両儀式のコスプレイヤーは、汚れたクロックスなんて絶対履かない (夜中 雨)
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第一章、早朝始発の電車の中で
両儀式のコスプレイヤーは、汚れたクロックスなんて絶対()かない。


 

 

 

 オレは、とある理由から両儀式のコスプレをして、早朝の始発電車に乗り込んだわけだけど、その車両には(すで)に、青年がひとり座っていた。

 

 ———そいつはなんと、衛宮士郎のコスプレをしている。

 

 

「何でコスプレなんだよ。おまえ」

 

 電車に乗り込みながら、オレはふと、声に出していた。

 後ろで、車両のドアが閉まる。

 青年はチラリとオレを見ると、顔をくしゃりと歪ませて、自分の、右隣のシートを指差す。

 ()いで、口を開いた。

 

「別に、珍しくもないだろ? コスプレなんて。

 まぁ、朝に出くわすと驚くかもしれないけど。

 ———お互いにさ」

 

 座れよ、と士郎のコスプレ青年が言う。

 

 オレは息を吸って、吐いて。ゆっくりと一歩ずつ、青年の方に歩いて行った。

 ———っと、青年の視線が一瞬それる。その視線を追って目を向けると、ヤツはオレの足を見ていた。正確にはオレの足元、空色の着物の(すそ)からのぞく、(ひど)く汚れた黒のクロックスに。

 

「悪かった」と青年が笑う。オレが睨んだことに気づいたらしい。

「ジロジロ見る気はなかったんだ」

 

 なんて言いながら、今度はオレの手元を見た。

 

 つられて、オレも両手を見る。何も持ってないし、特に目立つような何かもない。ただ日に焼けてないだけの、普通の手だ。

 

 オレは青年の隣まで行くと、青年の右側、二人分くらい(あいだ)を開けてシートに座った。自分の着ている着物とは対照的な、えんじ色の座席シートは、思いのほか(なめ)らかな感触だった。

 正面の窓の景色は、左から右に流れている。

 

「———それでさ」

 

 オレの右手がシートを撫でる感覚に、青年の声が割り込んできた。左に顔を向けると、青年は真剣な顔で、オレをじっと見つめている。

 

「どうして、コレがコスプレだと分かったんだ? 

 そんなに珍しい服でもないだろ? ジーパンにジャージ」

「———そんなの、見ればわかる」

 

 青年の左脇に置いてあるボストンバッグを一瞬だけ見て、それから、青年の襟元(えりもと)をみた。

 

「ラグラン袖のジャージの下に、ラグラン袖を着てるだろ。おまえ」

 

 青年は自分の襟元(えりもと)を確認して、慌てて、服装の乱れを正しはじめた。

 

「ほんとだ。こんなにグチャグチャなのに気づかなかった。焦ってたんだな、俺も」

 

 赤銅色の髪色の青年は一度立ち上がり、ジャージを脱いでTシャツの乱れを整える。ジーパンのベルト穴の位置を調節し、それから、ラグラン袖のアウターをはおった。

 オレはその(すき)に、ボストンバッグを注視した。

 

「なぁ、えっと……」

 

 オレの名前を呼ぼうとして言葉に詰まった青年に視線を戻して、思いついた。

 オレには今、一つだけ懸念事項(けねんじこう)がある。対策は立てたが、いかんせん、万全とは言いがたい。

 その対策の効果を、コイツを使って、確認することができるかもしれない、と。

 

 こっちに向きなおった青年のマジマジとした視線を浴びて、オレはいま一度、自分自身の服をみた。

 

「何に見える?」

「えっと———」

「オレの服装を見て、おまえはオレが何に見えるんだ?」

「多分だけど」

 

 ヤツはそう前置きして、オレの期待した答えを返した。

 

「———両儀式に、見えると思う」

 

 そうか……

 

「———だったら、今だけ。オレのことは両儀と呼べ。おまえに名前を教える気はない」

「なら、両儀」

 

 青年は座り、顔だけをオレに向ける。

 

「お前は、どこから来たんだ?」

 

 一瞬、意味がわからなかった。初対面だぞ。聴くか? ふつう。

 二度ほど(まばた)きをして、シートの感触を感じながら、自分の情報をもらさないように、言葉を選んだ。

 

「オレの乗り込んだ駅の近くだ」

 

 自分が入ってきたドアを指差す。

 青年は、首を振った。

 

「そう言うのが聞きたいんじゃないんだ。俺が聞きたいのは、お前がどこから、その服装で出てきたかってことだ」

 

 そいつは、ゆっくりと息を吐き出し、ワンテンポずらして声に出した。

 

「両儀、お前ホントは、コスプレイヤーじゃないんだろ?」

 

 一瞬、心臓がはねた。

 息を丹田(たんでん)のあたりに落として、血圧を下げる。それから、ヤツに確認するために口を開いた。

 

「どうして、そう思うんだ?」

「クロックスだから、かな」

 

 自分の膝ごしに足を見る。

 着物の空色と対照(たいしょう)(てき)な、汚れた黒いクロックス。

 それから、もう一度ヤツを見た。赤銅色に染めた髪、ジーパンにラグランジャージ。

 コイツは、コスプレしている。

 

 …………そうか。

 舌打ちしていた。

 

「分かったみたいだな」

「いいや、(わか)らない」

 

 オレは、徹底抗戦(てっていこうせん)の構えをとった。

 (あご)を少し上げ、横目にヤツを視界に入れた。

 

「言い当ててみろよ、コスプレイヤー。オレが何者で、どこから来て、何でこんな格好(かっこう)なのか」

 

「あ———ッと、そうだな……。分かった」

 士郎コスの青年は、目を(つぶ)り、こめかみに右の人差し指を当てる。少しだけそれで固まって、それからもう一度目を()けて、口を(ひら)いた。

 

「まず、お前のクロックスが見えた時、俺は少し不思議に思った。

 お前が、両儀式に見えたからだ」

 

 青年の薄い虹彩(こうさい)は、黄金(こがね)にも見えるその瞳は、オレの着物を眺めている。

 

「空色の着物を着て、紺色の帯を巻いている。髪の毛は……おそらく地毛、それもザンギリに肩口で切っているし。トドメに、その着物は対丈(ついたけ)だし。

 お前を初めて見たとき、両儀式に見えたんだ。

 ひと目見て、それだけで両儀式だと確信した。赤い革ジャンは着てないけど……それでも、それほどの完成度だった」

 

 青年の視線はそのまま下にスライドする。

 

「そんな“完璧な両儀式”が、クロックスを()いていた。下駄(げた)でもブーツでもなくクロックスを、だ。

 ———その違和感、お前にだって分かるだろ?」

 

 青年の言葉を聞いて、オレは。息を吐きながら、動揺を抑える。

 そんな事、わかってる。

 こんなにも“両儀式になり切っている”コスプレイヤーが、足元を(おろそ)かにする(はず)がないってこと、オレにだってわかってる。

 だから、反論した。

 

「……でも、それだけだろ? それなら“たまたま”、()きやすいクロックスを履いただけかもしれない。

 近所のコンビニに出かけるのに、わざわざ編み上げブーツを履くっていうのか?」

「だからおかしいんじゃないか」

 

 青年の声に、オレは思わず目を開けた。

 

「忘れてるかもしてないけれど、ここは、早朝の始発電車だからな」

「だから、なんだって言うんだ」

「『早朝の始発電車にコスプレした(やつ)が乗っている』。この状況で真っ先に考えられるのは、『昨日は家に帰ってない』ってパターンだ。

 前日の撮影会が長引いたとか、打ち上げの飲み会が遅くなり過ぎたとか、そういうの。それで帰るのが翌日になったのかと思った。

 ———でも、そう考えるとかなりオカシイ」

 

 そう言って、衛宮のコスプレ青年は、オレの手元を指差した。

 

「会場からの帰りのはずなのに、だ。お前は手荷物を持ってない」

「コスプレしてから……。それから会場に行ったかもしれないだろ」

 

 オレがそう言うと、青年は首を、横に振った。

 

「それだと、クロックスの説明がつかないんだ。だってそうだろ。

 ———お前は、編み上げブーツを履いてなくちゃいけないんだから」

 

 “コスプレせずに衣装を持って会場に行く人”の中に『コス用の靴を()いて行く』という人はいる。

 ……でも、逆はない。

 衣装を着ているのに『靴だけはクロックスを履いて、コス用の靴をカバンに入れる』という人はまずいないのだ。と、青年は言う。

 

「だいたい、お前今手ぶらだろ? 替えの靴も、着替えだって持ってないじゃないか」

 

 両手に、力が入った。

 ……危なかった。『手ぶらじゃない』と言い訳して(そで)の中のモノを出してたら、今度こそ取り返しがつかなくなるところだった。

 

 青年は体ごとこっちを向いて、少し前屈みになった。

 

「『両儀式のコスプレをしてるのに、足元だけクロックス』という状況を考えた時、次に思いつくのは、家にいたコスプレイヤーが『ちょっとそこまで外出をした』って状況だ」

 

 これなら、クロックスを履いていた理由にはなる。とヤツは前置きして、またもや、首を横に振りやがった。

 

「でもそれだと、始発電車にいるわけがないんだよな。

 ———“(たく)コスで徹夜”って線もないではないけど。だったらお前、どこのコンビニに行こうってんだ?」

 

 そもそも、お前の乗ってきた駅にだって、コンビニはあった(はず)だろ。と、青年は付け足した。

 

 ちょうどそのタイミングで、列車がホームに到着した。

 車内アナウンス、車輪が()れる音、体が左に傾く感覚。正面の窓の外の、右に流れるホームの風景が、だんだんゆっくりになっていく。

 

藤野咲(ふじのさき)ぃ〜、藤野咲(ふじのさき)ぃ〜。

 次は波屋町(なみやちょう)にぃ〜、()まりまぁ〜す』

 

 車両のドアが開く。でも、誰も乗ってこない。

 この電車はこの駅を含めて5つの駅に停まり、最後の駅、つまり5つ目の駅で終点、折り返しとなる各駅停車だ。

 各駅間の所要時間はおおよそ5分。つまり後25分も()つ頃には、オレたちはまた、赤の他人に戻るわけだ。

 

 つまり、何をどうねばっても、25分以上一緒にいない。そんなカンケイ。

 だからこそ、オレもコイツも、こんなにも無遠慮になれるのだろう。

 

 左側にいる男。その男の口の動き出すのを、オレはジッと見つめていた。

 

「昨日どこかで、コスイベをやってたり、あるいは事前の“合わせ”をやった可能性は除外できる。自宅でコスプレをしてたにしては不自然な点が多すぎる。

 ———だから俺は、ひとつ、仮定した。『じつはコスプレをしていないんじゃないか』という仮定を」

 

 青年は息を吸いながらのけぞり、背もたれに体重をかける。その状態で息を吐いて、それからやっとオレを見た。

 

「だから()いたんだ、『ほんとは、コスプレイヤーじゃないんだろ?』って」

「その考えが正しいとして、だ。それならオレはなんなんだ? どうしてこんな格好をしてる。

 おかしいだろ、普通に考えて」

「それは、俺も不思議に()()()()

 

 …………。

 

「じゃあ、今はどうなんだよ。

『思ってた』って、過去形で口にしたってコトは、今はそう思ってないってコトだよな」

 

 だんだんと、心拍数が上がっているのが自分でもわかる。

 これはもしかして、()んだかもしれない。

 案外『みんな気づかないんじゃないか』と期待したけど、どうやらそうもいかないらしい。この状況に(おちい)ってから初めて出逢(であ)った人間に気づかれたとあっては、最後の希望も絶たれたというモノだ。

 

 肉体的に、ではなく精神的に。そしておそらくは社会的にも、きっとオレは死ぬだろう。

 

 ……さっきは、いっそどちらなのか、ハッキリすれば良いと思った。

 だから、この出会いは()(がた)かった。コイツに気づかれなければ、これから先もなんとなく、上手くやっていけそうな気がしていた。

 

 オレの視線が、青年のそれと交錯(こうさく)する。

 意外にも、虹彩(こうさい)の色が薄いのか、青年はカラコンを入れていない。

 金色に近い、黄土色(おうどいろ)の瞳をしていた。

 

 青年の口が動くのを、オレはじっと見続けていた。

 

「その前に一つ。着物の(すそ)を、俺に見せてくれないか?」

 

 わずかに震える右手を伸ばし、着物の(すそ)をつまみ、裾先(すそさき)をグイッとこっちに向ける。

 クロックスの汚れが、(すそ)に少しだけ付いていた。

 

「そのクロックスは、誰かが普段使いしているものだ。

 汚れが染み付いていて、頻繁(ひんぱん)に洗った形跡(けいせき)がない。

 もしも、その着物も普段使いして生活しているのならもっとクロックスと()れるから、もっと汚れていてもいいはずなんだ。わざわざ頼んで、見せてもらう必要もないくらいには」

 

 青年は人差し指を伸ばして、軽く、オレが握っている(すそ)(さき)を指差した。

 

「ホントは、(すそ)の位置も気になったんだ。だから、一度見せてもらった。コスプレイヤーは着物を着る時、(くるぶし)より上まで、(すそ)を上げることが多い。それは洋靴(ようぐつ)()くからだ。靴に()れるし、裾捌(すそさば)きも悪くなる」

 

 “(から)境界(きょうかい)”の両儀式も、そうやって着こなしてるしな。と、付け足した。

 本来は、本来の“着物”としての着こなしなら、下駄を履くから、(すそ)(くるぶし)より下でもよかったけど、西洋から文明を取り入れた結果、着こなしも少しだけ変わったのだと。

 

「お前の着こなし、(すそ)の長さは下駄を履くのが前提だ。だから今、お前の(すそ)は汚れてる。

 そうなると、『コスプレしている』という前提すら疑わしくなってくるんだ。だって、両儀式のコスプレするなら、(すそ)の長さは編み上げブーツが基本だろ? 

 誰でも、履物(はきもの)の汚れには気を使う。今みたいに、着物の(すそ)が汚れるからな。

 だから、お前が電車に乗り込んだ時に、クロックスが気になった。

 そして(あん)(じょう)、その着物とクロックスとを同時に身につけるのは、今日が初めてだったってワケだ」

「……それで?」

 

 合いの手を入れるオレの声に、青年の声が返ってくる。

 

「となると、真っ先に疑うべきは、『それは両方とも両儀の物か?』ってところだ。

 普段から着物を着るのなら、踝よりも裾が下の(そういった)着こなしをするのなら、下駄くらいは用意する。何年も使って、汚れのこびり付いたクロックスなんてのは絶対履かない」

 

 それから、青年はいくつかの可能性をオレに示した。

 着物がオレのもので、クロックスが他人のものだと仮定するなら。オレは自分の履物(はきもの)をどこかでなくした事になる。この電車に乗る前、どこかの建物を出る段階(だんかい)で、オレは履物(はきもの)を紛失したのか。あるいは慌てて飛び出したから、綺麗な靴を履けなかったか。

 どちらにしろ仕方なく、クロックスを()いている。という可能性が高いんだ、と。

 

 逆に、クロックスがオレのもので、着物が他人のものである場合。

 オレはどこかの建物で、着物に着替えた事になる。この列車が始発であることを考えると、少なくとも昨日の深夜から、始発に乗り込む5時半までの(あいだ)のどこかで。

 

「なんにせよ言えるのは、仕方なくクロックスを()いているってこと。キレイな(くつ)を履けなかったこと。

 それだけ綺麗に着物を着るんだ。自分で着たにしろ着付けてもらったにしろ、そこには“慣れた人”がいたはずで、その人物は履物(はきもの)にも、(すそ)(たけ)にも、ちゃんと気づけたはずだから」

 

 ———急ぐ必要がなければ、だけどな———

 

 青年はゆっくりと(まばた)いて。(ひら)いた瞳に、オレを(うつ)した。

 

「だから結論は一つだけ。

 両儀は急いで飛び出してきたんだ。着替える暇もないほどに、(くつ)見繕(みつくろ)うこともできずに」

「……それでも。それでも、最低限のモノは持ってる。小銭入れと、カードケースと」

「そうか、それは良かった」

 

 そう言った青年は、自分の左の、大がらなボストンバッグをあさり、ペットボトルを取り出した。

「喉が渇いたんだ」と言って、中の水をガブガブ飲んでいるヤツの飲みっぷりを見て、つい、欲しくなった。

 

「……水」

「ん?」

「水。オレにも飲ませろ」

「……いいのか?」

「別にいい」

 

 飛んで来たそれをキャッチして(ふた)を開ける。中身を一口だけ飲んで、青年に向かって投げて返した。「それで?」という言葉とともに。

 返ってきたペットボトルをボストンバッグにねじ込みながら、青年はもう一度こっちを向いた。

 

「もう一つ気になったのは、自分を“両儀”と呼ばせたこと。

 本名を教えてくれなかったことは、別にいい。でも、俺に『式に見える』と答えさせてから、『両儀と呼べ』と言ったこと。

 ———お前と、両儀式とが重なるように、俺に意識させたこと」

「…………」

「レイヤーならともかく、お前はそうじゃないと推測していた俺にとって、それは、違和感にしか感じなかった」

 

 オレの方を向きながら、カバンの中身を隠すようにねじ込んでいたペットボトル。ボストンバッグにキャップのところが入らないのを観念して、キャップだけ出してチャックをしめた青年は、上を見て、まぶたの裏を見ながら言った。

 

「お前がコスプレイヤーだったなら、分かる。自分と両儀式とを重ねたいという情動がある、というのも分かる。

 でもそうすると、かなりおかしな事になる。

 つまり今、お前はコスプレを、()()()()()()()()()()()()

 ———だから逆を考えてみた。

 お前は自分を両儀式と重ねさせたいんじゃなくて、別の“誰か”と、重ねさせたくないのだとしたら」

 

 いつの間にか、青年は目を閉じていた。

 

「“自分”と“誰か”。この二者(にしゃ)を、同一(どういつ)の存在だと認識して欲しくなかった、だから。

 たまたま自分と似た格好の、両儀式と重ねさせようと(こころ)みた……の、かもしれないと、あの時思った」

 

 青年はこめかみに、右の人差し指を当てて、コツコツと指を動かし、そこ以外は固まっている。

 まるで“ロダンの考える人”だな。と、少し笑った。アレは手が(あご)にあるけれど。

 

「だったら両儀は、誰と同じだと思われたくなかったのか。お前の言葉を思い返して、一つだけ、心当たりがあったんだ」

 

 ————おまえに名前を教える気はない————

 

 再び青年の、黄土(おうど)(いろ)の瞳が見えた。

 

「『“自分”が“自分”だとバレたくなかった』。そうだよな? 両儀」

 

 オレは、無言をつらぬいた。

 

「急いでいたらしいことと合わせると、“夜逃げ”……みたいなモノだと思う。

 わざわざ俺に『何に見えるか』と聴いたのは、自分の変装がちゃんとできているのかを確認するため。

 なぜ逃げたのかは分からないけど。重要なのはそこじゃない。

 ———重要なのは、『追手になるであろう人達が、“両儀コスのレイヤー”をお前だと認識できないだろう事』が、導き出されるトコだ」

 

 そうじゃないと、その姿を真似(まね)る意味がなくなるからな。と彼は続けた。

 

「つまり、“両儀式のコスプレを見て、お前だと気づかない人”がいて、その人を騙したかった。

 ———だからお前は、両儀式のコスプレをしてると思わせたかった。

 “両儀式のレイヤー”だと誤認させ続ける事で、逆説的にお前本人だと分からなくなる、そういう風に仕向(しむ)けたかった」

 

 ため息が、勝手にもれた。

 全く、開いた口が塞がらないとはこのことだ。びっくり箱にも程がある。

 だいたい、コイツが推理を始めたのは、藤野咲(ふじのさき)駅に着く前だった。出会ってから、5分も()ってなかったんだ。

 

 こんな人間が“二人目”だなんて、オレも、いよいよもってついてない。まぁもっとも、ここまで来ると、いっそ清々しい気分ではあったが。

 黄土(おうど)(いろ)虹彩(こうさい)の男を、見返しながら口を(ひら)いた。

 

「じゃあさ、オレはどこから逃げてきたと思うんだ? 

 ここまで踏み込んだんだ。最後まで付き合ってもらうぞ」

「そうだな、両儀の返答にウソがないとするならば……。

 あの駅の付近に住宅地はないから、逃げてきたのは“オフィス”か“店舗”のどちらかってことになる。

 “とっさに履けるクロックスがある施設”に限定されることから、靴を履き替えながら行う仕事。

 ———医療関係か、飲食関係か……。オフィスでの履き替え用って線もあるか」

 

 青年は右人差し指で、こめかみをトントンとやっている。

 

「でもオフィスでの仕事だと、黒ずんだ感じには汚れない。灰色っぽく汚れる(はず)だ。

 汚れたクロックスを履き続けられる仕事……となると、医療関係は除外していい。

 飲食店、それも、座敷のある飲食店か。

 接客する時にクロックスを履く一番の利点は、すぐに脱げること。足の操作だけで靴が脱げるから、両手にお盆を持ったまま座敷に上がれること」

 

 だんだんと緩んでくる口元を、意識して“への字口”に固定する。

 ホント、笑い出してしまいそうだった。

 

「着物がある飲食店と言えば日本料理店。さらに、終電時間になっても家に帰ってないとなると、酒が出る店。居酒屋のようなところ。

 となると———」

 

 人差し指のトントンをやめた青年が、向きなおり、言葉をためる。

 一拍、二拍。それだけためてから、結論を口にした。

 

「地域密着型で大規模展開していない、座敷のある日本料理店。酒が豊富で、ツマミが出てきて、12時を回っても飲めるような店」

 

 オレはただ、目を細めることしかできなかった。

 いつの()にか列車はホームに停まっていて、ドアは開いていて。オレは窓から見える駅名を見て———

 

 息をゆっくり吐き出して、全身の力も吐き出した。

 もう、後戻りはできない。オレの逃避(とうひ)(こう)は、初日の、わずか20分足らずで終わってしまった。

 

「寿司屋だ」

 

 ここまで推測されてしまうと、もう終わりだ。警察がやってきた時にでも、コイツは話してしまうだろう。

 そうなると必然、アレもバレる事になる。

 オレは後ろに、つまり背もたれにもたれかかった。

 

「オレが逃げてきたの、寿司屋だ。

 クロックスの方はオレの持ち物で、着物の方が他人(ひと)のもの」

 

 背もたれにもたれたまま、顔も前に向けたまま、目だけで左の青年を見て、オレはついに、自白(じはく)する羽目(はめ)になった。

 

「昨日は宿直(しゅくちょく)でさ———店仕舞(みせじま)いが0(れい)時半。皿洗いと片付けと、客席と厨房の清掃を終えてから、鍵をかけたのが午前の2時半」

「その変装、時間かかっただろ? 一睡もしてないのか?」

真逆(まさか)。そこから仮眠をとったんだ。それで、起きたのが4時半だった」

「あっ?」

 

 青年の顔が曇る。

 

「するとなんだ。昨日まで、逃げる気はなかったのか」

「そう。オレのコレは、突発性の(あさ)()げなんだ」

「それって、アレか? ふと思い立って自殺するようなものか?」

「さあな」

 

 ここにきてやっと、笑えるようになった気がした。

 目をもう一段、細める。

 

生憎(あいにく)と、そんな衝動に()られたことは一度もないんだ。だからなんとも言えないけど、似ているようでも、たぶん違うぞ」

 

 コイツなら分かるかも、と一緒思った。

 同時に、こればかりは分からないだろう、とも思った。

 

「なんだと思う?」

「……」

 

 今回も、何か気の利いた答えが返ってくると期待したのに……。目の前のコイツときたら、眉間(みけん)にシワを寄せて固まったままだ。

 

「どうしたんだよ、衛宮。固まっちまってさ。

 さすがのおまえでも分からないか?」

「あぁ———、その……。えっと」

「なんだよ」

 

「あー」とうめきながら髪の毛をガシガシやる青年を見て、もしかして、と思った。

 

 ———コイツ、まさか本当に———

 

「言ってみろよ」

 

 気がつくとオレは、青年と正対(せいたい)していた。

 電車のソファーが横並びだから、完全に、とはいかないけれど、できるだけ真っ直ぐに、青年を向いていた。

 

「言ってみろよ、笑わないから。

 どんなに荒唐無稽(こうとうむけい)でも、どんなにバカみたいな話でもいい、オレはちゃんと聞いているから、だから———

 言ってみろよ」

「……2つあるんだ。二つの仮定。

 二つ同時に仮定してはじめて、答えになる。

 両方とも、ありえない仮定だけど」

 

 と、青年は前置きしてから、恐る恐る、唇を動かした。

 

「一つ、犯罪を犯した。だから変装して逃げている。

 これが、(もっと)もありそうな仮定だ。

 ———でも、“変装してまで逃げないといけない犯罪”を犯した後だとするなら、時間的にはカツカツだ」

 

 朝起きたのが4時半。それから突発的に犯罪を犯して、()()()()()、変装して、始発に乗る。

 これを、短時間で行わなければいけないなら。それはあまり、現実的じゃない。

 衛宮は、まるで言いワケをしているように、少し早口にまくし立てる。

 

「着物の(すそ)とクロックスのことを考えると、両儀が犯行に及んだ場所の見当(けんとう)もつく。

 さっき言ってた、寿司屋だ。

 そして、犯行後に着替えたのだとすれば、お前は(すそ)の調整に失敗したんだ。普段から慣れているから、咄嗟(とっさ)にいつもの長さに調整してしまって、履物(はきもの)がクロックスしかない事を気にしていられなかった。

 ———犯行前に着替えていたなら。その場合も、(すそ)の長さの調整がおかしい。この時(すで)に、着替えなければいけないなんらかの事情があった、ことになる。

 それも、履物(はきもの)のことを考えられなくなるような———」

 

 オレは少し、息を潜めた。

 

「そうだな。それで? 

 それで、二つ目はなんだよ」

 

 自分の(のど)から、(つば)を飲む音がした。

 それから衛宮は、オレが最も恐れていた言葉を、口にした。

 

「———犯行前に、両儀式に()った。コスプレじゃなくてお前の体が、両儀式に()っていた。

 だから俺に、両儀式のレイヤーだと思わせようとした。その体が本来のモノでないなら、色々な事に辻褄(つじつま)が合う」

 

 返答を、しなかった。

 そのかわりにオレは右手を、左の(そで)に突っ込んだ。その中にあるカードケースを取り出して、中から証明証、マイナンバーカードを抜き取って、目の前にいる青年に見せた。

 

 カードの左上、一番目立つところにある氏名の(らん)には“時灘(ときなだ)咋矢(さくや)”と書いてある。その下の顔写真は坊主頭で、両儀式とは似ても似つかず。

 そして何よりカードの右上、マイナンバーマークの真下(ました)に記載されているはずの性別の(らん)には、“男”と(しる)されてあったのだった。

 

波屋町(なみやちょう)ぅ〜、波屋町(なみやちょう)ぅ〜。

 波屋町(なみやちょう)にいぃ〜、停まりまぁ〜す』

 

 2つ目の駅の名前。

 あと、みっつ。

 

 マイナンバーカードを見ていたコイツは、少しして顔を上げた。

 

「いや、俺も。確信があったわけじゃないんだけど……」

 

 そうでなきゃ困る、と思った。

 そうでなきゃ、(あさ)()げした意味がなくなるから。

 だからオレは、苦笑いで返答する。

 

「まあ、こんなカード。『盗んだだろう』って言われればそれまでなんだけどさ。

 どうやって、そう思ったんだ?」

「どうやって言われても……、(なか)ば当てずっぽうなんだけどな」と、鼻の頭をかいていた。

 

 ヒントは、オレの言葉らしい。

『突発性の朝逃げ』というオレの言葉と、オレの格好が繋がらなかったから、と。

 

「“突発性の朝逃げ”なら、その格好は明らかにおかしいからだ。

 両儀式と見まごうばかりの服装、髪の毛。

 その格好を作り出す労力と、お前の逼迫(ひっぱく)していたらしい状況とが、どうしても合致(がっち)しなかったんだ」

 

 オレの髪は、無造作に切られたザンギリ頭。長さが不揃(ふぞろ)いのストレートボブ。

 

『突発性の朝逃げだ』と聞いたとき、それだと時間が足りないことに気づいたんだ、と言った。前々から企画していたならともかく、突発的に髪の毛を切って、こういう風にはならないはずだ、と。

 

「『両儀式に見せかける』というのは、コスプレそのものだ。そこには莫大(ばくだい)な時間と、労力がかかる。でもそうなると、最初の仮定と矛盾するんだ」

 

 ———俺はお前を、コスプレしてないと仮定した———

 

「コスプレしてないのに両儀式の格好をしていて、レイヤーじゃないのに両儀式に見せかけている。そして今朝突発的に、急遽(きゅうきょ)朝逃げする必要があった。

 この三つの条件を一度に満たす状況なんて、俺には、これしか思いつかなかった」

「それが……、その答えがコレか」

 

 もはや、ため息しか出てこなかった。

 座席のシートにダラけたままで。それでも、幾分(いくぶん)だけ(ほが)らかに、少しだけ微笑むことができていた。

 

「なあ、もう少し水。……飲んでもいい?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 つられたのか青年も、ほんの少し微笑んでいた。

 心地よい沈黙の中、車掌のアナウンスが響く。3つ目の駅。

 あと、ふたつ。

 

 もらったペットボトルから水を飲んで、キャップを()める。

 それをシートの上に置いてから目を閉じて、ゆっくり息を吐き、背中でソファーのクッションを感じる。

 

「んーーっと。時灘(ときなだ)……さん?」

「その名はやめろ。できるだけ見つかりたくないんだから」

「じゃあ両儀って呼ぶぞ」

 

 こんな気分になったのは、一体いつ以来だろうか。

 ここ最近は、特に切羽(せっぱ)()まっていたからか、こんな、のんびりとした気分ではなかったから。

 オレのふやけた意識に、声が横から割り込んできた。

 

「俺は次の駅で降りる。だから、もう会う事はないけれど……うん。楽しかったよ、両儀」

 

 隣の青年は、「ありがとな」とゆるく笑った。

 ……そうか、次でおわりか。

 オレとしては、正直、()しい。

 一夜にして全く違う体になって、“前のオレ”を知る人たちには知られたくなくて。こんな状態でこんなヤツに出会えたのは、(なか)ば奇跡なんじゃないかと思うほどだった。 

 

 ———だからだろう、口を、(すべ)らせてしまったのは。

 

 おそらくは、今後二度とないだろう出会い。

 身バレを最も怖がっていたオレの、心の壁を飛び越えてきた男。

 

 あと5分もしないうちに青年は降り、オレは終点まで乗っていく。『それで終わり』にするのは、とてつもなく()しいと思った。

 

 ———何かないだろうか。

 コイツとの関係を持続させる方法は。『またどこかで会おう』ではなく『もう会う事はないけれど』と言った、コイツとまた会う方法は。

 

 ……あっ。

 

 おかしい。どうしてコイツは、『もう会う事はないけれど』と言ったのか。この(わか)文句(もんく)は、少しおかしくはないだろうか。

 そう、それはまるで———

 

「なぁ、エミヤー。

 こんな推理ができるのに、なんでホームズのコスプレじゃないんだ?」

「……それを言われると困る。今回ばかりは仕方なかったんだよ」

 

 …………そうか、(わざ)とか。

 

「なぁ、エミヤー。

 ———そのボストンバッグの中、オレに見させろ」

「どうしたんだよ、そんな急に」

「“どうした”も“こうした”もない、ただ気になっただけだ」

「じゃあ別にいいだろ? 気にするなよ」

「そうもいかない。おまえとは初対面だけど、流石(さすが)にさ。

 情が移った相手が、明日の朝刊に“殺人犯”と紹介されるのは、我慢ならない」

 

「…………」

 

 沈黙、無言。

 オレは背もたれを感じながら、前を向き、左の声を待っている。

 しばらくしてから、赤銅髪(せきどうはつ)の青年は、口を開いた。

 

「どこで……。どのタイミングで気づいたんだ?」

()いて言うなら、『“死んでいるモノ”は見えにくい』んだ」

「———は?」

 

 気持ちよく弛緩(しかん)してダルい体を、無理矢理に起こす。

 月曜日の朝みたいな気分だった。

 

「言葉を返すようで悪いけど、おまえが言ったんだぜ。

『何かの犯罪を犯したんじゃないか』ってのと———」

 

 ノッソリと体を起こし、背筋をまっすぐにして。

 オレは一度目蓋(まぶた)を閉じて、目の前の青年に焦点を合わせて、もう一度、ゆっくりと目を()けた。

 

「『体が、両儀式に()った』ってさ」

 

 そこには、縦横無尽に紅白(あかじろ)い線が走った、青年の体が()えていた。

 

「ッ———!」

 

 ドダンッ! と、音を立てて立ち上がる青年。

 そんな青年を尻目に、よく見えるようになった円筒形のボストンバッグを、見つめ続ける。

 

 ボストンバッグの表面には、当然のように死の線が見えているワケだが。そのまま見つめ続けると、“表面に浮かんでいる線”の内側にも、線が見えるようになってくる。

 その“内側の線”。それが、やたらと薄い部分がある。

 

 オレに見えるのは“物体の表面をはしる線”だけだから、“薄くなっているモノ”の形状を正確に読み取ることはできないけど。だいたいなら、わかる。

 

「大きさと、だいたいの形を見ると……そうだな、人間の頭くらいだ」

 

 立ったままの青年を、魔眼で見る。目が合った瞬間、青年の目が鋭くなった。

「どうして、ソレが頭だと思うんだよ。他の可能性は考えなかったのか?」

「オレが見間違(みまちが)(はず)はない。

 ———だって、さっきまで見てたんだから」

 

 ボストンバッグの中の、モノ。浮き上がる“死の線”が(まわ)りよりも薄い感じも、その薄さも、形も。

 つい30分くらい前に見たモノと、同じだった。

 

「ああ……そうだ。白状(はくじょう)するとさ、オレは殺人者だ。

 目の前にあった男の首に浮かんだ“線”を手刀(しゅとう)でなぞったんだ。

 そうしたら、アイツは死んだ」

 

———今度は、おまえの番だぜ———

 

「人間の頭くらいの大きさの、“死んでいるモノ”入りのバッグ。おまえが口にした『もう会う事はないけれど』という言葉の意味。

 それで思った。おまえは自首をする気なんだ、って。

 ———もっとも、いろいろ小細工してたことも勘定にいれると、ただ自首をするだけでもなさそうだけどさ」

 

 立ち上がって、青年と正面から向き合った。(ひそ)かに息を調(ととの)える。

 

「その、バッグの中の男の顔。衛宮士郎にそっくりなんだろ? 

 だからおまえは、衛宮士郎のコスプレを()()()()()()()()()()。『今回ばかりは仕方なかった』んだろ?」

 

 オレは勝ち誇ったように笑う。出来(でき)るだけ自信満々に、出来(でき)るだけ格好(かっこう)を付けて。

 

「アリバイ工作にでも使うつもりか? 

 その“首だけ男”を、まだ生きていると見せつけるために、監視カメラにでも映るつもりか」

 

 バレないように深呼吸した。

 ここからは、一世一代の大博打(おおばくち)だ。

 

「なぁ、エミヤ。

 オレを、家に()めろ。

 ———でなければ、その犯行を()()()()バラしてやる」

「それは———」

「オレはおまえと別れたくない。お前は犯行をもう少しだけ隠していたい。

 お互いの利害は、一致してると思うんだけどな」

「両儀、お前……」

 

 ズンズンとまっすぐ歩いていって、青年の胸ぐらを掴んで、列車のドアに押し付けた。

 都合(つごう)、オレは下から()めつける。

 

「いいか、おまえは脅されてるんだぜ。オレにさ。

 オレを家に泊めなければ、おまえの犯行の、その真相をバラすぞって、オレが脅してる。

 だから———自首するなんて許さない」

 

 いや、違うか。

 

「…………、助けてほしい」

 

 オレの視界いっぱいに広がる、青年の目が見開かれた。

 その瞳に飛び込むように、最後の言葉をひねり出した。

 

「——————助けて。……助けて欲しい。お願い……だから」

 

 

 

 

 

 こうしてオレは、見ず知らずの男の家に、出会ってすぐに上がり込むことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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始発電車に飛び乗って、コスプレしている男を見つけた。

 

 

 

 

「すごいな……」

 

 大きなスクリーンにエンドロールが流れ、劇場の電灯(でんとう)が付くやいなや、右隣から声が聞こえた。

 

「あいつ、『生きたい』って言いやがった」

 

 その声に引かれるように、オレはゆっくりと右を向く。

 右隣(みぎどなり)の席、ふかふかの椅子に深く腰掛けた青年が、首から上だけ、オレの方を向いていた。

 

 濃いめの眉毛と、色素の薄い黄土(おうど)虹彩(こうさい)

 青年の視線から(のが)れるように、正面に顔を固定した。

 右隣から、ため息と共に放たれる「お前は、どうだったんだよ」の言葉に、オレは、立ち上がりながら口を開いた。

 

「感想か? 

 言峰みたいな奴がもし、オレの母親だったなら、っていう……」

 

 目の前の青年が立ち上がるのを横目で見ながら「おまえの気にする事じゃない」と、目の前の奴に笑ってみせる。

 

「———厨二病(ちゅうにびょう)っていうヤツだ」

 

 映画が終わって、帰りの電車。

 わざわざ都市部まで出てきたせいで、帰るのにも電車に乗る羽目(はめ)になった。

 地下鉄の、1両目の後ろの(かど)

 車椅子用に座席シートの外された一角(いっかく)に、二人して()っ立っていた。

 1両目の後ろの壁にもたれて立つオレと向き合うように、つり革を持った青年は、映画の感想を、ずっと(しゃべ)り続けている。

 

「士郎がセイバーを刺した時、なんと言うか……納得したんだよ。『そうだよな』って。

『原作みたいに、顔を見て声を聞いてしまったらもう刺せないから。だったら遠くからジャンプして、顔を見ずに刺すしかないよな』って」

 

 こっちを向いて立つ、背の高い青年の、少し伏せた瞳を見ながら、オレは盛大にため息をついた。

 

「それで、なんであんな場所なんだ?」

 

 目の前の青年はやっと、オレの顔に焦点を合わせる。ソイツの目を()めつけながら、もう一つだけ、言葉を(つな)げた。

 

「どうして、“Fateの映画”だったんだ?」

「『どうして』って、お前も楽しんで()てたじゃないか」

「そうじゃない。そうじゃなくて———」

 

 電車が止まり、ドアが()く。アナウンスに(まぎ)れるように、小声で叫んだ。

 

「どうして『コスプレしながら出かける場所が映画館なのか』を()いてるんだっ」

 

 両腕を広げて服を見せる。

 藍染(あいぞめ)で、空色に染めた着物の上から羽織(はお)った、赤い革ジャン。

 オレの眼力(がんりき)に押されるように一歩引いた青年は、目を()らせながら(ほほ)()く。

 

「そのッ、予行演習のためにだな……。

 ほら今度の日曜日、神戸の外れでコスプレイベントがあるらしいじゃないか。でも、それに参加するのが恥ずかしいって言うものだから、つい……」

「つい? オレが『恥ずかしい』って言ったから? 

 だからオレにだけ女装させて、自分は堂々と私服で映画を()てたってワケか」

「“女装”っていうか、お前は女だろ?」

「そうだ———」

 

 オレは一度、ゆっくりと(まばた)きをする。

 

「——————()()()

 

 そして、縦横無尽に“死の線”が走った、青年の体を(とら)えきった。

 ビクッとして一歩退()がる青年に、オレは半眼で呼びかける。

 

「そろそろ慣れろ。目を合わせたくらいで、そんなの……」

「そう言われてもだな。直死の魔眼は“死を見えるようにする魔眼”だろ? その設定を知ってると……さ」

 

 まぁ、コイツに関してはいつもの事だ。と聞き流し、次の話題を振る。

 

「それに、もう一つ。()きたい事もできた」

 

 困ったように笑っている、目の前の“いけ()かないヤツ”から目を()らし———

 

「そろそろ教えてもらうぞ。

 おまえがあの日、持ち帰った“首”の話だ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 浴室の(とびら)を押し開ける。

 冷たいタイルに素足(すあし)を落とし、浴槽の(ふた)を巻き上げる。筒状にして(すみ)に置き、(おけ)で中のお湯を()った。

 

 ———風呂。

 壁を覆う水色のタイルをなんともなしに眺めながら、ゆっくりと、湯船に体を沈めていった。

 四角い浴槽と、正面にある銀色の蛇口。その銀色を反射するように、湯船から湯気が()(のぼ)る。

 

 お湯に浸かった温もりを一気に吸い込んでから、息を吐いた。

 吐き出した息が、天井にある水色のタイルに、ゆっくりとボヤけていった。

 

 ———今日は、色々なことがあった。

 両儀式になったことから始まって、若大将(わかだいしょう)を殺して、始発に乗って衛宮に出逢(であ)った。

 

 そんなアイツは、詰めが甘い。

 オレが“眼”を使って、持ち帰った首を処分してやると言った時、二つ返事で了承(りょうしょう)した。

 隠す気がないのか? オレになら、バレても良いと思ったのか……。

 “首無し死体の切られた首”なんてのは、隠したいモノが詰まっているものなのに。

 

 “ふぅ———っ”と、口を(すぼ)めて息を吐く。

 残念なことに、浴室はあったまってしまったのだろう。白い息は見えなかった。

 

 目を閉じる。

 電車(でんしゃ)一時(ひととき)を思い出す。

 まだ()もないからだろう。眠くなるような車輪の音まで、今でも鮮明に記憶している。

 今朝(けさ)、オレと会った瞬間。

 あの瞬間の青年は、間違いなく“着替えたて”だった。

 

 

 ———そんな“完璧な両儀式”が、クロックスを()いていた。下駄(げた)でもブーツでもなくクロックスを、だ。

 その違和感、お前にだって分かるだろ———

 

 

 今でも思い出せるアイツの言葉、オレの秘密を丸裸(まるはだか)にした最初の一撃。

 

 その言葉は、アイツ自身にも()()さる(はず)だ。

 

 だってそうだろう? 始発電車に乗ってすぐ、オレに指摘された後のことだ。服装を正す時、アイツは、ベルト穴の位置まで調節したんだ。

 

 オレを追い詰めた言葉の数々。

 あの問答は、今でも頭から離れなかった。

 

 

 ———『早朝(そうちょう)の始発電車にコスプレした(やつ)が乗っている』。この状況で真っ先に考えられるのは、『昨日は家に帰ってない』ってパターンだ———

 

 

 衛宮のヤツだっておかしい(はず)だ、オレだけ()められるなんて間違ってる。

 だって衛宮は、ボストンバックを持っていたんだ。

 その中に私服が入っているとして、『じゃあ何でおまえはコスプレしてるんだよ』って話になる。

 着替えて帰れよ。

 

 ———そもそも、だ。

 アイツがコスイベからの帰りだとして、“衛宮コス”が乱れているとかあり得ないだろ。私服が乱れているならまだ分かる。

衣装(いしょう)から私服に着替えた。その時に急いでいたから、自分の衣服(いふく)が乱れていたんだ』って言うならまだ、分かる。

 

 けど、アイツの場合は逆だった。

 コスプレ衣装(いしょう)が乱れていたんだ。それはつまり着替えてから、写真の一枚だって()ってない。

 

 じゃあ何で始発電車に乗ってるんだよ、おまえ。

 

 これから撮影会があるって言うなら、バッグに首なんて入ってない。

 “首を切り取った事件”より前、最初から着替えていたって言うなら、そもそも服は乱れない。

 

 その時気づいた。コイツはきっと、首を切り取ったその場所で、衛宮士郎のコスプレをしたんだ。

 

 そんなのはもう()()()()()()()()。オレと同じ、変装だ。

 そんなタイミングで変装するのは、“何か”を誤魔化(ごまか)したいからだ。

 

『殺人を誤魔化(ごまか)す』って言うのなら、それでも良かった。

 だって、あの瞬間(とき)オレは救われたんだ。

 

 

 ———もう会う事はないけれど……うん。楽しかったよ、両儀———

 

 

 だから、その言葉が気になった。

 オレの勘違(かんちが)いならいい。だけどもし、勘違(かんちが)いじゃなかったら……

 

 それが嫌で、脅しをかけた。

 

 ……勘違(かんちが)いじゃなかったら嫌だ。捕まってほしくなかったから。

 勘違(かんちが)いだったら()かった。アイツが、『何がなんでも逃げたい』と言うなら、(おとり)になってもいいと思った。オレが捕まっても、いいと思った。

 

「全く、お人好しにも程がある。

 こんな殺人鬼を()めるだなんて、天地が消えてもあり得ないのに」

 

 お湯を(すく)って、顔を()らす。

 水面に揺らめく女の顔に、少しばかりの苦笑がもれる。

 

 オレもまぁ、思い切った事をしたものだ。

 

 バッグの中の首。“死の線の輪郭(りんかく)”だけで、その顔の判別(はんべつ)なんかつくものか。

 あの時は勢いで押し切るつもりで()り出しただけ……。だからといって、無根拠(むこんきょ)という(わけ)でもなかった。

 

 衛宮がラグラン袖を着た場所と、首を切り取った場所とが同じだと見ていたオレは、この二つの出来事が“結果”になるような“原因”を探した。

 同一の“原因”に(たん)(はっ)する、二つの“結果”。

 

 ———そんなの探すに決まってる。

 もし見つけることが出来たなら、衛宮を()()められるかもしれないんだから。

 

 この(さい)、アイツが自首しない可能性には目を(つぶ)ってもよかったんだ。もしもそうだというなら、目的は(すで)に達成している。

 

 だから、アイツが自首しようとしているのだと仮定して、どうして、首を切ったのかに思いを()せた。

 

 首を切り取る最大のメリットは、死体が誰だかわからなくなること。

 血液検査やらDNA照合やら。科学技術が発達しても、それが科学である以上“照合する元データ”が必要になる。

 

 死体のDNAマップを作ったとして、それを照合する先がなければ、そんなDNAに意味はない。そもそも、その“元データ”として必要になる“自分のDNAマップ”を登録している人なんて、オレは知らない。

 

 指紋にしてもDNAにしても、死体のモノを採取しただけなら、そんなモノは使えない。

 

 実際の捜査では、犯行現場に残された犯人のモノだろう髪や血痕から抽出(ちゅうしゅつ)したDNAを解析して、犯人だと目星(めぼし)を付けた人間のそれと比較する———なんて使い方がほとんどだ。

 

 結局、首から上が無いだけで、免許証やマイナンバーカードの写真と、照合できないというだけで———たったそれだけで、その死体は身元不明になれる。

 

 ついでに指紋でも焼いてしまえば(なお)完璧だ。『この死体があるのはコイツの家だから、多分コイツの死体だろう』くらいの想像しか出来なくなる。

 

 身元不明死体を作ったアイツが、その場で着替えた士郎のコスプレ。これだけの情報が(そろ)っていれば、バッグの中の男の顔の一つや二つ、想像するのはワケもなかった。

 

 

 ———コイツの家に上がりこんだ日、少しばかり湯当たりし、「入り過ぎだ」と怒られて、(ひたい)に触れる手の感触に、オレはそっと目を閉じた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「———それで? 

