冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ (若年寄)
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副ギルド長の場合
第壱章 冒険者ギルドへようこそ


「気に入らねぇなぁ、オイ」

 

 そう呟いてギルド長はテーブルの上に資料を放り投げた。

 

「何が気に入らないとおっしゃるんですの?」

 

 テーブルを挟んで対面に座る伯爵家のご令嬢が唇を尖らせて資料とギルド長を交互に見やる。

 

「あのな、ここは冒険者ギルドだぞ、冒険者ギルド」

 

 ギルド長は皺が寄った眉間を指で揉みほぐしながら上目遣いで目の前の少女を睨む。

 いや、それはもう上目遣いなどと生易しいものではなく、凄みのある三白眼と云えよう。

 

「それくらい世事に疎い私だって存じておりますわ。だからこうして依頼を持ってきたのではありませんか」

 

 一軍を率いる将ですら数秒で目をそらすギルド長の眼光に怯むことなく平然と答えるこのお嬢様は将来大物になるだけの器を持っているに違いない。

 

「するてぇと何か? お前さんの判断じゃ、このご依頼は冒険者ギルドに持っていくべきだとそう思ったってぇ訳かい?」

 

 ギルド長の目が細くなり口角がつり上がってくる。

 やばい。

 僕の脳内でけたたましいまでの警報が鳴り響いた。

 この無理矢理に作った笑顔はギルド長が怒りを堪えている兆候である。

 

「そう通りですわ。私のピンチに駆けつける希望の勇者を早急に用意できるのはここだけですもの」

 

「ピンチなぁ……ところで話は変わるがお前さん、俺が今、何を考えてるか分かるか?」

 

 出たよ。このセリフが出るということは、完全にギルド長が頭に来ている証拠だ。

 そんなギルド長の様子に微塵も気づくことなく、伯爵令嬢は挑むようにギルド長の瞳を見据えて云った。云ってしまった。

 

「そうですわね……私を救う勇者をピックアップしているってところかしら? 外れていて?」

 

 大外れだよ! 的外れだよ! 問題外だよ!

 見てよ。見てご覧なさいよ。ギルド長のこめかみに浮かんだ別個の生き物のように脈動する青筋を。

 

「それでいつ我が勇者を派遣してくれるのかしら? 私としては明日でも待ちきれないくらいですわ」

 

 あ、ギルド長のこめかみから何かを引きちぎるような音がした。

 

「貴族の見合いをぶち壊すのに冒険者を使えるかぁ!」

 

 ああ、お茶請けのマフィン、美味しいなぁ。

 流石は伯爵家が持ってきたお土産なだけあって、高級感を感じるよ。

 

「ご乱心! ギルド長殿、ご乱心!」

 

「クーア殿? クーア殿! お茶など啜ってないでギルド長を止めて下され!」

 

 あーあー、聞こえなーい。

 僕も元宮廷治療術師。死なない限りはどんな怪我でも治してあげるから頑張って。

 伯爵家の護衛騎士達が無手によって殲滅される音を聞き流しながら、僕は折角のマフィンとお茶に埃が被らないよう魔力のヴェールでテーブルを覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは聖帝陛下の統治のもとに繁栄する国家、聖都スチューデリア。

 僕はその名の通り世界中を旅する冒険者達を支援する組織、冒険者ギルド・スチューデリア支部において副ギルド長という役目を務めている。

 冒険者ギルドのコンセプトは、後世を担う若者達に旅を通じて世界の広さ、大きさ、様々な国の文化の違い、問題などを肌で知ってもらい、それを糧に大きく成長して欲しいというものだ。

 世界を股にかける冒険者達のほぼ九割は冒険者ギルドに所属している。ギルドは特に加入を強要していないけど、入った方が何かと便利だからだ。

 まずは何といっても情報だろう。

 冒険者ギルドに籍を置けばその土地々々に跋扈するモンスターや盗賊団などの情報を格安で買うことができるし、初めて訪れた街であれば一度に限り周辺地図を無料で手に入れられるのだ。過去の冒険者達が十数年をかけ実測によって作製した精密な地図は、それだけに結構値が張るからこれは嬉しい特典だろう。

 そして路銀を得るための仕事もギルドの方で周旋している。

 仕事の内容は、日雇いの人足から始まり、要人警護、モンスター退治、盗賊討伐、変わったのでは好事家に自分達が体験した冒険を物語にして聞かせるというのもある。

 当然ながら仕事を仲介するにあたって報酬に応じたバックマージンを貰っているけど、それこそが冒険者ギルドの収入源の一つなのだから仕方ないね。

 冒険者達はその力量、達成した依頼の質や数に応じてAからFまでの六段階でランク付けがされている。

 ギルドに持ち込まれる依頼の方も難易度によってランクが分かれており、冒険者達は自分のランクと依頼内容を吟味してギルドに申請、許可が降りれば仕事にありつけるってシステムなんだ。

 そうそうギルドの収入源と云えば、訓練場も忘れてはいけないね。

 これは一線を退いた元冒険者達を教官とした訓練施設で、未熟な者や新しいスキルを獲得したい者達から指南料を受け取って訓練を施している。

 かく云う僕も防御魔法と治療魔法の講師として訓練場で教鞭を振るうこともあるんだよ。

 と、このように冒険者達へ提供する情報の収集、仕事の斡旋、宝石の原石の如き若手達の育成が冒険者ギルドの主な仕事なんだ。

 分かって貰えたところで、話を冒頭に戻そうと思う。

 

 伯爵令嬢の護衛達が応接間のあちこちで呻き声を上げながら床に転がっている中、ギルド長が憤然として腕を組んでいる。

 まあ、当然だとは思う。

 貴族のお見合いを潰すなんて暴挙を犯せばお縄になるのは当然だし、最悪首を刎ねられても文句は云えない。そんな事に冒険者を使うなどもっての外だろう。

 

「貴方、私にこんな事をして只で済むと思っていますの?」

 

 伯爵令嬢ことクアルソ嬢は足を折りたたむ正座というギルド長考案の座り方をさせられつつもギルド長を睨みつけていた。

 庶民の持つ貴族のイメージそのままに縦ロールにした金髪を持ち、碧眼を勝気そうに釣り上げたドレス姿のお嬢様が床に座らせられているというのも中々にシュールである。

 仮にも伯爵家の御令嬢にこれだけの真似をしている時点で我々冒険者ギルドの立場は相当ヤバくなるだろう。

 しかしギルド長は鼻を鳴らすとクアルソ嬢の頭をペシンと叩くのだった。

 この人はそうなのだ。

 この世の全て、森羅万象を自分の天秤によって裁量して決めてしまう。

 相手の方に非があるならば、ギルド長は貴族だろうと聖帝陛下であろうと躊躇いなく喧嘩を売る。それも真正面から正々堂々とだ。

 

「舐めンな。只で済ますに決まってンだろ。俺を誰だと思っていやがる?」

 

 聖帝陛下にも平気で喧嘩を売るような人が伯爵家に尻込みするはずがなく、逆に侮蔑の視線をクアルソ嬢へ向ける始末である。

 勿論、誰に対しても横柄な態度を取るギルド長を快く思わない貴族や知識人、宗教家は多い。

 何よりこの国の国家元首である聖帝陛下さえもギルド長を嫌っているらしい。

 こうなると不敬罪で逮捕、下手すれば討伐されても可笑しくはないのだけど、今のところそのような動きは見受けられない。

 理由としては、まず世界各国に点在する冒険者ギルド同士の横の繋がりが挙げられる。

 そもそも冒険者ギルドは冒険者達が権力に利用されないようある程度の権利が認められており、どのような権力者であろうと自由に我々を使うことは許されない。

 その上、権利を確保するための自衛手段としてギルド同士の結び付きが相当に強い。つまり、仮に我ら冒険者ギルド・スチューデリア支部が攻撃を受けたならば近在の街にあるギルドから救援がすぐに駆けつけて共に戦ってくれる。如何に軍隊と云えども屈強な冒険者達を相手取って戦っては少なくない犠牲が出ることは間違いないだろう。だから余程の事がない限り軍隊を動かす事態にはならない。

 次にギルド長が領主クラスの貴族や数多くの店を持つ豪商に並ぶほどの税金を国に納めている事実も攻撃の手を鈍らせているに違いない。

 ギルド長は剛胆であるが馬鹿ではないし商才もある。渡すべき相手には相応のお金を融通するだけの知恵もある。

 誰が相手でも媚びることは絶対にしないけど、便宜を図ってくれる人物には鼻が効く狡猾さも持ち合わせているからこそギルド長なんて大役が務まるのだろう。

 そして最後に、クアルソ嬢の屈強な護衛をものの数十秒で、しかも素手で殲滅した事からも分かる通り、ギルド長自身の戦闘能力の高さこそが相手を怯ませる最大の防御策なのである。

 ギルド長もかつては冒険者であり、現役時代に残した伝説の数々は引退から早十数年を数える現在でも冒険者達の間で語り草となっている。

 やれオークやゴブリンの中隊を一人で倒すどころか一睨みで追い返しただの、やれ魔界の王子を関節技で首を折って仕留めただの、やれ鉄より硬いドラゴンの鱗を歯で毟り取っただの、おおよそ英雄譚に書かれないような伝説ばかり残している。と云うか、何故ドラゴンの鱗を歯で毟らにゃならないのかシチュエーションが想像できない。

 本当に人間かと問い詰めたくなるような強さを誇るギルド長に正面切って喧嘩を売れば聖帝陛下であっても只では済まない。だから誰もギルド長に攻撃なんてできないのだ。

 

「俺は冒険者どもをテメェの餓鬼のように思ってンだ。そんな可愛い餓鬼共を縛り首やギロチンにかけられるような真似ェさせると思ってンのか? ああ?」

 

 そう、何より人一倍配下の冒険者達を大切にしているギルド長を慕い愛する者達が権力者からの無体を見過ごす訳がないのだ。

 

「では、どのようにすれば宜しいのですか? 若い娘に鞭を打ち、蝋を垂らし、その悲鳴を聞くのが何よりの楽しみという変態に嫁げとおっしゃるの?」

 

「嫁げよ。お前さんの家は伯爵なんて名ばかりの貧乏貴族だろ? お相手の侯爵様はお前、変態嗜好に目を瞑れば領民に慕われる名君で大層な金持ちだそうじゃねぇか。今まで育ててくれた両親に僅かでも感謝してンなら鞭打ちの十発や二十発くれぇ我慢しねぇな」

 

 目尻に涙の粒を浮かべても必死に泣くまいとしながら訴えるクアルソ嬢に対してギルド長の態度は冷淡である。

 

「貴族、王族の娘の使い道なンざ政略結婚以外に無ェだろ。貧乏貴族とはいえ今まで領民の血税でアハハ、オホホと何不自由なく生きてきたンだ。それをお前、相手が変態だから結婚したくねぇって筋が通らねぇだろがよ」

 

 ギルド長が王侯貴族から嫌われるもう一つの理由として、王は民にために死ね。貴族は民のために働け、と公言して憚らないところがある。

 物語では望まぬ結婚を強いられる貴族の娘というのは確かに悲劇だろう。特に愛する者と引き離される悲恋の描写があれば民衆には受ける。

 けど、これは現実であり、相手はギルド長である。

 

「最初は純潔を奪われるわ、拷問紛いのプレイを強いられるわで苦労するだろうがな。確かあの侯爵のボンボンは正室との間に嫡子はいねぇはずだ。だったら頑張って男ォ産めや。跡取りを産ンだとなりゃ待遇だってナンボか違ってくンだろ」

 

 と、このようにシビアだ。

 

「ギ、ギルド長殿! それではあまりにも惨い。確かに有力な貴族、他国の実力者と誼みを結ぶ為の結婚は姫君の義務ではあります! しかし、地獄の苦しみを受けると分かっているところへ嫁がなければならぬお嬢様の心痛を少しは察して下さらぬか?」

 

 抗議の声を挙げたのは、クアルソ嬢の後ろに控えていた伯爵家の執事長って人だった。

 白髪をオールバックにして、鼻髭をダンディに蓄えた、なんと云うか、如何にも執事で御座いといった風貌の人である。

 

「爺さん、惨いと云うがな。アンタのお嬢様を助けるために首を斬られる羽目になる冒険者はどうなンだよ? まさか貴族のためなら冒険者はいくら死ンでも結構ってぇそういう了見かい?」

 

「そ、それは……」

 

 云い淀む執事のお爺さんをギルド長は冷めた目で見る。

 

「後ろ手にお縄が回らない策があるってンなら話を聞くけどよ。代案も無しに口を開くモンじゃねぇぜ」

 

「あ、あのぅ……」

 

 次第に重たくなっていく空気に耐え切れなくなった僕が控えめに手を挙げると、ギルド長は何故か驚いた表情を見せた。

 

「クーア君。いつからここにいたンだ? いや、今はもう昼過ぎだ。重役出勤というにも遅すぎる時間だろ」

 

「朝からいましたからね! て云うか、朝、ギルド長を起こしてあげたのも朝ご飯を作ってあげたのも僕ですからね!」

 

「あー……今朝のスクランブルエッグ、俺が作ったにしては半熟でやたら出来が良いと思って食ったけど、クーア君が作ってくれていたのか。そういや、カリカリに焼いたベーコンも美味かったなぁ」

 

 どれだけ僕の存在感は薄いんだ?

 しかも、あーた、僕も一緒に朝ご飯食べたよね?

 今日のギルドの予定についても綿密にミーティングしたよね?

 そもそもクアルソ嬢がいきなり現れた時、君も来いって同席させたよね?

 虐めか? 虐めはカッコ悪いんだぞ! 泣いちゃうぞ。コンチクショウ!

 

「ああ、なんだ。いい大人が泣くモンじゃないぜ? ほれ、このマフィン、美味いぞ。食べるか?」

 

 さっきまで食べてましたよ!

 しかも、クアルソ嬢のお土産じゃないですか、ソレ!

 って、違う、違う。そうじゃない。

 

「おほん! そうじゃなくて要はクアルソ様が幸せな結婚生活を送れれば問題無いんですよね?」

 

 僕の言葉に三人は揃って眉を顰める。

 

「クーア君。幸せな結婚って云うが、どうすンだ? 変態に嫁いで幸せになれると思うか? それとも変態の嗜好に合うよう鞭を打たれることに喜びを感じるまで特訓でもさせようってのか? 話を聞く限りあの変態は嫌がる娘に鞭を打つのが良いンであって、順応させたところで変態が二人になるだけで侯爵のボンボンは喜ばンだろ」

 

 あまり変態、変態と連呼しないで下さい。

 ほら、クアルソ嬢がまた涙目になってるじゃないですか。

 

「いや、ですから侯爵様の方の性癖を矯正できないのかなぁって」

 

「無理だろ」

 

 僕の案はギルド長によって一刀両断にされてしまった。

 

「あのボンボンのサディスティックぶりは筋金入りだ。むしろ普段、善政を敷いているからこその反動とも云えるだろうよ。それにかの侯爵様を貴族専用の秘密クラブに誘って変態嗜好を植えつけたのは何を隠そう正室のババァだって専らの噂だぜ」

 

 ギルド長、いやさ冒険者ギルドには副ギルド長の僕ですら把握していない子飼いの隠密集団がいるらしい。彼らは世界各国の民衆、貴族、研究機関、大使館、王宮などに潜り込んで情報をギルドへ送り続けているそうだ。

 これは冒険者ギルドに寄せられた依頼を鵜呑みにしてそのまま引き受けると、後に禍根となって襲いかかってくることがあるかららしい。

 どこそこの貴族を殺した犯人を始末して欲しいと頼まれて、実際倒してみればそちらの方が仇を探している側で、依頼者の方が犯人であったということなど珍しくないそうな。

 だから疑わしい依頼があった場合は隠密を使って仕事の裏を取るようにしているとか。

 つまり件の侯爵の性癖云々というのは既に調べがついた確かな情報だということだ。

 

「兎に角、この話はおしまいだ。冒険者ギルドは見合いの妨害なンて仕事は引き受けねぇ」

 

 ギルド長は護衛騎士達に気付を嗅がせて蘇生させると、クアルソ嬢と執事長共々冒険者ギルドから蹴り出した。

 

「ああ、この世に神の御加護があるなんて嘘っぱちだったのね! 私は不幸な星のもとに生まれた哀しき無力な乙女なのだわ!」

 

「クーア君、塩ォ……」

 

 芝居がかった身振り手振りを交えながら帰っていくクアルソ嬢を見送りながらギルド長は玄関前に塩を撒く。

 やがてクアルソ嬢を乗せた馬車が見えなくなると、ギルド長はズボンのポケットに手を突っ込んで歩き始めた。

 

「さてと、ちと遅いランチと洒落込むか。クーア君はどうする? 来るってンなら毎朝、飯作ってくれてる礼に奢ってやるぞ」

 

 あ……こういう所があるから僕はこの人を憎めないんだよなぁ。

 勿論、お供しますよ。

 僕はギルド長の大きな歩幅に四苦八苦しながら横に並んだ。

 

 その時、僕は知らなかったんだ。

 ついていった先でとんでもない話を聞くことになるなんてね。

 そして、ギルド職員であるはずの僕が冒険をする事になるとは予想すらしていなかったんだ。

 

 この先、僕に何が待ち構えているのか。

 それはまた次回の講釈にて。




 小説家になろう様に投稿していた読み切り作品を連載版にしてこちらにも投稿しました。

 世界や宗教、一部の登場人物がリンクしていますので、併せて読んで頂けると楽しめると思います。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 タヌキ顔のパスタ屋

「おや? ギルド長、随分とお見限りで」

 

「開口一番、皮肉かよ」

 

 ギルド長に連れられて入ったのは街でも五本の指に入ると評判のパスタ屋だった。

 食事時となると何十分も並ばなければならないが、微妙にずれた時間帯の御陰であまり待たされることなくテーブルへと案内された。

 

「ようこそ、アルデンテへ。ご注文が決まり次第お呼びください」

 

 随分とベタな店名だけど、それだけにパスタの茹で加減が絶妙で美味しいんだそうだ。

 ギルド長がカルボナーラ、僕がミートソースを注文して待つことしばし、先程の男が満面の笑みを浮かべてパスタと頼んでもいないグラスワインを持ってきた。

 しかし、本人は営業スマイルの積もりなんだろうけど、ずんぐりとした矮躯に金壷眼の悪相と異様に太い首、繋がった太い一本眉のせいでどうにも悪巧みをしている小悪党に見えて仕方がない。

 

「それで今日はどのようなご要件で?」

 

 ん? 要件も何もお昼ご飯を食べに来ただけだよ?

 

「繁盛しているようで何よりじゃねぇか。ランチ時は過ぎても忙しそうだしまたにするわ」

 

 ギルド長が追い払うように手を振ると男は情けなく眉尻を下げてその手を掴んだ。

 

「そりゃねぇでしょうや。あっしはギルド長のためなら何でもしやすぜ?」

 

「そうか。ではボースハフト侯爵の噂の出処を探ってくれ。できれば噂を広めた間者の素性も洗ってくれると助かるぜ」

 

 ちょっと! それってさっきの話にあったサディストの事じゃ?

 

「ああ、若い娘を攫っては鞭打って犯すってぇ変態侯爵のことですかい? 調べろって事ァやっぱり根も葉もない事で?」

 

「それを探ンのもお前ェの仕事だよ」

 

 男はコック帽を取ると愛想笑いを引っ込める。

 こうして見ると歴戦の戦士のような凄みが出てきたので驚かされた。

 

「噂の出処を探るとなるとちと骨だ。こりゃしばらく店を女房に任せっきりになるし、当分は客足も遠のくだろうねぇ」

 

 探るような男の眼光にギルド長は苦笑しながら財布を取り出した。

 

「分かってるよ。いくらだ?」

 

「へへ、催促したようですいやせんねぇ。じゃ、遠慮なくこんなところで」

 

 男はまた愛想笑いに戻ると右手を開いて見せた。

 

「銀貨五枚か。欲の無ェ野郎だな」

 

 ギルド長の言葉に男は渋面を作って広げた右手を振ってみせた。

 

「ギルド長……あまり吝いと嫌われやすぜ。誰が銀貨五枚ぽっちで命かけやすかい」

 

「分かった、分かった。ほれ」

 

 ギルド長は意地悪げに笑いながら男に金貨五枚を手渡した。

 すると男は途端に相好を崩して厨房に向かって声を張り上げたものだ。

 

「アヴァール! ギルド長にシーザーサラダを作ってやんねぇ! パスタだけじゃ栄養が偏っちまう!」

 

「ンじゃ、頼ンだぜ」

 

 ギルド長は苦笑しながらグラスを傾けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドへ帰る道すがら僕はギルド長に先程の遣り取りを訊ねた。

 

「ギルド長、さっきの男は何者なんですか? それにサディストの侯爵について調べろってどういう意味です?」

 

 すると石で殴られた方がまだマシってくらいの拳骨が僕の頭を襲った。

 

「失礼な事を云うモンじゃねぇ。ボースハフト侯爵は清廉潔白の人だ。善政を敷くのにいちいちストレスを貯めるような方じゃない。無論、若い娘に鞭を打つなンてぇするかよ。あの方は自分より他人が傷つくのを何より恐れる。それ以前にまだ下の毛も生えてねぇ十一歳の餓鬼だぜ? 変な性癖がつくどころか自慰すらもした事ァねぇだろうさ」

 

「はい?」

 

 僕は拳骨のせいで意識が朦朧として聞き間違えたのかと思った。

 

「二月ばかし前、先代が病死して代替わりしたばかりなンだよ、ボースハフト家はな。勿論、先代の侯爵も実直を絵に描いたような堅物だ。あの小娘の云い分は全部嘘なンだよ」

 

 と云うことは、あの時のギルド長はクアルソ嬢にあえて話を合わせていたのか。

 

「それに俺の記憶が正しけりゃ侯爵が変態ってぇ噂が流れ始めたのも代替わりをした頃と一致する。先代が立派でもその次がボンクラなンてぇ話はよくあるからな。今の侯爵を直接知らねぇ民衆が面白そうな噂にただ飛びついたってだけだろうよ」

 

 僕は唖然としてギルド長の話を聞いていた。

 でも考えてみればギルド長は貴族から嫌われはしても別に貴族が嫌いって訳じゃない。

善政をもって民衆を幸福へと導く指導者には惜しみない賛辞を贈っている。

 

「では、誰が侯爵を貶めるような噂を流しているって云うんですか?」

 

「それをシヤンに探って貰うンじゃねぇか」

 

 ギルド長は悪戯を仕掛けた子供のように笑って答えた。

 

「シヤンってさっきのパスタ屋の亭主ですか?」

 

「おう、シヤン=ヴィヴラン、冒険者ギルドが抱える凄腕の密偵達の中でも上から数えた方が早いってぇ実力者よ。ぱっと見、草臥れたタヌキ親父にしか見えねぇところがシヤンのおっかねぇところさね」

 

 ちと金にきたねぇのが欠点だけどな、とギルド長は苦笑した。

 それにしても驚いた。只者ではないだろうとは思っていたけど、まさかそんな凄腕の隠密だったなんて。

 

「最近な、若い女房を貰ったばかりでよ。それが宝石やらブランド物やら湯水の如く金を使うンだと。で、その若い女房を繋ぎ止めておくには金がいるって訳さ」

 

 アヴァールさんだったか。確かにパスタ屋の女房にしてはすこぶる美人だったし物凄い艶を持っていて、そりゃ誰だって手に入れたいし手放したくないだろうなって思わせる女性だった。

 

「見たところシヤンの野郎、手放したくない一心であンま女房殿を抱いてないだろうな。カミさんを失いたくなけりゃさっさと餓鬼拵えちまえば良いのに」

 

 子は鎹と云うじゃねぇか、と笑うギルド長は何故だかどこか寂しげに見えた。

 

「ま、しばらくはシヤンの調査の結果待ちだぁな」

 

「あーッ! ギルド長いたぁ! 副ギルド長も一緒に何処行ってたんですかぁ!」

 

 ギルド長の言葉に頷こうとした瞬間、大声で呼ばれてつんのめってしまった。

 見れば小柄で特徴的な薄紫色の髪をボブカットにした女の子が腰に手を当てて、頬を膨らませている。冒険者ギルドの受付嬢をしているサラ=エモツィオンだ。

 

「僕らは遅めのお昼を食べてきたんだよ。それよりサラちゃんこそどうしたのさ?」

 

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 気づいた時には、僕はサラちゃんに襟首を掴まれて引き摺られていた。

 

「どうしたじゃありませんよ! 新しい冒険者さんが登録に見えてますよ。新規の登録にはお二人のどちらかの承認が要るって事忘れた訳じゃないですよね?」

 

「ちょっと待って! 二人で留守にしたのは悪かったけど、何で僕だけが引き摺られてるのさ? ギルド長! ギルド長もそこにいるよ?」

 

「ギルド長を引っ張るなんて怖い事できるわけないじゃないですか!」

 

「すごく納得できる理由だけど納得しない! 仮にも僕、組織のナンバー2だからね?」

 

 物凄い勢いで遠ざかっていきながら、頑張れよと手を振るギルド長が恨めしい。

 

「副ギルド長が悪いんですよ! 気弱で童顔で私より背が低くて迫力というものに全く縁がない副ギルド長が!」

 

「やっぱり納得がいかないよ! コンチクショウ!」

 

 砂塵を巻き上げ疾走するサラちゃんと迸る涙が止まらない僕は商店街中の視線を独占するのだった。

 

「それから事務課の人達、書類が片付かないって嘆いてましたよ! 登録が済んだらちゃんと皆さんに謝って書類仕事を終わらせて下さいね!」

 

「だから何で僕だけ?」

 

「ギルド長はもう今日の分の書類を終わらせているからです」

 

 ギルド長って事務処理能力も化け物じみてるんだよなぁ。

 僕はこれから待ち受ける試練を思うと、またも涙が止まらなくなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 その日の午後、僕は午前いっぱいを使って治療魔法の講義をしていた遅れを取り戻すべく副ギルド長室で一人黙々と書類と格闘していた。

 副ギルド長となれば専用の部屋を持っていなければ格好がつかないのは分かる。

 しかしだよ。いくら日当たりが良い部屋を与えられているとはいっても一人で仕事をするのは寂しいし、どうにも集中力が続かない。

 僕は目の前にあるティーカップを手に取る。

 淹れて随分と時間が経っている上に、初夏の西日に当たっていたせいか半端に温くてあまり美味しくない。でも、それなりに気持ちを切り替えるには役に立ってくれた。

 サラちゃんはギルド長や他の事務員にはこまめにお茶を淹れているらしいけど、僕の分のお茶だけは自分で淹れている。

 

「だって副ギルド長って私より美味しくお茶を淹れるじゃないですか」

 

 とはサラちゃんの言。

 しばらく前にギルドのみんなでお茶会を楽しんでいた時、僕のお茶が美味しいと褒められたことがあった。

 あの時、調子に乗って紅茶の淹れ方について偉そうに講釈を垂れてサラちゃんの面目を潰したのがマズかったんだよね。

 あれ以来、サラちゃんが僕にお茶を淹れてくれる事はなくなったんだ。

 

「ま、確かに、君のやり方じゃ茶葉がかわいそうだよ、は云い過ぎだったな」

 

「そうなんですよね。サラちゃん、すっかり臍を曲げちゃって……」

 

「お互い大人なンだからよ。さっさと仲直りしちまえ。ギルド職員同士がいつまでもギスギスしてンのは冒険者達にも示しがつくめぇさ」

 

 そうなんだよね。冒険者にとってパーティ内の絆の深さは生存率にも直結する。

 信頼で結びついたパーティなんて言葉を交わさずにアイコンタクトや何気ない仕草で意志の疎通ができるというしね。そんなパーティといつも仲違いしているようなパーティとでは明らかに効率が違うし冒険の危険度も雲泥の差だろう。

 うん、確かに仲間内での信頼の大切さを謳っているギルドの人間が仲違いしているなんてみっともいい話ではない。

 けどなぁ、今回の話が無くてもサラちゃんは何故か僕の事を目の敵にしているように思えてならない。

 僕がギルド長の肝煎で副ギルド長に就任した日も、一度たりとも冒険をした事がない上に、宮仕えしていた過去から、ギルド長の嫌いな天下りじゃないのか、と大反対してきたくらいだからね。

 だから僕も、初めは雑用から、と云ったんだけど、

 

「クーア君は聖都スチューデリア、いや、世界でも指折りの治療魔法と防御魔法の遣い手だ。頭も切れるし、魑魅魍魎が跋扈する宮廷で生き抜いてきた事から見た目に反して胆も据わっているだろう。ま、理由は他にもあるが俺はクーア君以外の奴を副ギルド長に据えるつもりは無ェからそう思え」

 

 と、有無を云わせぬ気迫でサラちゃんも含めたギルド員達の首を縦に振らせたのだった。

 初めこそはギルド員達から村八分にされてきたけど、我武者羅に与えられた仕事を求められる水準以上に仕上げながら辛抱強くみんなと接してきた事とギルド長が敢えて僕に助け舟を出さなかった事もあって徐々にだけど周囲の信頼を得られるようになってきた。

 そして今もギルド員の信頼を得ようと頑張っているし彼らも心を開きつつあるんだけど、ただサラちゃんだけが頑なに僕の事を拒んでいるように感じる。

 違うな。一応、サラちゃんも僕の仕事は評価してくれているし、初めから副ギルド長と呼んではくれているんだよね。

 

「ま、そこは当事者で話し合えば良いンだ。兎に角、今度の喧嘩はクーア君に非があると思うぜ。サラも本来根に持つような娘じゃねぇ。案外、一緒に茶ァしばいて頭の一つでも下げりゃすんなりと許してくれるだろうよ」

 

「そうだと良いんですけどね……って、ギルド長?」

 

 いつの間にかギルド長がテーブルに腰掛けて仕上がっている書類のチェックをしていたので驚いた。

 

「相変わらず丁寧な仕事だな。文章は簡潔にして要点はきっちり押さえてあるし、字が綺麗で読みやすいのが良いぜ。他の奴らなンざ重要書類でもお構いなしに雑に崩した文字でササッと書きゃあがるからなぁ」

 

 金釘流(かなくぎりゅう:字が下手な者を指す)の俺が云えた義理じゃねぇか、と笑うギルド長に僕はおずおずと新しいお茶を差し出す。

 

「おお、悪いな。うーん、同じ茶葉でも全くエグ味が無く香りも良いってンだから、そりゃ自慢もしたくはなるわな」

 

「その話はもう勘弁して下さい。それより何かあったんですか? ギルド長がこの部屋に来るなんて珍しいですね」

 

 するとギルド長は口元を引き締め、居住いを正してから答えた。

 

「シヤンの野郎が面白ェ話を仕入れたって繋ぎを入れてきたぜ。今夜、晩飯がてら詳細を聞きに行くンだが、クーア君はどうする?」

 

 ああ、義理堅いギルド長らしいなぁ。

 僕もボースハフト侯爵とクアルソ嬢の一件に多少は噛んでいたから顛末を聞く権利を態々持ってきてくれたのだろう。

 

「それもあるけどよ。クーア君もぼちぼちギルド員どもから信用を得てきたみてぇだからな。ギルドの幹部として密偵の使い方を知っとくべきだと判断したンだよ」

 

 これは素直に嬉しい。

 副ギルド長に就任して早五年。漸く冒険者ギルドの暗部を見せて貰えるまでの信用を得られたのだという証と思っても自惚れには当たらないだろう。

 

「是非、話を聞かせて下さい」

 

「よし、今日の仕事が捌けたら、こないだ行ったアルデンテに直接来てくれ」

 

「了解です」

 

 僕は定時に上がれるよういつも以上に気合を入れて書類の山に立ち向かうのだった。

 

 その後、僕は今回のお見合い騒動の裏にとんでもない陰謀が隠されている事を知らされる事になる。

 もう冒険者ギルドの出る幕ではない事態ではあったのだけれど、それでも僕らは介入するしかなかった。

 その結果、僕らにとっての厄災が起こると予想されたが、放置する訳にはいかなかったのだ。

 その陰謀が如何なるものなのか、それは次回の講釈にて。




 次回、シヤンが持ち返った情報を元にクーア達が事件の裏を推理します。
 ただ頭の回転が宜しくない私が書くものなので多少のガバは目溢しをお願いします(苦笑)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 伯爵の功と罪

 やや定時をオーバーしたものの今日の書類を全てやっつける事ができた僕は、例の小悪党然とした亭主に迎えられた。

 

「アンタが噂の副ギルド長だったなんてねぇ。人は見かけによらねぇもんだ。おおっと、失敬。それはそうと色々と面白い事が分かりやしたぜ」

 

 僕がどんな噂を立てられているのか気になったけど、まずは侯爵の情報を聞くのが先だと思い直して既にギルド長が待っているテーブルへと案内を頼んだ。

 

「よう、あの書類の山だ。もっとかかると思ってたが、流石はクーア君、俺が見込ンだ男だな」

 

 ギルド長は僕の姿を認めるとピッツアを持った右手を掲げた。

 軽く会釈をした後、僕もピッツアが食べたくなったので、トッピングにアンチョビ多目を頼み、お酒はビールを注文してから席に着く。

 それ程待たされる事なくビールとピッツアが運ばれてきたので、まずはビールで乾杯と洒落込むことにした。

 

「カーッ! やっぱ夏はコレだな! 暑い中、敢えて熱々のピッツアをはふはふ云いながら頬張り、汗を拭いつつ冷えたビールで流し込む! これぞ夏の快感ってヤツだ!」

 

 ギルド長は邪魔に思ったのか、膝裏まで伸ばした黒髪をアップに束ねてキンキンに冷えたビールを何杯も胃の腑に注いだ。

 顔を真っ赤にさせて、瞳を潤ませるギルド長は得も云われぬ色気を醸し出している。

 完全に出来上がっているように見えるけど、これで頭は冷静に回っているのだから恐ろしい。

 その昔、魔界の王子がギルド長を酔わせて打ち殺そうと目論んで大量のお酒を呑ませた事があったそうだけど、そこはギルド長、酔い潰れたように見せかけてあっさりと返り討ちにしたそうな。

 

「魔族と云えども首の骨を折っちまえばおっ()ぬンだな」

 

 この自慢なのか駄洒落なのか分からない台詞を聞かされた時は戦慄したものだ。

 やがて夜も更けてきた頃にシヤンさんが汗を拭いながらやってきた。

 

「お待たせしやした。夜のピークがやーっと引きやして……へへ」

 

 無理もない。このアルデンテはパスタが美味しいと評判を取る上に、ピッツアも腕の良い専門の職人を雇っており、お酒の種類も豊富でおまけにお勘定も安ければ人気が出ない訳がない。

 明日の分の小麦粉足りるかな、と心配するくらい今夜は盛況だったらしい。

 夕方から今まで長っ尻していたのが申し訳なく思えてきた。

 

「で? どンなネタを掴ンだって?」

 

 妖艶に嗤うギルド長に僕は背中に氷を入れられたかのように震える。

 それはシヤンさんも同じだったようで今度は冷や汗を拭っていた。

 

「へ、へい、伯爵様に仕える召使いに小金を握らせやしてね。ちょいと聞き込んだところ、まあ、喋るわ、喋るわ、色々と分かりやしたぜ」

 

「伯爵令嬢に男がいたってか?」

 

 ギルド長の言葉にシヤンさんは驚くどころか、ニヤリと笑って見せた。

 

「やっぱりそう睨んでやしたかい。あのお嬢、可愛い顔して美形の召使いを毎晩のように寝室に呼んでやがるそうですぜ」

 

「で、ボースハフト侯爵の悪評を流したのは……」

 

 シヤンさんは自信ありげに頷いた。

 

「お嬢様ご寵愛の美形、ピアージュってんですがね。どうもそれらしい特徴の野郎がボースハフト領のあちこちで噂をバラ蒔いているようなんでさ」

 

「読めてきたな。伯爵家の小娘が結婚前に男ォ銜え込ンでるってぇ事実が露見すりゃあ侯爵側からすれば重大な裏切りだ」

 

「そうですね。だからクアルソ嬢は逆に、代替わりをして間がなく体制を整いきれていない侯爵家の悪評を流し婚約自体をご破産にしようとした」

 

 しかし、シヤンさんは人差し指をメトロノームのように左右に振った。

 

「副ギルド長、まだ話には続きがあるんでさ」

 

 ギルド長の方も、焦るなと苦笑していた。

 

「いいか、クーア君。事が露見して困るのはあの嬢チャンだけじゃねぇ。一番困るのは貴族のご令嬢とデキてる野郎の方だろうさ」

 

 なるほど、確かにそうだ。

 主家の娘と懇ろとなった召使いの末路なんて想像するのも恐ろしい。

 

「では、ボースハフト侯爵が若い娘に鞭を打つなんて噂を流したのも、クアルソ嬢を守ろうとしたのではなくて、自分の保身の為って事ですか?」

 

「それでも動機としては弱いな。貴族の悪い噂を立てるなンざそれこそ命懸けだ。もし、見つかれば只じゃ済まねぇ。それに結婚の事がなくても、娘と召使いがデキてるってぇ事実はいつまでも隠し通せる訳がねぇだろ」

 

 それこそ見つかれば只じゃ済まない。

 事実を隠す為に命懸けで大掛かりな噂を流すなんて間尺が合わないにも程があるだろう。

 ならば、さっさと逐電してしまった方が安全で手っ取り早い。

 

「元々、ピアージュって野郎はひとところに落ち着かない渡りの奉公人でね。あちこちの大店や貴族の家で女に手をつけていたろくでなしでやして、とうとう行き場を無くして叔父のビトレールの元へ転がり込む格好で件の伯爵家へ奉公に来たって訳でさ」

 

「ビトレール……どこかで……あ! ひょっとしてクアルソ嬢と一緒に来ていた?」

 

「そうだ。あの執事長の爺さんの名前が確かそうだったはずだな」

 

 そこでシヤンさんがずいと前に乗り出して僕らと額を突き合わせる格好となった。

 

「ここからが話の面白くなるところでさ。良いですかい? その執事長の爺さん、実は伯爵家からすりゃ本家の人間、しかも跡取りだったってぇ御仁でやしてね。昔は羽振りが良かったそうでやすが、爺さんの親父の代で落ちぶれちまったそうで……そこを分家に拾われる形で伯爵家に仕えるようになったそうでやすよ」

 

 その話が本当だとしたら俄然事情が変わってくる。

 元は大身の貴族の跡取りだった人が、家が没落したとはいえ分家の執事をさせられている事実は相当な屈辱であろうと容易に想像できる。

 

「まさかクアルソ嬢を甥のピアージュに襲わせて虜にしようと? ピアージュも元は本家筋の人間。それでゆくゆくは二人を結ばせて伯爵家を乗っ取ろうと画策した?」

 

「可能性の一つに過ぎないけどな。現時点で一番怪しいのはあの爺さんだしよ」

 

 ここで話を一旦整理しよう。

 まず困窮に喘いでいた伯爵家はボースハフト家から一人娘のクアルソ嬢を嫁がせる代わりに資金援助を受ける約束を取り付けていた。

 当然、伯爵家に跡取りがいなくなるが、そこは親戚筋から養子を迎える事で問題は無いそうだ。

 そこでビトレールは一計を案じたのではないだろうか?

 甥のピアージュにクアルソ嬢を征服させ、どこにも嫁ぐ事を出来なくし、それに並行して侯爵家の悪い噂を流して伯爵に婚約の破棄を迫る。

 その上で本家の血を引くピアージュを婿に推し、いずれは伯爵家を乗っ取ろうと画策しているのだとしたら?

 頭の中で纏まった推理を披露しようとした時、つまらなそうに僕を見るギルド長に気がついた。

 

「クーア君、名探偵よろしく推理するのは構わねぇが、全ては状況証拠なンだぜ。あの爺さんが一番怪しいのは確かだがな」

 

 ギルド長は紙巻きに火を着けて紫煙をくゆらせる。

全てを見透かすような闇色の瞳に射竦められて僕の推理は脳裏から霧散していった。

 

「実を云うとな。ポブレ=ビェードニクル伯爵本人も相当敵が多い人物なンだよ」

 

「敵が多いって、私生活は貧しいんでしょ? 三食どころか朝晩一菜一汁だけの生活で、服装もかろうじて貴族の体裁を保つのがやっとって有様だと聞いてますよ。その癖、知行地の税金は安くて治安も良いから、この聖都スチューデリアの中でも『もっとも住みたい地域ベスト5』に毎年ランクインしてるそうじゃないですか。そんな伯爵を誰が疎ましく思ってると云うんです?」

 

 するとギルド長は窓の外を指差す。

 その指が示す先の奥の奥に我が国が誇る神聖なる白亜の宮殿を望む事ができた。

 スチューデリア城である。

 

「ま、まさか?」

 

「そうだ。他ならぬ聖帝陛下サマサマよぅ。それに庶民の間じゃぁあまり有名になってねぇがな、ビェードニクル伯爵は聖都六華仙の一人よ。大公や公爵クラスを差し置いて栄えある称号を戴いているンだ。周囲の嫉妬は半端じゃないぜぇ?」

 

「聖都六華仙? 何でまた?」

 

 ここで聖都六華仙について掻い摘んだ説明をさせて欲しい。

 この称号は我が国の中でも最も国に貢献した名士六名に与えられる最大級の名誉の一つであり、アポイントメント無しで王宮への立ち入りを許される他、病院や乗合馬車などの公共施設が国の負担で利用し放題だし、申請すれば年間最大国庫の1パーセントまで無担保で融資を受けられるなど無茶苦茶な特権を持つ者達である。

 過去数十年に渡って他国からの侵攻や蛮族の襲撃から聖都スチューデリアを護り抜いてきた大将軍閣下や国教である星神教の中でも最高位にある大僧正なら話は違ってくるけど、はっきり云って庶民よりも慎ましい生活を送っている伯爵がどうして六華仙に選ばれたのか不思議でならない。

 

「ポブレのおっさんはな、我が国の犯罪発生率及び前科モンの再犯率の抑制と国庫を潤わせた功績を認められて聖都六華仙の称号を与えられたンだ」

 

「どういう事です?」

 

 何気にとんでもない実績を残していた伯爵に畏敬の念を覚えつつ先を促した。

 

「あのお人はねぇ、副ギルド長、あっしら半端者に取っちゃあ足向けて眠れねぇってぇ大恩人なんでさ。あっしがこうしてパスタ屋で評判を得ているのも伯爵様の御陰でやしてね。その恩に少しでも報いたくて裏に回っちゃあギルドの密偵として働いているんで御座んすよ」

 

 まず先に答えたのはシヤンさんだった。

 

「ポブレの旦那は若ェ頃からずっとお心を痛めていた事があった。何故人は罪を犯すのだろうってね」

 

 ビェードニクル伯爵は幼い頃、旅行中に盗賊団に襲われて金品だけでなく優しかった母親と頼もしく思っていった兄達を失ったそうだ。

 咄嗟に母君が彼を馬車の下に隠したので命だけは奪われずに済んだけど、その過去は彼の心に暗い影を落とすのに十分だった。

 盗賊への憎悪を募らせながら成長していった彼はやがて立派な騎士となったが、それは盗賊を見れば悉く虐殺をし、嗤いながら返り血を浴びる悪鬼のような姿であったと云う。

 そんな若き残忍な騎士ポブレにつけられた渾名は『深紅の甲冑』だった。由来は云うまでもないだろう。

 そんな盗賊を殺戮する狂気の騎士に一つの出会いが待ち受けていた。

 とある日、まるで息をするように盗賊を斬り殺した彼は、その屍体に縋り付いて泣く少女に気がついた。

 問えばその盗賊は少女の父親であると云う。

 父さんは人を殺した事はない。お腹を空かせた自分に食事を与える為にやむなく食料を盗んだだけ、と訴える少女にかつての幼かった自身を重ねてしまった騎士は動揺した。

 自分がやってきた事は正と邪のベクトルが違うだけで母や兄達を殺した盗賊と同じ事なのではないか、私は自分と同じ境遇の子供を知らずに多く作ってきたのではないか、と思い悩む日々が続いたそうな。

 思い余った青年ポブレは罪を犯す者達の境遇を徹底的に調べ上げた。

 その結果、罪人の大半が貧しさ故に盗みを働き、そこから坂道を転げ落ちるが如く道を踏み外していった者達なのだと知ったそうだ。

 

「伯爵はな、クーア君、最初は貧困に喘ぐ連中に施しをしていたそうだが、それでも盗みをする奴はいるし、何より働く意欲が無い事に気づいたンだよ」

 

 それはそうだろう。

 盗みを覚えた者は味を占めて盗みを繰り返すようになるし、そもそも仕事が無くては働きようがない。働かなくてはご飯が食べられない。そして飢えに耐えかねて人様の物に手をつける。

 その負のスパイラルが人を堕落せしめるのだ。

 

「そこでポブレのおっさんは閃いた。仕事が無けりゃ与えてやれば良い。働く為に必要な技能を持って無けりゃ教えてやれば良いってな」

 

 若きポブレは、先代が亡くなって家を継ぐなり罪の軽い者や宿を持たぬ者達を集め、私財を投入して職業訓練施設を設立した。

 後の世で云う人足寄場である。

 

「そうか、今や聖都スチューデリア各地に広まり、世界各国からも見学が絶えない人足寄場の前身はビェードニクル伯爵によって創られていたんですね」

 

「勿論、初めっから上手くいってた訳じゃねぇ。怠け癖が染みついた奴らや世を拗ねた野郎どもが脱走騒ぎを起こしたり、教官役の職人達と諍いを起こしたりと問題だらけでよ。周囲からは、それ見た事かと冷笑を買っていたそうだぜ」

 

 それでも諦める事なく無宿の者達を集めて指導を続けていた伯爵は、罪人達の中にも神に祈る姿があったのを認めた。

 

「罪人にこそ縋るものが必要なのだ。私は愚かだ。罪人もまた人なり。人ならば心があるのは当然ではないか。つまり教えるものは技能だけでは不十分……真に必要なのは心の教育であったのだ」

 

 天啓を得たポブレ青年は道徳もカリキュラムに組み込み始めたと云う。

 やがて彼の行動は大将軍閣下や大僧正の知るところとなり、彼の考えに賛同した二人は協力を申し出て、カリキュラムの一環として護身術を中心とした武術指南、宗教学、時には演劇や朗読劇を通して人の道を説いていった。

 やがて施設の運営は軌道に乗り、高い技能と生まれ変わった精神を得た無宿の者達が何十人、何百人と巣立っていき、我が国の発展に貢献していく。

 それは技術の面だけではない。高いレベルの技術と知識を持つ彼らは安定した収入を得られるようになり、結果として多額の税が聖都スチューデリアへ納められて国庫は瞬く間に潤っていった。

 民を栄えさせる事こそが国を栄えさせる近道なのだと結論づけた伯爵は、更に私財を擲って孤児院を建造し、戦災孤児や貧困ゆえに捨てられた子供達を集めて教育を施すようになる。

 

「子供こそが国の宝である。未来を担う彼らが真っ直ぐに育てば百年先の安泰は確約されたも同然であろう……なンて格好つけてやがるが、餓鬼どもを腹ァいっぱい食わす為にテメェは一菜一汁で満足してンだからな。ま、貴族としては変人の部類に入ンだろうよ」

 

「あっしもねぇ、元は盗人でやしたが、ポブレの旦那が自ら組織した自警団にとっつかまって人足寄場にぶち込まれたクチでやしてね。そこで料理の楽しさを教わって今に至るって訳でさ」

 

 照れ臭そうに頭を掻くシヤンさんは心の底から感謝しているのだろう。

 だからこそ盗賊時代に培った技術を持ってギルドの密偵としても働いているんだね。

 余談だけど、騎士ポブレの人生観を変える切っ掛けとなった少女こそが今の伯爵婦人であるそうな。

 

「その後、大将軍と大僧正の爺さんの推挙を受けて聖都六華仙の一人になったンだが、それを最後まで渋ったのが他ならねぇ聖帝サマよ」

 

「それは何故です?」

 

 ギルド長は鼻を鳴らすと盛大に煙を吐き出してから続けた。

 

「聖帝ってなぁ云ってみれば国全体の親父みてぇなモンだ。国父ってヤツだな。でもよ、この国、特にビェードニクル領の民や人足寄場の出身者からすりゃ親父と呼ぶべきは伯爵様って訳よ。現実には親父様、親父様と民衆から慕われるのが自分じゃなくて高が伯爵風情なモンだから聖都スチューデリアの父を自称する聖帝サマにしてみりゃあクソ面白くもねぇって事さね」

 

 そんな子供みたいな理由で?

