ランポはカウンター席に座った。身体を全員のほうに向ける。どうやらランポの席は決まっているらしく、以前と同じ席だった。

 

「というわけだ。テクワとマキシについてはお前らが面談したが、ユウキは俺から紹介させてもらう」

 

 ランポの声にエドガーとミツヤはそれぞれユウキを観察した。ユウキはあまりいい気分ではなかったが、新入りという手前その視線を拒絶することもできなかった。

 

「手持ちは?」

 

 ミツヤの発した言葉は、手持ちポケモンはという意味だろう。ランポは首を横に振った。

 

「教えられんな。お前らだってこいつらに教えるつもりはないだろう」

 

「違いないですね」とミツヤが苦笑した。ミツヤはユウキ達へと歩み寄ってきた。手を差し出す。最初、その意味が分からなかった。

 

「握手だよ。これから仲間になるんだからな」

 

 その言葉にテクワが最初に手を差し出す。硬い握手を交わし、次にマキシが握手をした。マキシはどこまでも無表情だった。それが恐らく強みなのだろう。最後にユウキの前へとミツヤが立った。ユウキが手を握り返す。

 

 瞬間、みしりと嫌な音がした。その音の根源を確かめる前に、激痛が握られている手から発する。ミツヤは細身で見た目は虚弱そうに見えた。しかし、握力は万力のようだった。絡みついた蛇のように手が離れない。ユウキは思わずもう片方の手を握っている手に添えたが、状況は変わらなかった。ミツヤが口元に薄い笑みを浮かべる。

 

「俺はな。新入り。嘘つきが分かるんだ。手を握るとそいつがどういう考えで、今何を思っているのかが大体分かる。お前の思考が流れ込んでくるぞ、新入り。さっきの二人は似たような目的があったが、お前だけ違うな。何のつもりなんだ?」

 

 据わった眼がユウキを捉える。ユウキは首の裏に汗をどっと掻いたのを感じた。見透かされているのか、と不安が鎌首をもたげる。それすら見通したように、ミツヤは言葉を発する。ユウキにだけ聞こえるような小さな声だ。

 

「焦っているな。俺に知られたくないことでもあるのか。それとも全体に知られたくないのか。どういうつもりなのかは知らないが、信用ならないな。お前は、何を思ってこの組織に入ろうとしたのか。気になるな」

 

 心の奥底へと土足で踏み込もうとするミツヤの眼に、ユウキは荒い息をついてホルスターに手をかけていた。それにミツヤが気づいた瞬間、ミツヤの身体は突き飛ばされていた。椅子を巻き込んで大きな音を立てる。ユウキは肩で息をしながら、ボールへとテッカニンを戻した。ここで手の内を知られるわけにはいかない。それを見たエドガーが、「野郎! よくもミツヤを」と腰のホルスターに手をかけようとする。その行動を制したのは、ランポの怒声だった。

 

「やめろ! エドガー!」

 

 エドガーの動きがピタリと止まり、ランポへと顔を向ける。ランポは静かな怒りを湛えた瞳を向けていた。エドガーが転がっているミツヤへと一瞥を向けてから、ランポに言葉を投げる。

 

「でもよ、ランポ。新入りにコケにされて、みすみす……」

 

「今のはミツヤの落ち度だ。ミツヤ。いつもの奴を試そうとしたな?」

 

 ランポの問い質す声に、起き上がったミツヤが視線を向けた。ばつが悪そうにランポから目を逸らす。しかし、前髪に隠れた片目はどこを見ているのか分からなかった。

 

「ちょっとからかっただけですよ。こいつ、それを本気にしたんです」

 

 ミツヤがユウキを睨みつける。ユウキはたじろぐように後ずさったが、ランポが言葉を添えた。

 

「気にすることはない。こいつのいつもの癖だ。他人の心の中を覗き込もうとする。特にお前は気にされていたようだったから余計だろう。踏み込まれて困る腹があるのは誰しも同じはずだ。ミツヤ、自重しろ」

 

 その言葉にミツヤは片膝を立ててそっぽを向いた。「エドガー。お前もだ」とランポが言葉を続ける。

 

「お前のポケモンは不用意に出していいポケモンじゃない。一時の感情に身を任せるな。それは破滅を招くぞ」

 

 ランポの忠告にエドガーは苦虫を噛み潰したような顔をした。ランポはユウキ達へと視線を向ける。

 

「お前らも適当に座れ。これから俺達の仕事の説明をする」

 

 促されて、ユウキはテーブル席に座った。さすがにこの状況でランポの隣に行く気にはなれなかった。テクワとマキシも続く。同じテーブルに新入り三人が集まった結果になる。そこから少し離れた場所にエドガーとミツヤは座っていた。隔絶した壁があるかのように、数歩のその距離は永遠に思えた。ランポは、「座ったな」と確認の声を発してから話し始めた。

 

「俺達の仕事は主にF地区と賭博場の管理だ。コウエツシティ中心街にあるコウエツカジノは知っているな」

 

 聞いた事はあったが、ユウキは行った事がない。スクールの校則で十八歳未満であるユウキがカジノに出入りする事は禁じられている。カントーや他地域ではそのような制約はないものの、ウィルの実権支配を受けるようになってから賭博というものに対する見方が変わり、金の動きが厳しくなった印象がある。

 

「コウエツカジノは元々リヴァイヴ団の支配下ではない。ウィルの管轄だ。だから俺達みたいなのが出入りする事は煙たがられる」

 

「ウィルの施設なら、僕らの管理というのはおかしいんじゃないですか?」

 

 ユウキが質問すると、「新入りは黙って聞いてろ」と野次が飛んできた。エドガーだった。低い迫力のある声に、ユウキは意見を引っ込ませた。ランポが一呼吸おいてから、「話はそう簡単じゃなくってな」と告げる。

 

「ウィルは独立治安維持部隊だ。施設管理とは言っても娯楽施設は中心ではない。つまるところ、黙認されていたんだ。ウィルが名義上ではコウエツカジノを管理してはいるが、実質支配しているのは俺達、リヴァイヴ団だ。当然、金の流れも俺達に巡ってくるはずなんだが、近頃妙でな」

 

「妙っていうのは、金絡みか?」

 

 エドガーの質問に、ランポは、「それもある」と首肯した。

 

「ウィルが七割、リヴァイヴ団が三割で手を打っていたはずなんだが、金の流れがウィル側に偏っている。コウエツシティでは数少ない資金源だ。これを手離すのは惜しい」

 

「つまり、金の流れを正常に戻したい、と」

 

 ミツヤが訳知り顔で言った。ランポが、「そうだな」と応じる。

 

「それと同時に資金洗浄が何に行われているのか、それを白日の下に晒す。もしこれ以上の武力の増強に当てられているのだとしたらリヴァイヴ団存続の危機だ。マスコミにウィルの悪行をリークする。そのためにコウエツカジノを徹底的に洗う。それが今回、上から降りてきた依頼だ」

 

 その時、テクワがユウキの肩を叩いた。ユウキが気がついて顔を振り向けると、テクワが小声で尋ねる。

 

「……要するに、どういうことだ?」

 

 どうやらテクワはこの手の話題に疎いらしい。頭が回るのに勘の悪い奴だと思う。

 

「要するに、お前らの最初のお仕事はコウエツカジノへの潜入ってわけだよ。新入り君」

 

 ミツヤが片手を上げて発した声にテクワが眉をひそめた。ユウキも内心で地獄耳めと毒づく。

 

「そういう事だ。今回は加えて二つのチームに分かれてもらう」

 

 ランポが足を組んで全員を見渡した。ユウキの視線とぶつかって、ランポは思案するように顎に手を添える。

 

「そうだな。エドガー。ユウキとチームを組んでカジノに潜入しろ」

 

「俺が?」

 

 エドガーが自身を指差す。ランポは有無を言わさぬ口調で、「そうだ」と告げた。

 

「お前とユウキなら適任だ。ユウキ一人では入れないが、お前が保護者という名目なら入れるだろう」

 

「保護者だって? 俺が、こんなガキの?」

 

 エドガーがユウキへと振り返る。ユウキはどうしたらいいのか分からず、ランポへと質問を浴びせた。

 

「根拠は?」

 

「お前らの手持ちを熟知している俺の判断だ。従ってもらう。ミツヤは情報戦術で金の動きを洗え。テクワ、マキシ両名は俺と共に二人のバックアップだ」

 

 その言葉に異議を唱えようとエドガーが口を開きかけるが、ランポの眼には何を言っても覆らないであろう光が浮かんでいた。それを無意識的に感じ取ったのか、エドガーは言葉を取り下げた。ユウキはおずおずと手を上げる。

 

「どうした?」

 

「僕は何をすればいいのでしょうか?」

 

 その言葉にランポは一瞬、エドガーに目をやってから、「見て学べ」と言った。

 

「お前は組織というものを知らない。チームというものも分かっていない。それを分からせるための、いわば研修だ。難しい任務というわけではない。直ちに遂行する事こそが意味のある事だと知れ」

 

 それ以上の質問は暗に意味がないと言われているようなものだった。ユウキはエドガーの背中を見つめた。その視線に気づいたのか、エドガーが振り向く。その眼は決して友好的な眼ではなかった。欺き、欺かれるのが当然の組織においては信用する事は最も困難なのだろう。エドガーは当面、ユウキを信用するつもりなどないように見えた。

 

「詳細は追って連絡する。仕事の開始は深夜からだ。それまで充分に身体を休めておいてくれ」

 

 ランポが話はそれで終いだとでも言うように立ち上がろうとすると、ミツヤが手を上げた。

 

「ランポ。この間の件、まだ話してないですよ」

 

「この間のって、あれの事か?」

 

 エドガーがミツヤへと振り向く。どこか浮き足立っているように見えた。あれとは何なのだろうとユウキがランポに視線を向けていると、ランポはまた椅子に座った。

 

「ここで決めるのか? 益のない事のように思えるが」

 

「益も何も、俺達のチーム名を決めるって言う重大な話じゃないですか」

 

 ミツヤの言葉にランポは呆れたように息を漏らす。エドガーも似たような態度を取っていたが、どこか楽しみにしているように口元を綻ばせていた。

 

「チーム名か。何でもいいような気がするがな」

 

「何でもよくはないですよ。これから名乗っていくんですから」

 

 取り残されたように状況を見守っているユウキ達に対して、ランポは気づいたように、「チーム名を名乗れるんだ」と話し始めた。

 

「ある程度、実績を上げたらな。今の俺達はまだその領域に至っていない。今回のカジノの一件を処理したら上にかけ合ってみてもいいが、何分、意見がバラバラでな。どうするべきか悩んでいる」

 

「だから、イービルアイズがいいって言っているじゃないですか」

 

 ミツヤの声にランポは、「それは何度も聞いたよ」とほとほと呆れたような声を出した。名前というのはそれほど重要なのだろうか、とユウキは考える。リヴァイヴ団という一組織の中で群を抜いているのならば確かに箔がつくだろう。だが、とユウキはエドガーとミツヤを見やる。彼らがそれほどまでの実力者だとは到底思えなかった。

 

「ファントムスピアだな。名乗るとしたらそれだ。他は譲れない」

 

 エドガーも顔に似合わずそういう事には関心があるようで、積極的に発言してきた。ランポは考え込むように顎に手を添えながら、ユウキ達へと視線を移す。

 

「お前らはどうだ? 何か妙案はあるか?」

 

「新入りに聞いたってろくな意見でないですって」とミツヤが声を上げるが、ランポは、「念のためだ」と窘めた。

 

「チーム名なのだから全員の総意にしたい。どうだ? テクワ」

 

「俺は別に何でもいいんで」

 

 テクワが片手を上げる。テクワの人柄ならば本当に何でもいいと思っていそうだった。視線がマキシに移るが、マキシは無言で首を横に振った。マキシはそういう事には関心がなさそうに見えた。最後にユウキへと視線が向けられる。ユウキは少しだけ考えた。これから自分達が名乗っていく名前だ。当然、自分達のスタンスを反映させた名前が望ましい。ユウキは目を瞑った。一つだけ考えている事があった。

 

「ないんならもういいでしょ。イービルアイズで――」

 

「ブレイブヘキサ」

 

 ミツヤの声を遮って放った言葉に全員が視線を向けた。ユウキは全員の視線を受けて少したじろいだが、臆す事なく声を発する。

 

「ブレイブヘキサなんてどうでしょうか?」

 

 その時、何かが叩きつけられたような音が響き渡った。ユウキが目を向けると、エドガーが立ち上がってテーブルに拳を叩きつけていた。

 

「……てめぇ、分かってそんな名前つけようと思っているのか?」

 

 押し殺した殺意の声にユウキは肌が粟立ったのを感じた。ちりちりと皮膚を焼く殺気の眼差しにユウキは唾を飲み下しかけるが、言葉を引っ込めようとは思わない。

 

「はい。僕はヘキサで傷ついたカイヘン地方を勇気で支えられるようなチームにしたい」

 

「お前の名前入っているじゃん。そんなの無効だよ、無効」

 

 ナンセンスだというようにミツヤが肩を竦める。エドガーは黙ってユウキへと歩み寄った。ユウキも立ち上がり、エドガーと向き合う。エドガーはユウキよりも頭一つ分背が高い。見下ろされると威圧感が屹立した壁のようだった。手が震えそうになるのを、拳を作ってぐっと堪える。視線はエドガーの眼差しから外さなかった。エドガーの眼は深い灰色だった。その灰色の眼に自分はどう映っているのか。ユウキがそれを探る前に、ランポが呼びかけた。

 

「エドガー。その辺にしておけ。どうせ、仮定の話だ。名前がつくと決まったわけじゃない」

 

 その言葉にエドガーはユウキから視線を外して身を翻した。ユウキはプレッシャーの波から解放され、息をついた。エドガーが音を立てて椅子に座る。ユウキも音を立てて座ったが、それは全身の力が抜けたせいであった。

 

「名前の件はとりあえず保留だな。エドガーとユウキは指定の衣装に着替えて待機。深夜から状況を開始する。テクワ、マキシ両名は俺について来い。お前らとも話がしたい。ミツヤ、頼むぞ」

 

「任しといてください」

 

 ミツヤがふざけた敬礼をする。ランポは特にそれを咎めるでもなく、一つ頷いた。

 

「潜入組は裏で着替えろ。店主、例の服は」

 

「用意していますよ。どうぞ、こちらへ」

 

 店主が店の奥へと来るように促す。エドガーが先に立ち上がり、ユウキに一瞥をくれた。ユウキも立ち上がり、エドガーに続く。ランポと何かしら言葉を交わしあうかと思ったが、リーダーという立場の手前、そうするわけにもいかないのだろう。何も言葉一つなく、ランポはユウキ達を見送った。

 

 店の奥は思っていたよりも入り組んでいた。入団試験でやってきたエレベーターホールを抜け、奥まったところにロッカーが並んでいる。店主がロッカーを開けると、中にいくつかの衣装が収まっていた。

 

「コウエツカジノの服はこれですね。コウエツカジノは会員制の場所なので服装にある程度マナーがあるんですよ」

 

 店主の取り出したのは黒いスーツだった。ユウキは自身の着ているオレンジのジャケットを摘む。さすがにこれでカジノの中に潜入するのは無理がある。ユウキの視線を感じ取ったのか、店主が破顔一笑した。

 

「大丈夫ですよ。服は責任を持って預からせていただきます。エドガーさんも」

 

「俺は服にこだわりはない」

 

 その言葉の通り、エドガーの服はどこでも買えるような黒いワイシャツだった。胸元が開けており、鍛え上げられた大胸筋が見え隠れした。店主は笑みを浮かべながら、「ではこの服を」と二人に差し出した。店主が表へと帰っていく。エドガーと二人で取り残され、ユウキは気まずさを感じずにはいられなかった。

 

 何か話そうかと思ったが、先ほどの騒動の手前もある。黙しているのが正解だと感じ、ユウキは着替え始めた。

 

 オレンジのジャケットを脱いで、まだ真新しいスーツに袖を通す。スーツなど片手で数える程度しか着た事がない。正体不明の重みを感じ、ユウキは肩口を回した。

 

 隣でエドガーが着替えている。エドガーの身体は鋼鉄のような筋肉の塊だった。スーツを着ると、少しだけ苦しそうに見える。ユウキがネクタイを締めるのに悪戦苦闘していると、エドガーはむんずとユウキの首根っこを掴んだ。何をされるのかと思えば、引き寄せてネクタイを締めた。一気に首を締められたものだから、気道が狭まってユウキは息苦しさを覚えた。二三度むせる。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 エドガーに礼を言おうとすると、何事もなかったかのようにエドガーは身支度を済ませようとしている。何も言わないのが礼儀なのかもしれないと思い、ユウキも脱いだ服を畳み始めた。ホルスターをベルトに留め、ボールの状態を確認する。問題はなさそうだった。

 

「バッジを忘れるな」

 

 エドガーのその声に、ユウキはジャケットに留めていたバッジをスーツにつけなおした。

 

 オレンジのジャケットは名残惜しかったが、着ていくわけにはいかない。帽子も同じだった。自分のトレードマークともいえる帽子とジャケットを置いて、ユウキは表へと出ようとすると、先にエドガーが立ちはだかった。エドガーは割り込んできた事に対する詫びも入れずにユウキを一瞬だけ視界に入れて、そのまま表へと歩いていった。ユウキはしばらくその場で硬直していたが、やがて歩き出した。入れ替わりに店主がロッカーへと歩いていく。表ではランポ達がちょうど作戦の概要を確認していたところだった。

 

 地図をテーブルの上に広げており、テクワとマキシはそれを見つめている。エドガーが、「IDは?」とランポに尋ねた。ランポはジャケットのポケットから二枚のカードを取り出した。片方をエドガーに渡し、片方をユウキへと手渡す。名前も年齢も無茶苦茶に刻印されたカードだった。

 

「作戦開始は深夜だが、お前らには先に入ってもらう。そのほうが怪しまれないだろうからな」

 

 ユウキは左手に巻いたポケッチを見やる。ちょうど午後三時を回ったところだった。エドガーもポケッチの時間を確認していた。

 

「ランポ。バックアップはどの辺りからしてもらえる?」

 

 エドガーの質問にランポは地図を示した。ユウキも地図を覗き込む。ビルの合間に二階建ての、他に比べれば小ぶりな建築物が書かれている。それがコウエツカジノだと知れた。ランポはコウエツカジノから指を真っ直ぐに伸ばし、隣のビルを跨いであるビルの屋上を示した。

 

「この辺りからならバックアップが可能になる。不安か?」

 

「いや、俺に不安はない。ただな……」

 

 濁してこちらを見やったその眼差しにユウキの事を言っているのだと暗に知れた。お荷物だとでも思っているのだろう。ランポは、「お前が言うほど心配じゃないさ」と言った。

 

「ユウキの実力は俺が知っている。お前と組ませるのが適任だと感じた。それだけだ」

 

 その言葉は少なくとも今のユウキにとっては励ましの言葉に思えた。ランポからのお墨付きをもらえたのならば、少しは信用してもいいと思ってもらえると感じたからだ。しかし、エドガーはどこか不審そうだった。

 

「こいつがか?」

 

 怪訝そうな眼をユウキへと注ぐ。ユウキは話題を変えようとランポに話しかけた。

 

「ランポ。作戦開始まで僕らはどうすれば?」

 

「おい。気安く呼んでいるんじゃないぞ」

 

 エドガーがユウキの前へと歩み出る。ランポが、「いい。俺が許した」とその行動を制した。

 

「そうだな。一般の会員を装って適当に遊んでいろ。目をつけられない程度にな。エドガー、その辺りはお前がリードしてやってくれ」

 

「俺がか? 冗談きついぜ、ランポ」

 

 エドガーが自身の胸元を押さえて首を横に振る。ランポは呆れたように息をついた。

 

「無線で指示を飛ばし続けるわけにもいかないだろう。盗聴の可能性もあるからな。作戦開始時刻までは必要最低限の通信に留める。それまでは無害を装え。いいな」

 

 押し被せる確認の声に、エドガーは小さく、「分かった」と言った。内心では承服していないのは丸分かりだった。ランポはコウエツカジノを指して、

 

「作戦開始時刻は零時ジャスト。その瞬間、コウエツカジノは手薄になる事が事前調査で分かっている。エドガー、ユウキはその機に乗じてコウエツカジノの裏側へと潜入しろ」

 

「裏側ってのに行くためのルートはもちろん、既にあるんだよな?」

 

 エドガーの声にランポは頷いた。

 

「もちろんだ。内部地図がある。ポケッチに送ろう」

 

 ランポが左手のポケッチをエドガーのポケッチに合わせ、赤外線通信で情報を交換する。ユウキにも送られるものかと思っていたが、ランポはエドガーにしか送らなかった。

 

「テクワ、マキシは俺と共にバックアップに回れ。俺達は外からの援軍を叩く。お前らの情報も教えてもらう。異論はないな」

 

 ランポがテクワとマキシに視線を投じた。二人は同時に頷いた。ユウキはどこか取り残されたかのような感覚を覚えていた。自分にだけは作戦の詳細が教えられていない。エドガーに付き従えというだけだ。これでは意味があるのか分からない。

 

「ミツヤ。情報戦術は?」

 

「既に準備完了してますよ。いつでも出せますけど、新入りがいちゃねぇ」

 

 ミツヤがユウキ達を眺めた。まだ信用されていないのだ。先ほどの行動が軽率だったのかもしれない。しかし、あれはミツヤだって悪いのだと自分の中で言い訳を作った。ランポは頷き、「なら、こいつらが出てから頼む」と言い置いた。

 



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第三章 二節「真剣勝負」

 ユウキには全てがバラバラのピースに思えた。しかしランポの中では既に作戦として纏っているのだろう。今はランポを信じるしかなかった。

 

「ユウキ、エドガー、先に出てろ。俺達は今から別行動だ」

 

 エドガーが頷き、店を後にしようとする。ユウキは慌ててその背中に続いた。扉を抜けて階段を上がり、F地区をエドガーの半歩後ろについて歩く。スーツを着込んでいるせいか、自分達がひどく浮いた存在に思えた。すれ違う浮浪者達が振り返る。上から下まで眺め回してから、「何だ、エドガーか」と声がかかった。エドガーが足を止めて振り向く。フードを目深に被った浮浪者が、卑屈な笑みを浮かべた。

 

「そんないい格好していると、財布取られるぜ」

 

「うっせぇ。俺なら取り返せる」

 

「違いねぇや」と浮浪者は肩を揺らして笑った。痙攣しているように見える笑い方だった。エドガーは浮浪者を無視してF地区の終わりまで進んだ。鳥居を抜けても異物感は拭えない。

 

 スーツを着ているというよりもこれでは着られているといったほうが正しい。帽子がないのも落ち着かない原因であった。いつもなら帽子で減衰させている陽光が直に頭部に当たるのは気分のいいものではない。中心街まではタクシーで行く事になった。

 

 エドガーがユウキを見やり、「歩くのはあまり好きじゃない」と告げた。眼鏡のブリッジをくいと上げ、F地区を出てすぐのタクシー乗り場で一台拾った。

「どちらまで?」と運転手が尋ねる。真っ昼間からスーツ姿で固めたエドガーとユウキの組み合わせは見るからに異質だったが、運転手は虚ろな眼でフロントミラーを見つめていた。

 

「中心街まで頼む」

 

「分かりました。出発します」

 

 緩やかな振動を交えて、タクシーが動き出す。ユウキはあまり落ち着かなかった。普段は歩いて移動するのが基本である上にタクシーに乗るのは久しぶりだった。車両は基本的に大通りの道しか通行できない決まりとなっている。そのため、ユウキがいつも歩いている道とは異なる景色が窓の外には広がっていた。同じような車両が連なるように走り去っていく中、ユウキはエドガーの様子を見やった。エドガーは頬に手を添えて窓の外を眺めている。どう言葉をかければいいのか分からない沈黙が降り立ち、ユウキは気まずさのあまり、呼吸困難のような状態に陥っていた。息を落ち着かせて言葉を搾り出そうとすると、運転手が不意に言葉を発した。

 

「中心街にはどのようなご用事で?」

 

 エドガーが軽く運転手のネームプレートを見やった。フロントミラーに映った運転手の眼と一瞬だけ合わせて、「仕事だ」と短く言った。

 

「お連れさんは随分とお若いようですけど、兄弟か何かですか?」

 

「そのようなものだ」

 

 エドガーが顔を背ける。そのように思われている事が心外だとでも言うような口調だったが、運転手は特に気に留めていないようである。ユウキは重苦しい沈黙の中に埋没していくのを感じた。余計な事を言ってしまったらどうしようという不安で何も口に出せない。ランポとならばこのような事はないのだろうとおぼろげながら考える。いつの間にかランポを無条件に信用している自分がいる事に気づいた。

 

 その時、フロントミラー越しに見つめる運転手の顔が強張った。どうしたのだろうと思っていると、運転手の眼は胸元に留められたリヴァイヴ団のバッジに吸い寄せられていた。

 

「……お二人とも、リヴァイヴ団なんですね」

 

「ああ。問題があるか?」

 

 低いエドガーの声に、運転手が愛想笑いを浮かべる。先ほどまでとは様子が異なった。運転手は少し緊張しているように見えた。

 

「いえ。タクシーの運転手なんかやっていると、たまにいるもんですから別段珍しいわけじゃないですよ。殊にコウエツシティではね」

 

「ならば余計な口は塞ぐ事だな。俺はお喋りじゃないもんでね。後々ウィルに告げ口でもされたら堪ったもんじゃない」

 

 エドガーの眼鏡越しの視線が運転手を射る。運転手はハンドルを握る手を硬くさせた。

 

「まさか」

 

 乾いた笑い声を上げるが、明らかに動揺しているのだと分かった。リヴァイヴ団はそれほどに力を持っているのだろうか。あるいはウィルの取調べが怖いのか。両方だとユウキは自分の中で結論付けた。

 

「しかし、お若い団員ですね。どうしてリヴァイヴ団に入られたんです?」

 

 エドガーに質問する事を恐れたのか、今度は矛先がユウキへと向いた。ユウキは返事に窮した。言うべきか言わざるべきか。どうせタクシー運転手との世間話など大した話題にはならないだろう。口を開きかけたユウキを制するように、エドガーが、「プライベートだ」と口にした。

 

「詮索はいい趣味とは言えないな」

 

 静かなその声に運転手が唾を飲み下したのが気配で伝わった。エドガーは伏せ気味の顔を窓の外に向けている。運転手は俄かに笑んだ。

 

「全く、その通りで」

 

 その一言で運転手は話題を引っ込めたようだった。タクシーが中心街へと入っていく。背の高いビル群が威圧するかのようだった。

 

「中心街のどの辺りまで行きます?」

 

「いや。もういい。この辺りで降ろしてくれ」

 

 エドガーの声にユウキは目を見開いた。周囲はまだ中心街に入ったところである。コウエツカジノまではまだ距離があった。運転手はエドガーの申しつけ通りに車両専用道路を下りて、一般道との境目でタクシーを停車させた。扉が開き、メーターを運転手が確認すると、エドガーがケイコウオの刺繍の施された財布から紙幣を何枚か取り出して置いた。「お釣りは」と言いかける運転手に、「釣りはいらない」と冷徹に切り捨てて、エドガーはタクシーを降りた。ユウキも続いて降りて、タクシーが走り去っていく。それを見届けていると、エドガーが、「行くぞ」と告げた。ユウキはその背中に続きながら尋ねる。

 

「どうしてコウエツカジノまで行かなかったんですか? 歩くのは嫌いだったんじゃ」

 

「ああ、嫌いだが、ウィルにそこで作戦があると言いふらすようなものだ。作戦前までは出来るだけ音沙汰は避けたい」

 

「あの運転手の人がばらすとでも?」

 

 ユウキは振り返ったが、既にタクシーは見えなくなっていた。

 

「不安の種をばら蒔く事はない。作戦前だ。小事が大事に騒ぐ」

 

 エドガーのどこまでの断固とした声にユウキは何も言えなかった。まるで全てを疑ってかかっているような冷たさを持っているような印象を受けた。テクワ達に通じるような慎重さだ。いや、彼らのほうが喋る分マシだったかもしれない。寡黙なエドガーはユウキからしてみれば理解に苦しむ存在だった。

 

「じゃあ、このバッジはいいんですか? 僕はこのバッジのほうが目立つようで気になりますけど」

 

 ユウキが「R」を逆さにしたバッジを見やる。エドガーは、「それは矜持だ」と語った。

 

「矜持、ですか?」

 

「そうだ。俺達は正規団員だという証。もしカジノやその他の場所で非正規団員との揉め事があった場合、俺達は火消しの意味を持ってその場に踏み込まなければならない」

 

「目立ちませんか?」

 

「よく見なければ意外と気づかないものだ。それに気づいたとしても相当な正義漢でない限りは黙認するな。リヴァイヴ団とウィルの揉め事に干渉するのは誰だっていい気分じゃない」

 

 それはそうだろうとユウキも思う。最初にランポと遭遇した際、ウィルから執拗なまでの取調べを受けた。たった一件の出来事で自分の経歴が丸裸にされてしまうのはいい気分じゃないだろう。事実、ユウキは苦々しい思いを噛み締めた。

 

「あの、さっきはありがとうございました」

 

「何故、礼を言う?」

 

 エドガーが立ち止まって振り向いた。眼鏡越しの視線はきつい。だが、ユウキはそれを真っ直ぐに見つめ返す。

 

「僕がリヴァイヴ団に入った理由を言いそうになったのを、止めてくれて……」

 

「守秘義務くらいはあるだろう。言いたくない場で言う必要はない。それとも、お前は言いたかったのか?」

 

 尋ねる声にユウキはミヨコやサカガミの事を思い返し、首を横に振った。

 

「だろうな。俺達はそうでなくとも過去を言いたくない連中の集まりだ。配慮というほどじゃない。当然の事をしたまでだ」

 

 エドガーは再び歩き出した。その当然の事を、自分はまだ理解しきっていないのだ。組織に入る事を、まだどこかで甘く考えている自分がいる。入団試験のテクワ達とのやり取りで分かったつもりでいたが、実のところはほとんど分かっていないようだ。まだぬくぬくとした場所にいた頃の空気感が抜けきっていない。

 

 エドガーは真っ直ぐにコウエツカジノへと向かった。コウエツカジノは二階建ての直方体のような建物で、青や赤のけばけばしいネオンライトの装飾がある。昼でも明るいそれは夜になれば娼婦の装いに近い。日が傾きかけていたので、今は、多少は上品に見えた。

 

「カジノに入るぞ」

 

 エドガーの声にユウキは覚悟の腹を据えようとした。いざ作戦となると緊張感が漂う。正面からカジノに入ると、ぬるい風がユウキの足元から吹き抜けた。やわな果実のような香りを含んでいる。カジノ特有の匂いだった。入ると、品のよさそうな女性のディーラーがユウキ達へと歩み寄ってきた。エドガーがカードを差し出したので、慌ててカードをポケットの中から出した。ディーラーは手に持った機械でカードを読み込んだ。緑色のランプがつき、アナウンスの音声がエドガーのカジノでの名前を呼ぶ。

 

「どうか最良な時間を」

 

 ディーラーの声に、エドガーは鼻で笑って、「そうさせてもらう」と応じた。ユウキもカードを通して、認証を得た。ディーラーの声を背に受けながら、ユウキはカジノ全体を見渡す。一階層はカードゲームとスロットに充てられており、二階層はVIPルームのようだった。

 

『VIPルームへはコインを一万枚以上集めた方のみご入場いただけます』

 

 アナウンスが響き渡り、スーツを着込んだ男がディーラーに連れられて黄金の扉の向こうに消えていく。

 

 スロットを回す客達は総じて仕立てのいい服を着込んでおり、少なくとも浮浪者の類は見当たらない。ユウキが客達を観察する視線を向けていると、エドガーが不意に何かのケースを差し出した。受け取りながら、「これは?」と尋ねる。

 

「コインケースだ。ゲーム用コインが入っている。零時まで、俺達は善良な客として認知されなければならない。遊んでおけ」

 

 コインケースを開くと、六〇〇枚ほどのコインが入っていた。金額に換算するといくらぐらいだろうかと思う。

 

「いいか、俺はカードのほうをやっておく。お前はスロットで適当に遊べ。ただし、忠告しておく」

 

 エドガーがユウキを見やった。ユウキはコインケースを閉じてその眼を見返す。

 

「勝ち過ぎるな。スロットの良し悪しによってはうまく勝てる場合もある。コウエツカジノは赤地経営だからほとんど勝てるようには出来てない。それでも偶然が重なる場合がある。いいか。一〇〇枚勝ったら二〇〇枚するぐらいの気持ちでいろ。ゲーム用コインがなくなったら俺に言え。何枚かはやる。あんまり俺にも期待をするな。賭けは得意なほうじゃない」

 

 エドガーはカードゲームのほうへと歩いていった。取り残されたユウキはスロットに視線をやる。スロット台はどれも同じに見える。だが、勝てる台と勝てない台があるくらいはユウキでも分かる。

 

「勝ち過ぎなければいいんだろ」

 

 呟いて、ユウキは一台のスロットの前に座った。ベッドは三枚からだ。賭ける方向、枚数によって返還金が変わってくる。スロットの上画面にはピカチュウが両手を上げていた。

 

 試しに三枚入れてみる。スロットが回り、ユウキは手近な場所にあるギアを掴んだ。ギアを入れるタイミングが少しずれただけでスロットは空転する。一回目は様子見のつもりで三度適当なタイミングでギアを入れた。当然、スロットの絵柄は揃わず、上画面のピカチュウが残念そうに肩を落とす。

 

 もう一度、ベッドすると上画面のピカチュウが右に左にと動き始めた。左に躓いたタイミングでギアを入れると、狙っていた絵柄が来た。ピカチュウが中央でよろめく。ギアを入れる。同じ絵柄が斜めに揃いそうになる。リーチだ。ユウキは慎重に最後のスロットの回転を見定めた。モンスターボールの絵柄が揃えば百倍になって還ってくる。

 

「……百倍。三〇〇枚か」

 

 狙っているつもりはないのだが額に汗が滲む。適当に遊べとエドガーから言われたではないか。ユウキは息をついて、ピカチュウが右側によろめいたタイミングでギアを入れた。ゆっくりとスロットの回転数が落ちていく。モンスターボールの絵柄が斜め上に見えた。

 

 ――当たる。

 

 そう確信した瞬間、スロットがずれ込んだ。モンスターボールの絵柄が中央に来てリーチが外れる。ピカチュウがまた肩を落とした。ユウキは詰めていた息を吐き出しながら、エドガーの言葉を思い返す。素直に勝たせてくれるようには出来ていない。ユウキはポケッチに視線を落とした。作戦開始時間まで、あと六時間はある。六時間もスロットだけで時間を潰せるのだろうか。勝ち過ぎるな、とエドガーには忠告されていた。だが、勝負となれば自然と身体の内側から熱が溢れ出てくる。

 

「このスロット」

 

 ユウキは呟いて回転するスロットの表面を撫でた。ガラス張りにされており、スロット自身に細工する事は不可能だ。反対側にもスロットがあるために裏側からの細工も不可能。ギアを引くタイミングは運次第。

 

「でも、眼がよければうまくいくかもしれない」

 

 ユウキは試しにもう一度、三枚ベッドした。スロットの動きをじっと見つめる。素人は上画面のピカチュウの動きにこそ法則性があると思いがちだろうが、このスロットの場合はそうではない。それは客を騙すブラフだ。

 

 ピカチュウの動きを頼りにして二つまでは当てる事が出来る。大きなものを狙わなければピカチュウの動きを頼りにするもの手かもしれない。しかし、六時間、勝ちと負けを平等に積み重ねていかなければならないのだ。

 

「適当に遊んでおけとは、よく言ったものだよ」

 

 ユウキは自嘲の笑みを浮かべる。闇雲にベッドし続けるだけでは二時間と持たないだろう。じっと目を凝らした。スロットの動き全てを掌握しようと、全神経を研ぎ澄ます。この感覚は戦いの時の感覚に似ていた。テッカニンの高速戦闘を掌握する時と同じだ。速いものを追うのではなく、その先を見据える。

 

「……これは戦いだ」

 

 呟いた声が結実し、ユウキは左スロットと中央スロットの動きに法則性を見つけた。左スロットは中央スロットより三秒早く、中央スロットは両サイドのスロットよりも二秒遅い。

 

 これは全てに言えるのか。

 

 ユウキは二回、適当にベッドする。秒数は同じだった。間隔も同一だ。ユウキは覚えず足でリズムを取っていた。これで左スロットと中央スロットは当てにかかれる。問題は最後の右スロットだ。ユウキは何度かリズムを刻んだが、三回ごとに右スロットだけが逆回転するために秒数が一定ではない。

 

 眼に頼るしかなかった。そのためには左と中央は感覚で当てられるようにならなければならない。ユウキは方向でベッドしようとは思わなかった。賭けるのは標準でいい。賭け金を増やせば増やすほど、秒数の感覚が狂うように出来ている。逆に言えば同じ賭け金ならば秒数は一定だ。方向を指定すれば、その直前と直後で必ず一定のずれが生じるように出来ている。ならば方向指定はしないほうが無難である。

 

 ユウキは右スロットの動向に目を光らせていた。右スロットが法則性を無視している以上、目で追わなくてはならない。絵柄の回転速度は毎秒約半回転。二秒で一回転であるが、三度目に逆回転するためにその時だけ頭を切り替えねばならない。出来るか、と胸中に問いかけるが無意味な事だ。出来なければ作戦遂行は至らない。

 

「全然遊びじゃない。これも戦いのうちなんだ」

 

 呟いて、ユウキは乾いた唇を舐めた。眼は忙しなくスロットの動きを追いかけている。

 

 まだだ、とユウキは感じる。追いかけているのではない。追い抜いた時こそ勝機が見えてくる。左と中央は突破出来る。あとは右だけだ。ユウキは右スロットが逆回転し始めたのを先読みする。逆回転ということは、モンスターボール、マリル、リプレイ、ピカチュウ、プリン、セブン、木の実、の絵柄の順番であるはずだ。ユウキは左と中央スロットに揃っているセブンの絵柄を見やる。狙うはセブンだ。それ以外はいらない。戦闘状態と同じ集中力をスロットに注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エドガーはカードゲームを持て余していた。

 

 カードゲームのルールは最初に配当を決め、ディーラーがカードを三枚配り、それぞれ客がディーラーの次に引くカードよりも役が大きいかどうかで勝敗を決めるというものだ。

 

 客側はディーラーとの一回のやり取りでカードの交換、または破棄を決める事が出来る。三枚の状態で賭けに挑む事も可能だ。カードがどのような絵柄かは捲る瞬間まで分からない。

 

 神経衰弱をやっている気分だった。エドガーが生欠伸をかみ殺す。エドガーの手持ちコインは二〇〇〇枚だ。少々無茶な賭け方をしても作戦時間までは問題なく戦える。その余裕が勝負に真剣になれない理由だった。左手のポケッチに視線を落とす。ちょうど二時間が経とうとしているところだった。

 

 今は夜の七時だ。作戦開始まで見積もっても四時間から五時間。準備を含めれば四時間と言ったところだろう。

 

 エドガーはユウキがどのような塩梅でやっているのか気にはなったが、特別気にするのはよしておいた。それはユウキのためにもならない。独りで戦う覚悟もまた必要だからだ。新入りだからといって甘やかせるつもりはない。ランポはユウキの実力を買っているようではあった。ランポと真正面からやりあったのだから実力はあるのだろう。

 

 しかし、それは所詮ポケモンバトルでの実力だ。リヴァイヴ団の活動は何も戦闘ばかりではない。諜報、策謀を重ね、裏切りの上に裏切りを決めて先の先を見通さねば生き残れない。

 

 ランポはそれが出来たから生き残っているのだし、自分はランポのそのような部分を認め、尊敬しているから下についている。ランポの意見ならば疑問を差し挟むつもりはない。兵隊に上の事情を推し量れというのは無理な話だ。エドガーは純粋な兵のつもりはなかったが、ランポの右腕という自負はあった。少なくともミツヤよりかは信用されているはずだ。

 

 ディーラーがエドガーの名を呼ぶ。偽名で呼ばれたものだから一瞬反応が遅れたが、エドガーは迷わず、「ステイ」を選んだ。ステイは三枚の手札のまま勝負をするという事だ。

 

「では、皆様の健闘を祈って」

 

 そのような文句でディーラーがカードを表に返す。次にカードを山札から引いた。それを表にすると、ちょうど十五だった。十五よりもエドガーの手が高ければ勝ち、低ければ負けである。ちょうどならば十倍の配当を受ける事が出来る。エドガーはカードを捲った。三枚で示された数字は九、つまりは負けだ。

 

「残念でしたね」

 

 ディーラーが偽りの笑みを浮かべながら、カードをシャッフルする。エドガーの隣に座っていた紳士が立ち上がった。

 

「私はここまででパスさせてもらうよ」

 

 紳士の賭け金は随分と少なくなってきていた。この辺りが潮時と判断したのだろう。ディーラーは、「またのお越しをお待ちしております」と笑顔を振りまいた。

 

 紳士はエドガーに、「頑張ってくださいね」と声をかけた。エドガーは無視を決め込んだ。紳士は嫌な顔一つせずに、その場を去っていく。戦いに負ければ去る、当然の理屈だ。どこの世界でもそれは同じである。エドガーの先ほどの負けは実は大した痛手ではない。賭けていた金もそれほど高くなかった。コインは消耗品のようなものだ。作戦開始時にたとえ手持ちコインがゼロになっていても構わない。

 

 勝つ事が目的ではないからだ。時間を持て余すのは手段でしかない。カードをシャッフルするディーラーの手元をぼんやりと見ていると、出し抜けに、「こりゃすごい」という声が聞こえてきた。その声に目をやると、次いで聞こえたのはざわめきだ。スロット台のほうに小さな人だかりが出来ている。どうやら今夜の運のいい奴がいたらしい。

 

「勝っているんですかね」

 

 ディーラーがシャッフルの手を緩めずに口にする。エドガーは、「幸運を分けてもらいたいもんだな」と言って口を斜めにした。ディーラーも冗談が通じたのか、同じような笑みを浮かべる。

 

「全く、幸運の女神というのは平等ではない」

 

 ディーラーがカードを配り始めるのと、先ほどの紳士が戻ってきたのは同時だった。息せき切ってエドガーの下へと駆け寄り、「あんた」と声をかける。エドガーは訝しげに眉をひそめた。

 

「何だよ」

 

「あんたの連れが、大変な事になっているぞ」

 

 その言葉に人垣の中心にいる人物が思い至ったが、「まさか」とエドガーは声を上げた。このカジノのスロットは見極めが相当難しい事で有名である。エドガーは賭け金を取り下げて、コインケースに入れて立ち上がった。

 

 スロット台へと早足に歩み寄ると、既に人だかりは一種の波のようなうねりを持っていた。

 

 エドガーは背伸びをして人垣の向こうへと視線を向ける。スロットに向かったままギアを機械的に回しているユウキの姿があった。足元のコイン入れにはコインが溢れんばかりに盛られている。いつの間にか誰かがコイン入れを取り替え、ユウキの隣に置いた。ユウキが三枚ベッドし、ギアを回す。スロットが回転し、ユウキは一瞬の判断で左と中央のスロットにセブンの絵柄を叩き出した。

 

 その瞬時の判断だけで人だかりがざわめいたにも関わらずユウキはスロットに視線を据えて微動だにしない。その眼が右スロットの動きに固定されていた。

 

 エドガーも知っている。右スロットだけは異質な動きをするのだ。左と中央は辛うじて見極めが可能でも、右スロットの動きは変幻自在である。ベッドするコインの数や方向、または左と中央を止めた時のタイミングの如何でも速度や回転が変化する。まさしく無理難題のスロットをユウキは迷わずギアを回して引いた。スロットがゆっくりと回転を止め、スリーセブンが揃う。コインが吐き出され、コイン入れに溜まっていく。

 

 ユウキは今コインが何枚あるのかなど気にしていないようだった。ただスロットとの真剣勝負にこだわっている。また三枚ベッドし、ギアを回す。淀みなく左と中央を揃え、右スロットも即座に止めた。またもスリーセブンだった。

 

「すげぇ強運だ」

 

 誰かが呟く。

 

 エドガーはそれが強運などではない事を確信していた。ユウキの手が迷いないのは運任せだからではない。自分の実力で戦っているからだ。エドガーには予想もつかないが、恐らくスロットのパターンを解析し、動体視力を極限まで高めて臨んでいるのだろう。そんな事が可能なのか、ではない。可能だからユウキはこれほどまでに勝っている。

 

 しかし、これ以上は危険なのは自明の理だった。ユウキは当初の目的を見失っている。子供だから、で許される範疇を超えている。エドガーは人垣を裂いてユウキへと歩み寄った。ユウキはエドガーが背後に立っても気づかないようであった。とてつもない集中力である。エドガーは手を伸ばし、ギアを握るユウキの手を上から押さえつけた。ちょうどギアを引こうとしていたユウキの手が止まり、初めて連勝がストップした。コインが吐き出されなくなってようやくユウキはエドガーが傍にいることに気づいたようだった。

 

「エドガーさん」

 

 そう口にしたユウキの眼にはまだ戦いの火が爛々と燃え盛っていた。

 

 スロットとこの新入りは真剣勝負をし、勝ち続けてきたのだ。しかし、これ以上はまずい。エドガーは手早くコインを集めた。コインケースに稼いだコインを入れて、ユウキをスロットから引き剥がす。ユウキはまだ名残惜しそうにスロットを見つめていた。エドガーはユウキを引きずってトイレへと連れ込んだ。まだスロットのほうを眺めていたその横っ面にエドガーは平手打ちをした。ユウキの身体が揺らぎ、叩かれた頬を押さえる。それでようやくエドガーの存在を認めたようだった。

 

「エドガー、さん」

 

 今度はまともにエドガーの顔を見た。エドガーは舌打ちをして、「この馬鹿野郎が!」と怒鳴った。ユウキが首を引っ込める。ようやく人間らしい所作が戻ってきた。

 

「言ったはずだ。勝ち過ぎるなってな。いいか? 俺達の目的はこのカジノの裏金を暴き、ウィルの不正を告発する事だ。だっていうのに、お前は何をしていた? ウィルに目をつけられるような真似をしやがって」

 

 ようやく認識が追いついてきたのか、ユウキは戸惑う視線を向けてきた。エドガーはその視線から目を逸らす。

 

「僕は、どうすれば……」

 

「知らん。お前の蒔いた種だ。何とかしろ。俺は外にいるランポ達と連絡を取る。ホラよ」

 

 エドガーがコインケースをユウキに手渡す。ユウキは重みを噛み締めるようにコインケースを握った。

 

「それで自分に出来る事を模索するんだな。俺が通信から帰る前に答え出してろ。でなきゃ、お前は用済みだ。俺達のチームにはいらない」

 

 言い捨ててエドガーはトイレを後にした。

 

 甘い言葉はかけていられない。男ならば自分で出来る事ぐらいは探し出してみせろ、というのがエドガーの胸中だった。

 

 事実、エドガーは苛立っていた。ここまで出来る力があるユウキへの嫉妬も混じっていたのかもしれないが、それだけではない。自分ならば指定時間まで時間を潰す程度で済んだのに、これではおじゃんだ。作戦が潰える事は自分の価値が潰える事も同義だとエドガーは思っている。エドガーは懐から折りたたみ式のヘッドセットを取り出した。ポケッチの通信では足がつく可能性がある。何より近距離ならばヘッドセットのほうがいい。

 

『エドガーか。どうした?』

 

「新入りがやらかしやがった。スロットで勝ちまくって目立ったようだ」

 

 吐き捨てるように言うと、通信越しのランポは、『そうか』と小さく返した。

 

『ならばエドガー。作戦遂行の前倒しも検討する。ウィルの部隊がこちらに来る可能性が高まったということだな』

 

「ああ、そうだ。ランポ。あんたは今どこに?」

 

『カジノの表にいる。マキシが裏を張っている。増援が来るようならば俺達で始末をつけられる。お前らは内側の事だけを考えろ。どうやって敵の懐に飛び込むのかだけをな』

 

「だがな、ランポ。こりゃ、ちょっとまずいぜ」

 

 エドガーは足を止めた。ユウキの連勝を見守っていた人だかりの多くが三々五々に分かれているが、ユウキを待つ人間もまた存在した。まだ勝利の美酒に酔いしれたいのだろう。エドガーは舌打ちを漏らす。それほどまでに勝っていたというのか。

 

「新入りの連勝の余波が強い。なかった事で誤魔化すのは不可能だな」

 

『ならば何らかのアクションがあるだろう。エドガー。その時にお前がどう行動するのかは全て任せる。ただ忘れるな。最重要目的はカジノの裏帳簿を暴く事だ。ミツヤがハッキングしてくれているが、それだけでは心許ない。お前らに任せている事は思っているよりも大きい事を忘れるな』

 

「分かってるよ」

 

 その言葉を潮に通信が切れた。エドガーはヘッドセットを床に叩きつけて鬱憤を晴らしたい気分だったが、寸前で堪えた。息を整え、ヘッドセットを懐に仕舞う。

 

 どうにかしなくては。冷静さを頭に取り戻そうと、エドガーは深呼吸した。カジノ特有の雑多な匂いが鼻についた。

 



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第三章 三節「地獄の足音」

 痛みでようやく我に帰る。

 

 鈍い、後から響いてくるような痛みだった。頬を叩かれたのは何年ぶりだろうと思う。

 

 父親に小さい頃、一度だけ叩かれた事があった。何をしたのか、言ったのか、前後関係はほとんど覚えていない。ただその頃の自分はトレーナーで無鉄砲なところがあったのだろう。父親は自分の事を考えて叩いてくれたのだと知れた。幼いユウキでもそれを解するだけの知能はあったのだが、それでも叩かれた事がショックだったのか涙が流れた事を思い出す。その時の痛みとエドガーが自分を叩いた痛みが同じに思えた。頬へと手をやる。エドガーはただ怒りや苛立ちから自分を叩いたわけではない。それくらい、今のユウキならば分かる。頬にやっていた手を拳に変えて、ユウキは呟いた。

 

「……考える」

 

 この状況を打開し、本来の目的に至る策を。エドガーが通信から戻るまではさほど時間がない。ユウキは頭脳を振り絞った。スロットの勝ち負けに躍起になっていた。その結果がこれだと、重たくなったコインケースを握り締める。

 

「コインケース」

 

 ユウキはコインケースに視線を落とした。蓋を開くと、黄金色のコインが等間隔に並んでいる。ユウキはざっとその数を数えた。次いで、カジノに入った時の事を思い返す。先ほどまでの戦い方が王道ならばこの手が使えるはずだった。しかし、エドガーが承服するだろうか。それだけが懸念事項だったが、ユウキはエドガーを納得させるしか方法はなかった。リヴァイヴ団に入れたのだ。ランポの下で戦い、この組織を変える。ミヨコとサカガミに誓った覚悟を思い出す。覚悟を胸に抱いたのならば、出来ない事などないはずだ。

 

 足音が響き渡りエドガーが帰ってくる。ユウキはコインケースを胸元に抱え込み、エドガーの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「答えは出たか?」

 

「はい。一つだけ、ウィルにマークされながらにして裏帳簿を洗う方法があります」

 

「ほう。それは何だ?」

 

 エドガーの試すような声音に、ユウキは一拍だけ呼吸を置いてから口にした。

 

「VIPルームに入る事です」

 

 その言葉にはさすがのエドガーも面食らったようだった。眉をピクリと上げ、「何だと?」と聞き返す。

 

「僕はあのスロットならば負ける気がしない。どの台に踏み込んだとしても、当てる自信があります。現在、コインは四〇〇〇枚です。VIPルームに入るには一万枚のコインが必要。あと六〇〇〇枚を稼ぎます」

 

「それと今回の目的とどう関係があるんだ」

 

「僕はVIPルームから探りを入れます。その隙にエドガーさんは裏側から探りを入れてください。VIPルームの客ならば邪険に出来ないはずです」

 

「表から奴らの帳簿を洗うって言うのか? いくら最上の客とはいえ、奴らがそう簡単に資金洗浄の在り処を言うとは思えない」

 

「だから、エドガーさんに頼みたいんですよ」

 

 ユウキの言葉にエドガーは眉根を寄せた。

 

「頼み、だと?」

 

「はい。奴らはスロットを当て続ける僕を重点的に監視するはずです。そうなれば他の部分が手薄になる。システム面でもセキュリティ面でも脆弱になるはずです。その隙をついてウィルの情報を盗み取ってください」

 

 ユウキの言葉にエドガーは思案するように顎に手を添えていた。うまく説得できたか、とユウキは感じていたがエドガーは首を横に振った。

 

「俺への負担が大き過ぎる。承服は難しいな」

 

 やはりか、とユウキは歯噛みする。だがもうスロットである程度面が割れている以上、この方法が最善に思えた。ユウキは表から敵の牙城を崩し、エドガーが裏から相手の隙をつく。この方法でなければ逆につけ入る隙などない。ユウキが顔を伏せかけると、「だが」とエドガーは口にした。

 

「難しいが夢物語ってわけじゃない。その代わり」

 

 ずいとエドガーが歩み寄る。屈んでユウキの顔を覗き込んだ。

 

「お前は継続的にウィルにマークされる可能性がある。俺もミスればパーだ。カジノを荒らす結果になる上に、必ず勝ち続けなければならない。その覚悟はあるんだろうな」

 

 ユウキは放たれた言葉を反芻した。覚悟。時に人を雁字搦めにし、時に歩を進める原動力となりうる言葉である。自分は歩みを進めるために、その言葉で心に火を灯すのだ。ユウキは頷いた。

 

「覚悟なら、とうにあります」

 

 エドガーはその言葉に一瞬だけ口元を綻ばせた、ような気がした。見間違いのように見えた一瞬だった。エドガーは身を翻し、「時間を確認」と告げた。その言葉にユウキもポケッチに視線を落とす。

 

「あと四時間。四時間以内にお前はVIPルームに潜入し、俺は裏帳簿を調べるためにあらゆるデータ回線のある部屋へと侵入する。ウィルが待ち構えている可能性がある。VIPルームだからと言って殺されない保証などない。いいな。緊張感を持っておけ」

 

 エドガーが歩き出した。ユウキは頷いて、スロット台のほうへと歩いていく。途中の分かれ道でエドガーはスタッフルームへと歩き出した。澱みのない歩調で、そちらに向かうのがまるで自然だとでも言わんばかりだった。ユウキの目的はエドガーに注がれるであろう視線を全て自分に向ける事だ。ウィルやカジノ経営者の注意を全てこちらに向けさせる。

 

 ユウキの姿が見えたからか、先ほどまで取り囲んでいた客達がまたざわめき出した。先ほどまでユウキが使っていた台には既に人がいたが、ユウキのような当たりを出す事は出来ないようで少しずつ人が離れつつあった。ユウキはその台へと歩み寄り、座っている客に告げた。

 

「僕が打ちます。退いてください」

 

 ユウキの迫力に気圧されたのか、それとも当たりの出ない事に業を煮やしたのか客はすんなりと席を譲った。ユウキが台の前に立つ。

 

 ――これもまた戦いのうちだ。

 

 コインケースを確認する。四〇〇〇枚のコインをさらに増やし、一万枚にする。並大抵の当たりでは四時間以内は難しい。大当たりを連続して狙うしかなかった。ユウキは首もとのネクタイを僅かに緩め、台へとコインを三枚ベッドした。先ほどまでの感覚を呼び戻し、ユウキはギアを引く。左、中央のスロットがセブンの絵柄を弾き出し、残りは右スロットだけになった。

 

「これも、大丈夫」

 

 呟いた声でユウキはギアを引く。スロットの回転が緩やかになり、絵柄が空回りする。絵柄が止まる寸前、覚えず渇いた喉に唾を飲み下した。出た目はセブン。つまりスリーセブン、大当たりだ。スロットが極彩色に煌き、コインが吐き出される。それでも一五〇倍。つまり四五〇枚だ。

 

 一回で四五〇枚程度では向こうも注目してこない。何より効率が悪い。ユウキは次にベッドする枚数を変えた。標準ゲームとは違う倍の配当、六枚のコインを台に流し込む。群衆からざわめきが上がる。ユウキはギアを回した。スロットが回転する。先ほどまでより速い。眼をスロットの回転数に慣らせる必要があった。そのため、最初の二回は適当にギアを引く。

 

 当然、当たり目は出ない。絵柄はバラバラだった。しかし、法則性は見出せそうだった。左スロットに意識を向ける。左スロットは単純に倍の速度だ。先ほどまでよりも集中力を高めればいい。問題は中央と右スロットだ。中央スロットにも三回に一回の逆回転が加えられ、なおかつ速い。三つのドラムはほとんど別回転をしていると言ってもいい。倍を賭けるだけでこれほどまでに異なるとは。

 

 ユウキは額に滲んだ汗を袖で拭う。先ほどまでは左と中央はほとんど気にしなくてよかったが、今回は全てのスロットに同じ集中力を注がなくてはならない。並大抵の事ではない、と思う。しかし、エドガーとて並大抵の事をやってのけようというのではない。自分もランポ達も同じ覚悟を抱いている。ならば報いるだけの働きはするべきだ。ユウキはギアを引いた。スロットが音楽と同期して回転し始める。

 

 この音楽も煩わしい。聴覚に集中すればスロット自体の動きは必ず見過ごす。上画面のピカチュウは既に当てにならないことは実証済みだったが、それでも視界に入ってくる。目を閉じてスロットを当てるわけにもいかない。ユウキは他の全ての情報を遮断して、スロットの動きのみに神経を費やさなくてはならない。

 

「ここが僕の戦場なんだ。今は」

 

 コインを六枚ベッドする。スロットが回転する。左、中央でセブンの絵柄が揃ったが、右スロットは逆回転だ。頭を瞬時に切り替える事が出来ず、ユウキは思わずギアを引く。

 

「外した」

 

 周囲の人だかりがユウキ以上に残念そうな声を上げる。ユウキはへこたれずにコインを入れた。ここから先は鬼の領域だ。運だけで六〇〇〇枚を呼び込む事は出来ない。実力が伴わなければ、四時間で六〇〇〇枚は無理な話だ。

 

「……運さえもコントロールしてみせる」

 

 呟き、ユウキはギアを握る手に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 監視カメラが映し出す映像は単調で退屈だった。

 

 モニター室に充てられた男は数度目かの欠伸をかみ殺す。コウエツカジノでは滅多な事は起こらない。いつもの日常があるだけだ。勝つ人間がいて負ける人間がいる。VIPルームに呼ばれる人間など最初から勝つ事を約束された、いわばサクラだった。

 

 コウエツカジノでは経営が始まって以来、コイン一万枚の大台に達した客はいない。ゲーム用コインを大枚叩いて買って地道に増やしたとしても、一万枚を買い占めるのには相当な額が必要だ。それほど資金の蓄えがある人間がまずカイヘン地方には少ない。F地区なんていう最低ランクの場所があるコウエツシティではなおさらだ。中心街は随分と儲かっているように見えるがそれはF地区との対比なわけであって、他地方の首都などの前例を出すまでもなく、コウエツシティでは足元にも及ばない。開発途上の人工島、薄汚い金で積み上がっていくビルの群れ。

 

 男は心底うんざりしていた。カントー地方からこちらへと移転してきて半年、カイヘン地方がろくな場所ではない事が実感させられるばかりだ。カントーは物価が高いがそれなりの設備が整っていた上に、貧富の差も大して感じさせないがカイヘンは酷い。カイヘンにあるのは劣等感の塊のような視線ばかりだ。カントーからこちらに来たのも、栄転ではなく実質の左遷のようなものだと思わされる。向こうではカジノの掃除をやらされていたが、まだそちらのほうがマシだ。何も起こらないモニター室など眠たくなるだけだった。

 

 その時、扉が開いて上司がやってきた。男とは着ている服が異なる。男の服はディーラー達と同じ赤と黒のものだったが、上司が纏っているのは緑色の制服だった。肩口に縁取りで、「WILL」の文字がある。ウィル実行部隊の人間だった。髪は紫色で、顔立ちはほっそりとしていて優男風だ。髪をかき上げる仕草が、どこか几帳面に見えた。男はその上司の事を快く思っていなかった。歳は男のほうが上なのに、この上司はウィルというだけでまるで年上のような言葉遣いをする。

 

「どうだ、監視は怠っていないか?」

 

 怠っていたとしても分かるまいと男は思う。

 

「大丈夫です。ニシダさんこそ、いいんですか? こんなカジノの見張りなんかしていて」

 

 遠まわしの嫌味のつもりだったが、ニシダと呼ばれた構成員は口元を歪めた。

 

「これも立派な仕事なものでね。お上からもらっている役職を無下には出来んよ」

 

 嫌味がそのまま自分に返ってくる結果になった。自分は上から流れてきた仕事に対しても情熱を持てない。ニシダは画面を流し見て、ふとある事に気づいたようだった。

 

「彼は?」

 

 その言葉に男は先ほどから人だかりの中心にいる少年を見つめた。「ああ」と声を漏らす。

 

「随分と運がいい子供がいるみたいでしてね。さっきから勝ち続けています」

 

「ずっとか?」

 

「ええ。もう二十連勝くらいしているんじゃないかな。一度席を立ったから、もしかしたらもっとかもしれませんが」

 

 もっとも、男には興味がなかった。カジノの魔法だ。一夜だけ特別にツキが回ってくる時がある。平等ではないが、誰かには訪れるものだ。それが偶然、この少年だったという事なのだろう。ニシダはしかし、興味深そうに少年を見つめていた。

 

「勝ち続ける少年か。しかし、見たところ未成年だ。保護者はどこに?」

 

「さっき一度だけ席を立たせた時にいましたけど、他の遊びに興じているんじゃないですかね」

 

「どのような人間だった?」

 

「背が高くてがっしりとした大人の男でしたよ。灰色の髪で、眼鏡をかけていて」

 

 適当に情報を言うと、ニシダは顎に手を添えて考え込んだ。別に殊更考える事には思えなかった男はまた欠伸が出そうになった。

 

「……潜り込まれている可能性があるな」

 

 小さく放たれた声に男は気づかなかった。ニシダがパネルを操作する。監視映像が切り替わり、男は、「ちょっと、ちょっと」と声を上げた。

 

「勝手な事はやめてもらえますか。ここ、自分の管轄なんですけど」

 

「管轄内業務を全うできないのならば同じ事だろう」

 

 うっ、と男は声を詰まらせる。切り替わる映像の中で、先ほどの話に出てきた男が垣間見えた。早足で何かを求めているようである。見れば、その映像はスタッフ専用通路の映像だった。どうして、客であるはずの男がそこにいるのか。疑問を差し挟む前に、「やはりな」と声が発せられた。

 

「ネズミだ。カジノの裏を洗うために潜られている。二重の策だな。表では子供が注目を集めている。裏でこそこそやるのは大人の仕事というわけか。今は何時だ?」

 

 問いかける声に男は腕時計に視線を落とした。

 

「午後十一時過ぎです」

 

「そうか。手薄になる頃合いだな」

 

「手薄っていうのは?」

 

「零時にスタッフは一度スタッフルームに集まる。その時が一番手薄だ。データやら何やらを奪うには好都合だろう」

 

 奪う、という乱暴な言葉に男は目を丸くした。そこまで逼迫した状況なのだろうか。

 

「あれは、誰だっていうんです?」

 

 男の上げた声に、ニシダは迷いなく、「リヴァイヴ団だ」と告げた。

 

「リヴァイヴ団って、チンピラの集まりでしょう」

 

「一般人はそう考えているが、我々ウィルは第二のロケット団と目している。あるいは第二のヘキサか」

 

「ヘキサって……」

 

 男の脳裏に八年前に話題になったヘキサ事件が思い出される。あの時も静かに事は始まった。それと同じだとでもいうのか。ニシダは佇まいを正して、「可能性の話だ」と口を開く。

 

「だが、その可能性が一分でもある限り、我々は動かなくてはならない。それがウィルの役割だ」

 

 ニシダは映像の中のリヴァイヴ団に目を向けた。男もそれを見やる。リヴァイヴ団だと分かると、落ち着かなくなった。ヘキサと同じだと言われたのもある。テロ組織だとして、爆弾でも仕掛けられたらどうする、という思考が脳内を満たしていく。その考えを見透かしたように、「派手な事はせんよ」とニシダが言った。

 

「第二のロケット団になる可能性があるといっても、小規模での作戦だろう。あのような少年を駆り出しているんだ。まぁ、自爆テロの可能性も無きにしも非ずだが、だとすれば今まで行動しなかった理由がない」

 

 自爆テロという言葉に背筋が寒くなったのを感じた。男は少年へと視線を移す。少年はただスロットを打っているだけだ。他に何かしている様子はない。

 

「少年のほうはVIPルームに行くのが目的かな。そこでこのカジノの実態を掴むつもりだろう」

 

「どうするんですか?」

 

 男が斜め上にある液晶画面へと視線を移す。そこにはこのカジノの裏の顔が映し出されている。それの監視も男の役目だった。ニシダは肩を回して、「久しぶりに仕事と行こうか」と言葉を発した。

 

「仕事、ですか」

 

「ウィルの仕事だよ。君には関係がない。少年がVIPルームに行くというのなら通してやればいい。問題はリヴァイヴ団の男のほうだ。そちらを私が押さえる」

 

 守秘義務、という一語が男の中で突き立った。ウィルの関連する仕事には守秘義務がある。今、ニシダと話している話題すら守秘義務に抵触する。

 

「コインを一万枚溜めるというのは名誉な事だ。それ自体は褒め称えてやっていい。だが、その裏でこそこそと嗅ぎ回られるのは困るのでね」

 

 ニシダは腰のホルスターに手をやった。左手にはポケッチがある。ウィルの隊員の中でも実戦を主とする人間である事は明白だった。立ち去ろうとするニシダの背中を男は呼び止めた。

 

「まさかこのカジノで戦場なんて事はないでしょうね」

 

「戦場?」

 

 ニシダが乾いた笑い声を上げる。手を振り翳し、「既に戦場じゃないか」と口にする。

 

「金が絡み、勝者と敗者が存在する。一方は人生の高みを見て、一方は地獄を見る。これが戦場でなくて何だ? 心配はいらない。殺すのならばスマートにやるまでだ」

 

 ニシダが口元を歪ませる。愉悦の笑みだ。男は背筋が凍る思いをした。扉が閉まって、ニシダの姿が消えてから、ようやく男は息をつく事が出来た。椅子に倒れこむように座り、少年へと視線を向ける。スロット台の情報へと直接リンクして、何枚のコインを吐き出したのか計算する。

 

「一万枚まで、残り五〇〇枚。……よくここまで」

 

 思わず感心してしまう。コウエツカジノのスロットは難易度が高い事で有名だ。金を吸い込む魔の機械として恐れられている。しかし、この少年は吸い込まれるどころか逆に吸い上げている。凄まじい集中力、あるいは執念だと男は感じていた。

 

「だが、VIPルームに行けば、地獄を見る事になる」

 

 男はこのカジノの裏側を映す画面へと一瞥を流し、少年へと哀れみの視線を投げた。

 

「知る事が幸福とは限らない。名も知らぬ少年、君はそれを見てどうするか」

 

 口にしてかららしくない感傷だと、男は切り捨てて、淡々と画面を見る作業に戻った。

 



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第三章 四節「灰の雪」

 スタッフ専用通路に入って一時間が経ったが、スタッフとすれ違う事はなかった。

 

 幸運だと思うしかなかったが、エドガーは緊張の糸を緩める事はなかった。腰のホルスターにあるモンスターボールはいつでも射出出来るように手を添えていたが、実際問題、エドガーが廊下で戦闘状態になるのはありえない。

 

 通路の幅を見やる。約二メートル。高さも目測で三メートル前後。これでは自分のポケモンはまともに戦えない。

 

 エドガーはそのために鍛えていた。自分のポケモンが戦える状況というものは限られている。トレーナーが常日頃から鍛えておかなければ、即座に狙われるだろう。

 

 対ポケモン戦よりも、対トレーナー戦に自信があった。相手がポケモンを繰り出すより先に昏倒させるくらいの技術は持っているつもりだ。突き当たりに行き当たり、道を折れ曲がると扉があった。厳重な扉で認証パネルが配されている。エドガーは懐からカードを取り出す。ランポから支給されたのとは別のカードだ。エドガーは潜入任務が多いため、あらゆる鍵を無効化するカードキーを持っている。ミツヤが作ったもので、カイヘンのセキュリティならばエドガーに入れない場所はなかった。カードキーを通すと、『認証しました』というアナウンスが響き、扉がエアロックを解除してゆっくりと開いていく。飛び込んできたのは予想通り、データバンクらしき部屋だった。黒い筐体が並んでおり、緑色の電子の文字の羅列が流れている。エドガーはその中の一つに歩み寄り、端子を探した。端子を筐体下部に見つけ、懐から取り出したメモリースティックを繋げる。ポケッチを翳すと、赤外線通信でデータが流れ込んできた。エドガーはポケッチの通信を開く。

 

「ミツヤ。聞こえているか?」

 

『聞こえている。ついでに情報もね。うまくいっているみたいじゃないか。予定時間よりも随分とお早いようだが』

 

「皮肉はいい。使えるデータかどうかすぐに調べろ。こっちはケツに火がついている」

 

『へぇ。それは誰のせい?』

 

「新入りに決まっているだろうが。余計な事をしやがった。ランポにはもう伝えたが、援軍が来る可能性が高い。包囲されれば出にくくなる。早目に済ませるんだ」

 

『はいよ』

 

 ポケッチの通信に集中していると、不意に背後に気配を感じて振り向いた。瞬間、エドガーの鳩尾へと黄金の雷撃を纏った拳が放たれた。振り向いたエドガーがよろめき、筐体に腕をつく。

 

『エドガー? どうした?』

 

 ポケッチ越しに尋ねてくるミツヤの声を遮るように、エドガーに一撃を食らわせた影が咆哮した。エドガーは今にも閉じそうな視界の中でそれを見やる。

 

 黒と黄色の縞模様を配した巨体だった。腕は丸太のように太く発達しているが、脚は短い。丸みを帯びた突起物が一対、角のように生えている。さらに背面からは黒い触手が伸びていた。一対で先端が赤い。それと同じ、赤い瞳に闘志を滾らせたそれはポケモンだった。電気タイプの二段進化ポケモンであり、豪腕の持ち主である。

 

「――エレキブル」

 

 その名を部屋に入ってきた何者かが呼んだ。紫色の髪をした優男だ。しかし、それがただの優男ではないのは肩口にある「WILL」の刻印を見ても明らかだった。

 

「……ウィルの犬か」

 

 一言発するたびに痛みが増していくようだった。意識が暗闇に閉じそうになる。エドガーは筐体にもたれて、何でもない自分を演出した。懐から煙草の箱を取り出す。火を探そうとポケットをまさぐっていると、エレキブルが指を差し出した。太い指だ、とエドガーが思っていると、そこから放たれた糸のような電流が煙草の先端に至り、火を点けた。エドガーは煙を吸い込みながら、「随分と気が利くじゃないか」と今にも崩れそうな笑みを浮かべた。ウィルの構成員は、「まぁな」と余裕の笑みを浮かべる。

 

「一服くらいはさせてやろうという粋な計らいだ。ありがたく思え、リヴァイヴ団のネズミ」

 

 構成員の言葉にエドガーは鼻を鳴らした。震える手で煙草を握り締める。最悪の状況だった。退路は塞がれている上に、部屋の寸法を眼で測ると、自分のポケモンではまともに戦えそうになかった。ポーズとしてホルスターに手をかける。構成員は、「それにしても」と口を開いた。

 

「エレキブルの一撃を食らって昏倒しないとは。伊達ではないな」

 

「そんじゃそこらの鍛え方じゃないもんでね。それにしても、遅いな」

 

「何がだ?」

 

 構成員が首を傾げる。エドガーは紫煙をくゆらせながら、「時間がだよ」と言った。

 

「俺がここに入るのを待っていたみたいなタイミングだな」

 

「ああ、そうさ。事実、待っていた。襲撃をかけるにはどのタイミングがいいかってな。私はね、一撃が好きなんだよ。一撃で相手を沈める快感というものがね」

 

「……趣味が悪いな」

 

 吐き捨てるようにエドガーが口にすると、構成員は、「君には分かるまい」と返した。

 

「ホルスターからポケモンを出さないところを見ると、それは飾りか? まぁ、戦えぬ理由というのも充分に考えつくが」

 

「どうかな。俺もお前と同じ考えかもしれないぞ」

 

「と、いうのは?」

 

 エドガーは鳩尾を押さえた。背骨まで突き抜けたかと思った一撃だ。触れるだけで内臓にダメージが蓄積しているのが分かる。

 

「一撃でお前を殺そうと思っているって事さ。そのための準備、かもしれない」

 

「ハッタリだな」

 

「どうかな」

 

 エドガーは不敵な笑みを浮かべる。それを見て構成員が眉をひそめた。これでいい、とエドガーは胸中でほくそ笑む。相手がこちらの手を警戒して手を出さない状況を利用する。エドガーはポケッチを通話モードにしたままである。当然、ミツヤにこの状況は伝わっているはずだ。程なくランポにも伝わるだろう。そうなれば、こちらのものだ。相手は見たところ一人。ならば、ランポ達に敵うわけがない。あとは、相手がどの程度までエドガーの目論見を予測するか。エドガーが黙っていると、痺れを切らしたのか、エレキブルが踏み込もうとした。それを、「待て、エレキブル」と構成員が制する。

 

「ここで殺しても後始末が大変だ。それよりもいいステージがある。とっておきだ。お前も好きだろう、エレキブル」

 

 その言葉に、エレキブルは口角を吊り上げた。何事なのか、とエドガーが思っていると、エレキブルが踏み込んできた。横っ面へと電気を纏わせた一撃が見舞われる。エドガーの身体が傾いだ。それでもまだ倒れない。足に力を込めて踏みとどまる。それを見て満足そうに構成員は、「ほう」と声を上げた。

 

「まだ倒れないか。これはまさに打ってつけだな。よし、このまま運ぶぞ。腕を押さえつけろ」

 

 エレキブルがエドガーの背後に回り、両腕を締め上げる。それだけで筋肉が軋むのが分かった。構成員がゆっくりと歩み寄り、腰から銀色の手錠を取り出す。エドガーは抵抗する事も出来ず、両手に手錠をはめられた。歯噛みして、睨む眼を向けると、構成員がいやらしく嗤った。

 

「上玉だ。今宵のショーは盛り上がるだろう。行くぞ、エレキブル」

 

 エレキブルにいとも容易く抱え上げられ、エドガーは部屋から運び出された。抵抗しようと身をよじったが、相手はこれ以上攻撃を加えようという意図はなさそうだった。くわえた煙草から灰が床へと落ちる。まるで踏みつけられた雪のようだった。

 



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第三章 五節「不器用」

「一万枚だ!」

 

 群衆の誰かが声を上げた。ざわめきが波のように押し寄せて、ユウキはようやく現実認識を追いつかせた。スロットが光り輝き、上画面のピカチュウが踊り狂っている。一万枚到達の瞬間だった。

 

「……やった」

 

 ユウキが息をついていると、人垣をかき分けて長身の男が二人歩み寄ってきた。黒服でサングラスをかけている。ユウキが身を強張らせていると、黒服二人はその場に跪いた。ユウキが面食らっていると、黒服が低い声で言った。

 

「一万枚、到達おめでとうございます」

 

「これよりVIPルームへとご招待いたします」

 

 黒服の片割れが手に持ったケースを開く。中には黄金の巨大なコインが一枚あった。一万枚に相当するコインなのだろう。華美なまでの花や草木の装飾が施されており、龍の紋様が自らの尻尾をくわえていた。ユウキはおっかなびっくりにそのコインを手に取る。その瞬間、群衆から口笛のような高い声が上がった。ざわめきの中、黒服が道を開けるように命じる。歓声を残しながらも、彼らは従った。黄金の扉に向けての道が出来る。黒服が先導し、ユウキがそれに続いた。扉がゆっくりと開く。

 

 ユウキは固唾を呑んで見守っていた。扉の向こうは巨大なエレベーターホールがあった。ポケモンを象った像が挟むように並んでおり、純金製で出来ていた。ホールスタッフがエレベーターのボタンを押す。黒服はどうやらVIPルームの中までついて来るらしい。エレベーターに乗ると緩やかな下降感が胃の腑から沸きあがってきた。思わず、ユウキは尋ねる。

 

「VIPルームは二階なんじゃ?」

 

「あれはダミーです。本来のVIPルームは地下にあります」

 

 それこそがこのカジノの正体というわけか、と確信する。手に持った掌大もあるコインはVIPルームへの招待券だ。これを手にするためにどれだけの人々が犠牲になったのだろう。スロットに魂までも吸い尽くされたのだろう。そう思うと、握っているコインはただ金の重みだけを感じさせるものではないような気がした。

 

 しばらく下降が続いたが、やがて緩やかな振動と共にエレベーターが止まった。扉が開くと、歓声が耳に飛び込んできた。ユウキは先ほどまで自分を囲っていた人々までそのまま連れてきてしまったのかと錯覚した。しかし、先ほどまでとは声音が違う。まるで獣のように落ち着きの知らない声だった。黒服が歩み出たので、ユウキも続く。

 

 周囲はスタジアムのようになっていた。見える範囲は馬蹄状に椅子が居並び、設えも完璧な高級感溢れる席だったが、誰一人として座っていなかった。

 

 スタジアムの上部にはオーロラヴィジョンがあり、そこに映し出されているのは、「レート」と「対戦相手」だった。

 

 何なのだろうか、と思っていると、スタジアムの中央で何かが弾ける音がした。そちらへと視線を向けると、ほとんど落ち窪んだ場所に四方を囲んだ金網があり、その中で何かがもつれ合っていた。ユウキが目を凝らす。そこにいたのは二体のポケモンだった。

 

 灰色の毛並みで狗のようなしなやかな体躯を持つポケモンと鋭い針を両手に備えたポケモンが対峙している。針のほうのポケモンは虫ポケモンだという事がその様相から知れた。赤い複眼に注意を喚起するような黄色と黒の縞模様である。狗のように見えるのはグラエナ、虫ポケモンのほうはスピアーと呼ばれるポケモンだという事が分かった。お互いに首輪が付けられており、上部のモニターに緑色のゲージが出ている。スピアーのゲージがオレンジ色に変わる。グラエナが突進し、スピアーに一撃を浴びせたからだ。しかし、スピアーも負けていない。突進してきたグラエナのこめかみに針を突き刺した。グラエナの側頭部から血が滴り、その牙がスピアーの身体を食いちぎる。スピアーが甲高い悲鳴を上げる。その声に混じって狂乱の声が観客席から上がった。ユウキは思わず後ずさっていた。

 

「これは……?」と黒服に目を向けると、「VIP専用の賭けでございます」と告げられた。

 

「ポケモンバトルを賭けの対象としているのです。ただしトレーナーは不在。彼らは首輪から送られてくる戦闘信号を頼りにお互い殺し合う。瀕死状態になったほうが負けです。あそこに」

 

 黒服が「レート」の画面を手で示す。

 

「レートとはどれだけの戦闘力を持っているかが規準となります。個体値、努力値などから算出されます。対戦相手は文字通り」

 

「そんな。ポケモンバトルの賭博は国際法で禁じらているはずでは」

 

 口元に手をやってユウキが口にすると、「全く、その通り」と声が返ってきた。そちらへと目を向けると、緑色の制服を身に纏った男が歩み寄ってきた。肩口に「WILL」の縁取りがある。ウィルの構成員だ。紫色の髪をかき上げ、構成員が口を開く。

 

「国際法で禁じられているから、VIP以外には極秘です。そのための措置も講じてある」

 

 構成員に目を向けていると、ユウキは突然左腕を掴まれた。黒服の力が強く、無理やり左手首を晒される。「何を」と声を上げる前に、ポケッチへと何かのデータが送り込まれた。黒服が手を離し、「無礼をお許しください」と能面で告げた。

 

「これであなたの言動は監視されます。この地下賭博場に関する事が喋れた場合、即座にウィルがあなたの身柄を確保します」

 

 通信網にハッキングされたのだと知った時には、構成員がユウキの目の前まで来ていた。ユウキは構成員を見上げながら、「こんな事が許されると思っているんですか!」と声を荒らげた。

 

「これじゃ、見世物でしょう」

 

「見世物ですよ。だから金になる。コウエツカジノが維持出来ているのも全てこれのおかげです」

 

 構成員が顎をしゃくって金網を見た。金網の中ではグラエナとスピアーが容赦ない戦いを繰り広げている。ポケモンバトルなどという生易しいものではない。野生の戦闘に近かった。

 

「申し遅れました。私の名はニシダ。このコウエツカジノ地下の管理を任されている者。どうぞ、ごひいきに」

 

 ニシダが軽く頭を下げて会釈する。ユウキは狂乱の渦に興じている人々を見やった。百人は下らない。これだけの人数が黙認しているというのか。

 

「こんな事を……よくも」

 

「こんな事、と仰るのはもしかしてこれが非道な事だと思われている?」

 

 どこか飄々としたニシダの言葉に、ユウキは怒りがこみ上げてきた。

 

「当然です。ポケモン同士の戦いをコントロールして金にするなんて」

 

「それはおかしい。見たところあなたもポケモントレーナーのはずだ。ポケモンバトルをすれば、当然、負けた側は金を支払わなくてはならない。このシステムと、今目にしているこの風景、何が違うというのです? トレーナーという絶対者が介在しない以上、こちらのほうが有益だと私は考えます。加えて、戦うポケモンは捨てられたポケモンだ」

 

「……捨てられた?」

 

「そう。あらゆる事情で廃棄を待つばかりだったポケモン達です。彼らを一時とはいえ活かしている。それを非道だとあなたは罵る事が出来るのか? 私はそうは思いませんね。社会から抹殺される宿命にあったポケモン達が一瞬とはいえ命の華を咲かせる。実に素晴らしいではないですか」

 

 ニシダが両手を広げる。にやりと口角を吊り上げた。ユウキは抗弁の口を開こうとして果たせなかった。

 

 ニシダの言っている事は理解できる。正しいと思う自分も確かに存在する。しかし、許せないと思う自分もまた存在するのだ。ニシダの言葉を鵜呑みにしてはならない。ここにあるのは人間の歪んだ欲望だと告げる声が胸の奥から湧いてくる。それでも、言葉でうまく表現する事が出来ない。ユウキのような実直なだけの生き方では、歪んだものを糾弾する事も出来ない。

 

 ユウキは顔を伏せた。言葉を返せないのをいい事に、ニシダはフッと口元に笑みを浮かべた。ユウキの耳元へと唇を近づける。

 

「我々は慈善事業をやっているのです。ポケモンのため、人間のためを望んでいる。彼らも承服している。それでいいではないですか。ここに悪はない。ならば、金を賭けることも汚くなどない。むしろ綺麗だ。彼らの生を彩っているのですから」

 

 本当にそうなのか。綺麗な金なのか。ユウキは拳を握り締めてぐっと押し黙った。

 

 大人の汚さに慣れて、自分まで汚れる事をよしとする。自分もどうせ下らない大人になるのならば、それでいいと考える。そんな事で世界は回っている。そんな果てない流転の中に自分も放り投げられ、歯車の一つとなっていいのか。

 

 ユウキは顔を上げて、金網の中の二体のポケモンを見た。スピアーの針がグラエナの腹部に突き刺さる。グラエナが喉から叫びを発して、空気さえも震わせる咆哮を放つ。たじろいだスピアーが突き刺さんとしていた針を躊躇わせる。グラエナの前足がスピアーの顔面を抉った。複眼が引き裂け、片方の触覚を失う。ぼたぼたと血が流れ、金網の下の床を濡らす。床は既に赤黒く変色していた。どれほどのポケモンの血を吸ったのだろう。どれだけのポケモンが犠牲になったのだろう。考えるだけで胸が締め付けられる思いだった。

 

 スピアーがそれでも懸命に戦おうと針を突き出す。針が光り輝き、紫色の粒子を放出したかと思うと、針の形状をした粘液がグラエナに飛び散った。飛びかかろうとしていたグラエナはそれを真正面から受ける。粘液を受けた部分が焼け爛れ、煙を発した。グラエナが呻り声を漏らしてその場に蹲る。毒である事は明白だった。スピアーがずいと踏み出し、グラエナの焼けた顔へと針を突き刺す。針が食い込み、グラエナの皮膚から血が吹き出した。金網を濡らし、狂気の大人達の叫びが上がる。モニターに表示されていたグラエナの体力がレッドゾーンに達し、グラエナは口を開いて咆哮した。ユウキの眼にはグラエナの首にかかっている首輪が食い込んだのが確かに見えた。

 

 このシステムの全貌をようやく理解する。戦えば戦うほどに首輪が食い込み、戦意の衰えによる敗北という概念をなくしている。瀕死まで、と黒服は言ったがその実は死ぬまでと同義だ。首輪のシステムにより、戦い続けるしかない。グラエナは耳を劈くような雄叫びを上げた。スピアーの身が傾ぎ、ふらふらとよろめく。グラエナがスピアーの身体に飛び込んだ。牙がスピアーの表皮に食いつく。しかしスピアーは毒を操るポケモンだ。その皮膚に毒が染み渡っていないはずがなかった。食い千切った肉をグラエナは早々に口から離した。千切れた皮膚がぶくぶくと泡を立てて紫色の水溜りになっていく。グラエナは口の中まで焼かれた事になる。スピアーが針を杖のようにして起き上がり、グラエナへと必殺の一撃を踏み込んで発した。針がグラエナの脇腹へと食い込む。深く食い込んだ針へとスピアーは先ほどと同じ、毒の攻撃を見舞わせる。針が光り輝き、毒がグラエナの体内へと注入された。グラエナが叫び声を上げて後ずさる。聞いているこちらが苦しくなるような痛ましい声だった。グラエナは荒い息をついていたが、やがてその場に倒れ伏した。

 

 口から血反吐が出ている。スピアーが勝ったようだった。上部モニターに表示されているグラエナの体力ゲージが消える。スピアーに賭けていた大人達が歓声を上げる。グラエナに賭けていたであろう大人達も落胆はしていたが、興奮は収まっていないようだった。

 

 ――どいつもこいつも狂っている。

 

 ユウキは胸中に毒づいて拳を固めた。金網の中を黒服が清掃する。グラエナの遺体は黒いビニール袋に入れられてどこかへと持ち去られた。スピアーは首輪に繋がれたままスタジアムの外へと連れ出される。どこに連れて行かれるのか、ユウキには見当もつかなかった。

 

「さて、次が本番ですよ」

 

 ニシダの声に、『ネクストステージ、カモン!』と拡大された声が響き渡る。金網へと歩いてくる姿を見て、ユウキは絶句した。金網に向かって当てられた照明を眩しそうに進むのはエドガーだった。エドガーは先ほどのポケモン達と同じように首輪が繋がれている。金網に入れられると、上部モニターにエドガーの体力ゲージとレートが表示された。

 

「……一千倍」

 

 ユウキは表示されたレートを見て慄然とする。小額がとてつもない高額になる。反対側のステージから来たのは黄色い体毛の巨躯だった。丸太のような腕を持っているが脚は短い。背中から伸びた一対の黒い触手が電気を帯びて床を叩きつける。それはポケモンだった。モニターに名前とレートが表示される。

 

「……エレキブル。二〇倍」

 

 エレキブルは首輪ではなく腕輪だった。首に当たる部分がないからだろう。黄金の電流を帯びた腕を振り翳し、エレキブルが咆哮した。それに呼応するように大人達の叫びが混じる。

 

「エレキブルだ。エレキブルに賭ける!」

 

「いや、俺はあの人間だな。一千倍の配当はかなりのもんだ!」

 

「おいおい、ポケモンに人間が勝てるかよ」

 

 口々に勝手な事を言い合いながら、大人達がエドガーとエレキブルに賭ける。

 

『タイムアップ! ここまでの結果を見る限り、エレキブルに賭けているお客様が多いようだ!』

 

 アナウンスの声に、ユウキは現実へと引き戻された。ニシダへと睨む目を向ける。

 

「これは、どういう事ですか!」

 

「どうもこうも」とニシダは肩を竦めた。

 

「よくあるんですよ。ポケモン同士だけじゃつまらないってね。努力値、個体値の差を知っていればある程度勝負を読めますから。その点、人間対ポケモンは面白い。どうなるのか予想もつかない。まぁ、大抵人間がボロ雑巾のように殺されますがね」

 

 ユウキはニシダへと掴みかかろうとした。それを制するように黒服が立ちはだかる。ユウキが振り上げた拳は黒服が掴んで背中に引き寄せた。ユウキは歯を食いしばって呻く。

 

「そうお怒りにならないで。あれはリヴァイヴ団です。汚物の排除に貢献しているわけですから、一石二鳥でしょう」

 

「あれは、僕の仲間です」

 

 喉の奥から発した声に、ニシダはわざとらしく額に手をやった。

 

「おっと、自分がリヴァイヴ団である事を明かすとは。そうまで大切なものなのですかね。私はあなたをVIPのお客様としてお迎えしたつもりです。一万枚スロットで勝つなんてそうそう出来るもんじゃない。どうです? この際、こちら側に来る気はないですか?」

 

「どういう、意味です」

 

 ユウキの声にニシダは髪をかき上げて、「言ったままの意味ですよ」と口にした。

 

「リヴァイヴ団など辞めて、ウィルに来ればいい。そうすれば不問に付す、と言っているのです。今ならば、もしかしたらあの男を助けれるかもしれない。そうでなければ――」

 

 その言葉尻を裂くようにゴングが鳴り響いた。ユウキは金網へと顔を向ける。エレキブルが腕を突き出し、エドガーへと迫った。

 

 エドガーは拳を構え、エレキブルと向き合っている。エレキブルが放った拳をいなして、エドガーが真っ直ぐな一撃を放つ。しかし、エレキブルにはまるで効いていないように見えた。エレキブルが薙いだ一撃がエドガーの頬を打ち据える。エドガーが金網へと背中を叩きつけると、電流が走った。エドガーの身体が痙攣し、その喉から叫びが上がる。エレキブルは金網を掴んだ。電流が同じように走ったが、エレキブルの体内へとことごとく吸収されていく。エレキブルが触手で床を叩きつけた。青白い電流を身に纏っている。

 

 次の瞬間、エレキブルの姿が掻き消えたかと思うと、天井にその身を躍らせていた。逆さまになったエレキブルが天井を蹴ってエドガーへと肉迫した。エドガーは間一髪で転がってそれを避ける。エレキブルの放った拳が床を抉った。雷撃の拳が残滓を引くように電流を纏いつかせている。エレキブルはまた金網を掴んだ。電気が舞い散り、エレキブルの体内へと吸い込まれる。体表で青い蛇のような電流が跳ねた。

 

「エレキブルの特性は電気エンジン。電気を吸えば吸うほど、エレキブルは速くなる。長引けば長引くほど不利でしょう。殺されますよ、あの男は」

 

 ニシダの言葉にユウキは殺意の眼差しを向けた。ここまで他人を憎んだのは初めてだった。

 

 ――これがウィルのやり方か。

 

 歯噛みしてユウキはどうするべきか思案する。

 

 金網の中でエドガーがエレキブルの猛攻をいなそうとするが、一撃でもまともに受ければ死の淵に立たされるのは必至だった。エレキブルが立体的に金網のステージを使って、攻めてくる。

 

 触手を巧みに使ってエレキブルは天井をも足場にした。エドガーが後ずさって避けるも、背後は高圧電流の流れる金網だった。着地したエレキブルがエドガーへと拳を見舞う。エドガーは身を翻して避けるが金網の電流を得たエレキブルがさらに素早くエドガーへと拳の応酬を浴びせた。電気を纏った拳がエドガーの頭を打ち砕かんと迫る。

 

 エドガーは前に転がってそれを回避し、エレキブルの足を蹴りつけた。バランスを崩したエレキブルの額へとエドガーの下段から突き上げたアッパーがめり込んだ。エレキブルが僅かによろけるが、その程度ではダメージにならない。エレキブルの触手がエドガーの足を絡め取る。エドガーは宙吊りにされたかと思うと、エレキブルの表皮を電流が跳ねた。

 

 瞬間、エドガーの身体が激しく震えた。喉の奥から痛ましい叫び声が迸る。身体に直接、電流を流し込まれているのだ。ユウキは思わず、「やめてください!」と叫んだ。

 

「こんなの、一方的じゃないですか!」

 

 ユウキの声にニシダが目を向ける。

 

「一方的? そう見えるのは仕方がないですが、それもこれも潜入したあなた方が悪い。人の家に土足で踏み込んでおいて被害者面とは、盗人猛々しいとはまさにこの事」

 

 その言葉にユウキは二の句を継げなかった。覚悟はあったはずだ。だというのに、いざその場に立たされるとどうすればいいのか分からない。今の自分に出来ることは何だ。どうすればエドガーを救う事が出来る。

 

 エドガーは触手から投げ捨てられ、床を転がった。エドガーの体力ゲージがオレンジになる。しかし、それでもエドガーは立ち上がった。客席から歓声が上がる。エドガーは肩で息をしながら、エレキブルを睨み据えた。その眼は死んでいない。諦めてはいないのだ。絶望の淵にあっても、その身を投げ出そうとはしていない。最後まで戦おうとしている。

 

「……決意」

 

 ユウキは呟き、顔を伏せた。

 

「分かりました。僕はVIPだ。この手をまずは離してください」

 

 ユウキの声にニシダが顎をしゃくる。黒服がユウキの手を離した。立ち上がったユウキはその瞬間、ホルスターのモンスターボールに手をかけた。それに黒服が気づいた瞬間、空気の中に溶けた高速のテッカニンが黒服二人を突き飛ばす。ユウキは走り出した。目指すは金網のステージだ。汚れた大人達をかき分け、ユウキは客席から飛び降りた。天に手を向けると、テッカニンがその手を掴んだ。金網へとその身が向かう。テッカニンで飛べる範囲は限界がある。ユウキは地面へと降り立つと、金網へと真っ直ぐに向かった。テッカニンへと指示を飛ばす。

 

「テッカニン! 金網のロックを解け!」

 

 高速に至ったテッカニンが扉のロックを爪で引き裂いた。金網の中へとユウキは飛び込んだ。

 

『おーっと! ここで乱入だー!』

 

 アナウンスの声が反響して響き渡る。客席からのどよめきも聞こえてきた。立ち上がる客もいた。ユウキはエドガーへと視線を向けた。エドガーも狼狽しているようだった。ユウキは目で示し、エドガーの首輪に繋がれている鎖を断ち切らせた。首輪から解放されたエドガーが後ずさりながら、ユウキと肩を並べる。

 

「……どういうつもりだ」

 

「僕はエドガーさんがただやられているのを黙って見過ごすほど、人間が出来ちゃいなかったって事ですよ」

 

「馬鹿野郎。一人でも目的を遂行するのが――」

 

「一人じゃ意味ないですよ」

 

 遮って放った声にエドガーが視線を向けた。ユウキは下唇を噛んで、「一人じゃ、意味なんて」と呟く。

 

「目的の遂行のために仲間を見捨てなきゃいけないんだとしたら、そんな目的は僕の望んだものじゃない。決めたんですよ、入団試験の時に。何があっても信じ抜くって」

 

 それは仲間もであり、自分もである。自分の心に嘘をついてまで生き長らえるのは誓った覚悟に対する冒涜に思えた。エドガーが視線を逸らし、舌を打つ。

 

「長生きできない考えだ」

 

「それでも、僕の生き方です」

 

 エドガーはエレキブルを見据えた。ユウキもエレキブルへと視線を向ける。エレキブルは全身から電流を放出し、雷の権化のような姿だった。

 

「奴は相当な素早さになっている。勝てるのか、お前のポケモンで」

 

「僕のポケモンも素早さが自慢です」

 

 ユウキは口元に笑みを浮かべた。エレキブルが動く。ユウキは手で空間を薙いだ。テッカニンがエレキブルの眼前に至り、爪を交差させる。虫タイプの技、「シザークロス」である。テッカニンは敵へと衝突するのと同時にその技を放てるようになっている。

 

 テッカニンの爪は、しかしエレキブルを捉えなかった。寸前のところでエレキブルが触手を用いて天井へとぶら下がる。テッカニンへと追撃させるためにユウキは手を振り翳した。テッカニンが高周波の翅を震わせてエレキブルを攻撃しようとするがエレキブルは直前で触手を離し、もう片方の触手でテッカニンを捉えた。空中に固定されたテッカニンが身体へと際限なく電流を受けている。テッカニンの金色の身体が震えた。

 

「……見えて、いるのか」

 

 高周波の羽音の弱点か、と考えたが恐らくは違う。今、スタジアムは熱気に溢れ、音楽も流れている。僅かな羽音を聞き取れる環境ではない。ならば、と至った考えにユウキは戦慄した。

 

「素早さが、テッカニンと同じ」

 

 そうでなくては説明がつかない。「でんきエンジン」の特性により、エレキブルはテッカニンの対等の速度に至っているという事だった。ユウキが叫ぶ。

 

「テッカニン、バトンタッチ!」

 

 テッカニンの姿がモンスターボールへと一瞬のうちに吸収され、ヌケニンが絡め取られた触手の中に姿を現す。絡めていた触手が弾かれたように剥がれた。ヌケニンの特性、「ふしぎなまもり」が作動したのだ。床へと降り立ったエレキブルはヌケニンへと電流の拳を見舞う。しかし、ヌケニンに当たる直前で目には見えない壁に阻まれる。これで少しはしのげるか、と考えたユウキの思考に差し込む声があった。

 

「エレキブル、炎のパンチ!」

 

 その声でエレキブルの拳へと空気中の水分が集まっていき、蒸発の煙を棚引かせて燃え盛った拳がヌケニンに打ち込まれた。ヌケニンの前面に張り巡らされた壁を越え、炎熱を纏った拳がヌケニンを揺るがす。

 

「ヌケニン!」

 

 ユウキは思わず声を上げていた。エレキブルが電気を纏った触手で床を叩きつけて、ヌケニンから距離を取る。ヌケニンにもユウキは退くように指示を出していたため、両者が同時に後退した形になった。声の主へとユウキは目を向ける。ニシダがヘッドセットを耳に当てて、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「一撃で沈まないとは。気合のタスキを持たせているな。でも、次で終わりにしましょう」

 

 ユウキはヌケニンの状態を見やる。爪の付け根に巻きつけられた赤いタスキが擦り切れている。もう用を成さないのは明白だった。

 

「エレキブルは実戦タイプのポケモンだ。当然、弱点となる地面や他属性への対策は講じてある。読みが甘かった。人間相手だから今まで電気攻撃しか使ってこなかったんだ」

 

 エドガーの言葉にユウキは歯噛みする。こんな初歩的なミスをやらかすなんて。その心中を慮ったように、エドガーは、「だが」と口にした。

 

「誰でもミスはする。お前の場合、それが極端に少なかっただけだ。これから対策していけばいい」

 

 思いやりの言葉にユウキは素直に頷けなかった。

 

「でも、今は一回きりの実戦です。僕の力が及ばなかったから、こんな――」

 

「隙を作れるか?」

 

 遮って放たれた言葉にユウキは聞き返していた。

 

「隙、ですか?」

 

「ああ、相手の攻撃を一撃でいい、受け切ってくれ。俺のポケモンを出す」

 

 エドガーが腰のホルスターへと指をかける。そういえばどうして今までエドガーはポケモンを出せる立場でありながら繰り出さなかったのか。その疑問にユウキは尋ねていた。

 

「今まではどうして」

 

「この金網」

 

 エドガーが金網を仰ぎ見る。ユウキもその視線の先を追った。

 

「囲まれている。俺のポケモンは鈍足だ。後ろを取られたり、俺を狙われたりすれば終わりになる。だから出せなかった」

 

 エドガーはどのような隠し玉を持っているのか。今の段階では定かではなかったが、急がなければならないのは確かだった。エレキブルが金網へと片手を近づける。

 

 電流が渦を巻いてエレキブルの身体に蓄積した。触手が高く掲げられる。あれが振り下ろされた時、次の一撃が来るだろう。ヌケニンでは確実に突破される。そうなった場合、勝機を逃す。ユウキはエドガーの可能性に賭ける事を決めた。

 

「分かりました。止めてみせます」

 

「何をこそこそと」

 

 ニシダがヘッドセットを爪の先で叩きながら客席を降りてくる。ユウキはモンスターボールの緊急射出ボタンを押し込んだ。テッカニンが出現と同時に空気中に消える。

 

「テッカニンを出したのか? しかし相手は電気タイプだぞ」

 

「ええ。ですけれど、これしか止める方法はないんです」

 

 相打ちか、とその眼が語っている。ユウキは目をわざと合わせずにゆらゆらと揺れるヌケニンを見やった。ヌケニンの体力はない。テッカニンも電気攻撃で絡め取られればそれまでである。今のエレキブルならばテッカニンの速度を捉える事も出来るだろう。ユウキはぐっと息を詰めた。エレキブルがどのような技を出すか。それの如何によってこの作戦が成功するかが変わってくる。

 

 ――ニシダが僕の読み通りの人格ならば。

 

 読みが外れればそれまで。ユウキとエドガーはウィルに取り押さえられるか、または殺されるだろう。首の裏に覚えず汗が浮かんだ。

「新入り」とエドガーが声をかけてくる。ユウキは、「信じてください」と返した。

 

「必ず、一撃を止めます」

 

 断固たる声に、エドガーは息をついた。

 

「分かったよ。お前が何をしようとしているのかは分からないが、俺も腹を括ろう」

 

 エドガーがホルスターからモンスターボールを取り出し、緊急射出ボタンに指をかける。

 

 ――いちかばちか。

 

 客席でニシダが髪をかき上げ、片手を上げた。

 

「決着を。エレキブル、最高の技で締め括ろうではないか」

 

 エレキブルの体表を電流が跳ねる。青白いオーラのような電気が身体から発し、エレキブルは両手を広げて天上を仰いだ。口腔から雄叫びを発し、二本の触手を同時に床に叩きつける。エレキブルの身体が黄金に輝き、肩を突き出して床を蹴りつけた。

 

「エレキブル、ワイルドボルト!」

 

 エレキブルが全体重を傾けてタックルしてくる。それはさながら電気の砲弾であった。これが「ワイルドボルト」である。電気タイプの中で反動ダメージが返ってくるが、かなりの高威力を誇る物理技だ。エレキブルの黄金の輝きが視界を満たした瞬間、ユウキは叫んでいた。

 

「今だ! ヌケニン、テッカニン!」

 

 高速の中に身を委ねていたテッカニンが突如として、ヌケニンの上で止まった。それを怪訝そうに見たのはその場にいた全員だった。テッカニンは自ら攻撃に当たりに行ったのか、と誰もが思った事だろう。テッカニンは高速で震わせている翅を止めた。翅で身を包み、空中に静止したかと思うと、何とヌケニンとその影が重なった。

 

「当たりに来たか! 愚かな判断よ」

 

 ニシダが勝利を確信した声を上げる。エレキブルの高圧電流のタックルが二つの影を捉えたかに見えた。爆音が広がり、金網が衝撃で揺れる。煙る視界の中、観客とニシダが捉えたのは衝撃の映像だった。

 

『こ、これは?』

 

 アナウンスの声も動揺を隠せない。エレキブルの攻撃は一つの影によって防がれていた。小さな影だった。白い甲殻を有しており、小さな爪を前に持っている。丸っこい眼は感情があるように見えた。緑色の未発達の羽を持っている。

 

「ツチニン、だと」

 

 ニシダが声を上げる。そこにいたのはテッカニンとヌケニンの進化前であるツチニンだった。ちっぽけなツチニンがエレキブルの全力の攻撃を減衰させていた。

 

『た、退化している!』

 

 アナウンスの声に観客がどよめいた。それも当然だろう。ポケモンの進化とは本来、不可逆だ。ヤドラン、というポケモンは噛み付いているシェルダーが離れれば、進化前のヤドンに退化すると言われているが俗説とされている。逆に言えばそれくらいしか退化の前例は報告されていない。今、目の前で起こっている現象はしかし本物だった。

 

「僕の手持ち二体は退化する事が出来る。これは何も大した事じゃない。元々が一体のポケモンだったんだ。それをもう一度一つに合わせただけ。ただし、退化すると一晩は元の二体に戻れない。だけど、地面・虫タイプのツチニンなら、どんなに強力な電気技でも無効化する事が出来る」

 

「そして――」

 

 エドガーがその言葉を引き継いだ。エドガーの手にあるモンスターボールが開かれ、中から光に包まれた巨体が姿を現した。

 

 金網ギリギリの大きさの巨体である。その威容は最早ポケモンと呼ぶ事さえ憚られる。丸太を通り越して重戦車のような巨大な腕と脚。渦巻きの紋様がところどころにあしらわれ、胸に絆創膏のような意匠が施されている。顔には既に感情と呼べるようなものはなかった。機械のような一対の白い眼がエレキブルを見下ろしている。エレキブルの巨躯ですら、その巨体に比すれば矮躯としか言いようがなかった。巨大なポケモンは全身から蒸気を迸らせ、腕を振るい上げた。

 

「ゴルーグ。アームハンマー」

 

 エドガーの放った声に緩慢な動作でゴルーグと呼ばれたポケモンが拳を振るい落とす。「ワイルドボルト」の反動を受けていたエレキブルは咄嗟に判断できなかった。まるで隕石が落ちてくるかのような一撃をエレキブルは満身で受けた。床が弾け飛び、エレキブルの身体が押し潰される。恐怖など感じる間もなく、エレキブルが一撃の下に肉塊と化した。

 

 今まで数々のポケモンや人間を屠って来たリングに自らが沈むとは思ってもみなかったのだろう。その最期は呆気なかった。モニター上のエレキブルの体力がゲージを振り切ってモニター不可になる。誰もが固唾を呑んで見守っていた。ゴルーグがゆっくりとした動作で拳を戻す。エドガーがニシダへと目を向けた。ニシダは頬を引きつらせて後ずさっていた。

 

「ゴルーグでこの地下賭博場を占拠する。金網が邪魔だな。ゴルーグ。空を飛ぶ」

 

 ゴルーグがその言葉に従い、脚を胴体へと仕舞った。ついで五指を腕の中に仕舞ったかと思うと、ゴルーグの身体はまるでロケットのようになった。ゴルーグの全身から蒸気が迸り、地鳴りのような音が響いた。ゴルーグの身体の内側から響いている音なのだ。ユウキはエドガーとともに金網から出ていた。ゴルーグの巨体から火が上がる。炎を滾らせ、ゴルーグの身体が持ち上がった。腹の底から響く重低音と共にゴルーグがゆっくりと地面から離れた。金網を圧迫し、ゴルーグの巨体が高電圧の網を弾け飛ばす。

 

「ゴルーグはゴースト・地面タイプのポケモン。電流は通用しない」

 

 エドガーの言葉に呼応するようにゴルーグが鳴動した。鳴いたというよりも鳴動したと言うほうが正しいようにユウキには思えた。ゴルーグが金網を破り、ゆっくりと客席へと頭頂部を向ける。狙われていると察知したVIP客達は叫び声を上げて我先にと逃げ始めた。ニシダが困惑したように周囲を見渡す。辺りは恐慌状態にあった。エレベーターが押し合いへし合いの状態となる。エドガーはその様子を見やりながら、落ち着いて懐より煙草を取り出した。

 

「こんな時に一服ですか?」とユウキが驚くと、「こんな時だからだ」と冷静な声が返ってきた。ポケットからライターを取り出し、エドガーは紫煙をくゆらせる。

 

 ゴルーグが蒸気を噴射しながら片腕を展開した。その先には逃げ遅れたニシダがいた。ニシダをゴルーグの腕が掴む。ニシダがゴルーグの呪縛から逃れようとするが、既に遅かった。ゴルーグは観客席をがりがりと削りながらゆっくりと着地した。それでもその重量を支えきれないのか、観客席が陥没した。全身から蒸気を噴き出すゴルーグに掴まれた人間の心境とはどのようなものなのだろうとユウキは想像した。あまり歓迎したくない、というのが実情だった。

 

「は、離せ! 私はウィルの仕官だぞ!」

 

「それがどうした」

 

 エドガーがくわえていた煙草を手に握る。片手で煙草を器用に回しながら、「そういえば」と思い出したように告げた。

 

「ゴルーグの特性は不器用だ。道具が使えないんだよ。何故かって? そりゃ、そいつの力が強過ぎるからだ。壊しちまうんだよな、何でも。何かの手違いで握り潰してしまうかもしれん」

 

 エドガーのその言葉に、ニシダは全身から叫び声を迸らせた。ぽたぽたとニシダのズボンから水が滴っている。

 

「あーあ、漏らしちまった」

 

 情けねぇ、とエドガーが笑った。ユウキもその笑いが移ったように笑みを浮かべた。何故だか清々しい気分だった。エドガーが、「おっと」とポケッチを通信モードにする。

 

「報告しなけりゃな。ランポ。このカジノ、地下賭博場があった。違法なポケモンの闘技場だ。これから上へと大人数が逃げ出すだろう。そいつらを逃がさないでくれ。あと、ミツヤへとリークして欲しい。もしかしたら援軍の可能性がある」

 

『了解した。エドガー、ユウキ、よくやってくれた』

 

「新入りが思ったよりも働いてくれた。俺としちゃ、大助かりだったよ」

 

 エドガーがユウキへと目を向ける。その眼差しが少し和らいでいたのは気のせいではないのだろう。

 

『そうか。お前らはほとぼりが醒めるまでそこで待機していろ。上は俺達に任せておけ。エドガー、少し息が荒いぞ。ゆっくりと休め』

 

「そうさせてもらうよ」

 

 エドガーがその場に胡坐を掻いた。煙草を吸いながら、ふぅと息をつくと、エドガーの身体が後ろへと仰向けに倒れた。突然の事に、ユウキが狼狽した。

 

「え、エドガーさん? どうしました?」

 

「いや、身体が勝手にな。多分、ポケモンの技を受け過ぎた。まぁ、しばらく休めば大丈夫だろう」

 

 エドガーは落ち着いた様子で煙い息を吐き出した。こんな事が日常茶飯事なのだろうか。

 

「全く、心臓に悪い」とぼやいたユウキに、「そりゃ、こっちの台詞だ」と倒れたままのエドガーが煙草でユウキを指した。

 

「退化なんて。聞いてねぇぞ、そんなもん」

 

「言ってませんでしたから、ランポにも」

 

「ほう。じゃあ、本当の隠し玉だったってわけか」

 

 エドガーの言葉に、ユウキは、「ええ」と顔を綻ばせた。

 

「もうエドガーさんにばれちゃいましたけど」

 

「さんはいらない。これからは呼び捨てでいい。元々、先輩なんて柄じゃないんだ」

 

 エドガーはそう言って口元に笑みを浮かべた。ユウキもつられたように笑った。ゴルーグに掴まれたままのニシダが泣き声を上げる。赤子のような声にエドガーとユウキは顔を見合わせて肩を竦めた。

 



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第三章 六節「結成、ブレイブヘキサ」

 エドガーからの通信を受け、ランポは入り口に視線を投じる。

 

 モンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけ、ボタンを押し込んだ。中から現れた紫色の体躯をした人型がぐぐっと喉の奥から鳴き声を漏らす。オレンジ色の鉤爪を翳し、ドクロッグが戦闘状態の構えをした。人の喚き声が聞こえてくる。我先にと駆け出してきたスーツ姿の男の前にランポは歩み出た。

 

「な、何だよ、あんた。退けよ!」

 

 叫んでランポに掴みかかろうとした男の腕をドクロッグがねじ上げた。男を肩に担ぎ、滑らかな巴投げを決める。男は背中から地面に叩きつけられた。その様子を見ていた後から来た客達がどよめく。ランポは、「リヴァイヴ団だ」と告げる。

 

「ウィルの反社会的行為を見逃すわけにはいかない。あなた方は金で揉み消せるだろうが、ウィルの蛮行は世に知らしめなければならない。そのためにあなた方には人質になってもらう」

 

 ランポの放った言葉に、「テロリストが」と誰かが忌々しげに口にした。ランポがそちらへと目を向ける。誰が言ったのか、全員が顔を見合わせていた。

 

「ああ、あなた方からすれば我々はテロリストだろう。しかし、あなた方は違法な金を賭けていたのと同じ手で同じ口で、家族を愛し家族を守るというのか? それはとんだ詭弁ではないのか」

 

 ランポの言葉に誰も言い返す者はいなかった。ポケッチの通信モードでテクワへと繋ぐ。左手を耳元に翳し、「テクワ、そちらから見えるか?」と尋ねる。

 

『ああ、見えてるぜ、ランポ。あんたの指示通り、このビルからなら逃げようっていう連中の浅はかな考えが丸見えだ』

 

 ランポは次いで、マキシに繋いだ。『どうした?』と不機嫌そうなマキシの声が聞こえてくる。

 

「そちらこそどうした? えらく不機嫌そうじゃないか」

 

『俺の制止を無視して行こうとした奴がいたからちょっと黙らせた。殺してはいない』

 

「ああ、それが重要だ。殺すな。彼らはウィルに加担していたとはいえ民間人。それにここは公衆の面前だ。リヴァイヴ団のイメージを下げることになるからな」

 

『了解』の復誦が返り、ランポは息をついた。今度はミツヤへと繋ぐ。

 

「ミツヤ。予定通り、エドガーの仕入れてきた情報はどうなっている?」

 

『全て順調ですよ。ネットに情報拡散するまでの十分間。それだけ凌いでくれれば後はどうにでもなります』

 

「そうか」とランポは通信モードをオフにした。これから対処すべき事は十分間、客達の動向を見張る事と外からの援軍に注意する事だ。客の中の誰かがひそかにウィルを呼ばないとも限らない。いや、もしかしたら既に呼んでいるのかもしれない。そうなった場合、ランポはユウキ達が脱出するまでの時間を稼がねばならない。十分間あればどうにでもなるとミツヤは言ったが、実際、その十分間が命運を分ける。こちらではさばききれないほどの援軍を呼ばれればそれまでだ。ミツヤが情報を見張っているはずだったが、同時進行でどこまで間に合うか。胸の奥から溢れ出しそうな不安を押し殺し、ランポは顔を上げた。

 

「何もしなければ危害を加えない。ただ大人しくしていて欲しい」

 

 ランポの呼びかけに客達のささくれ立った気性が凪いでいくのが分かった。どうにか自分の言葉が通じる間はもってくれ。その願いを胸に目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキ達がニシダを人質にして上がってきた時には、既に客達の喧騒は収まっていた。入り口のところで夜風に長髪をなびかせたランポがポケットに両手をいれて佇んでいる。

 

「遅いぞ」

 

 開口一番に放たれたのがそれだった。エドガーがなかなか起き上がらなかったために遅くなったのだ。ふらふらと頭を揺らすエドガーは満身創痍に見えた。

 

「ああ、悪い」

 

「エドガー。その具合を見たところ、相当やられたらしいな」

 

「ちょっと無茶したか」

 

 エドガーがくわえた煙草から灰が落ちるのをユウキは見ている。まるで都会の空気に汚れた雪のようだった。だが、雪よりも美しい。エドガーの魂の輝きが見えた気がした。エドガーはニシダを縛っていた手を離し、その背中を蹴りつけた。ニシダが、「ひい」と短い悲鳴を上げる。もうニシダに抵抗の気力があるようには見えなかった。

 

「恐らくウィルがそろそろ察知してくる。こいつを置いてとんずらしよう」

 

「ランポ。客達はどうしたんです?」

 

 ユウキが尋ねると、ランポは、「逃がしたよ」と短く告げた。思わず、「えっ」と聞き返す。

 

「彼らにも罪はある。だが、俺達が裁くのはあくまでウィルだ。民間人じゃない。そこを取り違えれば、取り返しのつかないことになる」

 

 ランポの言葉にユウキは承服した。ランポはあくまで大きな支配存在としてのウィルを敵対対象としている。狂乱に興じていた人々は自らの罪を自らで購う事になるだろう。きっと、そのほうが暴力で解決するよりも重たい結末になる。ランポはそれを知って、客達を逃がしたのだ。

 

「さぁ、行こう。俺達が捕まっているんじゃ世話ないからな」

 

 ランポの言葉にユウキは歩き出した。エドガーはランポの肩を借りている。いつの間にか追いついてきたマキシが一行に加わった。

 

「マキシ。今回はどうでしたか?」

 

「殺しちゃいけないんだ。やりづらかったよ」

 

 淡々とした返事はマキシらしい。彼は本当にやりづらかったのだろう。戦うだけの人生において手加減ほど難しいものはない。ユウキ達は二台タクシーを拾ってF地区手前まで乗って行った。エドガーとマキシ、ユウキとランポの組み合わせだった。車中でランポは唐突に尋ねた。

 

「どうだった?」

 

 初任務の事と、エドガーの事を訊いているのだろうが、どっちなのか分からなかった。

 

「どっちですか?」

 

「両方だ。お前はどう思った? 俺達の在り方を」

 

 ユウキはちらりと運転手を見やる。来た時と違い、帰り道の運転手は無口だった。水を差される心配はないだろう。

 

「正直、僕は今回の任務を失敗の寸前まで追い込んでしまいました。自分の勝負に熱中し過ぎて、本当の、大きな目的を見失っていたんです」

 

「エドガーから聞いている。だが、結果的にお前達はウィルの悪行を暴く事が出来た」

 

「違うんです、ランポ。結果じゃない。僕は、あと一歩間違えば、とんでもないミスを犯すところだった」

 

 ユウキは頭を振った。結果がいい方向に転がったのは偶然だ。エドガーが地下闘技場で殺され、自分も口を封じられた可能性は充分にあった。ランポは窓の外を眺めながら、「そう気に病むな」と口にした。ランポを見やる。その眼にはコウエツシティの極彩色のイルミネーションが映っている。

 

「確かに結果論ではない。物事はそう単純でない事は入団試験の時に実感したはずだ。結果に至る過程、お前の心の内を教えてくれ」

 

「僕の、心の内……」

 

 呟くように発した声に、「そうだ」とランポが押し被せる。ランポは窓の反射越しにユウキを見据えていた。

 

「お前とエドガーを組ませたのは俺にとっても賭けだった。吉と出るか凶と出るか分からなかったわけだが、俺はお前らを信じていた。たとえば、二つの荒波があるとしよう」

 

 ランポが手元に視線を落として両手の人差し指を立てた。人差し指同士を磁石のように引き合わせる。

 

「荒波は反発し合い、さらに強大な波となる。辺りを巻き込む大しけだ。しかし、こうも考えられないか。荒波同士がぶつかった事で大きな一つの巨大な力になったと」

 

「その大きな力が、今回の事を成したと?」

 

「俺はお前を買っている。エドガーの事も信頼している。だから、今回のような無茶な任務を任せられた」

 

「無茶だって、自覚はあったんですね」

 

 ユウキは少し微笑んだ。ランポは口元に笑みを浮かべる。

 

「任務はいつだって無茶さ。俺達、下っ端に与えられるものなんてな。その無茶を道理でこじ開けるか、閉ざすかはそいつら次第だ。俺達はこじ開ける側につきたいと考えている。それだけの事だ」

 

 何でもない事のようにランポは言う。しかし、真実のところではそれは相当な困難を伴う生き方だ。一種、不器用ですらある。

 

 だが、前に進む足を止めるか歩みを進めるかはその人間の矜持次第だ。どこまで自分達にプライドが持てるか。それにかかっている。エドガーはプライドを全うした。ならば自分は、とユウキは問いかける。エドガーを救うために隠し通すつもりだった退化の能力を晒した。これも覚悟のうちなのだろうか。

 

「ユウキ。言いたくないのなら言わなくてもいい」

 

 まるでユウキが退化の能力の事を言うべきか逡巡したのを見通したような口調だった。事実、ランポには全てお見通しなのかもしれない。ユウキは静かに目を閉じた。

 

「ランポ。僕はあなたのチームの部下だ。聞いて欲しい。僕のポケモンの能力の事を」

 

 車のクラクションが鳴り響く。ユウキはテッカニンとヌケニンの有する退化の能力と、自分の戦術を打ち明けた。ランポはさして驚く事なく、当然の出来事のように受け止めた。

 

「そうか。退化は机上の空論かと思ったが実在していたとはな。一晩では二体に分離できないという事か」

 

「ええ。この事を知っているのは、エドガーとランポだけです」

 

「情報の共有はもちろんされるべきだと俺は考えている。ただし、それはお前がここにいて正解だったと思えた時でいい。今は俺の胸の中で留めておこう。他の連中にも一つや二つは知られたくない秘密がある。それを開く鍵が信頼だ」

 

「僕はエドガーを信じました。一発逆転の策があると言ったエドガーを。だから、僕も信頼して一撃を止めてみせると言ったんです」

 

「命を背中合わせに預けているのなら、それは当然の帰結だろう」

 

 ランポの言葉にユウキは、まさかあの状況を狙っていたのかと勘繰ってしまいそうになった。エドガーかユウキが危機に陥り、命を預けあう状況になるという事をランポは最初から読んでいたのではないか。少し考えてから、まさか、と否定する。いくらランポといえども、そこまでは読めるはずがないと考えたからだ。

 

「俺達はいびつだ」

 

 告げられた言葉に思案の海に沈んでいたユウキは一瞬、反応が遅れた。ユウキがランポに目を向けると、ランポもユウキを見つめていた。

 

「いびつ、ですか」

 

「そうさ。まだ本当の信頼関係に至っていない。俺だけがお前ら全員の秘密を知っている。だが、お前ら同士ではお互いの事は分かっていない。本当の信頼とは、ユウキ、背中を預けるまでもなく命を投げ出せる事だと考えている」

 

「命を投げ出す……」

 

「そうだ。間違うなよ、捨てるんじゃない。捨てるのは愚か者だ。投げ出せるという事は誰かの事を自分の事のように考えられるという事だ。一人は皆のために、皆は一人のために。青臭い理想論だが、俺はそれを振り翳す」

 

 ランポは自分で言った事が可笑しかったのか少し吹き出した。ユウキは笑う気にはなれなかった。非情な組織の中でそれでも希望の一筋を見出す。ランポの行動は暗闇の中で砂金を見出すかのごとく難しい事なのかもしれない。しかし、それをやろうとしている。それすら覚悟だ。自分の行動に責任を持っている。

 

「やっぱり、僕はまだまだですよ。そうまで考えられない。自分の事で精一杯で」

 

 今回のカジノの件でエドガーに余計な心労をかけてしまった自分の事を恥じる。ランポは、「恥じ入るという事は」と口にした。

 

「これから成長できるという事だ。お前は成長の機会を得た。いっその事、今回の報酬はそれでいいんじゃないか?」

 

 フッと口元を緩めたので、それがランポの冗談だという事が分かった。ユウキは気安い口調で返す。

 

「何ですか、それ。僕だって普通の報酬が欲しいですよ」

 

 唇を尖らせると、ランポが微笑んだ。しかし、次の瞬間には真面目な表情の中に消え入っていた。

 

「エドガーや俺達と、うまくやっていけそうか?」

 

「分かりませんよ。でも、光が見えた。そんな気がするんです」

 

 ユウキの答えにランポは満足したようでそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。タクシーがF地区の前で停車する。ランポが金を払い、ユウキ達はF地区へと戻ってきた。「BARコウエツ」へと続く階段をランポに肩を貸してもらったエドガーが降りていく。マキシとユウキはそれに続いた。ジャズの穏やかな調べが聞こえてきて、ユウキは帰ってきたのだという認識を新たにした。

 

「おかえりなさい」と店主がグラスを拭きながら口元に笑みを浮かべる。「ああ、ただいま」とランポが返した。エドガーを近くの椅子に降ろし、ランポは定位置のカウンター席に座った。

 

 ミツヤはノート端末を取り出し、キーを忙しく叩いている。テーブルの上には角ばったピンクと水色を基調とした鳥型のポケモンが置かれていた。端末と繋がっており、緑色の電気信号が血脈のように浮き上がっている。ミツヤが説明するつもりがないようなので、ランポが補足した。

 

「ポリゴンを使って情報伝達速度を高めている。ミツヤの戦い方だ」

 

 ミツヤは特に訂正するつもりはないらしい。一心にキーを叩いている。それを見て、この人も戦っているとユウキは実感した。

 

「いつものを」と注文すると、店主はランポの前にオレンジ色のカクテルを置いた。どうやらランポが飲むものは決まっているらしい。エドガーも、「いつものをくれ」と呻く。まだ痛みが尾を引いているらしかった。店主は奥へと引き下がり、サイコソーダの入ったグラスを持ってきた。ユウキが目を見開いていると、エドガーは微かに笑った。

 

「俺は下戸だ。ビールで吐く」

 

 そう言ってサイコソーダを一気に飲み干した。これもまた、秘密の一面だったのだろう。ユウキは微笑ましい気分になった。しばらくジャズの音に耳を澄ませていると、扉が開いた。

 

 現れたのはテクワと見ず知らずの男だった。仕立てのいいスーツを着込んでおり、髪を撫で付けている。入団試験の黒服や試験官と纏っている空気は似ている。しかし、温厚な眼をしており、少し頼りなさげに見えた。四〇くらいの歳に見える。テクワがライフルの銃口を男の後頭部に向けている。銃口は確か固められていたはずだったが、知らなければ充分な凶器だろう。

 

「ランポ。こいつ、この店の周りをうろちょろしてたから締め上げてきた。誰なんだ? まさかウィルか?」

 

「私がウィルだって?」

 

 男が卑屈に顔を歪める。テクワが銃口を押し付けようとすると、ランポが急に立ち上がった。

 

「馬鹿野郎! テクワ! その銃口を退けろ!」

 

 平時のランポとは思えない口調にテクワは困惑の表情を浮かべる。ユウキも気持ちは同じだった。

 

「えっ……、でもよ」

 

「その方の胸元を見ろ」

 

 ユウキ達は男の胸元を注視した。見ると、「R」を逆転させたバッジがつけられていた。リヴァイヴ団だと感じた瞬間、ランポが歩み寄ってテクワの銃口を退けさせた。テクワが両手を上げて、「知らなかったんだよ」と弁解の笑みを浮かべる。ランポは振り返って声を張り上げた。

 

「この人は俺達に任務を下してくれる直属の上司、レインさんだ。全員、立て!」

 

 その言葉に先ほどまでキーを打っていたミツヤまでも立ち上がり、恭しく頭を下げた。怪我をしているエドガーも同様だった。ユウキとマキシは顔を見合わせ、立ち上がってそれに倣った。レインと呼ばれた男は、「いやいや」と謙遜するように手を振った。

 

「堅苦しいのはなしにしよう。今回の働き、ご苦労だった」

 

「いえ。運がよかっただけです」

 

 ランポも頭を下げたが、レインは、「頭を上げたまえ、ランポ。それにチームの者達よ」と言った。その言葉でランポがゆっくりと頭を上げる。それでも尊敬の念は持っているようで、物腰が少し低かった。

 

「それで、今日はどのようなご用事で」

 

「うん。今回、ウィルのコウエツカジノでの違法な賭けの実態を暴けた。ウィルは情報封鎖に躍起になっているが、もうネットにも出回っている。明日の朝刊の一面はこれで決まりだな」

 

 レインが笑みを浮かべる。どこか気安い笑みだった。店主へと視線を向けると、「いつものですね」と店主はバーボンの瓶を取り出した。

 

「いつもすまないね」

 

「いえ。この酒の価値が分かるのはあなたぐらいですから」

 

 店主が笑うとレインも破顔一笑した。どうやら店主とは対等な地位にあるようだ。それとも旧知の仲なのだろうか。勘繰っても答えは出そうになかった。

 

「さて、作戦の報酬だがいつもの口座に振り込んである。チームで割り分けたまえ。それと今回の作戦の成果を、上は高く評価してくれている。以前話していたチーム名、喜ぶべき話だ、名乗ってもいいと」

 

「本当ですか?」とランポが声を上げる。ミツヤが手を上げた。

 

「じゃあ、イービルアイズで!」

 

 ミツヤの声にレインは、「若いっていいね」と笑った。ランポは少し気後れした笑みを浮かべる。

 

「他の者、案はあるか?」

 

 ランポの声にエドガーは沈黙していた。ユウキはおずおずと手を上げる。

 

「何だ? ユウキ」

 

「ブレイブヘキサ、という名前を提案します」

 

 その言葉にレインは、「ほう」と声を漏らした。顎に手を添えて、「君達が、ヘキサの名を名乗るか」と意味ありげに呟く。ユウキは名前の由来を説明しようとしたが、その前にランポが全員を見た。

 

「他の案は? なければ多数決に移る」

 

「だから、イービルアイズですって」とミツヤが言うのをエドガーが無視して、「いいんじゃないか」と言った。

 

「ブレイブヘキサ。悪くないと思うがな」

 

 エドガーの声にミツヤが衝撃的な顔をした。テクワも口を開く。

 

「俺も、それがいいと思う」

 

 マキシは無言で頷いた。

 

「ミツヤは? どうだ、反対意見」

 

 ランポに問いかけられ、ミツヤは渋々と言ったように顔をしかめた。

 

「多数決なんでしょう。だったら、俺の意見はいいですよ」

 

 ミツヤがユウキを睨みつける。ユウキはばつが悪そうに顔を伏せた。エドガーが小さく声をかける。

 

「伏せんな。自信持て」

 

 その声にユウキは顔を上げた。エドガーは口にした言葉を自分のものではないかのように振舞った。ランポが全員と目を合わせ、レインへと向き直る。

 

「俺達は今日から、チームブレイブヘキサを名乗ります」

 

 レインが一つ頷き、「いいだろう」と口にした。

 

「君達は今日からブレイブヘキサを名乗りたまえ。リヴァイヴ団の名において許可する」

 

 その言葉にランポが頭を下げた。

 

「感謝します」

 

「いいさ。しかし、ヘキサか。君達にはいささか皮肉に聞こえなくもないがね」

 

 その言葉が気になったが、テクワが、「よっしゃー!」と叫んだ事で気が紛れた。

 

「チーム名が決まったわけだ。ユウキ、お前が名付け親だぜ。誇り持てよな」

 

 テクワに指差されユウキは意味もなく緊張した。それを見越したように、エドガーが声をかける。

 

「気張るな。俺達でブレイブヘキサだ。お前だけのもんじゃない」

 

 その言葉はユウキの心を癒すのに充分だった。「はい」と頷き返すと、エドガーは口元に笑みを浮かべた。

 

「よっし。そうと決まれば祝杯だ! 飲むぞ!」

 

 テクワがマキシとユウキの肩を掴んで引き寄せる。ユウキが、「未成年ですよ」と返したが、「今日ぐらいいいって」とテクワは言った。

 

「ランポも、いいよな?」

 

 レインと話し込んでいたランポは、「ああ。いいんじゃないか」とおざなりに答えた。ランポとレインが何やら深刻な様子で話していたのが気にかかったが、それを吹き飛ばすような勢いでテクワが店主に注文した。

 

「あの甘ったるいサイコソーダ以外の。そうだな、あのオッサンと同じ奴」

 

 テクワが調子に乗ってレインを指差すと、ランポが叱責の声を飛ばした。

 

「テクワ。分を弁えろ!」

 

「ああ、いいって。若者はあれぐらい無鉄砲じゃないとね。しかし、少年よ。このバーボンはかなり度数が高いぞ。それでも挑むかね?」

 

「上等、上等!」とテクワは依然、上機嫌だった。ユウキにはそれが何かを無理やり頭から退けているように思えたのだが、ただ単に機嫌がよかっただけなのかもしれない。マキシへと視線を移すと、「あいつはいつもあんな感じだよ」という台詞が返ってきた。マキシが言うのだから、いつものテクワなのだろう。

 

「君もどうだい? 今回の功労者のわけだから」

 

 レインの勧めに、ユウキはやんわりと断った。

 

「いえ。僕はサイコソーダで」

 

「何だよ。ノリ悪いな。合わせろよな」

 

 テクワの小言に、エドガーが歩み寄って言った。

 

「いいんだよ。こいつはこいつのままで」

 

 エドガーがユウキの下にサイコソーダが運ばれてきたのを見て、「乾杯しよう」と提案した。

 

「賛成だな。初任務の成功を祝ってー」

 

 テクワがバーボンの入ったグラスを掲げて傾ける。既に酔っているような口調だった。レインもグラスを掲げる。マキシへはミックスオレが運ばれてきた。ランポもカクテルのグラスを掲げて合わせる。ミツヤだけが、「俺はパスでいいです」とキーを叩いて作業を続行した。

 

「では、諸君。君達のこれからのさらなる躍進を願って」

 

 レインの号令で全員がグラスを合わせた。

 

「乾杯!」

 

 合唱した声に、この場の一体感を感じる。ユウキが飲んだのはサイコソーダだったが、バーボンを飲んだレインやテクワと同じように浮き足立っている自分に気づいた。こうやって喜びは分かち合えるのだ。

 

「よっしゃ! 今日は飲むぞ!」

 

 テクワの声に、ユウキは、「僕はよしておきます」とランポに告げた。「いい心がけだ」とランポが薄く笑う。

 

「今日は宴会だ! マスター、飯も準備してくれ」

 

「おいおい。俺は怪我人なんだ。あんまり騒ぐと傷に障る」

 

「そうだな。エドガーは明日にでも病院に行くといい。今日ははめを外し過ぎるなよ」

 

 ランポの言葉に、「外さないっての」とエドガーが声を返す。店主が奥へと引き返して、何か食べ物を作ってこようとする。ユウキが、「僕も手伝います」と言うと店主は笑った。

 

「では、少しだけお手伝いをお願いしましょうか」

 

 ユウキは軽いつまみやピラフを作る事になった。カウンターを見ると既に出来上がっているテクワがレインに絡んでいる。絡み酒か、とユウキは呆れた。レインもそのような若者は見慣れているのか、適当にあしらっていた。ユウキは店主と顔を見合わせ、微笑んだ。この場にいる全員と繋がっている感覚がしたのはきっと間違いではなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間が寝静まってから、ランポはレインと共に店を出た。

 

 店主が片づけをしながら、すっかり酔っ払ってひとしきり暴れたテクワ達に毛布を被せている。他の面子も疲れが出たのか熟睡しているようだったが、ランポだけは眠る事が出来なかった。まるで予定調和のように朝霧のかかったF地区に出てレインはランポと話をする事になった。チーム名を名乗る、という意味をランポは重く見ていた。レインもそのランポの懸念事項を理解しているのか、「心配かね」と声をかけた。

 

「ええ。俺達は今までこれほど大きな仕事を成した事がなかった。だから、チンピラの喧嘩の調停や小さな揉め事を専門にやってきたわけなのですが」

 

 今まではそれが平穏な日々だと信じていた。だが、ユウキの目指すものに近づくためには今までのようなやり方では駄目だ。そう感じたランポが今回の任務を買って出たのだった。

 

「正直、私も驚いているよ。君達は、言い方は悪いがせこく生きていくものだと思っていたからね。あ、気に障ったのならば謝ろう」

 

「いえ。事実ですから」

 

 今まではエドガーとミツヤを抱えただけの組織の中では中間の位置にいた。ここで浮上するという事は内外から目をつけられるという事だ。今までのようなやり方では生きていけない。その上、今までのような任務も与えられない。

 

「チーム名を名乗る意味、君ならば分かると思うが」

 

「はい。リヴァイヴ団のために、命をかけるということですよね」

 

 今までは命を張るほどの大仕事はなかったが、これからは死と隣り合わせになる。それが何よりもランポの心を不安で満たしていた。この事を、本来ならば言うべきなのだろう。しかし、入ったばかりのユウキや今まで自分を支えてくれたエドガーやミツヤにはなかなか言い出せなかった。

 

「いずれ分かるさ。名前が背負う意味。それに気づく頃には後戻り出来なくなっているかもしれないが、いいのだね?」

 

 レインの声にランポは踵を揃えて佇まいを正した。

 

「はい。あいつらはあれでも覚悟がある。覚悟を胸に抱いてるから、先に進める」

 

「その覚悟の輝きを買って、やってもらいたい任務がある」

 

 早速か、とランポは感じたが顔には出さなかった。もうブレイブヘキサとして戦うと決定付けられたのだ。今さら、後には引けない。レインが左手首に巻かれたポケッチを差し出す。ランポもポケッチを突き出して翳した。データが赤外線で送られていく。

 

「ある人物の有するデータの保護と、安全な輸送を頼みたい。詳細はデータの中にある。私の口から言えるのは、その人物が我らリヴァイヴ団の根幹に関わっているという事だけだ」

 

「根幹、とは」

 

「言わずもがなだろう。ボスの事だよ」

 

 ランポは覚えず心臓が跳ね上がったのを感じた。ボスへと通じる手がかり。謎に包まれたリヴァイヴ団を解き明かす鍵が渡されたのだ。覚えず脈拍が早くなるのを感じながら、ランポは平静を努めた。

 

「その人物がいるのは?」

 

「人物とデータの保護が最重要だが、最悪どちらかでも構わない。ただ、忘れないで欲しいのは、もう既にウィルの手が迫っているという事だ」

 

「馬鹿な。速過ぎるでしょう」

 

 驚いて目を見開くランポへとレインは冷静な声を重ねた。

 

「それくらい、事は可及的速やかに行われねばならない。ウィルの実働部隊が動いている。奴らはその人物を消すつもりだ」

 

「……消す、ですって。だとするならば」

 

「そうだ。戦闘状況が想定される。明日の朝にも動き出してもらいたい」

 

 ランポはそれほどまでに事態が切迫している事に驚きを隠せずにいたが、やがて頷いた。

 

「分かりました。その人物の居場所は?」

 

「ああ、それは――」

 

 朝靄が煙る中、死地へと誘うかのような言葉が微かに響いた。ランポはその言葉を聞いて深く瞑目した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章 了



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裏切りの烙印
第四章 一節「敵について」


 目を開くと無辺の闇が広がっていた。

 

 それを闇、と認識できるのは自分という存在に温度を感じられたからだ。白い手が闇を掻いている。闇は触れるたびに粘度を増す。まるで皮膚の毛穴という毛穴から染み付いてくるように、闇は色濃い。赤くもなく、青くもない。まさしく漆黒という呼び名が正しい。その中で浮かんでいるのは自分の思考だけだ。

 

 ――どうしてこんな場所に。

 

 最初に浮かんだ思考はそれだったが、次いで浮かんだのは、自分が何者かという問いかけだった。彼は答えを持っている。

 

〝彼〟というのが今浮かんだ答えの片鱗だ。自分はどうやら男のようである。彼は胎児のように丸まりながら、闇の中を流転する。ぎゅるぎゅると、闇が回転して彼の周囲へと纏わりついていく。終わりなき闇の螺旋を描きながら、彼は益のない思考に身を任せる。

 

 ――ここはどこだ?

 

 彼は頭を上げた。そこで自分には頭部がついているのだと知る。ふわり、と頭は浮かび上がったが、後頭部にぬめりとした感触を伴っていた。泥水にでも触れたような不快感。彼は首を回した。背後を振り返る事が出来たが、何もない。闇ばかりが広がっている。

 

 闇だけというのは奇妙だ。

 

 闇とは本来、知覚する者がなくては存在し得ない。闇と言っても、赤だったり青だったりと色はある。しかし、自分の中に類似色を見出せない。彼は知覚する脳をフル回転させた。ここはどこなのか。自分は何なのか。

 

 その時、言葉が弾けた。虹色の光を纏いながら、くるくると回転して目の前で乱舞する。彼は言葉を拾い上げた。そっと、割れ物に触れるように。彼の拾い上げた言葉は一つ。

 

「裏切り者」だった。

 

 その言葉から黒白の景色が滲み込んで闇を侵食した。

 

 闇の中に幾つもの切れ目が浮かび上がる。彼はうろたえながら、言葉を手の中に隠した。切れ目が裂け、巨大な眼球が彼を睨み据える。彼は思わず悲鳴を上げそうになったが、そこで喉が震わせられない事に気づく。黒白が分かれ、眼球となり、視線が注がれる。ちっぽけな彼は竦み上がるしかない。

 

 彼は逃げ出した。

 

 ここではない、どこかには何か特別なものがあると信じていた。

 

 しかし、彼の目に飛び込んできたのは、闇ばかりだった。何一つ、光の一欠けらすら掴める気配がない。

 

 彼は声を上げて泣こうとしたが、涙が伝い落ちる事はなかった。涙の代わりに白い液体が彼の頬を伝う。闇に一滴として落ちると、そこから波紋が広がり、様々な景色を映し出した。その中に、彼は自分自身を見つけた。確証はないが、あれは自分だ。そう思える人物が映り込む。

 

 片目を長い前髪で覆い隠した青年だ。特別痩せているわけではないが、太っているわけでもない。中肉中背で、片目を隠していなければ印象にも残りにくい。彼は同じように片目に触れようとした。その指をふわりとしたものが邪魔をした。髪の毛だ、と彼はそれを引っ張って感じる。闇の中なので、本当に髪の毛かどうか怪しかったが、彼はそう信じる事にした。

 

 それと同時に確信して地面を――天地の境がないために矛盾した言葉ではあるが――眺めた。地面の中に浮かぶ波紋の中、前髪の青年が話している。その青年の前には一人の青年がいた。長い茶髪で鳶色の鋭い瞳を持つ青年だ。

 

 ――ランポ。

 

 彼の意識がそう認識する。彼は目の前に立つ青年の名前を知っていた。意識の根底に刻まれたその名を彼は心の中で反芻する。

 

 ――ランポ。

 

 不思議と胸の中が熱くなった。口にしなくてもそれだけで満たされる感触がする。彼は視点を移した。頬を白い液体が伝い落ちて、また新たな波紋を生み出す。

次に浮かんだのは筋骨隆々な青年だった。眼鏡をかけており、無愛想な顔立ちは彼を見ていない。しかし、突き放すようでもない。彼の事を心根では気にしている、そう取れた。青年の眼が彼へと向けられる。彼は無意識的に呼んでいた。

 

 ――エドガーの旦那。

 

 彼の心の声にエドガーと呼ばれた青年は口元をそっと綻ばせた。慣れていなくては笑ったと認識出来ないほどの微笑。彼は微笑み返そうとして、頬の筋肉一つ動かせない事に気づく。

 

 闇が毛穴から染み込んで、自分の意思を内在的に奪っているように思えた。彼は身体を抱こうとするが、それすら自由ではない。闇が彼の手足へと、枷のように引っかかっている。

 

 振り解こうともがくと、鋭敏な痛みが走った。彼は深く呼吸して、心拍を整える。その時になってようやく、自分の中に鼓動を見出せた。

 

 今までどうやって動いていたのか、それを思い出すまでに時間がかかった。凍結していたような鼓動が熱を刻む。彼は内側からの熱に任せるがまま、白い液体を眼から流す。続いて滴り落ちた波紋が映し出したのは、見知らぬ少年の顔だった。見知らぬはずなのに、彼はその少年に対して激しい憎悪の念を抱いている事に気づく。身を焼き尽くしかねない憎しみが身体から湧き上がり、全身の血管を沸騰させそうだった。少年の名前が波紋から彼へと伝わる。

 

 ――ユウキ。

 

 ユウキへとランポが視線を向ける。エドガーが微笑みを寄越す。彼はそれが耐えがたかった。目を瞑ろうとしたが、目は縫い付けられているかのように固定されている。ユウキから視線が外せなかった。ユウキは二人の少年を引き連れていた。

 

 ――テクワ、マキシ。

 

 後ろに続いている少年達はまだ正視出来た。

 

 だが、ユウキは駄目だ。

 

 ユウキだけが浮いて見える。自分の中で異物として映る。ランポとエドガーの中にユウキは入っていく。彼は無意識的に手を伸ばした。

 

 その中にユウキが平気な顔をして入って行くことが、彼には許せなかった。

 

 神経が引き千切れる音が断続的に響き渡る。

 

 それでも構わなかった。

 

 ユウキを野放しにするわけにはいかない。彼の思念はそれだけに割かれていったといっても過言ではない。意識が研ぎ澄まされ、ユウキを見据える自分の瞳に感情が揺らいでいる事が分かる。憎悪、嫌悪、拒絶、どの言葉一つでも言い表せない感情が渦を巻き、ぎゅるぎゅるとまた闇が流転する。闇の中で彼はまた胎児の丸まりとなって、どことも知れぬ闇の果てへと堕ちていく。

 

 このままでは駄目だ、と感じたのはようやくだった。彼は目を見開き、ユウキを睨んだ。すぐ傍まで距離の狭まった顔。平然とした顔が煩わしい。澄まし切っている。

 

 彼の心の中で苛立ちがマグマのように熱を持つ。吐き出してしまいたかったが、彼の口もまた閉ざされていた。目は見開かれ、口は閉ざされ、全身は闇に囚われている。まるで闇という牢獄の中にいるようだ。ならば自分は咎人か。問いかけた思考が眼から伝い落ち、波紋となって地面を埋め尽くす。

 

 ――君は誰だ?

 

 彼の心の問いかけが他者の言葉となって吐き出されたのだと知れた。彼は涙の紛い物を流して応じる。波紋が広がり彼は問いかけた。

 

 ――ここはどこだ?

 

 原初の問いかけがようやく問いの意味を持った。彼は闇の地面と対話する事にしたのだ。彼の問いかけへと、自身の波紋が答える。

 

 ――君は、どうしてここに来たのか理解しているか。

 

 その言葉はどこか責め立てるようであった。まさしく彼の事を罪人と断じているかのようだ。彼は首を横に振ろうとしたが、闇ががっちりと食い込んで外れなかった。

 

 ――分からない。

 

 波紋の返事に、闇の地表は答える。

 

 ――思い出せ。

 

 ――無理だ。

 

 彼は頭を振る。手で額を押さえた。それだけで身が引き千切れるような激痛が走った。痛みと共に何かが脳内でフラッシュバックする。弾けた記憶が極彩色を放って、彼の中で制御出来ない奔流となる。彼は額を走る疼痛に身悶えした。痛みを抑えようと手を伸ばすが、それが更なる痛みに拍車をかける。彼は闇を空気のように吸い込みながら、眼から白い液体を流す。波紋が地面に広がり、さらなる問答を繰り返す。

 

 ――思い出せ。自分が何者か。

 

 ――誰だ、あなたは。

 

 ――思い出せば自然と分かる。

 

 彼は闇の中で天上を仰いだ。喘ぐように荒い息を繰り返す。脳へと切り込むように思考を走らせるが、彼の脳はがらんどうのように微動だにしない。きっと壊れてしまったのだ、と彼は感じて頭を抱える。ゴゥン、ゴゥンと海鳴りのような音が連続して響き渡る。その中に記憶に繋がるものがないか、彼は必死に辿ろうとしたが、海鳴りは逃げ水のように彼の手から滑り落ちる。彼は必死に捉えようとする。記憶の手がかりを手放すまい、逃がすまいと手を繰るが彼の手はせっかくの記憶を自身の記憶として定着させる事が出来なかった。ぼんやりと浮かび上がり、音だけを残して彼の耳に残響する。

 

 ――聞こえるだろう。

 

 弾けた言葉に彼は目を向けた。音の事を言っているのだろうか。問いかける声は声にならず、代わりのように波紋が広がった。

 

 ――お前は、聞こえているはずだ。

 

 彼は耳をそばだてる。微かに、彼の名前を呼ぶ声が聞こえる気がした。彼は目を向ける。波紋が伝い落ちて、声の広がりをみせた。

 

 ――それではない。

 

 導く波紋の言葉に、彼は目を転じる。波紋が押し広がって、彼へと言葉を投げかけた。

 

 ――お前の居場所はどこだ。

 

 その声に彼は首を傾けた。居場所とは。つい最近、その思考が頭に上った気がするが、それはついぞ思い出せなかった。代わりのように波紋の中にユウキの顔が浮かび上がる。ユウキに関連した事に違いないのだが、決定的な何かが欠けている。

 

 欠損が彼には分からない。

 

 首を傾げると、闇が背中から引っ張ってきた。背骨を引きちぎられるのではないかというほどの激痛が彼を見舞う。どうやら迷う事は許されていないらしい。彼に許されているのは、涙の紛い物を流す事だけだ。あとは呼吸と、微かな視覚と聴覚情報だけ。呼吸とて闇を吸い込んでいるのだから、生きている心地がしない。

 

 ――生きている?

 

 自分は生きているのだろうか。彼の心の底に湧いた疑問は蛆虫が這い上がるように、彼の脳裏を満たした。闇の中、自分はあらゆる活動を制限されている。これは生きていると呼べるのか。彼の疑問が顎のラインを引く雫となる。地表に落ちて、疑問が白日の下に晒された。

 

 ――生きているのか。

 

 ――お前は、生きている。だが、本当の意味で生を享受していない。

 

 生を享受とはどういう意味なのだろう。彼が疑問を浮かべていると、今度は後頭部を引っ張られた。獣のような声が彼の喉から漏れかけるが、口を閉ざされているために呻きとして処理される。彼は悲鳴を上げようとしたが、それすら自由ではない。彼の意思が介在するところ、何一つ自由ではなかった。

 

 ――闇に囚われているのではないか。

 

 浮かんだ考えが雫として落ちる。言葉に変化し、彼はここでの隠し事は意味を成さない事に気づいた。

 

 ――お前の、名前は。

 

 眼球がぐるりと彼を見据える。彼は逃げ出そうとしたが、闇を掻いても掻いても前に進めなかった。泥の沼に落ちたかのようだ。闇の中で不意に浮かんだ黒白である眼球が、彼の頭上へと至る。まるで思考の読めないそれは絶対者の眼差しだった。

 

 ――問え。お前の名前は。

 

 波紋として流れ込む言葉の渦に彼は頭を抱えた。沼の中に頭を沈みこませる。波紋がより鮮明に脳裏に描き出された。

 

 ――お前の、名前は何だ。

 

 ――名前、名前は。

 

 彼は必死に記憶を探る。先ほど、海鳴りの向こう側に置いていってしまったのか。どうなっているのだ。自分でも理解不能だった。沼に顔を沈めると、さらに問い質す声が響く。

 

 ――名を。問いかけろ。

 

 ――名前は。

 

 その声に一つの言葉が形状を成した。身のうちから言葉が広がる。

 

 ――ランポ。

 

 ――違う。

 

 その声が雷鳴の如く響き渡り、彼の全神経を貫いた。彼は苦悶に耐え忍ぶしかなかった。浮かんだ言葉の一つ目がそれだった。ならば、二つ目か。

 

 ――エドガー。

 

 発した瞬間、またも否定の雷鳴が響き渡る。全身を焼き焦がされているかのような痛みに意識が飛びそうになる。それでも浮かんだ思考は躊躇の間を置く事なく波紋として吐き出される。

 

 ――テクワ、マキシ。

 

 セットで吐き出された波紋はどちらも違ったらしい。きしりと衣がすれるような音と共に、雷鳴が全身を引き裂いた。一瞬、腕が飛んだのかと思わされる。腕は付け根からちゃんと生えていたが、痛みがそれを暫時忘れさせていた。彼は自分を俯瞰する眼を肩越しに窺う。

 

 まさに絶対者の眼が見下ろしている。自分の過去も未来も、現在も、全てがその眼の前では無意味に思えた。隠し立てはためにならない。それどころか、絶対者は彼の嘘をたちどころに見抜き、醜い波紋として浮かび上がらせる。絶対者の波紋が浮かぶ。

 

 ――誰だ、と訊いている。

 

 誰なのか。それを知りたいのはその実、彼自身だ。彼の心がそれを望んでいるにも関わらず、彼の何かが拒絶する。沼の上に、ユウキの顔が浮かぶ。彼は手で薙いで波紋を掻き消した。しかし、波紋は消え去るどころかさらに深く刻み込まれる。彼の心に爪痕を残す。彼は身を翻して叫び出したくなったが、絶対者の眼が迫り、それを許さなかった。

 

 一対の黒白の眼。闇の中に、不意に浮かんだ異形。もちろん、眼だけの存在のはずがない。からくりがあるはずだ、と思ったが、その心はすぐさま見抜かれ、波紋として広がる。彼は身体で隠そうとしたが、それが絶対者の逆鱗に触れたようだった。

 

 ――知れ!

 

 雷鳴が轟き、彼の身体を打ち据える。走った稲光が彼の心臓を射抜いた。彼は胸元へと視線を落とす。心臓が身体からくりぬかれて、何か枝のようなものに貫かれていた。

 

 叫び声を発しようとするが、口は縫い付けられており、喉の奥で沈殿した。

 

 ――答えよ。

 

 彼は脳内を必死にまさぐった。記憶の内側を覗き込み、波紋が幾重にも広がっていく。その中に、彼はふと身近なものを見つけた。波紋が消えゆく前に、それを掴み取る。彼が掴んだ手の中に見た言葉が、再び波紋として浮かぶ。

 

 ――ミツヤ。

 

 断罪の雷鳴は響かなかった。彼の中で。それは落ち着きどころを見つけたように、がらんどうの身体に染み渡った。

 

 ――ミツヤ。

 

 もう一度呟くと、心臓がゆっくりと彼の身体の中に返されていく。ああ、これが答えだったのだ、と彼は安堵の息を漏らしたが、それで終わりではなかった。

 

 ――ミツヤ。お前は何者だ。

 

 その問いかけに答えるだけのものはなかった。再び雷鳴が轟き、心臓が引きずり出されそうになる。彼は手で必死に留めたが、引きずり出す力のほうが強い。心臓が手元に出され、彼は首の裏から背筋にかけて嫌な汗が滲んだのを感じた。しかし、闇がすぐに吸着して、汗さえも彼の自由にはさせない。何もかもが闇に支配された空間で、彼は呻いた。呻き声が、波紋として広がり、絶対者の目に留まる。

 

 ――悲しい。

 

 ――何が悲しい。

 

 ――自分が何者なのか分からない事が。

 

 ――ならば、思い出させよう。

 

 黒白の眼が妖しい光を灯す。紫色に一瞬見えた光は、次の瞬間には青、赤、緑、と安定しない。虹色と形容したほうがまだ早い。瞬く間に形状を変化させ、目が細められた。

 

 瞬間、彼の脳裏に閃くものがあった。記憶だ。赤茶けた大地で、自分は、ミツヤと認定された前髪の青年は、何かを繰り出している。

 

 ポケモンだった。ピンクと青で色彩された鳥の姿を取ったポケモンである。角ばっており、それが景色の中で浮いて見えた。

 

 ――ポリゴン。

 

 彼の中で意味を成した言葉が生まれる。あれは自分のポケモンだ。その確信があった。絶対者は裁きを下さない。ゆえに正解だという事だろう。彼はさらに記憶を辿った。鮮明に像を結んだ記憶の中に、巨体が見えた。青白い巨体で、機械のように見える。胸元に絆創膏のような意匠があり、全身から蒸気を噴き出していた。重戦車と呼ぶのが一番正しい。それはまさしく兵器の威容だった。感情を灯さない頭部に白い眼が浮かんでいる。

 

 ――ゴルーグ。

 

 その後ろに眼鏡をかけた青年が見えた。先ほどの、エドガーと一致する。エドガーの前にいるという事は、あれはエドガーのポケモンなのだ。浮かんだ考えを否定する雷鳴は響かない。

 

 ――ゴルーグと、ポリゴン。

 

 その組み合わせは一種、異様に映った。どちらもポケモンらしくない。その二体が手を組んでいる。少なくとも彼にはそう見えた。ならば、ポリゴンのポケモントレーナーである彼は、エドガーの味方なのか。

 

 ――味方だ。

 

 そう呟いた彼の波紋へと返す言葉がある。

 

 ――ならば、敵は誰だ。

 

 敵。

 

 その言葉に該当する人間の姿を思い描こうとすると、真っ先にユウキの顔が浮かんだ。これが、敵だと断じた瞬間には、彼はその手を力の限り振り下ろしていた。波紋が歪み、ユウキの像が乱れる。

 

 ――敵は見えたな。

 

 絶対者の声に息を荒立たせた彼が頷く。身体を動かすだけで最初は激痛が走ったと言うのに、今は平気だった。身を焦がすような復讐心がそうさせるのか。

 

 ――復讐?

 

 彼は自問する。彼はユウキに復讐したいのか。では、何のためにだ。身を折り曲げて苦悶していると、絶対者が告げる。

 

 ――記憶を辿れ。

 

 記憶、と聞いて彼は真っ先にゴルーグとポリゴンの光景を浮かべる。ポリゴンの直下からピンク色の立方体が回転しながら浮かび上がった。それがゴルーグとその周辺を包み込む。ゴルーグの姿が掻き消えると、次の瞬間には前面に現れていた。彼が狼狽していると、ゴルーグは何かを掴み上げた。その何かを見ようとするが、絶対者の雷鳴がそれを許さなかった。

 

 ――それではない。

 

 絶対者に従い、彼は視線を走らせる。何かは陰になっていてよく見えない。目を凝らそうとすると断罪の雷鳴の気配を感じたので、彼は意識してそこから視線を逸らした。彼の眼にはユウキが映った。波紋の中にその顔が大写しになる。

 

 ――ユウキ。それが……。

 

 ――敵だ。

 

 濁した語尾を断じる言葉が響き渡り、彼はその光景へと意識を沈めていった。その光景にある、自分。ミツヤと呼ばれた青年の中へと意識が同調していく。完全に一体化する前に、絶対者の声が響き渡った。

 

 ――その前は?

 



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第四章 二節「絶対者の眼差し」

「……ツ、……ヤ。……ツヤ、……ミツヤ」

 

 自分を呼ぶ声に薄く目を開けると、エドガーが野太い声で、「おい、ミツヤ」と怒声を飛ばした。

 

「敵を前に何すっ呆けているんだ。いくぞ」

 

 その言葉にミツヤは自身の身体をさすった。何か、おかしなところはないか。彼と、ミツヤは本当に同一なのか。彼は、ミツヤの喉を震わせて尋ねた。

 

「なぁ、俺ってミツヤだよな」

 

 その質問にエドガーが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「お前はミツヤだろうが。何言っているんだ。とぼけてるんじゃない」

 

 その言葉にミツヤと、内包された彼は心底ホッとした。自分の存在が許されている。その居心地のよさに今の事態を忘れそうになる。後ろから声が響く。

 

「ミツヤさん、エドガー。ここは僕がやります」

 

 耳障りな声だった。ミツヤが顔を向けると、オレンジ色のジャケットを羽織った少年が立っていた。同じ色の帽子の鍔を握り締める。

 

「黙ってろ、新入り」

 

 ミツヤは勝手に声を発していた。少年――ユウキは少したじろいだようだった。それでも食い下がるつもりのようで、「でも」と声を発する。

 

「俺と旦那は黄金のコンビだ。その組み合わせを見せてやる」

 

 ミツヤは腰のホルスターからモンスターボールを引き抜いた。ボールを前へと投擲する。バウンドしたボールが割れて、光に包まれた何かを弾き出した。ポリゴンだ。自分のポケモンである。ポリゴンが一回転して光を振り払った。エドガーが緊急射出ボタンを押し込んで、ポケモンを繰り出す。巨大な光を振り払って現れたのはゴルーグだった。ゴルーグが地底から響くような鳴き声を上げる。

 

「ミツヤ。いつもの作戦だ。一瞬で仕留めるぞ」

 

「はいよ、旦那」と返したミツヤは何かを見つめていた。しかし、何かは陰になっていてよく見えない。人影のようだったが、ミツヤには誰だか判別つかなかった。

 

 その人影の前には奇妙な姿のポケモンがいる。トーテムポールのような色彩を身に纏った緑色の羽根を基調としたポケモンだ。鳥ポケモンのようで、嘴があるが、その眼差しが異様だった。先ほどまで自分を監視していた絶対者の眼差しと同じなのである。黒白の、どこを見ているのか分からない眼差しだった。

 

 ミツヤが硬直していたからか、エドガーが声を張り上げる。

 

「いくぞ。ミツヤ!」

 

「あ、ああ」

 

 ミツヤは手を振り翳した。

 

「ポリゴン、トリックルーム!」

 

 その声にポリゴンの直下からピンク色の立方体が引き出されていく。それはすぐさま周囲に広がり、ゴルーグとポリゴン、そして相手の絶対者の眼を持つポケモンを捉えた。籠の中に押し込められた形になるポケモン達へとエドガーが命令する。

 

「ゴルーグ。シャドーパンチ」

 

 ゴルーグが目にも留まらぬ速度で掻き消えたかと思うと、相手のポケモンへと下段から振り上げた拳を放っていた。よく見れば、拳は相手のポケモンの影から伸びている。これが「シャドーパンチ」である。命中率に関係なく相手を打ち据えるゴーストタイプの技だ。ほとんど不意打ちに近い衝撃を相手は味わった事だろう。ミツヤは得意げに鼻の下を掻いた。

 

「トリックルーム内の時空は反転している。普段鈍いポケモンほど、この中じゃ速い。ゴルーグは最速だ」

 

 その声に相手のトレーナーは笑い声を上げた。どこか聞き覚えのある声だった。その声がミツヤに告げる。

 

「お前がよくやっていた戦法だな。俺との相性は悪かったが」

 

 ミツヤが目を見開いていると、ゴルーグは掴んだ相手のポケモンをそのまま打ち下ろした。相手のポケモンの身体が人形のように転がる。その絶対者の眼差しがミツヤを捉えた。

 

 ミツヤは頭を抱えた。絶対者には逆らえない。身のうちから湧き上がるその声に身体を折り曲げてミツヤがよろめく。エドガーが振り向いた。

 

「ミツヤ? どうした? 何が起こって――」

 

 その言葉尻を劈くように、鐘の音のような声が響いた。

 

 相手のポケモンの声なのだと知れた。

 

 トゥー、トゥーと耳に響く。

 

 等間隔の声に導かれるようにミツヤは相手のポケモンを見ていた。相手のポケモンもミツヤを視界に捉えたまま離さない。ゴルーグが拳で相手のポケモンを打ち据えた。腹腔が破れ、相手のポケモンが血に塗れる。緑色の羽根が舞い散り、視界の中に一瞬のコントラストとして残った。

 

 赤と緑が乱舞し、ミツヤは目を見開く。絶対者の眼差しがミツヤへと問いかける。転がってきた相手のポケモンの頭部がミツヤを見つめていた。

 

 黒白の眼差し。ミツヤの過去を暴き、未来を閉ざし、現在を見据える眼の中へとミツヤの意識は吸い込まれる。

 

 駄目だ、と感じた時には既に遅かった。ミツヤは肉体を離れ、彼として自己の内面を見つめ続ける矮躯と成り果てている。闇の中で黒白の絶対者が尋ねる。

 

 ――その前は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波がフェリーの先端で弾けた。

 

 その音をミツヤは聞いていた。海鳴りは好きだ。ゴゥン、ゴゥンと一定で、何より裏切りがない。甲板上を走る潮風が髪をなびく。ミツヤは甲板の上に出て手すりに体重を預けていた。遠く、光の街のコウエツシティが映る。コウエツシティは人工島としての名残が強い。塗装の剥がれたクレーンが墓標のように突き立っている。ミツヤはじっとそれを眺めていた。遠ざかるクレーンは今や米粒ほどの大きさだ。離れていく光景を名残惜しそうにミツヤは手を伸ばす。掴めそうだな、と思ったところで、声が差し挟まれた。

 

「ミツヤさん」

 

 振り返ると、ユウキが立っていた。潮風がオレンジ色のジャケットを煽る。ミツヤは手すりに背中を預けて、「何だよ、新入り」と邪険そうに言った。

 

「エドガーさんは寝ています。どうやら疲れと、あと船酔いみたいで」

 

「旦那はあれで脆いからなぁ」

 

 ミツヤは優越感を抱いていた。ユウキよりも自分のほうがエドガーの事を知っている。エドガーが具合を悪くすれば看病するのは自分だった。だが、今はその役目を買って出ているのはユウキだ。ミツヤは最初、役目が減って気が楽だと言った。

 

 しかし、それは偽りだ。今までの役割を捨てる事など出来なかった。ミツヤにとっては苦渋の選択の一つだった。それでもなんて事のないように装っているのは、ユウキに弱みを握られたくないからだ。ミツヤはユウキへと敵を見る目を寄越す。

 

 実際、ユウキは敵だ。ミツヤの居所を妨害する侵略者である。

 

「ミツヤさん。僕は」

 

「何だよ」

 

 ミツヤは眉間に刻んだ皺をきつくする。それで大抵の相手は怯ませられたが、ユウキはさらに語調を強めた。

 

「僕は仲間を大切にしたい」

 

「だから?」

 

「ミツヤさんとも、分かり合いたいんです」

 

「馴れ合いか。やめとけよ」

 

 ミツヤは片手を振って身を返した。実際、ユウキをこれ以上正視出来なかった。ユウキは何やら自分達とは違う。自分達というのはランポとエドガー、それに新しく入ってきたテクワとマキシという新入りともだ。何かがユウキと彼らを隔てている。それが何なのか、ミツヤには答えは出せなかった。

 

 ただ、違う、という確信はある。この侵略者は着々と自分の地位を築きつつある。それが腹立たしい。苛立ちを混じらせた舌打ちを漏らす。まだ背後にユウキの気配を感じていた。ミツヤは唯一の居場所だと思っていた甲板でさえ、ユウキの占領下にあるような気がした。振り向いて、声を上げる。

 

「何だよ。行けよ」

 

「でも、ミツヤさん」

 

「いいから」

 

「ちょっとでも話を――」

 

「いいから、行け!」

 

 ミツヤは叫んでいた。どうして叫んだのか自分でも分からない。ただこれ以上ユウキとまともに対面するのが耐え切れなかった。精神をすり減らしているかのようだ。ミツヤは頭を振った。すると、その視界の隅に先ほどのポケモンが見えた。絶対者の眼差しを持つ鳥ポケモン。それがどうしてだか、甲板上でミツヤを眺めている。その黒白の瞳にミツヤは吸い寄せられた。絶対者は問う。

 

 ――その前は?

 



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第四章 三節「誓い」

「嫌ですよ。俺は」

 

 ランポの言葉を皆まで聞かずに、ミツヤは椅子に座ったまま足を組んだ。ランポはミツヤを見つめ、「もう決定事項だ」と告げる。

 

 穏やかなジャズの調べが流れ、「BARコウエツ」の中にはチーム全員がそれぞれの椅子に座っている。ランポはいつもの定位置のカウンター席から全員を眺めていた。

 

 ランポが言ったのは、これから行われる作戦についてだった。カシワギ博士なる人物、または研究データを確保し、それを組織の管理下に置くというものだ。ミツヤにとってしてみればほとんど対岸の火事に等しい作戦内容だった。自分はバックアップ専門だ。前に駆り出されることはないだろうと適当に聞き流していると、ミツヤの名前が呼ばれ、目をしばたたいた。

 

「お前にはユウキ、エドガーと共に研究所へと行ってもらう」

 

 その言葉に対し、否定の意味を込めた声を返したのだ。しかし、ランポが聞き入れる事はないと分かっていた。一度決めた事は曲げない、強い信念の男である事は知っている。それでもユウキとのチームを組めというのはミツヤにとって面白い話ではなかった。

 

「嫌です」

 

 もう一度、はっきりとした口調で告げる。ランポは息をついて、「ミツヤ」と宥めるように名を呼んだ。ミツヤはノート型の端末を手で叩き、

 

「これが俺の仕事のはずでしょう? 前に出るのは御免ですよ」

 

「ミツヤ。今回俺は万全を期して臨みたいと思っている」

 

 説得の口調にミツヤは唇を尖らせた。

 

「嫌なものは嫌なんです」

 

 子供の抗弁のような口調だったが、ミツヤにはどうしても譲れなかった。ランポが説得の言葉を探している間に、エドガーが目線を向けた。

 

「ミツヤ。わがままを言うな。どの道、これから先はチームなんだ。チーム名も手に入ったんだし、俺達は団体で動く事が多くなる」

 

 ――そのチーム名だって、気に食わない。

 

 口にしようとしたがさすがにそれは憚られた。ユウキが窺うような視線を向けてきている。ミツヤは苛立ちを含んだ口調で、その眼を追い返そうとした。

 

「何見ているんだ、新入り」

 

 ユウキが、「いえ」と首を振って視線を引っ込める。澄ました様子が気に入らない。

 

「研究所はチャンピオンロード付近だ。それなりの強敵が現れる事も考えながら戦ってもらいたい。だからこそ、ミツヤ、お前の力が必要だ」

 

「ここでウィルの情報をかく乱してやればいいでしょ」

 

「コウエツシティ内部ならばそれも可能だろう。しかし、今回は外だ。一瞬の判断の遅れが命取りになる」

 

 ランポの声に、ミツヤは首を横に振った。どうしても承服出来なかった。

 

「ミツヤ。文句を言っているのはお前だけだ。前に出たくない理由は知らん。だが、そのせいで作戦遂行が遅れる事は一番あっちゃいけないんじゃないのか」

 

 エドガーの声にミツヤは顔を伏せた。理屈では分かっている。しかし、何かが認めようとしない。ミツヤは顎をしゃくって、

 

「どうして旦那とランポじゃ駄目なんですか? 今までだったらそうだったでしょう」

 

「俺はユウキに経験を積ませたい。そのためにはお前が先輩として前に立ってくれる必要がある。新入りを育てるためだ」

 

 それが気に入らないのだ、とミツヤは口にしかけて呑み込んだ。ユウキのためにどうして自分が動かなくてはならないのか。しかし、この場で駄々をこねているのはミツヤだけだ。このままでは示しがつかない事も分かっている。ミツヤは鼻から長い息を吐き出した。

 

「……分かりましたよ。やります」

 

「よく言ってくれた」

 

 ランポが立ち上がり、ミツヤの肩を叩く。ミツヤは不思議と安心出来た。ランポに認められている。それだけで自分の中から衝き動かす原動力が湧いてくるような気がした。ランポはしかし、ユウキへも歩み寄り、「よろしく頼む」と肩を叩いた。

 

 それを見た瞬間、ミツヤの中で何かが瓦解する。期待されているのは自分だけではない。自分は何ら特別な存在ではない。その現実が重く圧し掛かる。ミツヤは睨む目をユウキへと据えた。ユウキは気づいていないようだった。

 

 ランポがポケッチを突き出す。

 

「今から作戦概要と研究所の地図を送る。極秘作戦だ。くれぐれもばれないようにして欲しい」

 

 赤外線通信でポケッチへと作戦概要と地図が送られてくる。ミツヤはノート型端末を開き、その座標を確かめた。しかし、研究所の類はなかった。ミツヤが手を上げる。

 

「ランポ。研究所なんてタウンマップにはないですけど」

 

「タウンマップには記されていない、非公式な場所だ。R2ラボと呼ばれている」

 

「R2ラボ、ねぇ」

 

 ミツヤはノート型端末のキーを叩いた。ミツヤの端末は万能機具だ。あらゆる情報機関へとハッキングが可能である。R2ラボと呼ばれる場所は数年前に開設されているが、チャンピオンロードにある事などの公式記録は抹消されていた。

 

「公式にはない研究所ってわけですか」

 

「ああ、それなりに強くなければ辿り着けないチャンピオンロード付近にあるというのも大きい。見かけても研究所だと一目で判断は出来ないそうだ」

 

 ミツヤはさらに詳細検索をかけた。リアルタイムの衛星画像から研究所を探そうとする。拾われてきた画像には、赤茶けた大地と山脈が映っている。チャンピオンロードだ。その中に建築物の類はない。しかし、一部分だけ明らかに作為が施された箇所を見つけた。一部分のドットが剥がれている。その部分をミツヤは分析にかけた。緑色の線が走り、解析された画像には白亜の建築物が建っていた。これがR2ラボなのだろう。

 

「本来はリヴァイヴ団の研究所ではない。表にはポケモン遺伝子工学の研究所として名が通っているが、リヴァイヴ団のある重要な機密を握っている。その機密がウィルに漏れた可能性がある。恐らくはウィルの実働部隊が動き出しているだろう」

 

 ミツヤはウィルのログへとアクセスした。つい先ほど、ウィルが特別権限を発動させて、現地に特別戦闘構成員を派遣したとある。

 

「戦闘構成員……」

 

 ミツヤが苦々しく呟く。その言葉の裏に隠された意味を解する事が出来るのはランポだけだ。ランポは、「気にするな」と小さく言ってくれた。

 

「ウィルとの戦闘を考慮してこの編成にした。最早、異議はないな」

 

「異議なんて、ナンセンスだぜ、ランポ」

 

 エドガーの声に、ユウキも頷いた。ミツヤは肩越しにランポを見やり、軽く頷く。

 

「では今晩のフェリーに乗ってもらう。作戦場所はチャンピオンロードR2ラボ。エドガー、休みがない形になってすまない」

 

「謝るなよ。忙しいほうが性に合ってる」

 

 エドガーが拳を固めて胸元を叩いた。

 

「その前にお前らには着替えてもらわなければな。スーツ姿で行くわけにはいかないだろう」

 

 ユウキとエドガーはまだスーツ姿だった。エドガーが気づいて、「おっと、いけねぇ」と呟く。

 

「ユウキ。着替えてくるか」

 

 その言葉にユウキは頷き、エドガーと共に店の奥へと入っていく。ミツヤは横目にそれを見送っていた。その視線を察したのか、ランポがミツヤへと歩み寄ってきた。ミツヤは身を固くする。

 

「戦闘構成員との戦いになった場合、お前には辛い選択をさせる事になる」

 

「いえ。俺はもうリヴァイヴ団で戦う事を決めましたから」

 

「それでも、配慮がないと思われても仕方がない」

 

 ランポが頭を下げる。ミツヤは顔の前で両手を振った。

 

「そんな。謝らないでください、ランポ。あなたはリーダーらしく、気丈にしていればいい」

 

 ミツヤの言葉にランポは、「そうもいかないさ」とフッと口元を緩めた。

 

「俺とて人間だ。過ちかと思う瞬間はある。お前が気分を害しているのは知っている。ユウキの事だろう」

 

 その名前が出て、ミツヤは思わず渋面を作った。ランポが息をついた。

 

「お前はユウキの事が気に入らないらしいな」

 

「腹の知れない奴だからですよ」

 

 ユウキと最初に会った時、握手の瞬間に得体の知れない人間だと感じた。テクワとマキシはまだ内面が読めたが、ユウキだけは分からない。正体が知れない事は忌避へと繋がる。

 

「お前の過去を、俺は知っている。だから、俺はお前こそユウキと分かり合うべきだと思っているんだが」

 

「冗談じゃない」

 

 ミツヤは肩を竦めて、端末へと向き直った。背後でランポがため息をついたのが分かった。

 

「理解出来ないわけじゃない。ただな、そういう感情を作戦に持ち込む事は三流だと考えている」

 

「分かっていますよ。戦いになったら、バックアップはしますし、きちんと戦います」

 

 そう、分かっているのだ。しかし割り切れない部分があるのもまた事実だった。ランポはその言葉を聞いて、安心したようだった。

 

「お前ならばうまくやってくれると思っている。エドガーも傷を負っているからな。サポートは任せる」

 

「あの新入りが出しゃばらなければ、の話ですけどね」

 

 冗談めかして放った声に、ランポは微笑んだ。

 

「あいつはそれほど馬鹿じゃないよ」

 

 ――どうだか。

 

 心の中で毒づく。ミツヤが端末のキーを叩いていると、端末の向こう側のテーブルに何かが立っている事に気づいた。端末を閉じてじっと見つめると、それは絶対者の眼を持った鳥ポケモンだった。

 

 どうしてここにいるのか。ミツヤは背後を振り返る。ランポはカウンター席に座ってカクテルを飲んでいた。テクワとマキシへと視線を向ける。二人は何やら談笑しており、鳥ポケモンに気づいた様子はない。

 

 自分だけがこの場での異常に気づいている。ミツヤは声を上げようとしたが、その前に絶対者の声が差し込まれた。

 

 ――その前は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミツヤ、だったか」

 

 ランポの声に導かれて、ミツヤは顔を上げた。先ほどまでよりも少しだけ髪の短いランポが椅子に座っている。ガラス張りになっており、手を伸ばす事は出来なかった。ガラス越しのランポはミツヤへと声を投げる。

 

「お前は、本当に覚悟を持ってきたんだな」

 

 ミツヤは応じる声がなかった。覚悟、と問われると逡巡する。ミツヤが返事に窮していると、ランポが言葉を発した。

 

「お前が古巣を捨ててリヴァイヴ団に入る、という決断をした事は、俺からしてみれば大きな事だ。もちろん、組織からしてみてもだ」

 

 ミツヤは俯いている。膝の上で握り締めた拳へと視線を落としていた。

 

「俺は、裏切り者なんです」

 

 発した言葉は震えていた。ランポは黙って聞いている。ミツヤは言葉を続けた。

 

「あの場所で戦い続けるのも嫌で、でも何も知らない一般人には戻れなくって、だからリヴァイヴ団に入ったんです。ウィルの情報を持って」

 

 ミツヤの言葉にランポは、「なるほど」と言ってから、手元の資料へと視線を落とした。そこにはミツヤの知る限りのウィルの情報が書き込まれているはずである。

 

「これがリヴァイヴ団に入るための条件、というわけか」

 

 同時に自分を縛る鎖だ。ウィルの情報を出さなければ自分に価値はない。入団試験をせずにリヴァイヴ団に入団するにはそれしか方法がない。自分の有用性を示す事、それだけだ。

 

「だが、ミツヤ。お前は迷っているな」

 

 ランポの声にミツヤは顔を上げた。ランポは真っ直ぐな鳶色の瞳でミツヤを見つめる。

 

「ウィルを出て後悔していないと言えば嘘だろう。お前は、何かに縛られるのが嫌だったはずだ。その象徴を持っている」

 

 ミツヤの手持ちの事を言っているのだと知れた。その情報も事前にランポの下へと行っているはずだ。ランポは資料を読み上げた。

 

「P1部隊。その初期メンバーの肉親、だったな。リヴァイヴローズのテロに出撃した部隊の生き残りが確か……」

 

「兄です」

 

 ミツヤは搾り出すように告げた。四年前のリヴァイヴローズでのテロ工作を止めるために、兄が所属するP1部隊は出撃した。宇宙空間でのポケモンによる戦闘は初めての事だった。兄はその中でリヴァイヴローズ内からポケモンを操っていたが、爆発テロに巻き込まれ重傷を負い、その後死亡した。ミツヤに残されたのは兄の遺産であるポケモンだけだった。

 

「俺は兄の権限を使ってウィルに入りました。小賢しいんです。ウィルでやれないなと思ったら、その情報を売ってリヴァイヴ団に転身しようなんて」

 

 自分でも情けなくて目頭が熱くなる。恥じ入るようにミツヤが再び顔を伏せると、「では、この情報がお前を縛るものだという事か」とランポは口にした。

 

 ミツヤが顔を上げると、ランポは書類を破った。何をしているのか、とミツヤはガラスに手をついた。ランポは書類をびりびりに破り、捨て去った。

 

「これでお前を縛るものは何もないな」

 

 ランポの言葉にミツヤは信じられない面持ちでその姿を眺めていた。ランポはミツヤを見返して、言葉を発する。

 

「これで真に覚悟して、リヴァイヴ団に入るかどうかが決められる。情報なんかで踊らされているんじゃない。やるなら躍らせてみせろ」

 

 ランポが片手を伸ばした。ミツヤはガラス越しにその手を合わせる。

 

「約束しよう。お前を裏切り者として扱わない。覚悟を胸に抱いた人間ならば、俺は対等に扱う」

 

 ランポの言葉にミツヤは閉口していた。この男は何を言っているのだ。そのような甘い考えや理想論で組織を渡っていけると思っているのか。しかし、ミツヤの胸を熱くしたのはその理想論だった。青臭い、何の価値もないような言葉がミツヤの胸に突き立った。

 

 ――覚悟。

 

 ミツヤはホルスターからモンスターボールを取り出す。自信の手持ちについては既にランポが知っているはずだったが、ミツヤは口にしていた。

 

「このポケモンは、存在自体が裏切りの象徴みたいなものです。リヴァイヴ団でこれを使えば、俺は裏切り者だと一瞬でばれてしまう」

 

「ならば、それは信頼出来る相手の前だけで使う事だ」

 

「……信頼」

 

「そう」とランポはミツヤへと語りかけた。

 

「もう一つ、約束しよう。これは誓いだ。お前は、そのポケモンを本当に信頼出来る相手の前以外では使わないようにしろ。もし、俺が死の淵に立たされたとしても、信頼出来なければ使わなくてもいい。お前の意思だ。それを大事にするんだ」

 

 信頼、それはとても難しい言葉だった。ミツヤはモンスターボールへと視線を落とす。兄の遺産のポケモンであり、ウィルに所属していた事が確実に分かる忌むべきポケモン。その使いどころを強制させられるものだとばかり思っていた。リヴァイヴ団に入ったからにはその実力を存分に活かせと言われるものだと感じていた。しかし、ランポはそう言わない。ランポの言葉にはミツヤの意思をどこまでも尊重させる、という優しさが見て取れた。ミツヤは椅子に座り込み、ランポを見て、「あなたがリーダーなんですか?」と尋ねる。

 

「そうだ。不満か?」

 

 その言葉にミツヤはゆっくりと首を横に振った。

 

「あなたみたいな人が俺のリーダーでよかった」

 

「それはこれから決める事だ。まだ俺は口八丁でお前を丸め込もうとしているだけかもしれない」

 

「それでも、あなたはいい人です」

 

 口にした言葉に、もう何年ぶりだろうと感じていた。他人をいい人間だと感じるのは。ウィルにいた頃は全てを疑い、罰する事に命をかけていた。他人への信頼よりも、自分への信頼のほうが強い。それは孤独な生き方だった。しかし、ランポはそれ以外を歩ませてくれる。ミツヤは直感的にだが、そう感じていた。

 

 その時、ランポの背後に何かが立っている事に気づいた。ミツヤが目を見開く。それは絶対者の目を持つ鳥ポケモンだ。

 

 ――どうして、ここにまで。

 

 ミツヤがうろたえて後ずさる。ランポが、「どうした?」と尋ねた。ミツヤが指差すと、ランポは振り返るが、「何もないじゃないか」と言う。

 

 そんなはずはない。確かにそこに鳥ポケモンはいるというのに。黒白の瞳が感情を灯さずに告げる。

 

 ――その前は?

 



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第四章 四節「罪と罰」

「ミツヤ、だったな」

 

 確かめる声にミツヤは薄く目を開く。ぼやけた視界の中に緑色の制服を着た教官の姿が捉えられた。ぼんやりとしていたせいか、返答が一拍遅れる。

 

「はい!」

 

 踵を揃えて挙手敬礼をする。教官は、「よし」とミツヤを見やり、「髪型は自由だが」と濁しながら口にする。

 

「邪魔じゃないのか、その前髪」

 

 ミツヤの片目を覆っている前髪の事を言っているのだと知れた。ミツヤは敬礼を崩さずに、「大丈夫であります!」と腹の底から声を響かせた。

 

「大丈夫ならばいいんだがな」

 

 教官は何やら不満げにミツヤの前を通り過ぎた。

 

 その時、ミツヤの腹を誰かが小突いてきた。目を向けると、耳にピアスをした長身の男が立っていた。ピアスは何かの眼球のように見えた。ドレッドヘアにしており、にんまりと笑った。それがミツヤにはいやらしく見えた。

 

「暗にその髪型を直せって言われているだよ。察しろ」

 

 その言葉に、「お互い様だろ」と返した。

 

「ドレッドヘアなんてウィルが許しているとは思えない」

 

「悪いな。これは上官の悪ふざけでなったんだ。だからお墨付きってわけさ。お前とは違う」

 

 ミツヤは肩口へと視線を向けた。肩に白い縁取りで「WILL」の文字がある。

 

「貴様ら! ウィルは何の略称だか知っているな?」

 

 教官の声に全員が了承の声を出した。

 

「なら、ミツヤ。答えてみせろ」

 

 ミツヤは振られて、一瞬頭の中が混乱したが、何度もそらんじた言葉を思い返すのは大した時間がかからなかった。

 

「ウィルとは、WALING、INDEPENDENCE、LOCAL、LEGIONの略称です。それぞれの頭文字を取って、ウィルと名づけられました。ちょうど四年前の事です」

 

 ミツヤの言葉に満足したように教官は何度か頷いた。

 

「そう、四年前。宇宙開発の拠点、リヴァイヴローズが破壊された。その時に、ウィルは初めて独立治安維持部隊として活躍。P1部隊と呼ばれる初期部隊がテロリスト鎮圧に当たった。その結果として貴重なP1部隊員は失われてしまったが……」

 

 教官はミツヤへと僅かに探る視線を向ける。気にしていると思われているのだろう。ミツヤはそれを払拭するために前を向いた。何も恥じ入る事も、悲観する事もない。

 

 教官は歩きながら話を続けた。

 

「ウィルは六年前にヘキサによって打撃を受けたカイヘン地方の嘆きの代弁者だ。独立した地方軍。ポケモンを所持する軍の保有は国際法で禁じられているが、ウィルはヘキサのような過激なテロリズムを抑制するために存在する、国際社会からも認められた軍隊だ。その一部である貴様らには誇りを持って欲しい。二度とヘキサのような組織を生まない事、それが第一に掲げられた目標だ。では、第二に掲げられた目標は分かるか、ミツヤ」

 

 どうして自分にばかり聞くのだろうかとミツヤは思ったが、もちろん口には出さない。恐らくは教官が個人的に気に入らないのか、もしくは個人的に気に入っているかのどちらかだろう。どちらにせよ、ぞっとしない話だと思う。

 

「はい。第二に掲げられたのはカイヘン地方の脆弱な労働法や憲法の改正です。それにより、カントー独立治安維持部隊ウィルはより強固な作戦活動を行う事が出来ます」

 

 もっとも、これは政治家の役目だ。ウィルが担っているのは、その政治家達の思惑を強化するための絶対的な力の誇示だった。そのためにウィルはエリートトレーナーと呼ばれる人々が役職に就く事が多い。

 

「では、第三の目標だ。シバタ、言えるな?」

 

 ドレッドヘアのシバタが急に教官に指されて、身を震わせた。硬直した様子で、固い挙手敬礼をし、「はい!」と声だけを喉から搾り出した。

 

「えっと……、確か、ウィル以外の治安維持部隊を生む事のないよう、抑止力として働く事、でした、っけ」

 

 教官がシバタへと歩み寄り、額を小突いた。並び立っていた仲間から笑いが漏れる。

 

「もっと歯切れよく言わんか! そう。第三目標とは、かつてのディルファンスのような組織を生まない事にある」

 

「……合っているじゃないかよ」とシバタがぼやく。教官が血走った眼を向けたので、シバタは踵を揃えて背筋を伸ばした。

 

「ディルファンスは六年前、カイヘン地方に存在した自警団だ。彼らは政府とのコネクションを独自に持っており、後々それが明るみになって糾弾された。さらに行き過ぎた自衛行為による被害者を多く出した事でも知られている。我々は、ディルファンスのようにはなってはならない。民衆を扇動し、正義を騙る組織ではない。正義の模範となりえる組織こそが、ウィルの目標とするものである」

 

 ディルファンスのニュースはミツヤもカントーにいた頃に幾度か耳にした。あれはアイドルグループのようなものだった。見目麗しいリーダーと、頭脳明晰な副リーダーが、自警団という名目にも関わらず、バラエティ番組などに出ていたのは当時のミツヤからしても滑稽に見えたものだ。あのような組織に全権を任せていたのだから、カイヘンは狂っていたとしか思えない。

 

「ヘキサのようなテロ組織の鎮圧、行き過ぎた自警団の抑制、それが我々ウィルの目的。そして、正義の模範となるべき存在としてカイヘンを統治する」

 

 正義、という言葉にミツヤは未だに違和感を覚える。それを個人が易々と口にしていいものか。正義など流動的で、誰にも定められないものではないのか。

 

 もちろん、このような考えは組織の中では異端だ。異端は排せられる。ミツヤは黙っておいた。沈黙は金だ。

 

「これより、第二次模擬戦を開始する。ミツヤ、シバタと組め。あとは……」

 

 そこから先の言葉をミツヤは聞いていなかった。シバタと組む事が、ミツヤは多い。お互いのポケモンの特性は熟知していたが、ミツヤはどうしてもシバタと組んでプラスに転じるとは思えなかった。

 

「また俺達か」

 

 ぼやいたシバタに、「仕方ない」とミツヤが返す。

 

「上のお達しだ」

 

「それでも合わない奴らを意図的に組ませる意味って何なんだろうな。実戦じゃ使えないだろう」

 

「実戦で出来ないからこそ、模擬戦でやるんじゃないか?」

 

 ミツヤの言葉に、「違いない」とシバタが大仰に肩を竦めた。

 

 模擬戦のフィールドは森林地帯だ。もちろん、ポケモンを引き連れての模擬戦となる。ミツヤは配置についた。シバタが近くにいるようだが、通信機でしかやり取りをしない。直接的に見るのは索敵した時だけだ。

 

 ミツヤは走り出した。森林の熱気が肌に纏いつく。まるで闇を引き連れているかのように、夜の森林地帯は不気味だった。ミツヤの足元でポリゴンが僅かに身体を浮かせてついてくる。ポリゴンだけでは戦闘にならない。大抵、ミツヤはサポート役に徹する事になる。

 

 がさがさと森林が揺れる。敵が間近に迫っているのか、それともシバタの足音なのか。自分の足音さえ、森林の中では分からなくなってしまう。まるで無辺の闇に放り投げられたかのようだ。

 

 ――気分がいいものじゃない。

 

 ミツヤは手元のライトを握り締めた。敵と相対した時、特殊なライトを敵ポケモンに向ける。そうする事で目を眩ませる事も出来る上に、敵の姿も見える。「あやしいひかり」という技が存在するが、それを人工的に作り出したのが手元のライトの光だという。人間の叡智がポケモンを混乱させる事などありえるのかと思ったが、何度かこのライトの効果を実感している身となれば、納得もする。

 

 何よりも暗闇ではサインが伝わりにくい。指でポケモンの技の番号を示し、言葉にせずに指令するテクニックがあったが、暗闇では無意味だろう。かといって、声に出して技を指示すれば、ここに自分がいるのだと教える事になる。間抜けな話だ。

 

 なので、先手を打つ方法としてこのライトが考案された。混乱状態にあるポケモンはたとえ素早くともわけも分からずに自分を攻撃する事になりかねない。相手も慎重になる。その隙に先手を取れるという寸法だ。

 

 ――汚い戦術だな。

 

 毒づいてから、いつの時代も汚い戦術ほど優位に立っているものなのだと自分を納得させる。そもそも戦場において、綺麗に勝とうというのが間違いなのだ。

 

 いかにリスクを軽減させ、いかに速く勝つか。それにかかっている。どのように勝つかなど関係ない。美徳は必要ないのだ。どこまで意地汚くなれるか、それが鍵となる。

 

 自分は汚らわしいと開き直れた人間が強いのだ。割り切れ、とミツヤは自身に言い聞かせる。

 

 ざわざわと風で木の葉が擦れる音が聞こえる。風向きをミツヤは確認した。北東から吹いている。緩い風だ。しかし、僅かにその風に匂いが混じっている事に気づく。

 

 ――ポケモンの匂いだ。

 

 ポケモンの中には自ら強烈な体臭を放つ者がいる。多くの機会において、そのようなポケモンは奇襲には向かない。自らの位置を教えているようなものだからだ。

 

 今の匂いは潮の匂いだ。水ポケモンだろう。ミツヤは足を速めた。ライトを即座に向けられるようにする。このような時、自分のポケモンが体臭のないポケモンで安心する。ポリゴンは人工的に造られたポケモンだ。体臭どころか気配すらほとんどない。トレーナーであるミツヤですら最初は手こずったものだ。

 

 だが、手にすればこれほど頼もしい相棒もない。まさしく機械のようにミツヤは草むらから飛び出した。緑色の制服が見える。当たりだったようだ。ミツヤは素早くライトを向ける。撃ち出された光が、相手のポケモンの目をかく乱した。くらくらと揺らぎ始める。ミツヤは、今だと感じた。ポリゴンへと指示を飛ばす。

 

「ポリゴン、シグナルビーム」

 

 ポリゴンの嘴に当たる部分が緑色に弾け、球体を成したかと思うとそこからジグザグの光線が撃ち出された。「シグナルビーム」は虫タイプの技だ。低い確率ではあるが、相手の混乱状態にする事がある。ライトで一瞬の混乱になっている相手に追い討ちをかけるようなものだった。混乱は、火傷や麻痺、毒ほど相手の動きを縛るものではないが、一旦その状態になると厄介である。わけも分からずポケモンは自分を攻撃する。技の威力が高いポケモンほど苦戦を強いられる事になる。ポリゴンは状態変化系の技が多い。なので、シバタが追いついて止めをさしてくれるのが理想形だった。草むらが揺れる。シバタだろうか、とミツヤが目を向けると、そこにいたのはシバタではなかった。

 

 絶対者の眼を持つ鳥ポケモンだ。暗闇の中でも浮き立って見える。

 

「……どうして」

 

 ミツヤが思わず呻く。どうしてこのポケモンがここにいるのか。絶対者の眼差しがミツヤを捉え、黒白の瞳が闇の中で揺れた。

 

 ――その前は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さんの事は残念だった」

 

 何人もの人間が同じような言葉を吐いていった。ミツヤは白い部屋で兄と対面していた。兄は集中治療のベッドに寝かされて動けないのがこの二年続いている。日に何度か呻き声のようなものを発するが、どれも意味のある言葉には思えなかった。ミツヤと兄との間でだって強化ガラス越しである。対面と言ってもこれでは観察に近いのではないかと思わされる。

 

 今日も緑色の制服を着込んだ人々が兄の様子を見に来た。彼らは肩口に白い縁取りで、「WILL」と記された服を着ている。

 

 彼らのうちの若い人間は、今年トレーナーズスクールを首席で卒業したミツヤへと激励の言葉を送った。

 

「君は、これから先どうする?」

 

 問いかけられ、ミツヤはいつも返事に窮する。トレーナーズスクールを出たと言う事は、トレーナーになるか、または一般職に就くか。一般職に就くとはいえ、ポケモンの知識を活かせる仕事を選ぶ事が出来る。道は無限に広がっているように思えた。

 

 ――でも、何一つ分からない。

 

 それがミツヤの胸中だった。兄が何をしていたのかもそうだが、自分自身の事さえもミツヤの中では決まっていなかった。保留という一語で片付けるには、未来が重たく圧し掛かってくる。

 

「君は前途ある若者だ」

 

 制服を着た人間のうち、中年の男がそう言った。他の若者達が挙手敬礼を送るので、恐らくは上官だろう。上官は名前を、スギモトと言った。

 

「P1部隊に従事していた君のお兄さんの、ポケモンは……」

 

「回収されていたみたいです。今は、俺が持っています」

 

 兄のポケモンはしかし、あの日以来一度として開いた事はない。兄と同じ種類のポケモン――ポリゴンは元々のミツヤの手持ちだった。

 

「そうか。あの宇宙空間での戦闘、見事だったと聞いている」

 

「ありがとうございます」

 

 自分が礼を言うのは何かおかしな事のように感じられたが、それが礼儀だろうとミツヤは思っていた。

 

「君はお兄さんをどう感じている?」

 

 スギモトが兄へと視線を投げた。兄は等間隔に鼓動を刻み、脳波を描いている。そういう機械に成り下がってしまったかのようだ。

 

「兄は、俺にとっては鉄のような人でした」

 

「鉄、か。面白い表現をするね」

 

「面白い、でしょうか」

 

 まずい事を口走ってしまったかと思い、ミツヤが口を噤みかけるとスギモトは先を促した。

 

「続けて」

 

「はい。兄はいつでも俺なんかとは別次元の考え方を持っていて、断固とした口調で何でも決める人でした」

 

「それを、鉄、と」

 

 冷たかった、と暗に言いたかったのかもしれない。少なくとも一般的な家庭による理想像とはかけ離れていた。兄は自分の面倒は見てくれる。学費も出してくれる。しかし、踏み入った事は何一つ訊いてこない。その上に、自分に踏み入られる事もよしとしていないようだった。だからミツヤは兄の仕事に関してはほとんど知らない。

 

「兄は、立派な仕事をしていたんでしょうか」

 

「ああ、立派だった」

 

 話しながら、どうして自分達は過去形で話しているのだろうと感じた。兄はまだ生きている。確かに集中治療室の中で様々なケーブルやパイプに繋がれ、ほとんど虫の息と言ってもいい。それでも生きている相手に対して、既に諦めたような口調で話している自分達は何なのだろう。

 

「俺には、それが分かりません」

 

「観ていなかったのかい? リヴァイヴローズのテロ事件の映像を」

 

「観ていました」

 

 宇宙開発の拠点、リヴァイヴローズ。それがテロリストの仕掛けた爆弾によって爆ぜ、四散する様はまるで花が枯れるようだった。最後に残った実験ブロックもテロリストによって爆破され、死者は百人以上だったと聞く。その中で奇跡的に生還したのが兄だ。兄はリヴァイヴローズの中からウィルの部隊としてポケモンを操っていた。テロリストの鎮圧には成功したようだが、その爆破テロで自分以外の仲間を失った。

 

 兄は独りだ。自分がついていなければ、とミツヤが思い、毎日のように病院に通っている。兄はミツヤが来ている事を理解しているのか、していないのかは分からない。看護婦は、「お兄さんはきっと喜んでいらっしゃるわ」という定型句を口にする。

 

 本当にそうなのだろうか。一度として自分にも踏み入らず、踏み込ませる事を許さなかった兄が、自分の勝手な行動に寛容なはずがない。きっと心根では許していないのだとミツヤは思っている。兄はぴっちりと線引きをしたがる人間だった。他者と自己とを分け、その上で確立する自分というものを自覚している人間だった。

 

 ――その線を踏み越えているのではないか。

 

 浮かんだ疑問に、ミツヤは顔を伏せた。スギモトが慰める言葉を発する。

 

「お兄さんは立派だったし、君も優秀だ。何も悲観する事はない」

 

「俺は、勝手な事をしているのかと思うんです」

 

「勝手なものか。お兄さんは喜んでいるよ」

 

「どうして分かるんです?」

 

「ウィルの矜持を胸に抱いているからだ」

 

 スギモトは肩をさすった。肩に刻まれている、「WILL」の文字。

 

「兄も、それを背負っていたんですか?」

 

 ミツヤの言葉にスギモトはやんわりを首を振った。

 

「背負っていたんじゃない。これを誇りに思っていたんだ。君のお兄さんの行動がなければ、私達はここにはいない。いたとしても別の組織だ。ウィルとして旗揚げ出来たのは、全てお兄さんのおかげなんだよ」

 

「そう、なんですか」

 

 スギモトは頷き、病室の兄を見つめて目を細めた。

 

「だからこそ、残念でならない。最初に道を切り拓いた彼が、共に戦えない状態というのは」

 

 ミツヤは膝の上で拳を握り締めた。兄は戦えない。組織からしてみれば役立たずだ。生命維持装置の維持費でも馬鹿にはならないだろう。ウィルにそれを負担させている。ウィルは見捨てる事は出来ない。功労者を殺す事になるからだ。ミツヤは知らず、決意を迫られていた。自ら切迫した状況に追い込んでいった。

 

「だったら、俺が組織に入れば兄の代わりになれますか」

 

 ミツヤの言葉にスギモトは目を見開いた。ミツヤはスギモトへと顔を向けて問いかける。

 

「兄は、もう長くはないでしょう。でも、俺ならばこれからも戦えます。誉れ高きウィルの先陣を切り開いた戦士の弟として、俺は戦いたいんです」

 

 ある意味ではずるい物言いと言えた。自分には資格があると言いたいのだ。ウィルが今の形を維持出来るのは兄をおかげだ。ならば肉親である自分にだって兄の意思を継ぐ権利はある。ウィルに取り入る事が出来ると狡猾に考えている自分がいる。

 

 スギモトは顎に手を添えてしばらく考えているようだった。しかし、答えは出ているはずなのだ。でなければ、ミツヤの下に来る理由がない。最初からお互いにそのつもりなのだ。予定調和のようにミツヤはウィルに入る事を宿命づけられている。

 

「兄のようには戦えないかもしれない」

 

 ここでミツヤは一歩引いた。そうする事で相手に興味を抱かせようと感じたのだ。小賢しい、と我ながら思う。

 

「でも、俺には俺の戦い方がある。P1部隊の隊長だった兄には及ばなくっても、俺は自分なりの戦い方でウィル構成員として生きていきたい」

 

 スギモトは考える仕草をしていたが、腹の内では既に結論は出ているはずだ。それをいつ言うかのタイミングだけをはかっている。

 

 ――この大人も小賢しい。

 

 ミツヤはそう感じたが、もちろん口にはしない。スギモトは息をついて、「感嘆するね」と言った。

 

「君の強靭な意思には」

 

 何も強靭な事などない。自分は兄を利用して居場所を確立しようとしているだけだ。

 

「いえ。俺は別に」

 

「そう謙遜するものじゃないさ。よく言ってくれたミツヤ君。君は、君の意志を貫くんだ。お兄さんのためじゃなくってもいい。自分で選び取った道ならば」

 

 そう誘導したのは誰だ、と言い返したくなる。お互いにそう言わざるを得ないところまで来ていた。そこに崇高なる意志など介在しない。狡猾な計算だけだ。

 

 ミツヤはちらりと兄を見やる。兄を利用してのし上がろうとしている。これは裏切りだ、とミツヤは感じた。肉親に対する最大の裏切り行為。ミツヤは決断の瞬間、兄の姿を見なかった。

 

「俺をウィルに入らせてください」

 

 ミツヤは頭を下げた。スギモトが、「よしてくれ」と口にする。

 

「君は既に資格を得ている。そのような堅苦しい真似は必要ない」

 

 ミツヤがそっと頭を上げると、「ところで」とスギモトが言葉を発した。

 

「お兄さんのポケモンを君は使えるのかな」

 

 ――ああ、やはりそれか。

 

 ミツヤは予感していただけに、その言葉に即座に頷く事が出来なかった。彼らは英雄の肉親だけが欲しいわけではない。当然、戦力が欲しいのだ。英雄の戦力をもう一度使えれば、強力なプロパガンダになる。ミツヤは首肯した。

 

「はい。俺の言う事はきちんと聞きます」

 

「そうか。ならば」

 

 スギモトが書類を差し出す。最初からミツヤが入ってくる事を予期していたかのように、予め必要事項が書かれていた。

 

「必要な事だけ書いて役所に提出して欲しい。そうすれば後日、構成員の資格があるかどうかの審査が行われるだろう」

 

 審査など、ポーズである事は明白だった。英雄の肉親を迎え入れる事こそが、ウィルにとっては重要なのだ。

 

 スギモトは立ち上がった。

 

「君は勇敢だな」

 

「勇敢? いえ、そんな事は」

 

「いや、亡き兄の意志を継ごうという君の気持ちは強い。賞賛に値する」

 

 ミツヤは聞き流しかけて、思わず顔を上げていた。今、この男は何と言ったか。亡き兄と言わなかったか。

 

「まだ、兄は生きて――」

 

「もう長くはないのだろう?」

 

 その言葉を聞いてミツヤは理解した。自分が入ると告げた事こそが、兄の命を絶つ事に繋がったのだと。それがトリガーだったのだ。ウィルはいつでも兄を殺す事が出来た。しかし、そうしなかったのは建前と肉親への配慮だろう。だが、ミツヤ自身が兄を踏み台にしてウィルに入る事を決意した。それによって食い潰すだけの兄は必要なくなった。英雄は捨て去られたのだ。

 

 ミツヤは顔を伏せて、「はい」と呟いた。スギモトが時計を確認する。

 

「そろそろ戻らなければ。では、また会おう、ミツヤ君」

 

 スギモトが病室から出ると、連れて来ていたウィルの構成員達も帰っていった。帰る直前に、一人だけ、「残念だったね」と告げた構成員がいた。

 

 何が残念なものか。自分は兄を売って居場所を得たのだ。

 

「俺は……」

 

 ミツヤは膝に置いた拳を握り締める。爪が掌に食い込んだ。痛みよりも自分の恥ずべき所業が勝った。もう取り返せない、引き返せない道を選んでしまった。

 

 ミツヤは兄へと視線を向ける。兄は呼吸器を一定のリズムで曇らせている。まだ生きている。その命を摘み取ったのだ、自分は。消えない罪悪としてミツヤの中へと刻み込まれる。

 

 ――これが最初の裏切りだったのだ。

 

 ミツヤから分離した彼の意識がそう告げる。白い病室が闇に包まれ、自分の姿が一点として消えていく。彼は振り向いた。黒白の眼差しの絶対者が彼を見据えている。

 

 ――これより以前の裏切りはない。

 

 彼が告げると、絶対者の眼差しが細められた。断罪の時だ、と彼は感じていた。自分は幾つもの裏切りの上に成り立っている。卑しい人間だった。命を踏み台としか思っていない。たった一人の肉親の命すら、居場所のために捧げてしまった。自分に残っているのは虚無だけだ。

 

 ――ああ、だからか。

 

 彼は理解する。闇が広がっているのはそのせいだ。自分の心の中だからだ。無辺の闇は彼の心そのものだった。絶対者の眼差しが口にする。

 

 ――死を。

 

 彼は両手を広げた。甘んじて受けようと感じていた。数多の人々を裏切り、何一つ信じられなくなった濁った自分を浄化してくれるのならば、どんな罰だっていい。

 

 彼は目を閉じた。闇の中に闇が上塗りされる。黒白の眼差しの放つプレッシャーがそれでも皮膚を焼くのが感じられた。きっと次の瞬間には、身を貫く雷鳴が響き渡る。断罪の炎に焼かれ、自分はようやく人並みになれる。その安堵に口元を綻ばせたその時だった。

 

 ――ミツヤ。

 

 自分の名を呼ぶ声が波紋となって広がった。誰だ、と確認する前にまたも響き渡る。

 

 ――ミツヤ。

 

 幾つもの声が重なり合って響いていた。どれも聞き覚えがある。

 

 ――エドガーの旦那?