 なんで首なんか持ち帰ったんだ。証拠は分かりにくい方がやり(やす)いだろうに」

 

 映画館から帰ってすぐ、“いけ()かない男”のアパート。

 劇場で———というより劇場までの行き帰りで、散々()ずかしめられた挙句(あげく)顔を真っ赤にしたオレは、帰って来るやいなや、熱いお茶を湯飲みに()れた。

 フローリング()りのリビングの真ん中に、頼りなく存在している木製のテーブル。キッチンから見て向こう側、衛宮が先に座ってる。

 かくいうオレは両手に湯飲みで振り返る。左回りに回転しテーブルに向き直る寸前(すんぜん)、リビングの向こうの窓の上、カーテンレールに()かっているハンガーたちの一番端の、赤い革ジャンが目についた。

 

 よく考えなくても、足が付くからATMなんぞ使えないオレが衛宮に(もら)った、目に見える最初のプレゼントだ。

 革ジャンから目を離しながら苦笑する。

 全く———阿呆(あほう)だ、オレは。

 

 湯飲みがセットされて(のち)、衛宮は何も言わず、湯飲みの中の、熱いお茶をズズッと(すす)って置き直す。両肘を、テーブルにおいた。

 

 オレは待った。自分のお茶には手をつけず、(そろ)えた(ひざ)の上に置いた両手で、着物の感触を確かめながら、ジッと、待った。

 

 ———コイツの扱い方は解ってきた。

 コイツは存外(ぞんがい)他人(ひと)に対して誠実であろうとするタチだ。ここまで場を整えてしまえば、コイツは(おそ)らく、話してくれる。

 

 そうしてついに、衛宮士郎が口を開いた。

 

「……両儀。その前にいくつか、聴きたいことがあるんだけど」

「なんだよ」

「その……。あの時何で、『俺が自首しようとしている事』が分かったんだ?」

 

 オレは息を吐く事で返事した。そんなの———

(かん)だ」

 

 衛宮の目を見る。その視線とカチ合った。

 こちらを見透(みす)かすような、奥行(おくゆ)きのある黄土色。最近気づいた。コイツは結構“良い目”をしている。

 

「ただの勘だ。

 ———でも間違いないと思った。あの瞬間のおまえは、もの(すご)く希薄だった。“存在が透き通る”っていうの? 

 そんな感じだ」

 

 アレはきっと“覚悟した人の存在感”だと、その瞬間に直感(ちょっかん)した。それが理解できたのは、もともと覚えがあったからだ。

 

 例えば、目の前に見知らぬ男がいたとして、そいつがナイフで刺してくるとして。そのナイフに当たらない最善の方法は、『ナイフを()()()無視する事』だ。

 “ナイフを無視する”、とは『刺されても構わないと思う事』。刺される恐怖を置いていくこと。

 “恐怖を克服(こくふく)する”のではなく、“死んでも良いと投げ出す”のでもない。ただ“()けたいと思う心”を、心の外に置いていくこと。

 

 師範だったその先生に、実際に刺しにいったこともある。小太刀(こだち)(かたち)木刀(ぼくとう)を使って、心臓の場所を突き刺した。

 それは、デモンストレーションだった。

 

 結論を言うと、その師範には当たらない。

『当たらなかった』のではなく、『当たらなくなった』。

『当たらない状態になった』というのが、きっと正しい表現だろう。

 ———“無敵状態”、というヤツだ。

 

 その瞬間の師範の姿と、あの時の、衛宮の姿とが重なって。その瞬間にオレは(さと)った。

 

「あの時のおまえは、自分の“死”を受け入れていた。

 かと言って、武術を(たしな)んでいる動きでもなかった」

 

 目の前の男は何も言わない。

 だからオレはもう少し、話し続けることにした。

 

「電車に()られながらずっと見ていたんだ。

 重心はブレブレだし節々(ふしぶし)連関(れんかん)はズタズタだし、間違いなく“気にしていない人間”だった。

 武術の世界に足を踏み入れたヤツが気にする事を、何一つ、気にしていない人間だった。

 ———なのに、おまえ」

 

 手を伸ばせば触れられる位置にある、青年の頭。赤みがかった太い髪の毛。コイツの家に乗り込んでいったあの日から、何度も髪を洗っているのに……。

 染料が頑固なのか、コイツが元々赤毛なのか。

 

「あの日、おまえは……自分の命を捨てたんだ」

 

 ぴくっと、肩が一瞬反応した。

 

「武術家じゃないのに覚悟を決めていた。そんな衛宮を見て気が付いたんだ。

『コイツは、犯行を隠そうだなんて思っていない』」

 

 コイツの雰囲気は、荒れてなかった。それは、犯行を隠そうとする人間のソレじゃあない。

 

「だから“勘”なんだ。

 確証(かくしょう)は何も無く、物的証拠(ぶってきしょうこ)は夢のまた夢。

 ただ、オレの経験と感覚だけを頼りにした———“当てずっぽう”だ」

 

 衛宮と、目が合った。

 今までのようにただオレの顔を見ているって感じじゃない。オレの体に焦点を合わせ、オレの存在を認識した。

 随分と久しぶりに、コイツの顔を見たような気がする。

 

「……凄いな」と感想をもらす衛宮。

「ぬかせ」と返してやった。

 

「大体、オレには最初から()えてたんだ。そりゃ……警戒して探りも入れるし、推測もする。

 ———結局、おまえはあまりにもチグハグだった。

 死体の頭をカバンに詰めて隠してるし。にもかかわらず、生き延びようとギラついてないし」

 

 だからあの時、“勘”と“当てずっぽう”で脅しをかけた。

 あの瞬間を(のが)してしまえば、もう二度と、会えないような気がしていたから。

 

「少しの(あいだ)だけど、おまえと過ごして確信した。

 やっぱりおまえ、その場で自首するタチだろ。

『理由や過程はどうあれ、自分は人を殺したんだから』なんて抜かして、その場で警察にでも連絡するよなぁ。おまえなら」

 

 ———でもしなかった。

 

「ずっと考えてたんだ。『どうしておまえは、その場に(とど)まろうとしなかったのか』

 おまえの言葉を借りるなら、それは“オカシイ”。とてつもない矛盾だ」

 

 頭の中でグルグル回っている思考を断ち切り、視線を感じて顔を上げると、衛宮がオレを観察していた。

 言葉に詰まったオレを、ただ見ているだけの衛宮にたまらず「何だよ」と言葉を放ち、少しのけぞる。

 そんなオレの反応を見て、コイツは、苦笑しながらため息をついた。

 

「何と言うか、アレだな両儀。

 秘密を暴かれるっていうのは…………怖いな」

「当たり前だ、バカ。

 そもそも、この話の発端(ほったん)だっておまえだぜ。おまえが“何とかのコスプレ”に参加するって言わなきゃ、こんな事にはならなかったんだ。

 挙句(あげく)()てに、オレにも参加させるんだから。

 理由くらいは知りたくなる」

 

 衛宮の目が(およ)ぐ。

 この数日間、ずっとはぐらかし続けてきた事だ。コイツは頭も良いし、今回も逃げられるかもしれない。

 

 けど、流石にもう時間切れだ。

 待ってやるのは此処(ここ)で終わり。

 もしもコイツが『話したいのに切り出せない』なら、崖っぷちに追い込んでやればいい。

 誰だってそうだ、喉元過ぎれば熱さを忘れる。一思(ひとおも)いに突き飛ばしてもらった方が、ラクになることもあるんだから。

 

「おまえが招待状を見せてきた時、何となく察しはついたさ。

 アレは、おまえへの招待状じゃない」

 

 恐らく、今もコイツが持っている招待状。

『両儀も参加してくれないか』の言葉と共に見せられたあの招待状は、決して、目の前のコイツに()てたものではなかった。

 

「オレが気づかないなんてあり得ないってこと、おまえにだって(わか)ってる(はず)だ。なのに見せた。

 ———答えてもらうぞ」

 

 

 

「衛宮は、オレにどうして欲しいんだ?」

「……は?」

 

 眉間(みけん)にシワが()る。そんな衛宮に、オレは一気にたたみかけた。

 

「まさかおまえ、オレが秘密を暴きに来たと思ったのか? 

 それこそ“真逆(まさか)”だ。

 何でわざわざ、そんな面倒な真似をする必要があるんだ」

 

 ここで逃してはいけない。

 重心が後ろに引いた衛宮を追って、こっちも少し前のめりになる。

 

「でも、どうせ“殺し”が絡んでるんだろ? 

 おまえは、誰かのために首を(かばん)に詰め込むヤツだ。どうせ今回もそうなんだろう。

 ———なら、いい。それで良い」

 

 だっておまえには、返しきれない恩があるんだ。

 

「オレが、教えてほしいのは秘密じゃない。

 衛宮はオレに、何をして欲しい。

 オレがどう行動すれば、おまえにとって一番いいんだ?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 拝啓(はいけい)、衛宮士郎殿

 仲秋(ちゅうしゅう)(こう)、貴殿におかれましては、ますますのご清栄(せいえい)のことと、心よりお(よろこ)び申し上げます。

 

 さて、おかげさまで当会、“遠坂邸でコスプレ会”は、本年10月を持ちまして無事三周年を迎えることとなりました。

 これもひとえに皆々様の変わらぬご支援(しえん)愛顧(あいこう)賜物(たももの)と心より感謝申し上げます。

 

 つきましては、10月4日(日)14時よりささやかなパーティーを開催させて(いただ)きます。

 ご多用(たよう)のところ恐縮(きょうしゅく)ではございますがお()()わせのうえお(はこ)びいただければ幸いです。

 また、今回も300万の賞金をご用意しております(ゆえ)

 お連れのアルトリア様共々(ともども)、スタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。

 

 敬具(けいぐ)

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 目の前に衛宮がいる。

 木刀を、一本(はさ)んで立っている。

 

 (つか)んでいるのは二人とも、一本の木刀を、二人が同時に握ってる。

 

「分かるか? 衛宮」

「ああ、分かる」

 

 オレが木刀の(つか)の部分を両手で(つか)み、衛宮のヤツは刀身を握る。

 オレの(つか)んだ木刀の先、(きっさき)の部分を受け止めるように、右手の(てのひら)を、押し当てながら握っているのだ。

 

 リビングの真ん中、テーブルをどけたその場所に、オレと衛宮は立っている。

 着物を着て、青で統一されたオレの和服。

 対する衛宮は、ジーパンに上はTシャツだけだ。ラグラン袖じゃない普通のTシャツ、無地で真っ黒のTシャツだ。

 木刀の、(きっさき)を握る衛宮の視線が、まさにその握っている右手に集中しているのを見て、オレは告げる。

 

「いくぞ」

 

 そのひと声を契機(けいき)(さだ)めて、ゆっくりと、両手の力を抜いていく。肩の力と握力を、同時に抜いて(ゆる)めていった。

 そうすると、両掌(りょうてのひら)への刺激が減るんだ。

 当然、ぎゅっと力を入れて握っているのを(ゆる)めていくと、(てのひら)の感覚神経に入力される刺激の量は減っていく。

 

 だから、より(こま)やかな刺激を感じられるようになっていく。

 木刀が重力によって引かれる感覚、重心のある位置に向かって落ちようという回転ベクトル。そして、木の質感。

 そういった“木刀の感覚”に意識を向けて、木刀の動きに(ゆだ)ねる。

 この場合は、地面に落ちようとしているだろ。

 

「——————ッ!」

 

 目の前の衛宮が反応する。

 (きっさき)を握っている右手がガクッと下がり、腕力で持ち上げようとしたのだろうが失敗する。

 木刀は衛宮の(てのひら)を滑り、その親指を切り飛ばすような軌道を描いて振り下ろされる。同時に衛宮の(こし)がくだけ、(ひざ)をつく。

 オレの視界から衛宮の頭が下に(はず)れる。

 ゆっくりと目線を下に向けると———

 

 青年が、一人地面に(つくば)っていた。

 

「コレが“剣”だぜ、衛宮。

 木刀が“剣”になった瞬間を、おまえはまだ感じてないんだ。だからそうやって(つくば)ってるんだ。“重心を()られた”証拠だ。

 木刀だろうと“剣”であるなら、人を斬るなんて造作(ぞうさ)もない。(かたな)()るのは肉だけど、(わざ)()るのは重心だ」

 

 ちょうどいい位置にある衛宮の頭に左手を伸ばし、髪の感触を確かめる。指と指との(あいだ)に触る感覚を、(しば)し楽しむことにした。

 

「衛宮が、最初に身につけてないといけないモノだ。

 殺しに来る奴が握るエモノが、“剣”であるのかそうじゃないのか。

 それを、見分けて初めておまえは、闘うという土俵(どひょう)に立てる」

 

 無言で衛宮が立ち上がる。左手の行き場をなくしてしまって仕方なく、右手で(つか)んだ木刀を撫でる。

 

()ずはこの、“剣を感じる練習”をする。

 そうすれば、多少はマシになってるかもな」

 

 オレの言葉に無反応な衛宮は、自分の右手を握って開いて、その感触を確かめている。

 そしてふと、(おもむろ)に顔を上げて(のたま)った。

 

「今……両儀は何をしたんだ? 

 握っている木刀が軽くなったように感じた瞬間、腕ごと持っていかれたんだが」

「力を抜いただけ。

 それから、“八尺(はっしゃく)(けん)”のイメージを使った。(きっさき)からレーザーポインターが出てるイメージで刀身をのばして、この部屋を(たて)に両断する感覚で」

「たった……それだけか?」

「それだけ、それだけでかなり変わるんだ。剣の重さは腕力じゃない。だから怖い。

 ———いいか、衛宮。

 相手が女だろうと子供だろうと、それは油断していい理由にはならないんだ。

 おまえが何をするにしても、()ず、恐怖を覚える必要がある」

 

 構えなおした木刀の、先をもう一度(つか)む衛宮に———オレは自分の唇を()める。

 衛宮に、言われたことを反芻(はんすう)する。

 

 

 ———闘い方を教えてくれるか? 

 両儀は、武術か何かやってんだよな。それを、俺にも教えてほしい———

 

 

 目の前に立てた木刀の向こうに見える、輝く黄土(おうど)の瞳が見える。

 

「出発までに、せめてこれだけは覚えてみせろ」

 

 木刀を(つか)む両掌の、力を(ゆる)めた瞬間に、木刀は衛宮の重心を斬った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから、一週間ほど()った夜。

 

 床に()いた布団の中から顔だけ出して、オレは、左隣のベッドを見上げた。

 暗い寝室。寝ているオレの頭上にある遮光カーテンの隙間(すきま)から、染み込んでくる街灯の(あか)り。

 街灯光(がいとうこう)を反射した天井だけが少し明るく、この部屋は、群青色の空間だった。

 

 左を見上げるオレの死角(しかく)、ベッドの上で鳴り止まない、布団と衣服の()れる音。

 一際(ひときわ)大きな擦過音(さっかおん)と、衛宮の(わず)かな息づかい。

 

 ベッドの()布団(ぶとん)(めく)れ上がるのを見たオレは、しばらく目を閉じてやり過ごす。

 

 ———耳をすました。

 

 ベッドの(きし)み。

 足下(あしもと)の方向に遠ざかっていく、衛宮の足音。

 そして(とびら)の閉まる音。

 

 トイレか……なら、ちょうどいい。

 

 音を立てないようにして、ゆっくりと立ち上がる。

 白い襦袢(じゅばん)(えり)を正して、緩んだ帯を締め直す。

 街灯の薄明(うすあ)かりで襦袢(じゅばん)を照らして、寝間着(ねまき)として乱れがないかをチェックして———

 

 寝室の(とびら)をそっと開いた。

 

 ドアを抜けるとリビングがある。右手にトイレと玄関につながる廊下の()、左手にベランダ、正面右奥にキッチンがある。

 そのシンクの下の戸棚の中から純米吟醸の小瓶を取り出し、ガラス製の小さなコップ二つに注いだ。

 

 リビングに戻ってきた衛宮にオレは、コップを片方差し出した。

 

「眠れないなら、ちょっと付き合え」

 

 

 

 (なか)ば強引にベランダに連れ出し、衛宮と並んで夜空(そら)を見る。生憎(あいにく)と、今夜は曇ってどんよりだった。

 

 チラチラと、左隣を盗み見ながら酒を飲む。生意気に、衛宮のヤツもカチコチだった。

 視線を切って夜空を見上げて、隣の衛宮にバレないように、深呼吸を二つした。

 

 ……ダメだ。こんなのはオレの(しょう)に合わない。

 まずは自分が楽しまなくちゃな。

 

 左手の酒を口に運んだ。

 ……ふぅーと長く、酒気を帯びた息を吐く。

 夜風(よかぜ)がオレの顔に触れ、耳の下から(うなじ)()でて抜けていく。

 

 衛宮を忘れて、一人夜風(よかぜ)(たわむ)れていると、(おもむろ)に衛宮がこっちを向いた。

 

「両儀は……両儀はどうなりたいんだ? 

 明らかにヤバそうな場所に、明日お前を連れていくんだ。本当に良いのか? もう一度、考えなお———」

「オレは、男に戻りたかった。

 三年間積み上げてきたものが、オレの夢には必要だったからだ」

「それは?」

(かね)だ。……()(ふた)もない話だけどな」

 

 曇った夜空に顔だけを向けて、目は衛宮の方を向く。

 ()れている瞳が見えて、だからオレは、思った。

 

「オレの身の上なんて、つまらないと思うけど?」

「……いい。聞かせてくれないか」

 

 ———もう少し、コイツの気を紛らわせよう、と。

 

 酒で唇を湿(しめ)らせて、衛宮の瞳から目を()らした。

 

「もちろん、オレにだって両親はいる。だから『戻りたい』と言った言葉の中に、そういう意味合いもあるにはある。

 だけどやっぱり、男に戻りたい一番の理由は、『預けてある(かね)を受け取るため』だ」

 

 雲が速い。今宵(こよい)上空(うえ)も、風が強い夜らしい。

 そんな雲から、(かす)かに月の光が見える。

 

「オレはさ、働いてた寿司屋の大将に、毎月(かね)を預けてたんだ。金額は、一月ごとにキッカリ10万。

 あと一月で……360万になる計算だった」

 

 左から聞こえる息づかいが小さくなる。

 コイツが、頭を回し始めた合図だ。

 

「“360万”という金額は、『働かずに5年間生きていくために必要になる最低限の金額だ』と、ハロワのオッサンが試算した額だ」

 

 気になって衛宮を盗み見ると、自分の世界に(もぐ)ってる。

 焦点の合ってないその横顔を何となしに見つめることにして、コイツに続きを語りきかせる。

 

「最初から“三年で()める契約”だった。

 360万を対価に(もら)うその瞬間まで、あと一月だったんだ……」

 

 ———運命の日、オレの肉体が変化して一番最初に懸念(けねん)したのは『自分が“時灘(ときなだ)咋矢(さくや)”だと(わか)って(もら)えなくなった事』だった。

 自分の見た目が一変(いっぺん)し、“時灘(ときなだ)咋矢(さくや)”だと証明できなくなったいま、仕事には行けない。預けた(かね)も受け取れない。

 

 宿直(しゅくちょく)だったオレが店舗の二階の、仮眠室でパニクってる時、若大将が出勤してきた。

 

 ……逃げる選択肢なんて始めから無かったんだ。

 

 逃げたって結局(けっきょく)何処(どこ)にも行けない。両親には頼れない。

 特に母親は“普通”と“常識”とが大好きな人だったから、こんな“異常な女”を見た時の反応は想像ができた。

 

 いずれ誰かに、説明しなければならない。なら早い方がいい。

 

 

 その日も(ワカ)は酔っていた。いつもと、変わりなかった。

 夜明け頃に(ワカ)は仮眠室にやって来て、そこで昼過ぎまで寝る。仕込みを始めるのはそれからだ。

 ウチはいつも午後5時からの開店だから、そんなルーティーンでも問題なかった。

 

 オレは()気味(ぎみ)(ワカ)に説明した。始めはイラついて声を荒げていた(ワカ)も、昨日の仕込みの最中(さいちゅう)に起きたちょっとしたハプニングを羅列(られつ)するうちに静かになった。

 

 そして(わら)った。

 

「へぇ〜。

 あの時灘(ときなだ)が女か、ケッサクだわ」

 

 それは、オレの(ワカ)との力関係が完全に固定された瞬間だった。

 オレが360万を持って向かう“次の就職先”に、ウチの大将が一筆(いっぴつ)書いてくれるとの約束があった。その大将も最近では弱りを見せて、晩婚の末にできた一人息子に()がせようとしている。

 

 (ワカ)は、その時確かに、オレの夢を握ってたんだ。

 

「ハッ……イイな、それ。

 ———やっぱ(そそ)るわ」

 

 仮眠室の奥にある物置(ものおき)にあった古い桐箪笥(きりだんす)から引っ張り出してきた藍染(あいぞめ)の着物を着たオレを見て、近づいて来る。

 

 オレの尻が机に当たった。気圧されたのか? オレが。

 

 (ワカ)の左手がオレの胸に触れている。(えり)の中に左手を突っ込まれて()まれるまま、左の肘で右肩を押されたオレは机の上に寝そべった。

 

「そうか、下着なんて持ってないよなァ」

 

 無言を貫くオレの表情を見て(わら)い、指先で胸の先端をいじり出す。

 (すそ)()わせの部分から侵入した右の指先が、オレの内腿(うちもも)をそっと撫でた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……それで、殺したのか」

 

 衛宮の感想に突っかかる。

 

「殺す気なんてサラサラ無かった。

 オレはあの時、無言で全てを受け入れていた(はず)だったんだ。明らかにそれが最善手(さいぜんしゅ)だった」

 

 そう、どう足掻(あが)いても身元の証明が出来ないオレは、戸籍(こせき)が無いも同然だ。“夢”だの“就職”だのと()える以前に、まず日本人になる必要があった。

 

 ———それが出来ないなら、誰かに(やしな)ってもらうしかない。

 

 今、左隣(ひだりどなり)にいる青年を———ベランダから外を向いたままの衛宮を見る。

 何処(どこ)を見ているか分からない目で考えに(ふけ)る、赤髪の青年を盗み見る。

 その横顔は、とても精悍(せいかん)な顔立ちをしていた。

 

行為(こうい)がどこまで進んだか、オレはあまり覚えてない。

 ただ、気がついたとき———馬乗りになっていたオレが(ワカ)の頭を左手で(おさ)え、首筋に浮かんだ“死の線”を、右手で殺した(あと)だった……」

 

 その先は、衛宮が推理した通り。

 めぼしいモノを()(つか)み、着付(きつ)(なお)して店を出る。

 

 ———始発電車に飛び乗って、コスプレしている男を見つけた。

 

 オレの眺める視線の先で、衛宮の焦点があっていく。

 右肘(みぎひじ)手摺(てすり)に置いて、酒を飲みから少し笑った。

 

「両儀は……その、後悔してるのか?」

「答えは……まだ」

 

 ……と、オレは答えた。

 

意味付(いみづ)けるのは得意じゃないんだ。

 ———オレは人間をひとり殺して、死体をそのままに逃げ出した。

 それだけの事なんだから」

 

 衛宮が黙る。

 オレは意図的に、ゆっくりと(まばた)く。

 沈黙は、嫌いじゃなかった。

 風の音に混じって、甘い香りを(かす)かに感じた。

 オレと向かい合う衛宮のさらに向こう側、ベランダの柵の向こうに金木犀(きんもくせい)一株(ひとかぶ)見つけた。

 ここは二階だからか、ちょうど花がよく見える。オレンジの皮を煮詰めたような……金木犀(きんもくせい)は高く(かお)った。

 

(だま)されてた……なんて可能性はないか?」

 

 衛宮の声に意識を戻す。オレの目の前で手元のコップを揺らしながら、つらつらと言葉を(つな)いだ。

 

「ほら、『実は(かね)なんか無かった』とか」

「オレが自分で積み立てたんだぜ。どう(だま)されるって言うんだ」

 

「———でも、“時灘(ときなだ)の口座”に(かね)がある(わけ)じゃないんだろ。管理を任せていたヤツが使い込んだ可能性は?」

 

「なんだよ。そんなのある(わけ)———」

 ある(わけ)ないと、口に出そうしたけれど……直後に全部()み込んだ。

 

「おまえさ、ホント。そういう(ところ)が“衛宮”だよな」

 

 言葉の意味が理解できなかったのか、マヌケ(ずら)(さら)す衛宮から、オレはコップを取り上げた。

 

「何でもない! 

 寝るぞ、衛宮。明日は神戸までいくんだ……ホラ、はやくっ」

 

 衛宮を()かしてベランダを出る。コイツだけ寝室に押しこんで、シンクにコップを二つ並べて、洗おうとして振り返り、寝室のドアに視線をやった。

 

 ———事実がどうなってるのか(わか)らないなら、推測するしか方法はない。

 

「もしも大将が、あるいは(ワカ)が、預けた(かね)を使い込んでいたのなら。それを誤魔化(ごまか)すためにオレを犯そうとしたのなら。

 始めから……貰う(かね)が無いと思えば、オレの体を(ワカ)が支配する理由も無くなる」

 

 声に出して確認する。

 寝室の()は閉ざされていて、何の返答もないけれど……。

 

 ———確かめる(すべ)が無いのなら、推測するのは、優しい可能性であっても良い。

 

 もう一度だけシンクを見る。

 二つのコップは明日の朝に洗おうと決め、オレは、寝室の()のドアノブに、そっと自分の手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 



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第二章、遠坂邸のコスプレイベント
360万の(かね)を、5年かけて使うなら———


 

 

 

 

 ———直死の魔眼を、(ひら)く。

 

 死の線が見える。

 目の前のモノに無数に(はし)る死の線を、(かた)(ぱし)から包丁でなぞる。

 

 衛宮に、百均で買わせた小型の包丁。それを、鉛筆を持つように軽く(つま)んで、先端で、ひたすらに線をなぞり切る。

 百均の薄いまな板の上が(こま)かくなってきたら、包丁の握りを切り替える。小刀(こがたな)を持つ時のように()先端(せんたん)付近(ふきん)(つか)み、まな板からかるく離して、割とキツめに(たた)()ろした。

 

 (たた)く、(たた)(たた)く。

 

 ひたすらに(たた)き、ツミレのように細かく(きざ)む。

 硬い骨には魔眼を使い、徹底的(てっていてき)(たた)き続ける。

 そうやって、原形をなくした塊を前に、百均の鍋を取り出した。片手持ちの行平鍋(ゆきひらなべ)だ。

 水を()った行平鍋(ゆきひらなべ)に、先程の塊を入れていく。それから、火にかけた。

 

 鍋の中の温度が上がると共に、水がどんどん(にご)ってくる。

 (しばら)く沸騰させ続けてから、シンクの中の排水口にブチ()ける。

 

 一気(いっき)に湯気が()(のぼ)る。

 (なが)しっ(ぱな)しの蛇口の水が、シンクを()つ音がする。

 

 十数秒も数えるころには、排水ネットが全てを()()ってくれている。

 本日5度目の作業を終えて、それからオレは一息(ひといき)ついた。

 

「やっと終わった……」

 

 声に出しても(むな)しいだけだ。

 達成感などあるものか。ただ、肩の力が抜けるだけ。

 

 ———まぁ、でも。

 オレがやって良かったと思う。メリットは沢山(たくさん)あった。魔眼の制御はかなり上達しているし……何よりアイツの、(おも)いを知れた。

 

 その“(おも)い”の向く先に、どんな人間がいるのだろうか。

 

 鍋も含めた調理器具をサッと洗う。包丁だけは水気(みずけ)を拭き取ってから、洗い終わった調理器具を作業台(さぎょうだい)に並べて———“()る”。

 

 

 

「……おい、証拠の隠滅(いんめつ)終わったぞ衛宮」

 

 寝起きの衛宮に、固く縛ったレジ袋を突きつけて、オレは(たすき)()きながら「ゴミ出ししろ」と語気(ごき)を強める。

 玄関の(とびら)が閉まったのを確認してから、両掌(りょうてのひら)で両目を(おお)い、(まぶた)を押さえて固定する。

 

 ———それでも、死の線は消えない。

 

 (まぶた)は完全に閉じているのに、脳が勝手に赤白(あかじろ)い線を認識して、視覚情報として入力するのだ。

 

 舌打ちをした。

 まだ完全には慣れてないんだ。能力をオフにするためには『焦点をズラせばいい』のだと知ってはいても、昨日手に入れた能力だから、オフにするのに時間がかかる。

 

 ゆっくりと、両掌(りょうてのひら)をどける頃には、正常な視界が戻ってきていた。

 

 “ガチャ”っと、玄関のノブが勝手に回る。

 身構(みがま)えるオレに、普通に入ってきた衛宮が言う。

 

「どうした、両儀。腹でも痛いのか? 

 トイレならそこに———」

 

 最後まで言わせない。右の掌底をヤツの(ひたい)に軽く当て、すぐさま後ろに()退()さる。

 

「……もう一回寝る」

 

 (ひたい)をさする衛宮を尻目(しりめ)に、リビングの()を開け放つ。

 

「おやすみ衛宮」

 

 リビングから寝室に入って、衛宮の着替えだけをリビングに放り出してから、オレは寝室の(とびら)を閉めた。

 

 

 

 ———これは、オレが衛宮の家に押しかけた、次の日の朝のことだった。

 

 

 寝室のドアノブから手を放す。

 衛宮のヤツが(とびら)の向こうでガサゴソ動いている音を聞きながら、寝室のベッドに体を投げ出す。仰向(あおむ)けのまま倒れこむ。

 

 左の肘で両目を覆う、着物の(そで)で口まで覆う。

 

「クソッ、逆だぞこれ。

 自首の意味が変わってくるだろ……あのバカ」

 

 目を閉じて思い出す。

 衛宮に『処分してやる』と言った首を、(じか)に見たのは、今朝、起きてからだった。

 適当(てきとう)な新聞に包まれて、さらにポリ袋の中に入っていたソレを(じか)に見た時、オレは舌打ちせずにはいられなかった。

 

 ———日本刀を使わずに首を切るというのなら、軟骨部分を切断すべきだ。

 オレの見た(ソレ)(れい)()れず、頚椎(けいつい)(あいだ)の軟骨を切断していた。

 ただ問題だったのは、切断している場所がかなり胸椎(きょうつい)に、つまり胴体に近い場所だったこと。おかげでポリ袋の中の頭には、かなり長い首が付いていたこと。

 新聞紙を()がす前から(すで)に、オレにはイヤな胸騒ぎがあった。

 

 切断位置が下に()ぎる。

 

 首というものは、頭に近づくに()れて(ほそ)くなっているものだ。当然、頭に近い方が首周(くびまわ)りの筋肉も少ない。

 頭に近い方が切り取りやすい…………(はず)なのに。

 

 ———今朝のことだった。

 キッチンの作業台の上。被害者の首を包んでいる、黒ずんだ新聞紙。

 鼻に付く生ゴミの(にお)い。

 

 オレが真っ先にソレの、首周(くび)りの新聞紙を()()ると————そこにはくっきりと扼殺痕(やくさつこん)が、人の手形(てがた)が残っていたんだ。

 

 

 左肘(ひだりひじ)に力を入れて、(まぶた)に強く押し付ける。

 右手でギュッと、衛宮のベッドの布団を握る。

 

自首(じしゅ)自首(じしゅ)自首(じしゅ)……。

 アイツが自首(じしゅ)するつもりなら、手形(てがた)は胴体側にあった方が都合(つごう)がいい。『俺が犯人だ』と言い出た時に証拠として使えるからだ。

 でも———」

 

 でも、態々(わざわざ)切り取ったからには、そこには必ず理由がある。切りにくい(はず)の“首の太い部分”を扼殺痕(やくさつこん)ごと切り取った。それはつまり……

 

 ベッドが(きし)む。

 オレが起き上がる時の重心の移動で、ベッドの脚の取り付け部分に負荷(ふか)がかかったようだった。

 

 衛宮のヤツをとっちめてやろうと立ち上がり、歩き、ドアノブに手をかける。

 (とびら)を開けようと力を込めた手を(すんで)(ところ)で引っ込めた。

 

「何やってんだろ……オレ」

 

 振り返り、戻り、うつ伏せにベッドに飛び込んで…………オレは(しばら)く寝たフリをした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 10月4日、日曜日。

 ———新神戸駅前。

 

 駅舎(えきしゃ)を出て、頭上に天井がなくなった瞬間、降り注ぐ(さわ)やかな日差しを浴びる。目を細めて太陽を見上げてから、後ろにいる青年を見た。

 衛宮と目が合った時、ふと気づいた。大切な事を、まだ聴いてなかったことに。

 

 両手を革ジャンのポケットに入れて、横断歩道で立ち止まる。

 

 片側一車線の車道を(わた)る横断歩道で、渡った先で二股に別れている。左手の道はそのまま大通りに合流する。右手の道は上り坂になっていて、住宅地の中へ続いてる。

 横断歩道の向こうに立っている信号機の赤い光を眺めつつ、右隣にいる衛宮に向かって、コスプレイベントの趣旨(しゅし)を聴いた。

 

「それで衛宮、何なんだよこのイベント。

 遠坂邸でコスプレでもして、写真()って帰るのか?」

「あ———、どうなんだろうな。

 でも、ルールがあるらしいことは知ってるんだ」

 

「ルール?」と聞き返したオレに、衛宮はちょっとだけ視線を寄越(よこ)して、また前を向いて口を開いた。

 

「そう、ルール。

 ———なんでも、このイベントの最中(さいちゅう)は本名厳禁。

 自分が(ふん)したキャラの名前のみを使用しないといけないらしい」

 

 信号が青に変わった。

 二人並んで歩きだす。

 

「……でもそれ、言うほど特殊なものなのか? 

 相手の本名の詮索(せんさく)なんて、普通に御法度(ごはっと)だと思うけど」

「そうだよなぁ、それは俺も気になってたんだ。

 でも……詳細は知らないからな。なんとも言えない」

 

 横断歩道を渡り切ったあと、二股(ふたまた)の道を右に折れる。

 ここから先は上り坂になっていて、車道も一車線分の幅しかなくなる。

 オレは左の歩道に乗って、右隣から聞こえてくるキャリーの音を聞いていた。

 

(ほか)には? 両儀。聴きたいこと———(ほか)にないか」

 

 “聴きたいこと”ね。

『300万の賞金の出どころ』とか『お連れのアルトリア様』とか『持ち帰った“首”に付いてた手形(てがた)』とか———

 

「……まあ、いいか」

 

 歩きながら(つぶや)いたオレの言葉に、衛宮は「どうした」と聴いてくる。

 

「別に……。考えるのが面倒になった。

 このイベントに何があるのか知らないけど……気にするの、やめにする」

「えっ? ……あーイヤ、(まい)ったな。このままじゃ会場まで会話が()たないぞ」

「知るか。

 おまえ自分で考えろ」

 

 右隣から聞こえる唸り声をBGMに、ぼんやりと空を眺め見る。

 水色に()んだ秋の空。

 隣にいる男の存在。

 

 数週間前のオレでは、考えられない状況だった。

 

「お前の夢を当てるってのはどうだ?」

 

 唐突に割り込んでくる衛宮の声にゆっくりと意識を戻しながら、見るともなしに右を見る。

 

「無理じゃないの?」

「だからこそ、だろ?」

「ふーん……じゃあ答えは?」

「……それは今から考える」

「おい」

 

 坂道を登る。風景が変わる。

 ここはおそらく、アパートやマンションの裏側の道だ。

 左には、高くて四角い建物があるけど、正面玄関に当たるものは見当たらない。この道ともフェンスで仕切(しき)られているし、明らかに人の出入りを遮断(しゃだん)している。

 

 そうやって左手の建物を観察していると、後ろから声がかかった。

 

「あ、そうか……。だいたい解った」

「嘘」

「ホントだって」

「嘘だ。だってオレは———」

 

「両儀は、信心深(しんしんぶか)い方だよな」

 

 衛宮の声に、反応して右を見る。

 衛宮の口元が、緩んでいるのを見つけてしまった。

 

「は? 信心(しんしん)? 

 ウチは仏教徒だけど、それほど熱心に拝んでなんて———」

「違う違う、そうじゃない。家系の宗教の話じゃなくて、両儀自身の心の話だ。

 お前、日本(にほん)神道(しんとう)神霊(しんれい)の事とか、結構信じるタチだろう」

「…………はっ?」

 

 一瞬、理解が及ばなかった。

 数瞬かけて意味を飲み込む。

 

「ちょっ、おまえそれは……」

 

 衛宮を見上げる。

 ———あり得ない。

 

「おい衛宮ッ。どうやってその可能性を引き抜いたんだ。だってオレは———」

 

 と、そこまで言いかけた時、衛宮が止まった。

 

 四辻(よつつじ)の交差点。

 衛宮は右を見つめてる。

 

 そして笑った。

 

「ついたみたいだぞ。

 ———遠坂邸」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 それは一軒の、洋館だった。

 赤い三角屋根から伸びた、四角い煙突が二本。

 

 横断歩道を(わた)った先、右手に見える洋館の門。

 

 その門の前に、7人ほど。

 それぞれに大きなキャリーやボストンを持って、門の前でつっ立ちながら談笑していた。

 その真ん中にいた一人がこっちを向いて、小走りでやって来る。黒みがかった紫の髪の少女だった。

 

 襟付きの白いワンピースの上から薄桃色のカーディガンを羽織った少女は、ピンク色のバインダーを両腕で抱き抱え、胸に抑えつけている。その状態でぴょんぴょんと()(あし)でやってきて、オレたち二人の前で立ち止まる。

 

「初めてまして、“衛宮士郎”様ですね」

「えっ? …………ああ、そうか。そうです、はい」

 

 おいっ、と右肘(みぎひじ)で隣をつつく。

 みっともない真似(まね)をするな、不審(ふしん)に思われたらどうする。

 

 少女は、視線をスライドさせてオレを見た。それからバインダーに目を落として、もう一度オレを見る。もう一度バインダーを見てから、オレの隣の、衛宮士郎の顔を見た。

 

「えっと、衛宮様? 予定ではお連れ様は“アルトリア様”と記載されてますけど……、如何(いかが)なさいましたか?」

 

「あー」と語尾を伸ばしながら首の後ろを()んでいる衛宮。

 しばらくして、ガックリと肩を落とした。

 

「それが、込み入った事情があって勧誘に失敗しまして……。

 代理人(だいりにん)に、両儀の格好をしてもらったんです」

 

 少女は“わっ”と驚いた顔になってから破顔(はがん)して、手元のバインダーにペンで“シュッ”と横線を入れた。

 

「分かりました。それでは“衛宮士郎”様、“両儀式”様。

 門の前でしばらくお待ち下さい。すぐに主催者が参りますので」

 

 ———と、そこで雰囲気が一変した。

 ピンクのバインダーを、自分の後ろで両手持ちにして、腰を入れて胸を張る。紫色の髪の毛が、風にさらわれて持ち上がる。

 

「……と、硬い話はこれくらいにして———

 今日からは、3泊4日の大イベントです。1日中コスプレしてお(めか)しして、目一杯、楽しんでいってくださいね」

 

 それから、右手だけを胸に持ってきて「言わずもがなですが」と言って続けた。

 

「私の名前は間桐桜です。これから4日間、よろしくお願いしますね、せんぱい」

 

 そう言って、少女はとても綺麗に笑った。

 

 ふと、右隣を見る。

 衛宮はずっと、間桐の後ろ姿を追っていた。

 

「エミヤー、オレ場違いじゃないか?」

 

 衛宮がオレを見る。その視線を受けてから、オレは、間桐の戻った先を見る。

 

「見ろよ、あの集団。stay night(ぜい)ばっかりだ」

 

 間桐桜の戻る先には、赤い弓兵やら金髪のライダースーツやら、見たことある絵面(えずら)が並んでる。

 

 その集団を観察するフリをしながら隣の衛宮を盗み見ていると、やがて、衛宮は(うなず)いた。

 

「まぁ、大丈夫じゃないか? 両儀式だって同じ世界観の中にいるんだし。

 それにほら、お前は完成度高いからな」

「何の保証にもなってないぞ、それは」

 

 でもまぁ。

 一歩、二歩。二歩だけ前に進み、衛宮から顔を隠す。

 盛大にため息をついて見せ、大袈裟(おおげさ)に首をふった。

 

「……分かった、いいよもう。

 乗りかかった船だし、恥ずかしいのにはもう慣れた。

 せいぜいお(とも)してやるから———堂々としてろよ、衛宮。そうすりゃあ割と見れるんだし、さ」

 

 ズンズンと一人(ひとり)(まえ)に行く。

 衛宮は後から()ればいい。アイツは何かと秘密があるから、オレが偵察しといてやるよ。

 

「初めまして。

 本来なら、招待される(はず)のなかった———両儀式と申します」

 

 集団の内の一人が気づいたタイミングで、此方(こちら)から先に名乗り出る。

 オレに気づいた少女が一人振り向いて、胸に手を当て名乗り返した。

 

「初めまして両儀さん、私の名前は遠坂凛。

 ———と言っても、このイベントの(あいだ)だけ、ね」

 

 それから凛は左手方向に一歩だけズレる。

 (みぎ)(てのひら)を上にして右に出し、後ろの人間を指し示す。

 

「んで、こっちがアーチャー。私の連れよ」

 

 凛の声が届いたのか、背中しか見えなかった男が振り返り、驚いたように眉を上げた。

 

「これはまた、綺麗なお嬢さんだ」

「…………両儀式」

 

 顔の表情を変えないオレに、アーチャーの(ほほ)が上がる。

 

「おやっ、警戒させてしまったかな? 

 私はこの通り大柄(おおがら)でね。多少の圧迫感は大目(おおめ)()てくれたまえ」

 

 アーチャーのロールプレイも中々のものだろう? と、唇の端を吊り上げる男を見ながら、オレは重心を(わず)か落とす。

 この男に気づかれないくらい、ほんの(わず)かに。

 

 ———この男が振り向いた瞬間、オレは後悔した。『オレがここに来たことに』ではない、『衛宮がここに来る事を許したことに』だ。

 だってこの男は、かなり出来る。

 

「———ねぇ?」

 

 オレが脳内でコイツへの対処法を何通りが浮かべていると、凛の声が割り込んで来た。

 

 意識はアーチャーから外さないようにしながら、凛の顔を見てみると、その目線はオレの後ろに飛んでいる。

 誰を見てるのか、なんてのは想像するまでもなかった。

 

貴女(あなた)のパートナー、衛宮士郎のコスプレよね? 