 いや、確かに僕が宮廷治療術師として仕えていた頃も気難しい所があった。

若い頃から浅慮で気が短く、放蕩に明け暮れ、もしも国防の要たる大将軍閣下が居なかったら聖都スチューデリアは今頃どこぞの国の属国になっているか、滅ぼされていただろうと云われている。

けど、いくらなんでもねぇ。

 

「元々餓鬼がそのまンま大人になったような野郎だったけどよ。今じゃ年寄り特有の子供帰りも加わって癇癪が凄いらしいぜ」

 

 さっさと代替わりしやがれ、と忌々しげに呟くギルド長を咎める気にすらならなかった。

 若い頃は確かに短慮で無頼を気取っていたけど、それでも義侠心も持ち合わせており、身内は勿論の事、かつて敵対していても、味方に降れば有能な者は手厚く遇する度量もあったはずなんだけどね。

 

「ついでに云えばビェードニクル領には上質の銀が採れる銀山があるし、水が良いのか土が豊かなのか作物が実りやすいってぇ云われている」

 

「酪農も盛んでやすし、何より腕の良い職人、農夫、漁師がわんさかいるときたもんだ。帝室の直轄領となればかなりの旨みが見込めやすね」

 

 凄惨な笑みを浮かべるギルド長とシヤンさんに僕は思わず身を引いた。

 

「それにね。あっしの密偵仲間からの情報でやすが、ピアージュの野郎、頻繁に城下町を囲う城壁の裏手にある下水道に入っていく姿が見られるそうでやすぜ」

 

「宮仕えしていたクーア君ならそれがどういう意味か分かるだろ?」

 

 信じたくなかったけど、これはもう決まりかも知れない。

 裏手の下水道とは、宮殿から通じる秘密の脱出路と合流する場所なんだ。

 

「やっぱり……ピアージュの背後にいるのは……?」

 

 ギルド長はまだ火が消えていない紙巻きを握り潰す。

 嫌な音を立て、指の間から煙を立てるその人の顔は……凶相だった。

 彫りが深く眉目秀麗と云える面相が妖しげに笑みを形作る様のなんと凶悪な事よ。

 いつもの怒りを押し殺す無理矢理作った笑顔とは違う。

 僕は生まれて初めて微笑みの表情を恐ろしいと思った。

 

「そうだ。今回の絵を描いたのはパテール=アフトクラトル=スチューデリア……即ち我らが聖帝陛下その人よ」

 

 ああ、この人は心底怒っている。

 ギルド長の笑顔の裏に隠された怒りを感じずにはおれなかった。

 

 後日、僕はギルド長から密命を受けてビェードニクル伯爵領へ赴く事になる。

 そこで伯爵の為人(ひととなり)を知った僕は彼の力になってやろうと決意する。

 果たして伯爵の口から語られたものは何なのか。

 それは次回の講釈にて。




 お見合い騒動の裏に隠された陰謀が推理によって暴かれました。
 結構、ガバがありますが、これが私の精一杯です(汗)
 次回、ポブレ伯爵とクーアが出会います。
 伯爵のモデルは鬼平犯科帳の長谷川平蔵と剣客商売の秋山小兵衛のミックスです。
 人足寄場などは長谷川平蔵のアイデアですし、昔は悪の道にいながら立ち直って、世のため人のために尽くすのもそこからきています。
 いつか、ポブレ伯爵を主人公にした小説を書いてみたいですね。
 普段は好々爺してて大人にも子供にも慕われている優しいお爺ちゃんなんだけど、いざという時は無類の強さを誇る剣の達人という感じで。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 お見合い当日を迎えて

 さて、いよいよクアルソ嬢のお見合い当日となった。

 僕はギルド長から密命を受けてビェードニクル伯爵領へと赴いていた。

 正直、この問題は冒険者ギルドが関与すべきものではないと思わなくもないけど、このまま捨て置いて聖帝陛下の思惑通りに事が進んでは面白くないのもまた事実だった。

 伯爵邸の門を護る騎士に、懇意にしている貴族に頼んで書いて貰った紹介状を手渡し伯爵との面会を求め、待つことしばし……

 

「いやぁ、クーア殿、よう来られたな。ささ、遠慮のう上がるが良い」

 

 まさかビェードニクル伯爵御自らに出迎えられるとは予想だにしていなかったものだから若干腰が引けてしまったとしても仕方が無いよね。

 にこやかに僕を迎えてくれた初老の男性は若い頃から騎士として鍛えられていたということもあって矍鑠としており、顔に刻まれた皺が無ければ彼の年齢は推し量れなかっただろう。

 台所が火の車だという噂だけど、目の前にいる老人の肌は血色が良く、着ている服も素材は一級品であると一目で知れた。想像していたより生活は苦しくないのかも知れない。

 更に云えば、領内は豊かで平和そのものだ。

 伯爵のお屋敷に来るまでざっと見てきたけど、まず道がきちんと整備されていて伯爵領に入った途端に馬車の揺れが小さくなったのには素直に驚いた。

 災害の備えも万全であり、川に沿って建造された大堤防は多少の嵐ではビクともしないだろうと素人目にもよく分かる。また堤防に沿って多くの桜が植えられており、春には花見で大いに賑わうのだそうだ。

 

「これがビェードニクル領名物の大堤防、名付けてポブレ大堤防でさ。土地(ところ)のモンは親しみを込めて親父堤(おやじつつみ)と呼んでまさぁ」

 

 大堤防を自慢げに紹介する馬車の馭者の表情を見れば、領民が心底ビェードニクル伯爵を慕っているのだと察することができた。

 他にも聖都スチューデリアの中にあって領民の識字率が高い事でも有名だそうで、理由を問えば、簡単な読み書きや算術を教える施設が無料で開放されているらしい。

 勿論、高度な専門知識を教える高等学校、大学は安くない授業料を取るが、農夫や職人の子からすれば生活に必要な読み書きを只で教えてくれるだけで十分ありがたいそうな。

 つまり、この土地に住む者は皆不自由ない幸福な生活を送っているのだと云えよう。

 

「生憎、今日は娘の見合いがあってな。あまり時間を取れぬが容赦してくれ」

 

 僕の前を歩く伯爵からは一分の隙も見出せない。

 冒険者ギルドの幹部として、数多くの冒険者、武芸者を見てきたけど、その誰もが目の前の老人には勝てないだろうなぁという予感があった。

 いや、下手をすればスチューデリア正規軍の精鋭さえも後れを取るかも知れない。

 

「しかし、流石は冒険者ギルドの副ギルド長よ。一見すれば華奢な魔法遣いのようだが、儂の剣ではそなたを討つことは敵うまい」

 

買い被りすぎです、と返そうとするよりも伯爵の唇の方が早かった。

 

「流石は宮廷で最高の治療術師にして、陛下の御正室、即ち聖后陛下の相談役を務められただけはある」

 

 この人は僕の素性を知っているのか?

 いやいや、聖都六華仙の一人に選ばれるだけの傑物だ。それくらいの情報網を持っていても不思議ではないか。

 するとビェードニクル伯爵はニヤリと笑って手招きをした。

 

「大きな声では云えぬがな。沢山の目と耳が儂を退屈させてくれんのじゃよ」

 

 子供のような笑みを浮かべて耳打ちする伯爵に、僕は合点がいった。

 人足寄場を卒業した職人達の中には、冒険者ギルドだけではなく伯爵の為にも働く密偵が数多くいるのだろう。

 否、むしろ冒険者ギルドが伯爵の密偵を借りているようなものに違いない。

 

「しかしなぁ……」

 

 伯爵は一変、悔いるような表情となって溜息をついた。

 

「儂も浅慮をしたものじゃわい。クアルソには可哀想なことをした……儂があの娘を養女にせなんだらピアージュの毒牙にかからずに済んだやも知れぬ」

 

「養女ですか?」

 

 貴族相手に少々不躾な言葉だったけど、幸い伯爵に気を悪くした様子はなかった。

 

「ああ、儂と女房殿は子宝に恵まれなんだわ。妻が四十を過ぎて、とうとう子供を諦めた儂は親類から……いや、クーア殿はもう知っていよう。執事長ビトレールの娘、即ち本家から養女を貰い受けたのじゃよ」

 

 やはりギルド長の指摘通りビトレールは黒幕じゃなかったようだ。

 黙っていれば自分は次期当主、いや、今回は侯爵家の舅になる訳だから、態々危ない橋を渡ってお家乗っ取りを企む必要は無かったのだからね。

 

「……クーア殿、これは年寄りの独り言じゃ……」

 

「はい……」

 

「父親というのは子供の首根っこを押さえてでも云う事を聞かせたいらしい。しかも子供はそんな父親の言に服従し、泣き寝入りして当然だと思うておるようじゃ」

 

 この場合、子供は貴族を含めた民衆を指し、父親は……

 

「親父も年を取り過ぎると耄碌するようじゃな。娘を征服して脅せば、へへぇ、畏まって候、とひれ伏すに違いないと高を括っておる」

 

 伯爵は嗤っていた。

 そう、あの夜、ギルド長が見せた、怒りを内に秘める笑顔とそっくりだった。

 

「へっ、そんな手に乗ってやるものかよ。子供とて折檻が過ぎれば親に反目しようと云うものじゃ。ましてや理不尽な虐待に対しては、の」

 

 ああ、僕は悟ってしまった。

 ビェードニクル伯爵も聖帝陛下の企みを叩き潰すつもりに違いない。

 もし、これが自らの財産を守りたいが為であったなら、僕も勝手にしてくれ、と背を向けていただろう。

 しかし、伯爵はそんなものの為に怒っているのではない。国のトップに立つ人間のくだらない嫉妬や欲のせいで民衆が苦しむ結果になると分かっているからこその怒りなんだ。

 だから僕は頷いてしまったのだろう。

 

「クーア殿、我が知行地に住まう子らの為に一肌脱いでくださらんか? 冒険者ギルドは副ギルド長に仕事を依頼したい」

 

 心から領民を想う心優しい真の貴族からの依頼に対して……

 これが僕の、冒険者ギルドの一員として初めての冒険の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がり。僕は街道を走る馬車の中で揺られていた。

 伯爵が自ら捕まえたという鴨の料理を頂いた後、ボースハフト侯爵領へ向かう馬車に便乗させて貰ったのだ。

 しかし、お昼に食べた鴨のローストは美味しかったなぁ。

 伯爵が私財の殆どを人足寄場や孤児院に寄贈しているのは事実だったけど、豊かな自然のお陰で家族が食べる分だけは自給自足ができているんだってさ。

 ただ、貴族が田螺のソイペーストスープを美味しそうに飲んで、下手な貝を食べさせられるよりこっちの方が断然良いね、と宣う姿を見るにつけ、やっぱり変わり者なんだな、と実感した。

 

「あ、あの……貴方は確か冒険者ギルドの方でしたわね? 何故、貴方がこの馬車に?」

 

「ええ、これからボースハフト侯爵領に用事があると申したところ、ならば楽をさせてあげよう、と伯爵様からご厚意を受けましてね」

 

「父上……仮にも娘がお見合いへ赴く馬車に同乗させますか……」

 

 只でさえ顔色が優れないクアルソ嬢は、更に肩を落として項垂れてしまった。

 それを尻目に平然と小説を読む僕は相当ギルド長に毒されてきているんだろうね。

 けど、これも作戦の内。

 可哀想だけどクアルソ嬢の不安を拭ってあげる訳にはいかない。

 けどね、言葉にできないけど僕達は貴女の味方だよ。

 僕は、自らクアルソ嬢のお供を志願して同じ馬車に乗り込んでいるピアージュを視界の端で観察する。

 確かに目鼻立ちは端整だし、手入れが行き届いた銀髪に紅い瞳は神秘的で男に免疫がない女の子では容易く陥落してしまうだろうと察せられた。

 しかし、その顔に張り付いた笑みはいかにも軽薄そうであり、少々人間観察ができる人間ならば、まず好意より先に嫌悪感を覚える。そんな印象を受ける若者だった。

 ま、今まで手をつけておいて捨ててきた女性達の怨念がわんさか取り憑いているのが『視』えるから、そう遠くない未来に破滅が訪れるのは間違いないだろうね。

 例えば今日とかね。

 楽しみにしていなよ? 聖帝陛下の陰謀と一緒に君も叩き潰してあげるから。

 僕は馭者の、ボースハフト侯爵家の邸が見えてきた、という言葉を聞くまで何食わぬ顔で小説を堪能するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お目にかかれて光栄です。私がボースハフト家十五代目当主、エーアリッヒ=ボースハフトで御座います」

 

「わ、私も今日という日が訪れる事を一日千秋の想いでおりましたわ。クアルソ=ビェードニクルで御座います」

 

 いつ聞いても貴族同士の挨拶は回りくどいと思う。

 御機嫌麗しゅうの、お互いの家の功績を称え合うの、宮廷治療術師をやっていた頃、散々聞かされた言葉をまたこうして耳にするなんてね。

 ただ、お互い緊張しているのか、舞い上がっているのか、全く無関係の僕がこの挨拶の場にいることを誰も指摘しない事に込み上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。

 

「貴女のお噂はかねがね。幼い頃から孤児院の子供達と共に勉学に励み、知恵のみならず領民を慈しむ心も育まれていたとか。その聡明さとお心の清らかさが元より麗しい(かんばせ)に更なる美を与えていると聞かされておりました。今日、貴女の姿を一目見て、噂が本当であったと……否、噂以上に美しいと思いました」

 

 本当に十一歳かと疑いたくなるような美辞麗句を並べるボースハフト侯爵だけど、表情を見ればその言葉が台本に書かれたものではなく、本人が感じたままの言葉であることが分かる。

 身長こそクアルソ嬢の胸よりも低いけど、まだ幼さを残しつつも精悍な顔立ちと堂々とした立ち振る舞いは既に一国一城の主たる覚悟があるように窺えた。

 大海原を連想させる紺碧の髪に象徴されるように懐が広い人物だとビェードニクル伯爵から前情報を貰った時は、大袈裟な、と感じたものだけど、こうして見るとあながち伯爵の批評眼も馬鹿に出来ないなと思う。

 彼の言動を見るにつけ、他の男と婚前交渉をしたクアルソ嬢も受け入れてくれるに違いないと根拠も無く予感した。

 ふと厭な気配を感じて横に目線を向けると、ピアージュが嫌らしい笑いを浮かべてボースハフト侯爵を見ている。恐らく既に自分に純潔を奪われたクアルソ嬢を清らかだと褒める侯爵を馬鹿にしているに違いない。

 くだらない。生娘でなければ穢れているというのなら、世の母親はみんな不浄ってことになるじゃないか。

 さて、肝心のクアルソ嬢だけど、初めこそはボースハフト侯爵への罪悪感と例の異常性癖の噂からか死人のような顔色をしていたけど、侯爵の優しい言葉にほだされたようで、徐々にだけど笑顔を浮かべるようになっていった。

 やがて二人は会話に夢中になっていき、周囲の者達は気を利かせて最低限の世話係を残して退室していく。

 当然、僕とピアージュも出て行くのだけど、その際、横目で見たピアージュの愉悦に満ちた顔に云いようのない嫌悪感が湧き上がった。

 どうやらこの男は、二人が完全に惹かれ合った瞬間に全てを台無しにしようと目論んでいるようだ。

 その証拠として侯爵の言葉に一喜一憂しているクアルソ嬢の様子を見るたび、嬉しそうに拳を握りしめていたからね。

 別室に案内された僕達はボースハフト侯爵の御正室とお茶を楽しんでいた。

 美人でお淑やかそうなステレオタイプの貴婦人だけど、既に三十路を過ぎているそうな。

 と云っても政略結婚ならそのくらいの歳の差は珍しくもないので驚くに値しない。

 むしろボースハフト家に嫁ぐ三十歳まで処女(おとめ)であった事実に吃驚だよ。

 失礼な話だけど、一度結婚して出戻りしていたのだろうと思っていたからね。

 

「病弱ゆえにこの歳まで嫁き遅れてしまいましたわ。けど、エーアリッヒ様はこんなおばさんでも厭な顔をせずに貰ってくれて、本当に嬉しかった」

 

 その表情はまるで恋する乙女のように可憐でさえあった。

 

「クアルソさんは私より若くて美人さんだからきっとエーアリッヒ様とお似合いの夫婦になるでしょうね。脆弱な私は子供を産めるか自信が無いけど、あのお二人には沢山の子供に囲まれる素敵な家庭を築いて欲しいわ」

 

 少し寂しげに微笑む御正室、ルフト様を見て思わず唇が動きかけたが、何とか自重する事ができた。

 無責任に、貴女も侯爵家の一員ですよ、と云ったところで余計に傷つけるだけだろう。

 

「それはそうと、お連れの方はどちらに?」

 

 ルフト様の言葉に僕はいよいよ動いたかと腰を上げた。

 窓から中庭を見れば、仲睦まじくお喋りしている侯爵とクアルソ嬢の姿があった。

 そして案の定、二人に近づいていくピアージュも確認できた。

 僕は心の内で『作戦開始』と呟くと、ルフト様に断りを入れて中庭へと向う。

 

 さて、どうしてくれようか。

 背負っている怨念からして碌な死に方はしないだろうけど、やはり捕らえておいた方が良いだろうね。

 ただこれだけの陰謀だ。どこかに聖帝お抱えの間者がいるに違いない。

 現に纏わり付くような視線を感じるしね。

 僕の行動、間者の動き、或いはピアージュの言動次第によっては状況は変わっていく事だろう。

 ならば覚悟を決めるしかないかもね、命の遣り取りのね。

 この後、どうなるか。それはまた次回の講釈にて。




 次回はいよいよピアージュとの対決となります。
 計画自体はお粗末なのですが、後ろ盾が国家元首なのでかなり厄介です。
 それにクーアも感付いているように間者もしっかりと配置しているのも厄介ですね。
 果たしてクーアは彼らの身勝手な計画を阻止する事が出来るでしょうか?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 お見合い騒動の始末

 中庭に辿り着くと、顔を青ざめさせて地面に座り込むクアルソ嬢と、そんな彼女を庇うように前に進み出ているボースハフト侯爵、そして狂ったように哄笑をあげるピアージュという混沌とした状況が出来上がっていた。

 恐らく、既にピアージュがクアルソ嬢との関係を暴露した後なのだろう。

 

「ヒャハハハハハハハ! 聞こえなかったのでしたら何度でもお耳に入れて差し上げましょう! 私とそこにいるクアルソは男女の仲なのですよ。そこにいる女は結婚をしていない身でありながら男と閨を共にする淫売ですぞ。つまり、貴方を裏切った穢れた女です!」

 

 よくもまあ、笑いながら噛まずに長々と喋れたものだと感心する。

 クアルソ嬢に至っては絶望の表情を浮かべて、イヤイヤと譫言のように繰り返していた。

 

「如何です? 貴方も既に処女ではない娘を娶るのは嫌でしょう? ならば黙ってこの婚約を解消するのが宜しい! クアルソは私が責任を持って妻にします故」

 

 良い度胸だよね。普通、召使いの分際で貴族をここまで愚弄したら問答無用で首を刎ねられても文句は云えないよ。

 恐らく背後に聖帝陛下がいるからこその尊大な態度なんだろうね。

 あーあ……背後の怨念もピアージュを呪い殺さんばかりに猛り狂っているし。

 

「ああ、申し訳ありません。エーアリッヒ様……その男の云う通り私は穢れた女なのです。騙すつもりはなくとも、本当のことが云えず今日の日まで貴方様を裏切り続けていた非道い女なので御座います!」

 

 さめざめと啼きながら血を吐くように言葉を紡ぐクアルソ嬢に罪悪感を覚えるけど、今の僕にはどうしようもなかった。

 

「エーアリッヒ様! この上は私を討って下さいまし! この身を穢され、貴方を裏切った私をどうぞ貴方様の手で! せめてもの情けにエーアリッヒ様の剣で果てとう御座います!」

 

「ヒーッヒッヒッヒッ! 侯爵様のお手を煩わせるまでもありません! クアルソは私めが貰って差し上げますぞ!」

 

 死を懇願するクアルソ嬢とゲス丸出しのピアージュの声が交互に耳朶を打つ中、ボースハフト侯爵が静かに口を開いた。

 

「クアルソ殿? 何故、貴女が死ななければならないのです? そして、そこの召使いよ。黙って聞いていれば、如何なる権利があって我が妻となる人を奪おうと云うのか?」

 

 決して恫喝している訳ではないのだけど、ピアージュは侯爵の言葉に短く悲鳴を漏らして押し黙った。

 

「体を穢されたと貴女は云う……しかし、その心は綺麗なままだ。それはこの数時間だけでも貴女と触れ合った私には十二分に理解できました。聡明で慈悲深い貴女が死なねばならないでしたら真っ先に死ぬ必要があるのは私の方です」

 

 これにはクアルソ嬢もピアージュも驚いたようだ。

 

「エーアリッヒ様? それは如何なる意味で?」

 

「二月前、父上が亡くなられて家督を継いだ際、私は父と懇意にしていた貴族、有識者達へ挨拶に赴いたのです。そんな折り、父上同様に取り立てるとおっしゃって下さったさる公爵のもとへ訪れた私は薬で眠らされ……実はその御方は少年愛の趣味をお持ちであったのだと後から聞かされました」

 

 予想だにしていなかった凄まじい告白に場は静寂に支配されていた。

 

「ね? 穢れていると云うのであれば、私も貴女と同じなのですよ。いえ、同性に犯された私の方が不浄と云えるでしょう。ですからクアルソ殿が気に病む必要はないのです」

 

「こ、こんな私でも貴方に嫁いでも宜しいのですか?」

 

 縋るように見詰めるクアルソ嬢に侯爵は優しく微笑み返した。

 

「クアルソ殿。“でも”ではありません。貴女“が”良いのです。むしろ私には勿体ないと思っているほどなのですよ」

 

 侯爵はクアルソ嬢の手を取ると、その甲に恭しくキスを落とす。

 

「ならば、いっそのこと新婚旅行も兼ねて巡礼の旅に出掛けましょう。敬虔な心で神殿を巡れば、慈悲深い神々はきっと私達の穢れを落として下さるはずです」

 

「ああ、素敵です。私もエーアリッヒ様との巡礼の旅に同道致したく思いますわ」

 

 自分そっちのけで二人の世界に入っていくクアルソ嬢とボースハフト侯爵にピアージュは呆然としていたけど、しばらくして我を取り戻したのか急に地団駄を踏み始めた。

 

「何だよ! 何なんだよ! 時間を掛けてクアルソを征服したのに、これじゃ計画は台無しじゃないか! 詐欺だ! こんな結果、認められるわけがあるか!」

 

 子供のように癇癪を起こして喚くピアージュだったけど、もう二人の視界の中にピアージュの姿は映っていないようだ。

 

「チキショウ! 分家に良いように遣われる屈辱から抜け出すチャンスだったのに! 宝の山であるビェードニクル領をあの御方に献上すれば俺は公爵の地位を貰えるはずだったのにぃ!」

 

 余程悔しかったんだろうね。

 尋問するまでもなく自白してくれたお陰で、逮捕する口実ができたよ。

 と云うか、こんなザルな計画が成功すると思っていたのが逆に恐ろしい。

 

「俺の素晴らしい人生計画を無茶苦茶にしやがって! これでも喰らえ!」

 

 ピアージュが右の掌を二人に向けると、その先に大人の頭くらいの火球が現われた。炎系基本の攻撃魔法『プロミネンススフィア』だ。

 

「はい、そこまで!」

 

 貴族に攻撃魔法を放とうとしている乱心者……証拠も何もあったものじゃないね。

 僕は突風を起こす魔法『ゲイルミサイル』でピアージュの火球を霧散させた。

 その煽りを受けてピアージュが吹っ飛ぶけど気にしない。

 

「横から悪いね。けど、ちょっとばかりオイタが過ぎたみたいだ。捨て置く訳にもいかないし、大人しく捕まってくれるかな?」

 

 無様に倒れているピアージュにそう告げると、彼は勢いよく起き上がって捲し立てた。

 

「ぶ、無礼者! 俺を誰だと思っていやがる! 俺は! 俺は!」

 

「君が何処の誰って、只の召使いじゃないのさ。昔、君の一族は確かに貴族だったろうけど、今は零落れて貴族の身分さえも売り払った一庶民に過ぎないよ」

 

 僕の挑発にピアージュは顔を真っ赤にさせて駄々っ子のように腕を振り回した。

 

「黙れ! 黙れ! 俺は止ん事無き御方の密命を受けた特使であるぞ! 妄りに事を構えれば後悔することになるぞ!」

 

「その止ん事無き御方って誰さ?」

 

「貴様如きが知るのは畏れ多いわ!」

 

 もうお仕舞いだね。

 ピアージュを捕らえて取り調べを受ければ、毒牙にかかったクアルソ嬢を始め、今までの犠牲者達とその家族にも累が及ぶのは想像に難くない。

 この手のタイプは一人でも多くの道連れを作ろうと、取り調べの場で嬉々として毒牙にかけた女性達の名を並べ立てるのが相場だ。

 それだったら……

 

「侯爵。危険ですからクアルソ嬢を守って後ろへ下がっていて下さい。それと少々庭先を汚しますけど、ご容赦願いますね?」

 

 僕が前に出ると、ピアージュは小馬鹿にしたように嗤った。

 

「幽霊みたいにふわふわしやがって! さっきは不意を突かれて不覚を取ったが、今度は油断しないぜ! その女みたいな可愛い顔を苦痛と恐怖でぐちゃぐちゃにしてやる!」

 

 ふわふわって言葉から分かる通り、僕はゆったりとした真っ白なローブで体をすっぽりと足の先まで覆い隠し、『浮遊』の魔法で中空を漂うように移動している。確かに端から見れば幽霊に見えなくもないだろうね。

 その理由はいつか語る時が来るかも知れないけど、今はピアージュに集中させて欲しい。

 

「まずはテメェから血祭りだ! 『プロミネンススフィア』!」

 

 ひい、ふう、みい……へぇ、一度に十五個も制御できるなんて、炎系魔法の資質はそれなりにあるようだね。

 

「けど、それが何?」

 

骨も残さぬと云わんばかりに殺到する火球が僕に命中して大爆発が起こった。

 

「クーア殿!」

 

「ああ、侯爵様、ご心配には及びません」

 

 爆炎が消え去った後、無傷で佇む、いや、浮遊する僕に侯爵達は目を丸くしていた。

 僕は戦闘時、常に風の結界『エアカーテン』で身を守っている。

 本来、この魔法は飛来する矢或いは下位の攻撃魔法の軌道を逸らして防御するものなんだけど、遣い方を究めればこの程度の火球を受け止めるくらいは訳も無い。命中のインパクトの瞬間だけ術式に込める魔力を爆発的に高めることで、名前の通りカーテンのように薄かった風の結界は瞬時にして分厚い突風の装甲となり、その防御力に加えて結界を膨張させることによって生じる反発力で火球を防いだって訳さ。

 

「う、嘘だろ……俺の『プロミネンススフィア』が……?」

 

 一方、ピアージュは悪夢を見ているような表情で僕を見詰めていた。

 余程、今の攻撃に自信があったらしいけど、あのくらいの数の制御って冒険者ランクBくらいの魔法使いになれば誰でもできるスキルなんだよね。

 

「今まで俺を恨みに思っていた奴らはみんなコレで返り討ちにしてきたのに……」

 

 成る程、道理で肩の上に『視』える怨念が凄まじいはずだよ。

 毒牙にかけてきた女性達の家族の中には、ピアージュを恨んで実際に襲った人もいたんだろう。それを返り討ちに遭って女性の無念を晴らせないどころか、自分達の怨念までピアージュに取り憑く訳だからね。

 よくもまあ、今まで無事に生き存えてこられたものだよ。

 けど、それももうお仕舞いだね。

 

「そろそろ諦めがついたかい? 何人殺したのかは見当がつかないけど、死罪を免れないのは確かだよ」

 

 僕の言葉にピアージュは憎悪をのんだ顔で睨んできた。

 

「僕も仕事柄、死刑執行人の知己は結構いる。せめてもの慈悲だよ。大人しく捕まってくれるなら、罪人を嬲ることはせず一息に首を刎ねてくれる人を紹介してあげるから」

 

 尤も死ぬのは楽だろうけど、死後の魂は怨念によって蹂躙されるだろうし、冥府の裁きで地獄行きを命じられるのはほぼ間違いないけどね。

 

「う、五月蠅い! 俺の背後に誰が控えていると思っている! お、俺を捕らえればあの御方の怒りを買うのは必定だ!」

 

 ああ、やっぱり処刑されると分かってて大人しく捕まるような性根の持ち主じゃ無いよね。うん、分かってた。

 

「あまり後ろ盾になってる人の事を軽々しく口にしない方が良いよ? この場を見ているその止ん事無き御方の間者に暗殺されても知らないから」

 

「馬鹿を云え! あの御方は俺が必要と云ってくれたんだ。俺の美しい顔が計画に必須だと! この任務が成功すれば今までの罪も帳消しにもしてくれるって! だから俺が処刑されるのも暗殺されるのだって有り得ないんだよ!」

 

 なんだか可哀想に思えてきたな。

 ここまで自己保身しか考えられないピアージュという青年にやるせなくなってくる。

 ほら、さっきから僕達を覗き見してる奴から濃厚な殺気が溢れてきたよ。

 君は利用されているだけ……きっと、あの言葉を口にした瞬間、君は……

 

「ピアージュ、そろそろ本当に口を閉じた方が良いよ。実を云えば君の背後にいるのが誰なのかというのは僕も知っている。昔の彼はそうじゃなかったけど、今の彼は君のことを替えのきく駒としか思ってない冷たい人間に成り下がっているようだ」

 

「そ、そんな訳あるか! あの御方は俺の実の父親なんだぞ! 昔、母上にお手をつけて生ませたのが俺だ! そうだ。俺の父親こそが聖て……ぐあっ!」

 

 突然、ピアージュが一本の巨大な火柱と化した。

 その火の勢いには手の施しようが無く、ピアージュは瞬く間に灰となって消えた。

 炎系上位攻撃魔法『フレイムピラー』か。

 当然の報いと云ってしまえばそれまでだけど、利用された挙句に殺される末路に憐憫の情が生じないほど僕は冷たいわけじゃない。

 

「冒険者ギルド・スチューデリア支部・副ギルド長に問う。今、死した愚か者に加護を与えられた御方の正体を知っているというのは本当か?」

 

 姿を見せたのは僕達が乗ってきた馬車の馭者だった。

 中肉中背でぱっと見て冴えない風貌のどこにでもいそうな男だけど、隠密として活動するには理想的な容姿であるだろう。

 

「そりゃ知っているよ。冒険者ギルドでも今回のお見合い騒動について色々と調べたからね。当然、ピアージュの背後にいるのがあの御方というのも、その企みも分かっていたよ」

 

 僕の言葉に馭者からの殺気がさらに大きくなった。

 

「はっきり云って、流石に僕も失望したよ。昔の彼は性格に問題はあっても陰謀を巡らせて人を傷つけたり他人の財産を狙ったりするような子じゃなかったからね」

 

 嫌悪を隠すことなく首を振る僕に、馭者は大きく前に出た。

 その両の拳が燃えるように炎を纏っている。

 

「あの御方を侮辱する発言は何人(なんぴと)であろうと許されん。貴様はただ口を封じるだけでは済まさぬ。その身に報いをくれてやる」

 

 馭者の背中で爆発が起こったと思った時には、炎に包まれた拳が『エアカーテン』ごと僕の腹を打ち抜いた。

 背後で炎の魔力を爆発させる事で突進力を得て、敵との間合いを一気に詰める技か。

 想像以上の遣い手である馭者に驚かされたけど、それは向こうとしても同じだったみたいだ。

 

「私の『ブーストナックル』を受けて生きているだと? 貴様、ローブの下に何を仕込んでいる?」

 

「残念だけど企業秘密さ。ま、伊達に副ギルド長の地位にいるわけじゃないってことだよ」

 

 なんて強がって見せたけど、予想以上のダメージに実はピンチだったりするんだよね。

 『エアカーテン』は無詠唱でまた張れるとしても、あの馭者のパンチには通用しないのは証明済みだ。

 インパクトの瞬間を捉えようにも速すぎて反応できなかった訳だし、何より魔法の補助抜きにしても全身のバネを使って打ち出された拳は正しくプロの格闘家の技だった。

 きっと小手先の防御技では簡単に抜かれてしまうだろう。

 状況はかなりマズいね。魔法使いが接近戦で戦士に勝てる道理がない。

 一応、護身術として小刀術を修めてはいるけど、そこらの盗賊ならまだしも彼相手に通用するとは思えないしなぁ。

 打開策は無いかと思案する間もなく、爆発音と共に馭者の拳が僕の顔面に迫っていた。

 

「腹が駄目なら顔面ならどうだ?」

 

 うん、正解。僕の胴体には少々秘密があるけど、顔は普通に攻撃が通るからね。

 だからこそ、骨が分厚い額で拳を受け止める『額受け』って防御技をある人物から伝授されてたりするんだよ。回避は難しくても、それくらいは僕にもできるからね。

 僕は額に魔力を集めて強化しながら馭者の拳を迎撃した。

 

「き、貴様! 味な真似をする!」

 

「『ゲイルミサイル』!」

 

 馭者が拳を痛めて怯んだ隙を逃さず魔力の突風を放ったけど、馭者は軽く横へステップすることで難なくかわす。

 

「ならば、これでどうだ! 『ブーストタックル』!」

 

 今度は馭者の体そのものが突っ込んできて、僕の胸に彼の左肩がもろに入る。

 拳ならともかく体当たりを受けては一溜まりも無く、僕は無様に吹っ飛ばされた。

 

「がはっ!」

 

 元々宙に浮いていたところに爆発でブーストされた体当たりを受けてしまった僕は、気が付けば遙か遠くへ飛ばされて倉庫らしきところへ突っ込んだ。

 けど堅い壁ではなく窓を突き破ったということは、まだ僕が勝負のツキに見放されていない証拠だろう。

 突入した際に破けたらしい麻袋から漏れた粉に塗れながらも何とか立ち上がった。

 

「ん? これは小麦粉?」

 

 うん、小麦粉だ。

 倉庫内に堆く積み上げられている小麦粉の袋を見上げて僕は思わずほくそ笑んだ。

 

「ツキに見放されるどころか、勝負の流れは僕にある! 後は馭者がここに入ってくれれば僕の勝ちだ」

 

 祈るまでもないだろうね。

 彼はプロのエージェントだ。僕の死を確認しないはずがなかった。

 

「生きているか、副ギルド長? 今、トドメを刺してやろう」

 

 来た! 案の定、馭者は僕を確実に始末するために倉庫に入ってきた。

 出来れば傷の治療をする時間が欲しかったけど、今の幸運を思えば贅沢な話だ。

 

「こっちだよ」

 

 僕はわざと所在を馭者に伝える。

 

「良い度胸だ。いや、礼を云わせてもらおうか。もう間もなく侯爵家の兵士が来る。隠れん坊などされては堪らぬからな」

 

「そうだね。僕もちょっとダメージが大きいからそろそろ決着をつけさせてもらうよ」

 

 僕は自分を中心に竜巻を起こした。

 

「敵を吹き飛ばせ! 『トルネードスピン』!」

 

 倉庫内を暴風が荒れ狂い、袋を破いて盛大に小麦粉を捲き散らかす。

 

「何のつもりだ? この程度、私には目眩ましにもならん!」

 

 かかった!

 僕の作戦通り馭者が拳に炎を纏わせ背中に魔力を集中させたのを確認した僕は、臍下丹田にありったけの魔力を集中させる。

 

「トドメだ! ブース……何?!」

 

 馭者が背中の炎を弾けさせようとする刹那、倉庫内が巨大な火炎に包まれる。

 僕は全力で『エアカーテン』を強化してこの大爆発に耐えた。

 

「ああ、吃驚した。想像を遙かに超えた爆発だったね」

 

 すっかり中が吹き飛ばされた倉庫内を見て、自分の作戦が如何に無茶だったのかと唖然としていた。

 馭者の姿は見えない。倉庫内に魔力の網を張り巡らせて索敵しても何も引っ掛からない事から、爆発の中心にいた彼は跡形も無く木っ端微塵になってしまったのではと推察する。

 

「大気中に可燃性の粉塵が一定の濃度で充満した状態で起こる粉塵爆発……文献で読んだことはあっても実際に試したのは初めてだったからなぁ……やっぱり机上で修めた知識だけじゃなくて実地でも試さないと危険だね」

 

 焼け焦げた倉庫から出ると、ボースハフト侯爵とクアルソ嬢が兵士を引き連れてやって来るのが見えた。

 

「庭先どころか貴重な小麦粉を蓄えた倉庫を破壊してしまいました。どのようなお咎めでも甘んじて受け入れます。しかし、これは僕個人の戦闘です。冒険者ギルドへは何卒寛大なご処置をお願い致したく……」

 

 跪いて赦しを乞う僕にボースハフト侯爵は(かぶり)を振った。

 

「許すことなど何もありません。貴方は私と我が花嫁となる人を侮辱し、我が屋敷で狼藉を働いた無礼者二人を討ってくださいました。それと同時にクアルソ殿のご実家を狙う理不尽な企みを防いでくれた恩人に仇を為すことなどあり得ませんよ」

 

「侯爵様の寛大なお心に感謝致します」

 

 一礼する僕に侯爵が近づいてきて小さく耳打ちをする。

 

「今回、冒険者ギルドには並々ならぬ恩を受けました。ギルド長のお知恵が無ければ、私は傷ついたクアルソ殿の心に踏み込むことすらできなかったでしょう」

 

 やはり公爵に犯されたというのはギルド長の入れ知恵だったのか。

 なるほど、道理でクアルソ嬢の心のケアをするなって厳命するはずだよ。

 同じ傷を持つ男性がいると分かればクアルソ嬢も心を開きやすいし、云い方は悪いけど心の傷が深いほどボースハフト侯爵へ心が傾くという訳か。

 

「それに貴方を罰すれば我がボースハフト家は非難の矢面に立たされることになるでしょう。恩を仇で返したという意味ではなくてね」

 

 侯爵は僕の顔を見据えると、何故か頬を赤くしてモジモジし始めた。

 

「私は幸せ者です。今回の事件のお陰で聖都六華仙の内、二人も知己を得ることができたのですからね」

 

 分かった。侯爵のこの表情は子供が憧れの人と会った時の顔だ。

 

「まずは人足寄場の創設者であり善政のお手本、『地華仙』ことポブレ=ビェードニクル伯爵……そして、今、私の前に立たれている」

 

 うーわ……そうキラキラした目で見られると、なんか居た堪れないんですけど……

 

「過去最高の宮廷治療術師にして、聖后様を始めとする後宮のお妃様方の相談役を務められた過去を持ち……」

 

 あの侯爵、僕を見詰めるのは良いとして、ローブの裾を掴まないで下さい。脱げます。

 

「何より、五十年前に現われ世界中を恐怖に陥れた魔王とその軍勢を勇者様と共に撃退した英雄! 『風華仙』ことクーア様! こうして出会えたことを光栄に思います!」

 

 ギルド長め。きっと情報源はあの人だな。

 僕が勇者の一味だった過去のせいで聖都六華仙の称号を得ていたなんてギルド員に知られたら関係がおかしくなるから誰にも内緒だって約束したのに、何で云うのかな?

 これじゃ僕が何の為に初歩の魔法だけであの馭者と戦ったのか分からないじゃないのさ。

 ほら、侯爵も花嫁ほったらかしちゃマズいでしょ?

 僕は微笑みながら侯爵と目線の高さを合わせると、口元に人差し指を宛ててウインク一つ贈った。

 

「この事はご内密に願います。もしお約束頂けましたなら、時間を見つけては侯爵様のお屋敷をお訪ねし、お聴きになりたいでしょう勇者との冒険を語って差し上げますから」

 

 僕の言葉を受けて年相応にブンブンと何度も頷くボースハフト侯爵に、つい弟や妹達、甥っ子姪っ子を連想して思わず彼の頭を撫でてしまっていた。

 不敬かなと思ったけど、当の侯爵様は興奮したように僕の顔を見詰めている。

 

「く、クーア様が僕の頭を撫でて下された! あ、あのクーア様! 今後、僕のことは是非ともエーアリッヒ、いえ、エアとお呼び下さい!」

 

 僕は、また大変な人に懐かれちゃったなぁ、と内心で苦笑いをしつつも、プライベートでなら、と了承するのだった。




 これにて副ギルド長編は完結です。

 なんとかエーアリッヒとクアルソが結ばれるよう着地させることができました。
 勿論、エーアリッヒが犯された事実はありません。
 けど嘘も方便という事とクアルソの救済が目的なのでエーアリッヒも後ろめたい気持ちにはならないと思います。まあ、幼くても貴族なので清濁併せて呑み込む事はできるでしょう。
 
 初めはピアージュがボスの予定でしたが、貫禄不足なので聖帝の間者を用意しました。
 間者も強敵でしたが、クーアもガチならまともに戦える相手でした。
 ただザルとはいえ聖帝が今回の陰謀にどこまで本気だったのか分からなかったので、間者戦は“哀しい行き違いから止むを得ず戦闘になってしまったが本気ではなく、粉塵爆発は事故だったんだ”という事にしたのです。
 当然、間者戦も小麦粉の貯蔵庫に突っ込まれるのも想定外だったので、あの場で考えたアドリブのシナリオでした。
 副ギルド長としての面目躍如といったところですかね。

 勇者と共に魔王と戦い勝利した過去は本当です。
 この話は次のシナリオ事務長編と拙作『冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ』の魔女狩り編にて明かされます。

 それではまた次回にお会いしましょう。
 


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事務長の場合
第壱章 クエスト失敗しました


「戯けええええええぇぇぇぇいっ!!」

 

 副ギルド長室から聞こえてきた怒鳴り声に思わず仕事の手を止めてしまった。

 否、私だけではない。ギルドの事務員も皆、手が止まっており、仕事を探したり各手続きをしていたりする冒険者達も何事かと顔を見合わせている。

 

「事務長? 今の声って副ギルド長でしたよね? あの人がここに来てから五年は経ちますけど、あんな怒鳴り声を出したのって初めてじゃないですか?」

 

 確かに普段はのほほんと女の子みたいな可愛い笑顔を振りまいている副ギルド長だけど、あの人は皆が思っているほど軟弱ではない。

 気弱なようで芯はしっかりしているし、仕事ぶりも十年以上事務員を務めている私ですら舌を巻くほどの事務処理能力を持っている。

 以前、ギルド長から聞いた話によると、副ギルド長はある事件を切っ掛けに怒りをなるべく抑えるようにしているらしい。それ故か、ギルド員がミスをしても表情を引き締めて注意をするだけで、怒鳴るということは極力しないように気を使っているのだそうだ。

 だからと云う訳でもないだろうけど、副ギルド長のことを嘗めてかかるギルド員も少なくはない。

 丁度、現在副ギルド長室に呼び出しを受けているサラ=エモツィオンのように……

 

「おーおー、凄ェ迫力だな。普段、怒らない奴がいざ怒鳴るとなると気が引き締まるだろ?」

 

 副ギルド室から聞こえてくる怒号に、ギルド長もご自分の執務室から出てこられたようだ。

 

「ま、そういう効果も期待してクーア君を副ギルド長に任命したンだけどよ」

 

 ギルド員からお茶を受け取ったギルド長は、楽しそうに笑いながらお茶を啜る。

 

「ここにいる事務員もついでに冒険者共もよーく覚えておけよ? クーア君は決して温厚でもヘタレでもねぇ。無用な軋轢を避ける為に大人の対応をしているだけであって、本来のクーア君はかなり気性が激しいンだぜ。あンまり嘗めてっと、魂抜かれてヒキガエルと入れ替えられるなンてありえるからな?」

 

 そんな魔女じゃあるまいし……

 顔を引きつらせている私達を余所にギルド長は副ギルド長室の扉を親指で指した。

 

「で、サラは何をやらかした? クーア君があれだけ頭に来てンだから相当だぞ?」

 

「どうやらBランクに相当する依頼が失敗に終わったそうなのですが……」

 

 私の説明にギルド長は眉をひそめて副ギルド長室へ目を向けた。

 

「それが何でサラが説教を受ける羽目になるンだよ? いや、失敗にも色々ある。何があったンだ?」

 

 そもそも依頼というのが、我らが聖都スチューデリアの国教たる星神教の大神殿から歴史のある貴重な神像が盗まれたことに端を発する。

 しかも神像を盗んだ賊というのが厄介で、昨今、巷を騒がせている怪盗フォッグ&ミストと名乗る二人組の腕利きであるという。

 大神殿におわす大僧正様直々に持ち込まれた依頼の内容は、事を大きくして信徒の不安を煽るわけにもいなかい。内密に神殿騎士を派遣して神像を奪還する事は不可能である為、有能にして勇敢なる冒険者達の手で早期解決をお願いしたい、というものだった。

 そこで冒険者ギルドはフォッグ&ミストが過去に行ってきた犯罪を総浚いしてデータを作成し、ただの一度も人を殺したり女性を犯したりした事がない事実から本件をBランクの依頼として募集をかけたという経緯があった。

 

「ギルドで募集した時点でもう秘密もクソもねぇだろ」

 

 ごもっともです。

 それでも守秘義務が生じる依頼であったし、神殿騎士が大っぴらに捜索をするよりは一般の方々に神像盗難を悟られずに済むのもまた事実でして。

 

「で、奪還に失敗したンか。けどよ? それが何でクーア君がぶちギレる原因になるンだよ? そりゃあ、大僧正の爺さん直々のご依頼だ。冒険者ギルドの威信にかけてもって気合が入ろうってモンだ。だが、そンな怒りを買う程の失敗たぁ思えねぇけどなァ」

 

 勿論、冒険者がいくら有能でも結局は人間である。失敗も少なくないだろう。

 しかし、依頼を持ち込む側も失敗のリスクを負うことを盛り込んでギルドと契約を交わしている。依頼のランクが高くなれは、それに見合うだけの報酬とリスクが生じるのは当然であろう。

 だからこそ、依頼人は依頼料の半分を契約料代わりにギルドに納め、残りの半金を依頼成功の時に冒険者へ支払うというシステムになっているのだ。

 つまり、今回のように怪盗から神像を奪い返すという依頼が失敗に終わったとしても、冒険者ギルドはたとえ星神教のトップである大僧正様といえども非難される事はない。

 もっとも当然のことながら、今後の依頼人からの信用に関わるので失敗をしないに越したことはないのは云うまでもないだろう。

 ギルド長と二人で訝しんでいると、不意に副ギルド長室の扉が開いた。

 

「兎に角、先方には僕が謝っておくから、サラちゃ……おっと、サラ=エモツィオンは家に帰りなさい。今日の夕方にも、一週間の謹慎を云い渡す通達が届くよう手配するから従うように……分かったね?」

 

「はい……」

 

 やや憔悴している様子だけど、変に逆らう素振りも見せずにサラは机の上を整理して、そのまま誰とも挨拶することなく帰宅の途に就いた。

 私とギルド長のそばを通る時でさえ無言のままだ。

 目上に対する行為ではないが私もギルド長もなんとなく声をかけづらく小さな背中をただ見送った。

 それにしても驚いた。

 いつも笑顔を振りまいて、冒険者のみならず我々ギルド員にも癒しを提供してくれる副ギルド長があそこまで険しい表情を見せるなんて想像すらしたことがなかった。

 確かにギルド長のおっしゃるように、気が引き締まる思いだ。

 思わず副ギルド長の顔を見詰めていると、視線に気付いたのか副ギルド長の表情がいつも見せている、ほにゃっとした苦笑いに変わる。

 

「あ、恥ずかしいところを見せちゃいましたね、ギルド長。事務長も驚いたでしょ?」

 

「え、ええ、正直に云わせて頂ければ、らしくないかと……」

 

 すると副ギルド長は困った様子で頬を指で掻いた。

 

「らしくないか……でも、さっきの怒った僕も本物の僕だよ。本当は僕だって怒りたくないけど、叱る時は叱らないと相手の為にならないからね」

 

 確かに一理ある。

 それに今回の一件で、副ギルド長に嘗めた態度を取っていたギルド員もこれで副ギルド長の認識を改めたことだろう。

 

「しっかし、一週間の謹慎たぁ穏やかじゃねぇな? 一体全体どうしたってンだ?」

 

 ギルド長の疑問ももっともだ。

 いくら大僧正様からのご依頼だからといってこれだけの罰を与えるなんて、それこそ副ギルド長らしくもない。

 するとふわふわと宙にあった副ギルド長の体が床に接して、彼の表情が再び厳しいものとなった。

 

「本件において、サラ=エモツィオンはBランクに指定されていた依頼をCランクの冒険者二名に独断で許可を出し、結果、二人の冒険者はフォッグとミストの両名に返り討ちに遭ったとの事です」

 

 これは副ギルド長が怒るのも無理はない。

 事情を知っていれば私も一緒になってサラを叱責していただろう。

 冒険者と依頼のランクの差が成功率を落とすという事もあるが、下手をすれば冒険者の命にも関わってくるからだ。

 

「幸い、フォッグらは人殺しを好まない性分のようで、二人は装備を取り上げられ全裸にされたものの体には傷一つ無く、抱き合うように縛られてご丁寧に大神殿の前に転がされていたということです」

 

 つまり敵は、返り討ちにした冒険者達が大僧正様のご依頼によって派遣されたのだと既に察しているというわけか。

 

「依頼内容と冒険者のランクの差があったので尋問したところ、例の冒険者ですが近頃ではCランクの依頼では物足りなくなってきていた上に、新しい装備を買うお金を手っ取り早く稼ごうと報酬の額を見て、更にフォッグらが殺人を好まない事から彼らを侮り依頼の落札を申請……本来なら突っぱねるか、上に判断を仰ぐべきであったサラ=エモツィオンは件の二人とは同郷の幼友達であり実力を高く評価していた事から独断で申請を受理、依頼遂行の許可を与えたというのが顛末です」

 

 今回の罰は甘過ぎると思ったけど今のギルドは人手不足なので、と話を締めた副ギルド長に私は思わず唸ってしまっていた。

 状況が分かれば、一週間の謹慎は確かに甘い。甘いが冒険者ギルドの職員数を鑑みればその辺りが落としどころであったのだろう。

 

「他に減俸も考えたのですが、彼女の御両親は既に亡くなっており、養うべき病弱の弟さんがいるのでそれは取り止めました。薬代を稼げなくなり、思い余って犯罪に手を出されてはそれこそ冒険者ギルドの不名誉となりますのでね」

 

「いや、英断だな。処分としては甘ェが、普段から嘗めきっていた相手にこっぴどく叱られたンだ。今頃ァテメェの仕出かした事の重大さが骨身に染みてるだろうよ」

 

 ギルド長の言葉に副ギルド長は再びふわふわと宙に浮かび上がると、私達と目線を合わせて微笑んだ。

 

「注意すべきところは僕の方からキツくお説教しておきましたので、お二人はサラちゃんを叱らないであげて下さいね。この上、ギルド長と事務長からお小言を云われてしまっては彼女が追い詰められてしまいますから」

 

 やはり基本的に副ギルド長は優しい人なのだと再認識できた瞬間だった。

 いや、人の上に立つべき人と云うべきか。

 普段は優しく部下に接していても、いざとなれば恨まれてでも云うべき事ははっきりと云う。部下に嫌われたくない一心で部下となあなあの関係になる上司よりは理想的な上司であろう。

 

「それと例の二人組ですが……まあ、若い女の子だからなんでしょうね。口を開けば、大勢の目がある中で裸にされて恥ずかしかっただの、お嫁に行けないだの、ばかりで反省の色が見えませんでしたが、フォッグとミストの容姿、戦闘能力の程度、仲間の有無など有益な情報をもたらしたので、今回に限り除名処分は避け、Dランクへの降格及び向後の依頼十件は依頼達成数にカウントしないという罰で済ませました」

 

 一見厳しいようだが今後、自力でCランクに返り咲き、更に上も目指せる土壌を残してあげているところが副ギルド長らしい。

 

「という訳ですから、午後から大神殿へ出張に行ってきますので、後の事は宜しくお願いしますね」

 

「おう、今日の分の書類は全部こっちでやっとくから心配しねぇで行ってこい。大僧正の爺さんにヨロシク云っといてくれ」

 

 了解です、と手を振って出掛ける準備を始める副ギルド長に声をかけた。

 

「私も同行させて下さい。サラは私の直属の部下です。本来であればサラをきちんと教育できていなかった私も罰を受けるはずでした。それに只でさえ副ギルド長には憎まれ役をさせてしまった訳ですから、少しはお手伝いをさせて下さい」

 

 私の言葉に副ギルド長は苦笑とも微笑みとも取れる微妙な笑顔を見せた。

 

「義理堅いなぁ。でも、確かに責任者が二人も顔を見せればマトゥーザ……いやさ大僧正の心証も少しは良くなるかも知れないね。じゃあ、僕は馬車の手配をするから事務長は中央通りにある甘味屋、パーラー・すちゅーでり屋に行って名物の極上鶏卵プリンを取りに行ってきて。大僧正はコレに目が無くてさ。人気商品だけど、予約してあるし、もうお金も払ってあるから僕の名前を出せば貰えるはずだよ」

 

 こういうところにそつが無いのだから恐れ入る。

 お詫びに行く前にちゃんと大僧正様の好物をリサーチしているのも流石だ。

 私はプリンの引換券を受け取ると、中央通りへ向かうのだった。




 新シナリオ・事務長編です。

 いきなりキレているクーアに驚いた方もおられると思いますが、彼は本来このくらい気性が激しいです。
 優しいだけじゃ人は育たないので、時には心を鬼にして叱りますが、見かけに反して怒り方は昭和のオヤジです。しかし、当然ながら決して手をあげることはありません。
 サラも命を預かる仕事をしているのに、ちょっとなあなあにしてしまったので自業自得ですが、クーアも長い年月を生きているので若者の未来を潰したくないと考えているので、必死に落とし所を探って謹慎にしています。

 さて、次回は依頼主である星神教の大僧正との面会です。
 相手はクーアら冒険者ギルドの謝罪に対してどう動くのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 霧の中に潜みし敵

「おお、クーアよ。よう来た、よう来た。相変らずめんこいのぅ。小遣いやろうか?」

 

 好々爺の面相で副ギルド長の頭をわしわしと撫でる大僧正様に私は呆気に取られていた。

 今日、初めてお目文字したのだが、これほど気さくな方だとは思ってもみなかったのだ。

 お年を召してはいるが、肩幅が広くがっしりとしており、立ち振る舞いに隙を見出すことができない。

 しかし、顔だけを見れば、長い顎髭を撫でながら、ほふほふと笑っていらっしゃるので、そのギャップも私を戸惑わせている要因だ。

 聖都六華仙の一人として『水華仙』の称号を持ち、星神教のトップに君臨されていることから、厳しい方なのではと勝手に想像していた上に、今回の冒険者ギルドの失態から叱責を受けるのではと覚悟していた私は間抜け以外に云いようがない。

 

 と、ここで私達が教えを乞う星神教について簡単に説明したいと思う。

 星神教とは我らが聖都スチューデリアの国教であり、世界でも最大級の規模を誇る宗教の一つに数えられている。

 読んで字の如く、天空に輝く星の一つ一つが神であり、昼は太陽、夜には月と星々が我らの生活を見守って下さっているという考え方の宗教だ。

 信徒一人につき一つの星が守護神となって『宿命』を授け、我々はその『宿命』により夜の闇にも似た人生という名の試練を進んでいけるのだと、朝晩、神に祈りを捧げている。

 余談だが、神々は司っている『力』の性質によって、『獅子』『狼』『亀』『不死鳥』『虎』『龍』と六つのグループに分けられている。

 例えば私は『虎』の神々の一柱を守護神に戴いているが、『虎』の神々は『大地』と『豊穣』を司っており、その影響で地属性の魔法の資質を持っている。

 これを『宿星魔法』と云い、己の守護神が司る属性と同じ属性の魔法を遣えるようになるけど、一属性に特化しており他の属性が遣えないという欠点もある。

 少々話は逸れるが、副ギルド長は全ての属性の魔法を操れるけど、それは彼が森羅万象に宿る精霊の力を借りる『精霊魔法』の遣い手であるからだ。

 火属性の魔法が遣いたければ火の精霊、水属性ならば水の精霊と魔法ごとに異なる精霊と契約しなければいけないので手間がかかるものの汎用性が高い。

 また、中位、上位の魔法を遣いたければ、それなりの地位にいる精霊に認められて契約をしなければならない。つまり、才能のみならず、精霊からの試練によって知恵と勇気が試される事から、今では若手の『精霊魔法』の遣い手は減少傾向にある。

 対して『宿星魔法』は一点特化ではあるものの、本人の素質と努力次第では子供でも上位の魔法が遣えるようになるので、近頃では一属性一辺倒の魔法使いも珍しくないのだ。

 

 閑話休題。

 副ギルド長は大僧正様の手を払いのけると、溜息を一つ吐いた。

 

「はぁ……僕はもう食うに困らないだけの収入があるよ。むしろ僕達の方がお土産を渡さなきゃでしょ? はい、君の好きなパーラー・すちゅーでり屋の極上鶏卵プリン」

 

 風が吹き渡る爽やかな草原の如き鮮やかな緑色をした髪を、嵐が過ぎ去った叢へと変えられた副ギルド長は呆れた顔をしてお土産のプリンを大僧正様に手渡した。

 

「おお、おお! これがな、少ーしブランデーを垂らすとすこぶる旨くなるのぢゃ! 後に茶会を催すで共に食そうぞ!」

 

「こら、破戒僧! 何、ナチュラルに酒瓶を取り出してるのさ?」

 

 って、副ギルド長? 何、ナチュラルに大僧正様にタメ口を利いているんですか!

