さよなら実力至上主義の教室よ (漁利の夫)
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計らずも比企谷八幡はフラグを立てる。

       

   「中学生活を振り返って」

                            3年〇組 比企谷八幡

 

 今、現代社会は平等、平等と訴えて止まない。人種、性別、身分や性的指向などの違いによる差や偏見を取り払い、平等であるべきだと全世界が躍起になっている。それは決して悪いことではないが、裏を返せば人は生まれながらにして不平等であるからこそ、このような運動が活発になるのではないだろうか。

 世界という大きな枠組みから意識を外し、学校という小さな子供社会に目を向けると、この平等意識は途端に不鮮明なものになる。優れた容姿や学力、運動能力、特にコミュニケーション能力を備えた者は周囲からの好意や徳望を集め、順風満帆な学生生活を送る。逆にそれらを持ち合わせない者は疎まれ、避けられ、時には虐げられ、過酷な日々を過ごすことになる。この二者はとても平等とは言えないだろう。更に、先ほど挙げた4つの能力は遺伝、環境などに大きく依存し、それらを自らの手で改善することは不可能に近い。

つまり、人は生まれたときから個人差があり、その差は自分の手で埋めることは難しく集団に放り込まれることで如実に表れる。そうしてスクールカーストが構築され、勝者と敗者に二分されるのだ。

 結論を言おう。

 人はまったくもって不平等である。

 

 

 担任の平塚先生は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げた。

 こうして聞いていると、自分の文章力の稚拙さに気づかされる。小難しい単語を並べれば頭が良さそうに見えるんじゃないかという浅い考えが透けて見えるようだ。

 

「比企谷、これはなんだ」

 

「何って授業で出された課題ですけど」

 

「私は現代社会の平等主義についてなどという課題を出した覚えはない」

 

 平塚先生は呆れたように大きくため息をついた後、鋭い眼光を俺に向ける。俺はまるで蛇に睨まれた蛙のように硬直し、目を泳がせた。これがホントのヒキガエル、なんつって。

 

「い、いや、俺なりに中学生活を振り返った結果ですよ?日陰者の俺は日々の生活の中で不平等を実感しているわけです」

 

「確かに君に友人がいないことも女子に振られてからかわれていたのも知っているが、課題はちゃんと書け」

 

 おいおい急に傷口を抉ってきたよこの人、教師がすることかよ。というかなんで知ってんだ。イジメとまではいかないが結構精神的にきてるんだぞこっちは。

 

「知ってるなら助けるのが教師ってもんじゃないんですかね」

 

「大事にしたら君も困るだろう。それに本気で悩んでいるなら教師を辞めてでも助ける」

 

 いや滅茶苦茶カッコいいんですけど。漫画やアニメでしか聞いたことないぞそんなセリフ。平塚先生の目には一片の曇りもなく本気で言っていることがわかる。ヤンクミもびっくりの今時珍しい熱血教師だ。

 

 平塚先生は胸ポケットから煙草を取り出し、100円ライターでさっと火をつけると大きく煙をふかした。さっきの発言といい妙に男らしい。ここが喫煙可能スペースとはいえ、生徒の前で煙草なんて吸って問題にならないのだろうか。昨今そういうのにうるさいからな。

 

「ところで君は、進路先は決まったかね?」

 

「正確には決まっていないですけど、他の奴らが誰も行かなそうな高校を目指してます」

 

 俺はこの学校で数々の黒歴史を残してきたからな。もし進学先で同じ中学の奴がいたらたちまち噂は広まり、俺の平穏な生活は崩れ去るだろう。いや、誰からも相手にされなくなりある意味平穏な生活が送れるかもしれない。考えるだけで泣きそう。

 

「そうか、なら君に一つ進路先を勧めておこう。難易度は高いが、目指してみる価値は大いにある」

 

 そう言って平塚先生は俺にパンフレットを差し出した。そこにはこう書かれていた。

 

『高度育成高等学校』と。

 

 

 

***

 

 

 月日は流れて4月。入学式。俺は勉強に勉強を重ね、平塚先生に勧められた高度育成高等学校に見事合格した。今はその高度育成高等学校に向かうバスに乗車しているところだ。

 

 高度育成高等学校とは、日本政府が造り上げた未来を支えていく若者の育成を目的とした学校であり、希望する就職、進学先にほぼ100 % 応える全国屈指の名門校である。

 この謳い文句は確かに魅力的ではあるが、俺がこの学校を選んだ一番の理由は同じ中学の奴らが来れないだろうと踏んだからだ。俺は星の数、は言い過ぎにしても惑星の数ほどの黒歴史を中学校で残してきた。それを知っている奴が誰も居ない場所で心機一転、新しい学生生活を送りたいと願ってのことだった。

 さらに、この学校は授業料全額免除、全寮制で光熱費なども払う必要がなく、親の負担を大幅に減らすことができるのも魅力の一つだ。初めての一人暮らしは少し不安であるが、両親が仕事人間であまり家にいなかったため、ある程度の家事は身についているのでおそらく大丈夫だろう。

 

 ただ、政府主導の施設ともあって機密性が非常に高く、在学中の3年間は学校外部との接触を完全に禁止される。家族、特に最愛の妹である小町にしばらく会えないのは些か寂しい。

 

 

 

 ……嘘だ。些かどころではない。兎だったら間違いなく寂死してしまうレベルである。ちなみに寂死はサビシと読み、俺が今思いついて作った造語であるが、スマホでググったところ既に存在していた。くだらないことを考える奴もいるもんだ。

 

 そんなことはどうでもいいとして、俺と同じように小町も寂しがってるだろうか……。寂しがってないだろうな……。お兄ちゃんよかったじゃん!これで妹離れできるね!とか、お兄ちゃんが受かるなら小町も余裕では!?とか言ってたし……。

 

 

 

「ねえ、席譲ってもらえないかな」

 

 一人で勝手に感傷に浸っていたところ、走行音のみが微かに響く静かな車内からそんな声が聞こえた。反射的にそちらに目を向けると、高度育成高等学校の制服を着た人懐っこそうな茶髪ショートの美少女が、これまた同じ制服を着た横柄な態度の金髪ロン毛男に話しかけていた。

 

「そこ、優先座席だし……お婆さんに座ってもらったほうがいいと思うの」

 

 どうやら金髪ロン毛は近くで年寄りが立っているにも関わらず、堂々と優先席を占領しているようだった。

 

「おやおや、プリティーガール。優先席は優先席であって法的な義務は存在しない。若者だから席を譲れと?ハッハッハ!実にナンセンス!」

 

 うわー出た。『法律で禁止されてないよね論法』の使い手だ。これはモラルやマナーを問われているときに使われ、違法ではないと主張することで論点をずらしつつ優位性を示す手法のことだ。他にも「それ、君の感想だよね論法」などが存在し、これらを巧みに使いこなすことによって相手を苛立たせることができ、結果めちゃくちゃ嫌われて友達をなくす。ソースは中学校時代の俺。

 

「私が若かろうと立てばより体力を消耗する。なぜ、意味もなく無益なことをしなければならない?」

 

「でも、社会貢献にもなると思うんだ。それにお婆さん、辛そうにしてるから」

 

「社会貢献には興味ないんでね。それに、私以外の一般席に座っている者はどうだ?優先席かそうでないかなど些細な問題だと思うのだがね」

 

 しばらく二人の会話に耳を傾けていたが、金髪ロン毛は頑として席を譲らないようだ。ただ、金髪ロン毛の優先席かそうでないかなど些細な問題だという言説も一理あり、耳が痛い話である。車内を見渡せばほかの乗客もばつの悪そうな表情を浮かべている。……多分。だって俺一番後ろの席だから表情とか見えないし。雰囲気でなんとなく察せられるぐらいだ。

 

「いいよ、私は大丈夫だから。ありがとう」

 

 婆さんが申し訳なさそうにそう言うと、少女は男の説得を諦めて一般席の乗客に助けを求めた。

 

「皆さん、どなたか席を譲ってあげてもらえないでしょうか」

 

 これはとても勇気の要る発言だ。なぜならこの瞬間、少女は一般席に座る多くの乗客から疎ましく思われる存在になってしまうからだ。そのあまりにも眩しい姿を直視できず、ついつい視線を床に向けてしまう。断じて席を譲りたくないからとかではない。ぜ、全然そんなんじゃないんだからね!

 

「あ、あの、どうぞ」

 

 頭の中でツンデレ風言い訳をしていると、ほどなくして一人の社会人女性が席を譲るために立ち上がった。でかしたぞ君、出世間違いなしだ。

 

「ありがとうございますっ!」

 

 こうして一件落着となり、車内に張りつめていた緊張感は霧散していった。ミラーに映る運転手の顔もどこかホッとしているように見える。

 

 しばらくするとバスは目的地である高度育成高等学校に到着した。最後にバスを降りた俺の前には、天然石を連結加工した門が待ち構えていた。いよいよ高校生活がスタートするとあって、柄にもなく心が躍ってしまう。流石に気分が高揚します(加賀並感)。

 

「さっき私の方を見ていたけれど、なんなの?」

 

「悪い。ただちょっと気になっただけなんだ。どんな理由があったとしても、あんたは最初から席を譲ろうなんて考えを持っていなかったんじゃないかって」

 

 ボケーっと門を見上げていると、そんな会話が前方から聞こえてきた。会話内容から、どうもさっきのバスに乗っていた生徒らしい。一人は黒髪ロングのクール系美少女で、その発言は非常に刺々しい。触るもの皆傷つけそうだ。もう一人は一見なんの特徴もない、しかしどこか不思議な雰囲気を纏った少年だった。

 

 二人は知り合いというわけではなさそうで、ちょっとした口論を繰り広げていた。いや、あの、門の前でやりあうのは止めてもらっていいですかね。通りづらいんですけど。

 二人はしばらく応酬を続けた後、同じように校内へと歩き出した。朝からなんとも忙しないものだ。

 というか、今日って入学式だからほとんどが一年生だよな。つまりさっきの金髪ロン毛も今の二人も新入生の可能性が極めて高い。

 

「同じクラスは勘弁願いたいな」

 

そう言って、一人盛大なフラグを立てながら門をくぐる男がいた。

 

 

 

まぎれもなく俺だった。

 



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やはり綾小路清隆は友達が欲しい。

 嫌な予感というものは得てして当たるもので、逃れられない運命は確実に存在する。1年Dクラスの教室に入った俺はそう感じずにはいられなかった。

 

 

 軽く校内を見て回ったせいか、俺が教室に着く頃にはほとんどの生徒が登校しており、それぞれ談笑したり学校の資料を見たりしている。その中にはバスや校門前で見かけた4人の生徒が勢揃いしており、すぐさま引き返したい衝動に駆られた。バスの中でひと悶着起こした金髪ロン毛は特に目立っており、両足を机の上に乗せ、鼻歌を歌いながら爪の手入れをしている。明らかにやべー奴だ、近寄らんとこ。

 

 踵を返すと変に目立ってしまうので、仕方なく自分の席に向かう。窓際の後ろから二番目、俺の偏った知識では物語のヒロインが座ると決まっている席だ。そしてその後ろ、窓際の最後尾は物語の主人公の特等席である。そこに座っていたのは校門前でちょっとした口論をしていた、というよりも一方的に絡まれていた少年だった。

 ふうん、あんたが私の主人公?まあ悪くないかな。……いやダメだろ、俺の目だけじゃなく周りの目まで腐ってしまう。主にBL的な意味で。

 

 ちなみにその隣には、絡んでいた方のクール系美少女が凛とした佇まいで本を読んでいた。入学式から誰とも絡もうとせず堂々と読書に耽るとは。こやつ、歴戦のぼっちと見た。いずれコイツとはぼっちの王を決める戦いになるかもしれない。勝った方が人間的に負けという、誰も得をしない戦いだ。

 

 着席した俺は改めて周囲を観察する。人間観察はぼっちの習性であり、情報収集することで平穏な生活を送るための肥やしとする。

 

 まず気づいたのは、この学校の女子のレベルが非常に高いことだ。女子だけ入試の採点項目に容姿が含まれてるんじゃないかと疑うレベル。しかもなんか皆スカート短いし、どことなくこう……エロい。やはりトモセは神。

 

 そして何より気に掛ったのは、一般の教室にはとても似つかわしくない監視カメラの存在だ。校内を見て回ったとき、教室だけでなく学校のいたるところに設置されているのを確認しており、不思議に思っていた。政府主導の施設ともあって、イジメやカンニングといった不当な行為を徹底的に排除するためだろうか。

 

 席に着いてから程なくして、始業を告げるチャイムが鳴った。それと同時に、長い黒髪を後ろで一つに結んだスーツ姿の女性が教室へと入ってきた。いかにも仕事人間というオーラがバリバリに出ている。働いたら負けだと思っている俺がそのオーラに触れてしまえばたちまち粉々に砕け散るだろう。仕事・電車・通勤、ムリムリ。

 

「えー新入生諸君。私はDクラスを担当することになった茶柱佐枝だ。この学校には学年ごとのクラス替えは存在しない。卒業までの3年間、私が担任としてお前たちと学ぶことになる。よろしく。今から1時間後に入学式が体育館で行われるが、その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらう」

 

 前の席から配られた資料にはすでに何度も目を通している。この学校には普通の高校と異なる様々な特徴があり、その中でも他に類を見ないのがSシステムだ。

 

「今から配る学生証カード。それを使いポイントを消費することで、敷地内にあるすべての施設を利用したり、商品を購入することが出来る。学校内においてこのポイントで買えないものはない。それからポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。お前たち全員に10万ポイントが既に支給されているはずだ。なお、1ポイントにつき1円の価値がある」

 

 つまり、入学早々俺たち新入生に10万円が支給されたということだ。授業料免除や学生寮だけでも十分すぎる待遇だというのに、太っ腹すぎやしないだろうか。うまい話には裏がある、まずはすべてを疑え。というのは親父の教えで、今では宅急便の配達さえ宗教の勧誘じゃないかと疑うほど疑心暗鬼になってしまった。俺が雛見沢の住人なら秒で発症する自信がある。

 

「ポイントの支給額が多いことに驚いたか?この学校は実力で生徒を測る。入学を果たしたお前たちには、それだけの価値と可能性がある。ただし、このポイントは卒業後には全て学校側が回収することになっている。現金化したりなんてことも出来ない」

 

 さすがにそれはそうか。単純計算して3年間で360万。半分使ったとしても180万が何の苦労もせずに手に入ってしまうことになる。

 

「質問はないようだな。では良い学生ライフを送ってくれたまえ」

 

 戸惑いの広がる生徒たちを残し、茶柱先生は教室を出ていった。正直いろいろ質問はあったんだが、まあいつでも聞きに行けるだろう。

 

 

 

「皆、少し話を聞いてもらってもいいかな?」

 

 そう言って一人の男子生徒が手を挙げ、教室全体に問いかけた。いかにもカースト上位に君臨してそうなさわやかイケメンだ。どうせサッカー部なんだろこういう奴は。

 

「僕らは今日から同じクラスで過ごすことになる。だから今から自発的に自己紹介を行って、一日も早く皆が友達になれたらと思うんだ。どうかな?」

 

 なん……だと……?