 彼、臙条(えんじょう)コスにしなかったのね」

「まあな」

 

 凛の視線を追いかけて、右目の(はし)に衛宮を(とら)える。

 衛宮のヤツは、なんと間桐と歓談していた。

 

「“スプリンター”って(がら)じゃないしな。それに臙条(えんじょう)は、出会った時には(すで)に死んでる。

 ———アイツに死なれるのは、オレも御免(ごめん)だ」

 

「ふーん」と凛は(あご)を撫でる。

「“そういう関係”なのね」

 

 否定をしない。

 ———というか、これは事前(じぜん)に決めていた。『“そういう関係”だからこそ、アルトリアじゃなく式が来たのだ』と思ってもらえば、余計な疑いの目が向きにくくなる。

 

 どれだけ()(つくろ)おうとも、衛宮が呼ばれてないのは(かく)たる事実だ。つまり、オレたちの素性(すじょう)は隠さないといけない。

 隠し事を隠し通すためにオレたちが真っ先に取り組むべきこと、それは『余計な疑問を(いだ)かせない事』だったりする。

 

 普通とは違う事、誰かが疑問に思うだろう事には、簡単かつ分かりやすい理由を(さき)んじて提示しておく。

 そうすれば、ヒトは疑問を抱かなくなる。

 疑問を抱かなくなったヒトは、詮索(せんさく)なんてしようとしない。

 

 だからイベントの(あいだ)だけ、オレは“衛宮の女”になった。

 そういう設定で(のぞ)めば、『衛宮は両儀に鞍替(くらが)えした』と思われることを、オレたちはちょっと期待している。

 

「じゃあそろそろ、遠坂邸に行きましょうか。

 設定上は私の家になるんだし」

 

 凛はクルリと反転し、アーチャーを従えて歩き出す。何歩か歩いて立ち止まり、貴女(あなた)も来なさいと手招(てまね)きしている。

 

「いいよオレは、えみ———」

「いいから来なさい。いつまでも始まらないでしょ」

 

 オレの左手首を、(つか)んで引っ張る。

 抵抗せずに引かれながら、オレは横目で衛宮を追った。

 

 衛宮の周りに、人影(ひとかげ)が三つ増えていた。紫髪(しはつ)赤髪(せきはつ)の長身の女。後ろに一人男がいるが、こちらは会話に参加してない。

 

 一瞬の(のち)、視線を前方に固定する。

 引かれる左手に意識を向けて感じて見ると、『この女は握力でオレの手を握っている』ことが(わか)った。

 こんな“硬い握り”をするという事は、コイツに武術の経験はない。

 

 設定通りに強いのは、どうやらアーチャーだけらしい。

 

 凛はオレを引き連れて、遠坂邸の門に着く。中に入るかと思いきや、そのまま通り過ぎていく。

 

「おい、ちょっと“赤いの”。通り過ぎてるぞ」

「いいのよ。だってこっちじゃないんだもの」

 

 右手でオレを引っ張りながら、凛は肩越しに振り向いた。

 

「知ってるでしょう? 遠坂邸は二つあるのよ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 (とびら)を閉める。静寂が(おとず)れた。

 

 握ったドアノブから手を離し、部屋をゆっくりと見渡した。

 (とびら)を背にして右に窓。床から天井まで続く大きな窓が右側の壁に()められている。薄いカーテンがかけられていて、真っ白に輝いていた。窓の前にはアンティークデスク、その奥には洋ダンス———オレの左手にはベッドがあった。

 

「どうだった? 両儀」

 

 そのベッドに座る衛宮に「別に」とだけ返すと、オレはキャリーバッグに歩み寄る。中からハンガーを一つ取り出して、部屋左奥に鎮座していたポールハンガーに革ジャンをかける。

 

 それからやっと、ベッドの衛宮に向き直る。

 

 目の前にいる“衛宮士郎のコスプレの青年”。

 その引きつけるような黄土(おうど)の瞳から目を離し、衛宮の隣、ベッドに(うつむ)きで倒れこむ。

 頭の後ろから、衛宮の声が降ってくる。

 

「そんなに大変だったのか?」

「うるさい」

 

 オレは頭を左に向けた。

 目の前に衛宮の尻、左目の(はし)に衛宮の頭。

 衛宮の顔をぼんやりと見ながら、今までのことを思い返した。

 

「オレが“おまえの女”だっていう設定、(よそお)うのに疲れただけだ」

 

 オレは顔を、ベッドマットに擦り付けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 (しばら)く、衛宮の隣で横になっていたオレは、ひっくり返って仰向けになった。

 

「———両儀」との衛宮の声に右を向く。

 ベッドの(わき)でゴソゴソやっていた衛宮が、襦袢(じゅばん)をベッドに乗せてきた。

 

「風呂、先に入っちまおうぜ」

「ん?」

「ほら、イベントの開始は明日からだって話だけど、今日の夕食も集まるみたいじゃないか。

 だから今のうちに……な」

「ああ」

 

 分かった。

 両肘(りょうひじ)をつき、力を入れて、上半身を押し上げる。衛宮の顔を見てから、視線をキャリーケースにスライドさせる。

 立ち上がった衛宮のヤツは、替えの服を出してない。

 

「なぁ衛宮。

 ここの浴室、大浴場って(わけ)じゃないだろ。

 この時間帯、おまえがもぎ取ってきたのか?」

「ああ、さっき雑談してる時にな。たまたま、風呂の話になったんだ。浴室の使用時間を、最初に決めてしまおうってことになった」

 

「そうか」と、オレは右手で襦袢(じゅばん)を撫でた。

 

「で? オレたちの時間帯は?」

「5時から…………5時半」

 

 ギュッと、撫でる右手に力が入った。

 

「衛宮おまえ……」

「あー、何というか……その———」

「丸め込まれたな?」

 

 半眼で見上げると、衛宮は顔を背けてくる。

 まるで冷や汗をかいているような横顔に、最後の疑問をぶつけてみた。

 

「つまり、時間が足りないから———オレ一人に行かせる気か」

 

 どうせ、『カップルなら一緒に入っても平気でしょ』っていう具合(ぐあい)に言いくるめられでもしたのだろう。

 罪悪感のある場所を(つつ)かれるとすくにボロが出るコイツの事だ。どうせ言い返せなかったのだろう。

 

「分かった。そういう事なら……入る」

 

 襦袢(じゅばん)を手に取って立ち上がる。

 この時間帯にしか入れないなら、衛宮は必ずオレを行かせる。でも駄目(だめ)だ。

 さっきまでオレと駄弁(だべ)っていた女たちは、きっとオレに()()んでくる。

『両儀さんは先輩と恋仲(こいなか)なんですよね? だったらどうして一緒に入ることすらできないんですか?』

 間桐のヤツは特に攻撃的だった。嫌味の一つ二つは飛んでくるだろう。

 それに———

 

「今日は同じベッドで寝るんだ。隣のヤツが汗臭(あせくさ)いのは好きじゃない」

 

 (とびら)の前で振り返ったオレを見る衛宮は、頭に疑問符を浮かべている。

 赤い頬を(さら)すオレは、衛宮の手を(つか)んで引いた。

 

「一緒に来い。おまえも入れ」

 

 面白いくらいに驚いて、着替えを取ろうとふためく衛宮。オレが(とびら)を閉める頃には、何とか一式(いっしき)(つか)んだらしい。

 

「両儀お前、意味が分かってて言ってるのか? 

 風呂だぞ、風呂ッ。俺たち二人で入るったって……」

 

 喚く衛宮を無視してオレは、右手にキュッと力を通す。コイツの左手から重心を崩し、崩れた瞬間に前に引く。左手を引かれた衛宮の頭がオレの口元にやってきた。

 

「ずっと気になってるんだ。だから教えろ。

 ———“オレの夢”に、どうしてたどり着けたのか」

 

 衛宮の顔色が変わるのを見て、オレはつい(ほころ)んでしまった。なんだかんだ言いつつも、頭を回すコイツの顔が、意外と好きだと最近気づいた。

 

「あっ……そうだな。考えを纏めておくよ」

 

 

 そうして着いた浴室の中は、バロック調(ちょう)の様式だった。

 ———広い浴室に不釣(ふつ)()いに小さい浴槽。金の猫脚(ねこあし)の付いたそれは、浴室の奥の壁際(かべぎわ)に置かれている。シャワーと蛇口は、奥の壁に埋め込み式だ。

 

 つまり風呂(ふろ)(おけ)そのものが、湯に()かることを想定して、作られてはいないのだった。

 

「そうむくれるな」と、右隣から声がする。

「なんとかして、最後にはお湯を()めてやるから」

 

 タオルで前だけ隠した衛宮は、腰が引け気味(ぎみ)で立っていた。

 オレはそれを一瞥(いちべつ)だけして、ズンズンと中に入ってく。

 

 ———もう、恥ずかしいとは思わなかった。

 

 着物を脱ぐ時に気づいたのだ。衛宮の前なら肌を(さら)すくらい(わけ)ないと。

 

 この前、劇場で散々(さんざん)、好奇の目に(さら)されたオレは、恥ずかしがると余計に恥ずかしくなる事を学んでいる。

何事(なにごと)も形から』と(いわ)れるように、恥ずかしくない自分を演じていれば、そのうち本当に、恥ずかしくなんてなくなるのだ、と。

 

 そもそも、だ。

 着替える時に少し事故って、衛宮の手がオレの胸に触れたことがあったけれど。その瞬間に確信した。

 

 衛宮なら、割と大丈夫みたいだな。

 

 後ろから、極力(きょくりょく)オレを見ないようにして追いかけてくる衛宮の気配。

 

 そう、武術の力量が一定量を超えたとき、人は相手の意識(いしき)を、読み取れるようになってくる。

 オレの読み取る衛宮の意思(いしき)に『オレを()()けて()を通そうとする意図(いと)』を、感じたことが無いのだから。

 

 浴槽の手前で衛宮が立ち止まったのを見たオレは、無理矢理なかに押し込んで、続いてオレも浴槽に入って、無理矢理、衛宮の頭を洗うのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「———それで?」

 

 白い磁器(じき)の浴槽に、背中合わせに浸かった二人。

 背中に触る衛宮の体温を感じつつ、オレは話を後ろにふった。

 

「どうやって辿(たど)()いたんだ? 

 オレは夢がバレるような情報は出さなかった(はず)だけど。

 ———否定されるのが、怖かったんだ」

 

 背中に感じる、衛宮の皮膚が(わず)かに動く。

 オレは誤魔化すために、後頭部を、衛宮の(うなじ)に押し付けた。

 

「オレが夢を語った時、母親に否定された。

 ……(まい)ったよホント。自分の心が、こんなにヤワだとは思わなくてさ」

 

 

 

 ———沈黙(ちんもく)静寂(せいじゃく)

 

 風呂の湯が波打(なみう)たなくなった頃、(つい)に衛宮は口を開いた。

 

「昨日の夜。両儀は“俺たちが出会った日”の話をしてくれたろ。その時俺は、両儀の夢が剣術家なのだと思った。

 だって、両儀は5年分の(かね)(あず)けていたんだから。

 それはつまり、(しょく)が変わっても(しばら)くは価値を生み出せない、稼げないと思っていたってことだろ?」

 

 後頭部を通して、衛宮の息遣(いきづか)いが伝わってくる。

 不思議と心は落ち着いている。

 

 もっと荒れると思っていたのに……。

 

 両脚を合わせて、膝小僧に手を置いた。頭で衛宮の首筋を(こす)り、衛宮の身体(からだ)を確かめる。

 

 そうしてオレは目を閉じて、衛宮の声に聞き入っていた。

 

(しょく)に付いてもすぐに(かせ)げないということは、雇用(こよう)契約(けいやく)を結ぶ(わけ)じゃないってことだ。だからこそ、『両儀の夢は剣術講師なんじゃないか』と、俺は思ったんだ」

 

 だけど違った、と衛宮は続ける。

 

「もしもそうだとするならば、両儀が言ってた“一筆(いっぴつ)書いてもらう”ってヤツは、『両儀の顧客になってくれ』って内容の(はず)だ。

 けど両儀は強かったし、教えるのだって上手かった」

 

 一筆(いっぴつ)書いてもらって(なお)、5年も無収入なんてあり得ないだろ。という言葉を後頭部で感じながら、オレはゆっくり(まばた)きをする。

 

 今の状況は、衛宮と二人で暮らし始めてからこっち、(もっと)も恐れていたモノだ。

 ———最も受け入れてほしい人に、自分の、最も純粋な想いを否定される事。そうなった時に人がどれほどのダメージを負うのかを、オレは身をもって体験している。

 

 だから、コイツにだけは知られたくなかった。

 だってこの何週間かで、コイツはオレの———

 

「両儀は態々(わざわざ)、ハローワークの人に試算してもらったんだよな? 『働かずに5年間生きていくために必要になる最低限の金額』を。

 ———それが360万」

 

 “バシャバシャ”っと、水面(みなも)が泡立つ音がする。

 

「それは、ちょっと少ないんじゃないか?」

 

 オレは隠した。(ほほ)を緩めてしまったことが、決して衛宮にバレないように……。

 

「5年で360万なら、一月(ひとつき)あたり6万になる。場所によっては、家賃だけで消えちまう額だ。

 だから思った。

 下宿させてもらうんだな、って」

 

 そうだ。

 衛宮なら、そこまでは気づくと思った。

 だからずっと、その先を知りたかった。

 

 自分の胸に手を当ててみる。

 ———ああ、心はずっと穏やかだ。

 

 そう思うと、口は自然に動いてくれた。

 

「———でも、“下宿しながら修行する職業”なんてごまんとあるだろ。

 その中からたった一つを、アレを引き抜いたのはどうしてなんだ?」

 

 というオレの言葉には、

 

「それはほら、両儀が寿司屋だったからかな」と、返ってきた。

 

「寿司屋ってのは基本激務だ。

 朝は市場に買い出しに行き、昼間は店で仕込みをし、夕方からは営業している。

 ———確か前に言ってたよな、鍵をかけるのは2時半だって。それからメシを食って風呂に入って、寝るのはだいたい何時(いつ)になるんだ?」

「……3時半から、4時」

「だろ? 

 そして次の朝にはまた、買い出しに行く必要があるんだ。自由時間なんてどこにも無い———(はず)なのに。

 両儀は武術を(おさ)めているんだ」

 

 衛宮は言う。

 寿司屋で働きながら、武術の研鑽(けんさん)()むのは並外れた努力が必要になるのだと。

 (わず)かな時間を見つけては剣を振り、(おのれ)の感覚を深めていく。

 そんな事を三年近くも続けることが出来るなんてと、ひとしきり両儀に感心した時、ふと思ったんだ。

 

『そんな両儀が、夢の職業に就いた後の準備を一切しないなんて事があるのだろうか?』

 

「そんな(はず)はない、と思った。

 そもそも“夢のために三年間寿司屋で働く”ってだけでも、やれる(やつ)なんてほとんどいないんだ。

 たとえ両儀が、寿司屋で働くのを()に武術をやめたと仮定しても、色々とおかしな事になってくる」

 

 ———実際にそれをやった両儀が、本当に、なんのスキルも磨かなかったというのだろうか。

 

「そこまで考えてからやっと(わか)った。そもそも前提から間違っているんだ、って

 だってほら、(かね)が欲しいだけのヤツは、寿司屋で三年も働かないだろ」

 

 一際(ひときわ)大きい水音が立つ。

 つられてオレは後ろを向いた。

 

 目の前に衛宮がいる。

 体ごと反転したオレと、正面から向かい合っている。

 

「なぁ両儀。お前はずっと準備をし(つづ)けててたんだよな。

 “寿司屋で働くこと”も“剣術を(おさ)めること”も、夢のための準備だった」

 

 両掌(りょうてのひら)が肌に触れる。衛宮の、太腿(ふともも)だった。

 オレは身を乗り出して、下から衛宮を見つめていた。

 

「一つだけ、思い当たる職業があった。

 そう考えれば、女になったお前が俺に夢の事を話さなかった(わけ)も、“5年”の意味も、(おの)ずと()けた」

 

 (つば)を飲む。

 静かに静かに、衛宮を待った。

 

「———刀鍛冶。

 それがお前の目指した夢だ」

 

 目を閉じて、反芻(はんすう)する。

 衛宮の(もも)から両手を離して、お湯の中で正座する。

 目を開けると、目の前で、困ったように苦笑している。

 

「——ッ、悪い両儀。お前の肌を見ちまった」

 

 首を振る。

 

「そんな事より、続きが聞きたい」

 

 もう一度、後ろを向いた衛宮の肩に、オレはそっと両手を置いた。

 

「刀鍛冶になるためには、5年間の修行期間が必要になる。

 この5年という期間は、法律によって定められてるんだよな」

 

 

 ———“美術刀剣類(びじゅつとうけんるい)製作承認規則(さくせいしょうにんきそく)”という長ったらしい法律が、平成4年に公布(こうふ)された。

 銃刀法には、『刀を打ちたいなら文化(ぶんか)(ちょう)の長官に許可を取らなければならない』と書かれていて、その許可の取り方が記載されている美術刀剣類(びじゅつとうけんるい)製作承認規則(さくせいしょうにんきそく)には、『すでに許可をもらっている刀鍛冶の元で5年間の修業が必要』だと書かれているのだ。

 

「5年の修行期間を終えなければ刀を打てないということは、それまでは一円の価値も生み出せないってことだ。

 そして一番大事なのは、刀鍛冶を目指す弟子が———師匠と雇用契約を結ばない、という事」

 

 ———そう。

 実は、修行期間中の弟子は“就職”している(わけ)ではない。

『刀鍛冶の近くにたまたま、“刀鍛冶になりたいと言う人”がいて……。気まぐれに刀鍛冶のワザを教えてもらった』という体裁(ていさい)をとる(わけ)だ。

 つまり、この師弟(してい)(あいだ)に、雇用契約など存在しない。

 

 当然のように、給料など出るはずもない。

 

 だから刀鍛冶になりたいなら、『少なくとも5年は、自分自身を食わせてやれます。ご迷惑はおかけしません』と言わなければいけない。

 

 ———そしてあの時、オレには“それ”が言えなかった。

 

 

「だから5年で360万なんだ。家賃、光熱費、水道代は師匠の家に持ってもらう。最低限の衣類と食費の事だけを考えるなら、月6万もあれば事足(ことた)りる」

 

 オレが衛宮の左肩に顔を寄せたのが分かったのか、肩越しにこっちを見た。

 オレと、目が合う。

 

「そろそろ出ようか、両儀。

 これから晩餐会(ばんさんかい)だしな」

「……ああ」

 

 二人同時に立ち上がる。

 無駄に広い浴室の、入り口近くに置いた着替えを取りに行こうとした時———浴室のドアが外から()いた。

 

 

 ———それからは本当に、大変面倒くさかった。

 浴室に入ってきた凛の第一声(だいいっせい)が『どこまでヤったの?』だった時は気が滅入(めい)る思いだった。

 ここの浴室には、日本式のそれと違って脱衣所が無い。浴室の中で服を脱ぐ関係で、凛はしっかり服を着ていた。

 圧倒的に不利な状況で、目の前の、女の目が好奇(こうき)()まる。

 

 

 

 部屋に戻って来たオレは着物を脱いで、左奥のハンガーに吊るす。

 (はん)襦袢(じゅばん)だけになると振り返り、足側(あしがわ)からベッドに登った。

 枕元まで()って行き、掛け布団をめくったオレの横で、衛宮が盛大にため息をついていた。

 

 無言で、ベッドの右側を叩く。

 ジャージを脱いだ衛宮はそれをキャリーに(ほう)って、ベッドの右側に乗り込んで来た。

 

 オレがめくった布団の中に両脚(りょうあし)を差し込み、横たわった衛宮に合わせてオレも寝る。両手で握ったままの掛け布団を胸元まで引いてきて、右目の(はし)で衛宮を(うかが)う。

 

晩餐会(ばんさんかい)は、災難だったな。両儀」

「まったく、『先輩は、両儀さんの何なんですか?』って聴かれた時は(すご)かった」

「それは俺も横で聞いてた。確かに、偽装カップルにアレはツライよな」

 

 なんせ、元々何も無いんだし、と言う。

 衛宮は少し()()けてから、ぽつりと(しゃべ)った。

 

「でも、そのあと」

「……ん?」

「俺は(ほか)と話していたから聞いてなかったんだけど、両儀も言い返してたじゃないか。

 あれ、なんて言ったんだ?」

 

 目を(つぶ)る。衛宮の顔が見えなくなった。

 

「——————同乗者(どうじょうしゃ)

 

 でも確かに、右隣(みぎどなり)に衛宮はいるんだ。

 

「『ただ、同じ車両に乗り合わせただけの関係だ』」

 

 右手を少し動かすと、衛宮の()(こう)を肌に感じる。

 ()(こう)どうしを触れさせたまま、そっと衛宮に(ささや)いた。

 

 

「もう寝るぞ。明日から本番だろ」

 

 顔を右側に傾けて、オレはゆっくりと沈んでいった。

 

 

 

 



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遠坂邸の殺人

 
たくさんの誤字・脱字報告、とても助かっています。
本当にありがとうございます。

誤字報告欄からは返信ができませんでしたので、ここからお礼できれば、と。



 

 

 

貴女(あなた)、バカじゃないの?」

 

 イベント前日の晩餐会。

 衛宮との裸の付き合いを一頻(ひとしき)りからかい倒された後、右隣に座る凛に軽い質問を振った時のことだった。

 

「待って、何? 貴女(あなた)何も知らないでここまで来たワケ?」

 

 音量を落として()気味(ぎみ)に身を乗り出してくる凛。

 

「今はまだテキトーだから良いけど、明日からは気合入れなさいよ。

 貴女(あなた)一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)に、色んなモノが乗ってくるんだから」

 

 オレは「あー」と言葉を濁して、食堂を見渡しながら時間を稼いだ。

 

 オレはちょうど、流しテーブルの真ん中あたりにいて、正面には衛宮が座ってる。その奥にはベランダがあって、ガラス窓の外に庭が見える。

 左隣には間桐がいる。その奥にある壁の左隅(ひだりすみ)にドアがあって、その先がホールになっていた。

 

 そうやって現実逃避をしていると、後ろから「ちょっと」と言う声が割り込んできた。

 仕方なく振り向いて凛を見ると、ソイツは眉根(まゆね)を寄せていた。

 

「ちょっと貴女(あなた)、もしかして“300万の賞金”がそのまま“300万円のお(かね)”っていう意味だと思ってないでしょうね?」

「えっ? あれは違う意味なの? 

 でも(ほか)に、読み方なんて無いと思うけど……」

 

 ギュッと凛が距離を詰めてくる。オレの耳元を手を当てて、唇を寄せて小声で囁く。

 

「———良い? このコスプレ会の賞金の単位は“時間”なのよ。最も素晴らしいコスプレをした人間に“300万時間の契約”という賞金が与えられるの」

 

 300万時間は年数に換算すると342年間。

 5年契約と見て5で割ると、約68。

 

「この68という数字が何を表しているのか、貴女(あなた)には分からないでしょうから先に言うけど、“人数”よ。

『5年契約で68人を雇い入れる事が出来る』、それがここの賞金なのよ」

 

 やたらと真剣な表情で囁いてくる凛を横目に見ながら、オレは、もう少し深く探ることにした。

 

「なあ」と、こちらも声をひそめて(ささや)く。

 凛が少し離れてから、オレは箸を置いて、右手で口元を隠して(しゃべ)った。

 

「仕事っていうのは“働きたいと思う人間”がいて始めて存在し()るものだろ? そいつらを強制的に雇うのか。

 いくら従業員が欲しいからって、雇われる方は大変だな」

 

「残念、ハズレ。

 ここにいる連中はね、みんな同じ職種を経営してるの」

 

 凛は周りをサッと見渡してから付け足した。

 

「年齢を見るに、ここに“経営者”はいないみたいだけど……おおよそ、その親族か親しい友人ってとこね」

 

 オレを見た凛は、同じく手で口元を隠す。

 

「“連れ”がいるから、全員がそうだとは言わないけれど。

 ……まぁ、ザックリ(くく)って、ここにいるのは医療関係者よ。大体(だいたい)みんな、三年前から経営が悪化している病院ばっかり」

「その“三年前”に、一体(いったい)何があったんだ?」

 

 ワイングラスを手に取って、一口だけ流し込む。

 隣の女の体勢が、やっと元の位置に戻った。

 

「“働き方改革”よ。元々歪みは抱えてたんだけど、それが一気に噴出したの。ウチもそう、元々みんな働き過ぎだったのよ。

 ———かと言って、『じゃあ人の命を見捨てます』なんてあり()ないじゃない? 

 結果的に、時間外労働はかなりのものよ」

 

 凛は箸を持って目の前の、鯛の(ほほ)の肉を取る。そのまま口に運んでから、箸をいったん箸置きに置く。

 

 ———あの後、風呂から上がって微妙に時間を余らせてたオレが、気まぐれに厨房を覗いたところ、中の連中(とおさかりん)に捕まって、その場で一品作らされたのだ。

 冷凍庫から鯛の頭を見つけだし———

 

 結果、鯛のあら炊きになってしまった。

 

 それを食べた凛の表情を見たところ、オレの“料理のチョイス”はともかく、味に不満はないようだった。

 

「お口に合ったようで何よりでございます」

 

 わざとらしく(かしこま)る。

 これくらい巫山戯(ふざけた)た方が、この女には良いだろう。

 凛は左手を口に“ふふっ”と笑ってもう一度、鯛の頭に目を落とす。

 

「そうね、素晴らしい出来よ。

 まさか和食も出来(でき)るだなんて、かなり本気のロープレじゃない?」

「一品だけ浮いてるけどな」

 

 見ると向いのテーブル、鯛を食べ終わった連中に、アーチャーが肉料理を並べている。テキトーとは言うものの、一応コースにはなってるようだ。

 

「一番優秀なコスプレイヤーを決めるっていう選考会、もしかしてもう始まってるのか?」

「まだよ、正式には明日の朝から。

 でも貴女(あなた)の場合は———」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 今朝は、やめにした。

 

 いつもなら、衛宮よりも先に目が覚める関係で、着替えや準備はコイツが起きるよりも前に終わらせておくんだが———今朝は、やめにした。

 

 このまま布団をかぶったままで、コイツが起きるのを待とうと思った。

 

 右横で寝ている衛宮の横顔を見つめていると、その奥の窓が目に入る。

 天井から、床まで届く長い窓。カーテンは二重(にじゅう)になっていて、今は二つ目の遮光カーテンまでしっかりと下ろしてある。

 その輪郭(りんかく)隙間(すきま)から、(わず)かに光が漏れている。

 

 ———違う。太陽光じゃない。

 

「衛宮ッ、えみや起きろっ」

 

 ()すりながら小声で叫ぶ。

 小さく(うめ)きながら右手で両目を覆う衛宮は、そのまま、上半身を起こす。

 

「どうしたんだよ両儀。まだ夜中じゃないか」

「窓をみろ」

「窓? 窓がどうしたんだ? 別に何も———」

 

 衛宮を飛び越す。

 デスクの前に着地してカーテン二枚をまとめて開ける。

 

「見てみろよ衛宮———コレ、明らかにおかしい」

 

 オレはベッドに向き直ると、衛宮は指の腹で目の縁をなぞりながら立ち上がる。スリッパを()いた足で(となり)まで来て、窓から外を眺め見る。

 

何処(どこ)がだよ。何処(どこ)にもおかしな所なんて———」

 

 と、そこまで言ったところで、衛宮が黙る。

 少しして「プールがある」とだけ(つぶや)くと、(しばら)くして一歩さがった。

 

 右隣にいるオレも、窓の外をみる。

 月明かりが、左の空から差し込んでいた。

 

 衛宮の右手が上がる。人差し指でこめかみをトントンしながら、少し考えているようだった。

 

「この窓から見える景色は、“三角屋根の小屋”と“イノシシの像”じゃないといけない。

 寝る前と明らかに———昨日と景色が変わってる」

 

 窓の外を見ていると、衛宮の声が降ってきた。

 

「でも両儀。お前ベッドの上からだったろ。どうやってこの異変に気づいたんだ? 

 カーテンも閉まってたんだし、分かる(はず)ないじゃないか」

「最初は、朝日かと思ったんだ。窓の外が明るかったから」

「外? 明るい? そんなこと———」

「『カタチのないものは()えにくいんだけどな。

 おまえ、乱発しすぎなんだよ。おかげでやっと()れた。

 おまえの能力(ちから)は、(みどり)(あか)螺旋(らせん)でさ……』」

 

 衛宮を見上げる。目を見開いている。

 ———どうやら、言いたいことは伝わったらしい。

 

「待ってくれ、両儀」

 窓に張り付く衛宮。目を窓に出来るだけ近づけて、首を左右に振り、極力(きょくりょく)広い視野を持とうとしている。

 

「そうか、庭が左に伸びてるんだ。

 ———って事はこの部屋の位置は大きな庭の右下あたりか。庭に向かって右端の、二階部屋ってことになる」

 

 反転して、(とびら)に駆け出す衛宮の腕を、咄嗟(とっさ)(つか)んで固定した。

 

「服を着るから」

 

 目を見る。

 ———衛宮の瞳が落ち着いてから、着物を取ってベッドに登り、半襦袢を脱ぎ捨てる。

 

 最速で着付ける。ブーツを履くから(すそ)は多めにまくって良いし、着付けにうるさい客もいない。

 

 衛宮の手前(てまえ)、ものの3分着付けが終わった。

 ブーツに両足を突っ込んで、枕元のナイフを取って帯の後ろに差し込んで———顔を上げた。

 

「行くぞ、両儀」

 

 衛宮に続いて(とびら)(くぐ)る。

 

 ———景色が、一変していた。

 赤い絨毯の敷かれた長い廊下。それが真っ直ぐに続いている。

 その廊下の左の壁には窓が一列に()められていて、外は夜。でも赤い膜状(まくじょう)のモノが、空中を徘徊(はいかい)し続けていた。

 

 衛宮が歩き出す。後ろに続いた。

 明らかに長くなった廊下を真っ直ぐに進むと、右手に階段があった。

 その階段の前で立ち止まった衛宮が、見下ろしながら口を動かす。

 

「なあ両儀、見覚えがあると思わないか?」

 

 立ち止まった衛宮の後ろで、オレも、階段を見下ろした。

 幅の広い階段の中ほど、(おど)()の部分にある掃除用具入れのロッカーを見てから、左にいる衛宮と目を合わせる。

 

「『地獄に堕ちろ、マスター』だろ?」

 

「やっぱりそうだよなぁ」と頭を(かか)えた衛宮はしゃがみ、(うめ)きながら言葉を(つむ)いだ。

 

「この階段はこっちの屋敷にはなかった(はず)だぞ。向こうの屋敷の階段だった。

 ここにあるなんてあり()ないんだ。昨日見た限りではこんな階段ここには無かった」

 

 しゃがんだままの衛宮が“ふっ”と顔を上げる。

 ガバッと立ち上がり後ろを向いて、並ぶ窓に飛びついた。それから二歩退()がって、崩れ落ちるのをオレが支えた。

 

 オレの胸に背中を預けた衛宮は、顔を上げ、オレと目が合う。

 衛宮の声は、震えていた。

 

「———本物の遠坂邸だぞ。ここは」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 衛宮の足がしっかりしてきた(あた)りで、オレはコイツをそっと離した。

 二本の脚で立ち、窓を背にオレと向き合って、衛宮は低い声を出した。

 

「対処法、これから取るべき俺たちの行動。

 いくつか思いつくんだけど、両儀はどれが良いと思う?」

「もう一回寝る」

「おい、俺は真剣に———」

「まず考えないといけないのは、この異変が“正常な異変”か“異常な異変”かって(ところ)だろ?」

 

 衛宮の眉間(みけん)にシワが寄る。

 

「“異常”に決まってるじゃないか。(ほか)に何が考えられるんだよ」

 

 オレは左脚を一歩引いて、右手を衛宮に差し出した。腰をちょっとだけ落としてから、四本の指を揃えて伸ばし、その(てのひら)を衛宮に見せる。

 一歩、こっちに来た衛宮の手を引き、寝室まで逆戻りした。

 

 それから(とびら)をしっかり閉める。 

 ドアに背を向けたオレは、衛宮を見上げて声を出す。

 

「いいか衛宮、誰に何を聞かれるか(わか)らないから、一応部屋まで戻ってきたけど———」

 

 人差し指を唇に当て、衛宮に静寂を合図する。

 それから、オレは“想像”を語って聞かせた。

 

 ———例えば、この屋敷から、オレは脱出することができる。

 窓の外に浮かぶ赤い(まく)のようなモノ、明らかに“遮断の意思”を(にじ)ませるモノを———オレの魔眼は殺せるからだ。

 

 よく考えなくても、そんな事は明らかにおかしい、(へん)だ。『目に見えないモノを殺す』だなんて。 

 

 でも、コレは“正常な異変”だ。

 

 (ほか)とは“(こと)”なっていて明らかに“(へん)”だけれども、両儀式という肉体にとっては、コレが“正常”だ。

 

「なぁ衛宮。『両儀式になった』のは“異常な異変”だけど、『直死の魔眼がモノの死を具現化できる』のは、“正常な異変”だろ。つまり———」

「つまり両儀は、こう言いたいんだな? 

 今現在起きている“異変”は、誰かが意図的に起こした可能性がある。

 そしてこれが意図的に起こされたものであったなら、不用心(ぶようじん)に出て行って、カモにされるかもしれない」

 

 (とびら)に背を(あず)けるオレと、その正面に立つ衛宮。

 ブツブツと小さく呟く衛宮を、オレはずっと見つめていた。

 

 ついに、衛宮の焦点が現実に合ってくる。

 オレから一歩距離をとって、右手を(あご)に当てた衛宮は、オレを見て口を開いた。

 

「この異変が、人為的(じんいてき)(いな)か。

 でもその先が分岐(ぶんき)しすぎるんだよな。

 昨日集合したイベント参加者の誰かが原因って線もあるし、参加者たちの外に原因がある可能性もある。さらに言えば、『偶然こうなった』って可能性まである(わけ)で……。

 ———だからこそ、“俺たちが気づいたっていう情報”を、両儀は誰にも渡したくない」

「まぁ、その“イベント参加者の皆様”が、この遠坂邸にいる保証もないしな」

 

 オレは腕を組んでドアにもたれる。後頭部を(とびら)につけて、天井を見た。

 

 実際、オレを無力化する方法なんて五万(ごまん)とある。

 バロールの魔眼と違って直接なぞらないと死なないから、遠距離攻撃に滅法(めっぽう)弱いし、拘束されただけで詰むんだし。

 

 この屋敷にいる誰かが本気で殺しに来た時のことを考えると、衛宮を護り切る自信がなかった。

 

 “パンッ”と拍手(かしわで)の音を聞き、驚いて前を向く。

 すると衛宮は、困ったように微笑(ほほえ)んでいた。

 

「———よし。やっぱり出る」

「はっ?」

 

 衛宮の胸に両手を当てた。

 

「衛宮おまえッ。せめて()(せま)った悪意があるのかどうかだ———」

「両儀、ありがとう」

 

 その一言で、オレの全てが封殺された。

 反論の言葉も、オレの心も。

 

「でもやっぱり外に出る。さすがに情報が少な過ぎるからな」

 

 盛大なため息を、せめてもの抗議として発し、オレは衛宮に(したが)った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 遠坂邸と(おぼ)しき建物の廊下は閑散(かんさん)といていた。

 先ほどのように真っ直ぐ歩いて、二人して階段を見下ろしている。

 

「両儀、今更(いまさら)なんだけどさ。どんな可能性ならあり()ると思う?」

「そうだな。

 ———オレたちの部屋、あそこが(じつ)は取り外しができる仕様(しよう)になっていて、寝ている(あいだ)にクレーンで()()げて別の建物にドッキングした、とか?」

「実現可能か? それは」

「少なくともオレは、加速度(かそくど)がかかったら即座(そくざ)に気がつく」

 

 言葉に詰まった衛宮を置いて一歩目を踏み出し、階段を()りる。

 オレが先頭に立つべきだ。少なくとも、反応速度は衛宮より速い。

 

 階段を(くだ)り、踊り場に着いた。

 右奥にあるロッカーを開けてみる。中には(あん)(じょう)(ほうき)塵取(ちりと)りといった掃除道具があるだけだった。

 左向きに90度旋回(せんかい)して下を見る。

 これまた、絨毯の敷き詰められたホールが見えた。ホールの奥の壁には両開きの(とびら)がある。

 

 降りる。

 一階の絨毯を踏んだ時、後ろから衛宮の感嘆(かんたん)が聞こえた。

 

「なんと言うか、(すさ)まじいデジャヴを感じるよな。

 一度も来たことがない(はず)なのに、全部知ってるような感覚になる」

 

 それからオレの左に並んで「一度外に出よう」と言った。

 

「もしも、この屋敷が“本物の遠坂邸”なら、来る者を(こば)む結界がある(はず)だ。それの有無(うむ)を確認したい。

 まだ半信半疑なんだ。いくら俺だって瞬間移動なんて信じたくない。

 いや、推測が本当ならもっと……」

 

 衛宮がドアノブに左手をかける。何も起きない。

 そのままゆっくりと、左側の(とびら)を押していく。

 無音のまま、全開した。

 

 リビングだった。

 

「……違う」

 衛宮はこめかみを叩きながらオレの方を振りかえる。

 オレは衛宮の目を見たけれど、衛宮は、オレの後ろを見つめている。

 

「間取りは完全に別物なんだから。昨日作った頭の中の地図は、全然役に立たないんだ」

 

 衛宮の視線の先、オレの後ろは(つづ)()だった。

 階段下のホールから右、そこに(とびら)はなく、その先は廊下になっている。

 その廊下は左右に続いていて、左の突き当たりは窓。右は———

 

「あった」

 

 右を見ていた衛宮の声。その先に両開きの(とびら)が見える。

 駆け寄った衛宮が、縦長(たてなが)の棒状のノブに手をかける。

 

一先(ひとま)ずは、これで外に……」

 

 衛宮の右腕に力がこもる。

 ギュッと、ドアノブを押した。

 ———無音。

 

 ただラッチボルトの外れるカチッという音だけを置いて、(とびら)が外側に開いていった。

 

 衛宮が先に、オレが続いて(とびら)(くぐ)る。

 正面には(さく)、その手前に木々のカーテン。

 

 後ろで、(とびら)の閉まる音。

 右から差し込む月明かり。

 その月明かりに照らされた、小さな門が出迎えた。

 ここから、4メートル程先にある石の門柱(もんちゅう)、その(あいだ)にかかる鉄の門扉(もんぴ)、そのどちらもが、緑の(つた)(おお)われている。左右の門扉(もんぴ)を橋かけるように何本もの(つた)(から)んでいて、多少押した程度では(ひら)きそうになかった。もっとも———

 

「衛宮さわるな」

 

 オレの警告に衛宮は止まった。

 無言で問いかける衛宮の目を見て、オレは続きの言葉を(つむ)いだ。

 

門扉(もんぴ)と重なるように、赤い膜が張ってあるんだ。

 細かい構造なんてサッパリだけど、そこに込められた意思だけはハッキリしてる。

 ————拒絶(きょぜつ)

 つまりこれは攻勢(こうせい)防御(ぼうぎょ)、リアクティブアーマーみたいなモノだってこと。

 門に触れると、多分持って行かれるぞ」

 

 そう言ってから、ゆっくりと息を吐き出した。

 ここまで来たからには、強行突破が手っ取り早い。

 大丈夫、オレの目はちゃんと()えている。なら殺せる。

 

 オレの右手が、帯の背に差したナイフに触れた。

「おい、衛宮」

 

 門扉(もんぴ)から目を離さずに、衛宮からの返答を待つ。

 1秒、2秒、3秒、4秒…………

 

「非常事態だしな。頼む両儀、あの門を殺してくれ」

 

 それを合図に、両膝が曲がり腰が落ちる。ピントを調整して死の線を()る。

 右手が触れたナイフの()を引き、抜刀。

 

 門扉(もんぴ)に、そして結界に浮かんだ線をなぞろうと———反転、空いた左手で衛宮の腰を引き後ろに(かば)う。

 

 ナイフをゆっくり正眼(せいがん)(かま)えて、その(きっさき)を、玄関の(とびら)に突きつけた。

 

「———そこで、何をしているのです?」

 

 女性の声と共に、(とびら)(ひら)く。

 半開きにしたそれの中から半身を(のぞ)かせたのは、赤髪の女だった。

 白地に花柄のパジャマを来たその女は、オレと、後ろに(うずくま)る衛宮、最後にオレのナイフを見て、見開いた目に納得を浮かべた。

 女は玄関から一歩出る。オレに右手を差し出して、小さく首を左右に振った。

 

「分かります。とても良く分かります。

 貴女(あなた)の無念、絶望。ですが殺してはいけません。

 殺してしまえば、貴女(あなた)は後ろのゲスと同じになってしまう」

 

 女は笑って、右手をさらに突き出してくる。

 

「さあ、ナイフを渡して、一緒に警察に行きましょう。

 貴女(あなた)は良く頑張りました。もう耐えられないのなら、私が貴女(あなた)を守ってあげます。だから———」

「来るな」

 

 オレはナイフを一振りした。

 脅しにはなったようで、女は一歩後ろに退()がった。

 

「衛宮」と小声で呼ぶと「大丈夫だ」と返ってくる。

 立ち上がった衛宮は、オレの肩越しに呼びかけた。

 

「バゼットさん、何か誤解しているようですから。中に入っ———」

「黙れッ!」

 

 女が叫ぶ。

 オレは小さく、舌打ちした。この女をなんとかして、(なだ)めなくてはいけないな。

 衛宮が、オレを抜いて前にでる。

 

「バゼットさん、俺たちは———」

「来るなッ!」

 

 女は退がり、“ドンッ”と音を立てて(とびら)にぶつかる。

 両腕を胸の前で抱き合わせている。腰は引け、膝は若干(じゃっかん)笑ってる。

 

 なおも詰め寄ろうとする衛宮を、オレは左手で制してみせた。

 衛宮が止まったのを確認してから、ナイフをゆっくり背中に戻す。(さや)の中にキチンと差して、オレは女と対面した。

 

「“ゲス”ってのはさ、一体(いったい)誰に向けての言葉だ?」

 

 赤髪の女は、オレの左の衛宮を見ている。

 

「“ゲス”ってのは、どういう意味でゲスなんだよ」

 

 女は何も答えない。

 オレは一度息を吐いて、もう少し待つことにした。

 

 ———“ゲス”。

 普通に考えれば下衆(げす)、あるいは下種(げす)

 身分が低い者、(いや)しい者。転じて、品性が(いや)しく人として低劣である者のたとえ。

 

 この女は、衛宮をゲスと(さげす)んだ。

 

 確かに、この男は人の首を切り落としているから、あながち間違いとも言えないが、それなら怯える必要はない。

 怯えるということは、その悪意が自分に向くと思ってるんだ。

 

 衛宮の犯行、その詳細をオレは知らない。でもオレは、始発電車で会ってからこっち、ただの一度も、殺されるだなんて思わなかった。

 

 ———いや、そもそも。衛宮の犯行がバレる可能性よりもオレの犯行がバレる可能性の方がずっと大きい。

 ならオレに怯えてもいい(はず)だけど……。

 

 どれだけの時間が経ったか、女の後ろの玄関の(とびら)、女がもたれかかってない方、右の(とびら)が、勢いよく(ひら)かれた。

 

「おいッ!」

 

 青髪の男が飛び出してきた。女を見るや抱きとめて、オレと衛宮を交互に睨む。

 

「……お前らも来い、食堂だ」

 

 衛宮が「分かった」と返事する。両手を軽く頭まで上げて降参を示し、少しだけ笑いながら、「後で行く」と約束した。

 

 ラッチボルトのかかる音。そして静寂。

 オレは衛宮を視界に入れながら、チラリと後ろ、門を見た。

 

「今からでも、(アレ)———殺して逃げるか?」

「やめた方が良いと思うぞ。俺たちの(おちい)った状況が最悪なら、ここで逃げても後で詰む」

 

 (しばら)く黙りこんだ後、二人同時にため息をついて、玄関の()のノブを引いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 オレたちが食堂を探し当て、中に入ると、そこには全員がそろっていた。今回のイベント参加者たち、全員が。

 首を少しだけ右に振る。

 中央に置かれた流しテーブルの一番奥、上座に座る遠坂時臣のコスプレイヤーがオレたちを見て、座ったまま声をかけた。

 

「すまなかったね。

 ———しかし、今現在、我々の身に起きている異常事態は、一人残らず認識できていることと思う」

 

 時臣が、オレたちに下座(しもざ)を示す。

()けたまえ」

 

 オレと衛宮は、時臣の左手側の席の(すみ)、一番遠い場所に腰を下ろした。

 オレの左側に席は無く、右手に衛宮がいて、正面向こうに窓が並んでいる。

 何人かの席の前には、ティーカップも置かれていた。

 

「さて、これは非常事態だ。

 “未曾有(みぞう)の”、と形容しても構わないほどのね。

 私としても“遠坂時臣のロールプレイ”を続けることで何とか()(こた)えている状態なのだ」

 

 オレは、ここにいる奴等(やつら)一瞥(いちべつ)した。

 両肩を抱いて縮こまる者、膝に手を当て沈黙する者。

 一番向こう、遠坂時臣は両手を組み合わせ、それを口元へ持っていく。

 

「そこで私は、警察に駆け込むことを提案しようと思う。

 十分(じゅうぶん)に日が(のぼ)るまで待ち、全員で、最寄(もよ)りの派出所(はしゅつじょ)(おもむ)くのだ」

 

 異論など、上がり得ない提案だった。

 

「では、午前8時。

 お手持ちの時計が午前8時を打つ頃に、もう一度ここで(まみ)えるとしようか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ———そして、午前8時。

 

 一旦(いったん)寝室に戻ったオレたちが支度(したく)と仮眠を終えた頃、廊下の喧騒が部屋の中まで突き抜けてきた。

 

 革ジャンに(そで)を通す。

 衛宮がキャリーを持ったのを確認する。

 

 ドアノブを押して、廊下に一歩踏み出した。

 

 

「ヴァァァぁぁぁあ!!」という叫び声。それが階下から聞こえてきていた。

 降りてみると、玄関には人集(ひとだか)りができている。その向こう、玄関の(とびら)のあたりで男が一人叫んでいる。

 

 オレの右脇を抜けて、衛宮がスピードをいくらか上げた。オレも、遅れないように付いていく。

 衛宮が接近したことに、人集(ひとだか)りの内の一人が気づいた。

 紫髪(しはつ)の女性が振り返り、衛宮を見て「あっ」とこぼした。

 

 はたして、女性の口から漏れた声は音量の割に、玄関の中に響いていた。

 ———その瞬間、喧騒(けんそう)が止んだのだから。

 

 (とびら)のあたりから衛宮まで、短い風が吹き抜けたかのような感覚があった。

 何かを見た(わけ)ではない。何かを聞いた(わけ)でもない。ただ空気が()れる肌感覚が、右隣の衛宮の位置にあるだけ。

 オレは、この感覚を、何年も前からずっと知ってる。

 

 ———殺気だ。

 

 知覚と反応は同時だった。

 腰を抜き、尻餅をつくように後ろに落ちる。それに合わせて右手を伸ばし、衛宮の襟首(えりくび)(つか)んで引いた。

 オレの胸に飛び込んで来た衛宮の肩を、左手で(つか)んで左にズラす。

 

 衛宮を左の壁際(かべぎわ)に飛ばし、オレは後ろ回りで受身をとる。

 立ち上がる、オレの前には青髪の男がいて、(こぶし)を振り抜いた後だった。

 

「……お前か」

 

 男の声は震えている。

 視線を左右に(めぐ)らせて、壁際(かべぎわ)でうめく衛宮を見つける。

 

 オレは、二人の(あいだ)に立った。

 目の前の男の瞳は、ただ殺意に燃えている。

 

退()け、ガキ。……殺すぞ」

 

