藤丸立夏は夢を見る (東間 夏)
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藤丸立夏は夢を見る

 いつからだろうか、雨に濡れても何も感じなくなったのは。必死に俺を呼ぶ声も、すがりつくその手も温もりも、何故か現実味がなくただただ素通りしていくばかりだ。

 

まるで世界と自分の間に膜が出来たかのような感覚に、

 

ああ

 

俺はもう

 

とっくに壊れていたのだと自覚した。

 

 

 

 

 

ーピピピピピピピピ

 

ハッと目を開いた。ガバリと起き上がり、鳴り響く目覚まし時計を止める。胸に手を当て何度か深呼吸するも呼吸は荒いままで拍動も落ち着かない。

 

 

 

夢を見た。

 

目の前で数えきれない人が倒れてゆく夢を。

数刻前に笑いあった彼らをなす術もなく死なせてしまった夢を。

隣で支えてくれたあの子も、いつだって温かく包み込んでくれたあの人も、俺を護るために命を散らす、そんな夢を。

 

獣も人も関係なく積み重なる屍の山の頂上には人影が見えた。虚空を見つめる後ろ姿がふと此方を見る。その姿は—

 

「あれは……俺?」

 

振り返った人影と目が合った。見間違えるはずもない、自分と同じ顔をもつ男。

 

視線を交わし、何かを思考する間も無く、否、思考が止まった瞬間、場面が切り替わる。

 

それは何処かの城下町。

それは何処かの森の中。

それは何処かの砂漠。

それは何処かの銀世界。

 

燃え盛る街、砲弾飛び交う海、ナニかに呑み込まれる都市、そして…"時間"のない空間

 

どれも知らない国の知らない場所のはずなのにどこか懐かしみを覚えた。声をかけられ返答し、見覚えのあるような人達と共に旅をした。そしてその全てを赤く染めた。

そして、裏切られた憎悪を受け、優しい世界と完全な統治を否定し、悪のない世界を壊し、永遠の小さな繁栄を拒んだ。

 

一歩進むごとに感覚が麻痺した。温度が消え、感触が消え、味が消え、色が消え、音が消えた。

雨に濡れても何も感じず、必死に俺を呼びすがりつくあの子を見ても心は動かなかった。何と話しているかも分からず、その子を見ても歩行の妨げだとしか思えず、ようやく自分が壊れているのだと自覚した。

 

ただ、余りにも必死なその様子を見るうちになんだか申し訳なくなったので分からないなりに笑顔を浮かべて見せた。するとあの子は俺の顔を見て少し固まり、大量の涙を流し始めてしまい、俺はもうどうすることも出来なくなってしまった。

 

 

 

ぼんやりとした頭で先程まで見ていた夢の内容を思い出す。

今にして思えばあれは誰か記憶だったのだろうか。ただの光景にしては生々しく、感情や感触もまだこの手に残っている気さえする。

もしあれが誰かの記憶だったら…

脳裏に屍の上に立つ男が浮かんだが、彼の顔はもう思い出せない。それどころか夢の記憶自体がほとんど薄れてきている。

 

「夢のことで悩んでも仕方ないよな…。でもあれは…」

 

何か大切なことが含まれた夢だった気がする。所詮は夢、と一刀両断出来ないくらいには。

 

「せっかくの休日だし気分転換に散歩でもするかな」

 

はあ、とため息をついて気持ちを入れ換え、着替えと朝食を済まして外に出た。

 

 

 

当てもなく目的もなく、ブラブラと街を歩く。真夏の太陽がジリジリと照りつけるので皆冷房の効いた屋内に避難したのか、人通りは然程多くない。

ふと、ピンク色の髪をした少女が思い出された。もう大半を忘れてしまった例の夢だが、どうやらあの子の必死な様子が脳裏に焼き付いたらしい。といってもぼんやりとした輪郭をうっすら覚えている程度なのでこれもそのうち忘れるのだろうが。

 

「忘れたくなかったなあ」

 

零れ落ちた想いは誰にも聞かれることなく雑踏にかき消えた。

 

 

 

暫く歩き続けた先にそれはあった。

普段ならなんの変哲もないただの街の背景だが、今だけは違った。どうしてもそこに行かなければならない気がして、そうしなければ全てが終わる気がして、俺は吸い寄せられるようにそれに——献血バスに向かった。

 

 

夢での記憶が先なのか、今が先なのか、分からない。分からないが、きっとここが分岐点だ。彼の、いや俺の全てはここから始まるのだと確信に近い何かがあった。

夢の中身は一欠片も記憶に残ってはいない。だが、悲惨で苦しいものだったことは覚えている。だけど、だけどそれでも。

取り零した大切なものにもう一度会いに行くために。

 

 

 

 

その日、俺は人類最後のマスターになった。

 



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