穿闘のエクレール (祐。)
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闘争を穿つ稲妻
始まりを告げる災厄


 ここは、いつの日からか現れるようになった、モンスターと呼ばれる強力な生命体が個体を増やし始めてきた現代。モンスターは、生まれつき身につけた規格外の身体能力と、超能力じみた事象を操る力を兼ね揃えた究極の生命体として君臨しており、非常に獰猛で、かつ残忍な力を孕んだ、世界を滅ぼす脅威とも言える忌むべき存在として、アタシら既存の生命体を糧に日々猛威を振るっていた――――

 

 

 

 

 

「パパーーーーッッ!!!! イヤぁ……イヤぁあ!!!! 死んじゃ嫌ァ!! ……パパぁ、パパぁあ…………!!!!」

 

 炭となって崩れていく建物。それを包み込むよう燃え盛る激しい炎は、辺り一帯を焼き尽くす火の海の一部となって広がっていた。

 

 住み慣れた故郷が焼け落ちていく光景。バチバチと音を立てる火の海の中、炎上する建物から命を賭して助け出してくれた最愛の家族の行方に、アタシは喉が張り裂けんばかりの絶叫をあげていく。――出口である玄関に瓦礫が落ちてきたことで、アタシの父親が火の海の向こう側に取り残されてしまったからだ。

 

 しかし、これと同時にして、アタシの悲鳴を耳にしたのだろう。すぐにも、地鳴りのような震動を立てながらこちらに急接近してきた、一体のモンスターが姿を現した。それは筋肉質のような肥大した全身を持つ、カマキリのような上半身と、ほ乳類のような下半身を持つ異質で巨大な生命体であり、振り返ってすぐ見上げるほどの大きさであるそれは、悠に四メートルを超える体長を誇っていたかもしれない。

 

 命を刈り取る鎌が、あらゆる生命を絶つハサミとなってバチバチと打ち鳴らされていた。そこに付着した赤い染みは燃え移った炎とは思えず、虫のような頭部の口元に付いた赤いそれと一致していたことから、想定し得る限りの最悪の状況をアタシは確信する――

 

「い、イヤぁぁぁあああああぁぁ!!!! ヤだっ来ないでッ!! 来ないでッッ!!!!」

 

 背後から響き渡った、崩落の音。前方から迫る脅威に恐怖して、生涯の全てを掛けた絶叫を上げていく中、次の瞬間にもアタシは背後からの土砂崩れに巻き込まれ、炎上する建物の瓦礫に呑み込まれていった。

 

 突発的な出来事に、思わず目を瞑ってしまった。この意識だって、既に迎えた死後の数秒かもしれない。前方の脅威と後方の事故の板挟みとなった自分には、もはや生き残る術も、希望も、運命も無かった。

 

 だからこそ、死を悟った瞬間にも感じられた、身体が浮き上がったかのような身軽さに、アタシは追いつかない感覚と理解で、瞑った目を開けられずにいたのだ。

 

 ……トスッ。着地するかのような軽い震動と共に巡ってきた、一歩遅れて追い付いてきた全身の意識。しかし自分が宙に浮いていることは確実である浮遊感と、一方で、何かに抱えられているかのような感触をとても不思議に思って、アタシはゆっくりと瞼を開けていく――

 

 ――崩れた建物の、変わり果てた瓦礫の山。それと、こちらへと迫っていたモンスターが、距離を置かれた状態でこちらへと身構えていく警戒の様子。

 

 ……何が起こったというの? その瞬間があまりにも飛躍的すぎて、脳みそに未だ駆け回る困惑に、放心半分といった状態だった。そんな中でも、自身を包み込む感触へと無意識に視線を投げ掛けていくと、そこに映し出された一つの滑らかな手にアタシは驚かされた。

 

 綺麗な手だった。炎上するこの一帯にはとても見合わない、健康的な色白の素肌で成り立つ麗しい手。――次にも麗しい手の持ち主である懐の温もりを感じていくと、アタシは流れる動作で視線を上へと投げ掛けて、抱えるこちらを見遣る“彼女”と目が合った――

 

「貴女だけでも無事で何よりだわ。……大丈夫、あとは私に任せて」

 

 凛々しい声音を奏でる、色白の綺麗な女性だった。

 

 腰辺りまで伸ばした、灰色寄りの白色の長髪。それを分厚く束ねることで、厚みのあるポニーテールにしていた視界の中の彼女。彼女の右目の下にあるほくろがより一層もの大人っぽさを演出すると、女性は抱えたアタシをゆっくりと下ろして、モンスターへと向かい合っていったのだ。

 

 百六十二のアタシの身長を、遥かに上回る背丈。おそらく身長百七十九ほどはあるだろう彼女は、ライダースジャケットのような黒色のパーカーと、赤色のチュニック、黒色のライダースパンツに、膝丈まである黒色のブーツというクールな風貌をして、アタシを守るかのように遮るよう腕を伸ばしていく……。

 

「何をしているの。早く下がりなさい。でないと――」

 

 透き通るような、黒色の瞳。それを一瞬とアタシへと向けた瞬間にも、突如と降りかかってきた巨大な陰りに、アタシは全身を覆い尽くされた恐怖で思わずと叫び上げてしまった。

 

 断末魔のような叫び声だった。頭を抱え、アタシは戦慄したまま両足を震わせてその場にへたり込む。しかし一方で、体勢を崩すように少しずつよろけていく動作中にも、アタシは何故か無事で済んでいる自分の身をとても不思議に思った。

 

 陰りの正体へと向いていく。そして、視界に映った情報量を目の当たりにしてからというもの、アタシは放心に近い真っ白な思考で、ただただそれを眺めることしかできなかったものだ――

 

 ――アタシへと伸ばされた鎌が、寸前で止まっていた。それは力むようにギチギチと微動していたものだったが、そのモンスターの腕を押さえているのだろう横からの力が、モンスターの規格外な怪力を遥かに上回っていたのだろう。

 

 女性が伸ばした手。色白で滑らかな手が、モンスターの鎌を一掴みにしていた。四メートルを超える体格の、巨大かつ強力なそれを、片手で容易に受け止めてしまうその握力。モンスターとしてもこの事態は想定外だったらしく、今も動かせない鎌を、ハサミのようにバチンバチンと打ち鳴らすことで必死に抵抗を行っていた。

 

 と、次の瞬間にも、モンスターの腕は根本から引きちぎられた。盛大に噴き出した濃い紫色の液体と、瞬間的に加えられた、身体を千切られるほどの桁外れのパワー……!

 

 重さを感じさせない、鞭を扱うかのような動作だった。片手で持つモンスターの腕を女性は軽々と振り回し始めると、その巨大な腕の、引きちぎった根本でモンスターに激しい殴打を浴びせ始めていく。

 

 一歩、また一歩と退くモンスター。だが、それを追うように一歩ずつ接近を果たしていく女性は、十数秒に及ぶ、数十発もの暴力を浴びせた後に、気合いを入れた掛け声と同時に最後の一撃を叩き込んでいく。

 

 モンスターの身体から響き渡った、肉と骨が内部分裂する生々しい音。加えられた衝撃にあの規格外の脅威を孕んだモンスターが逃げ腰で引き下がり出すと、瞬間、女性は姿を消してこの場から消失してしまう。

 

 ――いや、違う。飛び出していっただけだ。その踏み込みは、常人の目では追い付けないほどの速度で繰り出されていたのだ。瞬きよりも速い飛び込みによってモンスターの懐に潜り込んだ女性は、脇を引き締めた小さな右拳の突きでその巨体を後方へと吹き飛ばしてしまうと、積もった炎上の瓦礫へと盛大に突っ込ませて、モンスターを焼き始めていく。

 

 間髪入れずに駆け出した女性。着地と同時に走らせた身体は、人間という限られた枠の常軌を逸した速度を身に纏っており、火だるまとなったモンスターもまた、残った片腕で瓦礫を挟んで投げつける反撃を行うものの、女性はむしろ、それを踏み台にすることで高く飛び上がっていく。

 

 空中で回転する、華麗なフォームからなる鮮やかな動作。どんな窮地に立たされていようとも、見る者を魅了してしまう力強い美しさ。一種の芸術とも見て取れる鮮やかさを披露しながら空中で体勢を立て直すと、女性は引き絞った右腕でモンスターへと勢いよく突っ込んでいったのだ。

 

 直撃と同時に大地を揺るがした一撃。まるで噴火が起こったかのような火柱が巻き上がると、隕石が落下してきたかのような地面の震動で、遠くにいたアタシさえもそれによって全身を揺さぶられてしまう。一連の様子はまさに、人の形を成した誘導ミサイル。緩やかに落ちた拳から繰り出された、人智を超えるそれ。アタシは目撃する一つ一つのシーンに非現実味を想い知らされていくのだが、この衝撃とは裏腹にして、当のモンスターは生やした羽で直前の脱出を果たしており、逃げるように上空を飛び始めていた。

 

 既に、人間には達することのできない高度に存在していた。悔しくも、あの女性は一歩及ばなかったのだ。いや、実力では、全世界のあらゆる生物を滅ぼしかねない、モンスターという規格外の脅威を孕む究極生命体に、あの女性は勝っていたと断言はできる。

 

 だからアタシは、あの女性の人智を超えた身体能力に、一種の尊敬さえも抱いていた。……もしも、アタシにもあの人のような力があったのならば、きっと、家族を救えたのかもしれない、と――

 