 返答はしない。

 言い返すことに意味などない。火に油を注ぐだけだ。

 右足を半歩後ろに引いて、左肩を前に半身を切った。素手はあまり得意ではないけど、衛宮を殺されるとこっちも困る。

 

 ———ゆっくり、細く。息を吐いていく。

 吐き続けていく。

 

 男の右脚の筋緊張が、ほんの一瞬見てとれた。

 右足で地面を蹴って、思いっきり前に飛び出す———瞬間には、オレの掌底が男の胸を(とら)えていた。

 

 オレは右の掌底を、男が動く前に放った。男が地面を蹴り出す頃には、オレの右の(てのひら)が、男の胸に()えられている。

 

 そう、つまり。男は自分から、オレの右手にぶつかってくる格好になる。

 その瞬間に、膝の抜きと腰の落とし。インパクトのタイミングでこの二つを発動させれば、男は、後ろの壁まで吹き飛んだ。

 

「起きろ衛宮っ」

 

 男に視線を固定したまま、後ろの衛宮に小声で叫ぶ。オレのちょうど真後ろで、衛宮の立つ気配を感じた。

 首筋に、衛宮の吐息を感じる。

 

「助かったよ。両儀」

「まだだ、気を抜くなよ衛宮。全員が傍観(ぼうかん)してるんだ。味方なんて一人もいないぞ」

 

 ゲホゲホと咳き込みながら(うずくま)る男。

「そうか」とだけ呟いて、顔を上げてオレを睨んだ。

 

「お前の方が殺したんだな、両儀式」

「殺した? 誰を」

 

 言ってから、男の雰囲気が剣呑(けんのん)になった。だがこれで、コイツの殺気はオレだけに向いてる。

 衛宮を護りやすくはなった。

 

春華(はるか)に決まってんだろうがッ。

 お前がッ、春華(はるか)を———」

 

 男が立ち上がろうと(りき)んだ瞬間に、接近したオレは右手を伸ばす。

 男がオレの接近に反応して伸ばしてきた右手を左へ(かわ)し、その手首を右手で(つか)む。それを右腰まで引き込みながら右回りに反転する。

 立ち上がる瞬間に重心を崩され、前につんのめった男の首筋に左手を押し当て———

 

 そのまま床に組み伏せた。

 

 うつ伏せに叩き付けた青髪の男が動けぬように体重をかけて、首筋と手首を握ったままで、両膝を男の右肩に置いた。

 それから、右側にいる人間を見る。

 集まってきた人たちは、みんな突っ立ったままだった。こいつらからの“殺気のなし”を確認してから、目を閉じる。

 

 ———朝起きて、一階に降りたら襲われた。

 

 男は怨恨があるような素振(そぶ)りだが、ここにきてからの接触回数は、オレも衛宮も多くない。

 赤髪(せきはつ)の女、バゼットの言った“ゲス”の———

 

 革靴のたてる足音が近づき、頭の上から、男の声が降ってきた。

 

「ご苦労だった。

 彼が乱心していたのでね、(おさ)えてくれて助かるよ」

 

 時臣の言葉にオレが無言を貫いていると、衛宮がこっちに歩いてくる。

 

「えっと、すみません。何があったのか説明して(いただ)けませんか。

 急に襲われて、俺たち何も分からないんです」

「そうだね。では食堂へ行こう。一度、ちゃんとした話し合いの場を(もう)けるべきだろうから。

 彼は———」

 

 立ったままの時臣はオレに組み伏せられた男を見てから、後ろの人集(ひとだか)りに呼びかけた。

 

「誰か、紐状(ひもじょう)の物を持っていないかい? 縄でもベルトでも構わないんだが、ともかく彼を縛っておきたい」

 

 

 オレは立ち上がる。

 (ほか)の参加者に続いて食堂に入る衛宮の後ろに張り付きながら、席まで行った。

 

 席について待つこと(しば)し。

 腕を縛られた青髪の男が転がされ、それ以外が着席し、上座に座るコスプレイヤーは今度の席でも口火を切った。

 

「まず、状況を()()めていない下座(しもざ)の二人に説明すると。

 ———バゼット嬢が殺された」

 

 隣でギュッと衛宮が(りき)んだ。テーブルの下に隠れた(こぶし)は、白くなるほど握られている。

 衛宮とオレを見て時臣は、両手を組んで口に()え、一拍(いっぱく)おいて言葉を続けた。

 

「そして我々は、その犯人が君たちでないかと疑っている」

 

 全員の視線が、オレたち二人に降り注ぐ。

 衛宮は周りを見渡して、身を乗り出して言い返す。

 

「やってません」

「その証明は———」

出来(でき)ません。

 でも警察を呼んだんですよね。だったらすぐに———」

 

「残念ながら」

 

 時臣の言葉が、やけに重く響きわたった。

 

「残念ながら我々は、まだ連絡できていない。

 それは努力を(おこた)ったという意味ではない。『連絡手段が()たれていた』という意味だ。

 ———電話は通じず、外に出ることも(あた)わなかった」

 

 君たちは深夜、外に出ようとしていたらしいから知っているかもしれないね。と、時臣は口だけを動かし続ける。

 

「この屋敷の周囲には、見えぬ障壁が張られているのだ」

 

 だから外に出られず、派出所に駆け込むこともできなかったと、つまりそういう事らしい。

 

「我々は閉じ込められた。建物の形も変わっている。

 さらに人殺しが起きたとあっては、誰も落ち着いて休めやしない。

 ———(ゆえ)に君たちを拘束する。

 なに、そう傷心(しょうしん)する必要はない。君たちの嫌疑が()次第(しだい)、二人の自由は約束しよう」

 

 オレは呼吸をゆっくりに変え、椅子に体重をかけるのをやめた。

 いつでも立ち上がれる姿勢、いつでもナイフを抜く心持ち。

 

「両儀」

 

 右隣の衛宮の声だ。

 その声色は柔らかかった。

 振り向いて、衛宮の表情を見たオレは、両手足から力が抜けた。

 

 見知らぬ男に前腕(ぜんわん)二本を胴の後ろで(そろ)えさせられ、後ろ手に、帯状のもので締め上げられた。

 右を見ると、衛宮も同じようにして、ベルトで拘束されている。

 

 “アーチャーに連れ去られる衛宮”という構図を後ろから見送った。オレは、別の場所に連れて行かれるようだったから。

 

 食堂を出て、玄関を背に廊下を進み、突き当たりを右に曲がる。奥まった一角に石階段が存在し、それは下に続いている。

 左右の壁は煉瓦(れんが)()り、()がれたところはコンクリートで埋められている、地下へと続く石階段。

 

「さぁ行きなさい。地下室に降りるんだ」と、後ろからオッサンの声がする。仕方ないから従って、歩調を合わせて地下へと(くだ)った。

 

 地下室を見てオレは思った。衛宮をここに連れて()れば、どれだけ会話が弾むだろうか、と。

 アイツは羽目(はめ)を外すのが苦手だから、Fate談義もあまりなかった。映画館への行き帰りで、少し話した気もするが……。ここから出たら、もう少し踏み込んでみようと思う。

 でも、それは今じゃない。

 

 ———後ろのオッサンから、ずっと殺気を感じているから。

 

 武人が感じる殺気というのは、『他人(ひと)を殺そうとする気迫』ではない。

他人(ひと)の存在を()退()けてでも、自我(しが)を押し通そうとする意思』のことだ。何も、殺す時だけに出るモノじゃない。

 例えば、握られた手を無理矢理に、振り解こうとする時にすら出るモノだから。

 だから感じ取れるようになると、相手の感情も、割と細やかに見えてくる。

 

 オレの後ろのオッサンからは、さっきからずっと殺気を感じる。

 でも地下室に入っても、まだ何もされなかった。

 

 拘束されている腕を握られなくなったから、オッサンと距離を取ることにしたオレは、地下室の真ん中あたりまで歩いてから、木製の机に腰を預けた。

 どうもかなり大きな机で、部屋の半分を占領している。この机があるせいで、奥の半分は埋まっていた。

 

 顔を上げて、オッサンをみる。

 

「それで? オレはどうして此処(ここ)なんだ。

 寝室でもいい(はず)だろ?」

 

 オレの質問にオッサンは一度驚いた後、オーバーアクションに両手を広げ、両目を大きく見開いた。

 

「なんとっ、何も知らないままここに来たのかね? それはそれは……可哀想(かわいそう)に」

「バゼットを殺したのはおまえか?」

「まさかッ、あれは我々がやったのではありませんよ。朝起きたら勝手に死んでいたので。

 ですがこの状況で犯人が分からないとなると———(みな)が不安になるでしょう?」

 

 一歩、二歩。

 オッサンが近づいてくる。

 

「衛宮と引き離す意味はあったのか? オレたちが犯人じゃないと思っているなら、別に———」

「ああ、そちらは別件です。

 ほら、貴女(あなた)の相方は唯一の男性ですしね?」

 

 三歩、四歩。

 

「男なら(ほか)にもいたろ?」

「いいえ。“衛宮士郎”だけが、参加者の中で唯一の男性です」

 

 コスプレイヤーとして参加した者は、計八人。

 その全員がFate/stay nightからの出典で、セイバー陣営、ランサー陣営、アーチャー陣営、ライダー陣営。

 招待されたのはマスターの四人。(ほか)の四人は“連れ”。

 遠坂時臣と目の前のオッサンは、招待する側の人間だった。

 

「このコスプレイベントが“300万時間の賞金”が手に入るものである以上、我々も何らか見返りが欲しかった、と言うのは事実です。

 ノーベル賞のように利息だけで運営できる程、我々の懐は暖かくはないのですから」

 

 でも、と言いながらオレの前に立ったオッサンは、右手の親指と人差し指で(かね)のマークを作って見せた。

 

「残念ながら参加者の皆様は経営難でしてね、我々に(かね)などは流れてこないのです。そこを突いて去年、衛宮士郎から提案がありました。

『これを献上(けんじょう)する代わり、査定を有利に進めてほしい』と」

「衛宮は———」

 

 ゆっくりと息を吸い込んでから、オレは息を吐き出した。

 

「過去の衛宮は、その時に何を献上(けんじょう)したんだ?」

 

「少女です」と口にしたオッサンは、一歩引いてオレを眺める。

 

「今の貴女(あなた)より少し上、くらいの年齢の少女でした。『特殊な症例(しょうれい)です』の言葉を()えてくれたのですが、実際に凄かった」

 

 オレの両肩に手を置くオッサン。近づく顔、飛び散る(つば)

 

貴女(あなた)は見たことがありますか? ()()に宝石に変化する少女の肉体を。

 あれは素晴らしいモノでした。“オパール化”という現象なのですけれどね? 本来は恐竜の骨の化石などが、地熱や圧力によって変異する現象のことです」

 

 ———その現象が、生きた人間の肉体の中で発生していた———

 

「あの時は、天にも(のぼ)る気持ちでした。

 それをあのガキ」

 

 オッサンの(つば)が目に入るのを防ぐために、閉じていた(まぶた)をゆっくり上げる。

 

 オッサンは()()き、右頬(みぎほほ)だけが吊り上がっていた。

 

「あの少女には利用価値があったのです。

 医療研究の発展、新たな症例の検体、女としての体それに———宝石としての金銭的価値。

 分かりますか? あんなに素晴らし———」

御託(ごたく)はいいよ。それで、オレに何をさせたいんだ?」

 

 オレは、オッサンの後ろに声を飛ばした。

 

 

「———衛宮士郎を、裏切りたまえ」

 

 バリトンの効いた男の声は、地下室に重く響き渡った。

 遠坂時臣が石階段を降り、地下室に足を踏み入れた瞬間だった。

 

無論(むろん)、ただでとは言わない。

 我々は、君に対して雇い入れる準備があるのだ。

 頭金として……そうだな、300万の現金を進呈(しんてい)する。

 ———これならば、あの男に縛り付けられる理由も消えよう」

 

 時臣が近づいてくる。

「あの男は(かね)しか取り柄がない。ならばこの程度で十分だろう」と。そういい終わる頃には、オレと向かい合うオッサンの右肩越しに、ちょうど時臣の顔がきていた。

 

「もう一度言う、衛宮士郎を裏切りたまえ」

 

 時臣を睨む。

 睨まれた男、遠坂時臣は薄く笑った。

 

「さあ来なさい。

 我々が君を監視する(むね)を、(ほか)(みな)にも伝えなければ」

 

 オッサンがオレの後ろにまわり、尻を撫でてから腕を(つか)む。

 遠坂時臣の後ろに続き、石階段を登っていった。

 

 一歩ずつ、階段を登りながら考える。

 

 原因がどうであれ、屋敷の周囲の結界を、オレの目は殺すことができそうだった。

 つまり、ここから逃げること自体は不可能じゃない。

 

 問題は、オレの魔眼の性能を全員に信じてもらえたとしても、外に出た瞬間に衛宮が犯人になる事だ。

 オレは死体を見てないが、もしもバゼットが殺されたのなら、真犯人が名乗り出る事はないだろう。

 

 とは言え、死体がある以上犯人は存在しなければならない。警察に通報すれば、ここの連中は口を揃えて『衛宮が犯人』と証言する雰囲気だ。場合によってはオレも含まれるかもしれないが、どちらにしても結果は同じ———詰みだ。

 

 (うし)()に縛られた両腕、革ジャンの上から巻かれたベルトを意識する。

 魔眼を(ひら)き、自分の(むね)()しに前腕を()る。

 ———大丈夫、ちゃんと()えてる。

 

 直死の魔眼は死を認識する脳があって初めて意味をなす魔眼だ。

 だから魔眼の性能が(およ)んでいても、持ち主が“死”を認識できない対象には効果が及ばない。

 脳が対象を正しく理解し、なおかつその“死”を認識できるモノだけに、この目は死の線を刻むのだから。

 ———逆に言えばそれは、視界に入っていなくても、『正しく理解し死を認識出来るモノ』、つまり自分の肉体とそれに付随(ふずい)する物であるならば、線が見えるということだろう。

 

 だから、出来ると思った。

 第四章で、式がやっていたから出来ると思った。

 ちゃんと視界に(とら)えなくても、作中の式が自らに憑依した亡霊の死を見たように。

 オレには腕を拘束する、ベルトの死が()えている。

 

 後は魔眼を使ったままで、ベルトの線を突起物で()()けば、オレの腕は自由になれる。

 それだけを確認して、オレは慎重に顔を上げた。

 

 

 ———食堂の、上座(かみざ)(がわ)

 さっきまで時臣が座っていた椅子のちょうど真後ろに、オレは今立たされていた。

 

 目の前の流しテーブルには(から)になった五つの皿。朝食を終えたところらしい。

 席についているのは五人だけ、遠坂凛、アーチャー、ランサー、ライダー、間桐桜。

 ランサーは、(いま)だにオレを睨んできている。

 

(みな)、聞いてほしい」と、オレの右に立つ時臣が口火を切った。

 

「彼女も、被害者だったらしい。

 前回ここに来てくれたアルトリア君と同じように、彼の被害者だったようだ。

 口車(くちぐるま)に乗せられて護衛役を買って出たようだから、どうか大目(おおめ)に見てあげてほしい」

 

 時臣が、両手を大きく広げながら、参加者をゆっくりと見渡していた。

 

「ここから脱出した(のち)は、彼のみを突き出そうと思っている。あの男が犯罪者であることには誰も異論は無いだろう。

 ———つい先日新聞に()った、大学生殺人事件。

 首を切り取られた、恐らくは大学生と思われる遺体が発見された事件の犯人が、衛宮士郎である事などは、状況からみて明らかだからだ」

 

 見渡した後、その視線をランサーに固定して、時臣は優しく語りかけた。

 

「両事件を合わせて、彼には牢獄に入ってもらう。

 君はそれで構わないかな? ランサー」

 

 座ったまま頷くランサー。

(よろ)しい」とだけ返事して、時臣は一歩前に出る。オレの前に立ち、注目を集めた。

 

「ここに居る諸君の中には、アニメに造詣の深い者もいることと思うが、()えて私に言わせて欲しい。

 ———この家の結界は、恐らく無機物には反応しないと」

 

 無論、アニメの演出が正しいとは限らない。と時臣は続ける。

「だが現に、ここの庭園にそれらしきルビーと要石(かなめいし)の存在を確認している。ならば後はそれらの位置をプロットし、順番に壊してゆくだけだ。

 順調に進めは一両日中(いちりょうじつちゅう)には片がつくだろう。出来れば今日中に終わらせたいところではある。

 そうすれば、晴れて我々は今宵(こよい)、枕を高くして(ねむ)ることができるのだから」

 

 そこまで説明して、時臣は肩越しにオレを見た。

 

「それまで、手伝ってくれるね? 両儀君」

「……ああ」

 

 オレは目を閉じて、周りの景色を遮断した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 しかし、事はそう簡単には終わらなかった。

 

 昼食を終えた参加者たちが、結界の起点と思われる場所の洗い出しに戻った時、トイレだと(ことわ)って時臣から離れて、衛宮が監禁されている場所を探している最中(さいちゅう)だった。

 

 オレが、男の死体を発見したのは。

 

 二階の廊下に立つオレは、閉ざされた()を睨んでいる。

 

 オレには()えていたからだ。閉ざされたドアの向こうに、“死んでいるモノ”が存在しているという事が。

 時臣から離れた後、衛宮を見つけるために直死の魔眼を発動させながら、各部屋の線を()ながら探していた。

 

 そうやって探していると、(とびら)の向こうに“死んでいるモノ”を発見した。一瞬、それが衛宮なのかと血の気が下がって、ドアノブを押す。

 …………()かない。

 

 ドアノブはガチャガチャ鳴るばかりで、一向に動かなかった。

 

 だから()た。

 直死の魔眼で死の線を認識、鍵のロック機構に浮かぶ線だけに狙いを定めて、ナイフをゆっくり突き刺した。

 

 強引にドアを押して()けると、部屋の中、ベッドの上でランサーが、横たわって死んでいた。

 

 一歩、二歩、三歩。

 

 中に入って左手にあるベッドを向く。

 オレの右手側にある窓に足を向ける感じで、男が一人ベッドに寝ている。『“死んでいるモノ”は()えにくい』から、(みゃく)(はか)る必要もない。

 ランサーは、完全に事切(ことき)れていた。

 

 ランサーの胸には穴が空いていて、ベッドシーツも布団も、胸の位置を中心に血で赤く染まっている。ベッドの足元のあたりを見ると、赤い槍が目についた。

 よく確認せずとも分かる。

 

 ———ゲイ・ボルク。

 ランサーが、コスプレ用に持って来たであろう模造(もぞう)(そう)。その真っ赤な槍の先端には、同色の血が付着している。

 その下のカーペットにも、同じく血が広がっていた。

 

 静かに、オレは息を吐く。

 “死”を認識するようになってからこっち、死んでいるモノを見た時の忌避感がだいぶ薄れたとは感じていたが。こうして目の前に死体を見ても、あまり心は動かなかった。

 とは言え———、

 

「クー・フーリンのコスプレ男がゲイ・ボルグで死んでいるとか、いったい何がどうなってるんだ?」

 

 我に返ったオレは、ナイフを急いで背中に戻した。

 ……これはマズい。こんな場面を目撃されたら———

 

 後ろに、気配を感じる。

 

 そっと背後を(うかが)うと、ライダーが、部屋の入り口に立っている。両手を口に当てた状態で固まっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 オレと衛宮は、食堂の入り口近くに転がされた。

 両手足を縛られた状態でなんとか三角(さんかく)(ずわ)りまで持っていったオレは、テーブルにつく奴等(やつら)を見る。

 下座側の長辺に、右から凛、アーチャー、間桐、ライダー。

 上座側の長辺にはオッサンが一人。

 そして、ここからでは頭の先しか見えないけど、一番奥に遠坂時臣。

 

「我々は、どうすれば良いと思う?」

 (とう)の時臣が、低い声で問いかけた。

 

「私は間違っていた。疑わしい者は全て縛り上げておくべきだったのだ。

 ———少女の口車(くちぐるま)に乗せられて、罰を与えなかった私の不明(ふめい)を、どうか謝罪させてほしい」

 

 オレと同じく両手足を縛られている衛宮が、右隣でもぞもぞと動いている。

 

「その上で、そこの二人の殺人犯だが———縛るだけで足りるだろうか。閉じ込めた方がいいのだろうか。

 幽閉し、(とびら)を縛る。それだけで誰も殺さぬと、我らは安心できるだろうか」

 

 衛宮がもたついているものだから、オレはコイツに背中を向けて、縛られた手で衛宮の服をギュッと握って、少し引っ張り上げてやった。

 

「この殺人鬼を野放しにした状態で、我々は無事に、明日を(むか)えられるだろうか」

 

 時臣の声が朗々(ろうろう)と響く。

 やっと体勢を整えた衛宮と肩を()れさせて、オレはそれを聞いていた。

 

 もう終わりだ。

 完全に空気を支配されてる。あの様子だと、犯人との談判(だんぱん)も済んでいるのかもしれない。

 あの男が犯人である可能性もあるが、どちらにしても、もう終わりだ。

 

 犯人はこの状態をひっくり返したくはないだろうし、犯人以外も、吊し上げられたくはないだろう。このコスプレイベントに“参加者”と“招待者”の関係がある以上、あの男から主導権を奪うだなんて不可能だし、仮に奪えたしても、“誰が人殺しなのか判らないという状態”は(すさ)まじいストレスになる。

『そんな強烈な不安を感じ続けるくらいなら』と、大多数は今の状況に迎合(げいごう)する。

 あとは、そう。このまま脱出されてしまえば、全ては時臣の思うまま、か。

 衛宮の肩に頭を乗せて、オレはゆっくりと目を閉じた。

 

 その時だ、間桐の声が割り込んできたのは。

 

「あの、遠坂……さん?」

 

 返答する時臣の声が、ほんの少しだけ高くなる。

 

「“遠坂さん”というのは、もしかしなくても私だね」

「そうです、遠坂さん。

 あの、わたし思ったんですけど、先輩たちを拘束することに意味なんて無いんじゃないですか?」

 

 頭を(あず)けた衛宮の体に緊張がはしるのが感じられた。

 コイツの意志が、少し回復したように見える。

 

「だって遠坂さんは、先輩が犯人だなんてちっとも思ってないです。

 だけど難しい事をいっぱい考えて、先輩たちが犯人だと都合(つごう)が良いから、こうやって罰を与えてるんです」

 

 隣で衛宮が「桜」と(つぶや)く。

 その声色は、いつか見た映画のそれと、あまりにもそっくりだった。

 

「しかし間桐くん。もしも彼らが犯人だった場合、君は責任が取れるのかい?」

「遠坂さんこそ、もし先輩が犯人じゃなかったら責任とってくれるんですか?」

「こちらの場合は、(あやま)ればすむことだ。だが君の場合は違う。

 最悪の場合、彼らがまた犯行に(およ)ぶかもしれない。そうなった時君は、『人の命を奪う者たちを野放しにした責任』を、どうやって取るつもりだと()いている」

 

 時臣の言葉に間桐が詰まった。

 言い返せなくなった間桐だが———空気は確かに、変わっている。

 オレは床に三角座(さんかくずわ)りで笑い出しそうになってしまった。

 

「だったら、私たちで見張るわよ」

 

 目の届かないテーブルの上、発せられた凛の言葉で、決定的に流れが変わった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「———先輩、ここです」 

 

 (とびら)の前で振り向いた間桐が、衛宮を見て口を開いた。

 

「ここが、ランサーさんの殺された部屋です」

 

 二階の廊下、両手を縛られたオレと衛宮。取り囲むのは間桐と凛と、それからアーチャー。

 オレたちは、ランサーの部屋の前にいる。

 

 壊れた(とびら)を間桐が(ひら)いて、中に入って振り返る。

 両手を、胸の前で握ってみせて、衛宮の目を見て口を開いた。

 

「真犯人を探すの、わたしたちも手伝いますから。だから頑張ってください。

 先輩、わたし信じてますから。先輩は誰も殺してなんかいないんだって。真犯人を捕まえる事だってできる、凄い人なんだって」

 

 ふと、両腕が軽くなった。拘束が解かれたようだ。

 続いて、衛宮の拘束も外した凛は、衛宮の背中に手を当て、そのまま部屋に押し入れた。

 

「いい、この部屋は発見された時のまま、誰も何も触っていないわ。

 手掛(てが)かりが有るなら、それもそのまま残ってる(はず)

 思う存分に調べ尽くして、真犯人を見つけなさいよ」

 

 凛に押されてつんのめった衛宮が、持ち直して振り向いた。すぐに間桐に手を引かれ、部屋の中に入っていった。

 

 一瞬だけ振り向いた、衛宮の顔を見たオレは、自由になった右の手で、自分の髪の毛を触るのだった。

 

 

 

 

 



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遠坂邸に迷い込んだ時、浮かび上がっていた可能性

 

 

 

 

「よしっ、出るわよ」

 

 一頻り衛宮を激励(げきれい)すると、凛はそう宣言した。

 

「ほら、桜」

 

 衛宮をランサーの部屋に突っ込んだ凛は、その場で間桐を手招(てまね)きする。衛宮の右手を握り込んでいた(とう)の間桐は、凛の声に固まった。

 

 ゆうに5秒の()をおいて間桐が再起動を果たした時には、凛に手を引っ張られ、部屋の外に連れ出されている最中(さいちゅう)だった。

 

「え、ちょ……ちょっと待って。

 待ってくださいッ!」

 

 部屋から出ることを嫌がって腰を引く間桐。だがどうも凛の方が力は強いらしく、ズルズルと引っ張られていって。

 (つい)に引っ張り出された間桐が、凛に抗議しようと詰め寄った。

 

「遠坂先輩、どうし——」

 

 凛は左手で間桐の口を塞ぎ、右手で(とびら)を閉める。ロック機構が壊れていて少し(ひら)いた隙間(すきま)から「私たちはここにいるから」と、その向こうに声を通して、間桐を連れて(とびら)から離れる。

 (とびら)を右手にして立っているオレからすると左側、窓が並んでいる方の壁まで間桐を引っ張り、自分の唇に人差し指を一本立てて、「しぃぃぃッ」と間桐に要請(ようせい)した。

 

「遠坂先輩、でもッ———」

「“でも”も“ヘチマ”も“カケラ”も無いわよ。

 ———いい桜。衛宮君からしたら、私たち全員が被疑者(ひぎしゃ)なの。

 両儀さんの言ってることが正しいなら鍵は()かってたみたいだし。私たちが中に入ったままだったなら、証拠が消される事も考えないといけなくなるじゃない」

 

 窓際(まどぎわ)に追いつめられた間桐は、言い返そうとして言葉に詰まる。その一瞬に、凛は言葉を差し込んだ。

 

「今、この現状で(もっと)も犯人じゃなさそうなのが衛宮君なの。

 私たちが声を上げなかったら、彼は間違いなく刑務所ゆきだった。それに監視されてたんだから、ランサーは絶対に殺せない。

 ———だから、衛宮君だけにやってもらうの。この屋敷にいる殺人犯に、証拠を隠蔽(いんぺい)させないように」

 

 凛が詰めていた体を戻して、間桐といくらか距離を取る。

 

「それに心情的にもね。衛宮君を犯人だと思っている人は、この屋敷にはまずいないんだし。あの遠坂時臣やコスプレしてないオッサンだって、衛宮君だとは思ってなさそうだったじゃない?」

 

 

 凛が間桐を()(くる)めるのを、壁にもたれて外から眺める。

 オレがもたれた壁の後ろ、部屋の中から、足音だけが(かす)かに聞こえる。顔を正面に戻すと、右目の(はし)にアーチャーが居て、凛と間桐を眺めているのが、オレだけじゃなかったことを思い出した。

 

 (とびら)の左にもたれるオレと、(とびら)の右に立つアーチャー。

 手持(ても)無沙汰(ぶさた)に感じた両手を革ジャンのポケットに突っ込んで、見るともなしにアーチャーを見る。

 

「なぁアーチャー。今のランサーの死体、おまえも見ただろ? 

 おまえがもし犯人だとして、ランサーの心臓を突き刺すとして。まずアイツを組み伏せた後、おまえならどうやって突き殺す?」

「両儀式。それは———私を疑っているのかね?」

 

 アーチャーは、視界の(はし)で腕を組む。

 

「なるほど。君にとって私は、最有力容疑者というわけだ」

 

 アーチャーの投げかける眼差(まなざ)しを無視して、凛と間桐に目線を戻した。

 

「別に、もういいよ。

 真っ先にその感想が出るんなら、オレの予想はハズレみたいだ」

 

 凛が間桐に、自分たちが部屋に入ることが、どれだけ『自分たちの疑いを晴らすことへの(さまた)げになるか』をこんこんと説いてる姿を見ながら、物思いに(ふけ)ることにする。

 

 パッと見た感じ、部屋に飛び散っている血痕は無かったことから考えると、おそらくランサーはベッドに寝そべった状態で、真上(まうえ)から心臓を貫かれて殺された。

 

 ———でもオレなら、あんな殺し方は“ない”。

 

 オレが犯人なら、必ず水月(すいげつ)から突き殺す。水月(すいげつ)、つまり鳩尾(みぞおち)から角度をつけて突き上げたなら、障害物は横隔膜(おうかくまく)だけになるからだ。わざわざ突き飛ばしたりしてベッドに転ばせることが出来たなら、あの状態で殺すとするなら、肋骨(ろっこつ)の上から刺し殺すなんてあり得ない。

 エモノがナイフや短刀なら()(かく)あんなに長い槍で殺すんだ、ベッドの上に転ばさせたんだし、肋骨(ろっこつ)の隙間をぬい通すような方法は、オレならまず選ばない。

 

 それから、ランサーがいつ殺されたのか。オレには分からなかった。

 昼食を終えてからは、片付けの時間以外オッサンと……遠坂時臣とも一緒にいた。

 表向きは『()()()監視』、裏向きは『()()()護衛』だ。

 “バゼット殺し”の犯人から、何より遠坂邸の結界から。もしも結界が反撃に出た時、オレたちに(きば)()いた時、アイツらを(かば)う盾として、オレは時臣に買収された。

 

「ねぇ、両儀さん」

 

 オレがボーッと壁にもたれていると、凛が話しかけて来た。廊下の窓を背に、間桐と一緒にこっちを向いてる。

 

「ちょっと聴きたい事があるんだけど、いいかしら?」

「いいぜ。

 ちょうどオレにも、知りたい事があったんだ」

 

 オレの返答に凛が(うなず)く。右手で(こぶし)を作って、そこに咳払(せきばら)いを一つ落として、落とした視線をゆっくりと上げた。

 

「私たちが知りたいのは一つだけよ。

 ———衛宮君は“本物”なの?」

「おまえらはどう思うんだ?」

「ちょっとッ! 聴いてるのはこっ———」

「オレは」

 

 凛の言葉を(さえぎ)って、身を乗り出すのを制止する。

 

「オレは別に、どっちでも良いんだ。

 だから、アイツの正体を明らかにしたいという欲求は無い。

 それでもおまえたちが知りたいって言うなら、話せるところまでは話してやるけど?」

 

 正面の凛と間桐。(とびら)(はさ)んで右手に立つアーチャー。

 ———誰も、何も(しゃべ)らない。

 ゆっくりと、目を閉じる。

 

「いいぜ、教えてやるよ。後ろの衛宮が本物なのかどうなのか。

 ———まぁ、結論から言うと(わか)らないんだけどな。

 だけど、オレの知っている事を聞かせてやる。それをどう解釈するのかは、おまえたちの気分次第だ」

 

 再び目を開けると、凛と間桐の姿が見えた。二人とも、重心が前にズレている。

 随分(ずいぶん)と関心があるようだし、コイツらになら、話しても良いかと思う…………いや、違うか。

 

 自嘲(じちょう)する。()()った(ほほ)から力を抜いて、『オレは馬鹿だ』と内心で笑う。

 オレはただ、コイツらの興味を言い訳にして、衛宮の過去をバラしたいだけなんだ。そうすれば、アイツはきっと———

 

「殺された“大学生”の首を処分したのは、オレだ」 

 

 オレは壁にもたれたままで、後ろに(かす)かな足音を聞きながら、目はボンヤリと三人を見た。

 

 

 ———最初に、“大学生”の首を切り取ったのは衛宮だ。それはまず間違いない。

 切り取られた首はオレも見てるし、証拠の隠滅も手伝った。

 

「だからオレは、このまま逃げてほしかった」

 

 間桐が首を(かし)げる。

 オレは「時効だよ」と付け足した。

 

「殺人罪なら無期限だけど、証拠(しょうこ)隠滅(いんめつ)(ざい)なら3年だ。つまり3年見つからなければ、アイツは罪に問われなくなる。

 ———もっともアイツ、自首したがっていたけれど」

「えっと……ちょっと待って。

 何? 衛宮君、それだけやったのに自首する気なの?」

「そう」

 

 壁の向こう、衛宮の足音が聞こえなくなった。

 衛宮のヤツが部屋の真ん中でこめかみを叩いている姿を想像して、オレはちょっと(ほころ)んだ。

 アイツは今どんな表情で、頭を回しているだろう。

 

「ちょっと。ねえちょっ———両儀式ッ!」

 詰め寄ってきていた凛の声に意識を戻すと、目の前に顔のドアップがあった。

 

「……なに?」

 

 後ろに退()がろうにも、オレは壁にもたれてる。仕方なしに()き返すと、凛は半眼で声を荒げた。

 

「聴きたいのはこっちの方よ。

 ニヤけるのは別にいいけど、ちゃんと答えてからにしてよね」

 

 その言葉を無視して『どこまで話したっけ』と記憶を辿(たど)る。

「あー、衛宮が自首するって話だったか」と、現実に戻って来たオレは、凛の顔を見返した。

 

「アイツ自身に言質(げんち)を取った、だからまず間違い無い。衛宮は自首をする気なんだ。

 とは言え“自首”という言葉の意味は、辞書のそれとは違うと思う」

 

 衛宮の持ち帰った“大学生”の頭と首。その首の部分には扼殺痕(やくさつこん)が残されていた。

 という事は当然、衛宮は扼殺痕(やくさつこん)を胴体側に残さないように切り取った(わけ)だ。

『首なし死体の作成理由』が少し違って見えてくる。

 

「その扼殺痕(やくさつこん)が衛宮自身の手によるモノなら、残しておいてもいい(はず)なんだ。だって自首したいんだからさ。

『俺がやりました』と出頭した時に、『じゃあ証拠は?』ってなるのは目に見えてるんだから、確たる証拠の一つくらいは持っている方が好ましい。

 ———そう考えたオレは、衛宮に証拠の隠滅を申し出た。

 オレだったら、完全に首を消滅させることが出来るから。アイツの犯行がバレるのを(わず)かでも後ろにズラすために、オレは衛宮にこう言ったんだ」

 

 ———おまえの持ってるその首さ、オレが完全に殺してやろうか———

 

 目の前にいる凛の瞳が、一瞬、どこかに焦点を結びかけた。

 可能性に辿(たど)()いたか、あるいは別の、自分の想像を打ち消したのか。

 

「結果はさっき話した通り、男の首はオレが処理した。さしたる苦労も口論もなく、アイツはすんなり渡してくれたよ。

 だから扼殺痕(やくさつこん)を見た時、オレは気づくことが出来たんだ。

 ———この手形(てがた)を付けた人間は衛宮士郎とは別人だ、って」

 

 

 もちろん、犯行現場に別の証拠を残してきた可能性もある。

 だがそれも、『その場に衛宮がいた証拠』にはなっても『衛宮が“大学生”を殺した証拠』にはならないだろう。

『その場にいたのが犯人一人だけだった』という状況を作っておいてから犯人にしか知り得ない情報を告白することで『自分が犯人だ』とするつもりなのかもしれないけれど……それにしたって『扼殺痕(やくさつこん)と自分の手形(てがた)一致(いっち)するという証拠』以上のものにはなり得ない。

 ———というか、そんな面倒な事を考えるくらいなら、オレが首を処分するのを止めればよかったんだ。

 

「だから多分、衛宮はもともと、首を処分するつもりで持ち帰ったんだ。自分以外の誰かの手形(てがた)を、この世界から消し去るために」

 

 凛の右肩越しに間桐を見ると、口に手を当てたところだった。

 目の前の凛は、顔から(けわ)しさが抜けている。

 

 オレは表情を変えないように注意しながら、ゆっくりと言葉を(つな)いでく。

 なぁ衛宮、おまえが言わないからだぜ。ならお節介かもしれないけれど、オレが勝手におまえを語る。

 

「だからさ、“自首する”っていう言葉の意味が違うんだ。

 アイツの言う“自首”って言葉は『自分が犯した犯行について名乗り出ること』じゃない。『誰かの罪を自分が(かぶ)る』って意味だと思う」

 

 そして、もう一つ。

 オレだけが知っている情報がある。

 

 “あの日”、オレたちが出会った日、衛宮のコスプレはなぜ、乱れていたのか。

 

 ———その時気づいた。コイツはきっと、首を切り取ったその場所で、衛宮士郎のコスプレをしたんだ。

 そんなのはもう()()()()()()()()。オレと同じ、変装だ———

 

 凛の肩越しの間桐の目が、オレにはいやに印象に残った。

 今にも泣きそうな、あるいはとても嬉しそうな。

 

 ———そんなタイミングで変装するのは、“何か”を誤魔化(ごまか)したいからだ。

『殺人を誤魔化(ごまか)す』って言うのなら、それでも良かった———

 

「でも違うよな。ここまで聞いたおまえらなら分かるだろうけど、それは多分違うよなぁ」

 

 棒立ちの凛とその後ろ、胸の真ん中で両手を握る間桐の二人。この二人はとてもいい。きっと、衛宮の味方になってくれる。

 

「きっと、もう一人いた(はず)なんだ。あの場にはもう一人いて、そいつが“大学生”を殺した(はず)だ。

 ———首を切ったのは『身元不明にするため』じゃなくて『殺害方法を誤魔化(ごまか)すため』で、コスプレしたのは別の誰かに変装するため」

 

 そう。

 あの場には衛宮と“大学生”ともう一人の“誰か”がいて、もう一人が“大学生”を殺した(はず)で。そして衛宮は、あの場でどちらかに変装している。

 

「アイツが変装した事をオレは知ってる。今も変装し続けている事も知っている。

 でもオレには分からない。三人いる(はず)の事件現場、どちらに衛宮が()けたのかを、オレは知らない」

 

 オレは周りの三人を見る。

 アーチャーと間桐は判別しにくかったけど、正面にいる、凛の表情は分かりやすい。

 驚いた顔、というのはこういうものを言うのだろう。両目を大きく見開いて、(ほほ)(あご)は脱力している。

 そんな凛の表情を見て、予想通りだとオレは笑った。

 

「おまえの顔を見てやっと分かった。

 気づかなかったんだろ? 衛宮の変装に。

 オレもずっと疑問だったんだよ。この屋敷にいる奴等(やつら)、衛宮を偽物だと疑わなかったし。 

 最初は『このコスプレ会は衛宮と初対面の奴ばっかり』なのかとも思ったけど、どうもそうでもなさそうだったし」

「それ…………」

 

 凛が声を上げた。

 

「それは、貴女(あなた)の見間違いでしょ。

 貴女(あなた)が変装してると思い込んでいるだけで、実際には衛宮君のままだったなら、私たちが気づかなくて当然じゃない」

「オレも思った。だから先に聴いたんだ『おまえらはどう思うんだ?』って」

「だったら衛宮君のままなのよ。いくらコスプレした状態でしか会った事がないとはいえ、別人のレイヤーと間違うなんてあり得ないわよ」

 

 凛の右手がギュッと握られる。その(こぶし)を左手で(おさ)えて、口元まで持ってくる。

 

「それでも辻褄(つじつま)が合うじゃない。衛宮君は誰かを(かば)って、首を処分して自首したい。その誰かはアルトリアさんかもしれない。

 “大学生”に襲われて、殺してしまったアルトリアさんを(かば)ってるんでしょ? そう考えたら、何の問題もないでしょうに」

「そうかもな。でも———」

 

 部屋の中から足音が聞こえる。考えるのは終わったみたいだ。なら、オレたちの余興もこの辺でいい。

 息を吸いつつ、オレは壁から背中を離した。ポケットに手を突っ込んだまま振り返る。

 衛宮の足音が、(とびら)の前で一度止まった。

 (とびら)の前まで移動して、足音に合わせて(とびら)を押した。

 

「一つだけ言わせてもらうとさ。オレ、衛宮の(にお)いは割と好きなんだ。

 ———でも、衛宮が住んでたアパートの(にお)いは、あまり好きにはなれなかった」

 

 押した(とびら)の向こうから、衛宮がこっちにやってくる。

 オレは下から、衛宮の顔を(のぞ)きこんだ。

 

「それで、誰が犯人なんだ?」

「おいっ」

 

 衛宮が顔を右手で(おお)った。

 

「お前は俺をなんだと……」

「コクトーとホームズを足して二で割ったような男。おまえにかかれば、このくらい簡単だろ?」

 

 言って、衛宮の胸をノックする。衛宮は顔を(おお)ったままで、廊下に出てきて返答した。

 

「それがまだ(わか)らないんだ。不可解な点がいくつもあるし、両儀に聴きたい事もあるし」

 

 オレたちの真ん中まで出てきた衛宮は、一度周りを見渡して、少し頭を()いたあと、オレに正面から向き合った。

 

「なぁ両儀、聴きたい事が二つあるんだけどさ。いいか?」

 

 (うなず)く。衛宮は部屋の中を見て、その(とびら)を指差した。

 

「そこの(とびら)なんだけど。鍵がかかってたって事、確信を持って証言できるか?」

「できる」

 

 オレは衛宮の指差す先、ドアノブの機構を見つめながら、あの時のことを説明した。

 廊下から“()た”こと、ドアノブがロックされていたこと、だからロック機構を殺したこと、そうしたらドアが開くようになったこと。

 そしてランサーを発見したこと。

 

「ちょっと待って」と凛の声が割り込んで来た。

 オレが目を左に向けると、凛はオレを指差していた。

 

「それっておかしいじゃない。どうして鍵を壊してまで開けようと思ったのよ。今でこそ血の(にお)いがするけど、貴女(あなた)(にお)いで気づいた(わけ)でもないんでしょ? 

 だったら何でこじ開けようと思ったの? どうやってランサーの死を知ったのよ。それって“犯人しか知り()ない情報”でしょう?」

 

 オレを指差したまま近づいて来た凛が、オレの胸を突き刺した。

 

「両儀さん、貴女(あなた)がランサーを殺してないなら 、ランサーを見つけられる(はず)ないじゃない。

 だって、(とびら)には鍵がかかってたんでしょ。ここの(とびら)は豪邸だけあって防寒にも気を使ってるから、(とびら)と枠の(あいだ)に隙間なんてないんだし、(にお)いだって()れてこないし。

 それでどうやって、ランサーの死を知ったのよ」

 

 そんな凛を、衛宮は(てのひら)を見せて(さえき)った。オレと凛との(あいだ)に体を入れて、オレを背中で押し退()けた。

 

「あ———、……その遠坂。

 それに関して一つ、先に聴きたいことがあるんだ。このコスプレイベントって、いっつも遠坂邸に転移するのか?」

「するワケないじゃない。こんなの初めてなんだから」

 

 凛は首を右に向けて顔を(そむ)ける。目だけで衛宮を視界に入れて、腰に手を当てて息を吐いた。

 

「そう、貴方(あなた)は去年いなかったのね。

 両儀さんの指摘通り、“去年の衛宮君”とは別人なんだ」

 

 凛は横目に衛宮を(にら)むと、声を低くして問い詰めた。

 

「それで、今度こそ教えてくれるの? 両儀さんがランサーの死を知ってた理由」

「えっと……だな。その、遠坂? 怒らないで聞いてほしいんだけど……」

「それを決めるのは私でしょ。いいから早く言いなさい、衛宮君」

「その……両儀はだな……」

 

 オレは後ろから、衛宮の左肩に右手を置いた。ほんの少しだけ前に押して、衛宮が無意識に、重心を元に戻そうとして(あし)に力が入った瞬間に後ろに引く。

 結果衛宮は自分の力で後ろに倒れ、思いっきり尻を打ちつけた。

 

 衛宮の(うめ)き声を聞きながら前に出たオレは、凛の目を正面から見る。

 凛は、上半身を少し引いた。

 

「なぁ凛、こんな事態が起きたんだ。突拍子(とっぴょうし)もないオカルトだけど、おまえだって馬鹿じゃない。

 理性的な人間だよな」

「そうね、当たり前じゃない。いいから早く言いなさいよ。

 それとも何? 貴女(あなた)がランサーを殺したの?」

「まさか。『オレの目は特別製でさ、モノの死が()えるんだ』」

 

 オレは笑った。

 

「オレは直死の魔眼を持ってるんだ。だから見えた」

 

 オレの前から、凛が遠のく。よろめくように三歩退()がって、その眉根をギュッと寄せた。

 

巫山戯(ふざけ)てるの?」

「ホントの話だ。疑うなら別にいいぜ、“殺していいモノ”を持って来いよ。

 片っ端から殺してやるから」

「……ちょっと衛宮君」

 

 凛は横にちょっとズレて、オレの左側から衛宮を見た。

 立ち上がって尻を(さす)っている衛宮に近寄ってから、両手をメガホンにして耳打ちをする。

 

「あの()、頭大丈夫? 厨二病(ちゅうにびょう)がまだ抜け切ってない……とか?」

「両儀の頭は多分、正常に働いてると思う。だから遠坂、確認してやってくれないか? 

 両儀がただの厨二病患者なら、殺せないモノは殺せないだろ」

 

 凛は両手で顔を(おお)った。そのまま30秒ほど固まってから、しゃがんで(うな)って、声を上げた。

 

「アーチャーっ、部屋に戻って干将(かんしょう)莫耶(ばくや)を持って来て。アレ、本物の鉄でしょ? 