 イケメンくんさあ、そういうのは先生が仕切ってやるべきことじゃない?一生徒がやるべきことじゃなくなくなくない?

 しかし、すぐに賛成の声(主にイケメン(ぢから)にやられた女子の声)が多数上がり、とても反対できるような空気ではなくなった。ここは民主主義の国、日本。俺のようなマイノリティな存在は、マジョリティに溶け込むか淘汰されるかしか道はない。

 

「僕の名前は平田洋介。中学では洋介って呼ばれることが多かったから、気軽に下の名前で呼んで欲しい。趣味はスポーツ全般だけど、特にサッカーが好きで、この学校でもサッカーをするつもりなんだ。よろしく」

 

 非の打ちどころのない完璧な自己紹介だ。予想通りサッカー部だったので、とりあえず敵認定する。

 

 その後、平田主導のもと規則性のない順番で自己紹介が始まる。中には言葉に詰まる生徒もいたが順調に進んでいく。

 途中、やべー奴筆頭である金髪ロン毛の高円寺や、今朝のバスで老婆を手助けした少女、櫛田桔梗の挨拶もあった。高円寺は、どこぞの社長の御曹司らしく、傲慢な物言いで周囲をドン引きさせていたのに対し、櫛田は平田同様百点満点の自己紹介で、男子だけでなく女子からも人気が出そうだった。

 彼女曰くクラスメイト全員と仲良くなりたいそうだが、俺みたいな奴とも仲良くできるかな?ん?

 

「次の人……そこの君、お願いできるかな?」

 

 そんなことを考えているうちに俺の番が回ってくる。とにかく俺は無難な自己紹介をするだけだ。そもそも紹介するほどの自己なんてないし、なんなら絶賛自分探しの旅の最中まである。

 ゆっくりと立ち上がり、一つ呼吸を整える。

 

「あー……比企谷八幡だ。趣味は読書で、特技はこれといってない。まあ、3年間よろしく」

 

 シンプルイズベター。我ながら面白みのない自己紹介だ。え?それで終わり?という意思のこもった視線が飛んでくるが無視だ無視。

 こんなつまらない挨拶でも平田はこちらこそよろしくね、と微笑みかけてくれた。やめろ、そのさわやかスマイルを俺に向けるな、惨めになるだろうが。

 

「じゃあ次──」

 

「俺らはガキかよ。自己紹介なんて必要ねえよ、やりたい奴だけでやれ」

 

 平田が改めて進行しようとしたが、赤い髪をしたガラの悪い男子生徒に遮られた。

 

「こっちは別に、仲良しごっこするためにココに入ったんじゃねえよ」

 

 そう言って赤髪は席を立った。おいヤンキー、そういうのは俺の自己紹介が始まる前に言えよ。もうすべてが終わった後なんだよ。

 赤髪の後に続いて、数人の生徒が教室を出る。どうやら例のクール系美少女も席を立ったようだ。人間関係を構築しようとしないあたり、ますますぼっち疑惑が濃厚になる。

 

 平田は少し寂しそうに教室を出ていく彼らを見送っていたが、残った生徒たちの自己紹介を進めるため、場を仕切り直した。

 

「勝手に始めたのは僕だし、彼らを悪く言うのはよそう。今は残った人たちの自己紹介を続けたい。それで次は……君、お願いしてもいいかな?」

 

「えー……えっと、綾小路清隆です。その、えー……得意なことは特にありませんが、皆と仲良くなれるよう頑張りますので、えー、よろしくお願いします」

 

 そう挨拶したのは俺の主人公……じゃなくて俺の後ろの席の綾小路。なんともまあ誰の記憶にも残らないような、俺好みの平凡な自己紹介だ。勝手ながらとても親近感が湧く。

 それに対しても平田は好意的な返事をし、パラパラと同情っぽい拍手が起こる。他人事ながら少し胸が痛い。

 

 その後も自己紹介は続いたが、その間俺と綾小路は二人、教室の隅で自分の不甲斐なさに頭を抱え込んでいた。

 

 

***

 

 

 入学式も無事に終了し、一通り敷地内の説明を受けた後、俺たちは解散となった。

 友人ができた者たちはカフェやカラオケに行くようだが、当然俺はさっさと寮へと帰る。と、その前に確認しなければならないことがあったのを思い出し、寄り道をすることにした。

 

「な、ない……!」

 

 いくつかの自販機を探して回ったが、どこにもお目当てのものは見つからなかった。そう、俺の愛飲ドリンクであるマッ缶が売ってないのだ。あれを飲まないと禁断症状でどんどん目と性根が腐っていく。まあ、どっちも元から腐ってるから変化はないんだが。

 自販機にはなかったが、まだ諦めてはいけない。コンビニやスーパーにもペットボトルのMAXコーヒーが売ってることがある。個人的には缶のほうがなんとなく美味しく感じるが、この際贅沢は言ってられない。ちなみに紅茶〇伝も缶の方が好きだ。

 

 希望を捨てずに近くのコンビニに立ち寄ると、偶然にもクラスメイトである綾小路と出くわした。

 

「奇遇だな」

 

 似たような自己紹介を見て通じるものがあったのだろうか、綾小路は俺に話しかけてきた。無視するわけにもいかないので、俺もそれに答える。

 

「おう、綾小路か」

 

「そっちも買い物か?」

 

「ああ、MAXコーヒーを探しに来た」

 

「MAXコーヒー?美味しいのかそれ」

 

 MAXコーヒーをご存じでない!?お前、人生の半分損してるぞ!と言ってやりたくなったが、確実に煙たがられるので我慢する。実際、こういうことを言ってくる奴の相手をするのは面倒くさい。聞いてもないことをペラペラと語りだすからなあいつら。

 

「簡単に言えば、練乳みたいなもんだ」

 

「コーヒーじゃないのか……?」

 

 簡単に言いすぎて混乱させてしまったようだ。一口飲んでもらえれば理解できると思うので、とにかく現物を探そう。

 二人でコンビニの中に入ると、これまた偶然、黒髪ロングのぼっち系女子と鉢合わせた。

 

「……またしても嫌な偶然ね」

 

 そう言って綾小路にガンを飛ばす。ついでに俺の方もにらみつける。しかし、俺のタイプはゴースト(存在感的な意味で)かつ特性がクリアボディ(存在感的な意味で)なので、ぼうぎょは下がらない。

 

「そんなに警戒するなよ、堀北。と言うか、お前もコンビニに用事だったのか」

 

「ええ、少しね。必要なものを買いに来たの。そっちのあなたは……ヒキタニくん、だったかしら」

 

「ヒキガヤだ。俺の自己紹介聞いてただろ」

 

「あまりに陳腐な挨拶だったから頭に残らなかったわ。名前を間違えられたくなかったらもっと印象的な挨拶をすることね」

 

「ぐぬぬ……」

 

 ぼっち系女子、もとい堀北は正論でバッサリと俺を切り捨てた。名前を間違えられた側なのに、なんで怒られなきゃいけないの……。八幡病む……。

 

 何も言い返せない俺を放置して、綾小路と堀北は会話を続ける。二人の会話を盗み聞くと、どうやら堀北は友達を作るつもりがないらしい。やはりこいつは歴戦のぼっち、一人でも生きていけるだけの能力を持っているのだろう。当然、俺はその生き様を否定するつもりはないし、なんならカッコいいとさえ思う。

 

 それにしても、綾小路はさっきからボコボコに口撃されているようだが、怯まずに会話を振り続けている。ひょっとして堀北に気があるのだろうか。確かに顔は良いが、おっかないしやめといた方がいいと思うぞ。

 

 会話を続ける二人を置いて、俺は本来の目的を遂行する。飲料置き場を確認したが残念ながらMAXコーヒーは置いていなかった。けっ、しけた店だな。

 

 やることがなくなったので、何か面白いものはないかと店内を見渡すと、コンビニの隅に無料と書かれたワゴンが置かれていた。そこには、歯ブラシや絆創膏といった日用品が詰められていた。

 どうやら綾小路と堀北もこのワゴンに気付いたようで、こちらに近づき訝しげな表情を浮かべている。

 

「無料……?」

 

「ポイントを使いすぎた人への救済措置、かしら。随分と生徒に甘い学校なのね」

 

 堀北の言うように随分甘いなと俺も思う。それはもうMAXコーヒーくらい甘い。こんな救済措置があっては、支給されたポイントを散財しても困ることなく生活ができてしまう。ポイント遣いの荒い生徒は、ここを卒業して元の生活に戻ったとき苦労しそうだ。

 

「っせえな、ちょっと待てよ!今探してんだよ!」

 

 突如、レジの方から怒鳴り声が響いてきた。

 

「だったら早くしてくれよ。後ろがつかえてるんだから」

 

「あ?なんか文句あんのかオラ!」

 

 典型的なヤンキーのセリフだなと思い声のする方を覗くと、案の定というかなんというかクラスメイトの赤髪ヤンキーが別の男子生徒と睨み合っていた。どうやら会計で手間取っているらしく、ヤンキーの手にはカップ麺が握りしめられている。

 

 すると何を思ったか、綾小路がヤンキーに声をかけに行った。オイオイオイ、死ぬわアイツ。あ?なんだお前?とか言われてるし。

 しかし、綾小路が手助けにきたと分かるとヤンキーは少し落ち着きを取り戻し、学生証を忘れたことを説明した。そんなヤンキーに対して綾小路は支払いを立て替えると申し出た。とんだお人好しだな、絶対帰ってこないぞそれ。

 

 そんなやり取りを俺は少し離れたところで、堀北と共に見守っていた。

 

「綾小路って変わった奴だな」

 

「そうね。手助けするのもそうだし、彼の風貌に恐怖している様子もない」

 

 確かに、言われてみればそうだな。普通ならビビって知らぬ存ぜぬでやり過ごすだろう。現に、俺なんて見てるだけなのに顔が引きつって冷や汗をかいている。女子の前なので平静を装っているが、恐らく堀北には気づかれてるだろう。なんかコイツ勘鋭そうだし。

 

 そんな綾小路はというと、まだヤンキーと話を続けているようだ。用事も済んだし、ヤンキーと友達になるつもりもないので俺は先にお暇するか。ちなみにヤンキーの名前は須藤というらしい。

 

「じゃあ俺は先に帰るわ。綾小路にはブツはなかったと伝えといてくれ」

 

「嫌よ。あなたの頼みごとを聞く義理も筋合いもないわ」

 

「……さいですか」

 

 堀北はこちらに視線もよこさずに、俺の頼みをにべもしゃしゃりもなく断った。ホント冷たい奴だな。お前なら液体窒素といい勝負できるよ。

 

「さよなら、ビビリガヤくん」

 

 去り際に堀北からそんな別れの挨拶を頂戴した。やっぱりバレてんじゃねーか。

 

 

 

 その後、いくつかのコンビニやスーパーを見て回ったが、MAXコーヒーを見つけることはできず、寮に帰り悲しみの涙で枕を濡らすこととなった。決して堀北にいじめられた悔しさの涙ではない。

 

 



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誰にだって櫛田桔梗は優しい。

話全然進まなくて草


 春眠暁を覚えず。

 春はぐっすり眠れるものだから、夜が明けたのに気づかず寝坊してしまうという意味。

 

 ……つまりそういうことだ。

 

 昨日は入学式ということで気を張っていたせいか、ベッドに横たわると疲れがどっと押し寄せてそのまま爆睡してしまった。アラームのセットも忘れていたので時間ギリギリに起床。急いで身支度を済ませ、朝食を省略することでなんとか遅刻を免れることができた。入学早々何やってんだか。

 

 

 

 学校二日目、授業初日ということもあって、大半は勉強方針の説明だけだった。進学校の先生というのは、厳格で毅然とした人物が多いという印象だったが、この学校では明るくフレンドリーな人が多いようだった。そのせいか、ヤンキーである須藤はほとんどの授業で眠りこけている。その胆力を俺にも少し分けてほしい。

 

 そんな須藤に対して教師は注意することなく、淡々と授業を続けていた。監視カメラまで付けているので厳しく罰するものだと思っていたのだが、拍子抜けだ。いや、逆にカメラで記録しているからこそ注意する必要がなく、こっそり点数を引かれているのかもしれない。

 

 

 

 そんなこんなであっという間に昼休みを迎える。多くの生徒は連れたって学食に向かうようで、食堂は混雑することが予想される。俺は一人黙々ともぐもぐしたいタイプなので、静かで落ち着けるような場所を探すことにした。

 

 近くのコンビニで適当にパンを買った後、すぐさま探索を始める。まず向かうのは誰しもが一度は行ってみたいと思うであろう屋上だ。俺みたいなぼっちにとっても憧れの場所である。ただ、事故や事件を防ぐために屋上への扉は施錠されていることが多いので、あまり期待はできない。

 

 ところがいざ着いてみると、昨今の学校では珍しく屋上は解放されていた。扉を開け外に出ると、まだ四月ともあって少し肌寒い外気を全身に浴びる。屋上を見渡すと、しっかりとした柵が備え付けられているだけではなく、監視カメラも設置されていた。こうして安全が保障されているからこそ、利用できるようになっているのだろう。俺以外には誰も居ないようだし、ここをマイベストプレイスとするか。

 

 適当な場所に腰を下ろすと、早速買ってきたパンを袋から取り出し口に運んでいく。風は少し冷たく、日差しは暖かい春特有の陽気が実に心地いい。近くに見える桜並木を観賞しながら、ただひたすら無心で食す。

 あー、いいな。老後はこんなふうに縁側で自然を眺めながらお茶でも飲んで一日を過ごしたい。なんなら今からでもそうしたい。

 

 そうやって一人呆けていると、スピーカーから校内放送が流れてきた。

 

「本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日──」

 

 部活の案内か。高校でいきなり部活に参加するのは、中学で何もしてこなかった奴にとってかなりハードルが高い。説明会では初心者歓迎! 未経験でもOK! と言って勧誘するだろうが、いざ入ると周りは経験者だらけで置いてけぼりにされるし、先輩からは扱かれるに違いない。大人しく帰宅部で帰宅タイムアタックに勤しむことにしよう。

 

 

 

 昼食を食べ終えて教室に戻ると、何人かの生徒は1人で昼休みを過ごしているようだった。これだけソロプレイヤーが居れば、俺のぼっち具合も目立たないかもしれない。木を隠すなら森の中、ぼっちを隠すならぼっちの中。間違っても人混みの中に隠してはいけない。なぜなら逆に浮いてしまうからだ。

 

「なあ比企谷」

 

「お、おう? どうした?」

 

 席に着くと後ろの席から声をかけられた。なんだよ綾小路、話しかけてくるなら先に言えよ。ちょっとどもっちまったじゃねーか。

 

「比企谷は部活には入らないのか?」

 

「今のところ入るつもりはないな」

 

「そうか、確かに帰宅部っぽいもんな」

 

 え、何? disってんの? 帰宅部っぽいって要は運動が得意なわけでもないし熱中できる何かもない、面白みのない奴って言ってるのと同じだからな? ……当たってるから何も言い返せねえわ。

 そういう綾小路は部活に興味あるのだろうか。ちょっと気になるので聞いてみることにする。

 

「お前は午後の説明会には参加するのか?」

 

「ああ、堀北と見に行くつもりだ」

 

「へー、意外だな。堀北も部活には興味ないと思ってた」

 

 俺と同じで部活みたいな集団行動を原則とするものに向いてなさそうだが。それに綾小路に付き添って行くのも驚きだ。

 隣で本を読んでいた堀北は聞き捨てならないのか、不機嫌そうな様子で口を挟んできた。

 

「勘違いしないで、私は部活動に入るつもりはないわ。ただ友達を作れず、右往左往する綾小路君を見に行くだけよ」

 

「悪趣味すぎるだろ……」

 

 人の不幸を食べて生きてんのかコイツは。妖怪か何かかよ。それともバッドエナジーでも集めて世界をバッドエンドに染めようとでもしてるのか。そうだったとしたら俺のプリキュア魂が許さないんだが? というか自分の印象を悪くしてまで訂正する必要あった? 