 ――バァンッ!!!! 耳を貫く爆発音と同時にして、瓦礫が弾けて周囲に飛散する。瞬間にも、駆ける女性は上空のモンスター目掛けて、その足を走らせて追い掛け始めたのだ。

 

「……うそ。空を、走ってる……!?」

 

 目を疑った。バタつかせた足はしっかりと大気を踏みしめており、振り抜く両腕と、足場無き道を高速で突き進む女性の姿。駆ける足は瞬く間に上空のモンスターへと追い付いてしまうと、伸ばした腕は右ストレートとなって、モンスターの顔面を粉砕。

 

 大気が破裂する轟音。巨体さえも容易く殴り抜けてしまうと、女性はその勢いを維持したムーブで首根っこに引っ付き、全身を捻じるようにしてモンスターの首を九十度折り曲げてしまう。

 

 抵抗もままならなかったのだろう。巨大な鎌の腕もかえって仇となり、モンスターは手の届かない距離に詰められた女性に成す術もなく首を折られると、めり込む膝が貫通し、首が張り裂け頭部が分裂。噴き出した濃い紫色の噴水が炎上する一帯に降り注ぎ、女性は胴体に両手を突っ込んで肉ごと引き裂いて真っ二つにしてしまう。

 

 一つの存在が、三つになって上空に散りばめられた光景。紫が散り散りとなり、バラバラとなった三つのモンスターが落下を始めていく視界からの離脱。――胴体を足場にして跳躍したその身体は、一瞬にして姿を消すなり、アタシの近くに降り立ってみせた。

 

 ……手の甲で、頬に付着した紫を拭っていく女性。まるで何事も無かったかのような、至って平然とした佇まい。すぐにも歩き出してこちらへと足を運び始めたその姿は、麗しくもクールであり、しかし恵まれた天賦の美貌とは似つかわしくない力強さを秘めた、特異的な神秘さを兼ね揃えた完璧な超人だった――

 

「――ごめんなさい。貴女の大切な人を、私は守れなかった。……私がもっと強く在れたのであれば、きっと貴女の心も救えてみせたハズなのに。本当にごめんなさい」

 

 ……でも、その表情はすごく悲しそうだった。

 

 へたり込むアタシへと近付き、膝を着いて屈んでからこちらを抱きしめてくる女性。それは、先ほどまでの人外的なパワーを想起させない、軟な人間一人を優しく包む、とても温かな抱擁だった。

 

 ……アタシは、続きとなる涙を流していた。――彼女の抱擁は、突然の襲撃によって、一瞬の内に全てを失ったアタシを包み込んでくれたものだから……。

 

「……お姉さんのせいじゃない……! お姉さんのせいじゃない、けど……っ……」

 

 収まらない炎が、音を立てて故郷を侵食する空間。宙を舞うモンスターの身体が遅れてドカドカと落ちてくる中、バチバチと跳ねる火花の音は、収まる事なく辺り一帯に鳴り続けていた――――



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葉山柚乃という名の女探偵

「あーもー! 遅いッ!! 遅い遅いおーそーいーッッ!! 集合時間からもうすぐ三時間!! 律儀に約束を守ったアタシは後、どれだけ待たされないといけないのッ!?」

 

 陽が昇ったばかりの、清々しい空気感が漂う朝方の駅前。不満たらたらな感情をジタバタと動かす足に乗せ、アタシは一人、駅前のベンチでイライラを募らせながら愚痴を零していた。

 

 大都市であるが故に、朝から行き交う大勢の人波を眺めること約三時間。寝坊もすることなく準備もバッチリと済ませ、集合場所にも遅れることなく間に合わせてホッと一安心……。

 

 ……なんていう穏やかな心持ちは、とうの一時間前に捨て去ってやったわ!!

 

「大体、急に何なの!? 後からSNSで、『素敵な方とお会いしたから、一晩泊まっていくことにした』って!! 仕事前に話していた、『仕事終わりに、少しだけバーに立ち寄ってから真っ直ぐ帰るわ』の言葉は嘘だったってワケ!?!? いや、別に一晩でも二晩でも泊まることはいいの!! 問題なのは、仕事の集合時間に堂々と遅刻する“あの人”のずぼらさなんだってばーーーーっ!!!!」

 

 ムキーッ!! 真面目な人ほど損を見る!! この世の全てがイヤになったヤケクソ状態でアタシは足をバタバタさせていく。そんなこちらの様子に周囲の人が、何か可哀相なものを見るかのような視線を投げ掛けてくるものだったが、今のアタシにとっては、そんなことどうだってよかった。

 

 ただ、スカートという服装で足をバタつかせるのは、少々とお下品だったかもしれない。腹辺りにまで伸ばした茶色の長髪と、白色のジャンパーを揺らしていくこの姿。その上着から覗く黄色のシャツと、ふわふわと浮いて落ちてを繰り返す青色のスカート。膝丈までの白色のブーツは見た目によらず走りやすく、被る白色のキャスケットが少しずつと落ちてきたことで、ベージュの鞄を肩に掛けるアタシの視界を覆い始めていく。

 

 ツバを上げて、アタシは悶々と立ち込める苛立ちを抑えつつ目の前を見遣った。……やっと来た。視界の奥からちょっとずつ姿が大きくなり始めてきた、悠々としたオーラを放つ一人の女性。

 

 腰辺りまで伸ばした、灰色寄りの白色の長髪。それを分厚く束ねた厚みのあるポニーテールにして揺らしていく、とても見慣れたその姿。右目の下にあるほくろが艶めかしさを助長し、百六十二のアタシの身長を遥かに上回る、百七十九ほどの背丈で、黒色のライダースジャケットと、赤色のYシャツ、黒色のライダースパンツに、膝丈まである黒色のブーツという身なりで、女性はこちらを捉えてきた。

 

 その外見から一目で分かる通り、容姿端麗、才色兼備を兼ね備えた美女だった。同じ女から見ても、ため息が出てしまうほどの圧倒的な差を思い知らされる非情な現実。だが、彼女のポテンシャルは決して外見に非ず。その麗しい天賦の美貌に隠された彼女の本質はまさに、驚異的な身体能力を持つ最強の人類の一角。とでも言えただろう——

 

「遅れてしまって、ごめんなさい。起きた時には既に集合時間を過ぎていて、私なりに急いだのだけど」

 

「…………へー。あ、そー。私なりに急いで。ねぇ……」

 

 不機嫌丸出しに喋るアタシ。目も口も尖がらせて彼女を訝しく見つめていく。……彼女と腕を組む、見慣れない女性を視界に入れながら……。

 

 アタシを散々と待たせた麗しの彼女は、共に引き連れた腕組みの女性へとそれを喋り始めていく。

 

「この子が、私の言っていた助手の女の子よ。可愛らしい、愛嬌のある顔立ちでしょう? 名前は、“蓼丸(たでまる)菜子(なこ)”。十六歳の現役女子高生」

 

「へぇ! 菜子ちゃん! 可愛い名前! よろしくね!」

 

 満面の笑みで、彼女と腕を組む女性が手を振ってくる。そんな愛想を見せられてしまっては嫌な顔を露骨にすることもできず、アタシは「ど、どうも……」と複雑な表情で答えていくことしかできなかった。

 

「じゃ、可愛い助手ちゃんとのデートを邪魔しちゃいけないし、わたしはこれで失礼するわね」

 

「急なお誘いにも関わらず、ここまで付き合ってくれてありがとう。――こんなお礼しかできないけれど、良かったら、受け取って……」

 

 腕を組む女性を抱き寄せる白髪の超人。包み込まれるような優しい温もりでありながら、その力はほんの少しだけ強引であり、女性は頬を赤らめながらも、白髪の超人に全てを委ねて唇を重ね合わせていった……。

 

 ちゅ、ちゅ……。すごくディープなそれは、とても朝方の駅前で行うものではなかった。思わずと周囲の人々が目を背けてしまうほどの大胆なものだったし、何ならこの場における一番の被害者は、それを目の前で見せつけられるアタシだったことも確かなハズ。

 

 ……いや、気まずい……。別に、同性だから無理という嫌悪自体は、アタシには無いものだけど、それとこれとは話が別というか……。

 

 長らくと行われた行為が終わり、唇が離れていく二人。百七十九の背に抱き寄せられた女性は、夢心地といった瞳を向けながらそれを口にしていく。

 

「……昨日は、本当にすごかった。もう、忘れられないかも……。ねぇ、また会ってくれる……?」

 

「えぇ、機会があれば、また会いましょう。次に迎える私達の夜は、昨晩の一時さえも忘れ去ってしまうほどの体験で再会を祝福しましょう」

 

「あぁ……“葉山さん”」

 

 葉山と呼ばれる白髪の女性に、うっとりとする彼女。とても名残惜しい顔をしていたものの、葉山さんの手を振る仕草と共に彼女は駅へと歩き出して、アタシ達から去っていった。

 

 ……で、だ。

 

「……それで?? 愛嬌のある、可愛らしい顔立ちの助手を三時間も待たせておいて、自分はバーで出会った女の子と心行くまで夜通しデートをしていたってワケ??」

 

「今回の失態は、貴女の希望を叶える形で埋め合わせをさせてもらえないかしら。お金で解決できることであれば、何でも」

 

「あのさぁ、“ユノさん”。これはさ、お金で解決するようなことじゃなくって――」

 

「もちろん、身体で解決できるのであれば、私はそれに従わせてもらうわ。その際には、貴女の穴をこの手で埋め合わせて――」

 