 

 声の位相が変わり、今度は違う声音になった。

 

 ――ランポ?

 

 黒白の眼が開かれ、声の根源を探そうと周囲を巡る。闇の表層でオレンジ色の光が瞬いた。

 

 その直後、闇に皹が入った。亀裂から一本の白い手が伸びる。光の手だった。彼は目を見開いていた。まるで救いの手のように見える。だが、自分など救う価値がない。一体誰なのか。彼は尋ねていた。

 

 ――俺なんか救っても価値はない。お前は誰だ?

 

 彼の問いかけには応じず、彼の名を呼ぶ声が幾重も響き渡る。その中の一つが兄の声を含んだ。

 

 ――兄さん。

 

 裏切ってしまった兄。自分のせいで命を絶たれた存在。彼は自嘲の笑みを浮かべた。兄が救いに来るはずがない。来るとすれば罰を与えに来るのだ。彼は光の手から背を向けようとした。その時、新たなる声が響いた。

 

 ――ミツヤさん。

 

 その声に彼は振り向いた。声の主はユウキだったからだ。憎い、自分の居場所を奪った人間。しかし、自分もまた他人の居場所を奪いながらこれまで生きてきた。どうしてユウキを責めようとするのか。どうして許せないのか。答えは出ている気がした。

 

 ――俺は、似ているお前が許せないんだ。

 

 自分の鏡像が存在する事に対する嫌悪。鏡像が自分以上にうまくやっている事に対する嫉妬。ミツヤは自身の身体を抱いた。眼から白い雫が流れ落ちる。波紋となって広がり、言葉が返された。

 

 ――救うな。価値なんてない。

 

 ――価値とか、そんなんじゃないんですよ。

 

 ユウキの声にミツヤは顔を上げた。光の手が黒白の瞳に見据えられ、雷鳴が響き渡った。紫色の雷が光の手を貫く。光の手が痙攣し、闇の外側へと戻りそうになった。しかし、光の手は諦めなかった。しゃにむに自分へと手を伸ばす。光に包まれたその全体像が露になった。

 

 兄の姿を取っている。自分が裏切った存在そのものが、自分を救おうとしている。

 

 ――来い!

 

 複数の人の思惟の声を重ね合わせ、光が呼びかける。彼はハッとして手を伸ばした。絶対者が言葉をかける。

 

 ――やめろ。貴様はここで罰せられる。

 

 その言葉に身が竦みそうになったのも一瞬、光のほうから彼の手を取った。しっかりと掴んだその手からは人の温もりが感じられた。

 

 ――振り向け。貴様の犯した罪を思い出せ。

 

 絶対者の声に彼は振り返りそうになったが、光が強く抱き寄せた。

 

 ――ミツヤ。

 

 兄の声だった。ミツヤは黙って聞いていた。

 

 ――お前には帰る場所がある。信じてくれている人達がいる。囚われるな。

 

 ミツヤは光が指し示す闇の皮膜の先を目指した。海面のように揺らいでいる。ミツヤが手を伸ばすと、足首を鋭角的な痛みが襲った。絶対者の放った闇が足を掴んでいた。

 

 ――逃げるのか。

 

 その言葉にミツヤが逡巡を浮かべていると、光が絶対者へと向かっていった。光の声が弾ける。

 

 ――行け、ミツヤ。お前には信じるものと未来がある。

 

 絶対者と光が交錯し、絶対者の放った槍のような闇が光を貫いた。彼はそれ以上見ていられなかった。闇の海面へと手を伸ばす。そこから虹色の声が溢れ出して、彼の存在を認める声が降り注ぐ。

 

 ――ミツヤ。

 

 ――ミツヤさん。

 

 ああ、そうか、と彼は感じた。

 

 ――俺は他人を信じていいんだ。

 

 その言葉に彼の意識が光に包まれる。深海から上昇するような感覚と共に、彼はミツヤとして世界に生を受けた。

 



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第四章 五節「裏切りの烙印」

「……ツヤ、ミツヤ!」

 

 呼びかける声にミツヤは薄く目を開いた。ぼやけた視界の中にエドガーとユウキの姿が入る。掠れた喉から、「帰ってきたのか」と言葉が漏れた。エドガーが安堵の息をつく。

 

「お前があいつのネイティオを見た瞬間から急に昏倒した時には何が起こったのかとひやひやしたぞ」

 

「ネイティオ……」

 

 呟いて身を起こすと、そこは赤茶けた大地だった。十メートルほどの距離を取ったところに人影が立っている。その姿に見覚えがあった。記憶を辿る間に見たドレッドヘアの男である。

 

「シバタ」

 

 その名を呼ぶと、シバタは口元を歪めた。

 

「まさかネイティオの眼に射竦められて戻ってくるとはな。お前だけでも始末しようとした当てが外れたか」

 

 ミツヤはその瞬間、記憶が奔流のように溢れ出すのを感じた。額を押さえながら呻く。

 

「そうだ。俺達はチャンピオンロードに渡ってきた。R2ラボの手前でシバタ、お前の奇襲にあったんだ。俺達はお前のネイティオを倒した。だけど、その時、ネイティオの眼差しに俺は捕らえられて……」

 

「ネイティオは過去、現在、未来を見通す力を持つ。その眼に惑わされた人間は永遠の闇の中を彷徨うはずだったんだが、戻ってきたのはお前が初めてだ」

 

 シバタのイヤリングが目に入る。あれはネイティオの眼を模したイヤリングだ。シンボルは過去の記憶の中にあった。だというのに、今の今までその符号に気づかなかった。ミツヤは立ち上がろうとした。しかし、身体がよろめき言う事を聞いてくれない。

 

「無駄だぜ、ミツヤ。そう簡単に心の闇から這い上がれると思うなよ。ダメージはついて回る。そして――」

 

 シバタが片腕を掲げた。すると、甲高い鳴き声が響き渡った。上空から緑色の羽根をばたつかせて、ネイティオが降りてきた。シバタの腕に止まる。嘴に何かをくわえていた。

 

「研究データだ。これはウィルがもらっていくぞ、リヴァイヴ団」

 

 シバタがネイティオの足を掴んだ。ネイティオが羽根をばさりと広げる。ミツヤが声を上げる前に、シバタの身体が浮き上がっていた。「そらをとぶ」で離脱しようとしているのだ。ミツヤはポリゴンへと命じる声を出す。

 

「トリックルーム!」

 

 ポリゴンの直下からピンク色の立方体が引き出されるが、射程内にシバタとネイティオを収める事は出来なかった。ミツヤは地面を拳で叩く。

 

「くそっ! 俺のせいで」

 

 自分が囚われている間、エドガーとユウキは戦っていたのだろう。二人のポケモンが出ていた。しかし、決定打は与えられなかったようだ。ポリゴンのアシストなしではゴルーグは鈍すぎる。ユウキは金色の虫ポケモンを繰り出していた。翅を高速で震わせている。あれがユウキの手持ちなのだろう。初めて会った時、見えなかったのは速過ぎたせいか。

 

「俺のゴルーグで追いつけば」

 

 エドガーの声にミツヤは首を横に振った。

 

「ゴルーグの速度じゃネイティオには追いつけない。トリックルームの外に出れば鈍重なだけだ」

 

「じゃあ、どうするってんだ! お前の過去を一方的に見せられて、俺達は……」

 

 そこまで言ってエドガーは声を詰まらせた。ミツヤが顔を上げる。ユウキはミツヤの目を見返した。真っ直ぐな光を宿している。

 

「ミツヤさん。僕達はネイティオの眼差しに巻き込まれ、あなたの過去を見ました。僕らだって一足早く出ただけです。僕は、あなたの過去を決して汚れているとは思わない」

 

 ユウキにも見られていたのか。羞恥の念にミツヤは顔を伏せた。ユウキがミツヤの肩を掴む。ミツヤが顔を上げると、ユウキは真っ直ぐにミツヤを見つめた。

 

「あなたはランポに誓った。それは僕も同じです。信じられると思ったから、ついていこうと決めたんです」

 

 入団時の面談を思い返す。あの時のランポの眼差しと同じ光を、ユウキは湛えていた。自分を救い出したのと同じ光だとミツヤは感じる。

 

「僕のポケモンじゃネイティオには追いつけない。エドガーのポケモンでも同じです。でも、ここに可能性があるじゃないですか」

 

 ユウキがミツヤの肩を掴む手に力を込める。ミツヤは目を逸らした。

 

「俺に、どうしろって言うんだよ。かつての仲間を殺せって言うのか」

 

 卑怯な言葉だと思いつつも、そう言って逃げるしかなかった。ユウキは首を横に振る。「僕は命じません」とユウキは言った。

 

「ランポだって同じはずです。本当に自分の心に命じられるのは、自分自身でしかありえない」

 

 その言葉にランポとの誓いの言葉が思い出される。

 

 ――お前の意志だ。それを大事にするんだ。

 

 ランポはそう言って、裏切りの証を使うかどうかは自分で決めろと言った。信頼出来る相手の前だけで使えとも。ミツヤはユウキとエドガーを見た。

 

「僕が信頼出来ないのならば、それでも構わない」

 

 ユウキの声にミツヤは目を向けた。ユウキは一時さえ、ミツヤから視線を外さない。

 

「でも、あなたなら分かるはずだ。今、どうするべきか。自分がどうしたいのか」

 

「俺が、どうしたいのか……」

 

 ミツヤは腰のホルスターに視線を落とした。一つだけ残された可能性。この場を打開出来る唯一の存在。ミツヤは立ち上がった。膝が笑っている。闇の中に没した身体がまだうまく作用しない。それでも立ち上がり、ミツヤはホルスターからモンスターボールを引き抜いた。

 

「一度だけだ」

 

 ミツヤはユウキの手を振り払い、そう告げる。ユウキは黙ってミツヤの後ろに回っていた。ミツヤがボールを眼前に翳す。

 

「一度だけこいつをお前の前で使う。だが、完全に信用したわけじゃない。それを忘れるな。救い出してくれた言葉に報いるだけだ」

 

 ミツヤは緊急射出ボタンに指をかけた。ボタンを押し込み、その名を叫ぶ。

 

「行け、ポリゴンZ!」

 

 手の中でボールが割れ、弾き出された光が目の前に現れる。

 

 それは丸っこい形状をしていた。全体像で言えばやじろべえか、かかしのようだ。鳥のような嘴を持つ丸い頭部と、胴体が分かれており、細い両腕が分離している。色彩はポリゴンと同じ、ピンクと青が基調だったが、眼だけが異なる。眼は金色でぐるぐると渦を巻いている。これがポリゴンの最終進化形態、ポリゴンZだった。宇宙空間探索のために作り出された人工のポケモンだ。

 

 胴体部分に緑色の文字が刻み込まれている。「WILL」とそこにはあった。

 

 裏切りの象徴だ。消せない罪の証でもある。

 

 ポリゴンZは甲高い鳴き声を上げて、嘴を既に黒点のように小さくなっているシバタとネイティオに向ける。

 

 ミツヤが指鉄砲を作り、狙いを澄ませるように前髪で隠れているほうの片目を瞑った。ポリゴンZの身体が浮き上がり、腕が胴体の周りをぐるぐると回転する。やがて両腕へと青い電磁が纏いついてきた。電磁が三角錐を描き出し、嘴の先端へとエネルギーを集約する。青いエネルギーの球が電磁を爆ぜさせながら、周囲の地面を焼き切った。

 

「このポリゴンZの特性は適応力。自分と同じタイプの技は二倍の威力を誇る。ゆえに破壊光線の威力、射程は――」

 

 周回が速まり、集束した電子が跳ねる。青い稲光に似た光が明滅し、ポリゴンZの嘴の先で一際激しく光った。それと同時に一瞬だけ収縮する。

 

「通常の倍以上となる!」

 

 その言葉の直後、青白い光が弾けて溜め込まれたエネルギーの塊が一条の光線としてネイティオに向けて放たれた。全く減衰する様子のない青い光条が空中のネイティオへと空気を裂きながら向かっていく。ミツヤは指鉄砲を向け続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネイティオが警戒の鳴き声を上げる。それに気づいてシバタが背後を振り返った時、青い光が見えた。それが瞬く間に大きくなり、空間を引き裂いて自分を巻き込もうと迫る。

 

「まさか。ポリゴンZを使ったのか?」

 

 ありえない話だった。ミツヤはウィル在籍時だって一度としてポリゴンZは使ったことがない。あれは本当に奥の手だ。ミツヤに一度尋ねたところ、本当に倒すべき相手以外には使わないと言っていた。

 

「俺に使ってくれるとは。誉れ高いが、ここで死ねるか! ネイティオ、光の壁を張れ! 五枚だ!」

 

 ネイティオが羽根を翻し、一声鳴くとネイティオの背後に青い皮膜の壁が現れた。それが五枚重なっている。これで減衰して消え去るに違いない、とシバタは思った。しかし、一枚目を破った破壊光線の光は減衰する様子はない。それどころか、より強い光を湛えている。二枚目が弾け、三枚目が破れた。四枚目が音を立てて弾け飛び、五枚目がかろうじて受け止めた。破壊光線の光が拡散し、消え去るかに見えた。

 

 その時、光の壁に亀裂が走った。破壊光線の青い光を上塗りするように、さらに光条が真っ直ぐに自分に向けて放たれていた。シバタは瞠目する。目の前に迫った青白い光の奔流が、力の瀑布となって襲いかかる。光の壁が溶解し、次の瞬間、シバタとネイティオを飲み込んだ。

 

「まさか! これほどの力が……!」

 

 ポリゴンZの力の目測を誤っていたということか。自分が甘かったのか。それともミツヤの力が計算以上だったのか。どちらにせよ、シバタは着弾点から焼け爛れていく自分の身体を見つめて、フッと口元を緩めた。

 

「敗北か。まぁ、いいさ。データは手に入った。そして、研究員は全員殺したのだから。ミツヤ。ネイティオの眼はお前の未来を捉えた。暗黒の未来の中で最早、貴様らは――」

 

 その言葉が響き終わらぬうちに、シバタの全身が熱で膨張し、皮膚が剥がれ弾け飛んだ。余剰熱がシバタとネイティオを貫き、跡形も残らずに蒸発させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い光が雪のように降り注ぐ。

 

 ミツヤは肩で息をしていた。ポリゴンZも高威力の「はかいこうせん」の反動で動けない。

 

 ユウキは背後から固唾を呑んで見守っていた。裏切りの象徴であるポリゴンZを使い、かつての仲間を屠ったミツヤの心境はどのようなものなのだろうか。推し量る事しか出来ない我が身を顧みて、ユウキはその場に崩れ落ちたミツヤへの反応が一拍遅れた。

 

「ミツヤさん!」

 

 叫んで、その身を抱き起こす。ミツヤは震える手でボールを掲げ、ポリゴンZを戻した。赤い粒子となってポリゴンZが吸い込まれていく。ユウキが逃げたウィルの構成員とネイティオがいた方角を見やる。破壊光線の余波は凄まじかった。地面が抉れ、土が三角を描いて弾け飛んでいる。まだ空気が震えているように感じた。鼓膜が衝撃で麻痺しているようだ。エドガーが声をかけてきたが、うまく聞き取れなかった。代わりにミツヤの声は明瞭に耳に届いた。

 

「……これで、貸し借りゼロだ」

 

 発せられた声にユウキは微笑んで頷く。どうやら無事のようだった。ミツヤは口元を歪める。

 

「お前の事をランポがどうして認めたのか、ようやく分かった気がする」

 

 ユウキが首を傾げていると、「本人は分からなくっていいんだよ」とミツヤはユウキの手を振り解いた。ミツヤは起き上がり、「旦那、肩を貸してくれ」と頼んだ。エドガーは黙って肩を貸した。ミツヤがゆっくりと歩き出す。その膝が震えていた。

 

「ミツヤさん、無理は……」

 

 発した声に、ミツヤが振り向いて返す。

 

「黙ってろ、新入り。それと、さんはいらない。まだブレイブヘキサを認めたわけじゃないが、俺だけさん付けってのも変だ」

 

 ミツヤが笑みを浮かべる。柔和な笑みだった。ユウキが呆けたようにそれを見つめていると、エドガーとミツヤが歩き出した。その後ろからユウキが続く。

 

 三人の足音が砂礫の大地に響き渡る。ユウキは向かう先を見つめた。



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第四章 六節「鍵の娘」

 

 白亜の建築物がそこにはあった。

 

 赤茶けた大地と傾斜のある山脈の合間に作られた目立たない建物だ。研究施設、と言ってもささやかなものなのだろう。直方体に近い無機質な研究所へと三人は踏み込んだ。

 

 既に扉は開いていた。内側のガラス戸が叩き割られ、入ったところには二、三人の白衣を着込んだ男達が倒れている。頚動脈を正確に切り裂かれており、即死に近かった。研究員達なのだろう。白衣に血が飛び散っている。エドガーが舌打ちを漏らした。

 

「全部終わった後だったのかよ」

 

「俺達が来たのは一足遅かったって事か。シバタがやったんだろう」

 

 ミツヤが口にして苦々しい顔をした。シバタとの過去はユウキも見た。かつてのウィルでの同僚。その繋がりを消し去ってまで、ミツヤは今の場所を守りたかった。ミツヤは裏切りの上に自分の存在があると思っているようだ。だが、何もミツヤが特別なわけではない。人は誰だって裏切りを犯しているものだ。ミツヤが自覚的なだけだろう。本当の裏切りは、それにさえも気づかない。

 

「ということは、カシワギ博士は……」

 

 濁した語尾にエドガーが、「悪い予感が当たっていなければいいが」と口にした。ミツヤに肩を貸しながらゆっくりと歩いていく。研究所の一階部分は全滅だった。精密機器や実験器具は破壊され、研究員も一様に同じ殺され方をしている。

 

「二階か」

 

 ミツヤが呟いて、椅子に座り込んだ。片手を振るう。

 

「旦那と新入りで行ってくれ。俺は少し休む。お荷物になるのはゴメンだからな」

 

 ミツヤの言葉にエドガーは了解の頷きを返した。ユウキへと視線を向ける。ユウキも頷く。

 

「分かりました。行きましょう」

 

 ユウキとエドガーは階段を上がった。ユウキはふと椅子に座って休んでいるミツヤへと肩越しの一瞥を向けた。それに気づいたエドガーが声をかける。

 

「気にするな。あいつにはあいつの考えがある」

 

「やっぱり、思うところがあるんでしょうか」

 

「さぁな。ただ、俺があいつの立場でも、過去を暴かれてお荷物になっているんじゃいい気分はしないだろうな」

 

 エドガーの言葉はどこか突き放すかのようだ。しかし、その実はミツヤの事を誰よりも心配しているのが分かる。エドガーはミツヤのために冷たく接しているのだ。

 

「優しいんですね、エドガーは」

 

「俺は優しくなんてない。下らないお喋りはするな」

 

 緊張をはらんだ声にユウキは、「はい」と返す。二階の階段を上ったところにある踊り場で、一人事切れていた。研究員で抵抗したあとがある。壁に押し付けられて、足の腱を切られ、動けないところを首筋に一撃、といったところだろう。ユウキは開かれた状態の瞼を、そっと閉じさせた。両手を合わせて黙祷を捧げる。エドガーは一足先に二階へと辿り着いていた。

 

 その後を追うと、二階の研究室の扉が開いているのが目に入った。ユウキとエドガーは足音を殺して歩み寄る。扉の前でエドガーが頷き、ゆっくりと戸を開けた。

 

 ユウキがホルスターからボールを取り出して、いつでもテッカニンを繰り出せるようにする。押し入ってみると、そこには誰もいなかった。否、人はいたが生きている人間は一人としていなかった。銀行の大金庫のような巨大な扉の前で三人の男が首を掻っ切られて物言わぬ死体となっている。二人の研究員は床に倒れ伏していたが、一人だけは扉の前で番人のように背中を預けていた。エドガーはその研究員へと歩み寄る。ユウキもその背中に続いた。

 

 扉の前にいる研究員は中年の研究員だった。白衣の胸元に名前のプレートがある。エドガーは近づいて、その名前を見た。

 

「……カシワギ博士だ」

 

 エドガーの声にユウキは声を詰まらせた。目的であったカシワギ博士は完全に事切れている。揺すっても返事がないのは明白だった。

 

「じゃあ、僕達はどうすれば……」

 

「分からない。データのほうはウィルの構成員と共に消滅しちまった。機械類には俺は詳しくない。それに詳しくたって……」

 

 エドガーは思わず言葉に窮したようだった。機械類は余さず破壊されている。後でリヴァイヴ団の尖兵である自分達が来る事を予期していたのだろう。データの修復は無理な相談に思えた。

 

「カシワギ博士は、最期まで守りきったんでしょうか」

 

 ユウキは屈んでカシワギ博士の顔を覗き込む。目が見開かれていた。ユウキは合掌して瞼を閉じさせようと手を伸ばす。すると、ユウキの視界にあるものが飛び込んできた。カシワギ博士の手の中に何かが掴まれている。ユウキは固く握り締められたそれをゆっくりと解いて、手に取った。

 

「何だそれは?」

 

 後ろからエドガーが窺う目線を寄越す。ユウキは立ち上がって掲げてみた。どうやらカードキーのようだった。

 

「どこのカードキーなんでしょう?」

 

「今さら意味なんてあるのか? ほとんどの精密機器が破壊されているんだぞ」

 

 首を傾げていると、エドガーがユウキの手からカードキーを引ったくり、顎に手を添えてカシワギ博士とカードキーを見比べた。

 

「……いや、待てよ。カシワギ博士は命を賭してここを守ろうとした。ってことは、だ」

 

 エドガーはカシワギ博士の遺体を持ち上げ、横に退けた。それを見たユウキが目を見開く。

 

「何するんですか、エドガー。死者に対して……」

 

「その死者の、最期の声だ」

 

 エドガーはカードキーを翳して、金庫のような扉の前に立った。カシワギ博士の遺体があった箇所に認証パネルがあった。

 

「カシワギ博士が守りたかったのはこれだ。自分の身を挺して、この金庫を守りたかったんだ。ウィルの構成員はカシワギ博士に阻まれて、この金庫の中を物色する事が出来なかった」

 

「では、その金庫に何かが?」

 

「分からん。だが、カードキーがあり、それを通す認証パネルが死体の背後にある。偶然にしては出来すぎている」

 

 エドガーはカードキーを通した。『認証しました』というアナウンスが響き渡り、ガチャリとロックの外れる音が響いた。

 

「当たりだな」

 

 エドガーは金庫の扉を力任せに引っ張った。ギィと重い音を立てて金庫がゆっくりと開いていく。ユウキとエドガーが中を見やった。

 

 金庫の中には蹲った人影があった。人影はユウキ達に気づくとびくりと肩を震わせた。モンスターボールを突き出し、人影が叫ぶ。

 

「く、来るなら来なさい! ただでは死なないわよ!」

 

 少女の声だった。エドガーは扉を押し開いて明かりを入れる。少女の姿が明瞭になった。白衣を纏った線の細い少女だった。長い黒髪で、ピンクの髪留めをしている。ピンクの縁取りの眼鏡をかけており、ユウキは「研究者」という言葉が真っ先に浮かんだ。エドガーが一歩踏み出して、「おい」と尋ねる。少女が短い悲鳴を上げて後ずさった。ユウキがすかさず声を差し挟む。

 

「待ってください。敵じゃない。僕らは、あなたを保護しに来ました。失礼ですが、あなたの名前は?」

 

 少女は肩を抱いたまま、それでもモンスターボールは即座に突き出せるようにしつつ、ユウキとエドガーを見やる。エドガーの体躯は少し威圧的に見えるかもしれない。ユウキは意図して歩み寄り、声をかけた。

 

「僕らはリヴァイヴ団です。カシワギ博士を保護しに参りました。落ち着いてください、敵じゃない」

 

 同じ言葉を繰り返し、少女はようやく事態を飲み込んだように二人の顔を交互に見た。目は見開かれている。ユウキは少女へと一歩踏み出した。少女が怯える気配が伝わる。エドガーが手で制しようとしたがその前に、ユウキは屈んで少女と目線を合わせた。ゆっくりと語りかける。

 

「敵じゃないんです。もう敵は倒しました。僕らは、あなたの味方だ」

 

「……味方」

 

 呆けたように口にする少女にユウキは問いかけた。

 

「あなたの名前は?」

 

 その言葉に少女はいくばくかの逡巡を置いた後、ユウキの目を見つめて口を開いた。

 

「レナ。レナ・カシワギ」

 

 その名を聞いてユウキはエドガーへと振り返る。エドガーも驚きの表情を隠せないようだった。

 

「では、あなたはカシワギ博士の?」

 

 尋ねたのはエドガーだ。少しだけ気圧されたような様子を見せた後、レナと名乗った少女は頷いた。

 

「はい。娘です」

 

 エドガーは額に手をやった。ユウキへと目線を向ける。「どうする?」という合図なのだろう。ユウキも皆目見当がつかなかった。

 

「とりあえず、ランポに報告を。そうしなければどうにもなりません」

 

「だな。俺が報告する。お前はその娘を頼む」

 

 エドガーが金庫から出てポケッチで通信を繋ごうとしている。レナはユウキを見やり、首を傾げた。

 

「あなたもリヴァイヴ団なの?」

 

「はい。僕はまだ新入りですが、リヴァイヴ団の一員です」

 

「証拠はあるの?」

 

 証拠、と問われるとユウキは少し迷った。あたふたしているとエドガーが助け舟を出した。

 

「胸のバッジを見せろ」

 

 その言葉に、「ああ」と頷いて、ユウキは胸のバッジを示した。「R」を反転させたバッジをレナはまじまじと見る。ユウキは同時に観察の目を注いでいた。歳はまだユウキとさほど変わらない程度だろう。このような少女が研究に加担させられていたのか。あるいは偶然居合わせただけか。どちらにせよ、不幸な因果だとユウキは思う。

 

 その時、レナと目が合った。どうやらレナもユウキを観察していたらしい。近くで視線を交わし合い、眼鏡の奥の瞳が紺色をしている事に気づく。

 

「変わったファッションね」

 

 レナが言った意味が一瞬分からなかったが、自分の服装の事を言われているのだと分かり、ユウキは苦笑した。

 

「変ですか?」

 

「目立つわ」

 

 レナはそう言ってすくっと立ち上がった。ユウキが、「まだ動かないで」と制す声を出すも、レナは金庫から出て行こうとする。金庫の前には父親の遺体が転がっているはずだ。ショックを見せるかもしれない、とユウキは慌てて駆け出そうとしたがもう遅かった。レナは金庫の前で横たわっている父親の遺体と対面していた。エドガーが少し離れたところで通信をしている。止めなかったのは、あえてだろうか、とユウキが考えているとレナが口を開いた。

 

「死んだのね、お父さん」

 

 レナは周囲を見渡した。カシワギ博士だけではない。研究員の死体からも彼女は視線を外す事はなかった。真っ直ぐに見つめる眼差しに、ユウキのほうが、「無理はしないほうがいい」と言っていた。

 

「無理はしていないわ。でも、みんなあたしを守るために死んだんだと思うとね。ちょっと悪いなと思うだけ」

 

 本当に胸中はそれだけだろうか。もっと思うところがあってもいいようなものだ。しかし、レナは気丈に振る舞っているようには見えない。当たり前のように死を直視しているように見えた。カシワギ博士へとレナが歩み寄る。屈んでカシワギ博士の瞼を閉じさせた。

 

「父の確保が目的だったんでしょう」

 

 背中を向けながらレナが尋ねる。ユウキは、「そうですけど」と煮え切らない様子で呟いた。カシワギ博士に娘がいるなど聞いていなかった。その娘を、命を賭して守ろうとしたカシワギ博士の思いはやはり父性愛なのだろうか。考えを巡らせていると、レナが出し抜けに、「でもあたしが生きていれば問題ないのでしょう」と告げた。

 

「それは、どういう意味ですか?」

 

 ユウキが尋ねると、レナは立ち上がって天井を仰ぎながら言葉を発した。

 

「あたしの中に全てがあるから」

 

「全て……」

 

 理解出来ずに鸚鵡返しにすると、レナは人差し指でこめかみを示した。

 

「研究データはあたしが全部覚えている。だから、父はあたしを守ったんだわ。最後の砦として、あたしの脳内に蓄えられているデータを守るために」

 

「そんな……」とユウキは口にしていた。そのような動機なものか。カシワギ博士は娘を守るために命を落としたのだと、そう言いたかった。データだけなはずがない。しかし、ユウキのそんな思考回路を見透かしたようにレナは冷静な口を開く。

 

「そんなものよ。科学者なんてね。ドラマチックな親子の愛情なんてないのよ。あるのは合理的に事態を分析する能力だけ。父は自分の頭脳と、この研究所のデータと、あたしの頭脳を秤にかけて、あたしの頭脳のほうが重要度が高いと判断した。だからあたしを生かした。真実ってそんなものよ」

 

 ユウキは返す言葉がなかった。それも一つの親子のあり方なのだろうか。自分にはミヨコやサカガミとの関係でしか物事をはかれない。親子関係というものに無頓着なのはむしろ自分のほうなのかもしれなかった。

 

「それでも、カシワギ博士は、お父さんはあなたを守ったんだ」

 

 ユウキに言える抗弁はそれだけだった。

 

「そうね。事実は事実。でも、それで感情的になるような人種じゃない。ウィルを憎むわけでもないし、あたしは自分が生きていればそれで構わない。それがあたしの存在理由だから」

 

 あまりに淡白な答えに、ユウキはどう返していいか分からなかった。カシワギ博士の望んだのはそのような生き方なのだろうか。違う、と断じる事も出来ずにユウキはかかしのように立ち尽くすしかなかった。レナは歩き出していた。エドガーへと歩み寄り、「連絡は取れたのかしら」と髪をかき上げる。

 

「ああ。あんたの情報はなかったようだが、生存者は連れて帰れとのお達しだ。俺達が見た限り、この研究所で生きているのはあんたしかいない」

 

「そう。全滅したわけね。ウィルがやったの?」

 

 その言葉には棘の一つも含まれているようには思えなかった。ただ情報を整理しようとしているだけだ。ユウキは彼女が機械の塊か何かに見えた。

 

「そうだ。俺達が遅かったばかりに、被害を出してしまった。心から詫びよう」

 

 エドガーが頭を下げる。レナは、「あなた達のせいじゃないでしょう」と冷淡に返した。

 

「ここでリヴァイヴ団に関わる研究をしていたのなら、誰しも覚悟を持っていたはず。生きているあたしが出来るのは彼らに哀悼の意を捧げるだけ」

 

「そうだな。彼らは尊い犠牲だった」

 

 エドガーが頭を上げる。胸元に拳を当て、目を閉じた。黙祷なのだろう。ユウキもそれに倣って、胸元に拳を当てて目を閉じる。ここで散った数十人の魂に捧げる黙祷に対して、レナは腕を組んで不遜そうに言った。

 

「そういう習慣は科学者にはないの。あたしは勘弁してもらえるかしら」

 

「ああ、これは個人の勝手だ」

 

 エドガーがそう言うと、レナは階段へと向かっていった。二人がその背中を見つめていると、白衣を翻してレナが言葉を発する。

 

「何しているの? 早くここから出ないと。騒ぎになるわ」

 

 レナの言葉にユウキとエドガーは視線を交わした。どうにもレナとは思考回路が違うらしい。そう割り切るしかなかった。ユウキとエドガーが歩き出す。エドガーがレナの隣まで駆け寄った。

 

「何?」

 

 レナが怪訝そうな目を向ける。エドガーは短く告げた。

 

「危ないので」

 

「危ないって、あなた達がウィルを倒してくれたんじゃないの?」

 

「それでも、まだ危険が去ったわけじゃない。カシワギ博士の娘、あんたをコウエツシティまで無事に連れて行く義務がある」

 

「それは誰の命令?」

 

 レナが身体ごと首を傾げる。エドガーが顔を背けて返した。

 

「俺達のリーダーの命令だ」

 

「あなた達のリーダーね。強いのかしら?」

 

「あの人は強い。誰よりも」

 

 エドガーの言葉に、レナは興味がなさそうに、「ふぅん」と返した。一階まで降りると、ミツヤが立ち上がって、「生存者?」とレナを指差した。レナが不服そうに頬を膨らませる。エドガーが補足説明をした。

 

「カシワギ博士の娘だ。保護義務が発生した」

 

「というわけでよろしく」

 

 レナの声にミツヤが、「はぁ」と生返事を返す。エドガーは外へと行こうとしていた。ユウキもその背中に続く。ミツヤはレナと話しながらゆっくりと歩き出していた。

 

 外に出たエドガーは深呼吸をした。鼻の下を拭い、「血の臭いがこびりついてやがる」と言い捨てた。

 

 懐から煙草を取り出す。ポケットをまさぐってライターを取り出して、くわえた煙草に火を点けた。ユウキもエドガーのように一服というわけにはいかなかったが、肺の中の空気を一新したい気分だった。濃厚な血の臭いが服についているような気がしたからだ。

 

「カシワギ博士の娘さん? 娘さんいたんだ?」

 

 ミツヤがレナと話しながらゆっくりと追いついてくる。レナは白衣のポケットに手を入れながら、「まぁね」と返した。

 

「君、頭いいの? 研究員だったって事は」

 

「そこそこよ。人並み程度の教養はあるつもりだわ」

 

「謙遜する事ないじゃない? カシワギ博士が傍に置きたがったんだからさ」

 

「ミツヤ」

 

 お喋りをエドガーが制する声を出す。ミツヤが、「おっと」と口にチャックをする真似をした。エドガーは煙草を捨てて、足で踏み消した。

 

「悪いね。俺達は君の保護が最優先。話し相手はコウエツに着いてから」

 

「別にいいわ。研究所暮らしもしばらく続いていたから、外の世界も飽きないし」

 

 ミツヤはレナと歩調を合わせていた。ゆっくりとしか歩けないのだろう。それを知ってか、エドガーは苛立ちつつも歩調を速める事はない。ユウキはエドガーの隣を歩いた。ミツヤからの刺すような視線は感じなくなった。先ほどの戦いで少しは心を許してくれたのだろうか。代わりのようにレナの観察する視線を背中に感じた。レナは貪欲にユウキ達を観察し、研究しているように見えた。ユウキが肩越しに振り向くと、レナは澄ました表情で空を仰いでいた。

 

「晴れているわね」

 

 何でもない言葉のように思えたが、先ほど彼女は研究所暮らしが続いていたと言っていた。ならば、もしかしたら青空を見るのも久しぶりなのかもしれない。レナを窺うと、片手を翳して眩しそうに目を細めている。太陽さえ観察対象としているようだった。

 

「次の定期便は一時間後だ。船着場で時間を潰すしかないな」

 

「そんな悠長でいいの? 研究員はあたし以外全員死亡。警察やウィルが来てもおかしくないんじゃない?」

 

 レナが白衣のポケットに手を入れながら肩を竦める真似をする。エドガーが厳しい眼差しを送った。

 

「ウィルがやったんだ。奴らとて大っぴらには出来ないだろう。俺達に罪をなすりつける気かもしれない。どちらにせよ、発表や調査までには時間がかかるはずだ。その隙をつく」

 

「うまくいくの? あなた達、みんなリヴァイヴ団のバッジをつけているじゃない」

 

「相当注意深く観察しなければ分からない。あんたみたいな眼をした奴じゃなきゃな」

 

 エドガーの皮肉にレナは目を丸くした。自分がそんな事を言われる立場だとは思っていないのだろう。

 

「あたしは保護対象よ」

 

「保護はする。しかし、あんたの小言に付き合う義務はない」

 

 エドガーはどうやらレナの事を気に入っていないようだった。船着場まで歩いていると、ユウキへと声がかけられた。

 

「あなた、あたしと同じくらいよね。どうしてリヴァイヴ団に?」

 

「それは――」

 

「プライベートだ。話す義務はない」

 

 エドガーが差し挟んだ声に、ユウキは、「いいんです」と応じた。

 

「何故?」

 

 エドガーが不審そうに目を細める。ユウキは、「話したほうが信頼してもらえると思うから」と思ったままの事を告げた。エドガーは少しだけ歩調を速めた。その話題には積極的に触れたくないのだろう。

 

「何、あの人」

 

 レナが小声でユウキに苦言を漏らした。ミツヤが、「この中じゃ、旦那が一番長いからな」と口にする。

 

「つまり、あなた達三人の中で一番偉いって事?」

 

「そう。まぁ、コウエツにいる俺らのリーダーの次に古株ってわけ。だからか、自分の事は話したがらない。俺も自分の事は出来るだけ話したくないな」

 

 ミツヤが僅かに顔を翳らせる。先ほどの戦闘でユウキ達は無理やりにミツヤの過去を知った。見られたくない傷跡を暴かれたミツヤの心境を、ユウキは推し量る事しか出来ない。自分の立場だったらどうだろうか。やはりいい気分はしないのではないだろうか。自分の傷跡など、十五年分でしかない。ミツヤに比べれば浅いものだと思いつつも、傷跡など比べるほうがおかしいという気分にもなってくる。

 

「で、あなたはどうしてリヴァイヴ団に?」

 

「世界を変えるために」

 

「世界?」

 

 レナは首を傾げた。意味が分からなかったのだろう。

 

「僕は、一瞬にして僕の世界を奪われたんです。だから、それを取り戻すためにリヴァイヴ団に入ろうと思いました」

 

 境遇はレナと似ていると思ったのだ。レナもまた先ほど、自分の世界を転覆させられた。きっと思うところは同じだろうと打ち明けたのだが、レナは吹き出した。

「おかしいですか」と困惑の声を上げると、レナは腹を押さえながら、「ああ、うん」と目の端の涙を拭った。

 

「傷心のレディーを庇うにしては、なかなかのジョークね」

 

 冗談のつもりはないのだが、と言おうとしたが特に訂正するつもりはなかった。少なくともレナが現実を忘れられる材料になったのなら、それに勝るものはない。ミツヤがレナへと話しかけようとする。その声を制するように、前を歩いていたエドガーが、「待て」と声を上げた。

 

 エドガーは岩陰に身を寄せている。それだけで尋常ではない空気なのが分かった。ユウキが足音を忍ばせて歩み寄り、エドガーに尋ねる。

 

「ウィルが?」

 

「ああ。どうやら連中、俺達が船で帰る事も予期して張っていたようだな。あの構成員が勝とうが負けようが関係なかったというわけだ。恐れ入ったよ」

 

 ユウキも岩陰から僅かに視線を向ける。船着場に緑色の制服を身に纏った男が三人ほど周囲を見渡している。

 

「さっきの構成員を探してやがるんだ。きっと定期通信が切れたからか。どうする、ユウキ」

 

「どうするって、僕もエドガーもボロボロでしょう。あの距離じゃ、テッカニンで全員を一気に昏倒させるのは難しいです」

 

「ミツヤ」

 

 窺う眼差しをエドガーが向ける。ミツヤは、「何人?」と尋ねた。

 

「三人。散開している」

 

「じゃあ、俺も難しい。ポリゴンZで一気にってのはね。さっきの戦いの反動もあるし。ポリゴンを使って、トリックルームから旦那のゴルーグで畳み掛けられない?」

 

「トリックルームの射程に入らなければならないだろう。三人を相手取るのは得策じゃない。もしかしたらゴルーグ以上に鈍足がいる可能性も捨てきれないからな」

 

「やっぱり、僕のテッカニンで一気に仕留めます。ヌケニンと連携すれば、二人までなら」

 

「相手は一応戦闘のプロだ。一人がやられれば警戒する。全員を一気に仕留める自信がなければ難しいだろう」

 

 三人が渋面をつき合わせていると、レナが、「あのー」と片手を上げた。エドガーが睨む目を向ける。

 

「何だ? 悪いがあんたの小言に付き合っている暇はない」

 

 突き放すような言葉にレナはむっとして、モンスターボールを出した。

 

「三人一気にやれればいいんでしょ」

 

 突き出されたモンスターボールとその言葉に、エドガーは交互に目を向けて、「まさか」と口にする。レナは不敵な笑みを浮かべた。

 

「あたしのポケモンなら隠密にそれが出来る」

 

「三人だぞ。ポケモンを出させる前に同時に、気づかれずなんて事が――」

 

「あたしを嘗めないで。一応、スクールを出て戦闘訓練の類は積んでいるんだから」

 

 レナが髪をかき上げる。眼鏡のブリッジを上げ、モンスターボールを握った。エドガーが逡巡の間を空ける。今の状況において決定権を持つのはエドガーだった。彼女の戦力を冷静に分析し、この場で必要かどうかの判断を迫られている。ユウキはエドガーに耳打ちした。

 

「僕は反対です。彼女は父親を殺されたばかりだ。私怨で動いている可能性が高い」

 

「俺もそう思っている。だが、この状況を打開出来る手段は少ない」

 

「でも、見た事もない人のポケモンには賭けられませんよ」

 

「ひそひそと男らしくないわね」

 

 レナの声にエドガーとユウキが顔を向ける。レナはモンスターボールを掲げて、「自信がないのなら引っ込んでいて」と冷淡に告げた。

 

「あたしは戦う。止めても無駄だから」

 

 つかつかとエドガーに歩み寄り、モンスターボールを翳した。緊急射出ボタンに指をかける。

 

「待て。奴らに気づかれでもしたら――」

 

「気づかれる前に刺す。それがあたしのポケモンよ」

 

 緊急射出ボタンが押し込まれ、光に包まれた物体が弾き出された。

 

 光を破ったその胴体自体は小さなものだった。小ぶりな翅が二対ついており、黄色と黒の危険色で形成された身体だ。決して丈夫そうでない両腕が生えており、牙を持つ頭部に、設えたようなピンク色の菱形が入っている。鋭角的な眼差しも同じピンク色だ。上半身は虚弱そうに見えるが、発達しているのは下半身である。スカート状のまさしく蜂の巣のように広がった下半身を持っている。その威容に、エドガーはたじろいだ。

 

「――ビークイン」

 

 レナがその名を呼ぶ。ビークインと呼ばれたポケモンの下半身は積層構造の穴ぼこ状態であり、その穴から一匹、小型の物体が躍り出る。六角形が三つ寄り集まった物体だった。黄色一色で、本体と同程度の小ぶりな翅を保有している。二つ、三つと出てきてビークインの背部へと回る。それはビークインの進化前であるミツハニーと呼ばれるポケモンだった。ビークインはミツハニーを支配下に置いているのだ。ビークインが翅を震わせて浮遊する。

 

「攻撃指令。あの三人を後ろから昏倒させて」

 

 ミツハニーが散り散りに放たれ、僅かな羽音を立てて構成員達へと迫る。構成員達は気づいてないようだった。ビークインの「こうげきしれい」は急所に当たりやすい。

 

 ミツハニーが背後に迫った事に気づいた構成員が振り返った時には、既に首の裏へと攻撃が加えられていた。ユウキ達は目を見開いていた。構成員と自分達との距離は充分にある。だというのに、精密な攻撃を可能にしたビークインとレナに舌を巻いていた。構成員達が倒れ伏し、ミツハニーが戻ってくる。

 

 ビークインの積層構造の下半身へとミツハニーが入っていった。レナがビークインにボールを向ける。赤い粒子となってビークインが吸い込まれていった。黙ってその様子を見つめていた三人に対して、「何を呆けているの」とレナが声を出す。

 

「さぁ、行きましょ。これでもう追撃の心配はないのだから」

 

 レナが岩陰から歩み出て、船着場へと踏み出す。エドガーは呆気に取られていた。ユウキが声をかける。

 

「エドガー。僕達も行きましょう」

 

「あ、ああ」

 

 ようやく我に帰ったエドガーはふぅと息をついた。先ほどまでは保護の対象のつもりだったが、トレーナーとしての実力もあるようだ。エドガーは少しお株を取られた気分なのかもしれない。ユウキも果たして自分達が必要なのか疑問だった。

 

「じゃあ、行きますか。せっかく道を切り拓いてくれたんだし」

 

 ミツヤが岩陰から出る。ユウキとエドガーが続いた。

 

 船着場には他にウィルの構成員はいなかった。倒れ伏している構成員を見やる。一瞬の出来事だったのだろう。首の裏の急所を鋭く一撃、加えられた形跡がある。三人同時の攻撃に抵抗出来た様子もない。エドガーは構成員の一人のポケッチを掴んだ。ポケッチは手首から取り外せないので、そのまま見る形になる。

 

「どうですか?」

 

「どうやら戦闘構成員がやられた事はまだ公になってないらしい。こいつらはただの補充要員だ。しかしリヴァイヴ団が動いている事は、漏れているようだな。俺達をあわよくば始末するつもりだったらしい」

 

「それが研究員の娘にやられたんじゃ、世話ないよな」

 

 ミツヤが言ったが、エドガーは笑わなかった。エドガーはポケッチの周波数を合わせた。「何を?」とユウキが尋ねると、「向こうの通信を傍受する」とエドガーは返した。

 

「こっちの情報をかく乱させるんだ。早速来たぞ」

 

 エドガーの声に、ポケッチからノイズ混じりの声が聞こえてきた。

 

『……D2部隊。先ほどから定期通信が途絶えている。応答せよ』

 

「こちらD2。R2ラボを中心に電波ジャミングが張られていた模様。先ほど復旧した」

 

 澱みない口調でエドガーが通信に返す。通信越しに相手が安堵したのが伝わった。

 

『そうか。シバタ部隊長からの連絡もないが』

 

「シバタ部隊長は単身R2ラボへと潜入。こちらはバックアップのために研究所外から様子を見ている」

 

『ならばよし。引き続き警戒を怠るな。リヴァイヴ団が動いているとの情報もある。奴らを闇から引きずり出すチャンスかもしれん』

 

 その声に、ミツヤが笑みを浮かべた。エドガーも微笑みながら応じる。

 

「了解。作戦を続行する」

 

 通信を切って、エドガーが立ち上がる。ミツヤが手を叩いていた。

 

「ナイス演技」

 

「からかうな」

 

 エドガーは構成員を持ち上げた。そのまま近くの岩場の陰へと構成員達を隠していく。船着場でウィルが倒れていれば厄介な事になるからだ。ユウキも手伝おうとしたが、「お前じゃ持ち上げられない」とエドガーが判断した。

 

 ユウキは船着場で次の定期便を待つ事にした。その間、レナとミツヤが話していたが、どうにも噛み合っているようで噛み合っていないように思える会話だった。エドガーが近くの岩に座って煙草を吸おうとすると、レナが振り向いて白衣で鼻を押さえた。

 

「煙草? あたし嫌いなんだけど」

 

 今まさにライターで火を点けようとしていたので、エドガーは苦々しい顔をして煙草を折り曲げて捨てた。その様子を見て、「資源に悪いわ」とレナが口にする。エドガーは舌打ちを漏らした。

 

「あたしはこれからどうなるの?」

 

「それは俺達のリーダーが決める事だ」

 

 エドガーが言葉を投げる。レナは白衣のポケットに手を突っ込んで、ユウキとミツヤを見渡した。

 

「あなた達のリーダーはあたしをどうするの?」

 

「知らん。上からの指示を待つ。それだけだ」

 

 質問攻めに飽き飽きしたとでも言うように、エドガーが不機嫌そうな声を出す。レナが振り向いて、「あなたには訊いてないわよ」と言った。エドガーが、「そうかよ」と顔を背けた。

 

「あなたは」とレナがユウキのほうを見る。「僕ですか?」と尋ねると、レナが頷いた。

 

「この中じゃ新入りだって言ったわよね。リヴァイヴ団にどうやって入ったの?」

 

「どうやって、と言われましても……」

 

 ユウキは言葉を濁した。入団試験の事を言うべきか迷っていた。ミツヤが声を差し挟む。

 

「その時々によって違うんだよ。大抵は試験みたいなので通る」

 

「試験? スクールでもないのに?」

 

「スクールの試験とは違うんだ。もっと過酷さ」

 

 ミツヤが空を仰いだ。ミツヤは試験なしで通った人間だ。その代わりに情報を売った。思うところがあるのかもしれない。レナはしかし、「ふぅん」と分かっているのか分かっていないのか微妙な声を出した。

 

「何かつまんないわね」

 

 唇を尖らせて発せられた声に、エドガーが返す。

 

「悪の組織が面白かったら、あんたは満足なのか」

 

「悪の組織なの?」

 

「少なくとも正義の味方じゃない」

 

 エドガーは苛立ちを隠そうともせず、貧乏揺すりをしていた。レナとの問答に疲れているのだろう。昨日からの疲労と傷もあるのでユウキは心配だった。

 

 その時、長く低く響き渡る音が一行の耳に届いた。顔を上げると、フェリーの影が見えていた。

 

「ようやくか」

 

 エドガーが岩から立ち上がる。エドガーからしてみればようやくレナから解放されるという意味だったのだろう。

 

 レナは、「つまんないわね」と呟いていた。それが話す事が尽きてつまらないという意味なのか、それとも身柄を保護される事がつまらないという意味なのか。

 

 ユウキには分からなかった。

 



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第四章 七節「猫かぶり」

 コウエツシティに着いたのはその日の夕方頃だった。

 

 傾いた日差しが錆び付いたクレーンを照らし出し、濃い影を落としている。ユウキ達はレナを引き連れて、F地区へと向かった。F地区の入り口である鳥居を見るなりレナは、「酷いところね」と口にした。事実なので、誰も何も返さなかった。

 

 ユウキ達はF地区の住民達から一目置かれるリヴァイヴ団なので友好的に声をかけてくる浮浪者が多かったが、レナの姿を見るなり一様に目を丸くした。

 

「なんだい、女連れとは色気づいたね、エドガー」

 

「うるせぇ。こいつはただ保護対象だ」

 

「そんな事言っちゃって。その子はどうしたんだ? 白衣を着て、まるで医者だな」

 

「みたいなもんだ」

 

 エドガーがそう返すと、浮浪者達はクスクスと笑いながら通り過ぎていった。エドガーは額に手をやった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ユウキがそう声をかけると、「正直、面倒だ」とエドガーが言葉を返した。

 

「だが俺達はランポに従う。それがチームのあり方だからな」

 

「ですね」とユウキが返すと、レナが声を上げた。

 

「ねぇ、そのランポって誰なの?」

 

「俺達のリーダーだ。もうすぐ会える」

 

 エドガーが振り向いて面倒そうに返すと、レナは髪をかき上げた。

 

「よく分からないけど、あなた達がそれほどまでに信頼する人って言うのはどんな人なのかは興味あるわ」

 

 レナの言葉を背中に受けながら、ユウキ達は「BARコウエツ」へと向かう階段の前に立った。レナが口元を押さえる。

 

「ここに入るの? 何だか不潔そうだけど」

 

「あんたがいた研究所に比べればな。だが、F地区ではまだ綺麗なほうだ」

 

 エドガーが階段に歩を進める。ユウキが続き、ミツヤがレナへと入るように促した。レナは不服そうに階段を降りていく。扉を開けると涼やかな音が迎えた。

 

「おう。作戦は無事に終わったみたいだな」

 

 テクワの声が最初に弾けた。サイコソーダをテーブル席で飲んでいる。マキシも一緒だった。テクワの視線がユウキの後ろにいるレナへと注がれる。テクワが立ち上がり、「あれ? カシワギ博士の確保じゃなかったの?」と無遠慮に歩み寄ってきた。それを見て、レナが眉間に皺を寄せる。

 

「ねぇ、この人がランポ?」

 

「違う。こいつは新入りだ。テクワ、下がってろ」

 

 エドガーの厳しい声にテクワは、「はいよ」と引き下がった。それでもレナを物珍しそうに見ている。全員が店へと入ると、店主が、「おかえりなさい」と言葉をかけた。「ああ、ただいま」とエドガーが声を返して周囲を見渡す。

 

「ランポは?」

 

「さっき出かけられたところですよ。入れ違いになってしまったようですね」

 

「そうか」とエドガーはテーブル席に座った。ミツヤもその奥へと歩んで、椅子に座る。ユウキも席につこうとすると、所在なさげにしているレナの姿が目に入り、「ああ」と声をかけた。

 

「どこでもどうぞ」

 

「どこでもって、あたし嫌よ。何だか汚いし」

 

 その言葉にユウキが店主へと目を向けた。店主は少しだけ眉をひそめたようだった。

 

「その方は?」

 

 警戒の眼差しを店主が注ぐ。エドガーが説明した。

 

「カシワギ博士の娘だ。研究所で唯一の生存者だった」

 

「娘? へぇ、どうりで。ユウキと同じぐらいじゃないのか」

 

 テクワの声にレナはつんと澄ました様子で顔を背けた。テクワが怪訝そうに見つめる。

 

「ユウキ、ちょっと」と手招きされたので、ユウキはテクワへと歩み寄った。「何ですか?」と尋ねると、テクワは声を潜める。

 

「何だよ、あの女。気にいらねぇぜ」

 

「僕らも困っていたんですよ」

 

 ユウキは肩を竦めた。頬杖をついてテクワがレナを見やる。

 

「野郎連中ばっかりで珍しい女だってのに、何も面白くねぇ」

 

「聞こえてるぞ、テクワ」

 

 エドガーの声にテクワは気後れしたようだった。マキシはレナの存在を特に気にするでもなく、サイコソーダを飲んでいる。ユウキが気を遣って、レナへと話しかけた。

 

「何か飲みますか?」

 

「じゃあ、ウイスキーを」

 

 レナの声にユウキは目を白黒させた。

 

「お酒は駄目ですよ」

 

「何で? あなた達は飲んでいるじゃない」

 

「俺のはサイコソーダ」

 

 テクワがグラスを掲げると、「黙って」とレナが鋭い声音で発した。

 

「心配ないわ。あたし酔わないから」

 

「駄目ですよ。そういうのは」

 

「何か飲むかって訊いてきたのはあなたでしょう。だったら、注文通りのものを出してよ」

 

 ユウキが声を詰まらせていると、店主がカウンターにグラスに入った飲み物を置いた。その音が静寂の中に波紋を浮かべたように響き渡る。

 

「チェリンボのウイスキーです。女性でも飲みやすいかと」

 

 チェリンボとはポケモンの一種で、甘いとされている。レナはつかつかとカウンターに歩み寄り、「気が利くわね」と言ってグラスを呷った。

 

 勢いづいて飲んでいるのを一同は黙って見ているしか出来なかった。レナが息をつき、グラスをカウンターに置く。

 

「おいしかったわ。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 静かなやり取りが行われ、その場にいた全員が固まっていた。レナはカウンター席に座る。そこはランポの定位置だった。

 

「あ、レナさん。そこは駄目です」

 

「駄目って何がよ」

 

 レナは足を組んでふんぞり返る。ユウキは、「ランポの席なんです」と言ったが、レナは聞き届けた様子はなかった。

 

「はぁ? 何よ、さっきから駄目、駄目って。これじゃ保護じゃなくって誘拐だわ」

 

 両手を上げてレナが抗議の声を上げる。ユウキがエドガー達へと視線を巡らせた。全員、レナの処遇は決めかねているようだった。どう取り扱えばいいのか、まるで分からない男連中が、そろって渋面をつき合わせている。

 

 その時、からんと涼しげな音が聞こえた。全員が、そちらへと視線を向ける。

 

 ランポだった。入ってくるなり、空気が変わったのが分かった。レナを見やり、次いでユウキ達へと視線を配る。

 

「上と話をつけてきた。悪いな、遅れてしまって」

 

「いえ」とユウキが気圧されたように佇んでいると、ランポはレナの下へと真っ直ぐに向かった。レナはランポを見つめたまま硬直していた。ランポはレナの前に立つと、その場に跪いた。一瞬、誰もがランポが何をしているのか分からなかった。エドガーが腰を浮かしかけると、ランポが口を開く。

 

「この度の非礼、お詫びする。お父上は、残念だった。我々がもっと早くに動くべきだった」

 

 ランポの言葉にレナは、「……いえ」と今までとは違う空気を出していた。ランポは立ち上がって、「すまないが」と口にする。

 

「俺の席なんだ。君が座りたいというのならば構わないのだが」

 

「い、いえ。あたしこそ、知らないで」

 

 レナが席を立って譲った。ランポはカウンター席に座り、レナはテーブル席へと座った。一瞬にして立場が逆転したようだった。ランポが漂わせる風格にレナがたじろいだ結果なのだろう。

 

「今回の作戦の遂行、上は高く評価している。よくやってくれた、ユウキ、エドガー、ミツヤ」

 

「いえ。肝心のカシワギ博士を保護出来なかったんですから、ミスみたいなもんですよ」

 

 ミツヤの声に、「そうだな」とランポはカウンターに片肘をついた。

 

「しかし、カシワギ女史は研究データ全てが頭に入っていると聞いた。それは事実か?」

 

 ランポの質問に、レナは一拍遅れて返した。

 

「あ、はい。ちゃんと覚えています」

 

 その様子を見て、ランポが、「かしこまる必要はない」と首を振った。

 

「俺達は君を無理やり連れてきた。誘拐と言われても文句は言えない」

 

「いえ。正当な保護だと思っています。皆さんがいなければ、あたしの命はなかったでしょうから」

 

 先ほどと明らかに態度の違うレナに一同は辟易していたが、ランポはそれを察してかそれとも知らずか、「そう言っていただけると助かる」と口元を綻ばせた。

 

「リヴァイヴ団が野蛮人の集まりだと思われても仕方がない、と感じていたからな。R2ラボがいくらリヴァイヴ団寄りの研究施設だったとは言え、今回は実力行使だった。怖い目にも遭わせたかもしれない」

 

「いえ、そんな。皆さん、よくしてくださいました」

 

 その言葉にエドガーが目に見えて不愉快そうに顔をしかめたが、ランポは気にしていないようだった。

 

「ではカシワギ女史、いや、言いづらいな。レナ、と呼んでも構わないか」

 

 その言葉にレナは僅かに顔を上気させて、「はい」と控えめに頷いた。

 

「では、レナ。本題に入ろう。リヴァイヴ団の研究データ。書き出してもらえるか」

 

「書き出し、ですか。端末がないと……」

 

「端末なら、俺が持ってる」

 

 ミツヤがポリゴンと繋いだ端末を指し示した。レナがランポへと顔を向ける。

 

「あの、すぐには……」

 

 その言葉にランポは片手を上げた。

 

「ああ、了解している。俺達も焦っているつもりはない。二日三日はかけていただいて大丈夫だ」

 

 レナはホッと息をついて、「じゃあ、今からやります」と言った。ランポが取り成すように言葉を投げる。

 

「無理はしなくてもいい。まだ本調子ではないかもしれないだろう」

 

「いえ、あたしはリヴァイヴ団のために自分の力が役立つと言うのなら、それを示したいんです」

 

 レナの強い口調に、ランポは顎に手を添えて考え込む仕草をした。ランポの事だ。本当にレナの精神状態を気にしているのだろう。

 

「無理はしないと約束してくれ。そうでなければ保護した意味がない」

 

「分かっています」

 

「あと、もう一つ」

 

 ランポが指を一本立てた。レナが首を傾げていると、ランポが言い放つ。

 

「俺達の中では敬語は不要だ。さっきまで話していたように、俺の前でも話してくれて構わない」

 

 その声にレナがぼっと顔を赤くさせた。

 

 ミツヤが吹き出し、エドガーが笑みを浮かべる。テクワもしてやったりとでも言うべき笑みを浮かべていた。

 

「聞いていたのね。趣味が悪い」

 

 先ほどまでの口調に戻ったレナが、肩を荒立たせた。

 

「聞こえたのだから仕方がない。表裏はこの際、必要ないと俺は感じる」

 

「本当。その通りだわ」

 

 レナがランポから顔を背けて、ミツヤの端末を引っ掴んだ。ポリゴンがテーブルの上を滑る。

 

「おいおい、慎重に扱ってくれよ」

 

「分かっているわよ!」

 

 叫び返したレナが椅子にどんと座ってキーを打ち始めた。一同は顔を見合わせる。ユウキと目を合わせたランポが薄く微笑んだ。



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第四章 八節「海鳴り」

 F地区の路地に潮の香りが漂っている。海が近いせいだ、とミツヤは感じていた。ゴゥン、ゴゥンと等間隔の海鳴りが聞こえる。匂いよりも、ミツヤは海鳴りの音のほうが好きだ。胎内のリズムのように心地よい。前を歩いていたランポが不意に振り返り、「今回の作戦」と口火を切った。

 

「お前としては思うところがあっただろうが、よくやってくれた」

 

 激励の言葉をかけてくれるために連れ出してくれたのだ。ミツヤはありがたかった。ランポには、今回の作戦でミツヤがポリゴンZを使った事が知れているのだろうか。エドガーが言っていれば伝わっているのかもしれない。しかし、エドガーは寡黙な男だ。そうそう他人の事情に口を挟むとは思えない。

 

「俺は、旦那と新入りに過去を知られました」

 

 自分から言おうと思った。ランポは足を止めたまま、「そうか」と短く返した。

 

「エドガーはともかく、ユウキの知るところにもなるとは。俺の責任だな」

 

「そんな」とミツヤが声を上げると、ランポは頭を下げた。

 

「いや、お前がユウキの事をよく思っていないのは知っている。それでも編成を組んだのは早目にお前らの連携を強めたかったからだ。それがこんな結果になってしまった。チームを預かるリーダーとしては失格だな」

 

「違います。顔を上げてください、ランポ」

 

 ランポはゆっくりと顔を上げた。ミツヤの目を真っ直ぐに見つめ、「どう思った?」と尋ねる。

 

「知られた事が、ですか」

 

「過去は誰しも触れられたくないものだ。だがネイティオを撃墜したという報告がエドガーからあった事を考えると、お前はあれを使ったのだと考えられる」

 

 ミツヤは後頭部を掻いた。ランポの洞察力はこれだから馬鹿にならない。ネイティオを撃墜出来るポケモンはこの三人の中ならミツヤのポリゴンZだけだ。

 

「正直、使うつもりはなかったんですが」

 

「お前は、ユウキを信じられたのか?」

 

 ランポの問いかけに、ミツヤはぽつりと言葉をこぼした。

 

「……同じ眼をしていたんですよ」

 

「同じ、眼か」

 

「ランポ、あなたとですよ。あいつは真っ直ぐに、俺の過去も知った上で、今の俺を信じようとしてくれた。裏切り者だって分かっているのにですよ」

 

 その言葉にランポはフッと口元を緩めた。

 

「お人好しだな」

 

「あなたは人のことを言えませんよ」

 

「そうかな」とランポは読めない笑みを浮かべる。ミツヤはユウキの眼差しを思い返した。信頼出来なくても構わない。成すべきと思ったことを成せと切り込んできた瞳。かつてガラス越しに面談したランポの瞳が宿した輝きと同じだった。

 

「一度だけだって言いました。俺がお前を信用するのは一度だけだって」

 

「そうか。信用という言葉はとても難しい」

 

 ランポはそう言って身を翻した。ゆっくりと歩き出す。その後姿に続いて、ミツヤは歩いた。ユウキという少年に対して自分は憎悪にも似た感情を抱いていた。自分の居場所を奪っていく敵だと感じていた。しかし、今は心の波も凪いでどこまでも穏やかにユウキという少年の人となりを見る事が出来る。一度信用したからか。それとも、信用してくれたからか。どちらにせよ、ユウキは自分の心を見た。その上で信じると言う道を選択した。人を信じると言う事は勇気のいる事だ。裏切られる可能性も視野に入れて、誰かに全幅の信頼を任せるなどそうそう出来る事ではない。裏切りの前科がある自分を、あの局面で信用すると言った。ランポの言う通りただのお人好しか。それとも、全てを受け入れる器の持ち主なのか。今のミツヤにはまだ、その答えは出せそうになかった。

 

「海鳴りが聞こえるな」

 

 ランポが口にする。ミツヤは目を閉じて、その音に身を任せた。ゴゥン、ゴゥンと鐘の音のようにも聞こえる。

 

「昨日は拭えない。どんなに崇高な人間でも、卑劣な人間でも同じ事だ」

 

 ランポは立ち止まり、星空を仰いだ。満天の星空をかき抱く夜の闇が降りている。ネイティオの眼に囚われた時の闇とは違う。明日があるという確信の持てる闇だった。この闇の果てには光がある。今日の光の残滓が星であり、月なのだと思う事が出来る。

 

「だが、明日は変える事が出来るだろう」

 

 ランポも同じ事を考えていたのか。明日という言葉にミツヤは希望を感じる。変える事の出来る可能性。未来という答えが掴める場所まで来ている気がした。

 

「あなたみたいな人が俺のリーダーでよかった」

 

 あの日と同じ言葉をミツヤは口にした。ランポは、「まだ分からんさ」と星空を眺めながら言葉を発する。

 

「俺だって迷いの中にいる。誰だってそうだ」

 

 ミツヤはランポの見ている方角の星を見つめた。東の空の明星が目に焼きついた。

 



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第四章 九節「パラダイス・ロスト」

 レナはキーボードを叩いていた。

 

 静寂の中に等間隔で刻まれる音色は時計の秒針が時を刻む音に似ている。その音を聞きながら、ユウキは時計を見やる。既に夜中の二時を回っている。レナが作業を始めてから六時間以上が経過しようとしていた。ユウキはレナを見張るために命令されていた。といっても、ユウキに出来る事はなく、コーヒーを飲んでなんとか眠気と戦う事くらいだった。

 

「疲れないんですか?」

 

 ユウキがレナへと尋ねると、レナはキーを叩く手を休める事なく、「どうして?」と尋ね返した。

 

「もう随分と不眠不休でやっていますよ。一度休まれたほうがいいんじゃないですか」

 

「効率が悪いのよ。あたしは一回で出来る事は一回で済ます。朝方までには終わるわ」

 

 朝方まで、と聞いてユウキはもう一度時計を見た。あと何時間やるつもりなのだろう。

 

 その時、店の奥からランポが歩み出てきた。コーヒーメーカーを片手に、「精が出るな」と言った。

 

「おかげさまでね。気負う必要がないと考えると研究所と同じようなものよ」

 

 ランポに対してもレナは砕けた口調になっていた。ランポの一言が大きかったのだろう。ランポはカップにコーヒーを注ぎ、レナのテーブルに置いた。

 

「一息つくといい」

 

「時間がないわ」

 

 レナがカップを手で押し出そうとすると、その手をランポが取った。レナがハッとしてランポへと視線を向ける。初めてキーを叩く手が止まった。ランポは真っ直ぐな眼差しを向けて、「重要な話だ」と告げる。

 

「な、何かしら」

 

 レナが平静を装おうとするが、少しだけ語尾が上がっていた。ユウキはコーヒーを啜った。ランポは真剣に口にした。

 

「記録出来ない事だ。口頭で言ってもらう」

 

 テーブルの椅子を引き寄せてランポが座る。レナは端末の画面をちらりと見やってから、それと向き合った。

 

「ボスに関する事だ。R2ラボでは遺伝子研究をしていたはず。ボスに関わる事を教えて欲しい」

 

 ランポはユウキのために危険を冒しているのだと知れた。ボスの事を探るのは重大な背信行為だろう。ランポはそれを行っているのだ。自然とユウキも身体が強張るのを感じた。

 

 レナは口元に笑みを浮かべて、

 

「いいの? それってやばいんじゃない?」

 

「危険は承知だ。俺は知らねばならない」

 

 真摯な声に、レナは逡巡の間を置いた。冗談や酔狂で訊いているわけではない事を確認したかったのだろう。レナは口を開いた。

 

「あたしは研究の全権を握っていたわけじゃない。ほとんどが父の役目だった。だから、あたしが知っているのは断片的な情報でしかない」

 

「それでも、俺達には必要なんだ」

 

 その言葉にレナはユウキへも視線を向けた。ランポに視線を戻し、「なるほどね」と口にする。

 

「あなた達はとんでもない事を考えているようね」

 

 レナは笑みを浮かべてみせた。ランポは、「夢物語だと思ってくれても構わない」と言った。

 

「ここまでしておいて夢物語でしたで済むと思っているの? もう後戻りできないじゃない?」

 

 レナの声にランポは沈黙を返した。それが答えだった。レナは、「そうね」と顎に手を添えて言葉を発する。

 

「ボスのポケモンに関する事は何度か耳にしたわ。メディカルチェックの機会が何度かあったから、遺伝子の採取もさせてもらった」

 

「奇妙だな」

 

「えっ」とレナが声を上げる。ランポは首を傾げた。

 

「ボスの命令とはいえ、メディカルチェックだけならまだしも遺伝子の採取というのが、だ。ボスのポケモンは何なんだ? そのような調整が必要なポケモンなのか?」

 

 ランポの切り込んできた言葉に、レナはなおさら考え込むように顔を伏せた。

 

「そうね。確かに奇妙と言えば奇妙だわ。それもボスのポケモンだけだったからね。R2ラボはほとんどボスのために作られた研究施設と言っても過言じゃないわ」

 

「何の研究をしていた」

 

「遺伝子の研究よ」

 

「では、ボスのポケモンを特定出来たのか?」

 

 ランポの言葉にレナは首を横に振った。

 

「いいえ。いつもボスは自分のポケモンの細胞の一部だけを寄越して、メディカルチェックをさせていた。一度だってポケモンをこちらに任せたことなんてないわ」

 

「では普段何していたんだ。研究員も大勢いたのだろう」

 

「表向きの遺伝子研究をね。クローニング技術やポケモンの進化系統樹とか、そういう事を主にやっていたわ。ほとんどの研究員はボスのポケモンの事は知らなかったはずよ」

 

「君は知っていたわけか」

 

「責任者の娘だからね。あたしも研究者の端くれ、知る権限はあった」

 

「ボスのポケモンは何だ?」

 

 核心に切り込む言葉にユウキは唾を飲み下した。それを尋ねるという事は反逆の意思があると思われてもおかしくはない。レナは周囲を見渡した。聞き耳を立てている人間がいないか警戒しているのだろう。

 

「盗聴の類は心配しなくていい。チーム内の秘密は守られる」

 

 ランポの言葉に、レナは息をついて口を開いた。

 

「分からない、というのが本音ね」

 

「分からない? 遺伝子の研究をしていてもか?」

 

「そう。ボスのポケモンは今まで解析したどのポケモンとも異なっているように思えた。データが示していたわ。ボスの、四体のポケモンを」

 

「待ってくれ」

 

 ランポが手を上げて制する。「四体、と言ったか?」と訊く。

 

「ええ、そうよ」

 

「ポケモンを使うなら知っていると思うが、カイヘン地方では」

 

「そう。二体までしかポケモンは所持出来ない。それ以上の所持は強制的にロックがかかる」

 

 レナが手首を捲り、ポケッチを示す。ユウキは口元に手をやって、「考えられる理由とすれば」と口を開いた。

 

「戦闘用ではない場合です。僕もラッタを家に飼っていました。モンスターボールに入れていない場合、数にはカウントされません」

 

「リヴァイヴ団を束ねるボスが、ボールに入れていない愛玩用のポケモンを遺伝子研究に回すと思う?」

 

 言われてみればそうだった。迂闊な発言に我ながら恥ずかしくなる。「だが、ユウキの言葉ももっともだ」とランポが補足した。

 

「もし、ボールの束縛なしに支配下に置いているポケモンならば、四体の所持は可能だろう」

 

「駄目よ」

 

 すかさずレナが言葉を発する。

 

「どうしてだ?」

 

「それら四体の遺伝子は全て、ボールの束縛を受けた形跡があった」

 

 その言葉にユウキとランポは目を慄かせた。額に手を当ててランポが考え込む。

 

「可能性があるならば、別人の所持するポケモンという事だ」

 

「あたしもその可能性が一番高いと思う」

 

 レナの声にユウキは、「つまり、こういう事ですか」と言った。

 

「ボスは二体ポケモンを所持していて、さらに腹心が二体所持していると」

 

「その可能性が最も現実的よ。でも、それならどうしていつも四体同時の遺伝子解析が成されたのかしら?」

 

 レナが顔を伏せて考えを巡らせる。ランポが小さく言葉を紡いだ。

 

「全てを知っていたのはカシワギ博士、つまり君の父親だけだったという事か」

 

「ええ。父もボスのポケモンに関してはあたしにも大した情報はくれなかった。あたしが研究所で集められた情報が、今言ったものよ」

 

 ランポは両手を組んで、額に当てた。さすがのランポでも断片的な情報だけでは推理しきれないようだった。

 

「……四体のポケモン。せめてタイプは分からないのか?」

 

 ランポの質問にレナは首を横に振った。

 

「タイプも特性も、何一つ。ただその遺伝子が正常かどうかの判断だけ」

 

「それだ」

 

 ユウキが顔を上げた。ランポとレナが顔を振り向ける。

 

「それって?」

 

「遺伝子が正常かどうかを確かめるって言いましたよね。ボスのポケモンの秘密はそこにある。遺伝子に関係したポケモンなんだ。もしかしたらボス自身の」

 

 ユウキの言葉にランポが、「だが」と結論を濁す。

 

「それは早計かもしれない。それにポケモンの遺伝子工学の分野はまだ解明されていない部分が多い」

 

「でも、ボス自身の遺伝子と何らかの関わりのあるポケモンという線はいいかもしれないわ。未知の分野だけど、ポケモンとの同調というものもあるのよ」

 

「同調?」

 

 初めて聞く単語にランポが聞き返した。

 

「ポケモンとの意識のシンクロ。それによって反応速度の向上と命令なしでの戦闘が可能になる。一説ではポケモンとの同調を果たした人間は感知野が拡大化して、あらゆる情報を瞬時に理解出来るようになるとか」

 

「それこそ、夢物語だ」

 

 ランポがその言葉を却下する。「そうね」とレナも同意見のようだった。だが、ユウキの中ではその言葉が何か引っかかるものとして残った。もし、ボスが意識面での同調だけではなく身体面でもポケモンと同調していたとしたら――。

 

 考えてみて、馬鹿らしいと自分でも思う。しかし、その可能性はしこりのように固まってユウキの意識の隅に居ついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝方に、レナは全ての作業を終えた。夜半の会話は三人だけの秘密となった。

 

 起き出したテクワが伸びをしながら店主へと、「朝のミックスオレ」と注文した。店主が奥へと引き返して準備をする。

 

 テクワは随分とこの店での生活に慣れたらしい。ユウキは寝ぼけ眼を擦って、レナを見た。レナは先ほどから椅子に座ったまま熟睡していた。毛布がかけられている。ランポのものだろう。ランポは、「用事がある」と言い残して朝早くに出て行ってしまった。チーム名が決まったので忙しくなったのだろう。テクワがテーブル席でだらけている。マキシも同席していたが、彼はぱっちりと眼が開いていた。しかし、目つきは相変わらず悪いために、熟睡出来たのかは疑問である。エドガーとミツヤはまだ眠っていた。エドガーは続けて二つの作戦をこなしたために体力を大きく消耗したのだろう。

 

「ミックスオレです。ユウキ君もどうですか?」

 

 店主が気を利かせてユウキとマキシの分も持ってきていた。ユウキは、「いただきます」とグラスを受け取った。ミックスオレはフルーツの風味があり、トロピウスと呼ばれるポケモンから取れる果実を原料としている。トロピウスは樹海に潜む首なが竜のようなポケモンである。首もとの部分から果実が垂れているのが特徴だ。ホウエンで主に目撃されていたために南国の熟れた果実は甘みが強い。

 

 ミックスオレを飲んでいると、テクワが大きく息をついた。

 

「やっぱり朝はこの一杯から始まるよな、マスター」

 

「恐縮です」と店主はカウンターに戻ってグラスを拭き始めた。ユウキが飲み干そうとしていると、ちょうどミツヤが起きてきた。続いて長身のエドガーが眼鏡をかけながら奥からやってくる。

 

「おはようございます」とユウキが挨拶をすると、「おー、おはよう」とミツヤが返した。普通のやり取りが出来る事にユウキは嬉しさを感じる。エドガーは、「ああ」と短く返す。どうやらまだ身体は本調子ではないようだ。

 

「エドガー。今日病院に行って来たらどうです? 少し心配だ」

 

「俺も賛成だぜ、旦那。無理し過ぎだよ」

 

 二人の声にエドガーは眼鏡のブリッジを上げて、「いや、俺は大丈夫だ」と固い声で応じた。

 

「けどよ、エレキブルに殴られたんだろ? それって結構まずいと思うんだよね」

 

「ポケモンの攻撃を受けたんですから、何も恥じ入る事はないと思いますけど」

 

「いや、俺はその、医者ってのがどうも苦手な性分でな」

 

 エドガーがこめかみを掻きながら困惑したように呟く。その言葉にミツヤが弾かれたように笑い出した。エドガーが怒声を飛ばす。

 

「笑うんじゃない!」

 

「いや、だって旦那。その体格で医者が苦手って、ファンタジー過ぎるだろ」

 

 エドガーが顔を背けて押し黙る。ミツヤはひとしきり笑ってから、店主に紅茶を頼んだ。

 

「エドガーさんはどうなさいます?」

 

「俺はブレンドコーヒーで頼む」

 

 いつも以上に低い声でエドガーが注文する。店主が準備を始めたその時、店の扉が開いた。全員が顔を向けると、肩を荒立たせたランポが立っていた。

 

「ランポ。どうしたんですか? 早く入って朝のブレイクタイムに――」

 

「指令だ」

 

 ミツヤの声を遮って放たれた声に、全員が硬直した。店主も緊張のはらんだ眼差しを向けている。ランポは顔を上げた。

 

「上から指令が下った。本日の夜までにカシワギ博士、レナを引き渡せとの命令だ」

 

「じゃあ、引き渡しちゃえばいいじゃないですか。どうせレナちゃんはリヴァイヴ団のお抱えの研究者なわけだし」

 

 ミツヤの言葉に、「コウエツならばそれはすぐに可能なのだが」とランポが掌で額の汗を拭った。煮え切らない言葉に、嫌な予感がした。

 

「ランポ。どういう事です?」

 

 ユウキの声にランポは、「落ち着いて聞いてくれ」と前置きした。

 

「俺達はこれから本土に渡らなければならない。本土のリヴァイヴ団からの要請だ。レナの身柄を本土側のリヴァイヴ団が受け取る算段がつけられた。ウィルから守るためだ。俺達は引き続きレナの護衛の任を命ぜられた」

 

 その言葉はこの場にいる全員の心に少なからず衝撃を与えた。確かにウィルの眼を欺くには本土に渡って万全の態勢で臨む必要があるだろう。だが、それの意味するところは――。

 

「ランポ。それはつまり……」

 

 エドガーが言葉を濁す。誰もがその次に放たれる言葉を理解していた。理解しながらも認めたくなかった。

 

「ああ。コウエツとは別れを告げる。この場所には二度と帰る事はない」

 

 予想出来た言葉だが、ショックは大きかった。エドガーとミツヤが顔を見合わせて、「本当かよ」と声を交わす。テクワとマキシはことのほか落ち着いていたが、ユウキは動揺を隠せなかった。育った場所を離れる。ミヨコとサカガミを置いて。いつかは覚悟せねばならなかった事柄が眼前に迫り、ユウキは呼吸が苦しくなったのを感じた。

 

 ランポが瞑目する。もう決定事項だ、と告げていた。

 

「コウエツシティを、離れる」

 

 口にしてみて絶望的な言葉のように感じた。その宣告は胸を穿ち、ユウキは何か大切なものが滑り落ちていくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章 了



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断章
AGGRESSORⅠ


 酒の匂いが鼻をつく。

 

 彼は酒が苦手な部類の人間だった。それでも付き合いというものからは人間は逃れられないもので、今日も彼は同僚であるオオタキと共に近くの酒場へと通っていた。オオタキが頼むものはアルコール度数の高いチェリンボのリキュールだ。対して彼はいつも一杯目のビール以外はずっと烏龍茶を飲んでいた。オオタキが据わった目でふらりふらりと視線を彷徨わせ、自慢話を始める。オオタキの自慢話を聞くのが自分の役目のようになっていた。

 

「それでよぉ、俺はこう言ってやったのさ。『てめぇの上司の尻拭いくらいてめぇでしてやれ』ってな」

 

 オオタキが上機嫌で笑う。

 

 彼は特に何が面白いのか分からなかったが、曖昧な笑みを返す事で話の潤滑油となっていた。どうやら自分の笑みにはそのような効果があるらしいと分かったのはタマムシ大学にいた頃で、大学で所属していたサークルにおけるコンパで自分の笑顔は誰かの話を聞くのに最適であることが分かった。その時から彼は酒が大の苦手で、無理やり飲まされると十分もしないうちに吐き気を催すのだ。

 

 彼はタマムシ大学出のエリートだったが、勤めている会社は外資系の中小企業だった。タマムシ大学出身となればシルフカンパニーやデボンコーポレーションにも顔が利きそうなものだが、彼はポケモンに対してあまり興味が持てず、ポケモントレーナーに対する商品を取り扱う二社は彼の志望の対象外であった。それでも面接は受けたが倍率は高く、情熱もない自分はあえなく二次選考で落とされた。ある意味、当然の結果だとして受け止めている。

 

 彼は今の自分の境遇に特に不満を抱いているわけではない。ただ酒の席というものは苦手だ。オオタキは赤ら顔を彼に向けて、「お前も何か話せよ」と促した。彼には話の種になりそうな話題はない。愛想笑いを返すと、オオタキは舌打ちを漏らした。

 

「いつでもその笑顔でスルーされるんだよな。まぁいいや。俺のとっておきの話があるんだ」

 

 オオタキは急に声を潜めた。今まで大声で話していた人間とは思えない。しかし酔っ払いなどそのようなものだろう。彼は適当に相槌を打った。

 

「とっておき、というのは」

 

「そうだな」

 

 オオタキが天井を眺める。空気を循環させるプロペラがゆっくりと回転している。暖色系の照明が黒色の壁にこびりつき、密閉空間を広がりがあるように見せている。

 

 オオタキはしばらく思案しているようだった。まさか話す内容を忘れたか。それとも最初からとっておきの話などなかったか。彼が烏龍茶を口に運んでいるとオオタキは、「お前さ」と出し抜けに言葉を発した。

 

「カイヘン地方って知っているか?」

 

「カントーの北東にある地方でしょう。知っていますよ。常識じゃないですか」

 

 カイヘンと言えば六年前の事件を思い出す。俗にヘキサ事件と呼ばれているテロリストが起こしたカントーへとの反逆行為だ。カイヘンで活動していたロケット団残党組織と自警団ディルファンスが手を組み、ヘキサという名前となってカントー政府中枢、セキエイ高原への侵攻を宣言した。

 

 当時、まだ学生だった彼は動画サイトで流れてきたヘキサ蜂起の映像にコメントを加えたものだ。「どうせガセだろ」や、「釣り確定」など他のコメントと大差ないものだった。しかし、ヘキサはカイヘンの首都であるタリハシティを空中要塞と化し、質量兵器としてセキエイ高原への落下作戦を立てていたことが後年明らかとなった。

 

 カントーはこの事態を重く見てカイヘンに対する様々な政策を講じる。

 

 独立治安維持部隊ウィルによる間接統治、トレーナーのポケモンの所有数の削減、輸入制限などカイヘンは今暗黒時代にあると言ってもいい。彼の勤め先である外資系企業はカイヘンにも支社があったが、上層部の意見はカイヘンでは儲からない、であった。カイヘンはほとんどカントーの属国に近いらしい。物流は滞り、金は回らず、大きな企画などとてもではないが動かない。加えてウィルに対抗する地下組織、リヴァイヴ団なるものが現れ始めた。カイヘンに渡るのは危険だとさえも言われている。犯罪の発生率も高く、カントーに住む人間がカイヘンに行って被害を受けたという話もネットではざらだった。

 

「俺は昔、カイヘン支社に飛ばされたことがあったんだ」

 

 オオタキがリキュールに口をつける。それは初耳だった。

 

「へぇ、そうだったんですか」

 

「その頃のカイヘンといや、ヘキサ事件のすぐ後だったから、えっと何年だったかな」

 

 オオタキが指折り数えている。酔っ払いの記憶ほど当てにならないものはない。彼が半ばこの話が進展する事を諦めていると、「そうだ。四年前」とオオタキが言った。

 

「四年前ですか。ちょうどウィルが出来た頃ですね」

 

「そうなんだよ。ウィルがカイヘン地方で幅を利かせようとしていた矢先の出来事だった。その頃の俺はまだ若くてな。頭もこんな風ではなかった」

 

 オオタキがすっかり薄くなった頭皮を撫でる。彼はオオタキが真面目に話をしたいのか、ふざけたいのか分からなかったが上司の機嫌は損ねるべきではないと何度か頷いた。

 

「それでだな、肝心の話なんだが、四年前にな、ちょっとした開発の機会があって俺はその視察に向かっていたんだ。カイヘンのちょうどタリハシティ跡地だな。モニュメント建設計画にうちの会社も出資して、俺は現場監督だった。荒涼とした大地が広がっていてな。本当にここに街があったのかって疑わしいくらいだったよ」

 

 オオタキが身振り手振りでその「荒涼とした大地」を表現しようとしたが、うまくいかなかったのか首を振ってリキュールを呷った。息をついてオオタキはグラスを掴んだまま、「本当に」と口にする。

 

「わけが分からなかったんだ。何が起こったのかって事が」

 

「何かあったんですか?」

 

 彼は少し興味を持ち始めていた。カイヘンには行った事がない。異国も同然だったからだ。酔っ払いの話でも少しは聞く価値があるかもしれない。

 

 オオタキは暗い瞳を彼へと投げつけた。何か思い出したくない事なのか、ぼそりと呟く。

 

「聞いたって、どうせお前は信じねぇよ」

 

「そんな事ありませんよ。話してください、オオタキさん」

 

 オオタキの肩を掴んで揺さぶる。オオタキはテーブルに視線を落としながら、「じゃあ話すけどよ」と前置きした。

 

「これは嘘とか幻覚じゃねぇからな。あいつら、こぞって俺が夢でも見たと思いやがって」

 

 あいつら、とはこの話を前に聞いた人々だろう。それほどに現実味のない話なのだろうか。彼は躊躇したが、やはり少し気になるのでオオタキに促す事にした。

 

「話してくださいよ。僕ならいくらでも話し相手になりますから」

 

 オオタキがちらりと彼へと視線を向ける。オオタキはゆっくりと頭を振って、目線を上げた。

 

「あの日はよく晴れていたんだ。俺は、数人の仕事仲間と一緒にタリハシティ跡地へと訪れていた」

 

 オオタキの眼が遠くに向けられる。六年も前の話だ。思い出すまでに時間がかかるのだろう。彼は烏龍茶を飲んで視線をテーブルの隅に向けた。適当に相槌を打っておこう、と思いながら。

 

「確か、宇宙空間でテロがあったんだ。その二日後だよ。記憶が正しければ、そうだった。俺達は視察の名目で適当に仕事を切り上げるつもりだった。面倒事は全部下請けに任せてよ。そうすりゃ、今日はうまい飯でも食えるなって思っていたんだ。そうだった。それで仕事仲間とこの後の打ち合わせをして、もう俺は飲みに行く気だったんだ。するとだ、昼間だって言うのに西の空に引っ掻いたみたいな流星が見えた。一瞬、目の錯覚だと思ってもう一度見ると、その流星が見る見るうちに近づいてくる。青白い火球が目玉いっぱいに広がって。次の瞬間、とんでもない音がした。あれは、破裂音だったのかもしれないな。爆発の音なんてものを俺は今まで聞いた事がなかったが、それだったのかもしれない。とにかく、とんでもない音と共に地面が揺れた。地震かと思った。最初は誰だってそう思ったんだ。でも、揺れ自体はすぐに収まった。何だったんだ、と誰もが視線を交わしあった。するとだな、ちょっと行ったところにある地面から煙が上がっていたんだ。当然、俺達はそこへと向かった。何故だかふわふわとしていて現実味がなかった。今の音と揺れの瞬間に自分が何者かに挿げ変わったみたいな感覚だった。俺達は煙の上がっている場所へと向かい、そこでようやく何かが落ちてきたんだと知った」

 

「落ちてきた? 隕石ですか?」

 

 彼は思わず身を乗り出して尋ねていた。オオタキの声が次第に重みを増しているように思えたからだ。もっともこれは怪談話の類なのかもしれない。オオタキは準備された話をただ淡々と話しているだけなのかもしれなかったが、彼は少し興味を引かれるものがあった。このセクハラ部長と陰口を叩かれているオオタキがいつにも増して真面目な口調で語っている。その事が彼の好奇心を刺激した。オオタキはゆっくりを首を横に振った。

 

「違うんだ。あれは、隕石なんかじゃなかった。いや、隕石だと俺達も思ったんだ。でも、隕石が落ちたにしちゃ規模が小さい。クレーターが出来ていたんだが、それもほんの少しだった。クレーターから上がる煙を見て、何人かが身を引いた。自分は関わりたくないと思ったんだろうな。でも俺は何が起こったのか、この目で見たいと思った。同じように感じた奴らと一緒にクレーターの底を覗き込んだよ。そうしたら、いたんだ」

 

「いた、というのは」

 

 彼はオオタキの話にのめりこんでいた。いつもの声音ではない。尋常ではないと感じたからだ。

 

 オオタキが暗い眼差しを彼へと向ける。彼は覚えず唾を飲み下した。

 

「最初は隕石だと思った。でも、それは紫色に輝いていた。球体で、何かなと何人かがクレーターへと降りていったんだ。俺もその中の一人だった。クレーターの底にいたのは、何と言うか無機物とかじゃなかった。あれはな……」

 

 その時、「オーダー入りまーす!」と店員の声が弾けた。話に聞き入っていた彼は肩をびくりと震わせる。オオタキは店員の背中を眺めながら、首を傾げた。彼は話の先を促そうとした。

 

「あれは、何だったんですか?」

 

 オオタキは放心しているように見えた。もしかしたら酔い潰れる直前なのかもしれない。彼はオオタキの肩を掴んだ。

 

「オオタキさん。しっかりしてください」

 

 その声にオオタキはハッとして、彼の眼を見つめ返した。その眼には恐怖の色が宿っていた。わなわなと眼球を震わせてオオタキが額に手をやる。

 

「そうだ。あの時もそう言われた。何もかも分からなくなって、しっかりしてくださいって。あれはウィルだったか? 俺達は隕石が落ちてきたショックで気を失ったって……」

 

「オオタキさん。隕石なんかじゃなかったんでしょう?」

 

「……そうだよ。隕石なんかじゃなかった」

 

 オオタキは頭を抱えた。そろそろ限界かもしれない。思い出そうとしてか、オオタキは店員に注文した。若い女性店員が立ち止まってオーダーを取る。

 

「チェリンボの水割り」

 

「はい。以上でよろしいですか?」

 

 オオタキは頷き、店員は踵を返す。店員が充分に離れてから、彼は訊いた。

 

「隕石じゃなかったとしたら何だったんですか?」

 

「俺にもよく分からない。ただ、あれは人だったような気がする」

 

「人?」

 

 その言葉に彼は目を見開いた。まさか人が天から落ちてきたとでも言うのか。それこそ夢物語だ、と言いかけたがここで否定してはこれ以上の話は聞けないと思い、口を噤んだ。

 

「人、だったとして、どうして落ちてきたんですか?」

 

「俺にだって分からない。分からないんだ」

 

 オオタキが頭を抱えて目元を拭ったところで、チェリンボの水割りが運ばれてきた。リキュールのグラスを取り下げて店員が帰っていく。彼はゆっくりと言葉を重ねた。

 

「いいですか、オオタキさん」

 

 オオタキは頷く。

 

「タリハシティ跡地に何かが落ちてきた。それは隕石じゃない。人だったと言う。でも、じゃあその人間は何者なんですか?」

 

「分からない。いや、人じゃなかったもしれない」

 

「人じゃない? ならば何ですか?」

 

 オオタキは水割りを一気飲みした。息をついて肩で呼吸をしながら呟く。黒色の壁を眺め、「ポケモンだ」と口にした。

 

「ポケモン、ですか」

 

「ああ、それなら説明がつく。あれはポケモンだったんだ。だから、あんな事になった」

 

「あんな事、とは?」

 

 烏龍茶で喉を潤しながら尋ねる。オオタキはテーブルに肘をついて額を押さえた。

 

「俺以外の社員、従業員は重傷を負っていた。彼らは一様に眼や腕など一生の傷を負わされていた」

 

 オオタキの発した言葉に彼は瞠目した。そのような鮮烈な事件だとは思いもしなかったのだ。

 

「そんな事件、公になったんですか?」

 

「もちろん、ニュースにはなった。ただゴシップの類として捉えられた節はある。タリハシティ跡地で従業員らが怪我なんて、オカルトマニアが好きそうな話題だろう」

 

 言われてみれば確かにそうだ。もしネットで評判になっても、それは他の大多数の話題と同じく一瞬で消費されて消え行く話題の一つだろう。

 

「でも、俺は見た。思い出してきた。あの人間、いやポケモンか。見た事のないポケモンと、それに人間だった。ポケモンは人間を守るように被さっていたんだ。ちょうど隕石みたいに丸まった形状で。そうだ。そのポケモンが紫色に光っていた。あれは、妙な姿形をしていた。ヒトに近いんだ」

 

「ヒトに近い、ポケモンですか」

 

 彼は背筋を寒気が走っているのに気づいた。いつの間にかオオタキの話のペースに乗せられている。落ち着け、と彼は胸中に呟く。酔っ払いの戯れ言かもしれない。

 

「だがヒトとは違う。オレンジ色の体色で、形状は……そうだな、ガムって分かるよな」

 

「あのお菓子のガムですか?」

 

「そう。それみたいな平べったい手足をしていた。首の継ぎ目はなくって、丸い頭部だった。ところがだ。ああ、これは俺の見間違いだと信じたいが、そいつは俺の目の前で変形、いや変身した」

 

「変身、って……」

 

 覚えず語尾が疑わしさを帯びる。オオタキは、「言いたい事は分かる」と手を掲げる。その手を内側に返してオオタキは見つめた。

 

「ただ、変わった。それだけは言える。そいつは俺の目の前で形状を変えた。今まで内側の、何かを守るために殻みたいな形状をしていたそのポケモンが突然スマートな体型になって、手足が尖って、まるで全身が武器みたいな姿になった。その後は……」

 

 オオタキは言葉を濁して片手で顔を覆った。苦しげな呻き声を喉の奥から漏らす。思わず彼は、「大丈夫ですか?」と尋ねていた。

 

「何だ? あの後何が起こった? 何かが起こって、それで俺達は、いや俺以外の人間は一生の傷を負わされた。ただ何かが見えたみたいな気がするんだ。あのポケモンが落ちて来た時、必死になって守っていたもの。そいつが命じた。そのポケモンに、俺達へと視線をやって。そいつは……」

 

 オオタキは突然奇声を上げて両手で顔を覆った。手を滑らせ首根っこを押さえつける。何をしているのか、彼が理解する前にオオタキは自分の首を絞め始めた。

 

 その瞬間、彼はオオタキの背後に青白い何かを見た。槍の穂先のように尖った頭部を持っている人型の何かだ。それがほんの一瞬だけ幽鬼のように揺らめいたかと思うと薄っすらと消えていった。青白い光の残滓をオオタキの首筋に残す。

 

 その事にようやく彼が気づいた時、オオタキの手を離そうとしたが万力のように組み付いていて離れない。オオタキは蛙が潰れたような鳴き声を上げた後、口から泡を吹いてテーブルに突っ伏した。

 

 彼はオオタキの背中を揺すった。

 

「オオタキさん? しっかりしてください! オオタキさん! 誰か……」

 

 周囲へと視線を配り、そこでようやく現実認識の追いついてきた客や店員が騒ぎ始めた。

 

 オオタキは一時間後に病院へと搬送されたが死亡が確認された。



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終幕の序章
第五章 一節「旅立ちの涙」


 久しぶりというわけでもない。

 

 三日程度空けただけだ。だというのに、知らない場所だ、という認識が先に立ったのはどうしてなのだろう。ユウキは胸の前で手をぎゅっと握り締めた。

 

 目の前には扉がある。当たり前のように毎日くぐっていた扉。家の玄関だ。太陽は中天を指している。すっかり夏の色を帯びた風が吹き抜けてユウキのジャケットを煽った。ユウキはランポの言葉を思い返す。

 

 ――この場所には二度と帰ることはない。

 

 それはユウキにとってしてみれば絶望的な宣告だった。

 

 コウエツシティで生きて死ぬのならばまだ理解する頭を持ち合わせていたユウキだったが、この場所を離れるという事は全く意識の表層にも上らなかった。

 

 いや、意識的に考えないようにしていたのかもしれない。リヴァイヴ団に入るのならば、それなりの覚悟があったはずだ。ミヨコに誓った。サカガミと約束した。輝く宝石のような海にランポと共に言葉を捧げた。リヴァイヴ団に入る、世界と戦う、と。しかし、今の自分はどうしたことだろう。足踏みを続ける事は避けねばならない。早期の決断が求められた。退路を断つために訪れた我が家はまるで別の場所だった。ユウキは息をつく。いつもと同じように玄関を開ければいい。そう分かっているのに、そうしないのはここで迷いが生まれるかもしれないという危惧があるからだ。

 

 サカガミの顔を見たら、自分はまた後戻りしてしまうかもしれない。あの朝に刻んだ覚悟が揺らいでしまうかもしれない。畢竟、自分はリヴァイヴ団に入ると言っておきながら何も断ち切れていなかったのだ。

 

 生まれも、過去も、因果も。全てが纏いつき、今にもこの身を押し潰してしまいそうである。ユウキは深く息を吸った。

 

「……腹を決めろ。男だろ」

 

 呟いて自らを一喝するように胸を叩く。ユウキはチャイムへと伸ばしかけた手を玄関の取っ手へと伸ばす。しかし、寸前で触るのは躊躇われた。ただいま、と言ってしまえば自分の覚悟は恐らく消えてしまう。その確信に指先が震えた。

 

 その時、玄関が不意に開いた。ユウキが顔を上げる。視界の中にサカガミの姿があった。どうやら買い出しに出かけるところだったらしい。買い物籠を持っていた。ユウキは喉の奥で声を詰まらせる。サカガミはユウキを認めて、「……ユウキ君」と呟いた。ユウキが何も言い出せずに顔を伏せる。卑怯者だった。自分から切り出す事も出来ず、サカガミに察しろと言っているようなものだ。サカガミはユウキへと言葉をかけた。

 

「入りなさい」

 

 ユウキはその言葉に甘えた。自分の家だというのに、「お邪魔します」という言葉が反射的に出たのはやはり負い目を感じているからだろうか。

 

 ユウキがリビングへと向かう廊下を歩き出そうとすると、不意に甲高い鳴き声が聞こえてきた。目を向けると茶色い毛並みのポケモンがユウキへと駆け寄ってくる。出っ張った前歯を小刻みに揺らし、ユウキの足元へと擦り寄った。

 

「……ラッタ」

 

 ユウキがその名を呼ぶとラッタは嬉しそうにユウキの足に頬ずりした。ユウキは屈んでラッタを抱える。ラッタはユウキへと甘えたような鳴き声を上げた。ユウキはラッタの腹部を見やる。手術痕があったが傷は塞がっていた。

 

「ラッタ。お前、元気だったか?」

 

 応じるようにラッタが力強い鳴き声を出す。前を歩くサカガミが言葉を投げた。

 

「昨日、ポケモンセンターから退院したんだ。手術痕は残るらしいが、体力は元に戻ったみたいだからね。私が世話をしている。ちょうどラッタに合ったポケモンフードを買いに行こうと思ったところだったんだ」

 

 その言葉にユウキはラッタを床に置いた。ラッタが不思議そうに首を傾げる。サカガミに促され、ユウキはリビングの、いつも自分が座っていた場所へと座った。サカガミも対面の定位置に座る。

 

 たった三日しか経っていないというのに、随分と久しくサカガミの顔は見てないような気がした。老け込んだような感触は気のせいだったのだろうか。ユウキは俯いたまま何も言い出せなかった。

 

 何のために帰ってきたのか。全ての決着を自分の中でつけるために帰ってきたのではないか。最後に別れの言葉を告げるための帰宅だ。もうここには帰ってこない。その一言が喉から出なかった。コウエツシティとの別れはサカガミやミヨコ、ラッタとの別れでもある。今生の別れになるかもしれない。もう自分の命は安全圏にはない。ユウキは何度か口を開きかけて、言い出せずに下唇を噛んだ。

 

「コーヒーでも飲むかい?」

 

 サカガミの言葉にユウキは頷いた。サカガミが慣れた様子でインスタントコーヒーを淹れる。カップが自分の前に置かれる。三日前まで使っていたものなのに、古ぼけたフィルムの中にある物体に見えた。触れようとすればフィルムの向こう側へと消えていきそうだ。

 

「飲みながら話そう」

 

 サカガミの言葉にようやくユウキはカップを握る事が出来た。確かな温もりが指先から伝わる。一口含んで、ユウキはテーブルにカップを置いた。

 

 このままではいつまでも話せないと思ったのだ。甘えてばかりではいけない。ラッタが不安げな眼差しでユウキを見上げている。ラッタも直感的に分かっているのかもしれない。主人の不安を。

 

「ユウキ君。帰ってきたんじゃないって事は、分かっているよ」

 

 サカガミの言葉にユウキはハッとして顔を上げた。サカガミはコーヒーを飲んでから、一つ頷く。

 

「何か、大切な話があって来たんだろう?」

 

 優しげな声にユウキは膝の上に置いた拳を握り締めた。結局、サカガミの優しさに甘えてしまっている。

 

 ――まだ僕は弱い。

 

 ユウキは実感した。リヴァイヴ団に入り、少しの視線を潜り抜けただけで何でも出来るような気がしていた。軋轢を超えた絆を作れたと思っていた。だが、実際にはまだまだ子供だ。サカガミに促されなければ何一つ、大切な事も言えない。

 

「おじさん。僕は今夜、コウエツシティを離れます。多分、もう戻ってこない」

 

 ようやく発した言葉にユウキは虚脱したような感覚を覚えた。自分の中から力が抜け落ちていき、次に何を言えばいいのか分からなくなる。

 

 サカガミはしかし、落ち着いていた。「そうか」と返事をしてからコーヒーを飲んだ。

 

「予感はしていたよ」

 

 ユウキはコーヒーへと視線を落とす。黒々とした液体の表面に自分の顔が浮かんでいる。どっちつかずの迷子の顔はひどく情けなく見えた。

 

「君はいずれ離れるだろうとは思っていた。こんなに早くとは思っていなかったけどね」

 

 サカガミは笑う。ユウキはしかし一笑も出来なかった。こんな時に笑えれば、と思う。サカガミは真剣な顔になって言葉を発した。

 

「明日、ミヨコ君が退院するんだ」

 

「えっ」

 

 ユウキが意外そうに顔を上げる。サカガミは目を細めた。

 

「容態が安定してね。意識も戻った。奇跡だって、お医者さんは言っていたよ。体力の戻りも早かったから、退院出来るようになった」

 

「そう、なんだ」

 

 ユウキは目に見えて動揺していた。ミヨコが退院する。それならばもう一日だけ延ばして、と思ったが、ユウキは浮かんだ考えを胸中で握り潰した。

 

 何を甘えているのだ、自分は。リヴァイヴ団に属する以上、組織のために尽くさなければならない。だというのに、自分は理由を見繕って安全圏に戻ろうとしている。今や、その理屈は通らない場所まで来ているというのに。

 

 サカガミはこめかみを掻いて、「私は止めない」と言った。

 

「君の選択ならば、私はユウキ君の意見を尊重する」

 

「でも、僕は卑怯なんだよ」

 

 ユウキは口を開いた。サカガミはじっとユウキを見つめている。

 

「結局、口八丁で色々理由をつけて、今はこの場所にいたいと思っている。でも、僕には覚悟があったはずなんだ。その覚悟に誓った人もいる。僕の意思は今はもう、僕一人だけのものじゃない。みんなの意思なんだ。それを踏みにじる事は出来ない」

 

「ならば、君の行く道は決まっているじゃないか」

 

「それでも、僕には迷う心がある。この迷いを断ち切らなければ、僕は――」

 

「それでいいと思うよ」

 

 思いがけないサカガミの言葉にユウキはハッとした。サカガミはゆっくりとした語りかけるような口調で言った。

 

「それでいいんだ。迷う心がない人間なんていない。みんな、迷いの中にいる。人生はたくさんの迷路の集合体なんだ。問題なのは早くゴールする事じゃない。迷路の中で、自分を見失わない事だ。足元を照らす光、心の中の意思の力を持ち続けられるかどうかだ。ユウキ君は、意思の力を強く持っている。だから大丈夫だ」

 

 サカガミは微笑んだ。ユウキは、「でも」と口にした。

 

「僕の意思は本当に正解なのかは判らないんだ。自分でも、この意思を貫いていいのかどうか」

 

「正解なんてないんだ。誰の人生にも。答えなんてものはいつだって後出しにされる。私達は、辿って来た道に正解を見出すしかない。振り向いて初めて、失敗も正解も現れる。踏み出す事を怖がっていたら、いつまでも迷路の中で立ち往生してしまう」

 

「おじさんは、後悔しているんだよね」

 

 自分でも惨い事を訊いているのだと分かっていた。サカガミはかつてのロケット団であった事を後悔していると言った。それは人生の迷路の中で振り向いて失敗を見つけたからだろう。サカガミは表情を変えずに静かに頷いた。

 

「そうだね。後悔はしている。でも失敗だったとは思っていない」

 

「でも、ロケット団だって事を悔いているって」

 

「失敗と後悔は違うんだ。ユウキ君、君もそのうち分かる。後悔とは、もう取り返しのつかないことだ。でも失敗はね、これから先の行いで取り返せるんだ。挽回出来るんだよ。ユウキ君には、失敗はしてもらいたい。そのほうが君はより多くの正解を得る事が出来るだろう。失敗のない人生などありえない。そんな人がいるとすれば、その人は本当の意味で人生を生きていないのだろう。誰かの敷いたレールの上を走っているんだ。君は、違うだろう?」

 

 ユウキは返事に窮した。誰かの敷いたレールが嫌だからスクールにもまともに通わなかった。リヴァイヴ団に入ったのは盲目的に生きることが嫌だったからだ。何も見えないまま、全てとは無関係に生きる事は出来た。しかし、それは自分の生ではないという実感はあった。

 

「僕は世界と戦うって、姉さんに誓ったんだ。この間違った世界を正すのが僕の役目だって思っていた。でも、それって傲慢なのかな」

 

「いや、それでいいんだ。願うのならば傲慢なほうがいい。矮小な願いに左右されるんじゃない。君はまだ少年なのだから」

 

 サカガミの柔和な笑みにユウキは膝の上に置いた拳の片方を掲げた。拳を開いて掌を眺める。

 

「僕に出来る事はなんだろうって、ずっと考えていた。きっと多くはないと思う。でも、出来ることを精一杯やったら、それって迷路を進むための光になるのかな」

 

 ユウキの言葉にサカガミは頷いた。

 

「きっと、なるさ。人間は出来る事から始めるしかない。神様じゃないんだ。積み上げてきたもの、踏みしめてきたもの、それらが全て君を形作っているんだから」

 

 サカガミがコーヒーをすする。ユウキはコーヒーで喉を潤してから微笑んだ。

 

「おじさんと話せてよかった。戻らないって決めたから、何も言わずに行こうかと考えていた」

 

「それも君の決断の一つならば、間違いじゃない。ユウキ君、君は自分の決断を信じるんだ。いつだって、どこだって、帰るべき場所はある。それを忘れないでいなさい」

 

 説教臭いかな、とサカガミは笑う。ユウキは首を振った。涙が出そうだったがぐっと堪えた。リヴァイヴ団に入ると打ち明けた日、涙は本当に大切な時に取っておくといいとサカガミに言われたからだ。これから先、何度も壁にぶち当たるだろう。泣きたくなるのはその度にかもしれない。しかし、自分の決断を信じられるのならば涙を流している場合ではない。

 

「おじさん。僕にも仲間が出来たんだ」

 

 サカガミは黙って頷いた。

 

「僕には守りたい世界が出来た。姉さんとおじさんとラッタの他に、もう一つ」

 

 名前を呼ばれたと思ったのか、ラッタが歩み寄ってくる。その頭を撫でてやった。ラッタが気持ちよさそうに目を細める。

 

「僕は、その仲間を信じたい。痛みを背負う覚悟をしたんだ。彼らの事をもっと知りたい。知らなくちゃいけない」

 

「ならば、君のすべき事は決まっているじゃないか」

 

 サカガミがユウキへと答えが含まれた眼差しを送る。ユウキは深く頷いた。自分の心に従え、そう言っているのだ。

 

「姉さんとは会えない。会ったらきっと怒鳴りつけられる」

 

 おどけたようにそう言うとサカガミは微笑んだ。

 

「それが君の決断なら」

 

「僕は、旅立つ。おじさん、姉さんを頼みます」

 

 かしこまって口にした言葉にサカガミは首を横に振った。

 

「今生の別れじゃない。いつかは会えるかもしれない」

 

 希望の言葉だったがユウキはもう会う事はないと直感的に分かっていた。自分はこれから社会の闇の部分に生きる人間となる。闇が光と同時存在する事は出来ない。

 

「そうだね」とユウキは笑った。その笑みはうまく繕えているかどうか自分でも不安だった。この世界に希望があるというのならば、いずれ巡り会える時が来るかもしれない。しかし、ユウキは自ら道を外れようとしている。転がり始めた石は止まらないだろう。

 

「そろそろ行くよ。コーヒー、ありがとう」

 

 ユウキが立ち上がった。サカガミも立ち上がり、ユウキを玄関まで送り届ける。ラッタがサカガミの足元で寂しそうに髭を垂らした。主人が行ってしまう事を本能的に感知しているのだろう。自分が捕まえた最初のポケモンは、思った以上にトレーナーである自分を理解してくれているのかもしれない。モンスターボールの呪縛などなしに心が通じ合えている。きっと、人間もポケモンも同じなのだ。特別な繋がりの証明がなくても、どこかで通じ合える、分かり合える。

 

「ユウキ君。三日前と同じ言葉を、今も言わせてくれ」

 

 顔を上げてサカガミを見やる。今度こそ、本当にさよならなのだ。それでもサカガミの表情には暗いものはなかった。誇らしげな笑みを浮かべている。旅路に向かう若人を祝福する笑顔だった。ユウキはこみ上げてきそうな感情をぐっと押し留める。

 

「行ってらっしゃい」

 

 目頭が熱くなる。ユウキは少しだけ顔を伏せて応じる声を出した。

 

「行ってきます」

 

 三日前と同じだ。しかし重みが違う。あの時ももう帰ってくるつもりはなかった。しかし、少しは希望的観測を残していたのだ。今は違う。もう戻れない。戻れない場所まで来てしまった。

 

 ユウキは身を翻した。玄関を開け、夏の風が吹き抜けるのを感じる。まだ見えぬ明日へと向かう一歩をユウキは踏み出した。扉が背後で音もなく閉まった。

 

 



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第五章 二節「希望の在り処」

 F地区へと向かうと既にユウキの顔は浮浪者の間で知れ渡っているのか、「よう、新入り」と声をかけてくるぼろを纏った浮浪者が多かった。

 

「今日はランポと一緒じゃないんだな」

 

「多分、もうここでは会わないと思います」

 

 そう告げると浮浪者は目を丸くしていたが、やがて察したように、「ああ」と頷いた。

 

「本土へとお呼びがかかったか」

 

「そんなところです」

 

 浮浪者はしばらく考え込むように顎に手を添えてユウキの顔を覗き込んだ。ユウキが気圧されるように後ずさっていると、浮浪者は骨ばった手でユウキの肩を叩いた。

 

「頑張れよ。お前らは俺達の希望なんだ」

 

「希望、ですか」

 

 浮浪者の口から出た思わぬ言葉にユウキは戸惑う。浮浪者は薄くなった頭を掻いた。

 

「そうさ。ランポがいてくれなきゃ、俺はとっくに野垂れ死にしていたさ。そんなお前達が本土へ行くんだろ。そりゃ、応援したくなるってもんよ」

 

 浮浪者の話を聞きながらユウキはふと口にした。

 

「不安には、ならないんですか?」

 

 浮浪者が目を向ける。やはり聞かなければよかったと後悔が胸を過ぎったのも一瞬、浮浪者は笑った。

 

「いつまでもランポにおんぶに抱っこってわけにはいかないからな。俺達も自分の足で踏み出さねぇと。もういっぺん、F地区を昔の活気に取り戻すくらいの気概がねぇとな」

 

 浮浪者の言葉にユウキは面食らったように呆然としていたが、やがて頷いた。この人達も前に進もうとしている。ただ屈するだけの未来ではない。カイヘンは終わっているものだとずっと思っていた。しかし、このような掃き溜めのような場所にも光はある。一縷の光にすがり付こうとする意思は残っている。意思の光があるのなら人生の迷宮はきっと抜け出せる。

 

「じゃあな。健闘を期待しているぜ」

 

 浮浪者が片手を上げて去っていく。ユウキもそれに応ずるように片手を上げた。

 

 F地区を奥へと進み、「BARコウエツ」へと踏み込んだ。扉を開けると涼やかな鈴の音が響き、その場にいた人々の視線が向けられた。ランポが定位置でカクテルを飲んでいる。テクワとマキシはテーブル席に座り、ミツヤとエドガーはその隣のテーブルについている。一人だけ脚を組んでふんぞり返っているのはレナだ。誰にも属さないとでも言うように離れたテーブル席に座っていた。店主がグラスを磨いている。

 

 ランポが、「揃ったな」と声を発した。ユウキはテクワとマキシの座るテーブル席へと歩み寄り、椅子を引いた。

 

「俺達はこれからコウエツシティを離れる。本土行きの便は午後五時ちょうど発だ。これを逃せば十日はない。準備は万全か?」

 

 エドガーとミツヤは軽装だった。テクワとマキシもほとんど着の身着のままだ。レナだけが大きなピンク色のキャリーケースを持っていた。ユウキもバックに入れた道具を確認し、頷く。ランポが全員を見渡してから、「よし」と立ち上がった。

 

「目的地はカイヘン地方本土の首都、ハリマシティだ。渡ったらすぐにレナを引き渡す算段となっている。俺達はそれまでにレナの護衛の任務を命ぜられた。いいか? 今までの任務とはわけが違う。これは俺達の命を賭けてでも果たさなければならない任務だ」

 

「レナちゃんにそれほどの価値があるとは思えないけどね」

 

 ミツヤの発した言葉にレナが、「何ですって?」と睨む目を寄越す。ミツヤがわざとらしく肩を竦めた。

 

「全員、チケットは持っているな?」

 

 ランポが懐から本土行きのフェリーのチケットを取り出す。ユウキはバックに入れておいたチケットを確認した。テクワが取り出す。くしゃくしゃになっており、今からそんな乱暴に扱ってどうする、とユウキは思ったが黙っておいた。

 

「既にウィルの実働部隊が動き出している可能性が高い。戦闘状態になる可能性も視野に入れろ。これからコウエツシティ南エリアへと向かう。その前に」

 

 ランポはそこで言葉を切り、身を翻した。グラスを磨いていた店主へと顔を向ける。エドガーとミツヤが立ち上がった。テクワとマキシもそれに倣い、ユウキも立った。レナだけが座ったままだった。

 

 店主は全員を見つめて全てを悟ったような目をしている。もうここに戻る事はない。それは店主との別れを意味していた。

 

「マスター。色々と世話になった。一言では言い尽くせないほど、俺達はマスターに支えられてきた。仁義を通させてくれ。ありがとう」

 

 ランポが頭を下げる。ユウキ達も同じように頭を下げた。店主は、「顔を、上げてください」と温和な声で言った。

 

「私とてあなた方に教えられた事は多い。若い力は素晴らしいんだ。これからもその輝きを忘れないでください」

 

 ランポは顔を上げた。店主と一番付き合いが長いのはランポなのだろう。店主の顔をしばらく見つめた後、「俺にとってマスターは誇りだ」と口にした。

 

「もし、コウエツシティに行く奴らを見かけたら、このバーを紹介する。いいマスターが、うまいカクテルを入れてくれる店だと言える」

 

「それは、嬉しい事を言ってくれますね」

 

 店主は歯を見せて笑った。犬歯の金歯が輝く。

 

「マスター。さよならだ」

 

「いつかまた、カクテルを飲みに来てください。いつでもランポさんのグラスは開けておきますから」

 

 ランポは一瞬だけ顔を伏せた。涙を見せたくなかったのかもしれない。ランポは次の瞬間には、涙の痕など思わせないようなリーダーの声を張り上げた。

 

「行くぞ。タクシーで南エリアまで向かう」

 

 ランポは歩み出した。それにつられるように、全員が後に続く。

 

「ユウキ君」と呼びかける声に気づき、ユウキは足を止めた。店主がユウキを手招いていた。ユウキは歩み寄って尋ねる。

 

「どうかしましたか?」

 

「ランポさんの事、よろしく頼みます」

 

「それならエドガーやミツヤに頼んだほうが――」

 

「いいえ。ランポさんを変えたのは、他でもないあなたですから。ユウキ君に言っておくのが筋だと思ったのです」

 

 ユウキは首を傾げた。自分がランポを変えたというのは俄かには信じられなかった。

 

「僕は、大した事なんてしていない。ただ自分の心に従っただけです」

 

「それが重要なんですよ。心に従う事は誰の胸にもある。それを実行するのは難しい。ユウキ君はランポさんにその決意をさせた。背中を押したんです。もっと誇りに思っていい」

 

 店主は微笑んだ。その言葉はユウキにとっては実感のないものだった。自分さえ迷いの中にあるというのに他人を変える事など出来たのだろうか。レナがキャリーケースを引きずって扉をくぐる。そろそろ行かなければ乗り遅れてしまう。

 

「僕も、そろそろ行かなくちゃ」

 

「ええ。最後にもう一つ」

 

 店主がユウキを真っ直ぐに見つめる。その眼差しでユウキは、聞かなければならないと駆け出しかけた足を止めた。店主は静かに言葉を紡いだ。

 

「ランポさんはあなたを信じている。それだけは忘れないでください」

 

 ユウキはその言葉に頷きを返した。店主が笑いながら、「行くといい」と口にする。

 

「きっと、あなた方ならば大丈夫だ」

 

 ユウキは身を翻した。穏やかなジャズの調べが背中に纏いつこうとする。ここが帰ってくる場所だと思っていた。しかし、もう帰れないのだ。そう思うとジャズの調べが語りかけてくるような気がする。ユウキは振り払うように扉をくぐった。涼やかな鈴の音がユウキ達を送り出した。

 

 F地区を抜けるまでの間、浮浪者に一人として会わなかった。どうしてなのか、と思っていると、エドガーが、「気を遣ってくれているんだな」と呟いた。

 

「どういう事ですか?」

 

「みんな、本能的に分かっているのさ。俺達が行っちまう事を。F地区はまた荒れるかもしれない。ひょっとしたらウィルの規制が厳しくなるかもしれない」

 

「そんな……、じゃあ、僕達が出て行かないほうが――」

 

「だからこそ、みんなは黙って送り出そうとしてくれているんだ。あいつらの気持ちを汲んでやれ」

 

 遮って放たれた声にユウキは何も言えなかった。エドガーもF地区の住人とは長いはずだ。胸を寂しさが過ぎる事もあるだろう。それを押し隠しているのだからエドガーは強いと思った。

 

「僕は、まだまだだな」

 

 ユウキは呟く。「何がだ?」とエドガーが尋ねた。

 

「ようやく馴染んできたから、離れたくないと思っている。勝手ですよね。最初はF地区を毛嫌いしていたのに」

 

「人間なんてそんなものだ。最悪の場所だと思っていたら、そこは自分を受け入れてくれる唯一の場所で、それに気づいた時にはもう遅いなんて事は往々にしてある。重要なのは送り出してくれる奴らの気持ちに気づけるかどうかだ」

 

「そう、ですよね」

 

「何だ? えらく哲学的じゃないの、旦那」

 

 前を歩くミツヤが茶化してくる。エドガーは、「うるさい」と低い声で言った。ミツヤが笑う。

 

 F地区の象徴たる鳥居に辿り着くと予め用意していたのか、ちょうどタクシーが三台停まった。

 

「エドガーとミツヤは真ん中のタクシーに同乗してレナを警護しろ。俺とユウキは前を、テクワとマキシは後ろに乗る」

 

 その言葉にレナが声を上げた。

 

「嫌よ。男二人と一緒なんて」

 

「つべこべ言うな。三人程度ならば余裕を持って乗れる」

 

 エドガーの声に、「そういう問題じゃないの」とレナはキャリーケースを示した。

 

「この荷物、指一本でも触ったら殺すからね」

 

「なら自分で持つんだな。俺達は前と後ろに分かれるぞ、ミツヤ」

 

「はいよ、旦那」とミツヤが応じてタクシーに乗り込む。

 

「ちょっと! 無視してんじゃないわよ!」とレナが怒りの声を発して、後部座席へと乗り込む。それを確認してから、テクワとマキシが後ろのタクシーに乗り込んだ。ランポに目配せされ、「行くぞ」と告げられたユウキは前のタクシーに乗ろうとして、「おぅい」という声を聞いた。

 

 振り向くと、鳥居の下でF地区の浮浪者達が集まっていた。皆、一様に汚い身なりだが、ユウキ達を見つめる眼差しは真っ直ぐなものだった。その中の一人が代表して歩み寄ってくる。先ほどユウキと話をした浮浪者だった。

 

「ランポ。ささやかだが、餞別だ、受け取ってくれ」

 

 浮浪者はランポに封筒を手渡した。その封筒には金が入っているのだと知れた。

 

「こんなに? みんなから受け取るわけにはいかない」

 

 突き返そうとしたランポの手を浮浪者が握って制した。

 

「俺達の思いだ。遠慮しないでくれ」

 

「だが、今日の暮らしも辛いのに」

 

「俺達はな、自業自得なんだよ。闇の先にある光を見ようとしなかった。絶望ばかりに目を向けて、僅かな光からは視線を逸らし続けた。今の俺達の現状はそのつけだ。こんな掃き溜めみたいな場所でお前みたいな光が生まれてくれたんだ。だったら、俺達だけでももうちょっと頑張れる。お前みたいな光を絶やしちゃいけねぇ。その光の手助けをしたいんだ」

 

 その言葉にランポは、「しかし」と言葉を返そうとして、無粋だと感じたのか口を閉ざした。浮浪者はユウキへと目を向けた。

 

「新入り。悪いがランポを頼む。こいつは無理をする奴だ。他人のためならどこまでも自分を犠牲に出来る。男の中の男だが、それが玉に瑕だ。支えてやってくれ」

 

 浮浪者の言葉にユウキは、「はい」と返事を返した。浮浪者は満足したように笑顔になった。

 

「ランポ。お前は俺達の希望。決して、途絶えるんじゃないぞ」

 

 ランポは封筒を受け取った手を握り締め、浮浪者を見据えた。

 

「約束しよう。俺は、俺達は決してお前達の意志を無駄にはしないと」

 

「俺達の事はたまに思い出してくれるだけでいい。前を向き続けろ、ランポ」

 

 こめかみを掻いて照れ笑いを浮かべながら、浮浪者は踵を返した。それと同じタイミングで、ランポは身を翻しタクシーへと向かう。

 

「行くぞ、ユウキ」

 

 その声には先ほどよりも強い意志が宿っているように思えた。ユウキはランポと共に後部座席に座った。「出してくれ」という言葉でタクシーが動き出す。ユウキはF地区の人々の送り出してくれる顔を見つめていた。布切れを振って別れを告げてくれる人々の姿をしっかりと網膜の裏に焼きつけ、ユウキは瞑目した。

 

 



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第五章 三節「マインドラビリンス」

 ランポは受け取った封筒に視線を落として、「俺は」と口を開く。

 

「少し弱くなったかもしれないな」

 

 それがどういう意味なのか、ユウキには問いかけるだけの言葉はなかった。しかし、ユウキにはランポが意志を引き継いでさらなる強さを受け止めたように見えていた。

 

「あなたは強いですよ」

 

「そうだな。強くあらねばならない。一瞬でも弱音を吐いてしまった。リーダー失格かな」

 

 フッと口元を綻ばせるランポへとユウキは語りかけた。

 

「ずっと強くあれる人なんていません。いたとすれば虚栄心か、プライドで凝り固まった人間でしょう。あなたは血肉の通った僕らのリーダーだ。弱さは見せてもいいと思います」

 

「血肉の通った、か。これから先に戦う相手は、そんな精神論の通用する相手ではないかもしれない」

 

 ランポが封筒を懐に入れながら呟く。ユウキは窓の外の景色を眺めながら聞いていた。

 

「ウィルはこれまで以上に本気になって攻めてくるだろう。俺達は心を殺して戦う必要に迫られるかもしれないな。そんな時、お前ならばどうする?」

 

 急に尋ねられてユウキはランポへと顔を振り向けた。ランポはユウキの眼を真っ直ぐに見返してくる。嘘や詭弁では誤魔化せない事は分かりきっていた。ユウキは俯きがちに言葉を発する。

 

「……分かりません。僕は、今日おじさんに別れを告げてきました。三日前にとっくに覚悟は出来たと思っていた。でも、家に帰ると不思議と落ち着いて。ああ、やっぱり帰る場所があったんだ、って思ったのと同時に、僕は帰る場所を捨て切れていないんだって事も分かりました」

 

「そうか」

 

「だから、心を殺す事は、多分僕には出来ない。覚悟だって揺らいでしまう僕には、心を殺してまで戦う事は出来ないかもしれない。そこまでの覚悟を自分に問いかけられるかは、分からないんです」

 

 正直な気持ちを吐き出したつもりだった。ランポは正面へと顔を戻して、「帰れる場所を心に持っておく事は大事な事だ」と言った。

 

「退路を持っておけ、という事じゃない。退路と帰れる場所は別だ。退路は臆病者達がすがり、帰れる場所は勇敢な者が手にする。帰れるという事は幸福な事なんだ。独りじゃない事の証明にもなる」

 

「ランポは、帰れる場所はどこなんですか?」

 

 言ってから失言だったか、と感じたが取り下げようとは思わなかった。ランポの心の原風景を知りたかったのもある。ランポは唇を引き結んでうなった。考え込んでいるらしい。ランポには珍しいな、とユウキは感じた。

 

「俺の帰れる場所か」

 

 ランポはしばらくフロントミラー越しの自分を睨んでいるようだった。運転手がその眼に気圧されたように視線を逸らす。

 

「仲間のいる場所、かな」

 

 ようやく搾り出した答えにランポはすぐさま片手を掲げた。「いや、待て」と額に手をやる。ランポにしては熟考の末に答えを出そうとしているように見えた。

 

「今のはナシだ」

 

 ランポの言葉にユウキは、「どうして?」と首を傾げた。ランポは視線を逸らしながら、「俺の弱さだ。見せるわけにはいかないだろう」と言った。その言葉に暫時ぽかんとしていたが、ユウキは吹き出した。

 

「笑わないでくれよ。自分でも恥ずかしい事を言ったのは分かっているんだ」

 

 ランポは額に手をやって前髪を掻き分けた。ユウキは笑いながら、「いや、いいと思いますよ」とフォローの声を発した。

 

「ランポでも、失言する事があるんですね」

 

「俺は人間だぞ。失言の一つや二つはあるさ」

 

 ようやくいつもの調子を取り戻したランポが目を向ける。ユウキは笑いながら、「マスターが」と口にした。

 

「ランポの事をよろしく頼むと僕に言ってくれました」

 

「そうか。マスターが」

 

 ランポは窓の外に視線を向けた。タクシーはコウエツシティの中心街を走り抜けている。背の高いビル群が威圧するように立ち並んでいる。コウエツグランドホテルが視界の片隅に映り、あれが全ての始まりだった、とユウキは思いを馳せた。テクワとマキシに会い、リヴァイヴ団へと正式に入団した。たとえ何度裏切られても、信じる事を心に決めた場所でもある。

 

「マスターとは、長いんですか?」

 

 ユウキは気になっていた事を訊いてみた。店主の眼にはただリヴァイヴ団の仲間を見るだけではない慈愛の色が浮かんでいたような気がしたからだ。

 

「ああ、育ての親だ」

 

 発せられた言葉の意味がユウキには一瞬分からなかった。暫時、固まってその意味を咀嚼する。ようやく脳内で意味が固まった時、ユウキは戸惑った。

 

「えっ。それって、どういう……」

 

「そのままの意味さ。F地区で俺は生まれ、両親がいたが捨てられた。両親はコウエツシティでは貿易業を営んでいたが、知っての通りカイヘンは鎖国に晒された。貿易業など意味がなくなったわけだ。育てる金もなかった俺の両親は俺をF地区に捨て、カントーへと渡った。もう随分と前の話だ」

 

 ユウキは踏み込んではならない領域に踏み込んだのだと知れた。ランポも触れられたくなかったのだろう。窓の外を眺めている。

 

「すいません。僕、余計な事を聞いてしまって」

 

「いい。俺はお前らの過去を全て知っているんだ。お互い様と考えればいい。俺は聞かれれば全て答える。それが信条だ」

 

 ランポの言葉にユウキは何を言うべきか迷った。これ以上ランポの過去に踏み込むべきではないと思う反面、ここまで聞いて何事もなかったかのように引き返すのも卑怯に思えた。

 

「ランポは、マスターとはいくつからの付き合いなんですか?」

 

 無神経だという事は承知している。しかし、ここで引き返すのは間違っているとユウキの中の何かが告げていた。

 

「十歳の時から父親によくあの店には連れて行ってもらっていた。マスターはあの時からほとんど変わっていない。その頃にはまだリヴァイヴ団なんてものはなかった。マスターも裏で危ない仕事はしているようだったが、どこかの組織に属している感じではなかった」

 

「それが変わったのは、やっぱり……」

 

 濁した語尾を断ち切るかのようにランポが告げた。

 

「そう。ヘキサ事件の後だ」

 

 憎悪の色も、怒りも何もないかのように放たれた言葉にユウキは硬直した。ヘキサの存在。八年前の事件。それが全てを変えてしまった。自分と同じようにランポの人生の転機だったのだ。

 

「俺は十五歳。トレーナーとしての資質を磨くためにトレーナーズスクールに通っていた。もうすぐ卒業、という段になっての出来事だった。あの事件でカイヘンの経済は崩壊した。当然、俺の両親は煽りを受けて首を吊る寸前まで追い込まれた。マスターは裏で行っていた事業が立ち行かなくなった。恐らくはロケット団に関係していた事業だったのだろうな。経済的打撃を受けたカイヘン、その玄関であったコウエツシティの貿易は封鎖。一番の活気があった地区は落ちぶれてF地区と呼ばれるようになった。全てが転がり落ちるように一瞬の出来事だった。俺はマスターに預けられるという名目で捨てられた。両親は俺を育てる金よりも、自分達の生活が第一だと判じたのだろう。俺はスクールを途中退学し、マスターの下で働き始めた。その途上でリヴァイヴ団の存在を知り、現在に至るというわけだ」

 

 ランポの語った壮絶な過去にユウキは言葉がなかった。無遠慮に踏み込んだ挙句に、何も言えないのでは本当に最悪だと感じた。ランポは窓の外に視線をやったまま、頬杖をついている。ユウキは顔を伏せて、次の言葉を胸の中に探ろうとした。それを見透かしたように、ランポが、「無理をしなくていい」と口にする。

 

「俺の過去は俺のものだ。誰かに痛みを背負わせるつもりはない。お前は今の話を聞き流す程度でいいんだ」

 

「……そんな事、出来ませんよ」

 

 ユウキは顔を上げてランポを見やった。窓に映ったランポは無表情だった。

 

「なら、僕がつけたブレイブヘキサって名前は、ランポにとっては……」

 

 そこから先の言葉は継げなかった。

 

 皮肉そのものではないか。

 

 ユウキは歯噛みする。何て無神経だったのだろう。ヘキサによって人生を狂わされた人が目の前にいるというのに。ランポだけではないのかもしれない。エドガーもミツヤも同じだろう。もしかしたらテクワとマキシもそうかもしれない。皆、痛みを背負っている。その傷口を広げるような真似をしてしまったのではないか。後悔が胸を過ぎりかけた時、ランポは口を開いた。

 

「俺は、お前がその名前をつけてくれてよかったと思っている」

 

 思ってもみない言葉にユウキは目を見開いた。ランポはユウキへと振り向いた。

 

「ヘキサによって傷つけられたカイヘンを勇気によって立ち直らせる。因縁を断つ、いい名前だ。俺達の代で終わらせよう。ヘキサとの因果は後に持ち越しちゃいけない」

 

 その言葉は痛みを知っているからこそ放たれたものなのだろう。ユウキは俯くしかなかった。そこまで考えていたわけではない。ただの希望的観測でつけた名前だ。自分にその勇気があるかなど分からない。

 

「僕には、そんな崇高な理念はないんです。ただ、そうありたいと願っただけで」

 

「そうありたいと願える事もまた、力だ。未来を描けている。それを誇りに思え。絶望を退けるのは、いつだって未来への展望だ」

 

 その未来は本当に明るい光の中にあるのか。ユウキには分からなかった。様々な人々との出会いの中にあって初めて未来を描く事が出来る。孤独では未来へ進めない。

 

「ブレイブヘキサには、それだけの力があるでしょうか?」

 

 口にした疑問にランポは前を向いて答えた。

 

「きっと、あるさ。今は見えなくても俺達が手を伸ばし続ける限り、未来はそこにあるんだ。諦めるのは全てが過ぎ去ってからでいい」

 

 ランポの言葉にユウキはサカガミと重なるものを感じた。希望の火を灯すのはいつだって痛みを負っている人々だ。彼らの痛みをそのまま痛みとして捉えてはならない。彼らは前を向いて歩こうとしているのだから。

 

「僕はリヴァイヴ団に入った事を、後悔はしていません」

 

「そうか」

 

「このチームで、ブレイブヘキサで僕は世界と戦いたい」

 

「簡単な事ではない。前にも言ったがお前の最終目的を支援はする。しかし、お前がミスをした時には見捨てる。それは大きなリヴァイヴ団という組織のためだ。逆に俺がミスをした時には感情など切り捨てて見捨てろ。それがチームのためであり、お前のためである」

 

 ランポはいつでも非情に物事を割り切っているように見える。しかし、その実は全員の痛みを身のうちに背負い込み、全てを双肩に担っている。

 

「僕は、あなたに背負わせているんでしょうか」

 

「そう思われたとしたら、俺はリーダー失格だな。いいリーダーはそんな余計な事を仲間に心配はさせないものだ」

 

「それでも、あなたはいい人だ」

 

 再確認するように放った言葉に、「よせよ」とランポが薄く笑う。ユウキも自然と笑みがこぼれていた。笑えるうちはまだ大丈夫だ。未来が輝きを持っている。ユウキは言葉を発した。

 

「あなたのチームでよかった」

 

「どうかな。俺達は今から死地に赴こうとしている。これまで以上に苛烈な戦いが待っているだろう。そんな場所に仲間を連れて行く結果になったのは、俺の弱さだな」

 

 ランポが窓の外へと視線を向ける。既にビルの森林を抜け、南エリアへと差し掛かっており、汽笛の音が遠く長く響いた。

 

「弱さなんかじゃないですよ」

 

 ユウキは口にしたが、ランポは首を横に振った。

 

「俺自身、他に方法がなかったかと悔いている。後悔は足を止める。前を見て歩くには不必要なものだ」

 

「……おじさんと、似たような事を言うんですね」

 

 サカガミの言葉と重なるものを感じ、ユウキは呟いていた。ランポが、「俺はそんなに年老いているかな」とおどける。

 

「いいえ、そういう意味じゃなくって」

 

「分かっているさ。元ロケット団のサカガミという男の事だろう」

 

「やっぱり、調べているんですね」

 

 ちらりと視線を向けるとランポは首肯した。

 

「仲間の事は知らねばならない。リーダーの務めだ。それがたまに自分でも嫌になるよ。誰かの人生を覗き見ているみたいで」

 

「ランポでもそんな事が?」

 

「あるさ。俺は人間だぞ」

 

 口元を綻ばせると、タクシーが停車した。「着きました」と運転手が言い、ランポが金を払う。ユウキはタクシーから出た。鼻をつく潮風が漂っている。南エリアに毎日のように来て釣り糸を垂らしていた日々が懐かしく思えた。あの頃は何者からも無縁でいられた。しかし、それは同時に無関心と怠惰の日々だったのだろう。人間は何者からも自由な立場など送れない。どこかに居場所を求める生き物なのだ。

 

 続いてエドガー達やテクワ達のタクシーがやってくる。ユウキは港に停泊しているフェリーを見やった。十日に一度しか本土行きを許されていない便だ。それでもまだいいほうで、カントーや他地方に行くには一ヵ月近く待たなくてはならない。フェリーは青と白で彩られており、ペリッパーのデザインがあしらわれている。

 

「まさかこう連日、船に乗るはめになるとはな」

 

 エドガーがユウキへと歩み寄って口にする。そういえばエドガーは船が苦手だったか。「酔い止めは」とユウキが尋ねると、エドガーはこめかみを掻いた。

 

「いや、そういうのは、その、なんだな……」

 

「旦那は薬も苦手ですもんねー」

 

 後ろから来たミツヤが茶化す声を出した。エドガーが一睨みするとミツヤはひょいと軽く身をかわした。レナがキャリーケースを引きずりながら、「ねぇ」とランポに声をかける。ランポはちょうど全員分の清算を終えたところだった。

 

「何だ?」

 

「当然、あたしは個室でしょうね?」

 

「いや、護衛の関係上同室になってもらう」

 

「嫌よ、そんなの」

 

 レナが声を上げる。ランポは、「何が不満だ?」と言葉を返した。

 

「男共と一緒ってのがよ。何かあったらどうするの?」

 

「何かって何だよ。俺達は紳士だぜ、レナちゃん」

 

 ミツヤの声を無視してレナが信じられないとでも言うように髪をかき上げた。

 

「ああ、もう。あなた達にそういうのを期待したのが間違いだったわ」

 

「期待に添えなかった事は謝ろう。しかし、俺達は君の身の安全を第一に考えて行動している。それだけは分かってくれ」

 

 ランポの言葉にレナはそれ以上抗弁を口にしようとはしなかった。ユウキが歩み寄り、「レナさん」と声をかける。レナが不機嫌そうに振り向いた。

 

「何よ」

 

「ランポも大変なんです。分かってあげてください」

 

「分かっているわよ、子供じゃないんだから。っていうか、あんたに説教されるいわれはないし」

 

 手を振り翳してユウキを追い払おうとする。ユウキは仕方なく身を引いた。ランポが声を張り上げる。

 

「いいか? 俺達はレナの護衛を最優先とする。それを阻む者、たとえウィルの戦闘員だろうと他の勢力だろうと全てを敵と断じろ。それだけリヴァイヴ団が期待しているものは大きいと思え」

 

 その言葉にレナ以外の全員が頷いた。守られる側のレナだけはため息をついてどこか不機嫌そうだ。ランポはフェリーへと歩み出した。全員がその背中に続く。キャリーケースを引きずるごろごろという音が後ろから聞こえてきた。レナを保護するために最後尾にはマキシとテクワがついている。二人は常に緊張の糸を張り巡らせていた。後衛には適任だろう。

 

 タラップの前でランポがチケットを係員に見せる。係員は、「よい船旅を」と形式上の返事を寄越した。ランポが、「ああ」と返す。

 

 フェリーの内部構造は簡素なものだった。廊下が囲んでおり、船室がある。二階層程度の区分けがなされている。ユウキ達はチケットの船室番号を確認した。一階層降りたところがどうやら船室のようだ。

 

 大人数で廊下を歩く様は家族かツアー旅行客に見えただろう。子供達が廊下を走っていく。ユウキは床下から振動が伝わってくるのを靴の裏で感じた。どうやらこの下は動力室のようである。

 

「古いタイプの動力室ですね。それに床が薄い。振動がもろに伝わってくる」

 

「カイヘンの財政は火の車だ。本土とコウエツを結ぶフェリー程度に金は割けないのだろう」

 

 エドガーの答えに、なるほどとユウキは納得した。今までフェリーにまともに乗った経験などないために少し浮き足立っているのが自分でも分かる。

 

 板張りの廊下を踏みしめて、船室の前に行ったところでランポが部屋割りを決めた。

 

「俺とユウキ、エドガーとミツヤはレナと角部屋だ。テクワとマキシは真ん中になるが、いいか?」

 

「ちょっと! 勝手に決めないでよ!」

 

 レナの声にランポは眉根を寄せた。

 

「ではどうしろと?」

 

「あたしに決める権利をちょうだい」

 

 胸元に手をやりながらレナが言う。ランポは首を横に振った。

 

「承服出来ない。俺達の任務は君の保護だ。わがままに付き合えという意味ではない。聡明な君ならば分かるだろう」

 

「馬鹿でもその程度は分かるわ」

 

 ランポのおべっかをレナは気にせずに言葉を継ぐ。

 

「あたしは何も一人にしてくれって言っているわけじゃない。ただ、タクシーの中でも一緒だった人達とまた一緒なのが気に入らないだけよ」

 

 レナがエドガーへと視線を向ける。エドガーは腕を組んで顔を背けた。タクシーの中で何かあったのかもしれない。ミツヤがへらへらと笑いながら、「レナちゃん。俺らじゃ不安なわけ?」と尋ねる。

 

「不安って言うか嫌なだけ」と切り捨てる口調で放たれてミツヤは肩を落とした。

 

「分かった。じゃあ、誰ならば護衛されたい? 君の意見を聞こう」

 

「そうね。ランポ、あなたと――」

 

 レナが値踏みをするかのように指差して視線を移す。テクワへと移りかけて、ユウキへと指を戻した。

 

「あなたね。一番まともそうだわ」

 

 指されなかったメンバーが肩を竦める。ユウキは、「僕、ですか」と口にする。

 

「ええ。無害そう」

 

 自分が有害か無害かの判断はつけかねたが、ランポへと確認の視線を寄越した。それでいいのか、という意味を含んだ視線にランポが首肯する。

 

「いいだろう。俺とユウキでフェリー内では護衛する」

 

「本当にいいのか、ランポ」

 

 エドガーの心配する声に、「妥当な判断と言えばそうだ」と返した。

 

「お前のポケモンではフェリーの床を踏み抜いてしまうかもしれないからな。必然的にミツヤだけに任せる事になりかねない。俺とユウキならば狭い場所での立ち回りも出来る。そういう点ではマキシも適任だが……」

 

 マキシへとランポが目を向けると、口数の少ないマキシが言葉を発した。

 

「俺はテクワとのコンビネーションが一番慣れてる。単体での戦力には期待しないでくれ」

 

 その言葉にテクワがマキシの肩を抱いて引き寄せる。

 

「そういうこった。悪いな、リーダー。今回俺達はバックアップってわけ」

 

 レナがその様子を見て怪訝そうに眉をひそめる。低く小さな声だが、「気持ち悪いわね」と言ったのがユウキには聞こえた。

 

 ランポが息をついて、「じゃあ振り分けだ」と口にする。

 

「部屋割りはさっき言った通りでいいな。エドガー。船酔いするなよ。ミツヤ、エドガーを頼む」

 

 ランポの声にエドガーが片手を上げて応じ、ミツヤが敬礼をして笑った。

 

「テクワとマキシは真ん中の部屋で敵の警戒を頼む。交代ならば外に出ても構わない」

 

「はいよ」とテクワが応じる声を出して船室に入る。その後にマキシが続く。

 

「ユウキ、レナ。俺達はこの部屋だ。三人では少し窮屈かもしれないが、我慢しろ」

 

 ユウキは別に構わなかったが、問題なのはレナだ。大きなキャリーケースを引きずって部屋へと入っていく。その背中を見送ってから、「やれやれだな」とランポが口にした。ユウキが、「疲れますか?」と尋ねる。

 

「ないといえば嘘になるな。本土に着くまでの護衛任務なんだ。我慢はするさ」

 

 ランポが船室に入り、ユウキが続いた。船室はリヴァイヴ団が便宜を図ってくれたようで特等船室だった。丸い窓が二つ開いており、二段ベッドがある。四人程度ならば充分な広さを誇っているだろう。三人なので少し持て余した気分になった。

 

「上はもっと広いらしい。カントーの資金源だな」

 

 ランポが口にする。先ほどタクシーの中で聞いた過去に照らすと、その一言にすら苦渋が混じっているように感じられた。

 

「閣僚とかお偉いさんが上を占領するのよ」

 

 レナがそう言ってキャリーケースを倒した。ユウキが尋ねる。

 

「上の船室に乗った経験が?」

 

「あるわよ。一応、VIP待遇だったからね。研究者って事で」

 

「じゃあ、本土に行った事もあるんですか?」

 

「そうね」とレナは人差し指で唇を押し上げながら考え込んだ。片手で器用にキャリーケースを開ける。

 

「あたしは元々ジョウトの生まれだからね。カイヘン本土に関しては地図上でしか知らない事も多いわ。一度だけタリハシティを訪れた事があるけど、本当に小さい時よ」

 

 タリハシティにはリニアラインも繋がっていたのでカントー、ジョウト間での行き来も盛んであった。今はカイヘンにリニアラインは通っていない。イッシュ資本の空輸産業が海上に空港を建設する計画も持ち上がったが、今のところ頓挫している。カイヘンはほとんど外界との接触を絶っているようなものだ。

 

「ジョウトですか。それにしては訛りがないですね」

 

「父がカントーの人だったからね。母は小さい頃に亡くなったし、仕事柄飛び回っていたから当然といえば当然かな」

 

 ユウキは聞いてはいけない事を聞いたのではないかと口元を押さえた。その様子に気づいたレナが、「心配はいらない」と強い口調で言った。

 

「あたしはその程度で凹むほどナーバスじゃない」

 

 レナがキャリーケースの中の小物や着替えを整理する。その中に下着を見つけて、ユウキは覚えず視線を逸らした。レナが口元を緩めて、「初心ねぇ」と言った。

 

「別に下着程度見られたってどうという事はないわ。あなた達を男として見ていないからね」

 

 何かしら心外な言葉のような気がしたが、ユウキは黙っていた。ランポが口を開く。

 

「レナ。君のポケモン、ビークインだったな」

 

 その言葉にレナが振り返り、「そうだけど」と応ずる。長い黒髪が肩にかかった。

 

「ステータスを知りたい。ポケッチは」

 

「もちろん、持っている」

 

 レナがポケッチを突き出すと、ランポもポケッチを差し出した。赤外線通信が行われ、ランポは自分のポケッチ上で確認した。

 

「なるほど。育てられてはいるようだな」

 

「研究者だからって馬鹿にしないで。あたしもポケモントレーナーの端くれよ」

 

「これで一つ、懸念事項が減った」

 

「何か問題でもあった?」

 

 ランポは船室の扉にもたれかかり、「もしも」と口にする。

 

「君が襲われた場合、ポケモンで守るにも戦略というものがある。君は戦略を自分で組めるはずだ。ビークインは使い慣れているのだろう」

 

「そうね。少なくとも他人任せにするよりかは信頼出来るかしら」

 

「俺達の負担が減る。喜ばしい事だ」

 

 ランポは自分に言っているのだと知れた。テッカニンとドクロッグだけでは対処しきれない事態に至った場合までランポは考えを巡らせている。さすがだ、と思うと同時にそのような事態にならなければいいが、とユウキは表情を翳らせた。

 

「大丈夫だ」とランポが明るい声を出す。

 

「俺達全員を一気に戦闘不能にするほどの実力者でなければ最悪の事態には至らない。船室を分けたのはそのためでもある。チームを小分けにすればリスクを分散出来る。全滅、というのはありえない」

 

 ランポの言葉にユウキは少なからず安堵する部分もあったが、本当にそのような実力者が現れない保障などあるのだろうかと考えた。現に自分は前回、三人ともを過去に引きずり込むウィルの戦闘員と戦った。ウィルがどのようば策を講じてくるか分からない以上、油断は出来ない。

 

「そうですね。そうであれば……」

 

 胸に過ぎる不安の種を自覚しながらも、ユウキは努めて平静を装った。レナは二段ベッドへと向かっている。

 

「あたしは寝るわ。書き出し作業でまともに寝てないし。それくらいの休憩はもらえるわよね?」

 

「ああ、当然だ。俺達が責任を持って君を守ろう」

 

「期待しないで聞いておくわ」

 

 レナが二段ベッドへと上がると、上から何かが投げ捨てられた。ユウキの頭にそれが引っかかる。レナの着ていた衣服だった。レナは二段ベッドの上で寝巻きに着替えようとしていた。ユウキが身体ごと回転し、背中を向ける。

 

「姉さんでも、これほどはずぼらじゃなかったな……」

 

 呟くと、扉にもたれていたランポが苦笑した。ユウキが顔を上げ、「笑い事じゃないですよ」と言った。

 

「いや、傍から見る分には面白い。女ってのは分からないな」

 

 ランポの言葉に、「本当に」と返そうとするとスカートが飛んできた。ユウキは首を引っ込めながら、「……迷宮ですね」と呟いた。ランポは薄く微笑んだ。

 



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AGGRESSORⅡ

 彼はオオタキの死に最も近かったとして事情聴取を受けた。彼は必死に話した。オオタキは何者かの操るポケモンに殺されたのだと。しかし、誰も聞き入れなかった。

 

 突発的な自殺。そう結論付けられた彼はオオタキの死の直前の出来事を反芻する。

 

 ――あれは、何だったのだ。

 

 青白い影。あれがオオタキを死へと誘ったように思えた。彼はその日から仕事も手につかなくなった。

 

 オオタキの死の真相を解き明かす。それが何よりの供養だと考えたのだ。彼は会社を辞め、タマムシ大学へと戻り、オオタキを殺したポケモンを探った。彼の業績を認めていた教授は、彼に特別な研究施設と費用を与えた。

 

 何者か、を求める彼の研究は傍から見れば異様にも映った。手を伸ばしても何もない闇を掻くだけかもしれない。そのような不安が毎夜襲い、オオタキが何度夢枕に立って、「もういい」と告げたか分からない。

 

 自分はひょっとすると、オオタキの死を侮辱しているのではないかと思う時もあった。それは何よりも許されない罪悪だろう。彼は苦しんだ。研究は遅々として進まず、いつまでも放逐しておくわけにもいかない教授は彼に、「一年だ」と制限を設けた。

 

「残り一年で解決出来ない問題ならば諦めなさい」

 

 その宣告は彼の耳には絶望的に聞こえた。カントーではこれ以上研究を先延ばしにする事は出来ない。オオタキの言う通り、もういいのかもしれない。過ぎた事だ。自分の背負う事ではない。彼には当時付き合っていた女性がいたが、研究に走る彼に愛想を尽かし出て行ってしまった。最早彼にはオオタキの死の研究だけが生きがいだった。それは歪なあり方だ。他人の死を理由に自分の生を正当化する。間違っていると、誰もが口にした。

 

「もっと楽に生きろよ」

 

「他の生き方もあるだろう」

 

「いつまでも縛られるな」

 

 それらの言葉の多くは救済だったが、彼を心の闇の淵から本当に救い出してくれる言葉ではなかった。

 

 彼はポケモンの技の研究に的を絞った。オオタキを襲ったのは間違いなく、オオタキの話の中にあった謎のポケモンだ。彼は今研究機関に上がっているポケモン図鑑のデータとトレーナーの記録から種類と技を洗い出そうとしたが、オオタキの言にあった、「ガムのような手足」のポケモンなどいなかった。さらに言えば、変身するポケモン、という言葉がネックとなった。

 

 進化ではない、という確信は彼の中にはあった。短時間で進化するポケモンはいる。しかし、それらはどれも弱い個体である。高高度からの落下に耐えうるポケモンではない。オオタキの言葉を思い出す。

 

 ――そのポケモンは何かを守っていた。

 

 守っていたとすればそれは何か。彼はその保護されていた対象がトレーナーではないかという推論に至った。もちろん、教授は暴論であると棄却した。

 

「トレーナーを保護するという精神的支配下にあったとしても、君の言う落下に耐えられて、なおかつ自分で判断するポケモンなど聞いた事がない。加えて変身だと? そのような例はないよ」

 

 やはりか、と彼は歯噛みすると同時にある推論に達する。それはまだ発見されていない、あるいは発見されていたとしても個体数が極端に少ないポケモンであるという事だ。そうでなければ、変身のメカニズムを解き明かすには至らない。落下に耐えうる強度を持つポケモンの資料を漁ったが、どれも現実味を帯びたものではなかった。強度なポケモンはまずそれほどの高度を飛行する必要がない。鋼タイプに絞ったとしても、オオタキの言葉の中にあった流星のような、という印象には程遠い。タイプからの絞り込みを、彼は半ばで断念した。ポケモンは数が多い。その上、未発見の種類も増えていく。その度に新しい資料に目を通していては人生が何回あっても足りないと感じたのだ。

 

 彼は技からのアプローチに入った。しかし、すぐにそれも諦めざるを得なくなる。オオタキの証言の中に技に関する言及は少なかった。あったとすれば、オオタキを死に至らしめた技だ。あの場にポケモンはいなかった。だとすれば、何らかの条件付きで技が発現するようになっていたのだろう。オオタキだけ傷を負わされなかったのもそれで説明がつく。オオタキにも既に技が放たれていたがオオタキが気づかなかっただけなのだ。

 

 ――恐らく、鍵はあの話だ。

 

 彼はそう感じた。降ってきたポケモンとトレーナーに関する話。それが鍵だったのだろう。

 

 しかし、オオタキは今までもその話をしたと言っていた。ならば何故、オオタキはあの場で死んだのか。全ては予定された未来の中にあったのか。彼はオオタキの記憶の中の深部にこそ、その鍵があるのだと確信した。オオタキが今まで話していたのは話の表層だった。酔いが回って、話の深部に踏み込んだ。よってオオタキはかねてよりかけられていた技によって殺された。そう考えるのが妥当に思えた。

 

 どの部分か。彼はオオタキとの会話を書き出し、特に印象に残った部分を抜粋した。謎のポケモンについての話、青白い流星、そのポケモンの守っていたもの、変身、ガムのような手足を有するという形状――。

 

 彼は変身にこだわった。そのポケモンを特定する重要な因子だと感じたのだ。変身、ではないが、形状を変化させるポケモンの例はあった。

 

 それこそがフォルムチェンジだ。比較的近年になって多くの個体に見られるようになった現象である。中にはタイプまで変わってしまうポケモンもいるそうだ。彼はその中でも、人型に近いポケモンを探した。しかし、記録にはそのようなポケモンは存在しない。彼はそこで野生個体には見られないのではないか、と考えた。野生ではないポケモン、たとえば人工的に造られたポケモンならばどうだ。彼はオオタキの言っていた宇宙空間でテロがあったという話を思い出した。大規模なテロといえば五年前だ。資料を引っ張り出して、彼は確認する。

 

 見つけたのはリヴァイヴローズと呼ばれる低軌道宇宙ステーションの爆破テロだった。リヴァイヴローズでは宇宙空間でしか見られないポケモンの生態を研究していたらしい。

 

 もし、その中に新種かあるいは突然変異のポケモンがいたとすれば。

 

 彼はリヴァイヴローズの研究データに的を絞った。リヴァイヴローズの資本を出していたのはホウエンだ。宇宙開発が盛んなホウエンへと彼は視察を兼ねて向かった。そこで彼は驚愕の事実を知る。リヴァイヴローズ計画の責任者は既に解雇されており、その男は二年前に変死したという。彼はその責任者の後任を探したが、リヴァイヴローズ計画に関わる資料はほとんど削除されていた。研究データを持っているはずの研究者達は同じように死んでいるか、あるいは他地方へと渡っていた。

 

 相次ぐ変死、リヴァイヴローズという糸口は潰えたかに思えた。しかし、彼はそこである地方の噂話を思い出す事になる。カイヘン地方で幅を利かせるウィルに対抗する組織、リヴァイヴ団。リヴァイヴローズとの因果関係は立証できなかったが、彼には何かしら感じるところがあった。オオタキが件のポケモンを見たのもカイヘン地方だ。

 

 カイヘンに何かがある。彼はその確信を胸にタマムシ大学を後にした。教授は彼を金食い虫のように思っていたのでその考えにはすぐに同意した。カイヘンで彼が目をつけたのはリヴァイヴ団だったが、この組織は掘り返せば掘り返すほどに底が見えない。団員は何人なのか、どうやって入団するのか、そもそも活動資金はどこから来ているのか、活動目的は何なのか――。

 

 リヴァイヴ団の内側からそれを探るのは危険に思えた。彼らはボスを恐れている。しかし、そのボスは一度として表舞台に出た事はない。不文律の掟だけが、彼らの中で確かな恐怖として屹立している。

 

 ――ボスには手を出すな。

 

 その掟がならず者の集団である彼らを纏め上げている。決して探ってはならないボスの正体。彼は推測する。もしかしたらボスの持つポケモンこそが、オオタキの見たポケモンではないのか。カイヘンであるという事、決して姿を現さないボスとそのポケモン。しかし実力は知れ渡っているという事実達が告げているのだ。

 

 ――オオタキは見てはならないリヴァイヴ団のボスのルーツを見、そして殺されたのだ。

 

 彼の中で憶測が確信めいた色を灯した。リヴァイヴ団を探ろうにも内側からでは危険が伴う。ならば、と彼が選んだ場所はウィルだった。リヴァイヴ団の動向に目を光らせるウィルならば、もしかしたらリヴァイヴ団の本当の目的に辿り着けるかもしれない。ボスの正体を暴けるかもしれない。

 

 彼はウィルに入る事を決意する。タマムシ大学出身という箔がここに来て役に立った。ウィルの構成員として潜り込んだ彼は前線に出る事の多い戦闘構成員に志願した。

 

「命を捨てるつもりか?」と同期で入ってきた人間には言われたが、前に出なければリヴァイヴ団の尻尾は掴めない。オオタキの未練は晴らせないのだ。彼は一年に及ぶ研鑽の日々の末に、戦闘員の隊長格にまで上り詰めた。

 

 他人は出世株だと囃し立てるが彼の意識はそこにはない。より高い地位に就き、より高度な情報を得る。ただそれだけだった。彼はオオタキの死に繋がりそうな情報、つまりリヴァイヴ団のボスに繋がるであろう情報を掻き集めた。

 

 その結果、R2ラボと呼ばれる場所が発見された。遺伝子研究を表向き行っているとされているがリヴァイヴ団寄りの研究所らしい。当然、ボスのポケモンのメンテナンスも行われているはずだ。彼は即座に草を放った。しかし、放った戦闘員は帰らずじまいで、残りの構成員も何も掴めなかった。彼は苛立った。もう喉元まで来ていたのに、それを逃すとは。何たる失態かと彼は自分を責めたくなったが、そんな事をしても仕方がないことは分かっていた。そんな時だ。目的を失いかけた彼へと情報が舞い込んできた。

 

 ――件の研究所を束ねていたカシワギ博士の娘がリヴァイヴ団に保護された。

 

 彼はその一報に腰を浮かせた。地下組織が研究者の娘を保護してリスクを増やす意味は一つしかない。

 

 その娘こそが鍵なのだ。

 

 彼は散らばった資料を束ね、カシワギ博士の娘の事を調べ上げた。当然、保護したというリヴァイヴ団のチームについても。そのチームはつい最近コウエツシティのカジノの裏を暴いたチームだった。着々と勢力を伸ばしているチームであり、ウィルの中でも監査対象に入っていた。

 

 そのチームの名は、ブレイブヘキサ。

 

 彼は考えを巡らせた。コウエツシティにいつまでもいるようなチームではないだろう。必ず、その日のうちに動き出す。部下に張らせていると、報せが届いた。

 

 ――ブレイブヘキサが動いた。娘を本土に渡すつもりだ。

 

 彼はそれだけは阻止しなければならないと感じた。本土に渡るという事は完全にボスの庇護の下になるという事だ。娘から情報を引き出せなくなる。リヴァイヴ団を上層部は侮っているが、彼だけは違った。彼は優秀な本土の部下へと先んじて指示を飛ばし、自身も娘の引き渡しを阻止するために動き出した。

 

 その日の便でブレイブヘキサは本土へと渡る。全員を無力化し、娘を手に入れるのは今しかない。

 



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AGGRESSORⅢ

 彼は部下を一人だけつけてコウエツシティから出る便に乗り込んだ。肩で息をしていると、部下が話しかける。

 

「ヤグルマ隊長。本当にブレイブヘキサはこの便に乗ったのでしょうか」

 

 弱気な部下であるイシイが尋ねる。イシイは緊張した面持ちでフェリーの廊下を歩いていた。緑色の制服に肩口の「WILL」の縁取りでは嫌でも目立つ。彼らは旅行者を装う事にした。彼――ヤグルマは黒いジャケットに袖を通している。イシイはグレーの服を着ていた。傍から見れば、ビジネスマンのように見えるだろう。前を歩いていたヤグルマはイシイへと振り向いて指を向けた。

 

「イシイ。君は慎重なのはいい。だがな、決めた事をこなせないのは三流だよ」

 

 上官からの忠告にイシイは肩を落として小さくなった。ヤグルマは周囲を睨みつけながらネクタイを締める。この数年で随分と目つきが鋭くなった。笑って誤魔化していたかつての自分はオオタキの死と共に死んだ。今の自分はウィルの戦闘員、ヤグルマだ。

 

「しかし、奴らがどこにいるのかも分からないんですよ。ウィルの権限を主張出来ないとなれば探すのは厄介では?」

 

 ウィルの権限を使えば乗員名簿くらいは手に入るだろう。しかし、それをしなかったのは表立って動けば必ず相手は逃げると踏んだからだ。ブレイブヘキサは半端な連中ではない。それは彼らの実績を見れば嫌でも分かる。

 

「顔写真と名前は頭に入っているだろう。必死で捜せ」

 

「し、しかし……」

 

 いまだ覚悟の決まらぬ部下へとヤグルマは再度指差した。

 

「君は、しかしだの、だがだのが多いな。それでは前に進めない。いいかね? 進むための原動力はそんな言葉では得られんのだよ。我らこそが正しきものだと、実地訓練で習わなかったのかね?」

 

 ヤグルマの言葉にイシイは気圧された様子で、「も、もちろん習いましたよ」と口にした。

 

「ですがこのような実戦はないのです。恥ずかしい事ですが、実戦経験が薄くて……」

 

「それが君の言い訳かね」

 

「面目ありません」

 

 顔を伏せてイシイが呟く。ヤグルマはイシイの肩を強く掴んだ。

 

「訓練の事は忘れたまえ。実戦経験の事もだ。本当の戦いでものを言うのはそんなものでは決してない」

 

 真っ直ぐなヤグルマの視線にイシイは目を逸らした。肩を強く揺すぶる。

 

「いいかね。私の眼を見るんだ。この眼は君をしっかりと見ている。ただ反射しているだけでは決してない。私は君を買っている。リヴァイヴ団を殺すだけならば君の力は借りない。成長の機会を得ていると思いたまえ。せっかくの機会だ。逃すなよ」

 

 ヤグルマはイシイの肩を叩いて身を翻した。イシイは呆然としていたが、すぐに追いついて、「で、ですが」とその大柄な身体で主張した。

 

「自分にはその、ヤグルマ隊長が期待しているような働きが出来るとは思えないのです。何分、自信がないもので……」

 

「自信?」

 

 ヤグルマは肩越しにイシイを見やって、首を横に振った。

 

「自信とは、イシイ。何だと思う?」

 

 突然に問われてイシイは困惑気味に視線を彷徨わせた。

 

「何、と言われましても」

 

「君の中でも明言化されていない。そうだろう?」

 

 歩きながらヤグルマは廊下を行き交う乗客達や船室を窺う。リヴァイヴ団は特等船室を取っているかもしれない。まずは上から攻める事にしたヤグルマは階段を上がりながら口にする。

 

「自信とは、外界との、ひいては他者との接触において判断される部分だ。最初から自信を持っている人間などいない。自信とは、発揮すべき時に力を発揮した経験によってのみ引き出される。ためしに、そうだな。イシイ」

 

 ヤグルマが立ち止まり、周囲に目線を配る。踊り場では誰も聞き耳を立てる者はいない。

 

「君のポケモンで特等船室にいる乗客を数えたまえ。十秒だ」

 

「十秒でありますか?」

 

 突然放たれた課題にイシイは戸惑うように聞き返した。ヤグルマは顎に手を添えて、「可能だろう?」と返す。

 

「君のポケモンならば可能なはずだ。やってみたまえ」

 

 イシイは不安げな眼差しを伏せた後に、腰のホルスターからモンスターボールを引き抜いた。本来のモンスターボールとはカラーリングが異なり、赤い部分が緑色に塗装され、ウィルの頭文字である「W」が緊急射出ボタンの上に刻印されている。

 

 イシイは緊急射出ボタンに指をかけて声を発した。

 

「いけ、ゴチルゼル」

 

 手の中でボールが二つに割れ、中から光に包まれた物体が躍り出た。真っ黒いドレスのような姿を取るポケモンだ。リボンのような頭部をしており、紡錘状の身体がブロックのように積み重なっている。それぞれに白いリボンがあしらわれており、おちょぼ口に水色の妖艶な眼差しが娼婦のように周囲を見つめる。

 

 大柄なイシイには似合わぬポケモンであるその名をゴチルゼルと言った。エスパータイプのポケモンだ。ゴチルゼルがドレスのような身体を揺らして天井を仰いだ。瞑想するかのように瞼を閉じる。粘性を伴った青い光が揺らめき、イシイの頭部へと絡みついた。イシイがゴチルゼルに連動するように目を閉じ、息を軽く吸った後、その目を開いた。

 

「十九人です。乗務員は抜いた人数です」

 

 一瞬にして弾き出した数字にヤグルマは満足そうに頷いた。

 

「なるほど、参考になった」

 

 これはゴチルゼルの特性を利用した能力だった。ゴチルゼルは特性、「おみとおし」を持つ。ポケモンバトルにおいて相手の所有する持ち物が分かるという特性は、瞬時に周囲の状況把握が出来るという特性へと繋がる。もちろん、捕まえてすぐの状態ではゴチルゼルはその真価を発揮しない。当然、イシイの努力と経験によってゴチルゼルの特性の更なる先の能力を引き出したのだ。

 

「イシイ。君は今の私の要求を、出来ない、とは言わなかった。それは自信があるからだ。いいかね。経験によって君は成長するんだ。私は君に更なる経験を積ませたい。自信は勇者の才能に繋がる。君には勇者の資格があるんだ」

 

 我ながら大げさかと思ったが、部下にはこれくらいのうぬぼれを与えておいたほうがいい。自信のない部下などまるで使えないからだ。自分への信用から仕事への第一歩は始まる。そこから先を開くかどうかはその自身の有無が影響してくるのだと、ビジネスマンくずれのヤグルマには分かっている。

 

 勇者、と形容されてイシイは少し萎縮したように首を引っ込めたが口元が僅かに緩んでいるのが分かった。勇者と言われて喜ばない男はいない。

 

「自分には、そのような事は、もったいない事で……」

 

「君の能力は高く買っていると先にも言った。イシイ。十九人の体格、性別、構成人数などを割り出せるか?」

 

「や、やってみます」

 

 ヤグルマは内心でほくそ笑む。それでいい。無謀でもチャレンジする精神と機会を与える。そうすれば成長は自ずと促されるのだ。

 

 ゴチルゼルが青白い光を身に纏わせ、両手を広げる。ぽっきりと折れてしまいそうなほどに細い腕だった。深呼吸するかのように僅かに身体を仰け反らせ、水色の妖艶な眼が細められる。

 

 青い光がイシイへと纏いつき、イシイの頭部へと王冠のように被さる。トレーナーの脳へとダイレクトに情報を伝えている。エスパータイプならではの戦法だ。イシイが息をつき、「割り出せました」と目を開いた。

 

「十九人のうち、身長160センチ以上の人間は八人、性別は男性十一名、女性八名、十二歳以下の子供がそのうち五名、構成人数は家族と思われる団体が二組で、五人と四人です。ビジネスマンや旅行者と思われる人間が十人です」

 

「素晴らしい」

 

 ヤグルマが感嘆の息と共に指を鳴らす。イシイは謙遜気味に、「いえ」と後頭部を掻いた。

 

「この程度しか出来ません。自分は戦闘には向いてないもので」

 

「情報戦という定義からしてみれば、君の能力は賞賛に値する。何も殴り合うだけが戦闘ではないよ。して、そうだな……」

 

 ヤグルマは先ほどの情報から特等船室の乗員の特徴を整理する。ウィルに送られてきたブレイブヘキサの資料と合致するような人間はいたか、と頭の中で符号点を見つけようとする。情報を掻き集めるのが部下の役目ならば、その情報を整理し使える状態にするのが上官の役目だ。隊長という立場上、それを意識せねばならない。

 

「160センチ以上の人間が八名か。ブレイブヘキサである可能性は高いな。ビジネスマンや旅行者を装っている可能性から考えると、特等船室にいる可能性は否定出来ない。団員は確か六人のはずだ。ならば、攻める価値はあるか」

 

 ヤグルマはホルスターからモンスターボールを取り出した。それを見たイシイが仰天する。

 

「た、隊長。あれをやるんですか?」

 

 目を見開くイシイへと、「当然だろう」とヤグルマは返す。

 

「可能性がある以上、見過ごすわけにはいかない。上からしらみつぶしにやっていく。君は引き続き、フェリーの乗員を洗い出してくれ。一階層下げて絞り出せ」

 

「し、しかし、もしかしたら罪のない一般人かもしれないんですよ」

 

 主張するイシイの言葉にヤグルマは息をついた。

 

「イシイ。君は我らウィルが正義の味方か何かだと勘違いしているな」

 

「違うのですか?」

 

 愚直に返された声にヤグルマは思わずため息をついた。ウィルが便宜上正義を標榜する組織だという事は公然の事実だ。しかし、その構成員たるイシイがそう感じているとは思わなかった。

 

「イシイ。君には悪いがね。ウィルは正義を貫くために悪を代行する組織であると私は思っている。正義は確かに我が手にはある。だが、その手を全く汚さない正義の味方などは論外であり、我らとは対照的な位置にいる存在だ。正義とは、歴史の勝者、すなわち正しきものにこそ宿る。私は、正しきものではある。その自覚は持ちたまえ。そのためには流動する正義や悪の概念で縛られてはならないのだ」

 

 正義や悪で行動観念を縛っているうちはまだ何一つ出来ることなどない。正しさこそが唯一絶対の指標となる。

 

「たとえるならば、そうだな、君は料理されたものを食うな? チェリンボや他のポケモンを、生物を」

 

 イシイの胸元を指差してヤグルマが言葉を放つ。イシイは気圧されたように後ずさりながら頷いた。

 

「それは悪か?」

 

「き、規定された量以上を摂食するのは、悪ではないでしょうか」

 

 ヤグルマは首肯する。

 

「その通り。人間は自然を定められた量以上に陵辱し、悪を行ってきた。しかしだな、イシイ。それは必要悪であり、罪というものに分類される」

 

「罪、ですか」

 

「そうだ。人間は原罪の持ち主だ。生きながらにして他生物の犠牲の上に成り立っているという業を持つ。この世に生を受けた時点で、悪は皆の心の中にあるのだよ。その中で、正しき行いを出来るかどうかにかかっているのだ」

 

「正しき、行い……」

 

 イシイが熱に浮かされたような口調で繰り返す。どうやらイシイにはまだ早かったようだ。「いずれ分かる」とヤグルマは口にした。

 

「今はウィルとして正しき行いの上に成り立っている行為だと思いたまえ。これは呼吸や摂食と何ら変わりはない。我らは呼吸するように正しき行いをする。分かったかね?」

 

 まるで教鞭をとる講師のような口調で結ぶ。イシイは何度か頷いたが、まだその眼差しには迷いが見えた。

 

「正しきは我らにあり。たとえ身体が砕け散ろうとも、その成すべき心をなくさなければいい。いけ」

 

 ヤグルマが緊急射出ボタンを押し込む。放たれた光が広がり、形状を取った。それは棺おけのような形状をしていた。黄金の棺おけだ。中央に人間の顔面を象ったマスクの意匠があり、緑色のラインが入っている。棺おけは一度倒れたかと思うと、背面から瘴気のような闇が漂ってきた。分散していた闇が形を成して影の手となり、四本の影の手が棺おけの背部から伸びる。棺おけはそのうち二本を用いて起き上がった。瞬間、マスクの意匠の部分がぱっくりと割れ、拡張した。闇色の煙が漂い、内部が露になる。鋭角的な赤い眼が覗き、乱杭歯が噛み締められる。棺おけの怪物のようなこれはもちろんポケモンであった。

 

「――デスカーン」

 

 ヤグルマがその名を呼ぶ。デスカーンは四本の手を用いて壁に張り付いた。その大きさに比してほとんど物音を立てない。

 

「特等船室の人間の誰か一人に触れろ。それだけでいい」

 

 その命令に従ってデスカーンが壁を伝っていく。イシイはデスカーンを見て恐れるように目を戦慄かせていた。イシイはヤグルマの本意を知っているのだ。デスカーンがどれほど恐ろしいポケモンなのか熟知している。

 

「隊長。デスカーンの特性は……」

 

「今は何も言わなくていい」

 

 濁した語尾を断ち切るようにヤグルマは指を一本立ててイシイの唇の前に掲げた。

 

「トラブルは起こるものだ。どのような場所であっても。なに、すぐに死ぬわけじゃないさ」

 

 その言葉を聞いてイシイは身体を震わせた。ヤグルマはこの臆病な部下を持っていてある意味幸運に思う。自分だけならば迷わず乗客全員を犠牲にするだろう。

 

「イシイ。君の分析が早ければ早いほどに、事態は収束する。分かっているね?」

 

 圧迫するような物言いにイシイは頷いた。

 

「ゴチルゼル。下の乗客の気配を探ってくれ。出来るだけ早く」

 

 イシイ自身、このやり方を上策だとは思っていないのだろう。ヤグルマからしてみれば、目的遂行のためならば何人犠牲になろうとも構わなかったが部下が離れるのは面白くなかった。

 

「イシイ。君を信用している。一刻も早くデータを洗い出してくれたまえ」

 

 イシイは汗の浮いた額を拭い、瞼を閉じた。青い光が纏いつき、急かすように揺らめいた。

 



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第五章 四節「侵食密室」

 レナが眠ったのを確認してから、ユウキはランポへと話しかけた。

 

「ずっとこのまま護衛の任ですか?」

 

「というのは?」

 

 ランポは扉にもたれかかったまま座ろうともしない。張り詰めているのだろうという事は知れたが、緊張し過ぎても仕方がないとユウキは思っていた。

 

「全員で張っているんです。それほど気を引き締める必要はないんじゃないでしょうか?」

 

「フェリーで本土に着くまでの三時間。その間に襲撃がある可能性は充分にありうる」

 

「でも、僕らがいます」

 

 ユウキは拳で胸元を叩いた。自分だけではない。エドガーやミツヤ、テクワやマキシもいる。

 

「物々し過ぎやしませんか?」

 

「上からの命令なんだ。仕方がないさ」

 

 ランポは扉に備えつけられている窓から廊下を見やる。子供が声を上げながら走り抜けていくのが分かった。扉は随分と薄いらしい。ユウキは天井から物音がするのを聞いた。足音のようだ。どうやら上下左右全て薄い造りのようである。フェリーという特性上、ホテルのようなプライベート空間は期待出来ない。

 

 ユウキは、「でも」と声を発しかけて、腹の虫が鳴く声に遮られた。ランポがフッと口元を緩める。ユウキは腹を押さえた。

 

「腹が減っては戦もできぬ、か」

 

 ランポが笑う。ユウキは、「からかわないでくださいよ」と唇を尖らせた。

 

「朝からまともに食べていないんですから」

 

「そうだな。レナも寝ていないし食べていない。不眠不休は辛かっただろう。食事ぐらいなら俺が持ってくるが」

 

 ランポが扉のドアノブに手をかけかけて、ユウキが手を伸ばして制した。

 

「いや、リーダーが動く事じゃないです。僕が行きますよ」

 

 ユウキは立ち上がって、扉へと向かう。その背中にランポが声をかけた。

 

「エドガーやテクワ達も腹が減っているだろう。聞いてやってくれ」

 

「エドガーさんは船酔いでそれどころじゃないんじゃないですか?」

 

 そう言うとランポは笑った。

 

「そうかもしれないが、一応だ。呼びかけはやってくれよ」

 

「了解しました」

 

 ユウキは扉を開けて廊下に出た。隣室の扉をノックする。するとマキシが出てきた。

 

「テクワは?」

 

 その声にマキシが部屋の中央を顎でしゃくる。中を窺うとテクワは横になって寝ていた。部屋に備え付けのテレビが点きっぱなしになっている。

 

「さっきまでテレビ観てたんだが、退屈になって寝ちまった」

 

 マキシの言にユウキはテクワらしいと吹き出した。「何の用だ?」とマキシが尋ねる。

 

「お昼抜きでしたから。朝もそんなに食べていませんし、お腹が空いているんじゃないかと思って。上で確かバイキングだったはずです。一緒に行きませんか?」

 

 マキシが腹を撫で、テクワを窺った。テクワは寝息を立てている。

 

「そうだな。俺が行くよ」

 

 マキシの言葉にユウキは頷いた。連れ立って角部屋へと向かう。エドガーとミツヤがいるはずだった。扉をノックすると、案の定ミツヤが出てきた。

 

「おう、どうした?」

 

「お食事にお誘いしたくって」

 

 ユウキが言うと、ミツヤが頭を掻きながら、「旦那がなぁ」と眉間に皺を寄せた。

 

「やっぱり船酔いですか?」

 

 ユウキが部屋の中を窺うと、野獣のような呻り声が聞こえてきた。どうやらエドガーの声らしい。随分と苦しそうだった。

 

「ああ、結構酷い。俺はつきっきりで旦那の介抱するから適当に見繕ってきてくれ。俺もちょっと腹が減っているし、旦那もちょっとは腹に何か入れたほうがいいかもしれない」

 

「分かりました」とユウキは応じてマキシを見やった。そういえばマキシと二人きりになるのは入団試験以来だと考える。

 

 階段へと向かいながら、ユウキはマキシへと質問した。

 

「何が食べたいですか?」

 

「食べれりゃ何でも」というにべもない返事が返ってくる。

 

「何があるでしょうか」

 

「それなりのもんが揃っているだろ。金持ちも使うんだし」

 

 マキシの言葉は相変わらず冷たさを帯びている。心は許してくれたようだが、無愛想なのは相変わらずだ。ユウキは他の話題を探ろうとした。

 

「マキシは何が好きですか?」

 

 その言葉にしばし考える間を置いた。頭上を仰ぎながらぽつりと口にする。

 

「ハンバーガー、かな」

 

「ありますかね?」

 

「ないだろ。こんな船には」

 

 階段へと差し掛かる。ユウキはマキシの事をもっと知りたかった。マキシは少しチームとは距離を置いている印象がある。どうにかして溶け込んで欲しかった。

 

「コウエツシティに来る時もフェリーで来たんですよね」

 

「ああ、そうだな」

 

「その時は何を食べたんですか?」

 

「その時はテクワが馬鹿みたいに珍しがって色々食った挙句に腹を壊した。俺はテクワが食いきれなかった分をもらったから、何を食ったかまでは覚えていない」

 

 なるほど、とユウキは息をついた。どうやらテクワとはずっと一緒のようだ。

 

「仲いいですね」とユウキは口にしていた。マキシは、「腐れ縁だよ」と返す。

 

 腐れ縁でも断ち切れない絆と言うものがあるのだ。ユウキは素直に羨ましく感じた。階段を上がっていくと、特等船室の並ぶ上層へと辿り着く。真っ直ぐな廊下は磨き上げられたかのような清潔感があった。下層とは明らかに違う。廊下を歩くうちに食堂へと辿り着いた。背中を向けてテーブルに向かっている人影が見える。しかし、それ以外は閑散としていた。フードコートが奥に控えている。芳しい匂いが漂ってきたが、ユウキはそれ以前に違和感を覚えた。こうも人が少ないのはどうしたことだろうか。マキシも同じ印象を持ったようでユウキへと耳打ちした。

 

「おかしい。静か過ぎる」

 

 マキシはいち早く異常に気づいたのか、食堂の入り口で足を止めていた。ユウキは既に食堂の中に入っている。ポケッチを見やる。既に時刻は五時半だ。コウエツシティを出発して三十分が経っている。早い夕飯ならばもう準備しているだろう。

 

「タイミングが悪かったんじゃないですか?」

 

 ユウキが言ってマキシに中に入るように促すが、マキシは頑として聞き入れない。首を横に振って、「いや」と口にする。

 

「何かが奇妙だ。俺はこれより一歩も動かない」

 

 マキシは腰のホルスターへと手を伸ばした。ユウキには何が奇妙なのか分からない。首を傾げて、テーブルに一人座っている人影へと目を向けた。背中を向けている。後姿でスーツを着込んだ男だと知れた。もしかしたら、彼が一番乗りかもしれない。ユウキは声をかけようと歩み寄った。マキシが片手を伸ばす。

 

「やめろ。それ以上行くな」

 

 切迫した声に何かしら後ろ髪引かれる気はしつつも、ユウキはそれほど危ぶむ状況とは思えなかった。マキシは確かに動物的勘に優れる部分はある。だがここはフェリーの上で一般客もいるのだ。考えすぎだろうとマキシの勘を自分の中で却下する。

 

「大丈夫ですって。彼に聞きましょう」

 

 ユウキは男へと近づいた。しかし、近づくにつれ、何かがおかしい事に気づいた。スーツの後姿が微動だにしないのである。食事をしているのならば肩が強張る事もあれば、腕が揺れる事もあるはずである。だというのに、男は縫い固められたかのように動かない。ユウキは、「まさか」と自分を励ますように笑ってみせた。何かが起こっているわけがない。ウィルとて一般人には手を出さないはずだ。ユウキは、「もし……」と男の肩を後ろから掴んだ。

 

 瞬間、男の身体がごとりと崩れ落ちた。椅子ごと転がり、その顔が天井を仰ぐ。ユウキは息を詰まらせた。男の顔からは生気と呼ばれるものが抜け落ちている。砂漠のようにスカスカとした肌になっており、血色を失った土色の顔は叫びの形で固定されていた。手に持ったスプーンが床に滑り落ちる。その音でようやく気づいたように、ユウキは後ずさった。

 

「これは……こんな事が……」

 

 顔を手で覆って肩を震わせる。恐怖で身が竦み上がるかのようだった。何が起こっているのか。男の顔だけではない。露出した手も干からびたようになっている。

 

「まるで、ミイラだ」

 

 発した声に何か布切れが擦れるような音が聞こえた。ほんの小さな声にユウキが目を向ける。僅かながら男の指先が動いた。声帯を必死で震わせて声を上げようとしている。しかし、漏れるのは空気音と大差ない声だった。まだ生きている。ユウキが男の口元へと耳を近づけた。何かを必死に訴えようとしている。そう思ったからだ。

 

「何ですって?」

 

 耳元に風の音と同じような声が僅かにこびりつく。その声が告げる。

 

 ――逃げろ、と。

 

 ユウキが聞き届けるのと、マキシの声が弾けたのは同時だった。

 

「ユウキ! そいつから離れろ! 天井だ!」

 

 ユウキが顔を上げる。その視界の中に影が大写しになった。

 

 それは黄金の棺おけだった。

 

 背部から四本の手が伸び、天井に吸着している。棺おけの上部が拡張し、展開した。そこから覗いた闇の中に禍々しい赤い眼が光る。乱杭歯の並んだ歯茎を見せてその棺おけが落下してくる。

 

 ユウキは咄嗟に身を引いた。干からびた男へと棺おけから伸びた手が襲いかかる。ジャケットを指先が掠め、男の身体へと棺おけ本体が叩きつけた。男の身体が分散し、まるで砂のように弾け飛ぶ。ユウキは顔の前に手を翳した。棺おけが上部二本の手をばねのように大きく伸ばして身体を起こし、下部の手で安定させる。棺おけが先ほどまで男が転がっていた場所で屹立する。それは不気味な光景だった。

 

「何だ、これは……」

 

 ユウキは警戒よりも先にそれが何なのか分からなかった。一体何が起こっているのか。目の前の棺おけは何なのか。その答えが示される前に、マキシの言葉が弾けた。

 

「キリキザン!」

 

 振り返るとマキシがキリキザンを繰り出していた。光を振り払い、回転すると同時に出刃包丁のような腕に紫色の波動が宿る。肘先まで満たした波動がぶれたように位相を変えた瞬間、キリキザンが腕を振り上げた。「サイコカッター」だ。思念の刃が空間を奔り、棺おけへと真っ直ぐに命中した。棺おけが攻撃によって傾ぐ。下部の手が床に突き刺さり、倒れかけた身体を安定させた。

 

「ユウキ! こっちへ逃げて来い!」

 

 信じられないようなマキシの大声にユウキは弾かれたように駆け出した。棺おけから手が伸びる。ユウキの頭部を捉えかけた手を、前に転がって避けた。影の手が空を掴む。ユウキは食堂の入り口へと逃げおおせた。マキシの隣で、「あれは……」と肩で息をする。

 

「ポケモンだ。図鑑で見た事がある。名前はデスカーン」

 

「……デスカーン」

 

 ユウキは呟いて棺おけのような形状のそのポケモンを見やる。デスカーンは上部を展開させて赤い眼でキリキザンを睥睨している。現れた敵を警戒しているのだろう。

 

「タイプは?」

 

 真っ先に尋ねた。マキシはしかし、首を横に振る。

 

「俺にも分からない。ただエスパーの攻撃はさほど効いているようには見えないな」

 

 ユウキはその言葉に「サイコカッター」の突き刺さった身体を見やった。切り傷はほとんどない。黄金の表皮には光沢さえ感じられた。

 

「どうするんですか? キリキザンで様子を見るか、僕のテッカニンで仕留めるか」

 

 ユウキは周囲を見渡す。トレーナーがいるようには見えなかった。自律的にポケモンが動いている事になるがそのような事など可能なのだろうか。ホルスターへと手を伸ばし、ボールを掴む。緊急射出ボタンを押そうとして、指先に鋭角的な痛みが走った。思わずボールを取り落とす。マキシが振り返り、「どうした?」と尋ねた。ユウキが手へと視線を落とす。

 

「これ、は……」

 

 ユウキは目を見開いた。手が爪の先から皺くちゃに干からびていくのだ。水分が抜け落ちて土色になっていく。それは先ほどの男の姿と同じに見えた。

 

「攻、撃……。でも、いつの間に……」

 

 ユウキはついさっきの自分の行動を反芻する。デスカーンには触れてすらいない。いつ攻撃を受けたのかは不明だった。指先を開いて、ユウキは呼吸を荒くする。マキシが、「落ち着け」と転がり落ちたボールを拾い上げてユウキの手に握らせる。

 

「何が起こったのか俺にも分からない。モンスターボールは握れるか?」

 

 ユウキは指先の感覚を確かめるように握ろうとしたが、まるでコンクリートに固定されたかのように開いたまま動かない。指先の神経を確かめようともう片方の手で摘んだが、何も感じなかった。

 

「何も分からない。動かないんだ」

 

 ユウキの中で焦りが大きくなる。モンスターボールも握れなければテッカニンを繰り出す事も出来ない。マキシが震えるユウキの肩を引っ掴んで耳元で怒鳴った。

 

「いいから落ち着け! その手で握れなければ、もう片方の手で――」

 

 そう言いかけたマキシは絶句した。ユウキももう片方の手に走った痛みに顔をしかめる。左手も同じように土色と化していた。指先から徐々に水分が奪われていくのを感じる。感覚器が麻痺し、触覚が奪われていく。

 

「僕の、手が……」

 