 焦る私を尻目にお二人は笑顔と呆れ顔を交互に入れ替えながら談笑されている。

 

「ところで、今回の神像奪回を失敗した件、あれは完全に冒険者ギルドの不手際だった。これこの通り、申し訳ない!」

 

 にこやかにお互いの近況報告をしていた中で、不意を突くように勢いよく頭を下げた副ギルド長に大僧正様は目を丸くされていた。

 しかし、それが突然の謝罪のせいなのか、虫の触角のような長い髪飾りが鞭の如くしなって大僧正様のご尊顔を襲ったせいなのか、怖くて訊けない。

 

「おいおい、相手の虚を衝いて主導権を握ろうとする昔の悪い癖が出ておるぞ。何か昔に立ち返るような出来事があったかのぅ?」

 

「やっぱり、君に隠し事は無理だよね」

 

 心配そうに顔を覗き込む蒼い瞳に、副ギルド長はバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「最近、人を守る為に人一人殺したよ。相手は聖帝陛下お抱えの密偵だった」

 

 何ですか、それ?

 副ギルド長が何故、聖帝陛下と事を構えたのか。否、何故、人を殺めなくてはならなかったのかを問おうとする私を遮るように、何かを叩くような音が重なる。

 見れば険しい表情を浮かべた大僧正様がブランデーの瓶を机の上に乗せていた。

 

「話せ! 愚僧も僧籍に身を置く者の一人ぢゃ。懺悔の一つくらいは聞いて進ぜよう」

 

 大僧正様自らが懺悔を聞いて下さるなんて、信徒として羨ましい限りだ。

 しかし、副ギルド長は珍しく嫌そうな顔をして首を横に振る。

 

「忘れたのかい? 僕は星神教徒じゃないよ。それどころか、あらゆる宗教を、神を嫌悪しているんだよ、僕は」

 

 あまりにも不敬なことを云う副ギルド長に私の血の気が引いていく。

 けれど、大僧正様は気分を害された様子を見せずにグラスを取り出した。

 

「知っておるよ。お主が神そのものを恨んでいるのは百も承知ぢゃ。だがな、懺悔とは本来、神仏に己の罪を告発して赦しを乞うものではない。心の内に秘めた罪を吐き出して楽になる為のシステムぢゃよ。それを救われたと勘違いしておるだけの話よ」

 

 な、何か聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がする。

 大僧正様はグラスになみなみとブランデーを注ぐと副ギルド長の手に持たせた。

 

「呑め! 話さぬ内は謝罪を受け付けぬし、街へは帰さぬと左様に心得い!」

 

 副ギルド長はしばらくブランデーに映る自分の顔を睨んでいたが、大きく息を吐くと一気に煽った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てを語り終えた副ギルド長に対して大僧正様はしばらく無言だった。

 無論、私も言葉が無い。

 まさか、聖都スチューデリアの頂点たる聖帝陛下がビェードニクル伯爵の領土を狙っていただなんて誰が想像出来ようか。

 確かにこれは自分の胸にしまっておくよりないだろう。

 未遂に終わったとはいえ、国家元首の陰謀を知ってしまい。それを阻止したギルド長と副ギルド長の心労が如何なるものなのか計り知れない。

 

「ふぅ……」

 

 今の溜息は誰のものだったのか。私か、副ギルド長か、大僧正様か、或いは三人ともだったのかも知れない。

 

「パテール……あの馬鹿者はいよいよ狂ったか? 若かりし頃は暗愚ながらも民の為に体を、命を張る立派な皇子ぢゃったがのぅ」

 

「まあ、美形だったし人からは愛されていたよね。それで何を勘違いしたのか、“世の中の女はみんな俺のもの”って巫山戯たことも云ってたけど」

 

 しばらくお二人とも暗く打ち沈んだ表情をされていたけど、ほぼ同時にグラスを空にして顔を上げた。

 

「そのうちパテールめには神罰が降ろう。それより気分はどうぢゃ?」

 

「最悪だよ。逆にあの密偵の顔が鮮明に頭の中に甦るし、パっつぁん……じゃなかった。陛下の悪口云ってたら、昔、妹を犯されかけた事まで思い出しちゃったじゃないか」

 

 聖帝陛下の過去の悪行までも聞かされて私の内心は穏やかではなかった。

 しかし、大僧正様はと云えば、身を乗り出してニヤリと笑っているではないか。

 

「あった。あったな、そんな事! あの時、妹殿を救出しに行ったクーアは怖かったぞ。パテールの奴、睾丸を片方引き抜かれて泣いて赦しを乞うておったからの」

 

「一応は皇族だからね。子孫を残せなくなったら一大事だって無意識のブレーキがかかっていたのかも知れないよ」

 

 見た目が可愛く、ほんわかとした雰囲気を持っている副ギルド長だけど、昔は皇族にすら容赦ない制裁を加える恐ろしい人だったようだ。

 それを思えば、サラを叱責していた時のあの迫力は、そんな情け無用の昔を思い出しかけていた影響もあったのだろうと推察できる。

 

「さて、僕はそろそろ行くよ」

 

 ふわりと浮かんだ副ギルド長に大僧正様は驚いたように顔を上げた。

 

「何ぢゃ? これから茶会を開こうと思っておったのに。それに久しぶりに会ったのぢゃ。夕飯くらい食っていけ」

 

「気持ちは嬉しいけどね。もたもたしていたらフォッグ&ミストなんて漫才のコンビ名みたいな白浪(しらなみ:泥棒の別称)の思惑通りになっちゃうよ」

 

「おい、まさかお前さんが自ら神像を取り戻そうと云うのか?」

 

 副ギルド長はそれには答えず、ニッコリと私に向けて嗤ったので、不意を突かれた私の心臓はドキリと跳ね上がった。

 

「そもそもフォッグとミストがBランクに指定されているのが可笑しな話だったのさ。もしもの話なんてしたくないけど、仮にBランクの冒険者が神像奪還に派遣されても失敗していた公算が高いよ。いや、Aランク持ちでも二人や三人じゃ歯が立たないさ」

 

 え? 何? 一瞬、私の頭は何を云われたのか理解が追いつかなかった。

 

「フォッグとミストは盗賊ギルド・窃盗部門を統括する超一流の大泥棒だよ。僕もまさかそんな超大物が自ら動くとは思ってなかったし、怪盗フォッグ&ミスト関連の書類はノータッチだったから気付くのが遅れてしまったんだよ」

 

 盗賊ギルドとは世界各地に跋扈する盗賊達が結集し相互扶助を目的として作られた組織のことで、我々冒険者ギルドとは古くから対立している。

 犯罪者の集まりながら一丁前に様々な部門に分かれており、先程、副ギルド長が前述した窃盗を専門とする部門、詐欺師の部門、標的となる大店や貴族の屋敷などの調査を受け持つ部門、殺し屋を周旋する暗殺部門なんてものまで存在するのだ。

 

「そなたはフォッグ達のことを知っておったのか?」

 

「直接の面識は無いよ。けど、組織同士が長年対立してようと僕個人には付き合いのある気の置けない盗賊の友人もいるからね。そこから噂程度に聞いたことがあるってだけさ」

 

 だからね、と副ギルド長は手が隠れるほど長い袖の先から右手を出して、ご自分と私を交互に指差した。

 

「今回の一件は冒険者ギルドの完全な手落ちだって云ったのさ。なら、組織の幹部として責任を取らなくちゃなんだよ」

 

 副ギルド長の黒光りする無骨な手が私の頭の上に乗せられた。

 無骨と云っても筋骨隆々というのではない。普段は長い袖の中に隠されている副ギルド長の両腕には何故か蜈蚣の甲羅を思わせる意匠の手甲が嵌められている。

 趣味が悪いから外して欲しいと何度抗議したか覚えてないが、その度に苦笑と共に誤魔化されるのが常であった。

 

「僕はこれから情報を買いに行ってくるよ。居場所を変えている可能性は低いけど、念のためフォッグとミストの情報を出来る限り集めるのは悪くないからね」

 

「何故、逃げないと思うのですか?」

 

 すると副ギルド長は呆れたように顔を弛緩させて私の顔を見た。

 

「シャッテ? シャッテ=シュナイダー君? 状況分かってる? いつもの君だったらとっくに情報を纏めて策を練っているところだよ?」

 

 正直云って今の私の頭は使い物になっていない。

 次から次へと衝撃的な情報が流れてくるせいで脳が処理しきれていないのだ。

 副ギルド長の緑の瞳に間抜け面を晒す私の顔が映る。

 

「良いかい? 盗まれた神像は歴史的な価値はあるけど金銭的価値は無い」

 

「悪かったのぅ」

 

 大僧正様の憮然とした呟きに私は反応出来ずにいた。

 

「それでも下手な王宮より警備が厳重な大神殿から神像を盗んだ理由は、事件を表沙汰にしたくない星神教の思惑を想定して冒険者ギルドへ依頼がいくよう仕向ける為なんだよ」

 

 ここに至って漸く私の脳味噌がまともに働き出してくれた。

 

「怪盗フォッグ&ミストの名がここにきて重要になってくるのですね?」

 

「いかさま。盗賊ギルドの大幹部が自ら乗り出してきたんだ。彼らとしてはAランクの冒険者が討伐に来ると見越していただろうね。様々な窃盗事件で容易にアジトの割り出しを可能とした証拠をわざと残していったのもその一環だよ。ところが、やって来たのがあんな小物じゃフォッグ達も拍子抜けするやら情けないやらといった心持ちだったと思うよ」

 

 ああ、彼らの思惑は私達がBランクに指定してしまったのと、サラの独断でご破算になってしまった訳か。

 

「そこまでは良い。敵の本当の狙いが冒険者ギルドだというのも得心がいった」

 

 大僧正様は今回の事件で最も不可解な部分に触れられた。

 

「ぢゃが、それで奴らに何のメリットがある? Aランクの冒険者を片っ端から返り討ちにすることか? 違うぢゃろうなぁ。星神教か冒険者ギルドの権威を貶める為か? それも違うな。高ランクだろうと冒険者をちまちま倒したぐらいで屋台骨が揺らぐ我らではない。丸っきり動機が読めんのぢゃよ」

 

「けど、それを繰り返せば冒険者ギルドも星神教も本腰を入れるようになるだろうねぇ。事件が大袈裟になってくれば神殿騎士も動かざるを得ないだろうし、そうなれば軍隊は大袈裟としても警備兵の介入くらいは考えられるよ。何せ国教の総本山から神像を盗まれたんだから聖帝陛下としても心穏やかじゃ済まないだろうさ」

 

 そこまで聞いて、私の脳裏にある考えが浮かんだが、流石に有り得ないし、畏れ多いことなので口にするのも憚られた。

 

「そう、盗賊ギルドの真の狙いはこの国に住む人々の関心を神像争奪戦へ向け、尚且つスチューデリア城の警備を手薄にすることにあるんだろうね。ここの警備を抜くような恐るべき盗賊集団だ。隙間のできた宮殿に忍び込むなんて朝飯前なんじゃないかな?」

 

 私の考えを読んだかのように話を続ける副ギルド長に私は戦慄させられた。

 

「流石に目的が聖帝陛下の暗殺ではないと僕も思うけどね。そんなことをすれば、如何に屈強な盗賊達だろうと軍隊によって殲滅させられるって分かっているだろうさ」

 

 もし、本当に盗賊ギルドの目的が王宮であるとするならば、確かに一刻の猶予もならない。副ギルド長が自ら早期解決を図るのも当然の事と云える。

 

「それにしても神像は良かったなぁ。権威はあっても価値は無し。国が取り戻そうにも神像一つに軍隊を動かしたら逆に恥となるから派遣するにしても警備兵止まり。しかも聖帝陛下の耳に入る段階になるって事は、冒険者ギルドが一敗地に塗れている状況になっているはずだから、僕達を出し抜けると嬉々として兵を差し向けてくるだろうね」

 

 そう云えば、副ギルド長達は聖帝陛下の陰謀を一つ叩き潰しているのだった。

 ならばギルド長ですら梃摺る盗賊から、自分の手で神像を取り戻してあの一件の溜飲を下げようと考えても可笑しくはない。

 

「じゃ、そういう訳で、僕はそろそろ行くよ。マトゥーザも今度はゆっくり寄るから、その時は御夕飯よろしくね」

 

 そう云うや、副ギルド長は自らの影に沈み込むように消えていった。




 実は組織で動いていた盗賊達でした。
 冒険者ギルドとの敵対組織として分かりやすく盗賊ギルドを用意しました。
 彼らとは今回の事件に限らず、今後もちょくちょく遣り合う事となるでしょう。
 果たして神像を盗んだ彼らの真意はどこにあるのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 ヘルト・ザーゲ・前編

 あまりの事に目を丸くする私に大僧正様はまるで子供のようにお腹を抱えて笑われた。

 

「影を媒介にして、影から影へと瞬時に移動する『影渡り』の秘術ぢゃよ。元々は魔族が操る魔法であったが、流石はクーア、とうに自分の物としておったか」

 

 私はいつ皿になった目を元に戻せるのだろうか。

 

「魔族ですか? 五十年前に地上へと現われて人々を恐怖に陥れた、あの?」

 

「そうぢゃ。クーアはな、五十年前、異世界より召喚された勇者を助け、魔王に戦いを挑み、魔界へと追い返した魔法使いだったのぢゃよ」

 

「副ギルド長が勇者様の仲間……って事は英雄じゃないですか!」

 

「そうなるのぅ」

 

 そうなるのぅ、って……

 

「かく云う愚僧も勇者パーティの一員だったのぢゃよ。あやつと愚僧は戦友、故に公式の場でない限りは五分の付き合いを続けておるのぢゃ」

 

 だからこそ副ギルド長は大僧正様にあれだけ気安い態度を取っていたのか。

 

「もっともクーアは初めから仲間だった訳ではなかった。お嬢ちゃん、確かシャッテと云ったかの?」

 

 お嬢ちゃんて、私はもう二十八歳なんですけど……

 

「愚僧やクーアから見れば十分お嬢ちゃんぢゃよ」

 

 快活に笑う大僧正様に私の頬が熱くなってきたのを感じた。

 

「話を戻そう。シャッテ殿はヘルト・ザーゲという書物を読んだことはあるかの?」

 

 ヘルト・ザーゲ。

 この世界の冒険者及び冒険者に憧れる者達にとって聖書に匹敵する物語だ。

 五十数年前、突如現われた魔王の侵攻に苦しめられていた人々によって最後の希望として異世界より召喚され、激戦に次ぐ激戦の末に魔王と魔族の軍勢を魔界へと追い返すことに成功した勇者様の冒険を、当時の日記や各地に残された伝説を元にして英雄譚にしたものである。

 幼い頃、父より買い与えられてから表紙が擦り切れるまで何度も夢中になって読み返し、寝る時も枕元に置いていたくらい大好きな物語だ。

 

「ならば話は早い。そなたはヘルト・ザーゲの第三巻と第四巻の内容を覚えておるかな?」

 

 当然です。

 この全二十五巻からなる壮大な物語を私は初めから最後まで諳んじてみせる自信がある。

 第一巻は魔王が現われ地上侵攻を始めてから、神官達が神託によって異世界より勇者様を召喚するまでが書かれた序章と、魔王が存在しない平和な世界からいきなり我らが世界へ召喚されて混乱の極みにあった勇者様が、周囲の説得と現在進行形で迫る魔界の軍団を目の当たりにした事で危機感と使命感に目覚め、神から与えられた聖剣を手に取って旅立つまでを書いた第一章が収められている。

 第二巻は元いた世界とは異なる文化に戸惑う勇者様の様子がユーモラスに描かれている前半部と、王宮から護衛として派遣されたものの、得体が知れぬと勇者様を認められない騎士達との軋轢を生々しくスリリングに書かれた後半部のギャップが読み手を戸惑わせる。

 しかも、その護衛として参加していた騎士の一人が若かりし頃の大僧正様であったというのだから驚きを隠せない。

 そしてラスト、魔族に与する豚面の亜人オークの集団が街を強襲するが、勇者様の機転によりオーク達を追い返したことで騎士達との和解の糸口が見出されて、読者は胸を撫で下ろす仕組みだ。

 勿論、実話が元になっているが、多かれ少なかれ脚色が混じっているだろうから実際にはもっと苦労されたであろう事は想像に難くない。

 そして大僧正様の示す第三巻は、時の聖帝が発令した魔女狩りによって起こる悲劇が話の根源にあった。

 

「くだらぬわい。待てど暮らせど魔族を退けられぬ事実に民衆の怒りが自分に向くのを恐れた聖帝が、魔王の眷属でありながらも心穏やかで人間に対して敵対感情が薄い魔女達に矛先が向くよう仕向けたのが魔女狩りの真相よ」

 

「大僧正様……もしかして怒っていらっしゃいますか?」

 

「ああ、怒るとも! アレが原因で死ななくてもよかった者が幾千、幾万と出たのだからのぅ。魔女狩りに遭った者は冤罪も含めて三万人にも及ぶ。否、冤罪と云えば魔女達とて罪は無かった! そして、その怨念が後に云うユームの魔女戦争を引き起こしたのぢゃ」

 

 魔女の谷と呼ばれる鳥も通わぬ死の谷にユームという名の魔女が暮らしている。

 彼女は聖都スチューデリアの大臣と恋に落ち、身分違いから結婚こそ出来なかったものの沢山の子供に恵まれ平和な日々を過ごしていた。

 しかし、平和な時間は長続きせず、彼女は魔女狩りのターゲットとなってしまう。

 子供達とその父親の命と引き替えに出頭を決意するユームだったが、その決意も虚しく、逆にユームを救わんと直談判をした大臣が聖帝の怒りに触れて処刑される。

 更には父と共に母親の助命を訴えていた長男と次男も縛り首にされてしまったことで魔女と残る子供達は聖都スチューデリアへの復讐を決意するのだった。

 

「その魔女ユームの三男こそがクーアだったのぢゃ」

 

「何ですって?」

 

 衝撃の事実に私はまともな思考が出来なくなってしまった。

 いや、今日はサラの一件からこっち、ずっと白昼夢を見ているかのようで自分自身が何とも頼りなく感じている。

 

「ヘルト・ザーゲでは復讐を決意しながらも、思いつく作戦に必ず穴があって失敗を繰り返す魔女一家と勇者の戦いがユーモアたっぷりに書かれておるが、実際は悲惨で酸鼻極まる凄まじい戦いであったわ」

 

 大僧正様のお話では、民衆から罵声と石礫をぶつけられながら首を絞められて死んでいく兄達を助ける事ができず、斬首され晒された父親の首すら風化するまで取り戻す事が出来なかった副ギルド長の怒りと絶望は母親以上であったという。

 確かにこれでは星神教に帰依することなんてできやしないだろう。

 むしろ嫌悪を抱くに留まっている副ギルド長に賛辞の言葉を贈りたいくらいだ。

 

「クーアは幼い頃から魔法の才能を開花させておってのぅ。いつも母親から魔法の手解きを受けていたそうぢゃ」

 

 魔女達の集会・サバトにも小さい頃から参加していた副ギルド長はユームの魔女仲間から猫可愛がりに可愛がられていたらしい。

 彼が普段から使っている『浮遊』の魔法も、魔女から伝授された箒で空を飛ぶ技術の応用であるという。

 

「恐ろしい事にサバトに出席していた魔王からも孫のように可愛がられていたそうでな。当時のクーアは魔王の事を、お菓子とおもちゃをくれる優しいお姉さん、と認識しておったそうぢゃよ」

 

 魔王は勇者様や聖職者を堕落させる為、見目麗しい両性具有の魔神の姿で現われると伝承に記されているが、幼かったクー坊(魔女達からの呼び名)にとっては、股間に自分と同じモノがある綺麗だけどちょっと変わったお姉さんでしかなかったそうだ。

 

「クーアは疾うに還暦から十年以上過ぎて生きておる訳ぢゃが、見ての通り幼く愛らしい姿のままでおる原因は、魔王から貰った魔界の菓子を食い、魔王より与えられたおもちゃ……実は魔界でも貴重な魔装具(魔王の為に作られた武具らしい)だったそうぢゃが、それで遊んだ影響らしい」

 

 そして副ギルド長の魔法の才能は、復讐戦争でも遺憾なく発揮されてしまう。

 幼きクーアは滅多に逢う事は叶わなかったが、逢えば自分を優しく抱き締め、時間が許す限り遊んでくれたり知識を授けたりしてくれた父を殺した聖帝だけではなく、自分を可愛がってくれた優しくも頼もしかった兄達に唾を吐きかけ縛り首にした民衆をも復讐の対象とした。

 まず幼きクーアは魔法で蝗を手懐けると、スチューデリア中の畑を襲わせて深刻な飢饉に陥らせたそうだ。

 ヘルト・ザーゲでは勇者様が聖剣の力で魔女ユームの魔力を断ち切って蝗を霧散させる事に成功しているが、実際は蝗の駆除までには至らず蝗害は続き、苦肉の策で官庫を開いてその年を凌いだに過ぎなかったらしい。

 次いで鼠を操って疫病を流行らせようとしたが、これは急に街から姿を消した鼠に不審を抱いた勇者様が蝗騒動を思い出して街を挙げての害獣駆除を提案、すぐに街の清掃が始まり、殺鼠剤が撒かれた事で未遂に終わった。

 その後、邪魔をしてくれた奴の顔を拝んでやろうと街へ乗り込んできた幼きクーアと勇者様は邂逅を果たす事になる。

 

「罪の無い魔女達を迫害し、裁判とは名ばかりのおぞましい拷問の末、火炙りにしてきた星神教の人面獣心(けだもの)共……今度はこちらが裁く番だよ」

 

 見た目こそ幼い子供だが、彼から放たれる濃厚な殺気に民衆はおろか百戦錬磨の護衛騎士達でさえ恐怖に身を竦ませたという。

 

「判決。スチューデリア人は全員死刑。地獄に堕ちた後、獄卒共から受ける呵責が慈悲深く感じられるほどの苦痛と恐怖を味わわせながらゆっくりと滅ぼしてあげるよ」

 

 私の知るほんわか副ギルド長からはとても想像できない言葉である。

 

「それと星神教に与する勇者様? 今なら見逃してあげるから、とっとと自分の世界へと還るんだね。退くも勇気、逃げるも勇気。君は勇者を名乗る者だ。真の勇気と偽物の勇気即ち無謀や蛮勇などとの区別がつくだろうと信じているよ」

 

 そう云い残して幼きクーアは夜陰に融けるように姿を消したそうだ。

 

「愚僧もその時、居合わせておったのぢゃがな。あの鮮やかなグリーンの瞳が夜の闇よりも昏く見えてのぅ。ぞっとしたのを覚えておるわい」

 

 こうして当時の話を聞かされると、副ギルド長の怒りの凄まじさが伝わってきて背筋が寒くなってくる。

 

「その後、魔女ユームと子供達は敗北を繰り返すようになるのぢゃが、その本当の理由は分かるかの?」

 

「ええ、物語では作戦に穴があっただけでしたが、実際は敢えて敗北を繰り返す事で勇者様達を勢いづかせて自分達の本拠地である魔女の谷へ誘導していったのですね」

 

 頷かれる大僧正様に私は、結局あのユーモラスな魔女一家との戦いは子供向けに書き換えられたフィクションであったのだと悟らざるを得なかった。

 しかも勇者様に敗北はしているものの、標的である魔女狩りの実行者や教会に魔女を売った密告者への復讐は確実に遂行していたそうである。それも魔女裁判すら比較にならない程に残酷で無慈悲な手段を用いて……

 

「全身を無数の毒蟲や蛞蝓に集られ喰い尽くされた差別主義者の尼僧、触れた途端に食べ物が腐る呪いをかけられた大食漢の密告人、人に与えた痛みが数倍となって自分に返ってくる体にされた拷問官など魔女狩りに携わった者は例外なく地獄に堕とされたわい」

 

 魔女を畏れるが故に行われた蛮行が逆に魔女の怒りに触れて自らの危難を招いた半世紀前のスチューデリア人……同情する気にすらならないのは、私が他国の出身だからであろうか?

 さて、物語も魔女一家を魔女の谷に追い詰めたところで第三巻が終了する。

 初めて読んだ時はドジな魔女達にクスクス笑っていたものだが、今となっては笑えなくなっていた。況してや当事者の一人が冒険者ギルドの仲間だと知ってしまっては……




 実は凄まじい過去を持っていたクーアでした。
 この魔女狩りは拙作『勇者が斃した魔王を復活させた勇者の息子の物語』の魔女狩り編で詳しく掘り下げます。
 魔女だけに報復するとなるとかかなり陰惨なものになるのも仕方ないでしょう。
 クーアはその気になれば一国を滅ぼすだけの力と知恵があります。
 ぶっちゃけた話、聖都スチューデリアだけなら『死者の王』の攻撃よりクーアの攻撃の方が被害が大きいです。
 こちらでは書いてませんが、魔界サイドからは何度もクーアを宥めようとしていましたが受け入れられず、月弥に事態の収束を依頼しています。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 ヘルト・ザーゲ・後編

「第四巻では本拠地に追い詰められたことで本気になった魔女ユームとの死闘が描かれておるが、実際は調子に乗った勇者、否、名声を得ようと勝手に同行してきたパテール皇子が油断して暢気に兵士に休憩を命じた隙を突かれ、思わぬ反撃を受けて浮き足立っただけの話なのぢゃがな」

 

 後はヘルト・ザーゲに書かれている通りの展開だった。

 渓谷に誘い込まれた勇者様と若かりし頃の聖帝陛下、パテール皇子の率いる兵士団がまず受けたのは無数の落石による歓迎であったという。少なくない兵士が石に足を取られ、巨岩に潰されていく中、今度は谷に棲むモンスターが襲いかかってきた。

 善戦するも陣形を乱された兵士達は次第に追い詰められて、ついに撤退する事になったのだが、ここにきて勢いに乗って進軍してきたツケを払わされることとなった。

 なんと狭い谷のせいで陣形が細長く伸ばされてしまっており、情報の伝達が末端まで届くのに時間がかかる他、薄くなった陣の脇腹をオークやゴブリン、オーガなどの伏兵に襲われる事態に陥ってしまう。

 谷の上から火矢を射かけられ、石が降り、モンスターが追ってくる状況では兵士も只の的と変わり果て、パテール皇子が這々の体で谷から脱出する事に成功したときには、五百いたはずの兵士は残り数名しか生き残っておらず、折角分かり合えそうだった護衛騎士達は大僧正様お一人を除いて全滅。そして、あろう事か勇者様は魔女一家に捕らえられてしまった。

 

「その頃、未熟だった勇者、否、我々ではクーアの人が持つには強大過ぎる魔力の前には為す術が無くてのぅ……破壊力重視の巨大な火柱を起こす魔法と竜巻を操る魔法を組み合わせる事で編み出された、龍の如くうねる八本の炎の竜巻を自在に使役するクーアオリジナルの殲滅戦用大魔法『ヤマタノオロチ』……神代の伝説にある怪物の名を冠した大魔法の殺傷力、破壊力の凄まじさは筆舌に尽くしがたく、勇者なんぞ聖剣ごと弾き飛ばされておったわい」

 

 大僧正様は当時を思い出されたのか、二の腕を抱いて震えてしまわれていた。

 

「勇者を救出しようにも、神の祝福を受けて対魔法防御力を高められた甲冑ごと護衛騎士達をムシケラの如く屠る魔法使いを相手にそれは不可能ぢゃった」

 

 当時、いくら使いこなせていなかったとしても神から賜った聖なる剣をものともしなかった副ギルド長。

 複数の、しかも属性の異なる魔法を組み合わせて強力な新魔法を作り上げる独創性といい、効率良く魔力を運用する技術といい、世界でもトップクラスの魔法使いと称えられる力量は既に半世紀以上も前から確立していたのか。

 さて、囚われの身となった勇者様だが、ヘルト・ザーゲではユーム達に復讐の虚しさを切実に訴え、後に改心させる伏線が張られるけど、実際では武器を取り上げられ、逃亡防止に裸にされて軟禁されていたらしい。

 

「勇者が女の子だったとは驚きだけどね。悪いけど容赦はしないよゥ。ま、家にある物なら何を食べても良いし、本も好きなだけお読みよ。ただし、家の外に出るのはオススメしないよゥ。オークやオーガどもは女なら種族なんて関係ないんだ。モンスターに純潔を散らされたくなけりゃ大人しくしていることさね」

 

 魔女はそう云い置いて勇者様の好きにさせていたそうだ。

 聖剣のない勇者など何するものぞ、と高を括ったか、勇者様の中に何かを見出したのかは分からない。

 

「それ以降クーアはな、文字通り素っ裸で堂々と食い物を喰らい、本を読んで寛ぐ女勇者と度々遭遇する事になったのぢゃ」

 

 勇者様とて理知を知らぬ子供ではないはずだが、人前で裸体を晒すことに羞恥を覚えている様子は全く見られなかったらしい。

 物語では膝裏まで届く髪は漆黒ながら日の光を受けて光沢を放ち、背は殿方にも見劣りするものではなく、目鼻立ちも卑しからず、その頭脳は明晰であったとある。

 つまり、才色兼備を絵に描いたような美少女であると説明されており、当時を振り返る大僧正様をして、希に見る美形だが、欠点は鷹のように鋭すぎる目付きぢゃ、と評価されていた。

 斯様に美しい少女が生まれたままの姿で魔女一家の団欒の場に普通に混ざるに至って、ついに折れた。

 

「悪かったから服を着とくれ。裸のまま一緒にカードゲームに興じられてはこっちが落ち着かないよゥ」

 

 ええ、魔女一家の方が……

 

「何だ? たったの五日ではないか。魔女にしては良心を咎めるのが早かろう」

 

 そう云って嗤う勇者様に魔女一家は、コノヤロウと思ったとか思わなかったとか。

 憤る家族を制して前に出たのは副ギルド長だった。

 

「嗤うって事は感情があるはず。恥ずかしくなかったの?」

 

 彼の疑問ももっともだけど、勇者様の答えは予想を遙かに超えたものであったという。

 

「元いた世界においては、物心着く前から常に人前で肌を晒しておったそうでな。今更、全裸にされたところで何も感じないし、何の拘束力も無いと嘯いたそうぢゃよ」

 

 なんと勇者様は母親の胎内から生まれた人間ではなかったのだ。

 とある国の軍隊が最強の兵士を量産する為、研究の末に創り上げた人造人間……錬金術でいうホムンクルスが勇者様の正体……

 私は初めて知らされた事実に、今度こそ打ちのめされてしまった。

 

「ヘルト・ザーゲに勇者の名が一度でも記された事があったか? 無かろう。それもそのはずぢゃ。あやつには名など無かった。強いて名乗るならば、Uシリーズ型番645が名前になるかと申しておったわい」

 

 勇者様の正体を知って衝撃を受けたのは私だけではなかった。

 幼きクーアですら、憎き勇者が過去、研究員達にその体を好き勝手に弄られていた事実に同情の念を覚えたほどであった。

 しかし、勇者様の方はあっけらかんと、お陰で並の努力では手に入らぬ強さと知恵を手に入れる事が出来た、と語ったという。

 ちなみにUシリーズのUは究極を意味するultimateの頭文字だそうな。

 

「しかし、そのような出会いのお二人がどうして共に魔王と戦うようになったのです? 況してや副ギルド長は魔王から下にも置かない可愛がられようだったのでしょう?」

 

 すると大僧正様は驚くべき事実を語られた。

 

「簡単なことぢゃ。魔女ユームと子供達の復讐は勇者の策によって成就したのぢゃからな」

 

「な、何ですって?」

 

 あろう事か、勇者様は生かさず殺さずの状態で足止めされていたパテール皇子の元へ帰還し、本国へ援軍を寄越すよう申請させ続け、逐次投入されるスチューデリア軍を、例の陣形を細長く引き延ばす策で繰り返し撃破されるよう仕向けた。

 中には谷の上に登って進軍しようと献策する者もいたが、谷の両サイドは鬱蒼とした森林に覆われており、森に入ったが最後、森の中での戦闘でゴブリンや魔女の手によってモンスターと化した植物などに勝てる道理もなく、瞬く間に殲滅させられてしまう。

 大軍を派遣しようにも狭い谷と深い森を攻めるには逆に不利となり、森を伐採し燃やそうとしても魔女ユームや幼きクーアの絶大な魔力によってあっと云う間に火を消し止められ、切られた木も一瞬にして修復されてしまう有り様であったそうだ。

 こうしてスチューデリア軍は勇者様と魔女によって徐々に追い詰められていった。

 そして、それと同時に恐るべき作戦が実行に移されていたのである。

 その頃になると、聖帝のおわすスチューデリア城の中には兵が殆ど残って折らず、宮廷魔道師でさえも魔女の谷へと派遣されて手薄の状態となっていた。

 それこそが勇者様の狙いであった。

 魔女ユームが聖帝陛下に『呪殺』の魔法を仕掛ける事に成功してしまったのだ。

 聖帝は日を追うごとに気持ちが苛立ち、周囲に当たり散らすようになっていった。

 次いで政務に身が入らなくなり、玉座に座り込んで呆ける日々を過ごした。

 更にはベッドから起き上がれなくなり、悪夢に魘されることが多くなったという。

 最後は、寝ては悪夢、覚めては幻覚に襲われるようになり、四六時中、誰かに謝り続けているような有り様であった。

 昼夜を問わず、恐怖に責め苛まれた聖帝はついに落命の日を迎える。

 遺命として、パテール皇子へは魔女の谷からの撤退を、側近達へは魔女狩りの廃止及び犠牲者とその親族への賠償を命じると、次の聖帝を指名する余力も無く息を引き取った。

 その死に顔は、妻や子供達でさえ目を背けるほど恐怖に歪んでいたそうだ。

 こうして魔女ユームは聖帝への復讐を果たし、後継者を指名しないまま聖帝が崩御したことで皇子達による熾烈な後継者争いが勃発。これによって官庫からは羽が生えたかのように金と食糧が消え失せ、更には先の蝗害から数年間、蝗が増え続ける事で飢饉が続き、聖都スチューデリアは暗黒の時代を迎えることとなる。

 歴史上にポブレ=ビェードニクル伯爵が登場するまで、民衆は飢餓に喘ぐ事になるのだが、お陰で副ギルド長の怒りが収まったのだから皮肉なものだ。

 

「事実は小説より奇なり、と申しますが、まさか勇者様が魔女と手を組むなんて……」

 

 沈む私への返事は、私の頭へと載せられた大僧正様の大きく温かい掌だった。

 

「勇者はのぅ。召喚されたあの日、聖帝から命じられておったそうぢゃ。弱者を踏み躙る悪を討て、とな。魔女狩りは天下の悪法よ。勇者は聖帝の命を忠実に、見事に遂行した。そうは思わぬか?」

 

 大僧正様のお言葉に私の口元は何故か無意識の内に綻んでいた。

 

「それからぢゃな。勇者とクーアが連むようになったのは」

 

 お二人は互いに、『不良勇者』『男魔女』と罵り合いながらも離れる事はなかったという。

 しかし、如何に恩があろうと、大恩ある魔王の元を去ってまで勇者様に随行する理由には弱いような気がした。

 

「こればかりは愚僧の口からは云えぬて。どうしても知りたくば、クーアの心をお嬢ちゃんで占めれば良い。憎からず思っておるのぢゃろう? ん?」

 

 俄に私の頬が熱くなるのを感じた。

 確かに私はクーアさんを密かにお慕いしているけど、年齢が年齢だ。

 もっと云えば、クーアさんの見た目はどう頑張っても十歳前後、私が横にいるなど端から見れば犯罪以外の何物でもない。

 

「ま、色恋なんぞは当人達の問題ぢゃ。これ以上、愚僧がどうこう云えば罰が当たろう」

 

 なら、初めから云わないで欲しいですよ。

 

「ん? おお、いつの間にかこんな時刻か! 今から城下町に戻っては日が暮れよう。待っていなさい。馬車を呼んであげるよって」

 

 見れば、確かに窓からの光は紅いものとなっていた。

 大僧正様が部屋から出て行かれると、私は急に手持ち無沙汰になってしまう。

 

「しかし、クーアさんの心を私で占めるのと、彼が勇者様についた理由にどのような関係があるのだろう?」

 

「僕が何だって?」

 

「ふ? ふふふふふふふふふくくくくくくくくくくふくふくふくふく?」

 

 私の影からひょっこり顔を出したクーアさん、もとい副ギルド長のせいで、私の口から意味のある言葉を紡げなくなってしまった。

 

「ふふ、普段はクール&ビューティーで通している事務長がそこまで狼狽するなんてね。ちょっと驚き過ぎの気もするけどさ」

 

 私の醜態に副ギルド長は申し訳なさと可笑しさが同居した微笑みを見せた。

 いけない。先にも増して私の顔が熱を帯びてきている。

 ただ、この恥ずかしさがどういう種類のものなのかは自分でも分からなかった。

 

「ごめん、ごめん。笑ったりしちゃってさ。お詫びに最近、よく行くようになったお店で御夕飯を奢るよ」

 

 副ギルド長が私の手を取ると、更に私の顔はヒートアップしていった。

 

「あはは。事務長の顔、夕陽のせいで真っ赤っかだよ」

 

 何ともベタな助かり方をしたものである。

 

「じゃあ、しっかり掴まっていてね」

 

なんと今度は私の体まで影の中へと沈んでいくではないか。

 

「お嬢ちゃん。すまぬが馬車が来るまで時間がかかるそうぢゃ。ただ待つのも暇ぢゃろう。一緒に晩飯でも……ありゃ? どこへ行ったのかの?」

 

 完全に影の中へ沈みきる直前に大僧正様のこんな声が聞こえたような気がした。




 召喚された勇者を創造したのは所謂悪の組織です。
 寿命を迎えつつあった組織の女ボス或いは女幹部の新たな体を作る課程の副産物で勇者のような強力な個体が出来上がってしまいました。
 あらゆる教育を施した結果、制御可能と判断されてクローニングによる量産を計画したところに所謂正義の味方に乗り込まれて頓挫します。
 彼女が正義の味方に保護されようとしたその時に召喚されてしまいました。
 ちなみに人格は教育を担当していたマッドサイエンティストに影響されています。
 なので悪辣な作戦も平然と行いますし、その課程で犠牲が出るのも躊躇しません。
 その代わり、仲間と認識した者にはとことん依存する傾向にあります。
 もしかしたら保護していたかも知れない正義の味方に懐いていた未来もあったかもですね。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 パスタ屋評定

「で、だ。カルボナーラってのは元々炭焼き職人って意味でよ。何日も炭焼き小屋に篭もらにゃあならねぇ職人が保存の利く卵、ベーコン、チーズを使って調理したのが始まりって云われてンだ」

 

 何なんだ、この状況?

 副ギルド長オススメのパスタ屋、アルデンテで二人っきりのディナーを楽しんでいたら、いつの間にか、ベロンベロンに酔っ払ったギルド長が同席していた。

 しかも、何故かカルボナーラが載ったお皿を片手に講釈を打ち始める始末である。

 二人っきりのディナーを楽しんでいたのにだ。大事なことなので二回云わせて貰ったけど何か文句あるかしら?

 

「あの何故、ギルド長がここに?」

 

「何故って飯を食いに来たに決まってンだろがよ」

 

 うっ、この息の臭い。ビールとワインをちゃんぽんしているに違いない。

 悪酔いしているギルド長に私は負けじと食ってかかる。

 

「そうではなくて! この席は私と副ギルド長の席ですよ!」

 

「まま、そう怒らないでさ。食事は多い方が楽しいよ」

 

 憤る私を副ギルド長が宥めるが、それはそれで腹が立つものである。

 

「でもギルド長がそんなに酔われるなんて珍しいですね。いつもだったらウォッカでジンを割って呑んでも平気の平左なのに」

 

 それって割っていると云えるのですか?

 

「ああ、酔わねぇとやってらンねぇよ! クーア君が出張に行ってから聖帝のクソボケから呼び出しを受けてな。いくら俺が世間様に対して突っ張って見せても、国のトップから名指しで呼ばれちゃあ逆らうわけにもいかねぇさ!」

 

 今日、大僧正様から賜わったお話のせいで、若干なりとも皇族への心証を悪くしていた私はそれだけで嫌な予感を覚えるようになっていた。

 そういった予感に限って当たるというのは本当のようで、ギルド長の口からとんでもない事を知らされた。

 

「あンのエロジジイ! 例の神像奪還に失敗した二人組を侍らせて偉そうに踏ン反り返りやがってよ。あろう事か、“国の宝を取り戻す重要な任務をこのような未熟な者達に押しつけるとは非情な者共よな。可哀想に、朕が手篤く慰めてやらねば、この未来ある二人の若者は心に深い傷を残すところであったぞ”って抜かしゃあがった!」

 

 なんと聖帝陛下は既に神像の奪還失敗をご存知だったのだ。

 しかも、それを出汁にギルド長を態々呼び寄せて痛罵を浴びせるとは……

 それにしても、手篤く慰める、か。それがどういう意味なのかは考えたくもない。

 

「それにしても腹が立つのはあの莫迦二人だ! これから夜伽でもすンのかって問い詰めたくなるようなエロいナリしてジジイにしなだれかかってニタニタ嗤いやがって! どうせ一晩限りの遊びなのに後宮に入れると思っていやがるに違ェねぇ!」

 

 云うまでもなく情報源はあの二人であろう。

 二人が自発的に陛下に知らせたのか、はたまた呼び出されたのかは知らないけど、これは容易ならない事態になったと思って良い。

 

「で、パっつぁんは他に何て云ってきたのさ?」

 

 思わず漏れそうになった悲鳴を押しとどめた私は褒められても良いだろう。

 いつのものほほんとした笑顔と似ているようで全く違う。

 私は云いようのない恐怖に襲われて身動き一つ出来ない有り様だった。

 

「クーア君。いつだったか、俺の笑顔が怖いって云ったことがあったが、人の事ァ云えねぇンでないかい? いや、流石は男でありながら魔女の奥義を究め『魔女の王』と呼ばれるようになっただけはあるか」

 

「質問に答えてないよ? 後さ、君はどんな冒険者でも我が子のように可愛いって云っていたよね? なのにさ、今の君は、うら若き乙女の肌が嫌らしい年寄に穢されたというのに、そこについては何も触れてないよね? むしろ見下すってどういう事なのさ?」

 

 先程まで真っ赤だったギルド長の顔は真っ青を通り越して白くすらなっていた。

 現役時代、数々の伝説を残してきたギルド長も、世界最高レベルの魔法使いの静かな怒りを目の当たりにしては旗色が悪くなるらしい。

 いつもなら多少砕けながらも敬語を使っていた副ギルド長が、プライベートな時間とはいえギルド長に対して気安い口調で話すという事は、もしかして大僧正様がおっしゃったように昔の魔女一家の幼きクーアに立ち戻ってきているのではないのか?

 だが、私の危惧は杞憂であると伝えるかのように副ギルド長の微笑みは普段の愛らしいほにゃっとしたものに変わった。

 

「大丈夫。僕は二度と『魔女の王』にはならないよ。これでも僕は七十年以上生きているんだ。もう一部を見て全体を悪と見なす短慮は犯さないから安心して」

 

 副ギルド長が私の頭を撫でてくれる。

 それだけで私は母に抱かれる子供のように安心できた。

 恐らくは先程の一部と云うのはきっと、縛り首となったご兄弟に石を投げつけた民衆の事を指しているのだろう。

 

「むぅ、随分といい雰囲気じゃねぇか、お二人さん?」

 

 見ればギルド長が不機嫌そうに唸っていた。

 いい雰囲気は兎も角、部下に視界から追い出されては確かに面白くはないだろう。

 

「まあ、良いさね。クーア君も元に戻ったことだし、話も戻すとするさ」

 

 ギルド長から伝えられた陛下のお言葉は絶句させられるには十分な衝撃を伴っていた。

 

「聖后たっての願いであるからクーアを冒険者ギルドに下げ渡したが、このような大失態を犯す組織におってはかつての宮廷治療術師の名が泣こう。常ならば即刻クーアを返して貰うところであるが、猶予をくれてやるのもまた聖帝たる者の度量というものであろう。一週間である。一週間後のこの時間までに神像を取り戻し、大僧正殿を安堵させよ。さすれば此度の失態、目を瞑って進ずる」

 

 これには流石の私も沸々と怒りが湧いてきた。

 下げ渡すだの、返して貰うだの、副ギルド長は物ではないというのに!

 

「まあまあ、怒ったところで神像が返ってくるでもないし、ここはじっくり作戦でも練ろうよ。珍しくパっつぁんが一週間も猶予をくれたんだしさ。昔だったら明日、非道いときは夜明けまでにって無茶を云ってたよ」

 

 しかし、当の本人に宥められては矛を収めるしかないし、そもそも抜いた刃を向ける場所などどこにもなかったのである。

 

「まずは居場所だけど、例の二人が向かった所から移動はしてないだろうけど、一応、シヤンさんの仲間に探って貰ってる」

 

 どうやらここの主人であるシヤンという男は裏に回れば密偵の真似事をしているらしい。

 

「次にフォッグとミストの戦闘能力なんだけど、これは全くと云って良い程情報が無い」

 

「無いって、彼らの情報を得たからこそ二人は降格で済んだのでは?」

 

 すると副ギルド長は困ったように眉尻を下げた。

 

「降格で済ませる為に情報を得たって事にしたんだよ。一応、アジト周辺には一寸先も見えないほど深い霧に覆われていて、視界が利かない中、後ろから殴られた。あの霧こそその名の通りフォッグが術で操っていたに違いないって証言してるし、嘘じゃないさ」

 

 いや、本当に情報が全く無いじゃないですか。

 

「その辺の情報は僕に当てがあるから心配しなくても良いよ。ちなみに容姿だけど、これもさっぱり……二人とも顔中を包帯で巻いて隠していたそうだけど、声はハスキーながら高かったから女性だったのでは、と云っていたね。相手が女性だから何なのさって話だけどさ」

 

 ふぅむ。やはり大した情報は無かったか。

 これはいよいよ持って、腰を据えて事に当たらなければいけない。

 加えて、聖帝陛下がこの一件に絡んで副ギルド長の進退を賭けようと云うのだ。

 冒険者ギルドの面目を横へ退けたとしても失敗する訳にはいかなかった。

 

「ま、白浪さん達の情報が集まり次第、僕が出ますよ。初めはCランクだったのが、いきなり僕が出張るとなったら相手も意表を突かれると思いますしね」

 

 これは大僧正様にもお伝えした手筈であった。

 

「よし! こうなった以上は俺も出るぜ。生きた伝説と謳われた俺の実力、久々に悪党共に見せつけてやろうじゃねぇか!」

 

「何を馬鹿な事を云ってるんですよ。組織のツートップが揃って出て、双方共に何かあったら冒険者ギルドはどうなるんですか? 本作戦でのギルド長の役割は司令官となってギルド職員と冒険者達の指揮を取ることですよ。僕が乗り込んでいる間に、アジトから逃げ出した者を捕らえるとか、盗賊ギルドの本部へ報告しようとする間者を見つけて始末するとか、色々忙しいはずですからね」

 

 副ギルド長の言葉にギルド長はしばらく唸っていたけど、ついには頭をバリバリ掻きつつ溜息を盛大に吐いた。

 

「わーったよ。だがな、流石に単身で連中のアジトへ乗り込むことは許さねぇぞ? 敵が怪盗二人とは限らねぇし、どンな罠が仕掛けてあるか分かったモンじゃねぇからな」

 

 ギルド長を安心させるように副ギルド長は敢えて呆れ顔で返した。

 

「当たり前でしょう? 単身で魔界の城へ乗り込んで魔族の王子を斃すようなあーたと同様に思われては困りますよ。僕はか弱い魔法使いなんですから」

 

 か弱いという言葉の定義って何だろう?