「くだらないこと言ってないで、さっさと仕事行くよッッ!! 早くターゲットを見つけないと、どっか行っちゃうでしょうが!!!!」

 

 もはや、呆れの境地を越えた何かだった。彼女の手を取ると、強引に引っ張って駅へと歩き出すアタシ。それに引っ張られてよろけながらついてくる彼女は、とても穏やかな表情を浮かべていた。

 

 

 

 容姿端麗が故にずぼらな面が際立つ、究極の対極。眺めていると安心さえしてしまえるクールな装いとは裏腹に、見ているとハラハラしてしまう言動が目立ってしまう、とても残念な美人さんだった。そんな彼女は、“葉山(はやま)柚乃(ゆの)”の名義で私立の探偵稼業を営む、葉山探偵事務所所属の探偵だ。

 

 探偵と言うと、事件現場に顔を出しては推理して、犯人を当てていく。何て言う場面が脳裏によぎるかもしれない。けれど、ユノさんが行っている探偵の稼業というものはそんな大層なものではなく、浮気調査や身元調査といった、すごく現実的で地味な調査が九割五分といったところだった。

 

 電車に揺られ、浮気調査のターゲットとなる人物への張り込み。そして、ユノさんと並んで街中を歩くアタシは、そんな探偵稼業を営むユノさんの助手兼パートナーとして日々を過ごしていた。

 

 ……助手と言っても、これも実に大層なものではなく、純粋に人員がアタシしかいなかったからという理由で現場に駆り出されていたというもの。そもそもとして、葉山探偵事務所に所属するメンバーが、ユノさんとアタシしかいないというこの現状。つまり、この稼業は二人で支えているだけの、とても肩身の狭い事業だったものだ……。

 

「ちょっと、ユノさん! どこで棒立ちしてるの!」

 

「菜子ちゃん。あれ、流行りのスイーツ店だわ。あのお店のフルーツタルト、すごく美味しいと評判らしいのよ」

 

「ちょっとッ!? 今はターゲットを見つけることを優先してよ!!」

 

「今、歌声が聞こえてきたわ。路上ライブかしら。すごく綺麗な女性の声。少し気になるわ」

 

「仕事中に、女に飛び付かないでよッ!! そういうのは仕事終わった後にして!!」

 

「ん、あの姿……。あの服装と背丈、体格に髪型。――あの橋の向こうで、女性と歩いている男性。今回のターゲットで間違いなさそうね。行くわよ」

 

「ちょ、ちょっと!! こら!! 逃げるな!! ……え? ターゲット?? ちょ、っと。ちょっと待ってユノさん!!」

 

 終始、振り回されっぱなしだった。

 

 あっち行ったり、こっち行ったり、興味を惹かれたものには即座に飛び付いていく衝動のままの動向は、まるで大きな猫のお守りをしているのかのよう。かと思えば急に、真面目に仕事に取り組み始めていく落ち着きの無さに、アタシは神経をすり減らしながら彼女の後をついていった。

 

 我ながら、よくこんな自由人間の傍にいられるなと思った。そんなこんながありながらも、探偵のお仕事としてはむしろ、これからが本番。この日もアタシは、ユノさんと共にコソコソと街中を駆け回り、一日かけた長丁場の追跡にへばりついて疲労マックスだった。

 

 陽の八割が地平線へと埋もれる、黄昏も消えゆく夜の刻。住宅街のとあるマンションへと入っていったターゲットを、敷地内まで追跡していったユノさんがビデオカメラを片手に、外で待つアタシの下へと歩いてくる。

 

「証拠は十分ね。これで今日の調査は終わりよ。お疲れ様、菜子ちゃん。よく頑張りました」

 

「う、うへー……もうくたくただよ。足もパンパンだし、これ以上歩きたくないよー……」

 

「なら、私がおぶってあげる」

 

「遠慮しますー。どうせおぶるフリしてアタシのケツを触ってくるんでしょーが!! 助手へのお触り禁止!! 変態!! 犯罪!!」

 

「うふふ。それなら、事務所までもうひと踏ん張りしましょう」

 

 尖った言葉を飛び交わせたものの、アタシ達の空気はすごく和やかだった。ユノさんも笑みを見せながら歩き出し、アタシもそれについていく形で一歩、踏み出していく。――その時だった。

 

 ドガァンッ!!!! 栄える街中に迸る衝撃。遠目であったアタシ達からも、降りかかった黒いエネルギーの雷がしっかりと視認でき、同時にしてほのかに赤く染まり始めた都市の炎上地帯に、アタシは息が詰まるような思いとなった。

 

 ――忘れたくても、忘れられない。いや、忘れられるハズがないのだ。……あの時にも、平穏な日常に微々たる幸せを噛みしめる日々を焼き払った、過去最大級とも言われた大規模の災厄のことを……。

 

「菜子ちゃん」

 

 肩に回された腕。色白でありながらも温もりを帯びたそれを受けると、アタシは意識を染める恐怖の感情から解放されるようにハッとして、声の主へと向いていく。

 

「大丈夫。二度と、あのような災厄は起こさせないから」

 

「ユノ、さん……ッ」

 

 アタシが肩に提げるベージュの鞄を開けていくユノさん。そこから一着の、深紅に染まった分厚いコートと、ジャック・オ・ランタンを思わせる黒色と赤色のガスマスクを取り出すと、それを持ち出した瞬間にも、ユノさんは即座に跳躍するなり、訪れた宵闇に紛れるよう瞬く間に姿を消していった。

 

 ――自由奔放で女好きという、天賦の美貌からは想像もできないほどのとんだ変人ではあるけれど。しかし、こういった場面に関して言ってしまえば、アタシは彼女ほど、信頼できる人物は他にいなかった。

 

 彼女が駆け付けなくとも、彼女と同類とも言える超人の御仁方が、災厄の芽を摘んでくれるだろう。……しかし、アタシは彼女ほどの力を持つ人材など、まるで知らなかった。

 

 アタシにとって、“彼女”は紛れもないヒーローだった。それは、一年ほど前にも出くわした災厄の時から、ずっと、アタシの印象に刻まれてきた、揺ぎ無い唯一無二のレッテル。

 

 大地を駆ける姿は、地を這う暴風の如く。大気を渡る姿は、迸る稲妻の如く。その驚異的な身体能力のみで、ありとあらゆる脅威を圧倒的な力で消し炭にする、突如と下界に現れた、赤き閃光――

 

 ――“エクレール”。それが、世間から呼ばれる、彼女のヒーロー名だ。



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紅き閃光・エクレール

 月の光が覆い隠された、陰りの漂う下界の街中。大都市の一部に落下した稲妻上の黒きエネルギーは、まるで狙ったかのように一つのビルを貫いていた。

 

 そこを中心として、貫通したビルの内部から一斉となって現れた生命体の群れ。それは邪念を人型にしたかのような、固形となったエネルギーが作り出した禍々しいモンスターだった。

 

 付近にいた人類は、悲鳴を上げて現場からの逃走を始めていく。中にはこれを見物とした命知らずの人間が、ここぞとばかりに端末を向けながら喋り出したりと、凶悪無慈悲と謳われる最強の生命体、モンスターに対する現代の人間の認知が披露されていたものだ。

 

 そして、騒ぎを受けて即座に駆け付けてきた、屈強な身体を持つ数名の人間達。彼らは『超人協会』と呼ばれる組織に属する、国に認められた正式なヒーローであった。彼らのほとんどは常人を遥かに凌ぐ身体能力を有した超人であり、中には特定の事象を引き起こしたりといった、超能力と呼べる特殊な異能力を扱う者も存在する。

 

 彼らは、勇敢にもモンスターの群れへと立ち向かっていった。――深紅の衣を纏った“稲妻”が降り立ったのは、超人による星の防衛戦から五分ほど経過した時だった。

 

 

 

 宵闇に紛れて姿を消していた、“彼女”。それが建物の屋上に足を着け、地上の様子を眺めていく。

 立ち向かったヒーロー達が、敢え無く転がっていたその光景。一目で敗北の二文字を想起させるそれを確認すると、“彼女”はすぐにもその場から跳び上がり、目で追うことも敵わない速度で地上に降り立った。

 

 この一帯を占拠するよう歩いていた、固形のエネルギーが成した人型のモンスター達。合計で五体というだいぶ数を減らした様でありながらも、残った彼らは敗れ去った同類と比べても、雲泥の差を思い知らせる破格の能力を持ち合わせた精鋭揃いであった。

 

 彼らは、降り立った“それ”を見遣っていく。……白髪の長髪を分厚く束ねたポニーテール。丈の長い深紅のコートに身を包み、黒で統一されたシャツとパンツ、ブーツ、それらと対比となる白色のベルトを纏って、“彼女”は歩き出す。

 

 百七十九の背丈で、ジャック・オ・ランタンを思わせる黒色と赤色のガスマスクを装着した姿。両手には、黒色のガントレット。そして、人の形を成しておりながらも、どこか異形の存在であるかをうかがわせる、異質なオーラを放つその存在……。

 

 物陰に隠れていた、洗練された少数の人々が顔を出して噂した。――あれはもしかして、突如と姿を現しては、目の前のモンスターを瞬く間に粉砕して飛び去っていく、紅き閃光“エクレール”なのではないか、と。

 

 彼女が踏み出した、その一歩。瞬間、五体のモンスターは一斉とエネルギー状の機銃を構え出し、それを掃射して排除へと乗り出してきた。

 

