暗殺教室は終わらない (白黒パーカー)
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1話:ヌルヌル相談教室の時間


「ヌルフフフ。先生との約束ですよ、月見くん」

 夕焼け色に染まった教室。
 普段の鬱陶しさが嘘のように、殺せんせーは静かに微笑んだ。




 

 

 

『秀知院生の皆さん、こんにちは!

 

私たちヌルヌル相談教室部は、学園の生徒が日々抱えている悩みを聞き、ヌルヌル解決を目指すボランティア活動をしています。

部活から勉強、恋愛相談様々な相談を受け付け中。

守秘義務はもちろん、安心して相談を受けられるようヌルヌルした部員全員でヌルヌル配慮していきます。

打ち明けたくても相談する相手がいない、こんなこと聞いても大丈夫かなと不安に思っているそこのヌルヌルしてるあなた!

ぜひ【ヌルヌル相談教室部】にヌルヌル来てみてください。

あなたの心に良きヌルヌルを!

 

ヌルヌル相談教室部 より』

 

 

 白銀圭(しろがねけい)の頬は引きつっていた。

 それは表情筋が死んでるとか、笑顔を作るのが苦手だからではない。今まさに手に持っている一枚の紙に書かれている内容に目を通したからだ。

 

「……なんですか、これ」

「うちの部活の紹介チラシ。結構気に入ってるんだけど、いい感じにできてない?」

「これのどこがいい感じなんですか⁉︎」

 

 顔を青ざめた圭の、心からの叫びがヌルヌル相談教室部の部室に響いた。

 

 白銀圭。私立秀知院学園中等部に通う2年生である。学校では整った容姿と真面目で実直な性格から、中等部でも男女問わずモテている有名人だ。

そんな美少女な彼女も、現在は苦悶の表情を浮かべていた。

 

「え、待ってくださいよ。……これが紹介文? どうして紹介文でこんなにヌルヌルって単語がでてくるの?」

 

 理解できない。自問自答するようにもう一度、紹介文を見直す圭。

 もしかしたら私の見間違いかもしれない。そんな淡い期待は、再度の見直しですぐに崩れてしまう。

 けれど狂気とも言える内容は、一文たりとも見間違いではなかったのだ。

 

(あー、やっぱ理解できないや)

 

 頭が痛くなる。

 なんで文章の中に逐一ヌルヌルという単語を入れてくるのか、それが全くわからない。

 それなのに内容自体は割とまとまっていて、意味が伝わってくるから余計に腹が立つ。

 

 そこでふと、ある一文の違和感に気づき、羞恥心から顔がパッと赤くなる。

 

「って、私はヌルヌルしてないですよ⁉︎ セクハラですよ、これ!」

「お、ようやくツッコまれた。というかヌルヌルなんてわりと日常で使わないか?」

「一度たりとも、使わないです!」

 

 圭は机に紙を叩きつけると、キッと目の前の男を睨みつける。

 さきほどまで寝ていたのだろう。学ランを脱ぎ捨てて、その下に着ていたパーカーのフードを頭にかぶったままあくびをしている。

 

「もう!部長はどうして、仕事や勉強はマトモにやるのに、こういう変なところで無駄にふざけるんですか!」

「まぁまぁ、無駄なところってわかるとなんだか余計やりたくなっちゃうじゃん」

 

 部長と呼ばれた男子生徒、大空月見(おおぞらつきみ)はこれだけ怒っている圭の顔を見ても、態度を崩すことなくヘラヘラしていた。

 

(この人、また私のことからかってるしッ!)

 

 自分はこんなにも振り回されているというのに、どこか悠々とした態度でいる月見。それを見ると圭の怒りゲージがふつふつと湧いてくる。頬も引きつる。

 これが兄なら脛を蹴っていたことだろう。

 

「落ち着け、圭ちゃん」

「落ち着いてます」

「落ち着いてないやん」

 額に青筋を浮かべる圭を後目に、被っていたフードを下ろす部長。

 前髪には黄色のメッシュが一筋入っていた。

 

「そいで、どうしてこんな無駄なことするんだって質問だったよな? ……もちろん理由はあるよ」

 

 月見は圭に体ごと視線を向けると、ヘラヘラとした表情をやめて優しく微笑んだ。

 

「圭が振り回されてるところを見るのが楽しいからだよ。そういうとこ大好き」

「私は部長のそういうところが大っ嫌いです!」

 