 

「事務長? 何か云った?」

 

「いいえ、何も!」

 

 ああ、副ギルド長。可愛らしく小首を傾げないで下さい。

 傍目、犯罪でも構わないかなって思い始める自分が怖くなってくるので……

 

「フォッグ達のアジトへ乗り込むメンツも作戦を詰めながら決めていきますよ。もっとも僕が後衛なので必要とするのは前衛を数名くらいですかね?」

 

 それを聞いて、私の胸にある決意が宿る。

 

「そうだな。それじゃ、これ以上は良い案も出ないだろうから解散すっか。シヤン! 勘定だ!」

 

 テーブルの上にあった伝票を全部持っていくあたりがギルド長らしい。

 しかし、ギルド長の顔を潰すようで申し訳ないが、それは領収書だったりするのだ。

 

「なんだ? 随分、安いじゃねぇか?」

 

「そりゃ、そうでしょうよ。副ギルド長は入ってきた時にお金を払って、これで食べられる分のビールと肴をねっておっしゃるんですから」

 

 副ギルド長は共に食事をする者がいる場合、先にお金を払って食事を頼み、払った分までお酒をお代わりするようにしているそうだ。

 こうする事で予算オーバーは防げるし、何より酔いながらの支払いはトラブルになりかねないというのが副ギルド長の持論である。

 もっともお店によっては逆に嫌がられるので、常連となって気心の知れたお店に限るそうだけど。

 

「あっしら密偵を使う時もねぇ。こっちが何かを云う前に、これでみんなと呑んでよって金貨十枚、ぽんと下さるんでやすから、こちとらも身を粉にしようってもんでさ」

 

「さよか……じゃあ、俺は別の密偵を探すとするか」

 

 暗にギルド長が吝いと云わんばかりの亭主にギルド長はあっさりと背を向けた。

 これは彼も想定外のことだったようで、慌てたようにギルド長の足にしがみつく。

 

「そいつはちょいと水臭ェ話じゃ御座んせんか! あっしはギルド長の為ならいつだって火の中、水の中へ飛び込むと云ってるじゃねぇですかい。それをあっさり別の奴にすると云われたんじゃあまりにも情けねぇ」

 

 ああ、なるほど。

 ギルド長はああして腕は良いけどお金に五月蠅いあの密偵をいつもからかっているのだろう。

 ギルド員達とはまた違った信頼で結ばれたギルド長と密偵に私は自然と笑っていた。




 最近ではギルド職員の密談の場と化しているパスタ屋です。
 勿論、シヤンさんには迷惑をかけていません。
 むしろクーアが貸し切り料金を奮発してくれるのでウエルカムですw

 ギルド長は失言してしまいましたね。
 まあ、聖帝から散々嫌味や罵声を浴びせられて過度なストレスを与えられて、ついつい深酒ををしてしまった所に頼りにしているクーアが来た事で気が弛んでしまったのでしょう。
 やはりギルド長も人間ということなんです。

 神像奪還にクーアが名乗りを挙げました。
 冒険者ギルド総当たりの作戦です。相手が盗賊ギルドの大幹部だからこそですね。
 さて、作戦は上手くいくのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第陸章 錆ついていたのは

 四日後。

 私は訓練場にて長年愛用してきた樫製の棍を振るっている。

 怪我が元で現役を退いてから早十年。自己鍛錬こそ欠かさなかったが、それでは現場に出るには心許ないので訓練場を利用して心身共に鍛え直しているところだった。

 あの日の翌朝、私は副ギルド長に談判して対怪盗パーティの一員に加えて頂いた。

 ギルドのみんなは驚いていたけど、副ギルド長は私の額に指を触れて魔力を流し、

 

「うん、怪我が原因で引退したって聞いていたけど、その傷も完治しているみたいだし、参加自体は歓迎するよ。ただし、ブランクだけはちゃんと埋めて貰わないと困るからね」

 

 と、念押しされたものの同行を許可して頂けた。

 それにしても流石は世界でも有数の治療術師、相手の体に魔力を流しただけで健康状態を知る事ができるとは……

 

「おら! 鍛錬中に考え事たァ余裕だな!」

 

「はぐっ! 申し訳ありません!」

 

 そして私の再修行に付き合って下さっているのがギルド長だった。

 何だかんだ云っても現役・退役も含め、ギルド最強である剣士直々に稽古をつけて頂くのはありがたいし畏れ多い事である。

 しかし、逆に云えばそれだけの事をしなければいけなかったのだ。

 

「さっさと立ちゃあがれ! 実戦じゃ休ませてくンねぇぞ!」

 

「は、はい!」

 

 まずはなんと云っても体力の衰えであろう。

 いくら自己鍛錬をしていると云っても、飽くまで趣味や健康法の域を出ていなかった私の体力は、加齢を考慮しても現役と比べもようもないほど衰えていたのだ。

 ついでに白状すれば、現役時代の防具を物置から引っ張り出して着てみたところ、お腹周りが苦しくなっていたのである。

 プロポーション、特に腰のくびれの維持には命をかけていたつもりだったけど、やはり事務職に就いてからの十年間はボディラインを崩すには十分な時間だったようだ。

 もっと白状すれば、何と云うか、若さ故だったと云うか、当時の防具とセットだった肌着はレオタード状だったのは良いとして、こんなのを着ていたのかと愕然とさせられるぐらい切れ込みがキツいハイレグだった上に、後ろに至ってはお尻が完全に見えていた。

 いや、昔から生きの良い、悪く云えば粋がった冒険者は総じて露出度の高い装備を好む傾向にあったのだ。それというのもガチガチに防御を固める事は自身の動きを妨げると考えられていたのもあるが、鎧の防御力に頼るのは未熟者、臆病者の証拠という風潮が冒険者達の間にあって、必要最低限の防具で戦う事が粋とされていた。

 御多分に漏れず現役時代の私もそうした流行りに乗って自分から防御力を落としていった愚か者の一人であり、エスカレートしていくうちに、この通り痴女の如き有り様を晒して世界中を肩で風を切って練り歩いていたのだ。

 そんじょそこらの男に負ける私ではなかったが、今にして思えば、よくも現役を退くまで無事でいられたものだと我ながら感心する。私が引退を決意する切っ掛けとなった大怪我を負わせた対戦相手が純粋に己を高める事に命を賭けるストイックな武芸者でなかったらあの後どうなっていたか背筋が凍る思いだ。

 とまれ、着てしまった以上、処理をすることになったのだが、これがまた情けない気持ちにさせられたのである。

 何の処理かですって? 察して頂戴……

 余談だけど、新しい防具は兎も角、戦闘用の肌着だけでも新調しようと思ったけど、どこの防具屋も仕立屋も予約がいっぱいで、とても怪盗のアジトへ乗り込むまでには間に合いそうもなかった事を明記しておく。

 

「何やってやがる! 攻撃が始まったのを見てから躱せる訳ねぇだろ! 構え、腕の振り、相手の目線、それらの情報を統合して予測を立てねぇと防御はできねぇよ!」

 

 次に自覚した衰えは、動体視力に始まり、敵の動作予測、状況把握能力、空間認識能力などなど戦闘に必要なスキルが物の見事に錆び付いていたことである。

 先程からギルド長の木剣の動きが読み切れないばかりか、切っ先だけを目で追い続け、敢えてばらまかれた小石に足と取られて躓くなど、およそ現役時代では考えられないミスを連発していた。

 

「テメェの棒術は「突き」「払い」「殴る」を組み合わせ、状況に合わせて変幻自在に姿を変えるのが極意だろうが!」

 

 ギルド長に云われるまでもなく、私は何度も攻撃パターンを変えて攻めるのだが、その悉くを弾き返され逆に撃ち込まれる始末だった。

 現役時代では千変万化する私の棒術に敵は翻弄され、気が付けば『幻惑』のシャッテと異名を取るまでになっていたのだが、今ではギルド長の木剣に私の方が翻弄されている。

 

「泣いてる暇あるか! テメェは親父さんから受け継いだ棒術を百姓武術と馬鹿にされンのが嫌で究めたンじゃねぇのか? それが今じゃ百姓武術どころか腰抜け武術だろうよ! 『幻惑』のシャッテが聞いて呆れらぁ!」

 

 私は溢れる涙を拭ってギルド長に打ちかかるが、とうとうギルド長は木剣を交えることなく無造作な前蹴りで迎撃し、私はそれをまともに受けて倒れ伏してしまう。

 

「やめだ、やめだ! これじゃいつまで経っても現役時代に近づきゃしねぇよ!」

 

 そして、ついにギルド長は匙を投げたのだった。

 

「テメェ、巫山戯るのも大概にしろよ? お前はいつから相手を気遣いながら戦えるほど強くなったンだ?」

 

「ど、どういう意味です? 衰えたと自覚しているからこそ稽古しているというのに……」

 

 意味が分からずギルド長に問うと、胸倉を掴まれ持ち上げられてしまった。

 

「自覚がねぇンじゃそれまでだな。今度の作戦は辞退しろ。この事は俺からクーア君に伝えておくから後の事は心配すンな」

 

 ギルド長が手を離すと、私は無様に尻餅をついた。

 

「寛猛自在……これで分からにゃあテメェはこれまでだ」

 

 ギルド長は木剣を肩に担ぐと、振り返る事無くギルドの事務所に入っていった。

 

「寛猛自在……この言葉の意味は……?」

 

 私は膝を抱えると子供のように泣きじゃくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 私は昨日のショックから立ち直れずにいたものの、何とか書類を片付けていた。

 

「あの事務長? ここの決済が間違っているみたいなんですけど?」

 

 否、そうでもなかった。

 検算を頼んでいた部下が書類を遠慮がちに差し出してきた。

 いけない。これで今日は三回目のミスだ。

 

「事務長……今は大変な作戦を抱えて大変なのは分かりますが、お体が思わしくないようならお休みになられた方が宜しいのでは?」

 

「ありがとう。でも大丈夫よ。私だって人間なんだもの、失敗はするわよ」

 

 笑顔を作ったつもりだったけど、どうやら失敗に終わったらしい。

 私の顔を見た事務員が痛ましそうな顔をしていたからだ。

 

「副ギルド長、大丈夫ですかね? あの人が前線に赴くのでしょう? 強いと聞いてはいるのですが、どうにもあの見た目がねぇ……背丈は子供並だし、目こそツリ目勝ちだけど全体の作りは女の子っぽい柔和な童顔だし、そもそもあの人って治療術士でしょう? 本当に凄腕の戦闘員なんですかね?」

 

 そう、昨晩、ついに怪盗フォッグ&ミストの居場所が判明したのだ。

 やはり副ギルド長の予測通りアジトは変えていなかったのだが、周囲を覆っていた霧が俄に晴れ現われたのは、要塞というべき武装された砦だった。

 元々は没落貴族が捨てた屋敷を乗っ取ったものらしいのだが、今や窓という窓から大砲が顔を覗かせて、屈強な武装集団が守りを固めているらしい。

 ギルド長の見識では、フォッグとミストの名を出しているのにランクの低い冒険者を送り込んでくるような冒険者ギルドでは副ギルド長が読んだ思惑は通らないと踏んで実力行使に出たのだろうとのことだった。

 

「作戦放棄。聖帝陛下に軍の派遣を要請して。負けを認めて僕とギルド長が土下座すれば溜飲を下げると思うから、僕が王宮に連れ戻される心配はないよ」

 

 そうは云っていたけど、話に聞く限りではそのような保証はどこにもなかった。

 しかし軍が出るとなれば副ギルド長の安全は約束されたようなものだろう。

 そう安堵する私だったけど、午後になって凶報がもたらされるとは思いもよらなかった。

 

「邪魔するぞい」

 

 お昼休みも終わって、さあ、午後も頑張ろうという時にとんでもないゲストが現われた。

 

「だ、大僧正様? どうしてここへ? 護衛の方々は?」

 

 狼狽する私達への大僧正様のお返事は、

 

「喝っ!」

 

 というありがたいものだった。

 

「シャッテ=シュナイダー!」

 

「は、はいっ!」

 

 思わず私は直立不動の体勢で返事をする。

 

「愚か者め! クーアを見殺しにする気か!」

 

 大僧正様が何をおっしゃっているのか分からず私は呆然としてしまう。

 

「パテールの奴め。スチューデリア軍が来るまでの時間稼ぎをクーアに命じおった。軍隊が到着するまで盗賊共に悟られぬよう囮になれとよ!」

 

 何故、副ギルド長が? あの人は確かに絶大な魔力を持つ魔法使いだけど、百戦錬磨の武装した盗賊に囲まれては一溜まりもないはず。

 

「大方、ビェードニクル伯爵領での一件を根に持ってのことであろう。ギルド長には待機している冒険者達を下がらせるよう命じておる。表向きは軍が到着した後、戦闘の邪魔になると申しておるが、裏ではクーアの助太刀をさせまいと目論んでおるのぢゃろう」

 

 そ、そんな……副ギルド長が死ぬ?

 私は目の前が真っ暗になっていくのを感じた。

 

「戯けっ! 気をやっておる場合ではないわ! 良いか? お主は最早冒険者ではない。よって聖帝の命に従う謂われはない。そこが落としどころぢゃ! 実を申せば現役時代のお主を愚僧も存じておったのよ。昔は百姓武術と馬鹿にされておったが、今こそあの変幻自在の棒術が必要な時なのぢゃよ! あの外道共を成敗し、クーアを救えるのはお主だけぢゃ!」

 

 私だけが副ギルド長を救える?

 僅かに芽生えた希望だったけど、私はその芽を育てる事が出来ない。

 

「私の棒術はギルド長に見限られています。そんな腑抜けの私が副ギルド長を救うだなんて無理に決まっているじゃありませんか!」

 

 俯く私に大僧正様は怒るだろうか?

 しかし、私の頭の上に優しく乗せられた温もりにハッと顔を上げる。

 あの日のように大僧正様が微笑みながら私の頭を撫でて下されていた。

 

「お主は腑抜けてはおらぬ。現役から退き、戦いから離れた事でお主は優しさを手に入れたのぢゃ」

 

「優しさ?」

 

 大僧正様は力強く頷かれた。

 

「若き頃のお主は棒術を天下一の武術にせんとギラギラしておった。それが悪いとは云わぬが、非情しか持ち合わせぬお主は危なっかしくて見てはおれんかった。しかし、今のお主は怪我で引退を余儀なくされた事で挫折を知り、人の心の痛みが分かるようになった。それがお主の優しさの根源である」

 

 確かに父さんから伝授された棒術を天下に知らしめる野望が潰えた時は絶望したけど、それからは同じ絶望を知る者達の痛みが分かるようになっていた。

 現役時代の私は敵を只打ちのめす事しか頭に無かったのに……

 

「ぢゃが、その優しさがお主に無意識のブレーキをかけさせておるのもまた事実よ。ギルド長はきっと本気になって打ちかかる事が出来ぬお主が歯痒かったに違いない」

 

 そうだったのか。

 思えば、ギルド長は真剣に私の稽古に付き合ってくれていたのに、私は無意識とはいえ命中の寸前に勢いを殺すなんて武術家として無礼な事をしていたのだと思い至った。

 

「怖いか? 人を傷つけることが」

 

「怖いです。大きな傷によって夢を打ち砕かれた私は……私の一撃で人の夢を破壊する事になるのではと恐ろしくなったのです」

 

「怖いか? クーアを、大切な人を失うことが」

 

「怖いです。副ギルド長は只厳しく部下に接する私に、厳しいだけじゃ人はついてこない。けど優しすぎても堕落させると教えてくれました。あの人のお陰で私は恐れられるだけでなく慕われるようになりました」

 

 そこで私は漸くギルド長の言葉の意味を悟った。

 

「寛猛自在……そうか! ギルド長が何をおっしゃりたかったのか分かった!」

 

 そう、私が引退から最も錆きっていたのは精神、心の在り方だったのだ。

 人は厳しすぎても付いて来ないように、優しさのみでも駄目なのだと副ギルド長から教わったのにその真意を、極意を得ることはなかった。

 

「人の貴賤を問わず優しくするのも美徳であるけれど……哀しいかな。その優しさに付け込むのもまた人。父さんの棒術はそんな外道から弱き人々を、そして自分をも守る為の武術だったのに、名声を追い求めるあまり私はその極意を忘れていた」

 

「さて、お主はどうしたい? 何をすべきか?」

 

 決まっています。

 

「我が家に伝わる棒術をもって悪しき輩を粉砕し、守りたい人を救います!」

 

「迷いは去ったな。お主の大悟、この大僧正マトゥーザが見届けた!」

 

 私はスーツとスラックスを脱ぎ捨てる。

 未練がましく下に例の肌着を着けていたのが皮肉にも手間を省かせてくれた。

 

「事務長、行かれるのですね?」

 

 プロテクターを装着しながら私は頷く。

 

「ええ、やっぱり体調が悪いから早退させて貰うわね」

 

 ぶんと力強く棍を振るうと事務員達ばかりか、この場にいる冒険者達からも歓声が上がった。

 

「ほっほっほっほ……確かにお嬢ちゃん、もといシャッテ殿は病に罹っておる。どんな医者でもどれほどの名湯といえども治せぬ病にのう」

 

 大僧正様……やはりこの御方には敵わないみたいだ。

 

「さあ、行くか! 怪盗を名乗る外道共の元へ送って進ぜよう」

 

「はい! 今、行きます! 待っていて下さい、クーアさん!」

 

 私は現役時代でも感じ取ることがなかった躍動する肉体をはっきりと自覚する。

 私の動きを妨げていた錆は今や完全に落ちていた。




 事務長シャッテ、武術家として復活です。
 シャッテも現役時代はかなり名の通った武術家でした。
 粋がった冒険者はかなり際どい恰好を好んでおり、右を見ればTバック、左を見ればハイレグ、前を見ればビキニアーマーだったので、シャッテもお尻丸見えレベルのTバックも抵抗ありませんでしたが、作中で彼女が愕然としていたように年齢を重ねて若かりし日を思い出しては悶絶する元・冒険者のご婦人は少くないとかw

 現役を引退してから色々と錆びついていた彼女でしたが、やはり一番錆びていたのは精神だったのです。
 けどギルド長のヒントや大僧正の激励、そしてクーアへの想いがその錆びを拭い去りました。ただし、肉体までも復活したのはただの思い込みだったりします(おい)
 恋する乙女は強いのですよw

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第㯃章 魔女の王

 大僧正様専用の馬車は六頭の馬が引くだけあって、怪盗フォッグ&ミストのアジトまであっという間に到着することができた。

 道の前方に陣幕を張っている冒険者ギルドの面々が見えたので一先ず合流する。

 

「ギルド長! クーアさんは?」

 

「シャッテか! 今更、何をし……どうやら昨日までのテメェとは違うようだな」

 

 ギルド長は今の私の変化に気付いたらしく、ニヤリと笑った。

 

「ここから二キロ先でクーア君が一人で戦っている。戦闘開始からまだ三十分しか経ってねぇが、多勢に無勢だ。いくら防御力の高い結界を張っているといってもそろそろヤバいかも知れねぇ」

 

 流石のギルド長の顔にも疲労と悔恨がはっきりと浮き上がっていた。

 本当は今すぐにでも助けに行きたいに違いないのに、聖帝陛下からの命令には逆らえない為、無力感も感じているのだろう。

 否、普段のギルド長なら、自分一人だけだったなら躊躇うことなくクーアさんを助けに行っているはずだ。

 しかし、相手はあの聖帝である。戦闘後にどんな難癖をつけてくるか分からない。

 下手をすれば国家に逆らったとしてその場にいる冒険者達にも累が及ぶ可能性がある。

 だからこそギルド長は冒険者達を守る為に血を吐くような思いで撤退命令を受け入れたのだろう。

 

「状況は理解できました。それではクーアさんの救出に向かいます。今の私は一介の武芸者。冒険者ではありませんから陛下の撤退命令を聞く道理がありませんからね」

 

 ギルド長は私の言葉に少し元気が出たらしい。

 

「ああ、頼ンだぜ。不甲斐ないボスで悪かったな。だが、云わせてくれ。必ず生きてクーア君と一緒に帰ってこい。どちらかが死ぬのは勿論、双方共に死ぬ事は絶対に許さねぇ。もし死にゃあがったら、地獄の果てまで追いかけてぶん殴ってやるからそう思えよ?」

 

 ギルド長らしい激励に私は笑顔で頷いた。

 

「事務長! これをお持ち下さい!」

 

 一人の青年が私に小さな筒のような物を手渡した。

 確か若いながらもAランクとして登録されている凄腕の火術遣いだったはず。

 

「これは我が一族秘伝の炸裂弾『スイートハニー』です。着火は不要。下から出ている紐を引き抜いてから五秒後に爆発する仕組みです。敵は大砲を持っています。撤退前、幸か不幸か敵の方から大砲を撃ってきたので自己防衛と称していくつか大砲を潰しましたが、まだ生き残っている物があるかもしれませんので」

 

 流石はAランクの冒険者だけあって自作出来る武器が違う。

 

「ありがとう。有事の際には遠慮無く使わせて貰うわ」

 

 私は懐に炸裂弾を押し込むと、クーアさん救出作戦を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いた! あの竜巻からクーアさんの魔力を感じる!」

 

 戦場へ到着した私は大きな屋敷が半分以上焼け焦げ倒壊している様を見て戦闘の凄まじさを悟った。

 そうこうしている間に魔力の竜巻は勢力を弱め、徐々に小さくなっていく。

 

「へへ、手こずらせてくれたが、もう身を守る竜巻は起こせないようだな」

 

 竜巻が消え、肩で息をしているクーアさんを取り囲む盗賊達を見た私は、馬車から飛び降りて全力で駆けだした。

 我がシュナイダー流棒術が百姓武術と云われる所以は農夫の畑を耕す仕草や草を薙ぐ動作などをヒントに編み出されたところにある。

 得物の棍は約二メートル、それを全身でもって振り回す姿が正統の剣術を学んだ者達の目には滑稽に映るらしい。

 しかし、不細工な田舎武術と侮った剣士達のその悉くは脳天を割られてあえなくこの世を去る事となる。

 私は走りながら棍を横に構えると、今まさに剣を振り下ろさんとしている盗賊の胸へと先端を突き出した。

 踏み込みつつ突いた先端は盗賊の胸骨を粉砕し、心臓を破壊する威力があった。

 

「な……ん……」

 

 我が身に何が起こったのか分からないまま盗賊は絶命する。

 確かに気分の良いものではないが、今の私はクーアさんを守る使命感に突き動かされていた。

 

「弱者から金品を奪い、命を踏み躙り、婦女を犯す盗賊共! 同じ人といえども生きていては世の中の為にならない。この『幻惑』のシャッテが成敗致す!」

 

「しゃらくせぇ!」

 

 剣を振り上げ迫る盗賊に対し、私は足下を払った。

 剣士同士の戦いにおいて足下を攻撃される事はまずない。

 故に無防備に足を砕かれ無様に転げ回ることになるのだ。

 

「や、野郎共! 一斉にかかるんだ!」

 

 左右から襲いかかってくる盗賊共に私は棍の中ほどを両手で支えて待ち受ける。

 

「死ねぇ!」

 

 一対多の状況こそが我が棒術の真骨頂!

 私は間合いを自在に伸ばしたり縮めたりしながら棍を振り回して盗賊共の脳天や横鬢、肩口を痛打していった。

 戦闘の終了を感じた頃、足下には四肢のいずれかを砕かれた盗賊達の呻き声と、割られた頭から血と脳漿を垂らしている者達の死の気配が渦巻いていた。

 

「事務長? ギルド長から今回の作戦から外れたって聞いていたけど……」

 

 盗賊達の返り血と自らの血で赤黒く染まった顔は、可愛らしいだけに余計凄惨な有り様だったが、表情を見る限り深刻な傷は負っていないようで安心した。

 

「副ギルド長……いいえ、クーアさん、ご無事で何よりでした」

 

 私はクーアさんを抱きしめる。愛しい想いを唯々込めて。

 

「ありがとう……大砲を使用不能にしたまでは良かったけど、多勢に無勢だったから守りに徹していても限度があってさ。魔力が尽きていたから助かったよ」

 

 抱擁を解くと、もうクーアさんには『浮遊』する力も無いのか地面へと座り込んだ。

 

「はは、いやはや、鋳造技術が進んだのか昔と比べて最近の大砲って頑丈だねぇ。連続して撃っても自壊しないし、炎系上位魔法の一発や二発じゃ砕けないんだもの。もう攻撃魔法よりも兵器が幅を利かせる時代が来たんだろうね……結局、館の方を破壊するのが手っ取り早いと判断してさ、ちょっと無理して魔力が尽きかけたところに増援が何度も現れてさっきの有様だよ。戦力の逐次投入は愚策というけど、今回に限って云えば有効だった」

 

 魔法使いの時代は終わりかな、と寂しげに笑うクーアさんに私は首を横に振った。

 

「少なくとも現代医術はまだ魔法からは後塵を拝します。クーアさんはまだまだ世界から必要とされますよ」

 

 むしろたった一人で一時間近くも戦闘を続けながら、敵にこれだけの痛手を与え、巨大な建造物をも破壊したクーアさんの戦闘能力の高さとそれだけの事をして漸く尽きた魔力の強大さは、流石は伝説の魔法使いなのだと畏敬の念を覚える。

 そこで私は重要な事を思い出した。

 

「ところでフォッグとミストは? 神像は何処です?」

 

「少なくともフォッグと名乗った盗賊は倒したよ。ほら、あそこで石化して首が取れた女性がそうさ。けど、ミストの方には逃げられた。フォッグの首を持ってね。神像は……これからゆっくり探そう……壊れてなければ良いけど」

 

 クーアさんは半ば倒壊し、焼け焦げた屋敷を見渡しながら頬を引き攣らせる。

 その時、多数の馬蹄が地面を踏み抜く音と馬の嘶きが近づいてくることに気付いた。

 

「やれやれ……漸く軍の到着か。本当にろくでもないんだから」

 

 夕闇迫る時刻でも砂塵が確認できるようになり、やがて銀色に輝く鎧を身に纏った騎士達が見えてきた。数は……ざっと百くらいか。

 

「あれ? なんか殺気立ってない? って云うか、僕達を目指してるよね? 斥候も出さずにどんどん来てるし……あれ? 抜刀してるのもいるよ?」

 

 あれよあれよという間に私達は騎士達に取り囲まれてしまった。

 

「魔女クーア! 神像強奪の首謀者め!」

 

 クーアさんが神像を盗むですって?

 一体全体、何をどう考えればそのような結論に行き着くのか理解に苦しむ。

 

「ふふふふふふ……」

 

 不気味な嗤い声に私は戦慄した。

 見ればクーアさんは今まで見たこともない妖艶な笑みを浮かべているではないか。

 姿こそ幼い少年だが、その身からはサッキュバスの如く禍々しくも抗いがたい色香が滲み出ており、気を抜けば呑まれてしまいそうだった。

 

「今回の事件はさ。深い霧の中にいるかのようになかなか全体が見えなかったけど、漸く……漸く敵が見えてきたよ。いやはや僕も相当にお人好しだ。嗤っちゃうくらいにね」

 

 クーアさんの髪が風もないのにざわめき、見る見るうちに伸びて血でドス黒く染まったローブに絡まっていく。色も鮮やかなライトグリーンからダークグリーンへと変わり、さながら古城に絡みつく蔦のようだ。

 

「クーアさんの姿……まるで絵本の中に出てくる魔女のお城みたい……」

 

「無駄な抵抗はよせ! 大人しく捕縛されるのならば、聖帝陛下も慈悲を賜わるとの仰せだ。陛下のお心にお応えせよ。あの御方は罪人となった今も尚、貴様を友とおっしゃっているのだ。これ以上、陛下を哀しませてはならぬ」

 

 隊長格の男が口上を述べながら向けるサーベルの切っ先を、なんとクーアさんは無造作に掴んだ。

 

「き、貴様! 何をしている?」

 

「そう、友達だよ。出会ってから早半世紀、色々あったけど僕はパテールを友達だと思っていた。宮廷治療術師とは名ばかりで宮殿の地下に軟禁されていたのだって、ある意味、僕を守ってくれていると思えばこそ耐えられた」

 

 クーアさん?

 泣いていた。嗤いながらクーアさんはぽろぽろと涙を零していた。

 

「フォッグとミストは云っていたよ。『魔女の王』と戦うなんて聞いていない。割に合わないにも程があるってね。つまり、フォッグ達は雇われていたんだよ、何者かに……」

 

 クーアさんが掴んでいるサーベルが軋み、騎士の隊長は愕然とした様子で自分の手を見ていた。

 同様に周囲の騎士達も、何故か自分の足を掴んで揺すったり、剣の柄に手を掛け必死に踏ん張ったりと、明らかに様子がおかしい。

 

「彼は分かっていたんだ。前段階でフォッグ達にせこい盗みをやらせていたのは依頼のランクを下げさせる為、星神教会が冒険者ギルドに依頼するのも想定の内。もしかしたら例の冒険者達も無謀な依頼を受けた時には既に彼の手がついていたのかも知れないね。そして、僕の性格を知っていたからこそ、僕が責任を取る為に出張ることを読んでいたんだ」

 

 そうだったのか。

 的は星神教でも冒険者ギルドでも、況してや王宮でもなかったのだ。

 初めから的に掛けられていたのはクーアさん。

 

「そしてクーアさんを狙っているのは……」

 

「聖帝パテール……五十有余年前、共に戦った戦友。戦後は、“民衆が笑って暮らせる国作りを手伝ってくれ”、と云いながら僕を軟禁し続けた男……」

 

「ひ、ヒイイイイィィィ! 手が、手が離れない?」

 

 隊長が焦燥に駆られたように叫ぶと同時に騎士達の体がほのかに発光を始めた。

 

「悪いけど君達の魔力と精気を貰うよ。少し虫の居所が悪いから加減はできないけど、何、心配は要らない。精々十年か二十年そこら寿命が縮まるくらいだからさ……『エナジードレイン』!」

 

 騎士達の体から放たれている光が強まったかと思えば、それらは一斉に飛び出してクーアさんの体へと入っていった。

 光が収まると、後に残ったのは力無く倒れ伏す騎士団の姿があるばかりだ。

 かろうじて生きてはいるようだけど、兜の隙間から覗く肌はカサカサに渇き、目は落ち窪んでいるような有り様だった。

 

「男の身でも魔女は魔女。迂闊に怒らせると火傷じゃ済まないからね?」

 

【挿絵表示】

 

 これが、かつて聖都スチューデリアを恐怖のどん底に陥れ、勇者様とも互角以上に渡り合った『魔女の王』の力の片鱗か。

 この容赦の無さ故にクーアさんは怒りを抑えるようになったのだろう。

 しかし、私の心に去来するのは恐怖ではなく、憧憬にも似た熱いものだった。

 そこで、ふと疑問が湧いてきた。

 

「あのぅ、騎士達から魔力を奪えるのなら、どうして盗賊達からも魔力を奪いながら戦わなかったのですか? そうすればあそこまで追い込まれることもなかったでしょうに」

 

 するとクーアさんは気怠そうに顔をしかめたではないか。

 

「そう簡単にはいかないよ。魔力とはこれ即ち精神力。だから警戒している相手からは奪うことはできないし、況してや戦闘中なら尚更さ。発動中はこっちも無防備になるしね」

 

 なるほど、奪わなかったのではなく奪えなかったのか。確かに魔法の発動もかなり時間を掛けていたようだし、敵愾心を剥き出しにして次々と襲いかかってくる盗賊達から魔力を奪うのは無理というものだろう。

 

「この魔法の肝は、何と云っても相手の虚を衝いて心を空白にしてやることにあるんだ。だからさっきは突きつけられたサーベルを素手で掴んで見せる事で軽く驚かせて、後は足の裏を地面に吸い付かせ、剣を鞘の中に固定することで相手に恐怖を与える演出をしたってわけさ」

 

 クーアさんは肩を竦めながら続ける。

 

「僕が女だったら、裸になるなり誘惑するなり、もっと簡単に相手の心を乱せたんだけどね。実際、母様も、“いくら時代が変わろうと色仕掛けが有効なのは変わらない”って云ったものだよ」

 

 クーアさん曰く、数千人規模程度の軍ならば魔女が三人ばかり一晩裸踊りでもしてやれば、みんな骨抜きになって戦闘にならなくなってしまうのだそうな。

 

「流石は魔女……戦う前に勝つ事など造作もないのですね」

 

 と、珍しくクーアさんが意地悪げな笑みを浮かべていたことに気付いた。

 

「君も良く云うね。現役時代はその可愛いお尻で対戦相手の目を奪って勝利を得てきたと見たけど?」

 

 その言葉を受けて、私の顔が熱を帯びてくる。

 咄嗟にお尻を手で隠しながら私は思わず叫んでしまった。

 

「わ、私の棒術は本物です! それに今の発言はセクハラですよ!」

 

 しかし、クーアさんは愉快そうに笑うばかりだ。

 

「失敬、失敬。褒め言葉のつもりだったんだけど、やっぱり魔女と普通の人とでは感覚が違うのかもね。魔女は人から好色の目で見られてナンボだからさ」

 

 そういう意味では少年愛趣味の人の視線は心地が良いよ、と宣う。

 個性派揃いの冒険者ギルドの中にあって比較的常識人だと思っていたクーアさんもやはりどこか常人とは違うのかも知れない。と云うか、そういった視線を感じるのならば、私が時折、クーアさんのうなじやローブの胸元から覗く鎖骨に劣情を催し妄想に耽っているのを実は気付かれているのではないかと気が気では無いのだが……

 

「さあ、そろそろ行こうかな?」

 

 奪った騎士達の魔力が体に馴染んだとかで、クーアさんの体がやおら浮かび上がった。

 同時にクーアさんの髪が再び明るさを取り戻しローブから離れていく。

 

「エメラルス、お願いね。『スラッシュウインド』!」

 

 風の刃がクーアさんの髪を短く切り裂くが、元通りというよりはローブに絡まって癖がついたのか、所謂ゆるふわヘアとなって前にも増して可愛らしくなっているのはこの人の宿命なのだろうか。

 

「と云うか、エメラルス、いえ、エメラルス様ってまさか……?」

 

「うん。『風』と『運気』を司る『龍』の神々の筆頭だね。堕天使で魔界軍の総司令官やってる人の紹介で会ったことがあってね。以来、気に入られたのか、風属性の魔法を遣う時は消費する魔力が軽減されたし、どんな苦境でも土壇場で道が開ける悪運に恵まれるようになったんだよ。さっき君に助けられたようにね。そういう義理もあってさ。星神教は嫌いだけど、エメラルスだけにはたまにお酒や手料理を供物として奉納してたりするんだよね」

 

 何でこの人はそんなオソロシイ事をさらっと云えるのだろう?

 

「あの……シチュエーションが全然思い浮かばないのですが……」

 

「簡単に云うと昔、エメラルス配下の天使が何をとち狂ったのか、僕には世界の救い主を産む聖母としての宿命があると云ってしつこく付きまとってきてさ。僕は男だって云っても、“なら天界の技術で女の子にして差し上げましょう”、だよ?」

 

 クーアさんはげんなりとした顔となった。

 

「こりゃ話にならないと魔王様に相談したら同席されていた総司令閣下が、“そいつは知り合いかも知れん。堕天する前は自分もエメラルスに仕えていたから、その伝手から抗議してやろう”って請け負ってくれてさ。で、お任せして次の日だよ。先方が会って詫びたいって申し入れてきたと閣下に呼ばれてのこのこと出向いたらいたんだよね、エメラルス」

 

 いやいや、いやいや、堕天使が未だ天界に伝手があるっておかしいでしょう?

 しかも人間相手に、部下の失態を謝罪しにわざわざ降臨される神様がどこの世界におわすと仰せなのですか、エメラルス様!

 

「あ、でも天界土産の銘菓・星サブレーと天使のひよこ饅頭はお茶と合ってて美味しかったよ。結構人気でなかなか買えないんだってさ。誰が買うんだって話だけどさ」

 

 しかも天使のひよこって何? 天使って卵から孵ってひよこを経て天使になるの?

 あ、いや、もういいです、もういいです。お腹いっぱいで胸焼けがしそうなので、後生ですからもうこの話題は終わりにして下さい。

 かつては勇者様の仲間であり、魔王の寵愛を受け、星神教を憎みながらも、その神の一柱を気安い感じで名前を呼ぶ……やはり大物なのだろう。見た目は小さいけど。

 

「それに見て? 切られた髪がいつの間にか消えているでしょ? 女の髪に宿る霊力は神様にとって良い供物になるみたいでね。僕の場合も男でありながら魔女である事から髪にかなりの霊力があるらしくて、髪が伸びると、ああしてエメラルスに切って貰うんだ」

 

 神様と持ちつ持たれつの仲の魔女か。差別主義に凝り固まった古い宗教家が聞いたら発狂しそうな話である。

 事実、私は胸焼けと胃もたれを同時に味わう事となったわけで……

 

「ところで先程の、行こうとは?」

 

 クーアさんはポンと手を叩くと、私に向き直る。

 

「ああ、事務長? 悪いけど帰ったらギルド長に辞職するって伝えてくれないかな? これから僕がする事は冒険者ギルドにとって不利益にしかならないからね」

 

 不利益……つまりクーアさんがこれからしようとしていることは……

 止めても意味は無いと悟った私は黙って頷いた。

 

「ありがとう。それじゃ達者でね」

 

 クーアさんが影の中に沈み込もうとするその一瞬を私は逃さなかった。

 

「事務長?」

 

 クーアさんが驚きの声をあげるが構わない。

 私は沈みゆくクーアさんから離れないようにきつくきつく抱き締めた。

 

「真面目一筋かと思ってたけど、魔女を騙すなんて中々やるね」

 

 クーアさんはいつもの、ほにゃっとした苦笑いを見せた。




 シャッテが無双しましたね。
 そもそもの話、シュナイダー家に伝わる棒術は弱者を守る為に多対一を想定した武術なので、誰かを守るシチュエーションこそ本領を発揮します。
 ただし、鈍器なのでやられる側は割りと悲惨な目に遭います(汗)
 まあ、剣や槍でやられるのがマシという意味ではありませんが、"斬られた死体”と"頭を割られた死体”とではどちらが無惨な表記なのかと云えばね(苦笑)

 クーアはガチギレして魔女モードに変身してしまいました。
 騎士達からすれば理不尽極まる話ですが、怒れる魔女とは得てしてこんなものです。
 ちなみにこれは第二形態。まだ変身を残していたりします(ぇ
 クーアがどこに転移しようとしているのかはお察しの通りです。
 結果はどうなるのかは次回と云う事で。

 ミストがフォッグの首を持っていった理由も次回に明らかになります。
 今は事務長視点なのでクーアの戦闘は見れませんでしたが、激戦でした。
 もしクーアの視点があったら、屋敷を破壊するのに『ヤマタノオロチ』を手加減したバージョンで遣っているところを書けたのですけどね。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第捌章 霧が晴れて

 私は目の前に広がる光景を信じる事ができなかった。

 聖帝のおわすスチューデリア城の玉座の間で倒れている一人の老人。

 その顔はきょとんとしており、自分の身に何が起こったのか分かっていない様子だった。

 

「来て下さると思っておりました、伯父上」

 

 手に血刀を下げた銀の髪を持つ青年がクーアさんに対面して跪いた。

 

「君が殺したのかい?」

 

 クーアさんが老人を見下ろして問う。

 巻毛のかつらが外れて禿頭(とくとう)を晒しているがその顔に見覚えがある。

聖帝陛下その人だった。

 

「陛下は人の道を大きく外れてしまいました。大恩ある伯父上、我が国の財政を立て直す基盤を創り上げたビェードニクル伯爵に仇を為し、此度は国教たる星神教を辱める策を躊躇いなく実行するに至り、このままでは国が滅ぶと判断したのです」

 

 青年の言葉にクーアさんはやるせない想いを込めた溜息を吐いた。

 

「短慮をしたね。只でさえ君は魔女の血を引くってことで立場が危ういのに、これじゃ元老院の妖怪達を喜ばせるだけだよ?」

 

「伯父上が手を下しても政治屋達を喜ばせただけだと思われますが?」

 

「僕なら、僕が犯人なんじゃないかなと匂わせつつも証拠を残すヘマはしないよ」

 

 クーアさんを伯父上と呼ぶこの青年こそ、聖都スチューデリア第一帝位継承者レオニール皇子であった。

 聖帝陛下の御正室、聖后陛下はなんとクーアさんの妹君であるのだそうだ。

 クーアさんは再び陛下の遺骸を見下ろすと憐れむような表情になる。

 

「なんて死に顔だい。かつて魔王様の軍勢と闘っていた頃は、自ら斬り込み隊長を買って出て、常に前線で僕や『不良勇者』を守って戦ってきたのに……まるで自分の死にすら気付いてないかのようにポカンと大口を開けて死ぬ奴があるかい」

 

 クーアさんは陛下の亡骸に膝枕をしてご尊顔に手を添えると、瞼と口を閉じた。

 

「これで少しはマシになったね。まったく……君には色々と云いたい事があったけど、五十年来の友達付き合いと死に免じてこれで勘弁してあげるよ」

 

 クーアさんが陛下の額に竹篦を喰らわせると、クーアさんの心が届いたのか、単に叩いた拍子なのか、陛下の表情が苦笑いにも似た形となった。

 

「笑って誤魔化す癖は死んでも直らないのか、君は?」

 

 クーアさんは乱暴にかつらを被せると、放るように陛下を床へ横たえた。

 

「間違っても冥王様を口説くんじゃないよ? 冥王様が美女のお姿で男の亡者を裁くのは、あの世へ旅立つに際して最後の煩悩を捨てられるかどうかの試練なんだからね? それで地獄に堕とされても助けに行ってやらないからそう思いな」

 

 両の掌を合わせて目を閉じると、クーアさんは静かに祈りの言葉を捧げる。

 

「冥王よ。今より参る愚かだが結局憎みきれなかった友に永遠の安息を……」

 

「クーアさん……」

 

 罠に掛けられ、命を奪われかけたというのにこの人は……

 

「それとパっつぁんの来世ですが、どうせなら女の子にでも転生させてやって下さい。あの女好きからすれば下手な地獄に堕とされるよりよっぽど良い薬になるでしょうから」

 

「クーアさん……」

 

 こういう所がいかにも魔女なんだなぁ、と思わずにはおれなかった。

 

「生まれ変わったパっつぁんが本当に女の子だったら前世の記憶を思い出させてからかってやろうかね?」

 

「よしましょうよ、趣味の悪い」

 

 魔女さながらにケタケタ嗤うクーアさんを見ても、恋心が冷めないのだから私も大概であろうけどね。

 と、お互いに種類の違う笑顔を見せ合う私達に近づく気配があった。

 今まで沈黙していたレオニール皇子だ。

 きっと陛下を弔うクーアさんの邪魔をすまいとされていたのだろう。

 

「伯父上、この上は私に力をお貸し下さい。聖都スチューデリアを真の意味で立て直す為にも内務大臣の任に就いて私を支えて頂けませぬか? 我が国を食い物にせんとする元老院議員とそれらが推す暗愚な弟に対抗するには伯父上の知恵が必要なのです」

 

「断るよ。僕に政治家の素質は無い。それに僕はもうスチューデリアと付き合うのは懲り懲りだ。これからは魔女の谷に戻って隠居するさ。何、心配はいらない。僕と母様の二人が生活するくらいなら三十年は魔法の研究をしながら遊んで暮らせるだけの蓄えはあるし、いざという時はお金の稼ぎ方も心得ている。君を手伝わない代わりに、僕も君に面倒をかけるつもりはないよ」

 

 にべもないクーアさんにレオニール皇子は何とも云えない表情を浮かべた。

 しかし内心、穏やかではないのは私もだ。

 クーアさんが魔女の谷に引き籠もってしまえば二度と会うことは叶わないだろう。

 それは嫌だ。尊敬する上司であり、何よりもこの世の誰より愛しい人を失いたくない。

 

「伯父上のお父上、つまりお祖父様は公爵の地位にあると同時に大変に優れた内務大臣であったと聞き及んでいます。お祖母様の魔力を多分に受け継がれた伯父上ならば、きっとお祖父様の明晰な頭脳も引き継いでおられるはず」

 

「レオン、いやさ、レオニール皇子。その優れたお祖父様を殺しただけでは飽き足らず、公爵家を無慈悲に改易したのもまた君のお祖父様だよ」

 

 クーアさんの冷たい眼光にレオニール皇子はたじろいだ。

 が、次の瞬間、名案が浮かんだと云わんばかりの明るい表情を浮かべる。

 

「そ、そうだ! かつて改易された伯父上のご実家であるツァールトハイト家を再興させましょうぞ! 伯父上が新たな当主となり、公爵の地位に返り咲けば我が国は盤石なものとなりましょう!」

 

「この虚け者がッ!」

 

「ヒッ!」

 

 ああ、今ならクーアさんに一喝されたサラの気持ちが良く分かる。

 騎士達の魔力を奪い取った時の威圧感すら比べものにならない気迫は、レオニール皇子だけでなく後ろに控えている私さえも恐怖で身が竦む有り様なのだ。普段の勝ち気な言動とは裏腹にナイーブな面もあるサラの事、生きた心地がしなかっただろう。

 

「お伯父上が……あの小柄な伯父上が巨大に見える?」

 

 そう、魔女としての妖艶さではなく、唯々クーアさんの背中が大きく見えるのだ。

 この感じは私の遠い過去の記憶を呼び覚ます!

 

「父さん? そうだ! 今のクーアさんの背中は、私がずっと追いかけ続けていた偉大な師であり絶対的な信頼の象徴であった父さんの背中を思い出させる!」

 

「魔女と交わった家を再興させてなんとする! それこそ元老院議員にとって最上の餌ではないか! 況してや私は内縁の妻の子。妾腹ですらない! 実家も何もないのだよ! その私がツァールトハイト家の当主? 嗤わせるんじゃあない!」

 

 クーアさんはレオニール皇子の胸倉を掴んで持ち上げると、額がぶつからんばかりに顔を近づけた。見かけによらずかなりの膂力だ。

 

「それに貴公が今やらんとしているのは身内で自分の周囲を固める愚策中の愚策! 身内人事などしたら、いくら志が高かろうと、あっという間に(まつりごと)が腐敗するのが分からぬほど愚かなのか!」

 

 クーアさんが手を離すと、皇子はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。

 

「まったく……お説教なんて柄じゃないのになぁ。どうせ、パっつぁんも癇癪を起こすばかりで叱った事なんてなかっただろうし、レクトゥールが心配する訳だよ」

 

「母上、否、聖后陛下が?」

 

「そ、レクトゥールは飽くまでお后様、政治に口出しする訳にもいかないしね。だから、折を見て君の甘ったれた考えを矯正してくれって頼まれていたんだよ」

 

 クーアさんは肩を竦めて私の方へと振り返った。

 

「けど、僕には子供がいないからさ。父様に叱られた時の事を思い出して真似てみたんだけど、どうだろう? あ、勿論、胸倉を掴まれた事なんてないから誤解しないでね」

 

「ええ、時には心を鬼にして我が子を叱る父親そのままでしたよ。先程のクーアさんの背中は確かに大きく見えて、私も父を思い出しました」

 

 本当に怖いと思う同時に父さんと故郷を懐かしく思い出させてくれたのだ、クーアさんの背中は。

 

「そう云われると面映ゆいな。そうか、僕も伊達に歳食っていたわけじゃないんだと知れて少しほっとしたよ」

 

 そう云って笑うクーアさんは、いつもの愛らしい彼に戻っていた。

 

「そういう訳だから、レオンもそろそろ自立して、自分で仲間を捜すんだね」

 

「伯父上……」

 

 項垂れるレオニール皇子を一瞥してから、クーアさんは頭を掻きつつ続けた。

 

「ただ、このまま去るのも後味が悪い……置き土産に君の立場を少し良くしてあげるよ」

 

 何故か私の頭上に目をやったクーアさんを訝しむ間もなかった。

 何者かが背後に降り立ち、私はたちまち拘束されてしまう。

 

「『男魔女』め! 私に気付いていたのか?」

 

 疲労と憎悪が込められた声から察するに中年の男のようだ。

 

「君も指折りの盗賊と謳われたのなら殺気くらい隠しなよ? 態々自分の居場所を教えているようなものさ」

 

 肩を竦めるクーアさんに背後の殺気が膨らんだ。

 

「悪党とて長年連れ添った恋女房を殺されて平気でいられる道理はない。フォッグの仇を討たせて貰うぞ、『魔女の王』よ!」

 

 恋女房? フォッグの仇?

 つまり、この男が怪盗の片割れのミスト?