 ソーイングセットのハサミもついでに、分からなかったら安全ピンでもいいから、持って来てくれる?」

 

 アーチャーは肩をすくめて、(きびす)を返して歩いていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 オレは、手に持った安全ピンの針をなおして、目の前の凛につき返す。凛が気付かなかったので、顔の前で振ってみせた。

 

「おーい、コレ返すよ。オレはいらない」

 

 凛が反応して目を(しばた)かせる。出てきた左の(てのひら)に乗せて、オレは退()がって壁にもたれた。

 当の凛は左手を出して固まったまま、右手に干将(かんしょう)———アーチャーの黒い短剣を握っている。もっとも凛の持つ干将(かんしょう)は、さっきオレが五分割して()の部分しか残ってないけど。

 

 フリーズしている凛とその後ろに立つアーチャー。凛の隣からコワゴワと、剣を(のぞ)きこむ間桐。

 そんな三人から目を()らし、左隣に立つ衛宮を見る。

 

「なぁ、衛宮」

 

 声を聞いた衛宮はこっちを向き、目で問われたオレは、続きを(しゃべ)った。

 

「おまえ、犯人はどこまで(しぼ)()んでる? 除外したヤツ、確信したコト。

 (ほか)にも何かあるのなら、オレも知っておきたいんだけど」

 

 いつものように右手が上がり、衛宮はこめかみを叩きだす。(うつむ)加減(かげん)に、ポツリポツリと言葉がこぼれる。

 

「一番最初に考えないといけないのが、この部屋そのものの謎なんだ。

 この部屋は、外部とは“ドア”と“窓”でしか(つな)がってない。そして窓には鍵がかかってる。それに両儀は、ドアの鍵を壊して中に入ったんだろ? 

 ———つまりこの部屋は、あの時密室だったんだ」

 

「ああ、アレか」と相槌(あいづち)()つ。

 

「俺は部屋の中で(ほか)に出入りできる場所とか、凶器が通りそうな穴とか、そういうのを調べてたんだけど……。結局、何も見つからなかった」

「外から鍵をかけるのは? 

 ほら、糸の先にセロテープを付けて、鍵のサムターンを回すヤツ」

「それもない。

 部屋の窓は“()()(まど)”だ。鍵は……ネジ鍵って言うの? あの、ネジをひねって差し込むタイプ。

 ドアの鍵はもっとダメだ。見れば(わか)るけどこれ、中からも、鍵がないとかからない」

 

 衛宮が言うにはこのドアの鍵、死んだランサーのズボンのポケットの中にあったらしい。

 

「あとは……ランサーの胸の傷口のことも若干おかしかったけど。

 ()にも(かく)にもこの状況、部屋の中でランサーを刺したヤツが、鍵のかかった部屋の中からどうやって逃げおおせたか。

 あるいは、どうやって外から鍵をかけたか」

 

 衛宮が、ずっとこめかみを叩いてる。見るともなしに見ていたオレは、ふと気になったことを言葉にしてみた。

 

「なぁ衛宮。コレ犯人が魔術師だったら、どうとでもなるんじゃない?」

 

 衛宮の、トントンが止まる。

 

「ほら、鍵のかかった(とびら)を壊して悠々(ゆうゆう)と外に出たあとで、修復の魔術を使ってみるとあら不思議、これで密室の完成です」

 

 (まばた)きを忘れた衛宮が、ゆっくり顔をオレに向ける。

 

「一人目はここにいるんだ、二人目がいないとどうして言える? 

 衛宮は今まで、常識と照らし合わせてオレの過去を見通してきたけど、今回は、オカルト(そっち)も考えるべきかもな」

 

 衛宮の両の黄土(おうど)の瞳に、オレは吸い込まれそうになった。

 こういう時の衛宮の声は、少し遠くから聞こえる気がする。

 

「俺たちの潔白を証明するのに、それも考える必要があるってのか。

 ———イベントメンバーの中でコスプレしてるのは誰なのか、コスプレじゃなくて、肉体が変化したヤツはいないのか。

 変化したヤツは、魔術を使うことができるのか」

 

 衛宮は上を向き、天井を見上げる。

 

「両儀と同じようなヤツが(ほか)にもいるなら、ソイツにも犯行は可能なんだ」

 

 

 





本文中に出てくる、『殺人罪の時効』に関する記述を変更しました。
時効15年が間違っている事を教えていただきありがとうございました。



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手がかりは全て、(しる)された。

 

 

 

 オレが『キャラクターの能力を持ってるヤツなら、魔術で密室作れるよな』と口にしたところ、衛宮のヤツの顔つきが、面白いくらい真面目になった。

 左隣で壁にもたれてる衛宮が、顔を上げて天井を見る。

 

「両儀のように肉体が変化した事例(じれい)考慮(こうりょ)しないといけないとなると……。

 でもアレだ。

 “修復の魔術”で密室を作るなら、まず(とびら)を壊さないといけないだろうけど———両儀を含めて、破壊音に誰も気づかなかった」

 

 

 衛宮の呼吸がゆっくりになる。衛宮の目が細められる。

 そんな衛宮を見つめていると、凛の声が割り込んできた。

 

「ねぇコレ……どうなってるの? この干将(かんしょう)は鉄製なのに。これじゃあ、まるで……」

 

 オレの左隣にいる衛宮の正面、凛が、干将(かんしょう)()を持って震えていた。

 その目がオレを射抜いてきたから、オレはゆっくりと息を吐く。

 

「分かった? 文字通り、『生きているなら神様だって殺してみせる』」

 

 凛の震えが止まる———いや、目を見開いたというべきか。

 目を見開いてオレを見る。振り返って、窓の外を(あお)()る。

 

「ねぇ両儀さん。今気づいたんだけど……貴女(あなた)、この屋敷の結界、もしかして壊せるってこと?」

「おそらくな。(ほころ)びは()えているし、死の概念の付加もできた。

 出ようと思えば、いつでも出られる」

「———遠坂」

 

 顔を戻した衛宮が、凛を呼ぶ。凛は反応しなかったけど、衛宮は後頭部に声をかけた。

 

「俺と両儀以外でだけど、容姿が変わった参加者はいるのか?」

「知らないわ」

 

 振り向く凛。

 手元の干将(かんしょう)に一瞬目をやり、顔を上げる。

 

「そもそも、私たちだってそんなに頻繁には会わないもの。雇用人数を確保するためだけに、ここに来るようなものだしね。

 だから正直、分からないわ。“貴方(あなた)変装(もの)”すら見抜けなかったのよ、私は。期待しないでほしいわね」

 

 衛宮は凛に近づいた。

 威圧しないように手前で止まって、ゆったりした声を衛宮は出した。

 

「だったら遠坂、桜もだけど。今まで『誰がどこで何をしてたか』が知りたいんだ。

 ———頼めるか?」

「そうね。きっとそれが最適だと思う。

 分かったわ、協力しましょう。元々そういうつもりだったんだし、桜もいいでしよ?」

 

 凛は後ろを振り返り、窓際(まどぎわ)にいる間桐を見る。

 見られた間桐は、首を(かたむ)けて微笑んだ。

 

「はい。私は大丈夫です、先輩」

 

 凛はアーチャーに筆記用具を持ってくるよう言いつけて、衛宮もそれについて行った。

 廊下の奥に向かう二人を見送ってから、凛は振り返り、両掌(りょうてのひら)を腰に当てる。

 

「二人とも、先に()りましょうか。中庭に」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 本邸から続く、四角い石造りのテラスに出た。見上げると、二階のベランダの床がある。

 太陽はすでに傾き始め、オレンジ色に輝いていた。

 

 何歩か歩くと、テラスから庭に続く六段ほどの階段があって、凛が駆け降りる最中(さいちゅう)だった。

 

「式っ、桜ッ! さっさと検証するわよ」と庭の手前に立って手を振る凛を見て、オレと間桐は立ち止まる。

 右斜め前にいる間桐の顔が(ほころ)んだように感じて、オレは「なぁ」と呼びかけた。

 

「凛のヤツ、何であんなにはしゃいでるんだか。

 間桐、何か知らない?」

「……閉じ込められるって、怖いんですよ?」

 

 間桐が、石段を降り始める。

 一歩、二歩と足を出しながら、間桐の目は凛を見ていた。

 

「半日間、私たちはずっと宝石を探してたんです。魔術の起点になるルビーを探して、お屋敷の周りを歩いてました。

 怖かったんだと、思うんです」

 

 階段を降り切った間桐は、人差し指で左から右に、庭の上空をスーッとなぞる。

 

「いつ襲われるのか、(まった)(わか)らないんですから。何がきっかけになるのかも(わか)らない場所で、ずっと作業してたんですから」

 

 右手を唇に当てて、上品に笑った間桐は、首だけを回してオレを見る。目を細めて、口を開けた。

 

「知ってますか? 両儀さん。

 バゼットさんが死んだのもこの結界に(さわ)ったからなんだ、って遠坂さんが言ってたんです。

 ———外に出ようとして玄関の結界に左手が(さわ)って、肩から先が吹っ飛んだんだ、って」

「それは……」

 

 凛がオレたちを呼ぶ声を無視して、オレは間桐に歩みよった。石段を降りて、間桐と横並びになる。

 

「それはただの事故じゃないか? だったらどうしてランサーは、衛宮に襲いかかったりなんか……」

「バセットさんの肩の傷口が、もっと(えぐ)れてたんです。

 腕が飛んで見えた肉を、フォークで(えぐ)()ったみたいに」

 

「そうか」と相槌(あいづち)を打ってから、速度を上げた。凛のそばまで来ると手を引かれて、芝生の中にある石灯籠(いしとうろう)のようなオブジェの前に立たされた。

 

「これ。アニメで、デッカいルビーが乗ってた台でしょ。午前中、私が石を投げた時は弾き飛ばされちゃったから、結局まだ手付(てつ)かずなのよ」

 

 背中を押されて、芝生の前に立つ。オレは腰からナイフを抜いた。

 オレの目には、透明な鳥籠(とりかご)が、灯籠(とうろう)みたいな台を中心に自転しているように、()えている。

 

 ゆっくりと息を()いてから、()う。

 焦点を切り替える。目の前の空間の奥にあるモノを()る。

 

 ———世界の全てに、死の線が刻まれた。

 

 ()る。

 “回っている空間”に刻まれた線が()える。オレの前を通りすぎるタイミングで、ナイフを袈裟(けさ)に振り下ろす。

 

 結界が、一枚消えた。

 

 次の一枚が回ってくる。

 今度はナイフの先端を、そっと線に(はし)らせた。

 

 手応えもほとんど無く、二枚目も霧散した。

 

 身体(からだ)の感覚を整えるため、ナイフで二度()(はら)う。

 ……大丈夫だ。この程度なら、問題なく万事(ばんじ)おさまる。

 

 オレが並足(なみあし)で歩きながら、邪魔になる結界(モノ)だけ殺して、台に乗った拳大(こぶしだい)のルビーまで到達するのに、15秒もかからなかった。

 

 全ての結界の内側に入って、赤い宝石を見下ろしている。魔眼に(うつ)る、大きなルビーを両断する線を()ながら———ナイフを逆手(さかて)に、振り上げた。

 

「これで……終わりだっ」

 

 振り下ろしたナイフの先は宝石に真っ直ぐ突き刺さり、ついにルビーが割れた瞬間、周囲の結界はかき消えた。

 

 振り返って凛を見て、「終わったぞ」と声をかける。

 すると凛は、握った小石を放り投げる。今まで結界があった場所を、小石が何事もなく通りすぎるのを見てやっと、オレの成果を知ったみたいだ。

 

 凛が「おー」と言いながら(おそ)(おそ)る歩いて来るのを見たオレは、自然と息を()いていた。

 どうやら間桐の言葉の通り、ここの結界の捜索は、かなりストレスになってたみたいだ。

 

「向こうまでは行くなよ。真ん中までだぜ。

 そこから向こうは、まだ結界が残ってる」

 

 オレは凛に話しかけて、庭の奥を指差した。

 その(あた)りは、まるでラベンダーの畑のように咲く一面の薄紫。ポツリポツリと点在(てんざい)する石の台座の上に光る、赤い宝石。その上空では、まだ結界の膜が踊っている。

 

 ———その時、全身の皮膚が圧力を感じた。

 まるで、水の中に落ちたような感覚。

 息ができる水の中に、頭まで浸かっているかのような……。

 

 この感じ、殺気だ。

 

 急いで、殺気の発生源を見る。

 庭の向こうは山になっていて、当然のように、そこは木々で覆われている。そんな山の、中腹(ちゅうふく)

 山肌に沿うように車道がはしっていて、ガードレールがあって、ちょうど庭の全体を見渡せる場所に、魔眼を向ける。

 

 ———見つけた。

 今までのオレなら確実に視界の外だけど、さすが。直死の魔眼の助けを借りて、『そこにいる事』だけは分かった。

 

 そこにいる誰かはオレが見るなか、悠々(ゆうゆう)と逃げ去っていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 衛宮とアーチャーが紙とペンを持ってきた。

 

 オレたちはテラスに戻り、木製の丸テーブルを囲んで立った。

 衛宮の左隣に陣取(じんど)って、『さっき遠坂邸を見ていた誰かがいたこと』を話すと、「少なくとも、殺人事件とはあまり関係ないと思う」と言って、衛宮は外部犯(がいぶはん)の可能性を否定した。

 厨房から持ってきたという紅茶のカップを(くば)りながら、衛宮はオレに教えてくれた。

 

「遠坂時臣が進めていた脱出計画の事、さっきアーチャーにも聴いたんだけどさ。この家の周り、全て何某(なにがし)かの障壁で覆われていたんだそうだ。結界の起点らしきモノも、壊せそうなのは庭の宝石群(ほうせきぐん)しか見つからなかったって話だし。

 とりあえずは、バゼットとランサーを殺したヤツは遠坂邸の中にいると思っていい……と、俺は思う」

 

 衛宮と紅茶を飲んでいると、間桐から声がかかった。

 

「両儀さん。両儀さんは、どうやって先輩が持ってきた“頭”を処分したんですか? 

 両儀さんの処分がキチンとしてなかったら、そこからバレちゃうかもしれないですよね」

 

 間桐はカップをテーブルに置いて、ジッとオレを見つめている。

 

「煮込んだからな、問題ないよ」

「DNA検査とか、されたらマズいんじゃないですか?」

 

 オレは、そんな間桐に笑ってみせる。

 

「DNAって、(じつ)は熱で壊れるんだぜ」

 

 ———DNAの二重(にじゅう)螺旋(らせん)は有名だ。

 あんな(ふう)二本(にほん)()を作ると、かなり安定して存在できるし、損傷した時は簡単に修復(しゅうふく)できるというメリットもある。

 ただこの二重(にじゅう)螺旋(らせん)、90度まで熱してやれば壊すことが可能になるんだ。

 

 ———オレが“首”を処分する(さい)、ミンチにして湯掻(ゆが)いたのはそのためだ。

 あとは炭酸ソーダでもぶっ込んでやれば完璧だった。

 

「そうなんですか?」と首を(かし)げて聴いてくる間桐。

 オレもだんだんと面倒になって「PCRと同じだよ」と、無理矢理に話を切り上げた。

 

「ぴぃしーあーる?」

「そうか、別の意味で伝わってたな」

 

 首を(かし)げる間桐を見ながら、オレは右手を振ってみせる。

 

「PCRってのは、本来は検査方法の名前じゃない、“DNAの増幅方法”の名前なんだ。

 “ポリメラーゼ連鎖(れんさ)反応(はんのう)”って言ってな、DNAを90度まで熱すると二重(にじゅう)螺旋(らせん)がぶっ壊れるんだ。だけど、それを65度くらいまで()ますと元通りになる」

 

 この時、DNAを()かした水の中に、“DNAの材料”を大量に入れておくと、元の二重(にじゅう)螺旋(らせん)に戻るより先に材料と結合して、結果DNAが二倍に増える。

 その操作をもう一度やればさらに倍、三度目をやればそのまた倍に。ネズミ算的に増えていくから———10回目で1000倍、20回目で100万倍。

 

 こうやって、唾液中に含まれるDNAを爆発的に増幅させると、検査がとてもやりやすくなる。

 実際、(すく)()った喉粘膜(のどねんまく)に付着するコロナウィルスを顕微鏡で一つずつ探す(わけ)にもいかないから、こうやって増やしてから検査をしている。

 

「もっとも、PCRの最中(さいちゅう)にポリメラーゼが誤作動を起こして『コロナっぽいDNAが勝手に()()る』なんてのも(たま)にあるから。この方法で増やしたDNAの中にコロナに似たDNA(モノ)があったとしても『確実に感染している』とまでは、言い切ることは出来ないんだけど……」

 

 紅茶を飲んでから、間桐を向いて()めくくる。

 

「———だから、オレの証拠隠滅が完全かどうかを疑うのはお門違(かどちが)いだ。間桐」

「そうですか……。()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

 

 目を細めた間桐の言葉。その真意(しんい)を、数秒遅れて理解した。

 

「なんだよ。魔眼の性能が知りたかったのか。ならそう言えよ。

 いつでも相手になってやる」

「おいッ、両儀」

 

 衛宮の声が割り込んできた。仕方なく目線を間桐からそらすと、衛宮の(てのひら)が視界に入った。

 

「それだと普通に殺人になるぞ。ケンカを売るな、な?」

「別に……売ってない」

 

 衛宮からも顔を(そむ)ける。

 間桐は凛と談笑していた。

 

「アイツ……」

「両儀。あの時のことなんだが」

 

 後頭部に声がぶつかる。

 

「何だよ」

「遠坂と桜に、首切りの事件を説明した時だ。最後まで踏み込まなかっただろ? お前の事だ、事件の全体像くらいは(つか)んでいそうなものなのに、あえてぼかした」

「……違う」

 

 オレは否定した。

 配られた紅茶を飲むために下を向いて、ティーカップの水面を見る。

 

「確証がなかっただけだ。あれ以上踏み込む(ため)には、知らないといけない事がいくつかあるから」

「その情報、この屋敷なら全部そろうだろ? だけどお前はそれをしないで、ぼかしたままで話を切った。

 ———そのせいでお前だけが、事件の全体像を知らないままだ」

 

 オレは、動かない。

 ティーカップを取り上げて、()れる水面を見たままで、隣の衛宮と会話する。

 

「あの二人なら、おまえの味方になってくれると思った。

 おまえがもし自首をするのなら、きっとオレは敵になる」

「つまり、『俺が人を殺してない事をバラすぞ』ってことか。そうすれば、俺の計画は破綻するから」

 

 水面を顔に近づけて、紅茶を、一口すする。

 

 ———オレはきっと、警察に話してしまうだろう。

 自分自身の意志を、オレはあまり信用しない。だからきっと、『衛宮の刑が軽くなるかも』という誘惑に、いつか勝てなくなるだろう。

 

 その時のオレは、きっと衛宮の敵になる。

 ———もっとも、こういった妄想は、“全てが上手く終わったら”の話だ。『ここから出て、全てが元通りになったとしたら』という、ただのシミュレーションに()ぎないのだ。

 

 顔を上げてテーブルの向こう、談笑する少女たちを見る。

 この二人は、衛宮が偽物だと知らなかったにもかかわらず、あの時衛宮を(かば)ってくれた。

 この二人ならきっと、全てをひっくるめた上で、“衛宮の想い”を大切に、応援してくれると思うから。

 

 視線を、右横にスライドさせる。

 衛宮は手元の紙を見ながら、右手を(あご)に当てていた。

 

「———その紙。ランサーが死んだ時間帯、昼食を食べて以降のアリバイだろ? 

 怪しいヤツ、誰かいたのか?」

 

「うん」と衛宮は(うな)った。目線だけをオレに向ける。

 

「昼食を食べて以降、ランサーを殺せるだけの時間を捻出(ねんしゅつ)できたヤツは、たった一人だけだった」

 

 ———両儀。お前だけが、あの時間帯の不在証明(アリバイ)がないんだ———

 

 ランサーは昼食には出てきていた。だから、殺されたのはその後になる。

『気分が悪いし、眠気もする』と言って部屋に引っ込んでいたランサーを殺すには、当然、部屋に侵入する必要がある。

 

 衛宮が言うには、オレ以外の全員が、相互(そうご)監視(かんし)の関係にあったらしい。

 女性陣は三人共、一塊(ひとかたまり)になって宝石の場所を探していたし、アーチャーは衛宮を監視していた。時臣とオッサンは、オレがランサーを見つける直前まで一緒にいて、衛宮はアーチャーの寝室で、ずっと縛られたままだった。

 

「両儀、つまりは『時臣とオッサンが、自分を追い抜いてランサーを殺すなんて出来ない』とお前が言う以上、ランサーを殺すことができるのは、お前しかいない事になっちまう」

 

「だからちょっと悩んでたんだ」と言って、衛宮は紙に目を落として、頭を()いた。

 

「時臣さんには殺害不可能だったのか? 本当に? 例えばトイレに行くふりをして……とか、方法としてはありだと思うけど」

「“鍵のかかった部屋からの脱出”、それはどう考えるんだ?」

 

 そう言って、オレはクルッとひっくり返る。テーブルに腰掛け、庭を見てからそっと、左を向いた。

 衛宮と目が合う。

 

「時臣を追い詰めたいなら、まずは動機が必要だ。あの男は()にならない事は絶対にやらない。

 あの男が誰かを『どうしても殺したい』と思ったとしても、遠坂邸から脱出した後で殺せばいいんだ。

 “バゼット殺し”にしたってそうだろ? こんな状況下でわざわざ殺すか?」

 

 こんな状況で殺したら、容疑者はかなり絞られる。

 だってイベント参加者以外には、殺せるヤツなんていないんだから。

 

 さっき山にいたヤツが(かり)に犯人だったとしても、あの位置から此処(ここ)の人間を、密室の中で殺せるのは———李書文や浅上藤乃のような、特殊な事例だけだろう。

 あのザイードですら、ここの結界を、要石(かなめいし)を破壊せずに全てすり抜ける事なんて出来ない。つまりFateシリーズ全てを見渡してすら、あの状況での密室殺人はそれなりに難しい部類に入る。

 

 それを言うと衛宮は笑った。

 

「両儀に聴きたかったんだけどさ。お前、合気道は使えるのか? 

 確か、両儀式は使えるみたいな設定だった(はず)だけど……」

「さあな。っていうか、アレはどういう原理なんだ?」

 

「いやッ、俺に言われてもな……」

「オレにだって似たことはできる。でもあくまで“似たこと”でしかない。

 武術の技を応用して絵面(えづら)を似せることはできるけど……それは根本的に“合気道”とは別物だ」

 

 衛宮は黙った。

 結局、コイツが何を知りたかったのかも分からないまま、衛宮は顔を上げ、両手を合わせて、この場のみんなにお願いをした。

 

「なあ……もう一度、現場を見せてくれないか?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ———密室を調べる。

 衛宮はそう言って、オレたちをランサーの部屋まで連れて来た。

 

 今度は(みな)で部屋に入って、その中央まで歩いていった。

 オレと衛宮は入り口に戻って、オレ一人だけ外に出る。衛宮はオレに、糸の片方(かたほう)(はし)を渡して、(とびら)を完全に閉めてみせた。

 

 オレの手から()びる糸は、(とびら)の下を通って部屋の中に入っている。

 (しばら)くして、(とびら)の中から聞こえる「いいぞ」っと言う衛宮の声を合図に、オレは右手で糸を引いた。

 

 ———引っかかって動かない。

 腕に力を入れても同様(どうよう)だった。仕方がないから、腰を落として身体(からだ)全体で糸を引いた。

 

 “ドッ”という衝撃と共に、オレは一歩たたらを()んだ。

 右手が軽い。糸は足元で()れている。

 

「切れたぞ、糸」

 

 声をかけると(とびら)が開いて、その向こうに衛宮が見えた。

 衛宮は右手を軽く振って、糸をブラブラさせていた。

 

「ダメだったか」と衛宮が笑う。

 

「さすがにここから、鍵を通すわけにはいかないな」

 

 衛宮に糸を突き返し、部屋の中にオレは入った。右側の壁際(かべぎわ)にアンティークテーブルが置かれていたから、そこに尻を乗せてやる。

 

 それからはずっと、衛宮の動きを目で追った。

 衛宮はランサーの死体に近づいて、胸の傷をジロジロと見る。この体の視力ならここからでもはっきりと見えるけど、かなり特殊な刺し傷だった。

 

 ———胸の傷口が、ズタズタに(えぐ)れている。

 無数(むすう)の小さな槍で、何度も傷口を切り裂いたような。それこそ本物のゲイ・ボルクで刺し貫いて、穂先(ほさき)が分裂したような傷だった。

 

 衛宮はランサーの死体から離れ、ベッドの足元に転がっている赤い槍を(のぞ)()む。

 穂先(ほさき)血脂(ちあぶら)でベトついている。その下のカーペットには固まった血溜(ちだ)まりがあって、その(ほか)の場所には目立った血痕は見当たらなかった。

 ……少なくとも、血振(ちぶ)るいのために槍をぶん回したりはしなかったらしい。

 

 

 そのあと衛宮は、天井を眺めながら窓まで歩き、間桐と一緒に窓の点検を始めていた。

『正常に開け閉めできるか』から始まり、『窓枠(まどわく)ごと外れたりしないか』、『窓ガラスに穴は()いていないか』などなど。

 その後は、『鍵が通るだけの隙間があるかどうか』を検証するために部屋中を探して回っている。

 

 結局、ベッドの下を(のぞ)く衛宮に(しび)れを切らして蹴飛ばすまで、コイツは部屋を探り続けた。

 

(いッた)い……」と(うめ)きながら立ち上がる衛宮に、オレは窓を(あご)()す。

 

「日が暮れたぞ衛宮。この部屋だって暗くなったし、このくらいで切り上げろ。

 ———何もなかったんだし。(こん)()めるのは、あまりよくない」

 

 オレの声を聞いたのか、間桐と一緒になってアーチャーをイジっていた凛は「アッ」と手を叩き、「先にお風呂に入りましょうか」と提案してきた。

 

 どうもオッサン二人とは、別々に夕食を取るらしい。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「いいのか?」と衛宮が聴いた。

「いいのよ」と、凛が答えた。

 

 

 長襦袢(ながじゅばん)を着たオレは、ベッドに座った。右掌(みぎてのひら)でシーツを撫でる。

 オレたちに割り当てられた寝室が、とても久しぶりに思えてしまった。

 

 目の前にアンティークデスクがあって、その向こうが窓になっていて、視線を右に転じると、衛宮と凛とが話をしている。

 あくびをして、二人を見る。

 

「俺たち、最有力容疑者だろ?」

「おじさんたちの(あいだ)でだけは、ね」

「今夜、襲われるかもしれないぞ」

「アーチャーに(まも)ってもらうわ。両儀さんも強いみたいだけど……ほら、アーチャーって最強だし」

「ライダーは気分が悪いって……」

「桜と一緒に私たちの寝室で寝るの。アーチャーは門番にするから、今夜のことは大丈夫よ」

「アーチャーが大丈夫じゃないような……」

 

 撃沈した衛宮が、(とびら)を閉めて歩いてくる。ベッドの上、オレの右隣に腰を下ろした。

 

 オレは衛宮を横目で追った。

 黒いTシャツとベージュ色のチノパンツ。衛宮の定番の寝間着だった。

 

「衛宮、聴いてもいい?」

 

 オレは視線を前に戻す。正面にある窓にはカーテンがかけられていて、隙間から赤い光が見える。

 

「“ランサー殺し”の事件。怪しいのがオレだけなのはよく分かった。

 じゃあバゼットの時はどうなんだ?」

 

 オレたちはずっと部屋に閉じこもっていたから、アリバイなんて無い(わけ)だけど、(ほか)の人間にはそれがあるのか? 

 

「無い」と衛宮は言って、膝の上で両手を組んだ。

 

「みんなに無かった。全員が仮眠を取ってたらしいから、あの(あた)りの事はほとんど分からないんだ。

 ランサーが起きた時にバゼットさんがいなくて、荷物はあるのに帰ってこないから、屋敷の中を探してたらしい。玄関の(とびら)を開け、外に出てみたら———左手の無いバゼットさんが血塗(ちまみ)れで倒れてた、という話だった」

 

 その後は、他の参加者たちが続々と集まってきて、オレたちが降りた時にはもう、昨晩の、“衛宮とバゼットとの(いさかい)”を知っているランサーの発言で、衛宮が犯人だと決め付けられていた。

 

「その後は知っての通りだ。

 両儀が地下室に連れて行かれている(あいだ)、オレは遠坂とアーチャーの部屋に転がされてた。朝食を終えたアーチャーにずっと監視され続け、昼食も食べなかった」

 

 ———そして、昼食後も監視が続いたという(わけ)か。

 

 オレは編み上げブーツから両足を抜いて、ブラブラと振りながら続きを()かす。

 

(ほか)の奴らは?」

「昼食後とほとんど一緒だ。

 午前中、女性陣はずっと一緒だったらしいし、そこにランサーも混ざってた。どうもランサーを気遣(きづか)いながら遠坂邸を見回ってたみたいだ。途中で何人かがトイレにたったくらいだな。

 昼食を食べた後、部屋に戻るランサーに二言(ふたこと)三言(みこと)会話したのが最後だって、遠坂も桜も言っている」

 

 衛宮がこっちを向いたのが、気配で分かった。

 

「両儀は、おじさんたちとずっと一緒にいたんだろ?」

「そう。朝食後にトイレに行って、それからはずっと一緒だった。

 その時のトイレだって、交代で入ったんだ。外で(ほか)の二人が待ってたから、殺しはちょっと無理なんじゃないか? 

 犯行にしろ準備にしろ、まず不可能だと、オレは思う」

 

 隣の衛宮が、上半身をベッドに倒した。

 目を向けると、両手を組んで後頭部に回している。そんな衛宮と目が合ったから、ちょっと、(のぞ)()んでみることにした。

 衛宮の瞳が、少しだけ()れている。

 

「言いたいことがあるのなら、全部ここで吐いちまえ。オレの方には、もう知られたくない秘密もないしな」

 

「それなら」と前置きした衛宮は、深く息を吸っていた。

 

「……遠坂時臣と、知り合いなのか? 

 どうもあの人の人柄(ひとがら)を、知ってるみたいに見えたんだけど」

「おそらくは、な」

 

 オレもベッドに寝そべる。

 右肩を下にして、衛宮を見たまま横になる。コイツの目は、真っ直ぐに天井を見つめていた。

 

「あの男、多分オレの父親だよ。

 かなり気合を入れてコスプレしてたから分からなかったけど、たぶんな」

「それは……。どういう人なんだ?」

競争(きょうそう)(ごと)で、負けたところを見たことが無かった」

 

 衛宮の顔がこっちを向いた。

 右腕を枕にしたオレは、衛宮の頬をそっと()でる。

 

「才能もあって努力したのだと思う。あの男は(けっ)して、失敗をしない人だった。あらゆる事業を成功させてきたし、あらゆる競合(きょうごう)他社(たしゃ)を追い落としてきた。

 必ず()()り、支出した価値以上のリターンを手に入れてきた」

 

 オレの父親は医者ではない。

 あの男は、いつもオーナーの立場を取る。

 

「見込みのある者を見つけるのが上手かった。

 才能のあるヤツに近づいて、資金援助を申し出るんだ」 

 

『それなら、ウチが貴方(あなた)に投資しましょう。2億もあれば、会社を大きくできるし社員も雇える。大きな倉庫だって借りられる。

 そうすれば、もっと稼ぐことができるでしょう?』と。

 

「ありがたい話だろう? だからみんな受けてくれる。

 だけど代わりに、ウチの社員が一人付くんだ。“CEO”とか“専属(せんぞく)顧問(こもん)”とか名乗ってるけど、要するに“監視役”だ。

 会社の社長は“商売の専門家”として商売に専念(せんねん)して、稼いだ(かね)はウチの社員が管理する。当然、会社を設立する時に出資したのはウチだから、会社そのものはウチの物だ。

 株式の45%くらいは、最初からウチが握ってる」

 

 あの男が不正をする時は、必ず誰か別人にやらせる。

 金回(かねまわ)りが悪くなってきた会社が食品表示を誤魔化(ごまか)したりして逮捕される時、ウチの会社にせっつかれているって場合も多かった。

 景気が悪くなって業績が悪化しても、関係ない。だってウチは、一番最初に出資したから、不足分を取り返さないといけないだろう? 

 相手の社長は、会社を設立する時に、ウチから借金してるんだから。

 

 その社長じゃ無理そうだったら別のヤツに変えればいい。担保としての利権を取り上げ、アイデアを持って来た別人にやらせる。

 路頭(ろとう)に迷いたくなかったら、(かね)を稼ぎ続ける必要があるんだ。

 

 ———オレは、高校の卒業と同時に家を出た。

 

 衛宮の頬を親指で撫でる。

 コイツの肌は分厚(ぶあつ)くて、なんとも懐かしい感触だった。

 

「だから、時臣が犯人だとは思えない。

 アイツが人を殺すなら、必ず“誰か”にやらせるんだから」

 

「参考になったか」とオレが聴くと、「時臣さんの人柄(ひとがら)は、分かった」と返ってくる。

 衛宮はオレに(さす)られるまま、バセット殺しの話を始めた。

 

「今日、バゼットさんの遺体を見てきたんだ。左肩から先が完全に消し飛んでいた。玄関で倒れていたみたいだし、おそらくは失血死だから。

 状況だけなら明らかに、『結界に触れた結果起きた事故』なんだけど……」

 

 左肩の傷口が、何者かに(えぐ)られていた。

 頬を(さす)る手をとめる。衛宮の目を見る。

 

「『傷口が抉られてた』ってヤツだな。偶然、そう見えただけって可能性はあるのか?」

「多分ない、と思う。

 バゼットさんの左肩は、(ねじ)()られたみたいな断面だった。それが結界の効果によるものだとしても……その腕の断面の中心に、フォークで引っ掻いたような(あと)は残らないと思う。

 アーチャーのヤツも同意見だったし、たぶんな」

「つまり犯人は、瀕死のバゼットに近づいたって言うのか? 放っておけば死ぬと、分かっていた(はず)なのに?」

 

 曖昧に笑って、衛宮はオレの手をどける。腹筋に力を入れて起き上がり、「そろそろ寝ようか」と衛宮は言った。

 

「明日、両儀にもバゼットさんを見てほしいんだ」

「オレに?」

 

 同じように起き上がったオレは、()れたタオルで素足(すあし)()いてベッドに登る。

 ベッドの奥側に足を入れ、手前側に衛宮を呼んだ。

 

「直死の魔眼が、役に立つのか?」

「そういう(わけ)じゃないんだけど……」

 

 二人並んで寝転がる。

 衛宮は「違和感があるんだよな」と言いながら、布団の中でモゾモゾ動いた。

 

「口にするほど確信があるわけじゃないんだけどさ、バゼットさんが左腕を失って、ランサーは心臓をやられてた。

 ———どちらも、作中と同じ死に方だよなって思って」

「どうだか。ランサーの心臓、あれは(あき)らかに(えぐ)られてた。

 素直(すなお)に突き刺したんじゃああはいかない。凶器が本物のゲイ・ボルクで、突き刺した刃先が分裂したのか。それとも……」

 

 衛宮が急にこっちを見る。

 オレも天井から目を外して、右を向いた。衛宮を見ると———

 

「ホントか、両儀」

「何のこと———」

「ランサーの傷だ。アレはやっぱり、普通に刃物を振り下ろしたんでは、付かない傷なんだな」

 

 衛宮の急変に目を丸くしたオレは、それでも、死体を見た時の事を思い返した。

 

「それは間違いない。刃物を上から何度か刺しただけだと、あんな風にはならない。

 少なくとも……傷口に突っ込んだ状態で、槍を()って()さぶったのか。

 ランサーの傷を見た時オレは、本当にゲイ・ボルクで殺されたのかと思った。それほど、傷口が中でズタズタだった。だから———」

「両儀」

 

 衛宮は布団を思いっきりめくり上げ、ベッド下から靴下を出した。

 それから靴を履いて、爪先(つまさき)で床を叩きながら、振り返ってオレを見た。

 

「両儀、準備をしてくれ。戦闘準備だ」

 

 オレは衛宮の表情を見て、ただ(うなず)いて起き上がる。

 

「ちょうど、微睡(まどろ)んできたところなんだけど……。

 いいよ、分かった」

 

 ベッドの上に立って襦袢(じゅばん)を整え、身を乗り出して着物を(つか)む。背中心(せちゅうしん)を決めながら、衛宮の姿を眺め見た。

 

「殺し合いになるんだろ? 

 それなら、万全(ばんぜん)準備(じゅんび)をしないとな」

 

 ラグラン袖のジャージを羽織(はお)った衛宮士郎を見るオレは、帯を()めてブーツを履いた。

 赤い革ジャンを手に取って、一気に羽織(はお)って駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 



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槍から始まる衛宮の推理

 

 

 

 

 暗く静かな寝室の中、オレは、足をブーツに突っ込んだ。

 編み上げブーツの(ひも)(しば)って、(かかと)で床を何度か叩く。

 革ジャンを羽織(はお)ってから衛宮を見て、駆け寄りながら手を差し出した。

 

 右手に、衛宮がナイフを乗せてくれる。

 それを帯にセットして、衛宮の背中に声をぶつけた。

 

「ざっとでいい、衛宮。先に知っておきたいんだけど……。

 オレは(なに)と戦えばいいんだ?」

 

 首だけを回してオレを見た衛宮は、ドアノブに手をかけた状態で、困ったように小さく笑った。

 

「分からない。でも、確かめないといけないんだ」

「確かめる? 何を———」

「例えば、ライダー」

 

 衛宮の足が、(とびら)の前から動かない。

 ドアノブを握ったままの衛宮は、(うつむ)いている。

 

「ライダーは、どうやってこのイベントに参加したんだろうな」

「“連れ”だろ? オレだって、おまえの“連れ”として参加したんだ。『直接誘われたのはマスターコスの連中(らんちゅう)だけだ』って話だから、ライダーだって……。

 そう考えるのが普通だろ?」

「だからこそだ。俺は確かめないといけない。

 ———だって、今の今まで気づかなかったんだ。色んな事がありすぎたから、完全にド忘れしちまった」

 

 (とびら)(ひら)く。

 衛宮が先に出て、オレも後から続いて。オレたちは廊下に立って、右を向く。

 

 赤い絨毯(じゅうたん)の敷かれた長い廊下。それが真っ直ぐ前に続いている。

 その廊下の左の壁には窓が一列に()められていて、その向こうには夜闇があって———そして、赤い膜状(まくじょう)の結界が、窓の外を巡回(じゅんかい)している。

 

「一番最初だ。覚えてるか、両儀。

 俺たちは桜に、参加者かどうかのチェック、されたよな。その(あと)のことだ」

 

 ———ギルガメッシュがいた(はず)なんだ———

 

「覚えてない」

 

 と、オレは答える。

 衛宮が歩き出したので、いつでもコイツを(まも)れるようにと、衛宮の右後方に陣取った。

 

「それで? ギルガメッシュが“いる”と“いない”で、一体何が変わってくるんだ?」

「組合せがさ、ちょっとおかしな事になるんだ」

 

 オレのちょっと前にいる衛宮の腕は、歩くたびに()れている。その顔は正面に固定され、真っ直ぐに前を見つめていた。

 

「今回の、参加者たちの組合せだ。両儀が教えてくれたアレ。

 もう一度、口に出してくれないか」

 

 オレは、右手を帯の後ろに回す。ナイフの()(つか)み、ほんの(わず)かに動かしてみる。

 そうやって位置を調節しながら、口を(ひら)いた。

 

 (いち)、コスプレイヤーとして参加した者は、八人。

 ()、その全員がFate/stay nightからの出典で、セイバー陣営、ランサー陣営、アーチャー陣営、ライダー陣営。

 (さん)、招待されたのはマスターの四人。(ほか)の四人は“連れ”。

 ()、遠坂時臣とオッサンは、招待する側の人間だ。

 

「なぁ両儀、おかしいとは思わないか? 

 ———桜が、点呼を取ったこと」

「そんな事もあるんじゃないの? 参加者の確認なんて仕事、他人に任せたりする事があってもさ……おかしくとも何とも無いだろ?」

 

 革ジャンの(すそ)を払う。一瞬だけ広がって、すぐに戻って、帯の上からナイフを隠した。

 準備が整って顔を上げたオレは、衛宮の息がゆっくりになっている事に気がついた。そのゆっくりしたリズムで、衛宮から声が()れてくる。

 

(ねん)に一回か二回しか、会う機会がない小娘に、点呼が任されるとは思えないんだ。

 特に、両儀から時臣の人柄(ひとがら)を聞いて、その疑問は確信に変わった」

 

 1秒、2秒……。

 それだけの()を開けて、衛宮は深く息を吸う。

 

「なぁ両儀。ライダー陣営のマスターは、本当に桜だったと思うか? 