 一呼吸も置かない、反射的な展開。弾速も一般的な銃弾と何ら変わりなく、むしろエネルギーが許す限り永遠と撃ち続けることが可能である、高性能な一斉射撃。浴びるように眼前から降りかかるそれは、暴雨を思わせた。

 

 だが、それを言ってしまえば“彼女”は稲妻だ。射撃が開始された瞬間にも、彼女は右脚で地面を踏み抜き、次に蹴り上げる動作で地盤ごと街の道路を引っぺがすことで、それを盾にしてしまう。

 

 自然が形成した盾が、エネルギー弾の掃射によって瞬く間に穴だらけとなった。だが、その間にも彼女は続けて蹴りを繰り出すことで盾は剛速の弾となり、一直線となって飛ばされた、厚みと横幅のある防壁は、その先で機銃を構えていた一体のモンスターを吹き飛ばしていったのだ。

 

 振り返るモンスター達。その隙にも蹴り出していった彼女は、大地を擦れ擦れと迸る稲妻の如く駆け出して次のモンスターへと急接近を試みていく。

 

 再び行われた一斉射撃。だが、連なる弾丸が、彼女の速度に追い付くことができない。

 いや、彼女はその速度を以てして、意図的に避け続けていた。モンスター達の狙いに狂いはなく、彼女は全身を捻じるように、ステップを刻むように軽く跳ねながら、横へ、横への不可思議な反復で華麗に避けていた。

 

 しかし、標的となったモンスターはなお冷静だった。エネルギーで形成された機銃を持ち替えるようにし、それを装飾まで施された立派な槍へと変形させていくと、一寸ものズレもなく、完璧な位置を見透かして眼前の彼女へと突き出される。

 

 精密な一突きだった。――だが、彼女はそれを上回っていた。もみあげを掠るように槍の一撃を避けていくと、その軌道をしっかりと把握した意識の中、動き出す彼女の右手は咄嗟に槍へと手を掛け、瞬間的に振り返る動作と同時にして、奪ったモンスターの槍を持ち主へと突き刺す高速のカウンターを決めていく。

 

 前のめりとなるモンスター。不意の衝撃を受けて体勢を低くしたその瞬間、後ろから蹴り上げる要領で繰り出された彼女のサマーソルトキックによって、頭部は上空へと跳ね飛ばされていった。

 

 消え去った部位から、紫色の液体が噴き出す前の動作だった。着地と共に横へ軽く一回転した彼女は、これで勢いを纏い、跳ねるバネのように次なる標的へと飛び掛かる。その様は山なりを描いておりながらも、高速回転するライフルの弾丸の如き体勢となっていた。

 

 モンスターは、機銃の引き金を引くこともかなわなかった。照準を定める前にも、自身が弾丸となった彼女の突撃を食らって胴体に穴を開けていく。――と、着弾と同時にして大の字となった彼女は、人型であることを理由にしてモンスターの体内にめり込み、肉を突き破って両腕と両足を通していく。そして、あろうことか、彼女はモンスターを着ぐるみにしながら残る二体へと走り出したのだ。

 

 困惑を見せる二体。だが、それが身内の皮を被っていようとも、中身は敵であることに代わりが無いのだ。二体が機銃で掃射を始めていくと、着ぐるみとなったモンスターは瞬く間にもハチの巣とされて、動けぬ身体となっていく。

 

 いや、動けなくなったのは、中身が既に離脱を済ませていたからだった。モンスターの背中を突き破って現れた彼女は、紫色の液と、言い知れないドス黒い肉を纏い、抜け殻となったモンスターを両足で蹴り出すことで、次の一体となるモンスターに直撃させていく。

 

 残る一体。――だが、地面に降り立った彼女は、ふと側面から流れ込んできた空気に異変を悟った。

 

 雷撃が降りかかった、ビルの中。それを巨体で押し退けて飛び出してきた、六メートルもの体長を持つ巨大なモンスター。エネルギー状のドス黒い体表と、人間の腹部と思われる部位が肥大した全身を持つ、れっきとした異形の怪物だった。

 

 彼女を捉えるや否や、その腹部のような身体の表面をショベルカーのフックのように動かし始め、その部位は、ショベルカーのバケットを模したギロチンとなって彼女へと降りかかる。……この機を狙っていたのだろう。回避の猶予も許さないその一撃をしっかりと視認する彼女は、回避を諦めると次にも手でガスマスクをずらしていったのだ。

 

 ――ッッキィン。鋼鉄同士がぶつかり合う、金属製の甲高い音。モンスターの一撃は、この音とは見合わぬ形で静止した。

 ……歯に挟まれた、モンスターのバケット。回避を行えないと判断した彼女は、口元を露出させ、白刃取りの要領でバケットの先端部分を咥えてしまっていた。

 

 そして、粉々となって砕け散ったバケット部分。加えられた顎の力が、咥えるモンスターの部位を噛み砕いてしまったのだ。身体の一部が粉々となったことで悶え始めた巨体のモンスターと、口の中に残った部位を吐き捨ててからガスマスクの位置を直していく彼女。

 

 その間にも、巨体のモンスターは腹部のような全身の奥から、核エネルギーを思わせる眩い光を放ち始める。……明らかに破滅をにおわせる、危険な行動だった。彼女はすぐにもそれを食い止めるべく高速の右ストレートを打ち込み、怯んだモンスターを突き上げるように繰り出した左のフックが、腹部の肉を抉るように食い込み、その巨体をかち上げるように吹っ飛ばしていく。

 

 この攻撃だけでも、類を見ない圧巻の威力を世間に見せ付けることとなった。……しかし、上空に打ち上がったモンスターは、吹っ飛ばされた先で再びとエネルギーの充填を開始していく。

 

 染め上がる、破滅の眩い光。大都市の上空に、危険信号の如くチカチカと照らされたその閃光。――放たれる。世界の禁忌とされた、全てを死へといざなうエネルギーの光線が。降り注ぐ。着弾した地点を中心にして、大都市という栄えた街に、生物を死へと至らしめる災厄の骨頂が。

 

 閃光が消えた、その瞬間だった。生物の視力を奪う、銀色の輝き。核を思わせるオレンジが柱となって放出される、この世の終わりを告げる集束のエネルギー光線。

 

 ――その先に佇むは、赤き閃光。稲妻と称された、総てを破壊へと導く圧巻の力を握り締めて、彼女は今、右腕を引き絞り、降りかかる破滅の象徴へと、その一撃を繰り出した――

 

 空間を殴りつけた、大気の圧。力は震動となって空気を伝い、それは光線に直撃するなり、瞬間にも上空で引き起こされた、大都市を揺るがす大爆発。

 

 大気と大地が揺れる、世界の終焉を予期させる衝突。この地域に存在するあらゆるものが震動を受けて音を立てていく中、光線は次第と膨らみ始める様子を見せていくのだ。

 

 繰り出された力は、光線を突き破って上空を目指していた。それと真正面からぶつかり合った彼女のパワーは、世界を破滅へと導くエネルギーさえも打ち負かしてしまったのだ。

 

 圧となった大気が、打ち上げられたモンスターに達した。光線を真正面から切り開いて進むほどのパワーが込められたその一撃は、モンスターの開かれた腹部に直撃するなりその巨体を更に上へ、上へと押し出していく。

 

 そして、再び破滅のオレンジを輝かせたモンスター。次の時にも上空で大爆発が引き起こされ、宵闇の雲を、眩い光で振り払ってしまう異様な光景を繰り広げていった。

 

 

 

 ……事の経過を見守っていた人類や動物は、この眩い夜空を眺めていた。生涯を通しても、こんな光景を目にすることなど皆無に等しいだろうから。

 

 だからこそ、残された一体のモンスターは、こちらを真っ直ぐと見つめてくる“彼女”に戦慄を覚えていた。……微動だにせず、ただ、じーっと、残る一体を見つめ続けるその佇まい。

 

 傍から見ても、至極不気味な光景だった。本人が何を考えているかなどは一切と悟らせない、まるで死神の如くそこに滞在し続ける、終焉をもたらす者としての存在感。

 

 ……逃げるなら、今しかない。そう考えたのだろう。人型のモンスターは、さり気無くと動かしたその足を、一歩、後方へとずらしていった、その瞬間――

 

 ――飛び出す紅。両手を構えながら走り出してきた眼前のそれは、逃げ出すべく背を向けたモンスターを捕らえて地面に滑り込む。

 

 その衝撃で、モンスターの頭部は吹き飛んでいた。だが、思えばこの即死も、本人にとってみれば救済とも言えたのかもしれない。

 

 残った胴体に、拳の連打を浴びせていく彼女。抵抗もままならない残骸に対する、躊躇の無い無慈悲な鉄槌の連撃。彼女は立ち上がるとそれを持ち上げ始め、この星の大地に埋め込むような凶悪な叩き付けを連続で行い始め、それが落ち着くと再び、拳による血肉が消し飛ぶ連撃を浴びせ続けていく。

 

 地面に叩き付け、掲げるように持ち上げたその残骸。次にもそれは彼女の両手によってプラスチックのように容易く引き裂かれ、振り撒かれたドス黒いものを全身で浴びながら、彼女は遥か彼方を眺めるようにその場で佇み始めたのだ――――

 

 

 

 

 

 事件は終息した。数多のモンスターの襲撃の中でも、トップクラスとなる危険を孕んでいたと推測される今回の一件は、その危険性もあやふやとなってしまうほどの猛威を振るった一人の超人の活躍によって、小規模の被害で済まされた。

 