 ユウキは絶望的に呟いた。マキシがデスカーンへと振り返る。デスカーンはのたうつ下部の手を使って、身体を前に倒し、上部の手で床を掻いた。少しずつ進もうというのである。突き刺さっていた下部の手が引き抜かれ、四本の手を足のように用いた。近づいてくる、という予感にマキシが片手を振り上げる。

 

「キリキザン、サイコカッター!」

 

 命じられたキリキザンがサイコカッターを撃ち放つ。床を裂いて思念の刃がデスカーンの頭頂部に突き刺さった。衝撃で床が捲れ、粉塵が上がるがデスカーンは健在だった。エスパーの技は効果が薄そうだ。

 

「接近戦に持ち込め! キリキザン!」

 

 キリキザンが床を蹴って跳躍し、デスカーンの前に立つ。デスカーンが顔を上げる前に、キリキザンは鋼の腕を振り落とした。刃の如く光の線を刻み込んだ一撃にデスカーンの頭部が床に沈む。

 

「効いている?」

 

 ユウキの声にマキシは、「いや」と首を横に振った。

 

「衝撃で床に打ちつけられただけだ。ほとんどダメージにはなっていない。見た目は岩タイプみたいなのに、何だ? 奴は。鋼の攻撃は効果抜群のはずじゃないのか」

 

 デスカーンの影の手がしゅるしゅるとキリキザンの腕に巻きついた。そのまま吹き戻しのようにキリキザンを引っ張り込む。マキシが声を上げた。

 

「キリキザン、メタルクローで叩きつけて離脱しろ!」

 

 鋼の腕が銀色の光を引いて再びデスカーンへと打ち込まれる。デスカーンの影の手が緩んだ。キリキザンがその一瞬の隙をついて床を蹴って後退する。前に来たキリキザンへとマキシが手招いた。

 

「ここから一度退くぞ。タイプが分からない相手には分が悪い」

 

 マキシの声にキリキザンが応じかけて、その声を鈍らせた。異常に気づいたマキシが声をかける。

 

「どうした? キリキザン」

 

 キリキザンは肩を震わせて片手を上げようとした。その手が硬直したように動かない。ユウキが目を向ける。キリキザンの鋼の腕が錆び付いていた。赤錆が侵食するように浮いて、出刃包丁の手が輝きを失っている。

 

「これは、どうなって……」

 

 マキシが声を失っていると、デスカーンが一声鳴いた。四つの腕を用いて床を踏みしめてくる。その速度は存外に速い。茫然自失の状態のマキシへとユウキは声を張り上げた。

 

「マキシ! 早く逃げないと!」

 

「違う。違うんだ、ユウキ。俺も逃げるつもりだった。早く、モンスターボールを握らなきゃいけない。なのに」

 

 マキシが震えながら振り返る。その手を見てユウキは瞠目した。マキシの手も土色に変化しているのである。干からびた指先は何か植物の根のようだった。

 

「なのに、俺もモンスターボールを握れないんだ」

 

 マキシが泣きじゃくりそうな顔で告げる。デスカーンが影の手をばねのように伸縮させて少しずつ近づいてくる。ユウキは指先に力を込めようとした。緊急射出ボタンを押して、テッカニンを出さねば。

 

 しかし、凍りついたように動かない。マキシが侵食されていく手を見つめながら、「ああ」と呻く。マキシの指先がしおれていく。キリキザンの手も錆びに覆われ始めていた。このままではまずいと感じたユウキは声を張り上げた。

 

「マキシ! 早く撤退しましょう! このままじゃ」

 

 その声にもマキシは気づいていないようだった。先ほどの自分と同じ状態に陥っている。ユウキは感覚のない手でマキシの肩を引っ掴んだ。それでようやくマキシは気づいたようだった。近づいてくるデスカーンを見やり、マキシはキリキザンの状態を確かめた。

 

「そうだな。逃げよう」

 

 ユウキとマキシはデスカーンに背を向けて走り始めた。キリキザンが背後から続く。一度振り返ると、デスカーンは食堂の入り口で動きを止めていた。追ってこないのか。それとも追う必要はないと判断したのか。

 

 ユウキとマキシは階段を駆け降りた。

 

 すぐにランポ達にこの状態を報せなければならない。

 

 ウィルは仕掛けてきているのだ。

 

 一般人も何も関係ない。ランポならばデスカーンについて知っているかもしれない、と感じたのもあった。この状況を打開する策を持っているのではないかという予感だ。階段の踊り場を抜けた時、既に右手はほとんど感覚がなかった。触覚を根こそぎ奪われたように何一つ感じない。ユウキはテッカニンのボールをホルスターに戻した。これではモンスターボールを投擲する事すら出来ない。

 

 キリキザンへと視線を向ける。キリキザンの手に浮いた赤錆は肘先まで至っていた。どうやらポケモンのほうが、侵食速度が速いらしい。

 

「マキシ。これはウイルスか何かでしょうか?」

 

 ユウキの言葉にマキシは、「分からない」と返した。マキシとて身体を蝕まれている。余計な疑問に答える余裕はないのかもしれない。

 

 ユウキは手を見つめる。ウイルスをばら撒くようなポケモンだとすれば、フェリーに乗っている乗客全員が既に危ない。ランポ達も被害に遭っているかもしれない。仲間達の干からびた姿が一瞬脳裏に浮かんでユウキは慌ててそのイメージを振り払った。今考える事ではない。

 

「ただウイルスだとすれば、俺達が食堂に踏み込むまで発生しなかったのがおかしい。お前は、全身が干からびた男を見ただろう?」

 

 マキシの言葉にユウキは食堂にいた男の姿を思い出す。そういえばあの男以外はいなかった。

 

「無差別なウイルスならば俺達だってあの状態にならなければおかしいんだ。もしかしたら有効射程範囲があるのかもしれない」

 

「射程範囲、ですか……」

 

 そう考えるならばデスカーンが見える範囲だろうか。しかし、それならば自分達を追い詰める事はほとんど不可能に近い、とユウキは思う。船室に閉じこもっていれば船旅を終えることが出来る。その可能性を視野に入れないウィルではないだろう。

 

「何か、攻撃のきっかけがあるんでしょうか」

 

 ユウキの声にマキシは、「分からないが」と階段を駆け降りた。

 

「この手じゃボールに戻す事も、繰り出す事も出来ない。とりあえずテクワ達と合流して、指示を……」

 

 その時、ユウキは背後にぞわりとした悪寒を覚えた。思わず振り返ると青い光が揺らめいている。一瞬、それがリボンの形状を取ったかと思うと、中央に眼が見えた。視界が一瞬で交錯し、ユウキが目をしばたたいた次の瞬間にはその光は消え去っていた。

 

「今のは……」

 

「どうした?」

 

 マキシが振り返る。ユウキは額を押さえて、「いや」と首を振った。

 

「何だか見られていたような」

 

 その言葉が消えぬうちに、天井から破砕音が響き渡った。ユウキとマキシが同時に目を向ける。砕けた天井から影の手が伸びてきた。デスカーンの手だと判じたマキシはキリキザンに指示を出す。

 

「キリキザン、サイコカッター!」

 

 キリキザンが手を振り上げる。しかし、紫色の波動はほとんど霧散しており、威力は減衰していた。サイコカッターの刃が影の手に突き刺さって一瞬だけ動きを止めさせる。ユウキとマキシは船室へと続く廊下を走り抜けた。デスカーンが影の手で天井の穴をこじ開ける。

 

 キリキザンで応戦するのは限界だと感じたマキシはキリキザンを呼びつけた。先ほどよりも赤錆は酷く、不用意に振り翳せば折れてしまいそうだ。

 

「どうするんです?」

 

「テクワ達に応援を頼む。じゃなけりゃ、俺達はこのまま……」

 

 そこから先の言葉をマキシは濁した。このまま、どうなるのだろうか。ミイラ化した男の姿が脳裏に浮かび、ユウキは嫌な汗が首の裏に滲むのを感じた。

 



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第五章 五節「タクティカルバトル」

 静かな寝息に、自分まで眠りの淵に連れて行かれそうになる。

 

 そういえば休んでいなかったか、とランポは自己を顧みた。額を押さえて眠気を振り払うかのように頭を振る。視界が僅かにぼやけている。思えば気を張り詰めっ放しだ。いつか切れてしまうのではないか、という危惧に襲われながらランポは深く息をついた。

 

「疲れているな……」

 

 呟いたその時、廊下を駆ける音が聞こえた。また乗客の子供でもはしゃいでいるのだろうか、とランポが扉に備えつけられている窓から外を見やると、ユウキとマキシが肩を荒立たせて扉の前に来た。キリキザンが後ろから続いてくる。

 

 一瞬で、ランポは尋常ならざる事態だと把握した。扉を開き、「どうした?」と声をかける。ユウキとマキシは半狂乱のような状態で、「ランポ。僕らの手が」と手を差し出した。視線を向けると、その手が干からびていた。

 

「これは……」とランポが驚いていると、「どうかしたの?」という声が聞こえてきた。二段ベッドの上に寝ていたレナが瞼を擦って起き上がる。ユウキが声を上げる。

 

「レナさんは大人しくしていてください。ウィルの攻撃です」

 

 その言葉にランポが問い質した。

 

「ウィルの? だとすれば、これはポケモンか?」

 

「デスカーンだ」とマキシが応じる。マキシの手を見やると、ユウキと同じように土色に変色していた。肩が震えている。恐怖によるものだろう、とランポは考えた。

 

「あいつ何タイプなんだ? キリキザンの攻撃がまるで効いてないみたいだった。チクショウ。俺は……」

 

「落ち着いて状況を伝えてくれ。何が起こった?」

 

 ユウキとマキシは興奮状態にあるようだ。宥めて話を聞きだすのが優先事項だろう。ユウキがその言葉に応じた。

 

「食堂に行ったら今の僕らみたいに全身が干からびた男がいて、その男に触れた瞬間にデスカーンに行きあったんです。奴は男を、僕らを釣る餌にしようとしていたのかもしれない」

 

「デスカーンか。そいつによる攻撃だと?」

 

 二人が頷いた。ランポは顎に手を添え、思考する。ユウキとマキシは明らかに攻撃を受けた。見たところ相手をミイラにする能力のようだ。それは技か、または特性か。どちらにせよ、きっかけがあったはずなのだ。デスカーンによる攻撃ならばその効力が発揮された瞬間が。いつだ? とランポは今のユウキの話の中にヒントを見出そうとする。

 

「デスカーンは技を発したか?」

 

「いいえ。影の手を伸ばして僕らを捉えようとはしましたが、大した攻撃はしていません」

 

 ランポは可能性としてウイルスのような攻撃を視野に入れていた。しかし、ウイルスだとすれば今この状況も危うい。感染者との濃厚接触という事になる。ランポはレナへと視線を移した。

 

「レナ。ビークインを出してくれ。回復指令で治せるかどうか試す」

 

 その言葉にレナは状況を把握したのか頷いた。ボールを掴んで緊急射出ボタンを押す。

 

「ビークイン。お願い」

 

 光を振り払ってビークインがその姿を顕現させる。小ぶりな翅を震わせ、スカート状の下半身から小さなミツハニーを繰り出した。ミツハニーがユウキとマキシへと取り付く。その手に触れるが、侵食は収まった気配がなかった。

 

「駄目ね。回復指令で治せる怪我じゃない。キリキザンは?」

 

 ミツハニーが漂ってキリキザンの赤錆の浮いた腕へと取り付き、緑色の回復の光を発するが、錆びは少しも収まらなかった。それを見てレナが額に手をやって考え込む。

 

「体力を奪うタイプの攻撃じゃない。進行を少しは抑えられるけど、完治は無理。多分、条件があるんだと思う」

 

「条件?」

 

 レナは頷いて、二段ベッドから降りた。ほとんど下着姿に等しかったが、今はそのような事に構っている場合ではない。ユウキの手の状態を見やり、「デスカーン、って言ったわよね?」と尋ねた。

 

「はい。確かにデスカーンだと」

 

「じゃあ、特性の効果だわ。デスカーンの特性はミイラ。触れた対象をミイラ化する能力よ。多分、既にミイラ化している何かに触れたんじゃない? そうとしか考えられないわ」

 

「ユウキ。心当たりは?」

 

 問い質す声にユウキは、「そういえば」と言葉を発した。

 

「ミイラ化した男の肩に触れました。マキシは僕に触れて、キリキザンはデスカーンへと直接攻撃を」

 

 そこまで言ってからユウキはハッと顔を上げる。ランポはレナと顔を見合わせて頷いた。

 

「ウイルスの類ではないな。それこそが条件なんだ。触れた相手をミイラ化する。キリキザンがミイラ化、いや錆び付いたのは直接攻撃をしたからだろう。レナ。デスカーンのタイプは分かるか?」

 

「ゴーストよ。単一タイプのはず」

 

 レナが眼鏡のブリッジを上げて応じる。それを聞き届けたランポはユウキとマキシに向けて言葉を発した。

 

「二人は船室に篭ってくれ。デスカーンは今どうしている?」

 

「追ってきています。天井を突き破って。速度は遅いのですぐには来ないと思いますが」

 

「ならば、俺が応戦する」

 

 その言葉にユウキが、「危険です」と声を上げた。

 

「ランポのポケモンはドクロッグのはず。ドクロッグは毒・格闘タイプ。直接攻撃をせざるを得ない状況に追い込まれる」

 

「だがエドガーのゴルーグはこの狭い廊下では真価を発揮出来ない。ミツヤのポリゴン系列はバックアップ専門だ。有効なダメージを与えるのは難しい。テクワのポケモンも相手が見える範囲では動きづらいだろう。俺のドクロッグが適任だ」

 

 ランポの主張にユウキは、「しかし」と抗弁の口を開こうとする。自分とて無茶な事を言っているのは分かっている。だが、これ以上仲間を見殺しにするわけにはいかない。

 

「約束しよう。必ず敵を倒して帰ってくると。それまでお前らは船室に閉じこもっているんだ。奴らの戦力がデスカーンだけとは限らない。レナ。もしもの時は頼めるな」

 

 覚悟を問いかける言葉にレナは静かに頷いた。本来ならば護衛対象にこのような事を頼むのは筋違いだ。だが事態を収拾させる自信のない以上、そう言うしかなかった。ランポが言葉を重ねる。

 

「エドガーやミツヤにも声をかけておいてくれ。俺は行く」

 

「ランポ。無茶ですよ」

 

 ユウキの言葉にランポは返した。

 

「無茶は承知だ。しかし、俺はリーダーとしてお前らを危険に晒さない義務がある。レナ、くれぐれも直接触れるんじゃないぞ。護衛対象をミイラにするわけにはいかない」

 

 ランポは廊下へと踏み出した。ホルスターからボールを引き抜き、緊急射出ボタンに指をかける。

 

「いけ、ドクロッグ」

 

 光を振り払い、ドクロッグがオレンジ色の毒の鉤爪を翳して身構える。ランポは廊下の奥から這いずってくる影を視界に捉えた。黄金の棺おけのように見えるあれがデスカーンだろう。ランポは額の汗を拭った。

 

「触れればお終いか。なかなか緊張感のある戦いじゃないか」

 

 ランポは駆け出した。ドクロッグが並んで続き、デスカーンへと距離を詰める。ランポは射程距離ギリギリで足を止め、手を振り翳してドクロッグを先行させた。デスカーンが下部の二本の手で立ち上がり、上部の手をドクロッグに向けて伸ばす。

 

「ドクロッグ! 避けてデスカーンの足元を狙え」

 

 ドクロッグは振るわれた影の手をステップで回避し、デスカーンの足元へと鉤爪の一撃を放った。デスカーンのバランスが僅かに崩れて身体を揺らす。

 

「ドクロッグ、もう一発だ」

 

 ドクロッグが紫色の身体を翻して縫うように這い進む影の手を紙一重で避ける。鋭く刺すように一撃を足元に加えた。デスカーンが傾ぎ、次の瞬間、仰向けに倒れた。

 

「フェリーの廊下は振動が伝わりやすい。その体型ではバランスの維持が大変だろうな」

 

 デスカーンが背部から伸びている影の手四本で持ち上がる。四本の手で安定を得ようとすれば攻撃は出来ないはずだ。

 

 ――どう出る、とランポは固唾を呑んだ。

 

 デスカーンは四本の手で壁へと張り付いたその巨体に似合わずほとんど音を立てない。立体的に攻めるつもりだ、とランポは判断してドクロッグに指示を飛ばした。

 

「ドクロッグ、上から来るぞ。気をつけるんだ」

 

 ドクロッグが鉤爪を翳して身構える。デスカーンが天井に下部の影の手を突き刺し、ぶら下がるようにして上部の影の手を突き出した。ドクロッグは上から降り注ぐ影の手の猛攻に対処するように後ずさり、天井へと拳を加える。

 

 鉤爪が突き刺さり振動を与えるが、デスカーンは落ちる気配がなかった。それどころか一瞬動きの鈍ったドクロッグを狙って影の手が伸びてくる。ドクロッグはすぐさまもう一方の手で天井を叩いて鉤爪を剥がした。ドクロッグの身体が落ちて、影の手が先ほどまでドクロッグのいた場所を引き裂いていく。ランポは息つく暇もなくドクロッグへと次の指示を与えた。

 

「ドクロッグ。相手の直下に回れ」

 

 ドクロッグが廊下を駆け抜け、影の手の網を回避してデスカーンの背後に回った。

 

「もう一度天井へと拳をぶつけるんだ」

 

 ランポの声に従い、ドクロッグは鉤爪を天井へと突き刺した。デスカーンが身体をひねって振り返り、ドクロッグへと影の手を伸ばそうとする。ドクロッグが天井を叩いて身体を落とし、影の手から逃れる。

 

 一進一退の猛攻にランポは思わず渇いた喉に唾を飲み下した。一撃でも指示が遅れればやられる。とてつもない緊張感に喉の奥がひりひりとする。

 

 デスカーンが着地したドクロッグへと攻撃しようと再び身体をひねった。その瞬間の出来事である。

 

 天井が支えを失い、破砕音と共にデスカーンの身体が宙を舞った。

 

 デスカーンからしてみれば何が起こったのか分からなかっただろう。突然に足場が崩れたのだ。

 

 ドクロッグは後ずさって崩落してきた天井から逃れた。デスカーンは逃れる事叶わず、天井に押し潰される形となった。ランポはドクロッグを呼び戻す。ドクロッグは床に鉤爪を突き刺して逆立ちすると、拳で床を叩いた。その反動を利用して空中でバック宙を決め、天井に押し潰されたデスカーンの上を跳躍してランポの傍に侍った。

 

「天井に衝撃を加えたのはお前の自重を支えられなくするためだ。フェリーの廊下も天井も脆い上に薄い。音が漏れる程度にな。だったら、少しだけ衝撃を伝わりやすくしてやればいい。お前は自分の重さで、簡単に落ちる。天井から落ちればダメージはあるだろう」

 

 ランポはデスカーンの動向を窺った。攻撃の気配はない。どうやらデスカーンにはそれほどの命令は与えられてないようだ。

 

「大方、ミイラ状態にする事のみを命令として与えられていたのだろう。トレーナーが近くにいなければ、優秀なポケモンとて木偶の坊と同じだ。さて、この状況に追い込めばお前のトレーナーはどう動く?」

 

 ランポは廊下の奥を見据えた。すると、靴音がこちらへと近づいてきている事に気づいた。階段を降りているのだろう。静寂の中やけに響く。その音と共に現れたのはスーツに身を包んだ長身の男だった。乾いた拍手を鳴らしてランポを見つめる。紺色の瞳には高圧的な態度が見て取れた。

 

「素晴らしい状況判断だな。さすが、と言っておこう」

 

「お前がデスカーンのトレーナーか」

 

「いかにも。名乗ってこう。私はヤグルマ。ウィル戦闘部隊、第三種γ部隊隊長だ」

 

 ヤグルマは恭しく頭を下げた。ランポは内心歯噛みした。まさか隊長格が出てくるとは思っていなかったからだ。

 

「前回のR2ラボの行動も」

 

「察しがいいな。私の部下によるものだ」

 

 ヤグルマがパチンと指を鳴らす。すると、崩落した天井の瓦礫を影の手が突き破った。四本の影の手がのたうち、瓦礫の中から棺おけの身体が現れる。

 

「俺は」と言いかけたランポの声に片手を上げてヤグルマが遮った。

 

「いい。存じている。ブレイブヘキサのリーダー、ランポ」

 

「驚いた。既に調べているとはな」

 

 ランポは口元に笑みを浮かべてみせる。しかし、胸中に余裕はなかった。調べられているということはこちらの手のうちは読まれている可能性があるという事だ。仲間の手持ちまで割れているとなればここで手を打つしかない。

 

 ヤグルマは隊長と名乗った。という事は、今まで現れた敵の中では最も地位が高いと考えていい。それより上に情報が行っているのか、それともヤグルマで止まっているのか。前者だとすれば自分達の行動は慎重を期すものとなり、これから先大きく制限される。後者だとすれば、ここでヤグルマを仕留めれば情報の拡散を防げるかもしれない。

 

 ランポは出来るならば後者である可能性を信じた。ランポの視線の変化を感じたのか、ヤグルマが声を発する。

 

「考えてるな、ランポ。私をここで殺せばこれから先の安全な航路が期待出来るかどうか」

 

 心中を読まれた動揺を押し隠すためにランポは、「さぁな」と不敵に笑う。危うい均衡の只中にある鼓動がうるさかった。鎮まれ、と念じる。

 

 ヤグルマは両手を広げてゆっくりと握り締める真似をした。長く息を吐き出しながら、まるで演者のように語る。

 

「お前は私を殺す事を第一に考えるだろう。いや、その前にデスカーンの無力化か。ミイラ化した部下を助けるために。まぁ、デスカーンの無力化はひいては私の無力化でもある。どちらかを戦闘不能状態にする必要があるな」

 

「そちらも察しがよくて助かる。俺達の目的のためにここで潰されるわけにはいかない。全力で戦わせてもらう」

 

「リーダー同士か。面白い」

 

 ヤグルマが指を鳴らした。デスカーンが瓦礫を退けて立ち上がり、下部の手で身体を支えるために床へと突き刺す。上部の手を何かを練るようにくねらせる。影の手と手の合間を黒い電磁波が行き交い、球形を成していく。最初は小さな黒点だったそれは瞬く間に巨大化し、影のシャボン玉が練り固められた。膨張するように揺らめいた影のシャボン玉が一回転した瞬間、ヤグルマは声を発した。

 

「デスカーン、シャドーボール」

 

 デスカーンが両手の掌を花弁のように合わせた直後、影のシャボン玉が撃ち放たれた。軌道上の光を吸い込みながら、影のシャボン玉は砲弾の鋭さを持って直進する。ランポは真っ直ぐに向かってくるシャドーボールを見据え、片手を振り翳してドクロッグに命じた。

 

「ドクロッグ、鉤爪で打ち破れ」

 

 ドクロッグが半身になって、片脚を上げ踏み込んだ。瞬間、曲芸のように身体を翻し様に鉤爪の一撃を放った。

 

 毒の鉤爪がシャドーボールに着弾し、粉塵が上がる。捲れ上がった床から木の塵が舞い散った。ドクロッグは腕を薙いで粉塵を引き裂く。鉤爪を携えたドクロッグは健在だった。ほとんどダメージもないようである。それを見たヤグルマが満足そうに顎をさすった。

 

「なるほど。申し分なく育てられているようだな。リーダーを自認するだけはある」

 

「褒めてもらって光栄だが、あまり悠長にお喋りというわけにもいかない」

 

 ランポは左手のポケッチを掲げる。本土に辿り着くまでの三時間。その間にユウキとマキシのミイラ化が進行する可能性がある。早めの決着を臨む必要があった。

 

 ヤグルマは応じるように自分のポケッチを掲げた。

 

「確かに。こちらとしてもリヴァイヴ団を本土に渡すわけにはいかない。娘を渡してもらえれば全てが穏便に済むのだが」

 

 やはりそれか、とランポは歯噛みする。ウィルはレナの持っているデータを重要視している。それがボスの庇護という安全圏に渡る事を何よりも恐れているのだ。

 

「残念だが応じるわけにはいかないな。俺はここでお前を止めなければならない」

 

 その言葉を聞いてヤグルマはフッと口元を緩めた。

 

「交渉決裂か」

 

「悪いな」

 

「いいさ。元々、こちらとしても貴様らリヴァイヴ団を生かすつもりはない。処刑が早まっただけだ」

 

 ヤグルマが指を鳴らすと、デスカーンが再びシャドーボールを練り始める。ランポはドクロッグを呼びつけた。

 

「足元に向けて攻撃しろ」

 

 ドクロッグが応じる鳴き声を出して、デスカーンの懐へと踏み込む。デスカーンは片手で生成途中のシャドーボールを握って、もう片方の手でドクロッグを捕らえようとした。

 

 雨か槍の鋭さを持ってデスカーンの影の手がドクロッグに迫る。ドクロッグはステップで上から襲い来る影の手を避けた。デスカーンの足元へと鉤爪の拳を打ち込む。しかし、デスカーンは先ほどのように容易には倒れなかった。トレーナーの前という事もあるのだろう。ヤグルマが指を鳴らすと、デスカーンは即座に影の手を薙いだ。

 

「ドクロッグ! 身を低くしろ!」

 

 ドクロッグが体勢を沈めて、空間を薙いだ手をかわす。その手が手刀の形を作り、返す刀で打ち込まれかけた。ドクロッグは床を両手で叩きつけて跳躍し、後ずさる。紙一重のところを影の手刀が走った。ドクロッグは距離を取って身構える。

 

「もう一度足場を揺さぶれ」

 

 ランポの声にドクロッグは即決した身体を弾かせた。デスカーンへともう一度接近する。デスカーンはシャドーボールを掴んだ手で今度は叩きつけてきた。

 

 黒い球体がゆらりと揺れて、ドクロッグの頭上に迫る。

 

 ドクロッグは身体に回転を加えて、その一撃を背中に受け流した。ドクロッグの背面でシャドーボールが弾け、泥のような黒い影が分散する。ドクロッグは踏み込んだ足の勢いをそのままに、鉤爪でデスカーンの足元へと一撃を与えた。

 

 デスカーンが僅かに揺らぐが、倒れはしない。もう片方の手を手刀に変え、デスカーンがドクロッグの側頭部を狙ってくる。

 

 ドクロッグは回避のために飛び退こうとしたが、その前に足元から影の手が這い進んできた。ドクロッグの足を取ろうというのである。

 

 頭部と足元を同時に狙った攻撃に対して、ドクロッグは跳躍と同時に身体を伸ばした。横っ飛びの状態になったドクロッグの頭上と足元を影の手が行き過ぎる。ドクロッグは不恰好に倒れる形となったが、影の手の一撃は受けていない。交差した影の手が張り手のように振るわれる前に、ドクロッグは床を鉤爪で叩いて後ろへと離脱した。

 

 ヤグルマが笑みを浮かべてデスカーンへと歩み寄る。

 

「よく避けるドクロッグだ。白兵戦は得意、というわけか。どうやら、私も本気で近づいて命令を下さねばならないようだ」

 

 デスカーンへとヤグルマが歩み寄り、片手を広げた。デスカーンが上部の両手を振り翳したかと思うと、その手が交差し螺旋を描いた。デスカーンの両手の間に緑色の光が発せられ、球形を成していく。先ほどまでのシャドーボールとは一線を画すその光に、一瞬ランポが目を眩ませた。直後に声が響く。

 

「エナジーボール」

 

 デスカーンが緑色の光を放つ球形を投げ飛ばす。これが「エナジーボール」。草タイプの特殊技だ。

 

「エナジーボール」はドクロッグへと放たれたのではない。ドクロッグとデスカーンの間へと放たれた。眩い光が拡散し、お互いの網膜を鋭い光が焼き付ける。ドクロッグが思わず手を前に翳して視界を保護しようとする。その光を縫うようにして影の手が伸びてきた。

 

 一拍反応が遅れたドクロッグが飛び退く前に、影の手がドクロッグの片手を掴んだ。ドクロッグが振り解く動きを見せる。ランポは覚えず舌打ちを漏らしていた。

 

「……しまった」

 

 光が晴れ、急接近したデスカーンの巨体が目の前に屹立する。ランポとドクロッグは同時に飛び退いた。先ほどまでランポの頭があった位置を影の手が掻っ切った。

 

 ランポは首筋に触れる。どうやら自分への一撃は免れたらしい。しかし、とドクロッグを見やった。ドクロッグが左手に有する鉤爪が干からびていた。しなびた野菜のように垂れ下がっている。鉤爪としての用途は期待出来そうになかった。

 

「今のエナジーボールは攻撃じゃない。目くらましだったというわけか」

 

「いかにも」とヤグルマがデスカーンへと歩み寄る。

 

「貴様のドクロッグは今の一撃でミイラの洗礼を受けた。本来ならばトレーナー本体も狙うつもりだったのだが、まぁよかろう。左手から徐々に干からびていく恐怖を味わうがいい」

 

 ドクロッグが左手を翳す。しおれていく鉤爪から侵食したミイラの効果が、左手首から至り、土色になっていく。ドクロッグは左手を下ろした。恐らくは痛みか疲労で上げられないのだろう。ランポは俯いた。それを見たヤグルマが勝利を確信した笑みを浮かべる。

 

「手持ちがそれだけだという事は調べがついている。ドクロッグ以外で脅威になりそうなのはテッカニンの加速性能を受け継いだヌケニンだけだ。それもトレーナーであるユウキが使い物にならないのならば意味がないだろう。それにヌケニンとて、直接デスカーンに触れる事は出来ない。詰み、というわけだな」

 

 デスカーンの横に並び立ったヤグルマが立ちはだかる。ランポは膝から崩れ落ちた。それを絶望の動きと受け取ったヤグルマは、「よくやったさ」と褒め称えた。

 

「デスカーンの攻撃をこれほど受け流したポケモンもトレーナーもいない。お前の事は私が心の中に永遠に刻みつけよう。勇敢なる反逆者、ランポ。貴様はしかし、このヤグルマの手によって死ぬのだ。志半ばでな」

 

 デスカーンが手を振り上げる。掌へと影が寄り集まり、シャドーボールを形作っていく。黒い電磁波が表面で弾け、その形状を完全に固定した。その時、ランポが不意に片手を上げた。その動きに従うように、ドクロッグが右手を掲げる。ヤグルマは、「無駄だ」と口にした。

 

「ドクロッグがミイラを受けたせいでやけになったか? デスカーンは物理防御と特殊防御が共に高い。ドクロッグの攻撃程度で一撃の下に倒されるほどやわではない。何を出すつもりだ? シャドーパンチか? 騙し討ちか? どちらにせよ、大したダメージではない」

 

「違う」とランポは口にしていた。ヤグルマが訝しげに眉間に皺を寄せる。

 

「俺のドクロッグの放つ技は、怪力だ」

 

「怪力、だと?」

 

 その言葉を聞いたヤグルマは弾かれたように笑い出した。狂喜のような高笑いが低い天井に響き渡る。

 

「ノーマルタイプの物理技か? 馬鹿め、タイプ相性も頭に入っていないのか? ゴーストタイプに対してノーマルタイプの攻撃は無効となる。スクールで習う根本も頭に入っていないでここまで戦ってきたとは、逆に哀れむよ」

 

 ヤグルマの声にランポは俯いたまま沈黙を返した。ヤグルマは鼻を鳴らす。

 

「遂に喋る気力も失ったか。どうやら勝利の美酒は我が手にあるようだな。さらばだ、ブレイブヘキサのリーダーよ」

 

 デスカーンがシャドーボールを振り落とすかに見えた瞬間、ランポが顔を上げた。「俺は」と口を開く。

 

「仲間も守る。お前も倒す。両方やらなくっちゃいけないのが、リーダーの辛いところだな」

 

 その眼に宿した覚悟の双眸にヤグルマが一瞬気圧されたように眉を跳ねさせる。

 

「馬鹿な。勝機など」

 

「怪力は巨大な岩をも押し出すほどの膂力をポケモンに約束させる秘伝の技。どうやら気づいていないようだから言ってやる。鉤爪を全力で床に向けて振り落とせば、どうなるか」

 

 ランポの声を訝しげな眼差しで聞いていたヤグルマは硬直していたが、やがてハッとして周囲を見渡した。背後の床に二つの穴がある。ドクロッグが鉤爪で開けたものだ。加えてデスカーンが体勢を整えるために突き破った穴とドクロッグが足元を崩すために開けた穴とが樹形図のような形で配置されている。もし、それら全ての穴へと均等に力を通して怪力の一撃を加えた場合、どうなるか。

 

 ヤグルマが意味するところに気づいてランポへと目を向ける。

 

「貴様……!」

 

「ドクロッグ、怪力だ」

 

 その言葉に従い、ドクロッグが右手を打ち下ろす。オレンジ色の尾を引いた鉄拳は銃弾のような鋭さを伴って床へと突き刺さった。

 

 瞬間、ピシリとその一撃から同心円状に衝撃が広がり亀裂が走った。一瞬にして亀裂がデスカーンとヤグルマの足元を通り過ぎ、その後ろに開けられた二つの穴で止まる。ヤグルマが駆け出そうとしたが既に遅い。ずんと重い音が響くと同時にヤグルマとデスカーンの足元が崩落した。板が砕け散り木の粉塵が舞う。ヤグルマはランポへと手を伸ばした。ランポはそれを見下ろして腰に手を当てる。

 

「落ちるんだな。リーダー同士の勝負、どうやら俺の勝ちらしい」

 

 ランポの言葉にヤグルマが忌々しげに声を上げようとする。それをフェリーの機関部から響き渡る駆動音が遮った。機関部の隙間へとヤグルマとデスカーンの身体が吸い込まれていく。ヤグルマが機関部に挟まって血飛沫を上げた。一瞬にしてその身体は砕け、デスカーンもろとも塵となった。

 

 ランポはその場に膝をつく。短時間とはいえ、集中力を多大に消費した。ドクロッグの左手を見やる。ドクロッグの左手のミイラ化が収まっていた。徐々に水分を取り戻しつつある。どうやらデスカーンの呪縛は解けたようだ。

 

「これでユウキとマキシも大丈夫だ。本土まで、あと一時間半か。乗客達も充分に回復するだろう」

 

 ランポは息をついた。余計な心配をしながら戦う必要はなくなったのだ。そう思うと肩の荷が降りたような気がした。

 

 首を巡らせようとしたその時、空間に青い光が揺らめいた。ランポがその光を凝視していると、光はリボンの形状を取り、中央に目玉が見えた。眼球がランポを視界に捉える。

 

「……まだ、終わっていないのか」



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第五章 六節「不完全なリーダー」

 ランポが立ち上がりかけた瞬間、抗いがたい衝撃が身体を襲った。その場に縫い付けられたかのように動けなくなる。ランポは奥歯を噛み締めながら、指先に力を込めた。

 

「この技は、重力か」

 

「じゅうりょく」という技は相手に対して加重を与え、体感重力を何倍にも上げる技だ。主にエスパータイプのポケモンが覚える。ドクロッグがその場に膝をつく。

 

 先ほどまでの猛攻に耐え抜いたドクロッグといえども突然の攻撃には不意をつかれた結果になった。

 

 階段の向こうから靴音が聞こえてくる。それと同時にすすり泣くような声が聞こえた。一段一段をゆっくりと降りてくる。その姿が見えた時、ランポは青い光が周囲で揺らめいたのを感知した。ランポが動く前に光が纏いつき、ランポを突き飛ばす。ランポは仰向けに倒れた。痛みに声を上げる。神経を引き裂くような痛みが走る中、ランポは視線を向けた。

 

 グレーの服を着たビジネスマン風の男が黒いポケモンを連れて先ほどヤグルマが落ちた穴を覗き込んでいた。男は大柄だが、少女のように泣いていた。黒いポケモンはドレスのような姿をしており、青い眼が妖艶に細められた。ゴチルゼル。エスパータイプのポケモンだ。

 

 男は情けない声を出した。

 

「隊長ぉ……。ヤグルマ隊長ぉ……。どうして、こんな事になってしまったんですか。ヤグルマ隊長なら、きっとブレイブヘキサを倒してくれると思ったのに」

 

 男は丸まって泣きじゃくった。ランポは今ならば男の隙をつけると感じた。ドクロッグで一気に接近してゴチルゼルを無効化し、トレーナーを仕留める。リーダーの死に痛みを感じている今ならば倒せると踏んだランポはドクロッグへと指示を飛ばした。

 

「ドクロッグ! そいつへと攻撃を――」

 

 言いかけたランポは思わず口を噤んだ。ドクロッグの左手が再びミイラ化の侵食を受けているのだ。鉤爪が干からびて垂れ下がる。どうなっているのか、とランポが思っていると男が叫んだ。

 

「た、隊長ぉ!」

 

 その声にまさか、とランポは穴へと駆け寄る。穴の底で動く機関部に挟まれ、ぐちゃぐちゃの赤に塗れながらも、ヤグルマとデスカーンは生きていた。デスカーンは身体がボロボロに崩れている。しかし、影の手を伸ばしてミイラ化を髪の毛一本の集中力で留めているようだった。

 

 泣いていた男は目元を擦った。ぶつぶつと言葉を発する。

 

「……そう、だったんですね、隊長。正しきは我らにありと言ったのは、その覚悟があったからなんですね。たとえ身体が砕け散っても決して、正しさを成す心をなくさないと言うのは」

 

 男が顔を上げる。その眼には最早迷いはなかった。全てを了解した男の眼だ、とランポは感じる。先ほどまで少女のように泣いていた人間とは一線を画している。

 

「分かりましたよ、隊長! このイシイ、全力をかけて隊長の仇を討ちます。隊長の意志が、行動で伝わりました。自分は、いや俺はランポを、ブレイブヘキサを倒す!」

 

 その声にランポは気圧されるものを感じた。正しき事を成していると言う自負がイシイという男の覚悟を引き立たせている。ランポは舌打ちを漏らした。

 

「厄介な相手に行きあったようだな」

 

「お互い様だな、ランポ。もう俺は迷わない。自信もついた。隊長の心が俺の心に自信の火を灯してくれたんだ」

 

 ランポは歯噛みした。ドクロッグが穴を飛び越えてゴチルゼルの眼前に立つのはこれでほとんど不可能になった。ゴチルゼルはエスパー特有の特殊攻撃を繰り出してくるだろう。ドクロッグのタイプは毒・格闘タイプ。圧倒的不利に立たされた状況だ。先ほどまでよりも性質が悪いかもしれない。イシイはランポとドクロッグの状態を見やり、にたりと笑った。

 

「左手は使い物にならないな、ランポ。右手一本でどう戦う? それにサイコキネシスでドクロッグに触れずして倒す事も出来る。俺はお前に対して圧倒的有利に立ったという事。隊長の意志が消える前に、俺がお前の息の根を止める!」

 

 ゴチルゼルが青い光を揺らめかせ、オーラのように身体から迸る。ドクロッグの身体に纏いつこうとした瞬間、ランポは叫んだ。

 

「ドクロッグ。光を回避して相手へと接近だ!」

 

 ドクロッグに前進を促した。それは後ずさって追い込まれるよりも自ら踏み込んだほうが有利だと考えたからだ。ドクロッグを包みかけていた青い光を背後に、ドクロッグの身体が穴を飛び越えようと宙に踊った。

 

 その瞬間、ドクロッグの身体へと新たに発した青い光が纏いつき、ドクロッグの身体が宙に浮いたまま固定された。手を揺らして宙を掻くが、まるで無重力空間に晒されたように自由が利かない。

 

「テレキネシス。相手を浮かせて命中率を上げる技だ。このままサイコキネシスで押し潰してやろうかなぁ。……だが、その前に」

 

 イシイが穴の底へと目を向ける。ランポはひやりとしたものを感じた。

 

「隊長と同じ苦しみを味わうんだな!」

 

「テレキネシス」が解除され、ドクロッグの身体に重力が圧し掛かってくる。急降下しかけたドクロッグへとランポが声を張り上げた。

 

「ドクロッグ! 壁に爪を立てろ!」

 

 ドクロッグが咄嗟に両手を伸ばし、壁に鉤爪を引っ掻ける。火花が散り、機関部の駆動音が迫る。ランポは、「頼むぞ」と呟いていた。

 

 機関部の直前でドクロッグは止まった。しかし、両手の鉤爪でようやく支えられている状態であり、さらに言えば左手の鉤爪はほとんど機能していない。これではいつ落ちてもおかしくなかった。

 

 イシイが鼻を鳴らす。

 

「幸運な奴だ。しかし、自力では上がってこれまい。この勝負、俺の勝ち――」

 

 その言葉が響きかけたその時だった。ランポは駆け出していた。穴を飛び越えるつもりで助走をつけ、イシイへと飛びかかる。イシイが、「馬鹿め!」と叫んだ。

 

「ポケモンならばいざ知らず、人間がこの穴を飛び越えられるはずがないだろうが!」

 

 ランポはそれでも床を蹴りつけ、直後には穴へと跳躍していた。しかし、明らかに距離が足りない。ランポが落ちるのは明白だった。

 

「自殺か? いい判断だなぁ、ランポ! 隊長と同じ死に方をするなんて」

 

「それでいいのか、お前は」

 

 ランポの発した声にイシイは目を見開いた。ランポが矢継ぎ早に口を開く。

 

「俺の死体がお前の敬愛する隊長と混ざるぞ。それを、お前は許せるのか? 俺は死者を侮辱しようとしている。このまま俺達の死体が混ざれば、お前の隊長への思いも消え失せる。相手のリーダーを屠った、という誉れはあるだろう。だが、俺は死の直前に、確実にお前の敬愛する隊長を殺す。それをお前は許せるのか?」

 

 ランポの言葉にイシイは耳を塞いで後ずさった。隊長の死を侮辱するか、相手のリーダーを倒すかを天秤にかけているのだろう。ランポは確信していた。この男は覚悟を受け取って自信をつけたと言っていた。ならば、それを与えた人間が辱められるのはよしとしないはずだ。当然、取るべき行動は一つ――。

 

 イシイは頭を抱えて、「チクショウ!」と叫んだ。

 

「卑怯者め! お前に隊長を汚させるかぁ!」

 

 ランポの身体を青い光が包み込む。ドクロッグの身体も同様だった。テレキネシスの光がゆっくりとランポとドクロッグを持ち上げていく。イシイとゴチルゼルは睨む目を目の前に降り立ったランポに向けていた。

 

「お前は誇り高い。それゆえに俺と隊長が同じ場所で死を迎える事はよしとしないはずだと読んでいた」

 

 ドクロッグが前に出てゴチルゼルと対峙する。イシイは頭を抱えながら、奇声を上げて仰け反った。

 

「くそが! 倒せたのに! どうして俺は許せなかった?」

 

「全てはその誇りゆえに、だ。俺がたとえばお前のリーダーだとしても、そのように教育しただろうという賭けさ。お前は自分には自信がない。だから相手に依存する。相手の意志の強さがそのままお前の強さになる。それがお前の、いやお前らの弱点だ」

 

 ランポの声にイシイが唇を震わせながら叫びを発した。

 

「お前が……。お前がぁ!」

 

 青い光がドクロッグを包もうとする。ランポは手を開いて前に突き出した。

 

 ドクロッグが弾かれたように走り出す。ドクロッグを握り潰そうとした青い光が背後で弾け飛ぶ。ドクロッグは一瞬にしてゴチルゼルの懐へと踏み込んだ。

 

 ゴチルゼルが反応してサイコキネシスの腕を振るうよりも早く、ドクロッグの黒いオーラを纏った拳がゴチルゼルを打ち据えた。ゴチルゼルが衝撃で後ずさる。間髪入れずにドクロッグは足を振り上げて蹴りつけた。ゴチルゼルの身体が壁にぶち当たり、動きを鈍らせる。

 

「接近戦ではこちらのほうが有利。残念だな。懐に潜り込まれた以上、ゴチルゼルの中距離攻撃のほうが早い道理はない」

 

 ドクロッグがイシイの前に立つ。イシイは頬を痙攣したように震わせて喉の奥から声を搾り出した。

 

「こんな……、こんな事で……。ならば」

 

 ゴチルゼルの眼が水色に光り輝き、ランポを跳び越えて船室のほうへと伸びていく。ランポは振り返った。扉がけたたましい音を立ててひしゃげ、ガラスが割れる。

 

「ブレイブヘキサの戦力を減らしてやる。お前には勝てないだろうさ。だが、まだミイラ化から脱し切れてないお前の仲間はどうだろうなぁ」

 

 いやらしくイシイが嗤う。ランポは睨む目を寄越した。

 

「俺はお前が誇り高い戦士だと見込んでいたが、隊長の意志ももう関係ないようだな。そのような下衆の心では」

 

 イシイは卑屈な笑みを浮かべながら、「ゴチルゼル!」と命令した。

 

「ミイラ化した奴はもう特定しているな。そいつをサイコキネシスで絞め殺せ!」

 

「させるか!」

 

 ドクロッグの拳がイシイへと振るわれる。イシイは、「俺なんかを狙っている場合か?」と言葉を発した。

 

「ゴチルゼルはお前が予想しているよりも早く、正確に仲間を殺すぜ」

 

 ゴチルゼルの水色の瞳が細められる。その時、急にその輝きが薄らいだ。ゴチルゼルが脱力したようにへたり込む。全身のリボンが垂れ下がった。異常に気づいたイシイが声を上げる。

 

「何だ? どうなっている?」

 

「ドクロッグの特性が効いてきたのさ」

 

 ランポの声にイシイが目を慄かせた。

 

「ドクロッグの特性は毒手。三割の確率で、直接攻撃は相手へと毒を与える攻撃になる。ゴチルゼルは毒のダメージを受けている。その状態で正確な思念の操作は不可能だろうな」

 

 ふらつくゴチルゼルへとイシイは怒声を飛ばした。

 

「ゴチルゼル! お前! この局面で何も出来ないのか? この役立たずが!」

 

 罵倒する声が響く前にその腹腔へとドクロッグの拳が叩き込まれた。イシイが呻き声を上げる。

 

「下衆な野郎ほど自分の実力のなさをポケモンのせいにするもんさ。じゃあな」

 

 ドクロッグの毒の鉤爪と拳が幾つもの線を描いて流星のようにイシイの身体へと打ち込まれる。

 

 イシイの身体がひしゃげ、毒を打ち込まれた箇所が爛れていく。ドクロッグの拳の応酬がやみ、ランポが身を翻すと同時にドクロッグがイシイの身体を持ち上げ、そのまま機関部の穴へと放り込んだ。穴に放り込まれたイシイは声も上げずに機関部の構造の中へと吸い込まれていった。主を失ったゴチルゼルが項垂れる。ランポは懐から解毒剤を取り出した。ゴチルゼルへと歩み寄り、その手へと打ち込む。

 

「自分だけ生きる事に負い目を感じる必要はない。お前は自由だ。どこへでも行くがいい」

 

 ゴチルゼルはしばらく俯いていたが、やがて青い光がゴチルゼルを包み込んだ。オーロラのように揺らめき、ゴチルゼルの姿が背景に溶けていく。「テレポート」を使っているのだと知れた。もしかしたらウィルのポケモンとして主がやられた事を報告するつもりなのかもしれない。それでも最早モンスターボールの呪縛から逃れたポケモンの行動は自由だ。ランポはそこまで介入しようとは思わなかった。

 

 ゴチルゼルが消え失せ、ランポはその場に取り残された。ドクロッグの左手を見やると、ミイラ化した鉤爪が元の色を取り戻している。どうやらデスカーンは完全に事切れたようだった。ドクロッグに触れて状態を確かめる。ダメージはほとんど受けていないが、消耗が激しかったようだ。機関部の露出した穴を見やり、ランポは息をついた。

 

「組織の金で直してもらうしかなさそうだな」

 

 その皺寄せがまた自分にも来るかと思うと嫌気が差したが、それもリーダーの務めのうちだ。ランポはポケッチを見やった。本土到着まで残り一時間だった。今はとにかく静かに待つ事だと自分に命じて、ランポはその場に座り込んだ。ドクロッグが心配そうな目を向けてくる。ランポは微笑み返した。

 

「大丈夫だ。ドクロッグ。俺は何ともない。お前こそ消耗した体力を戻しておくといい」

 

 ランポはホルスターからモンスターボールを取り出し、ドクロッグへと向けた。赤い粒子がドクロッグを包み込み、モンスターボールに吸い込まれていく。ランポは一人、天井を仰いだ。天井が崩落し、床が抜け落ちている。

 

「金のいる用事の多い事だ」

 

 ランポはこういう時に一服つければと思った。エドガーに煙草の一本くらいはもらっておくべきだった。指先が煙草を弄ぶ形になる。しかし、それは意味がないだろうという結論に達した。

 

「俺は吸えないからな。エドガーのようにはいかない」

 

 不完全なリーダーだな、とランポは自嘲する。汽笛が鳴り響き、本土が近い事を告げた。

 



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第五章 七節「同類」

 カワジシティでは既にユウキ達の受け入れ態勢が整っていた。

 

 リヴァイヴ団の指定するバスに乗り、一路ハリマシティを目指す事になった。観光バスであり、旅行客を装った動きであったために一般客も混じっている。ユウキはほとんど初めて踏みしめる本土の土の感覚を味わう暇もなく、バスに身を揺られていた。元々、本土の風を味わおうだとかそういう余裕がない事は充分に分かっている。ユウキはフェリーの上で受けた攻撃の痕をさすった。ミイラ化した両手は随分とマシになったがまだ感覚が痺れている部分はある。ランポはフェリーから降りるなり、ユウキ達へと告げた。

 

「敵は仕掛けてくるだろう。三つに分かれる事にする」

 

 異論はなかった。全員がウィルのやり方というものを肌で実感していた。一般人がいようが容赦はない。フェリーに乗っていた一般の乗客の中にもデスカーンのミイラの特性を受けてしまった乗客がいた事を思い出す。多くが病院に担ぎ込まれた。ユウキ達はしかし、悠長に病院に行っている場合ではない。一刻も早く、本土のリヴァイヴ団へとレナの引き渡しが求められた。

 

 ユウキが窓際の座席に座って外を見つめていると、カワジシティの活気が目に入った。繁華街の中を人々が数珠繋ぎになってのっそりと歩いていく。外の天気は生憎の雨だった。思い思いの傘を差した人々が顔を伏せて歩く様は、密集した花弁のようだ。

 

 昔はコウエツシティも同じくらいの活気に溢れていたのだと聞く。そう考えると少し思うところはあった。一般道を踏み越えるように整備された車両専用の道路をバスや車が行き交う。ガタンと車両が揺れた。

 

「ユウキよぉ。そう肩肘張る必要はないんじゃねぇか?」

 

 後ろの座席からだらけきった声が聞こえてくる。テクワの声だった。額を掻きながら、「気持ちは分かるぜ」と言う。

 

「フェリーの上なんて絶対襲ってこないと思っていたからな。俺も寝ていたし。その事に関しては戦力にならなかった事は謝るよ」

 

「別に謝罪が欲しいわけでは」とユウキが口にして振り返るとテクワは、「まぁ、そうなんだろうけど」と額に皺を寄せた。

 

「一応、仁義って言うの? 俺はあんまり好きじゃないけど通しとかねぇとなって」

 

 テクワは座席をリクライニングさせて欠伸をかみ殺した。どうやらフェリーの上で寝たのに、まだ足りないらしい。

 

「今回、マキシと別行動になって大丈夫ですか?」

 

「何がだ?」

 

 テクワが鼻をほじくりながら聞き返す。

 

「マキシはテクワとの連携に慣れていると聞きました。だったら、その二人を組ませるべきでしょう。僕とテクワになったのは、どうしてなんでしょうか?」

 

 ユウキの質問にテクワは中空を睨んで呻った。赤毛を掻きながら、「俺の予想だとな」と応じる。

 

「今までのやり方じゃ駄目なんだとランポが感じたと思うんだわ。だから変則的な組み合わせを試みた。今回のバスの振り分けは少し不自然だろ」

 

 ユウキは三台のバスの振り分けを思い返す。ランポとマキシがレナを保護し、エドガーとミツヤ、そしてユウキとテクワだった。エドガーとミツヤはお互いのポケモンによる相乗効果が期待出来るのは分かる。ランポはレナを常に見えるところに置いておくべきだと判断したのだろう。マキシはまだミイラが完全に癒えたわけではないために様子見の意味もあるのかもしれない。しかし、どう考えても自分とテクワに行き着く理由が分からない。

 

「やっぱり僕らになる理由って分かりませんよ。テクワには分かりますか?」

 

「いんや。リーダーの考える事ってのは唐突だからねぇ」

 

 唐突、その一語で片付けていいものだろうか。ランポは何か狙いがあって自分とテクワを組ませたのではないか。そう考えるのは考えすぎかもしれない。本当にテクワの言う通り、ランポはただ勘に任せて選んだのか。しかし、今までのランポの行動パターンから完全な勘任せというのはなさそうだ。何か狙いがある。自分とテクワの組み合わせに思わぬ化学反応でも期待しているのか。

 

 ユウキはテクワを見やった。テクワはリクライニングする座席のおかげで気分がいいのか少しまどろみかけている。ユウキはカワジシティの船着場で買ったヤドンの尻尾を模したおかきを頬張った。醤油ベースで空きっ腹に染み渡る。フェリーでは結局食料にはありつけなかったため、ユウキはこのような菓子で腹の虫を誤魔化す事にした。

 

「テクワもどうです?」

 

 自分だけ食べるのは気が引けたのでテクワにも勧める。テクワは口を開けた。どうやら放り込めという事らしい。ユウキはため息をついておかきを放り込んだ。テクワが音を立てながら頬張る。

 

「うまいな、これ。他のないのか?」

 

「塩味とサラダ味を買ってありますが」

 

「じゃあ、それくれ」

 

 塩味の袋を取り出すと、テクワは引っ手繰るようにして袋を手に取り、縦に引き裂いて封を開けた。ユウキは几帳面なのでそのような大雑把な開け方は決してしない。

 

 テクワは気にするでもなく、塩味のおかきを食べながら、「これもなかなかだな」と言って、手を差し出した。何なのだろうかとユウキが訝しげな目線を向けていると、「サラダ味」とテクワが言った。

 

「くれ。あるんだろ」

 

 どうやらテクワは塩味のおかきを開けたまま、サラダ味のおかきも味わおうというのである。さすがにユウキは呆れた。

 

「駄目ですよ。まずは塩味を食べてください」

 

「いいじゃねぇか。ケチケチすんなよ」

 

「ケチとかそういう問題じゃないですよ。結局食べられなかったら勿体無いでしょう」

 

 テクワが手を差し出してユウキの脇腹を突いた。

 

「やめてくださいよ。あげませんよ」

 

「小さい奴だな。別にいいだろうが。どうせ腹に入るんだから。気にし過ぎだよ」

 

「テクワこそ、もうちょっと張り詰めてくださいよ。一応は護衛任務の延長なんですから」

 

「へいへい」とテクワは顔の前で手を振る。どうやらあくまでやる気はないようだ。

 

 気持ちは分からないでもない。自分達はレナを護衛する本隊を欺くための存在、言うなれば囮である。同じ目的地に向かうとはいえ、別ルートを取っている。ウィルは限りなく情報を詰めているようなのでもしかしたらランポのほうに引きつけられるかもしれない。来る可能性の薄い敵を待つほど、テクワは神経質ではない。ユウキとて来ないほうがいいと考えている。理想は敵がエドガーとミツヤのほうに釣られる事か。

 

「その護衛対象は今どこなのか、俺達にも知らされてないんだもんな。そりゃ、情報漏えいを防ぐためって名目は分かるぜ。でもよ、こうも判然としないとやる気って言うかモチベーションって言うか、アドレナリンがなぁ……」

 

 テクワは頭の後ろで手を組んでまた欠伸をついた。どうやら相当退屈しているらしい。こんな事ならばフェリーで戦えばよかったのに、とユウキは思ったが、そういえばテクワの手持ちだけ自分は知らない事に思い至った。入団試験の時も、カジノの時もそうだ。テクワはバックアップをしていたらしいが、結局実態は分からぬままだった。ユウキが知っているのはテクワがライフル状の特殊なモンスターボールを持っている事だけだ。そのライフルの入ったケースは今、網棚に置かれている。完全に荷物扱いである。ポケモントレーナーならばモンスターボールは片時も手放したくないはずだ。だというのに、テクワはまるで執着などないようである。

 

「テクワ。すぐに繰り出せるようにしておかなくっていいんですか?」

 

 網棚を指差してユウキが尋ねる。テクワは、「おっ?」と寝ぼけたような声で応じた。

 

「ポケモンをすぐに出せるようにしておかなくっていいんですか、って聞いているんですよ」

 

 半ば苛立ちをぶつけるような口調で言うと、テクワは両腕を組んで呻った。

 

「別にいいんじゃねぇか? だってお前のほうが速いじゃん」

 

「どんな敵が来るかも分からないんですよ。僕のテッカニンは、屋内戦は苦手ですから期待しないでください」

 

「何だよ。役立たずかよ」

 

 その物言いにカチンと来るものがあったが、ユウキは表層には出さなかった。ふぅと息を吐き出して、「テクワはもうちょっと危機感を持ったほうがいいですよ」とアドバイスする。

 

「フェリーの時もそうでしたけど、危なくなってからじゃ遅いんです。いつ敵が来てもいいように身構えないと」

 

「まぁ、俺らの立場考えたら間違いじゃないわな。リヴァイヴ団で特殊任務となれば」

 

 テクワが脚を組み直す。ユウキは懇々と言って聞かせた。

 

「張り詰めてくださいよ。そうじゃないともしもの時大変ですから」

 

「もしも、ねぇ。そう構える必要もないんじゃないか? 案ずるより産むがやすし、ってな」

 

 テクワが頬杖をついて言い返す。どこまでもお気楽なテクワに、ユウキは呆れて物も言えないという風に息をついた。

 

「勝手な時だけもっともらしい事を言わないでくださいよ。マキシはよく付き合っていますね」

 

「まぁ、あいつはあれで付き合い長いからな」

 

 テクワの言葉に、そういえばと思い返す。マキシはテクワの事を無条件に信用しているように見えた。それは何故だろう。自分ならば、と考える。きっと付き合っていられないだろう。テクワは実力を見せない上に飄々としている。掴みどころのない性格は時に苛立たせる。マキシはキレやすいというのにテクワに関しては怒ったところを見た事はない。それだけ無言の信頼関係が成り立つ背景とは何なのか。尋ねてみたい衝動に駆られたが、これはプライバシーだろうという一線もあるような気がした。

 

「マキシはどうして我慢出来るんですか?」

 

 それでも訊きたい誘惑に勝つ事は出来ず、婉曲的ではあるが訊いてみた。テクワが心外だとでも言うように唇をすぼめる。

 

「おいおい。それじゃ俺がマキシに無茶ばっかりさせているみたいじゃねぇか」

 

「大方合っているでしょう」

 

「誤解だね。ユウキ。それは俺をまだ分かっていない証拠だぜ」

 

 テクワが言いながらおかきを口に放り込む。ぽりぽりと食べながら糾弾するようにテクワはユウキを指差した。ユウキは眉根を寄せて、

 

「分かってない、とは?」

 

「そのまんまの意味さ。お前は、そうだな……、ランポの事は結構分かっていると思っている」

 

 どうだろうか、とユウキは顎に手を添えて中空を見つめる。ランポの過去には確かに触れた。しかし、分かっているかと問われれば疑問符を浮かべざるを得ない。

 

「どうでしょうか……」

 

「まぁ、俺よりかは近いとしよう。で、エドガーとミツヤ。こいつらも俺よりかは近い理解の度合いにあると考える」

 

 テクワから見ればそう見えるのかもしれない。テクワは基本的に誰かと組む事がない。大抵はマキシとの連携に任せている。理解の度合いが違うのはそのせいだろう。

 

「まぁ、そうするとしましょうか」

 

「そうなんだよ。んで、俺とお前だ。入団試験以来、大した交流はねぇな」

 

 言われてみればそうだろうか。テクワは何かと盛り立てる立場だったと思うが、直接的な交流は薄いかもしれない。

 

「マキシとは交流がありますけど、そういえばテクワとはあまり腹を割って話した気がしませんね」

 

「だろ。そうなんだよ」とどこか得意気に語るテクワ。塩味のおかきをむしゃむしゃと食べて、一つ頷いた。

 

「これはだな。お前が俺に近づきたがってないと分析するね」

 

「僕がですか?」

 

 意想外の言葉にユウキは自分を指差す。テクワからならばいざ知らず、自分がテクワを遠ざけているという自覚はなかった。テクワの人物分析は続く。

 

「そうだな。お前は俺に関わる事がイコール厄介事だと思っている節があるな。マキシを見てそう思うんだろう」

 

 マキシの姿を思い描く。鋭い眼差しに頭に巻いた包帯はまだ解けていない。キレやすいとテクワに形容されたマキシを見てテクワを遠ざける理由はよく分からなかった。

 

「どうしてそれで僕がテクワを遠ざけるんです? マキシを遠ざけるならまだしも」

 

「マキシは遠ざけねぇよ。あいつに対する第一印象は最悪だったはずだ。底辺から積み重ねていったんだから、それを崩して新しい評価を下そうとは思わないだろ。でも、お前は一度俺に裏切られたと思っている」

 

「実際にそうじゃないですか」

 

 入団試験の最中、自分の弱点を知らしめるために裏切ってきたのはテクワのほうだ。テクワは何度か頷く。

 

「そうだな。確かにそうだ。だからこそだよ。最初は評価のランクが高かった奴がどんと地に落ちた。そのせいでもう一度そいつに対する評価を持ち直そうとは思わない。そこまで人間出来てないってのもあるな」

 

 テクワの人物評には偏りがあるように思えたが、ユウキの心境に関しては当たらずとも遠からずと言ったところだろう。確かに、マキシの印象は悪かった。だから、今マキシと話せるのは近づけた証拠に思える。逆にテクワの印象がよかっただけに、裏切られた事は未だにしこりとなって残っているのかもしれない。自分は過去の事にはこだわらない性格のつもりだったが、覚えずそう思っている部分もあるのかもしれない。

 

「まぁ、僕は確かに、人間は出来ていませんが」

 

「これは別に卑屈になれって言っているわけじゃないぜ?」

 

 誤解するなよ、とテクワは付け加える。首を引っ込めるジェスチャーをする。

 

「お前は無意識下で俺には近づきたがってないんだよ。もう裏切られたくないってな。前科があるんだから俺もどうこう言えないし、お前の人物評だからそれは勝手だ」

 

 テクワの言う事は当たっているのかもしれない。思っていたよりも相手を観察している人間だというのは入団試験の時に感じたはずだ。しかし、ユウキにはユウキの言い分があった。

 

「たとえそうだとしても、今持ち出す話じゃないでしょう。僕らはチームなんですから。仲違いの材料は少ないほうがいい」

 

「お前の言う事はもっともだな。確かに今する話じゃなかった。でも、逆に今しなきゃ、多分一生こういう話題に触れる事はないぜ」

 

 ユウキはその言葉に、これから先に待ち受けているであろう運命を予想した。恐らくはリヴァイヴ団の本体に近い傘下に加えられる。ボスへと近づく機会を得られると同時に、今までのような小さな任務からは外され、命を削るような任務に当てられる事となるだろう。

 

 そうなった場合、チームメイトとの話などする事はなくなるかもしれない。話す事は既に了解された事項ばかりで、雑談の類はぐっと減るだろう。そうなる前に自分はチームメイトの事を知る必要があるのだろうか。ミツヤの事は知った。ランポの事も全てではないが知った。しかしエドガーやマキシ、テクワの事はほとんど知らないと言ってもいいのではないか。そんな状態で完璧な信頼関係など築けるのだろうか。きっと不可能だとユウキは思う。どこかで綻びが生まれる。それ以前にこのチームでずっと戦う事になるのかすら分からない。もしかしたらチームの組み替えがあるかもしれない。そうなった場合、自分はどうするのか。慣れた群れから離れた自分は自力でボスの喉元へと辿り着く事が出来るのか。

 

 ユウキが思案していると、テクワは額を指さした。

 

「ここに皺寄っているぜ。そう思い詰めるなよ。俺も悪かったさ」

 

 ユウキは額を撫でて、「別に思い詰めてなんか」と返したが嘘だった。随分と思い詰めていたように思える。

 

「ならいいけどよ」とテクワがユウキの帽子を指した。ユウキは視線を鍔に向ける。

 

「何ですか?」

 

「いや、あんまり考え過ぎてもさ。禿げるんじゃないかなって思って。お前、いつも帽子被っているから余計に」

 

 ユウキはその言葉に目を丸くしていたが、やがて吹き出した。テクワの肩を叩き、「それ、言う人を間違ったら怒られますよ」と言った。

 

「ああ、だから俺はその辺は間違わないようにだけ気をつけている」

 

「何ですか、それ」

 

 ユウキは笑い出した。テクワも一緒になって笑う。少なくとも今この瞬間はチームメイトだろうとユウキが思った。

 

 その時である。

 

 バスの天井で重い音が響き渡った。何かが落ちてきたような音だ。その音にユウキとテクワは笑いを掻き消して天井を仰いだ。

 

「何だ?」と他の旅行客が怪訝そうに目を向ける。「ポケモンでも落ちてきたんだろ」と返す旅行者だったが、ユウキ達には他の意味に取れた。緊張の眼差しを天井に据えていると、突如として天井の一部が剥がれた。鉄製の天井が捲れ上がり、天井に乗っている何かが乗客達を見下ろした。雨粒が降り注ぐ。

 

 それは白い巨体だった。帯を思わせるような大柄な身体で、鋭利な爪の先は黒い。熊のような巨体だがほとんど二足歩行だ。白い体毛が覆っている。しっかりとバスの天井を踏みしめ、睥睨する瞳は黒く射抜くようだ。特徴的なのは顎の下に垂れ下がった氷柱の牙である。三叉に分かれており、中央の牙が最も長い。そのポケモンの肩に人間が乗っていた。小柄な少女だ。白熊のポケモンに比すればその小ささが際立つ。亜麻色の髪を結いつけ、緑色のコートを着込んでいる。そのコートの袖口には「WILL」の刻印があった。

 

「ウィル戦闘部隊、第三種γ部隊副長、氷結のウテナ。ブレイブヘキサが乗っているってこの子から情報をもらったんだけど」

 

 白熊のポケモンの足元に青い光が塊となって凝結し、ゴチルゼルの姿を顕現させた。ユウキは仰ぎながら歯噛みする。戦闘員に既に情報が行っているとは。しかし、不幸中の幸いかそれは間違った情報だ。ウテナと名乗った少女は手を庇のように翳して、バスの乗客を観察する。「あれれ?」と声を漏らす。

 

「ヤグルマ隊長の報告書にあった女の子なんていないじゃない。どういう事? ガセ掴まされたって言うの?」

 

 少女はポケモンの肩に乗ったままポケッチを操作する。仲間に連絡するつもりかもしれない。

 

「させるか。テッカニン!」

 

 ホルスターからボールを引き抜き、ユウキが叫ぶ。緊急射出ボタンを押し込み、テッカニンの姿が空気中に消える。相手が少女だという事がユウキの心に一点の罪悪としてあったが、消すのは止むなしと断じた。相手はウィルだ。手心を加えればやられる。テッカニンがウテナのこめかみへと狙いを定めた、その時だった。

 

「そっかー、分かった。三手に分かれたのね」

 

 その声を聞いた瞬間、白熊のポケモンが反応し翳した腕でウテナを守った。テッカニンが攻撃のコースを阻まれ、強い体毛の生えた表皮にぶち当たる。テッカニンの攻撃はほとんど通じていないようだった。それよりも、ユウキは驚愕していた。明らかに鈍重そうなポケモンだというのにテッカニンの攻撃速度に反応したというのが信じられなかった。それを見て、ふふんとウテナが笑う。

 

「どうやらツンベアーが思いのほか速くって驚いているみたい。いい気味ね」

 

 ツンベアーと呼ばれたポケモンは一声鳴いた。地鳴りのような声だった。大粒の雨が横殴りに吹き付ける。ツンベアーは片手を振り上げた。すると見る見る間にその掌へと雨粒が吸い付いていき、掌から冷気が吹き出した。雨粒が凝固し渦を巻いて固まっていく。瞬く間に巨大な氷柱が生成された。氷柱を掴んだツンベアーが腕を振り上げる。ウテナが天井へとくるりと軽く身を躍らせて着地すると同時にゴチルゼルと共に消えていく。「テレポート」だ。その姿が消え行く前に、声が響いた。

 

「ツンベアー。氷柱落とし」

 

 ツンベアーが咆哮して氷柱を打ち下ろす。ユウキが呆然と眺めていると、「危ねぇ!」という声が弾けた。テクワの声だった。いつの間にかケースからライフルを出すと同時に光が射出される。形状を伴って光が、「つららおとし」の射線上に現れた。それは直立したササソリのようなポケモンだった。上半身と下半身を結ぶ腰はくびれており、巨大な顎から両腕が生えている。白い髭を生やしており、凄みを引き立たせていた。

 

「ドラピオン、守る!」

 

 ドラピオンと呼ばれたポケモンの前面に紫色の光の膜が現れる。その膜が氷柱落としの一撃を遮った。氷柱が膜に触れて砕け散る。本来ならば自分の身体が肉や血潮と共に砕け散っていたのだと思うと身震いした。テクワはライフルの銃口をツンベアーに向けていた。眼帯を外しており、蒼い眼が覗いている。

 

「テクワ。その眼は……」

 

「今は後にしろ! 早くテッカニンを呼び戻せ!」

 

 先ほどまでの日和見が嘘だったかのように激しい声音を響かせる。ユウキは慌ててテッカニンを呼んだ。テッカニンがすぐさま間近の空間の中に溶けていく。テクワはバスの運転手へと振り返った。ライフルを携えたままである。銃口を向けられた乗客と運転手がざわめいた。

 

「大人しくしろ! リヴァイヴ団だ! このバスを停めるんだ、今すぐに!」

 

 リヴァイヴ団という名前にざわめきが大きくなる。テクワは銃口を向けて、「早くしろ!」と叫びを重ねた。

 

「死にたくなけりゃ停めるんだ。でなきゃ全員お陀仏だぞ!」

 

 その言葉に運転手が頷いてブレーキを踏み込んだ。バスが横滑りし乗客達は急制動に身体を揺すぶられる。テクワは座席に掴まりながら、ツンベアーを睨みつけた。ユウキも座席に掴まって集中を切らさないようにする。

 

「ツンベアーのトレーナーはどこだ? ゴチルゼルと一緒にどこに消えた?」

 

 テクワがライフルを振りながら周囲を見渡す。ユウキも視線を配ったが、ウテナの姿は見えなかった。

 

「絶対に見える場所から命令を下しているはずなんだ。見えりゃ、ドラピオンで殺せるってのに」

 

 ツンベアーが口から白い呼気を出しながら動き出す。横滑りで停まったバスはトンネルの前で立ち往生の形となった。他の車からのクラクションの音が響く。ツンベアーが片手を上げる。雨粒が渦を巻いて氷結し、先端が刃のように尖った氷柱を形成する。

 

「仕方がねぇ。ドラピオン、炎の牙!」

 

 ドラピオンの身体が跳ね、ツンベアーへと飛びかかった。巨大な顎を開いたかと思うと、前面の空気が歪み、熱が発せられた。瞬く間に炎が上がって牙に纏いつく。「ほのおのキバ」は炎タイプの物理攻撃だ。相手を怯ませる効果も期待出来る。炎の牙をツンベアーは翳した腕で受け止めた。表皮へと食い込んだかに見えた攻撃はツンベアーの体毛に弾かれたように霧散する。炎が強い体毛で防がれているのだ。テクワが舌を打つ。

 

「これじゃ怯みも期待出来ねぇ。ドラピオン、毒針を撃ち込め!」

 

 ドラピオンが有する尻尾が持ち上がり、ツンベアーの顔へと狙いを澄ませる。テクワがライフルの照準に蒼い眼を向ける。あのライフルは銃口が塞がれているはずだ。だというのに、どうしてライフルを見るのだろうか。ユウキが怪訝そうに見ていると、「ぼさっとすんな!」と怒声が飛んだ。

 

「お前はウテナとか言うトレーナーを捜せ! 俺のドラピオンはあまり接近戦が得意じゃない」

 

 テクワの切迫した声にユウキはテッカニンへとトレーナーを捜すように命じた。テッカニンが空気に溶け込もうとするが、雨のせいか羽音がいつもより大きい。

 

 ――これでは、と思ったユウキの不安を裏付けるようにツンベアーが空間を叩きつけた。テッカニンの姿が一瞬現れる。ツンベアーから攻撃を受けたのだ。よろめいたテッカニンが空中で体勢を立て直す前に、ツンベアーはドラピオンを弾いた。ドラピオンがテクワの前に立つ。乗客は全員降りていた。運転手もいない。クラクションの音だけが鳴り響き、それを掻き消すようにツンベアーの咆哮が雨粒を弾き飛ばす。

 

「やべぇぞ。ツンベアーの特性は多分、すいすいだ。雨の降っている状況ならば素早さが上がっている」

 

「でも、それだけでしょうか。ツンベアーはそれほど機敏には見えない」

 

「ああ、同感だ」とテクワは照準に目を当てたまま応じる。

 

「ツンベアーは本来鈍いポケモンのはず。それがどうしてここまで素早い? 何が起こってやがるんだ?」

 

 テクワはツンベアーを照準に捉える。その時、不意にライフルを下ろした。何だ、とユウキが見ていると、「まさか」とテクワは再び照準を向けた。何かを確認するような動作だった。

 

「テクワ。どうしました?」

 

「あいつの眼だ」

 

 テクワの言葉にユウキもツンベアーの眼を見る。眼がいいからかユウキには瞬時に言わんとしている事が分かった。ツンベアーの眼が本来の黒色ではない。湖畔の月のように蒼かった。

 

「どういう、事ですか……」

 

「参ったぜ」

 

 テクワは額を拭った。雨粒が目に沁みてテクワの姿を滲ませる。

 

「俺と同じとはな」

 



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第五章 八節「少年A」

 少年は自分の母親が迫害される対象だと認識したのは十歳の時だ。

 

 それまでは母親の隠し持っている黒い服の意味が今一つ分かっていなかった。ミサワタウンのヒグチ博士の家に居候して早三年。少年は博士を父親のように思っていたし、母親もそのように振る舞っていた。時々帰ってくる博士の娘のサキやマコとはよく遊ぶ仲だった。とは言っても、マコが遊んでくれるだけでサキは仏頂面をして見ているだけである。

 

「サキ姉ちゃん、遊ぼう」と言うと、サキは何かしら理由をつけて、「どうして私がガキと遊ばなきゃならないんだ」と二言目には言うのだが、結局は不器用ながらも遊んでくれていた。

 

 少年はその現状に満足していた。

 

 二人の姉がいるようなものだった。

 

 全てが満ち足りていたと思っていた少年が違和感を覚えたのは十歳になった時の夏の出来事だった。

 

 ミサワタウンへと行政指導と共にある集団が居つき始めた。

 

 緑色の制服を身に纏った彼らの事をウィルだと知ったのは後の話だが、少年は彼らを侵略者の類だと思った。

 

 何故ならば、定期的に家を訪れては母親に何か含めるような言い方をして、次に博士を責めるのである。母親は博士や他人の前では決して泣かなかったが、洗面所でひそかに涙を流していた事を少年は知っていた。

 

 少年は力になりたかった。母親の境遇を救えるだけの力を手にしたかった。そのために彼は手持ちのスコルピと共に、ミサワタウンのウィル駐屯地へと殴り込みをかけた。

 

 もちろん、脆弱な少年の力ではウィルに敵うはずもなかった。スコルピは瀕死の重傷を負わされ、少年はその時の戦いによって右眼を負傷した。角膜に傷がついた程度だったので大した事はなかったのだが、少年にとってそれは屈辱的な敗北の記憶となった。母親に涙を流させ、父親同然の博士を責め立てる相手から嘲笑を浴びせかけられた。

 

「世界の敵の子供が、いきがりやがって」

 

「ガキに何が出来るっていうんだよ。帰って大人しくしてな」

 

 少年はそれらの言葉を信じなかった。

 

 少年の心の中には子供であっても、世界の敵と蔑まれても果敢に立ち向かった人々の記憶があったからだ。

 

 彼らのように自分もなりたい。いや、ならなければ。

 

 その思いは次第に強くなり、彼に一つの決意をさせた。研究所には様々な薬品がある。

 

 彼は博士が厳重に保管している薬品に手をつけた。スコルピを治すために必要だったのと、自分を強くするために必要だった。全てを秘密のうちに行ったのは、彼らウィルの行いが世間では正しいと評価されているためだ。それに歯向かった自分は褒められる事は決してないだろうという予感はしていた。もしかしたら、彼らによって涙を流している母親の手で、自分を殴らせる結果になるかもしれない。それは母親にとっても、何よりも自分にとっても辛い結末だろう。

 

 保管場所の金庫の暗証番号は幸いにも母親の生年月日だった。少年は金庫の中に仕舞ってあったそれを手に入れた。

 

 青い液体の揺れる注射器だ。注射は苦手だったが、スコルピのためだと思い、スコルピにまずは打ち込んでから、自分にも打ち込む事にした。

 

 スコルピは打ち込まれた瞬間、苦しげに身体を硬直させた。その動きに少年は恐怖したが、重傷を受けているのだから当然だろうと、自分の腕に注射をする事を決意させた。

 

 その時に少年は世界が揺らめいたのを覚えている。スコルピのダメージが自分にも及び、少年はその場に倒れ伏した。

 

 痙攣する少年を見つけ出した博士は、すぐさま治療に取りかかった。少年は三日間高熱を出し、右眼はその時に腐り落ちた。新たに目を開いた時、右の視界が闇に包まれているのを少年は知った。

 

 少年は鏡に映った自分を見て呆然とした。

 

 右眼だけが蒼くなっているのだ。

 

 それだけではない。右眼の視界は闇に閉ざされたままだった。少年は博士から事情を聞かされた。

 

 少年の打ち込んだ薬物はポケモンと人間の垣根を超える、あってはならない薬物であった事を。かつての敵であったヘキサやディルファンスが用いていたものを秘密裏に解析するために博士は持っていたのだ。少年はその薬物によってスコルピと同調する能力を得た。同調、の意味が最初少年には分からなかったが、博士による説明で分かった。ポケモンと同じ部位に傷を負い、ポケモンと同じ視界を得る事が出来る。それによってポケモンバトルでは優位に立つ事が出来るという。少年は素直に喜んだ。自分にそのような特別な力が備わった事で、ウィルからみんなを救えると思ったのだ。しかし、それはとんだ思い違いだった事を少年は思い知る事になる。

 

 少年はまず、駐屯地のウィルの構成員に報復する事にした。スコルピとの同調により、スコルピを遠距離から操って毒で仕留めようとしたのだ。その目論見は半分の構成員を仕留めたところで成功したかに思われた。

 

 しかし、気づいた構成員によってスコルピが攻撃された瞬間、少年は博士の言っていたダメージフィードバックを思い出した。スコルピの負った傷はそのまま少年の傷となり、全身に生傷をつけて帰ってきた息子を見て母親は叱りつけた。少年の頬を叩き、母親は言った。

 

「二度とこんな事をするんじゃない」

 

 母親の言葉に少年はショックを受けた。全ては母親と博士のためにやった事なのに、結果的に二人を悲しませてしまった。どうすればいいのか、途方に暮れた少年はある日、奇妙なものを携えた男が研究所を訪れたのを見た。黒髪のまだ若そうな男だった。彼に連れ立って家族も越してきた。

 

 スナイパーライフル一体型のモンスターボールを携えた男は、博士の友人のようだった。少年は壁に寄り添ってひそかに男と博士の会話を聞いた。

 

「カントーが試作段階に造っていたライフル一体型のモンスターボールだ。何でも照準を覗き込んで同期した視界による精密狙撃を可能にするんだと」

 

「しかし、こんなものを造って何になる? 同調なんてまだ学会ではまゆつば物だ」

 

「ヒグチ。あんたは同調したポケモンとトレーナーを見たのだろう?」

 

「彼らは特殊な例だ。一般的にこのような武器を普及させるのはおかしい。同調の存在を認める事になる。そうなれば困る輩も学会には大勢いるだろう」

 

 男と博士が腕を組んで考え込んでいる中、少年は自分ならばと考えた。自分の能力ならライフルを使いこなせるのではないか。男は、「とりあえずこれは俺が預かる」とライフルを持って帰ろうとした。その背へと少年は呼びかけた。男は怪訝そうに少年を見下ろして言った。

 

「どうしたボウズ。見た事があるな。……ああ、ヨシノさんの息子さんか。大きくなったな。その眼はどうした?」

 

 少年は男へと全てを打ち明けた。自分が同調の薬物を使った事、自分ならばそのライフルを使いこなせる事を。男は子供の妄言と思わずに一部始終をしっかりと聞いてから、一つ頷いた。

 

「ならば、ボウズ。お前はこのライフルで何をするつもりだ?」

 

 訊かれた意味が分からず少年はきょとんとする。男はケースからライフルを取り出して、少年の銃口を額に向けた。少年は身震いするのを感じた。緊張感で身体が鉛のようになる。動けない少年へと、男は言い放つ。

 

「これは人を殺すために造られた道具だ。戦うため、と言い換えてもいい。お前は何のためにこれを使おうと言うんだ?」

 

 少年はたどたどしく、みんなのために、と応じた。男は目を細めた。

 

「その、みんな、とは誰だ? お前は本当にそのみんなを幸せに出来るのか? 逆に悲しませるだけじゃないのか?」

 

 その言葉に少年は押し黙った。何も言い返せない。そう感じたからだ。男は屈んで少年と目線を合わせた。

 

「俺にもお前と同じくらいのせがれがいる。だからこそ、間違うな、と言いたいんだ。お前は何になるつもりだ? 何者でもない人殺しでは、誰も喜ばない。何かを成すためには、……覚えておけ、ボウズ、自分が犠牲になるくらいの心持ちでいなくちゃいけない。お前が成す事でたとえ大切な人を悲しませても貫きたいのか、それとも大切な人を悲しませないためにお前が先んじて犠牲となるのか。そのために意志を貫くのかどうかだけは俺に聞かせろ。決意の決まった時に、お前の言葉で、だ。そうでなければ、お前にこれを持つ資格はない」

 

 男の言葉に少年はすぐに返事を返せなかった。男はその日からミサワタウンに住み始めた。男の息子であるマキシは少年と同い年だったためによく遊んだが、少年の頭の中にはいつも男の言葉があった。決意する時、それはそう遠くない日に思えた。少年は数ヵ月後、男へと再び会った。

 

「覚悟は決めたのか、ボウズ」

 

 男は既に少年の名前を知っているはずだったが、それでもその呼び名は崩さなかった。少年は自分の言葉で口にした。

 

 ――俺はお袋や博士の涙をもう見たくない。誰も悲しませたくないんだ。そのためなら自分を火の中に放り込んだって構わない。でもそれは、自分を大切に思わないだとかそういう事じゃ決してない。俺は自分が先に火の中を行く事によって、誰かを安心させたいんだ。火の中でも俺は元気だよ、って言いたい。そのために力が欲しい。俺が持っている力だけじゃ足りない。更なる力が。

 

 少年の言葉を最後まで聞いて、男は頷いた。

 

「なるほどな。覚悟は本物だと判断しよう。ただし、その軟弱な身体じゃ戦えないな。もっと鍛えなくては。これから先、この道具を携える資格を持つまで、俺のトレーニングメニューをこなしてもらう。それが出来るか?」

 

 男の問いかけに、少年は頷いた。迷いなどなかった。力を得るためならば火に飛び込む決意はある。「いいだろう」と男は言った。

 

「テクワ。お前を認めてやる」

 

 

 



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第五章 九節「預ける背中」

「同じって、どういう事ですか、テクワ」

 

 呼びかける声にテクワは我に返った。

 

 思案に耽っていた頭を振って、目の前の敵を見据える。照準のスコープ越しに見える視界はドラピオンと同一だ。

 

 しかし、相手も同じルナポケモンで同調を使っているのだとすれば、この場にいるのは得策ではないと判断したのだろう。ルナポケモンの真価はトレーナーなしでの単独行動が出来る点にある。大方、ウテナとか言う戦闘員は山の中にでも身を隠したのだろう。今から山狩りをするわけにもいかない。そのような余裕はない。自分達は今、攻められているのだ。ツンベアーが氷柱を掌に生成する。下段から振り上げた氷柱がドラピオンの脇腹に突き刺さった。テクワが痛みに顔をしかめる。ユウキがその一瞬に気を取られ、「テクワ!」と呼びかける。テクワは声を返した。

 

「俺の事は構うな。それよりもテッカニンじゃ不利だ。ヌケニンに切り替えろ」

 

 テクワの言葉にユウキはテッカニンへと「バトンタッチ」を命じた。テッカニンの姿が一瞬で光に包まれ、同じ位置にヌケニンが現れる。ヌケニンへとツンベアーが手を振るう。しかし、黒い爪による一撃はヌケニンの手前で防がれた。特性、「ふしぎなまもり」が作用しているのだ。ツンベアーがもう一撃を加えようと腕を上げかけて、まだドラピオンが噛み付いている事に気づく。

 

「ドラピオンの牙はやわじゃねぇぞ」

 

 テクワは照準を向けたまま、「もう一度炎の牙だ」と指示した。ドラピオンの口腔内から炎が上がり、牙の形状を成す。しかし、白い剛毛は炎をほとんど通さなかった。

 

「どうしてここまで通用しないんでしょうか。炎は効果抜群のはず」

 

「ルナポケモンだからだ」

 

 それ以外に説明のしようがなかった。ユウキが、「ルナポケモンって」と尋ねてくるのが気配で伝わったが、「今はいい」と制した。

 

「それよりもどうするか? こいつを倒さなきゃ進ませてはもらえそうにねぇ。考えはあるか?」

 

 テクワはユウキへと目を向けた。ユウキが一発逆転の方法を編み出してくれる事を僅かに期待していたが、それは酷だったのだろう。ユウキは黙ってツンベアーを見つめた。そう簡単に逆転の方法など出るわけがない。しかし、その眼には諦めない光が宿っているのを感じた。

 

 ――かつての自分と同じ眼だ。

 

 マキシの父親である男によって鍛えられた時と同じ眼差しをユウキは持っている。テクワはフッと口元を緩めた。因果なものだと感じた。出会うべくして人は出会う。ユウキには自分の過去は知らせていない。知っているのはランポだけだ。マキシですらおぼろげにすら分かっていない。暗がりの中に放り込んだ過去であるその自分と同じ眼をしているとは。

 

 ユウキはテクワが突然に笑んだものだから怪訝そうな目を向けている。

 

「焦らず考えろ。俺はこいつを足止めする。考えが纏ったら知らせてくれよ。あと自分の身はヌケニンで守れ」

 

 ドラピオンの積装構造の腕がツンベアーの腕を捉える。力比べ、というわけかとテクワは考える。しかし、それも長くは持たないだろう。ドラピオンは腕力には自信がない。いくらルナポケモンといえども能力の上昇には限度がある。相手もルナポケモンならばなおさらだ。ツンベアーがドラピオンの両腕をひねり上げた。テクワの両腕に締めつけられたような痕が刻み込まれ、激痛が走る。ライフルを取り落としかねない痛みにテクワは奥歯を噛んで耐えた。

 

「野郎。目を狙ってやる」

 

 ドラピオンの持ち上がった尻尾から毒針が生成され、狙撃姿勢を取る。狙撃姿勢は巨大な顎を下にして安定感を得て通常時ではゆらゆらと揺れている尻尾を前に突き出す格好になる。ドラピオンが尻尾から毒針を撃ち出した。しかし、ツンベアーは顔を逸らして回避する。ツンベアーの頬にさえ引っかからない。

 

 やはりルナポケモンであり、自分以上の同調を果たしているとテクワは認めざるを得なかった。反応速度が尋常ではない。至近距離からのドラピオンの毒針を避けられるという事は素早さに意識を割り振っているに違いない。先ほどテッカニンを弾き飛ばせたのもそれに起因するのだろう。ならば接近戦はなおの事不利だ。テクワは考えを巡らせる。

 

 しかし、いつものように冷静な判断力が下せなかった。自分が相手と向き合って戦っているせいだとテクワは感じる。いつもならば距離を置いて戦っている。作戦的にも、実戦的にもこのような至近で戦う事はない。

 

「狙撃ってのが性に合っているって言うのに……」

 

 テクワに狙撃を教えたのはマキシの父親だった。身体を鍛え上げると同時に、彼にはこう教えられた。

 

 ――ダメージフィードバックの危険性から少しでも逃れるために、お前には狙撃を学んでもらう。

 

 それは彼なりの安全策だった。ダメージフィードバックから逃れ、ルナポケモンの特性を活かすには超長距離からの狙撃が最も合っている。テクワの身体を鍛えさせ、動体視力を伸ばしたのもそれのためだった。

 

 ライフルを支えるためには強靭な肉体が必要だ。しかも狙撃という特殊な任務に臨むにはそれ相応の精神と肉体が必要不可欠になる。精神を学ばせるために、不完全な肉体を排除し、もしもの時でもダメージフィードバックに耐えうる肉体を作り上げた。続いて動体視力を上げ、スコルピの毒針による一撃離脱戦法を立ち上げて、テクワの肉体にその戦法を沁み込ませた。テクワは最初、それを嫌がっていた。汚れ仕事だと感じていたのだ。安全圏から敵のトレーナーだけを排除するなどまともな人間のやる事ではないと。しかし、男はテクワにそれを教え込んだ。男の言葉には、重みがあった。

 

 ――お前が生き残るために必要な事を自分に叩き込め。戦闘では第一に自分の生存を最優先しろ。他人の生き死ににまで関わるな。

 

 テクワには受け入れがたかった言葉だった。しかし、結果的にテクワは男の教えを忠実に守る事が手持ちであるドラピオンを活かし、自分の能力を活かす事だと理解するようになった。理解してからは、仲間との一定距離を置き、他人と自分を線引きする。それこそが生存に必要な要素だ。

 

 ツンベアーが腕を振るってドラピオンの牙を振り落とそうとする。ツンベアーの片手に氷柱が形成され、下段から打ち込まれた。腹腔に鋭敏な激痛が走り、テクワはその場に膝を折りかけた。しかし、鍛え上げた肉体と精神がここで倒れてはならないとブレーキをかける。テクワはライフルの銃口を杖のようにつけて呼吸を整えた。男からも学んだ兵法だ。

 

 ――呼吸を乱すな。常に平常心でいろ。

 

 テクワは顔を上げる。ドラピオンへと思惟を送り込んだ。ドラピオンの腕がツンベアーの腕を掴んで引き抜いた。血が滴る。片手で氷柱を保持したツンベアーを押さえ、今度はドラピオンがツンベアーの腕をひねり上げようとした。しかし、腕力が足りない。ツンベアーに逆に押し戻されそうになる。ドラピオンから逆流してくる痛みに奥歯を噛んで耐えながら、テクワはライフルを上げた。照準越しにツンベアーの顔面が大写しになる。

 

「もう一度、目を撃ち抜いてやる」

 

 ドラピオンが尻尾をツンベアーに向けて、蒼い瞳孔を収縮させる。ツンベアーは接近戦に特化したポケモンだ。ここで引き剥がすには目を潰すのが最も効率的に思えた。

 

 毒針が引き出され、ツンベアーの目を狙う。ツンベアーはドラピオンの身体を掴んで放り投げた。テクワの右眼の視界がぶれて、ドラピオンがバスの上を転がる。ツンベアーは両腕を広げて咆哮した。両手に雨粒が渦を巻いて寄り集まり、氷柱を形成していく。

 

 テクワは舌打ちを漏らした。この状態ではまともに接近戦など出来ない。不利に転ぶ事は火を見るまでもなく明らかだ。

 

「駄目だ。パワーが足りねぇ。この状態じゃ、ツンベアーには勝てない」

 

 テクワは照準を覗き込んだまま後ずさる。恐れがドラピオンに伝播し、動きが鈍った。それを見透かしたように、ツンベアーが両方の掌を上にして氷柱を掴み、バスの天井を蹴って座席を踏み潰した。ツンベアーの重量でバスの床がたわみ、足場が揺れる。

 

 その時、ユウキが出し抜けに言葉を発した。

 

「……そうだ。テクワ!」

 

「何だ? いい案でも思いついたか?」

 

 期待してはいなかったが、ユウキは力強く頷いた。テクワは照準から視線を外してユウキへと目を向ける。

 

「これは一種の賭けです。それでも、ツンベアーを退けるにはこの方法が手っ取り早い」

 

「いいぜ。聞いてやる。話すんだ」

 

 テクワが手招くとユウキはヌケニンを出したまま、「テクワ、逃げ切れますか?」と尋ねた。意想外の言葉にテクワは、「何だって?」と聞き返す。

 

「ツンベアーの攻撃を避けて逃げ切れますか、と訊いているんです」

 

「おいおい」とテクワは周囲を見渡した。バスのせいでトンネルは塞がれている。クラクションの音が鳴り響き、車から降りた人々がツンベアーを見上げている。

 

「この状態で逃げ切るって何だよ。まさか背中を見せるつもりじゃ――」

 

「そんなわけがないでしょう。でも、これだけは確認したいんです。素早さの上がっているツンベアーの猛攻を、その位置で避ける事が出来ますか?」

 

「この位置でって……」

 

 テクワはツンベアーと自分との距離を瞬時に測った。二メートルもない。踏み込まれればまたも至近の戦闘になる。テクワはユウキを見つめた。まさか、やけになったのかと考えたのだ。しかし、ユウキの眼差しが放つ光は正常だった。本気で言っている。

 

「……俺のドラピオンで避けないと駄目なのか?」

 

「ヌケニンでは不思議な護りで防いでしまう。それでは駄目なんです。それに加速特性を引き継いでいるとはいえ、ヌケニン程度の素早さでは受ける事は出来ても避ける事は出来ない」

 

「よく分からんが、つまり受けるんじゃなくって避ける事が重要だって言いたいんだな」

 

 ユウキは頷いた。テクワは照準に視線を戻してツンベアーの動向を見つめる。ツンベアーが踏み込んでくる前に結論を出さなければならない。テクワはユウキへと視線を送った。

 

 男から受け取った言葉を思い出す。

 

 ――相手を信じるな。

 

 テクワは照準を見つめる視界が僅かにぼやけたのを感じた。今まで遵守してきた教えだ。

 

 ――最初は必ず疑ってかかれ。そうでなければ食い尽くされる。もし、信じるべき時が来たのならば、それはそいつに命を預けてもいいって思える時だ。

 

 テクワは決断を迫られていた。ユウキを信じるべきか、否か。この状況でユウキの言葉を信じて馬鹿を見るか、自分の勘だけを頼りに戦うか。

 

 掌に嫌な汗が浮かぶ。ユウキは信じるに足る人間か。テクワは揺らぐ視界の中、歯噛みした。どうすればいいのだ。誰か教えてくれ。そう思って一瞬だけ目を閉じた時、言葉が脳裏で弾けた。

 

 ――信じるか信じないかはお前の自由だ、テクワ。

 

 それはランポの声だった。入団時にテクワは自分の体質と戦い方について予めランポに断った。他の人間のように戦えないと。その上、自分は誰も信用しない。信じられるのはドラピオンとライフルだけだと。その言葉に対してランポはこう応じた。

 

 ――そのあり方を貫けば、なるほど、それは一つの王道だろう。しかしテクワ。俺達はチームだ。いつか必ず誰かの判断と自分の判断を天秤にかける時が来る。その時、どちらに判断の基準を置くかはお前の自由とする。汚れ仕事を引き受けてくれるのだから、それなりの譲歩はするさ。

 

「……今が、その時ってわけかよ」

 

 テクワは口角を吊り上げて無理やりにでも笑ってみせた。そう考えればランポとは食えない男だ。必ずこの場面が訪れると確信していたのだろう。その時、自分はどう判断するのか。ランポは道標を示すだけだ。その道を進めという命令はしない。

 

「ずるいリーダーだよ、全く」

 

 テクワは口走ってユウキへと視線を向けた。ユウキの眼を見つめる。その眼差しはランポやマキシの父親が自分を見たものと同じだった。信じろ、と告げている。それに従うか否かは自分の心で決めろと言っているのだ。テクワは一つ息をついてから、「毎回こんな目には遭いたくねぇな」と呟いて人差し指を立てた。

 

「いいだろう。ただし、俺は生き残る事を優先する。つまらねぇ意見だと判断したらお前を見捨てる」

 

「構いません」

 

 応じたユウキの声に迷いはない。

 

 ――面白い野郎だ、とテクワは内心ほくそ笑んだ。入団試験の時から本物だとは思っていた。しかし、ここまで来るとは思っていなかったのもある。

 

「筋金入りだな。よし。ドラピオンで攻撃を避ける。それだけでいいんだな?」

 

「はい。出来ればツンベアーの攻撃が打ち下ろされる形でお願いします」

 

「オーケー分かった。それで行こう」

 

 ツンベアーが呻り声を上げて動き出す。上段からツンベアーの氷柱落としが放たれる。テクワは照準を見つめたまま、同期した視界の中に氷柱の先端が大写しになるのを見た。刃の如く輝きを帯びる。恐れが這い登ってくる。ポケモンと視界が同期しているというのは、相手のポケモンと人間である自分が相対している感覚に近い。心が鈍れば動きも鈍る。テクワは鋭く目を細めた。

 

 ドラピオンが脚を動かして後ずさり、一撃目を避ける。バスの床に穴が開き、深く陥没した。その一撃だけでバスが砕けそうだ。

 

「何発避ければいい?」

 

 テクワが尋ねるとユウキは、「恐らく三発程度です」と返した。

 

「それで充分なはず……」

 

 ユウキが何を考えているのか相変わらず分からない。ただ信じるに足る言葉の響きである事は分かった。

 

「いいぜ。来いよ、ツンベアー!」

 

 ドラピオンが挑発するように尻尾を振る。ツンベアーが踏み込んで床が抜け落ちそうになった。体勢を少し崩しながらも、もう一撃が放たれる。氷柱が床に食い込み、引き抜く瞬間に鉄製の床が弾け飛んだ。

 

 ドラピオンとテクワとユウキは既に車両前方へと追い込まれていた。これ以上避けるのは難しい。

 

「本当にあと一発でいいのか?」

 

 振りかけたその言葉に、「ええ」とユウキが頷いた。

 

「この攻撃力ならば、あと一発で」

 

「信じるぜ。踏み込め、ドラピオン!」

 

 ドラピオンが脚を動かしてツンベアーの攻撃射程へと踏み込んだ。ツンベアーが腕を振るい上げる。渾身の力で打ち下ろされた一撃をドラピオンは両腕をばねのように用いて紙一重で避けた。床に食い込んだ氷柱がバスの車体を揺らす。ツンベアーが氷柱を引き抜いた瞬間、床から液体が噴き出した。茶色の液体がツンベアーの身体に引っかかる。ツンベアーの白い毛皮に覆われた身体が茶色く濡れた。ドラピオンが身を引き、テクワが空気中に漂うその液体の臭いを嗅ぐ。その瞬間、「今です、テクワ! 炎の牙を!」とユウキの声が飛んだ。テクワは嗅いだ臭いが何なのか頭の中で結びつけ、脳裏に閃くものを感じた。それと同時にユウキが何を目論んでいたのか理解した。

 

「なるほど、そうか! ドラピオン、炎の牙だ!」

 

 ドラピオンが熱気を口から吐き出し、炎となって巨大な顎に纏いつく。ドラピオンが跳ねて身を躍らせる。ツンベアーが先ほどと同じように腕で受け止めようとした。

 

 ドラピオンの牙がその表皮にかかった瞬間、炎がツンベアーの身体に移った。見る見るうちにツンベアーの身体が炎に包まれていく。羽虫のように侵食する炎が瞬時にツンベアーを火達磨にした。ドラピオンが両腕でツンベアーから剥がれる。それでもツンベアーを覆う炎は止まるところを知らなかった。全身が炎で焼け爛れ、ツンベアーが咆哮する。ユウキが、「ヌケニン!」と声を上げ、ヌケニンの影の爪がガラスの一面を割った。

 

「テクワ! ドラピオンを戻して早く!」

 

「ああ」とテクワは応じ、ライフルを畳んだ。ライフル中央部のモンスターボールへと赤い粒子となってドラピオンが吸い込まれる。ユウキとテクワが割れた窓からトンネルの内側へと飛び込んだ。ツンベアーが追おうと手を伸ばす。テクワは脚に鋭角的な痛みが走ったのを覚えた。テクワの身体が縫いとめられる。見ると、ツンベアーの黒い爪がテクワのふくらはぎへと突き刺さっていた。テクワはもう一方の足で蹴りつける。

 

「放せよ! 心中は御免だぜ!」

 

 ツンベアーが口を開いて咆哮する。「ヌケニン!」と声が飛び、ヌケニンがツンベアーの爪へと影の爪を振り下ろした。影の爪――シャドークローが黒い爪を根元から叩き折る。炎で柔らかくなっていたのだろう。テクワはバスから転げ落ちた。バスの中でツンベアーが呻り声を上げる。テクワは足を引きずりながら遠ざかろうとする。ツンベアーが一声鳴いた、刹那の出来事である。

 

 炎が一際強く輝き、バスが赤い光に包まれた。

 

 轟、と空気が割れる音が響き爆音が連鎖する。ガラスが立て続けに割れる音が鼓膜に引っかかる。圧縮した光が弾け飛び、爆風がトンネルへと吹き込んだ。テクワとユウキは姿勢を低くして爆炎に塗れたバスを見ていた。後ろに続いていた車へと爆発の連鎖反応を起こし、音が水中のように澱み遅れて聞こえてくる。内側から弾けたせいでバスの鉄骨が吹き飛んできた。トンネルの地面に転がっていく。

 

 テクワとユウキは舞い踊る紅蓮が視界の中で揺らめくのを眺めていた。テクワはユウキを見やって微笑んだ。

 

「バスのガソリンに引火させてツンベアーを焼くなんて、なかなか危ない事を思いついてくれるじゃねぇか」

 

 一歩間違えれば自分達も巻き添えだ。それにドラピオンが避け切れなければこの作戦は完遂しなかった。テクワの言葉にユウキは、「賭けだって、言ったでしょう」と笑った。

 

「ツンベアーのパワーならバスのエンジン部まで貫いてくれると思いましたから。あとは運ですね」

 

「運任せかよ。こちとら死ぬかもしれなかったんだぞ」

 

 思わず笑えて来た。死線を潜った後というのは感覚が麻痺するものだ。「でも、うまくいったでしょう?」とユウキが目配せする。テクワは拳を突き出した。ユウキが拳を同じように突き合わせる。

 

「まぁ、何だ。生き残れて万々歳ってところか」

 

「ですね」とユウキは仰け反って大きく息をついた。テクワはバスを見やる。

 

 火の粉が舞い散り、ぐずぐずに融けたバスが内部骨格を晒している。雨が降っているが消火には時間がかかるだろう。ツンベアーも無事では済むまい。弱点である炎タイプの技に、爆発の衝撃とあってはダメージフィードバックも尋常ではないだろう。

 

「死んだか……」

 

 一縷の望みをかけてそう口にしたテクワに、ユウキが首を横に振った。

 

「分かりませんね。敵の耐久力がどこまでなのか、見当もつきませんから」

 

 真っ直ぐにバスの残骸を見つめるユウキへとテクワは言わなければならない事があるような気がしていた。自分のポケモンの事。ルナポケモンの事や右眼の事を。隠し通す事やしらばっくれる事は簡単だったが、自分を導いてくれた相手に対してそれは失礼ないのではないかと感じていた。今までこれほどまでに自分を引っ張ってくれた存在はなかった。それこそ指導者のように指針を示してくれた。

 

「甘っちょろい奴だと最初は思っていたが……」

 

 テクワの言葉にユウキが目を向けた。立ち上がろうとすると、ふくらはぎに突き刺さったツンベアーの爪を中心として鋭角的な痛みが襲った。

 

「テクワ。無茶は……」

 

「いいんだよ、こんなもん」

 

 そう言って引き抜こうとするとユウキが止めた。

 

「駄目ですよ。引き抜くと出血します。きちんと治療をしてもらえる場所に行くまで我慢しないと」

 

「気合でなんとかならぁ」

 

 そう返して突き刺さった爪へと力を加えようとした、その時である。

 

 バスの残骸から地響きのような咆哮が轟いた。トンネル内の空気を震わせる声だ。その声に目を向けた瞬間、バスの残骸が引き裂かれた。炎に包まれたバスの中から、今まさに蛹から孵った蝶のように紅蓮に身を包んだ巨体が姿を現す。テクワは渇いた喉に唾を飲み下した。ユウキも呆然と見ている。

 

「おいおい。嘘だろ……」

 

 炎で全身が焼け爛れている巨体は、両腕を開いて一際激しい鳴き声を発した。テクワは空気が鳴動するのを感じた。恐れを抱く前に、習い性で反応した身体がライフルを広げる。光がモンスターボールから弾き出され、ドラピオンが再び前に出た。テクワは照準越しにツンベアーを睨みつける。ドラピオンが狙撃体勢を取り、毒針を生成する。ツンベアーが両手を地面につき、口を大きく開いた。顎が外れており、だらんと垂れているのが不気味に見えた。

 

「野郎。怒り狂ってやがる」

 

 テクワは呼吸を落ち着けて狙いを澄ました。体毛はほとんど燃え落ちている。両肩に一撃ずつ、両目に一撃。それで決着はつくだろうとテクワは当たりをつけた。テクワは狙撃姿勢になった。身体を寝そべらせ、照準の小さな穴へと全神経を注ぐ。引き金に指をかけ、ドラピオンと同期した視界の中に悪鬼の如く映るツンベアーを見た。

 

「食らえ」

 

 その言葉と共に一発、ドラピオンの尻尾から撃ち出された毒針がツンベアーの右肩口に突き刺さった。ツンベアーが痛みに呻き声を上げて傷口を押さえる。その眼が攻撃的な蒼い光を宿した。思わずぞくりとしたテクワは左肩を無視して眼球へと狙いをつけた。毒針が生成されていく。その間に動きを止めているツンベアーではない。ドラピオンへと雄叫びを上げながら突き進んでくる。

 

「ユウキ!」

 

 テクワは自分でも考えないうちに応援を呼ぶ声を出していた。ユウキのヌケニンが弾かれたように動き出し、ツンベアーの眼前に立った。ツンベアーの黒い爪がヌケニンへと伸びる。ヌケニンの眼前で半透明の膜が拡散し、ツンベアーの攻撃を弾いた。テクワが引き金を引く。

 

 弾き出された毒針がツンベアーの右眼に命中した。ツンベアーが右眼を押さえて蹲る。全身が焼け爛れており、このままでは死に瀕するのは明らかだった。その上右眼を毒針で撃ち抜いたのだ。緩やかに毒が回れば倒す事が出来るだろう。ツンベアーは右眼を押さえながら、鬼のような形相でテクワとユウキを睨んだ。全身を広げて咆哮する。拡散した鳴き声が恐ろしく遠く長く響き渡った。その声を潮にしてツンベアーは倒れ伏した。生きているのか、死んでいるのかは分からない。二人にはそれを確かめるだけの度胸はなかった。

 

「やったんですか……?」

 

 ユウキの声にテクワは首を傾げた。

 

「分からん。だが、長居するのは得策じゃないな。行こうぜ、ユウキ」

 

 テクワは立ち上がろうとしたが、突き刺さった爪の痛みが邪魔をして上手く立てなかった。ユウキが肩を貸す。テクワは、「悪いな」と言いながら肩を借りて立ち上がる。ゆっくりと足を引きずるようにして歩き出した。ライフルを折り畳み、ドラピオンをボールに戻す。ユウキは一応の警戒のためにヌケニンを出したままだった。

 

「ハイウェイを降りるまで、あとどれくらいだ?」

 

「トンネルだけでも五百メートルはあるでしょう。一キロとちょっとってところですかね」

 

「もたねぇよ」

 

 笑いながら言うとユウキは真面目な顔で返した。

 

「頑張ってください。僕も頑張りますから」

 

「頑張るって、何をだよ」

 

 テクワの声にユウキは前を向いたまま応じた。

 

「テクワが今まで頑張った分ですよ」

 

 その言葉にテクワは目を見開いた。ユウキには直感的に分かったのかもしれない。テクワが抱えているものを。その闇の深さを。テクワは恥じ入るように顔を伏せた。

 

「……俺は、頑張ってなんかいねぇよ」

 

「頑張ってますよ」

 

「いないって」

 

 同じようなやり取りが何度か続き、「じゃあ、こうしよう」とテクワが言った。

 

「お互いに頑張った。それで手を打とうぜ」

 

「じゃあ、そうします」

 

 その言い分が可笑しく、「じゃあ、って何だよ」とテクワは吹き出した。ユウキは黙って歩を進めた。爪が貫いた脚が枷のように痛んだが、その痛みもまた分かり合えた証だと思えば名誉の負傷だった。

 

 ――ようやく、命を預けてもいいって奴に出会えたか。

 

 テクワは自分を鍛えてくれたマキシの父親の事を思い出す。会えたよ、と口に出そうとしたが気恥ずかしさから唇を動かすだけにしておいた。

 

 トンネルの出口から光が見える。向こう側は晴れているようだ。その光を二人で受け止めた。暗がりから出られる瞬間へと、テクワは向かおうとしていた。呪縛の闇を、光は洗い流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消火作業へと消防が向かったその時には焼け落ちたバスの残骸と、延焼した車数台以外は何も見受けられなかった。

 

 生き物の這いずったような痕が残っていたが、体液以外その生き物の存在は確認出来ず、とりあえずの消火に当たった消防員の一人は、山裾で蹲っている人間を見つけた。近づくとまだ少女かと思われるほど小柄だったが、異様なのはその皮膚だった。緑色の服を着込んでいる箇所以外は黒ずんでおり、目を覆いたくなるような火傷の痕が見えた。消防員はその少女へと話しかけた。

 

「おい、大丈夫か」

 

 すると少女は顔を上げた。その顔を見て消防員は思わず声を上げた。右眼が抉れ、内側から蒼い炎のような光が漏れている。消防員が腰を抜かしていると、少女は呟いた。

 

「……あのリヴァイヴ団員、テクワとか言う奴。絶対許さない。このウテナにこんな辱めをした代償、きちんと払ってもらうわ」

 

 少女の横に黒いドレスのような姿のポケモンが現れる。そのポケモンから発せられた青い光が少女を包み込み、一瞬のうちに景色と同化して消えていった。消防員が目を擦り、もう一度その場所を見て調べたが、何かがいたような形跡は見られなかった。

 

 



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第五章 十節「終幕の序章Ⅰ」

 ハイウェイを降りたところでようやくポケッチによる通信が可能となった。

 

 ユウキは秘匿回線でランポへと繋いだ。ランポは既にハリマシティへと辿り着いているのだと言う。

 

『タクシーを寄越すからそれに乗ってこちらへと向かえ。詳細は追って知らせる。ハリマシティにある、ハリマセントラルホテルの一室を貸し切ってある。テクワが負傷したのか?』

 

 ユウキが通信をした事で察したのだろう。ユウキはテクワを窺った。テクワのふくらはぎを貫いている爪はそう簡単には抜けそうにない。だというのに、テクワは自力で抜こうとしていた。ユウキは通信している事を忘れて、テクワに言った。

 

「駄目ですよ、テクワ。抜いたら本当に出血して死んでしまいますよ」

 

「……いや、ホント、今にも意識落ちそうなくらい痛いんだって。これ、抜いたほうがいいんじゃねぇの?」

 

「痛いのは分かります。でももう少しの我慢ですから」

 

「我慢ってどれくらいすればいいんだよー」とテクワが呻く。一キロ近くその傷で歩いたのだから大したものだ。

 

『テクワの傷は酷いのか?』

 

「ええ、脚をやられていまして。結構重傷に見えます」

 

『ならば、タクシーに急がせるように伝える。とにかくハリマシティまで向かってくれ。そこの病院でなり治療を受けさせる。それでいいだろう』

 

「あ、はい。分かりました」

 

 ユウキの言葉にいつもの歯切れが感じられなかったせいか、ランポが目ざとく、『どうかしたか?』と尋ねた。ユウキは頭を振った。

 

「いいえ。ではハリマシティで落ち合いましょう」

 

『ああ。無事に合流出来る事を祈っている』

 

 その言葉を潮にして通信は切られた。ユウキがポケッチを眺めていると、テクワが苦しげに呻く。

 

「で、何だって?」

 

「もうすぐタクシーが来ます。テクワが重傷だって言ったら早く来てくれるそうです。もうちょっとの我慢ですよ」

 

「それだけじゃねぇような気がするけど?」

 

 ユウキの視線の落ち着きがない事を察したのか、テクワが口にする。ユウキは、「いえ、何だか」と自分の中での違和感を形にしようとした。

 

「何だか?」

 

「ランポの様子がおかしかったような気がするんです。何だか焦っているみたいで」

 

「俺は今の会話を聞いていてそんな風には聞こえなかったけどな」

 

「気のせいでしょうか?」とユウキは頬を押さえながら尋ねる。「さぁな」とテクワはつれない様子だ。自分が重傷を負っているのだからそんなものなのかもしれない。

 

「俺はリーダーのやる事には文句を挟むつもりはねぇし、いいんじゃねぇか? ただお前がおかしいと感じたには何か理由があるんだろう」

 

「理由、ですか」

 

 顎に手を添えて考え込む。先ほどのランポの言葉にはいつもにはない焦燥が感じられたような気がした。

 

「何て言うんだろう。ランポらしくない……」

 

「リーダーらしいのをいつも維持するのも大変なんじゃね? 今回は結構ハードな任務だったし、その疲れだろ。ランポだって人間だぜ?」

 

「そりゃ、そうですけど」

 

 コウエツシティを出る時に、自分だって人間だと告げた事に起因しているのだろうか。本当に、それだけなのだろうか。それだけならばいいのだが。

 

 ユウキは言い知れぬ不安が胸の中に広がっていくのを感じた。ランポの何気ない言葉に不安を感じるほど自分はランポの事を知っているわけではない。そのはずなのに、この胸の中を埋め尽くしていくもやもやは何なのだろう。覚えず息苦しくなって、ユウキは深く息を吸い込んだ。肺の中に取り込み直した息が少しだけ涼しく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキとの通信を切って、ランポは振り返った。下品に見えぬよう、気を遣って、

 

「失礼。会談中に」

 

 ランポの声はささやかなものだったが、最大限の敬意を払っているつもりだった。高級感溢れる白亜の部屋の中でソファに座った男が、「いいのかね?」と尋ねた。男は小柄だったが、高級そうな仕立てのいいスーツを着込んでおり、蛙のような顔で額にきつく皺が刻まれている。杖を持っていた。持ち手がアーボックの頭部になっている金の杖だ。一目で男の身分が自分達とは異なる事を暗に示している。及びもつかないほどの上層階級の出である事は明らかだった。ランポは恭しく頭を下げた。

 

「構いません。仲間からの定期通信です」

 

 その声に蛙顔の男はフッと口元を緩めた。その笑みの意味を解せぬうちに声が響く。

 

「部下、とは呼ばないのだね」

 

 ランポは一呼吸置いてから、その言葉に応じた。

 

「私にとってチームの面々は公平な人間です。決して実力の有無や優劣では割り切れない。だから仲間と呼ぶ事にしています」

 

 ランポが他を憚って「私」などという外向きの言葉を使わねばならぬほど、相手の身分は高かった。ランポの矜持に男は、「ふむ」と納得したようだった。

 

「いい心がけだ」

 

「お話の途中に失礼を」

 

「いいさ。座りたまえ」

 

 男に促されてランポは対面のソファに腰を下ろした。慣れぬ感触だ、とランポは内心で思うが、それをおくびにも出さずに口を開く。

 

「お話にあった件ですが……」

 

「ああ。ぜひ、君にお願いしたいと思っているんだ、ランポ」

 

 その言葉にランポは唾を飲み下した。今、依頼されている内容は今までの任務の比ではない。そのプレッシャーが否応なく圧し掛かってくる。ランポは肘掛けを掴んだ。そのような行動に出るほどに動揺している。呼吸だけは努めて冷静にしようとしたが、逆にわざとらしくなっていないかと心配する。

 

「私はまだ新参です。務まるかどうか不安で……」

 

 その言葉に男は笑い声を上げた。蛙の顔に似つかわしくない高尚さを漂わせる笑い方だ。

 

「心配には及ばんよ。我らリヴァイヴ団は全力でバックアップする。躍進だと思いたまえ」

 

 男が片手を開いて軽く振った。

 

 躍進。本当に、そう感じるだけならばどれほど楽だろうと思う。

 

「コウエツにいた田舎者です。大した働きが出切るかどうかは保障できません」

 

「いいのさ、それくらいに謙虚でなければ。ただし、リーダーの君はもっと大きく構えたまえ。でなければこの任務、こなせるかどうかは疑問視せざるを得ない」

 

 男が蛙顔の唇の両端を広げて薄い笑みを浮かべる。ランポも薄く笑って見せたが、完全に出遅れている感は否めなかった。

 

 ――どうしたんだ、俺は。

 

 自分にそう問い質さねばならぬほどに緊張している。緊張、という局面を今まで幾度となく味わってきたが、それまでとは一線を画す緊張感だ。

 

 レインや他の上層部と話すのとはわけが違う。目の前にいる蛙顔の男はそれだけの権力を持っている。その立ち姿そのものが権力の象徴と言えた。

 

 男がふわりと手を上げる。その一挙一動にランポは緊張を隠せなかった。男の横に立つ痩身の紳士が男へと葉巻を差し出した。男は葉巻をくわえ、懐からライターを取り出して火を点けた。葉巻の煙は苦手だったが、そのような事を言える局面ではない。たゆたう紫煙の向こう側で男が長く息を吐き出した。まるで蜃気楼のように男の姿が歪む。

 

 ランポは思わず目頭を揉んだ。幻影のように消え行くかに見えたのだ。

 

「どうしたのかね」

 

 男の発した声もどこか別の空間から聞こえてくるかのようだった。ランポは頭を振る。疲れているな、と自覚して言葉を発した。

 

「今次作戦、喜んでお受けいたします」

 

「それくらいの心構えじゃなくっちゃな。若い者には無茶なくらいがちょうどいい」

 

 男は笑った。ランポは笑い返そうとして果たせなかった。

 

 無茶程度なものか。この作戦はまさしく命を捨てろと言っているようなものだ。若者の特権がそのような作戦に向かう精神性だとするのならば、単なる捨て石として上層部は見ている可能性が高い。

 

 だが、ランポに課せられた任務は捨て石を超える任務だ。こなせば確実に地位は上がる。今までのような穏やかな日々が嘘か幻だと思えるようになるだろう。それは、しかし決していい意味ではない。命の危険に常に晒され、仲間達にもこれまで以上の無理を強いる事となる。

 

「君だとウィルに信じさせるためには、それ相応の警備が必要になる。既に下準備は終わっているが、あとは君がどれだけらしく演じられるかだ」

 

 それが最も難しい、とランポは思う。男は葉巻を指先で弄りながら、「どうかね?」と尋ねる。

 

「尽力いたします」

 

 そう答えるほかなかった。「よかろう」と男はソファの背もたれに体重を預ける。

 

「君の事を、単なるブレイブヘキサの一団員だと知っているのは」

 

「ウィル戦闘部隊、第三種γ部隊には割れていると思われます。その隊長は倒しましたが、どの程度まで情報が漏れているのかは分かりません」

 

「いいだろう。γ部隊とやらはこちらで何とかする。してランポ、君のチームの人間についてだが」

 

 来たか、とランポは身構える。肩を緊張で強張らせていると、男は葉巻を吸いながら言った。

 

「今回は多大な責任を伴う任務だ。これから先の君の動きにも影響する。どうかね。分散させてよりよい戦力として振り分けるというのは」

 

 暗にブレイブヘキサの解散を示唆している言葉だった。最早ブレイブヘキサと言う枠組みは必要ないと組織は判断しているのだ。個人の能力をリヴァイヴ団は高く買っている。だからこそ出来る交渉なのだろう。ランポはそれだけはと腹に決めた言葉を吐き出した。

 

「分かりました。その事に関してはお任せいたします。ただ、一つだけ」

 

「何かね?」

 

 男が首を傾げる。ランポは男の眼を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「今回の演説の任務、その時まではブレイブヘキサの解散を待っていただきたい。それ以降は、リヴァイヴ団の振り分けに従います」

 

 ランポの言葉に男は、「ふむ」と顎に手を添えた。しかし首の肉がだぶついている男に顎はないのでほとんど首筋を触っていると言ってもいい。

 

「いいだろう。演説任務時には君がリーダーとして命令したまえ。ただし、その場合における損害について一切組織は保障しない」

 

 つまりはランポの命令において誰が死んでも組織は責任を取らないと言っているのだ。しかし、これはランポの中で譲れない一線だった。

 

「リーダーとして私が彼らに命令出来る最後の機会です。大事にしたい」

 

「よく分かるよ、ランポ。君は心底、リーダー気質なのだろう。部下、いや、君の流儀では仲間か。それを大切にしたい、当たり前の事だ」

 

 男は葉巻をくわえた唇の端を斜めに吊り上げる。その表情を見て、ランポはこの男は部下の命など蚊ほどの価値も感じていないのだろうと思った。言葉の上っ面だけで「大事」だの「大切」だのを使う。ランポの嫌いなタイプだったがおくびにも出さずに、「感謝します」と頭を下げた。

 

「その件については追って連絡しよう。三日間は猶予があるんだ。そう焦る話でもない」

 

 三日間しかない、と思ったがそこは考え方次第かと割り切った。男が杖を突いて立ち上がる。痩身の男が侍り、部屋を出ようとする。ランポは立ち上がってその背中を送り届けようとしたが、「ああ、いいよ。君はそのままで。疲れているだろう」と手で制された。ランポはその言葉に、「いえ。ボスの腹心と称される方を座って見送るわけには」と頑として立った。それを見て男がふぅと息をつく。

 

「不器用だな。そう雁字搦めになる必要もない」

 

 今はまだ、と付け加えた。確かに今はまだ役割に絡め取られている場合ではない。いずれ、その時が来るのだ。

 

「君の部屋はここだ。くつろぎたまえ。ああ、それとカシワギ博士の娘の事だが」

 

 男が顔を振り向ける。ランポは固唾を呑んだ。

 

「君の部下の誰でもいい。誰か決めて一任するように。しかるべき処遇が決まれば、ボス自らの勅命が下る」

 

 男の言葉にランポは頭を下げて見送った。男がゆっくりと足を引きずりながら扉の向こうへと消えていく。ランポは扉が完全に閉まってから、緊張の糸を緩めた。

 

 息を吐き出して、新たな空気を吸い込もうとしたが葉巻の甘ったるい匂いが鼻についた。

 

 空調を最大にして煙を追い出し、ランポはソファに座り込んだ。随分と疲れが滲み出ている。ここ数日、張り詰める事が多かった。ようやく辿り着いたというのに、このような重責を負わされるとは思わなかった。全身が鉛のように重い。ランポは瞼を閉じた。戦闘の緊張と護衛の任務の後に加え、自分に背負わされた新たな任務。それらを頭の中で整理する。頭痛を覚えてランポは額に手をやった。立て続けとなれば、頭痛が苛む事もあるだろう。むしろ頭痛程度で済むのならば幸運だ。

 

「まさか、こんな事になるとはな」

 

 その時、扉をノックする音が聞こえた。ランポが佇まいを正し、「どうぞ」と声をかける。扉が開いてエドガーとミツヤが顔を出した。古株の二人には思うところがあるのだろう。顔を翳らせている二人に、ランポは言った。

 

「お前らが心配する事じゃない。きちんと便宜は図ってもらえる」

 

「俺が言いたいのはそういう事じゃないぜ、ランポ」

 

 エドガーが歩み出て部屋へと入ってきた。ミツヤが続いて入り、後ろ手に扉を閉める。

 

「どうする気だ? 俺達だけならばまだしもユウキ達はそれほど覚悟出来ているのか」

 

「してもらうしかない。俺の力が及ばず申し訳ないと頭を下げるしか、な」

 

「ランポが頭を下げる事はないですよ。むしろ、組織の奴らは何を考えているんだか……」

 

 ミツヤが吐き捨てるように口にする。エドガーがミツヤを肘で小突いてその言葉を咎めた。

 

「組織の総本山だぞ。そんな発言は慎め」

 

「でも、旦那。あいつら俺達の事を一言だって褒めてくれたかい?」

 

 その言葉にはエドガーも閉口するしかなかった。ランポはまたも頭痛の種が増えたのを思い知る。レナ護衛の任務をリヴァイヴ団は高く評価はしている。しかし、これから表舞台から姿を消すであろうチームに誰一人関心を払わないのは当然と言えた。

 

「レナは、どうしている?」

 

 ランポの問いかけにエドガーが応じた。

 

「ホテルの一室に閉じこもってる。マキシが護衛についているから大丈夫だとは思うが」

 

「彼女なりに思うところがあるのだろうな。自分の知識がどのように利用されるのか、不安があるのだろう」

 

 ランポはソファから立ち上がった。エドガーとミツヤを見やり、口を開く。

 

「お前らはここまでよく来てくれた。だが、これ以上来る義務はない。次が最後の命令だ」

 

 その言葉にミツヤが口を開きかけて、「よせ」とエドガーに制された。エドガーはランポを見つめながら、「本当に」と言葉を発する。

 

「俺達はここまでなのか?」

 

 苦渋の滲んだ質問にランポは頷いた。

 

「ああ。全てはユウキ達が合流してから知らせるが、俺がリーダーとして発言する機会は減ると考えてもらっていい」

 

「……そんな。俺達は、ランポ、あなただから着いて来たのに」

 

 ミツヤの言葉にランポは目を閉じた。何よりも嬉しい発言だったが、今のランポからしてみれば判断を鈍らせる言葉だ。振り解くほかなかった。

 

「これは命令だ。俺なんかよりもずっと上の、リヴァイヴ団からの」

 

 組織に属している以上、個人の発言する口は奪われる。分かっているはずだった。組織に長く属していれば、自然と身についているはずの所作だった。

 

 だが、何かがランポの中で変わっていたのだ。もしかしたら、前へと進む足と言葉を持ったままのし上がれるのではないかという希望。黄金のような夢。それを覚悟として感じていた。

 

 ――きっと、ユウキと出会ったからだ。

 

 あの出会いが自分を変えた。ただのチンピラとして消費されていくだけのはずだった自分の価値がユウキによって問われた。自分よりも随分と年下の青二才の子供に教えられたのだ。いつからでもやり直せる事を。

 

 しかし、その夢も希望も潰えようとしていた。他ならぬ現実と言う圧倒的な力によって。

 

「ランポ……」とエドガーが不安そうな声を出す。表情を曇らせていたせいだろう。ランポは頭を振って思考を切り替えた。

 

「ユウキ達が到着するまで待ってくれ。それまでにそれぞれの意見を纏めて欲しい。酷な選択を迫っているのは百も承知だ」

 

 ユウキ達がこのホテルに着くまで。それは決断するには短い時間だろう。せめて猶予の時間は与えたかった。ランポの親心を察したのか、エドガーがミツヤの腕を引っ張った。

 

「行こうぜ」

 

「でもよ。ランポが――」

 

「俺達には俺達にしか出来ない事がある。今はランポと言い合っている場合じゃないだろ」

 

 その言葉にミツヤは抗弁の口を閉ざした。ランポは、「行ってくれ。俺も少し一人で考えたい」とミツヤを納得させようとした。ミツヤは渋々ながら承服したように頷き、エドガーと共に部屋を後にした。ランポはソファに深く腰かけて息をついた。葉巻の臭いはもうほとんど外に追い出されていた。

 

 ――ため息の種も一緒に出て行ってくれないものか。

 

 浮かんだ考えに我ながら自嘲も出来ないと感じて、ランポは顔を拭った。

 

 



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第五章 十一節「終幕の序章Ⅱ」

 ハリマシティは元々一つ位が下のハリマタウンと言う名前だった。

 

 しかし、首都タリハシティが浮遊要塞と化して首都機能が麻痺し、新たな首都として開発されたのがハリマシティの始まりである。

 

 リツ山が聳える麓のヤマトタウンも候補に上げられたが、あまりにも開発可能な面積が少ない事と、リツ山の観光客を誘致すると言う目的から逸脱すると言う名目上、ヤマトタウンを首都化するのは早々に見送られる事となった。

 

 代わりに計画として持ち上がったのが「新都ハリマタウン計画」である。ハリマタウンはポケモンジムもある町だったので新都を置くのに適していた。かくして八年の月日を費やして開発計画が持ち出されたハリマタウンは今やハリマシティと名を変え、高層ビルの立ち並ぶタリハシティの似姿となった。

 

 元々、カントーはヤマブキシティの構造を模したのがタリハシティだったので、三番煎じの街と揶揄される事もあるが、ハリマシティは今も開発の手が緩められる事なく、行政改革によってビルの高さ制限が年々繰り上げられ、今やミサワタウンから出発したトレーナーからしてみれば完全な都会として認知されるようになった。

 

 ユウキは威嚇するように立ち並ぶビルにコウエツシティの中心街の姿を重ねた。途端に懐かしさがこみ上げてきて、遠いところまで来たのだと実感させられる。

 

 タクシーがハリマセントラルホテルのロータリーで停まった。ハリマセントラルホテルはコウエツグランドホテルに構造は似ている。入ってすぐのところに豪奢なシャンデリアを吊り下げるフロントがあり、黄金に縁取られたエレベーターが二台、奥に控えている。フロントのサロンには宿泊客達が憩っていた。柔らかそうなソファに体重を預けてオーロラヴィジョンに映し出される番組を見ている。富裕層が使うホテルだと一目で分かった。その時、ユウキへと声がかけられた。振り向くとホテルの従業員が笑顔を張り付かせながら慇懃な喋り方でユウキを呼び止める。

 

「失礼ですがお客様。当ホテルはそのような格好でご宿泊なさるのはお断りさせていただいております」

 

 ユウキは自分の服装を見やった。オレンジ色のジャケットは煤けて、テクワの血がついたのかズボンは薄汚れている。確かに自分が従業員の立場でも止めるだろうな、と思った。

 

「約束をしているんです」

 

 そう言いながらユウキは襟元に留めてある「R」のバッジを見せた。従業員がそれを認めて、「失礼しました」と頭を下げた。本土のリヴァイヴ団の力は絶大なのだろうか。態度をころりと変えた従業員が笑顔でエレベーターまで案内する。

 

「何階でございますか?」

 

「二十階で」

 

 最上階のスイートルームだ。従業員は一瞬逡巡の間を浮かべたが、すぐに応じた。

 

「かしこまりました」

 

 エレベーターに乗ってユウキは二十階に向かった。階層表示が上がっていくに連れて、シースルーのエレベーターから望める景色が雄大なものとなっていった。立ち並ぶビル群の上に屹立する赤いクレーン。まだ街は成長の途上にあるのだ。人を取り込み、金を取り込んで貪欲に成長し続けるハリマシティは底知れぬ魔物に近かった。

 

 二十階に到達し、扉が開くとフロントがまだ質素だったと思えるほどに豪華絢爛の風景が視界に飛び込んできた。柔らかそうな赤い絨毯が敷かれ、塵一つ落ちていない。乳白色に見える壁や間接照明はいやらしくない程度で好感が持てる。しかし、自分には似合っていないのは明白だった。

 

「何番の部屋でございますか?」

 

「202の部屋です」

 

 ユウキの言葉に従業員が部屋へと通す。扉をノックすると、「どうぞ」という声が聞こえてきた。ランポの声だ。

 

「失礼いたします」と従業員が扉を開ける。ランポが部屋のソファに体重を預けて待っていた。ユウキを認めると立ち上がり、「来たか」と言った。ユウキは頷いて部屋へと入る。従業員が立ち去ってから充分に時間が経ってから、ユウキが口を開いた。

 

「テクワは少し治療が必要なそうです。近くの病院で二日間は安静のようで」

 

「そうか。テクワにはそうなるとギリギリで伝えなければならないようだな」

 

 ランポが顎に手を添えて考え込む。ユウキが立ち竦んでいると、ランポは対面のソファを顎で示した。

 

「座れ。立ったままだと話しづらいだろう」

 

「あ、はい」

 

 ユウキは応じて対面のソファに腰かける。ランポもソファに座った。こうして顔を合わせてみて、ユウキはランポの違和感に気づいた。いつものランポにある覇気のようなものが感じられなかった。

 

「何か、あったんですか?」

 

 ユウキの問いかけにランポは目を丸くして、やがてフッと口元を綻ばせた。

 

「分かるか?」

 

「ランポらしくない」

 

「俺らしいというのがどのような状態を指すのかは分からんが、確かに尋常な事態ではないな」

 

 ランポは長く息を吐き出した。疲れているのかもしれない。

 

「ランポ。一体何が?」

 

「この街に辿り着いてまず、リヴァイヴ団のボスの腹心と会った」

 

 その言葉は衝撃的なものだった。ボスの腹心という事はかなり上の立場と対面した事になる。

 

「……それで」

 

「ある命令を下された。特命だ」

 

 嫌な響きだと感じつつもユウキは口には出さなかった。ランポは両手を組み合わせて言葉を発する。

 

「ユウキ。俺はリヴァイヴ団のボスとして、来る三日後に電波をジャックし、演説を行う事となった」

 

 一瞬、言葉の意味が解らなかった。ボスとして、とはどういう意味なのか。

 

「どういう……、だってランポはボスじゃない」

 

「分かっているさ。つまりはボスの影武者として演説をしろと上は言ってきているんだ。矢面に立てという事さ」

 

 ランポが皮肉めいた笑みを浮かべてようやくそれが現実の事なのだと認識したユウキは、「でも、そんな」と言葉にしていた。

 

「急に、そんな事」

 

「ああ、急な話だ。だが、俺は断れない。この任務をこなせばボスに繋がるかなり有力な情報と信頼を得られるだろう。俺達の望みのために、確実に乗り越えなければならないステップだ」

 

 確かにランポの言う通りだろう。しかし、それは同時にある事を示していた。

 

「ボスの影武者になるというのなら、今までのような任務は……」

 

「ああ。除外される。レナの護衛もここまでだ。俺達はより高次元な任務を任される事となる」

 

「そんな……。でも、ランポ。そんな事引き受けたりしたら、あなたは……」

 

「そうだ。俺はもう、今までのようには生きられない」

 

 濁した語尾を断ち切る言葉にユウキは何も言えなかった。ボスの影武者になるという事はボスに限りなく近づける立場でありながら、同時に最も遠い存在になるという事だ。ランポの眼を見つめる。本気の覚悟を湛えた眼差しがそこにはあった。

 

「本気、なんですか……」

 

「無論だ。俺は承服した以上、その任務をやりきらなければならない」

 

「だったら。ランポ。僕達は、もう」

 

「お前の言いたい事は分かる」

 

 歯切れの悪いユウキの言葉を遮ってランポが淡々と告げた。

 

「ブレイブヘキサは解散だ。演説の護衛任務を終え次第、お前らは別々のチームに割り振られる」

 

 半ば予想していた言葉だけに、衝撃は大きかった。ユウキは鈍器で殴られた時のように視界がぐらぐらとふらつくのを感じた。動揺したユウキが顔の半分を手で覆う。ランポはゆっくりと言葉を継いだ。

 

「ユウキ。お前からしてみれば、これは好機なんだ。ボスに一気に近づける。俺からしてみても出世だ。こちらからアプローチも可能になる」

 

「でも、僕らは今までのようにはいられない」

 

 その言葉にランポは無言を返した。ついこの間まで他人同士だった者達がようやく纏り始めた矢先の出来事に、ユウキは現実味がなかった。どうして運命はこうまで自分達を弄ぶのだ。

 

 ユウキは顔を伏せてランポに言った。

 

「ランポ。これから先、あなたは色んな人間に命を狙われ続ける事となる。リヴァイヴ団のボスとして」

 

「ああ。承知している」

 

「僕達もあなたに近い人間として、今まで以上に過酷な任務に身をやつす事となる」

 

「そうだ」

 

 ランポはいつものように即座に返事を寄越す。しかし、ランポとて胸中では迷いの中にあるに違いなかった。ユウキは顔を上げた。

 

「……ようやく、分かり合えたと思ったのに」

 

「そんなもんさ。人間って言うのは、重なり合えた瞬間なんて人生ではほんの一瞬の出来事なんだ」

 

「でも、ランポ――」

 

「俺は、お前らとチームを組めて光栄に思っている」

 

 遮って放たれた言葉にユウキは二の句を継げなかった。ランポは真っ直ぐにユウキの眼を見つめる。ランポはいつだってそうだ。真っ直ぐに、嘘偽りのない真実を打ち明けてくれる。

 

 それがどれほどに辛い現実だろうと。

 

「俺がリーダーとして命令出来る、最後の任務だ。ブレイブヘキサのリーダーとして命じる。俺を守ってくれ」

 

 苦渋の言葉に違いなかった。ユウキは何を言ってもランポの決意を揺るがす事はもう出来ないのだと知った。ランポとてあらゆる迷いを振り切ってここまで来たのだ。当然、覚悟は胸に抱いているはずである。ユウキはその覚悟と、言葉に応じるしかなかった。胸元に手をやる。ちょうどバッジを掴んで、ユウキは立ち上がり言葉を発した。

 

「……分かりました。ランポ、あなたを守ります。ブレイブヘキサ、最後の任務として」

 

 その言葉がどこか自分のものではないような気がした。自分ではない何者かが発した言葉。それが偶然、自分の声帯を振るわせただけのような奇妙な感覚だ。

 

 ランポは頷いて無言を寄越した。ユウキもそれ以上の言葉はなかった。豪奢な部屋に二人分の沈黙が降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五章 了

 



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虚栄の頂
第六章 一節「72時間後……」


 ハリマシティは夜の帳の中にあった。

 

 夜光虫のように煌くネオンと青い月明かりが降り注いでいる。ハリマシティの中で最も巨大なビルにはオーロラヴィジョンが備え付けられており、街行く人々は時折眺めては行き過ぎていた。

 

 何一つ変わらない。欠伸が出そうなほどに退屈な日常を人々は享受している。オーロラヴィジョンは定時でバラエティ番組を流している。垂れ流される情報に誰も興味を持たない。人々は自分達の営みに埋没し、他者の生き方になど興味を示さないのが常だった。

 

 その時、オーロラヴィジョンにノイズが走った。

 

 それに最初気がついたのは、両親と連れ立って道を歩いていた子供だった。子供が片手を上げてオーロラヴィジョンを指差す。それにつれて、他の人々も異常に気づいた。ノイズの波が大きくなり、タレントの顔が歪んだかと思うと、一瞬にして映し出されたのは暗がりになった。

 

 足を止めて人々が振り仰ぐ。何が起こっているのか、と口々にざわめく。その実、誰も分かっていない。今、何が起ころうとしているのか。「故障?」「トラブルじゃね?」と言い合い、オーロラヴィジョンを見やって端末を取り出し、写真を撮る。

 

 その時、砂嵐が走った。誰もが機器のトラブルだと思っていた。しかし、次の瞬間常闇が映し出された。それすら、まだ故障だと疑わない人々へと常闇の一点が晴れ、明かりを灯す。中央に男が立っている。スポットライトを浴びた男は長髪を後ろで括っていた。鳶色の瞳をしており、射るような光を灯す。白いジャケットを羽織っている。その眼光に、道行く人々がたじろぎ、目を向けた。

 

「どうなっているんだ」という声が上がる中、男はゆっくりと口を開いた。

 

『今宵をお過ごしの紳士淑女の皆さん、勝手ながら電波をジャックさせていただいた。まずは名乗る必要があるだろう。我々はリヴァイヴ団、その現在の総帥である私の名はランポ。リヴァイヴ団を束ねている』

 

 ランポ、と名乗った男の言葉に群集はざわめいた。これも一種のショーだと思う者もいれば、八年前を思い出して口にする者もいた。

 

「これは、テロか」

 

 テロ、という誰とも知れぬ者が発した声が波紋のように広がっていく。「テロだって」「馬鹿な」と口々に言い合う。ランポはゆっくりと片手を上げて、拳を形作った。

 

『驚かれるのも無理からぬ事。しかし、落ち着いて聞いていただきたい。我々リヴァイヴ団は何もテロをしようというのではない。我らが求めているのはあるべきカイヘンの姿だ。今、あなた方はカイヘンに生きている。しかし、本当の意味で生きていると言えるのか。カントー独立治安維持部隊ウィルに支配、統治されたカイヘンは果たして生きていると言うに値するのか。私は、これを緩やかな退廃、言うなれば死であると考えている』

 

 オーロラヴィジョンに映し出されたランポへと人々が端末を向ける。彼らは何かが起こっているなど想像していない。ただ、普段とは少し違うことに関心を向けているに過ぎない。それを察してか、画面の中のランポが口にする。

 

『あなた方はカイヘンに生きているが、独立治安維持部隊の蛮行を知っているのか。我々リヴァイヴ団はウィルの悪行を世に暴いてきた。今まで幾度となく。しかし、それでも人は変わらないではないか。変わろうともせず、変わる努力を放棄した人々。私はあなた方が自らカイヘンのあるべき姿を放棄し、そこから目を背けているような気がしてならない。カントーの支配に甘んじ、カイヘンの誇りを失ったあなた方は牙を抜かれた獣と同義。そこには矜持もなく、ただ日々の安寧を貪るだけならば人間である必要性はない』

 

 その言葉に、「ふざけるな!」と怒声が飛んだ。それに合わせたように、「そうだ」と声が上がる。

 

『私は何も人間存在を否定しようというのではない。しかし、カントーに与えられた餌にむしゃぶりつき、骨の髄まで腐りきったあなた方はカイヘンに生きる資格があるのか。それを今一度問いかけるため、リヴァイヴ団は混迷の象徴として立ち上がる事を決意した』

 

 ランポの背後の闇が光によって剥がれ、「R」を逆さまにした図形が明らかになる。それを見た人々が息を呑んだ。ようやく、これがパフォーマンスではない事を理解し始めたのか。彼らの面持ちに緊張が走る。しかし、それでも未だ疑念を抱いている人々がいた。「悪戯にしても性質が悪い」と口にする彼らへと語り聞かせるように、ランポはゆっくりとした口調で声を発した。

 

『カントー独立治安維持部隊ウィルの支配からカイヘンを解き放つ。そのために、我らは武力でもって立ち上がる事をここに表明する』

 

 その言葉と共に無数の羽音が聞こえてきた。群集が空を振り仰ぐと、ビルの合間から翅を震わせたポケモン達が現れた。

 

 星空を覆い尽すその数に人々が目を見開く。

 

 緑色の大型の虫ポケモンが長大な翅で空を引き裂く。赤い複眼を有しており、頭部から背筋にかけて棘上の突起が波のように並んでいる。節足を動かし、長い尻尾を振るった。尻尾の先にも翅がついており、その虫ポケモンは内側へと尻尾を巻いた。次の瞬間、先端から弾き出された何かがビルの一部を抉った。まるで砲弾のように撃ち出されたそれに一同がざわめき声を高くする。本気である、と察した人々の行動を制するようにランポは言葉を続けた。

 

『これはテロではない。しかるべき報いである。カイヘンの人々はウィルによって偽りの平和を享受する事を覚えさせられ、既に八年前のヘキサ蜂起を忘れているのではないか。忘却の彼方に捨て去っていいものでは決してない。今もまた、カイヘンは危機と困惑の中にあるのだ。あなた方と同じように』

 

 虫ポケモンの中には両腕に針を有したポケモンも存在した。それを認めた人間の一人が、「動いちゃ駄目だ!」と声を張り上げる。

 

「スナイパーの特性を持っているぞ。動いたらやられる……」

 

 その声に群衆の中から、「嫌だ」と声が上がった。喘ぐような声音に子供が泣きじゃくる声が混じる。言い知れぬ恐怖と緊張感に耐え切れなくなったのだろう。中には叫び声を上げて逃げ出す人間がいた。ビルの一角にあるガラスのショーウィンドウへと虫ポケモンが赤い複眼を光らせて目を向ける。針の先端を突き出して、光が十字に弾けたかと思うと、撃ち出された毒針が銃弾のようにショーウィンドウに突き刺さった。ガラスが割れ、欠片が降り注ぐ。群集がパニックに塗れ、叫び声を上げる。

 

『私は平和的に全てを解決したい』

 

 ランポの声に人々は目を向けた。赤い眼の虫ポケモンが空を支配する光景に、「……神様」と膝を折る者もいた。その言葉を見透かしたようにランポは告げる。

 

『この世界は神などいない。だからこそ、人間は自分達の力で這い上がっていかなくてはならない。支配されるだけの日々でいいのか。もっと別の、可能性を掴み取れる未来を選択するべきではないのか。私はこう感じている。カイヘンの人間ならばそれが出来ると』

 

 ランポが拳を振り翳して民衆に訴えかける。瞳に宿した光は指導者のものだった。

 

『足掻くのだ』

 

 ランポの声に茫然自失の人々がオーロラヴィジョンに視線を固定する。

 

『足掻かなければ何も生まれない。未来のために足掻け。それこそリヴァイヴ団があるべきカイヘンを取り戻すために民衆に言える事だ。リヴァイヴ団はカイヘンのために立ち上がる人間の味方だ。カイヘンのためならば我々は喜んで矢面に立とう。たとえ滅びの道を歩もうとも、リヴァイヴ団の犠牲がカイヘンの民の目を覚ますのならば、かつてロケット団がそうであったように混沌の象徴として――』

 

 ランポが拳を掲げる。それに応じるように拳を上げる者がいた。それは最初こそ取るに足らないものだったが、やがて大きなうねりのように群衆から声が上がり、拍手喝采の波が押し寄せる。

 

『今ここに、リヴァイヴ団はカイヘンの自治約束を宣言する組織として独立を――』

 

 ランポの満身から放たれようとした声を遮るように、轟音が響き渡った。オーロラヴィジョンの中のランポが戸惑ったように視線を巡らせる。人々も音のしたほうを見やった。

 

 ハリマシティにある高層ビルの内の一つが闇に塗り込められていた。人々は先ほどまでの興奮を忘れ去って、それに見入っている。画面の中のランポも音の方向へと目を向けていた。カントーはヤマブキシティの建築様式を真似たビルの中の一つ、針葉樹のようなビルを闇が呑み込んでいた。

 

「……どうなっているんだ」

 

 誰かが口にした瞬間、闇が弾けビルが音を立てて崩落する。砂塵が血飛沫のように舞い散り、吹き荒れた風が時間差で人々の身体を嬲った。

 

 轟、と吹き荒ぶ一陣の風がガラスを瞬く間に割っていく。街灯が弾け飛び、街が闇の中に沈んだ。

 

 たじろいだような虫ポケモンへと何かが組み付いた。人々がビルからそちらへと振り返る。虫ポケモンへと灰色の影が躍りかかっていた。見上げる瞳には、熊のような巨大な影に見えた。その影が片手に氷柱を生成し、虫ポケモンの身体を力任せに引き裂いた。赤い血潮が花火のように弾け、虫ポケモンが翅を失って落ちていく。灰色の影は中空に躍り出たかと思うと、一瞬にして瞬きと共に掻き消えた。次に現れたのは別の虫ポケモンの頭上だった。氷柱が打ち下ろされ、虫ポケモンの頭蓋を割った。

 

『何が起こって……』

 

 狼狽気味のランポが画面外へと問いかける。すると、先ほど闇に固められたビルの向こうから地獄の底のような呻き声が発せられた。人々は端末のカメラ越しにそれを見た。青い月を背にして、黒い影が飛び上がっていた。巨大なボロボロの黒い翼を広げている。蛇腹のようになっている首に赤い筋があり、闇の中で光っていた。六本の足をもっており、その姿は通常のポケモンからはかけ離れていた。王冠のような金色の装飾が首周りにあり、赤い眼が射る光を灯している。

 

「あれは、何だ……」

 

 人々が困惑を口にする。何が起こっているのかまるで分からない。突如現れた黒い翼のポケモンは一声鳴いた。

 

 その声が鳴動し、ガラスを叩き割っていく。声だけでその場に膝をついた者もいる。祈りを捧げるように両手を組んでいると、上空から虫ポケモンの死体が落ちてきた。腹腔に氷柱を突き刺されており、ほとんど即死に近い。見開かれた瞳に痙攣する虫ポケモンの死体が映り、誰かが叫び声を上げた。一瞬にして群集が恐慌状態に陥る。彼らは逃げ出そうとした。

 

 しかし、そんな彼らの眼前を遮るように紫色の閃光が走った。道が断ち割られ、一条の線が引かれる。ビルの谷間から集団が現れた。着ている服はまちまちだが、彼らの襟元には「R」を反転させたバッジが光っている。その中の、頭に包帯を巻いた黒髪の少年が歩み出る。彼の傍には騎士のようなポケモンが侍っていた。出刃包丁のような両手を持っており、先ほどの閃光はそこから発せられたのだと知れた。少年は民衆に声を振り向ける。

 

「その線から先に進む事は許されない。お前らはリヴァイヴ団の言葉を聞いてもらう。安心しろ。殺しはしない。その線から先に行かないのであれば――」

 

 その言葉尻を遮るように、パニックに陥った者の一人が線を踏み越えた。その人間を横目にした少年は舌打ちを漏らす。

 

「……これだから、馬鹿は嫌いなんだ」

 

 少年の傍にいたポケモンが動き、線を踏み越えた者へと一閃を腹に打ち込んだ。呻き声を上げて、人間が倒れる。その様子に線の向こうの人々が叫びを上げた。

 

「安心しろ!」と少年には似合わぬ声が張り上げられる。

 

「殺していない。峰打ちだ。だが、これ以上手を煩わせるならば、峰打ちでは済まないかもしれない」

 

 その言葉にざわめいていた人々がしんと水を打ったように静かになった。

 

 少年が息をついていると、「甘いな」と声が聞こえてきた。人々が顔を振り向ける前に、ピンク色の閃光が走った。三方向へと同時に閃光が走り、人々を切り裂いていく。迷いのない太刀に人々が恐れ戦く声を出した。目を向けると、黒い外套を身に纏った男が先頭に立っていた。後ろには緑色の制服を身に纏った人々がいる。肩口に白い縁取りで「WILL」とあった。しかし、男を先頭とした部隊は人々の存在などまるで眼中に入っていないかのようだった。一人が動き、男へとすがりつく。すると、声が走った。

 

「衆愚が」

 

 その声と共にすがりついた人間の身体が横に断ち割られた。上半身と下半身が生き別れになり、鮮血が飛び散る。切り裂いたのは金色のポケモンだった。首筋に三日月のような意匠があり、虹色の羽衣を身に纏っている。浮遊しているそのポケモンの羽衣こそが刃だった。ピンク色の瞳を無慈悲に向けて、そのポケモンが一声鳴く。鋭い声音だった。

 

 甲高い女の叫び声が上がり、再び恐慌状態に陥った人々が少年の刻んだ線に向けて走り出した。少年が片手を振り翳し、「止まれ!」と叫ぶが人々には聞こえていないようだった。線を踏み越える人々を少年は止める事が出来ずに、その場に立ち竦んだ。リヴァイヴ団の他の団員も同様だった。先頭に立つ男が少年へと視線を向ける。少年は騎士のポケモンを携えて、「あんた……」と声を発した。男が冷たく言い放つ。

 

「民衆を逃がすな。ここにいた奴は一人残らず確保、または抹殺だ」

 

 男の声にウィルの構成員がポケモンを繰り出して民衆へと追いすがろうとする。金色のポケモンが羽衣から閃光の刃を飛ばし、逃げ遅れた人々を断ち切っていく。少年が騎士のポケモンへと声を飛ばした。

 

「キリキザン!」

 

 名を呼ばれたポケモンが動き出し、羽衣の刃がかかろうとしていた子供を庇うように立ち塞がる。両手で羽衣の刃を受け止めたキリキザンは腰だめに両手を構え、腹部の刃を突き出した。銀色の光が放射され、十字の光を描く。

 

「メタルバースト!」

 

 音速を超える鋼の刃が腹部から撃ち出され、金色のポケモンを襲う。しかし、ただ黙している男とポケモンではなかった。

 

「リフレクター」

 

 金色のポケモンの前に青い皮膜の五角形が三枚張られ、鋼鉄の弾丸を霧散させた。子供が泣きじゃくりながら逃げる。線を踏み越えていく子供を、少年は一顧だにしなかった。それよりも目の前に現れた男へと少年の視線は固定されていた。

 

 鮮血の舞う空で虫ポケモンが熊のようなポケモンに氷柱で引き裂かれていく。闇色の翼を広げたポケモンが青い月を背負って咆哮した。オーロラヴィジョンに映ったランポは、ようやく声を出した。

 

『……今こそ、自覚してもらいたい。ウィルのこのようなやり方が正義なのか。あなた方の命すら顧みない彼らを、正義の組織と呼べるのか。だからこそ!』

 

 ランポは拳を掲げた。しかし、同調する人間はオーロラヴィジョンの下にはいなかった。

 

『リヴァイヴ団はカイヘンの自治独立のために、ここにウィルとの宣戦を表明する!』

 

 その声を聞き届ける余裕のある人間は、この街にはいなかった。一夜にして、安寧を享受する街は戦場へと塗り変わった。

 

 



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第六章 二節「天」

 ――リヴァイヴ団演説の61時間前

 

 

 

 

 

 

 

 潮風というものがアマツは嫌いだった。

 

 海の生き物の腐った臭いだという。

 

 腐臭を嗅ぎながら旅というのは気分のいいものではない。

 

 だからアマツは船も好かない。しかし、甲板に出なければ息が詰まりそうだった。カントーからカイヘンに向かう便では特にそうだ。八年前のヘキサ事件を契機としてカイヘンは実質的な鎖国政策に晒され、人の行き来さえ自由ではない。アマツは甲板に出て双眼鏡を取り出した。遥か遠く、獣のように横たわるカイヘン地方の本土が見える。アマツはそれを見やってため息をついた。フードを目深に被り、前髪をいじる。

 

 カイヘンからの通達でカントーから呼び出された時には肝が冷えた。リヴァイヴ団との抗争の場であるカイヘンへ渡るのは自分の仕事ではない、と突っぱねようとしたが、それを制したのは上の鶴の一声だった。

 

「今は猫の手も借りたい、と総帥のお達しだ」

 

 カイヘンはハリマシティに総帥をはじめウィルは陣取っている。ハリマシティは聞けばリヴァイヴ団の本拠地と目されているらしい。敵対組織が同じ街に根城を構えているというのは聞けば聞くほどに悪い冗談としか思えない。アマツは左手につけたポケッチを見やった。カイヘンではポケモントレーナーならばポケッチの常時装着が義務付けられている。話には聞いていたが、これほど窮屈なものもない。

 

「まぁ、手持ちはどうせ一体だからいいのだが」

 

 呟いてみて、アマツはどうしてこうなったのかと考えを巡らせた。元々、切羽詰った状況というのが好きではないのだ。だというのに、舞い込んでくるのはいつだってのっぴきならない状況で、手の加えようのない情報である。

 

 アマツは、情報は速さだと思っている。だというのに、鮮度の涸れた情報を平気で回してくる上層部の事を理解出来ない上にしたくもない。彼らは結局、実働部隊に厄介事を回してくるのが得意なだけなのだ。自分では何一つ出来ないくせに、他人にはそれ以上を押し付ける。使えない人間の典型と言えた。

 

 アマツはため息をつく。船首の手すりにもたれかかり、陰鬱な息を漏らした。どうせカイヘン本土に着けば、息つく間もなく隊首会だ。それが憂鬱で仕方がない。何が楽しくて顔を突き合せなければならないのか。どうせ渋面だろうに。

 

「それも仕事、か」

 

 アマツは肩口に刻印された「WILL」の文字をなぞる。しかし、アマツが纏っているのは緑色の制服ではない。黒色のパーカーだった。

 

「いっその事、カイヘンなどリヴァイヴ団に明け渡してやればいい」

 

 上の前では決して口にはしない事だったが本音だった。カイヘンはもう食い潰されて終わりだ。カントーが政事と経済では実権を握り、イッシュが航空産業を支配し、ホウエンが技術を吸い尽くそうとしている。カイヘンに何が残ると言うのだ。何も残らない、涸れ果てた荒涼とした大地が残るだけではないか。そこに住んでいる人々に同情はすれど、同じにはなりたくないとアマツは感じていた。

 

 カイヘンの人々は時代に取り残された遺児達だ。そこで反抗の凱歌を奏でようなどという輩は時代遅れの産物だと言う他ない。ほとんど天然記念物のような彼らを血の一滴まで吸い尽くすのが自分達の役割とは、とアマツは自嘲しようとして果たせずに結局、唇の端を下げた。

 

 今は冗談で自分を慰めるよりも、憂鬱だという感覚が勝っている。この状態では仕事もまともに手につかないだろうという予測はついた。そんな身を持て余している自分に上層部は何を期待しているのか。アマツは手すりに体重を預けながら空を仰いだ。雲一つない青空が突き抜けている。

 

 アマツは遠く離れたカントーを見やろうと背中を向けた。もうカントーの本土は見えない。かつてカントーとカイヘンはリニアラインで結ばれ、海域を貫くリニアラインの線路が見物だったというが、打ち捨てられたリニアラインはもう滑稽か、それとも侮蔑の産物でしかなかった。カイヘンと繋がっていたという屈辱。他地方からすれば歴史から消し去りたいだろう。

 

「身勝手なものだな」

 

 アマツはリニアラインの廃線を見つめながら呟く。繁栄の象徴が一気に貶められる感覚とはどのようなものなのだろう。カイヘンはコウエツシティも似たような被害を受けたと聞く。

 

 コウエツシティは貿易都市として栄え、特にカントーとの交易が盛んだった。しかし、今では輸入制限に加え、経済をカントーが掌握する事による循環機能の麻痺によってコウエツシティは見られたものではなくなっているそうである。アマツはポケットに入れておいたタウンマップを取り出した。四つ折りにしてあり、広げると細かい文字でカイヘンの街に対する評価が書かれている。カントーのライターが書いたものなのでかなり主観が混じっており、中にはカイヘンを侮辱するような内容まであった。コウエツシティは今や海上都市としての機能のほとんどを失い、ただそこにあるだけの街と化している、とある。

 

「チャンピオンロードの前の街なんだから、それなりの設備はありそうなものだが、全部カワジシティに取って代わられたか」

 

 本土側にある港町、カワジシティはコウエツシティの評価とは逆に活気盛んな港町と高評価である。これはかつてコウエツシティが担っていた役割のほとんどがカワジシティに委譲されたための事である。現にアマツが乗っているこの船もカワジシティに停泊するようだ。アマツはその点に関しては無頓着で、行き先と帰り道さえ分かればいいという始末だった。タウンマップを眺めながら、アマツは首都タリハシティがあった場所を探す。「危険指定区域」と赤い文字で記されていた。ちょうど六角形に削られており、ヘキサの蛮行を未だ許さずといったカントーの姿勢が見え隠れする。

 

「こういう嫌がらせだけは得意だな。カントーは」

 

 自分が生まれ育った地の皮肉を口にして、アマツは鼻を鳴らした。カントーが故郷だからと言って、大した感情が湧き上がらないのはどうしてだろうか。きっと、汚れた地だからだ、とアマツは結論付ける。八年前に空中要塞ヘキサがシロガネ山へと突き刺さり、その身を横たえている光景を多感な時期に見せられればそれなりに諦観する。自分の人生と、生まれに嫌気が差したのはそのせいだとアマツは考えていた。

 

 他地方の汚れを纏って、それでも平然としていられる市民のほうが少ないだろう。さらに年を遡れば、ロケット団という組織の温床となっていたという過去もある。穢れを排斥した結果、そのつけが返ってきたわけだ。

 

 笑おうとしても果たせないのは、畢竟、因果応報だという現実を見せ付けられたからだろう。カントーは不浄の地だった。全ての因果が集中する土地だから、余計な汚れも抱え込む事になる。ヘキサはお歴々の目を覚ましたかに思われたが、その実は逆効果で、彼らを過剰反応させただけだった。他地方への侵攻という未曾有のテロ行為に、他地方の行政への介入という無様なやり方を選択させた。

 

「どっちが汚された側だか……」

 

 アマツはタウンマップをゆらゆらと翳して太陽に透かした。百円もしないタウンマップは安い紙で青空までも透けるようだった。

 

 その時、タウンマップ越しに人影が見えた。甲板に上がってきた人間だった。アマツは他人に関心を向けないほうだったが、その人影からアマツへと声をかけてきた。

 

「いい船旅ですか?」

 

 アマツはタウンマップを取り下げ、その人間を見やる。男だった。髪を撫で付けており、いかにも人がよさそうに目を細めている。アマツは対照的に無愛想な眼差しを向けた。

 

「私は船が嫌いなんだ。その質問はナンセンスだな」

 

「これは奇遇で。実は私も苦手なんですよ」

 

 男が両手を揉んでアマツへと話しかける。面倒だな、とアマツは感じたが、言葉の表層にも出さずに、「そうですか」と応じた。

 

「だというのに何故船で?」

 

 アマツへと男は片手を差し出して尋ねてくる。他人の事に干渉してくる人間はアマツの苦手な部類だった。

 

「聞いてどうするんだ? 私が嫌いだからと言って今すぐに海に飛び込むとでも?」

 

 その言葉に男は肩を揺らして笑った。片手を振って、「いやまさか」と口にする。アマツは手すりに体重を預けながら、「船は嫌いだが、泳ぐのはもっと嫌いだな」と言った。

 

「そうですか。この辺りは遠泳区域でもありませんし、誰もいませんからね。誰もいない海を泳ぐほどつまらないものはない」

 

「だろうな。それで、何の用だろうか。私はきちんとチケットを渡して乗船したはずだが」

 

「そういう不備ではないんです。いや、むしろ乗っていただいて感謝しているところですよ」

 

「と、いうのは?」

 

「いえね」と男は声を潜めて顔を伏せた。アマツが怪訝そうな目を向けていると、男が口にした。

 

「飛んで火にいる夏の虫、と言いますか。あなたはまさしく巣にかかったのですよ」

 

 男が片手を振り上げる。指をパチンと鳴らすと、船の帆が広がった。帆には水色の「R」の文字が逆さまに刻まれていた。

 

「我がリヴァイヴフリゲートに乗船なさった時点でね!」

 

 男が顔を上げる。口角をいやらしく吊り上げ、細い眼が蛇のようにアマツを睨みつけた。アマツは帆に描かれた「R」を見やり、目の前の男を見た。襟元に「R」のバッジがあった。アマツは顔を手で押さえ、「あーあ」と口にした。

 

「なるほど。私は無知にも自ら君達の根城に単独で乗り込んだというわけか」

 

「その通り。覚悟してもらいましょう」

 

 その言葉に甲板へと数人が踏み込んできた。慌しい足音が鳴り響く。服装や年の頃はバラバラだが、全員に共通しているのは「R」のバッジと腰に提げたモンスターボールのホルスターだった。前に立った男がホルスターからモンスターボールを引き抜いて叫ぶ。

 

「私はリヴァイヴ団特務部隊、インビジブルラインのリーダー、シノノメ! あなたがこのリヴァイヴフリゲートに乗船する事、全てが計算のうちだった。おかげで乗務員以外は全てリヴァイヴ団員で構成させてもらった。あなたは、逃げ帰る事も出来ない。当然、カイヘンの土を踏む事もない。この場で海の藻屑と消えてもらいましょう」

 

 団員達が戦闘態勢に入り、ホルスターからモンスターボールを引き抜く。統率された動きだった。アマツはその動きと「R」の刻印された帆を見やり、乾いた拍手を送った。

 

「なるほど。海上で楽しむにはなかなか凝ったショーだ。私も退屈していたんだ。あと数時間、この船でタウンマップと睨めっこをしながら時間を潰すのかと思うとね。こういう趣向を凝らすのは、嫌いじゃない。子供の頃を思い出させる」

 

「子供の頃ですって? あなたは今の状況、どう考えているのですか?」

 

 シノノメと名乗った男が口元を歪ませて尋ねる。アマツは思った通りのことを言った。リヴァイヴ団員達を指差して一言漏らす。

 

「子供の頃に見た戦隊ショーにそっくりだ。特に悪役のゴキブリみたいにわんさか出てくる雑魚共にな」

 

 その言葉にシノノメは細い目をさらに細めて口にした。

 

「その悪役の雑魚に、あなたはやられるのですよ。ウィルα部隊隊長、アマツ!」

 

「驚いた。既にこちらの事をご存知だとは」

 

 潮風がアマツのパーカーを煽る。フードが取れそうになって、アマツは目深に被り直した。シノノメが引きつったような笑い声を上げた。

 

「当たり前でしょう。あなたはここで死ぬのです。インビジブルラインはリヴァイヴ団の中でも隠密行動に長けた部隊。ウィルとて我々の邪魔立てはさせない。さぁ、断末魔をお聞かせください! いけ――」

 

 シノノメがモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけようとしたその時、「まぁ、焦るなよ」とアマツが片手を差し出して口にした。

 

「一瞬で決着がついたら面白くないだろう? ショーのように楽しませてくれ」

 

「あなたにそれを言う権利があるとお思いか?」

 

「あるね。なにせ私は乗客だ。乗務員は安全で理想的な旅を提供する義務がある」

 

「ここで終わるのがそんなに惜しいか、アマツ。時間稼ぎをしようとしても無駄だ。我々はあなたを抹殺する」

 

「あっ、そう」とアマツは口にして唇を斜めにした。その笑いの意味を汲み取りかねたシノノメが表情を歪ませる。

 

「何故笑う? この恐怖におかしくなったのですか?」

 

「おかしいっちゃ、おかしい。どうしてそこまで余裕のうちに私を殺せると思っているのか。どうしてα部隊の隊長が、隊員も引き連れずに乗船していると思っている」

 

 アマツは手すりから離れて団員を見渡した。一人一人、指差して確認する。シノノメが面食らっているとアマツは片手を広げて言い放った。

 

「五分だ」

 

「何を――」

 

「五分で、貴様らゴミを駆逐する」

 

 その言葉に呆気に取られていたシノノメ達だったがやがて俄かに笑い始めた。奇妙な笑い声が甲板に広がる。団員達も笑っているのでアマツも口元に笑みを浮かべると、シノノメが細い目を開いた。

 

「笑わせるんじゃないぞ! 嘗めた口を聞いて。いけ――」

 

「――行け」

 

 シノノメの語尾とアマツの言葉が重なる。その言葉尻を裂くようにアマツの背後の空間が歪んだ。赤い粒子が霧散し、空間から何かが引き出されていく。シノノメは緊急射出ボタンにかけた指を止めてそれを見入っていた。ピンク色の光を纏い、空間から無理やり引き出される物体を全員が凝視していた。次の瞬間、重い音を立ててそれらが一挙に放たれた。

 

 甲板の上に広がった光景にシノノメは絶句した。空間から引き出されて現れたのは、家電製品だった。冷蔵庫や電子レンジ、掃除機や扇風機、洗濯機である。それも旧式のとてもではないが使い物になるとは思えないものばかりだった。シノノメは目を見開いていたが、やがて、「何だそれは」と堰を切ったように笑い始めた。

 

「おもちゃか? まさかモンスターボールに家電製品を詰め込んでいたのか? ポケモンでもなく、家電製品で、我ら隠密部隊を倒そうとでも」

 

「おかしいか?」

 

「おかしいも何も」

 

 シノノメは団員達と目配せし合い、手を叩いて笑った。アマツはその様子を見ながら、「おかしいだろ」と口にして笑みを浮かべようとすると、怒声が遮った。

 

「我々を嘗めるのも大概にしてもらおうか! アマツ! ウィルとはいえ戦場においてこのような愚行! 我らを侮辱するか!」

 

 意想外の言葉にアマツは肩を竦めた。

 

「そんなつもりはなかったんだが」

 

「黙れ! この戦場において既に開く口のない事を知れ! ポケモンも出さずに――」

 

「既に出している」

 

 放たれた言葉にシノノメは硬直した。しかし、「何を馬鹿な」と否定する。

 

「家電製品しか出ていない。それも旧式の。それで我ら特務部隊を? 五分で? それほどまでに我らを愚弄するとは、ウィルが口先だけの組織である事の何よりの証明。ここで断ち切らせてもらう」

 

「そうか。お前らには見えないのか」

 

 アマツが口にした言葉にシノノメは眉をひそめた。

 

「見えない、だと。何がだ」

 

 その時、ブンと家電製品の一つが動き出した。扇風機が回転し始めている。シノノメは扇風機のコンセントを見やった。しかし、どこかに接続されている様子はない。薄ら寒いものを覚えつつも、「だからどうした」と恐怖を振り払う声を張り上げる。

 

「家電製品を動かすポケモンでも出しているというのか? だとすれば、お門違いだな。この場で家電製品を動かすだけで我らが殺せるとでも――」

 

 その言葉尻を劈くように、扇風機から十字の光が瞬いた。一瞬の光芒を煌かせ、風の刃がシノノメの背後にいる団員の顔面に突き刺さった。団員が顔を押さえて呻き声を上げる。シノノメが目をやると、今度は他の団員が悲鳴を上げた。視線を移すと、その団員の顔が焼け焦げていた。粘膜が爛れて炭ばかりになった顔を押さえている。

 

「何が、起こって……」

 

 シノノメが状況を解する前に、今度は鉄砲水が放たれた。弾丸のような水流が団員の一人の腹部を貫いている。団員はよろめきながらその場に仰向けに倒れた。十秒も経たないうちに三人の団員がやられた事にシノノメは戦慄の眼差しをアマツに向けた。アマツの手元に視線を向ける。しかし、何かを仕出かした様子はない。新たにボールを引き抜いた形跡もなければ、攻撃の指示を出したような感じでもない。シノノメは後ずさり、「何だ? 何をしている」と声を出した。何か口に出さなければ状況に呑まれてしまいそうだったからだ。

 

「どんな術を使っている?」

 

 術、という言葉にアマツは弾かれたように笑い出した。甲板の上に笑い声が木霊する。シノノメは腕を振り翳して、「何のつもりだ!」と叫んだ。アマツがフードを目深に被りながら、「いや、おかしくってね」と返す。

 

「術など、時代錯誤の言葉だろう。今や、全ての現象は科学とポケモンによって証明される時代。その時勢において術などという言葉を使うとは。原始人か、貴様らは」

 

 アマツの言葉にシノノメは唇を震わせた。怒りに奥歯を噛み締めて、喉の奥から声を発しようとする。

 

「……アマツ。何を」

 

「私のやっている事が一回で分からないのならば、それ以上に追及する事はお勧めしない。したところで、意味がないのだからな」

 

「馬鹿にするなと……」

 

 声に出そうとした瞬間、キィと冷蔵庫が開いた。冷蔵庫の中を見やる。中には何もいなかった。しかし、電流が走り、オレンジ色の光が一閃したかと思うと、白い眼球が浮かび上がり、乱杭歯の並んだ歯が見えた。

 

「あれは……」

 

 シノノメが言葉を発しようとした瞬間に、全身を冷気が襲いかかった。指先から壊死していく。包み込む冷気は団員達を巻き込み、一人、また一人と氷付けにされていく。シノノメは猛吹雪の中に取り残されたかのような感覚を味わう事となった。指先の感覚が麻痺して緊急射出ボタンを押す事が出来ない。シノノメが目を見開いていると、眼球さえも凍てつきそうになった。その視界の中で冷蔵庫の中にいる存在が嗤う。

 

「アマツ……! これは、このポケモンは……」

 

 冷気に煽られてアマツの被っていたフードが取れる。アマツは口角を吊り上げて嗤っていた。

 

「さよならだ。リヴァイヴ団の諸君」

 

 



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第六章 三節「変人」

 カワジシティに緑色の制服を着た人々が並び立っていた。

 

 港町にその光景はいささか不釣合いに見える。漁師達が怪訝そうな目を向けていたが、彼らは誰も意に介す事はなかった。それよりも彼らの中には不安の面持ちを浮かべた者がいた。つい先刻の情報である。ウィルα部隊隊長アマツの乗る船がリヴァイヴ団にジャックされたという情報が入った。

 

 しかし、本来はジャックという言い方がふさわしくないのはここにいる全員が知っている。アマツはまんまとリヴァイヴ団の支配する船に乗ってしまい、敵の手に落ちてしまった。そのような不恰好な事実をウィルが公表するはずがなかった。元々、アマツは部下を持たない主義の人間である。変わり者である、という専らの噂だった。

 

 彼らウィルの構成員がすべき事はアマツの救出などではもちろんない。アマツはもう死んでいると判断し、カワジシティに停泊するであろうリヴァイヴ団の一斉検挙を目指しているのである。

 

 α部隊といえば精鋭部隊だが、彼らは一様にα部隊の概要を知らない。それもそのはず、α部隊はカントーで設立された部隊だからだ。カイヘンではβからεまでの部隊が存在するが、それらはカイヘンで設立されたのに対してα部隊は完全に独立して存在する部隊である。

 

 ハリマシティで実施される隊首会へとα部隊の隊長を導く役目があるものの、この場を取り仕切るβ部隊二等構成員であるサヤカは気乗りしなかった。

 

 元々、サヤカはディルファンス上がりの構成員である。八年前のヘキサ事件以降、ディルファンスは解体され、ディルファンスとして活動していた人間のほとんどが行く当てをなくした。自分は運よく最初期にカントー統括部隊への編入を希望し、そのまま繰り上げられる形となってウィルの二等構成員まで上り詰めた。

 

 ウィルには構成員ごとに階級が存在する。

 

 最も低い位は四等構成員だ。俗に下っ端とも呼ばれる彼らは、しかし重要な役割を果たしてくれている。被疑者の取調べや通常の任務、及び治安の維持はほとんど彼らの功績だ。

 

 それ以上、三等構成員となれば、それはもう戦闘構成員として区別される。戦闘構成員は主に対立する組織、リヴァイヴ団との戦闘や、暗殺任務を帯びた構成員だ。戦闘のエキスパートとして育て上げられ、リヴァイヴ団と互角に渡り合うための戦力として保持される。

 

 その上が二等構成員であり、サヤカの役職だった。二等構成員は単純に三等構成員よりも地位が高いだけだ。実戦的なのはその上、一等構成員である。

 

 一等構成員は俗に副隊長と呼ばれている。隊長補佐という言い方もあるが、副隊長という呼び名のほうがまかり通っている。副隊長ともなれば権限は段違いだ。しかし、部隊によってはこの一等構成員が存在しない場合もある。その特殊なケースこそがα部隊だ。

 

 α部隊は基本的に構成員を取らない。その任務の性質上、仕方のない事なのである。これは、α部隊が現地軍でない事を示している。カントーが本拠地であり、ウィルという組織の頭脳に相当するα部隊はたった一人の意思によって動かされている。

 

 そんな事がまかり通るのかと言えば、今までまかり通ってきたのである。理由としてはα部隊が現地ごとに適した構成員を配置するためだと言われているが、真偽のほどは定かではない。

 

 α部隊隊長とはカイヘンでは隊長格以外に会った事はないからである。構成員達の間で流れる噂もまちまちで、ただ単に隊長が変わり者であるという事から、特殊任務を帯びるためにその都度部下が死んでいくという薄ら寒いものまで様々だ。

 

 サヤカはウィルの中で特別とも言える位置にいる。ディルファンス上がりは嫌われている。それを意識し始めたのは六年前からだ。

 

 ウィルが設立された当初からディルファンス上がりは嫌悪の対象だった。理由は言わずとも分かる。ヘキサに加担した組織の末端だと知れば、誰しも距離を置きたくなるだろう。その上女性の構成員となれば、好印象は得られない。それでもサヤカは努力を重ね、二等構成員まで上がってきた。これはひとえに自分の努力の賜物だと自負している。

 

 他にも二人のディルファンス上がりの構成員を知っているが、彼らは部隊が違うため今はどうしているのか知れなかった。八年前のカントー統括部隊の時には同じ訓練を共にしたものだが、離れてしまえば疎遠になるものである。直立姿勢で待っていると、潮風が吹き込んできた。カワジシティは港町だ。ここにいる自分達のほうが異物なのは重々承知している。しかし、件の船が現れるまでは離れるわけにはいかなかった。

 

「サヤカさん」

 

 呼びかける声にサヤカは目を向けた。サヤカの部下であるケイトだ。髪を結っており、ショートカットのサヤカとは対照的に女性らしさがあった。

 

「何?」

 

 ケイトは三等構成員である。目はぱっちりとしており、整った顔立ちは同性でも少し憧れる部分があった。しかし、これでも戦闘構成員であり、いざとなれば命を投げ打つ覚悟がある人間だ。

 

「そのα部隊の隊長ってどんな人なんでしょうか」

 

 直立して黙している事に疲れたのだろう。あるいは単純な興味だろうか。どちらにせよ、サヤカも肌に合わない場所でずっと黙って待っているよりかは暇を潰せそうだと判断した。

 

「さぁね。私もよく知らないから」

 

「でも、α部隊の隊長って言えば、変人で有名ですよね」

 

「変人? どんな風に?」

 

 この場ではサヤカが上官であり最高責任者である。だから雑談も可能だったが、一等構成員がいれば速やかに叱責されるだろう。

 

「ほら。何だか制服も着てないって言うじゃないですか」

 

「裸なの?」

 

 サヤカは思わず吹き出した。ウィルの実力部隊の頂点に立つ人間が裸の変人だというのはなかなか面白いジョークだ。ケイトは笑いながら、「違いますよ」と言った。

 

「変わった服装らしいですよ。独特のファッションセンスって言うか」

 

「ウィルの頭に近い人がそれだったら、私達も制服を少しは涼しい仕様に変えてもらいたいものね」

 

 長袖のぴっちりした緑色の制服を摘んだ。任意だが、手袋も装着する人間もいる。季節はこれから夏に向かおうというのに、これでは蒸すばかりだ。サヤカは襟元を緩めて風を通した。

 

「全くですね。このウィルの制服、もうちょっと可愛くならないかなぁ」

 

 ケイトが制服を見やって呟く。ウィルの女性用の制服も男性用の制服とさして変わるところはない。もう少し位が上になれば、進言してみてもいいかもしれない、とサヤカは思った。

 

「カスタマイズすれば?」

 

「怒られますよ」

 

「いいんじゃない? 隊長殿は勝手気ままな服装だし」

 

 サヤカはβ部隊の隊長を頭の中に思い描く。β部隊には一等構成員はいないため、実質的に数人いる二等構成員が分担して副隊長の役割をこなしている。そのためサヤカは隊長と接する機会は多かったが、いい感情は抱いていない。

 

「カガリ隊長ですか。あの人強いんですけど性格に難ありですよね」

 

 上官の悪口には違いなかったがいさめる事もせずに、サヤカは頷いた。

 

「そうね。強いんだけどね」

 

「反則クラスでしょ、あの人の手持ち。どうして上はあんないい加減な隊長にあんなポケモンを渡したんでしょうねぇ」

 

 ケイトが空を仰ぎながら口にする。サヤカは微笑みながら、「全く、その通り……」と呟いた。世の中は割に合わない事だらけだ。

 

 その時、視界の隅に船影が映った。サヤカはすぐさま二等構成員の顔に戻り、ケイトへと指示を飛ばす。

 

「双眼鏡」と言うと、ケイトもすぐさま察したのか手渡した。サヤカは双眼鏡越しに船の全体像を見やる。船の帆に描かれた反転した「R」の文字にただならぬものを感じた。

 

「リヴァイヴ団の船と確認。総員、戦闘態勢」

 

 二等構成員の声に全員が緩みかけていた気を引き締めた。ホルスターに手を伸ばし、停泊するのを待つ。もしかしたらリヴァイヴ団は停泊するつもりなどないのかもしれない。大人しくウィルに捕まるくらいならば自爆、ということさえも考慮してそうだ。サヤカは緊張が走ったのを感じた。指先を強張らせ、近づいてくる船を見つめる。船は、しかし予想とは反して大人しく船着場に停まった。タラップが下ろされ、乗務員が先に降りてくる。サヤカは駆け寄って、「ウィルです」と名乗った。

 

「この船を検分させていただきたい。構わないな」

 

 その言葉に乗務員は虚ろな目を向けた。サヤカは奈落へと通じていそうなその目に何かしら不可思議なものを覚えた。まるで地獄でも見てきたかのような目だ。問い質そうとする前に、「その必要はない」という声が船から聞こえてきた。身を強張らせていると、「構えるなよ」とフードを目深に被った男が降りてきた。サヤカはすぐさま戦闘の声を飛ばす。

 

「リヴァイヴ団か」

 

 その声に男は、「おいおい」と首を引っ込めた。

 

「これが見えないのか」

 

 男は肩口に刻まれた文字を示す。サヤカが目を向ける。「WILL」とあった。すると、導き出される答えは一つしかない。

 

「あなたが、α部隊隊長……」

 

「そう。α部隊隊長アマツ。出迎えご苦労様」

 

 その声にサヤカは上官への挙手敬礼を思い出して踵を揃えた。

 

「失礼しました」

 

「そう硬くなるなよ。私もこのなりだからな。誤解される事はよくある」

 

 その言葉を発した後、アマツはサヤカの胸元を凝視した。サヤカはその視線に思わず後ずさり、身体を抱く。

 

「な、なんでしょうか」

 

「いや」

 

 アマツが手を伸ばす。サヤカは振り解こうとして、上官の前だという事を思い出した。しかし、辱められるのはよしとしない。近づいてきた手を片手で払った。払われた手をぶらぶらとさせて、アマツはサヤカの胸元を指差した。

 

「襟元が開いているから、忠告しようと思ったんだが」

 

 その言葉に先ほど自分で風を通すために開けた事を思い返し、サヤカは顔から火が出るほど赤くなった。慌てて襟元を正し、「失礼しました」と声を発する。

 

「いや、いいんだ。私もそういう事に関しては無頓着だから。不用意に君に触れようとしたと思われても仕方がない」

 

 アマツがフード越しに後頭部を掻いた。サヤカが戸惑っていると、歩み出てきたのはケイトだった。

 

「アマツ隊長。ご無事でしたか」

 

 そうだ、まずそれを聞かねば。思い出したサヤカは問いかけた。

 

「リヴァイヴ団の襲撃は?」

 

「ああ、あった」

 

 何とも思っていないようなその声に面食らったのは二人共だった。アマツは、「後から色々と言われると面倒だ」と口を開く。

 

「君達に見てもらおう」

 

 そう言ってタラップを上がっていく。サヤカはふと乗務員の姿が目に入った。彼らは一様に震えていた。何が起こったのか、問いかけたい衝動に駆られたがそれは目の前の事を済ませてからだ。サヤカはアマツに続いて船の中へと入った。船の内部は奇妙なほど静かだった。他の乗客がいなかったのだろうか。まるで生活感がない。アマツは甲板に上がる前に、二人に忠告した。

 

「出来るなら女性には見せたくないんだが。まぁ言っておくと、吐くなよ」

 

 その言葉の意味を解しかねて、サヤカとケイトはアマツに続いて甲板に上がった。その瞬間、鉄のような臭いが空気中に充満しているのを感じた。甲板に目を向けると、甲板が赤く染まっている。黒々とした物体がそこらかしこに転がっている。最初にその光景を理解したのはケイトだった。ケイトは短い悲鳴を上げて後ずさると、身体を折り曲げた。その場に胃の中のものを吐き出す。アマツが困惑したように首を傾げて、「悪い事したかなぁ」と言った。

 

「やっぱり女性に見せるものじゃなかったか」

 

 その言葉でようやくサヤカも理解した。広がっている赤は血溜まりだ。見れば、黒々とした物体は人間だった。人が尊厳を叩き潰されたように転がっている。もちろん生きてなどいなかった。サヤカはせり上がってくる熱いものを感じながらも、ぐっと堪えて死体に近づいた。アマツが、「襲ってきたのは向こうからだから正当防衛で片付けて欲しい」と口を挟む。サヤカは視界がぐらつくのを感じながらも頷いた。

 

「……分かっています。この船自体がリヴァイヴ団の用意したものである事は自明の理ですから」

 

 サヤカは死体の一部を検分した。見れば見るほどに惨たらしい殺され方をしている。ある者は顔を寸断され、ある者は全身を焼かれている。血を吸った葉っぱが落ちており、サヤカは手袋をつけてそれを拾い上げた。

 

 葉っぱはサヤカが触れた直後に空気に溶けるように消えていった。他の死体へと視線を移す。腹部を砲弾で貫かれたような死体があった。風穴が開いており、血が既に凝固している。周囲は水で湿っている。中には全身が焼け爛れ、粘膜が焦げている死体もあった。すぐに判断を下すことは出来ないが、先ほどの焼かれた死体とは別の殺され方に見えた。

 

 襟元に「R」を逆さまにしたバッジを全員がつけている事を確認する。つまり彼らは全員リヴァイヴ団だという事だ。死体の様子から、サヤカはアマツが彼らを殺してそのまま何事もなかったかのように船旅を続けたのだと推測した。乗務員達もこれを見たのだろう。自分が操縦する船の上で人殺しが公然と行われたのならば、地獄を見たような気分になるのも無理からぬことなのかもしれない。

 

 サヤカは死体の中の一つに目を向けた。全身が壊死している。眼球が裏返っており、凍傷によるものだとサヤカは判断した。しかし、先ほどから纏いつく違和感は何なのだろうか。サヤカは再び周囲を見渡す。

 

 火傷、葉っぱ、凍傷、水――。明らかにおかしいのは四つ以上の殺され方をしている事だ。サヤカは顎に手を添えて考え込んだ。

 

 カイヘンに渡る上で、手持ち制限を受けているはずである。それは海上でも有効で、ポケモントレーナーは二体までしか所持出来ない。だというのに、殺され方はばらけている。サヤカの肩へとアマツが手を置いた。サヤカは思わず勢いをつけて振り返る。アマツがきょとんとして、「ここはもう他の構成員に任せればいいだろう」と言った。

 

「ハリマシティまで案内して欲しい。私はカイヘンに来るのは初めてだから」

 

「ああ、はい」

 

 サヤカは片手で額を押さえながら何度か頷く。

 

「案内します。ついてきてください」

 

 気分の悪さを抑えながら、ケイトへと声を振りかける。

 

「ケイト。後は頼みます」

 

 青い顔をしながらケイトが頷いた。サヤカは予め停めておいたタクシーへとアマツを先導した。アマツはタクシーに乗り込んで脚を組んだ。サヤカが前の席に乗り込み、「ハリマシティまで」と告げる。

 

 タクシーが静かに発進した。

 

 



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第六章 四節「WILL」

 ハリマシティの印象は言ってしまえば、ヤマブキシティの猿真似だった。

 

 立ち並ぶ高層ビルのデザインも、配置も、全てヤマブキシティと同じだ。カントーで生まれ育った身ならば、まるで故郷に帰ってきたような既視感を受ける。しかし、ここは異郷の地なのだ、とアマツは再認識する。タクシーに揺られながら、アマツは先ほどから喋ろうとしない女性構成員へと声をかけた。

 

「気分の悪いものを見せてしまって申し訳ない」

 

 アマツが最大限の厚意を向けた言葉に、構成員は、「いえ」と無愛想な声を返した。アマツは少し興味が出て尋ねる。

 

「君の名は?」

 

「サヤカです」

 

「階級は?」

 

「二等構成員です」

 

「ほう」とアマツは感嘆の声を上げる。女性で二等構成員は珍しかった。

 

「努力したんだな」

 

「いえ」

 

 謙遜気味に首を振るサヤカに、アマツは声をかけた。

 

「否定するところではない。そこはそれなりにとでも受け取っておけばいいんだ。まぁ、言葉の表面では否定してもいい。しかし、心の奥底では自分を褒めてやる。それがこの世界を渡っていく上での処世術だ」

 

「はぁ」と生返事が返ってくる。アマツは窓の外を眺めながら、「この街は」と口を開く。

 

「どう思う」

 

「どう、とは」

 

「君の眼にどう映る、と聞いているんだ。私はカントーの生まれでほとんど他地方には行かない。だから君の印象を知りたい。君は、恐らくはカイヘンの生まれだろう」

 

「はい。そうですが……」

 

 あくまで顔を振り向けずにサヤカが応じる。アマツは言葉を続けた。

 

「カントーの生まれの私からすれば、完全にヤマブキシティの二番煎じ、いやタリハシティの事があれば三番煎じか」

 

 タリハシティの名が出た時、サヤカが少し眉を跳ねさせた。その微妙な変化をアマツは見逃さない。

 

「タリハシティに、何か思い出でも?」

 

 心の奥底を突き刺すようなアマツの問いかけに、サヤカは、「いえ」と否定の声を出した。アマツは、「別に勘繰ろうってわけじゃない」と言った。

 

「ただ話の種に、と思っただけだ。私は部下を持たないのでね」

 

「あの……」と初めてサヤカから声をかけてきた。アマツは、「どうした?」と尋ねる。

 

「どうして部下を持たないんですか?」

 

「部下が死ぬのが嫌だからだ」

 

 アマツの発した言葉に暫時、沈黙が降り立った。どう返していいのか分からないのだろう。アマツは続けて言葉を発した。

 

「私が死ぬ分には、別に構わない。こう言うのも何だが、長はね、死ぬためにいるのだと思っている。長だけ生き残ったところで何になる? 継ぐ者がいなければ技術も、意志も途絶える。長は、どれだけ優秀な部下を育てられるかのためだけに存在する捨て石だ。だから、私は自分の命に価値を見出せない。だが、部下の命となれば話は別だ」

 

 アマツは片手を開いて掲げる。「例えば」と口を開く。

 

「この手に部下の命と」

 

 もう片方の手を掲げ、「私の命が乗っていたとする」と言った。サヤカは肩越しに振り返ってアマツの様子を見つめていた。

 

「どちらかを選べと言われれば、私は迷わずこちらを捨てる」

 

 自分の命だと示したほうの手をアマツは下ろした。サヤカが見入っている。

 

「後世に伝えるべきは部下の命だ。私の命などどうでもいいのだよ。ただ、死ぬわけにはいかない局面が多くてね。今日の航路だってそうだ。あそこで私が死んでいればリヴァイヴ団の増長を許すばかりか、君達は頭目を失った事で戦力が拡散していたかもしれない。だから、どうしても死ぬわけにはいかない場合以外は、私は命をさして重要とは感じていない」

 

「それが部下を持たない理由ですか」

 

「不満か」

 

 アマツが口元に笑みを浮かべながら問い返すと、サヤカは前を向いた。

 

「立派な心意気だと思います」

 

「思います、ね。君は私の事を信用していないな」

 

 返答はない。アマツは、「当然だろう」と口にした。

 

「死体の山を築き、制服も纏っていない人間を信用しろというのは無理な話だ。せめて手の内を明かせとね。しかし、私は隊長格の間でも手の内は明かさない主義なんだ。すまないね」

 

「いえ、別に」

 

「では、今度は私から質問していいかな」

 

 アマツの言葉にサヤカは背筋を伸ばした。了解の声はないが、アマツは言葉を発する。

 

「タリハシティに思い入れでもあるのか」

 

 サヤカが目に見えて緊張したのが分かった。背筋を強張らせている。アマツは、「答える義務はない」と言った。

 

「しかし、私もそれなりの事を話したんだ。情報は交換し合うものだ。一方的に見せつけるものではない。私が話したのはいわば矜持、目に見えぬ部分だ。無理やり晒せとは言わないが、誠意を見せて欲しい。同じウィルに属する人間として」

 

 アマツが両手を合わせて返答を待っていると、ハリマシティ中心街へと入っていった。道幅の広いハリマシティでは当たり前のように車が行き交う。アマツが窓の外を眺めていると、「私は」と声が発せられた。目を向ける。

 

「ディルファンス上がりなんです」

 

「ほう」と感嘆したような声をアマツは漏らした。ウィルにはディルファンスから上がって来た人間も多い。それは当時、カイヘン統括部隊にディルファンスの人間が多く所属した事に由来する。

 

 ウィルの構成員はほとんどがカントーの出身か他地方の出身者で占められている。これはカイヘンを客観的支配下に置こうというカントーの思惑が働いているのだが、その中でも特殊なのは俗に「ディルファンス上がり」と呼ばれる人々だ。

 

 自警団ディルファンスに所属していたのだからポケモンを扱った知識や戦闘技能には秀でている彼らを重宝しようという動きは上にはない。それはディルファンスがヘキサへと寝返った過去があるからだ。それでも戦う事しか仕込まれていない彼らは流されるようにウィルに所属する事となった。彼らは基本的に戦闘技能が高いが、上層部の意思によって昇級は望めない立場にある。ほとんど三等構成員以下だ。しかし、目の前のサヤカは二等構成員だと言う。それは血の滲むような努力を想起させた。

 

「ディルファンス上がりだという事は八年前のヘキサ事件の時」

 

「ええ。当事者でした。私はディルファンスとして空中要塞ヘキサ攻略作戦に臨みました」

 

 ウィルの間では空中要塞ヘキサ攻略作戦に臨んだ人々は英雄かまたはいつ寝返るか分からない裏切り者の扱いを受けている。英雄視する人間は少ない。たとえ彼らの経歴を詳しく知っていても、だ。

 

「ヘキサ事件か。その当事者である人と会えたというのは喜ぶべきと考えていいのかな」

 

「どうでしょうか。私はあの事件を風化させたくない。その一心でウィルにすがり付いているだけですから」

 

 それは上層部からしてみれば厄介事の一つに過ぎないだろう。面倒な人間だと思われているのかもしれない。

 

「私もあの事件には興味がある。こんな言い方をすると何だが、歴史が変わった瞬間というものがあるとすればあれだろう」

 

「当事者である私はそうは思いません。あれは、ただの怨恨でした」

 

 そう語るサヤカの口調には苦渋が滲み出ていた。何かをディルファンスの彼らは知った。その確信に、アマツは尋ねてみた。

 

「あの場所で何があった? 君達は何を見たんだ?」

 

「それは……」

 

 濁すサヤカに、「無理強いしようってわけじゃない」と片手を振って口にする。

 

「個人的な興味だ。α部隊の隊長だという事も、ウィルに属しているという事も忘れてくれて構わない。その時に何を感じたのか。それを知りたい」

 

 アマツはカントーを不浄の地だと認識させた事件に深く関わっていた人間が、何を思ってあの場にいたのか興味深かった。片手を指揮者のように振るい、「あの事件で様々な事が変わった」と続ける。

 

「カイヘンにおいては輸出入の制限。経済の停滞。政治家の頭が挿げ代わり、あの瞬間、カイヘンという一つの場所が丸ごと、シフトしたように感じられる」

 

 アマツが片手を返した。サヤカは黙っている。

 

「それは何もカイヘンだけではない。カントーも変わらざるを得なかった。いや、変わったというよりかは今まで被っていた羊の皮が暴かれたというべきか。カントーは狼の姿を晒した。弱った獲物に食いかかる狼だ。あの事件でカイヘンはカントーに大きな借りを作り、他地方にも顔向けできない場所となった。どこにも大きな顔のできないカイヘンはどうだ? 穢れを恥じ入る乙女か? 私はカイヘンの土を踏むのは初めてだが、流れる空気感というものは分かる。教えて欲しい。全てが始まり、終わったあの場所で、ディルファンスは何を見たのか」

 

 沈黙が降り立つ。アマツは答えを期待していなかった。口を閉ざすのもサヤカの判断だ。しかし、今の状況に至る原因を作ったヘキサの行動は意味がなかったわけではない。当時の話ではカントーの退役した四天王を動員し、空中要塞の破壊活動をしたとされるが、うまくはいかなかった事は後の世が証明している。空中要塞ヘキサで何が起こったのか。誰一人として語りたがらないその裏側に何があるのか。アマツは期待半分、諦観半分と言った具合で待っていると、サヤカが小さく言葉を発した。

 

「あれは地獄でした」

 

 その言葉にアマツは、ほうと声を出した。

 

「地獄、とは」

 

「信じられぬ者同士が殺し合う地獄です。私は未だにあの場所の事を思い出すと身震いします。決して譲らぬ力が拮抗し、黒と白が乱舞する光景が今でも夢に見ます」

 

「それほどに鮮烈な場所だったという事か」

 

「はい。しかし、希望もあったんです」

 

「希望?」

 

 不意に放たれた正反対の言葉にアマツは聞き返した。サヤカは頷いて、言葉を続ける。

 

「はい。私はポケモンと人間の可能性の先を見ました。絶望の象徴である空中要塞ヘキサを牛耳る意志、ご存知かもしれませんがあれは一人の男の私怨だったのです」

 

「存じている。キシベ、だな」

 

