アサルトリリィPARABELLUM (苗陽さんガチ恋勢)
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01 シラー ─Peruvian lily─ 甲州撤退戦、その一
緋に染まった街を、雲間に揺蕩う満月が見下ろしている。
一面の炎。
瓦礫の山。
かつては多くの人々が行き交ったはずの道に、今や響く足音は一つだけ。
「はぁっ、はっ、は、はぁ、はっ……」
一人の若者が、息も絶え絶えに走っていた。
走り通しだったためか、着ている服はたっぷりと汗を吸い、しかも粉塵や泥で汚れているため、非常に不快だった。
やがて脚も動かなくなり、彼はへたり込むようにして背後を振り返る。
「に、逃げ切れた……?」
炎が照らす闇に、動く影は無い。
正確には、炎が揺らめいているせいで、何もかもが揺れ動いているようにも見えるのだが、少なくとも、“アレ”の足音は聞こえてこなかった。
大きく安堵の息を吐き、若者はしばし体を休めようと道路に寝転がる。……が、割れた道路は背中に痛く、キチンと休める場所を探そうと、重い体をなんとか起こす。
それが彼にとって、最大の幸運となった。
ズドン。
大きな何かが降って来たような、強烈な音と衝撃。
若者は声もなく吹き飛ばされ、路肩に放置された車へと体を打ち付けられる。
霞む視界で確かめれば、先程まで頭があった位置に奇怪な脚を置く、異形が存在した。
「ヒュージ……っ!?」
乗用車より一回り大きいくらいの、およそ生物とは思えない無機質な構造体を持つそれは、なんらかの器官で若者の声を察知したのだろう、明らかに彼を捕捉する。
対する若者は動かない。いや動けない。
全身の痛みに加え、恐怖で身がすくんでしまっている。
逃げなければと思っているのに、体が言うことをきかない。
(こんな所で死ぬのかよ……! まだ彼女すら作れた事ないのに!)
絶体絶命の危機に、なぜか浮かぶのは、しょうもない考え。
そうこうしている間にも異形──ヒュージは若者へ歩を進め、その距離は一秒足らずで詰まる。
不協和音。
(イヤだ、死にたくない、助け)
次の瞬間、若者は廃車とヒュージに挟まれ、壁に投げつけたトマトのようになった自分の姿を見た気がした。
けれど、それに伴うはずの痛みは、いつになってもやって来ない。
当然だ。若者に向かって突進していたはずのヒュージは、全く見当外れの方向に逸れたのだから。
「間に、あったか……っ」
くぐもった男性の声。
気がつけば、若者の前に人影が現れていた。
防衛軍兵士の軍服と、フルフェイスのヘルメット。手には大鉈とバズーカが一体化した兵器を携えている。
マギウス。
Counter-Huge-ARM's ──通称CHARMを持ち、魔法を使ってヒュージと戦う、人類の防人。
若者がボウっと人影を見上げていると、いつの間にか同じ軍服を着た数人が、上空にあるらしいヘリコプターから降下していた。彼等は普通の小銃を構えている。
「仕留める。支援を」
「了解」
CHARMを持つ男性──マギウスが声を掛けると、二人が応じて小銃を標的に向けた。
誰も住んでいないはずの家に突っ込んだヒュージは、瓦礫を撒き散らしながら身を起こし、また突進しようと脚部に力を込めている(ように見える)。
二名の軍人が対ヒュージ用硬芯強装弾を斉射しながら移動し、マギウスはその反対方向へ疾走。
どちらを狙うか、逡巡するような間を置くヒュージだったが、銃撃が鬱陶しいのか、軍人の方へと脚先を向ける。
そして、またしても突進を始めようとするや否や、マギウスのCHARMから奇妙な、しかし聞き覚えのある不協和音が響く。
刹那、マギウスとヒュージの間にあった十数mの距離が無くなり、CHARMの刃がヒュージの脚を掬い上げる。
電車の脱輪音。
そうとしか表現できない、不快な悲鳴がヒュージから轟いた。
マギウスは返す刃でその胴体を切り裂き、後方へ数歩跳躍。CHARMを置いて防弾ベストのポーチから手榴弾を取り出し、ピンを抜いて投げつける。
更には対面の軍人二名からも、“マギウスに向けて”ピンを抜いた手榴弾が投げられ、両手で受け取った彼は即座に投擲。体を隠すようCHARMをかざす。
ドン。ドン。ドン。
腹を揺すぶる衝撃が三度起こり、ややあって、水を打ったような静寂が広がる。
粉塵が収まった後に見えたのは、文字通り無に帰すヒュージの巨体と、CHARMを担いだマギウスの後ろ姿。
「ミドル級ヒュージを討伐。並びに要救助者を確保。これより本隊は帰投する」
軍人の一人が近くでそう発し、ようやく周囲の音が若者の耳に戻り始めた。
肩を担がれ、促されるまま、付近へと降下したヘリに歩かされる。
どうにも、頭が働かない。
これが現実なのか、それとも死の際に見る幸せな幻なのかすら、分からない。
そんな若者の肩を、同じくヘリに乗ろうとするマギウスが叩く。
「無事で良かった。よく逃げ切ったな」
ヘルメットのマスク越しなせいか、相変わらず声はくぐもっている。
けれども、その声には若者を労わろうとする気持ちが溢れていた。
だから、なのか。
「……で……」
「うん? どうした」
「なんで、もっと早く、来てくれなかったん、だよ……」
言うべきはずの言葉とは、真逆の言葉が溢れてしまう。
「もっと早く来てくれれば、秋山も、吉村も、渡辺も! みんな死なずに済んだのに! なんで俺だけ! なんで、俺だけ助かった!?」
「おい、まずいぞ」
「早く鎮静剤を!」
違う。
こんな事を言いたいんじゃない。
こんな事を、言ってはいけない。
そう理解しているはずなのに、若者は止められない。
「俺の、俺のせいなのに、ど、どうして、俺だけ、みんなを誘って、こんな、はずじゃなかったのに!」
暴れる体を軍人達が押さえ、打たれた鎮静剤が効き始めるまで、若者の慟哭は続いた。
その間にもヘリは離陸し、一応の安全地帯である前線基地へ向かっている。
軍人達は溜め息を一つだけ。
もう、慣れ切った反応だ。
「気にすんなよ、こいつだって分かってるはずさ。お前が居なきゃ死んでたって。人間、生きてりゃ丸儲けなんだからよ! ……いつか、分かってくれるさ」
「……ああ。大丈夫。平気だよ」
わりかし強めにマギウスの胸を叩く一人の軍人。
それに答える彼は、しかし言葉とは裏腹に、沈んだ様子で街を見下ろす。
営みの明かりは消え、破壊の炎が煌めく街。
あの街で暮らしていたはずの、無数の家族。
喉をせり上がる胃液を飲み下し、彼は逃げるように、ヘリのスライドドアを閉めた。
久しぶりに心に刺さるアニメと出会えたので、妄想が滾ってしまいました。
が、検索したwikiとかにも男性版リリィの呼称が見当たらず、マギウスという無難な単語でごまかす始末。流石にローズはないと思いたい。
そして、個人的には相模女子の伊東苗陽さんが見た目どストライクなんですが、きっと作中には出せないだろう悲しみ。
ラスバレ配信まであと一週間。
非常に楽しみですが、作者の型落ちスマホで快適に遊べるか、かなり不安です。
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02 エリカ ─Heath─ 甲州撤退戦、その二
「おい、起きろよ相棒」
まどろみから意識を引き上げたのは、馴れなれしい同僚の声。
途端、耳には様々な生活音が届き、よくこんな中で眠れたものだと、自分の事ながら感心してしまった。
よほど疲れが溜まっていたのだろう。
「今何時だ……?」
「夜中の二時半。くそガキ拾って帰って来てから、まだ六時間と経ってねぇよ」
雑多な物資で溢れかえるここは、マディック──低スキラー数値が原因でCHARMを起動できない戦闘員──の兵舎だ。
東京の六本木にある……エレンスゲ? いや、エレスゲン、エンゲルス……なんとか女学園などにも同じ制度があるそうだが、詳しくは知らない。
割り当てられた二段ベッドの上で身を起こせば、見慣れたチャラ男のにやけ顏が、こちらを覗き込んでいる。
「なら寝かしといてくれて良かっただろ……。ただでさえマギの回復遅いんだからよぉ……」
「んなこた知っとるわ。またお仕事だとよ、数少ない防衛軍のマギウス様は忙しいったらないな」
思わずベッドに倒れ伏し、けれど仕方なくまた起き上がる。
作戦行動中なのは分かっていても、正直な話、サボりたい。寝たい。
サボった時点で懲罰訓練確定だろうから、馬車馬の如く働くしかないのだが。
兵士って悲しい。
「今度はなんだ……? また逃げ遅れた上級国民様の救出か?」
「俺も詳しくは聞いてない。とにかく急いで、指定の場所へ向かえだとさ」
「はぁ?」
俺が眉をしかめて見せても、チャラ男のにやけ顏は崩れない。
この男もたいがい適当な人間だが、それにしたって。
これでは何も知らされていないのと同じだ。
「なんだそのガバい任務……。ま、どうせ断れないんだろうが……」
「嫌んなるぜ、全く。付き合わされるこっちの身になれってんだ」
頭を掻きむしり、溜め息と一緒にベッドを下りる。
防衛軍から与えられた任務において、過不足なく遂行できたものは一つもない。
物資が足りない。情報は間違っている。支援なんてあるはずもない。というか俺達が支援する側だ。
リリィ。
CHARMを振るう、人類の真の守護者。年端もいかない少女達。
彼女達の足手まといにならないよう注意しつつ、戦う事すらできない一般人を避難させたりするのが、防衛軍の役目なのだ。
もしこの世界が舞台にでもなったなら、俺達は脇役ですらない。観客の意識の外側に置かれる、単なる黒子だろう。
だから、何かを期待する方が、間違っている。
とりあえず、着崩していたシャツのボタンを留め直し、支給品の防護服を羽織る。
兵舎の中には十人程の男性がおり、思い思いに余暇を過ごしていた。
リリィに比べて数は多いマディックだが、男性版リリィであるマギウスが少ないのと同じく、男性のマディックも少ない。
かといって、女性マディック用兵舎の近くに男の兵舎を置くわけにもいかないので、敷地内の外れにポツンと建っている。
おかげで何をするにも、まずは移動しなければならないのだが、持ち運び用のCHARMのコンテナを取りに入り口へ向かう俺を、チャラ男が呼び止めた。
「おい、そっちじゃねぇ。裏口から行くぞ」
「裏口から……? 一体どうして」
「だから知らんっつの。俺が聞きたいわ、人目につくなって言われただけだし。なんか裏の事情でもあんだろ」
「……嫌な予感しかしない」
「んだんだ。ちゃんとCHARM持ってけよ、いざという時は守ってくれや」
ヘラヘラと笑いながら、小銃を肩に掛けるチャラ男。
なんでこいつは、いつもこんなに気楽なんだろうか。こいつみたいに生きられたら、俺も胃の痛みから解放されるんだろうか。
どうやってもこいつの言動は真似られないので、無理な話だろうけども。
溜め息をもう一つ。改めてコンテナを担ぎあげる。
気ぃつけろよー、土産よろー、ついでにエロ本もー、とのたまう仲間達に手で返しつつ、チャラ男に続いて兵舎を出た。
夜闇に隠れるようにして駐車場へ辿り着くと、チャラ男が運転席に座り、俺は助手席に腰を下ろす。
音もなく滑り出したハイブリッドエンジンのジープは、崩壊した街を抜け、森を行く。
「こうしてると、防衛軍に入った時の事を思い出す」
「そういや、お前は徴兵組だっけか」
俺が防衛軍に入ったのは数年前。
ヒュージ災害で家と家族を喪い、被害が多過ぎて閑散とした避難シェルターで、鬱々としていた所を戦時徴兵された。
当時は防衛軍の人員が崩壊寸前まで減っていたため、仕方のない処置だったのだろう。体を動かしていれば喪失感を紛らわせられたし、飯も食べられ、給料も出たので、ありがたかった。
あの時も、薄闇の中をジープに乗せられ、なんとも言えない不安を抱えたまま基地へ向かったのだ。
チャラ男とはその基地から続く腐れ縁だったりする。
(いつまで戦い続ければ良いんだ。リリィの足元にも及ばないスキラー数値だってのに)
スキラー数値とは、リリィ、もしくはマギウスとしての能力の高さを示す、指針のようなもの。
1~100の数字で評価され、50がCHARMを扱うための最低値とされる。歴代最大値は98だとか。
そして、俺のスキラー数値は41。本来ならCHARMを起動できない数値だ。
なのにマギウスとして活動できる理由は、現在使っているCHARMにある。
アガートラーム。
防衛軍が極秘開発した、要求スキラー数値の低いCHARMだ。このCHARMは、スキラー数値が40もあれば起動できる。
しかし、通常のマギクリスタルよりも共鳴率が低いうえ、低スキラー数値のリリィ/マギウスを戦場に出しても死者が増えるだけ、という分析のもと、量産化は見送られた。
半ば廃棄同然に死蔵されていたこのCHARMを、倉庫整理中にたまたま発見し、チャラ男の「試しに契約してみよーぜ!」という誘いに乗らなかったら、今の俺はないだろう。
だが、結局は俺も低スキラー数値のマギウス擬きに過ぎない。
略式契約のせいで生じたらしいバグが起こす、レアスキルに似た効果がなければ、もう何度も死んでいる。
だというのに、こうして詳細不明の任務にも駆り出される。
疲れていた。……とても、疲れていた。
ふと、体が前につんのめる。
チャラ男が急ブレーキを掛けたらしい。
「っ、おい、なんで急に」
「静かに! あれ見ろ……!」
ライトも消し、身を屈めるチャラ男の視線の先を確かめると、遠方に小さな広場があり、数台の車が停まっていた。
その中の一台。大型のバンには、悪い意味で見覚えのある企業のロゴが。
「G.E.H.E.N.A.の装甲車、か? なんでこんな所で……」
「俺が知るかよっ、なんにせよ最悪だ。進んでも戻っても見つかるぞ……っ」
チャラ男が顔を引きつらせている。多分、俺も同じような顔をしているだろう。
ヒュージ研究で悪名高いG.E.H.E.N.A.は、その人道にもとる行いが故、表向きは防衛軍と折り合いが悪い。
この表向きは、というのが厄介で、軍上層部がG.E.H.E.N.A.となんらかの形で通じているのは、所属した人間が全員、半年もあれば察する事だ。
触らぬ神に祟りなしなら、それと知らずに触れられた神は、どんな風に祟るのか。考えたくもない。
本当に、貧乏クジばかり引かせられる。
まさかG.E.H.E.N.A.に関する任務って事なのだろうか?
「とにかく、戦闘準備だけはしとく。エンジン切るなよ」
「了解、相棒。あ、ちょい待ち」
何はともあれ、身を守る為にも準備が必要。
コンテナを取ろうと後部座席を覗けば、チャラ男が何かを言いかけ、首を軽く叩かれる。
同時に、カシュン、という音と、何かが首筋へと打ち込まれる感覚。
全身から、力が抜けていく。
なんだ、これ……?
「あ……? 何、を」
「あれ、即効性のはずなんだが……ヒュージ人間にゃ効きづらいか、やっぱ」
力を振り絞ってチャラ男の方を振り向けば、奴はいつもの笑顔で、圧式注射器を弄んでいた。
薬物を、打たれた。体が、動かない。
チャラ男は、崩れ落ちる俺の体を助手席に押し戻すと、再びライトを点けてクラクションを短く二回、長く一回、短く三回、と繰り返してからG.E.H.E.N.A.の集団へジープを寄せる。
「お待っとさーん、ご注文の品ですよーっと」
「時間通りですね。意外です」
「商売は時間厳守が鉄則でしょうよ」
研究者らしい白衣の男。護衛の兵士が見える範囲に五人。そしてCHARMを持った、虚ろな目をした少女。
どこからどう見ても、後ろ暗い取引の現場だった。
「お゛前……っ、G.E.H.E.N.A.と……!?」
「おう。防衛軍もここらが潮時だろ。沈みかけた船からは、金目のもんを頂いて飛び降りるのが正しい作法さ」
どうにか喉を震わせるも、帰ってくるのはいつもの軽薄な笑み。
普段と一切、何一つ変わった様子が見えない。
背筋が震える。
「ご協力ありがとうございます。正に一石二鳥、これでますます研究は進む事でしょう」
「そいつぁ良ござんすな。しっかし、こんな低能の半端もん、どうやって活用するんで?」
「低能だからこその使い道があるんですよ。どこまで強化すれば使い物になるか、などを調べたり。男性のマギ保有者は貴重ですし」
チャラ男と研究者らしい男は、茶飲話でもするかの如く、気安く会話を交わしている。
俺は、G.E.H.E.N.A.に売られたのだ。
貴重なマギウスの、実験用サンプルとして。
いつから。いつから計画していた。いつから俺を売ろうと。
もしかして、最初から?
コンビを組まされてから数年、共に死線を潜り抜けてきた間も、ずっと?
(クソ、クソッ、ふざけるな! こんな終わり方、納得できるかっ!)
煮え滾るような怒りが、ろくに力の入らない体を動かす。
緩慢な動きで、後部座席へと這い、もたつく指でコンテナを開け、CHARMの柄を掴み──けれど、そこまでだった。
俺を相棒と呼んだ男が、いつものにやけ顏で、見下ろしている。
「おいおい、潔く諦めようや。俺の輝かしい未来のために、大人しくモルモットになってくれよ、な?」
「それが例の、有用なバグ持ちのCHARMですか。これで一石三鳥、実に興味深いですね」
男二人が笑顔を浮かべ、それ以外の人間は、誰一人として笑っていない。
胸を絶望が支配し、思わず顔を伏せる。……と、そこで思い出した。
防衛軍所属のマギウスなら誰もが知っている、基本中の基本。
CHARM運搬用のコンテナには、緊急避難用の装備が内蔵されているはず。
奴が忘れているのかどうかも分からないが、たとえ一瞬でもいい。
スキルプロトコルを発動するチャンスさえあれば!
(笑いが止まらないか? だったら、もっと笑って見せろよ、“相棒”!)
コンテナの持ち手。やたら無骨なそれの、装飾にしか見えない防衛軍紀章を押し込みつつ、特定の手順で捻る。
すると、あれだけしっかりと固定されていた持ち手が外れた。
“相棒”の顔から笑みが消える。
CHARMにマギを通し、筋力を単純強化。顔を伏せたまま、頭上へ持ち手をぶん投げる。
カチリ、と小さな駆動音。
「目を閉──くっ!」
「ぎゃっ!?」
閃光。
直視したのか、白衣の男が悲鳴を上げた。
俺は残存マギの半分近くを注ぎ込み、CHARMから奇妙な不協和音が響かせる。
(skill-protocol:invisible-one:charge)
次の瞬間、体は宙を舞っていた。
移動系レアスキルである縮地、そのサブディビジョンスキルであるインビジブルワンの模倣効果だ。
方向性を指定しなかったせいか、自分でもどこに飛んでいるのか分からないが、猛スピードで遠ざかる景色の中、副作用として発生した衝撃波がジープを破壊した事だけは、辛うじて理解できる。
次にするべきは、着地の衝撃に備えて個人防御壁の強度を上げること。
本来なら加速度を攻撃力へと転じるのだが、このままではその分が自分自身に跳ね返る。せっかく窮地を脱したのに事故死とか、たまったもんじゃない。
残るマギで、可能な限り防御壁を厚く、堅く、それでいて柔軟に。
そして、程なくその時は訪れた。
「──がふっ!?」
想像を絶する衝撃と、それに伴う、隕石が落ちたような爆音。
耳鳴り。
視界は土埃で覆われ、呼吸もままならない。
CHARMも、気付けばどこかへ行ってしまっている。
(早く、移動しないと……。追いつかれるのは、時間の問題……っ)
かなりの距離を稼げたはずだが、マギで身体能力を強化したリリィなら、追跡も容易い。
早く。早く。早く。
とにかくこの場を離れなければ。
まだ薬物の影響の残る体を必死に起こし、墜落時にできたクレーターから動こうとするが、休む間もなく、マギウスとしての本能が背筋を震わせる。
──マギの気配! しかも二つ!
「これは驚いた。月夜にCHARMだけでなく、人まで降ってくるとはね」
「お姉様、何を呑気なっ。下がってください!」
土埃が晴れ、満月が辺りを照らし出す。
視線を向けた先には、黒と白の可愛らしい制服を着た、二人の少女が立っていた。
髪の短い少女は、俺のCHARM──アガートラームを抱え、不敵な笑みを浮かべている。
彼女をお姉様と呼んだ長い黒髪の少女は、こちらを警戒してか、大剣型のCHARMを油断なく構えている。
そんな光景を見て……何故だろう。
最初に頭に浮かんだのは、美しい、という感想だった。
アガートラームは、この時点での夢結のCHARMであるダインスレイフと、非常に似た変形機構を持っています。
しかし、主人公は保有マギが少なく、マギを使って射撃するくらいなら普通の銃に対ヒュージ弾を込めた方が制圧力が高いため、滅多に変形させません。
誤字脱字などがありましたら、ご遠慮なく報告をお願い致します。
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03 キブシ ─Stachyurus Praecox─ 甲州撤退戦、その三
見惚れていたのは、おそらく数秒。
しかし、それが致命的な時間のロスであると気づき、俺は再びこの場からの離脱を試みる。
けれどやはり、ほとんど体が動かない。薬は抜けてないし、思っていたよりスキルプロトコルの反動も大きかったらしい。
そうこうしている間に、髪の短い少女が、ふわり、と側へ降り立つ。
「──ぁ──っ──」
「ふむ。息が出来ないのですか。まずは落ち着いて、深呼吸を」
こちらをざっと観察した彼女は、身動ぎしようともがく俺の胸に手を置き、落ち着いた声で語りかけてくる。
不思議と、その言葉は浸透するように、脳の隙間へと入り込む。
生まれて初めての、奇妙でありながら、心地良い感覚。
「お姉様。ついさっきの防衛軍からの広域通信、お忘れですか。きっとその人は……!」
「おっと、そうだった。しかし……」
長い黒髪の少女の厳しい声が、どこか遠くの出来事にように感じてしまう。
彼女の言う“お姉様”も、何故かあまり真剣には受け取っていないようだ。
かと思えば、細い指で俺のまぶたをこじ開け、間近で瞳孔の動きを確かめたり、手首や首筋を確認したり。
好き勝手されているのに嫌と感じないのは、どうしてだろう。
「やっぱり。どうやら薬を打たれているようだ。位置からして、恐らく不意打ち。違いますか」
俺の首筋に注射痕を発見したのか、“お姉様”はそう問いかける。
首も動かないので、代わりに目で頷いて返すと、嫌味のないしたり顔を浮かべた。
「お、お姉様? どういう事でしょう」
「防衛軍も一枚岩ではないという事さ。覚えておくといい、夢結」
夢結と呼ばれた長い髪の少女は、まだ状況を飲み込めていない様子だ。
無理もない。人間離れした戦闘力を持っていても、まだ十代半ばの子供なのだから。
むしろ、断片的な情報から正解に近い分析をして見せた、“お姉様”が凄まじいだけ。こちらからすれば、ありがたい限り。地獄に仏だ。
そんな彼女が、腰のポーチから小さなアンプルを取り出す。
「治癒力を活性化させる薬です。外傷にはあまり効果がありませんが、その他の軽い状態異常なら治るはずです。多少はマギも回復します。どうぞ」
「お姉様っ、それはいざという時の!」
「良いんだ。使わず置いておくだけの薬ほど、無意味なものはない」
夢結──苗字知らんし脳内だけなので呼び捨てでも許して下さい──が止めるのも構わず、“お姉様”はアンプルを開封し、俺の口元へ運んでくれる。
その背後には、「なんでそんな怪しい男に!」と言わんばかりなふくれっ面。ぶっちゃけ、可愛い。凄く可愛い。ただただ可愛いだけ。
それはともかくとして、アンプルの効果は目覚ましく、全身を弛緩させていた薬物汚染は瞬く間に解消し、数秒で体を起こせるまでに回復した。
「っはぁぁぁ……。ありがとう、助かった。君達は、どのガーデンの?」
「百合ヶ丘女学院です。事情を伺っても?」
「……ああ。だがまずは、身を隠したい。G.E.H.E.N.A.の追っ手が来る」
「G.E.H.E.N.A.……? 了解しました。ただし、用心のためCHARMはまだ預からせて頂きたい。よろしいですか」
「構わない。行こう」
G.E.H.E.N.A.という単語で得心がいったか、“お姉様”はすぐさま頷き、夢結を伴ってクレーターを後にする。
リリィである二人の脚は速く、俺も全力疾走で続いた。訓練で無駄に走り回されたおかげで、なんとか離されずに済む。
ややあって、深い森の中、身を隠せそうな打ち捨てられた社を見つけた俺達は、そこで脚を休めつつ情報交換を始めた。
「なるほど……。あの連中、そろそろ懲りて欲しいものだね」
「ヒュージ研究に取り憑かれたマッドサイエンティスト集団を抱え込む、多国籍企業……。悪い噂ばかりが目立ちます」
俺の事情を聞いた“お姉様”と夢結は、言いながら露骨に眉をひそめる。
リリィを養成する機関──ガーデンにも色々あり、反G.E.H.E.N.A.、親G.E.H.E.N.A.の派閥もあったはず。
百合ヶ丘女学院は反G.E.H.E.N.A.主義なのだろう。彼女達自身も良い印象を抱いてはいないようだ。
「君達は、なぜこんな場所に?」
「新たなヒュージ粒子の反応が検出されたと報告を受け、捜索しています。が、いまだ手掛かりすら発見できず……」
「本来であれば、私達も撤退のお手伝いをするはずでした。しかし、計測結果から予測される出現ヒュージは……ギガント級」
「ギガント級……。そういえば、G.E.H.E.N.A.の研究者らしき男が、取り引きの場で気になる事を言っていた。一石二鳥……いや三鳥だ、と」
「ふむ」
基本的に、ヒュージは神出鬼没。
ステルス飛行能力を持つ個体は、往々にして高高度からの襲撃。それ以外はケイブと称されるワームホールを通って瞬間移動してくるのだ。防ぎようがないと言っていい。
しかし、人類側もただ受け身に回るだけでなく、ヒュージが発する特殊な粒子を計測する事により、ある程度は出現予測が可能になっている。
ギガント級──上から二番目の脅威度──のヒュージが出現するかも知れないとあっては、ガーデンも無視できず、撤退戦を支援するはずのリリィを派遣したのだろう。ちなみに、俺はまだギガント級を見た事すらない。
だが、ここにG.E.H.E.N.A.が絡むとなると、一気にきな臭くなる。
偽の情報によるリリィの誘い出し。ヒュージの出現に影響を及ぼす“何か”の実験。はたまたギガント級ヒュージそのものが目的か。
ちょっと考えただけで、これだけの可能性が出てきてしまう。
本当に厄介な相手だ。
「この撤退戦に乗じて、G.E.H.E.N.A.がなんらかの行動を起こしているのは間違いない。そのギガント級に、奴等が関わっているとしたら」
「憶測の域を出ませんが、無視できる情報でもありませんね。学院に連絡を取ろうと思いますが、そちらは?」
“お姉様”は隣を見やり、夢結が携帯通信端末を取り出す。百合ヶ丘へ報告を上げるのだろう。
対する俺は…………どうすればいい?
(この子らの様子からして、俺は脱走兵だと思われている。
防衛軍に戻った所で軍法会議にかけられ、懲役刑を受ける可能性は否定できない。
かと言って、そもそも他に行く当てなんてない)
防衛軍兵士の責務は重く、マギウスならば更に辛い。
敵前逃亡が重罪なのは当然で、直接の死罪は無いにしても、出撃しても無報酬にさせられたり、死の危険がある任務を強制させられる場合だってあり得る。
濡れ衣を晴らすには…………いや、時間が開くほど不利か?
偽の報告を上げただろう“相棒”は、おそらく防衛軍には戻らないはず。俺が逃げずに戻って証言すれば──ダメだ。本当に上がG.E.H.E.N.A.と繋がってたら、出頭した時点で詰む。
結局、戻る事は……不可能。
手詰まりな現状を再認識させられ、知らず溜め息をついていた。
が、それと同時に地面が揺れる。
……気のせい? 二人へ顔を向ければ、彼女達もこちらを見ていた。
また揺れる。今度は体が浮くほど大きい!
「今のは?」
「お姉様、あれを!」
社を飛び出す二人の後を追い、外へ出ようとしたまさにその瞬間。背骨を氷に置き換えたような強烈な悪寒が走り、足が止まってしまう。
これは、なんだ? プレッシャー?
困惑しながらも首を巡らせれば、山間の遠景に違和感があった。
巨大な構造物が動いている。
そう、構造物。
動くはずの、動かせるはずがない規模の、巨大な。
「あれが、ギガント級……っ」
理解した途端、膝から崩れ落ちてしまう。
ダメだ。勝てない。
俺程度のマギ保有量では、傷をつける事すら叶わない。
映像や資料なんかでは決して伝わらない、笑えるくらい圧倒的な、格の差。
人類は、こんなモノと戦っていたのか。
アレに勝つ? 無理だ、無理に決まっている!
……なのに。
「誰か追われているらしい。夢結、行こうか」
「はい!」
きっと俺の半分も生きていない二人は、臆する事なく駆け出して行く。
アガートラームが残されている。
俺なんかに構っている余裕はなくなった。どこへでも行け、という事だろう。
(なんで、あんなバケモノに立ち向かえるんだ)
なまじマギを扱えるからこそ、ギガント級ヒュージがどれだけ出鱈目なのか分かる。
アレは災害と同義だ。それも数百年に一度、起きるか起きないかレベルの。
人間にできるのは、命からがら逃げ出すか、ただ過ぎ去るのを待つだけ。
立ち向かったって、意味がない。
あの二人だってマギを扱えるのだから、アレの脅威を本能的に理解できるはず。
……なのに。どうして。
「……くそったれぇ!」
思い切り、地面を殴りつける。
その勢いを借りて、片膝を立てる。
次にもう片方。
まだ震える脚を、前へ。
指先がCHARMに触れ、銃弾すら防ぐマギの防御壁が展開されても、なお恐ろしさは消えてくれない。
でも、それでも、行かなくては。
だって。
(このまま逃げたら、最高に格好悪いじゃないか)
俺は大人だから。防衛軍のマギウスだから。男だから。
思いつく理由なんてそれぐらいだが、もうこれにすがるしかない。
今日、俺は死ぬかも知れない。
だからこそ。あの子達が最後に見た俺が、ヒュージに怯え、震えている姿だなんて、嫌だ。
(……全く、我ながら馬鹿らしい。可愛い女の子の前で格好つけたいだけかよ)
けど、おかげで脚は動く。
足元にアガートラームの剣先でサークルを描き、マギを注いで跳躍。俺は何か出来る事を探すため、リリィ達の元へ向かう。激しい戦闘音が轟いており、迷う事はなかった。
数分と経たない内に、大きな橋の近くで三つ人影を見つける。
一人は夢結。へたり込んでいる二人は、見覚えのない幼い少女達。
側に降り立つと、夢結は一瞬、驚いたような表情でこちらを見るが、すぐに破顔した。
「防衛軍の方! この子達を送って頂けますか」
「え? あ、ああ。了解した」
「お願いします。私はお姉様の援護に向かいますので!」
反射的に頷くと、夢結は幼い少女へ優しく微笑んだ後、大跳躍で戦いに向かう。
本当に、二人だけでギガント級と渡り合っているのか……。
下手に援護しようとすれば、連携を崩して邪魔するだけ。
まずはとにかく、民間人の避難を優先しよう。これだって一つの援護の形だ。
「怪我はないか? 歩けるかい?」
「…………あ、は、はいっ、だいじょぶですっ! 歩けますっ!」
「あ、あたしも、だいじょうぶ、ですっ」
ぼうっと夢結の後ろ姿を見送っていたサイドアップの子だったが、声を掛けると勢いよく立ち上がった。頬が汚れている。
三つ編みの子も何度か転んだらしく、擦り傷や土汚れが目立つものの、大きな怪我は無さそうだ。
俺は背中側でアガートラームを横に構え、少女達の前で屈む。
「悪いけど、これに乗ってくれるか。早くこの場を離れないと、彼女達の足手まといになる」
「え? わ、分かりました」
「でも、二人も背負ったら……」
「任せろ。飛ぶぞ、しっかり捕まって」
「はい……うわぅ!?」
「ひぁあっ!?」
二人がアガートラームに腰掛けたのを確認すると、負担にならない程度のマギで跳躍。移動を開始する。
それでも驚いたらしく、少女達は必死に首へと腕を回していた。……ちょっと絞まってる気もするが、まぁ平気だ。
「オジさ……お兄さんは、防衛軍の人、なんですよね」
「オジさんで構わないよ。実際、君らからすればそんな歳だ」
「ぁう、ごめんなさい」
戦闘音がかなり遠くなった頃、サイドアップの子が不意に口を開く。
言いたい事は分かる。
自分だけ、逃げてもいいのか。
多くの民間人が防衛軍やリリィに対して抱く感想で、所属する兵士自身が、最初に諦める感情だ。
「心配しなくても、あの二人は大丈夫さ。オジさんが百人居たとしても、きっと敵わないくらい強いはずだ」
「でも……」
安心させようと出来るだけ話掛けるのだが、言い淀む声からは、大きな迷いが感じ取れる。
優しい子のようだ。
あれだけ怖い思いをしたんだから、普通は「逃げられて良かった」と、そんな風に思っていいのに。
「……オジさんだって、本当は戦いたいよ。けど無理なんだ。……どう逆立ちしたって、無理なんだ……」
知らず、本音を零してしまっていた。
とうの昔に枯れ果てた願望が、燻り始める。
始めは単に生きるためだった。
次第に、あの子達のように、誰かを守りたいと思い始めた。
でも、計測された数字が言う。お前じゃ無理だ。誰も守れやしない。足手まといになるだけだ。
……だから、仕方ないんだ。「助けになれるかも知れない」より、「足手まといになりたくない」を、優先するのは。
──怒音。
「うぉっ」
「きゃっ」
背後からの音の波が、体を揺らす。
首を巡らせれば、これだけ離れても分かる高さまで、土煙が上がっていた。
地形を変えるほどの攻撃力。
あんなものを、あの二人は。
(大丈夫。大丈夫だ。あの二人はリリィなんだ、俺なんかが心配する必要……)
後ろ髪を引かれるとはこの事か。
夢結のあの笑顔が、脳裏にチラついて消えない。
どうしてだ。
脚が、重い。
本当に、これで良いのか。
「…………」
「オジさん?」
気がつけば、遠目に避難所が見える場所まで来ていた。
緩んだ速度に、サイドアップの子は不思議そうに首をかしげ、お下げの子は……疲れからか、眠ってしまっていた。
俺は完全に脚を止め、お下げの子を起こさないよう背中から降ろし、サイドアップの子に向き直る。
「君、名前は?」
「あ、はい。梨璃です、一柳梨璃、十三歳」
「そうか。綺麗な名前だ」
定番の口説き文句に、サイドアップの子──梨璃ちゃんは「えへへ」と頬を染める。将来、美人になりそうである。
……よし。決めた。
「一柳さん。ここからは二人で行ってくれないか」
「え……大丈夫、ですけど……まさか?」
お下げの子を梨璃ちゃんに託し、距離を取る。
俺のしようとしている事を悟ったのだろう、見上げてくる顔には驚きの表情が。
自分でも驚きだ。こんな選択肢を選べるなんて。
「戦闘では足手まといにしかならないだろうけど、退却の支援だったら、奥の手がある。
何も出来ないかも知れないけど、近くに居なきゃ、助けにすらなれない。
まぁ、いわゆる、あれだよ。……ちょっと畑の様子見てくる!」
「えええっ!? それ、こういう時に言っちゃダメな言葉じゃ!?」
親指をビシッと立てながら言うと、梨璃ちゃんは両手を振り回してあわあわしだす。
良かった、まだ通じるネタだった。
可愛い慌てっぷりのおかげで緊張もほぐれ、余計な力が抜ける。
足元にサークルを描き、俺は戦場へと跳び立つ。
「お、お気をつけてー! 頑張れーっ!」
「ん〜……梨璃ちゃんうるさいぃ……」
「あっ、ごめんねっ」
投げ掛けられる声援に、自然と笑みが浮かぶ。
ああ、悪くない。まるで物語の主人公みたいだ。
願わくば、この戦いの結末も、ハッピーエンドであって欲しい。
しかし、戦っているリリィ達に近づくに連れ、そんな気持ちも陰っていく。
(嘘だろ。近づくだけでヒュージ側エナジーが感じ取れる。何が起きてるんだ?)
空気の密度が上昇したような、息をするのにも苦労するほどの重圧。
リリィ/マギウスもヒュージも、使うマギ自体は同じ性質を持つ。
ただし、ヒュージが出力したマギをリリィ/マギウスが吸収してしまうと、体内に負の残滓が生じる場合もあり、気を付けなければならない。
それがこんな場所まで漂うほどに広がるなんて、たった数分の間に何が起こったんだ?
と、次の瞬間、視界の端で銀閃が走る。
──悪寒。
「やっばいぃ!?」
直感に従いアガートラームを振るうと、凄まじい衝撃が腕を通じ、跳躍の勢いが完全に相殺される。
ヒュージの、切断された攻撃部位? 奇跡的に弾く事ができたそれは、山肌を深く抉りながら止まった。
あ、危なかった……。危うく一刀両断される所だった……。
「…………はっ、あの二人は────っ!?」
着地したまま唖然としてしまったが、本来の目的を思い出し慌てて振り返ると、思わず息が止まった。
いや、時間そのものが止まっているように感じた。
手のひらで隠せてしまうほどの距離に、満身創痍の夢結と“お姉様”が居る。
夢結の瞳は不気味に赤く揺らめき、大剣を前方へ突き出していた。
そして“お姉様”の方は地面から脚が離れ、夢結へと体を向けたまま……その方向へ吹き飛ばされている。
何故だか、分かる。
このままでは、あの二人は交錯する、と。
(skill-protocol:invisible-one:charge)
意識するより先に、CHARMから不協和音が響いていた。
世界が縮む。
アガートラームを上へ振り抜く。
激しく火花が散り、夢結の大剣が空へと弾き飛ぶ。
そうしてやっと、せき止められていた時間が一気に流れ出す。
俺と夢結は吹き飛ばされて来た“お姉様”に巻き込まれ、背後に広がっていた緩やかな坂を転がり落ちた。
沢まで下ってどうにか止まると、ようやく忘れていた呼吸をする事ができた。
「はっ、はっ、間に合った、はは」
引きつった笑いを漏らしつつ、状況を確認する。
夢結は気を失っているらしい。当たりどころが悪かったか。
“お姉様”の方は意識を保っているようだが、やはり満身創痍なのは変わらない。CHARMも破損していた。
「く、ぁ……。やって、くれた、ね……。せっかく、夢結に殺して貰える、チャンスだったのに……っ」
「な……何を言ってるんだ。頭でも打ったのか?」
思わず耳を疑うも、“お姉様”は苦しげに笑うだけ。
夢結に殺してもらう? じゃあ、あの状況は狙っていたとでも?
「まぁ、いいさ……。どちらにせよ、アレは止めなければならない……。
申し訳ないけど、予備の第一世代とか、AHW(Anti-Huge-Weapon)を持っていたら、貸してもらえないかな……?」
こちらの困惑を他所に、“お姉様”は壊れかけのCHARMを支えにして立ち上がる。
戦う意思が、失われていない。
いや、彼女の言葉が本気ならば、戦う意思ではなく……。
「お前、何をしようとしてる?」
「“貴方”には出来ない事さ。あと、お前呼ばわりされたくはないね」
「だったら名前を伺ってもいいかい、“お姉様”」
「……美鈴。川添、美鈴」
見知らぬ男に“お姉様”と呼ばれた事が不愉快なのだろう、“お姉様”──川添美鈴はしかめっ面で名乗った。
塚系の華やかな容姿に比べ、わりかし普通の名前だ。声が鈴のように美しいから、確かに似合っているが。
「川添。俺は川添の事は全く知らんが、今、この子に対して独りよがりな事をしようとしてるのは、流石に分かるぞ」
「じゃあ、あれを放っておけと? 仮にも防衛軍の兵士とは思えないセリフだ」
「二人でこんなザマなんだろっ、自殺と変わらない!」
「そうさ! ……僕は、僕が夢結を傷つける前に、消えてしまいたい」
絞り出された声は、まるで独白しているようにも聞こえる。
……この二人の間に何があったんだ。
リリィ/マギウスが発現するレアスキルの中には、強力であるが故に暴走の危険性を孕む物もある。
ヒュージ側エネルギーに近いものを宿し、異常なまでに戦闘力を高めるルナティックトランサーがその代表だ。
しかしさっき見た限り、それを使えると思しきは夢結の方。訳が分からない。
「どの道、誰かが足止めしないといけないんだ。邪魔したんだから、せめて夢結を連れて逃げてくれ。あ、変な真似はしない事だ。化けて出るよ」
丘に隠れて見えないが、川添の背後で、ギガント級の暴れる音がする。
確かにこのままだと、三人揃ってオダブツだろう。
状況を打開するには、それこそレアスキルの恩恵が必要だ。
そして、実現する手立ては。
「いや、逃げる手立てならある」
「なんだって……?」
断言する俺を、胡乱な目で見る川添。
まぁ、信じられなくても仕方ない。
ただでさえ数が少なく、スキラー数値も低くなりがちなマギウスが、都合良く必要なレアスキルを持っているだなんて、普通はあり得ない。
けれど、実際に可能なのだ。俺ではなく俺のCHARMが。
「傷つける前に消えたい、だ? 何をどう拗らせて、そんな中学生みたいな考えに至ったんだか。それとも本当に中学生か?」
「……何も知らない癖に」
「ああ知らん、知らんとも。だから」
アガートラームから不協和音が響く。
未だ目を覚まさない夢結を横抱きに立ち上がり、川添へ歩み寄る。
実に良い抱き心地で、ずっとこの重みを感じていたいほどだが、役得はここまで。
不協和音もどんどん高まっていき、しかしある時を境にして、清涼な音へ。
「後でたっぷり、痴話喧嘩するんだな」
「え」
それを合図に、俺は夢結とアガートラームを川添へと押し付ける。いや押し飛ばす。
目印は……さっきのサイドアップ少女、一柳梨璃ちゃん。
(skill-protocol:invisible-one≠phase-shift)
アガートラームを中心に、空間の歪みが発生した。
成人男性が一人、小柄な女性なら二人が限界のサイズ。その向こう側は、梨璃ちゃんの居る避難所へ通じている。
使えば強制的にマギが空っぽになってしまう、一回こっきりの空間移動。インビジブルワンではなく、縮地の最高ランク効果。これが俺の──アガートラームの宿すバグ。
軍のアーセナルがどんなにコピーしようとしても出来なかった、取って置きだ。
……けど。
「あーあ……」
おかげさまで、俺はギガント級と二人きり。
空間の歪みは持続時間が短く、下手をすれば閉じる歪みに挟まれて真っ二つ。続いて通ろうとしても無理なのだ。
川添達は助けられた。おそらく百合ヶ丘にも連絡は行ってるだろうから、このギガント級が放置される可能性も低い。
だが、俺はどう足掻いても助からない。
手持ちの武器は、ショルダーホルスターに入れっぱなしのハンドガン型AHWのみ。替えの弾倉も二つだけ。
ここから逆転できたら、もう奇跡としか言いようがないだろう。
「どうせ格好つけるんなら、最後まで足掻いてみるか」
ホルスターから銃を抜き、安全装置を解除、スライドを引いて装薬。地響きをさせながら近づいてくるギガント級へ構える。
見れば、ギガント級の肩……と思しき部位に、俺が弾き飛ばした夢結のCHARMが刺さっていた。
落ちてきたのが偶然当たったのか。運が良いやら悪いやら。
(あれを回収できたとしても、コアはあの子のだし、マギを入れられないから鈍器としてしか使えない。それでも拳銃よりは)
勝てなくていい。負けなければいい。
死にさえしなければ、時間さえ稼げば、百合ヶ丘の援軍が来る。
これしか俺の生き延びる道はない!
「生きて帰れたら、エロいお礼でもしてもらおうかねっ! なんなら二人同時にさぁ!」
下世話に笑い、ギガント級へと発砲。
未来をかけた戦いが、始まった。
美鈴は、自分を突き飛ばす男の顔を、唖然と見送るしかなかった。
笑っている。
言う事を聞かない駄々っ子を見るような。苦笑いと微笑みの、中間のような。
知らず、彼に向けて手を差し伸べて……けれど届くことなく、後ろへ倒れこむ。
「うっ!」
ろくに受け身も取れないまま、したたかに臀部を打ってしまった。
痛みで顔が歪み、文句を言おうとして、気づく。
彼が居ない。代わりに、多くの人々が周囲を囲み、美鈴をポカンと見つめている。
屋外。軽食の配給。避難所?
「こ、こは……」
「う……お姉様……?」
夢結も意識を取り戻し、瞬きを繰り返す。
ルナティックトランサーの過剰使用による狂乱状態からも、脱しているようだ。
おそらくは、空間移動。最高ランクの縮地を持つリリィだけが可能とする事を、マギウスが? そもそも、縮地は他人だけを移動させられただろうか?
にわかには信じられなかったけれど、現実に起きているのだから、そう判断する他になかった。
「ああー!? リリィさん達!?」
「ん。君は、さっきの……」
「良かったぁ、あのオジさん、ちゃんとお二人を助けてくれたんですね!」
そんな時、喜びの声を上げて美鈴へ駆け寄る少女が。一柳梨璃だ。
夢結がこの子を彼に託したと聞いた時は、正直大丈夫だろうかと不安に思ったけれど、無事に辿り着いていたらしい。
しかし、安堵したのも束の間。梨璃は美鈴達の姿を確認した後、周囲を見回して首を傾げる。
「あれ? でも、オジさんは……どこに?」
「っ、彼、は……」
言葉に詰まる美鈴。
彼がこの場に居ないのは、ほぼ間違いなく、あの場に取り残されたから。
その事実を伝えてしまったら、この子は。そして夢結は、どんな顔をするだろう。
重苦しい沈黙。
だが、不意にそれを破ったのは、人の声ではなかった。
遥か彼方で、まるで花火のように炸裂する、光の奔流だった。
誰もがそれを、無心に見上げていた。
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04 ルリハコベ ─Blue Pimpernel─ 甲州撤退戦、その四
甲州撤退戦から数週間後。百合ヶ丘女学院のサロンにて。
白井夢結は、優雅な所作でテーブルの上の茶器を配し、シュッツエンゲルである川添美鈴の前に、手ずから淹れた紅茶を差し出す。
美鈴は白い指でカップを手に取り、香りを楽しんでから、ゆっくりと口をつけた。
「……うん。夢結の紅茶はいつ飲んでも美味しいね」
「ありがとうございます、お姉様」
窓からは陽光が差し込み、微笑み合う美鈴と夢結の姿は、絵画に残したくなるほど美しい。
しかし、絆を結んだ夢結には分かる。
その笑顔には一点の曇りがある、と。
「……お姉様?」
「ん……。なんだい、夢結」
問いかければ、その曇りは瞬く間に消えてしまう。
……原因はもう知っている。
何故なら、“それ”は夢結自身の心にも、大きなしこりを残しているのだから。
「今日も、向かわれますか」
「そうだね……。時間はある訳だし、それが先方の望みでもある」
「分かりました」
所属するガーデンの授業や、作戦行動の合間の余暇。
対ヒュージ戦闘要員であると同時に、学生でもあるリリィ達は、それを様々な形で使う。
趣味。予習。遊び。戦闘訓練。休息。
そして……見舞い。
夢結達は、百合ヶ丘女学院に併設された病院へと足を向ける。
戦場で傷を負ったリリィを速やかに治療する場所であるが、利用するのはリリィだけに限られない。
やむを得ぬ事情から百合ヶ丘に保護された人物なども、この病院へと搬送され、治療を受ける場合がある。
受付で面会登録を済ませ、病院の中を無言で進む。
目的の部屋の前へ辿り着くと、美鈴がドアをノックした。
……………………反応がない。
夢結達は顔を見合わせ、ゆっくりとドアをスライドさせる。
広々とした個室の中央では、一人の男性が寝息を立てていた。
「眠っているみたい、ですね」
「らしいね。全く、せっかく見舞いに来てあげたというのに」
肩をすくめ、美鈴は苦笑い。部屋を進んで窓辺に寄り掛かる。
夢結もそれに続き、ベッド脇の椅子へ腰掛けた。ここ数回の見舞いで定位置となった配置だ。
この男性は、甲州撤退戦で夢結達を助けた、防衛軍のマギウス。
しかし、被せられたシーツを押し上げる体の形は歪だった。
右前腕部と右脚の膝下から先、左脚の大腿部より下が、全て失われているからである。
あの後……夢結と美鈴が避難所へ転移させられた数分後には、他のリリィがギガント級との戦場へ辿り着いたらしい。
けれど、すでにギガント級の姿はなく、現場に残されていたのは、左腕にボロボロとなった夢結のCHARM──ダインスレイフを抱え、残る手足を炭化、もしくは切断された彼のみだった。
縮地のレアスキルを高ランクで持ったリリィが、大急ぎで百合ヶ丘の医療班へ担ぎこんで居なければ、そのまま死亡していただろう。
低スキラー数値のマギウスが他人のCHARMを手に、ギガント級ヒュージと戦ったのだ。命があっただけでも奇跡に近い。
だが、もはや彼は戦う事はおろか、一人で日常生活を送る事すら、ままならない体となってしまった。
この変えようのない事実が、夢結と美鈴の心に、深い影を落としていた。
「う、ぐ……っ」
呻き声。
穏やかだったはずの寝顔は、いつの間にか苦痛に歪んでいる。
左腕が、短くなった右腕の先端を探し、シーツの上を彷徨う。
「あ゛ぁ、う……うう……っ」
「おじ様? おじ様っ」
脂汗を流し、苦悶し続ける彼の肩を、夢結が強く揺する。
ようやく目を覚ますと、彼は作り笑いを浮かべて見せた。
「ああ、白井さんか……。来て、くれてたんだな……」
「はい。約束、ですから」
「僕も居るんだけれど、見えてるかい?」
「んん……? お、川添も居たのかー、白井さんの陰に隠れて全く気付かなかったなー」
「……ふふふ。老眼鏡をかけてはどうかな」
「はっはっは。白井さんが見えれば十分だ」
夢結には優しい口調の彼だが、美鈴が相手となると、二人揃って天邪鬼な態度になってしまう。
それに対して夢結が「もう」と溜め息をついて……というのが、お決まりのやり取り。
甲州撤退戦から数日後に目を覚ました彼は、最初こそ手足を失った事に錯乱したという話だが、夢結達の面会が許された時には落ち着いており、「恩義に報いたい」という申し出に対し、暇な時は見舞いに来て欲しい、と望んだ。
それからというもの、余暇を見つけては病院へ通っているけれど、普段と違い、彼の顔に余裕がなかった。痛みを堪えているのが隠しきれていない。
夢結が心配そうに見つめると、彼は観念したかのように呟く。
「幻肢痛、だそうだ。おかげで、まとまった睡眠が取れなくてさ」
幻肢痛。
主に四肢を失った人間が発症し、もう存在しないはずの手足の痛みに苦しめられる。
脳の錯覚が原因であるため、痛み止めなどによる投薬治療が効果を発揮しない事も多い。
脳が順応して痛みを感じなくなる場合もあれば、人によっては死ぬまで苦しむ。
私のせいだ。
私があの時、もっと上手く戦えていたら。
夢結の細い指に、力がこもる。
「ごめんなさい……。私のせいで、おじ様は……」
「あ、すまない。責めるつもりじゃなかったんだ。何度も言ってるけど、自分で選んだ結果だ。受け入れて、前に進むしかない」
彼が手足を失った事に対する夢結の謝罪は、これが初めてではなかった。
ただ謝るだけで全てを忘れられるほど、夢結の面の皮は厚くない。
対する彼の言葉もまた、その度に繰り返された。まるで、自分に言い聞かせているように。
それが分かってしまうからこそ、辛いのだ。
しばらくの間、静寂が広がる。
次に言葉を発したのは、そんな二人を見守る美鈴だった。
「少し、散歩に出ようか」
「……ああ。そういえば、もう一人で車椅子には乗れるようになったんだぞ? どうだ、凄いだろう!」
「着実な進歩ですね、おじ様」
車椅子を用意する美鈴に、彼は空元気で答え、夢結も小さく微笑む。
たとえ空元気でも、先程までの空気よりはマシだった。
宣言通り、彼は自分一人で車椅子に乗って、それを美鈴が押し、夢結が続く。
「もうすぐ、義手と義足が完成するそうなんだ。そしたら、本格的なリハビリ生活さ。食っちゃ寝してたから大変だよ」
「その弛んだお腹を引っ込める、良い機会じゃないか。四苦八苦する様を見ててあげるから、せいぜい頑張るといい」
「別に川添は来なくてもいいよ。むしろ白井さんに応援して欲しいね。やる気が三倍くらいになりそうだ」
「残念、夢結が応援していいのは僕だけなんだ。そろそろ理解したらどうだい?」
「もう……。お二人共、そのくらいにして下さい」
中庭へ向かう通路に、人影は少ない。
清潔で、真っ白な道。
他愛のない話題が、やがて尽きてしまうくらいには、長い道。
大木が植えられた中庭に着くと、彼は風に揺れる木の葉を眺め、問う。
「戦況はどうなってる」
「……相変わらずさ。人類の住める場所は、確実に狭くなっている」
甲州撤退戦後も、夢結達は多くの作戦に駆り出された。
取り返した地域もあれば、失った地域もある。そして、戦いの度にリリィが失われる。
彼が助けたのは、その内のたった二人。大きく戦況を変えられた訳ではない。
人類とヒュージにおいて、あまりに小さな変化でしかない。
「先日、正式に報道があったよ。甲州撤退戦に派遣されていた、防衛軍のマギウスが戦死した、と」
「っ……!?」
「お姉様! その事は伏せると……」
「いずれは聞く事になる。なら、いつ知っても同じさ」
彼の肩が大きく揺れる。
戦死報告。これより先は、生きた人間として認められない。
防衛軍の兵士として、命懸けで戦った末に、存在そのものを否定された。
どれほどの衝撃を受けたのか、彼は顔を伏せたまま溜め息をつく。
「そうか……。とうとう、帰る場所も無くなったか。ま、期待なんてしてなかったけどな。はは」
表情は見えず、声だけは、笑っているように聞こえた。
明らかに無理をしている。
夢結の胸も、締め付けられたように痛んだ。
「いつまでも百合ヶ丘の好意に甘える訳にもいかない……というか、いつまでもここに居たら迷惑が掛かるか。どうしたもんかなー。……いっそ、あの時──い゛っ」
唐突に、言葉は途切れた。
美鈴が彼の頬をつねったからだ。
見ただけで痛いというのが分かるくらい、割と強めに。
「冗談でも、その先を口にしたら、許さないよ」
彼を見下ろす美鈴は、ただでさえ切れ長な目がさらに細く、本気に近い怒りが見て取れる。
それもそうだろう。
あの夜、命を賭して自分を助けようとした人物が、今度は死を願うだなんて。あべこべだ。
救われたのは命だけではない。どんな形であれ、彼が生きていてくれたからこそ、夢結も美鈴も、心に致命的な傷を負う事はなかった。
まぁ、直後には色々とゴタゴタしたけれど、それだって彼が生きていなければ出来なかった。
こうして世話を焼くのは、決して同情からだけではない。
本当に感謝しているのだ。
出会ったばかりの美鈴の命と、夢結自身の命と。シュッツエンゲルとしての誓いをも守ってくれた、彼に。
そんな思いを伝えたくて、夢結は美鈴と反対側の頬を、優しくつねる。
「お姉様と同じく、です。……らしくないですよ、おじ様」
頬をぐいーっと引っ張られたまま、彼は目を丸くし、間抜けな顔で夢結達を見上げる。
それがなんだかおかしくて、美鈴と夢結は笑い合う。
「なんなら、僕が養ってあげようか? これでもリリィなんだ、少なからず収入はあるし、資金援助ならできるよ」
「いいですね。私もお手伝いします、お姉様」
「い、いやいや、ただでさえ守ってもらってるのに、いくらなんでもそれは甘え過ぎというか、年下の女の子に養ってもらうなんて、普通にダメ人間というか……ん? あれは……」
逃げ場を探すように首を巡らせた彼は、ふとある方向に目を留める。
釣られて夢結達が視線を向けると、そこには和装の老紳士が立っていた。
百合ヶ丘の生徒なら誰でも知っている。
高松咬月。
百合ヶ丘女学院、理事長代行である。
「御機嫌よう、理事長代行」
「御機嫌よう」
「うむ。二人共、よく彼を見舞っているようだね」
「それを望まれましたので」
「もちろん、私とお姉様の望みでもあります」
「……そうか」
美鈴が仕方なくといった様子で返し、夢結が微笑みながら補足すれば、理事長代行も笑みを浮かべる。
代行はそのまま歩み寄ると、彼の前で深々と一礼した。
「お初にお目に掛かる。儂は、百合ヶ丘女学院の理事長代行を務めている、高松咬月と申す者。我が校のリリィを、その身に替えて助命頂き、感謝しております」
「い、いえ、曲がりなりにも、防衛軍の人間でしたから……その、初めまして」
慇懃な応対に、彼も慌てて頭を下げる。
言うなれば、会社員に対する社長、アパートの住人に対する大家。
緊張するのも仕方ない。
「本日お訪ねしたのは他でもない、今後の身の振り方について、提案をさせて頂きたいのです」
「……というと?」
「まずは、これを」
理事長代行が、袂から小さめのタブレット端末を取り出す。
彼の代わりに夢結が受け取り、表示されたデータを三人で確認する。
様々な部分がマスキングされているものの、夢結達には見慣れた形式だった。
「これは……おじ様の、マギウスとしての波形データ?」
「いや、違うよ白井さん。俺のじゃない。だって、スキラー数値が倍近くある」
「確かに、マギウスでこれだけ数値が高ければ、もっと有名でもおかしくないしね」
同じマギを扱うリリィとマギウスであるが、その能力にはいささかならず違いがある。
リリィはスキラー数値の上下の振り幅が大きく、成長幅も比例して大きい。加齢によるマギ減退も、だ。
対するマギウスは比較的振り幅が小さい傾向にあり、成長幅、マギ減退も同様。
リリィのスキラー数値が50〜100までなら、マギウスは30〜60程度に収まるのだ。
彼の最終公式スキラー数値は41。
しかし、タブレット上のデータは、スキラー数値が84と表示されている。
これは上位レアスキルや希少スキルを覚醒してもおかしくない、むしろ覚醒して然るべき数値だ。
スキルすらCHARM頼りだった彼では、あり得ない。
「川添くん。そのデータは間違いなく彼のもので、この病院で計測したものなのだよ」
「……という事は、スキラー数値が上昇した? マギウスなのに、尚更ありえません」
「多少の上下ならともかく、おじ様が言うには倍近くなんですよね? 流石に考えにくいのでは……」
「我々もそう思った。しかし、幾度も計測を繰り返した結果が、これなのだ」
理事長代行は鷹揚に首を振り、美鈴と夢結の疑念を否定した。
そのまま周囲を回り込むように歩くと、中庭の大木へ手を置く。
「聞いた事はないかね。人が腕や脚を失った時、その機能を補填するように、今まで以上に脳が活性化する場合があると」
「それがスキラー数値として現れたと言うのですか?」
「解析班が強引に結論付けただけだが、しかし見当外れでもないと、儂は考えている。魔化革命により進歩した科学技術でも、未だ人間の脳は未開拓分野に近しい」
「ですが、もしそれが事実だとしたら、おじ様は……」
非常に貴重な、高スキラー数値のマギウス。しかも、公的には死亡済みの。
もしこれをG.E.H.E.N.A.が嗅ぎつけたら、間違いなく身柄を奪おうとするだろう。そして、非人道的な実験の対象となる事は確実。
彼を見れば、凄惨な末路を想像してか、ただでさえ良くない顔色を土気色にし、視線も泳がせている。
夢結は、掛ける言葉が見つけられなかった。
流石の美鈴も、悩ましげに眉を寄せている。
ところが、理事長代行だけは穏やかな笑みを浮かべ、彼の車椅子の前へと膝をつく。
「そこで……百合ヶ丘女学院、理事長代行として正式に申し出たい。……儂の養子にならんかね」
「は?」
ポカン、と口を開けて固まる彼。
これには夢結達も驚いた。
戸籍を偽造する、という事だろうか?
確かに理事長代行ほどの力を持ってすれば、そのくらいは朝飯前。やや強引だが学院で保護する口実にもなるし、一挙両得である。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい、あ、頭が、混乱して……え? 養子……」
「無理もない。が、これ以外に選択肢があるとも思えんのでね。彼女達の恩人を見殺しにするなど、あってはならぬ事だ」
「…………」
しどろもどろな彼を前に、更に言葉が重ねられる。
元々、G.E.H.E.N.A.に捕らわれた実験体リリィの保護を行っているとはいえ、マギウスに対しここまでする必要はない。本来なら国へと報告し、身柄を引き渡すというのが無難な選択だろう。
それを理解した上で……余計なリスクを抱え込む事を承知の上で、理事長代行は──高松咬月という人物は、彼を救おうとしている。
「俺は……自分はもう、なんのお役に立つ事も、出来ませんよ」
「諦めるのかね。あの時、ろくな武器も持たないまま、ギガント級ヒュージに対抗してみせた“君”が」
「あれが最初で最後です。もう一度やれと言われても、無理です。……怖いんです……情けないですよね……」
唯一無事に残された左手を震わせ、俯きがちに、彼は内心を吐露する。
心的外傷後ストレス症候群。いわゆるPTSD。
人外の異形を相手に命を落としかけた経験が、心にも深い爪痕を残している。その事を恥じているのかも知れない。
けれど、この場にそれを笑う者は居なかった。
ましてや、情けないと思う者など。
「その恐怖を知って生きている者は少ない。これは大きな武器となりうる。
“君”はまだ、終わっていない。まだ諦めるには早い。
この世界には必ず、今の“君”にしかできない事があるのだから」
力強く、確信を持って、理事長代行は断言した。
彼の肩が、小刻みに震え始める。
入院着の太ももへ、ポツリ、ポツリ、と染みが生まれる。
美鈴の手が肩にそっと置かれ、反対側には、夢結の手が。
やがて、彼は拳を強く握り締め、それで顔をゴシゴシと拭ってから、少し赤くなった目で、理事長代行に向き直る。
「よろしく、お願いします」
そう返事をする声に、迷いは感じられなかった。
この時、彼は一歩を踏み出したのだ。
両脚を失いながらも、確実に、前へ。
防衛軍とは橋渡し済み。
書き溜めはここまでです。少な過ぎぃ!
作者は非常に遅筆なので、10万字越えるまではチラ裏で更新したいと考えています。
もし「そこそこ気に入ったから付き合ってやんよ」という奇特な──もとい心の広い方が居たら、気長にお待ち頂けると幸いです。
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05 フウセントウワタ ──Swan Plant── 幕間、その一
百合ヶ丘女学院に併設された病院。
普段は利用者のほとんどいないリハビリテーションルームに、一人の男性が立っている。
両サイドにある手すりを掴み、フラフラ揺れる上体をどうにか支えようとしているが、ただ立っているだけで一苦労、といった様子だった。
「お……ぬ……ふ……む……」
それでも右脚を前へ踏み出せば、きしきし、とセラミックの義足が軋む。
右脚が地面と接したのを目で確認してから、同じくセラミックの右腕と、生身の左腕を手すりの上で滑らせる。いざという時は左腕だけが頼りだ。
次に、外へと振るようにして、一番大きな義肢である左脚を踏み出す。膝関節が固定されているため、こうしないと床に当たってしまうのである。
これらの動作を、男性は数十秒かけて繰り返すのだが、彼を見守っていた少女──川添美鈴は、あえて焦らせるために手拍子を始めた。
「ほらほら、どんどん遅くなってるよ。もっとリズミカルに! いち、に、いち、に!」
「ちょっ、急かさないでくれっ! まだバランス取るのだって難しい──のにぃっ!?」
案の定、男性のふらつきは大きくなり、危うく足を滑らせる寸前で、手すりに掴まって耐えた。
美鈴も支えようと一歩を踏み出したが、軽く首を振って思い留まる。
「大丈夫かい? 一人で立てる?」
「た、立てる、とも……っ」
彼は立とうとするので精一杯なのか、美鈴の方を見ないまま。
腕の力だけでやっと体勢を戻すと、悔しげに溜め息をつく。
「くそ……。自分の意思で足首を動かせないだけで、こんなにも歩けないとは……。長さの違う竹馬に乗ってるみたいだ」
「セラミックとシリコンの塊だからね。無理もないさ。けど、構造的な強度は生身に勝るんだ。慣れれば今まで以上に動ける可能性だってある」
「本当かねぇ……」
美鈴の言葉に、返されるのは訝しげな声である。
場合によっては、生身の走者より義足の走者が素晴らしいタイムを出せるのだから、結局は努力次第だ。
まぁ、それも多くの練習あってこそ。義肢を装着して二週間も経っていない彼がその域に達するには、まだ時間が掛かるだろう。
「ほら、いつまで休憩しているんだい? 歩いていた感覚を忘れてしまうよ」
「ええぇ……。まだ義肢に慣れてないから接合部が痛い……」
「それこそ歩かなきゃ慣れないだろう? はい、行くよ」
そんな訳で、美鈴は少々スパルタ気味に彼の背を押し、練習の続きを促す。
ここ一~二ヶ月の付き合いで理解した事だが、彼はそこそこ怠け者である。
しかも、ある程度まではしっかり頑張れるけれど、それ以上を望むなら側で見ていないといけない、一番面倒臭いタイプだ。
見栄が取り払われ、素の部分が出てきたのだろう。
そして、この手のタイプは目先の餌に釣られやすい傾向にもある。
仕方なく、美鈴は我が身を犠牲とする覚悟を決めた。
「じゃあ、ノルマを達成したら僕が御褒美をあげようか。それなら頑張れるだろう?」
「御褒美? ……内容は?」
「今、ハレンチな事を考えたね。このロリコンめ」
「っはは。寝言は寝て言え小娘が」
「せいっ」
「ぐおっ」
抉りこむような肘鉄を食らわせて、手すりの末端側へ回り込む美鈴。
涙目で脇腹を抑える彼を尻目に、浮かべるのは自信満々に見えるだろう、完璧な笑顔である。
「あいにく、自分を安売りするつもりはないからね。向こうまで辿り着けたら握手、往復できたらハグ、補助なしの往復で膝枕。どうかな」
「…………性質の悪いJKビジネスっぽくて、おじさん色々と怖いよ」
「要らないかい? 夢結ほどではないとはいえ、僕も自分にそれなりの自信はあるんだけど」
その場でくるりと一回転。黒いスカートを緩やかに翻し、斜めに構えて腕を組む。
ヒュージすら屠る力を宿すうえに、花も恥じらう十六歳。
かなりの威力があったらしく、彼はそっぽを向いて、また歩き出すための準備を始めた。
「とりあえず、やるだけやってみる」
「ん。頑張って」
美鈴の声を背に、彼は大きく深呼吸。
手すりの上で迷うように左手を彷徨わせ、そのまましばらく。
意を決したのか、手すりを掴む。
「膝枕は消えた、と」
「いちいち言わんでよろしい」
左手。右手。右脚。左脚。
ゆっくり。確実に。
一歩ずつ、美鈴から離れていく。
「う……う、お……と……」
手すりの終わりまで行くと、体をふらつかせながらも向きを変え、美鈴と相対する。
また、一歩ずつ。
「ほらほら、ここまで来ればハグが待っているよ」
「うぐぐ……集中できんわ! 黙っててくれ!」
美鈴は両腕を広げ、迎え入れる準備を。
彼は歩き続け、二人の間の距離はどんどん縮まっていく。
あと五歩。
四歩。三歩。二歩。
あと、一歩。
「よしっ、往復できた──ぬあっ!?」
「おっと」
最後の一歩で気を抜いてしまったようで、彼の左脚は滑り、倒れこむ寸前に。
美鈴は今度こそ受け止めるのだが、予想外の衝撃を受ける。
(軽い。男の人なのに)
想像していたよりも、腕に掛かる体重は軽かったのだ。
美鈴より上背はあるし、衰えたとはいえ筋肉だってあるはず。
それなのに軽いと感じてしまうのは、装着している義肢が、負担を軽くするためにセラミック製で作られているという事と……本来なら存在する部位が、それだけの重みを持っていたはず、という事。
総合的な体重は、かなり減っているに違いない。
「す、すまない」
「気にしなくていいさ。それより」
「なんだ……?」
「…………」
「な、なんだよ」
流石に照れがあるらしく、彼は顔を背けながら謝るけれど、美鈴は逆にそれを覗き込む。
相変わらず血色は悪い。
肌もガサガサに見えるし、呼吸からは見た目以上の疲労も感じ取れる。目の下にうっすらと隈まで。
本調子には程遠いと思えた。
「ちゃんと眠れているかい? 目の下、隈が出てるよ」
「……眠れてる」
「なるほど。ちゃんとは眠れていない、という事だね」
「…………察しが良過ぎて怖いぞ」
「褒め言葉として受け取っておこう。休もうか」
言いながら、美鈴は近くのソファーへと促す。彼も抵抗せず、大人しく肩を借りていた。
「まだ幻肢痛は酷いのかい? 義肢を着ければ軽くなるかも、と聞いたけど」
「かも、だろう……。そんな簡単に治れば、誰も苦しんだりしないさ」
「……そうだね」
ソファーに腰を下ろさせると、彼はそのまま体を横たえてしまう。
脚まで乗せてしまうのは行儀が悪いけれど、接合部が痛いと言っていた。本当に辛いのだ。
どことなく、目がとろんとしているようにも。
「眠いんだったら、部屋に戻るかい」
「……ああ、うん。でも、その前にもう少し、休憩を……」
もはや完全に目を閉じ、全身から動きたくない、という意思を発する彼。
なんだかんだで、美鈴も誰かのリハビリに付き合うのは初めて。適切な範囲を超えてしまったかも知れない。
このままでは、リハビリ行為自体に苦手意識を抱く可能性も……。
「……仕方ない、か」
彼がこうなった責任の一端を担う身としては、自発的に精神的なケアを買って出るのが自然。だからこうして、他の案件で人手不足な看護師の代わりを務めている。
何より、夢結が“それ”をするのを想像すると、やはり激しく苛立ちを覚えるし、ならば自分でやるしかない。
よし。やろう。
覚悟を決めた美鈴は、ソファーの空いている座面……彼の頭側にゆっくりと腰掛ける。
そして、断りもしないまま、汗ばんだ頭を無理やり太ももへと乗せた。
いわゆる、膝枕の体勢だった。
「か、川添?」
「頑張ったからね。今回だけ、特別だよ」
「……後で何か請求したりは……」
「人をなんだと思っているのさ。好意は素直に受け取りたまえ」
唐突な御褒美で、声が思いっきり困惑している。
提示した条件は満たしていないし、何か裏がないかと不安なのだろうが、随分と失礼な事を言われている気がする。いや間違いなく言われている。
それでも美鈴は、頑張った子供にでもするように彼の頭を撫で……どちらからともなく、無言になる。
やがて、太ももに感じる吐息の間隔が長く、深くなっていくのが分かった。
「寝付きそのものは、良いみたいだね……」
美鈴と会話する時はシニカルな表情を浮かべがちな彼だが、眠っている間は、わずかにあどけなさを取り戻していた。
我ながら似合わない事をしているという自覚があり、この場に夢結が居なくて助かった、と胸を撫で下ろす。
『好きでもない男を相手に、自分の体を使って罪滅ぼしかい? 悲劇のヒロイン気取りとはね』
背筋が凍る。
どこからか聞こえた冷笑は、聞き覚えがあるようで、しかし異質だ。
辺りを見回しても、人の姿はない。
当たり前だ。この声は、美鈴にしか聞こえないのだから。
……やめろ。
『何を気にする事があるのさ。男なんて掃いて捨てるほど居る。そのうちの一人が、勝手に苦しんでるだけなのに』
一切温度を感じさせない“それ”は、決して嘲りを止めようとはしない。
耳を塞いでも、“それ”は聞こえてくる。そう知っている。
あの“力”に目覚めてから、何度となく繰り返されてきたのだから。
やめろ。
『誰もが──を愛してくれる。
誰もが──を支えてくれる。
誰もが──の、犠牲になる。
だって、そうさせているのは──なんだから』
黙れ!
口から出そうになる怒声を手で押し殺し、忌々しい仇を見るような目で、天井を睨む。
そこには何もない。
そうだ。
ここには彼と、美鈴しか、居ない。
眠っている彼を起こさないよう、静かに、けれど大きな溜め息をつき、美鈴は自嘲する。
「酷い人だよ、“貴方”は。僕をこんなに、苦しめるんだから」
無邪気な寝顔が憎らしく、強く触れて、滅茶苦茶にしてしまいたい衝動に駆られる。
夢結以外にこんな感情を抱くとは、思いも寄らなかった。
彼への同情。
自分への憤り。
夢結への、申し訳なさ。
全てがごちゃ混ぜになって、ただ、ただ……苦しい。
「あのぉ、イチャついてるとこすみません、ちょっといいですか?」
「っっっ!?」
そんな時である。横合いからいきなり声を掛けられた。
美鈴にしては珍しく、完全に油断していた。
誰かに見られていたと自覚した途端、自分が男性に膝枕しているという事実が妙に恥ずかしく思えてしまい、美鈴は慌てて表情を作る。
「な、なんだい? あ、その前に、僕と彼は別にイチャついてなんかいない。これは仕方なくしているだけで」
「あー、はいはい。そういうのはいいんで、美鈴様、その人を起こして貰っても? ちょっとお話があるんです。とっても良いお話が」
声を掛けてきた眼鏡の少女は年下らしく、百合ヶ丘女学院、中等部の制服をまとっている。
手にタブレット端末を持ち、肩に掛かる程度の髪は、毛先が斜めに切り揃えられていた。
というか、よくよく見れば知った顔である。
ついこの間まで、腰より長い髪を持っていたはずの彼女──真島百由は、なんとも屈託のない笑みを浮かべ、美鈴の返事を待っていた。
「遅くなってしまったわね。お姉様、まだいらっしゃるといいけど」
駆け足にならない程度の急ぎ足で、私は病院の廊下を歩く。
本当なら、またお姉様と一緒にお見舞いをするはずだったのに、急な用事が入って別行動を取らざるを得なかった。
こういう時、高等部一年生であるお姉様と、中等部三年生である私自身との違いが、疎ましく思えてしまう。
足繁く通ったおかげか、受付はもう顔パス状態。
本当はいけないのだろうけど、「どうぞ」と通してくれる看護師さんに笑顔と会釈で済ませ、おじ様の病室へ。
ドアの前で軽く息とスカートを整えてから、控えめにノックをする。
…………返事がない。
おじ様が眠っていたとしても、お姉様が居れば、何かしら返事があるのに。
「居ないのかしら……。もしかして、リハビリ中?」
所在なく廊下の窓の方へと歩き、ふと行き先を思いついて、今度はリハビリテーションルームへと足を向ける。
なんやかやと言い合いながらリハビリをする、お姉様とおじ様。
そんな姿を想像し、自然と笑ってしまう。
私にはあんな風にイジワルを言って下さらないし、少し……本当に少しだけ、おじ様が羨ましくもあるけれど、お姉様自身も楽しそうにしているから、良しとしましょう。
でも、可及的速やかに、私もそこへ混ぜて下さい。
私にだって、お姉様と楽しくお喋りする権利はあるんですから。なにせシルトですし。
「あ……」
……ところが。
リハビリテーションルームの中を覗ける所まで来て、私の足は止まってしまった。
お姉様が、自分の口を手で押さえ、顔をクシャクシャに歪めていた。
かと思えば、今度は泣き笑いのような表情を浮かべ、おじ様に……膝枕しているおじ様に触れようとして、触れられずにいる。
あんな表情、初めて見た。
“私の記憶にあるお姉様の姿”は、いつも自信に溢れ、凛としていて。誰もが見惚れる、涼やかな微笑みを浮かべているのに。
あんなに苦しそうで、弱々しい表情は、今まで一度も。
(私、には……)
気がつくと、私はその場から逃げ出していた。
途中で誰かとすれ違ったような気もしたけれど、その顔も覚えていられないくらい、動揺したまま。
生まれて初めて胸の内に感じる、暗い衝動に戸惑いながら。
「君、もっと髪が長くなかったかな?」
「いやー、試作CHARMの実験中に散った火花が燃え移ってるのに気付けなくて、慌てて切っちゃいました。危うく出家するところでしたよーあはははー」
「ははは……笑い事じゃないだろうに……」
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06 ニシキギ ──Burning Bush── 幕間、その二
無機質な壁が続く廊下を、車椅子が音もなく進んでいく。
義父上──理事長代行から頂いた和装に身を包む俺は、それを押してくれている少女、白井さんを振り返りながら、感謝を告げた。
「ありがとう。本当に助かるよ、白井さん。わざわざ付き合って貰って」
「気になさらないで下さい。私も用事がありましたし」
少しだけ高い位置にある彼女の微笑みは、嫌がる素振りなど微塵も感じさせない。
品行方正、文武両道、容姿端麗。そのうえ心根も優しいと来た。
こんな子と学生時代に出会えていたら…………いや、遠くから見つめているだけになりそうだ。こうしてお世話して貰える、今の幸せに感謝しよう。
白井さんと共に向かっているのは、百合ヶ丘女学院の工廠科だ。
アーセナルと呼ばれるCHARM技師を育成するための学科であり、特に百合ヶ丘の工廠科は、「戦うアーセナル」の育成が可能な事でも有名らしい。
当然、学科の一つなのだから学院敷地内に存在する。男子禁制で、本来なら絶対に立ち入れないだろう、女学院の。
そんな訳で、俺は内心ウッキウキで車椅子に乗っていたのだが……。
「なんか、見られてるね」
廊下で名も知らぬ女生徒とすれ違う度、必ずと言っていいほど見られまくるのが、地味に辛い。
基本は白井さんが「御機嫌よう」と挨拶し、女生徒達も、俺の事をチラ見しつつ「御機嫌よう」で終わる。俺自身は目礼だ。
だが時に、興味津々といった感じで“俺の方にも”挨拶してくれる、やけにフレンドリーな女生徒も居るので、そういう時も困ってしまう。まぁ「御機嫌よう」としか返せないのだが。
後は、遠くの方から、不審者を見るような鋭い視線で射殺そうとしている子を、何人か確認しただろうか。
おそらく彼女達は白井さん狙い。恐ろしや。
「百合ヶ丘は女子高ですし、男の人を見かける事自体、珍しいですから」
「珍獣扱いかぁ……。なんかむず痒いよ」
いちいち突っかかってくる川添と違い、素直な白井さんとの外出は純粋に嬉しいけれど、こうも注目されると緊張してしまう。
対外的な俺の設定としては、幼い頃に理事長代行の養子となる事が決まっていたけれど、正式な縁組前にG.E.H.E.N.A.に攫われ、最近ようやっと解放された……というもの。
防衛軍マギウスとしての姿を知っている子は居ないだろうが(たいがいヘルメット着けて出撃だったし)、用心に越した事はない、という判断である。深く突っ込まれないと助かる。
そうこうしている内に、とある扉の前で車椅子が止まった。
いかにも研究室じみた自動ドア。ここが目的地らしい。
「ここ、かな」
「はい」
頷き返す白井さんが、ドアの脇のインターホンを押した。
すると、ほとんど間を置かずにドアがスライドする。
「いらっしゃーい! 待ってましたよ、お二人さん!」
現れたのは、ハイテンションなメガネ少女。
真島百由──というらしい彼女と知り合ったのは、数日前、川添とリハビリをした日だ。
曰く、理事長代行の許しを得たので、俺専用の特殊な義肢をテストしたい……とのこと。
願ってもない申し出に、俺は一も二もなく頷き、今日に至る。
ちなみに、川添は外せない用事があったのか、ほぞをかむ、という表現のお手本のような顔で、白井さんに同行を頼んでいた。
川添の、白井さんへの愛は重い。
「あー、お招きありがとう。真島さん」
「百由でいいですよ。ええと、高松さん? 理事長代行の義息さんなんですよね?」
「まぁ、そうなるかな」
挨拶もそこそこに、真島さんの背中に続く。
彼女は白井さんと同い年ながら、すでに腕利きアーセナルとして有名なようだ。
なんて言うんだろう。毛先が斜めにカットされたセミロングで、年頃の少女らしいお洒落も忘れていない。
雑多な部屋の奥に据えられた作業台には、多くのケーブルが伸びた検査機器と、ノートPC、他にも色々な機材があった。
特に目を引くのは、上半身を覆うような金属製ハーネスにヘッドギア、人間の右腕を模したメカメカしい義腕だ。
「今回お願いしたいのは、こちらの装備のテストです」
「……これは?」
「筋電位と脳波を検出して出力する装置と、それを受け取って動く義腕……。肉体と精神を直接に繋ぐ、新技術を使用した装備です」
淀みなく説明する真島さん。
それが事実ならば、まさしく次世代の技術による産物となるが、にわかには信じられない。
白井さんも同じようで、示された装備をしげしげと眺めながら問う。
「肉体と精神を繋ぐ……。思考するだけで動かせる、という事よね。本当にそんな事が可能なの?」
「もっちろん! って言いたいところだけど、まだ机上の空論段階なのよねぇ。マギを持たない人には使えないし、真に目指してるのは、この技術を利用したCHARM開発だし。でも……」
言葉を区切り、真島さんは義腕を持ち上げる。
「こっちもこっちで重要なの。これが実用化されれば、戦線離脱を余儀なくされたリリィに、新しい道を用意してあげられるから」
「……それは、また、彼女達に戦ってもらうために……?」
「いいえ。彼女達が大切だと思うものを、自分の“力”で守れるように、です」
まるで我が子を愛おしむような、優しい手つき。
俺の言葉に対する返事からも、確固たる信念が伺える。
こんな体になるまであまり考えなかった──考えたくなかった事だが、戦闘に出ればリリィも怪我を負い、それが酷ければ、手足を失う事もあり得る。
傷の治療に使えるレアスキルだって使用者が限られ、肝心な時に間に合わない事の方が多い。
そうして戦えなくなったリリィは、ガーデンの教導官になるか、マディックに混じって後方支援しか出来なくなる。
戦いたくても戦えない辛さは、俺自身、よく分かっていた。
それが命を危険に晒す選択肢だとしても、何も選べず、見ているだけの方が辛い事だってある。
真島さんは、そんな状況に陥ったリリィへ、新たな可能性を示そうとしているのだろう。
なんというか、最近知り合う年下の女の子は、やけに大人びた子ばかりである。
背筋を正されるような思いだ。
「分かった。可能な限り、協力させて貰うよ」
「ありがとうございます! では早速、服を脱いでもらって……」
「えあ、ちょ、待っ」
……が、満面の笑みを浮かべた真島さんは、流れるように俺の服を脱がしに掛かった。
あまりの遠慮の無さに戸惑い、何も抵抗できずにいると、顔を赤くした白井さんが急いで止めに入る。
「だ、ダメよそんな! えと、その、わ、私がやるから! 和服はコツが要るし!」
「そお? じゃあお願いするわ。機材の準備しちゃうねー」
「いや、白井さんにやって貰うのも恥ずかしいんですが。自分で脱ぐから。そのくらい出来るから」
微妙にテンパっているっぽい白井さんはさておき、俺は服の上をはだける。
割と傷だらけだし、右腕は欠けているしで見苦しいはずだが、真島さんは全く気にした様子もなく作業に取り掛かった。
この二人、気の置けない感じのやり取りだけど、友達なんだろうか。正反対なタイプに見えるのに、意外だ。
「んじゃ、これ着けましょう。ちょっとヒヤッとしますよー」
「うっ……結構、重いな……」
「将来的には、軽量・小型化した接合機を体に埋め込んで、用途に応じた機能を使い分けられるようにしたいですね」
まずヘッドギアとハーネスを装着し、ケーブルで計測機器と繋ぐ。
そのままポチポチとスイッチをいじっては、ノートPCを確認している。
次に、ハーネスから伸びる端子を、まだ装着していない義腕へ差し込んだ。
「今回の義腕は、本当に最小限の機能だけを搭載しました。
機械と人間の精神を繋ぐ事で、どんな反応が起きるのかも分かりませんので。
動きは鈍いですし、パワーだってありませんし、感覚も鈍いはずです」
「感覚? 感覚があるのか!?」
「理論上は、ですけどね」
事も無げに言う真島さんだが、俺は本気で驚いていた。
機械の塊が、考えるだけで動かせる事自体が凄いのに、感覚まで?
技術革新とかいうレベルじゃないだろ。この子、本当に、本物の天才なのでは……。
「それじゃ、右腕を繋ぎますよ? 覚悟はいいですか?」
「ど、ドンと来いっ」
ハーネスで固定された右前腕部の接合器具へと、新しい義腕が近づけられる。
脅かす割に、装着そのものは簡単に終わった。ガチャン、と押し込むだけだ。
が、真島さんが義腕のスイッチらしき物をいじった途端、マギが吸い込まれるような感覚を覚え、思わず呻いてしまう。
「ううっ、く……!」
「おじ様っ!?」
「だ、大丈夫っ、大丈夫、だ……っ」
焦る白井さんを手で留め、呼吸を整える。
マギを使うのは、スキラー数値が上昇してからは初めて。久方ぶりの感覚に驚いてしまった。
と、そこでやっと気付く。
義腕の拳が握り締められていた。
最初は間違いなく開かれていたはずだ。それがなぜ?
恐る恐る、かつて右手を使っていた時のように、指先を開こうとしてみる。
開いた。
ゆっくりと、花が開くように。
「動く……。動く……!」
知らず、俺は笑みを浮かべていた。
手を握る。開く。
手首を回す。
グー、チョキ、パー、と形を作る。
全てに動作が、意識するだけで──いや、意識せずとも行える。
わざわざ左手で指の形を整える必要も、煩わしさを感じる事も、ない!
「初期動作は良好、と。次は感覚のチェックをお願いします。はい、これどうぞ」
「おっとと……」
感動に打ち震えていると、真島さんは唐突にゴムボールらしき物を右手の上に置いた。
反射的に、落とさないよう指を閉じる。
こんな事すら出来なかったのだから、本当に凄い……。
「それ、揉んでみて下さい」
「あ、ああ。おっ、柔らかくて気持ちいい。しっとりスベスベだ…………ん!? スベスベ!?」
しっかりと揉み心地を堪能してから、また驚く。
今、ボールを持っているのは右手だ。メカメカしくて、生身の腕とは程遠い外見の義腕だ。
なのに、ボールの感触を確かに感じている。
指が沈み込むような柔らかさ。吸い付くようなもっちり感。絹のような滑らかさまで。
「どうです? 触ってる感触ありますか?」
「ああ、ああ! ある! 感触がある! 凄い、凄いぞ、君は天才だ!」
「いやー、それほどでもーあるかなー」
「良かったですね、おじ様……っ!」
もはや自分でも、満面の笑みを浮かべているのが分かる。
もう二度とは味わえないはずだった感触が、堪らなく嬉しい。
まぁ、正直に言うと、感触自体は弱め……かも知れない。
試しにボールを左手に持ち替えてみると、右手よりもはるかにリアルな感触を味わえた。
けれど、やはり失われたはずの感覚が蘇った事は、凄まじい衝撃だった。
「うん。左手に比べたら鈍いけど、やっぱりちゃんと感触がある。また右腕を使える日が来るなんて……あれ?」
……ところが、しばらくすると右手の感覚が段々と薄れていき、やがて完全に消えてしまった。
動く事は動くのだが、先程までの感覚は、全く感じられない。
「おじ様? どうかなさったんですか」
「いや、急に感覚が消えて……」
「ありゃりゃ、ちょっとお待ちを。どれどれぇ」
すぐさま真島さんが側へ寄り、細かな工具を使って調整し始める。
これには時間が掛かった。
少しいじっては確認を繰り返し、感覚が強くなり過ぎたり、弱くなり過ぎたりもしないよう、左手と比べながらの地道な作業だ。
やっと終えた頃には、左手と遜色無いほどのレベルまでになっていた。
「じゃあ、しばらくはこのままで、ボールを触ってて下さい。その間に、夢結の方の用事も済ませちゃいますんで」
「分かった。ところで、白井さんの用事っていうのは?」
「メンテナンスに出していたCHARMの受け取りですよ。……ところで真島さん、なぜ私を呼び捨てに?」
「あれ、だめ? 同い年なんだし、もっと気楽に行きましょーよー」
そう言うと、二人は研究室のさらに奥、強化アクリルの向こう側にあるロッカールームへ。
甲州撤退戦で壊れてしまったダインスレイフは、とっくに直って再び白井さんの手に戻っている。
俺のアガートラームも学院が保管しているはずだが、今はどうなっているんだろう。気になる。
もし許されるなら、またアガートラームを使いたいものだ。アガートラームこそ、俺の本当の“相棒”な訳だし。
この右腕と、両脚分の義肢も完成したら、きっと。
(そういえば、このボールって何で出来てるんだろう。やたら揉み心地が良いけど。癖になる)
右手で弄ぶボールは、自由自在に形を変えて指を楽しませてくれている。
ふにふに。むにゅむにゅ。ぷりんぷりん。
可能なら両手に持って、顔にぱふぱふしたいくらいだ。商品化したらバカ売れするんじゃなかろうか?
そんな事を考えていると、楽器ケースにも見えるCHARMコンテナを持った白井さんを伴い、真島さんが戻って来た。
「お待たせしましたー。どうです? 動きに違和感とかは」
「今度は出てないかな。少しだけ慣れてきたよ」
「それは良かったです。じゃあ次は、身長とか足の長さの計測ですね。正確な数字が分からないと、体に合った義肢が作れませんから」
「了解」
どこからかメジャーを取り出す真島さんに頷き、とりあえず、右手に持っていたボールを白井さんへと預ける。
作業台の上を片付けているので、その上に横たわればいいのだろうか。
真島さんの助けを借りて作業台に乗ろうとしていると、俺から受け取ったボールを触っていたらしい白井さんが、それをモミモミしていた。
「本当に柔らかい……。これって、何で作られているの?」
「CHARMのグリップとかに使われてる強化シリコンゴムよ。硬過ぎず柔らか過ぎず、丁度いい揉み心地にするのが、地味に難しくって」
「へぇ……。何を参考にしたのかしら。なんだか覚えのある揉み心地だけど」
「色々試してみて、最終的にはワタシの二の腕と同じ感触に落ち着いたの。いい塩梅でしょ?」
「なるほど、二の腕だったのね。どうりで……………………え?」
白井さんが可愛らしく小首を傾げ、硬直した。
確か、二の腕の触り心地って、いわゆる、アレだ。……おっ○いと同じって言われてるんじゃなかったか?
いやまぁ俗説だし、正しいかどうかも分からないが、そう言われるとあの感触、やたら幸福感があったような気がしないでもないような。
そしてこの俗説が事実ならば、俺は真島さんのおっ○い(相当品)をこれでもかと揉みまくり、白井さんは現在進行形で揉んでいる事に……。
「あの、確か二の腕の感触って……」
「んー? どうかしたの、夢結。顔が赤いけど」
「……な、なんでもないわ。なんでも……」
おそらく白井さんも、二の腕=おっ○い説を知っているのだろう。恥ずかしそうに頬を染めている。
しかし真島さんは、この事実を知ってか知らずか、全く気にしている様子が見えない。
それがますます羞恥心を煽っているようで、もう白井さんの顔は真っ赤っかだ。
ちなみに俺は、おっ○いボールの感触を思い出さないようにするだけで精一杯である。
この状況で反応したら終わりだよ終わり。
「はい、計測終了っと。お疲れ様でしたー」
そうこうしている内に身体測定も完了し、ハーネスやら何やらを外して、俺は車椅子の上へ戻る。
白井さんは、気恥ずかしさを誤魔化すように手伝ってくれたが、まだ少し顔が赤い。
……俺も、もうおっ○いボールの事は考えないようにしよう。うん。
「今日はここまでにしましょう。次回までには両脚分の義足を作っておきますから、またテスト、お願いできます?」
「ああ、もちろん。待ち遠しいくらいだよ。楽しみに待ってる」
「あはは。研究者としては、光栄の極みです。あ、そのボールはオマケとして差し上げます」
「え? ……い、いいの、かな」
「はい。というか、ここに置いといても邪魔になるだけなので、むしろ箱ごと持って行って欲しいなー、と。実は作り過ぎちゃって」
「そ、そうか。じゃあ、遠慮なく……?」
おっ○いボールがぎっしり詰められた段ボールを押し付けられ、俺と白井さんは研究室を後にした。
膝に置いた段ボールの中で、揺れに合わせておっ○いボールがぽゆんぽゆんと跳ねている。
俺はその一つを左手で摘み上げ、改めて揉んでみる。
やっぱり、幸せな揉み心地だった。
「……なぁ、白井さん」
「なんでしょう、おじ様」
「真島さんは、アレだ……天然、なんだろうか」
「……天才肌なのは、間違いないと思います」
白井さんの返答には、なんとも名状しがたい感情が込められているように思えた。
余談だが、おっ○いボールは「責任を持って処分します」と言う白井さんに、有無を言わさず没収された。
筆舌に尽くしがたい喪失感だった。
「さて、と」
寮の自室へ戻った夢結は、抱えていた段ボールをベッドの上に置き、小さな溜め息をつく。
「持って帰ったはいいけど、どうしたらいいの、これ……」
腕を組み、部屋の中をうろうろと。何故だか非常に落ち着かない。
中身は、一応、友人である真島百由の、二の腕の感触を再現したらしいシリコンボール。
酷く残念がる彼から、ほぼ強奪に近い形で貰い受けたものだ。
こんなものを男の人が持っていてはいけない、という強迫観念に駆られたからだが、間違った選択ではなかった、と思いたい夢結である。
「シリコンは燃えるゴミだったかしら……? でも、下手に処分すると、何か……祟りそうな気も……」
しかし、問題なのは“これ”の処理方法だ。
友人の体の一部を模している訳だし、単に燃えるゴミとして出すのは忍びない。
かといって人形のようにお焚き上げしては、幾らなんでも仰々し過ぎるだろう。
一体どうしたものか。
「あ」
そんな時、夢結はふと思いついた。
これだったら、無為に物を捨てる罪悪感を覚えずに済むし、無駄がない。
足早にクローゼットへ向かい、引き出しの奥で仕舞いっ放しだった、予備の枕カバーを取り出す。
その中へとボールをぎゅうぎゅう詰めにして、形を整え……。
「よし、出来たわ」
完成したのは、シリコンボールで一杯の、柔らか感触枕。
名付けるとしたら、真島百由のおっ○い──もとい、二の腕枕だろうか。
即席にしては良い感じである。
出来栄えに満足した夢結は、早速それをベッドへと配置し……はたと気付く。
(もしかして私、今、とっても変態的な事をしてるんじゃ……?)
紛い物とはいえ、友人のおっぱ○──ではなく、二の腕の感触を再現した物体で、勝手に枕を作ってしまった。
勿体無い精神がさせた事とはいえ、誰かに知られでもしたら……。
自分から言わなければバレそうにもないが、今更ながらに「早まったかしら」と後悔し始める。
けれど、作ってしまった物は仕方ない。
悪いのは自分。この枕に罪はない……と言い訳し、夢結は思い切って枕へダイブした。
「え、えいっ」
ぽふん。
と気の抜ける音を立て、夢結の顔が枕に埋まる。
……動かない。
十秒経っても、一分経っても、更に十分が経過しようとも、夢結は全く動こうとしない。
何故ならば。
「…………くぅ…………すぅ…………」
○っぱい──違った、二の腕枕の感触があまりに心地良く、瞬く間に眠ってしまったからである。
その寝顔はまるで、子供が母親の腕の中で眠っているかの如く、無垢で安らかなものだった。
この日、中途半端な時間に昼寝してしまった事で、夢結は翌日の講義中、教師の前で思いっきり舟を漕ぐという失態を犯す事になるのだが、まさしく夢見心地な彼女に、それを知る由はなかった。
なお、睡眠の質が著しく向上し、戦闘能力評価値が10%も向上するという副作用があった事も、ここに記しておこう。
Q:つまりどういう事だってばよ?