 本日2度目の圭の叫びが今度は部室の外にまで響いた。

 これが圭と月見のいつも通りのやり取りだったりする。

 

 

 

 ヌルヌル相談教室部と前半の単語から卑猥な活動をしてそうに聞こえるが、実際はただの相談教室である。

 部長の月見、副部長の圭、そしてあと一名を入れた3人で部を行っていた。

 

 活動内容はシンプル。

 学校問わず悩みを抱えた生徒の相談にのり、可能なら解決の手伝いの案出しをしている。

 

「というわけで、部活動始めようか」

「……ふん」

「悪いって、圭。からかいすぎたのは謝るから機嫌治してくれよ」

「はやく部活を始めてください」

 

 サッと顔を逸らす圭。あの程度の謝罪ではまだ怒りが治まらないのだ。

その様子を見て、後で何か奢ろうと決めた月見は、とりあえず依頼解決を優先するためにスマホを取り出した。

 

「今日の依頼者は1人。匿名で意見が欲しいみたい」

「わかりました」

 

 相談用に作ったウェブサイトを開くとそこには、ペンネームで送られた相談内容が書かれていた。

 

「そいじゃいくよ。ペンネームラブ探偵さん女性。……いやこれ、ペンネームの意味ねぇな」

「千花ねぇ……」

 

 聞き覚えのあるワードに圭はなんとも言えない顔をする。仮にも匿名なのに、特定できる言葉を使うとは。

 頭の中にはちかっとチカチカしている彼女がアホそうに笑っていた。

 

「まぁ、うん。とりあえず相談内容言うぞ」

 

 けれど、月見渾身のスルー。

 深く考えるだけ意味がないのはわかっている。藤原のことをよく知っている圭もその辺りは理解しているから、素直に頷いた。

 

「えっと、……最近体重が少しだけ、ほんっとに少しだけ増えっちゃったんですけど大丈夫ですよね? ラーメン巡りやタピるのはやめなくても、若いから大丈夫ですよね? ……だそうです」

「千花ねぇ……」

 

 相談内容にさすがの圭も頭を抱える。

 同性ゆえにスタイルの維持や、増えた体重は年頃の女の子なら気にするもの。でも、千花ねぇ。それはない。ラーメン巡りぷらすタピオカはありえない。

 カロリーの化け物でしかないのだ。自分なら体重計に乗ることすら躊躇うレベルの怪物的な暴力。

 

「一応、聞くけどさ。同性の圭的にこれはどうなの? 大丈夫なの?」

「まったく大丈夫じゃないです。即刻止めないと、死にます」

「致死量かよ」

 

 死んだ目で断言する圭。普段圭のことをからかう月見もその辺リのことでいじろうとは思わなかった。

 これも中学3年のときに体重のことでからかった経験のおかげだろう。

 

「まぁ、とは言えその好きを捨てることもできそうにないよなぁ」

「うーん、確かに。千花ねぇですから無理かもしれませんね」

 

 藤原の信用のなさ。むしろ、食べることはやめないだろうという確信的なまでの意見が2人の間で交わされた。

 

「じゃあ、その辺りの気持ちも考えないといけないなぁ」

 

 それから10分ほど、あーでもないこーでもないと2人でどんな答えを返すか議論を重ねた後。

 しばらく考え込んだ月見はスマホに文字を打ち込み始めた。

 

 とりあえずやることを終えた圭は、月見に気づかれないように彼のことを眺めることにした。その様子は真剣そのもので先ほどまで圭を振り回していた人物には見えない。

 

(なんていうか。部活をやってるときは真面目なんだよなぁ、この人)

 

 兄の白銀御行と同じ高等部からの外部受験者。普段の不真面目なところや振り回されることを除けば、意外としっかりしている。

 そもそも放課後の時間を使ってまで他人の相談に乗ろうとしている人だから、意外でもないかもしれない。

 

 圭自身、月見の良いところを知っているからこそ、こうやって1年も部活動に参加しているわけだし。

 ゆえに気になった。こんな富豪名家だらけの学校に来てまで相談部をする理由を。

 

「部長って、なんで相談部なんてやろうと思ったんですか?」

「ヌルヌル相談教室部な」

「そこはいいです」

 

 月見は特に気にした様子もなく、文字を打ち込みながらだが、会話を続けてくれた。

 

「んー、まぁ、先生との約束だからかな」

「先生?」

「中学最後の担任との約束。それを叶えるためにこの学校に来たってわけ」

「なるほど。……それってどんな約束をしたんですか?」

 

 プライベートなことを聞くのは失礼ということはわかっていても、圭は質問をやめられなかった。1年も月見と関わっているのに意外と彼のことを知らなかったからだ。

 それゆえの好奇心。

 一瞬、文字を打ち込む手が止まると、ぽつりとこぼした。

 

「んー、この学校で暗殺するっていう約束、だったかな?」

「……はい?」

 

 言われた意味がわからなかった。学校で、暗殺?