 ヘキサ事件の首謀者と見られる男の名前だ。しかし詳しい事は八年経った今でも分かっていない。本当にキシベなる人物がいたのか。どのようにしてヘキサ蜂起を企てていたのか。そもそもいつからの計画だったのか。明らかになっていない情報は多い。ほとんどの情報はカントーの上層部が握り潰し、真実は闇の中だ。どうしてカントーが情報を封鎖する必要があったのか。それは恐らくロケット団と深く関わっているのだろう。

 

 アマツは隊長とはいえそこまで踏み込んだ情報の開示を求める事は出来ない。情報を知りたければ、兵を辞し政治家にでもなるしかない。しかし、一度政治家になればもう二度と兵には戻れないだろう。アマツは政治家のほうに価値があるとは思えなかった。だから今の立場に満足している。

 

 サヤカは頷き、「本当に怨念で動いていたんです」と告げた。

 

「空中要塞が、か? 一人の男の怨念が動かしたとすれば、なるほど、凄まじい事だ。まさしく地獄と言ってもいい。だが、君は希望もあったと言った。希望とは何だ?」

 

「ポケモンと人間の可能性を超えた存在。キシベは王の誕生と呼んでいました」

 

「王、か」

 

 恐らく誰の事を言っているのか見当はついている。ヘキサ事件に関わり、王を冠する人物といえば一人しか思い浮かばない。

 

「だが、その王も今のカイヘンを変えるには至っていない。トレーナーの頂点には確かに立っただろう。しかし、王はまだ若い。その双肩に打ち捨てられたカイヘンの未来は重かったのだろう」

 

「その通りだと思います。王は必ずしも万能じゃない」

 

「政治と戦いは違う。いくら技量に優れたところで、統治に優れた人間とは限らない。カイヘンの王は戸惑っているな。だからこそ、このような治世なのだろうが」

 

「ウィルが存在し、リヴァイヴ団が存在するという事実が、何よりも証明していますからね」

 

 本来ならばウィルもリヴァイヴ団も必要ない。王、すなわちチャンピオンが統制する世界ならば余計な組織は混乱を生むだけだ。それがまかり通っているという事は、このカイヘンの統治は磐石ではない。アマツは八年前にこのカイヘンで玉座に上り詰めた少女の存在を思い出した。カイヘンでは二人目のチャンピオンである。防衛成績は凄まじく、一度としてチャンピオンの手持ち一体として倒された事はない。とはいっても、カイヘンでのリーグ戦は手持ち二体という制限つきだ。その状態では四天王を倒す事すら難しいだろう。

 

 現に、四天王突破が最も難関な課題とされている。攻略対象として最大の壁となるのが四人目の四天王、鳥ポケモン使いのレイカだ。手持ちがピジョットともう一体という情報だけならば簡単に突破できそうに思えるが、並のピジョットではないという。大抵の挑戦者はピジョットに一撃すら加えられないうちに終わる。

 

 カイヘンのポケモンリーグはそれだけ難易度が高いと言えるが、さして話題に上らないのは難易度の高さがそのままショーとしての不誠実さに繋がっているからだろう。

 

 挑戦者は勝てない上に、チャンピオンは別次元の強さを誇っている。これではまともな戦いを期待も出来ない。

 

 カイヘンではカントーを始めとする他地方のようなポケモンリーグの娯楽化は行われていないと言える。娯楽に成り果て、四天王がいざという時に地方の防衛の役に立たないのでは話にならないが、それでも強い力を見せ付けられるだけでは面白くないのだろう。アマツは群衆とは難しいものだ、と窓の外を歩いていく人々を見つめながら考える。

 

「君は王の誕生に立ち会ったわけか」

 

「はい。でも、信じられないですけどね。まさか私よりも若かったあの子がすぐにチャンピオンになったなんて。私、チャンピオンと握手したんです。対等な立場として」

 

 サヤカの声にはミーハーぶった興奮の響きよりも、その時の自分が信じられないという感じが強かった。どうしてその時には対等に振る舞えたのだろうという不思議が勝っているのだろう。

 

「なるべくして王は生まれたのか。はたまた、ヘキサの蜂起によって王の逸材が目覚めたのか」

 

 アマツの言葉にサヤカは首を横に振った。

 

「分かりません。私には何一つ……」

 

「言えるのは君が地獄から見事生還してきたという事だ。興味深いな。もう少し話を聞きたい」

 

 その言葉の直後、タクシーが停車した。アマツが首を巡らせていると、「到着しました」と運転手が告げる。サヤカがウィルの構成員である証を見せ、後部座席の扉が開いた。先に降りたサヤカが、「どうぞ」と促す。アマツはもう少し話していたい気分だったが、到着したのならば仕方がないと諦めた。

 

 目の前に屹立するのは壁のような建築物だった。視界いっぱいに横長の建物が広がっている。端で折れて、六角形を描いていた。ヘキサによって傷つけられたカイヘンの治安を維持する組織の総本山がヘキサと同じ六角形を戴いているのはどこか皮肉めいている。

 

 このような悪趣味なジョークを誰が考えたのだろう。アマツがサヤカに連れられてエントランスへと向かう。

 

 すると、入り口の前に人影があった。茶髪の少年だ。耳にピアスをつけており、ジャラジャラと装飾品を身に纏っている姿は軽薄な印象を与える。口元に笑みを浮かべて少年はアマツを見つめた。アマツは薄く笑んで、「やぁ」と片手を上げる。

 

「久しぶりだな」

 

「カントーから遠路はるばるご苦労様。α部隊隊長殿。どう? 隊首会の前にちょっと話でも」

 

 挑発じみたその声にサヤカがいさめる声を出した。

 

「カガリ隊長。アマツ隊長は疲れておいでなんです。あまりお手を煩わせないよう」

 

 どうやらサヤカは教育係のような位置づけにあるようだ。カガリ、と呼ばれた少年は、「はーい」と声を出して頭の後ろで両手を組んだ。

 

「サヤカちゃん、相変わらずきっついねー。もてないでしょ」

 

 カガリの声にサヤカはむすっとして応じた。

 

「余計なお世話です。隊長こそ、何しているんですか? 隊首会でしょう」

 

「うわ、そんな邪険に扱わないでよ、サヤカちゃん。俺だってさ、久しぶりにアマツ隊長やカタセさんに会えるってんで楽しみなんだからよ」

 

「隊首会には全隊長が出席するのか?」

 

 歩きながらエントランスをくぐり、サヤカが率先して会議室へと道を進む。カガリとアマツは歩幅を合わせながら雑談した。

 

「いんや。相変わらずδ部隊の隊長は駄目みたい。あの部隊は特別だからなー。お許しが出ているってわけ」

 

 ウィルδ部隊というのは他の実働部隊とは異なる働きをする。一言で言えば研究部隊である。道具やポケモンの生態を研究し、それを実働部隊であるαからεの戦闘に反映させるのが主な役割だ。しかし、α部隊は実質的にアマツ一人のワンマン部隊なため、反映されるのはβからεまでだ。加えてアマツがカントーでの実務がメインのために、δ部隊とは顔を合わせる機会はない。

 

「δの隊長は?」

 

「あの詐欺師スマイルのおっさん? 駄目駄目、全然見ないよ。そもそもδ部隊の奴ら見ないからね、俺らは」

 

「β部隊は新都の守りで忙しいか?」

 

「まぁね。俺達β部隊が新都守らないと、誰もやってくれないからな」

 

 ウィルはカイヘンを部隊ごとに小分けにしている。カガリが指揮する第二種β部隊は新都ハリマシティを中心に本土の防衛任務がつけられている。

 

 第三種γ部隊は北方、主にコウエツシティの守りだ。

 

 δ部隊は特例として防衛するべき地域はなし。

 

 第五種ε部隊が南方、ミサワタウンまでを統治下に置いている。

 

 それぞれの部隊には特色があり、β部隊はその防衛範囲の広さによる特性上、かなり大所帯の部隊となっている。構成員を一番多く抱えており、次に多いのがγ部隊だ。海を隔てた向こう側のコウエツシティの守りは本土とは別らしい。本土で跳梁跋扈するリヴァイヴ団と、コウエツシティで暗躍するリヴァイヴ団は同じ組織でありながらほとんど別の動きをする。だから、本土防衛部隊とコウエツシティを主とする北方部隊に分かれているのだ。特にコウエツシティはリヴァイヴ団の動きが盛んだと言う。

 

「そういえば情報が入っていた。γが壊滅させられたと」

 

「正確には壊滅じゃないけど、まぁほとんど使い物にならないレベルまでやられたみたいだなぁ」

 

 エスカレーターに乗りながらアマツとカガリは喋る。サヤカが先ほどから沈黙しているのは隊長同士の会話に割り込む事が失礼だと感じているからだろう。よく出来た構成員だと褒めてやりたかった。

 

「一般構成員か?」

 

「いや、一般に関してはそれほど。ただコウエツシティのカジノの資金洗浄がばれたり、任務についていた戦闘構成員が次々とやられたり、あんまり芳しくないな」

 

 コウエツカジノの資金洗浄については既に情報が入っていた。ポケモン同士による殺し合いとそれを賭けの対象にする違法行為。ウィルが率先して行っていた事が明るみになって形勢が不利に傾きかけている。カントーでもウィルを支持する中堅議員達が頭を悩ませるのはそのような金の流れについてだ。戦闘構成員が何人死のうが関心はない。

 

「γ部隊の維持に問題が発生するのではないか?」

 

「するだろうねぇ。なにせ隊長がやられたんだ。あのヤグルマさんが」

 

「ヤグルマがやられたのか? あの厄介なデスカーン使いが?」

 

「そ。まぁ、結構リヴァイヴ団に対して熱い人だったからなぁ。ボスの正体を暴く事に躍起になっていたし。俺らからしてみれば少し怖いぐらいだったよ」

 

 リヴァイヴ団のボスの正体。それは未だに謎に包まれている。決して表舞台に出てこないボスを闇から引きずり出そうと努力した人がヤグルマだった。ヤグルマは元々サラリーマンだったと聞く。そのような戦いからは無縁のところにいた人間がウィルに入るのには理由があったのだろう。推し量るしかないが、ヤグルマは自分の信念に殉じたと思う他なかった。

 

「そうか。惜しい人を亡くしたな」

 

「まぁね。あの人がボスの正体暴いてくれてたら、俺らの仕事ももう少し楽になっただろうなぁ」

 

「隊長。失礼ながら、死者を冒涜するのはいかがなものかと」

 

 前に立っていたサヤカが肩越しに視線を振り向けてカガリに声をかけた。アマツは意外だった。隊長に意見する構成員がいるとは。カガリはしかし、いつもの事なのか、「悪かったよ」と少しも悪びれていない口調で言った。

 

「サヤカちゃんの好感度下げたくないし、このくらいにしておくか。ヤグルマさんの事は残念だった。それで終わり」

 

 カガリが手を叩いて話を打ち切った。その様子が気に入らないのか、サヤカは睨む目を向けていた。真っ直ぐな人間だ、という印象を抱いた。かつてディルファンスに在籍していたという話もさもありなんと思われた。

 

「では、γ部隊はどうなった? 生き残りは」

 

 その話題にカガリは声を潜めた。

 

「その事だよ、隊首会。生き残りがいたんだと、一人だけ」

 

「戦闘構成員か」

 

「そうみたい。女の子だってよ」

 

 カガリはにやけた。この少年のこの性格は隊長としては難ありだ。

 

「β部隊に加えるのか?」

 

「ところが残念。βは間引くのはありでも、新しく加入させるには人が多過ぎる」

 

 カガリが肩を竦める。アマツが、「ではどの部隊で面倒を見る?」と尋ねた。カガリは、「いや、だからアマツさんを呼んだんでしょ」と指差した。

 

「私を? 何故?」

 

「アマツさんの部隊は万年部下なしじゃない。今回だけ特別に部下をつけようっていう算段なんじゃない?」

 

「冗談。私は部下を持たない」

 

「アマツさんはそう言うだろうけど、お上からのお達しじゃ断れないでしょ」

 

「総帥命令か?」

 

 少し強張った声でアマツは訊いた。カガリは後頭部を掻きながら、「さてね」と返す。

 

「そこまで重要度の高い命令とは思えないけど。せいぜい、α部隊で面倒を見てやってくれないか、程度でしょ。まぁ、γのその構成員がα部隊を志願しているってのもあるし」

 

「聞いてないぞ」

 

「言ったらアマツさん、嫌がってまずカイヘンに来ないでしょ。言うわけないじゃん」

 

 カガリは笑った。アマツは複雑な心境で前を見据える。長いエスカレーターが終わりに差し掛かっていた。体よく利用するために自分は呼ばれたというわけだ。アマツが深いため息をこぼすと、「そう嫌がる事ないって」とカガリが慰めにもならない言葉を発した。

 

「γ部隊ってかなりの強豪揃いらしいし、そう簡単には死なないでしょ。現に生き残ったわけだし」

 

 カガリはアマツが何故部下を取らないのか知っている。一度尋ねられた事があるからだ。カガリの軽い尋ね方に、ついつい口を滑らせて言ってしまった。カガリは誰かに言いふらすような人間ではなかったが、ある意味では弱みを握られたようなものだ。

 

「私は部下を持った事がない」

 

 エスカレーターから廊下へと踏み出す。「こちらです」とサヤカが先導する。「だから?」とカガリがアマツの顔を覗き込んだ。

 

「部下をうまく扱う自信がないって? 大丈夫だって。部下なんて勝手に動いてくれるもんだし、俺らは適当に自分なりの仕事をすりゃいいの」

 

 とんだ楽観主義に、そのような見方もあるのかと思いつつもアマツは不安を払拭し切れなかった。会議室の前でサヤカが足を止める。二等構成員であるサヤカは隊首会には出席出来ない。

 

「サヤカちゃん。またねー」とカガリがにこやかに手を振る。サヤカは仏頂面で無言を返した。

 

 会議室の中では既に一人だけ座っていた。黒いコートを身に纏った人間だ。眼光は鋭く、射抜くような光を宿している。猛禽の眼だ、とアマツは感じた。カガリが馴れ馴れしく、「カタセさん、もう来てたんですか」と言って歩み寄った。カタセ、と呼ばれた男はカガリにはあまり関心はないようだった。短く、「ああ」と答える。

 

「冷たいなぁー。同じ隊長でしょ? 仲良くしましょうよぉ」

 

 その言葉にも短く、「ああ」と返すだけだ。カガリはつまらないと感じたのか早々にアマツの下へと戻ってきた。アマツは空いている席に座る。カガリが隣に座ってポケットからゲーム機を取り出した。折り畳み式のゲーム機だ。黄色い派手な色味でステッカーが貼ってあった。会議室でゲームを始めようとするカガリをアマツはいさめた。

 

「カガリ。これから隊首会だ。慎め」

 

「暇なんだからいいでしょ。どうせ総帥が来たらやめますよ」

 

 カガリはゲームに熱中し始めた。アマツはため息をついてカタセへと視線を移す。カタセは喋る気など毛頭ないようで顔を伏せ気味にして黙って腕を組んでいる。アマツが何かしらの話題を探そうとするが、自分の中にそれほど話題があるわけでもない事に気づき、口を閉ざした。

 

 その時、会議室の扉が開いた。現れたのは禿頭の男だ。片目にモノクルをしており、杖をついている。カタセがまず立ち上がった。カガリがゲーム機をポケットに詰め込んで立ち上がり、最後にアマツが立って踵を揃えた。身に染み付いた挙手敬礼をする。禿頭の男は仕立てのいいスーツに身を包んでおり、全員を見渡してから返礼をした。

 

「待たせて悪かった」

 

 重々しい、低い声だった。その言葉にアマツが代表して返す。

 

「いえ。コウガミ総帥」

 

 コウガミと呼ばれたこの男こそがウィルを束ねる人間だった。コウガミは一番奥の席へと歩いていった。その後ろに小さな影がついてきているのをアマツは目にする。視認した直後カガリが、「うわっ」と声を上げた。アマツも思わず声を出しそうになった。小さな影は全身に火傷の痕があった。右眼を革製の眼帯で覆っている。毛髪は一本もないが、小柄な体型から少女である事は分かった。

 

「総帥。その、子は……」

 

 さすがのカガリも言葉を選んだ様子だった。総帥は一番奥の席に座り、息をつくと答えた。

 

「γ部隊唯一の生き残りであるウテナ三等構成員だ」

 

 その言葉にカガリが目を見開いた。女だとは聞いていたが、アマツもこれほどまでに幼いとは思っていなかった。まだ乙女だ。ウテナは顔を伏せて頭を下げた。カガリが目をぱちくりさせている。

 

「総帥。隊首会では一等構成員以下は参加出来ないはずでは」

 

 ここでのルールをアマツは口にした。コウガミは両手を組んで、「その事もある」と口にした。

 

「事はそう簡単ではない。まぁ、座りたまえ」

 

 コウガミの言葉に従って、全員が席についた。カガリはどこな納得がいっていない様子である。期待していた女性構成員が少女でなおかつ目を覆いたくなるような容姿では当然かもしれない。

 

「これは信頼出来る情報筋からの情報だ」

 

 アマツを始め、隊長三人が耳を傾ける。コウガミは一度瞑目した後、言葉を発した。

 

「来る三日後、リヴァイヴ団がここハリマシティにて演説を行うという情報を入手した」

 

 予想だにしていなかった言葉に全員が目を戦慄かせた。カタセでさえ、動揺が走ったのが見える。β部隊の隊長であるカガリが言葉を発した。

 

「ありえないでしょ。俺達が守っているハリマシティで演説なんて。しかもウィルの総本山ですよ」

 

「そうだ。しかし同時にリヴァイヴ団の総本山でもある」

 

 噂とはいえ総帥自身の口から聞くのは初めてだった。カガリへと目を向けると、カガリは苦々しげに、「そりゃ、そうですけど」と口にした。どうやら真実のようだ。敵対する関係にある組織が同じ街に根城を構えているのはアマツには奇妙に映った。

 

「リヴァイヴ団は三日後に動き出す。恐らくは演説だけでは終わらない。真の目的は新都の占拠だろう。させるわけにはいかない」

 

「当たり前でしょ。俺達の街で勝手なんて」

 

 カガリが声に出すと、コウガミも頷いた。

 

「ウィルは三日後のリヴァイヴ団の演説の阻止、及び新都防衛の任に就く。隊首会を開いたのはそのためだ。隊長格自ら、リヴァイヴ団掃討戦に臨んでもらいたい」

 

 思ってもみない言葉だった。アマツは衝撃さえ受けていた。カイヘンに着いた矢先にこのような巨大な作戦に組み込まれるとは。アマツが言葉を失っていると、カガリが口にした。

 

「奴らの目的を潰すんでしょ。やりますよ」

 

 カガリは俄然やる気のようだ。カタセは沈黙しているが、了承するのは明らかだろう。あとはアマツの返答待ちだった。コウガミがアマツへと目を向ける。

 

「アマツ。異論はあるか?」

 

 この場で異論など挟めるはずがなかった。

 

「ありません」

 

「ならばよし。各員、ポケッチを持っているな」

 

 アマツはカイヘンに渡るに当たってつけられたポケッチに視線を落とした。まるで首輪だ。

 

「情報と配置をポケッチに送る。現時刻よりウィル全部隊は戦闘態勢に入れ」

 

 カタセが立ち上がり、コウガミへと歩み寄った。ポケッチから情報を受け取る。カガリも立ち上がって情報を受け取る。あとはアマツだけだった。アマツは急な出来事に頭がついていかなかったが、隊長としてやるべき事はあると感じ、ポケッチに情報を受け取った。

 

「各々、情報は持ち帰って確認して欲しい。それと、もう一つ。ウテナ三等構成員の処遇についてだが」

 

 コウガミはアマツへと視線を移した。アマツが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「α部隊への転属を志願している。どうか、α部隊で面倒を見てもらえないだろうか」

 

 厄介払いだとアマツは感じた。ウテナを見やる。どこの部隊でもこのような人間は持て余すだろう。ならば部隊への被害が少ないα部隊がちょうどいい。アマツは客観的に考えても、α部隊にすべきだと判断した。そこに主観的意見、つまりアマツの感情は入っていない。それを入れれば、ウィルという組織が円滑に回らなくなってしまう。アマツは頷いた。

 

「分かりました」

 

 アマツの返答にコウガミは満足そうに頷いた。

 

「そうか。よろしく頼む。こう見えても彼女は実力者だ。その実力は既に殉職したヤグルマが太鼓判を押している」

 

 ヤグルマの名が出たが、故人を哀れむような組織ではない。黙祷の一つも捧げないような無慈悲な組織がウィルだ。故人を懐かしむ暇があれば、反政府勢力駆除に一秒でも専念せよ。その教えは非情であると同時にこの組織においては真理だ。ウテナはアマツへと歩み寄ってきた。ウテナがしゃがれ声で、「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。アマツは無言だった。

 

 



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第六章 五節「部下」

 隊首会はものの十分で終わった。

 

 元々、スタンドプレーの気があるウィルにおいて会議ほど無駄なものはない。総帥であるコウガミはもちろん、各界のスポンサーや政治家に目を配っておく必要はあるが、実働部隊はそうではない。戦うためだけに磨き上げられた石に矢じりや剣以外の用途がないのと同じ事だ。アマツはウテナを連れて用意されているという宿へと向かった。ビジネスホテルで最低限の設備しかないが、アマツにはそれで充分だった。ウテナの事をまず知る必要があるとアマツは感じていた。

 

「三時間後に、下のラウンジで落ち合おう。それまで少し休ませてもらう」

 

 その言葉に挙手敬礼をウテナは送った。返礼をして、アマツは部屋に入る。ベッドにテレビ、電話、水道、必要なものが揃っているのを確認し、蛇口を捻り、手を洗ってからアマツはパーカーを脱いだ。ベッドに横になりながら、ウテナの事を考える。

 

「あの少女は、何故あのような姿になった」

 

 聞く事になるであろう。しかし、踏み込んでいいものか、アマツには迷いがあった。

 

 部下を持った事がない。持っても無駄に死なせてしまう。自分のような人間には部下などいないほうがいいと考えたのはいつからだったか。

 

 α部隊隊長に命ぜられた時には既にそのような考え方であったような気がする。アマツはポケッチを操作した。作戦概要と情報を呼び出す。アマツに与えられた命令は演説の中枢へと潜り込む事だった。単独であるα部隊だからこそ出来る命令だ。ウテナには別の命令が与えられていた。

 

 現れるであろうボスを警護する敵部隊の迎撃。つまりは別行動となる。アマツは意味があるのかと感じた。わざわざ自分とウテナを上官と部下の関係にしなくとも、ウテナだけで単独の命令を下せばよかったのではないか。三等構成員であるウテナに単独命令というのは筋が取っていないという事は分かる。しかし、この際筋など関係あるのか。アマツは額に手をやって、「疲れているな」と呟いた。船上でリヴァイヴ団と交戦。ほとんど休みなしだ。三時間ぐらい眠るのも悪くないのかもしれない。そう考えていると、ポケッチから呼び出し音が鳴った。ポケッチは通信機能も備えている。見ると知らない番号だった。アマツは通話に出る。

 

「もしもし」

 

『あ、アマツさん。聞こえてる?』

 

 カガリの声だった。アマツは、「何だ?」と不機嫌そうな声を出した。

 

『そうカリカリしない。俺達同じ隊長でしょう?』

 

「私はこれから少し休みたいんだ。用件は手短に済ませろ」

 

『えー、そうですか。じゃあ、手短に言うと、あのウテナってのはヤバイらしいですよ』

 

 アマツが眉をぴくりと跳ねさせて反応した。カガリの言葉など聞き流そうと思っていたのだが、ウテナの事となれば話は別だった。

 

「ヤバイ、というのは?」

 

『顔を伏せていたからよく見えなかったですけど、眼が蒼いらしい』

 

「眼が青いくらいは別に普通だと思うが」

 

『違うんだって。蒼い眼といえば件の月の石の話、聞いた事ない?』

 

「知らないな」

 

『ああ、そうか。アマツさん、カントーにずっといたから馴染みないんだ。八年前のヘキサ事件、その時、ディルファンスとヘキサはある薬を投与したポケモンを実戦投入した。それは分かる?』

 

「いや。カントーにはほとんど情報は入っていない」

 

『なるほど。じゃあ、カントーの上が握り潰したってわけだ。不都合な事実として』

 

「何が言いたい、カガリ」

 

 堪えかねて口にすると、カガリは、『月の石ってもちろん知識あるよね?』と尋ねた。馬鹿にしているのか、とアマツは声音を強くする。

 

「基礎知識だろう。ポケモンを進化させる石だ」

 

『その月の石。純度が高いものを融かして液状化して人間とポケモンに打ち込むと強化出来るっていうのは知ってる?』

 

「何だ、それは。初耳だが」

 

『α部隊の隊長でも知らない事だったかぁ』

 

「何の事を言っている?」

 

『同調能力についての知識は?』

 

「同調?」

 

 アマツは聞き返した。同調、というのは学会で取り上げられたポケモンと人間の同調の事を言っているのか。

 

「意識圏が拡大し、反射速度が向上するという話か」

 

『知ってるんだ。その情報は握り潰されていないって事か』

 

「眉唾物だ。本当にあるのか証明出来ていない」

 

『カントーではそうかもしれないけど、カイヘンでは既に八年前にそれを確認しているんだよ』

 

「馬鹿な」

 

 アマツは一笑にふすつもりだった。同調能力などこの世にあり得るものか。ポケモンと人間は違う種族だというのに。

 

『それがその垣根を越える薬物があるんだよね。それが月の石を融かした薬。カントーには出回っていないんだ? あるいは意図的に隠されているとか?』

 

「そんな都合のいい薬があるものか。あれば皆使っているだろう」

 

『適性とかがあるから皆が皆使えるわけじゃないらしいけど、大体の人間は出来るようになるみたいだぜ?』

 

「同調がか?」

 

『純正の同調する人間に比べれば劣るみたいだけど、それでも強大な戦力になるって話。打ち込んだポケモンの事をルナポケモンって呼ぶってさ』

 

「カガリ。お前、どこでそんな知識を学んだ?」

 

『ウィルの極秘資料ライブラリ。ちょちょいと閲覧させてもらっちった』

 

「ハッキングだぞ」

 

『堅い事言わない。俺達隊長格には知る権利ぐらいあるでしょー。なにせ、ヘキサとディルファンスが使っていた戦力だって言うんだから』

 

 その言葉が事実ならば、絶対的な力だろう。アマツはカントーにいたためにそのような話は聞いたなどなかった。聞いたとしても信じているかどうかは怪しいだろう。

 

「ルナポケモンと意識圏の拡大した新人類とでも言うのか?」

 

『新人類って言うのは言い過ぎかな。過去にも似たような事例はあったみたいだし。まぁ、確認された症例は国家機密レベルだったらしいけどね』

 

「それは、シロガネ山の話か?」

 

 アマツにも聞き覚えがあった。シロガネ山にある一人のトレーナーがいると。その少年は、もう随分前に最年少でカントーポケモンリーグを制覇し、チャンピオンの玉座が約束されながらそれを放棄、シロガネ山に篭るようになったという。

 

「白銀の頂の王」、あるいは、「鬼」と形容された少年はしかし、十三年前に敗れたという噂が出回った。打ち破ったトレーナーも年少だったと聞く。そのトレーナーはカントージョウトリーグのチャンピオンだと言うが真偽のほどは定かではない。問題なのは最初の玉座に上り詰めた少年だ。赤い帽子を被ったどこにでもいそうな少年だったという。その少年に同調能力があったというのだ。

 

 もちろん、噂に尾ひれがついたものだろう。本来はそのような話ではなく、ただ単に強いトレーナーだったという話だったのかもしれない。しかし、強いなりに理由というものが必要になってくるものだ。人間は理解出来ないほど強大な存在に対して理由を求める。一般化した取るに足らない人間でも、その成功譚が理解出来るように矮小化する。その過程で生まれた話だろうとアマツは思っていたのだが、カガリが意外な反応を示した。

 

『何だ。知ってるじゃん』

 

「本当だったのか?」

 

 思わず聞き返すと、カガリは、『一般トレーナーの話だけどな』と補足した。

 

『確認されたケースじゃ、そいつが最初だったとかどうとか。それまでも同調に似た現象はあったみたいなんだが、明らかに、っていうのがそいつだったもみたいだな』

 

「その少年、いや、今はもう私よりも年上か……。彼はどこに」

 

『全地方の諜報機関が躍起になって捜しているよ。生きたサンプルなんだからな。生きてれば、の話だけど。シロガネ山での敗北の噂以来、ぱったりと消息が途絶えたらしいからな』

 

 彼が生きている証拠はない。だが、彼を捕らえて同調の証拠を引き出せれば、ポケモンと人間は次の段階に進むだろう。きっと、それは種族の垣根を越える忌むべき行為だ。アマツは覚えず背筋を寒くさせて、声を発した。

 

「その、彼と同じ力をウテナ三等構成員が持っていると?」

 

『同じって言うのは語弊があるなぁ。彼が純粋種だとすれば、あの子は人工的に作り出された存在だ。無理やり薬で能力を引き上げられている』

 

「本来の能力ではないと?」

 

『三等構成員だぜ? そんな大した実力持っているわけないだろ。まぁ、件の彼女がどうしてその力を得たのかは直接聞きゃいいんじゃねぇ? だって部下なんだし』

 

 カガリの言葉にアマツは声を返そうとして躊躇った。部下。その言葉の持つ重みが圧し掛かってくる。部下を持たない主義だったのに、それを一時でも狂わされるのは我慢ならない。たとえそれがリヴァイヴ団との全面戦争のために必要な事だとしても。

 

『アマツさん。気ィ張り過ぎなんだよ』

 

 カガリの言葉にアマツはハッとしてポケッチに視線を落とした。

 

『部下は勝手に動いてくれるって。俺らが気にするよりも部下って有能だぜ』

 

「それはサヤカ二等構成員を見ているとよく分かる」

 

『え? 何? 俺馬鹿にされた?』

 

 カガリの声にアマツはフッと口元を緩めた。カガリが不満そうにぶつくさと言葉を吐く。

 

『……そりゃ、サヤカちゃんは優秀だけどさ。俺だってそれなりに頑張っているんだぜ?』

 

「理解している」

 

『本当かぁ? アマツさんはその辺、疑わしいからな』

 

 気安いカガリの声にアマツは救われるものを感じた。ともすれば重く沈みがちな自分の思考を平常に繋ぎとめてくれる。

 

「本当だ。……しかし、どう切り出すべきか」

 

 それが問題だった。ウテナの心を傷つけずにどうやって同調の事を聞き出せばいいのか。その課題に、カガリが簡単そうに言った。

 

『そんなの、隊長権限で知る必要がある、でいいんじゃん。サヤカちゃん言ってたぜ? アマツ隊長に根掘り葉掘り聞かれたって』

 

「嫌われているな」

 

 自覚しつつもアマツはそう思われている事を仕方がないと割り切っていた。興味を持ち出すと自分の探究心は相手を傷つけてしまう。相手の心の奥底へと土足で踏み込んでしまう。

 

『嫌われているってわけじゃないんだろうけど、探究心は時に毒だと思うな。興味があるだけで、相手の引いた一線を踏み越えちまうんだから』

 

 思っていたよりも自分の本心を見透かしているカガリに内心舌を巻きつつも、アマツは口にした。

 

「デリカシーがないとでも言うのかな」

 

『デリカシー云々は俺もないから何とも言えねぇけど。ウテナ三等構成員に対しては、まぁ、上官と部下という割り切りでいいんじゃないか。上官として知る義務、くらいでいいだろ。それ以上に踏み込まずにさ。ああ、でもあの眼の事は慎重にしたほうがいいかもな』

 

「右眼か。どうしたのだろうな」

 

『部下達の話じゃ前回の戦闘で負った怪我らしい。それまではウテナは火傷の痕もなかったし、普通の女の子だったって言うしな』

 

「前回の戦闘。リヴァイヴ団か」

 

 ここに来て因縁の名前が出てくる。大切なものを奪い去っていく悪の組織。許すまじ、という意思がベッドのシーツを強く掴んでいた。

 

『あいつら女の子の構成員にも手加減なしかよ。本当、虫唾が走るぜ』

 

「全く、その通り」

 

 アマツは怒りで思考が白熱化していくのを感じた。少女であるウテナを痛めつけ、一生の傷を負わせた。ウィルの構成員は任務に殉ずる姿勢が全員にあるといっても、ウテナはまだ乙女ではないか。

 

『アマツさん。あんまり怒りに任せるなよ』

 

 思考を読んだかのようにカガリの声が差し込まれて、アマツは熱した脳髄を冷ますように息を吐いた。

 

「大丈夫だ」

 

『大丈夫そうには思えないけどな。思い詰めないほうがいい。部下の事は部下の事。自分の事は自分の事だ』

 

「カガリ。私は君ほど器用には割り切れない」

 

 ある意味では、カガリを羨ましく感じる。そうやって割り切って考えられる事は一種の強みだ。

 

『それでも割り切るしかないじゃんよ。俺達隊長は部下の過去まで背負い込むほど、出来ちゃいないんだからさ』

 

 その言葉に暫時、沈黙を挟んだ。部下の過去を背負い込むほど強くはない。そう自負しているからこそ、アマツは今まで部下を持たなかった。誰かと深く関わろうとすれば、それだけ誰かの人生に介入する事になる。

 

 アマツは隊長格同士の交流すら、最小限に留めておこうと考えていた。

 

 ヤグルマが典型例だ。アマツはヤグルマと何度か会話を交わした事がある。しかし、人生を知ろうとは思わなかった。ヤグルマは実直な男だったが、その実直さに呑まれれば確実に二の轍を踏む事となる。誰かの失敗を失敗としてしか活かせないのでは意味がない。成功に変えるためには、誰かを踏み越える覚悟が必要になってくる。だから、踏み台にする人間に対しては感情移入しないほうがいい。

 

「そうだな」

 

 アマツはようやくその言葉を搾り出して、ポケッチに声を吹き込んだ。

 

「少し休む。切るぞ」

 

『ああ。またいつでも』

 

 その言葉を潮にして通話は切れた。アマツはベッドに寝転んで天井を仰いだ。同調の事、ウテナの事、部下を持つという事、リヴァイヴ団との抗争――。様々な事が浮かんでは消えていく。アマツは一度頭の中をリセットする必要があるな、と感じていた。目を瞑り、手足から力を抜いていく。思っていたよりもスムーズに眠りに誘われた。

 

 



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第六章 六節「暗黒少女」

 予めつけておいたポケッチのアラーム音で目を覚ました。アマツが上体を持ち上げると、僅かに疲労の重みが身体に残っていた。時計を見やると、待ち合わせの十五分前だ。寝汗も掻いていなかったので、アマツはパーカーを羽織ってそのまま出かける事にした。元々、格好には無頓着なのだ。

 

 ラウンジに下りると、既にウテナが待っていた。アマツを認めると、挙手敬礼をする。返礼をしてから、アマツはラウンジのテーブル席についた。「座りたまえ」と促すと、ようやくウテナは対面に座った。アマツは紅茶を給仕係に頼んだ。

 

「君は何を飲む」

 

「同じで構いません」

 

 無愛想な返しに、アマツは気圧されるものを感じながらも、「では同じで」と給仕係に言った。注文を受け取って充分に離れてから、口を開く。

 

「私は忘れっぽいんだ」

 

 アマツの発した言葉の意味を解していないのか、ウテナは、「はぁ」と生返事を返した。アマツは続ける。

 

「だから、君の事を知ろうと色々と話題を考えてきたんだが、全て忘れてしまった」

 

 微笑むとウテナは困惑したような色を浮かべた。アマツからしてみれば、ウテナのほうから言葉を発して欲しかった。しかし、それは酷というものだろう。やはり、男から切り出すしかないのか、とアマツは息をついた。

 

 ちょうど紅茶が運ばれてきて、アマツは喉を潤した。芳しい香りが鼻腔で弾け、アマツの気分をリラックスさせる。ウテナは口をつけなかった。

 

「飲まないのか?」

 

「いえ。飲みます」

 

 まるで命令されなければ一切手をつけなかったとでもいうような口調だ。ウテナが紅茶に口をつけてから、アマツはカップを置いて言葉を発した。

 

「君について知りたい」

 

 そのような単刀直入な物言いしか出来ない自分にアマツは恥じ入るように顔を伏せたが、一瞬だった。すぐにウテナを真正面に捉え、言葉を継ぐ。

 

「リヴァイヴ団との戦いで何があった?」

 

 ウテナはアマツの言葉に、眼帯へと手を伸ばした。ゆっくりと剥がす。アマツは息を呑んだ。眼帯で隠された眼は潰れて眼球を成していない。ぐしゃぐしゃになった詰め物の中に蒼い炎が揺らめいているようだった。ウテナの左眼も改めて見ると確かに蒼い。右眼を解放するとその蒼さがより際立って見えた。

 

「私はγ部隊においてバックアップを主に行っておりました」

 

「君の手持ちは?」

 

「ツンベアーです」

 

 ツンベアーは力が強いが鈍足だ。なるほど、バックアップというのは納得出来た。

 

「前作戦時、つまり半日前ほどですが、作戦展開中、ヤグルマ隊長からの定時報告がありませんでした」

 

「ほう」とアマツは紅茶を啜る。ヤグルマがどんな人物だったのか興味はあった。

 

「それはありえないんです。ヤグルマ隊長は定時報告を怠る事などありえませんし、何より本土に先回りして展開していた私に何の指示もないなんて。おかしいと思っていると、私の下にヤグルマ隊長の直属だった部下、私とは同期のイシイ三等構成員のポケモンがやってきました。ゴチルゼルです」

 

 アマツは相槌を打った。ウテナの話からγ部隊がリヴァイヴ団に対して行っていた作戦の概要を組み立てる。

 

「ヤグルマ隊長とイシイ三等構成員はコウエツシティから本土へと渡ってくるリヴァイヴ団の一派、チームブレイブヘキサの殲滅任務に就いていました。同時に確保された重要参考人、レナ・カシワギの奪取を目的としていました」

 

「そのレナ・カシワギの重要性は?」

 

「レナ・カシワギはリヴァイヴ団の研究施設の研究員です。カシワギ博士をご存知ですか?」

 

「いや、私はその方面には疎くてね」

 

「カシワギ博士はポケモン遺伝子工学の権威です。恐らくはリヴァイヴ団のポケモンのメディカルチェックを行っていたと思われます」

 

「なるほど。そこから敵の戦力を読み取ろうとしていたわけか」

 

 アマツの声にウテナが首肯する。

 

「はい。しかし作戦は失敗。第一次作戦として展開したシバタ二等構成員は消息を絶ち、イシイ三等構成員とヤグルマ隊長がブレイブヘキサを追って定時連絡を絶ちました。嫌な予感を裏付けるように現れたゴチルゼルに導かれ、私は本土にブレイブヘキサが侵入した事を確信しました。ゴチルゼルの導きに沿って、私は敵の逃走経路であったバスを襲撃しましたが、引いたのはハズレだったようで、そこにレナ・カシワギらしき姿は確認出来ず。まんまと陽動作戦に引っかかり、現れたブレイブヘキサの団員二人と交戦しましたが敗退し、生き長らえたというわけです」

 

 ウテナはひとしきり言い終えたからか、息をついて紅茶を口に運んだ。アマツはようやく何が起こったのかを確認する事ができたが、それでも分からない事があった。カガリの話にあった同調についてウテナは一言も触れていない。自分の事を語りたがらない性分なのだろうかと思ったが、部下にする以上、聞いておかなければと思った。

 

「その眼は?」

 

 ウテナは眼帯へと視線を落とし、片手で右眼を押さえた。まるで疼くとでも言うように。

 

「私は、信じてもらえないかもしれませんがある薬によってポケモンと同じ箇所に傷を負う体質となりました。月の石の薬をご存知ですか?」

 

 アマツは頷いた。先ほどカガリから聞いたばかりだが、随分前から頭にあったような風を装う。ウテナは顔を伏せた。

 

「そう、ですか。なら、お話が早くて助かります。私と手持ちのポケモン、ツンベアーはとある実験に協力した結果、この能力を得ました。δ部隊がかつてヘキサやディルファンスが使っていた技術の再現を行っている事はα部隊の隊長ならば既に耳に入っている事と思いますが」

 

 初耳だったが、アマツは何も言わずに頷いた。δ部隊は研究部隊だ。外部に情報を漏らさない分、何をやっていてもおかしくはない。

 

「月の石を打ち込んだポケモン、ルナポケモンを実戦投入したいという話で、私とツンベアーはそのモデルケースでした。実験は確実に成功するという触れ込みでしたから、当時四等構成員で三等に上がりたかった私は自ら志願しました。志願者は他にもいましたが、今も生きているのは私だけです」

 

 その言葉の裏に壮絶な何かが潜んでいるのは疑いようもなかったが、アマツはそれを引き出すだけの言葉を持たなかった。

 

「同調による意識圏の拡大。感知野の網による敵の思考の察知。反射速度の向上。ツンベアーと私はそれら全てをクリアし、γ部隊では三等構成員という職務でしたが、それ以上の働きをしてきました。ヤグルマ隊長はとてもよくしてくださって。同じ部隊からも忌み嫌われる私の能力をきちんと把握して、戦いにおいては適切な判断を下されました。私は、ヤグルマ隊長の下で働けるのならば、それだけで生きがいとなりました。なのに……」

 

 ウテナは顔を伏せた。膝の上に置いた拳を骨が浮くほどに握り締め、蒼い瞳から透明な涙が零れた。

 

「ヤグルマ隊長は、立派な最期だったと私は思っております。イシイ三等構成員も同じです。決して誇りを失う事はなかった。最後まで卑劣なリヴァイヴ団と戦い抜いたんだと、ゴチルゼルが伝えてくれました。私はその意志を継ぎたい。だからα部隊に志願しました。部下を取らないアマツ隊長にとっては、私の存在は邪魔かもしれませんが」

 

「邪魔であるものか」

 

 今の話を聞いて、アマツの中である決意が固まった。それは何よりも強固で砕かれる事のない意志の力だ。アマツはテーブルの上に置いた拳を握り締めて、視線を落とす。

 

「君の決意、しかと受け取った。リヴァイヴ団のゴミ共を、この世から一匹残らず駆逐する。もちろん、君と共に」

 

 ウテナが涙を拭いながら、「そう言っていただけると、嬉しいです」と口にした。流れる涙の透明さとは裏腹に、潰れた右眼の蒼い炎が燃え盛る。憎しみの火だと、明らかに分かった。しかし、アマツはそれを指摘しなかった。憎悪で戦う事を綺麗な意志の輝きで隠すのもまた人間の戦いの一つだ。アマツはその憎悪さえも利用しようと考えた。誰かを理由にして自分の憎しみを綺麗に飾り立てるウテナを否定するような言葉はない。むしろ、やりやすくなった。ウテナは自分の戦いをすればいい。アマツも自分の戦いをする。それでいい。

 

「私は、常にスタンドプレーだ。だから君の戦いに協力は出来ない」

 

「存じております。作戦概要にもそう記されておりましたし」

 

「だが、心を通じ合わせる事は出来る。共にリヴァイヴ団を倒そう。ブレイブヘキサにしかるべき報いを」

 

 前のめりになって声を発すると、自分のものではないような言葉が出た。ウテナは涙を拭って、「はい」と力強く頷いた。危うい均衡の上にある、とアマツは感じた。ウテナの戦う理由は誰かを利用した私怨だ。しかし、私怨で戦う事をアマツは決して否定しない。肯定する事でこそ、最大限の力を発揮するであろうと予測できた。

 

「リヴァイヴ団を倒す。その時にこそ、平和は訪れる」

 

 ウテナは自分に言い聞かせるようにそう言って、眼帯を手に取った。アマツからしてみても、ずっと憎しみの炎を見せられるのは疲れる事だった。アマツは紅茶を口に運んだ。冷めた紅茶はもう何の味わいもなかった。

 

 



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第六章 七節「最後の命令」

 命令を受け取る、というのはどうするのだったか。

 

 そう感じて、ユウキは豪奢な部屋の中に集まった六人を見渡した。昨日まではF地区のバーで命令を受け取っていた面々が、一流ホテルの一室で座り慣れていない椅子に座ったランポを中心として固まっている。ランポもどこか落ち着きがないように見えた。瞬きの回数が多い、とユウキは観察していた。

 

「俺がこうして直に命令を下すのは、これが最後だ」

 

 ランポの言葉にユウキは分かっていても悲痛に顔を伏せた。守る、そう誓ったではないか。自分の目的のためにもランポがボスの影武者を演じる事に間違いはない。そう、間違いではないのだ。何一つとして。自分達は上り坂にいる。それは自覚していても、どこか心の奥底で割り切れていない。ランポはしかし、全てを悟りきったように超然としている。まるで自分のよく知るブレイブヘキサのリーダーなど最初からいなかったかのように。

 

 エドガーとミツヤも思うところはあるはずだと顔色を窺ったが、二人はいつもと同じようにランポを信頼して命令を待っていた。

 

「テクワ」

 

 呼ばれたテクワが松葉杖をつきながら、「ういっす」と前に出る。テクワの足の負傷は幸いにも大した事はなかった。ただ痛みは一ヵ月程度残るだろうとだけ医者に言われたそうである。心配するユウキに、「全治一ヶ月くらい、気合でどうにかならぁ」とテクワは息巻いた。今も作戦に向かうために痛みをおしてこの場に来ている。それはやはりブレイブヘキサの一員だという意識がそうさせているのか。はたまたテクワ自身の矜持なのかは分からなかった。

 

「お前は狙撃部隊のリーダーを務めてもらう。空中展開するリヴァイヴ団の部隊長だ。全方位を見渡せるお前が適任だ」

 

「了解っす」とテクワは応じた。続いてランポがマキシへと視線を移す。

 

「マキシ。お前には陸上部隊の部隊長だ。重く感じてなくていい。いつものテクワとの連携の延長線上だと思ってくれ」

 

 マキシは黙って頷いた。ランポは命令を待つエドガーとミツヤを見やった。

 

「エドガー、ミツヤ。お前らは敵をかく乱させるためのダミー部隊を演じてもらう」

 

「ダミー部隊ってのは?」

 

 エドガーが尋ねる。心中では納得がいっていないように見えた。古株の二人は何よりもランポを護衛したいという意志が強いのだろう。

 

「空中部隊と陸上部隊で敵を分けたとしてもウィルの戦力がその程度で削がれるとは思っていない。だから、完全にダミーの本拠地を作る。俺がその場所から演説しているように振る舞わせるんだ。当然、お前らのような本気の部隊が張っているとなれば、ウィルの主力もそちらへと行く。そうなった場合、本隊の消耗を避けられる」

 

「要するに、囮ってわけですか」

 

 ミツヤの声にランポは、「悪く思わないでくれ」と告げた。リーダー然とした表情だ。異論を許す空気ではない。

 

「囮でも立派な役割だ。それがなければ本隊は軽く陥落させられてしまうだろう」

 

「分かった。その役目、引き受けるぜ、ランポ」

 

 歩み出たエドガーに続いて、「旦那がそう言うんじゃね」とミツヤも了承した。

 

「最後に、ユウキ」

 

 ランポがユウキへと視線を振り向ける。ユウキは身を強張らせた。本隊に回されるのだろうか、とユウキが思っていると放たれたのは意想外の言葉だった。

 

「お前はレナ引き渡しの任を帯びてもらう」

 

 その言葉の意味が一瞬理解出来なかった。本隊で戦え、ならば理解する頭を持ち合わせていたユウキは虚をつかれたように固まった。

 

「どういう……」

 

「言葉通りの意味だ。お前は本作戦において、戦闘部隊への配属はない」

 

 頭を鈍器で叩かれたような衝撃だった。視界がふらふらとする。ユウキは額に手を当てて、「でも」と声を出した。

 

「ランポを守るのが、僕の役目じゃ――」

 

「レナ引き渡しも、任務のうちだ。それを頼めるのはお前だけだ、ユウキ」

 

 断固として放たれた声にユウキは閉口した。ランポの言葉は確かに理にかなっている。レナの事はランポがボスの影武者になるという事実ですっかり頭から抜け落ちていたが、自分達はそのためにコウエツシティに別れを告げ、本土の新都まで来たのだ。

 

「どうして、僕なんですか」

 

「適任だと感じたからだ」

 

 いつものランポの声だ。判断に迷いがない。しかし、この時ばかりはユウキは納得出来なかった。

 

「僕の力が頼りないんですか?」

 

「違う。頼りにしている」

 

「だったら!」

 

 思わず荒らげた声に沈黙が水を打ったように降り立つ。ランポは椅子に座ったまま真っ直ぐにユウキを見据えていた。ユウキもランポを見下ろして頭を振った。

 

「だったら、僕にランポを守らせてくださいよ……!」

 

 その言葉にランポはすぐさま声を返した。

 

「決まった事だ」

 

 その一言が決定的な断絶のように思えた。ランポは自分に何も期待してないのか。守って欲しいと言ったのは嘘だったのか。ユウキは拳を握り締めてランポへと歩み寄ろうとした。その肩へと手がかけられる。振り返ると、エドガーがユウキを制していた。

 

「よせ。命令だ」

 

「でも、僕は――」

 

「今まで命令には従ってきただろう。どうして今回は従えない? これが俺達、ブレイブヘキサ最後の作戦だぞ」

 

「最後だから……」

 

 ユウキはエドガーの手を振り解いた。エドガーの眼を睨み据える。

 

「最後だから納得出来ないんでしょう。そんな誰でも出来る役目、僕の使命じゃない!」

 

 そう口から叫びを発した直後、乾いた音が鳴り響いた。ユウキは頬に手を触れる。痛みが、じんと熱を持っていた。エドガーに頬を叩かれたのだと知った時、ユウキは、「どうして……」と苦渋の滲んだ声を出した。

 

「任務に貴賎はない」

 

 エドガーの声がユウキの迷いある胸中を断ち切る。ユウキは身体がずんと重くなったのを感じた。

 

「貴賎を設けるのは二流だ。俺達は、一流のチームとしてここまで来た。誰でも出来る任務なんかじゃない。ランポはしっかりとお前の事を見ている。それを忘れて、勝手気ままな事を言うな」

 

 静かな口調の節々に怒りが混じっている。エドガーとて自分の任務に納得出来ていないのだ。ダミー部隊という事はランポを直接守れるわけではない。言いたい事はユウキよりも多いのだろう。しかし、それを押し殺して必死に平静を装っている。ユウキは顔を伏せて、呟いた。

 

「……エドガーは、強いから。そんな事が言えるんですよ」

 

「俺だって精神的には弱者だ。何も変わりはしない」

 

 問答に決着をつけるように口にしたのはランポだった。

 

「ユウキ。異論はないな」

 

 異論などもう許される空気ではなかった。ユウキはランポから視線を外して、「分かりました」と呟く。

 

「よし。全員、ポケッチを翳せ。作戦の詳細を送る。これについては他言無用だ。同じ組織内であっても情報公開するレベルが設けてある。それ以外には口外するな」

 

 テクワが左手のポケッチをランポと突き合わせて情報を赤外線で送信される。続いて、マキシ。エドガーとミツヤ。最後にユウキという順番だった。ユウキは顔を伏せていた。ミツヤが退いた後、ランポがポケッチを突き出す。ユウキも突き出すと、ランポが静かに耳打ちした。

 

「この後、十分程度ならば時間が取れる。全員がいなくなってから、もう一度部屋に来い」

 

 ユウキが顔を振り向けると、ランポは素知らぬ様子で、「どうした。早くしろ」と急かした。ユウキはポケッチに情報を受け取り、ランポから離れた。

 

「これが最後の任務だ。同時にリヴァイヴ団としては最大の作戦でもある。気を引き締めて向かえ」

 

 その言葉に全員が背筋を伸ばして踵を揃えた。テクワだけは体勢的に無理なので、敬礼をした。

 

「それぞれの部隊に赴き、作戦を通達しろ。お前らはいわば頭脳だ。頭が動かなければ、何も始まらん。これにて解散する」

 

 それはブレイブヘキサというチームの解散も示していたが、それにしては呆気ない言葉だった。エドガーを先頭にして五人が部屋から出た。それぞれポケッチに転送された内容を確認する。今、この時点よりそれぞれに下された命令に従って行動する。今までのようにチームプレイではなくなった。最初に動き出したのはエドガーだ。コウエツカジノの一件以来、ほとんど休んでいないエドガーだが動きは迅速だった。無論、他のメンバーに自分がどこへ向かうのかも知らせる事はない。既にその背中は絶対の孤独を纏っていた。

 

 続いてマキシが動き出した。テクワが声をかける。

 

「どこ行くんだよ」

 

「他言無用ってリーダーが言ってただろ。忘れたのか」

 

「忘れちゃいないけどよ。どうせ連携するじゃん」

 

「その時までは何も連絡取るなって事だろ。ブレイブヘキサは解散したんだ」

 

「だからと言って、俺とお前の友情も解消したのかよ」

 

 マキシは沈黙を返した。テクワもどこかばつが悪そうに顔を背けている。ユウキが二人の様子を窺っていると、ミツヤが動き出した。エレベーターのほうへと向かっていく。その背中へとユウキは思わず声をかけていた。

 

「あの……」

 

「何だ?」

 

 既にミツヤは気安さを纏っていない。エドガーと同じく任務に殉ずる姿勢があった。

 

「エドガーと同じ任務なんですよね。だったら、会う事が」

 

「あるだろうけど、言っちゃいけないって言われたろ。ユウキ。それ以上話す事はもうないよ」

 

 その言葉を潮にして片手を上げて別れを告げた。エレベーターが間もなくやってきて、その扉の向こうへとミツヤは消えた。マキシが動き出す。テクワは、「待てって」とその足を止める言葉を発した。

 

「俺達、親友だろ」

 

 その声にマキシが足を止める。伝わったか、とユウキが思っていると、「親友でも」と厳しい声がマキシの喉から発せられた。

 

「命じられた事を着実にこなすのが俺達の役割だ。命令の前では親友なんて括りは甘いよ。テクワ。お前ならそう言うと思っていたけどな」

 

 マキシの放った冷たい言葉にテクワは何も言い返せないようだった。マキシはエレベーターホールへと向かい、「俺は行く」と告げた。

 

「リーダーの、ブレイブヘキサの最後の命令だからな」

 

 扉の向こうへと消えていくその背中をテクワとユウキは見送った。黙って見送る事しか出来なかった。マキシの言葉は非情だが真実だ。テクワは呆けたように口を開けていたが、やがて歯を噛み締めた。松葉杖をついて前に進む。「チクショウ」と声が漏れた。

 

「テクワ。どこへ」

 

「決まってんだろ。命じられた場所に行く」

 

 強情さを漂わせる声音にユウキは心配になって声をかけた。マキシの事で意地になっているのかもしれない。

 

「無理は……」

 

「してねぇよ。もう心配もいらねぇ。俺達は別々の部隊として戦わなければならなんだからな」

 

 自分から絆を断ち切ろうとでも言うのか。テクワの言葉には突き放す響きがあった。ユウキはテクワの足に巻かれた包帯を見やる。片足を引きずるようにしている。

 

「でも、足が」

 

「気合で何とかなるって言ってんだろ。マキシや他の連中の言う通りだ。甘さはここから先では命取りになる。馴れ合いでどうにかなる場所を俺達は踏み越えちまったのさ。もう、なあなあで生きていく事なんて出来ないんだ」

 

 テクワの覚悟から発せられた声に、ユウキは何も言えなかった。「俺は行くぜ」とテクワはエレベーターホールまで歩く。

 

「やるべき事がある。お前もだろ、ユウキ。じゃあな。運が良けりゃ、また会うかもな」

 

 それはこの別れが永遠かもしれない事を示唆していた。テクワが片手を上げて間もなくやってきたエレベーターに乗り込む。ユウキは手を伸ばしかけて、はたと止めた。何を言えばいいのか分からなかった。エレベーターの階層表示が流れる。ユウキは身を翻した。自分に今出来る事。やるべき事を模索する。そのためには真意を知る必要があった。部屋の扉をノックする。「どうぞ」という声がかかり、ユウキは扉を開けた。

 

「失礼します」

 

 ユウキは椅子に座るランポへと視線を向ける。ランポは少しばかり憔悴した様子で、「座れ」と促した。ユウキはランポの対面へと椅子を持って来て座った。

 

「何か頼もう」

 

 ランポが動こうとするのを、ユウキが手で制した。

 

「いや、僕が動きます」

 

「俺が頼みたいんだ。俺がやるさ」

 

 その声にはいつものランポの響きがあった。ランポはルームサービスを頼んだ。三分もしないうちに、コーヒーが二つ運ばれてきた。黒々とした液体からは香ばしい匂いが運ばれてくる。

 

「いいコーヒーだな」とランポが眺めて口にした。それを見て、ユウキが指摘する。

 

「見ているだけですか?」

 

「まさか」

 

 ランポはカップを手に取った。いつかコウエツシティのカフェテリアで見たように、優雅に口に運ぶ。ユウキも同じようにブラックのコーヒーを飲んだ。苦み走っているが、独特の濃厚さがある。舌に絡みつくかのようだ。しばらくは口の中で味が残る。

 

「うまいな。だが俺はコウエツのカフェテリアで飲んだコーヒーのほうが好きだった」

 

「僕もです」

 

 その言葉にランポは口元に笑みを浮かべた。カップを置き、両手を合わせて前屈みになる。

 

「本題に入ろう。あまり時間は取れない」

 

「はい」と応じてユウキはランポを直視した。ランポは先ほどまでよりかは幾分か落ち着いているように見える。

 

「レナ引き渡しの任務、納得出来ないか?」

 

「はい」

 

 ユウキの即答に、ランポは困惑の笑みを浮かべた。

 

「了承して欲しい。俺達にとっては、それが最も重要だからな」

 

「俺達、というのは」

 

「もちろん、俺とお前だ。コウエツでの誓いを忘れたのか?」

 

「忘れていませんよ」

 

 リヴァイヴ団でのし上がり、内部から変える。ミヨコやサカガミにも約束した。ランポは首筋を押さえた。

 

「俺達はリヴァイヴ団という組織の、その喉元まで来ている。あとは刃を突き刺すか否かだ」

 

「その覚悟があるか……」

 

 ランポは首肯し、ユウキを指差した。

 

「お前ならばその喉元に刃を突き刺せる。その見込みがあると俺は思っている」

 

「買い被りでは」

 

「俺がこんな状況でおべっかを言うと思うか?」

 

 ランポは唇を斜めにした。本気なのだろうと察したユウキは声を潜めた。

 

「……どうやって」

 

「心配するな。この部屋に盗聴器の類はない。スイートルームだからか、廊下から聞き耳を立てられる事もない」

 

 その言葉に少しばかり安堵したが、それでも警戒を完全に解く事は出来なかった。

 

「僕に何を期待しているんです?」

 

「レナの引き渡しは腹心を通じて行われる。俺も一度会った。相手は実力者だが壮年だ。一人だけボディーガードらしい人間が仕えているが、こちらは完全に従者だろう。危険は少ないと思ってくれていい」

 

「ランポ。どういう――」

 

「レナを連れて逃げろ」

 

 遮られて発せられた声にユウキは息を詰まらせた。冗談なのか、とランポの瞳に問いかけたが、嘘や酔狂で言っている事ではないのは明らかだった。

 

「壮年の腹心、従者、この二人さえ突破すればボスは目前だ。だが、ボスにレナを易々と引き渡せば、恐らくはレナは殺される」

 

 放たれた言葉にユウキは目を慄かせた。ランポは、「当然だろう」と口にした。

 

「殺される、は言い過ぎでも一生表には出られないだろう。裏でボスのポケモンのメディカルチェックを行わされるのさ。死ぬまでな」

 

「しかし、僕らの目的はボスの打倒」

 

「そうだ。そのために必要なのはレナの知識だ。レナを連れているほうが有利に働く。今、カードは俺達の側にあると思ってくれていい。レナという強力なカードをどう使うかが鍵だ」

 

「レナさんの存在が、ボスを倒す事に繋がるとでも?」

 

「俺は少なくともそう思っている。レナは研究者だ。それも一介の研究者ではない。リヴァイヴ団の深部に繋がる知識を持っている。ボスのポケモンが何なのか明らかになれば、必要なのは駆け引きだ。恐らくは、この六年間リヴァイヴ団という組織がここまで台頭出来たのはボスの力があるのだろう。真正面からのぶつかり合いでは、まず勝てないと思ったほうがいい」

 

「あなたにしては弱気ですね」

 

 ユウキの失礼とも当たる言葉をランポは口元に浮かべた笑みで風と受け流す。

 

「弱気にもなるさ。俺はボスの影武者で三日後には演説。だというのに、本物のボスには未だに会えていない。声すら聞いていないんだ。俺からのアプローチはあまり期待しないほうがいい。その分、お前の戦いに俺は期待している」

 

「ボスの腹心を倒し、ボスへと近づく」

 

「そうだ。だが、ボスは一回で倒せるような人間ではないだろう。必ずこちらの予想外のポケモンで対抗してくる。ユウキ。お前はボスのポケモンを明らかにするんだ。そうすれば、対抗策をレナと練っている間に俺が裏から手を回してお前に戦力を送れる」

 

「戦力の分散は、ポーズだったんですね」

 

 ブレイブヘキサの解散はこの後に訪れるであろうボスとの戦いのために必要な通過儀礼だったのだ。ランポの考えが分かり、ユウキは頷いた。

 

「そうとも限らない。本当に解散で終わるかもしれない。俺も自信がない。今回ばかりは、お前らを無事に引き合わせてやれるかは分からない」

 

「それでも、希望は持てる」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 ランポは微笑み、腕を組んだ。

 

「俺がどれだけうまくボスを演じられるかにもかかってくるが、お前はその目的だけに絞れ」

 

「腹心を倒してボスの手持ちを明らかにする。レナさんと僕が対処法を導き出し、後から皆と合流する」

 

「そしてボスを倒す。だが、この作戦には懸念事項がある」

 

 ユウキも恐らくはランポと同じ疑問を持っていた。レナを連れ去り、ボスの腹心を叩くという事は――。

 

「僕はリヴァイヴ団に対して裏切り者となる」

 

「そうだ。しかも重要な護衛対象を連れ出すなど言語道断。その上にボスへの背信行為となれば、組織を上げてお前を抹殺する可能性がある」

 

 ランポの言葉に背筋が震えた。そうなってしまえば、自分の居場所は本当になくなってしまう。リヴァイヴ団としてウィルから追われ、裏切り者としてリヴァイヴ団からも追われる生活など容易には想像出来なかった。

 

 ユウキは手が震えだすのを感じた。未経験の恐怖が襲いかかろうとしている。ユウキの心境を見透かしたように、「大丈夫だ」とランポが告げた。

 

「ウィルとの戦いが控えている中、内部分裂に近いような事を起こすのは組織とて得策ではないだろう。ウィルとの戦いを中心に据えるに決まっている。俺はその隙をつき、お前に戦力を送る。そうすれば、お前は生き残れる」

 

「そう、でしょうか」

 

 物事はそう簡単に運ぶだろうか。ランポの言葉には希望的観測も混じっているように思えた。震える手へとランポが手を伸ばした。温かな人のぬくもりが伝わり、震えを鎮めていく。

 

「俺を信じてくれ。ここまで来たんだ。お前の黄金の夢に、命を賭けよう」

 

 ユウキは顔を上げてランポの眼を見つめた。ランポが初めて、信じろと口にした。それだけこの状況は切羽詰っているという事なのだろうか。それとも希望に転化しうる状況なのだろうか。判断はつけられなかったが、ユウキは伝わった手のぬくもりだけは確かだと感じた。生きている。自分達はまだ生きて、明日を掴もうとしている。まだ意志の力は死んでいないのだ。

 

 ユウキは強く頷いた。

 

「やります。僕自身のために」

 

 カイヘンの明日のために、と言わなかったのはそこまで背負い込める自信がなかったからだが、ランポが付け足した。

 

「カイヘンの明日を俺は背負う。お前は自分の事だけを考えろ」

 

 見透かされているな、とユウキは自嘲してカップに手を伸ばした。少しだけ冷め始めているコーヒーは苦味が先行しているように思えた。ランポがカップに手をつけないのを見て、「飲まないんですか?」と尋ねる。

 

「ここのコーヒーはうまくない。ボスならばそれくらいの我侭は言いそうだろう?」

 

 口元を歪めて放たれた言葉に、この場で言える最大限のジョークなのだと分かった。ユウキが微笑むと、ランポも笑った。

 

 



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第六章 八節「従順な犬」

 ユウキはレナの部屋へと向かった。レナもスイートルームが取られている。同じ階層の中にレナの部屋があった。ノックすると、「誰?」という声が聞こえてきた。

 

「僕です。ユウキです」

 

「ああ。ちょっと待って」

 

 レナがぱたぱたと歩いてくるのが足音で分かった。扉が開かれると、レナは白衣を身に纏っていた。眼鏡はかけていない。

 

「どうしたんですか?」

 

「何だか落ち着かないからいつもの服装にしたのよ。で? 何?」

 

「入ってもいいでしょうか?」

 

「レディーの部屋にそんな服装で入るなんて感心しないわね」

 

 レナはユウキの服装を指差した。煤けたジャケットは確かに失礼だろう。ユウキは肩を竦めた。

 

「これしか持っていない」

 

「これだから男は……。まぁ、いいわ。入って」

 

 レナに促されユウキは部屋に入った。部屋の中はランポと先ほどまでいた部屋と同様の豪奢な造りとなっていたが、漂う香りが違った。涼しげで、どこか甘い香りがする。レナの香水の匂いかもしれないと思った。

 

「香水とか使ってます?」

 

「使っているけど悪い? あんた達と違って女は何かと必要なのよ」

 

 その言葉にレナが大型のキャリーケースを持っていたのを思い出した。ベッドの上に置かれており、開かれている。ユウキの視線がそちらに向けられたと見るや、レナはバタンとケースを閉じた。

 

「で? 用って?」

 

「レナさんの護衛は僕が引き継ぐ事になりました」

 

「どうして?」

 

「どうして、と言われましても……」

 

 ユウキが言葉を濁しているとレナが、「当ててあげる」と口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「一番無害そうだから」

 

「外れです」

 

「じゃあ、あたしに関心がないから」

 

「それも外れ」

 

「じゃあ、何よ?」

 

「ランポに命令されたからです」

 

 ユウキの言葉に、「また、それぇ?」とレナはベッドに腰を下ろした。

 

「あんた達、そういうの好きね。命令されるのって気持ちいいの?」

 

「別に、そういうわけでは」

 

「あの大男と馴れ馴れしい前髪の奴もそんな感じだし」

 

「エドガーとミツヤですか?」

 

「そう、それ」とレナが指差した。それにしてもその覚え方はあんまりだろうとユウキは思ったが言わないでおいた。レナはベッドに寝転がって、「何なの、それ」と口にした。

 

「命令には絶対服従。犬か、っつの。あんた達、リーダーに死ねって言われたら死ぬんでしょ?」

 

「そんな事……」

 

 ない、と言いたかったがエドガーとミツヤに関しては分からない。テクワとマキシにしても、どこか自分の命を客観視している節はある。自分以外の事などここに至っても何一つ分かっていないのではないか。心の逡巡を見透かしたように、レナが、「だんまりって事は、肯定って受け取っていいのかしら」と言った。

 

「少なくとも、僕は違います」

 

 レナは上体を起き上がらせ、ユウキを見つめた。

 

「じゃあ、あんた。えっと……」

 

「ユウキです」

 

「そう、それ」と指差して頬杖をついた。

 

「ユウキはさ。リーダーにいざという時逆らえるの?」

 

「分かりません。僕自身だってその時にならなければ分からない。自分の命のほうがかわいいのかもしれない」

 

「しれない、じゃなくってそうじゃない? 少なくともあたしはそうだし」

 

 レナが顔を背けて部屋の一点を見つめた。窓があり、高層ビルが立ち並ぶ景色が望める。ユウキもそちらへと視線を移して、「レナさんは」と口を開いた。

 

「ランポの事を、信用できませんか?」

 

「そうね。つくづく紳士的だとは思うわ」

 

「それは褒めている……?」

 

「いないわよ。紳士的って事は他人行儀ってのも含んでいるし」

 

「もっと親密なほうがいいんですか?」

 

 レナは黒い長髪を掻いて、「あんたねぇ」とユウキに目をやった。ユウキがたじろぐように後ずさる。

 

「何ですか?」

 

「それはあんたの事も言っているのよ」

 

「何が」

 

「他人行儀」

 

 レナがびしりとユウキを指差した。ユウキは自分を指差して、「僕が?」と尋ね返す。

 

「そう。あんたあの六人の中で一番それ。自分では紳士のつもりかもしれないけど、それって壁を作っているのと同じよ」

 

「壁、ですか」

 

 思いもよらない言葉にユウキは困惑の間を空けた。レナは愚痴をこぼすようにユウキへと言葉を投げる。

 

「親密なほうがいいですか、っていう尋ね方もそう。あんたって何だか誰とも合う代わりに誰とも合わないみたいな感じ。本当のところで心を許してない」

 

「そんなつもりはないんですけど」

 

「じゃあ無意識ね。そっちのほうが性質悪いわ」

 

 レナが肩を竦めた。ユウキはどう返せばいいのか分からなかった。心を許していないつもりはない。ランポは信頼しているし、他のメンバーに対してもそうだ。信頼関係は築けているものだとばかり思っていた。

 

「あんた、ランポに似ているわ」

 

「似ている? 僕とランポがですか?」

 

「そうよ。意外?」

 

「ええ。だってランポはリーダーですし、僕には全然」

 

「そういう意味じゃないの」

 

 聞き返そうとすると、レナが身体を伸ばした。両手を拳の形にして、一気に下ろす。

 

「カリスマじゃないけど、あんたにはそれがある。いつの間にか誰かを先導する、指導者のような存在感」

 

「僕にはないです。そんなの」

 

「まだ意識していないのかもね。あんた、自分が思っている以上に強かよ」

 

 ユウキは困惑気味な顔を振り向けた。レナは横目でユウキを見てから、また視線を窓の外に移した。他人からどう見えているかなど意識していなかった。レナの人物評が当てになるかどうかは分からなかったが、少なくともレナから見た自分達なのだろう。まだ二日程度の付き合いでしかないが、レナは思っていたよりも自分達を的確に観察しているのかもしれない。研究者としての性か。それとも唯一の女性だからか。

 

 ユウキはレナを一瞥し、ランポと示し合わせた計画を口にしようとした。しかし、その前にレナが口を開く。

 

「あたしはこれからどうなるの?」

 

 今から言おうと思っていた事を先回りされ、ユウキは返事に窮した。だが、すぐに返事をしなければ勘繰られると思い、言葉を探した。

 

「リヴァイヴ団の傘下で、安全に研究を続けられると思います」

 

「安全、ね。それって本当なのかしら」

 

 心中を見透かされているようでユウキはどきりとした。レナはユウキを見ずに、言葉を継ぐ。

 

「今までだって、安全だって言われてきた。リヴァイヴ団に従っていれば一足進んだ研究が出来るって。ウィルに情報統制されて、軟禁同然の研究をするよりかはマシだって。でも、リヴァイヴ団も蓋を開けてみれば対して変わらなかった。ねぇ、知ってる? ウィルに第四種δ部隊って言う研究部隊があるの」

 

「いえ」

 

 初耳だった。ウィルの部隊構成は民間には極秘である。レナはユウキへと顔を振り向けて、「あんた、リヴァイヴ団なのに知らないのね」と言った。

 

「僕はまだ新参ですから」

 

「入ってどれくらい?」

 

 その質問にユウキは指折り数えた。

 

「まだ一週間にもなりません」

 

「本当に新入りなのね。呆れた。それで骨の髄まで従順なんて」

 

 レナが前髪をかき上げる。レナに呆れられるような事を自分はしただろうかとユウキは考える。

 

 それと同時に、まだ一週間なのだと反芻した。

 

 自分が入った一週間で周囲の状況は、世界はがらりと変わった。ウィルとの戦闘と離れるとは思っていなかったコウエツシティとの別れ。本土に辿り着けば、特殊任務に身をやつす事となった。ランポ達からしてみても劇的な変化なのだろうか。自分が入る以前の事は全く聞いていない事に思い至る。

 

 考えていたより、自分の知らない世界が横たわっている。眼前に、確かな現実として。それでも、ランポに従うのはリーダーだからだという事を跳び越えているような気がしているのは確かだった。少なくとも支配被支配の関係ではない。

 

「僕は、そうだとは思っていません」

 

 抗弁の口にレナが目を向けるが、すぐに、「あっ、そう」と無関心の顔になった。

 

「あたしからはそう見えるってだけだから。別に気にしなくてもいいんじゃない?」

 

「でも学んだ事もあるんです」

 

「学んだ事? 何それ?」

 

 レナが興味深そうにユウキの顔を覗き込んでくる。ユウキは頬を掻きながら、「少なくともスクールの常識の通用する世界じゃない」と言った。

 

 その言葉にレナは暫時、きょとんとしていたがやがて弾かれたように笑い出した。ベッドの上で笑い転げるレナを見やって、「そんなにおかしいですか?」と尋ねた。

 

「ええ、うん。……そうね。この状況にしては一級のジョークだと言っておくわ」

 

 目の端の涙を拭って笑いを鎮めようとするも、レナはまだ笑っていた。ユウキは、「冗談のつもりじゃなかったんですけど」と返す。

 

「スクールの常識が全然通用しないばかりか、僕の持っていた常識の物差しはほとんどこの世界じゃ意味を成さない事を知りました」

 

「そうね。確かにここじゃ意味ないわね。リヴァイヴ団は悪の組織だから」

 

 悪の組織、という事を内面から言うとここまで浮いた言葉になるのだろうか。レナが発したのはまるでシャボン玉のように取り留めのない言葉の一つに思えた。

 

「僕らは、悪なんでしょうか」

 

「悪でしょう。少なくとも世間からは」

 

 ならば自ら悪に足を踏み入れた自分は何だ? 悪を成したくてリヴァイヴ団に入ったわけではない。ユウキが押し黙っていると、レナが読み取ったように、「あんたの目的はそれじゃないって事かしら?」と尋ねた。読みやすいのだろうか、とユウキは当惑する。

 

「どうでしょうか」という言葉で煙に巻こうとしても、レナは、「あんたは悪じゃないわ」と告げた。

 

「どこかで正義を成そうとしている感じがする。こんな、どうしようもない悪の組織に入っているのに」

 

「僕が、正義ですか?」

 

 身に馴染みのない言葉にユウキは痒くなったような気がした。レナは、「別にあんたがヒーローだって言っているわけじゃないのよ」と補足する。

 

「ただ、目的が違うような気がする。あんた達ブレイブヘキサだけは、あたしが会ったリヴァイヴ団のどの団員とも違う方角を見ている。そんな気がしてならないの」

 

「買い被り過ぎですよ」

 

「そうかしら」とレナは首を傾げ、「そうかもね」と納得したようだった。

 

 暫時、沈黙が降り立ち、ユウキは自分の中で言葉を決めた。

 

「レナさん」

 

「何?」

 

「ある計画があります。それに協力して欲しい」

 

「不利益じゃないんなら協力するのもいいけど」

 

 ユウキは下唇を噛んで、「多分、いいほうには働かない」と正直に言った。

 

「でしょうね。あんたみたいな新入りが口に出す計画だもの。まともなものじゃないのは分かっているわ」

 

「ランポも了承済みです」

 

「またランポか。あんた達は本当、リーダーにお伺いを立てないと何も出来ないのね」

 

 皮肉をユウキは受け止めながら、それでも言葉を続けた。

 

「三日後。ランポが演説をします。リヴァイヴ団のボスとして」

 

 その言葉はさすがに衝撃的だったようでレナは目を見開いてユウキを見返した。ユウキは真実だという事を証明するために目を逸らさなかった。

 

「本気?」

 

 レナが半分笑いながら、冗談で揉み消そうとする。しかし、現実は現実だった。

 

「本当です。ランポはボスとして矢面に立つ事になる。もうブレイブヘキサはあなたを守る事が出来ない。だから、僕があなたを守る事になった」

 

「新入り君に厄介事は任せたってわけか」

 

 自嘲するようにレナは呟いて顔を伏せた。ユウキはそこから先を口にした。

 

「来る三日後に、僕があなたをリヴァイヴ団に引き渡す事になる」

 

「あたしの身の安全は?」

 

「それまでは僕が保障します」

 

「信用ならないわね」

 

 口にされた言葉に、「それでも」と返すほかなかった。

 

「信用していただくしかありません。それで、三日後の引き渡しなんですか」

 

「何? どうせあたしは死ぬまでどことも知れぬ研究所で働かされるんでしょ」

 

「――僕があなたを連れ出します」

 

 放たれた言葉が余程意外だったのか、レナは立ち上がって、「はぁ?」と聞き返した。

 

「どういう意味よ?」

 

「言葉通りです。僕はリヴァイヴ団に入る前にランポと約束した。この組織でのし上がり、世界を変えると。今が、その時なんです。あなたをボスに引き渡せば、ボスはあなたを酷使するか、そうでなければ秘密のために殺すでしょう。僕は、そうはさせたくない」

 

「……あたしを対ボス用の切り札にしようって言うの」

 

 即座に理解したレナが声を発する。ユウキは頷いた。レナは前髪をかき上げ、何度か瞬きをしてから、「なるほどね」と口にする。

 

「あんたが他のリヴァイヴ団員と違うのがはっきり分かったわ。最初から裏切るつもりで入っていたわけね」

 

「僕達の計画に、乗ってくれますか?」

 

 レナはベッドに腰かけ、息をついてユウキへと尋ねた。

 

「勝算はあるの?」

 

「腹心を黙らせるくらいには」

 

「その腹心だってどれくらい強いのか分からないじゃない。もしかしたらあんた程度、簡単に殺せてしまうかもしれない」

 

「僕は負けない」

 

「言葉ではどうとでも言えるわ」

 

 レナは自分を落ち着けようと、息を吸っては吐いた。ユウキはじっとレナを見下ろしている。レナの決断待ちだった。急な決断を迫られてレナはパニックに近い状態だろう。気持ちを整理する時間が必要だった。レナは髪をかき上げて幾ばくか考えるように頷いた後、「……そうね」と口にした。

 

「もしボスにあたしが大人しく引き渡されたら、あんたの願いは叶わない。あんたにとってもあたしは切り札っていうわけか」

 

「理解が早くて助かります」

 

「早くて、じゃないわよ」

 

 レナはユウキへと真っ直ぐな視線を寄越した。その眼差しを逃げずに受け止める。

 

「分かっているんでしょうね? これ、悪く転がればあんたは裏切り者よ。あたしだって殺されるかもしれない」

 

「協力するかしないかは、レナさんの自由です」

 

「自由と言っても、緩やかな死か、残酷な殺され方かを選べるだけじゃない。なに、あたしに全部かかっているって言うの?」

 

「そういうわけではありませんが、レナさんの意思を僕は知りたい。あなたの意思に反するような事はしたくない」

 

「よく言うわね」

 

 レナはため息をついた。ユウキから顔を逸らして言葉を継ぐ。

 

「結局、あたしに選択権なんてないじゃない。今死ぬか、逃亡生活を選ぶかって事でしょう?」

 

「僕がボスを倒せば、逃亡生活なんて考えなくってもいい」

 

 ユウキの言葉にレナは怪訝そうに声を返した。

 

「勝てる算段でもあるの?」

 

「いや、ないです」

 

「どういうつもりなの? あんたとランポは。どうせランポも一枚噛んでいるんでしょ? そうじゃなきゃ、あんたの一存だけでこんな思い切った作戦に出られるはずがないもの」

 

「ランポは誓いを果たそうとしてくれています。僕の夢に、命を賭けると」

 

「とんだ馬鹿ね」

 

 レナは吐き捨てて立ち上がった。ユウキへとにじり寄る。ユウキは後ずさりそうになったが、何とか踏み止まった。

 

「男の夢に命を賭けるって? それに女を巻き込むの? あんた達おかしいわ。あたしの事を何だと思っているの?」

 

「僕は、仲間だと思っています」

 

 ユウキの発した言葉にレナは、「呆れた!」と身を翻した。

 

「綺麗な言葉で飾り立てれば、何でも許されるって思っているんでしょ。現実はそうじゃない。あたしは研究者だからリアリストなの。男の夢想にほいほいついていくほど安い女のつもりもない」

 

 レナはベッドにでんと座り、脚を組んだ。返す言葉もなかった。確かにランポと自分が企てた我侭で夢物語かもしれない。現実には決して届かない、意味のない虚構の城が自分達の組み上げてきたものだという主張も間違っていない。ユウキはしかし、ランポと自分が今までやってきた事が無駄だとは思えない。思いたくなかった。

 

「死と犠牲の果てに、僕達の命はあります」

 

「だから何? あたしにも父の死を自覚しろって?」

 

「そうじゃない」

 

 いくらか強い調子の否定だった。その声音にレナは鼻を鳴らす。

 

「ただ僕らは随分と大切なものを失ってきた。誰だってそうです。だからこそ、希望を未来に繋げる必要があるんです」

 

「あんたの作り出す未来が正しいとは限らない」

 

 レナの言葉は正論だった。自分の理想が皆の理想かどうかなど決して分からない。しかし、だからこそ重ね合える心が必要なのだ。

 

「理想は重ね合って初めて意味を成すんです。僕はランポの意志は継ぎたい。それだけは確かです」

 

「ランポの理想が正しいかも分からない」

 

 ユウキはそれ以上言葉を重ねる事は出来なかった。あとはレナ次第だと思ったのだ。自分達を信じてくれるかどうか。一日や二日を共にした程度で信用しろというのは間違っているのかもしれない。断られても仕方がない、とユウキは顔を伏せた。レナが頬杖をついて横目でユウキを見やり、不機嫌そうに口にした。

 

「……分かったわよ。協力する」

 

「本当ですか?」

 

「ただし、あたしの生存を最優先にする。もし、ボスのほうが好条件を出してきたら、あたしはそっちになびく。それだけは忘れないで」

 

「それでも、認めてくださってありがとうございます」

 

 ユウキは頭を下げた。レナが片手を振って、「大した事じゃない、でしょ」と口にした。自分の口癖を真似られ、ユウキが顔を上げるとレナが口元を緩めていた。

 

「いちいちあんたのお礼なんていらないわよ。ただあたしも、男の浪漫についていくような薄っぺらい女になっちゃったって事かな」

 

 自分を皮肉った言葉に、ユウキは、「レナさんはそんな女性じゃないですよ」と返した。

 

「いいわよ。お世辞なんて。あんたに言われても嬉しくないし」

 

「僕が言いたいから言うんです。それだけだから――」

 

「大した事じゃないです、って?」

 

 先回りして継がれた言葉にユウキは暫時唖然としていたが、レナが、「間抜け面」とユウキを指差して形容した。ユウキは佇まいを正して、「三日後まであなたを護衛します」と言葉を発した。

 

「そこから先の保障は出来ません。もしかしたら過酷な道になるかもしれない。ランポが戦力を回してくれるという話ですが」

 

「当てにしないほうがいいんじゃない? ランポも急がしそうだし」

 

 レナは爪を眺めながら応じた。ランポはどこまでボスに近づけるだろう、と考える。今のところ声すらも聞いていないのならば、ひょっとすると自分達のほうがボスへと近づける可能性が高いかもしれない。

 

 レナが立ち上がった。怪訝そうに見つめていると、「シャワーよ」と口にした。

 

「シャワー浴びてくるから、適当に待っていて」

 

 レナがキャリーケースから着替えを取り出し、シャワールームへと歩いていく。扉を開けて入る直前、ユウキへと言葉を投げた。

 

「あたしの荷物には指一本触らない事」

 

「はい」

 

「あと覗くな。当たり前だけど」

 

「はい」

 

 ユウキが恭しく頭を下げると、レナは鼻を鳴らしてシャワールームに入って行った。ユウキは直立不動も疲れるので、近くの椅子を引きずってきて腰かけた。シャワーの水音が聞こえてくる。考えまいとしても、脳裏にレナの肢体が浮かんでくる。ユウキは、「耳に毒だな」と呟いて、窓の外を眺めた。晴天の下でビルの群れが乱立し、三日後の事など露知らぬ人々が忙しなく行き交っている。

 

「三日後。この街がどうなるか……」

 

 全く予想がつかない事に、ユウキはため息をついた。

 

 



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第六章 九節「ふたり」

 テクワが向かったビルはリヴァイヴ団の物だったようだ。その証拠に、フロントで「R」のバッジを見せるといとも容易く進入する事が出来た。テクワは松葉杖をついて、ゆっくりと歩む。脛の部分に包帯が巻かれている。応急処置はされたが、一歩進むごとに鋭角的な痛みが貫いた。奥歯を噛んで、額の脂汗を拭う。

 

「これで指揮しろって言うんだから、とんだ命令だな」

 

 テクワはそう呟いて、会議室へと入った。既に会議室には二十人程度の団員が集まっている。彼らが自分の指揮する部隊の人間だろうと、テクワは当たりをつけた。皆、襟元に「R」を反転させたバッジがある。テクワは声を張り上げた。

 

「お前ら! とりあえず整列しろ!」

 

 適当に固まっていた人々が四列に並ぶ。どうやら自分の指示は通るようだという事を確認して、テクワは声を発した。

 

「俺はこの部隊を指揮する事になったテクワっていうもんだ。まぁ、作戦概要は行っていると思うが……」

 

 テクワがポケッチを確認しようとする。すると、全員がポケッチに視線を落とした。自分の行動が全員に同期されたようで奇妙な感覚だ。

 

 テクワはポケッチの作戦概要を呼び出し、それを読み上げた。

 

「俺達の目的は三日後に迫ったボスの演説の護衛任務だ。ウィル戦闘構成員が導入されるかと思う。一番の矢面に立ち、陸上部隊と共にウィルを牽制し、迎撃する。それと同時に民衆を逃がさないように威嚇しろ。だが、あくまで威嚇だ。攻撃には移るな。ウィルも強力な部隊を投入してくるだろう。諸君らの健闘を祈る」

 

 我ながら何と中身のない言葉だと感じる。しかし、団員達は背筋を伸ばして挙手敬礼をした。テクワは自分の言葉が染み渡っていく事に、悪い気分は感じなかった。むしろ、心地よい。テクワは味わった事のない感覚に身を浸そうとすると、ポケッチが鳴った。団員達の前で顔向け出来ないと、テクワは、「失礼」とかしこまった様子で背中を向けて声を潜めた。通話してきたのはマキシだ。

 

「おー、どうした?」

 

『どうした、じゃない。連携を取る事が次の段階で示されていただろう。作戦概要を見てないのか?』

 

 いつも通りの冷たい声音にテクワは、「大丈夫だってよ」と軽い様子で返した。

 

「連携なんて自然と取れるだろ。よく見りゃ、こいつら」

 

 テクワは肩越しに団員達を見やる。服装はまちまちだが、真っ直ぐに視線を向けているところを見ると、愚直に命令をこなす人間を集めたのだろうという事が分かる。

 

「すげぇ素直そうだし。俺らの命令をきちんと聞いてくれるって」

 

『俺には居心地が悪くって仕方がない。お前はそうじゃないのか?』

 

「それはお前が心を開いてないだけだろ。人見知りめ。いいから、適当にやってな。こっちの指示はちゃんと通るからよ」

 

『じゃあ、連携する時間だけど――』

 

「ああ、そんなもん。当日か前日にやればいいだろ」

 

『テクワ。あまり敵を嘗めてると……』

 

「大丈夫だって。優秀な部下達がついている。いやぁ、リーダーって気分いいな。ランポはずっとこんな感じだったのかな」

 

『……テクワ。感心しないな。そんな余裕、俺達にはないはずだ』

 

 刃のような鋭さを伴ったマキシの言葉に、テクワは、「心配性なんだよ」と応じた。

 

「今までもどうにかなってきただろ? これからもどうにかなるって」

 

『今回はそう簡単になるとは思えない。総力戦なんだぞ』

 

「何だ? お前、言う事がユウキに似てきたな。まぁ、ちょっと、待ってろ」

 

 テクワは団員達へと目配せして、「少し時間を取らせてもらう。お前らは待機。楽にしていい」と指示した。団員達が踵を揃える。テクワは満足気に頷き、会議室を出た。廊下で壁にもたれかかりながら、「何でそこまで心配する?」とマキシに尋ねる。

 

『リーダーの切迫した様子が伝わらなかったのか? 今回の任務は明らかにヤバイ。俺達なら、それくらい分かるだろ』

 

 テクワは片手で額を押さえて、「まぁな」と返す。廊下に出たのは何もマキシとの会話を気にしたからだけではない。心の奥底にある引っ掛かりを部下達に見せないようにするためだった。

 

「俺だって何となくヤバイってのは勘付いてるよ。お前、今周りに人は?」

 

『いない。適当に済ませて解散させた』

 

「じゃあ一応は個人的な回線ってわけか。でもよ、適当にってのはよくないぜ。一応は俺達がリーダーなんだから」

 

『肌に合わない』

 

「合わなくってもやるしかねぇんだよ。マキシ。通話してきてくれた事は嬉しいし、相変わらず俺とお前の友情は続いているんだって分かる。でもよ、ユウキの前で言ったろうが。命令の前では友情なんて甘いって。お前の言葉だろう? 今さら不安になったのかよ」

 

『それは……』とマキシが口ごもるのが気配で伝わった。テクワは強い口調で言い放つ。

 

「やるっきゃないんだ。それはもう分かっているだろ。俺達は各部隊を任された。それなりに責任がある」

 

『じゃあ、余計に連携を合わせなきゃなんないだろうが。さっきの態度は何だよ』

 

「大きく動くのはまずいだろ。ウィルだって張っているんだ。前日か当日に、それまでに叩き込んだ動きを出来りゃ上等。俺達は悠長に練習している場合じゃない。実戦その一回きり。それが俺達に与えられたものだ。三日間なんて猶予ないんだよ。俺らに出来る事は少ない。いいか? せめて余裕のありそうな指揮官を演じろ。そうすりゃ、部下はついて来やすい」

 

『部下なんて持った事ない』

 

 むすっとした様子のマキシの声にテクワは優しく諭した。

 

「俺もない。だからこそ、戸惑ったり、きょどったりしちゃ駄目なんだ。俺達がしっかり前を向いていれば、部下も自然と前を向く。リーダーの下で学んだだろ?」

 

『そうだけど……』

 

「心配すんな。お前は自分が思っているよかしっかりしているよ。俺のほうが問題だな。しっかりしねぇと」

 

 テクワは笑ったが、胸中は穏やかではなかった。部下の人生まで背負い込まなければならない不安。自分に指揮が務まるのかという不安が渦巻き、どうしようもないわだかまりになっている。自分とマキシは話す事によって少しばかりは解消出来る。だが、ユウキは、とテクワは思いを馳せた。ユウキだけは一人だ。ランポもそうである。この二人は恐らく目的を持っている。それを自分の力だけでやろうとしているのだ。ならば、自分達だって動けなくてどうする。

 

「多分、ユウキとリーダーのほうが大変だ。あいつらが必死になっている。俺達が不安を見せれば、あいつらにも伝播する。部下だって同じだよ。俺達はブレイブヘキサで何を知った? 支え合う事だろうが。だからこそ、弱さを見せちゃならねぇんだ。今は、今だけは……」

 

 半分は自分に言い聞かせる言葉だった。その意味を汲んだのか、マキシが小さく口にする。

 

『……あいつらの目的は、大き過ぎるよ。俺達のような凡人が計り知れるもんじゃない』

 

「だからって理解を捨てちゃ駄目なんだ。ユウキは、あいつは、俺の痛みの一端を分かってくれた。リーダーだってそうさ。五人全員の過去を背負い込んでいた」

 

 自分だって誰かに弱さを打ち明けたいだろうに、ランポは一度としてそのような部分を見せない。きっと、それがリーダーというものなのだろう。

 

「俺達も頑張らなきゃなんねぇ。けど間違えんな。頑張るのと、虚勢張るのは違うんだ。苦しくなったらまた連絡して来い。相談なら乗ってやるよ」

 

 真剣な響きを伴わせた声に、マキシはテクワの持っている覚悟の大きさを知ったのか、『……分かった』と呟いた。

 

『どうしても、な時は連絡する』

 

「おう。待ってるぜ」

 

 テクワは通話を切り、会議室に戻った。直立姿勢の団員達へと、テクワは声を張り上げた。

 

「やるぞ! 絶対にボスを守るんだ!」

 

「は!」と了承の声と挙手敬礼が返ってくる。テクワは片手で返礼した。

 

 



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第六章 十節「繋がる一歩」

 エドガーはダミー部隊配属になった団員達に目を向けた。彼らは一様に誇らしげな光を眼差しに携えている。もしかしたら本隊だと伝えられたのかもしれない、と感じ、エドガーは慎重に言葉を選んだ。

 

「俺達はボスを護衛する最重要部隊だ。ここが突破されれば終わりだと思え。配置を説明する。ビルの構造共々、しっかりと頭に叩き込め」

 

 エドガーはポケッチに表示された部下の名前と配置を口にした。ミツヤと二つに分けての部隊編成だったが、それでも人数が多い。ダミー部隊にウィルの主力をぶつけるつもりなのだろう。そこまでして今回の演説は成功させたいものらしい。

 

 配置と名前を言い終えた。エドガー自身は誰がどの配置なのかをこの三日間で自分に叩き込まなくてはならない。リーダーとて楽ではないな、とエドガーは密かに自嘲した。

 

「配置場所の環境を確認し、こちらの優位に立てるようポケモンの技構成を選べ。一つのミスが全てを台無しにする。慎重にしろよ」

 

 半分は自分に言い聞かせるものだった。団員達に言葉が伝わったと見ると、エドガーは声を張り上げた。

 

「では、解散! 明日、全団員のポケモンをチェックする。怠るなよ」

 

 その言葉に挙手敬礼が返ってきた。エドガーは返礼を寄越し、散り散りに出て行く団員達を見送った。レクリエーションルームに集まっていた団員はほぼ四十人。ミツヤと半分に分けているとして八十人がダミー部隊として振り分けられている事になる。エドガーがいるのは、演説当日に作戦行動が成されるビルだった。このビルをあたかもボスが演説している本隊であるかのように見せなければならない。そのために物々しい警備を敷き、本隊は「安全な場所」とやらから演説をするらしい。どのような場所なのか、エドガーにも知らされていない。エドガーがレクリエーションルームを出ると、声をかけてくる人間がいた。ミツヤだ。

 

「旦那。どうだった?」

 

「俺にはリーダーは合わない。それだけだな」

 

 短く口にしてエドガーは歩き出す。ミツヤは既に配置と通達を終えたのか、少し疲れた様子だった。

 

「俺も。やっぱランポって凄かったんだな」

 

 後頭部に両手をやってミツヤが中空を見つめた。エドガーは懐から煙草を取り出した。箱の底を叩き、一本出して口にくわえる。

 

「俺とお前のようなならず者を纏め上げたんだ。そりゃ、凄いだろうよ」

 

「旦那はともかく、俺はならず者じゃないって」

 

 ミツヤが笑う。エドガーはライターで火を点けようとした。なかなか火が点かないので苛立っていると、ミツヤがライターを取り出して掲げた。

 

「はいよ。火」

 

 青白い火が揺らめく。エドガーは煙草の先端をライターへと近づけて、火を点けた。紫煙がたゆたい、口の中に安物の煙草の味が広がる。

 

「よく持ってたな」

 

「旦那はよく吸うから、すぐになくなるだろうと思ってね」

 

「用意のいい奴だ」

 

 言いつつ、エドガーは煙い息を吐き出した。ミツヤは並んで歩いている。エドガーは前を向いたまま話しかけた。

 

「ミツヤ」

 

「何だい? 旦那」

 

「このダミー部隊、やはり知っていて志願している奴は」

 

「ああ、いないね」

 

 あっけらかんと言い放たれ、エドガーは暫時沈黙を挟んだ。ミツヤが言葉を続ける。

 

「ポリゴンでハッキングして調べた。こっちに回った奴ら、公式の辞令では皆、本隊だと思ってるよ」

 

「ダミーだって知っているのは俺達だけか」

 

 孤独感が襲い、エドガーは急に煙草が不味くなったような気がした。自分達だけが知っている裏側。現場指揮の立場となれば、それが必要だろう。しかし、もしかしたら知らずに散っていく命もあるかもしれない。それを思うと、沈黙していることが罪のように思えた。そんなエドガーの心中を見透かしたように、「旦那はさ」とミツヤが口を開く。

 

「心底、納得のいかない事には戦いたいんだろうけど、俺はそうでもない」

 

「そうか」

 

 分かっていた事だ。ミツヤは割り切っている。ブレイブヘキサの名がつく前からランポの下で戦っている仲間だ。口に出さなくてもある程度考えている事は分かる。

 

「納得のいかない事だらけさ。それって多分、これから先も多いんだろうなぁ」

 

「もうランポの下で戦えないんだ。俺達は、それぞれの道を歩いていくしかない」

 

「でも、俺と旦那の黄金コンビは健在だよな?」

 

 ミツヤが少し前に歩み出てエドガーの道を遮った。エドガーはばつが悪そうに顔を背けた。そのような事など分からない。大丈夫、だとも言ってやれない。もうブレイブヘキサとしての任務が与えられることはないのだ。エドガーが黙していると、ミツヤが言葉を発した。

 

「答えてくれよ、旦那」

 

「ミツヤ。これから先、納得のいかない事が増えていくだろう」

 

「聞きたくないって」

 

 ミツヤは顔を伏せていた。紡がれるであろう言葉に覚悟するかのように両手を拳にして固めている。エドガーは無慈悲だとは思いつつも、言葉にした。

 

「きっと。忘れられる時が来る。その時には――」

 

「忘れられないよ!」

 

 ミツヤが顔を上げた。頬を涙が伝っている。エドガーは気圧されたように何も言えなくなった。ミツヤが呟く。

 

「……忘れられない。旦那と一緒に戦った事も。ランポの事も。ブレイブヘキサの事も」

 

「だが、忘れなきゃならない」

 

 煙草を指先で弄りながら、視線を落としてエドガーが口にする。

 

「忘れられない。そう言いつつも、時は残酷なんだ。カイヘンはどうだ? ヘキサ事件を忘れない、風化させたくないと言いつつ、新しい街を建造し、人々は八年前なんぞ忘却の彼方だ。新しい世代も生まれつつある。引きずっているのが必ずしもいいとは言わない。だがな、新しい息吹は来るんだよ、ミツヤ」

 

「やめてくれよ。旦那の口からは聞きたくないって」

 

 ミツヤが耳を塞いでよろめいた。エドガーは煙草を再びくわえ、煙を吐き出した。

 

「どうしたって、ごねたって、時はそういうものなんだ。今回の作戦、歴史が変わる瞬間と見る奴もいるだろう。あるいは何も変わらないと豪語する奴もいるかもしれない。リヴァイヴ団っていう組織がありました、で結局後世には何も伝えられないかもしれない」

 

「……俺は、嫌だよ」

 

「俺だって嫌さ。ランポや、俺達の行動が無駄になるのはな。だが、俺達は確かにここに存在している。今は、存在する事に意味があるんだ」

 

 エドガーは拳で自身の胸元を叩いた。ミツヤが浮かされたように、「存在する事の、意味……」と口にする。

 

「そうだ。歴史に爪痕を残せないかもしれない。だが、確かに、俺達はここにいた。それを覚えてくれる人がいるんなら、意味のない行動なんてないんだ」

 

 しかし、誰も覚えてくれなかったら?

 

 絶対の孤独の冷たさの中に、身を浸さなければならない時が来たら? 

 

 その時はどうする? どうやって生きていけばいい? 

 

 エドガーは自身の不器用さを呪った。ゴルーグ以上に自分は不器用だ。時代に取り残される生き方かもしれない。結局は意味がないと断じられるかもしれない。しかし、意味があると思いたい。これは願いだ。純粋な願いそのものである。

 

 エゴとも断じかねない願いの塊に、ミツヤは呻くように声を発した。

 

「でも、皆が散り散りになっちまうのは、嫌だよ」

 

 ミツヤの肩へとエドガーはそっと手を置いた。

 

「それは全員が同じ気持ちだ。俺達はリヴァイヴ団、もしかしたら何かの縁で会える時が来るかもしれない。ブレイブヘキサの形じゃなくっても」

 

 来てくれれば、というのが願いの本質だった。しかし、そこまでは口にしない。ミツヤは顔を振り向けて、「俺は別にブレイブヘキサにこだわってなんか」と抗弁の口を返した。エドガーが眉を跳ね上げる。

 

「何だ? ブレイブヘキサにこだわっているわけじゃないのか?」

 

「俺は旦那とランポに会えないのが寂しいだけだって。ユウキと、あいつのつけたブレイブヘキサなんて知るもんか」

 

 ミツヤが顔を背けるが、それは本心ではない事は何よりもエドガーが声の響きから察していた。照れ隠しなのか。または本気でまだユウキの事を信頼していないのか。どちらにせよ、自分達の居場所は失われたのだ。エドガーは煙草を手で弄りながら、「そう、だな」と肯定の言葉を発した。

 

「別にブレイブヘキサにこだわる必要はない。望めば会えるさ。俺達は」

 

「だから、別にユウキや他の奴らはいいんだって。俺は旦那とランポに」

 

「分かってるよ。古株三人で会える時が来るといい。そう思って前を向いて歩ければ、なおいいじゃないか」

 

「……前向きだね。旦那」

 

 ミツヤがようやく道を譲った。エドガーと肩を並べて歩き出す。こうやって歩けるのも、そう長くはない。いつかはそれぞれの道を選択し、一人で歩み出さねばならぬ時が来る。その時に、過去を振り切るのではない。引きずるのではない。過去を大切なものとして抱えたまま、新たな一歩を踏み出せるか。それは人間としての真価を問われているような気がした。

 

「ランポがボスになったら、やっぱり俺ら一般の団員からは遠ざけられるのかな」

 

「だろうな。親衛隊のようなものが作られるかもしれん」

 

「その親衛隊に入れないかな」

 

 ミツヤが口にしたが、エドガーは口元を斜めにして返した。

 

「無理だろう。ランポの事を知らないメンバーで固められるに違いない。親衛隊から本丸の情報が漏れたのでは本末転倒だからな」

 

 エドガーの言葉にミツヤは舌打ちした。

 

「旦那はいっつも冷静なんだからなー。少しくらい夢見てもいいじゃんよ」

 

「夢を見るのは勝手だが、夢は見るものだ。実現出来るのなら、それは夢とは言わない」

 

 口にしてみて、冷酷な言葉だと感じた。現実を見ていると言えば聞こえがいいが、夢と声高に叫ぶ人々を否定している。

 

 否定の言葉ではチームは動かせない。

 

 ランポはいつだって肯定の言葉を投げてくれた。

 

 どんな絶望的状況でも、その状況すらも肯定した上で打開してくれた。だから、壁を壊してくれるランポに憧れたのだ。後から進む自分達に壁などない。ランポが全て道にしてくれている。

 

 何よりも心強く、自分達は安心して歩む事が出来た。きっと今求められているのはそれに近い事なのだ。だが、自分はランポのようになれない。それが痛いほどに分かっている。リーダーなど向いていない。自分は兵士だ。だから、誰かに導かれるのがお似合いなのだ。

 

 壁を壊すだけの力も、言葉も、思想もない。目の前に屹立する壁に立ち尽くすしかない。壊せるのは、ランポか、あるいはと考えて不意にユウキの顔が浮かんだ。何故なのか。入ったばかりの新入りで、一度助けられたとは言え繋がりは希薄だと感じていた。無意識のうちに、もしかしたらそう思っていたのかもしれない。ユウキにランポと同じものを見ていたのか。だが、ユウキは未熟だ。何を期待している、と自分を胸中で叱咤する。

 

「堅物だねー。まぁ、そんな旦那と話せるのもあと少しって考えると、堅物なのも名残惜しい気もするよ」

 

「褒めてないな」

 

「ないよ。ばれたか」

 

 ミツヤがおどけて笑う。エドガーも笑おうとしたが果たせなかった。顔の筋肉が緊張して強張っている。三日後だというのに、この調子では本当に指揮が出来るのかどうか怪しい。エドガーは煙草を片手で摘んで、足元に落とした。足で踏み消していると、ミツヤが、「ビルのオーナーがキレるぜ?」と首を引っ込めた。

 

「いいさ。どうせ三日後には戦場になる。煙草の汚れの一つなど気にならない有様になるだろう」

 

「俺達はビルの中までは進ませない予定だから、ここまで来られたらジエンドだけどね」

 

 ミツヤが天井を指差す。ランポが演説しているように見せるのは屋上に近い高層だと予定されている。ウィルの出方は分からない。もしかしたらビルを丸ごと潰しにかかる可能性も捨てきれない。

 

 そうなった場合、陣形の全てが意味を失くすのだが、さすがにウィルとはいえそこまではしないだろう。市民の反感を買う事になる。ウィルの予想されうる行動としては、隠密にランポを始末する事だろう。もっとも、それ以前に演説の情報が漏れるような事があってはならない。秘密裏に演説は執り行われ、遅れて反応してきたウィルを迎撃するのが理想のあり方だが、ウィルの情報戦術を甘く見てはならないだろう。R2ラボの件とて、極秘情報のはずだった。しかし、ウィルに先手を取られた。ウィルはこちらの動きを二手三手先まで読んでいると考えていいだろう。

 

「危機意識は持つべきだ。ウィルは俺達が思っているよりも手強い」

 

「承知してるよ」

 

「お前は情報戦術で勝っていると思っているだろう」

 

「思っちゃ悪い? 俺個人の、単体戦力としちゃ勝っていると思っている」

 

 ミツヤが鼻の下を掻いた。その通りであるとは思う。しかし、そうでない側面もある。

 

「ウィルは総体で攻めてくる。個人がいくら優れていようと、組織の前では無意味だ」

 

「何だ? 後ろ向きな発言が多いな。旦那らしくない」

 

 ミツヤが顔を振り向けて眉間に皺を寄せる。事実、弱気になっているのかもしれない。リーダーという慣れない立場とランポの命令とは言え指揮下を離れなければならない事に。らしくない、の一語で片付けるにはこの問題は複雑化している。自分のこれからのあり方も含めて、慎重に考える必要があった。

 

「そうだな。俺らしくはない。弱気にもなるさ。ウィルという総体とどう戦うのかがかかっているんだからな」

 

「ダミー部隊に向こうの本隊が向かってくるからって? そんなの、蹴散らしちゃえばいいだろ。俺と旦那ならそれが出来るさ」

 

 ミツヤが前へと歩み出し、後ろ歩きでエドガーへと拳を突き出した。エドガーは微笑んで、拳を突き合わせ、「前を向け」と忠告する。

 

「転ぶぞ」

 

「いざという時に転ばなければ大丈夫でしょ」

 

「足を取られるのはいつだって突然だ。油断は思わぬしっぺ返しを招く」

 

「旦那はさ。難しく考え過ぎなんだよ」

 

 ミツヤがくるりと身を翻し、エドガーの横に並ぶ。エレベーターホールが見えてきた。ミツヤは片目を隠す前髪を弄りながら、「もっと楽に考えりゃいい」と言った。

 

「楽なばかりに流されれば思考は停滞する一方だ。最悪のケースというものを常に念頭に置け」

 

「じゃあ、今回の場合。最悪なケースって何さ」

 

 二人はエレベーターホールの前に立った。ボタンを押して、「そうだな」とエドガーは顎をさする。

 

「ダミー部隊である事が露呈し、本隊へとウィルの主力が向かう事だ。それと同時に、演説が遮断されれば、最悪だが。……最も陥ってはいけないのは、ランポが殺される事だ」

 

 エドガーの声にミツヤは息を詰まらせた。エドガーは階層表示を眺めながら呟く。

 

「ランポはボスとして振舞おうとしている。ランポが殺されれば、リヴァイヴ団は名目上の頭を失う事となる。新たに影武者を用意するか、またはボス本人が現れれば話は別だが――」

 

「そんなの、絶対あっちゃいけない!」

 

 遮ってミツヤが頭を振った。ミツヤの考えている事は分かる。リヴァイヴ団の延命や組織としての価値よりもランポが殺される事を恐れているのだろう。ランポは尊敬すべきリーダーだ。自分とてそのような末路は考えたくなかった。

 

「お前の言いたい事は分かる。ミツヤ。だが、ランポは自ら矢面に立ったんだ。それさえも覚悟だろう。俺達の使命は何だ?」

 

 急に問われてミツヤは返事に窮したように、「それは……」と口ごもる。エドガーは声に出した。

 

「リヴァイヴ団を守る事、つまりはランポを守る事だ。俺達の任務はランポの護衛。そのために、最も危険な場所を任されている。信用のある仕事だと思え」

 

 ダミー部隊である事に自分もミツヤも同じ気持ちを抱いている事だろう。ランポを何よりも守りたいのにそれが出来ないのが悔しいと。しかし、本当のところはダミー部隊での使命を全うする事こそがランポを守る事に繋がるのだ。

 

「……旦那は、本当にそうだと思うかい?」

 

 ミツヤの中にも疑念があるのだろう。エドガーとて、ダミー部隊という任務に完全な信頼が置けているわけではない。

 

「そう思わなきゃ、やってられないよ」

 

 エレベーターが到着して扉が開く。エドガーは踏み出した。その一歩が何よりも明日に繋がると信じて。

 



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第六章 十一節「螺旋階段」

 アマツはポケッチの着信音で目を覚ました。常時着用が義務付けられているというのは窮屈なものだ。眠っている時も落ち着かない。いつ連絡が入るか分かったものではない。

 

「テクノストレスという奴か」

 

 アマツは目頭を揉んで、通話ボタンを押した。「はい」と応答すると、『ウィル諜報部から通達です』と機械音が聞こえてきた。ウィルの情報に関しては何十体ものポリゴンとスーパーコンピューターによって成り立っている。かつてディルファンスが行っていた情報統制と似た形だが、国家レベルで行われているため幹部や隊長格でさえもその場所を知らない。諜報部の存在も明らかにされておらず、そのような組織がある、という漠然とした証明しか成されていない。秘密主義が行き届いている証拠だったが、アマツ個人としてはあまりいい印象を持っていなかった。

 

「何だ?」

 

『α部隊隊長、アマツ様のポケッチで間違いないでしょうか』

 

「ああ」

 

『固有識別番号をお願いします』

 

 ウィルの構成員には一人一人に固有識別番号というものが振られている。入隊時に振り分けられる番号で、アマツの場合は六桁の英数字だった。

 

「A6042Lだ」

 

 Aは部隊の識別に、Lは隊長である事を示している。

 

『認証しました。今夜の作戦行動についての概要を説明します』

 

 その言葉にアマツは壁にかけられたカレンダーに目をやった。三日後、だと思っていた日にちはもう今夜に迫っている。諜報部は今夜七時に演説が行われると見ているようだ。アマツはやる事は少なかったが、カガリのβ部隊やカタセのε部隊はそうではないらしく、電話をかけてくる事はなかった。部隊の統率と演説予定地の絞り込みなど、自分以外の状況は刻々と動いている。動いていないのはアマツだけのように思われた。

 

『作戦認証コード、オペレーションRにおける貴官の任務を確認してください』

 

 Rの意味はリヴァイヴ団のRだろう。リヴァイヴ団駆逐作戦。うまく事が進めばリヴァイヴ団のボスを闇の中から引きずり出せるかもしれない。そもそも演説は誰が行うのか、それすらもまだ情報として出ていないが、重要ポストの人間が行う事は間違いない。ようは重要ポストの人間をウィルの力で表に出し、ボスへと繋がる糸口が見つけられればいいのだ。ポケッチの画面上にアマツの作戦概要が表示される。音声でも伝えられた事だが、何度も確認しなければならないのが隊長の面倒なところだ。アマツはリヴァイヴ団の傘下と思われるビルの襲撃任務を帯びている。演説が行われる本隊と思われるビルへの襲撃ではなかった。それとはほぼ無関係なビルだ。何故なのか、問い質したところで無駄だろう。上の決めた事だ。素直に従うしかない。

 

『確認をお願いします』

 

 機械音が急かしてくる。アマツはポケッチに、「確認した」と声を吹き込んだ。

 

『では、これより全ての行動権限をα部隊隊長、アマツ様に委譲します。健闘を祈ります』

 

 言葉の表面上だけのものだ。機械音が実際にそう思っているわけではない。アマツはポケッチの通話を切り、時計機能を呼び出した。まだ朝の五時だ。こんな時間から行動の確認を取らされた事に苛立つよりも眠気が勝った。欠伸を噛み殺しながら、アマツは窓の外を見やる。圧倒するような高さのビル群がまるで森林のように並び立っている。

 

「ヤマブキの建築様式を真似た街だっていうのに」

 

 記憶の中の故郷の街並みと重なるものを感じ、アマツは息をついた。少しも恥らうような仕草を見せないこの街は紛い物や作り物である事を意識させない。この街がオリジナルだとでもいうような主張を繰り返している。実際はカントーのヤマブキシティを真似た建築様式である上に、ホウエンの技術支援とイッシュの支援物資によって成り立った偽りの城だ。そのような街に牙城を戴くウィルもリヴァイヴ団も、まとめて滑稽ではある。しかし、自分はウィルの隊長だ。そのような言葉は慎むべきであった。窓に手をついて、アマツは口にする。

 

「傲慢さの塊だな」

 

 その時、扉をノックする音が聞こえた。こんな時間に誰が、とアマツは訝しげに扉を見やったが、すぐにポケッチに着信が来た。通話ボタンを押すと、『アマツさん。おはよう』とカガリの声が聞こえてきた。

 

「カガリ。何の用だ?」

 

『とにかく開けてくれよ。扉越しにいるのにこれじゃ、意味ないだろ』

 

 アマツは鼻を鳴らして扉へと歩み寄り、チェーンロックを解除した。カードキーを通して鍵を開く。扉を開けると、カガリが申し訳なさそうに頭を掻いていた。

 

「いやぁ、悪いね」

 

 カガリの声がポケッチと本人の唇から二重に聞こえてくる。アマツはとりあえずポケッチの通話を切り、カガリと視線を合わせた。

 

「何かあったのか?」

 

 隊長がまず来るということは異常を疑う。しかし、カガリは、「違ってさ」と否定した。

 

「定時連絡、来たろ?」

 

「ああ、つい先ほど」

 

「二度寝しようと思ったんだけど目が冴えちゃって。アマツさん、よければ朝の散歩でもどう? ハリマシティなら俺のほうがよく知っているぜ」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい用件にアマツは呆れたため息を漏らした。

 

「部下とでも一緒にすればいいだろう」

 

 扉を閉めかけたアマツの袖を引っ張って、カガリが子供のように駄々をこねる。

 

「そんなつれない事言うなって。さすがに朝だし、サヤカちゃんとか誘えないじゃん」

 

「誘いたければ誘えばいいだろう。お前の言う隊長権限とやらで」

 

「こんな時に行使したら本当に嫌われちまうだろ。そうじゃなくっても連日の打ち合わせで部下達を疲れさせているんだ。プライベートまで介入させちゃ悪いだろ」

 

 このようなところなのか、とアマツは思う。部下を取らない自分にはそのような感受性が抜け落ちている。その点、カガリは部下思いだ。

 

「そこまで考えているのなら私の事情も考慮してもらいたいところだな」

 

「え? アマツさん、暇でしょ」

 

「勝手な決め付けをするな」

 

「まぁまぁ。そういえば、ウテナ三等構成員いついての話も聞きたいし、ちょっとだからさ。行こうぜ?」

 

 カガリが親指で廊下を示す。アマツは断ろうと思ったが、どうせ夜の作戦行動までは暇なのだ。付き合うのも悪くないと額に手をやって首を振った。

 

「分かった。服を着替えてくる。待っていろ」

 

「アマツさん。同じパーカー何着も持っているの?」

 

 馬鹿にしたような口調にアマツは、「行かないぞ。いいのか?」と問い質した。カガリは両手を合わせて、「ああ、すいません」と少しも悪びれている様子のない声で言った。

 

「そんなつもりじゃなかった」

 

「では、どのようなつもりだったんだ」

 

 まったく、とアマツは文句を言いながらパーカーを羽織り、靴を履いて廊下に出た。フードを目深に被っていると、カガリが、「でもさー」と口を開く。

 

「同じ服装ばっかりで飽きない? 俺は飽きるから隊長権限で自分勝手な服装選んでいるんだけど」

 

 見ると、カガリの服装は白いワイシャツに赤いジャケットだった。ワインレッドのネクタイをしており、ズボンは黒色だ。ジャケットの先は膝元まであった。ジャラジャラとしたシルバーアクセサリーをズボンにつけている。

 

「動きにくそうな格好だな」

 

「サヤカちゃんに注意されない限りは、俺はこの服装で作戦に臨む」

 

「それは、注意されたほうがいいな」

 

「オシャレも重要だぜ? アマツさん。同じ服装を年中やっていたら色々麻痺しちまう」

 

「構成員は緑色の制服で統一されている」

 

「だからオシャレするんじゃん」

 

 カガリが両腕を広げて主張する。アマツはカガリの服装を見て、「そういえば」と口にする。

 

「カタセも似たような格好だな」

 

 アマツの声にカガリは、「げっ」と吐きそうな顔をした。

 

「……しまった。カタセさんと被っちまうとは。俺とした事が、意外性を追求するばかりにやっちまったなぁ……」

 

「カタセは黒いコートだろう。あの人も年中同じ格好だが」

 

「あの人はあれで一つの世界観みたいなもんでしょ。そういう点ではアマツさんも似ているけど」

 

「私は面倒なだけだ。物ぐさなのさ」

 

 二人は歩き出した。エレベーターホールへと向かい、ボタンを押す。階層表示が流れるのを眺めながら、アマツは口を開く。

 

「部下というのはビジネスホテルのエレベーターみたいなものだな」

 

「ほう。そのこころは?」

 

「上げるのには時間がかかるが、下がるのは速い」

 

 その言葉にカガリが笑いながら両手を叩いた。アマツが視線を振り向ける。

 

「まだ朝だぞ。静かにしろ」

 

 その声には若干の照れも混じっていた。その胸中を察したのか、カガリは、「はいはい」と適当にいなす言葉を発する。

 

「まさかアマツさんがジョーク好きとはね」

 

「私はジョークについて別に嫌悪していない」

 

 ただ苦手なだけだ、と付け加えた。アマツとてバラエティ番組は観るし、お笑いもたしなんでいる。

 

 エレベーターがついて、箱の中へと二人は入った。一階のボタンを押すと、扉が閉じてすぐに下降が始まる。あっという間に一階に着いて、カガリが、「本当だ」と笑った。

 

「マジにそうなんだな。座布団一枚あげるよ」

 

 扉をくぐり抜けながらカガリの言葉を無視してエントランスへと足を向かわせる。アマツは、カガリの言葉を背中に受けた。

 

「でも、アマツさん。部下ってのは持ち上げ時ってのがあるんだよ」

 

「持ち上げ時?」

 

 ちょうどエントランスを抜けたところで、アマツが顔を振り向ける。カガリは、「そ」と両手を後頭部にやって頷いた。

 

「サヤカちゃんとだってさ。最初から今みたいな感じなわけないじゃん。そりゃ、俺だって隊長として、部下とのやり取りって言うのはあったわけよ」

 

「初々しい事だな」

 

 人通りの少ないハリマシティの街並みを歩く。ホテルを後にすると、企業のビルが立ち並んでいる。この中の幾つかに、今夜ウィルが仕掛けるのだ。そう思うと無関係な街並みには見えなかった。

 

 夏が近づいているとはいえ、朝方は涼しい。風が吹き抜け、アスファルトを撫でる。アマツとカガリは二人して肩を並べて歩いた。男同士で並んで歩くのはあまり気乗りしないが、女性構成員と二人きりというのもおかしいと感じて、アマツは現状を受け入れた。

 

「サヤカ二等構成員とプライベートでは会うのか?」

 

「え、何それ? アマツさん、サヤカちゃんに気があるの?」

 

「そういうわけではない。ただ部下と上官の接し方のようなものの参考にしたいだけだ」

 

 硬い声音に我ながら誤魔化しきれていないと感じる。ウテナはあの姿であっても女性構成員だ。それなりに会うには気を遣わねばならない。思うところを察したのか、「ああ、ウテナ三等の事ね」とカガリが言った。

 

「俺にとっては一番信頼出来る部下がサヤカちゃんってだけだしなぁ。β部隊って、複数の二等構成員で副隊長を拝しているわけなんだけど」

 

「知っている」

 

 歩きながら、前を向いたままアマツは口にする。カガリは独り言のように言葉を発した。

 

「その複数の二等構成員全員に俺は馴れ馴れしいわけじゃないぜ? 親密な仲なのはサヤカちゃんくらいかな。あとはもう、本当にお仕事って感じで」

 

「サヤカ二等構成員とは、どのような関係だ?」

 

 アマツの質問にカガリは吹き出した。

 

「何それ。本当にアマツさん、サヤカちゃんに気があるの?」

 

「ない。それは事実だ」

 

「だったらさ。勘繰られるような質問はやめなよ。なに、俺が男と女の関係です、って言えばこの場合、面白いの?」

 

 アマツはその言葉を無視して歩調を速めた。カガリが追いついてきて、「冗談だって」と口にした。

 

「サヤカちゃんは絶対、俺にそういうのを求めてこないし、俺だって一線を引いている。部下と上官は、男と女なんてものとは限りなく遠いもんだよ。サヤカちゃんは年上だしね」

 

「年下が好みなのか?」

 

「アマツさん、突っ込んでくるねぇ」

 

 カガリが笑って片手を振った。アマツはパーカーを風にはためかせながら足早に歩く。

 

「好みは気にした事ないかなぁ。サヤカちゃんをからかったりするけど、年上も年下もどっちもいける感じ?」

 

「聞くのではなかったな」

 

「だろ」とカガリは肩を竦めた。余計な質問だった、とアマツは胸中で反省する。街中を涼しい風が優しく愛撫する。ビルの谷間は疲れた人々が常に行き交う場所だ。風は人々を慰めているつもりなのかもしれない。しかし、今宵にはこの風は闘争の空気をはらむのだ。そう考えると頬を撫でる一陣さえ愛おしくなる。

 

「風だな」とアマツは口にした。カガリが、何でもないことのように、「いつでもそうさ」と告げる。

 

「ビル風だよ。高層ビルが立ち並んでいるから吹くんだ」

 

「いや、それとは違う。もっとたおやかな風だ。どこから吹いているんだ?」

 

「ビル風だってぇ」

 

 カガリは歩きながら石を蹴りつけた。ころころ小石が転がり、用水路の中へと落ちていく。ポチャンと微かな水音が聞こえた。

 

「これがカイヘンの風か」

 

 早朝のせいか、昼間や夜には感じられない大地の息吹が吹き込んでくるようだった。元々はハリマシティになる前、ハリマタウンに吹いていた風だろう。それが早朝だけ目を覚ますのだ。この僅かな時間だけ、時は逆戻りする。カイヘンに吹いていた風が皮膚の薄皮すら破らないほどの穏やかな風だと分かり、アマツは寂しくなった。誰が、このような場所にしたのか。

 

「分かりきっている」

 

 カントーによる開発とカイヘンに住む人々が望んだからだ。町は望まれた姿へと変貌し、その身を整形させた。新都が誰にとっても必要だったのだ。ヘキサ事件によってタリハシティが消失し、混迷の中にあったカイヘンに人々は纏め役を見つけようとした。その犠牲がハリマシティなのだ。アマツはビルを仰いだ。圧倒的な存在感を放つビル群が、途端に安っぽい張りぼてのように見えてくる。カイヘンという土地が絡んだ巨大な舞台装置の中に押し込められた紙細工のビル達。彼らとて、望んでここにあるわけではない。ヤマブキシティの真似事をさせられ、タリハシティの後を追うようにここもまた戦場と化そうとしている。

 

「皮肉だな」

 

 アマツが口にした言葉に、カガリが反応する。

 

「何が?」

 

「最も平和を望んだ場所で闘争が起こるというのは」

 

「どうだかねぇ。カイヘンの連中はどこで戦争が起ころうが関係なんじゃないか? それこそ我関せずっていう具合にさぁ。誰も自分の事なんて思っていないんだよ」

 

「では、何故」

 

 アマツは振り向いた。カガリは立ち止まり、ポケットに両手を入れている。

 

「何故、リヴァイヴ団は演説をしようとする。何も変わらない事など分かりきっているだろうに。変わろうとしない連中に呼びかける事ほど無意味な事はないと、そのような単純な理屈すら通用しないのか」

 

 八年前。ディルファンスが演説をした。シルフカンパニーカイヘン支社を縦に引き裂き、そこに反抗の旗を掲げた。その数日後にロケット団が演説をした。ディルファンスの正義は果たして正義なのかと民衆に問いかけた。民衆はロケット団とディルファンスの狭間で何を考えたのか。本当に正義たるべき存在として振舞おうとしたのか。それとも、ただ暴力の咆哮に促されるまま人間の狂気を曝け出したのか。アマツは考えを巡らせようとしたが、それは果たして自分の及びつくところなのか、というところで終点を迎えた。カイヘンにその場の当事者としておらず、カントーで安寧を貪る人間の一人だった自分に、考える資格はあるのか。

 

 アマツはカガリへと言葉を投げる。

 

「カガリ。お前はどう思う? カイヘンの当事者たるお前は――」

 

「知らないよ、そんな事」

 

 思いのほかあっさりと切って捨てられた言葉に、アマツは閉口した。カガリはむすっとして、「どうして、そんなに外の人達は考えたがるんだよ」と忌々しげに口にした。

 

「中にいた俺達だって分からないって。しかも、八年前だろ? 俺、その時七歳のガキ。どうしろっていうんだよ。七歳のガキが感じた事を言ってしまうとすれば、意味が分からなかった」

 

「意味が、分からない、とは……」

 

「正義だとか何だとか、お題目掲げて、結局大人達は何がしたいんだって話だよ。昨日まで正義の組織が次の日からは悪の組織で? そのまた次の日からはヘキサなんて言うわけの分からない組織まで出てくる。しかも、首都が持ち上がった?」

 

 カガリは笑い声を上げた。閑散としたビル街に、吹き抜ける細い風のような声だった。カガリは両手を掲げて、腹部を押さえた。笑いを鎮めているように見えたが、実のところ本心では笑っていないのは目に見えて明らかだった。

 

「もう意味不明。何だよ、お前らって感じ。その時俺は思ったわけ。こんな大人達についていったら、俺が死ぬってな。母親が人間爆弾で死んだみたいに」

 

 その言葉にアマツは息を詰まらせた。ヘキサが空中要塞で展開したという悪魔の作戦が思い出される。

 

 フワライドに人間を乗せ、空中要塞を覆う人間爆弾と化した。その事実が明るみになったのは随分と後になってからであり、映像解析がされる程度に事態が沈静化してからの事だった。

 

 当時、四天王の第一線を退いていたドラゴン使いのワタルが操るドラゴンタイプの放つ破壊光線の光条が、フワライドを暴発させる映像がはっきりと映し出されており、その上に乗っていた人々は跡形もなく吹き飛ばされた。ワタルはカントー防衛のためとはいえ、罪もない一般人を大量に殺した事で現在、カントーの刑務所へと投獄されている。特一級の戦犯として。カントー防衛の任に就いていたため死刑になる事はないが、「いっその事、一思いに殺してくれ」と一度記者団の前で懇願していた事を思い出す。

 

「あの事件で、色々なものが傷つけられた。意味なんて知らない。ガキの主観から言わせえてもらえば、正しいと信じている大人達が派手に喧嘩をやらかして、その結果、そこら辺を歩いていた人間が一番被害食らったって話じゃんか。やってられないよ」

 

「だから、ウィルに入ったのか……」

 

 カガリの初めて見せる内面に気圧されるものを感じつつも、アマツは尋ねていた。カガリは顔を伏せ気味にして、アマツを見据えた。

 

「そうだよ。俺が正しく強けりゃ、大人達の論理に振り回される事はないってな。実際、あの事件って弱い人間がより弱い人間をいたぶっただけなんだよ。強者ならば、そんなつまらない諍いで命を落とす事はない。死ぬのは、弱いからだ。弱い奴には叫ぶ資格も、命の意味を発する事も出来ない。じゃあ、強けりゃいいじゃん、って話だよ」

 

 カガリはそこまで捲くし立ててから、アマツが立ち往生しているのを見て、「おっと……」と後頭部を掻いた。顔を上げると、いつものカガリに戻っていた。読めない笑みを浮かべている。

 

「喋り過ぎたな。いいんだ、この世は弱肉強食。弱いのが悪い」

 

 そう結んで、カガリは片手を振って歩き出した。アマツは立ち尽くしたままだった。カガリの内面に踏み込んでしまった。知らぬ間に、土足で。それは侮辱のようであったし、人として許されない事のように思えた。拳を、骨が浮くほどに握り締める。

 

 こんな世界に誰がしたのか。

 

 原罪はロケット団にあるのか。それとも黙認していたカントーの大人達か。どちらにせよ、世界を汚く回すのは大人達の仕業だ。自分も、その大人の一部に加わっている。部下を持たないのは、言い訳を作りたいからなのかもしれない。大人達の輪には参加していない、無関係だ、と装うための、予防線だ。

 

「何て、小汚い……」

 

 悔やむようにアマツは口にして、顔を伏せた。誰かの傷口を広げるような真似しか出来ない。それは当事者でないから言える事、考えられる事だ。当事者には状況を整理する頭を作ることでさえ、一年や二年では足りない。しかし、状況や時勢は刻一刻と変化する。その変化に対応出来ないものは時代から取りこぼされるのだ。あるいは必死で追いつこうとしても辿り着けない逃げ水のようなものか。追いすがっても、結局は何もない空を掻くだけの、虚しい行為。

 

「アマツさん。難しい事考えていると、ここに皺寄るよ」

 

 カガリが振り返って額を指差す。アマツは顔を上げて、「そうかな」と何でもないように口にした。先ほどまで直視出来ていたカガリの顔が別人のように見えた。カガリはそう思わせないように努力している。それが分かって、より痛々しい。

 

「そうだってぇ。そんな時こそ、お酒や女に逃げればいいんじゃない? 大人の特権だろ」

 

 カガリが酒瓶を振るような身振り手振りをする。アマツは微笑んだ。

 

「いや。私は、酒は飲まない」

 

「どうして? 下戸なの?」

 

「下戸なんて言葉を知っているのか?」

 

「そりゃ、大人達と絡む事のほうが多いからねぇ」

 

 カガリはまだ十五歳だ。ウィルに最年少で入ったことにより、天才だともてはやされ、さらに最速で隊長格まで上り詰めた。カガリの手持ちポケモンは全部隊の中で群を抜いていると聞く。

 

 それほどの力を手に入れるまでにどれほどの血の滲む苦労があったのだろうか。推し量るほかなかったが、アマツは目の前の能天気な少年を、ただ能天気だと断ずる事は出来なかった。それは計算されたものなのだ。陰では、呑気な少年はすすり泣いているのかもしれない。ウテナ共々、どうして少年や少女ばかり傷つく。傷つくのは大人の特権ではなかったのか。大人は子供達に傷を押し付けて、恥ずかしくないのか。アマツは、「そうか」とだけ声を発した。カガリが眉をひそめる。

 

「なに、その、大変そうだな、って感じの声」

 

「そんな声が出ていたか?」

 

「やめてくれる? アマツさんみたいな大人はそういう態度取らないと思っていたんだけど」

 

 カガリの自尊心を傷つけてしまったようだ。いつだって大人は、無自覚に子供を傷つける。

 

「悪かった。失言だ」

 

「いいさ。アマツさんみたいなのでも、失言するんだって思える」

 

「おかしいか?」

 

 カガリは笑い声を上げて身を翻した。歩きながら、「おかしいよなぁ」と呟いた。

 

「だって、完璧っぽいもん、アマツさん。部下も持たないって事は、全部完璧に出来るんだって思われているよ」

 

「そんな事はない。むしろ、私は……」

 

 先の言葉を濁す。不完全だからこそ、部下を持たないのだ、と言いたかったが言えなかった。自分よりも不完全で、未完成な少年が自立しようとしている。大人が泣き言を言うべきところではない。アマツが顔を伏せていると、「もう、俺の話はいいじゃん」とカガリは笑いながら口にした。お互いに相手へと踏み入った話は打ち切ろうというのを無言の了承としていた。アマツとて踏み込まれたくない領域は存在する。アマツがこれ以上失言を漏らさないためにも、とカガリは配慮したのかもしれない。慮ってもらっているのは自分のほうだな、と胸中に自嘲して、「そうだな」と返した。

 

 アマツとカガリは並んで歩き出した。カガリが話を切り出す。

 

「それでだよ。俺が聞きたいのはウテナ三等の話」

 

 そういえばそれが当初の目的であった事を思い出す。アマツは、「ああ、彼女か」と返した。カガリが片手を振るい、「彼女か、じゃないって」と言った。

 

「どうだった? やっぱり、俺の言った通りだった?」

 

「少しだけ事態は複雑のようだ。どうやら彼女はδ部隊の被験者だったらしい」

 

「δの? どういう事だよ」

 

 アマツは言うべきか一瞬の逡巡を浮かべたが、カガリは他人に吹聴するような人間ではない事ははっきりしている。事の次第を、アマツは口にした。カガリは黙って聞いていたが、話が終わると、「なるほどな」と頷いた。

 

「四等から三等に上がるために自ら志願したってわけか。それよりも意外なのは、ヘキサやディルファンスの技術をウィルが兵器転用していたって事だよな。これは、事によっちゃ世論の反感を呼ぶぞ」

 

「私もそう思う。危険な事柄だ。出来る事なら――」

 

「分かっている。俺の胸の中で留めておけって言うんだろ。ああ、こうまで深刻じゃ、笑い話にもならないな」

 

 顎に手を添えてカガリは口にした。話の種にしようとしていただけの話が、ウィルの汚点に繋がっているとなれば慎重にもなる。ウィルは何がしたいのか。δ部隊にどれほどの権限が与えられているのか。そのような考えにアマツが至ろうとしていると、「アマツさん」とカガリが名前を呼んだ。

 

「何だ?」

 

「アマツさんの事だから深刻に考えているんだろうけど、やめたほうがいいぜ。隊長格であっても、触れちゃいけない話題ってのはあるもんだ」

 

 その言葉に暫時、沈黙を挟んだ。隊長でも何も出来ないのか。命じられるがまま、リヴァイヴ団を殲滅する事くらいしか、今すべき事はないのか。アマツは下唇を噛んだ。どうして何も出来ない。これでは張子の虎だ。

 

「隊長である意味はあるのか」

 

「やめろよ、アマツさん。そこは考えちゃいけないところだ。踏み込んでいい場所とよくない場所の区別はつけようぜ。俺は一線を引く。これ以上は踏み込まないっていう一線だ。踏み込んだって状況は変わらないし、もしかしたら悪く転がるかもしれない。α部隊の隊長だからって背負い過ぎるなよ。俺も、余計な事を吹き込んだのが悪かった」

 

 カガリのせいではない、と言いたかったが、ウテナに対して過度な興味を持ったのはカガリの言葉があったからだ。否定する事も出来ない。

 

「ウテナ三等とは別任務だ」

 

「そうか。なら、アマツさんは今まで通り、部下は持たないスタンス?」

 

「いや、彼女は部下だろう。ただ、私はスタンドプレーである事は伝えてある」

 

「充分じゃん。伝わってないよりかは」

 

 カガリは足元を蹴った。小石が転がり、側溝に落ちる。アマツは、「お前は」と口を開いた。

 

「こんな時にはどうする? どうすればいい」

 

「アマツさんみたいな大人が分からないんなら、俺みたいな子供が分かるはずないよ」

 

 正論だった。アマツは恥じ入るように顔を伏せた後、頭を振った。

 

「情けないな。進むべき道が分からないというのは」

 

「よくある話さ。何もアマツさんだけじゃないよ」

 

 このわだかまりは、リヴァイヴ団を倒す事で解消出来るのだろうか。世界を歪めているのは、果たしてどちらなのか。間違っているのはどちらなのか。

 

「俺達は与えられた任務を忠実にこなす」

 

 カガリの言葉にアマツは顔を上げた。カガリはくるりと身を翻し、アマツの顔を覗き込む。

 

「それだけだ」

 

 本当にそれしかないとでも言うような口調に、アマツは声を返せなかった。思わず目を背け、ようやく、「そうだな」と口にする。

 

「さーて、朝の散歩も終わりだな」

 

 東の空が明るくなり始めていた。時間が動き出したように、まばらに人々が現れる。カガリは来た道を引き返した。アマツも引き返そうとして、黎明の光が切り込んでくる空を見上げた。

 

「……光の階段だな」

 

 らしくない言葉が口から滑り出る。アマツは首を振ってカガリと並んで歩いた。

 

 



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第六章 十二節「BEYONDⅠ」

 紙を繰りながら、ランポは額の汗を拭った。

 

 もう何度目だ、と頭の中で反芻する。何度読んでも、自分が口から発する言葉とは思えなかった。仰々しい言葉が並び立ち、言葉の節々に滲むのは傲慢さだった。

 

「まるで八年前のロケット団総帥だ」

 

 ヘキサの首領、キシベと言わなかったのは、私怨ではないからだ。組織のために読み上げなくてはならない。重責だった。ランポはポケッチの時計機能を見やる。一時間前には準備をしていなければならない。リハーサルなしの一発勝負。これに敗れれば、リヴァイヴ団は大きく戦力を削がれる事となるだろう。自分の言葉一つに組織の命運がかかっている。ランポは息を吐き出して、「重たいな」と呟いた。慌てて首を横に振り、そのような感傷を振り落とす。今は囚われている場合ではない。そうは分かっていても、割り切れないのが実情だった。ため息をつくと、扉がノックされた。「どうぞ」と声を出すと、現れたのは腹心に仕えていた紳士だった。長身痩躯で、腹心とは正反対だ。

 

「そろそろお時間です」

 

「もう、ですか」

 

 ランポは時計を再び見やった。「入念な準備がありますので」と紳士は告げた。ランポはまだ頭に完全に入ったわけではない原稿をその場に置いて、「分かりました。行きましょう」と襟元を整え立ち上がる。紳士が頷いて、ランポを促して部屋から出た。

 

 次に落ち着けるのはいつになるだろうと考えると一時的とはいえ寝泊りしていた部屋が恋しくなる。だが、やはり脳裏に描くのはコウエツシティの自宅とBARコウエツだった。マスターは元気でやっているだろうか。自分達のとばっちりを受けていないだろうか。今さらの心配が過ぎり、ランポは顔を伏せていると、前方から歩いてくる影が見えた。顔を上げて見やると、オレンジ色のジャケットを着込んだユウキだった。真っ直ぐにランポを見据えている。ランポは指揮官の顔になって、ユウキとすれ違い様に言葉を交わした。

 

「レナの護衛はどうなっている。お前に命じたのは俺の見送りではない」

 

「レナさんも承諾してくれました」

 

「それでも、一時的に任務を放棄していい理由にはならない」

 

「ランポ」

 

 短く名を呼ばれ、ランポは身を強張らせた。ユウキはただ一言だけ添えた。

 

「お気をつけて」

 

 言葉以上の意思を携えた声にランポは感極まりそうになりながらもぐっと堪えた。無機質に返す。

 

「お前もな」

 

 それでも抑えきれない情が滲み出ていたのかもしれない。これ以上言葉を交わせば、自分は任務を全う出来なくなる。それをお互いに感じたのか、同時に歩き出していた。ユウキの足音が遠ざかっていく。ランポはこれが決意の足音だと感じた。離れていくのは怖い。だが、託してくれてもいる。その意志を無駄には出来ない。

 

「よろしいので?」

 

 紳士が尋ねる。ランポは、「はい」と一言で片付けた。

 

「しかし、部下だったのでは」と続ける紳士に、「部下はいません」とランポは返す。

 

「では、どのようなご関係で?」

 

「いるのは仲間だけです」

 

 その言葉に紳士は暫時、面食らったようにランポを見やっていたが、やがて前を向いて歩いた。紳士に連れられ、リヴァイヴ団の中でも一握りしか知らない演説会場に導かれた。

 

 演説会場はワンフロアを貸し切った形となる。カメラが並び立てられ、ランポ一人が立つであろう演説台を映していた。あの場所に自分が立つのだ。そう思うと指先が震えだすのを感じる。ランポは手首を掴んで、震えを鎮めようとした。拳を固めて、ランポは深く息を吸う。腹心の姿も、ボスの姿もなかった。

 

 影武者である自分には結局、ボスの足取りを掴む事は出来なかったわけだ。あるいはこれからボスと会えるのかもしれないが、ユウキと示し合わせた計画ではない。最早、独自の判断が求められていた。見渡すと、先ほどまでいた紳士の姿もない。腹心のボディーガードであるのだから、いつまでもランポに張り付いているわけにもいかないのだろう。恐らくはレナ引き渡しに付き添うはずだ。

 

「ユウキ。頼んだぞ」

 

 託すしかなかった。最後にユウキと言葉を交わせただけでも充分だ。自分はこれから茨の道を歩いていく事となる。仲間と交わせる言葉はもう存在しない。あるのは部下という括りだけだ。

 

「ランポ様。演説台へ」

 

 撮影するリヴァイヴ団の団員が声をかける。ランポは、「ああ」と声を返して、マイクの用意された壇上へと向かう。これから先に発する言葉は全て、リヴァイヴ団のボスとしての言葉だ。自分のものであって自分のものではない。ランポは呼吸を整え、演説台についた。

 

 カメラが回り始める。一時間後には演説が始まろうとしていた。

 

 



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第六章 十三節「BEYONDⅡ」

 テクワは最も見晴らしのいい場所へと配置についていた。ポケッチへと声を吹き込む。

 

「こちらRS1。配置についた。スナイパー番号、復誦しろ」

 

『スナイパー2。配置完了』

 

 それに続いてスナイパー達の声が繰り返されていく。テクワは空を見渡した。まだ夕張に包まれている。夜には早いくらいだが、あっという間にその時はやってくるだろう。テクワはポケッチのチャンネルを切り替え、マキシへと通話を繋いだ。すぐにマキシが、『どうした?』と声を返してくる。

 

「いや、作戦前だからかな。俺、結構ぶるっちまってる」

 

 いつもなら精密に出来るはずの狙撃姿勢がうまくいかない。膝が震えているのを叱咤するように叩いた。

 

『安心しろ。俺も実感ない』

 

「だよな。俺達の連携が試されているんだ。しっかりやろうぜ」

 

『ああ。いつも通り、でいいんだよな』

 

「ああ、そうさ。俺は陸上部隊に攻めてきてあぶれた奴らを狙撃する。お前は敵をいい具合に散らしてくれれば上出来だ」

 

『お前はいつもそんな感じだな』

 

 毎回交わす気安い言葉に、テクワは口元を綻ばせた。

 

「ああ、そうさ。いつもこんなのだ。最悪の戦法と言われちゃそれまでだよ。でもな、生き残るためには汚い戦法を取るしかないんだ」

 

 綺麗なだけでは生き残れない。それを自分とマキシは一番よく知っている。

 

『陸上部隊はダミー部隊の展開しているビルの手前で張る事になっている。ちゃんと狙いはつけられているか?』

 

「待ってろ」

 

 テクワはその周辺を巡回する予定の部下へと声を吹き込んだ。

 

「どうだ?」

 

『スナイパー7、配置完了』

 

「事前説明通り、装備は」

 

『広角レンズを使用。命中率を上げている』

 

「よし」

 

 自分が思っている以上に部下は有能だ。それを確認してから、再びマキシへと繋ぐ。

 

「大丈夫だ。何も心配はいらない」

 

『ああ。……テクワ』

 

「ん? 何だよ、改まって」

 

 かしこまったような声音にテクワは違和感を抱いた。マキシは幾分か迷っているような間を空けた後、『俺はさ』と口にする。

 

『この戦いで最後だったとしてもよかったと思っている』

 

「何言ってんだ、縁起でもない」

 

『ブレイブヘキサとか、チームプレイとか、最初は俺もピンと来なかった。他人を信じる事とかかな。でも、ユウキ。あいつを見ていると何だか分かったような気がしたんだ。信じるっていう事がどういう事なのか』

 

「俺達は信じている」

 

 その言葉にマキシは、『ああ』と返す。

 

『簡単な事だったんだ。俺とお前で出来ている事を他の奴らにもしてやる事だって。それを教えてくれたのは、ユウキだ』

 

「ユウキは本物だからな。俺が見込んだだけはある」

 

 入団試験の時、ユウキは裏切られても信じ続けると宣言した。たった今裏切られて、奈落の底に突き落とされた人間が言える言葉とは思えなかった。それだけ、ユウキは強い。意志の力は誰よりも勝っているだろう。

 

『入団試験の時、あいつの事を正直、面白い奴だと思った。他人をそう感じたのは、二人目だ』

 

「一人目は誰だったんだ?」

 

 マキシは答えなかった。言わなくとも分かる。テクワは背中に担いだケースから折り畳まれたライフルを取り出した。ライフルを展開すると、中央のモンスターボールから光が弾き出され、ドラピオンの形を取った。ツンベアーに貫かれた足が痛む。しかし、テクワは通常の狙撃姿勢を取った。部隊へとチャンネルを切り替えて、ポケッチに声を吹き込む。

 

「RS1、配置完了。狙撃準備よし」

 

 すぐにマキシへと繋ぎ直し、「そろそろ切らなきゃな」と言った。

 

『ああ。俺達の任務をこなすために』

 

「リヴァイヴ団の、ブレイブヘキサの最後の任務なんだ。全力でやろうぜ」

 

『分かっている』

 

 無愛想な返事は相変わらずだとテクワは感じて、ポケッチの通話を切った。別れの言葉を言わなかったのは、また会えると信じているからだ。自分でも思わぬ考えに、フッと口元を緩めた。

 

「ユウキのぬるい考えに感化されちまったかな」

 

 自嘲の笑みを吹き消して、テクワは眼帯を外した。西の空が暗くなりかけていたのがドラピオンと同期した視野に入ってきた。

 

 



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第六章 十四節「BEYONDⅢ」

「全部隊、配置完了しました」

 

 駆け寄ってきたこの部隊の副長の声にエドガーは、「よし」と頷いた。片手を振るい上げ、「配置に戻れ」と告げる。

 

「ウィルがいつ仕掛けてくるか分からない」

 

 とは言っても随分と早い警戒態勢である事には変わりはない。団員達の空気が緩むのも分からなくはない。だが、ここが本隊だと見せるためには半端な警戒では駄目だ。もっとも団員達は本隊だと信じ込んでいる。長である自分とミツヤがぼろを出さなければ大丈夫だろう、とエドガーは感じていた。

 

「は」と挙手敬礼をして、副長は配置へと戻っていった。エドガーは歩き出す。エドガーの配置はミツヤと同じ場所だった。現場指揮官として、というよりも慣れた黄金コンビを発揮出来ると考えて、エドガーはその配置を提言した。上はそれを了承した。所詮、ダミー部隊だ。現場指揮官まで辿り着かれれば、そこまでだと判じていたのだろう。事実、現場指揮官が戦いの場に出るという事は、本丸を叩かれるのと同義だ。エドガーは指揮官室でミツヤと落ち合った。指揮官室は出窓で、外の様子が見やすくなっている。陸路から来るとしても、エドガー達の守るビルは一方通行だ。後ろと左右は背の低いビルで挟まれている。物々しい空気を出したビルは既に戦闘の様相を呈している。エドガーが深く息を吸い込むと、「そう緊張するもんじゃないでしょ」とミツヤが呑気な声を上げた。

 

「なるようにしかならないって。俺達はダミー部隊なんだからさ」

 

「ミツヤ。今は部下がいないからとはいえ、慎め。聞かれて戦意喪失などお話にならない」

 

「分かっているっての。俺だって、ちゃんと考えているからさ」

 

「どうだかな」

 

 エドガーは腕を組んで窓の外を眺めた。ミツヤは椅子に座っている。その様子を横目で見ながら、「随分と落ち着いていられるんだな」と皮肉を口にした。

 

「まぁね。だって優秀な部下達じゃん。この三日間、全員のポケモンを見たけどさ。俺達よりも強いんじゃないかって言うのばかりだってし」

 

「リヴァイヴ団お膝元のハリマシティなんだ。精鋭は揃えてあるだろう」

 

「ウィルのお膝元でもあるけどね」

 

「何が言いたい、ミツヤ」

 

 エドガーが視線を振り向けると、ミツヤは、「それだけ敵も本気出してくるって事だよ」と返した。立ち上がり、窓から望める景色を視界に捉える。

 

「俺は、ウィルにいたから分かる。奴らのやり方って言うのがさ」

 

 ミツヤの口からウィルに在籍していた事が出るのは初めてだった。シバタのネイティオによって過去は見せられたものの、それを肯定した言葉を発したのは、今までなかった事だ。

 

「ウィルは本気でリヴァイヴ団を潰す気だよ。それこそ総力戦の構えだ。ウィルはリヴァイヴ団の存在をこっちが思っているよりも重く見ている。第二のヘキサにならないか心配なのだろう」

 

「ヘキサ、か……」

 

 エドガーは口にして、苦々しい響きだと痛感する。ヘキサによってカイヘンはあらゆるものが奪われた。家族を亡くした人間も少なくはない。エドガーは網膜の裏で映像がちらついたのを覚えた。赤い景色の中に、首を吊った二つの影が揺れる。ゆらり、ゆらりと影がちらつき、エドガーは目を強く瞑った。記憶を掻き消そうとするように。

 

「旦那?」

 

 ミツヤが怪訝そうに声を発する。エドガーの変化に気づいたのだろう。エドガーは目を開き、顔を拭って首を振った。

 

「何でもない」

 

「本当かい? 死にそうな顔だぜ」

 

「大丈夫だ」

 

 こんな時に過去を持ち出している場合ではない。エドガーは窓の外を一瞥し、ポケッチに視線を落とした。

 

「あと、四十分」

 

「だな。もうすぐランポがボスとして世間に顔を出すのか。ちょっと前には考えられなかった事だな」

 

 その通りだった。F地区でならず者を纏め上げ、チンピラの喧嘩の後始末が主な仕事だった自分達からすれば大出世だ。しかし、それが正しい方向に回るとは限らない。

 

「コウエツの奴ら、喜ぶかな」

 

「さぁな」

 

 F地区の人々は吉報として受け取るだろうか。通い慣れたマスターは、どう思うだろう。いつもマスターの前で賭けをして、ミツヤのイカサマに自分が怒るという図式は、もう訪れないのだろうか。全て、遠い過去の幻想なのだろうか。

 

「俺は、今日を迎えたくなかった」

 

 我侭かもしれないが、そのような言葉が漏れた。ミツヤは出窓に両腕をついて、「俺もだよ」と言った。

 

「俺も、コウエツのバーでいつまでも他愛無い話をして、賭けをして、旦那に怒られる事がずっと続くんだと思っていた」

 

 同じ事を考えていた事にエドガーは苦笑した。ミツヤは、「それを変えたのは、あいつだよな」と呟く。きっと思い描いている人物も同じだった。

 

「ああ。あいつが来て、変わったな」

 

「旦那もかい?」

 

「一番変わったのは、きっとランポだろう」

 

 自分達では変えられなかったランポを一時の邂逅で変えた。その人物の名前をここではあえて口にしなかった。

 

「そうだな。ランポはどこか現状に満足していなかったから。あいつがいい刺激になったんだろうね」

 

「俺達のリーダーを変えたあいつは、結局、何だったんだろうな」

 

「神様が遣わせてくれたのかね」

 

 冗談交じりの声にエドガーは口元を緩めた。ミツヤも笑いながら、「それはないか」と口にする。

 

「少なくとも、今を変えるのは人の意志だ。神じゃない」

 

「だね。旦那は最初、気に入らない様子だったけれど」

 

「それはお互い様だ」

 

 ミツヤと顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。エドガーは窓の外に視線をやった。戦闘状況が開始されるまで、もう幾ばくもない。緊張の糸が張り詰めるのを、二人は感じて唾を飲み下した。

 

 



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第六章 十五節「BEYONDⅣ」

「ウテナ三等」

 

 アマツは配置前に呼びかけた。ウテナは振り返り、眼帯を押さえて、「何でしょう」と首を傾げた。

 

「決して、無茶をするな。それだけだ」

 

 もっとも、私怨で動いているウテナに対してそのような言葉を投げるのは無意味かもしれない。そう思いつつも、今朝に話したカガリとの会話が思い出され、つい口をついて出ていた。ウテナは硬く挙手敬礼をした。

 

「了解です。アマツ隊長」

 

 ウテナは身を翻して立ち去っていった。こちらでもマーク出来ない場所に身を隠してポケモンを操るのだろう。それがウテナの戦法に一番合っているのは分かる。しかし、自分の部下が見えない場所に自ら赴くのはどこか納得し難かった。

 

 その時、ポケッチの着信音が鳴った。戦闘配置につく人々の中で目立つ。アマツはすぐに通話ボタンを押した。カガリからだった。

 

「何だ? 緊急秘匿回線以外は禁じられているはずだぞ」

 

『まぁ、ちょっと話そうと思ってね。これから俺は敵の本丸叩きに行くわけだけど』

 

「部下がいるのだろう。示しがつかないのではないか?」

 

『もう、とっくの昔にそういうカッコつけるのはやめてるって。俺は結局、ガキだからな』

 

「それを免罪符にするな。お前は隊長だろう」

 

『手厳しいな、アマツさん』

 

 カガリは笑ったが、胸中が穏やかでないのは通信越しでも分かった。

 

『アマツさんは?』と尋ねられ、アマツは周囲の状況を見渡した。ウィルの建物を出たばかりだ。雑踏に身を隠し、これから目標地点に向かおうとしている。

 

「今から隠密行動に入ろうとしたばかりだ。もうすぐ全ての通信を私は切る」

 

『なら、グッドタイミングだったわけだ』

 

 パチン、とカガリが指を鳴らす音が聞こえた。アマツは口元に困惑の笑みを浮かべる。

 

「グッドタイミングかどうかは分からないな。私の作戦開始が遅れてしまう事となる」

 

『いや、話せる機会としちゃ上出来だろ。一応は敵の本丸に仕掛けるんだ。俺だって帰ってこられる保証はない』

 

 含むところのある声音にアマツは、「カガリ。無茶は……」と口を開きかけて、先ほどウテナに発した言葉と同じだと気づいた。

 

『なに? お優しいアマツ隊長は俺の事、心配してくれてるの?』

 

 アマツは言葉を発しなかった。それが何よりの肯定として届いたのか、カガリは、『大丈夫だよ』と穏やかな声を出した。

 

『俺は無敵だ。その事はウィルという組織が証明しているだろ』

 

 確かにカガリの手持ちは一騎当千に値するポケモンだ。並の包囲網では簡単に瓦解するだろう。しかし、アマツはカガリだけを心配しているわけではなかった。

 

「部下はどうする」

 

 三日前に出会ったサヤカやケイトの顔が過ぎり、アマツは惨い事を訊いていると思いつつも、考えずにはいられなかった。

 

『β部隊は伊達じゃない。皆、俺のポケモンの技から逃れる術は持っている』

 

「そういう意味ではない。カガリ。お前は――」

 

『心配しなさんな、アマツさん』

 

 その声の後にホルスターからボールを引き抜いた音が続いた。

 

『誰も死なせはしない』

 

 確固たる信念の込められた声に、アマツは、「……そうか」としか返せなかった。ここから先はカガリの戦いだ。自分の口出しできる領分を越えている。アマツは作戦開始が迫っているのを感じた。カガリへと最後の言葉を手向ける。

 

「死ぬなよ」

 

『誰に言っているんだよ、アマツさん。俺のポケモンは、敵に死を運ぶ死神のポケモンだ。決して味方は殺させない』

 

 その言葉を潮にして通信は切られた。アマツは全ての通信機器の電波を遮断し、作戦開始を心中で宣言した。雑踏の中を抜け、アマツは目的のビルへと向かう。表に警備員が立っていた。しかし、身のこなしからただの警備会社の警備員ではない事が分かる。恐らくはリヴァイヴ団の団員だ。アマツは入り口へと歩み寄った。すると、警備員二人がゆっくりと近づいてきた。

 

「止まってください。身分証の提示をお願いします」

 

「このビルに入りたいだけなのだが」

 

 あくまで穏やかに、アマツは言葉を発してビルを仰いだ。警備員が、「そう言われましても」と目配せする。戦闘に慣れている人間の眼だった。

 

「あなた方は、リヴァイヴ団か」

 

 その声に片方の警備員が身を硬くしたのが伝わった。片方は、「何の事だか……」としらを切るつもりだ。アマツは懐からウィルの証である手帳を取り出した。次いで、肩口を見るように指先で促す。白く縁取られた「WILL」の文字に警備員が目を見開いた。

 

「ウィルα部隊隊長、アマツだ。このビルへの検分を許可されたい」

 

 二人の警備員が纏う空気が変わった。警棒を振り翳し、片手で腰のホルスターへと手を伸ばそうとする。アマツはその前に一瞬素早く、ホルスターの緊急射出ボタンを押した。

 

 直後、片方の警備員が全身を痙攣させて喉から叫び声を発した。倒れ伏し、ぴくぴくと震えている。

 

「何を――」と声を出しかけた警備員へと金色の光が叩きつけられた。薙ぐように放たれた光が警備員を突き飛ばす。警備員が地面にしこたま身体を打ちつけ、小動物が圧死した時のような醜い声が上がった。それでもその警備員は気絶しなかった。膝を立て、よろめきながらホルスターに手を伸ばそうとする。それを遮るように、下段から金色の光が突き上がった。警備員の腹腔を捉えた光が広がり、その場を照らし出す。腹部が破けており、赤く膨れ上がっていた。警備員はまだ意識があるのか、アマツへと手を伸ばしている。

 

「み、見えない、ポケモン……」

 

「ほう。まだ気絶しないか。殺したくはないのだが、致し方ないな」

 

 アマツは人差し指を立てる。すっ、と指を下げた。その瞬間、警備員を雷撃が襲った。刃のような黄金の電流の束が警備員を叩きつける。粘膜が焼け爛れ、飛散した電流がアスファルトを跳ねた。警備員は全身を高圧電流によって焼かれていた。生き物の焼ける独特の悪臭に、アマツが顔をしかめる。

 

「手間をかけさせる……」

 

 呟き、モンスターボールを薙いだ。赤い粒子が僅かに残る。一瞬で警備員二人を黙らせたアマツは堂々と表からビルへと入っていった。それを止める者は誰もいなかった。

 

 



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第六章 十六節「その名はカルマ」

 レナの部屋をノックする。

 

 ホテルからこのビルの待合室に移されて、一時間が経とうとしていた。「どうぞ」の声にユウキは扉を開ける。スイートルームに比べれば随分と簡素な部屋の中、レナがむすっとして椅子に座っていた。ユウキが怪訝そうに尋ねる。

 

「どうかしましたか?」

 

「どうもこうも」

 

 レナは両手をばたつかせた。その意味を解せずにユウキは首を傾げる。

 

「ルームサービスも何にもないじゃない。飽きたわ」

 

「そう言うと思って」

 

 ユウキは後ろ手に隠していたミックスオレの缶を取り出した。二つのうち一つをレナへと手渡す。レナは受け取りながら、「こんな安物で誤魔化せると思っているの?」と言った。

 

「さぁ。少なくとも何も飲まないよりかは落ち着けるでしょう」

 

 プルタブを引き、缶を開けると芳しいフルーツの香りが漂ってきた。口に含むと、舌が溶けてしまいそうなほどの甘さが入り混じっている。レナはぶつくさ言いながら飲んだ。「甘過ぎるわ」と文句を垂れる。

 

「このビルの自動販売機では一番高いんですけどね」

 

「今まで居心地がよかったから余計かしら。何だかとてつもなくみすぼらしい気分」

 

 ユウキは笑いながら、窓の外へと視線を移した。夜が街に降り立とうとしている。人々の中に流れる日常は今夜破綻するのだ。そう考えると、眼下に見下ろす人々とて他人事ではないような気がした。

 

「今日、全てが変わる」

 

 ユウキの発した声に、「どうかしら」とレナは疑問を挟む。

 

「何も変わらないかもしれない」

 

「少なくとも、僕は変わる」

 

 レナへと視線を向ける。レナは鼻を鳴らしてミックスオレを飲んだ。自分とレナはリヴァイヴ団を裏切る。たとえランポの演説がうまくいかなかったとしても、変わらざるを得ない。重い決断だ。自分はレナの人生まで背負い込もうとしている。どうしようもないと割り切る事は出来ない。他人の人生を背負うとはこれほどまでに苦渋が滲むのか。ランポは今までこれと同じ事をやっていたのだ。誰にも弱さを見せる事なく。気丈に振る舞って。ユウキは考えるだけで指先が震え出すのを感じた。手首を押さえて、鎮まれ、と念じる。沈黙しているユウキへと、レナが声をかけた。

 

「あたしの引き渡しは?」

 

「もう、これを飲んだら行う予定です」

 

「じゃあ、最後の晩餐ならぬ、最後のミックスオレってわけ?」

 

「冗談にしても性質が悪いですかね」

 

「本当よ。もうちょっと気の利いた洒落にはならなかったの?」

 

 責め立てるレナの声にユウキは曖昧な笑みを浮かべた。レナはミックスオレを一気飲みして息をついた。

 

「……一応、信じるから」

 

 発せられた声の意味が一瞬分からず、ユウキは聞き返した。

 

「えっ。何て?」

 

「だーかーら!」

 

 レナが片手をばたつかせながら声を発する。顔が少し上気していた。

 

「あなたを信じるって言っているの。命を預けるわけだからさ。あたし一人じゃどうにもならないし」

 

 照れ隠しのように放たれた声にユウキは暫時きょとんとしていたが、やがてぷっと吹き出した。それを見たレナが、「笑うな」と声を出す。ユウキは、「すいません」と言いながら、片手を掲げる。

 

「レナさんがそんな事を言うとは思えなかったので」

 

「何気に失礼ね。あたしだってセンチになる事はあるわよ」

 

 レナは中空に視線を固定した。その眼は何を見ているのだろう。思えば、レナは誰も信じていなかったように思える。父親が死んだ時も割り切っていたように見えた。ブレイブヘキサとして同行する時も自分の命はどこか客観視しており、自分達を信じてくれていたとは言い難い。そう思うと、今初めてレナの口から「信じる」という言葉が出たのだ。ならば、その言葉に報いるだけの働きはしなければならない。

 

「レナさん」

 

 改まってユウキの発した声に、レナがびくりと肩を振るわせた。

 

「何? 急に真面目な声出しちゃって」

 

「僕は誓う」

 

 左胸の前に拳を当てる。左胸の襟元にはリヴァイヴ団のバッジがあった。今、それを引き剥がす事は出来ない。だが、誓いは立てる事が出来る。

 

「あなたを守る。命を賭けて」

 

「あなたといい、ランポといい、命を賭けるのが好きね」

 

 レナは茶化したような言葉で濁したが、胸中は穏やかなはずがなかった。ユウキはミックスオレを呷ってから、「行きましょう」と促した。

 

「もうすぐ時間です」

 

 引き渡しの時間とランポの演説の時間はほぼ同時だ。ランポの勇姿を見る事は出来ない。それだけが心残りだった。レナは頷いて、ゴミ箱に空き缶を捨てた。ユウキも空き缶を捨て、レナと共に部屋を後にする。大型のキャリーケースは逃げる時に邪魔になるので、部屋に置いていく事にした。

 

 レナの手を引き、ユウキは指定された場所へと向かう。ポケッチで確認する。このビルの中で唯一、豪奢に作られたホールがある。その場所でボスの腹心とレナを引き渡し、交換条件としてユウキはリヴァイヴ団の中でも高位のポジションを約束されるはずだった。しかし、最初からそのようなものには興味がない。ユウキは引き渡し場所の間取りを確認する。ホールは充分な広さがあり、テッカニンの高速戦闘に敵が慣れる前に決着をつける事が出来る。エレベーターを上がりながら、ユウキは考える。

 

 本当にこれでいいのか。後悔はしないか。この選択に間違いはないのか。堂々巡りの考えを打ち切るように到着の音が鳴り響いた。扉が開き、二体のポケモンの彫像が向かい合って並んでいる。廊下には赤いカーペットが敷かれていた。下階とは一線を画す構造にユウキは深く呼吸をして高鳴る鼓動を落ち着けた。レナの手を引いて廊下を進む。一方通行の道幅は広い。四人は並んで歩けるが、ユウキを先頭にしてレナと一列になって歩いた。しばらく歩くと、真鍮製の取っ手がついている扉へと辿り着く。取っ手を掴み、「いいですか」とユウキは覚悟を問い質す声を発した。レナが無言で頷く。扉を開けた。

 

 目に飛び込んできたのはホールの奥にいる二つの人影だ。一人は執務机の向こう側で煙草を吹かしている。紫煙がたゆたい、まるで蜃気楼のように姿を歪ませる。蛙顔の男が椅子に座っており、その隣には長身痩躯の紳士がいる。

 

「来たか」と蛙顔が告げ、立ち上がろうとする。ユウキは瞬時にこの部屋を見渡した。蛙顔と紳士の動きを注視する。二人とも鈍そうだ。ユウキはホルスターへと手を伸ばし、テッカニンのモンスターボールへといつでも射出出来るように指を添える。蛙顔も紳士も気づいていない。まさか末端の団員が裏切るなど夢にも思っていないのだろう。考えてみれば、ユウキが裏切ればデメリットばかりが纏いつく。裏切る事による意味など、ほとんどないから余裕を持っていられるのだ。ユウキは萎えそうな気力に鞭打つように、本気だと示そうと声を発した。

 

「レナさんの引き渡しを行うのですが、一つ」

 

「ああ、分かっているよ。君の組織内での昇級を約束しよう。さぁ、レナ・カシワギをこちらへ」

 

「では――」

 

 レナを前に出す。レナの背後でユウキはホルスターから取り出したモンスターボールを突き出した。レナを差し出すと同時にテッカニンを空気に溶け込ませる、それだけを考える。レナも緊張しているようだった。蛙顔が一歩、歩み寄る。レナが踏み出す。

 

 ――今だ、と感じた。

 

「いけ――!」

 

 叫ぶと同時にレナの手を掴んで引き寄せる。入れ替わりに現れたテッカニンが空気へと溶け込み、一瞬で姿を見えなくさせる。困惑したように首を巡らせる蛙顔へと、ユウキはテッカニンによる一撃を食らわせた。こめかみへと一撃。高速で移動するテッカニンが追突し、蛙顔の身体が吹き飛んだ。まさしく蛙のように醜い声を上げてその場に倒れ伏す。あとは紳士だけだった。ユウキは紳士へと目を向けた。突然、蛙顔が倒れたのだからその従者である紳士は狼狽するはず。倒すのは簡単だ、と考えたユウキの思考へと、冷水のような声が差し込まれた。

 

「――やってくれたな。小僧」

 

 一瞬、どこから発せられた声なのか分からなかった。テッカニンが紳士へと爪をかける瞬間、テッカニンが弾き飛ばされた。空気中からその姿が露になる。翅を再び震わせ、空気に溶ける前に追い討ちをかけるようにテッカニンがよろめいた。何かから攻撃を受けているようだ。しかし、その何かが分からない。紳士の手にはいつの間にか何かが握られていた。ユウキは目を凝らしてそれを見る。紫色の突起がついたMの文字が刻まれたボールだ。

 

「……マスターボール」

 

 ポケモンを強制的に従わせる覇者のボールが紳士の手にある。すぐには意味が分からなかった。しかし、次の紳士の発した言葉によってユウキは理解させられた。

 

「裏切るか。末端の団員の分際で、俺に楯突こうとはいい度胸だな」

 

 テッカニンの姿が再び現れると同時に、ユウキは何かがテッカニンと同様に空気中に溶けているのを感じた。それは信じられない事ではあるがテッカニンと同じか、またはそれ以上の高速戦闘に身を浸している事になる。ユウキの目で以ってしても残像すら捉えられない。

 

「もう、いい。そいつの相手は後だ。先にトレーナーをやってしまえ」

 

 紳士はそう口にして片手を振るった。すると、何かが空気の壁を破って一気に肉迫してきたのを感じた。ユウキの視界に一瞬だけその姿がちらつく。オレンジ色の人型だった。その一瞬が網膜に焼きついた直後、ユウキは背後からの衝撃を感じた。ゆっくりと、機械仕掛けのように振り返る。

 

 そこにいたのは一瞬だけ焼きついた人型だった。後頭部が尖っており、帽子のようになっている。オレンジを基調とした身体で、胴体は黒かった。胸部の中央に紫色の球体がある。両腕は細長く、まるで触手のようだ。足は尖っており、地面を踏みしめる事を前提としていないかのようだった。ユウキは水色の仮面のような顔面を見た。中央に線が走り、窪んだ眼窩が鋭くユウキを睨んでいる。

 

 見た事のないポケモンだった。果たして、それはポケモンなのか、それすら定かではない。触手のような片手がユウキへと伸びていた。ユウキは触手の先端へと視線を向ける。それが腹部を貫いており、赤く染まった触手が尖っているのを確認した直後、感覚が追いついてきた。

 

 ――自分はこのポケモンに刺されたのだと。

 

 振り返ったレナが喉の奥から叫び声を上げる。サイレンのような声に、紳士が舌打ちを漏らした。

 

「邪魔な。その知識、リヴァイヴ団のために役立たせるという意味がなければ今すぐにデオキシスで殺している。まぁ、ブレイブヘキサの、ユウキとかいう末端団員だったか。そいつはもういらないな。ここで死ね」

 

 触手が引き抜かれ、腹部から血が滴った。ユウキは前へと倒れ込む。レナがユウキへと近づき、名前を呼んで肩を揺さぶった。ユウキはしかし、起き上がる事が出来ない。歩み寄ってくる紳士の足音が聞こえる。ユウキはテッカニンへと指示を出そうとした。しかし、指示の代わりに口から出たのは血反吐だった。震える指先で前へと手を伸ばす。顔を上げ、紳士を見つめた。紳士は首を横に振った。

 

「こういう人間がいると、面倒だ。毎回、毎回、殺さなくてはならない。地位が欲しかったのか? それともウィルの手先か? どちらでもいい。デオキシス」

 

 その声に空間を飛び越えて現れたかのように、オレンジ色のポケモンが紳士の横に立つ。紳士のポケモンなのだと知れたが、ユウキは手も足も出なかった。貫かれた腹部の痛みが同心円状に広がり、脳髄を痺れさせる。感覚が麻痺し、指先から冷たくなっていくのを感じる。

 

「……お、お前は……」

 

 息も絶え絶えにユウキが言葉を発した。紳士は能面のように表情のない顔で口にする。

 

「我が名はカルマ。リヴァイヴ団を束ねるボスだ」

 

 カルマが指先をパチンと鳴らす。デオキシスと呼ばれたポケモンの姿が掻き消え、次の瞬間、鎌のような鋭角的な一撃がユウキの頭部に向けて打ち下ろされた。

 

 



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第六章 十七節「冥府の軍勢」

「始まった」

 

 ミツヤが隣で端末の画面を見ながら口にする。ランポの演説の声が聞こえてきていた。耳馴染みのある声だが喋っている声音は硬い。どうやらランポも緊張しているようだ、と思ったエドガーは直後に聞こえてきたポケッチの通信を聞き逃すところだった。

 

『指揮官。前方より敵影あり』

 

「なに?」

 

 エドガーは双眼鏡を取り出して前方の道へと視線をやった。ミツヤも演説映像を切り上げ、監視カメラの映像にハッキングして敵影とやらを見た。

 

「ウィルだ」

 

 ミツヤの声にエドガーはすぐさま指揮官の声になってポケッチに吹き込んだ。

 

「迎撃準備! 誰一人としてこのビルの敷地に入れるな!」

 

 張り上げた声と共に、エドガーは真っ直ぐに向かってくる一団を目にした。緑色の制服を身に纏った三十人ほどの部隊がポケモンも出さずに歩いている。先頭に立っている人間を見て、エドガーは声を漏らした。

 

「子供じゃないか……」

 

 前を歩いているのは派手な赤い衣装を身に纏った少年だった。ユウキと同じくらいに見える。本当にウィルか、と疑った胸中へとミツヤの声が差し込まれた。

 

「おいおい、あいつはヤバイぜ、旦那」

 

 慌てたミツヤの声に、「何がヤバイ?」と尋ねる。ミツヤはホルスターからモンスターボールを引き抜き、「旦那も準備したほうがいい」と忠告した。

 

「β部隊だ。中でも最年少で隊長格に就任した奴がいるって聞いた事がある。もし、あのガキが件の隊長ならば、持っているポケモンは――」

 

 そのミツヤの声を掻き消すかのように、ポケッチ越しに、『止まれ!』と部下の叫ぶ声が聞こえた。

 

『止まらなければ攻撃する』

 

『攻撃ぃ?』

 

 聞こえてきた声は先頭の少年のものだろう。思っていたよりも幼さの残る声だった。ミツヤが肩を引っ掴んで声を出す。

 

「旦那。ゴルーグを出す準備を! あのポケモンの前では包囲網なんて無意味なんだ!」

 

「何を馬鹿な。そんなポケモンなんて」

 

 エドガーが言い返すとポケッチから少年の声が聞こえてきた。

 

『一つ。お前らは勘違いをしている』

 

 エドガーは双眼鏡を向けた。少年が片手で天を示し、もう片方の手をホルスターにかけている。『何だと!』と部下の声が響いた。

 

『いくら策を巡らせようが、俺には勝てない。β部隊、全構成員に告ぐ。総員、ポケモンを出せ』

 

 β部隊と呼ばれたウィルの構成員達がホルスターからボールを引き抜き、緊急射出ボタンを押した。現れた不可思議な光景にエドガーは、「何だ?」と声を発していた。

 

 構成員達の出したポケモンは一様に翼を生やした鳥ポケモンや飛行型のポケモンだった。

 

『飛べ。後は俺がやる』

 

 その言葉に導かれたかのように構成員全員がポケモンに掴まって宙を舞う。エドガーが驚愕の眼差しで見つめていると、少年はホルスターからモンスターボールを引き抜いて掴んだ。そのモンスターボールの形状にエドガーは注目する。粗い望遠映像の中にMの文字が刻まれたボールが映った。

 

『いけ――』

 

 少年が無造作にボールを放り投げる。地面へとボールがバウンドした瞬間、球体が弾け、中から光に包まれた何かが射出された。それは光を振り払い、巨大な翼を広げる。

 

 ボロボロの外套のような翼だった。赤い突起がある。ムカデのように六本の足を有しており、蛇腹の首の筋が赤く光っている。王冠のような頭部があり、口を開いて咆哮した。鳴動する声が窓を叩き割り、エドガーは思わず後ずさる。

 

「あれは……」

 

「旦那! 早くゴルーグを!」

 

 ミツヤの急かす声よりも、突然現れた巨大なポケモンへと視線が吸い寄せられていた。見方によっては龍に見えなくもない。しかし、禍々しい姿の龍だった。黒い翼はまるで冥界の使者のようだ。

 

『そ、総員。迎撃準備!』

 

 部下の声がポケッチ越しに聞こえる。慄いた声に差し込むように、冷たい声音が響き渡った。

 

『ギラティナ。シャドーダイブ』

 

 禍々しい龍の姿がその瞬間、影となってどろどろに融けた。エドガーが目を見張っていると、影は一瞬にしてビルの前に展開していた部隊へと及び、紫色の光が影から放たれた。影が月光を反射するように紫色の光を放射した瞬間、展開していた人々が一瞬にして影に呑み込まれた。エドガーは目の前の現象が信じられなかったが、真実「呑み込まれた」という表現が正しい。影の沼へと部下達は声を上げる間もなく、消えていく。ずぶずぶと呑まれる中に一本の手を見つけ、エドガーは身体が粟立ったのを感じた。その手さえも、影は無情にも呑み込んでいく。

 

「……何、だ」

 

 何が起こったのか。一瞬にしてビルの前を固めていた団員達は消滅した。エドガーが困惑していると、影が空中に螺旋を描いて染み渡った。形状を成したかと思うと、影は広がって先ほどの龍の姿を取った。翼を広げ、龍が地面へと降下する。その巨体に不釣合いな、まるで体重がないかのように舞い降りる姿は、湖面に降り立つ水鳥を思わせた。

 

「旦那!」

 

 ミツヤの声でようやく我に帰ったエドガーはハッとして、双眼鏡を少年へと向けた。少年はまるでエドガーが見えているかのように指鉄砲を向ける。ひやりとした悪寒が背筋を滑り落ちていく。

 

「あれはギラティナだ! まともに戦って勝てる相手じゃない。逃げよう!」

 

 ギラティナ、と呼ばれたポケモンの事はエドガーには分からなかったが、今の一撃を見る限りまともに相手取って勝てる存在ではない事は明白だった。しかし、エドガーは首を横に振った。

 

「旦那? どういうつもりだよ!」

 

「ミツヤ。俺達はここを本隊だと思わせなきゃならない。ギリギリまで引きつける。あのギラティナとかいう化け物じみたポケモン。あれのせいで相手だって一斉攻撃が出来ない。ほとんど部隊を使い潰しているのと同義だ。これは好機だと考える」

 

 エドガーは双眼鏡をギラティナとそれを操る少年に向ける。先ほどの攻撃――「シャドーダイブ」ならば楽にこのビルを制圧出来るだろう。それをしないのは何故か。

 

「ウィルとて制限がある。ランポを生け捕りにするつもりなのかもしれない。だとすれば、このダミー部隊は一時でもあの化け物をここに留めなきゃならない。ミツヤ。リーダーが敵前逃亡など、ありえない」

 

 ミツヤへと顔を振り向ける。正気か、と疑う眼差しをミツヤが向けた。エドガーはこの状況下で無理にでも笑って見せる。頬が痙攣してうまく笑えなかった。

 

「正気も正気さ。俺達の役目を思い出せ、ミツヤ」

 

 その言葉にミツヤはエドガーへと向き直り、ギラティナへと視線を移した。ぽつり、と口にする。

 

「ギラティナは伝説級のポケモンだ。正攻法ではまず勝てないと思ったほうがいい」

 

「まだ、このビルに部下は残っているな」

 

「俺はその方法はよくないと思う。いたずらに部下を死なせるだけだ……」

 

 エドガーの考えが分かったのか、ミツヤが顔を伏せる。エドガーは左胸のバッジへと視線を落とし、拳を固めて左胸を叩いた。

 

「ミツヤ。俺達はリヴァイヴ団の矜持を胸に抱いている。この覚悟は無駄じゃない。一つの命だって無駄じゃない」

 

「駄目だよ。それこそ使い潰しているのと同じだ。奴らと大して変わらない」

 

 ミツヤの言葉は正論かもしれない。しかし、それでも――。

 

「それでも、俺達は戦わなければならない。それが俺達に与えられた、ブレイブヘキサ最後の任務だからだ」

 

 エドガーの言葉にミツヤはしばらく黙っていたが、やがて、「俺には無理だよ」と呟いた。

 

「自分の命だって惜しいのに、誰かの命を捨て石みたいに使うなんて」

 

「違う。ミツヤ。捨て石じゃない。部下の命も、自分の命も等価だ。少なくともランポはそう教えてくれた」

 

「だからって、どうするって言うんだよ!」

 

 ミツヤが堪りかねたように声を出す。上げた顔には困惑の色が浮かんでいた。エドガーはミツヤへと言葉を投げる。

 

「一人でも部下を死なせずに、あいつをここに引き止める」

 

「出来っこない。無理だよ」

 

「諦めるのは! ミツヤ!」

 

 エドガーは声を張り上げた。ミツヤがエドガーの目を真っ直ぐに見据える。エドガーは視線を逸らさなかった。

 

「俺達の命が消えるその直前までだ。それまでは決して、どれだけ汚かろうと足掻くしかない。それが、リーダーだ」

 

 エドガーの発した声にミツヤはしばらく黙りこくっていたが、やがて、「考えがあるんなら」と口を開いた。

 

「俺は乗るよ。乗りかかった船だ。旦那と一緒ならば、溺れたっていい」

 

「よし」

 

 エドガーは頷き、ポケッチへとこのビルの俯瞰図を呼び出した。ミツヤの端末に送り、端末の画面上でビルの断面図や俯瞰図を同時に浮かべる。

 

「全団員を屋上へと送る。これで地上の団員の被害を最小限に留める事が出来る」

 

 エドガーが画面を指差しながら指示する。自分でもうまくいくかどうかは分からない。しかし、ここで動かねば何が指揮官か、という信念がエドガーを衝き動かした。自分のものとは思えない言葉が口をついて出る。

 

「シャドーダイブを撃ってこないという事は時間的な制限か、あるいは空間的な制約があると考えられる。ビル全てを呑み込むようなものは撃てない、と推測される」

 

「希望的観測だ」とミツヤが告げる。エドガーは微笑んでみせた。いつもランポがするように。

 

「それでも、この可能性は捨てるべきじゃない。最初の一撃で全てを終わらせようと思えば出来たというのなら何故しなかった? 恐らくはランポを生け捕りにするか、あるいは無駄な被害は出さない事を前提にウィルが動いていると思われる」

 

「ここがダミーだとばれたらお終いだ」

 

「だからこそ、団員達を上に固めるんだ。上にランポがいて、それを団員達が保護しようとしているようにな」

 

 ミツヤはキーを叩きながら、「うまくいくかどうかは」と確率を試算した。

 

「十パーセントもない……。相手がこちらの思うよりも上手だったり、被害を顧みなかったりすれば終わりだ」

 

「ミツヤ。終わり、などという言葉を口にするな。それは自ら招いている。今は、どうすれば敵を長時間引きつけられるか、それだけを考えろ」

 

 いつしか自分の口調がランポのようになっている事を自覚しないままエドガーは言葉を発した。ミツヤは考えるように顎に手をやったが、熟考している時間はないようだった。窓の外でギラティナが飛び上がったのだ。

 

「指示を出す。ミツヤ!」

 

「分かったよ。全団員へと通達! 屋上へと向かえ。上の階層を固めるんだ。下階の警備は捨てても構わない」

 

 この指令がダミー部隊である事を勘付かせる原因になるかもしれない。しかし、自分に今出来る事はこれくらいだった。ポケッチへと困惑する団員の声が届いてくる。

 

『指揮官。本当に下階の守りは必要ないのでしょうか?』

 

『敵は空中部隊へと変わっています。屋上を固めれば、そこに何かあると言うようなものなのでは』

 

「今は気にするな」

 

 無茶な命令だと思いながら、エドガーは部隊のローカル通信へと声を吹き込んだ。

 

「俺の命令を信じて、上を固めてくれ。そうすればお前らの消耗も抑えられる」

 

 どの程度伝わるか。ある意味では賭けだった。沈黙が降り立つ。やはり、無理だったか、とエドガーが目を瞑ろうとしたその時、『り、了解』の復誦が届いた。

 

『こちらも了解しました。部隊を上層の守りに向かわせます』

 

 次々と了解の声が返ってきてエドガーは感極まりそうになった。しかし、涙はこのような時に流すものではない。男は軽々しく泣いていいものではない事は重々承知している。

 

「感謝する」

 

 そう無機質に返して、エドガーは通信を切った。ミツヤは、「ありがとう、皆」と偽りのない言葉を返している。ミツヤはキーを叩いて振り返り、エドガーへと声を向けた。

 

「旦那。俺達も向かおう。リーダーである俺達がやられちゃ元も子もない」

 

「そうだな」と首肯し、エドガーが歩み出そうとしたその時だった。ギラティナが翼を広げて浮き上がる。重力を無視したように、ふわりと浮かんで一つ羽ばたいた。瞬間、羽ばたきと共に赤黒い影の砲弾が飛んできた。一陣の風となって赤黒い砲弾が散り散りにビルへと叩きつけられる。エドガーは衝撃によろめいた。ミツヤは横倒しになりながらも、手をついて起き上がろうとする。

 

「今のは……」

 

「あの野郎。中の人間がどうなろうとお構いなしかよ」

 

 ミツヤが苦々しく口にする。エドガーがギラティナを操る少年を見つめていると、少年の周囲が丸く切り取られて紫色の光を発した。

 

 目を見開いていると、少年の身体が持ち上がった。まるで影という乗り物に乗っているように、少年がふわりと浮き上がって近づいてくる。ギラティナが翼をはためかせて、風を起こした。ただの羽ばたきが刃の鋭さを伴って、赤黒い旋風となりガラスを叩き割る。当然、エドガーの眼前の出窓も割られていた。少年は影に乗ってエドガーのいる階層へと近づいてきた。空中にいる人間から、「隊長、危険です!」と声が上がるのが聞こえる。

 

「隊長だって? あのガキがか?」

 

 エドガーが口にすると、声を張り上げた構成員に手を振っていた少年が顔を振り向けた。ユウキよりも幼いようであるが、眼に宿した光は野心の輝きを灯している。ともすればユウキ以上にはかり知れない。茶髪でアクセサリーを多用している辺りがユウキとは隔絶しているように見えた。田舎者と都会人の差か、と胸中に独りごちる。

 

「俺が隊長で悪い? リヴァイヴ団の団員さんよぉ」

 

 少年は威圧的な眼差しを向けて出窓まで近づいてきた。ギラティナがすぐ傍でいつでも攻撃出来るように飛んでいる。空中部隊は隊長らしき少年を守るように展開しており、もし破壊光線などの長距離兵装を持っているのならば下手に動けば不利なのはこちらだった。

 

 エドガーはゴルーグを出そうとホルスターに手を伸ばそうとしたが、ギラティナに勝てるとは思えなかった。ギラティナはゴルーグが拳を打ち込むよりも早く、トレーナーを始末出来るだろう。

 

 至近の距離まで近づいたギラティナの威容を見つめる。下弦の月のような装飾があり、その下にある赤色の眼光が鋭い。射抜かれてしまいそうだ。

 

「これが、伝説のポケモンか……」

 

 呟いた言葉に、「そう」と返したのは少年だった。ギラティナを自慢するように手を翳し、「これがギラティナ。シンオウの伝説の裏側に存在する、歴史から秘匿されたポケモンだ」と告げる。シンオウの伝説はエドガーも聞き及んでいた。

 

「この世界はアルセウスという一体のポケモンから発生したと言う伝説か」

 

「そう。意外と博識だねぇ、リヴァイヴ団なのに」

 

「お前のようなガキに言われる筋合いはない」

 

 エドガーはあくまでも退かない姿勢を見せていた。ここで尻込みすれば勝てる勝負も勝てなくなる。眼鏡のブリッジを上げて、モンスターボールを手に取る。少年は眉をぴくりを跳ねさせたが、激昂するような性格ではないらしい。すぐに鼻を鳴らして調子を整えた。

 

「ガキ、ねぇ。それにしてやられたのはどこの誰やら」

 

 返す言葉もない。しかし、エドガーは言葉を引っ込ませれば押し負けると口を開いた。

 

「何のつもりだ。ここまでトレーナーであるお前が来たという事は意味があるはず」

 

「勘がいいな。そういう奴は好きだ」

 

「ウィルに好かれる趣味はない」

 

 指を鳴らして放たれた言葉を、エドガーは切り捨てた。少年は不敵な笑みを口元に浮かべる。

 

「減らず口だな。俺以上だ」

 

「隊長格と戦うとなれば、言葉で負ければ終わりとなる。どの道、子供に論理で負けるほど落ちぶれちゃいない」

 

「隊長だって知っているんだ。じゃあ、自己紹介するよ。俺の名はカガリ。ウィルβ部隊隊長だ」

 

「やっぱり、β部隊……」

 

 ミツヤが口にすると、カガリはミツヤに初めて気づいたように目を向けて、「ああ」と声を出した。

 

「見た顔だなぁ、って思ったら、ミツヤか。β部隊にいた人間の名前と顔は全部頭に入っている。確か当時は二等構成員だったよな。ウィルからリヴァイヴ団に転身した、裏切り者」

 

 ミツヤからざわりとした殺気が放たれた。反応して緊急射出ボタンを押し込む。光が飛び出し、極彩色の案山子のようなポケモンが躍り出た。ポリゴンZだ。カガリがそれを見て、「やっぱり、まだ消えていないんだ」とポリゴンZに刻まれた「WILL」の文字を指差す。

 

「裏切りの烙印だからねぇ。そう簡単には消えないだろう。それとも、贖罪のつもり? いつまでも古巣に縛られている、あんたの――」

 

「黙れ!」

 

 ミツヤが声を発し、ポリゴンZが胴体から離れた腕を高速回転させる。いつでも破壊光線が撃てる構えだ。カガリが両手を振るって、「そう怒らない」と茶化すように口にした。このままでは相手のペースに呑まれる、と感じたエドガーはミツヤを制するように手を掲げた。

 

「旦那……」

 

「怒りや憎しみで行動するな、ミツヤ。こいつは、勝てる算段がありながら俺達のところまで来た。何か、意味があるはずだ」

 

 冷静に、的確に状況を分析する。カガリへと視線を向けると、「その通りだよ」と応じてきた。

 

「賢い奴は敵味方問わず嫌いじゃない」

 

「何のつもりで来た?」

 

「交渉だ」

 

「交渉?」とエドガーが聞き返すと、ミツヤが、「ウィルと交渉なんて……」と苦々しく口にする。

 

「さっき、たくさんの部下を殺したじゃないか!」

 

「宣戦布告はしたつもりだし、何より電波ジャックして演説しているのはリヴァイヴ団のほうだ。テロリストがどっちかって聞かれりゃ、皆あんたらだって答えるよ。間違えて欲しくないな。俺達は独立治安維持組織。つまり政府直属軍だ。対してあんたらはどこの馬の骨とも知れぬならず者の集団。正義を語って聞かせるまでもないだろう?」

 

 ミツヤが歯噛みしたのが気配で伝わる。エドガーは、「もっともだが」と答える。

 

「何を交渉すると言うんだ? 今言った通り俺達がテロリストだというのならば、テロリストとの交渉など無意味だと思うが」

 

「俺達だって余計な血は流したくない。世論のためでもあるし、何よりあんた達のためだと思うけど」

 

 ギラティナが呻り声を上げる。痺れを切らしているのだろうか。強力な兵器の砲塔を向けておいて、交渉などとエドガーは思ったが、これはある意味では好機であった。最小限の犠牲で済むかもしれない。何より、交渉を長引かせればダミー部隊だと気取られたとしても全てが終わった後になる。

 

「いいだろう。交渉材料は何だ」

 

「旦那」とミツヤが声を上げる。エドガーは片手を上げてそれを制する。今は、という目を振り向けてミツヤを納得させる。

 

「簡単な事さ。今喋っているあのボス、ランポとか言ったか。あいつを引き渡せば、リヴァイヴ団をとりあえずは見逃す、って言う話だ」

 

 片膝を立てて、カガリが前屈みになる。エドガーは真っ直ぐにその眼を見据えた。読めない光がある。この少年の本意はどこにあるのか。出来るだけ交渉を長引かせて引き出す必要があった。

 

「お前の一存でどうにかなるのか?」

 

「一応、隊長だからね。ボスを捕まえたっていう功績があれば、恩赦ぐらいは出るかもしれない」

 

「かも、や、しれない、では対応しかねるな。こちらでは確定した事柄が欲しい」

 

「よく分かるよ。ただまぁ、こっちのほうが状況的には有利だって事、忘れないで欲しいなぁ」

 

 エドガーは舌打ちを漏らした。結局、この交渉は対等ではない。ウィルの優位のまま、交渉という名の説得が試みられている。しかし、この交渉を持ち出すという事は、まだダミー部隊だと露呈していないという事だ。エドガーは慎重に事を進める必要があった。

 

「リヴァイヴ団全員の命とボス一人の命を天秤にかけろというのか」

 

「よく分かってるじゃん。そうだよ。ボスを渡すのならば、俺だって人殺しなんてしたくないんだ」

 

 よく言う、とエドガーは思う。カガリの瞳には人殺しを嗜好する者の色が浮かんでいる。ならず者やチンピラを何人も見てきたから分かる。この少年に対しては、命の交渉術は無意味だ。

 

「それこそ、俺の一存では決められないな。リヴァイヴ団という組織の根幹に関わる事だ」

 

「何で? あんた、幹部じゃないの?」

 

「幹部も一人ではない。それぞれが協議して、慎重に決める必要が――」

 

「そういうの面倒くさいんだって」

 

 遮って放たれた言葉にエドガーは息を詰まらせた。カガリとギラティナは今すぐにでもビルを破壊してまごついている団員達を消し去っても構わないのだろう。だが、エドガーは命を見捨てられなかった。

 

「面倒や何かで命を見捨てていいものか。我々と交渉するというのならば、命は等価として扱ってもらう」

 

「等価ぁ?」

 

 カガリが素っ頓狂な声を上げ、頬を引きつらせて笑った。エドガーは対して神妙な顔つきで見つめている。

 

「じゃあ、お聞きしますけど、蝿と人間の命って等価? 鬱陶しいな、程度で潰しちゃう相手と、人間って等価なの? ポケモンと人間だってそうだよ。草むらから飛び出してくる相手を倒して、経験値を得て、倒されて瀕死状態に陥る野生ポケモンと、手持ちの手塩にかけて育てられたポケモンって等価なの?」

 

「それは……」とエドガーが口ごもると、「等価なんてないんだよ」とカガリは両手を広げて立ち上がった。

 

「この世界のどこにも。皆、不平等だ」

 

「だとしても、交渉するのならば等価の舞台に立たねばならない」

 

「ああ、そうなんだよねぇ、面倒くさい」

 

 カガリが空を仰いでうわ言のように口にする。この少年は心底、面倒くさいと思っているのだろう。エドガーは確信する。カガリは根っからのトレーナー気質だ。相手を蹂躙し、叩き潰す事を至上の喜びとしている。エドガーが唾も飲み下せないほどの緊張に晒されていると、不意にポケッチに着信が入った。カガリを目で窺う。「出なよ」と顎をしゃくって命じられたので、エドガーは通話ボタンを押した。

 

「誰だ」

 

『こちらRS1』

 

 テクワだ、と判じたエドガーは瞬時に、「今、どうしている?」と尋ねた。

 

『手球でオブジェクトボールに狙いをつけた。ショットの許可を乞う』

 

「え? 何? 何で、今ビリヤードの話?」

 

 カガリが笑いながら茶化そうとするが、エドガーはテクワの言わんとしている事が瞬時に理解出来た。

 

 ――カガリへと狙いをつけている。狙撃の許可を。

 

 エドガーは一つ頷いて、唾を飲み下し、声を発した。その瞬間、カガリがハッとして振り返る。

 

「まさか――」

 

「許可する」

 

 その瞬間、どこからか放たれた針が振り返ったカガリの肩口に突き刺さった。

 



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第六章 十八節「蒼い闇」

 テクワは舌打ちを漏らす。

 

「逸れた。一撃で頭部を撃ち抜くつもりだったんだが」

 

 巨大なドラゴンポケモンの放つプレッシャーのせいだ。感知野の網を騒がせる。同調率がここに来て弊害をもたらした。ポケモンの感じる恐怖がトレーナーにも伝播する。ドラピオンはあのドラゴンタイプに恐れを抱いているのだ。テクワは照準から視線を外さずに、「もう一撃」と口中に呟いた瞬間、ポケッチから声が迸るのを聞いた。

 

『こちらスナイパー8! 新たな敵影を確認! 何だ、あれは……』

 

「何だって? 的確に報告しろ!」

 

 ポケッチに声を吹き込むと、叫び声が返ってきた。何かが抉れるような音が響き渡り、通信網がノイズに掻き消される。

 

『こちらスナイパー3! 目標が速過ぎて狙撃出来ない!』

 

「メガヤンマ部隊で応戦出来ないのか?」

 

 返した声に、『メガヤンマを潰された!』と悲鳴のような声が響く。

 

『スピアーでは狙えない! 相手の速度はこちらの予想以上だ!』

 

「状況把握! 敵の正確な座標と形状を伝えろ! 俺が狙い撃つ!」

 

 エドガー達の支援とマキシの支援もしなければならなかったが、他人にかまけて自分の部隊を全滅させたのでは元も子もない。テクワはドラピオンと共に周囲を見渡した。空中部隊の一体であるスピアーへと、飛びかかった影を視界に捉える。照準の中に捉えたその影は夜の闇を引き継いだように黒い。巨体で、片手には水色に輝く氷柱を保持していた。テクワが、「あいつは……」と声を発する間に、スピアーの頭蓋を氷柱が打ち砕いた。スピアーが力を失い、落下していく。敵影も落下するかに思えたが、その直前に光が瞬いたかと思うと、その空間から掻き消えた。テクワが驚愕に目を見開く。

 

「野郎。どこへ」

 

 テクワが緊張をはらんだまま周囲に視線を配ると、ぞっとするような声が差し込まれた。

 

 ――見つけた。

 

 冷水を浴びせかけられたかのような緊張が走り、テクワはライフルを構えたまま、警戒態勢に入る。相手は自分を見つけたのか。今の声は感知野が拾ったものだ。という事は、相手は恐らく――。

 

 その時、突き上げてくるようなプレッシャーの波を感じて、肌が粟立った。テクワはプレッシャーの先へと照準を向ける。

 

 直上に黒い巨躯が突然現れた。否、それは元より黒かったわけではない。皮膚が煤けて黒ずんでいるのだ。蒼い瞳が射抜く光を宿して、テクワとドラピオンを睨み据える。テクワは照準から視線を外し、ドラピオンと共に飛び退いた。先ほどまでテクワ達がいた空間を振るわれた氷柱の一閃が通過する。もし、頭蓋があったら、今頃は砕かれて脳しょうを撒き散らしていただろう。テクワは息をついて、屋上に現れた敵を見据えた。黒ずんだ皮膚をしているが、帯のように広がった両手と氷柱の牙は見間違えようがない。何より蒼い眼は因縁の光を宿していた。

 

「あの時のツンベアーか。仕留め損なっていたってわけかよ」

 

 ツンベアーの肩に何かが乗っていた。それさえも黒いため、テクワは目を凝らした。黒いドレスのような姿をしているそれはゴチルゼルだ。ツンベアーとまるで一体化しているように肩に乗っている。ツンベアーが身体を沈めた。来るか、と身構えた瞬間、光が瞬き、ツンベアーの姿を掻き消した。テクワは息を呑む。

 

「どこへ……」

 

 見渡したテクワは背後から大きなプレッシャーが暴風となって襲いかかるのを感じた。瞬時に振り返り、ドラピオンに攻撃するように思惟を飛ばす。ドラピオンが弾かれたように動き、両腕を突き出した。直後、その空間に現れたツンベアーが氷柱を叩き落した。ドラピオンの突き出した腕が交差し、紫色の光を宿す。毒タイプの物理技「クロスポイズン」だ。クロスポイズンの紫と氷柱落としの水色が反発し、火花を散らして両者が後ずさる。ツンベアーは前傾姿勢で片手に氷柱を常に保持している。ドラピオンは不慣れな近接戦闘を強いられ、息を荒立たせていた。

 

「落ち着け、ドラピオン」

 

 テクワはドラピオンに触れて少しでも余計な力を抜かせようとする。しかし、ツンベアーから放たれる強烈なプレッシャーがそれを許さなかった。ツンベアーから怨嗟の声が放たれ、テクワの感知野を揺らす。

 

 ――右眼の借り! 果たさせてもらう!