 

「悪党ながらその心意気は天晴れだと云わせて貰おうかな」

 

「ふん! 仇に褒められたところで嬉しくもないわ!」

 

 一生の不覚。レオニール皇子の前で害意が無い事を示す為に棍を足下に置いていたのが仇となってしまったか。いくら宮殿の中とはいえ油断しすぎだ。

 

「ところでフォッグの首はどうしたのさ? 身に付けている様子は無いけど?」

 

「夫婦の契りを交わした時の約束でな。明朝には部下が盗賊ギルド本部を眼下に臨む丘の上に埋葬してくれている事だろう」

 

「意外とロマンチックな事をするね」

 

()け。日陰の世界に生きる身だからこそよ」

 

 成る程。大手を振ってお天道様の下で生きられないが故に、死した後くらいは日の当たる場所で眠りたいというわけか。

 

「それにしても、よくここまで忍び込めたね? って云うか、僕がここに来るって予想を立てられたのは凄いよ。君達とパテールの計画じゃ僕は今頃、軍に逮捕されていただろうからさ」

 

 クーアさんの疑問にミストは鼻で嗤った。

 

「貴様がここに来たのは想定外よ。私は偽りの契約を結んだ聖帝に制裁を加えにきたのだ」

 

 そう云えば、クーアさんが出張ったことに、話が違うと証言していたはずだ。

 今となっては契約内容を知っても意味はないが、彼らとしては契約に虚偽があったことこそが重要なのであろう。

 

「作戦では冒険者ギルドは完全撤退し、後に合流する親衛隊に我らは保護される手筈であったのだ。だが、間者からの報告では聖帝は貴様に戦闘を命じたとあった。つまり奴は初めから私達を貴様にぶつける為の捨駒にするつもりだったに違いない!」

 

 ミストは右手に握られたナイフが私の首筋に食い込む。

 

「しかし聖帝は既にそこにいる皇子に殺されていた。そこへ貴様が現われたという訳だ。あまりに想定外のことが続いたが、逆に考えれば好都合! 本部への手土産に『魔女の王』の首を頂いて行こう!」

 

 どうやら私を人質にクーアさんの動きを封じ込めて斃す算段らしい。

 

「動くなよ? 皇子様も迂闊に人を呼ばない方が良い。今の状況を考えろ。今の貴様は父親殺しにして王殺しの大罪人だ」

 

「その通り。レオン、今は僕を信じて何もしないで」

 

 状況はかなりマズい。

 このままではクーアさんが殺されてしまう。

 その時、胸元にある感触に妙案が浮かんだ。

 

「いくら時代が変わろうと、か」

 

 偉大なる先人、魔女ユームの教えを有り難く実践させて貰うとしよう。

 私は体を拘束するミストの左腕を振りほどこうと藻掻くふりをして胸元に爪を当てた。

 

「おい! 暴れるな! 死にた……何っ?!」

 

 私は肌着を斬り裂いて乳房を露出させる。

 キツかった肌着から解放されたせいか、大きく跳ね上がりながら初夏の夜気を引き裂く感触が場違いながら何とも心地良い。

 これでミストの注意を引くと同時に、乳房に挟まっていた切り札が零れたのをキャッチした。

 

「お疲れ様! 疲れた体には甘い物が一番よ!」

 

 緩んだ拘束を抜け出した私は、先程、冒険者がくれた『スイートハニー』をミストの口の中に押し込んで起爆用の紐を引く。

 

「クーアさん! 皇子! 伏せて!」

 

 私がクーアさんに駆け寄って押し倒すと同時に背後で爆発が起こる。

 衝撃が過ぎ去って振り返ると、上半身を失ったミストが倒れていた。

 想像を超えるグロテスクな光景に胃が持ち上がるような感覚に襲われるが、自分がやった事だと心の内で云い聞かせて何とか落ち着きを取り戻す。

 

「事務長もなかなか過激だね。爆弾もそうだけど、色仕掛けをするようなタイプには見えなかったからさ。ちょっと驚いたよ」

 

 流石は元治療術士と云うだけあって慣れているのか、この惨状を見てもクーアさんは平然と笑いながら私の乳房を指差したものだ。

 私としては手で胸を隠しながら曖昧に笑う事しかできない。

 咄嗟のこととは云え、男三人が見ている前で胸を曝け出したのだ。

 我ながらよくやってのけたものである。

 

「でも、丁度上手い具合に聖帝殺しの犯人が見つかったよ」

 

 クーアさんの見詰める先にはミストの下半身があった。

 レオニール皇子はそれでクーアさんが云わんとしている事を察したのか、困惑と驚愕の入り交じった表情を浮かべる。

 

「お、伯父上? いくら盗賊でも我が罪を着せるなど道理に反するのでは?」

 

「この程度で罪悪の意識を感じていたら国家元首は務まらないよ。ミストだって元はパテールを殺そうとしていた訳だからあながち嘘じゃないし、何より君以外の皇子が聖帝になってごらんよ? それこそこの国は元老院議員にむしゃぶりつかれて滅びてしまうよ」

 

 やはりクーアさんも政治の話になると相当ドライになるようだ。

 

「もし、気が晴れないって云うのなら、その残った下半身を丁寧に供養してやるんだね」

 

「承知致しました。出来得る限り手篤く葬りましょう」

 

 レオニール皇子がミストの遺骸に手を合わせ、許せ、と呟くのをクーアさんは満足げに見ていた。

 

「見張りの兵士もさ。賊の侵入をここまで許した挙句に大ボスを殺されたんだ。上手く恩を売れば味方になってくれるよ。同様に数こそ少ないだろうけど臣民の幸せを願う、心ある元老院議員を厚く遇していくとか、こういった積み重ねで味方を増やしていけば足場は盤石になると思うから頑張りなよ」

 

 クーアさんがいきなり私を抱き寄せたので、私はどぎまぎしてしまう。

 同時に遠くから大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「爆発から数分経ってようやくお出ましか。ホント、この国の兵は威張るだけで質が悪いよね。その辺の教育もしっかりしなよ? 『親』になるんだからさ」

 

 私達の体が影に沈んでいく。

 

「お、伯父上はどうしても私を手伝って下さらないのですか?」

 

「まだ云うか。甘えないでよ、四十六歳。僕はもう帝室とは関わらないの」

 

「わ、私は諦めませんからね!」

 

「あっそ」

 

 クーアさんがあっさり返すと同時に、私達は影の中に沈んでいった。

 




 聖帝の呆気ない死。
 聖帝は昔ならいざ、今は癇癪持ちのヨボヨボのお爺ちゃんですからね。
 ただ喚く聖帝に遣る瀬無くなったクーアがトドメを刺すよりかはまだ見苦しくない最期を迎えられたのではと思います。

 シャッテは今回の事件でかなり成長する事ができました。
 クーアを救うためとはいえ、今までの彼女でしたら咄嗟に胸を曝け出せなかったでしょう。クソ度胸と云ってしまえばそれまでですが、それでも現役時代のシャッテでもそこまでの胆力はありませんでした。
 想い人のクーアは男ですけど魔女でもありますから、並の女性では相手にならないでしょうね。
 ちなみに事務長は、ギルド長からクーアを紹介されたその瞬間から一目見ただけで惚れてしまってますw

 驚かれたでしょうが、正真正銘、レオニール皇子は46歳です。正室も側室も既にいますし、嫡男も既に嫁いだ娘達もいます。魔女の一族なので人より老いが遠いのですね。
 ちなみに私の小説の魔女は二十歳くらいで老化が止まり、寿命が尽きる数ヶ月で一気に歳を取って死ぬという設定です。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第玖章 月夜の誓い

 気が付けば、私達は副ギルド長室にいた。

 先程のクーアさんの言葉を思い出した私は、どうしても問わずにはいられない。

 

「クーアさん、魔女の谷に帰るというのは本気なのですか?」

 

「まあねぇ、今回の件で色々と懲りたからさ。それに例の一件で人を殺めてからこっち、どうにも魔に与する者としての気性を抑えきれなくなってきているし、ここらが退き際かなとも思っていたんだよ」

 

 満月の光に照らされたクーアさんは、幻想的であると同時に儚くもあった。

 

「今後は君に副ギルド長を継いで貰うさ。君には人望もあるし、ギルド長からの信用も篤い。適任だと思うよ」

 

 私は胸の奥に湧き上がる想いを堪えきれずにクーアさんを抱き締めた。

 

「嫌です! 私はクーアさんが好きなんです! 私を置いて魔女の谷に行かないで下さい! もし、行くと云うのなら私も連れて行って下さい!」

 

 私の想いを伝えたはずなのに、クーアさんはあっさりと私の腕の中から消えた。

 机の影から現われたということは『影渡り』の応用であるらしい。

 

「気持ちは嬉しいけどね。でも迷惑だよ。僕は魔女の血を引き、魔王様のご寵愛を受けた影響で老いが遠く寿命も恐ろしく長い。只の人間である君と一緒になっても先立たれるのがオチさ。それに見てくれの通り僕はまだ生殖器が未成熟でね。少なくとも君が生きている間に生殖能力を獲得出来るとは思えない。その意味は分かるよね? つまり僕には君と家庭を築く事が出来ないのさ」

 

 現役時代。仲間の死を看取ったのは一度や二度じゃない。

 しかし、何度経験しようとこの哀しみに慣れる事は無かった。

 況してやクーアさんはこれまでの長い人生でどれだけの友と死に別れたのか。

 しかも彼はこれから今までの何十倍もの人生を歩まなければならないのだ。

 たとえ私とクーアさんが結ばれても、それは気が遠くなるほど長い生涯の中での一瞬に過ぎず、彼の言葉を信じるのなら子供も望めないのだろう。

 しかし、だからといって、はい、そうですか、と諦めろだなんて残酷ではないか。

 

「勇者様はどうなのですか? 今でも尚、敬称で呼ぶ魔王を裏切ってまで勇者様についていったのは何故なんですか? 私と勇者様とでは何が違うというのです?」

 

 クーアさんは驚いた顔をしていたけど、一瞬だけ優しい、何かを思い出すかのような表情を浮かべた。

 

「ああ、マトゥーザから聞いたんだね。彼女はね、当時の聖帝を屠った後、僕達に云ったんだ。“吾輩はこれから世界を征服する。貴様ら魔女は吾輩についてこい”ってね」

 

 どこの世界に自分が世界を支配するという勇者がいるのだろう。

 いや、この世界だ。しかも勇者様は異世界の戦闘用ホムンクルスだった。

 

「吾輩が世界を手中に収めた暁には人間と魔女を対等にしてやろう。優れた人種・魔女が見下されることはなくなるのだ。同時に魔女が人間を見下すこともない。見下すのは下に居る者がいて初めて心の安寧を得られる弱者の証明だからな」

 

 クーアさんはこの言葉にまず痺れたという。

 

「今まで魔女に尊厳なんて認められていなかったからね。しかも、その尊厳を認めつつ、尊厳があるからこそ人を見下すなとも云ってくれた。彼女が人造人間だなんて関係ない。僕はこれで胸を張って、“魔女の一族であることに誇りがある”、と云えるようになったのさ」

 

 そしてクーアさんへの最大の殺し文句がこれだった。

 

「吾輩を創造した科学者共が云うには、吾輩は理論上、老いも無く、永遠に進化し続けるのだそうだ。細胞分裂の繰り返しによる劣化及び癌化はなく、自己再生能力も不滅らしい。分かるか? 吾輩は貴様が望む限り、いつまでも一緒にいてやれる。不老長命は地獄だ。その地獄を一人で生きるのは辛かろう。吾輩で良ければ付き合ってやる」

 

 クーアさんは月を見上げて微笑んだ。

 

「嬉しかった! 全てを置いて生き続ける地獄を魔王様に告げられてから、僕は密かに泣いていたし、魔王様にもお恨み申し上げたよ。けど、彼女は一緒にその地獄を歩いてくれるって云ってくれたんだ。だから僕は必死になって生き続けた。パテールに騙されて宮殿の奥深くに押し込められても絶望することなく生きることができたんだ」

 

 クーアさんは勇者様のお言葉で救われていたのだ。

 永遠とも云える生を歩む地獄を共に行こうと云われれば誰だって嬉しいだろう。

 だが、そこで疑問が残る。

 

「でも勇者様はいずこへ? ヘルト・ザーゲでは大団円を迎えた後、人々に惜しまれながらも元の世界へ帰られましたけど」

 

 途端にクーアさんの顔に侮蔑が浮かんだ。

 私に向けたものでないと分かってはいるけど、胸がざわついて仕方が無かった。

 

「彼女は強かった。否、強すぎた。違うな、強くなりすぎた。理論上、際限なく進化するという彼女は、最終決戦において魔王様をも上回る身体能力を手に入れていたんだ」

 

 圧倒的な力で魔王を退けた勇者様は、その苛烈な性格と相俟って時の権力者達に恐れられていた。権力者達は勇者様を凱旋パレードに参加するよう要請し、そのコース上に罠を張ったという。

 

「召喚した勇者を元の世界へと還す魔方陣が敷かれていたのさ」

 

 クーアさんが察したときには遅かった。

 魔法が発動し、勇者様は馬車と馭者をも巻き込んで元の世界へと還されていった。

 彼らから何の労いの言葉もかけられずに……

 

「その時、彼女から思念による会話、所謂テレパシーが届いた。“吾輩は必ずこの世界へと戻ってきて貴様との約束を果たす。だから貴様も短慮を起こすな”ってね」

 

 その後、クーアさん達勇者パーティはそれぞれ高い地位を与えられた。

 魔族撃退の褒美であるが、勇者様の処置について口を閉ざせ、という意味もあったのだ。

 

「あれ以来、僕は帝室と星神教の権力者達を信じられなく、違うな、許せなくなったよ。魔女の谷に戻って、魔女戦争再び、と思わなくもなかったけど彼女との約束を思い出して大人しくしていたって訳さ」

 

 クーアさんの人生は聖都スチューデリアと星神教の裏切りによって歪められていたのだ。

 しかし、私にとって重要なのはそこではない。

 

「クーアさんは寿命云々の前に勇者様への想いがあったのですね」

 

「うん、だから、ごめん。僕は君の想いに応えられない」

 

「謝らないで下さい。それよりも」

 

 私は隠していた胸から手をどけた。

 そしてプロテクターと肌着を脱いでクーアさんと向き直る。

 するとクーアさんは警戒したのか眉根を寄せて睨みつけてきた。

 

「何のつもりさ? 僕に、魔女に色仕掛けなんて通用するとでも?」

 

 違いますよ。

 これは身も心も裸になって私の意思を告白するという決意の表れです。

 

「それでも私はクーアさんにアタックを続けるつもりです。寿命とか勇者様への想いとか関係ないんです。それで諦められるのなら人間は恋なんてできませんよ」

 

 私は跪いてクーアさんと真っ直ぐ目を合わせる。

 

「いくら引退を表明しても、引き継ぎには時間がかかります。クーアさんもいきなり姿を消すなんて無責任で不義理なことはできないでしょう?」

 

「うん、まあ、君が自信を持って副ギルド長の仕事を出来るようにはするつもりだよ」

 

「ですから、クーアさんが納得して冒険者ギルドを去れないようにするつもりです」

 

 私の言葉の真意が掴めなかったのか、クーアさんの目付きが鋭くなる。

 

「何それ? わざと仕事を覚えないってこと?」

 

 私はクーアさんの右手を両手で包み込んで答える。

 

「違います。引き継ぎまでに心残りを作るのです。例えば……私とか?」

 

 初めはキョトンとしていたクーアさんだったけど、次第に口元が弛み、喉からくつくつと笑い声が漏れ出した。

 

「あははは。事務長って普段は堅物なのにこういう時、無茶苦茶云うんだ。良いよ。僕の五十年以上に渡る想いに勝てるものならかかっておいで」

 

「ええ、そのつもりです」

 

 私はクーアさんを引き寄せると、この世に生まれてから二十八年、後生大事に取っておいたファーストキスを捧げたのだった。

 勝算なんて無いのかも知れない。

 けど私は生涯を賭けてこの恋に生きると決めたのだ。

 私の身勝手な誓いだが、それでも祝福をするかのように月の光が優しく私達を照らしていた。




 これにて事務長編は完結です。

 王侯貴族との付き合いがあり、自身も公爵の血を受けている事からクーアの中では結婚=子孫を遺して育成するという図式が絶対なので生殖能力の無い自分はまだ結婚する資格は無いという考えがあります。
 勿論、シャッテの想いは嬉しいですし、生活水準次第では庶民でも一夫多妻が許されているので勇者に引け目無く結婚する事は出来るのですが、子供が作れないのがクーアに取ってネックなんですね。
 自身の子孫を遺したいのも当然ながら、シャッテも棒術を継承していかなければならないので、"子供がいなくても構わない”は通せないのです。
 この恋がどのような結末を迎えるのかは私にも分かりません(ぇ
 神のみぞ知るといったところでしょうか。

 ちなみにクーアはまだ生殖能力こそありませんが、治療術士として人体を知り尽くしているので、男が相手だろうと女が相手だろうと必ず天国に連れて行ってしまいます(おい)

 次回からは受付嬢サラの視点です。
 宿敵・聖帝パテールが死んでも世の中は回っている。
 謹慎が解けたばかりのサラは仕事中にも拘わらず物思いにふけっており…
 そんな感じで始まります。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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受付嬢の場合
第壱章 謹慎が明けて


「クーアさん、お昼に行きましょう」

 

 今日も今日とて事務長は副ギルド長を誘ってお昼ご飯を食べに出掛ける。

 あんな餓鬼みたいな男のどこが良いんだか。

 いや、見た目通りの男じゃないことは先日、嫌というほど思い知らされたばかりである。

 子供の頃からの親友二人に頼み込まれたからといって、Cランクの冒険者にBランクの依頼を許可したのが発覚した時には、あの情けなかった童顔が見る間に魔女の如き形相に変わって肝を潰したものである。

 結果、私は一週間の謹慎を云い渡されたのだが、これは情けをかけられた訳ではなく、単純に人手不足故の配慮だったらしい。

 職場に復帰した際には、副ギルド長は特に叱りつけるでもなく、“また宜しくね”、と微笑みかけたものだ。

 気に入らない。

 まるで私が取るに足らない人間のようではないか。

 

「おい」

 

 そもそもギルド長の紹介で副ギルド長に就任した時から気に入らなかった。

 当時の私は事務員として就職したばかりで古参の事務員達からアイドルのように可愛がられていたのだが、あの男が来てから事務員達の関心をすっかり奪われてしまったのだ。

 かつて宮廷に仕えていただけにお妃様やお姫様達との接点があり、皆が皆、宮廷の話を聞きたがっていた。

 勿論、皇族や後宮のプライバシーに関わる話題やスキャンダラスな話題は御法度だったけど、“こういう変わり者がいたよ”とか、隣国からの大使や嫁いできたお姫様から聞かされた土産話にはみんなが耳を傾けたものである。

 

「おい!」

 

 気に入らないったらありゃしない。

 初めはみんなだって、『天下りの小男』と呼んでを仕事のこと以外は無視していたっていうのに。

 しかし、あの男が仕上げた書類の精緻な内容に一人、また一人とあの男を認めるようになっていき、今では冒険者をも巻き込んだ副ギルド長のファンクラブまである始末だ。

 何が“愛くるしい顔に明晰な頭脳を併せ持つ彼は天使に違いない”、よ!

 以前までは、魔王に魂を売った褒美に魔道の奥義と永遠の若さを手に入れたに違いないって噂していたくせに!

 

「聞こえているのか?」

 

 気に入らないと云えば、事務長も事務長よ!

 以前はスーツにスラックス、教育ママみたいな眼鏡をかけて堅物一直線って感じだったのに、今じゃスラックスをタイトスカートに変えて、眼鏡を外し、アップに纏めていたブラウンの髪を下ろしてリボンで括っちゃって!

 そういや、あの人も元は真面目だけが取り柄の面白くもなんともない人だったんだけど、副ギルド長と話をするようになってからジョークを交えて話すようになったのよね。

 息が詰まるような現場じゃ実力を発揮できない。現役時代、そんな経験無かったか、と云われて昔の記憶が甦ったんだそうだ。

 気付けば自分のせいでギルド員達は失敗を恐れて思い切った仕事が出来なくなっていた。

 その事実に事務長は考えを改め、現役時代によく飛ばしていたジョークを口にするようになったのだ。

 お陰で仕事はやりやすくなったのだけど、それでもやっぱり気に入らない。

 

「その耳は飾りか!」

 

 って、さっきから五月蠅いわね!

 

「おい! さっきから何度も呼んでるだろ!」

 

 しまった。考え事に夢中になり過ぎてて冒険者に気付かなかった。

 

「ん? お前はこないだまで謹慎になっていた生意気な受付じゃねーか? クビになっちまえと思っていたが、よくもまあ、謹慎で済んだよな? 上司に体でも開いたか?」

 

 下卑た嗤いを浮かべる冒険者に食ってかかりたかったが、相手はBランクの戦斧遣いだ。

 しかも、登録ランクはBであっても実力だけならAランクに達すると評価されているだけに相手が悪い。

 

「まあ、良い。この仕事を受けさせてくんねぇ。俺なら三日で終わらせてやるぜ」

 

 男が差し出した資料に目を落として、私は言葉を失った。

 北にある農村が火吹き竜に襲われ、家畜の牛を十二頭、豚七頭、馬を八頭も食べられた上に、家屋の全壊三軒、半壊七軒、一部倒壊十軒の被害が出たと報告されていた。人的被害も馬鹿にならないものがあり、冒険者ギルドはこの火吹き竜退治の依頼をAランクに設定したという経緯がある。

 とてもではないけど、この依頼は目の前の男に任せる訳にはいかない。

 

「あのぅ、失礼ですが、貴方はBランクのはずです。しかも、よく見て下さい。最低でも三人以上のパーティを組んでいる事が前提条件となっています」

 

 一応、ギルドの大切な仲間であるので丁寧な対応をもって断ろうとしたけど、案の定と云うか、男は目を怒らせて顔を寄せてきた。

 

「だからよ。ドラゴンの一匹や二匹、俺の敵じゃねーって! 見ねぇ! 俺様自慢のゴリアテを! 俺はコイツで鉄より硬いドラゴンの首を落とした事があるんだぜ?」

 

 いやいや、そんなバカデカいバトルアックスを見せられたところでどうにもならない。つーか、アンタの腕とか得物の善し悪しとか関係無いから。

 

「規則ですので、申し訳ありませんがBランク以下のご依頼から選択して下さい」

 

 しかし、男は引き下がらない。

 

「俺の腕が信用できねーってのか? これでも俺様はAランクの冒険者をぶっ潰した事があるんだぜ? つまり下手なAランク持ちより俺の方が優秀だって事なんだよ!」

 

 そう、この男が実力的にはAでありながらBランクにいる理由は他の冒険者とのいざこざが絶えない事にある。

 パーティを組めば独断専行は当たり前。人の手柄は横取りする。味方をも巻き込む攻撃を平気で使うなど問題行動が多すぎるのだ。

 除名しようにも下手に腕が立つ為に盗賊や殺し屋になられても困るし、かと云ってAランクに昇格させようものなら下位の冒険者を手下扱いにして報酬の上前をはねるのは目に見えている。

 否、もう過去に自分よりランクが低い冒険者達を脅して金品を奪う事件を起こしており、何度も降格処分を受けているのである。

 役人に突き出した事もあるのだけど、狡賢いところがあるコイツは役人に鼻薬を嗅がせる悪知恵も持っていたのだ。

 勿論、こんな悪事を重ねていては誰もこの男を相手にしなくなり、ここ数年間は誰ともパーティを組んでいない。

 それでもFランクに降格して、四、五ヶ月もすれば独力でBランクへ返り咲いているのだから実力だけは確かなのである。

 

「そのようにおっしゃられましても私では判断がつきませんので、少々お時間を頂きます。上司に相談して参りますわ」

 

 かろうじて大人の対応ができた私は事務員にヘルプを頼もうと席を立ちかけたが、トラブル防止の柵にある覗き窓から男の腕が伸びて私の腕を掴み、逃がしてくれなかった。

 

「つれないこと云うなよ。お前、前にもCランクの奴に便宜を図ってやったそうじゃねーか? 今度も同じ事だぜ。何、心配はいらねーって。その可愛い顔に似合わねーおっぱいでまた上司を誘惑してやれば良いんだよ」

 

 つれないって何で私がアンタの為に色気を振りまかなきゃいけないのよ?

 しかも、私が上司に体を開いたってのがアンタの中じゃ決定事項になってるし!

 我ながら緩い堪忍袋の緒はもう限界に達していた。

 

「馬鹿にするな! 私は現役バリバリの処女よ! 胸を触らせるどころか、弟以外の男に裸を見せた事すらないわよ!」

 

 すると男は嫌らしい笑みを浮かべたではないか。

 

「へぇ、それでこんなに育つもんかよ?」

 

 あろう事か、男は私の胸を揉みしだいたのだ。

 

「何するのよ、変態!」

 

 男に平手打ちをお見舞いしてやろうと思ったけど、私と男を隔てる柵によってそれは阻まれてしまう。

 この男のように質の悪い冒険者から事務員や受付を守る為の柵が皮肉にも私の攻撃を防ぐ結果となったのだ。

 

「へっへっへ、若いだけあって張りも弾力もパネェな」

 

 下卑た嗤いを浮かべて平然とセクハラする男に周りは引いていたけど、誰も私を助けようと動く者はいなかった。

 それが男の実力を物語っていると思うべきか、私の性格のせいなのかは判断がつかない。

 いくら殴ってもビクともしない男の手に、私の視界が涙で滲む。

 しかし、救いの手はすぐに差し伸べられた。

 

「おいおい。大の男がいたいけな乙女を泣かせるとは、ちと見ていられぬぞ」

 

「何だ? 今は俺様の順番だ。依頼を受けてぇんなら大人しく待ってるか、他の窓口に行きな。俺はこの嬢ちゃんに大事な頼み事があるんだよ」

 

 振り返る事もせず、私の胸を更に乱暴に揉み始めた男の手が勢いよく離れた。

 さっきの人が男の首根っこを掴んで引き倒したのだ。

 

「何しやがる、ジジイ? 俺様にこんな嘗めた真似して只で済むと思っているのか?」

 

 男が凄んでみせた相手はかなりご高齢のお爺さんだった。

 お歳の割にはガタイが良くて強そうだけど、男はその三倍は大きく見える。

 

「吠えるな、若造! 貴様のような愚か者がおるから他の冒険者達も時に世間様から白眼視されるのぢゃ! 善き機会ぢゃ、二度と悪さが出来ぬようキツイ仕置きをしてくれよう」

 

「上等だ! ジジイの方こそ二度と足腰が立たねぇようにしてやらぁ!」

 

 売り言葉に買い言葉で、ざわつくギルド内を尻目に二人は出て行ってしまった。

 いけない。あのお爺さんが誰なのかは分からないけど、スチューデリア支部(うち)の管内で冒険者が人に危害を加えたら、私だけの責任じゃ済まなくなる。

 私は泣きたくなるのを堪えながら隣の受付嬢にギルド長を呼ぶように頼むと、二人を仲裁すべく、外へと飛び出した。




 性格が悪そうに思えますが、サラはまだ二十歳になってない、まさに大人になりきれてない年頃です。
 早い内に両親を亡くし、病気の弟を抱えてどうしたら良いのかと途方に暮れていたところをギルド長に拾われました。
 兎に角、弟の薬代を稼がなければいけないと我武者羅に働いていましたし、そんな彼女をギルド員達は快く応援していました。でも、それがいつしか当たり前になってしまっていたのですね。
 ただ根は悪い子ではないし、成長の伸び代はあると思いますので、今後の彼女を見守って頂けたらと思います。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 災いの予兆

 外に出ると、もう既に人垣が何重にも出来上がっているではないか。

 人の波を掻き分けて輪の中心に出ると、お爺さんが数人の無頼の徒に囲まれているのが見えた。

 冒険者かどうかは分からないけど、男には手下がいたらしい。

 

「ジジイ! 謝るんなら今の内だぜ? 今なら財布の中身全部で勘弁してやらぁ!」

 

「ほっほっほっほ、威勢が良いのは結構ぢゃが、負けた時に恥を掻いても知らぬぞ」

 

 白くて長いお髭を撫でつけながらほふほふ笑うお爺さんに男達は色めき立った。

 

「痛い目を見ねぇと分からねぇか!」

 

 無頼の一人が大剣を目の前に突きつけるけど、お爺さんは涼しい顔で無造作に素手で掴み取ってしまった。

 

「な、何だ、この……い、一体何をしやがった?」

 

 なんと大きな剣を向けていた男の方が怯えたような声を上げたではないか。

 

「動けないか? 情けないのう。近頃の若い者は腕力ばかりで技も何もあったものではない。そうは思わぬか?」

 

 お爺さんが手を離すと男は無様に尻餅をついた。

 

「やりやがったな!」

 

 数人の男が得物を抜いて一斉に斬りかかったけど、結果として倒れているのは無頼共の方であった。

 

「強ぇ……何者なんだ? このジジイ」

 

 怯む男達にお爺さんはさっきまで見せていなかった不敵な笑みを浮かべた。

 

「フン! テメェらヒヨッコ風情がおいらに勝てると思ってたのか?」

 

 え? 何でいきなりそんな伝法な口調に変わるの?

 私だけでなく周囲の人達もポカンとしてお爺さんを見詰めている。

 

「野郎! な、嘗めやがって!」

 

 一気に残りの男達が襲いかかるが、お爺さんはひょいひょいと軽やかに躱しつつ奴らを殴り倒していく。

 

「ば、馬鹿な……ありえねぇ」

 

「手加減をしたつもりだったが、今日日の若造にはこの槍のマトゥーザの拳固はちと痛かったようだな」

 

「や、槍のマトゥーザ? き、聞いたことねぇ」

 

 あの男が後ずさりしながらそう呟くのを聞いてお爺さんは唇の端を上げて嗤う。

 

「だろうな。おいらがスチューデリアのスラム街でぶいぶい云わせてた頃はテメェらなんぞ乳飲み児どころか親父殿の陰嚢(ふぐり)の中にもいなかったろうよ」

 

「抜かせ! ジジイが!」

 

 男が自慢のゴリアテとかいう戦斧を振り上げるが、その直後に重々しい音を立てて地面に落としてしまっていた。

 

「お、俺の腕が? ヒイイイイイッ!」

 

 なんと、斧の重さに耐えられなかったかのように男の腕が折れたのだ。

 

「さっき殴られた時、腕の骨がイカれたのに気付かなかったのか?」

 

 男はお爺さんに睨まれると、大切な武器も手下も置いて逃げ去っていった。

 やがて男の背中が見えなくなると、お爺さんの笑顔がニヒルなものから好々爺然としたものへと変じて私に振り返った。

 

「さて、さっきは大変ぢゃったのう。ま、あの男は二度とここへは顔を出せなくなったであろうから早く忘れることよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 戸惑いながらもお礼を云うと、たまには若い頃を思い出して暴れるのも面白いわさ、と呵々大笑したものだった。

 

「おい、何の騒ぎだって……来ていたのか、爺さん?」

 

「おお、ちとクーアに話があってな。後、無頼の冒険者数名に警策(けいさく:坐禅において惰気・眠気を覚まさせる為に打つ板)をくれてやった。教育はきちんとしておけ」

 

 騒動で乱れた髪をオールバックに整えながらお爺さんはギルド長に笑いかける。

 対してギルド長は舌打ちをして顔をしかめていた。

 

「ああいった手合いの相手をさせる事で冒険者やギルド員の対人スキルを磨かせようと敢えて放置してたンだよ」

 

「さよか。しかし、あの無頼共が力無き者達に危害を加えていたら何とする?」

 

「その辺は心配いらねぇよ。ああいう困ったちゃんは一度ボッコボコにして、一般人に手ェ出したら草の根分けても探し出してぶっ殺してやると教育してある。それにな、何でもかんでも戒めていたら却ってフラストレーションが溜まって悪事をしでかすモンさね」

 

 その辺のバランスが難しいぜ、とギルド長は顰め面をして腕を組んだ。

 因みに冒険者ギルドには霊媒師もおり、抜き打ちで霊視をして、その冒険者がどこぞで無体を働いて恨みを買っていないか調べる事もしている。

 当然、その怨念も査定の内であり、当人は隠しているつもりでも、いきなり降格や時には除名処分を受けるなんてこともあり得るのだ。

 

「それがお主の教育方針と申すのなら愚僧からは何も云うまい。それより先にも申したがクーアに話がある。取り次いでくれ」

 

 お爺さんの要求にギルド長の顔は更に凄味を増した。

 

「今は昼飯を食いに出ているよ。それよりシャッテを嗾けたのは爺さんか? お陰で事あるごとにクーア君に引っ付いて仕事がしづれぇ、しづれぇ」

 

「善き事ではないか。女は恋をすれば美しゅうなる。生活にも張りが出て人生が楽しくなっておる事ぢゃろうよ」

 

「事務員の要が色ボケしているせいで、部下が当てられているって云ってンだよ!」

 

 確かに最近の事務長は仕事の効率こそ上がっているものの、気が付けば流行りのラブソングを口ずさんでいたり、珍妙な仕草をしているなぁと思えば恋愛指南関係の本を片手に立ち振る舞いを研究していたりと浮ついているのだ。

 つい三日前なんて、役人からの協力要請を受けて、さる貴族が違法に製造して女漁りに使っていた媚薬を摘発した際には、ちらちらと役人の様子を窺っては思い直したように勢いよく首を左右に振っていたものである。

 もし、彼らに隙があったとしたら事務長はどうしていたのやら……

 

「兎に角だ。部下に示しがつかねぇから、ここいらでガツンと云ってやろうと思っていたところだったンだよ」

 

 するとお爺さんは意地悪そうにニヤリと嗤った。

 

「そうか、そうか。可哀想にのう……」

 

「あン? 誰が可哀想だって?」

 

「さて? 誰の事であろうかの?」

 

 ギルド長の三白眼や険のある声にもお爺さんは意に介さず、ずんずんとギルドの中へと入っていってしまう。

 

「食事ならばそうは待たされまい。案内せい」

 

「おい! 善く見りゃ護衛がいねぇじゃねぇか? 一人で来たのか、爺さん? 暇なのか、爺さん? だから待ちゃあがれ!」

 

 ギルド長もお爺さんを追って中へ入っていった。

 

「護衛ってあのお爺さん、実は偉かったりする?」

 

 そこで私はお爺さんが無頼の冒険者に名乗った名前を思い出した。

 

「マトゥーザ……マトゥーザ……って! 大僧正様じゃない!」

 

 記憶の中にある法衣に身を包み慈愛の微笑みをもって衆生に手を振る大僧正様とお爺さんの顔が一致した瞬間であった。

 私は大僧正様への不躾な対応とおざなりな謝礼をお詫びすべく、慌てて事務所へと駆け込んだ。

 

 そう、慌てていたからだろう。

 それとも人垣に紛れていたせいであったのだろうか。

 ギルド長も含めてじっとこちらを観察する目に気付かなかったのは……

 その視線の主を察知する事が出来たのなら、きっとあの壮絶な戦いに巻き込まれずに済んだのかも知れない。

 私は兎も角、命より大事な弟だけは逃れられたはずだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『今、確認した。五十年の年月(としつき)が過ぎていようとも見間違うはずがない。偉大なる御主(おんあるじ)様に報告せよ。"目標を補足した”と』

 

 それは異様な姿であった。

 首から下をボディラインがくっきりと出る黒いインナーで手首或いは足首まで覆い、絹らしき質感の白いガウンを羽織っている。

 そして何より顔を白い布で隠しているのも不気味であり、布の中央には大きく赤い文字が一つ書かれていたがどの国の言語にも当て嵌まらない文字である為、読む事は叶わない。

 仮にこの場にて、その字を見知る者がいたらこう答えるだろう。

 『火』であると。

 そして何より不可解なのは周囲にいる者達の誰もが、この異様な風体の若い女を不審に思っていない事であろう。

 

『小生は暫し偵察を続けよう。作戦の準備はそちらに任せても構わぬか?』

 

 更に不気味なのは誰もいない虚空に向かって話しかけている事だ。

 

『了解した。半日してもう一人の目標が現れなければそちらと合流しよう』

 

 しかも彼女の会話はちゃんと成立しているらしい。

 

「お姉さん、チョコバナナください」

 

『はい♪ 畏まりました♪』

 

 どうやら不審に思うどころか、商売が成り立っているようだ。

 顔を隠した女は焼きたてのクレープにたっぷりの生クリームとスライスしたバナナ、チョコレートのソースをトッピングすると慣れた手つきで包んで客に手渡す。

 

『チョコバナナ、お待たせしました♪』

 

 クレープを受け取った幼い子供が嬉しそうに立ち去ると、女は再び冒険者ギルドへと目を光らせるのであった。

 

『お待ち下され。御主様の願いは間も無く我ら『六道将(りくどうしょう)』の手で叶えてご覧に入れましょうぞ。御主様直属の配下にして頂いた恩に必ずや報いてみせますぞ』

 

『なあ、クレープが銅貨三枚で三個頼まれたら何枚銅貨を貰えば良いのかのう?』

 

 女が錆びた蝶番のように首ごと視線を向ければ、同じような姿をした大柄の女が両手の指を折りながらオロオロとしていた。

 そして彼女の顔を隠す布には『三面六臂』と書かれている。

 

『良いか。その場合は九枚だ』

 

『おお、九枚とは大金だわい。流石は『六道将』の最古参、頭脳明晰じゃのう』

 

 大柄な女は豪快に笑うと注文にあった三つのクレープをあっという間に作る。

 

『何故、三十種を超えるクレープのレシピは頭に入るのに計算が出来ぬのだ?』

 

「すみませーん! 友達が来たんでもう一個お願いします。マンゴーで」

 

『なん……四個……だと? ええと、三個で九枚だから四個だと……』

 

『い、いかん!』

 

『九より多い数がこの世にあるのか……うう……』

 

『お、落ち着け。勘定は小生がやるから貴様はクレープを作れ』

 

 『火』の女が後ろから抱きついて大柄な女を宥めにかかる。

 

『うむ、なら任せた。ワシは注文のクレープを作るとするわい!』

 

 豪快にガハガハ笑いながら屋台の調理スペースに向かう相方に女は既に隠れている顔を手で覆って溜め息をついた。

 

『怨みますぞ、御主様。九より先を数えようとすると発狂するような者を何故に『六道将』に……否、それは良いとして何故、小生と組ませて偵察任務をさせたのですか』

 

 先程まで任務に燃えていた女だったが、今は酒をかっくらって寝てしまいたい。

 それ故に見逃していたのだ。標的に関する情報を齎す存在がギルドの中に入っていったのを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、兎に角、この様に冒険者ギルドに新たな敵が出現したのは確かだったのよ。

 これが後に『神々の清算』呼ばれる、忘れようにも忘れられない長い長い戦いの予兆だった。




 はい、謎のお爺さんの正体は大僧正でした。
 事務長編でも述べていたように、昔は騎士で勇者とクーアの仲間でした。
 その時、得意とする武術が槍だったのです。
 まあ、僧侶→宝蔵院→槍と単純に連想したんですけどねw

 今回はサラが主役というかサラ目線の話なのでがっつり巻き込まれて貰いますw
 ただサラ自身、戦闘能力が無いワケではないので、少なくとも足手まといになってイライラさせる事は無いかと思います。ピンチになってハラハラはするかもですが(おい)

 新たな敵が出現しました。
 彼らの正体及び目的はまだ謎ですが、漢字を用いているという事は……
 さて彼女達の達の実力は如何に?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 大僧正の懺悔

「ほっほっほっほ、では、お嬢ちゃんがあの二人を遣わしたのか」

 

 私は先日の神像強奪事件での不手際を懺悔さながらに告白したのだけど、大僧正様はお怒りになるどころか、あのクーアに叱られては怖かったであろう、と慰めて下さった。

 

「して、ギルド長? その二人はどうした?」

 

「流石のクーア君も愛想を尽かしたそうだが、聖帝サマにゃあ逆らえめぇってな、DランクのままでいるのとEランクに降格はするものの純潔の証を再生して貰うのとどちらが良いか選ばせたらしい」

 

 愚かにもあの二人は聖帝陛下のお手がついた事で後宮に入れるものと思い込み、ギルド長と副ギルド長、事務長の三人がかりによる事情聴取にも横柄な態度で臨んでいたらしい。

 しかし、それは妄想でしかないと聖后陛下御自らに諭されて二人は泡を食った。

 聖帝陛下は二人の事を遊びであると後宮に住まう方々に明言されていたのだ。

 否、それ以前に、そんな二人は知らぬ、と云われればお仕舞いである。

 結局二人は、嫁入り前だから後生です、と副ギルド長に泣きついたそうだ。

 全くあの双子は……

 いやいや、決して悪い子達じゃない。図に乗りやすいのが玉に瑕というだけなのである。

 そのお陰で割りを食ったのは一度や二度ではないけど、一緒に遊べば楽しいのもまた事実だし、むしろ良いところの方が多いはずなので、私はあの二人を見捨てられないのだ。

 

「けど、クーア君も結構、残酷なところがあるぜ」

 

 ギルド長が人の悪い笑みを浮かべたので私は首を傾げた。

 

「体は清められたかも知らン。けどな? 聖帝サマにされた事、させられた事はずっと記憶に残ってンだ。そンな状態で未来の旦那に、私は貴方の為にずっと純潔を守り抜いてきましたって胸を張って云えるのかねぇ?」

 

「それを含めての罰だったのであろうよ。自ら降格を選択させ、心の傷はそのままぢゃ。愚僧もクーアもパテールの性癖は十分承知しておる。あの三人が閨でどうしたのか想像できるが口にする気にはならん。これは恐ろしくもおぞましい悪意に満ちた罰よ。余程、腹に据えかねておったのぢゃな」

 

 鼻を鳴らしてお茶を啜る大僧正様の眼差しには、あの二人への憐憫が欠片も見出す事が出来なかった。

 しかし、二人を見捨てたという訳ではないらしい。

 只、あの二人が今回の罰を受けた事は自業自得であり、むしろその程度で済んで良かったな、と思っているのだそうだ。

 

「あのぅ……もしDランクのままでいると云っていたらどうなっていたのですか?」

 

「どうもしないさ。少なくともクーア君はあの二人の選択を尊重しただろうがな。けど、あいつらの中じゃ、たかがDランクにしがみつきたいが為に、パンもろくに噛み千切れねぇジジイに肌身を許したってぇ事実が残る。どっちにしろ惨めな思いをする事にゃあ変わりがないンだ。だから残酷だってのさ」

 

 私の謹慎と比べて、やはり二人に与えられた罰が重すぎる。

 そう訴えたけど、大僧正様もギルド長も、まだまだ軽い、とおっしゃる。

 

「あの事件はのう、もっと大きな悪意が隠されておったのぢゃ。あの二人は全容を知らずとも自ら進んでその片棒を担いだのぢゃよ。お嬢ちゃん、あの双子が申請に来た際、こんなものを差し出さなかったかの?」

 

 大僧正様が示された羊皮紙を見て、私の顔からサーッと血の気が引いた。

 それは国から発行された、とあの二人が云っていた冒険者ランクBの暫定免許証だった。

 しかも獅子の顔を象った紋章の焼き印が捺されていたので私は信用していたのだ。

 この紋章は帝室の者であるという証明であり、これを用いた帝室の詐称は問答無用で手足の指を全て截断された上で火炙りの刑に処すると法で定められている。

 だから疑う余地が無かったのも事実であった。

 

「云っとくが、仮にこれを発行したのが聖帝だろうと大僧正だろうとその冒険者がBランクになる事ァないからな? そうやって国家権力に悪用されるのを防ぐ為に冒険者ギルドはどこの国からもどんな宗教からも独立する権利を持つ事を許されているンだからよ」

 

 私は利用されていたのか……そう思うと私の心は暗然とした。

 

「あの二人が冒険者ギルドに加入した時に教えられたマニュアルを覚えていればこんな事態にはならなかったろうよ。聖帝から呼び出しを受けたとしてもギルドに逃げ込ンじまえばどうにでもなったンだ。だから俺も爺さんも因果応報だと吐き捨てたンだよ」

 

 結局、己の浅慮で自分の首を絞めただけの話だったのか。

 いや、違う。そもそも受付である私がニセの免許証を鵜呑みにしなければ双子の冒険者は道を踏み外すことなんてなかったのだ。

 そんな物など何の効力も発揮しないと知らなかった私自身の怠慢こそが罰せられるべきなのではないのかと、自分を責めずにはおれなかった。

 

「ならば、その罪を向後の戒めとするが良かろう」

 

 頭の上に乗せられた大きくて温かい手に、私は知らずに俯いていた顔を上げた。

 なんと大僧正様が私の頭を優しく撫でて下されていたのだ。

 その横ではギルド長も私を力付けるように笑っている。

 

「この世に罪を犯さぬ者などおらぬ。かつて、罪深き者の中にこそ聖人が生まれると宣った御方がおったが、その意味は、"自らが犯した罪を畏れる者こそ悔い改め、慈悲を持って世の為、人の為に尽くす”という事ぢゃ」

 

 ギルド長が意地悪そうな顔で大僧正様を親指で示した。

 

「何とも有り難いお言葉だが、この爺さんこそがその実践者なンだぜ?」

 

 大僧正様はギルド長を横目で睨みつつ咳払いをして、改めて私と向き合われた。

 

「ギルド長の申す通りぢゃ。かつての愚僧はスラム街を牛耳る無頼でな。それこそ無法の限りを尽くしたものぢゃよ」

 

 いきなり信じられない事を聞かされて狼狽しかけたけど、確かに大僧正様はあの男にスラム街でぶいぶい云わせていた、とおっしゃっていた記憶がある。

 

「スラムのボスに収まって満足していれば良かったものを、図に乗っていた愚僧は、日頃からスラムの住民を"ゴミ”だの"汚物”だのと馬鹿にしていた貴族の屋敷に討ち入ってな、金目の物や貴族の娘、若い女中など奪えるだけ奪って屋敷に火を放って逃げたのぢゃ」

 

 屋敷の主である貴族は襲撃の際に護衛の騎士共々、大僧正様の槍によって田楽刺しにされたそうだ。

 当時を振り返る大僧正様のお顔には深い悔恨が刻まれていた。

 

「さっさと国を売れば良かったものを、愚僧らはのこのことアジトに戻り、さて宝石や娘達をどうやって売り飛ばそうかと相談しているところを踏み込まれた」

 

「ぐ、軍にですか?」

 

「いや、当時は魔族騒動のせいで軍はスラムに人員を割く余裕など無かった。しかしの、ある意味、軍隊より恐ろしい御方がアジトへ乗り込んできたのぢゃよ」

 

「当時、魔王、勇者と並ンで世界最強クラスの一人として名を馳せていた大将軍サマがたった一人で乗り込ンで来たってよ」

 

 大将軍閣下。

 聖都スチューデリアに過ぎたる宝二つありき。清浄なる大神殿と『無刀将軍』、と戯れ歌にされるほどの軍人であり、優れた政治官僚でもある。

 聖都六華仙の一人、『闇華仙』の称号を与えられた最強の武人とも謳われている。

 その『無刀将軍』という二つ名にもあるように、宮廷内は勿論の事、戦場でさえも剣を携えることがないのだとか。

 曰く、剣術より格闘術が得意なので武器が要らないのだ。

 曰く、本人は武人と云うより軍師であり、戦闘が不得手である。

 曰く、殺気を放つだけで相手は降参する為、戦いにまで事態が発展しないのだ。

 などと、まことしやかに囁かれているが真偽は定かではない。

 

「あの戦いは今でも忘れられぬわい。スラム中の荒くれ共がたった一人に斃されていく光景は思い出すたびに肌が粟立つ思いぢゃ」

 

 最後は大将軍閣下とスラムのボスだった大僧正様との一騎討ちとなったそうだけど、まるで歯が立たなかったそうだ。

 

「怖かったのぅ。当時の愚僧は十文字槍をもって無敵と持て囃されておったからな。神速と謳われた突きも鎌刃による薙ぎ払いも大将軍には一切通用せず、悔しさを覚える前に恐怖でどうにかなりそうぢゃったわい」

 

 大僧正様の槍は正確無比にして、岩を砕き、甲冑をも貫くと云われ、かろうじて一突きを躱しても鎌刃によって首を持って行かれると畏れられていたそうだ。

 しかし、大将軍閣下はなんと手に光の粒子と形容するしかないものを集めて大刀と小剣を創り出し、大僧正様の攻撃を悉く捌いてしまったと云う。

 

「大刀『巨蟹』と小刀『玉兎』を創造する大将軍の能力があるからこそ腰の大小を必要としない。それが『無刀将軍』と呼ばれる所以だったのぢゃなぁ。況してや愚僧の槍が我流だったのに対して、大将軍は古流の実戦剣法、牙狼月光剣を正式に学んだ達人、否、名人であったからな。ハナから勝負にならんかったわ」

 

 牙狼月光剣とは右手に大刀を持ち、左手に小刀を逆手に持つ独特の剣法で、小刀で防御、牽制を行い、大刀で攻撃するスタイルを基本とする。

 その名の通り、獲物を狩る狼のような早い寄り身と夜毎に姿を変える月の如く変幻自在な動きに極意があり、非常に強力ではあるが並大抵の努力では会得できない難度の高い兵法としても知られている。

 余談だけど、この牙狼月光剣には遣い手達を纏める連盟があり、大将軍閣下がその理事長を務めていたりするのだそうな。

 さて、ついにスラム街を牛耳るボスご自慢の十文字槍の穂先が千段巻きごと断ち斬られて勝敗は決した。

 最早、これまでと絶望したものの、槍一本でスラム街を纏め上げた者としての矜持か、大僧正様は大将軍閣下に向けて、さあ殺せ、と嘯いたそうだ。

 しかし、大将軍閣下は斬ろうとする素振りを見せずに鼻を抓んだという。

 

「臭い……これでは"汚物”と云われても文句は云えない」

 

 敗れたスラムの無頼達は大将軍閣下の号令の元、スラム街の清掃に駆り出された。

 

「街中の落書きを初め、打ち捨てられたゴミ、排泄物、病人、死人を全て取り除くのに三月はかかったかのぅ。当時、逃げれば軍に殺されると思い込んでいた愚僧らは必死こいて掃除をしてな。気が付けば街中に溢れていた悪臭は消え失せ、陰気だった街の衆の顔には笑顔があったわ」

 

 その後、助かる見込みのある病人は治療を受け、死体は無縁仏扱いではあるものの手篤い葬儀によって怨念を浄化された。

 

「愚僧らは減刑の条件として大将軍の部隊に編入させられる事で他人様の物を奪わずに暮らせるだけの収入を得られるようになった。当然、給金の殆どを今まで愚僧らに略奪された者達への補償に宛がわれたが、それでも以前の暮らしとは雲泥の差であったわ」

 

 それを聞いて、私は心の内で若き日の大僧正様に同情を申し上げた。

 大将軍閣下直属の部隊は俸禄が高い事で有名だけれど、反面、規律や訓練の厳しさも特に有名であり、千人の新入りが配属されれば三日で半数が逃げ出すと云われている。

 一週間で更に半数が減り、半月で百人を割り、一ヶ月で一人前の騎士が五十人誕生し、三ヶ月後には将と呼んでもおかしくない超一流の騎士が十人生まれると、嘘か本当か分からない噂があるのだ。

 こんな話がある。

 とある事情で大将軍閣下直属の騎士が牢人した際に、他国のスパイ達が競い合うように彼を勧誘しに現われたという伝説があるくらいだ。

 それ程までに大将軍閣下が育て上げた精鋭が強く、頭脳明晰で人格も素晴らしいという比喩だとは思うけどね。

 

「大将軍麾下の騎士として魔王軍討伐作戦に参加し、戦後、僧籍に身を置いて恥多き過去を償っておる内に、いつの間にやら気が付けば大僧正マトゥーザが出来上がっておったというわけぢゃ」

 

 話し終えた大僧正様は真っ直ぐ私を見据えてそう締めくくった。




 ニセの免許証にサラが騙されたのは、本人の云うようにマニュアルを把握しきれていなかった怠慢もありますが、帝室の焼き印がしてあった事もあってビビってしまったのもあります。けど大きな失敗をしたからこそ自分を戒めて今後は精進していくだろうとクーア達は信じて見守っていくつもりです。

若い頃の大僧正は悪の限りを尽くしていました。スラムの仲間を食べさせる為と云えば聞こえは良いですが、やはり許される罪ではありません。
 しかし大将軍に敗れて自分の罪を認識したからこそ、その罪を畏れ必死に償いをしていました。その働きを認められて出世していき、魔王撃退の功績で法的に恩赦されましたが、それでも償う為に僧籍に入り、その献身を支持されて大僧正にまで登り詰めました。

 そして大将軍ですが、歴史書を紐解くと二百年前以上、代替わりをしていないらしいですよ?(ぇ

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 畜生の襲来

「耳を洗いたくなるようなうんざりする話であろう? しかしな、その罪深き過去があるからこそ今の愚僧がある。当然、誇れるようなものではないが、愚僧はこれからも自分の過去を否定する気は無い。それこそが罪を忘れぬ唯一の方法ぢゃからの」

 

 大僧正様の凄まじい過去を聞かされて尚、私は幻滅をする事はなく、ご自分の罪と真っ正面から向き合われている事に益々尊敬の念が強まったくらいだ。

 因みに現在、聖都スチューデリアの城下にはスラム街は存在せず、元スラムの住人達の努力によって今や高級住宅街となっているらしい。

 

「大僧正様のお話は大変勉強になりました。私のした事は思い出すたびに身悶えするくらい恥ずかしいものですが、その気持ちを戒めとしていきます」

 

「そうか、そうか。愚僧もそなたの役に立てて嬉しく思うぞ」

 

 今まで雲の上の存在だと思っていた大僧正様に頭を撫でて頂くのは畏れ多い事だけど、私の心の中は温かいもので溢れていた。

 

「しかし遅いのぅ? 随分と話し込んでしもうたが昼休みはまだ大丈夫なのか?」

 

「云われてみれば……いつもならとっくに帰ってきてもおかしくはねぇンだが?」

 

 時計を見れば既に十二時五十六分を指している。一時にお昼休みが終わるので、普段の几帳面な二人ならもうとっくに戻って午後の仕事の準備をしているはずだ。

 しかし、時計の針はどんどん進み、一時を指そうとする頃になって事務長が血相を変えてギルド長室に駆け込んできた。

 

「た、大変です! クーアさんが異端審問会に連行されてしまいました!」

 

「何だと? まさかクーア君の正体が知れたのか?」

 

 詰め寄るギルド長に事務長は、分かりません、と首を横に振るばかりだった。

 異端審問会とは各地にある星神教の神殿を守護する神殿騎士達で編成されている集団で、主に平和を脅かす危険思想の持ち主や星神教の教義に反する者達を取り締まっており、魔女狩りが盛んだった時代では特に検挙率が凄まじかったという。

 

「異端審問会のリーダー、フェニルクス卿が自らクーアさんの肩を掴んで連れて行ってしまって……クーアさんもフェニルクス卿に何事かを耳打ちされると表情を引き締めて、何故か自分から同行されて……私は同行を許されず、説明もされないままだったので、どうして良いのか分からずギルド長のお知恵をお借りしたくて……」

 

「まずは落ち着け! サラ、シャッテに茶ァ淹れてやってくれ!」

 

「は、はい!」

 

 私自身、状況が掴めず呆けてしまっていたけど、ギルド長の声に漸く動くことができた。

 フェニルクス卿とは先の事務長の言葉にあったように、異端審問会のリーダーにして神殿騎士団の団長でもある。

 何度かお見かけしたことがあるけど、女性ながら男のような口調で話し、背も男に負けないほど高い。顔立ちも端整ながら中性的な精悍さが同居しており、下手な男より凜として恰好良いので彼女に憧れる少女は少なくない。

 燃えるような真っ赤な髪を腰まで伸ばし、装備は胸を護る真っ赤な鎧、大胆にカットしたローライズのレザーパンツも赤く、金属製の手甲と脛当てもやはり赤く塗装されている。ご丁寧に鉢巻きまでも赤い。惜しげもなく晒すお腹は鍛え上げられて六つに割れているけど、それでいて女性らしさを失っていないという奇跡の均整を持つ美貌の女性騎士。人呼んで、『ミス・クリムゾン』。それがフェニルクス卿或いはサー・フェニルクスなのだ。

 

「けど、何だってあのチンチクリンが異端審問会に? 星神教徒じゃないのは前から聞いていたけど、それで異端視するような心の狭い宗教じゃないし……」

 

「ま、心配はいらぬぢゃろうて」

 

 給湯室で薬罐を火にかけながら独りごちていると背後から声がかかった。

 

「うひゃい!」

 

「ほっほっほっほ、年頃の娘があげる悲鳴ではないのぅ」

 

 なんと背後にいたのは大僧正様だった。

 

「驚かせてすまん。シャッテの嬢ちゃんもそうぢゃが今のお主も心配でな。声をかけさせてもろうた」

 

 心配? 私が? 人から心配されるような事はしていないはずなんだけど……

 

「空の薬罐を火にかけておる時点で説得力がないがの」

 

「あっ! しまった! って、あちちちちちちちちっ!」

 

 慌てて薬罐の取っ手を掴んでしまい、その熱気に目を白黒させている端で大僧正様がニヤニヤと嗤われていた。

 

「聞けば普段から毛嫌いしておるそうではないか。クーアが異端審問会にさらわれたといってお主が心配する義理はあるまい?」

 

「わ、私が副ギルド長を心配する訳がありません! 私が案じているのは、想い人を連れて行かれた事務長の胸中ですわ!」

 

「そなたがそう云うのであればそうなのであろうな」

 

 何か含みのある響きを持たせながら大僧正様は薬罐の上に水の塊を創り上げ、そのまま中に注がれた。

 流石は『水』と『癒し』を司る『亀』の神を守護神に戴いていらっしゃるだけあって、空気中の水分を集めて水を創造する『アクアクリエイト』の魔法もお手の物だ。

 しかも大僧正様は半世紀前に『亀』の神々の筆頭であらせられるサフィア様から直々に魔王退治の労を労われたと云われており、その影響か、大僧正様が生み出された水はそれだけで霊験あらかたな聖水としての力を持っているという噂がある。

 

「そのありがたい聖水を惜しげも無く薬罐に入れられては、こちらとしてもどうリアクションしていいのやら……」

 

「ほっほっほっほ、所詮、水は水ぢゃて。されど、こいつで作る茶や煮物は旨いぞ」

 

 先程のお話より、こっちの事で幻滅しそうです……

 

「しかしなぁ……」

 

 いきなり遠くを見る眼差しになられた大僧正様に私は戸惑う。

 

「クーアと会えぬとなると、ちと厄介ぢゃな。恐らく大神殿へ戻っても二人はおるまい」

 

「何故ですか? 異端裁判なら大抵は大神殿で開かれると記憶していますけど」

 

 私の疑問に大僧正様はまるで子供に云い聞かせるような調子でお答えになられた。

 

「お主らは勘違いしておるようぢゃが、フェニルクスがクーアを連れて行ったのは裁く為ではないぞ。ひょっとするとフェニルクスにも手に負えぬ事態が起こって、クーアの手を借りようとしておるのかも知れぬて」

 

「フェニルクス卿が何故副ギルド長に協力を? サー・フェニルクスとあの人は知り合いなのですか?」

 

「知り合いも何もクーアはフェニルクスからすれば魔法のノウハウを授けてくれた師匠ぢゃよ。いや、クーアのみにあらず。剣は大将軍閣下が、槍と無手による戦いは愚僧が、そして知識においては我らが三人がかりで仕込んでやった謂わば聖都スチューデリア最強の秘蔵っ子なのぢゃ」

 

 大僧正様から驚くべき事実が告げられて私は二の句が継げなくなった。

 聖都六華仙のお二方に加えて、(あまり褒めたくはないけど)魔法技術と魔力なら世界最高の魔法使いによって仕込まれた過去がフェニルクス卿の強さの秘密……

 

「ん? 二人ではなく三人であろう?」

 

「え?」

 

「え? ああ、しもうた! うっかり口を滑らせた! クーアめ、秘密にしていたのか?」

 

 も、もしかして、あのチンチクリン、いやいや、副ギルド長も六華仙の一人とか?