 事の終わりと共に、次第と集まり出した野次馬達。それから続々とヒーローの肩書を持つ超人達が駆け付けてくる空間の中、赤き閃光は退散するように歩き出していく。

 

 という最中にも、彼女は一人の若い男性に声を掛けられた。

 

「あ、あのー……。エクレールさん。そのー……ご活躍はかねがねうかがっております。えっとですねー……」

 

 命知らずか。スマートフォンを持つ男性が、彼女の機嫌をうかがいながら掛けたその言葉。彼の様子からしても、自分から切り出しにくい話であることを、彼女は悟っていく。

 

 次の時にも、彼女は男性のスマートフォンを奪うように手に取った。唐突なそれに男性は驚いていくと、彼女は男性の肩に左腕を回しながら掛けていき、掲げた右手でスマートフォンのインカメラを向けていく。

 

 肩越しの左手は、ピースを象っていた。――カシャリッ。切られたシャッターと、男性へとスマートフォンを返していく女性。それを受け取った彼は「あ、ありがとう、ございます……!」と目を輝かせながらお礼を言うと、彼女は彼の背を軽く叩いてから、右手でグッジョブのジェスチャーを見せていき、飛び立つような跳躍ですぐにもこの場から姿を消していく。

 

 男性のそれを見た野次馬達が、我先にといった具合に押し寄せた人波。彼らを振り切るように上空へと跳躍した彼女は、瞬く間に宵闇の中へと溶け込んでしまった。

 

 ――建物の屋上を跳び移っていく、深紅のコートを纏った謎の超人。それが、大都市が誇る巨大なタワーの中間地点を足蹴りに、蹴り出すように跳躍して宵闇の中を移動する。

 

 高速の移動によってはためかせた深紅のコート。宵闇を象徴する黒色の衣類で身を包み、白髪の分厚いポニーテールをなびかせながら、ジャック・オ・ランタンを思わせる黒色と赤色のガスマスクで、自分が進む道を真っ直ぐと見据えたその姿。

 

 ……彼女の名は、エクレール。後にもこの世界に更なる震撼をもたらし、驚異的な身体能力によって英雄と呼ばれるに至る超人である――



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遥々と巡る邂逅
ヒーローという概念


 道行く車と人通り。会話やエンジン音が雑多となって彩られるこの大都市は、今日も束の間の平穏を噛み締めるように環境音を奏でていく。

 

 国が誇る大都市、『龍明』。発展途上をうかがわせる立ち並んだビルの光景が特徴的で、大規模な人口と面積によって日々発展を続けていく地域。とある理由によって人類や動物が龍明に集まることから、この一帯は年々と範囲を広げつつあるのだ。

 

 アタシもまた、この龍明で暮らす人類の一人。――蓼丸(たでまる)菜子(なこ)。正真正銘、生まれもって名付けられたアタシの名前だ。アタシ自身、十六歳という色んな意味で発展途上であり、龍明とのそんな共通点があることはまぁさておいて、今は女子高生という身分の下、束の間の平穏を噛み締めるように日々を過ごしている。

 

 そして、明日は休日だ。覆しようのない決定事項に心を躍らせるアタシは、ご機嫌な鼻歌をふんふんと鳴らしながら、堂々とした歩きスマホで帰路を辿っていた。

 

 たぷたぷと操作する端末画面。ふと見つけたネットの記事に目を通していくと、そこに記された大きな文字と、載せられた一枚の写真が、アタシの目を引きつけた。

 

「『紅き閃光、止まらず』。十二メートルもの体長で襲い掛かる人型“黄泉百鬼”を、暴風の如き右拳で即刻粉砕。……段々と目立つようになってきたなー、ユノさん。こうなりゃいっそのこと、ヒーローにでもなっちゃえばいいのに」

 

 写真に見切れるほどの体格を持つモンスターを相手に、何かが真正面から飛び出していく様子がうかがえる写真。しかし、その何かの驚異的な身体能力はカメラに収めることもかなわないため、何かの姿は赤い残像となって中心部分に捉えられていた。

 

 ――アタシが“彼女”に助けられた日を境にして、突如とこの世界に姿を見せるようになった、一人の超人。後にも過去最大級の災厄と謳われたあの大事件をきっかけに、その超人はこの一年に渡り、時折と姿を現すようになった。

 

 駆ける姿は、稲妻の如く。総てを粉砕するその拳は、果たして正義の鉄槌か、はたまた破壊の象徴か。――味方なのか悪なのかも未だ定まらない不明瞭な立ち位置の要因として、その超人は、国が認めるヒーロー組織『超人協会』に属していないことが挙げられていた。

 

 世界を守るヒーローでもない最強の超人が、気分で世界を支え続けている。この実態に、多くの人々は不安を抱えていたこともまた事実。……しかし、それとは一方的に、その超人が展開する、身体能力のみで繰り広げる圧巻の戦闘と、強さと美しさを兼ね揃えた立ち回り、そしてサービス精神を欠かさないユーモアさは、まさに理想のヒーロー像であるとして世間から名を挙げられるほどでもあった。

 

 “彼女”は、世間の目からは立派なヒーローとして認知されているし、当時救われたアタシから見ても、彼女は紛れもないヒーローだった。……ただ、その本人がヒーローになることを拒み続けており、そのクセして、脅威に晒された無力な人々を救うべく、各地を飛び回ってはその拳を振るい続けている。

 

 所謂、慈善活動だった。国に属することで発生する給料には目もくれず、ボランティアとして脅威に立ち向かっていく、フリーランスのヒーロー活動。見方によっては、これを勿体無いと思えたりするし、そのハッキリしない立ち位置に、モヤモヤしたりもするかもしれない。そんな彼女の立ち回りは非常に独特なものだったが、これもある意味、彼女の自由人的な考え方による、一つの答えとも言えただろう。

 

 ――尤も、そう言い切れるのも、アタシが彼女の素性を知っているからこそなのかもしれない。……彼女の初めてのヒーロー活動で救われて以来、身寄りの無くなったアタシを拾ったその女性は、立ち上げたばかりの事務所で暮らすことを提案してくれた。彼女の住処とも言えるそこに招かれたアタシは、それからも食費に留まらず、学費までも援助してもらい、アタシはその恩に報いるべく、彼女の助手として、駆け出しの探偵という兼業も行うようになったのだ。

 

 

 

 

 

 街道の景色に馴染むよう建ち並ぶビルの、その一つ。四階建てであるそれの外階段を上り、三階の外廊下に立てかけられた銘板近くの扉に手を掛けていく。

 

 銘板に刻まれた、葉山探偵事務所の文字。それを横目にアタシは扉を開けると、玄関に並べられた、見慣れない赤い靴で来客を悟った。

 

「ただいまー」

 

 1LDKの大きさで、事務所と自宅を兼ねた一室。アタシの声も、仕切りのない奥の部屋に行き渡り、ユノさんの「おかえりなさーい」の言葉が返ってくる。

 

 浴室やトイレとも繋がる短い廊下の先へと、アタシは足を進めていった。そうして開かれた視界に映るのは、狭い空間の中央に置かれた長テーブルと、八つほどのイス。その奥には事務机が配置されており、普段はそこで、ユノさんが業務を行っている。

 

 今回は、来客がいらっしゃっているということで、ユノさんは長テーブルの方に移っていた。そこで向かい合っていたのは、赤色のニットと青色のジーンズという服装の、四十代ほどの主婦の方だった。

 

「こんにちは、この事務所でユノさんの助手をしているものです。お茶のおかわりをお持ちしますね」

 

 学校の鞄をイスに置きながら、空となった湯呑みを受け取ってアタシはキッチンへと歩いていく。

 

 その途中にも、アタシは長テーブルの上を見遣った。――広げられたファイルや紙の束。他にも、封筒であったり、人が写った写真の数々だったり、情報源となる様々な資料がうかがえる。そして、それらを眺めながら、顎に手をつけて何かを考える様子のユノさん。

 

 ……久しぶりに、本格的なのが来てしまったか。アタシは遠出を予感しながらもポットでお湯を沸かしていくと、しばらくして口を噤んでいたユノさんが、ようやくと喋り出したのだ。

 

「分かりました。では、こちらのご依頼を引き受けましょう」

 

「あぁ、ありがとうございます……! もう、どこの探偵さんに依頼をお願いしても断られてしまっていて……! 本当にありがとうございます! いくらでもお礼いたしますので、どうか、息子をよろしくお願いいたします……!」

 

 深々と頭を下げる依頼者。この後にも依頼者は事務所を去り、ひと段落といった空気の中でアタシはイスに座って、カップのアイスをもぐもぐと食べていく。

 

 その間も、ユノさんは写真やファイルの資料を参考にして、事務机に備えていたパソコンで何かを調べ上げていた。……ほんと、こういう時だけは絵になる容貌をしているんだから。普段はマイペースでだらしなくて、その上セクハラ発言もおかまいなしな残念美人だというのに……。

 

「で、ユノさん。なんかすごく大変そうにしてるけど、今回はどんな依頼を引き受けたの?」

 

 こちらの問い掛けに、ユノさんは猫のような背伸びで両腕を上げていく。

 

 伸びる動作はどこか大人っぽくて、零れ出す声はどこかエロスを感じる。クールな印象と艶めかしいオーラが特徴的なこの女性がまさか、紅き閃光と呼ばれるホットな話題の超人であるだなんて、誰が想像するだろうか。

 

「身元調査。言ってしまえば、ターゲットの安否の確認ね。依頼内容は、超人協会でヒーローをしているという息子さんが、忽然と行方をくらましたから、その行方を私たちに探ってもらいたい、というもの。この件で興味深いと思ったものは、超人ともあろう息子さんが何故、一体どのようにしてその姿を消してしまったのか、というところなんだけれども……ただ、今回はちょっと厄介かもしれないわ」

 

「厄介?」

 

「ターゲットの居所は、だいぶ絞り込めたの。でも、その場所がちょっと厄介で」

 

「どこ?」

 

「稲富」

 

「稲富…………」

 

 アタシは、脳内で地図を描いた。

 

 今いるのが、龍明という大都市の中心部。まずこの国自体が、ブーメランのような、逆のくの字型のような形をしており、龍明はこの国の中でも割と中央寄りで、国の中間地点と呼んでもおかしくない。で、稲富という所は、島という形態でポツリと浮かぶ孤立した地域として有名だ。それも、稲富という島は、この国の西側。それも、大都市の龍明から、下へ、下へ、更に下へ…………。

 

「…………って、最南端の島じゃん!!!! とても暑いことで有名な!!!!」

 

 稲富って、観光地として名を馳せる島国じゃんか!!