 

 トレーナーの声だろう。テクワはライフルを構え直した。その手は僅かに震えていた。

 



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第六章 十九節「敗残の兵」

「……やってくれるじゃないか」

 

 カガリが左肩に突き刺さった毒針へと手を伸ばす。掴んだ瞬間、掌が毒で焼け爛れ、煙が立ち上った。しかし、カガリは毒針をあろう事か自力で引き抜いた。エドガーは舌打ちを漏らす。

 

 ――浅かったか。

 

 それともテクワの狙撃ミスか。テクワの腕ならば頭部を確実に狙うはずだ。それをしなかったのは、ミスだと判じるほかなかった。カガリが振り返る。毒に侵された左肩から先を押さえて、「もう無理だ」と口にする。

 

「あんたら全員、影の地獄へと堕ちろ」

 

 ギラティナが咆哮する。エドガーは思わずモンスターボールの緊急射出ボタンを押していた。

 

「いけ、ゴルーグ!」

 

 光に包まれたゴルーグの姿が射出され、床が重量でたわんだ。ミツヤへと顔を振り向ける。

 

「いつもの戦法だ! ミツヤ!」

 

「分かってる! ポリゴンZ、トリックルーム!」

 

 ポリゴンZの真下からピンク色の光が放たれたかと思うと、立方体へと瞬く間に成長し、回転しながら空間を押し包んでいく。ゴルーグとギラティナ、ポリゴンZがピンク色の立方体の支配下に置かれた。ゴルーグが巨体からは考えられない速度で跳躍し、ギラティナへと飛びかかる。

 

「シャドーパンチ!」

 

 ゴルーグが拳を固め、ギラティナの顔面へと直線の影の軌跡を描きながら一撃を放つ。蒸気を背中から噴き出し、推力を得たゴルーグの速さは無双だった。しかし、トリックルームの中、ギラティナは赤い眼をゴルーグへとタイムラグなしで向けた。その眼差しに背筋を寒くさせると、冷たい声が差し挟まれた。

 

「嘗めてるのか、あんた」

 

 目の前の少年が発したとは思えない声音に、エドガーは全身が総毛立つのを感じた。ゴルーグの影の拳が顔面を捉えたかに見えた瞬間、ギラティナの形状が崩れる。拳が空を掻き、カガリが左肩を押さえながら口にする。

 

「シャドーダイブ」

 

 ビルが直下から揺さぶられた。足元が危うくなり、エドガーは紫色の光が地表からせり上がってくるのを見た。

 

 ――呑み込まれる。

 

 その感触に意識が支配されかけた瞬間、ミツヤの声が弾けた。

 

「ゴルーグ! これを!」

 

 ミツヤが視界の端で何かを放り投げる。ゴルーグが反応して受け止める。トリックルーム内のゴルーグは素早く反転し、エドガーへと覆い被さった。

 

「何を……」とエドガーが口にする前にミツヤの指示が飛ぶ。

 

「ゴルーグ! 旦那を頼む!」

 

 ミツヤが微笑を浮かべて挙手敬礼するのが、振り向いたエドガーの視界に映った。ゴルーグがエドガーの片手を掴んで引き上げる。全身から蒸気を発し、スカート状の下半身へと足を仕舞い込んだ。点火した足元から煙が迸る。

 

「何を、ゴルーグ! 何をしている?」

 

 ゴルーグは答えない。無機質な白い眼窩を向けるだけだ。影が部屋へと染み渡り、エドガーの足を絡め取った。エドガーが傷みに呻く前に、ゴルーグが飛び上がった。トリックルーム内で点火したせいか、初速は速い。ゴルーグは瞬く間にビルの上空へと躍り上がっていた。トリックルームを越えて、ようやくエドガーは事の次第を理解した。影がビルを塗り固めていく。闇色一色に染まったビルの屋上に展開していた人々が形も残さずに呑まれていくのを見下ろし、エドガーはゴルーグに叫んだ。

 

「ゴルーグ! どうして俺を引き上げた? 指揮官は俺だ! トレーナーは俺のはずだ! 何故、ミツヤの命令を聞いた?」

 

 ゴルーグの巨大な拳に自身の小さな拳を叩きつける。ゴルーグは安全圏へと飛び去ろうとしていた。

 

 その時、黒色のビルから青白い光条が一閃した。一条の光が何なのか、エドガーは一瞬で理解した。

 

 あれはミツヤの、ポリゴンZの破壊光線だ。それが一射された直後、エドガーは闇に染まったビルが崩落するのを見た。全身に皹が入ったビルが、轟と空気を震わせ、鳴動した大気に灰色の煙が混じる。血飛沫のように粉塵が迸り、ビルが形状をなくす。エドガーの飛んでいる側から反対側の位置で、さらに青い光条が一射されたのを見た。何に向けて発射したのか、それは分からなかったが、ミツヤの決死の光、魂の輝きである事は分かった。直後、赤黒い旋風が巻き起こり、ほとんど形を成していないビルを粉砕した。エドガーはゴルーグへと視線を向け、声の限り叫んだ。

 

「ゴルーグ! 今すぐにミツヤの下に戻れ! 今すぐにだ!」

 

 しかし、ゴルーグは頑として聞き入れなかった。安全圏まで主人を送り届けようというのだろう。忠義の心が、今は邪魔だった。

 

「ミツヤが、あそこにいるんだ。俺も戦わなければ……、戦わなければならないのに……」

 

 呻くように発した声にもゴルーグは反応しない。エドガーは振り返ってビルのほうを見た。ギラティナと空中にいるβ部隊だけが残っている。ビルは完全に潰れていた。周囲のビルを巻き込んで、黒々とした土煙が上がっている。

 

 ゴルーグが降下を始めた。充分に戦闘領域から離れたと判断したのだろう。ビルの屋上へと降り立ち、主人であるエドガーをゆっくりと降ろす。エドガーはすぐさまビルへと向かって駆け出そうとした。その手を引っ張るものがあった。振り返ると、ゴルーグが感情を灯さない瞳でエドガーをじっと見下ろしていた。エドガーは無理やりその手を振り解こうとする。

 

「……離せよ」

 

 主人の命令を聞かず、ゴルーグは握り締める。エドガーは喉が引き裂けんばかりに叫ぶ。

 

「どうして、戦いから逃れて俺を連れてきた? ゴルーグ! 俺達は戦うためにあそこにいたんだ! 違うか?」

 

 ゴルーグは答えない。ポケモンに人間の言葉が通じる道理はない。ましてや感情など、分からないのかもしれない。モンスターボールだけの絆では。ゴルーグはもう片方の手で固めていた拳を、優しく解いた。中には小さなモンスターボールがあった。エドガーはそのボールを手に取る。翳して見ると、中にポリゴンがいた。ミツヤのポリゴンだ。

 

「……お前は、俺の命令よりもミツヤの命令を優先して、これを受け取ったのか」

 

 ゴルーグは頷いた。その時ばかりは、言葉を解しているように思えた。エドガーはゴルーグの拳に自らの拳を叩きつけた。何度も、何度も鬱憤をぶつけるように叩きつけて、ようやく無駄だと悟ったエドガーはゴルーグの拳に顔を埋めた。

 

「どうして……、ミツヤ……。皆……。俺は、俺は……!」

 

 エドガーは叫んだ。敗残の兵の叫びは無様な遠吠えとして、ハリマシティの夜に木霊した。

 

 



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第六章 二十節「myself:yourself」

 闇が足元から這い登ってくる。

 

 ミツヤはそこから動けなくなるのをいち早く察知した。このままではエドガーも自分も共倒れだ。当然、団員達も命を落とすだろう。だが、希望を繋ぐ唯一の手立てがある。

 

「ゴルーグ! これを!」

 

 ホルスターからポリゴンの入ったモンスターボールを引き抜いてゴルーグへと投げた。トリックルーム内のゴルーグの動作は素早く、ミツヤが投げたボールを掴む事が出来た。ミツヤは微笑みながら敬礼をした。頬が痙攣している。膝が笑っている。それでも精一杯、平静を保った。

 

「ゴルーグ! 旦那を頼む!」

 

 ミツヤは飛び去っていくゴルーグを見送った。影が足を床に固定する。もうここからは動けない。それが分かっていたが、ミツヤの心の中を照らす灯火は消えなかった。

 

「旦那。あんたは生きるんだ。生きて、明日に繋げるだけの力を持っている」

 

 ミツヤは敵を見据える眼をカガリへと向けた。カガリは左肩口を押さえながら、憎悪に染まった瞳でミツヤを見下ろしている。ゴルーグを気にしていないのがせめてもの救いだった。

 

「逃げるか。まぁ、いいさ。俺に勝てないと悟ったんだ。賢い選択だよ」

 

「違うね」

 

 ミツヤは言い放った。カガリが眉間に皺を寄せて、「何だと?」と怒りを滲ませる。

 

「旦那は勝つためにこの場を去ったんだ。いつか、お前を旦那は倒す。そのために、今は生きる事を選択してもらったんだ」

 

「何を馬鹿な。では、あんたは死ぬ事を選択したのかよ」

 

「それも違うね。俺は――」

 

 指鉄砲をカガリへと真っ直ぐに向ける。ポリゴンZが腕を高速回転させ、嘴の先へとエネルギーを集束させて回転、充填した青い球体が瞬いた。余剰エネルギーが電流となってポリゴンZの表皮を跳ねる。ミツヤは叫んだ。

 

「死ぬつもりはない。必ず生き残る。ポリゴンZ、破壊光線!」

 

 ミツヤの雄叫びに呼応したようにポリゴンZの嘴から青白い光条が放たれた。闇を引き裂き、カガリへと直進した光の奔流は、しかし、カガリに届く寸前で拡散した。闇が屹立し、カガリを守ったのだ。青い破壊光線の残滓が散り散りとなって消えていく。闇はギラティナの姿を取った。外套のような翼を広げ、王冠の頭部をもたげる。カガリは、「無駄だよ、無駄ァ」と哄笑を上げた。

 

「ノーマルタイプの技はゴースト・ドラゴンタイプのギラティナには通用しない。いくら適応力で威力を底上げしようと無駄な事なんだよぉ。今の破壊光線、まさしく無駄な足掻きだったな」

 

 床が震える。ビルは今にも崩落しそうだった。電灯が明滅し、地鳴りが腹の底に響く。カガリが空を仰いだ。飛んでいるβ部隊の構成員から、「隊長!」と声が上がった。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、大丈夫。こいつはどうやったって俺には勝てないよ。それにしても」

 

 カガリがビルを見渡し、ポケッチへと視線を落とす。すると、何やら胡乱そうな目を向けた。

 

「演説が問題なく続いている。……やられたな。まんまと掴まされたわけだ。ここは本丸じゃない。まぁ、いいか。アマツさん達も動いている。俺が偽者掴んだところで、誰かが本物に辿り着くだろう。心配ない。次のシャドーダイブで全てを終わらせる」

 

 カガリは視点をビルへと戻し、「いや」と口角を吊り上げた。

 

「放つまでもないか。既に勝負は決している」

 

 壁に亀裂が走り、部屋が持ちこたえているのはほとんど奇跡だった。土煙が上がり、粉塵で視界が遮られる。ミツヤは腕を振るった。

 

「まだ、勝負は分からない」

 

「分かっているよ。ギラティナに勝つ方法はない。見たところ、そのポリゴンZは長距離射撃特化型。長距離でも減衰しない威力の破壊光線が持ち味なんだろうが、この至近距離であってもギラティナには傷一つ負わせる事は出来ない。もっともゴーストタイプの技、たとえばシャドーボールを組み込んでいる可能性もあるが、それではポリゴンZの特性を殺す結果になるだろう。それに、一撃で倒せなければ意味はない」

 

 ギラティナが吼える。身が竦みあがりそうになりながらも、ミツヤは奥歯を食いしばり、その場に留まった。瓦礫が降り注ぎ、いつ自分が潰されてもおかしくはない。ミツヤはその状況下で、不意に口元へと笑みを浮かべた。それを怪訝そうにカガリが首を傾げる。

 

「何故、笑う。いかれたか?」

 

 こめかみの横で指を回しながらカガリが口にする。ミツヤは顔を上げて、「いかれちゃ、いないさ」と告げた。カガリが眉根を寄せる。ミツヤは崩落する音に負けないように声を張り上げた。

 

「俺の事を! お前はただのリヴァイヴ団の団員としか思っていないだろう。でも、俺にとっての俺は!」

 

 胸元を叩く。左胸にある「R」の矜持へと拳を当てた。命を賭けると決めた人がいる。命を賭けるに値すると思わせてくれた人達がいる。

 

「ただのリヴァイヴ団員じゃない。俺は、ブレイブヘキサのミツヤだ! 覚えておけ!」

 

 発せられた声にカガリは笑い声を上げた。肩口の痛みを忘れたように手を振り翳して笑い狂う。

 

「だからどうだって言うんだ。覚えておくよ、無様に死んでいったリヴァイヴ団の一人としてなぁ。ギラティナ!」

 

 名を呼ばれたギラティナが翼を広げて吼える。ミツヤはギラティナへと指鉄砲を向けた。それを見たカガリが嘲笑を浴びせる。

 

「馬鹿か、あんた。ギラティナには破壊光線は通じないって――」

 

「分かっているさ。でもまだ、トリックルームの効果は生きている!」

 

 カガリがハッとして周囲を取り囲む立方体へと目を向けた。立方体の内部に入ると、降り注ぐ瓦礫は速度を落とす。ギラティナとポリゴンZの間でもその効果が持続している。

 

「ポリゴンZのほうが僅かに遅い。そのために!」

 

 ポリゴンZの身体がにわかに光り始めた。ピンク色のオーラを身に纏い、それがギラティナへと伝播する。カガリがギラティナに目を向けた。

 

「この技はこっちのほうが早い! ポリゴンZ、トリック!」

 

 光が瞬き、ギラティナの首筋へと何かが打ち込まれた。カガリがそれを見やる。ギラティナの首筋に食い込んでいるのは、弓道場の的だった。黒と白で構成された円だ。

 

「何を――」

 

「狙いの的だ。これを持たされたポケモンは……」

 

 ポリゴンZが高速回転を始める。腕に電子を纏って集束し、嘴の前で膨大なエネルギーが弾け、ポリゴンZの本体の像を歪ませる。十字に光が交差し、青白い球体が収縮した瞬間、ミツヤは叫んだ。

 

「無効の攻撃が命中するようになる! ポリゴンZ、最後の破壊光線だ!」

 

 ポリゴンZの嘴の先で充填されていたエネルギーが一挙に弾け飛び、一条の光芒が闇を引き裂いた。ギラティナが翼を盾にしようとする。しかし、狙いの的を持っているために、その攻撃は有効となった。じりじりと、輻射熱で翼が焼け焦げていく。青い光がポリゴンZの嘴から光の瀑布となって放射される。

 

「翼が、持たない……」

 

 カガリが思わず口にした時、ミツヤは口元に笑みを浮かべていた。カガリは骨が浮くほどに拳を握り締めてミツヤを睨みつける。

 

「最初から、これが目的で……!」

 

「どうかな。ただ、気をつけろよ。ポリゴンZの破壊光線は並じゃない」

 

 ポリゴンZの放つ破壊光線の光条が広がり、ギラティナの翼が煽られるように吹き飛んだ。蛇腹の本体へと破壊光線が浴びせかけられる。青白い光が闇を弾き飛ばし、ハレーションを起こしたように視界が白んでいく。破壊光線の一条の光芒がギラティナの首筋を貫いた。青い光の帯が空へと吸い込まれていく。次第に減衰していく光を見ながら、ミツヤは胸中に問いかけた。

 

 ――やったのか?

 

 ギラティナの首には風穴が開いている。カガリが左肩を押さえたまま、右手で目元を覆っていた。破壊光線の光が完全に消え去り、青い光の残滓が浮かび上がる。舞い散る粒子の中、カガリが口を開いた。

 

「……よくも」

 

 ギラティナが呻り声を上げる。王者の誇りを傷つけられた怒りの声だった。カガリが右手を下げて、怒りを滲ませた口調で言い放つ。

 

「よくも俺のギラティナに傷をつけてくれたな……!」

 

 ギラティナに開いた風穴が瞬時に閉じる。ミツヤは呆然と見つめていた。今の攻撃は全力の破壊光線だ。それでもギラティナを倒す事は出来ないのか。トリックルームの立方体が薄くなり、空気に溶けていく。トリックルームの限界時間だ。ギラティナが動き出す。黒い翼を広げ、亡霊の呼び声のような風を切る音が響き渡った。ミツヤは指鉄砲を下ろした。ポリゴンZは破壊光線の反動で動けない。

 

「だが、一撃を与えたのは、リヴァイヴ団ではあんたが初めてだ。敬意を表して見せてやろう」

 

 カガリは懐へと手を入れた。何かを取り出す。ミツヤはそれを見た。白金に輝く掌大の球体だ。モンスターボールか、と思ったがそうではない。表面がつやつやとした球体をカガリは掲げた。

 

 その瞬間、ギラティナの姿が歪んだ。六本の足が仕舞いこまれ、王冠の頭部が変形する。翼がバラバラに崩れ、先端の尖った帯となった。六本の足は退化し、体表から出た棘となる。目の前のポケモンはギラティナと同一と思われる姿を取りながら、その本質が異なっているように見えた。赤い眼がミツヤを睨み据える。そのポケモンは浮き上がり、赤い触手のような帯の翼をビルへと向けた。口の部分が開閉し、咆哮を放つ。ミツヤは今にも膝から崩れ落ちそうになった。

 

「これ、は……」

 

「ギラティナの本来の姿。この世界とは理の異なる反転世界に存在するギラティナだ。その名をギラティナ、オリジンフォルム」

 

「オリジン、フォルムだって……」

 

 カガリの発した声をミツヤは口の中で繰り返す事しか出来ない。ギラティナであるポケモンはさらに禍々しい姿へと変貌を遂げたように見えた。これが本来の姿だというのか。だとすれば、この世界の理の通用する相手ではない。翼が変化した帯である六本が狙いをつける。ミツヤは身体の震えが止まらなかった。しかし、ミツヤは口元に笑みを浮かべて見せた。それを怪訝そうにカガリが首を傾げる。

 

「さっきからあんたらは何だ? 何故、笑える?」

 

「繋いだからさ」

 

「繋いだ? 何を?」

 

「お前には一生分からないだろうよ」

 

 動けないミツヤとポリゴンZを見下ろし、カガリは鼻を鳴らした。右手を掲げ、すっと振り下ろす。

 

「ギラティナ、シャドークロー」

 

 帯から赤黒い旋風が放射される。散らばった禍々しい光が視界を覆い尽した時、ミツヤは終わりと共に確信を得た。

 

 ――ここで自分は朽ちるだろう。しかし、意志は繋げた。

 

「ランポ。俺は、うまくやれたよな」

 

 その言葉に応ずるようにミツヤは光の中に人影を見た。それが誰なのか、一瞬で分かった。

 

「兄さん」

 

 兄は光の先で笑っていた。誇らしいとでも言うように。ミツヤは問いかける。

 

 ――俺は、誇らしく生きられたかな。

 

 自分でも分からない。しかし、兄の光は頷いてくれた。安心して、目を閉じる事が出来る。光の先へと向かう事が出来る。ミツヤは相棒であるポリゴンZへと、「すまない」と声をかけた。

 

「俺の我侭に付き合わせてしまった」

 

 ポリゴン系列は人造のポケモンだ。感情論が通じる相手ではない。そう考えていても、ミツヤの口からは自然とついて出ていた。ポリゴンZが鳴き声を上げる。それを肯定と受け取るか否定と取るかは人間次第だ。しかし、今のミツヤは肯定として胸の内へと留めた。

 

「ありがとう」

 

 赤黒い闇が一陣の風となり、ミツヤの身体を煽った。ビルが崩れ、闇の暴風が根こそぎ吹き飛ばしていく。闇の先に光がある。ミツヤの思惟は現実の身体を超え、闇の先に待つ光へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に崩れ落ちたビルの残骸を視界に捉えて、カガリは荒い息をついた。左肩口から先が動かない。毒が回ってきているのだろう。カガリは影の地面に膝を折った。ギラティナを変化させる白金玉を懐に仕舞う。すると、ギラティナはオリジンフォルムからこの世界の姿――アナザーフォルムへと戻った。棘が六本の足となり、ばらけていた帯が一翼の黒い翼となる。王冠の頭部も形状を変え、口腔が覗いた。ギラティナがカガリへと視線を向ける。カガリは、「心配してくれてんのか?」と問いかけた。ギラティナは小さく鳴き声を発した。カガリは左肩を押さえながら、「まぁ、まだ大丈夫」と口にしたが、今の自分の状態では転進して本丸へと狙いを定める事は出来そうにない。黒煙の中に沈んだビルを眼下にしながら、カガリは忌々しげに口を開いた。

 

「リヴァイヴ団め。当初の目的は果たしたという事か」

 

 このビルに展開していた部隊はダミーだったのだろう。β部隊の恥晒しだ、とカガリは額を押さえた。その時、黒々とした煙の幕を裂いて、一体のポケモンに掴まった人影が視界に入った。サヤカである。手持ちのポケモンは灰色の体表のポケモンだ。白い胸元にはM字の黒い模様がある。頭部にはリーゼントのように先端の赤い鶏冠があった。ムクホークという鳥ポケモンだ。ムクホークに掴まったサヤカは、「隊長!」と声を上げた。カガリはギラティナに命じて、影の地面をもう一つ作る。真横に現れた影の地面へと、ムクホークとサヤカが降り立った。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あんまり大丈夫じゃないかも。とりあえず、人間用の毒消しって持ってる?」

 

「あります。すぐに応急処置をすれば」

 

「それでも左腕は使い物にならないだろうねぇ」

 

「弱気にならないでください」とサヤカが言って、毒消しの注射器を取り出した。慣れた動作で右腕に突き刺す。一瞬だけ鋭敏な痛みに顔をしかめた。

 

「……サヤカちゃん。俺達は完全にリヴァイヴ団に踊らされた。使命を果たせなかったんだ」

 

「そんな事はありません」

 

 サヤカの声に、「どうしてそう言える?」と尋ねた。サヤカは、「カガリ隊長はβ部隊を束ねる隊長でしょう。あなたの指示に、我々は従います」と応じる。

 

「じゃあ、俺の指示が駄目だったわけか」

 

「違います。隊長は立派に戦いました」

 

「慰めどうも。でもさ、結果論では駄目だったんだよねぇ」

 

 粉塵が舞い散るビルの跡地を眺めながら口にすると、苦々しさがこみ上げる。無能の烙印を押されても文句は言えない。そう考えていると、不意にサヤカが抱き寄せてきた。唐突な事にカガリは目を丸くした。

 

「サヤカちゃん?」

 

「隊長は頑張りましたよ」

 

 優しく頭を撫でてくれる。カガリは目を伏せて、「頑張ってないよ……」と呟いた。「頑張りましたよ」とサヤカは柔らかな声で口にした。カガリは目を閉じた。母親の腕の中にあるような安息の中で、サヤカのぬくもりが通じた。

 

 



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第六章 二十一節「戦士の資格」

 マキシはテクワからの定時連絡がない事が懸念事項だったが、計画を実行に移す事にした。

 

 自分の率いる人々が身構えている。皆、一様に固い面持ちだ。緊張しているのだろうが解すような言葉をかける事は出来なかった。その点ではやはり指揮官など向いてないのだ。自分は兵士が性にあっている。しかし、マキシはこの時ばかりは指揮官として矢面に立たねばならなかった。逃げ惑う群衆の行く手を遮るように、キリキザンに命じる。

 

「キリキザン、サイコカッター」

 

 キリキザンが振り上げた紫色の思念の刃がアスファルトを引き裂いた。パニックに陥っていた人々が足を止める。マキシは建物の影から姿を現した。群衆は困惑の眼差しでマキシを見つめている。マキシは事前に整えておいた台詞を口にした。

 

「その線から先に進む事は許されない。お前らはリヴァイヴ団の言葉を聞いてもらう。安心しろ。殺しはしない。その線から先に行かないのであれば――」

 

 その言葉を皆まで聞かずに群衆から一人、駆け抜けようとする。マキシは舌打ちを漏らした。

 

「これだから、馬鹿は嫌いなんだ」

 

 キリキザンへと腕を振るって指示を出す。即座に動いたキリキザンが線を踏み越えた男の鳩尾へと一撃を叩き込んだ。ざわめく群衆へと、「安心しろ!」と自分でも驚くほどの大声が出る。

 

「殺していない。峰打ちだ。だが、これ以上手を煩わせるならば、峰打ちでは済まないかもしれない」

 

 もっとも、この台詞はほとんど意味を成さないだろう。全てが終わった後、民衆の反感を買わないために一人も殺すなと命を受けている。面倒だ、とマキシは感じたが口には出さなかった。民衆の動きが鈍る。そのまま、大人しくしてくれよ、と思っていたマキシへと冷たく差し込む声があった。

 

「甘いな」

 

 その声に視線を振り向けた瞬間、三方向へと三日月型の刃が一閃した。通り過ぎた端から、民衆が断ち切られ上半身と下半身が生き別れになる。人々はそちらへと目を向けた。マキシも視界に捉える。黒いコートを身に纏った男だった。肩口には「WILL」の文字が刻み込まれている。男の横に侍っているのは金色のポケモンだった。浮遊しており、三日月のような頭部を持っている。曲線を描く身体にピンク色の羽衣が纏いついていた。先ほどの閃光は、その羽衣から発生したものだ。民衆の一人がウィルだと知るや、男へとすがりつく。男は吐き捨てるように言った。

 

「衆愚が」

 

 その言葉の直後、金色のポケモンが羽衣の刃を一閃させる。すがりついていた男が断ち切られた。女の叫び声が木霊し、恐慌状態に陥った民衆が線を踏み越えて駆け出していく。当然、マキシは止めようとしたが数が多かった。統率も取れていないマキシの部隊では誰一人として民衆を止める手立てを持たない。「止まれ!」と叫ぶも意味を成さない声には違いなかった。マキシは男へと視線を向ける。「あんた……」と声を発した。男が冷たく言い放つ。

 

「民衆を逃がすな。ここにいた奴は一人残らず確保、または抹殺だ」

 

 断と発せられた男の声にマキシは目を見開いた。ウィルの構成員がポケモンを繰り出して民衆へと追いすがろうとする。金色のポケモンが羽衣から思念の刃を飛ばし、逃げ遅れた人々を断ち切っていく。あまりにも無残な光景に、マキシは歯噛みした。

 

「キリキザン!」

 

 キリキザンが反応し、刃がかかろうとしていた子供を庇うように立ち塞がる。両手で羽衣の刃を受け止めたキリキザンは腰だめに両手を構え、腹部の刃を突き出した。銀色の光が放射され、十字に瞬く。

 

「メタルバースト!」

 

 音速を超える鋼の刃が腹部から撃ち出され、金色のポケモンを襲う。しかし、ただ黙している男とポケモンではなかった。

 

「リフレクター」

 

 金色のポケモンの前に青い皮膜の五角形が三枚張られ、鋼鉄の弾丸を霧散させた。子供が泣きじゃくりながら逃げる。線を踏み越えていく子供に構っている暇はなかった。マキシは男を見据えて、声を発する。

 

「何故、あんたがここにいる? どうして」

 

「どうして、だと。おかしな事を訊く。お前は俺を知っているはずだ」

 

 その言葉にマキシは唾を飲み下して名を口にした。

 

「……カタセ」

 

 名前を呼ばれた男――カタセはフッと口元を緩めた。

 

「変わらないな。父親を苗字で呼ぶとは」

 

 父親。因縁の関係を口に出され、マキシは一瞬硬直したがすぐに持ち直した。

 

「俺は、あんたを父親だと思った事はない」

 

 怒りを込めた声音で口にすると、カタセは、「そうか」と諦観じみた声を返した。

 

「どうしてクレセリアで人々を殺す? ウィルはいつから野蛮になったんだよ」

 

 マキシが言ったのはカタセの手持ちポケモンの事だ。準伝説級のポケモン、クレセリア。三日月を守護するポケモンと言われている。

 

「ここにいる民衆は愚かしい。リヴァイヴ団の言葉に耳を貸そうとした。そのような民衆はウィルが必要としていない」

 

 カタセの言葉にマキシは鼻を鳴らした。

 

「あんたこそ、変わらないな。必要じゃなけりゃ、捨ててもいいってのかよ」

 

 マキシの脳裏に母親の姿が思い出された。いつも部屋ですすり泣いていた母親の声が耳にこびりつく。覚えず片手で耳を塞ぎ、「あんたは……」と口を開いた。

 

「いつだってそうだ。必要なら構う。でも、いらないと断じたら放置する。テクワをこっち側に引きずり込んだのはほかでもない、あんただろ!」

 

 積年の憎しみを込めて発した声に、カタセは、「だから、どうした」と冷徹な声を返した。

 

「選んだのはテクワだ。俺が無理強いしたわけじゃない」

 

「あんたが戦い方を教えなけりゃ、テクワはこっちに来る事はなかったんだ!」

 

 マキシの言葉と思いを引き受けたように、キリキザンが駆け出した。右手が紫色の波動を帯びる。クレセリアに命中する直前、三方向へと羽衣からピンク色の閃光が放たれた。閃光の一つを左手に帯びたサイコカッターで叩き落し、右手を突き出す。クレセリアの眼前で右手が固定された。リフレクターの水色の皮膜が、キリキザンの腕を止めている。

 

「勝手な理屈だ。テクワは戦いたがっていた。だから、俺は教えたまでだ。あいつに、生き延びるだけの力を与えた。そうしなければあいつはあらゆるものに押し潰されていただろう」

 

「それも、勝手だって言ってるんだよ!」

 

 左手でリフレクターを叩き割り、キリキザンはクレセリアへと鋼の手刀を振り落とした。クレセリアの眼前で瞬時に張られたリフレクターがキリキザンの一撃を弾く。マキシは、「くそっ! くそっ!」と攻撃が弾かれるたびに悪態をついた。その背中へと団員の声がかかる。

 

「指揮官。我々も加勢を――」

 

「やめろ! これは俺とこいつの問題だ! 手を出すな! お前らはウィルから一人でも多くの民衆を守れ!」

 

 自分らしからぬ激しい口調に団員達は気圧されたようだった。「しかし……」とたじろぐ声を発する。分かっている。先ほどからクレセリアには一撃も届いていない。キリキザンが薙ぐように「メタルクロー」を放つが、リフレクターによって全てが寸前で止められている。両手を突き出した渾身の一撃も、クレセリアがふわりと舞い、三重に張ったリフレクターで反射させられた。

 

 キリキザンが後ずさる。すると、クレセリアの纏う羽衣がピンク色の光を宿した。キリキザンが右手を大きく後ろに引く。紫色の波動を得た思念の刃をキリキザンが放った。その直後に放たれた羽衣の閃光がサイコカッターの刃と干渉し合い、思念の波がスパークして弾け飛ぶ。一瞬だけ拮抗したかに見えた様相はすぐに崩れた。クレセリアの放った閃光がサイコカッターを破り、キリキザンへと直進してきた。キリキザンは咄嗟に左手で放ったサイコカッターで相殺する。

 

「いつまで、サイコカッター頼みの戦い方をするつもりだ?」

 

 カタセの声にマキシは、「うるさい」と声を発するが、カタセは聞き入れようとしなかった。

 

「無駄だ。子が親に勝てないように、弟子が師を打ち破る事は出来ない。キリキザンは、まだコマタナの時にクレセリアからサイコカッターを学んだ。クレセリアのサイコカッターに勝つ事は出来ない」

 

「それでも! キリキザンは鋼・悪タイプだ。エスパーのサイコカッターは通用しない!」

 

 タイプ相性上で定まっている事だ。この戦いでは悪タイプを持つキリキザンのほうが優位に立てるはずである。カタセはさほどの窮地だと思っていないかのように、「そうだな」と首肯した。

 

「確かに、タイプ相性ではそうかもしれない。しかし、何事も例外というものが発生するものだ」

 

 クレセリアの放ったサイコカッターがキリキザンへと駆け抜ける。マキシは避ける必要がないと思っていた。しかし、サイコカッターの刃はキリキザンの右肩を引き裂いて空間を飛び越えた。マキシが驚愕に目を見開いていると、「……かつて」とカタセが口を開いた。

 

「電気ねずみポケモン、ピカチュウで地面・岩タイプであるイワークを破ったトレーナーがいたという。タイプ相性とは同レベルのポケモン同士でのみ効果を発揮する。天と地ほどにレベルが違っていれば、タイプ相性の壁は簡単に突き崩せる」

 

 クレセリアの羽衣が瞬き、サイコカッターの光刃がキリキザンを見舞う。キリキザンの鋼の身体に傷が走り、亀裂が見舞った。キリキザンが後ずさる。マキシは腕を振るって声を張り上げた。

 

「キリキザン! 同じサイコカッターで迎撃しろ!」

 

 キリキザンがサイコカッターを放ち、向かってくる閃光を弾こうとするが弾く力よりも弾かれる力のほうが強い。キリキザンが紫色の波動を纏わせた手で薙ぎ払うが、鋼の腕には確実にサイコカッターのダメージが蝕んでいた。

 

「……どうして。同じのはずだ」

 

「言ったはずだ、マキシ。お前では俺に勝てない。親と子の隔絶は、永遠に埋められる事はない」

 

「黙れよ! 今さら父親面しやがって!」

 

 キリキザンが両腕に思念の刃を纏いつかせてクレセリアへと駆け抜ける。クレセリアから放たれた三つの刃がキリキザンを襲う。キリキザンは両腕を交差させてサイコカッターを放つが、二つまでしか相殺出来ない。逃した一撃がキリキザンの頭部を打ち据えた。キリキザンが空を仰いで目を回す。

 

「キリキザン……!」

 

「終幕だ」

 

 放たれた声と呼応するようにサイコカッターの刃が閃き、キリキザンを切り裂いた。キリキザンの身体が衝撃で浮き上がり、地面へとしこたま身体を打ちつける。マキシは呼吸困難に喘ぐように口を開いた。

 

「キリキザン。俺は……、俺は……」

 

「詰みだ」

 

 いつの間にか接近していたクレセリアの羽衣がキリキザンに突きつけられる。カタセが歩み寄ってくる。マキシは身構えたが、今さらどうにかなるものではなかった。カタセがマキシを見下ろし、鼻を鳴らした。乾いた音が鳴り響く。平手打ちをされたのだとマキシが自覚した瞬間、膝から崩れ落ちた。降りかかるカタセの声が絶望的に響き渡る。

 

「お前に刃を持って立つ資格はない」

 

 それは死刑宣告よりも重い言葉だった。マキシはその場に縫い付けられたように動けなかった。カタセが横を通り抜け、「事後処理を行う」と告げた。

 

「リヴァイヴ団を一人も逃がすな。民衆もだ。殺しても構わん」

 

 カタセの声にウィルの構成員達がポケモンと共に部下へと襲いかかる。マキシは何も出来なかった。木偶の坊のように立ち尽くすマキシは、この瞬間に戦士の資格を剥奪されたのと同義だった。

 

 



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第六章 二十二節「テクワ」

 ツンベアーの姿が掻き消える。

 

 テクワは弾かれたように動き出した。視界から消えたツンベアーは必ずテクワとドラピオンの死角をついた攻撃をしてくる。ドラピオンとテクワは背中合わせに周囲へと注意を巡らせなければならなかった。ライフルを構え、片方がドラピオンの視界と同期したまま、テクワが息をつく。

 

「どこへ……」

 

 その時、頭上からプレッシャーの圧が雨のように降り注いだ。テクワが顔を上げると、ツンベアーが身体を広げ、巨大な影となって降り立ってきた。舌打ち混じりに、ドラピオンへと指示を出す。

 

「炎の牙で応戦しろ!」

 

 ドラピオンの口腔内から熱気が放射され、酸素と結合し炎熱の牙を生じさせる。ドラピオンはツンベアーへと飛びかかった。ツンベアーが氷柱を叩き落す。ドラピオンの炎の牙が氷柱を噛み砕いた。

 

 感知野に舌打ちが聞こえ、ツンベアーの姿が再び瞬きと共に掻き消える。テクワは、「またかよ、チクショウ」と悪態をついた。恐らくはゴチルゼルの「テレポート」でツンベアーを移動させながら戦っているのだ。気配は感知野の網で僅かに拾い上げられるだけだ。拾い上げたと思った時には、ツンベアーは出現している。勝機を得るためにはツンベアーの出現位置に先回りして必殺の一撃を叩き込むしかない。しかし、今のテクワとドラピオンでは出現位置の特定までは出来なかった。

 

「やられるのを待つしかねぇのか……」

 

 思わず滲んだ不安につけ込むように、プレッシャーの波が駆け抜けた。ツンベアーがテクワの真正面に出現する。ドラピオンはすぐには攻撃出来ない。ツンベアーが氷柱を保持した腕を振り上げる。後ずさろうとするが、脛の痛みが邪魔をした。まるで呪縛のようにその場によろめく。ツンベアーが氷柱を振り落とした。

 

 ――やられる、と確信した瞬間、ドラピオンがテクワを押し出して腕を突き出した。

 

「何を――」

 

 言う前にドラピオンの腕へと氷柱が食い込んだ。テクワは左腕に鋭角的な痛みが走ったのを覚えた。ドラピオンからのダメージフィードバックだ。

 

「右腕を振り上げろ! クロスポイズン!」

 

 ドラピオンが右腕を下段から振るい上げる。紫色の瘴気を纏った鋭い一撃はツンベアーの腹部を捉えた。ツンベアーが口を開いて呻き声を上げる。

 

「やったか」

 

 テクワは声を上げるがツンベアーの蒼い眼が敵意を携えて睨み据えた。まだ、終わっていない。そう感じた刹那、感知野を声が震わせる。

 

 ――ツンベアー、絶対零度。

 

 ツンベアーの体表から可視化出来るほどの冷気が放たれる。一瞬にして窒素が凝結し、氷の腕を押し広げた。「ぜったいれいど」は一撃必殺の技だ。食らうわけにはいかない。

 

「ドラピオン! 突き飛ばして離脱しろ!」

 

 ドラピオンが両腕を振るい落とし、ツンベアーの身体に一撃を見舞う。しかし、ツンベアーは離れなかった。この一撃で勝負を決めるつもりなのは明白だった。

 

「やられたぜ、チクショウ。今の俺達じゃ、力も覚悟も足りねぇ」

 

 テクワは照準越しに蒼い憎しみの光を湛えたツンベアーの眼を見やる。一つだけ、この状況を打破する方法が思い浮かんだ。

 

 ――しかし、と頭を振る。これは諸刃の剣だ。うまくいかなければドラピオンも自分も死が待っている。普通に考えるならば、ドラピオンとの同調を切ってトレーナーである自分は離脱するのが賢明だろう。

 

「……だけど、俺は馬鹿だからさ」

 

 フッとテクワは口元を緩めた。以前までの自分ならばそうしていただろう。マキシの父親、カタセに教えられた通りに自分の生存を最優先として戦っていたに違いない。

 

 ――ポケモンはいざとなれば見捨てろ。仲間も勝てる見込みがなければ裏切れ。決して、無謀な戦いには身を浸すな。

 

 その教えを、今破ろうとしている。頭の中にユウキの姿がちらついた。ユウキはいつだって真っ直ぐだ。愚直に他人を信じ、ポケモンを信じている。そのあり方がテクワには眩しかった。だが、ただ眩しいだけで終わらせるつもりはない。

 

「俺も、お前みたいになれるかな。そのチャンスは、あるよな」

 

 師と仰いだカタセの教えよりも、今はユウキの後姿だった。羨望ではない。追いつくのだ。自分とドラピオンにはそれが出来る。

 

「行くぜ。手加減なしだ!」

 

 テクワはドラピオンとの同調を高めた。同調を高めるにはドラピオンの中へと自身を浸透させるイメージを持てばいい。ドラピオンの神経や血脈と自身を同一化させる。

 

 意識が加速し、脳髄から送られる思考がぎりぎりまで引き絞られるのを感じる。テクワは左眼を一度閉じ、やがてゆっくりと開いた。緑色の眼は蒼く光っていた。完全に同一化した視界の中にツンベアーの巨躯が映る。たじろぎそうになりながらも、テクワは自身を鼓舞した。恐れはポケモンに直接伝わる。今は、勝てることだけを考えろ。

 

 ドラピオンの尻尾が持ち上がり、ツンベアーの頭部を捉えた。ツンベアーの頭頂部へと一撃、毒針が放たれる。ツンベアーから放たれる冷気が緩んだ。その隙を見逃さず、テクワはツンベアーの懐へと入る。両手に氷柱を保持したツンベアーが威圧的に見下ろす。テクワはドラピオンへと思惟を飛ばした。ドラピオンが振り上げた両腕が紫色の瘴気を纏って交差し、ツンベアーの手首を抉った。ツンベアーの手首から血が迸り、氷柱の形成を甘くする。

 

「掌にエネルギーを集中させるポケモンには必ずエネルギーが凝結する箇所が存在する。そこを封じるが掻っ切ってやれば、もうそこからエネルギーは放てない」

 

 手首から鮮血と共に冷気が流れ出る。ドラピオンが尻尾を上げ、狙撃姿勢に入ると、ツンベアーは咆哮して光を瞬かせた。

 

 瞬時に掻き消えたツンベアーを、テクワは感知野の網で探す。先ほどまでとは一線を画していた。ツンベアーがどこを、どう流れてテレポートしているのか手に取るように分かる。まさしく網の如く張った感知野を震わせる重量があった。その一点へとテクワは意識を集中する。ドラピオンが素早く動き、尻尾をそちらへと向けた。テクワの真後ろだった。

 

 テクワはライフルの照準をドラピオンに向けたまま、引き金を絞った。ドラピオンから放たれた毒針が肩のすぐ脇を通り抜け、背後から現れたツンベアーの左眼に突き刺さった。ツンベアーが両目を押さえて吼える。テクワは振り返って照準越しにツンベアーを見た。ドラピオンと同期した視界にはツンベアーの急所が明確に分かる。テクワは正確に、静脈へと注射するような心地で引き金を引いた。精密なドラピオンの狙撃が急所を射抜く。ツンベアーは仰け反って後ずさった。全身から血を迸らせ、よろめいて裂けた口で叫ぶ。再び掻き消えようと体勢を沈ませたツンベアーへとテクワは言い放った。

 

「終わりだ」

 

 その言葉と共に弾き出された毒針はツンベアーの肩に乗っているゴチルゼルの眉間を撃ち抜いた。ゴチルゼルが後ろから糸で引かれたようにツンベアーから転げ落ちる。ツンベアーはゴチルゼルの助けが得られないと知るや鋭い爪でゴチルゼルの頭を叩き潰した。血が撒き散らされ、テクワが顔をしかめる。

 

「てめぇの勝手で手持ち殺すような奴が、まともであるはずがないのさ。一蓮托生だって事、分からせてやるぜ」

 

 テクワは引き金を引いた。撃ち出された毒針がツンベアーの大腿部に命中する。ツンベアーが膝を折った。テクワはさらに肩口へとわざと狙いを逸らした一撃を与えた。ツンベアーが肩を押さえる。身体を引きずって、ツンベアーは屋上の縁まで辿り着いた。しかし、テレポートの出来るゴチルゼルは既に殺してしまっている。畢竟、手詰まりだと感じたのかツンベアーはテクワとドラピオンに向けて咆哮した。しかし、今さらこけおどしが通じるような相手ではない。テクワはゆっくりと歩みながら、口を開いた。

 

「痛みってのはな。最後まで背負って生きていくもんなんだ。都合よく切り捨てられたり、なくしたりできるもんじゃないのさ。じゃあな」

 

 照準でツンベアーの眉間へと狙いを定める。ツンベアーが口から血の泡を飛ばして声を轟かせる。

 

 テクワは負けじと雄叫びを返した。

 

 引き金を引き、同調したドラピオンが毒針を発射する。毒針は正確無比にツンベアーの眉間に命中する。しかし、一撃では頭蓋を貫通しない。テクワは引き続き撃ち放った。同じ箇所へと連続して毒針を撃つ。弾丸が前の弾丸を押しやり、四発を要してようやくツンベアーを撃ち抜いた。ツンベアーが弾痕から硝煙を棚引かせながら後方へと引き倒される。ツンベアーの身体はビルの合間へと消えていった。

 

 テクワは荒い息をつきながら照準から目を離し、額に浮いた汗を拭う。恐らくはツンベアーも、操っていたトレーナーも死んだだろう。テクワはこの戦いで得た力を反芻する。視界に映るのはドラピオンと同一化した景色だ。ためしにライフルを折り畳んで、ドラピオンを戻してみると、視界は闇に包まれた。それでも鋭敏化した感覚が周囲の気配を伝えてくる。翅を震わせる空中部隊や、地上に渦巻く人々の阿鼻叫喚が感知野に入ってくる。

 

「なるほどな。眼が見えない代わりに得たのがこれってわけかよ」

 

 ドラピオンを出している時だけ視界が戻るのだろう。通常時は盲目として振舞うしかない。テクワは息をついて仲間達の気配の把握に努めた。極大化した感知野が空間を飛び越えて一人一人の息遣いを探る。自分が指揮する部下達はポケモンを失った人間もいるがほとんどは無事だ。それよりも、とテクワは他の気配へと意識を走らせる。マキシは地上で立ち止まっている。どうしてなのか、と思っていると近くに見知った気配を感じた。

 

「カタセさんか……」

 

 どうしてここに、と考えたが分かりきっている事だ。ウィルとしてリヴァイヴ団の駆逐に向かったのだろう。テクワは先ほどまでエドガー達のいたビルへと感覚を研ぎ澄ます。しかし、見知った生命反応は得られなかった。まさか――、と浮かんだ最悪の考えにテクワは額に汗を滲ませる。

 

「落ち着け。俺の感覚が正しいとは限らない」

 

 そう言い聞かせるも、意識の網が様々な声と存在を拾い上げる。

 

「リーダーは、無事か。ユウキは……」

 

 ランポのいるビルへと感知野の手を伸ばす。最上階にユウキの息遣いを感じた。レナも近くにいるようである。しかし、その鼓動と気配が不意に小さくなった。ユウキを形作る精神と肉体の脈拍が収縮し、遂には灯火のように消え去った。テクワはうろたえ気味に周囲を見渡す。闇に沈んだ視界の中、テクワは叫んだ。

 

「ユウキ、まさか……! ユウキ!」

 



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第六章 二十三節「デッドクエスチョン」

 頭蓋を割ろうとした一撃はまさしく光速だった。

 

 テッカニンでトレーナーを攻撃するよりも速い。避けきれない、とユウキが悟った瞬間、振るわれた攻撃が直前で止まった。ぼやけた視界を向けると、黄色い多角形の集まりが寄り集まり、壁となって攻撃を防いでいた。小ぶりの翅を震わせて、ミツハニーが防御壁を構成している。

 

「ビークイン、防御指令。間に合ってよかった」

 

 隣にいるレナが片手を掲げて口にした。ビークインが繰り出されており、スカート状の下半身から飛び出したミツハニーが防御の構えを取ってデオキシスの一撃を防いだのだ。デオキシスが後ずさり、細い触手を揺らめかせた。カルマが舌を打つ。

 

「ポケモントレーナーだったか。邪魔だな。デオキシス」

 

 カルマが片手を上げてパチンと指を鳴らした。その瞬間、デオキシスの形状が変化した。頭部が三叉に分かれ、両方の触手がオレンジと水色の螺旋を描く。触手の先端と頭部は尖っており、より攻撃的に身体を変形させているようだった。脚部にオレンジ色の表皮が至り、膝が水色に尖る。

 

「……変形、いや変身、した」

 

 信じられない心地でユウキが口にすると、カルマがユウキを見下ろして片手を振るう。

 

「アタックフォルム。防御指令の壁を突き崩せ」

 

 その声に弾かれたようにデオキシスは動き出した。速さは先ほどではないが、それでも常人では目で追えない。まさしく掻き消えたという表現が相応しいデオキシスの姿が「ぼうぎょしれい」の壁の前に降り立ち、触手を平行させて構えを取った。上下の触手の間で電磁が行き交い、緑色のスパークの光を押し広げる。レナが慌ててビークインへと指示を出した。

 

「攻撃指――」

 

「電磁砲」

 

 遮って断として放たれた声と共に、デオキシスの腕から眩いばかりの雷撃の砲弾が放たれた。防御指令で形作られたミツハニーが高出力の電磁で焼かれ跡形もなく消え去る。生き物の焼ける臭いが漂う中、悪鬼のように佇むデオキシスが眼窩の奥の鋭い眼差しを向ける。

 

 ――勝てない、とユウキは悟った。

 

 まともに戦ったところでデオキシスには勝てない。ならば、とユウキはまだ空気中にいるテッカニンへと指示を飛ばそうとする。今のデオキシスは先ほどよりも攻撃力では勝るが遅い。カルマのこめかみへと一撃を加えればこの場を逃げ切る事くらいは出来る。

 

「テッカニン!」

 

 叫んだ声に呼応してテッカニンが高周波の翅を震わせる。カルマは一つ息をつき、デオキシスを呼んだ。デオキシスがほとんど瞬間移動のようにカルマの背後に回る。しかし、それでもテッカニンの攻撃は通る。そう確信した、その時だった。

 

「変われ」

 

 その言葉でデオキシスの形状が変化した。頭部が沈み込み、首と胴体の境目がなくなる。触手が平らになり、重なってガムのような形状へと変形する。黒かった胴体にオレンジ色の表皮が至り、中央の紫色の球体が光ったかと思うと、デオキシスは変身していた。先ほどまでとはほとんど別形態だ。デオキシスはまるで宇宙飛行士のような姿へと変貌している。デオキシスがガムのような腕を前に回した。その瞬間、紫色の光がカルマを覆い、テッカニンの攻撃を弾いた。弾かれたテッカニンが身をよろめかせる。

 

「ディフェンスフォルム」

 

 デオキシスがその眼をテッカニンに向けた。ユウキは肌が粟立ったのを感じる。

 

 このポケモンは何だ? 変幻自在にその姿を変化させ、全ての攻撃に対応する。

 

 今まで感じた事のない恐怖に身が竦み上がりそうになった。デオキシスが再び鋭く形状を変化させようとする。このまま戦ってもテッカニンが消耗するだけだ。ユウキはテッカニンへとモンスターボールを向けた。赤い粒子がテッカニンを捉え、ボールの中へと吸い込んでいく。カルマが、「ほう」と感嘆したような声を上げた。

 

「勝てないと悟ったか。賢明と言えば賢明。だが、真に賢ければここに来るのではなかったな。賢しいだけの子供が玉座につけると思ったか? 真の敗北の原因は、自らの力を見誤った事だ」

 

 カルマがユウキを指差した。デオキシスが再び高速移動形態へと変身する。頭部が伸縮し、黒い表皮が露になる。ガムのようだった腕が細く絡まり、不必要な部分が胴体に仕舞いこまれる。次の一撃が来れば確実に命を奪われる。ユウキは死を覚悟した。

 

 ――ここまでなのか。

 

 ランポと誓った夢も、ミヨコとサカガミに約束した言葉も、圧倒的な現実の前では無力なのか。デオキシスがまさしく現実の象徴として立ち塞がる。デオキシスの身体から紫色の光が迸った。残像のようにデオキシスの身体を覆い、ぶれて影を成す。

 

「冥土の土産だ。最高の技で始末してやる。サイコ――」

 

 二重像を結んだデオキシスが身体を沈ませる。刹那、その言葉尻を裂くように電流が迸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ?」

 

 カルマは周囲を見渡した。デオキシスの攻撃を中断させた電流の元を探ろうとしたのである。デオキシスは目の前で突然電流が跳ねたものだから、一瞬だけうろたえた。その直後、扉が開いた。カルマが視線を向ける。ユウキとレナが振り返った。

 

 そこに立っていたのはパーカーを着込んだ男だった。肩口に「WILL」の文字がある。カルマは苦々しく口にした。

 

「ウィルか。しかし、どうしてここに……」

 

「長年の勘でね。怪しい場所には鼻が利くのだが、まさか当たりを引いたか?」

 

 男が口元を緩める。カルマが呆然と見つめていると、不意にビークインが動いた。ミツハニーをスカートから繰り出し、防御指令の壁を張りつつ、余ったミツハニーを使ってユウキを運び出そうとしている。カルマが、「させるか」と腕を振るった。デオキシスが追いすがろうとすると、突然、何もない空間から何かが引き出された。デオキシスが立ち止まって、現れた何かへと視線を向ける。それは家電製品だった。冷蔵庫や洗濯機、電子レンジに掃除機、それに扇風機である。それも旧式の使い物にならないような物ばかりだった。

 

「こけおどしか。そのようなもので」

 

 デオキシスが再び直進しようとすると、洗濯機から空気を割る水の砲弾が放たれた。デオキシスは咄嗟に飛び退いた。即座に反応出来るデオキシススピードフォルムだからこそ、出来る芸当だった。水の砲弾が壁を撃ち抜く。カルマはユウキ達を気にしていたが、男は脇を通り抜けていくユウキ達に一瞥もくれなかった。カルマが鼻を鳴らす。

 

「いいのか? そいつらもリヴァイヴ団員だぞ」

 

 その言葉にレナが肩をびくりと震わせる。しかし、男はあくまでカルマへと敵を見る眼を向けていた。

 

「いいや。たとえそうだとしても、敵意のない相手に刃を向けるような真似を私はよしとしない。それにこの状況、明らかに脅威度は目の前のお前のほうが高い」

 

 カルマは舌打ちを漏らす。ウィルならば手当たり次第に団員に手を下すかと思ったが、目の前の相手はそうではないらしい。カルマがデオキシスを出しているのも原因にあるのだろう。ユウキとレナの姿が家電製品の向こう側へと消えていく。これでは追撃の機会を逃す。

 

「デオキシス!」とカルマは叫び、デオキシスが弾かれたように動き出した。一瞬で光速に身を浸すデオキシスの動きを、しかし、電子レンジから放たれた熱気が遮った。壁のように電子レンジから炎が噴き出し、デオキシスの追撃を無効化する。

 

 デオキシスは体力が低い。そのため、一撃でも食らえば不利に転がる事は間違いなかった。身を翻し、デオキシスは地面に降り立つ。すると、今度は冷蔵庫が開き、中から空気を凍てつかせるほどの冷気が放たれた。デオキシスの細い身体が冷気で凍り付いていく。カルマは即座に判断を下した。

 

「デオキシス、ディフェンスフォルム!」

 

 デオキシスの頭部が凹み、首の境目が消えて腕がガムのように伸びる。一回り太くなった身体が防寒の作用をもたらしていた。しかし、ディフェンスフォルムでもデオキシスの体力そのものは変わらない。長期戦になれば不利なのは明らかである。男がデオキシスの変身を見て、「ほう」と感嘆の声を漏らす。

 

「見た事のないポケモンだが、フォルムチェンジを行えるのか。なるほど、脅威には違いないな。私の判断は間違っていなかったという事か」

 

 カルマは歯噛みする。男はポケモンも出さず、古ぼけた家電製品だけで自分を圧倒している。その事実が解せなかった。

 

「貴様は、何者だ」

 

 問いかけた声に男は肩口の「WILL」の文字を指でなぞりながら答える。

 

「ウィルα部隊隊長、アマツ」

 

 放たれた言葉にカルマは舌打ちする。まさかα部隊の、しかも隊長が相手だとは。アマツは片手をゆらりと持ち上げて、「お前は」と口を開く。

 

「何だと?」

 

「人に名前を聞いておいて自分は名乗らないのか? リヴァイヴ団とは矜持もないのだな」

 

 カルマはしかし、名乗るわけにはいかなかった。表ではランポがボスとして演説を行っている。自分がリヴァイヴ団を牛耳る真のボスだなどと言えるわけがない。何よりもそれを言ってしまえば、今まで積み上げてきたものが一瞬で瓦解する。

 

「ウィルの狗に名乗る舌は持たないな」

 

 カルマは口元に笑みを浮かべて見せたが胸中は穏やかではなかった。α部隊の隊長をどうやって撒くか。いや、この状態に至れば既に撒くという選択肢はない。背中を向けて逃げようにも扉はアマツの側にある。デオキシスを出しているところを見られた以上、生かしておくわけにはいかなかった。

 

 アマツは、「なるほど」と鼻を鳴らした。

 

「まぁ、構わない。手土産にそのポケモンのデータを持ち帰らせてもらう。お前の死体と共にな」

 

「それはこちらの台詞だ。ポケモンも出さずに嘗めた口を」

 

 カルマの発した声にアマツは笑い声を上げた。何だ、と怪訝そうに眉をひそめていると、アマツはカルマを見据えて口を開く。

 

「既に出している」

 

 カルマは目を見開いた。目の前に映るのは中古の家電製品だけだ。どこにポケモンがいるというのか。

 

「家電製品の中か」

 

「当たらずとも遠からずだ。しかし、一瞬で見抜けないのならば言及する事はお勧めしない」

 

 デオキシスをフォルムチェンジさせて手当たり次第に家電製品を壊す手もある。しかし、どこに潜んでいるのか分からない敵を相手にデオキシスの体力で持つのか。デオキシスは一撃離脱の戦法を取っている。長期戦や多くの敵を相手取るのは無謀というものだ。

 

 ――何よりも、とカルマは懸念事項を頭に浮かべる。

 

 デオキシスがこうやって自在にフォルムチェンジ出来る理由を相手に気取らせてはならない。秘密だけは絶対に死守せねばならないのだ。

 

「……致し方ないな」

 

 カルマは呟き、マスターボールをデオキシスの背中に向けた。

 

「戻れ、デオキシス」

 

 デオキシスの身体が赤い粒子となってボールへと吸い込まれる。それと入れ替わりにカルマは赤いモンスターボールを取り出した。緊急射出ボタンへと指をかける。

 

「いけ、ムシャーナ」

 

 光と共に弾き出されたのは胎児のように丸まったポケモンだった。形状は獏を思わせる丸みを帯びた姿で、背中は薄紫色である。目を閉じており、頭頂部からは紫色の煙が噴き出していた。アマツが、「エスパータイプのポケモン、ムシャーナか」とその名を呼ぶ。カルマは腕を振るった。

 

「ムシャーナ。煙に見せるんだ。未来を」

 

 ムシャーナの頭頂部から一際巨大な煙の帯が噴出する。アマツからは見えない位置で煙が揺らめき、蜃気楼のように歪んだ。煙の中に像が映る。

 

 ムシャーナは未来を予知するポケモンだ。普段はほとんど眠っており、特性「よちむ」として未来の姿が現れる。カルマはムシャーナの特性を利用して、未来を予知しようとしていた。これから起こるであろう、アマツの攻撃をその眼で見る。像が明確に結び、ほぼ五分間の未来を映し出した。

 

 そこに描かれていたのは攻撃を受けるムシャーナの姿だった。ムシャーナは全身に細かな切り傷を負っている。電撃の攻撃を受けているのか、身体を痙攣させ電流が体表を跳ねている。その電流の一部がカルマへと至っていた。カルマは電流によって肩口を鋭く焼かれている。これは起こり得るであろう未来だ。しかし、その未来を変える事が出来る。

 

 五分間の間にアマツのポケモンの正体を看破し、デオキシスでポケモンと、あわよくばトレーナー本体を仕留める。それを可能にするのがムシャーナによる未来予知とデオキシスの高速戦闘だった。ムシャーナはデオキシスに比べて打たれ強い。ちょっとした攻撃では沈まない上に、デオキシスと自分の間にある秘密も存在しない、ただのポケモンとトレーナーの関係だ。時間を稼ぐにはこれしかなかった。

 

「お前」とアマツが口を開く。カルマは心臓を鷲掴みにされたような心地になった。

 

「ムシャーナによって私の攻撃を予知し、先ほどのポケモンによる一撃離脱戦法を取ろうとしているな。ムシャーナは耐久型のポケモン。それを前面に出すという事は一つの推論を導き出す事となる。つまり、先ほどのポケモンは脆いという事」

 

 事実を突きつけられ心臓が収縮したのを感じた。しかし、表情に出してはならない。カルマは笑みさえ浮かべて、「さぁな」と言ってみせた。アマツが不審そうな眼を向ける。

 

「そして、もう一つ。先ほどのポケモンは本当に、お前にとっての切り札なのだろう。私のポケモンの攻撃が読めないにも関わらず逃げる素振りすらないという事は、先ほどのポケモンは何か重大な事を握っている。お前にとっても、このリヴァイヴ団という組織にとっても」

 

 カルマは覚えずぎゅっと拳を握り締めた。それを認めたアマツが、「今、拳を握ったな」と指摘する。

 

「やましい事がある証拠だ。どうやら秘密は本当らしい」

 

「言いがかりだな」

 

 カルマは余裕の笑みを崩さない。アマツは顎に手を添えて、よくよく考える仕草をした。今、攻撃出来れば、と思ったが相手のポケモンは依然分からない。ムシャーナで仕掛けてみるか、と考えた矢先に声が飛んでくる。

 

「ムシャーナで仕掛けようと考えているな。だが、それはきっと失敗するぞ。逆にお前は私のポケモンの正体が分からなくなる。まるで、そう煙に巻かれたように」

 

「どうかな」

 

 それこそ敵のブラフかもしれない。そう考えたが、カルマには判ずるだけの余裕もない。すぐにでもユウキを追わねばならない。たとえユウキが死んだとしても、まだレナが残っている。自分の秘密の一端を握る可能性のある人間はこの世に存在してはならないのだ。

 

 やはり、ムシャーナで先制を仕掛ける。それしか今、残されている方法はない。一秒でも早く、カルマがユウキ達を始末出来るようにするには目の前のアマツに構っている暇はない。

 

「ムシャーナ、サイコキネシス!」

 

 ムシャーナの目が見開かれ、ピンク色の瞳孔が収縮する。体表が紫色の光を帯び、段階的な衝撃波がアマツへと襲いかかる。トレーナー本体へと攻撃すればポケモンが必然的に守りに入る事となる。そう考えての攻撃だったが、その時、掃除機が不意に動き出した。低い駆動音を立てて掃除機が走り込み、ノズルから草を吐き出した。草は瞬く間に増殖し、深い緑の壁を作る。緑の壁がたわんで「サイコキネシス」の放つ衝撃を減衰し、空気の中に溶け込ませる。カルマには目の前の光景が理解出来なかった。

 

「炎、水、氷、電気と来て、草だって?」

 

 そのような複合タイプを持つポケモンは存在しない。少なくともカルマの常識では考えられなかった。団員達の様々なポケモンを見てきたが、今のカイヘン地方において所有出来るポケモンは二体までだ。当然、戦法にも偏りが出てくる。複数のタイプを競合させるよりかは、一つのタイプに固執したほうが強いという事も分かってくる。だから、一戦闘において、見られる攻撃はせいぜい見かけに準拠したタイプでなおかつ弱点を補うタイプの攻撃が一つは組み込まれている。

 

 その経験則から異なるタイプの攻撃だとしても三つが限度だと考えていた。それも攻撃技のみで三つというのも珍しい。だというのに、アマツのポケモンは最低でも四つのタイプを使い分けているポケモンとなる。しかし、ポケモンというのはタイプ一致、つまり自分の持つ属性と同じ属性でなければ技の威力が弱まるという性質を持っている。なので、タイプ一致技とタイプ不一致の技がぶつかれば、勝つのは当然タイプ一致だ。

 

「タイプ一致の技を相殺出来るのは……」

 

 カルマが息も絶え絶えに口にする。アマツは口角を吊り上げた。奥歯を噛み締めながら、カルマは目の前の現実を見つめた。新緑の壁がばらけて一陣の鋭い旋風となってムシャーナへと襲いかかろうとしている。「サイコキネシス」とぶつかっておいて全く弱まった様子が見られない。刃の鋭さを伴った緑色の風がムシャーナの無防備な背中へと降りかかった。

 

「タイプ一致だけのはずだ。なのに……」

 

 ムシャーナを無数の草の刃が切り刻む。表皮が裂けて血が滲み出した。ムシャーナが緩慢な呻き声を上げる。ムシャーナの予知する映像は切り替わる様子はない。少なくともあと三分の間に電流による攻撃が自分とムシャーナを襲う。

 

 ムシャーナは嵐の只中にあったように全身に切り傷を負っていた。血が滴り、ムシャーナは再び目を閉じた。

 

 頭頂部から噴き出す夢の煙は変わらない。同じ予知だ。違う点があるとするならば、アマツの家電製品の中にテレビが追加されている。ムシャーナでは変えられないのかもしれない、とカルマは感じていた。デオキシスを繰り出せばあるいは、と思いかけて、いや、と首を振った。デオキシスは切り札だ。もし、アマツを逃がした時のリスクを考えれば手の内を明かすべきではない。自分の秘密を知る人間をいたずらに増やす結果に繋がってしまう。そうなれば、面倒だ。いくらデオキシスが優れたポケモンであっても、ある一点の弱点を突かれればお終いである。その弱点こそが、自分とデオキシスの秘密に繋がっているのだ。

 

「何だ、この威力は。考えられる複合タイプは、草・炎・氷……、いや、そんなはずは!」

 

 頭を振って否定する。そのような事はありえないのだ。ポケモンの複合タイプは二つまでである。しかし、何をすれば威力を保ったままタイプを変える事が出来るというのだ。

 

 アマツは家電製品の向こう側で、「考えているな」と口を開いた。勝利者の余裕が既に見えている。

 

「私のポケモンのタイプを。言ったはずだ。攻撃すればより分からなくなると。迷宮に迷い込むのはお前のほうだ、リヴァイヴ団の団員。そうだ。せっかくだから、この時間。有効に使わせてもらおう。お前が組織でどのポストにいるのか」

 

 カルマは目を戦慄かせた。その反応を見て、アマツが鋭く観察する。

 

「なるほど、その話題には触れて欲しくないようだ。このような豪奢な部屋にいるという事はそれ相応のポストだろう。しかし、お前のような顔を私は見た事はない。ブラックリストには一通り目を通したのでね、覚えている。後ろに倒れている蛙のような顔の奴は見た事がある。確か、ボスの側近だったか」

 

 カルマが肩越しにまだ倒れ伏している蛙顔を見やる。彼が起き上がっても厄介だ。彼もカルマの正体こそ知らないものの、口を割られれば面倒な数少ない人間である。彼には自分の事は「ボスへと複雑なコネクションを持って入ってきた使える従者」程度にしか教えていない。もし、取り調べによって自分の正体が婉曲的に露見するような事があれば、またしても面倒事が増える。消すべき人間が増えれば増えるほどに、行動は雁字搦めになっていく。

 

 アマツはそんなカルマの思惑など露知らず、推理を巡らせている。

 

「お前のような顔はなかった。という事は、つまりだ。お前は表立った行動はしないタイプの人間。組織の幹部でありながら裏方。そういう人間が一番怪しいぞ、うん? そういう奴ほど腹に何を抱え込んでいるか知れたものではない」

 

 アマツが手を振り翳す。掃除機が駆動音を止めた。今、カルマは気づいた。掃除機のコンセントが入っていない事に。それどころかどの家電製品もコンセントが繋がっていない。だというのに、突然動き出す。まるでポルターガイストだ。

 

 空間から再び何かが引き出されていく。ピンク色の光を纏って出現したのは、古ぼけたテレビだった。ブラウン管と呼ばれるテレビで、茶色がかっている。その時、突然、画面にノイズが走った。電源が点いて砂嵐が浮かび上がる。カルマは確認する。コンセントはついていない。

 

「予知映像と同じ……」

 

 カルマは後ずさった。アマツが人差し指を向ける。

 

 テレビから電気が迸った。電流が床を這い進み、ムシャーナの直下に至る。ムシャーナはまともに電撃を受けた。ムシャーナの身体が震え、鳴き声が上がる。ムシャーナから跳ねた電流がのたうち、カルマへと蛇のように襲いかかった。カルマは身をかわそうとしたが、電流の速度のほうが速い。肩口へと焼け付いたような痛みが走った。

 

 肩を引き裂かれ、カルマは確信する。これはタイプ一致の攻撃だ。不一致の攻撃技を大量に持っているわけではない。だとすれば、とうとう分からなくなる。カルマは片膝をついた。荒い息をつきながら、「炎・電気・水・氷・草……。それの全部がタイプ一致攻撃……」と呟いた。

 

「その通り。この迷宮が解けるか?」

 

 アマツの挑戦的な言葉にカルマは思考を巡らせた。コンセントの入っていない家電製品。そこから放たれるタイプ一致攻撃、見えないポケモン、どれもが大きな謎として屹立する資格のあるものでありながら、同時に存在している。カルマは思考がとぐろを巻いてぐるぐると当て所ない解答を求めているのを感じた。このままでは迷宮に呑まれる。そう感じた瞬間、「終わりだな」とアマツが告げた。カルマが顔を上げる。

 

「思考の終点だ。お前はこのクエスチョンを、結局、解く事が出来なかった。思考停止。ならば、さらに混乱させてやろう」

 

 テレビの前で周囲の闇が寄り集まっていく。球体を成し、紫色の影の砲弾を作り出した。細やかな電子が跳ねている。カルマは目を見開いた。

 

「シャドー、ボール」

 

「そうだ。このクエスチョンを解く事を放棄した人間には、終わりこそが相応しい。さらばだ。ムシャーナはこれで沈む」

 

 影の球体――「シャドーボール」が回転し集束して周囲の影を引っ張り込んでいく。まるでブラックホールのように貪欲に影を吸い込んで巨大化する砲弾を見ながら、カルマは目を伏せた。アマツはそれを、勝てないと踏んだ、と確信した。

 

「お前のポジションが知りたかったが、まぁいい。あとでいくらでも推理するさ。禁固部屋でな。食らえ」

 

 影の球体が途上の光を食い潰しながら直進する。ムシャーナにかかるかと思われた、刹那の出来事だった。

 

 突然現れたオレンジ色の残像がテレビを寸断した。真っ二つになったテレビから電流が迸る。まるで血飛沫のようだった。ムシャーナへとシャドーボールが突き刺さる直前の出来事だ。ムシャーナは赤い粒子を残して消えており、シャドーボールは奥の執務机を巻き込んで外へと突き抜けた。

 

「何が……」

 

「デオキシス。答えはもう出ていたんだ」

 

 カルマがゆらりと立ち上がる。アマツが攻撃の指示を与えようとする前に、走った紫色の光芒が掃除機と冷蔵庫を破壊した。アマツの眼にはデオキシスの残像だけが映った。紫色の残像が何重もの像を結ぶ。

 

「サイコブースト。一瞬の閃光で残像さえ追いきれない速度で相手を攻撃する思念の加速器」

 

 電子レンジが動き出そうとするが、その前に走った光が電子レンジを断ち割った。次にアマツが指示を出そうとしたのは洗濯機だが、洗濯機も同じ紫の光が一閃したかと思うと既に機能を停止し、基盤を剥き出しにして切り裂かれている。

 

「答えは――」

 

 アマツの眼前にデオキシスが現れる。デオキシスの触手がアマツにかかろうとしたその時、洗濯機からオレンジ色の影が飛び出した。

 

 まるで独楽のような形状をしたポケモンだ。頭頂部と下部が尖っており、顔だけがある胴体が丸い。青い眼に亀裂が入っており、水色の電気のオーラを纏っていた。そのポケモンは頭頂部から電流を放出した。デオキシスは一瞬で飛び退いてそれを回避する。スピードフォルムにとって、そのような事は造作もない。もちろん、ただ回避するだけではなく触手を巻きつかせてアマツを人質に取った。オレンジ色のポケモンは戸惑うような挙動を見せて家電製品の骸が転がる中、浮遊している。洗濯機に入ろうとするが、完全に壊された家電製品の中には入れないようだった。すり抜けたポケモンが甲高い声を発する。

 

「このデオキシスと同じ、フォルムチェンジだ。デオキシスのように姿と能力が変わるだけではなく、まさかタイプが変わるポケモンがいるとは思わなかったが」

 

 家電製品が最初に出てきた事こそが答えだったのだ。家電製品の中に潜むポケモン。入り込む家電製品によってタイプを変幻自在に変え、適した技を習得する。

 

「まだこの俺でさえ、知らぬポケモンがいるとはな。生息域が限られているのか。まぁ、いい。α部隊の隊長が使うほどのポケモンだ。それなりのものなのだろう。だが――」

 

 デオキシスの身体から紫色の光が迸り、アマツの肩口から引き裂いた。両腕が飛び、血飛沫が舞う。アマツが喉の奥から叫び声を発した。高い天井に木霊する。

 

「戦闘不能になってもらう。これで指示は出せまい。惜しい戦力だが、俺の軍門に下るような人間ではないだろう。どちらにせよ、口は閉ざしてもらわなくては」

 

 一瞬でアマツの前に立ち現れたデオキシスが姿を変身させる。攻撃的に尖った一対の触手を有し、三つに分かれた頭部のシルエットは全く違うポケモンに見えた。

 

「フォルムチェンジ……!」

 

 アマツの言葉に、「いかにも」とカルマが応じる。

 

「鏡だな。俺のデオキシスが解答だった。さぁ、命令の出せぬよう、その口を溶接してやろう」

 

 触手の先端で電流が宿り、スパークの光を爆ぜさせる。アマツは目の前に迫った恐怖にも臆す事のない眼を向けた。その眼差しに、「勿体無いが」とカルマが口にする。

 

「喋れないようになってもらうしかない。大丈夫だ。殺すのはずっと後にしてやる」

 

 デオキシスが両腕から放つ電流がアマツの両肩の傷口を焼いて塞いだ。アマツが奥歯を噛み締めて痛みに耐える。生き物の焼け焦げる臭いにカルマは顔をしかめた。次いで、その唇へとデオキシスの触手が伸びた。かかるかに思われた瞬間、アマツは口にした。

 

「ただでは死なない。ロトム、スピン形態へフォルムチェンジ!」

 

 カルマが振り返った瞬間、扇風機が回転を始めた。閃光のような瞬きが一、二度あったかと思うと扇風機の回転速度が瞬時に増して、光芒が煌いた。デオキシスへと光の刃が襲いかかる。空気を裂く刃の名前は「エアスラッシュ」だった。デオキシスに突き刺さろうとした刹那、アマツは口元を歪めた。一矢報いる事が出来たと確信した笑みだった。デオキシスの無防備な背中へとエアスラッシュの刃がかかった。一瞬のうちにデオキシスの薄い表皮を引き裂き、その身体が上半身と下半身で生き別れたように見えた。

 

「勝ったな」

 

 アマツの声に、カルマは呆然と口を開けていたが、やがて、口角を吊り上げて、「ああ」と口にした。その言葉に眉根を寄せた直後、アマツは自身の身体から血飛沫が舞うのを見た。腰から肩口にかけて鋭い切り傷が斜になって走っている。アマツは何が起こったのか理解出来ず、「な、な……」と喘ぐように口を開きかけては閉ざした。

 

 目の前のデオキシスの像が歪み、紫色の残像が引き裂かれてカルマの隣にあった。デオキシスは既にアマツの背後に回っている。本物は後ろのほうだ。切り裂いたのは残像だと、その時に理解した。

 

「サイコブースト。思念によってこの世の最高速度まで瞬時に達するデオキシス固有の技。貴様がエアスラッシュで切り裂いたのはサイコブーストで作った幻影だ。そして、皮肉にも貴様のポケモンの最後の悪あがきは、貴様の命を縮める事となった」

 

 アマツがその場に膝を折って崩れ落ちる。エアスラッシュによる傷は深く、両腕を切断された痛みと共にアマツの精神力を蝕む。息が荒くなり、死の足音が近づいているのを感じた。

 

「デオキシス。扇風機を無力化しろ」

 

 その声で弾かれたようにデオキシスの身体が掻き消え、次の瞬間には扇風機を断ち割っていた。触媒を失ったアマツの手持ちポケモン――ロトムがふわりと浮き上がり、独楽のような姿へと戻った。

 

 ロトムは周囲の影を吸収し、目の前に影の球体を練り出した。シャドーボールだ。しかし、それが完成するよりも速く、デオキシスがロトムへと一閃を浴びせかけた。デオキシスの身体が即座に空気の中に消え、ロトムの背後に現れる。ロトムが振り返った直後、シャドーボールがざくろのように弾け飛び、ロトムの身体が寸断された。ロトムの残骸は床に落ちると同時に消えていく。ぼう、とまるで火の玉のように一瞬だけ燃えたかと思うと、跡形も残さずに消えていった。アマツが呆然と見つめている。今しがた起こった出来事が信じられないとでも言うように。

 

「電化製品を触媒とするフォルムチェンジ。タネが分かれば何て事はない。触媒を破壊すれば、攻撃の幅はぐんと狭まる。だが、電化製品の意味が分からなければ勝てなかっただろう。貴様に敗因があったとすれば、俺のデオキシスがフォルムチェンジを会得していた事だ」

 

 カルマはアマツを見下ろして言い放つ。

 

「だが、ここまで俺を追い詰めた人間は初めてだ。敬意を表そう。そうだな。先ほども言ったが、ここでは死なせない」

 

 接近したデオキシスの触手の先で溶接する電磁が弾け、アマツの身体を斜に走った傷を塞いだ。アマツが仰け反って痛みに耐える。カルマは興味深げに、「ほう」と顎に手を添える。

 

「痛みで呻くような無様な真似は晒さないか。α部隊の矜持か。ウィルの意地か。結構な事だ。俺からしてみれば、そのようなものはどうでもいいのだが、構わない。男の絶叫など、女のそれに比べれば何ともつまらないものだよ」

 

 カルマの言葉にアマツは息も絶え絶えに、「外道が……」と吐き捨てた。カルマは事もなさげに、「外道で悪いか?」と返す。デオキシスの触手がアマツの首を絡め取り、無理やり前を向かせた。もう一方の触手の先端が唇へと近づき、溶接しようとする。さすがのアマツも恐怖で目を慄かせた。それを見たカルマが口元を歪める。

 

「我々リヴァイヴ団は悪の組織なのだよ。そこに矜持を見出すのは勝手だが、俺には必要ない。元より、善悪の問答など意味がないのだ。この世界においては力こそ全て。だからウィルという絶対者が必要だったのだろう? ただ、そうだな」

 

 カルマは顎に手を添えてアマツの顔を覗き込んだ。カルマは眼前に迫ったデオキシスの触手へと視線を注いでいる。

 

「記憶を消せるようなポケモンがいればちょうどいいのだが、今のリヴァイヴ団にはそのようなポケモンとトレーナーはいない。だからこれからの動作はイエスかノーだけだ。イエスの時は一度頷き、ノーの時は二度頷くといい。分かったか?」

 

 アマツが無言を返していると、カルマは凍りついたような表情になり、デオキシスの触手がアマツの唇を焼き切った。アマツが口元を押さえようとするが、既に両腕はない。悶絶するように身体をねじらせた。「言った事は」とカルマが口を開く。

 

「すぐに出来なければ一流ではない。ウィルの中でも随一の、α部隊の隊長が何て様だ。それでは部下に顔向け出来まい? うん?」

 

 カルマがアマツの頭を掴んで無理やり起き上がらせた。アマツはカルマを恐れるような眼差しを向けている。

 

「まず、一つ目だ。俺の言う事を聞くか?」

 

 アマツは一度頷いた。「よし」とカルマが確認し、「もう一つ」と続ける。

 

「デオキシスの事は他言無用だ。これを仕掛けておこう。デオキシス。未来予知」

 

 デオキシスが身体を震わせ、青白い残像を作り出した。その残像がアマツへと覆い被さってくる。アマツは身体をねじって逃れようとするが、その前に、すぅとアマツの内部へと残像が入ってきた。アマツが周囲を見渡す。カルマと、デオキシス本体以外は何もいない。

 

「貴様の中にデオキシスの未来予知攻撃を仕掛けた。貴様がデオキシスに関する何らかの事を誰かに伝えた場合、これは発動する。まぁ、もっとも、喋れぬ身で伝えられる事は限られているだろうが念のためだ」

 

 カルマはアマツの肩を踏みつけた。アマツが身体を震わせる。カルマは両腕で天井を仰ぎ、「恐怖しているな」と口にした。

 

「その恐怖こそが俺の力となる。恐怖がなければ、人は従うと言う事を覚えない。何と、愚かな種族か、と思う。だが、同時にこうも考えられる。恐怖というものを知りながら、無謀という事を行えるのも人間なのだと」

 

 カルマは肩を蹴りつけ、よろめいたアマツの頭を押さえつけた。靴で頭部を踏み躙る。

 

「俺にとって、α部隊の隊長と戦い、勝つ事は無謀だった。しかし、人間はその無謀を乗り越えた時にこそ真価を発揮するのだ。今ここに、俺の価値は貴様よりも上だという事が証明された。頂点に立つ者は少ないほうがいい。俺は貴様を押し退けたのだ」

 

 アマツが反抗的な眼を向けてくる。その眼光さえも今のカルマにとってしてみれば誉れだった。

 

「いい眼をしている。だからこそ、取引をしたい。いいな?」

 

 アマツは僅かな逡巡を浮かべようとしたが、デオキシスがいつでも攻撃態勢に移れる事を察したのか、一つ頷いた。

 

「俺をウィルの総帥に会わせろ」

 

 その言葉にアマツが目を見開いた。カルマは、「そう難しい要求ではないはずだ」と告げ、アマツから離れた。何をするのかとアマツが見ていると、斬り飛ばしたアマツの腕をカルマは拾い上げた。ポケッチのついている手首へと視線を落とし、アマツへと目を向ける。

 

「α部隊の権限を使わせてもらう」

 

 カルマはポケッチの電源を入れて通信を開き、口にした。

 

「α部隊より告げる。ウィル全部隊は戦闘を中止。繰り返す、戦闘を中止せよ」

 



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第六章 二十四節「虚栄の頂」

 アマツがその言葉に身体をくねらせて向かおうとすると、カルマはアマツの頭部を踏みつけた。そのまま、同じ言葉を繰り返す。

 

「戦闘中止だ。ウィルは戦闘不能と判断する」

 

 アマツが喉の奥から声を発する。しかし、唇が開けないためにそれは無意味な呻きとなった。ポケッチから各部隊の困惑の通信が返ってきた。

 

『戦闘中止って、どういう意味だよ、アマツさん! 俺達がせっかく、戦線を切り拓いたのに!』

 

『こちらε部隊、カタセ。その言葉の意味が理解出来ない。今、こちらは優勢にある』

 

 民衆の叫び声が混じって聞こえてくる。まるで恐れ戦くかのような声だった。

 

「言葉通りの意味だ。これ以上戦闘継続の意味はないと判断する。これはリヴァイヴ団との特殊提携関係が結べた事に由来する」

 

『何だって?』

 

『それはどういう事か?』

 

 他部隊からの質問を打ち切るようにカルマはポケッチの電源を切った。アマツを見下ろして、鼻を鳴らした。

 

「無様な。まぁ、本当の事だろう? リヴァイヴ団との特殊提携関係、いわゆる停戦協定という奴だ。それを自分の身を犠牲にして結んだα部隊の隊長。何と涙ぐましい事か。努力は必ず実を結ぶのだという証明になるな」

 

 カルマは高笑いを上げた。高い天井へと吸い込まれていく。何が努力か、何が仲間意識か。そのようなものは覇者のごとき力を持つ者からしてみれば全く意味など成さない。

 

「俺は常に勝者だ」

 

 アマツに言い放ち、カルマはマスターボールをデオキシスに向けた。デオキシスが赤い粒子となって吸い込まれ、カルマはまだ倒れ伏している蛙顔へと近づいた。蛙顔の肩を揺さぶると、ようやく気づいたのか、「ここは……」と寝ぼけた声を出した。

 

「しっかりなさってください」とカルマが言うと、「そうだ! レナ・カシワギの引き渡しは」と今さらの事を蛙顔は重要そうに口にした。カルマは忌々しげに思い出す。あの裏切り者の団員、ユウキとレナは恐らく逃げおおせた。こちらから追う手段がないわけではないが、それは準備を済ませてからだ、とカルマは自分を納得させる。

 

「レナ・カシワギはリヴァイヴ団をユウキという団員と共に裏切りました。逃亡を許すまいとしたのですが、ウィルの邪魔立てに遭いまして」

 

「そこに倒れているのは?」

 

 蛙顔がようやくアマツの存在に気づく。カルマは自身の胸元に手をやって言う。

 

「このわたくしが、ウィルの隊長を何とか下しました」

 

「そう、か。よくやったな」

 

 蛙顔はカルマがリヴァイヴ団のボスなど露にも思っていないのだろう。その声音は信頼出来る部下に対するものだ。

 

「ウィルは勝てないと知るや停戦協定を持ち出してきました。恐らくはランポ様の演説は期待していたほどの成果を得られなかったでしょう」

 

 ウィルも本気だったのだろう。アマツがここまで深く潜り込めた事が、リヴァイヴ団の演説がうまくいっていなかった事と、同時に情報が漏洩していた事を示している。

 

「そうか。私としてもそれは、残念だな」

 

 蛙顔が顔を拭って頷いた。張りぼてのボスに期待してどうするというのだろう。それよりも、いい条件が結べた事を喜ぶべきだった。

 

「停戦協定と共にウィルの総帥と会談出来る機会を得ました。これは好機です」

 

「何だと?」

 

「わたくしに考えがあります。会談自体は、α部隊隊長を使えば容易に可能になるかと。もちろん、話すのはランポ様ですが」

 

 ランポには思い描いているシナリオを進めてもらう、理想のボスとして君臨してもらわなくてはならない。そのためには今回の演説である程度の成果を得る必要があったが、新都での演説はほぼ失敗したと考えてもいいだろう。

 

 テロリストの妄言と切り捨てられかねないこの状況下で、武器に出来るのはα部隊隊長の身柄である。果たしてウィルがどれほど構成員に意味を見出しているか。既に戦闘不能となっている構成員の身柄など意味がないと言われてしまえばそれまでだ。

 

 カルマは考えを巡らせる。どうすれば、アマツの価値を保持したまま、対等条件のカードとして利用出来るか? デオキシスを見られた以上、口を封じる事を優先してしまったが、アマツにはまだ利用価値がある。だから殺さなかったのだ。蛙顔は少し考えるように継ぎ目のない首筋を撫でた。

 

「ランポか。彼の了承だけでは無理があるだろう。ウィルの総帥と会談するに至るには難しいのではないか?」

 

「その困難を、何とかしたいはずなのですよ。ウィルもね」

 

「というのは?」

 

 カルマは慎重に言葉を選んだ。ここで過ぎた事を言えば、ボスだと蛙顔にも露見する事となる。かといって、進言しなければランポとウィル総帥の会談など夢のまた夢だ。無能な部下を演じつつも、事態に直面にした時の聡明さを見せなければならない。

 

「ウィルは、今回のリヴァイヴ団演説の火消しを行いたいはずです。ハリマシティと近郊の町だけとはいえ、カイヘンの民にとってはヘキサの再来を予感させるものだったでしょう。ウィルにとって最もあってはならないのはヘキサのような組織の台頭。何としても、リヴァイヴ団を潰したいはずです」

 

「それは、そうだろうね。だからこそ、ダミー部隊を用意して本隊の被害を最小限に留めたのだが」

 

「しかし、今回、ウィルとしても強硬な手段に出過ぎた。先ほどα部隊の隊長による通信でそれを確信しました。ウィルもこのままでは世間のバッシングは避けきれない。それを最低限にするにはどうすればいいか」

 

「どうするのだね?」

 

 カルマは苛立ちを覚えた。少しくらいは自分で考えればいいものを。しかし、口には出さない。カルマは少し間を開けて息を吸い込み、決心したように口にした。

 

「ウィルとリヴァイヴ団が手を組むのです」

 

「何と……」

 

 蛙顔は絶句して驚愕に目を見開いた。カルマの発した言葉があまりにも突飛に聞こえたのだろう。しかし、この状況でどちらの利害も一致するものである事をカルマは説明した。

 

「よく考えてみてください。我々の目的、ボスの目指すところはあるべきカイヘンを取り戻す事。つまりカイヘンの自治独立です。ウィルはカイヘンの自治を断固として許さなかった。それはカントーがカイヘンを属国として従えたいがため。しかし、今やカイヘンの価値は落ちるところまで落ち、属国の維持もままならぬ状況。カントーからしてみればごくつぶしの地域でしょう」

 

「ふむ」と蛙顔が神妙な顔をする。カルマはあくまで客観的な意見を言う部下を装うとする。

 

「カイヘンに首輪をつける。それが当初のウィルの目的でした。しかし、飼い犬根性が既に骨の髄まで染み渡っているカイヘンの民は、調教の期間は過ぎたのです。今は、むしろ野に放つべきだとわたくしは考えます。野に放つべき、と主張するのがリヴァイヴ団。つまり、ウィルという組織よりもカントーという大元の意見と我々の意見は合致しているのです」

 

「だが、カントーがそれを認めるかどうか……」

 

 不安げな蛙顔に、「認めさせるのです」と強く主張した。

 

「カイヘンの独立、ひいてはリヴァイヴ団の独立、それを認めさせるために一度手を組むべきなのです」

 

「独立のために手を組むのか? それは無理があるのではないか?」

 

 蛙顔の意見にカルマは舌打ちを漏らしそうになる。これだから頭の回転が遅い人間は嫌なのだ。

 

「独立を最初の条件として持ってきたわたくしの言い方も悪かったですが、まずはウィルに向こう側のほうが得るものの大きい事実を認めさせる事です。実際、ウィルの得るものは多い。反政府勢力の排除、治安の維持、独立治安維持部隊が機能しているという証明、カイヘンという地域にまだ価値があると思わせられる。何よりもウィルは、リヴァイヴ団のボスを闇から引きずり出す事を求めているはず。今回、ランポ様ですがボスの姿が公に現れました。これによって、ウィルはリヴァイヴ団という組織に対してテロリズムによる報復以外の措置を取れるという選択肢が広がったのです」

 

「それは、対話という意味かね。組織のトップ同士の」

 

 ようやく意図するところが見えてきたらしい。ため息をつきそうになりながら、「その通り」と声を発した。

 

「それを会談という形に持っていくために必要なカードが、彼です」

 

 床に倒れ伏しているアマツを顎でしゃくって示す。蛙顔は震えた。

 

「死んでいるのかね?」

 

「いえ。生きています。まだ数日は生き永らえるでしょう。わたくしの提案といたしましては」

 

 そこで言葉を切る。蛙顔の反応を見るためだ。蛙顔はすっかりカルマの言葉に聞き入っていた。

 

「彼に瀕死の重傷を負わせたのが、裏切り者のユウキ、という事にしましょう」

 

「裏切り者に罪をなすりつけるのかね」

 

「なすりつけるとは」とカルマは蛙顔を見つめた。蛙顔が僅かに怯んだように顔を引きつらせる。

 

「人聞きの悪い。そうすれば全ての糸がユウキに繋がるでしょう。リヴァイヴ団を裏切り、道を塞ぐウィルの隊長を瀕死に追い詰めた、いわば共通の敵。彼がどちらの利益にもならない存在だというのは明らかです。レナ・カシワギの知識も持っている……」

 

 今、一番焦っているのはカルマだ。それを悟られてはならない。レナにデオキシスを解析され、ユウキが復活して立ち向かってくる。最悪のシナリオだった。そうなれば築き上げてきた王国が台無しになる。

 

「なるほど。レナ・カシワギというボスに繋がる重要人物の存在は、確かに厄介だ。それをウィルに売られでもしたら」

 

「売られる前に、こちらが手を組むのです。そうすれば、ウィルとリヴァイヴ団でユウキを追える」

 

「しかし、対面的にはどうするのだね。敵対組織が手を組むというのは」

 

「表向きには、ウィルはリヴァイヴ団を駆逐した、というシナリオでいいのではないでしょうか?」

 

「それは、リヴァイヴ団の解散を意味しているのかね」

 

 蛙顔が頬を引きつらせてアーボックの杖をついて詰め寄ってくる。カルマは落ち着き払って、「いえ」と言葉を発する。

 

「リヴァイヴ団は解散しません。しかし、表舞台からは消えたほうがいい。それは確かでしょう。ここ最近、リヴァイヴ団は目立ち過ぎている。むしろ、元に戻ると考えていただきます。リヴァイヴ団は闇の組織として、ウィルの傘下に加わる」

 

「ウィルが、リヴァイヴ団を特殊部隊のように扱うと」

 

 結論が見えてきた。カルマは一つ満足気に頷いた。

 

「そうです。ウィルという組織にとって、それが最も賢い選択でしょう」

 

 蛙顔は少し思案するようにだぶついた首の肉をさすった。カルマはそれ以上、何も言わなかった。過ぎた事を言えばボスだと勘繰られる。これでもかなり無茶な進言をしたが、これほど念を押して言わなければリヴァイヴ団の総意とは思われないだろう。蛙顔は、「ふむ」と頷いた。

 

「いいだろう。これをランポ、いやボスに進言しよう。会談の場は、どうやって設ける?」

 

「α部隊の隊長の引き渡し。それを会談の条件にすればいいでしょう。場所は向こうが有利なほうがいい。ウィルの本部が理想でしょうね」

 

「なるほどな。そうと決まれば早速動き出さないわけにはいかない」

 

 蛙顔は歩き出し、アマツを杖の先端でつついた。生きているのかの確認だろう。アマツは僅かに呻き声を上げた。

 

「カルマ」と名を呼ばれて恭しく頭を下げる。

 

「α部隊の隊長が死なないように見張っていろ。これは重要任務だ」

 

「は」と素直に了承し、カルマは扉の向こうへと消えていく蛙顔の背中を見送ってから、口元を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慌しく人々が行き交う。まるで自分など見えていないようだ、とランポは感じた。

 

 これでは本当に張子の虎ではないのか。スタジオセットが組まれた向こう側で団員と思しき人々は何やら小言を交わしている。その一言一言が突き刺さるようで、ランポは身を硬くした。これでボスをやろうとしていたのだから我ながら笑えてくる。その中の一人、猫背の団員がランポへと歩み寄ってきた。

 

「ボス、たった今、入電が来ました」

 

 そうだ。この団員の前では自分は真実、リヴァイヴ団のボスなのだ。そう思うと何やら奇妙な感覚に囚われた。つい先日まではコウエツシティでチンピラの尻拭いをしていた人間に対して総本山の団員がぺこぺこ頭を下げている。奇怪だ、とランポは感じる。

 

「上まで来るようにとのお達しです」

 

 上、とはランポに偽装の計画を告げた蛙顔の事を言っているのだろう。ランポは佇まいを正して、「分かった」と告げた。

 

「案内します。こちらをどうぞ」

 

 どうやら猫背の団員がそこまでの道案内を務めてくれるようだ。恐らくはランポより通常ならば位が上である猫背の団員に引き連れられ、ランポはエレベーターホールまで歩いた。そこでちょうど降りてくるエレベーターがあり、扉が開くと蛙顔が目の前に現れたランポに目を丸くして驚いた。

 

「ちょうどこれから呼ぼうと思っていたのですよ」

 

 蛙顔まで敬語を使うのは団員達にボスだと信じ込ませるためだろう。猫背の団員と別れて、ランポは蛙顔と共にエレベーターを上がった。狭い箱型空間の中、蛙顔は前を向いたまま口を開いた。

 

「これから君に、リヴァイヴ団のボスとしての指令を与える」

 

「指令、ですか」

 

 元の立場へと逆戻りして声を強張らせる。蛙顔は、「そうだ」と口にした。

 

「ウィルの総帥と君は会談し、停戦協定を呑んで提携関係になってもらいたい」

 

 ランポは目を白黒させた。「何ですって?」と聞き返し、ランポは尋ねる。

 

「停戦協定? それはいつ結んだのです」

 

 まさしく寝耳に水の言葉に、蛙顔は肩越しに視線をやった。

 

「先ほどね。ウィル、α部隊がこのビルへと潜入していた事が発覚した」

 

 重々しく口火を切る。それは驚愕すべき内容だった。ウィルα部隊隊長、アマツがこのビルの最上階へと難なく潜入し、レナ引き渡しの場において交戦状態に陥ったというのである。しかし、ランポの真に驚嘆した事実は蛙顔が発した次の言葉だった。

 

「α部隊隊長をその場に居合わせたユウキが瀕死の重傷を負わせたが、彼は同時にある企みを持っていた。レナ・カシワギの誘拐だ」

 

 心臓を鷲掴みにされたような心地だった。それは自分が誓った事、とはもちろん言えない。ランポは、「そんな……」と今しがたその事実を聞かされた風を装わなければならない。

 

「レナ・カシワギを誘拐し、ウィルに重傷を負わせた彼をウィルとリヴァイヴ団は共通の敵として認識する事とした」

 

「ちょっと待ってください。ユウキは、何の考えもなくウィルに楯突くような奴じゃ――」

 

「現にそうだったんだ。割り切りたまえ」

 

 断固として放たれた声に、ランポは言葉を喉の奥で飲み下す。これ以上口にすればぼろが出る。それはユウキとの誓いを何よりも台無しにする行為だ。お互いに誓ったはずだ。相手がミスしても見捨てろ、と。

 

「ユウキは、どうなるんです」

 

「裏切り者だ。レナ・カシワギの情報をウィルに売られる前に、我々はウィルと手を組む事のほうが賢明だと判断した」

 

「敵の敵は味方、という理屈ですか」

 

 蛙顔は振り返る。すると、エレベーターの扉が開いた。豪奢な造りの最上階へと辿り着く。二体のポケモンの彫像が向かい合っており、威圧的な印象を与えた。赤いカーペットが敷かれている。先ほどまでいたビルと同じ建築物内にあるとは思えなかった。エレベーターの前にもう一つ、人影を見つけてランポは目を見開く。それは蛙顔の従者である紳士だった。

 

「今回のシナリオはカルマに考えてもらった」

 

 従者の名前はカルマというらしい。今、初めて知ったランポは恭しく頭を下げるカルマを横目で見ていた。

 

「カルマ。アマツは」

 

「あの状態では何も出来ないでしょう。一応、ムシャーナの金縛りで足を動けなくしておきました」

 

「上出来だ」

 

 何が話し合われているのかランポには分からない。しかし、ただならぬ事だという確信はある。

 

「ついてきたまえ。これが、我らのカードだ」

 

 ランポは蛙顔とカルマの後ろに続いた。すると、廊下の突き当たりに真鍮製の取っ手がついた扉があった。

 

 扉が開かれる。すると、強烈な鉄さびの臭いが鼻をついた。思わず顔をしかめると、奥の壊れた執務机の前に紫色の煙を発するポケモンと人影らしきものが見えた。胎児のように丸まって昏睡しているポケモンはムシャーナだろう。踏み込むと、ランポにもようやくその人影の全貌が見えてきた。その人影には両腕がない。肩口からばっさりと斬られている。両腕は少し離れた場所に無造作に転がっている。

 

 人影は首を項垂れさせて荒い息をついている男だった。よく目を凝らせば唇が融けて溶接されたようになっている。この男は呼吸すら満足に出来ず、さらに両腕を斬られた痛みに呻く事すら出来ないのだ。地獄の責め苦とも思える光景を直視したランポは思わず息を呑んだ。

 

「この、男は……」

 

「ウィルα部隊隊長、アマツ。単身で乗り込んできたようだ」

 

 蛙顔が口にする。だとすれば、先ほどの話にあったユウキが交戦状態に陥った隊長とはこの男なのか。しかし――、とランポは思う。肩口からばっさりと斬り捨て、さらには呼吸すら奪うというやり方はユウキの戦闘だとは思えなかった。

 

「これを、ユウキが……?」

 

 確認の意を込めてもう一度尋ねると蛙顔は重々しく頷いた。そんなはずはない、とランポは知っている。ユウキの手持ちはテッカニンとヌケニンだ。退化の能力を使ったとしても、さらに能力の劣るツチニンである。

 

 ――ユウキではない。

 

 ランポの中でその確信が強まった。このような悪辣な拷問をユウキがするはずがない。しかし、上官二人の前ではそのような感情など霧散した。自分がユウキの何を知っていたとしても、意味がないのだ。

 

「ユウキは、レナ・カシワギを連れ去り、その情報を利用してウィルとリヴァイヴ団、両方を相手取ろうとしている。恐ろしい事だ。瞬時に対応しなければならない」

 

 言葉を発した蛙顔へとランポは顔を振り向けた。蛙顔は何の表情も浮かべていなかった。ただ、そうだと判断した眼を向けている。これは決定事項だと告げられていた。ランポの一存でどうこう変えられる事ではない。

 

「そこで我々はウィルと手を組む事とした。カルマ。ウィルに停戦協定は行き渡っているのか?」

 

「抜かりなく。恐らくは総帥レベルまで話は通じているかと」

 

 いつの間に、と言う暇もない。既に話は抜き差しならない状況へと変わりつつある。最早、ボスとして演説した自分は立場を変える事など出来なかった。この状況にリヴァイヴ団のボスとして対応しなければならない。

 

「私は……」

 

 ランポが弱々しく口を開いた。蛙顔とカルマが両方、ランポへと視線を振り向ける。ランポは目を伏せて言葉を発した。

 

 ――言うのだ、と自分の中の良心が告げる。これはユウキの仕業ではない。ユウキに全ての罪をなすりつけるためにリヴァイヴ団上層部が動いているのだ。

 

 ――本当の悪は。

 

 ランポはカルマへと視線を向ける。カルマはモンスターボールを取り出し、ムシャーナを戻した。素知らぬ顔でランポの視線を受け流している。

 

「ランポ。どうしたのだね?」

 

 蛙顔が促す。今言わねば、自分は一生卑怯者だ。ここでこのような人間達に揉まれて、自分も非道の道へと堕ちるのか。しかし、褒められた場所ではないとユウキに言ったのは自分自身だ。ランポはきつく目を瞑り、やがて声を出した。

 

「……リヴァイヴ団のボスとして、ウィルの総帥と会えばよろしいのですね」

 

 言えなかった。

 

 とてもではないが。

 

 その悔恨が胸の中に充満していく。結局、自分とてこの連中と同じだ。自分かわいさに他人を犠牲にしようとしている。だが、これは責任だと逃れようとする自分もいる。既にこの身体も、発言も、自分一人のものではないのだと。ボスとして矢面に立つ覚悟をした時点で、自分の身はリヴァイヴ団という組織に捧げられたのだ。故に、この身体一つをとってしてみても、既に自分勝手に振る舞っていいものではない。

 

「よく決断してくれた」

 

 蛙顔の声にランポは歯噛みする。喚き出したい気分だった。「お前らが、ユウキを陥れようとしているのだろう」と糾弾してやれればどれほど楽か。しかし、ランポはもうそのような心に従った発言さえも許されない。

 

「明日にはウィル本部で極秘の会談が行われる。ランポ、君は少し休みたまえ」

 

「仲間達の、安否は」

 

「追って連絡しよう。その仕事は我々の仕事だ。君はリヴァイヴ団ボスとして動きたまえ。今日の演説、とても満足いくものだった」

 

 そのようなはずがない、とランポは抗弁の口を開こうとした。演説は失敗だ。うろたえる様子を見せてしまった。だが、何一つ言い返す事が出来ない。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 ランポは頭を下げる。蛙顔は片手を掲げ、「いい」と言った。

 

「ホテルまで手配しよう。カルマ。連れて行ってやって欲しい」

 

「分かりました」

 

 カルマが頭を垂れて、ランポを促した。

 

「こちらです。車で向かいます」

 

「ウィルの襲撃に遭いませんか?」

 

「戦闘中止命令が出ているはずです。今の状態ならばホテルへと身を潜めるのに適しているでしょう」

 

 身を潜める、という言葉にランポは、やはりそうなのだな、と納得した。自分はもうそのような立場なのだ。この命はリヴァイヴ団の人々の命と等価になってしまった。

 

 表に停まった車に乗り込み、カルマが運転席に座った。ランポは窓の外を眺める。窓ガラスが割れ、死体が転がる様はまさしく地獄絵図だった。もうもうと黒煙が上がっており、その場所がダミー部隊の展開していたビルだと知るや、ランポは、「皆は」と口を開いた。

 

「大丈夫なのか?」

 

「被害は甚大です。しかし、ウィルはこの被害によって逆に雁字搦めになったと言えます」

 

 淡々と告げるカルマに、ランポは、「どういう事ですか」と聞き返した。

 

「今回、ウィルは民間人を巻き込んでいます。その点でのバッシングは避けられないでしょう。今作戦でリヴァイヴ団を駆逐するする腹だったのでしょうが、あてが外れ、演説が無事に敢行された今となっては、ウィルは火消しに躍起になっているはずです」

 

「無事、か……」

 

 自分の演説の至らなさに腹が立つ。ランポは骨が浮くほどに拳を握り締めた。何が無事なものか。あのような中途半端な演説一つのために、何十人何百人と死んだのだ。それを必要な犠牲だったと割り切れとでも言うのか。

 

「お気持ちはお察しします」

 

 カルマの差し込んできた言葉にランポは顔を上げた。フロントミラーにカルマの顔が映っている。ランポを真っ直ぐに見据えていた。

 

「しかし、リヴァイヴ団という組織にとってはある意味で好機なのです」

 

「好機、とは」

 

「リヴァイヴ団はここ最近目立った動きをし過ぎている。ウィルも然りです。一度、初期状態に戻すのがお互いの組織にとって意味のある事かと思います」

 

「だから、会談を提案したのですか」

 

 カルマが一瞬だけ、フッと口元を緩めたように見えた。しかし、それはすぐさま鉄面皮の中に埋没した。

 

「仰る通り。互いの利益の一致によって我々は安寧を取り戻し、なおかつ目的を達成する事が出来る」

 

「血塗られた安寧だと、私は思う」

 

 犠牲を犠牲とも思わぬ言葉だ。まるで全ては予定調和だったかのような。ランポの内心を見透かしたように、「多くの犠牲を払いましたが」とカルマは続ける。

 

「血を流さずに自由を得る事など出来ません。もし、歴史の中に血の流れていない転換期があったとしたら、それはわざと見ないように目を逸らしているのです。目を覆い、耳を塞ぎ、無知な衆愚である事をよしとする。それが正しい事だと思いますか?」

 

「思いませんね」

 

 ランポは即答した。それはただの無気力な人間か、あるいは全ての事柄に無関心を決め込んでいるだけだろう。衆愚という言葉がよく似合う人々だ。ある意味ではカイヘンの実情を捉えている言葉ではある。

 

「あなたは正直ですね」

 

「私の信条として、嘘は言わない、というものがあります。決して偽らない」

 

「なるほど。羨ましい」

 

 しかし、その決意は先ほど自分で裏切ってしまった。ランポは苦渋に目を伏せる。信条を曲げたのは他ならぬ自分自身だ。

 

 ホテルへと辿り着き、三日前と同じ部屋へと案内された。カルマが、「明日の朝に連絡を入れます」と告げる。

 

「会談にはスーツでお願いします」

 

「持っていません」

 

「準備しましょう。ウィルの総帥の耳には入っている事と思いますが、もしもの時もあります。その場合は時間変更も止むなしと考えてください」

 

「分かりました」とランポは了承して頷いた。カルマが部屋から出て足音が聞こえなくなってから、ランポは壁を殴りつけた。悪態をつき、叫び出したい衝動が眉間に強く皺を刻む。

 

「どうして言えなかった、ランポ!」

 

 分かっている。責任と、上官に対する畏敬の念だ。状況に流された事もある。しかし、今までの自分ならば言えたはずだ。だというのに言えなかったのは、やはり変わってしまったからだろう。

 

 両手に視線を落としてわなわなと視界を震わせる。拳を握り締め、「この力は」と口を開く。

 

「何のためにある。俺は何のためにボスの影武者になった。その先へと進むためだろう。なのに、俺は呑まれた。状況を変える言葉を発せられなかったのは、俺の弱さだ」

 

 ランポは顔を覆って呻いた。獣のような声で、自身を責め立てるしかなかった。

 

 



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第六章 二十五節「ユウキ抹殺指令」

 ウィル本部は六角形の形状をしているのは悪趣味な冗談と言えた。

 

 スーツに袖を通したランポは緑色の制服を身に纏ったウィルの構成員とは一人も会わなかった。

 

 これは密談だ。一般の構成員にばれれば意味がない。ランポはカルマと蛙顔を引き連れてウィルの総帥が待つ総務室に向かった。体面上は蛙顔とカルマは部下である。ランポはエレベーターを昇り、目的の階層へと辿り着いた。

 

 リヴァイヴ団のような豪奢な造りではない。完全に機能性を追及した内装だった。ランポは総務室へと辿り着く。総務室の前には二人の構成員らしき人間が立っていた。一人は黒いコートの男だ。もう一人はまだ少年である。二人ともウィルの制服を纏っていない事から考えると隊長格であろうという推測が成り立った。

 

 物々しい空気を発する二人が扉を開き、総務室の内部が視界に飛び込んできた。奥に執務机があり、手前には応接用のソファがテーブルを挟んで並んでいる。執務机の向こう側に禿頭の男が背中を向けて立っていた。黒いコートの男が、「コウガミ総帥」と呼びかける。コウガミと呼ばれた男は振り返った。片目にモノクルをつけている。

 

「よく来てくださった」

 

 コウガミはそう言って歩み寄り、ソファを勧めた。

 

「座ってください。対等に話し合いましょう」

 

 対等なものか、とランポは胸中に毒づく。二人の隊長格が向こうには待機している。密談をいい口実にして暗殺、というシナリオも考えられなくはない。

 

 ランポが黙って突っ立っていると蛙顔が囁き声で耳打ちした。

 

「ボス。立ったままというのも……」

 

 濁した言葉にランポはようやく気づいて、「そう、ですね」とぎこちなく口にした。ランポがソファに座ると対面にコウガミが座った。コウガミの背後には二人の隊長が。自分の背後には蛙顔とカルマが立っている形となる。頼りになるのか、とランポは不安に駆られたが、コウガミがまずは口火を切った。

 

「昨日は過剰反応をしてしまったか。多くの罪のない民間人も被害に遭った」

 

 暗に大した事のない演説だったと言われているようだった。それに加えて民間人の殺傷をまるで事故だったとでも言うような言い草である。ランポは前傾姿勢になって口にした。

 

「九十五人」

 

 不意に発した言葉に、コウガミは眉根を寄せた。首を傾げ、「何ですか、その数字は?」と言った。

 

「我らリヴァイヴ団の死傷者数です。リヴァイヴ団だけで九十五人だ。民間人も入れれば百はゆうに超える」

 

「なるほど。存じております」

 

「ウィルは独立治安維持部隊という名目のはず。だというのに、民間人を殺傷したのはどういう事か」

 

「ここにいるε部隊隊長、カタセの独断です。あの状態では恐慌状態に陥った民衆が暴徒と化す危険性を考慮し、早期に手を打つ必要があった。八年前のロケット団復活宣言の二の舞では我らも困りますからね」

 

 カタセ、と呼ばれた男へとランポは視線を向ける。無表情な男だった。まるで修行僧のようだ。

 

「一般人を殺傷した事については既に公式に根回ししてあります。今さらほじくり返す事でもないでしょう。あなた方とて、公にされて欲しくない事柄はあるはずだ」

 

 それは今までのリヴァイヴ団とウィルの抗争の事を言っているのだろう。リヴァイヴ団の手が全く汚れていないかといえばそうではない。既にお互い血塗られた道を行っているのだ。

 

「確かに。ここでは停戦協定のために前向きなお話が出来ると思いましたが」

 

「もちろん、そのつもりです。無用な血は流したくない」

 

「では、停戦協定を呑んでいただけるので――」

 

「ただし、条件があります」

 

 来た、とランポは身構えた。必ずウィルに有利な条件をつきつけてくる事は目に見えていた。しかし、事前に通じ合わせた事柄ではウィルに有利な条件ばかりのはずだ。これ以上、何を望むというのか。額に汗が滲む。固唾を呑んで次の言葉を待っていると、コウガミは静かに口にした。

 

「リヴァイヴ団は正式に解散をしていただきたい」

 

「それは……」

 

 出来ない、というのが正直なところだった。リヴァイヴ団はウィルの傘下に入り、組織としては自然消滅する。それでは不満だと言うのか。

 

「ウィルの特殊部隊としてリヴァイヴ団を使うという話は」

 

「聞いております。しかし、体裁というものがある。ウィルがリヴァイヴ団に下ったと思われてもおかしくはない。そうなってしまえば独立治安維持部隊の名折れですよ」

 

「ウィルの名が残れば、それはウィルの勝利と捉えてもらうわけにはいかないのでしょうか」

 

 ランポの発した弱気な言葉にコウガミは快活に笑った。この男には似つかわしくないような笑い方だ。

 

「何を仰いますか。それは結果論に過ぎない。その上、民衆はどう捉えるかなど予測出来ないではないですか。ウィルの勝利、それは確かにそうでしょう。しかし、リヴァイヴ団を内側で運用しているという事が露見したら? それはウィルという組織の腐敗を示しています」

 

 とっくに腐敗しているのではないか、とランポは感じた。この会談を設けている時点で、ウィルはリヴァイヴ団を体よく利用しようという腹が見え隠れしている。

 

「では、認めてもらうためには」

 

「リヴァイヴ団の解散宣言。これは譲れませんな」

 

 コウガミが言い放つ。ランポはどうすればいいのか分からなかった。コウガミはあくまで強硬姿勢だ。どうすればリヴァイヴ団の利益を守ったまま、ウィルと手を組む事が出来る? そう考えていた矢先の事だった。

 

「ボス。α部隊の隊長の件と、ユウキの件を引き合いに出しましょう」

 

 カルマがランポへと耳打ちしてきた。そうだ。まだα部隊隊長の話題を出していない。ランポは少し息を吐き出して、肺の中の空気を入れ替えた。

 

「α部隊隊長、アマツの件ですが」

 

 ぴくり、とコウガミが眉を跳ねさせた。当たりだ、とランポは確信する。

 

「彼の身柄は貴重だ。ウィルが強硬姿勢を取るというのならば、彼の持っている情報と、もう一つ」

 

 ランポが指を一本立てる。怪訝そうにコウガミが眉根を寄せた。

 

「彼を下したリヴァイヴ団員。裏切り者のユウキ、レナ・カシワギに関する全ての情報を封印する」

 

「何を……」

 

 コウガミが怒りを滲ませた口調でランポを睨みつけた。両手を組んで、冷静に言葉を返そうとする。

 

「言っているのか、分かっているのか」

 

「無論。それらの情報はウィル、さらには我がほうに関しても特別な損害を被る重要事項です。特にユウキ、とレナ・カシワギ。この二人はどちらに災厄をもたらすか分からない。なにせ、α部隊隊長をたった一人で破ったのですから」

 

「アマツさんが、やられた……」

 

 後ろに侍っていた少年が放心したように口にする。どうやらアマツは信頼の厚い男だったようだ。

 

「リヴァイヴ団を駆逐しても、まだそのような悪の芽が残っている。悪い芽は早めに摘み取ろうではありませんか。もちろん、協力して」

 

 ユウキとレナを共通の敵とする。自分で言っておきながら自分の言葉ではないかのようだった。一体、誰の喉を借りている? コウガミは鼻息を漏らし、「なるほど」と口にした。何度か頷き、「どうやら小事にこだわっている場合ではないようだ」と言った。

 

「リヴァイヴ団の壊滅。それはウィルの傘下に加われば成しえる事でしょう。しかし、この二人の足取りを掴む事に関しては我々リヴァイヴ団のほうが上だと判断していただきたい。α部隊隊長、彼の情報もそうだ。もし、我らをトカゲの尻尾きりのように切り離すというのならば、それ相応の報いが来ると考えてもらいたい」

 

 口に出してはいないが、アマツの命もこちらの手にあると思わせる必要があった。事前情報ではアマツの管轄はカントーだという。ならば、ウィルの資金源であり大元だ。カントーの極秘情報に触れている可能性のあるアマツをなんとしても取り戻したいはずである。それはカントーの逆鱗に触れないために必要な措置であろう。

 

 コウガミは幾ばくかの逡巡の間を浮かべた後に、息をついた。

 

「……分かりました。リヴァイヴ団をウィルの傘下として迎え入れましょう」

 

 リヴァイヴ団に解散という敗北の苦渋を味わわせるよりも、吸収による自然消滅の道を選んだのだ。そうする事のほうが、リスクが低いと見積もったのだろう。

 

「感謝します」とランポが手を伸ばす。コウガミは、「いえ。こちらこそ」とその手を握り返した。

 

 ここにウィルとリヴァイヴ団の密約が確かに結ばれた。しかし、これでいいのか、と自問する。汚れた世界に踏み込んだ確信はリヴァイヴ団に入った時に既にあったが、これはまた別種のものだ。さらに汚れた領域に入ったような気がして、ランポは現実感の遊離を覚えた。

 

 今ここにいる自分も、ボスだという事実も全てが嘘の塊のようだ。嘘の城が築き上がり、目の前に屹立しようとしている。それは酷く恐ろしい影を落としているように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会談の後、ランポはダミー部隊が展開していたビルの跡地を訪れた。話によれば、ウィルβ部隊隊長、カガリのポケモンによって一瞬で陥落させられたらしい。一人の遺体も上がらなかったという。ランポは拳を握り締め、静かに黙祷を捧げた。

 

 ――エドガー、ミツヤ。

 

 心の中で自分を支えてくれた二人に呼びかける。二人の魂はしっかりと天国へ上がれただろうか。自分をF地区時代から知っている二人は、今の自分を見てどう思うだろう。

 

 ランポは瞳を開いて、空を仰いだ。曇天の中、微かに垣間見える太陽がある。きっと雲の向こうは晴れ渡っているのだろう。灰色に重く垂れ込めた空の向こうから自分を叱ってはくれまいか。そんな身勝手な考えが浮かんで、ランポは頭を振った。このような調子ではウィルの傘下に入って戦う事など出来ない。今まで以上に過酷な運命が待ち受けているのだ。死した者に頼っているのでは何一つ成しえない。

 

「エドガー、ミツヤ。俺は、行くよ」

 

 そう言い残してランポは身を翻した。後部座席に乗り込み、車が発進する。隣に座った蛙顔が口を開いた。

 

「エドガーとミツヤは残念だった」

 

 何の感慨もない声に、何が分かるものかと反発したくなったが、ランポは目を伏せて、「はい」と応じた。

 

「これから親衛隊を迎えよう。今までのような守りではボスである君を守りきれない」

 

 本当のボスは別にいるのだからいいのではないか、そう感じたがランポは頷いた。

 

「親衛隊の人員はこちらで決めていいかね?」

 

「二人だけ、私の意見を聞いてもらえないでしょうか?」

 

「ふむ」と蛙顔が首筋を撫でながら頷く。

 

「誰か、いい当てでも?」

 

「テクワとマキシ。この二人は私の命令が直接行き届く場所に置きたい」

 

 最後の我侭だった。蛙顔は思案するような間を浮かべた後に、「なるほど」と口にした。

 

「確かに、かつての仲間が傍にいるほうが君も安心出来るだろう。分かった。テクワとマキシ、両名をリヴァイヴ団親衛隊に迎え入れる準備をしよう。実は彼らの名前はもう挙がっていたんだけどね」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。特にテクワ。彼に関してはこの戦いで急激な成長を遂げた節がある。対してマキシは精神面での脆さが露呈した」

 

「マキシが?」

 

 信じられない言葉だったが事実なのだろう。嘘を教える意味はない。

 

「だが、この二人の連携は強力だ。ウィルε部隊へと組み込み、親衛隊として再編成する。君には親衛隊結成後、号令を頼みたい」

 

「号令、と仰るのは……」

 

「新生リヴァイヴ団、いや、ウィルか。その最初の任務の号令だ。ユウキとレナ・カシワギの抹殺任務を君には号令してもらいたい」

 

 その言葉にランポは目を戦慄かせた。蛙顔が知ったような口で、「辛いのは分かる」と言う。

 

「かつての仲間を抹殺せよと命じるのはね。しかし、これは君がリヴァイヴ団のボスとして、ウィルと同盟関係を結ぶ上で冷徹な判断を下せるかどうかの基準となるのだ。最初にこれを言えれば、君はもう立派な、リヴァイヴ団のボスだろう」

 

 ランポは頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲いかかったのを感じた。視界がくらくらとする。ここで頷けば、もう後には戻れない。修羅の道へと突き進む事となる。それを是とするか、否か。先ほど、黙祷を捧げたばかりの二人の仲間に顔向け出来るのか。

 

「やってくれるね?」

 

 念を押す言葉に、ランポはもう何も言えなくなった。深い息を吐き出し、やがて息を止めて頷いた。

 

「やります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緑色の制服を身に纏った人々と、服装はバラバラだが左胸に反転した「R」のバッジをつけた者とが二分されている。

 

 まだ交わる気配はない。ランポは壇上へと上ってから視界に捉えた光景にそのような印象を抱いた。だが、自分はこれからリヴァイヴ団のボスとして、ウィルの傘下にある特殊部隊として彼らを操らねばならない。そのための最初の儀礼だと割り切るしかなかった。

 

「諸君らは、つい先日まで敵同士であった。その溝は埋められないかもしれない。しかし、志すものは同じのはずだ。カイヘンの平和。それを心に抱いているのならば、同志と言っても過言ではない。我々の平和を脅かす存在がしかし、カイヘンには存在する。本日はリヴァイヴ団のボスとしてではなく、ウィルとの統合部隊、リヴァイヴウィルを束ねる人間としてここに宣言する」

 

 新たな部隊の名はリヴァイヴウィルに決定した。仮決定であり、本格的に始動するのは一ヶ月程度かかるだろう。現段階の編成は共通の脅威のために身構えただけの即席だ。その中でも一握りの、親衛隊と呼ばれる十人の中にテクワとマキシの姿を見つける。見知った顔が前にいてホッとする反面、既に面持ちは以前と違う二人を見て、隔絶を思い知った。

 

 ランポは自分の喉を震わせている言葉が自分のものでないような気がしていた。

 

 これは誰の言葉だ? 

 

 自分はいつから踊らされている? 

 

 それすら分からぬ場所に、既に来てしまったのか。後戻り出来ぬ場所に。次の言葉を発すれば、とうとう後戻り出来なくなる。誓いも、夢も、全ては彼方へと消え去ってしまうだろう。しかし、言わねばならない。ここにいる人々に指針を示すために。

 

「組織の裏切り者であるユウキとレナ・カシワギを、――抹殺せよ」

 

 その言葉を放った途端、もう自分はコウエツシティにいたランポではなくなった。黄金の夢は脆く崩れ去り、後に残ったのは虚栄の頂だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第六章 了

 




物語は新章へと――黄金の夢の彼方へ


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Rebellion
第七章 一節「反逆者」


 ネオンサインに混じって羽毛のような白い雪がちらついていた。

 

 ネオンの色を引き移した雪が様々に色を変える。

 

 その身に纏っている色だけでも千差万別、雪は人々の頭上へと平等に降りしきる。

 

 天からの贈り物である雪をその時、突風が引き裂いた。

 

 黒い突風である。纏わりつくようなネオンを振り切り、速度を増した黒い風の正体は中型のバイクだった。

 

 車輪が凶暴な音を響かせて道路を噛み砕き、前傾姿勢になって跨ったライダーのヘルメットにはネオンの色が流れている。行き過ぎていく色を振り払う様はまさしく旋風である。

 

 どの色にも染まることなく、黒いバイクはハリマシティの高速道路を駆け抜けていく。その背後へと追いすがる特殊車両があった。車体にWの白い文字が刻まれている。赤いパトランプを有しており、有事である事を告げていた。その車がスピーカーをハウリングさせながら、前のバイクへと呼びかける。

 

『こちらウィルβ部隊である。止まれ。止まらなければ攻撃も躊躇わない』

 

 その声を意に介せず、バイクは止まる気配を見せない。さらに速度を上げるバイクへと特殊車両が追いかける。下の道路から新たに同系統の特殊車両が合流し、三台の特殊車両がどっぷりとした体躯に似合わない速度でバイクを補足する。投光機を持った鳥ポケモンが空中に展開し、黒バイクを照らした。特殊車両の助手席に納まったサヤカは、セミロングの髪をかき上げながら、「別働部隊に通達」と無線機へと吹き込んだ。

 

「対象は三十六番高速道路を北上中。五百メートル先にバリケードを張っておくように。首尾は?」

 

『つつがなく、サヤカ一等構成員』

 

 返答の声に、「結構」とサヤカは応じた。視線の先に黒バイクを捉える。あれをこのまま逃がすわけにはいかない。今日こそ捕らえなくてはならないのだ。サヤカは無線機の周波数を変えて、「目標の速度が思ったよりも速い。各員、気を引き締めろ」と告げた。『了解』の復誦が返ってくる。サヤカが息をつくと、運転を任せている部下からの声を聞いた。

 

「サヤカさん。あれは、何のつもりなんでしょうか?」

 

 心底理解出来ないのだろう。サヤカは顔を振り向けた。緑色の制服を身に纏い、胸には「R」を反転させたバッジがあるが、肩口には「WILL」の白い縁取りがある。相反した意匠を身に宿した部下は半年前に入隊したばかりの三等構成員だ。サヤカは頬杖をついて窓の外に目を向ける。威圧するようなビル群が並び立ち、道路を走る自分達を見下ろしている。

 

「あれは私達には理解出来ない思考体系で動いている敵よ。そう考えるしかないわ」

 

 その判断が精神衛生上、最も好ましい事は目に見えている。敵に理由を求めるな、というのはかつてのウィルであった頃からの教えだ。しかし、新生ウィルになってから入った部下には今一つ通じなかったのだろう。彼はハンドルを握ったまま首をひねった。

 

「分からないです。奴は、何故こんな無茶をするのか。たった一人で、ウィルに対抗出来ると思っているんでしょうか?」

 

 それこそ愚問というものだろう。たった一人で出来る事などたかが知れている。サヤカは、「状況を掻き乱すつもりなのよ」と返した。

 

「それこそが敵の目論見。それにはまったらお終いよ。状況に呑まれない事ね」

 

 敵、と口にしてから、本当にそうなのだろうか、と自問する。組織が敵と断じたものは本当に敵だろうか、といつも考えてしまう。

 

 八年半前、ディルファンスにいた頃に考えた悪癖だ。ヘキサとの最終決戦の場で独自の判断を迫られた。その時に、自分は自分の心に従ったものだが、今もその志は生き続けているのだろうか。敵という判断に疑問を挟まず、私情は含まず、ただ淡々と排除する側に回ってしまった自分は、果たして正しいのだろうか。そこまで考えて、ナンセンスだと言う一語で振り払った。今はウィルに所属する一兵士だ。正しい、正しくないの議論は上が判断するのであって、自分のような歯車が判断する事ではない。それでも考えずにいられない性分になってしまったのは、ヘキサという地獄を見たからか。あの地獄をもう二度と再現させてはならない。だから悪の芽は早めに摘まねばならないのだ。今は、その行動の一端である。

 

 そう断じ、サヤカは黒バイクの動向を探った。黒バイクはオレンジ色のライダースーツを身に纏っている。まるで追いかけてくれと言っているようなものだ。サヤカは指示を飛ばした。

 

「β部隊構成員に告ぐ。圏内に近づいてきたら一斉包囲。絶対に逃がすな」

 

 その声に返ってくる言葉はない。β部隊の構成員は、皆、特殊車両の中で息を殺して待っている。戦闘の準備をして。サヤカは黒バイクの行く手に、即席型のバリケードが張り巡らされたのを見た。牢屋のような赤い光の線が立ち上って行く手を阻む。

 

 黒バイクが車体を横滑りにさせてバリケードの直前で急停車する。しかしエンジンを切る様子はない。まだ抵抗するつもりなのだろうか。特殊車両が前門の守りを固めるように停車して、サヤカは車から降りた。それと同時に車両の後部が開き、中から緑色の制服を身に纏った人々が現れた。全員、ウィルの構成員だ。

 

 モンスターボールをホルスターから引き抜き、攻撃態勢に移る。銃を突きつけるようにモンスターボールを構えた。統率された動きは、サヤカが攻撃の指令を出した瞬間に攻撃へと転じる。取り囲んだウィルの構成員達を見やってから、サヤカは声を出した。

 

「この状況で逃げられると思うな。無駄な抵抗はやめて大人しくするといい」

 

 黒バイクに跨ったライダーは答えない。フルフェイスの黒いヘルメットからは表情など窺えなかった。腰にモンスターボールの入ったホルスターを提げている。しかし、それに手をやる前に、こちらの攻撃命令が行き届くだろう。黒バイクに勝ち目はない。

 

「投降しろ」

 

 サヤカが再び声を発する。鳥ポケモンが投光機から光を放つ。円形の光に照らし出されたライダーは完全に包囲されているように見えた。後ろはバリケード越しの構成員で固められ、前は特殊車両と二十人を超える構成員だ。この包囲網から逃げ出せるはずがない。

 

「ポケモンも出さずに勝てると思うな。我々は貴様を拘束する権利がある」

 

 そう告げると、ライダーは肩を揺らし始めた。笑っているのだ、と知れた時、怖気と共にサヤカは訝しげな眼差しを向けた。

 

「何がおかしい」

 

「ポケモンも出さずに、と言いましたよね」

 

 ライダーが初めて声を発した。その声の意想外の若さに辟易しつつ、サヤカは、「それが」と口を開く。

 

「どうしたと――」

 

「既に出しています」

 

 その言葉が響き終わる前に構成員の一人が吹き飛ばされた。見えない壁に突き飛ばされたかのように次々と構成員達が後ろへと弾かれていく。サヤカは予め教えられていた対象のデータを脳裏に呼び出した。

 

「テッカニンだ! もう出していたというのか……」

 

 忌々しげに口走り、見えないポケモンを捉えようとするが、テッカニンはその素早さゆえに操るトレーナーでさえも苦心するポケモンだ。当然、夜の闇に溶けている高速のポケモンを炙り出すのはそう簡単な事ではない。ライダーはバイクに跨ったまま、いつでも走り出せる準備をしている。サヤカは指示を飛ばした。

 

「総員、攻撃に移れ。ポケモンの使用を許可――」

 

「遅い」

 

 その声が響き渡る前に放たれた声にサヤカは目を向けた。ライダーが天へと指を突き出している。指された先に奇妙な影が映った。黒と黄色の警戒色で塗り固められたポケモンだ。スカート状の下半身を持っており、そこから二匹、三匹と小さな物体が躍り出る。小ぶりな翅を震わせるそのポケモンの名をサヤカは知っていた。

 

「……ビークイン」

 

 呟いたサヤカはビークインが自分の手先であるミツハニーを身体から繰り出して何かをしようとしている事に気づいた。思わぬ伏兵に判断が鈍った瞬間、ビークインが身体から光を放射した。眩い光はミツハニーというレンズを通して拡散し、視界を一瞬ハレーションの中に沈ませた。サヤカが片腕を翳して顔を覆った直後、声が響く。

 

「テッカニン、バトンタッチ」

 

 高速の中に身を浸していたテッカニンが光となってライダーのモンスターボールへと戻り、代わりにその場に現れたのは土色のポケモンだった。虚ろな眼をしており、枯れ果てた枝葉を思わせる翅を有している。背中に亀裂があり、まるで既に死した遺骸のようだった。おあつらえ向きに天使の輪を頭につけたそのポケモンは泥のように黒く形状を崩したかと思うと一瞬で消え去る。

 

「ヌケニン、影打ち」

 

 ライダーの言葉が響き渡った直後、背後に気配を感じた。サヤカは咄嗟に投光機を持っている自分のポケモンに命じる。

 

「ムクホーク! ツバメ返し!」

 

 投光機を捨て去り、空中に展開していた鳥ポケモンのうちの一体、胸部に黒いM字の文様を描き、リーゼントのように尖った鶏冠を持つポケモンが急降下する。

 

 サヤカの手持ちであるムクホークは背後から現れようとしていた何かに急降下からの翼の一撃という刃のような攻撃を浴びせた。しかし、その攻撃が命中する前に、何かは素早く影の中へと没した。

 

 白い闇の中で何も見えないサヤカの耳にいななき声のようなエンジン音が響き渡り、すぐ傍を黒バイクが走り抜けていくのが分かった。サヤカがビークインの放った光が晴れたのを確認してハレーションの抜けた視界の中、黒バイクがいるであろう場所へと目を向けるが、そこには何もいなかった。もちろん、ビークインも既に撤退している。サヤカは周囲を見やった。構成員達は軒並みその場に倒れ伏していた。昏倒している者も中にはいる。

 

「今の、は……」

 

 部下が首筋をさすりながら身体を持ち上げる。それでも動きに支障があるのか、何度か頭を振って顔を拭った。ムクホークがサヤカの腕に止まる。サヤカは背後を振り向いた。黒バイクの姿は既に見えない。

 

「何が起こったんですか?」

 

 部下の言葉にサヤカは顔を振り向けて、「やられたわ」と声に出す。

 

「テッカニンを走行中に出していた。それに気づけなかった時点で、私達の敗色は濃厚だった。でも、それだけじゃない。こちらがバリケードを張る事を予期して、ビークインを先回りさせていた。ビークインのフラッシュでこちらの目を眩ませ、それと同時にフラッシュによって生じた影を利用して、ヌケニンの影打ちの連携へと持ってきた」

 

 ヌケニンの「かげうち」は相手の影を利用して、一瞬にして背後に回り先制を約束する技だ。

 

 夜の闇の中ではほとんど無効となるのだが、フラッシュによって焚かれた光が構成員達の影を浮き彫りにした。その影にバトンタッチで加速の速さを引き受けたヌケニンが潜り込んで構成員達の首筋へと攻撃を見舞った。自分は幸運にもムクホークによってそれを免れた結果になった。部下が首筋をさする。どうやらこの部下はヌケニンの一撃を受けても昏倒しなかったらしい。ガッツがあるのか、それともただの体力馬鹿か。ほとんどの構成員が呻き声を上げる中で、部下は口を開く。

 

「つまり、かなりの熟練度を持ったトレーナーっていう事ですよね。普通、フラッシュから影打ちのコンボなんて考えつかないでしょう。それにタイミングがずれたら終わりだ。恐らく、相当に綿密な計画を立てて、我々と相対したのでしょうね」

 

「袋のネズミに追い詰めたつもりが、追い詰められたのは我々の側だったって事ね」

 

 皮肉にもならない冗談にサヤカは周囲に視線を張り巡らせた。どうやら命に別状のある攻撃を受けた者はいないらしい。

 

「総員、立て直せ。追跡は続行不可能と判断」

 

「サヤカさん。しかし……」

 

「この状況で追えというのは無理があるし、もう逃げおおせているでしょう。私は隊長に報告するから、後の事は任せるわ」

 

 サヤカの断固とした言葉の数々に部下は閉口したが、やがて挙手敬礼を返して、「大丈夫か?」と昏倒した構成員の介抱に向かった。サヤカはポケッチの通信機能を開き、β部隊の隊長へと繋ぐ。

 

「隊長、こちら追跡部隊です」

 

『あー、サヤカちゃん? 今、どうしてるの?』

 

 相変わらずの腑抜けっぷりにサヤカは怒鳴り散らしたくなったが、体面上我慢する。

 

「どうしてるも何も、対象に逃げられました。隊長は詰所で待機している予定でしょう。隊長こそ、何しているんですか?」

 

 うっ、と声を詰まらせた通信越しの相手に、サヤカは畳み掛けるように声を放った。

 

「まさか、待機命令を無視していたんじゃないでしょうね?」

 

『無視なんてしてないって。ただ、退屈だったからさ。ジュースを買いに行っていたんだよ。そしたら、今、サヤカちゃんから電話来るじゃん。俺、焦るじゃん。ジュース零すじゃん。……全く、踏んだり蹴ったりだ』

 

「それは災難でしたね。でも、こちらはもっと災難ですよ」

 

 サヤカは昏倒した構成員達を見やり、ため息を一つついた。それを鬼の首を取ったかのように通話越しの声が弾ける。

 

『おっ、サヤカちゃん、ため息ついたね。サヤカちゃんでも憂鬱な時はあるんだ?』

 

「ええ、主に隊長のお世話をする時とかですかね」

 

 返された声に、『きっついなー』と笑い声が上がった。サヤカは前髪をかき上げて、ふぅと息をついてから、真面目な声になった。

 

「カガリ隊長、申し訳ありませんでした」

 

 その言葉に少しの沈黙を挟んでから、『謝らないでよ』と声が発せられた。

 

『サヤカちゃんの手腕は皆、知っている。それでも出し抜かれたって事は、相手は相当だって事だ。この数週間で何件だっけ?』

 

「もう五件です。五つの我々に関係する建築物に襲撃がくわえられております」

 

 ほとんど一週間に一件の割合で相手はこちらへと仕掛けてくる。小競り合いになる事は少なくなかったが、今夜のようなカーチェイスになる事は稀だった。追い詰めた、と感じていた。しかし、その実は相手の演出、掌の上だったという事だ。その事実にサヤカは歯噛みする。何も出来ないのかと、無力な自分を実感する。

 

『相手の目的は何なんだろうねぇ』

 

「データが奪われているようですが、何のデータなのかは我々には開示されないまま、知っているのは上層部だけですからね」

 

『言っておくけれど俺は知らないよ』

 

 カガリの言葉にサヤカは、「分かっていますよ」と返す。

 

「隊長は我々に隠し通せるほど器用じゃないでしょう?」

 

『何それ、馬鹿にしてる?』

 

「してませんよ。隊長は正直な方だと褒めているんです」

 

『サヤカちゃんに褒められて、嬉しいな。光栄だよ』

 

 そのような事は、本心では微塵にも感じていないだろうに。嘘八百が並べられるのもある意味では才能である。だからこそ、時勢の変化に対応してまだ隊長の立場を守れているのだろう。カガリは自分達が思っているよりも、ずっと賢しい子供だ。

 

「それは、どうも。しかし、逃がしてしまいました」

 

『誰も責めないよ。仕方がない』

 

 サヤカは道路の先を見据えながら、口を開く。白い吐息が常闇に溶けていく。

 

「反逆者、ユウキ」

 

 そう口にしたサヤカはポケッチを下ろした。

 

 



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第七章 二節「再起動」

 マシンが軋みを上げる。

 

 ライダーはさらに加速を促し、三十六番道路から降りた。下の道に入り、すぐさま反転する。ライダーの挙動に驚いたトラックが甲高いブレーキ音を立てる。黒バイクはトラックの横を通り抜けた。

 

「危ねぇだろ! 死にてぇのか!」

 

 野次を背後に聞きながら、ライダーは迷路のようにうねった道の先を行く。

 

 三十六番道路はサイクリングロードに直通する高速道路だ。その下にある三十七番道路はこの時間には車の通りが多い。身を隠すにはもってこいだった。

 

 ライダーは赤いランプの軌跡を描きながら闇の中を走り抜けて、一つのマンションの前で停まった。マンションにはガレージがあり、バイクから降りてガレージへと押して進める。ガレージの中にはボタンがあり、それを押すと、ガレージのシャッターが閉まった。それと同時にガコン、と音がしてガレージそのものが降下していく。ライダーはフルフェイスのヘルメットは取らずに、バイクに片手をついたままじっと立ち尽くしている。やがて胃の腑を押し付ける下降感が消え失せ、ライダーの眼前のシャッターが開いた。バイクを置いてライダーだけがそこから階段を下る。広い空間になっていた。天井は低いが、圧迫感は覚えない。吹き抜けのような構造で、一段階ごとにコンピュータが置かれている。その一つの筐体の前で、黒衣を纏った人物がライダーに気づいて振り返った。

 

「お疲れ様。例のデータは手に入った?」

 

 眼鏡のブリッジを押し上げ、怜悧な眼差しを向ける。ライダーは頷いて、オレンジ色のライダースーツのポケットから小さなスティックメモリーを取り出した。少女が歩み寄ってそれを手に取り、端末へと再び向かう。少女はキーボードを打ちながら、「あのさ、静かなのはいいんだけど」と肩越しに視線を振り向ける。

 

「だんまりって気分がいいもんじゃないわよ。おまけにフルフェイスだし」

 

 少女の言葉に、「そう言われましても」とライダーが口を開いた。ヘルメットに手をかけて、首から外す。ヘルメットを取って現れたのは黒髪の少年だった。首を振って圧縮されていた空気を振り払う。ふぅ、と息をついて少年は声を出した。

 

「レナさんが静かなほうが集中出来ると思いまして」

 

「あのねぇ、ユウキ。そう物事簡単じゃないの。あんただって、うるさければバトルに集中出来るわけでも、静かなほうが落ち着かないわけでもないでしょう」

 

 レナと呼ばれた少女は黒衣のポケットに手を入れてため息をつく。ユウキは抗弁の口を開いた。

 

「僕は、テッカニンを使うから、うるさいほうが有利ですけど。静かだと羽音でばれてしまう」

 

「はいはい、有利不利はこの際どうでもいいわ。あたしはね、ぴっちりと着込んだライダーが立ち尽くしているっていう画に対して気味が悪いだけ」

 

「言いがかりですよ」

 

 ユウキはヘルメットを近くのテーブルに置いて、代わりに置かれていたオレンジ色の帽子を被った。それを見て、レナが呆れたと言うように息をつく。

 

「ヘルメットで蒸し風呂状態だったのに、どうして帽子被るの? あんたは相当、将来禿げたいみたいね」

 

 その言葉にユウキはむっとして、「失礼な。別に禿げたいわけじゃないですよ」と応じた。レナはスティックメモリーからデータを引き出しながら、進捗状況を一瞥し、「まぁ、あんたの勝手だけれど」と口にした。

 

「でしょう? 僕は昔から帽子がないと駄目なんです」

 

「悪癖ね。帽子依存症とでも名づけようかしら。ああ、でも似たような症状にブランケット症候群とかあるわね」

 

「ブランケット症候群?」とユウキが訝しげに繰り返す。レナは筐体を指でなぞりながら、「子供の頃に毛布とか何らかの物に依存したことがあるでしょう?」と尋ねた。

 

「まぁ、小さい頃にはガーゼとかを噛まなきゃ眠れない子供だったらしいですけど」

 

 ユウキの返答に、「うわっ」とレナは吐きそうな顔をした。

 

「何ですか?」

 

「いや、ガーゼとかは正直引くわ」

 

「引かれるために言ったんじゃないですけど」

 

「まぁ、続けるわね。そういう依存対象のある事を、毛布になぞらえてブランケット症候群、または安心毛布と言うわね。幼児が精神的安定を得るために必要とする要素の事よ」

 

「それが僕にとっては帽子だと?」

 

 ユウキが帽子を取って、鍔を内側に向けて眺める。そのような事は自覚していなかったので改めて見ると新鮮に思える。

 

「ええ、そうね。あんたにとっては帽子だったってわけ。何らかの思い出でもあるの?」

 

 ユウキはかつて短パン小僧として戦っていた時にも赤い帽子を被っていた事を思い出す。昔から陽光の下を歩く事が多い子供だっただけに帽子は欠かせなかった。しかし、その事をわざわざレナに言ったところで仕方がないだろう。ユウキは、「かもしれませんね」という言葉で濁した。レナは、「まぁ、いいわ」とその話を打ち切って端末に向き合った。データの移行が完了し、レナがキーを叩く。すると、幾つかのファイルが浮かび上がってきた。

 

「さて、どれがボスにとっての安心毛布なのかしら」

 

 乾いた唇を舐めて、レナがキーを叩いて絞り込みに入る。幾つかのウィンドウが明滅した後に、一つの文書ファイルが見つかった。ファイルを開くと、頭にこう書かれている。

 

「RH計画」と。

 

「出たわ。これがボスの安心毛布なのか、それとも別の何かなのか」

 

「少なくとも」

 

 ユウキは歩み出た。レナが顔を振り向ける。

 

「僕らの半年間は無駄じゃなかった。それを証明したい」

 

 その言葉にはレナも頷く。耳にかかった髪をかき上げて、「それには同意ね」と返した。

 

「半年間も穴倉に潜った意味がないんじゃ、あたしだって浮かばれないわ」

 

「そうね」と声が発せられて二人はそちらへと同時に視線を振り向けた。そこにいたのは白衣を引きずっている少女だった。長い黒髪で紫色の髪飾りをつけている。幼い顔立ちでくりりとした紫色の大きな瞳が印象的だった。

 

「ユウキ。お勤めご苦労。私が開発した高機動バイクの性能はどうかしら?」

 

「悪くありません。キーリ」

 

 キーリと呼ばれた少女は、「ならいいわ」と口元に笑みを浮かべた。幼さに似つかわしくない、大人の笑みだ。

 

「私の計算式によると」とキーリはぺたぺたとスリッパを踏み鳴らしながら、端末へと歩み寄り、目にも留まらぬ速度でキーを打った。レナですらその速度には尻込みする勢いだ。

 

「テッカニンを騎乗中に繰り出せて、なおかつ気取られない速度には達していると思う。高速戦闘が売りだからね。何秒かロスがあったでしょう?」

 

 キーリが見透かした声を出してくる。ユウキは正直に応じた。

 

「ええ。テッカニンを操るのにやはりこれでは思考と反射に遅れが出ます」

 

 ユウキはライダースーツを袖口から捲り上げ、右腕を晒した。右腕には何かが打ち込まれた痕があり、傷口が蒼く光っている。

 

「擬似的に月の石の同調状態と同じ状態を維持しようとしたわけだけど、どう? もしバイクの運転に支障が出るようなら解除する手はあるけれど」

 

「いえ、これはこれで便利です。テッカニンを今まで以上の高速戦闘で使う事が出来る」

 

「でも、あなたは命を削っているも同義よ」

 

 放たれた声にレナが息を詰まらせるのが気配で伝わった。ユウキはライダースーツの袖口を直しながら、「いいんです」と応じる。

 

「僕が望んだ戦いですから。それに半年前には力が足りなかった。この力があれば、もしかしたらボスの喉元に辿り着けるかもしれない」

 

「ボス――カルマ、ね。あの男は全く尻尾を見せないわ。私の追跡を逃げ切るとは毎度味な真似をしてくれるじゃない」

 

 キーリが笑みを浮かべて作業に没頭する。この状態になったキーリは止められない事を知っている二人は視線を交し合った。

 

「それに、ランポも戦っている」

 

「ランポ、ねぇ」

 

 懐かしい言葉を反芻するようにレナは口にした。リモコンを手に取りモニターの電源を点ける。モニターには今放送しているテレビ番組が映っていた。ランポの姿が映し出されているVTRを背にして、コメンテーターが話し合っている。その中にモノクルをつけた禿頭の男がいた。他のコメンテーターとは明らかに纏っている空気が異なる。戦地に身を置いている猛者の姿だった。

 

『コウガミさん。ウィルは半年前のリヴァイヴ団蜂起の際に、事態を収束しリヴァイヴ団の一斉検挙、及びリヴァイヴ団の一掃を果たしたわけですが』

 

『そうですね』とコウガミと呼ばれた男が応じる。重々しい声音であった。

 

『リヴァイヴ団という地下組織は最早存在しない。我らウィルが全て駆逐しました。カイヘン地方は今や地下組織を持たないクリーンな地方として他地方の一歩先を行ったと言えるでしょう』

 

「何がクリーンなものですか」

 

 レナが吐き捨てる。ユウキは拳を握り締めた。半年前にランポはカイヘンの独立のために立ち上がった。ボスの影武者という重責を負い、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも決死の覚悟で矢面に立ったのだ。しかし、その結果はどうだ。ウィルに制圧され、リヴァイヴ団は事実上の解散を余儀なくされた。リヴァイヴ団の発言力が強かったコウエツシティは混迷の中にあるという。それだけで身が引き裂かれる思いだったが、事態はそれだけに留まらなかった。

 

『しかし、ある筋ではウィルがリヴァイヴ団を抱き込んで、新たなる組織となった、という穿った見方があるようですが』

 

 コメンテーターの言葉にコウガミは笑いを返した。

 

『それは穿ち過ぎですよ。何故、敵対していた悪の組織と組まねばならないのです? それではヘキサの再来ではありませんか』

 

『その通りなんですよね。巷の噂話なんですが、ウィルの構成員の中には胸にRのバッジをしている人間がいるとかいないとか』

 

 コメンテーターが唾を飛ばしながら口にした言葉に、コウガミは温和な笑みを浮かべた。

 

『都市伝説ですよ。我々ウィルにそのような者がいるわけがない。いたとしても、ですよ。それは性質の悪い悪戯心というだけです。リヴァイヴ団の団員を抱き込むなど、考えられない。彼らは犯罪組織なんですよ』

 

 コウガミの言葉にコメンテーターは意見を引っ込めたようだった。これ以上は無駄だと判断したのだろう。あるいは薮蛇になると考えたのか。後者だとすれば賢明な判断と言えた。

 

「実際はこうだって言うのにね」

 

 レナは新たな文書ファイルを呼び出した。それはウィルの構成員を記したリストだ。その中には経歴にディルファンスがある人間には「D」の印が、他にも「R」の印があった。リヴァイヴ団員上がりの証である。

 

「ウィルはリヴァイヴ団の団員をきちんと組織に組み込んだ。それでも半年前の戦いでほとんどは殉死したようだけどね。リヴァイヴ団を組織の一員としてしっかり呼び込んだのはどこの誰かしら?」

 

 レナがわざとらしくモニターを見やる。ユウキはランポの姿が真っ先に目に入ったが、恐らくはランポの考えではない、という事は察しがついていた。たった一週間前後とはいえ、ランポの傍にいたのだ。彼の考え方は分かる。ランポは死んでも敵に与する事はない誇りの持ち主だ。もしその信念を曲げるような事があるとすれば唯一つ。それは仲間の生死が関わっている時だけだろう。

 

「ランポはきっと、決断を迫られた。リヴァイヴ団を束ね、今もどこかでウィルとリヴァイヴ団両方を手に入れようとしているボスに」

 

「ランポはきっと、戸惑っているでしょうね。半年前に姿を眩ませたあたし達が再び現れたのを知って」

 

 ユウキは掌に視線を落とす。ぴっちりと黒い革製の手袋が覆っている。

 

 オレンジ色のライダースーツを着込む自分と、半年前とは真逆な黒衣を身に纏ったレナ。

 

 きっとランポは自分達を見た時、一番に戸惑うはずだ。どうしてそうなったのか、と。だが、それらの話し合いが進む前に、戦いへともつれ込むかもしれない。それくらい、自分達とウィルは切迫した関係性にある。何よりもボスが、説得などというぬるい手段を用いるはずがない。必ず、自分達とランポの接触を断つために行動を起こすはずだった。自分達はそのために待った。半年間、傷を癒し、新たな力を得るために。雌伏の半年間は長かったようにも思えるし、短かったようにも思える。どちらにせよ、ユウキの頭にあるのは唯一つの事柄だった。

 

「ボスを倒す。その邪悪を、止めなければならない」

 

 断固としたユウキの言葉に、「熱いわね」とレナが返して、近くのテーブルにあるコーヒーメーカーへと歩み寄った。カップにコーヒーを注ぎ、口に運んで顔をしかめる。

 

「まっずい。早く外に出て、まともなコーヒーが飲みたいわ」

 

「そんなに待たせないと思いますよ」

 

 ユウキが答えると、「そうかしら」と怪訝そうにレナは応じて、まずいコーヒーをすすった。その時、コンピュータの一つが通信を受信した。レナが、「そのキーボード」と指差す。

 

「エンターキーを押したら通信が開く」

 

 ユウキは歩み出して、エンターキーを押した。すると、モニター上にδの黄色い文字が刻まれたモノリスが現れた。ユウキとレナはそのモニターを見やり、二人して眉をひそめた。スピーカーから合成された音声が聞こえてくる。

 

『今回、ワタシが考案した作戦はうまくいったようだね』

 

 レナがカップを置いて、「おかげさまでね」と答えてから腕を組む。

 

「あたしのビークインを出させたのは、でも、酷いわね。一歩間違えれば鳥ポケモンにビークインは集中攻撃を浴びせかけられていた」

 

『ビークインは先ほどKが回収した。データ転送しよう。モンスターボールを置きたまえ』

 

 レナは不遜そうに鼻を鳴らして、空のモンスターボールと既にポケモンの入っているモンスターボールを筐体の窪みへと置いた。すると間もなくしてビークインがモンスターボールへと転送されてきた。逆にポケモンの入っていたボールはブランクになっている。ポケモンはデータ化して転送が可能である。これは随分前から使われている技術で、ポケモンセンターなどではトレーナーに無償で提供される。その代わりに税率負担が高いのがトレーナーを抱える地方の悩みだ。レナはビークインが入っているのを確認して、「一時でも預けるのは不安だったわ」と言った。レナはビークインと「K」と呼ばれる人間の手持ちとを交換した形になっていた。

 

『それは申し訳ない。しかし、こちらには優秀な部下がいるんだ。それも含めて任せてもらったと思っていたのだが』

 

 ユウキはビークインがあのタイミングで現れて「フラッシュ」の攻撃をしてくれなければ危うかった事を思い出す。「フラッシュ」からの「かげうち」という連携を思いついたのも、通信越しの男だ。いや、合成の声なので男かどうかすら怪しい。ただ、二人にはこう名乗っていた。「F」と。

 

「Fさん。あなたを僕達は信用している。いや、信用しなければ危うい。そういう均衡の下で僕達の関係は成り立っている」

 

『ユウキ君。君の意見はもっともだ。だからかな、君はワタシに、そろそろ正体を明かせと急かしているように聞こえる』

 

 その通りであった。ユウキは片手を掲げて拳を作る。

 

「僕達だけ正体を知られているのは、何か納得がいかない。あなたはいつだって僕達を売る事が出来る。それって対等な関係性じゃないでしょう?」

 

 そうでなくとも危うい立場なのだ。命の一端を握られているとなれば心境は穏やかではない。レナも同じ気持ちなのだろう。目配せし合い、「F、あなたは」と口を開いた。

 

「あたし達に何を求めているのかしら。せめてそれだけでも明らかにする権利はこちらにもあるんじゃない?」

 

『ワタシが君達に求めているものは半年前に話した通りだ。今も、その目的は変わる事はない』

 

 だからこそ、知れば知るほどに分からなくなる。まるで逃げ水を追わされている気分だ。ユウキは核心に迫る言葉を発する。

 

「Fさん、あなたは僕達に言った。半年前に、これは対等な契約だ、と。しかし蓋を開けてみればあなたと僕達は決して対等ではない。僕達は追われて、いつ死ぬかも分からない危険な任務に身をやつしている。対してあなたは傍観者だ。事態を客観的に分析し、表舞台には顔を出さない。それって卑怯じゃないですか」

 

 ユウキの言葉にFはしばらく返事がなかったが、やがて、『そうだろうな』と声が返ってきた。

 

『ワタシは卑怯者である事は確かだ。しかし、半年前に話しただろう。ワタシは既に戦闘不能なのだ。いくらウィルδ部隊を束ねる人間と言っても、隊長格全員が高度な戦闘能力を有しているわけではない。ワタシの戦闘能力はユウキ君、君にも劣るだろう』

 

 ユウキはモノリスの「δ」の文字を見やった。通信越しのFの所属を示している。ウィルδ部隊、敵そのものであるウィルと自分達は組んでいる。その事実がどこか遊離して思えた。δ部隊は自分達との共闘関係を結び、来る「RH計画」の阻止を目指している。掲げた拳を握り締め、ユウキはこの半年間の自分の変化を顧みる。自分もレナも変化を受け入れるしかなかった。モニターに映ったランポへと視線を投じ、「あの時」と口にした。

 

「僕らはあなたに命を救われた。もし、あの出会いがなければ、僕らの命はなかったでしょう」

 

 レナが顔をしかめてFのモノリスに視線を向ける。Fは、『そうだね』と応じる。

 

『ワタシは君達に接触したのは偶然だったが、君達の目的がリヴァイヴ団のボス打倒だと知り、運命を感じたよ。ウィル内部でもきな臭い噂が立ち始めていた頃だったからね。それに、ランポの演説が決定的だった』

 

 ランポの演説を観た時、Fは確信したと言う。これはボスではない、と。ユウキが頭を振って声を出す。

 

「ランポが悪いわけじゃない」

 

『そう。ランポはむしろ、よくやった。彼は彼なりの方法で邪悪に立ち向かおうとしている。しかし、彼の力は微弱だ。今のままでは闇に呑まれるだろう。全ての真実が闇の中に食い殺されてからでは遅いのだ。それに闇には正攻法が通用しない。こちらもまた、汚れる覚悟を負わねばならない。それだけ今回の敵は強大だ』

 

 敵、と判じられた言葉にユウキはデオキシスの姿を思い返す。デオキシスを操り、リヴァイヴ団を裏から牛耳る存在、カルマ。カルマに勝つための方策を自分達は編み出そうとしてきた。

 

『ただ単にカルマの悪行を公表しただけでは、恐らく握り潰されるであろう事は明白だ。それにカルマは、そう簡単には姿を見せない。ユウキ君、君が見た時にはカルマはボスの側近を演じていたようだが、今はどうなっているのか想像もつかない。もしかしたらさらに複雑なポジションに身を置いている可能性はある。このままでは、引きずり出す事など到底叶わない』

 

 ユウキは掌に視線を落とし、「それでも」と声に出していた。

 

「やらなきゃならない。僕らが、カルマを倒す」

 

『その意気だ』とFが応じる声を出した。

 

『君達のような若い意思がある限り、希望は潰えない。また作戦概要を提示しよう。RH計画の阻止。そのためならば、ワタシはいくらでも協力を惜しまない。志すものは同じだと信じている。ユウキ君、レナ君、ワタシのプラン通りに動いてくれれば、君達の身の安全は保障する』

 

 逆に言えばプランに反した行動を取ればいつでも切り捨てる、と暗に言っているようなものだった。ユウキは渇いた喉に唾を飲み下す。Fとの関係性は危うい均衡の上にある。こちらが打つ手を一つでも間違えれば、Fは即座に判断を下すだろう。それを理不尽だと言う事は出来ない。理不尽の中から這い上がって、自分達は今、ここにいるのだから。

 

『君達には逆境の運命を強いる事となるだろう。しかし、これを突破出来なければ、君達はワタシの下へと辿り着く権利さえない。どうか向かい風の中でも生き続けるだけの強さを持っていて欲しい』

 

 それは願いだろうか。はたまた強制だろうか。どちらとも取れる言葉を発して、Fは、『そろそろ時間だ』と言った。

 

『今回手に入れたRH計画の資料の送信を確認した。君達にはこれからもRH計画に関するデータを手に入れてもらいたい。それが恐らくは最も早く、ボスに辿り着く手立てとなるはずだから』

 

 δの文字が消え、モノリスが「通話終了」の文字に掻き消される。ユウキは息をついて、「ボスに辿り着く手がかり、か」と呟いた。レナはコーヒーをすすりながら、「理想論ね」と口にする。

 

「Fが裏切らない保障はどこにもない。それなのに、あたし達は愚直にFの指示に従っている。これがどれほど危険な綱渡りか。向こうはこっちの正体も、潜伏場所も知っている。フェアゲームなんかじゃないわ。とんだアンフェアよ」

 

 レナは、「まずいわね」とカップを置いた。ユウキが質問する。

 

「それはコーヒーが? それともこの状況が?」

 

「両方よ。状況は最悪に近い。あたし達はウィルに手持ちが割れているし、相手取るにもこちらが情報面で一足先に出ているからこそ有利に立てているだけ。一手でも後手に回れば、あたし達は確実に負ける。あたしは絶対、拷問されるのなんて嫌だからあんたの情報は真っ先に売るわよ」

 

「僕だって嫌ですよ」

 

 ユウキは応じながら、この戦闘状況で最も得をしているのは誰かと考える。恐らくはカルマとFだ。この二人が結託していないのが唯一の救いだろう。いや、もしかしたら裏では結託しているのかもしれない。だとすれば、最初から自分達の反逆など意味がない事になるが、半年間も逃げおおせているという事実から鑑みて、情報漏えいの心配はないだろう。Fは秘密を守っている、という事になる。

 

「僕は少し休憩します。レナさんは」

 

「あたしは今回のデータの解析。多分寝ないから、勝手に眠っていて。おやすみ」

 

 片手を振ってレナが端末に向かい合う。自分の戦いが表に出てポケモンで戦う事ならば、レナの戦いはこれからだ。その戦いの邪魔になるようではいけない。キーリは端末に向かったまま顔を振り向けもしない。彼女も集中状態に入っているのだ。

 

「分かりました。おやすみなさい」

 

 ユウキは部屋の奥にある通路を渡り、硬いベッドの待つ仮眠室に向かった。まるで牢獄のように薄暗い。ユウキはライダースーツを脱いで、ベッドに寝転がった。

 

 唯一の光源である白熱電球を眺めながら、ユウキは、「もう半年、か」と呟く。半年間、変化は否が応でも訪れる。ユウキは少しばかり背が伸びたし、戦い方も変わった。

 

 Fによって指南された戦い方が、ユウキに多数対一の戦いを組み込んだ。より多くの敵を、どれだけの速度で、どれだけ手早く片付ける事が出来るか。ユウキは自分自身が変化に強いとは思っていない。むしろ、変化には弱いほうだ。ブレイブヘキサにいた頃は、ランポというリーダーを頼ればよかった。しかし、今は誰も頼れない。誰にも打ち明ける事の出来ない戦いを繰り広げなければならない。しかもそれは世界の敵となる行為だ。かつてのヘキサと何が違う、とユウキは問い返して、「やめよう」と首を振った。寝返りを打って瞼を閉じる。目を瞑ると半年前の出来事が、鮮やかさを伴って蘇ってきた。

 

 



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第七章 三節「無知な獣」

 視界が揺れている。

 

 網膜の裏に焼きついた紫色の残像が反復し、何度も現実と夢の境目を行き来している。今にも意識の闇の中へと引っ張り込まれそうになって、声が弾けたのを聞いた。

 

「眠っちゃ駄目! 死にたいの?」

 

 レナの声にユウキはハッと目を開けた。ミツハニーの群れに背中を掴まれ、ユウキは引きずられている。腹部の傷をミツハニーが緑色の光で縫合しようとしている。ビークインの「かいふくしれい」だろう。しかし、ユウキは今にも眠ってしまいそうだった。瞼が重たい。このまま眠りの中に身を浸せれば、と考えてしまう。

 

 レナはビークインと共に後退していた。エレベーターに乗り込み、ボタンを急いたように何度も押して最下層へと下降していく。エレベーターの中でレナが膝をついた。白衣を引き千切り、ユウキの腹の傷を押さえる。すぐに血が滲み出して白衣を赤く染めた。レナはさらに白衣を千切って傷口に巻きつける。

 

「ユウキ。まだ死なないで」

 

 レナはユウキの肩を揺さぶる。しかし、ユウキの意識は朦朧としていた。テッカニンが通用しなかった事も原因としてはある。だが、それ以上にユウキは己が無力さを自覚していた。

 

 立ち現れたデオキシスと呼ばれるポケモンとカルマと名乗ったトレーナー。あれがボスなのか。自分達の追い求めていたボスが目の前にいたというのにまるで歯が立たなかった。あれは別次元の強さだ。ポケモンと人間という曖昧な括りでは決してない。何か別の、次元を超越した生命体に思えた。

 

「僕では、勝てない……」

 

 ユウキは息も絶え絶えに口にする。実際に目の当たりにすればそれが嫌でも現実として突きつけられる。たとえランポでも無理だろう。自分の知りうる全てのトレーナーとポケモンという関係性からあれは飛び出している。勝つ手段など思い浮かばなかった。

 

「しっかりして! 勝てなくても生きるのよ!」

 

 飛んできたレナの声にも震えが混じっている。本能の部分でレナも感じたのだろう。あれには勝てない。生半可な努力や才能などあれの前では無意味だ。ユウキは下降感が押し寄せる中でフッと自嘲した。

 

「無理、ですよ。僕は、もう……」

 

 意識を閉ざそうとした時、エレベーターの中で乾いた音が響いた。ユウキが目をぱちくりとさせる。レナが見舞った張り手を握り締めて、「あんたは」と口を開く。

 

「生きるんでしょう! 何としてでもリヴァイヴ団でのし上がって。そのためにランポと誓ったんでしょう! あたしを守るって命を賭けたんでしょう! だったら、全部守ってみせるくらいの度胸見せなさいよ!」

 

 レナはしゃくり上げながら泣き叫ぶ。ユウキの胸倉を掴んで呼びかけた。

 

「あんたは生きるの。そうじゃなきゃ、誓いは? 覚悟は? どこへ行くのよ!」

 

 ビークインが懸命にユウキの命を繋ごうとしている。まるでレナの意思を宿したように。ユウキは目を見開いた。誓いのために死ぬだけの覚悟はあった。だというのに、圧倒的現実を見せつけられて戸惑い、自分の実力のなさに絶望するだけだとは。それは何と情けないのか。ユウキは歯を食いしばって言葉を発した。

 

「……死にたく、ない。でも、僕の力じゃ、ボスには」

 

 何よりも自分が分かっている。これから先、生き永らえたとしてもボスに牙を剥くような気概が残っていない事を。自分を叱咤してくれるようなリーダーはもういない。ランポは遠くに行ってしまった。仲間達も散り散りになった。これ以上、自分にどうしろと言うのだ。もう打つ手など一つもないではないか。

 

 エレベーターが最下層である地下駐車場に辿り着き、レナが引きずって車の陰に隠した。荒い息をつきながら、「車を奪って逃げましょう」と停車している車へと歩み寄る。ビークインのスカート状の下半身からミツハニーが飛び出し、窓を割った。ミツハニーがキーを焼いて、無理やりエンジンをかける。レナは壁にもたれかかっているユウキへと目を向けた。

 

「あなたは生き残らなきゃならない。あたしはここでは死ぬつもりはない。これって利害の一致でしょ」

 

 そう言って笑ってみせるが頬が引きつっている。無理をしているのは明白だった。ユウキは立ち上がろうとするが、腹部の傷が癒えていないせいで立ち上がることすら儘ならない。ビークインがユウキを持ち上げて後部座席に放り込んだ。ユウキは痛みに呻きながら、運転席に収まったレナを見やる。

 

「運転、出来るんですか?」

 

「ゲームでしかやった事ないわよ。でもやるしかないでしょう」

 

 アクセルを踏み込み、レナがおっかなびっくりに車体を走らせる。初動が大きく、柱にサイドミラーをぶつけた。

 

「言わんこっちゃない」とユウキが口にすると、「怪我人は黙っていて」と声が飛んできた。

 

「何とかして、このビルから脱出しないと」

 

 レナはカーナビを起動させた。カーナビはネット接続されており、所有者の個人識別も兼ねているはずだ。

 

「まずい、です。レナさん。車を盗んでもすぐに足がつく」

 

「だからって、何もしないわけにはいかないでしょう! あなたはとりあえずビークインの治療を受けて!」

 

 レナもほとんどパニックに陥っているのだろう。声音は荒々しかった。後部座席でビークインの放ったミツハニーが緑色の光を広げてユウキの傷口を塞ごうとするが、貫通した傷はそう簡単に癒えるはずがない。

 

「最悪、僕の事は、置いて……」

 

「出来ないわよ、そんな事!」

 

 レナは地下駐車場からようやく車を出して道路に雪崩れ込む。道路に出てもウィルが捜査の網を張り巡らせている事だろう。そう簡単にこの街を出られるとは思わなかった。それに、この街を出たとしてどこに向かう? 行く当てなどない。このまま追いつかれるのを待つか。そう考えていた時、カーナビから声が発せられた。

 

『次の十字路を左折しろ。すぐに、だ』

 

「誰?」

 

 レナが狼狽した声を出す。彼女からしてみれば運転しているだけでいっぱいいっぱいなのに、声が響いたとなれば意味が分からないのだろう。頭を抱えそうになったレナへと指示の声が飛ぶ。

 

『左折しろ。そうすれば、ウィルの捜査の網からは一時的に逃れられる。ウィルはダミー部隊に気を取られているのだろう?』

 

 ダミー部隊の事を知っている。それだけで通信に割り込んできた人物が只者ではない事の証明になったが、レナはより恐慌状態に陥るばかりだ。

 

「何なの」とカーナビを切ろうとする。それをユウキが声で制した。

 

「切っちゃ駄目だ……!」

 

 腹部の痛みが鋭角的に意識を苛む。ユウキは呻いて腹を押さえた。レナがミラー越しに視線を振り向けて、「えっ、えっ……」と困惑の声を搾り出す。

 

「どうして」

 

「何か、この声には導くものを、感じる。敵、じゃない」

 

 ダミー部隊の事を知っているという事は敵ではない、という判断だった。敵ならばダミー部隊とウィルの展開している場所へと誘えばいい。わざわざダミー部隊の事を明かし、反対側に導こうとしているのが何よりの証拠に思えた。

 

「本当なの」と半信半疑なレナへと声が差し込んできた。

 

『ワタシは君達の動向を見張っていた。このような状況下でリヴァイヴ団の施設から抜け出すような人間を。ウィルが特一級対象として観察していたブレイブヘキサの一員であるユウキ君が、そこにはいるね?』

 

 レナは不安げな眼差しをユウキへと振り向ける。「前を向いて」とユウキは返した。レナは慌てて前を向いてハンドルを握り締める。

 

「僕に、何の、用ですか?」

 

『君はワタシが観察する限りではレナ・カシワギを引き渡すための同行人だった。ただそれだけに過ぎないとワタシも感じていたのだが、君が行動を起こした事で確信した。やはりブレイブヘキサのうち何人かは知らないが、リヴァイヴ団を裏切るつもりだったのだね』

 

「いつ、から……」

 

 それを、と続けかけたその時、車が派手に弧を描いてカーブした。指示通りに左折したのだろう。レナの額には大粒の汗が浮いていた。ユウキは座席に押し付けられるのを感じながら痛みに耐える。

 

『君達がハリマシティに辿り着いてからだ。ウィルγ部隊の追撃を免れた君達は、只者ではないとワタシは評価していた。それと同時に奇妙ではあったのだ。君達が散り散りになったのは』

 

「僕らを、観察していた」

 

 怖気よりも、そのような事が可能なのかという疑問が先に立った。それを見透かしたように、『今の民間には出回っていない技術だが』と声が続ける。

 

『ポケッチの発信する電波を辿る事である程度位置情報を確認する事が可能だ。君達の名前が組織の中で上がってきた時、ワタシは即座に君達の登録ポケッチの逆探知を試みた。それが組織のためになると信じていたからだ。ワタシは君達と体面上は敵対する組織の人間だからね』

 

 カーナビの中に次の道を左折するように指示が出る。レナは困惑の目をカーナビに向けながら、「敵対?」と返していた。ユウキも同じ気持ちだったので、「どういう、意味ですか」と声を搾り出す。

 

『そのままの意味だ。ワタシは、君達の組織の人間ではない。敵対組織の人間だ』

 

「ウィルですか」

 

 ユウキの言葉に、『当たらずとも遠からずだな』と声は返した。これでは禅問答だ、とユウキは感じる。

 

「ウィルだと言うのなら、どうして僕らを導く?」

 

『ワタシは、君達を観察していて奇妙に思った事があると言っただろう? 君達はウィルと敵対していたが、どこか組織のためだけに動く歯車とは別の意思を感じた。これは完全にワタシの勘の域を出ないのだが、君達の中の数名は最初からこの事態を予期していたのではないかね? レナ・カシワギを利用し、ボスに近づけるこの瞬間を』

 

 ユウキはこれ以上、この声の主と話を続けるのは危険ではないか、と判断した。声の主の立場も、思惑も分からない。このまま踊らされて、最後にはウィルに捕まったのでは話にならない。

 

「あなたは、誰です?」

 

 ユウキの発した疑問にレナも同調して、「そうよ」と声を出す。

 

「信用ならないわ」

 

『その割には、ワタシの指示したコースを従順に走ってくれているようだが』

 

 返ってきた思わぬ皮肉にレナが声を詰まらせた。ユウキは、「はぐらかさないで」と強く言った。

 

「誰です?」

 

『ワタシの名などどうでもいいのだが、あえて名乗るとするのならばFと名乗ろう。ウィルδ部隊のFだ』

 

 δ部隊、と言われた事で完全に相手がウィルの手先である事を二人は感じ取り、目配せし合った。

 

「ウィルが、どうして僕らを」

 

『次のコースを道なり、二百メートルだ』

 

 ガイドをしながら、Fと名乗った存在は続ける。レナが大きく弧を描きながらカーブする。車の後部を大きく振って曲がるせいでユウキは酔いそうになった。

 

「どういうつもりなの? あたし達を先導して、何がしたいの?」

 

 レナの質問に、『ワタシは』とFは応じる。

 

『ただ正しき判断を期待しているだけだ』

 

「正しき、判断?」

 

 レナが聞き返すと、『そうだ』と声が返ってきた。

 

『ウィルとリヴァイヴ団、ワタシが客観的に分析した結果、この二つの組織はいずれ大きな転換期を迎える。そして断言するのならば、今夜こそがその来るべき転換期の夜なのだ。リヴァイヴ団は事実上、消滅するだろう』

 

 消滅、という言葉にレナが目を見開く。ユウキも、「何故」と口を開いた。

 

「そのような事を、言い出すんです?」

 

 腹部の傷から痛みが薄れていく。どうやらビークインが麻酔を打ったらしい。先ほどまでよりかはいくらか正常に言葉を発する事が出来た。

 

『リヴァイヴ団がこのまま存続する意味などないからだ。ウィルもそうだ。ゼロサムゲームを続けても消耗するばかりで決定的な手は打てない。しかし、今夜、その転換期が訪れる。それはランポと名乗るボスが矢面に立った事からも明らかだが、ワタシには彼が張りぼてである事は最初から知れている。君達の行動を逆探知すれば、つい一週間前にはただのコウエツのチンピラの頭であった事は明白だからね』

 

「そこまで分かっていながら、何故?」

 

 レナは車を走らせながら、「ねぇ」と尋ねていた。

 

「F、って言ったわよね。あなたが信頼出来る保障はどこにもない。今にも横合いからウィルの部隊が飛び出してくるかもしれない。あなたはあたし達に安全を保障出来ないし、その上で信じろと言われても」

 

『ワタシは一度として信じろとは言っていない。ただ、君達に生き残りのチャンスを与えているだけだ』

 

 その言葉に二人は息を詰まらせる。ならばこのルートも地獄への坂道でないと誰が言う事が出来るだろう。

 

「何ですって? あなたは最初から組織にあたし達を売るつもりで――」

 

『ワタシには、利益云々はどうでもいいのだ』

 

 遮って放たれた声は有無を言わせぬ強い語調だった。心底、そう思っているとでも言うように。しかし、二人は信じる気にはなれない。当然だ。突然通信に割り込んできて、逆探知していたと言われれば疑念のほうが先に立ってくる。

 

『ただ可能性を殺したくないだけだ』

 

「可能性……」

 

 ユウキが呟くと、『そう』とFが返した。

 

『ワタシはかつて、君達のように抗った人間を知っている。彼らのあり方と君達はだぶるのだ。だからワタシは協力しているに過ぎない。これはワタシの興味本位なのだ。君達が邪悪を打ち破る可能性であるか、否か……』

 

「何それ。賭けのレートにいつの間にか上げられているって言うの?」

 

 レナの不遜な声はもっともだったが。ユウキにはそれ以上に気になる事があった。

 

「あなたは、僕らに可能性を見た。かつての抗った人達と同じような、可能性を」

 

 何者なのか、という疑問が当然のように湧いたが、今はそれさえも気にするべきではない、と本能的に感じる。Fが敵であれ、味方であれ、この状況を打開するのに少しでも力を貸してくれるというのならば、逆に利用してやるくらいの気概は持つべきだ。

 

『その通りだ』

 

 即座に返った声に、やはり、と確証を新たにする。この声の主は義憤の徒だ。ウィルの中にあっても、組織に縛られない、何かしらの思惑を持っている。その思惑が吉と出るか、凶と出るかは分からないが、ユウキは従ってみる価値はあると感じる。

 

「レナさん。信じてみましょう」

 

「正気なの?」

 

 レナはハンドルを握ったまま、カーナビに忙しなく目を向けている。『次の道で下の三十七番道路に降りろ』と告げられた。

 

『縫うように進んでいけば、君達を納得させられる場所へと案内出来る』

 

 納得させられる場所、とは何なのか。訊きたい事は山積みだったが、従うと決めた。腹は括ったつもりである。レナは少しばかり運転に慣れてきたのか、急旋回はせずに緩やかに坂を下りていった。カーナビの導く先へと向かいながら、「ねぇ」とユウキに声を振り向ける。

 

「どうしましたか?」

 

「このFって人、本当に信用出来るの?」

 

「出来るから。レナさんは従っているんでしょう?」

 

「そりゃ、こいつに従う以外に当てがないから」

 

 レナはフロントミラー越しにユウキを見やって、「あなた怪我は」と尋ねる。ユウキはまだ自力で起き上がる事は出来なかったが、「痛みはマシになってきました」と返す。

 

「そう。正直、ポケモンの回復指令が人間に通用するかどうかは怪しかったけれど、試してみてよかったわ」

 

「でも、多分、これは応急処置にもならない」

 

「あたしにだってそれくらいは分かっている。だからどこかに身を潜めて、ゆっくりと治さなくっちゃ。そのために今はこいつに従う必要があるっていうだけ」

 

 ユウキは血が染み込んだ白衣を見やった。レナは、自分はまだ死ぬべきではないと思っている。自分は一度諦めかけた。もう勝てないとこの世界に見切りをつけるつもりだった。その一線で踏み留めたのはレナだ。

 

「すいません、レナさん」

 

「なに謝ってるのよ」

 

 レナはハンドルを回して、カーナビの指示通りの道を行った。ユウキは赤く染まった白衣の一端を握り、「僕なんかのために」とビークインを見やった。ビークインは今もミツハニーを動員してユウキの怪我の回復に全力を注いでいる。

 

「あなたは自分の事を軽く見過ぎよ」

 

「そう、でしょうか」

 

 疑問符を浮かべると、「そうよ」とレナが鼻を鳴らした。

 

「あなたもランポも。男ってどうして自分の命をすぐに賭けられるの? あたしには理解出来ない。賭けのステージに勝手に上げられた事ですら我慢ならないって言うのに」

 

『それは大変失礼な事をした』

 

 Fがしっかりと聞いていたのか言葉を返した。レナは取り成す気もないのか、「そうよ」と強気に応じる。

 

「勝手にこっちの命を担保にされて。いい迷惑だわ」

 

 その言葉にFが通信越しにフッと微笑んだのが伝わった。

 

『ワタシが以前、そのようなあり方に憧れたからかもしれないな。自分の全てを犠牲にして、何もない常闇へと己を投げかけたトレーナーがいた。その先に何か光を見たのかもしれないし、どちらにせよ、彼女は特別な存在となった』

 

「その誰かさんと勝手に重ねられたら困るって言っているの」

 

『確かに。誰もが特別な存在になれるわけではない。しかし、君達にはそのための資格はあると思っている』

 

「買い被り過ぎよ」

 

 レナの返答に、『もうすぐ目的地だ』とFは応じた。Fが自分達に何を示すのか、ユウキは考えながら、片手を眼前に翳す。この手で手に入る玉座だと思っていた。慢心がなかったと言えば嘘になる。今まで何だかんだでランポ達と共にうまくいっていた。今回もうまく事が進むだろうと思い込んでいた。それが自分の中で育ったエゴだと気づけぬまま。気づいた時には命の危機だ。ユウキは自嘲の笑みを浮かべる。

 

「最悪だな」

 

「なに、どうしたの?」

 

 レナが尋ねてくる。ユウキは、「僕の考えが浅はか過ぎたって事がですよ」と返す。

 

「結局、入団試験の時と何も変わっちゃいない。甘っちょろい考えでボスを倒せると思い込んでいた。それがこの様です。あの時、テクワに言われたんですよ。これから入るのは影の組織だ。他人を信じれば馬鹿を見るって。本当に、そうだ。僕はその時、テクワにこう言い返しました。それでも僕は信じたものを信じ抜くって。テクワは本物だって褒めてくれましてけれど、あれは多分、本物の馬鹿だって意味だったんでしょうね」

 

「今さらに気づいたの? あなたは馬鹿よ。簡単に命を賭けるし、自分の実力も分からずに猪突する。そのままじゃ何も知らない獣と変わらないわ」

 

「無知の獣、ってわけですか。僕にはお似合いだ」

 

 額に手を当てていると、レナが、「でも」と言葉を発した。顔を振り向けると、フロントミラーを見ずに口にする。

 

「無知な獣はこれからどうなるかが決まる。少なくともただの凶暴な獣じゃない。知恵を得て、猟犬になる資格を得るかもしれない」

 

 レナの言葉は希望的観測だ。ユウキは、「慰めてくれるんですか?」と尋ねた。レナが顔を背ける。

 

「うるさい。そんなつもりじゃないから」

 

 ユウキは天井を眺めた。自分の力の上限を知った。今ならば無知な獣ではなく、一体の知恵を持った猟犬として戦えるだろうか。それでもまだ力が足りないだろう。まだ闇を彷徨う無知な獣だ。

 

 



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第七章 四節「前進する者たち」

『先ほどからの話を統合すると、君達は負傷しているのか?』

 

「ええ、ユウキがね。あたしは何ともないわ。車を運転出来るくらいだもの」

 

『ユウキ君、負傷はどの程度だ?』

 

「ビークインが麻酔を打ってくれました。回復指令で治してもらっていますが、多分、放っておくと悪化します」

 

『分かった。実は目的地には部下をやっているんだ。彼女に治療のほうは任せよう』

 

「女性なの?」

 

 レナの質問にFは、『君と同じくらい聡明な女性さ』と答えた。レナは眉間に皺を寄せて、「冗談とかじゃないのよ」と真面目な口調で返す。

 

「本当にユウキの負傷は洒落にならないんだから。中途半端な治療じゃ逆に悪くなるわ」

 

『その点では心配には及ばないだろう。あと五十メートル』

 

 目的地までの距離だろう。車は間もなく停車した。レナが窓の外を見上げて、「ここは……」と口を開く。

 

「ただのマンションに見えるけれど」

 

 ユウキは身を起こそうとしたが、やはり腹部の負傷が治らない限り鋭角的な痛みとは決別出来そうにない。麻酔が打ってあってもまだ痛んだ。

 

『マンションの前に部下が待っているはずだ。ユウキ君と君は彼女に会うといい』

 

 レナは車から降りた。後部座席を開けて、ビークインにユウキを運ばせるように促す。ビークインがユウキの脇を抱えて、ゆっくりと後部座席から出てきた。ユウキは周囲を見渡す。閑静な住宅街に見えた。ハリマシティの郊外だろう。どの家屋も同じような形状をしているのはコウエツシティの実家を思い出させた。

 

「工業団地ね。一体、どこの管理の――」

 

『ウィルの工業団地だ』

 

 放たれた声はレナのポケッチからだった。既にFはレナのポケッチにハッキングしているらしい。しかしポケッチのハッキングなど相当な腕がなければ無理なはずである。何故ならばポケッチのシステム管理は全てカイヘンの政府がまかなっており、膨大な個人情報の中から特定のポケッチへと周波数を送る事は実質不可能に近い。だが、Fはそれをやってのけている。ウィルに所属しているというのは嘘ではなさそうだ。

 

「敵地のど真ん中よ。そんなところによくも誘導を――」

 

『君達を助けるためだ。灯台下暗し、と言うだろう? 敵地の中心は今やハリマシティの中央だ。郊外の管轄化にある団地を虱潰しに探すほど我々とて暇ではない。君達の身の安全は保障されたというわけだ』

 

「そりゃ、どうも」

 

 レナが苦笑いと共に言葉を返す。ユウキはビークインに抱えられながら、マンションの前に立っている人影を認めた。黒い身体に張り付くようなスーツを着込んでおり、目元はバイザーのようなもので隠されている。バイザーの中央にはδの文字があった。ショートボブの髪に紫色のリボンがアクセントになって巻かれている。顎のラインや身体つきから女性である事が知れた。

 

「お待ちしておりました」

 

 女性は言い放つ。冷たい声音だった。レナは女性を見やって、「どこに安全な場所があるって言うの?」と尋ねる。女性はちらりとユウキをバイザー越しに視線を向ける。ユウキの負傷の具合を確認したのか、ユウキへと歩み寄り、「大丈夫ですか?」と訊く。ユウキは戸惑いながら、「痛みは薄らぎましたけど、自力では立てません」と答える。このままではレナのお荷物になるのは目に見えている。女性はホルスターからモンスターボールを引き抜いた。

 

「行け、ラティアス」

 

 その言葉と共に緊急射出ボタンが押し込まれ、手の中でボールが割れた。現れたのは赤と白の身体を基調にするジェット機のようなシルエットのポケモンだ。黄色い眼が柔らかな眼差しを灯し、両手がついているものの小さく攻撃に適しているようには見えない。腹部に青い三角形の文様がある。見た目からして特別なポケモンだった。レナが息を呑むのが伝わる。

 

「ホウエンの準伝説級ポケモン……、ラティアス」

 

 それほどのポケモンなのだろうか。ユウキが訝しげな目を向けていると、女性がラティアスに命じた。

 

「ラティアス、癒しの願い」

 

 女性の声にラティアスから赤い思念の渦が巻き起こった。瞬く間にユウキへと纏わりつき、傷口が熱くなるのを感じる。一瞬だけ呻き声を上げたが、その直後には痛みが消え失せていた。ユウキは腹部を見やる。傷がほとんど塞がっている。立ち上がろうとすると、まだ少しだけ痛みが尾を引いたが、それでも立てないわけではない。一瞬であれだけの重症が塞がった事に二人とも閉口していた。

 

「今のは……」

 

 ラティアスが疲労の色を浮かべて、その場にゆらりと倒れ伏す。女性はラティアスを労わるように撫でた後、モンスターボールを向けた。赤い粒子となってラティアスがボールに吸い込まれる。

 

「今のは癒しの願いね。ポケモンが瀕死になるのと引き換えに、対象の全ての状態異常と体力が全快になる技」

 

 ユウキは腹部を押さえながら、それだけの技が放たれた事に驚きを隠せなかった。女性は、「今、歩けないと不便ですから」と冷淡に返す。

 

「そこまで出来るってわけ。自分のポケモンを瀕死にさせてまであなたはあたし達に協力を仰ぎたいと」

 

 レナの声に、「黙ってついて来てください」と女性は身を翻した。女性の態度にレナは苛立ったのか足を踏み鳴らす。

 

「何よ、あの態度。気に入らないわ」

 

「でも、僕が助けられたのは事実です。ビークイン、ありがとう。もう大丈夫」

 

 ビークインがユウキを抱えていた腕を放す。まだ痛みはあるものの動けそうだった。レナがビークインにボールを向けて戻し、「信じるに値するのかしら?」と疑問の声を出す。女性はガレージへと歩み寄った。シャッターを開けると、人が四人は入れればいいほうの直方体の空間がある。女性は手招いた。

 

「こちらへ」

 

 レナとユウキは怪訝そうにしながらも、従うしかない事は本能的に理解している。車へと一瞥をやって、「あの車は?」と尋ねた。

 

「こちらで処分いたします。今はここに」

 

 レナとユウキがガレージの中に入ると、ガレージの中はエレベーターになっている事に気づいた。女性がボタンを押すとガタン、と下降感が押し寄せる。レナは女性に質問した。

 

「さっきのポケモン、ラティアスよね? あれだけのポケモンを使えるってあなたは何者?」

 

 ユウキにはそれほどのポケモンなのか判断はつけかねたが、二人の間に流れる空気を感じ取る限り、どうやら先ほどのポケモンは強力な存在らしい。女性は小さな唇から言葉を紡ぎ出す。

 

「私は隊長に従っているだけです」

 

「Fの事?」

 

「あなた方には、そう名乗ったのならばそうです」

 

「ウィルδ部隊って言っていたわよね? δ部隊は何のつもりなの? あたし達を抱き込んで、どうするつもり?」

 

「それはこれからお教えいたします」

 

 下降感が消え、シャッターが開いた。女性が開閉ボタンを押したままレナとユウキが歩み出すのを待っている。二人が歩み出てから女性が後方についた。逃げ出す事も出来ない、というわけか、と確認する。飛び込んできた光景は奇妙なものだった。最新鋭のコンピュータの筐体が並び、端末が至るところに置かれている。機械の類が完備されており、司令室、という言葉を想起させた。

 

「まるで秘密基地ね」

 

 レナの歩みがそこで止まった。端末の前で背中を向けている人影を見つけたのである。キーを打っており、白衣を身に纏っているが異常なのはその背丈だ。幼児のように背が低く、白衣はぶかぶかである。長い黒髪を揺らして、その人物が椅子ごと振り向いた。

 

「ようこそ、ユウキ。それにレナ・カシワギ女史」

 

 振り返った顔立ちはまさしく少女だった。年の頃はまだ十歳にも満ちていないように見える。紫色の髪飾りをつけており、白衣の下に纏っている服の中央にはδの文字があった。レナが、「まさか」と声を出す。

 

「あなたが、Fの正体?」

 

「レナ、その質問はノーよ。私はFじゃない」

 

 少女が椅子から飛び降りて、レナへと歩み出す。少女は値踏みするかのようにユウキとレナを交互に見やった。その視線が煩わしかったのか、レナが、「何よ」と眉間に皺を寄せる。

 

「別に。カシワギ博士の事は聞き及んでいたけれど、娘であるあなたにはあまり遺伝されていないみたいね。落ち着きがないように見えるわ」

 

「何ですって」

 

 レナが怒りの矛先を向けようとするのを、少女がぷいと顔を背けて、「私はFじゃない」と続ける。

 

「でも、ここまで導いたのは私。その点については褒めてもらいたいものね」

 

 嫌味な態度にレナは歯噛みした。ユウキは、「僕は感謝します」と言葉を発する。

 

「ユウキ、こんな子供に……」

 

「でも、僕らは彼女の助けがなければここまで来る事は出来なかった」

 

「そりゃ、そうだけど」

 

 レナは何か言いたげだったが、少女が鼻を鳴らして、「いい心がけね」と告げた。

 

「分相応の立場を理解している人間は嫌いじゃないわ」

 

 レナが拳を握り締めて震わせる。余程悔しいようだ。少女が、「とりあえずママから離れてもらおうかしら」と片手を開いて口にする。

 

「ママ?」

 

 ユウキが聞き返すと、「耳が腐っているの?」と少女は顔をしかめて耳を指差した。

 

「私のママがあなたの負傷を治したんでしょう? 通信を聞いている限りじゃ結構な負傷だったみたいだし」

 

 ユウキとレナは信じられない心地で後ろに侍っている女性へと振り返った。どう見てもまだ二十歳前後だ。母親という年齢には思えない。少女はぺたぺたとスリッパを踏み鳴らしながら、女性へと歩み寄り、そのまま抱きついた。

 

「ママ。私、うまくやれた?」

 

 女性は少女の頭を撫でながら、「ええ」と返す。ユウキとレナは顔を見合わせて、状況の把握に努めようとした。ユウキはとりあえず質問をする。

 

「えっと、あなた達は、一体……」

 

『それについてはワタシが答えよう』

 

 突然、端末から声が響いた。画面にモノリスが表示される。δの黄色い文字が刻まれていた。先ほどまで自分達を導いていたFの声だ。

 

「F、ですか……」

 

『彼女達はワタシが信頼する部下達だよ。女性はKとでも呼んであげてくれ。少女は――』

 

「私が自分で説明するわ、パパ」

 

 少女が腰に手を当てて横柄に声を発する。胸元に手を当てて、自分の存在を誇示するかのように言った。

 

「私の名前はキーリ。ウィルδ部隊二等構成員」

 

「二等構成員? こんな子供が?」

 

 レナが思わず口に出すとキーリは、「心外ね」と息をついて首を傾げた。

 

「あなただって研究者にしては若いほうじゃない。まぁ、私からしてみればオバサンみたいなものだけどね」

 

 放たれた言葉にレナが青筋を立てて反発しようとする。ユウキがそれを手で制し、「あなた方は」と口を開いた。

 

「ウィルでありながら僕らを匿ってくれるというのですか」

 

 それはとても不自然な事柄に思えた。むしろここまで誘導しておいて、ウィルに売り払うと言われたほうがまだ現実味がある。キーリが小首を傾げて、「何か問題でも?」と尋ねる。

 

「問題でしょう。特にあなた方からしてみれば」

 

『そうだろうな。だが、ユウキ君。ワタシは先ほども言ったように君達に可能性を見たのだ。だからここまで案内した。君達にはウィルとリヴァイヴ団に反逆の証があると判断したのだ。君達こそが邪悪から世界を救えるのだと』

 

「大げさだわ」

 

 レナが肩を竦めると、「まったく、同感ね」とキーリも同じ動作をした。

 

「パパはいつでも大げさなんだから」

 

『キーリ二等構成員。この場ではパパではなく、隊長と呼びたまえ』

 

 その言葉にキーリはわざとらしく敬礼をして、「了解でーす、隊長殿」と言ってのけた。キーリの肝の据わり具合に辟易しつつも、ユウキは言葉を継いだ。

 

「僕らを匿ったところであなた方にはデメリットしかない」

 

『いや、果たしてそうと言い切れるかな』

 

 試すような物言いに何か含むところがあるとユウキは感じ取った。レナも同じ気配を感じたのか、「勝算があるような言い草ね」と口にする。

 

「勝算がなければあなた達みたいな危険因子をどうして招くもんですか」

 

 キーリがやれやれと言った様子で首を振る。Kという母親はキーリをたしなめる様子もない。そもそも本当に母親なのか疑わしかった。キーリが白衣のポケットに手を入れてゆっくりと歩き出す。

 

「この場所は、ウィルがもし暴走した時のための抑止力を育てるためにパパ、いいえ、隊長が密かに用意していた隠し部屋。この場所からウィルのネットワーク全てに介入する事が出来るし、本気を出せばカイヘン政府のネットワークにだって入り込める。それだけの力を秘めた場所だって事よ」

 

「そんな場所、ウィルが放っておくわけが――」

 

 発しかけたレナの声を遮るように、「そう」とキーリが指を向けた。指されてレナが狼狽する。

 

「だからパパは隊長になった。全てはこのためだったのよ。δ部隊という秘密主義の部隊を作り、ディルファンス上がりのパパとママは私を一流のハッカーに育て上げた」

 

「ディルファンス上がり? Fさんとあなたが?」

 

 ユウキがKへと尋ねると、Kは静かに頷いた。キーリは顔を振り向けて、「私はこの力を振るえる場所がここしかなかったからここにいる」と告げた。

 

「全てはこのような異常事態が起きた時のために。かーなーり、退屈してたけどね」

 