 

「口が滑ってしもうた以上は仕方あるまい。そうぢゃ。クーアもまた聖都六華仙の一人であり、『風華仙』の称号を得ておる」

 

 いやいや、いやいや、下手すれば貴族様さえも道を譲ると云われる程の称号が何であの副ギルド長に与えられているのか分からない。

 

「自身の持つ魔道技術の一部を帝室に献上した事で宮廷魔術師達のレベルが底上げされ、その結果、聖都スチューデリアは魔法技術において世界でも類を見ない最高の水準を誇れるようになったからのぅ」

 

 また副ギルド長出現までは、魔法使い達は魔法を覚える為に師匠の家に泊まり込み、命じられた雑用をこなしながら師匠の使う魔法を見て盗むしか上達の方法が無かったらしい。

 そこで副ギルド長は『精霊魔法』の基礎の全てをマニュアル化する事に成功し、狭き門であったはずの魔法使いへの道を取っ付きやすくしたという功績があるのだという。

 

「魔法使いを志すくらいの者達ならば基礎さえ完璧に修得できれば後の応用、発展を自ら行えるだけの知恵がある。それからは優秀な後進達が数多く輩出され、僅か半世紀で聖都スチューデリアの魔法技術のレベルは世界最高峰と謳われるようになったのぢゃ」

 

 他にも大きな武功があったそうだけど、それは大僧正様も教えて下さらなかった。

 

「ま、昔ながらの古い魔法使い達や己が守護神の加護を得る『宿星魔法』第一主義の星神教徒からは快く思われていなかったようぢゃが、中堅ないし若手の魔法使い達からは『近代精霊魔法の父』と称えられてのぅ。聖都六華仙の仲間入りを果たしたのぢゃ」

 

 他にも眠りの魔法と体を麻痺させる魔法を組み合わせた新魔法で患者に痛みと恐怖を与える事なく外科手術を施せるようにするなど医術の発展にも貢献しているそうだ。

 

「痛覚だけを麻痺させる技術はまさに画期的でのう。昔は開腹手術の激痛に耐えきれず死した者が後を絶たなかったが、あの魔法のお陰でどれほどの重症者が救われた事か……」

 

 あ、あの人、目茶苦茶大物だったんじゃないの!

 

「まあ、実際に元を辿れば大物貴族の胤ぢゃしな。パテール、おっと、聖帝陛下もクーアには色んな意味で弱みを握られておったし、考えようによってはこの国で最大級の爆弾であろうよ」

 

 いやいや、いやいや、そんなん笑いながら云う事ちゃいますがな!

 おっと! いけない。思わずお国の言葉が出てもうたわ。

 

「ウチ、副ギルド長に思いっ切り無礼な態度を取ってしもうたんですけど……」

 

「気にする事はあるまい。正体を隠して仕事をしておったのはクーアぢゃ。今更そなたに態度を変えられてもクーアも困るであろうよ。知らない振りをして今まで通りにするのが一番ぢゃて、ん?」

 

 それが難しいんやけど……

 

「大丈夫ぢゃよ。クーアとてプライベートなら愚僧を呼び捨てにしよるし、聖帝パテールに至ってはパっつぁん呼ばわりぢゃ。それぐらい気安くした方があやつも喜ぼうよ」

 

 何をやっとんのよ、あん人は?

 あかん。標準語に戻る戻らんの前に頭が痛くなってきよったわ。

 とと、薬罐から沸騰を知らせる甲高い笛の音が鳴り始めた。

 私は五徳から薬罐を降ろし、五徳を支える三脚の間に灯した魔力の火を消す。

 私は人数分のティーセットを用意して、茶葉の入った缶を取ろうとしてやめた。

 

「確か遠方に行っていた冒険者から珈琲豆をお土産に貰っていたんだっけ」

 

 事務長は珈琲派なので紅茶よりこっちの方がリラックス出来るだろうと思い直したのだ。

 

「おお、コーシーか! 戒律で僧侶は刺激物が飲めんでな。有り難く馳走になろう」

 

 いやいや、珈琲ですってば! って禁じられているのに飲むんですか?

 いや、もう飲む気満々なんですね。

 

「あかん……たった一行の言葉なのに三回もツッコミを入れてもーたわ」

 

「そなた、中々に楽しいのぅ。時折り混ざる方言と律儀にボケを拾う性格、浅黒い肌から察するにカイゼントーヤの生まれかの?」

 

「スイチ(ご明察)です。生まれはカイゼントーヤで、十歳までそこで育ちましたんや」

 

 この世界は大まかに分けて五つの大陸が存在し、ここ聖都スチューデリアは世界の陸地のほぼ四割も占める巨大な大陸、ヴァールハイト大陸の中心部に位置している。

 そのヴァールハイト大陸の中心からやや南に大陸を分断するように運河が横たわっており、それを国境として大陸の南部を支配しているのがカイゼントーヤ王国だ。

 カイゼントーヤは世界でも造船と航海の技術に秀でているのが特徴である。

 この国は特に貿易に力を入れており、世界各国から珍品奇品を集めて莫大な財産を築きあげてきた。

 どんな時化にもびくともせず、暗礁が多い難所もすいすいと進むことができる船を持つカイゼントーヤは当然ながら水軍も精強で、いつの頃から海路も支配するようになり『海の玄関口』『海神に愛された王国』と呼ばれるようになったのだ。

 それ故、彼の国の民は余程の怠け者か商売で致命的な大失敗をしない限りは基本的に裕福で生活に余裕がある為、結果として娯楽関係も他国と比べて抜きん出るようになる。

 そのお国柄か笑う事が美徳とされ、お陰で会話の中にボケとツッコミが普通に混ざる訳の分からない国民性が根付いてしまったのだ。

 

「道理でこの国ではほとんど流通しとらんコーシーの扱いが様になっておる訳ぢゃ」

 

 大僧正様はコーヒーミルで豆を砕く私の手元を感心するように覗かれた。

 

「思い出すわい。クーアの奴、餓鬼舌で甘党のクセに惚れておった女がブラック派だと知るや、ミルクも砂糖も入れずに半泣きになりながら、美味しい、美味しい、と飲みおってな。端で見ていた愚僧やパテールは笑いを堪えるのに必死ぢゃったよ」

 

「ははぁ、ナリは小さくてもやはり男なんやね。事務長にちっともなびかんから、てっきりまだ恋愛感情を持った事がないんかと思ってましたわ」

 

 私の感想に大僧正様は愉快そうに笑われた。

 

「アレには五十年以上も想い続けておる女がおってのぅ。その一途さゆえにシャッテの嬢ちゃんの気持ちも分かる。一度は振ったものの、それでも果敢に挑んでくる嬢ちゃんを手酷く突っぱねる事ができなくてな。朴念仁を演じるよりないのであろうよ」

 

「なんかはっきりしなくて嫌やわ。きっちり引導を渡してあげた方がええのに」

 

「ほっほっほっほ、何十年生きようと人間そう簡単には割り切れぬて」

 

 感情が混ざるとカイゼントーヤ訛りが出るそなたのようにな、と笑われる大僧正様にウチじゃない……私は思わず口を両手で覆った。

 失態だ。あの大男にセクハラされても出さないようにしていたお国訛りも大僧正様の前では何故かあっさりとさらけ出してしまう。これも大僧正様の御人柄故なのだろうか?

 

「そうかな? クーアが異端審問会に連れて行かれたと報告を受けてから既にそなたの様子はおかしかったわい。そこへきてクーアの秘密を知った事で感情の抑えが利かなくなったのではないのかのぅ?」

 

「た、確かに衝撃的な秘密でしたが」

 

「一度、ゆっくりと己の心の内と対話してみる事よ。特に何故、クーアに強く当たってしまうのかをな。答えを急ぐ必要は無い。むしろ出なくとも良い。考える事が大切なのぢゃよ」

 

「考える…ですか」

 

 そういえば私は何で副ギルド長にキツく当たっていたのだろう?

 たとえ天下りだとしても上司だ。しかも何一つ落ち度の無い優秀な人間を五年も嫌えるものだろうか。

 もうギルド員のほとんどが副ギルド長を認めているのに私だけが反目している。

 

「"澱みなく、凜とした爽やかな気持ちで思案すれば七呼吸の内に決断できる”とは異世界の古人の言葉らしいがの。そなたの場合はじっくり考えてみる方が良かろうて」

 

「はい……」

 

「視野を狭くしてはいかん。よく考え、よく話し合う事ぢゃ」

 

 大僧正様のお言葉に頷こうとしたその時、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。

 

「何ぢゃ?」

 

「外からですね」

 

 薬罐の火が止まっている事を確認した後、私は大僧正様と共に外に出た。

 

「な…なんて事…」

 

 ギルドの前で大勢の冒険者達が倒れ臥している。

 しかも、その殆どが血塗れで四肢が有り得ない方向に曲がっている者もいた。

 

『ウキャキャキャキャ、弱い弱い、弱すぎるぞ』

 

 斃されている冒険者達の中心にいたのは小柄で黒いインナーを着て、白いガウンを羽織る……恐らく少年の姿があった。

 

『ウキャキャキャキャ、世界を股に掛ける冒険者っていうから如何程のものかと思えば弱すぎて話にならねぇな』

 

 黒い金属製の付け爪のような武器からは夥しい血が滴っている。

 それだけでも不気味だが、更に異様なのは白い布で顔を覆っている事だ。

 しかも布の真ん中には赤い文字で大きく一文字書かれていた。

 スチューデリア語でもカイゼントーヤ語でもない。

 確か数百年前から我が家に伝わる異世界の文字だったはず。

 そして記憶の引き出しを片っ端から開けて漸く思い出した。

 私の記憶違いではなければ、あの顔の文字は『血』を意味していたはずだ。

 

『ウキャキャキャキャ、俺様に触れる事すら出来ないのかよ』

 

 少年の挑発にまだ立っていた冒険者の一人が槍を構えて突進する。

 

「な、なら、私の神速の突きを躱せるか!!」

 

『遅い』

 

 なんと少年は冒険者の槍を事も無げに搔い潜り、爪で冒険者の顔を斬り裂いた。

 

「嘘……あの人はAランクの槍遣いだったはずよ」

 

「ならば叩き潰すまでよ!!」

 

 別の冒険者が常人が扱うには巨大過ぎるハンマーを振り下ろすが……

 

『軽い』

 

「莫迦な?!」

 

 少年はハンマーを左手一本で受け止めるや右手の爪で腹を薙いだ。

 

「よくも友を!!」

 

『弱い』

 

 そして現役最強と名高い、『勇者』の称号を持つとされる冒険者の剣を白刃取りで受け止めながら顎を蹴り抜く。

 首の骨が折れる音と共に首が真後ろに向いて『勇者』は敢え無くこの世を去った。

 途端に周囲から悲鳴が上がり、人々が逃げ惑う。

 

『ウキャキャキャキャ、弱いなぁ。冒険者ってな、こんなものかよ。御主(おんあるじ)様も何故、こんな弱い連中に敬意を払えとおっしゃるのやがっ?!』

 

 猿のような笑い声を上げる少年が突然衝撃音と共に視界から消える。

 

「なら速くて重くて強い攻撃なら文句は無ェだろ?」

 

「ギルド長!!」

 

 そこには鬼の形相を浮かべたギルド長がいた。

 

「名乗りな。墓に刻む名が必要だからよ」

 

 普段から冒険者達の事を我が子のように思っていると公言しているギルド長は彼らを殺され、傷つけられた事で物凄く怒っている。

 するとギルド長の強烈な一撃を受けて吹っ飛ばされていた少年が跳ねるように飛び起きた。

 

『ウキャキャキャキャ、それで良い。そうじゃなきゃ面白くねぇ』

 

 先程、冒険者を相手にしていた時は無造作に立っていたのに、今は攻防一体の開手の構えを取っている。

 

『俺様はUシリーズ…じゃねえや。『六道将(りくどうしょう)』が一人。『畜生道』の鵺将軍(ぬえしょうぐん)だ。見知り置け!!』

 

 ひょうという虎鶫(とらつぐみ)にも似た呼気と同時に少年の姿が掻き消える。

 それほどに少年の動きが速かったのだ。




 サラは南方の王国カイゼントーヤの出身でした。
 スチューデリア語は標準語ですがカイゼントーヤ語は何故か関西弁です(おい)
 関西とは縁遠い人間の書く、なんちゃって関西弁なので実際の関西の方の怒りを買ってないか、戦々恐々ではありますがね(苦笑)
 因みにカイゼントーヤはまんま廻船問屋からきています。

 六道将の一番手はAランク冒険者を雑魚扱いして虐殺する凶悪な合法ショタでした。
 ショタキャラ多いような気もしますけど、多分、気のせいだと思います(おい)
 まあ、一番手としてインパクトを残せたのではないかと自負しています。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 六道将の目的

 重たい金属同士がぶつかるような音がして、初めて私は少年の左上段蹴りをギルド長が大剣で防御していた事を理解した。

 速すぎる! 少年の動きが目に止まらなかったのもそうだけど、その蹴りを防いでみせたギルド長の技量もまた凄まじい。

 

『ひょう!』

 

 なんと左足を剣で受け止められながらも少年は右足のみで跳躍し、ギルド長の首を狙って振り抜いた。

 しかしギルド長は左足を引っ掛けたまま大剣を振り下ろして少年の(たい)ごと遠ざける事で回避する。

 

「はっ! まずは左足を斬り落としてやったかと思ったが何で出来てやがる、そのインナー?」

 

『ああ? 単にテメェに俺様の足を斬るだけの力が無かっただけだろ? それよりも今の『陽炎(かげろう)』を善く躱しやがったな。大抵の間抜けは左蹴りのフェイントに引っ掛かって首の骨を折られるんだが、褒めてやるぜ』

 

「見え見えなンだよ。左の足からは殺気があまり感じられなかったからな」

 

 いやいや、あの左上段蹴りだってまともに喰らったら命を落としかねない威力があったように思えるんですけど?!

 

「いや、左の蹴りを防がれた瞬間にヌエとやらの殺気が膨らんだからの。すぐに本命の攻撃が別にあると思ったわい」

 

 どうやらギルド長、大僧正様クラスの実力者にだけ理解出来る領域の話のようだ。

 それにしてもヌエって直接的な攻撃しかしなさそうなイメージだったけど、フェイントを使うだけのテクニックも持っているみたいね。

 

『面白ェ。なら、ちょっとギアを上げていこうか? すぐに死ぬんじゃねぇぞ?』

 

 払う、突く、殴る、また払って突く。

 ヌエは様々な攻撃で息もつかせぬ見事なコンビネーションを繰り広げる。

 しかし、流石はギルド長ね。その悉くを剣で防ぎ、或いは躱していく。

 ただ大剣の刃を殴ってさえ傷一つつかないヌエの拳が怖い。

 

『良いぜ。これくらいじゃ死にそうにないな。じゃあ、もう一段ギアを上げるぜ』

 

 なんとヌエの攻撃のスピードが上がってしまう。

 ただでさえ人間離れしたスピードなのに更に速くなるなんて!

 

「おっとと! 確かに速いが昔、魔界の王子から受けた連続攻撃と比べたらまだぬるいぜ。俺を殺したかったら魔界の王族レベルの攻撃を繰り出せや!!」

 

 巧い! 振りかぶった左手を剣ではなく、ダメージ覚悟で右の裏拳で弾いた。

 ヌエの左手が大きく弾かれて体勢を崩した隙を見逃すギルド長ではない。

 

「きえぃっ!!」

 

 裂帛の気迫と共に大剣がヌエの脳天目掛けて振り下ろされる。

 勝ったと思った次の瞬間、ギルド長の体勢が崩れた。

 鞭で叩くような音と共にヌエの右足がギルド長の太腿を蹴り抜いていたのだ。

 

『戦いってのは頭を使ってやるもんだ。手技のみのコンビに慣れて俺様の蹴りを忘れていたようだな? それとも剣士に足蹴りは卑怯ってか?』

 

 なんて事! ヌエが手技のみで攻撃を組み立てていたのはギルド長の頭から蹴り技の存在を忘れさせる為だったのか!

 しかも、今の蹴りはギルド長のズボンを斬り裂くだけの威力があり、そこから見える太腿は一撃で肉が潰れたように変色して腫れていた。

 

「ま、まだだ。まだ一撃を貰っただけだぜ。」

 

 ギルド長はヌエを睨みつけるが、その顔は血の気が引いて脂汗が浮かんでいた。

 

『そうだろうとも。まだたったの一撃だ。これで終わりなんてつまらねぇよな?』

 

 ヌエが再び超高速のコンビネーションを繰り出す。

 しかし太腿のダメージは深刻なようで、防御しきれずギルド長の体には徐々に傷が増えていく。

 

『シャアッ!!』

 

 そこへ非情にも右の下段蹴りが今度は向こう脛を打ち抜いた。

 

『シャアッ!!』

 

 蛇の威嚇のような叫びを上げながらヌエは蹴り技を交えたコンビネーションでギルド長を追い詰めていく。

 

『少しは愉しめるかと思ったがテメェも冒険者と変わらなかったな。たった一発のローキックで追い込まれる自分の未熟を恥じながら死んでいけ!!』

 

 このままではギルド長が殺されてしまう!

 私は縋る思いで大僧正様を見るが、何故か大僧正様はギルド長の戦いにはご覧になってはおらず、どこか一点を見詰めて大汗をかいていた。

 私は大僧正様の目線の先を追うけど、そこにはクレープ屋の屋台しか無い。

 

「未熟か。確かに俺はまだまだ鍛えようと思えば鍛えられた。引退なンかいつでも出来たのに、俺はクーア君を手に入れる土壌作りの為にしか動いていなかった。ギルドでの地位を上げ、クーア君を右腕のポストに据える為だけに、そばにいて貰う為だけに動いていた。これはそのツケか」

 

『泣き言か? 鍛えられる環境にいながらそれを放棄したテメェが悪い。覚えておけ。弱者ってのは強者に喰われても文句は云えないって事をな。それが自然の掟よ。

安心しろ。テメェも含めて今日、俺が狩った(・・・)冒険者共は骨の一本、髪の一筋も無駄にする事無く俺様の糧にしてやる。テメェらは余さず俺様の血肉になりやがれ』

 

 ヌエの姿が消えて、とんでもない打撃音と共にギルド長が吹き飛ばされた。

 その直後、ギルド長がいた位置にヌエが拳を突き出した格好で現れる。

 なんて威力! まるで虎の一撃だわ。

 

『強者からのせめてもの情けだ! これ以上、痛みを与えずに屠殺してやる! 今夜のメインディッシュはテメェで作ったステーキだ。光栄に思え!』

 

 倒れているギルド長の頭を踏み潰さんとヌエが右足を上げて踏みつける。

 

『往生際が悪いヤツだ』

 

 なんとヌエの足をギルド長が掴んで止めていた。

 

「なるほどな。云うだけあって善く鍛えられた良い足だぜ。しなやかで力強く、それでいて力を抜けば柔らかい。俺の剣を持ってしても斬れなかったのも頷けらぁ。足だけじゃない。腕も体も丹念に丁寧に時間をかけて鍛え上げられている」

 

『なんだ? 褒め殺して命を助けて貰おうって魂胆か?』

 

 あからさまに侮蔑の色を声に乗せるヌエにギルド長は首を横に振った。

 

「けど、一つだけ鍛えられてねぇところがあるよな?」

 

『あ? 俺様の完璧な肉体にケチをつける気か? 負け惜しみにしても言葉を選べ。猫が鼠を甚振るように嬲り殺しにしてやっても良いんだぜ?』

 

 するとギルド長はニヤリと笑う。否、嗤う。

 

「はん! インナー越しでもくっきりと見えるぜ。可愛い可愛い短小包茎ちゃんがよ。いい肉喰って、鍛えに鍛えても強くなれねェところがあるって事だな」

 

『なっ?!』

 

 ヌエが思わず股間に目をやった隙を逃さずギルド長が水面蹴りでヌエの足を払う。

 動揺の為か、ヌエは無様に転び、その上にギルド長が馬乗りになる。

 

「あとな、どれだけ鍛えようと強くなれない箇所はいくらでもあってよ。例えばここだ!!」

 

『ぐがっ?!』

 

 なんとギルド長はヌエの眉間から鼻の当たりに強烈な頭突きを打ち込んだ。

 途端にヌエの顔を覆う布が真っ赤に染まる。

 どうやら鼻の軟骨が潰れたらしく、出血が激しいようだ。

 痛みも相当激しいようでヌエは身じろぎすら出来ない。

 

「一気に行かせて貰うぜ」

 

 ギルド長が剣を振り上げてトドメを刺そうとする刹那、動きを止めてしまう。

 何事かと思えば、ヌエの右手がギルド長のズボンに入っている。

 剣に体重を乗せる為に腰を浮かせたのが命取りになってしまったのだ。

 

『考えて見たらサポーターを穿いてんのに形が浮くワケねぇよな』

 

「けど、反応したって事は事実だって事だろ?」

 

『黙れ。カスまみれのゴツイ息子さん、握り潰すぞ』

 

 恐ろしくドスの利いた声でギルド長を脅す。

 

「やれや。睾丸(きんたま)、潰される程度で俺が止まると思うなよ?」

 

『勇ましい事だが、それがどれだけの痛みか知らねぇから云える事だ。その激痛たるやショック死だって有り得るからな』

 

「まるで体験したような口振りだな」

 

『おう、肉体の自己再生能力の実験で二度、三度、潰された事があるからな。地獄なんてもんじゃねぇぜ? むしろ再生能力を持った自分の肉体を怨んだものだ』

 

 どうしよう。私に出来る事は何か無い?

 大僧正様も何故か動けないみたいだし、この場で動けるのが私だけなのに、何も出来ない自分の無力さがもどかしい。

 

『さて、やってくれたな。面白い戦いは大歓迎だが、今のは頂けねぇよ。どうしてくれようか……ん?』

 

 どうやらヌエは右手の指を動かしているようだ。

 

『ケツの穴かと思ったが違うな? お前、まさか』

 

 ヌエの困惑している様は素人目に見ても大きな隙があるように見えた。

 だったらギルド長を助けられるかも知れない。

 私は太腿に巻いた皮ベルトで止めてある棒手裏剣をそっと抜き取る。

 力を抜けば柔らかい肉体ってギルド長もおっしゃっていたし、困惑していて、元からかも知れないけど私が意識から外れている今ならいけるかも。

 もし、失敗してもギルド長なら脱出するに充分な隙を作れるだろう。

 私は棒手裏剣を大上段に構えると、ヌエの右腕を目掛けて打った。

 

『なんて考えていたか? 甘ェよ!』

 

 ヌエが腕の筋肉に力を込めただけで棒手裏剣が弾かれてしまう。

 それくらい分かっていた。棒手裏剣は威力がある分、軌道が真っ直ぐで迎撃しやすいのだ。だから大抵の手裏剣術は一投目に隠して二投目を打つ『影打ち』という技術が存在する。

 

「ありがとよ」

 

 ギルド長の手には二本目の棒手裏剣があり、大剣よりも軽い分、速くヌエの眉間に突き刺す事が出来た。

 

『ぐっ……が……』

 

 だが、それでもまだ生きていたヌエが暴れてギルド長を振り落とした。

 

巫山戯(ふざけ)やがって! テメェら、楽に死ねると思うなよ?! 四肢をもいでダルマにした後、ハラワタを喰らいながら犯してやる!」

 

 ヌエが顔を隠している布に手をかけた。

 

『今から俺様の本当の姿を見せてやる。何故、俺様が『畜生道』と呼ばれているか、その意味を知り……そして絶望しながら死んでいけ!!』

 

『そこまでだ。威力偵察の任でも受けているのか思ったが、どうやら単に独断専行していただけのようだな。『餓鬼道』から貴様が姿を消したと連絡があったぞ』

 

『ゲッ?! 火車(かしゃ)姉?! 何故、ここに?』

 

 ヌエと同じく顔を隠した若い女が彼の腕を掴んで止めていた。

 問うまでもなくヌエの仲間に違いない。

 

『まったく喧嘩っ早いのは血気盛んって事で結構だが、皆で決めた作戦をご破算にするのは見過ごせぬぞ。帰ったら尻を叩いてやる。しかも九回だ、覚悟せい』

 

『姐さんもいたのか。相変わらず九以上は数えられないんだな』

 

 同じく顔を隠した大女(女よね?)に首根っ子を摘ままれて持ち上げられたヌエはがっくりと肩を落としている。

 これって考えたくもないけど、この二人はヌエよりも強いって事よね?

 あれ? そう云えばこの二人ってクレープ屋の店員じゃない?

 待って! 何で今の今まであの二人の姿を可笑しいと思って無かったの、私?!

 私もギルド員も冒険者達ですら何の疑問も抱かずにクレープを買ってたんだけど…

 

「ああ、畜生。クソガキの爪のせいでズボンも大事なとこもズタズタだ。爺さん、後で治療してくれ」

 

 ぼやきながらも警戒を緩める事なくギルド長はヌエ達を睨んでいる。

 ズボンが使い物にならなくなっているようで、上着を脱いでパレオのように腰に巻いている間抜けっぽい恰好だが、怒りの分、迫力が増していた。

 というか、痛がっている場面では無いというのは分かるのだけど、その…大事な所が傷ついてギルド長は平気なのだろうか。

 すると『火』と書かれた布で顔を隠している女がギルド長の前で跪いた。

 

『お懐かしゅうございます。貴方様にはソフィアの名の方が通りが良いと思われますが、今は『地獄道』の火車将軍と名乗っておりまする』

 

「ソフィア……」

 

 何故か大僧正様が愕然とカシャの本名らしき名を呟かれた。

 というかギルド長ってこいつと知り合いなワケ?!

 

「やめてくれ。アンタにそんな態度を取られたら身の置き場が無ェ。頭を上げてくれ、師匠(・・)

 

『確かに小生は貴方様を鍛えましたが、それでも飽くまで御主(おんあるじ)様と貴方様にお仕えする従者にございまする。それは今も決して変わりませぬ』

 

 師匠?! って、やっぱりカシャはギルド長よりも強いって事か。

 

「一体、何のつもりだ? アイツ(・・・)はやっぱり五十年前の復讐をしようとしているのか?」

 

『それは愚問というもので御座いましょう。五十年以上も過ぎた今、御主様を貶めた輩はもうこの世にいないか、老いさらばえておりましょう。一体、何に復讐をしろと仰せなのですか? 御主様の願いはそのような詰まらぬものではありませぬ。あの御方は我らの世界(・・・・・)を統一されたように、この世界(・・・・)を征服し、覇王となられる事を欲しておられまする。その上で覇王に相応しき伴侶としてクーア様を御迎えする事こそが御主様の願い。その一点のみこそが拳を握りしめ身悶えするまでに成就を望まれる大願なので御座いまする』

 

「やはり狙いはクーア君か」

 

 何でここにきて副ギルド長が?

 しかも復讐ってどういう事なのよ。

 

「そ、ソフィア様!!」

 

 吃驚した?!

 いきなり大僧正様が膝を折ってカシャの前に出られたのだ。

 

「顔を隠し、髪こそ銀から黒へと変わっておられるが、その気配、立ち振る舞い、間違うはずがない。懐かしや、ソフィア様、お会いしとうございました!」

 

『マトゥーザか。貴様は見違えたぞ。あの荒くれがよくぞ大僧正にまで登り詰めた。同じ大将軍麾下の騎士であった者として鼻が高いぞ』

 

「もったいなきお言葉!」

 

 カシャの優しげな言葉を受けて大僧正様が感涙に濡れている。

 

「しかし、五十有余年前、勇者の凱旋パレードで彼女の乗る馬車の馭者を務められた貴方様は、上層部の罠により勇者や馬車ごと勇者が元いた世界へと送られたはず! 未知なる世界へと送られて、よくぞご無事で!」

 

 途端に先程まで優しげだったカシャは、別人と入れ替わったかのように凄まじいまでの怒気を発したではないか。

 

『莫迦な! 何が無事なものか! あの人間が生きるに過酷な世界で小生は幾度死に損なったか。彼の世界の国という国が覇権を争い、喰い合い、潰し合いをしているこの世の地獄で小生は幾度絶望した事か。あの地獄と比べれば魔王の侵略など子供の遊びでしか無かったぞ!』

 

「子供の…遊び?」

 

 大僧正様は呆然とカシャの言葉を繰り返された。

 

『遊びも遊びだ。あの人の尊厳すら失った地獄の中で、それでも生き抜いてこられたのは、御主様のお導きがあればこそ。そして御主様が覇王となる決意をされ、世界の統一という大望を抱かれたからこそ、小生は立ち上がれたのだ。人間を捨てる事が出来たのだ』

 

「人間を…捨てる?」

 

『人のままでは永遠の命を有する御主様にお仕えする事は出来ぬ。人のままでは屍山血河の覇道を歩む事は出来ぬ。人のままでは…この世界に帰還する事は叶わぬ』

 

 愕然とされている大僧正様を押しのけてギルド長が前に出る。

 

「向こうの世界を統一して、今度はこっちの世界か。欲の深ェ事だな」

 

 侮蔑を込めたギルド長の言葉に激昂するかと思いきや、カシャは優雅な笑い声を上げた。

 

『本当は貴方様も理解しておられるはず。星神教、プネブマ教、慈母豊穣会、これだけ力のある宗教が衆生を導いても、魔王という共通の敵を斃す為に世界が一時的にとはいえ一つに纏まっていても、真の平和は訪れない。つまり、この世界もまた偉大なる羊飼いが求められているのだと』

 

「それが御主様と云いたい訳か?」

 

 ギルド長の言葉にカシャは首を横に振った。

 

『それだけでは不十分。それでは向こうの世界の(ことわり)をこちらに押し付けるだけになりましょう。この世界と向こうの世界、双方を理解する指導者が必要となるのは明白。その指導者こそが御主様とクーア様の細胞を組み合わせて誕生させたUシリーズ型番774……肉体、魔力、頭脳、統率力、そして人格、全てが最高峰の素質を持ち、男女双方の生殖能力を有し、あらゆる生命と繁殖が可能である真の意味における究極の生命体、即ち、貴方様の事でございます。姫様(・・)

 

 カシャは跪き、ギルド長の手を恭しく、そして愛おしそうに取ったのだった。




 サラは完全に解説役ですw
 けど、その割りには超高速の戦闘に目だけはついていけてます。
 まあ、解説するのにある程度は戦況を見えてないとできないですからねw
 そこは家でそこそこ鍛えられていたという事で。
 カイゼントーヤ人に限らずこの物語の商人は財産を守る為に護衛を雇うだけでなく、自身も護身術を修得する傾向にあります。サラの実家では手裏剣術が伝わっていたのですね。他にも若い時期は色々と手を出す者もいたようです。
 お金もありますから、道場とかもウエルカム状態ですw

 鵺将軍は変身を示唆する発言をしながらも、今回は見送りです。
 追い詰められると変身するキャラは割りと好きです。
 きっと天外魔境シリーズが好きだった影響でしょうね。
 変身前に一回戦って、最後は変身して最終決戦という流れが熱いと感じるタイプなのでw
 ヌエの変身後の姿はまだ先ですが、変身前が一番手でも変身後も一番手とは限らないとだけ云っておきます。楽しみにしていてください。

 ギルド長が両性具有なのには驚いた方もおられたのではないかと思います。
 ただ一応は、ギルド長が酔うと滅茶苦茶色っぽくなり、クーアとシャッテが良い雰囲気になると機嫌が悪くなり、今もシャッテがクーアにモーションを掛けているのが面白くないという気持ちを隠してなかったりとヒントは出してました。
 まあ、作風から普通にホモかと思われていたかもしれませんが(汗)
 ちなみにクーア、鵺将軍など合法ショタ達が短小包茎なら、ギルド長のモノはムケムケの巨根です(おい)

 さて、敵の実力者が三人になってしまいましたが、これからどうなるのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第陸章 六道将と受付嬢

『ですが……』

 

 カシャがギルド長の手を引いただけであっさりと倒されてしまう。

 ギルド長がそんなあっさりと倒されるとは思えないので、何かしらの技を遣ったと考えるのが自然だ。

 

『本性を現していない『畜生道』を相手取っての今の体たらく……小生が鍛えていた修行時代の方が優れていたように思えます。我らの元から去ってからの半世紀、貴方様は何をしておいでだったのです? これでは世界を導く大役をお任せする訳には参りませぬぞ』

 

「だ、誰がこの世界の支配者にしてくれと頼ンだよ? 勝手に俺の人生を決めるンじゃねぇ!」

 

 信じられない光景だけど、俯せにされて腕を押さえ込まれただけでギルド長の動きは完全に封じ込められてしまっているらしい。

 苦悶の表情を浮かべながら立ち上がろうとしているギルド長に対して、カシャは大して力を入れている様子は無い。そう見せているのではなく、実際に力など必要としていないのだろう。

 

「これって、お爺ちゃんが得意としていた合気道?!」

 

『ほう、善く存じていたな? 如何にもこれは小生が異世界で身に着けた武道、合気の技だ。その昔、姫様にも伝授差し上げたのだが、この御気性ゆえ、"まどろっこしい”と真剣に学んでは頂けなんだ。そして、そのツケを今、こうして払われておられる』

 

 カシャはどうやら敵(?)であっても褒める時は褒める性格らしく、合気道を知る私を褒めるが、一方でギルド長を"姫様”と呼びながらも容赦をする気配は無かった。

 それにしてもギルド長が両性具有である事は知っていたし、胸も大きく、男言葉を遣いながらも髪の手入れは行き届いており、肌もキメ細かくてお化粧もバッチリだったけど、改めて女性扱いをするのは今更感が否めない。

 

『さて、如何したものか。冒険者となって経験を積まれれば、訓練とはまた違う力を得られるのでは、と推移を見守ってきたが、こうも成長が見られぬとなると判断は間違っていたのか? それとも引退をされた時に御迎えすれば、ここまで衰えることはなかったのであろうか? いや、いずれにせよ、小生の判断が過ちであった事に違いはないがな』

 

 カシャはギルド長の腕を更に捻るが、ギルド長も意地なのか、呻き声をあげない。

 

『なら失敗作って事で処分しちまおうぜ。クローニングして新しい774番を改めて教育すりゃ良いじゃねぇか』

 

 嗤いながら提案するヌエにカシャは渋い声を出す。

 

『簡単に云うな。それでは我らの都合で簡単に王を挿げ替えられる(・・・・・・・・・・・・)と世に知らしめるようなもの。我らは偉大なる御主(おんあるじ)様と姫様に仕える将である事を忘れるな』

 

『へーへー』

 

 つまらなそうに返事をするヌエの頭を大女がポコリと殴る。

 

『返事は"はい”、そして一回だ。それにお前とて不意を喰らって鼻から大出血ではないか。姫様を悪く云えた口か、んん?』

 

 窘められたヌエは"けっ”と吐き捨てると腕を組んで口を閉ざした。

 見れば顔を覆う布についた血はいつの間にか消えていて、『血』の文字だけが残っている。

 

「アンタ達はこれからこの世界を侵略するつもりなの?」

 

 この場において口を開く権利が私にあるのか分からないけど、訊かずにはいられなかった。ヌエだけでも恐ろしいのにそれより強いのが少なくとも御主様とやらを含めて三人いるし、将軍と名乗るからには軍隊だって率いているだろう。況してやこの世界とは異なるが、彼らは一つの世界をたった半世紀で征服しているのだ。

 

『ほう、姫様が拘束されておるこの状況で口を開くとは中々見上げた胆力だわい。ワシが初めて御主様と御目文字した時は震えて挨拶もろくに出来なんだわ。それを思えば実に大したものよのう』

 

 大女が顎を擦りながら感心した様子を見せる。

 

『その度胸に免じて教えてやろう。侵略とは少し違う。ワシらがするのは、まず対話(・・)だ。武人、政治家、知識人、宗教家、商人、職人、農民、それだけではないぞ。拠ん所無い事情により日の目を見る事が無かった才ある者、表社会に身の置き場の無い者、老若男女美醜貴賤の区別無く、同志を募る。勿論、改宗は望んではいない。信じる神は人それぞれだからな。仕える主を裏切れとも云わん。ただ我らの活動に賛同を得られれば良いのだ』

 

 その上で――見えないはずの大女の顔がニヤリと笑ったのが分かる。

 

『最終的に王達に迫るのだ。"我らの盟に加わる意思が有るか否か”をな』

 

 これは侵略をするよりタチが悪い。

 王様達の周りを自分達の賛同者、否、協力者で固めた上で降伏を迫るとは……

 これが僅か半世紀で世界を征服した絡繰りか。

 強大な力を持つ異形の戦闘集団が自分の気付かぬ内に臣下を屈服し、味方が居なくなった状態で降伏を迫られれば王様も受け入れざるを得ないだろう。

 

「もし、降ふ…盟を拒んだ王様はどうなるの?」

 

『言葉を選ばずとも良い。安心せい。その場で殺すなどせぬわい。その時は『国盗り』の宣戦布告をして戦闘開始じゃ。その前に我らに降る意思のある者は受け入れて厚く偶すると伝えておくがな。すると不思議なものでなぁ。その直後に大抵の王は慌てて我らに縋るのだ。"盟に加わる。否、軍門に降る”と、のう』

 

 想像に難くない。

 きっとその時には家臣の殆どが彼らに降るのだろう。

 そればかりか民衆もまた王を見捨てて、新たなる指導者を迎え入れるのだ。

 孤立した王様は漸く悟る。自分は既に丸裸であるのだと。

 

『ったく、いつもながら、いけまどろっこしい話だぜ。国を二つ三つばかり惨たらしく滅ぼせば自ずから国を差し出すだろうによ。腕の振るい甲斐が無ェってもんだ』

 

 ヌエが頭の後ろで手を組んでつまらなそうに云った。

 

『前にも云ったであろう。それでは必要以上に怨みを買う事になり、滅ぼした国を再興するのにも時間と労力を消費するから旨味が薄くなるとな。何より必要以上の、否、不必要な犠牲を御主様は好まれない。あの御方は覇王であれ暴君ではない。だが、貴様が勝手な行動をすれば民衆は御主様を暴君と呼ぼう』

 

 カシャに戒められてヌエはますます機嫌が悪くなったようだが、何かに当たるほど幼稚ではないようで、舌打ちをしただけだった。

 カシャは声を殺して痛みに耐えているギルド長を見下ろす。

 しかし、先程とは違って、何故か微笑んでいるような気がした。

 

『なるほど、確かに姫様は衰えたのかも知れない。しかしながら、先にヌエから貴方様を救うために行動し、今も我らと対話を試みる彼女の勇気は生来持って生まれた気質もあるのでしょうが、それだけではありますまい。恐怖を乗り越え毅然と立つ姿を見るに貴方様が育てられたのが善く分かります』

 

「か、買い被りだ。俺は毎日叱り飛ばしていただけだ。後はクーア君に説教され、爺さんに導かれた結果だろうさ」

 

『いえ、ただ叱っていただけなら貴方様を救うために命をかけて行動を起こせなかったはず。姫様はしっかりと人を育てられたのです。その点のみを見ても、やはり姫様は指導者になるべき御方なのだと確信致しました』

 

 カシャはギルド長を解放した。

 ギルド長は捻られた関節を揉みながらカシャ達を警戒している。

 

『気が変わりました。本当なら姫様を連れ戻し、再教育をするつもりでしたが、彼女……済まぬが、芳名を賜っても?』

 

 ギルド長を見ると頷かれたので名乗る。

 

「サラ…サラ=エモツィオン」

 

『感謝する。サラ=エモツィオンのような人間を育てられた事に免じて再教育は不要と見做しましょう。そもそも教えるべき事は既に伝授してあったのです。そして野に下った貴方様を御主様は祝福されていたのですから。"実際に世界を知らぬ者が導き手にはなれぬ。あとはあやつ次第だ”とね』

 

「気に入らねぇな。全てはアイツの思惑通りかよ」

 

『さて、小生如きには御主様の御心は計り知れませぬ。現に鵺将軍(ぬえしょうぐん)を相手に不甲斐無い戦いを見せられた姫様に憤りを覚えていたのは確かゆえ。しかし、真に磨くべきは指導力であったのだと確信した今、我らは去りましょう』

 

 カシャが右手を挙げると、彼女の近くに黒い稲妻のようなものが落ちる。

 その衝撃に一瞬、腕で顔を庇う。

 

「こ、これは?!」

 

 顔を上げると、カシャのそばに炎を全身に纏った巨大な骨、形状からして猫の骸骨が二頭と、それらが引く馬車、否、戦車があった。

 

『今暫しのおさらばで御座います。しかし今後、不甲斐無いお姿を再び拝見仕れば、次こそは容赦なくお連れ申し上げまする』

 

 カシャが戦車に乗り込むと大女が冒険者達の死体を担いで戦車に次々と積み上げていく。

 

「待て! 冒険者達の死体をどうするつもりだ?!」

 

『知れた事。『畜生道』も申していたでしょう。彼らはあやつが狩った(・・・)戦利品。文字通り、煮て喰おうと焼いて喰おうと鵺将軍の勝手次第。糧となるのが、否、糧とする事こそが彼らの栄誉となりましょう』

 

 さも当然と云わんばかりのカシャに背筋が凍る思いがした。

 話が分かる人だと思っていただけにショックが大きい。

 

「ソフィア様! それだけはなりませぬぞ! 人が人を食すなどあってはならぬ大罪でありましょう! 先程、人をやめたと仰せになられたが、心まで畜生になって何とする! それでは覇王の臣とは名乗れますまい!」

 

 今まで呆然とされていた大僧正様がカシャに諫言なされているが、カシャは冒険者の死体を返す素振りを見せない。

 

『それは人を食さねば餓死するまで餓えた事が無いから云えるセリフだ。無論、御主様の世界に行く前の小生なら同意見であったろう。だが、云ったはずだ、小生は人を捨てた(・・・・・)と。あの極限の地獄の中で小生が禁忌を犯すのは時間の問題であった。だからもう小生の事は忘れよ。小生もソフィアの名は捨てた。そして…』

 

 カシャが顔を隠す布を剥ぎ取る。

 その顔は最早人間とは呼べなかった。

 造作は美しい。しかしその問題は目だ。

 強膜は血のように赤く、瞳は金色に光り、そして瞳孔は縦に長かったのだ。

 耳は本来、人間が持つ位置には無く、頭部に猫のような耳がツンと立っていた。

 

『身も心も怪物となった小生はもう貴様とは一緒にはいられぬ。だから貴様も小生が婚約者であった過去を忘れるのだ』

 

「ソフィア様……」

 

 大僧正様への決別の言葉と共にカシャの目から一筋の涙が落ちる。

 一滴だけ。それが人としての最後の涙と云っているかのようだった。

 

『では、さらばだ。次に会う時は小生が戦力として投入された時、即ち敵となっているだろう。それまでに貴様も覚悟を決めておけ。今の貴様の心は千々に乱れていよう。そのような様では貴様の槍は小生には届かぬ。大僧正ならいつまでも腑抜けた顔をするまいぞ。小生の知る槍のマトゥーザはそのような軟弱な男ではない。必ずや毅然と我らに立ち向かってくると信じている』

 

「畏まって(そうろう)

 

 カシャは再び布で顔を隠すと猫の骸骨と繋がっている鉄で出来たイバラのような手綱を握った。

 

『では帰還する…ん? 鵺将軍、何をしている?』

 

『よぉっ』

 

「どわぁ?!」

 

 気付けば目の前に『血』の文字があった。

 

『へぇ、こんなところに手裏剣を隠していたのか。武器を帯びているのに投げる寸前まで殺気を見せなかったからな。大したもんだぜ、お前』

 

 しかも次の瞬間、しゃがんで私のスカートを捲っていた。

 スパッツを穿いてはいたけど、それでもこんな豪快にスカートを捲られては恥ずかしいものである。

 

「何さらしてけつかんねん、この変態!!」

 

『どわっ?!』

 

 スカートの端を掴むヌエの手を振りほどくように体を回転させつつ飛びながら後ろ回し蹴りをヌエの側頭部に見舞った。

 お母さん直伝、対セクハラ防御術の一つ。『鬼のソバット』だ。

 打点が低めで体重が乗りやすいため、体重が軽い女の子でも威力が出しやすい。

 昔、痴漢に遭った時にかましたら股間を直撃して、しかも潰してしまってから封印していたけど、つい出してしまった。

 ま、まあ、乙女の絶対領域を覗いた変態には良い薬だろう。

 

『あてててて…お前、凄いな。冒険者の誰もが俺様に触れられなかったのに、油断していたとはいえ、こうもあっさり一撃入れやがるとは…しかも技の発動まで殺気がまるで感じなかったし』

 

「じゃかあしいわ! 乙女の神秘を覗くゴンタクレには当然の報いや!」

 

『ゴンタクレて……』

 

 ちなみに、ゴンタクレとはカイゼントーヤ語(関西弁)で"いたずら者”"困ったちゃん"を指している。目の前のアホンダラに相応しい言葉や。

 ヌエは痛がりはしてもダメージは受けてないようで頭を擦りながら近づいてくる。

 

「な、何よ?」

 

『お前、気に入った。俺様の嫁にしてやる!』

 

 ヌエは布を捲ってニンマリと笑った。




 六道将は周到に準備をして堀を埋めるだけ埋めてから交渉に入ります。
 戦って勝つ事は出来ますが、当然六道将側にも犠牲が多く出ます。
 その繰り返しで世界を統一しても、今度は統治を維持する力が無くなってくるので、三日天下になりかねません。
 それでは意味が無いので、双方に犠牲が出ないやり方を採用しています。
 まあ、彼らの世界は群雄割拠の戦国乱世を世界単位でやっていたので、各国の王達も覇を争っていたプライドがあり、降伏するのを潔しとしないとして戦闘になる場合も少なくなかったようです。

 火車将軍ことソフィアは同じ大将軍の部隊での先輩騎士でした。
 厳しい人でしたが、同時に美しく、弱者特に庶民に優しいので彼女に憧れる騎士は大勢居ました。
 しかし、ある日、好色な貴族の罠にかかって捕まり、媚薬で前後不覚になっている状態にされて陵辱されようとしていましたが、貴族上等のマトゥーザが尻込みする同僚を振りきって単身で救出したのでした。
 しかし彼女は媚薬により対○忍状態で最早、抱かないと気が狂ってしまいかねなかったので、仕方なくマトゥーザが彼女を抱いて収めました。
 そんなお約束(?)が切っ掛けで二人は大将軍の許可を得て婚約したという経緯があったのです。
 そして結婚を機にソフィアは退職する事が決まり、最後の華として凱旋パレードで勇者の乗る馬車の馭者をする事になったのですが、結果はご存知の通りです。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第㯃章 受付嬢、口説かれる

 私はいきなりの告白とヌエの素顔に二重の意味で固まった。

 顔立ちは悪くない。むしろ、中性的な童顔で整っている。

 粗野な言動とは裏腹に幼い貴公子といった面立ちだったのだ。

 強膜は黒く、瞳はカシャと同じく金色だが瞳孔は何故か四角い。

 その目の下には小さな点が並んでいる。ソバカスかと思ったが善く見れば点では無く小さな窪みだった。後に聞いたが蛇でいうピット器官に当たるそうな。

 意外と歯は犬歯が鋭く長い事以外は人のそれと同じだ。

 

「よめ……」

 

『ああ、お前みたいな面白い女は滅多に居ないからな。匂いからまだ男を知らないようだし、なら俺様が貰ってやる』

 

 先程、云われた言葉が徐々に頭の中で意味を持ち始める。

 

「よめ……よめ……嫁……はあああああああああっ?! 嫁ぇ?!」

 

『どぼっ?!』

 

 私は無意識の内に左右からヌエの鎖骨目掛けてダブルで手刀を落とす。対セクハラ防御術の一つ。『地獄のモンゴリアンチョップ』を敢行していた。

 

『だから、何でお前の攻撃は殺気が無いんだよ?!』

 

 そんな事を云われても困る。

 こっちだって気付いていたら技を繰り出していたのだ。

 

「いや、アンタ、さっきの大僧正様とカシャの決別を見ていなかったの? その流れでいきなり求婚する莫迦がどこにいるのよ?!」

 

『じゃあ、今日じゃなけりゃ良かったのかよ? 火車(カシャ)姉は火車姉だ。それに倣って俺様も嫁取りをやめる筋合いは無ェよ』

 

 それより返事をくれ、とヌエはさっきまでの獰猛さが嘘であるかのように無邪気に抱きついてくる始末である。

 ちょっ?! やめなさいってば! 本当に何なの? これでも『畜生道』と呼ばれる将軍なワケ?! あ、でも子犬っぽい感じは畜生に相応しいと思うべきかしら?!