 

 一度としてそんな場所に行ったことの無いアタシは、驚きのあまり飛び跳ねるように反応した。そんなアタシの反応とは相反して、ユノさんは後頭部に両手を回し、イスの背にもたれかかって天井を眺めながらそれを口にしていく。

 

「この週末は、稲富へ行くわよ。……菜子ちゃんという可愛い可愛い助手の現役女子高生と、稲富で二人っきりの合法デート……。手を繋ぎながら食べ歩きをして、夕日が浮かぶ黄昏の海を、菜子ちゃんと一緒に眺めるの。――あぁ、楽しみだわ」

 

「……まず、これは仕事であって、デートなんかじゃないし、依頼で来ているんだから食べ歩きしてる余裕なんかも無いし、あとさり気無く手を繋がせるな、合法デートとか言うな」

 

 まったく、この人は……。真面目に人探しをしようとしないユノさんに怒るアタシ。ただ、一方で、こんな短時間でターゲットの居所を絞り込んだ仕事の早さには、内心ちょっとだけ驚かされていた。

 

 人間的な面では色々と目立つ部分が多いけれど、ポテンシャル自体は割と高くて、何だかんだで頼れてしまう。だからこそアタシはこの人についていこうと思えるし、これからも、アタシはこの人の背を追い続けるんだろうなと、確信さえしてしまえる。

 

 ……葉山(はやま)柚乃(ゆの)。又の名を、エクレール。後者に関して言えば、これは世間が勝手に名付けた非公式の呼び名なだけであって、別に本人が決めたものではないけれど。それでも彼女は、れっきとしたアタシのヒーローであることに代わりはないのだ――

 

 ――と、ユノさんはおもむろに立ち上がるなり、玄関へと向かって歩き出していった。

 

「菜子ちゃん。そういうことだから、明日は早いわよ。今の内に旅行の準備を済ませておきなさい」

 

「あ、うん。……ユノさん、今からどっか行くの?」

 

「えぇ。ちょっとバーへ」

 

「遊びに行くなッッ!!!!」



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生命体、黄泉百鬼の成り立ち

 飛び立つ飛行機は雲を突き抜け、乗せる旅人と共に遥かな大空を滑空する。

 

 窓から見下ろす景色は、馴染みのある大地から離れ往く光景を生み出していく。遠のく陸地に恐怖感を募らせながらも、青空に最も近い位置から国を一望する特等席に、遊び心を好む人間は自然と高揚感を覚えるのだ。

 

「ユノさん! あっという間に龍明が見えなくなっちゃった……!! すごいね、飛行機って……!!」

 

 窓側の席に座るアタシは、透明のそれへ張り付くように景色を眺めていた。一方、隣の席で悠々と足を組むユノさんは、外の景色に目もくれずにアタシの様子を眺めていく。

 

「菜子ちゃんが望むなら、毎日でも乗せてあげるわ。……いいえ、やっぱダメ。それを許してしまうと、探偵の仕事がある私は毎日、空港で菜子ちゃんと一時のお別れを惜しまなければならなくなるから。――そうだ、良い方法があったわ。私が菜子ちゃんをお姫様抱っこしながら、空を走り抜ければいいのよ! それなら、私は探偵の業務をこなしながら、菜子ちゃんと一緒に空の旅を楽しめる。これで解決ね」

 

「…………いや、それ、冗談っぽく聞こえるけど、ユノさんが言うと割と洒落になってないから……」

 

 こんなジョークも、ユノさんの身体能力であれば本当に成し遂げてしまえるからこそ、アタシは複雑な顔で返答することしかできなかったものだ。

 

 飛行機に乗ったアタシ達は、目的地である最南端の島、稲富を目指していく。目的は、探偵の依頼によるもの。その内容は、超人協会という国が運営するヒーロー組織に所属するヒーローであり、依頼主の息子さんでもある男性が、忽然とその姿を消してしまったため、その行方を探ってほしいというものだった。

 

 ユノさん曰く、超人であればそう容易く死ぬ場面は多くはないものの、ヒーローともなれば、凶悪無慈悲な生命体“黄泉百鬼”と対峙する機会も増えるため、戦死という形でその姿を消すことも珍しくない。つまり、行方をくらました彼は、黄泉百鬼との戦闘の末にこの世を去った可能性が最も高いだろう。という見解だった。

 

 で、依頼主から貰った情報や過去の事例を照らし合わせていった結果、もし存命なのであれば、最南端の島、稲富に滞在している可能性がある、とのことだった。

 

「ねぇ、ユノさん。今回のターゲットはどうして稲富にいるって思ったの? 依頼主のお母さんは龍明に住んでる人なのに、龍明の超人協会に所属してるヒーローが、なんでこんな遠い観光地に?」

 

 問い掛けるアタシ。振り向いていくと、隣で食事を行っていたユノさんが、ステーキが乗せられたパスタ料理を優雅に食していた。

 紙ナプキンで口元を拭うユノさん。どんな動作でも麗しく映えてしまう様を見せ付けていきながら、その言葉を口にしていく。

 

「依頼主は、今回のターゲットのご家族だった。だから、その息子さんの基本的な動向や性格を知っている。私は、ターゲットとなる息子さんの、幼少期時代からの様子を彼女から根掘り葉掘りとうかがってみたわ。そしたら、どうやら彼、出世欲に目が眩むタイプの野心家な一面を持っていることが分かったの」

 

「へー……それで?」

 

「超人的な能力を持つ野心家が、ヒーローとなってその力を振るっている。――どんな力であれ、大抵の人間は力を持てば、それに自信を持って物事に臨むようになる。でも、その原動力が、ヒーローとしての功績、ヒーローとしての地位、富や名声といった大きな望みであるとしたら?」

 

「え? ……まぁ、それを手に入れられるようなことをする? 具体的に言うと……ヒーローとして、今以上に活躍する、とか?」

 

「手柄」

 

「?」

 

 アタシの肩に、色白の手を回してくるユノさん。若干と抱き寄せるような微力を加えてきたことで、アタシはそれが気になってしまいながらも、続く言葉に耳を傾けていく。

 

「出世するには、それ相応の手柄が必要になる。つまり、その手柄に相応しい獲物を、野心家である彼は求めるはず」

 

「でも、それと稲富って、どういう関係があるの?」

 

「その先は私の推測になってしまうから、この話の続きは、今夜にでもしましょう。推測を話したところで、それは飽くまで私の思い込みにすぎない。最も重要なのは、その推測の先に存在する、事実。私は、その事実を菜子ちゃんに告げていきたい。――稲富に到着したら、一日かけて聞き込みをするわよ。現地で情報を搔き集めて、そこから新たな推測を立てていくから」

 

「え、あ、うん……! 分かった!」

 

 ……こちらの返事と共に、アタシの頭を愛でるように撫でてくるユノさんの手。それにムムムッと思いながらも、過ぎ行く時間はあっという間に到着時刻となり、アタシはユノさんと共に稲富の地を駆け回ることとなった。

 

 

 

 

 

 燦々と輝く太陽。潮風を運ぶ青い海。透き通るような海面と、龍明と比較してだいぶと気温の高いその地域こそ、大都市に住む多くの人間が憧れる観光名所、稲富。

 

 空港から出るなり、あまりもの暑さにアタシは汗を流し始めた。ユノさんも上着のライダースシャツを色っぽく脱ぎだすと、そこから現れたノースリーブの赤いシャツをひけらかし、ライダースシャツを肩に掛けるようにしながら歩き出していった。

 

 ユノさんと巡った稲富は、言ってしまえば地獄だった。この暑さの中、一切とへばることのないユノさんの行動力に終始振り回される形となり、アタシは手放せない飲み物を片手に、太陽に晒されながらこの一日を無事乗り切っていく。

 

 陽が落ちた、夜の刻。赤い彩色と丸テーブルが特徴的なレストランに訪れたアタシとユノさんは、悠然と座るユノさんと向かい合う形で、アタシは今日の疲れでくたくたとなりながら、テーブルにへばりつくようになって休息を味わった。

 

「も、もぉぉ無理ぃ~~……!!! 動けないよ動かないよ動きたくないよ~~!!!」

 

「お疲れ様、菜子ちゃん。バテながら駄々をこねる菜子ちゃんも、すごく可愛いわ……」

 

「見物にするなーー!!! この体力お化け!!! 変態持久力!!!」

 