 困惑した様子の圭に気付いたのか、スマホから目を離した月見が彼女を見て笑う。

 

「はは、冗談だよ。半分だけ」

「半分は本気なんですか」

 

 相談部をしている理由を聞いたら、学校を暗殺するという答えが返ってきた。予想外の返答に、また自分はからかわれているのではないか。圭は月見を睨む。

 

「またからかってるんですか?」

「別にからかったつもりはないぞ?」

「信じられません」

「信用ないなぁ」

 

 散々、振り回されてきたのだ。今度こそからかわれないぞと睨み続けていると、月見はどうしたものかと頭をかいた。

 

「まぁ、詳しく言うつもりはないけどさ。俺にとって、この学園の生徒たちと向き合うことは、地球の終わりよりも重要なこと。ただそれだけだよ」

「それって——」

「……と脇道にそれちゃったけど、どうかな?」

 

 ——どういうことですか?

 

 その言葉を言う前に遮られてしまった。一瞬、聞き直そうか迷ったがこれ以上はやめておこうと決めた。たぶん、聞いたところではぐらかされるだろうし。

 

 気持ちを切り替えた圭は差し出されたスマホの画面を見る。

 

『このままではあなたは体重という名の暴力に殺されてしまうでしょう。けれど、その好きはあなたにとって大切なもの。

なら、別の方法でカロリーをヤるべきでしょう。

好きなものを食べながら、カロリーを消費する。つまり、運動です。適度な運動をすることでカロリーを燃焼すると良いでしょう。もしひとりで運動するのが苦痛なら、友達と一緒に体を動かすといった遊びをすれば、楽しく継続することができるでしょう。

さぁ、レッツ運動! レッツヌルヌル‼︎』

 

「最後の文以外は一応大丈夫です」

「なぜだ」

「なんで行けると思ったんですか」

 

 謎のヌルヌル押しに呆れる圭。なぜ、そこまでヌルヌルにこだわるのか。

 

 考えることに疲れた圭はだらりと机に寝そべった。

 いつもなら兄や先生の目があるからできないけど、どうせここには月見しかいない。なら、気にする必要もないだろう。

 

 傍らでは月見がスマホを手にうんうん唸っている。未だ最後の文のダメだしについて考えてるみたいだ。

 バカみたいだな、なんて思いながらもその様子が微笑ましくてつい口が緩んでしまう。

 

 今だけはなにもしなくていいから、余計な考えばかりが浮かんでしまう。

 

(先輩って好きな人とかいるのかな? …………もし、私のことが好きなら……まぁ、振り回されるのは嫌だけど、告白してきたら少しぐらい考えても……いいかな?)

 

 

 



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2話:メイクの時間

 

 

「圭ちゃんじゃあね〜」

「うん。萌葉もまた明日」

 

 放課後。友人の藤原萌葉に手を振った圭は、生徒たちで賑やになった廊下を一人カツカツと歩いていた。

 今日は生徒会の仕事もない。急いで家に帰ってやることもないので、部長が待っているであろう部室棟に向かう。

 

「あれ、中等部の子じゃない?」

「わぁ、すっごい綺麗」

 

 先輩であろう女子たちがヒソヒソと話している。中等部の生徒が高等部の部室棟に来るのは珍しい光景なのだろう。圭の白い制服はよく目立つ。それに加えて彼女は美少女だ。四宮かぐやや藤原千花といった美少女たちにも負けないレベル。

 

 当然、歩く度に周りからの視線を集めてしまう。最初の頃はその視線にオドオドしていた圭だったが、今ではもう慣れたものだ。

 月見に振り回される度に注目されてしまうから、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。

 

 好奇的な視線を無視した圭は、そのまま(ヌルヌル)相談教室部の部室の前にたどり着いた。

 一呼吸置いて、ドアノブに手を伸ばす。

 