 言いたいことはもう無いようで、堀北は再び本を開いて話しかけるなオーラを出している。これ以上絡むと罵倒されそうなので綾小路との話に戻る。

 

「で、綾小路はどの部活に入るつもりなんだ?」

 

「まだ考えてないが多分入らない」

 

「いや、入らないのかよ。冷やかしにでも行く気か」

 

 そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、会話は強制終了する。

 話が噛み合っているかは置いておいて、昨日に引き続き同年代の人間と難なく話せている気がする。もしかして俺ってコミュ障ではないのでは? 

 なんだかちょっと嬉しくなるそんな昼下がりだった。

 

 

 ***

 

 

 入学式から早くも二週間、俺の学園生活は何事もなく平和に過ぎていった。

 そう、何事もなくだ。友達ができるわけでもなく、ましてや恋人などできるはずもなく。淡々と授業を受け、学校が終われば真っ直ぐ家に帰りダラダラ過ごすだけ。おかげで家から持ってきていた本は粗方読み終えてしまった。社会人になってもこんな感じで惰性に生きていくと思うと軽く戦慄する。惰性で生きるなら、せめて専業主夫になって働かずに日々を貪りたい。

 

 ときに、この学校は進路をほぼ100%叶えてくれるそうだが、俺が専業主夫を希望したらどんな対応をしてくれるのだろう。理想の結婚相手でも見繕ってくれるのだろうか。……とんでもなく倫理的に問題がありそうだが。

 

「おはよう」

 

「うっす」

 

 休日明けの朝、そんな馬鹿げたことを考えていると綾小路から定型文的挨拶が飛んできた。綾小路とは遊びに行くことはないが、こうして挨拶を交わしたり、時折他愛のない話をする。これはもう友達と言っていいかもしれない。俺たち友達だよな? なんて聞いてしまうと、微妙な反応を返されて死にたくなること必至なので自粛しておく。

 

 そもそも友達の定義って何なんだろうな。いつから朝でどこから友達なの? 

 

 そんな俺とは対照的に、綾小路はクラスのお調子者である池や山内、それに須藤と親しくしているようだ。部活の説明会の時に仲良くなったらしい。マラソンでスタート時は一緒にゴールしようと言って並んで走ってたのに、終盤置いてかれた時のような裏切られた気分だ。

 このままじゃ俺メンヘラになっちゃうよ、他の男の人と仲良くしないでって言ったよね!? 

 

 ちなみに堀北ともたまに話をするが大抵罵倒されるだけで終わる。世の中には罵られて快感を得る特殊な性癖を持った者もいるようだが、あいにく俺はいたって正常なのでただただ傷ついている。痛罵されると分かっていながら堀北に話しかけている綾小路は、もしかしたらそんな変態さんなのかもしれない。

 

 そういえば、この二週間で一つ変わった出来事があった。それは、季節外れの水泳の授業があったことだ。空調が完備された屋内プールがあるからこそ出来ることだとは思うが、わざわざ時季をずらす必要があったのだろうか。それに、体育教師が泳げるようになれば必ず役に立つと念入りに言っていたのも少し気になる。

 他の生徒は特に気にしていない、というかそれどころではなかったようだ。特に、野郎どもは授業が男女混合だったおかげで、それはもうテンションの上がり具合が半端じゃなく、女子の水着姿をガン見しまくってドン引きされていた。見学者が異様に多かったのは、そうなることを察した生徒が多かったからかもしれない。

 俺はというと気恥ずかしかったのでガン見はせず、さりげなくバレないようにチラ見していた。しかし、呆気なく堀北に見破られ、余計に気持ち悪いし不愉快だわと罵詈雑言を浴びせられ、危うく通報されるところだった。別にお前の貧相な身体なんてみてねーよと反論したが、見事に地雷を踏んだようでプールに蹴飛ばされた。その日はそんな踏んだり蹴られたりの一日だった。

 

 

 

 そして、今日という一日も呆気なく終わり迎えた放課後。いつもは帰宅部らしく一直線に寮へと帰るが、今日は本を借りるため図書館に寄って行くことにする。この学校の図書館は馬鹿みたいに大きく、小説や専門書、論文雑誌など様々な蔵書が豊富に揃えられている。読書好きなら何日でも入り浸っていられる場所だ。

 

 図書館に着いた俺は広い館内を一通り見て回った後、小説コーナーを物色する。最近は純文学ばっかり読んでたし、そろそろミステリーにでも手を出すか。まずは国内の有名作家から読もうと思い、絢辻行人の『十角館の殺人』と東野圭吾の『放課後』を手に取る。それと新しめの作品も気になるので、今村昌弘の『屍人荘の殺人』も借りることにする。どれもそれぞれの作家のデビュー作であり、『屍人荘の殺人』なんかは最近映画にもなっていた。

 この三冊を手に受付へと向かう。本を借りるにも学生証が必要で、誰がいつ貸出したかが管理されているらしい。貸出期間も決まっており、期間を過ぎると延滞料金が発生し、ポイントが引かれる仕組みとなっている。

 

 受付で簡単な処理を済ませると、他に用事もないのでさっさと帰ることにする。

 帰りにスーパーに寄って買い物でもするか。この二週間で分かったことだが、コンビニだけでなくスーパーにも無料で提供されている食品があり、学食には無料の山菜定食がメニューにあった。専業主夫を目指すなら節約スキルと料理スキルは必須なので、これらを活用して修行することにしよう。

 

 

 

「比企谷くん……だよね?」

 

 図書館を出ると突然声をかけられた。顔を向けるとそこにはクラスメイトである櫛田が立っていた。人気者である彼女が一体俺に何の用だろうか。

 

「櫛田か、どうかしたか?」

 

「あのね、比企谷くんと前々からお話してみたかったんだ。でも、比企谷くんすぐに帰っちゃうからなかなか機会がなくて……」

 

 なるほど、それでたまたま図書館に寄る俺を見つけて声をかけたという訳か。確かに、櫛田は初日の自己紹介でも言っていた通り、クラスメイト全員と仲良くなろうとしているようだ。実際、ほとんどのクラスメイトは櫛田と友達になっている。だが、俺が櫛田と友達になれるとは到底思えないので適当に相槌を打っておく。

 

「そうか、なんか悪いな」

 

「ううん、全然大丈夫だよ。それより、比企谷くんって自己紹介でも言ってたけど読書が好きなんだね。今度、おすすめの本とか教えてもらってもいいかな?」

 

「あ、ああ。別に大丈夫だが」

 

 ふむ、コミュ力の高い奴ってのは相手の趣味や好きな話題を振って会話を広げるんだな。非常に勉強になります。学んだことを生かせるかは分かりません。

 

「ありがとう! じゃあ、連絡先交換しよ?」

 

「……いくらだ?」

 

 

 

「……え?」

 

 ん? こんなに近くで話してるのに聞こえなかっただろうか。

 

「いくらポイント払えばいいんだ?」

 

「え!? ポイントなんていらないよ!?」

 

 そんな馬鹿な。女子高生の連絡先なんてタダで手に入るわけねーよ。こうして話してるだけで金を請求されてもおかしくない。なんならこっちからチップを渡すまである。

 

「何かを得るためには対価が必要だろ。等価交換の原則だ」

 

「お互いの連絡先交換するんだから等価交換じゃない?」

 

「櫛田と俺の連絡先が等価なわけないだろ。それともポイントじゃダメか? 右腕だけは勘弁してくれ」

 

 人体錬成もしていないのに体の一部を失いたくはない。

 

「そんなこと言ってないし、卑屈すぎだよ!? ……ふふっ、比企谷くんってなんだか面白いね」

 

「俺の顔ってそんなに面白いか?」

 

「だからそんなこと言ってないし、卑屈すぎだよ!?」

 

 櫛田はテンポよく的確なツッコミをしてくる。お前、漫才師の才能あるよ。

 

「もしかして私と連絡先交換するの嫌……かな?」

 

 櫛田はそう言ってグイっと近づき、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。強制的に目を合わせられると改めて櫛田の可愛さに気付かされる。

 

 ……って近い近い近い近いっ! それ以上俺に近づくな! さもなくば告白するぞ! 

 

「分かった分かった! 交換するから離れてくれ」

 

「うん、ありがと!」

 

 櫛田は俺から携帯を受け取ると、慣れた手つきで連絡先を入力する。いや速くね? 指の残像が見えるんだが。ものの数秒で操作が終わり、携帯が俺の手に戻ってくる。

 

「いつでも連絡してね!」

 

「お、おう」

 

「じゃあまたね、比企谷くん!」

 

「お、おう」

 

 botのように同じ言葉しか返せなかった。アレクサ以下かよ俺は。

 バイバイ! と満面の笑みで手を振ってきたので、こっちもさよならbyebye元気でいてねと軽く手を振り返す。

 

 いやーあざとい。あざといけど嫌みがないところが櫛田の強みだな。これがただのぶりっ子的あざとさなら女子からの人気は出ないだろう。

 そんな櫛田でもぼっちの女王である堀北は落とせないようで、頻繁に遊びやご飯に誘っているがけんもほろろに突き放されている。ただ、その様子には少し違和感を覚える。櫛田ほどの気遣いができる人間ならば、相手の考えを尊重し距離を置くのが妥当だと思われるが、堀北に対しては執拗に誘いをかけており我を通しているように感じる。

 

 ……まあ考えすぎか。

 

 

 

 櫛田と別れた後、再度携帯を確認する。そこにはちゃんと櫛田桔梗の番号とアドレスが登録されていた。高校生になって初めて手に入れた連絡先はクラスメイトの女子だった。

 

 

 

 ──しかし、俺は決して浮かれない。櫛田は優しい女の子だ。俺に優しい人間は他の人にも優しいことを忘れてはならない。それを勘違いして舞い上がってしまえば、中学時代の俺のように苦い思いをすることになる。訓練されたぼっちは同じ轍を踏まない。

 そう自分に言い聞かせ、寮へと続く帰り道を一人歩いていった。

 

 

 ***

 

 

 さらに一週間が過ぎ、今は3時間目の社会が始まったところ。担任の茶柱先生が教壇に立っても教室は喧騒に包まれたままだ。特に、池と山内は大声で談笑し、須藤は遅刻して2時間目の途中に登校してきた挙句、いびきをかいて爆睡している。陰では3人合わせて3バカトリオなんて呼ばれている。教師が全く注意しないおかげでこうなってしまったが、さすがに騒ぎすぎだ。こいつら内申点とか知らんのか。

 

「静かにしろ―。今日はちょっとだけ真面目に授業を受けて貰うぞ。小テストを行うことになったから後ろに回してくれ」

 

「えぇ~聞いてないよ~。ずる~い」

 

 いわゆる抜き打ちテストというやつで、そんな不満が各所から漏れ出る。

 

「そう言うな。今回のテストはあくまでも今後の参考用だ。成績表には反映されることはない」

 

 成績表に反映されないとはいえ真面目に受けるに越したことはないだろう。

 小テストは1教科4問、全5教科20問で、各5点配当の100点満点。殆どの問題が中学で勉強したような極めて簡単な問題だったが、最後の3問くらいは途轍もなく難しかった。文系特化の俺にとって、数学の問題なんかは古文書が書かれてるのかと思ったほどだ。もはや数学なのか国語なのかはたまた歴史なのか分からないレベル。一体このテストが何の参考になるのか、皆目見当もつかない。

 

 俺は問題を解くのを諦め、テストが終わるまで窓外から覗く巻雲連なる春の空をボーっと眺めていた。

 

 

 

 放課後、俺は読み終わった本を返すために図書館へ向かう。ミステリーに馴染みはなかったが、どれも読みやすく面白い作品だった。作品それぞれに特色があり、『十角館の殺人』なんかは特にフーダニット(誰が犯人か)に重きが置かれていたし、『放課後』と『屍人荘の殺人』はフーダニットに加えてハウダニット(どのように犯行を成し遂げたか)とホワイダニット(なぜ犯行に至ったか)がバランスよく組み込まれていた。同じジャンルでも幅広い魅せ方があってミステリーは奥深い。

 

 図書館に着いた俺はまず、新しく借りる本を探すことにした。今日は海外ミステリーでも借りてみるか。『十角館の殺人』を読むと海外作家に興味が湧くんだよな。

 先週借りた本の返却は貸出と同時に済ませればいい。それなら受付でのやり取りが1度で終わり、人との会話を最小限に抑えることができる。ぼっちはいつだって効率優先至上主義。人間関係においても効率を重視する。そして自分のコスパの悪さを理解しているからこそぼっちとなるのだ。