A:おっ○いは偉大
やっぱり夢結様は、見た目完璧美少女でも、実はそれなりにポンコツな所が可愛いと思います。
可能な限りそれを描いていきたい所存。
ラスバレ? 大丈夫、ああいう感じになるのは予想してました。
無料分で隊服・J・さんを引けたし、ストーリーのクオリティーは高いので、充分です。
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07 アカツメクサ ──Red Clover── 幕間、その三
「以上が、先日までの実験結果の報告になります」
タブレット端末を手に、真島百由は得意げな表情を浮かべる。
場所は理事長室。
データ投影のために暗くなっていた室内が明るくなり、眩んだ目を理事長代行──高松咬月が揉み解す。
内心、歳はとりたくないものだ、と独りごちた。
「経過は順調らしいの」
「はい。本人がとてもやる気なので、助かってますよ。今も、高機能型の義足で走りこんでるはずですし」
「監視について、彼はなんと言っておった?」
「特に何も。むしろ申し訳なさそうにしてました。ただのランニングなのに、時間を使わせて……って」
百由が報告したのは、義理の親子関係となって、早くも二ヶ月が経過した義息の事である。
健康状態、スキラー数値、マギ波形データ、作成した義肢の詳細や、その運用データなど、内容は多岐に渡った。
「波形データに変化が見られるようだが、本人に自覚は?」
「まだそんな余裕はないんじゃないでしょうか。
義肢を使う事で、常にマギを消費しているような状態ですから。
そのせいか、動かしてる時間に比例して、だんだん保有量も増えてますね」
百由が作成した義肢は、マギを保有している人間専用。
マギを使えるならば、超高性能の機械式義肢以上の動きをしてくれる代物だ。
しかし、ただ着けているだけでも微量のマギを使用するため、常にCHARMを使っているような状態となる。
いわば、日常生活がマギ操作訓練となっているのだ。否が応でも保有量は上昇する。ひいては、マギウスとしての地力も。
「防衛軍のCHARMについては、どうなっておる?」
「う~ん……。実は、そっちの方が問題で……」
「というと?」
「OSにバグが発生してるとは聞いてましたけど、そのせいで大部分がブラックボックス化しちゃってるんです。解析は進めてますが、かなり時間が掛かりますよ、これは」
口調は困り果てているが、非常に楽しそうな顔で百由が語る。
防衛軍が独自開発したというCHARM、アガートラーム。
全てのCHARMにはマギクリスタルコアと呼ばれるパーツが存在し、これによりマギのコンピュータ制御が可能となる。リリィ/マギウスは、このコアを介して、CHARMとマギを操るのである。
が、アガートラームのコアにインストールされたOSは、スキルプロトコルという重大かつ貴重なバグを抱えていた。
多少の身体能力強化程度ならば、支援プログラムとして組み込まれる事もあるのだが、スキルに相当する効果を発揮するまでには至らない……というのが常識だ。
アガートラームのバグは、この常識を覆す可能性を秘めているものの、下手をすれば有用なバグ自体が消えてしまう事もあり得る。
慎重に慎重を重ねて、ゆっくり解析を続けるしかないのだ。年単位の仕事になるかも知れないが、それでも百由は、諦めるつもりなど微塵もなかった。
しかし、それ故に気になる事もあった。
「一つ、いいですか?」
「構わんよ」
「ワタシが聞いていい事なのかは、分かりませんけど……。本当に防衛軍は、なんとも言ってこないんですか?」
「…………」
義肢などを作成する都合上、百由は“彼”の素性を教えられている。
甲州撤退戦。防衛軍。G.E.H.E.N.A.。川添美鈴、白井夢結との出会い。そして、ギガント級との死闘も。
ここで問題なのは、防衛軍に横槍を入れられてしまう事である。
表向きはどうあれ、元が防衛軍の人材、そして防衛軍の所有兵器なのだ。自分達の側で出せなかった成果を、たまたま所有権を譲る事になった相手の側で出してしまったら……。
大きな組織であればこそ、その大きさを維持するために、“力”を必要とする。
防衛軍が“彼”とアガートラームを取り戻そうとした場合、百合ヶ丘女学院は正面切って拒否できるだろうか。
表立って対立しているG.E.H.E.N.A.の方が、まだ跳ね除けやすいはずだ。
「問題はない、と言い切れれば良かったのだが。今の所、表立った動きはない、としか言えぬ」
「……そうですか」
理事長代行の含みのある返事を受け、肩をすくめる百由。
全く答えになっていないのが答え。出方を待つしかないのだろう。
情報を秘匿し、相手に手を出させないのが一番だが、それもいつまで保つか……。
部屋には重苦しい沈黙が広がるも、そんな時、代行の執務机に置かれた通信機が、着信音を発した。
「儂だ。…………む…………了解した。そのまま警護を続けておくれ」
「何かありましたか?」
「大した事ではないよ。……やはり、引き合うものなのかも知れんのう」
何がしかの報告を受け、代行は一瞬、驚いたような表情を浮かべるけれど、新たな指示を出して通話を終えた。
小首を傾げる百由に苦笑いで答え、部屋の外を見やる。
床から天井までを繋ぐ、一面の強化ガラスの向こうに、広大な森と、人が住まなくなって久しい廃墟群があった。
かつてを偲ばせる風景は、その胸に少なくない寂寥感をもたらすのだった。
木漏れ日と、風に揺れる葉の音。
一足早い夏の気配が、肩で切る風に混じっている。
ジワリと額に湧く汗が蒸発し、新緑の香りが肺を満たしていく。
変わらない速度で移り変わっていく木々の中を、俺は無心で走り続けていた。
「はっ、はっ、ふっ、ふっ、はっ、はっ……」
リズムを刻むように息を吐き、同じように吸う、を繰り返して、ただひたすらに走る。
これ以上ないと思える清々しいランニングコースは、しかしヒュージのせいで作りだされたもの。なんとも皮肉だ。
ペースを落とさず、更に走り続けて、約十分ほど。
森が途切れ、廃墟と化した街が見下ろせる、小高い丘に辿り着いた所で、少し休憩を入れる事にした。
(もう痛みはない。動きも生身だったころと変わらない。痛覚をオフにできるから、むしろ前より無茶だって出来る)
草むらに腰を下ろし、新しくなった自分の義肢を確認する。
少し前のバージョンと違い、生身に近い質感のシリコンを纏ったそれは、もはや作り物とは思えないほど、体に馴染んでいた。
最初の頃は、数時間も着けていると、マギを使い果たして動けなくなってしまう位に燃費が悪かったが、真島さんと共に改良を重ねた結果、今では丸一日着けていても問題なく動け、激しい運動だって可能なまでになった。
本当に、天才アーセナル様々である。
(ま、一番嬉しいのは、自活できるようになった事だけど)
一人で立ち上がり、歩き、ご飯を作り、風呂に入り、トイレにも行ける。
これがどんなに素晴らしい事なのかは、それが出来なくなった人にしか分かるまい。
介護福祉士さんとかに手伝ってもらうのも、やっぱり気が咎めるというか、申し訳なさが付きまとうのだ。
ちなみに、この義肢は機械部品を使ってはいるが、電気式の回路などは使っていないため、水に浸かっても全く問題ない。
サビに強い合金とセラミックで構成されているし、天敵なのはチリやホコリくらいである。
真島さん曰く、次はより強い負荷に耐えられる、戦闘用義肢の作成に取り掛かるらしい。
その義肢に換装して、動かすのに慣れたら、いよいよマギウスとしてのリハビリ開始だ。
早くCHARMを握りたい。そして、実戦の勘を取り戻したい。
そうすれば、今のタダ飯食らいに近い状況から抜け出せ──────にゃあ〜ん。
「ん……? 猫の鳴き声……?」
思考に割り込む、甲高い鳴き声。
風に乗って、ほんのかすかに届く程度だが、間違いなく聞こえる。
しかも、庇護欲を誘う可愛らしい感じではなく、周囲に危機を知らせるような、切羽詰まった感じの、子猫の声だ。
……どうしよう。気になる。
「どこで鳴いてんだろ……。た、確かめるだけなら……」
学院敷地外での運動時は、指定されたコースから外れないようにと、義父上から言い付けられている。
だが、あの鳴き声を無視して走り去るなんて、ちょっと無理だ。
見えない所から護衛してくれているはずのリリィ達に、心の中で「ごめん」と謝りながら、俺は鳴き声のする方へと向かう。
丘を下り、廃墟群へと近づくにつれ、子猫の声は大きくなる。
倒壊したビルの合間を抜け、陥没した道路の池を横目に進むと、斜めになった電柱の上で動く、黒い影を見つけた。
だが、違う。猫じゃない。
(百合ヶ丘の制服……。リリィ?)
見覚えのある黒い制服のスカートを揺らす、ポニーテールの女の子。
その視線の先にこそ、子猫は居た。
助けようとしているのだろう女の子は、制服が汚れるのも構わず、苔むした電柱の上で四つん這いになり、優しく声を掛けながら、ゆっくりと子猫に近づいていく。
「大丈夫。怖がらないで。今、そっちに行くからね」
しかし、人間の言葉が通じる訳もなく、子猫は女の子を怖がって身をよじり、ついには電柱から落ち掛け──手を伸ばした女の子ごと、落ちてしまう。
「危ないっ!」
女の子は、落ちながらも子猫を腕に抱え、きつく目を閉じる。
落下する先に、コンクリートの裂け目。怪我では済まない。
知らず、俺は女の子へと駆け寄っていた。
どう考えても間に合わない距離。それでも、体が勝手に動いて。
──と、そこで気づいた。
踏み出した一歩が、大き過ぎる。
(なんだ、これ)
一歩進んだはずが、十歩先に居た。
驚く間に二十歩進み、女の子はもう目の前。
ぶつかるようにして抱きとめ、三十歩の距離を進んだが、まだ──止まらない!?
「うぉおぉおぉおっ!?」
反射的に義足の痛覚を切り、真正面に来たビルの壁面を蹴る。
恐ろしいほどの加速が背を押し、蹴ったはずの壁を駆け上って、倒壊したそれの今の屋上……過去の壁面へと着地した。
「…………っはあぁぁ…………あ、ぁ、危なかった…………」
肺が空っぽになるような溜め息をつき、ついでに尻餅もつく。
気が抜けたからか、それとも極度の緊張の反動からか、自分の体が震えているのが分かる。
なんだ。なんだったんだ、今の。
まるで、アガートラームのスキルプロトコルを使った時みたいな、人間離れした機動を……。
「……あの」
「へ。……あ、だ、大丈夫だった?」
腕の中で何かがモゾモゾと動き、そこでやっと、女の子を抱き続けている事を思い出す。
子猫を抱っこしたまま、ジト目で見上げてくる彼女を離すと、警戒するように距離を取られた。
なんというか、さっきまでの子猫みたいな反応だ。
「貴方は、なんですか」
「あ〜……えっと……」
強い不信感を匂わせる問いかけに、どう答えたものか、迷ってしまう。
正直に素性を──と言っても偽造した戸籍の方だが──を話しても、信じて貰えるだろうか。
百合ヶ丘女学院の周囲の土地は、海から来るヒュージを積極的に誘引し、居住区への被害を軽減するための、いわば戦場である。
そんな所をほっつき歩き、しかも人間離れした動きで女の子を抱きとめたとあっては、通報待った無しが当然の判断か? 目つきもやたら険しいし。
というか、彼女の方こそ何者なんだろう。
百合ヶ丘の生徒にしても、今の時間帯はちょうど講義中のはずなのだが……。むしろ、この女の子こそ、不審者ならぬ不良少女では?
そんな疑念を込めて彼女を見返すと、険しかったはずの目つきが、今度は何故か、戸惑った顔つきに。
「……足。何か刺さって、ますけど」
「え? ……うわっ、やっちまった!」
言われて視線を落としてみれば、左義足の膝上の部分に、コンクリートらしき尖った破片がめり込んでいた。
おそらく、壁を駆け上った時にでも刺さったのだろう。
痛みはないが、完全にシリコンの皮膚層を貫通している。まずい。
「しまった……。こりゃあ、さっそく皮膚を全張り替えかな……怒られるかも……」
「痛くない、んですか」
「ああ、平気平気。作り物だから、この足。まぁ、左腕以外は全部そうなんだけどさ」
「作り物……」
プラプラと手を振って大丈夫である事を示し、おまけに右手の義手を外して、嘘は言っていないという証明もする。
女の子は唖然とそれを見つめ、いつの間にやら懐いたらしい子猫が、呑気に「にゃーん」と鳴いていた。
数時間後。
ランニングコースから外れた事を、義父上にしっとりと──本当にこんな感じだったのだ──注意され、強制的にフルチェックを受けさせられて、別の意味でクタクタになった俺は、学院内に置かれた自室……。
理事長代行のために用意されたが、あまり使われていなかった私室にて、体を休めていた。
「インビジブルワン。レアスキル、縮地のサブディビジョンスキルであり、物理抵抗を変化させる事で高速移動が可能になるスキルですね」
ソファでぐったりしていると、芳しい紅茶の香りと共に、心を落ち着かせてくれる静かな声が。
姿勢を正せば、放課後の余暇に遊びに来てくれた白井さんが、ティーセットをテーブルに配していた。
対面には川添も居て、相変わらず自信たっぷりな顔で足を組み、しなやかな太ももを見せつけている。
……こんな風に感じるなんて、色々と溜まっているんだろうか。危ない危ない、気をつけねば。
俺は気を取り直し、「頂きます」と紅茶のカップを手に取った。
今の義肢は、指先や足の裏などが耐熱ゴムで覆われた、メカメカしいタイプだ。
物を持ったり、滑らないように歩いたりするには、摩擦抵抗を高めないといけないのである。人間の体は便利にできていたんだと、つくづく実感する。
「アガートラームで使い慣れてなかったら、今頃、大怪我していた所だよ」
「子猫を助けようとしてたっていう中等部の子は、無事だったのかい?」
「ああ。子猫も無事に保護されたらしい」
「それは良かったです。おじ様のおかげですよ」
話の内容はもちろん、昼間の出来事についてだ。
怪我をしそうな女の子を助けようとして、サブスキルに目覚める……。
まるで少年漫画のお約束。ご都合主義的な感じもするけれど、実際に起きてしまったのだから受け入れるしかない。
あの後すぐに、影ながら護衛してくれていたリリィ達が現れ、助けた女の子の名前も知らないまま、俺はその場から離れざるを得なかった。
まぁ、リリィ達も子猫の鳴き声が気になっていたらしく、「ちょっと格好良かったですよ」とお褒めの言葉を頂いた。鼻高々だ。
「スキルっていうのは、みんな、こんな風に使えるようになるもの……なのかな?」
「ん……。一概には言えないね。それこそ千差万別だから」
「訓練で、ある程度の傾向付け可能な場合もあれば、逆に実戦の中で得られる場合もあります。ガーデンの中には、特定のレアスキル教育に特化している所もあるんですよ」
「へぇ……」
当然の話だが、レアスキルにも様々な種類が存在し、戦闘で役立つもの、支援に適したもの、汎用性の高いものなど、それなりに系統立てられている。
白井さんのルナティックトランサーは、いわゆるバーサーク状態での戦闘を可能とし、一時的にマギを増大させるフェイズトランセンデンスと並んで、戦闘用レアスキルの花形とも言えるレアスキルだ。
対して、俺のインビジブルワンの上位版であるレアスキル、縮地は、単純に高速移動を可能にするだけだが、それ故にどんな場面でも腐らないスキルである。
しかし、活かせるかどうかは使い手に寄るところも大きい、というのが難点でもある。事実、俺はスキルプロトコルのインビジブルワンですら、使いこなせていた自信が無い。
ちなみに、レアスキルとサブスキルの違いは、その効果。
レアスキルの効果が100%なら、サブスキルは70%程度の効果が限界とされる。
そもそも発現率の低いスキルの場合、サブスキルの存在が見られない事だってある。
“川添のレアスキルは…………なんだっただろう。前に聞いた覚えがあるが、思い出せない。”
同じ事を二度も聞くと小馬鹿にされそうだし、後で白井さんにでも確かめておこう。
と、何気なく彼女の方を見やれば、心配そうな眼差しがこちらへ向けられていた。
「おじ様は、また戦場へ出たいのですか……?」
「それは……そうだね。悠々自適の隠遁生活っていうのも、あんまり続くと心に来るから」
「そんな理由で、安全な生活を手放すとはね。その義肢の試験運用が、今の仕事みたいなものじゃないか」
川添は、白井さんが用意してくれた紅茶と、上品な甘さのクッキーを楽しみながら、やはり皮肉屋な態度を崩さない。
……正直に言うと、怖いのだ。
この、安全が保証された生活を続けて、慣れてしまうのが。
誰かの善意を当たり前と思い、それに胡坐をかいたら、きっと俺は酷く醜い人間になると、自分で分かる。
人並みに出来る事なんて、それこそ戦いしかない。
存在証明を、戦いに求めるしかないだけ。ろくでもない人間。まるでヤクザ者だ。
でも、こんな風に考えていると二人が……特に白井さんが知ったら、きっと要らぬ心配をさせてしまう。
本心を悟られないため、俺は努めて明るく振る舞う。
「ま、実際に戦えるかどうかは分からないけどね。君達と比べたら、はるかに弱っちい訳だし。まずはスキルを扱えるようにならないと」
「うん。自分の力を正確に把握するのは良い事だね。問題は、多くの人がそこで諦め、立ち止まってしまう事だけれど」
「でしたら、おじ様がCHARMを持てるようになったら、私が訓練にお付き合いします。きっとおじ様は、まだまだ強くなれるはずです!」
胸の前で両手を握り、満面の笑みで言う白井さん。
ん〜……? 思っていたよりアグレッシブな反応……。もしや意外と熱血主義だったりするのか?
それはそれでアリなんだけど、ほら、なんか川添の目付きが怪しく……。
「そういう事なら、僕の方が適任じゃないかな、夢結。シュッツエンゲルとして、君を導いた経験もある」
「いえ。お姉様のお手を煩わせる必要は。それに、私もいずれはシルトを迎えるでしょうし、その予行演習も兼ねて……」
「随分と気が早いね。まだ二年も先の事じゃないか。それとも、僕のシルトで居るのに飽きたのかな?」
「そ、そんな事は!」
あれ。なんだろうこの空気。ギスってるのを感じる。
まさかまさか、二人して俺を取り合いか!? ついにモテ期到来かぁ!?
んなわきゃない。
純粋に互いの負担を減らそうとする気遣いが、微妙にすれ違っちゃってるだけだろう。
シュッツエンゲル──守護天使の誓いを立てた百合ヶ丘のリリィは、擬似的な姉妹関係を築くというが、本当に仲が良過ぎだ。
俺自身、微妙に脳破壊要員化している自覚はある。
ここは間を取り持たなければ。
「き、気持ちは嬉しいけど、そもそもCHARMを返して貰えるかどうかも分からないしさ。その時になったら改めて相談するよ」
「そうですか……」
「妥当だね」
白井さんは少し残念そうで、対する川添は然も当然といった顔。
表情の読みやすい白井さんはともかく、川添の感情は、なんとも掴み難い。
彼女の胸の内にあるのは、俺への同情、贖罪、気配り、敵愾心…………やっぱり、よく分からなかった。
「では、今日はこれで失礼します」
「また暇な時に来てあげよう」
「うん、また」
そうこうしている内に時間は過ぎ去り、日が沈む頃合いには、二人も部屋を後にする。
一人残された俺は、取り敢えず夕食をどうにかしようと、冷蔵庫から買っておいた購買弁当を出してレンジへ投入。
温めている間に書棚から筆記用具などを用意し、義手での書き取り訓練の準備をしておく。
それが終わる頃にレンジからチンと音が鳴り……という具合いに、孤独な時間も忙しなく過ぎていった。
一夜明け、翌日。
もはや常連と化した、工廠科は真島さんのラボにて。
「いやー、昨日は貴重なデータが取れましたよー。なので、それを踏まえてガッチガチに計測機器を着けて欲しいんですけど……」
「……計測機器って、それ?」
「はい!」
興奮冷めやらぬ、といった様子の真島さんの言葉を受け、俺は作業台に目を向ける。
そこには、およそ人間が身につける物ではないと思える、見るからに重い機械がゴチャゴチャと置かれていた。
仮に全部着けたとしたら、小さめなLAC──リリィ・アーマード・キャバリアと呼ばれるパワードスーツくらいになりそうだ。
「無理だよ。まともに走れんわ」
「ですよねぇー。ま、とりあえず義肢が壊れなければいいんで、ちょっと飛んだり跳ねたり多めでお願いしまーす! 行ってらっしゃーい!」
「簡単に言ってくれるよ……」
どうやら真島さんなりの冗談だったらしく、昨日と同じ高機能型の義肢にささっと換装、送り出してくれる。
最近、彼女の人となりが、少しだけ分かってきた気がする。同じ工廠科のアーセナルからも変わり者扱いされてるらしいが、然もありなん、といったところか。
まぁ、本当の俺を知る数少ない相手だし、可愛い女の子に「行ってらっしゃい」を言って貰えるだけでも、十分なのだが。男って単純である。
「いつもと同じコース……を、ショートカット多めで行くか」
エレベーターで移動し、校舎の外へ向かう。
歩哨の軍人に身分証明書を提示して、裏門的なゲートをくぐるのにも慣れたものだ。
最初は身バレしないかビクビクしてたけども。
軽く柔軟運動をしてから、俺は義肢の調子を確かめるように、ゆっくりと走り出す。
1000mも行けば野山も同然で、大きく張り出した木の根やら、戦闘の流れ弾で折れた木の枝などを避けるため、飛んだり跳ねたりが必要になってくる。
コースには小川もあったりするから、あらかじめ助走をつけ──跳躍。
「ぃよっと」
簡単な走り幅跳びだが、これを神経の通っていない、作り物の脚で行えるのだから、マギとは本当に万能だ。
マギ。
リリィ/マギウスとヒュージが、互いに影響を及ぼすエネルギー。
力それ自体に善悪はなく、扱う者がそれを決める。昔から変わる事のない、世の道理である。
(インビジブルワンも使ってみるか。一応、護衛の子にメールしといて、と……)
義肢、体、共に調子も良い。なら次に試すべきは、目覚めたばかりのサブスキル。
おそらく移動速度が大幅に変化するので、事前に護衛のリリィ達へとその旨を連絡しておく。
もちろん、個人的に交換したメアドじゃない。前回の事を踏まえて交換した、業務連絡用のアドレスである。
……別に、悲しくはない。
白井さんと川添と真島さんのアドレスは知ってるし、本当に悲しくない。
彼女達とも訪問の事前連絡位しかしないけど、全く悲しくない。
防衛軍時代の、野郎の連絡先しかない、汗臭くてむさ苦しいアドレス帳に比べたら、フローラルな香りすら漂ってきそうだ。
それはさて置き、サブスキルである。
基本的に、リリィ/マギウスはCHARMを介してマギを使用するが、CHARMがなければマギを使えない訳ではない。
ちょっとした身体強化なら無意識に行えてしまうし、幼い頃からレアスキルの暴走に悩まされたリリィも居るらしい。
数ヶ月前の俺はマギ保有量も少なく、そもそもスキルに目覚めてもいなかったので無理だったが、今の俺ならば、問題なくマギを消費して発動できるだろう。
更に言うなら、現在装着中の義肢には、マギクリスタルコアと類似した制御装置があるため、発動は容易いと思われた。
数回、深呼吸。
昨日の感覚を思い出しながら、義肢と体にマギを循環させ、開けた道を一歩踏み出す。
「──っとぉ!?」
想定以上に景色が変化し、慌ててマギを不活性化、急制動をかける。
昨日は一歩で十歩だったのに、今回は一歩で二十歩は移動していた。
意識して使ったから効果が上がった? それとも、マギを使い過ぎたか……。
なんにせよ、注意しないと。
「動きすぎないように、もっと細かく動作を切って……」
細心の注意を払い、再びマギを活性化する。
スキルプロトコルの時は、移動するというより、体を滑らせるような感覚で使っていた。
あれと同じような感じで、でもマギは控えめに……。
「よし……行くぞ!」
覚悟を決め、今度は走り出す。
徐々にマギを高めていき、スキルの発動点を探りつつ、ここだと思った瞬間、垂直に──跳ぶ。
空が一気に近づいて、ランニングコース全体を眼下に収められた。
それだけでなく、はるか沿岸の海も。天へと聳える、忌まわしきヒュージネストまでもが見える。
控えめに使ったはずなのに、軽く10mほどは跳んだだろうか。
壮観だ。
(……って、着地忘れるとこだった!?)
感動も束の間、徐々に重力を感じ始め、背筋が凍る。
景色に見惚れて墜落死とか、笑い話にもならない。
慌てず焦らず、マギを使った大跳躍と同じ要領で衝撃を殺せば、トスン──という軽い音だけで、俺は地に降り立っていた。
「……っふう、油断してたな……。気持ちを切り替えて、行くぞっ」
冷や汗を拭い、今度こそ、インビジブルワンを使っての移動を開始する。
森を一気に抜け、廃墟群へ。
コンクリートを蹴り、倒壊したビルの壁を走り、また別のビルへ跳ぶ。
一切地面に降りずとも、縦横無尽に空中を動き回れる。
(凄い。これがスキル。サブスキルでこれなのか)
アメコミのヒーローとか、少年バトル漫画の主人公もかくや……といった動きを、自前で再現できる日が来ようとは。
しかも、これだけスキルを使っても、まだまだ余裕がある。
……楽しい。
子供染みた全能感が、今は純粋に楽しかった。
自由に空を駆けるって、なんて楽しいんだ!
「ん? あれは……」
とあるビルの屋上へと降り立ったところで、少し開けた場所──かつての公園だろうか──に、人影を見つけた。
辛うじて形を残したベンチ。黒い制服にポニーテール。膝の上の子猫。間違いない、昨日の女の子だ。
キョロキョロして、誰かを待っているような様子だ……。まさか、俺を?
勘違いかも知れないが、そうだとしても、挨拶くらいはした方が良い気がする。
驚かさないよう、彼女から見えない位置でビルから飛び降りて、普通に歩み寄る。
と、その時である。
「んも〜、甘えん坊さんだにゃ〜。そんなにわたしの指を噛み噛みしてぇ、もしかして美味しいのかにゃ〜?」
「……………………え゛?」
「あ゛」
妙に甘ったるい猫撫で声が、女の子から発せられた。
表情もビックリするくらい蕩け切っていたのだが、俺の愕然とした声に、女の子の顔は凍りつく。
……沈黙。
ものすんごく居心地の悪い、沈黙。
「あ〜……。こ、こんにちは……?」
「……どうも……」
ぎこちなく手を挙げると、女の子もまた、ぎこちなく頭を下げた。
膝の上の子猫だけが、にゃっ、と元気に鳴いている。
挨拶したはいいけれど、どうしたものか。彼女、顔真っ赤やし。
「ゔっゔん……。これ、昨日のお礼です。一応、助けてもらったから」
「あ、わざわざ、ご丁寧に」
大きく咳払いをした女の子は、缶コーヒーをベンチの上に置き、そう言った。
うん、なかった事にする感じなんですね。了解です。
俺は缶コーヒーを手に取り、少し離れてベンチに腰を下ろした。
「自己紹介とかした方がいいかな。一応、学院の関係者なんだけど」
「……必要ない、です。有名人だし」
「え? 有名人?」
首を振る女の子に驚いて、オウム返ししてしまう。
確かに工廠科へ出入りしているし、顔見知りのリリィも何人か増えたが、それで有名になるだろうか?
何も、学院に出入りしている男が俺一人という訳ではないのだ。
防衛軍の兵士や、資材などの搬入を行う業者だっているのに。
「二十年以上前、G.E.H.E.N.A.の前身である軍産複合体に攫われ、長らく実験台にされていた、高松理事長代行の義理の息子……さん、ですよね。川添美鈴様、白井夢結様のシュッツエンゲルと親交があるとか」
「……合ってる、けど。そんなに有名なの?」
「はい。良くも悪くも」
女の子が語ったのは、俺の素性を隠すためのカバーストーリー。
それだけなら、知られていても別におかしくないけれど、川添達との関係まで?
……いや。普通に考えて、知られない方が変か。
特に隠す訳でもなく見舞いに来てくれていたし、退院して以降もちょくちょく会っているんだから。
もしかして周囲には、正真正銘の脳破壊要員として見られているのだろうか。
そしていつか、「百合ップルの間に男が入るな!」と叫ぶリリィ達に……。
いかん、不安になって来た……。
「じゃあ、コーヒー、頂きます……」
「……どうぞ」
嫌な考えを振り払うため、貰った缶コーヒーに口をつける。
隣を見れば、女の子も同じように缶を傾けていた。自分の分も買ってあったようだ。
「……聞かないんですか」
「何を?」
「……私の、こと」
ややあって、女の子が重く呟く。
一応、名前だけは義父上に教えられた。
安藤
曰く、それ以外は彼女自身に聞くが良かろう──とのこと。
余人の口から語られるべきでない、何らかの事情があるのだろう。
女の子──安藤さんの暗い表情からも、それは伝わって来た。
「その様子だと、あまり聞かれたくない事っぽいね」
「…………」
「なら聞かないよ。誰にでも、触れられたくない部分はある。おじさんにも、ね」
だから、どっちつかずな返事で、その場を誤魔化す。
誰にだって、触れられたくない傷はある。
俺が、甲州撤退戦でのギガント級との戦いを、ほとんど思い出せないように。
思い出そうとすると、体の震えが止まらなくなるように。
ほんのかすかな手掛かりは、感情だけ。
押し潰されそうな恐怖と、激しい痛みと、呪いのような後悔の念と。
それらをまとめてひっくり返す──怒り?
しかし、どんなに近づこうとしても、全ては霞のように、現実感を伴わず消えてしまうのだ。
こんな有り様なのに、本当にまた、戦えるのか。
ヒュージを前にして、CHARMを振るえるのか。
不安要素なんて、数え出したらキリがない。
だが、それでも前へ進まなければ。
一度立ち止まったら、きっと、再び歩き出すのにも苦労するだろうから。
「ご馳走様。おじさんはそろそろ行くよ。新しい力のテストも続けなきゃいけないし」
「テスト……?」
「ああ。それが今の仕事みたいなものだから」
「……そうですか」
飲み終えたコーヒーの缶を、近くにあるゴミ箱へ投げ入れ、ベンチから立ち上がる。
安藤さんは、意図的に無表情を作っているように見えた。
子猫と戯れている時は、年相応に可愛らしかったのに。もったいない。
「それじゃ、また機会があれば。さよなら。その子猫のこと、よろしく頼むよ」
「……さよなら……」
肩越しに別れを告げ、俺はまた走り出す。
また会う機会なんて、来るだろうか。
無ければ少し寂しいだけ。
あったなら、猫の話でもしてみようと、そんな事を考えながら。
走り去る背中を、少女は──安藤鶴紗は、複雑な感情を込めて見つめていた。
「変な人、だったね」
にゃあ。
指にじゃれつく、柔らかい毛並みを撫でながら、一人呟く。
鶴紗は、学院内で流れる“彼”の情報を、鵜呑みにはしていない。
確かに百合ヶ丘はG.E.H.E.N.A.と対立しているし、被害を受けたリリィの保護も積極的に行っている。
が、G.E.H.E.N.A.という組織は、よほど貴重なサンプルでもない限り、二十年も“一つの個体”を維持したりしない。その前に使い潰してしまう。
男性のマギ保有者は珍しいが、大都市を探せば必ず数人は居る。使い潰しても換えは効く。
なら、どうやってG.E.H.E.N.A.の中で長く生き延びたのか。
可能性としては、実験される側から実験する側に移った、というのが一番濃厚な線。
しかし、鶴紗には分かる。
研究者特有の空気感も、実験台にされたが故の狂気も、“彼”からは感じられない。
であるならば、開示されている情報そのものがブラフという可能性も出てくる。
詰まるところ、謎だらけで怪しい事この上ないのだ。
確実なのは、“彼”の手脚が三本も失われていること。
百合ヶ丘の中で、マギ保有者向けの義肢をテスト運用していること。
そして、その事を当たり前のように受け入れ、けれど、どこか表情に影があること。
(……考えても仕方ない、か。どうせ、わたしには関係ない。何もできない)
かぶりを振り、溜め息をつく鶴紗。
こうしてわざわざ出向いたのは、一応は助けてもらったから、というだけのこと。
あの時、“彼”が助けてくれなくても、問題なかった。
間違いなく大怪我を負っていただろうけれど、死にはしない。
そういう“力”を持っている。いや、持たされたのだ。
だから、恩義を感じる必要なんて。
(……でも)
助けられた結果、怪我を負う事はなく、痛みに打ち震える事も、制服をダメにする事もなかった。
この事実にだけは、感謝していいのかも、しれない。
いっそ、新しく制服を買える金額と同じだけ、コーヒーでも奢ろうか。
そうすれば、要らぬ負い目を感じる必要も、なくなるだろうか。
そんな事を思い、鶴紗は誰に見せるでもなく、苦笑いを浮かべた。
「行こうか」
にゃ。
分かっているのか、いないのか。返事をする子猫を抱きかかえ、鶴紗もベンチから腰を上げる。
特別寮への道のりを、子猫の名前はどうしようか、ああだこうだと悩み歩く。
その姿は、ごく普通の、年頃の少女にしか見えなかった。
一応調べたんですが、鶴紗ちゃんの保護された具体的な時期が出てこず、しかし、中学時代に友人が居た、という記述はありました。
なので、この作品では二年前(甲州撤退戦)の前後で保護されていた、という事にしております。ご了承下さい。
ちなみに鶴紗ちゃん、講義は普通にサボってます。
まだやさぐれてる時期なので、きっと「勉強なんかしてなんの意味があるの?」とか、正面から言えちゃう。
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08 キンセンカ ──Pot Marigold── 語られぬ戦い、その一
「あっづい……」
うだるような暑さ。
……としか表現しようがない、日本特有の蒸し蒸しした熱気が、全身を包んでいる。
海風が吹けば涼を感じられるものの、それも一瞬だけ。燦々と陽光を降らせてくる太陽が、憎くて仕方ない。
月日は穏やかに流れ、すでに夏。
異常気象のおかげで、ただ息をするのもしんどい有り様なのだが、実はこれから、もっと疲れる事をしなければならなかったりする。
「何も、こんな炎天下に外出しなくたって……」
「甘えたこと言わない。僕達が付き合ってあげてるんだから、むしろ喜んでもいいんじゃないのかな?」
「そう言われてもだなぁ……暑いもんは暑いよ……」
隣を歩く涼しい顔の少女──川添は、暑さなんてどこ吹く風、である。
着ている制服は夏服に変わっており、肩のところが少し膨らんだ白い半袖シャツと、シンプルな黒いスカート、といった姿だ。
そして、彼女を挟んで反対側に居る白井さんも、もちろん夏服。
中等部の夏服は、春秋用の黒いワンピースと対照的な、純白のワンピース。川添と相合傘している日傘も相まって、お嬢様感が凄かった。
いや、お嬢様と言うには、提げているCHARMコンテナがちょっと邪魔か?
俺の格好はと言えば、半袖の黒いシャツに灰色のズボン。百合ヶ丘の訓練用制服と似た感じである。色が黒系だから、余計に暑いのだ。クソ暑いのだ。
「水場に近づけば、少しは涼しくなるはずですから。もう少しの辛抱ですよ、おじ様」
「うん……ありがとう、白井さん……。川添も白井さんを見習って、もっと慈愛の心を見せたらどうだ……?」
「お生憎様。僕の慈しみは、夢結だけに注がれるものなのさ。その残りカスでよければ、見せてあげてもいいけれど」
「この……この……夢結スキーめ……」
「お褒めに預かり光栄だね。あと、さり気なく夢結を呼び捨てにしないで貰えるかな」
「もう、お二人共? その辺にして下さいっ」
川添とバチバチやり合っていると、白井さんが丁度良いタイミングで間に入ってくれる。
暑さは変わらないが、それを少しの間忘れさせてくれる、相変わらずのこのやり取りが、せめてもの救いか。
俺達が歩いているのは、ヒュージとの戦場である廃墟群。
かつては剥き出しのコンクリートだった街も、今では苔むし、樹木に覆われているけれど、反射熱が消えて無くなる訳ではなく、学院敷地内と比べると、やっぱり暑い。しつこく言うが、本当にあっっっっっついのだ。
と、愚痴を零している間にも脚は進み、白井さんの言う通り、大きなクレーターの湖が見えてきた。
水の上を渡って吹く風は心地良く、汗を瞬く間にさらって行った。
湖面から覗くビルの残骸と、その上に芽吹く草花が、どこか退廃的な美しさを醸し出している。
「あ、来た来た! おーいっ! こっちよー!」
思わず見惚れていると、遠方から俺達を呼ぶ声が。
見れば、少し離れた湖の沿岸で、大きく手を振る真島さんが居た。
足を向けると、周囲をよく分からない機材に囲まれ、忙しなく動いているのが分かる。
「お疲れ様、真島さん。ここが、戦闘訓練をする場所?」
「ですです。きっちりしっかり観測しますんで、張り切って下さいね、おじ様!」
「それは、まぁ……。で、俺のCHARMは……」
「あ、はーい。ここにありますよ」
そう。今日ここで行うのは、戦闘訓練。
戦闘用義肢に慣れ、身体機能の回復も認められた事で、義父上からCHARMを握る許可が下りたのだ。
実際には、バグを抱えたアガートラームのコアの運用試験を行うため、俺が駆り出されているという形なのだが、とにかく、以前の自分を取り戻せたようで嬉しかった。
……ところが、真島さんに満面の笑みで渡されたCHARMコンテナからは、見覚えがあるようでないような、記憶とは違うシルエットが現れる。
「なんか、形が違う?」
「当ったり前ですとも! ただ修理して元通りにするだけなんて、アーセナルの名が廃りますから! 使用履歴を参照して、大幅なバージョンアップをしました!」
以前の、大鉈とバズーカが一体化したような形状と、似てはいる。
しかし、刀身内に納まっていたはずの銃口が露出し、峰の部分と一体化している。
ボックス型の弾倉は交換が簡単そうで、かつ動きの邪魔にならない位置。少し振ってみると、カウンターウェイトの役割も兼ねていそうだった。
なんというか、全体的にシャープな印象である。ついでに、前は単なる金属色だったのが、清潔感のある白色に統一されていた。オレンジ色の刃止めパーツが目立つ。
「まず、砲撃形態をほぼ使っていなかったようなので、変形機構そのものをオミット。全体としての耐久性を上げています。
次に、各パーツ自体の強度も上昇させて、より大きなマギを使った攻撃にも耐えられるようにしました。攻撃面、防御面での性能アップと考えて下さい」
「な、なるほど。他に、何か変更点とかは?」
「お、おじ様っ、その質問は──」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました……! まだまだ追加機能がありましてですねぇ……!」
「あああ……遅かった……」
現状を把握しておきたくて、俺は真島さんに詳しい説明を求める。
何故か白井さんが慌てていたのだが、その理由はすぐに分かった。
こちらが口を挟む暇がないほどの勢いで、真島さんがアガートラームの説明を始めたからだ。
刀身の素材、ライフリングに刻まれたルーン文字の魔化傾向、発射される砲弾の初速、射撃時の反動の強さ、複数箇所に設けられた追加グリップの意味、などなどなど……。
それはもう楽しそうに、これでもかと語りまくる姿は、CHARMオタクと呼んでも差し支えなさそうなほど、凄まじい情熱を感じた。
とても良い事だと思う。思うけど、ぶっちゃけ暑苦しい。
どうにかして話を逸らさないと……なんて思っていたら。
「おーい、まだ話は終わらないのかー? もう立ちくたびれたゾ!」
頭上から、聞き覚えのない少女の声が降ってきた。
比較的無事な、数階建ての廃ビルの上に、こちらを見下ろしているらしい人影が。
逆光になってよく見えなかったけれど、人影は悠々とビルを飛び降り、真島さんの隣へ。
俺と同じ配色の、百合ヶ丘の訓練用制服から、上着を外した夏バージョン。
短めの髪を、頭の上の方で二つ結びにしている、小麦色の肌が健康的な少女だった。
「ごめんごめん、つい楽しくなっちゃって」
「それは見れば分かるけど、ぶっちゃけ忘れてなかったか? 梅のこと」
「あ、あはは〜、そんな事ないわよ〜」
「真島さん、彼女は?」
見知らぬ少女と、仲良く談笑する真島さん。
俺が問い掛けると、真島さんではなく本人がそれに答えた。
「わたしは吉村・Thi・梅。あんた──じゃない、貴方が、夢結と美鈴様を助けてくれたっていう人か?」
一歩進み出て、無表情に俺を見据える彼女……吉村さん。
あまりにもジッと見つめてくるので、思わず怯んでしまいそうになったが、やましい事は何もない。正面から視線を受け止め、頷き返す。
ややあって、吉村さんはにっこり笑い、右手を差し出した。
「梅の友達と、そのシュッツエンゲルを助けてくれて、ありがとな!」
「え……?」
……呆気に取られた。
表情の落差にではなく、言葉の真っ直ぐさに。
真っ直ぐ過ぎて、ちょっと捻くれた俺でも、額面通りに受け取るしかない。
この笑顔と、言葉が如実に物語っている。この子は──吉村さんは、めっちゃ良い子だと。
知らず、こちらも右手を差し出していて、けれど、それが作り物である事を直前で思い出し、力を入れ過ぎないよう、注意を払いつつ手を取った。
「どういたしまして……。それで、吉村さんは──」
「梅だ」
「は? ああ、うん、吉村・Thi・梅さんだよね。で、よしむ──」
「苗字じゃなくて、名前で読んでくれた方が、梅は嬉しいゾ?」
これまた、冗談で言っているとは全く思えない、純粋な笑顔。
……勘違いしちゃダメだ。
男子高校生だったら間違いなく「あれ。俺のこと好きなんじゃね?」って勘違いしちゃう匂わせ女子ムーブだけど、きっと違うから。
吉村さんは多分、誰にでもフレンドリーなだけだから。
俺は気付かれないよう、軽く深呼吸。
下心を蹴っ飛ばしながら笑う。
「分かった。それじゃあ、梅さん。君はどうしてここに?」
「それはもちろん、梅が訓練の相手をするからだ!」
「へ? 訓練の?」
今度は、別の意味で呆気に取られる。
小柄で、俺よりも頭一つ半は背の低い彼女が、訓練相手……。
リリィを見た目で侮ってはいけないと分かっていても、不用意に傷付けないか、不安に感じてしまう。
そんな気持ちを察したか、白井さんが進み出て経緯を説明してくれた。
「梅の持っているレアスキルは縮地なんです。彼女と訓練をすれば、おじ様の得るものも多いと思いましたので、頼んでみました。甲州撤退戦にも参加しています」
甲州撤退戦?
もしや、と思って白井さん、川添の二人を見れば、無言で首を縦に振った。
彼女も“知っている”、という事だろう。
意外と多いな、俺の秘密を知ってる人。
「本当は、訓練とかあんまり好きじゃないんだけどなー。他でもない夢結の頼みだし、あんたに──じゃなかった、貴方にも興味があったからな!」
「そうなのか……。あ、呼びにくいなら、もっと適当に呼んでくれても構わないよ」
「そっか。じゃあ、おっちゃんって呼んでも良いか?」
「おっちゃ──!?」
「こ、こら、梅! その呼び方は流石に……!」
「ぷふっ……くくく……っ、いやぁ、なかなかやるね、梅くんも」
おっちゃん……。白井さんのおじ様呼びに慣れていたせいか、妙にダメージがデカい……。
そして笑ってんじゃねぇ川添。お前だっていつか、おばさん呼ばわりされて傷つく日が来るんだからな?
と、負け惜しむ俺を他所に、真島さんは笑顔で柏手を打つ。
「はいはい。親睦も深まったところで、おじ様? さっそくCHARMにマギを入れてみましょう! 訓練を始めるのは、試運転が終わってからですよー?」
「そう、だね……」
「それと、まいまい。今回は自前のCHARMじゃなくて、第一世代CHARMを使ってもらえる?」
「いいけど、どうしてだ?」
「得られるデータは全部集めたいの。計測用に調整したのを用意してるから、お願いね」
「ん〜……。分かった、やってみる」
機材に紛れていたコンテナから、緩やかな反りを持つ、長剣型第一世代CHARMを取り出した梅さんは、確かめるようにそれを振り回している。
……呼び方、梅ちゃんのがいいか? とりあえず脳内では“梅ちゃん”で呼ぼう、その方が気楽だし。現実で呼ぶ勇気は無い。
ちなみに第一世代CHARMとは、変形機構を最初から搭載せず、斬撃形態か射撃形態の、どちらか一方しか持ち合わせないCHARMの事である。
真島さんが改造したアガートラームは、変形機構こそ無いものの、斬撃と射撃を使い分けられる(っぽい)ため、第二世代CHARMとして扱われるはずだ。
「コアは前と同じ物ですけど、それ以外は丸っと新品だと思って下さい。マギを入れにくいかも知れません」
「分かった。やってみるよ」
やっとこ、おっちゃん呼びから立ち直った俺は、改めてCHARMを構えてみる。
アガートラーム……。
俺の、“相棒”。
その名の意味は、銀の腕。ケルト神話のダナー神族(もしくはダヌー神族)の王である、ヌァザの事を指す。
戦いの中で右腕を切り落とされたヌァザは、「肉体の欠損は王権の喪失」とされる慣習によって王位を追われたが、指先まで自由に動かせる銀の義手を得た事により、王権を取り戻した。
また、彼の持つ名もなき剣は、北欧神話に登場する魔剣、ダインスレイフと同じ起源を持つという説もある。
俺は王様なんかじゃないし、右手はおろか両脚まで失っているけれど、不思議とシンパシーを感じてしまう。
これで戦闘用の義手が銀ピカだったら、コスプレになってしまうかも知れない。
それはさて置き、CHARMへのマギ注入だ。
本来は長い時間をかけ、自分のマギとCHARMの親和性を高める事で、己が手足と同じように扱えるようになるのだが…….。
(確かに、コア以外は新品だ。俺のマギの気配が微塵もない。こんな状態だと、振り回すのも難しいけど……いや、いける)
CHARMと同化するには、時間をかけてマギを馴染ませる他に、もう一つ方法がある。
一度に大量のマギを流し込み、運用可能なマギ許容量の飽和状態を一定時間維持する事で、強制的に染み込ませるのだ。
難しいのは、飽和状態を維持するということ。
水の入ったコップを持ったまま、零さないように空気椅子をするようなもので、かなり厳しい。
アガートラームを握った時点で、そのマギ許容量はなんとなく理解できた。そして、今の俺ならば、それを一気に満たせるという事も。
サブスキルに目覚めて、自分のマギ保有量と操作技術が、格段に上昇している事に気付かされた。
失敗したとしてもマギを無駄にするだけで、CHARMは安全装置が守ってくれる。試してみて損はないだろう。
「──ふっ」
呼吸を止め、左手中指の契約指輪を意識しながら、マギを活性化させる。
コアから澄んだ共鳴音が響き、アガートラームは蒼い輝きに包まれた。
そのまま、十秒、二十秒、三十秒……。
やがて、輝きはアガートラームへと定着し、全体が一際大きく光を放ったかと思えば、元の白色に戻る。
一見何も変わらないが、先程までとは全然違う。
まるで血が通ったような一体感。……成功だ。
「っふう、上手くいった……」
「へぇ……。一気に自分のマギで染め上げるとはね」
「流石です、おじ様」
「やるなー」
「ほほう、なるほどなるほど、興味深い……ん?」
わいわい、がやがや。
女子三人が珍しそうに、アガートラームを観察する。
一方の真島さんは、送られているデータをタブレットで確認していたのだが、何やら首を傾げて。
「どうかしたのかい、百由くん」
「……いえ、気のせいだったみたいです。そのまま、義肢の調子も見てみましょう」
覗き込む川添にそう返し、真島さんは別のコンテナを開けた。
そこにあったのは、日常生活の事など完全に度外視した、無骨な鈍色の塊。
換装してもらって分かる、その性能。
マギ許容量、伝達率、反応速度、強度。全てが段違いだ。
「よし、チェック完了! いつでも始めてもらってOKですよー!」
グッと親指を立て、真島さんがゴーサインを出す。
俺も右手の義手で親指を立て、少し離れた所で準備運動をしている梅ちゃんの元へ。
彼女はニカッと笑い、刃止めされた第一世代CHARMを軽く振り回している。
余談だが、第一世代のCHARMは、機能が単一であるが故に制御も容易く、使用者のマギも馴染みやすいという特性がある。
なので、現在でも生産は続けられており、いざという時の予備機として活躍している。本当に良い物は廃れない、という事だろう。
「それじゃあ、まずはスキルを使わないで、軽く肩慣らしといくか!」
「お手柔らかに頼むよ? CHARMを振るうのは久しぶりなんだ」
「任せとけ!」
笑顔を崩さす、CHARMを脇構えにする梅ちゃん。
数歩離れて相対するこちらは、八相に構え、一呼吸。
風が吹く。
木の葉が間を舞い、視線が交錯したその刹那、同時に踏み込んでCHARMを振るった。
ギィン──という衝突音と、激しい火花。
数度のぶつかり合いの後、軽く距離を取った俺の左手は、受けた衝撃で痺れていた。
「見かけに寄らず、攻撃が重い……っ!」
「おっちゃんも中々だな! 弾き返されないようにするのが大変だ!」
再び同時に踏み込み、鍔迫り合いからの攻防が始まる。
振り下ろし。受け流し。突き。弾き。薙ぎ払い。いなし。切り上げ。身躱し。
互いに攻撃しては防ぐ。ただそれだけの繰り返しだが、意識が研ぎ澄まされていく感覚がある。
そして、梅ちゃんのデタラメさも、よくよく理解できた。
軽やかな身のこなし。類稀な戦闘技術。これだけ動いて、息一つ乱さないスタミナ。
全てが非常に高レベルでまとまっている。
純粋に、強い。
(これだけ揃って、更に縮地まで使うとか、反則じゃないか? おまけに可愛いし)
こちらはブランクありの元雑魚兵士。手加減されてるのは間違いない。
が、それでも十年以上、防衛軍で生き延びてきたのだ。ただで負けるつもりもなかった。
行動パターンを把握し、読み合いに持ち込めれば、俺の経験も活かせるはず……。
と、そこで不意に梅ちゃんが構えを解く。何か言いたげだ。
「そろそろ準備運動は終わりでいいか? 普通に戦うのも飽きてきたゾ」
「……ああ、スキル解禁って事か。分かった、胸を借りるつもりで行かせてもらうよ」
「胸かー。どんとこいだ! 夢結よりちっちゃいけどな!」
「ブッ!?」
「ちょっと、梅っ!?」
梅ちゃんのぶっ込み発言に、思わず吹き出す。
まだ皆の近くで戦っていたため、バッチリ聞こえていたらしい白井さんの顔が真っ赤である。
そうなのか……。まぁ、えっと、見た目からして、発育が大変よろしいのは分かってたけど、やっぱり大きめなのかぁ。
……………………いやいやいやいや、訓練に集中しろ集中!
(スキルでの移動の距離感や速度、完璧には掴みきれてないから、緊急回避に使う感じで……あれ?)
頭から邪な想像を追い出し、俺はアガートラームを構え直すのだが、正面に居たはずの梅ちゃんが……居ない。
「どうした? 梅ならここに居るゾ」
「──っ!?」
梅ちゃんの声は、背中側から聞こえてきた。
慌てて振り返ると、得意げな笑顔がそこにある。
「い、いつの間に……?」
「おっちゃんが、梅の話術に惑わされてる隙に、だ。こういう事を可能にするのが縮地、そしておっちゃんのインビジブルワンだ!」
胸を張るその姿からは、溢れんばかりの自信が垣間見えた。
確かに、彼女は凄い。才能とセンスに恵まれ、それを活かす機会にも巡り合っている。
……しかし。話の出汁に使われた白井さんの怒りには、気付いてないらしく。
「……梅。訓練が終わったら話し合いましょう、じっくり」
「え? あ、あはは、怒るなってー、夢結ー。一応は褒めたんだし……」
「後で部屋に行くから。 い い わ ね ? 」
「はい」
梅ちゃんは白井さんの方を一切振り向かず、冷や汗をかきながら頷いた。
賢明な判断だったと思う。
何故なら、白井さんの眼力が恐ろしい事になっていたからだ。もともと美人なだけあって、怒るとめっちゃ怖い。というかルナトラ発動しかけてません?
正直、逃げたい。
「……よし、まずは梅の動きについて来い! 追いかけっこだ!」
「え、あ、ズルいぞっ!」
縮地を使い、一目散にその場を離れる梅ちゃんを、俺も急いで追いかける。
ズルいと言ったのはもちろん、勝手に追いかけっこを始めた事にであって、先んじて逃げ出した事に対してではない。
嘘じゃない。本当だ。
そしてもう、そんな事はどうでもいい。
何故ならば……。
(嘘だろ、全然追いつけない!)
インビジブルワンを全開で使っているにも関わらず、梅ちゃんとの距離が詰まらないのだ。
廃墟の屋根を跳び、ビルの壁面を伝い、電柱の頭を蹴り。なんでも足場にして追い縋るが、全く近づけない。
これが、レアスキルとサブスキルの差?
なんてデタラメな……!
「ほらほら、こっちだゾ〜」
「くっ……こんのぉ!」
「ん、おしい!」
地面へと降り、余裕綽々で手を振る梅ちゃん。
俺も同じように戻って、衝突確実な勢いで手を伸ばすも、ひょい、と避けられる。
が、それは承知の上。
アガートラームを地面に突き立て急制動。反転して飛び掛かるが──
「あらよっと」
軽々と身を翻される。
その後も同じ展開が続き、五分。
「遅い遅〜い」
十分。
「残念賞〜」
とうとう十五分が経過し、精根尽き果てた俺は、大の字になって太陽を仰ぎ見る。
雲一つない空が、憎らしかった。
「はぁ……はぁ……これ、どうやったって……無理……なんじゃ……」
「うーん。動きは悪くないんだけど、スキルは全然使えてないなー。振り回されてる感じだ」
「返す、言葉も……ございません……」
梅ちゃんは側で膝を抱え、俺の頭をツンツン指で突っついている。
ちなみに、彼女はスカートの下にスパッツを履いているため、見えない。
が、あえて言おう。スパッツも大好物であると! ハハハハハ油断したなぁ!
……現実逃避してても意味がない。どうにかして、対応策を練らないと。
『そんなおじ様に朗報ですよー! 今回の義肢は戦闘用なので、出力を上げると性能が格段にアップするんです。
義肢の最大出力とスキルを組み合わせれば、今までにない機動力を出せるはずです! どういたしましてー!』
「……あ、ありがとう?」
少し遠目に見える真島さんから、拡声機越しの声が聞こえてきた。
先に「どういたしまして」を言われてしまい、なんとなく腑に落ちないまま、お礼を言う。
すっかり慣れたつもりだったけど、やっぱり変わってるよ、この子。
取り敢えず立ち上がり、きちんと梅ちゃんと距離を取ってから、義肢を確かめた。
出力を上げる……。
単に流し込むマギの量を増やせば良いはずだが…………あまり変化は感じられない。
しかし、“あの”真島さんが言った事だ。信じるしかないだろう。
「それじゃ、続きといくか! いつでもいいゾ!」
「よぉし……吠え面かかせてやる……!」
改めてCHARMを握り直し、梅ちゃんと対峙する。
彼女が足に力を込めるのを見定めた俺は、合わせてマギを活性化。全力で駈け出す。
コンクリの壁が現れた。
「んなっ──ぶべっ!?」
訳も分からないまま、反射的に防御結界に集中。真島さん達の横を通り過ぎ、付近の廃ビルと激しいキスを交わした。
ドゴォンッ! という音が轟き、大量の粉塵が舞う。
きっと壁には、ちょうど俺の大きさの、人の形をした穴が開いてるはず。
痛い……。ただひたすらに、痛くて恥ずい……。
「お、おじ様っ? 大丈夫ですかっ」
「あっちゃー。これは、想定よりも出力が上がり過ぎちゃってるかも……。リミッターはあるはずなんだけどなぁー?」
「……っふ、く、ふふふふっ……や、やめて……笑わせないで……お腹痛い……くふうっ……」
「あっはは、おっちゃんは見てて飽きないなー!」
慌てふためく白井さん。
タブレットを確認する真島さん。
お腹を抱え身をよじる川添。
快活に笑う梅ちゃん。
壁の一部と化している俺には見えないが、そんな様がありありと想像できた。
よく確かめもせず、いきなり全力なんて出すもんじゃない。
新しく得た教訓を噛み締めながら、俺は自分自身に誓う。
(絶対、インビジブルワンを使いこなしてやる!)
全身に力とマギを込め、脆くなったコンクリート壁から脱出しつつ、アガートラームで粉砕する。
またしても轟音が響き、粉塵は先ほど以上に拡散した。
これで注意を集められたはず。
後は、その注意を逸らし、隙を作ればいい。
「おーい、大丈夫かー? 助けは要るかー、おっちゃーん?」
反応がないので心配したのだろう、梅ちゃんが声を掛けてくれる。
粉塵の中、その聞こえてくる方向へ、強化した右腕に持ったコンクリの塊を──山なりにブン投げた。
「おおっ? そう来たかっ!」
驚く声。
彼女の行動は恐らく、縮地で回避か、CHARMで防ぐかの二択。
これまでの動きを考えると、回避優先だと思われる。
その可能性に賭けた俺は、更に陽動するため、訓練弾で投げたコンクリ塊を撃ち抜く。
当然、それは粉微塵に粉砕され、間違いなく梅ちゃんの視界を奪う。
このタイミングで突っ込めば──
「でも」
──不敵な囁き声が、耳に届く。
嫌な予感を振り切るよう、声のする場所へ手を伸ばすも……空振った。
粉塵が風で流される。
梅ちゃんは、俺の動きを完全に見切ったかの如く、ほんの数歩ズレた位置に立っていた。
嘘だろ、これでもダメか!?
「あははっ。そう簡単には捕まってはやれないゾ!」
「く……っ、逃がすかっ!」
跳躍し、遠ざかっていく屈託のない笑顔は、まるで子供が遊んでいるみたいだった。
悔しいけど、まだ策を一つ破られただけ。
気合いを入れ直し、俺はまた、梅ちゃんの背中を追いかけ始める。
まだまだ、これからだ!
梅とおじ様の戦闘訓練が始まって、約数十分。
遊び半分だったように見えたそれも、今や固唾を飲んで見守る他ない、白熱したものになっていた。
「凄い……。段々と、梅の動きに適応してる……」
切り結ばれる、梅の第一世代CHARMと、おじ様のアガートラーム。
その度に激しく火花が散り、刃が甲高く鳴り響いている。
最初こそ、素早い動きに翻弄され続けていたおじ様だったけれど、梅を捉える事すら出来なかった攻撃が、ここに来て冴えわたっているような……。
事実、さっきまで余裕を持って回避していた梅も、おじ様の攻撃を受け流しては、わずかに体勢を崩したりしていた。よほど斬撃が重いのだと思う。
私だったら、受け止めきれる? どうかしら、受けてみないと判断できない。
しかし。
「くっそぉ、芯がずらされるっ」
「あははっ。ヒュージの攻撃はもっと重いからな! こっちからも行くゾー!」
「ぅひぃ!?」
防戦一方という訳ではなく、もちろん梅の攻撃も繰り出され、おじ様はそれを、やっとの思いで捌いている。
小柄ではあるけれど、スピードの乗った梅の攻撃。厄介なのは、私も身を以て知っていた。
「まだ梅くんに余裕があるね。才能の差は歴然だけれど、それでも食らいついていけるのは、曲がりなりにも歴戦のマギウス、といった所かな」
「はい。おじ様が聞いたら喜びますよ」
「おっと。なら秘密にしてくれるかい、夢結。調子に乗ったらまずい」
私の隣で観戦しているお姉様が、組んでいた腕を解いて、人差し指を口に立てた。
……どうしてお姉様は、おじ様への言葉を隠すのか。
命の恩人である事実は変わらないし、こうして努力を重ねる姿を見ていると、私も尊敬の念を抱いているのを自覚する。
お姉様だってそれは同じはずだし、だからこそ……。病院での、あんな表情を見せたりも、しているのだから。
あ、私は異性としてではなく、あくまで人間として尊敬しているだけです。流石に歳が離れ過ぎなので。
よく考えてみたら、お姉様の男性の好みって、どんな感じだろう?
私はお姉様を大切に想っているし、お姉様も……同じだと願いたいけれど、別に同性愛者という訳ではない。
いずれは誰かと結ばれ、子供を産む。
そうなった時、お姉様の隣に立つのは……どんな……。
と、思わず考え込もうとした瞬間、一帯に大きな鐘の音が響き渡った。
「この音は!?」
「ヒュージか、間の悪い……」
「おじ様、まいまい、訓練中止ー! 引き上げますよー!」
黙々とデータを集めていた百由さんが、拡声機でおじ様達を呼び戻す。
この鐘の音は、ヒュージが出現した事を知らせる合図。速やかなリリィの出撃を促すための物でもあった。
泡を食った様子の二人も、すぐ私達の側へ戻って来る。
「白井さん、この鐘って!」
「はい。ヒュージです。当番のリリィが出撃するはずですが……」
「念には念を重ねないとね。夢結、僕達も支援に回ろう」
「もちろんです、お姉様」
「梅も行くゾ!」
戦場ではどんな不測の事態が発生するか分からないし、対応する人員は多い方がいい。
念のため、CHARMを持って来ておいて良かった。
梅も第一世代CHARMを返し、本来の自分のCHARMが入ったコンテナを開けようと……した瞬間、百合ヶ丘女学院の方から、空を切り裂く白い軌跡が、幾条も放たれた。
(えっ、もう前段攻撃がっ?)
防衛軍が運用する兵器群……いわゆる誘導兵器、ミサイル。
普通はリリィによる防御陣が構築され、万が一にも味方に被害が及ばないよう、注意して行われるはずなのに。
何かがおかしい。
誰一人、言葉を発しないまま、マギを活性化。近くの廃ビルの屋上へ跳び、状況を確認する。
見えたのは、炸裂するミサイルの数々。
普段より数が多いのか、非常に広範囲に爆煙が広がっていた。
そして、その分厚い煙を当然のように抜けてくる、影。
……ヒュージ。ヒュージの、群れ。
海に浮かぶ、何本もの柱を背負った亀のような形をしたラージ級が、四……違う、五体も。
通常兵器では、ラージ級のヒュージは傷付けられない。可能なのは、ほんの少し足を遅らせるだけ。
でも、そうせざるを得なかったから、防衛軍も前段攻撃を早めたのだと、これで分かった。
私と同じ危機感を抱いたらしいお姉様も、眉を寄せている。
「ラージ級の群れ、か。本格的に不味いかも知れない」
「急ぎましょう。百由さんは、おじ様の事をお願いね」
「りょーかい。自分のCHARMも持って来てないし、大人しく下がるわ。行きましょ、おじ様。……おじ様?」
既に撤収の準備を終えていた百由さんが、大きな機材を背におじ様へ呼びかけるけれど、返事はない。
おじ様は、ヒュージの来る方角を見つめていた。
血の気の引いた、真っ青な顔で。
「あ、脚が、動かない……っ。右腕も、震え、が……。なんで、急に……っ」
おじ様の右腕──鈍色の義手が、目に見えて震えている。
保持したCHARMと擦れて、カチャカチャと金属音も。
同じように、義足も動作不良を起こしているのか、踏み出すことすら危うい様子。
どうして、こんな急に……。
まさか、本物のヒュージを目撃したせいで……?
「どうやら、見誤っていたみたいだね」
「お姉様?」
「彼の、心の傷の深さを、さ」
「……あ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる、お姉様。
考えてみれば、当たり前の話だと思った。
おじ様は甲州撤退戦でギガント級ヒュージと戦い、その中で手足と、命まで失いかけた。
傷が浅いわけはない。
本当なら、立ち直れなくてもおかしくないのに。
何故、こんな単純な事に、思い至れなかったのだろう。
何故、私はおじ様が立ち直ったものだと、思い込んでいたのだろう。
自分自身の愚かさを突きつけられ、私は愕然とさせられる。
その間にも百由さんは動き続け、手早くタブレット端末と義肢をコードで繋ぎ、調整に入った。
「おそらく、義肢との精神リンクが深過ぎて、不必要な情報を拾ってるんだと思います。
今からリンクを弱めます。出力は下がりますけど、普通に動けるようになるはずですから」
「真島さん……お、俺は……」
強い焦燥感に苛まれて見えるおじ様。
縋るような眼差しが、こちらへ向けられていて。
しかし、お姉様はおじ様に対し、くるりと背を向けてしまう。
「早く行くんだ。今の“貴方”では、足手まといにしかならない」
「──っ!」
その瞬間、おじ様の顔から表情が抜け落ちた。
見ている方の背筋を凍らせるほど、暗く、深い……絶望?
傷付けた。間違いなく、おじ様の心を抉る言葉だった。
「お姉様っ、そんな言い方をせずとも──」
「いいんだ白井さん。……いいんだ」
思わず、お姉様に意見しようとする私を止めたのは、他ならぬ、おじ様自身。
顔は伏せられ、どんな表情をしているのか、分からなかった。
けれど、次に見えたのは、諦めの混じる苦笑い。
「気をつけて。無事に帰って来てくれよ」
「は、はい。もちろんです」
「…………」
「川添、返事は?」
「……分かっているとも」
「なら良し。梅さんも、怪我をしないように。今度、ジュースでも奢ろう」
「う、うん。頑張ってくるゾ!」
背を向けたままのお姉様にも声をかけ、最後に梅を激励したおじ様は、百由さんと共にこの場を去る。
小さくなっていく影を、私は無言で見つめる事しか出来なかった。
ところが、不意にコンクリートを砕くような破砕音が聞こえ、驚きながら振り向く。
お姉様がCHARMを──先行量産型ブリューナグを、力任せに突き立てていた。
「いつも笑っているから、笑ってくれているから、つい忘れそうになるよ。彼がああなったのは、僕のせいなのに。……酷い女だね、我ながら虫唾が走る……!」
苦味走った、獰猛な笑み。
ブリューナグを握る手には、震えるほどの力が込められていると分かる。
まただ。また、初めて見る表情。
仲間を傷付けたヒュージに激怒する事はあっても、こんな……憎悪にも似た感情を露わにするなんて。
どう声を掛けるべきなのか。そもそも、声を掛けても良いのかどうか。
私が迷っている間に、お姉様はブリューナグを抜き放つ。
「行こう」
そう言い残し、跳躍。戦場へと向かう、お姉様。
知らず、遠ざかる背中に手を伸ばして…………何も掴めずに、下ろしてしまう。
遠い。
誰よりも近くに居たはずなのに、今は。
この気持ちは何? 以前にも感じた、寂しさとも、悲しさとも違う……。暗くて重い、この気持ちは。
「なぁ、夢結。美鈴様は、大丈夫なのか?」
「……どういう意味かしら」
「ん〜……なんていうか……。みんな、素直じゃないなーと思って」
「ますます意味が分からないのだけど……?」
動けないでいた私に、いつも笑顔な梅が、珍しく心配そうな顔を見せる。
お姉様が、素直じゃない?
ううん、違う。みんなと言うことは、私も含めて……?
何を言いたいのか、考え込もうとする私の肩を、梅は力強く叩く。
「きっと、梅の言葉じゃ届かない。だから夢結がしっかりしなきゃ駄目だゾ!」
「え、ええ。よく分からないけれど、分かったわ……」
「よし、じゃあ急ごう! さっさと終わらせて、おっちゃんを安心させてやらないとなっ」
「……そうね!」
いつも通りの、温かい言葉に背を押され、私は前へと足を踏み出す。
本当に、梅には助けられてばかり。甲州撤退戦の時から数えたら、いくつの借りがあるのか分からない。
今は、私やお姉様の事を考えている時じゃない。
ヒュージを……おじ様を含む、多くの人を傷付けるヒュージを撃退する事に、集中しなければ。
私は決意を新たに、ダインスレイフを構えて跳躍する。
前線で待っているだろう、お姉様の隣に立つために。
ああ、そうそう。借りがあると言っても、私の胸のサイズを出汁に使った件は忘れないわよ、梅。
しっかり話し合いましょうね……?
「……っ、な、なんか背筋に悪寒が走ったゾ……」
「気のせいよ。多分」
訓練で使っていた測定機器と、コンテナに格納したアガートラームを背負いながら、俺は無言で、転ばないよう、注意しつつ歩いている。
先導してくれる真島さんも、重たい荷物を背負っているからか、会話する余裕はなさそうだった。
おかげで、思う存分、自分に幻滅できた。
(情けない)
一言で言うなら、これに尽きる。
いつからか、自分が強くなったと錯覚していた。
スキラー数値が上がり、マギ保有量も増え、失った手足をも補えた。
だから、ヒュージを前にしても戦えると、思い込んでいたのだ。
結果として、俺は逃げ出すことしか出来なかった。
きっと、甲州撤退戦の時みたいな自己犠牲も、無理だ。
ヒュージが俺の体と、精神に刻みつけた傷が、それを許してくれない。
なんて、情けない。
幻滅……いや、失望だろうか。どちらも等しく、今の感情を表すに最適な言葉だった。
そんな時、ふと頭上を影がよぎった。
反射的に目で追うと、見覚えのあるポニーテール少女が、白井さんと同じ型のCHARM──黒いダインスレイフを持ち、俺達を追い越すように降り立っていた。
安藤鶴紗。
こちらに気づいたのか、ペコリと頭を下げている。
「君は……どうしてここに……?」
「当番、だから。一応。やばいみたいだし」
当番……。ヒュージ出現時の出撃当番、という意味だろう。
が、彼女以外にリリィの姿が見えない。
そのまま立ち去ろうとする安藤さんを、俺は呼び止めていた。
「ちょっと待った。一人なのか? 当番ったって、単独行動は……」
「……いいんだよ、一人で。他のリリィなんて、邪魔なだけだから」
肩越しに振り向いたのは、冷たい目。
あの日、我が身を顧みずに子猫を助けた女の子と、同一人物とは思えない、無機質な瞳。
絶対の自信と、完璧な拒絶とを同居させる表情は、まるで氷の彫刻のようだった。
一体、どういう事だろう。
もしや、白井さんと同じくルナティックトランサー持ち? いや、ならば尚更、他のリリィとの協力が不可欠だ。
バーサーク状態は最悪、マギが枯渇するまで持続してしまう。もしヒュージの群れのド真ん中でそんな状態になったら、最悪の事態が待っている。
他のレアスキルにしたって、単独行動でしか活かせないスキルなんか──
「危ない!」
「え?」
唐突に、安藤さんが俺を突き飛ばした。
体当たりと変わらない勢いに、彼女共々、後ろへ倒れてしまう。
すると次の瞬間、安藤さんの背で地面が炸裂する。
吹き飛ばされる体。
衝撃と困惑。
思考の空白は、ほんの数秒だと思えたが、しかしその間に、炸裂した地面には巨大な柱がそびえ立っていた。
いや、のみならず、その柱は蜂の巣みたいなハニカム構造から、上半身だけの蜂のような、小型の異形を排出し始める。
……ヒュージ! スモール級の!?
「嘘でしょっ!? スモール級の巣を飛ばしてきたっていうの、あのラージ級!?」
荷物を投げ捨てた真島さんが、第一世代CHARMの刃止めを取っ払いながら、ヒュージの前へ躍り出る。動けない俺達を守る為だろう。
俺は、義肢の動きが鈍いせいで。
安藤さんは……俺を庇い、重傷を負ったせいで。
「ゔぁ……くっ……」
「おい、しっかりしろ! ああクソッ、こんなに血が……!」
「っは、ぁ……だい、じょうぶ、だから……」
「大丈夫なわけっ……?」
抱きとめる背中は、おびただしい量の血で濡れていた。
制服だって裂けているし、目に見えて大きな傷跡がある。問題大アリだ…………と、思っていたのに。
裂けた制服から覗く傷跡が、瞬く間に塞がっていく。
数秒と経たない内に、残っているのは流れ出た血だけとなった。
「これで、分かったでしょ……? 私は、一人で大丈夫なんだ。一人の方が、都合がいいんだ。……邪魔だから、さっさと逃げて」
腕の中から逃げ出すように、血塗れの背中を見せながら、安藤さんが立ち上がる。
ダインスレイフを構え、真島さんをも押し退けて、前へ進む。
誰もが予想だにしなかった戦いが、否応なく、始まってしまう……。
ここから裏設定という名の言い訳。
アガートラームに施された改造は、舞台版などでいう所のカービン化ですが、ルドビコからの製作依頼よりも早い段階で行われています。
百由様はこの時期から、変形機構をオミットしたCHARMという構想を持っていて、丁度いいのでそれを実験しているんです。
つまり、この作品ではアガートラームが、最初のカービン化CHARM試作機、実証機体となります。
また、鶴紗ちゃんのCHARMである先行量産型ティルフィングは、この時点ではまだ開発途中だろうと推測し、使用CHARMをドール版1.0のダインスレイフの色違いにしてあります。
まいまいのタンキエムも、いつロールアウトしたのかが分からないので、あえて描写せずボカしています。お父さんがCHARMメーカーの支社長らしいですし、持っててもおかしくないですかね?
最後に、夏服設定は捏造です。調べても出てこぬのです。
もし公式の設定画像とかをご存知の方が居たら、教えて頂けると助かります。
ラスバレで夏イベとか水着イベとかが来て、そういうので設定が出たら修正するかも……。
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09 ハナショウブ ──Japanese Water Iris── 語られぬ戦い、その二
「──はああああっ!!」
羽虫のようなスモール級に向けて、美鈴がブリューナクを振り抜く。
薙ぎ払う軌道は、一振りで数体を撃退せしめるが、空いた空間に新たなスモール級が雪崩れ込む。
「全く、数で押してくるだけなんて、芸のないラージ級だ。自分では攻撃すらしないとは、とんだ怠け者だね」
「ですが、お姉様。この数は流石に厄介です。常に囲まれているようなものですから、背中に気をつけないと」
背中合わせに戦う夢結も、ダインスレイフでスモール級を切り続けているのだが、一向に数は減らない。
それというのも、ラージ級の背にある柱から、スモールが湧き出ているからだ。
自分よりサイズの小さいヒュージを生み出す、大型のヒュージ。珍しい相手ではないけれど、戦い辛い事は確か。
「僕の背中は夢結が守ってくれる。そして、夢結の背中は僕が守る。だろう?」
「……はい!」
それでも、美鈴と夢結の闘志はくじけない。
周囲で戦っている無数のリリィ達も同様に、互いを背中を守りつつ、発生源であるラージ級の背の柱──以降、ピラーと呼称──を破壊しようと、皆、奮起している。
後方の部隊が防衛軍に連絡しているため、迫撃砲による火力支援が行われるのも近いだろう。
タイミングを合わせ、通常火器でも倒せるスモール級を一掃したら、残るはラージ級だけ。
しかし……。
(……でも。この嫌な感覚は、なんだろう。まるで……)
美鈴の心からは、どうしても嫌な予感が消えなかった。
上手く行っている。
突発的なラージ級の襲撃に対し、出撃したリリィも危なげなく対応できている。
だからこそ、引っかかる。
あれだけ特異な形状をしているラージ級が、ただスモール級を生み出すだけしかしない?
何か、隠し玉を持っていたりするのでは──そう、美鈴が考えた時だった。
「お姉様! ヒュージに動きが!」
唐突に、夢結がラージ級の方角を示す。
ゆっくりと進行を続けていたそれ等が、歩みを止めた。
背中から生えたピラーのうち、何本かが大きく震えだし、ルーンを纏う。
そして、電柱を何本もまとめたような大質量が、射出された。
無数のスモール級を生み出すピラーが、複数。
「後衛のリリィ! “アレ”を全力で撃ち落とせぇぇえええっ!!」
考える暇もなく、美鈴は自分の“力”を全力で使った。
その途端、戦場の後方で支援射撃をしていたリリィ達が、上空を飛ぶピラーに向けて、全力での射撃を敢行する。
先程までの支援射撃と比べて、非常に大きな火力が出ている。ミドル級程度なら一撃で屠れそうな手応えに、撃った当人達も、驚いているような表情を見せていた。
幾条もの光弾が突き刺さり、中に居たであろうスモール級共々、射出されたピラーを粉微塵にする。
みるみる内に、空を行くピラーは数を減らし、後方部隊の更に後ろへ墜落していった。
予想だにしないヒュージの行動だったが、上手く凌げた。夢結はホッと胸を撫で下ろす。
「なんとかなりましたね……」
「……いや、ダメだ! 一つ撃ち漏らした!」
ところが、美鈴の指し示す方向に、包囲網を抜けて突き進むピラーが、たった一つだけ存在した。
諦めきれない後衛のリリィが射撃を続けるけれど、距離減衰によって威力は低下し、破壊するには至らない。
しかも……。
「あの方向は、もしかして、おじ様と百由さんが逃げた方向じゃ……!?」
ピラーの向かう先には、先んじて戦場を離れたはずの、“彼”と百由が居るかも知れなかった。
余程の事がなければ一直線に学院へ向かうはずなので、可能性は高い。
ラージ級の進みは遅く、実質的な敵戦力はスモール級のみ。
前線を他のリリィに任せ、救援に向かおうかと夢結は考えた。が、まさにその瞬間、撃墜したはずのピラーから、新たなスモール級が湧き出る。
このままでは、挟み撃ちになる。後衛を務めていたリリィ達も白兵戦をせねばならず、支援射撃を行えない。
とても、百由達の救援には向かえない。
「くそっ、この場に釘付けにするつもりかっ!」
「これではまるで、遅滞戦術……ヒュージがっ?」
毒づく美鈴と、戦慄する夢結。
最悪の事態が、二人の頭を過ぎった。
周囲をスモール級に取り囲まれながら、俺はみっともなく喚き散らしていた。
「くそ、くそ、くそ! 動けっ、動けよっ、動けぇ!」
震えてCHARMの柄も握れない右手。動きの鈍い両脚。
逃げる事すら出来ない有り様が、どうしようもなく歯痒くて、自然と大声になってしまう。
「おじ様、焦らないで! くっ、その義肢は精神に強い影響を受けるんです! よっ、落ち着いて、“自分の体”を信じて下さい! せやっ」
紙一重でスモール級の攻撃を避けつつ、真島さんはCHARMを振るう。
この義肢を作った張本人だ。その言う事に間違いなんてある筈もない。
けれど、それが出来れば苦労はないのだ。
(信じろ? 自分を? 無理だ、そんなの)
さっきからずっと、自分の意思を裏切って、全く動こうとしないこの手脚を、どうやって信じろというんだ。
いや、真島さんの義肢に問題はない。
問題なのは、俺自身の心。精神の弱さ。
ヒュージへの無意識の恐怖が、義肢の動きを妨げている。なんて情けない。
それに比べて、俺を守ろうと戦っている安藤さんの動きは、凄まじかった。
まるで舞うように華麗で、無駄がなく、一切の被弾を許していない。
「なんなんだ、あの動き。まるで、どんな攻撃が来るのか分かってるみたいな……」
スモール級の攻撃方法は、おそらく鋭い牙を使った突撃のみ。
だからこそ読み易くはあるが、押し寄せる数が多過ぎる。飴玉にアリの群がるが如く、避ける隙間もない。
それを彼女は、CHARMで切り開いた空間に体を滑り込ませたり、背後から襲い掛かるスモール級を見もせずに撃ち抜いたり、武芸の達人のような立ち回りで、数の暴力を跳ね除けていた。
被弾していないのは真島さんも同様だが、なんというか、身のこなしの精彩さが違うというか……。
「ファンタズム……」
「え?」
「近い未来を予知し、周囲にテレパスする事ができる、希少スキルです。今、私も恩恵を受けてます。じゃなきゃ、もうとっくに……」
俺の疑問に、肩で息をする真島さんが答える。
聞いた事がある。スキラー数値が高いリリィでも滅多に発現せず、使いこなせば、文字通り戦場を支配できる、レアスキル中のレアスキル。
中等部なのに出撃要請される訳だ。
棚からぼた餅で強くなった、俺とは違う。
と、劣等感に苛まれている所に、当の安藤さんが回避ついでに側へやって来る。
「おじさん、何者?」
「は? どういう意味……」
「さっきから見えるヒュージの動きがおかしい。明らかに、おじさんだけを狙ってるんだ」
「や、やっぱりそうなのっ? さっきからそうじゃないかなーって思ってたんだけど、外れてて欲しかった、わっ!」
俺だけを、狙っている?
言われて、よくよくスモール級の挙動を観察すれば、一目瞭然だ。
確かに奴等は、俺を中心にして大きなドームを作っていた。
獲物を逃さんとする、群れによる包囲網。
「分からない……。分からない! なんで俺が!?」
自分でも、呼吸が浅く、早くなっている……酷く動揺しているのが分かる。
ヒュージは人間を襲う。それが当たり前の行動だが、特定の個人を狙って攻撃するだなんて、特型ヒュージでもない限りは……。
そんな俺を見て、安藤さんが呟く。
「まさか、ヒュージ誘引体質……」
「誘引、体質……?」
「極稀に居るんだ。G.E.H.E.N.A.の強化を受けた人間の中に、ヒュージを引き寄せてしまうヤツが」
G.E.H.E.N.A.の強化。
思いもよらない言葉だったが、思い当たる節はあった。甲州撤退戦だ。
俺がギガント級と戦い、救助されるまでの、空白の数分間。
もしもあの数分間に、俺を実験体にしようとしたG.E.H.E.N.A.の連中が、現場に現れていたら。
もしもあの連中が、ほんの数分間で施せる“何か”を発明していたら。
荒唐無稽かも知れないが、絶対に無いと、誰が言える?
(この襲撃は、俺のせい、なのか。信じられない。……信じたくない)
喉の渇きを覚えた。
周囲では二人とも戦い続けているのに、異様なまでの喉の渇きに気を取られてしまう。
が、頬に生暖かい飛沫が飛び、鉄錆の臭いで正気へと戻された。
安藤さんが、また俺を庇ったのだ。
「う、ぐ……っ!」
「お、おい! なんで庇う!?」
今度は腕に裂傷が生じ、しかし瞬く間に消えていく。
ダインスレイフを一振り。安藤さんは、俺の周囲からスモール級を一掃する。
「私の言ったことが、事実とは限らない。それに、人を守るのが、リリィの仕事でしょ……。だからおじさんは、動けないなら大人しくしてて」
「でも!」
「私なら、大丈夫だから」
ほんの一瞬、こちらを振り向いた彼女が見せたのは、罪悪感を抱えているような、痛みを堪えているかのような、切実さが滲む表情。
返事も待たず、小さな背中はそのまま走り出す。
左手で、頬を拭う。
真っ赤な鮮血が、こびり付く。
(俺は、また、戦えないのか。また、守られるだけなのか)
何故だろう。周囲の動きが緩慢になったように感じ、脳裏には過去の記憶が蘇る。
防衛軍に居た頃の記憶だ。
名も知らぬリリィ達の背中を、見送る日々。
誰かを守り、助けるために戦うはずが、逆に、自分より小さな背中に守られ、助けられる日々。
自分の無力さを嘆き、けれど、何も出来なかった日々。
(──ふざけるな)
無意識に、奥歯を噛み締めていた。
どうしようもない怒りが、腹の底から湧き上がってくる。
他の誰でもない、自分自身への激しい怒りが。
(言い訳なんて沢山だ! もうそんな自分に戻るのは嫌だ!)
弱いんだから仕方ないと、言い訳して、諦めて。
そんな自分が本当は嫌で、だけどあの夜、川添達を助けられた事で、俺は逆に救われたのだ。
自分でも誰かを助けられた。守る事ができた。ようやく俺も、彼女達と──リリィ達と肩を並べられる、誰かを救える人間に、なれた気がしたから。
もう、あの頃に戻るのは、嫌だ。
自分を呪うような日々に戻るのは、絶対に、嫌だ。
今ここで戦えない俺なんか──もう俺じゃない!
(ようは動ければいいんだ。移動さえ出来れば、CHARMは片腕でも無理やり振れる)
煮え滾る怒りと裏腹に、思考は冷静に、研ぎ澄まされていく。
まだ義肢の動きは鈍いし、全く正確とは言えない。激情で恐怖を塗つぶせても、それだけ。
ただ我武者羅に戦うのでは、みんなを悲しませる結果に終わるだろう。
きっかけが必要だ。
現状を打破するには、今までにない要素が。
そんな時、ふと別の事を思い出した。
戦闘訓練前に真島さんから聞かされた、新型アガートラームの注意点についての話を。
『変形機構をオミットしたのは良いんですけど、実はまだ調整が甘くて、うっかり操作を間違えちゃったりしたら、切りながら射撃しちゃうような場合もあるので、注意して下さいね?』
切りながら射つ。
射ちながら切る。
そんな事になったら、反動でCHARMの軌道がずれ、当たるかどうかも怪しくなる。
だが、その反動を利用できたなら? 反動で無理やり移動できたら。
インビジブルワンを使えば…………駄目だ、足りない。もっと、もっと身軽に、それこそ羽のように軽くなければ。
なら、どうやって実現する。
サブスキルをレアスキル並みにするには、何が必要だ?
(……なんだ、簡単じゃないか)
答えは、俺の手の中にある。そう、最初から握っていた。
アガートラームの、スキルプロトコル。
これをインビジブルワンと同時に使ったら、一体どうなる?
相乗効果が生まれるか、逆に反発するか。不思議と、失敗するイメージが湧かない。
アガートラームのおかげで、俺は過去の戦いを生き残ってきた。
必ず上手くいくという、確信めいた直感があった。信頼と言ってもいい。
未だ動きの鈍い世界では、しかし確実に時が動き続け、今も戦いの真っ最中。
危なげなく立ち回る安藤さんと、疲れが見え始めている真島さん。
不意に、安藤さんが微妙に立ち位置をずらした。
頭上から襲い来るスモール級から、真島さんを守ろうとしているように見えた。
防御する素振りは……ない。また、自分自身を盾にしようとしている。
(skill-protocol:invisible-one:charge)
いつかと同じく、考えるより先にスキルプロトコルが発動する。
が、これまでと違うのは、その音が不協和音ではなく、高く澄んだ音だったこと。
左手で握ったアガートラームを肩に担ぎ、グリップに据えられたトリガーを引く。
──炸裂。
「伏せろぉおおっ!」
「──え?──」
宙を舞う体をどうにか制御し、身を低くした安藤さんの頭上のスモール級を薙ぎ払う。
無理やりに動いたせいか、着地は当然のように失敗し、彼女のすぐ側へと、不恰好に落ちる。
俺を見るその眼には、多分な驚きが込められていた。
「な……なんで!? 大人しく──」
「あんな顔で!」
アガートラームを支えに体を起こしながら、思わず、安藤さんの声を遮ってしまう。
そんな事するつもり、なかったのに。
「あんな顔で、大丈夫だなんて、言うなよ。見ている方のが、痛かったくらいだ」
激情に任せて口をついたのは、あの表情のこと。
痛いのにそれを我慢して、身を挺して。大丈夫だと、自分自身を誤魔化す。
そうさせたのは俺で、だからこそ、痛みを背負わせた事が苦しかった。
あんな顔をさせたくない。
今の俺を動かしている原動力は、この思いだ。
だって、もっと彼女に似合う表情を、知っているから。
「な、何を言ってるの。だからって、動けないんじゃ……いや、どうやって今……なんで私、見えな……?」
「俺なら動ける。たとえ脚が動かなくても、俺には“コイツ”とスキルがある。君と真島さんでフォローしてくれ。ヒュージを掻き回す!」
「お、おじ様っ? 正気なの!?」
困惑する安藤さんと、驚く真島さん。
無理もないが、やらなければならない。
先程から、スモール級の包囲網が狭まっているからだ。
いくら未来を予知できても、このまま二人だけで戦線を維持しようとすれば、確実に詰む。
その前に、動かなければならない!
「無茶言わないで! そんな自棄っぱちな事されたら、こっちが動けなくなるっ」
「だが、このままじゃジリ貧だ。俺はこの様だし、攻撃しか出来ない。
だから、背中を預ける。一緒に戦ってくれ。
頼りにしてるぞ、猫好き少女! そんでもって発明家少女!」
「ちょっと!? ……あああもうっ、世話の焼けるっ」
「なんかオマケ扱いされちゃってる気もするけど……やるっきゃないわね!」
話している間にも、スモール級は迫って来る。
二人の返事も待たず、俺はまたアガートラームを担ぎ、射撃移動を敢行した。
「ぅおらあっ! ──うぐっ」
アガートラームを振り回し、地面に落ちる。
殺到するスモール級を、射撃の反動で跳んで躱し、また空中で射撃。姿勢制御をしつつ落下攻撃。
こんな行動を続ければ、あっという間に訓練弾も尽きるが……。
「おじ様っ、替えの弾倉!」
「ああ!」
ちょうど一息つけるタイミングで、真島さんが駆け寄り、まだ右腕が本調子ではない俺に代わって、弾倉を替えてくれる。
こんな連携が出来るのも、安藤さんのファンタズムのおかげだろう。
どこで何が起きるのか、完璧に把握してしまえる。絶対的優位に立つ事を可能にする、まさにチートスキルだ。
どうやら俺も恩恵にあやかっているらしく、スモール級の動きがなんとなく理解できる。
その“流れ”は、やはり俺を中心にして動いていた。
(やっぱり、明らかに狙われてる)
どうして、という気持ちはあるが、もう動揺なんてしない。
俺を狙っているというのなら、俺自身を囮に出来るということ。
スモール級の動きを俺が制御し、安藤さんと真島さんに仕留めてもらう。これが現状の最適解だと思われる。
射撃移動しては切り、切っては射撃移動する。
俺を追うスモール級を、二人が逆に追い立て、蹴散らす。
弾倉の交換時には、安藤さんが獅子奮迅の活躍で凌ぐ。
即席とは思えない滑らかな連携に、良い意味で震えが来る。
「今度は、私がコーヒー、奢ってもらうから」
「ああ、お安い御用だ」
「喫茶店の、高いやつだからね。普段は絶対に頼まないくらいの」
「……お、お安い御用だ!」
少し前の、追い詰められたような空気感は、もうどこにも無い。
軽口を叩き合い、互いの背中を守り合う。
確かな信頼関係が、そこにあった。
「んもうっ、キリがないわっ! 発生源を潰さないと、先にこっちが潰される、ってぇの!」
「でも、私達に“アレ”を破壊できるような攻撃力、無いですよ。先輩」
「それが問題なのよねぇ~っと! くぅぅ、実験中のあれやこれやを持って来れば良かったわ!」
「なんでだろうな? 今、真島さんがその“あれやこれや”を持って来てなくて良かった、って思った」
「奇遇だね、おじさん。私も」
「どういう意味っ!?」
しかし、真島さんの懸念も、もっともだ。
負ける気はしないけれど、状況を打破するにはあと一手足りない。
爆発的な破壊力を生み出すスキル……。
ルナティックトランサーに並ぶ花形レアスキルである、フェイズトランセンデンスの使い手でも居れば、話は簡単なのだが、無い物ねだりをしても──
「……ん?」
ゾクリ。
と背筋に悪寒が走った。
何か、とてつもない“気配”が、近づいて来ているような。
漠然とした不安を振り払いたくて、俺はファンタズムを持つ安藤さんの様子を確かめるのだが、彼女もまた青い顔をしており……。
「──やばい! 二人とも伏せてっ!」
「うおっ」
「きゃあ!」
安藤さんは、俺と真島さんを押し倒すように覆いかぶさり、地面に伏せさせる。
もちろん、スモール級は無防備な俺達に襲い掛かろうとするが、それは叶わなかった。
何故ならば。
「────やぁぁあああぁあぁぁああっ!!」
空から、白い隕石が降って来たからだ。
マギの光の尾を引くそれは、スモール級を吐き出し続けていた柱に衝突。
凄まじい衝撃波と土煙を撒き散らす。
息が出来ない。
体の表面が、飛んでくる砂粒で削られるようだった。
「……ごほっ、ごほっ! す、砂が口に……っ」
「んもう……なんなのぉ……?」
「す、スモール級が……全部、吹き飛んでるぞ……」
数十秒が経ち、ようやく衝撃の余波が収まった頃、俺達はやっと起き上がる。
周囲を見回しても、スモール級の姿は見えない。
はたと気付き、発生源である柱の方を確認すると、その形は大きく変わっていた。
四分の一ほどの根元だけを残し、完全に、破壊されていた。
そして、残骸の上に立つ、両刃の斧のようなCHARMを構える人影。
(お)
風が吹き、人影の着る服……百合ヶ丘女学院、中等部の制服のスカートが、大きくはためく。
しかし、もう少しで見える──という所で、安藤さんと真島さんに半分ずつ目隠しされてしまった。
大急ぎで取り払いたいけど、けれど、けれども、俺は断腸の思いでジッと我慢する。
そうこうしている内に、ザッ、と砂利を踏む音が聞こえ、人影が残骸から降り立ったのが分かった。
「大丈夫ですかぁ? なんだか大変そうだったから手を出しちゃいましたけど、お邪魔だったかしらぁ?」
どこか、高飛車な雰囲気を漂わせる声。
そこでようやく目隠しが外され、声の主の姿が確認できた。
太陽の光を反射して、艶めく長い髪。
猫耳のようにも見える髪飾りと、自信たっぷりな微笑み。
小柄でありながら、メリハリのついたボディラインを、挑発的に見せつけている。
………………誰?
「誰だ、アンタ」
「あら。不躾ねぇ、命の恩人に対して」
「おかげさまで、こっちは土塗れなんだけど」
「その程度で済んで良かったじゃないの。あ、もしかして、お風呂で洗って欲しいっていうアピールぅ? だったら隅々まで洗ってあげるわよぉ?」
「…………っ、ち、近寄るな」
俺と同じ疑問を口にした安藤さんに対し、なんとも……こんな表現していいのか分からないが、いやらしい顔付きと手付きで応じる少女。
間違いない。彼女は“そっち系”の人だ。
こんなにあからさまなのは、初めて見た。安藤さんがドン引きするのも、無理からぬ事だろう。
……しっかし、なんだろう。どっかで見た事があるような……? 思い出せない……。
「とにかく、おかげで助かったわ。貴方も中等部の子よね? 私は真島百由。お礼に、後でCHARMをいじってあげる! もう徹底的に!」
「あら、それはどうも。ご挨拶が遅れました。私、遠藤亜羅椰と申します。どうぞお見知りおきを」
優雅に一礼する姿は、とても様になっていた。華がある。
これだけ存在感があるなら、一目見ただけで覚えそうなものだが……。
頭がモヤモヤする……。なんだか、気持ち悪い……。
「ところで……そちらの方は大丈夫ですか? 随分と顔色が悪いようですけど」
「……え?」
華やかな少女──遠藤さんに言われ、ようやく自分でも気がつく。
かつてない程の疲労感が、全身を覆っていた。
アガートラームが重くて、仕方ない。
(あれ? なんだ、急に……めまい、が……)
そうこうしている内に、足元まで覚束なくなってくる。
立っている事すら辛く、アガートラームを取り落とし、膝から崩れるようにして突っ伏してしまった。
顔を地面に打ち付けたのに、痛いのかどうかも、分からない。
……ねむい……。
「おじさん、おじさん! しっかり! 一体何が!?」
「この反応……マズい、マギが完全枯渇してるんだわ! この方、フェイズトランセンデンス持ちだったりします?」
「そんなはずないわ! おじ様のスキルは──」
女の子達の慌てる声が、どんどん遠ざかって行く。
肩を揺すられる感覚を覚えながら、しかし強烈な睡魔に勝てず、意識が沈み始める。
深く。深く。深く……。
読み易さを考慮し、二話同時更新しています。
引き続きお楽しみ下さい。
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10 ダイヤモンドリリー ──Nerine Sarniensis── 戦いの後に
気がつくと、天井を見上げていた。
境目すら見えない一面に、埋め込み型の照明。
病院などによくある造りである。
オレンジ色に染まっているのは、西日が差し込んでいるからだろうか。
(知ってる天井だ。百合ヶ丘の病院、か)
そう感じたのは、おそらく匂いが原因だ。
洗いたての、清潔なシーツの匂い。
どこからか漂ってくる、消毒液の匂い。
そのどちらにも覚えがあり、ほんの数ヶ月前まで、ずっと嗅いできた匂いだったからだ。
(……そっか。俺、倒れたのか。それで運ばれた、んだろう、多分)
ようやく頭が回り始め、事の経緯を思い出す。
スモール級との戦闘を終えた直後に倒れたのだから、病院に運ばれて当たり前だ。
義肢は……全て外されているみたいだった。マギの流れで、なんとなく理解できる。
首を巡らせてみると、俺が寝ているベッドの脇には、一人の少女が立っていた。
小麦色の肌の、笑顔が眩しい少女。梅ちゃんだ。
「目が覚めたか、おっちゃん。お寝坊さんだな」
「……梅、ちゃん……?」
「ん。気分はどうだ? 痛い所とか、気分が悪いとか」
「あ~……。喉が、渇いた、かな……」
「じゃあ、これを飲むといい。ゆっくりと、だゾ」
掠れた声で渇きを訴えると、梅ちゃんは……なんていうんだっけ。病人の看病とかに使う、急須みたいな吸い口のある容れ物で、水を飲ませてくれる。
しっかり喉が潤った所で、俺は梅ちゃんにお礼を言う。
「ありがとう……。俺は、あの後……」
「マギの完全枯渇で倒れたんだ。もう二日経ってる。みんな、大慌てだったみたいだゾ? この子もな」
見る人を安心させるような微笑みで、梅ちゃんが自分の背後を示す。
窓際に、もう一人の少女が──安藤さんが居た。梅ちゃんとは真逆の、仏頂面で。
マギの完全枯渇とは、文字通り、リリィ/マギウスの体内から完全にマギが失われた時に起こる症状だ。
普通は無意識に消費を制限するし、フェイズトランセンデンスの副作用でもない限り、意識を失うほどマギを消費する事なんてないはずだが……。
そういえば、アガートラームの“切り札”でもマギを全部持って行かれるけど、意識を失った事はない。何故だろう。リミッター?
どうにも不可解で唸ってしまうが、そんな俺の疑念を知ってか知らずか、梅ちゃんは「さて」と場の空気を仕切り直す。
「じゃ、梅は看護師さんに伝えてくるから。夢結と美鈴様にも、連絡いれなきゃいけない」
「……ああ。来てくれて、本当にありがとう」
「うん。お大事に、またな!」
軽く手を振り、梅ちゃんは病室を出て行く。
残されたのは、俺と安藤さんの二人だけ。
なんと声を掛けようか。
梅ちゃんと同じように、来てくれてありがとう?
それとも、無事で良かった?
悩ましく天井を見上げている俺だったが、唐突に安藤さんが近寄ってくる。
そして、ゆっくりと頬に手を伸ばし──思いっきり抓られた。
「いでででで! な、何を……!」
「川添様からだよ。“夢結を泣かせた罰”、だって」
「へ?」
「で、こっちが白井様から。“お姉様に余計な心配をかけた罰”、だとか」
「いぎぎぎぎ!」
片方の頬を抓られたかと思えば、今度は反対側も抓られてしまう。
痛い! めっちゃ痛い! これ、絶対に手加減してない!
こっちは一応怪我人というか、病人じゃないんですかね!?
頼むから労って!
「そして、これは私から」
「う……っ…………?」
まだあるのか!? と、目をつむって身構えるものの、新たな痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開けてみると、見計らったかのように、軽くデコピンされた。
痛くは、なかった。
「格好つけ過ぎ。おじさんがあんな無茶しなくても、どうにかなってた」
「……でもそれは、君が自分を犠牲にしたら、の話だろう」
「…………」
安藤さんが言うのは、間違いなくあの……梅ちゃん曰く、二日前の戦闘での事だろう。
彼女に庇われるのを良しとしなかった俺は、確かに無茶をした。今更ながらそう思う。
あの後に遠藤さんが来てくれた事を考えれば、俺が何もしなくても、結果的には助かったのかも知れない。
強く抱けば折れてしまいそうな体に、無数の痛みだけを残して。
「私は、G.E.H.E.N.A.に強化処置を受けさせられた、ブーステッド……強化リリィなんだ。だから、あんなの屁でもない。大丈夫なんだから、もうあんな事する必要は──」
「嫌だ」
遮るように答えると、安藤さんの目が丸くなった。
呆気に取られている表情は、その年頃に相応しい、可愛らしいものだった。
痛みを堪えている表情なんかより、よく似合っている。
ついでに言えば、猫と戯れている時の緩んだ表情が、一番可愛いと思う。
「もしまた同じ事が起きて、また君が一人で戦おうとしたら、今度は攫って逃げる」
「…………は?」
「今回の一件で、逃げるだけなら多重スキルでどうにかなるかもって分かったし、君一人で戦わせて怪我させるくらいなら、俺は戦って欲しくない」
「……っ、おじさんがどう望もうが、関係ない。私は国や学院の要請で出撃してるんだ。おじさんに止める権利なんて無い」
「そうだな」
「分かってるなら、無責任なこと言わないで。……そういうの、迷惑だから」
「だったら、なんで俺を庇った?」
「それは……」
「スモール級の攻撃力なんて、たかが知れてる。
一般人ならともかく、CHARMで防御結界も張れるマギウスを、どうしてあんなに、必死に守ろうとしてくれたんだよ?