 ギャー!! となりながら返答するアタシ。そんなこちらを眺めて悦に浸るユノさんに、あらゆる意味で敵わないと感じたアタシは、お冷を飲みながらも一息ついてからそれを訊ね掛けていった。

 

「……で、なんか分かったの? アタシ、ユノさんについていくので精いっぱいで、何にも分かんなかったんだけど」

 

「振り回してしまってごめんなさい。時間との戦いだったものだから、急ぎ足で事を進めてしまったわ。でも、その甲斐あって、事実に辿り着けそうかも」

 

「ほんと?」

 

 運ばれてきた、エビを丸々と使用したスープの料理。海の幸が香りとなって鼻をくすぐるそれに、アタシは「いただきまーす!」とそれに食らいついていく。

 

 その間にも、ユノさんは話を続けてきた。

 

「まず、ターゲットは間違いなく生きているわ。行事も催されない普通の日に現れた、龍明でヒーローをやっていると名乗るよそ者が、今もこの地に滞在しているという話。それと、この地で有名な“黄泉百鬼”の言い伝えが、おそらく彼をここへ駆り立てた要因である可能性が高いわね」

 

 ”黄泉百鬼”。その単語を耳にして、アタシは首を傾げていく。

 

「アタシずっと気になってたんだけどさ、その“黄泉百鬼”の言い伝えっていろんな地域にあるけど、それってつくり話なんじゃないの? そんな話を信じてもって感じするけど」

 

「都市伝説や昔話といった、様々な感情を煽ったり、物語性があるようなお話であれば、事実を誇張したつくり話という認識でも間違っていないかもしれない。でも、“黄泉百鬼”が関わる言い伝えは、その大体が、事実を元にして広められた、未来を生きる我々への忠告みたいなものとして扱われることも少なくないの。云わば、予言のようなもの。実際、黄泉百鬼に関連する言い伝えと同じ内容の事件が、各地で起きたりするのも珍しくないわ」

 

「え……」

 

 食事の手を止める。……なにそれ、知らなかった。直近の事件は調べておけというユノさんの指示通りに、流行にはそれなりに敏感だったアタシがたまげてしまうほどの新事実……。

 

 そもそもとして、アタシは“黄泉百鬼”というものを未だによく理解していない。

 

「アタシ、黄泉百鬼ってどこからともなく生まれたりしてくる、無限湧きする最強のモンスター達って認識だったんだけど……」

 

「どこからともなく生まれてくる、という点は間違いではないわ。ただ、もっと具体的に言ってしまうと、黄泉百鬼という異形の存在達は、“一度死した生命の魂が、形となって再び現世に蘇ったもの”という生態を構築していることを知っておきなさい」

 

「一度死んだ生命の魂が、形となって再びこの世界に蘇ったもの……。え、なんで死んだ魂が、形のあるものとして蘇るの? 蘇ったとして、なんであんな、みんなを襲うモンスターに変わってしまっているの……?」

 

 スプーンでスープを頂くユノさん。アタシの問いを聞くと、その手を止めながら、こう返答してくる。

 

「諸説はあるけれど、一番有力とされているのは、“死んだ魂に含まれた、超人的なエネルギーの暴走”によって転生する、という説かしら。まず、死した生命は魂となり、この世を彷徨ったり、あの世へと昇天する働きを見せていく。この働き自体は、追跡を得意とした能力を持つ超人の力によって、明確に実証された魂の動向なの」

 

「……じゃあ、今もこの世界には、見えないだけで色んな魂がフワフワと彷徨っているってことなの……?」

 

「何なら、このお店の中にも、たくさんいるのかも。もちろん、私達の探偵事務所にも。……夜、菜子ちゃんが一人で過ごすお部屋の中にも、ね」

 

 ……え、ええぇ……っ。

 

 ゾワゾワ。背筋が凍り付く感覚と、それらの存在が実証されてしまっているという事実から、アタシは言い知れない未知と触れ合った名状し難い何かを感じられて、言葉を失ってしまう。

 

 だが、そんなアタシの様子にお構いなしなユノさん。まだまだ理解が追い付いていないこちらをうかがうことなく、ユノさんは続けてその説明を始めていく。

 

「でも、ここで一つの問題が発生する。それは――“魂に含まれた、超人的なエネルギー”の存在。死した後にも、彷徨う魂には、生前と身に付けていたエネルギー、“超人エネルギー”が残り続けることも分かっている。……超人エネルギーというものは、その人物に驚異的な身体能力をもたらしたり、特定の事象を発生させる異能力を発現させたりといった働きを持つ、その生命にワンランクの進化を促す効果のある、潜在的な力のこと。要は、私があれだけの身体能力を発揮できるのも、この超人エネルギーというものが、人一倍と溢れているから。そんな認識でいいわ」

 

「うぅ、お勉強の時間だ……。よく分かんないことだらけだけど、ユノさんも持ってるその力は、死んだ後も魂の中に残り続けるってことでいいの?」

 

「そういうこと」

 

 ヘトヘトな身体に染み渡る、勉強による脳みその疲労感。知能もこれ以上と動きたくないと駄々をこね始めるその中で、ユノさんはそれを続けていく。

 

「で、問題なのが、死んだ後にも残り続ける超人エネルギーの、暴走。その力が潜在的に強ければ強いほど、エネルギーは魂の中で働きかけを続けて、変異する。変異を具体的に説明すると、まずは、魂の実体化。死して実体を失った魂が、超人エネルギーの働きかけによって固体へと変化する。つまり、私達のような、この世に存在する物質となるの。次に、肉体の活性化。固体へと変化したことで実体を手に入れた魂は、全身に巡る超人エネルギーによって、驚異的なパワーを得る。毎度の如く現れる凶悪無慈悲なモンスターは、この過程によって実体化した、超人エネルギーそのものの姿なの。これこそが超人エネルギーの暴走であり、“黄泉百鬼”の正体でもある」

 

「う、ううぅ……一旦ストップ……!! 少し時間置かないと、これ以上は頭に入ってこないよ……!」

 

 ギブアップ。食事の席で疲れ切ったアタシの様子に、ユノさんは苦笑いを見せていった。

 

「ごめんなさいね。菜子ちゃんを追い詰めようと思ったわけではないの。……続きはまた今度にしましょう。取り敢えず今は、今回のターゲットと、この稲富に伝わる黄泉百鬼のお話が、大いに関係しているかもしれない、という認識で十分よ」

 

「そう、それ!! なんでそこで黄泉百鬼が出てきたの?」

 

「明日、その言い伝えに出てくる黄泉百鬼の、その魂の暴走を鎮めるための儀式が、お祭りという形式でこの稲富の地で行われるからよ。現地での聞き取りでは、地元では毎年恒例ともなっている、長く続けられている大きな催し物として親しまれているみたいだけれども」

 

「お祭り……そう言えば、島の人達そんなこと言ってたね。明日はお祭りがあるから、良かったらアタシ達も参加していってーって」

 

 ユノさんが説明してくれた通り、明日、この稲富では大きなお祭りが催されるとのことだった。どうやらユノさんはそれを事前にも調べたことで、このお祭りに間に合わせるべく急ぎでこの島に駆け付けたとのことだったが……。

 

「でもさ、その魂を鎮めるための儀式と、今回のターゲットが、なんで関係あるの? 儀式をすれば黄泉百鬼が現れないんだし、別にわざわざヒーローが出向く必要も無いと思うんだけど……」

 

「逆よ」

 

「逆?」

 

「儀式が行われなければ、言い伝えとして現地で知れ渡る、知名度のある有名な黄泉百鬼が復活するかもしれない」

 

「まぁ、そりゃ、その可能性もあるかもだけど……。――え?」

 

 アタシの背には、とんでもない悪寒が走った。

 

「……今回のターゲット、そんな馬鹿なことしないよね……?」

 

「そのまさか。を、私は推測していたの。――明日の儀式を妨害することで、稲富に伝わる有名な黄泉百鬼を復活させて、それを倒すことで自分の手柄にしてしまおうという、横暴な考えを持つ野心家ヒーローの行動を、ね」

 

 ……そんな、まさか。アタシは失った言葉でひたすらと首を横に振りながらも、しかし可能性もあるからこそ否定もできないという、感情と感情の板挟みとなって無言を貫いてしまっていた。

 

 

 

 二人の空間にのみ走る、冷え込む緊張の空気。

 

 向かい合って食事を行う女性達の、隣の一人用テーブルで食事を行う一人の男性が、身に付けたサングラスを指で上げながら視線を動かした。

 雪のような、柔らかい白色のショートヘアーが特徴的だった。白色の半袖シャツに、黒色のインナーシャツ、白色のパンツに茶色の靴という服装をしたその男性は、横目でありながらも背にしたテーブルへと意識を集中させていく。

 

 ……様子をうかがうような、全神経を注ぎ込んだような眼差しだった。どこへと向けたわけでもないその視線を投げ掛けながらも、男性は感情を読み取らせないポーカーフェイスで、その席に残り続けていた。



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表の顔の、矜持のメリハリ

 降り注ぐ日光は、翌日になってその勢いを増していく。この突き刺さるような日差しこそが、稲富という地域の特徴ではないかと錯覚できるほどの、直射日光で肌に黒焦げの穴が空きそうなくらいの痛みに襲われる、二日目のお昼。

 

 朝からの張り込みで、既に足が限界に近かったアタシ。その環境も照り輝く熱の下であり、さすがに無理をさせられないと判断したユノさんは、アタシに休憩を言い渡して木陰のあるベンチで休ませたのだ。

 