 

 この図書館では有名な海外作品は網羅されているようで、お目当ての本をすぐに見つけることができた。ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』、エラリイ・クイーンの『Xの悲劇』、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』を本棚から抜き取って受付へと持っていき、手続きを済ませる。

 

 放課後の図書館はそれなりに席が埋まっており、生徒たちは読書や勉強に励んでいる。友人と勉強している生徒たちのコソコソ話が少し聞こえるが、森閑とした落ち着きのある空間だ。いつもはすぐに寮に帰るが、たまには図書館で読むのもいいか。受付近くに孤立した丁度良い席を見つけたのでそこに腰かけた。

 ぼっちって意外とカフェとか人の居る場所で読書するの好きなんだよな。孤独感が際立つ中、読書に耽ってる俺カッコよくね? みたいな。だがスタバでMacを開いてる奴、てめーはダメだ。ああいう意識高い系を見ると俺の意識が天まで高い高いして他界する。

 

 

 

「すみません、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』は貸出中でしょうか?」

 

「少々お待ちください。……あー、ついさっき貸出されたみたいですね」

 

『僧正殺人事件』を読み始めてしばらく経った頃、受付の方からそんな会話が微かに聞こえてきた。どうやら俺が借りた本を読みたがっている生徒がいるらしい。本棚が遮蔽になって姿は見えないが、声からしておそらく女子生徒のようだ。海外ミステリーを嗜む女子とはなかなかに珍しい。

 

「そうですか……。ありがとうございます」

 

 貸出されているならどうしようもない、女子生徒はすぐに諦めて去っていったようだ。

 別に悪いことをしたわけじゃないが、俺が借りなければ彼女は好きな本を読むことができたと考えるとなんだか申し訳なくなる。3冊も借りたことだし1冊くらい返しても時間は潰せるか。そう思い、俺は『オリエント急行殺人事件』を読まないまま即日返却することにした。彼女に直接渡した方が効率は良いが、姿を見てないので探すのも困難だし、何より気持ち悪がられる可能性があるのでやめておく。

 

 その後、1時間ほど読書を続けてから、予定通り返却手続きを済ませて図書館を後にした。

 



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思わず茶柱佐枝は高らかに笑う。

突然の再開





 光陰矢の如しとはよく言ったもので、月日は矢のような速度で瞬く間に流れてゆく。大人になればなるほどこの流れは勢いを増し、矢どころではなく銃弾の如き速さに達するらしい。

 

 早くも月が変わって五月。空はどんよりと曇っていて今にも雨が降り出しそうだった。五月雨という言葉が浮かんだが、あれは陰暦の五月に降る雨、つまり梅雨のことを意味しており今降り出しそうな雨を表現するのに適していない。

 

 そんな空模様と同じように、1年Dクラスの教室内はどんよりとした空気が漂っていた。

 それもそのはず、Dクラスの生徒は毎月1日に支給されるはずのポイントが全く振り込まれていなかったのだ。次は何を買おうかと楽しみにしていた生徒たちは戸惑いを隠せないでいる。

 

 始業チャイムが鳴ると、ポスターの筒を持った茶柱先生が教室へとやって来た。その顔はいつもより数段険しい。

 

「席に着け。朝のホームルームを始める」

 

「せんせー、ポイントが振り込まれてないんスけど。毎月1日に振り込まれるんじゃなかったんですか」

 

 クラスの意見を代表するように山内が質問を投げかけた。

 お前に代表されると何かムカつくな。

 

「いや、今月分は既に振り込まれている。このクラスだけ忘れられたなどという可能性もない」

 

 学校側で手違いが生じた可能性を考えている者もいたが、それも否定された。

 

「でも実際、振り込まれてないし」

 

「……本当に愚かだな、お前たちは」

 

 納得のいっていない生徒たちに対し、茶柱先生は厳しく言い放った。怒気のこもった声音とは裏腹に、表情には微かに笑みを浮かべておりその感情は読み取ることができない。

 異様な雰囲気に圧されて生徒たちが押し黙るなか、先生は言葉を続ける。

 

「遅刻欠席合わせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数391回。ひと月で随分やらかしたものだ」

 

 ヤバすぎワロタ。学級崩壊寸前と言っても過言ではない。俺が教師なら拗ねて職員室に帰ってるレベル。

 

「この学校では、クラスの評価がポイントに反映される。その結果、お前たちは振り込まれるはずだった10万ポイント全てを吐き出した。それだけのことだ」

 

 ……笑ってる場合じゃなかった。得られるポイントは個人の評価ではなくあくまでクラス全体の評価らしい。いくら自分が真面目に過ごしていようと、誰かが評価を下げれば巻き添えを食い得られるポイントが減ってしまう。

 

「なんだよそれ……。聞いてねえって……」

 

「ただの高校生に過ぎないお前たちが、何の制約もなく毎月10万も使わせてもらえると本気で思っていたのか? 有り得ないだろ、常識で考えて。なぜ、疑問を疑問のまま放置しておく?」

 

 至る所にある監視カメラ、全く咎めない教師たち、無料で提供される食材や学食。いきなり10万円を渡されたことだけではなく、不可解な点はいくつもあった。それを見過ごして散財し、あまつさえ授業態度を改めなかったのだから完全なる自己責任だ。

 といっても真面目に授業を受けていた者にはなんの非もなく、ただただ可哀想である。特に俺とか俺とか俺とか。せんせー、連帯責任なんて悪しき風習は現代社会にそぐわないっすよー。

 まあ、節約していたおかげでポイントには余裕はあるんだが。専業主夫目指しといてよかった……。

 

「では、せめてポイント増減の詳細を教えてください……。今後の参考にしますので」

 

 そう発言したのはクラスのリーダー的存在である平田。クラスのため、この最悪の状況を打破すべく立ち上がった。

 

「それはできない相談だな。人事考課、つまり詳細な査定の内容はこの学校の決まりで教えられないことになっている。しかし、そうだな……。あまりに悲惨な状況だ、一ついいことを教えてやろう。仮に今月マイナスを0に抑えたとしても、ポイントは減らないが増えることもない。裏を返せば、どれだけ遅刻や欠席をしても関係ない話、ということだ」

 

「っ……」

 

 平田の顔がより一層暗くなる。今の説明では遅刻や私語を改めようという意識が削がれ、士気を高めることも難しくなる。

 

「さて、そろそろ本題に入ろう」

 

 茶柱先生は手にしていた筒から厚手の紙を取り出し、黒板に張り付けた。そこには1学年クラスポイント一覧と書かれており、Aクラスが940、Bクラスが650、Cクラスが490、そしてDクラスが0と並んでいた。

 

「これは、現在各クラスが保有するクラスポイントだ。1ポイントごとにクラスの生徒全員に100プライベートポイントが支給される」

 

 クラスポイントとプライベートポイントの2種類があるのか。それにしてもAからDまで奇麗な右肩下がりにポイントが並んでるな。

 

「何故……ここまでクラスのポイントに差があるのですか」

 

 平田も各クラスのポイントに対して同じ印象を抱いたようだ。

 

「この学校では、優秀な生徒たちの順にクラス分けされるようになっている。つまり、Dクラスであるお前たちは最悪の不良品ということだ。実に不良品らしい結果だな」

 

 なるほど、進学校らしく成績に応じてクラスが分けられたのか。試験は結構良い点取れたと思ったんだがな。やはり、この目のせいで面接での印象が悪かったのだろうか。もはや呪われた装備である。

 

「あの、ポイントが増える機会はあるんですか?」

 

 今度は櫛田が恐る恐る質問を投げかける。

 

「あるぞ。直近で言えば次の中間テスト、成績次第では最大100のクラスポイントが加算される。結果としてDクラスがCクラス以上のポイントを得れば、お前たちはCに昇格、CクラスはDに降格する」

 

 一番近いCクラスでさえ約500ポイントの差があるのに、得られる最大ポイントはたったの100ポイント。当然、ほかのクラスも同条件でポイントを獲得すると考えると、追いつき追い越すのはかなり難しそうだ。

 

「だが、これが前回の小テストの結果だ。中学で一体何を勉強してきたんだ? お前らは」

 

 茶柱先生はそう言って小テストの結果が記載された紙を黒板に貼りだした。殆どの生徒が60点前後しか取れておらず、須藤に至っては14点というぶっちぎりの最低点を叩き出していた。

 いや、マジでどうやってこの学校受かったの? もしかして“やった”? 裏口という名の裏技使っちゃった? 

 逆に、高得点を取っていたのはメガネ男子の幸村、高円寺、堀北、平田といった面々で、その次に80点の俺が並んでいる。俺が上位に食い込めるほどテストが簡単かつクラスの平均水準が低いということだ。

 

「良かったな、これが本番だったら7人は入学早々退学になっていたところだ」

 

「た、退学? どういうことですか?」

 

「なんだ、説明してなかったか? この学校では中間テスト、期末テストで1教科でも赤点を取ったら退学になることが決まっている。今回のテストで言えば、32点未満の生徒が対象になる」

 

「は、はあああああああ!?」

 

 ……マジ? 

 さすがにそれはもっと前に説明すべきだろ……退学なんてことになったらせっかく送り出してくれた小町や平塚先生に顔向けできねーよ。

 

 いや、待て。退学というワードが衝撃的過ぎて聞き流すとこだったが、赤点が32点って何でそんなに中途半端なんだ? 普通40点未満とかじゃないのか? それに今回のテストで言えば、ってことは毎回赤点の基準が変わるのか? 

 

 教室がざわつく中、俺は黒板に貼りだされたテスト結果を改めて見直す。ざっと眺めるとクラスの平均点は60点ほど。携帯の電卓機能で正確に求めると、その数値は64.4点だった。

 

 ……なるほど、おそらく赤点の基準はクラスの平均点÷2未満で、小数点以下は切り捨てか四捨五入のどちらか。学年全体の平均点を基準にしている可能性も考えたが、Cクラス以上はもっと高い点数を取っているはずなのでそれはないだろう。

 

「それからもう一つ。この学校は高い進学率、就職率を誇っているが、それは優秀な生徒に限っての話だ。つまり、この学校に将来の夢を叶えて貰いたければ、Aクラスに上がるしか方法はない」

 

「聞いてないですよそんな話! 滅茶苦茶だ!」

 

 おいおい今度は虚偽誇大広告かよ。政府主導だからって何でもありだなこの学校は。幸村が怒るのも無理はない。

 

「みっともないねぇ。男が慌てふためく姿ほど惨めなモノは無い」

 

 そんな幸村を見て、高円寺はこれ見よがしにため息を漏らした。

 

「……Dクラスだったことに不服はないのかよ。高円寺」

 

「不服? 学校側は私のポテンシャルを計れなかっただけのこと。勝手にD判定を下そうとも、私にとっては何の意味もなさないと言うことだよ」

 

 さすがは高円寺。自尊心の高さでこいつに敵う奴はいない。実際、今回の小テストの結果や水泳の授業を見るに高円寺のポテンシャルは学力、身体能力共に高く、おそらく学年でトップを争うほどだ。ただ、その長所で補っても足りないほど性格に難があるが。

 

「それに私は高円寺コンツェルンの跡を継ぐことが決まっているのでね。DでもAでも些細なことなのだよ」

 

 どうやら高円寺コンツェルンは世襲制らしく、就職の心配はないようだ。……高円寺の下で働くとか絶対嫌だな。ストレスで胃が蜂の巣みたいになりそうだ。どうでもいいけど美味しいよね、ハチノス。

 高円寺の規格外な考えに理解が及ばなかったのか、幸村は反撃の言葉を失い、腰を下ろすしかなかった。

 

「浮かれていた気分は払拭されたようだな。中間テストまでは後3週間、まぁじっくりと熟考し、退学を回避してくれ。お前らが赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信している。出来ることなら、実力者に相応しい振る舞いをもって挑んでくれ」

 

 ……『赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信してる』? また含みのある言い方だな。赤点を回避する方法なんて勉強する以外にないんじゃないか? 小テストの結果を見るにそれも厳しそうだし、確信してるなんて言えないはずだが。

 

 茶柱先生はそんな意味深な言葉を残し、教室から去っていった。

 Sシステムの真実を理解させられた生徒たちは意気消沈し、特に退学の危機に瀕している赤点組はがっくりとうな垂れている。

 

 どうやら俺はとんでもない学校に来てしまったようだ。

 

 

 ***

 

 

 5月に入って1週間が経過した。4月とは打って変わって私語をする生徒は居なくなり、誰もが授業を真剣に聞いている。……ただし、須藤を除く。

 これ以上マイナス査定を受けないため、そしてこれからポイントを増やしていくため、平田が率先して協力を呼び掛けていたが須藤には響かなかったようだ。今日も今日とて堂々と居眠りしている。禁止されてる中で貪る惰眠はさぞ気持ちいいだろうな。

 

 この1週間、俺は帰ってからも勉強しつつ、赤点を取らずに乗り切れる方法について思案していた。Aクラスのみが受けられる恩恵にはさほど興味ないが、退学だけは何としても避けたいからだ。

 そうしてなんとか2つほど考えを絞り出すことには成功したが、どちらも問題点だらけの愚策としか言いようがないものだった。実際にはそんな方法など存在せず、茶柱先生の意味ありげな発言もただの気まぐれだったのかもしれない。

 

 

 

「いてっ」

 

「聞いているのかしら、比企谷くん」

 

 授業が終わって昼休み、突然堀北に肩を殴られた。

 何? いきなり肩パンしてくるとかお前陽キャか? ウェ──イwwヒキタニくん何読んでんのーwwとか言い出すんじゃないだろうな? 嫌な思い出が蘇ってくるから止めてほしいんだが? 

 

「あなたと綾小路くん、お昼一緒に食べないか誘っているのだけれど」

 

 堀北が飯の誘い? どう考えても怪しすぎる。そもそも話しかけてくること自体滅多にないのに。

 

「堀北からの誘いなんて珍しいな。なんだか怖いぞ」

 

 綾小路も何かを感じ取ったのか警戒している。

 

「別に怖くないわよ。なんなら好きなもの奢ってあげるわ」

 

 余計に怪しい、というか確実に罠だ。破壊輪とか激流葬みたいなトラップカードをセットしたに違いない。

 

「やっぱ怖いな。何か裏があるんじゃないだろうな?」

 

「人の好意を素直に受け取れなくなったら人間お終いよ?」

 

「まあ、そりゃそうだけど……」

 

 綾小路は意志が弱いのか懐柔されそうになっている。ここは綾小路を生贄にして逃げさせてもらおう。

 

「生憎俺は養われる気はあるが、施しを受ける気はないんで遠慮させてもらう。それにもう昼飯はコンビニで買ってきてるからな」

 

「養われるつもりがある時点で男としてどうなのかしら……」

 

 ……それってえ!! 男性蔑視ですよねえええ!? 