 キーリが両手を上げて伸びをしながら欠伸を漏らす。レナは先ほどから圧倒されているのかほとんど言葉を発しなかったが、やがて筐体へと歩み寄った。

 

「最新鋭の設備ね。まさしく秘密基地って感じ」

 

 ユウキへと確認の意味もあったようだ。ユウキは頷き、彼らが自分達を担ごうとしているわけではない事を確信した。

 

「とりあえずポケモンを回復したらどうかしら? そこにポケモンセンターと同じ設備があるから」

 

 六個の半球状の窪みがある端末をキーリは顎で示した。ユウキとレナはお互いに逡巡の視線を交わし合った。ここで手持ちを一時的にでも手放す事は果たして正解だろうか、と考えたのだがそれすら見透かしたように、キーリが、「誰も取らないわよ」と告げる。

 

「ただ全快じゃないポケモンを持っていられてもこれからの作戦に支障を来たすだけ。今は信じろとは言わないけれど、利用出来るものは利用したら? そのほうが賢明よ」

 

 キーリの言葉に戸惑っていると、Kが歩み出し、自分のモンスターボールを窪みに置いた。スイッチを入れると、ポケモンセンターと同じく回復の光が放射され、瞬く間に「回復完了」の文字が画面に浮き出る。窪みからモンスターボールを抜き取り、緊急射出ボタンに指をかけた。光が形状を持ち、ジェット機の威容を持つ赤い影が躍り出る。先ほどのラティアスは瀕死状態から立ち直っていた。どうやらKは自分のポケモンを使ってこの装置が安全である事を示したようだ。

 

「あなた達はコウエツシティからずっとその調子なんでしょ? リヴァイヴ団なんていう影の組織だから回復もまともに行っていないはずよ。いざという時に使えないんじゃ話にならない。余計なプライドは捨て去るべきじゃないかしら」

 

 キーリの言葉は棘があるが至極真っ当な意見だ。ユウキはホルスターからボールを引き抜いて窪みへと入れた。それを見たレナが、「ユウキ」と声を出す。

 

「まさか信用したんじゃ――」

 

「疑っていても前には進めません。それにKさんは手持ちであるラティアスを使って僕の傷を癒してくれた。恩には報いるべきだ」

 

「それは……」と口ごもるレナに、キーリが、「いい心がけだわ」と返す。

 

「ユウキ。素直なあなたの事は好きになれそう。このオバサンの事は分からないけれど」

 

 またもオバサン呼ばわりされてレナは眉を跳ねさせた。やけ気味に、「分かったわよ!」とビークインのボールを窪みにセットする。スイッチを入れると、回復の光が放射され、瞬く間に全快状態へと回復した。レナにビークインのボールを手渡し、ユウキはテッカニンとヌケニンのボールを確認する。ポケッチ上のステータスでも完全回復が確認された。

 

「これで第一段階は突破ね」

 

「第一段階?」

 

 キーリの言葉にユウキが聞き返す。キーリは後ろ手に組みながら、「そう」と歩きながら口を開く。

 

「あなた達がこの施設の事を信用する、という段階よ」

 

 キーリは、「パパ、じゃなくって隊長」とわざとらしく呼びかけた。

 

「そうだよね?」

 

『その通り。君達にこれからキーリと共に使ってもらうんだ。まずは設備を信用する事。ここから入ってもらわなければならなかった』

 

「ちょっと待って」

 

 レナが声を出す。キーリが眉根を寄せて両手でバツ印を作った。

 

「待ったなし。理解力が乏しいわね。それでもカシワギ博士の娘なの? オバサン」

 

「オバサン言うな! 大体、このガキンチョが信頼出来ないわよ! 本当にウィルの二等構成員なの? だとしたら、あたし達の身が危ういのには変わらないじゃない」

 

 キーリを指差してレナが言い放つと、キーリはため息をついた。諭すように、「あのねぇ」と口にする。

 

「そろそろ次の段階に入りたいわけ、こっちは。いつまでも信じる信じないでガタガタ言っているんじゃない。一言で、端的に言うわ。あなた達は私達を信じる信じないに関わらず、利用せざるを得ない。これは間違えようのない事実よ」

 

「利用……」とレナが声を詰まらせる。キーリは、「そう」と指を一本立てた。

 

「私達はあなた達を利用したい。あなた達も私達を利用しなければ生きていけない。これって利害の一致じゃない?」

 

 思わぬ言葉にレナは目を見開いた。ユウキは、「なら」と口を開く。

 

「僕達に何をさせたいんですか。あなた達は」

 

「ようやく話が次に進めそうね。あなた達にさせたい事はたった一つ。ウィルへの反逆よ」

 

 キーリの放った言葉にレナが、「ちょっと待ちなさい!」と声を張り上げた。キーリは耳に栓をしながら、「まーた、オバサンか」とうんざりした様子で言った。

 

「オバサンじゃない! ウィルへの反逆って、あたし達の立場どころか、あなた達の立場だって危うくなるじゃない。どうしてそんな事を」

 

『これは必要な事なのだ』

 

 Fが重々しく口にする。レナとユウキはモノリスが表示されているモニターへと顔を振り向けた。

 

『ワタシは、既に戦闘不能だと先刻言ったね。δ部隊は実務戦闘特化型ではない。情報戦に秀でている。だからこそ、知る事が出来た。君達の事、そしてリヴァイヴ団のボスが目指そうとしているある計画の事を』

 

「計画ですって?」

 

 レナが聞き返すと、『意外だな』と声が飛んできた。

 

『君は知っていて組織に属しているのだと思っていた』

 

 レナでさえ知り及んでいない計画とは何なのか。ユウキはその先を促そうとした。

 

「Fさん。その計画とは何です? それが何故、僕達がウィルに反逆する事と繋がるのか、それを説明して欲しい」

 

 ユウキの声にFは、『いいだろう。ただし』と前置きする。

 

『この話をするという事は完全に戻れないところまで来たという事を理解してもらいたい。構わないかな?』

 

 ここでの受け答え次第ではこれからの行く先が変わってくる。ユウキはそれを実感して首の裏に嫌な汗が滲むのを感じた。

 

 キーリとKを見やる。彼女達は分かっていてここまで導いたのだ。何も知らないのは自分とレナだけである。状況に振り回されて、未だに着地点を見つけられていない。ユウキはここが決断の時だと感じた。ランポに誓ったのと同じように、覚悟が試されている。ユウキは顔を上げて、レナと視線を交し合う。レナも同じように考えていたのか、双眸に宿る決意は同じに見えた。モノリスを見据え答えを口にする。

 

「構いません。僕らは、これ以上後退する事なんて出来ない」

 



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第七章 五節「ワイアード」

 前進の道を選ぼう。それこそが、自分に出来る唯一つの抵抗だ。Fは深く聞き届けたのか、『いいだろう』と応じる。

 

『ワタシはリヴァイヴ団を情報戦で追った。ウィルの中でもδ部隊は情報戦に秀でているためにそれを一手に引き受けている。しかし、我々には報告の義務はない。ある程度まで追い詰めねば情報戦の意味はない。レナ君、君にならば分かると思うが、確証のない情報など価値は微塵にもない』

 

「よく分かっているわ」

 

 それは研究者だったからだろう。即座に応じたレナの声を聞き、Fは、『その点で言えば』と返す。

 

『これから話す情報の信憑性はフィフティフィフティだ。もしかしたら推し進められない可能性もある。それを交渉の鍵とする事を、まず許して欲しい』

 

 不確かなものに自分達の運命はかかっているというのか。その条件にユウキは唾を飲み下す。それでも前に進むしかないのが畢竟、この状態だ。

 

「それはどのような」

 

 ユウキが問いかけると、Fは重々しい口調で言葉を継いだ。

 

『ワタシは今夜現れたボス、ランポが張子の虎である事を知っている。彼は利用されているのだ。その奥に潜む深淵に。そしてユウキ君、君はその深淵へと手を伸ばし、思わぬしっぺ返しを食らった。君の傷の状態は、ワタシは知らないが、Kの処置が必要だったという事はかなりの重症だったのは想像に難くない。今は、傷の状態はどうだね?』

 

「安定しています。しかし、継続的な処置が必要かと」

 

 Kが答える。ユウキとレナは彼女が話すとは思えなかったので少し面食らっていた。

 

『そうか。作戦行動に支障が出ない事を願うばかりだが、Kがいるのならば君の傷は恐らく回復の傾向に向かう事だろう。それよりもワタシが危惧しているのは、リヴァイヴ団内で推し進められていたとある計画だ。それがどこまでの話なのか、という部分に興味がある』

 

「ちょっと、F。あなたは勝手に話を進めるけれど、その計画ってまず何よ」

 

 レナが口を挟む。キーリが、「これだから我慢のないオバサンは」と顔を背けて口にした。「何ですって」とレナが顔を振り向けると、キーリが舌を出す。

 

『そうだな。そこから話さねば。ワタシがリヴァイヴ団を継続して観察していた結果、ある計画が持ち上がっている事に気づいた。しかし、それはどうやらリヴァイヴ団の中でも一握りの、本当に上層部しか知らない計画のようだ。その計画の名は、RH計画』

 

「RH、計画……」

 

 レナへと顔を振り向けるが、レナは首を横に振った。どうやら知らないらしい。

 

「血液型かしら?」

 

『君でも知らないと来たか。となると、これは本物のボスが推し進めている計画と見て間違いなさそうだな』

 

 レナの言葉を無視してFが納得する。ユウキは質問をして少しでもその計画について知る必要があると感じた。

 

「Fさん、その計画の概要は?」

 

『それがワタシもよくは分かっていないのだ。ただ一つ言えるのは、この計画がボスにとってかなりの秘密だという事だけだ。もしかしたらボスそのものがこの計画のためにリヴァイヴ団という組織を作ったのかもしれない。それほどにこの計画は厳重に固められている』

 

「それを、突破する術は?」

 

「そのためにあなた達に協力を仰いだのよ」

 

 キーリが口を開く。ユウキはキーリへと振り返り、「どういう事ですか」と尋ねる。キーリは胸元に手を当てながら応じた。

 

「私達δ部隊は情報戦部隊。戦闘には向いていない人間ばかりよ。個体戦力では結構な強さでも、軍隊として統率されたβ部隊やε部隊には遠く及ばない。私達よりもさらに秘密主義なα部隊隊長にはなおさらね。だからこそ、研究に心血を注いできた。情報面では全てにおいてリヴァイヴ団の上を行けるように鍛えてきた」

 

『そして我々が見つけ出したのがRH計画だ。しかし、この計画は不透明な部分が多い。本当に存在するのかどうかすらともすれば危うい計画だ。ワタシはあらゆる手を尽くしてこの計画の仔細を調べようとしたが、あらゆる防壁が立ち塞がった。最早情報戦だけでは手の打ちようがない。実質戦力が必要になってきた。しかしδ部隊は君達が今見ている通り、戦力としては心許ない』

 

「だから、僕達をその戦力として利用しようというのですか。でもそれはウィルへの反逆じゃない。リヴァイヴ団への反逆だ」

 

 意味するところがようやく分かりかけてきてユウキが声を発すると、「そうとも言える。でも、少し事情が異なってくるわ」とキーリが告げた。

 

「どういう、意味ですか?」

 

『ここから先は推測の話になるが』とFが前置きして口を差し挟む。

 

『恐らくはリヴァイヴ団とウィルは結託するだろう。これはリヴァイヴ団という組織を調べれば調べるほどに出た結論だ』

 

「まさか……」とレナが声を詰まらせる。ユウキからしても寝耳に水の話だ。

 

「そんな事が」

 

『しかしあり得ないとは言えない。違うかな?』

 

 返事に窮する。カルマが本物のボスだとすれば、全ての現象を利用しようとするだろう。その中にはリヴァイヴ団という一単位ですら入っているのかもしれない。

 

「団員からの反発が来るわ」

 

『反発など、この状況下においては無意味だ。君達は今夜だけで何人のリヴァイヴ団員が命を落としたのか知っているのか?』

 

 ダミー部隊の事が思い出される。エドガーは? ミツヤはどうなった? テクワとマキシは? 今さらに仲間達のことが気にかかってくる。

 

『ウィルは強攻策を取った。リヴァイヴ団という組織を潰す事を第一条件に掲げた彼らは市民からの反感など恐れず、本隊と思われる部隊に対してβ部隊による奇襲を取り、ε部隊による情報統制を計った。世論を恐れない組織はほとんど無敵だ。世論を味方につけようとしたリヴァイヴ団の作戦は見事に引っくり返された結果になる』

 

「リヴァイヴ団が、負けたって言うんですか……」

 

 絶望的に呟いた声に、Fは冷酷にも、『その通りだ』と返す。

 

『だが、リヴァイヴ団の上層部、本物のボスはこの程度で負けを認め、野望を掲げる手を下ろすほど脆くはない。恐らくは兵が減ったのならば取り入ろうという算段だろう。本物のボスにとって、リヴァイヴ団という組織にこだわる必要はないのだ。ボスはただ私兵が欲しいだけに過ぎない。それがここ数年、リヴァイヴ団を観察した結果、導き出された結論だ』

 

 ユウキもレナも言葉をなくしていた。では、ただボスのエゴを満たすためだけにいくつもの死が積み重ねられたというのか。ユウキは覚えず拳を握り締めた。自分の事だけを考えて、ボスは命を侮辱し、食い潰した。それは決して許されるべきではない。震える拳に気づいたのか、「怒りは分かるわ」とキーリが口を開く。

 

「でも怒りだけじゃ何も解決しない」

 

 それは冷酷だが真実だ。リヴァイヴ団で生きた自分達は、結局、駒に過ぎなかった。駒が余計な意思を持ったからボスは潰そうとした。ユウキはキッと顔を上げてFのモノリスを見やる。モノリスは静かだ。怒りを湛えているのかどうかも分からない。

 

「僕らの犠牲はこのままでは意味がないものとして終わってしまう。ボスにとって都合がいい、ただの駒として終わりを迎えるか。それとも反逆ののろしを上げるか。人は皆、運命の下に平等だと言います。それが真実ならば僕は出来る限り意味のある人間として存在したい。そしてボスには平等を味わわせたい。運命の奴隷としての戦いを」

 

『よく言った、ユウキ君』

 

 Fの言葉にこれが正答なのだろうかと胸中に問いかける。自分はもしかしたらこの瞬間、間違いの道に足を踏み出したのかもしれない。それは確かめようのない、自分達のこれからでしか判別しようのない不確かなものだ。ただユウキは許せなかった。今まで死した者達もいた。命を賭してランポや自分達は戦ってきた。それが意味のないものとして雲散霧消していくのはあってはならない。覚悟は最後まで光り輝かなくてはならないのだ。

 

「正直、馬鹿の理論ね」

 

 キーリが口を開いてぺたぺたとスリッパを踏み鳴らしながら端末へと向かう。椅子に座ったかと思うと、目にも留まらぬ速度でキーを打ち、ディスプレイ上にある数字を弾き出した。

 

「あなたの理論で戦っても勝てる見込みはゼロコンマ一パーセント未満。感情論だけではリヴァイヴ団のボスを闇の中から引きずり出す事は出来ない」

 

 キーリが振り返りながら放った残酷な真実にユウキは言葉をなくした。確かにそうだ。感情の赴くまま戦うだけでは何も変わらない。無知な獣のままである。ユウキが顔を伏せると、キーリは、「でも」と言葉を発した。

 

「あなた達の持つ情報と、私達の叡智が組み合わされば、可能性は無限に広がる。ゼロコンマの確率を、せめて一パーセントくらいに持ち上げる事は可能かもしれない」

 

「叡智って何よ。δ部隊は何か策があるとでも言うの?」

 

 レナが腕を組んで不遜そうに尋ねる。先ほどからキーリ達は結論を先延ばしにしているようにしか思えなかった。キーリが片手を振るい、「試算の余地はあるわね」とレナの険のある視線を受け流した。

 

『我らδ部隊は常にリヴァイヴ団の一方上を行く技術を開発している。そのために存在する部隊だ。開発部門だと、考えてもらって結構』

 

 むしろそのような事こそが得意分野というわけか、とユウキは納得する。キーリが椅子から立ち上がり、手招いた。最初、意味が分からずレナと顔を見合わせると、「ユウキ、あなたよ」とキーリが呼んだ。

 

「僕、ですか……」

 

「そう。手持ちを見せてもらうわ。先ほどのスキャン結果だと、テッカニンとヌケニンみたいね」

 

 これにはユウキとレナは二人して瞠目したが、ある意味では当然なのだ。ただで回復するわけがない。ポケモンセンターでも手持ちは明らかとなる。このような施設ではさらにシステムが厳重に張り巡らされているのだろう。ユウキは頷いて、ホルスターからボールを引き抜いた。

 

「まずはテッカニンを」

 

 緊急射出ボタンを押し込み、テッカニンを繰り出す。すぐさま高速戦闘に移行したテッカニンは空気の中に溶けて消える。キーリが眉をひそめて、「私は手持ちを見せて、と言ったの」と不満を露にした。

 

「すぐに高速戦闘にしちゃ、見せてないのと同じだわ。少しは考えなさい」

 

 キーリの忠言に、レナが食いかかろうとしたがユウキが片手で制した。

 

「ユウキ。でも、こんな子供に言われっ放しで」

 

「僕が悪かったんです。いつもの癖で。テッカニン、止まれ」

 

 そう命じるとテッカニンは翅を震わせながらも可視化出来る速度で留まった。ふわりふわりと浮き上がりながらも、高速で翅を震わせているために高周波が耳を劈く。キーリがぶかぶかの袖で耳を塞ぎながら、「うっさいわねー」と顔をしかめる。

 

「静かに出来ないの?」

 

「ちょっとあんた、さっきから注文が――」

 

「いえ、大丈夫です、レナさん。キーリさん、でいいですか?」

 

「呼び捨てで結構」

 

「ではキーリ。テッカニンは滅多に止まりません。せめて止まり木の類があれば別ですが、この空間ではそれがない。それに止まったとしても鳴き続けます」

 

「じゃあ、出来るだけ静かに。ここが秘密基地だって事を忘れないで」

 

 ほとんど命令口調のキーリにユウキは従った。レナはやはり気に食わないようだ。腕を組んでぶつぶつと小言を垂れている。

 

「テッカニン、翅の振動数を最小限に。出来るだけ低速で、キーリに見えるようにしてくれ」

 

 命じるとテッカニンはゆっくりと、今にも落ちそうなほど危うく飛行し始めた。慣れていないのだろう。今まで高速戦闘ばかりを使ってきたので低速になれというのは他人に歩き方を変えろというのと同義だった。ゆらゆらとするテッカニンを前から後ろから眺めながらキーリは呟く。

 

「なるほどね。このテッカニン、高速戦闘用に特化されている。この速さを打ち破るには、まぁ高周波から位置を割り出すか、蜘蛛の巣やエレキネット、電磁波、黒い眼差し、影踏みで絡め取るしかないようね。ああ、でも影踏みはほとんど無理ね。速くて飛行しているのなら」

 

 キーリの発した技の名前はどれもポケモンの行動を制限する技だ。素早さを下げる技、逃げられないようにする技である。ユウキは瞬時にそこまで見抜くキーリの審美眼に言葉をなくしていた。レナでさえ、「よくそこまで技名が出るわね」と感心の声を出す。キーリがこめかみを突きながら、「ここの違いよ、オバサン」と嫌みったらしく告げた。レナが頬を引きつらせて、「ほう……」と声を出す。胡乱な空気を感じ取って、ユウキは口を差し挟んだ。

 

「でも僕のテッカニンでもボスのポケモンには歯が立たなかった」

 

 思い出すと敗北の苦渋が滲み出してくる。キーリがユウキを指差して、「それよ」と声を発する。突然指差されて、もちろんユウキは戸惑った。

 

「それ、とは……」

 

「リヴァイヴ団、真のボスのポケモン。それこそがδ部隊が追い求め続けている情報。教えてもらえるかしら?」

 

 キーリの申し出に答えようとしたユウキを今度はレナが手で制した。問いかけようとすると、首を振って目で伝えた。ユウキもそれの意味するところを理解する。レナは交渉の材料にしようとしているのだ。ボスのポケモンの正体、それは重要機密である。その手がかりを持っていたレナがあれだけ狙われたのだ。当然、核心に迫る正体となれば相手は喉から手が出るほど欲しいはずである。

 

「教えてあげてもいいけれど、条件があるわ」

 

「条件?」

 

 キーリが眉根を寄せた。恐らくキーリは愚かな自分達二人から匿った恩をだしにしてまんまと情報を引き出そうと考えていたのだろう。レナが思い留まらなければうっかりと口を滑らせるところだった。

 

「あたし達のウィル、及びリヴァイヴ団からの絶対的な安全。それを保障してもらう。そのためにはカードを提示してもらう必要があるわ。あなた達がどこまで本気なのか」

 

 Fはほとんど自分達の機密に関しては口にしていない。これでは一方的な契約である。ユウキもモノリスを見やって同じような言葉を発した。

 

「Fさん、答えてください。ウィルとリヴァイヴ団を相手取るといっても、あなた方はどこまでやるつもりなのか。先ほどのRH計画だって信憑性がない。その資料の一端すら見せてもらっていないんだから。僕らがただ躍らされているだけではないという証明は? どこにあるんです?」

 

 ユウキが問い詰めるとキーリがモノリスへと目を向けた。その後にユウキ達の背後についているKへと目配せする。この三人は何を考えているのか、それを知る必要がある。

 

『いいだろう。君の言う事はもっともだ。我々は一切の情報を開示していない。しかし、これからこの基地にある全ての端末にアクセスする権限を与えられる君達からしてみれば瑣末ではないかと思ったのだが』

 

「冗談じゃないわ。あたし達がここにある端末に触れられるのかすら怪しい。キーリとか言う子供に見張らせているし、後ろは戦闘員で固めている。これじゃ、拘束と何ら変わりないわ」

 

 レナの言葉は正鵠を射ている。この状況は拘束と大差ない。手持ちを知られ、こちらの動きは制限されている。もしもの時には、Fは自分達をウィルにもリヴァイヴ団にも売る事が出来る。ボスと考えている事が違うと言う証明もない。これで信用しろというのは甘い話だった。

 

『ワタシは君達に全てを預ける。そのつもりでこの場所へと導いた』

 

 Fがキーリの名を呼びかける。キーリが振り向いて、「何? パパ」と応じた。

 

『RH計画に関して我々が知りえた全ての情報と、我々の開発している戦力についての説明を求める』

 

「でも、パパ。それは――」

 

『ワタシと君達は対等だ。だからこそ、情報は共有すべきだと考える。これからのためにもね』

 

 キーリは渋々承服したようだった。髪をかき上げて、「仕方がないわね」とキーを打ち始める。やがてウィンドウに表示されたのは「RH計画概要」というものだった。上部に「極秘」の赤字がある。

 

『我々が知りえた情報だ。微々たるものだが、力にしてくれ』

 

「そうさせてもらうわ」

 

 キーリを押し退けてレナが端末の前に座った。RH計画に関する情報のバックアップを取っている。キーリはレナに見えないように舌を出してから、ユウキへと向き直った。

 

「さて、ユウキ。あなたに必要なのは戦力の拡充ね。ついてきなさい」

 

 キーリがぺたぺたと踏み歩いて奥を目指す。ユウキがその後に続いて歩き出すと、背後にぴったりとKがついた。どうやらKは女性でありながらもこの場所においては重要な戦闘員のようだ。ユウキとレナ、二人を相手取るくらいは難なくこなすのだろう。ケーブルとパイプが生物の循環器のように複雑に絡み合った先に廊下が二手に分かれている。キーリは右側を行った。奥に部屋があった。蒼い液体で満たされた試験管が並んでおり、下部には精密機器がある。テッカニンがゆっくりと翅を震わせながらついてくる。

 

「ユウキ。あなたは今以上に強くなる必要がある。そのために、邪道とも呼べる方法を取ってもらうわ」

 

「邪道、ですか……」

 

 ユウキが不安を滲ませながら口にすると、「心配には及ばない」とキーリが手を振った。

 

「ここでは計りようがないけれど、あなたのテッカニン、どこまで自在に操れる?」

 

 問いかけられてユウキは返事に窮した。どこまで、というのは意識した事がない。

 

「分かりませんけれど、たとえるなら手足です」

 

「手足、ねぇ」

 

「指を動かそうと思って動かすんじゃないくらいまでは操れます」

 

 ユウキの説明を聞いてキーリは何度か頷いた。

 

「オーケー。結構熟練の域に達しているわけだ。じゃあ、同調まで行っているのかしら?」

 

 同調の話題は以前レナとランポを交えてした事があったが、自分はそこまで行ってないと感じていた。ユウキは首を横に振る。

 

「いえ、その、同調って言うところまでは到達していないかと」

 

 キーリは椅子に座って主治医さながら、「なるほどねぇ」と端末に情報を打ち込む。キーリが、「ママ」とユウキの後ろにいるKを呼んだ。Kは全てを承知しているかのようにすぅっと動き、精密機器の調整を始める。ゴゥンゴゥン、と稼動音が響く。ユウキがそちらを見やっている間にもキーリの質問は続く。

 

「同調を感じた事は?」

 

 キーリの質問にユウキは記憶の中を探りながら、「自分ではないんですけれど」と答える。

 

「一度だけ、これは同調なんじゃないかって思った事はあります」

 

「他人のポケモンを見て?」

 

「敵のポケモン、ツンベアーでした。それとテクワ、仲間のドラピオンが応戦していて、彼らは僕とは異なる手段でポケモンを操っているように見えた。思考体系がまず異なるんです。手足よりもほとんど一部として、身体の内部器官のように操るよりも動作の延長線上にあるような……」

 

 言葉を繰り出しながら、うまく自分の中で構成されない事に歯噛みする。キーリは急いた様子はなく、「なるほど」と応じる。

 

「正しいわね。同調が理解出来ないトレーナーが同調を目の当たりにした印象としては」

 

「僕は、別に理解出来ないわけじゃない」と抗弁の口を開くと、「でも信じていない。眉唾だと感じている。違う?」と返されてユウキは閉口した。確かにあるとは考えていない。

 

『この世界に同調は存在する』

 

 そう答えたのはFだ。今はこの部屋を見張っているのだろうか。むき出しの監視カメラの眼がユウキを見据えた。

 

『ワタシは既に実証済みだ』

 

「実証って、どこでですか。人体実験ですよ」

 

『ワタシはかつて地獄を見た』

 

 カイヘンの人々の中の共通認識の地獄とは八年前のヘキサ蜂起だろう。Fはその当事者だとでも言うのだろうか。しかし、ヘキサ団員、つまりロケット団員とディルファンス構成員は刑罰に処されたはずだ。ウィルのδ部隊の隊長の席に収まっているはずがない。

 

「ヘキサですか」

 

 Fは答えない。それが何よりの肯定だった。

 

『地獄ではそれが当たり前の敵として立ち塞がった。我々は同調を手にしたトレーナーとポケモンを見たし、さらにその先にある可能性に至った』

 

「可能性……」

 

 呆然と呟いたユウキに対して、キーリが、「唐突だけど、あなたは概念存在を信じるかしら?」と尋ねた。

 

「概念存在、ですか……」

 

 同調よりもさらにはかり知れない言葉にユウキは口中で繰り返す事しか出来ない。キーリは構わず続ける。

 

「ポケモンと人間の認識の垣根を越えた先、ボーダーラインを突破した者。私達はワイアードと呼んでいるわ」

 

「ワイアード……」

 

「ポケモンと同調して、思念の先へと至った存在の事を、私達はそう呼称して研究してきた」

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

 ユウキは頭がパンクしそうだった。声を出す事でかろうじてそれを押し留めている状態だ。額に手をやって事柄を整理する。キーリが、「何よ、待たないわよ」と返す。

 

「ワイアードの感じる世界は私達の認識とは異なる。同調による周囲の気配の鋭敏化、ダメージフィードバック、意識圏の拡大、様々な事が実証された」

 

「その、実証されたってどういう事ですか? まるでワイアードが近くにいるみたいだ」

 

『その通りだ』

 

 Fの冷たい声音が審判のように響く。ユウキは顔を上げて周囲を見渡した。テッカニンがゆらりゆらりと浮かんでいる。

 

『ワイアードは存在する。君の目の前にいるだろう』

 

 Kが振り返った。その手には銃のような機器が握られている。蒼い液体を満たした試験管が撃鉄のように組み込まれていた。ユウキは怖気が足元から這い上がってくるのを感じた。何をされるのか。自分は何になるのか。

 

「そこに座りなさい、ユウキ」

 

 キーリが顎でしゃくって命じる。ユウキは首を横に振った。

 

「い、嫌だ。何のつもりなんだ、あなた達は。ワイアード? 同調? 信じられない言葉ばかりだ」

 

『しかし信じてもらう他ない。そして、君は手に入れねばならない。力を』

 

 ユウキは後ろ手にテッカニンへと指示を飛ばそうとした。指を二本立てて「シザークロス」を命じようとするが、テッカニンはふわりふわりと浮くばかりで高速戦闘に移る気配がない。

 

「……何をしたんだ」

 

 ユウキの言葉に、「この部屋には微弱ながら特定周波数が放出されているわ」とキーリが両手を広げて応じる。

 

「人体には問題ないけれど、ポケモンは平衡感覚を失って指示を聞けなくなるわね」

 

 ユウキは歯噛みした。まんまと連れ込まれたわけだ。

 

「最初から、このつもりで……!」

 

「動かないほうがいいですよ」

 

 Kがバイザーの奥の眼差しを向けた気がした。銃のような機器を掲げてユウキへと歩み寄る。ユウキは逃げ出そうとしたが、その直前にキーリが端末のエンターキーを押した。瞬間、廊下へと続く道がシャッターで塞がれた。ユウキはシャッターに爪を立てる。何度か叩いてみたがシャッターが開く気配はない。

 

「閉じ込めて、何をするつもりです」

 

 振り向いて戦闘の光を湛えた双眸を向けた。キーリが、「へぇ」と興味深そうに声を出す。

 

「ほとんど死にかけていたのにまだそんな眼が出来るんだ。根っからのトレーナー気質ね」

 

 冷静に分析するキーリに対して、ユウキは憤懣をぶつける。

 

「僕は戦いが好きじゃない」

 

「それでも、戦わなきゃならない時があるのよ」

 

 キーリの言葉に、「分かった風な事を……」と思わず口にすると、「あなたの気持ちは分かるわ」とキーリが呟いた。

 

「ママも、パパも戦いが嫌いだもの。私だって好きじゃない。出来るなら、戦わずに全てを終わらせたい。でもそうはいかない。この世はね、戦いの連鎖の上にあるの。誰にも、そこから抜け出すことは出来ないのよ」

 

 達観したキーリの声にユウキは呆然としていた。その瞳は暗い色を湛えている。まるでこの世の深淵を眺めてきたような眼差しだ。Kが歩み寄り、ユウキの腕をひねり上げる。ユウキ自身は非力だ。抗う事も出来ない。Kが銃の先端部をユウキの右腕に当てる。

 

「やめろ!」とユウキは叫んだ。その瞬間に何かが打ち込まれた。走った鋭角的な痛みに顔をしかめる。何か重たいものが内側へと打ち込まれた感触がした。Kが手を離すと、右腕は少し痺れていたが、動かす事が出来た。打ち込まれた箇所を見やる。右腕の一部が腫れ上がっており、そこから蒼い光が覗いていた。

 

「これ、は……」

 

 ユウキが腕を押さえながら呻くと、キーリが憮然として告げる。

 

「それは月の石を融かして凝結させて再構築したものよ」

 

「月の石、ってあの」

 

「そう。カントーで多く採れる進化に必要とされている石。でもね、高純度の月の石は融かしてポケモンと人間に組み込む事によって通常の五倍以上の性能を引き出す事が出来る。それがルナポケモン。八年前にヘキサが実戦投入したポケモンとトレーナーよ」

 

 ユウキは信じられない心地でその言葉を聞いていた。そのような話は聞いた事がない。嘘偽りとして切り捨てるにはしかし、キーリとKは本気に見えた。

 

「じゃあ、テッカニンにも……」

 

 訪れるであろう行動に、キーリは、「いいえ」と否定した。

 

「私達はルナポケモンと媒介になるトレーナー間におけるダメージフィードバックと中毒性を何よりも危惧した。その結果、新たな策が講じられたわ。様々な実験が重ねられた。……ママもパパも協力した」

 

 最後のほうは消え入りそうな声だった。苦肉の策である事はその声音からして明らかである。

 

「私達は、ダメージフィードバックによるトレーナーの生命の危機を何よりもあってはならない事だと考え、試作に試作を重ねました。その結果、生み出されたのがこれです」

 

 Kが銃器のような器具を構える。それに何があるというのだろうか。ユウキは考えた事をそのまま問いかけた。

 

「何があるって言うんです?」

 

「月の石を融かし、さらに再構築して体内に凝結させる技術。これによってダメージフィードバックの問題は解決されたわ。私達は純粋な同調状態に近い状態を得られながら、通常のワイアードとは違う新たなワイアードを生み出せた。名を冠するならばそれはネクストワイアード。次世代の技術よ」

 

 ユウキは腕が脈打つのを感じた。蒼い光が傷口から見え隠れして網膜にちらつく。

 

「でも、これは……」

 

 ただ都合よく同調だけを取り出したものではない。それは直感的に分かった。キーリが目を伏せて、「そうね」と答える。

 

「あなたが察している通り、この方法は命を削る。ダメージフィードバックの代償がない代わりに、ポケモン側へと意識が引っ張り込まれる可能性があるわ。擬似的な同調の代償って言うわけね」

 

 ユウキは腕を押さえて蹲った。脈動が脳へと突き抜けてくるようだ。意識が拡張され、無理やり自身の内部をこじ開けられているかのような錯覚を覚える。自分でも未知の領域へと踏み込まされている。それはポケモンと人間が至っていい場所なのか、否か。

 

「ネクストワイアードはポケモンの変化の影響を受けない。意識だけをポケモンに飛ばす事が出来る。この部屋では難しいでしょうけど、試しにやってみなさい。意識の声だけでポケモンに技を繰り出させるの」

 

 キーリが椅子から降りて屈み込み、ユウキの顔を覗き込む。呼吸が荒くなっているのを感じた。絞り込まれた意識が鋭敏化した針のようだ。ユウキはその針の先端にテッカニンを感じた。自分という個体との境界が溶けようとしている。流れ込んできたテッカニンの思惟に抗うように、ユウキは意識の声を上げた。

 

 ――シザークロス!

 

 瞬間、テッカニンが掻き消えて高速戦闘へと身を浸す。極大化した感知野がテッカニンの存在を主張させ、キーリの首筋へとテッカニンの爪が振るわれようとした。その直前、青い影がテッカニンの行く手を遮った。光が突然弾けたかと思うと、テッカニンと同調していた意識の眼が眩む。ユウキは自分の手を前に翳した。実際には光が襲ったのはテッカニンのほうだ。自分ではない。ユウキはそれを意識し直して、矮小な自分という個の中へと意識を落とし込んだ。「ユウキ」という器に戻った意識が肩を荒らげて目の前の光景を視界に入れる。

 

 キーリの背後へと襲い掛かったテッカニンの爪を、青いポケモンが阻止していた。ジェット機のような威容を持つのは先ほどのポケモンと同じだが、青に色を反転したようであり、ラティアスと呼ばれたポケモンよりも身体が鋭角的だった。鋭い赤い眼差しに射る光が宿る。その眼の奥が蒼く燃えていた。ジェット機のようなポケモンは小さな末端としか思えない両腕から光を放射したようである。その光弾がテッカニンの攻撃を防いだのだ。

 

 Kがホルスターからモンスターボールを引き抜いた格好でキーリの背後を守っていた。テッカニンの爪から放たれた技の残滓がKのバイザーへと至っている。バイザーに亀裂が走り、音を立てて割れた。ボロボロと崩れ落ちたバイザーの欠片が床に転がる。キーリは呆然と訪れた光景を眺めるしか出来ない。ユウキも同様だった。Kだけが顔を振り向けた。キーリと同じ、紫色のくりりとした瞳だったが、今は戦闘用に細められている。鋭いまなざしがユウキに今しがた行った事を自覚させた。

 

「僕、は……」

 

「私の言葉に反射的に従ったのね」

 

 キーリは落ち着きを取り戻して、何度か頷いた。Kはユウキを見下ろしている。紫色の瞳孔の奥に蒼い光が揺らめいているのを見た。ユウキは、「あなたも」と口を開いていた。

 

「ネクストワイアードなんですか」

 

「ママは違う」とキーリが首を振って否定する。

 

「ママは最初期のワイアード。今よりも随分と乱暴な方法でポケモンとシンクロさせられていた。ディルファンスの技術よ」

 

 どこか吐き捨てる声音を伴ったキーリの言葉にユウキは声を詰まらせていた。ディルファンス。それはキーリにとっては軽蔑の対象なのだろうか。考えを巡らせていると、Kは青い鋭角的なポケモンをモンスターボールに引っ込めた。赤い粒子となって戻っていく。Kはユウキにも、戻すように促した。

 

「一度ボールに戻してから経過を報告するといいと思います」

 

 素顔が見えたKの声音にはどこか暗い色が浮かんでいる。過去という重石を断ち切れていない声だとユウキは思った。その声音はサカガミに似ているからだ。どこか悔いている、そのようにも感じられる。ユウキはKに従ってモンスターボールで空間を薙いだ。テッカニンがモンスターボールに赤い粒子を棚引かせて吸い込まれる。キーリが息をついた。

 

「少し焦り過ぎたわね。感知野のコントロールも学ぶべきでしょう」

 

『キーリの言う通りだな。ユウキ君、思っていたよりも君は力が強い。だからこそ、御する術を覚えなくてはならない』

 

 ユウキは立ち上がって、まだ疼く右腕を押さえた。傷口が気になって仕方がない。Kが、「慣れてください」と言葉を発した。

 

「そうするのが一番だと思います」

 

「取り出す術は?」

 

「あるにはあるけれど、これから戦うあなたには必要ないでしょう。むしろ、一度打ち込んだ程度じゃ定着しないわ。何度か重ねながら、思考でポケモンを操る事に慣れないと」

 

 ユウキは右腕を掲げて、「これが僕の傷ってわけですか」と呟いた。キーリがクスリと笑って、「何それ、詩的ね」と言った。

 

「どちらにせよ、ワイアードとして戦うにはまだ経験が浅い。ユウキ、あなたには戦い方を覚えてもらうわ。これまでのポケモンバトルの常識じゃない。新たな領域に踏み込むために」

 

 その後押しをF達がしてくれたというわけだ。感謝すべきか、またはこのような残酷な運命に投げ込まれた事に対して恨み言の一つでも言うべきか。ユウキは傷口を眺めながら、どっちつかずの思考を持て余していた。

 

『強攻策を取った事、許して欲しい』

 

 Fの声にユウキは、「いえ」と首を振った。いずれは必要になる事なのだろう。

 

「こういう事は早いほうがいい。僕も覚悟を決める気になれる」

 

『そう言ってもらえると助かるな。さて、次に君達がやってもらう事は我々への情報提供だ。レナ君もRH計画の概要には目を通したようだし、どちらからでも構わない。話してもらえるかな』

 



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第七章 六節「黄金の誓い」

 ここで断れば、という考えも浮かんだが、それは最初から判断の中には入らないだろう。既にレナも自分も変化の境地にある。後戻り出来ない事は明白だった。背後のシャッターが開き、レナが立っていた。ユウキの腕を見やり、「何されたのか知らないけれど」と口を開く。

 

「あなた達、あたし達をモルモットみたいに考えているんじゃないでしょうね?」

 

 レナが白衣のポケットに手を入れながら威風堂々と声にする。ユウキも懸念していたことだけに真剣な眼差しを監視カメラに向けた。キーリが応じようとすると、Fが先んじて声を発する。

 

『そのようなつもりはない。ワタシと君達は対等だ。モルモットなど、決して。仲間として君達と我々は協力すべきだ』

 

「そう、でもね、ユウキに手を出した以上、あなた達だってもう引き返せない。あたしが引き返させない」

 

 張り詰めた声音にユウキが立ち上がり、レナの前に手を翳した。右手を握り締めて拳を作り、「大丈夫」と声を出してみせる。

 

「僕は大丈夫ですから。それよりも、僕は悔しい」

 

「悔しい? 何が?」

 

「女性にそんな男らしい言葉を言われた事がですよ」

 

 ユウキが口にするとレナはきょとんと目を丸くした。キーリがぷっと吹き出す。Kは無表情のままだ。ユウキは一歩踏み出して、「今度は僕から言わせてもらいます」と口を開いた。

 

「レナさんを害する気なら、僕も黙ってはいない。徹底抗戦に打って出る」

 

 ユウキの言葉にFは、「ほう」と感嘆したような息をついた。キーリがにやりと笑う。

 

『君達の覚悟は賞賛に値する。ワタシの眼に狂いはなかった。あの時、立ち向かった人々とやはり同じ光を君達は湛えている。それは正義も悪も超えた、意志の煌きだ。宿された意志は炎より熱く、ダイヤモンドよりも壊れない。そのような意志の輝きを放つ人々と共に戦えた事を、これからも君達と共に戦える事をワタシは誇りに思う』

 

「安全圏から見下ろしているくせに」

 

 レナが吐き捨てると、Fは、『そう見えるかもしれない』と返した。

 

『だが、ワタシは常に君達と共にあるつもりだ。どうか、教えて欲しい。リヴァイヴ団のボスのポケモン、その邪悪の根源を』

 

 ユウキはレナと視線を交わし合う。レナは一つ息をついてから頷いた。もう言うしかないと判断したのだろう。ユウキも同じ気持ちだった。これ以上の交渉には、こちらのカードを提示する必要がある。

 

「いいわ。話しましょう。あたし達の知り得た、全てを」

 

 レナは簡潔にFへと語った。リヴァイヴ団、真のボス、カルマ。その手持ちポケモン、デオキシスについて。自分はデオキシスの遺伝子調整を任されており、デオキシスというポケモンは四つの形態にフォルムチェンジするという事を。全てを語り終えた後、キーリが歩み出した。どこへ向かうのかと思えば、コーヒーメーカーからカップへと黒々とした液体を注ぎ、湯気の立つカップを二人へと差し出した。キーリなりの礼節なのだろうか。「何?」とレナが鋭く見下ろすと、「お礼よ」とキーリはつっけんどんに返した。

 

「パパとママの協力をしてくれたお礼。私は何とも思ってないわ。当然の義務だと思っているし」

 

 キーリがぷいと顔を背ける。ユウキは左手でカップを受け取って、「ありがとう」と笑顔を返す。キーリが頬を紅潮させた。それを見てレナがぷっと吹き出す。

 

「笑うな!」

 

「ええ、分かっているわ。ありがとう」

 

 レナもカップを受け取って一口含む。しかし、すぐに渋い顔になった。ユウキも口に運ぶが、酸っぱくてお世辞にも美味だとは言い難い。

 

「特徴的な味ね」

 

 レナが精一杯の礼節を口にする。キーリは椅子へと戻っていた。ふんぞり返って座り込み、「デオキシス、ねぇ」と頬杖をついた。

 

「知っているの?」

 

 レナが訊くと、「データベースには存在するわ」とキーリが端末へと向き直ってキーを打ち込んだ。たちまち画面上にデオキシスの姿が現れる。3Dで構成されたワイヤーフレームである。

 

「随分前に、宇宙放射線の影響でいくつかの個体が確認されたわ。どれも宇宙空間で付着した何らかの生物のDNAが変化を遂げてこの惑星にもたらされた。分類上はDNAポケモンと呼ばれている。ほとんど異星体と呼んでも差し支えない存在ね。少なくともこの星の理で構成されたポケモンではない。ボスはどうやってこのポケモンを入手したのかしら?」

 

 キーリが当然の疑問を口にする。ユウキもそれは気になっていたが、着眼していたのはその部分ではない。キーリへと尋ねていた。

 

「キーリ。デオキシスの戦闘能力について知りたい。何か、判明している事はありますか?」

 

「そうね。最初に確認されたのはホウエンだからホウエンのデータベースに潜入しましょう。デオキシスの第一個体はロケットに付着した肉腫が成長したらしいから」

 

「それって、犯罪じゃないの?」

 

「そうよ、ばれればね」

 

 即座に受け答えをしてみせたキーリにユウキとレナは顔を見合わせて閉口した。キーリは迷わずホウエンの重要データベースへとハッキングを試みる。キーを打つ速度は素人目に見ても速い。ユウキには何をしているのか全く理解出来ないが、レナは口を半分開いて呆然としていた。レナが呆然とするほどの実力なのだとしたら、キーリは何者なのだろうと今さらの感情が湧き上がってきた。δ部隊二等構成員と言っていたが、まだ幼いように見える。ユウキは覚えず訊いていた。

 

「キーリ。君は、何歳ですか?」

 

「今年八歳になるわ。ヘキサ事件を知らない世代ね。政治家なんかの間じゃ、〝失われた時代〟に分類される世代だわ」

 

 自分の世代を客観的に見ている事に舌を巻きつつ、ユウキはKを見やった。Kが冷たい眼差しをユウキへと送る。ユウキは思わず目を逸らした。キーリが八歳だという事はKが何歳の頃の子供なのかと邪推してしまったのである。少なくとも十代の頃の子供である事は明白だった。勝手に頭の中で彼女達の苦難を描いてしまった自身の愚かさに嫌気が差す。結局、自分達の辛さなど誰かに理解してもらおうとは当の本人達は考えていない事は、サカガミや自分の人生を鑑みても明らかなのに。

 

「その年でよく、ウィルに入ろうと思ったわね」

 

 レナが腕を組んでキーリの背中を睨む。邪推しなかったのは同じ女性だからか、それとも何かしら通ずるものがあったからか。

 

「まぁね。私は飛び抜けて知能が高い事は早期に証明されていたから。その実力を活かすにはウィルに入る事が一番だと自分で判断したのよ。パパとママの手助けもしたかったし」

 

 キーリは自分でウィルに売り込んだのだろうか。そこまで考えしまうユウキに対して、キーリは、「でもウィルは戦闘部隊。私みたいなのは売り込んだって重要視されない」と見透かしたように声に出す。

 

「その戦闘部隊で、よく生き残れたわね」

 

「カイヘンでは今や全てのポケモントレーナーには等しく首輪が付けられているわ」

 

 キーリが片手を上げて翳す。手首にはポケッチが巻きつけられていた。キーリ自身もポケモントレーナーだという事だ。

 

「私には私なりの戦い方がある。ポケモンをたとえ御する事が出来なくてもね」

 

「ポケモンを御せない?」

 

 ユウキが聞き返すと、キーリはハッキングの手を休めずに、「そのうち私の手持ちを教えてあげるわ」とだけ返す。ユウキとレナは黙って見守るしか出来なかった。その状況を察したのか、Fが口を開く。

 

『デオキシスの戦闘能力を知って、どうするつもりかな、ユウキ君』

 

「僕のテッカニンでも速度で勝てなかった。今まで純粋に速度で負けたのは初めてです。デオキシスは普通のポケモンじゃない」

 

「その感想については同感ね」とレナが頷いた。『と、言うと?』とFが尋ねる。

 

「マスターボールに入れられていたポケモンよ。相当な強制電波がなければ従えられないという事でしょう。それと同時に、奇妙だけど、仮説として」

 

 レナが眼鏡のブリッジを上げる。キーリが、「オーケー、言ってみて」と背中を向けながら片手を上げる。

 

「デオキシスとボス、カルマは同調関係にあると思われる」

 

「その仮説の根拠は?」

 

 キーリがすかさず質問してくる。戦っていた自分でさえ、同調関係にあるという確信はなかった。それを第三者であるレナが見抜けたのは何故なのか。レナはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「あたし達が逃げていく直前、入れ替わりに侵入者があった。普通ならばデオキシスを見られ、なおかつ自分の正体が露見したあたし達を優先的に狙わなければ危うい。たとえデオキシスが多少の手傷を負ったとしても。でも、追撃はなかった。それはボスとデオキシスが同調していてダメージフィードバックを恐れたから」

 

「確証に欠ける仮説ね」

 

 キーリの駄目出しにも、レナはめげずに言葉を続ける。

 

「でも、あたしの見立てだと、あのポケモン、デオキシスには何らかの欠陥がある。そうね、ダメージを恐れるのならば耐久が脆い。長期戦には向かない、体力のないポケモンであるという事……」

 

 レナが顎に手を添えながら発した言葉に、「さすがね、レナ・カシワギ」とキーリがキーを叩く手を止めてエンターキーをとどめに押した。どうやらハッキングが完了したようだ。デオキシスについて先ほどよりも鮮明な画像と幾つかの情報がスクロールする。

 

「デオキシスの欠点、それは体力。ステータス面でデオキシスは他のポケモンに遥かに劣る事が証明されている。弱点を突かれれば恐らくは一撃で沈む。伊達ではないわね、カイヘンの研究者も」

 

「当然」とレナは得意そうに眼鏡の縁を上げた。キーリが、「同調関係にあると判断したのもこのデータがあれば頷ける」と画面を指差した。

 

「戦闘データがあったわ。デオキシスは後手に回ればほとんどの場合、敗北している。そのためにデオキシスは常に先手を打つような戦法が提案されている。個体数が少ないから現実的なプランじゃないけれど、もしデオキシスを持っていたとすれば、の話ね。で、デオキシスはさっきの話にあった通り、四つのフォルムが存在する」

 

 キーリが画面の中の一部へと拡大を促し、四分割された画像を大型のモニターに映した。ユウキとレナはそちらへと視線を移す。両手がしっかりと存在し、人型に近いフォルム。ガムのように扁平な手足に、宇宙服を思わせるフォルム。頭頂部が尖っており、全身が鋭角的なフォルム。後頭部が突き出しており、身体に纏うオレンジ色の表皮が最も薄いフォルム――。

 

「それぞれのフォルムには名前がつけられてる。両手があるのはノーマルフォルム。デオキシスの基本形態。で、首の継ぎ目がなくって面長なのはディフェンスフォルム。デオキシス、防御の形態ね。この状態になったら、ほとんどの攻撃は通らない。その代わり、他のステータスはかなり削られるけど。この全身が尖っているのがアタックフォルム。攻撃形態ね。攻撃に秀でたステータスを持っているわ。最後に、全身を覆うオレンジ色の表皮が極端に薄くなっているのが、スピードフォルム。数値上の記録から言わせてもらうわ、ユウキ。あなたが戦って、速度で勝てなかったのはこのフォルムね」

 

 キーリが振り向いてユウキへと確認の声を出す。ユウキは首肯した。

 

「そうです」

 

「勝てないのも無理はないわ。スピードフォルムは現在、確認されている中で全ポケモンから群を抜いて最速。ホウエンで記録されたから、もちろんテッカニンのデータも入っているけれど、テッカニンの速度を超えた、とある。これは人工飼育下にあるテッカニンだから、トレーナーが育成した場合とは随分と異なるだろうけれど、それでも超えられない壁がある事は歴然とした事実ね」

 

 ユウキは言葉をなくした。レナも息を呑んだのが伝わる。そのような怪物と自分達は相対していたというのか。

 

「デオキシススピードフォルムをトレーナーが操る事は事実上、不可能とされているわ。このデータでもデオキシスの脳内にチップを埋め込んで命令補正をしてようやく、とある。通常の命令系統ではデオキシスの速度に人体がついていけない。目視では必ず、タイムロスが出る。そうなった場合、デオキシスのパフォーマンスはかなり落ちるらしいわね。テッカニンのほうが使い勝手がよく、人間の認識についてくる、どうやらテッカニンとの速度比較も行ったようね。デオキシスの速度はテッカニンを遥かに超える。戦闘能力も含めればまさしく無敵。それがスピードフォルムみたい」

 

「……だとしたら、どうやって勝つんです」

 

 絶望的な宣告が続く中、ユウキは声を搾り出した。キーリとKがユウキへと視線を向ける。ユウキは右手の拳を固めて、「僕は」と口を開く。

 

「勝たなきゃならないんだ。ランポのため、仲間達のために。人の命を道具としか思っていないようなボスとは対峙しなくっちゃならない。でも、僕とテッカニンではいつまで経っても追いつけない。そんなんじゃ……」

 

 悔しさを滲ませてユウキは拳を額に当てた。黄金の誓いも、圧倒的現実の前では無意味だと言うのか。キーリは、「まぁ、落ち着きなさい」と声を発した。

 

「誰も勝てないとは言っていないわ」

 

 その言葉にユウキは顔を上げた。レナも、「出来るの?」と声を出す。キーリは、「可能性はゼロじゃない」と応じる。

 

「ボスがデオキシスと同調しているとすれば、かなり慎重を期す事が予想される。同調しているポケモンの死は自分の死へと直結するから。どんな粗悪なワイアードなのかは知らないけれど、私達δ部隊よりかは下の技術と考えていいでしょう。ユウキ、さっきのシンクロよりもボスのシンクロは弱いわ。それだけは断言出来る」

 

「本当かしら?」とレナが訝しげに声を発する。キーリは、「信用なさい」と年に似つかわしくない声音で返した。

 

「私達の叡智を結集した技術よ。自分だけで独占している人間よりも弱い理屈はない」

 

「ボスの同調がどのような方法によるものなのかは分かりかねますが」

 

 ユウキはFが見ているであろう監視カメラへと視線を投じた。

 

「僕は負けない」

 

 その決意の言葉にレナも歩み出た。

 

「あたしも微弱ながら協力するわ。ユウキの傷だって完治したわけじゃない。一人でも多くの戦力が欲しい。違う?」

 

 二人の言葉にFは苦笑を漏らしたようだった。

 

『なるほど。そうだな。君達は傷を癒し、万全を期してリヴァイヴ団とウィル、両方と戦ってもらわなければならない。RH計画の全貌を知り、カルマを白日の下に晒す。我らの利害は一致したな』

 

「どうかしらね。あなたの考えている事はまだよく分からないわ」

 

 腕を組んで発したレナの苦言にFは、『杞憂だ』と告げる。

 

『少なくとも大した思惑はない。本当だ』

 

 それこそ疑わしい、とユウキは感じていた。大した思惑も野望もない人間がここまでするだろうか。必ず、押し隠した何かがある。ユウキは完全にFに全権を任せる事は出来ないと感じていた。どこかで独自の判断が求められる。そのはずだ、と。

 

「ユウキ。あなたには武器を与えるわ」

 

 キーリの声に、「武器?」と聞き返す。キーリは端末のウィンドウを呼び出し、「これよ」と告げた。そこに描かれていたのは鋭角的なフォルムを持つバイクだ。

 

「開発中だけど半年以内に完成する見込み。戦うにも足が必要でしょう」

 

「免許を持っていませんけど」

 

「自転車と要領は同じよ。難しく考える必要はないわ。オーダーがあるのなら、これにも同調機能をつけてもいい」

 

 ユウキは微笑んでやんわりと首を振った。先ほどのような感覚が分散してうまくコントロール出来る自信がない。

 

「どちらにせよ、ユウキ。あなたは強くなる必要がある。これは最早、決定事項よ」

 

 キーリに強く言われてユウキはたじろいだが、レナも頷く。

 

「そうね。あたしも、もっと力をつける必要がある。リヴァイヴ団とウィル、両方を相手取るのなら」

 

 思わず握り締めた拳へと視線を落とした。レナはどこまで本気なのだろう。レナまで身を投じる必要はないと考えていたが、それは戦いに赴く者を侮辱する言葉だとそっと胸の中に仕舞った。

 

『RH計画の阻止。カルマとの戦い。どちらも避けられぬ運命だ。我々は力を合わせなくてはならない』

 

 キーリが歩み出て手を差し出す。ユウキが惑っていると、その手を軽く振って、「握りなさい」と命令された。

 

「これは契約よ。ユウキ、レナ、あなた達を歓迎するわ」

 

 ユウキは幼く紅葉のように小さな手へと視線を落とす。その手に全権が任せられている。その現実はどこか遊離していたが、今はそれが真実だ。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ユウキはその手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄く瞼を開けると、白熱電球の光が網膜に焼きついた。ユウキは上体を起こす。腹部を押さえた。この半年間で傷は完治したが、まだ痕は残っている。ポケモンに刻まれた傷は癒えぬ傷痕となるらしい。そのポケモンを倒さない限りは。

 

「僕は、カルマを倒す」

 

 そして黄金の誓いを果たすのだ。ユウキは最早迷いなど微塵にもない双眸を中空に投じた。

 



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第七章 七節「身の程知らず」

 一報が届いたのはまだ未明の事だ。

 

 気だるげに暗闇の中、青年は身じろぎした。ポケッチに通知がある。読み込むと、「反逆者ユウキ、またも施設を襲撃、機密データを奪取」とある。

 

 乱雑な言葉の羅列に息をついて、青年は部屋の明かりを点けた。カーテンを開き、ハリマシティ一等地にあるホテルからの光景を目にする。眼下にある全ては自分の掌にある。それが彼に与えられた役割における認識だった。しかし、実のところ彼には何もない。自分で決めた事は何一つとして。全て手の中を砂のように零れ落ちていった。もう一度、掴めるだろうか、と彼は拳を握り締める。すると、ノックの音が聞こえた。

 

「入れ」と命じると、部下が入ってきた。かつては部下などという括りは嫌いだった。しかし、今はその括りに慣れるしかない。半年間は彼にとって順応期間だった。ある意味では地獄のような時期だったと言える。己を偽り、欺いた虚構の山の頂に立つ。それがどれほど精神を削るものか。現れた部下は彼を見やり、恭しく一礼した。

 

「おはようございます。ウィルα部隊隊長、ランポ様」

 

 名前を呼ばれ、ようやく彼は自分がまだ「ランポ」である事を自覚する。しかし、その存在は半年前に死んだ名前でもあった。表向きにはもういない。

 

 ――死者の名を騙る偽者だ。

 

 ランポは自分の事をそう蔑んだ。部下の胸には「R」を反転させた水色のバッジがあるが、それと同時に肩口には「WILL」の白い縁取りがある緑色の制服だ。矛盾している、とランポは感じた。しかし、これが今のリヴァイヴ団、つまりはウィルにおける現状なのだ。

 

 半年前、リヴァイヴ団は表舞台から姿を消した。あの時の演説によってウィルに宣戦布告したとみなされ、ウィルは武力を持って応戦。一斉検挙を成し遂げた。今や、カイヘンにリヴァイヴ団なる組織はいない――という建前が必要だった。

 

 しかしその実は生き延びたリヴァイヴ団員はウィルの構成員としてその職務を変えた。カイヘンの自治独立を謳ったリヴァイヴ団は消え去り、一時期はリヴァイヴウィルとして混在する組織名にされていたが、世論の背景も鑑みてリヴァイヴ団は完全に姿を消す事を選んだ。今やカイヘンは独立治安維持部隊ウィルのみが存在し、地下組織は全てなくなった事になっている。ランポはコウエツシティの地下監獄や、F地区の人々はどうなったのだろうか、と時折考える。彼らはリヴァイヴ団がなければ存在価値のない者達だ。彼らの処遇はどうなったのか。半年前に僅かな餞別と共に送り出してくれた人々の笑顔が脳裏に思い返され、今でも目頭が熱くなる。

 

「ランポ様。いかがなされましたか?」

 

 部下が目ざとくランポの変化に反応する。この部下は監視役だ。ランポはこの部下がつけられた時からそう感じていた。自分の行動を制限し、決して反逆行為に手を染めないように。

 

「いや、何でもない。行こうか、ヤマキ」

 

 名前を呼ぶとヤマキという部下は挙手敬礼を返した。まだ二等構成員だと言うが、それは彼の特殊な出自のせいだろう。

 

 ディルファンス上がりでカントー独立治安部隊に配属になったものの地下情報組織とのコネクションが明らかになり一時的に懲戒免職。ウィルを追われた彼が辿り着いたのはリヴァイヴ団だ。天性の観察力の鋭さを活かし、彼はのし上がっていたが半年前にリヴァイヴ団が瓦解。それによって再び古巣であるウィルへと戻る結果になった。何と数奇な運命だろう、とランポは彼の経歴を見た時に驚嘆したものだ。リヴァイヴ団、ウィル、両面を知る数少ない人材であり、ランポの首輪には最適だった。

 

 ヤマキと共にランポは部屋を出てホテルのエレベーターを下ろうとボタンを押した。ランポはα部隊であり隊長という特性上、制服の着用は義務付けられていない。なので、半年前と同じ格好だった。もし道行く人がランポの顔を覚えているならば幽霊が歩いている、という事になるのだろうか。もしかしたらまことしやかに都市伝説として語り継がれているかもしれないな、とランポは考える。そう思うと少し可笑しかった。

 

「ランポ様。俺は考えたんですが」

 

 敬称をつけながらも、自分の事を「俺」で通すヤマキという部下は、時折こうして話を始める。ランポも半年もすれば慣れたものだ。黙って言葉の行く末を眺めた。

 

「反逆者ユウキはランポ様の言葉ならば聞くのではないでしょうか?」

 

 反逆者ユウキ。その口上を聞くたびに奇妙な気分になる。半年前までは黄金の誓いを交し合った仲間であったはずの名前は、今は世界の敵としてカイヘンで認知されていた。ウィルに楯突く唯一の害悪。反逆者ユウキと彼が拉致しているとされるレナの名前は有名だった。

 

「何故、そう思う?」

 

 ランポが尋ねるとヤマキは、「そりゃあ」と首をひねりながら応じた。

 

「かつての上司の言葉ですから」

 

「君は、上司の言葉ならば何でも聞くのか? 自分の信念を曲げてでも?」

 

 この質問は実はナンセンスである事をランポは知っている。ヤマキはかつてディルファンス在籍時に副リーダーに楯突いて空中要塞ヘキサ攻略戦の前に組織を罷免されている。そのような来歴を持つ人間が首を縦に振るはずがなかった。当然、「事と場合によりますが」という言葉が返ってくる。

 

「でも、柔軟に対応していきたいとは思っていますよ」

 

 エレベーターの階層表示を二人して眺めながらランポは口に出した。

 

「柔軟、とは組織に対してか、個人に対してか」

 

 ランポの謎かけのような言葉にヤマキは、「参ったな」と苦笑を浮かべる。

 

「俺は個人だと思っています。組織が個人を殺そうとするのなら、それは、間違っていると」

 

「ユニークな考えだ」

 

 エレベーターが到着音を響かせる。扉が開いてランポは踏み込んだ。ヤマキが開閉ボタンを先んじて押している。二秒ほど間を置いて入ってきて、「何階ですか?」と尋ねる。

 

「とりあえずウィル本部へと向かう。降りてくれ」

 

 この階層より上はないのだから降りてくれ、という言葉は適切ではないが、ヤマキは首肯した。

 

「了解しました」

 

 一階のボタンを押してヤマキは開閉ボタンを押す。エレベーターの扉が閉まり、ランポは壁にもたれかかった。下降感が押し寄せてくる。腕を組んでヤマキの背中を見やった。硬く強張った様子はない。どうやらヤマキは根っからそういった緊張感とは無縁のところにいる人間だ、というのが半年間で分かった事だった。

 

「隊首会ですか」

 

 余計な詮索だろう。人によれば注意するべきところかもしれない。しかし、ランポは特に突き放すつもりもなく、「そうだな」と応じる。

 

「嫌になりませんか? 隊長達が一同に会するというのも」

 

 とんだお節介には違いなかったが、ヤマキの声音に含めるところがないのを見ると、特に考えて発した言葉ではないようである。

 

「やらなければならないんだ。仕方がないだろう」

 

「仕方がない、ですか。随分と懐が深い」

 

 それは半年前までリヴァイヴ団の下っ端に過ぎなかった自分が敵対関係にあったウィルの隊長達と同席するという事に対して言っているのか。そう感じたが、ヤマキはそこまで嫌味な人間ではない。それも半年間で学んだ事だ。ランポはフッと口元に笑みを浮かべて、「そうでもないよ」と呟いた。

 

「俺でもこの隊首会の意味は問いたいところだ。隊長同士が渋面をつき合わせて、何か価値があるのか、と」

 

「コウガミ総帥の決定には逆らえませんからねぇ。あの顔で叱られたらさぞかし怖いでしょう」

 

 ヤマキが朗らかに笑う。上司の悪口すらこの部下は笑い話の一つにしてしまう。ある意味では才能だと感じている。

 

「だな。我々隊長などその程度のものだ。総帥が怖くて規律に従っている」

 

「本来、α部隊はそういった規律からは外れた部隊でしたけどね」

 

 言外にランポになってから変わったと言われているようだったが、もちろん含むところはないのだろう。ランポは逆に問い返してみた。

 

「俺になってから変わった、と思っているか?」

 

 ヤマキは首を横に振り、「いえ」と緊張した素振りも見せずに返す。

 

「滅相もない」

 

「お前は正直者だな」

 

 ランポは笑みを深くして鳶色の眼差しにヤマキを捉える。ヤマキは、「ですかねぇ」と首を傾げた。

 

「そういう自覚はないんですけど」

 

「無自覚の才能だな。お前は、他人と自分とを同じ土俵に持ってくる気概がある」

 

 不意にそのような仲間がいた事が思い出された。前髪でいつも片目を隠していた、自分の事を誰よりも慕っていた仲間。もう一人、寡黙だが誰よりも情に厚く、つるむ事が好きだった仲間の顔。しかし、半年前の戦いで、古株の二人はどちらも命を散らせた。掌に思わず視線を落とす。今、ランポの手に残っているものはない。この手に掴んだと思われたものは全て滑り落ち、残ったものは何もない。虚しさだけが胸に空いた大穴に去来する。奥歯を噛み締めていると、エレベーターが到着を報せた。

 

「着きました。どうぞ」とヤマキがランポを通す。ランポは前を歩きながら豪奢なフロントを見渡した。シャンデリアが吊り下がり、暖色で塗り固められた壁が心を穏やかにする。しかし、その程度ではランポの失ったものを慰める事など出来ない。所詮は色によるまやかしだ。ガラス張りの出入り口を抜けると、黒塗りの車が停まっていた。

 

 この光景も半年で見慣れたものだ。恭しく運転手が頭を下げて扉を開き、ランポを誘う。ランポは車に乗り込んだ。リムジンタイプの後部座席は広々と取られている。後ろからついてきたヤマキが乗り込むと扉が閉まり、車が緩やかな振動と共に走り出した。ランポは頬杖をついて窓の外に流れる景色を視界に入れる。

 

 起き掛けのハリマシティは寝ぼけた頬を叩き起こされたようにゆったりと動き始めている。全ての物事がこの街から始まる。いわばカイヘンの心臓、中心地であった。その街並みを走る車は間もなく三十六番道路に入った。ランポはポケッチを確かめる。昨夜、この場所で激しいカーチェイスが繰り広げられたという。ウィルβ部隊が応戦したが、あえなく撃沈され、逃亡者をまんまと逃がしてしまった。逃亡者、及び首謀者の名前はユウキ――。

 

「昨日、ここで黒バイクと戦闘があったみたいですね」

 

 まるで観光見学に来たかのような気軽さでヤマキは窓の外を見渡した。ランポは、「そうだな」と淡白に応じる。ヤマキはまだ話の裾野を広げたかったようだ。「黒バイクは何が目的なんですかね?」と訊いてきた。

 

「さぁな。重要事項としか言えない」

 

「俺がランポ様の付き人でもですか?」

 

「お前は」とランポは微笑んでみせた。ヤマキも同じように笑んでみせる。ランポは手を前で組み合わせながら、「雑談が好きだな」と言った。

 

「ええ、まぁ。そういう野暮な事は、特に」

 

「野暮だと、自覚はあるのか」

 

「根っからの癖なんですよね」

 

 困ったようにヤマキは後頭部を掻いて苦笑する。これが狙ったものならば大したタマだとランポは感心すらしていた。

 

「お前は、俺の付き人業を楽しんでいるように見えるな」

 

「ああ、やっぱり分かります?」

 

「二等構成員であっても、こうしてリムジンに乗れる事を内心は面白がっている。普通ならば面倒で仕方がないだろう。しかし、面倒と面白いが表裏である事を知っている。そうやって事態を楽しめる奴だ、お前は」

 

「買い被り過ぎですよ。褒めないでください。俺、褒められると痒くなってしまいます」

 

「褒めてないがな」

 

 この天然のような言動も全て計算のうちだとしたらこれほどまでに自分を監視するのに打ってつけな人材はいないだろう。ヤマキを見つけてきた上層部にランポは感嘆の息を漏らした。

 

「黒バイクはどうしてウィルの施設を襲うんでしょう? そんな事したって罪が重くなるだけなのになぁ、って感じるわけです」

 

「当然の疑問だな」

 

 ランポはユウキの事を考える。ユウキの行動には必ず理由がある。ユウキは意味のない行動には移らない。必ず、ユウキの成す事には意味があるはずだ。しかし、ユウキは今、カイヘンにおいて悪として認識されている。裏切れとそそのかしたのは自分だ。その事実が胸の中に突き立った。だが悪を成せと命じた覚えはない。今のユウキは独自の判断で動いているのか。それとも誰かの掌の上で踊らされているのか。自分の命令の枠を超えたかつての仲間の心境を推し量るのは困難だった。

 

「黒バイク、いや、ユウキは決して意味のない行動はしない。何か、考えがあるはずだ」

 

「それはかつての部下だから、ですか?」

 

 知りえた情報を臆面もなく晒し、相手から言葉を引き出す材料として使ってくる。ヤマキには裏表がないのか、と思わせられる。

 

「俺は部下という呼び名をリヴァイヴ団にいた時には使った事がない」

 

 ヤマキに発した矜持は伝わったのだろうか。ヤマキは頬杖を突きながら、「なるほど」と頷く。

 

「ランポ様らしい」

 

「俺らしい、か」

 

「そうですね。少なくとも俺が見た限りでは、あなたは出来るだけ対等な立場で接しようとしてくれる。それに俺に対して、誰に対してもですけど、決して相手の意見を否定しない。自分の主張を通そうというわけでもない」

 

「自分がないように聞こえるな」

 

 ランポが膝元に手をやって答えると、「逆です。逆」とヤマキが手を振った。気になったので追求してみる。

 

「逆、というのは?」

 

「相手の意見を呑み込めて、なおかつ自分の信念は曲げない。これって理想的なリーダータイプです。ランポ様は恐らく慕われていたのではないでしょうか。俺の憶測に過ぎませんが」

 

「慕われていた、か……」

 

 本当に慕ってくれていたのならば、裏切れと命じた時、囮を命じた時、どのような気分だったのだろう。恐らくは奈落の底に突き落とされたかのような絶望感を味わったのではないだろうか。自分は仲間をそのような感情に陥れてしまった。

 

「リーダー失格だな」

 

 ランポは自嘲気味に呟く。その声を聞いて、「失格どころか」とヤマキが声にした。

 

「むしろいて欲しいくらいですよ。リーダーとしては完成形です。俺が言うのもなんですが、もっと誇ってもいいと思いますよ」

 

 二等構成員の意見にしてはなかなかに出過ぎた言葉だろう。しかし、それを引っ込めもしないのはヤマキという部下が無能ではない証明だ。ヤマキは自分の言葉には責任を持っている。決して、なかった事にはしないし、打ち消す事もない。ヤマキにも才覚はある、とランポは考えていた。

 

「おだてているのか? 何も出ないぞ」

 

 ランポが口元を緩めて声を発すると、「いやぁ、これ以上出してもらうのは申し訳ないですよ」とヤマキがにやけて返した。二頭構成員で隊長の監視役であり、そのために様々な優遇を受けているヤマキからしてみれば正直な感想だろう。

 

「お前には、才能があるな」

 

 その言葉にヤマキは目を丸くした。

 

「何の才能で?」

 

「人を持ち上げる才能だよ。どうしてその才能で俺の上の席を狙わない? お前なら出来るはずだ」

 

 過大評価をしたわけでもない。ランポとて相手の実力を見誤る事はない。ヤマキの手持ちは知っている。鋼・地面タイプのポケモン、ドリュウズ。これを仕向けられたのもある意味では的確と言えた。毒・格闘タイプのドクロッグではドリュウズに弱点を突かれる。鋼に毒は通用せず、地面タイプの攻撃は毒に効果抜群だ。逆にドクロッグもドリュウズの弱点を突く事が出来る。格闘技による鋼タイプへの効果抜群。お互いの力が拮抗していれば、いざ裏切るという段に泥仕合になるのは明白だった。ランポが眼光鋭く見つめていると、ヤマキは破顔一笑した。

 

「買い被り過ぎです。ですがランポ様は正直でなおかつ本気だ。だから簡単に申し上げます。俺は上の席に興味はないんです」

 

「興味がない? ウィルとリヴァイヴ団、両方知るお前ならば興味があろうがなかろうが上はそれ相応のポストを用意したがるはずだ」

 

「誘いは来ましたよ」とヤマキは何でもない事のように首筋を掻きながら応じる。

 

「でもその気はないんで。上に立つ者には資質が要ります。それがランポ様と俺を隔てるものです。俺とランポ様の間にはこうとは言えないが、確かに違う、と思えるものがある。そうでしょう?」

 

 ランポは、「ふむ」と頷いた。自分が上に立つという自覚はランポとて希薄だ。しかし、ヤマキの言わんとしている事は何となく理解出来る。

 

「素養、という部分だな」

 

「そうです。ランポ様は上に立たれるべくして立たれたお方。あなたの立場に俺が明日からなれと言われてもなれませんね。その自信がない」

 

「確かに。一度死んでみるくらいの覚悟は必要だ」

 

 ランポはその言葉でこの話を笑い話にしようとした。空気を察してヤマキは微笑んだ。阿吽の呼吸とでも言うのか、この部下は本当によく分かっている。

 

 ――しかし、とランポは感じていた。ヤマキを「仲間」とは思えないのは、どこかに一線があるからなのだろう。ヤマキが引いているのかもしれないし、自分が引いているのかもしれない。どちらにせよ、ランポはこれ以上、仲間が死ぬ姿を見たくない。命を散らして欲しくない。一瞬だけ瞑目したランポへと声が振り向けられた。

 

「ランポ様。お辛いのですか?」

 

「いや」とランポは微笑んで見せる。本当に、よく気がつく部下だとつくづく感心する。首輪としては申し分ないだろう。

 

「黒バイクの目的は何なんでしょうね。ウィルの施設を襲ってスキャンダルでも暴こうというのでしょうか?」

 

 話が戻っていた。スキャンダルを暴く、という部分にランポはコウエツシティでカジノの資金洗浄を暴いた時の事を思い出す。ユウキはあの時も、無茶をこじ開けて道理を蹴っ飛ばした。それだけの力がある人間なのだ。ユウキがいなければ、自分達はまだF地区に括りつけられていたかもしれない。

 

「今のウィルにスキャンダルはあるか?」

 

 ランポが尋ねるとヤマキは、「たとえばこの状況ですね」と応じる。

 

「俺は元リヴァイヴ団であなたもそう。しかもあなたは半年前にリヴァイヴ団ボスとして宣戦した。表向きは死んでいる。これってスキャンダルじゃないですか?」

 

「三流雑誌が好みそうなネタだ」

 

 ランポは一笑に付した。実際、都市伝説としてリヴァイヴ団のバッジをつけたウィルの構成員という話は出回っているらしい。しかし一般人が普段目にするのは四等構成員、いわゆる下っ端だ。彼らは純粋にウィルの構成員である事が多いのでこの噂が事実にならないのはそうした理由がある。

 

「俺はウィルに忠誠を誓っている」

 

 肩口の黒い縁取りの「WILL」の文字をなぞる。「R」の反転したバッジはつけていなかった。隊首会ではさすがに元リヴァイヴ団だと割れていても、印象はよくない。そういった部分の配慮は必要である。

 

「今は、ですか」

 

 含みのある声音に、「何か言いたそうだな」とランポは返す。ヤマキは首を振った。

 

「いいえ。俺からは、何も」

 

「じゃあ、誰だ。誰が俺に意見する?」

 

「きっと身の程知らずの誰かですよ」

 

 



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第七章 八節「でくの坊」

 不意にユウキの姿が脳裏に浮かび、頭を振ってその思考を振り払う。ユウキに何を期待しているというのだ。今の自分の姿を見て叱って欲しいとでも考えているのか。ランポは顔を伏せて、「俺もまだまだだ」と呟く。

 

「上に立つ者のメンタリティではない」

 

「ランポ様は実力も折り紙つきでしょう」

 

「かつてウィルγ部隊隊長、ヤグルマを殺した俺に、他の隊長達がいい心象を抱くとは思えない。向こうはいつでも俺を殺せるように身構えている事だろう」

 

「ランポ様は警戒しなくていいのですか?」

 

「お前の存在が既に警戒だろう。もしもの時はお前を人質にすればいい」

 

 ランポの放った言葉にヤマキは目を見開いていたが、やがてランポの口元が綻んだのを見て、「ですね」と同じように笑ってみせる。

 

「俺、人質の価値ありますか?」

 

「客観的に見れば二等構成員を一人殺したところで、という部分ではあるな。だが、お前の実力は一等構成員並だ。それは俺が保障する」

 

「どうなんですかねぇ。俺と戦った事ってないでしょう?」

 

「ないさ。だがな、目を見れば分かるんだ。どれほどの実力者かぐらいは」

 

 ランポがヤマキの目へと視線を注ぐ。ヤマキは、「やだなぁ」と笑った。

 

「ランポ様は気を張り過ぎですよ。俺にそれほどの実力なんてないですって」

 

「謙遜はいい。俺の前では無意味だ。他の隊長達の前でもな」

 

 ランポが口に出すと車が停車した。どうやらウィル本部へと辿り着いたようである。運転手が扉を開ける。ヤマキが先に歩み出てランポを通した。ランポはウィル本部を見やる。上空から見下ろせばちょうど六角形になっているというウィル本部は目にすれば巨大な壁だった。ヤマキを連れてフロントを抜け、長いエスカレーターを上る。途中、誰かが後ろから歩み寄ってきた。振り向くと茶髪を立てた少年がランポを睨み据えている。その後ろには女性の構成員がいた。ヤマキが耳打ちする。

 

「ランポ様。カガリ隊長です」

 

「分かっている」

 

 ランポは応じて、「カガリ隊長。おはようございます」と挨拶した。カガリは目を逸らし、「おはよう、ランポ隊長」と応じる。半年経っても隊長格との溝は埋まらない。やはりウィルとリヴァイヴ団だからか。かつて煮え湯を飲まされた相手に対してオープンになれとはお互いに無理な相談だ。

 

「隊長。ランポ隊長はα部隊の隊長ですよ。そのような態度では」と後ろの女性構成員が叱責する。カガリは、「分かってるよ」と吐き捨てた。

 

「分かってるけど、俺は……」

 

 カガリがエレベーターを駆け出す。ランポとヤマキは道を譲った。その背中へと女性構成員が追いかける。すれ違う瞬間、ランポへと女性構成員が、「ご無礼を」と頭を下げた。ランポは二人の背中が離れていくのを眺めながら、「サヤカっていうんです」とヤマキが口にした。

 

「統括部隊の時に同期でした。同じディルファンス上がりです」

 

 統括部隊とはウィルの前身だ。カイヘンは統括部隊によって統治され、六年半前にウィルが宇宙空間でのテロリズムを抑制するために動いた事によって正式にカントー独立治安維持部隊ウィルとして始動した。ランポは、「そうか」とだけ返す。ヤマキが、「訊かないんですね」とこぼした。

 

「お前は答えたがっていない。それくらいは分かるさ」

 

 ランポの言葉に、「見透かされているなぁ、俺」とヤマキが後頭部を掻いた。それは逆の立場なのではないか、とランポは思う。「しかし」とランポは口を開く。

 

「ディルファンス上がりで隊長付きとは。副隊長か?」

 

「半年前までは二等構成員だったらしいですけど、今は一等で名実共に副隊長のようです」

 

「詳しいな」

 

 ランポの発した声に、しまったでも言うようにヤマキは口元を押さえた。

 

「喋り過ぎですか?」

 

「そんな事はない。だが、人は選べ」

 

「努力します」とヤマキはわざとらしい敬礼を返した。ランポはフッと口元を緩めてエスカレーターを上がる。会議室へと向かう途中、黒いコートを羽織った男と出くわした。厳しい顔つきで、猛禽のような眼差しがランポを射る。ε部隊の隊長、カタセだ。

 

「カタセ隊長、おはようございます」

 

 ランポから先に挨拶すると、カタセは淡白に、「ああ」とだけ返す。早足のカタセへと合わせるように歩調を速めた。

 

「テクワとマキシはどうしていますか?」

 

 テクワとマキシは今、ε部隊の編成になっている。つまりカタセの部下だ。ランポは二人の素性を知っているだけに不安があった。マキシはカタセの息子であり、テクワはカタセから戦闘の術を学んだ。親子でウィルとリヴァイヴ団に別たれたという事は、一筋縄ではいかない事情が見え隠れする。

 

「問題ない。テクワは先日、二等構成員に格上げした。あれはまだ四等構成員だ」

 

 実の息子をまるで他人のように扱っている。そのような印象がカタセにはあった。ランポはかねてより尋ねてみようと思っていた事をぶつけてみる。

 

「テクワの、眼は……」

 

「ドラピオンを出した時のみ見えるそうだ。普段は盲目だが、常人よりも動きは素早いし、判断も早い。何も問題はない」

 

 半年前のウィルとリヴァイヴ団の総力戦。あの戦いでテクワはドラピオンとの同調を最大に設定し、その結果として眼が視えなくなった。ドラピオンとの同調時のみ、視力が回復するそうだが同調している時には視力などに頼ってはいないだろう。全身を針のように鋭敏化させてテクワは誰にも分からない戦いを行っているに違いなかった。

 

「そう、ですか。マキシは」

 

「あれは相変わらずのワンパターン戦法だ。テクワの狙撃用につかせている。言うなれば敵を釣る餌だ」

 

 自身の息子について語っているのにその姿勢はどこまでも冷たい。まるで関わらないと断じているかのようだ。

 

「心配か。かつての部下達が」

 

 ランポの心境を見透かしたようにカタセが声を発する。ランポは一瞬だけ否定しようとしたが、無意味だと判じて頷いた。

 

「ええ。そうですね」

 

「分からないわけではない。しかし、もうε部隊の人間だ。君とは関係ない」

 

 断固として放たれた声はやはり冷徹だ。ランポはしかし、言い返す言葉もなかった。

 

「……はい」

 

「隊首会だ。行こう」

 

 カタセに促され、会議室へと赴く。ヤマキは途中から席を外していた。隊首会は読んで字の如く隊長格以上でしか参加出来ない。既に座り込んで憮然とした態度でゲーム機をいじっていたカガリが立ち上がり、カタセへと頭を下げる。

 

「カタセさん、おはようございます」

 

「ああ」とカタセは同じ調子で返して椅子に座った。ランポはカガリとは距離を置いて座る。カガリはランポの姿など目に入っていないようだった。

 

「δの隊長は?」

 

 カガリがカタセへと尋ねる。カタセは首を横に振った。

 

「ここへ来ていないという事はまた欠席だろう」

 

「俺、一年くらいあの人見てねぇっすわ」

 

 カガリが口元を歪める。カタセも、「そうだな」と応じた。ランポだけがその会話に混じれずに爪弾きにされた気分を味わっていた。

 

 その時、会議室に入ってきた二つの影があった。一つは禿頭の男だ。モノクルをつけた男の名はコウガミという。

 

 ウィルの総帥であり、半年前には交渉もした相手である。もう一人は肥え太った蛙顔の男だった。リヴァイヴ団側の幹部だ。ボスの腹心である。未だにランポは名前を知らない。

 

 あの後、蛙顔はウィルと手を組み、実質的にはコウガミの次に地位が高いポストへと入った。ランポはα部隊隊長、リヴァイヴ団のボスであった事から考えれば実質的な降格であり、蛙顔に踏み台にされた結果になる。しかし、別に不快感は催さなかった。むしろ、今の立場のほうがリヴァイヴ団のボスをやれと言われた時よりかはストレスが少ない。典型的な現場主義者なのだろう、と自己分析した。

 

 蛙顔とコウガミが席につき、重々しくコウガミが告げる。

 

「隊首会を執り行う」

 

 蛙顔が、「現時点での重要事項は」と口を開いた。

 

「一ヶ月前からの襲撃事件について。追撃しているβ部隊の報告を聞こう」

 

 カガリはさすがにゲーム機を仕舞って、立ち上がって応じた。

 

「はい。対象は高速仕様のバイクで逃走。ウィルの施設を重点的に襲撃しているようです。β部隊が昨夜も追い詰めましたが、取り逃がしました。申し訳ありません」

 

「施設内では爆発も確認されたとか」

 

 蛙顔の言葉に、カガリは、「ええ」と応じる。

 

「対象――反逆者ユウキは、施設の一部を爆破し、目的不明の襲撃を続けています」

 

「目的が分からないのかね?」

 

 蛙顔がほとんど境目のない首筋を撫でながら尋ねる。

 

「破壊活動が目的だと、現時点では判断していますが」

 

「それにしては規模が小さい。敵は何らかの情報を奪っているのではないかね?」

 

「だとしても、情報元が分かりません。そういった施設を、奴は破壊しているのですから」

 

「かく乱か。どう思われます?」

 

 コウガミへと蛙顔が訊くと、コウガミは静かに瞑目した。

 

「どちらにせよ、捕らえて吐かせればいい。これ以上の損害は出すな。私からは以上だ」

 

「は」とカガリが挙手敬礼をして椅子に座る。

 

「奴は」と忌々しくコウガミが口を開く。

 

「リヴァイヴ団を裏切り、ウィルの尊厳を踏み躙った。許されざる害悪、それは間違いない。奴の好きにはさせるな。必ず、その本性を暴く」

 

 モノクルの奥の眼差しが細められる。怒りの炎を宿した目つきは鋭い。

 

 ランポはただの破壊が目的ではないと察していた。ユウキはそのような人間ではない。半年前の事件もユウキではないと最初から信用しているのはランポだけだ。

 

「続いての議題に移ります。コウエツシティ、F地区の規制について」

 

 蛙顔の発した言葉にランポは目を見開いた。思わず立ち上がりかけてぐっと堪える。

 

「F地区は掃き溜めの集まりだ。完全封鎖を現地のγ部隊には命じる。四等構成員にも二等と同質の権限を与えよう」

 

 コウガミの断固とした声にランポは目を戦慄かせた。自分達の故郷が消える。自分の目の前で。マスターや送り出してくれた人々の顔が浮かび、ランポはきつく目を瞑る。

 

「γ部隊の再編成は急務です。この半年間で戦闘構成員や部隊の再編成を募りましたが、未だに手付かずの部分で」

 

 蛙顔の煮え切らない態度にコウガミは言葉を振り向ける。

 

「急がせろ。多少強引な手を使っても構わん。β部隊から人員を回す事になるが、構わないか?」

 

「俺は別に大丈夫です。ただ上のほうは動かして欲しくないですから、三等以下でお願いします」

 

「いいだろう。その方針で編成を――」

 

「待ってください!」

 

 ランポは思わず立ち上がっていた。蛙顔が驚愕の眼差しをランポへと送っている。コウガミは対して冷たく研ぎ澄まされた瞳だ。

 

「何か?」

 

「今はユウキ抹殺とレナ・カシワギ奪還、または抹殺が急務のはずです。F地区の事は今でなくとも――」

 

「その結果がこの半年間だ。ウィルとリヴァイヴ団を混ざり合わせるのには苦労した。君の力ももちろん借りた。おかげでウィルとして纏りそうな節がある。ここでやるべきは、なるほど、確かに反逆者ユウキの抹殺だろう。しかし、同時に推し進めなければ話は二転三転するばかりだ。コウエツシティが手薄でもいけない。また新たな組織が持ち上がったのではリヴァイヴ団と手を組んだ意味がない。それは何より理解しているはずだが、君は」

 

「それは……」と声を詰まらせると、「それとも何かね」とコウガミが告げる。

 

「古巣を守るためだけに、君は声を張り上げたというのか?」

 

 それだけでは何も変えられない。暗にそう言われているようだった。事実、自分は故郷の事ばかり考えている。目の前で蹂躙されるのは黙っていられない。それほど賢くもない。

 

「……いえ。何でもありません」

 

 しかし、自分は無力だ。ランポは痛感する。弱者には喚く権利すらない。それがこの世の理である。

 

「ではF地区、及びコウエツシティを管轄する新生γ部隊の編成に関しては追って連絡しよう。カガリ、君の意見には沿うよう努力する」

 

「感謝します」とカガリが軽く頭を下げる。

 

 ランポはくらくらと視界が眩むのを感じていた。続いての議題に入るが、ランポには最早その言葉が耳に入らなかった。



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第七章 九節「小心者」

 隊首会が終わり、会議室の前で待っていたヤマキの下に向かう。蛙顔は半年前と同じく側近を侍らせている。コートを羽織らせ、ゆっくりと踏み出しながらランポに向けて囁いた。

 

「君の気持ちは分かる。しかし、ようやくウィルとしてリヴァイヴ団の人間も発言力を持ち始めたのだ。ここで君が瓦解させてどうする? 彼らの歩みを止めないのが、上に立つ者の役目ではないのかね」

 

「……存じております」

 

 ランポが頭を垂れる。半年前までは偽りでもボスらしく振る舞えと言われていたが、今は元の立場に戻っている。むしろ、蛙顔のほうが実質的にはボスに近い。まさしく踏み台にされた自分の至らなさに嫌気が差す。

 

「しっかりやりたまえよ」

 

 そう言い置いて蛙顔は歩き出した。その後姿を眺めていると、「何だか勝手ですよね」とヤマキがぼやいた。

 

「あれだけ持ち上げておいて、組織の中で自分の立場が確立されたら掌返しですもん。これじゃ、浮かばれないのは誰だか」

 

「ヤマキ。口を慎め」

 

 ランポが忠告するとヤマキは唇をすぼめる。浮かばれないのは誰か。分かっている、とランポは瞑目する。半年前に命を賭して戦ったリヴァイヴ団の面々が報われない。何よりもエドガーとミツヤ、この二人は組織のために尽くしたのに浮かばれないだろう。二人の事を思い出していたから、ヤマキが怪訝そうに、「大丈夫ですか?」と尋ねる。

 

「あ、ああ。何でもない」

 

「顔色が悪いですよ。このまま帰りますか?」

 

 ランポは顔を拭って、「いや」と首を振る。

 

「寄らねばならないところがある。ヤマキ、いつもの場所だ。頼めるか?」

 

「断っても、ランポ様は強情ですから」

 

 ヤマキは笑ってエレベーターを降りてフロントを抜け、車へと促した。リムジンは来た時と同じように停車している。運転手へと行き先を告げる。

 

「ハリマ刑務所に向かってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外は乾いた冷たい風が吹き抜けているが、刑務所の中はじめっとしている。

 

 年中そうだ、とランポは感じる。独特の空気が流れている。滞留して、渦を成し、積乱雲のようにうず高く積み上がる。そういう類の空気が一年中流れている場所が刑務所だ。時間の流れから剥離している。あるいは、時間が止まっている、と言ったほうが早いかもしれない。

 

 街に出て、出かけにショッピングするような人間が描く一日という単位の時間とは意識を異にしている。囚人達の顔を眺める事は出来ない。ここはコウエツシティとは違い、公にある監獄だ。強制労働されている様子もない。彼らは静かに、朽ちていく枝葉のような生活を送っている。ランポとヤマキは看守に連れられ、モンスターボールを含む全ての装備や装飾品を置いて一本道を歩いていた。白く滅菌されたような道を歩きながら、奥まった場所にある灰色の扉を目指す。看守は扉を開ける直前、「面会時間は二十分です」と前置きした。

 

「金品、及び何らかの物の受け渡しは禁止、それが目撃された場合、即座に面会は謝絶されます。ここに来るまでに、滅菌は済ませていますね?」

 

 ランポ達は一度服を脱いで、滅菌室、というところで全身を精査されている。何かを持ち込む事は不可能だった。たとえそれが細菌の類でも。ランポとヤマキは頷いた。

 

「では、こちらへ」と看守が扉を開いて促す。室内は薄暗かった。ガラスで隔てられた場所に椅子が置いてある。椅子は一つだったのでいつもランポが座った。ヤマキはただ観察しているだけだ。看守と同様の仕事と言えた。

 

 ランポは椅子を引いて座り、ガラスの向こう側を見やる。黒々とした影が身じろぎした。ランポは声を発する。

 

「お加減はいかがだろうか。――α部隊元隊長アマツ」

 

 その言葉に影が顔を上げる。ジャラ、と音がして影の動きを制した。影は両肩の肩口から鎖をつけられている。鎖はそのまま上方へと伸びていた。足にも枷をはめられ、上げられた顔にある唇は焼き切られている。自由の一切が利かない身であった。影――アマツは二度頷く。これは半年間、アマツと交流して分かった事だが、二度頷く時はノー。一度頷く時はイエスだった。

 

「失礼した。俺があなたの立場になってから、もう半年が過ぎた。実感はあるか?」

 

 二度頷く。ノーだった。アマツとの会話の場合、こちらが言葉をリードしなければならない。そもそも何故、彼は拘留されているのか。全ては蛙顔の仕組んだ事だった。蛙顔は自分の身分を保証するためにランポをそれ相応のポストに固定する必要があった。適任であったのは、最も権限の強いα部隊の隊長だ。α部隊はカントーとのコネクションもあり、独自の判断が許される。しかし、ウィルの総帥、コウガミは異を唱えた。それによってつけられた首輪がヤマキである。

 

 ランポはまさしく蛙顔の捨て石にされた。α部隊隊長でありながら、独自判断は持たず、権限は全て蛙顔に移譲された形となる。当初、ウィルと対等に渡り合える交渉材料として重宝されていたアマツだったが、蛙顔が権限を強めるにつれて不要になっていった。最早、アマツの名を出さずともカントーの情報は入ってくる。

 

 アマツはただの鍵だった。カントーという厳重な金庫を開くための。その鍵が挿げ変わっただけだ。カントーの役人達は気にしなかったし、アマツのスタンドプレーを嫌っていた節もあったのだろう。速やかに権限と発言力が蛙顔の手に入り、ランポでさえ不要にされかけたが、ランポにはまだ利用価値があると踏んだのだろう。それがボスの判断なのか、蛙顔の判断なのかは分からない。しかし、交渉材料は意味をなくした。それは間違いない。アマツは当初はしっかりとした設備の病院で生かされていたが、生きているという事実が不都合なために本人の希望書があったという事で死んだ事にされた。

 

 当然、そのような希望書があったとは思えない。恐らくカントーの上役か、蛙顔が偽造したのだろう。しかし殺すにはまだ惜しいという判断を下され、アマツはハリマ刑務所の最深部にて拘留される結果になった。しかし、これでは生きながらに死んでいるようなものだ、とランポは感じる。点滴が首筋に打たれており、生命維持はなされているが、いっその事殺してくれと思っているだろう。自分の境遇ならばきっとそう思っている、とランポはこの哀れな囚人を見るたびに感じていた。

 

「そうか。今、季節は冬だ。寒さは感じるか?」

 

 二度首を振る。どうやら快適には過ごせているようだ。無理やり生かされている状態を快適と呼ぶのはいささか語弊があったが。ランポは息を一つついて貧乏揺すりをした。

 

「今日もある事を聞きに来た。それは俺にとっては不都合な事だろう。もちろん、あなたにとっても、だ」

 

 一度頷く。イエスのサイン。

 

「聞かせてもらいたい。リヴァイヴ団のボスについて」

 

 看守はリヴァイヴ団のボスはランポだと思っているはずだが、そう簡単な事ではないと察するのに時間はかからなかった。今や看守も一枚噛んでいる。この秘密に。

 

「リヴァイヴ団のボスは、男か、女か。男の場合はイエス、女の場合はノーで答えてくれ」

 

 アマツは首を振らない。いつもこの問答で沈黙する。この質問方法では駄目だ、とランポは他の質問を即座に考える。

 

「俺より年上か、年下か。年上の場合はイエス、年下の場合はノー」

 

 アマツは一度だけ頷いた。イエスだ。しかし、これでは判断材料としては薄い。ヤマキとてランポよりも年上だ。ランポよりも年下となればかなり絞られるのだが、この質問は意味を成さないだろう。ランポは顎に手を添えて考え込んだ。次の質問はどうするべきか。時間制限がある以上、多くの事は聞けない。しかもアマツ自身、何かしらの制約を受けているようにも感じる。

 

「あなたは半年前、リヴァイヴ団のボスと戦った」

 

 一度頷く。これは何度も確認した事だ。

 

「あなたをそんな風にしたのはリヴァイヴ団のボスなのか?」

 

 アマツは逡巡の真を浮かべてから、一度だけ頷いた。表向きにはユウキがアマツを下した事になっているがユウキを知っているランポからしてみればそれはありえない。アマツはそこまで答える事が許されているのならば、そこから先はどうなのだろうとランポは考える。両手を顔の前で組んで、「ではあなたは」と口を開く。

 

「リヴァイヴ団を壊滅させるつもりで動いていた。α部隊の隊長として」

 

 アマツが一度頷く。それがどうしてこのような状況になったのかは、彼自身分からないのだろう。リヴァイヴ団とウィルの密約が成立した事も、彼にとっては寝耳に水だ。アマツが信じていたのはウィルだったのか、それとも自分自身の腕だったのかは分からない。しかし、アマツにとって好まぬ方向に物事が転がったのは疑いようのない事実である。

 

「俺はあなたの後任を預かる者として、聞いておきたい。リヴァイヴ団のボスの戦力、それは何か?」

 

 アマツは首を二度振った。答える気はないのか、それとも答えると不都合でもあるのか。貧乏揺すりの頻度が高くなる。ランポは諦めずに言葉を続ける。

 

「見た事のあるポケモンならば一度頷き、見た事のなかったポケモンならば二度頷いて欲しい」

 

 アマツは二度頷いた。見た事のないポケモン、と言ってもアマツの知識の量は分からない。まだ未発見のポケモンという可能性も視野に入れれば可能性はごまんとある。

 

「見た事がないのならば、そのポケモンの名も分からないか?」

 

 アマツは二度頷く。名は分かる、と言っているのだ。しかし、それを聞きだす術がない。アマツは唇を焼かれ、喉も半年以上震わせていないのならば喋り方も忘れているだろう。ランポは、ここまでか、と感じていた。行き詰まり、終点だ。どのような質問をしてもここで必ず立ち止まらなくてはならない。何も持ち込めないために写真やデータで確認、というわけにもいかない。

 

「分かった。今日はここまででいい。貴重な時間をすまなかった」

 

 ランポは立ち上がり、看守に目配せした。看守が、「まだ十分ほどありますが」と言うと、「いや、今日の用事はここまでだ」とランポはアマツを見やった。

 

「また来よう。何か進展があるかもしれない」

 

 アマツは顔を伏せて闇の中で蹲った。ヤマキと共に部屋を出て看守の目が離れたところでヤマキが口を開いた。

 

「あの人、何か伝えるつもりはあるんですかね?」

 

 ヤマキは呑気なもので欠伸を噛み殺しながらハリマ刑務所を出た。ランポは歩きながら、「さぁな」と返す。アマツが何を伝えたいのか。恐らくはリヴァイヴ団のボスの正体、その手持ちだろう。アマツが握っている秘密はそれだ。その二つさえ明らかになれば、何らかの行動には移せるかもしれない。しかし、肝心の二つは霧の中のように掴みどころがない。一つでも分かればα部隊隊長の権限で闇から引きずり出す事が出来るかもしれない。しかし、それも可能性だ。本当に闇の中から引きずり出せるかは定かではない上に、α部隊隊長の権限は日々失われつつある。蛙顔に搾取され、自分はただの歯車に戻ろうとしている。ユウキと出会う前の、名もない歯車へと。

 

 ハリマ刑務所の前でリムジンが停まっていた。ランポとヤマキは乗り込んで、言葉を交わし合う。

 

「どうしてアマツ元隊長を訪れるんです?」

 

 リムジンがゆっくりと発車する。ヤマキの言葉に含むところがない事を確認して、ランポは答えた。

 

「彼から得るものがあると感じているからだ」

 

「リヴァイヴ団のボス、ですか。ランポ様ではないので?」

 

「お前は」とランポは皮肉の笑みを浮かべた。

 

「分かっていて言っているのだろう?」

 

「何の事だか」とヤマキはあくまで無知な部下を装おうとしている。ランポは口元を斜めにして、食えない部下だと再認識する。

 

「一時的にボスの名を拝命していたに過ぎない。俺は、張子の虎だ」

 

 ランポの告白に、「何と」とヤマキは驚いてみせる。本当な全く驚いていない事は火を見るよりも明らかである。

 

「どうして今の立場になったんですか?」

 

「ボスの名は俺には重かった。それだけだ。α部隊隊長、まだ合っている。随分と楽な役職に回してくれたものだと俺は考えているよ」

 

「楽、ですかねぇ。俺にはそれでも大変な役職に思えますけれど」

 

「ボスに比べれば楽さ。大人数を束ねるって言うのは精神をすり減らす。α部隊はその分、俺とお前だけだからいい」

 

 半年前の号令を思い返す。あの号令を発した時に感じた重圧。もう後戻りは出来ないという感覚は叶うならばもう二度と味わいたくはない。

 

「俺は、小心者なんだよ」

 

 ランポの言葉にヤマキは、「そんな事は」と否定する声を出そうとしたが、「いいや、そうなんだ」とランポは強く遮った。

 

「小心者だ。俺は、あの時、あいつではない、と言う事が出来た。しかし、言えなかった。俺はその罪を一生抱えて生きていかなきゃならない」

 

「あいつ、というのは……」

 

 ヤマキも察するところがあったのだろう。それ以上の言葉を重ねる事はなかった。ランポは顔を伏せて思い返す。あの時、ユウキではないと言えていれば。罪の認識は軽かっただろうか。このような状況にはならなかっただろうか。ランポは窓の外を見やる。重く垂れ込めた灰色の空の下、半年前に自分が映っていた巨大なオーロラヴィジョンにはニュースが映し出されており、連日反逆者ユウキの広域指名手配を流していた。

 

「本当に、ユウキの狙いは何なんでしょうかね?」

 

 ヤマキがランポの視線に気づいて声に出す。ランポはユウキならば正しき行いをするはずだと感じていた。

 

 ――もし、目的が同じならば。

 

 手を組めないだろうか。もう一度仲間として戦えないだろうかと考えて、それは虫が良過ぎると自分の中で取り下げた。裏切れと命じたのが自分ならば、抹殺せよと命じたのも自分だ。勝手気ままにユウキの命の価値を自分が決めている。そんな人間に今さら手を取り合う資格などない。ランポは掌に視線を落とした。

 

「随分と、汚れてしまったな……」

 

 その呟きはヤマキにも気取られる事はなかった。

 



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第七章 十節「空虚」

 オートメーション化された機械の一群。

 

 それが自分という個体の認識だった。

 

 彼は空虚な身体の中に収まる自我を感じる。滅菌されたような部屋には天井と床から光が放射されている。ゆらゆらと蜃気楼のように揺れる視界の中に、浮遊している相手が映った。青白い振袖を思わせる姿をしている。まるで小柄な少女だ。白い薄氷の表皮の頭部は内側が紫色で、黄色く濁った瞳で彼を睨んでいる。赤い帯を締めた花魁のような立ち振る舞いのポケモンは緩やかに袖を振るった。

 

 氷・ゴーストタイプのポケモン、ユキメノコである。その直後、室内の天候が崩れ、ぱらぱらと霰が降り始めた。対岸に相手のトレーナーがいる。トレーナーの姿とユキメノコの姿が歪んだ。彼はホルスターからモンスターボールをようやく引き抜き、緊急射出ボタンに指をかける。

 

「いけ、キリキザン」

 

 ボールから弾き出された光が人型を取り、赤と黒を基調とした騎士姿のポケモンが出刃包丁のような腕を振り払い、光を薙いだ。キリキザンはユキメノコと対峙する。ユキメノコの眼がぎろりとキリキザンを見下ろした。キリキザンが地面を蹴りつけ、ユキメノコへと飛びかかる。鋼鉄の刃による一撃はしかし空を切った。ユキメノコの残像が切り裂かれ、すかさず背後に回っていたユキメノコが片腕を振り上げる。キリキザンの背中に触れた瞬間、水色の光が同心円状に広がり、放たれた光線の帯がキリキザンを押し出した。氷の光線――冷凍ビームが突き刺さったキリキザンが大きく仰け反りながら地面へと落下する。さらに攻撃の隙を与えまいとユキメノコは袖を払って舞い踊った。

 

 ユキメノコの周囲の空気が凍結し、極小の氷の刃を形成する。ほとんど剃刀に近い大きさの氷の刃は一陣の旋風となり、ユキメノコが振り払った瞬間、キリキザンへと降り注いだ。氷タイプの技、「ふぶき」である。威力の高い代わりに命中率に難のあるこの技は、しかし、今の状態では必中であった。最初にユキメノコが使った攻撃、「あられ」の状態が持続しているのである。霰が降り注いでいる間、吹雪は必ず命中する。さらにユキメノコにとって霰状態は戦局を有利に進めるためには必要な技だった。

 

 ユキメノコの特性は「ゆきがくれ」だ。この特性は霰状態の時に回避率が上がるという能力である。最初の一撃をキリキザンが外したのはこの特性が働いていたからだ。ユキメノコは袖を振り払って吹雪の応酬を地上にいるキリキザンへとぶつけ続ける。雪が降り積もり、その重量は人間ならば耐え切れず背骨が折れているであろう。しかし、キリキザンはポケモンであり、なおかつ打たれ強い悪・鋼タイプである。ユキメノコとトレーナーが勝ちを確信した瞬間、彼は短く告げた。

 

「もういいだろ、キリキザン。お遊びはそこまでだ」

 

 その言葉に一際強い鳴き声が上がった。響き渡る前に、紫色の閃光が瞬き吹雪を引き裂いてユキメノコへと直進する。ユキメノコは咄嗟に防御の姿勢を取った。ユキメノコの眼前で弾け飛んだ暴風に煽られながらユキメノコとトレーナーがキリキザンのいるであろう場所へと目を向ける。

 

 キリキザンは健在だった。それどころか片腕で降り積もった何キロもあるであろう雪を担いでいる。キリキザンが手先から肩口にかけて紫色の波動を発した。瞬間、ブロックのように固まっていた雪に切れ目が走り、ボロボロに砕け散った。キリキザンは片腕を払って雪を落とし、右手を凍結した地面へと突き刺した。凍りついた地面に亀裂が走り、キリキザンの腕が沈む。キリキザンの手先から肩口にかけて紫色の波動が駆け上った。キリキザンは顔を上げると同時に打ち込んだ腕を振るい上げる。

 

「サイコカッター」

 

 彼の命令にキリキザンは忠実に応じた。振り払われた紫色の剣閃――「サイコカッター」は中空のユキメノコへと音を超える速度で肉迫し、その身へと一撃を加えた。ユキメノコはしかし、直前に袖を振り払い、吹雪の壁を作った。幾重にも張られた氷の粒が砂鉄のようにサァッと動いてサイコカッターを減衰させる。

 

 その一撃だけならば、ユキメノコは凌いだだろう。しかし、サイコカッターが消え失せた直後、ユキメノコの眼前に迫っていたのはキリキザンそのものだった。跳躍したキリキザンは片腕を後ろに引いている。

 

 サイコカッターをまるで噴射剤のように用いて接近したのである。腰だめに両腕を構えたキリキザンはユキメノコを射程に入れたかと思うと頭部を引いたのである。ユキメノコとトレーナーが狼狽していると、次の瞬間、鋼の重さを伴ったヘッドバットが打ち下ろされた。

 

 鋼タイプの技、「アイアンヘッド」である。ユキメノコが衝撃に地面へと落下しかけるが、ただ攻撃を受けるだけのユキメノコではない。咄嗟に背後へと袖を払って後ろ手に組み、冷凍ビームを放ったのである。今度はユキメノコが相手の戦法を真似る番だった。冷凍ビームによって制動をかけたユキメノコは落下ダメージを免れ、中空に踊り上がっているキリキザンをその視界に捉えた。片腕を払い、吹雪の刃を放つ。吹雪がキリキザンにかかった瞬間、キリキザンの腹部にある半月型の反れた刃が銀色の光を帯びて瞬いた。直後、十字の光が放たれてキリキザンの腹部から音速の鋼の刃が打ち込まれる。

 

 ユキメノコは避ける事叶わず、刃の応酬を満身で受け止めた。氷タイプにとって鋼タイプの攻撃は天敵だ。ユキメノコの表皮が裂け、ボロボロになったユキメノコから胴体が消えた。胴体部分はユキメノコが相手を惑わせるために発生させる幻影だ。本体は頭部とそこから伸びる両腕である。キリキザンが水鳥を思わせる華麗さで降り立った。その姿に相手のトレーナーが賞賛の拍手を送る。

 

「いやぁ、参った。キリキザンの状況判断力とトレーナーとの信頼関係。また腕を上げたようだな」

 

 相手のトレーナーは緑色の制服を身に纏っている。肩口には「WILL」の白い縁取りがあった。彼もまた同じ制服を身に纏っている。小柄な彼にはその制服はあまり似合わない。モンスターボールをユキメノコに向けると、赤い粒子となって戻っていった。彼もキリキザンへとモンスターボールを向けて戻す。トレーナーが、「おめでとう」と片手を差し出した。

 

「私に勝った事で、君は三等構成員に昇格する資格を得た。つまりは私と同レベルだという事だ。これだけの群衆の前で君は力を示したんだ。胸を張っていい」

 

 トレーナーの言葉に二階層部分にあるマジックミラーがゆっくりと開いた。そこから拍手が送られる。新たな三等構成員を笑顔で迎えようというのだろう。彼には興味がなかった。

 

「知るかよ」

 

 差し出された手を無視して彼は身を翻す。トレーナーがきょとんとしていると、彼は前髪を払った。黒い前髪が包帯の巻かれた額にかかっている。彼がその部屋を後にしようとすると囁き声が耳に入った。

 

「澄ましやがって。どういうつもりなんだ」

 

「せっかく、三等構成員昇格試験を執り行ってやったのに、あの態度」

 

「隊長の息子だか知らないけれど、横暴過ぎるだろ」

 

 最後の言葉に彼は反応して振り返って声を張り上げる。

 

「俺はあんな男の息子じゃない!」

 

 その言葉を発した人間は目を丸くしていた。「でも」と声が囁き合われる。

 

「カタセ隊長の息子だって噂は嘘なのか?」

 

「いや、隊長自身放任しているって」

 

 彼はそれらの雑音にいちいち真っ向から叫び返すのは無意味だと悟った。こちらの労力をいたずらに消費するだけだ。

 

「下らない」

 

 彼は言い捨ててその場から立ち去った。彼の目的はただ一つ、三等構成員に昇格する事だ。そのために人に頭を下げるという慣れない事もした。

 

 通常、昇格試験には二十名以上の一つ階級が上の構成員による認定と、三等以上の構成員との一騎打ちによる勝利が基本である。彼はずっと四等構成員だった。四等ではいくら喚こうが戦闘構成員には加えられない。下っ端仕事を半年間も続けていれば嫌気が差す。三等構成員になれたのならば戦闘作戦にも組み込まれる事だろう。

 

 彼は飢えていたのだ。

 

 戦い、というものに。

 

 暗い廊下を歩く彼の前に、「よう」と声をかけてくる影を見つけた。彼は視線を振り向ける。黒いサングラスをかけた赤い髪の少年だった。彼と同じく緑色の制服を身に纏っている。薄暗い廊下のせいか、サングラスの奥にある蒼い瞳が光って見える。少年はケースを担いでおり、彼へと歩み寄った。

 

「久しぶりだな、マキシ」

 

 自分の名を呼ばれ、彼――マキシはようやく自覚した。声をかけてきた少年へと無愛想に言葉を返す。

 

「テクワ」

 

 その名を呼ぶと何とも言えぬ懐かしさがこみ上げる。引き離されたのは半年間だったが、もう何年も会っていないように感じられた。テクワがサングラス越しの視線を向ける。

 

「三等に上がったんだって? めでてぇな。何か食いに行くか?」

 

 テクワがグラスを呷る真似をする。マキシは顔を背けた。

 

「興味ないな」

 

「だろうな」

 

 マキシが歩き出すとテクワも歩き始めた。訝しげに、「何だよ」とマキシが声を出す。

 

「何だよ、とはご挨拶だな。半年ぶりの再会を喜ぼうっていう腹じゃねぇの?」

 

「別に。そんな感情は浮かばない」

 

「拗ねてるねぇ」

 

「拗ねてない」

 

 マキシはため息をついてキリキザンの入ったボールを撫でた。テクワが目ざとく、「そのキリキザン」と声をかける。

 

「成長したな。戦い方も随分と変わった」

 

「あの時、俺の刃は折られたんだ。もう今までの戦い方じゃあいつには勝てない。それは分かっていた」

 

「父親をあいつ呼ばわりか」

 

 テクワが口にするとマキシは歯噛みして前に歩み出た。テクワが立ち止まる。

 

「お前は、あいつの本性を知らないから……!」

 

 マキシが目を戦慄かせて口にすると、テクワは息をついて、「よーく分かっているつもりだぜ」と応じた。

 

「あの人は俺にとって師匠なんだ。戦い方を、生き方を教えてくれた」

 

「違う。あいつはお前の生き方を束縛したいだけなんだ。あいつに踊らされるな」

 

 マキシはテクワの胸倉を掴み上げていた。マキシのほうが背が低いため見上げるような形となる。マキシの眼を真っ直ぐに見つめ、テクワは、「俺が選んだ」と短く告げた。

 

「だからカタセさんを責めてやるな。あの人は、お前の事だって気にかけているんだ」

 

「違う、違うんだ!」

 

 マキシは首を横に振った。

 

 ――あいつは一度だって自分の事を見ていない。

 

 そう言い放ちたかったが、テクワはカタセを信じ込んでいる。それはテクワがカタセに戦い方を教えられた師である事ももちろんであるが、それ以上の今の立場がそうさせた。

 

「俺はな、二等構成員としてあの人の近くにいるつもりだ。だから分かる。あの人は、冷たいだけの人じゃねぇって」

 

「冷たいとか、温かいとか、そういう奴じゃない。あいつはもっと別の――」

 

「マキシ」

 

 遮られて放たれた声にマキシは顔を上げる。テクワがマキシの手を包んでゆっくりと引き離した。

 

「ε部隊副隊長として、それ以上の暴言は許せねぇな」

 

 テクワの言葉にマキシは声を詰まらせた。テクワは立ち去り際、マキシの肩を叩く。

 

「二時間後、次の作戦概要が伝えられる。戦闘構成員になったんだ。お前のポジションもある。しっかり戦うんだ」

 

 テクワの足音が遠ざかっていく。マキシは奥歯を噛み締め、「チクショウ!」と壁へと拳を放った。

 

 



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第七章 十一節「出撃」

 作戦概要が語られると聞いて、ユウキは寝室を後にして部屋へと訪れていた。既にキーリとレナが椅子に座り込んでいる。ユウキはライダースーツの中に着る黒いインナーのまま、Fの指令を待った。間もなく、Fの声が聞こえてくる。

 

『次の襲撃ポイントを伝える』

 

「休む暇もないわね」とレナが苦言を漏らすと、『その事については申し訳ない』とFが謝罪した。

 

『だが、RH計画は、知れば知るほどに恐ろしく巨大で全貌が見えない。今は一つでも多くのデータが欲しい。それこそが我々がカルマを追い詰めたという証になるのだから』

 

 カルマを追い詰める。それは本当に成し遂げられているのだろうか。カルマにとってRH計画とはどれほどの意味を持つのか。全く分からなかった。秘密主義のFに問い詰めたところで煙に巻かれるのがオチだろう。キーリは知っているのだろうか、と視線を振り向けると、端末へと視線を固定している。既に作戦行動に入っている。それはレナも同じに見えた。Fの言葉に反応しながらも端末から視線を外さない。自分だけか、とユウキは自嘲する。

 

「次はどこを襲撃すれば?」

 

 ユウキが問いかけると、キーリが、「ここよ」とモニターに地図を出した。拡張された図面には「ウィル第三プラント」とある。

 

「プラント? 何か造っているんですか?」

 

『ウィルが新兵器の開発に着手するためにハリマシティ郊外に置いているプラントだ』

 

「そこに何が?」

 

「恐らくはウィルの新兵器についての詳細データが」

 

 応じるキーリに対し、「だったら関係ないじゃない」とレナが言う。

 

「RH計画の阻止と、ボス打倒があたし達の目的でしょう? プラントには用がない」

 

『それがそうでもないのだ』

 

 答えたFにレナが眉根を寄せる。キーリは落ち着き払った様子で、「私達の集めたデータ」とモニターにハリマシティの地図と合致するオレンジ色の光点を描き出した。

 

「何これ」

 

「RH計画の予測されうるデータの分散マップ。RH計画はこのように、断片的に、あらゆる場所にデータが配されている可能性がある。パズルのように、決して一つでは意味を成さない」

 

「でも、それって非効率的よ」

 

『その通り』

 

 レナが腕を組んで発した言葉をFが肯定する。

 

『もし、RH計画がリヴァイヴ団上層部で共有されうるものならば、このやり方は実に非論理的だし、実用性に乏しい。そこでワタシはある仮説を立てた』

 

「仮説?」とレナが眉をひそめる。キーリが端末のキーを打ちながら、「簡単に言えば」と口を開いた。

 

「RH計画にはトップボトムが存在しない。完全なワンマンの計画であるという事」

 

 その言葉にレナが目を見開いた。ユウキが歩み出て、「つまり」と言葉にする。

 

「ボスだけが、その事実を知っていると」

 

「その可能性は高いわね」

 

 キーリの声に、「ちょっと待ちなさい」とレナが制した。

 

「またなの、オバサン。一発で理解してよ」

 

「一回で理解するにはあなた達の説明は色々と省き過ぎている。論理的根拠に欠けるわ。あとオバサンって言うな」

 

 キーリへと釘を刺すように言うと、キーリは、「へいへい」と片手を振るった。今、Kはいない。既に作戦目標のプラントへと出払っているのだろうか。Kのいない時、キーリはいつも以上に勝手に振る舞う。

 

「ボスだけがRH計画を完全掌握しているって言うのは少し奇妙だわ。それならどうしてリヴァイヴ団という組織が必要だったの? それじゃ独裁と変わらない」

 

『そう。我々はボスの目的がその独裁にあると考えている』

 

 Fの思わぬ言葉に、「何を馬鹿な事を」とレナが言い返す。

 

「独裁って、それは八年半前と同じよ。ヘキサの再来だわ。誰もついてくるわけがない。リヴァイヴ団という組織を作った意味も、ウィルと結託した意味もない。やりたきゃ勝手にやれって感じよ」

 

「でも、恐らくボスは勝手気ままには出来ない、と感じた。だからリヴァイヴ団を興した……」

 

 ユウキの推理にレナはほとほと呆れたように、「そんな根拠のない言葉」と口にする。

 

「組織を作れば属する人間は無条件に従うわけじゃないでしょう? 当然、突拍子もない計画だったら反感を招く。いくらボスが強くたって」

 

「そこなのよね。オバサンの言う通り」

 

 キーリが後頭部に手をやりながら声を発する。レナが頬を引きつらせて、「そこって?」と聞き返す。どうやら理性の一線は引けているようだ。

 

「ボスの最終目的が何なのか、依然見えない。私達だけの戦力じゃ、そろそろ限界が近いのかも」

 

「限界、ですか」

 

「反逆しようにも人手がない」

 

「δの精鋭を回せばいいじゃない」

 

 レナの言葉に、「私達は戦闘部隊じゃない」とキーリが返す。

 

「だからたとえばβ部隊やε部隊が敵に回った場合、確実にやられるし、悪く転がればこの秘密基地もパァね。私達δ部隊は表には出られない。名目上はあなた達二人だけの反逆という事にしてもらわないと」

 

「そんな勝手な――」

 

「いえ、いいんです」

 

 遮って放たれた言葉に、「ユウキ?」とレナが顔を振り向ける。

 

「半年前に、もう戦うと決めたじゃないですか。どちらにせよ、僕らは反逆者だ。表の世界ではもう生きられませんよ。だから、勝つしかないんだ。この状況を打開するために」

 

 ユウキが拳を握り締めて発した言葉に満足そうにキーリは頷いた。

 

「どうやらユウキの覚悟は本物みたいね。で? あなたはどうなの?」

 

 キーリがわざとらしく覗き込んでくるのでレナは振り払うかのように黒衣を翻した。

 

「分かったわよ! やってやる!」

 

「やけになっちゃ駄目ですよ」

 

 ユウキの忠告に、「それも分かっているわよ」とレナは応じた。やけになれば今まで積み上げてきた全てが瓦解する。反逆者は冷静でなければならない。

 

『このプラント内にある二十四層の物理防壁と七個の情報防壁を潜り抜けた先にRH計画の概要はある』

 

「物理防壁はいつも通り爆弾か何かで潜り抜けるとして、情報防壁は頼みましたよ」

 

 ユウキはレナとキーリに目配せする。キーリが腕を振るった。

 

「任せなさい。負ける気がしないわ」

 

 キーリの力強い言葉にユウキは頷く。レナも、「ええ、分かっている」と既に端末に向かっていた。ユウキはFが見ているであろう監視カメラへと視線を向ける。

 

「F、作戦プランを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライダースーツに袖を通していると、キーリが話しかけてきた。

 

「ユウキ。同調はどう? 大丈夫?」

 

 どうやらキーリなりに気を遣っているようだ。ユウキは月の石が打ち込まれている右腕を振るった。

 

「何とか、大丈夫そうです。副作用もありませんし」

 

「そう。眩暈とか頭痛とか、ポケモン側に意識が引っ張られた場合はすぐに報告して。判断が遅れると危ういから」

 

「分かりました。心配してくれてありがとうございます」

 

 ユウキの言葉にキーリは頬を紅潮させて、「別に心配なんてしていないわよ」と顔を背けた。

 

「ただ、ママの足枷になったら許さないから」

 

 今回の作戦においてKも出撃するらしい、という事は聞いた。Kは前回もビークインを操ってくれたので作戦時には頼りになる。

 

「分かっています。戦闘時には出来る限り、僕の力で引きつける」

 

 ユウキはライダースーツのジッパーを上げて黒い革手袋をつけた。シャッターが開き、既に出撃態勢に入っている黒いバイクを眺める。半年間で染み付いたもう一つの相棒は騎乗する主をじっと待ち望んでいる。

 

「物理防壁はママが何とかしてくれる。あなたは必要最低限の装備で情報防壁へのハッキングを助ける」

 

「僕の速さが重要になってくるわけですね」

 

 白衣のポケットに両手を突っ込んだキーリが、「そう」と頷いた。ユウキはヘルメットを被った。バイザーを上げたまま顎につける。

 

「作戦時間はプラント到着から三十分。それ以上の遅延は許さないわ。頼んだわよ、ユウキ」

 

 キーリの言葉にユウキはサムズアップを寄越した。キーリが微笑み、片手を振る。

 

 シャッターが降りてエレベーターが上昇した。ユウキはバイザーを下ろして、内側に表示される様々なデータを参照する。このヘルメットも特別製だ。常に最新情報を表示してユウキの手助けをする。上がりきったエレベーターが止まり、シャッターが開く。ユウキは声に出していた。

 

「ユウキ、作戦行動に出ます」

 



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第七章 十二節「因果の戦場」

 黒いバイクがいななき声を上げて走り出した。

 

 赤いランプの軌跡を描きながら、ユウキは漆黒のマシンと共に夜のハリマシティへと駆け出した。

 

 すぐさまホルスターからテッカニンを繰り出し、空気の中に溶けさせる。感知野の網の中にテッカニンの存在を感じた。テッカニンは高速戦闘に特化したバイクに追従してユウキの後にしっかりとついてくる。

 

 ユウキは体勢を沈めた。向かうはウィル第三プラントだ。空気の壁を破りながらテッカニンが羽音を散らす。

 

 半年前に比べて翅の振動数を減らし、相手に気取られぬように高速戦闘状態に入る事が可能になっていた。その点では進化したと言える。しかし、ユウキが操れるのはテッカニン一体が限度だ。ヌケニンまでの同調は出来ないし、ヌケニンに交替した瞬間、感知野の網が弱まるのを感じた。どうやらテッカニンとの戦闘に特化した戦闘形態に変化したようだ。

 

 ユウキはヘルメットの内側に表示される幾つかのウィンドウを視線で処理し、受け流しながら耳元から聞こえるキーリの声に意識を向けた。既に意識圏を二つに分割する事くらいは出来るようになっている。走っているユウキとテッカニンを操っているユウキは同一のようで別の存在だ。最初はこれが同調かと戸惑ったものだが、慣れてしまえばどうという事はない。二つの事柄を同時並行で処理する考え方さえ頭に入っていれば問題なく行える。

 

『ユウキ。逃走ルートプランをAからDまで用意するわ。ママが物理隔壁を破るから、あなたはプラントに潜入。情報隔壁を破る事に専念して』

 

 キーリの声に、「了解」と返して、ユウキはプラントへと向かう道を右折する。ネオンライトが彩る街並みを黒いバイクが波のように疾走する。プラントは郊外と言ってもユウキ達の根城に比べれば中心地に近い。巨大な緑色の球形が居並んだ場所にウィルの第三プラントはあった。球形のガスタンクの周囲には赤い常夜灯が点滅している。ユウキはバイクに加速を促した。プラントの前門は閉ざされている。

 

 ユウキは急加速の中に身を置いた。身体が追い出されていくような感覚を必死で押し留めて、アクセルとクラッチペダルを駆使して前輪を浮き上がらせた。牙のように前門に噛み付いたバイクに今度は後輪を浮かせるように促す。前輪が門を噛み砕くように音を弾けさせ、浮遊感が一瞬襲った。ユウキのバイクが浮き上がり、車体を横に流して、門を跳び越える。骨子が軋み、ユウキの身体を震わせた。ユウキは息をついて、「これより潜入する」と報告する。

 

 バイクを走らせながら、キーリの示すマップを参照する。キーリのマップは三棟ある建築物の一番手前を示していた。

 

『地下に物理隔壁があるわ。二十四層の物理隔壁はKが何とかしてくれる。そうよね? キーリ』

 

 声を振り向けたレナへと、『当然よ』とキーリが憮然として返す。

 

『ママは無敵よ』

 

 その言葉を裏付けるように衝撃音が鳴り響いた。手前の建築物が揺れ、ユウキはバイクの上で狼狽する。ようやく振動が消えた頃には、何やら腹の底を震わせる異音が響き渡っていた。ユウキはバイクから降りて建築物の中に入る。そこでようやく音の根源に気づいた。大穴が口を開けて空気を吸い込んでいるのである。天井から一直線に穴が空いて、断面をぐずぐずに融かしている。天上を仰ぐと、一瞬だけKらしき姿が垣間見えた。二十四層の物理隔壁とやらは、Kが屋上から放った技によって見事に突破されていた。

 

「ここから先は、出たとこ勝負ってわけか。テッカニン」

 

 ユウキは右腕を掲げる。テッカニンが近づいてユウキの腕を節足でくわえ込んだ。ユウキは穴へとゆっくりと降りていった。奈落に続いているかに思える穴は、ところどころ赤色の断面を晒しており、高熱を発する技によって無理やりこじ開けられた事が分かった。

 

 地獄の底まであるかに思われた穴は、不意に地面の訪れと共に暗黒ではなくなった。ユウキが降り立つと、物理隔壁を突破した衝撃が床にまで響いている。しかし、それ以上床を無駄に抉る事はなかった。Kの攻撃は正確無比に二十四層の物理防壁のみを破壊していた。それ以上穴を掘っても無駄になる。

 

 彼女の実力は予想以上だという事が証明された。ユウキがテッカニンの節足から手を離して、現れた空間を眺める。ドーム状の天蓋が突き崩されており、この場所だけが厳重に守られている事を告げていた。端にある鋼鉄の扉は今や無用の長物だ。まさか天井から破られるとはこの建築物を設計した人間とて夢にも思っていないに違いない。ユウキは中央にある筐体へと歩み寄った。何度か起動している事を示す緑色の光を発している。大型のデータ媒体だ。ユウキの背丈よりも高い。これほどのデータ容量だとは思わなかったが、もちろん何の策も講じていないレナとキーリではないだろう。

 

「レナさん、キーリ、僕の視界に映っているものが見えますか?」

 

 ヘルメットのバイザーにはカメラが内蔵されている。当然、ユウキの視界も同期されているはずだった。

 

『ええ、見えているわ、ユウキ。大型だけど旧式のデータ媒体ね。大きければいいってもんじゃないわ。もっとスマートじゃないと。私の用意した端子を使ってハッキングする。準備はいい? オバサン』

 

『小うるさいガキね。オバサンじゃないって言っているでしょう』

 

 お互いに小言を繰りながらも二人は息が合っているようだ。

 

 ユウキはヘルメットの首筋から端子を抜き出した。端子はそのまま本部のコンピュータに繋がっているらしい。ユウキには実感出来ないが、キーリはδ部隊のホストコンピュータも使ってほとんど足跡も残さずに潜入するという。ここまでの物理的潜入がユウキとKの仕事ならば、キーリとレナは情報戦でこそ真価が発揮される。ユウキは筐体に端子の接続部を探した。筐体の背部にあった接続部へと繋ぐ。すると、一瞬にして視界が赤色光で塗り固められた。ユウキはしかし、いつもの事なので慌てない。ハッキングしているのだ。穏やかであるはずがない。

 

『感知したわね。よし、かいくぐってやる』

 

 キーリの声に応じたかのように幾つものウィンドウが現れては消え、キーリが道筋を示す。ユウキには何が起こっているのかは全く分からないが、しばらくはじっとしていなくてはならない。それでも感知野を使って周囲に敵の気配がないかを確かめている。ユウキは、「どれくらいかかりますか?」と訊いていた。

 

『おおよそ、二十分ってところかしら。ダミーのデータや書き換えデータを元のデータに修復して張り直して、それらの情報防壁を潜り抜けてようやくRH計画のデータに手が届くって感じだから』

 

「要するに、僕は二十分、ここで張っておけってわけですか」

 

 ユウキが諦めたように口にすると、『そう言わない』とキーリがたしなめた。

 

『待つのも仕事よ。気長にしましょう。幸いにして防犯ブザーも危機回避プログラムも作動していないし、緊急システムは既にハックしたからもう敵が現れる事なんて――』

 

 ない、と続けられそうになった声の前に、ユウキの肌をプレッシャーの波が襲った。

 

 針のような意思。

 

 これは攻撃の意思だ、とユウキが判断してヘルメットを外し、その場から素早く後ずさった。予めつけておいたヘッドセット越しに、『ちょっと、ユウキ!』と怒声が飛ぶ。

 

『ヘルメットを無防備にしないで。あれを持ち帰ってようやく意味があるって言うのに……』

 

「敵がいる」

 

 断じた声に通信越しでも息を呑んだのが伝わった。二人分の緊張を乗せて、『何人?』と質問してくる。ユウキは肌を粟立たせるプレッシャーの根源を探ろうとした。右腕に意識を集中させて次の瞬間に弾けさせる。向こうが敵意を剥き出しにしているのならば、ユウキの放つソナーのような感知野で拾えるはずだった。拾った敵意の数に、ユウキは戸惑った。

 

「これは、一人……いや、数十人? でも、僕のほうに、明確な敵意で向かって来るのは一人だけだ。しかも、この感じは」

 

 ユウキは天上を仰いだ。月明かりの降り注ぐ物理断層を点のような何かが舞い降りてくる。ユウキは現実の眼でそれを見据えた。赤と黒を基調とした、全身これ武器とでも言うような威容を持つ騎士のポケモンだ。そのポケモンが紫色の波動で満たされた手を振るい上げる。ユウキは、「知っている」と呟いていた。

 

「この感覚は……、あなたなんですか、マキシ!」

 

 その言葉に応ずるように鉄の扉が開け放たれた。ユウキが現実の視線を移す。無用の長物かに思えた鉄扉から無数の人間が歩み出た。皆、腰のホルスターにモンスターボールを持っており、ユウキを視界に据えると抜き放った。その中で一人だけ、モンスターボールを既に抜いて前に翳している人間がいた。小柄だが鋭角的な眼差しを持っている。ナイフのようだ、という印象は間違っていなかった。額に巻いた包帯で前髪を上げている。半年前の違うのは緑色の制服で、肩口に「WILL」の文字が入っている事だ。ユウキは苦々しく口走った。

 

「マキシ……!」

 

「ああ、俺だよ、ユウキ」

 

 その言葉が響き渡った直後、ユウキの頭上で騎士のポケモンとテッカニンがぶつかり合った。騎士のポケモン――キリキザンの放った紫色の閃光、「サイコカッター」の光とテッカニンの「シザークロス」の残像がぶつかって火花を散らす。テッカニンはすぐに高速戦闘に身を浸したが、キリキザンは水鳥のように華麗に舞い降りたかと思うと、ユウキへと真っ直ぐに駆け出していた。まるで最初からユウキの命そのものが狙いだとでも言うように。

 

 ――否、まさしくそうなのだ。ユウキはウィルからしてみれば反逆者であり、その首は何よりも優先される。ポケモン同士のバトルにうつつを抜かしている場合ではない。真に勝利しようとするのならばトレーナーを狙うのは必定だった。

 

「でも、僕だって半年間、戦ってきたんだ!」

 

 テッカニンがすぐさま立ち現れ、キリキザンの進路を妨害する。テッカニンが羽音を散らせて、耳障りな高周波を出した。他の構成員達が顔をしかめ耳を塞ぐ。「いやなおと」による音波攻撃で敵の注意を削ぎながら、ユウキはヘルメットにデータがダウンロードされるまでの時間を稼ごうとした。しかし、断とした声が響き渡る。

 

「お前の目的はウィルのデータを奪取する事。そのために今まで派手な破壊活動をしてきた。全てはその目的をぼやけさせるため。俺達から見えにくくするため」

 

 マキシが凛として放った言葉にユウキは思わず目を戦慄かせる。マキシは首を鳴らして、「見くびるなよ」と口にした。

 

「戦っていたのは何もお前だけじゃない」

 

 キリキザンが跳躍し、ユウキの背後にある筐体へと踏み込もうとする。キリキザンは最初からテッカニンとの戦闘もユウキへの直接攻撃も当てにしていない。ユウキがデータを奪取する術を奪う。それが目的だった。

 

 キリキザンは腰だめに腕を構え、肘先から切っ先である手にかけて紫色の波動をまるで噴射剤のように用いて速度を増していた。サイコカッターを推進剤に使う。半年前のマキシならばまず思い浮かばない戦法だった。残像を引きながら直進するキリキザンへとユウキは思わず意識の腕を伸ばした。

 

 遮るイメージを拡張させ、キリキザンの前に意識を出す。すると、呼応したテッカニンがキリキザンの眼前へと飛び出した。トレーナーによる命令速度を無視したテッカニンにキリキザンが狼狽する気配が伝わる。テッカニンはそのまま愚直に頭部からキリキザンへと猛進した。キリキザンの鋼鉄の身体とテッカニンの交差した爪が激突し、キリキザンは押し出される結果になった。体勢を崩したキリキザンが着地と同時にたたらを踏み、腕を振るい上げる。テッカニンが羽音をほとんど散らせずにユウキの守護につく。その様子を見て、「なるほどな」とマキシは呟いた。

 

「お前も、変わったな。感想を簡単に言えば、テクワに似たぜ。戦い方もそうだが、目的のためには手段を選ばないところとかもな」

 

 マキシが顎を引いて口にすると、他の構成員が歩み出そうとするが、それを制する手があった。マキシが踏み出しかけた構成員を手で制し、「こいつは俺がやる」と歩み出す。キリキザンの傍まで歩み寄り、口を開いた。

 

「お前と戦う事になるとは思わなかったよ。ユウキ」

 

「僕は、あなたと戦わなければならないような気がしていました」

 

 その言葉にマキシが眉間に皺を寄せる。ユウキはマキシを現実の眼と意識の眼の両方で見ていた。

 

「どうして、そんなに雁字搦めになっているんです? 半年前は、そんなんじゃなかった」

 

 ユウキの声にマキシは目を見開いて、喉の奥から怨嗟の声を吐き出した。

 

「お前に何が、何が分かるんだよ!」

 

 キリキザンが弾かれたように駆け出す。ユウキは声を必要とせず、意識だけでテッカニンを動かした。

 

 テッカニンがキリキザンの頭上から迫る。キリキザンは片腕でサイコカッターを噴かせて、曲芸のように躍り上がった。鋼の蹴りがテッカニンとぶつかり一瞬だけ火花を散らしたが、すぐにテッカニンは高速戦闘に入る。もう一方の手を振り落とし、サイコカッターの閃光をユウキに浴びせようとしたが、それは眼前で霧散した。素早く戻ったテッカニンの爪がサイコカッターの光を十字に消し去っていた。マキシが駆け出し、キリキザンが動く。ユウキも円弧を描くように駆け出した。

 

 構成員は見守る事しか出来ない。二人と二体のポケモンが因果をぶつけ合う戦場が火蓋を切って落とされた。

 

 



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第七章 十三節「彼の名を知らず」

 オーダーは正確無比な狙撃を、だった。

 

 テクワはその命令通りに虎視眈々と待っていた。

 

 時が満ち、ユウキが現れるのを。ユウキが第三プラントに現れるのはほとんど賭けだった。他のポイントではβ部隊やα部隊が張っている。ε部隊の隊長であるカタセは多くは語らない。しかし、信頼出来るとテクワは考えていた。半年間、副隊長を任ぜられてからは二ヶ月ほどだがカタセの傍にいて分かった事が二つある。この人は決して間違いを犯さない、という事だ。正解を導く力がこの人にはある。だから隊長になれた。自分をここまで成長させてくれた。

 

 しかし、反面で、この人はとても臆病だ、とも感じていた。

 

 何に対してなのかは、テクワも思うところがあったから追求しなかった。どこから逃げようとしているのか、誰から逃げようとしているのか。この人はずっと追われている。

 

 ひょっとしたらミサワタウンにやってきたあの時からずっと。この人は間違う事はしない。だが、何かから逃げ続けている。目を背けて、なかった事にしたいと考えている。

 

 怖いのだ、とテクワは感じた。向き合って、真正面から何かを伝える事が。相手も自分も傷つけてしまう事をこの人は直感的に分かっている。だから、踏み出せないし、踏み出さない。踏み出さないから間違えない。失敗をしない。正解にはなる。だが、それは永久に解答を拒否し続けているのと何が違う。

 

 テクワはいつしか、この人に正解を導かせる事ではなく、見落としに気づかせる事が自分の役目なのだと感じていた。この人は人生という道で色んなものを落としてきた。それを取り戻そうとは思っていない。言い訳をしないからだ。その生き方は潔いが、悲しさと虚しさは雪のように積もる。いつしかその身を押し潰してしまうのではないだろうか。だから、テクワは見落としを気づかせてあげようと半年間努力したが、この人はその見落としから距離を置く事ばかり上手になっていく。見落としも、解答者から見つけられない事ばかりが上手になる。お互いの埋められない距離。テクワはもどかしかった。

 

 だから嬉しかったのだ。見落としが少しだけ歩み寄ろうとしているのを。しかし、この人はまだ目を背け続けている。テクワは、ならば見落としに歩み寄るのは自分の役目だ、と判断した。この人は永遠にその部分の解答を保留にし続けるのならば、その部分の解答だけを自分が引き受けよう。それこそが人生における正答となるのならば。

 

 テクワは、らしくない感傷を振り払ってサングラスを外す。闇の中、蒼く輝く双眸が浮かび上がる。ドラピオンが狙撃姿勢を取ってユウキを待ち構えていた。ユウキは愚直にも正門からこの場所に訪れた。真っ直ぐな奴だ、と半年前に判断したのは間違いではなかったと思い返す。あの時、全てが始まっていたのだ。

 

 マシンが呻り、無理な走行でユウキは正門を押し入った。テクワは口元を綻ばせる。

 

「真っ直ぐだな、ユウキ。だがな、真っ直ぐがゆえにお前は命を落とすんだ。悪いな、これもあの人のためなんだよ」

 

 ライフルを組み上げると腰をくびれさせた紫色の巨躯が光を振り払って飛び出す。鋭角的な眼差しに、太い腕が頭部から生えている。テクワの手持ちであるドラピオンが蒼い眼をユウキへと据えた。テクワはライフルの照準をユウキに合わせる。十字の照準の中にバイクに跨ったユウキが入った。テクワもこの半年間で同調を極めた。だからだろうか。ユウキもその段階に踏み込んでいるのが肌の感触で伝わる。

 

「お前には来て欲しくなかったよ。二つの意味でな。さよならだ、ユウキ」

 

 ドラピオンが狙撃姿勢を取り、ユウキへと毒針を発しようとした、その時である。テクワは頭上に新たなプレッシャーを感じた。

 

 肌を粟立たせる圧にユウキへの照準をすかさずそちらへと向ける。星空の中、流れるように何かが降って来る。青白い炎のような瞬きが視界の中で弾け飛んだかと思うと、線を引いて広がり、瞬時に接近してくる何かを感じ取った。

 

 テクワが賢明だったのは咄嗟の防御を選んだ事だ。攻撃ならば確実に仕留められていたであろうその青白い光は空気を引き裂いてテクワの張っていた建築物へと突き刺さった。振動が揺さぶり、粉塵が舞い散る中、テクワはドラピオンの堅牢な防御の腕に抱かれている。ドラピオンと同期した視界の中に青白い光の後に追従してきた赤い流星を見た。しかし、青白いほうに比べれば穏やかなものだ。ゆっくりと屋上に降り立ったそれは、人を乗せていた。モンスターボールを今しがた空けた大穴へと向ける。赤い粒子がモンスターボールへと吸い込まれた。テクワは息を殺してそれを見つめていた。

 

 粉塵が晴れた時に立ち現れていたのはぴっちりと張り付いた特殊スーツを着込んだ女だった。女だと知れたのは、テクワの感知野によるものだ。柔らかな空気を身に纏っているが、それが一瞬にして針に転じる事が判断出来る。テクワはライフルを構え、ドラピオンによる狙撃を試みようとしたが、「無駄です」の声に遮られる。

 

「驚いた。俺の気配が分かるのか」

 

 テクワが心底驚いた声を振り向けると、「あなたも」と女が声を発した。その時に気づいたが、女は顔をバイザーのようなもので覆っていた。中央にはδの文字がある。

 

「私が分かるようですね」

 

 分かる、という言葉の中には、理解している、という意味も含まれるのだろう。言われた通り、テクワは女を理解していた。それは一瞬の邂逅であったにも関わらず、まるで長年の友にでも出会ったかのような錯覚を与える。

 

「あんた、前に俺と会ったか?」

 

 確証のない言葉を紡ぐと、「冗談は」と女がモンスターボールを振り上げた。

 

「好きではありません」

 

 断固とした声に、「ああ、これは失礼」とテクワが応じる。突きつけられたモンスターボールはそのままだ。殺意もそのまま、湖面のように透き通った殺意である。

 

「あんた、綺麗な殺意を持っているな。俺がよく知っている人に似ているよ。だからか。勘違いしたのは」

 

 その人物の事を思い出す。テクワが同調の力を得る前の事だったが、綺麗な人だと感じていた。しかし、後にそれは綺麗な殺意の持ち主であった事をテクワは知るのだ。刀を提げた物騒な格好を見れば分かるものを。自分は純粋無垢にその人に憧れていた。今も焦がれている部分はあるのかもしれない。ただ網膜の裏に黒い着物を纏ったその人の立ち振る舞いだけは鮮烈に焼きついている。しかし、テクワはその人ではないと感じていた。厳密にはその人とすぐ傍にいた誰か――。

 

「……ああ、そうか。俺はあんたの事を産まれる前から知っているんだ」

 

 テクワの言葉に女は首を傾げた。テクワの感知野が女の持つ何かと干渉し合い、スパークのような光を一瞬弾けさせた。その一瞬にテクワは小さな命の誕生を見た。交差する命の連鎖にまたも、「ああ」と呻く。顔を拭って、「そうか」と頷いた。

 

「その子もまた、片親なのか。俺と同じに」

 

 その言葉に女が目を見開いたのが気配で伝わった。初めて表情らしい表情を浮かべた女にテクワが言い放つ。

 

「俺とその子は似たもの同士だ。だから、あんたと戦う事になった」

 

「……出来れば戦いたくないです」

 

 女もそれを知ったのか。突き出していたモンスターボールを下げた。しかし殺意は微塵にも揺らいでいない。張り巡らされた殺意の網の中に、テクワは飛び込んだ。

 

「俺だってそうさ。でもよ、戦わなきゃならない。何かを決するためにな」

 

「行け、ラティアス、ラティオス」

 

 女がモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかける。光を振り払って首を巡らせながら舞い上がったのは青いジェット機のようなポケモンだった。鋭角的なフォルムに、雄々しい眼差しがある。温和な眼差しの赤いポケモンと共に女を守るように前に出た。テクワは感知野で相手のポケモンの動きを探ろうとしたがそれと相殺するように放たれた殺気が邪魔をした。パチンと水風船のように弾けた自分の感知野に驚く以上に、やはりという感覚が先に立った。

 

「あんたはやっぱり、そうなんだな」

 

「何がですか」

 

「柔らかい空気を持っているけれど、針みたいに時々鋭くなるんだ。……お袋にそっくりだ」

 

 テクワの言葉に女は完全に敵を見る目を向けた。

 

「私の名前はK。あなたを葬る」

 

「殺すのに名前も教えてくれねぇのか?」

 

「今の私にはこの名前で充分。……あの人が待ってくれているから」

 

 吹き消されそうな小声で放たれた言葉にテクワは眉根を寄せる。あの人とは、と無粋にも感知野で探ろうとした自分の気を読んだかのように、またも鋭いプレッシャーの圧で破られた。どうやら感知野を巡らせるのはKと名乗った女のほうが上手らしい。

 

「あなたにも、待っている人がいる」

 

「待っている人なんていねぇさ。全部、振り切っちまった。お袋も、博士も、サキ姉ちゃんも、マコ姉ちゃんも、今の俺なんて見たくないだろうよ」

 

 不意にプレッシャーの網が揺らいだ。何故だ、とテクワは今の言葉を反芻する。サキとマコ、という部分にKは反応したように思えたが、それは一瞬の事ですぐに紅蓮のような殺気の海に埋没した。

 

「あんたは……」

 

「ラティオス、ラスターパージ」

 

 ラティオスの身体が内側から輝きを放つ。来る、という予感にテクワはドラピオンを先行させた。ラティオスが全身から放った閃光が凝縮し、付け足されたような両腕が折り畳まれたかと思うとばっと両翼が振り払われた。

 

 光が濃縮し、渦を巻き、ラティオスそのものをまるで銀色の砲弾のように染め上げる。ラティオスの姿が次の瞬間、一条の光となり、ドラピオンへと突っ込んできた。テクワは咄嗟にドラピオンへと回避行動を取らせようとする。しかし、ドラピオンが反応するよりも速く、銀色の砲弾が肩口に突き刺さった。ラティオスの放った自身を光の速さまで顕現化させる鋼鉄の矢――「ラスターパージ」に抉られた。

 

 そうテクワは認識したが、ドラピオンからのダメージフィードバックはなかった。ただ眩く輝いただけだ。突き刺さった感触はあるがダメージは通っていない。テクワは信じられない心地で自分の身体を眺めた。Kへと視線を向ける。

 

「あんたは……」

 

「ラティアス、ミストボール」

 

 赤い龍であるラティアスが首を巡らせ、小さな両腕を突き出した。両腕の中で光が幾重にも折り重なり、渦を成して銀色の輝きを全面に放つ。たちまち凝縮された光は粒子を伴い、霧となった。霧の中で眩い光を放つ球体だけが映る。まるで台風の目のように、渦の中央へと光が吸い込まれていく。無限に光を吸い込み続ける霧の砲弾をラティアスが放った。

 

 夜の闇さえも引き剥がす光が先ほどのラスターパージの謎から脱却していないドラピオンへと撃ち込まれる。今度こそやられた。そう感じたテクワだが、痛みはまるでなかった。眩い光に押し包まれたのは感じた。しかし、ダメージは一分もないのである。テクワが身体を確かめるように触ってから顔を上げると、Kはバイザー越しに読めない眼差しを送っていた。

 

「何のつもりなんだ? こけおどしか?」

 

 テクワがライフルを構える。ドラピオンに攻撃させようとしたが、敵意は微塵にもなかった。むしろ薄れている。相手ではなく自分の問題だった。先ほどの二つの光の技がそうさせたのか、それはテクワにも分からない。ただ、二つの技は殺すつもりで放たれたのに、ダメージはなかった。その事実だけがテクワの前に歴然と立ち塞がる。

 

「何とか言ったらどうなんだ!」

 

 テクワは柄にもなく叫んでいた。普段は戦いの中で常に冷静な自分が惑っている。何故なのか。根源を探ろうとして、先ほど自分で言い放った言葉を思い出した。

 

 ――お袋にそっくりだ。

 

 テクワはライフルを持つ手が震えているのを感じた。怯えでも恐れでもない。この根源的な感情はただ一つ。

 

 ――戦いたくない。

 

 テクワは、「撃つぞ、間抜け!」とドラピオンに狙撃態勢を取らせる。ラティアスとラティオスがKを守ろうと身構えるが、Kは片手を振るっただけで二体のポケモンも動きを制した。二体のポケモンは主人の意思を感じ取ったかのように狙撃の道を開ける。テクワは目を見開いた。

 

「本当に、俺はあんたを撃てるんだ……」

 

 ――違う。

 

 心の奥底にいる自分が告げる。テクワは首を横に振った。照準の中央に標的を定める。

 

 ――違う。

 

 またも響く裏腹の声にテクワは獣のような声を上げた。呻り、怒鳴り、混濁した感情の中、「撃つぞ!」とまた声を発する。

 

 Kはあろう事か身体を開いた。まるで撃てと言っているかのように。

 

「撃ちなさい」

 

「ああ、撃つ」

 

 引き金に指をかける。

 

「撃つんです」

 

「撃てるさ」

 

 いつものように静かな心地で、静脈注射を打つ看護師のように――。

 

「さぁ」

 

「撃つ」

 

 引き金にかけた指から力が抜け落ちる。テクワはライフルを取り落としていた。ドラピオンが戸惑ったような声を上げる。テクワは膝をついた。目を伏せて、「違うな。俺は……」と顔を上げた。今にも泣きじゃくりそうな顔をして、テクワは懇願する。

 

「撃たせないでくれ。お袋と同じ女性を」

 

 テクワの切なる願いの声を聞き届けたように、Kは歩み寄ってきた。テクワはKに抱かれて涙を流した。撃ちたくなかったのだ。心の奥底にいる自分は。ここで引き金を引く事は、母親を撃つ事と同義になってしまう。それは守りたい人々に切っ先を向ける行為だ。

 

「あんたは、わざと俺に撃ったのか」

 

 Kは答えない。その代わりにテクワが涙と共にしゃくり上げながら声を出した。

 

「ラスターパージも、ミストボールも、毒・悪タイプのドラピオンには効かないと知っていて、わざと……」

 

「あなたは敵に何を期待しているのです」

 

 テクワはその言葉に首を横に振った。

 

「もう、あんたは敵じゃない。俺にとっては他人とも思えない。どうしてなんだ? 産まれる前から本当にあんたを知っていた。本当なんだ」

 

 母親の胎盤の中にいた原初の記憶が同調の渦の中で呼び起こされたのか。それとも、本当に母親と同じものをKに見たのか。自分でも判然としなかった。ただ、撃ってはならない。それだけが心に先行した。

 

「もう、戻れないような気がして……」

 

「きっと、戻れます」

 

 Kの優しい声音にテクワは、「チクショウ」と声を上げた。

 

「男が泣くもんじゃないってのに」

 

 いつしか自分にも課していた枷の一つが外れたような気分だった。テクワは首を振って、「あんたは反則だ」と告げる。

 

「あんただけは、この世で二番目に戦えない相手だよ」

 

「一番は」

 

「俺のお袋だ。いつも負けるんだよ。口喧嘩でも、何でもな」

 

 テクワは涙を拭って立ち上がってみせた。もう一人で立てる。そう言いたかった。ライフルを構えるが、銃口はKに向いていない。

 

「あんたは本当に戦うべき相手を教えてくれた。本当に慕うべき相手も。そうだろ?」

 

 Kはやんわりと首を振った。今になってその髪に紫色のリボンが巻かれている事に気づいた。アクセントのように光る紫に髪が揺れる。魅せられていた、と今さらに感じたテクワは顔を逸らした。

 

「どうやら気づかされちまったみたいだな。俺も」

 

 テクワは穴を見やった。地下の階層まで貫いている穴は覗き込むとひやりとする大きさだった。先ほどのラスターパージが恐らく全力で放たれたのだろう。ポケモンの属性効果における相性によってダメージを受けなかったとはいえ、全力ならば貫くだけの力は備えていたという事実にテクワは身震いした。

 

「おっかねぇな。本気なら属性効果なんて関係なしに俺の身体にも穴が空いていたってわけかよ」

 

 Kは視線を振り向けるだけで言葉を重ねようとはしなかった。テクワは穴の下で戦っている二つの思惟を感じる。否定と肯定、相反する二つがぶつかり合い、答えへと導こうとしている。

 

「あいつも、気づかなくっちゃならない」

 

 テクワはもう一つ、この戦闘を見守る思惟を感知した。それはテクワの感知野の網にかかったかと思うと、すぐに闇の中に溶けていったが、穴の底で戦っている二つをじっと見つめている。

 

「もう一人、いますね」

 

 Kも感じ取ったのだろう。即座に攻撃に移ろうとするのを、「待ってくれ」とテクワが制した。Kが怪訝そうな目を向ける。

 

「決着は、あいつの手でつけさせてくれ」

 

 テクワの決死の声にKは無言を返した。それだけは、と懇願する声音に、「そう、ですか」とKは応じた。

 

「あなたもまた、その人達を大切に思っているのですね」

 

 Kの言葉にテクワは穴の底へと視線を向けて呟いた。

 

「……ユウキ、マキシ」

 

 



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第七章 十四節「超える刻」

 サイコカッターの紫色の残滓が揺らめき、片腕を振り上げたキリキザンがテッカニンを追う。

 

 テッカニンはほとんど見えない。しかし、キリキザンは僅かに聞こえる音でテッカニンの位置を推測していた。マキシはその音を頼りにして戦っていたが、半年前に比べればほとんど聞こえない。弱点を克服したと言うのか。いつの間にか上に行かれていた屈辱に、マキシは歯噛みする。

 

「キリキザン!」

 

 キリキザンが鋼の刃を振り払う。一瞬にしてテッカニンが距離を置き、射程外へと出た。キリキザンへとマキシは前進を命じる。

 

「ヘルメットを狙え! それがあいつの目的だ!」

 

 キリキザンが両腕を翼のように広げてサイコカッターを背面に放つ。サイコカッターを推進剤として用いて舞い上がったキリキザンへとテッカニンが追いすがった。

 

「させない。テッカニン!」

 

 テッカニンの爪がキリキザンの鋼の身体へと突き刺さる。その瞬間、キリキザンの腹部にある半月型の反れた刃が十字の光を投げた。テッカニンとユウキが瞬時に後ずさる。先ほどまでテッカニンがいた場所を銀色の刃の応酬が襲った。

 

 メタルバーストの弾丸を避けたテッカニンよりもキリキザンはヘルメットの破壊を優先した。舞い降りて駆け出したキリキザンの眼前にテッカニンが立ち現れる。キリキザンは鋼の刃を突き出した。テッカニンが貫かれたかに見えたが、それは残像である。本物のテッカニンが懐へと潜り込み、内側からキリキザンの頤を突き上げた。衝撃に仰け反るキリキザンだが、すぐに攻撃に転じた。

 

 足を踏ん張ってテッカニンへと鋼鉄の尾を引くヘッドバットをお見舞いする。「アイアンヘッド」によってテッカニンを操るユウキの注意が僅かに揺らいだのを感じた。テクワと同じ力ならばポケモンのダメージがトレーナーに返ってくるはずだ。しかし、テッカニンの身体が揺らいだだけで、ユウキ自身にはダメージはなかった。すぐさま思惟の糸が結び直され、テッカニンがキリキザンの背後に回る。爪を伸ばし、節足も用いてテッカニンはキリキザンを拘束した。キリキザンが肘打ちを見舞うがテッカニンが離れる様子はない。

 

「くそっ。離れろよ」

 

「離しません。僕は」

 

 悪態をついて焦るマキシに対してユウキはどこまでも冷静だ。その態度に苛立ちが募った。

 

「お前は、どうしてそう冷静でいられるんだよ……」

 

「マキシ。あなたは今、我を失っている。何かに囚われているようだ。大きな、何かに」

 

 ユウキの指摘にマキシの脳裏にカタセの姿が過ぎった。カタセに近づくために、自分は力を得た。三等構成員まで上り詰め、ようやく見てもらえると思った。しかし、実際に与えられたのはテクワの作戦行動が失敗した時の保険だ。自分の価値はずっと変わっていない。カタセにとってしてみれば、自分など無価値のまま終わってしまうのだろうか。

 

「……黙れよ。知った風な口を!」

 

 マキシは身体を声にして叫ぶ。サイコカッターを纏った肘打ちがテッカニンに命中し、テッカニンの拘束が緩んだ。キリキザンが跳躍し、ユウキへと真っ直ぐに落ちていく。ユウキは自分の身が可愛ければ逃げるだろう。その隙をついてサイコカッターでヘルメットを叩き割る。そう断じていたマキシは声を発した。

 

「メタルクローで攻撃しろ。そいつに身の程を教えてやれ」

 

 もちろん、ユウキならば避けられる程度の速度で放つメタルクローだ。銀色の光の尾を引きつつ振り下ろされた一撃は空を切り、次いで放たれたサイコカッターが真の目的を果たす。

 

 そのはずだった。

 

 しかし、ユウキはその場を動かなかった。振り下ろされた銀色の刃がユウキの肩口へと突き刺さる。血飛沫が舞い散り、キリキザンの銀色の身体を赤い血が彩った。マキシが呆然と、「どうして……」と呟く。

 

「お前ならば、避けられただろうに」

 

 当てるつもりなどなかった。牽制のつもりで放った技が命中し、マキシは狼狽していた。ユウキは歯を食いしばり、苦痛に顔を歪めながらキリキザンの鋼の切っ先を掴む。掌が裂け、血が滴った。

 

「マキシ。僕を攻撃すると見せかけてヘルメットを狙っているのは、最初から分かっていました。でも、僕は命に代えても守らなくてはならない。それだけの覚悟を携えてやってきた。あなたは、どうなんです? マキシ」

 

「どう、だって……。俺は、俺は……」

 

 マキシは頭を抱える。ユウキの言っている事が分からない。それよりも、身の内から声が響く。

 

 ――戦え。殺せ、と。

 

 マキシは首を振った。その意思に命じられるがまま戦うのは人間としてあってはならないと感じたのだ。

 

 まだ人間である心を持っている。自分でも不思議な心地にマキシは包まれていた。オートメーション化した機械の一群のつもりでいたのに、いざ血を目にするとうろたえる。それがかつての仲間の血だからか。ユウキはキリキザンが引き離そうとした腕を掴んで、無理やり引き寄せて叫ぶ。

 

「本当に戦うべき相手は! 分かっているでしょう!」

 

 ユウキは覚悟を問いかけているのだ。戦いを戸惑いの胸中で行っている自分を叱責している。

 

「本当に戦うべき、相手……」と言葉を繰り返し、キリキザンを見やった。キリキザンはよろめいて後ずさり、血に濡れた刃をだらんと垂らした。ポケモンとて機械ではない。鋼タイプとは言えど、心は持っている。キリキザンの眼がマキシへと向けられる。マキシに、主人へと今一度、覚悟のあり方を問いかけている。

 

 ユウキがヘッドセットを押さえ、「僕はもう行きます」とヘルメットを拾い上げた。作戦は失敗だ。テッカニンに掴まって飛ぼうとしたのを、他の構成員が阻もうとする。緊急射出ボタンから繰り出されかけたポケモンを、マキシは振り向き様にキリキザンへと命じた。

 

「サイコカッター」

 

 紫色の波動を得て閃光の刃が構成員達の目の前を切り裂く。よろめき後ずさった構成員達が、「何を……」と呻いた。マキシは自嘲の笑みを口元に浮かべて、「ああ、俺も何をしているんだろうな」と呟く。

 

「馬鹿だって分かっているさ。でも、馬鹿が移ったんだろうな。あいつは真っ直ぐだ。だから、俺達に進むべき道を示してくれる。分かったよ、ユウキ。俺の、本当に進むべき道が」

 

 マキシはもう一度手を振り翳す。サイコカッターが構成員達を囲うように放たれた。床を切り裂いた線に囲われた構成員達が戸惑う声を上げる。

 

「どういうつもりだ。マキシ三等!」

 

「俺も、心に従う事を決めたんだよ。だから、だからさ」

 

 マキシは息を吸い込んだ。肺を満たした空気を感じ取った直後、今まで出した事のない声を出す。

 

「いるんだろう! カタセ! いや、親父!」

 

 その言葉が物理断層に残響していく。反響した声にユウキが目を向けた。その目を見つめ返していると、不意に空間に亀裂が走り、紫色の次元の断層から黒いコートを身に纏った男が金色のポケモンと共に歩み出る。三日月を象った羽衣を纏うポケモン、クレセリアを携えて、ε部隊の隊長がユウキとマキシを交互に見やる。

 

「なるほど。敵にほだされたわけか。戦士失格だな」

 

「違う」

 

 ユウキが強い口調で遮った。カタセが視線を振り向け目を細める。

 

「マキシは自分で選び、気づいたんです。向かい合うべきは誰か、と」

 

 ユウキの眼をしばらく見据えてからカタセは、「なるほど」と口にした。

 

「いい眼をしている。指導者の眼だ。その眼差しであれを惑わせたわけか」

 

「違う」

 

 今度はマキシの声だった。カタセが首を振り向ける。マキシはキリキザンの隣に立っていた。

 

「俺が選んだ。親父、あんたを越える」

 

「無理だ」

 

 断固として放たれた声は冷たく響き渡る。否定の意思が皮膚を凍傷に晒すようだった。

 

「お前では俺に勝てない。決して埋められぬ隔絶というものがこの世には存在する。クレセリアとキリキザン、俺とお前がそうだ。越えられぬ壁というものを自覚するのだな」

 

「いつかは越えなきゃならない。それを今、俺は知ったんだ」

 

 マキシは拳を握り締める。ユウキはテッカニンに掴まっていつでも離脱出来るのだろうが、マキシを残して行くつもりはないらしい。とんだ甘ちゃんだ、とマキシは思う。

 

「なるほど、では五分だ」

 

 カタセが片手を広げる。マキシへと身体を振り向け、クレセリアのピンク色の眼差しがキリキザンを射る。

 

「五分で、お前らを黙らせよう。二人同時でも構わない」

 

 その言葉にマキシは首を横に振った。

 

「ユウキ、分かってるだろうが」

 

「ええ、僕は干渉しない」

 

 心得た眼差しを交わし合う。カタセは、「ほう」と感嘆したような息をつく。

 

「いい心がけだが、兵士としては間違えているな。戦うのならばより高い勝率を求めるべきだ」

 

「違う。戦いも、覚悟も、確率論なんかじゃ決してない」

 

 マキシは歩み出た。キリキザンが踏み出し、片腕を突き出す。クレセリアへの宣戦布告だった。カタセはため息をつく。

 

「つくづく、毒されたようだな。愚かしいと言っても限度があるものだが。まぁ、いい。キリキザンとお前の代わりはいくらでもいる。駒を一つ失ったところで大差ない」

 

 クレセリアが浮き上がりながら羽衣より閃光を放つ。キリキザンも腕を後ろに引き、紫色の波動を得た刃を振り上げた。

 

「サイコカッター」

 

「サイコカッター!」

 

 同時に放った声と共に同じサイコカッターの剣閃が瞬いた。ぶつかり合い、次元を歪ませて蜃気楼のような景色の中、キリキザンとマキシが踏み込んだ。クレセリアへと肉迫したキリキザンが鋼の腕を打ち下ろす。しかし、クレセリアの眼前で三枚の青い皮膜が張られた。「リフレクター」である。

 

「半年前はこれで終わりだった。でも、今は!」

 

 マキシの声に呼応したようにキリキザンは肘先から肩口にかけてサイコカッターを噴出した。勢いを増した鋼の刃がリフレクターを一枚、また一枚と破壊する。残り一枚となった時、リフレクター越しに羽衣が瞬く。

 

 キリキザンは両腕を打ち下ろしリフレクターを破壊した反動を利用して後ずさった。サイコカッターの剣閃がキリキザンのいたであろう空間を引き裂く。キリキザンが降り立つと同時に位相を変えたサイコカッターがキリキザンへと突き刺さった。衝撃と共に粉塵が舞い上がる。しかし、キリキザンは健在だった。腰だめに両腕を構えて、腹部から銀色に瞬く刃を放出する。

 

「メタルバースト!」

 

 キリキザンが両腕を突き出した瞬間、鋼の弾丸の応酬がクレセリアを襲った。クレセリアはしかし、リフレクターを六枚張って難なく無効化する。

 

「倍になって返ってくるのならば倍のリフレクターを張ればいい」

 

 カタセが腕を翳しながら口にする。マキシは口元に笑みを浮かべた。それを見て怪訝そうにカタセが眉をしかめる。

 

「何が可笑しい」

 

「いや、半年前には、あんたはそう言う必要性すら俺に感じていなかった。今、俺は、あんたと同じ土俵に立っている」

 

「同じ土俵だと?」

 

 クレセリアの羽衣が瞬き、凶暴な光を携える。キリキザンが身構えるが、それよりも速くに瞬いた閃光が肩口に突き刺さった。キリキザンがよろめく。肩には太刀筋が入っていた。

 

「自惚れるな」

 

 クレセリアの羽衣が何度も瞬き、キリキザンに猛攻を浴びせかける。キリキザンは「メタルバースト」の構えを取ろうとするが、それよりも相手の攻撃のほうが早く、なおかつ的確にキリキザンの急所をついてくる。

 

 キリキザンが片膝を折った。全身に太刀傷があり、ほとんどボロボロの状態だった。肩を荒立たせながらキリキザンがクレセリアを睨みつける。クレセリアは羽衣から閃光をもう一度放って、キリキザンを突き飛ばした。キリキザンが仰向けに転がる。カタセが時計を見やり、「あと三分残っている」と告げる。

 

「だが、無駄だったようだな。もう三十秒もいらない。お前とキリキザンにとどめを差すには」

 

 カタセが一歩、歩み出す。ユウキとテッカニンは何一つ動こうとはしなかった。構成員達も同様だ。誰も分け入っていい問題だと思っていない。これは一つの親子が決着をつけるための戦いなのだ。震えるキリキザンへと、マキシは声をかけた。

 

「キリキザン。俺には、テクワのようにお前の痛みを知ることも、ユウキのようにお前を自在に操る事も出来ない」

 

 キリキザンの首筋へと羽衣がかけられる。無理やり顎を上げられ、キリキザンはクレセリアを視界に入れた。マキシは胸元に手をやって言葉を続ける。

 

「でも、俺は! 俺にしか出来ない戦い方がある。俺はポケモントレーナーだ! そして、お前は!」

 

 その言葉に戦慄いていたキリキザンの眼が不意に鋭くなった。主の意思に呼応したキリキザンが腕を振り翳す。その腕が羽衣にかかった瞬間、マキシは拳を握り締めて叫んだ。

 

「俺の手持ち、誇れる相棒のキリキザンだ! 俺はお前と、勝つためにここに来た!」

 

 振るった刃が漆黒の光を帯びる。それを見た瞬間、クレセリアが唐突に身を引いた。リフレクターを左右に張って離脱しようとするのを、立ち上がったキリキザンが天上を仰いで甲高く雄叫びを上げた。両腕から闇色の光が弾き出され、漆黒の刃が拡張する。キリキザンが片腕を引いて片腕を突き出した。戦闘の構えを取り、マキシが声に出す。

 

「もう、サイコカッター頼みの戦い方だなんて言わせない。お前は、俺と共に戦うんだ。そのための因果を断ち切る刃」

 

 キリキザンが踏み出し、クレセリアへと漆黒の刃を振り翳す。クレセリアが左右に張っていたリフレクターを一点に凝縮し、一撃を弾こうとしたがキリキザンの漆黒の刃がリフレクターを引き裂いた。カタセとクレセリアが驚愕の眼差しを向ける。

 

「遅過ぎるかもしれない。でも、俺は、過去と決別するのならば! お前と!」

 

 キリキザンの放った闇色の剣閃がすかさず放たれたクレセリアのサイコカッターとぶつかり合い、干渉波のスパークを弾けさせる。焼け爛れた地面を抉りながら刃を振り上げる。拡張した刃がクレセリアの本体へと至り、その堅牢な身に初めて傷をつけた。クレセリアがリフレクターを張りながら後退する。しかし、傷口から溢れ出す闇の瘴気が漂っている。

 

「この技、辻斬りか。今さらに悪タイプの技を顕現させた程度で」

 

 カタセが腕を振るう。クレセリアが羽衣からサイコカッターを放ち乱舞する。偏向したサイコカッターが一斉にキリキザンを襲った。

 

 キリキザンは両腕を翼のように振り上げ、鳥のように舞い上がったかと思うと、くるりと身を翻し、全方向から襲いかかるサイコカッターの刃を相殺した。

 

 バラバラとガラスのように砕け散ったピンク色のサイコカッターが地面へと落下する。キリキザンも両腕を広げたまま緩やかに着地し、キッと顔を上げた。クレセリアを睨み据える。その眼光には最早迷いがない。マキシの迷いも吹っ切ったキリキザンは悪タイプ本来の性能を発揮し、今まさに師であるクレセリアを越えようとしていた。主人であるマキシが父親であるカタセを越えようとしているのと同じに。

 

「それだけじゃない。俺はここから自分の力で切り拓く。もう、言い訳はしない」

 

 キリキザンが呼応して叫び、クレセリアへと漆黒の刃を振るって駆け出した。

 

 クレセリアがリフレクターを五重に張り、内側でサイコカッターを充填する。最大出力のサイコカッターが放たれる事は想像に難くない。しかし、キリキザンは近接戦闘を続けた。リフレクターを一枚、また一枚と割っていく。

 

「つじぎり」による攻撃だけではない。キリキザンの肘先から肩口にかけて噴射剤のように紫色の波動が噴き出している。キリキザンはサイコカッターと辻斬りを併用しているのだ。今までの戦いを捨てるのではない、とマキシは確信していた。今までの自分も肯定した上で新たな境地へと至る。それが成長する事、それが進化する事なのだと、マキシは心に宿った炎に誓う。

 

 漆黒の刃が最後のリフレクターを引き裂いた瞬間、眩く羽衣が輝きピンク色の光が放出された。羽衣から放たれたサイコカッターの閃光がその場にいた全員の目を眩ませる。それは主人であるカタセやマキシとて例外ではなかった。だが、決して目を瞑る事はなかった。マキシは真っ直ぐな視線で光の先を見据える。サイコカッターの光の中に、漆黒の刃を携えたキリキザンの姿が確かに見えた。

 

「キリキザン!」

 

 名を呼ぶとキリキザンは両手を合わせ、頭上へと振りかぶった。相乗した漆黒の刃がさらに拡張し、巨大な闇色の炎が噴き出したように見える。キリキザンがそれを打ち下ろすのと、クレセリアが全力のサイコカッターを放ったのは同時だった。闇と光が掛け合わされ、全てが閃光の中に没したかに見えた直後、不意に景色が晴れた。キリキザンが両腕を開いてクレセリアの後ろに立っている。クレセリアは顔を上げて一声鳴いた。

 

 直後、がくりとキリキザンが膝を崩した。鋼の身体がボロボロと崩れて全身から血の霧を噴き出す。

 

「キリキザン……」

 

 マキシが名前を呼ぶと、キリキザンも鳴いた。その刹那、クレセリアの身体に闇色の太刀筋が浮かび上がった。クレセリアの身体を一閃していた太刀筋は深く、常に浮遊していたクレセリアが地にその身をつけた。

 

「なるほどな」

 

 カタセが声を出す。クレセリアの瞳から敵意が薄れ、くるりとキリキザンへと振り返る。何をするつもりなのか、とマキシが訝しげな目を向けていると、クレセリアは羽衣を揺らして踊り始めた。羽衣から光が溢れ、ピンク色の波動がキリキザンへと集約する。キリキザンは満身にその光を受けた。

 

「キリキザン!」とマキシが叫ぶと、「大丈夫だ」とカタセが告げる。

 

「今の技は三日月の舞。自分が瀕死になる代わりに、全ての状態を回復させる技だ」

 

 その言葉通りにクレセリアは舞い踊った後、力尽きたように地面に身体をつけた。その代わり、キリキザンは全身に受けた刀傷が癒えていた。血潮がこびりついていた身体は、完全に修復している。

 

「あんた……」とマキシが声を出すと、「その時が来たのだ」とカタセは淡々と語った。

 

「子が親を越える。弟子が師を越える。いつかは訪れる事なのだ。それは摂理だ。今、その瞬間に立ち会えた事を、俺は光栄に思おう」

 

 カタセの言葉にマキシはしばらく呆然としていたが、やがて全てを悟った。ようやく、自分は父親と対等な立場になれたのだ。父親も自分を見てくれている。否、今までも見てくれていた事がようやく分かった。理解する事は時に痛みを伴う。痛みを重ね合わせて、やっと父親の目線と同じ位置に立てた。

 

「親父、俺は……」

 

「俺は、ずっとお前から逃げてきた。だからこれは俺のつけだ。せめてもの餞別を受け取ってくれ」

 

 その言葉にマキシは目頭が熱くなったのを感じたが、まだ泣く時ではないと確信する。泣くのは全てが終わってからだ。今やるべき事を、父親に宣言する。マキシはキリキザンを呼んだ。全てを心得ているかのようにキリキザンはマキシへと歩み寄り、鋼鉄の刃の手で肩口を切り裂いた。鋭い痛みが走る。それと同時に肩の「WILL」の縁取りが服ごと切り裂かれていた。

 

「俺は、ユウキについていく」

 

 決心の言葉にカタセはいつも通り、「そうか」と呟いただけだった。それでようやく、この人は不器用なだけなのだ、と感じた。愚直なのはお互い様だ、とマキシは微笑みを返そうとした。その時である。

 

 突然、建物を激震が見舞った。カタセが周囲を見渡し、やがて構成員の一人を見つけ、苦々しく口走った。

 

「……増援を呼んだな」

 

 構成員はばつが悪そうに顔を背ける。その時、屋上から青い流星が降ってきた。その正体は青い身体を持つジェット機のようなドラゴンタイプだ。鋭角的な眼差しを投げ、乗れ、と言っている事がマキシには分かった。マキシはキリキザンをボールに戻してドラゴンタイプの背に乗った。

 

「マキシ。行きましょう」

 

 ユウキはテッカニンで離脱するつもりなのだろう。ヘルメットを被っている。マキシは背後を振り返った。空間が縦に引き裂け、闇が溢れ出している。その内側から何かが引き出されていくのをマキシは見た。巨大な何かが空間を越えてこの場に現れようとしている。

 

「でも、親父が……」

 

「俺はいい」とカタセは背中で答える。

 

「ようやくお前は自分の足で歩めるんだ。お前の事を、誇りに思っている」

 

 その言葉にマキシが、「親父!」と叫んだ。その時には空間を裂いて出てくるものの全貌が分かっていた。王冠のような頭部にボロボロの赤と黒の翼を持っている。首筋は赤い蛇腹で、六つの足が空間を踏み締めた。呼び込んだ構成員ですら、その姿に圧倒されていた。鳴動する声を放ち、そのポケモンが威嚇する。闇の地面を形成し、操っているトレーナーが出てきた。茶髪を逆立てさせて全身にシルバーアクセサリーを纏っている。見覚えがあった。β部隊の隊長、カガリだ。

 

「呼ばれたから俺が先んじて来てみれば、どういう状況だ? これ」

 

 カガリの声にユウキが、「行きましょう」と促す。マキシはまだ諦めきれず、「親父が」と声を出した。

 

「俺は、ここで食い止める」

 

 その言葉にマキシは目を見開いた。

 

「でも、クレセリアは瀕死状態だ。戦えない」

 

「足止めくらいならば出来る。行け。そして、頼んだぞ、ユウキ。俺の息子を……」

 

 カタセの声が聞こえるか聞こえないかの瞬間、青いドラゴンタイプが飛び出した。高速で二体のポケモンが物理断層を抜けて屋上へと至る。マキシは屋上に着くや否や、既に戦意のないテクワとドラゴンタイプを操っているであろう女を一瞥し、地下の階層まで空いた穴へと駆け寄って声を発した。

 

「親父!」

 

 その肩へと手が置かれた。ユウキの手だ。

 

「お父さんの意思を、無駄にしちゃいけません」

 

 ユウキの言葉にマキシは歯噛みしてから、身を翻した。キリキザンを繰り出し、全員が屋上から飛び降りた。β部隊の本隊が来る前にここから脱出しなければならない。ユウキがバイクに乗り、その後ろにテクワが乗った。マキシは青いドラゴンタイプに乗って逃げる事になった。赤いドラゴンタイプの放った霧状の砲弾が前門を砕けさせ、ユウキの駆る漆黒のバイクがテクワを乗せて走り出す。

 

 マキシは離れていくプラントを見ながら熱いものが頬を伝うのを感じた。ようやく分かり合えたと思ったのに、このような別れが訪れるなど予想していなかった。

 

「……さよなら、親父。俺は、行くよ」

 

 マキシは涙を拭って前を見た。夜の帳が落ちたハリマシティを二体のドラゴンタイプと黒いバイクが駆け抜けた。それは明日への勇敢な一歩目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、カタセさん。あんたが裏切るなんてな」

 

 カガリは先に空間を引き裂いて現れたギラティナと共にカタセを見下ろす。ギラティナはこの世の理とは違う反転世界を行き来する事が出来る。瞬時の移動には最適だった。β部隊に伝令が来て五分以内、カガリは危険だと制止するサヤカの反対を押し切って、プラントの最奥まで来ていた。目の前にはカタセと満身創痍なクレセリアがいる。先ほどの様子から、敗北した事を推し量るのは難しくなかった。

 

「でもさぁ、息子だからって逃がしちゃう? 反逆者に加担しちゃうんだぜ?」

 

 カガリの挑発的な声に、「構わないさ」とカタセはいつもの落ち着いた調子で告げた。しかし、その言葉にはいつになく熱いものが宿っている。

 

「マキシのやりたいようにやらせられれば」

 

 カガリはその言葉に額を押さえて、「かぁー」と声を上げた。

 

「熱いねぇ。カタセさんらしくないよ。でも、ようやくそれが本性ってわけか。いいぜ? 俺も戦ってみたかったんだ。あんたとはね」

 

 ギラティナが戦闘態勢に入る。ギラティナが暴れれば恐らくクレセリアに勝つ術はない。殺してしまうだろう、という事に一瞬の苦味を感じたが、そのような瑣末にはこだわらないのが隊長である。ギラティナが声を上げようとすると、不意にその赤い眼が天上を仰いだ。

 

「何だ?」とカガリも空を眺める。青い月明かりが降り注ぐ中、一瞬だけ黒点が見えた。それが一気に近づいたかと思うと、青い推進剤の線を引き、噴煙を棚引かせながら黒い影が落下してきた。

 

 ギラティナとクレセリアの間に落下したそれの衝撃で粉塵が舞い上がる。カガリはその粉塵の向こうに黒い巨体を見た。仕舞い込まれていた脚部が現れ、丸太のような腕を引き出し、胸部にある絆創膏のような意匠が躍動する。全身の関節から蒸気を迸らせ、その巨体は身じろぎした。

 

 それは黒い身体をしていた。全身が塗り固められたかのように黒く、重々しいシルエットをしている。白い眼窩がギラティナを睨み、意思の光を宿していた。

 

「お前は……」

 

 知っている。自分はこのポケモンと、そのトレーナーを。

 

「ゴルーグ」とそのポケモンの背に乗っていた人影が名を呼んだ。ゴルーグは全身を軋ませながら轟音のような声を発する。ゴルーグの背後から現れたのは黒い眼鏡をかけた逞しい男だった。半年前とはいえカガリはその姿を覚えていた。

 

「半年振りだな。俺は、帰ってきた」

 

 その男は片手を翳し、カガリへと宣戦の声を発した。

 

「お前の相手はこの俺だ」

 

 

 

 

 

 

 

第七章 了

 



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第八章 一節「君がため」


 ヘキサ事件がカイヘンの人々に与えた打撃は大きい。

 

 きっと歴史の教科書にはそう載るだろう。

 

 ただの事実の羅列でしかない歴史には、その一行だけでも充分だ。しかし、そこに息づく人々の生命に関して言えば、一行ではとても語り尽くせない。

 

 エドガーもまた、その一行に集約される人生の中に放り込まれた人間の一人だった。

 

 両親はコウエツシティで働いており、NPO法人を設立し、ロケット団とディルファンスによる抗争でささくれ立ったカイヘンを癒そうとしていた。両親の、特に父親の発していた言葉の中にエドガーの内奥に響き渡った言葉があった。

 

 それは、「正義の心を忘れるな」であった。正義の心というのはたとえばテレビに映る稚拙なヒーロー番組の事を言っているのだと最初は思っていたが、エドガーはやがて正義の心を確信する人物と出会う事になる。幼少時には、まだその言葉の意味を完全に解するだけの能力はなく、ただ彼は誰も憎まず真っ直ぐな人間に育とうとしていた。

 

 それを歪めたのはヘキサ事件の余波がまともに襲ってきた時だ。NPO法人は当たり前のように立ち行かなくなり、財政は火の車、両親を慕っていた人々は一人また一人と消えていった。彼らがどうなったのか、行く末を案じる前に、エドガー本人にも危機は訪れようとしていた。

 

 カントー統括部隊によるカイヘンの事実上の鎖国、及び実質的支配は両親の事業を完全に逼塞させた。頭が挿げ変わる、などという生易しいものではない。文字通り激動の中をエドガーと両親は生きる事となった。コウエツシティ、その中でもF地区と後に呼ばれる場所に居住区を構え、彼らは貧困に喘ぐ日々を過ごす事となったのだ。しかし、エドガーはまだ厳格に教えを守るだけの精神状態を保っていた。正義の心を忘れるな、というのは人らしく生きろという意味も含んでいる事を彼は察し始めていた。現に両親はどれだけ境遇を貶められても人間らしさを失う事はなかった。それをエドガーは一種の誇りであるとさえ感じていたが、その幻想が儚く消え失せるのはそう時間がかからなかった。

 

 二年後、カントー独立治安維持部隊、ウィルが創設されカイヘン、ひいてはコウエツシティはより圧迫された政策を受ける事となり、F地区はその日暮らしの生活者が集まる寂れた場所と化していた。エドガーをスクールに通わせるだけの資金だけは蓄えから出していた両親もついに立ち行かなくなり、消費者金融に手を出した。母親はかつての生活を取り戻そうと勝手に株や投資話に乗っかるようになり、そこからは転がるように人生を転落していった。

 

 既に自分の状況が分かるだけの歳になっていたエドガーは両親に負担はかけまいとあらゆる事を我慢するようになった。しかし、両親は逆にそれが辛く見えたのだろう。エドガーが感情を押し殺す子供になる事をよしとしなかった両親は、自分達からの解放こそがエドガーが唯一自由に羽ばたける道だと確信した。

 

 ある日、エドガーが帰ると、天井からぶらんと二つの影が吊り下がっていた。まるで釣りに使う疑似餌のようだと感じながら、エドガーは朱色の光が射し込む部屋の中で十分ほど呆然としていた。やがてエドガーの様子に気づいた隣の住民が内部の様子に気づいて声を張り上げた。

 

「人が死んでいるぞ!」

 

 その声にようやくエドガーは気づいて周囲を見渡した。人死に、というものはもっと遠い異国の出来事のように感じていたのだ。それが目の前で、しかも自分の両親に降りかかろうなど夢にも思わなかった。エドガーは間もなくやってきた警察――ウィルのお膝元だが――から事情を聞かれ、何も答えられなかった。ただ、その時、エドガーは初めて人を憎んだ。目の前の事務的に質問を繰り返す警察官ではない。もっと大きなものがカイヘンを押し包み、両親の首を絞めたのだ。その大元を正さねばならない。

 

 エドガーはそう判断したが、その志を支持するだけの先立つものは何一つとしてなかった。一夜にして無一文と化したエドガーを引き取ったのはF地区の住人の一人でエドガー一家の隣に住んでいた夫婦だった。彼らもまたヘキサ事件による余波で人生を歪められ、F地区に身を落とす事となった存在だ。

 

 夫は労働者で妻は娼婦だった。エドガーは今までの人生とは正反対の地獄を見る事となる。限られた食事、女を目当てにやってくる客、やつれた頬、奈落のような黒い眼差し。エドガーはスクールに通う事はもうなくなっていたが、思い出したようにスクールの連中がやってきてエドガーを滅多打ちにした。憂さ晴らしのつもりだったのだろう。エドガーは理不尽な暴力にも晒される事となったのだ。

 

 どうして世界はこうも理不尽に回っている? エドガーは問いかけずにはいられなかった。どうして自分だけが、とは考えなかったのはせめてもの救いだ。彼は他にも苦労している人間は大勢見てきたので自分だけの不幸に陥る事はなかった。

 

 その代わり、彼の心はあらゆる人間の不幸を背負い込む事となる。正義の心を忘れるな、という言葉はやがて意味が変わり「弱い者を見捨てるな」という言葉と「強くなければ生きていく価値はない」という言葉に変換された。

 

 それはある意味では呪いだった。エドガーの生きる道、畢竟、強くなるしかないという目的に還元され、彼はひたすら暴力に酔いしれる青春を送るようになる。家に帰らない日々も多くなっていった。いつしか養父母は、彼の事を持て余すようになり、エドガー自身も誰一人として頼ってはいなかった。

 

 いつしか、エドガーの周りにはお互いに血に飢えた人々が寄り集まるようになり、エドガーを中心とした派閥が出来上がっていた。それをエドガーは心地よいとも、気分が悪いとも思わなかった。ただ、強い者に弱い者がへつらい、生きるのは当然の摂理だ。

 

 弱肉強食、正義の心は至極現実的な論理へとすり替えられた。エドガーの手持ちであるゴビットも、彼の意思を反映したように凶暴な性格へと変わっていった。エドガーはゴビットを手放す事はなかった。それは本当の両親から与えられたもので唯一残っているからでもあったが、力が全てであるエドガーからしてみれば力を手離してどうする、と言った理論であったからだ。それにゴビットは人工のポケモンであり、ほとんど餌代などの諸費用がかからない。その上強いというエドガーからしてみれば理想個体だった。エドガーを中心とする人々が集まる中、与しない人間がいた。

 

 エドガーとそう歳は変わらないのだが、BARコウエツに入り浸っている少年だった。エドガーはその少年と出会い、名を尋ねた。茶髪で髪を伸ばしているので余計に目についたのかもしれない。エドガーは喧嘩を吹っかけた。

 

「お前、どうして俺達に与しない?」

 

 エドガーの問いかけに少年はフッと笑みを浮かべた。仲間が、「何がおかしい!」と声を張り上げる。エドガーは片手を上げて制した。

 

「何がおかしい?」

 

 改めて自分の口から尋ねると、少年は、「そうだな」と声を発した。

 

「たとえば岩だ」

 

 告げられた意味が分からず、仲間が胡乱そうな声を出す。

 

「何言ってんだ、てめぇ――」

 

「俺はその他大勢に言っているんじゃない。お前に言っているんだ、中央のお前に」

 

 はっきりと放たれた声にエドガーは言葉をなくした。仲間も声を詰まらせている。少年は鳶色の瞳をエドガーに向けて、「いいか? 岩だ。イメージしろ。波打ち際の岩を」と続けた。

 

「岩は波によって削られていく。その原型を誰も知らないうちに薄めていく。しかし、岩は決してなくならないんだ。丸くなったり、尖ったりする事はあるだろう。しかし、波程度では本来の形状は失っても岩そのものを消し去る事は出来ない」

 

「何、言ってやがる!」

 

 食ってかかろうとした仲間を止めて、エドガーは呆然として口を開いた。

 

「それはカイヘンの事を言っているのか?」

 

 エドガーの言葉に少年は、ほうと感嘆した息を漏らした。

 

「やはり見込み通りか。お前は、頭がよく回る。俺の目に狂いはなかったというわけだ」

 

「お前の言葉は、カイヘンだけではないな。俺の事も言っているのか」

 

 エドガーの言葉に少年は応じず、「岩は」と話を続ける。

 

「尖りもする。丸くもなる。しかし、決して、根本だけは変わらない。岩は硬い。何よりも、硬い。それを自分自身が覚えている。自分自身が知っている」

 

 少年の言葉にエドガーは幼少期に教え込まれた正義の心を思い返した。自分の中に正義の心はまだ息づいているのか。脈動を感じたエドガーはそれが目覚めの兆候である事を察知する。

 

「俺の、事を……」

 

「調べたわけじゃない。ただ、お前は、F地区ではそれなりに有名だ。訊かなくても答えはやってくる。お前は燻り続けていいような人間じゃない。そうだろう?」

 

 少年は片手を差し出した。状況的に見れば、少年を取り囲んでいるのはエドガーの側であり、少年は圧倒的不利であるのだが、そのような状況とはとても思えない発言を少年は発した。主導権を握っているのは少年のほうだ。エドガーは口元を緩めて、「面白いな、お前」と言った。狼狽した仲間が、「エドガーさん。こんな奴に」と声を発するが、既にエドガーの興味は目の前の少年にあった。

 

「名は?」

 

「ランポだ」

 

 短く告げられた言葉をエドガーは何度も吟味した。

 

「ランポか。覚えておこう」

 

 その日からエドガーとランポは時折、BARコウエツで話すようになった。取りとめもない話から、カイヘンの行く末についてまで様々だった。その中でもランポはよくエドガーを評して、「頭のきれる男」と口にした。エドガーはまともにスクールを卒業したわけでもない自分に学などないと謙遜したが、「学じゃない」とランポは返した。

 

「それは品というものだ。分かるか? 生まれ持った品性に対して過程なんて問題じゃない。お前には品がある。だから、ごろつき共に囲まれていても、お前だけは違う。俺にはそう見えた」

 

 自分とほとんど歳も変わらない人間が自分を客観的に評価してくれる。奇妙な感覚だが悪くはなかった。エドガーは、「そんな事はない」と上機嫌で返しながらサイコソーダを飲んだ。自分はアルコールが飲めないのは早くに分かっていた。

 

 ランポと親交を深めていたそんな時だった。仲間の一人が、「ランポが気に入らない」と口走った。

 

「闇討ちしかけましょうぜ。あいつは弱そうだ」

 

 仲間の提案をエドガーはすぐさま却下した。あり得ない、と言い捨ててその仲間達とは縁を切った。元々あったのかどうかも分からない縁は簡単に切れた。しかし、エドガーはまだ甘かったのだ。その程度で今までやってきた事が消えるわけがない。力の証明は力でしか行えない。それは誰よりも理解していたはずだった。

 

 宵闇に紛れて、エドガーとランポを待ち受けている一団があった。かつての取り巻き達だった。報復に来たのだ、とエドガーは察した時急に恐怖に駆られた。こんなところで自分は死ぬのか、と。しかし、その恐怖を拭い去ったのはランポの一言だった。

 

「岩は、雨風に晒されても、荒波に呑まれてもその場から消え去る事はない。強固に自己を保つものなんだ。だから、岩がそこにあった事も、これからもそこにあり続けることも、おまえらに否定など出切るはずがない」

 

 ランポはドクロッグというポケモンを繰り出し、数十人に対して戦いを真っ向から挑んだ。エドガーもその勢いに背中を押されたようにゴビットを繰り出し、迎え撃った。その壮絶な戦いによってゴビットは進化してゴルーグとなり、全身傷だらけな二人と二体は寄り添いながら笑った。思えば笑った事などいつ以来だろう。エドガーは自分の生きる意味を見出しつつあった。

 

「俺は、リヴァイヴ団に入る」

 

 ランポがそう宣言した時、ならば自分はランポの下につくと当たり前のように言葉がついて出た。

 

「あんたほどの強さなら、部下なんて必要ないかもしれないが」

 

 エドガーの言葉にランポは、「俺は弱いよ」と返した。

 

「だからこそ、支えてもらいたい。それに今の俺に必要なのは部下じゃない。共に戦ってくれる仲間だ」

 

 ランポは一度として「部下」という言葉を用いなかった。ランポと同じ入団試験でエドガーはリヴァイヴ団に入り、早速ランポをリーダーに据えたチームを結成しようとした。二人では心許ない、とエドガーは仲間を探し回ったが、この街で一悶着起こしたエドガーに対してF地区以外の街の人間は冷たかった。毛嫌いしていたF地区の人々だけがエドガーの理解者であった。ある時、ランポが不意に口にした。

 

「家族にきちんと説明しておけ」

 

 エドガーは戸惑った。もう家族などいない、だからやさぐれていたのだ、と説明したが、ランポは頑として聞き入れなかった。

 

「いいから、家族に言うべき事を言っておけ」

 

 その段になってようやく、エドガーは養父母の存在を思い出した。ほとんど一年ぶりに訪れる養父母の家は相変わらず寂れていたが、エドガーはこみ上げてくる懐かしさを感じた。家に帰ると娼婦であった養母が温かい手料理で迎えてくれた。エドガーはそれを食べながら、自分はどうしてこの人達から距離を取ろうとしたのだろうか、と考えた。ここまで温かい人達に余計な不安を抱え込ませてしまった。エドガーはせめてもの罪滅ぼしとして金を支払おうとしたが、養父母は首を縦に振らなかった。

 

「そんなものはいいんだ。生きてさえいてくれれば」

 

 養父の言葉にエドガーは頬を熱いものが伝うのを止められなかった。言うべき事を言っておく。ランポの言葉に従い、エドガーはリヴァイヴ団に入った事と、もう二度と悲しませない事を誓った。養父母は温かく見送ってくれた。

 

「帰る場所はここにある」という声にエドガーは身も世もなく泣いた。その時にエドガーの内奥にあった正義の心は再び光を灯したのだ。闇の中で足元を照らす光のように、正義の心をエドガーは掲げた。

 

 後にミツヤが入り、ランポのチームは難物揃いのチームとしてリヴァイヴ団に認知される事となる。仲間との絆、それこそが正義の心を持って歩むために必要なのだとエドガーは理解していた。ユウキ達が入ってきた時、それが揺るがされるような気がしたが杞憂であった。むしろ、ユウキは再びエドガーにその心を自覚させるだけの材料をくれたのだ。かつてのランポと同じように自分を導いてくれる存在だった。

 

 だからこそ、エドガーは自分だけ生き残った事を悔いた。ミツヤを犠牲にして生き残った事。命を見捨てざるを得なかった事はエドガーにとっては何よりも重石として圧し掛かった。エドガーは宵闇に叫んだ。

 

「ゴルーグ! 俺達は戦うためにあそこにいたんだ! 違うか?」

 

 呻いた声は負け犬の遠吠えだった。ここで命を散らしても示しがつかない事は分かっている。エドガーはゴルーグに乗って飛んだ。どこまで行けばいいのか、まるで分からなかった。どこまで行っても許されないような気はしていたし、どこまで行っても答えが出ないような気もしていた。

 

 エドガーはリツ山に至った。八年前、ロケット団の基地が設けられていた場所である。エドガーはその裾野を見やり、鬱蒼と広がるロクベ樹海を見下ろした。ここで死ぬのも悪くない。そう感じたのも間違いではなかったが、何よりも恥があった。生き恥というものだ。ミツヤを見殺した恥を忍ぶために、エドガーは樹海の中を歩いた。

 

 三十六番特設道路には巨大な木々の根っこが張り出しており、道路は捲れ、人が歩く道とは思えなかった。その中を進むうち、エドガーは何かの匂いが鼻腔を掠めたのを感じた。久しく味わう事のなかった食料の匂いだった。しかし、このような樹海で誰が。エドガーはその疑問を感じつつも匂いの方向へと向かっていった。やがて不意に視界に入ったのは、一軒の木製の家屋だった。素朴な茅葺屋根でエドガーは違う次元に迷い込んだのかと錯覚したほどだ。しかし、匂いはそこから漏れている。エドガーはその家へと歩み寄り、玄関を開いた。

 

「ほう。これは珍しい」

 

 そう声を発したのは老人だった。中央にある釜の後ろに腰を下ろし、胡坐を掻いている。老人は黒装束で頭には頭巾を被っていた。エドガーは警戒しながら声を発する。

 