受ける必要なんてない、無用の傷まで負ってさ」
「…………」
沈黙。
答えるつもりはないらしく、そっぽを向いている。
が、別に答えてもらう必要もない。
理由なんて、とっくに分かっているんだから。
「嫌なんだろう? 目の前で、誰かが傷つくのが。守れる力を持ってるはずなのに、守れないのが。俺も、そうだった。いや、今もそうだ」
「……ヒュージが怖くて、動けなかったのに?」
「そうだよ。笑えるよな? ……でも、そうなんだよ。どうしようもなく、そう思っちまうんだよ」
おそらく、真島さんから聞いたのだろう。あの時、俺が動けなかった理由を。
安藤さんの顔はいびつに歪み、嘲笑しているようにしか見えなかったけれど、それも、突き放すための作り物だと分かる。彼女は嫌われようとしている。
怯えた子猫の為にも、二度しか顔を合わせていない俺の為にも、自分を犠牲にするような優しい子が、そんな理由で誰かを嘲笑うはずがない。
「俺は、強くなる」
体を起こし、安藤さんをまっすぐに見据え、俺は宣誓する。
生身の四肢は、もう左腕しかないけれど。
それでもまだ、“自分”を諦められないから。
「もう二度と、誰かに傷ついてもらわずに済むように。今度こそ、誰にも心配をかけず、誰かを守りきれるように。強くなってみせるよ」
俺は弱い。
甲州撤退戦で川添と白井さんを助けるのに、両脚と右腕を失った。
真島さんに義肢を作ってもらっても、ヒュージを前にしたら動けなくなった。
どんなにマギ保有量が増えても、サブスキルに目覚めても、俺はまだまだ弱い。
でも、弱いからこそ、強くなりたいと本気で思える。
始めるには随分と年をとってしまったが、だからって、安藤さんのような若い子に負けるつもりもない。
自分自身の弱さを再確認した事で、俺はようやくスタートラインに立てた、そんな気がしていた。
「……何、それ。なんの宣言?」
「……なん、だろうな。自分でもよく分からない」
「変なの」
安藤さんは苦笑いを浮かべ、窓の外に視線を逃す。
……言われてみると、年甲斐もなく、小っ恥ずかしい事を口走っていたような。
なんだか顔が熱い。
あんな言い方では、君のために強くなる、と言っているみたいだ。
安藤さんの顔も赤くなって見えるが、それが夕日のせいなのかどうかまでは、分からなかった。
「私は私の勝手にする。……おじさんも、勝手にすれば」
「……ああ」
「もう行くから」
そう言い残し、安藤さんは病室の出口へと向かう。
だが、ふと足を止めたかと思ったら、スカートのポケットからメモの切れ端を取り出した。
「忘れるとこだった。はい、これ」
「え? ……メアド?」
「コーヒー。奢ってもらう約束、でしょ。連絡つかなきゃ、意味ないし」
「……あ」
確かに、そんな約束もしていたっけ。
てっきり、安藤さんとはこれっきりかと思っていたのだが、意外な形で繋がりが残った。
彼女は「忘れないでよね」と付け加え、今度こそ病室の出口へ。
「じゃあ、また。お節介で、物好きなおじさん」
「……またな。意地っ張りな、猫好き少女」
皮肉った笑顔。
それがおかしくて、俺も同じような笑みを浮かべて返す。
この日から、安藤さんの間で短文メールのやり取りが始まり、彼女と出会うたびに、缶コーヒーをせがまれる事となる。
なんだか、野良猫に餌付けしている気分だったが、不思議な居心地の良さを覚えるのに、そう長くは掛らなかった。
「やっぱり……」
数種類のデータを見比べ、霞む目を何度も擦り、百由はエナジードリンク片手に呟く。
ピラー型と仮に名付けられたヒュージの襲撃後、ほぼ自室と化しているラボに籠って、早三日。
その間、一睡もせずデータを解析し続けているのだが、解析すればするほど謎が増えていくという、悪循環に陥っていた。
「また、おじ様の波形データが変化してる。安定してないの? にしたって、変化が急激過ぎるわ」
現在確認中なのは、病院から新たに送られてきた“彼”のデータ。
これまでの三日間のデータだけを見ても、その波形データの形状は、一日ごとに変化していた。ひょっとしたら、数時間置きに変化している可能性すらある。
退院するまでのあと四日間、同じ検査方式でデータを集める予定だが、きっと同じデータにはならないだろう。
(義肢の動作不良や、ヒュージの誘引はコレのせい? 少なくとも、ヒュージ誘引の再現性は見られなかったけど……)
そもそも、波形データという物は変化しやすい物である。
リリィが訓練を積むうちに変わる事もあれば、何もしなくても変化する場合だってある。
が、それは長い時間を掛けたり、一度変化したらしばらくは安定するもの、というのが通説だ。
こうも短期間で、繰り返し変化し続ける理由が分からない。
「マギの完全枯渇を引き起こしたのも、きっと同じ原因よね……。インビジブルワンと、スキルプロトコルの同時使用だけでは、説明がつかないもの」
“彼”のマギ保有量は、もはや現役リリィ/マギウスの中でも上位に入る。
たった数分間の最大出力で、枯渇するとは思えなかった。
何より、百由自身にも、枯渇の原因に思い当たる節がある。
(インビジブルワン、スキルプロトコル。それだけじゃなく、無意識に他のサブスキルを発動していた。
おそらくは、軍神の加護か、ホールオーダーか、虹の軌跡って可能性も捨てきれない、か……)
後で気付いたことだが、あの戦闘で百由は、普段よりも効率良く動き、効果的な攻撃を繰り出せていた。
百由の持つレアスキル「この世の理」を、鶴紗の「ファンタズム」と併用していたからだと思っていたけれど、この二つのスキルは、CHARMのマギ出力を上昇させる効果はない。
しかし、戦闘後にCHARMの使用履歴を参照したところ、明らかに出力が向上した形跡が見られたのだ。
鶴紗からも聴取を行い、「確かに普段より動きやすかったかも」という証言を得ている。
軍神の加護とは、発動者の周囲のマギ純度を高め、攻撃力と防御力を上昇させつつ、わずかながら俯瞰視点も獲得するレアスキル「レジスタ」のサブディビジョンスキル。
ホールオーダーは、百由の持つ「この世の理」のサブスキルであり、一定範囲内に存在する物体の、行動ベクトルを読む事が可能になる。
同様に、虹の軌跡は「ファンタズム」のサブスキルで、効果は限定されるものの、未来予知に近い効果を得られる。
“彼”の行った無茶な戦法の成功は、これら複数の要因が重なって成り立っていると考えれば、納得がいくだろう。
歳若くとも、百由は科学者だ。理屈をこねくり回して、どうにか道筋を立てるのが性分であり、あながち外れているとも思えなかった。
根性出して頑張ったら勝てた、よりも、なんらかの要因で複数のサブスキルに目覚めていた、の方が説得力も出る。
インビジブルワンとホールオーダーを組み合わせられるなら、それはもうレアスキルの「ゼノンパラドキサ」なのだが、波形データを見る限り、可能性は低いと思われた。
「それに……」
加えて、もう一つ。非常に気になる点があった。
それは病院からのデータではなく、ピラー型襲撃前の、戦闘訓練で得られたデータ。
あの時は気のせいか、もしくは機材の不具合かと判断した百由だが……。
「何度も確かめて、けど、結果は同じ、だもんねぇ……」
ラボに戻り、得られたデータを精査し、計測機器の点検した結果、情報は正確に得られていた、としか言えなかった。
例えそのデータが、普通ではあり得なかった事でも。
「おじ様の、固有ルーンが……消えてる」
固有ルーンとは、CHARMの基本構造にも用いられるルーン文字を、二つ組み合わせて表記される、その人物の特性を表すルーンのこと。
励起されたマギクリスタルコアなどに表示され、24C2で、276通りの組み合わせから成る。
osなどにより多少の差はあれど、一般的に「フサルク」と呼ばれるルーン文字が基本とされており、日常的な場面では、ハンコ代わりにも使われたりする。
コアと契約したマギ保有者であれば、誰もが必ず持ち得るもので、仮にコアが破損して契約が失われたとしても、固有ルーンが変化することはない。
だが、あの時……訓練時に“彼”がCHARMへとマギを通した時、コアに表示されるはずの固有ルーンは、一画すら記されなかったのだ。
こんな事は、過去にも類を見ない。
「いいえ、違う。消えたんじゃなくて、固有ルーンも変化した? 波形データみたいに?」
行き詰まった百由は、椅子の背もたれを軋ませながら、発想の転換を試みる。
本来は変化しにくい波形データが、あれほどに変化しまくっているのだから、これまで変化しないと考えられてきたものが、変化を起こしても不思議ではない。
それに、CHARMや固有ルーンに使われるルーン文字は24文字だが、フサルクにはもう一文字、特別な意味を持つルーンが存在する。
「25番目の、“空白”が表すルーン文字。その意味は──」
──運命。
魔化革命を経てもなお、あまりに制御が難しく、全く使用されない概念。
百由も一度はCHARMへの刻印を試みたが、あえなく挫折させられた、最後のルーン。
「…………むふ。うっふふ。ぬふふふふ」
不意に、百由の肩が揺れた。
段々と大きくなるそれの勢いに任せて、彼女は椅子を倒すようにして立ち上がる。
「まぁったくー、どこからどう見ても謎だらけで、研究者魂がくすぐったいったらありゃしないわー!
見てなさい、おじ様! この真島百由が、おじ様を丸裸にしちゃうんだからー! あっははははははは!」
拳を突き上げ、誰にでもなく、百由は高らかに宣言する。
エナドリ漬けの三徹がもたらす、謎のハイテンションを止められる者は、幸か不幸か、存在しなかった。
なんとか、二月中に間に合った……。
二話同時更新で、ちょっと文量多めでしたが、次回からはしばらくシリアス少なめ、文量も控えめの日常回を続ける予定です。
鶴紗ちゃんがデレるのはまだ先です。そんな簡単に野良猫は懐いてくれませんよねー。着かず離れず、を維持するのが大事。
あ、ガチレズ亜羅椰さんはまた出てきますので、色んな意味でお楽しみに。
そして恒例の言い訳パート。
固有ルーンの概要については、完全に作者の個人的見解です。
たぶん、アニメ版で追加された要素なんでしょうけど、ブックレットにも詳細は書かれてなかったので、きっとこんなんだろうなー、という推測の元に構成しています。
契約指輪という名称も同様です。どう検索しても出てこんねんもん。
最後に、BD二巻の特典星5チケ使ったら、隊服鶴紗ちゃん引けました。やったぜ!(過去に爆死歴あり)
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11 カラスウリ ──Trichosanthes Cucumeroides── 遠藤亜羅椰の愉悦、その一
「サブスキルを、自由に変化させるレアスキル?」
予想外の言葉に、俺は思わずオウム返しをしてしまう。
特型ラージ級の襲撃から、約二週間後。
理事長室にて、義父上と真島さんから聞かされたのは、俺の保有するスキルの話だった。
「まだそうと決まった訳ではないが、現状を考える限り、そうではないかと踏んでおる」
「いや、でも、そんなレアスキル、聞いたことが……」
「うむ。故に、これは君だけしか持ち得ない、ユニークスキルという事になる」
ユニークスキル。
世界に数多存在するリリィの中でも、両手で数えられるくらいにしか発現していない、特異なスキルの総称……と、噂程度に聞いた事がある。
あいにく、その名称やスキルの効果までは知らないし、眉唾ものだと思っていたのだが、まさかそれが自分の事になるとは、考えてもみなかった。
……いや、正直に言うと、「こんなスキルがあったらなー」と妄想はした事はあったけど、現実になるなんて。
「どんな姿にも形を変えるスキル……。仮にですけど、万華鏡──カレイドスコープと名付けました。お洒落でしょ?」
「サブスキルは元来、複数を覚醒する事もある。余程の事がない限り、露見する事はなかろうが、念の為、保有しているのはサブスキルのみ、という事にしておくように」
「了解しました」
ソファに腰掛けたままではあるが、執務机の義父上と、その隣に立つ真島さんに対し、防衛軍式の座礼で応じる。
着ているのが義父上のお古である和装なので、ちょっとチグハグかも知れない。
これも噂程度の知識だが、今の所、サブスキルを最大で七つ同時保有したリリィが居るんだとか。
それだけあれば、下手なレアスキル持ちよりも凄まじい活躍が出来そうだ。
俺が活躍できるかは、別問題として。
これで話は終わり……かと思ったが、続けて義父上は、申し訳なさそうに口を開く。
「合わせて、残念な知らせもあっての。君の市街への外出許可が出るのは、先のヒュージ誘引を鑑み、当分延期になってしまった。すまない」
「あ……。仕方ないですよ、頭を上げてください。訓練とかもしたいですし、自分なら大丈夫ですから」
「もし気晴らしがしたいなら、ぜひ工廠科に来て下さい、おじ様。開発中のCHARMとか、実験中のあれやこれやで、退屈しませんよ!」
「ははは、考えておくよ……」
相も変わらず、生き生きとした笑顔の真島さんに、俺は苦笑いを返すしかなかった。
訓練外の余暇をどう過ごすにしても、彼女のラボに行くのは、退屈で死にそうな時だけにしよう。
でないと、変な義肢を着けられそうな気がする。ドリルとかサイコガンとかロケットパンチとか。
今度こそ話は終わり、理事長室を後にした俺は、一人で学院内をそぞろ歩いていた。
週末なので人影は少なく、うろついていても問題ないのだ。
仮に女生徒と出くわそうとも、理事長代行の義息としての認識が定着しつつあるようで、普通に「御機嫌よう」と挨拶を交わす事も多い。
なんか優越感。対不審者への先制挨拶ではないと思いたい。
それはさて置き……。
「義父上にはああ言ったものの、暇潰しに散歩するのも、そろそろ飽きてきてるんだよなぁ……」
問題なのは、半ば軟禁状態に近い現状で、どう息抜きをするか、である。
G.E.H.E.N.A.から狙われている可能性がある以上、外出は危険を増やすだけ。
学院で大人しくしているのが一番だけれど、同じ場所で、同じ生活をいつまでも続けていると、一気に老け込むに違いない。
川添や白井さんとのお茶会、梅ちゃん(いつの間にか脳外でもこう呼んでいた)との戦闘訓練、真島さんとのマッドな義肢調整。
退屈という訳ではないのだが、そろそろ新しい刺激というか、日常にちょっとした変化が欲しいところだ。
と、そんな事を考えていたら、まだ例に挙げていない、もう一つの日常イベントが発生した。
「お」
「あ」
不意に、ポニーテールの小動物っぽい少女──安藤鶴紗が現れたのだ。
無言のまま数秒が経ち、どちらからともなく、同じ方向へ歩き出す。
建物内を出て、向かう先にあったのは、自販機である。
そして、同じように無言で貨幣を投入し、よく冷えた缶コーヒーを二つ買って、片方を手渡した。
「どうも」
「ブラックで平気だったか?」
「大丈夫」
二人揃って近くのベンチに腰掛け、コーヒーを一口。後味のスッキリした苦味を楽しむ。
ただそれだけの、なんて事ない一時だが、妙に気分が落ち着くのは何故だろう。
まだまだ夏真っ盛り。
学院内は涼しくて快適だったけど、表に出るとやっぱり暑い。日陰なだけマシなんだろうけど。
「なんか、いつもより冴えない顔してるね」
「そうか? というか、いつもよりってなんだよ」
「事実だし」
「……友達、出来ないぞ。そんな言い方してると」
「要らない。上辺だけの付き合いなんて、面倒なだけ」
「なるほど。でも、こうしてお茶するのは良いわけだ」
「………………お、お茶じゃなくて、コーヒーだから」
「屁理屈屋め」
「揚げ足取り」
安藤はそっぽを向くけれど、逃げようとはしない。
なんだかんだ言いながら、彼女も受け入れてくれてるんだろう、この時間を。
「お? おーい、おっちゃーん、鶴紗ー!」
と、そこへまた、新しい声が届く。
この呼び方から分かる通り、駆け寄ってくるのは夏の似合う快活少女、梅ちゃんである。
失礼な表現かも知れないが、妙に犬っぽさを感じてしまう今日この頃だ。
「最近よく一緒に居るな、二人とも。仲が良くてなによりだ!」
「それは……どうなのかな……?」
「普通です、普通。吉村先輩こそ、最近よくおじさんと一緒に居ますよね」
「偶然だ、偶然。ところで、梅でいいって言ってるのに、いつまで苗字で呼ぶんだ?」
「さぁ」
仲良くしたがっている飼い犬と、そっけない野良猫。
例えるならこんな感じ、だな。
梅ちゃんの面倒見の良さは、俺との訓練でもよく分かっているし、そうしたくなるのも理解できる。
知り合ってみると放っておけないというか、無性に構いたくなるのだ、安藤は。
そんな風に思っていたら、ふと視界の端で小さな影が動いた。
ぴょん、と立った三角の耳。丸くて大きい二つの眼。暑さにダレてしまっている尻尾。
それは、つい先ほど安藤に例えた動物。
「あ、猫だ」
「えっ」
「おお、ホントだな。ほらほら、こっちおいでー」
安藤の体がグイッとこちらを向き、猫の所在を血眼になって探し始めた。
一方、梅ちゃんは自然体で猫の近くへしゃがみ込む。
猫の方も人に慣れているようで、可愛らしく擦り寄っている。抱っこされるのも嫌がらず、そのまま梅ちゃんに抱かれて日陰に避難してきた。流石の動物でも、この暑さは堪えるらしい。
猫を抱っこした女の子。鉄板のほっこり光景だ。
が、微笑ましいはずの光景を見たはずの安藤の眼は、何故だが親の仇でも見るような、凶悪な目付きになっており……。
「……っ……」
「ど、どうした、安藤?」
「う……う……っ……」
「う?」
「……羨ましい。あの子、まだ触らせてくれた事ない……」
思わず脱力した。
猫好きなのは知ってたけど、羨ましさで無意識に睨む程かよ……。ちょっと怖いくらいだぞ、その目付き。
「触りたいのか? ならこっち来い、ほら。にゃんこだゾ〜」
「………………」
ところが、梅ちゃんは安藤のレーザー眼光を意に介さず、むしろ猫の手を使って手招きしている。
一歩進んで半歩戻り、三歩進んで二歩戻り……と、徐々に徐々に、安藤は梅ちゃんの元へ。
最後の一歩は梅ちゃんの方から近づき、済し崩し的に猫と二人の戯れが始まった。
(あの二人、相性良いのかもな)
猫に釣られてではあるが、安藤が俺以外の誰かと一緒に居るのは、実に珍しい事なのだ。
誰とでも距離を置こうとし、近づけない安藤。
誰にでも真っ直ぐな笑顔を向け、歩み寄る梅ちゃん。
この二人がシュッツエンゲルになったとしたら、バランスが取れて丁度良いんじゃ?
といっても、梅ちゃん中三だし、安藤も中二。どんなに早くとも、二人が高校生になる二年後になってしまうが。
その頃にはどんな関係になっているか、ちょっと楽しみで────悪寒。
「お、じ、さ、ま! 何してるのぉ、こんなとこで?」
「どぉお!?」
急に左腕が重くなった……と同時に、“むにゅうん”という柔らかさを感じ、変な声が出た。
驚きつつ確かめてみれば、小悪魔チックな笑顔を浮かべる少女が、腕にしなだれ掛かっている。
くそ、感知できたのに避けられなかった!
「ま、またお前か、遠藤!」
「はぁい、亜羅椰ですよぉー。鶴紗と梅様も、御機嫌よう」
猫撫で声、とはこういう声を言うのだろう。
百合ヶ丘女学院始まって以来の、性的な意味での問題児──遠藤亜羅椰が発したのは、心のくすぐり方を完璧に熟知した、甘えた声だ。
男ならほぼ全員、時には女も虜にするであろうが、しかし、猫好きであるはずの安藤は、遠藤の姿を見るや否や、警戒心を露わにした。
「どうした、鶴紗? なんで梅の後ろに隠れるんだ?」
「ゔ~……!」
それこそ、猫の出すような唸り声を上げて、遠藤を睨みつける。
今度こそ間違いなく、敵意の込もった目線だ。
良くも悪くも他人に興味が薄い彼女が、ここまで拒否反応を示すという事は、既に一悶着あった証左だと思われる。
「おい。安藤に何をしたんだ……?」
「嫌だわ、まるで人を変質者みたいに。ちょっとお風呂で、スキンシップを図ろうとしただけよ」
「何がスキンシップだ、このっ……もういい!」
「あ、おい、鶴紗っ?」
本当に毛嫌いしているのか、安藤は後ろ髪を引かれるような素振りを見せつつも、足早にこの場を離れる。
それが心配になったのか、梅ちゃんはこちらに「ごめん、またな」と言い残し、猫と一緒に追いかけていった。
取り残されたのは、俺と遠藤の、二人だけ。
「逃げられちゃった。保護者もついてるんじゃ、手は出せそうにないわねぇ」
残念、と最後に付け足す遠藤だが、本気ではなさそうに感じた。
もし本気なら、保護者が居ようが関係なく押し倒す。
それが噂に聞く遠藤の悪癖であり、俺自身が覚えている…………嫌悪感の根っこだ。
「何が目的なんだ」
「どういう意味ですか?」
「なんで、俺に近付こうとするんだ、と聞いている」
やや強引に彼女を振り払い、率直に尋ねる。
遠藤亜羅椰はレズビアンであり、自分自身と女性にしか興味がない。
宗旨替えでもしたのでない限りは、俺のようなおっさんと、話すらしたがらないはず。
「なんでも何も、私はおじ様と仲良くなりたいだけですよ」
「嘘だ」
完璧な微笑みを前に、俺は断言した。
断言せざるを得ない、理由があった。
「君の眼は、俺を見てない」
それは、遠藤の眼差しだ。
俺を見ているようで、その後ろにある“何か”を見ている眼。
自分の欲望を満たすためなら、平気で誰かを利用し、反省を露にも見せない。
そういった振る舞いが、“アイツ”を思い出させる。
俺をG.E.H.E.N.A.に売ろうとした、“アイツ”を。
姿形も、性別も、全く違うはずの二人だが、笑い方だけがよく似ていて、どうにもダブって見えてしまう。
だから、信じられない。
特型ヒュージから命を救ってくれた恩人なのに、どうしても、嫌悪感が先に来てしまう。
あの時に覚えた些細な違和感が、こんな悪感情に繋がってしまうなんて、思いも寄らなかった。
(……我ながら女々しいな。いつまで引きずってるんだよ)
甲州撤退戦から、もう数ヶ月が経つ。
だけれど、友人に売られたという事実は、決して消えない。
その消えない事実を、遠藤という存在が嫌でも思い出させる。
いわゆる良い子ではないが、彼女が“アイツ”程の悪人だとも思わない。
自分の性癖に正直で、目的のために手段を選びそうにないだけ。
一部の生徒から蛇蝎のように嫌われているそうだし、一方で友人は多く、信奉者も少なからず存在するらしい。
単なる裏切り者である“アイツ”と、遠藤を同一視してはいけない。
そう頭で理解していても、心は納得してくれなかった。
仕方なく俺は、硬質な態度で彼女との対話に臨むしかないのだ。
指摘を受け、遠藤は眼を丸くする。
が、次の瞬間には悪魔っ子(小悪魔でなく)のような、左右非対称の笑みで返した。
「意外と鋭いんだぁ……。ま、御察しの通り、本当の目的は別にあるんだけど」
「……安藤か?」
「当たらずとも遠からず、かしら。逃げられると、無性に追いかけたくなるタイプなの、私」
「ああ、そうかい」
「おじ様の側に居れば、あの子と会う機会は増えるじゃない? 実際、今日は会えた訳だし」
「かも知れんが、俺の側に遠藤がウロついてると知ったら、近寄らなくなるだろうな、きっと」
「あら。それじゃあ、おじ様と仲良くする理由も無くなっちゃったわぁ」
「そうか。なら、もう行くよ」
はぐらかされている。
真面目に答えるつもりがないなら、話なんて、しても無駄だ。
俺もこの場を離れようと、隣を通り過ぎようとする。
……しかし、遠藤に前を塞がれた。
「なんだ?」
「言ったでしょう。逃げられると追いかけたくなるタイプだ、って」
にっこり。
見た目だけは本当に可愛らしい仕草でもって、今度は彼女が尋ねる。
「おじ様こそ、私を通して誰を見てるの? 昔の恋人、とか?」
心臓が大きく跳ねた。
バレていた。
俺自身も、彼女を通して、過去の出来事を見ていた事が。
考えてみれば、当たり前か。
俺ですら感じ取れた感覚だ。年頃の女の子なら、もっと容易く見抜けるに決まっている。
「“アイツ”が恋人とか、冗談じゃない。……どうして分かった」
「女の子は、そういうのに敏感なの。随分と引きずってるみたいだし、酷い別れ方でもした?」
「……裏切られただけさ。色んな意味でな」
「え……?」
自嘲を浮かべ、吐き捨てる様に言ったその時、初めて遠藤の表情が揺らいだ気がした。
……なんだろう。妙な勘違いしてる?
あ、“アイツ”が男だって言ってない。
このままだと、俺と“アイツ”が「アーッ!」な関係にされてしまう!? 早急に誤解を解かなくてはっ!
「おじ様」
──と、焦って口を開こうとした所に、またまた別の声が割り込む。
少し低めの、落ち着いて涼やかなそれは、耳に慣れ親しんだ声……白井さんのものだった。
「白井さん? どうしてこ──」
「まぁ、夢結様! この前の迎撃当番以来ですね、御機嫌よう!」
こに? と続けたかった俺を差し置いて、テンション鰻登りな遠藤が、白井さんへと微笑む。
純粋さと下心と肉欲を、全部ごちゃ混ぜにして煮詰めた後の上澄み液みたいな、綺麗なんだか汚いんだかよく分からない、とにかくギラついた肉食系の笑顔である。
変わり身が激しくて、むしろ感心するわ。
おかげで本当の目的も分かった。こいつ、白井さんのこと狙ってやがる……!
「おじ様、大丈夫ですか」
「え。大丈夫って、何が?」
「辛い事を耐えているような……。そんな表情に見えたので」
密かに得心していた俺を、白井さんは、心配そうに見つめている。
……そんなに難しい顔をしていただろうか。
ただでさえ、特型ヒュージ襲撃の際には、無用な心配を掛けてしまった。だというのに、こうしてまた心配させて。
申し訳なさが、自嘲を苦笑いへと置き換えさせた。
「大丈夫だよ。ちょっと彼女と立ち話していたら、嫌な過去を思い出しただけだから」
「……なるほど」
わずかな空白。
白井さんは一つ頷くと、無視されて挙動不審になっている遠藤へ向き直った。
「あ、あのぉ……夢結、様……?」
「貴方が、遠藤亜羅椰さんね。お噂は伺っているわ」
「そ、そうですか。良くない噂でなければいいんですけど……」
一歩、白井さんが踏み出す。
遠藤が一歩、後ずさる。
白井さんの眼は、冷たかった。
夏の暑さを忘れさせる程に、冷たく、鋭い。
「貴方がどんな性癖を持っていて、どんな風に振舞おうとも、個人の自由だと思うわ。制限するような権利は、誰にもない」
「えっと、ゆ、夢結さ──」
「でも」
一歩、また一歩と遠藤は追いやられ、ついには壁際に追い詰められる。
少しだけ身長差があるせいか、自然と、白井さんは遠藤を見下ろす形に。
「それに
忠告……いや、警告、だろうか。
ヒュージですらたじろぎそうな威圧感に、遠藤は真っ青な顔でコクコク頷き、やっと白井さんが一歩引く。
途端、遠藤は壁伝いにへたり込むのだが、白井さんは見えていないかの様に振る舞う。
「行きましょう、おじ様」
「あ。はいっ」
一も二もなく、悠然と歩く白井さんの後に続いた。
拒否? 出来るわけがない。だって怖いし。
ルナトラ発動中の白井さんは物騒で怖いらしいが、今の白井さんも別の意味で怖い。マジで。
ややあって、白井さんは足湯のある東屋で歩を止める。
時期が時期だけに、今は温泉ではなく冷水で満たされており、素足で涼を取る生徒の姿もチラホラと見えた。
「……し、白井さん……?」
「──しよう……」
おっかなびっくり問いかけると、返されたのは消え入るような声。
首を傾げていたら、次に白井さんは勢いよく振り返り…………今にも泣き出しそうな顔で、オロオロし始めるのだった。
「どうしましょう、おじ様……。私、あんな風に言うつもりじゃなかったのに……っ」
「へ?」
「栄誉あるリリィとして、節度ある行動をするべきだって、上級生として純粋に話をするだけのつもりだったのに、あんな、脅すような言い方……!」
「お、落ち着いて白井さん。そんなに気にしなくても……」
「でも、何か理由があって、ああいう言動をしているんだとしたら、私、事情も聞こうとせずに、酷い事をっ」
「いや、大丈夫っ、大丈夫だからっ、ね?」
どうにか宥めようとするものの、白井さんは一向に落ち着いてくれない。
そうこうしている内に、東屋の生徒達がこちらを見てザワつき始め……。
ヤバいっ、これじゃまるで、俺が白井さんを泣かせてるみたいじゃないか!?
どどど、どうしよう、早くなんとかしないと!
か、川添っ、川添はどこだー!?
「なんなのよ、あの眼……」
夢結達が立ち去って数分後。
ようやく自分を取り戻した亜羅椰は、体を震わせながら呟いた。
この汗ばむ陽気に震えているのは、確実に、夢結のせいだった。
身も心も凍りつかせるような、熱を感じさせない眼差し。
一切の反論を許さない、絶対的な威圧感。
しかし、亜羅椰が震えているのは、それに恐怖を覚えたからではない。
亜羅椰はむしろ……。
(ゾクゾクしたわぁ……! こんなの、初めてかもぉ……!)
喜んでいた。否、悦んでいた。
可愛いものと綺麗なものが大好きで、更には意地悪するのも、意地悪されるのも大好きな亜羅椰にとって、美少女に嫌われるのは、一種の御褒美でもある。
それにしても、今まで嫌悪感を示されたり、明確に拒絶されたりはあったが、あんな風にただただ冷たく、静かに宣言されたのは、生まれて初めてだった。
あの視線。
冷たく見下ろされる感覚。
ピンと伸びた、去っていく背中。
何もかもが、ドンピシャだった。
特型ヒュージ襲撃の時、気絶した“彼”を心配し、涙を流す横顔にムラッとしたのは、間違っていなかったのだ。
「うふふふふ……。私、決めました夢結様……! 絶対に、貴方とお近付きになってみせるわ……! その為には、是が非でもおじ様に張り付かなくちゃ!」
決意も新たに、ガバッと立ち上がる亜羅椰。
どこまでも自分に正直な少女は、どこまでも真っ直ぐに、自分の道をひた走る。
その先に、美少女だらけの桃源郷を夢見て。
遠藤亜羅椰の明日はどっちだ。
最近、炊飯器を見ると無意識におにぎり握っちゃう系のアイドルリリィが可愛くて、最推しが変わってしまいそうです。はよ続き読ませぇや!(ストーリーがバグで読めない)
というわけで、恒例の言い訳という名の解説。
ユニークスキルという呼び名は、原作にはたぶん無い物だと思われます。
理事長代行のお姉さんである祇恵良女史が「アマツカミ」というレアスキルを保有しているらしいですが、これがユニークスキルに該当するとお考え下さい。
また、主人公のユニークスキルに関しては、あくまで百由様の推測に基づく情報ですので、今後また変わっていく可能性があります。
そして、サブタイからも分かる通り、亜羅椰ちゃんの出番はまだ続きます。ガチ百合さんの活躍(?)にご期待下さい。
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12 カガリビバナ ──Cyclamen── 遠藤亜羅椰の愉悦、その二
「ねぇねぇねぇ、あの噂聞いた?」
昼時。
幾人もの生徒でごった返す、百合ヶ丘女学院、中等部校舎のラウンジに、一際元気の良い少女が駆け込んでくる。
文字通り、馬の尻尾のようにポニーテールを揺らしながら、彼女は友人達の居るテーブルへと向かう。
話しかけられた二人……ベリーショートの眼鏡少女は溜め息をつき、ゆるふわロングの少女は、おっとりとした笑顔を返す。
「榮倉さん。いつも言っているけど、その言い方だと、仮に聞いていたとしても、どの噂か分からないでしょ。主語は明確に」
「ごめん馬場ちゃん。で、噂なんだけど、ほら、遠藤さんと“おじ様”の! 設楽ちゃんはどう?」
「あー、あれですかー。はいー、聞きましたよー」
片手チョップでの謝罪の後、榮倉と呼ばれた少女が席に着く。
彼女と馬場、設楽は三人一緒に居ることが多く、将来的には、リリィの戦闘単位であるレギオンを組もうと誓い合っていた。
ようは仲良し三人組であり、それ故の遠慮の無さをもって、三人は噂話に花を咲かせる。
「いやぁ、ビックリだよねぇ。あれだけ女の子を取っ替え引っ替えしてた遠藤さんが、今度は例の“おじ様”に鞍替えだもんね?」
「ですねー。どういった心境の変化なんでしょー?」
「……噂の真偽はともかく、最近、女生徒からの被害の声が少ないのは、事実みたいよ」
「ほっほぅ、馬場ちゃんの調べなら確実だねぇ」
「すごーい」
「それほどでも」
褒めそやされ、馬場の眼鏡がキラリと光った。
表情こそ変わっていないが、実際にはとても喜んでいるのを、残る二人は分かっている。
「しかし問題なのは、そのおじ様と遠藤さんが、本当に………………か、関係を持って、いたとしたら、よ。普通に犯罪じゃない」
「溜めたねぇ」
「初心ですもんねー」
「うるさいわね! でも、実際そうでしょ。
白井様と川添様のシュッツエンゲルに、吉村様、工廠科の真島様、後は、ワタシ達と同じ学年の安藤さん?
これだけの美少女が周りにいるのよ、いつ間違いが起きたって不思議じゃないわ。理事長代行は何を考えているのかしら」
「間違いってぇ?」
「具体的にはー?」
「貴方達ぃ……っ」
『ごめんなさぁーい』
息の合ったイジリに、今度は別の意味で眼鏡が光る。
即座に謝罪し、勝手に水に流した(つもりの)榮倉と設楽もまた、違う意味で腕を組み、はたまた頷いていた。
「でもさぁ、これで遠藤さんが大人しくなってくれるなら、私としては有り難いかなぁ。なんだかんだ、私も揉まれた事あるし」
「わたしもですー。思わず、変な声出ちゃいましたー」
「え? 二人とも、なの? ……ワタシ、ないんだけど」
「……あぁ……」
「……そっかー」
「……なんで視線が下に向くの!? ま、まだ成長期なんだからっ! これからよこれから!」
二対の視線を胸部に感じ、馬場が真っ赤な顔で身をよじる。
確かに、榮倉と設楽とは、パッドでも、寄せて上げても埋め切れない差がある。
が、まだ十三歳なのだ。これから先、急成長して追い越さないとも言い切れない。
母・祖母・曽祖母と、慎ましやかな家系に生まれてしまった彼女は、そうやって必死に自分を誤魔化した。
「あ! 二人とも見て見て! あれ!」
「今度は何……? ……あ」
「噂をすればー」
そんな時、榮倉がふと窓の外を指差す。
釣られて馬場達が視線を向ければ、そこには渦中の二人が並んで歩いていた。
訓練服の男性と、見るからに大人びた体つきの、中等部の制服の少女。
女学院の敷地内である事も手伝い、非常に目立っていた。
「何を話してるのかしら……。持っているのは、CHARMコンテナ?」
「あっ、おじ様の腕に抱きついた! あれ絶対に当たってる! いや当ててるよぉ!」
「だいたーん!」
「どこかに向かっているようだけど……戦闘訓練、くらいしか思いつかないわね」
「うーん? なんかおじ様、すんごい顰めっ面してない? 迷惑がってるのかなぁ」
「あれは顔に出てないだけでー、普通に堪能してると思いますよー?」
「やっぱそうだよねぇ。男の人って、おっぱい大好きだっていうもんねぇ」
「ねー」
「………真面目に考えてるワタシがおかしいの? ねえ、ワタシ変?」
「そんな事ないよぉ。ねぇー」
「ねー」
「…………だ・か・ら! なんで胸を見ながら言うのよっ!?」
「きゃー!」
「逃げろー」
度重なる狼藉に、馬場の怒りが激発する。
堪らず走り出す榮倉と設楽。
だが、本気で怒っていない事も、本気で逃げていない事も、互いに理解している。
賑やかで、ありふれた日常の一幕であったが、その場を離れてしまったせいで、窓の外を行く二人を、後ろから追う人影があった事に、三人はついぞ気付かなかったのである。
やっと優しさを見せ始めた陽光の下、黙々と歩くこと十数分。
百合ヶ丘女学院が管理する土地の端っこも端っこ、野山の中に現れた広大な窪地で、遠藤は足を止めた。
「この辺りが良いかしらね」
周辺を確認し、彼女は呟く。
おそらくは、かつて大規模な戦闘が行われた場所なのだろう。
自然が作り出した美しい窪地などではなく、マギの炸裂によって醜く抉られ、結果として出来たような印象を受ける。
「本当にやるのか? こんな場所で」
「何よ。人目につきたくないって言ったのはおじ様じゃない? ここなら遠慮なく、いくらでも出来るでしょ」
やけに色気を感じる口調で彼女は言うが、その実、色気とはかけ離れた事を、俺達はやろうとしていた。
二人してCHARMコンテナを持って来ている事からも分かる通り……戦闘訓練である。
「おじ様の中には、間違いなくフェイズトランセンデンスのサブスキルである、Awakeningが存在しているわ。
仮に暴発した場合、周辺への被害は甚大になるでしょうから、こういう辺鄙な場所での訓練が一番なの。誰かを傷つけてからでは遅いもの」
コンテナを開け、先行量産型らしいCHARM──アステリオンを構える遠藤。
中等部の生徒にして、先行量産型を与えられているのは、彼女がS級のレアスキル、フェイズトランセンデンスを保有しているからだ。
ここで言うS級とは、フェイズトランセンデンス自体がS級なのではなく、遠藤の保有しているフェイズトランセンデンスがS級、という意味である。
聞くところによると、百合ヶ丘の歴史でも過去最高の使い手、だとか。
「そもそも、Awakeningを保有しているという根拠は?」
「女の、か・ん。でも安心して。外したこと無いから」
「……覚醒を手伝う理由は?」
「おじ様の覚えが良くなれば、それが自然と夢結様に伝わって、お近付きになるチャンスが増えるじゃない!」
「一人で訓練して目覚めた、って言い張るとは思わないのか」
「あら。おじ様はそんな恩知らずなの?」
「………………」
全て計算尽く、という事か。
遠藤の手の上というのは腹立たしいが、願ってもないチャンスである事も確か。
S級のレアスキルの使い手なんて、世界中を探しても片手を超えるかどうか、という存在だ。
そんな人物に手解きを受けようと思っても、普通は機会すら与えられない。
あの日、安藤に誓った約束もある。
本気で強くなりたいのなら、しのごの言っていられない。
「使えるようになるかは、自分でも分からないが、よろしく頼む」
「はぁい。頼まれたわ」
俺が頭を下げると、遠藤は気安く手を振って答える。
……なぁんか、軽いんだよなぁ。
言っちゃ悪いが、こういう軽薄な言動が、遠藤の大きなマイナスになっていると思う。
もっと真摯に……せめて真面目に受け答えしてくれれば、波風も立たないだろうに。
「で、具体的に、どんな訓練をするんだ」
「ん〜……。まずは、私のフェイズトランセンデンスを見てもらおうかしら。目で見て分かるほどに、マギの流れが変わるはずだから、よぉく私を見ていて」
「分かった」
遠藤は自信たっぷりに、たゆん、と胸を張る。
白いワンピースの胸元は、サイズが微妙に合っていないのか、今にもはち切れんばかりに張り詰めていた。
………………ふう。
落ち着け我が息子よ。あれは単なる脂肪の固まり。どんなに幸せな感触だったとしても、触れてはいけない代物なんだ。だからステイ!
「いっくわよぉ……!」
必死こいて表情筋を殺している俺を横目に、数歩ほど前へ進み、アステリオンにマギを通す遠藤。
目で見て分かる……という言葉の通り、その体からは濃厚なマギの気配が漏れ出していた。
凄まじい。
一言で表すなら、これに尽きる。
フェイズトランセンデンスとは、一時的に体内のマギを増大させ、湯水の如く使い放題にするレアスキル。
反動が大きいし、一度に出力可能なマギの量はCHARMに依存するものの、短時間ながら無敵に近い状態を作り上げられる。
途方もない量のマギを練り上げ、遠藤が射撃形態のアステリオンを通じ、地面に向けて──放つ。
轟音。
ミサイルでも着弾したような衝撃が、周辺の木々をしならせた。
「……絶景だな」
二重の意味で、俺は感嘆する。
土埃すら吹き飛ばされてしまい、残されたのは、真新しいクレーターだ。
未だに揺れる木の軋む音が、大地の上げる苦痛の声にも聞こえる。
そして、同じように揺らめく遠藤のワンピースの中身も、丸見えだった。
赤いレース生地の、大人の女性でも人を選ぶデザインである。
……どうしよう。
見てろって言われたから、思わずガン見して脳内HDDに保存しちゃったんだけど、本当に良かったんだろうか。
いや、遠藤の事だ、これも俺を動揺させる作戦かも知れない。
これだけ無防備に男の眼に晒したんだから、見せパンである可能性も捨て切れないし。
「どぉ? これがフェイズトランセンデンスよ! ま、普通は使った後、マギの枯渇──ディプリーションが起きて、活動不可能になるんだけど」
「S級の使い手なら、ほぼデメリット無しで使えるんだよな。その位は話に聞いてる」
「仰る通り。マギの枯渇状態に関しては、おじ様も経験済みでしょ? あの状態で戦場に取り残されたりしたら、普通に死ぬわ。今後そうならないためにも、訓練は必要ってわけ」
理解した? とでも言いたげに、遠藤は得意満面の笑顔を浮かべる。
もし今、「スカート捲れてモロ見えでしたよ」と言ったらどうなるだろう。
ショーツ(もしくは見せパン)の色に負けないくらい、顔を真っ赤にする?
それとも、ここぞとばかりに「おじ様のエッチー!」とイジリ倒される?
どっちにしても困るのは俺だし、ここは見なかった事にしよう。
後で思い出すかも知んないけども、とにかく今はスルーしよう。
「なぁ遠藤? 確かにマギの変化は感じ取れたけど、自分で使えるようにするには……」
「それはもちろん、むやみやたらにマギを消耗するのよ」
「は?」
具体的な案を尋ねてみると、返されたのは、なんとも漠然とした答え。
唖然とする俺に、彼女はCHARMをフリップ──ジャグリングのように軽々と扱いながら続ける。
「分かり易く言ってあげる。ようは、運動中の呼吸と疲労なの。
フェイズトランセンデンスを使っている間は、呼吸をしないまま、疲労感もなく、運動し続けられる。
だから、無理やりにでも体とマギを消耗させて、無意識の欲求を高めれば、Awakeningを発動させられる可能性が出てくるわ。
ま、この方法が有効なのは、スキルの芽がある場合のみ、だけどねぇ?」
「つまり、死ぬほど疲れろ、と」
「そういうこと」
「帰っていいか?」
「だぁめ」
途端に面倒臭さが出てしまい、思わず脚が来た道を戻ろうとしたが、アステリオンで退路を断たれた。
そりゃまぁ、訓練な訳だし、相手が遠藤だ。余計に疲れる覚悟はしてたけど、こう明言されてしまうと気が滅入る……。
そんな俺の気持ちを珍しく察したらしい遠藤は、わざとらしい媚びた笑顔で、上目遣いに見つめてきた。
「ほらほら、模擬戦でもなんでも付き合ってあげるから。わたしぃ、おじ様のカッコイイところ、見たいなぁ?」
「悪いがそういうのは逆効果だ。……ったく、白井さんと仲良くなりたいからって、よくやるよ。あれだけブッとい釘を刺されたってのに」
「当たり前よ。あの程度で諦めるようなら、私は私をやってないわ」
効果が無いと見るや、あざとさを投げ捨て、そう言ってのける。
背筋を伸ばすその立ち姿を、不覚にも……綺麗だと思ってしまった。
それなりに生きてきたからこそ分かる、自分を貫く、という行いの難しさ。
それを知らぬ、若さ故の、眩しさ。
気取られたくないと思った俺は、空を見上げ、太陽の光で眼を焼いて誤魔化す。
「その、どこまでも自分を貫こうとする姿勢だけは、ホントに尊敬するよ」
「それはどうも。けど、ごめんなさい? 男の人には興味ないの」
「安心しろ。俺も遠藤とだけはゴメンだ。お金貰ってもヤダ。後腐れそうだし」
「あ゛んですってぇ!?」
そこからはもう、売り言葉に買い言葉。
喧々諤々とCHARMをぶつけ合い、済し崩し的に模擬戦は開始されたのだった。
CHARMと言葉で切り結ぶ二人を、豆粒ほどの大きさに見る、遠方の森の中。
一人の少女が、望遠機能のあるデジタルカメラ片手に、事の行く末を見守っていた。
「………………」
いや、固く結ばれた唇をして、見守るのではなく、監視しているというのが正しい表現か。
周囲に他の人影はなく、それでも身を隠すようにしている事から、後ろめたい目的があるのは明白だ。
「……もし、妙な動きがあったら。その時は……」
幼さを残す呟き声は、もちろん、誰に聞かれるはずもない。
それでも少女は身を潜め、注意深く監視を続ける。
監視している人物達の片割れに、存在を気取られているとも知らぬまま。
(やっぱり、誰かに見られてる)
遠慮なしに振り抜かれるアステリオンを捌きつつ、俺は首筋がむず痒くなるような、不可解な感覚を覚えていた。
より正確に言うなら、学院の建物を出てからずっと、この奇妙なむず痒さがあった。
それが視線であると気付いたのは、模擬戦の中、遠藤がこちらに向ける視線にも、同じような物を覚えたからなのだが、一体誰が……?
一応、この訓練も届け出してあるし、護衛のリリィが来ているのかも知れない。
(にしても、こんなに感覚が鋭敏になるなんて、またカレイドスコープを無意識に発動してるのか? 気をつけなければ……)
ユニークスキル(仮)の制御は、今のところインビジブルワンしか安定していない。
意識して発動できるのも同じで、目下、発動可能なスキルを増やす事を優先している。だから遠藤の申し出を受けた。
彼女が言った暴走・暴発の危険性も、間違いなく孕んでいる訳だが、それを確認するにも先ずは、他のスキルを使えるようにならねばならない訳で……。悩ましい問題だ。
ちなみに、義肢の開発は今のところ順調で、少し前から装着用ハーネスの改良が始まっている。
最初の頃はゴテゴテして蒸れまくっていたハーネスも、今では肌着感覚で身に付けられるほど、軽量・薄型化に成功していた。真島さんマジ天才。
埋め込み型の接合機も実用段階に入っているそうなので、今年の内には手術が可能になるかも知れない、とのこと。
受けるか受けないかはおじ様に任せます……と、真島さんは言ってくれた。受けたくもあるし、怖くもある。こちらもまた悩ましい。
「ちょっとぉ。さっきから別のこと考えてるんじゃない?」
「お、よく分かるな」
「女の子は、そういうのにも敏感なのよ。どうせ他の女の事でしょう」
「さぁな。当たらずとも遠からず、だ」
「何よそれ、こないだの仕返し?」
「そんなつもりは……」
考え込んでいると、肩で息をする遠藤が、不機嫌そうな顔で垂れる汗を拭い言った。
そろそろ晩夏とはいえ、まだ運動すれば汗がダラダラと出てくる。
そして遠藤だが、訓練着ではなく薄手の夏用制服を着ているため、汗で肌に張り付いて、とても見た目が素晴らし──もとい、嬉しい──でもなく、際どい事になっている。
ダサいからって制服を着て、汗で濡れ透け。もうコレ絶対にワザとだ。でなきゃ気付いて隠したりなんだりするはず。
その歳で痴女ってヤバいだろ……。
「というか、おじ様スタミナあり過ぎよ。ぜんぜん疲れてなさそうなんだけど……」
「いや、疲れてはいるぞ? 疲れていても動けるように、訓練させられたんだ。昔取った杵柄だよ」
「ふぅん……。ま、いいわ。嫌でも興味を持たせてあげるから」
にやり。
遠藤は自信ありげに長い髪をかき上げ、空いた手でスカートの端を摘まむ。
「私、今ね……どんなのを穿いてると思う?」
「え? 穿いてるって、何を」
「言わせる気なのぉ? ……下着よ、し・た・ぎ」
「真っ赤なレースの見せパンだろ」
「えっ」
「あっ」
やべっ、つい正直に答えちまった!? ガン見してたのバレた、セクハラで訴えられる!!
……と、戦々恐々する俺だったが、何故か遠藤の顔は驚愕に満ちていて。
「な、なな、なん、で……」
「いや、なんでも何も、さっき、フェイズトランセンデンスを使った時にスカートが……え? あれって、もしかして見せパンじゃなかったのか!?」
「……っ、よ、用意してたのに、穿き忘れちゃってた……っていうか全身透けてるじゃないのよぉ!?」
スカートの前と胸元を押さえ、真っ赤な顔で俯く遠藤。
前者だった、前者だったよ答え! 意外とうっかり者だなこいつ!
あれか? 周りに女子ばかりだったから、見られても良いと油断してたとか?
普通に恥ずかしがられると、こっちが悪い事したみたいじゃないか……。
「ごめん……。なんか、ごめん……」
「ぁ、謝らないで! ふんっ、べ、別に見られて困る物じゃないし!」
「困ってないで照れてるもんな」
「照ーれーてーなーいー! えーえー、良かったわねぇー、女子中学生の生下着を拝めてー!」
「良かった……? どっちかっていうと、こっちも反応に困るから遠慮したいんだけど」
「即座に拒否するんじゃないわよっ、このバカぁ!!」
「うお危ねぇ!」
ノーモーションでアステリオンが迫り、俺は慌ててアガートラームを間に挟む。
なんとか防御には成功したが、その瞬間、ぶつかり合うCHARMから、眩い光球が発生する。
「なんだっ!?」
「これは、マギスフィア?」
マギスフィアとは、端的に言えば凝縮されたマギだ。
様々な要因で発生し、いずれの場合も共通するのは、炸裂すれば大きな破壊力をもたらすこと。
そんなマギスフィアが何故か、俺のアガートラームに引っ付いて離れない。
「ちょ、おいっ! どうすりゃいいんだコレぇ!?」
「え、ええっと、射撃するみたいな感じで、とにかく遠くへブン投げて! なんだか不安定そうだし、爆発するかも!」
「うぉおぉおぉマジかぁああっ!? そ、そいやぁ!!」
言われた通り、適当な方向へアガートラームを振り抜く。
割とすんなりマギスフィアは飛んで行き、遠くの雑木林の中へ。
カッ──と閃光が発せられ、間もなく爆音が轟いた。
しばらくすると、遠藤が作ったクレーターよりも、更に大きなクレーターが視界に入った。
頭上から、爆風で巻き上げられた土や、砕けた木の破片も降って来る。
あの破壊力が、俺の手の中にあったのか……。
今更ながら、手が震えた。
「……じゅ、寿命が縮んだ……」
「同感だわ………………? あら?」
「なんだ、どうした」
へたり込んでクレーターを眺めていたら、同じようにヘタっていた遠藤が、急に立ち上がった。
目を細め、険しい表情を浮かべている。
「……マズいわ! 着弾地点付近で美少女が倒れてる!」
「え? お前なに言ってんの? この距離で見えるわけないだろ、観測系のレアスキル持ちでもないんだから」
「ホントだってば! 私の美少女センサーにビンビン来てるわ、ホラ行くわよ!」
「えぇぇ……なんかドッと疲れが来てるんだけど……」
「おじ様がブン投げたんでしょっ、偶然でも責任は持ちなさい!」
「へぇーい……」
急に元気一杯となった遠藤に腕を取られ、仕方なく立ち上がる。
目測で数百mは離れてるはずだが、彼女は確信しているらしい。なんだよ美少女センサーって。そんなもん俺が欲しいわ。
なんて思いながら、疲れた体に鞭打ち、大跳躍で現場に急ぐ。
すると、クレーターの端っこで、根元から倒れてしまった木にもたれる、一人の少女の姿があった。
「嘘だろ、本当に倒れてる!?」
「だから言ってるでしょ、もう! って、神琳じゃないの」
「知り合いなのか?」
「同じクラスなのよ。しっかり、ねぇ!」
気を失っている、中等部の制服を着た少女──シェンリンさんの肩を揺らしながら、遠藤は声を掛け続ける。
有り体に言えば、美少女だった。
白井さんにも負けない、長く艶やかな髪。
隣に居る遠藤も(見た目だけは)美少女なのだが、それが霞んでしまうくらいの造形美。
成長すれば、百人が百人、彼女を美しいと褒め称えるのは間違いないと、そう言い切れる。
そんな少女が、俺の投げ捨てたマギスフィアの爆発に巻き込まれ、気絶した。
しかも、瑕疵一つなかったであろう玉の肌に、その顔に、破片か何かで出来たと思われる、一筋の傷が見えた。
女の子の顔に、傷をつけてしまった。
血の気が引くのを自覚する。
……ところが遠藤は、全くもって自分のペースを崩さず。
「意識がない……。仕方ないわ、気を失っている隙に、ここは私が人工呼吸を!」
「隙にって言ったか今? させるかアホ、普通に呼吸しとるっつーの! お前もういいから離れろっ」
「じゃあ触るだけ、いえ見るだけだから! なんならおじ様も混ぜてあげ……やっぱ今の無し。とにかく私が運ぶわ! そこどきなさい!」
(んんんあああああっ、コイツ引っ叩きたいいいいい!)
思いっきり歯を食い縛り、出そうになった言葉を噛み殺す。
落ち着け。脳のシワの隅々まで性欲に支配されたバカは放っておくんだ。今は、シェンリンさんに適切な治療を受けさせる事が優先だ!
手をワキワキさせるバカ(二度目)からシェンリンさんを守るため、俺は気を失ったままの彼女を横抱きに、大跳躍を開始する。
背後に迫るバカ(三度目)の「待ちなさぁーい!」という怒号のおかげか、到着は思った以上に早まりそうだった。
数時間後。
すっかり日も暮れ、薄闇に落ちつつある、百合ヶ丘女学院の併設病院にて。
看護師さんから許可を得た俺と遠藤は、シェンリンさんが一時入院した病室を訪れていた。
少し緊張しながらドアをノックすると──
「どうぞ」
柔らかく、同時に涼やかな声が返される。
失礼します……と断りを入れて入室すれば、ベッドで上体を起こす、美しい少女が微笑んでいた。
その頬には、細長い医療用テープが貼られており、痛々しい。
「体の具合いはどうだい? 郭神琳さん」
「ご心配には及びません。ただ気を失っただけですから」
「頬の傷は……」
「処置が早かったので、痕も残らないそうです」
「そうか、良かった……」
その言葉を聞き、ようやく肩の荷が下りた気分だった。
偶発的な事故とはいえ、女の子の顔に傷をつけては、申し訳が立たない。
俺はベッド脇に立ち、距離を保って、深々と頭を下げる。
「この度は、本当に申し訳ない事をしました。すみませんでした」
「えっ。あ、頭を上げてください。わたくしがあんな所に居た事が、原因でもありますし……」
大の男が頭を下げているからか、郭さんの困惑が声で分かる。
ひとまず謝罪は済み、許しも得た? ので一安心……と行きたかったけれど、遠藤は空気を読もうとしなかった。
「それよそれ。ねぇ、神琳。貴方どうして、あんな所に居たのかしらぁ? “こんな物”を持って」
「う……」
預かっていた“それ”──衝撃で壊れてしまったデジカメを突きつけられ、郭さんは口籠る。
俺も気になってはいたし、彼女の方から話してくれないかなぁ、と淡い期待を寄せていた所にこれである。
面の皮が厚い。ある意味、羨ましくもある。
やがて、沈黙に耐えかねたらしい郭さんが、おずおずと口を開いた。
「……噂の真偽を、確かめようとしていたんです」
「噂? どんな噂だい?」
「遠藤さんと、“貴方”が、その……。人目を忍んで、“何か”しているのではないか、と……」
俺と遠藤が、何かしてる?
郭さんの顔が若干、赤くなっている事から察するに、如何わしい噂なのだろう。
うぅむ……。最近、遠藤のせいで注目されているとは思ってたが、そこまで行ってたか……。
世に名高いリリィが集うお嬢様学院といえども、年若い少女達。ゴシップにワーキャーするのが楽しいのかも知れない。
噂される方としては堪ったもんじゃないけど。遠藤とはちょっとなぁ。
「もしそれが真実であったなら、証拠を確保して、理事長代行に直訴するつもりでした」
「そ、そうだったのか……」
「ですので、どうか気を遣わないで下さい。こうなったのも、自業自得なんです」
自業自得。
郭さんは自嘲めいた笑みを浮かべるが、俺自身、頭の中は煩悩に塗れているので、正直笑えない。
百合ヶ丘女学院にとって、俺は異物だ。事情があるから許されているだけで、本来なら排除されるべき存在。
郭さんの行動は決して過剰反応ではなく、彼女達自身の身を守るための、自衛行動に過ぎない。
疑われていたのは少しショックだが、仕方ない事だろう。良い機会だと思って、生活態度を改めねば。
「最近、妙に女の子からの熱い視線を感じてたけど、そういう事だったのねぇ。残念だわぁ」
「お前は本当にブレないな。郭さんの心配も分かるけど、まぁ、遠藤はこういう奴だし、滅多な事は起きないよ、きっと」
「そうそう。私がおじ様と一緒に居るのは、おじ様に付随してるモノが目的だしぃ?」
「付随しているモノ……? ………………っ!?」
なんの気無しに遠藤の言い放った言葉が、何故だか郭さんを赤面させる。
あ〜……。これは、ちょっと勘違いしてそうだな。
遠藤の目的は白井さんだけど、あの言い方では、男の股間に宙ぶらりんしているモノと間違えてしまう。
早め早めが肝心と、俺は訂正するため郭さんに声を掛け……ようとしたのだが、にんまりと笑う遠藤に先を越される。
「あらあらぁ〜、ねぇ神琳〜、顔が赤いみたいだけど、どうかしたのぉ〜?」
「な、なんの事でしょう? 遠藤さんの気のせいでは」
「うふふ。もしかしてぇ、“アレ”の事だとでも思ったぁ? 意外とぉ……」
「ち、ちが、違います! わたくしはそんな、ふしだらな想像なんて!」
「あらあらあらあらぁ〜、神琳の中の“アレ”って、“ふしだら”な事なんだぁ〜。しおらしい顔してても、やっぱり興味津々なのねぇ〜」
うっわぁ……。ヒドい……。
まるで死にかけの獲物を前にした肉食獣が如く、遠藤が郭さんを弄ぶ。
ただでさえ色白な肌は、もう完熟トマトみたくなっている。
これはこれで可愛い反応だけど、流石に可哀想だった。
(おい、止めてやれよ! なんでそんなに絡むんだっ)
(べぇっつにぃ? 日頃から生活態度を注意されて面倒だったとか、女の子に声を掛けようとしたら邪魔されたとか、そんな事はないわよぉ?)
(……なぁ遠藤。世間はそれを逆恨みって言うんだぞ。知ってるか)
(うっさい!)
潜めた声で遠藤を注意するも、全く効果無し。よっぽど相性が悪いらしい。
見るからに折り目正しく、礼儀正しい郭さん。
自由奔放な、わがままボディ(死語)の遠藤。
対極に位置すると言っても良いだろう。
「──はと言えば……」
ふと、地の底から響くような低音が、神琳さんの方から発せられた。
顔は真っ赤なまま、しかしクワッと眼を見開き……。これぞ怒髪天を衝く、といった表情だ。
怖っ。
「もとはと言えば、遠藤さん! 貴方のその言動こそが原因なんです!」
「は? 何よ急に」
「いつもいつも、可愛らしい女の子を見かける度に手を出して、興味がなくなったらあっさり放り出して、悲しませて。
学院の風紀を乱すだけに留まらず、真面目な生徒を小馬鹿にまでして! 誰もが貴方の性癖を許容できる訳ではありません!」
「……ちっ。鬱陶しいわね……。そんなんだから、顔は良いのに友達の一人も居ないのよ、堅っ苦しい」
「なん、ですって……」
「ボッチの仕切り屋ほど、見苦しいものはなくってよぉ?」
「ちょ、おい、二人とも? あの、えっと、病院内だし、声を抑えて……」
『黙っててちょうだい(下さい)』
「はい」
物理的に火花が散りそうな二人に挟まれ、俺は心臓バックバクである。
まだ中学生だってのに、女同士の争いとはこんなにも恐ろしいのか。
帰りたい。超帰りたい。帰っていいですか? ダメですかそうですか。
「遠藤亜羅椰さん」
「何、郭神琳」
「貴方に、決闘を申し込みます」
「……上等じゃない。受けて立つわ」
凄んだ割に、もう俺の事なんか眼中にないらしく、厳しい眼差しと不敵な笑みという、正反対の表情で睨み合う。
小さいはずのその背中に、何故だろう。ハブとマングース……違った、龍と虎の幻影が見えた気がした。
一体どうなるんだ、これ……?
前置きなしの言い訳タイム!
例によってCHARMのロールアウト時期が不明なので、ラッキースケベ担当・亜羅椰ちゃんのアステリオンは先行量産型という事にしてあります(美鈴様のブリューナグと同じ扱い)。
そして、アニメでは全く絡みの無かった亜羅椰ちゃんと神琳ちゃんですが、絶対に相性悪いと思うんです。
本作では中等部のクラスメイトで、中学生らしい生意気さと、中学生らしい正義感がぶつかり合っています。バッチバチです。もうちょっと成長すれば、互いにスルーする事も出来たでしょうけど。
実は神琳ちゃんの現CHARMも先行量産型アステリオンで、同じCHARMを持つ、正反対の二人として描きます。媽祖聖札を使い始めるのはまだ先という設定。
あと、友達は普通に居ます。居ますが、美少女過ぎて数が少ないのは事実なので、亜羅椰ちゃんの一言は地味にクリティカルでした。
冒頭の三人組? 覚え辛かったら少女A・B・Cで大丈夫です。
また出るかも知れませんし、出ないかも知れません。
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13 キンポウゲ ──Japanese Buttercup── 郭神琳の展望
百合ヶ丘女学院。第三地下訓練場。
周辺環境への影響と、訓練内容の秘匿性を考慮して設けられたこの施設は、普段は多くのリリィ達が講義に使っている。
だが今、はるか頭上の照明が照らし出すのは、たった二人の、訓練服姿のリリィ候補生。
郭神琳と、遠藤亜羅椰だった。
「逃げなかったんですね」
「こっちのセリフよ、優等生さぁん? バレたら懲罰ものなのに」
「それは、CHARMを使った私闘の場合です。あくまで名目は訓練ですし、立会人も居ますから」
長い髪を揺らし、郭さんが視線をこちらへ向けた。
そのオッドアイに映るのは、俺の他に三名ほどの少女である。
川添と白井さん、そして真島さんだ。
病室での決闘宣言の後、事の次第を知る立会人としての参加を求められた俺は、即座に携帯をプッシュ。彼女達に助けを要請した。
そんな訳で、数日後の週末である今日、地下訓練場の一つを貸し切り、決闘が執り行われる運びとなったのだ。
「面倒な事に巻き込んでくれたね」
「すまん。でも、あの二人を俺だけで仲裁とか無理。助けて下さい」
「はぁぁ……。全く、仕方ない。今回だけだよ」
「助かる。白井さんも、わざわざありがとう」
「いえ。遠藤さんの事は気になっていましたから、大丈夫ですよ」
「もちろん私も大丈夫ですよー! 新しい訓練機材のテストにうってつけですから! お礼はエナドリ10本パックでお願いしますね!」
「うん、ありがとう真島さん。でも、エナドリの飲み過ぎは体に毒だからね。飲み過ぎないようにね」
三者三様の答えに、俺もそれぞれ返事するのだが、真島さんだけテンションがおかしい。
また徹夜だろうか? エナドリの過剰摂取は本当によくない。腹囲的な意味で。気をつけてほしい所だ。
ちなみに新しい機材とは、ダメージ測定機なる物のようだ。
パッド型の装置で薄く柔軟な防御結界を発生させ、その歪み具合いを数値として出力。どんな攻撃でどれだけのダメージを受け、どの程度のダメージで戦闘不能になるのかを、分かりやすくするんだとか。
ほぼ毎日のように新発明してるんじゃなかろうか、この子。
「わたくしが勝ったら、不特定多数との不純な交際を、今後一切、止めてもらいます」
「どうぞご自由にぃ? 私が勝ったら、そうねぇ……。一晩付き合って貰おうかしらぁ」
「……っ!?」
「ふふ、冗談よ。今後一切、私の交友関係に口出ししないでくれる?」
「……いいでしょう」
一方で、郭さんと遠藤の話も進んでいる。
相変わらず険悪な雰囲気だ。無事にこの決闘は終わるだろうか……。
しかし遠藤よ。その要求は18禁ゲームの悪役(しかもオッさん)がするもんだぞ。自重しろ中学生。
「じゃあ、ルールを説明するわよ。10ポイント先取の機械判定で、相手に有効打を与えればポイントになるわ。
シューティングモードも使用可能だけど、当然、弾薬は模擬弾で、頭部を狙った射撃は減点とします。
なお、公平性の観点から、レアスキルの使用は禁止。以上、理解できたかしら?」
「問題ありません」
「はいはぁーい。一人じゃなぁーんにも出来ない神琳に合わせたげるわぁ」
「………………」
「だんまりって事は、図星なの? ……それとも、私と口をきくのが怖い?」
にたり。
それこそ悪役のような顔で、遠藤が郭さんを睨みつける。
郭さんのレアスキルは、テスタメント。
他者のレアスキルの効果を向上させ、かつ有効範囲も拡大するという、非常に有用なレアスキルだ。
が、そのスキル特性を活かすには、必然的に他のリリィが必要となるため、遠藤の言う事も、ある意味では間違っていない。
けれども、間違ってなくても耳触りは悪過ぎる。
俺は反射的に割って入っていた。
「遠藤。そのくらいにしろ。聞くに耐えない」
「何よ、おじ様は神琳の味方ってわけぇ? 男って、清楚な見た目の女が好みだもんねぇ?」
「少なくとも、今の遠藤を魅力的とは思わないな」
「……ふん」
苛立たしげに鼻を鳴らし、そっぽを向く遠藤。
実際、遠藤は美少女だが、誰かの悪口を言っている時の顔なんて、魅力的なはずがない。
それを魅力的と感じるのは、一部の倒錯的な性癖を持つ人間だけである。俺はMでも、ましてやSでもないので。普通にラブラブしたい派です。
ともあれ、二人の準備は整ってしまったようだ。
出来れば穏便に事を収めたいのだが……。
「本当にやるのか、郭さん」
「後には引けませんから」
「……分かった。怪我のないように、気をつけて」
「はい」
もう覚悟は決めてしまっているらしい。
止めるだけ無駄だと判断した俺は、郭さんを激励してから、川添達と観戦席へ移動する。
いや、しようとしたのだが、何故か遠藤が俺を呼び止めた。
「……ちょっと。私には何もないの?」
「え? あ〜……。今日はちゃんと訓練服を着てきたんだな。偉いぞー。……念のために聞くが、大丈夫だよな?」
「大丈夫に決まってるじゃない!? ほら見なさいよっ、ちゃんと穿いてるでしょスパッツ!」
「ちょ、バカッ、自分でスカート捲るな!」
「おじ様……? どういう事ですか……?」
「後で詳しい話を聞かせてもらうよ……?」
「うっ。はい……分かり、ました……」
「あ、夢結様ぁ〜! 私、頑張りますからねぇ〜!」
ガバッとスカートを捲ってみせる遠藤に、川添と白井さんの表情が変わった。
マズい……。これは、非常にマズい……。
実は遠藤のおパンツをガン見した事があります、なんて言えるはずがない。せっかくボカして聞いたのに、どうしてこうなった……。
まるで連行される痴漢の気分で、俺は川添達の後ろへ続く。
「それでは、二人とも? 所定の位置に」
同時に、真島さんの声で郭さんと遠藤も距離を取り、刃留めされたCHARMを構える。
二人が使うCHARMは、意外にも同じ型──先行量産型アステリオンだった。
色だけがパーソナルカラーに染色されていて、遠藤は赤、郭さんは黒である。
また、アステリオンは形態が三つ存在し、標準的な性能の長剣形態、攻撃力重視の戦斧形態、射撃形態を使い分けられる。
このうち、長剣形態にしているのが郭さんで、対する遠藤は戦斧形態。こんな所でも対照的だ。
静寂が広がる。
正眼に構える郭さん。肩にかつぐ遠藤。
腰を落とし、いつでも動けるように脚はスタンスを大きく。
ややあって──
「模擬戦、始め!」
赤と黒のアステリオンが、ぶつかり合った。
先んじて攻勢に出たのは郭さんだ。
重量バランスの良い長剣形態は、取り回しも良いらしく、駒のように回転しながら連続攻撃を繰り出す。
それを凌ぐ遠藤も侮りがたい。長剣形態と比べ、バランスの悪いはずの戦斧形態で、確実に有効打を避けている。
中学生でこれとか、末恐ろしい才能だ……。
「なるほど……。噂には聞いていたけれど、かなりの腕前だね」
「ですね。あの身のこなし、既に実戦でも通用するレベルだと思います」
先程の事は脇に置いてくれた川添と白井さんも、模擬戦に見入っている。
この二人が言うのだから、俺の評価も間違ってはいないだろう。
頼もしい逸材……なのだが、問題は彼女達が互いを毛嫌いして、決闘までしている事だろう。
CHARMを振るい、弾き、跳躍し、回避する。
単純な繰り返しに思えるが、これらを続けざまに、途切れる事なく続けるのが、どれだけ難しいか。美しい演舞を見ていると思える程だ。
けれど、彼女達の目的は、相手を打ち負かすこと。千日手の演舞では意味はなく、郭さんは一旦、間合いを離す事を選んだ。
「セオリー通り……。意外と手堅いんですね」
「ふふん。当たり前でしょ? 私、誰にでも触れるのを許すほど、安い女じゃないの」
「……あの方の前では、はしたない姿を晒していた気がしますが?」
「あ、あれはっ…………ワザと、だものぉ! おじ様を誘惑して、手を出させて弱みを握るつもりだったのよ!」
「それはそれで最低ですね」
「はんっ。なんとでも言いなさい! 今度はこっちから行くわよぉ!」
郭さんの言葉に、遠藤は明らかに動揺しつつ、しかし強引に距離を詰めてペースを握ろうとしていた。
戦斧形態の重たい攻撃が郭さんを襲い、攻守が入れ替わる。
そして、俺も新たな窮地に立たされてしまう。
「誘惑ね……。本当に、何があったのかなぁ……?」
「おじ様……。まさか遠藤さんと……?」
「違うんです……誤解なんです……。も、模擬戦に集中しませんか?」
「その不自然な敬語が、余計に怪しさを引き立てるんだけれど」
「不埒です。不潔です。ふしだらです。不真面目です。不道徳です」
「ううう……っ、恨むぞ遠藤ぉぉ……!」
ササっと座席を一つ離れ、川添と白井さんがジト目を向けてくる。
発端は郭さんだが、遠藤がトボけてくれれば、まだ誤魔化しもきいたのに。
座り心地の良いはずの観戦席が、まるで針のむしろだった。
今まで好感度高めだったが故に、余計に悲しい。
その傍ら、模擬戦の様相も刻一刻と変化していた。
遠藤の猛攻に、郭さんがバランスを崩す場面が増えてきたのだ。
「く……っ」
「ほらほらぁ、アンタのCHARMは軽いわねぇ! それとも、また怪我しておじ様にお姫様抱っこされたいのぉ?」
「……よく回る舌ですね。それでどれだけの女生徒を誑かしたんですか」
「失礼ねぇ。みぃんな“悦んで”くれたわよぉ?」
「この……っ!」
ちろり。艶かしく舌舐めずりする遠藤を、軽蔑の眼差しで睨む郭さん。
分かってはいたが、やっぱり遠藤は性欲魔人らしい。下手したら俺より経験値あるかも知れない。
羨ましい。こればっかりは純粋に羨ましい。俺だって男だ。可愛い女の子とHな事したいに決まってる。
が、そんな事を考えていたからか、川添達の視線は更に厳しくなり……。
「お姫様抱っこぉ……?」
「気を失った郭さんを運ぶためだったんです。不可抗力だったんです。信じて下さい」
「………………」
「せめて何か言ってくれまいか白井さん……」
無言のジト目が一番辛い。いや、辛いけどなんかもう、これはこれで新境地なのでは? と思えてきた。
……いやいや正気に戻れ! それはノックしちゃいけない扉だ!
Mの境地なんかじゃなく、シリアスの続いている模擬戦に集中するんだ俺!
「前から気に入らなかったのよねぇ。お高く止まって、上から目線でぇ? 本当はアンタの方が、みんなを見下してるんじゃないのぉ?」
「ふざけないで下さいっ、わたくしは、貴方とは違います!」
「ふん。私はね、アンタを見下してなんかいないわよぉ。ただ、好き嫌いがハッキリしてる、だぁけっ!」
「うあっ」
アステリオンを一閃。遠藤が郭さんを弾き飛ばし、悠然と、不敵に微笑む。
真島さんから借りたタブレット端末を確認すると、現在のポイントは、6-7で遠藤がリードしていた。
(郭さんが押され気味。いや、遠藤の調子が良過ぎる? 実力の差はそれほど無さそうだが)
見た限りではあるが、身体能力も戦闘技術も、二人の間に差は無い。
性格からして攻撃一辺倒かと思われた遠藤は、手堅い守備の合間に、鋭い一撃を叩き込む、一撃必殺型。
逆に、落ち着いた風貌の郭さんは手数型。流れるような連撃で、相手に何もさせず勝つつもりだろう。
遠藤の戦法が上手くはまれば、郭さんはリズムを崩して逆に何も出来なくなる。
郭さんの戦法が上手くはまれば、遠藤は手も足も出せないまま削られていく。
どちらが自分のスタイルを貫けるか。
あるいは、スタイルを切り替えて相手を翻弄するか。
これで勝負が決まる。
「ふうぅぅ……」
弾かれた事で得た距離を利用し、郭さんは息を整えるためか、深く息を吐く。
時間にして一秒足らず。
だが、たったそれだけの時間で、郭さんの雰囲気が変わった。
「どう思ってるんですか」
「何をよ」
「貴方が、遊び半分で泣かせた子を、です」
「……それは」
「忘れたなんて、言わせませんよっ!!」
「くっ!?」
射撃形態への変形、同時に射撃。
どうにか防いだ遠藤だったが、次の瞬間には郭さんが目の前に来ている。
戦斧形態となった黒いアステリオンが、赤いアステリオンを打つ。
受け止められたはずだが、測定機械は遅いと判断したのだろう。郭さんにポイントが入った。
「自分が楽しければ、それで良いと? 他人がどう思おうと関係ないと? そんな身勝手が、本当に許されると思うんですかっ!」
「ちぃ……っ! 鬱陶しいわねぇ……っ」
「鬱陶しくて結構です、貴方みたいに、人の痛みも分からなくなる位なら!」
戦斧形態から長剣形態へ。そしてまた戦斧形態へと、目まぐるしく形態を変更させながら、乱舞は続く。
対応する遠藤は、対応力に優れた長剣形態でそれを凌いでいる。
ヒュージに使うには状況が限定される戦法だが、対人戦においては効果は高い。
ただ、遠藤を打ち倒す為だけの、対人戦術。
「これはもう、模擬戦じゃないね。互いの感情をぶつけ合うだけの、ただの喧嘩だ」
「ですが、お姉様。ここで止めては、逆に遺恨が残ります」
「続けさせるしかない、か。いざという時には割って入る。準備をしておこう」
「はい」
川添も危うさを感じ取ったらしく、白井さんにCHARMコンテナを開けさせている。
ヒュージを撃破せしめるCHARMは、当然ながら人間に対しても致命的な威力を発揮する。
たとえ刃留めをしていたとしても、ただ振り回して叩きつけるだけで、命を奪えるのだ。防御結界があるリリィ/マギウスでも、当たり所が悪ければ骨折くらい簡単にしてしまう。
今の二人に、細かい力加減を期待するのは難しい。最悪の事態が起こらないよう、立会人である俺達がしっかりしなければ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、戦況はまた膠着状態へと戻っていた。
(遠藤が完全に守りに入った。郭さんは、攻め切れていない)
長剣形態で防御に徹した遠藤は、まるで装甲特化型のヒュージの如き堅牢さを見せる。
かたや郭さんと言えば、張り付くように見舞う攻撃のほぼ全てが無効化され、顔に焦りが滲み出ていた。
かと思ったら、赤いアステリオンが一閃。虫を払うように郭さんを遠ざける。
そして、流れるように射撃形態へと変化させ……。
(攻撃に転じる? いや、誘いだ!)
郭さんの攻撃スピードを知っていながら、この距離で射撃形態は悪手でしかない。
牽制で留めるにしても、三倍の距離が欲しい。でなければ距離を無理やり詰められて終わる。遠藤もそれくらい分かっているはず。
なのに変形させたという事は、誘い込んで叩き潰す算段があるということ。
そして、これまでの戦闘内容から察するに、郭さんも誘いであるのを理解できるだろう。
だが……郭さんは一秒にも満たない逡巡の後、遠藤へ突っ込んだ。
「そこですっ!」
「──と、思うわよねぇ!」
案の定、遠藤はアステリオンの変形をキャンセルし、放り投げるようにして戦斧形態へ。
突撃してきた郭さんを、渾身の振り下ろしが迎撃した。
郭さんも予想していたか、受け流しを試みたが、その上から捩じ伏せられ、声もなく地面に倒れ伏す。
当然、遠藤にポイントが入った。
「守りが固い相手がガードを解いたら、攻めたくなるわよねぇ?
たとえ罠だと分かってても、アンタは逃げない。私相手に逃げたくないから。
素直過ぎて可愛く見えてきたわぁ」
「ぐ、う……っ」
「負けを認めたらぁ? そしたら、許してあげなくもないわよぉ。ただし、さっきの条件に加えて、『ごめんさぁーい』って謝ってもらうけどぉ」
「誰が、貴方なんかに……!」
頬についた汚れをそのまま、睨み上げる郭さん。
遠藤は、嘲りに満ちた微笑みで答える。
「本音が出たわねぇ。結局、見下してるのよ。自分とは違う価値観を持つ人間を。自分の意にそぐわない人間を。だから力尽くで排除する」
「……違う……」
「別に、それが悪い事とは言わないわぁ。でもねぇ……私を力尽くで排除するってんなら、アンタが排除される覚悟もあんでしょうねぇ!?」
「わたくしは、わたくしはっ、間違ってなぁいっ!」
また振りかぶられる、赤いアステリオン。
立ち上がりながら、切り上げられようとしている、黒いアステリオン。
二つのCHARMに、必殺の意が込められているのを、直感した。
「まずいっ、夢結!」
「はい! 行きま──えっ」
その瞬間、俺は無意識にインビジブルワンを発動していた。
観客席から二人の間へ割り込み、遠藤のアステリオンを右手で、郭さんのアステリオンを左足で止める。
生身では不可能な芸当だ。
「な……」
「お、おじ様? なんでっ」
心の中で真島さんに「ありがとう」と言いながら、狼狽する二人に、どう返事したものかと考える。
ぶっちゃけ、考える前に体が動いてしまったので、全くのノープランなのだ。受け止められたのも奇跡である。
この場を穏便に執り成すには、何が必要だろう。
まずは時間。次に冷静さを取り戻させること。
その為には、俺自身が穏やかな心で対処せねばならない。
「双方に、聞きたい事がある」
何事も形から。
俺は、密かに憧れている人物──義父上の口調を真似て、二人の顔を見回した。
「まずは、遠藤」
「……な、何よ」
「この勝ち方で、お前は満足か」
「はぁ? どういう意味よっ。いけないっていうの!?」
「重ねて聞く。満足か」
「……っ、知らないわよっ!」
アステリオンを大きく引き戻し、俺の手を振りほどく遠藤。
もう先ほどまでの悪役面はなく、バツの悪さを隠し切れていない。
ヒールを演じてしまっていた、という自覚はあるようだ。
こちらに背を向け、数歩の距離を取る。
水を差されて、少しは頭が冷えるといいのだが。
ひとまず遠藤とは話せた。
次は郭さん……と思っていたら、予想外にも彼女の方から話しかけてきた。
「なんのつもりですか。わたくしは、“貴方”に止められなければならない程に、惨めだったんですか……?」
「聞きたい事がある、と言ったはずだ」
「詭弁ですっ」
「君がどう思おうとも、聞く事は変わらないよ」
遠藤と違い、まだ郭さんの熱は冷めやらない。
勝手な印象だが、本来はきっと、ここまで攻撃的な性格ではないだろう。
真面目な性格だからこそ、様々な要因が重なって、治りがきかなくなっている。
本来の自分を思い出させるには、どうしたら……?
顎をさすって、数秒。
俺はふと思いついた事を口に出す。
「君が理想とするリリィは、どんなリリィだ」
「え……?」
「なりたい自分の姿、と言い換えてもいい。それを思い出せるか」
「………………」
虚を突かれたのか、郭さんの表情の怒りが薄まった。
戸惑うような間があり、やがて彼女は項垂れるようにして俯き、呟く。
「わたくし、みっともない、ですね」
「……そうなのか?」
「ええ。なりたい自分とは……夢見た姿とは、程遠い……。恥ずかしいです……」
アステリオンの柄から片手を離し、訓練服の胸元を、クシャリと握る。
拳の震えは、込められた力故か、それとも。
「郭さん。君は、間違える事を怖がっていないか?」
「……誰でも、そうなのでは……」
「だと思う。しかし、君自身もさっき言っていただろう。一度も間違えた事のない人間に、間違えてしまった人間の痛みは、きっと分からない」
「あ……」
ハッと顔を上げ、郭さんが目を見開く。
誰だって、間違う事は怖い。
だから慎重に、間違わないように、注意して物事を進める。だがそれでも、間違ってしまう事を確実には防げない。
そんな、間違ってしまった人を見て、慰めようと心を砕く人も居るだろう。
彼等、彼女等の奥底にあるのは、きっと、自分が間違えてしまった時の、痛み。
「もう一度聞こう。君のなりたい自分の姿を、思い出せるか」
再び問いかけた時、郭さんの顔付きは別人のようになっていた。
ただ遠藤への怒りで燃えていた瞳が、まるで水を打ったような静けさを湛えて見える。
うん。きっとこれで、彼女は大丈夫だ。
「中断させてすまなかった。もう止めはしない。真島さん、再開の合図を」
「へっ? あ、はいはい! おっほん。それじゃあ、二人とも距離を取って! 私の合図で再開よ?」
固唾を飲んで見守ってくれていた真島さんに場を預け、俺はゆっくりと観客席へ戻る。
会話が聞こえていたのだろう。
出迎える川添は「やれやれ」と肩をすくめ、白井さんが大きく頷いてくれた。
名誉挽回、できただろうか。
遠藤達は、真島さんの言葉に従い、距離を保ちながらアステリオンを構えている。
けれど、様子は全く違っていた。
郭さんが揺るぎなく柄を握っているのに対し、遠藤は腹立たしそうに何度も握り直している。
「始め!」
「はあああっ!」
「っせぃ!」
掛け声と共に、模擬戦が再開される。
戦運びもまた、大きく様相を変えて展開した。
「……っ、なん、なのよ、これぇ!」
「どうかしましたか、遠藤さん」
「なんだってのよ……ただ質問されただけじゃない! なのに、なんでっ!?」
遠藤がアステリオンを振るい、郭さんがさばく。
郭さんがアステリオンを振るい、遠藤が防ぐ。
単純な繰り返しであるが故に、その精彩の差は歴然だった。
遠藤の攻撃には動揺が色濃く現れ、正確さを失っている。
逆に郭さんは、機械でも難しいような精緻さでもって、攻撃と防御を完璧なものにしている。
瞬く間にポイントの差は埋まり、逆転し、そして。
「そこまで! 模擬戦終了! ポイント10-9で、郭神琳さんの勝利!」
真島さんが終了を告げるのに、長い時間は掛からなかった。
呆然とへたり込む遠藤と、荒い息を整える郭さんに、俺は手を叩きながら歩み寄った。
「おめでとう、郭さん」
「……え? あ、ありがとう、ございます……」
声を掛けられてようやく気付いたのか、慌てて言葉を返す郭さん。
ややあって彼女は、照れ臭そうに頭を下げた。
「“貴方”の……“おじ様”の言葉がなければ、自分を見失う所でした。本当に、ありがとうございます」
「役に立てたなら良かった。お節介だったらどうしようかと思ってたんだ」
「まぁ」
くすくすと上品に笑う郭さんは、模擬戦で髪が乱れているにも関わらず、気品があった。
これが本来の姿なのだと、こんな笑顔を向けられて幸せだと、そう思える自然な微笑みだった。
しかし……。
「──い……っ」
すぐ近くから発せられた震える声が、明るい雰囲気を払拭する。
振り返れば、そこには遠藤が立っていた。
悔しそうに唇を噛み締め、今にも溢れそうなほどの、涙を溜めて。
「ズルい、ズルい、ズルい! あのままだったら私が勝ってた! おじ様が余計な事しなければ、私が勝ってたのに!」
アステリオンを投げ捨て、髪を振り乱すその様は、癇癪を起こした子供そのものだった。
止める間もなく、遠藤は抱えた気持ちを吐露していく。
「なんでこんな意地悪するのよっ、そんなに私の事が嫌い!? だったらハッキリそう言いなさいよっ!」
「……遠藤」
「仕方ないじゃない! だって、これが“私”なんだもの! 嫌われたって別にいい! 無理に好きになってくれなくたっていい! ……でも、でも……っ!」
やがて、言葉に詰まり、隠すように顔を伏せてしまう。
そうまでされて、ようやく俺自身も、間違いを犯していた事に気付いた。
俺は、遠藤のことを蔑ろにしていなかったか?
あんな性格だから傷つきはしないだろうと、粗雑に扱っていなかったか?
遠藤はまだ子供だ。子供なのだ。
どんなに大人びて見えても、ハチャメチャな性格をしていても、傷付きやすい、年頃の少女だ。
それを俺は、“アイツ”に少し笑い方が似ているからって、無意識に忌避して、遠ざけようと。
結果として、こんな形で追い詰めた。……最低だ。
(この場で一番恥ずかしいのは、俺、だな)
自己嫌悪に頭が痛くなるが、そんなもの、女の子の涙に比べたら、羽根と鉄球くらいに差がある。
忘れろ。忘れてしまえ、“アイツ”の事なんか。
遠藤は小さい女の子なんだ。
性格が尖っている分、普通の子よりも、よっぽど傷つく機会は多かったはず。
大人である俺が、気遣ってやれなくてどうする。
一歩近づくと、遠藤の肩が大きく跳ねた。
震えている。
スカートの端を両手で、クシャクシャに握り締めている。
「遠藤」
「っ……」
「確かに、意地悪だったよな。遠藤の気持ちを考えてなかった。……ごめんな」
自然と、謝罪の言葉が口をついていた。
遠藤の震えが大きくなる。
ややくたびれた訓練用ブーツに、はらはらと、雫が溢れ始めていた。
「……ばかぁ……お゛じ様の゛ばがぁ……嫌い嫌い、大っ嫌い……!」
「そっか。嫌われちゃったか。どうすれば許してくれる?」
「ぜったい、ゆるさない、もん……っ」
握り拳を、俺の胸板に何度も落としつつ、遠藤はむずがる。
それが本当に子供っぽくて、なんとなく、その頭を撫でてしまう。
「気安く、触んないで……」
「ごめん、つい。嫌なら止める」
「……止めていいなんて、言ってなぃ……」
「そうか」
鼻をスンスン鳴らし、けれど、弱々しく拳をぶつけ続ける遠藤。
傍らの郭さんも、遠藤が泣くとは思っていなかったのか、オロオロと手を彷徨わせている。
笑っていて欲しい。
遠藤も、郭さんも。
そして、戦う事を強いられている、全てのリリィ達も。
細くて柔らかい髪を指に感じながら、強く、強く、そう思った。
「僕達の出る幕はなかったみたいだね。全く、とんだ休日だよ。……帰ろう、夢結。これ以上は、彼女も見られたくないだろう」
「……いいな……」
「夢結? ……今、なんて?」
「え。なんですか、お姉様。私、何か言っていましたか?」
「………………」
おっかしいなぁ……。前話といい今話といい、長くしないつもりだったのに一万字。もっと簡潔にまとめたい。
という訳で、亜羅椰ちゃんと神琳さんの決闘編でした。
地下訓練場は、アニメ本編で天野っちとくすみんが訓練してた、あの場所をイメージしてます。実際に地下にあるかは分かりませんけど、照明の感じがそれっぽかったもんですから。
それと、ちょっと収まりの悪かった小話がありますので、明日もう一度更新します。
Cパート的な短い後日談ですけど、楽しみにして頂ければ幸いです。
加えて、無事に総字数が十万字(次回で十一万字)を越えましたので、チラ裏から移動しました。
今後とも応援のほど、宜しくお願い申し上げます。
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13.5 オオベニウチワ ──Anthurium── たまにはこんなイジワルを
「はあぁぁぁ……」
テーブルに突っ伏す遠藤亜羅椰は、人目も気にせず盛大に溜め息をついた。
休日の、百合ヶ丘女学院は学生寮新館のラウンジにおいて、その姿は異様に目立っている。
何故なら、それまでの亜羅椰であれば、発情期の犬猫と同じような性急さで女の子を追いかけ回していたから……である。
そうしないのにはもちろん理由があり、亜羅椰を悩ませている原因でもあった。
(なんだか最近、おじ様の私への対応が、生暖かい気がするのよねぇ)
それは、亜羅椰に対する“彼”の態度に他ならない。
以前、“彼”へと突きつけた言葉がある。亜羅椰を通して誰かを見ている、という言葉。
しかし最近、その感覚が消え失せてしまったのだ。
あの模擬戦以降も、多少のぎこちなさは残ったものの、亜羅椰は“彼”の周囲をうろついた。
顔を合わせる度に困らせるような事を言って、逆セクハラをかましもした。
が、“彼”は亜羅椰を真っ直ぐに見据え、仕方ないなぁ、といった感じで苦笑いするのである。おまけに毎回、気安く頭を撫でられて。
(別に嫌ではないけどぉ……。なんかこう……なんだろ……うぅん……)
亜羅椰は、それを向けられた時の気持ちを表現できる、適切な言葉を持ち合わせていなかった。
嬉しい? 恥ずかしい? 照れる、くすぐったい、鬱陶しい、煩わしい?
どれもこれも違うようで、微妙にかすっている気がするのが、もどかしい。
と、そんな風に唸っている亜羅椰の近くを、見覚えのある美少女が通った。
郭神琳だ。胸にはソフトカバーの参考書を抱いている。
「あら。ご機嫌よう、遠藤さん」
「げっ」
たおやかに挨拶をする神琳だが、亜羅椰は「面倒なのが来た」と顔に書いて憚らない。
なのに神琳はくすくす笑い、しかも対面の椅子へ腰掛けた。
「げっ、は流石に酷くありませんか? 傷つきます」
「あーそーですかぁーごめんなさいねぇー」
手をヒラヒラと、言外に「あっち行け」アピールをする亜羅椰。
だが神琳は動かず、完璧な美少女スマイルを浮かべたまま。
「……何よ? 用が無いなら放っておいて欲しいんだけど」
「いえ。あります。この前は、言いたい事も言えないまま、お開きになってしまいましたから」
「う……」
思い出したくない事を思い出させられ、露骨に顔をしかめる亜羅椰。
不覚にも負けてしまい、男の腕の中で大泣きするという失態を演じた、あの模擬戦である。
結局あの後、亜羅椰は泣き疲れて眠ってしまったらしく、気がついた時には寮の自室で寝ていた。
起きてすぐ、醜態を思い出して叫び始め、寮長の高等部三年生に大目玉を食らったので、二重に嫌な思い出となっていた。
「あの時に出した条件、一部を撤回します」
「へ? ど、どういう事よ……?」
「遠藤さんの交友関係に、口出しする事はしません。代わりに、一人一人に対して、真摯に向き合ってあげて下さい」
「………………」
そう言い、ジッと亜羅椰を見つめる神琳。
普段であれば性的な意味でドキドキしそうだが、今は別の意味でドキドキする。
つまりは、居心地が悪い。
そんな気分が手伝い、亜羅椰はやさぐれた態度で返してしまう。
「そもそも、アンタがおじ様に贔屓されなければ、勝ってたのは私よ。絶対に、勝ってたんだから……!」
「かも知れませんね。……そんなに、羨ましかったですか?」
「はあぁ? 羨ましいぃ? 何に対してよ」
「おじ様が、わたくしを贔屓した事です」
「はっ。べっつにぃ? 男にチヤホヤされたって、嬉しくともなんともないわぁ。だから、全く羨ましくなんてないわねぇー」
「……そうですか。でも……」
鼻で笑い、皮肉った笑みを浮かべると、神琳は意味深長に言葉を区切る。
かと思えば、参考書をくるくると丸めて即席メガホンを作り、すぅー、と深く息を吸い込んで…………大きな声で叫んだ。
『あの時ー、おじ様の腕の中でー、涙を流す遠藤さんはー』
「うぉわあぁああぁあああああっ!! ぎぃやあぁぁぁあぁぁぁぁあっ!?」
ざわ…… ざわざわ……
大慌てでメガホンを取り上げるも、時すでに遅し。
神琳の爆弾発言によって、ラウンジの視線は亜羅椰へと集中してしまっていた。
「……とっても可愛らしく見えましたよ?」
「あ、アンタ、アンタ、アンタねぇっ、何してくれてんのよ一体ぃ!?」
「いえいえー、誰かさんが素直じゃないものですからー、たまには振り回される方の気分を味わって頂こうかとー」
「だからってアンタはぁあああっ!」
神琳の服の襟を掴み、前後にぐわんぐわん揺する亜羅椰だったが、美少女スマイルは崩れない。
それどころか、二人の周囲には凄まじい勢いで人集りが出来つつあった。
「ねぇねぇねぇ郭さん! 今のってどういう事っ? 詳しく教えて教えて!」
「ごめんなさい。遠藤さんが嫌がっているようなので、どうしてもと仰るなら、御本人に尋ねてみて下さいな」
「ちょ、嘘でしょ丸投げぇ!? こら逃げるなぁ!」
「それでは、ご機嫌ようー」
狼狽する亜羅椰の手からスルリと逃げ出し、しっかり参考書も回収してから、神琳は人集りをすり抜けて行く。
「遠藤さん! おじ様とはどういう関係なのっ?」
「ふ、ふしだらだわっ、ふしだら極まりないわっ!」
「涙って、どういう経緯でですかー? 腕の中って、まさか抱きしめられたんですかー?」
「遠藤さんって女の子にしか興味なかったんじゃ?」
「わたしとは遊びだったのね!?」
一方の亜羅椰は、人集りを構成する女子達が逃がしてくれない。
普段なら狂喜乱舞しそうなシチュエーションが、まるで拷問だった。
「く、く、くく、く……くぉ、しぇんりぃいいいいいんっっっ!!」
顔を引きつらせた亜羅椰が、諸悪の根源に向けて絶叫する。
その声を背に受け、神琳は悪戯に成功した子供のように、実に楽しそうな微笑みを浮かべると、誰にも見られないよう小さく舌を出すのであった。
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14 ツルコベア ──Mexican Ivy── 百合ヶ丘女学院よもやま話、その一〜その五
《よもやま話その一、真島百由はエナドリ中毒》
「という訳で、これが現在のおじ様のレアスキル、カレイドスコープの現在の覚醒状況です!」
声だけは元気ハツラツに、真島さんがタブレット端末を差し出してくる。
場所は彼女のラボ。
遠藤と郭さんの模擬戦騒ぎから、数日後の事である。
「インビジブルワン、Awakeningに、聖域転換? 最後のって……」
「防御系スキル、ヘリオスフィアのサブスキルですね。先日の模擬戦で、おじ様は義肢を使ってCHARMの攻撃を受け止めました。
実はあの時の義肢には、あんな強度なかったはずなんです。なので、無意識に発動していたんじゃないかなぁ、と推測しました!」
「なるほど」
異論を挟むつもりもない俺は、その言葉を素直に受け取った。
百合ヶ丘女学院に保護されてからというもの、週に一回は必ず真島さんのラボに顔を出しているが、その情報が間違っていた事はほとんど無い。
曰く、模擬戦の発端とも言うべき、俺と遠藤が発生させたマギスフィアも、同系スキルであるフェイズトランセンデンスとAwakeningが、微弱な感応現象を起こしたからではないか……とのこと。
この感応現象とは、本来なら同じレアスキルを持ち、同じ程度のスキラー数値を持つ者同士が、極めて稀に発現させるっぽいのだが、そこは俺のレアスキルであるカレイドスコープが勝手に適応させたのでは? と、彼女は考えている。
世界的にも例の少ない事象なので、憶測の域を出ないらしいけれど、多少なりとも理論付けられているだけで、当事者として少し安心できるからありがたい。
が、一つ懸念が安心に変わると、別の懸念が湧いて出るのが人というもので……。
「ところで、真島さん。君、ちゃんと寝てる?」
「へ? 寝てますよぉー、ついさっきも、20分くらいお昼寝しましたし」
「……その前は?」
「ええっと……20時間くらい前に、ちょっと寝落ちを少々……」
「寝なさい。今すぐに」
紙パックのエナドリ片手に苦笑いする真島さんへと、やや強めに言う。
先ほど、声だけは元気ハツラツと表現したが、わざわざそんな表現をしたのは、彼女の目元に濃い隈があったからだ。
まだ半年にもならない付き合いだが、しかし分かる。このまま放っておいたら、倒れそうになるまで止まらないのが真島百由である。
それが証拠に、真島さんは顔の前で両手を合わせ、俺を拝み始めた。
「も、もうちょっとだけ! あともう少しで纏められる論文とか、あともう少しで書き上げられる報告書とか、あともう少しで完成するかも知れない試作品とかが、まだまだいっぱいあるんですよぉ!」
「その“もうちょっと”をズルズル続けて、今の状態になったんだろう? 休む事を覚えないと死ぬよ、君の毛根」
「うっ。リアルなテンションで言われると効きますねぇー。……そんなにヒドいです?」
意気消沈する真島さん。俺は大きく頷く事で返事とする。
寝不足は体を弱らせ、万病の元となってしまう。そして、毛根を著しく弱らせるのも睡眠不足だ。
夜間の仕事に就き、年を取るにつれて生え際が後退し始めたという父と祖父──俺の家系が、これを実証している。本気で自分の将来が心配です。
それはさて置き、そろそろ体力も限界である事を察していたのか、真島さんはガックリとうなだれ、ソファに座る俺の隣に腰を下ろした。
「じゃあ、少しだけ休憩を……ぐぅ……」
「って早いなおい!? 全く、無茶し過ぎだ……」
……ところが、そのまま背もたれに体を預け、一瞬で眠りに落ちてしまった。
よっぽど疲れていたのだろう。女の子なのに、大口を開けて寝息を立てている。
しかも、何故かそのままズルズルと傾き、頭が俺の太ももの上に収まって。
「ちょ、え? 真島さん?」
「すぅ……くー……すやぁ……」
「……動けねぇ」
あまりにも安らかな寝顔に、全く動く事が出来ず。
俺はそれから三時間ほど、膝枕とトイレ我慢大会を強制されてしまうのであった。
これも役得って言うんだろうか……? とりあえず、漏らさずには済みました。
《よもやま話その二、黒髪ロングは世界の至宝》
肌を撫でる空気が、そろそろ清涼感ではなく肌寒さを運ぶかという頃合い。
俺はいつもの二人──川添・白井さんに誘われ、サロンの個室スペースでお茶をしていた。
ようやく、一脚で数十万はするんじゃなかろうか、と思わせるお洒落な茶器にも慣れた為か、ふと、些細な仕草になびく、白井さんの髪に見惚れてしまった。
「……どうかなさいました? おじ様」
「あ、ごめん。白井さんの髪に見惚れてた」
「えっ。そ、そう、ですか」
特に隠す必要もないので白状すると、白井さんは少し頬を染め、視線を泳がせる。
ああ、可愛い……。最近、遠藤みたいなヤバげな女子と接点が多かったし、こういう純な女の子の反応に癒される……。
その一方で、俺の言葉に面白くなさそうな顔をするのは、川添である。
「僕が居るのに夢結に色目を使うとは、いい度胸じゃないか」
「いや、でも実際に綺麗だろ。見惚れるなっていう方が無理じゃないか?」
「む。確かに、それは言えてるね。本当に夢結の髪は綺麗だから」
「も、もう、お二人とも、やめて下さい。その、照れます……」
敬愛するお姉様からも褒められて、ますます顔を赤く、肩身を狭くする白井さん。
天使か。天使だ。天使が居る。遠藤に爪の垢を煎じて飲ませたい。
「男性は、女性の髪に特別な思い入れがあると聞くけど、やっぱりそうなのかい?」
「まぁねぇ……。風に揺れる長い髪とか、誰もが一度は憧れると思うよ。その点、白井さんは男の理想を具現化してる。間違いなく!」
「言い切ったね。珍しく僕も同意見だ」
「で、ですからっ、やめて下さいったら、もう……!」
調子に乗って大げさな褒め方を続けたら、今度は眉の角度を上げて「怒りますよ」というアピール。
この一連の流れが楽しくて、俺も川添も、白井さんの褒め殺しを止められないのだ。実際、褒められて然るべき美少女だし。
だが、ここで川添の矛先が俺へと向いた。なんだか、表情が憎たらしい。
「さて。唐突だけど自慢したい」
「どうした、藪から棒に」
「僕はそんな夢結の髪を、優しく梳かしてあげるのが日課だったりする。……羨ましいかい?」
「……くっ。う、らやま、し……い……。俺だって出来るものなら……!」
「はっはっは。素直で結構。でも触らせないけどね。夢結の髪に触れられるのは僕だけさ」
「本当にただの自慢だな! 喧嘩売ってんのか!」
「今ならゼロ円。オマケに出涸らしの茶葉も付けてあげよう。お買い得だよ?」
「 お 姉 様 っ ! 」
今度こそ白井さんからお叱りの声が飛び、肩をすくめる川添。
あれは絶対、怒られたかったら煽ったに違いない。度し難い夢結スキーだ。
それはそれとして、まだ赤みの抜けない頬を隠すように、白井さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「おじ様には申し訳ないのですけど、その……。お、男の人に、髪を触られるというのは、ちょっと……」
「ですよねー。大丈夫、分かってるから。あくまで、そういう願望があるっていうだけだから、白井さんは気にしないで。ね?」
「はい、おじ様」
「ふっ。勝った」
「へぇへぇ、負けで良いですよ」
白井さんに紅茶のお代わりを貰いつつ、俺は苦笑いを浮かべた。
この二人、俺の前ではこんな感じだが、噂で聞く限りだと、他の人には全く違う対応をするらしい。
川添は、あまり他人に興味を示さないが、戦闘でのサポートは抜群に上手い、ミステリアスでクールな少女。
唯一の例外が白井さんで、生徒会に属するリリィの特権である、学部を超えたシュッツエンゲルの関係を結んだのだとか。
そして白井さんは、清楚で可憐な笑顔と裏腹に、ルナティックトランサーという狂気と隣り合わせのレアスキルを宿す、両極性の少女。
どんな経緯で川添とシュッツエンゲルになったのかは不明だが、川添に心酔し、戦場で彼女が傷つけば、躊躇なくルナティックトランサーを発動。敵を全滅させるまで止まらない。
俺が知っている二人も、最初はそんな感じだったかなぁ……と思うけど、今となっては遠い昔だ。
だって、目の前で繰り広げられているのは、愛情が深過ぎて時々空回ってしまう夢結スキーと、なんでもそつなくこなすのに実は抜けている仮面優等生の、微笑ましいやり取りだったから。
「さてさて、気も済んだ事だし、夢結。こっちにおいで。特に乱れてもいないけど、髪を整えて……あれ。なんでそっちに行くんだい?」
「そんな意地悪をするお姉様には、触らせたくありません」
「なっ!? ゆ、夢結、冗談だろう?」
「本気です。今日一日、反省なさって下さい!」
「うぐっ……! 夢結が、夢結が僕を拒絶するだなんて……!」
ツーンとそっぽを向かれ、川添は地獄にでも落とされたような顔でうなだれるけれど、そんな川添に見えない位置では、白井さんが「言い過ぎたかしら……?」という感じでチラチラと様子を伺っている。
他愛のない、日常の一幕に過ぎない光景だが、こんな日々が長く続いてくれたら嬉しい。
そんな気持ちを再確認するお茶会だった。
《よもやま話その三、下ネタ注意警報》
某日。義父上からの呼び出しを受け、俺は理事長室に来ていた。
「急に呼び立てて、済まなかったのう」
「いえ。問題ありません」
今日は珍しく、同席者が居ない。
大概は真島さんか、一時期、影ながら護衛してくれてたリリィとかが居たのだが、姿が見えず。
何か、女性が居ては難しい、センシティブな話でもするんだろうか?