 あんまり下手なこと言うとマスキュリスト八幡が黙っちゃいないぞ。

 

「まあ、いいわ。その気味の悪い人は放っておいて行きましょう、綾小路くん」

 

 気味の悪い人(俺)の相手をするのが面倒になったのか、堀北は綾小路を連れてさっさと食堂に向かっていった。本当に一言多いわねあの子は。どんな教育を受けてきたのかしら。

 ……まあ助かったからいいか。

 

 綾小路という尊い犠牲を出しながらもなんとか窮地を脱した俺は、いつものように屋上で穏やかな昼時間を過ごすのだった。

 その後、教室に戻って目に入った綾小路の顔が絶望の色に染まっていたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 放課後、俺はこれまでの茶柱先生の意味深な発言がどうしても気に掛かり、その真意を確かめるべく職員室に向かった。

 

「失礼しまーす」

 

 一応小声で挨拶を入れてからそっと扉を開けた。中に入るとコーヒーの匂いで充満した職員室独特の香りが鼻腔を刺激する。昔はこの匂いが好きではなかったが、中学時代、平塚先生に呼び出されまくったおかげですっかり何とも思わなくなってしまった。慣れって怖いね。

 懐かしさに浸りつつ職員室内を見回すと、何人かの教師が机の前で仕事をしており、その中に目的の人物である茶柱先生の姿を発見した。

 

「茶柱先生」

 

「ん? 比企谷か。わざわざ職員室まで来てどうした?」

 

「先生にちょっとお願いがありまして」

 

 “お願い”という言い方を怪訝に思ったのか茶柱先生は眉間に少し皴を寄せたが、ちょっと待ってろと言い、処理していた書類を一旦片付けると俺に向き直った。

 

「で、そのお願いというのはなんだ?」

 

 俺はポケットから学生証を取り出しつつ、思いついた愚策のうちの一つを単刀直入にぶつけた。

 

「中間テストの答案用紙、売ってくれませんか」

 

「…………」

 

 茶柱先生は目を丸くして数瞬硬直した後、高らかに笑い出した。

 

「ははははは! 突然何を言い出すかと思えばテストの答案用紙を売ってくれ? 面白いことを言うな、お前は」

 

「だって先生入学式の日に言ってたじゃないですか。この学校の中でポイントで買えないものはないって。テストの答案用紙だってこの学校の中の物ですよ」

 

 自分でもわかっている。これは相手の言葉尻を捕らえただけの屁理屈に過ぎないと。普通の学校であれば、答案用紙の売買など全国ニュースになるレベルの大問題だ。

 

「なるほどなるほど。確かに、考え方によってはそう捉えることもできる。そして、愉快なことを言うお前に応えてやりたい気持ちもある」

 

 しかし、この学校は普通とはかけ離れていた。

 

「そうだな……今回のテストなら、特別に1教科200万プライベートポイントで売ってやってもいい」

 

「…………」

 

 今度は俺が目を丸くする番だった。先生の真意を探るためのジャブのつもりだったんだが、まさか本当に売ってくれるとは。

 それにしても1教科200万プライベートポイントか……。一人では到底賄えるような数字ではない。

 

「酷いですよ先生、そんなにポイント持ってるわけないじゃないですか」

 

「だろうな。だが、そう易々と売れるようなものでもない」

 

「……手持ちがないんで今回は諦めますけど、200万ポイントで売ってくれるっていうのは本当なんですよね?」

 

「ああ、本当だ。どうせ払えないだろうと吹っ掛けている訳ではない」

 

「……わかりました。答えてくれてありがとうございます」

 

 答案用紙を手に入れることは出来そうにないが、代わりに有益な情報を得ることが出来た。そんな先生に感謝感激雨霰。

 

「なに、気にするな。それにしても綾小路以外にもお前みたいな面白い奴がうちのクラスにいたとはな」

 

「綾小路……ですか? 確かに変わった奴ですけど」

 

 そういえば1週間前のあの日、先生に呼び出されてたが何かあったのだろうか。

 

「変わった奴どころではないさ。あいつは入試の5教科、それから今回の小テストすべて50点だった。それも正解率3%の問題を完璧に答えながらな」

 

 つまり、綾小路は高難度の問題を解く能力がありながら意図的に点数を抑えていたらしい。それもぴったり50点に。なんだよそれ、プラマイゼロにしちゃう宮永さん家の咲さんかよ。勉強って楽しいよね! とか言いながら人の心折ってそう。

 

「それが本当なら何でそんなことしたんですかね」

 

「さあな。本人に聞いても偶然だと言い張るだけだったさ。まあ変人同士仲良くしてやってくれ」

 

 可愛い教え子に向かって変人呼ばわりは酷くない? 愛情がないよ愛情が。教師がそんなんだから俺たち生徒は非行に走ったりぼっちになったりするんだよ。綾小路の点数調整も非行の一種なんじゃないか。

 

「はあ。綾小路がそんなことしたのも教師が原因かもしれないですね」

 

「は? どういう意味だ?」

 

「いえ、何でもないです。改めて今日はありがとうございました」

 

 用件も済んだし長居は無用。余計なことを言ってしまった俺は失礼しました、と軽く頭を下げてから逃げるように職員室から退散した。

 

 

 

 

 

 帰り道、俺は今日得られた情報を頭の中で整理していた。

 

 まず、プライベートポイントで答案用紙を購入できるということ。これは極めて重要な情報だ。そんなものまで購入できるのだから、ポイントで入手可能な対象は多岐にわたると考えられ、同時にプライベートポイントの価値が非常に高いことが窺える。

 しかも、俺と茶柱先生の会話が聞こえる範囲に数人の教師がいたが、誰もが真剣な表情で耳を傾けていた。仮に、答案用紙の売買が認められていなければ誰かが止めていただろうし、冗談だと捉えていたならば笑わずにはいられなかったはずだ。

 

 次に、答案用紙の価格が1教科200万プライベートポイントということ。これはどう考えても安すぎる。1クラス40人全員で出し合えば、1人当たりたった5万プライベートポイントで1教科満点を取れることになる。今月ほぼ満額のポイントを得たAクラスであれば、2、3教科分の答案用紙を購入できてしまう。Aクラスの学力なら普通に勉強しても高得点を取れるだろうから必要ないかもしれないが、この異常な安さには何か理由があるはずだ。

 

 最後に綾小路についてだが、はっきり言ってよくわからん。なぜ50点を狙って取ったのか聞きたくもあるが適当にはぐらかされるだけだろうし、本当に偶然だった可能性もなくはない。今のところは、恐ろしく頭がいい奴かもしれないとだけ覚えておくことにする。

 

 以上が今日の収穫だ。なかなかの豊作ではないだろうか。

 

 俺は今日の成果に満足しつつ、上機嫌で寮へと帰るのだった。

 







言い忘れてましたが、答案用紙を購入できるという原作にない設定を盛り込みました。


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それでも須藤健は勉強ができない。

 朝からなんだか肌がヒリヒリしていた。といっても乾燥肌というわけではなく誰かにビンタされたというわけでもない。

 原因はおそらく教室内、というか斜め後ろの方から発せられるピリピリとした空気のせいだろう。それを俺の敏感肌が捉えてしまい、脳をビリビリと刺激している。もう頭の中がオノマトペだらけ。

 

 その空気の発信源である堀北は、何があったかは知らないがとても不機嫌だった。綾小路が話しかけても反応はなく終始無言、無表情。綾小路はさながら“いないもの”のように扱われていた。

 

 あれ? いつの間にかanotherの世界に迷い込んだ? “いないもの”役なら俺の方が適任だし誰も死なさずに済む自信があるぞ。なんなら既になってるまである。

 

 

 

 そんな自虐的思考に浸っているとあっという間に放課後。今日丸1日ひと言も発さなかった空気汚染機こと堀北の声が聞こえてきた。

 

「勉強会に参加すべき人は集まったの?」

 

「……櫛田が集めてくれてる。今日から参加するんじゃないかな」

 

 無視され続けていたことを根に持っているようで、少し不満そうな声で綾小路がそう答えた。

 

 どうやら堀北は綾小路や櫛田と一緒に勉強会を開くつもりらしい。参加すべき人というのは例の3バカのことだろう。あいつらは平田主催の勉強会にも参加していないようだし、このままだと本気で退学しかねない。

 

「櫛田さんにはちゃんと伝えたの? 勉強会に参加はさせないって」

 

「伝えた」

 

 どういう経緯で勉強会を開くことになったのかは知らないが、人を集めてくれた櫛田を参加させないってどんだけだよ。なぜそこまで嫌う必要があるのか。

 やっぱりあれか、胸か。そんなとこに無駄な脂肪つけてんじゃないわよ! きーっ! ってやつか。堀北もないわけじゃないんだが櫛田の迫力と比べるとどうしてもなー。

 

「比企谷くん」

 

「ひゃいっ!?」

 

「気持ち悪い声出さないで」

 

「アッ、スイマセン……」

 

 聞き耳を立てていると突然堀北に声を掛けられた。

 ヤバい、失礼なこと考えてるのがバレたか? 違うんです、漫画とかアニメだとこういう流れあるよなって思っただけなんです。決して女性の身体的特徴をネタにしているわけではなく……。

 

「あなたにもちょっと協力をお願いしたいの」

 

「協力?」

 

 よかった、思考盗聴されたわけではないようだ。危うく頭にアルミホイルを巻いて生活する羽目になるところだった。

 

 それにしても協力か。昨日と同じく嫌な予感しかしないんだが。

 

「ええ、あなたにも勉強会に参加してほしいの」

 

 やはり碌でもない話だった。綾小路が勉強会に参加するのも、堀北の罠に引っかかってしまったがために協力を強いられているのだろう。

 俺は当然の如く断固拒否する。

 

「ことわ――」

 

「小テストの結果を見るに勉強はできるようだし、指導役をお願いするわ」

 

「いやだからことわ――」

 

「比企谷くんなら協力する、そう言ってくれると信じてた。感謝するわ」

 

「言ってねーよ。俺から言論の自由を奪うな」

 

 人の発言を捏造した挙句勝手に感謝するな。

 

「いいえ、私には心の声が聞こえたもの。協力するって言ってた」

 

「思ってねーよ。俺から思想の自由まで奪うな」

 

 とうとう電波なこと言いだしちゃったよ。頭にアルミホイル巻いた方がいいのはコイツだったわ。

 

 しかし、堀北は何故かやれやれといった様子で溜息をついた。呆れてるのはこっちなんだがな。

 

「分かってないわね。そもそもあなたに拒否権なんてないのよ」

 

 あん? どういうことだ?

 全ての決定権は私にあり私の言うことは絶対である、とでも言うつもりか? どこのパワハラ鬼だよ。

 

「だってあなたには貸しがあるもの」

 

「貸し? お前に借りを作った覚えなんてないが」

 

 昨日だってお昼ごはん御馳走トラップを回避したはずだ。そもそも貸し借りを作るにはある程度の人間関係の構築が必要であり、ぼっちにそんなことができるはずもない。

 

「入学式の日、綾小路くんへの言伝を頼まれたわ。もう忘れたのかしら」

 

 ……思い出した。確かにあの日、コンビニで偶然堀北に出会った俺はMAXコーヒーが見つからなかったことを綾小路に伝えるように頼んだ。それは事実であるが……。

 

「あんなのが貸しになるのかよ。というかそもそも断ったじゃねーか」

 

「あの場では断ったけれどちゃんと伝えたわ。所謂ツンデレというやつよ」

 

 お前のはツンデレじゃなくてツンドラって言うんだよ。物語シリーズ100回読み直してこい。

 

「それにあれからもう1か月以上。貸しは小さいものだけれど相当な利子がついてる」

 

「こんなやり取りに利子をつけるな」

 

 ただの高校生の、しかも金銭でもない貸し借りに利子を持ち出すやつがいるかよ。実際に金を借りたら闇金も真っ青な利率を提示してきそうだ。

 

「そもそも他人と関わろうとしないお前がなんで勉強会を開こうと思ったんだ?」

 

「当然クラスポイントを獲得するためよ。そのためには赤点候補の人に勉強させる必要がある。Aクラスを目指すのにこんなところで躓いてられないの」

 

 分かってはいたが須藤たちを心配する様子はつゆほどもなく、あくまで自分自身のためらしい。

 さすがは鉄血にして冷血の女。そこに熱血な部分も加われば某吸血鬼のようになれるのだが。

 

「とにかくあなたは協力するしかないの。諦めなさい」

 

 なんて横暴な……。

 

 俺は助けを求めるため綾小路に視線を向けたが、勢いよくサムズアップで返された。

 いやグッじゃねーんだよ。こいつ俺が巻き込まれて喜んでやがるな。それとも昨日逃げたことへの腹いせか。

 

「はぁ……分かった、今回は協力してやる。けど人に勉強を教えたことなんてないからな」

 

 堀北の言ってることは滅茶苦茶で従う必要もないが、ここらで折れておかないと今後も面倒ごとに巻き込まれる可能性がある。借りは早いうちに返しておくべきだと判断し、やむを得ず協力することにした。

 ちなみに小町に勉強を教えたことはあるが、彼女は天使であり人の定義からは外れるので嘘をついたことにはならない。

 

「大丈夫よ。私も知能の低い人間に教えられる自信なんて微塵もないから安心して」

 

「安心できる要素どこ?」

 

 本当に大丈夫? この人。

 

 こうして俺は勉強会に参加することになり、多大な不安を抱えながら会場となる図書館に連行されていった。

 

 

 

 

 

 図書館に着いた俺たちは長机の一角に陣取り、残りの参加者を待つことにした。

 

「連れてきたよ~!」

 

 しばらくすると3バカを率いた櫛田が大きく手を振りながらやってきた。元気がいいのは大変よろしいが、図書館内だからもう少し静かにしような。

 

 4人は長机の向かい側まで来ると、ようやく俺のことに気付いたのか少し驚いた表情を見せた。なんでこいつがここに? っていうか誰? ……いやマジで誰? といった顔である。

 

「あれ? ヒキタニって赤点だったっけ? お互い頑張ろうぜー」

 

「いや、俺は勉強を教える側だ。あとヒキタニじゃなくてヒキガヤな」

 

 山内が失礼なことを言ってきやがったので即座に訂正する。まあ名前を間違えられはしたが、ほとんど話したこともないので存在を認識されていただけマシなのかもしれない。

 

「ヒキタニっていつも一人で居るからなー。ここに来るなんて思わなかったぜ」

 

 今度は池が無礼を働いてきた。だからヒキガヤだっつってんだろーが。それに俺だって脅されただけで本当は来たくなんてなかったわい。

 

 だが、本音を言ってしまうとせっかくの雰囲気が悪くなるかも知れない。ぼっちとは言わば空気のような存在、故に、ぼっちにとって空気を読むということは自身を律することと同義であり、造作もないことである。ここは適当に良い人ぶってやり過ごすべきだ。

 

「退学者なんて出てほしくないからな。俺にできることをやろうと思っただけだ」

 

「お前、いけ好かない野郎だと思ってたが意外と良い奴じゃねーか」

 

「そんな風に思われてたのか……」

 

 何故だか須藤にも散々な言われ様だった。

 なんなんだよこいつら、ターン制失言バトルでもしてんのかよ。俺のターンいらないからもう帰っていい?