「あんたは……」

 

「勝手に訪れておいてあんたか。まぁ、いいだろう。旅の御仁かい? 見たところ相当疲れているようだが」

 

 エドガーは覚えず頬に手をやっていた。疲れが出ているのだろうか。連日ゴルーグに飛び回らせたせいかもしれない。樹海を歩く足も棒のようになっていた。

 

「来やれ。飯をちょうど作っていたところだ」

 

 老人が手招くがエドガーは玄関先から動かなかった。老人がその様子を見やってため息をつく。

 

「手負いの獣、というわけか。この距離でも分かる。お前さん、戦いを経験しているね」

 

 エドガーはより強く警戒した。老人は強い顎鬚を撫でながら、「それでも、ふむ」と頷いた。

 

「お前さんは何かしら辛い目にあったのだろう。まぁ、飯でも食え。そうすれば少しくらいは気が和らぐかもしれない」

 

 エドガーは抗弁の口を開こうとしたが、老人の厚意に結局は甘える事となった。何日も飲まず食わずで限界だった事もある。エドガーが釜を挟んで腰を下ろそうとすると、「ああ、ちょっと待って」と老人は埃を被った座布団を取り出した。外で軽く埃を払い、「どうぞ」とエドガーに手渡す。エドガーは、「どうも」と頭を下げて受け取った。座布団を敷きながら、「今日は卵粥だ」という声を聞いた。

 

「ちょうど多めに作ってある。まぁ、食え。うまいから」

 

 エドガーの茶碗を取り出してきて卵粥を注ぎ入れた。老人の手からそれを受け取る。湯気が立ち上る卵粥を見て、腹の虫が鳴った。

 

「身体は正直だ」と老人が破顔一笑する。エドガーは卵粥をかけ込むように食べた。

 

 ――生きている。

 

 その実感を噛み締めると散っていたリヴァイヴ団員達やミツヤの命が余計に自覚させられた。何故、自分だけが生き永らえたのだろう。エドガーは身体を折り曲げて声を押し殺して泣いた。老人は追及しようとせず、自分の分の卵粥を食べながら、「御仁。お代わりならあるぞ」とだけ告げた。

 

「……いただきます」

 

 エドガーは何度かしゃくり上げながらその言葉を発した。

 

 



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第八章 二節「老師」

 近づけば近づくほどに遠ざかる呼び水のように老人は不可解な人物だった。

 

 何故、ロクベ樹海に住んでいるのか。一泊の宿を借りた朝に、朝食の雑炊を食べながらエドガーは尋ねた。老人は、「そうさなぁ」と中空を見つめながら、「では、この世にあまねくポケモンは何故、存在している?」と尋ね返した。突然の質問にエドガーは面食らって、「いや、俺には」と言葉を濁す。

 

「それと同じだよ」と老人は告げて汁をすすった。

 

「収まるべきところに人は収まるものだ。ワシも然り、お前さんも然り」

 

 達観したような言葉に、「はぁ」と生返事を返す事しか出来なかった。エドガーは一宿一飯の礼として何か出来る事はないか、と尋ねていた。正直なところで言えば、逃げたかったのかもしれない。数多の命を見捨てたという現実から。老人は拒みもせず、「そうか」とだけ言って、「では薪運びと薪割りを頼もう」とエドガーに言った。自分にも出来る事があるのが今はありがたかった。

 

「あんたの事は、なんと呼べばいいだろう」

 

 エドガーの素朴な問いかけに老人は、「老師、とでも呼んでもらおうか」と口にしてにかりと笑った。エドガーは、「では老師」と呼ぶと、老師はとても満足そうに微笑んだ。

 

 エドガーはゴルーグを使って薪を一気に集めた。ゴルーグの頑強な身体と膂力があれば、二日や三日ほどの薪を集めるのは難しくなかった。しかし、老師はそれを戒めた。

 

「ポケモンを使う事を禁ずる」

 

 最初、言われた意味が分からなかったエドガーは、「どうして?」と聞き返す。

 

「そのほうが、効率がいい」

 

「効率云々の問題ではない。お前さん自身の問題だよ」

 

 エドガーは二の句を継げなかった。その日の薪割りはエドガー自身がやる事になった。三日分の薪を割るのは骨が折れる。エドガーは汗だくになりながら薪を割り終え、板の間に突っ伏していた。

 

「ご苦労さん。次は薪を火にくべてくれ」

 

 老師の指示に、「分かった」とエドガーは起き上がった。エドガーを横目にしながら、「休まないのか?」と老師は尋ねる。エドガーは顔を振り向けて、「今、あんたが命令しただろう」と口にする。老師は、「それだよ」と指差した。

 

「それ、というのは?」

 

「お前さん、一宿一飯の恩くらいでそこまでやるんだ。きっと、誰かに仕えている時にはもっと無茶しただろう」

 

「無茶なんて」

 

 エドガーはランポの事を思い返す。ミツヤ達の顔が浮かびかけて頭を振った。

 

「した事がない。俺は、俺の出来る事をしているだけだ」

 

 エドガーの言葉に老師は、「ふぅん」と神妙な声を漏らす。エドガーは薪を火にくべながら、「いつからこんな生活を?」と話題を逸らすために訊いていた。

 

「もう八年ほどだな」

 

 老師は米をとぎながら答える。八年、という月日にエドガーはヘキサ事件との関係を疑わざるを得なかった。

 

「それは、何かあったのか……」

 

「そうだな。人間爆弾にされかけた」

 

 放たれた言葉にエドガーは心臓が収縮したのを感じた。息を詰まらせて老師の顔を見やる。老師は肩を竦めた。

 

「知らぬうちに」

 

「じゃあ、あんた、あの場にいたのか」

 

「あの場って言うのは空中要塞の事か」

 

 米をとぐ音を響かせながら老師は聞き返す。エドガーは火を起こしながら頷いた。老師は目を細めて遠くを眺めた。

 

「そうさなぁ。ワシは元々、あの街で生活していたからな」

 

「タリハシティ、か」

 

「今はない街だ。カイヘンの民はその名前を出す事を嫌うだろう。記憶の中から追いやりたいのさ」

 

 老師の指摘にエドガーは沈黙を返した。タリハシティにいたという事は空中要塞ヘキサにおける戦闘を見たのだろうか。エドガーは尋ねてみたい気がしたが、同時に聞いてはいけないような気がしていた。

 

「ほれ。今日はオニスズメの山賊焼きだ」

 

 既に皮を剥いであるオニスズメを三匹分、老師は寄越した。

 

「どこからこんな……。ポケモンもなしに」

 

「運んできてくれる奇特な奴がいるのさ」

 

「この樹海にか?」

 

「そうとも。三十六番特設道路を使ってな」

 

 にわかには信じられない話だったが、エドガーが薪を取ってきている間にでもその来訪者はあったのかもしれない。エドガーはオニスズメをさばいて、山賊焼きをこしらえた。

 

「慣れているもんだな」

 

 その手つきを見つめていた老師が口を挟む。

 

「昔、自分一人で生きていかなくちゃならない時があったからな」

 

 養父母に預けられた当初、エドガーは自分でやらねば誰もやってくれない事を痛感して、料理を学んだ。長らく使っていなかったが、それでも手先はなまっていなかったらしい。

 

「そうか。なるほどな」

 

 老師の納得を他所にエドガーは山賊焼きを作っていた鍋を開けて、白米の鍋を置いた。老師が快活に笑う。

 

「これでワシがしばらくは料理する必要はなさそうだな」

 

 エドガーはいつまでここに置いてもらおうか考えていた。何かしらの口実を作ってしばらくは人里離れた場所にいたいと思っていたので、老師の言葉は渡りに船だった。

 

「ここに、置いてもらえるのか?」

 

 老師は煙管を吹かしながら、「まぁ、お前さん次第だが」と前置きする。

 

「いたいだけいるといい。ワシの手伝いもしてくれると助かる。何分、老人の隠居暮らしだ。孤独死は、ワシゃ、怖いからな」

 

 何も恐れていないような口調でよく言う、とエドガーは呆れながら煙管がくゆらせる紫煙を眺めていた。

 

「感謝する」

 

 エドガーが佇まいを正して頭を下げると、「やめるんだ」と老師は幾分か冷静な声で告げた。

 

「お前さんには、そういうのは似合わないっていうのが見りゃ分かる。本当に仁義を通そうとする相手以外には、決して心を開かない性質だろう」

 

「少なくとも恩義は感じている」

 

「一宿一飯だ。そう重く感じ取る必要はないさ。ワシの仕事には力仕事も入っている。それを手伝ってもらえると助かるがな」

 

「力仕事?」

 

「お前さんが薪を取ってきている間に今日の分は済ませた。まぁ、残りは明日なんだが、米が炊けるまでに見ておくか?」

 

 老師は立ち上がり、指先でエドガーを手招いた。エドガーも立ち上がってそれに続くと、家屋の裏庭に出た。裏庭の奥まった場所に地下に潜る階段があった。エドガーが怪訝そうな眼差しを送りながら階段を降りる老師の背中を追う。地下からむんとした熱気が立ち上り、エドガーは額に浮いた汗を拭った。

 

「これは、何だ?」

 

「見りゃ分かるさ。なに、もうすぐだ」

 

 老師の言葉通り、階段を降りてしばらく突き進むとすぐに答えが見えた。赤い景色だった。現れたのは巨大な設備だ。ゴゥンゴゥンと腹の底に響く音程が一定して鳴り響く。エドガーは手を翳し、「これは……」と呟いた。

 

「ロケット団がかつてこの地に基地を築き、リツ山を中心に拠点を設けていた事は知っているな?」

 

 エドガーにも聞き覚えがあった。今はほとんどの設備が解放されているが、山一つを基地にしていたと。エドガーが呆然と頷くと、「その名残だ」と老師は口にした。

 

「これは反対側のヤマトタウンに熱を放出する仕組みになっている。だがそちら側からは入れない」

 

「何なんだ? これは」

 

「製鉄所だ」

 

 放たれた言葉が信じられずエドガーは目を白黒させた。

 

「製鉄所? だが、製鉄には豊富な水源とまず鉄を採るだけの巨大な設備が――」

 

「よく知ってるな。跳ね返りの癖に」

 

 エドガーが閉口すると、老師は、「まぁ、そうだ」と答えた。

 

「鉄は採れる。鉱脈があるんだよ、リツ山には。鉄を冷やす設備も、循環機能も整っている。ロケット団が全部やりやがったんだ」

 

「ロケット団の、設備だって言うのか」

 

 エドガーが呆然と呟くと、「まぁそうだな」と老師は頷いた。ロケット団は人工破壊光線などの兵器に着手していたという。鉄は確かに必要だっただろう。しかし、それを自分達でまかなっているとは思わなかった。

 

「カイヘンには製鉄所がいくつもあるだろう?」

 

 カイヘンはそのために諸外国から重宝されていた節がある。製鉄による一大産業を興し、地方の活性化を狙っていた。そこにロケット団が介入し、残党勢力として纏っていったのだ。製鉄事業は地下組織を招き入れる温床になっていたのである。

 

「その中でも、これは極秘とされていた製鉄所だ。ロケット団が手間を省くために造ったんだろうな」

 

 老師の推論に、ではどうしてこのような設備がまだ動いているのか、とエドガーは疑問を感じた。その疑問の眼差しを感じ取ったのか、老師は、「何で動いているのか、理解出来ないだろう」と口にする。

 

「ああ。ロケット団はカイヘンでは壊滅した。残った拠点は全部カイヘンに還元されたはずだ」

 

「その中でも還元されなかった部門だ。ワシはちょうどいいからここで自分の生業とする商品を作っている」

 

 老師が機器の一つに歩み寄り、今しがた冷却されたばかりの煙が棚引く何かをエドガーに見せた。エドガーはそれを視界に捉え、驚愕に目を見開く。

 

「黒い鉄球だ。ワシは鉄球職人。以前は鉄球を作る事は公に認められて大きな会社も持っていたんだが、人間爆弾にされた事で会社はパーになっちまった。今はワシではない別の人間がやっている」

 

 老師の告白にエドガーは戸惑っていた。では、老師は一人でこの樹海で人知れず黒い鉄球を作ってきたというのか。半ば信じられず、「そんな話が」と否定しようとすると、「信じられないのも無理からぬ事よ」と老師は先んじて口にする。

 

「だがな、事実として黒い鉄球を生成する人間がいて、ワシはこの地、カイヘンで唯一黒い鉄球の生成方法を伝えている人間なんだ。覆せない現実ってもんがあるだろう?」

 

 老師の問いかけにエドガーは閉口していた。老師は出来上がったばかりの黒い鉄球を指差して、「お前さん、腕っ節には自信あるか?」と訊いた。エドガーは戸惑いながらも頷く。

 

「それなりには」

 

「じゃあ、明日から冷やした黒い鉄球を運ぶ任も帯びてもらおうか」

 

 老師はにかりと笑った。エドガーは信じられない心地で黒い鉄球を生成し続ける装置を眺めた。腹の底に響く重低音が波打ち際のように何度か木霊した。

 

 



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第八章 三節「自分の価値」

 老師を頼ってくる人間があった。

 

 三十六番特設道路を行くのはタイヤのような鼻筋を持つ二体のポケモンだった。

 

 体表に溝が刻まれており、黒い鼻筋以外は灰色で一対の角を有している。ドンファンと呼ばれる二体のポケモンは内側の赤い耳を垂らしながら、度々吼えている。トレーナーと思しき男は長身の紳士だった。

 

 名前をヤサブロウというらしい。老師とのやり取りの中で、彼がいわば黒い鉄球のディーラーである事が窺えた。黒い鉄球を運ぶ作業にはエドガーも手を貸した。今までドンファンに引きずらせていたらしい。

 

 ドンファンは優雅に長い鼻を傾け、反らしながら気苦労が減ったとでも言いたげである。二体のドンファンは後輪を有した工業用の運搬車の前衛を務めている。運搬車の荷台へとエドガーは自分の力で黒い鉄球を運んだ。ポケモンを使う事を禁ずる。その約束を果たしていたのだ。エドガーは何往復かして黒い鉄球一ダースを運び終えた。その頃には汗だくになっていた。

 

 樹海の木々の隙間をついて鋭い日差しが差し込んでくる。まだ夏が到来したばかりだ。それを今さらのように思い出す。この一週間あまり、まともに身体を休めていないせいか、季節に鈍感になっている。老師は軒先に座って扇子で風を扇いでいた。その様子を見咎めようとすると、「あの人はいつもああなんだ」とヤサブロウが告げる。

 

「あなたのような若い力が老師の下に来てくれて本当に助かっています。老師もお礼が言いたいはずです」

 

 不思議な事にヤサブロウも老師の本名を知らないようだった。ひょっとしたら会う人間全員に老師だと名乗っているのかもしれない。だとすれば食えない老人だ、とエドガーは感じて横目に視線を流す。老師は口笛を吹いて鳥ポケモン達を集めようとしている。

 

「実際、あの人は何なんだ」

 

 エドガーの言葉にヤサブロウは爽やかに微笑みながら、「老師ですよ」と応じる。

 

「それ以上でも以下でもないです」

 

「俺からしてみれば、答えのない迷宮に誘い込まれたようだ」

 

 エドガーにヤサブロウはサイコソーダの缶を手渡す。サイコソーダを見やり、故郷であるコウエツシティのBARコウエツが一瞬だけ過ぎったが、それを振り落とすようにエドガーはプルタブを開けて中身を呷った。それを見やったヤサブロウが、「おっ、いい飲みっぷり」と朗らかに笑む。この紳士にはどうやら笑顔がよく似合うらしい。客商売をしているせいもあるのだろう。対照的にエドガーは仏頂面だった。

 

「酒は飲むのですか?」

 

「いや、俺は下戸だ。ビールで吐く」

 

「私もそう得意じゃないんだけど、やっぱり人付き合いで」

 

 サイコソーダをちびちびと飲みながらヤサブロウは苦笑した。エドガーは胸に「R」の反転したバッジをつけている事に気づいた。リヴァイヴ団だとばれるか、と思っていたが、ヤサブロウは気にする素振りはない。もしかすると、分かっていて黙っていたのかもしれない。

 

「新都でリヴァイヴ団とウィルの抗争があったです。知っていますか?」

 

 そう尋ねられた時には心臓が口から飛び出しそうになった。エドガーは当事者である事を隠しながら、「そうなのか?」と平静を装って聞き返す。

 

「そう。存外派手にドンパチがあったみたいなんです。そうだ、老師にもこれを教えなくっては」

 

 ヤサブロウは老師の座っている軒先へと駆け寄って手を振った。老師が扇子を持っている片手を上げる。エドガーは運搬車の前衛となっているドンファン二体を撫でた。ヤサブロウのドンファンは随分と気性が大人しい。見ず知らずのエドガーが撫でても吼える事はおろか、抵抗する感触もない。エドガーは牙に触れる事はさすがに抵抗があったが、溝の刻まれた表皮を撫でる。凹凸が立派につけられており、育て上げられている事が分かった。

 

「お前らの主人は、さぞ大切にしているのだろうな」

 

 ドンファンに語り聞かせながらエドガーは老師とヤサブロウを見やる。不意に命令を無視した自身のポケモンであるゴルーグの姿が像を結び、エドガーは、では自分は? と問いかけていた。

 

 自分はポケモンとの理想的な関係を築けているのだろうか。いつの間にか押し付けがましく戦う事だけを強制してきたのではないだろうか。ヤサブロウとドンファンのように戦い以外に育て上げられたポケモンと人間の関係を見せつけられると考えてしまう。戦う事だけがポケモンとトレーナーの関係ではない。しかし、自分は戦う事でしかゴルーグに何も返せない。ゴルーグと共有出来ない。エドガーはホルスターに指を触れさせた。ゴルーグともう一体、ミツヤに託されたポケモンであるポリゴン。これをどうしろと言うのか。自分には過ぎたるものだ、とエドガーは自嘲する。

 

「エドガーさん。来てくださいよ。あなたも下界の様子は知りたいでしょう?」

 

 ヤサブロウが気さくに声をかけてくる。どうやらエドガーを老師と同じ類の、樹海から出ない人間だと思い込んでいるらしい。それはそれでいいか、とエドガーは割り切って、「何か?」と訊いた。ヤサブロウは少し不服そうに腰に手を当てている。

 

「老師が信じないんですよ。リヴァイヴ団とウィルが激突したって」

 

 エドガーは覚えず胸元のバッジを握り締める。言うべきだろうか、と逡巡していると、「下界の噂はどうも真実味がなくっていけないな」と老師は煙管を吹かした。

 

「ワシを信じ込ませたきゃもっとマシな話を考えつくんだ」

 

「事実は小説より奇なり、って言うでしょう? 老師がロクベ樹海に篭っておられる間にも世相は移り変わっているんですよ」

 

「そういうもんかねぇ。ワシはそのリヴァイヴ団とかいう組織だって信じちゃいない。ウィルは辛うじて信じるがね」

 

「どうしてそう意固地なんですか。リヴァイヴ団の活動を毛嫌いなさっているんですか?」

 

「あるべきカイヘンねぇ」

 

 老師はそこで鼻を鳴らした。

 

「そんなもんはあるか。あるべきカイヘンって時点で、もうそれは集団の意思じゃないだろう。個人の意思だ。あるべきって誰が規定したんだ? もう頭目の言いなりじゃないか」

 

 そんな事はない、とエドガーは口を挟みたかったが、ぐっと言葉を呑み込んだ。ランポや自分のようなはぐれ者はそこに流れ着くしかないのだ。ユウキのように本気で変えようとしている人間もいる。それを鼻で笑うのだけはやめて欲しい。しかし、エドガーは言い出せない。ここを追い出されれば本当に居場所がなくなってしまう事を本能的に察知しているのだ。小賢しい自分に嫌気が差す。

 

「そういえばリヴァイヴ団のボスが出てきましたね。確かランポと名乗っていましたか」

 

 ヤサブロウが顎に手を添えて、神妙な顔つきをした。

 

「何だ? 妙な顔をして」

 

「いや、結局演説は失敗に終わったっていうのが政府の、というかウィルの見方なんですよね。まぁ、あの演説に賛同する人間は少ないでしょう。私もリアルタイムで観ていましたが、あれは一種のショーだ。八年前のヘキサ事件の宣戦布告に似ていましたが、八年前よりも子供じみている」

 

 ヤサブロウが首を振る。直後、ヤサブロウは不意に口を噤んだ。八年前のヘキサ事件の事を口に出したからだろう。老師がその被害者である事はヤサブロウも知るところになっているのだ。老師は何も言わなかった。やめろ、とも、違う、とも言わない。老師からしてみれば些事なのかもしれない。エドガーはそう感じた。当事者である自分だけがこの場で肩身の狭い思いをしている。老師は、「ワシゃ、鉄球が造れればいいんだ」と独り言を呟いた。

 

「ワシの鉄球が何も変えられなくってもいい。ただ造り続ける事だけが、ワシに与えられものだからな」

 

 老師の物言いにエドガーは何かを言い出したくなったが、ヤサブロウが、「毎度お世話になっております」と謝辞を述べた。

 

「よせよ。きちんと生活も出来ているんだ。礼を言うのはこっちさ」

 

 どうやらヤサブロウがこの樹海まで食料を持ってきているらしい。黒い鉄球の報酬は食料と下界の情報である。煙管の紫煙を棚引かせながら老師は息をついた。ヤサブロウが時計に視線を落とし、「そろそろ戻らねば」と立ち上がる。

 

「エドガーさん、老師の事をよろしくお願いします」

 

 別れ際、エドガーはそう言われて戸惑った。昨日今日現われた人間に頼んでいいのか、と逆に質問すると、「いいんです」とヤサブロウは告げた。

 

「老師はあんな人ですから、心根が曲がっている人間は決して近くに置きません。あの人がまだ心を許している。それがあなたを信頼する第一の理由です」

 

「随分と安い理由もあったものだ」

 

 エドガーの言葉にヤサブロウは微笑んで、「全くですね」と返した。

 

「でも老師の事、頼みます。私はこのままヤマトタウン方面に出ますから。あっ、これ。もしもの時の私の電話番号です」

 

 ヤサブロウがポケッチを翳す。番号を交換してから、「老師は?」と尋ねた。ヤサブロウは首を横に振る。

 

「老師はポケモンを持っていませんからポケッチもありません」

 

「どうして? だって黒い鉄球はポケモンの道具だ」

 

 エドガーが記憶している限りならば、黒い鉄球は持たせたポケモンの重量を底上げし、動きを鈍らせる道具である。飛んでいるポケモンや浮遊状態のポケモンにすら効果があるほどに重い道具だ。ヤサブロウは、「老師はポケモンが怖いんです」と潜めた声で口にした。

 

 どういう意味なのか、と問い質そうとしたところ、「おい!」と老師がエドガーを呼びつけた。

 

「夕食の準備をする。昨日取った薪をくべろ」

 

 老師の言葉に遮られる形になってヤサブロウとエドガーは会話を切り上げた。ヤサブロウが運搬車に乗り込むと、前衛のドンファン二体が身体を丸まらせて鼻筋を返す。ホイール形態になり、三十六番特設道路を踏み砕いていった。ポケモン二体分の膂力ならば、普通の運搬車では立ち往生してしまう重量も悪路も物ともしないだろう。その後姿を眺めながら、「黒い鉄球はああして売られていく」と老師が扇子を畳んだ。エドガーは口を開く。

 

「どうして金品を受け取らない?」

 

「この深い森の中で、金なんて真っ先に役に立たないだろうが」

 

 言えている、とエドガーは頷いた。しかし、だとすれば老師はこの森から出る気はないのだろうか。夕食の準備をしながらそれとなく聞いてみた。

 

「老師。あんたは下界に行こうとは思わないのか?」

 

「思わんな。行ったところでワシの出る幕はないて」

 

 老師の前に鳥そぼろ丼を置く。老師は、「おう」と頷いて箸を取った。

 

「出る幕がないとは」

 

 エドガーも箸を取り、「いただきます」と二人同時に口にした。

 

「黒い鉄球そのものが、もう時代遅れの産物だ。カントーやイッシュならもっとうまく産出する方法を知っている。黒い鉄球とはいえ、廉価で手に入るものもあるからな」

 

「そうだと知っているのならば何故」

 

 エドガーは聞かずにはいられなかった。老師は無駄だと知っている事をやっているのか。エドガーの言葉にしばしの間を置いてから、「老人の趣味だ」と老師は口を開いた。

 

「だから若いもんには分からん。この世を諦観した男の末路が作り出す商品なんて買い手がつかんからさ」

 

「だが、現に黒い鉄球は価値を出し続けている」

 

 味噌汁をすすりながら老師は首を横に振った。

 

「あれの価値なんてもうないさ。それに産み出すのはロケット団が使っていた設備だ。火事場泥棒みたいなもんだよ、ワシはな。使われなくなった事をいい事に勝手し放題だ」

 

「俺にはあんたがそう勝手をしているようにも見えない」

 

 エドガーの言葉に一瞬だけ箸が止まったが、「それはお前の審美眼が曇っておるんだよ」と老師は告げた。

 

「嫌気が差したのならいつ出て行ってもいい。ワシは困らん」

 

 ヤサブロウがいるのならば自分は不要だろう。しかし、エドガーは離れようとはしなかった。この老師から自分は学ぶべきことがあるのではないか。本能的に感じた何かに衝き動かされるようにエドガーは、「退かない」と口にしていた。

 

「ほう」と老師が眉を上げる。エドガーは、「見極めたいんだ」と続けた。

 

「見極める? それは何を?」

 

「自分の価値、みたいなものか」

 

 呟いてみても漠然としていて答えとは言えない。しかし、エドガーの言葉を是とも否とも取らない老師の態度にエドガーは満足していた。自分を試したい。故郷を離れ、慕っていた人間の下も離れ、仲間からも離れた自分に何が残っているのか。エドガーは味噌汁をすすり、深く瞑目した。

 

 



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第八章 四節「惑い人」

 

 ゴルーグで集めた薪は三日で尽きたので、エドガーは自分の手足で薪集めに奔走し、片や黒い鉄球の運搬を手伝い、ヤサブロウの話す下界の様子を聞いた。

 

 ゴルーグを出さない日常はいつしか生活と一体化していた。

 

 戦いのない日常。ありえたかもしれない平和な日々。それを今、エドガーは消費しているのだと感じていた。今までの貯金が貯まっていたのか、平和な日々には特別な事は何一つとして起こらない。朝靄と共に起きて、暗くなれば就寝する。自然と一体となって、エドガーは穏やかな日々を手に入れた。しかし、頭の片隅にあるのはいつでもランポやミツヤの事だ。ミツヤはあの後どうなったのか。ランポはどのように事態を収束させたのか。老師が聞きたがらない代わりに、エドガーはヤサブロウの話す下界の情報に聞き入った。あの後の情報が少しでも欲しい。何のためになるのかは分からない。しかし、必要に迫られているように感じた。

 

 ヤサブロウの言葉によれば、リヴァイヴ団は消滅したと言う。その言葉を聞いた時にはさすがに絶句した。

 

「消滅……」

 

「そう。正しくはウィルによる統治が百パーセント成功したという事なんですけど、あまり実感はないですね。ヤマトタウンの方面にはリヴァイヴ団とウィルの抗争は縁遠いものだったんで」

 

「そう、か……」

 

 ではランポは? ミツヤはどうなった? 急かすように訊きたい衝動をぐっと抑え込み、「頭目は?」と冷静に聞く事が出来た。ヤサブロウが、「それがお咎めなしらしいですよ」と潜めた声で告げる。老師は扇子で自分を扇ぎながら、興味がないのか空を横切る鳥ポケモン達に手を伸ばしている。

 

「お咎めなし?」

 

「そう。それどころかウィルの中でも特殊な部隊に入ったとか。ここから先の情報は一般には流れてきませんけどね。生きている事だけは確かみたいです」

 

 それを聞いて少しだけホッとした。ランポが生きている。ならば持ち直す可能性もあるのではないか、と考えたが、甘く浮かんだ考えを否定する言葉が響いた。

 

「でも、リヴァイヴ団はウィルによってほとんど壊滅。頭だけ残ったってどうするんだか」

 

 それは一般大衆からしてみればそうだろう。しかしリヴァイヴ団という一組織に身を置いていた人間としてみれば穏やかではない。ランポは生きて、どうなるのだろうか。ウィルによって拘束、ありえない話ではない。浮かんだ思考を振り払うように、エドガーは額に手を当てて頭を振った。

 

「ウィルは、次に何を……」

 

「さてねぇ。ただ明らかになっている事実が一つだけありますけど」

 

「それは」とエドガーが問い詰める。ヤサブロウはエドガーに対して、「それがね」と潜めた声を出した。

 

「反逆者がいるみたいなんですよ。ウィルのα部隊を下して、カイヘンに仇なす敵が。ウィルはそれを追う事でリヴァイヴ団残存勢力と合意。リヴァイヴ団は出せる情報を出し惜しみせずに反逆者の追跡に決めたみたいです。まさしく世界の敵というわけですね。何だかロケット団とヘキサの再現みたいで私達はあまり好ましく思えないんですが……」

 

 濁した言葉の先を聞く必要があった。

 

「その、反逆者っていうのは」

 

 ヤサブロウはちらりと老師を見やってから、「ユウキです」と告げた。

 

「反逆者、ユウキ。それこそウィルが追う世界の敵です」

 

 その言葉がにわかには信じられなかった。ユウキが? 何故? 認める云々の前に思考が追いつかない。

 

「ウィルの隊長格がやられたらしいですよ。ウィルは士気に関わるといって伏せていますけれどネット上ではバレバレですね」

 

 ヤサブロウは両手を開いてみせる。エドガーはしばらく硬直していたが、やがて口を開いた。

 

「本当に、反逆者の名前はユウキだと?」

 

「ええ。レナ・カシワギなる人物を人質にして逃走中との事です。まさかこの樹海までは来ないと思いますが、一応、エドガーさん、老師を頼みます」

 

 エドガーの腰にあるホルスターのモンスターボールに視線を落としながらヤサブロウはこぼす。エドガーは目を見開いたままわなわなと震わせた。老師はと言うと端から話には興味がないのか口笛を吹いている。エドガーは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。ヤサブロウはこう続けた。

 

「広域指名手配されているのでカイヘン中じゃ居場所がないはずなんですけどね。まだ見つからないみたいです。こういう人気のない場所に逃げてくる可能性も視野に入れて、今、ウィルが監視の目を光らせているみたいですよ」

 

 ヤサブロウの言葉をエドガーは話半分に聞く事しか出来ない。ユウキが、自分と絆を交わし合った相手がそのような卑劣な真似に及ぶはずがない。その確信はあったが、しかし、エドガーは口には出来ない。ヤサブロウが帰ってから、老師へと声を振り向けた。その声音が微かに震えている。

 

「老師。俺は、どうすれば……」

 

「お前さん、ヤサブロウの話にあった奴とは知り合いなのかい?」

 

 その質問に答えるのには数秒を要した。一つ息をついて、「仲間だ」と答える。老師は頷いて、「なるほどな」とシソ粥を自分の茶碗に盛った。エドガーは夕食が喉を通る気がしなかった。エドガーが立ち竦んで柱を握り締めていると、「そんな事をしたところで何が変わるわけでもあるまいし」と老師が口にした。

 

「仲間だって言うんならなおさらだ。今はまだ、動いたって仕方がない。分かっているんだろう?」

 

 老師の目がゆっくりと茶碗からエドガーへと注がれる。老師に言われて初めて、何故、自分が戸惑っているのかの正体がはっきりした。自分は仲間を救いたいだけではない。勝てなければ意味がない事を知っているのだ。勝てなければ、またミツヤの時と同じような苦渋を噛み締める事になる。老師は、「気張って待て」と告げた。

 

「お前さんの今の迷いの胸中じゃ、まともな戦力にもなるまいて。大きな力に呑まれるのがオチだ」

 

 大きな力、という言葉に無条件にギラティナの威容が思い浮かんだ。一矢報いる事も出来なかった相手。自分とゴルーグが同時に敵わないと認識した相手だ。敵前逃亡の醜態を晒している。エドガーは恥じ入るように顔を伏せた。

 

「俺は、何も出来なかったんだ……」

 

「何も出来なかった事を知っている、悔いているという事は何かを成せるだけの器量も持っているという事だ。ワシはおべっかもお世辞も言うつもりがないからはっきり言わせてもらうぞ。お前さんの今の心では、決してその力には勝てん」

 

「やはり、俺が未熟だから――」

 

「話は最後まで聞け」

 

 老師が箸でエドガーを指差す。

 

「今は、と言っただろう」

 

 その言葉にエドガーは思わず踏み出した。

 

「今じゃなければ、いつかは勝てる機が来るという事なのか?」

 

 逸る気持ちを抑えながらエドガーは老師へと詰問したが、老師は首を横に振るばかりだった。

 

「分からん。お前さんが真に何に勝ちたいと願っているのか」

 

「それなら俺が知っている」

 

 エドガーは胸元に手をやった。胸元に反転した「R」の教示がある。小さなバッジだが、エドガーはそれに自分の全てを賭けてもいいと感じていた。

 

「俺は組織に忠義を尽くすと誓った。でも、それは同時にある人への忠義でもあった。その人が惑っているのならば俺は救いの手を差し伸べねばならない」

 

「しかし、お前さんもまた、惑い人だ」

 

 老師の淡々とした声音にエドガーは言葉をなくした。老師は全てを分かっているかのように頷く。

 

「好きなだけここにいろ。まだ、その時ではない」

 

「じゃあ、いつがその時なんだ!」

 

 エドガーは柱を殴りつけた。焦燥が胸を焼く。今動き出さなくていつ動くというのだ。ランポの消息も分からず、ユウキは反逆者。このような状況で自分が動かなくって誰が――。陥りかけた思考の迷宮に、「これ」と老師が口を挟んだ。

 

「そう物事を狭く考えるもんじゃないよ。それに柱を叩くな。この家はそうじゃなくっても脆いんだ」

 

「老師。あんた、俺を引き止めるだけ引き止めて、何がしたい」

 

 眼鏡越しに睨む目を寄越す。しかし老師は怯む様子もない。

 

「あんたの本当の目的は何だ?」

 

 問い詰めた声に、「目的、ねぇ」と老師は顎鬚をさすった。

 

「特にないな。黒い鉄球を運ぶ人員が減るのは、今は好ましくない。その程度か」

 

「そんな理由で、俺をこの場に!」

 

 何もないこの場所に引き止めようと言うのか。エドガーは身を翻そうとして、「まぁ焦るなよ」という声が背中にかかった。

 

「お前さんはあれだな。すぐに判断を下したがるな」

 

 エドガーは扉にかけた手を強張らせて、「当たり前だ」と吐き捨てる。

 

「仲間だと言った。大切な人だと言った。守りたいものだと言った。だというのに、あんたは何の権利があって俺を止めようとする?」

 

「権利?」

 

 老師はエドガーの言葉を繰り返して、「ふむ」と自分の中で咀嚼しているようだった。老人の理解に合わせていれば腐り落ちるのを待つばかりだ。エドガーは足を踏み出そうとして、「一宿一飯だ」と告げる声に引っ張られた。

 

「何だと?」

 

 振り返ると、老師は真面目腐った顔で、「一宿一飯の恩義」と口にする。

 

「お前さんはそれを感じていた。ここにいてもいいのか? とも聞いた。一種の契約だ。ワシとお前さんの契約。ワシはお前さんを労働力として使う。その契約を勝手に反故にされては堪らん」

 

 エドガーは拳を握り締めて、歯を食いしばる。

 

「ふざけるな。誰がそんな……」

 

「少なくともワシはちゃんと聞いたぞ」

 

「隠居老人の世迷言など!」

 

 口走った声に老師は何度か頷いてから、「しかし約束は約束」と告げる。

 

「果たしてもらおう。それにお前さんにはポケモンの使用を禁じている」

 

「口約束だ」

 

「しかし、一度守った誓いを、お前さんは勝手に破るのか? そこまで薄情ではあるまい?」

 

 老師はエドガーの心を完全に理解しているかのようだった。簡単には裏切れない。それを分かっているのか。分かっていてこのような言葉を口にしているのか。エドガーは頬を震わせて呻り声を発する。

 

「やはり、獣だの」

 

 老師はその様子を面白がって茶化した。エドガーからしてみれば笑い事ではない。

 

「俺を嘗めるな! 行け、ゴル――」

 

 ホルスターに手を伸ばしかけて、エドガーはその手が抜けない事に気づいた。老師が片手を開いてエドガーの手を掴もうとしている。その手が握り締められると、きりきりと手首を万力がひねるような痛みが走った。

 

「何、を……」

 

 苦悶の表情を浮かべながらエドガーが口にすると、「だから守れと言うとるに」と老師が言った。

 

「お前さんはワシに言われた次の瞬間からポケモンを使う事は出来んのだ。それはお前さんをワシが交わした契約だろう」

 

 老師が手を拳に変える。エドガーの手がきつく締まった。エドガーが覚えず手を開き、呻き声を漏らす。その場に膝をついたエドガーへと老師は神託のように告げる。

 

「ここではポケモンは使えん」

 

「……何の真似だ。妖術など」

 

 エドガーの言葉に老師は目を見開いて快活に笑った。心底可笑しいと思っているような笑い方だった。

 

「妖術など、時代錯誤だの」

 

「あんたに言われたくは――」

 

 ない、と発しようとした矢先、老師は急に目を細めて、「傷を癒すのもまた戦い」と口にする。

 

「言ったろう。今のお前さんは手負いの獣だと。手負いの獣のままで、どうやって敵の喉笛に噛み付くというのだ。決死の覚悟? その意気やよし。しかし、その後に息絶えるのでは、あまりにも儚く虚しくはないか?」

 

 エドガーは言う事を聞かない片腕を押さえながら、「それでも!」と声を張り上げた。

 

「獣は向かわねばならない時がある!」

 

 老師はその言葉を充分に吟味するように目を伏せた後に、息を吐いた。

 

「なるほど。獣として育った性か。しかし、お前さんをただ死なせるためだけにワシはこの場にいる事を許可したわけではないぞ」

 

「許可を乞うた覚えはない」

 

「これは驚いた。一昨日の殊勝な態度が嘘のようだ」

 

 老師は笑ったが、エドガーは一笑もしない。やがて、老師は、「急くものではない」と短く、はっきりとした口調で告げた。針のようなその言葉に縫い止められたかのように動けなくなる。

 

「今は羽を休めよ。空を舞う鳥ポケモンはずっと飛んでいられるか? 空を統べる竜のポケモンもずっと飛んでいるわけではあるまいよ。羽を休めているはずだ。お前さんは、今は、羽を休める時なのだと何故気づかぬ」

 

「俺自身がその必要性を感じない」

 

 売り言葉に買い言葉とでもいうように、お互いに一歩も譲らない。老師はにたりと口角を吊り上げた。

 

「その度胸と言うべきか、度量と言うべきか、それは買おう。しかし、このような老人一人に屈せられるその身では行ったところで意味はあるまい?」

 

 言葉が出なかった。確かに得体の知れない老人如きに食い止められるのではギラティナには――ミツヤの仇には届かない。エドガーは両拳を握り締め、床を叩きつけた。荒い息をつきながら、「ならば、これも約束だ」とエドガーはキッと老師を睨み据える。

 

「あんたの拘束が解けるほどの実力者になった時には、あんたが禁じたポケモンも関係ない。俺は勝手に行かせてもらう」

 

 一日でも、二日でも早くに行かねば。そのために結んだ妥協案だ。老師は、「乗った」と笑う。

 

「面白い。その恐れるもののない心がどこまで通じるか、見せてもらおう」

 

 恐れるものならばある。このまま何も出来ない事だ。しかし、エドガーは口にしない。この老師との戦いは既に始まっている。弱さを見せるのでは老師に食い潰されるだけだ。エドガーは鼻を鳴らした。

 

「少なくとも、あんたに見せるようなものじゃない」

 

「どうだかな」

 

 老師は笑って手を収めた。エドガーの手首を締め付けていた力が緩み、エドガーは息をつく。どのような原理なのか、まるで理解出来なかった。

 

「最後に一つ。あんたの、術……」

 

 そこまで言ってから、老師の言う通り時代錯誤の言葉だと気づき、言い直す。

 

「いや、能力は何だ?」

 

「能力?」

 

 老師は片眉を上げて瞠目する。まるで自分自身、その言葉に違和感を覚えているかのように。エドガーは片手を振って、「能力以外に言いようがないじゃないか」と言葉を継いだ。

 

「そのような大層なものではあるまいよ。言うなれば、これは呪いだな」

 

「呪い、だと」

 

 その言葉の意味するところを解そうとして、「いいから、飯を食え」と顎でしゃくった。

 

「腹が減っては戦も出来ぬ。ワシとの戦にも勝てんぞ」

 

 エドガーは憮然として老師の前に座り、用意された食事を取った。シソ粥をかけ込むように食すエドガーは喉に詰まらせた。思わずむせて何度か胸の上を叩く。老師が、「不器用よの」と汁をすすった。

 

 



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第八章 五節「涅槃の光」

 老師の言葉を厳格に守ろうとしたわけではない。

 

 何度もエドガーはゴルーグを使って渦中に潜り込んだほうが得策ではないかと感じたが、老師の見ていないうちや監視の目が緩いうちにモンスターボールに手を伸ばそうとすると、「まだその時ではない」と声が聞こえてくるような気がした。老師の声で、「見定めよ……」と声が発せられる。

 

 幻聴の類と切り捨ててもよかったが、エドガーはそうしなかった。

 

 今は羽を休めろ、その言葉がエドガーを繋ぎとめる鎖だった。

 

 一時でも間違えば獣に成り下がりかねない自分を戒める鎖。エドガーはヤサブロウから下界の様子を事細かに尋ねていた。老師はその話にはとんと興味がないようで片手に煙管をぽっぽと吹かせている。エドガーはヤサブロウからウィルの構成員の中にリヴァイヴ団が混ざっている可能性がある事。その噂がまことしやかに囁かれていると語った。

 

 エドガーはリヴァイヴ団のバッジは隠しておいた。自分で見てしまえば、今すぐにでも飛び出したくなるだろうから、という事と、ヤサブロウに気取られないためだ。今さらの対処かもしれなかったが、ヤサブロウは気兼ねなく話した。エドガーが老師の面倒を見る風来坊だと信じ込んでいるようだった。毎日が黒い鉄球作りに当てられたわけではない。

 

 当然、黒い鉄球が完成しない時や、不完全な形として産出される時がある。そのような時には不完全な黒い鉄球をもう一度炉心に戻して融解させ、再生産する。ヤサブロウも毎日の収穫を期待しているわけではないようだ。半分以上は老師の面倒を見るためという感覚だったのだろう。ご機嫌伺いのようなものです、とある日のヤサブロウはエドガーに言った。

 

「ご機嫌伺いって、あれか。遠く離れた家族が老人の面倒を見に来るっていう」

 

「そう。私はそれに老師には感謝しているんですよ」

 

「感謝?」

 

 エドガーは聞き返してから、軒先の老師を見やった。のどかに煙管を吹かし、円形の煙を吐き出している。近くを通っていく鳥ポケモンが煙たそうに羽を翻した。エドガーはヤサブロウの運搬車に背中を預けながら、「何を感謝するんだ?」と訊いた。

 

「感謝だらけですよ」

 

 ヤサブロウは純朴な微笑みを返す。

 

「黒い鉄球ってとても売り買いしづらい代物なんです。それをコンスタントに生産して、市場に上げてくださる。それだけでも頭が上がりません」

 

「カイヘンは元々工業化の一途を辿っていた。ここではなくとももっと大規模な工場があるだろう」

 

「いえ。リツ山麓のこの地が最も純度が高いんです。ですが、ここはロケット団基地があった不浄の地。誰も近づこうとしません。私も正直、老師がいなければこの地からの産出は見送っていたでしょう」

 

「もう今はない組織の何が怖い?」

 

 もっとも、この質問はナンセンスだ。カイヘンの住民は今も昔も存在するのかしないのか分からないものに怯え続けている。

 

 諸外国から遅れているという恐怖。それがロケット団を招き寄せる温床となった。今度は治安の悪化による見離されるという焦燥。それがディルファンスを作った。結果的にヘキサを作り上げたのはカイヘンの民全員だ。罪があるとするのならば、全ての人々の肩に等しく乗っている事になるだろう。

 

 カイヘンの民は実体のないものを恐れ、ヘキサという混沌の象徴を生み出した。今度はヘキサ事件の癒えぬ傷痕を身に帯びながら、諸外国から睨みを利かされ、綱渡りのような危うい均衡を恐れている。そこに一石を投じるリヴァイヴ団と、均衡を磐石にしようとするウィルの抗争が絡んでくる。今のカイヘンは混迷期と言うほかなかった。

 

 ヤサブロウは困惑の笑みを浮かべて、「そうですね」と首肯する。

 

「確かに見えないものを恐れてきました。私もカイヘン生まれ、カイヘン育ちなものですから、その因習はずっと感じてきましたね。エドガーさんは」

 

「生まれも育ちもカイヘンだ。本土とは常識が違うがな」

 

「ああ、コウエツのほうの。だからか、少し訛りがありますね」

 

「そうか?」とエドガーは自分の口調を確認してみる。本土人と接する機会が薄かったせいか、そのような意識は特にない。

 

「でも、いいんじゃないですかね。コウエツのほうっていうのも」

 

「いい事ばかりじゃないさ」

 

 エドガーは自身の境遇を頭の中に呼び覚ます。経済封鎖による打撃を真っ先に受けたF地区。本土人でさえ近寄らない区域に住む地獄。きっとヤサブロウにはそのような事は分からないだろう。分からないだろうと知りつつも口にせざるを得なかったのは自分がコウエツシティに魂までもしがみついている名残か。ヤサブロウは当たり障りのない答えを選んでくるかと思っていたが、「エドガーさんは、F地区で?」と尋ねてきた。突っ込まれるとは思っていなかったのでエドガーは少し気後れ気味に頷く。

 

「そうですか。F地区には近寄るなっていうのは本土人の常套句みたいなもので、それはほとんどカントーにも及んでいるみたいですね。カイヘンの恥部。F地区とタリハシティ跡には近寄るな。知っています? エドガーさん。タリハシティ跡って地図でご丁寧に六角形に切り取られているんですよ。赤い文字で危険区域って書かれて」

 

 ヤサブロウが自虐を交えたような話し方をするのでエドガーは不意にこの青年の事が気になった。今まで目に留めていなかった事だが、この青年にも傷があるのではないだろうか。自分だけに傷があると思い込んで、自分の傷が一番深いと高を括っていたが、ヤサブロウにもどうやら何かありそうだった。そうでなければロクベ樹海のど真ん中までドンファンを走らせてくる事はないだろう。エドガーは踏み込んでみる事にした。

 

「あんた、カイヘンが嫌いなのか?」

 

 問うた声に少しの沈黙があった。ヤサブロウは笑顔を硬直させ、凍結した眼差しを送った。まるでエドガーなど目に映っていない、反射しているだけの現象だと捉えているような漆黒である。

 

「私は、カイヘンっていう土地がどうにも慣れないんです」

 

 ようやくヤサブロウは調子を取り戻して喋り始めたが、先ほどまでよりも随分と低い口調だった。もしかしたら、これがこの青年の本当の喋りかたなのかもしれない、とエドガーは感じた。

 

「カイヘン生まれ、カイヘン育ち。でも、この土地は、何だか他人みたいだ。掴もうとしては滑り落ちていく他人の心の中に住まわされているみたいで。感覚としては間借りしているのに近いんですよね。勝手に住まわせてもらっているけれど、文句があって、でも言えなくって」

 

 ヤサブロウはサイコソーダの缶を握り締めた。同じ缶がエドガーの手にもある。ヤサブロウはいつでもサイコソーダを携えてきた。エドガーはヤサブロウを見る事も出来ずにサイコソーダのラベルに視線を落とす。むずむずするような、居心地の悪さを感じる。

 

「カイヘンっていうのはほとんど他人の足の裏で踏み荒らされた土地なんですよ。古くは先住民族の支配に始まって、ようやく永住した人々も自分達の技術の低さに愕然としたらしいです。だから他の地方から人を呼び込んで。このカイヘン地方はね、ほとんど異文化の集合体ですよ。残っているのは土地だけだ。その土地も、他地方から来た人間に荒らされて、誇れる山も森も持っているのに、それをこんなもので固めて」

 

 ヤサブロウは地面を踏み鳴らした。三十六番特設道路のコンクリートに硬く残響する。

 

「そうしなければカイヘンは国際社会から見離されていた」

 

 どうして自分がそのような事を言うのか。カイヘンという土地に少しばかり愛着があるからか。きっと、違う、とエドガーは感じていた。ヤサブロウの口から否定的な言葉が出る事が耐え難かったのだ。彼はまるで自分の生まれまでも否定しているようである。ヤサブロウは、「ですよねぇ」と返した。朗らかさが少し戻ってきていたが、口調は暗いままだ。

 

「でも、そんな娼婦みたいなカイヘンを好きにはなれませんよ」

 

「極論だ」とエドガーは落ち着き払って声を出そうとしたが、果たせなかった。純朴そうなヤサブロウからどうしてそのような罵詈雑言が生まれてくるのか。まるで理解出来なかった。

 

「極論ですし、意見としては大分傾いてしまっていますが、私はずっとそう感じてきました。子供の頃から。きっとこれからも」

 

 ヤサブロウがプルタブを開けてサイコソーダを口に含む。エドガーもサイコソーダの缶を開けた。飲みながら空を眺める。暗雲が漂っており、今にも降り出しそうだった。

 

「だから、老師のところへ?」

 

 どうしてだか、エドガーにはそう結論付けられるような気がしていた。心に迷いがあるから、老師のところに導かれた。自分とヤサブロウを結びつけるものが欲しかっただけなのかもしれない。しかし、老師には何かしらの可能性を見ていた。その光に望むものは同じだと信じたい。ヤサブロウは、「老師はね」と嬉しそうに声を弾ませた。

 

「可能性の塊なんですよ」

 

「可能性の塊?」

 

 同じ言葉を思わず聞き返す。老師に目をやるとぷかぷかと煙管を吹かし、思い出したように扇子で扇いでいる。

 

「どこが」

 

「あれ全体が」

 

 ヤサブロウは先ほどまでの暗い雰囲気はどこへやら、口元を隠しながら潜めた声を発する。

 

「俺には老人にしか見えない。しかも、かなり性格の捻じ曲がった」

 

「老師はね。あの人は変なんです」

 

「重々承知している」

 

 変でなくては何なのだ、とエドガーは言い出したい気分だったがヤサブロウは、「見た目とかじゃないですよ」と告げる。

 

「風体でもなくって、あの人は何だかふわふわとしている。ここに身体があるのに、今にも向こう側へと旅立ってしまいそうだ」

 

「あの世か?」

 

 エドガーが口元を斜めにして口にすると、ヤサブロウも笑って、「違いますよ」と返した。

 

「そういう現実的なところからは離れた、どこかです。エドガーさんも覚えはないですか?」

 

 エドガーは老師が使った妙な術について思い出していた。自分の腕を外側からの神経で掌握したような術。あれは一体、何だったのか。エドガーはヤサブロウも知るところなのかと外堀から尋ねてみる。

 

「老師には妙なところがある」

 

「そうですね。あの人は妙です。だから、私みたいな世捨て人が訪ねてくる。あっ、エドガーさんは別ですよ」

 

 慌てて訂正するヤサブロウにエドガーはフッと口元を緩めて、「俺のほうが世捨て人に見える」と返した。

 

「あんたは全然だ。ちゃんと仕事もしているんだろう?」

 

「仕事って言うほど立派なもんでもないですよ。老師みたいな人から搾取するのはね」

 

「搾取じゃない。あんたはきちんと老師に与えている。立派な共存関係だ」

 

「共存が共栄ではないんですよ。それは老師だって分かっているはずなのに……」

 

 しこりを感じる言葉尻だったが、エドガーは気にせず老師について言葉を重ねる。

 

「老師は達観しているのか。それとも、この世を斜めに見ているのか」

 

「どちらでもないんじゃないですかねぇ」

 

 返ってきた意外な声に、「どちらでも?」とエドガーは少し面食らった。ヤサブロウは後頭部を掻きながら、「ええ」と照れくさそうに応じる。

 

「私の感じる限りですけれど、老師はそんなんじゃないんでしょう。この世が滅びたって気にしないって言うほど鈍い人じゃない。でも、世の些事には興味がない。きっとそういう人種なんですよ」

 

「好きたくはない」

 

 エドガーはサイコソーダの刺激を舌先に感じながら吐き捨てる。ヤサブロウは、「私は好きですよ」と言った。

 

「老師も、エドガーさんも」

 

 エドガーは思わずむせた。その様子を見やって、「大丈夫ですか?」とヤサブロウが訊く。

 

「変な事を言うからだ」

 

「変って。私は思った事を言っただけで」

 

 その時、エドガーの頭の中に一人の少年の姿が像を結んだ。自分と無茶な局面で共闘する事を誓った仲間。オレンジ色のジャケットを翻すその姿――。

 

「エドガーさん?」

 

 突然黙りこくったエドガーの様子を奇妙に感じたのか、ヤサブロウが首を傾げる。エドガーは眼鏡のブリッジを上げて、「何でもない」と平静を装う。

 

 ――どうして今思い出す?

 

 エドガーは自身の胸中に問いかけたが、それらしい答えは返ってこない。ヤサブロウの言動が似ていたからか。エドガーは調子を取り戻そうと頭を振った。

 

「老師は時折何か、妙な事を言わないか?」

 

「私からしてみれば、エドガーさんも結構妙ですけれど、確かに老師にはミステリアスと言うか、はかり知れない部分はありますね」

 

 ヤサブロウが顎に手を添えて考え込んでいる。思い当たる節があるのか。エドガーは突っ込んで訊いてみた。

 

「老師の秘密っていうものはあるのか?」

 

「秘密、ですか?」

 

 ヤサブロウが目を丸くしてエドガーの顔を覗き込む。エドガーの眼差しが本気だと悟ったのか、ヤサブロウは首を引っ込めた。

 

「秘密も何も、あの人は何でも聞かれれば喋りますよ。エドガーさんが黒い鉄球運びを手伝ってくれるのだって、あの人に秘密がないからでしょう?」

 

「ああ、そうだ。そうだった」

 

 エドガーは額に手をやった。老師には秘密がない。ヤサブロウに伝えられていないだけなのか。それとも本当に老師には憚るべき秘密などないのか。エドガーが次に探るべき言葉を考えていると、「もし、秘密があるとすれば」とヤサブロウは小さく口にする。

 

「きっと、それは私達が見落としているだけで、老師はすぐにヒントをくれるはずですよ」

 

「聞かれれば答える、という精神か」

 

「そうです」と応じるヤサブロウにエドガーは何度か頷いて手を下ろした。老師を見据えると、老師はどこからか流れてきた小型のナゾノクサの頭部の雑草に扇子で風を送っていた。ナゾノクサが気持ちよさそうに身体を震わせる。

 

「ああして、野生のポケモンが寄ってくるんですよ。老師の不思議なところの一つでもありますよね」

 

 たちまちナゾノクサは数体を従えて再び老師の下へとやってきた。老師は歓迎の扇子を振るうかと思えば、今度は煙管の煙を吹きかけた。ナゾノクサ達が蜘蛛の子を散らしたように散り散りになる。短い足で走るナゾノクサは巨大な樹の根っこに躓いて転んだ。老師が軒先から歩み寄り、手を貸すのかと思えば、またも煙い息を吐きかけた。ナゾノクサが青い身体を揺らして逃げ去っていく。ヤサブロウが爽やかに笑った。エドガーは、「人が悪い」と苦々しげに口走る。

 

「分かっていてやっているのか?」

 

「分かっていてやっているから、面白いんじゃないですかね」

 

 それでも老師に近づくポケモンはいる。先ほど煙を吹きつけられたナゾノクサも木の陰から老師の様子を見やっている。どうやら老師に興味津々らしい。

 

「老師に引きつけられるのは何も人間だけじゃないって事ですね」

 

「俺は引き寄せられたわけじゃない」

 

 エドガーはサイコソーダを呷った。ドンファンの鼻先に置くと、ドンファン二体がサイコソーダの空き缶で遊び始める。ヤサブロウのドンファンと関わって分かった事だ。どうやら随分と陽気な性格らしい。トレーナーの心を映している、とエドガーは感じていた。ドンファンは空き缶を鼻先で転がして遊ぶ。潰してしまわないように細心の注意を払って、だ。ドンファンはそうでなくとも力が強い。加減してやるところにミソを感じているのだろう。

 

「エドガーさんも、ポケモンの扱いには慣れているみたいですね」

 

「慣れている、か。そうでもないさ」

 

 エドガーはゴルーグの事を思い出した。ずっと自分と共にあったのに自分の制御を離れ、ミツヤの命令を聞いた。エドガーはゴルーグとミツヤのポリゴンを正直持て余していた。老師との約束、本人曰く契約上、繰り出すわけにもいかずトレーナーとしての腕がどこまでも鈍っていくのを感じていた。このまま鈍らになっていくのだろうか、とエドガーは入道雲を眺めながら考える。樹海を覆い尽す天蓋にヤサブロウも気づいたのか、「曇ってきましたね」と呟いた。

 

「一雨来そうだ。ドンファンは悪路でも大丈夫ですけれど一応は地面タイプ。雨が降る前に退散します」

 

 ヤサブロウは立ち去る前に老師へと駆け寄って、「老師。また来ます」と告げてから運搬車に入った。エドガーは、「すまないな、付き合わせて」と口にする。ヤサブロウは片手を振った。

 

「いや、それは私のほうで。ほとんど愚痴を聞いてもらっているみたいでお恥ずかしい」

 

「俺は話し相手がいて助かっている。老師とだけじゃ間が持たなくってな」

 

 エドガーのジョークにヤサブロウは笑った。

 

「ですね。老師は一月でも二月でも人と話さなくっても大丈夫そうだ」

 

 どこか寂しげにヤサブロウが呟く。それは人として寂しいからか。それとも自分の孤独を投影しているのか。エドガーには聞くだけの言葉がなかった。

 

「では、私はこれで。エドガーさん、老師を頼みます」

 

 ドンファンがホイール形態へと変形し、ヤサブロウの運転する運搬車が三十六番特設道路を踏みしだいた。エドガーは軽く片手を振った。老師へと目を向ける。老師はヤサブロウに視線を送ろうともしない。エドガーは歩み寄って老師の腕を引っ掴もうとした。その時になって老師は、「うわっ、何だ?」と驚いたようだった。

 

「何だじゃないだろう。ヤサブロウが帰った」

 

「ああ、帰ったのか……」

 

 エドガーは違和感を覚えたが追及せずに空を見上げた。

 

「一雨来る。洗濯物を入れよう」

 

「任せたぞ」

 

 老師は軒先から動く気がないらしい。「出不精め」とエドガーは吐き捨てて洗濯物を入れ始めた。間もなく雨がぽつりぽつりと降ってきた。最初は取るに足らない小雨かと思ったが、すぐに豪雨と化した。茅葺の家屋はすぐに倒壊しそうだ。

 

「おい、家の中に入ったほうが」

 

 エドガーの言葉に老師はゆっくりと首を振り向けて、「そうさなぁ」と穏やかな声を発した。エドガーは苛立ち混じりに、「雷雨だ!」と喚く。

 

「軒先に構えるのはあんたの勝手だが、風邪を引かれれば看病が面倒くさい」

 

 エドガーは老師の腕を引っ張って無理やり立ち上がらせた。老師は少しだけよろめいたが、すぐに持ち直して、「お前さん」と口にする。

 

「何だ?」

 

「教えてやろうか? 昨日の妙技について」

 

 不意打ち気味の言葉にエドガーは聞き逃しそうになったが、振り向いた。

 

「妙技、だと」

 

「その通り。ワシの言った呪いだよ」

 

 老師はおどけたように手を組んで印を結んだ。冗談にしては性質が悪い。だが、完全な冗談とも割り切れずエドガーは老師をとりあえず居間に通した。老師はいつも通りの座布団に座り、一つ息をついた。エドガーは対面に座って、「妙技とは」と言葉を発しようとしたところで雷鳴に遮られた。どうやら本格的に降ってきたようだ。

 

「なに、そう難しい事じゃない」

 

 老師はまるで雷鳴など関係がないかのように静かに淡々と告げる。老師と向かい合っているとエドガーまでも雨音や雷を他所の国の出来事のように感じられた。

 

「ワシには呪いがかけられている」

 

 静かな口調に嘘は言っていない、とエドガーは長年の勘を働かせた。しかし、呪いとはこの時代には浮いて聞こえる。だが、茶化す気にもなれずにエドガーは黙って聞き入っている。

 

「八年前にかけられた。ワシが人間爆弾にされた事を話したな」

 

「ああ。ヘキサの陰謀だったんだろう?」

 

 それはどのような心地だろうか。その時の老師は知っていたのか知らなかったのか。聞きたい衝動に駆られたが、同時に聞いてはならないことだと言う事も理解出来る。傷口に、やすやすと踏み入っていい権利などない。

 

「ワシはそのポケモン、フワライドの事を知らず、ただある男の命じるがままにフワライドに乗った。それだけが助かる道だと信じていた。フワライドの特性、誘爆も知らなかったよ。だから、男の言葉を信じた。フワライドを破ってくる者こそが敵だと。実際には、ワシら自体が、敵から身を守るための殻だったわけだ。ワシは近くでボン、とフワライドが弾けたのを何度も見たよ。あれは、地獄だった。緑色の竜のポケモンがフワライドを破り、鋼鉄の鳥がフワライドに突っ込んできた。ワシらには何が起こっているのか、なんていう理解は無意味だった。ただ闇雲に過ぎていく自体を、無力な一個人として見守るしかなかった。嵐を前にしたポケモン達のように」

 

 エドガーは老師の独白を黙って聞いていた。老師は畳んだ扇子で床を突いて続きを発する。

 

「もう駄目だと思った、その時だ。光が突然地上で弾けた。地上と言っても空中要塞の上だが、黒と白のそれがパッとフワライドを押し包んだかと思うとワシの意識は奇妙な場所にあった」

 

「奇妙、とは」

 

 ようやく口にしたエドガーに老師は一つ頷き、「あれは涅槃だ」と答える。

 

「涅槃、あの世か?」

 

「そう簡単なものではないさ。しかしあれは、全てだった」

 

「全て?」

 

 老師は懐かしむような目つきになって遠くを眺めた。遠雷が響く。

 

「光の先には全てがあった。この世の黎明から今に至るまでの全て、そしてこれから先、未来の果て。いや、果てなどなかった。どこまでも輝き続ける人の世界、ポケモンの世界、時間と空間を超えたまさしく涅槃としか言いようのない場所だ」

 

 老師の言葉には奇妙な説得力が伴っていた。信じるには難しいが、信じてくれと懇願している風でもない。自分だけその場所を分かっているとでも言いたげだった。

 

「ワシはその光の中をたゆたう光の一端に、少し、ほんの少し、手を伸ばして触れた。それからだ」

 

「それから、とは」

 

「ワシには他人の光を掴む事が出来るようになった」

 

 エドガーは眉をひそめた。他人の光とは何なのか。老師は何が言いたいのか。怪訝そうな目を向けるエドガーへと、「信じていないな」と老師は片手を開く。

 

「お前さんから、いや、万物全てから伸びている光さ。ワシの眼には、それが等しく映る。今、この場所は明るいか、暗いか?」

 

 エドガーは周囲を見渡した。曇り空に太陽の光を遮られており、雨が降り出して外は灰色の景色だ。

 

「暗い」

 

「ワシには蝋燭の火が灯ったように見えるよ。お前さんからちょうど、な」

 

 エドガーは薄ら寒いものを覚えた。老師は何を言おうとしているのだ。

 

「何だ。おどかしっこなしだぞ」

 

「おどかしちゃいない。ワシには本当に見える。お前さんと、お前さんが伴っている二体のポケモン。一体は、他人のものだな。託された魂か」

 

 エドガーは覚えずホルスターを手で覆い隠していた。それでも老師は目を細めてその先を透視しているようだった。

 

「奇妙な真似を」

 

「奇妙? お前さんはワシの術について知りたがっていたではないか。それを、その段になって奇妙などと」

 

 老師が扇子の角で床を叩く。音が反響した。

 

「ワシはお前さんにこれを教える事が出来る、と言えば、どうだ?」

 

「何……。どういうつもりだ」

 

 企みがあると察したエドガーの声に、「何も企んじゃいない」と見透かした声を発する。

 

「ただ涅槃の光を見る術、否、呪いか。これを知りたいのならば教えてやろう。もう八年も同じ景色を見てくればある程度の事は分かる」

 

「それを俺に教えて、どうする? 何の価値もない」

 

 ポケモンを禁じられ、ここから出る事も叶わぬ身では。老師は、「ワシを振り切って行けばいい」と言った。

 

「昨日そうしようとしたのをあんたが止めたんだろう」

 

「ああしなければワシの話をろくに聞かず行ってしまうだろうに。たわけが」

 

 エドガーは押し黙る。それが肯定だと感じたのか、老師は、「そう難しいものではない」と続けた。扇子を掲げ、天井を指しながら、「たとえるならば天井を眺める」と天井を仰ぐ。エドガーも釣られて天井を眺めたが、汚い天井を小型の虫ポケモンが這っているのが目に入っただけだ。

 

「ビードルだ。勝手にワシの家を食い荒らしおって」

 

 老師が中空を引っ掴む真似をした。すると、虫ポケモンが縫い止められたかのように動かなくなった。ポトリ、と床に落ちてくる。虫ポケモンが痙攣している。

 

「何をした?」

 

 驚愕の眼差しでエドガーが問いかけると、「こやつの光を掴んだ」と老師は事もなさげに言った。

 

「どうやったんだ?」

 

「誰しもに平等にある光だ。コツさえ掴めば簡単に出来る。どれ、お前さんも」

 

 老師は扇子で自分の胸元を叩いた。

 

「ためしにワシの光を掴んでみよ」

 

 エドガーは瞠目し、「無理難題だ」と首を振った。

 

「俺にはその光とやらが本当の話か分からない。あるかどうかも分からない眉唾物だ。それなのに急に光を掴め?」

 

 エドガーは肩を竦めた。

 

「どうかしている」

 

 雨音がシパタタと三十六番道路を叩く。老師はゆっくりと首を横に振った。

 

「涅槃の光を掴むのにまず必要なのは肯定。否定ではない」

 

「その涅槃とやらが怪しい。あんたはどこまでもうろくしている? 俺を惑わせて、楽しいのか?」

 

 エドガーは苛立ちを募らせていた。老師の言葉が疑わしく聞こえる。しかし、老師は口調を緩める事はない。

 

「涅槃の光に嘘偽りはない。その光の先に導かれるか、その光を利用するかはお前さんの心持ち一つだ。ワシの力が偽者かどうかは、お前さんが一番よく知っているだろう」

 

 老師の言葉にエドガーは返事に窮した。老師の実力、とでも言うのか、持っている力は確かに存在する。しかし、それを涅槃とやらの光に置き換える事に抵抗を感じているのだ。

 

「俺は涅槃って言うのをどうにも信じられない」

 

「信じる必要はない」

 

 老師は扇子の角で床を叩き、「少なくともお前さんにとっては。そうだろう?」と問いかけた。エドガーが老師の言葉を信じようが信じまいが関係がないという事だ。その力は実在し、エドガーにはそれを手に入れるか否かの選択肢が迫られている。

 

「涅槃の光を信じず、ワシをただのもうろくと判断するもよし。それはお前さんに任せる」

 

 エドガーは困惑したが、同時にここで拒めば自分には何も残されていないと感じた。これは好機なのかもしれない。老師という人間を知るための。知れば逃れる術も見つかるだろう。

 

 エドガーは、「よし」と口を開く。

 

「教えてくれ」

 

 エドガーの声に老師はちょいちょいと指で手招く。エドガーが顔を寄せると、思い切り耳を引っ張られた。エドガーは、「何だ!」と声を荒らげる。

 

「何だじゃないだろう。人に頼むのにはそれなりの礼儀と言うものがある」

 

 引っ張られた耳に手をやりながらエドガーは幾ばくかの逡巡の後に、頭を下げた。

 

「よろしく、お願いします」

 

 エドガーからしてみれば得られるのか分からないものに対する投資だ。頼み込む必要が本当にあるのか疑わしい。老師は、「ふむ」と聞き届けたようだった。

 

「よかろう。明日より涅槃の光の使い方を教える」

 

「今日は……」

 

「夕食が先だ。早く飯の準備をいたせ」

 

 エドガーはいきり立って、「俺はあんたの召使じゃない」と言ったが、老師は扇子を開いて、「涅槃の光を教わりたいのだろう?」と訊いた。エドガーは気圧され気味に頷く。

 

「ならば、ワシは師だ。つまりお前さんは弟子。弟子は師事する義務がある」

 

「何を勝手な……」

 

「勝手でも何でも、ワシは動かんぞ。さっさと飯の準備をせんか」

 

 老師の言葉に呆れる事を通り越して一種の達観すら見たほどだ。エドガーは、「分かったよ」と立ち上がる。外の雨はやみかかっていた。

 

 



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第八章 六節「ボールの楔」

「エドガーさん。涅槃の光を教わっているんですってね」

 

 ヤサブロウがいつものようにドンファンの運搬車を走らせて黒い鉄球を回収しに来た時に、休憩がてら雑談をしているとその話題が飛び出した。エドガーはサイコソーダを気管に詰まらせそうになる。

 

「聞いたのか」

 

 咳き込みながらエドガーは口にする。ヤサブロウは微笑んで、「老師は聞かれればなんでも答える人ですから」と応じた。

 

「秘密も何もないな」

 

 老師にはろくな事は言えない、と再確認する。ヤサブロウは、「いいなぁ」と声を出す。

 

「いい? 何がだ」

 

「涅槃の光の修行は私も以前、つけてもらったんですよ。でも、てんで駄目だった。私には才能がなかったんでしょうね」

 

「才能云々が関係あるとは思えないがな」

 

 エドガーはサイコソーダを口に含みながら老師の話を思い返す。老師とて偶然の産物のように語っていた。

 

「エドガーさんは見込まれているんですよ」

 

「俺が? 老師にか」

 

 エドガーは軒先にいる老師へと視線を向ける。老師は頭上に手を翳しながら樹海に降り注ぐ陽光を見据えていた。

 

「老師。眼が悪くなりますよ」

 

 ヤサブロウが忠告すると、老師は、「とっくにだ」と応じる。

 

「見込まれているんですよ」

 

 ヤサブロウは繰り返した。まるで大切な事のように。しかし、エドガーにはさして価値のあるものとも思えない。

 

「涅槃の光っていうのは何だ? あんたは何かを知っているのか」

 

 ヤサブロウに問いかけると、彼は肩を竦めた。

 

「さっぱりでした。私にだって何かなんて事は分からない。でも、老師には見えているみたいです。もしかしたら老師は私達が、私達の見るようには見えていないのかもしれません」

 

「どういう意味だ?」

 

「世界の見え方が違うんですよ。老師の眼には、どんな世界が映っているのか……」

 

 羨むような声の響きに、「ろくなもんじゃないだろう」とエドガーは返した。

 

「涅槃の光の習得、頑張ってくださいね。陰ながら応援しています」

 

 ヤサブロウの言葉に、「俺達三人だ」とエドガーは返す。

 

「陰ながらも何もない」

 

「そうでした」とヤサブロウは微笑んだ。エドガーは老師から涅槃の光について教わる事に一抹の不安を感じないでもなかった。果たしてそのようなものが本当に存在するのか。一人の老人の誇大妄想に付き合わされているのだとしたらとんだ時間の浪費だ。エドガーはヤサブロウに下界の様子を尋ねた。

 

「ハリマシティでウィルは完全に根城を張り、ユウキ抹殺指令を下しました。しかし、依然ユウキの動きは分からないようです」

 

 エドガーは内心安堵していた。もしユウキが早くに殺されていたのならば。全ては終結に向かっていたかもしれない。しかし、それは歪められた結末だ。

 

「ウィルは苦労しそうです。反逆者に対して」

 

「それくらいがちょうどいいんじゃないか。リヴァイヴ団もなくなって、ウィルの意味が取り沙汰される事だろう」

 

 エドガーはサイコソーダを呷ってドンファンの足元に置いた。ドンファンは鼻先で器用に転がして遊んでいる。どうやら二体でサッカーもどきのような真似を始めたらしい。一体が鼻先で缶をパスし、もう一体が受け取ってまたパスをする。その繰り返しだった。

 

「ウィルは税金泥棒だと叩かれる心配はないでしょうね。少なくとも、反逆者を追っている間は」

 

 だとすれば、もしユウキが捕まったとしてもその追跡は続くのではないだろうか。ユウキではない誰かにすり替わって。それはリヴァイヴ団残党かもしれないし、ウィルからの裏切り者かもしれない。終わりのない連鎖。その中に、自分もまた組み込まれようとされかけて、このような辺境に身を隠している。非常に卑しい行為に思えた。本来ならば戦士として前線で戦う事こそが喜びである性分なのに、こんな場所で燻っている。本当の自分を見失いそうだった。

 

「俺のやるべき事はなんだろう」

 

 ヤサブロウのような人間に訊くべきではないと思いながらもエドガーは口にしていた。ヤサブロウは、「少なくとも今は」と口を開く。

 

「目的があるじゃないですか。涅槃の光を習得するという目的が」

 

「随分とぼやけた話だ」

 

 エドガーはヤサブロウが、「そろそろ行かねば」と老師へと声をかけるのを眺めていた。ドンファンの表皮を撫でる。ごつごつとした硬い表皮越しでも感触はあるのだろうか。ドンファンは目を細めている。

 

「では、また」とヤサブロウに声をかけられ、エドガーは片手を上げて応じた。運搬車が遠ざかっていくのを見つめてから、「老師」と声をかける。老師は胡乱そうに目を向けた。

 

「何だ?」

 

「何だじゃない。涅槃の光の修行だ」

 

「急にやる気になりおって。どういう風の吹き回しだ?」

 

 頬杖をついて訝しげな眼差しを送る老師へとエドガーは、「早いに越した事はない」と答える。

 

「涅槃の光とやらの使い方を知りたい」

 

「そうさなぁ」と老師は周囲に視線を配った。樹の陰に一体のナゾノクサがいる。昨日、煙を吹きかけられた個体だった。あのような真似をされてもまだ老師に興味があるのだろうか。頭の上の雑草を揺らして好奇の眼差しを向けている。

 

「あのナゾノクサにやるのは可哀想だな。もっと、別の……」

 

 老師は空を仰いだ。鳥ポケモンが羽音を立てて飛び立っていく。老師は、「ちょっと借りるぞ」と片手を掲げてぐっと拳に変えた。すると鳥ポケモンのうち一体が急旋回したかと思うと老師に向けて降り立ってきた。茶色の羽に小ぶりな身体はポッポである。ポッポはどうして自分が降下したのかさえ分かっていないようだった。驚愕に見開かれた目を見やって、「このポッポに涅槃の光を見よ」と老師は命じた。エドガーは急な言葉に戸惑った。

 

「俺には何も見えない」

 

「ただのポッポだと?」

 

 エドガーは頷く。特徴も大してない。ポッポという個体の中でも特別に大きいわけでも小さいわけでもない。老師は煙管を吸って、エドガーに向けて煙を吐き出した。エドガーは急に目の前を襲った紫煙に手を振る。

 

「何するんだ、この――」

 

「万物に等しく、涅槃の光はある」

 

 遮って放たれた言葉にエドガーは文句を喉の奥に呑み込んだ。

 

「大事なのは、そう、理解しようとする心だ。相手を自分と同じものとして認識する。ポッポであろうとナゾノクサであろうと同じだ。それが人間であろうとも変わらん。まずは肯定しろ。全てはそれからだ」

 

「肯定しろ、って言ったって……」

 

 エドガーは返答に困る。ポケモンの何を肯定すればいいのか。そもそも自分は否定しているのか。エドガーの思考の迷宮を見透かしたように、「難しく考えるな」と老師は声を出した。

 

「たとえば、ポケモンが人語を喋ったとする」

 

「ポケモンは喋らない」

 

「物のたとえだ。それに世界を捜せば喋るポケモンの一体や二体はいるだろう。問題なのは喋るか喋らないかではなく、その喋ったという現実を肯定するかしないかだ」

 

「現実逃避がいけないと?」

 

「そうではない」と老師は胡坐を掻き直した。「想像しろ」と老師は続ける。

 

「お前さんの身近で、物事を肯定した人間の事を。そやつは何故、認められた? 度量か度胸か。否、それは否定しないからだ」

 

「禅問答だな」

 

「物事は肯定することから始まる。全てはそれに端を発している。相手の意見、主張、言葉、意思、思惑、外見、癖、全てを肯定し、自分のものと同じようにして扱うのだ」

 

「自分と相手を同じ土俵に上げるっていう事か」

 

 エドガーの解釈に、「少し違うが」と老師は頷いた。

 

「まぁ、お前さんの場合はそこからだろう。まずはポケモンでも人間でも、同じ土俵に上げろ。自分と対等なものとして扱え。真に対等だと感じた瞬間、涅槃の光は開かれる」

 

 嘘八百を並べられていると解釈してもよさそうな言葉ばかりだ。老師はポッポを支配しているのだろうか。エドガーは尋ねる。

 

「それは支配か?」

 

 その言葉に老師はやんわりとでありながら、口調だけははっきりと否定した。

 

「違う。支配ではない。相手を理解するという事は決して支配ではないのだ。覚えておくといい。支配から生まれるものは、たかが知れている。恐怖、重圧、苦難、それらマイナスの方向からは、決して涅槃の光へと到達する事は出来ない。相手を包み込む事は、支配ではない」

 

 エドガーには半分も理解出来なかったが、導き出した答えが一つだけあった。

 

「ただのトレーナーとポケモンの関係じゃないって事か」

 

「そうだな。お前さんにはその解釈が分かり易かろう。支配被支配の関係で物事を論じるのは容易い。しかし、そうでない方向からの接近こそが、涅槃の始まりなのだ」

 

 老師の言葉にエドガーは眉根を寄せた。

 

「俺にはあんたが涅槃と言う度に嘘くささを感じざるを得ない」

 

「それでも、ワシが教えるのは涅槃の光についてだ。お前さんも、それは了承済みであろう?」

 

 エドガーは答えなかった。代わりにポッポを見据える。自分の掌に視線を落とし、ポッポに向けてばっと開いた。すると驚いたポッポは容易く飛び立ってしまった。その様子を老師は笑いながら眺めている。

 

「ワシの物真似をすればいいと言うわけではあるまい、という事が分かっただろう。もう一回、チャンスをやろう」

 

 老師は再び空に向けて手を伸ばす。すると、導かれるように鳥ポケモンが降りてきた。今度はスバメだ。青い羽毛を揺らして、スバメは大きな目を見開き、エドガーと老師を交互に見やる。

 

「このスバメで、今度は涅槃の光を実践しようではないか」

 

 老師は軽く片手を繰ると、スバメは少しだけ飛んだ。そのまま逃げ去ってしまうかに思えたが、老師が人差し指を立てて円弧を描くと、スバメはその通りに旋回して老師の下へと戻ってきた。スバメ自身も、何故自分がそのような行動に出たのか理解出来ていないようである。しきりに周囲を見渡していた。

 

「スバメの思考ルーチンに介入して動きを操ったのか?」

 

 エドガーの問いかけに老師は煙管を片手に、「難しい言い方をするもんだの」と応じた。

 

「ワシはただ、スバメの行きたい方向を肯定した上で、自分の思考を乗せたまで。スバメからしてみれば、自分の心に従った結果に思えるだろうな」

 

 エドガーには理解の範疇を超えているように思えた。しかし、老師は、「涅槃の初期段階よ」と言ってみせる。

 

「これしきの事が出来ぬようでは、涅槃の光を意のままにすることなど、遥かに遠い。無限の桃源郷を描くよりもなお」

 

 エドガーはスバメへと一歩、歩み寄った。スバメが身を硬くする。エドガーは深く息をつき、口中に繰り返した。

 

「相手を肯定する……」

 

 片手を広げイメージを形成する。否定せず、相手の意のままに――。スバメを睨み据えていると、スバメは恐れを成したのか羽ばたいていってしまった。

 

「あっ」と声を発してスバメの行く先を制そうとする。先ほど老師がしたのと同じように、スバメの思考ルーチンに介入して、と感じたが、そのような事が急に出来るはずがない。スバメは遠くへと飛んでいってしまった。老師が、「お前さんは」と口を開く。

 

「どうにもトレーナー根性が抜けないようだな」

 

「抜けないも何も、俺はトレーナーだ」

 

 エドガーはホルスターへと視線を落とす。老師もその視線の先を追って、「ふむ」と頷いた。

 

「ものは試しか」

 

 老師はそう言うや否やエドガーのホルスターから二つのモンスターボールを引っ手繰った。突然の事にエドガーの反応が一拍遅れた。

 

「何をする!」

 

 老師はモンスターボールを眺め、「このようなものに頼っているからいけない」と緊急射出ボタンを押した。モンスターボールから光に包まれたゴルーグとポリゴンが弾き出される。

 

「ゴルーグ……」

 

 数日振りの手持ちとの対峙にエドガーは戸惑った。ゴルーグは思考の読めない白い眼窩をエドガーに向けている。もう一体、ポリゴンも無機質な視線をエドガーに注いでいた。老師がモンスターボールを握った手を振り上げる。何をするのか、と思っていると、突然、老師はモンスターボールを地面に叩きつけた。エドガーは狼狽した声を出す。

 

「あんた、何しているんだ!」

 

「この程度では壊れんか」

 

 強い顎鬚をさすって老師は立ち上がる。どこに向かうのか、と感じていると、老師は黒い鉄球を鍛えるのに使う金槌を持ってきた。それをあろう事か、モンスターボールに向けて振るい落としたのだ。モンスターボールに亀裂が走る。

 

「あんた、本当に何して――」

 

「今、無駄なものを取り去ろうとしているのだ」

 

 遮って放たれた声に、「無駄なもの、って……」とエドガーは声を詰まらせる。

 

「無駄だろう。このようにポケモンと人間を分ける代物なんて。逆に物事を捉え難くさせている。垣根は一旦取り払え。全てはその後だ」

 

「後って。でも、モンスターボールの催眠電波がなけりゃ、トレーナーとポケモンの関係は――」

 

 逆転する、と言いかけたその時、ゴルーグのモンスターボールが弾け飛んだ。欠片が足元に転がり、エドガーは思わず唾を飲み下す。ゴルーグがぴくりと身体を震わせた。巨体を押し広げ、ゴルーグが咆哮する。自由になった事への喜びか、樹海の中に朗々と響く。

 

「……ゴルーグ」

 

 俺から離れて嬉しいのか。そのような事を聞きかける合間にも、老師はポリゴンのモンスターボールを破壊しようとしていた。エドガーがその作業に割って入る。

 

「やめろ!」

 

「どうしてだ? 自分のポケモンが解き放たれる事が恐ろしいか?」

 

「ポリゴンは俺のポケモンじゃない」

 

「知っている。このポリゴンから伸びる涅槃の光は別の方向を向いておるからな」

 

 エドガーが思わず目を見開いて、「その涅槃の光ってのは」と口を開く。

 

「死んだ人間か生きている人間か分かるのか」

 

「そりゃ、分かるとも」

 

「では、ミツヤは」

 

 急いたようにエドガーは口に出していた。そこから先を続けかけて、何を聞こうとしているのだと自問する。ミツヤは生きているのか、あの戦いで死んだのか。そのような決定的な言葉を老師の口から聞いていいのか。逡巡を浮かべたのを感じ取ったのか、老師は言葉を重ねなかった。エドガーが自分の意思でその事実を知る事を望んでいるのだろう。

 

「……いや、何でもない」

 

 エドガーは結局聞けずじまいだった。自分の至らなさ、覚悟の薄さに嫌気が差す。ミツヤがどうなったのかさえ、今の自分には知る余裕がない。

 

 ――これでは弔う事も出来ないではないか。

 

 ぐっと拳を握り締めていると老師はモンスターボールを破壊する手を再び動かした。ポリゴンのモンスターボールが砕け、ポリゴンがびくりと身体を震わせる。首を巡らせて、周囲を見渡し、甲高い鳴き声を発した。

 

「お前さんの手持ちはこれで消えた」

 

 老師が金槌を置いてふぅと息をつく。エドガーはゴルーグに視線をやった。いつも以上に感情が読めない。白い眼窩は既に他人であるとでも言いたげであった。

 

「……満足か?」

 

 エドガーは訊いていた。老師は、「うん?」と聞き返す。

 

「俺から手持ちを奪って、力を奪って満足かと聞いたんだ」

 

 苛立ちを募らせた声に、老師は煙管を口にくわえ、ゆっくりと息を吐き出した。煙管の先端から漂う紫煙がエドガーの顔に引っかかる。

 

「ワシはそんなつもりはない」

 

「では、どんなつもりで、こんな事をした」

 

 自然と口調は責め立てるものになっていた。老師は落ち着き払った様子で、「これが最も効率がいい」と告げる。

 

「効率がいいだと?」

 

 エドガーは信じられないものを見るような目つきを老師に向ける。老師は意に介さず煙管を吹かす。

 

「いちいちワシがポケモンを取ってきて、お前さんが失敗してを繰り返しているんじゃ埒が明かん。それならばお前さんがある程度見知っているポケモンで試したほうが手間が省ける」

 

 煙管を突きつけて話す老師にエドガーは反発した。

 

「ふざけるな! モンスターボールの支配がなくなれば、ポケモンなんて簡単に野生に戻ってしまうんだぞ!」

 

 このような樹海ではなおさらだ。自然に近い場所にいれば、ポケモンはすぐさま野生の本能を取り戻す。老師は、しかし取り乱す事もせず、「落ち着け」と言い放った。

 

「落ち着いていられるか! こんな事――」

 

「ヤサブロウはモンスターボールでドンファンを御していたか?」

 

 不意に放たれた声にエドガーはハッとして声を詰まらせる。ヤサブロウはドンファンを使っていたが、モンスターボールで使役している様子ではなかった。あの二体のドンファンはそれこそ自発的に主を支援しているように見えた。

 

「……だが、作業用に使う程度なら」

 

「同じだよ。作業用でも戦闘用でも。ヒトとポケモンは平行線だ。その境界を冒すのがモンスターボール。だが、ワシにはそれ以外の方法が見える。涅槃の光と言う形でな」

 

「怪しいものだ。そんな方法など」

 

 老師は両手を広げて、「疑うならば疑うがいい」と種明かしをされたマジシャンのように振る舞った。

 

「ワシの知っている事は話す。ヤサブロウから聞いておるだろう。ワシは、訊かれれば答える。そういう人間だ」

 

「では涅槃の光とは」

 

「見て感じろ。そうとしか言えんな」

 

「くそったれだ」

 

 エドガーは吐き捨ててゴルーグとポリゴンに向き合った。



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第八章 七節「約束」

 

 ゴルーグは水色の巨躯を揺らして、空を仰いでいる。信じるべきは主人か本能か決めあぐねているようだった。エドガーはゴルーグに語りかけた。

 

「ゴルーグ。俺に従え」

 

 老師がやっていたように手を掲げて伸ばす。支配するイメージを持って接したその行動にゴルーグは何の反応も示さなかった。エドガーは手を下ろし、「どうして……」と声を出す。

 

「無駄だな。まだお前さんは支配するという強欲から抜け出せずにいる。見よ」

 

 老師が手を突き出すと、ゴルーグがぴくりと反応した。老師のほうへと向き直り、ゴルーグは巨体を揺らして歩み寄ってくる。白い眼窩から感情を読み取ろうとしたが全く分からない。ゴルーグは老師だけを見ていた。ずん、と腹に響く足音を響かせてゴルーグは老師の眼前へと至り、その場に跪いた。まるで主君の前のように。エドガーが閉口していると、「これくらいやってみせよ」と老師は促した。

 

「腐っても元主人なのだろう?」

 

 挑発にエドガーはむきになって片手を伸ばす。ゴルーグをこちら側に振り向かせる事だけを考えたが、ゴルーグは微動だにしない。老師がピッと指を下に向けると、ゴルーグはその場に額づいた。エドガーがさらに猛り狂ったように、「ゴルーグ!」と叫ぶ。

 

「俺に従え!」

 

 ゴルーグがエドガーに注意を向ける様子はない。ゴルーグは老師を主人だと思い込んでいるようだった。老師が快活に笑う。

 

「どうやら時間がかかりそうだな。こうするのだ。ポリゴン」

 

 老師がポリゴンを手招くと、ポリゴンは容易く老師の下へと近づいていった。二体のポケモンをいっぺんに奪われてエドガーは茫然自失の状態で名を呼んだ。

 

「ゴルーグ。ポリゴン……」

 

「その情けない声では、主人だと認めさせる事も出来まい。ゴルーグ、ポリゴン、しばらくはこの至らぬ弟子のために尽くしてやって欲しい。出来るな?」

 

 ゴルーグは深く頷き、ポリゴンも首を巡らせて肯定の意を示した。エドガーは今まで信じていたものが脆く崩れ落ちるのを感じた。足元がおぼつかなくなり、今にも倒れこんでしまいそうだ。

 

 ゴルーグとポリゴンが自分へと向き直る。しかし、それは老師の命令を聞いているからだ。自分を主人だと判じたわけではない。その意思がありありと伝わってきた。ゴルーグとポリゴンは両方とも人間に造られたポケモンだが、何を思っているのか程度は分かる。二体とも「仕方なく」エドガーに付き合っている。その程度の関係だった事にエドガーは衝撃を隠せなかった。ミツヤのポリゴンはともかく苦楽を共にしたゴルーグにまでそのような意思を向けられては顔向けが出来ない。エドガーは恥じ入るように顔を伏せた。

 

「モンスターボールの支配力がどれだけ絶大だったか分かっただろう」

 

 老師の声に、「だったら」とエドガーは抗弁を口にした。

 

「ヤサブロウはその域を超えているというのか?」

 

「少なくともお前さんとその二体よりかは良好な関係を築いておるよ。理解しておったか? あのドンファンはただ懐いているわけではない。誰にでも心を開くポケモンではない。あの二体もまた、人を選んでいたという事を」

 

「何を言って――」

 

「分からんのか。お前さんはどうせ、人懐っこいドンファンだ、と思っていたのだろう。しかし、その実は違う。ドンファンがお前さんら人間を値踏みしていたのだ。まず根本が違う。ヒトとポケモン、どちらが上か。そこから語り合わねばならぬようだな」

 

「どちらが上か、だって。そんなもの」

 

「知れている、か? お前さんはヒトだと言うだろうな。しかし、ヒトにコンクリートの生成技術を伝えたのはポケモンだし、その他諸々の技術も自然界の掟から人間が拝借しているに過ぎない。いつから上下関係を意識するようになった? いつからヒトはポケモンに対してアドバンテージを取っていると錯覚し始めた? 全てはこの小さな球体が起こした幻よ。誰でもこのボールに入れれば従えられるものだから万能だと感じ取る。決してそのような事はないのだ。支配被支配の緩やかな構造を我々は取り違えている。涅槃の光を知れば嫌でも分かる。ヒトもポケモンも、上下は決してないのだ」

 

「あんたの言っている事は環境論者みたいだ」

 

 エドガーが苦み走った言葉を発すると、「そうとも捉えられよう」と老師はぽっと息を吹かした。円形の煙が浮かんでいく。

 

「ただ、ワシには自然界としてどちらが上かなど言いたいわけではない。ポケモンが人間に勝っているとも思わんし、その逆もそうだ。理解、とはかくも難しい」

 

「答えになってないぞ」

 

 エドガーが堪りかねて口にすると、老師は首を振った。

 

「今のままではヤサブロウよりお前さんは弱いな。二体のポケモンを、戦闘用ではないとはいえ、連れているヤサブロウとお前さんでは実力の差は歴然」

 

 エドガーは拳をぎゅっと握り締めた。ヤサブロウと比較され苛立ったのもある。今まで戦いのエキスパートを気取ってきた自分が運搬車のためにポケモンを使う人間以下だと言われれば怒りも湧いてくる。しかし、それ以上に理解が出来なかった。老師は何が言いたいのか。老師の望むあり方とは何なのか。エドガーには老師がまるで手足のようにポケモンを操っているように見える。しかし、その実は「操る」という意識からは最も遠い「理解する」という意識なのだ。その事実が理解し難い。まるで高い壁だ。エドガーは顔を拭って、「なるほど。分かった」と口にする。

 

「何が分かった?」

 

「今の俺には理解出来ないという事が、だ」

 

 エドガーの言葉をジョークと捉えたのか、老師は肩を揺らして笑ってみせた。しかし、エドガーからしてみれば笑い事ではない。手持ちを失ったばかりか、それをモンスターボールとは違う方法で取り戻せという。無理難題に思えた。

 

「それを理解する事もまた勉強。理解出来ないという範囲も理解せよ」

 

「屁理屈に聞こえる」

 

「だろうな。ワシも屁理屈じみているとは思っているさ。ただ、ワシには言葉は尽くせても尽くしきれん。言葉で教えられる事など、結局のところ些事なのだ。それ以上の部分で教えられる事だけが長く伝えられ、生きていく。生きていくとはそういう事なのだ」

 

 老師は煙管を傾けて、息を吐き出す。エドガーはゴルーグを見やる。ゴルーグは逃げ去る様子はないが、エドガーの下に帰ってくるような兆しもない。モンスターボール一個分の絆しかなかった。その事実にエドガーは歯噛みする。

 

「俺達は、その程度だったって言うのか」

 

「今日はこの辺にしておくか?」

 

 老師の思いやった言葉に、「いや」とエドガーは頑として聞き入れなかった。

 

「俺は一日でも早く、この二体と分かり合わねばならない」

 

「ならば寝食を共にせよ。幸い、寝袋ならばある」

 

 老師が立ち上がり、家の奥から埃を被った寝袋を取ってきた。エドガーはそれを手に取り、「俺は」と口を開いた。

 

「出来るのだろうか」

 

「実現、という言葉がどうして存在するか知っているか?」

 

「いや」とエドガーは首を振る。老師は眼差しに力を込めて、「現世に実るからだ」と言葉にする。

 

「この世界にある、と信じる事によって実る力。全ては信じ、肯定するところから力を発する。ゴルーグとポリゴン、この二体を何故、御する事が出来ると考えた? それは実現可能だと考えたのは信じる力がお前さんの中にあるからだよ」

 

「信じる。……受け入れる、か」

 

 漠然と呟いた言葉に老師は、「さぁな」と濁した。

 

「答えは自分で見つけよ。ワシが言えるのは涅槃の光を得るために必要な事だというだけ。それ以上はない」

 

 老師の言葉にも信じるものがあるとすれば、エドガーは涅槃の光を掴むために必要なのが絆なのだと考えた。老師は、「ワシは家の中で寝る。お前さんのように若くはない」と引き帰してしまった。

 

 食事時だけ老師と食卓を囲み、それ以外の時間は二体のポケモンとの対話に費やす事にした。エドガーは青い月明かりが木々を通り抜けて降り注ぐ中、ゴルーグを眺める。ゴルーグはどこを見ているのだか分からない眼窩を向けている。思えば、この眼差しが自分を見た事など今まであったのだろうか。全てはモンスターボールによる催眠電波の幻想だったのではないか。あると確信していた絆も、当然だと思っていた関係も脆く崩れ去る虚構の城に過ぎなかった。エドガーは己を自覚する必要性に迫られていた。

 

 朝靄が漂い、黎明の光が昇り始めると、ゴルーグとポリゴンは活動を始める。この二体は人工的に造り出されたポケモンとはいえ、標準的な生活レベルを持っているらしいと知れた。エドガーはゴルーグに涅槃の光を見ようとしたが、老師から涅槃の光とはどのようなものかという説明も受けていないために無理な相談だった。ヤサブロウが毎日のように昼間訪れて、「老師がそんな事を?」と目を丸くした。

 

「ああ。あれが俺の手持ちだったポケモンだ」

 

 ゴルーグとポリゴンに視線をやる。ポリゴンはゴルーグの太い人差し指の上で首を巡らせている。まるでやじろべえのようだ。

 

「それは大変ですね。そこまでして涅槃の光を?」

 

 ヤサブロウの問いかけにエドガーは拳を握り締め、「ああ」と頷く。

 

「俺は手に入れなくてはならないらしい。一日でも早く」

 

「そう、ですか。私は才能がなかったので、諦めましたが」

 

「老師はあんたのほうが、俺よりもポケモンを操る事に優れていると言っていた」

 

 エドガーがそう口にすると、「私がですか?」とヤサブロウは微笑んだ。首を振りながら、「ないですよ」と答える。

 

「エドガーさんのほうが、私なんかよりずっとポケモンには詳しそうだ」

 

「詳しい事が、イコールポケモンを操る事に長けているわけじゃない。俺はあんたとドンファンを見ていると痛感する。俺とゴルーグ達との関係は結局、その程度だったって」

 

 エドガーは運搬車に背中を預けて屈み込んだ。ヤサブロウが、「老師は意地悪な方ですから」と口にする。

 

「そうやって人を惑わすのがお好きなんですよ」

 

「だとしたら、とんだ性悪だ」

 

 エドガーは吐き捨てて軒先で涼んでいる老師を見据えた。老師にはどこまで出来るのだろうか。ゴルーグを跪かせるくらいならば出来た。ならば技を引き出す事も当然、出来るだろう。自分以上にゴルーグをうまく使うかもしれない。それはエドガーの身に恐怖として降り注いだ。思わず身が縮こまる。ゴビットの頃から、自分と共にあったゴルーグが一夜にして主人を変える。最早笑い事ではなくなっていた。

 

「ゴルーグの心が分かりませんか?」

 

 ヤサブロウの声に、「さっぱりだ」と応じる。

 

「やはり涅槃の光に至れれば変わるのだろうか」

 

「私には何となくですが、ゴルーグの思っている事は分かりますよ」

 

 その言葉にエドガーは顔を振り向けた。ヤサブロウはサイコソーダの缶を握りながら、「きっとこう思っている事でしょう」と告げる。

 

「一日でも早く、主人が元気になるように、と」

 

「馬鹿な。俺は元気だ」

 

「体調じゃありませんよ。きっとゴルーグはかつてのエドガーさんに戻って欲しいんです」

 

 かつての自分。それはいつの自分だ? と自問する。ランポに出会う前のやさぐれていた自分か? それともその後か。またはさらに前の、ゴビットと初めて出会った時の話なのか。エドガーにはいつの自分に戻って欲しいと願っているのか分からなかった。

 

「過去はいらない、と俺は断じたんだがな」

 

「誰にだって過去はありますよ。生まれからは逃れられない。どんな事をしたって同じ事です」

 

「妙に達観している」

 

 エドガーが感想を口にすると、「すいません。偉そうですよね」とヤサブロウは苦笑した。エドガーは肩を竦めて、「別に構わない」と応じる。

 

「今の状況では、俺はあんたよりも格下だ」

 

「多分、老師はその事を言っているんじゃないでしょうか」

 

「何がだ?」

 

 エドガーが問いかけると、「下だとか上だとかじゃないんですよ」とヤサブロウは言葉を探りながら慎重に口にする。

 

「きっと信じるところから始まるんだと思います」

 

 エドガーはヤサブロウの言葉と老師の言葉の意外な一致にゴルーグに目を向ける。信じる、とはどうするのだったか。ポケモンを扱う、とはどうするのだったか。その根幹が問いかけられているような気がしていた。

 

「惑わすような言い方でしたよね。すいません」

 

 ヤサブロウが頭を下げる。エドガーは、「いや」と立ち上がった。

 

「少しだけヒントになった。ありがとう」

 

 サイコソーダを呷って、エドガーはゴルーグ達へと近づいた。ヤサブロウが、「健闘を祈っています」と背中に声をかける。エドガーは片手を上げて応じた。

 

 来る日も来る日も、根本を理解しようと努めた。エドガーは今までの自分の常識では涅槃の光どころかポケモンを使う事さえも出来ない事を悟った。

 

 今までの自分ではない。どこかで決着をつけなくてはならない。

 

 妥協でもなく、かといって分不相応な上を狙えというわけでもない。身の丈にあった考えを用意するのに、エドガーは四ヶ月を要した。草葉の色が移り変わり、見事な紅葉がその手を広げた季節になって、エドガーはゴルーグの一端をようやく垣間見た。いつものように何をするわけでもなく、ゴルーグ達の行く末を眺めていると不意にゴルーグが自分を見たのだ。その時、初めて主人として認識されたような気がした。エドガーは家に慌てて入り、「老師!」と名を呼んだ。

 

「俺のゴルーグが、今――」

 

 続けかけた言葉は視界に入った光景によって遮られた。老師が床の間に倒れ伏していた。エドガーは慌てて駆け寄って、「老師!」と身体を揺すぶる。老師がゆっくりと目を開けて、「よう、お前さんか」と酷く憔悴した声を漏らした。

 

 その翌日から老師はものを食べなくなった。どうやら身体が受けつけないらしい。エドガーは臥せっている老師の傍で看病を続けた。老師はしきりに首を振り、「涅槃の光の修行をしろ」と促したが、エドガーは最早それどころではなかった。老師はもう赤の他人ではない。自分の人生の道筋を正してくれた、かけがえのない人間の一人だ。ランポやユウキ、養父母と同じ、絆を共にする仲間だった。老師は弱々しく声を漏らした。その日は冷え込んでおり、重苦しい曇天が広がっていた。

 

「……お前さん」

 

 老師の声に、「何だ」とぶっきらぼうながらも他人ではない声音で応じる。老師は呼吸音と大差ない声で、「涅槃の光の修行をせよ」と言った。

 

「それこそが、お前さんに必要な道」

 

「今の俺には、あんたを見捨てる事は出来ない」

 

 ヤサブロウは秋時分から仕事が忙しくなって来られない日々が続いていた。自分が見捨てればこの老人は息絶えてしまう。それこそ誰にも看取られずに。それだけは、とエドガーは頭を振る。もう、目の前で命が散っていくのを見たくはない。老師は、「涅槃の光は、こんな時にも見える」と呟いた。

 

「ワシは、死ぬ時にこの光の先に導かれるのだと知っている。これは、生きている者には眩しい。この先に誘われるべきだったワシの魂は、八年間生き永らえた。だから、もういいのだ」

 

「もういい? もういいって何だ。俺はあんたから、まだ何一つ教わっていない」

 

 エドガーが奥歯を噛み締める。何一つ、孝行も出来ずに終わってしまうのか。せめて、教えがまだ終わっていないと言い張って老師の寿命を延ばしたかったが、老師は軽く首を振った。

 

「いんや。もうお前さんにも見えているだろう。ゴルーグが教えてくれた。お前さんにも涅槃の光を扱う資格が出来た、と」

 

「それは大切な人を失う事か」

 

 エドガーの言葉に老師は答えない。エドガーは問い詰めるように、「大切な人ならば、もう何度も失った」と告げる。

 

「その度に人生の袋小路に迷い込んだ。あんたは、俺を、救ってくれるんじゃ……」

 

「違うな。お前さんを救えるのはお前さんだけだよ。この世界で、それだけが理として決まっている。自分を導けるのは自分だけだ」

 

「それは、孤独であれと言っているわけじゃない」

 

「分かっておるじゃないか」と老師は満足気に頷いた。

 

「そうさ。決して一人では生きられない。ヒトもポケモンも、同じ事だ。世の理と問いかけるまでもない。既に答えはその手にあるじゃないか」

 

 エドガーはこの数ヶ月間で得たものを反芻する。ポケモンを信じ、自分を信じる事。偽りと怠惰に呑まれぬ事。常に自分から心を開き、肯定する事――。

 

「俺は、あんたに教えられた」

 

「そう。もう教えは終わりだ。これでようやく行ける。累乗の先の向こうへと」

 

「まだ行くな」

 

 エドガーは強い口調で遮ろうとしたが、今にも老師の瞼は閉じそうだった。口調を荒らげて、「まだだ!」と頭を振る。

 

「まだ何も、あんたは俺に教えていない。まだ、教わる事があるんだ。たくさん。これからも、ずっと」

 

「師匠を超えねば、弟子ではない。お前さんはようやく自らの道を選び取れた。お前さん、エドガーよ。その道を信じよ。信ずるところから、この世界は始まるのだ」

 

 エドガーは老師の肩を引っ掴んだ。老師はすうっと目を閉ざした。安らかな笑みが浮かんでいる。エドガーはこの手からこぼれ落ちた命を自覚した。

 

「老師……!」

 

 エドガーは老師の手を掴み、「約束する」と口にした。

 

「あんたの教えは俺が継ぐと。それが弟子の務めだ」

 

 翌日まで寝ずに待っていると、ヤサブロウが訪れた。ヤサブロウは既に玄関先で状態を察したようで中まで入ってくる事はなかった。

 

「知っていたのか?」

 

 エドガーの問いかけにヤサブロウは、「はい」と答えた。

 

「知っていて、何故教えなかった」

 

「老師は聞かれればあなたにも答えたはずです。聞かれなかったからでしょう」

 

「そんな理由で満足出来ると思っているのか」

 

 エドガーが肩を震えさせると、「老師は」とヤサブロウは口を開いた。

 

「きっと待っていたんだと思います」

 

「何をだ」

 

「自分ではない、未来の可能性に満ちた誰かが涅槃の光を手にするその時を。エドガーさん、私が見えますか?」

 

 エドガーは振り向いた。ヤサブロウの姿が見えない。肉体と言う楔を離れた光の奔流がとめどなくエドガーの視界に入ってくる。その中の「ヤサブロウ」と言う個体を意識してようやく視野に定着した。

 

「一瞬だけ、見えなかった」

 

「もう、あなたの眼も老師と同じ眼になったんでしょうね」

 

「老師はずっとこんな世界を? 八年間も?」

 

 とめどない光の先、涅槃の光は万物に等しい。軒先にいるゴルーグもポリゴンも、いつも老師と遊んでいたナゾノクサも、空を舞う鳥ポケモンも等しくエドガーの感知野に触れる。ヤサブロウが声で感知野の網を揺らした。

 

「そうです。私も、戸惑いました。しかし、私に見えるのは目が覚めて少しの間だけ。エドガーさんのように定着はしなかった。訪れる必要がないと判断されたのか、それとも才能がないだけなのか」

 

 ヤサブロウは薄く笑い、エドガーに、「これからどうします?」と訊いた。

 

「俺は、涅槃の光に達した。老師との約束だ。行かねばならない」

 

 保留にし続けた一事を思い返し、エドガーは立ち上がった。手に取っていた冷たい指先を自覚しながら、エドガーは老師の手を胸の前で組ませた。枕元に煙管がある。

 

「借りるぜ」

 

 煙管を手に取り、老師がいつもそうしていたように吹かした。半年振りの一服は苦々しい味を漂わせていた。エドガーは笑みを漏らし、「こんな不味いものを、老師は吸っていたんだな」とこぼした。

 

 ヤサブロウは、「老師から言伝をいただいています」と言った。恐らくはずっと前からそのつもりだったのだろう。ヤサブロウは慣れた様子で黒い鉄球の生成施設へと案内し、その後に続くゴルーグとエドガーに振り向いた。

 

「黒い鉄球、その残りを全てゴルーグとエドガーさんに託す、と。これは老師の最期の言葉です」

 

 エドガーは黒い鉄球が液状化している溶鉱炉を眺めた。ヤサブロウは決心したように告げる。赤い光がその顔の半分を照らしている。泣いているようにも見えたが、涙は流していない。

 

「これからゴルーグの全身に黒い鉄球を吹きつけます。ゴルーグとポリゴン、この二体はそれぞれの力を最大限まで発揮し、エドガーさんの助けになるでしょう」

 

 ヤサブロウが装置に手を伸ばし、そのついでにモンスターボールを手渡そうとした。エドガーは手で拒む。

 

「いらない。もう、俺には必要ない」

 

 エドガーの言葉にヤサブロウは微笑んだ。

 

「そう、でしたね。では、始めます」

 

 



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第八章 八節「凱歌」

 

 黒いゴルーグが片手にポリゴンを携え、もう片方の手首から噴射剤を吹かしながら空を舞う。エドガーはゴルーグの背に乗っていた。

 

 ゴルーグの知覚がエドガーの内奥へと光となって切り込んでくる。その意思の強さにエドガーは怯んだほどだ。これほどの強い意思を半年間燻らせ続けた。エドガーは確信する。

 

「ユウキ。今行く」

 

 エドガーは意識圏で既にユウキについての情報を仕入れていた。ハリマシティはその情報一色で染まっている。ユウキの居場所を探知するのは難しくなかったが、エドガーはユウキとの接触よりも、現れるであろう脅威へと目を向けていた。ユウキと直接顔を合わせる事はないかもしれない。しかし、ユウキの助けになろう。その黄金の夢に、命を賭けよう。エドガーはその夜、ユウキが強襲したプラントに現れるそれを知覚した。

 

「――来る。行くぞ、ゴルーグ。ポリゴン」

 

 エドガーの声に二体のポケモンが身じろぎし、ポリゴンは命令なしで「トリックルーム」を展開した。黒いゴルーグは初速が遅い。そのために飛び始めにはトリックルームによる補助が不可欠だった。ピンク色の立方体が足元から展開され、エドガーとゴルーグが神速を超える速度で一瞬にして高空へと飛び上がった。ハリマシティの雑多な街並みを眼下に収め、エドガーは複数の思惟が重なっている場所に敵を見つけた。既に開けられている穴から地下へと降り立つ。粉塵が舞い上がり、エドガーとそれの視界を覆った。ゴルーグは片腕を薙いで粉塵を振り払う。赤い眼をぎらつかせた半年前の怨敵、ギラティナとカガリが目の前に佇んでいる。エドガーは口を開いた。

 

「お前の相手はこの俺だ」

 

 カガリは目を見開いていたが、やがてぷっと吹き出した。

 

「何かと思えば。大仰なパフォーマンスで出てきたのは半年前の生き残りか。殺しても殺しても、無尽蔵に出てくる。羽虫みたいだよ、あんたらリヴァイヴ団はさぁ!」

 

 カガリの声に呼応するようにギラティナが口腔を開いて吼えた。しかし、今のエドガーはその程度では臆する事はない。エドガーは落ち着いて背後の男へと声を振りかけた。マキシとよく似た光を発している黒いコートの男だ。もしかしたら親子なのかもしれない、とエドガーは感じた。

 

「あんた、ここから逃げろ。これは俺とこいつとの戦いだ」

 

「しかし」と返事を寄越そうとした男へと、「俺は」と遮る声を出す。

 

「借りを返しに来た。半年前に生き永らえたこの命、拾われた命を、行くべき道へと導くために」

 

「何か達観しちゃっているけどさ。何? ゴルーグ黒くした程度で俺に勝てるとか思ってるの?」

 

 カガリがゴルーグとエドガーを値踏みするような視線を向けてくる。エドガーが無言を答えにすると、カガリはにわかに笑い始めた。

 

「マジかよ。ウケるわ。ああ、ウケる。ウケすぎちゃってさぁ――」

 

 カガリは天上を仰いで笑い声を止めた。不意に訪れる沈黙。固唾を呑んだ構成員達にカガリは言い放った。

 

「不愉快なぐらいにねぇ! 行けよ、ギラティナ! シャドークロー!」

 

 ギラティナが赤い翼を振り払い、赤黒い旋風が巻き起こった。局所で巻き起こった斬激の嵐に構成員達は顔を伏せた。その中でエドガーだけが真っ直ぐにその風の先端を眺めていた。その切っ先が自分に至る前に、ふっと呟く。

 

「ゴルーグ」

 

 その名を呼んだだけで、空間を飛び越えたようにゴルーグが前に立ち、その巨大な腕で、あろう事か赤黒い爪痕を掴み取った。カガリを始め、全員が瞠目した。

 

「シャドークローを、掴んだ、だと……」

 

 ゴルーグは足元から立ち上るピンク色の立方体の中で、束ねた「シャドークロー」の爪痕を握り締め、両腕で折り曲げた。「シャドークロー」が砕け霧散する。カガリは目の前の現実を信じられないようで目を戦慄かせている。

 

「ま、まぐれだ! もう一度、シャドークローを――」

 

「無駄だ」

 

 遮って放ったエドガーの声音の冷たさにカガリがうろたえたのを感じた。カガリの感情の波が手に取るように分かる。エドガーは目を鋭く細めた。

 

「ゴルーグはただ黒いんじゃない。全身に黒い鉄球を塗りつけてあるのと同じ効果を得ている。一個つけるだけで素早さが半分になるそれを、全身に、満遍なく、だ。つまり、素早さが反転するトリックルームの中ではどうなるか? ゴルーグは類を見ない最速のポケモンだ。それに比すれば、シャドークローなんて止まって見える」

 

 エドガーは片手を掲げた。指鉄砲を作り、「まぐれだと思うのならば」と告げる。

 

「もう一度撃ってこい。そうすれば分かりやすい」

 

 カガリは気圧された様子だったが、それでも隊長の矜持があるのだろう。構成員達の前で弱さは見せなかった。

 

「嘗めた真似を。ギラティナ、シャドークロー!」

 

 ギラティナが再び羽ばたき、その風が空間さえも掻っ切ろうとする。半年前には勝てないと直感で悟った攻撃を、エドガーはその眼で見据え、口にする。

 

「――遅い」

 

 ゴルーグが再びその手を振り上げ、今度はシャドークローを残さず叩き落した。さすがのカガリも面食らった様子で固まっている。エドガーは告げる。

 

「何なら、本当の姿になってみろ。この結果が信じられないって言うんならな」

 

 本当の姿、という言葉にカガリがたじろいだのを感じた。それを知っていて生きている者がいないからだろう。カガリはエドガーを睨み据え、「後悔するぞ」と吐き捨てた。「どっちが、かな」とエドガーが返す。カガリは懐から白金に輝く球体を取り出した。朗々と声を上げる。

 

「白金玉の導きに従い、来やれ! ギラティナ。その真の姿を!」

 

 ギラティナの足が仕舞いこまれ、突起が並び立つ。翼が崩れ、赤と黒で構成された爪の先のような帯を作り出す。王冠型の頭部が変形し、ギラティナの口を覆い隠した。反転世界における本来の姿に戻ったギラティナが咆哮する。その雄叫びに構成員達が竦み上がった。カガリが白金玉を掲げたまま笑い声を上げる。

 

「これが、ギラティナ、オリジンフォルム! これを見て、生きて帰った人間もポケモンもいない」

 

 カガリが言い放った声に、「ならば、お前らは幸運だな」とエドガーは構成員達に目を向けた。カガリが、「何を……」と口を挟む。

 

「言っている? いかれたか?」

 

「いかれちゃいないさ。この構成員達は運がいい。三度転生したって見られないオリジンフォルムが見られて、なおかつ、生きて帰れるのだから」

 

 カガリが屈辱に頬を引きつらせ、「この場所が無事で済むと思っているのか?」と尋ね返した。

 

「カタセさんはウィルを裏切った。反逆者に戦力を渡す結果になってしまった。俺としては速やかに事を収めねばならない。だから、構成員の命なんかに頓着してはいられない」

 

 カガリの言葉を聞いて構成員達が震え上がった。エドガーは、「心配はいらない」と声を出す。

 

「誰一人として死なないさ。カタセ、とか言ったか、あんた。一度テレポートか何かで跳ぶだけの力は、そのポケモン」

 

 エドガーが目を向ける。三日月形の頭部を持つポケモンは力なく鳴き声を上げた。本来ならばピンク色の羽衣が少し濁っている。

 

「まだやらなければならない事が残っているんだろう? だったら、あんたは死ぬべきじゃない」

 

「だが、私の部下をみすみす殺させるわけには――」

 

「心配はいらない」

 

 エドガーは遮って言葉にした。

 

「俺がそんな隙は微塵にも与えない」

 

 エドガーの言葉にカタセもカガリも沈黙した。カタセは信用していいのかという逡巡を、カガリは屈辱に耐えているようだった。今すぐにでもこの場を灰燼に帰したいのだろう。エドガーとゴルーグはギラティナとカガリに向き直った。

 

「早く行け。俺達ならば何の心配もいらない」

 

 その声にカタセは一つ頷き、手持ちのポケモンにテレポートを命じた。カタセの姿が掻き消えていく。カガリとギラティナが動いた。

 

「行かせるか! ギラティナ、シャドークロー!」

 

 ギラティナの背中から伸びた帯がカタセを射程に捉え、赤黒い疾風を撃ち込んだ。空間を捻りながら直進した暴風のような一撃は、しかしカタセまでは届かない。素早く動いたゴルーグが全身から蒸気を迸らせ、平手を一閃した。それだけでシャドークローの嵐は掻き消された。

 

「何を……」

 

「同じような突風を起こさせて相殺させた。最早、その技は通用しない」

 

 それに、とエドガーはカガリとギラティナの繋がりを視る。カガリの強い精神力に呼応しているようだが、やはり腐っても伝説のポケモン。相当な自我が存在し、それがポケモンとトレーナーの境界を明確にしている。もっとも、それがなければ今頃カガリ自身がギラティナの持つ闇に呑まれているだろう。それだけ愚鈍という事か、とエドガーは理解した。半年前には圧倒的なプレッシャーの塊として存在した敵が、てんでバラバラの方向性を向いている事にエドガーは苦笑を漏らす。その笑みをどう解釈したのか、「いい気になるなよ」とカガリが喉の奥から声を搾り出す。

 

「シャドークローを防いだ程度で。この建物ごと、バラバラにしてやるよ! ギラティナ、シャドーダイブ!」

 

 ギラティナの姿が融けて弾け飛ぶ。影の雨となったギラティナが空間に染み渡り、このプラントごと消し去るかに見えた。しかし、ゴルーグとエドガーの眼に迷いはない。エドガーは素早く片手を薙いだ。余計な言葉は必要なかった。

 

「引きずり出せ」

 

 その言葉に呼応したゴルーグが全身から咆哮を発した。ゴルーグの姿が掻き消え、次の瞬間、空間のある一点に向かってゴルーグは突きを放った。その一撃が空間を割った。ガラスのように空間が砕け、内部に紫色の何かが見えた。ゴルーグが吼えながら膂力に任せてそれを引きずり出す。そこにあったのは脊髄と僅かな臓器だけを身体に残したギラティナだった。ギラティナが「シャドーダイブ」によってこの全空間に染み渡る前に、ゴルーグは空間からギラティナを引きずり出したのだ。しかし、そのような事が理論上で可能なはずがなかった。カガリは狼狽し、「嘘だ!」と喚く。

 

「俺のギラティナが、こうも簡単に……」

 

「お前らはそれぞれの力のベクトルが強い。だからこそ、強大な敵だった。だが、そのベクトルが異なれば異なるほどに隙は生まれる。ギラティナがお前を必要としていないように、お前も本質的にはギラティナを必要としていない。お互いに強いから。だからこそ、お前らには一生分からないだろう。俺と、ゴルーグの事など」

 

 エドガーが目を細める。その眼差しに浮かんだ憐憫の情にカガリは苛立ちをぶつけた。

 

「何だよ。何だって言うんだよ! その眼は! 半年前のゴミが今さらに!」

 

 カガリの声にギラティナは分裂させていた自己を修復させて身体を元に戻した。「シャドーダイブ」による闇討ち戦法から切り替えたのだ。

 

「……だったら、お前らを奪ってやるよ。これが本当のシャドーダイブだ」

 

 王冠の装飾である口元が割れ、ギラティナが地獄の底から響くような声を発する。

 

 その直後、ゴルーグの肩口を何かが抉った。エドガーが肩を押さえる。エドガーの肩口も同じように何かに浸食されていた。その正体を見極める前に、もう一撃がゴルーグの腹部に突き刺さる。今度はエドガーにも見えた。それは黒い球体だ。球体が空間ごとゴルーグの身体に攻撃を加えているのである。

 

 空間を侵食する「シャドーダイブ」の応用であった。任意の空間を切り取り、ダメージを与える。本来のシャドーダイブのような一撃必殺ではないが、じわじわとなぶり殺しにするにはこれ以上ない適役の技だ。

 

 エドガーがよろめくとゴルーグもよろめいた。その反応を観察したカガリが、「そうか」と声を発する。

 

「お前ら、同調関係に近いのか。だから俺の攻撃も見切られたわけだ。化け物相手だったのならギラティナの攻撃が無効化されたのも頷ける。そうでなければ、ゴルーグ程度に遅れを取るなど」

 

 黒い球体が細やかな粒の残滓を残しゴルーグの膝頭を食った。ゴルーグに併せてエドガーも膝をつく。鋭い痛みの中、感知野の網が揺らいだのを感じた。涅槃の光が薄らぎ、本来の視野に戻りつつある。

 

「こんな時に……」

 

 エドガーは忌々しげに呟き、額を押さえた。まだだ。まだ持ってくれ。それだけを願う。しかしエドガーの意思とは裏腹に涅槃の光が溶けて消えようとしている。

 

 ゴルーグがオォン、と吼える。エドガーも腹腔から雄叫びを上げて奮い立たせようとしたが、身体は言う事を聞いてくれない。限界が近い、とエドガーは客観的に自分を分析した。このままでは、と萎えかけた意思の緩みにゴルーグが反応して涅槃の光がさらに薄らぐ。エドガーは深海に没するような身体の重さを感じる。今まで優勢に立っていたのが嘘のようにギラティナのプレッシャーが圧し掛かってくる。

 

 押し潰される、とエドガーは覚悟した。赤い眼がぎらついてエドガーを見下ろす。この赤い眼に半年前には手も足も出なかった。今もまた、同じように食い尽くされるというのか。

 

「……違う」

 

 エドガーは喉の奥から声を発した。黒い球体がゴルーグに撃ち込まれる。しかし、エドガーはよろめく様子もなく立ち上がった。カガリが片手を薙いだ。視界を横切るように黒い球体が鈴なりになって展開される。エドガーはカッと目を見開き、息を吐き出すと同時に応じるように片手を薙いだ。ゴルーグが連携して動き、振るった拳が赤い光を帯びて空間に線を引く。すると黒い球体が弾け飛び、シャボン玉のように連鎖して割れた。カガリが信じられないような眼差しをゴルーグとエドガーに向ける。その眼に浮かんだ恐怖にエドガーは口にしていた。

 

「恐れているな」

 

「恐れている? 俺が、か……。馬鹿な。ギラティナを操る俺に恐れなど――」

 

「慢心だ」

 

 遮って放った声にゴルーグが肩口から蒸気を迸らせて跳び上がった。赤く発光する拳を振り翳し、ゴルーグはギラティナへと飛びかかった。ギラティナが赤い帯状の翼を展開しシャドークローで迎撃しようとする。ゴルーグはもう片方の手を前に翳し、壁のように立てた。その掌から空間を震わせる波動が発せられ、シャドークローが減衰する。

 

 怯えたようにシャドークローの波が弱体化した。ゴルーグは脚部を仕舞い込み、推進剤を焚かせる。ギラティナの懐へと肉迫したゴルーグは赤い拳を打ち込んだ。その直後、空間が鳴動し打ち込まれたギラティナの肉体に亀裂が走った。

 

「鋼タイプの技、ヘビーボンバー。重ければ重いほどに威力が上がる。今のゴルーグの重さは、ギラティナ、お前の何倍だ? その威力を食らい知れ」

 

 赤い拳が今にも爆発しそうなほどに膨れ上がり、ギラティナの身体を圧迫する。カガリは手を振り翳して叫んだ。

 

「シャドーダイブで無効化しろ!」

 

「逃がすか」

 

 ゴルーグのもう片方の手から拳が放たれる。カガリは、「馬鹿め!」と声を発した。

 

「ギラティナはゴースト・ドラゴンタイプ。ただの拳など避けるまでもない」

 

「ただの拳? そう見えるのか、お前には」

 

 エドガーの声にカガリが反応する前に、ゴルーグの打ち込んだ拳がギラティナの首筋に命中した。ギラティナは完全に避けられると思っていただけにダメージは大きい。王冠型の頭部に皹が入り、打ち込まれた箇所の肉が弾け飛んだ。ギラティナの叫び声が木霊する。カガリは、「……何故」と呻いていた。

 

「ミツヤ。お前のお陰だ」

 

 呟かれた言葉にゴルーグの拳の命中箇所にある的をカガリは発見した。エドガーは最初から涅槃の光でミツヤがその場所へと拳を導いているのが見えていた。その時になってようやく、「ああ」と声を発する。

 

「そうか、ミツヤ。お前は半年前に。……だが、仇は討ったぞ」

 

 ミツヤのポリゴンZが半年前に「トリック」でギラティナに埋め込んだ道具、狙いの的の効果だ。ギラティナにはタイプ相性が関係なく、全ての技が命中する。この半年間、カガリは実戦などまともに行ってこなかった。ほとんど指揮だけで済んだ。そのせいで半年前につけられた傷を見落とした。

 

 エドガーは雄叫びを上げる。

 

 それに呼応してゴルーグが下半身から推進剤をさらに噴かし、咆哮した。叫びと共に拳が打ち込まれる。

 

 ゴルーグの拳がギラティナの頭部を破砕する。ひしゃげた頭蓋を晒したギラティナがよろめく前に、もう一撃が下段から打ち込まれた。ギラティナはゴルーグの間断ない拳の応酬に呻く間もなく、ましてや避ける事など叶わない。ギラティナの攻撃が巻き起こる前にゴルーグの重い追撃がそれを掻き消す。ギラティナの意識の一点が消えかけた。それをエドガーも感じ取った直後、ピシリと何かに亀裂が走ったのを音で感じた。エドガーが目を向けると、ギラティナとゴルーグを中心として黒い渦が巻き起こっていた。その渦は最初、墨を落としたかのような一点だったが、すぐに巨大な暴風と化した。煽られながらカガリが呆然と口にする。

 

「もう、いいや。ここでギラティナが殺されて、俺が負けるくらいならよ。相打ちに持ち込んでやる」

 

「何のつもりだ」

 

 エドガーの声にカガリは頬を引きつらせて笑みを浮かべた。

 

「反転世界さ。本来、ギラティナはそこにいたんだ。そちら側へと、お前ら全員を引き込む。悪いな、カタセさんの部下達。お前らも巻き添えだ。この場にいる全ての人間が、ギラティナへの手向けになるんだよ」

 

 カガリは腹を押さえて嗤った。狂気の笑い声だった。最早、カガリは勝ち負けという些事に拘っているのではない。この場で自分のギラティナが敗北を喫し、生き永らえる事がどれほどウィルの士気に影響するのかを理解している。

 

 β部隊のために、という思惟が流れ込んできてエドガーは睫を伏せた。彼もまた、自己よりも他を尊重する人間だった。ミツヤや部下達を殺した人間が、自分と似ている精神である事にエドガーは思わず自嘲した。

 

「お前のやり方もまた、王道か。しかし、俺は無関係の人間に死ぬ事をよしとしない」

 

 エドガーはゴルーグへと思惟を飛ばす。ゴルーグはギラティナを押さえ込んだ。ギラティナが口腔を開き、そこから紫色の光条を放つ。一条の光がゴルーグの胸元を捉えた瞬間、黒い球体となって胸を抉った。その一撃はエドガーへと還ってくる。エドガーは奥歯を噛み締めてそれに耐える。ゴルーグは胸元の絆創膏のような意匠が剥がれ落ちていた。

 

 直後、ゴルーグから眩いばかりの光が放たれる。黒いゴルーグは全身から蒸気と光を滅茶苦茶に放出した。ゴルーグは胸元の安全装置が剥がされると暴走する。古代の人々がそう造ったのだ。

 

 ゴルーグの力の意思に呑み込まれそうになりながらエドガーは踏ん張った。ここで戦わないでいつ戦うというのだ。エドガーは涅槃の光によってゴルーグとの繋がりを自覚し、同期した架空の手でギラティナの頭部を押さえた。首根っこを捻り上げると、ギラティナがさらに黒点を広げながら乱雑な声を上げる。最早、ギラティナもその攻撃を制御出来ていない。反転世界に全てを追いやる気だ。エドガーは、「ゴルーグ!」とあえて呼んだ。

 

「このままこいつに反転世界の扉を開かせるわけにはいかない。犠牲はもう、俺たちだけでいい」

 

 その言葉に応じたのはトリックルームを張っていたポリゴンだった。ポリゴンは進み出て口元にオレンジ色の光を回転させ球形に凝縮した。直後、放たれた光――破壊光線がギラティナに命中する。怯んだギラティナをゴルーグは膂力で一気に端へと追い込んだ。黒い渦がギラティナとカガリ、ゴルーグとエドガー、ポリゴンを呑み込んでいく。その瞬間、エドガーは小さな声を聞いた。

 

 ――サヤカちゃん。あとは……。

 

 カガリの声だったのだろう。カガリにも託すものがあったのだ。誰にだって意思はある。後に続く者へと望むもの。それが潰える事こそ命が消える事よりも恐ろしい事をエドガーはよく知っている。

 

「俺達だけだ。全て、因果は終わりにしよう」

 

 エドガーは自ら黒い渦の中へと飛び込んだ。ギラティナもその向こう側へと消えていく。エドガーは涅槃の光から切り離されるのを感じた。反転世界にはないのか、瀕死のギラティナとゴルーグ諸共、空間を捩じ切って光の一片すら吸い込もうとする。エドガーはゴルーグに最後の命令を下した。それは反転世界への扉を閉ざす事だった。ゴルーグが白い眼窩を向けてくる。いいのか、と問いかけているようだった。エドガーは穏やかな声で、「いいんだ」と告げる。

 

「俺達の役目はここまでだ。きっとユウキとランポは繋げてくれる。あいつらはそういう奴らだ。道を作るのは俺達の役目。導くのはあいつらの役目だ」

 

 明日へと続く希望へと、それこそ勇気で傷ついたこの土地を癒してくれるだろう。

 

「お前は、何者だ? 何故、こうまでする?」

 

 ほとんど上下感覚の消え失せた虚空の中でカガリが問いかける。自己犠牲を厭わぬエドガーの姿勢に敵ながら感じるものがあったのだろう。エドガーは答えた。

 

「リヴァイヴ団……、いや、違うな」

 

 エドガーはカガリを見据えてずっと持っていた言葉を発する。

 

「――俺は、ブレイブヘキサのエドガーだ。俺を導いてくれた人達のために、俺は戦う。たとえ終わりがなかろうと、終わりを貫き明日へと繋ぐ。それがブレイブヘキサだ!」

 

 ゴルーグが振り上げた拳がギラティナに命中し、ギラティナの最後の一片が反転世界へと吸い込まれた。ゴルーグとエドガー、ポリゴンもその向こうへと消えていく。エドガーは、「あばよ、ユウキ」と別れを告げた。

 

「また会おう」

 

 その言葉に応えるものはなく、暴風と黒点が消え去ったその場所には残された構成員達が立ち竦んだ。

 

 空間そのものが抉り取られており、彼らは目の前で消えた二人の人間と三体のポケモンの事を、ずっと心に留める事を決意した。誰かがウィルの凱歌を歌い始める。それは次第に伝播していき、その場にいた全員が消えていった戦士に歌声という手向けを捧げた。

 

 



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第八章 九節「悪の胎動」

 

 意識の表層が知っている声を拾い上げたような気がした。

 

 しかし、それを確かめる前に、「ユウキ」とテクワが声を放った。テクワは後ろを気にしながらユウキへと質問する。

 

「……色々と聞きたいが、まずはどこに向かっているのか。それを教えてくれ」

 

 テクワの中でも思うところはあるのだろう。ユウキは、「見知った場所ですよ」とテクワを連れて三十七番道路を下った。後ろから青と赤の光を棚引かせてKとマキシがついてくる。テクワは呟いた。

 

「お前、強くなったな」

 

 不意打ち気味の声に、「僕がですか?」と聞き返す。

 

「ああ、俺の知っているお前からさらに強く。誰の助けもいらないと思えるほどに」

 

「僕は弱いですよ」

 

 自分では何よりも分かっている。自分の弱さ、未熟さを。だからこそ、支えてくれる誰かが必要になるのだ。この半年間、それはレナであり、キーリであり、FやKでもあった。孤独を極めるだけの戦いの中で再び仲間と巡り合えた事は僥倖と言う他ない。

 

「どうして、僕らについてくる気になったんです?」

 

 ユウキが逆に質問した。テクワは、「そうだな」と声を発する。

 

「あの人が俺のお袋に似ていたからかな」

 

「Kさんですか?」

 

「ケイ、って言うのか?」

 

「アルファベットのKです。本名は知りません」

 

 テクワはKについて何かを知りたがっているようだったが、これから教えればいいと感じていた。間もなくユウキはアジトであるマンションの前に停車した。追ってきた青と赤の光が消え、Kとマキシが追従する。

 

 ユウキはガレージ内のエレベーターに全員が乗ったのを確認して降下した。ユウキがヘルメットを脱いでいると、テクワがドラピオンを出した。その段になってようやく周囲の状況が掴めたかのようだった。サングラス越しの眼が蒼く光っているのを見て、ユウキは息を詰まらせる。

 

「テクワ。眼が……」

 

「ああ。視えていない。だがドラピオンを出せば視える。心配すんな。普段でも盲目だって事は他人に気取られない」

 

 マキシへと視線を流すと、「本当だよ」と応じた。

 

「こいつは眼が視えていないのに視えている奴よりも物事をこなす」

 

 テクワは観察の視線を注ぎながら口笛を鳴らす。

 

「すげぇなぁ。秘密基地みたいじゃんか」

 

「みたいじゃなくってそうです。半年間、僕らはここで生活していた」

 

「プライバシーはどうなっているんだ?」

 

「それはお互いの気の配り合いで」

 

 テクワは何を想像しているのだろう。顎に手を添えて、「なるほどな」と納得したようだった。マキシは一言も発しない。それが気にかかってユウキは口を開いた。

 

「マキシ、お父さんは」

 

「親父は、きっと死んでいない。もう一度、帰ってくる。俺はそう信じている」

 

 思っていたよりも心強い声に、マキシもまた誓ったのだと悟った。本当に戦うべき相手と戦って向き合い、己の弱さ強さを知った。誰かの意思を受け継ぐ事も。それを知った人間はこれから先、進むべき道を見つけ出す事をユウキは経験則から理解していた。

 

「そう、ですか」

 

 ユウキの遠慮がちな声が響き切る前にエレベーターが下階層へと到達した。シャッターが開き、レナが出迎える。その瞳がテクワとマキシを見つけ見開かれた。奥に佇むキーリがディスプレイから視線を外さず、「遅かったわね」と冷静に返す。

 

「作戦遂行時間を四十秒過ぎているわ」

 

 キーリは振り返り、テクワとマキシを視界に入れたがさして驚いている様子はない。むしろ、予定調和と言った態度だった。テクワがキーリを顎でしゃくり、「そこのガキンチョは?」と訊く。

 

「ガキンチョとはとんだ言い草ね。他人の母親に自分の母親を重ねたカッコ悪いお兄さん」

 

 キーリの言葉にマキシと共にテクワへと視線を向ける。テクワは身体を震わせ、「何でそれを」と言葉を詰まらせた。

 

「馬鹿ね。戦闘時にはマイクの一つや二つがついているのが当然でしょう。データ取るんだから。ママのマイクにバッチリ録れているわよ。あなたのあられもない声が」

 

 キーリがにやにやと笑いながらテクワを見つめる。どうやらテクワは早くも弱みを握られたらしい。「冗談は言いっこなしだぜ……」と頬を引きつらせている。

 

「あら? 冗談だと思っている? じゃあ、ここで再生ボタンを」

 

 エンターキーへと手を伸ばしかけたキーリをテクワは、「ああ、分かったから!」と制した。

 

「やめてくれ。俺の沽券に関わる」

 

「そんなもの、元からあったのかしら?」

 

 ここぞとばかりにレナも責め立てた。「にゃろう……」とテクワが渋い顔をする。当事者であるKは黙ってその場に立っていた。マキシが歩み出し、「ここで、半年間か」と呟いた。周囲を見渡す目にはユウキ達が辿った反抗の一端でも掴み取ろうとする意思がある。それはテクワも同じようで、「そうだな。こんな穴倉で」と首を巡らせた。

 

「少しくらいは同情してくれる?」

 

 腕を組みながらレナが告げると、「まぁな」とテクワは頭の後ろに手をやって頷いた。

 

「まるでモグラだぜ」

 

「まさしく私達はモグラとしてウィルに追われていたわけなんだけどね」

 

 レナが片手を振るってテクワの言葉をいなす。テクワは鼻を鳴らして、「半年経っても相変わらずだな」と言った。

 

「鼻持ちならねぇよ」

 

「お褒めに預かり光栄だわ」

 

 レナの舌鋒も負けてはいない。この半年間、キーリくらいしか対等に話す相手がいなくてそれは衰えたかに思えたが、全くの杞憂だったらしい。テクワは、「可愛くねぇな」と口走る。

 

「嫌われるぜ」

 

「嫌われて結構、好かれちゃ困るってね」

 

 ようやくレナはこの場に二人の仲間が揃った事を認め始めたようだ。すっかり異物感は失せたような声音になる。ユウキは本当のところ心配していた。かつての仲間とはいえ、この場所に二人ものウィル構成員を招いてよかったのかと。行きがかり上とはいえユウキの勝手だ。それをキーリやFが許すだろうかと思ったのだが、直後に響き渡った声がその不安を吹き飛ばした。

 

『賑やかになったじゃないか』

 

 Fの声にテクワとマキシが身を硬くする。ユウキは、「心配しないでください、味方です」と告げた。ライフルを構えようとしたテクワは、「味方って」と口を開く。

 

「パトロンでもいるのか?」

 

「いなきゃどうやってユウキは半年間も逃げ続けて、あなた達の拠点を押さえたのかしら。そのくらい知恵は回るでしょう」

 

 今度の言葉はキーリのものだった。テクワはキーリの声に鼻筋を擦って応じた。

 

「何だよ。似たようなのが二人もいやがる」

 

「「似ていない!」」と二人の声が相乗した。キーリとレナが顔を見合わせて歯噛みし、お互いに顔を背けた。どうやら同族嫌悪があるらしい。Fは、『テクワ君。君の考えている通りだ』と答える。

 

『ワタシはユウキ君達と共に成し遂げたい目的がある。そのために彼らの力を貸してもらっている。いわば共存関係』

 

「尻尾切りをしないっていう保障はあるのかよ」

 

 テクワの言葉はもっともだったが、それならば最初の任務の時にでもすればいい。ユウキは説明した。

 

「Fと僕達はある目的の下、共に戦っています。Fはウィルδ部隊の人間です。キーリもその一員」

 

 ユウキが視線を向けると、「δ部隊って……」とテクワは声を詰まらせた。

 

「あの秘密主義の部隊かよ。裏でこんな事を」

 

 改めて基地内部を見渡す。感心しているのか、「ほお」と声が漏れた。

 

「俺達もδ部隊の事はほとんど知らない。まさかお前らと通じていたとはな」

 

 マキシが口にすると、『我々は特殊だからね』とFが応じた。

 

『君達、ε部隊のような戦闘部隊には特に露見してはならない。戦闘能力に関してはワタシとて二等構成員レベルだ』

 

 そのような事を言っていいのかとユウキは感じたが全ては二人からの信頼を授かるためなのだろう。Fとて危険な綱渡りをしようとしている。それが分かり、ユウキも緊張を走らせた。テクワとマキシは自分でもまだ理解の及んでいないFの事を信用するだろうか。固唾を呑んで見守っていると、「一ついいか?」とテクワが尋ねた。『何かな?』とFが冷静に対処する。

 

「この人、Kって人とあんたとの関係は?」

 

 それは聞くべき事なのだろうか、とユウキは考えたがテクワにとっては重要な一事らしく眼差しは真剣だった。それを監視カメラで眺めていたのだろう、Fは少しの沈黙の後、『妻だ』と答えた。

 

『ワタシの愛する人だよ』

 

 テクワは、「そうか」とだけ返した。テクワとFの間に今の一瞬で流れた何かがあったようだがユウキにはまるで分からなかった。これはポケモンといくら同調しても分かる事ではないのかもしれない。

 

「じゃあ、次にあんたらの目的だ」

 

 テクワからしてみればそれが二の次だったらしい。本来ならばまずそれを訊くところだろうがKに関心があったようだ。ユウキはKをちらりと見やる。細身で小柄な身体は一児の母とは思えなかった。その視線を感じ取ったのかKがバイザー越しに視線を向けたのが感じられてユウキは思わず目を逸らす。考えてはいけない事を考えたような背徳感が胸を掠めた。

 

「ユウキ達を利用して何がしたい? ウィルでありながらウィルに喧嘩を吹っかけてどうする? あんたらδの考えが知りたい」

 

 それはユウキも望んでいた質問だった。この際にはっきりとさせたい。Fが覗き込んでいるであろう監視カメラへと視線を流し、「それは僕らも訊きたい」と言った。

 

「F、あなたの真の目的は?」

 

 重ねたユウキの質問にFは、『今回の任務は完了したかな』と見当違いの言葉を発した。

 

「え、ええ」

 

 ユウキがうろたえながら答えると、『そのデータこそが答えになる』とFはデータの引き渡しを要求してきた。ユウキは逡巡の間を浮かべてレナへと目配せする。レナは眼鏡越しに肯定の眼差しを送った。Fは信じられる、なのか、それともFに決定権が渡る前に防げる、という意味なのか。どちらにせよ、ユウキ達がここで裏切られる心配はないとでもいうような眼だった。次いでキーリに目を向けると、「大丈夫よ」とキーリは口に出した。

 

「パパは裏切ったりしない」

 

「パパ? って事は、Kとあんたの娘がそこのガキンチョだって事か?」

 

 テクワの質問にFは僅かに沈黙を挟んだ。ユウキは疑問を浮かべる。何故、即答しない? 先ほどKの事を訊かれた時にはすぐに答えたのに、これには迷いがあるような気がした。どうしてか、とユウキが勘繰る前に、『大事な一人娘だ』とFが応じた。

 

『ワタシにとって何者にも変えられない』

 

 その言葉にキーリが僅かに顔を伏せたのが分かった。何故、喜ばないのか。ユウキが怪訝そうにしていたのが伝わったのか、「そういう事よ」とキーリは努めて真っ直ぐ口にする。何も恥じる事がないとでも言うように。

 

「そんな下賎な事を気にするもんじゃないわ」

 

 キーリの声に、「確かに勘繰って悪い」とテクワは素直に返した。テクワの様子も気になったが、ユウキは話を戻す事にした。

 

「F、どうなんですか?」

 

『答えはそのデータだと言った。ユウキ君、渡して欲しい』

 

 ユウキは抱えていたヘルメットからケーブルを伸ばした。キーリが促して端末に繋げる。レナとその際、視線を交わした。キーリを防げるのか、という問いを含んだ眼差しにレナは静かに首肯する。キーリがケーブルを繋ぐとヘルメットに蓄積されたデータが読み込まれた。その中にはユウキのデータも入っている。羅列されるデータの流れを見ながら、キーリはキーを打ち始めた。

 

「これね」とキーリがウィンドウの中央に呼び出したのは「RH計画」のデータだった。テクワが眉根を寄せて、「何だ? それ」と口にする。

 

「RH……、血液型か?」

 

「ボスが進めている計画です」

 

「ボスって、ウィルの?」

 

「いえ、リヴァイヴ団の」

 

 ユウキの返答にテクワは鼻白んだ様子で、「わけが分からん」と言い放った。テクワからしてみればそうだろう。古巣であり、半年前に瓦解した組織の事だ。

 

「よく聞いてください。半年前、僕はリヴァイヴ団を裏切ろうとしました。レナさんを連れて、逃げ去ろうとしたんです」

 

 その言葉に二人して瞠目した。さすがにそこまでは考えていなかったのだろう。

 

「俺は組織が勝手にお前を敵対者として作り上げたんだと思っていた」

 

 テクワの言葉に半面は間違いではない、と頷く。

 

「それもありますが、僕は裏切った。ランポはその後処理を任されたのでしょう」

 

「任されたも何も、お前の抹殺指令を出したのはそのランポだぜ?」

 

 テクワの言葉にユウキは息を呑んだ。Fへと視線を向けると、『君がショックを受けると思ったのだ』と隠されていた事が分かった。レナへと視線を向けると、「ボスとして号令しなくてはならなかったでしょうね」と諦観した様子で告げた。どうやら知らなかったのはユウキだけらしい。

 

『君の戦意を削いではならないと黙っていた。ワタシの落ち度だ、すまない』

 

「……いえ。確かに、僕もショックですけど。別に、僕は」

 

 額を押さえてよろめくとマキシが、「大丈夫かよ」と口にした。ユウキは努めて笑顔で、「ええ」と頷いてみせるが、「嘘をつくな」とマキシが声に出す。

 

「俺と同じだ。ショックから抜けきろうと虚勢を張っている」

 

 マキシは父親の事も言っているのだろう。カタセとの和解と決別はマキシにとって青天の霹靂だっただろう。突然に理解出来たと思ったら次の瞬間には手が届かない。親と子はそのようなものなのかもしれない。早くに死に別れた自分には、その気持ちがいまひとつ分からない。

 

「すいません。そうですね。倒れそうなほどに、ショックです」

 

 正直に口にしてみると、『そうだろうと思っていた』とFは少しだけ憐憫を含んだ声を漏らした。

 

『君とランポは、特別な信頼関係にあったと見える。同じチームでも、ランポと君だけは違う思惑で動いていた。違うかな?』

 

「ええ、そうです。僕らは最初から、ボスを裏切るつもりだった」

 

 キーリが目を瞠るが、Fはさして驚いている様子でもなかった。『そうか』と重々しく口にした後、『……似たような人を、重ねてしまうな』とこぼした。思わず、「えっ?」と聞き返す。

 

『何でもない。忘れてくれ』と告げたFはいつもの冷たい口調に戻っていた。

 

『ランポの事、黙っていたのは謝ろう。しかし、今はそのような場合ではない』

 

 Fの言葉にユウキは首肯した。

 

「RH計画」

 

 示し合わせたようなユウキとFの言葉に、「おいおい」と水を差したのはテクワだった。

 

「そっちだけで納得されても困るぜ。何だ? RH計画ってのは」

 

「ボスが進めていた計画です」

 

 同じ言葉を繰り返すと、「それだよ」とテクワが指差した。

 

「それ、とは?」

 

「そのボスって言うの。だって今はリヴァイヴ団ってないんだぜ? ウィルが合併して吸収しちまった。かつてのボスって言うのも幹部ポストに収まっているんじゃないか」

 

『君の推測はもっともだ。ワタシ達も、その線で洗っている最中なのだから』

 

「俺はただ幹部になっているって言っているわけじゃないんだぜ?」

 

 テクワはどこを指差せば分からなかったせいか、ディスプレイを指差して口にした。

 

「そいつがウィルからそのRH計画とやらを隠し通せるのがおかしい、って言ってんだ。幹部だってよ、そう自由じゃない。俺は所詮二等構成員だけどよ、カタセさんの右腕としてそれなりに有能だったつもりだ。隊長だって全然自由じゃない。その上のポストがゆるゆるだっていうのは根拠に欠ける。もし、だ。緩かったとしてもお互いに覇権争いをしている。監視しているだろ、互いの動向を。元々は違う組織、敵対していたって言うんならなおさらだ」

 

 テクワの言葉は的を射ている。キーリが、「へぇ」と声を発した。

 

「何も入っていないマザコン馬鹿だと思っていたけれど、結構頭は回るのね」

 

「うっせぇよ、クソガキ。てめぇなんて親からまだ自立のじの字もねぇ年頃だろうが」

 

「ところが、私もあなたと同じ、立場では二等構成員よ。残念ね、見下せなくって」

 

 キーリが足を組んで高圧的に微笑むとテクワは舌打ちを漏らしてから、「この程度、普通の推測さ」と肩を竦めた。

 

「で? 結局のところどうなのよ。その辺きちんと考慮してる?」

 

 テクワが挑発的に尋ねると、キーリが、「失礼ね、パパは――」と答えようとするのをFが声で制した。

 

『いい、キーリ。彼にはワタシ自らが説明しなくては進まないだろう』

 

 キーリが口を開けたまま目力でテクワを睨んだ。テクワは素知らぬ顔を貫いている。ドラピオンがいなくては盲目なのによくもまぁここまで出来るものだとユウキは感心すら覚える。

 

『まず一つ。リヴァイヴ団のボスは君達に一切、姿を見せなかった。声も男か女かも分かっていない。ここまでは共通認識として構わないかな』

 

「ああ。いいぜ。俺達も知らなかった」

 

 テクワはあくまで情報を後出しで、なおかつ小出しにするつもりだ。Fの腹を探ろうとでも言うのだろう。テクワらしい考えだ。

 

『では第二に、リヴァイヴ団のボスが何を企んでいたのか。君達はその真の目的を全く知らなかった。これは第一の疑問を肯定したことから自然と導き出される』

 

 テクワは言葉を重ねない。無言が肯定だった。

 

『次に第三。リヴァイヴ団のボスはランポではない』

 

「分かりきってんだろ?」

 

 ユウキに視線を流す。ユウキが既に話している事は先ほどの様子から明らかになっていたのだろう。Fも、『その通りだ』と告げる。

 

『ランポは身代わりだ。リヴァイヴ団のボスが真の目的を果たすための。では、その真の目的とは? それがRH計画だと我々は考えている』

 

「だーかーら、あんたも分からねぇ人だな。もしリヴァイヴ団のボスが今も生き残っていてウィルに居座っているんだとしたら、そんな計画進めるのは無理なんだって。総帥であるコウガミ、こいつを含めたαからεまでの精鋭部隊、これと渡り合える戦力なんてどこにある? 勝てない喧嘩をやるような輩じゃねぇ事はランポを身代わりにした事からも明白だろう。こいつは相当に用意周到な奴だ。ウィルに勝とうなんて大それた夢を持っちゃいないんだよ」

 

『そこだな』

 

 Fが差し挟んだ声にテクワは眉間に皺を寄せた。

 

「そこって何だよ。俺の今の言葉の中に何かおかしい事があったか?」

 

『それこそがリヴァイヴ団のボスの目的とする事なのだ。勝つことなど、考えていない』

 

 Fの言葉にテクワは心底理解出来ないように、「はぁ?」と顔を歪めた。

 

「わけわからん。だったらその計画っていうのは何なんだよ? どうしてリヴァイヴ団のボスがウィルに立ち向かおうとした計画を――」

 

『誰も、立ち向かおうとした計画だとは言っていないだろう』

 

 その言葉にテクワはハッとした。ユウキも何かを感じ取った。

 

「つまり、ボスは最初から勝つつもりなどなかった。リヴァイヴ団はウィルに勝つ必要性はなかった、と言いたいんですね」

 

 それはつまり自分達や今まで戦ってきた人々の生死が全て無駄だったという事に繋がる。テクワは認めたくないのか、「そんなの……」と声を出そうとして、「そんなの!」と叫んだ声に掻き消された。マキシが俯いて拳を握り締めていた。

 

「あんまりだ! リヴァイヴ団のボスは最初から勝つつもりのない喧嘩に他人を巻き込んで、それで何をしようとしていた? 何のための戦いだったんだ!」

 

 ユウキも問いかけたかった。マキシの怒りはもっともだ。父親を失ったかもしれないので余計に動揺しているのだろう。自分とて思うところはあった。リヴァイヴ団などなければサカガミとミヨコに別れを告げる必要もなかった。そもそもユウキはここまで来る事もなく、日々を食い潰していただろう。その裏にある犠牲を自覚しようともせずに。

 

『その答えがRH計画だ。リヴァイヴ団のボスは全てを計算に入れていたのかもしれない。ウィルへの吸収合併、緩やかな形での兵の増強』

 

「結果論だ。リヴァイヴ団そのものが瓦解する可能性があった」

 

 テクワの声に、「でも、ボスはそれすらもプランの一つとして模索していたとしたら」と声を発した。テクワは瞠目して、「あるわけねぇだろ!」と声を張り上げた。

 

「うるさいわね」

 

 キーリが耳に栓をしながら、「喚かないでよ」と口にする。

 

「でもよ、そんな二手も三手も先を読めるような奴がいて堪るかってんだ。そうだとしたら、命をそいつは弄んでいやがる」

 

『その通りだ』

 

 Fが強い口調で肯定した。

 

『ボスは君達を含め多くの命を弄び、侮辱している。それは許されざる罪だ。だからこそ、暴かねばならない。その真意、正体を』

 

「あんたが正義の味方には、俺には思えないな」

 

 テクワはやはりFに対して警戒を解いた様子はない。マキシに視線を送るがマキシもまた、厳しい眼差しを周囲に向けている。

 

『確かに、ワタシは正義の味方を気取るつもりはない。悪だとしても構わない』

 

 Fの確固とした言葉に今度はテクワが気圧されたようだった。Fもまた覚悟を背負っている。ウィルδ部隊ならば何も言わなくとも事態は進んでいくだろう。それをただ静観出来ない。それだけの志は持っているのだ。ユウキは口を開いた。

 

「僕は、Fに託してもいいと思っています」

 

「正気か? ユウキ。こいつは顔だって見せないんだぜ? ボスと何が違う?」

 

 そう言われれば確かにそうだ。Fを信用する材料は乏しい。しかし、節々に熱いものは感じられる。ユウキはそう判断した。

 

「F。あなたは僕らにここまで肩入れして、あなた自身のポストだって危ういはずだ。そうまでして投げ打てるのは何故です?」

 

 ユウキの質問にFは、『似ているからだ』と応じた。

 

「似ている?」

 

『かつて、立ち向かった人々と。君達は同じ光を携えている』

 

「抽象表現だな」

 

 テクワの突っ込みにFは、『理解はされないかもしれない』と答えた。

 

『だが、ワタシは信じたいのだ。いつだって未来を切り拓くのは君達のような人間だという事を』

 

「答えになってねぇ」というテクワへとユウキは視線を向けた。

 

「テクワ。僕が保障します。彼らを信じましょう。そうでなくては、僕らはどこに向かえばいいのかさえ分からない」

 

 進むべき道を見失いえば今度こそ闇に呑まれる。半年前に無力感に苛まれたように。テクワとマキシにはその自覚があったのか、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。ユウキがキーリへと声をかける。

 

「キーリ。今回のデータで分かった事は」

 

「結構あるわね」

 

 キーリはキーを打つ手を休ませずにディスプレイに次々と表示されるウィンドウを処理した。ダミーのデータも含まれているのだろう。それらを的確にさばき、必要なデータのみを抽出する。レナも同時並行で作業を進めていたがレナにはキーリの監視という重責もある。もしキーリが自分達を見捨てようとした場合には即座に対抗出来るようなデータを残しておく。ある意味ではレナのほうに過大な負担を負わせている。キーリは、「RH計画は」と口を開いた。

 

「ようやく全貌が見えてきたってところかしら。まずはRHという名称の意味から」

 

「血液型じゃねぇの」

 

 テクワがふざけて口にすると、「そうじゃなくって残念ね、マザコンさん」とキーリが冷ややかに返した。

 

「誰がマザコンだ!」といきり立って反発するテクワをユウキがなだめる。

 

「RHは――」

 

 キーリが紡いだ言葉をその場にいる全員が固唾を呑んで見守っている。エンターキーを押すと、ディスプレイにそれが表示された。キーリが読み上げる。

 

「REVIVEとHEXAの略称。つまりRH計画とはこの文面から察するに、ヘキサ再興計画……」

 

 口にしてキーリは目を戦慄かせた。



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第八章 十節「人の聲」

 全員が目を見開き、発せられた言葉を吟味しようとしている。ようやく言葉を発せられたのはFだった。

 

『……なるほど。ヘキサ再興か。これである意味では筋が通った』

 

「な、何がだよ」

 

 テクワがようやくと言った様子で口を開く。場に張り詰めていた緊張がより強まった。

 

『ヘキサを再興させるには相当数の兵力が必要だ。八年前にはロケット団とディルファンス、二つの組織を繋ぎ合わせてようやくだった。それと同数だと仮定するのならば、リヴァイヴ団とウィルが合併した今の状況は最適だ』

 

「いや、おかしいだろ」

 

 テクワは納得し切っていないのか、声を発した。

 

「だってヘキサ再興って。そんなもん、出来るわけがねぇ! だって、ヘキサは――」

 

「カイヘンに強い傷痕を残した組織。そんなものが二度も生み出されるわけがない」

 

 遮って発したレナの声にテクワは、「そう」と指差した。

 

「そのためのウィルだろう? だって言うのに、そこでヘキサを再び作り出すっておかしいだろ」

 

「ヘキサという名前にしないつもりなのかもしれません」

 

 ユウキが口を開くとキーリが、「詳細を調べるわ」と再びキーを打ち始めた。

 

「名前変えたってやっている事同じなら反発受けるだろ。どうしたってボスがヘキサをもう一度作るなんて不可能なんだよ」

 

「ヘキサを作る、という一事にこだわるのならばまず無理でしょうね。でも、それがこう言い換えられたらどう? カントーに報復する、と」

 

 レナが発した言葉に、「おいおい」とテクワは片手を開いて振るった。

 

「カントーに報復するって、それはどこの誰がやるって言うんだ? だってウィルが止めにかかるだろう?」

 

「共通の敵、というものを作る。それが世間の目を欺くには最も有効な策だわ」

 

「それがカントーだって?」

 

 テクワは鼻を鳴らして、「アホくせぇ」と断じた。

 

「確かにカイヘンはカントーに恨みはあるさ。いくらでも、探せば探すほどにぼろぼろでるだろうよ。でも、その受け皿になるのがウィルだろう? ウィルが歯止めをかけるはずだ。だから、カントーに対して歯向かうなんて事は」

 

「だからこその反逆者、というのは考えられない?」

 

 レナは顎に手を添えてこちらへと向き直った。最早、キーリに構っている暇もないのだろう。ユウキもそれが正解に思えた。

 

「何だって? お前らがどうしたって言うんだよ」

 

「ボスは反逆者という分かりやすい敵を作った。民衆、マスコミ、治安維持部隊、全てがそれを追いかけるように仕組んだ。もし、その敵がカントーに亡命したら?」

 

 最悪のシナリオにユウキは重々しく口を開く。

 

「仮想敵はカントーになる」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 テクワが声を上げて額に手を当てる。幾ばくか考えた後、「やっぱりおかしいぜ」と言った。

 

「だって、それじゃ最初から反逆者ありきの話だろうが。それにカントーがどうして反逆者を受け入れる? だってウィルの大元はカントーなんだぜ? 反逆者がカントーに亡命したら、それは自首と変わらないんじゃねぇか」

 

「今のウィルに対してカントーが思っている事を端的に告げるなら――」

 

 そこでキーリが口を挟んだ。キーリはキーを叩く手を休めて一つ息をつき、振り返る。

 

「面倒な組織に育ったという事よ」

 

「どうしてそうなる? だって、ウィルを管理しているのはカントーで」

 

『恐らくはリヴァイヴ団と併合したからだ』

 

 Fの声にテクワは言葉を切って、「どういう意味だよ」と天井に問いかけた。

 

『リヴァイヴ団と併合したから、ウィルは純粋な独立治安維持部隊としての機能が損なわれた。リヴァイヴ団幹部の招き入れ、及び思想の混濁。これはウィルを操っているカントーの大元からは好ましくない変化だろう。反逆者の一件を期に大掃除が行われる可能性は否めない』

 

「大掃除ってのは……」

 

 テクワが言葉を濁すと、「カントー政府による思想の弾圧。組織の洗浄」とレナが両手を組みながら答えた。

 

「つまり組織解体。大幅な見直しがなされると思われるわ」

 

「そんな事になれば困るのは、今のウィル上層部」

 

 ユウキも推理を巡らせる。リヴァイヴ団と密約を結んだばかりにウィルの上層部は頭を挿げ替えられる。このままでは立場が危うい。

 

『その弱みにつけ込んで、ボスが動かないという保証はない。ボスは既に彼らに取り入っている可能性がある』

 

 Fの言葉は信じられないものであったが、決して現実離れした話というわけでもない。既に話が出来上がっているというのならば、RH計画の発動はそう遠い未来ではないからだ。テクワが、「でもよ」とまだ食い下がる。キーリは、「うるさいわね」とぼやいた。

 

「話が先に進まないでしょう」

 

「いや、だとしてもだ。奴ら、そう簡単に鞍替えするか? カントーに、大元に歯向かおうとするかって聞いているんだ。だってカントーは政府だぜ」

 

「そのカントーによって自分達の立場が危ういとなれば、政府転覆を狙う輩が一人二人いてもおかしくはない」

 

 レナの声にユウキが続ける。

 

「政府転覆計画。それを指してヘキサになぞらえ、RH計画。ヘキサ復活計画、というわけですか」

 

 誰もが押し黙る事しか出来なかった。強大な計画を前にして怖気づくものが一人くらい出てもいいものだ。しかし、ユウキは希望を口にした。

 

「僕らで、それを止めましょう」

 

「止めるって、どうやって?」

 

 テクワの言葉に、「私も知りたいわね」とキーリが応ずる。

 

「ユウキ。この際だから言っておくけれど、あなたが反逆者だからってあなたを引き渡さないでいいって言う話でもないのよ。だって反逆者ユウキの今の顔なんて誰も知らないし、カントーがユウキだと認定出来れば誰でもいい。ランポの時みたいに替え玉が用意される可能性は極めて高いわ」

 

「僕が反逆者である証明は」

 

「したって、揉み消されるか、裏で追われる毎日が続くだけね」

 

 レナが諦観した様子で首を振る。様子を見守っていたFが口を開いた。

 

『反逆者ユウキは最早、君個人の事じゃない。そういう抽象的存在として認知されている。実体のない敵だ。その気になれば民衆の不安も煽る事が出来る。我々の活動は全て、ヘキサ再興のための要となるわけか』

 

「皮肉だな」とテクワが肩を竦める。「全く、その通り……」とキーリが額に手をやった。

 

「私達の行動が実を結ぶどころか、さらに大きな災禍を招き入れる温床になるなんてね」

 

「ユウキ。止めるって言ったな」

 

 マキシがユウキへと声を振り向ける。ユウキは頷いた。

 

「どうやってだ? この状況、明らかに俺達のような三下とは違う次元で話が纏る。上層部が絡んでいるんだ。ウィルの上とカントーの上だけで最悪全てが結する。俺達に抗う術なんて――」

 

『一つだけ』

 

 遮って放たれた声に全員が注意を向けた。Fが意を結したように息をつき、もう一度、『一つだけなら』と繰り返す。

 

『方法はある』

 

「何があるって言うんだ? このまま穴倉に篭っていても意味がない。かといって俺らがどう動こうが裏目に出る。悪の芽を育てただけじゃねぇか」

 

『その悪の根源を叩く』

 

 Fが発した声にテクワは息を呑んだ。ユウキはFへと尋ねる。

 

「それはボス、つまりカルマを倒すっていう事ですか?」

 

 この場で初めて発せられたボスの名前。その名前を初めて聞くであろうテクワとマキシは顔を見合わせた。Fは、『そうだ』と重々しく告げる。

 

『それしか方法がない。邪悪を止めるにはカルマを倒すしか方法はない』

 

「でも、そのカルマとか言うボスを倒したところで、ヘキサ再興計画が強行されたら意味ないんじゃねぇか?」

 

「それはないと思うわ」

 

 キーリがテクワの質問に答える。テクワが、「適当な事言ってんじゃねぇぞ、ガキンチョ」と挑発する。キーリは挑発には乗らずに涼しい顔で応じた。

 

「今回の事、全てはカルマから発している。ユウキの話からもカルマは相当に周到な人間だと思われる。当然、計画の事も一握りの人間しか知らない。いえ、もしかしたらカルマしか知らないのかもしれない。だから、カルマさえ叩けばこの計画を止められるかもしれないというのは希望的観測でもなく、なかなかに現実味のある提案よ」

 

「そうなのか? 俺らにはカルマってボスの事は分からないから……」

 

 テクワがユウキへと視線を流す。ユウキはライダースーツを捲り上げ、腹部の傷を見せた。未だに癒えない傷痕にテクワとマキシが息を詰まらせる。

 

「その怪我……」

 

「カルマのデオキシスにつけられたものです。ポケモンによって与えられた傷は、そのポケモンを殺すか敵意を消さねば癒える事はない。応急処置はしてもらえましたが、まだこの傷は疼いています」

 

「傷のお礼って意味もあるわけか」

 

 ユウキはライダースーツを直しながら、「ええ」と頷く。しかし、それだけではない。

 

「でも、僕は単純に怨念返しをしたいわけじゃない。リヴァイヴ団に入った時もそうだった。僕は世界を変えたいんだ。そのためならば、僕は悪にでも何でもなります。この世界の敵になったって構わない。本物の邪悪を、逃すわけにはいかない」

 

 ユウキが鋭い光を双眸に湛えて言い放つ。これは覚悟だ、とユウキは感じていた。今まで散っていった人々のために。その命が無意味ではないと証明するために。テクワは、「なるほどな」と頷いて周囲を見渡した。

 

「おい、Fって奴。聞いてるか? 俺はこれからユウキにつくぜ。決してあんたにじゃない。ヘキサなんてものをもう二度と作り出しちゃいけないんだ」

 

 テクワはユウキの肩を叩き、「俺達はチームブレイブヘキサ」と続ける。

 

「その意思は、ヘキサによって傷つけられたカイヘンを勇気で救う事だ。だから許しちゃいけねぇのさ」

 

 テクワの声に後押しされるものを感じた。サングラス越しの眼差しにユウキは頷く。その時、マキシも歩み出て、「俺も」と声を発した。

 

「ユウキにつかせてもらう。もし、あんたがユウキを裏切れば俺達が敵に回ると考えろ。δ部隊一個小隊くらいなら俺達で倒してみせる」

 

 いつになく強い言葉にユウキは、マキシにも思うところがあるのだ、と感じた。受け継いだ意志、その気高い魂をマキシは次に繋げようとしている。自分の意志として、さらに眩い輝きを携えて。ユウキはFが見ているであろうカメラに目を向けた。

 

「やれやれね」とレナが声を出す。黒衣を翻して立ち上がり、ユウキ達に歩み寄った。

 

「汗臭いし男臭いわね。そんなのでなびく女がいると思っている?」

 

「少なくとも目の前には」

 

 ユウキが口にすると、レナは口元を斜めにして眼鏡のブリッジを上げた。一つ息をついて、「ホント、馬鹿な女よ」とこぼす。

 

「悪いけれど、あたしもユウキにつかせてもらうわ。これで四対三ね」

 

 レナの言葉に今一度問いかけた。

 

「僕らでカルマを倒す。そのために、僕はあなたを利用します。F」

 

 確固とした言葉はこの四人全員の言葉だった。状況に振り回されるのではない。状況を利用してみせる。ユウキの言葉にフッと口元を綻ばせたキーリが、「面白いわね、あなた達」と頬杖をつきながら観察の視線を注ぐ。

 

「そうまで出来るなんて見上げた根性よ。私は根性論とかそういうの大嫌いだけど、不思議ね。あなた達を見ていると、何か、胸に熱いものが宿ったみたいになる」

 

 キーリが椅子から降りてユウキ達へと歩み寄った。ユウキが目を見開いていると、「意外?」とキーリが首を傾げた。

 

「ええ。あなただけは絶対Fに反抗しないと思っていましたから」

 

「反抗はしないわ。ただあなた達に賭けてみるのも面白いかなって思っただけ。パパ。この人達をただ俯瞰するのはもったいないわよ」

 

 キーリの言葉に、『一蓮托生、か』とFらしからぬ言葉が飛び出した。まるでそのような言葉を実感したような声音にユウキが、「どうなんです」と問い詰めた。

 

『ワタシは最初から言っている。君達を支援すると。ただ、それが今までは安全圏からの物言いだった。これからは違う』

 

 正面にあるウィンドウに浮かんでいるFのモノリスが消え去り、文字が浮かび上がった。

 

 ――ここから先は慎重に慎重を期す必要がある、と記述される。

 

 ユウキが頷くと次の言葉が続いた。

 

 ――秘密を守れる者のみ、この場に残るんだ。あとは好きにするといい。

 

 今さらここから逃げようという人間はいない。今さらの確認事項だ、とユウキは感じた。しばしの間流れた沈黙を是としたのか、『では』と再び電子音声が流れた。

 

『その方法を教えよう。この計画を潰し、カルマの野望を阻止する。そのための人々と考えていいかな』

 

 



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第八章 十一節「破壊の遺伝子」

 

「考えていいも何も」

 

 ユウキは全員と目配せして強く言い放つ。

 

「もとよりそのつもりです」

 

『いいだろう。君達ならば、δ部隊が開発している力を有効活用出来るかもしれない。キーリ、例のデータを』

 

「はい」とキーリが応じて端末へと向き合い、パスワードを入力したかと思うと、あるウィンドウを開いた。そこにはDNAの螺旋図が描かれており、螺旋は黄金の色だった。サンプルの縮尺画像を見る限り、ちょうど掌に収まる程度の大きさに見える。ユウキが、「それは?」と尋ねた。キーリは椅子ごと振り返り、「これがδ部隊の切り札よ」と告げる。

 

「切り札?」

 

「ネクストワイアードのデータはこれを扱う段階で出た最良案だった。これを使うのには少しリスクが伴うから」

 

「何だって言うんだ、そりゃ?」

 

 テクワが問いかけるとキーリは、「パパ。言っても」と確認の声を出した。『ああ、構わない』とFが返す。

 

「じゃあ」とキーリは一つ咳払いをして、話し始めた。

 

「カントーはハナダシティをご存知かしら?」

 

「オツキミ山を出たところにある小規模の街ね」

 

 レナが応じるとキーリは頷いた。

 

「そこにハナダの洞窟と呼ばれる場所がある。高レベルのポケモンが出現する危険地帯よ。普段は厳戒態勢を上げて、何も知らぬトレーナーが近づかないようにしている。もっとも、そこで被害を受けてもハナダシティは一切の責任を被らないと立て看板には書かれているのだけれど」

 

「そんな場所がどうかしたのか? カントーなんて随分と遠い話に思えるが」

 

 テクワの質問にキーリは答える。

 

「ハナダの洞窟はね、数年前に崩落した。一説ではある強大なポケモンが潜んでいたとされているわ。そのポケモンが洞窟を埋め立てた。それも一夜にして」

 

 にわかには信じられない話だったが事実なのだろう。キーリはいくつかの新聞記事の抜粋をウィンドウに表示した。大きな見出しで「ハナダの洞窟、崩落。地元住民に避難呼びかけ」とある。

 

「時期的にはもう随分と前、十六年ほど前ね。あなた達がちょうど生まれた辺りの時期だわ」

 

「お前は形もないな」というテクワの皮肉をキーリは相手にしなかった。

 

「ハナダの洞窟が埋め立てられた後、記録上は三年後にあるトレーナーが一つの道具を見つけた。それはほとんど崩落した地面と一体化していてその場所まで行かなければ見つからないであろう代物だった。トレーナーは使いどころが分からずに、それを研究施設へと寄付した。その道具は当時のカントーの技術でも解析が難航し、技術者がカントーからカイヘンに流れ着く際に一緒に持ち出された。それがこの道具よ」

 

 螺旋状の道具は黄金の輝きを宿している。その内部が一瞬、脈動したように感じられたが恐らくは気のせいだろう。

 

「その道具の名前は?」

 

「破壊の遺伝子。それがこの道具につけられた名前。ただ普通に使うのにはこの道具は少し特殊だった」

 

「特殊、とは」

 

 キーリがキーを打ちながら、「デメリットが存在する」と告げた。

 

「この道具を使わせるとポケモンの遺伝子配列が変わり、特殊攻撃力が大幅に増強する。一種のドーピング状態だと思ってくれていいわ。強力なこの道具はその反面、ポケモンが混乱状態に陥る。これは脳にダメージがあるためだと考えられる。力の意思が脳に作用してポケモンの潜在能力を引き出すのね。だから特殊攻撃力が上がるのはポケモンの力を制御する部分、リミッターが解除されるからだと思われているわ」

 

「ポケモンにリミッターなんてあるのかよ」

 

 テクワの問いかけに、「愚問ね」とキーリは馬鹿にした目つきを向けた。

 

「それはあなたがよく知っているでしょうに。第一世代のワイアードであるあなたなら」

 

 その言葉にテクワは一瞬息を呑んだが、すぐに持ち直して、「ワイアードって何だよ」と言い返す。

 

「古くはルナポケモンと呼ばれていた、ポケモンと同調する人々の事よ。眼が蒼いしドラピオンを出しているからそうなんだと思ったけれど、違った?」

 

 テクワが隠し立てしようとするとユウキは忠告した。

 

「テクワ。キーリの知識は僕達よりも遥かに上です。僕だって」

 

 ユウキは腕を捲くって蒼い光が見え隠れする傷痕を見せた。テクワが目を丸くするが、すぐに、「……ああ」と理解したように目を細めた。

 

「お前も来ちまったんだっけな」

 

「ええ。だから半年もウィルを撒く事が出来た」

 

「納得だな。でもお前の感じは俺の知っている奴らみたいじゃないな。微妙に違う、っていうかひりひりしない。何でだ?」

 

 テクワが首を傾げると、「彼はネクストワイアード」とキーリが補足説明する。

 

「第一世代とはつくりが違う。デメリットを廃し、メリットだけを追及したワイアード。かなり人工的な特色が強いから、あなた達特有の感知野には引っかからないんでしょう」

 

「感知野の事もご存知とはな」

 

 恐れ入るよ、とテクワは表層だけで笑ってみせた。本音では末恐ろしい子供だと思っているのかもしれない。キーリは額面通りに言葉を受け取る事はなく、「δ部隊じゃ常識よ」とだけ答えた。

 

「δって実際のところ何人の構成員なんだ?」

 

 テクワの質問はδ部隊に関しての事だけではない。自分達の事が何人に知れ渡っているのか、という問いかけだった。キーリはもちろん、そこまで考慮して言葉を発する。

 

「三等以下には情報権限は与えられない。彼らには研究だけが与えられる。二等以上よ、あなた達の事を知るのはね。でもδは万年人手不足。二等構成員と言っても私とあとはもう一人くらい」

 

「そのもう一人ってのはKさんか?」

 

「いいえ」とキーリは首を横に振った。ではユウキも知らぬ第四の人物がいるという事になるのか。それは初耳だっただけにユウキは怪訝そうな目を監視カメラに注いだ。Fは、『信頼出来る人物だ』とだけ告げる。

 

「本当かしら?」とレナが腕を組んで不遜そうに呟いた。キーリが、「私もそう会わない」と伝える。

 

「だから今どうしているのかって言うのはちょっと分からないわ。まぁ、この場にいない人の事はいいとしましょう。問題なのはこの破壊の遺伝子の運用方法よ」

 

「そうだ。おかしいと思ったんだが」とテクワが指をさすと共に質問の声を浴びせる。

 

「どうして使い方が分かるんだ? もう使ったのか? だとしたら、その破壊の遺伝子って言うのは何個もあるのか?」

 

「いいえ」

 

 キーリは迷わず首を振って、「この世で唯一つよ」と答えた。

 

「だったら、何故?」

 

 使い方が分かる、という質問だったのだろう。キーリは、「少しずつ抽出して使用したのよ」と応じた。

 

「それにその頃には技術も進歩していたから。試験に予め走らせておいたプログラムマップ上で使用する事も難しくなかった。モデリングされたポケモンの体内における反応を二十回ほど取ったからまずこの効力で間違いないという値が出た。今の破壊の遺伝子は本来の力の八割程度しか出せないけれど、ほとんどこれがマックスだと考えてもらってもいい」

 

 キーリの言葉には分からない用語もあったがいちいち聞いていれば話が進まないだろう。テクワもそれを経験で分かったのか追及する事はなかった。

 

「つまり破壊の遺伝子の効力とはポケモンの潜在能力を引き出す事だと?」

 

 ユウキが代表して質問すると、「そうね」とキーリは味気なく応じた。「表面上は」と続けられた声にレナが眉根を寄せた。

 

「何か、その先があるのね」

 

「鋭いわね。そう。破壊の遺伝子にはそれだけでは終わらない。先がある。これから見せるのは十二回目の試行で得られたデータを基にしたポケモンの遺伝子構造の配置図の変化よ」

 

 キーリは端末を操作してポケモンの遺伝子構造とやらを呼び出した。上部に名前がある。ニドリーノとあった。カントーで多く出現するニドラン♂の進化系だ。破壊の遺伝子が打ち込まれた後の様子がモニターされる。

 

 遺伝子の位相がゆっくりと青いパターンからオレンジのパターンへと切り替わっていった。それと同時に3Dモデル化されたニドリーノの形状が変わっていった。特徴的な頭部の角が折れ曲がったと思うとのこぎりのように形状が変わる。ささくれ立っていた表皮の紫色が薄れ、濁った水色に変化していく。耳が肥大化し、内側が青みを帯びていく。

 

 その姿はちょうど正反対の、ニドラン♀からの進化系、ニドリーナに酷似していたがそれとは違う何か別のポケモンに見えた。ニドリーノであったはずのポケモンの心拍、脈拍が異常値を示し、脳波が乱れた瞬間、全ての値がゼロを超えマイナスに至った。モニターには「形象崩壊」とある。3Dモデルが崩れており、液体のようなものだけが残っていた。誰もが息を呑んでそれを見ていた。

 

「これは、実際にデータを取ったんですか?」

 

 ユウキがようやく口にする。キーリは首を横に振った。

 

「いいえ。これはデータ上で行った試行の一つ。実際にニドリーノを使ったわけではない。安心して」

 

 その事がこの場にいる人間達にとっては少なからずショックの材料になる事をキーリは理解しているのだろう。ユウキはホッと胸を撫で下ろしたが、しかし、と疑問も湧き上がる。

 

「でも、さっきのお話では脳に働きかけて使用したポケモンの特殊攻撃力を上げるって言いましたよね? これじゃ、何が起こったのかさっぱりだ」

 

「同感ね」とレナも歩み出た。

 

「今の実験データでは、破壊の遺伝子はポケモンの遺伝子を文字通り破壊するだけの欠陥品としか思えない。遺伝子配列の位相パターンを見る限り、ニドリーノの体内では配列の変化による体細胞の代謝が活発に行われていたようだけれど」

 

 ユウキはそこまで観察していなかったのでレナの着眼点には素直に驚いた。ユウキを始め、テクワもマキシもニドリーノの形状の変化にばかり捉われていた。レナは、「そもそも」と片手を振って口を開く。

 

「破壊の遺伝子の試行とはいえ戦闘データを取っていないのが間違いだわ。これじゃ、ただ事の成り行きを眺めていただけじゃない」

 

 レナの批判にキーリは、「もっともなご意見ね」と応じた。

 

「そうよ。戦闘データのないこれじゃ、特殊攻撃力が上がったというのも数値上でしか明らかにならないし、その数値だって最終的に形象崩壊したんじゃ残ってはいないし信用に乏しい。この実験データは考えうる最悪の想定の試行よ」

 

「最悪の想定?」

 

 レナが聞き返すと、Fが言葉を発した。

 

『破壊の遺伝子が及ぼす効果は一辺通りではないという事だ。ポケモンによって様々であるし、さらに言えばトレーナーの有無さえも関係してくる』

 

 その言葉にレナが眉根を寄せた。

 

「何それ。そんなの道具としては失格じゃない」

 

 当たり前の意見にユウキも首肯した。するとキーリが説明する。

 

「そうよ。だってこの道具は偶然の産物なのだから」

 

「偶然の産物?」

 

 意想外の言葉に全員が目を見開いて視線を交わし合う。キーリが、「どこから話すべきかしらね」とモニターに視線を向けた。『ワタシが話そう』とFがその役を買って出る。

 

『そもそもこの破壊の遺伝子という道具はあるポケモンの肉体の一部が固形化したものだと考えられている。本来はこのような形ではなかった。カントーで見つかった当初は、それこそ生物の遺骸のようなものだっただろう』

 

「それがどうやってこんな見事な螺旋状に?」

 

 レナの質問に、『カントーの研究機関だろう』とFは返した。

 

『そのままでは解析出来ない上に道具としても使えない。だから寄付されたのだ。道具として最適化するために肉片を解析し、その遺伝子を培養して形状を固定化させた。分かりやすくこのような形になったのは後世の人々のお陰だ』

 

「そのポケモンと言うのは?」

 

 ユウキの質問に、「分からないわ」とキーリが答えた。

 

「合致するデータがないのよ。唯一つ、近いデータならばあった」

 

「それは?」

 

「幻のポケモン、ミュウの睫の一部分。その化石のデータ」

 

 ミュウ、というポケモンは聞いた事があった。確か全てのポケモンの系統樹を辿ると最終的にはミュウという一個体に集約されると。だからミュウは全てのポケモンの技を覚えるのだ、と教えられた。これはスクールで習う基礎中の基礎である。

 

「では、ハナダの洞窟にいたポケモンはミュウだと?」

 

「それが分からないのよ」

 

 キーリが首を振る。本当に分からないとでも言いたげにため息をついた。

 

「酷似しているだけで完全一致ではなかった。むしろ、一部分ではミュウからはかけ離れている事が証明された」

 

「じゃあ、結局正体不明のポケモンって事?」

 

 レナの言葉にキーリは苦々しい顔で頷く。テクワが、「そんな危なっかしいもん」と口を開いた。

 

「よく使う気になれたな。どこのポケモンの遺伝子かも分からない、ただポケモンの遺伝子を破壊するだけの道具なんて」

 

「あら、遺伝子を破壊するだけの道具じゃないわ。その先へと導くのがこの道具の本来の使い方なのよ」

 

「その先、とは?」

 

 ユウキが代表して言うと、「さっきのデータをきちんと見ていなかったわね」とレナの指摘が飛んだ。

 

「レナさんには分かったんですか?」

 

「ええ、一応は。キーリ、彼らのためにもう一度、投与後三十秒のところのデータを見せて」

 

「分かったわ」とキーリがもう一度ウィンドウに呼び出した。ユウキは何を見ればいいのか分からず、遺伝子配列に目を向けていると、「違う。そこじゃないわ」とレナが告げた。

 

「あなた達が見て、最も分かりやすいのはタイプの部分よ」

 

 レナに促されユウキ達はタイプの部分を見やった。毒タイプであるニドリーノのタイプは「P」とあるが、それが一瞬にして切り替わったのである。形状の変化にすっかり目を奪われていたのでこのような些細な変化に気づけなかった。変化後のタイプは飛行タイプとなっている。しかし、3Dモデルのニドリーノには羽が生えたと言った分かりやすい特徴の変化はない。ニドリーナに近くなっただけに見える。

 

「これは……」とマキシが声を詰まらせていると、「私達は」とキーリが口を開いた。

 

「これが破壊の遺伝子によって引き起こされる一つの可能性だと考えている。遺伝子配列の変化によるタイプの変化。それに伴う能力の増減、形状の喪失、私達はこれを自らの部隊名になぞらえδ種と呼んでいる」

 

「δ種……」

 

 それこそが破壊の遺伝子が赴く可能性の先の一つだと言うのか。問いかけようとした矢先に、「だから何なんだ?」とテクワが尋ねていた。

 

「タイプ変わったからと言って何があるってわけじゃないだろ」

 

 粗暴なその声にキーリはやれやれといった様子で首を振り、「分かっていないわね」と髪をかき上げた。

 

「何がだよ」

 

「タイプが変わるだけで随分と能力も変わるものなのよ。たとえるならばそう、ギャラドス。コイキングの時にはなかった飛行タイプがついただけであのポケモンはあそこまでの変化を遂げた」

 

「そりゃ、コイキングがあまりにも弱いからそれが際立って見えるだけだろ」

 

「かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。ポケモンに関する事では未知の部分のほうが多いけれど、タイプと強さの因果関係は古くから囁かれてきた。研究者の間では弱点の多いタイプほど能力が高い事が学説の一つとしてあるけれど」

 

「複合タイプ進化論ね」

 

 レナの放った専門的な言葉にテクワが目をぱちくりさせた。

 

「何だ? 複合タイプ……」

 

「進化論。ナナカマド博士によってポケモンの九割は進化すると証明されたこの時代。進化は重要なファクターとして捉えられるようになった。進化時に複合タイプになるのは珍しいことじゃない。とある学者は複合タイプになるためにポケモンは進化を繰り返しているという極論まで言った」

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 テクワの言葉に、「そう簡単に切り捨てられないのもまた、実情よ」とレナがいさめる。

 

「タイプの変化はポケモンの性質を決める上でかなりのものになる。あなたのドラピオンだって、元々はスコルピという毒・虫タイプの弱々しいポケモンだった。それが自身の弱点を克服しようと進化して悪・毒という弱点をつかれ難いポケモンへとなった。進化は淘汰の世界において必然であり、それによるタイプの変化もまた必然なのよ」

 

 レナの言葉にテクワはしばらく呆然としていた。ユウキは、「確かにタイプ変化は重要だ」と口にする。

 

「では、破壊の遺伝子の真価はタイプを変化させる事」

 

「それに伴う能力の上昇。これにワイアードを付け加えれば、どれだけ能力が上がるか私達にも予想が出来ない」

 

 Fやキーリの狙いが分かった。「なるほど」と一つ口にしてユウキは監視カメラに目を向ける。

 

「ワイアードとその手持ちポケモンに破壊の遺伝子を試みて、能力を向上させる。それによってデオキシスを討つ。それがあなた達の目的ですか」

 

 Fが、『理解が早くて助かるよ、ユウキ君』と声に出す。

 

『だからワタシとしては君かテクワ君にこそ、これを使用してもらいたいと考えている。最悪の場合にはKがこれを緊急使用する』

 

 ユウキはKへと視線を流した。彼女は今も静かに立ち尽くしており、バイザー越しの視線は読めない。何を考えているのかも全く分からなかった。

 

「この作戦において、パパが直接、あなた達に接触する」

 

 キーリの言葉にユウキは目を瞠って、「あなたが……」と口にしていた。

 

「動くんですか?」

 

『不満かね?』

 

「いえ。あなたは最後の最後まで絶対に姿を見せないものかと思っていた」

 

 ユウキの失礼とも取れる発言にFはフッと微笑んだのを感じた。

 

『ワタシはそこまで薄情にはなれない。君達に対しては他人を貫こうと思ったが、やはり最後の詰めは自分でやっておきたい。それだけの事だよ』

 

 本当に、それだけだろうか。もしかしたらFには他の目論みもあるのではないかと勘繰らせたが、今の状態ではあったとしても解明するのが困難だろう。Fの本当に目的とすべきところはどこなのか。カルマの打倒、だけで終わるのか。それにしてはF自身の私怨が混じっているように感じられる。

 

 ただユウキ達に手を差し伸べたにしては、リスクが大きい。あるいは、とユウキは考える。彼もまた自分に賭けてくれたのだろうか。黄金の夢を誓い合ったランポと同じように。それこそ、勝手な思い込みだとユウキは考えを取り下げる。自分でそう信じたいだけだろう、と自嘲する。

 

『では引き渡し場所を伝えよう。それは――』

 

 繋ごうとした言葉を、「ちょっと待って」とキーリが制した。キーを叩きながら、「何これ」と呟く。

 

『どうした?』

 

「パパ。ウィルから広域通信が放たれたわ」

 

 Fは慌てた様子で、『繋ぐんだ』と言う。間もなく中央のモニターに映像が映し出された。禿頭にモノクルをつけた男の姿は見覚えがなかった。テクワが、「総帥自ら……!」と声に出してようやくそれがウィルの総帥、コウガミである事を理解した。

 

「ウィル総帥、だって……」

 

『反逆者、ユウキに告ぐ。度重なる我々へのテロ行為。これはカイヘンに住む全市民への脅威へと捉える。明日フタマル時より反逆者ユウキへの報復行為として彼の家族を処刑する』

 

「何を、言って」

 

 いるのだ、と声に出そうとすると画面にサカガミとミヨコの顔が映った。二人は目隠しをされ猿轡を噛まされている。周囲をウィルの構成員が取り囲んでいた。

 

「姉さん、おじさん」

 

 ユウキが前に歩み出ると、『我々は本気である』とコウガミが告げる。

 

『反逆者ユウキが明日のフタマル時までに指定場所に出頭しない場合は、この二人を処刑する。我々は全市民の平和と安寧を守るために、この英断を下すものとする』

 

「人質作戦ってわけかよ」

 

 テクワが苦々しく呟くとユウキにもようやくそれが理解出来た。「そんな……。そんな!」と身も世もなくモニターに駆け寄った。コウガミは重々しく告げる。

 

『カイヘン地方、全地域にこの模様を流す。我々ウィルは反逆者の影に怯える人々を解放するために戦う事をここに宣言する』

 

 場所が指定される。それはウィル本部前だった。ユウキが声を詰まらせているとコウガミは情け容赦なく、『反逆者ユウキよ』と呼びかけた。

 

『貴様に一欠けらでも人間の心が残っているのならば出頭せよ。一人で、だ。そうすればこの二人の命は保障する』

 

「汚い真似を」とレナが吐き捨てる。ユウキは歯噛みして顔を伏せた。「テッカニン!」と叫ぶとボールから飛び出したテッカニンがモニターを引き裂いた。映像が途切れ、モニターに斜の傷痕が刻み込まれる。ユウキは身を翻した。誰の目も見ないユウキをテクワが掴む。

 

「どこへ行く?」

 

「僕が悪いんです。だから、ウィル本部前に」

 

「馬鹿野郎。どこからどう考えても罠だろうが。本当にお前の家族なのかは分からない。慎重を要するべきだ」

 

「今回はテクワに同感ね。思い切りがよ過ぎるわよ」

 

 レナの声に、「それでも」とユウキは口を開いた。

 

「たとえ僕の家族じゃないとしても、誰かが殺されるんですよ」

 

 その言葉にテクワとレナは押し黙った。キーリが先ほどの映像を解析して、「どうやら嘘八百ってわけじゃなさそうね」と口にした。

 

「ウィルの情報網にアクセスしたら、コウエツからこちらへと二人の参考人が護送されたというものがあったわ。その二人がユウキ、あなたの家族かどうかまでは分からないけれど」

 

「どちらにせよ、コウエツシティの人が犠牲になる。僕は行く」

 

 踏み出しかけたユウキを、「待てよ!」とテクワが声で制した。

 

「一人でどうする? ウィルの軍団が待っている可能性もあるんだぜ」

 

「だったら、テッカニンで蹴散らすまでです」

 

 冷静さを欠いている。その自覚はあった。しかし、自分が行かねば二つの命が消える。本物だろうと偽者だろうと関係はない。見過ごすわけにはいかなかった。

 

「でも、どうして今になって」

 

 レナの疑問に、『恐らくは』とFが応じる。

 

『RH計画。その根幹に気づいた事を察知されたのだ。誰よりもカルマならば、我々の動きが計画阻止に向かっているものだと気づくはずだから』

 

「じゃあ、ウィルの総帥もカルマの下っていう事?」

 

 問いかけた声にFは、『確証はないが』と続けた。

 

『カルマが既にウィル組織内でそれなりの発言力を持つポジションについている事だけは確かだろう。後手に回ったな。これから動き出そうという時に』

 

 Fの語調には苦汁が滲んでいた。邪悪を暴く前に自分達が邪悪だとされればそれは不愉快だろう。だがユウキにはそれ以前に見過ごせなかった。自分を巨悪に立ち向かわせる原動力である二人が犠牲になってしまう。それは自分の存在価値を消し去る事よりも恐ろしい。

 

「僕は行く」

 

 告げた声に、「俺も行くぜ」とユウキの腕を掴んでいたテクワが名乗りを上げた。

 

「どうせ今さらだ。俺達も裏切り者。そうなりゃとことんまでやる」

 

 テクワの言葉に、「しかし、まだ」と返しかけた声をマキシが遮った。

 

「まだ、じゃない。もう俺達の覚悟は決まっているんだ。足踏みしている場合じゃない」

 

 強い口調にユウキが声を振りかけようとすると、「あんたら、本当に馬鹿ね」とレナが見下した声を出した。

 

「何だと?」とテクワが突っかかるとレナは肩を竦めて、「他人のために命を賭けるのが美徳とでも考えているのかしら」と言った。

 

「すぐに命賭けて。簡単に賭けのレートに上げていいものじゃないのよ」

 

「うっせぇ。だったらすっこんでろ」

 

「すっこめないから、口を挟んであげているんでしょう」

 

 レナはユウキ達へと歩み寄り、Fの側へと振り返った。

 

「あたしもユウキのために戦うわ。命を賭けるとか張るとか、そんな大層な事は言えない。でも、覚悟なら、あたしも持っている。助けられてばかりでフラストレーションが溜まっているのよ。ここいらで一回、発散しないと」

 

 レナの力強い声にユウキは背中を押された気分だった。再び自分について来てくれると言ってくれた。ユウキは、「感謝します」と告げて端末に繋がれているヘルメットを取ろうとした。その手をキーリが掴む。小さな手が確固とした力を携えて、「待ちなさい」と告げている。

 

「あなた達だけじゃ心許ないわ。私も出る。パパ、許可を」

 

 キーリがここから出ると言っている事にユウキは予想外だったが、Fはどこか諦観しているような声を出した。

 

『……そんな日が来ると思っていたよ。K』

 

 名前を呼ばれたKがキーリへと歩み寄り、その手を優しく握った。

 

「ママ」とキーリが安らいだ声を出す。

 

「私達も戦わせてもらいます」

 

 Kの言葉にテクワが、「危険な戦いだぜ」と返した。Kは口元だけで微笑んだ。

 

「だとすればなおさら。あなた達だけに任せられない」

 

 その表情にKが初めて自分を見せたような気がした。今まで深い殻に篭っていた部分からようやく脱却したような感覚だ。Fが、『君達だけの戦いじゃない』と告げる。

 

『我々全員の、だ。RH計画の阻止と今回の事は直結している。見過ごす事は出来ない。ユウキ君、君への最大限の手助けをしたい。ワタシ自身もその場に向かわねばならないだろう。ワタシの居場所を送信しておく。これを頼りにして、君達のうちいずれかが手に入れるのだ。破壊の遺伝子を』

 

「もし、間に合わなかった場合は……」

 

 最悪の想定だが考えないわけにはいかない。Fは重々しく口にした。

 

『その時には破壊の遺伝子を破棄し、我々の繋がりを断絶せねばならない。そうする事が真実の意味で正しいと思えるのならば』

 

 Fとて迷いの中にいる事が分かった。破壊の遺伝子を託すべきかの迷い。この場でユウキ達に見切りをつけるべきではないかという迷い。その胸中は推し量る事しか出来ない。しかし、Fの思いが自分達に向いているのだと信じる事は出来た。Fもまた信じているのならば、自分達も信じよう。たとえ裏切られる事になったとしても信じた事に対して後悔はしたくない。

 

「信じます」

 

 ユウキが短く放った言葉に全てが集約されていた。Fが、『では――』と口を開く。

 

『任務の説明を始める。これは、最後の戦いだ』

 

 



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第八章 十二節「相似の悪魔」

 

 コウガミは演説を終えると一つ息をついた。

 

 それを捉えているカメラへと視線を移し、構えているカメラマンがオーケーサインを出す。コウガミは壇上から降りた。それを導く人間がいた。蛙顔のウィルの高官である。かつてはリヴァイヴ団に在籍していた過去など微塵にも忘れてコウガミへと、「お疲れ様です」と声をかけた。コウガミは歩きながら話す事にした。

 

「ああ。どうか」

 

 どうか、と尋ねたのは人質の事だ。蛙顔は、「つつがなく」と返した。

 

「コウエツシティにいる二人は完全に押さえてあります。あれを本物と取るか偽者と取るかは反逆者の意思次第ですが、我々が本気だというアピールは出来たかと」

 

「これではまるで脅迫まがいだな。いい気分はしない」

 

 コウガミがネクタイを直しながら口にすると、「全くのその通りで」と蛙顔は首肯した。しかし、この蛙顔の男は、状況が状況になればコウガミよりも卑劣な事を平然とするだろうと考えていた。どこまで人間が下劣で卑しい存在になれるかで競えば、蛙顔のような狸親父こそ、それに相応しいと感じる。

 

「総帥。お身体の加減が悪いのですか? 顔色が」

 

 目ざとく反応して蛙顔が心配する声を出す。こういう人種は顔色を窺う事にかけては一級だ。コウガミは片手で制し、「いや」と口にした。

 

「何でもない」

 

「ならばいいのですが、今は有事です。反逆者ユウキの動きを早々に止めなければならない」

 

 蛙顔の言葉にコウガミは当たり前の疑問をぶつけた。

 

「どうして今までこれを使わなかったか、分かるか?」

 

 僅かに先を歩いた蛙顔が振り返り、「それは」と口を開く。

 

「ウィルのイメージダウンに繋がるからでしょう。反逆者相手とはいえ、人質を取るのです。最終手段ですよ」

 