「部長。こんにち——」

 

 そして、ドアを開けた圭は挨拶をしようとして目の前の光景に絶句した。

 高等部の女子制服を着た生徒。部長の大空月見が、鏡の前でセクシーポーズを取っていたからだ。

「——は?」

 

 困惑するしかなかった。もしかして自分は入る部屋を間違えてしまったのだろうか。

 しかし、現実は無情で目の前にいる人間は幻でも幻覚でもない。紛れもなく女装した部長本人だった。

 

 人間というものは予想外の出来事に遭遇すると、強ばって動けなくなると言うが、圭は今まさにそれを体験

 固まる圭に気づいたのか、ポージングをやめた月見が圭に話しかけてくる。

 

「どう、似合ってるだろ?」

 

 今度は鏡ではなく圭に向かってセクシーポーズをしてきた。妙に様になっている。その行為がさらに彼女を混乱のどん底に追い込んだ。

 もう狙ってやっているのではないかと考えてしまうぐらいに振り回されている。

 とにかく冷静にならないと、この『歩く全自動振り回しマシーン』とまともな会話ができない。

 

「……え、えぇ。確かに似合ってますけど」

 

 自信満々に尋ねてくる月見に動揺しながらも頷いた。

 そこで再度月見の姿を確認する。

 

 着ているのはやはり高等部の女子制服だ。ウィッグを付けているようで、肩まで伸びる黒い髪と本来の中性的な顔が、どこか大和なでしこのようなお淑やかな印象を感じさせる。なんとなく顔を見ればほんのりメイクが施されていた。

 

 月見のことを知らない人が見れば、女子にしか見えない。というか、女子よりもかわいいくらいでなんだか負けた気分になる。

 

「あの、なんで女子の制服を着てるんですか?」

 

 複雑な気持ちを抑えるように尋ねる。

 また何かめんどくさいことをしようとしているのか。これまでに散々振り回されてきた経験から、自然と声が震えてしまう。

 

「今日、同じクラスの奴から人数足りないからって演劇部の助っ人頼まれてさ。後で衣装合わせに行くんだけど。その前に女装しておかしくないか鏡で確認してたわけ」

「……演劇部の助っ人と女装になんの関係が?」

「頼まれたのが女性役なんだよ」

 

 なるほど。どうやら自分が振り回されるようなことはないらしい。

 ほっと安堵した圭は定位置に荷物を下ろした。今回のように月見が部の助っ人に呼ばれることは珍しいことではない。

 

 なんだかんだこの部長は何でもできる。天才……ではないけど、頭脳、身体能力の高さはただの学生にしては飛び抜けており、分野を問わない多芸さも合わさって、相談活動でも存分に活かされていた。

 純院、混院という差別意識もある秀知院学園で大胆に部活動ができる理由の一つがこれである。

 もう一つは3人目の部員の手を出してはいけないネームバリューの高さだろう。

 

 再度鏡に向けてポージングをしている月見を眺めていると、彼の着ている制服が気になった。

 

「そういえばその制服どこで手に入れたんですか?」

 

 なぜ月見が女子制服を持っているのだろうか。演劇部の助っ人を頼まれたのが今日ならそんな簡単に用意できないはず。お金持ちならともかく部長も自分と同じ一般家庭だ。そんな突飛なことはできない。

 圭の優秀な頭脳が数少ない情報から、答えを導き出そうとする。

 

「……もしかしてそれ盗んだんですか?」

 

 そして、導き出された答えは()()の2文字だった。

 普段からヌルヌル、ヌルヌルという言葉に執着する人だ。言葉では満足できず、欲求不満。ついには女子制服にまで手を出してしまったのではないか。

 

 部長への信頼が地に落ちると同時、警戒するように距離を取った。圭がスマホを手にすると、月見はこれからされることを察したのか慌てたように手をアワアワさせる。

 

「違うから! ちゃんと眞妃に頼んで借りたヤツだからッ! 110番に掛けようとするのやめてよ⁉︎」

「あぁ、眞妃先輩のですか」

 

 ジト目をしていた圭だったが、聞き慣れた名前が出ると警戒を解いた。信頼も地に落ちないですんだ。

 四条眞妃。

 頭の中には、つい最近好きな人が幼なじみと付き合ったと報告して、号泣する3人目の部員であり先輩の姿が思い浮かぶ。

 ここ最近部活を休んでいる理由も、傷心を癒すためである。

 

「納得しましたけど。あの人、よく先輩に服貸してくれましたね」

「まぁ、俺そこまで汗かきじゃないし。そこは信頼してくれたんじゃない? まぁ、まさか、今日着てた服を渡してくるとは思わなかったけどさ」

「えっ」

 

 それはいくらなんでも信頼し過ぎでは?