 参加者が、二人一組でコスプレしているその中で、遠坂時臣だけが、ソロだったのはどうしてだろうな。

 オレたちを自由にすることに否定的だった時臣が、どうして、あんなにアッサリ引いたんだろうか。

 ———なぁ両儀。この家で最初に殺されたのは、本当に、バゼットさんで合っているかな」

 

 オレは衛宮に追従(ついじゅう)しながら、軽く周囲を(うかが)った。

 左手に壁、右手には下り階段。左前には衛宮がいて、

 

 ———声が聞こえる。

 前方から、アーチャーの声だ。

 

「どこに行くつもりだ?」

 

 階段付近に立つオレたちの前に続く廊下もまた、後ろと同じように(とびら)と窓とが並んでいる。

 右側の壁に並んだ(とびら)の、奥から二番目。そこだけドアが開いていて、ドアのすぐ向こうには、アーチャーが胡座(あぐら)で座っていた。

 アーチャーはその眠そうな目を、自身の左手にある(ひら)いたドアに向けている。

 

 (とびら)の奥から、ライダーがゆっくり歩いて出てきた。

 

 ライダーの姿を確認したアーチャーは、軽く目を()せて、欠伸(あくび)をしながら頭を()いた。

 

「……不安ならば付き添おう。そうでないなら、早く帰ってくることだ。昨日も今日も、この屋敷は物騒だからな、君も襲われたくはあるまい」

 

 ライダーは無言だ。アーチャーはもう一度欠伸(あくび)した。

 そんなやり取りを見ていた衛宮が、歩きながら声をかけた。

 

「二人とも、少しいいかな?」

 

 ライダーがこっちを向いた。

 長い紫髪(しはつ)()れて、腕を少しだけ振り、オレたちの方に足を向ける。

 

 ———歩いてくるライダーは、両手に短剣を持っていた。

 それだけではない。

 チューブトップの黒いドレス、黒い長手袋とサイハイブーツ。両手にある釘剣(ていけん)からは、長い鎖が伸びている。

 

「衛宮止まれ。コイツは……やる気だ」

 

 衛宮の(そで)を引いて、止まってもらう。そしてオレは、衛宮と並んだ。

 一瞬、視線を衛宮に飛ばすと、衛宮は真っ直ぐ前を見ている。前を見たまま、口を(ひら)いた。

 

「気を付けてくれ両儀。狙いはおそらく———両儀だと思う」

「そりゃ良い、お()りの手間(てま)(はぶ)けるってもんだ。

 ともかく、コレを倒せば終わりだな?」

「———違う。ライダーは犯人じゃない」

 

 オレは呼吸を、意識してゆっくりにする。

 

「やっぱり教えろ、全部だ。

 分からないまま戦ってたら、鬱憤(うっぷん)()まってしょうがない」

 

 そう、衛宮に約束を取り付けて、オレはライダーの重心を見る。目の前のコイツが歩くたび、どれくらいブレているのかを。

 

 ライダーは(なお)も止まらない。

 両手を垂らして歩くライダーの後ろで、アーチャーが立ち上がった。アーチャーは目を(しばた)かせ、目を細めて「おいッ」と叫ぶ。

 

 それを合図に、ライダーが急加速した。

 

 オレは左手を衛宮の前方に差し出して、ライダーが突き出した釘剣(ていけん)に触れる瞬間、膝を抜いて腰を落とした。

 腕力ではなく、自分の重心を操作することによって、武器を媒介(ばいかい)し相手のバランスを奪う“(くず)し”の技法。

 

 ライダーは自分の脚力で、衛宮の後ろまで吹っ飛んでいった。

 

 後ろにいる衛宮にため息をぶつけて、振り返り、その向こうのライダーを見る。

 

「———おい、この嘘つき」 

 

 オレは衛宮に毒づきながら、衛宮と立場を入れ替える。

 オレは衛宮を、背中に(かば)った。

 

「何が『両儀が狙われる』だ。アイツ、思いっきりおまえを殺しに来てるぞ」

「ああ……そう、みたいだな」

 

 衛宮の返答に鼻白(はなじろ)む。

 オレは衛宮の正面に陣取ったまま、二歩三歩と前に進んだ。

 廊下の奥でライダーが立ち上がる。それと同時に、後ろから足音がやって来た。アーチャーだ。

 

 オレよりもさらに前に出たアーチャーは、「やめたまえ」と言って両腕を(ひら)く。オレに右手を、ライダーに左手を向けていた。

 

 オレは警戒する。———状況がわからない。

 恐らく、この男は止めに来ただけなんだろうが…………仮にアーチャーが敵だった場合、衛宮を護り切るのが極端(きょくたん)に難しくなってしまう。

 だからオレは後退して、衛宮の胸の前に張り付いた。

 

「それは、そこの(むらさき)に言えよ。こっちだって被害者なんだ。

 おまえがソレを取り押さえてくれるなら、オレたちだって暴れないぜ」

「それは良い。だが君たちも、こんな夜更(よふ)けに何の用かね? その(よう)では、殺人を疑われても———」

 

 “ドンッ”とライダーが地面を蹴った。

 風を(まと)ったライダーは、アーチャーの正面を通り抜け———アーチャーの右手が釘剣(ていけん)(つか)む。そのまま(おさ)えつけようとして———アーチャーは、頭を下げて回避した。

 

 釘剣(ていけん)から伸びた鎖の先に付いた鉄輪(てつりん)が、アーチャーの頭上を通過する。ライダーは、アーチャーが()けたために自由になった右手でもって、釘剣(ていけん)を大きく振り回す。

 当然、剣からは鎖が伸びている(わけ)で……。

 

 結果、二本の鎖が、猛然(もうぜん)とオレたちに突っ込んできた。

 

 舌打ちを一つ。

 オレは一瞬、後ろを見てから衛宮の頭に手を伸ばした。その頭を押さえつけ、自分もしゃがみ、一本目の鎖を(かわ)す。同時に右手でナイフを抜いて、目を見開(みひら)いて魔眼を(ひら)く。

 

 左手を、衛宮の頭に置いたまま、両膝を曲げてジャンプする。衛宮の上に乗り上げるように後ろに跳んで、オレを狙った二本目も(かわ)す。

 オレの頭を狙った鎖が、目の前を右に()()った。

 

 顔を上げ、オレの頭上の鎖を()る。ナイフを、左から右に振り切った。

 鎖を一本、殺して切った。

 

 ———前方から殺気、ライダーだ。

 

 オレは左手を曲げて頭を下げる。

 衛宮にしなだれるように(おお)(かぶ)さり、巻き込むように後転をする。

 オレたちが一瞬前まで居た場所を、ライダーが()()けていった。

 

 衛宮に後ろから抱きついたまま立ち上がり、「おい嘘つき」と呼びかける。衛宮の足がしっかりする前に放り出し、衛宮の前に(おど)()て。目の前まで来たライダーの、突き刺してくる釘剣(ていけん)()る。

 右手に(にぎ)った釘剣(ていけん)を殺して、()いた空間に左手を突っ込む。ライダーの、胸の谷間に押し立てて、左回りに外旋(がいせん)させて(わざ)を出す。

 

 ———オレの手が、ライダーの胸に強く当たる瞬間に腕を回して重心を崩す。そのまま膝を抜いて腰を入れ、反動でライダーを突き飛ばす。

 

 フラつく衛宮に手を貸しながら、オレはライダーを観察していた。

 

 

 ———弱い。

 サーヴァントとしては、弱すぎる。

 

 人間のオレが戦えている時点でお(さっ)しだけど、目の前の女は(ひと)(いき)を超えてはいない。戦い方はそれっぽいけど、肉体の強度は人と同じだ。

 何よりコイツは、石化の魔眼を持ってない。

 

 ライダーは、コスプレイベント(ちゅう)一度(いちど)たりとも、バイザーをつけていなかった。ランサーの死体を見た時だって、今だってそう。

 

 この女は、ただのコスプレイヤーだ。

 

「その(はず)なのに、コレはどういう事なんだ? 衛宮、おまえがキスしたら治ったりしないのか?」

「どうしてそうなる……」

 

 後ろから衛宮のため息が聞こえるが、悠長(ゆうちょう)に待ってもいられない。

 この女、今はふらつきながら咳き込んでいるが、その内それも(おさ)まるだろう。そうなったらまた攻撃してくるだろうから。その(たび)にオレは、衛宮を護りながら吹き飛ばす事になるだろう。

 

 アーチャーが味方だと確信できない以上オレは、二人ともに、(すき)を見せる(わけ)にはいかない。

 

対案(たいあん)が何も無いんなら、オレは勝手にする。気絶させて終わりにするぞ。

 後遺症が残っても、後で文句(もんく)言うなよな」

 

 ライダーの、(せき)が止まった。

 アーチャーは、こちらにゆっくりと歩いてくる。

 

 オレがナイフを握り直すのと、衛宮の声とが同時だった。

 

「———薬だ。たぶん、催眠術との併用(へいよう)だとは思うんだけど」

 

 衛宮の息が、オレの左耳にくる。後ろから耳打(みみう)ちされていた。

 

「直死の魔眼が、病気だけを殺せるのなら。薬や催眠術なんかの“精神に影響を与えるモノ”も、“死”を(とら)えて殺せるか?」

「さあな。でも……」

 

 今は見えない。

 でも衛宮の(げん)が正しいならば、後は認識の問題だ。

 

「——————(とら)えた」

 

 ライダーの後頭部。頭と首との付け根あたりに、雰囲気の違う線がある。その場所を中心に(たて)に長く広がっている線。

 その中心の、赤白(あかじろ)く密集した線の束。

 

 ライダーは、右手の殺された剣をじっと見てから、それを捨てた。左の剣を持ち替えて、オレを見て歩きだす。

 応じるように、オレも一歩目を踏み出した。

 

 するとアーチャーの声がする。

「止まれ、両儀式」

 

 ……止まらない。

 

 オレの襟首(えりくび)(つか)まれた。

 足が止まった瞬間に、ライダーが踏み込んでくる。

 オレから見て、右から左に()(はら)われた釘剣(ていけん)を、下から左手で跳ね上げる。

 アーチャーに襟首(えりくび)を引かれるままに、左の回し蹴りを退()がって避けた。

 

 振り上げた左足を床に置いたライダーは、勢いのままに体を(ひね)る。オレが後転してアーチャーの手を振り払った瞬間には、右足の、後ろ回し蹴りが放たれていた。

 

 さらに(かわ)し、距離を取りながら舌打ちをする。結局オレは衛宮のところまで戻ってきていた。

 いつの間にかアーチャーは、オレの前に立っている。

 

「彼女は私が()らえよう。間違っても、戦闘に刃物は使わないことだ。

 傷つけず、怪我もさせずに制圧をする。()を学ぶ者たちの、それがせめてもの責務だろう」

 

 アーチャーが前を向き、ライダーに近づく(さま)を後ろから見る。オレは、その背中に呼びかけた。

 

「次、ソレをこっちに通したら……オレは殺———」

「何してるんですか?」

 

 背後の声に、場の空気が固まった。

 

「アーチャーさん? 先輩と両儀さんも……」

 

 間桐の声だ、少しマズいな。

 これでライダーが強行に出たら———と思ったが、ライダーは棒立ちのままだった。

 

 振り返る。間桐と……凛も顔を出している。「ドア開けたまま騒がないでよ」と言いながら、眠そうに目を(こす)っていた。

 

 そして、女二人がライダーを(とら)える。

 オレたち全員に見つめられて、ライダーは静かに気絶した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 状況をすり合わせるために、オレたちは食堂に移動した。

 オレは全員に監視されながら紅茶を入れて、各々(おのおの)にそれを(くば)って(まわ)った。

 

「最初に言い訳しておくと、オレ、紅茶は入れたことないんだ。

 だから文句(もんく)なら受け付けないぞ。黙って飲め」

 

 ちょうど()いていた、衛宮の左側の椅子を引き、一番最後に着席をする。

 オレは、恐縮(きょうしゅく)して小さくなったライダーを皆で(はげ)ます声を聞き流しつつ、(ひと)り、紅茶の味を確認していた。

 

 ライダーの表情が少し(やわ)らぎだした(ころ)()ずは凛が口火を切った。

 

「ザックリとした話の流れは分かったわ。どうして騒いでいたのかも、ね。

 となると気になるのは———。ねぇ衛宮君、今からそれを、話してくれるのよね?」

 

 凛に正面から見つめられて、目を細めた衛宮が(うなず)く。

 

「確たる証拠も、あるのよね?」

「“確たる”って言えるほど凄い物ではないと思う。

 でも確かに、今回の一連(いちれん)事件(じけん)は……動機も含めて、たった一人にしか有り得ないような、そんな結論になっちまうんだ」

 

 衛宮は言った。

「今から全部話すから、間違っていたら教えてくれ」と。

 

 ———まず始めに、ランサーの槍の話だ。

 あれはたぶん普通の槍だと思う。

 (たと)え本物のゲイ・ボルクだったとしても、部屋を密室にしたまま、中の人間を殺せない。

 “投げボルク”を外から投げたら、何もかもぶっ壊しながら突き進んでいくからな。

 

 そしてそうなると、ランサーの傷口はおかしかった。

 両儀が言うには、『まるで突き刺した刃先が分裂したのかように傷口の内側がズタズタだった』。これはみんな見たと思う。

 普通の槍で突き刺すだけなら、あんな風にはならないらしい。

 

「———だとするならアレは、槍で刺された傷じゃない」

 

 オレの右隣から、衛宮の声が聞こえている。

 その声に()じって聞こえてくるのは———浅くなる呼吸を(おさ)えつけ、無理矢理に深呼吸するかのような、細かく震える衛宮の呼吸だ。

 

「つまり、現場に転がっていた槍はフェイクだという事になるんだけど……そうなるともう一つ、疑問が出てくる。

『ランサーはいつ死んだのか』っていう疑問だ」

 

 

 あの時、全員が相互監視状態にあった。

 唯一(ゆいいつ)その対象から外れたのが、時臣さんから単独行動を勝ち取った両儀だけ。

 でも両儀が犯人だと考えると、不可思議な点がいくつも出てきてしまうんだ。

 

 まず、鍵を壊すのに直死の魔眼を使ってる点だ。

 その時点で両儀にとって、『直死の魔眼を持っている事』は最重要機密事項になる。

 それがバレた瞬間に、両儀が犯人だと確定するからだ。

 

『犯行後に、ライダーに見つかったから急遽(きゅうきょ)作戦を変更した』という考え方もあるけど、これだって、よく考えると矛盾だらけだ。

 

「だってそうなら、ランサーの殺害方法を誤魔化(ごまか)すなんてリスキーな真似(まね)はしない(はず)だろ?」と、衛宮は笑う。

 膝の上に置いて両手を握りしめ、少しだけ声を震わせて。

 

「“直死の魔眼がバレたら終わり”なら、いっその事ランサーだって魔眼(それ)で殺せばよかったんだ。直死の魔眼は“線状にモノを殺す”から、使ったエモノに血糊(ちのり)はつかない。

 偽装工作する暇があるなら、さっさと殺して逃げればよかった。両儀の魔眼がバレさえしなけりゃ、どうやって殺したのか(わか)らないから」

 

 衛宮の正面、オレの右前にいる凛が、少しだけ口を開きかけて戸惑うように(ふたた)び閉じる。

 それを衛宮はチラリと見てから、ゆっくりと声を吐き出した。

 

「“凶器を特定させない殺し方”ができる両儀にとって、凶器を偽装することに意味はないんだ。

 態々(わざわざ)それをやったからには、そこには意味がある(はず)で……。でもオレたちの中で両儀にだけは、その行為が無意味なんだよ」

「じゃあね、衛宮君。他に誰ができるって言うの? 

 昼食の時、ランサーは生きてたし。その(あと)は誰も、(ひと)りになんてならなかったし」

 

 衛宮は少し乗り出し気味に、凛の目を見た。

 

「そうなるともう、可能性は二つだけだよな。

 ———監視し合っていた、そのグループ全員が犯人か。それとも、本人は何もしないまま、間接的に殺したのか」

「衛宮君は、どっちだと思うの?」

「俺は———後者(こうしゃ)だと思う」

 

 衛宮はティーカップを持ち上げて、紅茶を一口(ひとくち)口に運んだ。

 ソーサーに戻す時にカチャカチャと二度()った音は、静かな食堂に少し響いた。

 

「もしもグループで共犯したなら、槍の偽装は必要なかった(はず)なんだ」

 

 唇を()めた衛宮は一度(まわ)りを見渡して、組んだ両手を、テーブルの上にゆっくりと置いた。

 

「この二つの仮定では、それぞれの犯行時刻が違うんだ。

 もしも共犯なら、犯行に(およ)んだのは昼食後だ。グループで協力してランサーを殺して、なんらかの方法で密室にした。

 ———そうなると、槍の偽装はそのタイミングで行われたことになるんだが……。

 今度は、バゼットさんの腕を(えぐ)ったことに意味が見出(みいだ)せない」

 

 結界に触れて左腕が吹っ飛んだバゼット。

 その傷口に(あき)らかに後から付けられた()()き傷があった事。

 

「『槍で殺された』と思わせたいなら、槍の穂先(ほさき)には血がついてないといけない。でもグループで殺したなら、その場で血を付けることが出来た(はず)だろ? その場で、ランサーの傷口に、何度か槍を突き刺して」

 

 あの傷は、そんなものじゃなかった。

 そんな方法では、とてもじゃないけど作れないだろう。

 

「なら……ランサーの傷に突き刺すことで血がついた(わけ)じゃないのなら、だ。

 穂先(ほさき)に付いた血脂(ちあぶら)は、バゼットさんのモノだろうさ」

 

 オレの正面にいる、アーチャーが(あご)(こぶし)を当てた。

 

「そうか……バゼットの左肩、フォークで()()いたようなアレはおそらく……」

穂先(ほさき)に塗るために採取した時にできた傷……の(はず)だ。そうする事で『あたかも、その場に誰かがいた』ように偽装したんだと思う」

 

 ———つまりそれは、逆説的に、『その場にその時誰もいなかった』ことの証明になってしまうから。

 

 衛宮は言う。

「グループでの犯行でないのなら、殺害の瞬間、誰もランサーの部屋に近づいてはいないなら。

 ———これは、遠隔(えんかく)殺人(さつじん)でしか有り得ないんだ」

「ちょっと待って」

 

 と、凛が言葉を()(はさ)む。

 

遠隔(えんかく)で人を殺したって、どうやるのよ。 

 ロボットでも(やと)ったって言いたいワケ?」

「そうじゃないんだ。えっと……ここにいる“両儀式”を思い出してほしい。コイツみたいに型月(かたつき)キャラの肉体を持っている可能性を考えるなら———使い魔を使えば楽勝だろ?」

 

 

 ———使い魔。(ある)いはそれに(るい)する物。

 遠隔操作、または自律行動が可能で、かつ人を殺し得る殺傷能力を持つ物ならば、その場に当人(とうにん)がいなくてもランサーを殺せるのだ。と、衛宮士郎は説明する。

 

「でも即席の使い魔じゃあ意味がないだろう。

 (すずめ)を使い魔にしたとする。その使い魔は“(すずめ)にできる事”しかできないからな。

 ———結界に(はば)まれたこの場所に、殺傷能力の高い動物が侵入する余地なんてのは、あると思う方がおかしいだろう」

 

 凛はカップの(ふち)をなぞりながら「もしかして……」と口にした。

 

「『その使い魔をここに来る前に用意して来た』って言いたいワケね」

「そう……だと思う。でもそうだとしても、“あんな風に傷つける事ができるモノ”は相当に(しぼ)()まれてしまう。殺傷能力の高い大型の(けもの)は論外だ。槍の太さほどの、小さな傷口を作るためには、それ相応(そうおう)に小さなモノでないといけない。

 真っ先に思いついたのは月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)だったんだが、そんな固有礼装を使えるキャラはここにはいない。アインツベルンのキャラもいないから鋼線(こうせん)だって線もないだろ? 

 だからこれで、残った可能性は———たった二つだけになった」

 

 衛宮はテーブルの真ん中で、右人差し指を一本立てる。

 

「一つ目の可能性は、Heven’s Feelで桜が使った“影の小人”。でも傷口を考えると、この可能性には無理がある。

 影の小人は薄っぺらいから、ランサーの心臓を突き刺すことが出来るかもしれない。でもそれなら、胸の傷はズタズタにならない。

 心臓を食べたと考えても、微妙に違和感が残らないか?」

 

 無数の、それも小さな(やいば)(えぐ)ったように———とはなりそうもない。

 

「衛宮君まさかッ!」

 

 凛は、両手で自分の心臓を押さえる。胸をかき抱きながら目を見開いて、衛宮の顔を凝視する。

 

「“間桐の蟲”に、()わせたと言うの?」

 

 衛宮は、目を()せた。

 

「それが一番辻褄(つじつま)が合うんだ。

 ———あらかじめ槍を転がしておいたんだと思う。血糊(ちのり)を付けて、入り口から見えにくい位置に。

 ランサーが昼食時に言った『気分が悪いし、眠気もする』という言葉が本当なら、睡眠薬を盛られてたかもしれないな。麻薬だったかもしれないけど、今のところ、それらを見分ける(すべ)はない」

 

 午前中だろう。部屋に蟲を忍ばせると……後は一言かけるだけだな。『バゼットさんのこともありますから、戸締りはキッチリして下さいね』と。

 そうするとランサーは鍵をかけてベッドに倒れる。そのまま寝入(ねい)って———生きたまま、心臓を食い破られたのだろう。

 

「有り得ないわよっ。痛みで起きるでしょう!?」

「麻酔だったらどうだ、遠坂。モルヒネのように強力な鎮痛(ちんつう)作用(さよう)のある麻薬でも飲まされてたら、あまり痛みを感じなかったんじゃないのかな」

 

「でも、確固たる証拠は何もないから」と衛宮は(くく)った。

「もしも間違っていそうなら、誰か、声を上げてくれないか」

 

 そうして息を吐き出した音、衛宮の呼吸音を最後にして、静寂(せいじゃく)がその場を支配した。

 

 震える者、下を向いて黙る者、縮こまる者と考える者。

 衛宮は黙り、オレは間桐を横目で(なが)める。

 

 ここまで説明されたなら、衛宮の考えも(わか)るというもの。

 オレはやっと理解したんだ。衛宮が何故、オレに武装させたのか。それは———

 

「……桜、貴女(あなた)が犯人だったのね?」

 と言った凛が、そっと間桐を(うかが)った。

 間桐はただ下を向き、黙ってじっと膝を見ている。

 

 やっぱりそうだ。と確信したオレは、呼吸をゆっくりに変え、椅子に体重をかけるのをやめた。

 いつでも立ち上がれる姿勢をとるため、椅子に浅く腰掛(こしか)ける。

 

 直死の魔眼を発動させて、この部屋の、大量の線を見渡(みわた)した。

 

貴女(あなた)が、ランサーと———」 

「違うぞ? 遠坂」

 

 首を振った衛宮は「桜は、犯人じゃないと思う」と言って、ゆっくりと目を細めた。

 驚いて固まった凛を尻目(しりめ)に、衛宮は再び顔を上げる。

 

「そもそも、“間桐の蟲”を使役(しえき)できるキャラクターは間桐桜ではない(はず)だ。

 間桐桜が蟲を使役するために必要な条件は、二つ。

 魔力を持った淫蟲(いんちゅう)が存在している事。そして(ソレ)に犯されることで魔力供給を可能にして、マスターとサーヴァントの関係に持ち込む事。

 ———桜の肉体を得た何者かがいたとして。本当に、ソイツの肉体の中に最初から、蟲が存在していたのだろうか。

 わざわざ蟲風呂を用意して、自分で()かって、蟲を掌握(しょうあく)したのだろうか。

 それだけの犠牲を払って準備したのに、何故(なぜ)この状況で人を殺した? 

 こんな、閉じ込められた空間の中で」

 

 オレは、そっと周囲を警戒している。視界の全てが、線状の死で満ちた世界。オレ以外は、誰もソレに気付いてなかった。

 衛宮の声は震えている。

 そりゃそうだろう、とオレは笑った。

 

 衛宮には見えていない……でも知っているんだ、ソイツが犯人だって事。だから声が震えてる。

 衛宮はオレに『戦闘準備だ』と言った。つまりオレに護って欲しいと言ったんだ。犯人から衛宮を、そしてこの場の人たちを。

 

 ———ならオレの行動は、最初からずっと決まってる。

 

 バレないように椅子を引いて、戦闘態勢を整える。

 オレの隣では衛宮が、(かわ)く唇を()めていた。

 

「ここまで考えて、俺は一つ気がついたんだ。

 桜が、直死の魔眼の性能を知らなかったこと。そして両儀が『PCR』と口にした時の、あの桜の反応だ。

 ———あれは、“PCR”という単語に()(おぼ)えのないヤツの反応だった」

 

「どう思う?」と衛宮が問う。

 でも、周りの奴らは、誰も何も言わない。ただ黙って、座っているだけだった。

 

「このご時世(じせい)だ。テレビをつけたら“コロナの話”が流れてる。“PCR検査によるコロナウィルス陽性判定者”の(かず)が、毎日毎日公表(こうひょう)される。緊急事態宣言だって発令された。

 ———なぁ遠坂。医療関係者が身内(みうち)にいて、この状況で、“PCR”の単語に()(おぼ)えがないなんて事があると思うか?」

 

 

 衛宮の右隣の席に座っている間桐は、ずっと黙ったままだった。白いワンピースを着て、椅子に座って、両手を膝に乗せたままで。

 

「桜が知らないと仮定すると、ほんの(わず)かな違和感でしかなかったモノが恐ろしい意味を帯びてくるんだ。

 ———どうも桜は、“直死の魔眼”も知らないらしい」

 

 

 

 ———両儀さん。両儀さんは、どうやって先輩が持ってきた“頭”を処分したんですか? 

 両儀さんの処分がキチンとしてなかったら、そこからバレちゃうかもしれないですよね———

 

 ———DNA検査とか、されたらマズいんじゃないですか?———

 

 ———そうですか……。()()()()()()()()()()()()()()()()、と———

 

 

 

 オレはゆっくり深呼吸して、右隣に意識を向ける。

 衛宮はもう一度、全員の顔を見渡した。

 

「昨日の夕方、『桜が両儀に魔眼の性能を聴いた事』。それ自体は、知らなかったというだけでしかない。『“月姫”や“空の境界”には手を出してないんだな』と思ったくらいだった。

 でも、“桜がPCRを知らない”となると話は全く変わってきちまう。

 真っ先に考えられるのは……『箱入り娘で、何の情報も手に入らない状況にいた可能性』。でもそれなら、こんなイベントには参加しない。

 となると、残りは———」

 

 衛宮は、膝の上の両手をギュッと、強く握りしめていた。首を回して間桐を見る。オレからは見えないけれど……今コイツは、ぜったい優しく笑ってる。

 

「桜がコスプレイヤーではなく、“冬木市出身の間桐桜”である可能性だけ。その可能性だけが、今回の殺人事件の全貌(ぜんぼう)を明らかにしてくれる」

「ちょっと待ったッ」

 

 凛は右手を衛宮に伸ばした。

 

「どうしてそうなるのよ。私たちがそんな……ッ、そんな(わけ)分からないこと……」

「ランサーを殺したのは間桐の蟲だろ? なら、(それ)を使役する誰かが、いないとおかしい」

 

 ——————間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)

 

 凛は一瞬、息を()んだ。衛宮に伸ばした手を引っ込めて、自分自身を抱きしめる。

 

「私たちの中に、間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)なんて居ないじゃないの」

「いるだろ? 目の前に。桜がコスプレイヤーでもなく、両儀のように肉体が変化したのでもない。純粋に“冬木生まれの桜”で、“間桐家に養子に出された桜”なら、間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)はいる(はず)だろ、今も。

 桜の中に」

 

 

 ずっと無言だった間桐が、膝に手を乗せたままの間桐桜が—————(ひと)(わら)った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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(けい)章、衛宮の捜査と両儀の推測
《前編》衛宮の捜査


 
 お待たせしてすみません。
 ちょっとマズい設定を見つけてしまって、思考の無限ループに入っていました。
 色々と考えているうちに、内容が二次創作とは別物になってしまったので戻ってきました。
 ———場面は前回の続き、衛宮がゾォルケンに「お前が犯人だ」と突きつけたところからです。





 

 

 夜の遠坂邸、食堂。

 その真ん中に設置された、長テーブルを(かこ)む五人。

 

 

 シャンデリアで照らされたこの空間の中で、オレは、右を(うかが)った。

 オレの右隣の椅子に座って推理を語り聞かせていた衛宮は、さっきからずっと口を(つぐ)んでいる、もう一つ右隣の少女を見る。

 

「———桜がコスプレイヤーでもなく、両儀のように肉体が変化したのでもない。純粋に“冬木生まれの桜”で、“間桐家に養子に出された桜”なら、 間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)はいる(はず)だろ、今も。桜の中に」

 

 衛宮の声を聞きながら立ち上がったオレは、ゆっくりと右に向き直る。

 

 視線の先には衛宮の後頭部、その向こうに間桐の横顔。

 間桐は白いワンピースを着て、オレから見て左を、テーブルを向きながら椅子に座って、膝の一点を見つめている。

 間桐の手前、つまりオレの目の前には衛宮の背中がある。衛宮は間桐に正対(せいたい)して、ただ真っ直ぐに見つめてる。

 

間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)。桜の中に()るお前が、二人を殺した犯人だ」

 

 左側から椅子の()る音。

 長テーブルの向こう側でアーチャーが立ち上がり、その左手にいる凛の後ろに陣取(じんど)った。

 その行動を一瞥(いちべつ)した衛宮は、その視線を間桐に戻す。

 

 当の間桐(ゾォルケン)は、背中まである紫の髪を小刻(こきざ)みに()らして、口を(ひら)く。その声は(しわが)れていた。

 

「そうかそうか、其方(そちら)では“コロナウィルス”などというモノが流行(はや)っておるのか。それは誤算(ごさん)だった。

 いやはや……やはり難しいのう、ここぞという時に邪魔が入るわ」

 

 頭を上げた間桐(ゾォルケン)は、首から上だけを衛宮に向けて、右目を細め、左目を見開(みひら)いてみせる。

「だがな?」と右の(ほほ)を吊り上げて、間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)はゆっくりと笑う。

 

「“衛宮”と言ったか? ———詰めが甘いなぁ小僧(こぞう)。この(わし)が犯人と知りながら長々と(ろん)を語るとは……(じつ)に未熟よ。

 だが感謝せねばなるまいて。お(ぬし)のお(かげ)で、こうして、蟲共(むしども)を集めることが出来(でき)たのだからな」

 

 食堂の(すみ)の家具の下、ドアの隙間から———蟲たちが(うね)り、()いずりながら集まってきた。

 それは立体的な三葉虫(さんようちゅう)か。あるいは、太く短く脚のない、百足(むかで)のような姿をしている。

 

 衛宮は間桐(ゾォルケン)を向いたまま、動く気配はない。

 オレは机を(はさ)んで向こう側、アーチャーと凛に目を向ける。椅子に座る凛の腰は引けているし、唇は青かった。

 

 水揚(みずあ)げされたかのようにピチャピチャと()いずる蟲を見てから、間桐(ゾォルケン)は首を(かし)げ、流し目を衛宮に向けて(わら)った。

 

「どういう(わけ)か、お(ぬし)らには“知識”があるようだ。だがお(ぬし)ら自身は魔術師にすら程遠(ほどとお)いな? 

 ———つまり今回の介入(かいにゅう)は事故か、偶然か……。いずれにせよ、催眠(さいみん)に落ちた娘ひとり始末(しまつ)できぬ甘さでは、何処(どこ)まで行っても勝ち目なぞ———」

「いや、これで終わりだよ。ゾォルケン」

 

 椅子に座ったままの衛宮の声は、相変(あいか)わらず()れている。

 右腕を自分の背もたれに置いた、そんな衛宮の息の吐く音を、オレは聞いた。

 

「アイツの甘ったれた行動は、全部俺に(もと)づくモノだ。俺が『動くな』と言ったから、アイツはずっと動かなかった。

 ———お前は、俺が推理している(あいだ)に決めるべきだったんだよ。

 大量の蟲を集めて必勝を()すのではなく、最初から攻撃に(てん)じるべきだった。

 お前が桜の意識を奪うために使った時間で、俺は『誰が犯人なのか』を説明できた。前提条件を、皆で共有することができた。

 なんの説明も無くただ『逃げろ』と言ったって、動ける(はず)がないんだからな」

 

 衛宮は左を向いて、叫んだ。

 

「アーチャ———ッ!!」

 

 間桐(ゾォルケン)が目を見開き、“グッ”と全身に力を込める。

 それを合図に、衛宮に跳びかかって来る蟲を、その前に移動したオレが切り裂く。

 ———攻防一体。

 次の瞬間には(すで)間桐(ゾォルケン)へ踏み込んでいたオレは、逆手に持ったナイフをひと突き、左から右に振り切って、間桐の胸を刺し貫いた。

 

「おい、衛宮」

 

 と言いながらオレは、そこに巣食(すく)う蟲が死んでいるのを()て、間桐の胸から逆手(さかて)にナイフを引き抜いた。

 

 間桐の上半身が()れる。首がぐらつき、向こう側に倒れそうになる間桐の体を、身を乗り出して左手で止める。

 そのまま、後ろの衛宮に言葉を投げた。

 

「間桐でも(かつ)げ。それから走れ。

 足元の蟲が魔力を求めて、遮二(しゃに)無二(むに)襲いかかってくるぞ」

 

 間桐を()()げる衛宮を()かして、二人で窓へ走り出した———途端(とたん)に、部屋の四隅(よすみ)から音が聞こえた。大量に、硬いモノを()()わせるような音。蟲の悲鳴が大量に、部屋の四隅(よすみ)の、家具の下から鳴り響く。

 

 暗がりから()()てきた蟲の一団、その先頭の何匹かがジャンプして、こっちに跳びかかってきた。

 衛宮を先に走らせながら、跳んで来る蟲を切り捨てながら、長テーブルを迂回(うかい)して、食堂の奥側の窓の、割れた一つに飛び込んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 窓から飛び出したオレと衛宮。

 中庭の(はし)に跳び降りた二人は、後ろの蟲に注意しつつ、残りの三人と合流した。

 

「良かったのか? これで」

 

 中庭の手前に立つオレは、そっと後ろを、割れた窓を(うかが)った。

 ……蟲の声は聞こえない。

 暗闇の向こう、窓の中。明るい食堂は、ただただ静かだった。

 

 視線を右に振る。

 さっきまで食堂を見ていた衛宮は、お姫様抱っこした間桐の頭を右肩に乗せて、顔を(のぞ)()んでいる格好だった。

 

 オレたちは共に食堂の方を向いているから、衛宮の顔は見えなかった。

 

「間桐の、心臓の蟲はちゃんと殺した。この世界の情報は、さっきの“蟲”から聞き出さなくても良かったのか?」

 

 間桐の顔を眺めたまま、衛宮の返答が聞こえくる。

 

「ああ、“今の”だけでもかなり(しぼ)れた」

 

 やっと、オレの顔を見た衛宮の瞳は、少しばかり()れている。

 

間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)が居たって事は……この桜には、聖杯の欠片(かけら)が埋め込まれてるって事だよな?」

「だと思う。ただ、こいつの聖杯は———」

 

 左手を、革ジャンのポケットから抜いて、衛宮に一歩近づいて。

 でも、間桐に伸ばした左手を———途中で止めた。

 

「……何でもない」

 

 その言葉を聞いた衛宮が、(おもむろ)に顔を上げる。オレたちの視線が交錯(こうさく)した。

 

 (まばた)きしながら()を閉じて、衛宮から顔を(そむ)けて、後ろを向いて……。残りの三人の様子を眺める。

 食堂から届く光と闇との境界線。明かりと暗がりの真ん中で、凛はまだ震えている。ライダーの方は、呆然(ぼうぜん)と突っ立っているだけだった。

 

「おまえに任せる。オレ……これ以上考えるの、やめる」

 

 そっぽを向いたまま、少しだけ声を張った。

 

「で? これからどうするんだ?」

「調べないとな」

 

 後ろから聞こえる衛宮の声は、どこまでも穏やかだった。

 

「今、俺たちがどんな状況にあるにしろ、何に巻き込まれているにしろ、まずは情報を集めてからだ。帰る方法はそれから探そう」

 

 

 

 (しばら)く、女二人が回復するのを待ってから、遠坂邸のテラスまで移動することにした。

 オレが魔眼で見渡して、蟲はいないと断言してから、(ほか)の全員をテラスに上げる。

 間桐を椅子に座らせて、オレが間桐と向かい合う。

 魔眼を使って探知して、子宮の淫蟲(いんちゅう)も殺してから、アーチャーに(かか)えてもらった。

 

 そして今、オレたちはテラスから、屋敷に続くドアを見ている。

 衛宮が、オレの左に並んだ。

 

 オレは衛宮をチラッと見てから、後ろの女たちへ振り返る。間桐を(のぞ)いた二人ともが、真剣な顔で、衛宮の背中を見つめていた。

 

 その(うち)の、左側に立つ一人。凛の目に視線を合わせて、オレは少し語気を強めた。

 

「いいのか? オヤジ二人を見捨てれば、オレたちは安全に逃げられるんだ。オレは臓硯(ぞうけん)を殺したけれど、アレが本体じゃないかもしれない。

 今の内に結界を殺して、どこぞに駆け込んだ方が安全だと思うんだけど」

「———私たちなら大丈夫よ。だって、アーチャーが付いてるんだもの。

 それに、衛宮君が言うように、遠坂邸が安全だと分かるなら、それに()したことはないものね」

 

「拠点にできる建物は、安全な方がいいじゃない?」と、凛はオレの目を真っ直ぐに見て、唇の両端(りょうはし)を思いっきり吊り上げた。

 

「衛宮君が助けたがってるんだもの、応援しないなら女じゃないわよ。だから行ってきなさい、両儀式。

 大丈夫。害虫が庭に()いた時は、アーチャーに駆除してもらうから」

 

 そう言った凛は、右手の親指だけを立てて、オレに見えるように(かか)げてみせる。それからみんなを連れ立って、中庭の闇に消えていった。

 

「行くぞ両儀」

 

 右から聞こえる衛宮の声に振り向くのと、衛宮が歩き出すのが同時だ。衛宮は両開(りょうびら)きの()に両手を当てて、ググッと押し開けて入って行った。

 

「大丈夫だって、俺を信じろ」

 

 遅れないようについて行く。

 目の前にいる衛宮は、逆光によって照らされてシルエットしか分からないけど。その声は、不思議と強くオレに届いた。

 

「———世界ってのは、お前が思うよりずっと優しい。それをちゃんと、俺が証明してやるからな」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 遠坂邸の中は静かだった。

 食堂で衛宮の推理を聞こうとした時に廊下の電気は付けておいたから、ここは明るい。でも、何の音も聞こえなかった。

 

 向かって左右に伸びる一本の廊下。

 

 衛宮はすぐに、右に向いて歩き出して、腰のベルトから白い短剣を抜き出した。

 莫耶(ばくや)。アーチャーから借りたらしい予備の剣を、ちょうど、衛宮が(かま)えたところだった。

 

 その左隣にオレが並んで、一瞬だけ、衛宮の顔を(うかが)った。

 オレの視線に感づいたのか、衛宮は(あた)りを警戒しながら片手間(かたてま)に、小さめの声で言葉を発した。

 

「両儀……、さっきのは嘘なんだろ? あの、『蟲が襲ってくる』ってヤツ」

「嘘じゃない。おまえの言う通り、仮にあの蟲が端末(たんまつ)だったとしても、影響はいつか本体まで届く。本体を殺したなら端末(たんまつ)はすぐに死ぬ。

 でも、そのラグがどれくらいなのか分からないから、おまえにはちゃんと警告したんだ」

 

 そうして、目的地にたどり着いた。

 目の前には、地下に続く階段があって、その先に明かりはなく、ただ黒い闇が顔を(のぞ)かせている。

 

 おっさん二人でこんなとこに泊まり込んで何が面白(おもしろ)いのか知らないが———。

 

「よくもまぁ……」

 

 目を細めるオレに対して、衛宮は笑って手を上げた。

 

「そう言うなよ両儀。聞いた話ではあの二人、地下室の資料を(あさ)ってるらしいしさ。俺たちに代わって、此処(ここ)のことを調べてくれてるんだから。

 怒ることじゃないぞ」

「怒ってない」

()()えず行こう。お前の親父(おやじ)だろ? なら、助けないとだめだ」

 

 オレはナイフを抜いて、(かまえ)て。衛宮の前に立って階段を(くだ)りながら、唇に力を入れた。

 

 ……どうやらオレは、衛宮には(かな)わないらしい。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 (しばら)くして、衛宮がおっさん二人に状況を説明してから。

 

 念のため一旦(いったん)テラスに避難して、皆で固まって一夜を明かした。

 

 翌日、完全に日が(のぼ)りきったのを確認してから、一塊(ひとかたまり)で順々に、それぞれの荷物を取りに戻って、それからやっと、玄関口までやってきた。

 

 先頭に立つ時臣が、ひとつ振り返って言葉を放つ。

 

「皆、ご苦労だったね。蟲の死骸は私も見た。衛宮少年の推理も聞いた。

 全てが終わったことは認識した。(ゆえ)に———」

 

 時臣は右足を一歩引き、右手でノブを(にぎ)る。

 その右手に力がこもり、静かにドアが開いていく。その隙間から光がさして、オレたちは一瞬、目を閉じた。

 

「さあ、両儀式。目の前の結界を壊しなさい。

 鬱屈(うっくつ)した閉所(へいしょ)から脱出し、目一杯(めいっぱい)体を伸ばし、一先(ひとま)ずの生存を喜ぼうじゃないか。

 ———(ほか)の全てを、(あと)(まわ)して」

 

 

 オレが門の前に立ち、ナイフを一閃(いっせん)して結界を殺し、(かんぬき)を外して外に出る。

 

 ブーツ()しに、久しぶりのアスファルトの感触を確かめながら振り返り、後ろから来た衛宮を見た。

 

「何か、自首するのを遅らせてまで確認したいことがあったんだろ? 

 その(へん)はどうなんだ?」

 

 キャリーケースを引いて来た衛宮は、オレの目の前、道路の真ん中で立ち止まると、右手を腰に当て空を見上げる。

 

「『これで(うれ)いは無くなった』とは言わない。でもアイツなら、理亜(りあ)を守ってくれると思うから。

 だから俺は自首するよ、両儀」

「“アルトリア様”を欲しがってたあのオッさん、かなり執念(しゅうねん)(ぶか)いと思う。いけるのか? おまえが消えたら、すぐに———」

一年(いちねん)

 

 衛宮は微笑む。

 

「一年も()てば良い方らしいんだ。

 たったそれだけの(あいだ)、疑問を(いだ)かせなければいい。

 裁判で俺が異議申し立てを行わなければ、起訴(きそ)から一月もあれば判決が出るみたいだし…………それで、全部終わりだ」

「そう……」

 

 とだけ返してオレは少しだけ目を()せた。

 

 (あた)りを見渡す。

 正面には遠坂邸の鉄の(さく)が一面に立ち並んでいる。そして(ほか)同様(どうよう)に、(さく)ばかりだった。

 背後もそう。左右に伸びる道路の、突き当たりもそう。そして当然、それらの(さく)の向こうには洋館が建っている。

 ———そう。ここは大豪邸の立ち並ぶ、高級住宅街だった。

 

 オレは、そんな光景は知らない。神戸駅から出てからこっち、こんな豪邸は見なかった。

 

 だから多分、これはそういう事なのだろう。

「行くぞ」と衛宮を(うなが)した。

 

「間桐は待ってるみたいだけど、(ほか)がみんな歩き出してる。この(あた)りでの情報収集だろ? 『いったい此処(ここ)何処(どこ)でしょう?』ってヤツ。

 ———衛宮行くぞ。間桐が待ってる」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 キャリーケースを転がしながら町を散策(さんさく)したオレたち一行は『殺人事件の起きた遠坂邸の建っている、この土地が神戸ではない』という状況を否定できなくなっていた。

 

 オレたちを先導する時臣の顔は、時間と共にどんどんと(けわ)しくなっていき———山の高台にある校舎にたどり着いた時には、目と目の(あいだ)(つま)みあげ、立ち尽くしたまま動かなくなった。

 

 そんな時臣を衛宮が追い抜き、間桐を(ともな)って、学校の看板の正面に立った。

 衛宮の声は、オレたち全員の耳に届いた。

 

「———“私立、穂村原(ほむらはら)学園(がくえん)”。

 ここに(かよ)っているのか、桜」

 

 後ろから見つめるオレの前、衛宮は自分の左にいる間桐に向かって首を(かし)げ、間桐はゆっくりと(うなず)いた。

 

「……そうか」と(うなず)き返した衛宮は、後ろにいるオレたちを眺めてから、視線を右に、坂道の下方に飛ばす。

 

「ひとまず戻ろう。情報の整理が必要だと思う。

 桜に色々と聴きたい事もあるし……時間とか大丈夫か? 案内してほしい場所があるんだけど……」

 

 間桐の返事を聞いて、衛宮は坂を(くだ)りだす。オレはいち早くその後ろに続いた。

 ……確かに、ここは学校だ。今日が何曜日なのかは知らないが、校舎前にいるところを教師に見つかるような事態は、なるべく回避するべきだろう。

 

 

 それからオレたちは、途中で見つけた喫茶店で軽食を取った。

 その(さい)に衛宮が『間桐邸で情報収集をしたい』と提案し、間桐はそれに(うなず)いた。

 時臣は、オレが条件を一つ()むことと引き換えにOKを出した。

 

 だから、玄関にキャリーを置いた衛宮とオレは、間桐に案内されて、彼女の家までやって来たのだった。

 

 

「———ここがわたしのお(うち)です、先輩」

 

 門を開けながら、間桐はオレたちを振り返る。

 

「わたしにできる事はこれくらいですから」と言って、(てのひら)を屋敷に向けた。

 

「お爺さまがいないなら、ここにはもう誰もいないんです。先輩が知りたいことも、この家にはあるかもしれないです。汚れたお(うち)で良かったら、ゆっくりしていって下さいね」

 

 それだけを言って、間桐邸に入っていった。

 オレたちも後ろから続いた。衛宮は真っ先に、資料室に行きたがった。

 

 

 資料室らしき部屋の(ひら)()を、間桐が引いた。ドアの動きに合わせて一歩引いた間桐に代わって前に出た衛宮の、その襟首(えりくび)を、オレは後ろからギュッと(つか)んだ。

 

退()がれ衛宮。呪いだ」

 

 ドアの向こうには、廊下のような細長い通路。その左右には本棚が、天井までをびっしりと覆っている。

 

 ———けれど、分かる。

 良くないモノが充満している。

 

「オレが先導する。片っ端から殺していくから、前に出るなよ」

 

 衛宮も間桐も右手で後ろに追いやって、そのままナイフを抜き放つ。

 ……確かに、形の無いモノは見えにくいみたいだ。

 

 

 30分ほど()っただろうか。

 (とびら)の傍に、腕を組んでもたれていると、衛宮が、(とびら)(くぐ)って廊下に出てきた。

 左手に薄い紙束(かみたば)を持っている。わざわざ、見えるように(かか)げているところを見るに、それなりの成果をみたのだろう。

 

「両儀、桜。ひとまず座れるところに行こう。

 手掛(てが)かりを見つけた。二人に聴きたいこともできた。頭の中を整理するために、少し手伝ってくれないか?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 間桐家の食卓。八人()けの長テーブルに、椅子を引いて二人が座った。

 オレは、空気の悪さを愚痴(ぐち)りながら部屋の奥まで突っきって、臓硯(ぞうけん)仕掛(しか)けたらしい諸々(もろもろ)の線をなぞり切り、カーテンと窓を全開にした。

 

 ナイフを納刀し、テーブルに戻って、でも腰掛けずに、衛宮の後ろの壁にもたれた。

 窓からの風が、左から右に吹き抜けていく。

 目の前には座った衛宮。その左隣には間桐がいる。二人は身を寄せ合って資料を見ていた。

 

「こっちは、臓硯(ぞうけん)()わした契約書。それとそっちは、契約に(したが)って手に入れた情報を書き(つづ)ったもの……」

 

 衛宮は持ってきた資料を分類し、テーブルに並べているようだった。

 間桐はふむふむと(うなず)きながら聞いている。

 

 対してオレは、そんな二人を後ろからボーッと眺めていたのだけど、ただ一つ、意識を貫通して脳みそまで届いた情報があった。

 

 それは、不意(ふい)に響いた間桐の声で———

 

「それじゃあお爺さまは、『アインツベルンが第三次聖杯戦争に勝つために呼ぼうとした英霊を二つにまで(しぼ)った』っていう情報を知ったから———」

「『だから桜を引き取った』と、この羊皮紙には(しる)されてる。

『小聖杯の欠片(かけら)を桜と同化させたはいいものの、覚醒に(いた)る気配がない』とも、『“(つぎ)”に間に合うようにする(ため)に、境界記録帯(ゴーストライナー)を利用しようと決めた事』も……」

 

 オレは目の前で、身を寄せ合う二人の肩を睨みながら、衛宮の言葉を頭に送った。

 

 オレたちが今、Fate時空にいる可能性は、最初から考慮してはいた。……というか、頭の(すみ)から離れなかった。

 当然のように“誰もが一度は夢想(むそう)した事”、そして真っ先に、有り得ないと切り捨てるもの。

 

 そも、一夜(いちや)のうちに自分の肉体が移動して、オレが気づかない方がオカシイのだ。

 そういった違和感も“一つだけ”ならまだ『偶然だ』という()(わけ)も立つが、そう何度も出てくるなら、話は全く変わってしまう。

 

 そして同時に、ここがFate時空の冬木なら、元の世界に帰る方法なんてほとんど無いことにも気づく。

 

「桜の認識でいいんだけどさ……今日は何月何日だっけ?」

 

 衛宮の顔を見上げた間桐の横顔が、後ろからでも見える。間桐はスッと、(わず)かに前屈(まえかが)みになった。

 

「10月6日です。たぶん、ですけど……」

「ああ……いや。桜がどうこうという(わけ)じゃないんだ。

 俺たち、コスプレイベントのメンバーは、おそらくこの世界の住人じゃない。だから、こっちの世界に来た時に『時間がどうズレたのか』を知りたかっただけなんだよ。

 それで、桜の認識を教えてほしかったんだ。桜の方が正しいからな」

 

 のけぞった衛宮は、(りょう)(てのひら)を振って微笑(ほほえ)む。

 そんな衛宮に影響されて力を抜いた間桐の背中を眺めながら、思う。

 ———コイツは、よく人を見ている。

 

 人だけじゃない。きっと、普通は見落としてしまうようなモノも見ているのだろう。多分(たぶん)、“思考の(くせ)”……のようなものが、他人とは少し違うのだ。

 