「それだけの理由で私が踏み込まなかったと思っているのか?」

 

 蛙顔は瞠目し、「どういう意味です?」と訊いた。立ち止まったままコウガミはモノクルを押さえる。

 

「……どうやらこの眼も相当に鈍ったようだな。お前のような無能を腰巾着に携えるとは」

 

「何を仰っていられるのです、私は――」

 

「利権欲しさに、リヴァイヴ団でもウィルでも簡単に鞍替えする人間だろう。恥を知れ」

 

 コウガミの言葉に蛙顔は見る見る顔を赤くさせた。コウガミは、「冗談だ」と口にする。蛙顔が、「冗談でも」と言い返した。

 

「今の言葉は、総帥にあるまじき……」

 

「だから、冗談だと言っている。その部屋に入ろう」

 

 コウガミは角部屋を指差した。蛙顔は納得いかないようで、ぶつくさとこぼしながらコウガミに続く。

 

「私は総帥のためを何より思って」

 

「分かっている。感謝している」

 

 コウガミは先に入った蛙顔を見つめ、後ろ手に鍵をかけた。それを感じ取った蛙顔が首を傾げる。

 

「どうかしましたか? 何故、鍵を」

 

「ときに、妙な症状に悩まされないか。お互い、この歳になると」

 

 コウガミが突然話題を変えたので蛙顔はうろたえていたが、ただの世間話だと悟るや、「まぁ」と頬を緩めた。

 

「ぼんやりしたり、記憶が飛んだりする事はあるものですな。前者はまだしも後者はよくない」

 

「よくあるのかね」

 

「まぁ、たまにですが」

 

「今に、それが起こるぞ」

 

 コウガミの放った言葉に蛙顔がたじろいで、「まさか」と声を発した直後、蛙顔は首筋を叩かれてその場に倒れ伏した。コウガミが顔を上げて口元に笑みを浮かべる。

 

「無茶な要求をする。私の行動はきっと不自然だっただろう」

 

「――それでも、やってもらった事は感謝する」

 

 蛙顔の傍に控えていた従者が声を出した。今の今まで存在すら感知させないほど希薄な存在感の紳士は蛙顔を黙らせた瞬間にその場に浮かび上がったかのようだ。

 

「その男はお前のスケープゴートか」

 

 その言葉に紳士は鼻を鳴らした。

 

「スケープゴートという言い方は正しくない。何せこの男は俺の役に立つには頭が悪過ぎる」

 

「だからこそ、お前の理想通りにここまで来たんだろう。カルマ」

 

 名前を呼ぶと紳士――カルマは口元を歪めた。

 

「そうだな。そういう点で感謝もしている。俺の事を未だに無知で無力だが、気は利く部下だと思い込んでいる」

 

 カルマは蛙顔を見下ろして吐き捨てていた。その口調に宿る忌々しさに、どうやら彼も辛酸を舐めてきたらしいと感じる。

 

「お前も苦労人だな。そうやって生き永らえたとは」

 

「お前ほどじゃないさ」

 

 カルマは言い返して肩を竦める。

 

「六年前、ウィル設立のために仕込まれたショー。あの中で俺達を裏切って唯一生き残ったお前にはな」

 

 カルマの眼が鋭い殺意を帯びる。コウガミは頬が覚えず引きつるのを感じたが、ほとんど表情には出さない。

 

「仕方がない、で済ませられはしないか。お前を誘ったのは私だからな」

 

「その上、俺の追及から逃れられるようにウィルの総帥というポストに就き、老け顔の整形とは念入りだな」

 

 コウガミはモノクルに手をやって、「この眼も」と口にする。

 

「全ては偽りだ。偽りの上に全てが成り立っている」

 

「洗い出してみれば経歴も、だろう。全く、恐れ入るよ。貴様には」

 

 カルマは近場にあったソファに座り込んだ。脚を組んで、「で?」と口にする。

 

「俺の指示に従ったからには、きちんと責務は果たしてもらえると信じていいのかな」

 

 この疑り深い友人は、自分の行動に対してきちんと誠意ある行動をしなければ即座に首をはねるつもりでいるのだ。疑わしきは罰する。カルマという男のポリシーだろう。そうしてのし上がってきたのだ。一度宇宙で死ぬはずだった男は地上へと舞い戻り、不死鳥の輝きを経て自分の前に存在する。決して逆らえない歪な駒として。

 

 だが、この駒には意思がある。それが厄介だ。駒として扱えない駒。もしもの時には反乱する事さえ厭わないだろう。その時には自分の蓄えた兵力など簡単に覆されてしまっているはずだ。

 

 この男は生来、そのような性がある。こちらの気づかぬうちに掌握されている。蛙顔の男は気づいているだろうか。リヴァイヴ団の兵力とウィルの兵力、そのどちらもが自分とカルマの手に握られている事を。気づいていないから、愚鈍にもこの男を近くに置いているのだろう。コウガミはそう結論付けた。

 

「カルマ。後にも先にも、私は君を裏切るつもりはないよ」

 

 その言葉にカルマはソファにかけた両肩を揺らして笑い声を上げた。コウガミも併せてひひっと笑う。カルマの前でしか見せない笑い方だった。

 

「衛星軌道に俺を置いて逃げていった貴様がよく言う。あの絶対の孤独、俺は忘れないぞ」

 

 カルマの射抜くような眼差しにコウガミは心臓を収縮させた。ポリゴンZ部隊がポッドを破壊したあの時、自分は命綱が切れて漂う振りをして先に提示されていた目標へと向かい、拾ってもらった。それをカルマは見ていたのだろうか。コウガミはカルマの殺意をひしひしと感じる。この男はいずれ自分を殺す。しかし、今はその時ではないと分かっている。分かっているから、この密室であっても誰一人として殺さない。蛙顔も昏倒させられているだけで生きている。カルマはソファの横にある棚の上に視線を据える。花瓶に添えられた花を視界に入れていた。コウガミもそれに気づくと、カルマは花を手に取った。薔薇の花だった。

 

「あの時、こんな感じにリヴァイヴローズが砕けた。俺の眼には、本当に、こんな感じに」

 

 カルマが花びらを毟り取り、棘が食い込むのも構わずに茎を折り曲げた。手から血が滴り落ちる。その一瞬、コウガミはカルマと二重像を結ぶ何者かを見たような気がした。オレンジ色の身体に、鋭角的なフォルムを持つ何者か。ポケモンなのか、とコウガミが思いを巡らせようとすると、「あの時だ」とカルマが口にして顔を上げた。既にその姿はない。空気の中に溶けていってしまったのか、それとも今もまたどこかへと潜んでいるのか。

 

 コウガミにはポケモンを操るセンスはない。だから、何がこの部屋に待ち構えていようと手ぶらの状態で来た事になる。それは迂闊か、とコウガミは感じたがたとえ何かしらの警戒を用いたとしてもカルマに勝つ事は出来ないだろう。ポケモンを操る術を心得ていなくともそれだけは理解出来る。かつての旧友は面影がない。頼りなさげにヘキサを信奉していた人間ではなく、自分の力で道を切り拓く人間になっていた。それは自分も同じだが、自分は欺く事に長けていた。

 

 人を欺き、自分を騙し、こうして全ての過去を清算してウィルの総帥にまで上り詰めた。しかし、カルマは違う。過去の清算というまどろっこしい真似ではない。まさしく過去との決別によってその地位を得たのだ。過去だけではない。この男は未来をも担保にしようとしている。全てを投げ打ってまで成し遂げたいものがこの男にはある。それを野望と呼ぶか夢と呼ぶかは人それぞれだが、コウガミは夢と呼ぶ事にしていた。

 

「カルマ。RH計画は円滑の段階に入った。時は近い。今こそ、リヴァイヴヘキサとして、カントー政府に切っ先を向ける時だ。反逆者ユウキ。その確保などにこだわらなくともいい。私が勝手にユウキなる人間らしきものを用意してカントーに亡命させればいい。そうすれば、ウィルが独立治安維持部隊としてカントー政府の粛清にかかる事ができる」

 

「そう物事は簡単ではない」

 

 カルマは握り締めた薔薇を離し、ふっと息を吹きつけた。その直後、薔薇が砕け散った。ガラスのように脆く儚く。カルマの手にはもう傷がなかった。傷が癒えている事の驚愕よりも、カルマが次に放つ言葉のほうが衝撃的だった。

 

「コウガミ、貴様は自分が賢明だと思うか?」

 

 コウガミは声を詰まらせたが、一瞬の後に言葉を発した。

 

「少なくとも、衆愚ではないと思うが」

 

 その言葉にカルマは笑った。コウガミも口元に笑みを浮かべたが、カルマの意思はほとんど読めない。何を考えているのか。一体、その眼には何が映っているのか。

 

「衆愚ではない、か。その言葉を額面通りに受け取るほど、俺も馬鹿じゃない。コウガミ、貴様は誰よりも賢しく生き延びたつもりだろう。あの時、宇宙に散っていった奴らよりかは二枚も三枚も上手だったという事だ」

 

「カルマ。私に償わせたいのか」

 

 的外れだと思いつつも尋ねずにはいられなかった。カルマは肩を竦め、「まさか」と応じる。

 

「奴らは馬鹿だった。ヘキサという夢物語を本気で追い続けた、理想に生きる人間だ。あの時も言ったろう? 理想郷は、見るもので叶えるものではないと。奴らは理想に生き、理想に死んだのだ」

 

 カルマの言葉は冷徹だが、ある一面では自分を何よりも客観視している。あの時に同じ志を持っていたであろう自分をもプロファイリングの土俵に上げているのだ。カルマはあの時にかつての理想を抱いた自分はもう死んだと思っているのか。

 

 それとも、とコウガミは目を伏せる。カルマは新生したのではないか。まさにあの時、ただの人間から、何者か分からぬ存在に。自分がそのような存在と話している事に急に危機感を覚え始めた。コウガミは杖をつく。

 

「何が言いたいんだ。カルマ」

 

 その一動作でほとんどの人間はひれ伏すがカルマだけは別だ。カルマは自分の過去を知る人間である。何も恐れる様子はなく、カルマは飄々と両手を上げた。

 

「つまり、だ。理想に死んだ奴らはとても幸福な死に方をした。ある意味では夢を叶えたと言ってもいい。自分の理想が打ち砕かれ、その先の陰鬱とした未来に生きる事などなかった。コウガミ。知っているか? 夢破れた人間というのは地獄に生きているのだ。未来という地獄の鎖に繋がれ、過去という重石を引きずり続ける。理想の中で死ねたのならばなんと幸福か。ずっと現実に生き続ける彼らには、最早逃げ道はない。どこまで行っても同じだ。可能性は毒の始まりであり、未来という言葉は怨嗟の響きを帯びる」

 

 カルマは再びソファへと座り込んだ。不意に、もし銃を持っていたのならばこの男の眉間に突きつけるだろうか、と考える。今まで数多の人間の未来を奪い、過去を食い物にしてきたウィルの総帥ならば可能だろうか。ウィルの総帥としてそれは可能かもしれない。

 

 しかし、カルマと対峙するコウガミという一個人としては不可能に近い。カルマと話す時、自分はコウガミという個人へと引き戻される。コウガミという名前も本当の名前ではないが、それでもウィルという総体の脳を成している自分ではない。ただの小さな一個人だ。その個人に何が出来よう。何を成す事が出来る。

 

 カルマという男は絶対的な現実そのものだ。理想という鎖から外された現実という獣。その獣が目の前で餌を探している。コウガミにはそのイメージがある。カルマという狂犬を飼い慣らす事は不可能だ。カルマは恐ろしく粗野で、自らの青写真すら描けていないような危うさを傍らに持ちながら、何よりも未来を明確に、さらに言えば正確に想像する力を持っている男だと感じる。

 

 きっとカルマという男は不確定な未来など想像しない。この男が持っているのは確定した未来だ。自ら引き寄せている。確率論も数値もほとんど無視して、カルマという一個人に未来が吸い寄せられているのを感じる。これはカルマと長年付き合ったコウガミだからこそ考えられる結論だった。リヴァイヴ団という組織を作ったのもカルマに力があったからだけではない。実質的な力よりも精神的な力が強いのだ。

 

 カルマは求心力を強く持っている。他の誰よりもずっと、恐ろしいほどに冷静なものだ。必要ならば求め、不要ならば切り捨てる。カルマの下へとあらゆる物事が流転して集まってくるが、カルマはそのほとんどに対して不必要の烙印を押す。カルマにとって究極的に必要なのはリヴァイヴ団という組織でも、ウィルでもない。RH計画――リヴァイヴヘキサ計画は組織の崩壊をも視野に入れた計画である。まさにカルマ自身が一本の槍、または矢となってカントーに風穴を開けるのだ。カルマは世界を変える一撃を所望している。その一撃は既にその手にあるのだろう、とコウガミは考える。でなければ、無謀にも等しい行為である。カントーに立ち向かうなど。かつてのヘキサの二の轍を踏むのではないか、という危惧を向けた事もあったが、カルマは一笑に付した。

 

「俺はあのヘキサが正しいヘキサだとは思っていない」

 

 では正しいヘキサとは何なのか。カルマに問いかけたところ、「それを知りたくば」とコウガミに助力を仰いだ。コウガミは潔く協力する事に決めた。カルマという一個人がここまで進化している事に興味を持ったのも理由の一つだが、何よりもヘキサという理想をまだ胸に抱いている事にコウガミは疑問を感じたのだ。何よりも可能性を否定している男が、理想郷を見下している男が、夢物語を口にする。相反する矛盾の意思にコウガミはこの男を見ていれば何かが変わるかもしれない、と感じた。

 

 何か、というのは漠然としたものである。主語を欠いたその言葉にコウガミは自分でも不思議なほどだった。しかし、最近になってコウガミには分かってきた。カルマは自分では生きられなかった影に身をやつし、いつまでも夢想しているのだ。だからこそ、眩しく映る。カルマは生きられなかったもう一つの自分だ、と悟った。

 

 こうありたいと願いながら誰よりもそれが不可能だと感じていた自分自身の投影なのだ。コウガミはそれを感じ取った瞬間、天啓に似たものを覚えた。カルマという存在を通す事で自己の理想像を見る。コウガミは、自分が所詮、現実にしか生きられなかったつまらない存在だと知覚せざるを得なかった。たとえ、ウィル総帥という肩書きがあり、有事の際には数百の兵を動かせる立場であろうとも、それは自分の描いたものではない。誰かの描いた夢の地図に自分を住まわせているだけなのだ。その虚しさに気づいたコウガミはカルマという存在に魅力を感じた。自分がカルマを支援するのは、それだけの理由で充分に思えた。

 

「怨嗟の響きか。お前らしいな」

 

 コウガミが微笑むと、「未来は常に暗く、度し難いほどに鳥目だ」と告げる。

 

「だからこそ、導き手が必要なのだ。光の導きが」

 

「それがお前のリヴァイヴヘキサか」

 

 コウガミが結論付けようとすると、「俺はな。そう簡単なものではないと考えている」とカルマは言い返した。カルマの反論もまた楽しむ要素の一つだ。コウガミは先を促した。

 

「と、言うと?」

 

「ヘキサを理想郷だと語っていたカルマという青年はあの時、衛星軌道上で死んだ。ではここにいる俺は何か。俺は、どういう存在として立っているのか」

 

「興味がある題材だな」

 

 コウガミはすっかりカルマの話に聞き入っている。カルマが気絶させた蛙顔など最早、視界に入っていない。

 

「俺は混沌の象徴だと考えている」

 

 カルマの言葉にコウガミは、「ほう」と声を漏らした。

 

「キシベ様と同じ事を言うのだな」

 

 かつてヘキサを設立した時、キシベは混沌の象徴であると語っていた。その演説が今でも鮮明に思い出せる。

 

「俺が言うのは、世界という抽象概念に踊らされたキシベ様と同じではない。あの人は世界に踊らされ、世界に隷属した」

 

「興味深いな。座って話を拝聴したいくらいだ」

 

「そう長く話はしない。立っているといい。俺が言う事は演説なんかじゃないんだからな」

 

 カルマは両手を開き、「では混沌とは?」と問いかけた。コウガミは顎に手を添える。

 

「キシベ様は正義と悪の狭間にある深い何かだと思っていらっしゃったような気がするが」

 

「キシベ様は、あの人についていけただけでも誉れ高い。しかし、実際のヘキサの団員達の何と腑抜けた様か。あれは戦士の背中ではない。敗者の背中だ。どうしてあのような無様な生き恥を晒したのだと思う?」

 

「さぁな。お前の意見を聞きたいよ」

 

「答えはこうだ」

 

 カルマは身振り手振りをつけてゆっくりと口にした。

 

「彼らは器ではなかった。キシベ様という人間を受け止められなかったのだ。だからこそ、無様に生き永らえ、キシベ様をあまつさえ間違っているとまで糾弾出来た。復讐心に取り憑かれた怨念の引き起こした一事だと。馬鹿な。地獄の釜を開き、世界の混沌を世に知らしめた人間の行動の果てがそのような些事であるものか。キシベ様は我々の心の松明に火を灯してくれたのだ。立て、とあの人は言ったと俺は考えている。もうろくしたカイヘンの人々よ、世界の人々よ、己の牙を抜かれた事も自覚せぬ獣達よ、立て。そして食らいつけ、とあの人は言ったんだ」

 

「世界の喉笛に、か」

 

 コウガミが後を引き継ぐとカルマは満足そうに頷いた。

 

「その通り。彼のキシベ様は世界の喉笛に食らいつく、その寸前まで確かに行った。牙を剥き出しにして、己が野生と凶暴さを微塵にも隠さず、あのお方は最後の最後まで戦い抜いたのだ。その証拠に、見よ、後世の人々よ。シロガネ山に未だに張り付く空中要塞ヘキサの頂を。あれこそがキシベ様という人間の生の証。世界の喉元まで辿り着いたという執念の牙。シロガネ山はあれから何度の夏を超え、冬を耐え抜いた? 白銀の頂には未だにあの意志の塊が存在する。どうしてカントーの人々は除けられない? それはあの場所に野生が宿っている事を知っているからだ。剥き出しの感情の発露、思いの行き着く先、それが空中要塞ヘキサの形を伴って存在しているのだと、誰もが無意識に感じた。だから撤去出来ない。彼らは恐れているのだ。ヘキサという感情を」

 

「面白いな。ヘキサが感情か」

 

 少なくとも六年前には聞けなかった話だろう。コウガミは自分の興味を満たすだけではなくカルマという人間の内面を探ろうとしていた。あの時、裏切った旧友はどのような思考回路を持っているのか。どうやって生き延びたのかまで探ろうとしても無駄な事は最初から分かっている。カルマは過程など関係がない。今こそが全てだと考えているに違いないからだ。どうやって生き延びたか、どうやってリヴァイヴ団を興したか、それは語るべき事柄だとは思っていない上に、そのような些事にこだわるコウガミを嫌うだろう。

 

「リヴァイヴ団は最初からヘキサのためにあったのか?」

 

 ただそれだけは聞いておかねばならないと感じていた。数多の人々の人生を巻き込んで、ここまでやってのけた人間の根源。それは善か、悪か。コウガミの意図するところを読み取ったようにカルマは口角を吊り上げた。

 

「コウガミ。つまらないな」

 

 そうであろう、とコウガミ自身も感じていたが、問わずにはいられない。

 

「もしウィルとの抗争に勝っていたとしたら、お前はRH計画を私なしで進めた事になる。それは可能だったのか」

 

「計画は常に柔軟に、だ。もしリヴァイヴ団がカイヘンの覇権を握っていれば――いや、そのような事は万に一つもないのだが、俺はリヴァイヴ団そのものを新たなヘキサとしただろう」

 

「万に一つもない、という論拠は」

 

「あのような組織に、勝利を求められるか?」

 

 カルマは自身の使役していた組織でさえ、捨て駒程度にしか思っていなかったのだ。その事実に戦慄したが、同時にこれほど多角的に物事を考えられる人間もいまいとコウガミは思った。リヴァイヴ団の消滅すら計画のうちに入っていたのだろうか。コウガミはほとんど事件記者のように尋ねる。

 

「では、全ては計算のうちで?」

 

「コウガミ。お前はいつからニュースキャスターになった?」

 

 カルマの質問にコウガミは微笑んだ。カルマも同時に微笑んで肩を竦める。

 

「ナンセンスだ」

 

「確かに。理由を後に求めたところで」

 

「どちらにせよ、俺は自分しか信用してない。この蛙顔も、利用するだけ利用してやったまでだ。頭の巡りの悪いこいつを思い通りに動かすのには苦労する。一を教えるために十も二十も叩き込まなければならない」

 

「それも無能な部下を装って、か。気苦労が絶えないな」

 

 コウガミは何度か従者としてカルマが付き従っているのを見ていたので、その苦労は想像に難くなかった。カルマは、「まったく」と応じる。

 

「だが、これに予想以上の頭があっても、それはそれで面倒だ。これくらい馬鹿なほうが、組織の頭に据えるのにはちょうどいい。知っているか、コウガミ。馬鹿ほど高いところに昇りたがるんだ」

 

 カルマの冗談にコウガミは苦笑した。カルマも頬を引きつらせて微笑む。

 

「だからそのような下賎な人間を上司に持てるというわけか。お前の真骨頂は確かに、他人の目のあるところではない」

 

「そうだろう。俺は、影の存在で構わない。この世界に爪痕を残したいと感じない。その必要性がない。むしろ、そういった人間こそ全てを掌握するのには適しているのだ。コウガミ、貴様のミスがあるとすれば、ウィル総帥という立場に晒されている事だ。もちろん構成員からの目もあるし、世間の目もある。俺はリヴァイヴ団という組織内において、仮想のボスを作り出し、姿さえも窺えないボスの実権支配を成し遂げた。誰しもボスの正体に恐怖しておきながら、誰も探ろうとはしないのはボスの事を探った人間の命が長持ちしない事をみんな知っているからだ。それは間接的であれ直接的であれ、な」

 

 カルマがリヴァイヴ団内においてどのような支配を行ってきたのか、それは定かではない。もしかしたら、ランポや蛙顔のように張子の虎をいくつも用意し、その裏での実行支配を強めていったのかもしれない。カルマの強さの秘密に至ればそれも分かるだろう。無論、その頃には自分でさえ命があるかどうかは分からない。コウガミは身震いして、「お前は決して、力を見せないな」と口にする。カルマは口元を斜めにして、「能ある鷹は爪を隠すものだ」と返した。

 

「俺の力を知ったのならば、たとえ貴様だとしても生かしてはおけないな。俺は何よりも俺の力とその正体については厳しいんだ。その秘密を守れないのならば」

 

「重々承知しているよ、カルマ」

 

 自分の答えの如何次第ではこの場で首をはねる事も辞さないという覚悟も。コウガミにはよく分かっていた。蛙顔を昏倒させた事からこの部屋の中にポケモンは既に放ってあるのだろう。しかし、先ほどから全く見えず、気配すら感じさせない。もしかしたら首を落とされた瞬間ですら自覚しなければ訪れないのかもしれない。コウガミは覚えず首筋をさすっていた。

 

「だからこそ、俺の力と正体について知っている奴らは生かしてはおけない。この世にいてはいけないんだ」

 

「それが反逆者ユウキ、というわけか」

 

 その論法ならばカントーに引き渡す事もカルマからしてみれば不都合なのではないか。恐らくは護送途中の事故に見せかけて殺す。他にもやり方はいくらでもある。カントーやウィルの管轄に渡る前に殺すつもりだろう。

 

「だからなのか。今回、こんな無茶をやらせたのは」

 

 コウガミが口にすると、「悪いとは思っている」とカルマは口元を斜めにした。

 

「だがユウキを炙り出すには最早、これしかない。これでも出て来ずにRH計画阻止のみを目的とするならば恐るべき敵だが、十中八九出てくるだろう」

 

「そのこころは?」

 

「勘だよ。裏の世界にいるとそればっかりが冴え渡ってくる」

 

 ロケット団時代から、と続けなかったのはカルマにはもう懐かしむような過去はないからか。自分ならばロケット団時代の昔話に華を咲かせるが、カルマには無用の長物なのだろう。カルマにとって過去とは忌むべきものであり、乗り越えねばならぬものなのだ。乗り越えて断ち切るものである過去には振り返らない。カルマの旅路には余計な手荷物は不要だった。

 

「私は随分と鈍ってしまった。上にいるといけないな。利権争いばかりを見せつけられたせいで変に賢しくなるばかりだ。戦士の勘、という奴は取り戻せそうにない」

 

 裏切っておいてよくものうのうと、とカルマは感じているだろう。だが、あの時にはそうせざるを得なかったのだ。何よりも生き残るためにとコウガミが口にすればカルマは怒るだろうか。そう考えていると差し込むように、「つまらないな」とカルマは言っていた。

 

「何だって?」

 

「コウガミ。お前はつまらない人間になった。嫌っていた上の役職に就いたからか、それともお前の生来の性質か、妙に人間臭くなったじゃないか」

 

「まるで六年前には人間離れしていたような言い草だ」

 

 返した言葉にカルマは鼻を鳴らした。

 

「貴様は、俺と相似の関係にあったのに、まるでベクトルの違う人間になったな。もし、六年前のメンタリティを残しているのならばこの状況さえも利用するはずだ。どこかに隠しカメラか、従者やポケモンを忍ばせて、俺の動向を監視している。俺の弱みを握り、RH計画を自分の側に引き寄せるほうが都合のいい。俺という駒も手に入る。その上にカントーに仇なす害悪の芽を摘み、先ほどの宣言も利用して反逆者ユウキも逮捕。一石二鳥どころではないな。まさしく栄光を手に出来る」

 

 カルマが両手の先を引っ付かせながら口にした言葉に思わず怖気が走った。やはり腐っても六年前に生還した男だ。裏は掻けそうにない。コウガミは、「……出て来い」と指を鳴らした。その直後、コウガミの身体がしぼみ、空気が抜けた風船のようにその場に皮ばかりになった身体が倒れ伏した。コウガミは空間を破ってポケモンと共に出てきた。カルマが鼻を鳴らす。

 

「身代わりによって自らのコピーを作り、俺との会話を客観的に聴く。その後に応じるかどうかは自分で判断する。なるほど、賢明だ。俺と話す事を人質宣言時から読んでいるとは、六年前に裏切った腕はまだ鈍っていないようじゃないか」

 

 カルマが乾いた拍手を漏らす。コウガミはポケモンをモンスターボールに戻して、「いつから気づいていた?」と尋ねた。

 

「気づいてなどいない。かまをかけてみただけだ」

 

「本当か?」

 

「喋り過ぎれば俺の力を明かすようなもの。種明かしは趣味じゃないんでね」

 

 カルマがにたりと口角を吊り上げる。コウガミはフッと笑みを浮かべ、「伊達ではないか」と呟いた。

 

「ウィルと互角以上に渡り合ったリヴァイヴ団のボスは」

 

「そうだな。実際、ウィルには負けていない。あれは戦略的撤退だ。リヴァイヴ団がどれだけ衰退を重ねようが、俺さえ無事ならばまた再興の芽は芽吹く」

 

 その自信はどこから来るのか。この男はどこまで強欲なのだろう。

 

「いつか足元をすくわれるぞ」

 

「すくおうとした奴は数知れない。貴様も含めてな」

 

 覚えず指されてコウガミは作り笑いを浮かべる。カルマも微笑み、「その程度では」と片手を開いた。

 

「騙し合いのレートにもならない」

 

「そうだろうな。数知れずこのような事があっただろう」

 

「貴様も何度かリヴァイヴ団で暗殺対象に上がっていた。その度にこの方法で潜り抜けてきたわけか」

 

 センスがないが聞いて呆れる、とカルマは付け加えた。

 

「センスはない。ただ、言ったろう? 変に賢しくはなったと」

 

「確かに賢しい。俺程度に見通されたぐらいならばしらを突き通せばいいものを」

 

「お前にばれればもうほとんど命はないも同然だ」

 

「その口ぶり、俺の力の一端を少しは掴んだか?」

 

 尋ねる声に、「さっぱりだ」と返すコウガミだったが、実のところ掴みかけてはいたのだ。しかし、その手がかかる寸前でカルマに露見した。今さら隠し立てしたところで長生き出来る気がしないが、ここで惨殺されるよりかは少しぐらいマシな未来が待っているだろう。コウガミは、今度はカルマの対面のソファに座った。カルマが、「いやに素直だな」と口にする。

 

「それは皮肉か? 身代わりで自ら姿を隠していた私への」

 

「単なる感想だ。俺だって力を明かしていない以上ここは平等に、というところだな」

 

 平等であるものか、とコウガミは感じる。少なくとも今の瞬間に攻守は逆転している。

 

「それで、ウィルのボスは何をご所望かな」

 

 既にカルマに楯突こうという意思は失せていた。恐らくカルマは自分を分かっていて生かしている。事が終わればすぐに殺すだろう。何の躊躇いもなく、虫の命を屠るように。

 

「反逆者ユウキに最高の舞台を」

 

 その一言で既に求められているものは分かった。コウガミはポケッチの通信を開き、「α部隊に告ぐ。例の準備にかかれ」と命令する。

 

『つつがなく』という返答の声にカルマは、「ほう」と眉を跳ねた。

 

「そこまで読んでいたのか?」

 

「いや、ただ単に趣味が一致しただけだろう。お互い、いい趣味をしている」

 

 コウガミの言葉にカルマは笑い声を上げた。

 

「まったくだ。酒でも酌み交わしたいところだが、その余裕もない。俺は行く」

 

 カルマが立ち上がり、蛙顔を揺すった。蛙顔は頭を振った後にハッとして周囲を見渡した。

 

「大丈夫ですか?」とカルマが従者の声を出す。

 

「か、カルマ。私は、また……」

 

「ええ、例の発作です。お薬を」

 

 カルマが懐から薬の入ったケースを取り出す。蛙顔は三錠ほどを飲み込んだ。カルマの趣味ならば中身は遅効性の毒薬か何かだろう。毒に慣れさせて成り行きを見守る算段かもしれない。どちらにせよ、この男らしいと感じる。

 

 蛙顔はコウガミに気づき、慌ててごまをすってきた。

 

「こ、これは総帥。私が、何か粗相を致したでしょうか?」

 

「いや、何も。お身体に気をつけて」

 

 自分で言ってから、これは最大限のジョークだな、と笑いそうになる。蛙顔と握手を交わし、「いずれお話しましょう」と声をかけられた。恐らくRH計画発動時にはどちらかの命はない。

 

「お互いに老い先は短いですが」と言ってみせたのは自分でも上々だったと感じる。蛙顔は何を勘違いしたのか、「いやいや、総帥はまだお若い」と謙遜を口にした。この場では糊塗した謙遜ほど意味のないものはないというのに。なにやら自分と蛙顔が戯曲の登場人物に思える。酷い大根役者だろう。

 

「カルマ。行くぞ。まったく、お前は。総帥に失礼はなかっただろうな?」

 

 従者気分で連れ歩いている人間に実は手綱を握られている、などとは夢にも思わないのだろう。叱責する声にカルマは、「すいません」と平謝りするばかりだった。他の団員や構成員からは侮られているに違いない。蛙顔の重役の付き人だと。実際にはそれが最大の脅威だと誰も気づかないのだ。気づかないうちに皆が命を落としている。カルマの事を知らねば、自分とて侮ってしまいそうだ。

 

 コウガミは部屋から二人が出て行くのを見送ってからソファに体重を預けた。この部屋にまだカルマの手持ちはいるのだろうか。一瞬だけ掴みかけたオレンジ色のポケモン。まるで幻影のように消え去ったあのポケモンの正体は何なのか。勘繰ろうとして、やめた。

 

「私はまだ、長生きしていたいのでね」

 

 コウガミは口角を吊り上げて笑った。

 

 



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第八章 十三節「するべき事」

 

「今の、総帥からですか?」

 

 尋ねる声に頷くと、「直通ですかー」とヤマキは声を漏らした。

 

「羨ましいですねぇ。出世街道まっしぐらで」

 

「お前のほうがうまく立ち回れるさ」

 

 発した言葉に、「どうでしょ?」とはぐらかされる。

 

「俺はこんな任務やっている時点で出世街道どころか人間としての道を踏み外しているような気がしますけどね」

 

 ぼやいた言葉は飾り気のない本心だったのだろう。自分が指摘すればヤマキを降格させる事も出来る発言だ。しかし、そうしようとは思わなかった。

 

 振り返り、様子を確認する。手錠を後ろ手にかけられ、目隠しと猿轡をされた二人の男女。データ上ではサカガミとミヨコという話だったが上がどこまで本気なのかははかりかねていた。本人かどうかも疑わしい。

 

「疑似餌で釣ろうって腹ですかね」

 

 考えていた事を見透かしたようにヤマキが口にする。「あまりそういう事は言わないほうがいい」と忠告した。

 

「頭が回る奴は嫌われるぞ」

 

「別に俺は嫌われたっていいですよ。それにこの組織も、もう駄目かなって正直思い始めているんで」

 

「カタセの離反と昨夜から消息不明になったカガリか」

 

 一気に二人の隊長格が削られたのだ。戦力はがくんと落ちた事になる。報告をしたε部隊の構成員達は、マキシがまず離反しカタセと交戦。その後にカタセも離反との報を受けてカガリが向かうも正体不明の敵に攻撃され反転世界の向こう側に呑み込まれた、という。正体不明の敵の所有ポケモンにゴルーグが挙がっていた事を思い出し、深く息をついた。

 

「エドガー。生きていたんだな」

 

 生きていたのならば、それだけでよかったのに。未明に設けられた隊首会において取り乱した様子のサヤカ一等構成員を思い出す。カガリ隊長が死ぬはずがない、負けるはずがないと叫んでいた。平時の落ち着きを知らない者が見れば半狂乱の体だろう。それだけカガリという少年は部下に恵まれていたという事なのか。考え込んでいると、「駄目ですよ、深く考えちゃ」とヤマキが声を差し挟む。

 

「だから、人の心を読むな」

 

「読んでいませんよ。分かりやすい顔をしていらっしゃるから、俺には分かるんです。……今、本当は何がしたいのかも」

 

 何がしたいのか、よりも何をすべきかのほうが先に立っている気がする。支給された手袋越しの感触を味わいながら手を握ったり開いたりする。この手には命がある。たとえではなく、実際に。自分がこうしろと命じれば、人質の二人はおろか、ウィルの大半の人間は従わざるを得ない。そのような極地に至りたかったのではない。そう言い訳を作っても虚しいだけだ。畢竟、自分に残されたのは虚栄の頂だったという事なのだから。

 

「独り言を言う」

 

「何ですか、急に」

 

 ヤマキは笑ったが馬鹿にしようという感じではなかった。この場にいない二人の戦士に黙祷を捧げてから、「エドガー、ミツヤ」と口を開いた。

 

「お前らの意志を俺は受け継ごう。だが、許してくれ。今だけは、このような真似が必要なんだ。お前らはもしかしたら今の俺に幻滅しているかもしれない。しかし、けりはつける。俺なりの、答えを」

 

 そこまで口にするとヤマキのポケッチが鳴った。ヤマキがすぐに、「何だ?」と険しい声を向ける。既に戦闘の声音を帯びている。自分よりもよっぽど戦いに向いている人柄だろう。

 

「来たようです」

 

 ヤマキの一言で理解した顔を上げる。バイクのいななき声が耳朶を打ち、すぅと目を細めた。

 

「来たのか」

 

 本当は来て欲しくなかった、とは言えない。しかし、もしこの戦いに来なかったとしたらお互いにすれ違うばかりだっただろう。もう一度邂逅する機会には恵まれなかったはずだ。

 

 高速道路から一騎の黒いバイクが躍り出た。前輪を構え、まさしく暴れ馬に騎乗するように操作する。ヤマキが、「退いてください!」と声を張り上げる。しかし、その場から一歩でも下がろうとは思わなかった。バイクは自分達の真ん前に着地した。ブレーキ音を鳴らし、痕跡を刻み込む。漆黒の機体にまたがるのはオレンジ色のライダースーツを着込んだ人間だった。

 

「改めて会うのは半年振りか」

 

 言葉にすると何と陳腐なのだろう。黒バイクはヘルメットを取った。最初の印象は、少し髪が伸びて大人びた顔つきになった、だった。まるで保護者のような感想にふと自嘲する。

 

「ええ、そうですね」

 

 ヤマキが前に歩み出て警戒する。ヤマキ以外にもこの場所には至るところにウィルの構成員が常駐していた。いわば飛んで火にいる夏の虫だが、少年からは気後れした様子も、恐れ戦いた様子もない。最初から自分との直接対決が約束されているかのような達観があった。

 

「恐れはないのか?」

 

 思わず尋ねた声に、「あなたがいるのならば」と少年は口を開く。

 

「恐れる事など一つもないでしょう」

 

 少年はライダースーツのポケットから折り畳んだ何かを取り出した。ヤマキが前に出て警戒の視線を注ぐが、それはただの帽子だった。オレンジ色の帽子だ。それを被った瞬間、目の前の少年が現実味を帯びてきた。

 

「久しいな、ユウキ」

 

「ランポも」

 

 ようやく自分の名前が呼ばれ、ランポはこの場に生きている自分を自覚出来た。まだ自分の名を何のてらいもなく呼んでくれる人間がいる。その事に目頭が熱くなりかけたが、ランポは自分の役職も同時に思い返した。

 

「俺はウィルα部隊隊長、ランポだ」

 

「知っています」

 

「ならば、俺がここに立つ意味も分かるな? ユウキ」

 

「ええ」

 

 ユウキは一歩踏み出した。次に放たれるであろう言葉にランポは全神経を研ぎ澄ました。

 

「ランポ。あなたを倒します」

 



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第八章 十四節「コアプライド」

 

 テッカニンを繰り出して既に周囲の状況を俯瞰していたユウキだったが、囲まれているこの状況下では自分一人とテッカニンだけでは心許ない。

 

 退却戦にすれば、まだ逃げられる確率はあるが、これから行うのは徹底抗戦だ。ランポはユウキがバイクから離れるのを待っているようである。ユウキはバイクから降りて、ライダースーツの前を開けた。半年前とほとんど変わらない自分の姿に何を思うだろう、とユウキは感じていたが、ランポは短く感想を告げただけだった。

 

「背が伸びたな」

 

「そうですか?」

 

 それ以上の言葉はなかった。ランポとて分かっているのだろう。これが命を賭す戦いだという事を。半年前の邂逅と同じく、お互いの命を張って戦いに臨む。敵同士であった時と同じだというのは何かしら奇妙な感慨を呼び起こさせたが、それに耽っている場合でもなかった。

 

「ユウキ。お前の目的は分かっている。あの二人だろう」

 

 ランポは拘束されている二人を示した。ウィル本部前に二つの十字架があり、その下に後ろ手に手錠を組まされている二つの影がある。本物か、とユウキが目線で言外に問いかけると、「本物だ」とランポが言った。

 

「サカガミとミヨコ。お前の大事な人だったな」

 

「どうして、こんな真似をしたんです? あなたとの直接対決で全てが決するというのならば、僕は逃げも隠れもしない」

 

「俺がここに出る事も想定外だった。こちらの戦力が予想外の事態によって潰されてしまってな。最早、有事に動けるのは隠密を得意とするはずの俺のような人間だという事だ」

 

「ランポ、あなたは――」

 

「お喋りは、俺達の間には不必要だろう。ユウキ」

 

 遮って放たれた声にユウキは口を噤んだ。ここまで至ったのだ。既にランポは敵として扱わなければならない。そうでなくとも、向こうはそう認識しているだろう。取り囲むウィルの構成員達の息遣いに混じる意思は「恐れ」が強い。今まで幾度となくウィルの実行部隊を退けてきた相手が目の前にいる。それもα部隊の隊長との直接対決。緊張しないほうがどうかしている。しかし、ランポの語調は半年前と何ら変わりはしなかった。

 

「ユウキ。お前はここで死ぬ事になる」

 

 既視感を覚える台詞にユウキは反射的に肌を粟立たせた。未だにランポから放たれる重圧というものは存在する。それを再確認しただけでも充分だ、とユウキは感じて視線を据えた。

 

「勝つのは僕です。おじさんと姉さんを返してもらう」

 

「お前にそれが出来るかな?」

 

 ホルスターからモンスターボールを引き抜いたランポを視界の中央に捉えながらユウキは考える。ランポは何故、直接対決を望んだのか。数で勝る構成員だけでは今まで煮え湯を飲まされてきたから。そういう側面もあるだろう。しかし、相手方は人質を取っているのだ。圧倒的有利に変わりはなく、むしろ自分をこの場所に引き込んだ時点で既に勝ちなのだ。だというのに、無益な戦いに身を浸すのは何故なのか。ユウキはテッカニンを操る思惟を緩めずに思いを巡らせていると、「考えているな」と差し込む声があった。

 

「この戦いに、意味はあるのか。俺達が戦ってどうする? お互いの主張が決して交わらないと、何よりも分かっている二人が戦って何になる?」

 

「だから、僕は」

 

「俺は」

 

 重ねた言葉に不意に傍らの構成員がホルスターから引き抜いたボールの緊急射出ボタンを押し込み、身を翻した。同期して現れたのは鉄の爪を持つ黒色のポケモンだった。帽子の鍔のような突起を頭部に持ち、赤いまだらの体表がある。そのポケモンは三つに分裂した鋼の爪を重ねてランポの背後に降り立った。それと時を同じくして、そのポケモンの鋼の表皮をカツンと何かが打ち据えた。構成員が目を走らせる。そのポケモンの鋼の表皮を叩いたのは三角錐の毒針だった。

 

「狙撃手がいます。警戒を」

 

 戦闘の声音を含んだ構成員はランポの背後を守る。ユウキは目を見開いていた。まさかテクワの狙撃が見切られるとは思っていなかったのだ。感知野の網で構成員の視野を拾い上げようとする。ワイアードか、と感じたが、構成員はただの人間だった。一般のトレーナーが感知野を極大させたテクワのドラピオンの狙撃を事前に防ぐとは。ユウキが舌を巻いていると、「こいつは」とランポが口を開いた。

 

「今までのような奴じゃない。本当の実力者だ。お互いに相手を嘗めていたな、ユウキ。まさか俺の無力化をはかるとは。半年前には考えつかなかったであろう成果だ」

 

「僕は、出来るだけ穏便に済ませたい」

 

 ユウキはもちろん、ランポを殺すつもりなどない。足を撃って少しの間痺れてもらうだけでよかったのだが、その作戦は阻止されてしまった。ランポはそれを見透かしているのかフッと口元を緩めた。

 

「変わらないな、お前は。俺ならばテクワにこう命じただろう。一撃で頭を砕け、と」

 

「あなたがそんな冷酷な事をするようには思えない」

 

「俺は冷酷さ。後にも先にも。お前は知り得ていないかもしれないが、お前の抹殺指令を半年前に下したのは、この俺だ」

 

「あなたにはそうするしかなかった」

 

「希望的観測だな。そうあって欲しい、だろう。お前はまだまだ甘ちゃんだ。半年間で何を学んだ? ポケモンを操る術だけか? もっと賢しく生き残る術を培ったと思ったのだが」

 

 ランポの鳶色の瞳がユウキを見つめ、細められた。

 

「残念だよ、ユウキ。お前は、俺の前に立つには至らなかった」

 

「僕はあなたの前に立っている。これは事実だ」

 

 返した言葉に、「真実の意味ではない」とランポが顔を伏せた。

 

「ただ立っているだけならば、それは案山子か、でくの坊と同じだ」

 

 ランポがモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけた。球体が割れ、そこから射出されたのは半年前と同じ、青い腕だった。光を振り払い、人型の威容を持つが毒々しい眼差しと鉤爪を有するポケモン――ドクロッグが飛び出した。ドクロッグは喉を鳴らして鳴き声を発する。まるで嗤っているようだった。今のユウキの境遇を嗤っているのか。それともランポか、両方か。

 

「ドクロッグがお前を殺す。半年前には追撃するのはお前だったが、今度は俺だ。この毒手を防ぎきれるか? ユウキ」

 

 ドクロッグが弾かれたように動き出す。ユウキは咄嗟にテッカニンを前に出してドクロッグに応戦させようとして、それが失策であったと思い知る。ドクロッグの相手などせずに、ランポを一撃の下に昏倒させればよかったのだ。これでは睨み合いが続くだけだと察してユウキはランポへと攻撃の狙いを変えようとしたが既に遅い。

 

 ドクロッグは空気の流れが僅かに変わった瞬間を見逃さなかった。拳が振るわれテッカニンが一瞬だけ動きを止める。コンマにさえ至らない一瞬、ドクロッグはテッカニンの姿を見切った。すぐさま拳の応酬が注ぎ込まれ、ユウキは防戦一方に追い込まれた。テッカニンは全ての攻撃を防げるだけの力を有している。

 

 しかし、ユウキとテッカニンの場合では一撃離脱戦法が最も効果的なのだ。染み付いているかに思われた戦法は半年振りに出会うランポという存在の前に打ち砕かれた。ランポと真っ向勝負をしたい、どうして今のようになったのか問い詰めたいという迷いがユウキの判断を鈍らせたのだ。ドクロッグの拳を掻い潜ってユウキはランポへと攻撃を見舞おうとしたがドクロッグはテッカニンを射程から逃がすつもりはないらしい。間断のない攻撃がテッカニンをその空間に縛り付けていた。

 

「ユウキ。お前の弱点はその意志の強さゆえだ」

 

 ランポが口にした言葉にユウキは意識を向けた。

 

「俺との直接対決を望んでいたな? どうしてだ? 卑怯なのはこちらだぞ? 人質を取り、構成員で囲んで逃げられないようにして、お前の前に立った。お前にはどんな汚い手を使ってでも踏み越えて人質を救う義務があったのだ。だというのに、そうしなかったのはその真っ直ぐさゆえ。お前は、馬鹿正直が過ぎる。敵に対して冷酷になれなければ。それとも、俺を狙撃する程度で冷酷に成り下がったつもりか? この騙し討ち程度で負い目を感じていたか? 臆病だな、お前は」

 

「僕が、臆病ですって?」

 

 テッカニンを動かす事にかまけているとランポの言葉を聞き逃しそうになる。本当ならばランポの言葉など一言も聞く耳を持たず、そのこめかみを射抜いてしまえば早い。だと言うのに、真正面から愚直に戦っているのはやはり言われた通り馬鹿正直だからか。ユウキには判ずるだけの思考が持てない。

 

「そうだろう。お前は、俺の無力化程度で全てが片付くと思っていたんだ。馬鹿じゃないか。俺を無力化したとして、さらに言えば数十人のウィル構成員。その中にはヤマキのように鋭敏な奴もいる。そんな奴らを相手取って勝てるとでも? それとも顔見知りだから真剣勝負を挑んでくると踏んで、では自分も、と思ったか。――甘いな」

 

 ドクロッグの鉤爪がテッカニンの側頭部を打ち据えた。ユウキは思惟がぶれるのを感じた。一瞬の思考のずれを的確に突いてくる。ドクロッグとランポはただのトレーナーとポケモンだというのに、どうしてだか超えられない。

 

「非情であれ。それを身に沁みて感じたはずだ。この半年、お前は何をしていた? 入団試験の時も感じたはずだ。お前は何を寄る辺にして戦っている?」

 

「僕は……」

 

 声を詰まらせる。自分の信ずるところとは何か。半年前までは同じ志と夢に命を賭けてくれた男は、今は立ちはだかる敵である。その敵を乗り越えねば、本当の敵にも辿り着けない。どこまで非情になれるのか。冷酷になれるのか。先を見通せるのか。

 

「お前は結局、どっちつかずなんだ。結果論でしか何がしたいのかを考えていない。リヴァイヴ団に入ると決めた時も、ウィルに反逆すると決めた時も、お前の心の奥底から望むものはあったか? 状況に振り回されて、踊らされて、それで何が解決する? 黄金の夢は所詮吹けば消えるだけのものだったという事か」

 

 ランポの言葉に自分の中で熱を帯びてくるものがある事を自覚した。違う、と確かに一線を張って言える事。決して黄金の夢は吹けば消えるような容易いものではない。簡単に捨て去れるのならば、最初からそれは夢などとは呼ばない。実現不可能なものを夢見る事は、無謀に言い換えられる。自分は無謀を見続けていたのか。

 

 否、とユウキは頭を振る。

 

 無謀などではない。

 

 たとえ自分一人でも戦い抜き、頂上に立つだけの覚悟が確かにあった。それを見落としそうになっているユウキへとランポはわざとそういう声を振り向けているのだ。ユウキは自分の中に存在する黄金の夢の欠片を見つけようとした。思考の隙間が生まれてテッカニンがドクロッグの拳を受ける。その拳がランポの振り上げた拳に思えた。ランポは問いかけているのだ。

 

 ――お前の覚悟はその程度か、と。

 

「……違う」

 

 ユウキは声に出していた。静かな湖畔の月のような眼差しをランポに向け、ユウキは問いに答える。

 

「僕は、世界を変えるために戦う事を決意したんだ。ここで足踏みしてはいられない」

 

「ならばどうする? 俺のドクロッグ程度の拳を受けるのならば、お前の覚悟はここで潰えるぞ」

 

 ランポの言葉は挑発でも何でもない。純粋に覚悟の方向性を問いかけている。さらに高みへと昇れ。ランポは自分を鼓舞している。ユウキはすっと目を閉じた。

 

「なら、僕には視界も必要ない。拳を受けるというのならば痛みもきちんと受け取ろう」

 

 普段ならばネクストワイアードであるユウキには痛みのフィードバックは訪れない。しかし、ユウキはあえてそれを全開にした。直後、テッカニンからのダメージフィードバックの波が襲いかかる。今まで遮断してきた痛みが全身を駆け巡り、ユウキは覚えず意識が閉ざしかけた。超過した痛みへの防衛策として気を失う事を選ぼうとした。しかし、すんでのところで踏み止まる。

 

 ――ここで痛みを恐れれば、二度とボスへと至る事は出来ない。

 

 ユウキは歯を食いしばって痛みに耐え、過負荷のサインを訴える意識の声を無視した。手を振り翳し、現実の声帯を震わせて叫ぶ。

 

「テッカニン!」

 

 瞬間、テッカニンがドクロッグの拳の網から消えた。ドクロッグが探そうと首を巡らせる前に、ランポが両手を上げた。

 

 ランポのこめかみにテッカニンの爪の先が突き立てられていた。それをようやく察知したドクロッグが応戦しようとすると、「もういい!」とランポが叫んだ。ドクロッグが動きを止める。戸惑っているドクロッグへと、「もういいんだ」とランポは静かに告げて、ユウキに視線を戻した。ユウキは荒い息をつきながらランポを指差す。その指先を拳に変えた。

 

「王手だ」

 

 ユウキの喉から搾り出された声に、「まさしく」とランポは応じて手を下げた。ドクロッグが主人の戦意が消えた事を感知したのか、同じように拳を下げた。

 

「お前の勝ちだ、ユウキ。お前はこの先に進む権利を得た。俺という重石をようやく断ち切れるんだ」

 

 ランポは片手を上げて、テッカニンの爪を撫でる。

 

「成長したな。今のテッカニンならば俺の頭蓋を貫く程度、造作もないだろう。それを寸止めするほどにお前は自在にテッカニンを操れている。最早、トレーナーとしても俺はお前に何一つ忠告するところはない」

 

 ランポは、「リーダーとしても」と付け加えた。

 

「お前は立派に成長した。テクワとマキシがお前のところにいるんだろう? それはあいつらが従うべき相手を見定めたからだ。エドガーとミツヤも、恐らくはお前の理想に殉じた。お前が名づけたチームブレイブヘキサに」

 

 ユウキはハッとしてテッカニンを呼び戻そうとしたが、ランポはテッカニンの爪を掴んだ。

 

「やれ。ここでやらねば後悔するぞ」

 

 それは殺せと命じているのか。かつて全ての憧れの的だったランポを、自分の手で屠れというのか。

 

「……出来ません」

 

「やるんだ。やらねば未来に禍根を残すだけだぞ」

 

「それでも、僕は!」

 

 ランポの傍らにいるヤマキとかいう構成員は何も口を差し挟まない。まるでランポとユウキの間で交わされる全ての事柄について無関心を装っているかのようだ。実際、そうなのかもしれない。ヤマキは沈黙を貫いていた。

 

「僕は、信じ抜くと決めた。誰一人として裏切らないと。それはランポ、あなたとて同じです」

 

「これは裏切りではない。俺の屍を超えろと言っているんだ」

 

「それは正しい事ですか? それが裏切りではないと言えますか?」

 

 ユウキの詰問にランポは、「正しいさ」と応じる。

 

「いつだって勝利者は生き残り、敗者は死ぬ。そうやって歴史は回ってきた」

 

「今までは、でしょう。これからは違うようにする事は出来る」

 

 ユウキは片手を薙いだ。テッカニンがもう片方の爪でランポの手を弾き、再び高速戦闘の中に消えた。

 

「殺さない、という道を選ぶのか」

 

「あなたを殺したくない。それは僕にとって、裏切りになるからです」

 

「何の裏切りだ? お前を抹殺せよと命じたこの俺に対して今さら義理など――」

 

「僕の気持ちへの、裏切りです」

 

 遮って放った言葉にランポは目を丸くした。ヤマキも傍らで聞いていたからかユウキに目を向けている。ランポは永遠とも思える長い時間をかけてゆっくりとユウキの言葉を咀嚼し、「そうか」と呟いた。

 

「お前は最初から最後まで、自分の意志に従う男だったか」

 



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第八章 十五節「ベストパートナー」

 

 フッとランポの口元に笑みが浮かぶ。ランポは、「負けだな」とこぼした。

 

「ここまで完膚なきまでの敗北だと、いっそ清々しい。俺は精神面でもどうやらお前に負けたらしい」

 

「僕は変わりましたか?」

 

 ランポは少しだけ眉を上げてから、「そうだな」と口にする。

 

「背が伸びた」

 

 それがランポなりの冗談だと悟った時、ユウキは自然と吹き出していた。ヤマキも微笑んでいる。

 

 解せないと思っているのは取り囲んでいるウィルの構成員達だろう。先ほどまで殺気を迸らせて戦っていた二人が、突然笑い出したのだ。奇妙な光景に見えただろうが、彼らの中にも感じる心を持つ人間はいたのか、釣られて笑おうとして他の構成員にたしなめられた。

 

 ユウキは笑いを止めて、「僕は行きます」と毅然とした態度で告げた。ランポは道を譲って、「行くといい」と口にする。

 

「救ってやれ。お前の手で。世界を変えた証として」

 

 ユウキは弾かれたように走り出していた。ウィル本部へと駆け寄るユウキを攻撃しようとした構成員がいたがランポが、「もしこの中に!」と声を張り上げた。

 

「今の勝負に納得がいっていない者がいれば俺が直々に相手になろう。俺はリヴァイヴ団、チームブレイブヘキサのランポだ」

 

 ランポの言葉にユウキは背中を押されたような気がしていた。まずミヨコへと歩み寄り、目隠しと猿轡を取る。ミヨコはユウキを認めるなり、「こら!」と怒鳴ってきた。

 

「あんたはまた、こんな無茶をして!」

 

「半年振りの態度がそれ? 僕は無茶なんてしていないよ」

 

 ミヨコの声を振り切ってサカガミを助ける。サカガミはユウキを認めると、「ああ」と声を漏らした。

 

「ユウキ君。君は自分の信じるべき道を行けたんだね」

 

「うん。だからこそ、ここに立っていられる」

 

 自分だけの力ではない。ランポが、ミツヤが、エドガーが、テクワが、マキシが、レナが、みんなが押し上げてくれた命だ。その一滴の輝きを消してはいけない。ミヨコの手錠を外しながら、「姉さん、こんな道に進んでしまった僕を怒らないの?」と訊いた。ミヨコが叱ったのは自分の無茶だ。この道に進んだ事を叱ったのではない。ミヨコは、「あんたはいつだってそうだからね」と答えた。

 

「勝手に先走っちゃうんだから。でも、誰かが支えてくれているって事をしっかりと自覚している。支えてくれている人を分かっている人間は決して道を踏み外さない。どんな境遇でもね」

 

 初めて聞くミヨコの真剣な声音にユウキは目頭が熱くなった。しかし、姉の前で泣くのは嫌でぐっと堪える。

 

「僕は、色んな人が僕をここまで来させてくれた事を知っている」

 

「だからこそ、出会いは尊い」

 

 サカガミが後を引き取る。ユウキはそっと微笑み、二人の手錠をテッカニンで切り裂いた。自由になった二人が立ち上がる。これで人質は消滅した。ランポは責任を取らされるのだろうか。しかし、ランポが浮かべる微笑みはコウエツシティで自分の黄金の夢に賭けてくれた時と同じものだった。ミヨコと共にランポへと歩み寄る。ミヨコは少し緊張しているのか、顔を伏せている。

 

「姉さん。僕にリヴァイヴ団に入る事を勧めてくれたランポって言うのがこの人」

 

「そう」

 

 姉の返事は素っ気ない。何故だろうとユウキが首を傾げていると、「ミヨコさん、と言ったか」とランポが声を発した。ミヨコが肩を震わせる。

 

「弟さんをこのような道に引き込んでしまった事を深くお詫びする。最初の嚆矢となった事件だって、俺の監督が行き届いていなかったせいだ。あなたの怪我は俺の怪我でもある。どうか許してくれとは言わないが、ユウキの生き方を責めないで欲しい。こいつは、愚直でも己を貫き通した。立派な男だ」

 

「……はい。分かっています」

 

 ミヨコの声は憔悴しきったように小さい。ランポも訝しげな視線を向ける。

 

「どうしたんだ? まさか護送途中に酷い拷問でも受けたか?」

 

「そんな。姉さん、そうなの?」

 

「ち、違う。拷問なんて。……ただ」

 

「ただ?」

 

 ユウキが小首を傾げると、ミヨコは耳元に唇を近づけて潜めた声で言った。

 

「こんなカッコイイ人がいるなんて聞いてないわよっ」

 

 その言葉にユウキは吹き出した。

 

「笑うな、馬鹿!」とミヨコがユウキの頭を叩く。ランポが似合わぬ戸惑いを浮かべた。

 

「何があった? ユウキ。何だって?」

 

「いえ、ランポ。これは言えません。特にあなたには」

 

「もったいぶる事があるのか。お姉さんの体裁にかかわってくる事なのか? ならば、なおさら聞いておかなくてはならない。これでもまだα部隊の隊長という責務の上にいるのだからな。不始末はきちんとオトシマエをつけなければ」

 

「じゃあ、言いますけど――」

 

「言うな! 馬鹿!」

 

 ミヨコが喚く。どうやらもう怪我のほうも大丈夫らしい、と今さらの感情が浮かんだ。半年前の怪我だ。もう塞がっているだろう。それでも、癒えぬ心の傷跡があるはずだ。

 

「姉さん。ラッタはどうなった?」

 

 家族の一人に気づいてユウキが声を出すと、ミヨコは表情を曇らせた。サカガミに目をやると視線を逸らして、「亡くなったよ」と小さく告げた。ユウキは目を見開く。

 

「懸命に世話をしたんだが、どうやら神経的な病気で亡くなったらしい。ユウキ君。言うべきではないと思うんだが、君の喪失が大きな波紋になったようだ」

 

 ユウキは目を見開いて返事に窮していた。やがて、「冗談でしょう」と情けない声を漏らす。

 

「だって、そんな簡単に家族が死んじゃうわけが。ラッタはずっと僕と一緒で、小さい頃からバトルもしていて――」

 

「ユウキ」

 

 遮ってミヨコがユウキを見つめている。嘘偽りはない。だからこそ、この場にはこの二人しか呼ばれなかった。ユウキは足元がおぼつかなくなるのを感じてよろめいた。ぐらり、と揺れる視界を留めたのはランポだ。ユウキの肩を掴み、「大丈夫か」と声をかける。ユウキは首を振った。

 

「あまり大丈夫ではないです。何だか、急な事で」

 

「別れはいつだって急だ」

 

 その言葉にランポもまた大切なものを失ってきたのだと思い知らされた。目を伏せたランポは、「言葉もない」と口にする。

 

「元はと言えば俺のせいだ。俺がお前をリヴァイヴ団に誘わなければ、こうはならなかった。全ての歯車を狂わせたのは俺だ。殴られようとそしられようと構わない」

 

「ランポのせいじゃないですよ」

 

 そう表層では言ってみせるが、もしランポが現れなければどうなっただろうと想像するのを止める事は出来なかった。ランポがいなければ、毎日のようにスクールに通うのか通っていないのか分からない日々を送っていただろう。翻ってみればコウエツシティを出る事もなく、リヴァイヴ団の存在もウィルも少し目障りだ程度にしか思わなかった。

 

「もし、僕が傍にいてあげられれば、ラッタは死なずに済んだのかな……」

 

 口にした言葉に誰もが沈黙した。その中でヤマキという構成員だけが、「過去を悔やむんじゃない」と口を開いた。

 

「ラッタは誰もせいでもない。天寿を全うしたんだ。今はそれを褒めてやるといい」

 

 一構成員の言葉とはいえ、かけられただけでもありがたかった。ユウキは涙がとめどなく溢れたのを自覚した。喪失の悲しみ。両親を失った時と同じような嗚咽が喉の奥から漏れる。鈍い痛みがじんと心を震わせる。どうしようもない現実。これが自分の相対するものなのだ、とユウキは考えた。これから先も味わうであろう苦渋。ユウキはせめて、とモンスターボールをランポに要求した。

 

「どうするつもりだ?」

 

「天国のラッタに。あいつは、最後のほうはモンスターボールに、手持ちに入れてやる事が出来なかったから……」

 

 二体の制限がかかったせいで、手持ちからは除外されたラッタ。本当ならば最後まで戦いたかった。最初のパートナーであるラッタと。ユウキはランポからブランクのモンスターボールを受け取り、それを天空に掲げた。

 

「ラッタ!」と呼びかける。この声はラッタに聞こえているだろうか。しかし、これを聞いているのならば、きっと答えてくれるだろう。

 

「よくやった」

 

 戻れ、と言いたかったが、もうラッタが戻ってくる事はない。戦いの後の労いの言葉。それをかけられただけでもよかったのだろうか。トレーナーとして、ユウキはラッタの死を悼んだ。

 

「ランポ。僕達はやるべき事のために動いている」

 

 いつまでもくよくよはしていられない。前に進まなくては。ラッタもきっとそれを望んでいるはずだ。ランポが頷いた。「ついて来い」と促すランポにユウキ達は続いた。サカガミとミヨコはランポの傍にいる事が最も安全だ。

 

「承知している。ウィルを裏から操る影の存在、カルマと呼ばれるボスの事だな」

 

 ユウキは目を見開いた。ランポがそこまで知っているとは思わなかったのである。

 

「どこからその情報を?」と尋ねると、ヤマキが補足した。

 

「ランポ様はα部隊の前隊長アマツに話を聞きました」

 

「アマツは、今はもう喋れない。だから特殊な方法で質問を重ねた」

 

「特殊な方法とは?」

 

「モールス信号だ」

 

 ランポが足を踏み鳴らす。ヤマキが、「アマツ隊長との面会時に、ランポ様はモールス信号による情報交換を試みました」と付け加える。

 

「アマツはそれに気づき、何度かその方法でウィルとリヴァイヴ団に潜む闇の存在を暴き出した」

 

「それがカルマ。所持ポケモンはデオキシス。これも俺の独断で調べた。名前だけでは俺も充分な情報は得られなかったが、これだけ分かればカルマとやらを組織の中から炙り出す事が出来る」

 

 デオキシスを持っているトレーナーを絞り出せばいいのだ。しかし、カルマが真っ当なトレーナー登録をしているとは思えない。

 

「虚偽の申告か、それかダミーのポケモンを用意しているはずです。あるいは一体分しか常には情報として認知されないか」

 

「俺もそう思う。だからこそ、ウィル内部において一体しかポケモンを所持しておらず、なおかつ上のポストに絞って検索をかけてみた。その結果、ある人物が浮上した。俺が毎日のように会っていた人間の、その従者だ」

 

 ランポがバイクの前で止まる。ユウキへと振り返り、「俺にはまだ権限が生きている」と告げる。

 

「α部隊隊長として、全部隊に号令をかける事は出来る。ウィルに反旗を翻す存在として、お前に代わりそいつを告発する。本当の反逆者は誰なのか。それを明らかにしよう」

 

 ランポはウィルの全権を委譲された存在として戦うつもりだろう。ユウキは、「頼みます」と言った。ランポが頷く。

 

「約束する。お前の大切な人には傷一つつけさせないと」

 

 ランポが片手を差し出した。握手のつもりだろうか。しかし、ユウキは握り返さなかった。

 

「お互いに生きていれば、にしましょう」

 

 その言葉にランポが苦笑を返す。

 

「そうだな。これから先に戦う敵は今までとは一線を画している。俺は組織、お前はボスを。お互いに苦戦しそうだ」

 

「それでも善戦を願います。これを」

 

 ユウキはポケットからスティックメモリーを取り出した。もし、ランポが正しき道を歩んでくれるなら、とFが纏めたRH計画概要だ。

 

「これは?」

 

 受け取ったランポが尋ねる。

 

「ボスの邪悪の根源です。その名はRH計画。リヴァイヴヘキサ計画です。ヘキサ再興を企んだ計画の中身が入っています」

 

「これがボスのアキレス腱というわけか」

 

「それさえ封じれば、ボスの動きを止める事が出来るかもしれない」

 

 ヤマキへとランポはスティックメモリーを手渡した。ヤマキが手持ちの端末に繋ぎ、中身を確認する。

 

「仰る通り、RH計画なるものに関するデータが入っていますね」

 

「なるほど。RH……、リヴァイヴヘキサか。そのような計画を許すわけにいかない。もう二度とヘキサのような組織を作らない事はカイヘンの民ならば皆、心に誓っているはずだ」

 

 ランポは、「尽力しよう」と続けた。

 

「計画阻止に、俺なりの方法で」

 

「感謝します」

 

 ユウキはランポの横を通り抜けてバイクへと跨った。帽子をライダースーツに折り畳んで仕舞い、ヘルメットをつける。すっかり様変わりしてしまった自分にミヨコやサカガミはどう思っているのだろう。ちらりと視線を向けたが、その眼に宿る光は変わらなかった。

 

 ただ、信じている。ミヨコは弟として、サカガミはあの時助けた命として。変わらぬ光に後押しされた気分になり、ユウキはバイザーを下ろした。

 

「僕はδ部隊に向かっている仲間と合流します」

 

「ああ。俺はα部隊隊長として全ての構成員にカルマの事を伝えよう。ボスとてウィル構成員全員に対しては身動きが取れないはずだ」

 

 そうなる事を願っている、という眼だった。自分とて状況をうまく転がせる自信はない。しかし、やらねば、カルマの暴挙を許すわけにはいかない。数多の犠牲を生み出したこの戦いに終止符を打たねば。

 

「姉さん、おじさん」

 

 ユウキは顔を振り向けた。ミヨコは胸の前で手を握り締め、サカガミはミヨコの肩に手を置いている。

 

「信じているよ、ユウキ君」

 

 その言葉だけで充分だった。ユウキは頷き、戦いに赴く声を出す。

 

「行ってきます」

 

 半年前に家を出たのと同じ言葉で最後の戦いへと走り出す。アクセルを開き、ユウキは迷いを振り切った。あるのは一事だけだ。

 

 ――カルマを倒す。

 



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第八章 十六節「正義の心」

 

 ポケッチに伝令が届く。

 

 カルマは蛙顔の後に続きながら通信を開いた。蛙顔はポケモンを持っていないが、通信機器としてポケッチを使っている。しかし、滅多に自分から通信に出ようとはしない。広域通信と表示された画面にカルマは小首を傾げた。

 

『この通信を聞いている全てのウィル構成員に告ぐ。俺の名はα部隊隊長、ランポ。これから話す事は嘘偽りのない真実だ。反逆者はユウキではない。真にカイヘンに害をなし、カントーに仇なそうとしているのはたった一人の敵だ。その名前はカルマ。ウィルの中で上位のポストについている人間だが、その名前を知らぬ人々も多いだろう』

 

 自分の名前が広域通信で漏れてカルマは目を瞠った。これはどういう事なのか。何が起こっているのか。整理する合間にもランポによる声が続く。

 

『カルマはリヴァイヴ団の元ボスだ。併合後のウィル内部においてカルマはRH計画なる計画を裏で推進し、カントー打倒を目論んできた。そのデータは今、俺の手の中にある。このデータをカントー側に開示するだけの準備が既に整っている。そうなれば、カルマはカントーを相手取る必要に迫られる。ヘキサ再興計画であるこの計画を、我々カイヘンの民は許すわけにはいかない。断固として戦う姿勢を持つべきだ』

 

 何を言っている。カルマは目を慄かせた。自分の思う通りに進んできた事柄に急に障害が入った。その横槍は全てを台無しにしようとしている。カルマが積み上げてきた、全てを。

 

「カルマ……。ランポの話は、本当なのか?」

 

 蛙顔が立ち止まりカルマへと問いかける。カルマは小さく舌打ちを漏らし、「そんなわけがないでしょう」と答える。

 

「これは陰謀です」

 

「だが、ランポがお前のような私の従者に過ぎない人間の悪事を告発したところでどうする? これが確定情報で、ある程度物事が進んでいるから、ランポは号令を発した。私の与り知らぬところで、カルマ、お前は何を……」

 

 余計なところで頭が回る。普段ならば鈍い思考を叩き起こさねばならないくせに。カルマはしかし、穏やかな態度を崩さずに、「これは罠です」と言った。

 

「誰かがわたくしと、あなたを陥れようとしている。組織ぐるみの罠だと考えていいでしょう。そうなってくると、咄嗟に浮かぶのはウィルの総帥でしょうか」

 

 先ほど話したコウガミが実は裏切りの伏線を張っていた、とは考え辛い。自分の身を守る事だけでもあれは精一杯だろう。ならば別の誰かが最初からカルマの行動を予期していたという事なのか。RH計画に関連する施設ばかりを狙っていたのはユウキの独断ではなく、誰かが手綱を握っていた。誰だ? と思いを巡らせる。コウガミか、ランポか、それとも半年前に喋れなくしたアマツか。誰でも可能に思えてカルマは思考の迷宮に陥るのを感じた。

 

「馬鹿な、総帥がそのような事を。我々を陥れたところで、磐石なウィルの情勢に亀裂が走るだけだろう」

 

 どうやら自分の保身を考えるとこの男は頭が回るらしい。カルマを信じようとしない蛙顔へと、「では誰だと言うんです」と声を振りかける。すると、「お前が企んでいたのではないのか」と暗い眼が返ってきた。カルマは瞠目して後ずさる。

 

「まさか」

 

「どうだかな。お前は私の支配を快く思っていなかったとしたら全ての辻褄は合う。ウィルの実効支配と、リヴァイヴ団の併合を最初に提案したのもお前だったな。それは全て私兵を整えるためではないのか? 来るべき時に、ウィルにカントーを罰するだけの理由を与え機会を窺ってきた。そう考えると、分かる話じゃないか。ランポの言葉とて突飛ではない。今までのお前の行動が全て、ヘキサ再興のためにあったのだとしたら、私も騙されていた事になる」

 

「ちょっと待ってください。言いがかりです」

 

 まだ無能な部下の仮面を下げるわけにはいかない。カルマは食い下がったが、蛙顔は、「いや」と言い放つ。

 

「お前のせいで、私の首も危うい。ここまで上り詰めたって言うのに、恩を仇で返すとは。お前を許さんぞ。ハリマシティの留置所に幽閉して、死ぬまで苦痛を味わうといい。私の権限ならばそれが出来るんだ。お前程度――」

 

「黙れ」

 

 カルマは思わず遮って口にしていた。低い声音に蛙顔が気圧されたのを感じる。しかし、顔を赤くして反論してきた。

 

「何が黙れだ! お前のせいで私まで」

 

「だから、黙れと言っているだろう。うすのろが」

 

 カルマはマスターボールを取り出し、中空を薙ぎ払った。直後、蛙顔の身体が弾き飛ばされた。壁にぶつかり、鞠のように跳ねる。カルマは静かに命じた。

 

「デオキシス。もう生かしておく必要はない。殺せ」

 

 カルマのデオキシスが空間を飛び越え、壁に突っ伏した蛙顔の身体を引き裂いた。蛙顔が風船のように弾け飛び、血糊を撒き散らす。カルマは襟元のネクタイを緩めながら歩き出した。幸いにして目撃者はいない。ウィルの施設の廊下だからだ。監視カメラが捉えているだろうが今さらではあった。カルマはポケッチから聞こえてくるランポの演説に耳を傾けた。

 

『カルマという人間は、RH計画。通称リヴァイヴヘキサ計画というヘキサ再興計画を練って、人民を欺き、人心を掌握し、影の存在として生き永らえてきた。今こそ、その存在を白日の下に晒す時が来たのだ。今のままではカルマの思い通りに事が運び、カイヘンは再びヘキサという火種を抱える事となる。ヘキサの悲劇を二度と起こしてはならない。これはカイヘンに住んでいるのならば共通認識であると俺は考えている』

 

「ふざけるなよ、俺の指示で動いていた駒が、今さら意思を持ちやがって」

 

 カルマは吐き捨てながら廊下を抜けて、ウィル本部の前に停車している黒塗りの車へと向かおうとしたが、待っていたのは車ではなく、武装したウィルの構成員達とその前に佇むランポだった。

 

 カルマが唖然としていると、ランポがポケッチに吹き込んだ。

 

「今、ウィルの本部から出てきた俺の目の前にいる男こそ、カルマだ。あれが全てを操ってきた元凶なんだ」

 

 構成員達の視線が矢のように突き刺さる。カルマは片手を振るって、「言いがかりです」と弱々しく口にした。この場では無力な人間を演じなければならない。

 

「わたくしにはそのような力はございませんし、カントーに楯突こうなどもってのほか。わたくしには何も出来ません」

 

 カルマはおろおろと泣き出そうとしたが、ランポの隣に立っていた構成員が指差した。

 

「ランポ様。奴のポケモンが出ています。お気をつけください」

 

「デオキシスか」

 

 囁かれた言葉に、「何故……」と思わず口にしていた。ハッとして口を噤もうとした時には最早手遅れだった。

 

 瞬間、刃のように切り込んでくる思惟を感じ取り、カルマはデオキシスに弾かせた。飛んできたのは一発の毒針だ。カルマを狙撃しようとしたらしい攻撃に、同調能力を持つ狙撃手の事を思い出す。

 

「貴様ら……!」

 

 カルマは怒りを露にして怨嗟の声を出す。ランポが落ち着き払った様子で、「それがお前の正体か」と告げた。

 

「こちらが下手に出ればいけしゃあしゃあと。あの蛙顔の男もそうだった。――ああ、名前すら覚えていない。そんな事に割く脳の容量もないのでね。いい気になりやがって。コウガミもだ。全員、ヘキサ再興のために利用してやろうと思っていたのに。それまではせめて生きた傀儡を演じてもらおうと思っていたのに。どうやら貴様らは死にたいらしいな」

 

「死ぬつもりはない。それに、ここにいる全員がお前の罪を告発する参考人だ。もう逃げ場はないぞ、カルマ」

 

「逃げ場がない?」

 

 カルマは鼻を鳴らした。怪訝そうにランポが眉根を寄せる。

 

「まだ抵抗するつもりか?」

 

「笑わせる」

 

 カルマは片手を薙いだ。デオキシスが紫色の残像を帯び、一瞬にしてランポの懐へと潜り込もうとする。それを阻止したのは二体のポケモンだ。ドリュウズとドクロッグ。ランポの部下とランポのポケモンが察知し、守りを固めようとしたが既に遅い。思念の加速を得たデオキシスからしてみれば止まっているようなものだ。

 

 デオキシスの払った腕による刃のような一撃がドリュウズの鋼の爪を断ち割る。防御の姿勢を取ったドリュウズが怯んだ隙を突いてランポへと肉迫しようとしたが、ランポの前にはドクロッグがいる。

 

 ドクロッグが拳を放つが、デオキシスは全ての軌道を予知し、軌道上へと応戦の拳を放った。光の速度を超える拳のぶつかり合いに勝ったのは当然デオキシスだ。ドクロッグの拳の先についている鉤爪が歪んだ。それに加え、強力な一撃によって拳の形が跡形もなく変わっている。最早ドクロッグは戦闘不能だった。

 

 デオキシスが拳であった腕を触手に変えて、二重螺旋を描く鋭い触手でドクロッグの頭部を断ち割った。ドクロッグの顎から額にかけて傷が走る。血が迸った瞬間、ようやくドクロッグの認識が追いついたようだった。全ての現象が遅れた時間を取り戻すように巻き起こる。ドリュウズの鋼の爪が割れ、ドクロッグが瀕死の重傷を負わされたのは相手にとっては一瞬の出来事に思えた事だろう。

 

「ドクロッグ!」

 

「ドリュウズまで……。反応して前に出したのが裏目に出たか」

 

 構成員が口走る。カルマは片手を上げてデオキシスを傍らに戻した。まだ懲りずに狙撃姿勢に移ろうとしている狙撃手へと意識を向ける。カルマは軽く片手を振った。すると、ぶれて二重像を結んだ紫色の残像の腕を振り上げて、デオキシスが身体を翻した。その一撃でウィル本部から隣接するビルにかけて亀裂が走った。

 

 砂煙が舞い散り、轟と渦を成して空気が集束していく。びりびりと空間が鳴動し、破砕した破片が空気を切る音が幾度も聞こえた。その中に狙撃手の存在を感じる。どうやらデオキシスの一撃からは間一髪逃れたようだ。

 

「運がいいのか、それとも勘か」

 

 どちらでも構わない。カルマはデオキシスが巻き起こした混乱に乗じて逃げ出そうとしていた。デオキシスと共に真正面から、堂々と歩み出そうとするカルマを、ウィルの構成員達が取り囲んだが、カルマは軽く片手を薙いでいなした。構成員達が紫色の残像に吹き飛ばされていく。

 

 手段にこだわっている場合ではなかった。この事態を終息させるにはユウキを先に確保し、RH計画共々ユウキの仕業という事にしなければならない。そうしなければ収まりがつかないだろう。コウガミの手腕には期待出来そうにない。コウガミはいざとなれば自分を切るつもりだ。それは肌で感じていた。

 

「逃がすか」

 

 立ち塞がった声と存在に、カルマは目を向ける。頭を断ち割られたドクロッグとその主人であるランポが前に出ていた。しかし、ランポの膝が笑っている。恐怖しているのは明白だった。

 

「恐怖しながらも、何故、俺の前にいる? どうしてそこまで出来る?」

 

「誓ったからだ」

 

「誓っただと? 誰にだ」

 

「黄金の夢に、命を賭けられる仲間達に。俺はもう、誓いから逃げ出すような男ではない」

 

 ランポは左胸に拳を当てて声を張り上げた。その胸には反転した「R」の矜持がある。

 

「俺はチームブレイブヘキサのリーダー、ランポだ! 後に続く者に、道を示す義務がある!」

 

 カルマはその言葉を聞き、高笑いを上げた。乾いた拍手を送りながら、「志は立派だな」と冷笑を浮かべる。

 

「だが、何も伴っていない。リヴァイヴ団も、チームブレイブヘキサも、全ては俺のためにあったのだ。俺を押し上げるのが貴様らの役目だった。その役目も果たさず、俺に牙を剥こうとする。どちらが悪かは、言うまでもないな」

 

 デオキシスの一撃がドクロッグを飛び越えてランポの肩口を貫いた。一瞬にして血飛沫が上がり、ランポは肩を押さえて後ずさる。

 

「次はどこがいい? 脚か?」

 

 ランポのふくらはぎを刃の一撃が襲った。肉を抉り取った攻撃にランポはよろめき、その場に膝をつこうとする。しかし、最後の一線で耐えているようだった。カルマは苛立ちを募らせて声を吐き出す。

 

「貴様は、何に忠誠を誓っていると言うのだ」

 

「……さぁ。俺にも分からなくなってしまった。だが、これだけは言える」

 

 ランポは鋭い光を湛えた双眸をカルマへと向ける。その輝きの強さに覚えずたじろぐ声が漏れた。

 

「お前は邪悪だ。邪悪を止めるのが、チームブレイブヘキサ。ヘキサで傷ついたこの地を勇気で立ち上がらせる。そして――」

 

 ランポは今にも倒れそうでありながらしっかりと二本の足で立ち、言い放った。

 

「俺はそのリーダーだという事だ!」

 

 カルマの感知野に差し込んでくる攻撃の意思を感じ取り、そちらへと意識を向ける。ドリル形態へと変化したドリュウズが粉塵を引き裂き、カルマへと突っ込んできた。カルマは目線を向けるだけでデオキシスを操る。デオキシスの放った一撃が鋼の表皮を破り、突き上げた攻撃でその勢いを削いだ。ドリュウズが身体を展開させ、荒い息をついている。両腕の鋼の爪は見る影もない。それでも戦意を失ってはいない。

 

 何故だ? とカルマは問いかける。こいつらは何を信じている?

 

「組織以上に信じるに足るものは何だ? 誰の許しを得て、この場で息をしていると思っている?」

 

 全てはカルマが存在したから、今まで回ってきたのだ。ランポの命もコウエツシティで終わらせる事は出来た。チンピラで一生を終える事は出来たというのに。

 

「馬鹿な奴らめ。俺に殺されに来るとはな」

 

「殺されはしないさ。俺達の命は潰えても、意志は途切れない。受け継ぐ者がいるからだ」

 

「ユウキか。あのようなガキに!」

 

 カルマは片手を振るった。デオキシスが同期してランポへと一太刀を浴びせる。袈裟切りに裂かれた傷痕から血が滲む。その一撃へと交差するもう一撃を放つ。

 

「何が出来る!」

 

 ランポは押し込まれるように倒れそうになる。しかし、まだ立っていた。血反吐を吐きながらも、まだ倒れない。

 

 カルマは獣のような雄叫びを上げた。ランポの腹部へとデオキシスの腕が突き刺さる。ランポが目を見開く。構成員が、「ランポ様!」と声を上げる。カルマがにやりと口元を歪めると、ランポは息も絶え絶えに、「ようやく……」と口にした。デオキシスの腕を掴んで、何度か切れそうな意識の糸を張り詰めているようだ。

 

「捕まえたぞ。デオキシスを俺の実力で捉えるには、これしかないと思っていた。最初にデオキシスのデータを見た時から、ずっと……」

 

 デオキシスの背後にドクロッグが立っている。ほとんどひしゃげた拳を掲げて構えを取った。まさか、砕けた拳でデオキシスを打ち据えようと言うのか。

 

「やめろ。無駄に終わる事は明白だ」

 

「かも、しれないな……。だが、俺は最期の瞬間にお前に一矢報いる事が出来るという、これ以上のない誉れを得る事が出来る。エドガー、ミツヤ。俺を許してくれるか?」

 

 呟かれた声に、「やめろ」と返す前にドクロッグが拳を放った。スピードフォルムのデオキシスの身体に血のついた拳が叩き込まれる。しかし、その拳はデオキシスの表皮を軽く小突いた程度だ。血がべっとりとついた手が表皮を撫でたのを覚えて、カルマはその不快感に手を振り払った。

 

 ドクロッグの腕が肘先から切断される。ドクロッグが倒れるのと同じくして、デオキシスで貫いているランポから力が抜けていった。

 

 まるで主人とポケモンが同期していたように、二つの身体は同じ末路を辿った。デオキシスが腕を引き抜き、ランポの頭を足蹴にする。

 

 それに耐えられなかったのか、ドリュウズが特攻してきた。しかし不完全なドリル形態は食い破られた蓑虫のようだ。デオキシスは足を振り上げて尖った踵でドリルの先端を捉えた。回転するドリルが逆効果に及んで鋼の表皮を砕けさせていく。デオキシスが踵落としを決めると、ドリュウズがその場に倒れ伏した。操っていた構成員は苦渋に顔を歪めている。カルマとデオキシスを止めようとする者はもういないかに思えた。しかし、一人、立ち塞がった。見た事もない構成員だ。それが震えながらホルスターからモンスターボールを引き抜き、カルマの前に立っている。カルマが小首を傾げ顎でしゃくると、デオキシスが構成員を吹き飛ばした。しかし、その構成員はまだ立とうと懸命に手をついている。カルマは、「何だ」と呟いた。

 

「名前も知らない奴が出しゃばるな。俺の前に立っていいのはこの世において俺だけだ」

 

「名前なら、ある……!」

 

「聞いていないな」

 

 カルマはデオキシスで叩き落とそうとした。構成員は失神したかに見えたが、まだ息があるのか、「お前を、止めるのが」と口にした。

 

「ウィルの役目だ……」

 

 その言葉に構成員達が一人、また一人とカルマの前に立ち塞がった。どれも顔も名前も知らない、ただの歯車だと思っていた人々だ。それがどうしてだかカルマの行く手を遮る。カルマは、「邪魔だ」と目線でデオキシスを操り、道を切り拓いていく。しかし、人々は倒れても立ち上がり、カルマを防ごうとポケモンまで出してきた。カルマは舌打ちを漏らす。

 

「一般構成員風情が。どうして俺に指図出来る」

 

 覆い被さろうとしてきたポケモンを思念の波動で弾き飛ばし、カルマはその場からテレポートで立ち去ろうとした。ユウキをこの手で押さえ、カントーへと突き出せばいい。まだ自分にはウィルの幹部としてのポストがある。ランポの演説は一事の気の迷いとして処理された。それでいい。自分はカルマという名前すら捨てて、また新たに立場を作り直せばいいのだ。コウガミの力を使えば容易いだろう。

 

 構成員がまた雄叫びを上げて襲いかかってくる。カルマは、「ちょこざいな!」と手を振り翳す。構成員がデオキシスの歯牙にかかり、一人、また一人と倒れていく。

 

「貴様らが何匹、何十匹たかろうが俺に傷一つ負わせられるものか。帝王はこのカルマだ。依然、変わりなく」

 

 カルマが口角を吊り上げて笑うが、まだ生き残った構成員が抵抗を続けようとしている。カルマは、「何故だ……」と口中に呟いた。

 

「無駄だと分かっていて、何故戦う? 何がお前らをそこまで衝き動かす?」

 

「お前には、一生分からないだろうさ」

 

 その声は先ほどドリュウズを操っていた構成員だ。物言わぬランポの瞼をそっと閉ざし、カルマを睨み据えている。

 

「俺達は正義の心に従ったんだ。ウィルがいくら腐ったって、ヘキサのような組織を作らないという正義はあったんだ。それをお前は踏み躙った。ウィルも重罪だろう。だが、お前はもっと罪深い。ヘキサを作るという事は、カイヘンの人々全員を敵に回したのと同じなんだからな」

 

 構成員の言葉にカルマは目が眩むのを感じた。これは何だ? 理解が出来ない。

 

「ヘキサは理想郷だ。俺にとっては特に。どうして分からない? どうして、凡庸な貴様らは平和などという欠伸が出そうなものを渇望する? ヘキサは、キシベ様はまさしく世界を揺り起こしたのだ。惰眠の只中にある世界を。だというのに、また脆弱と安寧の中に戻れと言うのか? 不可能だ!」

 

 カルマは手を振り翳し叫んでいた。立ちはだかる構成員を薙ぎ払い、テレポートでユウキの下へと向かおうとする。ユウキの位置はある程度分かる。それは一度殺し損ねた相手だからか。それともユウキがこちら側へとシフトしてきたからか。

 

 先ほどまでこの場所にいた相手の気配は糸のように感じられた。その糸を辿ればいい。残像となって消え失せようとするカルマを捉えようとした一撃があった。背後から不意に立ち上った殺気に目を向けた直後、ドリュウズの鋼の鍔のような突起がカルマの心臓に突き刺さった。その身を押してでも食い込ませようとした一撃は、しかし空を穿った。カルマはもうテレポートの最終段階に入っていた。肉体は既にここにはない。まさしく残滓を貫いただけだ。

 

「残念だったな」

 

 カルマが残っていた一片で告げると、「残念かどうかは」と構成員が吐き捨てた。

 

「この先の未来で確かめるんだな。クソッタレ」

 

 その罵声に眉をひそめた瞬間、テレポートの幕の向こう側に意識までも持っていかれた。

 

 



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第八章 十七節「呪われた地へ」

 マキシのポケッチを鳴らしたのは定期通信ではない。

 

 ユウキが先ほどこちらと合流に向かった、という通信を得たばかりだった。ラティオスの上に乗ったマキシは首を引っ込めながらテクワからの通信を受け取った。

 

「どうした?」

 

『ヤバイ事になった』

 

 テクワが身を起こす気配が伝わる。ガラガラと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。

 

「おい、どうしたんだ?」

 

『ついさっきまで瓦礫の下だ。今、ようやく這い出た。ドラピオンが咄嗟に盾になってくれたお陰だ』

 

 テクワの言葉は要領を得ない。マキシは、「俺が行くって言ってんだから」と口にする。

 

「お前は目的をこなせばいいんだ。ランポと和解したんだろ。もう大丈夫じゃないか。俺もさっきのカルマを引っ張り出した通信は聞いたぜ。スカッとした」

 

 今回の任務でFと先に合流するように提案したのはマキシだった。ワイアードでもない自分ならば確実に合流出来る確率が高いと感じたのだ。目論見通り、Kとキーリ、マキシとレナがそれぞれラティアスとラティオスに乗ってハリマシティの空を駆けている。

 

「あたしにとっては意味のある言葉だったわ」と後ろに乗ったレナが口を挟む。

 

「半年間、穴倉に篭っていたのがようやく実を結んだ、って感じ。これでようやく反抗に出られる。あたし達がFと合流し、マキシか最悪でもKが破壊の遺伝子を手に入れられたら、あたし達の勝ちじゃない? カルマはもう逃げられない。ウィルからしてみてもヘキサ再興なんて害悪に違いないもの」

 

『……そのカルマだ』

 

 テクワの声にはどこか暗い響きがあった。それを感じ取ったマキシが真剣な声音で尋ねる。

 

「何があった?」

 

『ランポが死んだ』

 

 発せられた言葉の意味が、最初分からなかった。ランポが死んだ? 何故? と問いかけそうになって、ランポは自分達を生かすために死んだのだと悟った。

 

「カルマに殺されたのか」

 

『ああ。今の俺も、ドラピオンも動けねぇ。お前らの援護に回る事は不可能だ。だからこそ、言っておく。カルマの強さは伊達じゃない。このままじゃ、俺達は負ける』

 

 テクワらしからぬ発言だったが、それほどまでの現実を目にしたのだろう。マキシは尋ねていた。

 

「この通信、ユウキには」

 

『聞かせていない。ユウキはこれからカルマと戦おうって言うんだ。余計な心配事をさせるわけにはいかないからな』

 

 それは適切な判断だろうと思える。カルマと真正面からぶつかり合うであろうユウキに、ランポが死んだというイレギュラーを耳に入れさせてはならない。

 

「負けるからって俺達が足を止めるわけにはいかない。Fから破壊の遺伝子を受け取ってデオキシスを超える。そうすれば勝てるんだ。今のカルマにはもう組織の後ろ盾はない、って事だろ。好機じゃないか」

 

『そうとも言い切れないがな』

 

 テクワの声音は曇っている。怖いもの知らずのテクワが恐怖しているというのか。レナがポケッチに声を吹き込んだ。

 

「どちらにせよ、破壊の遺伝子を手に入れなければあたし達に未来はないわ。カルマにそれを気取られていないでしょうね?」

 

『奴はユウキの気配を追っていった。もしかしたらお前らとかち合うかもしれない。そうなった場合、勝てる算段は……』

 

 テクワが言葉を濁す。限りなくゼロに近い確率に、「でも、ゼロじゃない」とレナが返す。

 

「あたしはそう信じている」

 

『半年間で随分と前向きになったじゃねぇの』

 

「逃亡生活を続けていればね。希望的観測にすがりたい時も出てくるわ」

 

 レナはそうでなくともユウキを信じているのだろう。半年間で芽生えた感情か。それとも、と考えかけて、らしくないで打ち消した。

 

『今、一番危ないのはユウキだが、お前らも充分に危ない。Fの下へと向かっている事を気取られればお前らだって無事じゃ済まないだろう』

 

「Fが示した受け渡しポイントは、充分意味深だからね」

 

 レナの言葉にマキシは事前に交わした受け渡し交渉を思い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハリマシティじゃない?」

 

 ユウキが声を上げると、全員がFのモノリスが浮かんだウィンドウに目を向けた。キーリが腕を組んで、「そうよ」と当たり前のように告げる。

 

「ハリマシティはウィルのお膝元。私達δ部隊は特殊な場所に本拠地を置いている。それこそ、今までウィルを客観的に見て、なおかつ分析出来た最大の理由」

 

 キーリはFのいる場所を知っているようだった。ユウキは代表してFへと尋ねる。

 

「F、その場所はどこです? ハリマシティじゃないとしたら、受け渡しにそれなりの時間がかかる事になる。僕は、姉さんとおじさんを助けてから向かわなくてはならない。そう遠い場所では」

 

『それほど遠くはない。君達全員が、言ってしまえばカイヘンの人々が忘れたくても忘れられない場所だ』

 

 その言葉に一つだけ思い当たる場所があった。しかし、その場所は今封鎖されているはずだ。ユウキは慎重に声を出す。

 

「まさか、そこは……」

 

「そう。察しの通り」

 

 キーリの言葉にウィンドウ上にカイヘンの地図が表示され、本土中央にある六角形の赤い禁止区域が拡大された。

 

「私達の本拠地は旧タリハシティ跡地。今は完全封鎖された場所よ」

 

 半分は予想出来ていたが、半分は意外だった。「でも、タリハシティ跡地は」と声を出す。

 

「立ち入り禁止区域のはずです」

 

「そう。誰も立ち入る事は出来ない。四方のゲートは閉ざされ、空からでも無数の電子機器の干渉により降り立つ事も出来ない」

 

「では、どうやって……」

 

『δ部隊はタリハシティ跡地に関する全権を任されている』

 

 Fの言葉にユウキは顔を上げた。キーリとKがポケッチを掲げる。

 

『キーリとKの二人が一緒ならば、ゲートロックは解除されるだろう』

 

「どうして、タリハシティなんかに……」

 

 ユウキの疑問にキーリが答えた。

 

「誰にも迷惑のかからない安全な実験施設があるとすれば、どこだと思う? それはチャンピオンロードのような無人地帯に他ならない。タリハシティ跡地は理想的よ。ウィルがもし、実験の不手際があったとしても揉み消せるし、いざとなればその場所自体を封鎖出来る」

 

『そういう事だ。タリハシティ跡地が選ばれたのは、何よりもウィルが体裁を守るためだという事が大きい。カントーでさえ介入したくない場所だ。呪われた地と言えよう』

 

 その呪われた場所にFは今までいたというのか。その場所から指示を飛ばし続けていたのか。ユウキはその心情を確かめてみたくなったが、やめておいた。

 

「タリハシティ跡地は、今は……」

 

『ヘキサ事件の慰霊モニュメントが建てられている。それだけの殺風景な場所だ。外面的には』

 

 つまり実質的にはウィルの研究施設が存在する場所だという事だ。カイヘンが航空産業や、都市化を拒んで跡地に建てたのは雌伏のための施設だった。それが何やら皮肉めいている。

 

『軌道上からの衛星写真や地図まで誤魔化したウィルδ部隊の研究施設は地上からでも目に留まらない。外向けには慰霊モニュメントの管理施設とされているからね。その地下には巨大な施設があるのだが、君達にはそこまでご足労いただく必要はない。ワタシは慰霊モニュメントで待っている』

 

「つまり、受け渡しはタリハシティ跡地、慰霊モニュメント」

 

 ユウキが確認の声を出すと、全員が頷いた。その時、出し抜けにマキシが口を開いた。

 

「ユウキは、家族を守る事が最優先だろう。この作戦、三手に分かれないか?」

 

「三手?」

 

 ユウキが聞き返すと、マキシは、「俺達全員が動けば、さすがに怪しまれる」と続けた。

 

「だから三手に分かれる。テクワ。お前はユウキの援護射撃に回って欲しい」

 

「いいけど、いつものお前と俺の組み合わせじゃないぜ?」

 

 不安がないのか、とテクワは問いかけているようだったが、マキシは頭を振った。

 

「今まで通りに動けば、それこそ元の木阿弥だ。俺達は一歩踏み出さなきゃならない。そうだろ」

 

 ユウキへとマキシは視線を振り向ける。マキシとて、カタセとの決別を果たしたのだ。今までのようではいけないと感じているのだろう。ユウキは頷いて、「マキシの意見に賛成です」と言った。

 

「僕は姉さんとおじさんを助けたい。テクワ、力を貸してくれますか?」

 

「俺はいいけどよ。ユウキはバイクがあるからともかく、お前らはどうするよ?」

 

「私達はママのラティアスとラティオスでタリハシティへと向かうわ」

 

 キーリが声を返す。

 

「きっと、それが一番早い」

 

「俺とK、キーリがタリハシティ跡地へと先回りして向かう。Fから破壊の遺伝子を受け取って、もしもの時に備える」

 

「もしも、ってのは?」

 

「カルマが一足早くタリハシティに到達する事、それと付け加えれば、ユウキ。お前が死ぬ事だ」

 

 マキシの言葉にユウキは目を慄かせたが何も不自然な事ではないのだ。その可能性を視野に入れなければ、カルマを倒す機会は失われる。自分でなくとも目的を遂行出来なければならない。ユウキは深く頷いた。

 

「ええ。それが最も危惧すべき事です」

 

「破壊の遺伝子はワイアード以外でも効果は見込まれるのか?」

 

 マキシがFに質問すると、Fは、『それなりには』と答えた。

 

『だが、それは、先ほどのデータで示した通り、イレギュラーも含み得る。もっとも、ワイアードで試したところでリスクは同じだが』

 

「じゃあ、もしもの時は俺か、Kが使えばいい」

 

 マキシの言葉にユウキは、「頼みますよ」と口にした。マキシは、「お前が到達するのが一番だ」と返す。

 

「だからこれは、推奨される策ではない。本当に、最後の手段だと思ったほうがいい」

 

「それは承知しています」

 

 ユウキは返し、Fのモノリスが表示されている画面へと向き直った。

 

「タリハシティ跡地、慰霊モニュメント。そこで全てが決する、と思っていいんですね?」

 

『ああ、そこで待とう』

 

 Fの返答は短い。この段になってもFは自分の正体を明かそうとはしなかった。δ部隊の隊長である事だけだ。顔も、本当の声すらも明らかになっていない。それでも信じようと思ったのは、半年間付き合い続けた義理か。それとも人情が移ったのか。

 

「テクワは僕と一緒に移動して、先んじて狙撃姿勢を。キーリとK、それにマキシはタリハシティ跡地へ。レナさんは――」

 

「あたしもついていくわ」

 

 意想外の言葉に全員が目を向けた。レナは眼鏡のブリッジを上げて、「何よ」と声を出す。

 

「あたしだけ仲間外れってわけ?」

 

「いえ、そういうわけでは。……ですが、危険です」

 

「今さら守られる立場でもないわ。一人でも戦力は欲しいはず。それに破壊の遺伝子というものが何をもたらすのか、興味はある」

 

「知的好奇心って奴ね」

 

 キーリが茶化す声を出す。

 

「私達と変わらないわ」

 

「そうかもね。でも、あんたとあたしじゃ、決定的に違うわ」

 

「同じだなんて、怖気が走るわよ、オバサン」

 

 あっけらかんと言い放つキーリに、「言うじゃないの、クソガキ」と負けじと返すレナ。二人のやり取りを自分達男は見守る事しか出来ない。

 

「……なぁ、半年もずっとこんな調子だったのか?」

 

 テクワの潜めた声に、「まぁ」とユウキは肩を竦めた。

 

『それでは作戦を始める』

 

 Fの号令に全員が身を強張らせた。

 

『タリハシティ跡地で一人でも辿り着く事が出来るよう、願っている』

 

 



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第八章 十八節「砕かれた翅」

 

 漆黒の風が駆け抜ける。

 

 ハリマシティの高速道路を抜けていくユウキの視線の先に、不意にオレンジ色の旋風が差し込んだ。

 

 横合いからやってきた不意打ち気味のそれに、ユウキは素早く反応しようとしたが、それのほうが速い。

 

 前輪を絡め取られ、バイクが傾いた。バランスを崩したバイクのブレーキを押し込もうとしたが、その速度よりもそれがバイクへと鋭角的な攻撃を差し挟むのが一拍早く、ユウキはバイクから投げ出された。対ショック構造を持つライダースーツとヘルメットのお陰で大怪我は免れたが、ユウキは転倒のショックで一瞬だけ視界が暗転したのを覚えた。咄嗟に手をついて体勢を立て直す。空間を引き裂いてオレンジと水色の触手が現れていた。それがバイクに突き刺さり、血のようにガソリンが滴っている。触手が絡みつき、バイクを噛み砕いた。漆黒のバイクが砕け、爆発の衝撃波を広がらせる。ユウキはバイザーを上げて、「現れたか」と呟いた。予感はあった。しかし、まさかこんなにも早く出てくるとは思いもしなかった。

 

 ユウキは行く先を僅かに見やる。トンネルに入って直通で行けばタリハシティゲートは目前だった。それを、こんなところで足止めを食らうとは。ユウキは既に場に出ているテッカニンへと思惟を飛ばす。先制攻撃を仕掛けようとして、触手が紫色の残像を残して揺らめき、テッカニンの爪を弾いた。ユウキが舌打ちを漏らすと、空間を裂いてオレンジ色の影が空気に溶けた。テッカニンと同じく高速戦闘に入ったのだ。その中で、トレーナーである人影が遅れて空間をガラスのように砕きながら歩み出た。

 

「不思議な事だ」

 

 人影は告げる。ユウキは身構えた。テッカニンへと絶えず思惟を送り込みながら、応戦の火花が周囲で散る。相手は手を翳しながら、「半年前には」と続ける。

 

「貴様は俺の足元にも及ばなかった。あの時、俺は確実に貴様を殺した。だが、今さらどうでもいいのだ。あの時、腹ぶっ貫いてやった貴様がどうやって生き残ったのか。そんな事は些事だ。どうでもいい。問題なのは、どうしてまた俺の前に立とうとしたか。その一事だよ、ユウキ」

 

「――カルマ」

 

 その名を口にする。テッカニンはデオキシスに対して対等な速度で攻めているが、それでも対等だ。上に立てているわけではない。超えるにはやはり破壊の遺伝子が必要になる。それが目前にしてありありと伝わった。今のままでは勝てない。

 

「かつての組織のボスに対して、貴様らは礼儀がないな。まぁ、いいとしよう。俺とて礼節程度で序列を決めていたわけではない。問題なのは力の有無だ。その点、力はあったのだが、惜しい事をした。あの男は」

 

「誰の、話をしている……」

 

 ユウキは目の前の自分にカルマを釘付けにしようとしたが、デオキシスの速度は緩まる気配はない。感知野の網を張ったが、その網を震わせる思惟もなかった。

 

 ――同調ではない?

 

 ユウキの頭に上ったその考えにカルマは、「同調か」と呟いた。まるでユウキの思考を見透かしたように。鼓動が脈打つのを感じる。カルマは口元を歪めて、「馬鹿な事をする」と口走った。

 

「しかもその同調は、命を削る無謀なものだ。俺のように完璧なポケモンと命を共にすればいいものを、テッカニンとはお粗末な」

 

 ユウキはカルマの秘密を探ろうとした。カルマは何故、デオキシスを手足のように操れるのか。テッカニンの眼を使って、デオキシスを視る。

 

 その時、違和感に気づいた。デオキシスは最も危惧していたスピードフォルムではない。鋭角的なシルエットを持つアタックフォルムだった。紫色の残像を帯びてデオキシスがテッカニンを叩き落す。テッカニンが翅の振動数を落としたのを契機に、デオキシスはユウキへと肉迫した。瞬時にオレンジ色の表皮を引き剥がし、黒色のスピードフォルムへと変身する。テッカニンを即座に呼び戻し、デオキシスへと応戦に放とうとするがその前にデオキシスの細い触手がユウキの首筋へとまるで切っ先のように突きつけられた。ユウキが息を呑む。半年間で培った力でも勝てないのか。デオキシスが紫色の残像を帯びてユウキの首を落とそうとした、その時である。

 

「いや、待て」

 

 カルマが口を開いた。デオキシスの動きが止まる。

 

「何故、貴様は戦えるだけの力を持ちながら、俺から、いやこの街から逃げようとしていた? そうだろう? 俺との真っ向勝負を望むのならば、ランポと共に俺を迎え撃つ準備をしていればいいはずだ。なのに、貴様はランポとの勝負を終え、ハリマシティを出ようとしていた。半年間掻き回したにも関わらず、だ。俺はもう少しでその理由に気づかないところだった。貴様が行こうとしていた先にこそ、何か答えがあるのではないか」

 

 カルマが疑いの眼差しをユウキへと向ける。まさか、Fの事を気取られたか、と感じたがカルマがFの事を知るはずがない。自分が独断でRH計画を潰そうとしていたと思わせなければならないのだ。ここで間違ってもFが裏にいた事を悟らせてはならない。ユウキは、「何を躊躇っている」とデオキシスの触手を掴んだ。

 

「僕を殺せるのなら、殺してみろ。そんな事も出来ないのか、腰抜けめ」

 

 ユウキがデオキシスの触手の先端を首筋に向ける。それで終わりを覚悟した。しかし、カルマは、「なるほど」と声を発する。

 

「それで確信に変わった。貴様はやはり、一人で動いているのではないな。俺をある目的から遠ざけようとしている。その目的こそ、俺を真に脅かすものだ。その目的は、貴様の行く先を考えれば自ずと答えは出る。トンネルの、向こうか」

 

 カルマが目を向けて片手を上げた。デオキシスの触手から攻撃の意思が薄れ、代わりのようにユウキを蹴飛ばした。ユウキはよろめく。デオキシスとカルマはトンネルへと足を進めていた。ユウキは、「テッカニン!」と叫ぶ。

 

「迎え撃て!」

 

 高速戦闘に入ったテッカニンの爪がカルマのこめかみを引き裂こうとする。しかし、その直前にカルマは指を鳴らす。その直後、デオキシスが弾かれたように動き出し、高速戦闘の只中にあるはずのテッカニンを、身を翻してからの跳び蹴りで打ち据えた。

 

 テッカニンが吹き飛ばされ道路のガードレールにぶつかる。頭を振って体勢を整えようとしたテッカニンへとデオキシスが追撃した。触手で絡め取り、動きを封じる。テッカニンが翅を震わせるが、堅牢な守りを突破する事は出来ない。爪もデオキシスの表皮を破る事はない。

 

「俺はもう少しで、小事にこだわって大事を見逃すところだった。ユウキ、貴様は所詮、目の前を喧しく飛び回る羽虫だったという事だ。羽虫を一匹砕いたところで、またどこからか羽虫はやってくる。問題の解決には、そう、窓を閉めるか、羽虫の巣を潰すのが手っ取り早い」

 

 カルマがユウキに背を向けて歩き出す。最早、ユウキなど眼中にないようだった。ユウキは似合わぬ雄叫びを上げた。

 

「待てよ、この野郎!」

 

 テッカニンが思惟を受けて再びデオキシスへと猪突するが、デオキシスはくるりと身を返してその一撃をかわした後、触手で脳天を叩きつけた。テッカニンがよろめいたのを確認して、デオキシスとカルマが鼻を鳴らす。

 

「相手をしている暇はない。そのような暇さえ惜しい。本当の敵に気づかせてくれた。むしろ礼を言いたいくらいだ」

 

 冗談ではない。ユウキは自分の命を賭してでも、カルマを止めねばならなかった。Fの下へ、みんなの下へ行かせるわけにはいかない。ユウキは最後の一点の思惟を掛け合わせてテッカニンの身に注入した。テッカニンの翅から青白い閃光が迸り、今までにない高速戦闘へと至る。

 

 加速の境地へと至ったテッカニンの速度はまさしく神速であった。常人ではそこにテッカニンがいる事にすら気づかないであろう。だが、カルマはまさしく羽虫でも見つけたように視線をやって、くいと顎をしゃくった。

 

 すると、デオキシスが一瞬のうちにテッカニンを通過していた。紫色の残像が幾重にも連なっている。デオキシスがそれを通過する度に、翅が破れ、表皮が捲れ上がった。デオキシスの思念の加速のほうがテッカニンよりも上なのだ。その加速の中に一瞬にして放り込まれ、テッカニンはその速度ゆえにダメージを受けている。ユウキは、「ああ……」と声を発した。テッカニンの身体から覇気が消えていく。

 

 デオキシスの分身がテッカニンをその身で引き裂いていく。テッカニンは間断のない攻撃の波に呑まれていた。ユウキはそれをただ見つめる事しか出来ない。テッカニンが全ての加速の膜を超えた時、その身体はボロボロになっていた。もう戦闘が継続出来ないのは自明の理だ。

 

 テッカニンが速度を殺し、ゆるゆると降りていく。テッカニン自慢の高速の翅が見る影もなく破れていた。まるでささくれ立ったビニール袋のようだ。テッカニンの墜落を眺める事のどれほど残酷な事か。墜ち行く様は、敗北の二文字を容易に連想させた。テッカニンが墜ち切る前に、デオキシスはとどめの一撃を放った。テッカニンを背中から打ち据え、地面に叩きつけた。テッカニンは飛ぼうと翅を鳴らしたが、その身が浮き上がる事はなかった。ただ虚しく鳴くばかりだ。

 

「デオキシス。テレポートでこの先に向かう。確かタリハシティだったな。全ての始まりであり、終わりの場所に向かっていたとは。そこに何が待っているのか、興味深い」

 

 カルマの声にユウキは顔を上げて歯噛みした。テッカニンにありったけの思惟を送り込むが、テッカニンは微動だにしない。

 

 ――もう飛べない。

 

 その現実が否応なく圧し掛かってくる。

 

「貴様は最早、羽をもがれた羽虫。となれば、ただの虫か。ただの虫では俺には遠く及ばない。そこで地に伏せて自分の無力に死に絶えろ」

 

 ユウキは獣のように喚き声を上げた。「ひとおもいに殺せ!」と叫ぶ。カルマは、「それこそつまらない」と告げた。

 

「貴様にはこの世の地獄である敗北を味わわせてやろう。俺がかつて味わったように。苦渋の味を舐めて、どれだけ自分が愚かしく偉大な存在に立ち向かったかを知るんだな」

 

 カルマは四散したバイクへと目を向けた。ショートの火花が散っているとはいえ、まだ機体の骨子は残っている。それさえもデオキシスの一撃で砕いた。散らばる部品はユウキの心にある戦意の一欠けらに見えた。それが儚く散っていく。

 

 デオキシスと共にカルマがテレポートの幕の向こうに消え去ろうとする。ユウキは、「テッカニン!」と叫んでいた。

 

「バトンタッチ、ヌケニン!」

 

 テッカニンに代わりヌケニンが現れる。テッカニンは通常ならばモンスターボールに戻るが、翅がもがれているせいか途中で落下した。しかし、ヌケニンへの交替は果たされた。加速の特性を引き継いだヌケニンが素早くカルマを捉えようとする。

 

「影打ち!」

 

 カルマの影に一瞬にして入り込み、影に混じって爪を立てようとする。しかし、デオキシスがガムのように形状を変化させてカルマの身体を覆った。ディフェンスフォルムへと移行したデオキシスの壁にヌケニンの爪が虚しくぶつかる。カツン、と音を立てただけだった。表皮には傷一つない。

 

「終わりだな。もう俺と戦うだけの価値もない。そうだ。最後に絶望を味わわせてやろう。貴様の仲間であったランポは俺に手にかかって死んだ。タリハシティ跡地にいる奴らも同じ末路を辿らせてやろう」

 

 ユウキは目を慄かせた。カルマの言葉がにわかには信じられなかったが、しかし、予感はしていたのか、「ランポが……」と声を発する。

 

「ランポはもういない。最期まで黄金の夢やら、仲間やらとぬるい奴だった。所詮、器ではなかったという事だ。俺にこそ帝王の器は輝く」

 

 カルマが天を指差してテレポートのオーロラの向こう側へと消えていく。ユウキは行かせてはならないと感じつつも身体が動かなかった。ヌケニンにはネクストワイアードの効果はない。ただのトレーナーとポケモンでは勝てる気がしない。デオキシスの無効化など、全く考えつかなかった。

 

「さよならだ、無謀な反逆者よ」

 

 カルマの姿は薄く消え去った。後には敗者であるユウキだけが残された。無様に生き残ったその眼は地面を見つめたまま、一歩も動く事が出来なかった。

 



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第八章 十九節「イノセントラヴ」

 

 決して、生きている者は存在しないような荒涼とした大地が広がっている。

 

 その中央に黒いモニュメントが建てられており、囲うようにCの字を描いた建築物があった。ウィルδ部隊の本拠地である事を知る人間は少ない。δ部隊の少ない構成員達は極秘研究を施設内で行っている。その中の一人が珍しい人影を施設の中に見つけて軽く会釈した。そうでなくともδ部隊の人間は内向的だ。現れた人影がいくら意外な人物でも、決して表情に出す事はない。

 

「おはようございます、隊長」

 

「ああ、おはよう」

 

 本来ならば久しぶり、と返すのが当然だが、構成員は気に留めた様子もない。自分の実験資料を眺めながら歩き去ってしまう。この環境を好く人間はいる。対人関係を好まない人間ならば、絶好の環境だろう。しかし、それだけではこの環境を生きていけない。他人に対して絶大な信頼があるからこそ、逆に無関心も装えるのだ。少なくともそう信じてきた今までがある。δ部隊の施設を出てモニュメントの前に立つ。モニュメントは窪地になっていた。階段があり、一階層分下のところにモニュメントが建築されている。

 

 風が逆巻き、髪の毛を撫でる。長い金髪が風になびいた。

 

「全てはこの時のためだった」

 

 その手はカプセルが握られていた。内部が見えるようになっている円筒形のカプセルであり、黄金の螺旋が描かれている。

 

「カルマを倒せる可能性、それが現れるのを。それはワタシ、いや僕ではない」

 

 カプセルを握った手に力を込めて、モニュメントの陰の側から太陽が照らし出す側へと歩み出た。タリハシティ一つ分が喪失した場所は「空間」と呼ぶには広過ぎる。かといって、中心地にモニュメントと施設がある以上、「大地」とも呼べない中途半端な場所。それこそがタリハシティ跡地という忘れ去られた場所には相応しいだろう。歴史の陰に抹消される不浄の地。その地の中心に自分は立っている。その意識に彼は息をついた。

 

「Fと名乗り、全ての過去を向こう側に置いてきたのもこのためだ。僕の手は、誰かを抱き締められる資格なんてないから」

 

 強い風が吹きつける。彼のコートを風が煽った。片腕には袖が通されていなかった。彼は隻腕だった。

 

「託さねばならない。僕のためにも。そしてキーリやK、いや、コノハのために」

 

 太陽が彼の姿を照らし出す。彼――フランは半年間を反芻した。ユウキと出会い、その可能性に触れて、少年を反逆者に仕立て上げてしまった罪。それは償わねばならない。しかし、今ではない。カルマを倒してから全てが始まるのだ。

 

「それにしてもユウキ、彼には驚かされっぱなしだ。成長の早さもそうだが、仲間を呼び込む天賦の才。彼のような人間こそが、上に立つのには相応しいのかもしれない」

 

 まさしく指導者の素質だろう。フランはユウキにかつてヘキサへと立ち向かった人々と同じ光を見ていた。今はもうチャンピオンになってしまって手も届かない存在。彼女と同じだ。仲間と信念のために、どこまでも無茶をやる。フランには一種眩しくさえ移る。そこまでの覚悟を結局持てずじまいで、ただ付いて行くだけだった。彼女の視点を知ってみたくて、ディルファンスからこの立場に上がってみたが未だに視えるものはない。あの時、彼女には何が視えていたのか。

 

 ワイアード、ネクストワイアードの実験を重ねたがそれは結局、ポケモンと人間の領域を侵犯する者、というだけだ。彼女のような超然とした姿になれた理由にはならない。フランには正直、彼女があれだけやれた事が理解出来なかった。どうしてそこまで身を削れるのか。何度も疑問に感じたが、片腕を失ってみて痛感する。彼女は痛みと共にあった。だから強くあれたのだと。

 

 では、自分は? 片腕を失った今でも答えは出ない。

 

 フランはこちらへと向かってくる赤と青の光に目を向けた。どうやらユウキよりもコノハ達のほうが早かったらしい。ユウキは自分の決着もつけなければならなかったので当然といえば当然だろう。

 

 最悪、コノハかマキシに任せるしかない。しかし、コノハだけは、という思いもあった。ようやく自由に羽ばたけるようになったコノハをまた戦いに縛り付けるのか。コノハは自分の意思でフランの下につく事を選んだ。記憶の混濁によってフランとの日々をほとんど思い出せなくとも、フランの事を受け入れてくれた。自分に唐突に娘がいる事も受け入れた彼女には強さがある。

 

「……キーリ」

 

 フランは呻いた。

 

 キーリはフランとコノハの娘ではない。コノハとエイタの娘だ。

 

 望まれずに授かった命。その重さをコノハは自覚しながら生きている。それさえも強さだ。母はいつだって強い。研究と立場を守る事に没頭し、フランはほとんどコノハとキーリに愛情を割けなかった。それでも自分の事を父親だと呼んでくれるキーリを、フランは抱き締めたかったが、その資格はあるのかといつも自問してしまう。

 

 自分は誰かが授かろうとした幸せを横から奪おうとする姑息な輩なのではないかと疑ってしまう。コノハはそんな事はないと言ってくれるが果たしてそうだろうか。フランにとっての贖罪は、片腕を犠牲にして得たリヴァイヴ団の裏事情だ。

 

 ウィルとして活動するに当たって、当然のようにリヴァイヴ団との摩擦があった。フランは研究顧問としてリヴァイヴ団を解析し、その結果、リヴァイヴ団には実質的にボスが空席である事が明らかになった。

 

 それを上層部にリークしようとした矢先、フランを襲った影があった。フランの実力ではその影の正体は全く分からなかったが、それから数年を経てユウキと出会い、ようやく理解出来た。

 

 リヴァイヴ団のボス、カルマ。

 

 その手持ちであるデオキシス。

 

 それが癒えない傷痕をフランと相棒であるエルレイドに刻んでいる。エルレイドの眼には斜に切り裂かれた傷痕があった。隻腕の主人に隻眼のポケモン。エルレイドと自分はとうに戦力としては失格だろう。だからこそ、キーリとコノハに任せるしかなかった。

 

 ある意味では苦行を強いられてきた。本当ならば護りたい二人に自分を護らせる結果になった。しかし、苦汁の日々は終わりを告げるのだ。今まさに、ラティアスとラティオスが向かってきている。マキシという可能性を連れて。破壊の遺伝子を受け渡せば、この受難の日々は終わる。ようやく一歩前に踏み出せるのだ。フランは訪れに綻ばせようとした、その時である。

 

「ウィルδ部隊隊長がこんなところに何故出ている?」

 

 不意に背後からかかった声にフランは振り返った。モニュメントの陰から一人の男が歩み出る。鋭い双眸が殺意を伴って射る光を放つ。その男をフランは知っていた。覚えず後ずさり、その名を口走る。

 

「――カルマ」

 

 階下にいるカルマはモニュメントに手をつきながら、「懐かしいな」と口にした。

 

「貴様は、あの時殺したはずだった」

 

 あの時――フランがまだ表立って動いていた頃の話だ。カルマはモニュメントを撫でながら、「五年程前になるか」と呟く。

 

「俺の存在を嗅ぎつけるウィルの狗がいると耳にしてな。その駄犬には死んでもらおうと思ったが、そうか、片腕だけだったか。全身を細切れにしてやったつもりだったが」

 

 フランはカプセルをポケットに入れて腰のホルスターへと手を伸ばす。カルマは片手を開いて問いかけた。

 

「何故、自分で戦わない? 俺には敵わないと悟ったからか? それとももうポケモンを使えないからか? 片腕では、確かに心許ないだろう。エルレイドにも片目のダメージがある。しかし、その程度で諦めるような人格とは思えないのだがな」

 

 カルマがモニュメントから一歩踏み出す。フランは、「それ以上は!」と声を張り上げた。

 

「近づくな。僕は上、お前は下だ!」

 

 デオキシスの射程距離は五メートル程度。階段を挟んで上下の相性があるとすれば、一撃をしのぐ程度は出来るかもしれない。カルマはさして慌てる様子もなく、ピタリと足を止めて、「その言葉」と口を開いた。

 

「意味があると思っているのか? 俺のデオキシスの射程を読んで、この距離ならば攻撃を受けないと? ――嘗めるなよ」

 

 カルマが駆け出した。フランはホルスターからモンスターボールを引き抜いて緊急射出ボタンに指をかける。

 

「お前が下だ! フラン! 永久に俺の下にいるのならば何の問題もない!」

 

 デオキシスが空間に立ち現れようとする。フランは一瞬だけ空気を揺らした音の変化を鋭敏に感じ取った。デオキシスが思念の加速を用いる時、羽音のようなブゥン、という音が聞こえる。ほんの一瞬、聞き逃せば永遠にもう一度聞く事はないだろう。その一瞬の音をフランは捉えた。ボールから飛び出したエルレイドがすぐさま鋭角的な肘を突き上げて薙ぎ払う。

 

「そこだ! サイコカッター!」

 

 思念の刃が紫色の残像を帯びてデオキシスが現れるであろう空間へと先んじて攻撃を放った。ブゥン、とまた音が聞こえる。どうやらデオキシスはエルレイドの一撃を間一髪で回避したようだ。またも高速戦闘の中に身を浸す。後ろへと回り込んでいたカルマが、「衰えては」と口にした。

 

「いないのか。ポケモンを操る才覚は。サイコカッターの指示を的確に、なおかつコンマ一秒以内の遅れもなくエルレイドに伝達した。エルレイドはそれを受けてほとんどタイムロスもなくデオキシスの出現ポイントに攻撃。訓練された、いい動きだと言える」

 

 フランは腕を薙いでエルレイドへと攻撃を促した。エルレイドが弾かれたように動き、カルマへと一撃を与えようとする。それを突然現れたオレンジ色の影が遮った。

 

「タイミング、反応速度、即断即決、トレーナーを迷わず狙う姿勢。どれを取ってもポケモントレーナーとしては一級だ。深く踏み込んでいればあるいは、という事だったな」

 

 デオキシスディフェンスフォルムがガムのような両腕を突き出してエルレイドの振り下ろした一撃を受け止めていた。まるで白刃取りのように思念の刃を放つ肘が、がっちりと受け止められている。

 

 フランは、「もう片腕で!」と指示を出す。エルレイドのもう片方の腕の肘先から「サイコカッター」の光が推進剤のように焚かれてデオキシスから距離を取った。デオキシスは一瞬にしてディフェンスフォルムから鋭角的なアタックフォルムへと変身を遂げる。

 

 フランは考えを巡らせていた。この相手に今のような一撃が二度も通用するか? それよりも、とこちらに向かってきている赤と青の光を視野に入れる。破壊の遺伝子の受け渡しを勘繰られてはならない。最悪のケースは、破壊の遺伝子をカルマに奪われる事だ。カルマがさらなる力をつける可能性がある。カルマは、「もうすぐ来るようだ」と赤と青の光を肩越しに見やった。やはり見抜かれている、とフランは歯噛みした。

 

「何かしらの交渉が行われる様子だな。ユウキもこの場所へと向かっていた」

 

「ユウキ君を……。カルマ、お前、何を」

 

「殺してはいない。殺すほどの価値もなかった。今頃は自分の無力さに打ちひしがれているだろう」

 

 ――最悪だ。

 

 唯一の希望であったユウキでさえカルマの前では無力だったという事か。半年間の研鑽の日々が無意味に帰したと知ればユウキはもう再起不能かもしれない。ここに向かってくるほどの気力が残っているか。だとすればやはりマキシか、コノハに、と考えたが、カルマが目の前で公然と行われる強化を黙って見ているはずがない。ここでカルマを食い止める。それしか今の自分に残された選択肢はない。

 

 フランは雄叫びを上げてエルレイドへと攻撃を促した。エルレイドがテレポートの残滓を空間に刻みながら、一瞬にしてカルマの後ろを取る。しかし、すかさず動いたデオキシスがエルレイドを突き飛ばした。

 

「やはり、同調か」

 

 フランが口走ると、「同調だと?」とカルマは口元を歪めた。

 

「そのような低俗なものではない。俺とデオキシスは帝王の力を持っている。地を這う虫共がない知恵を絞って編み出したような方法と一緒にされては堪ったものではないな」

 

 では何だ? とフランは考える。カルマのデオキシスは明らかに通常のポケモンの反応速度のそれではない。カルマがデオキシスに攻撃を受けるのを恐れている事からも、同調の可能性が高いと考えていた。しかし、その可能性は目の前で否定された。

 

 フランは舌打ちを漏らし、「エルレイド!」と叫んで離脱しようとする。しかし、カルマのデオキシスがそれを逃がすはずがなかった。

 

「既に射程距離だ! デオキシス、サイコブースト!」

 

 デオキシスが紫色の残像を帯び、分身を幾つも作り出して二重像を結んだ。思念の加速によってデオキシスの通過点が破砕されていく。見えない魔獣に噛み砕かれていくようだった。

 

 階段がひしゃげ、フランとエルレイドを通過する。その直後、「サイコブースト」の余波が襲ってきた。フランはそれをまともに受けて全身が突風に煽られた時のような衝撃と神経を引き裂く鋭敏な痛みを感じた。エルレイドは咄嗟に主人を庇うために前に出ていた。エルレイドの表皮が捲れ上がる。フランとエルレイドはその場から吹き飛ばされた。

 

 背中を強く打ち据えて、一瞬呼吸が出来なくなる。フランのポケットから破壊の遺伝子が転げ落ちた。フランは荒い息をつきながら血まみれの自分の掌を眺める。視界がほとんどぶれて使い物にならない。眼前にカルマとデオキシスが現れる。デオキシスはスピードフォルムへと変身していた。

 

「これが、貴様らの虎の子か」

 

 破壊の遺伝子をカルマが手に取り、「どうやって使うのかは分からんが」とカプセルを眺めながら口にする。

 

「いずれ解明されるだろう。δ部隊も俺のものだ。フラン隊長は死に、俺に全権が渡ってくる。δ部隊の隊長というのは隠れ蓑に悪くない。隠居しながらゆっくりとこれの使い方を調べよう。ユウキと貴様をウィル崩壊に導いた共通の敵としてカントーに突き出せば、カントーも満足するはずだ。カルマという名前も潮時だな。名前を変えて、一からやり直すとするか。RH計画を一度白紙に戻し、再興を練るとしよう。なに、時間だけはたっぷりとあるんだからな」

 

 自分がここで死ねば、RH計画は雌伏の期間を経て再び芽吹くだろう。今、この邪悪を止めねば、ヘキサは遠くない未来に再興する。それだけはあってはならなかった。しかし、身体が全く動かない。

 

「残念だったな。全てを手に入れるのはこのカルマだ」

 

 カルマが破壊の遺伝子を天に掲げた、その時である。テレポートでカルマの頭上へとエルレイドが瞬いて現れた。カルマとデオキシスがそれに気づくその前に、エルレイドの振り落とした肘先からの光がカプセルを割った。剥き出しの破壊の遺伝子の螺旋がカルマの手から滑り落ち、エルレイドはそれを引っ掴んで、再びテレポートをした。デオキシスが追撃しようと触手を伸ばしたが、その時にはもうエルレイドは空間に溶けている。カルマがキッとフランへと睨む目を向けた。

 

「よくも……!」

 

 フランは口元に笑みを浮かべた。いつも浮かべていた、他人からは詐欺師スマイルと渾名される笑顔だった。

 

 ――コノハ。キーリ。

 

 伝えていない思いはある。キーリに、誇れる我が子だと言ってやれなかった事。コノハに愛していると伝え切れなかった事。愛していると言えば言うほどに、それは虚飾に塗れたように感じられて、コノハからは一定の距離を置いてしまった。エイタのようになりたくなかったというのもあるのかもしれない。

 

 結局、誰かを愛する事を自分は最期まで出来なかった。愛するとはかくも難しいものなのか。しかし、後悔は残さないつもりだ。散っていった者達や、どこかへと旅立ってしまった人々には笑みを返そう。そう心に決めているからだ。

 

 爽やかな笑みを刻み付ける前に、デオキシスの放った紫色の光の奔流に、その身体はバラバラに打ち砕かれた。

 

 



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第八章 二十節「GOLD」

 

 唐突に現れたポケモンに先行するラティアスが止まった。ラティオスもその場で止まり、満身創痍のポケモンをマキシは見つめた。空間を裂いて現れた緑色を基調とした細身のポケモンは肩で息をしながら何かを抱えている。Kとキーリがそれに気づいて声を上げた。

 

「破壊の遺伝子……!」

 

「どうして、ここに」

 

 Kがラティアスから降りて破壊の遺伝子を持ったポケモンへと歩み寄った。

 

「……フランの、エルレイド」

 

 エルレイド、という名前らしい。フラン、というのは誰だろうか、とマキシは少し考えたが、もしかしたらそれこそがFの本名だったのかもしれない。

 

「どうしてエルレイドが。だったら、パパは……」

 

「この場から離れます」

 

 破壊の遺伝子を手に取り即座にKが声を出す。マキシは、「待てよ」と口にしていた。何が起こっているのか分からない。

 

「Fと会うんだろう。破壊の遺伝子さえあればいいってもんじゃ――」

 

「Fは、恐らくもう死んでいます」

 

 Kの放った声にマキシは言葉をなくしていた。キーリは目を伏せて、「そうね」と呟く。

 

「エルレイドが剥き出しの破壊の遺伝子を持って来たっていう事は、パパは生きていないでしょう。恐らくはカルマに先回りされた。エルレイドにも相当なダメージがあるわ。多分、長くない。それでもパパの意志を継いで来てくれた。私達の誇りよ」

 

 その言葉に目を向ければ、確かにエルレイドは全身に傷を負っていた。片目に深い傷痕があったが、それは随分と前につけられた傷のようだ。エルレイドは深く一礼し、身を翻した。

 

「一人で、立ち向かうって言うのかよ」

 

 その意思を感じ取ってマキシが声を出すと、エルレイドは片肘を突き出して紫色の波動を帯びた。マキシもキリキザンで使ってきたから分かる。サイコカッターだ。徹底抗戦に打って出るつもりである事は明白だった。

 

「どうして、そこまで……。確かにヘキサは許せねぇよ。でも、あんたらはちょっと異常だ。破壊の遺伝子一つに何で――」

 

「それが、私達の希望だからです」

 

 Kの強い声音にマキシは口を噤んだ。キーリが、「そうね」と頷く。

 

「傍から見れば、必死過ぎかもしれない。でもヘキサによって間違ってこの世に生まれ出でた人間からは、他人事でも、対岸の火事でもないのよ」

 

 キーリが暗い口調で呟いた。その声に宿る過去へとマキシは無遠慮に踏み込む事は出来ない。Kもキーリもそれをよしとしないだろう。Kは剥き出しの破壊の遺伝子をラティアスへと打ち込もうと呼吸を整えた。

 

「私が破壊の遺伝子を打ち込みます。恐らくは追ってくるであろうデオキシスを倒すために」

 

「でも、あんたは……」

 

「私とてワイアード」

 

 Kはバイザーを開いて脱ぎ捨てた。紫色の大きな瞳が印象的な女性だった。まだ歳若いように見える。その瞳が蒼く染まった。

 

「戦う覚悟は持っています。……フランと、それにキーリが、教えてくれたから」

 

 キーリが、「ママ」と顔を振り向ける。Kは微笑んでラティアスへと破壊の遺伝子を試そうとした。その瞬間、「困るな」と声が発せられた。

 

 どこから、と首を巡らせようとしたマキシはKが吹き飛ばされたのを視界に捉えた。その手から破壊の遺伝子が滑り落ちる。突然に空間を裂いて現れたのは一人の長身の男だった。その物腰から味方とは思えない。戦闘に慣れた人間である事が分かった。

 

「カルマ、か」

 

「いかにも。ε部隊隊長、カタセの息子か。ユウキと共に反逆者に成り下がるとは。馬鹿な真似をしたものだ。父親もさぞ嘆いているだろう」

 

「残念だったな。親父は俺の道を許してくれたよ」

 

 マキシは腰のホルスターに手を伸ばした。その刹那、何かが紫色の残像を棚引かせて肉迫した。それがマキシを突き抜ける前に、ラティオスがマキシとレナを振り落とした。腰をしこたま地面に打ちつけた二人が見たのは、小さな腕で人型のポケモンを押さえているラティオスの姿だった。しかし、ラティオスの膂力では全く敵う様子がない。ラティオスは赤い眼に戦闘の光を湛えた。全身から光を放ち、眼前の敵へと矢のように鋭くなって追突する。

 

「ラスターパージ!」

 

 Kの声にラティオスの放った銀色の矢が突き抜けたが、目標のポケモンは既に離脱していた。しかし、ラティオスの真の目的はポケモンではない。直角に折れ曲がり、ラティオスは現れた男へと直接攻撃を放とうとしていた。

 

 男が、「デオキシス」と名を呼ぶ。デオキシスは一瞬にして男の真横に現れ、ラティオスの一撃に対して触手を束ねた腕で弾き落とした。腕がすぐさま解けて細い触手に変化し、紫色の残滓を空間に刻んでデオキシスは再び消える。ラティオスは翼を広げて持ち直していたが、ラティアスとKが守りを固めていた。ラティオスはダメージを受けている。それは明白だった。Kが荒い息をつきながら、「ラティオス、まだ間に合いそう?」と尋ねる。ラティオスが力強い声を上げた。Kは頷き、キーリへと声をかける。

 

「キーリ。二人を連れて、ユウキさんのところまで」

 

 破壊の遺伝子をキーリへと手渡す。キーリは戸惑って、「ママは?」と訊いていた。

 

「どうするの?」

 

「私はここでカルマを迎え撃ちます」

 

 やはり、あの男こそがカルマなのか。全ての元凶であり、ヘキサ再興を目論む男。Kは知っているのか。それとも感知野で悟ったのか。自分一人で戦う事を既に心に決めているようだ。エルレイドも付き従うように直角に曲げた肘を振り翳す。

 

「駄目だよ。ママ」

 

 キーリがその袖を握った。Kは優しく微笑んでキーリの頭を撫でる。

 

「大丈夫」

 

「パパは、だって」

 

「パパと一緒に、戻ってくるから」

 

「嫌だよ!」

 

 キーリが初めて感情を発露させた声を出した。Fに続いてKまで失う事を考えたのだろう。両親を失う苦しみはマキシとて分かっていた。しかし、それと同時にKは決して信念を曲げない事もまた、マキシには分かった。

 

「キーリ。わがままを言っちゃ駄目だ」

 

 マキシがキーリの手を取って言い聞かせようとするが、キーリはその手を振り解いて、「二人がいいの!」と叫んだ。

 

「パパとママの二人さえいてくれれば、私は何もいらない。だから……」

 

 その光景を眺めていたレナが、ぐっと下唇を噛んで、つかつかとキーリへと歩み寄り、無理やり振り向かせると、その頬へと張り手を見舞った。マキシが呆然としていると、「あんた、こんなところで都合よく子供に戻っているんじゃないわよ!」と声を荒らげた。

 

「いつもは澄ましているくせに、こんな時に親を困らせないで。甘えるなら、いつも甘えればいい。そうしないのは、あんたが選んだからでしょう。それを、ここに来て、今までの事を無駄にするつもり?」

 

 レナからしてみれば半年分の苦労もあったのだ。しかし、それ以上に許せなかったのかもしれない。レナは実の父親の死体を目にしても無関心を装ったと聞く。大人になろうと努めたのだ。それと正反対の姿が目の前で展開される事に苦痛を感じたのだろう。自分は大人にならざるを得なかった。なのに、キーリは身勝手に子供に戻ろうとする。自分とは似たもの同士なだけに、その相違が我慢ならない。

 

 押し黙ったキーリは目の端に涙を浮かべていた。レナはキーリの手を引いた。

 

「来なさい。あんたの知識が必要になる。まだ破壊の遺伝子は渡すべき人間に渡せていない」

 

 そうよね、とKに確認の声を重ねる。Kは頷いた。K自身が使おうとしなかったのは、寸前のところで止められたからだけではない。自分に資格がない事を直感的に悟ったのだ。キーリとマキシとレナはラティオスに乗った。Kはラティアスと共にカルマへと立ち向かうつもりらしい。自殺行為だ、と止めようとしたが、レナが、「止めようとはしないで」と告げる。

 

「何でだ? 明らかに形勢は不利じゃないか」

 

「それでも、あの人は殉じようとしている。自分の役目に」

 

 半年間一緒だったから分かる、とレナは付け加えた。キーリは何も言おうとしない。レナ以上に、Kの心境は分かるはずなのに。

 

「俺の邪魔立てをするか。ならば、加速の彼方に貴様らを追いやってやろう。見るがいい。これが思念の加速、デオキシス、サイコブースト!」

 

 デオキシスの姿が紫色の残像を帯びて掻き消える前に、ラティオスは身を翻した。ジェット機のような翼を広げて引き返していく。しかし、その道筋は微妙に違った。

 

「ユウキが近くまで来ているはずよ。ユウキのポケッチの反応をトレースしている」

 

 キーリが口にする。もう大丈夫なのか、と問いかけたかったがキーリは無理やり自分で立ち上がっているようだった。その痩せ我慢を、よせとは誰も言えない。自分だってカタセの事で痩せ我慢を重ねてきた。レナもそうだろう。父親を失ってさらには半年間の逃亡生活だ。自分達の誰にも、その無理を糾弾する事など出来ない。

 

 背後で何かが弾け飛んだ音を聞いた。肩越しに振り返ると地面が捲れ上がり、暴風が巻き起こっていた。思念の竜巻が砂埃を巻き上げ、細かい砂利が空間の内部を掻っ切った。Kとラティアスはその中でどのように戦い、どのような最期を迎えたのか。余人が想像するには重く、マキシはただユウキへと手渡すために破壊の遺伝子を握り締めた。掴んでみて、やはり自分でも駄目だ、と気づく。

 

「これは、俺達を引っ張ってくれる奴が手にするべきなんだ。まるで指導者のように」

 

 だとすれば、ユウキ以外に思いつかない。マキシは破壊の遺伝子をきつく握り締めた。黄金の螺旋を描く道具は、収まるべき場所を望んでいるように見えた。

 

 



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第八章 二十一節「δの鼓動」

 

 一歩も動けない。

 

 身体が鉛のように重い。ユウキは、いつからこのようになってしまったのか考える。ランポが死んだと伝えられたからか。それとも、自分の力が及ばない事を痛感したからか。

 

 半年前よりもなお暗い暗闇の中に落とされた感覚だ。もう飛べないテッカニンが地を這いつくばっている。その姿は無様と言うほかない。漂っているヌケニンからは何も感じられない。

 

 元々、テッカニンに特化した同調だ。ヌケニンとは普通のポケモンとトレーナーの関係である。しかし、ヌケニンからは感情の一滴すら判然としない。まさしく抜け殻だけのポケモンのようだった。ユウキはその場に蹲ってカルマの行った向こう側に視線を向けた。タリハシティ、全ての因果の集束する場所。その戦いの場所へとさえも赴けない己の不実。ユウキは拳を振り上げたが、無意味に終わる事は目に見えてその拳を振り下ろす事もなかった。既に牙をもがれた獣だ。反抗の牙をなくしたユウキには、何の価値もない。

 

「どうしろって言うんだ。教えてくださいよ、ランポ……」

 

 呟いた声は情けないものだった。この世にはいない人間に答えを求めたところで意味がない事はとっくに分かっているだろうに。

 

 その時、ユウキを呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、ラティオスにマキシ、レナ、キーリの三人が乗っている。どうしてあの三人が、と思う間にラティオスが近づき、マキシが降り立った。

 

「ユウキ。大丈夫か?」

 

 その言葉に咄嗟に返す事は出来なかった。ユウキが顔を伏せて黙っていると、「テッカニンが」とレナが声を出す。マキシも遅れて翅をもがれたテッカニンに気づいたようだった。

 

「お前……」

 

「カルマと、戦いました」

 

 ユウキの発した言葉に全員が息を呑んだ。その結果は問いかけるまでもない。ユウキは自嘲気味に肩を竦める。

 

「僕じゃ、勝てなかった。結局、無駄だったんですよ。思い上がりだった。僕ならやれるって信じていたのに、それが幻想だったって言うのは簡単に証明されてしまった。テッカニンはもう戦えない。僕の反抗の爪は、折られたんです」

 

 文字通りに、と付け加えると、マキシが、「でも、ユウキ」と声を出した。

 

「破壊の遺伝子はあるんだ。これを使えるのはお前しかいない。俺達はその手に持って確信した。その資格が俺達の中であるのは、お前だけだって」

 

 マキシの手には黄金の螺旋を描く道具が握られている。しかし、ユウキは目を背けた。

 

「やめてください。勝手な理想の押し付けなんて。僕には、何の力もないんです……」

 

 ユウキの声にマキシは二の句を継げないでいた。すると、レナが歩み寄ってきた。まだ自分に懇願するつもりだろうか、と考えていると、レナは手を振り翳し、張り手を見舞った。ユウキが呆然としていると、「どいつもこいつも」とレナは声を発した。ユウキの胸倉を掴み、「あんたねぇ、誓ったんでしょう?」と言った。

 

「ランポに、お姉さんに、おじさんに、黄金の夢って奴を! その黄金の夢だけを頼りにして、あんたはここまで来た。何のための犠牲だとか、そのために何人が死んだとか、そんな事を考えるのはやめなさい」

 

 レナの言葉にユウキが気圧されていると、「まったくね」とキーリが続けた。

 

「キーリ……」

 

「ユウキ。パパとママが死んだわ」

 

 その言葉にユウキは目を見開いた。マキシも驚愕の眼差しを向けている。レナだけが冷静に事を見守っていた。キーリはユウキへと歩み寄り、「だからって、あなたは責めない」と告げる。

 

「でも、出来る事から目を背けて、やれる事から逃げ出して、それで何が残るの? 与えられた結果が絶対じゃないわ。確率論なんて無視して、あなたの感情論で動いてみなさい。それで今まで状況を動かしてきたんでしょう?」

 

「ユウキ」とレナはユウキを見下ろして声を発する。ユウキは顔を上げた。

 

「忘れないで。あんたの身体の中にあるのはあんただけ? その心はあんただけで出来ているわけじゃない。その手は何のためにあるの? その心は何のためにあるの?」

 

「僕の、心……」

 

 ユウキは胸元に手を当てる。確かに感じる鼓動がある。その脈動と熱は今まで何によって衝き動かされてきたのか。これから何によって衝き動かされるのか。ユウキは地面についた手に何かが触れたのを感じた。目を向けると、テッカニンが這いずりながらも自分の手へと擦り寄っている。その爪の先から意思を感じ取る。

 

 ――まだ終わりじゃない。

 

 テッカニンは諦めていない。その声は最早ただのポケモンの声ではなかった。ランポやミツヤ、エドガーの声となって自分の内奥へと踏み込んでくる。額を走る脈動がそれらの声を集合させて伝える。

 

 ――ユウキ。

 

 名前を呼んだ声に気づいて、「みんな……」と口を開いた瞬間、轟、と空間が震えた。トンネルが紫色の思念の渦に噛み砕かれ、塵芥と化していく。マキシが、「来やがったか!」と声に出した。レナとキーリが身構えている。レナも緊急時にはビークインを繰り出せるようにベルトに手をやっていた。キーリは事の次第を見守る事しか出来ない自分に歯噛みしている様子だった。マキシはキリキザンを繰り出したが、自分でも大した守りにならないのは分かっているのだろう。

 

「時間稼ぎ程度ならば……」と口にしたのが聞こえた。思念の嵐の向こう側から歩み寄ってくる影がある。カルマとデオキシスだ。デオキシスはアタックフォルムに変化し、思念で全てを吹き飛ばしていく。

 

「ここにいたかゴミ共め。纏めてあの世に送ってやろう」

 

「キリキザン!」

 

 マキシの声に弾かれてキリキザンが両腕を振るい上げた。重ねた出刃包丁の手から黒い瘴気が滲み出し、鋭い一刀を作り出す。黒い霧の刀が拡張し、デオキシスとカルマへと振り落とされた。

 

「辻斬り!」

 

「つじぎり」による衝撃波が広がり、弾けた黒い霧が一刀の輝きを帯びたが、デオキシスは触手を固めて手を形成すると、その手で事もなさげに「つじぎり」の一太刀を掴んだ。マキシが目を見開くと、「この程度か」とデオキシスの掴んだ手に力が篭る。次の瞬間、「つじぎり」の黒い刀は霧散した。デオキシスが拳を開いたり閉じたりしながら感触を確かめる。

 

「普通のトレーナーとポケモンならば、なるほど、熟練の域だろう。しかし、俺とデオキシスはそれを超える覇王だ。覇王に凡人の刃の切っ先が通ずるものか」

 

「そんな……」

 

 マキシは衝撃を隠せない様子だった。父親を下した一撃が巨悪には全くの無意味だった。続いてレナがビークインを繰り出そうとする。しかし、カルマは顎でしゃくってデオキシスに衝撃波を出させた。その勢いに気圧された一瞬の隙をつき、カルマはもう一体のポケモンを出していた。胎児のように丸まったポケモンで、頭頂部から夢の煙をもうもうと噴き出している。紫と桃色が基調の柔らかな色合いのポケモンだった。

 

「ムシャーナ。金縛り」

 

 ムシャーナの放った「かなしばり」がレナの手を押さえつける。カルマは息をついて、「貴様らの行動は」と続けた。

 

「ムシャーナの予知夢特性によって夢の煙に出ている。次の瞬間のサイコブーストで、貴様らは脆く崩れ落ちる。これは確定事項だ」

 

 カルマが高笑いを上げる。マキシが破壊の遺伝子を握り締めた。カルマが手を差し出し、「その道具」と告げる。

 

「俺に渡すのならば未来は変わるだろうな。帝王の君臨を目にするといい。貴様らはその前にある些事だ。さぁ、その道具をこちらへ」

 

「冗談じゃない。誰が」

 

「では、来てもらおう」

 

 ムシャーナがカッと目を開く。すると、桃色の光がマキシに纏わりつき、マキシの身体を無理やり進めようとした。抗おうとしたが当然のようにマキシは引きずり込まれていく。カルマが口角を吊り上げる。勝ちを確信したその時、マキシの手を掴む手があった。

 

「誰だ?」

 

 桃色の光が消え失せる。その光の向こう側にいたのはユウキだった。ユウキはマキシの手を掴みながら口にする。その眼差しからは曇りが消え、刃のような戦いの輝きがある。カルマは、「何だ」と声を発する。

 

「負け犬風情が、そのような眼を」

 

「僕は、まだ負けていない」

 

 ユウキがその手に破壊の遺伝子を掴んで掲げる。黄金の螺旋を描く道具をテッカニンへと突き立てようとした。

 

「テッカニン!」

 

 ユウキの声に呼応してテッカニンが跳ねる。テッカニンへと黄金の螺旋が突き刺さった瞬間、光が広がった。

 

「させるか。デオキシス!」

 

 デオキシスが空間を跳び越えてテッカニンへと肉迫する。光が集束し、輝きを放つかに思われたその時、不意に粒となって弾け飛んだ。テッカニンが転げ落ちる。破壊の遺伝子がユウキの手から滑り落ちた。

 

「――えっ」

 

 マキシが目を瞠る。ユウキも何が起こっているのか分からなかった。しかし、テッカニンは動く様子がない。それを見透かしたようにカルマが口にする。

 

「ユウキ。貴様は所詮ガキだったという事だ。俺とて見逃すところだっただろう。ムシャーナの示す、意外な予知を」

 

 夢の煙がムシャーナから噴き出している。カルマはそこに活動不能に陥ったテッカニンとユウキを視ていた。

 

「破壊の遺伝子に、貴様は拒否されたんだ!」

 

 デオキシスの触手が腕となってユウキの心臓をくり貫こうとする。カルマが悦楽に口元を歪めた、その時である。

 

 不意に黄金の光が閃いた。デオキシスの手を弾き、何かがユウキの前に立つ。ユウキは立ち上がっていた。それに応ずるように地に伏していたテッカニンが翅を広げる。破壊の遺伝子がテッカニンへと吸い込まれていく。螺旋が解け、テッカニンの身体の中に組み込まれた瞬間、テッカニンそのものが黄金の光を放った。

 

「何だ? 俺は、何を見ている?」

 

 カルマの狼狽を他所に、マキシとレナは、「これが……」と気圧されていた。キーリが、「そうよ」と冷静さを伴って告げる。

 

「ユウキもテッカニンも破壊の遺伝子に拒否なんてされていない。むしろ、破壊の遺伝子は永遠にユウキとテッカニンのものだわ。決してカルマには渡らない」

 

 ユウキはライダースーツのポケットからオレンジ色の帽子を取り出した。それを被って鋭角的な眼差しをカルマとデオキシスに向ける。浮き上がったテッカニンのもがれた翅から黄金の光が拡張した。たちまち黄金の翅を顕現させ、これまでにない、まさしく光速の振動が空気を鳴動させる。

 

「黄金の、テッカニン……」

 

 マキシが口にすると、レナも頷いた。

 

「ユウキのテッカニンは破壊の遺伝子のパワーの先に行った。あれこそがテッカニン、いいえ、テッカニンδ種!」

 

「テッカニン、δだと……」

 

 カルマが苦々しく口走り、片腕を薙いだ。

 

「そのようなまやかしを――」

 

「まやかしかどうか、あんたはこれから知る事になる」

 

 ユウキは自身の内奥から衝き動かす声に従った。目を瞑ると散っていった人々の心が自分に重なっているのを感じる。この心は邪悪を断ち切るためにある。ユウキは目を開いて、口にした。

 

「ランポは死んだ。エドガーも、ミツヤも。しかし彼らの思いが、僕を衝き動かす原動力となる。カルマ。あんたの意思が心の奥底から出たものか、それとも上っ面だけの邪悪か、ここで決める!」

 

 



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第八章 最終節「さよなら」

 胸にある熱が、決着をつけると決めている。

 

 カルマは瞠目したが、やがて調子を取り戻すように鼻を鳴らす。

 

「いい気になっているんじゃないぞ。ユウキ、貴様には死を感じる暇さえも、与えん!」

 

 デオキシスが前に出て紫色の残像を帯びる。形状がスピードフォルムに変化し、最速の中に身を浸す。

 

「サイコブースト! 加速の先に行けるのは俺だけだ!」

 

 デオキシスが残像を刻みながらユウキとテッカニンへと一瞬のうちに接近する。

 

 カルマは勝ちを確信した笑みを浮かべたが、その行く先を黄金の光が遮った。テッカニンの翅が何倍にも拡張し、黄金の光を帯びてデオキシスの前に出る。テッカニンとデオキシスがぶつかり合った。触手を薙いだデオキシスにテッカニンは交差した爪で応戦する。

 

「馬鹿な……。俺のデオキシスと同じ反応速度だと」

 

「カルマ。加速の先に行けるのは、あんただけじゃない」

 

 ユウキはデオキシスとカルマと同じ反応速度に至ってようやく、カルマとデオキシスの秘密を看破した。

 

「そうか。同調じゃない。あんた達は、どういう仕組みか知らないが肉体を共有していた。レナさんにメディカルチェックをさせていたのも全てそのため。自分の死と、デオキシスの死が等価だった」

 

 だからデオキシスを出す事を極端に恐れていた。デオキシスは体力が極端に少ない。一度でも落とされれば、それは自分の死だ。カルマは目を見開いたが、やがて、「ああ」と声を発した。ユウキは周囲を見やる。マキシもレナもキーリもいない。それどころか上下の感覚もない。常闇だけが広がっている。

 

「そうだ。俺は、デオキシスと初めて遭遇した時にお互いの肉体を共有する事でお互いの足りない部分を補完した。そうする事で生き永らえた。だが、その秘密を知ったからには生かしてはおけない」

 

 ユウキは闇の中で対峙するテッカニンとデオキシスを見やる。これが加速の先なのか。

 

 黄金のテッカニンは翅を広げてデオキシスと鍔迫り合いを繰り返す。それを操るカルマとユウキも加速の先に至っていた。既に思惟だけでポケモンを動かしている。カルマはどうやらこの世界に慣れているようだ。ユウキもいずれ訪れるであろうという予感はあったからか、狼狽はしなかった。

 

 カルマへと拳を放つ。カルマはユウキの拳を受け止めて掌底を腹部へと打ち込んだ。ユウキが後ずさったのと同時に、蹴りが横腹を打ち据えた。ユウキが押されたのを感じ取ったように、テッカニンが劣勢になる。デオキシスの攻撃に対してさばけなくなっていく。

 

「これで終わりだ! 帝王は俺だ!」

 

 ユウキへと拳と共にデオキシスの一撃が迫る。その瞬間、ユウキは声を感じた。

 

 ――お前独りで戦っているんじゃない。

 

 ランポの声にハッとしていると、重なる思惟があった。

 

 ――俺達も一緒だ。

 

 ――気負うなよ、ユウキ。お前はまだまだ新入りなんだ。

 

 ミツヤとエドガーの声が続き、ユウキは拳を手で受け止めた。デオキシスの攻撃を黄金のテッカニンが爪で弾く。デオキシスとカルマが同時に目を剥いた。ユウキは拳を振り上げて雄叫びを上げる。

 

「カルマ!」

 

 初めて他人に向かって振り上げた拳がカルマの頬を捉えた。カルマがよろめくのと、デオキシスにテッカニンの攻撃が打ち込まれるのは同時だった。デオキシスの身体の中央にある紫色のコアへと十字の線が刻み込まれる。亀裂が走り、デオキシスが眼窩の奥の眼を戦慄かせた。

 

「やめろ。これ以上は……」

 

 デオキシスからさらに紫色の残像が放たれ、加速を繰り返す。ユウキはテッカニンへとさらに加速させるように促した。黄金の翅が燃えるように広がり、輝きを灯す。カルマが、「いいのか?」と声を発した。

 

「戻れなくなるぞ」

 

 これ以上の加速は人間の認識を超えた領域だろう。それはユウキにも分かっている。しかし、カルマとデオキシスを逃がすわけにはいかない。カルマとデオキシスはユウキとテッカニンを下して元の世界に戻ろうとしている。それを許すわけにはいかない。

 

「最後の技だ。テッカニン、シザークロス!」

 

 テッカニンへと命じると、黄金の軌跡を描きながらテッカニンが爪から光を迸らせた。

 

 カルマが舌打ちを漏らし、「デオキシス!」と叫ぶ。

 

「ディフェンスフォルム!」

 

 デオキシスの手足が一瞬にして丸みを帯びてガムのように変形する。帯状の身体は速度を重視して守りを疎かにしていた時よりも強固に見えた。しかし、テッカニンの攻撃はその堅牢な守りの脆い部分へと打ち込まれた。それぞれが別々の軌道を描いて黄金の爪痕が空間を奔る。

 

「……馬鹿な。ディフェンスフォルムの守りを突き崩すなど」

 

「ランポのお陰だ」

 

 ユウキは口にしていた。ランポの、ドクロッグが残してくれた血の拳の痕。それはデオキシスの急所を示していた。ディフェンスフォルムを解いてデオキシスが仰け反って吹き飛ぶ。

 

 手足が元の形状に戻り、コアが剥き出しになった。ユウキは雄叫びを上げて、テッカニンと同期した腕を打ち下ろす。

 

 デオキシスのコアへと光を棚引かせる一撃が吸い込まれるように放たれた。その直後、デオキシスの全身に皹が入った。カルマも目を見開いて亀裂の走った自分の身体を眺めていた。

 

「ここまでか」

 

 デオキシスとカルマが闇の中を流れていく。このまま、加速の世界と現実の世界の狭間を、永遠に漂うのだろう。

 

「何故、ひとおもいに殺さなかった?」

 

 流れていくカルマが尋ねる。ユウキは、「その程度で、あんたの罪は消えない」と言った。

 

「死ぬ事よりも恐ろしい罰を味わうといい」

 

 生と死の狭間で、生きているわけでも死んでいるわけでもない状態を繰り返す。それがカルマに与えられた業だ。その言葉にカルマは高笑いを上げた。狂気の笑い声だ。加速の果てに達したカルマとデオキシスは誰にも発見される事はないだろう。そして、それは自分もまた同じなのだ。闇の中へと消えていくカルマとデオキシスを眺めながら、黄金の光を放つテッカニンに呟く。

 

「僕達も、戻れなくなってしまった」

 

 ユウキはテッカニンを撫でる。後悔はしていない。心が望んだ事だからだ。ユウキは黄金のテッカニンの光のみを寄る辺として、無辺の闇を漂った。もうこの喉を震わす事もないだろう。最後に言葉を投げておこうと思った。決して伝わらないと分かっていても。

 

「姉さん、おじさん。みんな、さよなら」

 

 ユウキは目を閉じた。

 

 




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エピローグ 運命のシシャ
エピローグⅠ


 

「なぁ、旦那。俺はちょっと考えてみたんだ」

 

 ジャズの穏やかな調べが店内に流れている。エドガーは手持ちのカードからミツヤへと視線を移した。ミツヤはいつものようにイカサマをしようと言うのだろう。そのための前段階として適当な話を用意する節がある。

 

「何だ」とエドガーは応じつつも、まともに取り合おうとは思っていなかった。ミツヤの言葉をいちいち額面通りに受け取っていては消耗してしまう。

 

「まぁ、そうカリカリしないで。俺達ってさ、結構、熟練の域に達していると思うんだよね」

 

「お前のイカサマは、確かにそうだろうな」

 

 エドガーの声にカウンターの店主が目を向ける。グラスを拭きながら、二人の動向を見守っている。店主は後から来るランポにどちらが悪かったのかを伝える重要な証人だった。

 

 ミツヤは明らかに態度を悪くして、「イカサマの事じゃない」と言った。

 

「じゃあ、何だ? ポケモンの話か」

 

「いや、俺達チームの話だよ。チームとして熟練している、って話」

 

 ミツヤの言葉は分からないでもない。エドガーとミツヤはランポの下で既に充分に働いている。この組み合わせは、傍から見ても最強なのではないだろうか。しかし、組織内では自分達を侮る動きのほうが強い。

 

 何故かと言えば、三人ともが出世には全く興味がないからだ。これほどまでに上昇志向のない人間の集まりも珍しい。実力は面倒を見てもらっている上司のレインによる折り紙つきでありながら、本土にもこれ以上の地位にも興味がなく、チンピラの尻拭いなどという仕事でさえも請け負う変わった集団だろう。

 

「熟練、と言うよりかは老練と言ったほうが正しいな。俺達のチームはほとんど価値観の変わらない老人と同じだ」

 

 エドガーが口にすると、「だからこそだよ」とミツヤが言い返した。

 

「次に、また入団試験があるだろ」

 

「ああ、あるな」

 

 一ヶ月に一回、リヴァイヴ団は入団試験を設けている。

 

「俺はこう考えている。このまま保守的にやるべきか、それとも新しい風を取り入れるべきか、って」

 

「何だ、お前。この環境に飽きたのか?」

 

 エドガーが尋ねるとミツヤは、「とんでもない」と手を振った。その時、手首からカードが滑り落ちた。エドガーが青筋を立てて、糾弾する。

 

「イカサマだ!」

 

「いや、今はそういう話じゃないんだ。忘れてくれ、旦那」

 

「ミツヤ、お前はイカサマなんてしないと、二度としないと心に誓った、とこの間言っていたな」

 

 エドガーの説教に、「参ったな」とミツヤは後頭部を掻く。

 

「そんなつもりじゃなかった」

 

「では、どんなつもりだ? 俺から金を巻き上げて、懐を潤して」

 

「今はその話じゃない。俺達のチームが、チームとして熟練の域にあるって話だ」

 

「配当はなしだ」

 

 エドガーがテーブルの上に置いていた賭け金を手に取る。ミツヤが名残惜しそうな顔をしたが、すぐに、「まぁ、でも」と声を出す。

 

「俺がしたいのは賭けじゃなくって、その、話だ。もし、新しい奴、新入りが入ってきたらどうするか?」

 

「どうするも何も、上の決定には従うしかない」

 

 エドガーはカードを束ねながら言った。ミツヤのカードも受け取ってシャッフルする。自分でも驚くほどに几帳面だと思う。

 

「その新入りが気に入らない奴だったら?」

 

「往々にして新入りと意気投合するなんて事はないと思うがな」

 

 エドガーが冷静に返すと、店の扉が開いて見知った顔が入ってきた。ランポが長髪をなびかせて、鋭い眼差しを投げかけながら定位置であるカウンター席に座り込んだ。何かを思案しているのか、顎に手を添えて難しそうな顔をしている。

 

「何かあったのか?」

 

 エドガーが訊くと、「面倒事だ」とランポは応じた。

 

「昨日の夕方、俺達の管轄する下っ端団員、いや、団員ですらないチンピラが肩にナイフをぶっ刺して重傷だ。組織の面子上、レインさんから誰がやったのか調べろと言われてな」

 

「チンピラの尻拭いが俺達の主な仕事なんだもんな」

 

 先ほどまでの会話を思い返してミツヤが陰鬱なため息をつく。「どうかしたのか」とランポがエドガーに視線を向ける。

 

「どうやら、現状に満足いってないみたいだ」

 

「ミツヤ。俺達は与えられた仕事をするしかない。それさえも出来ないのならば、そいつは三流だ」

 

「分かっていますよ。そういえばチーム名の件、どうなりましたか」

 

 ミツヤが瞳を輝かせる。働きに応じてチームにはチーム名が与えられる。しかし、チーム名を授かる事は、つまり今以上の過酷な任務に身を浸す事となる。エドガーは正直、消極的だった。チーム名が与えられればもしかしたら本土にお呼びがかかるかもしれない。それほどの向上を望んでいない。だが、名前が手に入るのは嫌な気分がしなかった。

 

「ファントムスピアだな」

 

 エドガーが口にすると、「だから、イービルアイズですって」とミツヤが返した。二人とも特別その名前が気に入っているわけではない。ただ、リヴァイヴ団の慣習として、それらしい名前を挙げているだけだ。もっとも、それはエドガーだけであってミツヤは割と本気なのかもしれない。

 

「名前の事はこの際、置いておこう。まずは下っ端に怪我を負わせた奴の特定だが」

 

「俺がやろう。あんたはリーダーだ。毅然としているほうが似合っている」

 

 エドガーが買って出ると、「人を待たせているでしょう」と店主が口を開いた。それで二人とも来客の事を思い出した。ランポが二人に目を向けて、「何だ」と尋ねる。

 

「いえね。つい一時間ほど前に人が来たんですよ。ランポに話があるとかで」

 

「俺にか? どんな人だ」

 

「F地区なんかにはまるで縁がないようなカタギさんだ。仕立てのいいスーツを着込んでいたぜ」

 

 エドガーは懐から煙草を取り出した。ライターも取り出そうとすると、「その人は?」とランポが訊く。

 

「ここで待ってもらうのもあまり、という様子でしたから、いつものカフェテラスを指定しておきました。恐らくはそこで待っているかと」

 

「そういう話はポケッチでしてくれ。とんだ二度手間じゃないか」

 

 ランポが腰を浮かせて扉へと歩んでいく。

 

「俺が調査進めておきましょうか?」とミツヤがポリゴンを出して尋ねた。

 

「頼む、と言っても、そう大した事じゃないだろう。前情報程度でいい」

 

 ランポが店を出て行く。エドガーは煙草に火を点けて、煙い吐息を漏らした。

 

「それが嫌だから、ランポは行ったんだと思うよ、旦那」

 

 ミツヤの声にエドガーは、「そうか?」と煙草をくわえたまま尋ねる。

 

「ランポは吸えないからね。禁煙とは言わないけれど、少し控えれば?」

 

「そうするか」

 

 エドガーは灰皿に煙草を押し付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カフェテラスで待っていたのはスーツを着込んだ中年の男性だった。眼鏡をかけており、真面目そうな印象を受ける。ランポがテーブルにつき、「相席しても構わないか」という旨の発言をした。男はランポを認めると、「どうぞ」と言って席を示した。ランポはウェイトレスに、「コーヒーを頼む」と注文する。コーヒーが届いてから、本題を切り出す事にした。

 

「あなたの素性は? どうして俺に依頼を?」

 

「ランポさん。私はこの通り普通のサラリーマンです。ですが、一つだけ、恐らくはこの街に住む誰とも異なる点があります。それは半年前に恋人を失った事です」

 

 ありがちな話だ、とランポは思ったが言わないでおいた。真摯に耳を傾ける姿勢を崩さずに、「恋人とは」と続ける男を見つめた。

 

「もう三年ほどの付き合いになりました。三年間、お互いに言い出せずにいたのですが私は遂に半年前、結婚の申し出をしました。彼女は快くオーケーしてくれたのです。全てが幸福のうちに回るはずでした。しかし、半年前、彼女は大雨の日に足を滑らせて河川敷で水死体となって発見されました」

 

 それと自分との依頼に何が繋がるのだろう。ランポは首肯しながら黙して待った。

 

「ちょうど一ヶ月ほど前の事です」

 

 男は顔を伏せ気味に続ける。

 

「夜中に彼女を街中で見た、という知人の話がありました。彼女だけではありません。多くの人々が連なって歩いていた、という話なのです。死者の列、と見た者は呼んでいるそうです」

 

 新種の怪談か、とランポは結論付けた。どのような街でも必ずと言っていいほど存在するものだ。発展が見込まれない場所となればなおさらだろう。しかし、死者の列とは、とランポは密かに笑う。そのような怪談は稀だった。

 

「しかし、私にはそのような超常現象の類だとは思えません。きっと悪戯に決まっています。そのような悪質な悪戯を、私は許せない。彼女の魂を愚弄としている。その悪戯を行っている不貞の輩に罰を与えて欲しいのです」

 

 男が鞄を開いた。中には札束が入っている。ランポは周囲を見渡す。幸いにして、こちらを気にしている人間はいない。落ち着いて、状況を把握しようとした。

 

「待って欲しい。今の話、真実だと言うのか? 我々はリヴァイヴ団だ。超常現象の類は――」

 

「重々承知しています。しかし、あなたはF地区の人々からの信頼も厚い。あなただから頼めるのです」

 

「F地区の? という事は」

 

 男は頷いた。

 

「F地区で、その現象は起こっているようなのです」

 

 



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エピローグⅡ

 

 突然にカルマとデオキシス、それにユウキとテッカニンが消えた。

 

 マキシにはそれだけが分かった。逆に言えばそれしか分からなかった。

 

「サイコブースト」が放たれたと思った瞬間の出来事である。二人と二体のポケモンがどこに行ったのか。破壊の遺伝子の向かう先は結局何だったのか。マキシが、「何が、起こって……」と呟いていると、ハリマシティ方面からこちらへと向かってくる一台のトラックがあった。トラックの窓から手を振ってこちらを見つめる人影がある。テクワだった。

 

「テクワ。無事だったのか?」

 

 マキシが歩み寄ると、トラックが停車し、テクワが降り立った。その後に続いて一人の男が黒いコートを着込んで降りてくる。マキシは目を見開いた。

 

「……親父」

 

 現れた自分の父親――カタセに驚いていると、テクワはトラックの運転手へと、「ありがとよ」と声をかけてからドラピオンを繰り出して状況の把握に努めた。マキシは、「どういう事だ?」と詰め寄る。カタセは死んだとばかり思っていた。しかし、テクワと共に自分の眼前にいる。テクワが、「カタセさんのお陰だ」と言った。

 

「どういう意味だ?」

 

「カタセさんは生き残って、俺を瓦礫から救ってくれた。カタセさんの導きで、俺はここに立っている」

 

 カタセは、「俺がした事は少ない」と謙遜気味に言った。

 

「お前らの仲間に拾われた命だ。借りは返そうと思っていた」

 

「仲間、だって。それって」

 

「黒いゴルーグの持ち主だ。彼は、いないようだな」

 

 恐らくは自分達でも把握していない事だろう。マキシが困惑の眼差しを向けた。再び見えた父親とどんな言葉を交わせばいいのか分からない。しかし、テクワは、「堅苦しくしないでよ」と声を差し挟んだ。

 

「おかえり、ただいま、でいいんだよ。カタセさんと言い、お前と言い、不器用だな」

 

 テクワの繊細さなど欠片にもない声に、「おい」と言おうとしたが、カタセは、「そうだな」と首肯した。

 

「ただいま、マキシ。ようやく、お前と向き合う事が出来る」

 

 その言葉は待ち望んでいたものだった。母親を捨て、自分を捨てた父親が何を、と抗弁を垂れようとしたが、父親の痛みも分かった今となっては、それが子供の身勝手な言い分である事は分かっている。

 

 マキシは顔を伏せていたが、やがてカタセを真っ直ぐに見据えた。

 

「おかえり、はまだ言わない。母さんにも会ってやってくれ」

 

 それが精一杯の言い分だった。カタセは弱々しく微笑んで、「ああ」と頷く。

 

「それが筋だろう。お前は、本当に強くなった」

 

 マキシが照れ隠しに顔を背けているとテクワが声を出した。

 

「お前に、レナ、それにガキンチョだけか? ユウキはどうした?」

 

「ユウキは……」

 

 マキシは口ごもった。突然に消えたとは言えなかった。マキシの様子を怪訝そうに眺めていたテクワは、「破壊の遺伝子は?」とレナに尋ねる。

 

「ユウキが手に入れたわ。そして恐らくはボスと共に加速の先へと行ってしまった。あたし達では観測出来ない無限の向こう側へと」

 

 レナの言葉にテクワは眉間に皺を寄せて、「ようするに」と口にする。

 

「ユウキはここにはいないのか」

 

「それどころか、もう私達では観測出来ない。概念存在に近い場所へと赴いてしまった」

 

 キーリの言葉に、「小難しい理屈は抜きにしようぜ」とテクワは頭を掻いた。

 

「要するに、ユウキはボスに勝ったんだな」

 

 マキシが自信なさげに頷くと、「やったじゃねぇか」とテクワは言った。

 

「ボスに勝てたんだ。これでRH計画を阻止出来た」

 

「でも、ユウキがいないんじゃ……」

 

 マキシの声にテクワは首を振った。

 

「あいつは帰ってくるさ」

 

「何を根拠にそんな事が――」

 

「分かる。あいつならきっと、帰ってくる」

 

 テクワは視線を移した。その目の先には中空を漂っているヌケニンがいる。まるで主人を捜しているかのようだった。ヌケニンは何度か爪を動かして何かを手招いているようだ。

 

「何を……」

 

「さぁ、ユウキを迎えに行こうぜ」

 

 テクワが全員に提案する。しかし、三人には諦観の空気が流れていた。もうユウキは戻ってこない。幾つもの犠牲を必要とした戦いの末に、本当に望むべき人間は遠くへと行ってしまった。マキシが歯噛みしていると、テクワは明るい声で、「帰ってくる」と告げた。

 

「あいつは必ず帰ってくる」

 

 



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エピローグⅢ

 

 男からその具体的な場所とやらを聞き出し、ランポは張る事にした。

 

 何が起こっているのかを見極める必要がある。

 

 夜の帳が落ち、常闇の中に一つ、二つと篝火が燃え盛った。青白い炎だ。その炎に囲まれながら、死者の列が浮かび上がった。ランポは驚愕に目を見開く。まさか、本当だとは。数多ある都市伝説の一つだと考えていたが、目の前で展開されれば疑いようがない。ランポはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、ドクロッグを繰り出して駆け寄った。すると、先頭にいる何かがランポに気づいてくるりと身を返した。それは髑髏のような顔面を持ち、眼窩からは赤い光が覗いている。黒い外套を被ったような姿で、浮浪者を思わせた。ランポはそのポケモンこそがこの現象の根元である事を察知した。

 

「ドクロッグ! そのポケモンを無効化――」

 

「やめたほうがいい」

 

 遮って放たれた声に、ランポは顔を振り向けた。死者の列に混じって頭に茨の冠をつけた男が立っていた。男の目元は青白く、頬はこけている。ランポは「死者」という言葉を容易に想像した。

 

「それは意味のない行為だ」

 

「何だと?」

 

 ランポが向き直り、「トレーナーか」と問いかける。男はゆっくりと首を振った。

 

「それは真実の意味で正しくはない。わたしはただ、ヨマワルに従っているだけだ」

 

 ヨマワル、というのがこのポケモンの名前らしい。ランポは、「そのヨマワルが」と口を開く。

 

「起こす現象に腹を立てている人間がいる。俺個人としても、死者を冒涜する行為は許せない」

 

 ランポの言葉に男は口元に手を当ててふふっと笑った。眉根を寄せて、「何がおかしい」と訊く。

 

「死者を冒涜しているわけではない。わたしは、むしろその逆だ。死者を導いているのだ。黄泉の国へと」

 

「馬鹿な。四方を海に囲まれたこの街に黄泉の国など」

 

「だからこそ、海に全てを沈めてしまえばいい」

 

 ランポは怖気が走ったのを感じた。この男はもしかしたら死者を集めて自害しようとでも言うのかもしれない。そういった類の人間は周期的に現われるものだ。ただの自殺ならばランポには止めるような抗弁もない。しかし、ランポはその時、死者の列の中に見知った人影を見つけた。

 

「……ミツヤ。エドガー」

 

 死者の列の中に生きているはずのミツヤとエドガーも混じっていたのだ。彼らを見やるが、生気のない顔で虚ろな眼差しを向けている。

 

「二人に何を!」

 

「何もしていない。わたしは、この街から遠からぬ死を追い出そうとしているのだ。ハーメルンの笛吹き男を知っているか?」

 

 ランポは耳にした事があった。

 

「確か、笛吹き男がネズミを根こそぎ追い払い、溺死させたと言う」

 

「そうだ。わたしはそれと同じように、ヨマワルを使ってこの街に蔓延る遠からぬ死を追いやろうとしている。死がこの街を覆い尽す前にな」

 

 よくよく目を凝らせば、F地区の住民達や、まだ生きている者達も含まれている。死者の列は死者だけで構成されているわけではない。

 

「だが、それは殺人だ」

 

 それ以上に、仲間をここで見捨てるわけにはいかなかった。ランポは歩み出る。

 

「ここでお前を倒す」

 

「それは意味がある事なのか? いずれ、そうだな、一年も経たず、ここにいる人々は死ぬだろう。それが悲しみとして覆い被さる前に、わたしは運命の力を用いて、彼らを安息のうちに死なせてやろうというのだ。今ならば、彼らには苦痛がない。死の前後に伴う苦痛が。だからこそ、わたしの行動には価値がある」

 

「それは違う」

 

 ランポは確固とした声で言い返した。

 

「生きているからこそ価値があるわけでも、死んだから価値が消えるわけでもない。彼らにも遺すべき意志がある。それを無視して、死という結果だけを残そうとするお前に、俺は異を唱える」

 

「馬鹿な真似だ。君は、苦しみも、悲しみも、全て肯定すると言うのか」

 

 ランポはフッと笑みを浮かべた。その眼差しに悲壮感はない。

 

「少なくとも、それが人生においてただ単に苦痛として屹立するとは思っていない。その前後には必ず、喜びもあるんだ。お前に、それを奪う資格はない」

 

「愚かだ。わたしは運命に導かれているのだよ」

 

「傲慢な考えだ。俺には、お前を否定するだけの理由がある」

 

 ドクロッグが男へと肉迫し、拳を叩き込んだ。男が血反吐を吐き出す。ヨマワルがすぐさま前に出る。しかし、男は命令を下そうとはしなかった。男は、「ならば」と指を鳴らす。すると、死者の列が消え去り、操られていた者達はハッと目を覚ました。その中にいるミツヤとエドガーへとランポは駆け寄った。

 

「ミツヤ、エドガー、大丈夫か?」

 

「あ、ああ。ランポ、俺達はどうして……」

 

「催眠状態にあったんだ。お前らは操られていた」

 

 ランポは周囲を見渡したが、先ほどの男は既に姿を消していた。死者の列が消え去り、生きている者達が狼狽の声を漏らしている。

 

 彼らはこの一年と命がないのだろうか。男の言っていた事は本当に――。そこまで考えてから、ナンセンスだと切り捨てた。

 

「エドガー、ミツヤ。下っ端の調査は俺がやろう」

 

 ランポの言葉にエドガーが目を見開いた。

 

「どうしたんだ、急に?」

 

「催眠状態から脱し切れていない俺達を心配してくれているんですか?」

 

「それもあるが、エドガーのゴルーグを出すまでもない。俺のドクロッグで事足りるだろう。お前のゴルーグは、そうでなくとも目立つからな」

 

「違いないですね」

 

 ミツヤが笑うとエドガーが睨みを利かせた。ミツヤが首を引っ込める。ランポは不意に不安に駆られて尋ねていた。

 

「なぁ、お前ら。どこかに行ったりはしないよな?」

 

 その質問にエドガーが小首を傾げる。

 

「どこかってどこだ?」

 

「旅行の予定はないですけど」

 

「だな。すまない。変な事を訊いてしまって」

 

 ランポは調子を取り戻そうと咳払いして死者の列に組み込まれていた人々へと指示の声を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、逃れられないのだ」

 

 ヨマワルが中空を漂い、彼へと告げる。彼にはヨマワルが発する「みらいよち」に基づき、死者を選別して冥土へと送っている。予知の結果には自分へと立ち向かってきた青年と仲間であるらしい二人の死が克明に刻まれていた。

 

「だが、彼の眼には光がある。未来へと続く光だ。その灯火がたとえ小さなものでも、消す権利などないと彼は言い放った。ならば、その未来、見せてもらおう。もしかしたら彼らの旅路はただの死出の旅ではなく、意味のあるものかもしれない。ならば、わたしは見守っていよう。運命の死者である彼らが、何かを成す事が出来る運命の使者でもある事を」

 

 彼は身を翻した。その姿は闇の中に消えていった。

 

 



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エピローグⅣ+エピローグⅤ

 

 ――起きろ、ユウキ。

 

 見知った声にまどろみの知覚が揺り起こされた。閉ざしかけた目を開き、声の主を捜すが、その知覚に割り込んできた声は判然としないまま消え失せていく。

 

「……誰だ」

 

 呟くと、何かが蛍火のような光を灯した。その光がゆらり、ゆらりと揺れて、ふらふらと頼りなく自分の前を通り過ぎていく。ユウキはそれを感知野ではなく、現実の眼で認識した。

 

「……ヌケニン」

 

 ヌケニンが加速の先にある闇の断崖へと達してきている。不可能なはずだ、と考える反面、テッカニンの半身ならば不可能ではない、と思う自分がいる。ヌケニンがユウキの目の前まで来ると、身を翻した。まるで、付いて来いとでも言うように。その枯れ枝のような身体から声が発した。

 

 ――ユウキ、戻って来い!

 

 ――必ず、帰ってくる。

 

 テクワやマキシ、レナやキーリの声が重なる。しかし、加速の先に至ってしまった自分には最早帰り道など分からない。このまま闇に漂えたら、と考えていると、両肩に体温を感じた。視線を振り向けると、金髪の男とKがそれぞれユウキの肩を掴んでいた。金髪の男は優しげな微笑みを投げている。その男がFである事は直感的に分かった。Kは慈しみの眼をユウキへと向けていた。

 

 ――僕達の娘を頼む。

 

 ――あなたは私達の希望。

 

 二人がユウキの背中を押す。こちらに来てはならないと、彼らは二人して闇の中に不意に開いた光の向こう側へと消えて行った。その光の亀裂にはエドガーやミツヤ、ランポの姿が見え隠れする。ユウキもそちらへと赴こうとしたがランポが頭を振った。

 

 ――忘れたか、ユウキ。俺達の、黄金の夢を。その続きを、お前は綴るんだ。

 

 ランポが身を翻す。それが別れの合図だった。亀裂が閉じ、再び常闇の中へと放り込まれる。ユウキはヌケニンの鳴き声を聞いた。ヌケニンは滅多に鳴かない。その声は現実へと導く声だった。

 

 ユウキはヌケニンに従って闇を掻いて泳ぎ出した。ユウキはヌケニンの背中に続く。

 

「帰らなくちゃ。みんなのところへ」

 

 運命の使者に導かれ、ユウキは加速の闇から現実の光へと歩み出した。それは明日へと続く一歩だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正午のニュースをお伝えします。半年前に解体が宣言された独立治安維持部隊ウィルが本日未明、カントー統括部隊として再編成される見通しとなりました。頭首であったコウガミ総帥の自殺騒動を経て、混乱の時勢にあったカイヘン地方に一つの区切りがつけられた結果になります。カントー統括部隊には元ウィルの幹部による多数決により新たな頭首が立てられる事となりました。最年少の頭首に期待が集まっています。新たなカイヘン地方をリードする組織の名前にも注目です。KNNが独自に入手したその組織の名前は――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が下から吹きつけてくる。

 

 緩やかな風の中に混じった匂いに、彼は目を向けた。見知った匂いのような気がしたからだ。それは誰かの煙草の匂いであったり、誰かの飲んでいたカクテルの匂いであったりした。風が自分の背中を押してくれる。大丈夫、という明確な答えはない。しかし、自分を勇気付けてくれる。

 

 彼はエレベーターに乗って二人の腹心と共に最上階へと昇った。片方は赤毛でサングラスをかけた男だ。スーツを着込んでいるが、本来はそのような服装からは縁遠いという事が目に見えて分かる。もう一人は黒髪で背丈は小さかったが、その眼に宿す警戒の色は誰よりも色濃い。

 

「そう気負うなよ」

 

 赤毛の男が自分ともう一人の腹心に告げた。黒髪の男は、「気負ってない」と無愛想に返す。

 

「可愛げがねぇな」

 

「お前は、いつもそんな感じだな」

 

 お互いに言葉を交わし、口元を緩める。赤毛の男が自分へと肩越しに視線を向けた。

 

「どんな感じだ?」

 

 その質問に息を一つついて、「大した事じゃない」と言ってみせる。

 

「通過儀礼ですよ」

 

 赤毛の男は鼻を鳴らした。

 

「相変わらずだな。まぁ、だからこそついて来る気になったんだが」

 

「たとえるならば」

 

 シースルーのエレベーターの天井を眺めながら口にする。

 

「バベルの階段を上っている感じです」

 

 空想で不可能だと思っていた。しかし、それは今、手の中にある。この手の届く範囲にある。

 

「だったら、これから先に赴くのはバベルの頂上か」

 

 エレベーターが開いた。跪いて彼ら三人の到着を心待ちにしていた人々が列を成している。自分は中央を歩き、式典用に作られた階段の上にある椅子へと目を向けた。まさしく玉座である。チャンピオンとはまた違う、裏側から世界を変える役割が自分の役目だ。

 

 チャンピオンとは一度会っておいた。その時に、「キリハシティの前で戦いましたよね」と言われた時には驚いたものだが、おぼろげながら記憶にはあった。まさか、過去に一度戦っているとは。奇妙な因果に口元を緩める。いつの間にか染み付いた、所作である。いつも自分を引っ張ってくれた人と同じ笑みを、自分も宿すようになった。

 

 腹心が階段の前で足を止めてその場に跪く。彼だけが階段を上り、オレンジ色のジャケットを翻して人々を眼下に収めた。

 

 この光景を見せてやりたい人がいる。しかし、その人達はもう遠く、光の向こうへと旅立ってしまった。ならば、自分がやるべき事は、この光景を忘れない事だ。忘却の彼方に追いやらない事こそが何よりの手向けである。ジャケットと同じ色の帽子を被り直し、鋭い光を湛えた双眸を向ける。

 

 涙は見せまい。自分がすべき事は、過去を悔やむ事ではない。

 

 彼が玉座に納まった瞬間、号令が発せられた。

 

『カントー統括部隊、別名ブレイブヘキサ総帥。その名は――』

 

 

 

 

 

 

 

 

ポケットモンスターHEXA BRAVE 完

 




あとがきにて完結します。ここまでありがとうございました。


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あとがき+

 

 拙作、『ポケットモンスターHEXA BRAVE』を読んでくださり、ありがとうございます。

 

 このあとがきではHEXAサーが第二部と言えるこの作品が生まれた経緯と、この作品に込めたもの、いわばメッセージを紐解こうと思います。作品世界だけで完結したい方はブラウザバックしても大丈夫です。

 

 そもそも制作経緯から。前作、『ポケットモンスターHEXA』がパソコンの上では完結したのは二年前(2012年7月頃)でした。それからネット上にアップし名実共に作品として完成したのは昨年です(2013年7月)。実はBRAVE(これから便宜上第二部と呼びます)は2012年の末には第一章を書き出していました。つまり第一部の完結を待たずして既に第二部に取り掛かっていたのです。第一部がどれだけの評価を得られるのか分からない混迷の時に第二部を書き始めた私はまず考えたのは「キャラクター重視のエンターテイメント」でした。

 

 というのも前作はとても内向的で、読んでいただいたのならば分かるのですが自分さえ楽しめればいいという出来でした。せっかくネットにアップするのだから皆さんが面白く読めるものを目指そう。普通なら最初に思いつくところをようやく目指せたのはこの第二部からです。

 

 前作が展開的に無理のある部分も散見されたので今回テーマとして掲げたのは「ポケモン本来の能力による頭脳戦」、いわばチェスや将棋のようなバトルでした。しかし、私自身さほどバトル方面には明るくないので前作で課題であった特性を活かしたバトルというのをまず標榜したわけです。その上で主人公、ユウキのポケモンを「全く主人公らしくない」手持ちにしました。そのほうが意外性をつけると感じたからです。

 

 ご存知の通りそれはテッカニンとヌケニンでした。テッカニンは(BW時点で)全ポケモン中、二番目に速いポケモンです。それを活かした戦法として「見えないポケモン」という一見小説としては無理な戦闘シーンを描きました。実際にテッカニンの図鑑説明に「ある時代までは見えないと思われていた」という説明書きがあったのでぴったりだと感じたのです。このように図鑑説明と実際のポケモンの性能に根ざしたバトルをまず展開していこうと思いました。

 

 それと欠かしてはいけないのは「主人公の目的」です。前作では目的の見えづらい主人公ばかりで読者の方々にストレスを与えたかと思います。第二部では主人公の目的を一本化して明確にしようという動きがありました。ぶれない一本の芯がある主人公って格好いいですからね。

 

 そしてポケモン二次創作で恐らく触れられていないであろう「ディテールを極限まで高めた悪の組織」を描きました。極限まで、というのは私の尺度であって皆さんからしてみればお粗末であったかもしれませんが、ありそうな悪の組織という点でリヴァイヴ団を作り、なおかつ前作からの時代背景を残しているというのを見せるためコウエツシティF地区などの配慮を行いました。

 

 多分、この作品が稀有なのは悪の組織に入りながら正義の心を忘れない主人公、ユウキでしょう。さらにリーダー格のランポを含めチームブレイブヘキサの面々は徹底して「格好いい男」を目指しました。一本木通っている大人の男。それっていいじゃありませんか。

 

 主人公の動機が「悪の組織でのし上がり世界を変える」というのは少し変わっているかもしれません。特にポケモン二次創作ではほぼオリジナルキャラクターばかりの作品なので余計に浮いていたかもしれません。

 

 最初、この設定に実は悪戦苦闘しました。自分の頭の中ではユウキの行動付けは出来ているのですが彼をどういうスタンスのタイプに置くのかが迷いました。悪の組織に入るのは決定事項として、じゃあそれまでの入団試験は? そもそもどういう構造の組織なのか? メインとなる彼らの行動は? など、難しい要素が山積していました。

 

 個人的に一番苦労したのは第三章と第四章です。

 

 第三章ではカジノの様子などを克明に描かなければならず、さらにオチ(エレキブルとの戦闘)は決まっているもののそこに至るまでの動きが全く出来ておらずまさしく一寸先は闇の状態で手探りでした。

 

 第四章は「この書き方をすると読者が離れるかもな」という不安がありました。というのも最初は第三章と同じく、ミッションがありそのミッション中にミツヤと信頼関係を築くイベントがある、というシンプル構造だったのですがこれだと第三章と読み味が被ってしまいます。

 

 マンネリ化、これだけは避けねばなりませんでした。

 

 そういうわけで、まずどんどんとミツヤの過去へと埋没していく書き方になりました。あの演出は実は好きなアニメの演出と同じなのですがマイナーな作品なので多分分からないと思います。

 

 レナの存在についても触れねばなりません。この作品、レナとキーリ、Kとサヤカ、ミヨコ姉さんを除くとまず女性がほぼ出ません。これはマンネリ以前に潤いがないと思い、レナを出しましたが、レナの出番もあってないようなものなので多分男臭い話になってしまったと思います。また研究者で高飛車な女性、というのも意識して作りました。前作の女性陣に大変好評をいただいて、「オンドゥル大使さんは女性を描くのがお上手」という異例の評価を得てしまったので(実際は書きやすい女の人のステレオタイプをポンポン置いただけです……。すいません)、「でも女性だけじゃないのです」という風に男ばかり置くと今度は男まみれになってしまったので、救済措置としての女性でもありました。

 

 レナを気に入ってくださる方がいないのはまぁ当然と言えば当然で(そういうキャラクターなので)、どうしよう、と思ったら第七章でキーリという幼女を描く機会が得られました。ただしこの幼女、キャラクター的には全くレナと同じなのでほとんど同族です。もしかしたら人によっては同じようなキャラが二体いるように見えたかもしれません。

 

 ちなみにキーリという名前の由来は好きだったライトノベルから。プロット段階では存在しておらず、レナとユウキとFだけの反逆では面白みがないので付け加えた人物です。

 

 今回の第二部で最も転機となったのは文字通りストーリー上の転である第七章からでしょう。

 

 主人公が悪の組織でのし上がるかと思ったらそんなに簡単にはいかず反逆者にされてしまう、というのは自分でも驚いた展開です。

 

 この第七章で実はかなり狙った部分があったのですがあまり好評は得られませんでした……。主人公が反逆者になる展開は受け容れられないのでしょうかね……。

 

 こういう物語のお約束を破る、というのは私の好きなマンガ作品からの引用で(そのマンガでは悪の組織による世界征服が達成されてしまいます)、前作もそうですが色々な作品からの引用とかで出来ています。

 

 しかしHEXAなのだから全六章で締めろよ、と言いたいのですが今回は全八章になりました。別に「六」に特別な思い入れはないのでいいのですが……。

 

 あとFとKについて。前作のキャラクターを出すのは早期から決めていたのですが誰になるかは分かりませんでした。最初はナツキにしようかと思っていたのですがナツキが前作であまりに人間離れした進化をしたのでこいつを出したら主役を食いかねないと断念しました。次に思いついたのが読者人気の高いサキとマコで、「でもこいつら出したらこいつらの視点をまた書かなきゃいけないのか」と恐らく視点が偏ってしまうので出しませんでした。

 

 その末に出しても恐らくは問題のない脇役として出たのがFとKです。どうしてあとがきなのに伏せているのかと言うとあとがきから読む方もいるからです。私がそうです。

 

 FとKの正体についてはかなり推測が入り乱れた様子で(まさかその正体を知るために前作を読んでくださる方まで出てくるとは思いませんでした)自分でもいい人選だったと思います。

 

 Kの手持ちがドラゴンタイプの時点である程度の察しは付いたかなと思いましたが。

 

 あと今作から入ってくださった読者さんがとても多くて自分でも驚いています。「読みやすさ、エンターテイメント性」を重視したので当たり前と言えば当たり前なのですが前作よりも読みやすいとのお声が多数あり、よかったと思っています。前作を読まなくても読めますの表記が意外に役立ちました。

 

 それと今作から入った方から多数質問のあった第八章の涅槃の光ですがあれは前作のナツキが手に入れた「累乗の先」の光と同じです。ただ修行で物にする過程を描く事であれはやり方によっては誰でも手に入れられるという要素を描けたかと思います。今作の老師が空中要塞で手に入れたと言っていたのはナツキの放った光が作用した結果ですね。

 

 それと絶対に外せない要素としてプロローグから出ている今作の元凶、カルマです。

 

 カルマの存在は徹底的に伏せながらもなおかつところどころでにおわせると言う割と面倒くさいやり方を採用しました。このやり方がどうやら功を奏したようでよかったです。

 

 カルマの目指した理想郷、ヘキサ。前作でキシベについていけなかった人は何を思って生きているのだろう、という疑問から生まれました。プロローグの名前がシャングリラなのはそういう意図も込めています。カルマはどんどんと悪めいていきましたが実際のところ実は空虚な自分を埋めるためにヘキサという理想郷を求めたちょっと見方によればかわいそうな存在です。カルマの求めたヘキサがキシベの求めたヘキサとは全く違ったのも前作を読んだ方ならば分かったと思います。

 

 カルマの名前の元ネタは言うまでもなく「業」の名前です。カルマ自身、とても業にまみれた人間なのでちょうどいいと思いました。あとラスボスっぽさがとても出たと思います。

 

 地味に困ったのはユウキの名前で、今作の副題をBRAVEにすると決めた時点で主人公の名前はユウキだったのですがユウキってありふれているのですよね……。色んな作品でユウキという名前の主人公がいて没個性しないかな、と若干不安でした。

 

 カルマのデオキシスと対抗するにはテッカニンを超えるしかない、と引っ張り出した設定、δ種。これは昔ポケモンカードで出てきた本来と違うタイプに目覚めたポケモンを総じてδ種と呼んでいたのが元ネタです。ちなみに最終的にテッカニンは何タイプに目覚めたのか、というクエスチョンには電気タイプだと答えておきます。なのでデンチュラと同じタイプ構成になったのですよね、弱点多い……。

 

 あと今作も筆を置く前に死したキャラクターに黙祷を。私はまた話の都合とはいえキャラクターを殺し過ぎました。深く反省しております。

 

 あと心残りと言えば未だに目標であるKaryuさんの『ポケットモンスター メディター』に追いつけていないところです。まだKaryuさんは本気を出していないのに……。

 

 さて、HEXAサーガ第二部完ですが、既に第三部が出来ています。前回は八割方、と言いましたが今回はもう出来ています。

 

 タイトルは『ポケットモンスターHEXA NOAH』です。性懲りもなくまたカイヘン地方か、と思われたかもしれませんが次はカントーのお話です。なので少しばかりは分かりやすいかと。

 

 内容に関してはここでは伏せさせてもらいますが、今作で取り組んだエンターテイメント性と前作にあったダイナミックさを兼ね備えた作品です、とだけ言っておきましょう。

 

 しかし第三部を書くと冗談で言っていたらまさか本当に書いてしまえるとは思いませんでした。多分、このHEXAサーガの持つパワーと皆様の応援に支えられた結果だと思います。ありがとうございます。

 

 あと、次の作品も前作、及び今作を読んでいなくとも読める作品になっております。新規さんはいつでも大歓迎です。

 

 今回も言い表せないほどの感謝を捧げる方々がいます。まず前回からびっくりするほど長期間この作品を見つめてくださったFOREVER HEROESさんにはもう土下座しかないほどです。毎回、よく褒めるポイントを見つけてくださった……。それと最初に感想をくださったとらとさんはこの作品がこの方向性でいいのだという確証をくださいました。竜王さんは二回も感想を投下してくださり、さらに毎回ツィッター上で更新報告を見届けてくださった鈴志木さんを含め様々な方々には感謝の言葉を星の数ほど並べ立てても足りません。

 

 自分は色んな方々に応援されつつこの作品を終えられる事がとても嬉しいです。

 

 さてHEXAという物語は大きな枠を飛び越え、次の世代へ。

 

 魂の輝きが消えぬうちに。

 

『ポケットモンスターHEXA BRAVE』。

 

 男達の黄金の夢は終わりました。

 

 2014年6月27日 オンドゥル大使より

 

あとがき+

 

 こちらハーメルンでのあとがきとなります。改めましてこの作品を読んでくださり、ありがとうございます。

 前作『ポケットモンスターHEXA』を読んでいなくとも読めるようにしたつもりですが、不親切な部分もあったかもしれません。それに関してはお詫びします。

 さて、これで二部、といった具合なのですが、もちろん第三部も用意してあります。

 毎回変化球を投げるのが得意ですので、第三部は第二部で変わった世界を受けての話となります。

 また第三部はこのHEXAシリーズのターニングポイントでもあるので、もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

 というわけで第三部『ポケットモンスターHEXA NOAH』はちょっと間が開いてから始めようと思います。

 それにしてもハーメルンでやっていると学ばせてもらうことが多くて正直に驚いています。

 やはり投稿する場所によって傾向というか、何が好まれるのかは違ってくるようで、それに関してはまだ自分は勉強不足だなぁと素直に感嘆しています。

 それではこの辺で。

 第三部をお楽しみに

 

2021年2月13日 オンドゥル大使より

 



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