「聞きたいのは、他でもない。学院中で噂になっている、遠藤君との事なのだが……」
「あー、なるほど……」
大当たりだった。
そりゃあ、女生徒だらけの学院でこういう噂が広まれば、治める側として事態の把握に動かざるを得ないだろう。
叱責だけで済めば上等。最悪、学院から追い出される可能性だってある。
覚悟はしてたけど、とうとう来たか……。
よほど酷い顔をしていたのだろう。
戦々恐々としている俺に、義父上は苦笑いで続けた。
「安心したまえ。君が分別のない行いをしているとは、儂も思ってはおらぬよ」
「助かります。ですが、噂になる事こそが問題、なんですよね」
「うむ。曲がりなりにも、ここは教育機関じゃからの」
至極もっともな意見に、ぐうの音も出ない。
百合ヶ丘女学院は──ガーデンはヒュージ対策の最前線であると同時に、年若いリリィ達を導く場でもある。不道徳な行為は罰せられるし、度が過ぎれば放校処分も。
その割に、遠藤とかは黙認されてる気がしないでもないが、彼女の才能を失うのを恐れているのか、はたまた噂ほど実態は酷くないのか。
とりあえず、特別な事情が無かった場合に、もしも俺と遠藤が関係を持ったならば、処分されるのは俺だけだろう。万が一、いやさ億に一の確率で、遠藤の方から誘われたとしても、だ。
超絶不公平だが、まぁ、天変地異でも起きない限り、あり得ない事だろう。
「君を学院から遠ざけるべき……という声もあるにはあるが、先のヒュージ誘引の件、再発しないという確証が得られない限り、そうするつもりはない。しかし彼女等に対し、誘引については秘しておる。嫌な思いをするかも知れんが……」
「大丈夫ですよ。防衛軍時代にも、色々と言われてましたから」
「……そうか」
複雑そうな義父上だけれど、悲しいかな、本当の事だ。
役立たず。税金泥棒。リリィの紛い物。その他もろもろの嫌味暴言恨み言を、マギウスとして活動中に投げられた。
家族や友人、恋人を喪った人が居れば、住む場所と仕事を失った人も居たし、明らかに遊び半分で言っている人も居た。傷付いたのは事実だが、仕方ない事だと諦めている。
遊び半分な連中は一生許さんけど。今でも顔覚えてるからな……?
「ところで、義父上。この際ですから、腹を割って話したい事があります」
「ほう。何かね。儂でよければ相談に乗ろう」
「ありがとうございます。むしろ、男同士でしか話せない事なので、助かります」
「というと?」
ちょっと重くなった雰囲気を変えるためにも、俺は自分から話題を振った。
別に、その場しのぎという訳ではなく、前々から悩んでいた事があるからだ。
それは、男なら誰もが直面する、由々しき問題。
「……エロ本とか、手に入りませんかね?」
「は……?」
そう。乙女の花園という環境が生み出す、物理媒体の“おかず”不足であった。
なに言ってんだこいつ、みたいな顔しないで下さいよ義父上。本気で辛いんですから。
「自分を律するのにも、限界はあります。うっかり暴発させる前に処理してますけど、いかんせん、それも限界が……」
「う、うむ。なるほどのう。同じ男として、理解できなくもないが」
「っていうかですよ。なんでリリィってこうも美少女揃いなんですか? 美少女であればあるほどマギが宿りやすいんですか? だから男が少ないんですか? どうなってるんですかそこら辺?」
「いや、すまぬ。そこまでは分からん……。君も、色々と鬱憤が溜まっているようじゃな」
「そりゃあ溜まりますよ! 周囲を美少女に囲まれて、時々、男なら嬉しくなってしまうものが見られて、最近では遠藤みたいな歩く公然猥せつ罪まで! どいつもこいつも可愛過ぎるんだよもぉおおっ!」
「お、落ち着きたまえ。まずは冷静に」
「はぁ……はぁ……。すみません、取り乱しました」
「本当にのう……」
ついつい魂の叫びを上げてしまい、義父上はやや引き気味である。
でも、まだ性欲の枯れてない男が、この環境に耐え続けるなんて無理に決まってる。
確かに嬉しいものは見られる。しかし、それを使ってしまうと、絶対に態度に出てしまう。隠し通せる自信が無い。
本当だったら遠藤とか最高の素材提供者なんだろうけど、二次元ならともかく、会話した事もある中学生とか、地味に後ろめたくて。
レースのパンツと濡れ透けを、頭の中から追い出すのが大変です。
「しかし、君にも自由に使えるPCはあるはず。通信販売でどうにかなるのではないのか?」
「甘い。甘いですよ義父上。通販でも買えはするでしょう。
買えますが、翌日には何故か買ったのを知られていて、川添辺りに『何を買ったんだい?』とか聞かれて、誤魔化したはずなのにまた何故かバレて、白井さんとかに蔑みの目で見られ、終いには遠藤に『私にも貸して!』とか言われる未来が見えるんです。
そんな事態を防ぐには、あの子達が絶対に疑いそうにない人物を、つまりは義父上を通じて入手するしかないんです!」
「まるで密輸じゃな……。まぁ、要望については……間違いを未然に防ぐため。儂が個人的に善処しよう」
「ありがとうございます! ……すみません。本当に、こんなしょうもない話で……」
「ふっ、そう言うな。学院内に住む、数少ない男仲間なのだ。何より、義理とはいえ親子なのだからな」
鷹揚に笑う義父上からは、思わずひれ伏したくなるような懐の深さを感じた。
実際にやるとまた引かれるのでしないが、いつか俺も、息子にエロ本ねだられても笑って流せるような、そんな素敵な歳の取り方をしたいと思った。
なんか間違ってる気もするけど、気にしない気にしない。
《よもやま話その四、笑顔の妖精》
「ん〜〜ん〜、んん〜ん、ん〜ん〜」
上機嫌な鼻歌が、隣から聞こえてくる。
缶コーヒー片手に、ベンチで足をプラプラさせる彼女は、笑顔の似合う褐色少女、梅ちゃんである。
いつものように学院内をそぞろ歩き、途中で安藤と一緒に居る梅ちゃんと出くわし、まとめてコーヒーを奢っているという形だ。
「どうしたんだい。随分とご機嫌じゃないか」
「お。分かるか、おっちゃん?」
「そりゃ分かるさ、隣で鼻歌を歌われたら。で、何か良い事でもあった?」
「へへへ。あったゾ! 実は、聞いてくれるのを待ってたんだ」
照れ臭そうに鼻の頭をかく梅ちゃん。
話を聞いて欲しくて上機嫌アピールとか、可愛い事するもんだ。よっぽど嬉しかったんだろう。
俺が聞く体勢になると、彼女は若干声を潜めて言った。
「ちょっと前からな、鶴紗がワタシのこと……梅先輩って呼んでくれてるんだ!」
「えっ? そりゃあまた……。おめでとう、梅ちゃん」
「うん! ありがとな!」
歯を見せるようにして大きく笑う梅ちゃんは、本当に嬉しそうだった。
たかが呼び方一つ、といえばそれまでだが、相手はあの安藤。ちょっとでも距離を縮められただけで大金星である。
相変わらず、安藤自身は孤独を好んでいるし、梅ちゃんみたいに気にかけてくれる存在が、あの子の側に居てくれたら安心なのだが。例えば、川添と白井さんみたいな……。
「なぁ、梅ちゃん。こんな事を俺が言うのも、アレだと思うんだけどさ」
「なんだ?」
「将来的には、安藤をシルトに……って考えてるのかな」
「う~ん……。梅は、それも悪くないと思うんだけど……」
「けど?」
「今のままじゃ、ダメだと思うんだよなー」
喜色満面な笑顔から一転。梅ちゃんは難しい顔をして腕組みする。
「確かに距離は縮まってる。でも、鶴紗は背中を向けたまま、みたいな感じだ。
このまんま近づき続けても、背中からぶつかって、驚いてまた離れる。きっと」
「な、なるほど……?」
「ごめん、梅もよく分かってないんだ。とにかく、まだしばらくは現状維持だな。急がば回れ、ってやつだ」
梅ちゃんは、少し離れた所で、猫達にご飯をあげる安藤の背中を見つめている。
いつも笑顔で、ともすれば能天気にも見えてしまう彼女だけど、本当は思慮深く、心の機微に聡い女の子。
こんな風に見守ってくれる誰かが居るなら、安藤も安心だ。
「安藤のこと、よろしく頼むよ。梅先輩?」
「おー! 梅に任せろ!」
どん、と自分の胸を叩き、また大きく笑う。
俺が知っている女の子の中で、彼女が一番、笑顔の似合う女の子かも知れない。本気でそう思わせる笑顔だ。
すると、梅ちゃんの声に釣られたのか、安藤が子猫を抱いて戻って来た。
「どうしたんですか、急に大声だして。猫がビックリするじゃないですか」
「あー、ごめんごめん。梅は幸せ者だなーって、おっちゃんに自慢してたから」
「なんですか、それ」
「あははは。気にするな! 梅は鶴紗の事も、おっちゃんの事も大好きだって事だ!」
「……意味、分かんないです」
真正面から好意をぶつけられ、安藤は子猫の背中に顔をうずめる。しかし、微妙に隠せていない頬は、やや赤みを帯びているようで。
そんな姿を見て、ますます大きく笑顔を咲かせる梅ちゃんに、俺も笑顔にさせられてしまうのだった。
《よもやま話その五、鳥が先か卵が先か》
夜半過ぎの理事長室。
普段なら誰も居なくて当然の場所に、今日に限っては二つの人影がある。
理事長代行である高松咬月と、奇才アーセナルの真島百由だ。
「いやぁー、夜分遅くにすみません。おじ様の勧めで仮眠を取るようにしてから、すっかり昼夜が逆転しちゃって」
「構わんよ。だが、睡眠不足は体に毒。気をつけなさい」
「うぅ、おじ様と同じこと言わないで下さいよぉ……。ま、それはともかく、ご報告です」
目の下の隈もすっかり消え、肌も健康的な血色を取り戻した百由が、タブレット端末を手に居住まいを正す。
そのまま軽く画面をタップ。代行の執務机に情報を転送するのだが……。
「防衛軍のCHARM……アガートラームですが、全くもって解析が進んでいません」
「……なんと」
「はい。なんともまぁ、ビックリどっきりな超硬防壁と言いますか。普通に戦闘スタッツを引き出す事とかは可能なんですけどねー」
その内容は、全くと言っていいほど進展がなかった。
違いといえば、日付や“彼”から得られるデータくらいである。
「で、あんまりにも不自然な“硬さ”なので、ちょっと防衛軍の方の情報を確認してみたんです。
そしたら、開発技術者は既に退職してたり、アーセナルとして前線に出た時に殉職したらしくって、コンタクトすら取れませんでした」
「ふむ……。防衛軍にも、表と裏があるからのう」
「困ったものです。が! この真島百由が、その程度で諦めるはずありません! こっそり
「……非合法活動を容認したつもりはないのだが?」
「大丈夫です! 痕跡なんてチリ一つ残してませんから!」
「そういう問題では……はあぁ……」
これっぽっちも悪びれる様子のない百由に、代行は眉間に寄ったシワを揉み解す。
齢十四にして、百合ヶ丘女学院きっての天才が言うのだから、追跡されるような事はないだろう。
けれど、知りえない情報を得てしまったという事自体が、知られたくない情報となっている。注意して扱わなければならない。
何はともあれ、覆水盆に返らず。
代行は得た情報の確認を優先する事にした。
「収穫はあったのかね」
「もっちろんですとも。というかですね、色々と不可解な事が判明しちゃって、今更ながらヤバい事に首突っ込んだなぁーと、らしくもなくビビってます」
本当にらしくない物言いだったが、百由は「おっほん」と咳払いを一つ。改めて報告を始める。
「まず、アガートラームを開発したという部署、防衛軍工廠第二開発局ですが、表向きはちゃんとした部署として扱われてますけど、局員のほとんどが実在しません」
「形だけの部署であった、と」
「興味深い事に、それっぽく取り繕ってある情報を整理してみると、ある時を境にして、大急ぎで外張りだけを作り、後から中身を整えたような、そんな印象を受けました」
「その、“ある時”というのは?」
「……実は、それなんですが……」
言い淀む百由の顔付きから、それが非常に重要かつ重大である事が、如実に伝わってきた。
間を置かず、次なるデータがホップアップする。
それを確認し、代行は目を疑った。
「これは、誠か」
「恐らく。でなければ、偽の情報を掴まされたか、です。こんな情報を用意する意味が、理解できませんけど」
「……混乱させるという意味では、確かに有効。だが、同時に疑念を深めるような偽情報など、それこそ意味がない」
表示されているのは、張りぼての部署を作るために、様々な資材を発注したり、架空の人員の配置をした日時。
その全てが、“彼”がアガートラームと契約した日よりも、後の出来事とされていた。
言い換えるならば、“彼”とアガートラームの契約を起に、第二開発局は発足したのだ。
もちろん、この情報が事実であればの話だが。
「この情報は、第一級の秘匿事項とする。百由君も、ゆめゆめ口外せぬように」
「特に、おじ様達には、ですよね。了解しました」
第一級秘匿事項。
百合ヶ丘女学院の情報統制において、上から二番目の重要度を示す単語に、流石の百由も、リリィとしての正式な返礼で応じる。
このレベルになると、最悪の場合、薬品などを使った記憶処理すら行われる可能性がある。
幸いな事に、今までそのような事態に発展したケースは一つもないのだが、それだけの覚悟が必要なのだ。
様々な思惑が、蜘蛛の巣のように張り巡らされる政治の世界を、綺麗事だけでは生きていけないのだから。
しかし、である。
真島百由という少女は、襟を正すべき場面を心得ている反面、砕けた対応が許される場面も分かっており……。
「と、こ、ろ、でぇ。今回のお駄賃として、最新式のCHARM加工設備が欲しいなぁーとか考えてるんですけどぉ……駄目ですか?」
「……善処しよう」
「ぃやったぁー! これで新型の開発が捗るわよー!」
あくまで善処であり、確約ではない。だというのに、百由は諸手を上げて大喜び。
代行は溜め息をついた。
先日、義理の息子にエロ本を頼まれたかと思ったら、今度は確実に億は下らない機材をねだられてしまった。
頭の痛くなる悩みに、代行はもう一度、深く深く、溜め息をついた。
Q:なぜ急に短編集?
A:花言葉のネタ切れ回避です
てな感じで、色んなネタを思いついてはいるんですけど、本編に全部つっこむのも無理な話なので、今後は短い話や裏話などを二~三まとめ、よもやま話枠で更新します。
ラスバレのイベントの各話も花言葉じゃないし、修正したつもりで完璧に忘れてた義父上の一人称も直したし、許してチョンマゲ(古っ)
んで、今回の言い訳タイムは、最近ネットを漁って判明した新事実について。
その一。
リリィではないマギ保有者は、CHARMユーザーと呼ぶらしいですね。
もっとよく調べりゃ良かったんでしょうけど、もう始めてしまったので、本作での男性マギ保有者はマギウスでいきます。ご了承下さい。
その二。
作者の個人的な推しである伊東苗陽さん。実は中等部時代に百合ヶ丘に居たらしいですけど、詳しい時期と複雑な家庭事情が把握できないため、結局は出せそうにない深い悲しみ。
もうツイッターだけじゃなくって、専用のまとめサイトを公式が作ってくれませんかね? 後から追いかけるの面倒臭──凄く大変なんですよ……。あと、立ち絵だけじゃなくて一言でもいいからセリフ欲しい……。
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15 ヒロハラワンデル ──Lavender── 天野天葉と愉快な仲間達、その一
「……夢結。ゆーゆーっ!」
「え?」
唐突に声を掛けられた──ように感じた夢結は、ハッとなって声の聞こえた方に顔を向ける。
とても大きなハンバーグを切り分ける、髪を後ろで括ったその少女は、積み上がった空の皿を額縁代わりに、訝しげな表情を浮かべていた。
天野天葉。
夢結と美鈴も所属する、甲州撤退戦を契機に発足した仮設レギオン・アールヴへイムのメンバーである。
「何かしら、天葉」
「何かしら、じゃないわよ。垂れちゃってる」
「……あっ」
指摘され、夢結はようやく、自分が昼食を摂っていた事を思い出す。
休日を利用した自主練を終え、学院の食堂で頼んだのは、麻婆豆腐定食だった。
お嬢様然とした夢結の外見には似合わないが、夢結自身が辛い物を好み、かつ百合ヶ丘の食堂メニューは質が高いため、こうして食べる事も多い。
しかし、麻婆豆腐を掬ったレンゲは、口に運ばれる途中で止まり、テーブルに真っ赤な油汚れを作ってしまっている。
慌ててポケットティッシュを取り出す夢結に、天葉は重ねて問いかけた。
「ねぇ、夢結。最近ずっとそんな感じじゃない。何かあったの?」
「別に、何もないけれど。……そんなに変?」
「変。せっかくの新しいCHARMだって、夢結ならすぐ扱えるはずなのに、訓練すら上の空だったし。戦技競技会も近いんだよ? 分かってる?」
「……ええ。ごめんなさい」
「……はぁ……」
暖簾に腕押し、とはこの事か。天葉は盛大に溜め息をつき、半分に切り分けた巨大ハンバーグを口へ放り込む。
今日の自主練は、明確な目的があった。
甲州撤退戦で実力を示したメンバーに向けて開発され、つい先日ロールアウトしたばかりの新型CHARM──グラムの試験運用だ。
他ガーデンの生徒でありながら、何故か今、百合ヶ丘女学院の中等部に席を置いている、流浪の天才アーセナル……天津麻嶺が主だって開発した高機能CHARMであり、ダインスレイフの姉妹機である。
ダインスレイフと似た変形機構と、高威力の射撃形態・バスターキャノンモードが特徴で、必要スキラー数値は85以上。まさにエリートリリィ向けの機体だった。
そもそもが、アールヴへイムの3トップであるリリィ三名(夢結を含む)のために作られた物なのだが、その性能の高さと、メンバーの将来性を鑑み、採算度外視で量産される運びとなった。
要求されるスキラー数値を満たし、更に個人的な技量も凄まじい夢結であれば、楽に使い熟せる……はずだったのだが。
今日の自主練では、グラムの高い攻撃性能に振り回されるような姿が、とても多く見られたのだ。
そして最近、そんな姿を見る事が多い。
だからこそ、食事でもしながら話を聞こうと思った天葉なのだが、そもそも話が出来ないのでは意味がない。
「どうしたんだ? 天葉が溜め息なんて、珍しいな」
「あ、梅。ちょっと聞いてよ、夢結がさぁ……」
と、そんな時、同じくアールヴへイムのメンバーである、吉村・Thi・梅が通り掛かった。
せっかくなので、彼女も巻き込もうと天葉が話しかけた途端、不利を悟った夢結は上品に、しかし大急ぎで麻婆豆腐をかき込み、「ご馳走様でした」と言い残して席を立ってしまう。
その背中を見送りながら、天葉は小さく肩を落とした。
「やっぱりさ、夢結の様子、おかしくない?」
「ん〜……。梅も気にはなってたけど……。溜め込む性質だしなぁ、夢結って」
「うん……。甲州撤退戦でも、結構ヤバかったみたいだし。心配なのよ」
「なら、直接そう言ってみたらどうだ?」
「それで解決したら苦労しないわよぉ〜」
いつの間にか巨大ハンバーグを平らげ、皿を除けてテーブルに突っ伏す天葉。
行儀が悪いけれど、それを注意するはずの友人はどこかへ行ってしまったし、どうしたものか。
あの態度からして、あまり関わって欲しくなさそうではあるが……。
「でも、気になる。気になるったら気になる。……ちょっと探りを入れてみようかな」
「ん? 天葉がそこまでするなんて、珍しいな。そういや、戦技競技会も近いのか。レギオン部門で勝ちたいのか?」
「ううん、別に。けど今のままじゃ、何かの拍子に怪我でもしかねないじゃない。そうなったら苦しむのは夢結自身だもの。友達が怪我しちゃうかも、って状態なのに、放っておけるわけないよ」
「そっか。天葉はいいヤツだなー」
「よしてよ、照れるってば」
からかうように言われ、天葉は嫌味のない笑顔で返す。
その身に膨大な量のマギを保有していたが故、リリィとしての責務を無理やり背負わされたにも関わらず、曇る事のないこの笑顔が、多くの友人を持つ所以だろう。
「よし! そこまで言うなら、梅も一肌脱ぐゾ!」
「え。手伝ってくれるの?」
「まぁ、役に立てるかは分かんないけどなっ」
「胸張って言う事じゃないでしょ、全く。でも、ありがと」
梅の申し出に、天葉は本当に嬉しそうに笑い、もちろん梅も。
こうして友人思いの二人は、休日の午後を連れ立って歩く事になった。
次にするべきは……作戦会議だ。
「で、探りを入れるって言ってたけど、心当たりはあるのか?」
「ん〜、こういう時って、交友関係から洗うのがセオリーよね。……ダメだ、夢結の個人的な交友関係が分かんない」
「おいおい、それじゃまるで、夢結に友達が居ないみたいじゃないか。クラスメイトになら友達くらい居ると思うゾ?」
「クラスメイトかぁ。美鈴様は最後の手段として、あとはあたし達──アールヴへイムのメンバーとか、寮のルームメイトとか、メンテでお世話になってる百由とか?」
「うんうん。それと、おっちゃんも何気に接点は多いから、聞いてみても良いかも知れないな」
「おっちゃん……。ああ、例の“おじ様”? 梅も仲良いんだっけ」
「良いゾ。後輩と一緒に、よくコーヒー奢ってもらうんだ」
「いいなー、あたしも奢って欲しい。……さて、と」
ある程度、話がまとまった所で、天葉が「ご馳走様」をして腰を上げた。
腹拵えは済んでいるし、大量の皿も片付けて、出発準備は万全である。
「善は急げって言うし、さっそく当たってみよっか!」
「おう! どこから行く?」
「まずは……確実に居場所が分かってる子かな」
「ってなると……」
「差し入れに、エナドリ買ってかないとね」
「だな。何が美味しいのか、梅は分かんないけど」
天葉と梅は食堂を後にして、情報収集のために歩き出す。
向かう先は、百合ヶ丘女学院の地下──工廠科のとあるラボだった。
「なるほどねー。それでワタシのとこに来たって訳か」
天葉から貰ったエナジードリンクを片手に、ラボの主である少女──真島百由は大きく頷いた。
夢結の友人であり、居場所がほぼ確定している……ラボに引き篭もっているという条件を、見事に満たしている。
衛生面と健康面から見ると、後者は見直すべきなのだろうが、それはそれ。
訪れた二人から事情を聞いた百由は、しかしすぐに申し訳なさそうに謝った。
「でも、ごめんねー。最近は色々と忙しいから、夢結の様子まで気が回ってなかったかも……」
「ううん。謝らなくていいよ、あたし達が勝手に心配してるだけだからさ?」
「そう言って貰えると助かるわ」
「そんなに忙しいのか? 梅には趣味に没頭してるだけに見えるけど」
「実益を兼ねてるから良いの! っていうか、この忙しさにはまいまいも関わってるんだからね? 主にまいまいがぶっ壊したグラムとかグラムとかグラムとか!」
「お、おう……。お世話になってます……」
「いつもありがとねー」
「うむ。どういたしまして」
あまりの剣幕に、梅が引き気味に頭を下げ、天葉は普通にお礼を言う。
百由自身、本気で怒っていたわけではないようで、すぐに矛を収めた。
ちなみに、梅が壊したというグラムだが、バスターキャノンモードを気に入った梅が調子に乗ってバカスカ撃ちまくった結果、マギクリスタルフォース収束部が少し溶けてしまったのだ。
この時点で改善点が見つかって良かった、とは天津麻嶺の言である。
話を戻し、夢結の件だ。
天葉は、食後のデザート代わりに麦チョコをパクつきながら、更に質問を続けた。
「じゃあ、ちょっと視点を変えてみよっか。最近、夢結の周りで変わった事とかなかった? 美鈴様と大喧嘩したとか」
「そんな事が起きたら、即学院中に広まるでしょ。有名なシュッツエンゲルだし…………あ、そういえば」
「お? 何かあったのか?」
何か思い出した様子の百由に、麦チョコを分けて貰いながら梅が食いつく(比喩的な意味で)。
百由は同じように麦チョコを貰いつつ、“あの出来事”を話し始めた。
「直接夢結に関連する事じゃないけど、ちょっと前に一年生同士の決闘騒ぎがあってね? それに立ち会ったのよ。おじ様と美鈴様と夢結と、ついでにワタシも」
「決闘騒ぎ? 全然知らなかった……」
「いやいやー、何気に天葉も噂くらいは聞いてると思うわよ? その決闘騒ぎを起こしたの、遠藤亜羅椰と郭神琳の二人だから」
「へ? あ、あー、あの? それだったら確かに聞いたかも」
「梅は知らないゾ〜? その二人って何かあるのか?」
得心がいった天葉と対照的に、梅がいまいち理解できていないようだった。
天葉が聞いたのは、「おじ様を取り合い、遠藤亜羅椰と郭神琳がやり合った」という噂である。
眉唾物ではあったが、ただでさえゴシップに飢えている女子学生。噂の真偽をあれやこれやと想像し、語り合うのが楽しいらしい。
ちなみに天葉は噂に聞いただけで、変な想像はしていない。本当にしていない。
友人が神琳に事実を問い質した結果、無言の微笑みしか返ってこなかったという話を追加で聞き、「もしかして……?」と思ってしまった程度である。
もう一つ付け加えるなら、亜羅椰が問い質された際は、普段の余裕たっぷりな態度から一変、「なんでそうなるのよ!? 私は可愛い女の子が好きなんであって、おじ様なんて別に好きでもなんでもないんだから!」と、見事なツンデレムーブをかましたという。
思わず生暖かい微笑みを送ってしまったそうな。然もありなん。
「亜羅椰って子は夢結に入れ込んでたみたいだし、詳しく知りたいなら、本人を当たってみたらどう? ワタシも細かい経緯とか、その後の事は分からないから」
「そうしてみる。ありがとね、百由。後で何かご馳走するわ」
「うん、楽しみにしてるー」
「またなー」
忙しいと言っていた事もあり、これ以上百由を邪魔しないよう、天葉達は早々に話を切り上げ、ラボを後にする。
その背を見送ると、百由は新しいエナジードリンクにストローを挿し、再びコンソールへと向き直るのだった。
エレベーターで地上階へ戻り、とりあえず、休日でも人の集まるカフェテリアに向かう二人。
運が良くそこで見つかれば良し。そうでなくとも、足取りくらいは掴めるだろうと考えての事である。
「ってな訳で、例の二人を探そうとしてたけど……」
「一人は割とすぐ見つかったわね……」
……ところが。運が良いのか悪いのか、探し人はすぐに見つかった。
どうしてこのような表現をするかと言えば、それは二人の視線の先に居る少女──遠藤亜羅椰の、尋常ならざる佇まいが原因だ。
「あれよね? 遠藤さんって」
「多分」
「すんごいイラついてるよね」
「貧乏揺すりでテーブルが揺れてるな」
「……声、掛ける?」
「掛けなきゃ意味ないだろ」
「よっし、言い出しっぺに任せた!」
「うぉい天葉ぁ!?」
流石の梅も、この無茶振りには動揺せずにいられない。
何せ、亜羅椰の周囲10mの席には誰も近寄れないほど、凄まじいイライラ具合いなのである。
よっぽど重い日でも、ああはならないだろう。うっかり触れて火傷なんかしたくない。
と、そんな時、二人の背後に歩み寄る影が一つ。
「あの……。どうかなされたのですか、先輩方?」
「ぅわっ」
「お、お前は……?」
「失礼致しました。わたくし、郭神琳と申します。以後、お見知り置きを」
優雅に一礼した彼女もまた、探し人の一人……郭神琳だった。
食後のまったりタイムを楽しもうとしていたのか、手には文庫本が握られている。
「丁度良かった。実は、貴方達に聞きたい事があって」
「聞きたい事、ですか。“達”というのは、もしかして遠藤さんも?」
「よく分かったな。けど、流石に声を掛けづらくてな……」
「なるほど……。分かりました。では、わたくしが代わりに呼んできましょう。よろしいですか?」
「悪いわね。お願いできる?」
「かしこまりました。少々お待ちください」
散々ゴシップのネタにされただろうに、神琳は嫌な顔一つ見せず、軽やかな足取りで亜羅椰の元へ向かった。
そして、これ以上ないほどイライラしている級友に、涼しげな声を掛ける。
「遠藤さん。そんなにイライラしては、誰も近寄って来ませんよ」
「あ゛ぁん゛!? 誰のせいだと思ってんのぉ!?」
(うーわ)
(柄悪っ)
対する亜羅椰は、すこぶる不機嫌な表情で神琳を睨みつけた。
周囲で様子を伺っていたリリィ達も、一様にビクッとなっている。それくらいの声量だった。
「こっちはねぇ、あれからずっと女日照りが続いてんのよ! 声を掛けても逃げられて、たまに声を掛けられたと思ったら『応援してます!』って!
何を? 私、何を応援されてるの? なんか視線がめっちゃ生暖かかったんですけど?」
「さぁ、何をでしょう。そんな事より、遠藤さんとお話ししたいという方が来ていますよ」
「はぁ? 誰よ一体……あら、あらあらあら、天葉様じゃないですかぁ! ご機嫌よう!」
「ご、ご機嫌よう……」
「梅の事は、見えてないっぽいな……。なんかムカつくような、助かったような……」
神琳の後ろに居る天葉を確認した瞬間、亜羅椰の機嫌はうなぎ登りに上昇した。
あまりの変わりようにドン引きされている事にも、まるで気がついていないようだ。
人柄の良さから、上級生にも下級生にも人気がある天葉の事を、亜羅椰も知っていたのだろう。そして、あわよくば……と狙ってもいたのだろう。
眼中にないらしい梅に関しては…………不幸中の幸い、なのかも知れない。
「ええと、遠藤、さん? あと郭さんにもだけど、ちょっと聞きたい事があってね……」
「遠藤さんだなんて、そんな他人行儀な呼び方ではなく、どうぞ亜羅椰とお呼び下さいな」
「あ、うん。気が向いたらね。それでね、聞きたいのは他でもない、夢結の事なんだけど」
「あら、夢結様ですか?」
「見事なスルースキル……。わたくしも見習わなくては」
「苦労してるんだな……」
何はともあれ、天葉と梅、そして神琳も、亜羅椰と同じテーブルに着き、さっそく本題に入る。
最初こそ天葉にデレデレしていた亜羅椰だったが、真面目な相談であると分かると、少しは落ち着きを取り戻す。
「なぁるほどぉ。確かに夢結様の態度、最近おかしいですものねぇ」
「やっぱり? 具体的には、どんな所に気がついたの?」
「そうですねぇ……。以前と違って、私を見る目に感情の色がないと言いますか、私を見ているようで、自分自身を見ているような。とにかく上の空ですよね、最近は特に」
「でしょ! このままだと怪我でもしそうでさ……。何か、原因に心当たりない?」
「流石にそこまでは。おじ様ほど親しくさせては貰えてませんし」
「そっかぁ……」
相も変わらず、“彼”の周りをウロチョロしている亜羅椰だが、そうなると必然的に夢結とも出くわし、これまた変わらず粉を掛けまくっている。
しかし、以前脅された時のような迫力はなりを潜め、夢結は、ただただ静かに、亜羅椰を見つめる事が多くなっている。
それはそれで嬉しく思ってしまうのだけれど、奇妙な変化である事も確かであり、強く印象に残っていた。
対応に変化が生じた原因があるとすれば、あの決闘騒ぎで情けない姿を晒した事くらいしか思い当たらないが、先輩とはいえ初対面の相手に、まだ短い人生の中でも最大級の汚点を話せる訳もなく、亜羅椰は夢結の事だけで留めた。
神琳も、余計な事は言わないまま話を続ける。
「白井様が上の空だと感じるのは、わたくしも遠藤さんと同じなのですが、何分、面識を得たのは最近ですので、これ以上はお役には立てないかと。申し訳ありません」
「ううん、十分だよ。あたし達の勘違いじゃないって分かっただけで。ありがとう、二人とも。今度、何かお礼するから」
「本当ですか? でしたら、私とデートして下さ──」
「どうぞお気遣いなく。白井様の件、解決するといいですね」
「そうだな。じゃ、またなー!」
「ちょ、神琳、邪魔しな、あっ、天葉様ぁ〜!」
わたくしが食い止めている間に行ってください。
ありがとう。本当にありがとう。
神琳と天葉は、無言の内に意思を通じさせた。
そして、追い縋ろうと前のめりな亜羅椰が足止めされている間に、そそくさとカフェテリアを後にする。
背後からは、「やっぱりアンタは私の敵よ!」「違います、遠藤さん以外の味方なんです」という、なんとも騒がしいやり取りが聞こえてきたのであった。
仲が良さそう? で何よりである。
無事に亜羅椰の魔の手から逃げ出した、天葉と梅。
一息つける位に距離を離した所で、二人は次なる目的を定めようと話し合い始めた。
「とりあえず、後輩二人からは話を聞けたけど、裏付けにしかならなかったわね」
「それだけ夢結が重症って事だな……。次はどうする?」
「今度は、もっと日常的に夢結と接してる人が良いんじゃない? ルームメイトとか」
「というと……誰だっけ」
「聖でしょ、ひ・じ・り。同じレギオンのメンバーを忘れないでよ!」
「おおー、そうだった。じゃ、寮に行くか」
現在の夢結のルームメイトは、谷口聖という少女である。
稀少なファンタズムを保有し、中等部の今でも、歴代最高の使い手では? と称されるだけでなく、非常に高い学力を持つ上に、性格は人懐っこくて誰からも好かれる、天が二物どころか三物も四物も与えたような少女だ。
彼女であれば、夢結の異変にも間違いなく気付いているだろうし、きっと解決の糸口が掴めるはず。
二人は意気揚々と学生寮へ足を向け、夢結達の部屋を訪ねようとしたのだが……。
「聖だったら出掛けてるわよ。今日は遅くまで帰って来ないんじゃない?」
「えぇー」
「マジかぁ」
その途中で出会った友人──番匠谷依奈に留守だと教えられ、落胆を隠せなかった。
よく考えれば、食堂から逃げ出した夢結が戻っている可能性もあるため、部屋に直撃せずに済んだだけ幸運なのかも知れないが。
「じゃあこの際、依奈でも良いから相談に乗ってよ〜。そういうの得意でしょ?」
「人を妥協案扱いしといて相談とかヒドくない? ま、暇だから良いけどね」
「さすが依奈、太っ腹だな!」
「太っ腹はやめて。ダイエットしなきゃ駄目な気がしてくるわ……」
綺麗に毛先を切り揃えられたロングヘアを揺らしつつ、依奈は苦笑いを浮かべる。
この依奈もまた、二振りのCHARMを扱えるようになるレアスキル・円環の御手を、世界で最初に覚醒した二人のうちの一人という、稀有な才能の持ち主である。
気取らない性格で友人が多く、クラスの違う天葉達とも仲が良いので、相談相手にもってこいだった。
「なるほどねぇ〜。そんな事になってたんだ」
場所を寮のサロンに移し、改めて事情を聞いた依奈は、ソファにもたれて難しい顔で頷く。
「甲州撤退戦を乗り切って、少しは変わったと思ったんだけど、溜め込むのは相変わらずだ」
「おまけに、レギオンメンバーにも相談してくれないから、ちょっと寂しいよ」
「そう? 私は結構変わったと思うけどなぁ」
同じく難しい顔の梅と天葉だったが、依奈はしかし、格好を崩して意見を述べる。
「夢結ってさ、美鈴様……。“お姉様”第一主義的なところあったじゃない」
「あー、そうかも」
「確かに、昔は美鈴様の事ばっかりだったなー」
「夢結が思い詰める原因なんて、それこそ美鈴様に関する事だけで、他の事には割と淡白というか。それが今では、例の“おじ様”とも仲良くお茶しちゃうんでしょ?」
「らしいゾ? 前におっちゃんからそう聞いた」
「そういえば、梅はおじ様と戦闘訓練もしてるんだっけ」
「おう! 最近は攻撃パターン覚えられちゃったのか、手強くってなー。少し本気を出さないといけないから、割と疲れるんだ……」
遠い目で語る梅。天葉と依奈は、信じられない物でも見たような顔だ。
3トップの一角である夢結ほどの攻撃力はないが、スピードなら引けを取らず、梅も相当な実力者。下手な現役リリィよりも遥かに強い。
変な噂にまみれた“おじ様”が梅を手こずらせるだなんて、正直予想外だった。
「ま、おじ様の事は置いといて……。よぉく考えてみて? つまりはおじ様が、美鈴様と同等……とまではいかないかも知れないけど、夢結にとって大きな存在になってる、って事じゃないの?」
「おおー」
「ふむふむ」
「以上を踏まえて、今の夢結が心を乱す原因があるとしたら、それは美鈴様かおじ様か、もしくは両方だと思うな、私」
どうよ? と胸を張り、そう結論付ける依奈。
天葉達は思わず拍手していた。
「依奈、凄い……。かなり説得力ある……」
「えっへへー。全部憶測だから、参考になるかは怪しいけどね。で、梅から見てどう? 美鈴様とおじ様、どっちだと思う?」
「ん〜……。正直、全っ然分かんない!」
「自信満々に言うそれぇ?」
「あっはは。けど、次に話を聞くべきなのは、おっちゃんの方だと思うゾ」
「え。なんで?」
やけに自信たっぷりな梅に天葉が問うと、今度は腕組みをして言う。
「ぶっちゃけ、美鈴様から話が聞けると思えないんだよ。上手い事はぐらかされる気がするんだ」
「あ〜、確かに……。“凄い人なのは間違いないんだけど、なんか掴みどころがないよね、美鈴様って”」
「だろ? その点、おっちゃんなら絶対に話に乗ってくれるゾ!」
「言い切ったわね。梅が言うなら、次はおじ様に会いに行こっか」
「あ、待って二人とも。私も着いてっていい?」
「依奈も? どういう風の吹き回しよ」
「最初に言ったでしょ、暇だって。ソラ達に着いてけば、楽しく暇潰し出来そうじゃない!」
「依奈ぁ……。一応、梅達は真剣に動いてるんだゾ?」
「分かってるってば。邪魔はしないから、ね?」
次なる聴取対象を決め、新たな仲間も加えた所で、梅と天葉はサロンを後にした。
夢結の悩みの種を探る、珍道中は続く。
聖さんが出ると思った人、ごめんなさい。
いずれは出す予定なんですが、まだ公式でのキャラ発言が無いリリィを出す踏ん切りがつきません。代わりに依奈ちゃん(実はコスプレ好きらしい)でご勘弁を。
色々調べた所、依奈ちゃんが初代アールヴへイムに入ったのは高一になってからで、この時点ではただの友人枠っぽいですね。キャラの書き分けが難しい。
書きたい事をつらつらと書き続けていたら、想定の倍くらいに長くなってしまったので二つに分けます。次話は明日更新予定です。
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16 ヤマスゲ ──Lily Turf── 天野天葉と愉快な仲間達、その二
「それで、梅。肝心のおじ様の居場所、どうやって探すの?」
出発して早々、かなり重大な問題が待ち構えている事に、天葉は気付いた。
いくら時の人(百合ヶ丘女学院限定)と言っても、常に居場所が分かる訳もない。
だが、発案者である梅は不敵に笑って見せた。
「ふっふっふ……。我に秘策あり、だ。これを見ろ!」
「何それ、普通の携帯じゃない」
「違うんだなー、依奈。実はこれ、おっちゃんレーダーなんだ!」
「おっちゃんレーダーって……大丈夫なの、それ」
まさか、発信機でも取り付けている? 流石にプライバシーの侵害じゃ?
……と不安に思う天葉だったが、言い出した本人も暗い顔というか、実に面倒臭そうな顔で説明する。
「実は、百由に無理やり持たされてるんだ、これ……。おっちゃんがリリィ用の義肢をテストしてるのは知ってるだろ?
それが万が一にも怪しい奴等に奪われたり、うっかり紛失しちゃった時に、ちょっぱやで探すための道具なんだとさ」
「へー、なるほどねぇー。本来の目的とは違う使い方だけど、確かに便利ね。こっそり使わせてもらおっか」
「バレないといいわね……。ところで、ちょっぱや、って初めて聞く言い回しだけど、方言?」
「え。使わないか? 依奈も?」
「あー、うん。急ぐ系なのは分かったから流したけど、あんま聞かないかなぁ」
「そ、そっか……。こっちじゃ使わないのか……」
級友に指摘され、梅は地味に落ち込んだ。
生まれ育ったベトナムでは、未だに古い日本語が生きている事も多いため、そのせいだろう。決して梅の感性が古い訳ではない。
それはそれとして、梅は早速おっちゃんレーダーを起動。
反応の示す方向に進み出すのだが、しばらくすると、前方から三名の女生徒が歩いて来た。
距離も離れていたし、天葉達には気付いていないようで、そのまま通り過ぎるかと思われたが……。
「カッコ良かったぁ、凄くカッコ良かった! 超カッコ良かったよねっ!」
「そうね。流石は高等部一年生にして、広く名を馳せる川添様。見習いたいわ」
「わたし、緊張し過ぎて汗かいちゃいましたー」
彼女達の口から予想外の名前が飛び出したせいで、脚が止まってしまう。
思わず顔を見合わせ、後輩らしい三名を追いかける。
「そこの三人組、ちょっと待った!」
「ふぇ!? わ、わたし達、ですかー?」
「何か御用でしょうか…………って、あ、貴方達はまさか、アールヴへイムの天野天葉様と吉村・Thi・梅様に、円環の御手の番匠谷依奈様!?」
「凄い凄い凄い! 今日は有名人にばっか話しかけられてるよぉ!」
「あはは、そんな大層なもんじゃないけどね?」
「ソラってば、顔がニヤけてるわよ」
「依奈もでしょ」
どうやら天葉達の事も知っているようで、後輩三名はワーキャーと歓声を上げていた。
あまり名声に興味がなくても、この騒がれようは嬉しくなって仕方ないだろう。
握手やらサインやら、慣れないファンサービスを終え、おもむろに梅が話を切り出す。
「さっき、美鈴様の名前が出てたみたいだけど、会ったのか?」
「はい。人をお探しのようで、『“彼”を見かけなかったかな』と。たまたま霊園の方へ歩いていく姿を見かけましたから、それをお伝えして別れた所です」
「美鈴様がおじ様を……?」
「霊園、ねぇ……」
霊園とは、学院敷地内の外れに存在する、戦いに倒れたリリィ達が眠る場所……いわゆる共同墓地である。
滅多に人は寄りつかず、まれに訪ねる人が居ても、悲しみを呼び起こされるばかり。長居したい場所ではない。
そんな所に、一体どうして……?
「とにかく、助かったゾ。呼び止めて悪かったな」
「いえ。お役に立てたなら幸いです」
「なんかよく分かんないけど、頑張って下さい!」
「お気をつけてー」
後輩達と別れ、もう一度、おっちゃんレーダーを確かめる。
言われてみれば、確かに霊園のある方角を示していた。
「美鈴様も、おじ様に用があるのかしらね……?」
「分からない。けど、ここまで来たら行くしかないよ」
「運が良ければ追いつける。急ぐゾ!」
依奈が小首を傾げるも、天葉の言う通り、ここまで来て引き返すという選択はない。
先導する梅の後に続き、二人も小走りで駈け出す。
五分としないうちに、霊園の目印でもある巨木──緑の葉を残すソメイヨシノが見えてきた。
そして、その手前に和装の男性と、高等部の制服を着た女生徒も。
「居た! 美鈴様とおっちゃん!」
「……けど、なんか、こう……」
「話しかけ辛いね……」
「……隠れて様子を伺うか?」
「ちょっと後ろめたいけど、賛成」
「右に同じく。あの藪に隠れましょ」
見つけたはいいが、霊園の雰囲気も手伝って、場は静寂に包まれていた。
まだ葉を残すソメイヨシノ。
誰かの墓前で手を合わせる“彼”。
その背を見つめ、立ち尽くす美鈴。
これに割って入れるような人はきっと、おろし金で削れるほど面の皮が厚いに違いない。
幸いにも、遠目に見れつつ隠れられる藪があったため、三人はそこで身を潜めた。
風下なので、声もよく聞こえるはずだ。
ややあって、美鈴は“彼”に歩み寄る。
「……墓参りかい? 誰か、知り合いが眠っているとか」
「川添か……。いいや、知らない子ばかりだよ。……知らない子、ばかりだ」
立ち上がりながら、“彼”は静かに言った。
言葉を重ねたのは、その多さ故だろう。
等間隔で置かれた墓碑には少女達の名前が刻まれ、それが100は下らない。
在学中に命を落とした、百合ヶ丘女学院に属するリリィだけで、この数なのだ。
それ以外を含めれば、一体どれほどのリリィが散って行ったのか。
「知り合いも居ないのに、どうして霊園へ?」
「知り合いが居ないと、来ちゃいけない決まりもないだろう。……単に、物思いに耽りたかったのかもな、季節柄。変な夢も見るし」
「そう……。まぁ、僕にとっては都合が良い場所だけれど」
「何か用なのか? なら電話で……じゃ良くない内容なのか。わざわざ会いに来たって事は」
「そうとも。“貴方”に忠告しようと思ってね」
「……忠告」
木枯らしが吹き、美鈴の髪を揺らす。
位置的に彼女の顔は見えないが、厳しい表情を浮かべているのは、“彼”の反応で分かった。
「最近、油断し過ぎじゃないかな」
「どういう意味だ……?」
「言葉通りさ。自分の立場を忘れているんじゃないだろうね? ……遠藤亜羅椰。郭神琳。安藤鶴紗。随分と友人が増えたようだけど」
「……言いたいことがあるならハッキリ言え」
「なら言おう。彼女達が、G.E.H.E.N.A.の息の掛かったリリィだったら、どうする?」
G.E.H.E.N.A.
その単語が出た瞬間、空気が凍る。
言わずと知れた世界的な企業複合体であり、人類のためと嘯いては、非人道的な研究を行う連中。
まだ天葉達は直接関わりを持った事が無いけれど、リリィとして活動を続けていけば、いずれ必ず相対するであろう、敵対組織だ。
百合ヶ丘女学院はリリィの保護も謳っており、G.E.H.E.N.A.に酷い扱いを受けたリリィも在籍している。
もし、彼女達が“保護される”という名目で百合ヶ丘に潜入し、G.E.H.E.N.A.の指示を待っているのだとしたら。
あり得ない話とは、言い切れない。
「確証があって言ってるのか」
「いいや。単に名前を使わせてもらっただけさ。安藤君に至っては、被害者という立場だしね。でも……被害者だからこそ、最も疑われにくい、とも言える」
相当な距離はあるが、天葉達にも“彼”が顔をしかめたのが見えた。
対する美鈴の声は、飄々としていながらも、木枯らしより遥かに冷たい。
「“貴方”が誰に鼻の下を伸ばそうと、僕には関係ない。
しかし、そのせいで夢結に無用の心配をさせたり、負担を掛けたりはしないでもらいたいね。
あの子は優しいんだ。自分に関係ない事だとしても、抱え込んでしまう程に。
それでも余計な事をしでかすなら……」
発言内容から察するに、美鈴も夢結の異変に気付いているのだろう。
そして、原因が“彼”にあると判断した。だから詰め寄っている。
重苦しい沈黙の中、風だけが霊園を通り過ぎていく。
加えて、そんな二人を見守る中等部三人組も、非常に焦っていた。
(……どうしよう依奈っ、想像してたより十倍くらい話が重いんだけど!?)
(私に聞かないでよ!? これ、盗み聞きしてたってバレたら軽蔑されるかも……。とにかく隠れ続けるのよ! 私達は今から忍者、いいえクノイチよ!)
(そのほっかむり何処から出したんだ? っていうか静かにしろ!)
藪の後ろと向こう側で、やたら空気の温度差が激しい。
ふざけていないと、天葉達まで暗くなってしまいそうだった。
が、そうこうしている内に動きがあり……。
「川添」
「……なんだい」
「心配してくれて、ありがとうな」
「は?」
風に乗って聞こえてきたのは、意外にも“彼”の明るい言葉。
美鈴も予想外だったのか、困惑したような間が数秒あったものの、すぐに“彼”へ詰め寄ろうとする。
けれど。
「話を聞いていなかったみたいだね。僕は“貴方”じゃなく、夢結の心配を……」
「だろうけど、その何十分の一だけでも心配してくれたから、こうして来たんじゃないのか?
すまなかった。そんな事したくないだろうに、後輩を悪く言わせてしまって」
「……っ」
それもまた、“彼”の言葉で止められてしまう。
当たり前だ。確証も無しに誰かを貶めるような発言、本来の美鈴なら絶対にしない。
敢えてそうしたという事は、そうさせる程に、そうせざるを得ないと判断させる程に、誰かを心配していたから。そこに“彼”を含めているかは、定かではないが。
天葉達が固唾を飲んで見守る中、美鈴は言葉に詰まっている。
“彼”は苦笑いを浮かべ、何気なくソメイヨシノに手を置く。
「時々、分からなくなるんだ」
「……何がさ?」
「俺は本当に、あの夜を生き抜いたのか。俺が見ているこの光景は、あのギガント級に食われながら見ている、幸せな夢なんじゃないか……って」
先程までの明るい声から一転。重々しい口調で語られるのは、“彼”が抱えていた苦悩だった。
「だっておかしいじゃないか。何もかも。
俺みたいなマギウス擬きが、あの夜を生き延びた事も。
一度死に掛けただけで、異常なほどスキラー数値が上がった事も。
衰えの来ていたはずの体が、全盛期以上の活力に満ちている事も。
おっさんが女子校に紛れ込んでるっていうのに、みんなが親切にしてくれる事も。
そうだ……。俺なんかが、川添達を助けられただなんて、そもそもが出来過ぎなんだよ」
助けた、というくだりで依奈が首をかしげるけれど、アールヴへイムとして甲州撤退戦に参加した天葉と梅が黙っていたため、口を挟みはしなかった。
実を言うなら、梅が瀕死の“彼”を救助したリリィで、あの惨状を目の当たりにしていた。天葉もそれを伝え聞いていたからこそ、何も言えなかったのだ。
そのくらいに酷い状態だった。改めて、今、“彼”が生きているのは奇跡だと思えるほどに。
「何もかもが、俺に都合良く動いていて、だから分からなくなる。これが現実なのか。それとも、今際の際の走馬灯なのか。
走馬灯なら良いさ。ただ俺が死ぬだけだ。でも、これが確かな現実だったとしたら、こんな御都合主義、どこかに、誰かにしわ寄せが来るに決まってる。
それは俺か? 川添か? 白井さんか? 梅ちゃん、安藤、真島さん、遠藤、郭さん、義父上。いいや、名前も知らない誰かか……。
俺は、たまたま椅子取りゲームに勝ったから生きているだけで、本当は他に、生き延びるべき人が居たんじゃないのか……?」
一層苦しげな最後の一言が、“彼”を苦しめる罪悪感の根源なのだろう。
大きな事件や災害を生き残った人間が、生き残った事そのものに罪の意識を覚えてしまう、一種の心的外傷、トラウマだ。
ヒュージ災害に多くの人々が晒される昨今、特に問題視されている病でもある。
しかし、胸の内を明かしたはずの“彼”は、美鈴を振り返りながら、誤魔化すように大きく笑った。
「なんてな。柄にもなくこんな事を考えちまうのは、やっぱり季節のせいなのかねぇ。それとも歳か? あーやだやだ」
「……そうだね。本当に似合わないし、馬鹿げてるよ」
肩をすくめて同意しつつ、美鈴は一歩踏み出した。
ゆっくりと“彼”に近づきながら、一つ一つ、言葉を重ねていく。
「僕等が夢の産物? しわ寄せを食う? あり得ないね。
僕も夢結も、ちゃんとここに居るし、自分の身は自分で守れる。
命懸けでヒュージと戦い、掛け替えのない日常を大切にしてる。
そんな風に寝ぼけた事を言うなら、僕が……」
やがて、二人の間に距離は無くなり、手を伸ばせば届く距離に。
美鈴はそっと、“彼”の頬に指を触れさせ……ようとしたのだが、その腕を“彼”はガシッと掴んで止めてしまった。
「………………ちょっと」
「なんだよ」
「どうして腕を掴むのさ」
「いや、また抓られそうだと思ったから、反射的に」
「分かっているなら大人しく抓られる場面じゃないか! 美しい話の流れ的な意味で!」
「嫌だよ! 白井さんと違って手加減しないじゃないか!? 跡が残るんだぞ!」
「ぐぬぬぬぬ」
「うぐぐぐぐ」
美鈴は“彼”の頬を抓ろうとし、“彼”はそれを防ごうとして、幾度も腕を交錯させる。
そのうちに手をガッシリと合わせ、力比べをし始めてしまった。
シリアスな空気もどこへやらの、グダグダな展開だった。
当然、それを見せられる天葉達も脱力である。
(な、なんか、意外ね。美鈴様って、あんな風に声を荒らげる事あるんだ……。それとも、レギオンでは普段からあんななの?)
(いやいや、あたしも初めてだよ! おっどろいた……。まさか美鈴様とおじ様が、あんなに気安い関係だったなんて……)
依奈が唖然としているが、天葉はもっと驚いている。
常にクールで、どんな時も冷静さを失わないあの美鈴が、“彼”の前ではごく普通の、カッコつけたがりな少女に見えた。
こんな姿、嫌でも親近感が湧いてしまう。知れて良かったような、知りたくなかったような、複雑な心境だ。
ちなみに梅は声を殺して笑っている。ツボに入ったらしい。
「はぁ……はぁ……。全く……これだから調子が狂うんだ……」
「悪かったな……。ふぅ……。無駄に疲れた……。んで、川添の要件ってのはこれで終わりか? だったら俺は帰るけど」
「……まだ、あるよ……。なんとなく……。特に理由も無かったけど、ずっと言えていなかった事が、ある」
じゃれ合うのもそこそこに、美鈴は“彼”から数歩離れ、息を整える。
“彼”に忠告をした時とも、“彼”が内心を吐露した時とも違った、奇妙な緊張感が漂う。
「一度しか言わないから、心して聞くように」
「お、おう……」
「あの日……。僕と夢結を、助けてくれて……あ……ありがとう……」
“彼”は目を丸くした。
よほど驚いているらしく、他のリアクションが全く無い。
それに気付いているのかいないのか、美鈴は先を続ける。
「あの日、“貴方”が命を懸けてくれなかったら、僕はきっと今頃、この霊園で眠っていただろうと思う。
そして、夢結の心に、消えない傷を残していたはずさ。あの子の優しい笑顔も、曇ってしまったかも知れない。
……まぁ、それはそれで、夢結の笑顔を僕だけが独占しているという、後ろ暗い喜びが湧くんだけど……」
「おい。ヤバげな本音が出てるぞ。引っ込めろ引っ込めろ」
「……ん゛っ、んん゛……。とにかく、今の僕達があるのは、“貴方”のおかげだ。
もしまた、さっきみたいな馬鹿げた考えが頭をよぎったなら、まずそれを思い出すといい。
この事実だけは、どんな時でも僕が保証しよう」
途中、変な方向に話が逸れかかったけれど、最終的に、美鈴は自信を持ってこう宣言した。
思わずツッコミを入れた“彼”も、これには嬉しさを隠し切れないのか、照れ臭そうに頭を掻いている。
「さて、僕はもう帰る」
「なら俺も……」
「いや。少し時間をズラして欲しいかな。一緒に帰って噂になったら困るしね」
「お前はギャルゲーの幼馴染ヒロインか。分かったよ……」
本当に用件は済んだようで、“彼”に背を向けて歩き出す美鈴。
一瞬、その視線が天葉達の方向を向いたため、心臓をバクバクさせるデバガメ隊だったが、存在を気取られた様子はなく、そのまま霊園から立ち去ろうとしていた。
そんな彼女を、“彼”が呼び止める。
「川添!」
美鈴は歩を休めるが、振り向こうとはしない。
その背中に向けて、“彼”は構わず声を張る。
「あの夜、川添と白井さんに出会えた事が、俺の人生の中で、最大の幸運だった!
他の事で後悔はしても、あの決断を後悔する事だけは絶対にしない! 絶対にだ!」
“彼”の声は霊園全体に響き渡り、美鈴だけでなく、天葉や梅、依奈の耳にも確実に届いた。
それでも振り向かない美鈴だったが、無理からぬ事だったかも知れない。
何故なら彼女は、今まで夢結だけに見せていたような、優しげな微笑みを浮かべていたのだから。位置的に、天葉達にしか見えないはずだ。
“彼”には見せたくないと思ったのだろう、背を向けたまま軽く手を挙げ、美鈴は今度こそ霊園を後にする。
(はあぁぁぁ……)
(見入っちゃったね……)
(どうにかバレずに済んだ……か?)
その姿が見えなくなると、依奈を始めとするデバガメ隊は、大きく息を吐いた。不思議と、見ているだけで緊張させられたからだ。
美鈴は立ち去ったが、“彼”は律儀に時間が経つのを待っているため、今なら本来の目的──夢結に関する話を聞く事も可能だろう。
しかし、静かに佇んでいる“彼”を見ていると、何故だか憚られた。
(声、掛けられない、よね)
(うん……。でもさ、でもさ! なんかこう……良いよね!)
(え? ソラって年上が好みだったの? それとも、夢結から美鈴様を略奪……)
(そうじゃなくって、おじ様と美鈴様のやり取り! 子供の頃に見た、リリィが主役のドラマのワンシーンみたいでさ)
(あー、それは少し分かるかも……。やっぱりこの環境だと、男の子との出会いってまず無いから、女の子同士になっちゃうもんね。それはそれで楽しいけどさ)
(だよねー。……そういった意味では、おじ様と美鈴様のドラマティックな出会いとか、憧れるなぁ)
(なるほどなー。リリィと言えども、普通に恋愛はしてみたいんだ?)
(そりゃあそうでしょ。女の子同士で仲良くするのと、男の子との恋愛は別次元の話だし)
(うんうん。ずーっと甘い物ばかり食べてたら、しょっぱい物も食べたくなるのが、自然の摂理…………あれ?)
小声で盛り上がっていた依奈と天葉だが、ふと違和感を覚えた。
途中、妙に野太い声が会話に混ざったのである。梅は確かに男っぽい口調だが、全く声質が違う。というか、明らかに男性の声。
恐る恐る、二人が声の聞こえた方を振り向けば、そこには、にこやかに笑う和装の男性が。
「やぁ、お二人さん。デバガメご苦労様」
「ひゃああっ!? ぉぉ、おじ、様っ!?」
「あわわわ……! ごごご、ご機嫌よう……?」
「うーん。機嫌は良くないかなぁ。天野天葉さんに、番匠谷依奈さん。川添と白井さんから話は聞いてるよ」
「うっ」
「バレてる……」
名乗る前から名前を呼ばれ、言い逃れるのは無理だと悟った天葉と依奈(ほっかむり付き)は、まるでお縄に着く覗き魔のような心境だ。
そして、いつの間にか梅が居ない。気付かれたのを察知し、一人で先に逃げたらしい。
「い、いつから気付いてたんですか?」
「梅ちゃんが全速力で逃げ出す、少し前辺りからかな。君達こそ、いつから聞いてたんだい? 場合によっては義父上……理事長代行まで報告を上げなきゃいけないんだけども」
「えええっ!? それだけは、それだけはご勘弁をっ」
「ごめんなさいっ、許して下さい! 後で梅に何しても良いですからぁ!」
「速攻で友達売ったね」
「裏切り者は」
「許すまじ」
必死に拝み倒しながらも、自分達を見捨てた梅への恨み言は忘れない。
きっと後で、手痛いしっぺ返しを喰らうであろう。逃げ足が速いのも困りものである。
そんな事より、重要なのは天葉と依奈への処遇。
殊勝な顔で判決を待つ二人に、“彼”は苦笑いで宣告した。
「じゃあ、こうしよう。これから出す要求を呑む事が出来たら、今回の事は水に流す。義父上に報告もしない。どうかな」
「よ、要求、ですか……。それって……」
「いやらしい事でなければ、頑張ります……」
「……遠藤も大概アレだけど、近頃の女の子は耳年増だねホントに。今度、学院のカフェテリアで、一緒にお茶でもして貰おうかな。川添には振られてしまった事だしね」
「え。そんな事で良いんですか?」
天葉が問い返せば、“彼”は鷹揚に頷く。
これが大人の余裕かぁ……と、なんだか感心してしまった。
アールヴへイムの仲間達に迷惑を掛けずに済むなら、お茶くらい問題ない。
むしろ、美鈴とのやり取りを見て、“彼”自身にも興味が湧いたし、ちょっと楽しみである。
「冴えないおじさんと同席なんて、罰ゲームには相応しいだろう。おじさんの知らない、川添や白井さんの話でも聞かせて欲しいな」
「確かに……。そういう事でしたら、喜んで」
「取って置きのネタもありますよ。夢結が講義で居眠りしちゃった話とか」
「おっ。そいつは楽しみだ」
面子は変わったが、人数は変わらず三人のまま、霊園から立ち去る天葉達。
この数日後、約束したお茶会の時に、“彼”にも夢結の様子について尋ねたのだが、特に気付いた事は無いらしい。
気に掛けておくよ、と言ってくれはしたので、全くの収穫無しではなかったのだが、問題の解決はまだまだ先になりそうであった。
「ところでおじ様。梅への仕返しなんですが、ちょっと考えがありまして……」
「近々、学院でとあるイベントがあるんですけど、そこでですね。依奈が持ってる“これ”を……」
「ほうほう。なるほどなるほど。それはそれは……」
モブリリィ三人組の使い勝手が良くて助かる。
梅ちゃんへの仕返し云々は伏線です。速攻で回収します。具体的に言うと次回。
あと二~三回は頭ゆるゆるな話が続きますが、それを終えたらガチシリアスに突入する予定です。
今の内に日常回成分を補給せねば……。早く円盤の四巻届かないかなぁ……。
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17 オランダセリ ──Parsley── 戦技競技会、中等部編(高等部編はありません)
戦技競技会。
百合ヶ丘女学院で開催される、リリィとしての技量を競い合う場であり、普段は交流のないリリィ達が刃を交えられる、学びの場である。
日頃の研鑽を披露するため。ライバルに力を示すため。気になるあの子にアピールするため。
様々な想いを胸に、少女達はCHARMを振るうのだ。
が、しかし。
『皆様、お待たせ致しました! 只今より、百合ヶ丘女学院、中等部戦技競技会メインイベント……。無差別級コスプレ選手権を開催いたしまぁーす!』
この場に限って言えば、そんな事は全く関係なかったりした。
マイク越しの真島さんの声が響くここは、改装した(デコったとも言う)地下訓練場である。
場合によっては世間にプロフィールも公開されるリリィだが、まだ幼い中等部の生徒達を“妙な連中”から守るため、人目につきにくい会場が用意されるのだとか。
そのせいでアングラっぽい雰囲気がより強まってしまったと思うのは、果たして俺だけだろうか。
そして俺は、会場中央に位置する舞台のド真ん中に、真島さん、川添、俺の順で立っている。
ああ、照明がやたら眩しい……。
(なぁ川添。百合ヶ丘女学院って、けっこう緩い校風だよな)
(まぁ、ね。明確な校則も無いし、個人の裁量に寄る部分も多い。だからこそ、こういう場では悪ノリするんじゃないかな)
(悪ノリね……。義父上の代役、断れば良かったかな……)
(そんな事を言って、本当は中学生の艶姿が目当てだったんだろう? 夢結を邪な目で見たりしたら、ただじゃ置かないからね)
(そっくりそのままお返しするよ)
(何を言うのさ。薫の代役とはいえ、僕だって生徒会役員なんだ。そんな事をするはずないじゃないか)
高等部の生徒が中等部の生徒を、中等部の生徒が高等部の生徒を応援できるように、競技会は二度、日程をずらして催される。
普段なら義父上が監督役として立ち会うようなのだが、今回に限って外せない用事が入ったとかで、代役を打診された。
曰く、「男の目が無いと、羽目を外しすぎる生徒が出てしまうからのう」とのこと。遠藤という心当たりがあるだけに、断れなかった。
ごめんなさい嘘つきました。本当は心で小躍りしながら引き受けましたとも。
女子校のお祭り騒ぎに混ざれるんだ。喜んで何が悪い。
実際、コスプレ選手権の前座(じゃないけど)である、フィールドアスレチックや模擬戦なども、とても良い目の保養になりました。絶対領域って最高ですよね。
そんでもって、川添は生徒会からのお目付役として競技会を監督するというのだが、絶対に嘘だ。白井さんを間近で見たいがため、立候補したに違いない。
まだ会った事のない林薫さん──アールヴへイムの主将を務めるリリィ──の、困った顔が目に浮かぶ。
そう。実はこのコスプレ選手権には、白井さんも出場するのだ。こういう催し物には興味なさそうな印象を持っていたのだが、まぁ、細かい事は気にしないでおこう。
だって見たいし。白井さんのコスプレ姿。
この気持ちだけは、川添と通じ合っている自信がある。あるからなんだ、と言われればそこまでだけども。
『今回は特別審査員として、二人のゲストをお呼びしています。まずはこの方! 今や院内で知らぬ生徒は居ない、理事長代行の義息、高松
「ご、ご機嫌よう」
『理事長代行の代役として、男性目線での審査をして頂きます。よろしくお願いしまーす!』
「どうぞよろしく……」
そうこうしている内に、挨拶の段階に入っていたらしく、不慣れながらに頭を下げる。
女子生徒の視線が一気に集まり、嫌が応にも緊張したけれど、「おじ様ー!」という黄色い声援で迎えられた。意外だ。
認知されてるんだなぁ、と感慨深く思ったのも束の間……。
『次はこの方! 甲州撤退戦から連戦連勝、作戦行動中は一度も負け無しのレギオン・アールヴへイムの屋台骨、川添美鈴様です!』
「ご機嫌よう」
『美鈴様には、私達、中等部生徒の先達リリィ、そして女性としての観点で審査して頂きます。よろしくお願いしまーす!』
「先輩として、厳しく採点させてもらうよ。よろしく」
俺の時以上の、津波のような声援が川添に浴びせられた。
美鈴様ー! だの、素敵ー! だの、もうとにかく凄まじい。
明らかに負けている。時折、視線だけで川添がドヤってくるのがまた悔しい。
『お二方に加え、会場の皆様の投票により、出場者に得点が入ります。
おじ様と美鈴様が各10点、会場投票点が計30点の、最高50点満点での評価を、予選を勝ち抜いた一年生から三年生が、入り乱れて争います!
果たして、最も可愛らしく、そして美しく着飾ったリリィは誰なのか! 司会進行は私、工廠科の真島百由でお送り致しまーす! どうぞよろしくー!』
「真島さんって、本当に多芸だよね……」
『あははー、どうもどうもー』
愛想を振りまく真島さんに促され、俺と川添は審査員席へ向かう。
観客席に背を向け、舞台が体の正面に来る形だ。ゴールデンブザーは無いっぽい。
その代わり、1~10のキーを持つパネルボタンが置かれていて、これを使って点数をつけるようだ。マイクスタンドも無駄に本格的だった。
『それでは早速参りましょう! エントリーNo.1、元気で明るく若々しい! 保有レアスキルはヘリオスフィアの二年生、榮倉
「どもどもどもー、よろしくでーす! みんな見てるー?」
真島さんが声を上げると、ファンファーレを伴い、ポニーテールの女の子が舞台袖から現れた。
ピンク色が主色の魔法少女っぽい衣装を着て、CHARMも持っている。
友人が見ているのだろう、観客席に向けて手を振っていた。うん、可愛い。
『榮倉さんの衣装は、チャーミーリリィですね。どうして出場したんですか?』
「実は、一回でいいからこういう服を着てみたくて……。ただそれだけです! いい記念にもなるかなーって!」
『なるほどー。気軽に参加した榮倉さんですが、予選を勝ち抜いたという事実は侮れません。という訳で、アピールタイムの準備をお願いします!』
「はーい!」
「……アピールタイム?」
「察するに、コスプレした状態で一芸を披露したりする事で、得点に繋げるんじゃないかな」
『美鈴様、ご説明ありがとうございまーす!』
要するに、よくある美少女コンテストと同じような形式、という事だろう。
真島さんが司会だし、どんな奇天烈なギミックがあるのかと心配だったけど、これなら大丈夫そうだ。
ちなみにチャーミーリリィとは、リリィを題材にした魔法少女アニメであり、コアなファンが国内外に多いらしい。防衛軍時代の隊員仲間にも、食費を削ってまでグッズを買い漁る奴が居た。
懐かしいなぁ。休みの日に無理やり見せられたっけ……。
「一番、榮倉唯! チャーミーリリィ、第3期の主題歌を歌います!」
言うが早いか、榮倉さんという子はCHARMを構えてポージング。
ポップな前奏の終わりと同時に、歌を交えて踊り始めた。
軽やかなステップ。CHARMを華麗にフリップしつつ、歌声は決して乱れない。
物怖じしないパフォーマンスが、相当の練習量を窺わせた。
それだけでなく、曲の盛り上がりに合わせてCHARMが起動。榮倉さんは周囲に美しいマギの光を帯びる。
あれは多分、ヘリオスフィアのマギ光帯バリアだろう。
ミドル級以下のヒュージの攻撃なら、ほぼ防ぎきるだけの強度を持つそれを、演出の一環として使っている。
美しさも然る事ながら、レアスキルの熟練度も見せつけられる、一挙両得のパフォーマンスである。
コスプレ選手権なんていうから、正直、色物の集まりになるかと思っていたのだが、良い意味で予想を裏切られた。
榮倉さん自身、世が世ならアイドルとして売り出せるほど容姿も整っているし、素直に見ていて楽しい。
と、見惚れている間に曲は終わり、榮倉さんがペコリと一礼。会場には自然と拍手が溢れた。
『榮倉さん、見事にトップバッターを勤め上げてくれましたねー。手応えのほどは?』
「あ、はい。けっこう上手く出来たんじゃないかなーって思います! ……思うんですけど。思ってもらえるかなぁ……? い、今になって、緊張してきちゃいましたぁ……!」
『大丈夫大丈夫、自信持って! 皆様、お手元の投票ボタンをお願いしま〜す!』
打って変わって弱気な榮倉さんを励ましながら、真島さんが投票を呼びかけた。
歌も踊りも上手だったし、何より可愛かったし、個人的には高得点をあげたい。
という訳で、俺は《ピコン》と8点のボタンを押す。
『それでは、集計結果の発表です! おじ様が8点、美鈴様7点、会場票24点の、計39点! 最初からかなりの高得点ですねー!』
「え、ホントに? やた、やったやったー!」
効果音と共に、バックスクリーンに得点が表示されると、榮倉さんは飛び跳ねて喜んだ。
観客席からも歓声が上がり、みんなの心をガッチリ掴んだ事が伝わってくる。
いやぁ、いいもん見せてもらいました。
『ここで、審査員からのコメントを頂きましょう。おじ様、お願いします!』
「えっ、こ、コメント!? そう、だね……。正統派ながら、質の高いパフォーマンスと歌声で、完成度も高かったと思います。見ていて元気を貰えるような可愛らしさでした」
『なるほどー。美鈴様はいかがでしょう?』
「ダンスのキレが素晴らしかったね。CHARMフリップに淀みが無く、普段からよく鍛えているのが伺えたよ。レアスキルでのライトアップも意表を突かれたし、今後も期待できそうだ」
『美鈴様からお墨付きが出ました! 会場のコメントも、「可愛い!」や「頑張った!」で溢れてますね~。皆様、榮倉さんに拍手をー!』
「えへへ……。ありがとうございましたぁー!」
暖かい拍手に見送られ、榮倉さんは舞台袖へと退場していった。
こうして、順調な滑り出しを見せたコスプレ選手権は、次々に新しい少女達の登場で進んでいく。
二番手から四番手は一年生と三年生の出番となり、忍者コスでユーバーザインからの多重○分身もどき、巫女コスでスキルは使わず超早口祝詞、シスターコスで何故か一人コント、カウガールで天の秤目を使ったCHARMの早撃ちなど、個人技が光るパフォーマンスが繰り広げられた。
コントが意外と本格的だったのが驚きだ。「悔い改めなさい!」が耳から離れないんですが。彼女はどこへ行こうとしているのだろう。
ともあれ、コスプレ選手権はまだ始まったばかりである。
用意されていたペットボトルの水で喉を潤しつつ、俺は次の出場者を待つ。
『さてさて。会場も温まってきた所で、次に行ってましょう! エントリーNo.5、猫とニャンコとCATが大好き! 保有レアスキルはファンタズムの二年生、安藤鶴紗さんでーす!』
「……どうも……」
ごふっ。
予想外の人物が舞台に上がり、思わずむせた。
眼を疑ってしまったが、そこに居るのは確かに安藤だった。
服装こそ中等部の制服だけれど、そのおかげで猫耳と猫尻尾が強調されている。
「あ、あああ安藤!? な、なんでコスプレ選手権なんかに……」
「……猫缶三ヶ月分に、釣られた……。出るだけでくれるって言われたから……。OKした自分を殴りたい……」
恥ずかしいのか、モジモジしているのがやたら可愛い。
もともと可愛い女の子が猫耳をつけると、どうしてそれだけで可愛さが倍増するんだろう。不思議だ。
にしても、猫缶三ヶ月分って……。本当に普段は猫中心生活なんだな……。
『えー、聞く前から出場理由も明らかになりましたし、アピールタイムに行っちゃいましょう! 安藤さん、どうぞー!』
「う……」
真島さんがパフォーマンスを促すも、身を縮こめて更にモジモジする安藤。
戦闘中ならいざ知らず、こういった場面では人見知りしてしまうのだろう。白い肌が真っ赤に染まっている。こう、無性に頭を撫でくり回したい衝動に駆られる。
無言のまま、かなり時間が経過したが、やっと意を決したようで、彼女はゆっくりと両手を顔の横まで上げ……。
「……に、にゃあ……」
──と、鳴いた。
静寂が広がる。
一秒毎に顔の赤みは増し、口元がわななき、目尻に小さな涙まで浮かんで。
《ピコン:9》
『おおっと! おじ様が早くも9点をつけました!』
「はっ。て、手が勝手に……!」
「これだから男は……」《ピコン:8》
『と言いつつ美鈴様も8点を! これはどうした事だー!?』
「……恥らう乙女は、愛らしいものだよね」
知らない内に点を付けていたが、なんかもう、これで良い気がする。
それを皮切りに、観客席から「純粋に可愛い」「あんな顔するんだぁ」「シンプルイズベスト」などという囁き声も聞こえてくる。
良かったな、安藤。君の猫ぢからが認められたぞ!
後で絶対に思い出したくない黒歴史になるだろうけど!
「か、帰る。もう帰るっ!」
『あ、ちょ、安藤さん? ……行っちゃった。えっと、これは辞退、いや棄権って扱いですかね?
……あー。誠に残念ながら、安藤さんはリタイアです。会場にも悶えてる方々が見えますので、いい線行ったと思うんですが……』
ところが、当の本人は恥ずかしさの限界が来たらしく、涙目のまま走り去った。
もう少し眺めていたかったのに、残念だ……。
まぁ、どうせ誰かが写真に収めてるだろうし、終わったらデータをコピーさせて貰おう。十年後とかに見せたら悶え苦しむかも知れない。
『気をとり直して、次に参りましょう! 続きまして、エントリーNo.6、一字違いで大違い! 説明不要の問題児、保有レアスキルはフェイズトランセンデンスの二年生、遠藤亜羅椰さんです!』
続いて登場したのは、コスプレのド定番、メイド服を着た遠藤だった。確かに苗字が一字違うだけで大違いだわ。
メイド服はクラシックなタイプではなく、ミニスカートで胸元が大きく開いた、エロゲに出てきそうな感じである。
それを見事に着こなしちゃっているんだから性質が悪い。
「皆様、ご機嫌よう。でも、問題児ってヒドくありません?」
「いや事実だろうに……」
「おじ様には言ってないわよ! ふん!」
ボソッと呟いただけなのに、遠藤が過剰に反応してくる。地獄耳め。
最近、妙に当たりが強い気するな。反抗期か?
『えー、遠藤さんは何故この大会に?』
「それはもちろん、私の魅力をアピールするためです。最近、色んな意味で飢えてて……。あ、恋人募集中でぇ~す! 投票してくれた方には、漏れなく私の連絡先と生写真を差し上げまぁ〜す!」
「一気に不健全な大会になった気がするね……」
「婚活パーティーのがまだ健全だな……」
思いっきり前屈みになって、谷間を強調しつつ投げキッス。
……エロい。座っていなかったら危険だったかも知れないので、本当に自重して欲しい。
その肉食さ加減が男に向けられていたら、一体どれだけの被害者が出ただろうか。まぁ、きっとその被害者達は、みんな幸せなんだろうけど。
『まーまー、後も詰まっていますんで、ここはササッとアピールタイムに行きましょう! 遠藤さん、自信のほどは?』
「当然、勝ちに行きます。これをぉ……ご覧あれぇ!」
真島さんのスムーズな進行に対し、遠藤はアシスタントの生徒に運ばれて来た物……二台のキャンバスらしき物体に掛けられた布を取り払った。
予想通り、布に隠されていたのはキャンバスで、それぞれに描かれていたのは…………俺と、川添?
「私が描いた、おじ様と美鈴様の油絵です。事前に情報を仕入れていたので、じっくり描かせて頂きました」
『これは意外な展開! 皆さん、色んな意味で危ないアピールを覚悟していたでしょうが、堅実的な芸術作品で来ました!』
「ふふん。意外性の女、と呼んでくださって構いませんよぉ?」
「おおお……」
「なかなかの腕前だね」
得意げに胸を張る遠藤。
零れんばかりの大質量が弾むけれど、その引力を無視させるほど、遠藤の油絵は素晴らしい出来栄えだった。
写真でも見て描いた感じの、正面からの人物画で、構図に面白味は無いが、その分、描き手の技量がそのまま反映されている。
ここまで上手いと、なんだか美化されている気もしてくるから変な感じだ。
確かに、一芸と評して申し分ない。……のだが、遠藤のアピールタイムは終わっていないようで。
「とはいえ、事前作成の絵だけで済ますのもツマラナイですし、この場での三分スケッチにも挑戦させて頂きます。おじ様、美鈴様。お手伝いくださいます?」
「手伝い……。モデル、という事かな。僕は構わないけれど」
「まぁ、モデルくらいなら」
『ではお二方、ステージへお願い致しまーす!』
どこからともなく、遠藤がスケッチブックを取り出し、手には鉛筆を構える。
鉛筆画か。この短時間で油絵は無理だろうから、必然的にそうなるのだろう。
俺は川添の後に続いて舞台の上へ上がり、別のアシスタントさんが持って来たらしい小道具の中で指示を待つ。
「う~ん……。おじ様は椅子に座って、体をちょっと斜めに。手は膝に置いてください。美鈴様は隣にお立ち頂いて、椅子の背もたれに手を置く感じで……はいそこ! そのままでお願いします!」
もちろんモデルの経験なんて皆無なので、俺はおっかなびっくり体勢を微調整するのだが、川添は慣れた様子で、単なる立ち姿も堂に入っている。
立っているだけで絵になるような、顔面偏差値高めの方々が羨ましい。とりあえず落ち着かなくては……。
「百由様、準備できましたわ」
『りょーかーい。それでは、三分スケッチ……スタート!』
「……おじ様! 動かないで!」
「は、はいっ」
心の準備もそこそこに、遠藤は凄まじいスピードで鉛筆を動かし始めた。
こちらを見つめる視線は、普段の軽いノリからは想像すらできないような、ひたむきな真剣さが見て取れる。
思わず、胸の鼓動が早くなってしまう。こんな形で遠藤の新しい一面を見せられるとは、思いも寄らなかった。嬉しい誤算、だろうか?
『3……2……1……終了ー! 瞬く間に三分が経過してしまいました!
果たしてどのようなスケッチが完成したのでしょうか?
拡大カメラを用意してますので、ステージ奥のスクリーンにご注目くださーい!』
カウントダウンに合わせて、鉛筆を置く遠藤。
一つ、大きく肩で息をすると、体で隠すようにスケッチブックを持ち、カメラが置かれているという台へ。
やや勿体ぶりつつ、ゆっくりとカメラの前に置かれたそのスケッチに、俺は息を飲んだ。
(……これは)
どこか緊張した面持ちの俺と、それを見下ろしながら、微かに口角を上げる川添が、そこに居た。
観客席から、感嘆とした驚きの声も聞こえてくる。
細かい部分は敢えて省き、感情や表情に重きを置いた筆遣いが、素人目にもよく分かった。
こんな才能まで持ってたのか、遠藤は……。
『……はっ、お、思わず見入ってしまいました。素晴らしいスケッチですね、遠藤さん!』
「もっと時間があれば、ディテールを凝ったり出来るんですけど……。まぁ、こんなものでしょう。鉛筆画は本分じゃありませんし」
「本分じゃないのにこの出来とは、恐れ入るね。お見事だよ」
川添の拍手が呼び水になり、会場全体から大きな拍手が湧く。
遠藤の鼻がピノキオみたいに高く長ーくなっていくのが見えるけれど、それも無理からぬ事か。
今回ばかりは、素直に褒める他に無い。俺も、すっかり気に入ってしまった。
「おじ様はいかがですかぁ? ぜひ感想を頂きたいんですけど」
「……欲しい」
「え?」
「このスケッチ、良かったら貰えないかな。部屋に飾りたい」
「そ、れは、構いませんけど……。そんなに、気に入ったの……?」
「ああ。遠藤、凄いな。見直した」
「………………ま、まぁ? 私にかかればこのくらい簡単だから、言ってもらえれば何枚でも描いてあげるわ!」
おーっほっほっほ! という高笑いはしないまでも、遠藤は踏ん反り返り、得意満面の笑みで言う。
調子に乗っちゃって、全く。
こんな風に喜ぶ姿は、年相応の女の子にも見えて、ちょっと安心する。
ま、必要以上に上げた分、直ぐに下げるんですが。
『健全なアピールタイムが終了したところで、いよいよ集計結果の発表です! おじ様が6点、美鈴様5点、会場票9点の、計20点! 結果はふるわず、断トツの最下位ー!』
「えええっ!? なんでよぉ!」
よっぽど驚いたのか、あんぐりと大口を開けて叫ぶ遠藤。
あれだけ好感触を得ていながらの最下位だ、仕方ない。
「絵の腕前は凄かったんだけど、コスプレと関係性が見つけられないのが、ちょっと……」
「右に同じく。絵は素晴らしかったし、衣装自体も似合っているけれど、どうにもチグハグな印象が否めないね」
『会場の皆さんも、似たような理由で投票しなかった方が多かったようです。
数少ない投票されたコメントも、「凄いけど連絡先はいらない」「ちょっと描いてほしいけど生写真は勘弁」「体だけの関係ならいいわ」などが寄せられました。
最後の人は生徒会に通報しときますねー』
「うぐぐぐ……。納得いかなぁーい! せめて、せめて最後の人の名前だけでもぉー!」
『はーい遠藤さんありがとうございましたー。
「かしこまりました。遠藤さん、行きますよ」
「ぐえっ、ちょ、チョーカーを引っ張んないで……っていうか、なんでまたアンタなのよぉ!?」
「知りません。セット扱いされて迷惑なのはわたくしです」
ジタバタと暴れる遠藤の首根っこを掴み、笑顔で怒る郭さんが、生暖かい拍手に送られて颯爽と舞台を去った。
もしかして、このためだけに待機してたとかか?
……お疲れ様です。後で何か差し入れさせて頂きます。
『さてさて。なんだかオチがついちゃった感もありますが、まだまだ大会は続きます。次の方、行ってみまーっしょう!』
気を取り直した真島さんが、変なポーズをつけて司会進行に戻る。
しかし、遠藤のキャラが濃過ぎたせいか、その後の出場者は印象が薄くなってしまった。酷い巻き込み事故があったもんである。
それを打ち破る強者が現れたのは、コスプレ選手権も終盤。
残る出場者を二名とした頃合だった。
『長らくお付き合い頂いたこの大会も、残すところ後二名となりました! 次はこの方! エントリーNo.12、逃げ足の速さは天下一品! 保有レアスキルは縮地の三年生、吉村・Thi・梅さんでーす!』
「ううう……。逃げきれなかった……」
「ほら、行くよ梅!」
「観念なさい!」
疲労困憊した様子の天野さんと番匠谷さんに、両腕を抱えられてステージへ上げさせられたのは、フード付きのコートで衣装を隠す梅ちゃん? だった。
声は間違いなく梅ちゃんなのだが、すっぽりコートに隠れてしまっている。
実を言うと、どんな衣装を着ているのかは既に知っているので、全く問題なかったりするんだけど。
天野さん達とのお茶会で見せられた時も思ったが、“アレ”を着ている梅ちゃんは、絶対に可愛いはずだ。
『実はもっと前に登場予定だった吉村さんですが、今の今まで学院中を逃げ回っており、御友人の尽力でやっとの登場となりましたー。往生際が悪いですねー』
「……なぁ、今からでも辞退できないか? わたしが着飾ったって可愛くないし、誰も喜ばないだろ? な?」
「梅、自分の事そんな風に言っちゃダメだよ。少なくとも、私と依奈は喜ぶんだから」
「そうそう! バッチリ似合ってるから、自信持って!」
「……本音は?」
「恥ずかしがる梅を見てみたいかなぁと」
「物置の肥やしを有効活用したくて」
「うぐぐ……逃げたのは確かに悪かったけど、けどさぁ……」
抵抗虚しく、梅ちゃんは押し出されるようにして舞台の中央へ。
やっぱり、“あの衣装”を着るのは恥ずかしいんだろう。スポーティーな印象の梅ちゃんからは、随分とかけ離れてるし。だがそれが良いのだ。
あー早く見たいなー。まだかなー。
『それでは、お披露目と参りましょう! 天野天葉・番匠谷依奈プロデュースの……』
「甘ロリ!」
「梅ちゃんよ!」
祈りが通じたらしく、二人の手によって梅ちゃんのコートが剥ぎ取られる。
露わになったのは、フリルとリボンがてんこ盛りの、白とピンクの布地で織られた、ロリータファッションな梅ちゃんだった。
いつも頭の上で結んでいる髪も下ろしていて、これまたフリルをガン積みなカチューシャで飾っている。
浅黒い肌と甘ロリファッション。白と黒のコントラストが、何物にも代え難い愛らしさを演出する。
普段は元気一杯な梅ちゃんが、恥ずかしげに俯き加減なのもポイントが高い。
恥ずかしがったり、照れたりしている女の子っていうのは、どうしてこうも男心をくすぐるのか。摩訶不思議である。
「ううううううう、恥ずかしい死にたい逃げたい……っ」
「言っておくけど、逃げたら罰ゲーム追加だからね」
「犬耳と猫耳と兎耳とパンダ耳、どれがいい?」
「に、逃げない、逃げないからっ。これ以上は勘弁だぁ!」
情け容赦のない天野P、番匠谷Pの追撃に、梅ちゃんの泣きが入った。
褐色甘ロリ少女にケモ耳か……。若干、属性過多な気もするが、アリっちゃアリだろう。
猫耳つけたら、安藤が飛ぶような勢いで戻って来そうだ。
《ピコン:9》《ピコン:9》《ピコン:9》
『あのー、おじ様? そんなに連打しても点数は変わりませんよ?』
「あ。いや、違うんだ真島さん。手が止まらなくて」
『どうやら、気に入って頂けたようで……。しかし、まだアピールタイムが待っていますから。おじ様、これどうぞ』
「え? ……眼鏡?」
勝手にボタンを押しまくる右腕の義肢と格闘していたら、何故だかゴツい眼鏡を渡された。
俺、視力は悪くないんだけど……?
『小型カメラとマイクが搭載されてますので、おじ様の見聞きした物が、スクリーンに投影される仕組みです。掛けた状態でステージに上がってくださいませー』
「はあ……。分かったよ」
どうやら、アピール内容は打ち合わせ済みっぽい。いや当たり前か。
言われるがまま舞台に上がり、俺はとりあえず、天野Pと番匠谷Pに向けてビシッと親指を立てる。
すると、一仕事終えた後のような清々しい微笑みと共に、サムズアップがビシッと返された。うん、いい仕事したよ、君達。
が、まだ最後の仕上げが残っている。天野Pはスカートのポケットから、何やらメモの切れ端を取り出して梅ちゃんに渡す。
「じゃあ、梅。おじ様に向かって、この台詞を言うのよ」
「台詞って………………っ!? な、おい天葉、これは流石に酷いゾ! 依奈、なんとか言ってくれ!」
「ごめんねー。実は私もソラに弱みを握られてるのー。どんな弱みかは考えてないから言えないけどー、助けるのは無理なのよー。だから頑張れー」
「嘘つくならせめて隠す努力しろっ! くうう……分かった! やれば良いんだろ、やれば!」
ヤケクソ気味に大見栄を切った梅ちゃんは、服に似合わない足取りで、ズカズカと俺の前に立った。
な、なんだ? どういう台詞なんだろう?
「すぅ……はぁ……すぅ……」
何度も深呼吸を繰り返し、けれど落ち着かないらしく、手をソワソワと遊ばせている。
キッとこちらを睨んだと思えば、すぐさま顔を逸らしてしまい、一目で分かるほど頬も染まっていた。
なんだろう、この緊張感……。まるで、告白でもされる直前みたいな……。
というかだ。俺が見てるこの光景、丸っとスクリーンに映ってるんだよな? ある意味こっちも羞恥プレイなんですが?
「だ……だ、だ、だだ、い……だい……」
ようやく覚悟を決めたのか、梅ちゃんは吃りながら口を開く。
だい、だい……。橙? え、柑橘類?
なんてスッとぼけた連想をしたのも束の間、頬を上気させ、潤んだ瞳を上目遣いに、梅ちゃんは──
「だいすき」
か細い声で、そう呟いた。
俺は死んだ。
「ごはあっ」
『これは強烈うぅぅ! 甘ロリ梅ちゃんのダイレクトアタックに、おじ様も一撃でノックアウトだー!』
「うぁああああああっ!? 痒い痒い痒い全身が痒いぃぃぃっ!! こんなのわたしじゃなああああいっ!」
思わず口元を押さえ、舞台の上で崩れ落ちる俺。
本当に、一撃で心臓を持ってかれたわ……。一瞬マジで止まった気がする。
梅ちゃん自身は身悶えしつつ地団駄してるが、それより観客席のどよめきが凄い。
アールヴへイムに所属してる有名人だから、普段の姿を知っている人も多いのだろう。
要するに、ギャップ萌えだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、し、死ぬかと思った。いや、たぶん一回死んだ」《ピコン:10》
「大袈裟な……と言いたいところだけど、あれの直撃を受けたら、無理もないだろうね。僕でも厳しかったかも知れない……。
まさか、こんな秘密兵器を用意しているだなんて。天葉君も依奈君も、なかなかのプロデュースだった。素晴らしい」《ピコン:9》
『会場からのコメントでは、「新世界が見えた」「ゴスロリじゃなくて甘ロリなのが良い」「おじ様そこ代わって」などの意見が寄せられましたー。得点も堂々の26点! 合計は45点で、トップに躍り出ました! さっすがまいまい!』
「もう好きにしてくれ……」
ほうほうのていで審査員席に戻り点を付けると、合計点で梅ちゃんがトップになっていた。納得のいく結果だ。
ぐんにょりしてる本人は、ツヤツヤした笑顔の天野Pと、鼻にティッシュ詰めた番匠谷Pに連れられて帰って行く。興奮しちゃったんだろうな、番匠谷P。分かるよ。分かるとも。
一回死ぬハメにはなったが、どうにか強者の攻撃も乗り越え、いよいよ大トリの出番。
待ちに待った、白井さんの出番である。
『さぁさぁ、終盤にして大番狂わせが起きたところで、真打の登場です! 中等部でも一~二を争う戦闘力と可憐さを併せ持つ、あの《ピコン:10》《ピコン:10》《ピコン:10》ちょ、美鈴様フライング! まだ紹介文も終わってませんから!』
「おっと失礼、手が滑ってしまった。申し訳ない」
嘘つけ。目が血走ってるぞ川添。鼻息も荒いし、少しは取り繕え。
白井さんのために満点を残してたのも分かってんだからな。
『えー、仕切り直しまして……。保有レアスキルはルナティックトランサーの三年生、あの“狂乱の天使”が、本物の天使となって登場です! 私、工廠科は真島百由プロデュースのぉ……白井夢結さんですっ!』
本物の天使、という部分で首を傾げるが、疑問はすぐに氷解した。
何故ならば、天井の梁から人影が……白い大きな翼を広げた影が、ゆっくりと舞台に降り立ったからである。当然、白井さんだ。
白井さんなのだが、やはりコスプレしている。しかも、可愛い系ではなく格好良い系。
ダインスレイフを持ち、長い黒髪をポニーテールに結った彼女は、いつもの中等部の制服の上から、スタイリッシュな金属の鎧を身につけていたのだ。
『彼女が身に纏っているのは、私が開発した新型バトルクロスです。今まで重い・ダサい・マギ消費がキツいと散々に言われ、使う人なんてほとんど居ませんでしたが、だったらカッコよくしちゃえば良いじゃない! の精神で、一から練り直しました!』
真島さんがそう叫ぶのに合わせ、白井さんが舞台上でダインスレイフを振るう。
いつものキビキビした動きではなく、翼を広げ、跳躍を多めにした、魅せるための演武。
それがコスプレ衣装と相まって、幻想的とも思える美しさを醸し出していた。
『ご覧下さい、この軽やかな動き! そしてスタイリッシュなデザイン! マギの消費量も、旧型に比べかなり抑えられています!
残念ながら値段は据え置きですが、これを使えば貴方も戦場の華と咲き誇れること間違いなし!
ご要望の際には、工廠科窓口から真島百由までご連絡をー。あ、デザイン協賛はそうさく倶楽部の方々でーす』
……が、真島さんの営業トークのせいで、ゆっくり浸れないのが残念である。
それに、なんて言えば良いんだろう……。
翼のせいで一気にファンタジーさが増して、姫騎士感が出てしまっているような。
万が一、オーク型のヒュージでも現れたりしたら、即座に“くっ殺”しそうだった。
「………………」《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピ《ピコン:10》
「川添。無言で超速連打するのは止めようか。ミシミシいってるから。真島さんも、言いたい事は色々あるけど……とりあえず、あの翼って? 普通にバサバサ動いてるけど」
『あー、あれはオプション装備でして、落下制御の効果は付与してますけど、実用品じゃないんです。
一応、おじ様の義肢の技術を流用してるので、考えただけで自由自在に動かす事は可能です。もちろん受注はしてますよー』
「無駄にハイテクね。でも欲しいかも……。あれがあればコスプレの幅が広がる……」
「依奈、ストップ。百由の術中に嵌っちゃダメだから」
舞台袖から顔を覗かせる番匠谷Pの肩を、天野Pがガシッと掴んで止めていた。それで正解だと思う。
リリィの戦闘用装備の値段は、とにかく高いのだ。
CHARM一機で最低でも億、高級なCHARMならそれが二桁まで行くし、バトルクロスやキャバリアも同様で、だったらあの翼も数千万円は下らないはず。
ヒュージとの戦闘で幾ら報奨金を貰っていても、破産は必至と思われた。
まぁ、バトルクロスだったら、使用申請を出せばガーデンがある程度は用意してくれるかも知れない。
「にしても、百由君。どうしてバトルクロスのプレゼンみたいな真似を? 流石に司会という立場を悪用し過ぎだと感じてしまうんだけれど」
『………………お金が、無いんです』
「えっ」
川添の問いかけには、耳を疑うような答えが返された。
お金が無い? やたらめったら発明して、かなりの数の特許を持ってるはずの真島さんが?
一体なにがあったんだ……と心配していたら。
『麻嶺と一緒に開発してたら、湯水のようにアイディアが湧き出て、だけど試作する予算が下りなかったんですよぉ、ドリル型CHARMとか実用性が無いって!
でも、それで諦めろだなんて殺生じゃないですか! だからパテント料で費用を捻出しようとしてるんです!