 ———例えばオレは『どんな可能性ならあり得るか』を考える。

 “遠坂邸の殺人事件”も“衛宮の首切り”も、だ。オレは可能性を列挙(れっきょ)して、その全てを視野に(おさ)めたまま、判断だけを保留する。

 コレは、オレの(くせ)

 

 衛宮のヤツは全然違う。アイツはずっと『どの可能性があり得ないか』を考えていた。

 あり得ない可能性を一つずつ除外することで、衛宮は推理を組み立てる。

 それが、アイツの(くせ)だ。

 

 ……まぁお(おかげ)で、随分(ずいぶん)と助けられた(わけ)だけど。

 

 

 肺の空気を口の中で湿(しめ)らせて、そっと目の前の空間においた。

 

 オレの心は、見違えるほどに穏やかだ。

 そういえば何時(いつ)からだろう? と記憶を辿(たど)って、『始発電車か』と思い(いた)る。

 ———あの日、衛宮に()った日。あの日からずっと穏やかだった。

 

 

 窓からの風が吹きつけて、間桐の髪がさざめき立った。

 窓から流れてくる風と音。間桐の髪と同じに聞こえる木々のさざめき。

 カサカサと鳴る髪の毛が、衛宮の服にくっついたのを気にも()めずに(しゃべ)る衛宮と(うなず)く間桐。

 

 聖杯戦争の説明をしている。

 マスターとサーヴァントの事、令呪の事、大聖杯と小聖杯———そして、聖杯大戦。

 

 冬木から大聖杯を奪取したダーニック・ユグドミレニアのその後の足取(あしど)りを読み上げる衛宮の声を聞きながら、オレはひとり、“帰る方法”を模索(もさく)していた。

 

 ……だって、衛宮を帰らせないようにするには、“帰る方法”に対してメタを張るのが一番だから———

 

 だから。

 衛宮の話がひと段落したタイミングを見計(みはか)らって、後ろから、(もっと)も大切な質問をした。

 

「———行くのか?」

 

 左側、間桐の身体(からだ)がギュッと縮んだ。

 衛宮の動きは、止まった。

 

「俺は行くよ両儀。多分それが、(もっと)も実現可能性が高い手段だから。

 俺たちが此処(ここ)に転移した理由に関して、仮説がない(わけ)じゃないんだけど……。どっちの仮説が正しかったとしても、帰る目処(めど)が立たないんだ。

 ———(ほか)の選択肢なんてない」

「帰らなければいいだろ」

「そういう(わけ)にはいかないよ。俺はまだあの二人に恩返しできてない。俺のせいであんな事になったんだから、せめて責任くらいは取らないとな」

 

 オレは背中に感じる壁に、より強く体重を預ける。それから、目を閉じた。

 

 ……やっぱり、“アルトリア”ってのが障害だ。

 コイツの事件に関わっているだろう二人。“理亜(りあ)”と呼ばれた女と、そいつを護るもう一人。

 

 衛宮の目的は『二人に一年間を与えること』で間違いない。

 だったらほぼ確実に、この二人の何方(どちら)かが扼殺犯(やくさつはん)なのだろう。

 衛宮はそれを誤魔化(ごまか)して、代わりに自分が犯人になるつもりでいる。

 

 そして、前回のコスプレイベントに出席していた、衛宮と似た“誰か”。オレが証拠を隠滅した、衛宮とそっくりな顔の持ち主。

 

 ———そして、(にお)いだ。

 衛宮の(にお)いは好きだけど、アイツと住んでいたアパートの(にお)いは好きじゃなかった。

 

 証拠は何も無いけれど———断言できる。オレは一度も、衛宮の本当の家には上がってない。あのアパートは別人のもので、オレと衛宮は、二人してそこで暮らしてたワケだ。

 

 誰のアパートか、なんて考えるまでもない。

 別人が住んでいるのに気づかれてない時点で、候補なんて、初めから一人だけしかいないのだ。

 

 ———被害者。

 

 首切り殺人の被害者だけが、唯一(ゆいいつ)そこにハマるピースで、『衛宮が被害者のふりをしていた』としか考えられない以上、あの首無し死体は、衛宮の肉体として処理されている(はず)

 

 つまり、新聞に載っていた“大学生”とは、衛宮自身に他ならない。

 

 早朝始発の電車の中で、衛宮は被害者の服を着ていた。そのまま、隠れる気もなく行動していた。

 行動……し続けていた。

 

 つまり衛宮はアレから一度も、変装を()いていないのだ。

 

 だってオレは、衛宮の風呂上がりだって知っている。

 なんならこの前、頭も洗った。

 

 ———衛宮はずっとすっぴんだった。髪の毛だって染めてなかった。

 つまり、素で、被害者と顔がそっくりだったことになる。

 そしてさらに、同居生活でもコスプレイベントでも、周囲の人間に違和感なく行動できている時点で、『衛宮は被害者のことをかなり詳しく知っていた』という情報だって、疑う余地はなくなってしまう。

 

 ———なら、『アイツの肉体が燕青(えんせい)になった』とかいう例外を除いて考えると、候補なんてもうほとんど無い。

 ほぼ間違いなく、衛宮と被害者は親戚だろう。

 

『双子だ』と言われるくらいの方が、むしろ納得できる程ですらある。

 

 ———と、なると……。

 

 

 目を開ける。

 目の前で座ってる男の、赤毛の頭を()めつける。

 

 コイツは(すで)に、“自分の人生を()けた後”だという事だ。

 (おのれ)の名を捨て、友好関係を全て断ち、別人として生きていく。罪人として生きていく。

 

 オレが衛宮と出会うより前に、(さい)は投げられていたらしい。 

 (すで)火蓋(ひぶた)は切られた後で、弾丸はもう放たれている。

 

 だからコイツは、オレの言葉では止まらない。

 “敵になる女”の言葉で止まるほど、コイツの覚悟は甘くない。

 ……だったら、オレには何ができるだろう。どんな可能性ならあり得るだろう。

 

 そして思いついた。(ゆる)される気はない、ないが……。もし、オレの思考する“可能性”が衛宮の“推理”を超えられたなら、きっと…………。

 

「おい、衛宮」

 

 (なか)ば強引に、二人の会話に割り込んだ。

 

「聖杯大戦に参加するなら、()いている席は“赤の陣営”だけだろ。今からルーマニアに行けば令呪が配布される可能性も高くなる。

 まあ、“赤”は協会が牛耳(ぎゅうじ)ってた(はず)だけど……。

 どうやって勝つつもりなんだ?」

 

「そうだな……」と言いつつ、衛宮がこっちを振り返る。

 衛宮は、椅子の正面を間桐に向けるまで(こす)りながら回転させ、間桐と正対(せいたい)した状態で上半身をこっちに向けた。

 

「もし、“赤の陣営”で参加するなら———だけど。どうにかして先に大聖杯を使わせてもらうしかないと思う」

出来(でき)ると思ってるのか? 同盟相手を問答無用で毒漬(とくづ)けにする男だぞ」

「……でも、俺は帰らないといけない。(もら)った恩を返せてないんだ」

 

「ん……」とオレは(うな)った。

 そうなると、結局のところ『状況を見て臨機応変に』なんていう目標しか立てられない。

 つまりは、戦況と戦力を推測しつつ全体の流れを考慮して先を読む、か。

 

勝率(しょうりつ)低過ぎないか? それは」

 

 反応を(うかが)う。

 見る(かぎ)りでは、衛宮の様子は変わらない。

 動揺した様子がないのは分かる。でもそれ以上に、『不利だけどやらなくちゃいけない』というような覚悟や悲壮(ひそう)(かん)も感じられない。

 

 ———何か考えがあるのか。

 

 この世界は恐らく、大雑把(おおざっぱ)にみてApocrypha(アポクリファ)時空だと思っていいだろう。

 臓硯(ぞうけん)の行動は聖杯戦争のための仕込みだそうだし、今回の聖杯大戦に間に合わないなんて事はないだろうが……。 

 

 “ガタッ”と、椅子が動く音。

 見ると間桐が衛宮に向かって身を乗り出して、顔をぐっと近づけていた。

 

「わたしも行きます。聖杯戦争、わたしも行きます」

「いや……でもだな、桜———俺にはどうしても行かなきゃいけない(ところ)がある。桜には———」

「わたしっ! 誰もいないんです。

 ———わたしにはお爺さまだけだった。でももういないんです。だから、わたしは先輩だけなんです」

 

 その剣幕(けんまく)に一瞬目を見開いた衛宮は、いつの間にか間桐と繋がれていた手に視線を落として(うなず)いて———オレに向かって微笑んだ。

 

「いや、やっぱり()めよう。両儀、それがいい」

「おい。エミ———」

「よく考えてみると、そんなに良い案でもなかったしな。———別のやり方で帰る方法を探そうか……な、両儀」

 

 目が合った。でもコイツは、オレのことなんか見ていない。

 コイツが見ているのはオレじゃない、それどころか“今”ですらない。もっと———

 

「そう言うことか……」

 

 オレの声を聞いた衛宮が、やっとオレに焦点を合わせた。

 間桐は、オレたちの事をじっと見ている。オレたちの仲を観察している。

 

 二人の、そう言った一切(いっさい)を無視して後ろに退()がった。

 革ジャンごしに壁を感じる背中、ダラリと下げた両腕、全身から力を抜いて立ち、ボーッと、衛宮を見ていた。

 

「どうしたんだよ両儀」と声をかける衛宮からそっぽを向いて———オレは出口に向かって歩き出す。

 

「帰る。時臣にも言われてるんだ、『遅くなりそうなら君だけでも帰って来なさい』なんて。

 ……あの男は投資家だからな、早めに情報が欲しいんだと」

 

 返事を待たずに(とびら)をくぐって、そこで一度振り返る。

 オレの背中を追っていた二人の目を、じっと見返した。

 

 

 

 間桐邸を後にしたオレは一直線に坂道を(くだ)り、時々道を(たず)ねながら、遠坂邸に帰り着いた。

 凛に出迎えられて中に入る。静まりかえった廊下を渡り、リビングの(とびら)をくぐった。

 大きな部屋の真ん中にあるローテーブル。それを囲むアンティークチェアと二人がけのソファ。

 

 一歩中に入って、左手にあるポールハンガーに革ジャンを()けていると、部屋の右奥から凛の声が飛んで来た。

 

「ねえ式。飲み物は何がいいの?」

「いらない」

「残念、もうお湯は沸いてるのよね」

 

 お盆を持ってリビングに来た凛にウィンクをかまされた。それから凛は、ローテーブルにカップを並べた。

 

「紅茶はお嫌い?」

「別に……」

「それじゃあ、ここに置いておくから」

 

 言うだけ言って、凛はソファに腰掛けた。

 ハンガーにかけた革ジャンを一瞥(いちべつ)してから、オレも対面(たいめん)に腰掛ける。ソファを回り込み、座った。

 ドスンと音を立てて(しり)をクッションに打ち付けながら、『瞬間湯沸かし器も電気ポットも無かった(はず)だ』と記憶を探る。

 ふと()き上がった疑問のために、オレから先に口を(ひら)いた。

 

「誰か……来てるのか?」

 

 凛はカップから唇を離して、眉毛を上げた。

 

「ええ……。でもどうして?」

「ただの勘だよ。お湯が沸いていたからな」

 

 眉根を寄せた凛を見て、さらに言葉を付け足した。

 

「革ジャンをハンガーにかけるあの一瞬で、水が沸くなんて事はない。だから、お湯は最初から沸いてたんだ」

 

 目線を、部屋の奥に飛ばす。

 壁の向こうが静かそうなのを見てから、凛の手元のカップから立つ湯気(ゆげ)を見た。

 

「紅茶は沸騰直前の温度で()れる(はず)だろ? だったら、沸いたのはついさっきだ。

 もし、(ほか)(やつ)らが食堂で何か(つま)んでいるというのなら、凛は多分、オレをそっちに通すだろうし。

 それに何より、時臣のヤツがここには居ない」

 

 あの男だって、未来を判断するには正確な情報が必要なんだ。だから『ある程度(そろ)ったら戻ってこい』とオレに命じた。

 そう言った時臣がここにはいないし、凛が呼びに行く気配もない。

 

 つまり、オレはただ『時臣が応対をしている“誰か”がいる』という可能性を考えただけだ。衛宮のように、他の可能性を全て排除したという(わけ)じゃない。

 

「———だから勘だと言ったんだ」

 

 もう一度目線を上げて、凛の顔を視界に入れた。

 

「でも“当たり”みたいだな。一体どんな(やつ)が来たんだ? 

 “本物の遠坂凛”が戻ってきて、時臣に文句(もんく)()れてるとか?」

「違うわ。———でも、来たのは魔術師よ。さっきね『間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)を抹殺しに来た』って言ってたから…………今は時臣さんが説明してる」

「オレは応接間に行かなくていいのか?」

貴女(あなた)の事は隠しておきたいんですって、出来(でき)るだけ」

「……へぇ」

 

 何度か(うなず)きながらティーカップを持ち上げて、一口(ひとくち)(のど)に流し込む。

 それをソーサーに戻しながら、凛の雰囲気を(うかが)った。

 

「その魔術師、どんな(やつ)だった?」

 

 凛の身体(からだ)はリラックスしていた。

 少なくとも、時臣が応接している魔術師の存在が、緊張や不安に結びついている(わけ)ではないようだった。

 

「どこかの作品に出ていたヤツか?」

「ええ。彼女ね———ナタリア・カミンスキーって名乗ったの」

 

 

 




 後編はもうできてますので、明日、21時から投稿します。
 その後はまた、書き上げ次第投稿する予定です。


 


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《後編》両儀の推測

 

 

 

 

「彼女ね、ナタリア・カミンスキーって名乗ったの。随分(ずいぶん)と若かったわよ」

 ———なんて言った凛の言葉に一瞬、硬直(こうちょく)した。

 

 オレは一度立ち上がってから、もう一度ソファに座り直し、腕を組みながら、唇を舐めていた。

 続く「どうかした?」と言う凛の声で顔を上げる。

 

「なんでもない」と言った瞬間、オレは自分の失敗に気づいた。凛の雰囲気が変化したのだ。

 こう、機嫌が悪くなった。

 

「———何か言いなさいよ、式。

 何? 孤高を気取(きど)ってる(わけ)なの?」

 

 若干(じゃっかん)、体を引いた凛は、少し首を揺らしている。

 一拍おいてからオレは、吐息(といき)と共に事実を()いた。

 

「……衛宮のこと、考えてた」

「知ってるわよそんな事は。そればっかりだもの。

 大体(だいたい)貴女(あなた)、衛宮くんに関係ない事なら全部スルーするでしょうに」

 

 腕を組んで(あご)を上げた凛を、オレはローテーブルの向こうから見る。

 ———凛の見解(けんかい)の通り、今のオレの懸念事項(けねんじこう)は、全部衛宮に集約されていると言っても過言(かごん)ではない。

 

 この世界に飛ばされた事で、アイツが自首するまでの工程が一つ増えたことになる。それはいい。

 でも、死んでほしい(わけ)じゃないのだ。

 

「———ほらまた考えてる」と、凛の声が割り込んできた。

 

(よう)はアレでしょ? 式は衛宮くんが好きだけど、衛宮くんには貴女(あなた)よりも大切な人がいて、その()に衛宮くんが取られるのが嫌で焦っていたら———今度は桜まで参戦してきた」

 

 顔を上げたオレは、目を(のぞ)き込んでくる凛の、(みどり)の瞳に出くわした。

 

「話してみなさいよ、ほら。桜の事はどう思ってるワケ? やっぱり嫉妬してる? それとも———」

「してない」

 

 オレは、凛の言葉を(さえぎ)って、目を(つぶ)って声を()る。

 

「してないけど……結論だけは、間違ってない」

 

 そこに(いた)るまでの過程、嫉妬(しっと)云々(うんぬん)に関しては全くもって(かす)ってもないけれど———頭によぎった結論だけは、(ほとん)どいい当てられていた。

 

 顔を(そむ)けて右を向く。

 

「ただ、間桐のくだりは全然違うぜ。嫉妬(しっと)なんかしていないし、遠ざけようとも思ってない。むしろ間桐が———」  

 

 口を閉じて、言葉を切った。

 

 そうだ間桐だ。

 たぶん間桐が、衛宮を切り崩すカギだ。

 

 ———衛宮はどうして、行くと言っていた聖杯大戦に行かないことを決めたのだろうか。

 それは、衛宮が何らかの“情報”を手に入れたからだろう。その“情報”は知識じゃないかもしれない。間桐の視線とか、息遣(いきづか)いとか言葉とか、そういうモノも“情報”という名で呼ぶのなら、そう。

 

『何らかの情報が衛宮にインプットされたから意見が変わった』と強引に考えていい。

 ならさっきの衛宮は、間桐の表情に何を見たのか。……それとも、あの瞬間に、何かを推理したのだろうか。

 

 

 衛宮ならこんな時どう考えるのか、なんて……。

 そんな事をずっと考えていたオレは、まさに。その瞬間に(ひらめ)いたのだ。

 衛宮の推理と、その先の———未来にある、ほんの(わず)かな可能性に。

 

 ……もしも。

 もしも今思い浮かんだ可能性が正しかった場合、衛宮はやっぱり、聖杯大戦に行くだろう。

 それは衛宮が誘導するから———ではないと思う。押しに弱い衛宮のことだ。仮に間桐に押されれば、意見を変えてしまうだろう。

 

 

 (しばら)くして立ち上がり、テーブルを迂回(うかい)して凛の後ろの(とびら)に向かって歩き出す。ドアノブに手をかけたところで、オレの後ろから声がかかった。 

 

「ねぇ式。どこに行くの?」

「ルーマニア」

「———この世界はApocrypha(アポクリファ)だって、そう言いたいのね?」

 

 オレは黙って、凛の次の言葉を待った。

 

「……私ね、誰にも死んでほしくないのよ。苦しんでほしくもない。

 だからね、式。聖杯戦争なんて参加しなくても———」

「参加しなくても、衛宮はきっと止まらない。だって、アイツには時間がないんだ。

 アイツの(おも)(びと)はあと一年しか()たないらしいし。それまでに帰れる手段なんて……そんなのはもう、たった一つしか残ってない」

 

 凛をリビングに置き去りにして、ノブを回して(とびら)を開ける。

 階段ホールに出て、左を向いた。

 丁度(ちょうど)、中庭に背を向ける格好になったオレは、真っ直ぐに続く廊下を突っ切って、進む。

 突き当たりを向いて右側、そこにあるドアを三度ノックして、返事を待ってからドアノブを握った。

 

 “カチッ”というラッチ音と共にドアが(ひら)く。

 カーペットの上を無音で(すべ)(とびら)から顔を上げると、部屋の真ん中に二つ、人影があった。

 

 二人は、中央のローテーブルを左右から(はさ)んで座っている。その両方が、お(たが)いに向かい合って配置されたソファに腰掛けていて、左側が時臣、右側に銀髪の女性。

 

 銀髪のショート、白いノースリーブ、ハイウエストの黒いパンツ。

 オレの存在を感知しても顔は動かさず、眼球だけをこっちに向けた。

 

 そんな女を、見返した。

 

「おまえが、ナタリア・カミンスキーか?」

「なら、そういうお前は何者だ?」

「両儀式———ただの殺人鬼だ」

 

 ナタリアの目が細まった。  

 (わず)かに(ただよ)う殺気を見て確信する。コイツは昨日、オレを山から見ていた(やつ)だ。

 

 ———と、時臣から「両儀式」と声がかかった。

 

退()がりなさい、両儀式。客人がいると知っているなら……君が、ここに来るべきではない事くらい、容易(ようい)に想像できると思うが」

「なに、大した事じゃない。おまえの言いつけ(どお)り、情報を見つけたから知らせに来たんだ。

 ———大聖杯はルーマニアにある事。そう遠くない未来に聖杯大戦が決行される事。

 間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)は、その準備のためにこの屋敷を使っていた事」

 

 時臣の視線が鋭くなった。

 

「———両儀式。それを何故(なぜ)、この場で口にした」

「情報の伝達は早い方が都合が良い。それに帰る方法が見つかったんだ。おまえが第二魔法を会得(えとく)するより現実的な方法が———」

「ナタリア嬢を(もてな)しているのが見えないのかい? 

 即座(そくざ)に、退()がり(たま)え」

 

 時臣から目を()らし、ナタリアを一瞥(いちべつ)する。

 

「……じゃあな」

 

 反転し、肩越(かたご)しに手の甲を見せて、(うし)()にドアを閉める。

 そうしてオレは、リビングに足を向けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 革ジャンを羽織(はお)って、ポケットに手を突っ込んで、遠坂邸の正門の(そば)で突っ立っていると、目当ての女が外に出てきた。

 

 その場所は、背の高さの二倍ほどある石柱の(あいだ)にある、車線一つ分くらいの幅の鉄製の格子(こうし)(もん)。それを押し()けて出てきた女、向こうの世界で見たビジュアルと同じ、ナタリア・カミンスキーだ。

 ナタリアはオレをチラッとだけ見て、また、歩き出した。

 

「———なぁ魔術師」

 

 声をかける。

 

無駄(むだ)(あし)を、()ませたな」

 

 声は聞こえたのだろう。立ち止まり、でも振り向かなかった。

 黒いコートのポケットからタバコを取り出すと、口に当てて火をつける。1分か2分か……オレが見ている(あいだ)、ずっとそれを(くわ)え続ける。結局一度も体勢を変えずに、オレに背中を見せたままのナタリアは、口を(ひら)いた。

 

仕事(しごと)(がら)、“不幸だなんだ”は沢山(たくさん)見てきた。町一つが廃墟になってたこともあった……。

 まあ、お前さんが気にすることじゃあない。死体の山に出迎(でむか)えられるよりは何倍もマシだ」

「———(すご)いな、おまえ」

 

 (あか)他人(たにん)の生存を喜ぶ精神性が———ではない。ナタリアの設定ならオレだって知っている。アレだけの人を殺して、アレだけの死を目の当たりにして……“死”というモノを見てきたヤツが、()()()目の前にいることに。

 ———()り切れるというか、アカギれるというか……。人を殺し続けた人間は、そうでない人間とは違う価値観を持っている。当然だろう。そうでなければ、目の前の死に自分の心が耐えきれない。

 

 だから、そう。ナタリアが()()()()()ことこそが、(すさ)まじい意志の(あらわ)れだった。

 

 オレはゆっくりと、彼女を追いかけた。でも、ナタリアは動かなかった。

 そこは十字路になってはいたが、信号機も歩道もなく、車が通る気配もない。

 十字路の真ん中に立っているナタリアは、オレが左手に立ち止まるのを横目に、口を(すぼ)めて煙を()いた。

 

「聞いたよ、というか()かせた。“死を見る魔眼”だってね。

 ———私の仕事は、間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)の抹殺だった。当然、依頼主から対象のデータも(もら)ってる。臓硯(ヤツ)第八(だいはち)秘蹟(ひせき)洗礼詠唱(せんれいえいしょう)からすら生き延びた魔術師だったのさ。だから私は、()(とう)な手段での殺害は不可能だと()んでいた」

 

 何が言いたいのか、とオレは一瞬思い悩んで———結局、ナタリアの言葉を待つことにした。

 顔を正面に向けたまま目線だけを右に飛ばして、銀の髪の毛を視界に(とら)える。ナタリアは、右手に持ったタバコの火を、ボンヤリと見つめていた。

 

「“死を見つめる瞳”というのがどういうものか、私には分からんが…………。その視界が愉快(ゆかい)でない事くらいは(さっ)せる。

 私の生きる現実よりもお前さんの見る世界の方が、余程(よほど)(もの)に見えるがね」

「……そういえば凛も、そんな事言っていたな。『それで心は平気なの? 死にたくなったら言いなさい』とか何とか」

「その推察(すいさつ)は正しい。人間というのは皆、死から目を(そむ)けながら生きている。

 ———この世界には“死ぬのが怖い人間”と“そうでない人間”がいるがな。前者は死という現象から逃げている(やつ)、後者は死という現象を見ていない(やつ)だ。これは()()しではなく、人間の衝動(しょうどう)として分類される。

 よって、この二者(にしゃ)(かん)には断絶(だんぜつ)があるんだ。決して理解できない認識の(みぞ)がな」

 

 ナタリアはタバコの(はし)を弾き、灰を落として一度吸う。

 (くゆ)(けむり)(なが)めてオレは、相槌(あいづち)を打つことにした。

 

「ようは、吹っ切れるかどうかの差だろ? 

 出来ないヤツは出来ないままだし———出来るヤツは、いつの間にか出来ちまう」

「そうだ。だがお前のは違うだろう? 両儀式。お前の()は、“逃げる事”も“見ない事”も許さない。にも(かか)わらず、まだ()()()()()

 ———そうら。お前さんの現状の方が、私より余程(よほど)悪いだろうに」

「そりゃ見立(みた)て違いだ。

 オレがこの()になった時、眼球を潰そうと思わなかったのは———(たん)にマシになったからだよ。

 オレの()はね、“いつか来る未来の死”を確定させて具現(くげん)する。でもな、この()はバロールの魔眼じゃないから、触れる事でしか殺せない。直死の魔眼を手に入れてやっと、オレは、手の届く範囲しか殺せなくなった」

 

 ナタリアは固まっている。

 右手の指でタバコを挟んだまま、それを口元に持っていったまま、(くわ)えることもせずオレの顔を凝視していた。

 オレは丁度(ちょうど)、道の向こうに衛宮の姿を見た事もあって、少しばかり気分が良かった。

 

「衛宮と()ったのも大きいと思う。アイツの観察眼、考え方は、オレにとって天敵だからさ」

「……ああ、右側を歩いている男がそうか。

 それも聞いたよ。ゾォルケンに(とら)われていた姫と、それを救ったヒーローか」

 

 隣にいるナタリアは、さっきまでのオレと同じく、道の向こうを見つめている。

 オレもまた、ナタリアに(なら)った。

 

「……衛宮のヤツ。元の世界に、どうしても帰らなくてはいけないらしい」

「亜種聖杯戦争は全滅がデフォルトだ。生き残るだけで奇跡といえる。やめておけ———と、言えば止まるか?」

「無理。全部分かっていて、それでも(なお)()まらなかった」

 

 道の向こう、衛宮と間桐の人影が見える。後ろから夕日に照らされて、影法師(かげぼうし)が長く、その影を落としていた。

 ナタリアは携帯灰皿を胸ポケットから引き抜くと、右手のタバコをそこに突っ込む。

 オレの「ルーマニアまで連れて行ってくれない?」という問いかけに、「寝覚(ねざ)めが悪くなるのは御免(ごめん)なんだが……」と前置きした上で「高くつくぞ」と返ってきた。

 

「なら、オレの両眼(りょうめ)をくれてやる」

 

 という申し出には即答でNOが返ってくる。(いわ)く、「余計な物は取り込まないようにしている」んだとか。

 

「その魔眼、(えぐ)()したくらいじゃ死の線は消えない。お前には無いとは思うが———(まん)(いち)解放されたいと思っていても、その手段は(すす)めんよ。

 それにお前さん、あの小僧に()いて()こうとしているんだろう? 

 ならば()めておけ。神秘に対して切り札となり()るその魔眼は、聖杯戦争において有用だ」

「……だったら“借り”だな」

 

 ナタリアより一歩、前に出る。

 (はる)か遠く———正面にいる衛宮と間桐は、オレたちには気づいてない。

 

「明日(むか)えにきてやろう」という言葉を聞いて。二本目に火を付けるライターの音を聞いて、オレは一度だけ立ち止まる。

 

「死にたくなったら殺してやるよ。

 ———おまえ、ガワと中身が別物だろう。いや、存在と理想が別物か。

 どっちでもいいけど、こっちには借りができたんだ。

 まあ……この世界にいるうちはな」

 

 ナタリアを無視して歩き出す。

 それから、直死の魔眼を閉じた。

 

 ……遠坂邸で衛宮が推理するまで、オレは間桐の違和感を流していたから。その時の教訓も()ねて、今回は(しょ)(ぱな)からから“()”を使ってみた。そしたらコレだ。

 

 後ろの女性は、表層と深層でそれぞれに一人ずつ、二人が合体して一つの存在を形作(かたちづく)っている。Fate/zeroの設定でそんなのはなかった(はず)だから、この世界だけの異常だろう。何やらややこしい存在だけど、それは衛宮に丸投げしようと思った。

 

 ———『衛宮に付いて行く』というオレの提案を、衛宮は却下出来ない(はず)だ。そういう風に話の流れを持っていくから。

 

 衛宮はどうしてオレを遠ざけようとしたのか、その見当(けんとう)()いている。それを突きつけてやれば言い逃れはできなくなる。

 ———()(くず)(かぎ)は、間桐桜だ。

 

 

 衛宮が気づいて片手を上げた。

 オレから見て衛宮の左、衛宮の右手側にいる間桐は、笑顔一転、衛宮の変化からオレに気づいて正面を向いた時には、もう口元から力が抜けていて、ものの一瞬で真顔だった。

 

「よう」と、右手を上げる。

 

「おまえを、口説(くど)きに来たんだ」

 

 衛宮は、立ち止まる。

 間隔は4メートルほど、お互いに手を伸ばしても届かない距離。何拍(なんぱく)()をとってから、衛宮はゆっくりと言葉を置いた。

 

「“口説(くど)く”ってのはつまり、『両儀も聖杯大戦について行きたい』って意味だよな」

「ああ、“(あし)”はもう用意した。後はおまえたちが乗るだけだぜ」

 

 ———と、そこで。外野から声がかかった。まあ、分かっていた事だが。

 間桐は一歩だけ前に出て、衛宮を、自分の体で半分隠す。少しだけ、前のめりになっていた。

 

「両儀さんには関係のない事なんじゃないですか?」

「まさか、“ない”(はず)はないだろ。聖杯大戦に勝利するってことは、オレたちが元の世界に強制(きょうせい)送還(そうかん)されるってことだ。自分の居場所が変わるんだぞ?」

「そうじゃありません。両儀さんは自首させたくないんですよね? それなら、付いてきてどうするつもりですかっ。意地悪(いじわる)するなら帰って下さい」

「それこそ真逆(まさか)だ。

 ———オレはねぇ間桐、衛宮と同盟を組みに来たんだ。

 衛宮に自首して欲しくないのは本心だけど、死なれるのも寝覚(ねざめ)が悪い。それにオレの協力が有れば、衛宮は危ない橋を一つ、渡らずにすむ。

 黒の陣営に不和を起こすのも面倒だろう。だからオレが口説きに来たんだ」

 

 首を少し右に(かし)げる。間桐の奥の、衛宮を見つめた。

 

「上手く間桐を取り込んだようだけど、そっちがおまえの本命か?」

 

 衛宮は顔を(そむ)け、少し(うつむ)いた。

 

「いや……俺はそこまでじゃない———(はず)だ。でも———」

「『間桐は説得できなかった』……か」

 

 まるでおまえと一緒だな、と思う。衛宮だって、今のオレでは止まらないから。

 左足を一歩引く。右半身の半身になって近寄って、衛宮の、左の(そで)(つか)んでやった。

 

「オレが“飛車(ひしゃ)(やく)”をやってやる。(りゅう)になって暴れてやるよ。それでおまえは俄然(がぜん)動きやすくなるし、なんなら“それ”だけでも———盤面を詰みまで持っていけるんじゃないか? おまえなら」

 

 驚いて飛び上がった間桐から引き離すように、衛宮の左手をグッと引き込む。そのまま後ろに歩きながら、衛宮の反応を(うかが)った。

 

 ……どうにか、勢いで誤魔化(ごまか)されてくれたようだった。

 (さき)のオレの言葉で一瞬、衛宮が暗い顔をした。オレが犠牲になることに躊躇(ちゅうちょ)があるようだった。

 

 オレや間桐のことなんてサクッと使い捨てればいいのに、と思う。同時に、そんな男ならここまで付いて来てないとも、思った。

 

 不意に衛宮の体が固まる。見ると、オレが握っているのとは逆の手を、衛宮の右手を、間桐が(つか)んでいるのが見えた。

 

「せんぱいを、取らないで下さい」

 

 (うつむ)いたまま、間桐が(しゃべ)った。

 オレは咄嗟(とっさ)に手を離した。

 フリーになった左手で、衛宮は、間桐の髪の毛を()いていく。

 

 オレは、その光景(こうけい)に目を見張(みは)った。

 

「驚いた。おまえ、そこまで……」

 

 オレの声は、結局誰にも届かなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ———日が沈む。

 

 遠坂邸の一階のテラスに踏み出したオレは、向かって前方左手に———つまり南東の方角に、一番星を発見した。

 

「……木星か?」というオレの(つぶや)きは、目の前で座る女にあたった。

 

 後ろで、(とびら)が閉まる音。

 (かす)かに擦過(さっか)(おん)がして、木製の丸椅子に座っていた女が一人、薄紫の髪を揺らして、振り向いた。

 

「よう———来てやったぜ。間桐」

 

 夜の風で着物がはためく。(そで)が、バタバタと音を鳴らした。

 立ち上がり、オレと向き合った間桐。右手で、左腕の(ひじ)を押さえていた。

 

「両儀さんはどうして……先輩について行こうとするんですか?」

「アイツに勝つため」

「『先輩に勝つ』って、そんなこと———」

「そんな事のためにオレは、“()”を使わずに衛宮に読み勝つ。直死の魔眼で衛宮の推理を殺すんじゃなくて、オレ自身の思考能力で衛宮の推理を上回る。

 だって……アイツは考えに考えてから動くタイプだ。

 アイツが行動に起こす時には、(すで)に覚悟は決まってる。(さき)の展開を読み切った上で、(いま)のアイツは選択するんだ。

 ———だから、アイツの意見を変えたいのなら、その方法は二つしかない。

 アイツの優先順位を書き換えるか、アイツの見ている世界と同じに———未来に立って提案するか」

 

 今までオレの目を見ていた間桐は、顔を(うつむ)かせ、一歩退()がった。

 

「そんなの……できる(わけ)ないじゃないですか。両儀さんは先輩と違って———殺人事件の時だって、何もできなかったんですから」

「ああ、おまえが正しい。オレにそんな推理力は無いんだ。

 でも今回だけは特別だった。なんたって、オレたちは未来から来たんだからな。聖杯大戦において、オレたちはズルができる。

 ……それに衛宮は非力(ひりき)だし、取れる手段も限られてるし。衛宮が使える数少ない手札(てふだ)の中から、“どれを切るのか”を推測するのは、まぁ———オレの頭でもなんとかなった」

 

 間桐は弱々しい声で「できません」と口にする。

 オレは何も返さなかった。別にマウントを取りに来た(わけ)ではないのだと、目を閉じてから振り返り、家に入るためノブを握った。

 

「———証明して下さい」

 

 後ろから、間桐の声。

 

「そんなに言うなら、先輩がどうやって聖杯大戦を勝つつもりなのか———言い当てて下さい。

 わたし先輩から聞いてるんです。その時に『先輩はすごいな』って思ったんです。わたしは、“先輩の一番”になるんです。先輩を(あきら)めた両儀さんなんかには負けませんから」

 

 向き直って間桐を見た。

 左の(ひじ)をギュッと握りしめたまま、オレを(にら)む女が一人、そこにいた。

 

 コイツは、衛宮の優先順位を書き換えることで戦うつもりだ。オレとは違う、もう一つの戦略を選んだ。

 ならオレは———

 

「いいぜ。お互いの立場は、ハッキリさせておかないと……な」

 

 オレは衛宮の敵となる。

 その第一歩として……ここで、衛宮と同じ視座(しざ)を得なければならない。

 ———ならば、

 

 立ち上がった間桐の目の前まで進む。左手で丸テーブルの天板を確かめる。そこに、尻を乗っけた。

 都合(つごう)、オレの左手にいる間桐に目を流し、正面に視線を移した。

 

「オレも衛宮も、聖杯大戦で召喚されるサーヴァントを全て知っている。聖杯戦争において『(もっと)も隠されるべき秘密』を、オレたちは最初から知ってるんだ」

 

 ———そう、聖杯戦争では真名(しんめい)を隠すのがセオリーだ。でもオレたちは知っている。

 つまり、(かず)ある“亜種聖杯戦争の(すべ)て”と比較しても、今回の聖杯大戦は“(もっと)も勝率の高い戦い”だと断言できる。

 この情報を、衛宮が利用しない(わけ)はない。

 

「それぞれの陣営で組み立てられた戦略がどういうものか、考えた。

 衛宮ならたぶん、そうすると思ったから」

 

 ———まず前提条件として、ダーニックは大聖杯を強奪した。そしてミレニア城塞(じょうさい)に配置することで『赤の陣営は攻め込まないと勝てない』という状況を作った。

 勿論(もちろん)、最初からそういう目的で大聖杯を配置した(わけ)ではないと思うが、それでも、聖杯大戦という形式では、この情報はとても大事になってくる。

 

「考えてもみろよ、間桐。大聖杯がミレニア城塞(じょうさい)の中にあるというだけで、赤の陣営から“籠城(ろうじょう)し続けるという選択肢”を奪うことができる。

 景品が敵陣地のど真ん中にあるんだぜ。赤の陣営はそれだけで、ミレニア城塞(じょうさい)に攻め込む以外の選択肢を奪われている」

 

 視線を左に、つまり間桐を(うかが)う。コイツの目は真っ直ぐ前を、屋敷を、ぼんやりと眺めていた。

 

「その前提条件の上で、赤の陣営の戦略は『セミラミスの宝具で自陣(じじん)ごと乗り込む』こと。

 黒の陣営に、トゥリファスでの戦闘を強制させられているというのなら、自陣ごと乗り込んでやろうという発想だろ?」

 

 ———対する黒の戦略、これは基本的には迎撃メインになるだろう。でも、オレたちの知識の中で、黒の戦略は軒並(のきな)み失敗していた。

 だから『本来の戦略はどうだったのか』を、衛宮ならまず把握するんじゃないかと考えた。

 

「黒のサーヴァントの中で、事前召喚されたのは二騎だけだ。だから戦略の(かなめ)も、その二騎だと仮定する。

 ———ランサーのヴラド三世と、キャスターのアヴィケブロン。

『この二騎以外は誰でも良い』という前提の上で考えられる戦略の可能性は、(ほとん)どなかった」

 

 だからオレでも、衛宮の真似事(まねごと)ができたんだ。と(しゃべ)りつつ、間桐の反応に安堵(あんど)した。

 ———気もそぞろだった間桐の顔が、オレに固定されている。

 どうやら、大筋(おおすじ)は外していないらしい。

 

 腕を組んで、着物の(そで)の中に手を入れて、反対の腕を軽く(さす)って。息を深く吸い込んだ。

 

「戦いは、いかに相手の選択肢を(けず)れるかで決まる。

 オレが見つけた、赤の陣営の選択肢を(もっと)も限定出来る一手(いって)は、アヴィケブロンの宝具を赤の陣営の本拠地(ほんきょち)に向かって突っ込ませる事だ。

 そうすれば、赤の陣営の次の一手(いって)をたった一つに限定できる」

 

 ———シギショアラ付近にあったとされる、赤の本拠地(ほんきょち)。そこに向かって王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)が突っ込んでくる状況を想像してほしい。

 

 赤のマスターには、どんな選択肢があるだろうか。

 

『戦闘能力の高いサーヴァントに総出(そうで)で迎撃させ、マスターたちは逃げる』———たぶん、この選択肢以外は存在しない。

 だってこの時点で……赤のマスターには『王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)を倒す』という選択肢は存在しない。

 

 その瞬間の黒の戦力は、七騎のサーヴァント+王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)だ。つまり、叡智の光(ケテル・マルクト)に当てるサーヴァントが増えれば増える(ほど)不利になる。

 

 原作の描写から、叡智の光(ケテル・マルクト)は一騎や二騎のサーヴァントで倒せるような宝具じゃないことは理解できる。だから仮に、『三騎以上のサーヴァントを叡智の光(ケテル・マルクト)に当てた』と考えてみた。

 

 ———黒のマスターの視点でこの状況を眺めると、どう見えるか。

 目の前には叡智の光(ケテル・マルクト)退治(たいじ)に駆り出された三騎以上のサーヴァント、その向こうには赤の本拠地(ほんきょち)と四騎以下のサーヴァント。

 自分たち黒の陣営には、サーヴァントがまだ七騎いる。

 

 ———つまり、戦争における常道(じょうどう)。『勝てる戦力を用意してから、相手の逃げ道を(ふさ)いでぶん殴る』

 

 

 ……実際には、赤の陣営も決戦兵器たる“虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)”を用意していた(わけ)だが、普通はそんなの分からない。

 赤の陣営の(おう)()から『正面突破』の可能性を排除できる王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)は、戦略的には非常に使いやすい宝具といえた。

 

 

 体を一瞬、ブルッと震わせた間桐は、自分の肩を抱きしめた。

 

「……でも、それだけで『限定だ』なんて言わないでください。

 正面から(むか)()つこと以外にも、選択肢なんていっぱいあります」

「無いよ、間桐。

 もしもそんな状況が完成すれば、赤の陣営は『主力サーヴァントで遅滞戦闘をこなしつつ、マスターたちは陣地を捨てて逃亡』以外の全ての選択肢を奪われる(はず)だぜ。

 それ以外の選択肢を取れば、諸共(もろとも)瓦解(がかい)するんだから」

 

 赤の陣営の次の一手が『奇襲』だとしよう。

 アキレウスやカルナのような強力なサーヴァントで王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)を足止めしている(あいだ)に、ミレニア城塞(じょうさい)に攻め込んで大聖杯を奪取(だっしゅ)する。

 

 ———そのためのヴラド三世だ。領土を守った逸話(いつわ)を持つヴラド三世は、ことミレニア城塞(じょうさい)を守ることにかけては最高のサーヴァントだろう。

 

 そうなれば、黒の陣営のアサシンやアーチャーなどで赤の本陣に“カウンターのカウンター”を仕掛(しか)けられる。

 

 

 ならどうする? (かえ)()ちはまず不可能、逃亡は絶望的。だったら、“籠城(ろうじょう)”するか。

『防御に定評のあるサーヴァントを使って籠城(ろうじょう)した場合』はどうなるか考える。

 ジャンヌ・ダルクが赤に加担(かたん)したとしてどうにかなるだろうか? 

 

 ———戦場はルーマニアだ。

 ユグドミレニアが赤の陣営の兵站(へいたん)を潰せば、いつかは出てこざるを()なくなる。

 

 それに何より、王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)がいる。籠城(ろうじょう)している(やつ)らを、上から潰せる宝具(もの)がある。

 叡智の光(ケテル・マルクト)相手に、籠城(ろうじょう)は最悪の選択肢だろう。赤のサーヴァントは、マスターが巻き込まれるからデカい宝具を放てないのに、向こうはガンガン攻撃できるのだから。

 

 

 ———だったら、『逃亡』するか? 

 

 戦況を仕切(しき)(なお)すために、居場所がバレたマスターたちは隠さなくてはいけない。

 聖杯戦争において(もっと)も簡単な決着がマスター殺しである以上、それは至上(しじょう)命題(めいだい)(はず)だ。

 

 

 

 オレを睨みつける間桐を見返しながら、「ユグドミレニアがこの状況に持っていくにも条件がある」と付け加えた。

 

「つまり、王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)が最初から参戦していたらダメなんだ。

 赤のマスターたちが叡智の光(ケテル・マルクト)を初めて見た瞬間から『ずっと本拠地に向かって進撃(しんげき)し続けている』という状況を作る必要がある。

 そうして始めて、趨勢(すうせい)(けっ)することができる。

 ———だから、そのために必要な条件は二つ。

 まず、赤の陣営が本格的な攻勢(こうせい)に出る前に赤の本拠地を見つけておくこと。

 そして叡智の光(ケテル・マルクト)を、前もって起動させておくこと」

「———それが」

 

 間桐は両手を強く握って、オレを睨みつけてきた。

 

「それが何ですか? 今のは“先輩の戦略”じゃありません。それは“ユグドミレニアの戦略”ですよね? 

 わたしは両儀さんに“先輩の戦略”を聴いたんです。『両儀さんは先輩と同じものが見える』って言うなら、“先輩の戦略”を言わなきゃダメです。だって先輩は、わたしに戦略を教えてくれたんですから」

 

 オレは、一度目を閉じた。

 ……この推測で、本当に大丈夫だろうか。

 

 聖杯大戦が()の聖杯戦争と大きく違うところは、“大聖杯に願うところ”だ。原作の描写では、魔力が続くなら一度ならず願いを叶えて(もら)っていた。大聖杯(あれ)はユスティーツァの魔術回路からできているから、原理的には不可能ではないし……。

 

 つまり聖杯大戦に関していえば、勝者が一人である必要はない。

 そして衛宮の願いが叶えば、この世界から衛宮は消える。大聖杯はその場に残る。

 

 ならば相手に、『一番最初に衛宮の願いを叶えさせろ。さもないと敵対陣営に大聖杯を持っていくぞ』と(せま)ることさえ出来るなら、ほぼ確実に、願いを叶えるところまで持っていける(はず)だ。

 

「———そのためには、交渉(こうしょう)を持ちかける相手は選ばないとな。

 何としても願いを叶えたい天草四郎よりも、箔付(はくづ)けと魔術協会への牽制(けんせい)のために聖杯大戦を仕掛(しか)けたユグドミレニアの方がいい。

 なら、ユグドミレニアには()()()()()もらう必要があって、でも勝ち切ってしまってはいけない。

 そして何より、いざとなれば大聖杯を引っこ抜いて脅さなければいけないなら…………。

 もう、方法は一つしかない」

 

 ———王冠(ゴーレム)叡智の光(ケテル・マルクト)の、命令権を手に入れることだ。

 (ある)いは、そうと錯覚させられる状況を作り出すこと。

 

「間桐、おまえが全てを知っているって言うのなら、オレが衛宮に提案した事にこうも反応するのなら、答えはもう分かってるんだろ? 