 あと堀北、お前なにニヤついてんだよ。まさか俺が馬鹿にされるのを見たいがために協力させたんじゃないだろうな?

 

「私も比企谷くんが来てくれて嬉しいよ! 一緒に頑張ろ!」

 

「お、おう」

 

 そんな中、櫛田だけは素直に喜んでくれたのだが、照れくさいのでやめてほしい。シャイボーイ八幡は相変わらずbotのような返答しかできない。

 

「櫛田さん。綾小路くんから聞かなかったかしら? あなたは……」

 

 全員が着席し、さて勉強会を始めようと意気込んだところに堀北が水を差した。どうしても櫛田を参加させたくないらしい。

 

「実は、私も赤点取りそうで不安なんだよね」

 

「あなたは小テストで悪い成績ではなかったはずよ」

 

「うーん、実はあれ偶然っていうか、半分くらい当てずっぽうだったの。実際は結構ギリギリで……。だから私も勉強会に参加して、しっかりと赤点を回避したいなって。……ダメかな?」

 

 思ったよりも櫛田はしたたかな女の子のようだ。堀北に排斥されることを想定してきちんと対処法を考えてきている。これならテストの方も傾向と対策はバッチリだろう。

 

「……わかったわ」

 

「ありがと」

 

 ここで拒否しても参加するさせないの押し問答になるだけ。無駄なやり取りで時間を浪費することになるし、赤点組のやる気を削いでしまう可能性もあるため堀北は認めざるを得ない。

 

「それでは始めましょう。皆には50点を目指してもらうから、そのつもりでいて」

 

 そんなひと悶着があった後、堀北が場を仕切り直しようやく勉強会が始まった。

 

 

 

 

 

 しかしその数分後。

 

「……なんでそれで答えが出るんだ?」

 

「そもそも連立方程式ってなんだよ……」

 

「ダメだ、やめる。こんなことやってられっか」

 

 3バカは予想以上にバカだった。堀北が用意した中間テスト対策問題集の1問目でいきなり躓いている。勉強を教わりに来たはずの櫛田が丁寧に問題を解説していたが、3人とも頭の上にクエスチョンマークが浮かんだままだ。中学校レベルの基礎すら理解しているか怪しい。

 

「あなたたちを否定するつもりはないけれど、あまりに無知、無能すぎるわ」

 

 我慢できなかったのか、堀北が侮蔑の言葉を放った。3人の無知さ、情けなさに相当お怒りのようである。

 

「無知無能つったか!?」

 

 それに呼応して今度は須藤がヒートアップ。机を勢いよく叩いて立ち上がり、堀北にガンをとばす。

 

「ええ。連立方程式も解けなくて将来どうしていくのか、私は想像するだけでゾッとするわね」

 

 対する堀北は全く動じることなく言葉を続ける。

 あーあ、収拾つかないぞこれ。

 

「こんな問題がどうした? 勉強なんて不要だろ。教科書に齧り付いてるくらいならバスケやってプロ目指した方がよっぽど将来の役に立つぜ」

 

「そう、幼稚ね。そんな夢が簡単に叶う世界だと本気で思っているの? すぐに投げ出すような中途半端な人間は絶対にプロになんてなれない」

 

「テメェ……!」

 

 とうとう須藤のボルテージがマックスに達し、堀北の胸倉を掴む。

 

「須藤くんっ!」

 

 さすがに止めるべきだと判断して立ち上がったが、誰よりも早く櫛田が須藤の腕を抑えた。

 

「……っ。わざわざ部活を休んで来てやったのに、完全に時間の無駄だ。じゃあな」

 

 櫛田のおかげで須藤が手を上げることなく済んだが、勉強会は完全に崩壊。須藤は苛立ちを隠そうともせず、乱暴に荷物をまとめて出て行ってしまった。

 

「俺もやーめよ。堀北さんは頭良いかもしんねーけど、そんな上から来られたらついていけないって」

 

「おーれも」

 

「退学しても構わないなら、好きにするのね」

 

 堀北の冷然な態度に我慢できず、須藤に続いて池と山内も図書館から去ってしまう。どのみち、あの状況で勉強会を続けられるはずもないので誰も止めることはない。

 

「堀北さん……こんなんじゃ誰も一緒に勉強なんてしてくれないよ……?」

 

 櫛田が表情をこわばらせながらも優しく問いかける。

 

「確かに私は間違っていた。実に不毛で余計なことをしたと痛感したわ」

 

「それって……」

 

「足手まといは今のうちに脱落してもらった方がいい、ということよ」

 

 つまり、今後も枷になる可能性がある者は先に切り捨てるべきだと結論付けたということ。

 

「……わかった。私がなんとかする。してみせる。こんなに早く皆と別れるなんて嫌だから」

 

「あなたが本心からそう思っているなら構わないわ。でも、私にはあなたが本気で彼らを救いたいと思っているようには見えない」

 

 

 

 ――どういうことだ? 櫛田が他人を救うのは打算的な考えによるものだと言いたいのだろうか。

 

 これまで俺が見てきた櫛田は底抜けに明るく誰にでも優しい女の子で、そこに功利的な意図は感じ取れなかった。唯一、櫛田の言動で不可解なのは堀北に対して執拗にアプローチをかけていること。傍から見ているだけの俺と当事者である堀北とでは、見えているもの感じているものに違いがあるのかもない――。

 

 

 

「何それ、意味わかんないよ。どうして堀北さんは、そうやって敵を作るようなこと平気で言えちゃうの? そんなの……私、悲しいよ」

 

 より一層悲哀に満ちた表情を浮かべた櫛田は足早にその場から立ち去った。

 

 先ほどまで喧騒に包まれていたせいか、際立った静寂が押し寄せる。

 

「ご苦労だったわね。これで勉強会は終了よ」

 

「そうみたいだな」

 

 ご苦労と言われても何もしてないんだがな。ラッキーといえばラッキーだが、晴れやかな気分には到底なれない。

 

 ここに残る理由もなくなったので、綾小路は勉強道具を片付けて立ち上がった。

 

「帰るの?」

 

「須藤たちのところに行く。なんとなく雑談しにな」

 

「もうすぐ退学するかもしれない人と接して、得することなんて何もないわ」

 

 人付き合いを損得勘定でしか量れないとは実にぼっちらしい。そういった考え方は、大半の人間には共感を得られず非難されるだけなので口にするべきではない。

 

「オレは単純に友達と接することは嫌いじゃないんだよ」

 

「随分と勝手ね。友人だと言っておきながら退学している様を傍観しているなんて」

 

 これは堀北の勝手な決めつけだ。綾小路は雑談しに行くとしか言っていないが、その実は憤りを感じている友人たちのメンタルケアをするつもりだろう。決して傍観しているだけではなく自分にできる範囲のことをやろうとしている。

 

 帰ろうとした綾小路は一度立ち止まり、振り返って堀北の方を見据えた。

 

「オレはお前の考えを否定するつもりはないし、勉強を嫌う須藤をバカにしたくなる気持ちも分からないじゃない。だけどな堀北、少しは須藤の後ろにある背景を想像することも大切なんじゃないのか? 何故バスケのプロを目指すのか、何故この学校を選んだのか。そこまで考えて初めて、相手の本質が見えてくるんじゃないのか?」

 

 ……驚いた。いつも飄々とした態度の綾小路がこんなに真剣に語るとは。堀北の高慢な物言いが目に余ったのだろうか。

 

「……興味ないわね」

 

 しかし、堀北は教科書に目を落としたまま冷めた返事をするだけ。綾小路はそれ以上何も言わずに図書館を後にした。

 

 こうして残されたのは俺と堀北の2人だけ。なんとも気まずい。

 

 

 

「良かったのか? 須藤たちを放っておいて。Aクラスを目指すんじゃなかったのか」

 

 綾小路の後を追って帰ってもよかったのだが、どうしてか俺は堀北に問いかけていた。

 

「さっきも言ったはずよ。足手まといは脱落してもらって構わない。むしろ、今のうちに赤点組を切り捨てれば必然的にマシな生徒だけが残って、上のクラスを目指すことも容易くなるわ」

 

「お前の言ってることが間違ってるとは思わん。だが、退学者が出たときのデメリットを何も考えてないんじゃないか?」

 

「……デメリット?」

 

 堀北はようやく教科書から目を外し、顔を上げた。

 

「遅刻や授業中の私語だけでポイントが引かれるんだぞ。退学なんてことになったらどれだけマイナスポイントが付くか分からないだろ」

 

「それなら0ポイントである今こそ勉強ができない生徒を排除するべきね。ポイントは0以下にはならないのだから」

 

「それは遅刻や私語の場合だろ。退学が同じように扱われるとは到底思えないな。それに退学者が出たクラスはAクラスになれない、なんて最悪の事態も有り得る」

 

「……確かに、その可能性は否定できない。だけど、あなたの言ってることは想像の域を超えていないわ。逆に言えばそんなデメリットなんて存在しない可能性だってある。だから今このタイミングでリスクを取っておくことも間違いではないはずよ」

 

 そもそも頭の切れる堀北のことだ、この考えに至ってないわけがない。そうでなければ、勉強会など開かずに初めから赤点組を見捨てていたはずだ。

 

 この場で堀北の考えを改めさせるには、想像ではない明確なデメリットを提示する必要がある。

 

「だったら空論じゃなく実のある話をしてやる。今回の中間テスト、1教科200万プライベートポイントで答案用紙を学校から購入できる」

 

 つい昨日入手した情報を伝えると、堀北はキョトンとした顔になった。なかなかに珍しい表情である。

 

「……何を言ってるの? そんなこと信じられるわけないでしょ」

 

「残念だが事実だ。嘘だと思うなら茶柱先生に確かめてくればいい」

 

「……仮にそれが本当だとして何の意味があるの? Dクラス全員が協力してもそんなポイント払えないわ」

 

「俺が言いたいのは、答案用紙なんてものまで購入できるポイントこそが最も重要だってことだ。クラス全体で考えたとき、退学者を出してしまえばその人数分毎月獲得できるプライベートポイントが減ってしまう」

 

「……」

 

「今後、プライベートポイントが必要になってくる場面が必ずある。今、損切をしてクラスポイントを上げたとしても、いつかその場面に出くわしたときプライベートポイントの差が確実に響いてくる。だからこそ退学者を出すのは避けるべきだ」

 

 これこそが今ある情報で考えられる明確なデメリット。実際に、プライベートポイントさえあれば今回の中間テストも乗り越えられるのだから、このデメリットは否定できない。

 

「……退学者を出したときのデメリットについては理解したわ。けれど、浪費の激しいDクラスの生徒たちがポイントに余裕を持つとは思えないし、全員が協力するとは限らない」

 

 なかなかに痛いところを突かれた。20代でさえ約半数が貯蓄0だって聞くしな。

いざというとき、ポイントを余らせている生徒がほとんど居らず、節約家の一部の生徒に負担がかかってしまう可能性がある。それに、高円寺なんかは確実に協力してくれないだろう。

 

「連中もクラスポイントが0になって痛い目見たんだから考え直すはずだ。それに、ほとんどの生徒はAクラスを目指してるだろうし協力せざるを得ない」

 

 

 

「……わかった、あなたの言うこと一応胸に留めておいてあげる」

 

 苦し紛れの切り返しだったが、どうにか堀北を納得させることができた。

 

「でも、結局退学になるかは本人次第よ。勉強する以外に赤点を回避する方法なんてないのだから」

 

「……あるにはあるだろ、赤点を回避する方法」

 

 そう、あるにはある。それこそ俺が思いついた2つの愚策のうちのもうひとつが。

 

「どういうことかしら?」

 

「お前も気付いてるだろ? 赤点の求め方」

 

 堀北は勉強会が始まるとき、須藤たちに50点を取ってもらうと言っていた。これは、50点が確実に赤点にならない点数だと知っての発言だったと推察できる。

 

「……ええ、クラスの平均点÷2未満、小数点以下は切り捨てか四捨五入ね。それがどうかしたの?」

 

「おそらくそれで間違いない。その算出方法だったらクラス全員が0点を取ればいい。点数がマイナスにならない限り、0未満になることはないだろ」

 

「……呆れた。よくそんなこと思いつくわね。よっぽど性格が歪んでいるのかしら」

 

 堀北は聞いて損した、と言わんばかりに大きくため息をついた。

 

「その方法は欠点が多すぎるわ。まず、全員が協力しないと意味がない。1人でも点数を取ってしまえば退学者だらけになる。そこまでの信頼関係は築けていないし高円寺くんがいる時点で不可能ね。それに、仮にその方法が成功したとしても一時凌ぎにしかならないしクラスポイントも増えないまま。テストの度にそんなことしてられないわ、愚策も愚策ね」

 

 さすが堀北、あの短い間で欠点をすべて見破られ、完全論破されてしまった。是非とも某匿名掲示板の開設者である論破王と対決してほしい。

 

「まあ、愚策だろうがそういう考え方もあるってことだ。視野は広く持っておくに越したことはないぞ」

 

「余計な忠告どうもありがとう」

 

 全く感謝の意思が込められていないありがとうが返ってくる。

 

言うべきことがなくなった俺は、静かに立ち上がり図書館の出入り口へと向かう。

 

「比企谷くん」

 

 途中、堀北に呼び止められその場に静止する。

 

「ひとつだけ聞かせて。人との関わりを避けるあなたがどうして私を説得したの? Aクラスに上がるため? それとも須藤くんたちを救うため?」

 