という訳で、どうか皆様、真島百由プロデュースの新型バトルクロスに、いえ、新型バトルクロスを着た白井夢結さんに、清き一票をぉおおっ!』
至極真っ当な理由で断られただけだった。ドリルって、まぁ強そうではあるけどさ……。
観客席からも、職権乱用だー、依怙贔屓ー、平等に応援しろ司会者ー、でも夢結様カッコイイー! などの声が上がっている。
白井さんが登場してから一切喋らないのも、きっと仕方なく付き合わされただけなんだろう。
「と、とにかく採点に移ろうか。このままだと、白井さんが晒し者になったままだし」《ピコン:9》
「……どうして満点じゃないのかな。夢結に欠点があるとでも?」《ピコ《ピコ《ピコ《ピコ《ピコ《ピコ《ピコ《ピコ《ピコン:10》
「睨むな。そして連打もするなってば……。悪いけど、梅ちゃんのダイレクトアタックの後じゃ、何が来ても霞むよ………………ん?」
私欲に塗れた真島さんに代わって進行を試みるが、どうしてだか、白井さんが舞台を降りて近づいて来た。
眼鏡を外すのを忘れていたので、どアップの白井さんがスクリーンに映し出されている。
「……ぉ、おじ様」
「は、はい」
見下ろしてくる白井さんの表情には、悲壮な決意……のような物が見えた。
髪型と衣装が違うせいでそう感じるのだろうが、何かしようとしているのは間違いない。
彼女は静かに呼吸を整え、胸元で拳を固く握り締め、そして──
「わ……私じゃ、駄目、なんですか……?」
悲しげな瞳で、そう問いかけた。
俺はもう一度死んだ。
「どうしろって言うんだ……。こんなの、満点以外にどうしろと言うんだ……っ!」《ピコン:10》《ピコン:10》《ピコン:10》《ピコン:10》《ピコン:10》
「それで良いのさ。正直さは美徳の一つだよ」
息も絶え絶えに10点を連打する俺を、川添が偉そうに褒めてきた。
一応言っておくが、川添の採点ボタンは既に壊れてしまったようだ。
秒速32連打くらいしてるのに、まるで反応してない。どんだけやねん。
余談だが、観客席からの声は以下の通りである。
おじ様ばっかりズルい。私もそんなこと言われたい。言い値で買うから録画データを寄越せ。
まぁそうなるよね……。俺も欲しいです。
『よっし、これで20点は確保! あとは会場票が26点以上なら夢結がトップ、この結果を踏まえれば、量産化の申請も通る可能性が…………あれ? 25点?』
これで白井さんの優勝確定! ……かと思いきや、梅ちゃんの得点を越えるには一点足りなかった。
会場もザワつき始め、空気が混沌とし始める……。
『まいまいも45点、夢結も45点。という事は、同点優勝!? う、嘘でしょー!? こんだけテコ入れしたのにぃー!?』
「だから反感を買っちゃったんでしょ。とにかく、やったね梅!」
「ワタシ達のプロデュースぢからの勝ちよ! いや引き分けだけどさ!」
「ワーイウレシイナーアハハー」
「……ほっ……」
白井さんは明らかに安心した様子で、胸を撫で下ろしている。やっぱり嫌々だったみたいだ。
一方、喜ぶ天野P達に押し出されるように再登場した梅ちゃんの眼は、死んだ魚みたいに濁っていた。
それを皮切りにして、この結果に不満を持った出場者達が、舞台上へ雪崩れ込む。
「こんな結果、納得いかないわぁ! 談合よ談合!」
「そうだそうだー! 頑張ってトップバッター務めたのに、なんか納得いかないよー!」
「もう終わったんでしょ。猫缶三ヶ月分は?」
遠藤、榮倉さん、安藤。
ついでに、忍者と巫女さんとシスターとカウガール、その他大勢のコスプレ女子が騒ぎ立て、もはや収拾がつきそうにない。
俺はと言えば、とうに場を収める事を諦め、可愛らしい女の子達の乱痴気騒ぎを眺めていたのだった。
もうどうにでもなれー。
“それ”は、白く長い髪の、一糸纏わぬ少女の姿をしていた。
“それ”は、お祭り騒ぎに興じる皆へと混じり、琥珀色の瞳を見開いている。
だが、周囲は空白が生じていた。
異様なほどの存在感を放っているのに、誰一人として気に掛けていない。
そうする事が、当然であるかのように。
存在そのものを、認識していないかのように。
「………………」
ひどく矛盾した状況でも、“それ”は微動だにせず、ただただ、見つめている。
視線の先には、澄まし顔の美鈴と、苦笑いの“彼”が居る。
「………………」
誰にも存在を認められなくとも、“それ”はひたすら、見つめ続ける。
その光景を、目に焼き付けるようにして。
「──まに───、───いで……」
「僕が夢結に対して取り乱し過ぎているだって? いいや、“君はそんな風には感じなかった。僕はいつでもどこでも、品行方正で理性的さ”。いいね……?」
……という力技の印象操作が、あったとか無かったとか。
アニメ本編でカットされたコスプレ云々を、ガッツリ描きました。ええ、趣味に走りましたとも。反省はしますが後悔はしません。
一柳隊の隊服もゴスロリっぽいけど梅ちゃん普通に着てる? この経験が活きて吹っ切れたんじゃないですかね? アレよりはマシだ的に。
と言いつつ、原作世界ではこんな光景あり得ないんですけど……。
美鈴様は死んでるし、そんな状態で夢結ちゃんがコスプレ部門に出るはずないし、そんな彼女を置いて、梅ちゃんや天葉様も出ないでしょうし……。可能性があるのは依奈ちゃんだけでしょうか。
あからさまな伏線に関しては、近々明らかになるとだけ。
余談ですが、鞘がドリル型のユニークCHARM「カラドボルグ」は、二年後には存在しているようで。ぶっちゃけこれも伏線です。
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18 百合ヶ丘女学院よもやま話、その六~十
《よもやま話その六、祭りの後に》
「うあぁ〜、望みが絶たれたぁ〜、もう駄目だわぁ〜」
コスプレ選手権が終わってすぐ。
自室でもあるラボのソファで、百由はぐだぁ〜としていた。
うつ伏せに寝そべり、だらしなく腕を伸ばしきっている彼女を見て、制服姿に戻った夢結は溜め息を零す。
「計画通り、じゃなかったの?」
「そうなんだけどぉ、実際に負ける……いや、引き分けると、ほらこう……あるでしょ?」
奇しくも、梅と夢結の同点優勝となったコスプレ選手権だが、梅に負ける、もしくは引き分ける事が決まっていた。
違う言い方をするなら、最初から勝つつもりなどなかったのだ。
「プレゼンで大事なのは、印象に残ること。良くも悪くも、印象に残らなければ話題にすらならないわ。
ま、悪い方に偏り過ぎれば障害になっちゃうだろうけど、今回は大丈夫でしょ。何せ、夢結が着けてたって実績がある訳だし」
「そうかしら……。本当に、ただ身に着けていただけよ?」
「でも、話題にはなる。必ず。そうしたら、夢結はあのバトルクロスの性能を話す。きっと誰もが興味を持つはずだわ! その結果、怪我を負うリリィは確実に少なくなる」
ソファから起き上がった百由の顔には、揺るぎない信念が見て取れた。
これに絆されたから、夢結は協力してしまったのである。
加えて、新型バトルクロスの性能は折り紙付きだった。
洗練された見た目に反して剛性が極めて高く、しかも重量・マギ消費も軽い。問題なのは生産性と値段だが……。
「他にも抱えてる研究があるし、バトルクロスの研究はここで中断しなくちゃいけないけど、データは公開済みだし、世の中には私以外にもアーセナルが居る。後はその人達が勝手に改良してくれるでしょ。だから今回はこれで良いのよ」
「……貴方がそう言うなら」
悪ノリする部分はあるけれど、根は正直で才能があり、それを誰かの為に惜しみなく発揮する。
友人としては少し困るが、仲間としてなら、これほど頼りになる人物もそうそう居ない。
どうか彼女の努力が報われますように、と願わずにはいられない夢結だった。
が、しかし。
百由は真面目な表情から一転、意地の悪いにやけ顏で夢結を見る。
「夢結の方こそ、最後のおじ様へのアピールは驚いたわよ〜。そこまでしてくれるほど乗り気じゃなかったと思ってたのに」
「あ、あれはっ、その……梅が、あんな風に言っていたから、私もそうした方が良いのかと、思っただけで……」
「ふーん。夢結って負けず嫌いよね、見かけに寄らず。戦闘方法も割と脳筋だし」
「う……」
痛い所を突かれ、口ごもってしまう。脳筋は酷い。自覚があるから言い返せないのだが。
それはそうと、百由の言い分に引っかかる部分を感じ、夢結は思わず考え込む。
(本当に、どうしてあんな事を)
コスプレ選手権での、夢結の出番の終盤。梅が擬似告白したのを真似て、夢結は妙な事を口走ってしまった。
いや、百由にはああ言ったけれど、真似というより、反射的に出てしまっただけ。
何故だろう。
梅に負けたくなかった? 違う気がする。
“彼”への好意から? 好ましく思ってはいるが、これもたぶん違う。
……そう。原因はあの二人じゃない。“彼”のすぐ側に居た人物。
川添、美鈴。
(あの時、お姉様はおじ様を見て、妙な………………あれ? おかしいわ。“お姉様は私のコスプレ姿を見ても、全く動じていなかったはずなのに。”……え?)
切ったはずの爪が、服の布地に引っかかった程度の、微かで、しかし強烈な違和感。
何か、大切な事に気付こうとしている。
とても大切で、同時に、おぞましい真実が顔を覗かせているような気がした。
けれども。
「ところでさ、夢結の告白シーンの録画データ、すんごい値が付いちゃってるんだけど……。売らない方が良い?」
「えっ。あ、当たり前よ! もし流出なんかしたら、ありとあらゆる手段で……」
「そこで止めないでよ!? 分かってるから、絶対に売らないってばぁ!」
掴みかけたそれは、夢結の手からスルリと逃げ出してしまう。
百由に気を取られ、抱いた違和感も雲のように霞んでいく。
その正体を理解できなかった事が、果たして不幸を招くのか、それとも幸いだったのか。
いずれ突きつけられるだろう事だけは、明らかだった。
《よもやま話その七、未来の最有力候補》
戦技競技会もつつがなく終了し、今日も今日とて、偶然出くわした安藤とコーヒーを飲もうとしていた俺。
ところが、今日に限って安藤は、やたらと周囲に目を配りまくっていた。
まるで、戦場で不意打ちを警戒しているような、重々しい雰囲気まで背負って。
「なぁ、安藤。どうしてそんなに警戒してるんだ?」
「静かにして。あのコスプレ選手権以来、変なのに声を掛けられる事が増えてるんだから……」
ああ、なるほど……。
聞けば納得の理由だった。
終わり方を含め、色んな意味で物議を醸した中等部の戦技競技会だったが、コスプレ選手権に出場した面々は、差はあれどファンを獲得しているらしい。
きっと、安藤の「にゃあ」にハートをズッキュンされたお姉様方、あるいはお姉様になってほしいシルト候補が、将来のシュッツエンゲルを申し出たりしてるんだろう。可愛いってのも大変だ……。
そんな風に内心で安藤を憐れんでいたら、彼女は急に曲がり角の壁へと張り付いた。
「自販機の前に誰か居る……!」
どうやら、人の気配を察知したらしい。
彼女の頭の上から俺も覗き込んでみると、背中にかかる程の長さの髪を、一本の三つ編みにした少女が、自販機の前で思案顔をしていた。
着ている制服から判断するに、中等部の生徒のようだ。
「安藤はここで待っていてくれるか。すぐに買って来るから」
「……分かった。早くしてね」
「はいはい」
誰に狙われているか分からない以上、下手気に姿を見せる訳にもいかないだろう。
仕方なく、俺は一人でコーヒーを買いに自販機へ向かった。
「……!」
歩み寄る俺に気付いたらしい少女は、ちょうど硬貨を投入しようとしている所だった。
とりあえず、手で「お先にどうぞ」という意思を示すと、彼女は戸惑いながらも会釈を返してくれる。
しかし、それが良くなかったのか……。
「あ」
少女の指から、硬貨が零れ落ちてしまった。
慌ててそれを拾おうとするが、運悪く、彼女の持つ小銭入れは口を開いたままで。
「ああっ」
ジャラジャラジャラ──と、入っていた小銭が全部、ばら撒かれた。
「あ、あ、待っ……」
恥ずかしいのか、顔を赤くしながらアワアワとしゃがみ込み、小銭を集めようとする少女。
けれど、そんなに焦っていては上手くいくはずもない。
つまみ上げようとしてチャリン、爪で弾いてしまってチャリン、を繰り返している。
「て、手伝おうか?」
「………………」
流石に見ていられず、手伝いを申し出ると、ますます少女は真っ赤になり、ややあって、俯きつつ頷いた。
恥ずかしいだけかも知れないが、随分と無口な子っぽい。
ここは下手に慰めず、ササっと小銭を集めて、見なかった事にしてあげよう。
「はい。これで全部かな」
「……っ……」
集めた小銭を渡すと、少女は無言ながら、これでもかと頭を下げる。
俺が「気にしないで」と言っても、何度も何度も頭を下げ続け、しまいには頭を下げつつ自販機に硬貨を入れようとするのだが、余所見をしながらでは、目測を誤るのも当然であり。
「あっ」
硬貨はまたしても、少女の手から零れ落ち──なかった。
横合いから細い手が伸び、落ちようとする硬貨をキャッチしたのだ。
その手の主である女の子……安藤は、呆れたようなジト目で俺と少女を見ていた。
「安藤? どうして……」
「あんまり遅いから、何してるかと思えば……」
溜め息混じりに、安藤が代わって硬貨を投入する。
見ていられなくて手を出してしまった、という感じか。
そりゃそうだ。俺が安藤の位置に居たとしてもそうする。
「どれ?」
「え……あ……」
「言わないなら勝手に決めるけど」
「……こ、これ……」
不機嫌そうな安藤に、少女は気圧され気味だ。
実際は別に不機嫌でもなんでもなく、例のファンを警戒しているだけだろうけど、事情を知らない人にとっては、無愛想にしか見えない。
本当は優しい子なのに、こういう部分で誤解されがちなのがもったいないよな……。
「ん。せっかく買えたんだから、落とさないでよ」
「安藤、そんなつっけんどんな言い方しなくたって……」
「いいから、おじさんも早く買って」
「全く……。ごめんね? 無愛想かもしれないけど、本当は心の優しい子だから、気を悪くしないでくれるかな」
「は、や、く!」
愛想を売る俺のふくらはぎに、安藤の小キックが飛ぶ。
はっはっは。照れるな照れるな。痛くないぞー。
けど、無駄に機嫌を損ねる事もない。
俺はそそくさとコーヒーを二缶買い、名も知らぬ少女に「ご機嫌よう」と言い残して、一足先に歩き出した安藤を追う。
「……あ、あの……っ」
すると、振り絞るような声で呼び止められた。
振り返れば、安藤に買ってもらったジュースを抱え、また頭を下げる少女の姿が。
「た、高畑
「……別に。お礼を言われるような事、してないし」
「安藤、お礼くらい素直に受け取ろうな……? どういたしまして。それじゃあ、今度こそ。ご機嫌よう、高畑さん」
改めて別れの挨拶をすると、少女は──高畑さんは、ようやく柔らかい笑みを浮かべた。
こうして俺と安藤は、高畑聖咲という少女と出会ったのである。
この縁が、彼女の運命を変えてしまうとは、もちろん知らないままに。
《よもやま話その八、パーフェクトコミュニケーション》
私──遠藤亜羅椰は、先日の約束を果たすため、小脇にスケッチブックを抱えて、とある部屋の前に立っていた。
(全く、この私を呼びつけるだなんて。おじ様も偉くなったものね)
立場的には本当に偉いんでしょうけど。なんてったって、理事長代行の義息な訳だし。
でも、乙女の貴重な時間を奪った事に関しては、文句を言ったって良いはずよね?
シックなデザインの木製のドア。
その脇にあるインターホンを押し、そんな事を思いながら待つこと数秒。
……数十秒。
もう一分以上経った。
「……おっそいわね」
インターホン鳴らしたら返事するか、さもなきゃ即出てくるでしょ普通。
普段は私に常識を説く癖に、誰かを呼び出しておいてコレとか、最悪だわ……。
待ちぼうけする事、さらに二~三分。
バタバタとドアの向こうが騒がしくなったかと思ったら、ようやくおじ様が顔を見せた。
「ご機嫌よう。よく来たな、遠藤」
「ご機嫌よう。人をわざわざ呼びつけておいてインターホンも無視してドアの前で何分も待たせる、お、じ、さ、ま」
「し、仕方ないだろう? 見りゃ分かる通り、訓練終わりのシャワー浴びてたんだ。これでも急いで出て来たんだぞ」
そう言うおじ様の髪は、確かにシットリと濡れている。
部屋着なのかしら? 作務衣の首元にもタオルが掛かっているから、本当の事みたい。
男の裸を見て喜ぶ趣味もないし、仕方ない。今回は許してあげよう。
「とにかく、立ち話もなんだし、上がってくれ。お茶を淹れる」
「どうぞお構いなく。絵を置いたらすぐに帰りますから。それと、まずはキチンと髪を乾かして。風邪でもひかれたら困るわ」
「すまん。そうさせて貰うよ」
おじ様に続いて入った部屋は、広々としていながら、小ざっぱりした印象だった。
家具そのものは格調高い、恐らく数百万はする物で統一され、流石は元理事長代行の部屋と言わざるを得ない、素晴らしい内装なのに、何故か空虚さを感じてしまう。
なんで値段分かるかって? 実家には同じくらいの家具がゴロゴロしてますから。美大教授の母親持ちを舐めんじゃないわよ?
それはともかく、この違和感の原因は………………ああ、そっか。私物っぽい物がほとんど無いからだわ。生活感が乏し過ぎる。
まるで、家具の展示場。
「意外と片付いてるんですね」
「……まぁ、男の部屋だし、散らかってると思われても仕方ないけど……。ほとんどが義父上の物だからな、散らかすのは気が引けるってだけさ」
「ん……そういう意味じゃなくて……」
「え? じゃあどういう意味だよ」
「……なんでもないわぁ」
髪を乾かし終え、作務衣の上に半纏を着て戻って来たおじ様は、私の様子に眉を寄せている。
殺風景ですね、の嫌味も通じないなんて。にぶちん。
スケベな本の一冊でも落ちてれば、それをネタに弄って遊べたのに。隙をついて家探ししようかしら。
でも、今はそれより、おじ様が抱えるようにして持つ、段ボール箱が気になった。
「なぁに、その箱?」
「ああ、これか。通販で買った額縁だよ。今朝届いたんだ」
「額縁って……まさか、このスケッチのために?」
「そうだぞ。奮発した」
どやぁ、と得意げな表情のおじ様が取り出した額縁は、確かに高価そうな一品に見える。少なくとも、この部屋の家具に負けないだけの雰囲気はある。
その中に入れるのが、よりにもよって三分で描いたスケッチ? 場違いにも程があると思うんだけど、私。
……そこまで気に入ったの? ただの落書きなのに。
…………まぁ、悪い気はしないんだけども。
ちなみに、私の本分は油彩画。
母の影響で始めた事だけど、今では私を構成する一部分となっている。腕前にも自信アリよぉ?
おじ様ってば、いっつも私に小言を言うのに、あのコスプレ選手権以降、絵に関しては手放しで褒めてくれるし。
そうこうしている内に、おじ様は慣れた手つきで、私の前へと紅茶のカップを配していた。
芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
「ほい。どうぞ」
「どうも。……いい香り。普通の紅茶とは少し違うような……」
「お、分かるか。郭さんに分けて貰った茶葉なんだ。あの時のお詫びに、って」
「……ふぅん」
なんでだろう。
今の今まで悪くない……むしろ良い気分だったのに、急に胸糞悪くなったわ。
もしかして、神琳の名前を聞いたせい? やっぱり私、少し苦手意識があるのね……。
まさか、あの子もこの部屋に来たとか。だったら警戒しないと。
人畜無害そうな顔してても、おじ様だって男なんだし。何かの拍子に狼スイッチが入って襲われたりしたら、堪ったもんじゃない。
「ねぇ、おじ様。どうしてその絵を気に入ったの? ただのスケッチなのに」
「う~ん……。そうだな……。誰かと一緒に描かれてるから、かな」
「美鈴様と一緒だから、っていう意味?」
「いや。別に川添とじゃなくても良い気がする。ん〜……」
話を逸らす意味合いも込めて、私はおじ様に質問を投げかける。
しかし、返事は要領を得なかった。
美鈴様みたいな美人とのツーショットなら、男は飛び上がって喜びそうなものだけど。私も喜ぶ。なんなら脱いだって構わない。そしてそのまま組んず解れつ。
……って、いけないいけない。最近欲求不満だから、つい妄想しちゃうわ。我慢しなきゃ。
でもでも、美鈴様とラブラブしてたら、嫉妬に狂った夢結様が乱入して来て、済し崩し的に3(ピー)とか最高に燃えるシチュエーションで……。
「他に持ってないから、かも知れない」
脳内で下世話な妄想をする私の耳に、おじ様の静かな声が割り込む。
スケッチブックから外した鉛筆画を額縁に入れ、空いている壁に飾り、満足そうにそれを眺めている微笑みは、どこか寂しそうで。
「うん。画像データみたいな0と1の塊じゃない、実物として存在する誰かとの思い出の品って、他に持ってないんだな、俺」
「……それって……」
「よくある話だろ。家族との思い出が街ごと消滅、なんて。
その後に手に入れた物もあったけど、結局、持ってはこられなかった。
だからこのスケッチが、
義肢もそうかも知れないけど、こっちは実用品だしな」
全く作り物には見えない右手をヒラヒラさせ、おじ様が苦笑いを浮かべる。
彼の言う事は、確かによくある話。
この時代、誰も彼もが、何がしかの傷を抱えて生きている。生きているだけ、マシ。
おじ様の事情は伝え聞いた程度だし、詳しくは知らないけど、ヒュージに関わって生き永らえたのだから、十分に恵まれている。
……だけど。だけれど。
おじ様に起きた事がよくある話だとしても、その一つ一つの重さや、悲しみ、痛みが軽くなる訳じゃない。
また愛おしそうにスケッチを眺め始める横顔を見ていると、胸がざわついた。
湖に小石を投げ込まれたような、小さな、小さな漣。
「……おじ様。提案があるんだけど」
気付けば私は、頬杖をつきながらそんな事を言っていた。
「提案?」
「私、もっとおじ様の絵を描いてあげるわ」
「……どういう風の吹き回しだよ? さては、白井さんをモデルとして呼ぼうって腹積りか?」
「あら、もうバレちゃった。つまんなぁーい。でも、欲しくない? 夢結様とのツーショットのスケッチ」
「うっ」
ニタァ、と笑って指摘すると、おじ様はあからさまに狼狽える。
おじ様の夢結様好きも大概よねぇ。
ま、私の見立てだと、男女間にありがちな惚れた腫れたじゃなくって、単に好みの美少女だから近くで眺めていたい、的な感じかしら。
とってもよく分かるわ。ちなみに私は眺めるだけじゃ我慢できない性質ね。あわよくば美味しく頂きます。もしくは頂かれます。
しばらくすると、おじ様は呻くような声で答えた。
「な、何が望みだ……。金なら無いぞ、その額縁高かったんだ」
「しっつれいねぇ、人を強請り屋みたいに。別に大した事じゃないわよ。いつか夢結様の絵を描かせて貰えるよう、仲介してくれればそれでいいわ。魅力的な提案だと思うけどぉ?」
「ううむ……。ど、努力してみる……けど、確約はできないぞ……?」
夢結様とのツーショットの誘惑には勝てなかったらしく、早々に折れるおじ様。
よし、チョロいもんね。
にっこり微笑み、ぱん、と柏手を打つ。
「はぁい、契約成立! じゃあまずは、おじ様と一緒にモデルになってくれる人を探して、スケッチを打診しましょうか。
外堀からどんどん埋め立てて、いずれは夢結様と二人っきりで裸婦画とかを……うふふふふ」
「……早まったかなぁ……」
うっかり本音を漏らす私に、おじ様は頭を抱えている。
でも、もう遅い。こっちは既にやる気満々。嫌だと言っても聞いてあげない。
そして、この殺風景な部屋を、私が描いた絵だらけにしてあげるわ!
「今さら後悔しても遅いわよぉ? ぜぇったいにおじ様の絵を描いてやるんだから」
私は、ふんぞり返り気味に宣言した。
そうすれば、この胸のざわめきも静まるような気がしたから。
《よもやま話その九、イド》
時は少し遡る。
中等部の戦技競技会が恙無く終了して、その事後処理も済んだ頃。
とっぷりと日が暮れ、暗くなった夜道を歩いて寮に戻った美鈴は、自室の洗面所に居た。
「……はぁ……」
ぱしゃり。
顔を水で洗い、滴る滴もそのままに、鏡を見つめる。
映り込む鏡像の自分の顔は、少し頬が緩んでいるように見えた。
気が抜けている、とも言える。
(中々に充実した戦技競技会だったし、まぁ、仕方ないか。惜しむらくは、夢結のコスプレをあまり堪能できなかった事だけど)
そう。充実した一日だった。
常日頃、ヒュージとの戦いに勤しまなければならないリリィにとって、こういったイベント事は非常に重要だ。
守るべき日常を確かめ、仲間との絆を深め合い、明日への糧とするための、重要なサイクル。
それは美鈴にとっても同様である。
思い返せば、自然と頬がほころんでしまう位に、楽しかった。
隣に“彼”が常駐していたのは業腹だけれど、そんなのは些細な事だと思える位に。
……だが。浮ついた気分も、次の瞬間には凍りついてしまう。
『随分と浮かれているね。そんなに嬉しかったのかな? “彼”と絵に描かれたのが』
「……っ!?」
鏡像が嗤った。
美鈴が驚愕に表情を歪めても、その嗤いは変わらない。
それどころか、身動き出来ないはずの鏡像は、美鈴を挑発するように鏡の中で動き回っている。
『後悔しない、だっけ。霊園で“彼”が言ったのは。全く、笑ってしまうよ。そう思う心も──が植え付けたものだろうに』
「……違う。僕はそんな」
『誤魔化しても無駄さ。あの夜、確かに──は“彼”の心に触れたじゃないか』
鏡像は的確に、そして残酷に、思い出したくない事実を突き付ける。
全ての始まり。
甲州撤退戦での、“彼”との出会い。
『万が一にも夢結に被害が及ばないよう、正しく情報を把握できるよう、“彼”の無意識を誘導した。それがどんな結果をもたらすか、予想できていた……いいや、知っていた癖に』
「……うるさい……」
口では否定する美鈴だが、鏡像の言う事は本当だった。
美鈴は己の“力”を使い、まず彼の事情を探り、そして自分達に敵対心を抱かないよう仕向けたのだ。
あの状況では、身の安全を確保する事こそが重要だったから。
だが、それがあんな……命懸けの自己犠牲を強いただなんて。
そんな事を望んではいなかった。
そんな事になるとは思いも寄らなかった。
その、はずなのに。
『“彼”は──が望んだ言葉をくれる。“彼”は──が望んだ事をしてくれる。
でも。でも。でも。
それが“彼”の心を塗りつぶして得たものだとしたら、それは、人形遊びと何が違うのかな』
「……っあぁああ゛あ゛っ!」
鏡像は嗤う。
堪えきれなくなった美鈴が、拳を鏡に叩きつける。
ガシャン、と大きな音を立て、鏡像はひび割れた世界に消えた。
「はぁ……はぁ……っ……ふっ……」
モザイク画のようになった鏡は、美鈴の姿を正しく映す。
焦燥した眼で自分を睨みつけ、大きく肩を揺らし、拳からは血が流れ出ていた。
だが、消え去ったはずの声が、今度は耳元で聞こえる。
『無駄だよ。これも──が望んだ事だ。都合の悪い事から目を逸らさないよう、──が望んだ“事象”なんだから。逃げられるはずがない。そして、同時に
責め苛むような声音が、甘く、優しく、美鈴を誘う。
『思うがままに振る舞っても、誰も気付きはしないさ。何もかもが──の思うがままになる。……そうした方が、楽になれるんじゃないかな』
「……そんな事、許されるはずがない。他の誰でもない、僕自身が許さない。消えろ。目障りだ」
『お望みのままに』
吐き捨てるような命令に、誘惑者は消える。
望んでもいない時に現れる癖に、こんな時だけ聞き分け良く。
それは、望めば叶う、叶えられてしまうと、暗喩しているようで。
「……僕、は……」
力なく拳を下せば、割れたガラスが同時に何枚も剥がれ落ち、洗面台で砕ける。
その音を聞きつけた寮生が駆けつけるまで、美鈴は何も出来なかった。
ただただ、何かの代わりのように、拳から己の血を流し続けていた。
《よもやま話その十、悪魔の囁き》
どんよりと暗い雲が、空を一面に覆うある日。
俺は久しぶりに、理事長室へと呼び出された。
「失礼致します」
ノックをして入室すると、相変わらず広々とした室内に、義父上の執務机と応接用ソファ、ローテーブルだけの、簡素な造りが目に映る。
しかし、その場に華を添える存在が一人、執務机の側で控えていた。
知らないリリィだ……。
「呼び立てて済まなかったのう。まずは座りなさい」
「はっ」
美しい華に目を奪われつつも、ソファへ腰を下ろす。
プラチナブロンドと言うのだろうか。銀色にも見える、色の薄い艶やかなロングヘア。
碧い瞳はサファイアの如く透き通り、色白な肌は、彼女が西洋人、もしくはその血を引く事を示している。
百合ヶ丘には外国人の生徒も多数在籍しているが、それが何故、今ここに?
訝しんでいると、義父上が手を差し、彼女を紹介した。
「紹介しよう。彼女は
「ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーと申します。御目に掛かれて光栄ですわ、“おじ様”」
「……初めまして」
優雅な一礼からは気品が溢れ、しかし、何処となく勝気な印象も見受けられる。まぁ、個人的な意見だが。
とにかく、合わせてこちらも座礼を返すのだが、そこで義父上が言葉を重ねた。
「君は、ロスヴァイセがどのような役割を担っているのか、知っておるか?」
「あまり詳しい事は……。確か、衛生任務を行うのに長けているとか」
「うむ。表向きは、な」
百合ヶ丘の生徒の人種が多岐に及ぶように、彼女等が結成するレギオンも、活動内容が分かれる。
例えば、白井さんや川添、梅ちゃんに天野さんなどが属するLGアールヴへイムは、百合ヶ丘の名を背負って立つ、前線での戦闘を行うレギオン。
対するLGロスヴァイセは、後方支援……。衛生任務を得意とするレギオンだと聞いた事があった。いわゆる衛生兵というやつだ。
が、表向きと言うからには、裏の顔を持っているのだろう。
「彼女達は、百合ヶ丘の特務レギオンとしての活動が任じられている。これは第三級の秘匿事項であるから、口外はせぬように」
「了解しました。……では、その特務レギオンのリリィが、なぜここに?」
当たり前のように湧く疑問を差し挟むと、義父上はロザリンデさん……長いからオットーさんでいいか。
オットーさんに目配せし、頷き合う。
「君には、ある作戦行動への協力を頼みたい」
「作戦行動、ですか……。僭越ですが、その作戦行動にはロスヴァイセが関わると考えてよろしいのですよね。部外者である自分が加わっても、連携を乱すだけでは?」
「今回はレギオンと呼べるだけの人数を投入できないのです。その辺りも含めて、判断して頂けたらと」
それきり、理事長室には静寂が広がった。
ここまでの情報で、協力するかどうかを考えろ、という事か。
かなりの無茶振りに思えるけれど、義父上が──百合ヶ丘女学院というガーデンが、なんの考えも無しに、スキル使用すら不安定な俺を作戦行動に加えようとするはずがない。
参加させる事にメリットがあるのか、逆に、参加させない事でデメリットが発生するのか。
どちらかは分からないものの、必要とされるなら応えたい。
そう思った俺は、義父上とオットーさんに向けて頷き返した。
「及ばずながら、助力させて頂きます」
「そうか……。では、詳しい話をしよう」
……けれど、義父上は浮かない様子だった。
いや、違う? ほんの一瞬だったが、俺を痛ましいものを見るような眼で……。
再び口を開く時には、もうそれも消えていて。……気のせいか?
「先日、機密性の高い情報が、とある筋からもたらされた。特殊な研究を防衛軍が主導している、というものじゃ」
「防衛軍が……?」
「こちらをご覧下さい。……どうか、心を乱さないよう、お願いします」
オットーさんにタブレット端末を渡される。
真剣な表情に気圧されながら、表示された内容を確認し始めると……それが決して過剰な予防線ではなかったのだと、痛感させられた。
「そんな、馬鹿な……! こんな事が、本当に!?」
「信じられぬのも無理はない。だからこそ内偵する必要がある、という結論に至った。今回の作戦、リリィには不向きじゃからな」
自分が目で確認した情報でも、信じられなかった。信じたくなかった。
かつて身をやつしていた組織が、このような狂気の沙汰を主導しているだなんて。
怖気が走り、思わず、震えた手で顔を覆う。
「人間を……マギ保有者を、CHARM化する実験だなんて……。こんなの狂ってる……!」
口にするだけで舌が腐りそうな所業は、人の悪意が凝縮されていた。
暗雲の孕んだ季節外れの稲妻が、遠く、唸り声を上げる。
嫌な予感がした。
古傷をほじくり返されるような、鈍い痛みを伴う、予感が。
次章「Paracelsus Complex」編へ続く。
作者からのお知らせ。
次章より、原作での情報公開の少ないリリィが、準主役として登場します。
物語の都合上、キャラ設定の空白部分を埋めた事によって、今以上に原作との乖離が大きくなる事が予想されます。あらかじめご了承下さい。
高畑聖咲というキャラを知らない方への補足。
安藤鶴紗が中等部時代に友人だったリリィであり、保有レアスキルはフェイズトランセンデンス。
茨城県出身で、無口で不器用。白井夢結のシルト最有力候補だった。
原作においては、中等部卒業後、不可解な経緯でアルケミラ女学館へと編入せざるを得なかったが……?
以下、いつものシリアスブレイクかつ本編に関係ない駄文ですので、雰囲気を壊したくない方はスクロールにご注意を。
姫騎士夢結を出したらラスバレでも姫騎士イベ始まって草生えるwww
高嶺様の谷間と脇と絶対領域がエロかったのでブン回しましたが、叶星様ばっかり分身して冷や汗出ましたわ……。
でもラスワンで来てくれたし、ぷるんぷるんなので満足。基本、リリィの衣装って露出が少ないので、こういうの貴重ですぜ。きっとあるだろう夏の水着ガチャにも期待したい。
一葉さんと藍ちゃん? 作者のラスバレには実装されてませんでしたよ。実際されてませんでしたよ。実際されてませんでしたよ!(悔しかったので三回も言う)
次回からはアニメでちょっとしか出なかったロザリンデ様が登場します。
時期的に碧乙ちゃんはシルトじゃないですが、一応出てくる、かも……? そして伊紀ちゃんは……まだ秘密。
その代わり、他のキャラは出番無しです。許して下さい。
あと、月末に出るバイオミュータントもガッツリ遊ぶ予定なんで、更新遅めになるかも知れません。許して下さい。
それまでに出来るだけ書き溜めねば……!
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Paracelsus Complex編
19 ハマカンザシ ──Armeria── 旧友、その一
江戸川・C・
セカンドネームはチャーリー。往年の海外俳優から取った名前らしいが、おかげで名前をローマ字表記で略すとACEとも読めてしまい、学生時代にはよくからかわれた。今となっては良い思い出だ。
スキラー数値は32と、男性マディックとしては平均的な数値で、身体能力も同様だったものの、戦術への理解度については一つ頭抜けており、とある部隊のリーダーを務めた経験もある。
しかし、防衛軍を不名誉除隊された今、彼はモルモットとして扱われていた。
『ミドル級撃破を確認。状況終了。デヴァイサーには洗浄処理を』
無線機から感情の伴わない女性の声が届き、ついで、水をぶっかけられた……という表現は優しいか。
寒空のもと、高圧で放出されるそれは、まとわりつくヒュージの体液を洗い流すためか、痛みを伴うほど強い。ヘルメットが無かったら目にダメージを受けるレベルだ。
もう冬が近いんすけど。せめてぬるま湯にしてもらえませんかねぇ?
と、声高に叫ぶのも、億劫だった。
「……クソ」
ようやく口を開けるくらいに水圧が緩むと、異形のCHARMを取り上げられ、タオルを一枚放り投げられて、小銃を突きつけられながら輸送車へ押し込まれる。
中には、江戸川と同じく濡れそぼった、一人の少年の姿。
「やあやあ、若人。お互い、今日も生き延びられて何よりっすなー」
「……ああ、江戸川さん。はい、どうにか……。こんな所で、死ねませんから……」
ひどく疲れた顔の彼は、本当ならこんな扱いを受けるはずのない、いわゆる上級国民的な立場の存在だった。
が、甲州撤退戦のあおりを受けて両親の会社が倒産し、同時期に“目覚めてしまった”スキラー数値を理由に、モルモットとして身を売ったらしい。
少年は江戸川を覚えていないようだが、江戸川の居た部隊こそが、甲州撤退戦で彼を助けた。
自分達で助けたはずの人間が、こんな状況に陥っているという事実は、心を落ち込ませるに十分だった。
「そうだ……。吉村達の仇を取るまでは、死ねないんだ……。俺のせいなんだから……俺が……俺が……俺が……」
「悪いんだけど、その辺で止めといてくれる? お兄さん今、青少年の悩み相談を受け付けてる余裕ないんだわ」
「……すみません……」
「さっさと体拭いとけー。しっかり疲労を抜けなきゃ、明日にでも死ぬかもよー」
突き放すように言うと、少年は素直にタオルで体を拭き始める。
馴れ合ってはいけない。
関係性は掴まれているだろうが、下手に勘ぐられては面倒だ。
(……アンタらはいいっすねぇ。呆気なく逝っちまってさ……)
不意に、昔の事を思い出す。
昔と言っても、たったの数ヶ月ほど前だが、もう遠い昔に感じる。
無事に終えられそうだったはずの甲州撤退戦の支援任務。
その最中、極秘任務に駆り出された同僚が二名──幾度となく共に戦場を駆けた年嵩のマギウスと、その相棒のチャラ男が死亡した。
なんの説明もされない事に不満と憤りを覚え、「脱走しようとしてヒュージに食われた間抜け」と揶揄した兵士達を半殺し……いや、七割殺ししてしまった。
一度は投獄されたが、兵士達の素行が悪く、今までの功績から不名誉除隊に落ち着いたのは、上層部の温情と、事なかれ主義も幸いしたのだろう。
そこからは、坂道を転がり落ちるような転落人生。無職からのホームレスを経てモルモット落ち。
己の不幸を呪うしかなかった。
実験場である廃墟群を出発した輸送車は、山間のデコボコ道を抜けて、密かに新設された実験施設へと戻る。
各種センサーを取り付けた大仰なゲートを潜った……かと思えば、激しく警報が鳴り響く。
「ちっ、またかい」
しかし、誰も慌てた様子が無い。誤作動だと知っているからである。
一週間と少し前から、正面ゲートを潜る度に別の場所で警報が鳴り、慌てて警備員が向かうも異常無し、という事が続いていた。
今では誰もがウンザリしているらしく、輸送車の運転手すら「うるせぇな」とボヤいている。
(ろくでもねぇ研究してる癖に、予算はねぇのか? 警報装置くらい取り替えろっての)
この実験施設では、人を人とも思わない、倫理に悖る研究がなされている。
であれば警戒は怠らず、侵入者があればサーチ・アンド・デストロイな対応が普通だと思うのだが、そういった危険な雰囲気はあまり感じない。
どうにもチグハグだ。
ともあれ、輸送車はそのまま実験施設内部へ進み、また小銃を突きつけられつつ、割り当てられた
シャワーくらい浴びたいものだが、そんな気遣いは期待するだけ無駄だった。
キチンと三食、食事を出されるだけマシかも知れない。
(……ん?)
ベッドの上で、何気なく、食事のトレイに乗せられたロールパンを齧る。すると、硬い物が口の中に残った。
舌で形を確かめるが、細く丸い棒状の何か……という事までしか分からなかった。
監視カメラに映らないよう、鼻をほじるようにして口元を隠し、手に吐き出したそれをシーツの中に隠す。
そして、いつものように食事を終え、いつものようにさっさとシーツに包まる。
常夜灯を頼りに、目を凝らして棒状の何かを確かめると、それは丸めたメモ用紙だった。
もちろん、白紙であるはずもなく……。
(嘘だろおい。こいつを知ってるのは、あの夜、甲州に居たメンバーだけじゃ……。それに、この字の癖は……)
そこに書かれた文字列を確かめた瞬間、江戸川の体に震えが走った。
気ぃつけろ。土産よろ。ついでにエロ本。
全く意味の通じない単語の羅列は、あの日を共に過ごした仲間しか知らないはずの言葉だった。
「……はぁ……。しんど……」
実験施設から遠く離れた森の中、サブスキル・ステルスを解除した俺は、大きく息をついた。
体を締め付けるようなスニーキングスーツが、酷く息苦しい。フルフェイスのヘルメットのせいもあるか。
時刻は夜。新月のおかげで誰も姿を見る事は敵わないだろうが、油断はしない。
静かに、けれど可能な限り早く移動し、奴等の実験場とは違う廃墟群へ。
建物内を地下へと向かえば、敵陣地から一足先に戻った、小さな影が出迎えてくれた。
俺と同じような、黒いスーツ姿のオットーさんだ。
「無事に戻られて何よりです、おじ様」
「なんとか……。サブスキルと義肢があって助かった」
ヘルメットを外し、今度こそ大きく深呼吸。少しだけ警戒を緩める。
つい先程、俺はCHARMの違法研究が行われている研究施設へと侵入。中に囚われている、ある人物との接触を図った。
何日も前から“仕込み”を済ませ、新しく安定化させたサブスキル・ステルスの恩恵があったとしても、やはり緊張を禁じえなかった。
ステルスの効果は、文字通りのステルス効果だ。対象の意識を逸らし、自分を認識させず、誤認させる事も可能となる。
だが、逸らせるのはあくまで生き物の意識。機械に対するステルス効果は無く、監視カメラには映ってしまうので、色んな意味で肝を冷やした。
今回の侵入は二度目で、一度目では監視カメラの位置の確認、当たりをつけていた捕虜収容棟の調査、そこへ出入りする人員の行動パターンを把握した。
その時の情報を元に、ステルスとインビジブルワンを併用して侵入。実験の直後に必ず出される食事へと、メッセージを紛れ込ませたのだ。
防衛軍時代、戦場に部隊ごと取り残されて、ヒュージから隠れ回って生き延びた経験があるが、こんな所でそれが活きるとは思わなかった。
「件の人物と接触は出来ましたか?」
「一応ね。戦場での反応を見る限り、連中に毒されてはいないはずだ。かと言って、協力してくれるかは分からんけど……」
オットーさんが言う件の人物とは、実は俺の旧知の人物である。
元防衛軍マディックで、甲州撤退戦まで同じ隊に居た、江戸川・C・昭仁。
あの日……。
初めてロスヴァイセの特務を知った日、義父上から彼の存在を知らされた。俺が協力を躊躇した場合も、この情報を出すつもりだったらしい。
ようするに、俺に選択権があったように思わせたのは建前で、参加するのは決定事項だったのだ。
無意味に思える事は、しかし政治的には必要だったのだろう。悲しいかな、百合ヶ丘も一枚岩ではないらしい。
研究者がデヴァイサーと呼ぶ人員は二名。
機械的な配膳を繰り返していたため、ほぼ確実に江戸川に直接メッセージが伝わるだろう。
なんらかの事情で、今日に限って配膳のルーティーンが変わっていた場合は……半々か。仮に俺達の存在がバレたら、警戒が強まり、撤退するしかなくなる。
最悪の場合、この施設を放棄されて、足取りを負えなくなる可能性もある。
おそらくこの特務の成否が、百合ヶ丘から俺への試金石、あるいは分水嶺。
姿こそ見えないけれど、俺を監視するために専門のリリィも派遣されている可能性がある。特務に関係なく、“マズい”事態に陥った場合、処理をするための。
こういった事情から、完全には警戒を緩められない、常に気を張る日々が続いていた。
(防衛軍時代を思い出すよな、このブラック加減。ま、可愛い女の子が隣に居るだけマシだけど)
疲れているのは確かだが、美少女が労ってくれるというだけで、かなり気持ちが安らぐ。男って本当に単純で馬鹿である。そう思わなきゃ、やってられん。
しかし、出迎えてくれる美少女は、もう一人居るはずなのだが……?
「ところで、石上さんは?」
「碧乙さんなら今……」
「ただいま戻りました〜!」
噂をすれば影。
背後からの元気な声に振り向くと、カーディガンの上から黒いコートを羽織る、ロングヘア美少女が立っていた。手にはビニール袋を提げている。
烏の濡れ羽、というのだろうか。光の具合いで青み掛かって見える黒髪が印象的な、中等部の子だ。
「お帰りなさい、碧乙さん。でも、少し元気が良すぎるわ。潜入任務中なのを忘れずに、ね?」
「あっ、ご、ごめんなさい……。百合ヶ丘の外に出るのって久しぶりで、はしゃいじゃいました……。本当にごめんなさいです……」
先程までの元気はどこへやら、オットーさんに注意されてシュンとしてしまう。
ちょっと浮き沈みの激しい性格が難点だが、将来的にはロスヴァイセ入隊が決まっている、ファンタズムの使い手である。
ロスヴァイセの構成メンバーは全員が強化リリィ──ブーステッドリリィらしい。
オットーさんも石上さんも、詳しい経緯までは知らないが、G.E.H.E.N.A.の実験を受けたようだ。
「えっと、おじ様もお帰りなさいです! 夕飯買って来ました! といってもコンビニご飯ですけど……」
「十分だよ。ありがとう、石上さん」
「いえいえ。こんな事くらいでしか、お役に立てませんから。馬車馬の如く使って下さい!」
「き、気持ちだけ受け取っておくよ……」
そんな彼女達に下される特務とは、同じ強化リリィの救出が主とされる。
この実験施設にも、数人の強化リリィが囚われていると見られ、その足掛かりとして江戸川との接触が図られたのだ。
本当ならば、ロスヴァイセに属するリリィ全員で事に当たるのだが、優先事項の極めて高い案件が発生しているとの事で、少ない人員を更に割き、二つの作戦を同時進行している……というのが現状である。
もっとも、こちらは人数が少な過ぎるので、与えられた任務内容は内偵のみ。
行われている実験の詳細や、救出対象の特定を可能な限り行い、続く作戦行動の展開をサポートするのだ。
直接戦闘こそ無い(バレたらその限りでは無い)ものの、地味で危険で、しかし重要な任務。
無事に達成するためにも、まずは腹ごしらえを済ませなければ。
そう思い、石上さんから唐揚げ弁当を受け取るのだけれど、その上には、しっとりと濡れた紙切れが張り付いていた。
「ん? なんだい、これ」
「あ、それは……」
あっちゃあ……という感じで表情を曇らせる石上さん。忘れてたっぽい。
事情を聞こうにも、立ったままでは宜しくないので、防音処理のされた地下室へ。
打ちっぱなしのコンクリート壁の中、とりあえず用意された簡易テーブルに着くと、彼女は肩身の狭い様子で説明し始めた。
「じ、実は、お弁当を買ったコンビニの店員さんに、連絡先を渡されて……」
「……何だって?」
「碧乙さん。そのコンビニ、利用するのは何度目かしら」
「さ、三度目、です……」
「……買い出しをする時には、可能な限り同じ店舗は避けるように、と言っておいたと思うのだけれど?」
「ごごごごごめんなさいぃっ! あの、えと、お、オマケしてくれるっていうので、費用の節約になるかなぁと思ってぇ……」
「……はぁぁ……」
アワアワする石上さんに、オットーさんが深〜く溜め息をつく。
今回、任務のサポート役として抜擢された石上さんは、リリィとしての戦闘能力、並びにファンタズム保有者特有の危機察知能力を買われたらしいが、実戦経験はまだ少ないのだとか。
正直、もっと別の現場で経験を積ませてからでないと、こういった潜入任務は無理だと思うんだが、ロスヴァイセの管理を務めるシェリス・ヤコブセン教導官は止めなかったのだろうか?
色々と腑に落ちない。
「とにかくだ、石上さん。そのコンビニにはもう行っちゃ駄目だよ。その男は要注意人物だ」
「え? でも……ぉ、女の人、だったんですけど……?」
「………………その女の人は要注意人物だ。分かったね」
「は、はい……」
別に同性愛をどうたらこうたら言うつもりはないが、コンビニ店員が女子中学生に連絡先を押し付けるとか、なんつー時代だ。任務中じゃなかったら即通報してやんのに。
石上さん、見た目は大人しそうな清楚系だし、やっぱり慣れない街を一人歩きさせるなんてよくない。
これ以上、悪い虫が寄りつかないように対処しないと、任務の成否にも関わるだろう。
「やっぱり、買い出しは俺──おじさんが行くべきじゃないかな。少なくとも、君達よりは目立たないだろうし」
「もっともな御意見ですが、おじ様を一人で行動させる訳には参りません。どんな危険があるやも知れませんから」
「なら、君が一緒に来るかい? 三分で職質されるぞ、きっと」
「……そう、かも知れませんが……」
至極真っ当な指摘に、オットーさんは苦い顔だ。
俺が知っているリリィは全員が美少女だが、その例に漏れず、オットーさんも美少女だ。
垢抜けた……と言うより、恐ろしく洗練された容姿は、ビスクドールにも通じる美しさで悪目立ちする。
そんな美少女と冴えないおっさんが並んで歩いていたら、それこそ事案で即通報である。
でも、一回くらい「そんな事ありませんよ」と否定してくれてもバチは当たらないんじゃないかな? 自分で言った事だけど、あんまりすぐ頷かれちゃうと傷つくよ?
「分かりました。碧乙さん」
「はいっ」
「今後の買い出しは、おじ様と一緒に行って来なさい。いいわね?」
「……はい。すみません、一人じゃ買い出しも出来なくて……」
「違うの、言い方が悪かったわね。貴方にお願いするのは、おじ様の護衛。
碧乙さんなら、わたしが側につくよりも自然でしょう。貴方になら出来るわ。お願いね」
「……はい! 全力を尽くす所存です! 粉骨砕身です!」
「それは、ちょっと気負い過ぎかしら……?」
割り箸を手に「ふんす!」と鼻息荒くガッツポーズする石上さん。
またも苦笑いのオットーさんだったが、それはどこか、楽しげな雰囲気も感じさせた。
彼女達が無事に百合ヶ丘へと帰れるよう。
そして、“手を汚す”必要の無いよう、この任務、必ず成功させなくては。
旧友からの物らしいメッセージを受け取ってから数日後。
江戸川は再び、輸送車の中へ押し込まれていた。
(……生きてた、んだよな。あの人。いや、どっちも生きてるって可能性もあるのか)
四つに千切って飲み込み、消化する事で証拠隠滅したあのメッセージには、本当にあれだけしか書かれていなかった。
しかも、筆跡には非常に見覚えがあり、それが確かならば、あのメッセージを書いたのは死亡したはずのマギウス、という事になる。
助けてくれるのかも、その手段があるのかも分からないが、とにかく外部に江戸川の存在を知る者が居て、接触するだけの手段を持っている事は理解できた。
研究者達は、例の実験用CHARMの使い手をデヴァイサーと呼ぶも、その管理体制は“材料”と比べて雑。管理する棟さえ違う。
外部から協力を得られるなら、逃げられる。
自分だけなら、助かる可能性はもっと高くなる。
……けれど。
「逃げてどうすんのかね……」
「……どうかしましたか、江戸川さん」
「なんでもねぇっすよー。ただの独り言ー」
どれだけ考えても、こちらから外部に接触できない限り、意味はない。
行き当たりばったりな脱走が上手く行くはずなんて、ないのだから。
今はまだ、待つべきだ。
待って、待って、好機が訪れたら……動く。そうすれば、このクソったれな状況から、抜け出せる。
江戸川がそう結論付けた瞬間、輸送車が停まった。
「降りろ」
後部ドアが開け放たれ、お決まりの小銃でエスコートされる。
もはや自宅の庭よりも馴染みのある廃墟群だ。
車から離れた場所に小さなコンテナが二つあり、江戸川と少年がそれに近づくと、自動的に中身が露わとなる。
赤黒い、異形のCHARM。仮称「ナラナリ」。
長剣の形はしているが、第一世代CHARMである零式・御蓋を元に構成されたというそれは、生き物の様だった。
マギクリスタルコアは縦に裂けた目玉にも見え、そこから刀身に這うケーブルが、血管の如く脈動している。
柄に手を伸ばせば、ケーブルは腕へも絡みつき、否応なくマギを吸い上げる。
江戸川達を、立ち眩みのような不快感が襲った。
『これより戦闘実験46を開始する。標的はラージ級一体。デヴァイサーA、B、共にステータスは平常』
しかし、周囲の研究員は気にも留めず、女性の声が事務的に実験の開始を告げる。
途端、正面の廃ビルが爆ぜた。
(ラージ級つったか? おいおいおい、今までミディアム級までだったろ!? ってかどうやって!?)
コンクリートの残骸と共に姿を現したのは、全高5mはあろう巨体を揺らす、手足の生えたトゲ達磨のようなヒュージ。
人は外見で判断してはいけないが、ヒュージはその外見で能力をある程度なら判別できる。
恐らく、近距離戦が得意な防御特化型。動きは鈍重でもパワーがありそうで、丸みを帯びた棘皮に攻撃を弾かれそうだ。
近接攻撃一辺倒なこちらと、相性が良い相手とは言えない。
「ヤバいな……。なぁ若人、まずは様子見──」
「……ぅうあああああっ!」
「なっ、おい! 突出す……クソッタレがっ」
突如として、少年がCHARM──ナラナリを振りかざし突貫する。
踏み込みで地面を砕くほど、尋常ならざるマギの高まり。
間違いなく、何かのスキルを“発動させられている”。
「殺す、殺す、殺す、殺す殺すころすコロスッ!」
「落ち着けって! 背中がガラ空きだぞ! ──っく!?」
可視化するほどに凝縮された、赤黒いマギを伴った少年の攻撃は、江戸川が硬そうと評した棘皮を容易く……否、無理矢理に引き裂く。
ラージ級が吠え、トゲだらけの腕をデタラメに振り回すが、少年に避ける素振りは見られない。
仕方なく江戸川が間に入って庇うも、見た目に相応しただけのダメージを受けてしまった。
そんな中、通信機がまた女性の声を発する。
『狂乱の
狂乱の闘。
ルナティックトランサーのサブスキルであり、戦闘力と引き換えに狂気をもたらす。
デヴァイサーにはスキルを持たない者が選ばれるようなので、これは少年の保有スキルではなく、少年の持つ「ナラナリ」が保有するスキル。
そう。ナラナリのマギクリスタルコアとなった、
(クズ共が……っ! 一人くらい誤爆に見せかけてブッ殺……いやっ、若人の援護が先!)
このままでは少年も江戸川自身も死ぬ。
そうなったら新しいデヴァイサーが用意され、新しいナラナリも作られてしまう。
これ以上の犠牲者は出したくないし、何よりまだ死にたくない。
江戸川は生き延びるために怒りを押さえ込み、少年への攻撃を捌きながら戦略を練る。
利用できる地形。攻撃を凌ぐための遮蔽物。身を隠せる死角。
それ等を必死に探していると、ラージ級の足元のコンクリートが、大きくヒビ割れて沈みかけている事に気付いた。
(予想通りなら、使える。まだ運は尽きちゃいないってか)
一つのプランが浮かび、実現するための算段も弾き出される。
上手くいけばラージ級に隙を作りだし、大きなダメージを与えられるだろう。
失敗しても、一息つく程度の時間は稼げる。やって損は無い。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!」
「うるっせぇんすよガキンチョめっ!」
「ぐがっ」
相変わらず狂乱する少年を蹴っ飛ばし、無理やり攻撃範囲から追いやる。
そして江戸川も、自分用のナラナリからサブスキルを引き出し、十数歩の距離を一瞬で離す。
(全く、インビジブルワン様々だぁね。アンタがあれだけ戦えてたのも納得ってなもんですわ)
ふと懐かしい顔が思い出され、ヘルメットの下で笑ってしまう。
いつも自信なさげで余裕が無く、自分の弱さを常に恥じているようなマギウスだったが、だからこそ共に戦う甲斐もあった。
そして今、江戸川は“彼”と同じような立場に居る。“彼”の戦い方を見ていたから、生き延びられていたと言える。
不思議と、気が楽になった。
「──ふっ!」
再びサブスキルを引き出し、急接近。唸り声のような駆動音を放つナラナリを上段に、ラージ級ではなくコンクリート目掛けて振り下ろす。
もちろんラージ級にダメージなんて与えられないが、振り下ろされるトゲの拳を避けつつ、同じ事を数回も繰り返せば、やがてラージ級の重量に耐え切れず、大きく陥没した。
といっても二~三m程だけれど、とりあえず機動力は激減した。
二人掛かりでタコ殴りできれば、いかにラージ級といえども倒せるだろう。
江戸川は少年を蹴っ飛ばした方を向き──
「よしっ、後は二人で──うぉ!?」
突き出されたナラナリの切っ先を、反射的に自分のナラナリで防ぐ。
江戸川の見る少年の瞳は、ヘルメットのバイザー越しでも、赤く、ゆらゆらと発光している。
「ゔゔゔゔ……っ!」
「くっ……見境無しかい? さっきのは助けたんですけどもね!」
「がぁぁあああっ!」
少年にとって、もう江戸川は攻撃対象らしく、一切の手加減無しにナラナリが振るわれた。
技術もへったくれも無い、ただ強く速いだけの攻撃だったが、それ故に防御の上から体力を削られる。まるで獲物を前にした猛獣だ。
そうこうしている内に、ラージ級もコンクリートから這い上がろうとしていて。
(やばい。死ぬ。……いや、今こそがチャンス!)
ラージ級と少年から挟み討ちされそうな状態でも、なお諦めない。かつての戦友が、いつもそうだったように。
眼前から凶刃。背後で待つはトゲの拳。
江戸川はタイミングを見計らい、凶刃へと背を向ける。
当然、狂った獣は隙だらけの首を狙う。
「あ゛あア゛ぁアァ!」
(ここだっ)
──が、そこで江戸川のナラナリが唸り、ラージ級の懐へ。
振り下ろされるラージ級の両の拳を全力で弾き返し、空中に高く身を踊らせる。
標的を見失った凶刃は、予想通り本能的に近い敵へと向けられ、ノーガードなラージ級の胴体を裂く。
金属の激しい摩擦音。
その衝撃は、ラージ級の巨体が仰け反るほど。大きく口を開けた胴体が、眼下に見える。
わずかな時間、江戸川の体が宙に留まり、間もなく自由落下が始まった。
また、ナラナリが唸る。
「こいつで終いだっ!」
落下速度にインビジブルワンで補正を掛け、更に重力と運動エネルギーも加味された、真っ向唐竹割り。
ナラナリの刃は、少年のつけた傷口へと吸い込まれ、ラージ級を見事に真っ二つとした。
ところが。
(やばっ、止まれない!?)
必殺を期しての全力は、ラージ級どころかコンクリートの下の地面すらをも抉り、地下深くへと続く大穴を開けてしまう。
ナラナリの全力稼働の反動で動けず、江戸川は為す術もなく崩落に巻き込まれた。
しかも、瓦礫にナラナリが引っ掛かって手放してしまうというオマケつき。
瞬く間に視界は闇で埋め尽くされ………………このまま押し潰されて、死ぬ。
そう思った瞬間、バシャン、と大きな音が立ち、江戸川の体は浮遊感に包まれる。
水だ。水の中に落ちた。
反射的に右手中指の契約指輪へマギを流し、ルーン反応の光を頼りに、降ってくる瓦礫から横へ逃れつつ水面に向かう。
「……ぶはっ、し、死んだかと思った……」
やっとの思いで体重を掛けられる場所を見つけた江戸川は、息を整えながら周囲を確かめる。
契約指輪から発せられる光が照らしだしたのは、なんらかの地下施設らしかった。
商業施設か、なんらかの倉庫か。水没しているのは恐らく、経年劣化した壁面などから雨水などが流れ込んだのだろう。おかげで命拾いした。
(なんとか、生き延びられたけどもさ……。どうすんだこれ……)
改めて周囲を照らして見たが、文字通り見通しは暗かった。
崩落した天井は瓦礫で完璧に塞がっており、地上に戻る事は出来ない。
幸い空気はあるものの、それがどこまで保つか、他に地上へ繋がる道はあるのかも分からない。
体に着けられた計測機 兼 発信器も、戦闘と落下の衝撃で壊れているようだし、あの研究者達は……きっと助けには来ない。
奴等にとって重要なのはナラナリで、その使い手こそが道具なのだから。
(ジッとしてたら、それこそ生き埋めか。死ぬほど疲れてるし面倒だけど、動くっきゃない)
気持ちを切り替えた江戸川は、どうにか水没していない通路を探し出し、地上に向けて移動を始める。
水を吸ったブーツがギュポギュポと音を立て、廃墟に木霊していた。
体温も下がり続けているし、早急に暖も取らなければ。
ところが、しばらくして気付く。
(……オレ以外の足音! 二人分!)
どこからともなく、乾いた靴音が聞こえて来たのである。
気のせいかとも思ったが、それは明らかに江戸川の方向へと向けて近づいており、否が応でも緊張感が高まる。
武器は無い。
格闘戦の心得はあるし、多少はマギで身体能力も強化できるけれど、銃を持ち出されたらアウト。
もしも近寄ってくるのが敵性存在だった場合、これぞ万事休すだろう。
(だったらいっその事、こっちから不意打ちするしかねぇか。先手必勝、兵は拙速を尊ぶんだっけ? 詳しくは知らんけど)
二対一で確実に負ける状況よりは、不意打ちで一人を仕留め、五分五分の状況に持ち込むのが上策。
それでも、装備の差があればひっくり返されるのが現状だが、何もしないよりは遥かにマシなはず。
江戸川は音を立ててしまうブーツを即座に脱ぎ捨て、足音が聞こえてくる方にある曲がり角の壁へ張り付く。
ややあって、床を照らすライトが曲がり角まで届いた。
あと、数歩。
「そこに居るんだろう。江戸川。不意打ちはちょっと勘弁してくれないか」
「……へ。そ、その声……?」
しかし、懐かしい声が耳朶に触れ、思わず反応をしてしまった。
奇妙なほどに懐かしく感じてしまう、あの、死んだはずのマギウスの声だ。
罠かも知れない。
普通に考えれば罠であって然るべき。
だが、それでも確かめずには居られなかった江戸川は、恐る恐る、角から顔を出す。
居た。
黒いボディスーツを着て、ペンライトを持つ年上の戦友が。
幽霊にしては、やけにハッキリと二本足で立っている。
「久しぶりだな。……名探偵」
「おうやめぇやその呼び方ブッ飛ばすぞバーロー」
「……っふ、ははは」
「……は、くくくっ」
明らかに揶揄った呼び方は、またしても戦友達しかしなかった煽り。
防衛軍時代、ちょっとした諍いで喧嘩になった時などは、古い推理マンガの主人公的な名前のせいで、今のように某「歩く殺人事件探知機」呼ばわりされていた。本当に懐かしい。
同時に、こんな事ですら笑顔にさせられてしまう程、自分が疲れているのだと江戸川は自覚する。
「どうやってここが……?」
「裏技というか、バグ技というか……。とにかく、偶然の産物だよ。お前の姿を見るまで、こっちも半信半疑だった。届いたんだよな、あのメッセージ」
「ええまぁ。おかげさまで、翌日は便通がすこぶる良かったっすよ。食物繊維万歳」
「そいつは何より。……正直、安心した」
溜め息混じりに、肩をすくめるマギウス。
そのちょっとした仕草にも間違いなく見覚えがあり、声や顔を似せた偽物ではないと判断できた。
江戸川も、気を許せる相手と再会した安堵からか、通路の壁にもたれるようにして座り込む。
「色々と話したい事もあるんすけど、まず先に、どうしても聞きたい事が」
「なんだ? 可能な限り答えるぞ」
疲れを見せる江戸川に、マギウスは水のペットボトルを渡しながら答える。
聞きたい事は山ほどあった。
死んだんじゃなかったのか。どうやって生き延びた。今までどうしていた。どうやってこの実験の事を知った。
普通ならこの辺りを聞くべきなのだろうが、しかし江戸川はあえて違う事を尋ねる。
「アンタの背後の銀髪美少女とはどういう関係なんすかねぇ? あと、オレが頼んだエロ本は?」
「よりにもよってそれに言及すんのかよっ!」
「……え、エロ本……?」
周囲を警戒していた銀髪美少女こと、ロザリンデは頬を引きつらせ、マギウスのツッコミが通路に響く。
本来であれば予断を許さない状況ながら、そのひと時だけは、お気楽な雰囲気がそこにあった。
ナラナリという名称の由来にピンと来た人。貴方はきっと重度のメガテニストでしょう。DDSは短いけど名作ですよね。
てな訳で、お久しぶりで御座います。せっかく新しいゲーム買っても遊ぶ暇が無いという絶望。マジで影分身したい。
遊んでないのに遅れたのは、ぶっちゃけラスバレのイベントのせいで、プロットの修正を余儀なくされたためだったりします。公式とのシリアスネタ被りは避けたかったもんですから……。
おのれアウニャメンディ・システマスめ! フットワーク軽過ぎじゃ!
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20 ハナネギ ──Allium── 旧友、その二
「女子校にお世話んなっててJKJCに囲まれておじ様と呼ばれる毎日? 何それ羨ましいんですけど死んでくれません? あ、死ぬ前にその子をオレに紹介してどうぞ?」
「すこぶる元気そうで何よりだよ……」
ベコ、と憤怒の表情でペットボトルを握り潰す江戸川に、俺は苦笑いで答える。
自分の置かれている状況を掻い摘んで話した結果がコレなのだが、まぁ、仕方ないか。
俺が江戸川の立場だったら、全く同じ事を言うだろうし。
「チクショウ……。オレは明日をも知れない中で必死こいて戦ってたのに、アンタだけリリィとイチャコラとかひでぇよぉ……なんて世界だ……」
「気持ちは分かるけど泣くなよ。わりかし苦労してんだぞ。手脚だって、もう残ってるのは左腕だけだ」
「は? いや、キチンと生えてるじゃ……」
訝る江戸川に、スーツを捲って右腕を外して見せる。
驚いたのだろう。目が大きく見開かれ、ややあって、深い溜め息が漏れ聞こえた。
「お互い、色々あったみたいっすなぁ」
「ああ。そろそろいいか?」
「もちろん。おかげで回復できましたぜ。ブーツ回収してきていいっすかね? ま、察するに、ここでやってる実験を潰しに来たってトコでしょうけども」
「その通りだ。初めは、お前が居るとは思いもしなかった」
「オレだって好きで居る訳じゃねぇっすよ……。あんま時間もない、話を詰めましょうや」
周辺の警戒をオットーさんに任せ、俺は旧友と瓦礫に差し向かいで腰掛ける。
話し合った内容を要約すると、以下の通りだ。
1.江戸川は防衛軍を不名誉除隊させられ、裏社会に引きずり込まれて違法CHARMの実験台になった。
2.甲州撤退戦で救助した少年が、同じく違法CHARMの使い手として囚われている。
3.俺達は先遣隊で、得られた情報を元に救出作戦が予定されている。同時に実験施設の完全破壊、情報の抹消も行われる。研究員の扱いに関しては不明。
4.違法CHARMは人間……マギ保有者に、ある強化処置を行ってから、なんらかの方法でマギクリスタルコアへとその特性を複写する事で作られるらしい。結果として被験体のマギ保有者は死亡する。
ただし、この情報は警備兵の話を盗み聞きしただけなので、どこまで正確かは分からない。
5.現存する違法CHARM「ナラナリ」は二機。うち一機は先の戦闘で破損した可能性がある。
6.コアの作製、CHARM本体の作製には、かなりの時間が掛かる模様。
7.「で、銀髪美少女のお名前は?」「教えるもんかよ」
最後のは冗談として(江戸川の顔つきは本気っぽかったが)、互いの事情はおおよそ把握できた。
加えて、彼の知る警備情報と、俺達が調べた情報を元に、より安全と思われる侵入経路も判明した。主要施設の場所も分かったので、戦果は上々だろう。
「どうにも違和感があるんすよ」
しかし、江戸川は何やら渋い顔で更に続ける。
「やってる事はエゲツねぇのに、細かい部分がお粗末というか、素人臭さが、ねぇ。モルモットのオレでも粗が分かるくらいっすから」
指摘されたのは、違法な研究施設としての在り方だった。
明らかに人道に反する研究をしていながら、警備体制が弱い。というか、気が抜けていると思えるのだそうだ。
言われるまでもなく、俺達も感じていた事である。
ほぼ確実にG.E.H.E.N.A.の息が掛かっていると言えど、公にされれば断罪は免れられず、関わった者は極刑も止むなしだろう。普通は厳重な警備が敷かれて当然。
だというのに、スパイとして訓練を受けた訳でもない俺が侵入できてしまった。サブスキルの恩恵があったとしても、不自然なのは否めない。
「防衛軍が主導しているっていうのは、確かか?」
「正しくはないっす。“元”防衛軍の人員が主導してる、ってのが正解っすよ。覚えてるっしょ? アンタのCHARM……アガートラームにやたら固執してた、あの女アーセナル」
「……マジか」
「マジマジ。混じりっ気なしの大マジ」
江戸川の口から、予想外の人物の存在を告げられ、思わず頭を抱えた。
防衛軍マギウス時代の話になるが、あの当時、俺はアガートラームのオマケとして扱われる場面も多く、その際たる例が、江戸川の言う女性研究員だった。
アガートラームの特異性の再現を謳い、事ある毎にデータを取ろうとしては、作戦行動の邪魔をしてきたアーセナルだ。あの頃から、人を人とも思わない言動をしていたが、とうとう外道に落ちたとは……。
ひょっとしたら、甲州撤退戦でのG.E.H.E.N.A.との取引を主導したのは、あの女だったり……?
しかしこうなると、ある種の“作為”も感じる。
「撒き餌、か」
「かも知れないのが怖いところっすな」
江戸川や、甲州撤退戦の少年。そして防衛軍時代の迷惑アーセナル。
今回の一件、あからさまに俺との関係者が多い。
そもそも、百合ヶ丘に江戸川の情報をもたらしたのは、一体誰だ。何が目的だ。なんの得がある。
もし、隠された意図があるのだとしたら……俺を誘き寄せるため?
昔の俺も、アガートラームのオマケとして珍しい存在ではあった。
しかし今となっては、ユニークスキルらしきモノに覚醒している、リリィ並みのスキラー数値のマギウス。G.E.H.E.N.A.なら、欲しがる可能性も高い。
そんな連中が、俺を釣り上げるためにあのアーセナルと組み、江戸川という餌を用意したのなら。
考え過ぎだと思いたいが、こんな任務に就いている最中なのだ。
あり得ないと切って捨てる方が危険だろう。
思わず俺も、渋い顔で唸ってしまう。
「ま、そういう反応も仕方ないでしょうけどさ。こっちは正直言って、来てくれて助かりましたわ。これで保険が出来ましたから」
「……何を考えてる?」
「いいや、今すぐにどうこうって訳じゃないんすよ。ただ、いざという時に、ね」
含みを持たせる江戸川に、嫌な予感を覚えた。
まるで、捨て鉢になっているような、一矢報いようとしているような。
有り体に言えば、死を覚悟している人間の顔に見えたのだ。
防衛軍時代に、嫌という程、見た顔だった。
「早まった事するなよ。内偵が済めば、すぐに戦力を集めて救出作戦が始まるはずだ。それまで大人しく……」
「残念ですが、そうもいかなさそうなんすよね。今朝仕入れたばかりのネタなんすけど、近々、新しい“材料”が運び込まれるそうで」
「材料、だと……?」
また、渋い顔をしてしまった。
ここで言う材料という単語が指すのは、もちろんCHARMに使われるエーテルメタルなどではないだろう。
恐らく違法CHARMのコアに使われるという、マギ保有者のこと。
(救出対象の数が合わない、という本隊からの情報とも合致します。おそらく、この施設のために搬送されたものかと)
しっかり話を聞いていたらしいオットーさんが、音もなくこちらに歩み寄り、耳元で囁く。
ロスヴァイセの本隊は現在、強化リリィの救出作戦を行っているようで、その進行状況は逐一、オットーさんに伝えられていた。優先任務とはこの事である。
江戸川の言っている事が事実で、仮にその材料が、救助されるべき強化リリィであったのなら。
「無視する訳にはいかんっしょ。新しいナラナリが作られるのはほぼ確実。オレが使わされてたのも、ダメになってるかも知れないし」
「……確かに」
「最悪、騒ぎを起こすだけの算段はあります。しかし、サポートが無けりゃ、単なる自殺行為。……どうするんすか?」
助けたい。いや、助ける。助けてみせる。
……と、即答できる人間は、どれだけ居るだろうか。
俺はもう、無闇矢鱈に正義感や博愛精神を振りかざせない程度には、草臥れている。
助けるために必要な人員。作戦物資。情報。
そして、一つの命のために、その何倍もの命を危険に晒す、覚悟が必要だ。
この点だけは、防衛軍のマギウスだった頃の方が簡単だった。何せ仕事だったのだから。
どんなにブツクサ言いつつも、仕事だからと理由をつけて、簡単に命を投げ出せた。
当然、死ぬのは嫌だったけれど、建前があるというのは、良くも悪くも楽だったのだ。
……いや。今でもそうかも知れない。
正直、危険に晒されるのが自分だけだったら、「どうにかする」と答えていただろうと思う。
だが、そうではない。
今の俺には、オットーさん、石上さんという仲間が居て。
百合ヶ丘にも、俺の帰りを待ってくれている(と思いたい)人が居る。
できる事といえば、この情報を持ち帰り、動いてくれるよう義父上などを説得するくらい。
もどかしさに歯噛みする俺を、しかし江戸川は肩を竦め、苦笑いで答えた。
「ま、オレ一人で逃げるのはゴメンだって話っすわ。どうせクズ共の邪魔すんなら、徹底的に叩けるチャンスを狙うべきだし。そもそも逃げられんですけど、今のままじゃ」
「……見えない首輪、とかか?」
「似たようなもんです。捻りが無いけど確実だ」
そう言って、江戸川は服の袖を捲る。無数の注射痕が痛々しい。
昔から、戦闘力を有する捕虜を留め置いたり、何かを無理強いしたい場合に行われる行為は、非道を極める。
物理的な暴力や首輪だけに収まらず、潜伏期間のある毒を飲ませ、その解毒薬を支給する事で、強引に従わせるという方法もあるのだ。
もっと単純に、麻薬漬けにする場合もあるだろうが、廃人を使えないだろうこの実験には相応しくない。やはり、なんらかの毒だと思われた。
また一つ、助けるためのハードルが高くなってしまった。
と、そんな時、オットーさんの身に着ける腕時計から、ごく僅かなアラームが鳴り響く。
「これ以上は危険かも知れません。撤退の準備を」
「分かった。……江戸川。とにかく、もう少しだけ待っててくれ。今はまだ動くべきじゃない」
「期待しないで待ってますよ。お早く逃げてくださいや。あ、そっちの子! 生きて帰れたらデートして!」
「……いいでしょう。お茶程度でしたら、お約束します」
「…………う、お、え? ぃ、言ってみるもんだな……。はは、こりゃあ楽しみだぁ!」
脈絡のない江戸川のお願いに、何故かオットーさんは頷いて返す。
目を丸くしつつ彼女を見るが、仕方なさそうに肩を竦めるだけ。
まぁ確かに、辛いだろう実験を耐えるにも、希望はあった方が良さそうだけど、おじさん心配ですよ……。こっそり着いて行こうかな……?
何はともあれ、俺達は江戸川に地上への出口を伝えてから、もう一つの出口(自分達が入って来た方)へと向かう。
人が歩いた痕跡を消しながらなので、少し時間は掛かったものの、迷わずに足を進める。
しばらくすれば、地下鉄の入り口のような階段の上で、日の光を背に石上さんが待っていた。
「おじ様、ロザリ──せ、先輩、こっちです!」
危うくオットーさんの名前を呼びかけた彼女だが、急に青い顔をして言い直す。多分、俺の背後でオットーさんが「ギロッ」としたのだろう。振り返る勇気はありません。
一応は敵地な訳だし、壁に耳あり障子に目あり。身元がバレないよう、警戒するに越したことはないのだ。
ちなみに、俺達がこの地下施設を発見できたのは、石上さんのファンタズムと、カレイドスコープの共鳴作用による結果である。
寝る前の日課となった瞑想中の俺に、反応が無くて心配した石上さんが触れ、その瞬間に石上さんのレアスキルが発動──暴発し、本来であれば使用者の周囲だけの限定的予知が、いわゆる超能力的な未来予知として発揮された。
この時に見た、地下施設・崩落・濡れ鼠な江戸川の姿、というイメージから、過去の地形データを調べ、それらしい施設を発見。様子見のために調査を……という経緯だ。
もはや気にしても仕方ないのだろうが、全くもって、“都合の良い力”である。
「もうこの出入り口は使えないな。気をつけたけど、足が着く可能性も捨て切れない」
「はい。念のため、潰しておいた方が良いでしょう」
「お手伝いします!」
言うが早いか、石上さんとオットーさんは手分けして、地下施設への入り口を迅速に、しかし可能な限り音を立てないよう破壊し始めた。天井を崩落させたり、入り口を藪で覆ったりだ。
二人が作業する間、今度は俺が周囲の警戒を務める。
ややあって、無理をしないと通れない程度まで入り口を潰した二人と、速やかにその場を離れた。
「最悪の場合、事前に接触できる機会は、今回が最初で最後になるやも知れませんね」
「ああ。いざとなったら、即興で合わせるしかないか」
「即興でって……救出作戦をですか? そんなこと不可能なんじゃ……」
「一緒に死線を潜り抜けた数は伊達じゃない。どうにかするさ。俺が救出に参加できるなら、だが」
「………………」
「……先輩?」
道中の森で、そんな風にオットーさんへと言ってみるが、返事は無い。
漂う緊張感は、敵を警戒しながら歩くからか、それとも……。
沈み始めた太陽の、ほんのりと赤い光が、木々の影を長く伸ばしていた。
マギウス達と別れた後、無事に地上へと帰還した江戸川は、早々に出くわした回収班に確保され、また輸送車に放り込まれた。
中には両手足を拘束されたあの少年も居たが、気を失っているようだったので、黙って椅子に座り込む。
(あーあ、オレもJKJCとイチャコラしてぇなぁー。幸せなキッスでもしてハッピーエンド迎えたいなぁー)
思い返すのはもちろん、久しぶりに再会したと思ったら、リア充にジョブチェンジしていた
この実験施設を監視している組織があるのは助かるが、それはそれとして、もう単純に羨ましかった。
どこのガーデンが世話しているのかまでは教えられなかったが、ガーデンとはそもそもが公的機関であるし、在籍するリリィは美少女揃いで有名。
そんな子達におじ様と呼んでもらえるなんて、世の男達が知ったら暴動が起こるだろう。割と真剣に。
どこでこんなに差がついたのかと、居もしない神に唾を吐きたくなる江戸川だった。
と、不意に、うつ伏せになっていた少年の体が身じろぎした。
「江戸川さん……。すみませんでした、俺……ごほ、ごほ……」
「ん、起きてたのか。謝んなよ。お前さんの攻撃力が無かったら、そもそも勝ててたか怪しいし? 怪我の功名ってやつよ」
やけに素直な少年へ、「だから気にすんな」とヒラヒラ手を振って返す。
本当なら枷を外してやりたいが、あいにく鍵は持っていないので、体の向きを横にし、せめて呼吸しやすい体勢にする。
「なぁ若人。お前さんは、これから自分がどうなると思う?」
知らず、江戸川は問いかけていた。
それは、口に出さないよう、我慢していた言葉だ。
少年の心が折れないよう、この先に待つ絶望から眼を背けさせるため、考えないようにしていた未来への希望。
旧友と助けを得られると知り、気が緩んだのだろう。
しかし、やはり少年の表情は暗く。
「どうにも、なりませんよ……。このまま、俺は実験機の部品として、消耗していくだけ、です」
「………………」
「でも……。それでも、いい……」
決して清潔とは言えない床を見つめ、独白する少年。
車の揺れのせいで、声はひどく震えている。
「俺の犠牲は、無駄にはならない……。ナラナリに使われた
「……うん? なぁ、今、なんか……」
「はい……?」
「…………なんでもない」
何故だか、少年の言葉に違和感を覚えた。
具体的に何とは言いづらいのだが、何か一瞬、少年が少年ではなくなったような……。
けれど、江戸川は自分も疲れているのだと、溜め息をつく。
(でもな。ヒュージが絶滅した後、俺達が培ったその力は、人間に向けられるぞ。必ず)
ヒュージの出現以来、世界中から戦争は消えたと言われている。
嘘っぱちだ。
どんな状況下でも、人間は人間同士での争いを止めない。
仲間だろうが、友人だろうが、恋人だろうが、親だろうが子だろうが、いざ憎いとなったら容赦なく殺し合う。
人類のために、文字通り命を懸けて戦う年若い
江戸川達を使って作り出される“力”は、間違いなく、人類に牙を剥く。
結果として人類が滅びたとしたら、ヒュージを絶滅できたとして、なんの意味があるのか。
この“力”は、どうしようもない、忌むべき“力”なのだ。
(無駄。無意味。無価値。この苦しみも、痛みも、きっと抹消される。存在してはならない。歴史の闇に、葬り去られるだけ……)
いつの間にか、江戸川自身も虚空を見つめ、そんな益体もない事を考えてしまっていた。
きっとこれも疲れのせいだと、また溜め息を。
重苦しい沈黙は、輸送車が実験施設へと辿り着くまで、そこに漂い続けた。
「二人だけで過ごす時間も、久しぶりな気がするね。夢結」
「はい。お姉様」
百合ヶ丘女学院。アールヴへイムのレギオンルームにて。
川添美鈴と白井夢結のシュッツエンゲルは、久方ぶりに二人きりの時間を過ごしていた。
他のメンバーも、各々に用事があるらしく、本当に二人きり。
部屋には夢結の淹れる紅茶の香りが広がって、黄昏時を穏やかに演出している。
「なんだか、不思議な気分です。おじ様が居ないだけなのに、学院全体が静かになったような……」
「そうかい? 今までも、“彼”と会わない日はあったと思うけれど」
「そうなんですが……。だからこそ、不思議だな……と。お姉様は違うのですか?」
百合ヶ丘に保護されて以来、学院内から一歩も外に出ることはなかった“彼”だが、数日前から学院を離れ、どこかに行っている。
出立前の挨拶で、「外出許可が出たから、個人的な用件を片付けてくる」と笑っていたものの、“夢結は”詳しい事を知らない。
毎日とは言わないまでも、二日と置かずに顔を合わせ、時には戦闘訓練もしていた相手を全く見かけないというのは、なんとも奇妙な心持ちだった。
「特に思う事はないよ。これが僕達のいつも通りだったはずだ」
「……お姉様?」
一方で、美鈴は全く気にしていない様子。
少なからず、“彼”と親交を深めていただろう「お姉様」にしては、冷たいというか……。
違う。あえて突き放すような言い方は、夢結に強い違和感をもたらす。
それに気付いていないのか、美鈴は静かにカップを置き、何気なく呟いた。
「もし、無かった事に出来たとしたら、どうする?」
「……え……」
「例え話さ。もしも仮に、“彼”と出会わず、けれど二人だけで、あの夜を乗り越え……」
──と、そこまで言っておきながら、急に黙り込む。
水を打ったような静寂が広がり、やがて、口にした本人の苦笑で破られる。
「すまない。何を言っているんだろうね、僕は。忘れてくれ」
「……嫌、です」
誤魔化そうとする美鈴に、夢結は珍しく、明確な拒否を返していた。
「無かった事になんて、したくありません。起きてしまった事は変えられません。それに、私は……おじ様にまだ、何も返せていない……」
ほとんど反射的に出てしまったその言葉は、今にも泣き出してしまいそうな、切実な想いが込められていて。
しばらく何も言えなかった美鈴も、ようやくシルトの気持ちに頷いた。
「……そうだね。そうだった。君は本当に優しい子だね、夢結。君が僕のシルトになってくれて、良かった」
「そ、そんな、私なんて……!」
微笑む美鈴。はにかむ夢結。
傍目には麗しく、優しい光景だった。
笑顔の裏で、ほんの僅かにすれ違い始めている感情さえ、見ようとしなければ。
あああああ! 水着リリィのむっちり太ももに挟まって窒息死したいいいいい!
よし、シリアス中和完了。
ラスバレで水着イベ、来ましたねー。当然、第一弾も第二弾も揃えましたよ。石三万個くらい砕きましたけど、満足ですぜ。
いつのまにか新潟奪還戦も連載始まってるし、楽しみ楽しみ。個人的にはファーヴニルのデザインが気になるところ。
進みが遅くて申し訳ないですけれど、ちまちま書き溜めてはいますので、どうか御勘弁を。
状況説明も終わったので、そろそろ事態が動き始めるかも……?
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21 セイヨウウスユキソウ ──Edelweiss── 旧友、その三
「ん〜、んん〜、ふんふ〜んふ〜ん」
鼻歌を歌いながら、一つの影が宙を駆けていた。
黒いパーカーのフードを目深に被っているためか、その容姿は窺い知れないが、少なくとも、その声は愛らしい少女を思わせる、可憐な響きを持っていた。
もっとも、駆けているのは山深い森の空なので、聞く者は誰も居ないのだけれど。
「ふ〜ん、ふふん、ふ〜……お、標的はっけ〜ん」
肩に乗せた大仰な武器──CHARMを手繰りつつ、一際高い広葉樹の太い枝で、少女が足を止める。
目元にマギ光のレティクルが現れ、増幅された視覚が遥か彼方を捉えた。
もはや獣道と言ってもいい程の荒れた道を通る、大型の輸送車両。
そして、それを待ち受けるように散開して姿を隠す、複数の人影。手にはそれぞれCHARMを持っていた。リリィだ。
「うっしっし。いやぁ、間に合って良かったわぁ〜。“これ”に参加できなかったら、わざわざ虫に刺されながら急いだ甲斐が無いし。
……ほんと、なんでこんなに蚊が多いんだよ……。前はこんなに刺されなかったんだけどなぁ……。蚊も美少女の血がお好みですってかぁ? う〜かゆ〜」
遠目にリリィ達を補足しつつ、少女は胸元や太ももをボリボリと搔きむしる。
男性であれば目のやり場に困るような、羞恥心の欠片もない仕草だった。それを見咎める存在も、やはり居ないのだが。
そうこうしている間にも、リリィ達は輸送車両が近づくに連れ、戦闘態勢を整えていた。
少女もそれに呼応するが如く、大振りな両手剣に見えたCHARMを変形させ、大鎌のような形態へ。
そして、両脚に大量のマギを集中させ──
「さてさて。それじゃあ……いっちょ御指南頂きましょうか、先輩方ぁ!」
──跳ぶ。
横向きに踏みしめた、木の幹を粉砕する程の推進力は、瞬く間に鉄火場への距離を縮める。
フードから覗く口元から、無邪気であると同時に、軽薄な笑みが浮かんでいた。
数日間続いた曇天を、すっかり忘れ去ってしまったような青空。
雲一つないそれに眩んだ目を下ろすと、どこかガランとした印象を与える駐車場が視界に入る。
加えて、そんな場所には似つかわしくない一輪の花……。いや、少女の姿も。
「おじ──兄さん! 早く早く!」
カーディガン姿の彼女──石上さんは、振り向きながら、満面の笑みで手を振ってくれる。
気恥ずかしさを感じつつも、手を振り返し、その隣へと歩を進めた。
「はしゃぎ過ぎて転ぶなよ、石──み、碧乙」
マズい、また呼び間違えそうだった。
なんとか取り繕って笑顔を浮かべる俺だが、石上さん……もとい、仮の義妹はスススとこちらへ小走りに、声を潜めてムスッとした表情。
うん。可愛い。
(おじ様っ、呼び方がぎこちないですよ?)
(石上さんこそ、おじ様って呼びそうだったじゃないか?)
(それは…………まだ慣れなくて)
(だよねぇ)
こそこそと、内緒話を続ける俺と妹(仮)。
任務中に生えてしまった髭も剃ったし、着崩したスーツbyオットーさんコーディネートのおかげもあって、どうにか……かろうじて……もしかしたら、年の離れた兄妹に見えなくもないだろう。
なんでこんな事をしているかと言えば、やっぱり石上さん一人に買い出しは任せられないと判断したオットーさんから、二人での調達任務を請けたためである。
ヒュージ災害によって故郷と家族を喪ったと思っていた男性。
しかし最近になって父が同じく生き延び、けれども数ヶ月前、一人娘(男性にとっては年の離れた異母妹)を遺して急逝してしまう。
偶然の積み重ねによってその存在を知った男性は、紆余曲折の末に後見人となり、共に生活し始める事となる。
互いが唯一の肉親であるためか、ぎこちないながらも距離を縮めようと奮闘中……。
という無駄に凝った設定も、オットーさんの発案だ。
まぁ、何も考えないで行くよりは良いんだろうけど、やたら楽しそうだったのがちょっと気になるおじさんです。
禁断の恋には発展しませんよね? その妄想。
(とにかく、もっと自然に呼び合いましょう! 普通の家族みたいに!)
(……頑張ってみるよ)
小さくガッツポーズする妹(仮)に頷き、誰もが一度は見たことがあるだろう、よくあるスーパーマーケットへ向かう。
が、あくまで地方都市の量販店。人影はまばらで、繁盛しているとは言い難い。
入ってみると、棚にも少しばかり空きが目立つ有り様だ。
「それで、今日は何を買うの?」
「う~ん……。見てから決めないとだなぁ。安い物をまとめ買いして、そこから献立とかを決めよう」
「なるほどぉ……。あ、あの、お菓子とかは……」
「……少しだけだよ」
「やった」
この時代、首都圏や大都市圏から離れると、途端に人口密度は下がる。
エリアディフェンス──ケイブの発生を広範囲に抑制する装置は、置ける場所が限られるからだ。
東京や鎌倉府には当然のように置かれているけれど、少し離れただけで効果範囲からは外れてしまい、かつ、外部から侵入しようとするヒュージには全く効果が無い。
それでも、いつ発生するか分からないケイブに怯えて暮らすよりは、安心だった。
だが、そこで発生するのが、土地面積……。人の住める数の問題である。
誰もがより安全な生活を求め、しかし受け入れられる数には限度があって、無闇にエリアディフェンスを増設も出来ない。
増設すれば、それだけ守護領域が増える事になり、防衛に必要なリリィの数も増え、結果的に守りが手薄になってしまうからだ。
だから、多くの人は別の疎開先に仕方なく移り住み、不安を抱えながら生きている。
そして多くの場合、人の流れは物流の流れでもあり、多くの生活必需品や嗜好品も、首都圏以外での流通量は少ない。
少ないという事は価値が高くなる、という事で、要するに何が言いたいかと言えば………………値段が高ぇ。
「やっぱり、少し高いね……」
「仕方ないさ。この前のヒュージ災害で、近くの農園とかが被害を受けてるんだし。こうして店に並んでるだけでも、ありがたいと思わなきゃ」
「……本音は?」
「三割引きくらいして欲しい」
「あはは」
陳列されている野菜を眺めつつ、二人でボヤく。
予想はしていたが、やっぱり手書きポップに示されている値段はお高めで、ちょっとげんなりしてしまう。
石上さんがコンビニ飯をお安く済ませようとしたのも、この値段を見ると、仕方なかったと思える。
後でそれとなく謝ろう。いや、謝るより褒めてあげた方がいいのか? どうなんだろ。
「とにかく、まとまった量を買い込んで、保存のきく物とかを作って凌ごう。お菓子も生系はダメだぞ?」
「はーい」
気を取り直し、手に籠を持って店内をうろつく俺達。
任務自体はあと数日で一段落という頃合いなので、買い込む量はめちゃくちゃ多い訳ではない。
が、同じく買い物に来ている他の客達は、大概がこちらを二度見していた。
より正確に表現すると、男性客は妹(仮)にだらしない視線を向け、俺に対しては殺意と呪いを込めた視線が向けられている。
女性客の多くも、やはり若々しく可愛らしい少女を、複雑な感情で見ていた。俺に対して? 丸っきり不審者へのそれですよ。不公平だ。
(見られてます、ね)
(……まぁ、見るからに他所者だからねぇ。我慢してくれ、妹さん)
(分かってますよ、兄さん。ちょっと楽しくなってきましたし)
俺が居心地の悪さに苦しむ一方で、石上さんは全く気にしていないようである。
別に、彼女の面の皮が厚いのではなく、純粋に気付いてないのだろう。
思わずこちらも笑ってしまうほど、本当に楽しげな様子だ。
うっかり忘れそうになるが、彼女は強化リリィ。
どんな経緯で施術されたのかは知らないが、オットーさん曰く、挫折の多い人生を送ってきたとか。
プライベートな事を深く聞くつもりも無いけれど、辛い経験をしてきたのだけは確かだろうし、例え任務中でも、楽しそうにしてくれるなら喜ばしい事だ。
これもオットーさんの談だが、ちょっと調子に乗ってるくらいがフルポテンシャルを発揮できるらしい。きっと褒められて伸びるタイプなのだろう。
(そういえば、江戸川はスパムソーセージを任務中によく囓ってたっけか。……少し買っといてやろう)
ふと、旧友の顔が頭に浮かぶ。
防衛軍時代、任務中に配給される野戦糧食があったのだが、栄養効率と生産性を最重視した結果、栄養価は高くても量が極めて少なく、味も最低最悪だった。
上もそれを承知だったからか、士気を保つために個人で糧食を準備するのを推奨しており、そのせいで軍内部で横流しや密輸入も横行したのだけれど……まぁ、現場から言わせて貰えば、必要悪だったと思う。誰だって美味しいもん食べたいのだ。
江戸川の置かれている状況からして、好物を用意してもらうなんて無理な話。
ならばせめて、助け出されたら好きな物を食わせてやりたい。
そう思い、おつまみコーナーによくある、ピリ辛系のスパムソーセージを籠に入れるのだが、ほぼ同時に、石上さんがチョコレート菓子の箱を入れた。しかも両手に二つ持って。
「こらこら、お菓子は一個まで」
「うっ。で、でもほら、姉さんの分も買っていかないと!」
彼女の言う姉さんとは、オットーさんの事だろう。
確かに、こうしている間も休みなく、例の施設を監視しているはずなのだから、労う意味でもお菓子くらい買ってあげたい。
んが、下手に気を遣うと逆に「余計な出費は避けて下さい」とか怒られそうでもある。
ここは心を鬼にして釘を刺す。
「二人で一箱を分ければ良いだろ? 量的にも丁度いいし」
「え? それじゃあ兄さんが」
「俺は別にいいよ。スルメでも嚙ってるから」
「ちょっとおじさん臭いよ……。それに、仲間外れしてるみたいでなんかヤダ……」
うるうる。
上目遣いに、無言でおねだり攻撃を仕掛けてくる妹(仮)。
こ、こいつめ……。自分の顔面偏差値の高さを分かって…………やってるんだろうか?
考えるまでもなく、自然にやってそうな感じも否定できないのが怖い。これだから美少女は!
「はいはい分かった分かった、二つだけだからな、ホントにもう」
「やった。さっすが兄さん、太っ腹ぁ〜」
「こら、腹をつつくな」
満面の笑みを浮かべ、上機嫌にツンツンしてくるのを、身をよじって回避する。
と同時に、周囲から「チィッ」という隠す気のなさそうな舌打ちが連打された。間違いなく男性客からだろう。そして恐らく、わずかに女性客も混じってる。
なんというか……申し訳ない。目の前でおっさんと美少女がイチャイチャしてたら、そりゃあ舌打ちだってしたくもなる。俺なら絶対するし、なんなら呪うように睨む。
というか、妙に石上さんからの好感度が高い気がするのは何故なんだろう?
特に何かした覚えは無いんだよな……。もしかして年上好きとか。もしくはファザコン。
……なんにせよ、下手に触れたら地雷踏みそうだし、ここは気に留めておくだけにしよう。
「さて。じゃあ帰るか」
「うん」
買い物客達からの視線も鋭くなった所で、通報される前にササっと買い物を済ませ、スーパーを出る。
停めてあった古い型のライトバンに荷物を積めば、それだけで出発の準備は完了。
助手席に石上さんが乗るのを待ち、俺は車のエンジンをかけた。
「今頃、本隊のお姉様方は、作戦の真っ最中でしょうか」
「そうだね……。分かっちゃいるけど、もどかしいよ」
「はい。私も同じ気持ちです……」
街中を離れ、荒れ始めた道路を進みながら話すのは、時を同じくして作戦行動を取っている、ロスヴァイセ本隊の事だった。
少し前に、彼女達はとあるG.E.H.E.N.A.の研究施設を襲撃。囚われていた強化リリィを救出したのだが、そこで“漏れ”が生じた。
既に別の施設へ搬送されてしまったらしい一人のリリィ──
(結局、百合ヶ丘は俺を信用しているのか、いないのか……。まだ判断している途中なんだろうな)
一応、搬送先と思われる施設の近辺に展開している俺達にも、救出対象の情報は来ているが、参加は許されなかった。
救出作戦中に、こちら側の研究施設が動いたら面倒だから……という理由だ。
その奪還作戦が成功すれば、輸送車にロスヴァイセのメンバーが乗り込み、研究施設へのカチ込みも可能になるという話なので、是非とも成功させて欲しい。
……と、そういえば。
「碧乙……じゃない、石上さん」
「え? なんで苗字呼びに戻っちゃうんですか?」
「は? いやだって、もう人の目は無いし……」
「……あ、そっか。そうですよね。別に、本当の家族になった訳じゃないですもんね……」
ふと気になる事を思い出したのだが、呼びかけた石上さんは、何故か苗字呼びに落ち込んでいる。
……いやいや。本当に勘違いしそうになるから、そういう反応やめて欲しいんですが。
この距離感の近さはなんなのよ? マジで気をつけなければ……。後で彼女の趣味嗜好について、探りを入れるべきか……?
「と、とにかくだ。定時連絡はどうなってる?」
「そういえば……来てないですね。先輩、いつもなら時間ぴったりに──わっ」
絶妙なタイミングで、石上さんの取り出した携帯端末が震える。
こういった作戦中には、互いの無事や行動の可否などを伝え合うため、定時連絡が付き物である。
オットーさんが連絡係の場合、いつもは時間ぴったり、ズレも十秒以内という正確さで行われるのだが、今日に限って数分も遅れていた。気になるズレだ。
「も、もしもし。こちら調達班です! ……はい……え? わ、分かりました」
元気良く応答した石上さんだったが、すぐに怪訝な顔となり、早々と通話を終えてしまった。
「すぐに戻って来て欲しいそうです。詳しい説明は直接、と……」
「……分かった。少し飛ばすよ」
「は、はいっ」
言うが早いか、俺はペダルを大きく踏み込む。
端末越しでは伝えられない、もしくは、直接伝えないと誤解が生じるような、予想外の事態が起きている。そう感じた。
車そのものが少なく、街中以外では速度違反で捕まる事も滅多にないので、可能な限りの高速で道路を進み、やがて山間部の舗装されていない道へ。
少し進んだら車を隠し、荷物を担いでマギを使った跳躍移動に切り替える。ちなみに、いざとなったらライトバンは捨てるんだとか。勿体無い。
程なく、活動拠点であるいつもの廃墟が見えた。
指定の位置でペンライトの合図をすれば、すぐさま同じペンライトの応答があり、足早に拠点へと入る。
荷物を置く時間も惜しく、持ったままで中を進むと、オットーさんが出迎えに来ていた。
「戻ったよ。一体、何があったんだ?」
「………………」
単刀直入に問うが、沈痛な面持ちで黙り込むオットーさん。
これはいよいよ……と、覚悟を決め、返事を待つ。
石上さんも気が気でない様子だが、いたずらに口を挟む事はしない。
「……失敗、です」
「何?」
「襲撃作戦は、失敗しました。正体不明のリリィに……たった一人に妨害され、ロスヴァイセ本隊は壊滅状態です」
ややあって告げられたのは、信じがたい出来事だった。
ロスヴァイセ本隊が、壊滅?
百合ヶ丘でも指折りの実力者揃いが、たった一人に?
「ぐ、具体的な被害は」
「既に全員が回収され、死者こそありませんが、重傷者多数。今後の作戦展開は難しい状況です」
「……そん、な……そんなっ……」
顔面蒼白となった石上さんが、手に提げた荷物を取り落とす。
カラカラ……と缶詰が転がり、片付けられていない廃材に当たって、止まる。
二の句が継げなかった。
ここまで順調に事が運んでいたのに、まさかの緊急事態。
襲撃が防がれたという事は、襲撃した事を知られた……知られていたという事にも繋がる。
百合ヶ丘に内通者が居る? それとも、相手側に俺みたいなイレギュラーが? G.E.H.E.N.A.が相手なら、その両方だってあり得る。
最悪だ……!