 よく部室で口ケンカする2人を見ているとにわかには信じられない。いつもいつも場所を問わずケンカしているから、(ヌルヌル)相談教室部はTG部と共に二大珍獣扱いされているのに。

 でも、そんなことはどうでもいい。圭は内心憤慨していた。

 

(部長も部長で、それを知ってなんで着てるんですか⁉︎)

 

 女性が男性に服を貸すだけでも正直ありえないことなのに、今日一日着ていた服を男子に渡すとか。それを理解して着るのもおかしい。2人の先輩の倫理観が少しだけ心配になる。別に先輩たちだけ仲良くしているから嫉妬しているわけではない。

 

 とはいえ圭自身認めたくはないけど、ありえないとは思わなかった。

 なんだかんだ言って月見と眞妃は相性が良い。似た者同士というか、傍から見ていると同族嫌悪しているようにしか見えない。

 このことを2人に伝えると物凄い怒ってくるので、心の内に留めておく。

 わざわざ虎の尾の上でタップダンスをするような無謀さは持ち合わせていない。

 

 それはともかく今日着ていた制服を男子に貸す懐の広さをどうして好きな人に向けて発揮できないのか。眞妃先輩、哀れ。

 

「でも、助っ人ならそこまでこだわらくてもいいんじゃないんですか? ウィッグを付けただけでも女性に見えますし」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 

 圭の言葉にうーんと唸る月見。腕を組む姿も女の子らしくしているのか、普段と違ってお嬢様のような気品さも感じる。どうやら月見には演技力もあるらしい。

 

「頼んだのはたまたま俺だったのかもしれないけどさ。やるなら全力で取り組みたいじゃん」

 

 真っ直ぐに圭を見つめる月見。それは女装していても変わらない、圭もよく知る目だった。

 負けず嫌いというか、自分の役割は全力で果たそうとするその姿勢。憧れる。あと、できることなら他人を振り回す時まで全力を出さないでほしい。圭の心からの願いだった。

 

「そんなことよりさ。せっかくだし、圭もメイクしよ」

「え、私は別に」

「大丈夫大丈夫。このメイクも俺がやってるし。マイコさんみたいにはならないからさ」

「それ本当に大丈夫ですか?」

 

 いいからいいからと、近くにあった椅子に渋々座らされた圭。

 目の前にいる月見は、どこから持ってきたのか飾り気のないポーチから、いくつかのメイク道具を取り出した。

 

 本当にどこから持ってきたのか。もしかして月見は常時メイク道具を持っているのか、この人といると疑問は尽きない。

 そんな圭の考えを他所に、女装した部長は慣れた手つきでメイクを始めた。

 

(なんか、まじまじと顔見られるの照れる。それに部長の手が私の頬に触れてるし……)

 

 たまに自分の頬に触れる月見の手に、圭の顔は心なしか熱くなった気がする。心臓はゆっくりと鼓動を速めていった。

 

 

 

「ほいできた」

「うわ、すごっ」

 

 待つこと数分。鏡の前に立たされた圭は自分の顔を見て思わず感嘆の声を上げる。

 端的に言ってメイクの出来は圭の心に響くものだった。

 

「どう?」

「本当にメイクできたんですね」

 

 鏡に映る自分を見つめながらつぶやく。圭が好むナチュラルメイクということもあって、ポイントが高い。

 圭の感想が概ね良かったからか、月見はドヤ顔しながらふぁさっと長い髪をかきあげた。

 

「ふふん。なんて言ったってウチのビッ、……中学ん時の英語の先生に、男ウケするメイク術を教えてもらってたからバッチリよ」

「ビッ?」

 

 なぜ男子生徒に男ウケするメイク術を教えたのか。部長の中学時代がすごい気になる。

 

「部長って本当になんでもできますね」

「別になんでもはできないよ。俺は何でもできる天才じゃないし、みんなみたいに一芸に特化することもできなかったから」

 