 

「って、何、どさくさに紛れて乳に顔を埋め腐っとんのや、クソジャリ!!」

 

『どへっ?! だから何で殺気が?! しかもフェイントが巧いし…』

 

 一度、蹴り足とは逆の足を振り上げ、素早くその足を引きながら蹴り足で跳躍してヌエの顔面を蹴り抜く対セクハラ防御術の一つ『修羅の二段蹴り』だ。

 

「と、兎に角、私はアンタの嫁にはならないわよ! 一昨日来なさい!」

 

『分かった! 火車姉! タイムマシン使って良いか? 一昨日まで戻って、こいつを口説いてくる!』

 

『ダメに決まっているだろ! 額面通り受け取るな、莫迦者! "二度と来るな”という意味だ』

 

 あー…うん、分かる。カシャって生真面目そうだし、きっと苦労人タイプだわ。

 というか、時間を遡れるの?!

 いや、聞かないでおこう。肯定されたら気が狂いそうだ。

 

『でも、何でダメなんだよ? こう見えて俺は将軍だからカネはあるぞ。城持ちだし、使用人もいっぱい雇ってるから苦労はさせないぜ?』

 

 いや、さっきまで、というか、今でも敵対関係なのに嫁に行けるワケないでしょ。

 それに私は両親が死んだ時、嫌というほどお金の恐ろしさを味わっているから金持ちになる事が怖くて堪らない。むしろ、共働きで一緒に苦労を分かち合える人の方が良い。

 

『珍しいヤツだな。でも子育てと仕事の両立は難しいって云うぞ? 何なら俺は料理は得意だし、育児は結構慣れてるぜ。子育ての苦労なら分かち合えるぞ』

 

「アンタの料理なんて怖くて喰えるか! それにアンタの育児の概念は多分、私のとは違うと思う」

 

 ギルド長を始末して新しいギルド長を教育し直せば良いと云ってしまえるヤツに子供を育てる資格はないと思う。

 

『うーん、どうすりゃOKを貰えるんだ? あ、もしかしてあれか? お友達から始めようってヤツか?』

 

「アンタ、ポジティブにも程があるでしょ。どの道、当分は結婚はおろか恋愛なんてしている暇なんか無いのよ、私は」

 

『何で?』

 

「何でってアンタも大概しつこいわね。良い? 私には養っている家族がいるの。しかも、病弱だから薬代も稼がないといけないワケ! 云っとくけど、あの子の事を足手纏いなんて思ってないわよ? 本当に可愛くて可愛くてしょうがないのよ。それこそあの子の為ならどんな苦労も苦労とも思わないわ…あ、ヤバ」

 

 あまりのしつこさにキレかけていた私はつい余計な事まで喋ってしまう。

 私の莫迦! 敵に態々弱みになる情報を与えてどうするのよ。

 どうしよう。ヌエが結婚するには私の弟が邪魔だと考えたら私じゃ止められない。

 

『なら弟の面倒も見てやろうか? 何の病気かは知らないが、俺様達の世界は大抵の病気は克服している。遺伝病だろうと未知のウイルスだろうと治してやるぜ?』

 

 不覚にも私は今の言葉に揺らいでしまう。

 本当なら願っても無い話だ。

 生まれつき心臓が弱い弟は医者から十二歳まで生きられないだろうと宣告されていたが、高価な薬で騙し騙しやって漸く十五歳にまで生き存えてきたのだ。

 私の夢は弟が普通に成人して、可愛い奥さんを貰って、子供をたくさん作って幸せに生きてくれる事だ。

 もし、本当に弟を健康にしてくれるのなら、私は悪魔に魂を売っても良いし、望まれれば体を開く事も、殺されるのだって厭わない。

 

『いい加減にせんか! お前はフラれたのだ。男だったら潔く諦めんか!』

 

 大女がヌエの頭を思いっきりぶん殴ったのか、物凄い音を立ててヌエが漫画のように地面にめり込んでしまう。

 

『すまなかったな。だが、こやつも悪い男では無いのだ。出来れば今後も仲良くしてやってくれい。その内、良い所も見えてくるだろう』

 

 い、いや、仲良くした覚えはないんだけど、どうにも調子狂うな。

 しかし、この大女も気の良いお姉さんのようでいて、恐ろしい陰謀を担っているし、冒険者達の死体も物のように戦車に積んでいるのだから、やっぱり倫理観が私達と大分異なっているのよね。

 

『それに弟御の事で力になれるのは本当の話だ。頼ってくれれば、いつでも迎えに行き治療を施してやろう。無論、我らのような戦闘生物(バケモノ)に改造するという事もないし、況してやそれで鵺将軍の嫁になれと云うつもりもない。姫様とてお前さんを裏切り者と呼ぶまいよ。エモツィオンの懸念はその辺りだろう?』

 

 コイツ、見かけによらず人の機微に聡い。

 私が弟を救える(すべ)があると知って揺らいでいるのもそうだけど、その際に生じるメリットとデメリットの計算もしている事も察している。

 ひょっとしたら見た目(ガワ)だけならヌエが私の好みにドストライクなのも気付いているのかも知れないわね。

 じゃなかったら、"その内、良い所も見えてくる”なんて云わないだろう。

 

「けど、私は月々の薬代で貯金なんて雀の涙よ? とても治療代なんて払えないわ」

 

『ふっ、心配しなさんな。鵺将軍(ぬえしょうぐん)は云うまでもないが、少なくともワシと火車将軍はお前さんを気に入っておる。きっと御主(おんあるじ)様も気に入られよう。治療代くらいは我らで用立ててやるし、その間の身の安全も保証してやろう。まあ、入院中は鵺将軍に付き纏われる事になるかも知れんが、治療費を思えば安い物だろうよ』

 

 大女はガハガハと豪快に笑いながら私の頭を撫でた。

 

「構わないぜ。連中の医療技術はこの世界の遙か上をいっている。むかつく奴らだが少なくとも火車とそこのデカブツは人物(・・)と評しても良い。向こうにいる間の安全は確約されたも同然だ」

 

 ギルド長が人物と云うのだから信用に値すると云って良いのだろう。

 だけど、治療するのは私じゃない。弟だ。

 

「少し時間を頂戴。私が同意しても結局は弟本人に治療を受ける意思があるかどうかだから……」

 

『無論だ。我らの世界でも手術をするには当人の同意が要る。ゆっくり話し合うが良かろう』

 

 大女は私にカードのような物を手渡してきた。

 

『決心がついたらそのカードに呼びかければ良い。すぐに迎えの者を向かわせよう』

 

 大女はもう一度私の頭を撫でると、未だに気絶をしているヌエを肩に担いでカシャの戦車に乗り込んだ。

 

『では姫様、暫時、おさらばです。次に御目文字する時は御味方である事を願っておりますぞ』

 

「有り得ねぇよ。さっさと行け」

 

 ギルド長は追い払うように手を振っているが、視線の先はカシャではなく冒険者達の死体だ。取り返す事が出来ず、むざむざ食料とされるのを見送らなければいけない事を無念に思っているのだろう。

 

『行け! ミケにタマよ。我らが拠点へ疾駆せよ』

 

 カシャが鉄のイバラの手綱を鳴らすとあの黒い稲妻が彼らに落ちる。

 衝撃が去るともう彼らの姿はそこには無かった。

 

「チクショウ…俺が不甲斐無いばっかりにアイツらが喰われちまう。俺はアイツらを守るどころか死体すら取り返せなかった…」

 

 ギルド長…

 いや、悔しそうに拳を握り締めているのは大僧正様も同じだった。

 今回の事件は新たな脅威が現れたことを知れただけではない。

 冒険者ギルドに取っても手痛い敗北であったのだ。

 

「何だか分からないけど、結局、この子達は戦車から奪って良かったんだよねェ?」

 

 誰? 声の方を見ると異様なご婦人がいた。

 いや、普通に外出用の白いドレスを着た貴族然とした方だったのだけれど、問題は彼女を囲むように十を越える死体が浮かんでいたのだ。しかもその死体はヌエに殺され、カシャの戦車で連れ去られたはずの冒険者達だったのである。

 あまりの光景に絶句していると、大僧正様が一歩前に出られた。

 

「そなたは何故ここに? おいそれと外出が出来る立場ではあるまい?」

 

 するとご婦人は豊かな銀色の髪を纏めた頭を掻いて照れ臭そうに笑ったものだ。

 

「いやあ、ウチの宿六が死んでから随分と宮廷もきな臭くなってきてねェ。昨夜、いきなり元老院の連中が後宮に押し掛けてきたと思ったら、宿六と一緒に生きたまま墓に入って殉死しろって云ってきたものだから逐電してきたのさ」

 

 そしたらこの騒ぎだろう、とご婦人は浮かぶ冒険者の死体の一体、Aランクに登録されている『聖女』と評判を取っていた若い尼僧の頬を撫でる。

 

「喰うの喰わないのって話が聞こえてきたからねェ。こんな可愛い子が得体の知れないのに食べられるのも不憫と思って、つい助けちまったのさ」

 

 うげ……ご婦人は無惨に顔の上半分を潰された尼僧の死体を抱き寄せると躊躇することなく口づけをしてしまう。

 すると尼僧の死体は物凄い速さで修復されて愛らしい童顔に戻っていた。

 同様に他の死体達にも口づけをすると皆、あっという間に生前の姿を取り戻す。

 ただ、残念ながら生き返ったワケではないそうだ。

 

「うんうん、やっぱり生きていようと死んでいようと人は美しく有るべきだねェ」

 

 修復された冒険者達の死体は地面に降り立つと、まるで生きているかのように自分で歩いてご婦人のそばに寄り添う。

 ひょっとしてこのご婦人、死者を操る死霊術士(ネクロマンサー)か?!

 

「悪いけど、この子達はこのまま冒険者ギルドに返すワケにはいかないねェ。あのヌエとかいう怪物に一矢報いない事には怨念が晴れる事はないよゥ」

 

「そうか、なら彼らはそなたに任せよう。ギルド長も依存はないな」

 

「納得はしねぇが、それが一番だって分かっているよ。任せた」

 

 なんと大僧正様もギルド長もご婦人の提案に同意してしまった。

 二人はこのご婦人が何者なのか、ご存知なのだろうか?

 そう云えば、元老院がどうだの殉死がどうだの云っていたけど……

 大僧正様の例もあって私は嫌な予感を覚えた。

 

「ところで兄貴はどこだい? ちょっと相談したい事があるんだけど」

 

「今日は千客万来だな。皆、ちょっとクーア君に頼り過ぎじゃねぇのか?」

 

「そう云うな。普段からクーアに頼りっきりのそなたが云うても説得力が無いわい」

 

 違いない――ご婦人が苦笑いをして大僧正様に同意する。

 その苦笑いに私は見覚えがあった。

 

「取りあえず、さっきの怪物達について説明をして貰おうかな? 僕にも手伝える事があるかも知れないしねェ」

 

「良いけど、まさか居着くつもりか? 今のアンタを匿うのは爆弾を抱えるより危ねぇと思うんだが」

 

「固い事を云いなさんな。兄貴が冒険者ギルドに行けるように計らってあげた恩ってものがあるんだからねェ。それにこの子達を助けてあげた(・・・・・・)のも僕だって事、忘れておくれでないよ?」

 

 ご婦人は死体達をぞろぞろ伴ってギルドへと歩いていく。

 

「いずれ分かるから云うておく。彼女こそ聖帝パテールの正室、聖后レクトゥール。クーアの双子の妹でもある。凄腕のネクロマンサーぢゃ」

 

 大僧正様に耳打ちをされて私はその言葉の意味をじっくりと吟味する。

 双子…苦笑いに見覚えがあると思ったら副ギルド長に似ていたんだ。

 副ギルド長と比べて身長が高いから最初は分からなかったわ。

 そう云えば次期聖帝陛下と目されておられるレオニール皇子様もどことなく副ギルド長の面影があるように思えてくる。

 そうか、副ギルド長は未来の聖帝陛下の伯父に当たるのね。

 

「その副ギルド長に私は五年以上も逆らっていたのか……」

 

 漸く脳味噌が事実を認識した途端に私は卒倒する。

 完全に意識を失う前に、何故かヌエの顔を思い浮かべていた。

 そう云えば野生的で気付かなかったけど、ヌエも副ギルド長に似ていたなぁと、どうでもいい事を考えながら、今度こそ私は気を失った。




 サラ、鵺に求婚される。
 サラはお母さんに"セクハラ男は滅ぼしても構わない”と徹底的に教育されているので、もう無意識レベルで技を繰り出せるまでになっています(ただしセクハラ限定)。普通に鵺を攻撃するつもりで出したら、あっさりと防がれてしまう事でしょう。まあ、"異世界なのに何故モンゴリアン?”というツッコミもあるかとも思いますがw
 余談ですが、第壱章でサラにセクハラかました冒険者ですが、広い場所で同じ事をしたら今頃はツブれていたでしょうね(ナニが?)
 ちなみにサラはブラコンではなくショタコンです(おい)
 弟さんは病気のせいで成長が祖害されて見た目はかなり幼いです。
 同じようにクーアや鵺のような合法ショタに厳しいのは天下りや敵だから云々ではなく、ツンデレが発動しているだけです(爆)
 起きると忘れていますが、割りと頻繁にクーアに純潔を捧げる夢を見ており、朝、覚えのない自己嫌悪に陥り、出勤してクーアの顔を見ると悪化するのもクーアに楯突く原因にもなっています。
 恐らく次の日の夜から鵺も夢に参加するでしょうw

 クーアの妹が元老院に殉死を求められたから逃げたというのは作中でも述べましたが、本音はパテールが死んだ事で宮廷に未練が無くなったからです。何だかんだで彼女なりにパテールを愛していました。息子も勿論愛していましたが、クーア同様に"独立しなさい”と千尋の谷に突き落としてから出奔しています。
 レクトゥールは死者を操る術で、死者の無念を晴らす手伝いをするのが生き甲斐だったりします。ただ怨みを晴らした後も何故か死者は彼女に忠誠を捧げ続ける傾向にあるようです。レクトゥールがバイセクシャルでテクニシャンで、しかも名器であることに関係があったりなかったり(爆)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第捌章 受付嬢とゾンビと新たな出会い

 丘の上にある白いチャペルの中、私はバージンロードを歩いている。

 共に歩くのは父親役を買って出てくれたギルド長だ。

 その先には愛しい旦那様が待っている。

 幸せを噛み締めるように一歩一歩ゆっくりと歩く。

 ギルドの仲間、事務長、幼馴染みの双子の冒険者、皆が祝福してくれている。

 やがて花婿の前に辿り着く。

 ギルド長と花婿が互いに一礼して、私の手を新郎に握らせた。

 今度は花婿にエスコートされて大僧正様の前へと進む。

 『太陽神』と『月の女神』の夫婦像の前で婚姻の誓約をする。

 だが、何故かこの時、何を云っていたのかはあやふやで覚えていない。

 そして指輪の交換を無事に済ませるといよいよ誓いのキスだ。

 新郎が私の顔を覆うベールを上げたその時、私は固まった。

 なんと私の結婚相手は副ギルド長だったのだ。

 副ギルド長の顔が近づいてくるが私の体は硬直したまま動かない。

 やがて唇が触れるようとしたその刹那、扉が勢い良く開けられた。

 

『ちょっと待った!!』

 

 途端に私の体が動けるようになり、教会の入口を見た。

 

「な、何でやねん?!」

 

 そこには副ギルド長と同じく純白のタキシードを着たヌエがいた(・・・・・)

 

『サラは俺様のもんだ!!』

 

「へぇ…僕の花嫁を奪うつもりかい?」

 

 心底恐ろしいものを見ると声も出なくなるというのは本当だった。

 男とは分かっているはずなのに、副ギルド長がヌエに向ける笑みは妖艶と云える程の色気があり、それでいて禍々しいまでの妖気を放っていた。

 二人の顔はまるで双子のように瓜二つだが、タイプはまるで違う。

 ヌエが野生的で獰猛な印象であるのに対し、副ギルド長はその小さな体が巨大に見えるまでに威厳があり、更に魔女のような妖艶さも同居しているのだ。

 

『ハッ! 奪うも何もサラこそは俺様に相応しい女だ!』

 

 副ギルド長の威圧に負けじとヌエの全身から圧倒的なオーラが放たれる。

 さながら子を守護(まも)る獣の如き重圧だ。

 

「面白い事を云うね? ならサラにどちらが夫に相応しいか決めて貰おうよ」

 

『望むところだ! 俺様がサラを満足させてやる(・・・・・・・)

 

「はい?」

 

「満足? 僕ならサラを極楽の境地(・・・・・)に連れて行ってあげられるよ?」

 

「極楽って?」

 

 気が付けば場面(・・)は教会ではなく豪奢な装飾が施された寝室と変わっており、私は天蓋付きの大きなベッドに横たわっていた。

 

「え? 何? な、何で裸になってるの?!」

 

 一糸纏わぬ姿になっていた私は右手で胸を隠し、左手で股間を隠した。

 

「さあ、この記念すべき初夜で僕は君に相応しい夫であると証明して見せるよ」

 

 声のした右を見れば、同じく生まれたままの姿の副ギルド長が微笑んでいる。

 その笑顔は優しげでありながら、情欲が見え隠れして少し怖い。

 

『いいや、俺様こそサラと似合いの夫婦となれる事を証明して見せてやるよ』

 

 左を見れば、これまた裸になったヌエが情欲を隠すことなく笑っていた。

 

「では男の勝負を始めよう。サラ、幸せにしてあげるからね?」

 

『応よ。サラ、何不自由無い生活をさせてやるからな』

 

「え? え? ちょっと待って…」

 

 勝負ってまさか……

 二人は同時に覆い被さってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあああああああああああああああああっ?!」

 

 私は撥ねるように飛び起きた。

 まだ心臓が早鐘を打っている。

 なんて夢だ。副ギルド長と結婚するのも可笑しいけど、何でヌエとの取り合いにまで発展するのよ。しかもどちらが夫に相応しいか、体に聞くなんて……

 私は未だに落ち着かない心臓を宥めるように胸に手を置く。

 そしてすぐ異変に気が付いた。

 

「え? 私、何で裸なの?!」

 

 私はまだ夢の中にいるのだろうか?

 薄暗い部屋を見渡せば、私達兄弟が間借りしているギルド長のお屋敷だった。

 ただし、この部屋は私達の部屋ではない。調度品が豪華に過ぎるのだ。

 

「おや? もう御目覚めかえ? まだ起きるには早いと思うけどねェ?」

 

 私は錆びた蝶番のようにゆっくりと声のした方を見た。

 そこには副ギルド長の妹であり、聖帝陛下の御正室、聖后陛下がいらっしゃった。

 しかも彼女までもが下着すら身に着けていない有り様だったのである。

 

「ええ?! ど、ど、ど、どういう……」

 

「ああ、覚えてはいないかえ? 君はいきなり気を失ったんだよゥ」

 

 そう云えば、私は副ギルド長の妹が聖后陛下であると知ってからの記憶が無い。

 

「昨日は色々な事が起こったから仕方ないけどね。でも倒れた場所が悪かった。冒険者達の血を吸った地面に倒れたものだから、泥やら血やらでそれは凄まじい有り様だったんだよゥ」

 

 あの時は夢中だったから気付かなかったけど、私は血で泥濘(ぬかる)んだ地面の上に立っていたのだった。

 どうやら名うての冒険者達がヌエに惨殺され、ギルド長とヌエの人間離れしたハイレベルな戦いを目の当たりにし、そしてカシャ達から聞かされた想像を絶する異世界の話とこの世界を侵略するという野望、現実離れした事が起こり過ぎて感覚が麻痺していたようだ。

 

「若い娘を血塗れにする訳にはいかないから、同性の僕がお風呂に入れてあげて、洗濯をしてあげたんだよゥ」

 

「そ、そんな畏れ多い事を……ギルド長も起こしてくれれば良かったのに」

 

「下手に起こして自分の惨状を見せてショックを受けては可愛そうだと判断したんだよゥ。ならそのまま綺麗にしてあげた方が精神衛生上マシってものだろう?」

 

 聖后陛下のご配慮には頭がさがる思いだ。

 確かに血塗れになっている自分を見たらパニックに陥っていたかも知れない。

 

「それに対価は十分に頂いたから気にすることはないさ。僕も久々に若い娘と肌を合わせて眠る事が出来たからね」

 

「なっ?!」

 

 思わず自分の体を検めてしまう。

 多少の怠さはあるものの犯された様子はないので安堵する。

 しかし、自分の迂闊さにも気付いた。

 経緯はどうあれ、止ん事無き御方に体を洗わせておいて、お礼も云わずに我が身の無事を確かめる事の無礼に血の気が引く。

 

「別に怒っちゃいないさね。目が覚めて裸になっていたら驚くのも無理は無いと理解はしているよゥ。それに僕はもう聖后じゃない。云ったと思うけど、宿六が死んだ後、元老院から殉死を求められたから逃げたのさ」

 

 聖后陛下の寛大さに感謝すると同時にとんでもない事を聞かされてしまった。

 今のお言葉が事実なら聖帝陛下は既に崩御されているという事になる。

 まあ、時として皇族の死は秘される事もあるから驚きはしないけど、一庶民である私がその事実を知ってしまった事こそがマズい。

 

「心配いらないさ。どの道、一週間以内に発表するつもりだったらしいし、問題があるとすれば、次期聖帝が正式に決まっていない事だから庶民の一部に宿六が死んだ事がバレたってどうってことはないよゥ。むしろそんな事に構ってはいられないんじゃないのかねェ?」

 

 うーん、この方の話し方はちぐはぐで耳に入りにくくて困る。

 男口調なのか、(あだ)っぽい女口調なのか、どちらかに統一して欲しい。

 

「そりゃ悪かったね。実を云うと僕達は元々は三つ子でね。けど胎児になるかならないかって頃に僕の体に男の子の一人が吸収されてしまったのさ。そのせいか、僕としては女のつもりなんだけど、男としての意識も多少あってね。母様がいくら矯正しようとも“僕”を“私”にする事はできなかったんだよゥ」

 

「えっ? もしかして声に出てましたか?」

 

 聖后様の出生の秘密を聞かされた事による驚きよりも、そっちの方に吃驚してしまったのだ。

 

「いや、これでも七十年以上生きてるんだ。顔を見れば分かるよ」

 

 聖后様は苦笑して私の頭を撫でるのだった。

 

「だからかねェ? この身は男だけでなく女の子も好きなんだよ。バイセクシャルってヤツだね。けど安心して良いよ。合意が無ければキスだってしないから、そう警戒しないでおくれな」

 

 私は知らず胸と股間を手で隠していた。

 

「そ・れ・よ・り・も」

 

 聖后様は妖しく微笑むと私の顎に手を添えて上を向かせる。

 背の高い彼女と視線が交錯するが同性だからか、警戒しているからか、ときめくなんて事態にはならなかった。

 

「おや? つまらない反応だねェ? いや、それより僕はもう聖后ではないのだよ。僕の事はレクトゥールじゃ長すぎるから、気軽に“レクト”と呼んで欲しいかな? 家族と近しい人達だけに許している愛称さね」

 

「そんな畏れ多いです」

 

「構わないよゥ。と云うか呼んで欲しい。宿六や側室達ですら呼んでくれなかったから寂しいのだよ。あれだけベッドの中で可愛がってあげたっていうのにね」

 

 最後の余計な一言のせいもあると思う。

 愛称で呼んだが最後、取り返しのつかないところまでいきそうなのだ。

 

「なるほどねェ。忘れていたよゥ。魔女と人間では貞操観念が違うのだったね。じゃあ、こうすれば良いかな?」

 

 聖后様の体が光輝いたかと思えば、一瞬にして赤を基調とした円柱型のケピ帽と軍服とドレスを融合させたデザインの服を身に着けていた。

 

「僕と友達になってくれるかい? 可愛らしいお嬢さん(フロイライン)?」

 

 聖后様は跪くと股間を隠していた左手を取って恭しく口づけを落とした。

 いや、まあ、それは良いのだが、普通は手の甲じゃないのか? 何故、手の平に?

 そこでハッと気付いたのだ。

 

「ああ、良い匂い。純潔の乙女の証だ」

 

「おどれは変態か?!」

 

「がごっ?!」

 

 私は聖后様の立てていた膝を足場にして彼女の顔面へと膝蹴りを見舞っていた。

 対セクハラ防御術『闘気で本当に膝が輝くシャイニングウィザード』だ。

 ま、まあ、御自分でもう聖后ではないとおっしゃっていたし大丈夫でしょう。

 それに幸せそうな寝顔(?)をしているし……

 

「見えた…うら若き乙女の秘密の花園が…」

 

 もう一発見舞ってやろうかしら……

 聖后様の阿呆な寝言に私は頭に痛みを覚えたのだった。

 

『レクト様、お召し物をお持ちしました』

 

 控え目なノックはしたものの、返事も聞かずに入ってきたのは一人の尼僧だ。

 『聖女』の異名を取る絶大な魔力と美貌を誇っていた彼女はヌエに惨殺された後、聖后様によって肉体を修復されて、忠実なゾンビになっていた。

 

『あら? 床で寝てしまってはお風邪を召しますよ?』

 

 そう云ってかつて『聖女』と呼ばれていたゾンビは既に聖后様が服を着ているにも拘わらず無理矢理ドレスを着せていく。

 あーあ、高そうなドレスがボロボロになっちゃってるわ。

 あの知性と慈悲が同居していた彼女はもうどこにもいなかった。

 というか、あの愛称って家族と近しい人にしか許して無かったはずでは?

 阿呆らしくなった私は自分の部屋に戻る事にした。

 

「あの…サラ様? いくら夏の盛りと云ってもそのお姿は如何なものかと思いますよ?」

 

 朝早くから掃除をしていたメイドに指摘されて私は自分の姿を思い出す。

 私は自分が裸である事を失念していたのである。

 

「あ…ち、違うの! これは…その…兎に角、私にそんな趣味はないから!!」

 

 私は自分に宛がわれた部屋へと急いで向かうのだった。

 途中で何人ものメイドと鉢合わせになったのは不幸としか云いようがない。

 せめてもの救いは執事とは一人とも会わなかった事か。

 そして、すぐ聖后様の部屋に引き返して服を着れば良かったのでは、と気付いたのは、身支度を整えて屋敷を出てからだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 羞恥と自己嫌悪に身悶えしそうになるのを堪えながら歩くこと十分。

 我が職場、冒険者ギルドが見えてきて私は違和感を覚えた。

 役人が昨日の検分をしている事でも無いし、何かが無くなっていた訳でもない。

 否、無くなってないのが問題なのだ。

 

「何でまだクレープ屋があるのよ?!」

 

 カシャ達が冒険者ギルドを見張る為の拠点であるクレープ屋は未だに健在で、まだ午前中という時間帯ではあるが既に客が集まっている。

 

「どういう事よ?」

 

 クレープ屋に駆け寄ると、丁度客が捌けたところであった。

 屋台の中を覗くと毛先を綺麗に揃えた黒い髪を腰まで伸ばした少女が一人で切り盛りしているようであった。

 しかも少女の格好はカシャ達同様、ピッチリと体のラインが浮き出る黒インナーに絹のようなガウンを羽織っている。

 その上、顔は例に漏れず白い布で隠されて、中央には赤く『刀』と書かれていた。

 

「アンタ、どういうつもり?! もうバレてるのに同じ拠点で偵察なんて冒険者ギルドをナメてるの?!」

 

 危険である事は分かってはいるのだが、今朝の醜態でテンパっていた私は自制がきかなかったのである。

 きっと彼女もカシャやヌエといった実力者であるのは間違いないはずなのに、私は食ってかかっていた。

 

『ふえっ?! 貴方、もしかして私が見えているんですか?!』

 

 怪談みたいな事を云うヤツね。

 見えているから客もクレープを買いに来てるんじゃないの?

 すると彼女の目の前に光の板としか呼びようがないものが現れた。

 

『あ、照会出ました。失礼ですが貴方はサラ=エモツィオンさんで間違いありませんか? 鵺将軍(ぬえしょうぐん)の婚約者の』

 

「誰が婚約者よ! 求婚はされたけどOKは出して無いわ!!」

 

『ええ?! でも鵺将軍、凄い嬉しそうに指輪を発注してましたよ? “給料三ヶ月分が相場なんだよな”っておっしゃって。私なんかお値段を聞いて引っくり返るかと思いましたよ』

 

 何してくれてんのよ、あの阿呆は!

 夢見が悪かったのは、何となくそれを察していたからか?

 昔から、良い予感は外しても悪い予感だけは当たっていたからなぁ…

 

『サラさんが羨ましいです。鵺将軍、あの人はほら、凄く強い上に可愛いじゃないですか? ファンクラブが出来るほど人気があるのに意外と身持ちが固くって、今まで恋人を作った事が無いんですよ?』

 

 知らんがな。

 何でそこまで私の事を気に入ったのか、私が知りたいくらいである。

 

御主(おんあるじ)様がこの世界から持ち帰られたクーア様の細胞をベースに様々な動物の遺伝子を組み込んで産まれた合成獣(キメラ)の軍団『畜生道』を統括している将軍で、強いのは当然ながらクーア様の頭脳も受け継いでいるのか、政治も出来るのでヨーロッパからアフリカ大陸…あ、地名を云われても分かりませんよね。兎に角、広い地域を任されている優れた政治官僚でもあるんですよ』

 

「ふーん、私にはただのセクハラ小僧にしか思えなかったけど、それなら尚更私が気に入られた理由が分からないわね」

 

 あえて突っ込まなかったけど、人工的にキメラ生物を作る軍団と聞いて、私は益々ヌエとの結婚は無理だと感じた。

 ヌエがキメラだからではない。倫理観が破綻しているとしか思えないからだ。

 

『申し遅れました。私は諜報機関『餓鬼道』に所属している文車妖妃(ふぐるまようひ)と申します。どうぞ、お見知り置きを』

 

「諜報機関が堂々と敵に名乗るな!!」

 

 どうにも私の目には、只の天然娘にしか見えない。

 これがわざとなら大したものである。

 

「で? 既にバレている拠点で諜報機関の人が何をしているの?」

 

 ここでだんまりを決め込むならこちらにも考えがある。

 レクト様(・・・・)から頂いた護身用アイテムですぐに彼女配下のゾンビを召喚出来るので、フグルマ何某(なにがし)を捕らえる事は可能だ。

 ヌエには殺されてしまったが、ゾンビとはいえAランクの冒険者である。遅れを取る事はないだろう。少なくともギルド長が来るまでの時間稼ぎにはなるはずだと思う…多分。

 私は胸ポケットにあるハート型の宝石に魔力を送りながら出方を見る。

 

『はい、実はサラさんにお願いがあるのです。分析した貴方の性格を考慮して、ここで待てば、きっと来てくれると思ってました』

 

 そうら来た。

 私は脳裏に現れたゾンビのリスト中から神速の槍遣いを選択して、すぐに召喚できるよう身構えた。

 

『貴方には是非とも…』

 

 是非、何だ?

 “一緒に来い?”、“聞きたい事がある?”、それとも“死になさい”かしら?

 

『私とお友達になって下さい! 鵺将軍と婚約出来た貴方なら、きっと私とも良い友達になってくれると思うんです。私、もうぼっち(・・・)は卒業したいんですよ。一人でトイレに行ってお昼御飯を食べるのは嫌なんです。一緒にランチを食べて下さい!!』

 

 何故か、頭を下げて右手を差し出すフグルマナンタラに私は答えた。

 

「帰れ」

 




 クーアと鵺将軍に取り合いをされるという割りと乙女趣味全開の夢を見ていたサラでした。
 口では何だかんだ云いながら、二人の事は本気で嫌いではなかったりします。
 まあ、聖人君子ではないので、その先にあるエッチな夢も普通に見ますけどねw

 レクトゥールは親切でお風呂に入れてあげたのは本当の事ですが、下心が無かったのかと問われれば、“ありました”と答えるよりありません。
 彼女は両性具有でこそありませんが、胎児になる少し前に三つ子の内の一人を取り込んでしまい、人格的に男女が入り交じった性格になってます。
 ちなみに彼女の体内のどこかには未成熟ながら取り込んだ兄弟の一部が形成されていて、その中には男性器もあったりします。

 鵺将軍は言動は粗野ではありますが、頭は決して悪くなく、むしろ優秀で、政治もちゃんと行える官僚でもあります。
 口では、“国の一つでも惨たらしく滅ぼせば、あとは自ずから国を差し出す”と云ってますが、あくまで『畜生道』としてのポジショントークであり、実際は火車達と足並は揃えて活動しています。
 冒険者ギルドを襲ったのは独断専行ではありましたけどね。

 さて、最後に登場した文車妖妃の目的は如何なるものなのでしょう?
 果たして彼女はサラと友達になれるのでしょうか(おい)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第玖章 結社『輪廻衆』の御主様

 周りがざわついているが無視だ、無視。

 時刻はお昼過ぎ、今日のシフトでは休憩は十二時半から十三時半だ。

 私達、受付担当は五人体制で、その日によって休憩時間をずらして昼食を取る。

 今日の私は午前十時から午後七時の遅番で昼休憩は十二時半からという事だ。

 余談だが、受付は朝の八時開始で夜七時までを原則としている。

 期限付きの依頼で締め切り日の七時に達成報告が間に合わなかった場合は一応、夜勤の職員が受け付けるが、間に合ったかどうかの判断は依頼者次第だそうな。

 ちなみに、ここの受付は大抵、七時を過ぎても、達成報告は六時五十分だったとギルド及び依頼者への報告書に記載している。

 

 昨日の今日でよく普通に仕事が出来るなと思う向きもあるだろうが、これはギルド長の指示である。

 こういう非常時だからこそ、あえて冒険者ギルドは平常運転を行うのだ。

 でなければ組織として足元が揺らぎかねないし、盗賊ギルドに代表される敵対勢力に侮られて、今がチャンスとばかりに攻撃を仕掛けてくる可能性があった。

 現在、ギルド長は近在の冒険者ギルドのギルド長を集めた緊急会議の為に不在であり、事務長は大事を取って休暇を与えられている。

 副ギルド長も昨日から戻っておらず、トップ3が不在という事もあっての平常運転だと理解して頂きたいし、それでも運営できているギルド員の優秀さも見て欲しいのである。

 

『美味しいですね。誰かと一緒に食事をするのがこんなにも楽しいなんてすっかり忘れてましたよ』

 

 事務室には休憩兼喫食スペースがあるのだが、テーブルの対面に座り、ニコニコとサンドイッチを食べているのはフグルマヨウヒと名乗った黒髪の少女である。

 毛先を綺麗に揃えた艶やかな黒髪(姫カットというらしい)、時折りガウン(打ち掛けというそうな)がずり落ちそうになっている撫で肩の上に柔和な童顔が鎮座している。目はやはり人間とは思えず、強膜は黒く、瞳は赤い。しかも瞳孔は山羊のようで見れば見るほど怖い。

 

「今更だけど諜報機関の人間が素顔を晒しても良いの?」

 

 勧められたサンドイッチを食べながら問い掛ける。

 潰した茹で卵とマヨネーズなるものと和えた具材がまた美味しいのだ。

 敵の提供した物を食べて大丈夫なのかって?

 それを云ったら、冒険者ギルド謂わば敵の本拠地で食事をしているフグルマヨウヒの方がもっと可笑しいでしょ?

 彼女だって敵地で毒を盛るなんて莫迦な真似はしないだろう。

 倫理観の違いは別として、カシャやヌエ、そして大柄な女の言葉は誠実だった。

 ある意味、私は下手な人間よりもコイツらを信用していたのだ。

 

『問題ありませんよ。我々の装束は認識障害の効果があって、私を『輪廻衆』、あ、私達の結社の名前です。それと認識していない人なら只の一般人のように認識されますから』

 

「便利なものね」

 

『それに、いざとなれば顔を変える事も出来ますから』

 

「そういうところよ」

 

 話を聞く限り、かなり命が軽いらしい世界のせいか、どうも生死観や倫理観に齟齬があって会話がしづらいのだ。

 そう云えば、お医者様は治し方を知っているけど、裏を返せば人の壊し方も知っていると聞いたことがある。彼らの世界の医療が発展しているのは、血に塗れた世界だからこそという事もあるのかも知れないわね。

 

「そう云えば聞きたい事があるんだけど」

 

 昨日から気になっていた事を聞いてみる事にした。

 

『何ですか?』

 

「何で御主(おんあるじ)様な訳? 一つの世界を統一したのだから“王”と名乗っても良いんじゃないの?」

 

 初めは政治と軍が分離しているのかと思ったが、カシャの言葉を思い出したのだ。

 御主様とやらは世界規模の乱世を収める為に覇王となるべく立ち上がった、と。

 それにこの子は、ヌエが政治官僚であるとも云っていた。

 それでもヌエは御主様の意思の元、この世界を侵略する為に行動をしている。

 王様が別にいるのなら御主様、御主様と云わないはずだ。

 つまり向こうの世界の支配者=組織の指導者と考えても良いだろう。

 表向きに王を立てている可能性もあるが、群雄割拠の乱世で必要とされるのは、力で世界を統一する英雄であろうから意味は無い。

 

『うーん…綺麗に説明は出来ないのですが、御主様が王と名乗らない最大の理由は、御主様は覇者であって王者ではない(・・・・・・・・・・・・)、これに尽きると思います』

 

「どういう事?」

 

『私達の世界は確かに御主様のご活躍により統一されましたが、飽くまで世界が纏まっただけで、問題は山積みなんです。長年に渡る世界規模の戦争のせいで物資は乏しく、特に食糧は全然足りません。世界中の人が餓えており、復興もままならない有り様でして……しかも戦争で労働力となる人達も殆ど亡くなってしまい、益々作業が滞っているのです』

 

 折角、世界を統一したのに、毎日、夥しい数の病死者や餓死者が出ており、平和な世になったとはとても云えるような状況では無かったらしい。

 更には“力による統治は認められない”と勇者気取りの若者がレジスタンスを組織し、ゲリラ戦を仕掛けてくるので復興どころか復旧の目処すら立たないそうだ。

 そういったレジスタンスの台頭を防ぐ意味でも“対話”による犠牲者が出にくい方法を採用していたのだが、それでも彼らは気に入らないようだった。

 

『レジスタンスを捕らえてみれば、王政国家の王子、王女が幹部となっている事が分かりましてね。本来、自分が継ぐべき国を『輪廻衆』が管理しているのを受け入れられなかったのが動機のようでした』

 

「なんと云うか、呆れた話ね。戦争が終わったのだから、むしろ協力して国を治めていく事を考えるべきでしょうに」

 

『人間、そう簡単には割り切れないという事でしょう。捕らえた後、それなりにと云うか、捕虜としては破格の待遇をしていたのですが、それでも不服だったようで、ステーキを要求された時の御主様のお顔は忘れられません』

 

 結局、旧王家よりも今の支配者の方がまともだと民に支持されている事実にレジスタンスは徐々に力を失い、いつの間にか自然消滅していったという。

 しかも、最後っ屁に“化け物に与する愚民に鉄槌を”と戦後十年をかけて漸く実り始めた畑に火を放った事で、民の怒りを買ったレジスタンスは袋叩きにあい、無惨な骸を晒すことになったそうな。

 ここまでくると同情する気にもならない。

 庶民と同じく生活する事が出来なかった元王族の末路とはこんなものだろう。

 

「つまり戦争を終わらせたものの、反乱者や貧困者が未だにいるから覇王とは名乗れない(・・・・・・・・・)って解釈で良いワケ?」

 

『はい、その認識で構いません。しかし、世界の統一を僅か二十年で果たし、その後、三十年にも渡る復興への尽力は誰もが認めるところではあります。貧富の差こそあれど、今ではもう餓死者はいないですしね。犯罪者も王族・貴族の区別無く、忖度無しで断罪しているので治安は大分良くなってきています。今の実績だけでも“王”を名乗る資格はあると云われていますが、御主様はまだそのつもりにはなれないようですね』

 

 そうか、五十年かけて世界を統一したのではなく、世界を復興させていたのね。

 それでも“王”を名乗らないとは、奥床しいのか、理想が高すぎるのか。

 ぶっちゃけた話、貧者がいるだけで“王”を名乗れないのなら、未だに少なくない餓死者が出るこの聖都スチューデリアじゃ聖帝陛下だって資格を無くすだろうし、他の国だって問題の無いところなんて皆無だろう。

 

『ええ、しかし御主様はそれでも『輪廻衆』の首領として活動されるでしょう。全てはクーア様にお見せしても恥ずかしくない国を作るために』

 

「それよ」

 

『それとは?』

 

 もう一つ気になっていたのが、彼らの行動が副ギルド長ありきなのだ。

 この子もそうだけど、カシャも敬称をつけて呼んでいたし、ヌエも元は副ギルド長の細胞を元に創造された合成獣(キメラ)らしいしね。

 

「アンタ達にとって副ギルド長はどういう存在なワケ? 御主様が副ギルド長にこだわる理由は何なの?」

 

『そ、それは…』

 

 ここで初めてフグルマヨウヒの目が泳いだ。

 云いたくはないのかも知れないけど、私は御主様の正体に目星は付いている。

 

「アンタ達が御主様と呼ぶ人の正体……それは五十年前、魔王を退けた勇者様ね?」

 

『な、何故?!』

 

 分からいでか。

 これだけヒントがあれば誰だって気付くだろう。

 

「ヒントその1。アンタは御主様が副ギルド長の細胞を持ち帰ったと云った。つまり一度、この世界に来てアンタ達の世界へと帰った(・・・)向こうの世界の住人って事よね?」

 

『そうですね』

 

「ヒントその2。カシャは元々はこの世界の人だった。そして勇者様と共にそちらの世界へと送られてしまった。しかもそれは五十年も前の事だった」

 

 もうこの時点でヒントというより答えよね。

 向こうに世界に行ってからずっと行動を共にしていたと云っていたし。

 

「ヒントその3。副ギルド長には五十年以上も想い続けている女性がいる。そして御主様の異常なまでの副ギルド長へのこだわりは相思相愛の仲だったと推察出来るわ。

それに大僧正様と副ギルド長は五十年ものお付き合いのある親友同士で、大僧正様は魔王討伐のパーティーのお一人。なら副ギルド長ほどの実力者が無関係なはずがない。ヘルト・ザーゲにも仲間に魔女がいたとあったし、間違いはないでしょ?」

 

『クククク……』

 

 いきなりフグルマヨウヒが低い声で笑い出した。

 これは誤魔化し笑いじゃないわね。

 現に彼女から今まで感じなかった威圧感が出てきたからだ。

 まさか、当たったのは良いけど、口封じに始末するって展開にはならないわよね?

 今更ながらAランク冒険者を虐殺する連中であったと思い出した。

 悪意がまったく見えない物腰の柔らかさと天然な言動に騙されたか?!

 マズい。今、この場にいるのは非戦闘員のギルド員だし、冒険者も強くてCランクの人達ばかりだ。襲われたら一溜まりもない。

 

『見事! 見事、正解である!』

 

 フグルマヨウヒはさっきまでとは打って変わって、不敵な笑みを浮かべている。

 いや、立ち上がった彼女は見上げるまでに背が高くなっていた。

 初めは私とそう変わらない背丈だったのにどういう仕組みだ?

 

『本来ならば『地獄道』『畜生道』『修羅道』の三将軍が気に入ったと云う貴様の為人(ひととなり)を見るだけのつもりであったが、なるほど、なるほど』

 

 この威圧感! あの大柄な女より背が低いのはずなのに、彼女よりも今のフグルマヨウヒの方が迫力があった。足が竦んでいないのは殺気というものが感じられないからだろう。これでもし悪意を僅かでも込められたら腰を抜かしていたかも知れない。

 

『末端とはいえ敵を拠点に招き入れるので、初めは阿呆か懐が広いのか、判断に迷ったが、正体を見破った知恵と度胸に後者であると見てやろうではないか』

 

 インナー越しに脈動する筋肉はヌエの肉体を遙かに陵駕している。

 胸こそ物の見事に真っ平らだが、しかし女性らしいラインもしっかりとあって、力と美の同居する様はカシャを連想させる。

 

「あ、アンタはいったい……」

 

『んんー? 今、貴様が見事に云い当てたではないか』

 

「ま、まさか……」

 

 いや、だとしても腰が軽すぎでしょ!