「百合ヶ丘からは撤退が指示されています。急いで準備をお願いします」
くるりと踵を返し、自身も撤退の準備を始めるオットーさん。
この状況でも冷静さを失わず、落ち着いて行動できるのは、流石としか言いようがない。
……が、そんな後ろ姿に、妙な違和感を覚えた。
「おじ様……? あの、準備しないと……」
「ごめん、石上さん。少し時間をくれ。頼む」
落ち着いている。冷静であろうとしている。
それ自体は良い事だし、石上さんに余計な不安を与えないよう、努めてそう振舞っているのだろうと予想できる。
しかし。しかしながら。
冷静であろうと“し過ぎている”のが、気になった。
俺の考え過ぎなら良いのだが……尋ねずにはいられない。
「……何を隠してる?」
「どういう意味でしょうか」
「さっきの言い方からして、その謎のリリィは手加減していたんだろう。
ロスヴァイセのメンバーが殺害されず、囚われもしなかったのが証拠だ。
わざわざそんな事をする理由は、なんらかの意思を、情報を伝えるため。違うか」
よくある手口だ。
敵性勢力をあえて全滅させず、生き残りに情報を持ち帰らせて、更には負傷者の救護などに手間を掛けさせる。
死者は雄弁。しかし生者の扇動には劣るのだから。
しばしの間、俺とオットーさんは無言で見つめ合う。
やがて彼女は、根負けしたように溜め息を。
「明後日、指定の座標にて、ヌァザを待つ。ヴァハの身を憂いるならば、必ず来られたし……。そう、言い残したそうです」
「……そうか」
「ヌァザ……? なんの事ですか?」
「アガートラームの持ち主……。ケルト神話の神、ヌァザの異名がアガートラームなのよ。ヴァハはその妃ね。覚えておきなさい」
「なるほどぉ。おじ様の事なんですね………………えっ!? そ、それじゃあ、おじ様って結婚なされてたんですか!?」
「いや、そこじゃなくてだね……」
違う意味で驚く石上さんのせいか、重苦しい空気が少しだけ緩んでしまった。
言うまでもない事だろうが、ここで言うヴァハとは間違いなく、北河原 伊紀の事だ。
要するに、俺が行かなければ彼女は死ぬ。そう言いたいのだろう。
「百合ヶ丘は、これを踏まえた上で撤退という判断を下しました。これほど明らさまな罠に飛び込み、むざむざ身柄を渡す必要は……」
「……ないよな、普通は。上からの命令は絶対だ。例え、それで助けるはずだった
悪し様に俺が言うと、オットーさんはまた押し黙る。
口惜しさ。不甲斐なさ。悔しさ。
わずかに歪められた口端が、言葉よりも明白に物語った。
当たり前、か。
誰だって、助けようとして差し伸べた手を引っ込めるのは、嫌だ。
「おっほん。あー、唐突だけども、おじさんはトイレに行こうと思います」
「……はい?」
「何を……」
「まぁ、トイレに行くにしては色々と物を持ってくだろうけど、本当にトイレに行くだけだから。君達は気にせず、出発の準備をするといいよ。うん」
「お、おじ様? さっきから何を言って……」
緊張感をぶち壊すように、敢えてふざけた感じで二人に背を向け、そそくさと荷物をまとめ始める。
もちろん、明後日の「突撃! 隣の違法研究所!」に備えてだ。
アガートラームは当然として、替えの弾倉を可能な限りと、食料と水を二日分くらいに、途中で江戸川と合流できた時のためにスパムも持って行って、後は…………と、そんな時、苛立ちを感じる靴音が近づいてきた。
オットーさんだろう。
「そのような事、許されると御思いですか。私だって……私だって……!」
もはや隠すつもりもないのか、震える声が激情を伝える。
出会ってからまだ二週間ほどしか経っていないが、こんな風に感情を露わにするのは、初めてだ。
「許しを乞うつもりなんてない。ああ、許されなくたって構わない。俺は行く」
「その結果、百合ヶ丘を追われる事になっても、ですか」
続く問い掛けにも、頷いて答える。
言葉を継いだのは石上さんだった。
「どうして、そこまで……」
「う~ん……。このまま逃げ帰ったら、死ぬほど後悔しそうだから、かなぁ。白井さんや川添に会わす顔も無くなる。そんなのはゴメンだ」
「そんな理由で命を投げ出すんですか……っ?」
「……そんな理由で、十分だと思うよ。少なくとも、俺は」
別に、捨て鉢になっている訳でも、考え無しに突っ込もうとしている訳でもない。
俺は俺なりの理由があって、それを全うするために行動したい、というだけだ。
結果として命を賭ける事になろうとも。
カチリ。
聞き慣れた金属音が背後で鳴る。
撃鉄を起こす音だ。
振り返ると、オットーさんが大ぶりの自動拳銃を構えていた。
CHARMでも、AHWでもなく、対人殺傷兵器を。
「せ、先輩!?」
「動かないで下さい。いざという時には力尽くで止めて良い、と言われています。この距離では、避ける事は出来ませんよ」
狼狽える石上さんにも構わず、銃口は俺に向けられている。
装填されている弾薬は、流石に実弾ではないはすだ。恐らく暴徒鎮圧用のスタン弾──大の男でも昏倒必至の代物だろう。
だからという訳ではないが、武器を向けられていても、全く恐怖心は湧かない。
オットーさんには絶対に撃てないという、確信があったから。
「君には撃てないよ」
「侮らないで貰えますか? これでもロスヴァイセで特務を預かる身。人と戦う覚悟は持ち合わせています」
「なら、俺が帰って来る時に姿を隠し、物陰から問答無用で撃つべきだった。
短い間とは言え、寝食を共にしたんだ。俺がどんな反応をし、どんな行動をするか、少しは予想できたはず」
「……っ」
彼女が歯嚙みするのは、痛いところを突かれたからに違いない。
こういう言い方はあまりしたくないのだが、どんなにリリィとして優秀でも、オットーさんには……いや、石上さんも含めて、心構えが出来ていないように思えた。
自分と同じ生き物に、永続的な被害を与える……。端的に言うなら、必要があれば、命令さえあれば、誰でも殺すという心構え。
これは、人類を守るために戦うリリィではなく、軍人の領分だ。出来る方がおかしい。俺自身、確実に出来るという保証は無い。
今思うと、この二人が俺の監視兼護衛に選ばれたのは、守るためだったのかも知れない。
ただ己の命を賭ければいいヒュージとの戦いと、人間同士で命を奪い合う戦いとでは、戦い方も、勝ち方も、負けてしまう条件すら変わってくる。
誰かの“尊厳”を踏みにじる事も出来ないようでは、仲間を危険に晒すだけなのだから。
……だから。
それが出来ない石上さんは、俺を庇うようにして、オットーさんの前に立ちはだかってしまうのだ。
「やめて下さい、お二人共っ!」
張り上げられる声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。実際、泣いているのかも知れない。
それを見るオットーさんの瞳が、明らかに揺らいでいた。
「今、大変な状況なんですよね? 一刻を争う事態になってるんですよねっ? 仲間同士で争ってる場合じゃないはずですよねっ! こんなの変です、おかしいです……!」
「どきなさい、碧乙さん。貴方の出る幕ではないわ」
「嫌です! 撃って欲しくありません、撃たれて欲しくもありませんっ」
両腕を広げ、必死に訴えかける石上さんは、一体どれほど恐れ、葛藤しているのだろう。
声はおろか、膝までをも震わせ、敬愛しているはずの先輩に歯向かっている。俺のせいで、歯向かわせている。
……このままじゃ、いけない。このまま行っては、この二人の間に、いらぬ軋轢を生む。
俺は石上さんに向けてゆっくりと歩み寄り、その肩に手を置く。
人差し指を伸ばすのを忘れずに。
「石上さん」
「おじさ……みゃ?」
振り向く石上さんのほっぺたに指が刺さり、猫っぽい鳴き声が。
ううむ。柔らかい。そして可愛い。
当然の如く、緊迫感も一気に霧散してしまう。オットーさんも思わずジト目だ。しかし残念。美少女のジト目は一般的にご褒美なのだ。
さてさて、おふざけもこの位に……。
「君はオットーさんと一緒に、百合ヶ丘へ帰りなさい。いいね」
「で、でもそれじゃあ、おじ様がっ」
「うん。マズい事になるだろうね。今回ばかりは……いや、今回も、か。どうなるか分からない。俺一人で行けば、確実に罠に嵌って捕まるだろう」
「だったら!」
「だからこそ、行く意味がある」
「え?」
言葉を被せるように、俺は断言する。
確実に防備を固め、待ち構えている敵陣に突っ込むのだから、よほどの英傑でなければ切り抜けられるはずもない。誰もがそう思う。
そこに、付け入る隙がある。
「俺が奴等の掌で踊っている間、奴等は間違いなく俺に意識を集中させる。少なくとも、注意は散漫になるはずなんだ」
猟師が罠を仕掛け、そこに獲物が掛かったとする。
暴れる獲物に猟師は注目し、トドメを刺そうとするだろう。
だが、その獲物を狙って、他の猛獣が現れたら。もしくは、獲物を助けようと仲間が猟師に襲いかかったら。
猟師が無事に狩りを終えられる可能性は、確実に低くなる。
慌てている猟師の隙を突き、獲物が逃げおおせる可能性だって出てくる。
説明するまでもなく理解したらしいオットーさんが、わずかに腕を下げた。
「そこを狙え、と……?」
「大暴れすれば、捕まるまで時間も稼げる。百合ヶ丘が戦力を出してくれれば、逆転は出来るんじゃないかと思う」
「希望的観測です。百合ヶ丘が貴方を見捨てたら。見捨てずとも間に合わなかったら。失敗する可能性の方が高過ぎます!」
「……かもな。でも、何もせずにいたら、ただ喪うだけだ」
「喪うだけで済むんです、今なら。貴方は被害を大きくしようとしている。看過、できません」
かぶりを振り、また自動拳銃が構えられる。
けれど、先程までの気勢は既にない。彼女自身、迷っているのだろう。
悪いが、ここは我を通させてもらおう。
「百合ヶ丘は──君達は、俺を守ろうとしてくれてるんだよな。分かってるよ。
俺なんかのために、救えるかもしれない人達を見捨ててまで。
でも……俺にだって、守りたいものはあるんだよ。……友達とか、さ」
友達。
いい年こいて、こんな言い方しか出来ないのは、格好悪いのかも知れないが、本心だ。
助けられる可能性が増えるなら、命くらい賭けてやる。
まぁ、賭けにしたって大穴。土壇場で謎の力に目覚めて無双する位にあり得ない。それこそ万馬券に期待するにも等しい。
負けるのは嫌なので、イカサマさせてもらうけど。
「だから俺のこと、助けに来てくれ。俺が負けても、君達で皆まとめて助けてくれれば、大団円なんだ」
「そんな、勝手な言い分が通るわけ……」
「百も承知さ。だから自分の命で押し通すしかない」
「おじ様……。そんな言い方、ズルいですよ……」
「そうとも。大人はズルいんだ。こんな大人になっちゃいけないぞ、妹(仮)よ」
不可能だと、オットーさんが俯く。
ズルい人と、石上さんが苦笑いする。
要は彼女達を──百合ヶ丘を保険にしようという話だ。
百合ヶ丘が俺に価値を見出してくれているなら、それを利用する──助けに来させる事で、ついでに江戸川と北川原さんを助けさせるのである。
あの二人と俺。まとめて失うのを惜しんでくれるならば、きっと戦力は出してくれる。……と、思いたい。
これ以上、話せる事はない。
もう一度、石上さんの肩を軽く叩き、俺は二人に背を向けた。
そして、必要な物資を詰めたリュックを背負い、歩き出す。
「お、お菓子! 一緒に食べる約束、忘れないで下さいねっ! 約束ですからっ!」
投げ掛けられる言葉に、片手を上げて答える。
俗に言う死亡フラグだけれど、美少女に立ててもらったフラグだ。
せいぜい、格好悪く足掻かせてもらおう。
“彼”の背中が見えなくなるまで見送ると、ロザリンデはへたり込むようにして脱力した。
唐突な変化に、碧乙が慌てて駆け寄る。
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
心配そうな後輩の表情に、しかしロザリンデは応えられない。
そんな余裕を失うほど、自分への失望に苛まれていた。
(撃てなかった……。私は、ロスヴァイセなのに……!)
自動拳銃に込められていたのは、非殺傷の弾頭だ。
当たった所で、単に「痛い」で済むのだから、“彼”に向けて引き金を弾いても、問題なんて無かった。
だというのに、ロザリンデは躊躇してしまった。
そのための訓練だって受けていたはずなのに。
人に向けて銃口を向けるという行為に、忌避感があったから?
後で恨み言を言われるのが嫌だったから?
違う。
期待してしまったから。
“彼”の語る一発逆転の可能性。
誰の事も諦めず、皆を助けて迎える、ハッピーエンド。
もしそれを実現できたなら、と。淡い期待に縋ってしまった。
それではダメなのに。
ロスヴァイセは、命の危機にある強化リリィを救うためのレギオン。
不確定要素に頼る作戦なんかでは、仲間の命すら預かれない。命なんて、とても賭けられない。
それなのに……。
「……早く報告しなければ。百合ヶ丘に帰還します。行くわよ、碧乙さん」
「は、はいっ」
堂々巡りしそうな思考を無理やり中断し、ロザリンデは立ち上がる。
今すべきは後悔ではなく、動き出してしまった状況に対応すること。
賽は投げられてしまったのだから。
その出目が導き出す未来に、誰もが望みを託している。
望む未来が、どのように彩られるかも分からずに。
そこは、まるで無菌室のようだった。
漂白されたのかと思わせる白い部屋に、着信を告げる電子音が響く。
その部屋──研究室の主人である白衣姿の女性は、耳に掛かった長い茶髪をかき上げ、無骨な通信機を手に取った。
「……そう。把握した。以降は計画通りに」
手短に応答を済ませ、席を立つ。
幾多の実験器具の隙間を縫って進み、向かうのは、透明な隔離壁が設けられた一画。
「ようやく、ここまで」
熱の籠った吐息が、隔離壁を曇らせる。
向こう側には、拘束器具にその身を固定された、一人の美しい少女──北川原 伊紀が居る。
色素の抜けたような白い肌と、同じく色の薄い髪。体を隠すのは、粗末な布地の貫頭衣のみ。
「ナラナリは……“オリジン”を打ち倒してこそ、この研究は完成する」
しかし、女性の暗い瞳は、彼女を映していない。
“餌”を見つめつつ、それに誘われて現れるであろう存在を見ていた。
その様はさながら、夢見る乙女であり、情欲に身を焦がす悪女であり、仇敵を睨む寡婦であった。
「待っていろ……。必ず貴様等を……!」
微笑み。
バランスが崩れ、左右非対称に歪んでいる。
剥き出しになった歯が食いしばられる。
狂気が解き放たれる時は、近い。
だいぶ遅くなりましたが、ラスバレ第一章、完結おめでとうございます。
やっとこラプラスの新情報も出てきて、まぁたプロット修正ですぞ。被害は少なかったし、嬉しいけど辛い。辛いけど嬉しい。
ふるーつも面白くて、一日一回は見てしまう不思議。円盤出たら買います。
公式もゲームも色々と展開してくれてるので、追いかけるのが非常に楽しみですわ。
だがしかし。夏イベ分割詐欺については一生忘れんからな……。せめて特効を共有してれば許せたものを……っ。
ま、愚痴はさておき。いよいよ物語も佳境に入ります。
果たして、無事に火中の栗を拾う事は出来るのか。はたまた、飛んで火に入る夏の虫となってしまうのか。
ご期待頂ければ幸いです。
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22 ウシノシタクサ ──Anchusa── 旧友、その四
貴方を信じられない
夢を見ていた。
白く、どこもかしこも曖昧な世界を、体を持たず、精神だけで漂っている。
そんな感覚を覚えた。
「お久しぶりです、■■さん」
不意に、声が聞こえる。
その方向へと意識を向ければ、見知らぬ少女が立っていた。
彼女もまた白い。
長い髪の色。肌。軍服のような服装。全てが白い。
だというのに、この白い世界に埋没しないのは、何故だろう。
顔立ちも分からない。まるで仮面でも被っているように、白く塗り潰されている。
だというのに少女だと分かるのは、声が若々しいからだ。
「……あら、■■ちゃん。本当に久しぶりね。直接会うのは……五年、いいえ、八年ぶりかしら」
「九年ですよ。あの戦いから、もう九年経ちました」
「そっか……。もうそんなに経つのかぁ……。道理で、私も歳を取る訳だ。最近、腰が痛いし目も疲れやすくって」
白い少女に対するのは、同じく白い女性。
少女ではなく女性であると感じたのは、本人の言もあるが、その声に年嵩と疲れを聞き取れるから。
白衣を着ているらしい。声に聞き覚えがある、気がする。
「■■さん。お話をしたい気持ちはワタシも同じですけど……例の件、引き受けて下さるんですよね?」
「……本気、なの? いくら皆の仇を討つためといっても、こんなのは……」
白衣の女性は、少女を引きとめようとしているらしかった。
二度と戻れない道へ進もうとしている彼女を、どうにかして助けようと。
「そうですね……。ワタシだって正直、一度くらいは恋愛とかしてみたかったですし、叶うなら、普通の女の子みたいに、好きな人と結ばれて、子供を産んで……そんな風に生きてみたかったです」
「だったら、今からでも……!」
「いいえ。これはただの未練です。……あの日、皆を守れなかった時点で、もう、ワタシに幸せな未来なんて、ありませんから」
けれど、少女は小さく肩をすくめるだけ。
既に自分の死に場所を決めている。そんな様子だった。
「あの子達が生きていたら、きっと、貴方がそんな風に生きる事を望まなかったはずよ」
「だと思います」
「それでも……?」
「はい」
「貴方も、私を置いていくのね……。■■■■みたいに……」
「……ごめんなさい」
俯く女性。
少女は謝るが、選択を変える事はしない。
言いようのない寂寥感が広がる。
「施術の準備は出来てるわ。明日の正午には始められるでしょう」
「では、その時間に。こちらの準備も済んでますから」
「……分かった」
結局、受け入れた女性が日時を指定し、話を終えた少女は立ち去ろうとする。
その背中に向けて、女性の最後の言葉が投げられ……。
「私もあの日、死んでいれば良かった。今日ほど強く、こう思った事はないわ」
「……同感です」
振り返らずに答える少女の声は、隠し切れない後悔の念に溢れていた。
二人の距離はどんどん離れて行き、いつしか、少女の背中だけを追っている。
ただただ、彼女は歩き続けている。
時の流れをも忘れたかのように。
ところが、不意に少女は振り返り、無貌の顔でこちらを見る。
──見えないはずの視線が、重なった。
「……っ!?」
体が勝手に飛び起きた。
無意識のままCHARMを構えれば、ガサガサ、と草木の揺れる音がして、同時に動物か何かの鳴き声も。
「……ここを根城にしてたやつ、か?」
大きく溜め息をつき、状況を確認する。
現在時刻は17:00少し前。オットーさん達と別れてから、丸一日ほどが経過した。
活動拠点から離れ、指定されたポイントまでは歩いて数時間、マギを使った跳躍移動で十数分というくらいの山中で、浅い自然の洞窟に身を隠し、一晩を過ごしたのだ。
まぁ、実際に眠り始めたのは一夜明けて、登った太陽がまた沈み始めてからだが。
(なんだろう。変な夢を見てた気がする。でも……思い出せない)
久方ぶりの野宿で、体は強張っていた。
洞窟の中、体温を奪われないよう薄い毛布を敷き、ほんのり温かいCHARMを抱え、遮熱シートを羽織って眠るのでは、確かに夢見は悪いに決まっている。
しかし、なんだろう。大切な事だったような気もするし、忘れて正解だったような気もする。
なんとも言い難い据わりの悪さが、まだ寝呆けている頭にこびり付く。
「……準備、するか」
18:00には、目標地点に到達していなければ。
腹六分目程度に食事をして、トイレを済ませて、最後に義肢の点検をしてから移動となると、そろそろ行動を始めないとマズい。
食事と水分補給、軽い柔軟をし、義肢の出力制限を戦闘用レベルまで引き上げてから、俺は移動を開始した。
戦闘に耐えうる義肢を装着して来て、本当に良かった。
どうせ近くに行けば捕捉されるのだし、奇襲する意味もないので、自然回復が間に合う程度の跳躍移動を繰り返す。
それなりに起伏があるため、時折、常緑樹の上へ飛び出してしまうのだが、落ちる寸前の紅い太陽が照らす森は、意外なほど美しく、同時に不気味だった。
(もうすぐ、目標地点……)
程なく、GPSが指定のポイントに近付いている事を示した。
念のため、付近の一番高い木の上から、双眼鏡で様子を伺うと、山肌にぽっかりと開けた広場が見える。
何台もの大型車両と投光器が設置されており、人員も配備。準備万端、といった感じだ。
(まぁ、待ち構えてるに決まってるよな……。それでも行くしかない)
罠だと分かっていても、必要だから飛び込む。
映画ならば在り来たりなシチュエーションだけれど、いざ自分でやるとなると、やはり落ち着かない。不安が湧き出る。
でも。それでも。
あの二人の前で啖呵を切った手前、「やっぱ止めた」なんて無理だし、したくもない。
頬を叩いて気合いを入れ直し、木を降りた俺は、あえて歩いて出て行く事にした。
意味があるかも分からないが、時間稼ぎの一環だ。
木々の間を抜け、広場の均された土を踏みしめると、配備された警備兵らしき連中が、一斉にこちらへ銃口を向けた。
バイザー付きヘルメットの開いた口元から、ヘラヘラと笑うニヤけ顔が覗く。
思い思いの場所を狙っているようだが、今にも引き金を弾きたくてウズウズしているのが伝わってくる。
(銃をオモチャとしか思ってない連中か。最悪だな)
潜入した時から感じていた事だが、この研究施設に携わる人員は、総じて程度が低い。
おそらくは好き好んで他者を害し、そのせいでドロップアウトしたような連中を、二束三文で雇っているのだろう。
せめてもの救いは、こいつらを誤射しても、きっと胸は痛まない事か。その程度には、俺の心も摺れている。
「さぁ、お望み通りに来てやったぞ! 次は何を御所望だ!」
広場のほぼ中央に立ち、どこからか見ているであろう、“主催者”に向けて叫ぶ。
すると、中継アンテナらしい物を積んだ大型車両から、スピーカーのスイッチが入った時のような、耳障りなノイズが発せられる。
次いで、機械越しにヒビ割れた、女性の声も。
『そのまま、車に乗って下さい』
その声を合図に、兵士達が銃を突きつけてくる。
どうせ戦闘データとかを取りたいんだろうし、このままって事はないと思ってたけど、厄介だな……。
けど、嘆いていても仕方ないし、かといって、言われるがままに従うのも宜しくない。
ここは時間稼ぎの定番行動として、人質の安全確認をする。
「その前に、お前らが誘拐した子は無事なんだろうな。必死こいて戦って、でも既に死んでました、なんてゴメンだぞ」
『生きています。まだ処置もしていません』
「信じられない。確認させろ。無理なら帰る。それで死ぬなら、仕方ない。命を懸けて助ける義理も無いからな」
大袈裟に肩をすくめ、嫌味ったらしい顔で、思ってもない事を言う。
もちろん、本当に殺されたりしたら困る。でなきゃ来ないんだし。
相手もそれを分かっているはずだから、全く意味のない虚勢なのだが……。
『いいでしょう』
意外にも、すんなりと要求が通ってしまった。
兵士の一人が軍用タブレット端末を見せてくる。
どこか、真っ白な部屋でデッドに横たわる少女──北河原 伊紀さんの姿が映されていた。
意識は…………無いようだ。
「録画じゃない証拠は」
『ありません。が、これ以上、時間稼ぎに付き合うつもりもありません』
「ちっ……」
釘を刺され、思わず舌打ちしてしまう。
わざわざ口に出すという事は、増援が来る事を折り込み済みらしい。
もしくは、決して増援が来ないという事を確信しているか。
出来れば前者であってほしいが、最悪の場合、あの映像は本当に録画で、本人は既に死んでいるという可能性も、決して低くない。
こういう時、防衛軍の訓練では、最悪の上にもう一つ悪い要素を付け加えて、その状態からどう行動すべきかを判断するよう、口酸っぱく言われてきたが……。
知らず俺が考え込んでいると、背後の兵士に銃口で小突かれた。
「さっさとCHARMを渡して乗りやがれ。怪我したくないだろう、オッサンよ」
馬鹿にした口調。
抵抗できないと思われている。
油断してくれる分には良いが、CHARMを奪われるのは問題だし、無用なストレスも掛けられるだろう。
なので、突きつけられた銃身を右手で掴み、握り潰す。
「なっ」
「そのまま乗れ、という指示だった。CHARMは渡さない」
「テメェ……!」
驚いた顔を見るに、俺の情報は全く貰っていなかったようだ。
今度は全員が銃口を向けてくるも、無視して輸送車輌らしき車へ。
開けっ放しの後部ドアをくぐり、さっさと座席に腰を下せば、ややあって乱暴にドアが閉められ、走り始める。
(これからどうしたもんかね……)
運良く北河原さんを助けられたとしても、江戸川達をどう救出するかが問題だ。
なんらかの薬物投与がされているのは確実だし、それが毒物、並びにそれに対する解毒剤だった場合、百合ヶ丘に帰投するまでの間に毒物が効果を発揮する可能性がある。
麻薬や覚せい剤である可能性は低いだろう。先日の江戸川の受け答えはハッキリしていた。
……しまった、別れる前にオットーさんに活動不活性薬を頼んでおけば、注射して仮死状態化して時間を稼げたのに。
いや、この情報は彼女も持っているはずだから、抜け目なく用意してくれるはず。……救援に来てくれるならの話だが。
大見得を切っておいて、結局、助けてもらえる事に期待してるのか、俺は。全く情けない。
しばらく、ガタガタと激しい揺れが続く。
運転席が見える小窓(軽トラのあれ)から様子を伺うと、遠方に例の研究施設が見えた。
呼び出しておいて、行き着く先はあの場所なのか……。
まぁ、データ収集には最適なんだろうし、理に叶ってはいるが。
(状況にもよるだろうけど、やる事は基本的に変わらない。江戸川と協力して北河原さんを助け出し、ついでにあの少年を連れて脱出する。これだけだ)
これだけ、と言ってもそれが難しい。
江戸川との協力だって、追加で首輪爆弾とか着けられてたら無理だ。
逆に、江戸川が自由に動けるのなら、難易度は一気に下がるだろう。
確認した限り、あの研究施設にマギ保有者は江戸川達しか居ない。並の兵士程度なら蹴散らせる。
気になるのは、俺を呼び出した奴……。江戸川が言った、防衛軍時代に関わった女研究者だが……。
「着いたぞ。さっさと降りろ!」
考え込んでいるうちに、輸送車輌は研究施設の敷地内に入っていた。
降ろされたのは、スロープ状になった地下への搬入口、だろうか?
地下に行くのは、やはり宜しくない。救援部隊に居場所を示しづらくなってしまう。
が、ここは従う他にない。
背中に殺意を感じつつ歩を進めると、数分で重厚な隔離壁に辿り着いた。
ゴゴゴゴ……と重々しく開いた先には、百合ヶ丘の地下訓練施設と似た場所。
無数の監視カメラが設置され、天井には証明と音響装置。壁面上部にも、なんらかのデータを表示するのだろう、大型のディスプレイが幾つも張り巡らされている。
そして、その中央に立つ、二人の人物が握るのは、赤黒い異形のCHARM──ナラナリ。
『ようこそ。アガートラームの主人。早速ですが、彼等と戦って下さい』
恐らく、天井に備え付けられているのだろうスピーカーから、指令が降ってくる。
顔を拝めるかと思ったが、そうはいかないらしい。
戦えと言われて素直に戦うのも癪なので、とりあえず話を長引かせようと声を返した。
「従うのは構わないが、ご褒美はあるのか? それによってやる気も変わるんだが」
『では、情報で先払いしましょうか。
“貴方”のご友人に注射していたのは、単なる栄養剤です。毒物でも、麻薬でもありません。
デヴァイサーには良いコンディションでいて貰わねばなりませんから』
問いかけへの返答に対し、俺よりも二人の人物の方が動揺した。
明らかに「え? うそ、え?」な感じでスピーカーと腕を見返している。少し間の抜けた空気が漂っていた。
もし本当なら吉報なのだが……。
「……それを信じろと?」
『信じる以外、“貴方”に選択肢はないと思いますが。お喋りはもう十分でしょう。……やれ』
声の質が変わり、わずかな間を置いて、二つの刃が同時に襲いかかって来る。
どうにかアガートラームで打ち払い、距離を取ろうとするのだが、意外と速くて逃げ切れない。
しかも、キッチリと連携してるから始末に負えない。片方は江戸川だよなぁ!? 手加減してるかぁ!?
「くそ、いきなりかよ……っ!」
もう無理に戦う必要なんて……いや、あの言葉が嘘だったらという可能性が消えない限り、この二人には戦う以外の選択肢が無いのか。
逃げ回っても埒が明かないなら、足を止めてガッツリ殴り合うしかないだろう。
俺は覚悟を決め、左脚を前へ。アガートラームを地面と水平に、前へ剣先を向ける形で構える。
白井さん直伝の迎撃体勢だ。といっても、半分も真似できてないのだが。
右からの薙ぎを、掬い上げるようにして打ち上げる。
その隙に左から放たれる突きは、斜めに打ち下ろす。
体勢を崩した左の男に、アガートラームの腹を叩きつける。CHARMで防御されるけれど、強引に右の男の方へ吹き飛ばした。
ぶつかってたたらを踏む二人だったが、すぐにまたCHARMを構え直して、こちらへ向けて……。
(右の方は足捌きに覚えがある。江戸川だ。という事は、左が例の上級国民君か)
雑に見当をつけ、再び斬り結ぶ。
何度か打ち合って分かったが、やはり江戸川は手加減してくれているようだ。狙いに致命傷となる部位が含まれていない。
時折、凄まじい速度で攻撃を避けられるのは、もしかしてインビジブルワンを使っているからだろうか。
対して、上級国民君の狙いは急所に絞られていて、むしろ分かりやすかった。
こちらはスキルらしいスキルを使ってこないのだが、攻撃に殺気が乗っているので、油断できない。
傍目からは必死の攻防に見えるよう、かすり傷程度は受けるが、しかし、相手の攻撃傾向が分かっていれば、対処は可能だ。
(このまま千日手で時間を稼ぐ? いや、手抜きがバレれば
目まぐるしく立ち位置を入れ替える中、俺は思考を巡らせ続けていた。
このまま戦い続けていても、北河原さんを救助できる可能性は低い。
しかし、スピーカー越しの声を信じるなら、江戸川を縛る枷は無いも同然。
仮に百合ヶ丘から部隊が派遣され、警備に隙が生じれば、土地勘のある江戸川をサポートして救助に向かえるが────悪寒。
「ぅおっと!?」
首筋を狙った一撃を、辛うじて防ぐ。
あの少年に、思考の隙を突かれた。今のは間違いなく、殺すつもりの……“どうしても殺したいという念の込もった”一撃だった。
先程から殺気は感じていたが、何故だ? 江戸川と違って洗脳でもされている?
不審に思い、鍔迫り合いをしながら少年の様子を伺うと。
「ゔ、ゔうぅ……あ゛あ゛ぁア゛ア゛あァあっ!」
「なっ……うぐっ!?」
黒い瘴気。
それが少年の体を包んだ途端、俺は吹き飛ばされた。
受け身を取る猶予もなく、壁に叩きつけられてしまう。
強化コンクリートと思われる壁面が、ミシリ、とヒビ割れる。
(っ、これは、ルナティックトランサーの……いや、狂乱の闘、か? とんでもないな、ったく……)
衝撃で呼吸も出来ず、頭の中だけでボヤく。
以前、スキル制御の参考になればと閲覧した資料に、ルナティックトランサーを使用した白井さんの戦闘映像があった。
彼女ほどの迫力は感じられないが、確実に同系列だと、体で理解させられた。
壁からズリ落ち、激しく咳き込みながら体勢を整えようとしていると、少年は、覚束ない足取りでこちらへ向かっていた。
「お前の、せいだ……」
「……な、ゴホ、何? 何を……」
「お前が、俺を、助けなければ……。あのまま、死なせてくれてたら……。こんなに、苦しまなかった……。実験台にされる、事も……。家族に、売られる事も無かったのに……!」
ヘルメットが脱ぎ捨てられる。
露わになったのは、憎しみに歪んだ表情。
あの日、友人の死に涙していた人物とは、まるで別人のように見えた。
胸が、痛む。
この痛みは、“内側”からくる痛み、だろうか。
「お前のせいだ……! お前に助けられたせいで、俺はぁああっ!」
太刀筋も、構えも、全くデタラメな大振り。
しかしながら、強化/狂化された身体能力から放たれる猛攻は、回避するのがやっとだった。
地響き。
コンクリートが抉られ、粉塵が舞う。
それを掻き分けて俺を狙う少年の瞳は、赤く、仄暗く揺らめいて。
(ヤバい、当たったら防御結界ごと斬られる!)
そこからは防戦一方。
インビジブルワンを惜しみなく使って逃げるも、簡単に追いつかれてしまう。
どれほどのマギを注ぎ込んでいるのか、想像すらしたくない。あんな戦い方をしていたら、命にも関わる。
江戸川も見ていられないのか、ヘルメットを外して少年に叫ぶ。
「やめろバカたれ! そんな戦い方じゃ、施設にも被害が──」
「うるサいッ! オ前も死ネぇえエエ!」
「ぬぉ!? ちょいおまっ」
すると、攻撃目標が江戸川へと切り替わった。
まさしく狂乱。バーサーク状態故の無差別攻撃だ。
おかげでこちらは一息つけるけれど、同時に腹立たしさが湧く。
俺が少年を助けなければ、彼はこんな苦境には立たされなかった。それは事実だろう。
あの時死んでいれば、少なくとも、辛い思いはしなかったのかも知れない。
だが、それとは別に、この苦境を作り出した元凶が居る。
人間を素材にCHARMを作り、彼等に使わせている、諸悪の根源が。
「何が目的だ……? なんの為にこんな事をさせるっ? お前は、誰だっ!?」
知らず、俺は怒りを込めて、監視カメラを睨んでいた。
すると、それを待っていたかのように、一つのディスプレイの電源が入る。
映し出されたのは、白衣を着る女性。
『奪われた者、ですよ。貴方と同じように』
暗く澱んだ瞳の、長い茶髪を持つその人物には、見覚えがあった。
江戸川に言われた通り、防衛軍時代にアガートラームの解析を担当していた、女性研究員だ。縁が出来るのが嫌で名前も聞かなかった。
異常なほどアガートラームに執着し、余さずデータを取ろうとして前線まで赴いた挙句、最後には救助した俺達のチームに「もっと戦闘して欲しかったんですが」と言い放ったクソ女──もとい、傲慢な女だった。
いつの間にか姿を見なくなったので、防衛軍も愛想を尽かして放り出したのかと思っていたが、こんな形で再会するとは。
「やっぱり、アンタだったのか……。どうして今になって顔を出した? 悪役らしく、自分の所業を語りたくなったか?」
『ええ、その通り。知って欲しい。いいや、貴方は知らなければならない。貴方こそが全ての元凶なのだから』
「なんだと?」
俺が、元凶?
まるで考えている事を読まれたかのような返答に、思わず眉を寄せる。
どういう意味だ……と問い返すより早く、“彼女”は一人語りを始めた。
『私は……。私も、ヒュージに全てを奪われた。
家族、友人、恋人、家、故郷、産んであげられなかった、あの子……。
形として残っている物は、何一つ存在しない。まぁ、ありふれた話ですね』
淡々とした口調からは、俺を騙そうとする印象を受けなかった。
普通なら同情に値する過去なのだろうが、かと言ってその所業は許されるものではない。
しかし……。
『私はヒュージを憎み、マギを宿せない体に産まれた自分を恨み、しかし諦め切れず、CHARM研究者として防衛軍で働いていた』
「その挙句が、G.E.H.E.N.A.に協力して人体実験か。人間を使って武器開発かっ!」
『はい。外道と呼んでくれて構いません。どうせ、人の身ではヒュージに勝てないのですから。人間くらい辞めないと』
事も無げに言ってのける“彼女”は、確実に狂っていた。
人として、肝心な部分が壊れている。壊れてしまった。
ヒュージのせいで。
『私が防衛軍の研究室で腐心したのは、普通の人間でも扱えるCHARMの開発でした。
より多くの人間が戦えるようになれば、戦況は良くなるだろう、と。
あわよくば、私自身がCHARMを握り、家族の仇を討てれば、と。実に、浅はかでした』
狂っているけれど……。いや、狂っているからこそ、“彼女”はその発想を実現しようとしたのだろう。
より多くの人間を死地に追いやり、自分と同じ境遇の人間を、無数に生み出すとしても。
だが確かに、誰にでも扱えるCHARMなんていう代物があれば、少なくとも今まで異常に一般市民の被害は少なくなるかも知れない。
アガートラームだって、そういう考えを基に作られて────
『どんなに知恵を絞ろうとも、頭を捻ろうとも、研究は上手く行きませんでした。そんな時ですよ。貴方が、“出所不明”のCHARMを発見したのは』
「……は? いや、何を言ってるんだ? アガートラームは、防衛軍が開発したんじゃ……」
『いいえ。そのCHARMは全く、誰も存在を知り得なかった、未知の技術の塊でしたよ。……それをみすみす、対面などという物のために、秘して腐らせるだなんて……! 私の解析した情報を、見ようともせず……っ!』
予想外の情報に、混乱させられた。
アガートラームは、防衛軍の作り出したCHARMじゃない?
嘘を教えられていた?
何故、そんな事をする必要が。
「ちょっと、しっかりしてくんないすか!? 一人だと手に余るんだよねこの若者、元気過ぎてっ!」
「す、すまんっ」
江戸川の怒号に意識を引き戻され、慌てて加勢するのだが、それでも“彼女”の独白は続く。
耳の奥で、ごうごうと音がする。
心臓が鼓動を早め、手の平に嫌な汗が止まらない。
予感があった。
ここから先を聞けば、きっと後戻りできないという、身の毛もよだつ、予感。
『ここまで言えば、もう分かるでしょう。そのT型CHARMは……ナラナリは、アガートラームから得た情報を元に、リバースエンジニアリングされた物なのです』
俺は、ただただ唖然としてしまった。
庇ってくれる江戸川と、少年との戦闘音が、やけに遠く聞こえる。
だというのに、手の中にあるアガートラームは、どうしてだろう。脈動でもしているように、熱く。
『T型とは、タントリズム型の略称。雑に言うと、男女の合一、性愛の力を信奉するのがタントリズムです。
元となったマギ保有者が女性なら男性のみが、男性なら女性のみが契約を成立させられる事から名付けられました。同性だと過剰共感してしまいますから』
得意げな解説が、耳を通り過ぎる。
いや、違う。得意げなんかじゃない。
あの女は、誇っているんだ。
生命への冒涜を、自らの所業を、微塵も後悔していない。
『アルダ・ナーリーシュヴァラ。またの名を、アルダ・ナーラーナーリー。
ヒンドゥー教の主神シヴァが、妃であるパールヴァティー、もしくはシャクティと融合した状態を現す呼び名。
その名を冠したCHARMを使い、我等は人知を超えた“力”を得て、ヒュージを殲滅する。
ですが……量産するには、様々な方面での支援が必要。世界に向けた、デモンストレーションが必要』
両腕を広げ、“彼女”は嗤う。
『さぁ。我等が人である事を
いやー、無駄に長いネタばらし回でしたねー。次話、決着予定。
そんな事よりラスバレ初コラボイベント! リリなの! コラボ先がまともな原作で良かった! 本当に良かった!
メインキャラ三人は確実にプレイアブルで来るだろうし、なんならアインとかフローリエン姉妹とかユーリちゃんとかも来てくれて良いのよ? けど淫獣と未来の提督はいらん。ちなみに、PSPのGODで作者のリリなの時間は止まってます。
何はともあれ、溜めに溜めたメモリアメダル3,100枚と4,8,000ジュエルを使ってフルコンプしたるでぇ!
完凸? エンジョイ勢なのでそういうのは興味ないです。こういうのは楽しんだもん勝ちですぜヒャッハー!
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23 オウレン ──Coptis Japonica── 旧友、その五
「あ゛ア゛ア゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
大振りの斬り下ろし。
受け流すためにアガートラームを構えようとして、けれど間に合わなかった。
慌てて横に転がり、紙一重で回避はできたけれど、己が手足のように扱えていたはずのアガートラームが、重い。
混乱していた。
いや、単なる混乱という表現では足らない程、浮き足立っていた。
(くそっ、なんで……なんで、いつも通りに使えない……!)
防御に使おうとして躊躇ってしまう。
攻撃に使おうとしても振り抜けない。
ナラナリは、アガートラームを基に作られた。ならば、アガートラームが、元人間……リリィであった可能性がある。
“彼女”の言った事は嘘ではない。こんな嘘をつく必要を、少なくとも、今の俺には考えつかない。
『あまり簡単に死なれても困るんですが。“それ”はもう、不可逆な変化を起こしています。単なる機械に過ぎない。
戦いなさい。戦え。フルスペックを発揮しろ。十全たるオリジンを討ち果たしてこそ、ナラナリの力は証明されるのだから』
「勝手な事を、ほざくな!」
苛立ちに任せ、“彼女”が映るディスプレイと、付近にあった監視装置をまとめて撃つ。
が、すぐに別のディスプレイが点り、またふてぶてしい態度で言う。
『それと、デヴァイサー02。私は共闘しろとは言っていません。貴方の敵は……』
「んなこと言われたって、オレだって死にたくないもんでねー! 襲われたら身を守るしか──うっひぃ!?」
狂乱する少年は、もう見境い無しに、とにかく近くに居る人間を攻撃していた。
たまにマギの衝撃波が、様子を見に来た警備兵を巻き込み、一撃でズタボロにしていく。
そんな状態なのだから、江戸川の行動も至極真っ当な判断だろう。
しかし、それを不満に思ったのか、ディスプレイの映像が北河原さんに切り替わった。
ベッドで横たわる少女の周囲に、様々な機具が運び込まれ……あれは、手術具か?
「何をしている!?」
『本気になれないなら、本気にさせるまで。早く殺し合わなければ、彼女は生きたままナラナリと化す』
「この…………くそったれが……!」
「あ゛ア゛あ゛ア!?」
「うぐっ!?」
自然と悪態が口をつくものの、迫る凶刃に余裕はなくなった。
瞬く間に、江戸川と入れ替わり立ち替わり、少年の猛攻を凌ぐので精一杯となってしまう。
込められたマギの量は、全く減じていない。むしろ勢いを増しているような気さえする。
少年のナラナリに安全機構が備わっていれば良いが、そうでない場合──ナラナリが勝手に使用者のマギを吸い上げたりしていたら、命に関わる。
北河原さんの事も含め、とにかくもう時間が無い……!
(江戸川、監禁場所に見当はつくか?)
(へ? ま、まぁ、一応。って、まさか)
(少年は俺が引き受ける。行け。お前の土地勘に頼るしかない)
(……いくらアンタでも、今の少年の相手はキツいしょ)
(なんとかしてみせるさ。これでも、リリィ達と戦闘訓練は積んできた。負けっぱなしだけどな)
(おうおうこんな時に自虐風自慢ですかい羨ましいわこのスケコマシ野郎。いいっすよいいっすよ、ならオレもあの子を助けて、白馬の王子様になっちゃいますからねぇ!)
戦いながらの密談は、恐らくあの研究員にもバレているが、内容までは把握されていないだろう。
江戸川がインビジブルワンを使えるなら、初動さえ間違えなければ速攻で救助できる。できると信じなければ。もう他に、今の俺に考えられる手立ては無い。
アガートラームを構え直し、その影で、服のボタンに偽装された閃光手榴弾を準備する。
そして。
「死ぬなよ」
「あたぼうっしょ」
気安い返事に合わせてボタンを千切り、地面へ叩きつけた。
一帯が閃光に包まれる……。
(やはり別れて行動する、か。ここまでは想定通り)
一瞬のホワイトアウトの後、ノイズしか映さなくなったモニターを見やり、女性研究員は椅子の背もたれを軋ませた。
あの瞬きの間に、ほぼ全ての監視装置を破壊するとは、なかなかの手際である。警備担当の者達は今頃、大慌てで対応しようとしているはず。無駄であろうが。
自らの居城である研究室で、全くもって動じた様子を見せない“彼女”に、いつから居たのか、フード付きのコートを着る少女が話しかける。
「逃げないんで? あの様子じゃ、五分と経たない内にここへ来そうだけど」
「あら。居たの。それでも良いのよ。むしろ、そうでないと仕込みが無駄になる」
「へー、なるほどなぁ。復讐を果たすためなら、文字通り死をも厭わないってか? 狂っちゃってまぁ」
「貴方ほどではないわ。……いえ、狂ってしまったのは貴方ではなかったわね。貴方はただの──」
ヒタリ、と喉元に冷たい感触。
音もなく、鎌の形状をしたCHARMが突きつけられていた。1cmでも、いや2~3mmでも動けば、動脈から噴水のように血が吹き出るだろう。
それでも“彼女”は狼狽えなかった。
その眼は、数少ない残された監視装置からの映像に注視している。他の事には……自身の命にさえ、興味がないように。
「殺さないのかしら」
「……けっ、胸糞悪い。あーあー、アチシもう飽きちゃったー。巻き添え喰うのも嫌だしかーえるー」
「そう。研究データはそこのUSBに入ってるから、持っていくと良いわ」
「…………ホンット、ムカつく女だな」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
「そうかよ。んじゃ、地獄に落ちろ、阿婆擦れ」
USBを懐に仕舞い、少女は罵声を吐き捨て、隔壁を兼ねた自動ドアから立ち去った。
あれには、不条理の塊である
きっと彼等は悪用するだろう。
この事がきっかけで、また多くの悲しみが生まれ、喪われる命が増えてしまうだろう。
(でも。それでも。誰かに伝えなければならない。無かった事にさせて堪るものか)
睨むようにモニターを見つめる。
画質は悪いが、“彼”は主に義肢を使い、デヴァイサー01を上手く遇っているようだった。
アガートラームを使おうとしないのも、また想定通り。
そろそろ次の仕掛けを──
「動くな!」
突然、自動ドアが切り裂かれ、脈動するナラナリを構えた男……デヴァイサー02こと、江戸川・C・昭仁が現れる。もちろん、想定通りに。
ナラナリを運用させる傍ら、折を見ては施設内を移動させ、内部構造を把握させていたのだから、そうでなくては困る。
随分と急いでいたらしく、息が荒い。防護服が血に塗れているのは、途中で警備兵でも切り捨てたのだろう。ナラナリが“悦んでいる”訳だ。
こうなると、江戸川自身も殺戮衝動を覚えるはずだが、しかし普段通りの飄々とした態度で、透明な隔離壁の向こうの北河原伊紀を見やる。
「夜分に乱入、申し訳ないっすね。とりあえず、あそこに居るかわい子ちゃん、解放して貰えません?」
「そもそも拘束なんてしていないわ。本当に眠っているだけ。施術の“予定”も無い」
「……なに?」
背中を向けたまま言われて、江戸川が眉をひそめた。
事実、“彼”に見せた映像ではあったはずの手術器具などはなく、隔離壁さえ開ければ、簡単に連れ出せてしまえそうだった。
事前に撮っていた映像だとしても、その用意周到さが、逆に不信感を煽る。
「どうしたの、デヴァイサー02。早くあの子を助ければいいでしょうに」
「何を企んでる? 悪役が素直に言う事を聞く時ってのは、たいがい何かあるもんっしょ」
「ご明察。もちろん、最後の悪足搔きが残ってるわ」
くるり。椅子が回転し、女性研究員の笑みが向けられる。
江戸川の背筋に、ゾッと悪寒が走った。
「時に、ヒュージサーチャーの仕組みは知っているかしら。ああ、答えなくていいわ。私が勝手に話す」
椅子から立ち上がった“彼女”は、タブレット端末を操作し始めた。
すると、意外にも軽い音と共に隔離壁が開く。
警戒を緩められない江戸川であったが、覚悟を決めたのか、隔離壁をくぐって北河原伊紀を肩に担ぎ、次の瞬間、先ほど居た位置に戻る。インビジブルワンを使ったのだろう。
信用されていないのも仕方ないけれど、やはり“彼女”は気にした様子もなく、諳んじるように続ける。
「神出鬼没なヒュージは、しかし存在そのものが異質であり、そこに居るだけで特殊な粒子を発生させる。
この濃度を検出し、出現しているヒュージの能力や活動範囲を測るのが、いわゆるヒュージサーチャー。
そこで、とある研究者集団はこう考えた。ヒュージが発生させる粒子を意図的に濃縮させれば……ヒュージの発生を制御できるのではないか、と」
言いながら、またタブレットを操作。
研究室では大きな変化は起きていないが、“彼女”は監視装置と繋がるモニターへと眼を向けている。
いつの間にか、“彼”が膝をついていた。いや、彼だけでなく、デヴァイサー01と呼ばれる少年も。
まるで、息苦しさに喘いでいるような。
「そして今、そのヒュージ由来の粒子が散布された。
核となる負のマギは、ナラナリと狂乱の閾によって十分に撒き散らされている。
一体、どれだけの大きさのケイブが発生するか。興味があるでしょう?」
「ま、まさかアンタ……!?」
唖然とする江戸川に、“彼女”はまた微笑む。作り物めいた、張りぼての笑顔だった。
地面が大きく揺れる。地震ではなく、何か、非常に強い衝撃の余波。
その影響か、程なく残された監視装置も破壊されたらしく、モニターが機能しなくなる。
「こういう時は、悪役らしいセリフを言った方がいいかしらね。たとえば、そう……」
ほんの少し首を傾げて悩む素振りは、この場にそぐわない……夕食の献立でも考えているような、気の抜けた印象を与えた。
けれど、それも一瞬。
全てを嘲笑するかの如く、酷く歪んだ嗤いに取って代わられる。
「お楽しみはこれからよ」
それは確かに、多くの命と情念を巻き込んだ、大舞台の山場を告げる言葉だった。
意識が、朦朧としている。
ひどい耳鳴り。視界も暗く、呼吸ができない。
俺は……うつ伏せに倒れてる、のか?
「──っは、ふ、ぐっ、ごほ……っ」
やっとの思いで体を起こし、息を整えようとするが、妙に喉が詰まる。
息をするだけで、逆に体力を奪われていくような感覚があった。
「一体、何が……?」
確か、江戸川を北河原さんの救出に送り出した後、俺は少年と戦っていて、けど突然、床から妙な噴出口が複数現れて……。
と、そこまで思い出した所で、頭上に空間の揺らぎを感じた。
肌が粟立つ。
恐る恐る顔を上げれば、中空には空虚な穴が存在した。
距離感がつかめないほど、視界一杯に広がる大きな、穴が。
「け、ケイブ……!?」
悪い意味で見慣れてしまっている、どこからかヒュージを出現させるワームホール。
しかし、ここまで大きなケイブは初めてだった。
(中心にあるのは、ナラナリか? ナラナリがケイブを? くそ、訳が分からない!)
よくよく観察してみると、ケイブの中心には異形のCHARMが浮かんでいる。
ナラナリから赤黒いマギが放たれるたび、ケイブも脈動しているような。
加えて、視界の端には星空が見えていた。
どういう原理か分からないが、俺が今居る地下から地上までにあった、一切合切が消滅しているらしい。
更に悪い事は重なり……。
「おいおいおい、嘘だろ……」
ケイブの奥から、非常に強い重圧を伴う存在が、現れ出でようとしているのが分かった。
まだ形すら定かではないけれど、確かに、確実に、何かが“居る”。
真綿で首を絞められるような、もどかしい時間が数秒。
やがてケイブの中に、大きな眼が浮かび上がった。
人間と同じような形状でありながら、しかし絶対に人間ではあり得ない大きさの、単眼が。
「ギガン、ト、級」
ぎょろり。
俺の声に反応したのか、単眼が地上を見下ろす。
背筋が凍りついて、動けない。ただ息をするのが、こんなにも難しい。
とにかく間違いない。
この存在感、威圧感、プレッシャー。甲州撤退戦で戦った、あのギガント級とも通じる。
ほとんど思い出せないのに、それだけは間違いないと、確信していた。
早く。早く逃げなければ、今度こそ……!
「……くそっ、少年、目を覚ませ! 起きないと死ぬぞ!」
焦りが恐怖を打ち消したのか、どうにか動く事が叶った俺は、付近で倒れ伏したままの少年に駆け寄る。
肩を揺らすけれど、返事がない。呼吸はしているが、どんな容態かまでは判断できない。このまま抱えて逃げるしかないだろう。
そんな時、高速で接近してくる、慣れ親しんだ気配が。
「ぉん待たせぇ!」
「江戸川! 彼女はっ」
「無事に決まってんだろって!」
少年と同じく、意識を失ったままの女の子──北河原さんを背負った江戸川は、得意満面な笑みを作ってみせる。
頬は引きつり、唇も
「もう用は済んだ、早くこの場を離れよう!」
「りょーかいっ! ……って、うぉい後ろぉ!?」
「は?」
切羽詰まった江戸川の声に、後ろを振り向く。
さっきまで何も無かった場所に、通常サイズの、新しいケイブが出現していた。
そして、ぞろぞろとスモール級が這い出て来ている。
俺と江戸川は無言で頷き合い、インビジブルワンでその場を離脱。くり抜かれた天井を跳んで地上へ向かう。
が、そこもまた地獄だった。
パッと見ただけで、両手で足りないほどのケイブが存在したのだ。
もちろんヒュージも無数に湧き、逃げようとする警備兵達を襲っている。
あの巨大ケイブは……どれだけ大きいのだろう。
未だ頭上で脈動し、単眼がギョロギョロと忙しなく動いていた。
「やっばい状況っすなぁ、これ。今までで最悪だわ」
「確かに。ここまで酷いと笑えてくる」
「なんか打開案ありますん?」
「……援軍が来るまでひたすらウェーブ戦を凌ぐ、とか」
「インターバルくれなさそうなんすけど。無理ゲーっしょ、運営にお気持ち表明しなきゃ」
「無視されるだけだろうな。全く、人生はクソゲーだ」
給水塔の上に陣取り、周囲を見回してみるが、光明は見出せない。
研究施設の敷地内には至る所にケイブが出現し、ヒュージを吐き出し続けている。
来るかも分からない援軍を待って防衛戦、なんて自殺行為だ。
かと言って強行突破しようにも、要救助者を抱えていては、思うように動けず嬲り殺される。
状況を打開するには、何か手立てが必要だ。
「江戸川。お前の使ってるスキル、インビジブルワンだよな」
「そっすよ。まぁ、この包囲網を抜けるには、ちょい速度が……」
「包囲網を抜けさえすれば、二人を抱えて逃げ切れるか?」
「………………」
俺からの問いかけに、江戸川は驚いたようにこちらを見た後、沈痛な面持ちで頷く。
「逃げ切れる。いや、逃げ切ってみせやしょうとも」
言わずとも、何をしようとしているのか、理解してくれたようだ。
要は囮作戦である。
マギ保有量の観点から、江戸川よりも継戦能力の高いだろう俺がヒュージを引きつけ、同時に退路を切り開く。
そして少年と北河原さん、二人を抱えた江戸川がインビジブルワンで戦場を離脱。その支援も行う……という算段だ。
まぁ、途中で不測の事態が起こらず、万事順調に運べば、だが。
「よし。じゃ、頼んだ。あと、これ持ってけ」
「へ? なんでスパムソーセージ……」
「しばらく食ってないだろ? ありがたく食えよ」
「アンタ……」
少年を預けるついでに、懐から真空パックを取り出して渡す。というか押し付ける。
すると、ますます悲しげな表情をする江戸川。
……命懸けで逃そうとしていると勘違いされてるか?
それはそれでロマン溢れるシチュエーションだけど、生憎、死ぬつもりなんかない。
「安心しろ。ある程度引きつけてデカいのをブッ放したら、そのまま俺も逃げる。むしろ、多分俺の方が逃げる速度は速いだろうから、遅れるなよ?」
「あのー、そこは“俺に任せて云々”的な展開じゃないんすかね?」
「そんな御涙頂戴、誰が喜ぶんだ。勝てない相手とは戦わないに限る」
「んー、まぁ、そりゃそうですけど──」
『そうはさせない。絶対に戦ってもらいます』
あの女性研究員の声。
どこから……と考える暇もなく、江戸川が身悶えして苦しみ始めた。
「──ァがっ!? あ゛、ぐううううっ……!」
「お、おい、江戸川っ! これは……狂乱の閾かっ?」
身に纏う瘴気。異様なマギの膨れ上がり方。
見間違うはずもない、先程まで苦労させられていた、あの少年と同じ気配だ。
投げ出される北河原さん達を受けとめつつ、慌てて周囲を伺うと、頭上にドローンが飛んでいた。
搭載されたカメラが、こちらを無機質に見つめている。しつこい……!
『サブスキルは複数を保有し得るもの。驚く事はないでしょう。さぁ、ご友人は闘争に狂った。存分にその力を証明して下さい』
「……貴様ぁああ……っ!」
まるで、全てが自分の手のひらの上、とでも言わんばかりの言葉。
俺は、明確な殺意を以ってアガートラームの銃口を向けるが、しかし、引き金が絞られるよりも早く、そのドローンは破壊された。正確には、“何か”に真っ二つにされた。
今のは、CHARMに込めたマギを斬撃として飛ばす、高等技術だ。
俺以外に、この場でそんな事が出来るのは、ただ一人。
「江戸川? 大丈夫なのか!?」
「はぁ、はぁ、はぁ、ははっ、い、意外と、なんとかなる、もんだ……っ」
息も絶え絶えではあるが、江戸川は自我を失う事なく、今にも暴れだしそうなナラナリを抑え込んでいた。
「せ、制御できてるのか、凄いな」
「んな訳ねぇでしょうよっ! こちとら発狂寸前だこんチクショウめ!」
「なんかいつも通りに見えるんだけど!?」
「そりゃあいっつもハッタリかましてましたんでねぇ!」
俺の言葉に、怒り心頭な様子で返す江戸川。
言われてみれば、口振りは普段通りだが、表情に全く余裕がない。
恐らくは初めての、精神汚染のあるスキル発動で、それでも会話できているだけ僥倖なのか。
遠方で爆発音。
銃声と、悲鳴。
今この時も、ヒュージとの戦闘は続いている。
「いつまで保つか分かんねぇ、んで……。さっさと行ってくださいよ、自分で言ったんだ、アンタなら余裕で、逃げ切れるっしょ」
「っ! それじゃお前はっ」
「……へへ。さっきとは立場が真逆だ。ま、これが似合いの役所ってなもんかね……。まさか、自分で言うハメになるたぁ、なんとも……」
唸るナラナリを支えにして、江戸川は立ち上がる。
獰猛に、けれど苦々しく口元を歪め、睨みつけるは空に浮かぶ単眼と、地に犇めくヒュージの群れ。
「ここはオレに任せて、先、行ってください。なぁに、後から追いかけますんで」
俺は今、どんな顔をしているだろう。
ついさっきの江戸川のような、痛みを堪えるような表情だろうか。
だが、残された選択肢のうち、これが最も生存確率が高いと、分かってしまう。
足手まといである二人を退避させなければ、誰一人として助からないと。
そして、二人を助けるためにこの場を離れれば、確実に江戸川は犠牲となる。
江戸川を見捨てる事でしか、この二人は、助けられない。
(……いいや! そんなこと認めてたまるか! 俺だったら、俺とアガートラームなら!)
そうだ。普通の人間だったら、絶対に助けられない。
たとえ縮地のレアスキルを持っていたとしても、決して間に合わない。
しかし、アガートラームでインビジブルワンを二倍掛け出来る俺なら、間に合うかも知れない。
まず、マギを半分使うイメージで二人を退避させ、同じ要領でここに戻る。
次に、持ち堪えているはずの江戸川と再合流し、Awakeningで枯渇したマギを誤魔化して、効果が切れないうちに全速力で逃げる。
成功する確率は……かなり低いかも知れない。が、最初から諦めるよりは何倍もマシだ!
「十分だ。十分間、耐えてくれ。必ず戻る」
「……追いかけるっつってんのにさぁ……。期待しないでおきますよ。……行け!」
言うが早いか、江戸川は赤黒いマギ光の尾を引きながら、ヒュージに突っ込んだ。
ナラナリの一振りで、数体のスモール級が薙ぎ払われる。
やはり、スキルによって戦闘力の底上げがされているようだ。そう簡単にやられはしない。
俺はそう信じ、北河原さんを左の小脇に、少年を右肩へと担いで、戦場に背を向ける。
(オットーさん達と使ってた活動拠点……いや、あの洞窟だ。一先ずあそこに二人を隠して、全力で戻る!)
アガートラームを通して、可能な限りのマギを活性化。インビジブルワンにより加速した体が、宙を駆ける。
もうアガートラームが元人間だとか、そんな事を気にしている余裕はなかった。
背後から射出されるヒュージの遠距離攻撃……マギ光弾、熱線、刺棘などを必死に避けながら、とにかく疾る。
ものの数分で、一夜を明かした洞窟の近くまで到達するのだが、地形を確認するために森の上へと跳躍した時、ふとこちらへ飛来する物体を確認した。
あれは…………ガンシップ?
(まさかG.E.H.E.N.A.の──違う! 校章は隠されてるけど、あの機体は百合ヶ丘の使ってる型だ!)
敵の増援かと思いきや、現れたのは待望の援軍だった。
いや、ひょっとすると、敵が同じ型式のを使っている可能性もあったのだが、いちいち確認する時間も惜しく、手頃な木を足場にして、二つ並んだ円筒状カーゴへ衝突するように飛び移る。
ズシン、と大きく機体が揺れるけれど、パイロットの腕が良いのか、すぐに立て直された。
その間に、俺はコックピットの窓から搭乗員を確認するのだが、そこに見覚えのある少女が居た。戦闘服姿のオットーさんだ。
月明かりに照らし出される銀髪が、薄闇の中でもよく目立つ。
彼女は驚いたような顔を見せるも、すぐに何やらパイロットへと指示を出し、次に俺へ向けて指で矢印を作る。右……?
すると、右舷カーゴの非常用上部ハッチが開いた。(普通は側面のハッチから出入りする。これは墜落した時などに閉じ込められないよう設けられたもの)。
渡りに船と転がり込めば、オットーさんだけでなく、石上さんや、初見のリリィが複数人居た。
加えて、彼女らを指揮するのだろう、教会服を着た妙齢のリリィも。恐らく彼女が、シェリス・ヤコブセン教導官か。
「なんて無茶をなさるんですか! 無事で何よりですが、この機が堕ちたらどうするつもりだったんです!?」
「強引にすまない! 時間が惜しいんだ、悪いが石上さん、この二人を頼む!」
「え? え、ぁ、はい、え?」
怒り顔のオットーさんへの返事もお座なりに、北河原さんと少年を押し付け、またハッチから飛び出し、身を投げ出す。
マギで着地の衝撃を和らげつつ、またインビジブルワンを発動。ガンシップを先導する形で、戦場へと舞い戻る。
(間に合う、きっと間に合う、甲州だって間に合ったんだ、だから)
祈るように、心の中でそう唱える。
あの日、川添を助けられたように、今回は江戸川を助けられる。
きっと。きっと。きっと。
俺は我武者羅に走り続けた。マギが尽きかけている事による目眩を堪え、乱れる呼吸もそのままに、ただひたすら。
研究施設まで、あと数百m。時間にして数秒。
予定よりも早く戻れている。きっと間に合う。
「江戸が──」
けれど。
そう信じて飛び込んだ先に待っていたのは
ヒュージに囲まれた江戸川が、複数の触手に腹を貫かれた、その瞬間の光景だった。
「──ぁぁああああああっ!!」
時間の流れが遅くなった。
空気が粘度を持ったような中で、しかしかつてない速さでヒュージを排除。江戸川を助け出す。
無意識にAwakeningやインビジブルワン、スキルプロトコルを使ってしまったらしい。
「……ぉ、おお゛……思ったよ、り……早かった、ずね゛……」
「喋るな! ああ、ちくしょうっ……!」
横たわる江戸川は、素人目にも分かるほどの致命傷を負っていた。
手足が痙攣し、内臓はおろか、背骨すらも損傷しているだろう。
出血だって酷く、下手に触手を抜けば、そのままショック死するかも知れない。
時間を巻き戻すレアスキル、Zがあれば…………でも、俺には使えない。まだ使えない。
どんな風にマギを使えばいいのか、分からない。
「あの、二人……は……?」
「援軍に託してきた。無事だ、お前のおかげだ」
「そっか……。少しは……エースっぽい、こと……でき、だ……ゴボッ」
咳と共に、どす黒い血を吐き出す江戸川。傍らのナラナリは、半ばから砕けている。
俺の体には、とてつもない倦怠感が襲い掛かっていた。Awakeningがもう切れてしまったようだ。
ヒュージの群れが、周囲を覆っていく。
「ああ。エースなんか通り越して、あの二人の
「ヒーロー、か……。そりゃ、すげぇ……」
「帰ったらきっとモテモテだぞ。オットーさんとのデートの約束だってある。忘れたか?」
「……そう、だったな……。でも……オレは、もう……ダメなんだ、ろ……」
ヒュージの足音が迫る。
俺は、どう答えればいいのか分からず、何も言えなかった。
彷徨うように伸ばされた手を、思わず握る。
作り物の右手ではなく、まだ血の通う左手で。
「なぁ……。アンタは……ヒーローなんかに、なるな……。せっかく、女子校に、居んだ、から……。
死んで、ヒーローになるくらい、なら……。若い子捕まえて、子供、たくさん作って……少子化社会、に、貢献……」
「何を言ってるんだよ。俺なんかが相手にされるわけ」
「……セージ、美味か……」
握った手に痛いほど力が込められ、けれど、すぐに抜けていく。
江戸川の眼は、何も映していなかった。
手足の痙攣も収まり、微動だにしない。
「江戸川? 江戸……」
呼びかけに答える声は、ない。
もしかしたら、あったのかも知れないが、ヒュージの足音がうるさくて、何も……何も聞こえなかった。
江戸川が、死んだ。
「おじ様から、離れなさいっ!」
今まさに、“彼”を踏み潰そうとしていたラージ級の脚部を、石上碧乙のCHARMが斬り払う。
それだけに留まらず、同時にガンシップから飛び降りたロザリンデや、比較的軽傷だったロスヴァイセ本隊のリリィ数名と連携し、瞬く間に活路を開いた。
「おじ様、大丈夫ですかっ。……この方は……?」
「江戸川様……。間に合わなかった……」
呆然とする“彼”の側に、事切れた江戸川を見つけたロザリンデは、とての短かった邂逅を、その時に見た笑顔を思い出し、言葉を詰まらせる。
作戦目標である北河原伊紀と、被験者の少年は助けられた。その代わりに、“彼”の友人である江戸川が命を落としてしまった。もう、恩に報いる事すら叶わないのだ。
けれども、ヒュージに囲まれ続けている今、感傷に浸る事は許されない。ましてや、正体不明の単眼──ギガント級と思しき影に見下ろされながらでは。
ロザリンデは断腸の思いで、自失する“彼”を叱咤した。
「撤退しましょう。おじ様、立って下さい」
「………………」
「しっかりして下さいっ! このままでは、江戸川の献身が無駄になってしまいます! 御遺体を捨て置く事にもなりかねないのですよ!」
「……江戸川……」
声を荒らげた甲斐があったのか、“彼”はのろのろと立ち上がる。
しかし、顔は俯いたまま。
一歩踏み出すも、その先は退路ではなく、ヒュージの群れの中心。
「こえが、きこえる」
「え……? あっ」
気付いた時には、もう“彼”の姿はなかった。
慌てて周囲に視線を巡らせると、何故かその後ろ姿は、戦場の只中……動きの鈍いラージ級の上に。
「アストラルガーダー」
“彼”の呟いた声は、ロザリンデ達には届かない。
マギが枯渇したはずの体に、どこからか“力”が流れ込む。
「カリスマ。エンハンスメント、テスタメント。ドレイン」
次の瞬間、戦場を跋扈していたヒュージの群れが、突然動きを止めた。
ラージ級がその巨体を苦しげに震わせ、ミドル級、スモール級は窒息でもしているかのようにひっくり返り、そのまま肉体を維持できず、崩壊していく。
霧散するはずの膨大な、人の許容量を遥かに超えたマギは、彼の元へと導かれて。
「エンハンスメント、ヘリオスフィア。エンハンスメント、レジスタ。エンハンスメント、この世の理。エンハンスメント、天の秤目。エンハンスメント、ファンタズム。エンハンスメント、縮地。エンハンスメント、フェイズトランセンデンス。エンハンスメント……」
言葉を重ねる度に、“彼”の纏うマギの光帯は色を変じる。
青や緑、黄色、赤……。しかし、やがてそれらは混ざり合う。
黒。
純粋な漆黒ではなく、全ての色が混ざり合った上で作られる、混沌とした黒に。
辛うじて体躯を維持するラージ級達が、“彼”目掛けて殺到した。
が、その牙が届くより先に、“彼”は最後の言葉を呟く。
「ルナティックトランサー」
黒いマギの光帯が、溢れるように吹き上がる。
未だ出現しきれていないギガント級の単眼が、大きく揺れた。
そして、“彼”の隣に、少女の形をした白い陽炎が、寄り添うように立っている事に気付く者は、当人を含め、誰一人として居なかった。
彼女の赤い瞳が、煮え滾る程の憎悪を込めて、空を睨んでいる事もまた、決して気付かれはしなかった。
数日後。
関東近郊のとある山中において、夜間、廃棄施設の爆発事故と、局所的な山火事が起きていたというニュースが流れた。
局所的とはいえ、かなりの広範囲が焼け野原となっており、裾野まで広がらなかったのは奇跡的な事だったとされる。
放棄された旧世代施設に残っていた、可燃性ガスや液体燃料などが原因とされるも、近隣住民の話によると、遠くから銃声のような音を聞いた、見慣れないガンシップが飛んでいた、空に一瞬だけオーロラが現れた、などの証言も上がっている。
この事から、どこかのガーデンや非合法組織が極秘作戦を行った結果である……との見解を示す有識者も居たが、物的証拠は何一つ無く、単なる陰謀論として扱われた。
あの日、あの場所で何が行われ、どんな犠牲が払われたのか。
多くの人々は知る由もなく、何も変わらない、平凡な日々を過ごしていく。
「仕掛けは上々。結果は見てのお楽しみ、ってね。期待しててくれよ、相棒……?」
ギリギリ九月中に間に合いました……。
以降は例によって、シリアスブレイク警報。
大した事も書いてないですから、余韻を楽しみたい方は読み飛ばし推奨です。
あーもー! 1.5章のガチャでお迎えした新衣装三人の腋をペロペロしてーなぁー!
……ふぅ。スッキリしました。
コラボイベはメモリアメダル使えない鬼畜仕様だったし、ハロウィンイベントで吐き出しますかねー。まぁ、石もまた貯まって3万あるんですが。配布多いのはホント助かります。
それはさて置き、助けられる命があれば、喪われる命もある。まるで帳尻を合わせるように。
多くの人々の運命を巻き込んだ一夜が終わりました。
が、パラケルスス・コンプレックス編は終わりません。まだ事後処理などが続きます。やっとリリィの皆を出せる……。
今回の事件を踏まえ、重くなってしまう場面もあるでしょうけど、それはそれで別の一面を描けるので、作者的には楽しいです。
次はもう少し早めに更新したい所存。
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24 百合ヶ丘女学院よもやま話、その十一〜十三
《よもやま話その十一、傷痕》
「……以上で、報告を終わります」
「うむ。ご苦労じゃった」
北河原伊紀の救出作戦から数日後。
ほとんどの生徒達が寝静まった夜半過ぎに、理事長室で密談を交わす影があった。
一方は、その部屋の現在の主人である理事長代行、高松咬月。
対するは妙齢の女性で、自身の立場を示す教会服を着た、シェリス・ヤコブセンである。
結果だけ見れば成功に思える上記の作戦だが、もたらされた混乱は大きかった。
特に、ロスヴァイセ主要メンバーの大半が負傷という、衛生レギオンには似つかわしくない甚大な被害は、内外に対して誤魔化せず、欺瞞情報を用意するのにも手間が掛かった。
帰還中に遠距離型ヒュージの狙撃を受け、ガンシップが墜落した──というそのニュースは大きく報じられ、裏付けのために本当にガンシップを一機墜とす必要もあり、被害は相当なものになっている。
そんなこんながあり、正式な報告が遅れていた所を、ようやく時間が取れた……という具合いである。
報告自体はシェリスも慣れたもので、つつがなく終えられたのだが、彼女にしては珍しく、咬月への問いかけが続いた。
「理事長代行。一つ、お尋ねしたい事が」
「何かね」
「“彼”を今後、どう扱うかのか。その方針についてです」
“彼”──言わずもがな、表向きは理事長代行の義息となっている、元防衛軍マギウス。
あの作戦では、“彼”もまた心身共に深傷を負い、意識不明の状態で百合ヶ丘に戻った。
救出の立役者でもある“彼”なのだが、シェリスの言葉の裏を見抜いていた咬月は、口が腐る思いで呟く。
「“処置”は済んでおる。いざという時の対処は可能だ。……が、そんな事を聞きたいのではない、か」
「……はい」
シェリスの整った眉がひそめられ、伏せた眼差しが見つめるのは、やはりあの夜の戦いだ。
「目と耳に焼き付いて、離れないのです。あの、獣のような戦い方。魂を振り絞るような叫び。あれではまるで……」
シェリス達が止める間も無くヒュージの群れに飛び込んだ“彼”は、ブーステッドスキルであるドレインでミドル級以下からマギを奪い、膨大なそれを使ってラージ級を撫で斬り、ギガント級──恐らく、世界でも目撃例の極めて少ない特型ギガント級を、ケイブごと叩き伏せた。
無論、人間の体がそんな力に耐えられるはずもないのだが、“彼”の場合は義肢が先に限界を迎え、作り物の両脚と右腕は、ラージ級を倒した時点で砕けていた。
それでも“彼”は止まろうとせず、口にアガートラームを咥え、左腕だけで地面を這い、縮地で移動力を無理矢理に補いながら戦った。
人間の戦い方とは、到底呼べない有り様だった。
更に、特異な点はそれだけに留まらず……。
「データによれば、あの時、“彼”のスキラー数値は100を超えていた。
どうやって人の形を維持したのか。そして戻って来られたのかも分からぬ。
危険ではあるが、だからこそ放り出す訳にはいくまい。それに……」
「……代行?」
「いや。気にせんでおくれ。ともあれ、ひとまずは現状維持。具体的な策は調査が進んでから下す事とする」
「了解しました」
スキラー数値とは、0〜100の間で表される、いわばリリィ/マギウスとしてのポテンシャル値だが、その数値は絶対に100を越えない。それが人間の限界値だからである。
なんらかの理由で100を超えるようなポテンシャルを発揮した場合……往々にして強化リリィが陥るのだが、そうなったが最後、狂化という変異状態となる。
一時的な、軽度の狂化であれば、負のマギを浄化するレアスキルの助けで戻って来られる事が確認されている。
しかしあの場で“彼”が見せたのは、そのように生易しい表現では説明のつかない状態だと推察された。
付け加えると、“彼”はあの時、強化リリィだけが使えるはずのブーステッドスキルを、三つも使用した。
ブーステッドスキルは、多く付与されればされるほど狂化の危険度が増すため、二つ程度までに抑えるのが無難とされている。
“彼”は強化リリィではない。とするならば、かの研究所で作られていたT型CHARMのアーキタイプとされる、アガートラームの元となったリリィが持っていたスキルであるはず。
最低でも三つ……。もしかすれば、それ以上のブーステッドスキルを保有する強化リリィを元としたCHARMと契約し、深刻な狂化状態から生還したマギウス。
これが公になったとしたら、“彼”を利用しようとする者、“彼”を守ろうとする者、“彼”を始末しようとする者の間で、血で血を洗う争奪戦が起きるだろう。
(なぜ、こうも“彼”に災いが降り掛かるのか……)
“彼”のここ数ヶ月は、控えめに言っても波瀾万丈であっただろう。
悲しい事に、マギ保有者は悲劇に見舞われる事が多い。だが、それにしても劇的に過ぎる。
咬月は、誰かが糸を引いているとしか思えなかった。
けれど確信を持つには至っておらず、無用の混乱を避けるため、話の主題を“彼”以外の被害者へと移す。
「北河原君の方はどうかね」
「経過は良好です。後遺症も見られず、まだ入院は必要ですが、退院後は特別寮で生活する予定となっています」
「それは重畳。……“彼”からの要望については?」
「滞りなく。名前すら刻めないのは、心苦しいのですが……」
「そうじゃな……」
ただでさえ重苦しかった理事長室が、今度は居た堪れなさで包まれる。
G.E.H.E.N.Aの手に落ちていた北河原伊紀は、救出されたのちに百合ヶ丘で検査を受け、強化手術の痕跡は見られるものの、後遺症はなく、健康体である事が分かっている。
だが、彼女を救出する際に犠牲となった男性──江戸川・C・昭仁の存在は、その死は、世間に公表されない。
公表した所でG.E.H.E.N.Aは知らぬ存ぜぬを貫くだけだろうし、何故それを百合ヶ丘が知っているのかと追及されれば、百合ヶ丘の裏の活動、ひいてはロスヴァイセまで危うくなる。
“彼”はこれを理解した上で、百合ヶ丘の霊園に墓標を建てて欲しいと懇願した。
名前を刻む事が許されなくても、真実を伝える事が叶わなくとも、せめて、友人が確かに存在し、誰かを守るために戦ったという事だけは……と。
同作戦に参加した生徒、ロザリンデも強く賛同し、百合ヶ丘のために命を散らしたリリィ以外の人物達との合祀……という形で実現した。
「逝ってしまった者に、遺された者が出来ることは少ない。せめて、花は絶やさぬようにしてくれぬか」
「勿論です。では、これで」
恭しく一礼し、シェリスが理事長室を去る。
一人、革張りの椅子を軋ませら咬月は、やおら立ち上がり、静かに歩く。
一面の透過防護壁から空を見上げれば、欠けた月には叢雲が掛かっていた。
「長生きなど、するものではないな」
己自身に向けられたその言葉からは、酷く苦い感情が、滲み出るようだった。
《よもやま話その十二、同じ言葉》
「どうですか、おじ様? 違和感とかは……?」
妙に心配そうな顔の少女が、作業台の上で、繰り返し手を握る俺を覗き込んでいる。
いつもは自信満々なこのラボの主人──真島さんだが、今回ばかりは不安が勝っているらしい。
それもそのはず。
本来は年末にはどうにか可能かも……というレベルの手術を前倒しし、俺の体には、精神感応型義肢のコネクターが埋め込まれたのだから。
「問題ないよ。以前と同じように動く。ハーネスが無くなった分、むしろ体が軽いかな。窮屈さも感じないし」
「そうですか。それは何よりです」
ホッと胸を撫で下ろす真島さん。
今回の手術、俺が無理を言って施してもらったものだ。
最初は真島さんも「まだ開発途中ですから!」と難色を示していたけれど、三日くらい拝み倒したら渋々了承してくれた。
術後数時間は異物感があったものの、もう以前と変わらない精度で動かせている。
そして、そんな俺の腕を興味深そうに見つめる美少女がもう一人。
「これが、百由の作った精神感応型義肢なのね。実際に使っている所を見ると、面白いわ」
灰色に近い銀色の髪を持つ、百合ヶ丘とは違う制服を着崩した彼女の名は、天津麻嶺。
有名なCHARMメーカーである天津重工の社長令嬢であり、当人も中学生ながら天才アーセナルとして名を馳せる才媛でもある。
普通の人間ではあり得ない髪色だが、これは体に宿すマギが作用しているマギ毛髪異色症だとか。眼の色の場合はマギ虹彩異色症というらしく、天津さんは両方を発症している。瞳は紫色だ。
今まで特に触れてこなかったけれど、実は梅ちゃんや安藤、遠藤も異色症なので、殊更に珍しくはないのだ。
ちなみに、オットーさんのプラチナブロンドは天然物だそうで。
それはそれとして、友人に対し真島さんの態度は一変。ふんぞり返って胸を張る。
「ふっふーん。そうでしょう、そうでしょうとも。
なんてったって自信作! 愛しの我が子! まぁ、おじ様との共同制作みたいなものだけど。
はっ! という事は愛の結晶⁉︎ どうしよう麻嶺、私ってばいつの間にか人妻に!」
「なってない、なってない。何、どうしたの真島さん、徹夜明け?」
「……みたいですね」
「あっはっはっはっはー!」
見た目にはいつも通りっぽいのだが、この妙ちきりんなテンション、きっと徹夜明けだろう。気をつけなさいって言ってるのに……。
一方の天津さんは真島さんに呆れつつ、眼は真剣に義肢を眺めていた。
見た目は非常に落ち着いた……大人びた彼女だけれど、同じ年頃で、同じレベルの天才が生み出した技術に、興味津々なのかも知れない。
「本当に感覚があるんですか?」
「ああ。試してみるかい。目を閉じてるから、好きなタイミングで右手を触ってみるといいよ」
「では、失礼して……」
物は試しと、天津さんの前に右手を差し出す。
眼を閉じて数秒後、人差し指をちょんと摘まれる感覚が。
「はい、人差し指を触られた」
「……驚いた。本当に実用レベルまで達しているなんて」
「全くだよ。しかも、他の研究と同時進行で、更なる改良までしてるんだから。いつか倒れないか心配だ……」
「大丈夫ですって。おじ様に忠告されてからは、徹夜しても一徹まで、エナドリも一日三本までにしてますから!」
「百由? 一日三本でも過剰摂取じゃないかしら」
「えー。美味しいのにー」
一対二にも関わらず、エナドリに関してだけは譲るつもりがないらしい。どんだけ好きなんだ。
まぁ、無性にあのケミカルな味を堪能したくなる時もあるけども、一日三本は無理そうだ。
こんな感じで、面白おかしく談笑が続けられる真島さんのラボだったが、そんな中、俺は違和感を覚えていた。
正確には、もどかしさ、か。
俺が抱えている感情ではなく、すぐ側に居る人物──天津さんから発せられているそれは、楚々とした振る舞いの裏に隠された、激しい情動を伺わせた。
自分でもなんで分かるのか不思議だけれど、特に不都合な訳でなし、率直にその事を尋ねる。
「なぁ、天津さん」
「なんでしょう」
「気を遣ってくれるのは有難いけど、そろそろ本題に入らないか。君が知りたいのは、アガートラーム……いや、T型CHARMの事だろう」
こちらを見る紫の瞳が、僅かに見開かれた。
三日と開けずに通っていた真島さんのラボで、これまでは完璧にすれ違っていたというのに、あの作戦後、出歩くのを許された途端に初遭遇するだなんて、偶然にしては出来過ぎだ。
真島さんから聞いた限りだが、彼女はCHARMやリリィに対して非常にストイックな人物であるらしかった。
そんな人物が不意に現れたのだから、勘繰って然るべきだろう。
反応を見るに、正解だったようだ。
「大丈夫。どこで知ったかは聞かないし、実際に会って、君がマッドサイエンティストの類じゃないのは分かる。むしろ真逆……。ああいった研究に唾棄する人間だと感じた。違うか?」
「……私もまだまだですね。感情を抑えられていると、思っていたのに」
軽く溜め息をつき、同時に苦笑いを浮かべる天津さん。
手引きしたのであろう真島さんを見れば、今度は借りてきた猫の如く。
さっきまでの騒ぎようは、罪悪感の裏返し、なのかも知れない。
「お察しの通り、私は現在、理事長代行からの要請で、マギ保有者を元としたCHARM──T型CHARMについて調べています。
忌まわしい研究ではありますが、起きてしまった事は変えられない。
ならばせめて、正しい方法で活かす道を見つけたい。……あの犠牲を、無かった事にしては、いけない」
歯噛みするように顔を歪める天津さんの手は、自分自身の肘を強く握りしめている。
研究者としての矜持が、狂気の産物を許せないのか。あるいは、命を冒涜する研究への純粋な嫌悪か。
「しかし、なんで俺に話を? CHARMの専門家である君達の役に立てる事なんて、あまりないと思うんだが」
「何分、前例の無い事態ですから。そうと知らずとはいえ、T型CHARMに携わっていたのは、もう貴方しか残っていません」
「……そうだね。あの研究員も、江戸川も、死んでしまった。俺だけが、生き残った」
それきり、ラボには沈黙が広がった。
そう、あの研究を主導していた女性研究員は、ギガント級との戦いの余波に巻き込まれて死亡していた。
瓦礫で生き埋めになっていた、としか聞いていない。それ以上、聞く気も起きなかった。
結局、T型CHARMの研究で犠牲になったのは、何人になるのだろう。
江戸川、例の少年(百合ヶ丘で保護されている)、ナラナリの素体となったマギ保有者、ナラナリが完成するに至るまでの被験者……。
少なくとも、両手足の指で足りない事は確かだ。
……報いなければならない。
「分かった。可能な限り協力するよ」
「……それが、またT型CHARMを使う事でも、ですか」
「ああ」
即答すると、天津さんはまた驚いた様子だった。意地悪な問いかけのつもりだったのだろう。
でも、そのくらいの覚悟はとうに出来ている。
「天津さん。“あの夜の出来事”について、どこまで知ってる?」
「事のあらましと、ロスヴァイセによる記録映像、それと研究資料を」
「なら、俺が“暴走”した事も知ってる訳だ」
「……はい」
暴走。
言葉にするとたった一言だが、起きたのは複雑怪奇な異常事態だ。
その一部始終は、俺の脳裏に焼き付いている。
「漫画とかだと、その最中の事を何も覚えてない場合がよくあるけど、俺は忘れていない。色々な事を感じて、でも一番強かったのは、共感だった」
「共感?」
「恐らくは、アガートラームのコアに使われたリリィの感情。……ヒュージへの、強い怒りと憎しみ。そして、狂おしい程の後悔」
あの時、俺の体を動かしていたのは、俺じゃない。
俺の体を使い、アガートラームが──誰とも知れないリリィが、動いていたのだと思う。
スキルの多重発動も、強化リリィしか使えないはずのブーステッドスキルを使えたのも、それならば納得がいく。
一体、誰がどんな理由でCHARMと化し、どこから来たのか。
そんな事すら分からないまま、けれど俺は、確かにアガートラームと一体化していた。
そうでなければ、あんな我を忘れた戦い方が出来るわけない。
「ラージ級を捻り潰し、ギガント級を嬲って、ケイブに押し込めていたあの時、
あるいは、単なる憂さ晴らし、八つ当たりでもあったのだろう。
人の身に余る力を存分に振るう万能感と、超越感。破壊衝動に任せてCHARMを振り回す、ある種の爽快感。
代償として機械の手脚は吹き飛び、百合ヶ丘で意識を取り戻してからの数日間、強烈な幻肢痛に喘いだけれど、その事に後悔はない。
もしまた同じ状況に陥ったとしたら、間違いなく同じ行動をすると思う。
これが危険な思考傾向だという自覚はある。でも、止められそうにない。
何故なら。
「“彼女”がどういう経緯で、あんな姿になったのかは知らない。
正直な話、知ったところで、受け止め切れる自信もない。
けど、もう“彼女”にはそれしか遺されていない。それが分かってしまう」
万能感や爽快感の裏で、“彼女”は泣き叫んでいたようにも感じたからだ。
どうして。
なんで。
守れなかった。
生きていて欲しかった。
笑っていて欲しかったのに。
支離滅裂な、決して言葉にはならない感情の渦が、激情の裏に確かに存在したのだ。
経緯は分からずとも、あんな哀しみを直接に感じて、無視する事なんて、とても。
「俺にしてあげられる事があるとしたら、それこそ戦う事だけだから。今まで助けられてきた分、誰かを助けさせてくれた分くらいは、恩返ししたいからさ」
「あの、おじ様……? それ、なんですけど……」
「分かってる。もうアガートラームは使えないんだろう? 危険だから」
「…………はい」
真島さんは、まるで自分が死刑宣告をしているかのような、苦渋に満ちた顔をしている。
俺がどう思っていようと、暴走し、周囲に致命的な破壊を撒き散らしたのは事実。無理もない。
恐らくアガートラームは、調査のために封印こそされないまでも、戦闘出力は出せないよう、機能にロックが掛けられるだろう。
そうしないと、他のリリィ──川添や白井さん、真島さんにだって危険が及ぶかも知れないのだから。
なればこそ、行動し続けなければ。
犠牲になった者達の為にも……。
「それでも、“貴方”は戦い続けると」
「もちろん」
「何故、そこまで……?」
「………………」
問いかける天津さんに、しかし俺は即答できなかった。
言葉にすると安っぽくなるから? いや、違う。
他に出来そうな事を見つけられない、安易に戦いに逃げている自分を、これ以上、綺麗事で飾りたくなかった。
誰かの為、というのは理由の半分。
もう半分は、そうしないと罪悪感で潰れてしまいそうだから。
戦っている間なら、まぶたの裏を過ぎる死に顔を、きっと忘れられるだろうから。
俺は曖昧に笑って誤魔化し、作業台を降りて天津さん達に背を向ける。
「そろそろ行くよ。この後、久々に戦闘訓練をする予定だから」
「あ、だったら、データ取りたいので私も」
「ダメ。真島さん、君は寝なさい。放っとくとまた研究を始めるだろう?」
「うっ。そんな事は、無きにしもあらずんば、ですけどぉ……」
「はぁ……。天津さん、頼んだ」
「ええ、任されました。……頑張って下さい」
端末片手に抜け出そうとする真島さんの肩を掴みつつ、天津さんは苦笑いで見送ってくれた。
それに手を振りかえしながら、部屋を出て、作り笑いを消す。
無理に笑うのが、こんなにも疲れるものだとは、知らなかった。
《よもやま話その十三、普通ということ》
「碧乙さん。……碧乙さん!」
「え? ……あ、はい、なんでしょう⁉︎」
唐突な呼びかけに、石上碧乙は勢いよく背筋を伸ばした。
敬愛する先輩──ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーの声だ。
反射的にそうなってしまったのだが、それを見たロザリンデは、笑顔のていを成しながらも、同時に強い圧迫感を放つ、凄みのある表情を見せる。
……要するに、怒っているらしかった。
「なんでしょう、じゃないでしょ。今はなんの時間かしら」
「……せ、戦闘訓練の時間、です……」
「分かっているようで安心したわ。なら、私がさっき話した戦法を復唱してくれる?」
「う……あの……えっと………………ごめんなさい」
「はぁぁ……」
深い溜め息。
たまたま、他に使うリリィの居ない地下訓練場では、やけに響いて聞こえる。
マンツーマンの戦闘訓練中にボーっとしていたのだから、ロザリンデの憤慨も当然だし、それを受けて碧乙が涙目になるのもまた当然なのだが、普段ならお説教に移行する場面で、けれどロザリンデは矛を収めた。
「集中できていない理由は、おじ様ね」
「……そう、です……」
碧乙達が地下訓練場に入る直前、二人は“彼”と出くわした。
公には面識はないという事にされているので、すれ違う時に「ご機嫌よう」とだけ挨拶を交わしたが、碧乙が明らかに動揺し、集中を欠いたのはあの時からだった。
「今日はもう上がりましょうか」
「え。でも」
「そんな状態では、訓練すらも怪我の元よ。その代わり、少しお茶をしましょう。いいわね?」
「……はい」
やや強引に訓練を切り上げ、ロザリンデと碧乙は特別寮──特殊な事情を抱えたリリィの保護寮──へと引き上げる。
道すがらも碧乙は言葉数が少なく、意気消沈といった有り様だ。
もっとも、あの作戦以降、明るい表情を見せる事の方が少ないのだが。
それに輪をかけて動揺したのは、やはり“彼”と碧乙の関係に原因があるのだろう。
(怖がっている……のではない。この子は、どちらかと言えば感情を内に向けるタイプだから……)
短くはない付き合いと、放って置けない後輩との間で培った記憶、思い出からロザリンデが推測するに、その理由は……。
「もしかして、後ろめたいのかしら?」
「えっ。な、なんで分かるんですかっ」
「なんとなく、よ。それに、理由までは分からないわ」
驚く碧乙に、ロザリンデはしとやかに微笑み、内心で胸を撫で下ろしていた。
碧乙はロザリンデを崇拝しているような気配があるので、その理想像を崩さないよう、面倒ではあるが、隠れて努力していたりするのだ。
ともあれ、二人は特別寮のラウンジに移り、気もそぞろな碧乙に代わって、ロザリンデが優雅な所作でティーセットを用意。
香り高い紅茶の湯気が立ち昇った頃、ようやく碧乙がポツリポツリと語り始める。
「私達は、強化リリィです。G.E.H.E.N.Aの強化手術を受けた、リリィの中でも、特に異質な存在。……ですよね?」
「……ええ。そうね」
「だから、でしょうか。普通だった頃が、懐かしく思える事があるんです」
望む望まないに関わらず、と付け加えた方が正しいものの、変えようのない事実に、ロザリンデは頷くしかない。
一方で碧乙の眼は遠くを見ており、過去を振り返っているのが分かった。
「あの作戦で、私はおじ様と血縁関係を演じました。ごっこ遊びみたいなものでしたけど、私は、楽しかった。普通の人に……ただの女の子に、戻れた気がして」
その後に起きた出来事からすれば、本当に些細な、取るに足らない事柄。
食料の買い出しついでに、妙に重い設定の家族を演じた数時間。
ふと思い出しては苦笑いしてしまうような、ちょっとした遊び心の結果ではあったけれど、碧乙にとっては思い出深い時間だった。
……だが。
「でも、おじ様は……あの作戦で、おじ様は御友人を亡くして、あんな……あんな……っ」
それを簡単に吹き飛ばすのが、あの戦い。あの暴走。
黒いマギで身を鎧い、慟哭し狂乱する、“彼”の姿。
本当に同一人物なのかと疑いたくなるほど、衝撃的だった。
そして。
そんな姿を目の当たりにして、何も出来なかった……。脚が竦んで動けなくなってしまった、自分自身の不甲斐なさを、碧乙は許せなかった。
「私にもっと力があったら。
おじ様との共感現象をもっと利用して、あの事態を予見できていれば。
もっと別の結末があったんじゃないかって、どうしても、そう考えてしまうんです」
もっと早く救援を呼んで、もっと早く戦場へ駆けつけていれば、“彼”の友人は助かったかも知れない。
それよりも、いっそ救援はロザリンデに任せて、最初から“彼”と共闘していたなら、“彼”が暴走なんてしない、違う結末を掴めた可能性だって。
そうしたら、“彼”が上層部から不当な……危険分子扱いを受ける事も、なかったはず。
いいや、物理的に間に合わない。
共闘しても何も変えられない事だってあり得る。
何をしたとして、喪われる命も救えず、“彼”の暴走も止められない、かも知れない。
それでも、無駄だと分かっていても、考えてしまうのだ。
もっと良い今があったのでは? と。
ラウンジは静まり返っていた。
いつもなら寮生で賑やかなのだが、中途半端な時間に訓練を終えてしまったからだろう。
ゆっくりと、ロザリンデが紅茶に口をつける。
その温かさが、少しだけ心を軽くしてくれたような気がした。
「確かに、ファンタズムは未来を予見できる。けれど、レアスキルだって絶対じゃないわ。
未来を見てしまったせいで、より悪い未来を引き寄せてしまう可能性だってある。
自分の力で、世界を思い通りに変えられるだなんて、傲慢な考え方だわ」
「……そ、そう、ですよね。私なんかが何したって、事態を悪化させるだけ、で……」
ある意味では予想通りの、厳しい言葉を投げかけられ、碧乙の目尻にいよいよ大粒の涙が浮かぶ。
慰めて欲しかった訳ではない。
同情して欲しかったのでもない。
碧乙は、痛いほどの事実を突きつけて欲しかった。
そうすれば。
そうする事で、少しでも似たような痛みを感じれば、少しは“彼”の苦しみも、理解できるのではないかと思ったから。
訓練場の前で見た、あんな、思い詰めた表情をさせずに済む方法が、思いつくかも知れなかったから。
……どんなに痛くとも、“彼”の痛みには決して及ばないと、知っていても。
しかし。
「でも」
ただ痛いだけで終わるはずだった言葉は、不意に温かさを宿した。
いや、違う。
言葉だけではなく、ロザリンデの手が、固く握られた碧乙の手に重ねられていて。そこから、体温が伝わってくる。
「誰かを救いたかった、助けたかったと思って涙を流せるなら、それはきっと、優しさから生まれる、立派な後悔よ」
「後悔……。立派な……?」
「そう。今はまだ活かせなくても、いつかきっと、その痛みは力になる。いいえ、力に変えられる。貴方にそのつもりがあるのなら」
「………………」
優しく、凛々しく。それでいて力強いロザリンデの言葉は、不思議と違和感なく碧乙へ染み込んだ。
それは、根源で同じ痛みを抱える者同士だからこそ、伝わる慈しみ。
貴方は強くなれる。
今は無理でも、いつかきっと。
そう信じてくれているのが、肌で分かる。
「誰かに笑って欲しいなら、まず自分が笑顔でいなさい。しかめっ面や泣き顔のまま、誰かを笑顔にできるほど、貴方は器用じゃないんだから」
「……っ、は、い……っ」
優しく涙を拭ってくれる手に、その温かさに頬を寄せながら、碧乙は不器用に笑い、そして泣いた。
いつかきっと、誰かを笑顔にさせられる自分になるため。
今だけは、優しく守ってくれるこの手に、甘えたかった。
なおこの光景は、物影から見守っていた特別寮の生徒達によってしっかり周知され、今後数週間、多方面からイジられる事になったのは、言うまでもない。
イジられている間、碧乙の顔には、照れ臭そうな笑顔が浮かんでいた事も、また同じく。
言い訳を……言い訳をさせて下さい……。
実はですね、ようやく当たったんですよ。PS5。Amazonの抽選販売一回目で。
届いたらまぁ「どんなもんやろ」と起動するじゃないですか。
開封すら出来なかった購入済みのデモンズリメイクとか、デスストDCとか、ブーストモードが適応されるダクソ3とか隻狼とかホライゾンとかを遊んでみたら、あっという間に100時間以上吸われました。ごめんなさい超楽しかったです。
エルデンリングのテスターにも当選したので、仕事がある時以外は遊び倒す予定だったり。超絶楽しみです。
そんなこんなで遅れた上に無駄に長くなったので、本来は五話構成だった物を書き上がった三話分だけ先に投稿します。
でも、あれですね。遅れてる間に公式ツイッターで碧乙ちゃんの二つ名の由来とかも判明したので、怪我の巧妙ですかね?
意外と重くない理由で肩透かしくらった気分ですが、きっと本人にとっては辛かったんでしょう。ロザリンデさんに慰められるといいよ……。
あと、少し前にラスバレの方でで亜羅椰ちゃんを解放したんですが、深夜帯の囁きボイスが優しくて(やらしくての誤字にあらず)堪りません。惚れてまうやろ!
まだ解放してない人は是非とも解放して聞いて欲しい。性能? 特に語る事はないです(´Д` )
ああ、次はレジェバト用に番匠谷Pを解放しなきゃ……。アールヴへイム全解放はいつになるやら……。
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25 百合ヶ丘女学院よもやま話、その十四〜十六
《よもやま話その十四、外側から見た景色》
その日、郭神琳は最悪の気分で目覚めてしまった。
(……嫌な夢)
ベッドの上で起き上がりながら、目尻を拭う。指には、透明な雫。
悪夢を見た。
人々がヒュージに蹂躙され、街が壊されていく夢。
神琳の故郷──台北市が滅ぼされる、夢。
幼い頃から日本で生活しているため、神琳は直接その光景を見ていない。
あの悪夢は、神琳の心が作り出した光景に過ぎない。
それでも、胸を掻きむしりたくなるような、耐え難い激情が渦を巻いた。
(嫌な、夢)
時計を確かめてみると、まだ朝の五時。どうりでカーテンの向こうが暗いはずだ。
しかし、今から寝直す気分でもなければ、いつものように朝練に繰り出す気力もない。
仕方なく、神琳は少し大人びたデザインの寝巻きから制服に着替え、散歩に出る事にした。
「……はぁぁ〜」
寮から出て、大きく息を吐く。
肌には冷たい空気が突き刺さり、曇る息が瞬く間に消えてしまう。
もちろん、こんな時間に人影は全く無く、誰も居なくなった世界にたった一人、取り残されたような感覚を覚えた。
(どうして、今更あんな夢を)
当て所もなく進む神琳の足取りは、重い。
昔、故郷が陥落したという知らせを聞いた時は、それこそ眠れなくなるほどのショックを受けたものだが、ここ最近、故郷に関する悪夢は見ていなかった。
忘れていた訳ではない。
忘れられる訳がない。
けれど、普通に生活できるくらいには、折り合いをつけられたはずなのに。
何故。
「……? あれは……」
考えながらも歩き続け、休憩所──足湯の東屋まで来たところで、神琳は気付く。東屋に人影があったのだ。
この足湯、冬場は源泉掛け流しで常に温水が流れているため、人気のスポットではあるのだが、わざわざ朝早くに浸かりに来る物好きな生徒は居ないだろう。
というか、よくよく見れば学院の生徒にしては体が大きい……というより、明らかに性別が違う。
“彼”だ。
(こんな時間に、どうして……?)