 それはいつもと違う雰囲気の月見。

 圭は鏡から振り返ったがそれは一瞬の出来事だったようで、彼はいつの間にかスマホを片手に自撮りをし始めていた。

 あざとい仕草をいくつかする度に、シャッター音が部室に響き渡る。

 

「……女子より女子力高い」

 

 そんな普段と見違えた容姿でいつも通りの部長を見て、げんなりする。

 

「ほらほら、圭も一緒に写真撮って御行に自慢しようよ」

「ちょ、近いですっ! というか兄さんには見せないでくださいよ!」

 

 肩が触れるぐらいに寄ってきた月見にドギマギしてしまう。女装しているからか普段よりも距離感が近い。ふわりと甘い匂いが漂ってきた。近い近い。

 

「あっ」

 

 そんなことを考えていると月見から間の抜けた声がでる。

 普段着慣れない女子制服のスカートが机に引っかかってしまったのだ。引っ張られて仰向けに倒れていく月見。

 それを見た圭は頭で判断するよりも速く月見に手を伸ばした。

 

「危ないっ!」

 

 ガタバタと倒れ込む2人。

 先に声を上げたのは圭だった。

 

「大丈夫ですか、部長」

「あぁ、頭は打ってないよ。巻き込んでごめんな」

 

 部長の言葉の通り、ケガはしてないみたいだ。

 

 よかったぁ。

 安心してため息をつく圭。すると、すぐ近くから「くすぐったい」と声が聞こえる。

 落ち着いて前を見れば間近に月見の顔があった。

 

「……ッ⁉︎」

 

 圭は音にすらならない声を出して、状況把握に全神経を回す。

 どうやら圭が月見を押し倒しているみたいだ。腕に力を入れて体を支えていなかったら、今頃圭のファーストキスは部長に捧げていたことだろう。

 

「んぅ……」

 

 月見の吐息が色っぽい。圭の頬に息がかかるのに不思議と嫌悪感はなかった。

 それよりも身動ぎする度にお腹や足同士が擦れ合って、熱を帯びて圭の理性をガリガリと削り取っていく。学ランではないから肌の感触が鮮明に感じられてしまう。

 速く部長から離れないと。頭ではわかっているのに、圭はなぜか月見の顔をまじまじと見つめていた。

 

(わぁ、部長ってまつ毛長い。これ化粧してなくてもすごいかわいいやつだ)

 

 冷静を装っているが、圭の内心はパニック寸前だった。

 バクバクと高鳴る心臓。それはメイクをしてもらって頬を触られた時よりも大きく激しかった。

 

 このまま重力に抗うのをやめたら部長の唇に触れてしまうのだろうか。

 

「…………」

 

 魔が差した。

 少しだけ、ほんの少しだけ圭はその先が気になってしまった。

 ゆっくりと目をつぶる圭。支えていた腕の力を緩めていき、そのまま月見にしなだれかかろうと、

 

「ねぇ! 2人とも聞いてよー!」

 

 したところでバンッとドアが開け放たれた。ギリギリのところで踏みとどまる圭は、目を見開いて入口に顔を向ける。そこにはジャージ姿の眞妃が立っていた。

 

「翼くんと渚がまた私の前でイチャイチャして——」

 

 眞妃は続く言葉を止めて、もつれ合う2人の男女の姿を見下ろす。

 

「あ」

「よう、眞妃」

 

 圭は自分の顔がサーっと青ざめるのを感じた。目の前の先輩から殺意を向けられているからだ。部長は押し倒されている状況なのに呑気に挨拶をしている始末。

 とにかく今は誤解を解かなければ。

 

「……眞妃先輩。これはあの、不慮の事故というか。決して、あの、やましい理由とかではなくて」

 

 ハイライトの落ちた眞妃の瞳が自分たちを射抜いている。何も悪いことはしてないはずなのに圭の背中を冷や汗が伝う。

 先程までのドキドキも今や違うドキドキに変わってしまった。

言い訳の言葉も途切れ途切れになってしまい、どこかたどたどしいものになる。最終的には何も言えなくなり、口を閉じた。

 

「…………」

「…………」

 

 数秒の沈黙。

 眞妃の死んだ瞳から、ぶわっと涙が溢れた。

 

「うわぁあああん! 月見も圭も大っ嫌いよー‼︎ この淫乱カップル〜!」

「眞妃先輩、ちょっと待ってくださいよッ⁉︎」

 

 今回の件で(ヌルヌル)相談教室部はまたひとつ知名度を上げたのだった。

 

 

 



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