 

『騙したのは悪かったが、サンドイッチは旨かったであろう? それで不問にせい』

 

 フグルマヨウヒはガウン…いや、打ち掛けをマントのように翻す。

 

『改めて名乗ろう! 吾輩こそは『輪廻衆』の首領にして勇者! Uシリーズ型番645! そして愛するクーアより与えられし人としての名はユウ! サラ=エモツィオンよ。貴様に吾輩をユウと呼ぶ栄誉を与えてやろう!!』

 

 吾輩をユウと呼べるのはクーアと貴様だけだ、とフグルマ…いや、勇者様は胸を反らして尊大に笑った。




 今回は少し短めですが切りがいいので投稿しました。

 冒険者ギルドは基本、ホワイトです。
 ギルド員は非戦闘員も少なくないですが、シャッテのように名うての冒険者が引退後に再就職の場として選ぶ事も多いです。
 腕が立つ上に、気性も大人しくはないので、あまりブラックな事をするとキレて反乱を起こしてしまいます。そうなると被害も甚大なものになってしまうので、後始末を考えたら初めから健全な経営をしていた方が損は無かったりします。
 ちなみにサラは薬代で貯金が無いと話していた事があったと思いますが、実はギルド長は給料の中から“下宿代”と称して将来の為の積み立てをしてくれています。
 つまり実質、居候ですw
 理由としては、若い内から大金を持つとろくな事にならないと思っているのと、居候だと変に遠慮をするだろうし、下宿なら沢山食べてくれるだろうと考えているからです。

 文車妖妃と名乗っていた少女の正体は敵の首領であり、五十年前にクーアやマトゥーザ、パテールと共に魔王と戦って討伐を果たした勇者でした。
 元々、名前はありませんでしたが、クーアがユウという名前をつけてあげていました。
 ただソレだけに彼女の中では神聖なものになってしまい、クーアにだけ呼ぶ事を許し、他の者には名前を呼ばせるどころか教えてすらいません。
 ただ何故かサラは気に入られてしまって、名前を教えられました。

 さて、余計なネタが思いつかない限りは次回で受付嬢編は完結です。
 その次からは再び副ギルド長編となり、視点は弟子であり、パートナーであるフェニルクスになります。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾章 私達、交際を始めます

 私は今、無機質な白い廊下で不安と恐怖が入り交じった感情を持て余しながら弟の手術が終わるのを待っていた。

 

『落ち着け、と云っても無理なのは分かっているが座っていろ。手術が終わるまで後三時間はある。貴様の方が参ってしまうぞ?』

 

 廊下を行ったり来たりしている私をユウが窘める。

 頭では分かっているが、座ったら座ったで不安に押し潰されそうになるのだ。

 

『そうだぜ。ドクター松戸は今まで五千例の移植手術を執刀しているが、失敗した事は無い天才だ。きっと義弟(おとうと)も健康を取り戻すだろうぜ』

 

 ヌエも労るように私の手を取って力づけてくれているのに悪いけど、両親や祖父母を失って、残された唯一人の家族の一大事の前では焼け石に水だ。

 いつからアンタの義弟になったんだ、というツッコミすらも口からは出ない。

 というか、いつの間に弟はヌエに懐いたのだと疑問に思う。

 そう、私達は幾度と無く話し合い、ギルド長、大僧正様、レクト様、事務長の意見も取り入れて、ついに弟は心臓の手術を決意したのである。

 副ギルド長は未だにどこで何をしているのか皆目見当がつかない。

 大僧正様をしてフェニルクス卿共々行方が分からないという。

 それは兎も角、手術の内容が驚きの連続だった。

 まず弟の心臓を健康な心臓と取り替えると聞いた時は正気を疑ったほどであったのだが、ギルド長曰く、向こうの世界(・・・・・・)では百年以上前から行われてきた手術で、実績もあるそうなのだ。

 しかも弟の細胞を使って全く健康な心臓を創り出し、それを移植するというのだから、もう神をも畏れぬ行為というよりはない。

 しかし、ドナー登録者から弟と体質の似た人間を捜して移植可能な状態(死亡もしくは脳死)になるまで待つよりは安全で早いそうな。

 こちらとしても脳死とはいえ、まだ生きている人から心臓を貰うのは気が引けるのでありがたいが、やはり文明の差か、或いは倫理観の違いか、理解が追い付かず弟とともに苦悩の日々を送ったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなある日のこと、ヌエが私達を訪ねてきた。

 何をしに来たのかと身構えれば、遊びに来たと云うではないか。

 

『俺様が担当している国は途上国、云い方は悪いが貧しい国だったからな。盟に加わるメリットを伝えて、国を食い物にしている犯罪組織、所謂(いわゆる)国賊の首をずらっと並べてやったら呆気ないものさ。国賊から流れてくるカネ無しじゃ国を運営出来ねぇ情けない王族共は俺様達を頼る以外に道は無いってんですぐ飛び付いてきやがったぜ』

 

 短時間で三つもの国を落としたヌエは褒美に休暇を貰い早速遊びに来たらしい。

 以前、“国を惨たらしく滅ぼせば後は勝手に落ちる”と云っていたのは『畜生道』としてのポジショントークに過ぎず、基本はカシャ達とも連携を取っているという。

 

「じゃあ、何で冒険者ギルドを襲ったのよ?」

 

『そっちこそ同じ冒険者ギルドなのに知らなかったのか? 俺様が殺した連中、盟に加わった国で禁足地に無断で入り込んでたんだ。しかも出してはならぬ秘宝を持ち去ったんだよ。だから同盟を結んだ俺様が責任を持って報復をし、秘宝を取り返そうとしたんだ。まさか検分するつもりだった死体をそっくり奪われるとは思わなかったけどな』

 

 幸いと云って良いものか分からないが、レクト様が取り返したのは死体のみで、戦車には武器が残されていたらしい。そして『勇者』が持っていた剣こそが秘宝であったというではないか。

 ちなみに冒険者達の死体を食べると云うのもポジショントークであるらしい。

 

『サラも“悪しきモノ”の存在は知っているだろう? あの冒険者ども、選りに選って“悪しきモノ”を封じていた秘宝を盗んでいきやがったんだよ。後にどんな大惨事が起こったのかは想像できるよな?』

 

 “悪しきモノ”とは古来より私達の世界を脅かしている謎の生命体である。

 いや、生命体であるかすら疑問視されている存在で一説には“人の持つ悪意の集合体”であると唱えた賢者様がいたらしい。

 その力は強大で、全てを飲み込む満ちることのない旺盛な食欲と制御不可能な破壊力は一国を一夜にして滅ぼしてしまった例があるほどだ。

 しかも“悪しきモノ”の恐ろしさはそればかりではない。

 彼らの周囲には“黒い霧”が立ち籠めており、それに触れたが最後、肉体が腐っていき三日で命を落としてしまうのだ。その苦しみは想像を絶しており、聖人と呼ばれる仁徳者であろうとも心を歪めてしまい、周囲に悪意を浴びせながら死んでいくと云われている。

 そして腐った肉体は再構築されて、醜悪なモンスターへと変貌し、“悪しきモノ”の尖兵として世界の脅威となって暴れ回るのだ。それは人間や獣に留まらず、植物や無機物、更には神聖な聖遺物さえもモンスターに変えてしまう。“悪しきモノ”と呼ばれる所以である。

 

『秘宝を取り返した俺様達は禁足地へと趣き、少なくない犠牲を出しながらも復活しかけていた“悪しきモノ”の大物を再び封印する事に成功したんだ』

 

「そ、そんな事があったんだ」

 

 しかし、その命懸けの行動が盟を結んだ国だけではなく、周辺の国にも高く評価されて、次々と『輪廻衆』の盟に加わりたいと手を上げたのだという。

 怪我の巧妙というものだろう。

 

「それにしてもアンタ達ですら“悪しきモノ”を相手にすれば犠牲が出るのね」

 

『そりゃな、俺様達だって無敵じゃないし、不死身でもない。上には上がいる。必ずいる。悔しいけどそれが現実だ。それでも“悪しきモノ”の力は想定以上だったけどな。しかも俺様達の技術でも肉体が腐り始めたヤツらを救う事が出来なかったよ。腐った部分を斬り落とすだけじゃもう手遅れでな。結局犠牲者を一カ所に集めてナパームで焼き尽くすしか方法はなかった。チクショウ……』

 

 その戦いでヌエは、右腕であり莫逆の親友とも云える存在を亡くしていた。

 仲間を殺したヌエは確かに憎くはあるが、その仲間のせいで友達や仲間を失うことになったヌエを思うと憎みきれなくなってしまう。

 私には『勇者』とヌエのどちらが悪いのか判断が出来なくなっていた。

 だから私は自分の思うままに行動すると決めた。

 

『サラ?』

 

 そうか、そうきたか、私。

 何も考えずに行動した結果、私はヌエの小さな体を抱きしめていたのだ。

 ヌエが嘘をついている可能性? 涙こそ流していないけどヌエが泣いているのが分かる。これが演技なら見抜けなかった自分が間抜けだっただけだ。

 けど、私の心が云っているのだ。ヌエを放っておいてはいけないと。

 ちょろいと莫迦にしたければすれば良い。私は自分の心に従ったまでだ。

 

「黙ってなさい。今日だけよ」

 

 確かに『輪廻衆』は侵略者であり、仲間の仇ではある。

 しかし、それでも戦乱の世を統一した英雄であり、救国の士でもある。

 そして、この世界でも『輪廻衆』に救われている者が大勢いるのだ。

 しかも災いの原因が冒険者であるのがまた笑えない。

 『勇者』達がヌエに殺されて、あまつさえゾンビになっているのは自業自得としか思えなくなっている。それがヌエ達に感化されたのか、『勇者』達の悪行を知ってしまった事で、憧れの感情が反転してしまったからなのかは自分でも解らない。

 けど、私を好きって云ってくれた人が弱音を吐いて哀しんでいるのを黙って見ていられるほど私は大人になれていないのだろう。

 私はヌエの頭を胸に抱いて、予想に反してサラサラな黒髪を撫でる。

 

「頑張ったわね。大切な友達と仲間を失いながらも、この世界を守ってくれてありがとう。“悪しきモノ”を封じてくれて感謝するわ」

 

『俺様の話を信じるのかよ? もしかしたら、サラの気を引く為の三味線(しゃみせん:この場合は相手を惑わすためにする言動を指す)かも知れないだろ?』

 

「莫迦にするな。これでも冒険者ギルドの受付で何百もの冒険者を見てきたのよ。まあ、少し前に騙された事もあるから説得力無いかもだけど、あからさまな嘘くらいは見抜けるわ。アンタとは短い付き合いだけど、そんな嘘をつくようなタイプには見えなかったしね」

 

 私のような一庶民には想像出来ない世界だけど、将軍という地位にいるからには弱味を見せられないだろうし、況してや弱音を吐くなんて以ての外に違いない。

 これは私の勝手な憶測だが、ヌエは親友達を失った哀しみを発散する事が出来ずにいたのではないだろうか。

 そこへ纏まった休暇を貰った事で、思い浮かんだのが私なのではなかろうか。

 自惚れかも知れないけど、ヌエの好意には打算が無いように思える。

 だからこそ無意識に癒やしを私に求めてここに来たのではないか。

 それにユウからヌエがまだ五歳(・・)でしかない事も聞いている事もあった。

 いくら肉体が鍛えられていようと、どれだけ高度な教育を受けていようと、ヌエの人生はたったの五年でしかないのだ。つまり心はまだまだ未熟なのである。

 ユウに上手く乗せられたような気もしないでもないが、私にはヌエを突き放すという選択肢は初めからなかった。

 それに前にも云ったけど、ヌエって私の好みにどんぴしゃなのよね。

 この好みが病気のせいで十五歳という年齢の割りに成長が遅くなってしまった弟と重ねているのか、両親、祖父母を盗賊に襲われて失った後、会った事もない親戚連中から家財の一切合切を奪われて、私達姉弟も奴隷商人に売られかけたトラウマから大人の男が苦手になっていたからなのかは分からない。

 またヌエ自身、意外と紳士的であり、今日も手土産に花束と美味しいお菓子を持ってきてくれた。何よりお洒落なスーツを着こなして強膜も白く擬態して気を遣ってくれている。何より、弟の為に強心剤と治療プランの説明を用意してくれたのが嬉しい。

 

「まだアンタのお嫁になるつもりは無いけど、その前段階ならOKしても良いわよ」

 

『えっ? どういう……』

 

「普通ならまず交際してお互いを理解し合うものでしょう? 段階を踏んでいこうって事。アンタも云っていたでしょ、まずはお友達からって」

 

『つまり俺と前向きに付き合ってくれると?』

 

「そういう事よ。まあ、セクハラかましてきたら分からないけどね」

 

 ギルド長は分かるとして、なんと大僧正様とレクト様もヌエと交際する事になったとしても“裏切りには値しない”と明言されていたのだ。

 

 “侵略者ではあるが悪に非ず”

 

 この大僧正様のお言葉はカシャとの遣り取りからも分かるし、ヌエから聞いた話で私も確信に至った。

 ただ不可解なのはレクト様で、『勇者』達のゾンビに一矢を報いさせるとおっしゃっていたけど、ヌエ本人は気に入っているらしい。

 

“兄貴の細胞を使った合成獣(キメラ)ならボクからすれば甥も同然さね”

 

 そう仰せになったレクト様だったが、直後に涎を啜るものだから何とも云えない。

 大僧正様曰く、“ブラコンでナルシストの両刀遣いぢゃ。後は察しろ”との事。

 私はついレクト様に抱擁されるヌエを想像してしまう。

 

『お、おい? ちょっと苦しいんだけど……』

 

 おっと、いけない。

 何故かヌエを抱きしめる手に力が入ってしまったようだ。

 

「まあ、取り敢えず付き合うからにはまずは筋を通さないとね」

 

『筋って何だよ?』

 

 私は抱擁を解いてヌエの目を真っ直ぐに見据える。

 

「弟にアンタ、いや、ヌエを紹介してからギルド長や大僧正様にレクト様、事務長を始めとしたギルドの仲間に交際を報告するのよ。私は秘密の交際が出来るほど器用でもないし、心配してくれている人達に不義理だけはしたくないわ」

 

 理由はあれど冒険者(なかま)を殺しているヌエと交際する以上、中には私を裏切り者扱いをしてくる冒険者やギルド員も出てくるだろう。

 ひょっとしたら『輪廻衆』の情報を寄越せと云ってくるヤツも出てきて煩わしい思いをするかも知れない。

 だけど私はそれでも筋だけは絶対に通すつもりだ。

 私の性分ではあるけど、何より家の財産を悉く奪っていった親類のような不義理な大人達に振り回されたくないという気持ちが大きい。

 『輪廻衆』の幹部との交際を秘密にしていて、それがどこかから洩れた時に弱み(・・)になるのが嫌だというのもある。

 私は私の意思の元、ヌエと交際すると決めたのだ。

 弟を救う為でもなく、ヌエの持つ財産が目当てでもない。

 私は将来の伴侶に相応しいかヌエを見定める為に、また逆に私がヌエと結ばれるに値する女に成長する為に交際をすると決めたのだ。

 その不退転の決意を内外に示す為にヌエとの交際を公表する。

 それが私が通すべき筋であると思ったのである。

 

『はぁ…やっぱり凄い女だったんだな、俺様が惚れた女は』

 

「違うわよ。ヌエもヌエで私の決意が本物であるかをこれからの交際で見極めるのよ。云ったでしょ。交際はお互いを理解し合う為にするものだって」

 

 そう云って私はあまりしたことのないウインクをした。

 瞼と連動して頬の筋肉が動くのが分かったので、さぞかし不器用なものだっただろうけど、それでもそれなりに可愛く見えたのか、ヌエは頬を赤くしている。

 私はそんな彼を再び抱擁する。

 交際すると決めた途端に可愛く見えてきたのだから仕方がないでしょ?

 

「じゃあ、まずは弟を紹介するわ。体は弱いけど、それに甘えずギルド長に頼んで書類仕事を少しずつさせて貰っているのよ。おまけに最近では副ギルド長に師事してコンサルティングの修行もしているみたい。病弱なれど軟弱に非ず。きっとヌエとも仲良くなれるはずだわ」

 

『そうか、それだけの意欲があるなら、健康になった後、学校に通わせてやるのも良いかもな。勿論、学費は俺様が出してやるよ』

 

「その時は喜んで貸して貰うわ」

 

『そこは素直に援助を受けてくれよ』

 

 私達は自然と腕を組みながら弟が仕事をしているギルド長の書斎に向かう。

 一応、話は通していたけど、ヌエと会った弟は彼の事を気に入ってくれたので安心はしたが、“クーアさんに似てる”と頬を染めたので逆の意味で心配させられるというオチがあったのは予想外だった。

 だがこれにより、後に私達は『神々の清算』と呼ばれる戦いに巻き込まれていくことになるのは前述した通りだ。

 私達は知る事になる。

 ユウが『輪廻衆』を使ってこの世界を征服しようとしている意味を。

 神々が有事のたびに勇者を召喚してきたツケが回ってきた事を。

 『輪廻衆』が一枚岩ではなく、ユウが敢えて自軍に引き入れる事で制御を試みようとしている一団がいた事実を。

 そして既に副ギルド長とフェニルクス卿率いる異端審問会が『人間道』を名乗る集団と死闘と呼ぶのも生温い凄惨な戦いをしていた事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

『手術は成功した。明日の検査で異常がなければ面会を許そう』

 

「ありがとうございます。先生!」

 

 まだ事実を知らない私は弟の手術が無事に終わった事に安堵していた。

 ヌエと手を取り合って喜んでいた私は、後に彼が本当の姿となって私達の前に立ち塞がる事になるなんて想像すらしていなかったのである。




 これにて受付嬢編は完結です。
 次回からは再び副ギルド長編となり、視点は弟子にしてパートナーのフェニルクスになります。

 さて、冒険者ギルドから見ればヌエは冒険者の仇ですが、勝手に禁足地に入り込まれた上に秘宝を奪われた国からすれば冒険者の方が疫病神以外の何者でもありませんというオチでした。
 冒険者からすれば未踏の地というのは魅力的で、ましてや禁足地となれば誰も見た事もない宝があると思い、入り込んでしまったのです。
 ただ、何故そこが禁足地となっているのか、少しでも考える事ができたならあのような無様な最期を迎える事はなかったでしょう。
 或いは『勇者』に異を唱える者がいれば少しは違ったでしょうが、仲間は全てイエスマンだったので誰も止める者はいませんでした。
 ちなみにレクトはゾンビにした『勇者』から事の真相を聞き出しているので、既にヌエへの復讐のチャンスを与える気は失せています。
 今後はレクトが死ぬまでサラと共用の使い魔にされてしまうでしょう。

 サラとヌエは交際を始めましたが、だからと云ってすぐにはハッピーエンドにはなれません。
 同様にカシャやまだ名前を出していない大女とも戦う事になるでしょう。
 余談ですが、執刀したドクター松戸は『マッド』から来ています。
 勿論(?)、マッドサイエンティストであり、ユウ達Uシリーズの生みの親だったりします。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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副ギルド長の場合、再び
第壱章 神殿騎士団長が連れてきた助っ人


「で、この子が例の冒険者?」

 

「はい、その通りであります」

 

 フェニルクス卿が助っ人として連れて来られた人物を見て僕は不安を覚えた。

 彼女の師匠と云うから威厳のある老魔法遣いが来るのかと思ったら、目の前にいるのは小柄な少年だったのだから拍子抜けも良い所だ。

 白いローブですっぽりを覆い尽くし宙を浮いている様は魔法遣いらしいと云えなくはないが、中性的と云うよりどう見ても女の子にしか見えない愛らしい童顔にふんわりと緩くウエーブのかかったライトグリーンの髪からは歴戦の英雄だとはとても想像が出来ない。

 だけど彼と接しているフェニルクス隊長の態度は明らかに上官に対するそれだ。

 たかが冒険者ギルドの一支部の副ギルド長に何故と思う。

 この炎の化身とも云える偉大なる武芸百般の神殿騎士にして火の『宿星魔法』を極めた魔法遣いでもあるフェニルクス卿。

 これまで異端審問会として我らが星神教の教えに背く異端者を屠り、力無き衆生を守り続けてきた功績により『火華仙』の称号を得た御方。

 そのフェニルクス卿が今尚(こうべ)を垂れて教えを乞い、礼を尽くして助力を願う魔法遣いがこのような小さな少年だったとは。

 聞けば五十有余年前に現れた魔王と不死の軍団を勇者様と共に魔界へと追い返した世界最強にして最高の魔法遣いであるという。

 隊長を疑う訳じゃ無いがこの小さな体のどこに魔王軍の進撃を阻む魔力が内包されているのかと疑念を抱かざるを得ない。

 しかも、とある事件の生き残りである冒険者を検分している背中は隙だらけであり、今、剣を振ったら容易く首を落とせそうだ。

 

「手足を付け変えられてるけど截断痕も縫合痕も無し。まるで初めからそうなっているみたいだ。これをやった人は悪趣味ながら外科手術の腕は神の域だね」

 

「先生は同じ事をやれと云われて出来ますか?」

 

 出来るよ――事も無げに答える少年に我々の頬が引き攣る。

 このおぞましい手術が可能である事もそうであるが、“神の域”と評した施術を自分も出来るとあっさりと云える胆力に呆れる。

 

「やる意味が無いからやらないけどね。“見せしめ”にはなるけど後々必ず遺恨になるるに決まっている。僕なら敵を態々生かしておかないよ。リターンマッチを申し込まれても面倒だし、蘇生不可能レベルまできっちり殺すさ。ただお仲間(・・・)に復讐されるのも嫌だから徹底的にいくけどね。“魔女クーアに決して逆らうべからず”と仕返しを諦めざるを得ないようにするよ」

 

 何故か一瞬だけ僕に振り返ったクーアとかいう魔法遣いに背筋が凍りつく。

 まさか“首を落とせそう”などと思ったのを悟られたか?

 

「それでも先生を向こうに回すのは盗賊ギルドくらいなものでしょうな」

 

「彼らは特別だよ。盗賊ギルドの首領(ドン)の為なら簡単に死を選択出来るんだからね。一度、首領とやらと会ってそのカリスマの秘訣をご教授願いたいよ」

 

 クーアはすぐに僕から視線を外すとベッドに横たわる冒険者の検分に戻る。

 途端に氷塊を背中に入れられたかのような感覚が消えて僕は溜め息をつく。

 そこで、はたと気付く。僕は安心したのか(・・・・・・)

 先祖代々、優秀な神殿騎士を多数輩出してきた一族の末裔であるこの僕が?

 同期の中でも特に剣技と魔力の高さを認められ、座学でもトップのこの僕が?

 有り得ない。

 

「有り得ないってさ」

 

「教育が行き届かず、御恥ずかしい限りです」

 

「別に怒ってないさ。まあ、気の毒ではあるけどね」

 

「然り。戦場で真っ先に死んでいくタイプであります。だからこそ再教育をせねばならぬのです」

 

 僕の事を云っていると気付いた瞬間、顔に灼熱が宿った。

 このエリートである僕を捕まえて巫山戯た事を!

 剣の束に手をかけた瞬間、僕の両目に激痛が走り、視界が暗闇に閉ざされた。

 

「人を見る目が無いのなら、その目玉はいらないよね? 感謝しなよ? これで君は名誉退役が出来るだろうから戦場で命を落とさずに済むよ」

 

「ぐああああああああっ?! 目がっ!!」

 

 両目を抑えて苦しむ僕にクーアは笑いを含んだ言葉をかける。

 

「確かに戦場では長生き出来そうにありませぬゆえ、今この場で目を潰してやるのも慈悲でありましょうな」

 

 しかも隊長もクーアの狼藉に対処するでもなく同調しているではないか。

 仲間は? 神殿騎士の仲間は何をしているんだ?!

 この不世出の騎士の目を潰した魔女を何故捕らえない?

 否、捕らえるどころか周りからクスクスと忍び笑いが聞こえてくる始末だ。

 

「と、このように見た目で判断するのは愚かの極みだと理解出来たであろう。この事を教訓に諸君の胸に刻み付けて欲しい」

 

 隊長の言葉に騎士達は笑いを引っ込めて敬礼をしたようだ。

 そんな、僕がこんな目に遭っているのに誰も介抱にすら来ない。

 闇の中で絶望していると誰かの気配が近づいてくるのを察した。

 誰だ? 我が友か? それとも愛しの君なのか?

 密かに懸想している同僚の女性騎士の姿を想像するが、かけられた声に彼女の像が脳裏から霧散する。

 

「身に染みたかい? これに懲りたら魔女に悪意を向ける事は慎むんだね。半世紀前の魔女狩りを経験したせいで僕達魔女の一族は人から向けられる悪意に敏感になってるんだ。況してや僕は半月前に親友からの裏切りにあったせいで尚更さ」

 

「短慮であったな。悪意を向けるだけならまだ害は無いから目溢ししてやったが剣に手をかけるのは頂けん。今日の事は向後の戒めとせよ」

 

 あんまりな言葉に僕は激昂して叫ぶ。

 

「戒めにしろも何も僕はもう騎士として再起不能です! この盲いた目で向後どう生きよと仰せなのですか?!」

 

 僕の言葉に返って来たのは呆れたような溜め息である。

 クーアのものでも隊長のものでもない。友を始めとする同僚からのものだった。

 

「我が友よ。まだ気が付かないか? 君の目は既に開いている(・・・・・)ぞ」

 

「えっ?」

 

 友に云われて気付いたが、確かにいつの間にか明るくなっている?

 

「相手に幻を見せる魔法『イリュージョン』だよ。これで君から光を奪い、直接神経に作用して激痛を与える『ペイン』で目が潰れたように錯覚させたってワケさ』

 

「あ…あひ…」

 

 鮮やかな緑の瞳に射抜かれて僕の体は竦んでしまう。

 ライトグリーンなのに夜の闇よりなお昏く見えて僕は恐怖のあまり腰を抜かしていた。

 

「ルクスの弟子だからこれで許してあげるけど二度は無いからね?」

 

 ヘルト・ザーゲに登場する魔女さながらのクーアに僕は何度も頷く。

 涙で視界が歪むが構っていられない。

 

「次は魂を抜いて蠅と入れ替えてやるからね? その後は君の人格を保ったまま千回は蠅に転生するようにしてあげようか」

 

「ヒィッ?!」

 

「冗談だよ」

 

 笑うクーア()に僕は答える事は出来ずにいた。

 尻餅をついたまま利かぬ足を何とか動かし少しずつ後退る

 

「あらら、薬が効きすぎたかな? 心配しなさんな。僕に君の転生先を指定する権限はないから。蠅から(・・・)何に生まれ変わるかは冥王様のお裁き次第だから安心して良いよ」

 

 朗らかに笑ながらクーア様は冒険者の検分に戻られたのだった。

 安心なんてしていられるものか。結局、僕を蠅にする事は可能って事じゃないか。

 しかし僕の心から恐怖が過ぎ去った後に残ったのはクーア様に対する敬服だった。

 もはや侮蔑も敵意も無い。あるのは尊敬の念のみだ。

 傷一つ付けずに僕を制する偉大なる魔法遣いにすっかりやられていた(・・・・・・)

 まさにこの瞬間、僕が生涯仕えるべき主を得たのだった。

 

「ルクス、ちょっとこの子の口を開けて」

 

「こうでありますか?」

 

 フェニルクス卿を愛称で呼び、平然と検分の助手とする程の御方。

 たとえ今は相手にされずともいつかきっとお仕えするのだと誓ったのだった。




新章開始です。
 異端審問会に連れて行かれたクーアが再び主役となります。
 視点は今回に限り若い神殿騎士となります。
 要は何も知らない他者から見たクーアがどういったものかというのと、魔女としての恐ろしさを読者様に再認識して頂こうという趣向となっております。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 神殿騎士団長の過去と現在

 やあ、良い子のみんな! 私の名前はフェニルクス! 苗字は無いんだ!

 気軽にルクスお姉さんと呼んでね!

 話し方が違う? アレは外に向けたキャラクター、本当はこうなんだよ。

 神殿騎士がそのようなキャピキャピした話し方をするのは如何なものか、と先代の大僧正様にあんなに堅苦しい口調に矯正されちゃったの。

 けど、“中身まで変える必要は無いよ”ってクーア先生が翻訳魔法の応用で口調だけを変えるようにしてくれたんだ。みんなには内緒でね。

 クーア先生は凄いんだ! 私が今、こうして神殿騎士でいられるのもクーア先生とユウお姉さん、そして今の大僧正であるマトゥーザお父さんのお陰なんだよ!

 今から五十年以上前に、とある研究施設で人型の生体兵器として生み出された私は魔王打倒を目指して訓練や教育を施されていた。

 数多くいた人型兵器の中でも特に『火』と『生命』を司る『不死鳥』の因子を強く発現させられた私への期待は大きかったらしい。炎属性は万物に有効な攻撃手段に成り得たからね。

 けど、私達の扱いは物と同じだった。しかも敵を油断させる為に美しい容姿を与えられた人型兵器は資金提供者達からお金を引き出す為の慰み者とされていた。

 幸いにして私は戦闘力を期待されていた事もあって訓練のみに明け暮れていたけど、過酷な境遇にいた事に変わりはない。研究員達の望むテスト結果を出せなかった日は食事を与えられず、時には体罰を与えられる事もあった。

 ある日の事、私の前に死刑囚が数十人、引き出されたんだ。

 そして研究員が放った言葉がこうだった。

 

「諸君、死刑が迫る君達に朗報だ。目の前にいる美しい少女を死出の土産に好きにしたまえ。それだけではない。見事、彼女の純潔を奪う事ができた者は特典として特赦を賜るよう掛け合ってあげようではないか」

 

 これによって死刑囚達は色めき立つ。気が早い者はズボンを脱いですらいた。

 更に私にだけ聞こえる念話で研究員が指示を出す。

 

『訓練の集大成だ。こいつらを殲滅するのだ』

 

『こ、殺すなんて出来ない。私は魔王を斃す為に今まで……』

 

 戸惑う私に研究員は冷たく云い放つ。

 

『出来なければ君は蹂躙され殺される。否、この程度の者達を殺せぬ欠陥品はいらない。仮に生き存えても失敗作として処分されるだろう』

 

『で、でも相手は人間……』

 

『なぁに、彼らは死刑を宣告される程の極悪人、誰がその死を悲しもうか。誰に遠慮がいるものか。それに魔王を殺そうと云うのだ。命に魔王も人間も無かろう。予行演習と思って存分に訓練で得た力を発揮したまえ』

 

 一方的に念話は切られ、囚人達に合図が出された。

 争うように囚人達が私に殺到する。

 皆が皆、情欲を隠さずにいて、その浅ましさと生への執着に怖気が走り、私は動く事が出来なかった。

 

「おらあっ!!」

 

 死刑囚の手が入院着にも似た服にかけられて一気に引き裂かれる。

 当時、私の肢体はまだ幼かったのだが、彼らには頓着する要因にならなかった。

 あっという間に裸にされると私はまず殴られたのだ。

 初めは暴力によって抵抗心と力を削ごうとしたのだろう。

 その時、私の脳裏に浮かんだのは“なるほど”だった。

 なるほど、なるほど。目の前に女がいれば見境無し。手段は暴力。

 そんな連中、死刑を宣告されるのは当然だというのが私の率直な感想だった。

 痛くは無かった。対魔王を想定して創造された私には蚊ほどにも感じない。

 私の戦闘は相手の攻撃をまず受けて分析をする事から始まる。

 『不死鳥』が司る『生命』の力に身体能力が強化され、傷も受けたそばから回復する私に相応しい戦い方と云えるだろう。

 人の模範となるべき神殿騎士にして異端審問会のリーダーである私が普段から胸を覆う軽鎧や眉間を守る鉢金など急所以外に防具を使用しない露出の多い格好をしている理由はそこにある。

 敵の攻撃を受ける盾役であると同時に肌で感じた攻撃を分析する役目もあるのだ。

 そして分析が完了して“なるほど”と思う事がスイッチ(・・・・)となって私は戦闘モードに移行する。

 気が付けば私の周囲は死の気配が渦巻いており、死刑囚は猛獣にでも襲われたかのような無惨な骸を晒していた。

 戦闘の終了を悟りスイッチがオフとなった私は胃の中の物を吐き出す。

 強制的に極限状態を作り出す為に数日間、食事を与えられていなかったが、それでも胃が迫り上がって胃液が際限なく吐き出される。

 

「善くやった。これで君は文字通り兵器として完成した。これより量産を始めよう」

 

 研究員が初めて私の目の前に現れて直接かけた声がこれだった。

 

645(・・・)が異空間に呑まれて転移した時は流石に焦燥に駆られたが、よもやこのような異世界(・・・)があろうとはな。星神教が信徒に守護神とやらを授ける『神降ろし』を利用した実験は成功だ。精霊の力を用いる『精霊魔法』も面白い。あらゆる物を怪物と化す“悪しきモノ”という存在なんてもう堪らない! 私の探求心は刺激されるばかりだよ!」

 

 顔を赤い文字で『五衰』書かれた白い布で隠している研究員は声高らかにいつまでも笑っていた。

 その後、暴走した人型兵器により研究所は蹂躙される事になるんだ。

 研究所に取り残されていた私はクーア先生とユウお姉さんに助けられて、生まれて初めて太陽を見る事が出来たんだよ。

 そして魔王を魔界へと追い返した後はマトゥーザお父さんに引き取られて神殿騎士になったという経緯があったんだ。

 ユウお姉さんは元いた世界に還されたけど、クーア先生とマトゥーザお父さん、大将軍閣下に鍛えられて私は神殿騎士の中でも頭角を現していき、異端審問会に所属して地位を上げてついにリーダーとなった。

 これで少なくとも聖都スチューデリアで魔女狩りは起こらない、とクーア先生に報告したら、“君には自由に生きて欲しかったんだけどね。でも、ありがとう”と苦笑しながら頭を撫でてくれたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔語りに付き合ってくれてありがとう。

 さて、私の話はここまでにして現代に戻そうかな。

 

「口腔にかすかな便臭…魔女の世界に古くから“尻から物を食べて口から排泄するように内臓の位置を変えてやる”って脅し文句があるけど、実際に見たのは初めてだ」

 

 クーア先生が冒険者の口腔を観察している。

 事の発端は、とある山村が謎の爆発と共に消滅したという報告だった。

 先遣隊の報告によると家屋或いは周辺の森もほぼ消失しており、住人の生存は絶望的であるとの事だ。後は爆発の原因を探るだけとなったのだけど、生存者が確認された事で事態は思わぬ方向に進む事になったんだ。

 観測の結果、爆心地らしい地点に洞窟を発見したのだけど、その奥から救出された冒険者と思しき少女は見るも無惨な姿へと変えられていた。

 少女はまともに口が利ける状態じゃなかった。手足が逆になっており、しかも騎士達の目の前で口から便を排泄したのだと云う。

 そこで私も現場へと急行したのだけど、少女はヘラヘラと笑うばかりで言葉が通じないし、与えられた食事を有ろう事かお尻に入れたんだ。

 おぞましい事に咀嚼(・・)までしていた。調べてみたところ、口腔内の歯は全て抜き取られ、代わりに直腸内にはびっしりと歯が並んでいたんだよ。

 これはもう人の手に負える事件ではないと直感した私はクーア先生のお知恵を借りる事にした。

 その時、クーア先生は女性と一緒にいたんだけど、それが周囲に見せつけるかのように腕を組んで嬉しそうに笑っていたんだ。

 違う。その位置にいて良いのはお前じゃない。ユウお姉さんだ。

 気が付けば私は女性を無理矢理クーア先生から引き剥がしていた。

 またやってしまったと後悔するけど、後の祭りだ。

 けど、私の中ではクーア先生と結ばれるのはユウお姉さんしかいなかった。

 あの暗闇から私を救い出してくれた人達の幸福こそ私の願いだ。

 その邪魔をする者こそ私に取っての異端(・・)であった。

 これ以上、ここにいては無意味かつ理不尽な振る舞いを彼女(シャッテというらしい)にしそうだったので、私は手早く用件をクーア先生に耳打ちしてこの場を去ろうとする。クーア先生も心得てくれてシャッテ嬢に帰るように促して同行してくれたのだった。その後、こっぴどく叱られる事となったのは云うまでもないけどね。

 

「後でぬいぐるみでもプレゼントして謝罪しな。ああ見えてと云ったら失礼だけど、彼女の趣味はぬいぐるみ集めだから。菓子折りも忘れるんじゃないよ」

 

「ラジャーです」

 

 よし、今度、クーア先生とユウお姉さんのカップルのぬいぐるみを作って贈ってあげようと誓う私だった。ついでにクーア先生とユウお姉さんの似顔絵を焼き印した焼き菓子も振る舞ってやる。

 

「反省してるのかな、この子は」




 今回から語り部は異端審問会のリーダー、フェニルクスになります。
 職業柄、いかつい口調で話しますが、中身は割りと幼げだったりします。
 彼女の正体もまた五十年前に召喚された勇者と同様に人工的に創られた人型兵器でした。
 ユウのコンセプトが学習しながら強くなる無限進化型なら、フェルニルスは星神教の『神降ろし』を利用して後天的に力を与えられるか、というものです。

 さて、事あるごとに異世界から勇者を召喚しているせいで、ついにその異世界から悪党を引き寄せてしまいました。
 おぞましい姿に変えられた冒険者もやはり彼らの犠牲者です。
 次回、彼女の診察と調査を行う事になります。

 最後にフェニルクスはクーアとユウのカップル推しです(おい)
 シャッテにとって最大の障害は年齢差や種族の違いではなくフェニルクスとなるでしょうw

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 魔女の兄弟

「うへぇ、内臓の位置が滅茶苦茶だァ。この子、何で生きてるんだろう?」

 

 少女の額に指を当てているクーア先生が顔を顰めている。

 戦場で多くの悲惨な死体を目にし、魔女として様々な呪いを見てきたクーア先生がこのような顔をするくらいなんだから余程の事なのだろう。

 

「隊長、クーア様は額に指を当てているだけのように見えるのですが、それで分かるものなのですか?」

 

「莫迦者。それだけで分かるはずがなかろう。先生はああして患者の肉体に魔力を流して診察をしているのだ。索敵に魔力の網を周囲に展開する魔法遣いを見た事は無いか? 先生はその応用で全身に怪我や病巣が無いか診ておいでなのだ。これぞクーア先生が開発した診療魔法『スキャニング』である。その精度は凄まじく、顕微鏡を用いねば分からぬ程小さな癌すら見逃さぬ。感染症や毒も体内に入り込んだ異物として認識するらしい。しかも毒の種類まで分かるそうだ」

 

「種類まで分かるのですか?! この人、何故、冒険者ギルドにいるんです? 病院でも開業すれば多くの命を救えるでしょうに」

 

 騎士達が疑問に思うのも分かるけど、クーア先生が病院を建てて人を救う事は無いと思う。何故なら魔女達は半世紀前の魔女狩りを許してはいないのだからね。

 治療に見合う報酬を支払うのなら兎も角、クーア先生が我からスチューデリア人を救う為に動く事は有り得ない。“お大事に”と労ってくれれば良い方だろう。

 聖都スチューデリアがクーア先生のお父上とご兄弟、そして犠牲となった魔女達を生き返らせでもしない限りは許す事はない。いや、未だに燻る復讐の念を押さえているだけ賞賛すべき事だと私は思うよ。

 

「こりゃ頭まで弄られてるなァ。僕は脳に関しちゃ門外漢だし、どうしようか」

 

 クーア先生が振り返る。

 

「聖都スチューデリアって確かガイラント帝国とは敵対まではいかなくても仲は悪かったよね? 国全体がアンチ星神教だったし」

 

「そうですね。けど少々面倒な手続きを踏む事にはなりますが、使者を送る事は可能です。先生はガイラント帝国に何か御用がお有りですか?」

 

 ガイラント帝国は聖都スチューデリアの西側に位置する大国で軍事力だけを見れば世界一の強国なんだ。国土は聖都スチューデリアのおよそ三倍あるのだけど、それだけでは飽き足らず近在の小国を攻め落としては属国としている。

 良質な鉄の産地でもあるからか、強力な銃器や兵器を国中に配備しており、国外に自国の軍事力を誇示している。ただ兵器が充実し過ぎているとも云い変える事も出来、そのせいで帝国軍の兵士自体は弱兵であるとも云われている。

 

「僕の弟がガイラント帝室の御抱え医師をやっていてね。特に脳の研究に力を入れているんだよ。ガイラント帝国専売の認知症治療薬を作ったのも弟でさ、この子みたいに脳を弄られている被害者も弟なら何とか出来るかも知れない」

 

 認知症治療薬の開発を手掛けていたなんて流石はクーア先生の弟さんだね。

 認知症の治療は医に携わる人達にとって悲願でもあるけど、現状では進行を遅らせるのが精一杯みたいなんだ。

 けどガイラント帝国が専売している治療薬は死滅した脳組織の修復をある程度ではあるものの可能とし、認知能力の回復も認められているらしいね。

 ガイラント帝国は死刑囚を用いた臨床実験をバンバンやっちゃうから医療の発展が著しく、特に新薬の開発力は世界一の実績を誇っている。

 だから難病に効果的な新薬や治療法を開発すると、それらを帝国の専売特許として他国との外交カードにするという狡猾さも持ち合わせているんだよ。

 

「ちなみに使者を立てて弟を引っ張って来るのに何日くらいかな? 僕の名前を出せば弟は喜んで来てくれるとは思うけど、帝国との交渉が難しいよね」

 

「左様。まず交渉の書簡の遣り取りをせねばなりますまい。その上で使者を立てて……少なくとも数日で出来る交渉ではありませぬ」

 

 同盟国ならまだしも想定敵同士の交渉となったら下手をすれば年単位になりかねない。いくらクーア先生の弟さんの協力を仰ぐ為とはいってもすんなりとはいかないだろうね。

 

「で、あるか。仕方ない。僕が『影渡り』でちゃちゃっと弟を攫ってくるか」

 

「おやめ下さい。そんな事をしたら聖都スチューデリアとガイラント帝国で戦争になってしまいます。大将軍閣下がおられるので早々に負ける事はないでしょうが、勝算は皆無と云っても過言ではありませぬ」

 

「冗談だよ」

 

 クーア先生は朗らかに笑っているけど、神殿騎士達はガイラント帝国と戦争になると聞いて愕然としている。中には恐怖の表情を浮かべている子もいた。

 

「と云うか、もう来て(・・・・)貰っている(・・・・・)

 

「はい?」

 

『やあ、久しぶりだね兄貴。最後に会ったのはいつ以来だったかな?』

 

「ヒッ?!」

 

 神殿騎士達が怯えるのは無理も無い話だ。

 クーア先生のそばには少女(?)の生首(・・)が浮かんでいたのだからね。

 先生の面影が見える可愛らしい顔立ちにハニーブロンドの髪を伸ばしている。

 前髪も長く左目だけが隠れるように整えているのは何かの拘りかも知れない。

 首だけではない。手首から先だけだけど細く白い指を持つ両手も浮かんでいた。

 

「態々来て貰って悪いね、ゲヒルン。最後に会ったのは年始に家族で集まった時だよ。みんなで料理を持ち寄ってささやかな宴会をしたじゃないか」

 

『そうだったね。久々に家族全員が集まったからか、母様が普段なら控えているお酒をバンバン呑んじゃって最後はサバトさながらの裸踊り大会になったっけ』

 

「レオンなんて青い顔して必死にレクトゥールと子供達の体をマントで隠そうとしてたよね。身内なんだから構わないだろうにさ」

 

『おっしゃる通りだね。その点、レオンの奥さんなんか、公爵令嬢とは思えないくらいはっちゃけて盛り上げてくれたんだから、見習って欲しいよ』

 

 先生と生首は“愉しかった”と笑っているけど、反面、神殿騎士達は先程の戦争云々の時よりも顔を青くしていた。

 紹介するね。この生首、失礼、このクーア先生をちょっと大人びた感じにした人こそ、先生の弟さんでゲヒルンさん。

 元々は五体の揃っていて、男の人でありながら絶世の美女と呼んでも良い人だったんだけど、魔界の公爵夫人に見初められて拉致されてしまった事があったんだ。

 “愛人となれ。栄達は思うがままぞ”と誘惑されたそうだけど、奥さんと子供を愛していたゲヒルンさんはそれを拒否してしまう。

 怒った公爵夫人は首を刎ねられてしまった挙げ句、それだけでは飽き足らないと更に体をバラバラに解体してしまうんだ。

 その時、クーア先生から要請を受けて魔界軍が救出に来たんだけど、そこで彼らが見たのは、そのような状態になって尚、魔力で生かされ続けているゲヒルンさんの悲惨な境遇だった。

 魔王とクーア先生達は相談の末、“まだやるべき事が有る”というゲヒルンさんの意思を尊重して首と両手だけで生きられるようにしたんだそうだよ。全身を生かすとなると魔王の強大な魔力を持ってしても数日しか生きられないそうで、後はゾンビにするしか方法は無かったんだって。

 しかしゲヒルンさんの精神力は凄まじく、このような境遇にもへこたれる事なく帝国での地位を確かなものにしていったという。

 ちなみに普段は人形に首と手をくっ付けて操り、ローブで隠しているんだってさ。

 ただ今回は帝国に無断でスチューデリアに来たそうで、人形の胴体にダミーの頭を載せて居留守をしているらしい。

 帝国の重鎮が来たら時間稼ぎをしておくように、と命じられたお弟子さんが可愛そうだけど、是非とも頑張って頂きたいものだね。

 うん、後でお菓子を作ってゲヒルンさんにお土産として渡して貰おう。

 後、余談になるけど件の公爵夫人は断首の上、その首は地獄の炎で永遠に燃やされ続ける罰を受けているそうだよ。

 

『それで兄貴が念話で云っていたのがこの子かい?』

 

「そうなんだ。それでどう? 脳の専門家として意見を聞かせて欲しいな」

 

 ゲヒルンさんの右手が冒険者の顎を持って目線を合わせる。

 クーア先生は冒険者の額を左手で触れ、右手の指をゲヒルンさんの額に当てた。

 こうしてゲヒルンさんに脳の状態のイメージを送っているんだよ。

 

『これはまた随分と切り刻まれているね。生きているのが不思議なくらいだ』

 

「やっぱり話せるようにするのは難しいかい?」

 

『ちょっと時間をくれるのなら神経回路を魔力のパスで正常に繋ぎ合わせて一時的に正気に近い状態にする事は出来るよ。ただ…』

 

「ただ?」

 

『今の悲惨な自分の体を知ったらそれこそ正気じゃいられないんじゃないかな。兄貴が不老長命になったと知った時の事を思い出してみてよ。俺だって本当は生首になった自分に絶望して暫く荒れていたものだよ』

 

 ゲヒルンさんの言葉にクーア先生は唸ってしまう。

 先生の場合は同じく不老長命のユウお姉さんや私と出会った事で救われた。

 ゲヒルンさんも奥さんと子供達が今の状態となったゲヒルンさんを変わらずに愛してくれたから乗り越えることが出来たんだ。

 

「けど、このまま一生ヘラヘラ笑ってもいられないよ。生かすにしてもずっと誰かに面倒を見させる訳にもいかないさ。たとえ地獄のような真実が待ち構えていたとしても本人にしっかりと認識させなきゃいけないんじゃないかな」

 

『それもそうだね。確かにこの子は唯一生き残った事件の証人だ。残酷だけど正気に戻って貰うしか選択肢は無いか』

 

「そういう事だね」

 

 ゲヒルンさんは精神を集中する為か目を閉じ、両手で冒険者の頭を押さえる。

 クーア先生も補助として冒険者の後頭部に手を当てながら目を閉じた。

 

「ぐ…ああ…ぐご…」

 

 お二人が作業に入ってからすぐに冒険者が反応を示した。

 全身を跳ねさせて苦痛に耐えるような表情になる。

 

「ルクス、体を押さえて」

 

「はい!」

 

 私は暴れる冒険者を抱きしめる事で拘束する。

 

「あぎゃばらでどぼれぎあすぼろべ」

 

 冒険者の口から意味を持たない言葉が飛び出し、暴れる力も徐々に強くなっていくけど、私は『不死鳥』の力で肉体を強化して何とか堪える。

 

「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぐぎゃあああああああああああっ!!」

 

 人とは思えぬ声を張り上げ、有り得ない速さで頭を振り回しながら冒険者は白目を剥いて暴れ続ける。

 

「ぎゃあああああああああああああああああっす!!」

 

 まるで地獄の業火に焼かれる亡者のように叫けんだかと思えば冒険者の体は糸が切れた操り人形のようにガクンと動きが止めた。

 死んでしまったのかと神殿騎士達がざわつくけど、心臓は動いていると伝えれば静かになった。そこは普段、厳しく鍛えている甲斐があったというものだ。

 

「お……おま……」

 

『ん? 正気に戻ったか?』

 

「ゲヒルン、離れて!」

 

 冒険者の顔を覗き込もうとしていたゲヒルンさんの首を持ってクーア先生が冒険者から離れる。釣られて私も冒険者から離れてしまったけど何があったんだろうか?

 

『おお…おおい……大いなるモノの眠りを……妨げるべからず……』

 

 白目を剥いたまま冒険者が語り出すけど、どう見ても正気に戻った様子じゃない。

 それどころか、この威圧! 若いとはいえ心身共に鍛え上げられた神殿騎士達が震え出すほどの覇気をこんな若い冒険者に放てるとは到底思えない。明らかに何かおぞましいモノが取り憑いている。

 

『大いなるモノを目覚めさせる者に災いあれ!』

 

「大いなるモノ? それは?」

 

『大いなるモノ…大いなる…おおい…おおい…おおおおおおおおおおっ!!』

 

 なんと冒険者の肉体が黒い煙を出しながら溶けていくじゃないか!

 その無惨な姿と強烈な臭気に若い騎士の中には嘔吐している者もいた。

 

『大いなる…おおい…だず…げべ…大いなるモノを…目覚めさせるな…』

 

 肉だけでなく骨まで黒く変色しながら冒険者は崩壊していく。

 

『おおいなる…だずげ…ものを…べ…おおい…おおい…だずげべ…』

 

 恐らく冒険者の自我が蘇った事がトリガーとなって崩壊が始まったんだろう。

 私達に救いを求めながら、何者かのメッセージを伝えている。

 

『めざめ…ざべるば…おおい…たずげで…おおいおお…だず…げ』

 

「あい分かった。汝に救いを」

 

 もはや詳しい事情聴取は不可能だろう。

 ならば今すぐ苦しみから解放してあげるのが慈悲だと思うんだ。

 私の両手を炎が包み込む。

 

「せめて痛みを知らずに逝くが良い」

 

 両手の中で炎の魔力を極限まで圧縮させる。

 

「だが、汝も冒険者なら言葉を残せ。この村を滅ぼした者は?」

 

 『り…りりり…りんね…てん…どう…』

 

「“りんね”? “てんどう?」

 

『に、にん…げん…』

 

「“にんげん”? 人間か?」

 

 これらの言葉がどのような意味を持つのか分からない。

 けど、この冒険者は今必死に言葉を遺そうとしてくれている。

 決して聞き逃す訳にはいかない。

 

『りんね…りん…にん…げんど…おおいなる…もの…おおい…おお…おおい…』

 

「これまでか…」

 

 クーア先生を見ると頷かれた。

 先生もこれ以上は限界だと悟ったのだろう。

 

『おおい…おおい…おおいなる…めざべ…さべるば…』

 

「汝の死は無駄にはしない。安らかに眠れ。奥義『滅鬼双炎掌』!!」

 

 私の炎は悪鬼を打ち滅ぼす破邪の力が備わっている。

 突き出された私の両掌から破邪の炎が球体を成して撃ち出される。

 そして炎は冒険者を包み込んだ。

 

『おおい…おおい…おおい…おぢゃ!!』

 

 瞬く間に冒険者の肉体は浄化されて消えていく。

 来世では幸せになるんだよ。

 私は彼女の冥福を祈って合掌した。

 

「しかし、今の言葉が手掛かりになるんでしょうか?」

 

 騎士の云い分ももっともだと思う。

 だけど今となっては“りんね”“てんどう”“にんげん”の三つのワードこそが重要な手掛かりだった。

 ふとクーア先生とゲヒルンさんを見ると、お二人の顔色が悪い事に気付く。

 

「クーア先生? 何かお心当たりでも?」

 

「あるって云えばあるかな?」

 

「それは真で?」

 

 しかし、どう見てもお二方とも気が乗らない様子。

 訝しんでいると、決心されたのか、躊躇いながら口を開かれた。

 

「物凄く会いづらいんだけど仕方ないか」

 

『仕方ないだろうねェ。会った途端に殺されなきゃ良いけど…』

 

 声をかけにくい程、お二人の落ち込み振りは凄かったんだよね。

 

「でも、いつかはちゃんと詫びを入れないとだし、行くしかないか」

 

『だね…どうすれば話を聞いてくれるかな? 一応、好物も持っていこうか』

 

「あの……誰に会うおつもりなのでしょう?」

 

 私の問いにクーア先生は死んだ魚のような目をして答える。

 

「行けば分かるよ。この地上と魔界を繋ぐ扉が唯一存在する超々高難易度ダンジョン『世界の境界』にね」




 新キャラ・クーアの弟であるゲヒルンの登場です。
 脳の専門家という事もありドイツ語で脳を示すゲヒルンと名付けました。
 戦闘は得意ではありませんが、医者として優秀であり兄弟の中ではクーアと特に仲が良かったりします。
 共同研究で様々な新治療法の確立や新薬の開発をしており、外科手術の為の麻酔魔法や『スキャニング』も二人で完成させています。

 さて、これから向かう事になる『世界の境界』には何があるのでしょうか。
 それではまた次回にお会いしましょう。


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