何故だろう。神琳は“彼”に気取られないよう木の影に隠れ、遠目に様子を伺う体勢になってしまった。
そも、やたら早くに出歩いているのは神琳も同じなのだが、“彼”の佇まいが妙に気になった。
覇気がない、とでも言うのか。
やっと姿を見せ始めた太陽に照らされる“彼”は、身じろぎ一つせず、ただただ無言で虚空を見つめ、まるで人形のよう。
胸がザワつく。
あの生気のない表情を見ていると、無性に。
「あら。まぁたまた随分と熱〜い視線を送ってるわねぇ。もしかして、本気にでもなっちゃったのぉ?」
そんな時、ふと背後から声を掛けられた。
ま た か 。
覚えたくなくても覚えさせられたその声に、神琳は無意識のまま、深く深く深く溜め息をついた。
チラリと横目で振り返れば案の定、同じく制服姿の遠藤亜羅椰が、そこに居た。
もう真面目に答えるのすら面倒で、神琳が投げやりに答える。
「……そうかも知れませんね」
「は? 冗談のつもりだったんだけど」
「奇遇ですね。わたくしもです」
「
相も変わらず挑発的な顔付きで、横から覗き込んでくる亜羅椰。
その言われようには文句をつけたかったが、自分でも気落ちしている自覚はあるので、神琳は話題を変えた。
「遠藤さんは、なぜこんな時間に?」
「ちょっとルームメイトがね。先に寝落ちされちゃったから、暇潰しに散歩でも……と思ったら、物影からおじ様を見つめる不審者が居たもんだから、思わず」
貴方にだけは不審者なんて言われたくありません。
と神琳が言い返す前に、亜羅椰は東屋を見遣る。
あちらもあちらで、変わらず虚空を見つめている。
不機嫌そうな溜め息が白く煙った。
「あっちもあっちで湿気た面ねぇ……。ホント、何があったんだか」
「遠藤さんはご存知ないんですか? 最近、絵のモデルを頼んでいるらしいじゃありませんか」
「知る訳ないでしょ。ただ絵を描いてるだけよ。余計なお喋りなんてしないし、聞いたところで答えないんじゃない? あの人、けっこう頑固なとこあるみたいだもの」
亜羅椰は木に寄り掛かり、大仰に肩をすくめた。
遠藤亜羅椰が男をモデルに絵を描いている。
この事実は、大きな驚きと共に学院を駆け巡り、本人達の耳には届かない範囲で、あれやこれやと噂が広まっていた。
神琳にはあまり興味のない内容なので我関せずを貫いていたけれど、“彼”を見るその視線からは、“彼”を気遣うような気配が感じられて。
「風の噂に聞く程度だけど、おじ様が学院を出たのと同じ時期に、ロスヴァイセが動いてたらしいのよ」
「ロスヴァイセ……。確か、衛生レギオンとして有名でしたね」
「それだけじゃなさそうだけどねぇー。絶対に裏があるわ」
「根拠は?」
「か・ん。でも、私のこういう勘は当たるんだから」
時々……。本当に時々だが、この根拠のない自信を羨ましく思う事がある。
とはいえ、真似をするつもりは全くないし、それよりも重要な事に思い至ったので、神琳は亜羅椰の存在を頭から追い出して、自らの記憶の海を覗く。
(あの顔を、あの表情を、私は知っている。見た事がある)
まるで、心が死んでしまったかのような、空虚な表情。
以前にそれを見たのは、鏡越し。そう、神琳自身の顔だ。
神琳には三人の兄が居た。
歳の離れた彼等は、神琳が物心つく位の頃には、すでに台北市で戦っていた。
そして、台北市が陥落して以来、連絡は途絶えている。
神琳の心に、この出来事は深く刻まれている。
……思い出すだけで、胸が痛くなるほど。
(わたくしは、どうやって乗り越えたの……。そもそも、本当に乗り越えられているの?)
正直に言って、決して忘れられないけれど、あまり積極的に思い出したくもない記憶である。
返事が来ないと分かっていて手紙を書いたり、一人で塞ぎ込んでは、泣き疲れて眠ってしまったり。
我ながら酷い状態だったと神琳は思うのだが、どうやって立ち直ったのか、思い当たる節がない。
時間が悲しみを紛らわせた可能性もなくはないだろうが、別の何かがあったような……。
「じぃ〜」
「……な、なんですか。そんなにジッと見て」
いつの間にか、また亜羅椰が神琳の顔を覗き込んでいた。
思わず身構えて距離を取るも、彼女は難しい顔でしばらく考え込み、かと思えば、「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめて見せる。
「もう冬だっていうのに、どこもかしこも湿気ってばっかり。まるでふやけたお煎餅みたいだわ」
「……確か、濡れ煎餅、という種類のお煎餅があったような」
「アンタ、分かっててスッとぼけてるでしょ? もういいわ、ちょっとこっち来なさい」
「え。あ、ちょっと!」
むんず、と神琳の腕を掴み、亜羅椰は迷わず東屋へ向かって行く。
有無を言わせないその歩みは、ザクザクと枯葉で大きな音を立て、程なく、“彼”に神琳達の存在を気付かせた。
「……ん? おお、遠藤と郭さんか。ずいぶん早起──」
「神琳、そこに座りなさい」
「な、なんなんですか、いきなり。わたくしは」
「いいから早く! おじ様は動かないで!」
「え? ……え?」
座っている“彼”の隣を指差し、亜羅椰が言う。
困惑する二人を他所に、亜羅椰はその対面へと腰掛け、どこからか取り出した大きめのシステム手帳とペンを構えた。
どうやら、今ここでスケッチするつもりらしい(なんなら足湯にも浸かっている)。
こうなっては仕方ない。抵抗すると後が面倒な事になりそうなので、神琳は不服ながらも従う事にした。
「し、失礼します」
「……どうぞ」
一応、“彼”に断りを入れてから、拳数個分の距離を置いて、足湯に浸かる。
体が冷え始めていたのか、じんわりと温かさが足を伝って心地よい。
しかし、亜羅椰は不満げにペンをビシッと。
「ちょっと神琳、距離開け過ぎ。もっと近寄って。腕組んだり、肩にしなだれ掛かれるくらいに」
「んなっ⁉︎ そそ、そんな事できるはずがっ」
「実際にしろだなんて言ってませんけどぉ〜? 距離があると構図が悪いのよ、ほらちゃっちゃと詰める」
「む……っ」
「お、おい、遠藤? 俺には構わないけど、郭さんに無理強いは」
「おじ様は黙ってショボくれてればいいの。大人しく引き立て役になってなさいな」
「ぐ……」
あからさまな挑発を受け、流石に二人もイラっとしてしまうのだが、ここで声を荒らげては、きっと亜羅椰の思う壺。
大人な対応を心掛けるべく、神琳は深呼吸、“彼”は大きな溜め息で気を落ち着かせ、亜羅椰がペンを動かし始めるまで、徐々に徐々に距離を詰めた。
「なんか、ごめんね。巻き込んじゃったみたいで」
「いえ、わたくしの方こそ……。本当に、何を考えているのやら……」
結局、肩が触れるか触れないかの距離まで詰める事になったものの、亜羅椰の横暴の被害者であるという共通点のおかげで、神琳も変に緊張する事はなかった。
が、亜羅椰のスケッチが終わるまでの時間を、ただ無言で過ごすというのは、ちょっと気不味い。
何か世間話のネタでもなかったかしら……と考えを巡らせる神琳に、“彼”の方から助け舟が出される。
「最近はどう? なりたい自分に近づけてるかい」
「……どうでしょう。勉学でも戦闘技術でも、学ぶべき事が多過ぎて、身についているかどうか」
「ふむ。何か、克服したい課題がある、とか?」
「そう……ですね」
控えめに言っても、神琳は優秀だ。
同学年のリリィと比べて、学業の成績は抜きん出ているし、実技──戦闘訓練でも一歩先を進んでいる。
いっそ、高等部の生徒と比べた方が、客観的にも実力を推し量りやすい位である。
けれども、それ故に神琳は、他を導く、先導する存在として認知されており、いわゆる仲間との切磋琢磨が可能な環境に、身を置けていなかった。
まぁ、よく突っかかってくる
この事を自覚すると、どうしても苦笑いが浮かんでしまうのが不思議だった。
「わたくしのレアスキル、テスタメントは、防御結界を薄くする欠点があります。
近頃、誰かさんに絡まれて戦闘訓練する度に、それを思い知らされていて……。
あ、ちなみに勝ち越していますよ? わたくしが」
「記憶を捏造しないで貰える? 昨日の私の勝ちで同点よ」
「遠藤さんの記憶違いでは?」
「い、い、え。私の記憶力は絶対だから。あの模擬戦以来、27勝27敗。きっちり同点!」
「つまり、あの模擬戦を加えれば、わたくしの勝ち越しですよね?」
「ぐ、ぬぬぅ……!」
にっこり。今度は満面の笑みで神琳が言い、対する亜羅椰の顔は、苦虫を噛み潰したよう。
良くも悪くも、確かなライバル関係が構築されていた。
傍から見ると、喧嘩するほど仲が良い、の典型に思えるのか、“彼”の顔にも笑顔が浮かぶ。
「テスタメントの欠点か……。難しい問題だね。解決の糸口はある?」
「推奨されているのは、ヘリオスフィアの影響下に入ること、もしくは防御に適したCHARMを使うことなのですが……」
「その様子だと、しっくり来てないみたいだね」
「はい。もっと能動的に対処できれば、と考えています。受け身なばかりでは、戦場で動けなくなってしまいますし。でも、なかなか……」
和やかな雰囲気ではあるが、話の内容は真剣そのもの。
他人のレアスキルを増幅するテスタメント使いは、その防御力の低さが原因で、戦闘においては後衛に適するとされている。
前衛に立つにしても、上記の条件を満たせないと、生存率が非常に下がるからだ。
しかし、そう都合良くヘリオスフィアの使い手が側に居てくれるとは限らない上、常時その効果を発揮させるのは、マギの消耗的にも好ましくない。
神琳としては、自らの持つレアスキルを最大限に活かす──他のリリィをより活かすために、テスタメントの欠点を、自分だけで解決したいと考えているのである。
高望みかも知れないと、分かっていても。
「同じレアスキルを持つ先輩とかに、相談はしてみた?」
「……いえ。お手を煩わせるのも良くないと思って、まだ誰にも」
「煩わせる、なんて事はないんじゃないかな。きっと力になってくれるよ。
そういえば、アールヴへイムにもテスタメントを使うリリィが居たっけ。
川添を通じて、相談相手になって貰えるよう、打診してみようか」
「い、いえ、そこまでして頂く訳には……!」
思わぬ申し出に、神琳はつい首を振ってしまう。
本来ならば、一も二もなく飛びつくべき話だ。
中等部の生徒混じりでありながら、今の時点でも注目を集める超有望株ばかりの、アールヴへイム。そのメンバーに直接指導してもらえるかも知れない。
きっと得るものは目白押しで、実り多い時間になるだろう。
が、神琳自身はアールヴへイムと何某かの伝がある訳でなく、それを無視して指導を願うなど、なんとも厚かましく、図々しい甘えだと思ってしまうのである。
生真面目さが裏目に出ている形だ。
事実、神琳は教本を読んだり、同級生のテスタメント使いの話を聞くなどして、まず自分なりの努力をしてから、誰かに相談しようと考えていた。
しかし、“彼”は尚も言葉を重ね……。
「今は学院防衛の手伝いだけだから、そう思ってしまうのも無理はない。
でも、戦いに絶対は無いし、あと一年もすれば、本格的にリリィとして活動する事になる。
そうなってからじゃ、遅いかも知れない。ほら、後悔先に立たず、って言うだろう?」
冗談めかしていても、その表情は真剣さを隠しきれていなかった。
後悔。
たった二文字の言葉の裏には、“彼”の複雑な思いが込められているように感じられる。
その中に、神琳の身を案じる気持ちがあると。そう思うのは、自惚れではないだろう。
「……そうですね。わたくしとした事が、折角の学ぶ機会をふいにする所でした」
「じゃあ……?」
よくよく考えてみれば、いや考えずとも最高の申し出。
試行錯誤する時間を省き、確実に地力を上げられるうえ、何か他の分野でも学べる可能性は高い。
神琳は破顔し、“彼”に大きく頷き返す。
「はい。先輩方へのお話、どうか宜しくお願いします、おじ様。もちろん、わたくし自身からもお願いに参りますので」
「そっか、良かった……。余計なお世話にならなくて、安心したよ」
ようやく、“彼”の顔に自然な笑顔が浮かび、肩の力も抜けたように感じられた。
この数週間で、“彼”に何があったかは分からない。辛い事だったのかも知れない。
けれど、この小さなやり取りが、ほんの少しでも“彼”の救いになったならと、神琳は思った。
そして、そんな風に笑い合う二人を、亜羅椰は静かに見つめていた。
ペンを動かす事もせず、まるで別人のような、穏やかな顔付きで。
ただ、静かに。
《よもやま話その十五、裸の付き合い》
「時に、温泉は好きかね」
「は? はい、人並みには……」
義父上からの唐突な問いに、なんとなく曖昧な答え方で返してしまう。
場所はいつもの理事長室。
今日も一日が過ぎようとしており、暮れなずむ景色を窓の外に見られる時間帯である。
例の一件以降、経過観察の意味合いも兼ねた面談を、こうして毎日行っているのだが……何故に温泉?
「宜しい。では付き合いたまえ」
「……温泉に、ですか? でも、百合ヶ丘の温泉は全部リリィ専用じゃ……」
「大浴場は、な。源泉に近い場所に露天風呂がある。本来は教職員用なのじゃが、少し歩く必要があって、事実上、儂専用になっておる」
「なるほど」
部屋を出る義父上に続き、歩いて学院から離れる。
てっきり車か何かで行くのかと思っていたが、それほど距離はないらしく、普通に徒歩で向かうようだ。
暗くなり始めた森の中を、義父上が持つ古めかしいランタンの明かりを頼りに進み、急勾配な坂道などを越えること二十分ほど。
小高い丘に拓けた場所が現れ、これまた古式ゆかしい日本家屋……いわゆる庵が、ひっそりと佇んでいた。
「周りが拓けてて、景色も良いですね」
「うむ。ここで静かに湯に浸るのが、密かな楽しみでな。さぁ」
裏手が露天風呂になっているとの事で、勧められるがまま、庵へと足を踏み入れる。
こじんまりした室内には最低限の家具しかなく、畳敷の休憩スペースと脱衣所が間仕切りされている位で、後は物置っぽい戸棚があるだけ。
流石に電気は来ているのか、照明はあるけど天井に一つのみ。隠れ家的雰囲気だ。
そんな中、義父上は戸棚から何やら一升瓶を取り出し、燗徳利や猪口まで用意すると、そのまま無言で服を脱ぐ。
(凄い傷跡だ)
義父上──高松咬月という人物は、歴戦の勇士である。
ヒュージ出現最初期の動乱、南極大戦を生き抜き、現在に至るまで活動を続ける傑物。
分かっているつもりだったけれど、老いてなお壮健な体に刻まれた多くの傷跡が、その人生を如実に物語っていた。
それに倣い、俺もそそくさと服を脱ぎ、裏手へと続く引き戸を二人でくぐる。
蛇足だが、湯着着用の上で、である。学院敷地外ではあるが、護衛してくれているリリィへの配慮なのだとか。
そりゃそうですよ。野郎のイチモツ見て喜ぶ女子高生とか居ない。居たらヤバい。
「……っあ゛ぁああぁ……。染みるぅ……」
「じゃろう?」
掛け湯をし、熱めのお湯に体を慣らしてから全身で浸かると、マギがほんの少し活性化するのが分かった。
百合ヶ丘の温泉は、わずかながら聖泉としての性質があると聞いていたが、源泉に近いとよく分かる。
ジワジワ〜とくるのが気持ち良い。
聖泉とは、龍脈・地脈といった“力”の流れの影響を受けた水源の事で、それに身を浸す事でマギの回復が促されるのだ。
単純に泉として湧く事もあれば、古くから温泉として利用されてきた聖泉もあり、「傷が早く治る」などの効能が見られる温泉は、たいがい聖泉だと思っていいらしい。
そのまましばらく、無言でお湯を楽しむ時間が続いた。
比較的高所だからか、沈みかけた夕日がまだ見えて、闇に染まりつつある空にグラデーションを作っている。
背後の引き戸から溢れる明かりは弱く、幽玄な情感を引き立たせて。
なんとも……静かだ……。
「先日の……」
「……はい?」
「先日の作戦では、辛い想いをさせてしまった。一度、謝りたいと思っておった」
不意に、静寂が破られる。
義父上はこちらを向いていなかったが、空を見上げるその顔に、物憂げな皺が浮かんで見える。
静かだった胸の内に、漣が立つ。
「謝って頂く事なんて、ありませんよ。少なくとも、戦友の死を看取る事はできました。何も知らないまま、いつの間にか死なれているよりは、ずっといい」
「……かも知れぬが」
「それに今の時代、こんな別れはありふれています。誰もが、こういった感情を抱えて生きてる。自分だけ悲劇の主人公ぶるのは、少し、違うかと」
同じように空を見上げ、思ったままを口にする。
嘘だ。こんなのは建前で、本当は虚無感に苛まれている。ずっと。
でも、それを認めてしまったら、心が折れてしまいそうだから。
俺は必死に、強い自分であろうと嘯く。
しかし、義父上にはそれもお見通しのようで。
「確かに、ありふれているのじゃろう。しかし、ありふれた出来事だからこそ、耐え難い時もある。無理に蓋をすれば、いずれ弾けてしまうぞ」
言いながら、先ほど義父上の用意した二本の徳利と猪口が盆に乗せられ、湯船の縁に置かれる。
湯で燗されていたのか、芳しい日本酒の香りが鼻をくすぐった。
「そら、一献」
「……頂きます」
差し出される徳利を猪口で受け、今度は俺が義父上に。
無言で、目線の高さまで掲げたのち、猪口を呷る。
ぬるめの酒精が喉を焼いた。
「
「ああ。儂の好みとは少し外れるが……こればかりを好き好んで呑む男が居たんじゃよ」
猪口を見つめる目が細められ、目尻の皺がより深くなる。
口には出さないが、きっと義父上も、同じような経験をしたのだろう。いや、幾度もしてきたのだろう。
一息に猪口を空にして、深く息を吐く。
「やはり、
「……
今度は手酌で猪口を満たし、また呷る。
以降、言葉は殆ど交わさなかった。
ただ湯に浸かり、誰かが好きだったという酒を飲むだけの時間。
いつの間にか。
胸の内に立った漣は消えていた。
《よもやま話その十六、葛藤》
深夜。
机に付属した灯りだけを頼りに、一人の男性がタブレット端末に向き合い、作業を行っていた。
左手のみで行われるそれは、右腕に装着された義肢と、その接合部のメンテナンスである。
と言っても、出来るのは簡単な洗浄や、専用端末に繋いでのシステムチェックくらいで、専門的な調整などはアーセナルに頼らざるを得ない。
それでも作業を続けるのは、少しでも自分に出来る事を増やそうという考えからなのだろうが、しかし“彼”の表情は、酷く暗いものだった。
「……やっぱり、か」
嘆息。
視線の先には端末の画面があり、様々なデータが表示されているものの、全て教えられた正常範囲内に収まっていた。
問題など無いはずなのに、右腕の凸型接合部を撫でては、顔を顰めている。
まるで、そこに“何か”が存在しているように。
「………………」
立ち上がり、窓辺へ。
地上を見下ろす満月には叢雲が掛かり、風が強いのか、異様な速さで流れていく。
一部地域では、急ぎ足の雲は凶兆とされるらしい。
ふと、そんな事を思い出しながら、月明かりに欠けた右腕を翳す。
「俺は、何なんだろうな」
呟きは夜闇へと消え、揺れる窓ガラスの音だけが聞こえる。
結局、“彼”は朝日が昇り出すまで、窓の外を見続けていた。
そして、そのまま部屋を抜け出したのち、神琳と亜羅椰に発見されるのである。
百合ヶ丘女学院に招かれざる客人が訪れる、わずか二日前の出来事であった。
ちょっとした小ネタ。
亜羅椰ちゃんと天葉様を同時に編成して、デイリーなどをオートで始めると、「活躍したら樟美をお貸し下さい!」「亜羅椰! ほd《ヘリオスフィア》!」となって「樟美から離れんかいワレェ」してるようになる。
ちなみに本来は「程々にね!」と返します。……OKなの?
それはさておき、アサルトリリィ二次なのに、初めての温泉シーンが爺とおっさんなんて誰得やねーん!
本当に誰も得しないんですけど、どうしても描写しておかないといけなかったんです許して。お尻貸すから(オイ
話の内容が前後して分かりづらいと思いますが、時系列的には16、14、15の順に進んでます。
なんでこうなったか? 書きたい物を書きたい時に、行き当たりばったりで書いてるからじゃないっすかね(適当)。
次回はPC編の詰め。久々にあのシュッツエンゲルと、その後が気になる愛の重い子が出ます。ご期待ください。
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26 キョウチクトウ ──Oleander── 君の未来に望むこと、その一
その提案は、夢結と美鈴の首を傾げさせるのに、十分なものだった。
「白井さん。俺と模擬戦して貰えないかな」
「模擬戦、ですか。訓練ではなく……?」
久方ぶりとなった、三人での茶会。
世間話もそこそこに、“彼”は「唐突だけど」と断ってから、こう告げたのである。
「そうなんだ。どうしても確かめたい事があって、白井さんに協力して欲しい」
「私でお役に立てるなら、喜んで。でも、確かめたい事とは……」
「それは……スキル関連の事だから、感覚的なものでさ。言葉にして説明するのが難しいというか……」
「なるほど。私達が使うレアスキルは、分類こそされているけれど、全てが全く同じではないからね。そんな事もあるだろうさ」
一般的に、リリィが使うレアスキルは16種類存在するとされ、サブスキルも含めれば32種類の多岐にわたる(未発見のサブスキルもあるので、あくまで理論上はである)。
しかしながら、その全てが、必ずしも一定の効果を発揮するとは限らない。
同じ縮地の使い手でも、身体能力によって最大速度や旋回半径などが変化したり、滅多にない事だが、スキルと本人の才能や気質が噛み合わないという可能性も、無くはない。
要は、レアスキルも個人差が大きく、計測機などで測れる数字だけでは、持ちうる資質を全て把握できない……という事である。
また、スキルの熟練度・強化手術に寄らず、その人物だけの特殊な効果が発現する場合や、スキルとは関係ない状況で、特殊な効果を発生させられる場合もある。
これは異能持ちと呼ばれ、中でも比類なき異能を有するリリィを、“特異点のリリィ”と呼称する。
S級となるまでレアスキルを熟達したリリィの多くも、同じく特異点のリリィ、もしくはS級特異点と称される。
上記の事から、“彼”は模擬戦を通して、自らの能力に、普通ではあり得ない“何か”を見出そうとしているのだろう。
夢結自身、自分のレアスキル・ルナティックトランサーに振り回されている感が否めないため、それを改善したいという気持ちはよく分かった。
けれど……。
「おじ様は……」
「なんだい?」
「……いえ、なんでもありません。いつにしましょうか」
どうして貴方は、そんなに焦っているんですか。
思わずそう問いかけようとして、作り笑いに誤魔化す。
“彼”が数日ほど百合ヶ丘を離れたのが、一〜二週間前。
詳しい事情は聞けなかったけれど、再会した時には、まるで別人のような暗い表情をしていた。
酷く胸をざわつかせる、痛みを堪えているような表情。
でも、夢結達が話しかけたりすると、それはすぐに作り笑いで消えてしまう。
もちろん、美鈴もこの事に気付いていたのだが……。
『誰にでも、踏み入って欲しくない領域はある。今はそっとしておこう』
敬愛するシュッツエンゲルからこう言われてしまえば、もはや夢結に出来る事はなく、実際、どう慰めていいか、そもそも慰められるのかすら分からず、何も出来ない日々が続いた。
だからこそ、この模擬戦で少しでも役に立てればと、夢結は疑問を飲み込んだのである。
……と、このようなやり取りがあったのが、三日前。
定番となった朝の地下訓練場には、訓練服姿の夢結と美鈴、同じく訓練服姿の“彼”に加え、珍しい顔があった。
訓練嫌いでも有名な吉村・Thi・梅だ。ちなみに、一人だけ制服である。
「見学とはいえ、梅が自分から訓練場に来るなんて、珍しいわね」
「失敬だなー。わたしだって、必要なら訓練くらいちゃんとするゾ? それに、おっちゃんには少し前に負けたばっかりだから、研究しとかないと」
「え? 梅が、負けた……?」
機材を準備する傍らの雑談で、夢結は驚かされた。
今、美鈴に手伝って貰いながら、同じように準備をしている“彼”が、梅に勝った?
梅は強い。
持ち前の高い運動神経に、レアスキルの縮地は強力な組み合わせで、意外に思えるが、戦術論もしっかり持っているし、経験に裏打ちされた戦闘技術は言わずもがな。
如何に経験豊富な元防衛軍マギウス相手と言えど、おいそれと負けるはずは……。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、梅は声をひそめて続ける。
「なんていうかさ。最近のおっちゃんの動き、変なんだ。ヌルヌルしてるっていうか、ヌメヌメしてるっていうか?」
「なんなの、その表現。全く想像できないわ……」
「まぁ、それだけじゃないんだけど、とにかく気をつけろ。油断したら、今の夢結でも危ないゾ!」
難しい顔で唸るのに飽きたらしく、いつもの快活な笑顔で忠告する梅。
腑に落ちない部分はあるものの、彼女がこんな嘘をつく理由もない。
夢結は気を引き締め、訓練用に刃留めされたダインスレイフを握る。
すると、“彼”もほぼ同時に準備を終えたようで、美鈴と共にフィールドの中央へ。夢結もそれに倣う。
「二人とも、準備はいいかい」
「はい。お姉様」
「問題ない」
「では…………始め!」
掛け声に合わせて、CHARMを構える夢結。
“彼”もまた構えるのだが、使っているのはアガートラームではなかった。
不測の事態に備え、前々から調整していたという、二つ目のマギクリスタルコアを組み込んだ、第一世代の長剣型CHARMである。
いつもなら、百由が喜び勇んでデータを記録するはずなのだが、今回は都合が悪かったらしく席を外している。美鈴が手伝っていたのは、彼女に代わってデータ収集用のデバイスを取り付けていたからだった。
だがしかし、問題はそこではなく。
(あの構えは、私の?)
“彼”がCHARMを構える姿は、夢結と瓜二つであった。
足を広めに開けたスタンス。刀身と地面を水平に握る型。明らかに夢結のものだ。
正直に言って、あまり乗り気ではなかった夢結の心に、小さな火が灯る。
決して短くない時間を共に過ごし、手合わせした回数も数十になる中で、“彼”がこういった事をするのは初めて。
年若い少女には不似合いな、武人としての純粋な興味がそそられた。
構えが同じならば、その戦法は待ちを基本とするはず。
夢結はどう攻めるかを考え、次の瞬間、己が失策を悟る。
「っく⁉︎」
驚異的な踏み込みからの突きを、辛うじて受け流し、ダインスレイフで薙ぐようにしながら跳躍、距離を取る。
インビジブルワンを併用したのだろうが、予備動作が全く無く、完全に虚を突かれた。
あの構えは、敵の攻撃を受け流し、生み出した隙に一撃を叩き込む──いわゆるカウンターを放つスタイルだ。
が、それはあくまで戦法の一つでしかなく、他にも選択肢はあったはず。なのに、“彼”が待ちを選ぶと思い込んでしまった。
無意識のうちに、自分で自分の行動をパターン化していたのか、“彼”が積極的に攻撃しないだろうと高を括っていたか……。
(梅の言った通りね)
いずれにせよ、夢結が油断していたのは確か。
こんな心持ちでは、“彼”の役に立つ以前に、ヒュージと戦う仲間として申し訳が立たない。
軽く深呼吸。
改めて気合いを入れ、追撃せずCHARMを構え直した“彼”に向け、夢結は吶喊した。
「はぁあっ!」
油断も侮りも無い、全身全霊の袈裟斬り。
“彼”は身じろぎ一つせず、真っ向から受け止める。が、違和感を覚えたのは、またしても夢結の方だった。
(え? 手応えがない?)
CHARM同士がぶつかり合う、激しい金属音はした。
けれども、それに相応しい衝撃が伝わって来ない。まるで、水でも斬りつけているような。
戸惑いながらも攻撃し続ける夢結だったが、時間が経つにつれ、やがて確信に至る。
(これが、梅の言っていたヌルヌメ……! 確かにやり辛い……っ)
果敢に攻める夢結と、冷静に凌ぎ続ける“彼”。
お互い、一歩も譲らずといった風にも見えるが、その実、夢結は酷く焦っていた。
こちらの攻撃は訳も分からず無効化され、なのに相手の攻撃は、防御の上から確実に体力を削ってくるのだ。暖簾に腕押し、糠に釘、とはこの事だろう。
“彼”の術中に嵌っているという自覚があり、泥の中で戦っている……否、闘わされている感覚だ。
一体、いつの間にこんな技術を習得したのか。梅の表現が言い得て妙だった。
時間的には僅かに数分。夢結の体感では十数分にも及ぶ斬り合いは、不意に“彼”が距離を取った事で小休止が入った。
少しだけホッとしたのも束の間、今度は何をしてくるのかと、夢結は身を硬くする。
「白井さん。今から“試す”。心の準備を」
「……は、はいっ」
やはりというか、わざわざ宣言してからCHARMを構える“彼”。
今度は夢結の構えではなく、左脚を後ろに、右手で持ったCHARMを、左脇を通して背中に隠す、奇妙な構えだった。見ようによっては居合抜きにも見える。
そして、まだ本気を出されていなかったという事実にも気付き、いよいよ戦慄してしまう。
男子三日会わざれば……とは言うが、この変わりぶりは異常だ。どこでこんな戦闘経験値を?
思わず考え込みそうになるけれど、“試す”と言われたばかり。
夢結は何が来ても対処できるよう、“彼”も使ったあの構えで迎撃態勢を取り────首に冷たさを感じた。
「………………え?」
気付いた時にはもう、首元に“彼”のCHARMがあった。遅れて届く風が、夢結の髪を今さらのように揺らす。
一切、気を逸らしてなどいない。
隙があったとすれば、瞬きで眼を閉じた時の、刹那の一瞬だけ。
「な、なんだ、今の⁉︎ 全然見えなかったゾ⁉︎」
「これは、一体……」
観戦していた梅と美鈴も、この異常事態に驚いていた。
特に梅は、自身が縮地を使うだけあって、非常に動体視力が優れている。それでも見切れない動きをされたとあっては、驚かないはずもない。
しかし当の夢結は、驚きよりも困惑が大きかった。
何をされたのか、全く理解が及ばなかったのもあるが、あれだけの事をして見せた“彼”が、土気色になった顔を左手で覆い、膝を折るように蹲ってしまったからである。
「お、おじ様?」
「……大丈夫。ちょっと、予想よりもマギの消耗が、大きかったから。それだけ」
「でも……」
CHARMを支えにする“彼”の体は、寒さに凍えているかの如く震えていた。
嘘だ。何かを誤魔化そうとしている。
夢結はそう直感したが、それを問い正す事は出来なかった。
また、あの表情をしていたから。
胸がざわつく。
「勝手を言って申し訳ないんだけど、今日はこれで終わって良いかな? 午後から人と会う予定で、それまでに体調を戻しておきたいからさ」
「……はい。私は問題ありませんけど……今のは……?」
「明日にでも、キチンと説明するよ。自分の中で理論立ててからの方が、きっと理解して貰えるだろうし」
ごめん、と苦笑いする“彼”を前に、夢結は何も言えない。
美鈴に言われた事と、初めて“彼”に負けた悔しさと、胸のざわめきが入り混じって、ただ曖昧に微笑み返す事しか。
役に立ちたいと買って出た模擬戦は、結果として、言い知れぬ胸騒ぎを残すだけに終わってしまった。
(……でも、大丈夫よね。明日には話してくれるのだし、その時こそ、的確なアドバイスとか出来れば……)
不安をかき消すよう、夢結は自分に言い聞かせる。
明日は変わらずやって来るのだから、と。
そう信じて。
時は経ち、数時間後。
百合ヶ丘女学院、附属病院の裏口に存在する、小さなロビーにて。
中等部の制服を着た一人の少女が、忙しなく長い髪の毛先をいじりながら、ソファで待ちぼうけていた。
と言っても、待ち合わせた時間にはまだ早く、三十分近くの猶予があるのだが。気が急いて、早く来過ぎてしまったのだった。
と、そんな少女に近づく人影が。
「ご機嫌よう、石上さん。待たせたね」
「あ、おじ様。だ、大丈夫です! わたしもさっき来たばかりですから! ……あっ、ご、ご機嫌よう!」
待ち人が見えるや否や、少女──石上碧乙はすっくと立ち上がり、緊張も隠せないままに挨拶を返す。
まるでデートの待ち合わせのようになってしまっているが、それにも気付けないほど緊張しているらしい。
それがおかしいのか、和装に着替えた“彼”は小さく笑っている。
「あの一件以来、まともに話すのは、これが初めてだね。ずっとお礼を言いたかったんだ」
「お礼、ですか……?」
「うん。助けてくれて、ありがとう。あの時、石上さん達が来てくれなかったら、きっと、俺も死んでいただろうから」
面と向かって、しっかりと眼を見つめながらの、感謝の言葉。
本当なら嬉しいはずなのに、碧乙はそれを受け止めきれない。
胸に湧き上がる苦さが、勝手に顔を俯かせてしまう。
あの夜、“彼”の友人を助けられなかった、罪悪感だ。
「……でも、わたしは……っあう」
ぐりぐりぐり、と。
やや強めに頭を撫でられ、溢れ出そうになった言葉は途切れる。
困惑しつつ“彼”を見上げれば、穏やかな笑みがあって。
「素直に受け取って良いんだよ。
まだ気持ちは切り替えられないかも知れないけど、俺が君に助けられたのは、紛れもない事実なんだから。
それに、そんな落ち込んだ顔で見舞いに行ったら、逆に心配されるぞ?」
少し雑で、気安い言葉遣い。
普通なら嫌だと感じそうな扱いなのに、不思議と心が楽になった。
ロザリンデや特別寮の仲間とは違う形で、何か、通じ合っているような感じがした。
その不思議な感覚に任せ、碧乙は怒ったように頬を膨らませる。
「……もうっ。髪が乱れちゃったじゃないですか。せっかく綺麗に整えたのに!」
「ごめんごめん」
口では怒っているけれど、自然と笑顔になっているのが分かった。
“彼”も楽しそうに笑っており、ようやく碧乙も、自分が必要以上に緊張していたのを自覚する。
「ところで……石上さんは、もう何度か会ってるんだろう?」
「はい。まだ三回ですけど」
受け付けを済ませ、碧乙が先導をする間、話すのはもちろん、見舞い相手の事である。
北河原伊紀。
長らく検査入院が続いていた、例の強化リリィ。
体調、精神状態、共に良好だという結果を踏まえ、年の近い碧乙が面会を続けていたのだが、今回の面会──“彼”の同席は、伊紀からの要望だった。
「どんな子、なのかな。あちらからの希望とはいえ、意識がある状態では初対面な訳だし、失敗しないように前情報が欲しいんだ」
「失敗って、そんなに身構える事じゃ……」
「なんでも良いんだよ。話が途切れて気不味い沈黙が広がったりしたら、色んな意味で辛いじゃないか。頼む!」
エレベーターで地下へ下りた先は、いわゆる隔離病棟だ。
こう言うと聞こえが悪いかも知れないけれど、好奇の目線から守る必要がある患者にとっては、こういう環境も必要なのである。
それはさて置き、拝むように手を合わせる“彼”に、碧乙は苦笑いしつつ答えた。
「そう言われましても、あんまり多くは知りませんよ? 言葉遣いが凄くお嬢様っぽい事とか、気配り上手って事くらいしか」
「なるほど。という事は……どういう話題を展開すれば良いんだろう……」
「大丈夫ですっ。そういうのも含めて気を遣ってくれますから! ……本当に、わたしなんかより、ずっとずっとしっかりした子で……」
……が、思い出すほどに自分の不甲斐無さが身に染み、落ち込み始めてしまう。
気落ちしているだろうからと、無駄にテンションを上げて行ったら、会話中に噛みまくって笑われた事や、彼女の話を聞くはずが、いつの間にか逆に自分の身の上話をしてしまっていた事など、正直、やらかしの方が多い。
決して嫌われてはいないと思うけれど、あまり尊敬もされていないだろうなぁという、悲しい確信があった。
「あー、その、あれだ。あんまり待たせてもいけないし、そろそろ行こうか。ね?」
「そ、そうですねっ」
うっかり足も止めていたらしく、碧乙は慌てて歩き出す。
足早になっているのは、“彼”が微笑ましいものでも見ているような表情をしていたからだろう。気恥ずかしさも手伝い、以降は顔すら見れない。
程なく目的の部屋に到着したのが、せめてもの救いか。
事前の打ち合わせでは、まずは碧乙だけで入室し、伊紀の準備が出来たら“彼”が入る、という手筈である。
確認するために控えめに振り返ると、頷いたような気配。それに頷き返し、碧乙は病室のインターホンを鳴らす。
『どうぞ』
すると、スピーカー越しにも儚さが伺える、可憐な声が入室を促した。
失礼します、と断りながら足を踏み入れ、目線避けのカーテンを回り込めば、入院着にカーディガンを羽織った少女が、ベッドの上で微笑んでいた。
「ご機嫌よう、伊紀さん」
「まぁ、碧乙お姉様。ご機嫌よう」
まずは百合ヶ丘女学院の生徒らしく、優雅に挨拶。
正確には、伊紀はまだ百合ヶ丘の生徒ではないのだが、在籍する事は確定なので、間違ってはいない。
本人の纏う雰囲気も相まって、生え抜き──幼い頃から百合ヶ丘で教育を受けたリリィとも遜色のない、気品があった。
「体の調子はどう?」
「はい、すっかり良くなりました。明日には外出も許可されるんですよ」
「そうなんだ! じゃあ、これからは一緒にお散歩とか出来るわね!」
碧乙がいつもの定位置……ベッド脇の椅子に座ると、そこから些細な世間話が始まる。
明日の天気、今日のカフェテリアの日替わりメニュー、碧乙お勧めの癒しスポット。
話は尽きないように見えたが、ふと会話が途切れた瞬間に、伊紀が恐る恐るといった様子で口を開く。
「えっと、碧乙お姉様? 今日は、その……」
「ええ。約束だったものね。来てもらっているから……おじ様?」
上目遣いに訴えかけられ、碧乙は自動ドアの向こうへ呼び掛ければ、ややあって、ドアのスライドする音と靴音が続いた。
けれど、そのまま姿を見せるかと思いきや、カーテンの際で何故か立ち止まり、約十秒。
どうしたのだろう? と二人が首を傾げた頃になって、ようやく“彼”は顔を見せた。
「初めまして、になるかな。北河原伊紀さん」
「はい。初めまして。このような格好での御挨拶となってしまい、お恥ずかしい限りです……」
定型文の挨拶は、しかし重い空気感を伴って交わされる。
いや、緊張感と表現した方が正しいかも知れない。
実際、碧乙は重々しい雰囲気を取り繕う事も出来ず、ただ見守るしかなかった。
「ずっと、お会いしたいと思っていました。直接お会いして……謝りたいと……」
「謝る……?」
「……わ……私を助けるために、大変な…………ご、ご迷惑、を……」
伊紀の体と声は震え、薄桃色の瞳も揺れている。
何故なら、知っているからだ。
自分を救出するために、多くのリリィが怪我を負った事を。
同系列の実験を施された一人の人物が、戦いの最中、命を落とした事を。
そしてそれが、“彼”の古い友人だった事も。
「本当に、申し訳ありませんでした……。ごめんなさい……私の、せいで……」
体勢の許す限り、深々と頭を下げる伊紀。
これが彼女に許される、唯一の気持ちの表し方だった。
他にどうすれば良いのかなど、まだ幼く、ただ巻き込まれただけの少女に分かるはずもない。
沈黙が続いた。
耳鳴りがする程の静寂の後、“彼”は小さく溜め息をつく。
「酷な言い方をさせて貰うよ。……俺達は、君にお礼を言って貰ったり、謝って貰うために助けた訳じゃない。そんな風に頭を下げられても、嬉しくはない」
「お、おじ様……⁉︎」
「……そ、そうですよね……。私の謝罪になんか、なんの意味も……」
突き放すような物言いに、碧乙は驚き、伊紀は自嘲する。
どうしてそんな言い方を……と視線で責めるが、“彼”はそんな碧乙を置いてベッドの反対側に回り込み、床へと膝をついて、眼の高さを伊紀と合わせる。
伊紀は、顔を上げられなかった。
“彼”がどんな顔をしているのか、恐ろしくて堪らなかった。
だが、続く言葉の響きに、予想していた冷たさは無く……。
「俺や石上さんが、みんなが命を賭けたのは、君に生きて欲しかったからだ。
でも、それは勝手にやった事だから。君が負い目や責任を感じる必要なんてない」
「で、ですが……」
「……そうだね。そんな風に言われたって、難しいよね。けどさ。それがきっと、生きる、って事だと思うんだ」
おずおずと、伊紀が顔を上げる。
そこにあったのは、悲しげな笑みだった。
笑顔というには不恰好で、泣き顔というには温かな、心からの労りを感じる、複雑な……。
「すぐには気持ちが前を向かないだろうし、辛い気持ちが蘇る事もあると思う。だけど、そんな時は周りを頼ればいい。だろう?」
「……あ、は、はい! おじ様も、わたしも側に居るわ! どんな時だって、力になっちゃうから!」
不意打ち気味に水を向けられた碧乙だったが、未だ震える伊紀の手を握るのに、迷いは無かった。
伊紀は茫然と二人の顔を見比べ、やがて、端整な顔立ちがくしゃりと歪められる。
「……はい。私、嬉しいです……っ!」
溢れそうになる涙を拭いながら、それでも笑おうとする伊紀。
きっと、本当に嬉しい気持ちが半分、空元気がもう半分、といった所だろう。
心と体に傷を負い、すぐに立ち直れる人は少ない。それどころか、立ち直れずに折れてしまう人だって居る。
けれど、一緒に立ち止まり、手を繋いで待ってくれる、誰かが居るのなら。
それならきっと、いつか前を向ける日が来ると、そう思えた。
少なくとも、碧乙自身がそうだったのだから。
「さぁ、湿っぽい話はここまで。もっと明るい話にしよう! 北河原さ──」
「あ、それなのですけど」
「ん?」
柏手一つ、空気を変えようとする“彼”だったが、早速そこで伊紀が手を上げる。
「苗字だと、どうしても長くなってしまいますので。どうか私の事は、伊紀と呼んで下さいませんか」
「え。あ〜…………じゃあ、伊紀さん?」
「伊紀、です」
「……伊紀ちゃん」
「い、の、り。ですよ」
「………………」
「……駄目、ですか……?」
「………………………………」
先程までと打って変わり、妙に強く推す伊紀。
かと思えば上目遣いにしおらしく、同性であっても絆されそうな、愛嬌たっぷりの照れ顔でお強請りを。
“彼”の頬は引き攣っていた。間違いなく困っている。
が、ここで碧乙にも、ふと悪戯心が湧いた。
突き放すような言い方で肝を冷やされた分くらいは、仕返ししても許されるのでは?
いつも余裕のある言動の“彼”が本気で困っている姿を、もう少し見ていたい気もするし。
こんなチャンス、滅多にないはず。
という事で、碧乙も全乗っかりする事にした。
「良い機会ですから、わたしの事も碧乙って呼んで下さい。苗字だと、他人行儀な感じがして寂しいです。ね、兄さん?」
「ちょ、石上さんまで何を……」
「碧乙お姉様、兄さん、とは?」
「身分を偽る必要があった時に、ちょっとね。……それとも、わたしなんかが妹じゃ、嫌ですか……?」
「ぐ、う……っ、そ、その言い方はズルいんじゃないかなぁ……⁉︎ というかだね、百合ヶ丘女学院の生徒ともあろう者が、みだりに男性から名前で呼ばれたいだなんて……」
「大丈夫です! わたし、理事長代行と家族とおじ──兄さん以外に男性の知り合い居ませんから! みだりに、じゃありません!」
「屁理屈を捏ねないでくれ、頼むから」
「……いいなぁ……」
意味もなく胸を張る碧乙。
盛大に溜め息をつく“彼”。
気の置けないやり取りを羨ましげに見つめる伊紀。
そこにはもう、重苦しい空気感など微塵もなかった。
普段はしない意地悪を楽しんで。困っているようで顔は笑っていて。二人に釣られて、笑ってしまって。
心温まる触れ合いが、確かにあった。
「……っと、もうこんな時間なのか。すっかり長居しちゃったな」
「あ、本当ですね。根が生えると良くないって言うし、今日はそろそろ……」
「えっ。もう、行ってしまわれるのですか?」
なんやかやと時間が過ぎ、そろそろ日が暮れるという頃合い。
やおら立ち上がる二人を、伊紀が寂しそうに見つめる。
仕方がないと言え、閉鎖空間での入院生活だ。一人で居るのは退屈なのだろう。
それを受けた碧乙も、慕ってくれる後輩が可愛いくて仕方ないのか、年上ぶった素振りで微笑む。
「そんな顔をしなくても、また来るわ。ですよね?」
「もちろん。君が望んでくれるなら、だけど」
「はい、是非にも。……それと、一つお願いが」
“彼”の返事に、はにかむ笑顔を見せる伊紀だったが、言葉を付け加えるのと同時に、心細げな苦笑へと変わってしまう。
「明日の外出に、お付き合い頂きたいのです。一人だと、どうしても……勇気が、出せそうになくて」
胸元で拳を握り、意を決したように声を絞り出す。
言葉足らずな願いだったけれど、それの意図する事は分かりやすかった。
彼女にとって、勇気を振り絞らなければ出向けない場所。
彼女にとって、言葉にしにくい事柄。
すなわち……霊園に行き、墓参りをしたいのだろう。
“彼”は一も二もなく頷いた。
「分かった。時間を教えて貰えれば、迎えに来るよ。石上さんは、どうする?」
「…………行きます。行かせて下さい」
「……うん。にしても、両手に花か。なんだか祟られそうだ」
「こら、駄目ですよ兄さん? そんな言い方」
おどける“彼”を碧乙がたしなめ、病室には小さな笑いが響く。
どこか切なく、胸を締め付けるような、寂しい笑い声が。
唐突だが、百合ヶ丘女学院中等部二年生、高畑聖咲は困っていた。
とても、とても、困っていた。
(ううう……。どうして、どうしてちゃんと反応してくれないの……?)
場所は、主に学院の生徒達が使用する、様々な書物が蔵された図書室。
既に日が暮れてかなり経つそこで、聖咲は書籍を検索するための端末前に、もう三十分は居座っている。
何故ならば、端末が思い通りに反応してくれないからだ。
文字を打とうにも、タッチパネルは押した部分の隣の文字を認識し、やっと打てたかと思ったら、誤変換してしまってやり直し。
何度も何度もこれを繰り返していて、利用者の全く居ない時間帯でなければ苦情が入っていたであろう有り様である。
リリィとしては、肉体・精神、共に才能に溢れた有望株。
日常においては、やけに不器用で、見事なドジを踏みまくる少女。
これが高畑聖咲の周囲からの評価だった。
今も無言で涙目になっている(無言過ぎて図書委員にも気付かれていない)彼女だが、検索開始から約三十六分後にして、ようやく救いの手が差し伸べられた。
「……君、大丈夫かい?」
「へっ⁉︎ あ……え、と…………おじ、様?」
「久しぶりだね、高畑さん。ご機嫌よう」
「……ご、ご機嫌、よう……」
聖咲に声を掛けたのは、少し前に知り合った、百合ヶ丘女学院で数少ない男性……通称、おじ様であった。
一部の生徒からは存在自体を忌避されたり、逆に“彼”のファンを自称する生徒も極小数存在するなど、両極端な評価が混在する人物であるが、聖咲は特に嫌ってはいなかった。
むしろ、一度会っただけの聖咲の顔と名前が一致している辺り、記憶力いいんだ、と感心していた。
そんな“彼”は、聖咲の手元……滅茶苦茶な文字列が表示される検索端末と、聖咲の顔とを見比べ、何かを察したらしく。
「……代わろうか?」
と、申し出た。
かあぁ……と顔が熱くなるのを自覚する。
間違いなく、残念な子扱いされている。単純に恥ずかしい。
けれどこのままでは、欲しい資料がいつまで経っても借りられない。
恥を忍んで、聖咲は頷いた。
探している書籍名が書かれたメモを渡すと、“彼”は簡単に検索し終える。
「奥の書棚だね。C2の上から三段目に纏まってる」
検索結果を教えてもらい、聖咲は無言で深々と、何度も頭を下げた。
根っからのぶきっちょである彼女だが、百合ヶ丘に来てからというもの、困っている時には必ず誰かが助けてくれて、ぶきっちょ故の損害は少なくなっている。
それだけが理由ではないけれど、とにかく感謝の気持ちは伝えなければ。
しかし言葉にすると、無駄に噛んで笑われてしまう可能性も低くないため、ひたすら頭を下げているのだ。
ところがどっこい、それすらも別のドジを引き寄せ……。
「あ、高畑さん前──」
「っづぁうっ⁉︎」
頭を上げきらない内に、急いで奥へ向かおうとした結果、手前の書棚に頭から激突した。
ゴスッ、という鈍い音が響き、脳内では火花が散っている。よりにもよって角に当たった。とてつもなく、痛い。
思わず頭を押さえ、その場にうずくまる聖咲を見て、“彼”が心配そうにしている。
「なんか、心配だから着いて行くよ……。いいかな」
「……っ、はい……」
しばらくして、やっと痛みが引き始めた頃、“彼”はそう言って手を差し出す。もう恥ずかしくて顔も見られない。
少々悩んだ末、聖咲は“彼”の手を取り、ゆっくり立ち上がる。
今日はいつもより“やらかし”が多い。一人で居るとまたやらかして、貴重な書物などをダメにしてしまったりするかも知れないし、誰かに見守ってもらう方が、色んな意味で安心だろう。
そんなこんなで、二人連れ立って図書室を進む。
「CHARMに興味があるんだね。アーセナル志望?」
間を保たせようとしたのだろう問いかけに、聖咲は少し考えてから首を振った。
探していたのは、現代魔科学技術応用・CHARM編と、真島百由謹製の論文・CHARM構成部品の今昔、である。
これを見れば勘違いされても仕方ないが、アーセナルになりたい訳ではなく、純粋に興味があり、かつ将来的にも必要になるかも知れないので、予習しておこうと思っただけである。
もちろん、アーセナルの道に進む可能性もあり得るけれど、まだ聖咲は中等部。焦って決めるよりも、じっくり学びながら進路を決めたかった。
そうこうしている内に、目的の書棚の前に着いた。
上から三段目という話だったが……手が届かないほど高い位置にある。図書室の天井自体が高いせいだろう。
「ここだね。足場を持って来るから、少し待っていてくれるかな」
「あ……わたしが……」
「いいからいいから」
まごまごしていると、“彼”は早々にキャスター付きの足場を持って来てくれる。
結構な大きさで、聖咲が自分で動かそうとしたら大変だったかも知れない。
他の棚にぶつけまくったりして。
「はい、お待たせ。それじゃあ、うっかり足を踏み外したりしないよう、一応気をつけて」
「……あ、ありがとう、ございました……」
「どういたしまして」
今度は言葉と一緒に頭を下げ、軽く手を振って離れた“彼”を見送る。
それを横目に、聖咲も目的の資料を探し始めた。
(……そう言えば、おじ様は、何を探してるんだろう)
ふと気になり、“彼”の様子を見てみると、少しだけ離れた棚で立ち止まり、並べられた書籍の背表紙を確認していた。
聖咲の探しているのが科学技術関連で、そう離れていない棚にあるなら、同じ技術関連だろうか。
ともあれ、聖咲は程なく資料を探し当て、足を滑らせないよう、慎重に慎重に足場を降りる。
すると、ほぼ変わらないタイミングで探し終えたらしく、何冊かの資料を手にする“彼”と目が合った。
「探し物は見つかったかい?」
こくり、と頷く。
それは良かった、と“彼”。
助けてもらったのだから、後で何かお礼を……と考えつつ、なんとなく“彼”の持つ資料を気にしていると、それを察した“彼”がタイトルを見せてくれた。
最新版・防衛軍公式装備目録。
一般には公開される事のない、いわゆる機密資料の一種だ。
ちなみに、聖咲の探していた資料は、手順を踏めば一般人でも閲覧可能である。
「少し、昔の知識を復習しとこうと思ってね」
「……昔……?」
「今ではCHARMを使って戦えるけど、少し前まで、防衛軍のマディックとして働いてたんだ。その時の戦術だよ」
元マディックであると聞き、聖咲は少し驚いた。
あまり“彼”個人に興味がなく、友人達の噂話も聞き流していたせいだが、“彼”はそのまま付近の机に着き、資料を広げる。
借りずに読んでいくつもりらしい。それか、貸し出し禁止なのやも。
声を掛けずに帰るものあれかな……と、タイミングを逸した聖咲は、なんとなくそれを眺める。
「マディックは、リリィと肩を並べて戦えない。
それでも前線に出なければならないし、ヒュージとの戦闘も強いられる。
では、どうやって生き延びるのか。分かる?」
ページを捲りながら、“彼”は背後の聖咲に語る。
若干の興味が湧き、隣の席へ。
手が止まったのは、各種爆発物の解説が始まる項目だった。
「答えは、徹底的に相手の行動を妨害する、だ」
「妨害……」
「そう。逃げに徹するのもありだけど、それは逃げられる場合だけだからね。
接近してきそうなら足を狙って遅らせる。
撃たれそうなら、先に攻撃部位を撃って狙いを外させる。
逆に逃げられそうなら、退路を塞ぐために建物を破壊する。
言うのは簡単だけど、全てタイミングが命だし、何より爆発物とかが必要にもなってしまうのが難点だね。AHWでは、ほぼ倒せないのが辛かったよ」
「……なるほど……」
まだ本格的な実戦経験の乏しい聖咲にとって、現場の意見を聞けるのは貴重だった。
実戦ではリリィだけが戦うのでなく、マディックと共闘する場面も多いらしいので、どんな風に動くのかを知っておけるのは、大きなアドバンテージとなるだろう。
「でも、新兵器は常に開発されてるし、より効果的な手榴弾とかも出てきてる。
上手く使って連携できれば、リリィの支援にもなる。
だから、今まで使ってた装備や、新しく開発された物を、一通り見ておこうと思って」
そう言うと、聖咲にも見えるようにページが示される。
昔ながらの成形爆薬や手榴弾、発煙弾や焼夷弾に閃光弾、グレネードランチャー、ロケットランチャー、対戦車ミサイル、地対空ミサイル、果てはEMP爆薬や、最新のマイクロフィルム爆薬……。
多岐に渡る装備をどうやって、どんな風に使うか、“彼”は思い返すように教えてくれた。
特に興味深かったのは、災害救助に際しての爆発物使用時の注意点や、ヒュージの視覚素子に対する閃光弾の使用限界などだ。
実際の使用感から、ちょっとした失敗談まで交えての語り口は、退屈せずに聞くことが出来た。
「おじ様は……勤勉、なんですね」
「……そうでもないさ」
「え……?」
「そういえば、安藤とはあれから仲良くなれた?」
「あ……安藤さんとは、その……はい……」
不意に聞こえた重い声は、共通の知人の話題に掻き消える。
まだ知り合って間もない同級生だが、時折、猫と戯れる安藤鶴紗を見つけ、それを遠目に見つめてホッコリしていると、手招きされて混ぜて貰える……といった交流をしていた。
特に会話も無く、猫に対して「可愛い……」「うん、可愛い」と呟き合うだけの時間が、何故か心地良いのだ。
訥々と、しかし聖咲としては珍しく饒舌に、他愛ない思い出話が語られる。
“彼”は右腕をさすりながら、それを楽しそうに聞いていた。
図書委員が閉室を告げるまで、この穏やかな時間は続くのだった。
夢だ。
また夢を見ている。
夢の中で、俺は一人の少女になっている。
白髪の、年若い少女に。
(……寒いなぁ)
雨が降っている中を、傘も差さず歩いている。
雨粒に煙る視界には、整然と張られた軍隊色のテントや、複数の車輌が見え、迷彩服姿の人影が幾人も歩いていた。
どうやら、防衛軍の前線基地にでも居るらしかった。
そんな中、体に叩きつけていた雨が、不意に遮られる。
「……体に障ります」
誰かが、傘を翳してくれていた。
声から察するに、初老の男性だろうか。
彼も迷彩服を着ている。
「……どうも」
少女はお礼を言うけれど、男性が予備の傘を持っていないのを見破ると、受け取らずに歩き出す。
しかし、少女が歩くのに合わせて、傘もまた移動して。
「どちらに向かわれるのですか?」
「……貴方には、関係ないですよね」
関わらないで欲しい、と暗に告げる少女。
身長差があり、そもそも男性を見ようとしないせいで不確かなのだが、彼は苦笑いを浮かべたように感じた。
「そうですね。関係ありません。……ですが、心配になりまして」
「心配……?」
「随分と、疲れているように見えましたから」
その言葉に、少女は少なからず動揺したらしかった。
唇をキュッと噛み締め、拳も握り、己を奮い立たせるようにして、男性に反論する。
「問題ありません。私は普通の人間じゃありませんから。例え疲れても、風邪をひいても、少しマギを使えば大丈夫です。心配は無用です」
普通の人間じゃない。
強化リリィ、という事だろうか。それとも、マギを宿す人間全てを含めた皮肉か。
どちらにせよ、とても強い感情を伴った言葉だった。
まるで、強くあらねばと、言いたげな……。
「だったら、そんな顔で大丈夫なんて、言わないで下さい」
「……え?」
そんな少女に対し、男性は静かに、そして悲しそうに語りかけた。
少女が初めて、彼を見ようと顔を上げる。
「今の貴方の顔は、見ているこっちの方が、辛くなります」
どこかで聞いたような……言ったようなセリフを口にする、男性は。
その、顔は──────
驚愕の新事実! なんと碧乙ちゃん、口が悪いらしい!(公式ツイートより) やぁっちまったなー!
でも大丈夫、この作品の碧乙ちゃんはまだ中学生だから!
二年もあれば世の荒波に揉まれて、スれて言動が荒くなる事くらいあるから! 洗濯科学だ(アリエール)から!!
まぁ覚悟はしてましたんで、原作前は今のまま、作中時間が経過したら寄せていく事にします。ご了承下さいませ。
さて、こっからラスバレ話。ユリの花咲く場所、良かったですよね……。
アニメの補完がしっかりされてて、お陰で結梨ちゃんの不在がより悲しくなりましたありがとうございます…………おのれG.E.H.E.N.A(運営)!
あ、メモリアは神引きしたんで普通に完凸させましたぜ。チアコスえっちくて好き。
というか最近のメモリア、えっちいの多くありません? 和風怪盗コスもそうですけど、千香瑠さんの競泳水着とか角度が……良いぞもっとやれ。
んで、出来れば今年中に終わらせたかったPC編ですが、ご覧の通り無理でした。ごめんなさい。多分、来年一発目の更新で終えられる、はず。
シリアスな話は手を抜けないので、どうしても時間かかってしまい……。申し訳ない。
何はともあれ、いくつも感想や評価を頂いたり、誤字報告などで助けて頂き、ありがとうございました。
来年も、どうぞ宜しくお願い致します。だいぶ気が早いですが、良いお年を!
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27 タツナミソウ ── Scutellaria Indica ── 君の未来に望むこと、その二
眠い。
燦々と朝日が降り注ぐ中、俺の頭を占めているのはそんな感情だった。
「……おじ様? 顔色があまり良くないようですけれど、もしや気分が……」
「いや、大丈夫だよ。少し寝覚めが悪かったんだ」
霊園へと向っている途中。
隣を歩く北河原さんが、心配そうな顔で俺を見上げる。
腕には仏花の花束が抱えられていて、黒い中等部制服を着た彼女の儚さを際立たせていた。
「妙な夢を見て夜中に起きたんだけど、具体的な内容は何も覚えてなくて。思い出そうとしている内に、気が付いたら朝になってた……」
「あ〜、分かる、分かります。なんでか夢って忘れちゃいますよね。でも、内容は覚えてないのに、どんな夢だったかしっかり覚えてる時もあるのが不思議です」
北河原さんの反対側では石上さんが、いつもの明るい笑顔を浮かべてくれている。
ともすれば、雰囲気が暗くなりがちな墓参り。
場違いと思う人も居るかも知れないけれど、今の俺には、それを救いと感じた。
きっと、少し足取りの重い、北河原さんにとっても。
「……気が重い? 無理はしなくても……」
「い、いえ、大丈夫ですっ」
歩調を合わせて問いかけるが、北河原さんは首を振る。
彼女なりのけじめ、なのだろう。
嬉しく思うと同時に、少し申し訳なくも感じる。
こんなに細い肩へと、既に人の死という重みが、のし掛かっているのだから。
そこからは無言で歩き続ける。
程なく霊園に辿り着くのだが……。
「ん? あれは……」
意外な事に、先客の姿があった。
短めに切り揃えた赤毛の少女。
北河原さんと同じ、百合ヶ丘の中等部制服を着ている。
「あの方も御参りでしょうか」
「きっとそうね。邪魔をしないようにしましょう」
声をひそめて話し合う二人。
俺もそれに頷くけれど、近づくにつれて、ある事に気付く。
(……あの子が居るの、江戸川の墓の前だよな)
少女が膝をついている場所。
そこは俺達の目指す墓標の前なのだ。
思わず三人で顔を見合わせてしまうが、こうなると話しかけない訳にもいかないので、代表して俺が声を掛ける事に。
「ご機嫌よう。いい天気になって良かった、ね……?」
挨拶をすると少女は立ち上がり、こちらを振り返る。
そして、赤い瞳と視線が重なった瞬間、奇妙な感覚を覚えた。
(この子、前にどこかで)
懐かしさ。既視感。いや、違和感?
喉に何かが詰まったような異物感があったのだが、それは彼女が軽く頭を下げた事で途絶える。
「あー、どうも、です。……高松さん、っすよね。ええっと……ご機嫌よう」
「あ、ああ。ご機嫌よう」
慣れない挨拶と、糊の効いたおろしたての制服。
最近百合ヶ丘に来た子、なのだろうか。
とにかく、この挨拶を皮切りに、石上さん、北河原さんも少女へと話しかける。
「貴方も、そのお墓に御参りを?」
「いや、そういう訳じゃ……。ただ、なんとなく足が向いて、なんとなく眺めていただけで」
「そう……。あ、わたしは石上碧乙よ。こっちの子は──」
「知ってる。北河原伊紀」
「……私を、ご存知なのですか?」
「そりゃーね。同じタイミングで助けられる予定だったんだしー」
急に砕けた……ギャルっぽい口調に変わった少女は、左右非対称の、皮肉屋な笑みを浮かべる。
「全く、ヤんなるよ。アルケミートレースへの適性があるってだけで、武器の部品扱いとかさ。そう思うっしょ?」
「……そう、ですね……。とても遺憾に思います」
「でもまー、人間兵器って意味じゃあ、間違ってないか。リリィなんて、結局は生きたAHWってねー?」
「………………」
機密事項であるはずの情報を口にしている事が、確かに彼女があの事件の被害者である事を示している。
T型CHARMの部品として選ばれていたマギ保有者は、その全てが、アルケミートレースという強化スキルへの適性を持っていた。北河原さんもそうだ。
このスキルは、自らの血液とマギクリスタルコアを媒介に、擬似CHARMを生成する。これによる筐体の安定化が、T型CHARMの要だったらしい。
ともあれ、言葉に詰まる北河原さんに代わり、話に割って入る。
「すまない。先に手を合わさせて貰ってもいいかな」
「お好きにどーぞ」
こちらが本性なのだろうか。嫌味な態度が板についていた。
腹立たしく思う部分はあるけれど、あんな事件の被害者だ。
人間不信になっていたりしても変じゃない。今は置いておこう。
俺達は真新しい墓標に向き直る。
掃除する必要もないくらいに綺麗なそれには、『語られぬ英雄の為に』と、それだけが彫られていた。
線香と花を供え、江戸川の好物だったスパムソーセージも墓前に。
俺は膝をつき、石上さん達は立ったまま、手を合わせる。
静寂の中、冷たい風だけが鳴っていた。
(俺は、あの時……)
どうしても思い返してしまうのは、彼の死に様だった。
体を貫かれ、血に塗れ、それでも笑う姿。
助けられなかった。
……いや、違う。助けるのを“諦めた”。
だから、あいつは死んだ。
死んだ。
「──様? おじ様!」
肩を揺すられ、ハッとする。
考え込んでしまっていたらしい。
今朝と同じような、心配げな北河原さんの顔が、また俺を覗き込んで。
「本当に大丈夫ですか……? 酷い顔色です……」
「大丈夫……じゃ、ないな。どうしても、記憶が蘇る」
「……少し、ベンチで休みましょう」
石上さんに促され、近くにあるベンチへ。
腰を下ろして一息つくと、少し離れて着いてきたらしい少女が、またしても嫌味な、しかしどこか気遣わしげな様子で口を開く。
「なーんか訳ありっぽいねー。部外者は引っ込んだ方が良さげ?」
「部外者だなんて……。君も“あの”計画の被害者だろうに」
「そりゃーそうだけど……」
頭を掻きむしり、大きく溜め息をついた彼女は、一瞬だけ表情を歪めた後、せせら笑うように俺を見る。
「なら遠慮なく首つっこむけどさ。誰か近しい人でも死んだん?」
「……そうだよ。戦友だった」
「親友でもあった?」
「どうかな。そこまで親しくはなかったと思う。でも、同じ釜の飯を食って、一緒に死線を潜り抜けた。……仲間だったんだ」
正確に言えば、江戸川よりも“あいつ”……甲州撤退線で俺を売った“あいつ”の方が、江戸川より接点も多く、長い時間を共に過ごしたくらいだ。
でも……それでも江戸川の死は、俺にとって酷く重たい意味を持っていた。
それを知ってか知らずか、少女は少し間を置いて続ける。
「高松さんってさー、歴戦のマギウスだったんだよね」
「一応は」
「その間に、仲間が死んだ事は?」
「少なくは……ないよ」
「じゃあ、その反応って変くない?」
「……え?」
「仲間が戦死する度にそんな風に落ち込んでたら、とっくに心が折れてる気がすんだよねー」
「………………」
「という事はさ、今回に限っては落ち込む理由があるって事じゃん。……それって、どんな理由?」
どくん、と心臓が跳ねる。
的確に、抉るように突きつけられる事実。
何一つ間違っておらず、だからこそ、言葉を返せない。
「止めてください! 貴方、なんの権利があってそんな……!」
「うっせーな、大人しく猫かぶってろよ。ムカつくんだよクソアマが、良い子ぶりやがって」
食ってかかる北河原さんに対し、少女は敵意を剥き出す。
不意打ち気味の暴言で、北河原さんは眼を白黒させている。
「どいつもこいつも、お上品に笑顔を浮かべて、お嬢様ぶった挙句に姉妹ごっこぉー? きっしょ。
一皮剥けば、ドス黒いモノを腹に抱えてる癖して、取り繕うのだけは上手いときてる。……反吐が出んだよ!」
「あなたは、一体……」
段々と変わっていく雰囲気を感じ取り、石上さんが警戒を始めた。
赤毛の少女は、もはや嘲りを隠さない。
その表情が、俺の記憶の引き出しを、無理矢理にこじ開ける。
「思い出した……」
脳裏によぎるのは、甲州での光景。
G.E.H.E.N.Aの装甲車と、その側で立ち尽くす無表情のリリィ。
髪の色こそ違うが、顔立ちは変わっていない。
変わらない顔立ちのまま、まるで“あいつ”のような表情で、嗤っている。
「君は……君はっ、甲州撤退線の時にG.E.H.E.N.Aと一緒だったリリィだろう! 何故、今ここに居る!?」
ベンチから立ち上がり、俺は声を荒らげる。
すると、少女はにんまりと口角を上げた。
「やぁーっと思い出したかー。でもまー、手遅れなんだけど、さ」
彼女は指で作った銃を、俺、石上さんと動かし、北河原さんで止め……。
「BANG」
撃つ。
風が吹いた。
北河原さんの胸に、血の花が咲いた。
「──え?」
北河原さんは、茫然としたまま体をふらつかせ、うつ伏せに倒れる。
……なんだ、これ。何が。……狙撃!?
「い、伊紀さん……? 伊紀さん!? そんなっ、どうし……嫌ぁああああっ!」
取り乱した石上さんが、北河原さんを抱き起こそうとしている。
俺は、北河原さんの負傷状況から狙撃方向を割り出し、二人を庇うように立ち塞がるのだが、あの少女は尚も楽しげに笑った。
「そうそう、これは“オレ”からの伝言だ」
親指を噛み切り、懐から取り出したコアを中心に擬似CHARMを生成。
意味不明な言い回しで、捨て台詞を吐く。
「殺せば止まる。せいぜい足掻けよ、
地面に円を描き、大跳躍で逃亡する少女。
追うべきか迷う暇もなく、今度は背後で変化が生じていた。
「……ゔ……」
「伊紀さん? 良かった、意識が──」
「ゔあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっ!!」
「きゃっ!?」
「うおっ」
強烈なマギの波動で、俺は石上さん共々吹き飛ばされてしまう。
地面を転がされ、数秒、意識が飛ぶ。
(何が、どうなってるんだ……っ)
どうにか立ち上がり、頭を振って意識をハッキリさせる。
状況を確認しようと辺りを見回せば、赤いマギの光を纏う北河原さんが、ヨロヨロとした足取りで霊園を離れようとしている所だった。
「ど、どこに行くんだ!? 早く治療をっ」
「こないで! ……こない、で……ください……っ」
駆け寄ろうとする俺を、北河原さんが何故か止める。
その顔は、苦痛に歪められて。
「マギが、おさえられ、ません……。このまま、だと……たぶん……ばく、はつ……」
「だったら尚さら、早くどうにかしないと!」
「……どうやって……ですか……?」
同じく立ち上がっていた石上さんが呼びかけるけれど、何も続けられない。
どんな状態か分からず、どう対処すれば良いのかも、全く分からなかった。
そんな時、覚えのあるマギの気配が、上空から複数やってくる。
「一体何事だい、これは……!?」
「川添っ? 白井さんに真島さんも、どうして……」
「今日は私達が警戒当番で、未登録のCHARM反応を検知したと報告があったんです」
「ワタシも、レーダーで異常反応の近くにおじ様が居るって分かったもんだから、大急ぎで……でも、こんな……」
川添、白井さん、真島さんも、状況に困惑している様子だった。
そのおかげで、逆にこちらは多少冷静になれたらしく、起きた出来事を頭で整理、川添達へ伝える。
「G.E.H.E.N.Aの工作員が侵入していた! 北河原さんが狙撃されて、恐らくそれが原因で異常が発生してる……っ」
「……っ! 被疑者はどうしたんだい?」
「西へ逃亡した。白井さん、追跡班に連絡を! 罠の可能性があるから注意するようにって!」
「は、はい!」
話を聞き、白井さんが即座に連絡を始める。
川添と真島さんは、歩き続ける北河原さんを遠巻きに観察しているようだった。
「あのマギの高まり……。何をされたかは分からないけど、フェイズトランセンデンスも目じゃないね。彼女だけの特質を利用した訳ではなさそうだ。前もって計画されていた……?」
「救出後の検査では異常は無かったはずだ。なのに、どうして……っ」
「こちら側の技術も完璧じゃないって事だわ。G.E.H.E.N.A側が抜け道を見つけていたら……本当に度し難い……!」
北河原さんから放たれる波動は、凄まじいに一言に尽きる。
彼女自身はフェイズトランセンデンスもAwakeningも保有していないはずだが、その何倍もの……防衛軍時代に一回だけ目にした事のある、ノインヴェルト戦術のマギスフィアに匹敵する圧力を感じ取れた。
つまり、爆発すれば地形を変えるほどの大破壊をもたらす……可能性がある。
それでも、石上さんは北河原さんに追い縋ろうと。
「動かないで伊紀さん! なんとかするからっ、必ず助けるからっ、だから!」
「はぁ……ゔ……ごほ、ごほっ……! っ、にげて、くだ、さ……」
「嫌よ! 伊紀さんを見捨てて逃げるなんて、出来るはずないじゃない! 絶対に見捨てな──うっ」
石上さんの伸ばした手が、マギの波動で弾かれた。
触れる事すら許されないのか……。
歯痒い思いで見守るけれど、不意に、北河原さんが振り返る。
眼尻に、大粒の涙を湛えて。
「からだが、いまにも、バラバラになりそう、なんです。いつまで、もつか、わかりません。できる、だけ、がくいんから、はなれ、ますから」
苦しみ。悲しみ。諦め。
それらが混ぜこぜになった、微笑み。
見る者の心を締め付ける、儚い微笑み。
それが、覚悟を決めさせた。
「お、おじ様? 何を……」
戸惑う白井さんの声を背に、俺は北河原さんの前へ。
……大丈夫。マギには反応しないはず。だから、どうにかなる。
いや、どうにかする。して見せる。
「諦める必要なんか、ないんだ」
軽く深呼吸し、俺は、右腕をマギの波動へと付き入れる。
途端、右腕から電流を流し込まれるような、激しい痛みが襲った。
「うぐ──っ!? 痛覚切っても、これかよっ、キッツいな……っ」
「だ、だめ……にげて……だれも、きずつけたく、ない……」
「嫌だ。お断りだ! 助けられるかも知れないのに、放っておけるかっ!」
痛みに負けないよう声を張り、マギを励起。スキルの発動準備に掛かる。
俺の意図を察したのか、川添が皆を代表するように問いかけてきた。
「勝算はあるんだね。根拠は?」
「……っ」
痛みを堪え、考えようとしたものの、そんな事するだけ時間の無駄。
躊躇う気持ちを振り切り、どうにか口を開く。
「……縮地だけじゃ、なかったんだ」
「え? ……どういう事ですか、おじ様?」
「俺が使っていたあのスキルは……アガートラームのスキルプロトコルは、縮地のサブスキルじゃなくて、縮地とZの複合スキルだったんだ」
「……あっ!」
俺の言葉に、白井さんが更に首を傾げ、やがてあの模擬戦を思い出したか、眼を見開いた。
違和感を覚えたのは、対ギガント級での暴走を経験してからだ。
それまでも時々、戦闘時に体感時間の遅延・停滞を感じた事はあったが、暴走して以降、自分の意思で同効果を発動できるのに気付いた。
白井さんとの模擬戦で、それを最大出力で発動した時、やっと確信した。
あの時、俺は停滞した時間の中を動き、止まったままの白井さんへとCHARMを突きつけた。
そもそも、スキルプロトコルという呼び名自体、防衛軍が名付けたもの。
解析すら碌に出来ていなかったであろう彼等が、正しく能力を定義できないのは道理で、俺の意識は、間違ったそれに従ってしまっていた。
つまり、俺はZを使えた。使えたはずなのだ。
「もっと早く気付いていれば、江戸川を助けられた……。いや、気付いてなくても試せたはずだ。
あいつが死んだのは他でもない、最初から俺が“無理だ”って、諦めたからだ。……俺のせいなんだ」
けれど、俺は思い込みからその事実に考えが至らず、死に瀕した戦友を前に、諦めた。
無駄でもなんでも、やってみればアガートラームが反応してくれたかもしれないのに。
……分かっている。こんなのは、たらればの話だ。
でも。それでも。
救えたかもしれないという可能性が、重い。
……だから。
「君に撃ち込まれた“何か”を、今からZで巻き戻して摘出する。辛いだろうけど、俺に時間をくれ。なんとかしてみるから」
助けられる可能性があると分かっている今、手をこまねいては居られない。
今度こそ助けてみせる。
そんな決意をもって、俺は北河原さんを見つめた。
──が。
「いや、です」
「なっ──ぐあっ!?」
マギの波動がまた異様に高まり、右腕から伝わる苦痛も、より大きく。
もう、息をするのも難しい。
膝が勝手に地面へ落ちてしまう。
「もういや……。わたしのせいで、みんな、きずつく。わたしを、たすけようとして、みんな。もう、いやです……。わたしは、なにも、かえせない、のに……」
北河原さんは、熱に浮かされるように呟いていた。
涙は見えない。
流れた端から、蒸発しているみたいだった。
「いたいんです……。おもいんです……。
かえせない、おん、ばかりが、つみかさなって。つぶれて、しまいそう、なんです……。
こんな、おもいを、するくらい、なら……あのとき……みすてて、ほしかった……」
それはきっと、彼女が笑顔の裏側に隠していた想い。
必死に強がって、見て見ぬふりをしていた、負の感情。
「わたしは、けっきょく。こうなる、うんめい、なんです……。だったら……わたし、なんか……。たすから、なければ……よかったのに……っ」
苦笑。
唇は震え、頬も引き攣っているのに。
こんな状況なのに、何故だか美しくも感じてしまう、憂いの美。
……ふざけるな。
「ぐうぅぅぅっ……!」
歯を食いしばり、死に向かおうとする北河原さんを、睨みつけるようにして立ち上がる。
自然と体内のマギは活性化し、Zが発動する。
マギクリスタルコアの補助が無いせいで、体への負荷はかなり重いが、気にしている場合じゃない。
せめぎ合う二人分のマギが、赤と青の光となって可視化していた。
「おじ様っ、無茶です! そのままでは先におじ様がっ」
「──た事か……」
白井さんが呼びかけてくるけれど、それには答えない。
それよりも、もっと、ずっと、優先したい感情があった。
「無茶だとか、返せない恩だとか、知った事か。こんな運命、俺は認めない。認めるものか。認めてたまるかっ、こんなものっ!」
吐き捨てるように言葉を叩きつけると、北河原さんは困惑した風に眉を寄せた。
いや、単に苦しかっただけか?
どちらにしても、俺はZの行使を止めはしない。
「……どうして、そうまでして、わたしを……?」
「どうして? そんなの決まってる、腹が立つからだよ!」
その原動力は、怒り。
純粋に、単純に、腹立たしかった。
「どこかで笑ってるんだ。君にこんな運命を押しつけようとしてる奴が。
きっと今も、どこからか俺達を見て、無駄な足掻きだって笑ってる。
そう思うと
どこかの誰かが! 勝手な都合で! なんの関係もない、ただの女の子を苦しめてるんだぞ!」
北河原さんをこんな風にしたG.E.H.E.N.Aにも。
それを受け入れてしまっている北河原さんにも。
とにかく腹が立った。
許せなかった。
認められない。認められるはずがない。
「そんな奴の思い通りになんて、させるものか。そんな奴に負けてたまるかっ。こんなクソったれな運命なんかに、負けてたまるかぁああっ!!」
最早、北河原さんの想いも関係なく、俺は、ただ俺自身の激情に任せ、叫んでいた。
すると、上空にまたしても覚えのあるマギの気配。
が、それは人の放つ気配ではない。
見上げると、空間の歪みがそこにあり、白を基調としたCHARM……アガートラームが出現していた。
「アガートラーム……? どうして、マギの絶縁処理をした上に、保管庫の筐体にロックしてたはず!?」
狼狽した真島さんの声が聞こえる。
アガートラームは重力に従って落ち始め、俺のやや左後方、手を伸ばせば届く距離に突き刺さる。
……ああ、助けてくれるのか。
また、助けさせてくれるのか。
俺は反射的にその柄を握り、しかし真島さんが慌てて止めようと声を上げた。
「だ、ダメですおじ様、そのCHARMを使っちゃダメ!」
「……義肢が爆発するから、かい? 正確には、義肢との接合部が」
「っ……!」
真島さんが色を失った。
やはり、か。分かってはいたが、少しだけ気が重くなる。
が、俺以上に白井さんが大きく動揺し、真島さんへと詰め寄った。
「どういう事なの、百由……。まさか、おじ様の体に爆弾を……っ!?」
「そ、それは……」
「責めないであげてくれ、白井さん。きっとこれは、
「……なんで分かったんですか……?」
「真島さんの技術が高過ぎたおかげさ。髪の毛一本より薄いマイクロフィルム爆薬でも、その存在を感じ取れるくらい、繊細な感覚を再現してくれてたからね」
俺の体と義肢を繋ぐ接合部。
そこに、最新式のマイクロフィルム爆薬が仕掛けられているのは、手術後すぐ気付いた。
知らないふりをしていたのは、当然だと思ったからだ。
義父上には、百合ヶ丘に居るリリィを保護する義務がある。
いつ、どんなきっかけで暴走する分からない危険因子には、いざという時のための“首輪”が必要。
周囲への被害を最小限にし、ひと一人を確実に処分するには、極秘裏に仕込めるフィルム型爆薬が最適だった訳だ。
「時間も無いし率直に聞くよ。起爆方法は?」
「……レーザー信管と精神波信号の複合型です。
特定の状態時に、特定の機器から発せられる信号を受信すると起爆します。
それ以外では絶対に爆発しません。そもそもが非常に安定した爆薬ですから」
「流石。なら安心だ」
北河原さんに向けて右腕を差し出す時、うっかり起爆しないかと戦々恐々していたのだが、余計な心配だったらしい。
俺は真島さんを信じる事にする。というか、信じないという選択肢がない。
「工作員が言っていた。殺せば止まる、と。……もしダメだった時は、俺ごと……」
「な……! 何を言ってるんですか、おじ様! そんな言葉、本当かどうかもっ」
「もし、の話だよ、石上さん。きっと奴等の狙いはそこにある。
だから全力で抵抗するけど、俺も自分をあんまり信用できないからさ。いざという時の覚悟は必要だ。
起爆装置は義父上が持ってるんだろう? それに、この話も聞いてる」
真島さんが頷き、携帯端末を掲げた。
それに向けて、俺は告げる。
「もしもの時は頼みます。でも、それまでは。最後まで足掻かせて下さい」
返事はない。
でも、義父上なら大丈夫だろう。少なくとも、真島さんに無駄な重荷を背負わせはしまい。
憂いも消えた所で、俺は北河原さんに向き直る。
「君は、どうなんだ」
「え……」
「本当に、このまま死んだっていいのか? どこかの誰かの、勝手な都合で死んでもいいのか? そんなはずないだろ」
「……ぅ、あ……」
「我慢しなくていい、本音を聞かせてくれ。君の本当の気持ちを」
「……わたし……は……」
「頼むよ……。頼むから、お願いだから、ちゃんと言葉にして、聞かせてくれ。どうして欲しい?」
「………………」
彼女もまた、答えない。
俯いて、震えながら自分の体を抱きしめている。
まだ十三歳なのに、頭の良い子だから、誰かに迷惑を掛けたくないと、自分を殺してしまう。
もっとわがままで良いのに。駄々をこねたって良いのに。
本当の気持ちが知りたい。
知る事ができれば。言葉にして貰えれば。多分、俺も頑張れるから。
だから。
「教えてくれ。伊紀ちゃん」
祈りを込めて、静かに呟く。
空白の一瞬。
細い体の震えはより大きくなり、そして。
「しにたく、ないです」
掠れる声が、紛れもない本心を教えた。
「しにたくない……。まだ、やりたいことが、たくさん、あります……。
みお、おねえさまと、いっしょに、おでかけする、やくそく、してるのに。
おじさま、とも、はなしたい、こと、いっぱいある、のに」
眼を細め、への字に唇を歪め。
赤ん坊がむずがるように、首を振る。
「こわい、です……。いたくて、くるしくて、もう、たえられない……。わたしまだ、しにたくないです……。いきたい、です。だれか、たすけてぇ……!」
北河原さんの切なる願いは、凄絶なマギの波動に晒される中でも、確かに届いた。
痛みで軋む俺の体に、火が灯ったような感覚を覚えた。
激しく燃える、沸き立つが如き熱を。
と、そこへ新たなる仲間の影が。
「話は聞かせて貰ったわぁ!」
やたらハツラツとした、高飛車にも聞こえるこの声は、間違いなく遠藤のものだ。
振り返ってみれば、もちろん遠藤がCHARMを構えて仁王立ち、その両隣に郭さん、加えて天津さんまでもが居た。
「遠藤亜羅椰、ただいま推参致しました!」
「同じく、郭神琳。及ばずながら、助力させて頂きます」
「どうして、君達が……?」
「百由に呼ばれたんです。おじ様が無茶してる、助けて……と」
「ちょっ!? なんでバラすの麻嶺!」
アワアワと手を振り回す真島さんは、照れているようで妙に顔が赤い。
重苦しかった雰囲気が、少しだけ軽くなった気がした。
そんな友人を横目に、天津さんが足早に進み出る。
「Zは、長時間の使用でマギの消費量が増大します。本当なら、ZとAwakeningを使える私が代わるべきですが……」
「やめておいた方がいい。生身の腕だったら、とっくに炭になってる」
「でしょうね……。だから、私達でマギを供給します」
「わたくしのテスタメントで、おじ様と遠藤さん・天津様を繋ぐんです。これならマギの制限は無くなります」
「最初は私のフェイズトランセンデンス、それが終わったら麻嶺様のAwakening、それでも足りなければ、私が回復し次第また……という感じよ。これならイケるでしょう?」
いつも通り、淑やかに説明してくれる郭さん。
自信たっぷりにウィンクする遠藤。
彼女達が言うように、俺のマギは相当な早さで減ってきている。
このままでは北河原さん……伊紀ちゃんを助ける前に枯渇してしまうだろうが、こんなにも頼もしい仲間が駆けつけてくれた。
これならば……!
「ありがとう。……さぁ、始めよう!」
決意を新たに、アガートラームを強く握りしめる。
コア無しでスキルを発動する時の負荷は、既に消失していた。
そこに郭さん、遠藤が手を重ねて。
「準備はいいかしら? 神琳。結構キツいわよ」
「覚悟の上です。いつでもどうぞ」
「あらそう。なら遠慮なく。……フェイズトランセンデンス!」
「っうく!? て、テスタメント……!」
ずん、と来るマギの重み。
アガートラームを通じて、遠藤のマギが流れ込む。
エンジンの回転数が青天井になり、ついでにハイオクのガソリンを流し込まれたような感じだ。
せめぎ合っていたマギの波動が徐々に混ざり、やがて、青が赤を塗り潰していく。
「頑張れ伊紀ちゃん! もうすぐ助ける!」
「そうよっ、負けないで伊紀さん! 一緒にお出かけするの、わたし楽しみにしてるんだから!」
「ううう……っ、くうぅ……」
撃ち込まれた“何か”を巻き戻すという事は、撃たれた時の痛みを、逆回しにゆっくりと味わうに等しい。
苦痛に喘ぐ伊紀ちゃんを、石上さんが励まし、繋ぎ止め続ける。
「時間切れまで五秒! 四、三、二、麻嶺様!」
「任せて。Awakening」
一旦、遠藤の手がアガートラームから離れ、代わりに天津さんが手を伸ばす。
遠藤のとはやや違う……涼やかなマギを感じた。
「あと、少し……もう少し……!」
マギの質は変わってもやる事は変わらない。
赤いマギを押し除け、俺のZが“何か”を完全に捉えるまで、あと僅か……。
「ごほっ、げふ…………あ?」
ふと、喉から違和感が込み上げ、思わず咳き込む。
それだけなら良かったのだが、今度は左腕に違和感が。
確かめてみると、青かったはずのマギが、黒く変色し始めていた。
これは……負のマギ?
「いけないっ、離れるわよ郭さん!」
「で、ですが……あっ」
異変を察知した天津さんが、郭さんの手を取って俺から距離を取る。
アガートラームから始まったマギの侵食は止まらず、瞬く間に青を黒に染め上げた。
「ガ、あ゛……ッ!? ぐ、ぎ、ぃい……!」
痛い。
苦しい。
さっきまでの比じゃない。
存在自体が喰われていくような、底知れない恐怖を伴う、自分の意思では止められない、変化。
「狂化……しかけてる……。条件が、揃ったわ……」
「条件? どういう事なの、百由……まさかっ!」
「……そうよ、夢結。理事長代行が起爆スイッチを押す条件、よ……」
痛みで思考は占められているのに、五感は尋常でなく鋭くなり、真島さん達の会話を余さず捉えられた。
狂化。
ブーステッドリリィが、暴走の果てに陥るという、人間のヒュージ化現象。
なんで。
ここまで来て、どうして……っ!?
「グ……ぉ、オおおオオおッ!!」
諦めるものか……諦めてたまるか……!
自分を奮い立たせるために咆哮し、膨れ上がるマギの制御に集中する。
たとえ負に傾いても、マギはマギ。
伊紀ちゃんを助けるまで保てば、それでいい!!
「あと少し、あと少しなんだっ。頼む、お願いだっ、あともう少しだけ……!」
命が削られていく感覚を覚えながら、ただひたすら、Zを使う。
しかしあと一歩が、どうしても届かない。
視界が、黒く染まり出す……。
鬼気迫る咆哮が轟き、誰もが固唾を呑んで、事の行く末を見守っていた。
石上碧乙。
遠藤亜羅椰。郭神琳。
真島百由。天津麻嶺。
そして、川添美鈴と白井夢結も。
「おじ様……っ」
美鈴の隣で、夢結が拳を固く握る。
きっと歯痒い想いをしているのだろう。
どうして、私には何も出来ないの。どうして見守る事しか出来ないの、と。
そんな苦しみが、美鈴には手に取るように理解できた。
「夢結。……助けたいかい?」
「……はい。はい! 当たり前です! でも……私には……」
「……うん。分かった」
力強く頷きながら、しかし弱々しい声を悔しさに噛み殺す夢結。
欠け替えのないシルトの願いを確かめた事で、美鈴の心にもある決意が生まれる。
今までの生き方を覆すほどに、美鈴にとって重大な決意が。
「夢結は、自分を無力だと思っているんだろう? なんの助けにもなれない、助ける力が無いと」
「そ、それは……っ」
「でも」
図星を突かれ、口籠もる夢結だったが、その隣を離れ、美鈴は“彼”に近づく。
「君の“助けたい”という思いが、助けられる“力”を持つ誰かを動かしたなら。それは間違いなく、君の力なんだよ」
「お姉様……? 何を仰って……」
「夢結のシュッツエンゲルになれて、僕は幸せだって話さ」
ブリューナグを片手に、美鈴は笑顔で振り返る。
何故だろう。とても晴れやかな気分だった。
晴れやかで、清々しくて。
今なら、なんでも出来るような気がした。
“彼”に手が届く距離……負のマギで肌を焼かれるのが分かる程まで近づくと、美鈴に気付いた“彼”が振り向く。
その左眼は、コントラストが反転したように黒く変色していた。
「川添……何ヲ、スるツモりだ……」
「僕のスキルで、負のマギを浄化する。まだ時間はある、諦めないで」
「……? 川添の、スキルって……」
「“忘れたのかな? 僕のレアスキルはカリスマだよ。浄化もマギの供給も可能さ”」
スキルを発動しつつ、美鈴は囁いた。
負のマギが発生しているこの状況なら、美鈴がマギを浄化し、正常化したマギを“彼”へと供給する事で、狂化のデメリットをメリットに変換可能だ。
北河原伊紀を助けるための後一歩を、美鈴が手を引いて進むのである。
アガートラームの柄に手を置く。
美鈴の“力”に反応し、黒いマギが青へと戻っていく。
「さぁ。このクソったれな運命とやらを、捻じ曲げようか」
「……ああ!」
美鈴は“彼”と笑い合い、マギと意識を重ね、一歩を踏み出す。
「はぁぁあああっ!!」
「おおぉぉおおっ!!」
吹き上がるマギの奔流は、赤い波動を柔らかく包み込み、痛みに歪んでいた伊紀の表情も和らぎ始める。
彼女の体内に留まっていた“何か”が、姿を見せようとしていた。
「おじ様、お姉様っ、頑張って! 頑張ってください!」
「あと少しよ伊紀さん! 頑張って、頑張れぇええっ!」
「まだ描いてる途中の絵があるんだから、こんな事で負けちゃダメよ!」
「おじ様なら出来ます、必ず出来ますっ」
「負けないでおじ様っ。キチンと謝らせて下さい、お願いっ!」
「……頑張って下さい! そのまま、そのまま行って……!」
声を枯らすのも厭わずに、夢結と碧乙は声援を送った。
二人だけでなく、亜羅椰と神琳、百由や麻嶺までもが、それぞれの言葉を叫ぶ。
少女達の声が響くたび、マギは吹き上がる量を増し、伊紀の制服の胸元が蠢く。
……そして。
「──来た!」
“彼”が呟いた瞬間、“何か”が伊紀の体から吐き出された。
大き目の銃弾のように見えたが、まるで生物の如く脈打ち、明らかに異常だ。
しかし、銃弾の脈動は徐々に弱々しくなり、やがて空気に溶けていった。最初から何も存在しなかったかのように。
外気に晒されたからか、他に理由があるのか。どちらかは分からないけれど、“彼”と伊紀から放たれていたマギも消失。
一帯には静寂が広がった。
「……や、った……?」
美鈴が呟く。
支えを失ったように崩折れる伊紀を、駆け寄った碧乙が抱き止めた。
安らかな表情で、目蓋を閉じている。
「伊紀さん? 伊紀さん!」
「……脈は安定してる。気を失ってるだけみたいね」
碧乙の呼びかけには答えないが、同じく駆け寄った麻嶺が状態を診る。
少なくとも外傷は無く、他に目立つ異常も見られない。
あの銃弾を撃ち込まれる寸前の状態に戻っているようだった。
一気に皆の緊張感も霧散し、笑顔が浮かぶ。
「おじ様、お姉様っ、お二人とも凄いです! こんな事をやり遂げてしまうなんて……!」
「っはは……流石に疲れたけどね……」
「………………」
眼をキラキラさせ、夢結が二人を称賛。照れ臭さを隠すために、美鈴は大きく肩をすくめて見せた。
いつもなら、この後に皆を“誤魔化す”のだが……。何故だろう、そうしたくない。
久方ぶりに、この“力”を持っていて良かったと、心から思える瞬間だった。
が、ここで“彼”の反応が無い事にも気付く。
だらんと焼け焦げた右腕を下げ、顔を俯かせて黙ったまま。
心配になったのか、夢結が覗き込むようにして手を差し出し……。
「おじ様? どうしま──」
声もなく、“彼”は崩れ落ちる。
時間の流れが遅くなったように、美鈴は感じた。
遠ざかる体を、ブリューナグを離した手で追うが、美鈴の手は、届かない。
まるで水飴の中だ。ただ腕を伸ばすのすら、もどかしい。
“彼”の左手が、アガートラームから離れた。
どうにか助けようと、美鈴は更に手を伸ばし──“彼”が消えた。
「な……?」
美鈴は白い空間に居た。
地平線も見えない、ただただ白が続く空間。
先程まで霊園の近くに居たはずが、変わらないのは、手の中にあるアガートラームのみ。
流石の美鈴も困惑を隠せない。
「これは、一体……」
辺りを見渡す美鈴。
本当に何も見当たらない。
立ってはいるが、地面を踏みしめている感覚も無い。
“力”のせいで異常事態には慣れているつもりだったけれど、こんな事は初めてだった。
(……っ! 人の気配!)
突然、背後に誰かが現れた。
そうとしか言いようのない感覚を信じ、アガートラームを構えながら振り返ろうとして、いつの間にか手が空になっていた事に、また困惑する。
しかし、それ以上に美鈴を困惑させたのは、白い少女の存在だ。
「君は……?」
裸体を隠そうともしない、長い白髪の少女。
歳頃は夢結と同じくらいだろうか。
病的なまでに白い肌は、しかしこの空間に決して埋没しない、強い存在感を合わせ持つ。
その少女は、美鈴をゆっくりと指差して────告げる。
「 ラ プ ラ ス の 悪 魔 」
「──はっ!?」
心臓が暴れていた。
気がついた時、美鈴は霊園へと舞い戻っていた。
どさり、と。“彼”の倒れる音。
手を差し伸べた体勢のまま、美鈴は動けない。
今のは、なんだ。
「おじ様っ!? しっかりしてくださいおじ様、おじ様ぁ!!」
倒れ伏した“彼”を揺すり、夢結は泣き叫んでいる。
それも仕方ない。“彼”の眼や鼻腔、更には耳からも血が垂れ流されているのだから。
伊紀とは違い、急を要する事態なのは間違いなかった。
「……救護班を待つより運んだ方が早い、行こう夢結!」
「は、はい!」
“彼”の腕を肩に回し、持ち上げる美鈴。反対側には夢結が入り、大跳躍で医療施設へ。
逸る心を隠して、美鈴は跳ぶ。
白い少女が突きつけた、不吉な言葉を胸に抱いたまま。
自分が天井を見上げているのに気付いたのは、恐らく、意識を取り戻して数分は経ってからだった。
体を起こそうとするが左腕以外の感覚が無く、義肢が外されている事を理解する。
(……またこの展開か)
夏の一件でも意識を失って、病院に運ばれて、そこで意識を取り戻した。
あの時は窓から外の光が入ってきてたけど、この部屋は、伊紀ちゃんが入院していた部屋に近い印象だ。
つまり、地下に居る。
(狂化しかけたから、隔離措置は当たり前だけど……視界が狭いのはなんでだ?)
体調は問題ない。
が、両眼を開けているはずなのに、見える範囲が右に寄っているような気がした。
確かめようと部屋をグルっと見回し、そこでようやく、ベッドの側の椅子で、うたた寝している女の子が居る事が分かった。
着ているのは百合ヶ丘の高等部の制服。
セミロングくらいの髪を後ろで結んで……ハーフアップ? にしているようだ。
俯いているので顔は見えない。
「あの……」
「すぅ……すぅ……」
声を掛けるが、起きない。
いや、俺の声が掠れている? 何日も声を出してないような感覚だった。
何度か喉を鳴らし、ちゃんと声が出るのを確認。もう一度、声を掛ける。
「あのぉ、もしもーし」
「ん……いけない、いつの間に眠って………………え?」
女の子が眼を覚まし、顔を上げる。
見覚えがあった。
こちらを見て驚いている、その顔は。そして聞き覚えのある声は。
川添美鈴のものだった。
……なんで髪が伸びてるんだろう。
「もしかして君は、川ぞぶぇ!?」
いってぇ!?
なんだか知らんが、凄い勢いで頬を抓られた。
そのあまりに必死な様子に、抵抗できずに呆然としていると、やがて川添(仮)は、信じられないといった感じで呟く。
「起きた……起きてる……? っ、患者が意識を取り戻した! 医師を!」
かと思えば、慌ててナースコールのボタンを押し、人を呼んだ。
……慌てて?
どうしてこんなに慌てる必要が?
「な、なぁ、川添なんだよな? その髪、どうしたんだ? というか、あれからどうなった。伊紀ちゃ……北河原さんは? 俺は何日眠ってたんだ?」
矢継ぎ早に問いかけると、川添(仮)は苦虫を噛み潰したような顔を見せ、黙り込む。
しばらくすると、まさに意を決したという顔付きで口を開く。
「落ち着いて、聞いて欲しい……」
気を持たせる口振りに、思わず眉を寄せてしまう。
が、彼女の放った言葉は、確かに俺の精神を大きく揺さぶるのだった。
「あの事件から、一年が経っている。……“貴方”は丸一年、眠り続けていたんだ」
次編、Blank of 16month編に続く。
例によってシリアスブレイク注意報。スクロールにご注意下さい。
ああああああああああ!!
アニバメモリア雨嘉ちゃんの背中ペロペロしたいよぉぉおおおおおっ!!!!