「……さあな」

 

 俺は振り返らずにそれだけ言い残し、図書館を後にした。

 

 

 

 

 

 その日の夜、ベッドに横たわった俺は堀北の言葉を頭の中で反芻していた。

 どうして私を説得したの……か。

 

 確かに、あのときの俺は柄にもなく熱弁をふるっていた。それはなぜか。

 

 多分、俺は堀北に諦めてほしくなかったんだと思う。

 今まで何でも1人でこなしてきたであろう彼女が、他人に協力を求め、自ら進んで勉強会を開いた。そこには少なからず彼女なりの葛藤や決断があったはずだ。

 たとえそれが自分自身のためであったとしても、俺にはとても真似できない。だから、同じぼっちなのに、俺にできないことをやってのける彼女に断念してほしくないと思い、説得した。

 

 だが、俺が伝えるべきことはもうない。あとは彼女自身がどうするかだけ。

 

 ようやく気持ちの整理がついた俺は、ゆっくりと眠りについた。

 



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わずかに堀北鈴音は考えを改める。

オレは
                     弱い






 波乱の勉強会から数日経った日の朝、いつもと寸分違わぬ時間に鳴り響く耳障りなアラーム音に叩き起こされる。二度寝したい衝動に駆られながらもなんとかベッドから抜け出し、歯磨きや食事など朝のルーティンをこなしていく。

 

 しかし、何か物足りない。そう思い始めたのはつい最近のことで、これまで経験したことのない侘しさを感じていた。

 

「小町……どこ……」

 

 1人暮らしを始めてから1か月半、早くもホームシック、もといシスターシックに陥っていた。

 

 嗚呼、感情のない機械音じゃなくて小町の可愛らしい肉声で起こされたい、味気ないインスタントじゃなくて小町の作った愛情たっぷりの味噌汁が飲みたい、1人寂しく登校するんじゃなくて小町を後ろに乗せて陽のあたる坂道を自転車で駆けのぼりたい。

 

 ……我ながらさすがにキモいな。自分自身のあまりのシスコンぶりにドン引きし、冷静さを取り戻す。

 

 朝から無駄に憂鬱な気分になりながらも、学校へと赴くため仕方なく部屋を出ていつものように階段から1階に下りる。この学生寮にもエレベーターという素晴らしき文明の利器が備わっているが、俺はなるべく使わないことにしている。何故なら知らない人と2人きりになると変に意識して挙動不審になるし、仲良しグループと乗り合わせるとそいつらの会話が一時停止し、なんとなく申し訳なくなるからだ。

 

 寮のエントランスまで差し掛かると、ちょうどエレベーターから降りてきた綾小路と鉢合わせた。いつもなら俺よりも早く登校しているはずなので、こんなところで遭遇するのは初めてである。

 

「おはよう」

 

「うっす。こんな時間に珍しいな」

 

「ああ、ちょっと寝坊した」

 

 軽く挨拶を交わすとそのまま自然に横並びになり歩き始める。

 

 あれ? もしかしてこれ一緒に登校する流れ? 何か喋んないと気まずい感じになるんだが。かといって寝起きの脳のリソースを非生産的な会話に割きたくもない。

共に学校へ向かうという目的を持つ者同士ではあるが、ここは一度袂を分かとうではないかね綾小路くん。

 

「……」

 

「……」

 

 そんな淡い期待が届くはずもなく綾小路は俺の隣をキープし続ける。というか着いてくるなら何か話題振れよ。

 

「なあ比企谷」

 

「な、なんだ?」

 

 俺の思いを察したのかはたまた沈黙に耐えかねたのか、ようやく綾小路が話しかけてきた。

 

「昨日堀北から聞いたんだが、答案用紙をポイントで買えるってのは本当なのか?」

 

「ああ、その話か。茶柱先生に確認したからな、本当のことだ。1教科200万ポイントだとよ」

 

「200万か。クラスみんなで出し合っても足りないだろうな……それにしてもよくそんなこと思いついたな」

 

「どうにかして退学を回避できないか考えてただけだ、大したことじゃないだろ」

 

「いや、凄いと思うぞ。そんな突飛な発想ができるのは変人だけだ」

 

 えっなに? なんで急に喧嘩売ってきたの? それとも変人が悪口だと思ってないの?

 

「入試で全教科50点取っちゃう奴にだけは言われたくねーよ」

 

「……先生から聞いたのか? そんなこともあるんだなーって自分でも驚いたさ」

 

「あくまでも偶然だってか?」

 

「当たり前だ」

 

「正答率3%の問題を正解しながら?」

 

「それはあれだ、そっくりな問題が過去問にあったんだ」

 

「……そんなんあったか?」

 

「あったんだなそれが」

 

 当然俺も過去問には何度も目を通しているが全然ピンとこない。

 絶対適当言ってるわこいつ。

 

 ……ん? そうか、過去問か。

 

「……」

 

「どうかしたか?」

 

 無言で思索に耽っていた俺を不思議に思ったのか、綾小路がこちらを覗き込んできた。

 

「いや、なんでもない。それより須藤たちは大丈夫そうか?」

 

「多分ダメかもしれない。勉強してるようには全然見えないし」

 

「だよなあ」

 

 授業態度を見ても集中できていないようだったし、相変わらず平田主催の勉強会に顔を出してる様子もない。

 

「池なんかは既に一夜漬けで乗り越えることを考えてるぞ」

 

「本格的にヤバそうだな……」

 

 無謀にもほどがある。このままじゃ本当に退学者が出ることになるが、堀北はどうするのか。

 

その堀北に今のところ変わった動きは見られないが、デメリットを承知で須藤たちを切り捨てるつもりなのだろうか。それとも何か策を練っているのか。中間テストまであまり猶予は残されていないが、果たしてどうなることやら。

 

 

 

 そんなこんなで話し込んでいるといつの間にか学校に到着。

駄弁っていたせいで歩が鈍ったのか、俺たちが教室に着いたのは遅刻寸前のタイミングだった。

 

「あなたたち、時間ギリギリよ。遅刻厳禁なんだから気をつけて」

 

 席に着くなり規律の鬼と化した堀北からお りを受ける。遅刻しても減るポイントはないが、クラスの方針で生活態度を改めることになっている。従わないと須藤のように白い目で見られるので、大人しく足並みを揃えるのが得策だ。

 

「悪い悪い、今度から気をつける」

 

「あら、あなたが素直に謝るなんて熱でもあるのかしら」

 

 堀北はあろうことか、俺の額と自分の額に手のひらを交互に当てるという古典的かつ蠱惑的な方法で熱を測ってきた。

 

「な、な、ななな何すんのよ!?」

 

「熱はないようね」

 

  動揺し過ぎてオネエ口調が飛び出る俺。対して堀北は特に意識している様子もなく涼しい顔をしており、精神攻撃を仕掛けた自覚もないようである。

 

心の平静を保つのに必死で何の反応も返せずにいる俺を助けるように、タイミングよく始業のチャイムが鳴った。

 

 いやー危ない危ない。中学時代の俺ならまず間違いなく好意を抱かれていると勘違いし、何も疑わずに告白していた。そして呆気なく玉砕していたであろうことが容易に想像できる。過去の自分よ、お前の失敗は無駄じゃなかったぞ。

 

 よし、ようやく落ち着いたし授業に集中するか。今やってるところはがっつりテスト範囲に入ってるし聞き逃さないようにしないと。

 

 あれ、おかしいな……全然頭に入ってこねえ。

 

 

 

 

 

 

 結局、冷静さを取り戻したのは午前の授業が終わった頃だった。

 

 いつものように屋上でぼっち飯を堪能した後、教室で寝たふりをしていると、驚くことに先日の勉強会メンバー(俺を除く)が何やら話し合いながら教室に戻ってきた。

しかも、昨日までとは打って変わって全員が晴れ晴れとした顔をしている。その光景から察するに、彼らに何らかの進展があったようだ。

 

 例に漏れずどこか明るい表情になった堀北は、そのまま席に戻るかと思いきや自席でくつろぐ俺に話しかけてきた。

 

「比企谷くん」

 

「……なんだ?」

 

「この前あなたに言われたデメリットのこと、癪だけど概ね正しかったと認めるわ。本当に癪だけど」

 

別に2回言わなくてもいいだろ、どんだけ大事なことなんだよ。

 

「それから赤点を回避する秘策についても考えたわ。けれど、あなたみたいに捻くれたやり方は思いつかなかった」

 

「まあ、普通はそうだろうな」

 

 俺だってずっと考えていたが、堀北に伝えた方法以外には何も思いつかなかった。

 まあそれも今朝までは、なんだが。

 

「だから退学者を出さないために改めて勉強会を開くことにしたわ。ほかに最適解があるのかもしれないけれど、今の私にはそれしかできないから」

 

「……いいんじゃねーの、それで」

 

「そう、言いたかったのはそれだけよ」

 

 堀北は言いたいことを言えて満足したようで、席に戻り次の授業の準備を始めた。

 迷いが吹っ切れたその姿は一段と凛々しく、そして眩しく見えた。

 

 入学早々直面した中間テストという大きな障壁。これを確実に乗り越えるためには自分も何かしらの行動を起こさなければならない。

 

 堀北は堀北のやり方で、正々堂々真正面から愚直にぶつかっていった。

 なら俺は俺のやり方で。正々堂々斜め下から回りくどく伶俐狡猾に。

 

 

 

***

 

 

 

 それからしばらくの間、俺はマイベストプレイスとしばしの別れを告げ、毎日学食で昼食を取ることにした。わいわいがやがや喧々囂々とした空間の中、周囲と隔絶した孤独感を噛み締めながら、無料の味気ない山菜定食を噛み締める。

 

 そんな孤独と山菜の苦みを味わいながら、目的を遂行するため構内を見渡す。その目的とは、俺と同じように連日美味しくもない山菜定食を注文する人物を捜すことである。さらに言えば、単独行動をとっており、ある程度真面目そうな人物であることが望ましい。

 

 そうして1週間調査を続け、該当の人物を何人か見つけることができた。今はその内の1人を不審に思われないであろう位置から見張っている。

さすがに山菜定食を食べ続けることに苦痛を感じ始めた俺は、あんぱんと牛乳という張り込みの神器を両手に眼を光らせていた。

 

 さながら刑事ドラマの登場人物になった気分でいると、ようやくターゲットが立ち上がる姿を捉えた。ターゲットはなぜか食べ終わったあともなかなか帰ろうとせず、昼休みの終わり頃まで携帯をいじっていた。

 

 張り込みの次は尾行だ。存在感の無さでは他の追随を許さないと巷で評判の俺にとって、尾行なんてものは朝飯前である。ましてや今は昼飯後であるので、その実力を遺憾なく発揮することができる。

 

四大行の1つである絶を展開するように、息を殺しただでさえ希薄な気配を完全に断つ。

 

 こっからはステルスヒッキーの独壇場っすよ!

 

 ターゲットである利発そうな目つきをした黒髪の男子生徒は、食堂を出ると2年生の校舎がある方角へと歩を進めた。俺は一定の距離を保ちつつスニーキングしながらストーキングする。ターゲットが2年生の校舎に入るのをしっかり確認し、さらに尾行を続ける。

 

「きゃっ」

 

「おわっ」

 

 ちょうど階段の踊り場に差し掛かったところで、勢いよく駆け降りてきた女子生徒に軽く轢かれてよろめいた。

 

「ごめーん、よく見てなかった! 大丈夫?」

 

 長い茶髪に快活な表情、そして短いスカート。その女子生徒は見るからにギャルだった。

オタクはギャルに理想を抱きがちだが、我々日陰者に理解を示し優しく接してくれるギャルなど残念ながら実在しない。当然、そんなギャルを怒らせるとどうなるか分からないのですぐさま謝罪する。

 

「いや、大丈夫っす。存在感なくてすいません」

 

「あはは、なんでそっちが謝るの。……あれ? きみ2年生じゃないよね? もしかして1年生?」

 

なぜバレたし。同学年の生徒は全員覚えてたりするのだろうか。

今の俺は絶賛ストーキング中の超絶不審者であり、それを悟られるのは色々まずいので適当に誤魔化さなければならない。

 

「あっ、はい、ちょっと道に迷いまして……2年の校舎みたいなんですぐ帰ります」

 

「ふぅん? そんな感じじゃなさそうだけど。……まあそういうことにしといてあげる」

 

 明らかに怪しまれている。他学年の校舎に侵入するのは控えたほうがよさそうだ。

 

「じゃ、あたし急いでるから! あんまり変なことしちゃダメだよー」

 

 結局、俺を咎めることはなく名も知れぬ女子生徒は再び階段を駆け降りていった。

 

 前言撤回。優しいギャルは存在していた。世の中捨てたもんじゃないぜ。

 

 そんな交通事故に巻き込まれたせいで、気づいたときには既にターゲットを見失ってしまっていた。できればDクラスかどうかも確認したかったのだが、節約家の1年生ではないことが明らかになったので特に問題ない。これで任務完了だ。

 



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ひそかに堀北学は動き出す。

ちょっとした独自展開とキャラ崩壊があります。原作から大きく乖離することはないので許して下さい。
また、会長は出てきませんがサブタイトルに間違いはありません。






「なあ、綾小路。昼飯一緒に食べないか?」

 

 明くる日の昼休み、俺は高校生活始まって以来初のランチのお誘いを試みた。

 

「……何を企んでる」

 

 滅茶苦茶怪しまれた。なんか最近怪しまれてばっかだな……。そろそろ地域の不審者情報センターに連絡されるかもしれない。

 

「何も企んでねーよ。堀北と一緒にすんな」

 

 ついこの間堀北の罠に嵌ったせいか綾小路は疑心暗鬼になっているようだが、別に俺は騙すつもりはない。いや、ほんとに。なんなら綾小路も恩恵を受けられるから、たぶん。

 

「中間テストの対策を思いついたからちょっと付き合って欲しいだけだ」

 

「対策? そんなの勉強するしかないんじゃないのか」

 

「そのへんは後で話す。それより俺のポイントを一時的に預かってほしいんだが」

 

「なんでだ。あれか、預けるふりして俺からポイントを巻き上げられたと嘯くつもりか」

 

「んなわけねーだろ。それで俺になんの得があんだよ」

 

 同じクラスの人間陥れても意味ないだろ。いつからこんな面倒くさいやつになったんだ。

 

「あれ、2人ともこれから学食?」

 

 猜疑心にまみれた綾小路を半ば強引に連れ出そうとしていると、そんな光景を不思議に思ったのか櫛田が声をかけてきた。

 

「ああ、そうだが」

 

「ふうん、私も一緒していい?」

 

 ……なんで? 