 結局、おまえもオレと同じ事を考えてたんだ。

 だから二人きりで呼び出したんだろ?」

 

 丸テーブルから腰を上げて、間桐の前に()(ふさ)がった。

 

()われよ、“叡智の光(ケテル・マルクト)炉心(ろしん)の役割”。

 おまえは衛宮と一緒にいられる。オレは衛宮に勝負を(いど)める。結構、良い取引(とりひき)だと思うんだけど……」

 

 ———間桐の目を、オレはずっと見続けていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 オレが寝室に戻ると、衛宮はベッドに座っていた。

 顔を上げた衛宮と視線が合うと、真っ先にオレから声をかけた。

 

「間桐のヤツからもぎ取ってきた。だからオレが炉心(ろしん)になる」

 

 ベッドに座る衛宮の正面、窓際(まどぎわ)にあるアンティークデスクにもたれて、腕を組んで衛宮を見下(みお)ろす。

 

「これは独り言だけど」と前置きして、少し顔を上向(うわむ)かせ、淡々(たんたん)と言葉を放った。

 

「おまえ、ジークを炉心(ろしん)にするのに戸惑(とまど)いがあったんだろ?」と。

 

「おまえはあの時、『自分の願いを叶える(ため)にはジークを炉心にするように仕向(しむ)ける必要がある』という事に行き着いたんだ。だから『やめる』と言い出した。

 ……でも、()()められると急にボロが出るおまえのことだ、オレが帰った後にでも、間桐に(せま)られてゲロったんだろ? 

 そのくらい、オレにだって分かる」

 

 衛宮の頭頂(とうちょう)、赤色のつむじを見つめるオレは、それに手を伸ばそうとして———やめた。

 少し、項垂(うなだ)れたような衛宮から手を引っ込めて、手持(てもち)無沙汰(ぶさた)にぶらぶらさせる。

 

「間桐のヤツ、Apocrypha(アポクリファ)時空だとプロレスラーになってなかったか? というか第三次聖杯戦争の小聖杯って、確か天草のマスターだった(はず)だけど。よくあんなのから聖杯の欠片(かけら)を盗めたもんだな。ゾォルケンは」

多分(たぶん)、盗んだから殺し屋が送られてきたんだと思うんだよ」

 

 衛宮はベッドに座った状態で、両膝(りょうひざ)(ひじ)をのせて、両手を組み合わせて握ったまま、そこに(ひたい)を押し付けた。

 

「俺が持ち出した資料には全部書いてあったんだ。

 臓硯(ぞうけん)が、アインツベルンがどっちを召喚するかで迷ったっていう“アンリマユという英霊”について調べたこと。アヴェンジャーというクラスについて探ったこと。

 もしも、『アインツベルンがアンリマユを召喚した平行世界で、自身の計画が成就(じょうじゅ)していれば』桜は“アンリマユの(から)”として境界記録帯(ゴーストライナー)に記録されている可能性がある事。

 臓硯(ぞうけん)が大聖杯を取り戻す最後のチャンスである“トゥリファスの聖杯戦争”に間に合うように桜を調整する必要が出てきたこと。

 そして、この世界の遠坂から土地を買い上げ、この遠坂邸に結界を張る計画とその詳細……」

 

 (ひたい)に当てた衛宮の両手は、まだ震えている。

 

臓硯(ぞうけん)は桜の心を折るために、境界記録帯(ゴーストライナー)から“アンリマユになった(あと)の桜の記憶”を、この世界の桜を依代(よりしろ)に降霊させて、この屋敷の中で演じさせる。———そうだ。心が折れた桜の記憶を、この世界の桜に追体験させることで、桜を覚醒(かくせい)まで持っていこうとしていたらしい」

 

「そうか……」とだけ、オレは(つぶや)く。

 

 ———もし、天草四郎が、間桐家から聖杯戦争の情報を引き出す時にアンリマユの情報を渡さなければ、ゾォルケンは絶望のまま天草四郎にでも(はら)われて、……間桐はルヴィアと一緒にプロレスラーにでもなってたのだろうか、と頭をよぎった。

 

 二度、ゆっくりと深呼吸する。

 おそらく、ここが転換点(てんかんてん)だろう。踏み込んでしまえば戻れなくなる。

 

 もう一度だけ息を吸って、オレは衛宮に問いかけた。

 

「なあエミヤー。オレがずっと言い続けてきたこと、覚えてる?」

 

 衛宮が少しだけ顔を上げた。下から、(のぞ)()げるように。

 

「どれのことだっけ……」

「……最初の日。始発電車で、オレが衛宮に言ったこと」

「ああ、『俺が犯人じゃないという事をバラすぞ』ってヤツか」

 

 衛宮の返答に(うなず)いて、(くちびる)湿(しめ)らせてから言葉を(つな)いだ。

 

「この状況、オレが一つ有利になったな。

 おまえが自首するためには、()ず、元の世界に帰らないといけなくなった。

 ———オレはやっぱり、おまえが帰るのを阻止(そし)したい」

 

 一瞬、衛宮の眉間(みけん)にシワがよる。

 それが、少しだけ嬉しかった。

 

「ゴーレムの炉心(ろしん)立候補(りっこうほ)したのはそのためだ。

 聖杯大戦が終わっても、おまえをあっちに帰れなくする。これはそのための一手(いって)なんだ。

 おまえが、“帰るという願い”を叶えてもらえたらおまえの勝ち。そうでなかったらオレの勝ち」

 

 オレは、自分の心臓から送られてくる熱い熱を吐き出して、衛宮に宣戦布告した。

 

「『あっちの世界に帰ったら敵だ』と言ったの、取りやめる。

 少し早いけど———今日から敵だ」

 

 

 

 衛宮は、叡智の光(ケテル・マルクト)を最大限に使って、聖杯大戦に勝ちに行く。

 オレは、叡智の光(ケテル・マルクト)炉心(ろしん)であることを使って、衛宮を世界に帰させない。

 

 

 衛宮の顔を真っ直ぐに見て、オレは、(ほころ)んだ顔を隠さなかった。

 

「オレたちは“同乗者”。ただそれだけの関係だけど……衛宮。

 ———オレの駅で、()りてもらうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三章、仮探偵(かりたんてい)衛宮と空白の時間
仮探偵(かりたんてい)衛宮と緑の左手(不思議編)


 

 いつも、誤字脱字報告をありがとうございます。
 とても助かっております。


 

 

 

 秋の夕暮れ……というか、冬の始まり。

 

 空が(あか)みがかった頃、今日も今日とて、オレは、いつもの会話を耳にしていた。

 その会話は、決まって少女の声で始まる。

 

探偵(たんてい)さん探偵(たんてい)さん。———ねぇ? 探偵(たんてい)さん。

 ———不思議(ふしぎ)を教えてくださいな」

 

 四角い、六人がけのテーブル。

 長辺(ちょうへん)に二人づつ、短辺(たんぺん)に一人づつ、それぞれに座れるだけの大きさのテーブルに、現在は椅子が四つ。

 

 長辺(ちょうへん)部分に四つ配置された椅子の一つに、小さな少女が一人、座っていた。

 右隣に(から)(せき)を置いたその場所は、最近、彼女によく占領(せんりょう)されている事が多くなった。

 

 足をブラブラと、まるでブランコのように揺らしてリズムをとりながら、「探偵さん」と呼びかけている。

 それは少女の目の前で突っ伏している、赤毛の男のことだった。

 

「探偵さん探偵さん、不思議を教えてくださいな」

 

 少女の向かいで、机に()している男の、さらに後ろ。項垂(うなだ)れる衛宮の背中を(なが)めながら、部屋の壁にもたれながら、オレはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 ———聖杯大戦のことを考える。

 死ぬつもりは毛頭(もうとう)()いが……とは言ってもオレは炉心になる(わけ)で、つまり存在が()けてしまう。

 

 聖杯大戦が始まれば否応(いやおう)なくそうなると決めたのだから、衛宮の姿を見ていられるのも、そう長くはないかもしれないのだ。

 

 だからきっと、これは終わりへのカウントダウンだ。

 

 オレの望みは、そのほとんどが(すで)(かな)ってしまっている。

 現状を維持(いじ)し続ける、というのが(きわ)めて難しいこの現状(げんじょう)で、オレの望みが叶っているこの状態(じょうたい)は、そういくばくもないうちに崩壊するだろう。

 

 その始まりの合図は、聖杯大戦の開幕戦。

 目前に迫った、夢の終わりを認識(にんしき)しているオレにとって、この現状(げんじょう)は、ずっと()かっていたいと思える、ぬるま湯だった。

 

 だからせめて、この目に焼き付ける事にしたのだ。

 衛宮と()ごす日常を、聖杯大戦を目前(もくぜん)(ひか)えた———この(わず)かな、空白(くうはく)を。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 “いつもの会話”は、決まって少女の声で始まる。そして———いつも衛宮が負ける。

 

 今回もまた、衛宮がテーブルから顔を上げた。

 

「あの……イオナさん? 何度も言うようで申し訳ないんだけど……。俺は探偵じゃないんだ。ユグドミレニアにアドバイザーとして(やと)われたってだけで———」

「でも、サクラは『探偵だ』って言っていたわ。私ちゃんと聞いたもの」

「あー、桜はだな……その、ダーニックに聞かれた時にだな。俺のことを『探偵だ』と言っただけで———」

「やっぱりっ! 探偵さんは“探偵”なのね!」

「えっと……その、あの……。そうです、はい」

 

 そして衛宮が項垂(うなだ)れた。

 今日も今日とて、舌戦(ぜっせん)は少女の完勝だった。()()す衛宮の頭の向こうで、満面の笑みを浮かべる少女。

 

 ———これが、ここ最近、ずっと()(ひろ)げられている光景だった。

 少女が衛宮を“探偵”と呼び、衛宮が否定する。けれど、いつも少女に()()かされる。

 

 ……というか、(こと)ここに(いた)っては、衛宮に勝ち目など無いことなんて、誰の目にも明らかだった。

 

 衛宮が『探偵だ』と認めたことで、もともと良かった機嫌が天元(てんげん)突破(とっぱ)した少女は、(ほころ)ばせた顔をそのままに、足をブラブラさせていた。

 

「今日も()()かされたんですか? 先輩」

 

 間桐桜が、後ろの部屋から登場した。

 オレが背中を預けている壁は、その奥が台所になっていて、オレの左手に(くぐ)()がある。

 

 その(くぐ)()を通ってきた間桐が、すっと会話に割り込んできた。

 

「でも、もうご飯できちゃいましたから———」

 

 “ドンっ”と重い音を立てて、間桐が、持っていた両手鍋をテーブルに置く。

 背中に手をやってピンク色のエプロンを(ほど)きながら、今夜のメニューを宣言していた。

 

「“ミチ”です。煮込(にこ)んじゃいました」

「それ……」

 

 オレは思わず、鍋の中を(のぞ)()もうと壁から背中を()()がし、一歩、前に進んだ。

 

(ただ)の……煮込みハンバーグだろ?」

「“ミチ”ですっ。ちゃんと細長いんですから」

 

 間桐は鍋を眺めるオレを(にら)むと、両腰に(こぶし)を当てて、こっちに一歩近づいて来る。

 

「両儀さんにはあげませんから、今日の夜ごはん。部屋の(すみ)っこで丸まっててください」

「良いね、そうするよ」

 

 そう言って、オレはまた定位置に戻る。

 壁に背中を(あず)けて……。

 

 空色の着物を着ているオレは、その(そで)の中に手を入れて、腕を組んで静観(せいかん)の姿勢をとっている。

 

 そんなオレに、衛宮が背中()しに声をかけてきた。

 

「……前にも言っただろ、両儀。ちゃんと食べないとダメだ。人間は、体が資本(しほん)なんだから」

「そっちこそ、前に言ったろ? ()()()食べないって。

 “それなり以上の動き”を出すためには、(ちょう)を動かす必要がある。それなのに、食べ物が入っててまともに動くか。

 ———だから食べない。

 (ほん)調子(ちょうし)を出すには、少なくとも三日の断食(だんじき)が必要なんだ」

 

 オレが食べないのもまた、いつものことだ。

 腕を組んで目を閉じて、衛宮たちの談笑に()()っていると、ついに衛宮が、(くだん)の少女に話題を()った。

 

「……なぁ、イオナ。お前の言う『教えてほしい不思議』っていうのは……もしかして。食事に左手を使ってないことと関係があるのか?」

「ええ、探偵さん。見せたかったの。不思議なことが起こっているの」

 

 ———イオネラ・エリヤ。

 オレたちはイオナと呼んでいる。

 

 ゆったりめのズボンとシャツを着たルーマニア人の少女は、前髪が(あご)にかかるくらいまである。日によって前髪(それ)で顔を隠したり隠さなかったりしているのだが……今日は“隠す日”であるらしかった。

 青みがかったアッシュ色の髪の毛から(のぞ)く瞳が、ただ衛宮を見上げている。

 

 衛宮の後ろにいるオレにも見えた。その瞳から、涙が流れ続けていることが。

 それに、唇が紫色に変色している。先ほどから震えが止まらないようだった事も踏まえると、イオナには、“アレ”が起きているのだろう。

 

「探偵さん、ほら……」と言って、イオナは左手を持ち上げた。白いシャツの長袖を(めく)ると、見える。彼女の左腕は、緑色に変色していた。

 

 ———イオナは霊媒(れいばい)だ。

 つまり、霊的(れいてき)触媒(しょくばい)

 彼女は、死者の感覚を自らに憑依させることのできる、特異体質だった。

 

 その体質が発現(はつげん)する時、彼女の体には異変が起きる。その人間の“()(ざま)”を擬似体験するときに、彼女の体は間違って、それと同じに変化する。

 体験した感覚を、現実と混同してしまうのだ。

 

 その変化は、顔に現れることも屡々(しばしば)あるから、そうなった場合は前髪で顔を隠してしまう。つまり前髪とは、イオナにとって防御壁だったりする(わけ)だった。

 

「今日も不思議ね、探偵さん。

 ———私の今日の左手は、どんな不思議に繋がっているの?」

 

 

 ———だからこれは、断章(だんしょう)だ。

 ユグドミレニアに取り入ることが出来たオレたちが『聖杯大戦が始まるまでは自由にしていろ』と投げ込まれたトゥリファスの町の片隅(かたすみ)で……。

 

 これは、(かり)探偵(たんてい)衛宮(えみや)(みどり)左手(ひだりて)

 少女が聴き、衛宮が答える。ただそれだけの物語だ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 イオネラという少女にとって、“生と死”は曖昧(あいまい)なものらしい。

「そりゃ“そう”だ」と、返したことを覚えている。

 

 彼女は生者にも死者にも会える。なら、“死んでいる人間”と“生きている人間”との(あいだ)に、さしたる違いなどありはしない。

 

 オレたちがミレニア城塞(じょうさい)からこの町に入ってきたものだから、町民からは遠巻(とおま)きにされていた。

 ———そんな中、ただ一人。オレたちに近づいてきたのが、彼女だったという(わけ)だ。

 

 オレにとっての印象は、笑顔だった。

 初対面のときだ。彼女の名前を衛宮が聞き間違えて、『イオナ』と発音した時。今目の前にいるこの少女は「男の子みたいな名前で素敵だわ」と言って、オレたちに“イオナ呼び”を強要(きょうよう)した。

 ———その時の彼女がとても嬉しそうに笑っていたものだから、オレには、その印象が今でも強い。

 

 

 ———“イオナ”という言葉、それは“ヨナ”の事だ。

 旧約聖書に出てくる預言者ヨナ、つまり男だ。

 

 初対面の男に、自分の名前を間違えられた時、この少女は嬉しそうに笑いながら、その呼び方で呼ぶように求めた。

 それが、オレにとってのイオナの全てだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「探偵さん。私ね、“死ぬ”ってどういう事か分からないの」

 

 イオナは、左の(そで)をそっと(まく)りながら話を始めた。

 テーブルの上に置かれた腕は、指の先が少し(ふく)らんでいて、先端から緑色に染まっていた。

 

「私は敏感肌(びんかんはだ)だから、こうやって死体になっちゃうんだけど……。でも、これって『まだ生きてた時の死体』だから。死んだ人の体になるんじゃなくて『死んだ人の、死ぬ直前の体』だから。だから私、死んだ(あと)の人には会ったことはないの」

 

 衛宮は口を開こうとして、中のものを飲み込んだように見えた。

 一拍(いっぱく)だけ時間をおいて、イオナの手を見ながら、フォークとナイフを皿に()ける。

 

「———残留思念は、『その存在がまだ生きていた頃の(おも)いが、今もまだ残留しているモノ』だもんな。

 イオナの霊障(れいしょう)は、死んだ後の人間に干渉(かんしょう)できるものじゃないって事か」

「そうなの。今は死んでいる人の、まだ生きていた時の体」

 

 イオナは右手で、変色した左手をそっと()でた。

 

「ねぇ探偵さん、不思議を教えてくださいな。

 この人はどうして死んだの? 何が原因で死んでしまったの?」

 

 オレは衛宮の後ろから、灰色に輝く彼女の瞳を(ぬす)()る。

 その瞳は、少しだけ細まって衛宮を、見上げていた。

 

「……分かった。お前にとっては大事(だいじ)なものだもんな、その霊障(れいしょう)と付き合っていくために。

 ———なら俺も、協力しよう」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 次の日、オレたちは町を歩き回った。

 

 この町の人間は、少しでも魔術の香りがするものを排除しようと考えているらしい。

 それはオレたちを()(もの)にするという意味ではなく、存在を無視するという意味だった。オレたちが近くにいても大人は普通に通り過ぎていくし、子供は遊ぶ。だけど、向こうから声をかけてくることはない。こちらから声をかけた時も、オレたちが一般人であるかのように振る舞った。

 

 おそらくそれが、魔術師の標的にならないようにする(ため)の、彼等(かれら)なりの処世(しょせい)(じゅつ)なのだろう。

 

 世間(せけん)(ばなし)にカモフラージュして情報を集めた結果、『どうもトゥリファスの外れで爆発事故が起きたらしい』ということを知った。

 

『その家の(まわ)りには誰も()まない』と彼等(かれら)がいうからには———その人物は魔術師なのかもしれない、と()たりをつけたオレたちが向かうと、その(あた)りは、ミレニア城に(つな)がる城壁のすぐ近くだった。

 

 イオナは、その、屋根が吹き飛んだ家を見てから、「ここなの?」と衛宮を目上げる。

 対して衛宮は、「分からない」と即答した。

 

「分からない。———だけど、イオナの霊障(れいしょう)が出た時間帯から考えると、ここを調べる価値はあると思う。昨日の夜に起きた異変は、この町ではこれだけだったからな」

 

 オレの隣にいた間桐が、イオナの左手まで進み出る。衛宮と二人で、イオナを(はさ)んで立つ形になった。

 そんな間桐は、西洋(せいよう)漆喰(しっくい)の白い壁を見上げて言った。

 

「……やっぱり、この家を壊したのは魔術師なんでしょうか」

「その可能性はある。普通は爆発なんてしないもんな」

 

 オレは、その三人を()()した。

 歩きながら、右手を体の後ろにまわす。着物姿のオレは、帯に(はさ)んだナイフの()に軽く触れつつ、瓦礫(がれき)の山を一歩ずつ登る。

 

 オレにはもう()えていたのだ。この瓦礫(がれき)、その下に、生きている何物(なにもの)かが()るということが……。

 

 “()”を()らして瓦礫(がれき)の山を観察すると、いくつかのポイントで死の線が渦巻(うずま)いているのが()える。“生きているモノ”に一番近い死の線の渦をナイフで突き刺して、その(あた)一帯(いったい)を崩壊させる。

 

 ———すると、ちょうど瓦礫(がれき)隙間(すきま)から、一対(いっつい)()がこちらを(のぞ)いた。

 

 立ち込める土煙(つちけむり)、崩れ落ちる瓦礫(がれき)の音。

 衛宮たちが()()って来る頃には、オレと目が合ったその人間の姿が、見えるようになっていた。

 

 後ろで、間桐が息を()んだ。

 衛宮とイオナはオレを追い越して、その存在の前にしゃがみ()む。

 

「———怪我はないか」と衛宮が聴いて、「腕はどう?」とイオナが言った。

 

 過呼吸(かこきゅう)気味(ぎみ)に言葉を()まらせるその存在は、ポニーテールの茶髪の女。

 白い軍服状のブレザーの中には黒いワイシャツ、緑のネクタイ。そして、赤い瞳。

 

 ———ユグドミレニアのホムンクルス。

 

 そのホムンクルスは衛宮の手を取って立ち上がりながら、周りを見渡していた。そうやって、今の状況を飲み込んだのを見計らって、衛宮はホムンクルスに質問をした。

 

「昨日から今日にかけて何があったのか、俺たちに話してくれないか?」

「———貴方(あなた)(がた)は……何者ですか?」

「ああ、そうか……」

 

 頭を()いた衛宮は二歩三歩と後ろに()がった。そして、間桐の左から彼女を眺めた。

 

「名前は捨てちまったからな。……うん。ここでは、衛宮士郎と呼んでくれ。ユグドミレニアの戦略(せんりゃく)コンサルタント、という役職についてるんだ」

 

「ユグドミレニアの関係者でしたか」と(つぶや)いた彼女は、その腕に(かか)えていたモノを、もう一度()きしめる。

 彼女の胸に押しつけられたソレに注意を向けたオレたちは、確信した。この家こそがイオナの霊障(れいしょう)の原因の現場で、目の前にいるホムンクルスは、重要な何かを知っている———と。

 

 ———それは、(ひじ)のあたりから先だけの、人間の左腕だ。

 

 イオナがその左手を(のぞ)()み、()いで衛宮を振り返る。

 

「探偵さん。この左手は(みどり)じゃないわ。女の人の手も普通だし」

 

 ()われた衛宮も左手を見て、それからイオナに目を向ける。

 

「本当だ。……ならイオナ、自分の手を確認してみてくれないか?」

「あら?」

 

 左手を見て、衛宮を見て、その瞳をキラキラさせた。

 

「元に戻ってるわ!」

 

 それから、自分の体を検分(けんぶん)しながら、イオナは逐一(ちくいち)報告していた。

 自分の左手が元の色に戻っていること、目から涙が流れ落ちなくなっていること。そういえば、体の震えも止まっていたこと。

 

 楽しそうに衛宮に駆け寄るイオナの頭を()でながら、衛宮はホムンクルスに笑いかける。

 

「あの、もし良かったら———一旦(いったん)(うち)に来ませんか? 

 急いで連絡しないといけない場所があるのなら、無理にとは言わない。だけど……状況を整理するためにも、一旦(いったん)(うち)に来ませんか? 

 俺たちも、貴女(あなた)の話は、聞かないといけないみたいなんだ」

 

 ホムンクルスは(あご)に手を当て、ポニーテールが少しだけ()れる。

 (しばら)くして、彼女はオレたちに(うなず)いた。

 

「———ええ。私も、知らなければならない事があるのです」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 オレたちの(かり)()まい。

 イオナ(いわ)く“仮探偵(かりたんてい)事務所(じむしょ)”。

 

 玄関から入ってすぐ、リビングにある四人()けのテーブルに、オレ以外は(みな)座っていた。

 

 リビングの壁にもたれて立つオレの目の前に衛宮の背中、その左手に間桐の背中。衛宮の向かいにイオナが座って、間桐の向かいがホムンクルスだ。

 

「私の名は“キミア”です」と、ホムンクルスは口にした。

 

(あるじ)からは、“キミア・ムジーク”の名を(いただ)いておりました」

 

 衛宮が反応したのが、オレの位置からでもはっきりと分かった。

 キミアも、そんな衛宮を()(とが)めた。

 

「『ホムンクルスがなんと生意気な』と思われた事でしょう。私自身もそう思っておりますので、普段は口にしませんでした。

 ……ですが、私は知らねばならないのです。本当に、私が(あるじ)を殺したのかを」

 

 ———キミアの主人“マールス・ムジーク”は、ムジーク家のスペアらしい。

 つまり、ゴルド・ムジークの家が(かり)途絶(とだ)えた時は当主(とうしゅ)を任される家柄(いえがら)だ、という事だ。

 

()(あるじ)、マールス様が、それほどに大切な立場であるにもかかわらず、聖杯大戦間近(まじか)のこの時期にトゥリファスに(きょ)(かま)えている、という事実だけでもお(わか)りかと思いますが———」

 

 キミアは、先程(さきほど)から一度も放そうとしない血色(けっしょく)の良い左腕を、胸に()(いだ)いたその腕を、自分の右手でそっと()でる。

 

「あまり……お(いえ)との関係は、()いとは言えないものでした」

 

 キミアが製造される以前から、マールスは爪弾(つまはじ)きだったらしい。

 本来なら“水銀(すいぎん)硫黄(いおう)(しお)”からなる錬金術の体系を、“(てつ)基軸(きじく)にしたもの”として再構成するマールスのやり方を、嫌っていた者も多いとか。

 

「マールス様がユグドミレニアの外部協力者という役割を押しつけられたことにも、そういった確執(かくしゅう)が関係しておりますが。

 ですが私が知りたいことは、また別にあるのです。

 ———昨日何が起きたのか、私は何も知らない。

 気がついたのは、(すで)に建物が倒壊(とうかい)した後のことでしたから……。

 覚えていることはマールス様の安堵(あんど)の顔と、部屋が爆炎に包まれる様子(ようす)。そして全てが終わった後、緑に変色した左腕を私が抱きしめていた事……だけです」

 

 キミアの説明に、間桐が「あれ?」と声を()らした。

 

「キミアさん。それがどうして『キミアさんがマールスさんを殺したこと』になるんですか?」

 

 キミアの視線が、衛宮から間桐に移る。

 

「ご親戚方(しんせきがた)に予言されていたのです。『いずれ私が、マールス様を殺すのだ』と。

 先日(せんじつ)トゥリファスに()られた———」

 

 “ドンドンッ”と(とびら)を叩く音で、部屋の中に緊張が走った。

 キミアの話は途切(とぎ)れ、イオナはぴょんと立ち上がる。

 

 イオナがテーブルを回ってこっちまで走ってくるのとすれ違い、オレはテーブルの向こうまで歩き、部屋の真ん中でナイフを(かま)える。

 

 ……一息(ひといき)二息(ふたいき)

 

 (とびら)が叩かれる。

 ドンドンッ、ドンドンッ……と、(こぶし)で叩く音を聞きながら、部屋の人間に目配(めくば)せをする。

 衛宮がキミアの腕を引いてテーブルの向こう側まで引っ張って、間桐はイオナの肩に両手を置いて、衛宮の後ろに半分隠れる。

 

 その(あと)で、オレは(とびら)を開け放つ。

 

 ドアの向こうの人相(にんそう)を見た時、口から「……なんだよ」という言葉がこぼれ出た。

 オレの言葉を受けて眉間(みけん)のシワを深くしたその男は、「それはこちらのセリフだ」とだけ言葉を返した。

 

 男の左腕がくぐっと上がる。人差し指でオレの眉間(みけん)を指差した。

 ()でつけられた金髪、()()った二段(にだん)(ばら)、ユグドミレニア式の白い軍服に、鼻の下にだけ付いた口髭(くちひげ)

 

 ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアが、オレに向かって口を開いた。

 

「ここに()ることは分かっている。マールスのホムンクルスを出せ、私はそいつに用があるのだ」

「……それはどういった用件(ようけん)なんだ?」

「なんの事はない、そいつがムジーク家の者を殺した。だから態々(わざわざ)来てやったのだ。さっさと差しだせ、リョウギ。この忙しい時期に手間取(てまど)らせるな」

「……なぁ」

 

 オレは(わず)かに重心を引いて、ゴルドにかけていた(あつ)を弱める。

 

「どうして『殺した』と断定できるんだ? 証拠があるなら見せて欲しいんだけど」

 

 オレの言葉でゴルドの重心が(うえ)()がった、肩に(ちから)が入ったのだ。

 “ドンッ”と右足を一歩踏み出し、ゴルドは両手を握りしめた。

 

「うるさいッ! 私は忙しいのだ、とっとと渡さんかっ。

 これから戦闘用ホムンクルスの調整をやらねばならんというのに、貴様らなんぞと話している時間などない事が(わか)らんのか」

 

 ゴルドは右手を伸ばしてドアの(はし)(つか)む。

 

「そこに居るのは分かっておるのだ、出てこいホムンクルスッ! 

 遺族のために、お前を目の前で殺さねばならんからな。———時間がない。

 明日には、自家用ジェットが城塞(じょうさい)に届く。それで出立(しゅったつ)せねばならんのだッ!」

 

 ゴルドの目線が、一瞬だけ下を向いた。オレのナイフを見たのだろう。

 踏み込めば切られると思ったからか、家の中には入ってこない。

 

 (しばら)く睨み合っていると、ついに、衛宮を(ともな)ったキミアが出てきた。

 彼女はオレを()()して外に出る。それに続いた衛宮は、オレの右肩を叩きながら(とびら)を抜けた。

 

 

 ———(あと)(まか)せろ、両儀。少しだけ行ってくるから———

 

 

 ドアが()じて、静かになった。

 (とびら)から目を()らしたオレは、部屋の(すみ)に固まっている二人を見つけた。

 

「今、衛宮と何を話してたんだ? おまえら」

 

 間桐がこっちに振り向いて、「えっと……」と言いながら(あご)に人差し指を()えている。

 

「先輩は『丸め込んでくる』って言ってました。イオナちゃんの体質のこともあるし……、キミアさんのためにも“何が起きたのか”は知っておきたいって。

 だから、すぐに帰って来ると思います」

 

 イオナが、トコトコとオレの(ところ)まで歩いてくる。

 もう“(なみだ)”も“(ふる)え”も出ないからか、前髪をぴんで()めて目を出したイオナが「私たちね、知りたい事があるの」とオレを見上げた。

 

「探偵さんのこと、私たちも知りたいなって思ったの」

「『私たちも』ってことは間桐もか。……()いたって何も変わらないぜ?」 

 

 目を向けた先から、紫色の()が返ってくる。間桐は、“じっ”とオレを見つめていた。

 

「……()かれたから答えるだけだ。()いことなんて何も無い、それでも?」

 

 (うなず)きが返ってきた。

 

「……いいよ分かった。それじゃあ、何が知りたいんだ」

 

 さっきまでイオナが座っていた席に腰を()ろす。すると正面の椅子にイオナが、その左手側に間桐が座った。

 

「衛宮が帰ってくるまでなら———な」

 

 イオナは左手の間桐を見る。その視線を受けた間桐は、少しだけ身を乗りだした。

 

「両儀さんが先輩を追いかけ回している理由を聴いたとき、両儀さんは言いましたよね? 『“先輩の考え方”がオレにとって天敵だからだ』って」

「言った。けど聴きたいのは衛宮の事だろ? 関係あるのか? それは」

「あります」

 

 間桐は“ギュッ”と、自分の肩に(ちから)を入れた。オレからは見えないが、両膝(りょうひざ)の布を(にぎ)()めているのだろう。

 

「両儀さんが、わたしから“炉心(ろしん)役割(やくわり)”を取った時に言ってたじゃないですか。『先輩の意見を変えたいのなら、先輩の見ている世界と同じに、未来に立つ必要があるんだ』って。それに『両儀さんは先輩と同じものが見える』ってことも聞きました。

 ———だから教えてください。『未来に立つ』ってどういう事ですか? 両儀さんには世界がどう見えているんですか?」

 

 間桐が、オレの目を直接見る。

 

「“両儀さんの天敵の考え方”って、なんですか?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「———間桐、おまえは見たろ? オレの父親」

「はい。遠坂さんに変装してた人ですよね?」

「そう、アイツだ。オレはあの男の子供だった。()(おや)(つね)としてアイツもまた、“自分の知っている世界”の中でオレに教育を(ほどこ)した。

 つまり、オレを優秀な投資家に仕立(した)()げようとした(わけ)だ。

 ———そして、どうも成功したらしい」

 

 あの男が、同じ投資家仲間……というか、同じ企業(きぎょう)形態(けいたい)の会長仲間に『アレは傑作(けっさく)だよ』と言っているのを、いつだったか聞いた事があった。

 その時は意味なんて(わか)らなかったが……、今になって思えば、それはきっと『教育に成功した』という意味だったのだろう。

 

「あの男は、オレに全ての資料を渡した。アイツが(おこな)った投資、条件(じょうけん)選択(せんたく)とその結果(けっか)、全ての資料だ。

 そして(とお)にも()たないうちから、莫大(ばくだい)(かね)をオレに渡して投資をさせた」

 

 間桐から目を()らして、少し上向(うわむ)く。

 

 ———アイツがオレに(もと)めたものは少なかった。

 “毎日何度も投資をすること”、“投資をする前に結果を予想すること”、“投資を(おこな)った後で、その影響を受けた人間たちの生活を観察して、予想が当たったのかどうかの確認をすること”———の三つだけ。

 

「その三つを繰り返すことで、オレに投資結果(とうしけっか)を予想させた。

 “(かね)の動き”だけじゃない、“事業として成功したかどうか”だけじゃない。オレが投資することで、オレが(かね)()すことで、相手の会社や家族はどういう風に変化するのかを、ただ推測させ続けた。

 ———だから、(わた)されたデータがおかしい事に、オレはすぐに気づくことになったんだ」

 

 (まわ)りを見渡すと、間桐もイオナも真剣に聞いている。

「オレの()(うえ)(ばなし)なんて面白くないだろ」と口を(はさ)めば、「わたしは先輩のことが知りたいんです。そのために必要なら、話してください」と返ってくる。

 

 少しだけ天井を見て、それから戻して。もう一度、オレは自分の記憶を(さぐ)った。

 

「オレに渡されたデータの中には、“失敗した投資データ”だけが無かったんだ。

 だから、(もら)ったデータを全部(ぜんぶ)時系列(じけいれつ)(じゅん)に並べて、『歯抜(はぬ)けになっているデータの時間』を見つけてやろうと思った。……けど、オレの目論見(もくろみ)は失敗した。

 理由は簡単。『()けているデータなんて無かった』という事が(わか)ったからだ。

 つまりあの男は、会社を立ち上げてからこっち、たったの一度も、投資で赤字になった事が無かったんだ」

 

 ———普通(ふうう)はあり()ないだろ? そんなこと———

 

 投資というのは未来を読む、だからギャンブルのようなモノだ。

 未来は()して確定しない。だから、どれだけ正確に株価(かぶか)を読んでも、失敗する時は失敗するものだ。

『全ての会社の株価の未来推移(みらいすいい)を正確に予測(よそく)する』なんて出来(でき)ないし、どんなに良いアイデアを持って来たベンチャー企業であっても、コケる時はコケる。

 ———でも、あの男にはそれが無かった。

 

「あの男が(かね)()した奴等(やつら)はな———例外なく成功し、全ての投資で莫大(ばくだい)なリターンを手にしていた」

「———あのね、シキ?」

 

 オレの正面に座っているイオナが、左手をちょっと()げている。

 

「シキのお父さんは未来が分かるの?」

「……多分(たぶん)な。十年以上あるデータにおいて失敗がゼロだぜ? そんなの、未来でも読めてないと説明がつかないだろ。

 あの男には(わか)ってたんだ。投資の結果も、自分に(かね)を借りに来る……ベンチャー企業の趨勢(すうせい)も」

 

 

 いつからだろうか。オレが、父親が投資しなかった人達の、“その後”を調べるようになったのは。

 ただ気になった、というだけではなかった。あの男がどういう基準で投資対象を選んでいるのかが気になったのだ。最初は安全策(あんぜんさく)をとっているのだと思っていた。……そう、思いたかった。

 

「調べた結果。あの男が切り捨てた人達の中に……(だれ)一人(ひとり)として、事業を成功させた者はいなかった。

 細々(ほそぼそ)()(つな)いでいる(やつ)はいたけど、事業として成功している者は皆無(かいむ)(ひと)しかった。

 それを知った時にふと思ったんだ。

 ———もう少し、どうにかならなかったのだろうか……と」

「……両儀さんは———」

 

 間桐の声が、オレまで届いた。

 

「両儀さんは、その可哀想(かわいそう)な人達を助けたかったんですか?」

「違うだろうな。助けたかった(わけ)じゃない。ただその(ころ)になると、自分の父がその人達に()()していたらどうなっていたかを、オレは正確に予測できてしまえていた」

 

 

 オレが散々(さんざん)訓練(くんれん)してきた思考方は、『結論を出さない』というモノだった。

 

 A社に(かね)()した場合にどういう結果になるかを推測し、B社に(かね)()した場合はどうなるかを推測し、C社の場合も推測して、その全てを頭に入れたまま、どれを選ぶかの結論を出さない。

 

 そういう思考が染み付いてくると、いつの()にか、複数の未来を同時に推測する事ができるようになっていた。

 

「おまえらは———」と、目の前の二人に呼びかけた。

 

「『オレには世界がどう見えるか』って聴いたろ。これがその答えだ。

 ———オレには世界がダブって()える。特に、オレの影響力が大きかった頃はもっと(すご)かったぜ。

 なにせ、自分の人差(ひとさ)(ゆび)(ひと)(うご)くか(うご)かないかで、“頭の中で推測した人々”の()()にが、その都度(つど)確実(かくじつ)に変わるんだ」

 

 自分の()を、右手の指でそっと触った。

 

「当時のオレには、(かね)という莫大(ばくだい)な影響力があった。父親の命令でそれを動かし続けていた。その結果を推測(すいそく)し続けることによってオレに(あた)えられた視座(しざ)、『複数(ふくすう)存在(そんざい)する未来(みらい)結末(けつまつ)同時(どうじ)演算(えんざん)すること』で、オレの目にはいつも、複数(ふくすう)結末(けつまつ)がダブって()えていたんだ」

 

 当時のオレにとって、(かね)という影響力を使って、それに翻弄(ほんろう)されるいくつもの会社の未来を推測していたオレにとって、結末とは大体が自殺や凋落(ちょうらく)だった。

 オレの選択の結果、経営が悪化して夫婦仲が険悪(けんあく)になり、離婚し、(くび)()る社長の姿を、何度(なんど)演算(えんざん)したことだろうか。

 

「“殺人の定義”は『人が死ぬことを確定的なものと認識(にんしき)しながら認容(にんよう)している場合』だろ? だから、オレが殺した人数なんて、もう覚えてもいない(ほど)だ」

 

 間桐は(うなず)いた。

 それから、少し乗り出すように顔が近づく。

 

「両儀さんはどうして、先輩のこと『天敵だ』って言ったんですか?」

「そのままの意味だよ、間桐。衛宮の考え方はオレにとって天敵なんだ。

 アイツは、あり()ない可能性を排除(はいじょ)する。そうすることで可能性をたった一つに限定(げんてい)するだろ。

 だから、アイツの近くにいるうちは、あまり色々見なくてすむ」

「両儀さんの未来予測が効かなくなるから———それだけのために、こんな(ところ)まで()いて来たんですか?」

 

 オレは息を吐きながら()もたれにもたれて、一度ゆっくり(まばた)きをした。

 

「それもある。けど、それだけじゃない。その問題は“直死の魔眼”になった時点である程度は楽になってたんだ。

 この魔眼は死を固定して具現(ぐげん)するから、死の線を前にしてなぞらなければ、逆説的に殺せない。

 この魔眼になってから、予測の精度は格段に落ちた」

 

 この場が静寂(せいじゃく)になったのを感じて、「衛宮のことだろ?」と話を(そら)す。

 (はら)(ちから)を入れて姿勢(しせい)(ただ)す。(ひざ)の上の布に指を(はし)らせると、一瞬、電車の音が聞こえた気がした。

 

「今までの話で大体(だいたい)(わか)ったと思うけど、アイツの推理は未来の可能性にすら影響(えいきょう)するんだ。

 ……でも、アイツは“未来視の魔眼”なんてモノを持っている(わけ)じゃない。ただ考えているだけなんだ。

 ———そら、(あき)らかにおかしいだろ? 考えただけで未来が限定(げんてい)されるだなんて」

 

 右斜(みぎなな)め前に座る間桐から、(わず)かな不安が(ただよ)ってきた。(たい)してイオナは大きな目のまま、オレの正面で笑ってる。

 もう一度、間桐の様子(ようす)(うかが)った。お(たが)いの目が交差(こうさ)する。

 

「それは……どういう意味ですか?」

「アイツの未来視は推理だってこと。……オレたちは、色んなモノから影響を受けながら生きているから。だから、オレたちの本質を推理できる男なら、今の状況からオレたちが()つ、その(つぎ)一手(いって)を確実に推理できる(はず)だ。それに影響された人間の(つぎ)の行動もまた推理できるなら、その先だって……もっと」

「でもそれは———」

 

 間桐は(ひざ)から手を離し、胸の前でギュッと(にぎ)った。

 

「それは、両儀さんだって一緒(いっしょ)ですよね?」

 

 間桐の懇願(こんがん)に「まさか」と、笑ってみせる。

 

一緒(いっしょ)なものか。あの時のオレの考え方は『複数の結末を同時に予測する』で、衛宮のは『可能性をたった一つに限定する』だ。

 聖杯大戦に乗り込んだってことは、(すで)に未来も推理したんだ。推理して、衛宮は未来(みらい)測定(そくてい)したんだ」

「ねえねえ、シキ」

 

 イオナはまたしても手を()げる。

 

「探偵さんはどうやったの? だって、探偵さんには不思議な(ちから)は無いのでしょう?」

「無い。だけど、何も出来(でき)ないというのも違う。

 ……人間なんてのは、(つね)に誰かの影響を受けながら生きている生き物だろ? だから『自分のどういう行動が相手にどんな影響を与えるか』っていうことさえ推理すれば、測定(そくてい)した未来の世界に現実を沿()わせることも出来(でき)る」

 

 未来を測定(そくてい)するために必要なもの、それは明確なビジョンとそこに(いた)るまでの道筋(みちすじ)だ。

 未来のビジョンは衛宮が推理で導くとして、そこにたどり着くまでの道筋(みちすじ)を、オレたちに正確になぞらせるためには……。

 

 あまり分かってなさそうなイオナとは対照的(たいしょうてき)な間桐を見る。そんな間桐の呼吸は、少しだけ浅くなっていた。

 

「つまりアイツの能力は、未来視というより———催眠(さいみん)魅了(みりょう)に近い」

 

「…………でも先輩は———」

「別に、だからどうしろと言ってる(わけ)じゃない。言ったろ? 『()かれたから答えるだけだ』って。こんなの聞いたって、別に何も変わらないんだ」

 

 オレの正面、純粋(じゅんすい)に笑うイオナの左で、間桐の口は()いている。

 

 オレの耳に、(おもて)(とお)りの喧騒(けんそう)が、(わず)かに届いた。

 

「そろそろ衛宮も帰ってくる。だから、せいぜい笑っておけよ」

 

 椅子(いす)を引いて立ち上がったオレに、間桐が咄嗟(とっさ)に言葉を放った。

 

「両儀さんッ! ……両儀さんは、先輩があんなにも帰りたがってる(わけ)も、知ってるんですか?」

「———さあな」

 

 入り口のドアノブに伸ばした手を途中(とちゅう)で止めて、顔だけで間桐を振り返る。

 

「でもアイツは、“アルトリア様”のために自分の人生(じんせい)すら投げ出してるんだ。大方(おおかた)恩義(おんぎ)でも感じてるんだろう」

 

 “(おのれ)人生(じんせい)すら(ささ)げる(ほど)のモノ”となると、一体(いったい)、どういうモノがあるだろうか。

 

 ———そういえば、と思い出す。

 オレが衛宮に(いだ)く感情も、どちらかというとそういう(たぐい)か。

 

「その女の———未来だけは読み切れなかったんじゃないの? 衛宮にはさ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 戻ってきた衛宮は、ゴルドとキミアを(ともな)っていた。

 

 間桐が紅茶を()れようとするのをゴルドは(ことわ)り、椅子にドカッと腰掛(こしか)ける。

 対面(たいめん)に座った衛宮の後ろに(はべ)る間桐と、その影から(のぞ)くイオナ。

 そのさらに後ろ、自分の定位置で腕を組んで(たたず)むオレは、ゴルドの後ろに立つポニーテールの女を(なが)めた。

 

「いいかエミヤ、この私を一日(いちにち)拘束(こうそく)するという事がどれほどの事か、しかと召使(めしつか)いにも()()かせておけ」

「それはちゃんと(わか)ってる。明日、ゴルドさんが自家用ジェットで出発する時間までに納得できる答えが出なかった時は、“キミアさんが犯人”だということになる」

「そうだッ!」

 

 ゴルドが口を開け、衛宮から視線をこっちに飛ばした。オレと間桐とを視界に(おさ)める。そして、(ゆび)()しながら念押(ねんお)ししてきた。

 

「ウチの(かか)える占い師が、“マールスの終わり”を予見(よけん)したのだ。『マールスがホムンクルスを作ることで、彼から刻印(こくいん)が失われる。彼の血はそこで途絶(とだ)えるだろう』とな。

 そして、このホムンクルスは魔術(まじゅつ)刻印(こくいん)(きざ)まれたマールスの腕を(かか)えていたのだ」

 

 ゴルドの手が下がる。テーブルの上で、(にぎ)(こぶし)が作られた。

 

「今回は私自身、()に落ちんところがあった。だから特例(とくれい)()()してやる」

 

 それから振り返り、(みぎ)(ひじ)を背もたれに乗せて、キミアに「話せ」と(うなが)した。

 

「ムジーク家の人間関係など、貴様の知らん(ところ)補足(ほそく)してやる」

 

 そうして、キミアは話しだす。

 ゴルドの右隣に進み出て、両手を体の前で(かさ)ね、一礼してから口を(ひら)いた。

 

 

「昨日のことですから、まだ鮮明に覚えております。

 あの時、私は———マールス様が吹き飛ぶ(さま)をこの目で見たのでございます」

 

 

 

 キミアの話に耳を(かたむ)けながらオレは、上向(うわむ)いて、ゆっくりと(まばた)きをするのだった。

 

 

 

 

 



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