いやエロ過ぎやろR15相当やであんなん……。はよ。はよください。
それはさて置き、今回でPC編は終了。次編はB16編となります。
ナデシコのキャラゲーは名作でしたね。原作はリアタイで見れてないのですが。
ラスバレの方でも痴女姉妹……もとい船田姉妹を始めとする御台場じょごキャラ、やルドビコのキャラが実装予告されて、某迎撃戦などに関しても、そのうち詳細な情報が出そうなので、スッ飛ばしました。
関わると変わり過ぎる可能性もありますし、作者が描きたいのはあくまでアニメ版の二次創作なので、ご了承下さい。
なお、「ラプラスの悪魔」は誤字ではありません。「魔」でも「霊」でもなく「悪魔」です。
次編では主人公が眠っている間の話や、アニメ版開始までの空白期間がメインとなる予定です。
変わり過ぎると言っておきながら、様々なキャラの運命を変えていく事になりますが、ご期待頂ければ幸いです。
あ、遅ればせながら、あけましておめでとうございました!(過去形)
本年も宜しくお願い致します!
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28 サンショクスミレ── Garden pansy ── 目覚めの時
「おじ様……ああ、そんな……っ」
強化アクリルガラスを通して見える光景に、伊紀は思わず息を詰まらせる。
ベッドに寝かせられた、歪なシルエットの体。そこから伸びるコードの数々は、恐らくは“彼”の命を繋ぎ止めるための物。
計器類が様々なデータを表示しているのだが、それが何を意味するのか、容体が安定しているのかすら、分からない。
「見ない方がいい、と言った意味が分かったかい。きっと“彼”も見られたくなかっただろうに」
背後から冷たく声を投げるのは、川添 美鈴。隣には真島 百由の姿も。
あの事件から……伊紀が狙撃され、“彼”の力で救われてから、もう3日が過ぎている。
対外的にどうなるかは分からないが、少なくともその間、伊紀は再びの軟禁状態にあった。
地下の病室に閉じ込められ、起きている時は常に検査が行われて、作業をするリリィとの会話も許されなかった。正確には、鎮痛な表情で無言を貫かれた。
時間ばかりが、もどかしく過ぎていった。
そして、3日目の朝。
軟禁されてから初めての面会者として、上記の二人が現れた。
伊紀は一も二もなく“彼”の容態を尋ね、口を濁す美鈴に縋り付くようにして懇願した結果が、今の状況だ。
「目を覚ますんですよね……?」
「……どうかしら。こんな状態だもの、誰にも正確な事は分からないのが実情よ」
答えたのは百由だった。
声は淡々としており、無表情の奥に隠された感情を、窺い知る事はできない。
「気が済んだのなら帰ろう。正直、僕もあまり見ていたくない」
「……はい……」
先んじて歩き出す背中に、肩を落として続く。
覚悟、していた。していたつもりだった。
あの時……。“彼”のZによる摘出を受けている時の事を、伊紀は克明に覚えている。
痛みに悶え苦しみながら、しかし、触れ合うマギの温かさと、耳に届けられる言葉に支えられ、どうにか耐え抜く事ができたのだ。
だが、あんな奇跡を起こして、なんの代償も払わずに済むほど、この世界は優しくない。
きっとまた、酷い迷惑をかけた。辛い思いを強いてしまった。謝って済む問題ではない。
ならばせめて、起こってしまった事実を、その結果をしっかりと受け止めなければ、またしても命をかけてくれた“彼”に、失礼だ。
それでもやはり、実際に目の当たりにすると、胸が引き裂かれるようで。
「既に察しはついているだろうけど、改めて確認しよう。君はこれから、百合ヶ丘にある研究施設で、更なる精密検査という名の、実験を受ける」
よほど動転していたらしく、気がついた時には病室へ戻っていた。
ベッドに腰掛ける伊紀に対し、美鈴が腕組みしつつ告げる。
「ガーデンの理念のもと、君の身柄は表向きには保護されている。しかし今回の件は、明らかに百合ヶ丘女学院を狙ったテロ行為だ。
君の意志の寄るところに関わらず、G.E.H.E.N.Aの実験台であり、人間爆弾だったという事実の方が優先される。被害がたったの一名でも、ね」
ただでさえ切れ長の美鈴の目が、更に鋭く細められる。
怒気を孕む視線は、けれど伊紀だけに向けられてはいないと、感じさせた。
「酷く屈辱的な扱いを受けるだろうし、実験が終わっても解放されるとは思わないで欲しい。言うなれば……備品になったんだよ。君は」
吐き捨てるような。いや、唾棄するような物言い。
顔に乗せられている
この人は、このような物言いをする人……なのだろうか。
(ああ。そうなのですね。貴方も、おじ様と同じ)
不意に、気付いた。美鈴は憎まれようとしている。
彼女の言っていることは、恐らく事実。
伊紀の一生は百合ヶ丘に縛られ、今後の自由も保障されない。
他のリリィを守るためとはいえ、それでも心は疲弊するだろうから。
だから憎まれ役になって、負の感情を引き受けようと。
「……もっと」
「ん……?」
「もっと効率的に、私を使える場面があったと、思うんです」
口をついて出たのは、ここ数日、ずっと考え続けていた事だった。
「本当にG.E.H.E.N.Aの狙いがガーデンだったなら、もっと大きな被害を出せた場所……。
建物の近くや、他のリリィの方々と一同に会する場面の方が、相応しかったはず。
それなのに、あの場所、あの場面を選んだという事は、G.E.H.E.N.Aには他の狙いがあったのではないでしょうか」
「……というと?」
「例えば……おじ様のCHARMの、複合スキルとか。それを扱えるおじ様の素養、だとか」
ぴくり、と美鈴の片眉が上がる。
伊紀は“彼”のユニークスキルに関して、全く知識がない。
判断材料はあの時の、痛みに霞む思考が拾い上げた、言葉の数々である。
インビジブルワンとホールオーダー、二つのサブスキルの効果を同時に得られるレアスキル、ゼノンパラドキサ。
これも複合スキルと呼べるもので、相手の行動を読み、かつ自分の速度を上げられるという単純明快な効果は、その相乗効果により、攻撃用レアスキルの花形の一つとされている。
察するに、“彼”の言う複合スキルとはアガートラームと呼ばれたCHARMに由来するもの。
T型CHARMの性質──被験者だった為ある程度は知っている──を考えると、CHARM自体にレアスキルを保有、運用させるという事の、正に実証存在と言える。G.E.H.E.N.Aであれば強い関心を持つはず。
となれば、あの一件は百合ヶ丘女学院を狙ったのではなく、“彼”からなんらかのデータを引き出すためだったとも考えられる。
加えて、デモンストレーションという可能性も捨て切れない。
いつでも、反G.E.H.E.N.A派閥である百合ヶ丘女学院に攻撃を仕掛けられるという、示威行為。
一応は企業である以上、表立って動いてこなかったG.E.H.E.N.Aが、ここに来て実力行使に出たという事実は、きっと内外に大きな影響を与える。
百合ヶ丘の威信を傷付けるという側面では、確かに大成功だった。
伊紀が“使われた”のは…………都合が良かったから?
恐らく、G.E.H.E.N.Aにとって最適な立場・物理的位置にあり、良い成果を得られると予想されたから選ばれたのだろう。
「驚いた。よくそこまで考えが及んだね。それとも、G.E.H.E.N.Aの連中に何か吹き込まれていたのかな」
「この数日間、考える事しか出来ませんでしたから。それに、G.E.H.E.N.Aの人達とは会話なんてありませんでした。
立て、座れ、横になれ。そんな指示語だけで、こんな風にお喋りしてはくれませんでしたよ。まるで動物みたいに」
苦笑いで返すと、美鈴は意外にも、気不味そうに視線を逸らす。
心根が優しいからか、非道に徹しきれないのかも知れない。
だから伊紀は、その優しさにつけ込むと決めた。
「私の体に残された痕跡が……G.E.H.E.N.Aの技術が、おじ様の為になるのなら、なんだってします。耐えてみせます。だからどうか、おじ様を見捨てないでください。どうか、どうか……っ」
ベッドから降り、深々と、深々と頭を下げる。
今の百合ヶ丘に、“彼”という爆弾を抱える理由はない。金銭的・人的資源的にも、再度の暴走の危険性を鑑みても、庇い続ける事のデメリットが優に勝っている。
たとえ倫理にもとるとして、多くのリリィを守る為ならば、親G.E.H.E.N.A派閥のガーデンにでも預けてしまう方が確実だ。
それを理解してなお、伊紀は頭を下げている。
美鈴や百由にそれだけの権限があるかも知らないまま、ただ、生きていて欲しいという一心で。
「よしましょう、美鈴様。伊紀ちゃん、もう覚悟決めちゃってるみたいですし、無理して悪役を演じる意味、もうないんじゃ?」
「……そのようだね。全く、これじゃあ三文役者にすらなれやしない」
憎んでくれた方が楽なのに。
そう呟き、美鈴が苦笑いを浮かべた。
続いて百由も、朗らかかつ不敵な笑みで、伊紀の肩を叩く。
「誰も見捨てる気なんて無いって事よ。おじ様も、貴方も。嫌な仕事させられた分、きっちり言質取ってきたわ! あ、もちろん実験動物扱いも絶対にさせないから!」
ふんす、と鼻息も荒く胸を張る百由の背後に、高松理事長代行の疲れた顔が浮かんだ気がした。
事件前に一度だけ面会したのだが、その時から一気に老け込んだような。
きっと気のせいですよね……? と、伊紀は目を背ける事にする。
「あの、お尋ねして良いのか、分からない事なのですが……」
「何?」
「碧乙お姉様達は、どうしていらっしゃいますか」
“彼”と同じように自分を慈しんでくれた、二人の少女。
伊紀が知る彼女達であれば、今回の件にまた心を痛めているだろうから。どうしても様子が気になっていた。
しかし、この問いかけに対しては、思いもよらない返答がなされた。
「石上君は、隔離房に入ってもらっている。いささか、冷静さを欠いている様子だったからね」
「えっ……?」
碧乙お姉様が、隔離房に?
伊紀は目を丸く、思わず首を傾げてしまう。
何故そんな事になっているのか、てんで分からなかった。
美鈴の説明によると、経緯は以下の通りらしい。
美鈴と夢結が倒れた“彼”を搬送した直後、碧乙は犯人を追跡しようと、単独で飛び出したのだという。
ロザリンデも慌てて後を追い、戻るよう説得を試みるが、犯人が誘引したと思しきヒュージの群れと、先遣隊との戦闘に遭遇する。
この場は共闘を……というのが定石であろうが、あろう事か碧乙は単騎で突撃。傷を負いながらも、並居るヒュージを切り捨ててしまった。
ヒュージを片付けたのち、碧乙はまた追跡を再開しようとする。
その横顔に危うさを感じ取ったロザリンデは、彼女の前に立ち塞がり、押し問答の末…………リリィ同士で戦うはめに。
結果、碧乙はロザリンデに叩き伏せられ、戦闘中に負った傷の治療と、付着したヒュージ由来の汚染物質の除去、独断専行の懲罰を兼ねて、隔離房へと運ばれた。
「ロザリンデさんも、その付き添いとして房に入ってるわ。……心配なのよ、碧乙さんの事が」
「そう、ですか……」
説明を受けてもまだ、実感が湧かない。あの二人が戦うだなんて、想像すら。
……けれど。
恐らく碧乙にとっても、あの一件は大きな衝撃だったのだ。
目の前で大切な誰かが傷付けられて、我を忘れない人間なんて、きっと存在しない。
伊紀自身、碧乙と立場が逆だったなら、犯人をどこまでも追い立てていただろうと思う。
たとえ、返り討ちに遭う可能性があったとしても。“彼”がそれを望まないとしても。
(強く、なりたい)
襲い来る不幸を跳ね除け、大切なもの全てを守り抜くだけの、力が欲しい。
それは、子供じみた願いごと。
叶うはずがないと分かっていながら、なおも願わずにはいられない。
……いや。願うだけではダメなのだ。
本気で“何か”を守りたいなら、それこそ命懸けで挑まなくては。伊紀自身がそうしてもらったように。
(強く、なるんだ)
胸元で両手を握り、静かに目を閉じる姿は、まるで祈りを捧げるようにも見えて。
その想いはきっと、誓いと呼ばれるものに似ているのだろう。
彼女の誓いが果たされる日は、そう遠くない。
同刻。百合ヶ丘女学院、隔離房。
純白の入院着に袖を通すロザリンデが、だらしなーく、ソファでグダッていた。
テーブルのクッキーをつまみ、ペットボトルの紅茶で喉を潤す姿は、しかしその美貌のおかげか、傍目には優雅に見えてしまい、耽美な雰囲気すら醸し出している。
この雰囲気に騙される事なく、「お腹がプニプニしちゃいますよ?」とツッコんでくれるのが、愛らしい後輩の碧乙であるのだが……彼女は隣で俯いたまま。
会話らしい会話もなかった。
(重症ね。本当なら堂々とダラけられるのを喜ぶ所だけど……)
あの日以来、碧乙は一度たりとも笑っていない。
“彼”が意識不明なのだから、笑えるはずもないのは当たり前だけれど、全身から放たれる重苦しい空気は、ただ落ち込んでいるだけではないと、如実に物語る。
一体どうしたものか……。
「……あの」
「っ、うん? どうしたの」
──と、予想外にも碧乙の方から声が掛けられた。
驚いて一瞬どもりかけるも、ロザリンデは平静を装う事に成功する。
「ここを出たら、わたしに本格的な戦闘訓練をつけてくださいませんか」
「……訓練? デュエルの、という事かしら」
「全部です。敵を倒すために必要な事の、全部」
ゾクリ。
背筋が粟立つのを感じた。
それは、碧乙の言葉が本気であると悟ったからではなく……。
「わたし、強くなりたいです。……強く、ならなくちゃ。強くないと、何も、できない」
虚空を見つめる碧乙の瞳に、今までにない剣呑な光を見たからである。
元々、暴走しがちな性格ではあった。が、止めようと思えば止められる範囲であり、後で笑い話にできる、可愛らしい個性だった。
ところがである。今の碧乙から感じられるのは、止められない、止めてはいけないという危うさだけ。
無理やり止めても、いつか必ず炸裂するであろう、爆弾。
(本当に、罪な人ですね。起きたら恨み言、たっぷり聞いてもらいますから)
妹分の手を握りながら、今も眠っているはずの“彼”に向け、心の中で呟くロザリンデ。
その妹分は、奇しくも伊紀と同じような想いを抱きつつ、しかしボタンを掛け違えたかの如く、どこかズレた方向を向いてしまっている。
だが、たとえ違う方向を向いていたとしても、隣で誰かが手を引いていれば、道を踏み外すことはない。そのためにシュッツエンゲル制度があるのだから。
こうして、LGロスヴァイセの未来を担う主要メンバー達は、それぞれに己が道を進む覚悟を決めた。
特務LGという性質上、誰にも知られてはいけないけれど。
この密やかな誓いは、確かに立てられていたのである。
「美鈴様!」
病院のロビーへと、息も絶え絶えに駆け込んでくる少女。
薄桃色の髪が、汗で顔に張り付くのも厭わない彼女──北河原伊紀は、知らせをくれた恩人に駆け寄っていく。
「はぁっ、はぁっ、みっ、美鈴、様っ、ぉ、お……っ……!」
「……まずは落ち着こうか。ほら、深呼吸」
「は、はい……っ」
呆れ顔の美鈴に促され、伊紀が息を整える。
あの当時から一年以上経過しているだけあって、身長が少し伸び、全体的に女性らしいふくよかさが増していた。
端的に言って、美しさに磨きが掛かっていた。
「おじ様がお目覚めになられたというのは本当ですか!?」
「本当さ。今は色々と検査しているところだよ」
「そ、そうですか。あのっ」
「面会なら、しばらくは無理だそうだ」
「そんなっ!」
そして、そんな少女が頬を赤らめ、場を弁えずに声を張っているのだから、周囲から送られる視線の量もひとしおである。
一応、公表はせずに伏しておく予定だったのだが、これでは今日中にでも学園中に広まるだろう。
仏心を出すんじゃなかった……と、後悔する美鈴であった。
「よく考えてごらん。“彼”にとっては少し長く寝ていただけでも、実際には一年近く経過しているんだから。事実を受け入れるにも、現状に適応するにも、時間が必要だ」
「…………そう、ですね。少し……いえ、過分に焦っていたみたいです」
静かに諭され、伊紀もようやく落ち着きを取り戻す。
髪や衣服の乱れにも気づき、今度は恥ずかしさに赤くなりつつ、それらを正していった。
その間にも考えを巡らせていたらしく、楚々とした佇まいで代案を提示する。
「面会が無理なのでしたら……。そう、お花! お花を送るくらいは、よろしいでしょうか?」
「まぁ、大丈夫だとは思うけど……量は控えめにすること。きっと他にも、同じ事を考える子が居るだろうしね」
「良かった……。ああ、何にしましょう、お姉様方とも相談しないと!」
美鈴が頷くと、表情は一転。無邪気に喜ぶ、子供らしい一面が覗く。
お姉様方とは言わずもがな、ロザリンデと碧乙の事だ。
この二人は既にシュッツエンゲルとなっており、碧乙と伊紀も、伊紀が高等部に入学するのを待っている状態である。
いずれは百合ヶ丘でも珍しい、正式なノルン──三姉妹のシュッツエンゲルとなるだろう。
彼女達の仲睦まじさが、今は眩しい。
「君は、本当に“彼”の事が好きだね」
「はい! 敬愛しています!」
思わず目を細める美鈴の前で、笑顔の花が咲いた。
一切の躊躇いなく、むしろ誇るように、伊紀は笑う。
“彼”と再び顔を合わせる瞬間を、夢想しながら。
(一年、か)
ジッと天井を見つめたまま、ただただ思考する。
当たり前だが、実感はない。
いつものように寝て起きたら、いつの間にか一年も経っていた……なんて。
「…………」
ほんの少し川添と話しただけなのに、疲労感が強い。
これが精神的なものなのか、それとも体が弱っているからなのかも、定かではない。
現実感の欠如。
甲州撤退線から生還した直後の、あの頃の感覚に似ている。
……嫌な感じだ。
それをどうにか払拭したくて、川添が生けてくれた花を見やる。
名前もわからないけれど、ただそこにあるだけで、目を癒してくれる…………はずだったのに。
「……?」
ふと違和感に気づき、花ではなく花瓶に目を凝らす。
備え付けなのだろう、ステンレス製らしき安物のそれは、四角い側面に周囲を映り込ませている。
もちろん、目を凝らしている“俺”の顔も。
だが。だが、その顔は。
「若返ってる……?」
“俺”が“俺”と認識する姿よりも、数年……いや十年近くは、若返って見えたのだ。
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Blank of 16month編
人物紹介(PC編終了時点)
◯高松 昴陽(たかまつ こうよう)
主人公。男性。三十代。偽名。元防衛軍マギウス(マディックにあらず)。
学生時代にヒュージ災害に遭い、家族と故郷を失う。
天涯孤独となったのちは防衛軍へ身を寄せ、マディックとして戦い始める事となるのだが、数年が経った頃、同僚と倉庫に死蔵されていたCHARM「アガートラーム」との簡易契約を遊び半分で行った結果、契約が成立。以降はマギウスとして活動する。
それからまた数年。故郷を失ってから十年余りが経過すると、逼迫した戦況を支援するため、甲州──甲州撤退線へと出向き、運命の出会いを果たす。
甲州撤退線でギガント級に立ち向かった結果、左腕以外の四肢を失くしたが、真島百由謹製の精神感応型義肢のテスターとなり、百合ヶ丘女学院で保護を受ける。
その中で、ユニークスキル「カレイドスコープ」を覚醒しているのでは? との推測がなされ、実は来歴が不明瞭であったアガートラームとの同時研究が進められた。
そして、2050年11月某日。
マギ保有者を材料とする違法CHARMの研究を調査する作戦に参加し、続く北河原伊紀救出作戦において、かつての戦友である江戸川・C・昭仁の死に直面。初めての暴走(狂化)を経験する。
結果として救出対象の救助には成功したものの、百合ヶ丘女学院へのテロ攻撃に際し、再び狂化。川添美鈴の“力”によって一命は取り留めたが、意識不明のまま一年を過ごす事となった。
なお、マギウスという男性リリィ・CHARMユーザーの呼び名は、とある防衛軍の高官の息子である事務官が「正式名称だからって、いちいちCHARMユーザーなんて長ったらしい文字を書いてられっか!」と癇癪を起こし、それに対して「いい機会だからカッコいい固有名詞をつけよっか」と上層部が悪ノリして決まった、という馬鹿みたいな経緯がある。
あくまで非公式ながら、この世界では本当の話である。
レアスキルは「カレイドスコープ」(仮称)で、任意のサブスキルを自由に発動、組み合わせられる。
使用CHARMは「アガートラーム」。
◯川添 美鈴(かわぞえ みすず)
女性。16歳。リリィ。百合ヶ丘女学院高等部一年生。白井夢結のシュッツエンゲル。
燻んだ灰色の髪のショートカット。灰色の瞳。
甲州撤退線にLGアールヴへイムの一員として参加。この時、ギガント級ヒュージとの戦闘により死に瀕するが、主人公の介入で救われる。
助けられた事に対して、曲がりなりにも恩義と罪悪感を抱えており、悪態をつきながらもリハビリのサポートなどを手助けするようになった。
自らのシルトである白井夢結を溺愛していて、彼女を守るためならば死も厭わないほど。
なお、本来、学部の違う生徒同士ではシュッツエンゲルの契約を結べないが、双方が生徒会に属して、学院が許可を出している場合には例外として成立する。
“レアスキルは「カリスマ」とされている。”
使用CHARMは「先行試作型ブリューナグ」と「グラム」。
◯白井 夢結(しらい ゆゆ)
女性。14歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部三年生。川添美鈴のシルト。
非常に長い黒髪。黒い瞳。
川添美鈴と同じくアールヴへイムの一員であり、甲州撤退線に参加した経緯も同様。
シュッツエンゲルである美鈴を救った主人公に尊敬の念を抱き、“彼”を「おじ様」と呼ぶ。
元がマギウスである事を知っているからか、実は主人公の戦闘力を低く見積もっていた(実際に低めである事が多い)が、とある模擬戦で一方的にあしらわれた事で、複雑な想いを感じ始めている。
紅茶やサンドウィッチが好きで、読書に観劇、音楽鑑賞を趣味とする。他にも辛い食べ物などを好む。
レアスキルは「ルナティックトランサー」で、使用時には虹彩が赤く変化する。
使用CHARMは「ダインスレイフ」と「グラム」。
◯高松 咬月(たかまつ こうげつ)
男性。年齢不詳。元CHARMユーザー。百合ヶ丘女学院理事長代行。
白髪。青い瞳。
本来の理事長である姉に代わり、百合ヶ丘女学院の運営を担う。
主人公の身元引き受け人でもあり、戸籍上は義理の父である。
慇懃な振る舞いからも威厳を放ち、百合ヶ丘のリリィを実の娘のように慈しむ一方、彼女達を害する者には躊躇なく武力を行使する、冷徹な一面も併せ持つ。
◯真島 百由(ましま もゆ)
女性。14歳。戦うアーセナル。百合ヶ丘女学院中等部三年生。
夢結と同じ程度の長さの黒髪。青味掛かった黒の瞳。眼鏡をかけている。
百合ヶ丘きっての天才(天災)アーセナル。その知識と技術に並ぶ者はなく、更には好奇心も旺盛で、異常なまでの熱量をもってCHARMやリリィ、ヒュージの研究を行う。
主人公の装着する精神感応型義肢の開発者でもあり、このデータをCHARMへと流用する事を目論む。
だが、理事長代行の命令とはいえ、暴走した主人公に首輪と称して爆薬を埋め込んだ事を、酷く後悔している。
見た目によらず大食いであり、特に肉料理を好んで食べる。また、エナジードリンクの愛飲家でもある。
レアスキルは「この世の理」だが、前線に立つ事はあまりない。
使用CHARMは不定。技術者としてなんでも人並みに扱える上、自作テスト機も使ったりする場合がある。
◯吉村・Thi・梅(よしむら・てぃ・まい)
女性。14歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部三年生。
浅黒い肌。緑色の短い髪を頭の上で二つ結びにしている。緑色の瞳。
ベトナム出身のリリィで、アールヴへイムの一員。
朗らかな笑顔の似合う明るい性格で、気配りも上手い。本来は勉強熱心なのだが、訓練などには消極的。天賦の才とも言える、類い稀な身体能力がそうさせているのかもしれない。
主人公を「おっちゃん」と呼び、“彼”との戦闘訓練には珍しく顔を出していた。
故郷の料理であるベトナム料理が大好きなのだが、百合ヶ丘ではあまり食べられないのが小さな悩み。亀のマスコット集めを趣味にしている。
レアスキルは「縮地」で、その身体能力との相乗効果により、機動戦では無類の強さを誇る。
使用CHARMは「タンキエム」と「グラム」。
◯安藤 鶴紗(あんどう たづさ)
女性。13歳。強化リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
金髪のポニーテール。赤い瞳。
家族に着せられた汚名を返上するため、G.E.H.E.N.Aの実験に参加していた強化リリィ。
紆余曲折を経て百合ヶ丘女学院に保護されたが、誰にも心を開かず、野良猫とだけ触れ合う日々を送っていた。
そんなある日、子猫を助けようとして高所から落下。大怪我を負う所を、義肢を調整中の主人公に助けられ、縁が生まれる。
猫以外にもコーヒーが好きで、主人公と知り合ってからは、よく缶コーヒーを奢って貰っている。ただし、知識を追うタイプではなく、直感的な美味しさを求める傾向にある。
閉所恐怖症。
レアスキルは「ファンタズム」で、近未来を予知しながら戦場を駆け巡る。
ブーステッドスキルは「リジェネレーター」、「アルケミートレース」、「連続強化補助」。
使用CHARMは「ダインスレイフ」。
◯遠藤 亜羅椰(えんどう あらや)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
非常に長い赤毛の髪に、猫耳のようなアクセサリー。赤い瞳。
強化リリィ並みのマギを有する、百合ヶ丘の歴史においても屈指のフェイズトランセンデンス使い。
そのレベルはS級とされ、幼いながら特異点のリリィと呼ばれる。
画家の母と哲学者の父を持つ、いわゆるサラブレッド的な存在だが、自身の性欲……もとい、感情に素直過ぎる性格が災いし、問題児として有名。
様々な女性との浮き名を流していて、主人公にも夢結目当てで接触を計った。
が、色々なすれ違いから郭神琳との決闘に至り、それに負けた事で感情が爆発。大泣きしてしまう。
この時、主人公に慰められた事をきっかけとして、生まれて初めて男性が興味の対象となった。
ちなみに、彼女を監視していた風紀委員のリリィは、亜羅椰が男性に興味を示した事に大きな危機感を抱いており、うっかり児童福祉法違反が発生しないかと戦々恐々していたとか。
母の影響で油彩画を趣味としており、腕前はプロにも引けを取らない。
食べ物では果物、特に柘榴が好き。
レアスキルは「フェイズトランセンデンス」のS級。普通は使用後にマギが枯渇状態になるデメリットを、使用しても通常戦闘が可能なまでに抑えられる。
使用CHARMは「先行試作型アステリオン」。色を赤にパーソナライズしている。
◯郭 神琳(くぉ しぇんりん)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
非常に長い茶色の髪。オッドアイ(右が赤茶色、左が黄土色)。
台北市出身の生え抜き──幼稚舎から百合ヶ丘に通う生徒──で、その才覚は既に頭角を表している。
生真面目な性格から、女学院に若い男性(主人公)が存在する事に忌避感を覚え、亜羅椰と“彼”の不埒な噂の真相を探るべく尾行したのだが、二人の模擬戦中、不意に発生したマギスフィアの爆発に巻き込まれ、尾行が発覚。
その後、担ぎ込まれた病院で亜羅椰から挑発された事を機に、決闘へと発展した。
決闘では亜羅椰にペースを握られていたものの、主人公の助言により冷静さを取り戻し、見事に勝利する。ここから亜羅椰との凸凹コンビが結成され、奇妙な縁を繋いだ主人公の存在を認めるようになる。
中華料理、工夫茶を好み、漢文や兵法書、詩作に関する知識も豊富。
兄が三人居るが、台北市で起きた戦いに参加した後、消息不明となっている。
レアスキルは「テスタメント」で、他者のレアスキルの効果・範囲を増大させるが、引き換えに自身の個人防御結界が薄まるというデメリットがある。
使用CHARMは「先行試作型アステリオン」。色を黒にパーソナライズしている。
◯天野 天葉(あまの そらは)
女性。14歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部三年生。
長い金髪を後ろで括っている。青い瞳。
アールヴへイムの副将。
マギの保有量、身体能力共に高く、特に走力は凄まじい。代わりに燃費が非常に悪いようで、食事量は更に凄まじい。
明朗快活な性格から、友人が多い。いわゆる女子にモテる女子であり、それとない仕草や言葉でおとしていく。
リリィとしての才能に恵まれているものの、リリィという職務に対する特別な思い入れなどは持ち合わせておらず、将来の夢はお花屋さんであった。
食べ物に好き嫌いが無く、大概の物事には動じない胆力も持ちあわせるが、蜂だけは大の苦手。
レアスキルは「ヘリオスフィア」で、ただでさえ高い戦闘力に、高い防御力を加算させられる。また、使用時にマギの翼(高スキラー数値のリリィ特有の現象)が発生する。
使用CHARMは「グラム」。
◯番匠谷 依奈(ばんしょうや えな)
女性。14歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部三年生。
紫色の長い髪。エメラルドグリーンの瞳。
アールヴへイムの司令塔。
神琳と同じく生え抜きで、その戦いぶりは苛烈でありながら華麗。更に指揮適性も高いため、前線に立ちつつ戦闘指揮もこなせる万能選手である。
天葉と懇意にしており、彼女を「ソラ」と呼ぶ、数少ない友人のうちの一人でもある。
趣味はアクアリウム、テラリウム、そしてコスプレ。特にコスプレは着るのも着せるのも楽しめる。
レアスキルは「円環の御手」で、世界でも最初期に覚醒した二人の片割れ。
もう一人は聖メルクリウスインターナショナルスクールに在籍する、ティシア・パウムガルトナー。
使用CHARMは「グラム」(本編未使用)。
◯高畑 聖咲(たかはた まさき)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
明るい茶髪を一本の長い三つ編みにしている。茶色の瞳。
茨城県出身の、どうにも不器用(物理)な少女。とても無口であり、生来の不器用さも災いして誤解されがち……かと思いきや、案外感情が顔に出るタイプなので、本当に誤解される事は少ない。
口数の少なさで誤魔化せているが、実は方言が抜けておらず、イントネーションが微妙に違う部分がある。
レアスキルは「フェイズトランセンデンス」。
使用CHARMは不明。
◯ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットー
女性。16歳。強化リリィ。百合ヶ丘女学院高等部一年生。
腰に掛かるほどのプラチナブロンド。青い瞳。
ドイツ出身。
たった一人でも戦況を動かすほどの戦闘力を持つ、デュエルの達人。
デュエルとは、ヒュージとの一対一の戦闘を重視する戦闘理論だが、のちに様々な理由から廃れてしまう理論でもある。
しかしロザリンデは、一対一の戦闘を作り出す事にも長けており、百合ヶ丘におけるデュエル世代の最高峰を担う人物。
……なのだが、私生活では面倒臭がり屋で、他愛のないお遣いなどを後輩に押し付ける事もしばしば。
彫金によるアクセサリー作りが得意(趣味とは違う)。
とある作戦で主人公と行動を共にし、その暴走を目の当たりにしてしまう。
レアスキルは「フェイズトランセンデンス」。
ブーステッドスキルは「リジェネレーター」、「エーテルボディ」。
使用CHARMは「ダインスレイフ」。
◯石上 碧乙(いしがみ みお)
女性。15歳。強化リリィ。百合ヶ丘女学院中等部三年生。
光の加減で青くも見える長い黒髪。赤茶色の瞳。
ちょっと折れやすい、ガラスのハートを持つ。
精神状態が能力に直結するタイプで、ダメな時はとことんダメだが、調子に乗っていると想像もつかない戦果を出す可能性がある。
とある作戦で主人公と行動を共にし、遊び心から始めた家族ごっこをきっかけとして打ち解けた。
が、北河原伊紀を標的としたテロ攻撃事件を境に、大きな精神的変化がもたらされる事となる。
レアスキルは「ファンタズム」で、主人公のレアスキルと共感した際には、近い未来ではなく、かなり時間的距離の離れた未来を予知した。
ブーステッドスキルは「オートヒール」、「エンハンスメント」。
使用CHARMは「グングニル」。
◯北河原 伊紀(きたがわら いのり)
女性。13歳。強化リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
一部分を飾り編みにした薄桃色の長い髪。薄桃色の瞳。
G.E.H.E.N.Aの研究所に囚われていた強化リリィ。潜在能力は高いと思われる。
周囲への気遣い、気配りが上手く、物腰も上品。
自分を助け出してくれた主人公や碧乙達に深い恩を感じる一方、その犠牲となった人物への、拭いきれない罪悪感に悩んでいた。
レアスキルは「Z」。
ブーステッドスキルは「リジェネレーター」、「アルケミートレース」。
◯榮倉 一歩(えいくら はじめ)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
黒髪のポニーテール。茶色の瞳。
モブリリィA。
魔法少女物アニメが好きで、正義感と好奇心が強い。行動の何かしらを三回セットにする癖がある。
実は、恋に恋するお年頃。
レアスキルは「ヘリオスフィア」。
◯馬場 都姫(ばば みやび)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
短く切り揃えた青色の髪。青い瞳。眼鏡をかけている。
モブリリィB。
見た目通りの几帳面な性格で、いい具合いに緩い友人達を引き締める役。胸のサイズが控えめなのを少しだけ気にしている。
実は、むっつりスケベ。
レアスキルは「レジスタ」。
◯設楽 史緒里(したら しおり)
女性。13歳。リリィ。百合ヶ丘女学院中等部二年生。
緩めにウェーブのかかった金髪。碧色の瞳。
モブリリィC。
ゆったりとした喋り方が特徴の少女。あまり自分からは動かないタイプだが、友人達がケンカなどをしていると、いつの間にか割り込んでいたりする。
実は、養殖。
レアスキルは「ユーバーザイン」。
◯江戸川・C・昭仁
男性。二十代。元防衛軍マディック。
マギを保有している事以外は、どこにでも居る普通の青年。好物はスパムソーセージ。
友人である主人公が甲州撤退線で消息不明となった後、その経緯に関する悪意ある噂を流していた兵士をリンチした事で、防衛軍を不名誉除隊。以降はみるみるうちに裏社会へと堕ち、G.E.H.E.N.Aの実験体として囚われた。
そして、北河原伊紀を救出に来た主人公と再会。僅かな時間を共闘したのちに、皆を逃すため孤軍奮闘した結果、死亡する。
遺体は百合ヶ丘女学院に回収され、霊園に埋葬された。
◯赤毛のリリィ(名称不明)
女性。年齢不詳。強化リリィ(推定)。G.E.H.E.N.A所属。
短い赤毛。赤い瞳。
百合ヶ丘女学院に対するテロ攻撃事件の共犯者。
主人公曰く、甲州撤退線でG.E.H.E.N.Aの部隊に随行していたリリィらしいが、その言動はとある男性──主人公をG.E.H.E.N.Aに売ろうとした同僚と酷似している。
レアスキルは不明。(作中では天の秤目の使用が確認された)。
ブーステッドスキルは「アルケミートレース」のみ判明。
◯実験台の少年(名称不明)
男性。十代半ば。元上級国民。
父親が政治家であり、この時代においては非常に恵まれた生活を送っていたが、甲州撤退線に巻き込まれ、家と友人を喪う。
その後、政治基盤を失くした父親の手によってG.E.H.E.N.Aに売り飛ばされ、実験型CHARMの被験者となる。
この実験型CHARMはT型CHARMと呼ばれ、マギ保有者を材料とした生体兵器であり、作中では契約したCHARMの材料となった人物との精神感応が見られた。
◯G.E.H.E.N.Aの女性研究員
女性。三十代。元防衛軍所属。死亡が確認されている。
出産中に病院がヒュージによって襲撃され、子供と夫、そして出産する能力を失う。
これを機に、命というものに対する価値観が崩壊し、個々人ではなく総体としての人類を優先するようになった。
この思想がG.E.H.E.N.Aの目に留まり、また研究者としての能力も高かった事から、ヘッドハンティングを受ける。
その後、マギ保有者……特に、アルケミートレースという強化スキルに適性がある人間を材料とした、タントリズム型チャーム(T型)をリバースエンジニアリング。オリジナルであるアガートラームに挑戦するため、わざと情報を漏らして主人公達を誘き出した。
遺体は百合ヶ丘の手で回収され、無縁仏として僻地に埋葬済み。
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29 アイリス ── Iris sanguinea ── 遡行する時間
「儂は、恨まれておるのだろうな」
地下へ向かうエレベーターの中、理事長代行──高松咬月は大きく息を吐く。
思わず漏れた、といった風のそれに応えるのは、タブレット端末を抱える長髪の少女、真島百由である。
「恨み言は……言われるかも知れませんね。むしろそれを望まれているのでは?」
「……相変わらず、痛い所を突いてくれるのう」
「そりゃあ、まだ私も怒ってますから」
一生徒が、仮にも理事長を代行する人物に対して、不適切な対応に違いないのだが、代行は苦笑いを浮かべるだけ。
彼女の言う通りであるという事もあったが、立場上、こういった物言いをしてくれる人物は貴重でもあった。
だが、天邪鬼な百由の笑みもまた、代行と似た自嘲に歪んでしまう。
「でも、恨んだり憎んだりはしていません。必要な措置だったというのも理解してます。一番腹が立つのは、それを受け入れるしかなかった、自分自身ですけど」
共通するのは、後悔の念。
一年前、“彼”に施した義肢の改造が、ずっと糸を引いている。
結果として使用することはなかったけれど、直後に“彼”は意識不明となり、謝罪する事もできず今日に至る。
恨まれているかも知れない、という点では、代行も百由も同じ穴の狢であった。
白過ぎる廊下に、二人分の足音だけが響く。
やがて、目的の部屋の前に……正確には隔離房の前に到着した。
一枚目の隔離壁を抜け、二人は“彼”の部屋へと続く自動ドアで立ち止まる。だが、開けようと伸ばされた代行の手は、直前で止まってしまう。
ためらうようなその所作に、百由は仕方なく皺だらけの手を押し退け、先んじて入室した。
「失礼しまーす。おじ様、お加減は如何ですか?」
いつも通り……。“彼”の知る真島百由という人物を意識した、空気を読まない明るい声。
しかし、ベッドの上から返される声は、いつも通りとはいかなかった。
「久しぶりだね、真島さん。お陰様で……と言いたいけど、倦怠感が抜けない、かな」
“彼”は横たわったまま、青い顔でそう微笑む。いや、笑おうとしているのだろうが、衰えた頬の筋肉が引き攣るだけ。左腕には点滴も。
タブレットを抱えた手に力がこもる。
それでも笑顔を崩さず、百由はベッド脇の医療端末を操作し始めた。
「正しい感覚ですよ。今のおじ様は、いわば擬似的なマギの枯渇状態に近い状態にさせてもらっています」
「……暴走を防ぐために?」
今度は、あからさまに指が止まってしまった。
百由自身が思っていた以上に、罪悪感を抱えてしまっているようだった。
“彼”は苦しんでいる。自分が苦しませている。そうしなければ皆が危険だからと、言い訳をして。
どんなに科学者として、リリィとして強固な心を持ち合わせていても、百由はまだ幼い少女。
思わず、表情が崩れそうになる。
「不快なのは当然じゃろうが、狂化したお主の生命活動を安定させるためにも、必要な措置じゃった。許せとは言わぬ」
助け舟となったのは、代行の硬い声だった。
そも、狂化とは強化リリィなどにのみ発生するリスクであり、副作用はヒュージ細胞に由来する。強化施術を受けていない“彼”には、本来なら発生しない。
しかし実際に狂化と思しき状態に陥り、それが短期間に二度も発生したことを鑑みて、“彼”が意識不明の間も、マギの吸引処置が施されていた。
どんなに強大なリリィも、マギがなければ暴れることすら不可能……という単純な原理に基づく処置で、生命活動に支障を及ぼさない範囲で行われる。
施される側からすれば、常に倦怠感に苛まれ、虚脱状態で動くことも難しいという、拷問にも近い処置なのだが。
「それはそうなんでしょうけど……。それだけじゃ、ないですよね」
ところが、“彼”からするとそれも主題ではないようで、ゆっくりと体を起こしながら続ける。
「なんで俺は、若返っているんですか。俺の体に、何が起きてるんですか」
「……気づいておったか」
どう切り出すべきか、と内心思案していたことを逆に指摘され、代行は安堵とも溜め息ともつかない息を漏らす。
若返り。
見た目と外見が一致しない身内の居る代行にとっても、非常に珍しい事象だ。
言ってしまえば、過去に存在を確認されたことのない、誰もが一度は求める奇跡。
「変なんですよね。三年前に戦闘で負った傷跡や、他の軽い傷は消えているのに、その後に失った手足が戻っていない。何か、おかしな事が起きている」
“彼”の掲げた左腕は、非常に滑らかなものだった。
恐らく、入院着から覗くそこには、戦いで負った傷跡があったのだろう。
そしてその傷は、甲州撤退線で手足を失うよりも前に受けた。
百由が代行を見やる。
代行の重々しい頷きを待って、百由は説明を始めた。
「そうです。一年前、おじ様が北河原さんを助けるために使った“Z”……。あれがずっと作用し続けているようなんです」
「Zが……?」
一年前の、“彼”を収容した直後から、奇妙なマギの反応はあったのだ。
しかしながら、二度目の狂化という恐るべき事態を前に、医療班も医師も、技術的見地から隔離処置を補佐した百由すらもが、それを軽視してしまった。
問題として認知されたのは、見舞いに来たとあるリリィからの指摘と、狂化による負のマギの発生が落ち着いてからも、その反応が消えなかった事に起因する。
もちろん原因の究明が早急に行われたが、分かったのは「無意識下でレアスキルが発動し続けている」という事実だけ。
マギが完全に枯渇しようものなら、“彼”の命を削ってまでも発動する、非常に危険な状態だった。
よって、マギを完全に枯渇させず、レアスキルの作用を可能な限り低減させるという、絶妙なバランスが要求されていた。
「寝て起きたら若返っていたなんて、喜んでもいいんだろうけど……」
事態をキチンと把握できているのかいないのか、“彼”は曖昧な苦笑いを浮かべる。
半枯渇状態のせいで、思考が定まっていないのかも知れない。
ともあれ、この状態を設定した者としての義務を果たすべく、百由は「推測ですが」と付け加える。
残酷な、事実を。
「ここまで明確に、使用者の肉体が若返る事例は初めてです。
しかも、マギの励起が一定レベルを超えると自動的に発動し、止まらない。
おじ様のZが、止まらないのだとしたら。肉体の全盛期を超えても、なお若返り続けたら……」
時は不可逆。
人間は胚から胎児、そして子供から大人へと成長し、やがては老いて死ぬ。
それが逆さに回り続けるのならば、その果ては……。
「発覚するまでの約三ヶ月で、おおよそ五年分。一年で約十年分と推測される若返りが観測できました。
マギが不活性なら若返りは遅くなりますが、活性化すると逆に早まると考えられます。
今のおじ様が二十代半ばから後半だとして、これを加味して平均値を見積もり、誤差も含めて計算したところ……」
保持していたタブレットを操作、映し出される生体情報を確認して、唇を噛む。もう何度目かも分からない。
それでも、絶対に誤魔化す訳にはいかないのだ。
百由は意を決し、カウントダウンの表示された画面を“彼”に向ける。
「自立して生活可能な年齢、十歳に若返るまで約一万時間……おおよそ十四ヶ月。これが、これから先の人生で、おじ様がマギを使用できる時間です」
……沈黙。
誰も声を発しない。
時折、医療端末が発する電子音だけが、小さな隔離房を支配する。
「さ、さっきも言いましたけど、あくまで推測です。全盛期で止まる可能性もありますし、効率的にマギを抑え込める技術が新しく開発されれば、もっと猶予は──」
「ごめん、少し、待ってくれるかな」
取り繕う百由の前に、“彼”は手のひらを向け、そして自らの顔を覆う。
震えているように見えた。
なんで、どうして、と叫びたいのを必死に堪えているようだった。
また、唇を噛んでしまう。
「……もう大丈夫。続けて、真島さん」
「は、はい。ええと……」
「いや。ここからは儂が話そう」
ややあって、平静を取り戻した“彼”が続きを促すのだが、今度は代行が話に割り込む。
厳めしい表情。深く刻まれた目元の皺は、憂いを帯びているように見える。
「この件に加えて、お主の行動には今後、更なる制約が課される」
「制約……?」
「CHARMの保有、使用の禁止じゃ」
今度こそ、“彼”は色を失った。
いつだったか……。そう、あの夏の日……美鈴に足手まといと告げられた時に見た、心を抉られる表情。
胸が痛む。
「アガートラームは不可解すぎる。コアを分離した状態で、こちらで保管させてもらう。お主が戦場に出る必要は、もう無い。……もう、十分じゃ」
最後に、優しく諭すような声色で、代行はそう付け加える。
十分。間違いない、“彼”はもう十二分に戦った。特異なレアスキルに恵まれたとはいえ、それは必ずしも戦いを義務付けるものではない。
“彼”は“彼”自身の意思で戦い、多くの人を救ったのだ。胸を張って良いはずなのだ。
だというのに、“彼”はうなだれている。
伏せた顔に浮かぶ表情は、一体どんなものか。……あまり想像したくなかった。
「俺が戦場に出れば、逆に味方を危険に晒すから、ですか」
「違う。そうではない。自分の身を案じても良い頃合いじゃ、と言っておる」
「……もうこんな体なのに?」
仄暗い感情を覗かせる一言と共に、“彼”の右腕が掲げられた。
肘の少し先で長い袖が折れ、ベッドに落ちて。
こんな体になってから言うのか。今さら遅過ぎる。この偽善者共め。
実際には口に出されていない言葉が、幻聴と分かっている言葉が、したたかに耳朶を打つ。
「防衛軍に入ってから、戦うことしかしてきませんでした。もう真島さんの義肢無しでは日常生活も覚束ない。そんな俺ですけど、それでも一つ、望みがあります」
「……なんじゃ」
「ここに居させてください」
代行を見上げる“彼”は、まるで怯えているように見えた。
自らの存在意義を否定され、それでも見捨てられないよう、必死に懇願する、子供のように。
「もう他の場所には行けない、行きたくない。ただのお荷物として扱われるのは嫌です。ここでなら、まだ役に立てます。戦闘は無理でも、Zが使える今なら、衛生兵として誰かを助けられる。だから、だからっ」
最早なりふり構わず、“彼”は身を捩って左手を伸ばす。
引っ張られた点滴が倒れ、医療端末から警告音が鳴り響く。
「百由君。鎮静剤を」
「え。……あ、は、はい」
「ま、待ってくれ真島さん、俺は──っ」
ハッと、百由が慌てて無針注射器を取り出す。
弱々しい抵抗を抑え込んでそれを押し付ければ、カシュ、と空気圧が弁に作用して、薬液を流し込んでいく。
元々消耗していたからか、“彼”はそのまま、眠るように思考を閉ざした。
(どうしたら、この人は救われるの……?)
この時代、戦いに存在意義を見出す者は多い。
ヒュージに“何か”を奪われた人。または、絶対に奪われたくない人。奪われたからこそ戦う人。理由はそれぞれだ。
が、“彼”の在り方は最早、戦いに依存していると言っていい。手足を失い、マギを使えば死を早めるかも知れない状況で、なおも戦いに関わろうとするなど、尋常ではない。
そうすることでしか精神の安定を図れないとしても、いずれ確実に破綻するだろう。
崩れ落ちる体を支えながら、百由は代行を見上げる。
顔の皺がさらに深く、唇も硬く結ばれていた。
百由にはそれが、涙を堪えているように見えた。
意識を取り戻してから、約二週間後。
ようやく運動の許可が降りたので、俺は早速リハビリに励んでいた。
「……よっ」
甲州撤退線の後、しばらく通い詰めていたリハビリテーション・ルームで、あの時と同じように、手すりに捕まりながらゆっくりと歩く。
眠っている間も、定期的に電気刺激を与えられていたとの事で、筋力そのものはさほど衰えていない。
だが、マギを不活性化する装身具……首輪型なのがなんともアレだが、それのせいで体の動きは鈍くなっている。全身に重りをつけているようだった。
そんな状態ではまともに歩くのも難しく、あの当時に戻った感覚だ。
「く……ぐっ……ふうっ……!」
かつての高性能義肢も、現状では使えない。
最低限の精神感応だけを残したバッテリー駆動の義肢は、やはり本物の手足のようには動かせなかった。
正座で痺れた足を無理やり動かしている、というのが一番近い表現だろうか?
しかし、かつての経験は失われておらず、リハビリ2日目にして、目標距離を達成できた。
「素晴らしいです。もう体は慣れたようですね」
横合いからの拍手。
振り向いた先に居たのは、百合ヶ丘の制服をピシッと着こなす少女が居た。
彼女の名は
「どうだろう。本調子には程遠い感じだよ……。慣れるしかないんだろうけどね」
「quod nimium est, fugito. parvo gaudere memento. 大事を避け、小事の喜びを忘れるな。昨日は歩き切る事も難しかったのですから、確実な進歩ですよ」
「……ありがとう」
外国語(多分ラテン語?)混じりの励ましに、俺は苦笑いで返す。
折り目正しく、心優しい出江さんなのだが、その言動はなんというか……厨二的であり、自分の中の黒歴史が刺激されてしまう。良い言葉が多くあるのは確かなんだけど。
ちなみに、彼女とは以前から面識があった。
義肢のテスト段階で外出した時など、影ながら護衛についてくれていたリリィの一人が出江さんなのだ。
そして。
この場にはもう一人、出江さんと同じく護衛をしてくれていたリリィが居たりする。
「そーそー。シノの言う通り、おじ様は頑張ってるんだから! もっと自分を甘やかそー! というわけで、ご褒美のお汁粉をどうぞ」
「ああ、うん。ありがとう山崎さん。……お汁粉か」
「あっ、もしかして嫌いだったり?」
「いや嫌いじゃないんだけどね。運動の後には重いかなぁと」
「ですよねー! そう言われると思って普通のスポーツドリンクも買ってあります!」
「…………ありがとう」
小悪魔な笑みで、缶とペットボトルを差し出す少女の名前である。
笑顔と共に、エメラルドグリーンのショートカットが輝いている。
緑のマギ異色症の人はそういう性格が多いのか、梅ちゃんを思わせるザ・陽キャだが、こう見えて百合ヶ丘の全レギオンを司る、ブリュンヒルデという役職を担っている。もちろん生徒会役員だ。
どっちかというとギャルっぽいのに、意外だ。
「明伽お姉様。一応はここも病院内なのですから、あまり騒がしくしては」
「固いこと言わない! 昔の人も言ってたじゃん、空元気も元気のうち、元気があればなんでもできるって!」
「精神論ではなくマナーの問題です。もう……」
ころころと笑う山崎さんと、溜め息ながらに微笑む出江さん。
真逆としか思えない性格は、しかし絶妙に噛み合って仲睦まじく見える。
正直なところ、彼女達の他愛ないやりとりに、安らぎを覚えている自分が居た。
一人ではどうしても、気が滅入ってしまうから。
「とりあえず、まずはあの二人の様子、見てきましたよ」
「……っ。どう、だった?」
長椅子へ移動し、ありがたくスポドリを頂いていると、不意に山崎さんがそう呟く。
あの二人。
川添美鈴と、白井夢結。意地っ張りな皮肉屋と、生真面目で不器用なシュッツエンゲルのことだ。
目覚めて以来、北河原さんなどの様子は教えてもらえた(分厚いオブラートに包んでではある)が、その他の面々……先に挙げた二人や、遠藤、郭さんなどの情報は入ってこなかった。
あのテロ以降も、全国各地でさまざまな戦いが起こり、皆が目まぐるしい日々を送っていたとだけは聞いたけれど、それで逆に気になってしまい、情報収集を頼んだのである。
「特に何も変わらない。すこぶる平常運転だよ……って、伝えて欲しいそうです」
「お姉様っ、その言い方では……!」
「本当はめっっっっっちゃ心配してるんだろーねー。顔に出まくりだった。他にも気にかけてる娘がたくさん居たし、おじ様ってばモッテモテー」
「あああああ、もう……っ」
肘でツンツンしてくる山崎さんを見て、「またやられた!」的な感じで顔を覆う出江さん。
この分だと、山崎さんの所見は当たっているのだろう。
そりゃあまぁ、知り合いが一年間も眠っていたのだから、少なからず心配させてしまっていたに決まっている。秘密にするよう頼まれてもいた。
川添はさて置き、白井さんは本気で心配してくれていただろうから、申し訳ない気持ちで一杯になる。
病院から出られるようになったら、何かお詫びを──
「でも。おじ様がまた戦場に出ようとしてるって言ったら、渋ーい顔してましたけどね」
唐突に。
ニヤニヤとしていた山崎さんが、真剣な表情を見せる。
シン、と部屋の空気が静まり返る。
……予想はしていた。
強制的に中断させられた義父上達との話で、俺は冷静さを失った。
随分とみっともない真似をしたし、どう考えても、また戦場に出ることは不可能だろう。
Zが使えると言えど、仮に俺がまた暴走したら、助けられる数以上に、被害が出る可能性の方が高い。
それでも諦めきれないから、こうしてリハビリなんてしている訳だが。
「どうして、そこまで戦おうとするんです? もう十分ではありませんか。そうまでして誰かを助けようとした“貴方”のことを忌避するリリィは、もう少数派です。少なくとも、私達は“貴方”の努力を知っています」
今度は出江さんが、まるで説得するような語り口で後を継ぐ。
リハビリをしたいと申し出た直後、付き添いとしてこの二人が充てがわれたのは、やはり監視という名目があったのだろう。
加えて、可能ならば思い留まらせろと、言い含められている。恐らく、義父上の差金。
信用されていない……いや、信用を失ったのか。残念だ。
返答を待っているのか、出江さんも、山崎さんも黙ったまま。
俺は、どう答えるべきかを考える。
戦う理由。
戦わなければいけない理由。
身を粉にしてでも、戦い続けた、理由。
「住んでいた街が滅ぼされるまで、俺は平穏な人生を送ってきた。そして、それはこれからも続くんだと思っていた。世界の存亡をかけた戦いなんて、対岸の火事だった」
気がつくと、俺は自分語りを始めていた。
何しろ、それが始まりだったから。
そうすればきっと、自分でも気持ちを再確認できるだろうから。
「家族も、友人も、単なる知り合いすら全滅してからは、被害者としてその戦いに組み込まれた。でも、同時に厄介者でもあったんだ」
文字通り、降って湧いたような不幸だった。
比較的内地にあり、陥落地域からも距離のあった故郷は、飛行型ヒュージの襲来によって壊滅した。
リリィの救援は間に合わなかった。
最初こそ恨む気持ちもあったけれど、泣いて謝り続ける少女の姿に、矛先は失われた。
「まだ学生で、ろくに働いた経験もなく、身寄りも蓄えもない。避難シェルターでは常に一人だったし、保護施設でもうまく馴染めなかったよ。
家族の死から立ち直れていなかったのもあるし、本気で立ち直ろうとしていなかったとも思う。……そうしたら、みんなを忘れてしまう気がしたから」
家族の死への悲しみ。ヒュージへの憎しみ。無力な自分への憤り。
それら全てがごちゃ混ぜになった、酷く不安定な精神状態が長く続いた。
優しくしてくれる人は居た。親身になろうとしてくれる人も現れた。
だけど、「また喪ってしまったらどうしよう」と、そんな考えが頭を離れなかった。
「結局、新しい居場所を作ることに失敗した俺は、数年後に防衛軍への入隊を余儀なくされた。食事も寝床も提供されて、給金も出る。ただ命を掛ければいいだけ。ヤケクソだった」
この世界は残酷で、俺のような被害者は常に生まれ続けている。
何年経っても立ち直らない厄介者は隅っこへと追いやられ、強制的な自立を余儀なくされた。
その中でも一番お手軽だったのが、防衛軍入隊だ。
初期訓練こそ厳しかったけれど、似たような経緯で入隊した人間は多く、同じ訓練をさせられたという連帯感も手伝い、自然と同じ班のメンバーとの信頼関係も生まれた。
「順調ではなかったよ。何度も死にかけたし、助けられなかった命の方が遥かに多い。
……でも、戦っている間は、何も気にならなかった。俺だけが生き残った意味も、俺のために死んでいったみんなの事も。
忘れたくなかったのに、本当は忘れてしまいたかったんだ。……あの罪悪感を。
防衛軍に入ってなかったら、きっと自殺してただろうね」
後ろ向きな俺を笑い、からかいながら、共に戦場を駆けた仲間が、“あいつ”や江戸川だった。
辛い日々だったけれど、皆とバカやってる間は、本気で笑えた。
結局は裏切られて、江戸川にも先立たれたが、皆が居なければ生きていけなかったとも思う。
……そして。
「そして、あの日。甲州撤退線で、川添と白井さんに出会った。
いつもそうだった。戦場で諦めそうになった時や、生きて行くことに疲れてしまった時、いつも
ただ、人とは違った才能を持って産まれただけなのに、それでも戦う君たちが。
眩しかった。憧れた。悔しかった。妬んだ。嫉妬した。何度も、何度も、何度も……助けられた」
ああ、そうか。ようやく自分でも理解した。
俺は、自分で自分に価値を見出したかったんだ。
家族や友人が命を賭けるに相応しい人間だったと、自分を納得させたかったんだろう。罪悪感から逃れるために。
だから、助ける事にこだわっている。
人を助け、リリィを助け、その分だけ罪悪感が軽くなるよう願って。
だから、戦い続けなくちゃいけない。
他の誰でもなく、自分自身を助ける為に。
おまけに、一度でもあの誇らしさを……リリィを助け、並び立つ誇らしさを味わってしまったら、戻れるはずがない。
自分を呪い、世界をそしり、ただ過去を悔やみ続ける日々になんて、戻れる訳がない。
だから。
……だから。
「だから俺は、もう自分を諦められない。
助けられるだけじゃ嫌だ。誰かを助けられる自分じゃなきゃ嫌なんだ。
もし戦場に出る事が叶わなくても、せめて誰かの背中を支えて、押してあげられるような自分でありたい。
ワガママだろうとなんだろうと、これだけは譲りたくない。そんな風に、生きたいんだ。
…………なんか、妙なことを語うぉ!?」
一通り話し終えて横を見やり、超ビックリした。
なぜなら、妙に静かだった山崎さんが、涙を滂沱していたからだ。
え? な、泣くとこあったか?
「だ……だいへん゛らったんだねぇ……ぐすっ……こ、こんな話ぎがされだら、もう……ずびっ」
「お姉様。鼻が出ていますよ……っすん」
「い、いやいや、そんな泣くほどの話じゃ」
「泣ぐよごんなの゛ぉおお! うぉおぉおん……!」
山崎さんに釣られたのか、出江さんまでもが涙ぐんでいる。
どうしよう。本気で泣いてるらしく、整っているはずの山崎さんのお顔が若干ブサかわ寄りに。
……いや本当にどうしようこれ。感受性が豊かなのは良いことだ。でも、実際に隣で泣かれるとめっちゃ困るんですが。
どう慰めれば……と、頭を悩ませていた時である。
「やっぱり、おじ様は変わりませんね」
新たな人の気配が、リハビリ室に現れた。数は二つ。
入口の方を確かめてみると、そこには微笑む桃色の髪の少女と、何故か居心地の悪そうな顔をした黒髪の少女が。
北河原伊紀。石上碧乙。
T型CHARMに関する一件で関わったリリィ達だ。
「北河原さん……? 貴方との“面会”は予定になかったはずですが。石上さんも」
「はい。不躾な真似をして、誠に申し訳ございません」
「…………」
二人に対し、出江さんは厳しい態度を見せる。
学園内での俺の扱いがどうなっているかは定かでないが、気軽に見舞えるようなものでないのは確か。
それを破っているというのに、彼女は涼しい顔で頭を下げている。
出会った頃とは、違う。女の子に使っていい表現か怪しいけど、なんというか、肝が据わった? ような印象を受けた。
石上さんは無言のままだが……やっぱり気まずいんだろう。真面目だったし。
ともあれ、俺を訪ねてくれたのだ。監視役の出江さんには悪いが、挨拶くらいはさせてもらおう。
「元気そう、だね。安心した」
「はいっ。おかげさまで、すこぶる元気です」
「石上さんも、背が伸びた? 少し目線が高くなったような」
「……ま、まぁ……少し、は……」
当たり障りのない切り出しに、北河原さんは花咲く笑みで、石上さんは所在なさ気な顔で頷く。
……なんだろう、この違和感。
北河原さんは良いとして、石上さんの歯切れが妙に悪い。もしかして、来たくなかったとかだろうか。
だったら寂しい。本気で寂しい。かつては偽兄(誤字にあらず)として慕ってくれていたのに!
「本当なら、もっと色々なことをお話ししたいのですが……。決まりを破っている手前、単刀直入にお伝えします」
脳内でふざける俺を知ってか知らずか、北河原さんが真面目な表情を浮かべて歩み寄る。
そして、座ったままの俺の前で膝をつき、恭しく左手を取り──
「おじ様。ロスヴァイセの特別顧問になって頂けませんか?」
寝耳を水鉄砲で集中砲火するような、驚きの提案をするのだった。
Q:碧乙ちゃんの時の失敗を忘れたんか?
A:もうどーにでもなーれ。
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百合ヶ丘女学院よもやま話、その十七〜十九
《よもやま話その十七、あらやだ亜羅椰ちゃん》
「それは、本当ですか?」
定例の学院周辺の見回り中、苔むした廃墟の只中で。
通信端末越しの知らせに、思わず神琳はオウム返ししてしまった。
中等部生でありながらこれに参加しているのは、神琳の実力が正当に評価されての事なのだが、仮にも任務中だというのに、完全に警戒を解いてしまっていた。それほどの知らせだったのだ。
「ちょっと神琳、油断しすぎじゃないの? それとも襲ってほしいのかしら?」
それを目ざとく指摘するのは、もはや腐れ縁と言っていい間柄の同級生、遠藤亜羅椰である。
太々しい表情はいつも通りだが、戦闘を見越してか、普段は降ろしている髪をポニーテールに結い上げていた。
襲って云々を無視するのも、いつも通りの対応だった。
「良い知らせに驚いただけです。貴方にとっても吉報のはずですよ」
「あら、神琳がそんな風に言うなんて珍しい。可愛らしい転入生でも来るの?」
亜羅椰の性癖を熟知してしまった神琳をして、吉報と言わしめる知らせ。
純粋に気になったらしく、アステリオンを肩に担いで小首を傾げる。
対する神琳も溜めを作り、その事実を噛み締めるようにして口にする。
「おじ様が、目を覚ましたようです。美鈴様が教えてくださいました」
一年以上もの間、眠り続けていた人物の覚醒。
定期的に見舞っていた神琳にとっても、まさしく吉報だった。
一見落ち着いているように見えるが、実は「こういう時は祝電? いえ花束?」などと考えていたりする。
「へぇ。そうなの」
「……それだけですか?」
「だけって何よ。それ以外に何を言えっていうのか、分からないわ」
一方で、亜羅椰の反応は淡白だった。
絵を描く約束をしているから……と、結構な頻度で通っていたのに、意外である。
ちなみに、“彼”の体が若返っていると真っ先に気づいたのは、何を隠そう亜羅椰であった。
極めて小さな顔立ちの変化や、体表に見えていた傷の有無などを事細かに指摘できたのは、一度見たものは忘れない、非常に優れた記憶力によるものだ。
「言っておきますが、面会は無理ですよ。検査やら何やらが先だそうです」
「まぁ、そうでしょうね。全く寝坊助なんだから……」
驚くなり動揺するなり、そういった反応を予想していた神琳は、肩透かしを食らった気分で釘を刺すも、やはり肩をすくめるだけの亜羅椰。
これはもしや……と思案を巡らせるが、そこへ割り込むような「ビー!」という電子音。
即座に発生源である端末──ヒュージサーチャーを確認すれば、スモール級の反応が複数あった。
「ヒュージサーチャーに反応あり、三時方向より高速で接近中です!」
「了解よ」
一気に空気が緊迫し、二人はヒュージの反応がある方向へを向き直る。
亜羅椰が前衛に立ち、神琳が支援射撃を行うのがいつものパターン。
揺れる赤毛を視界に収めつつ、神琳はようやく馴染み始めた新しいCHARM……
台北封神公司が開発したユニーク機であるこれは、テスタメント使用時の防御力低下を考慮した機構により、戦闘の安定化が試みられた機体である。
円形の盾のような見た目をしており、展開すると内側から砲門が現れ、同時に四つのオービットが本体から分離、必要に応じてマギ障壁を発生させる。
一方で、近接攻撃用の機構は短い実体刃しかなく、使用には熟練を要する機体でもあった。
まだ完璧に使いこなせているとは言えないのが現状だが、こうして戦闘経験を積めば、程なく達成できるだろう。
(見えた。接敵までおよそ……10秒)
ひび割れた道路を駆けてくる、犬のようなシルエット。
これだけ距離があるなら、まずは射撃で牽制するのが定石か。
亜羅椰も同じ考えらしく、アステリオンをシューティングモードへ変形させた……のだが、それだけではなかった。
目に見えるほどの赤いマギが、亜羅椰から迸っていた。間違いなく、フェイズトランセンデンスを使っている。こんな小物相手に。
「えっ、あの、遠藤さ──」
「散りなさいっ!!」
神琳の声を遮るように、アステリオンが火を吹く。
距離があるためか、スモール級も回避行動を取るけれど、そんなのお構いなしとばかりに、込められたマギが炸裂。それが計8回。
巻き上げられた粉塵がおさまる頃には、戦車隊が一斉射撃でも行ったように、地面がめくり上がっていた。もちろんヒュージは跡形もなく消えていて。
どう見てもオーバーキルである。
「あらやだ、雑魚相手なのに、ちょっと力を込めすぎちゃったわ」
「……ハァァ」
ちょっと所じゃないでしょうに。
ふんぞり返る亜羅椰に対して出そうになった言葉は、呆れたような溜め息に変わった。
恐らく“彼”が覚醒したという知らせを聞き、内心、テンションが爆上がりしていたのだろう。
表面上は全く興味なさげだったのに、本当に“彼”にだけはツンデレである。
「来年には高等部生なんですから、言動に気をつけた方が良いと思いますよ。品がありません」
「うるさいわねぇ……。お上品過ぎると逆にモテないわよぉ?」
「モテなくて結構です」
軽口を叩き合いながら、二人は周辺への警戒を怠らない。
相当な爆音が響いたので、ひょっとしたら他のヒュージを引き寄せてしまったやも……。
だが、そうなったらなったで構わない。
面会がしばらく叶わないのならば、代わりにCHARMで祝砲をあげよう。
未だ会えない日々の代わりに、討ち取ったヒュージの数を数えよう。
きっとそれが、皆のためにもなるはずだから。
この日、神琳と亜羅椰は数多くのヒュージを討伐せしめた。
しかし、その戦果が巡回の域をはるかに超えていたため、「君達やり過ぎ」とお小言を頂くはめになったのは、言うまでもない。
《よもやま話その十八、キャラ変の弊害》
(布石は打った。後は野となれ山となれ……)
リハビリテーション室での一件の後。
半ば追い出される形で退室した伊紀と碧乙は、無言で廊下を歩いていた。
今回の件、言ってしまえば独断専行である。
教導官のシェリス・ヤコブセンの許可もなければ、実行に移せるだけの権限もない。
あるのはただ、“彼”をこのまま飼い殺しにはさせないという気持ちと、皆を説得するための仮プランだけ。
それでも。
今、動かなければ駄目だと思ったから、動いた。
腹を据えた伊紀の行動力には、凄まじいものがあった。
……が、その隣に居たはずの碧乙は、いつの間にやら足を止めていて。
「碧乙お姉様? どうなさったのですか?」
「…………ほ」
「ほ?」
俯き、プルプルと震えながら呟く。
流石に聞きとれず、小首を傾げる伊紀だったが、次の瞬間……。
「ほとんど喋れなかったぁー! 色々と話したいことがあったはずなのにぃいいいっ!!」
碧乙は場所もわきまえず慟哭した。
近くに居た看護師や見舞客がビクッと振り返っている。
しかし、伊紀にとっては慣れたもので、「お姉様ったら」と嘆息しつつ、彼女の耳元へ口を寄せた。
「お姉様。まだ人目がありますよ」
「はっ。……っほん」
周囲からの視線を感じたらしく、大急ぎで崩れた表情を整える碧乙。
一応はリハビリ室での物憂げな表情(と本人は思っている)を浮かべるのだが、好奇の視線は止まなかった。
それもそのはず、碧乙はいわゆる「不良リリィ」として有名になってしまっているからである。
(はぁぁ……。なんでこんなキャラになっちゃったんだろ……)
(やっぱり、おじ様を巡っての大立ち回りが原因ではないでしょうか? わたくしは格好良かったと思いますけれど)
(そう言ってくれるのは貴方だけよ……)
あのテロ事件の直後、碧乙の精神は一時的に不安定な状態となったが、同時期に学内では「高松昴陽排斥派」が隆盛した。
テロの要因を“彼”と断定し、「リリィの安全を守るため」という名目の集まりだったのだが、碧乙はこれと真っ向から衝突。中心人物だった上級生と殴り合った末、マジ泣きさせている。
流れで伊紀のことも揶揄されたのが手伝ったのだが、ロザリンデの修行が功を奏してしまった形だ。
この時の印象が、かつての儚い印象を吹っ飛ばしてしまい、実情を知らない生徒は怖がって誰も近づかない有様なのである。なお、喧嘩(意訳)は両成敗で終わったた。
心無い言葉を浴びせられることは無いものの、遠巻きに「ほらあの人よ」「上級生を泣き土下座させたっていう」「凄いわ」「スケバンだわ」と囁かれる始末。
スケバンって何? と思いつつ、弱味を見せたらまた排斥派が調子付くかも……との考えから、不本意でもあえてちょい悪リリィを演じている碧乙だった。
そんな親愛なるお姉様を慰めようと、伊紀は柏手一つ。話題を変えていく。
「何はともあれ、おじ様が目を覚ましたんですから。これでようやく動けます。話す機会も増えますよ、きっと」
「……そうかな。そうよね。あ、でも、その前に私の悪い噂が耳に入ったりしたら……」
「大丈夫ですよ。そんなことする人には、思い知ってもらうだけですから」
「……何を?」
「何もかもを、です」
にっこり。
後光が差すほど完璧な笑顔を浮かべる未来のシルトから、同時に凄味が発せられていた。
碧乙は改めて思った。
私も怒らせたら駄目なタイプと言われてるけど、この子はそれ以上かも知れない、と。
《よもやま話その十九、困った時の神頼み》
「美鈴お姉様!」
時は遡り、“彼”が覚醒してから、およそ一時間後。
後のことを医師達と百由に託した美鈴は、久方ぶりに軽い足取りで病院から帰る所だった。
そして、学院敷地内へと戻った直後、声をかけられる。
声の主はもちろん、白井夢結である。
「あの、あのっ、本当に、本当におじ様が……!?」
「落ち着いて、夢結。そんな風に取り乱したと知られたら、“彼”に笑われ……いや、申し訳なく思われるよ」
「……そ、それもそうですね。ふう……」
まるで、先刻の伊紀を思わせるような慌てぶり。きっと百由が知らせたのだろう。
“彼”が眠っている間も戦況は動き続け、それに合わせて様々な戦いと、悲劇が起きた。
そのせいか、少しばかりギクシャクとした空気が流れることも多くなっていたのだが、今日ばかりはその心配もなさそうだ。
「……ふふ」
「お姉様?」
「我ながら現金だと思ってね」
懸念材料が一つ消えただけで、こうも肩が軽くなるとは。
今となっては、藁にもすがる気持ちで願掛けした髪の方が、よほど重たく感じる。
(神様なんて居ないって、分かっていた癖に)
らしくない神頼みだったせいか、肩口を過ぎるまでになってしまった。
もう願いも叶った訳だし、切るにはいい頃合いかも知れない。
「さて、と。“彼”が目を覚ましたんだし、この髪型ともお別れかな。少し重たくなっていたから、丁度い──」
「何を言ってるんですかお姉様っ!!」
何気なく口にした一言に、夢結が凄い勢いで食いついた。
前髪を摘む美鈴の手を取り、ルナティックトランサーもかくやの迫力で迫る。
「せっかく伸ばしたんですから、切るなんて勿体ないです。駄目です、絶対に」
「や、やけにグイグイ来るね。……そんなにお揃いがいいのかな?」
「それは……その……」
かと思えば、頬を朱に染めて俯いてしまう。
長さこそ違うが、美鈴の結い上げている髪を下ろせば、お揃いのストレートヘアーと言えなくもない(実際には美鈴の方は癖っ毛なのだが)。
こんな風にいじらしい姿を見せられると、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるけれど…………こちらの様子を伺っている“彼女”の手前、美鈴は踏みとどまる。
「てっきり、僕のことなんかどうでも良くなったと思っていたんだけれど。そこの角に隠れている子に夢中だったみたいだし」
「え?」
視線で夢結の背後を示すと、少し先にはT字路が。
人影は見えなかったが、程なく「ドンガラガッシャン!」とゴミ箱を派手にひっくり返したような音が響いた。
あのT字路を曲がった先には、確か自販機が置いてあったはず。
「このドジっぷりは、まさか……」
「やれやれ。手伝ってあげようか、夢結」
肩をすくめ、夢結と伴って曲がり角へ向かうと、そこには地面にうずくまり、アワアワと空き缶を拾い集める少女が居た。
その少女──高畑聖咲は、美鈴達の姿を見るや否や、一瞬だけ逃げる素振りを見せるのだが、まだ結構な量が散らばっている空き缶と二人を交互に見やり、やがて諦めたように肩を落とす。
「やっぱり、聖咲さんだったのね。どうしてここに?」
「あ……あ、の……えっと……」
立ちすくむ聖咲に代わり、残る空き缶を拾いながら夢結が問いかける。
立ち聞きしていたのだろう気不味さもあってか、しどろもどろだ。
「おおかた、血相を変えて走る夢結を見かけて、心配になって様子を見に来たんだろう。違うかい?」
流石に可哀想だと思い、美鈴が助け舟を出せば、我が意を得たりと何度も頷く聖咲。
なんというか、小動物と意思疎通に成功した時のような、奇妙な達成感があった。
「そうだったの……。ごめんなさい、あまりにも予想外の知らせだったから、つい」
「…………本、当に…………おじ様、が…………?」
空き缶を片付け終える頃には落ち着いたようで、話の主題……“彼”の安否について訊ねてくる。
彼女もまた“彼”と懇意にしていたのだから、気になるのも当然か。
美鈴達が聖咲と知り合ったのは、“彼”が昏睡して数日ほど経過した頃。
あまりに憔悴していた夢結を偶然に見かけて、心配になって声をかけるも、天性のドジを発揮してしまい、逆に心配される、という出会いだった。
そんな聖咲の世話を焼くうちに、夢結自身も段々と立ち直り始め、美鈴は複雑な想いを抱えつつ、見守ることに決めたのだ。
「一応は機密に類する情報だ。口外してはいけないよ」
「…………っ」
一時的にとはいえ、夢結を支えようとしてくれた恩人。
この情報で返礼にしようと、美鈴は唇に人差し指を立てる。
が、聖咲はどうやら不服らしく。
「と……友達、が……おじ様と、仲が……良くて……。あれから、ずっと、塞ぎ、込んでて……。お…………教えてあげちゃ、駄目ですかっ」
上目遣いに、必死な表情を浮かべて、聖咲は乞う。
政治的判断や、情報戦の観点などお構いなしの、ただ単純に友人を想っての願い。
少しだけ……。ほんの少しだけ、その姿に夢結と通じる“何か”を感じた。
だからだろうか。
「駄目だ」
「っ、そん、な……」
「と言いたいところだけど、あの子はもう言いふらしていそうだし、どうしたものかな?」
こんな風に、夢結にするような意地悪をしてしまう。
視線で愛しいシルトへ問うと、実に嬉しそうな、慈愛に満ちた微笑みが返される。
「たとえば、たまたま独り言を口にして、そこをたまたま通りがかって聞いてしまう位なら、許されるんじゃないかしら。もちろん、そうなったら口止めは必要だけれど」
「……!」
途端、パアァと顔を輝かせ、勢いよく立ち上がって駆けていく聖咲。
しかし、思い出したように急停止。「ありがとうございました! 失礼します!」と頭を下げ、また走り出す。通りすがりの生徒とぶつかりそうになっても、その速度は落ちない。
美鈴の顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
「やれやれ。忙しい子だ」
「友達想いなんです。無口ですけど、気配りが上手で……」
「おっちょこちょいはご愛嬌、と言ったところかな。もしかして、シルトにするつもりかい」
「それは……どうなんでしょう……」
さりげなくを装って聞いてみるが、夢結の返事はハッキリしなかった。
揺れている。
確実に、聖咲という少女に惹かれている。
美鈴の胸の内で、仄暗い感情が蠢き出す。
「お姉様は、反対ですか……?」
上目遣いに、不安そうな表情を浮かべて、夢結が訊ねてきた。
一瞬、心を読まれたかと懸念する美鈴だったが、そんなはずは無いと頭を振り、一呼吸置いて語りかける。
「こればかりは、僕が口を挟むことじゃない。自分で決めなくちゃいけないよ、夢結。後悔しないように、よく考えて」
「……はいっ」
なんて当たり障りのない、無難な言葉だろう。
誰が言っても同じようにしか聞こえない、なんの解決にもつながらない誤魔化し。
だというのに、夢結は尊敬の眼差しを向けて。
ああ、違うんだ。
僕にはもう、そんな風に見てもらえる資格なんてないんだ。
だって、ほら。
ほんの少し、負の感情を抱いただけで。
『本当は独占したいくせに、無理しちゃって。素直になったら? 僕だけを見て! 目移りなんてしたら許さない! ……ってさ』
もう一人の自分が、姿を表す。
夢結の肩に手を置くソレは、まるで過去の自分の写し身だった。
実体が無いくせに、短い髪を風に靡かせている。
駄目だ。夢結に気取られるな。
心と体を切り離せ。ただ笑っていればいい。
『無視が上手くなったよねぇ。悲しいなぁ。寂しいなぁ。……いつまで保つかなぁ』
くるくるくる。
夢結と連れ立って歩き出した美鈴の周囲を、無邪気に回って笑顔で嘲る。
ソレを見る機会が増えたのは、やはり“彼”が昏睡し始めてからだ。
ストレスのせいなのか、あるいは全力であの“力”を使ったからか。
どちらにせよ関係ない。
心を閉ざし、笑顔を貼り付けていれば勝手に消える存在。
なんの意味もない存在……幽霊のようなものなのだから。
『……知らないっていうのは、幸せだね』
ところが、今日に限ってソレの様子が違った。
思わず足が止まってしまう。
「お姉様?」
『失う事を躊躇ってはいけないよ。これは、最初で最後の忠告だ。終わりの時にでも思い出すといい』
何かを伝えようとでもいうのか、ただただ真っ直ぐに美鈴を見つめる。
嘲りが消えたソレの顔つきは、まるで別人のようだった。
違う。
今までと違う。
誰だ。
僕の顔を使って喋っているコレは、一体、誰だ!?
「どうかなさいましたか?」
「……っ、なんでもないよ。今になって、驚きが追いついてきたのかな。全く、厄介な人だ」
「そう、ですか……」
叫び出しそうだった喉が、夢結の声で辛うじてリセットされた。
失敗した。
きっと今、酷い表情をしている。また夢結に心配をかけている。
こんな事ではいけないのに。
こんな事では、僕は。
(全部、君のせいだ)
心の中で、短く吐き捨てる。
誰にも聞かせたくない言葉を。
誰にも届くはずのない言葉を。
明日もまた、自分であり続ける為に。
お久しブリーフ(抱腹絶倒最新ギャグ)
とりあえず、生きてます。ラスバレもちゃんと続けてました。
今の最推しは鈴夢ちゃん。大人しめな子が、ハレンチな格好して恥ずかしがってる姿、最高です。
とりあえず、書き上がっている分はまとめて投稿しましたので、お楽しみ頂ければ幸いです。
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30 クロタネソウ ── Nigella ── 北河原伊紀の恩返し
「では、君のプランを聞かせてもらおうかの」
執務机の上で手を組み、理事長代行である高松咬月はそう告げた。
重苦しい空気の漂う理事長室には今、三人の人物が居る。
一人は咬月。対するは二人の少女──北河原伊紀と真島百由だ。
そして、促された伊紀が優雅に一歩進み出る。
「結論から述べさせていただきます。あの方を百合ヶ丘に閉じ込めれば、いずれ大惨事が起きます。必ず。下手をすれば、百合ヶ丘に属する全てのリリィが巻き込まれるやも知れません」
「……根拠は」
「持ち得てしまった特性が故に、でしょうか」
花弁のような唇から紡がれる、酷く恐ろしい未来予想図。
咬月の問いには、タブレット端末を片手に百由が答えた。
「おじ様のスキルは……ユニークスキルは、まさに異能中の異能です。どんな形にも姿を変え、あらゆる状況に対応できる……。
現在発見されているスキルだけでなく、これから発現するであろう新しいスキルにも、変化させられる可能性があります。
しかしそのせいで、本来なら抱える必要のないリスクも発生してしまった……」
「狂化、じゃのう」
「はい」
狂化。
ヒュージの体細胞を利用する施術を受けた、
詳しい理由は分からないが、“彼”は強化リリィでないにも関わらず、この状態に陥った。
定期的に行っていた身体検査によって、強化施術が施されていないのは確実であるため、疑惑は深まるばかりだった。
百由も頭を悩ませていたのだが、伊紀は違う見解を持っているようで……。
「狂化が起こりうるのは、基本的に強化処置を受けたリリィのみとされていますが、実際にはどのリリィにも起こりうる現象だと、私は考えます」
「というと?」
「たとえば、桜ノ杜女子高等学校の行う
身体能力の著しい上昇。それに見合う心身への負荷。限界を超えて発動すれば、膨大な負のマギが発生してしまうというデメリット。
これは、制御下に置かれた狂化とも呼べるのではないでしょうか」
鎌倉府立、桜ノ杜女子高等学校。
私立が多いガーデンの中でも珍しい、国公立であるこのガーデンは、古式ゆかしい和の文化を尊ぶ校風であり、ノインヴェルト戦術が普及する以前から、特殊な連携攻撃を行うことでも知られている。
それが片神名封神術式であり、八人のリリィによる攻撃で「紋傷」と呼ばれるマギの印を刻み、その位置関係と数によって効果・範囲を変動させられるのが特徴だ。
さらに、紋傷へと蓄積されたマギをフィニッシャーの使用CHARMに宿すことで、「終の太刀」と呼ばれるとどめの一撃を放つことも可能。
この際、リリィは全身にマギのオーラをまとい、頭髪や虹彩の色が変化する。これが「神宿り」である。
著しい身体能力の向上が見込まれるが、心身への負担も相応に大きく、どんなに長くとも10秒前後が限界とされる。
しかし、時には
強大な力を得る代わりに、負のマギを発生させるという危険性を孕む。
この点だけを抜き出して考えれば、伊紀の意見も正鵠を射ていると言えるかもしれない。
「つまり、“彼”の狂化は……大惨事は防ぐ事が可能、と」
「いいえ。このままでは、恐らく不可能だと思われます」
咬月は思わず眉をひそめた。
“彼”を擁護するために、「制御下に置かれた狂化」という言い回しをしたのだと考えたのだが、これでは何を意図しているのか分からない。
すると、今度は百由が進み出た。
「おじ様の体に起きている若返り現象。あれは、肉体の狂化を抑え込むための、防衛本能である可能性が出てきました」
「防衛本能……?」
言いながら、タブレット端末を操作する百由。
咬月の眼前にプロジェクション画面が同期され、さまざまなデータな表示される。
「無意識下でZが暴走した結果、肉体が若返ったと考えていましたが、おじ様の意識が戻っても、Zの作用は止まりませんでした。
狂化を経て、能力を制御できなくなった……とも考えられますけど、それならもっと酷い状態になっていても不思議じゃありません。
であるならば、Zが作用してしまう原因が、作用しなければならないだけの原因があるはずなんです」
「……狂化は今もなお進行していて、それを押し留める為にZが作用し続けている、という訳か」
「確たる証拠は掴めていませんが、ただ暴走しているのではないという観測結果は出ています」
ここで、理事長室には一拍の空白が生まれた。
特異なスキル。特異な状態。特異なデータ。
ここまで揃うと、“彼”が本当に人間かどうかも怪しく思えてくる。
G.E.H.E.N.Aの実験で生まれた人造人間とでも言われた方が、まだ納得できるだろう。
それでも、考えることをやめるのは許されない。
“彼”を義息として迎え入れると決めたのは、他ならぬ咬月自身なのだから。
「北河原くんのプランとは、百由くんの意見を踏まえた上での物と考えて良いのじゃな」
「はい」
期待を込めた問いには、自信に満ちた返答がなされる。
「まず第一に、おじ様の若返りを止める……。一時的にキャンセルすることが可能だと判明しました」
「ほう。具体的には?」
「目には目を、歯には歯を、ZにはZを。おじ様に作用するZの効果に対して、私のZを使用するだけです」
「実際に効果はあると見込まれます。実験時のデータはこちらを」
時間を巻き戻すという効果を、さらに巻き戻す。
とんちのような理屈だが、有効であるのなら明らかな前進だ。
百由が提示したデータを見るに、他のZ保有者と協力して実験を繰り返し、既に発揮されているZの効果にだけ伊紀のZが作用するよう、効果範囲を絞る特訓をしてから、“彼”に使用したらしい。
そして、その状態でのマギの流れを観測した結果、効果ありと判断したようである。
だが、そうなると出てくる問題も。
「しかし君は先程、“彼”の狂化は進行中だと言った。Zの効果を打ち消しては、進行を推し進めるのではないかのう」
「それについても案があります」
咬月の示した懸念にも、伊紀は答えを用意していたのだろう。淀みない声が返された。
「私のルームメイトである
「ふむ……。だが、負のマギを吸収するとなれば、少なからず使用者の精神に影響は出るじゃろう。小野木君は承伏しておるのかね」
「もちろんです。彼女自身との面談をする時間も、後ほど頂戴できればと」
「承知した」
頷きながら、咬月は舌を巻いた。
教導官の承認も得ずに行動したかと思えば、用意されたプランは説得力のあるもの。
急足な印象はあるけれど、それは“彼”の容体を考えれば自然なことであり、そのために周囲の協力をきちんと得ることも欠かしていない。
これを主導したのが、未だ十四歳の少女なのだから末恐ろしい。
どうやら百合ヶ丘とロスヴァイセは、得難い才媛を得られたようである。
「続けます。第二に、若返りの停止とドレインによる沈静化という安全策をおじ様へと伝え、精神の安定を図ります。
そもそも、狂化の原因の一つに精神の不安定さが挙げられますから、今後の活動がより安定すると見込まれます」
唯一、不安点として挙げられるのは、その少女の“彼”に対する入れ込み様か。
命懸けで救われたという事実は確かに大きいのだろうが、それにしては言動が重いというか、単なる好意ではなく、崇拝に足を踏み入れてしまっているような。
定期的なカウンセリングでも、何も問題はないという結果が出ているはずだけれど、けれども、妙に危うい印象なのは何故だろう。
まぁ、注意深く見守るしかないのが現状なのだが……。
「そして最後に。おじ様が新たに会得してしまった特性についてです」
「初耳じゃな」
「確証を得られたのがつい先日でして……」
横道に逸れていた咬月の思考を、百由の声が引き戻す。
後頭部に手をやり「あははー」と笑っていたのも束の間、すぐさま表情を引き締めた。
「我々とヒュージの共通点。それはマギを宿すという点です。正負の違い、量の大小はあれど、例外はありません。ここで重要なのはマギの正負……いわば属性です。
リリィの使うマギは正、ヒュージの使うマギは負。逆にヒュージから見れば、ヒュージの使うマギこそが正で、リリィの使うマギは負。だからこそ互いに干渉が可能で、体内に取り込めば毒となる」
マギ。
魔化革命によって人類が行使するに至った、最新のエネルギー。
使用者に制限はあるものの、その名が示す通りに、魔法の様な効果を発揮させられる“力”だ。
人類がこの“力”を手にしていなければ、すでに地球はヒュージの手に落ちていただろう。
「一年もの長い間、狂化の危機に晒されていた結果として、おじ様のマギは正負の概念が曖昧化してしまったみたいでして。というのも、計測器が示す反発係数が……」
「百由君。要点だけを頼む」
「では、大幅に端折って言わせて頂くと、おじ様のマギはヒュージにとって、一見無害な猛毒になってしまっているんです」
話が脇道に逸れそうな気がした咬月は、すかさず話に口を挟む。
が、百由もそれを予想していたらしく、説明に澱みはない。
「ヒュージは貪食です。それは物理形質に対してだけでなく、マギに対しても発揮されます。しかし先ほど述べたように、自らの性質と違うマギは、基本的に体が拒絶反応を起こしてしまいます。
ですが、これを誤魔化すことが可能だったなら。ヒュージにとっての正のマギに見えて、実際にはリリィが使うマギを吸収させられたら……。
物理装甲やマギ障壁に防がれることなく、ヒュージの体内の奥深くに、直接マギを叩き込むのと同義になります」
リリィがヒュージと相対した時、有効打を与えるにはCHARMを使用しなければならないが、これを極端に単純化すると、正のマギを叩きつけている……と表現できる。
銃などの通常攻撃はヒュージの防御結界を貫けないが、正のマギでこれを強引に突破、もしくは中和し、さらなる攻撃を加えることで、ヒュージに正のマギを押し付けているのだ。
恐らく百由の言う無害な猛毒とは、この手順を省く、という事か。
ヒュージは人間が呼吸するように空気中のマギを吸い上げ、周囲に二酸化炭素代わりの負のマギを撒き散らす。
時には生きた人間を狙い、その体に宿ったマギすらも食らおうとする。リリィのマギは毒かもしれないが、リリィ以下の弱々しいマギなら、餌になり得るのである。
そんなヒュージが、自分達と同じ匂いのするマギを察知したら?
攻撃自体はしなければならないから、多くは動物的な反射行動を取るかもしれないが、それ以上の反応は示さないのが大多数だろう。
つまり“彼”のマギは、ヒュージの防御力を無視できる、という事になる。
「確かに、聞く限りでは有用な特性じゃな。しかし、忘れてはおらぬか。“彼”はもうCHARMを持てぬ。持たせられぬ。そのような状態で戦場に出るのは自殺行為じゃ」
「ええ。CHARMは持てません。ですが、あるじゃありませんか。この世界で唯一、おじ様だけに運用実績のある特殊装備が」
「……まさか」
百由の眼鏡がキラリと光った。
この状況で思いつく装備など、一つしかない。
手足を失ったことで装備可能となった、精神感応型義肢。
今まではあくまでも義肢、戦闘に耐えうるというだけだった物を、本格的に兵器化するということだろう。
「おじ様の意志は変えられないでしょう。無理に抑え込んで暴発させるくらいだったら、徹底的にサポートして、戦いの中で能力を制御する術を模索する方が建設的だと考えます」
「そして、その一助をロスヴァイセが担えれば、と」
百由と伊紀は並び立ち、まっすぐに咬月を見据える。
その瞳に迷いは見えなかった。
上手くいく保証はない。恐らくは前途多難な道のりとなるだろう。
しかし、それすらも飲み込んだ上で、この二人は“彼”を助けようとしている。咬月には、そう見える。
短い沈黙。
やがて咬月は革張りの背もたれを軋ませ、同時に深く嘆息した。
「……見栄を張ったからには、成果を出してもらわねばならぬ」
「っ! では……!?」
「細かい条件を詰める必要があるじゃろう。生徒会や教導官を説き伏せるのは、簡単ではないぞ」
「望むところです!」
我が意を得たりと、伊紀は大いに意気込む。
ごきげんようと挨拶をし、優雅な所作で退室する横顔には、まさに花が咲いたような笑顔が浮かんでいた。
微笑ましさに頬を緩ませる咬月だが、同時に、苦々しさも感じてしまう。
これは、彼女たちの役目ではない。本来ならば、大人である咬月達が背負うべき責務。
それを押し付けているに過ぎないと、どうしても思ってしまうのだ。
「相変わらず甘いな」
「……いらしていたのですか。姉上」
不意に、人の気配が現れた。
覚えのあるそれに振り向くと、スーツ姿のうら若き女性が、壁に背を預けて立っていた。
そう、“うら若き女性”だ。咬月の孫であってもおかしくない年頃の。
「暇が出来たのでな。弟に義息ができたと聞いて、ずっと気になっていた。それがまさか、私と“同じ体”になってしまった可能性があるとは……」
が、彼女は──
余人には奇妙に見えるやり取りだけれど、紛れもない事実だった。
祇恵良の年齢は、肉体の全盛期で固定されてしまっているのだから。
「姉上は……どうすれば良かったのだと、思われますか」
何故だろうか。こんな言葉が咬月の口から漏れた。
本当にこれで良かったのか。
心を鬼にした方が、結果的に良かったのではないか。
もはや二人だけとなった肉親同士。甘えが生まれたのかも知れない。
「らしくもなく、妙なことを聞くな?」
「…………」
祇恵良の眼が細められ、柔らかだった声の圧が高まる。
とある事情から表舞台を退いている彼女は、しかし現百合ヶ丘女学院理事長であり、リリィとしての実力も凄まじい。圧という表現は咬月が慣れているだけで、実際には迫力と言った方が正しいだろう。
ああ、やってしまった。
思わず心の中でそう呟いてしまう。
「すでに心を決めているのに、不安だからと弱気になるな。背を丸めず、胸を張り続けろ。それが人を導く者のあるべき姿だ」
「……たとえそれが虚勢でも、ですか」
「そうだ」
背筋をピンと伸ばし、咬月を見下ろしながら、祇恵良は断言する。
凛々しく、麗しく、儚げでありつつも、確かな力強さを感じさせる佇まい。
……眩しすぎる。
いつもこうだった。
姉は比類なき傑物であり、自分はその代理を務めるのがやっとの凡夫。
姉の背中を追って、必死に追って。でも届かずに、諦めそうになる。
けれど。
「それでも。もし、どうしても心が折れそうになったなら、存分に頼るといい。私は、お前の姉なのだからな」
ぽん、と優しく頭に手を乗せられ、子供にそうするように、優しく撫でられる。
その懐かしい感触も、ふわりと香る花の匂いも、あの頃のまま。
いつもこうだった。
咬月が諦めそうになると、祇恵良はいつも立ち止まり、追いつくのを待ってくれる。
厳しい言葉を投げかけても、それが突き放すように聞こえても、決して見捨てはしない。
高松祇恵良とは、そういう人間だった。
「もう子供ではないのですが」
「何を言う。いつまで経っても、お前は手のかかる弟のままだ」
もう白一色となった髪を、少し乱暴にくしゃりと。
その遠慮のなさが、妙に嬉しくて。
いつの間にやら、咬月の胸の内にあった不安は消え去っていた。
「はぁ……。どこかにワタシ好みの女の子が落ちてないかしら……」
数日後。夕暮れ時の百合ヶ丘女学院。
人気のない学院の廊下で、赤毛の少女──遠藤亜羅椰が独りごちた。
端的に言うと、亜羅椰はムラムラしていた。
相も変わらず浮名を流し、外部でも百合ヶ丘の問題児の代名詞になりつつある彼女だが、ここ最近は不漁が続いている。というか、逃げられているのだ。
そこそこ良い関係を築けていたリリィも複数居たのに、数日前から「やっぱり私じゃダメなんですね……」「あの方の代わりには、なれません」「結局は両刀なんじゃない、この裏切り者!」と別れを切り出される始末。
最後の子とは危うく刃傷沙汰になるところだったほどである。未遂で済んで本当に良かった。
身を引かれる理由も、糾弾される理由も、亜羅椰としては全く身に覚えがなく、途方に暮れているのが現状だ。
このままでは美少女成分不足で干からびてしまう。早急に新しい“お友達”が必要だった。
と、そんな時……。
「ん? あれは……神琳じゃない。どこ行くのかしら」
ふと、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
亜麻色の髪。すらりと伸びた長い脚。ただ歩いているだけなのに、まるでトップモデルのウォーキングのような華やかさ。
間違いなく郭神琳である。
どこへ行くのだろうか。時折、人目を気にするように左右を見回している。
「暇潰しには最適ね。後でからかってあげるわぁ」
まだ気づかれていないだろうと判断した亜羅椰は、秒で尾行することを決定した。
本当に暇だったというのもあるが、神琳の普段は見せない素振りが気に掛かった、というのもある。
とにかく、亜羅椰は身を低くしたり、柱に体を隠したりしながら、神琳の跡を追う。
ややあって辿り着いたのは、いつだったか、“彼”と神琳を並ばせてスケッチした足湯の東屋だった。
「え」
そして、そこには一人の男性が立っていた。……“彼”だ。
他に人影もなく、神琳と待ち合わせしていたのは、やはり“彼”なのだろう。
腑に落ちないのは、何故ここに居るかである。
(なんで? 未だに軟禁状態なんじゃなかったの?)
反射的に物影へと隠れ、様子を伺う亜羅椰。
二人が互いの姿を認めると、杓子定規に頭を下げあっての挨拶が交わされた。
と言っても、かなりの距離があるので、見える範囲での話だが。
「く……! 距離があるせいで何を話してるのか聞こえない……! もっと近くに遮蔽物があれば……!」
別に、どうしても内容を確かめたいわけではないのだが、立ち位置的に見える神琳の顔がやたらと嬉しそうで、なんだか妙な心持ちだった。
亜羅椰に対しては厳しめで、呆れ顔ばかり見ているから尚更だろうか。
“彼”相手に楚々と振る舞うというだけでは、からかうにしても少し弱い。
いっその事、乱入して話をまぜっ返そうかしら? と、亜羅椰が身を乗り出したのも束の間。
「────付き合って欲しいんだ────」
一陣の風が、予想外の声を耳に運んだ。
「何、今の。聞き間違い……?」
付き合って欲しい。
これは“彼”が発した言葉だ。
前後は逆に風でかき消されて分からない。
常識的に考えれば、どこかへ行くのに付き合うとか、買い物に付き合うとか、そんな内容が連想される。
だというのに、亜羅椰の心臓は早鐘を打ち始めていた。
(ちょっと待ちなさい神琳、なんであなた嬉しそうなの? その口の動き、わたくしでよければって言ってない? あれ? なんなのこれ? え?)
夕日に照らされる神琳の頬は、赤く染まって見えた。
……本当に? 本当に夕日のせいで赤いの?
いやいや、赤くなっていたからなんだっていうのよ。
年の差カップルなんて珍しくもないし、現役のまま結婚するリリィだって少なからず居るんだし。
でも中等部で結婚は流石に……いやいやいや実際にはどこにも出てないじゃない結婚なんて単語!
(なんなのよこの状況はぁあああっ!?)
混迷を極める脳内で、亜羅椰が叫ぶ。
当たり前だが、それに共感してくれる人物は、誰も居ないのであった。
ロリババアって良いよね。
去年のラスバレで一番驚いたのが、祇恵良○○さんのプレイアブル化でした。○○の部分は好きな文字で埋めてみよう!
まぁ祇恵良さんは妙齢の女性って感じなので、厳密に言うと違うんでしょうけど。個人的には、「へんたいふしんしゃさん」呼ばわりをしてくれそうな感じでも良かったんじゃないかなぁと。……いいじゃん一人くらい合法ロリが欲(自主規制)
ちな作者は未コネクトです。男PCに立ち絵があるソシャゲと、ガチャから男が出てくるソシャゲは絶対にやらない主義。
テンパってる亜羅椰ちゃんの行く末は……誰もが予想した通りの結末に落ち着くとは思いますが、ヤキモキしてる亜羅椰ちゃんを描きたいので描きます。
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