 

 わざわざこんな冴えない男どもと一緒に飯を食いたい理由が分からなかったので、自然と拒絶体制に入る。

 

「いや、櫛田なら他にいくらでも相手いるだろ」

 

「そうだけど、2人とご飯食べる機会なんてなかなかないし。それに比企谷くん、ここのところ学食で食べてて珍しいなーって」

 

 どうやら1人寂しく山菜定食を貪っていたのがバレていたらしい。

 ちょっと恥ずかしいんですけど。やはりリア充のテリトリーである学食にはなるべく近寄らない方がいい。

 

「いいんじゃないか、櫛田も一緒で」

 

 と、ここで綾小路から一言。お前はどうせ女子と一緒に飯食いたいだけだろうが。この下心丸出しの助平め。

 

「テストの対策あるんだろ? 顔の広い櫛田にも聞いてもらった方がいいと思うが」

 

「……確かに」

 

 言われてみれば全くもってその通り。さっきは反射的に拒絶してしまったが、この作戦を遂行するにも成功した後のことを考えるにも櫛田に話しておいた方がいいのは確定的に明らか。

 綾小路さん、ただの助平とか思ってすいませんでした。

 

「テストの対策? 何かわかったの?」

 

「なあ櫛田、Dクラスを救いたくはないか」

 

「へ? もちろん出来るならそうしたいけど……」

 

「実はいい話があってだな。お前にしかできないことなんだ」

 

「う、うん」

 

「まずは一旦綾小路にポイントを預けてくれ。そうすれば必ずクラスの役に立つ」

 

「え、えーっと……やっぱりお昼やめとこうかな……」

 

「おい、悪徳業者の勧誘みたいになってるぞ。まずは説明しろ」

 

 しまった、コミュ障特有の言葉足らずによる情報伝達の齟齬が生じてしまった。櫛田は子犬のように怯えてしまっている。

 

「すまん、別に騙すつもりはない。テストの対策で過去問が有効になるんじゃないかと思ったんだ。それでこれから過去問を貰えないか上級生に交渉しに行こうと考えてる」

 

「過去問か。確かにテストの傾向ぐらいなら分かるかもだが、それでも参考程度にしかならないんじゃないか?」

 

 この学校は超がつくほどの進学校。毎年同じような問題のテストを出すはずがなく、綾小路の言うように参考程度にしかならないと考えるのが普通である。

 

「いや、かなり有効になると俺は踏んでる。理由は省くが」

 

 あまり長話をしていると昼休みが終わってしまうので説明は後だ。

 

「じゃあ、ポイントを俺に預けるのはなんでだ?」

 

「それは交渉するにあたっての予防線だ。大した意味はない」

 

 終わったらちゃんと返してもらうから心配すんな。

 

「うーん? とにかくクラスのために色々考えてくれてたんだね! 私も協力するよ!」

 

 さっきまでとは打って変わって明るさを取り戻した櫛田。よく分かってないみたいだが本当にそれでいいのか。将来騙されないかお父さん心配です。

 

「……まあ、変なことするつもりじゃなさそうだな」

 

「当たり前だ。時間もないしそろそろ行くぞ」

 

 綾小路も一応納得してくれたところで昼休みが始まってから既に10分が経過。ターゲットと交渉する時間を確保するため、俺たちは急いで学食へと向かった。

 

 

 

 

 

 学食に着くと既に多くの生徒が食券売り場の前に列をなしていた。その列には並ばずテーブルの方に目をやると、早くも食事を始めているターゲットを発見した。今日も今日とて行儀よく山菜定食を咀嚼している。

 

「櫛田、今どれくらいポイント持ってる?」

 

「実は結構使い込んじゃって、あと2万ちょっとしか残ってないかな」

 

「それだけあれば十分だ。1万程度残してあとは綾小路に預けてくれ」

 

「予防線なんだっけ。うん、分かった」

 

 櫛田にそう指示し、自分も同じように綾小路にポイントを預ける。ポイントの譲渡は非常に簡単で端末をポンポンと操作するだけで完了した。ちなみに預ける前の俺の保有ポイントは約6万である。

 

「よし、じゃあ櫛田ついてきてくれ」

 

「俺はどうすればいい?」

 

「お前は待機だ。適当に時間潰してろ」

 

「……俺の扱いぞんざい過ぎないか」

 

 なんだか拗ねている綾小路を無視してターゲットのもとへ櫛田と2人で向かう。ターゲットの男子生徒は改めて見ても真面目そうな風貌で、利発的な目つきから生徒会にでも属していそうな印象を受ける。これなら過去問を残していてる可能性は高いのではないだろうか。

 

 男子生徒の隣の席に座り、少し緊張しつつ声をかける。

 

「すいません。ちょっとお話いいっすか、先輩」

 

「……いきなりなんだ? お前ら」

 

 食事を妨げられたからか少し不機嫌そうな調子で返される。

 

「1ーDの比企谷って言います。で、こっちが櫛田」

 

「こんにちわっ」

 

 櫛田が可愛らしくペコっと会釈を交えて挨拶する。櫛田を連れてきた理由の1つが、こうして愛想よく振り撒いてもらい、相手の警戒心を少しでも和らげるためだ。

 

「1年がなんの用だ」

 

「先輩もDクラスですか? 無料の定食選んでますけど」

 

「……だったらなんだ」

 

「ポイントに困ってるんじゃないかと思って。もしそうなら俺たちと取引しませんか?」

 

「取引?」

 

「1年の初めの中間テスト、それとその前にあった小テストの問題、持ってたら売ってもらえませんか」

 

 俺は端的且つ率直に用件を伝える。過去問を売ってくれなんて我が千葉の球団が誇る若きエースばりのストレートな要望であったが、彼は全く驚いていなかった。

 

「……3万ポイントだ」

 

 先輩は少し考える素振りを見せた後、特に疑問を投げかけることもなく希望額を提示した。話が早くて助かるがそこまで払うつもりはない。

 

「さすがに高くないっすか。俺たち2人合わせても2万ちょっとしかないんで、1万5千ポイントが出せる限界です」

 

 そう言って俺と櫛田はポイント残高が表示された端末画面を見せる。綾小路にポイントを預けていたのは、今みたいに高値を吹っ掛けられた時のことを考えてのことだ。ここで取引を成立させるためには向こうも折れるしかないはずだ。

 

「いや、3万だ」

 

 がっ……駄目っ……! 

 

「お前たちが過去問を手に入れればクラス全員に共有するつもりだろう。だったらクラスメイトから徴収すればいい。退学を回避できる可能性が上がるんだから誰も反対しないはずだ」

 

 まるであらかじめ想定していたかのような切り返しに心の中で感嘆する。ちょっと厄介なことになりそうだ。

 

「それでも3万は払えないっすね。妥協してくれないなら別の人に頼むだけです。先輩以外にもポイントに困ってそうな上級生に目星はついてますし」

 

「その上級生が過去問を持っている保証もないし、俺以上にポイントを要求してくる可能性もある。それでもいいなら好きにするんだな」

 

「……」

 

 反論が浮かばず言葉に詰まる。隣では邪魔にならないよう口を噤んでいた櫛田があわあわし始めた。

 

 さて、どうしたものか。もうなんか面倒だし本当に別の上級生にあたった方がいいんじゃないかと思えてきた。

 だがしかし、これまでの先輩の言動にはどこか不自然さが垣間見える。何かを隠しているような、そんな感覚。

 

「交渉決裂か。なら他の1年に売り払うからもういいぞ」

 

 先輩はそう言って話は終わったとばかりに食事を再開しようとする。

 

 そこでふと、これまで感じた違和感から一つの仮説が脳裏をよぎった。

 

「本当に出来るんですか、そんなこと」

 

「……どういう意味だ?」

 

「今回の試験、上級生から取引を持ち掛けるのは禁止されてるんじゃないですか」

 

「ほう? なぜそう思った?」

 

 その反応は図星を突かれたという感じではなく、どんなことを言うつもりか期待するような気色をはらんだものだった。

 

「まず過去問が有用なことに先輩が気付いてるんじゃないかと思いました。こっちが取引を持ちかけたとき全然驚いてませんでしたから」

 

 交渉時の切り返しも完璧で、事前に準備していたように感じられたのもポイントだ。

 

「それで?」

 

「気づいているならさっさと1年に売りつけるのが普通です。他の上級生に先を越されるかもしれませんし、ポイントに困ってるならなおさら。でもDクラスで過去問の話題なんて全く出てないんで先輩はまだ誰とも取引していない」

 

「なぜそう言える? Dクラス以外の1年と取引している可能性もあるだろ」

 

「それはないですね。まず1番過去問を必要としてそうな落ちこぼれのDクラスが第一候補になるはずです。それにAからDの全クラスに売りつける方が得ですし、わざわざDクラスだけを放っておくなんてことはしない」

 

 問題用紙なんてコピーするなり写真で撮るなり簡単に複製できる。1つのクラスに絞って取引する必要はない。

 先輩は特に反駁するでもなく黙ったままだった。さっさと続けろということだろう。

 

「じゃあなぜ先輩は過去問が有用であることに気付いていながら1年に取引を持ちかけなかったのか。答えは単純、学校が禁止しているからです」

 

「さっきの取引はお前から持ちかけたものだから俺が応じた、と」

 

「そうです。先輩は少なくとも1週間以上前から1人で山菜定食を食べてましたよね。あれは1年から話し掛けられるのをずっと待ってたんじゃないですか?」

 

 部活動以外で他学年の生徒と最もコンタクトを取れるのが昼休みの食堂だろう。毎日無料の定食を食べることでポイントに困っていることをアピールし、食べ終わった後も長々と居座って1年から接触できる機会を作っていたのではないか。

 

 そもそもこの学校は実力で生徒を評価すると宣っておきながら、毎年類似したテストを出している。つまりこれは単純な学力または抜け道を探す考察力を測るためのもので、上級生からの一方向的な情報提供を禁じていなければ意味がないのだ。

 

 ただし、これまでの推論は全て、過去問が『試験を確実に乗り切る方法』であることが前提である。

 

「なかなか面白い考察だ。だが、学校が禁止令を出しているという事実はない」

 

 しかし、俺の推理はあっけなく一蹴される。めっちゃドヤ顔で披露してたのに。ちょっと櫛田さんこっち見ないで恥ずかしいから。

 

「お前が考えている通り、1年の初めのテストは過去問が有効な対策になる。というか毎年全く同じ問題が出される」

 

 かなり有用だとは思ってたが全く同じなのか。そりゃ茶柱先生も『試験を確実に乗り切る方法』とまで言うわけだ。

 

「だが、そもそもそのことを知っている生徒はほとんど居ないし、わざわざ売りつけようとするやつも居ない、それだけだ」

 

「禁止されてなくてもトラブルに発展するリスクがあるからですかね」

 

「そうだ。それにそんな曖昧な条件の禁止令じゃ意味がないだろう。どっちから話を持ち掛けたかなんて本人たち以外知りようがないんだからな」

 

 ……それもそうか。たとえ上級生から取引を持ち掛けたとしても普通は証拠なんて残らないし、1年に売ってくれと言われたから取引しただけと如何様にも言い逃れられる。

 

「だが、話しかけられるのを待っていたという推測は正しい」

 

 どうでもいいけどさっきから‘だが’を乱用しすぎじゃない? ダガ―使いの中二病か? †漆黒の堕天使†みたいなハンドルネーム使ってそう。

 なんて茶々を入れたくなったが我慢する。

 

「過去問を売るためじゃないなら、それはどういった理由で?」

 

「お前みたいなやつを見つけるためだ」

 

 そう言って先輩は熱い眼差しを向けてくる。えーっとすいません、そっちの趣味はないんで……。

 

「どういう意味っすか」

 

「そのままの意味だ」

 

 いや分からんが。ちゃんと説明せんかい。

 

「とにかく()()()の目的は果たせたというわけさ」

 

 説明も不十分なまま、先輩はポケットから1枚の紙を取り出し俺へと手渡す。奇麗に折りたたまれた紙を開くと、それはテストの答案用紙だった。

 

「俺が1年の初めに受けた小テストだ、今年のものと比べてみろ。それと中間テストの方も欲しけりゃ連絡してこい。そこに携帯番号も書いてある」

 

 答案用紙の裏を見ると確かに11桁の数字が並んでいた。やけに用意周到だな。

 

「交渉は決裂したんじゃなかったんですか」

 

「これは礼みたいなもんだ。そもそもポイント欲しさに交渉したわけじゃないからな」

 

「タダってことっすか」

 

「そうだ」

 

「それじゃあ受け取れないっすね。タダより高いものはないんで」

 

 基本無料を謳っているソシャゲだっていざ始めると課金欲を掻き立てられ、いつの間にかとんでもない額を負担することになっているものだ。タダで貰うと後々痛い目を見るに違いない。

 

「はあ、面倒くさいやつだな。じゃあ5千ポイントでどうだ」

 

「乗った」

 

 先輩の目的というのが気にはなるが、5千ポイントなんて当初支払う予定だった額の1/3だ。俺は嬉々として端末を操作し、さっさとポイントを振り込む。

 

「俺が言うのもなんだが先に振り込んでよかったのか? 約束を反故にするかもしれないぞ」

 

「大丈夫っすよ。過去問を寄越さなきゃ詐欺にあったと喚き散らすんで」

 

「いい性格してやがる」

 

「それほどでも」

 

 ポイントの受け渡しはしっかり端末に記録されてるからな。裏切られたら徹底的にやり返すまでだ。

 

「とにかく会長に報告だな……。こいつなら南雲を……」

 

 先輩はなにやらぶつくさ言いながら、いつの間にか食べ終わっていた昼食のトレイを片付け立ち上がる。これにて取引は終了ということだ。

 

「またな、1年」

 

 またなと言われても過去問を貰えれば二度と会うこともないだろうと思ったので、特に返事もせず去っていく後姿を見送った。アデュー。

 

「あ、ありがとうございました!」

 

 そんな俺の代わりにこれまで大人しくしていた櫛田が感謝の言葉を述べる。

 

 結局、櫛田には無駄に長々と付き合わせてしまったな。こんなに手こずるとは思わなかったんだ、許してくれ。

 というか俺も疲れた。さっさと飯食って休みたい。

 

 一息ついた後改めて手に入れた戦利品を見直す。答案用紙の氏名欄には1-A 桐山生叶と書かれていた。

 





ちょっとペラペラ喋らせすぎたし分かりにくいかも


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