 お祭り騒ぎの、稲富の広場。その言葉通りのお祭りが絶賛開催中である現在は、地元の人間と観光客が入り乱れる大勢の人波と、屋台が並ぶ大盛況の様子が混雑する密度のバーゲンセールだった。

 

 溢れかえるほどの人の数。下手すれば、休日のお昼頃に見かける大都市の龍明よりも密集しているかもしれない。発展が進んだ天下の都市にも負けない光景も、さすがは理想の観光地として名を馳せる最南端の島というだけはあるものだ……。

 

「……アタシってば、ほんとに情けない。お仕事をユノさんに任せっきりにして、アタシは日陰で涼みながらアイスを食べるだなんて……。あぁ、アタシはなんて罪深い女なんだろう……」

 

 とか言う割には、内心ちょっとしめしめとも思っちゃうアタシの本心。とは言え、この休憩場所もユノさん指定の張り込みポイントであり、こうして如何にも暑さでバテましたといういたいけな女子高生を演じることで、アタシは敢えて人の出入りが多い場所に張り込んでターゲットを探していくという、芝居がかった高等テクニック。

 

 唯一、この張り込みに弱点があるとすれば、アタシのバテは芝居でも何でもない、マジなバテだったことくらいか。熱中症の症状が現れ始めたアタシの体調を、ユノさんは心配してくれたものだったが、正直だいぶ回復したからそろそろ復帰してもいい頃合いなんだけど……。

 

「もー、ホントに最近の仕事はキツすぎるよ。ユノさんは超人なもんだから、体力はあるし、腕っぷしは立つし、こんな暑さもへっちゃらな感じなんだろうけど。でもさ、アタシはフツーの探偵見習いで、フツーの超人見習いでもある、まだまだ現役の凡人女子学生なんだからさ、ユノさんと一緒にされるとホントに、アタシの体力がもたないってカンジー……」

 

 愚痴り愚痴り。ジャンパーを脱いだことで黄色のシャツという軽快な服装を晒しながら、足をぶらぶらさせてアタシは途方を眺めていく。

 

 集中力も切れていて、張り込みという仕事もお粗末となっていた。今はただただ、疲労と暑さで「あぁーー~~……」と唸ることしか能がなく、知能も溶けたのだろうか、しばらくもの時間を、アタシは虚無の境地で過ごしていたものだ。

 

 途中、隣に座ろうとした男性に席を空けたりして、アタシはボーッと稲富のお祭りを眺めていた。――まぁでも、改めて考えてみると、龍明から飛び出した出張の身元調査は、これが初めてだったかもしれない。いつもの流れであれば、ユノさんが一人で出向き、アタシは探偵事務所でお留守番というのが、この一年と続く日常だったのに。

 

「……アタシ、何だかんだでユノさんに認められつつあるのかな」

 

 ……あれ、何だろう。そう思うと急に、仕事をサボっている自分自身が恥ずかしくなってきた。

 アイスの棒を、隣にあったゴミ箱に捨てていく。次にアタシはベージュの鞄を提げながら立ち上がっていくと、んーっと背伸びをしてから、白色のキャスケットの位置を直すように被り直し、よしっと自分に気合いを入れていくように息を吐いていった。

 

 ダメだな、アタシはホント。……大体、一年前の災厄の時に後悔したじゃんか。ユノさんみたいに強ければ、アタシはあの時、パパを助けられたのかもしれないって。だから、アタシはユノさんみたいに強くなろうって思って、あの背中を追い続けてきたというのに。

 

 ――頑張ろう。休んだことで、本来の気持ちを思い出すことができた。アタシは自分に気合いを入れながら周囲を見渡していく。

 それと共に、隣にいた男性も、腕時計を確認しながら立ち上がり、歩き出していった。……あれ、もう行くんだ。座ったばっかりだったのに。そんなことを思ってアタシはふと見遣っていくと、視界を横切るその横顔を見るなり、アタシは言い知れない既視感で目を細めていってしまう――

 

「――ん? ……んー? あ……? え? ……え!?」

 

 慌てて鞄から取り出していく、数枚の写真。アタシはそれを溢れんばかりに手に取りながら、目の前の顔とそれを照らし合わせ、一つの確信を得るに至る……。

 

「隣にいた人……今回のターゲットじゃん……!!? やっぱ、生きてたんだ……って、ちょ、ユノさん――ユノさぁん!!!?」

 

 

 

 

 

 祭りが催される広場から離れ、ひと気の少ない砂利と道路の丘に集まる異質な団体。五名ほどの男性で構成されたそれは、皆が霊媒師の衣装をまとい、魔除けを専門とする職の集団であることがうかがえる。

 

 丘の向こうに見える、青く光る綺麗な海。照らされる日光が霊媒師たちの体力を消耗させていく中で、供え物であるのだろう盆や膳を手に持ちながら、森林の生い茂る山奥へと歩き出していく。その様子を遠くの木陰から眺めるアタシとユノさんは、アタシは双眼鏡で、ユノさんは裸眼で確認しながらやり取りを交わしていった。

 

「私が調べた限りでは、彼らの進む山道の奥に、この稲富に古くから伝わる、強力な黄泉百鬼を封印するための祠が建てられているとのことだった。その祠は、湖に囲まれた盆地となっていて、湖の中央にある陸地に祠が建てられていることから、盆地に到着した一同は舟で湖を渡って、封印の儀式を行うみたい」

 

「……へぇ、そうなんだ」

 

 声を潜めながら交わしていく会話。直にも二人の視界に現れた、まるで頃合いを見計らうように山道の前まで移動してくる、一人の男性……。

 

 ユノさんは、写真を取り出して照らし合わせていった。距離こそは、アタシのような凡人が双眼鏡を使わなければ視認できないものだったが、ユノさんはこの距離から確信を得ると、アタシの背を軽く撫でながらそれを言ってきたのだ。

 

「上出来、お手柄よ菜子ちゃん。間違いなく彼は、今回のターゲットである依頼主の息子さんね」

 

「え、えへへ……! なんか、初めてユノさんのお仕事で役に立てた気がする……! じゃあユノさん、急いであの人の企みを食い止めに行かないと!! ね? ユノさん。――ユノさん?」

 

 離れ往く足音。それにアタシは振り返っていくと、そこには背を向けてこの場から去ろうとするユノさんの姿があった。

 

「え、ちょ、ちょっと……!? ユノさん!? どこ行くの!? そっちは反対方向……」

 

「どこに、って、帰るのよ。龍明に」

 

「え? なんで!? だって、急いであの人を止めないと、封印を行う儀式が邪魔されて、黄泉百鬼が復活しちゃうかもなのに……!?」

 

 焦るアタシに向かって、ユノさんは背を向けたまま、至って冷静な声音で返してくる。

 

「私達の仕事は、行方をくらましたターゲットを見つけ出す身元調査。現時点でその成果を出した以上、これ以上もの活動は契約外になるわ」

 

「え……だ、だからって、あの人の暴走を放っておく理由にはならないでしょ……!?」

 

 直にも、振り返ってきたユノさん。軽く腕を組んだ凛々しい様子で、アタシへとそれを投げ掛けてきたのだ。

 

「それじゃあ訊ねるけれど、彼が暴動を起こすという根拠はあるのかしら?」

 

「根拠、って……それ、昨日の夜、ユノさん話してたじゃんか!! あの人は野心家で、封印するはずの黄泉百鬼を敢えて復活させて、それを倒すことで自分の手柄にしようって魂胆を持っているって……!!!」

 

「それは私の推測であって、彼が本当に、それを企てているという事実を裏付ける証拠にはならない。私はただ、もしも彼が野心家で、その計画を企てているのだとすれば、きっと、封印の儀式を行う霊媒師たちの下に姿を現すかもしれないと考えただけ。そして、この推測が正しかったから、私の思惑通りに、彼はこの場に姿を現した、というだけのことなの。――目的は達成したわ。これ以上のことは、部外者である私達に何の関係も無い。帰るわよ」

 

「……っ、…………!!!!」

 

 この、この……!!!! 裏切り者と言うには、ユノさんにも一理あるような気がしてしまえて、しかも、確かにあの彼が、これから暴動を起こすという決定的な証拠も存在しない。だからこそアタシは余計にもどかしく思えてしまって、言い返すこともできないまま、ユノさんへ向かって、睨みつけるような、交わる複雑な感情を、眼光としてぶつけてしまうばかりだった。

 

 ……少しして、肩で息をつくユノさん。

 

「……意地悪なことをしてごめんなさい。でもね、これは探偵として持つべき一種の割り切り方なの。菜子ちゃん、それを貴女にも知ってもらいたかった。じゃなきゃ、これからも探偵の活動を行う際にも、菜子ちゃんは契約外となる、報酬も発生しない無駄な危険事に首を突っ込みかねない。菜子ちゃんの性格上、私はそれを危惧していた。だから、今この場で、身をもって教えるべきだと判断したの」

 

 アタシへと歩み寄ってくるユノさん。その両腕を広げてくると、睨むアタシを優しく包み込みながら、それを告げていった。

 

「探偵としてのお仕事は、これで終わり。この先の行動は、私と菜子ちゃん個人の目的で動くことにしましょう。……せっかく稲富に来たんだし、帰りの便まで時間はあるわ。さぁ、菜子ちゃん。何をしたい? 観光しながら食べ歩き? 綺麗な海を一緒に見に行く? ――それとも」

 

 彼女の胸に埋もれた顔を、アタシは上げていく。

 

 ――向き合う視線。真っ直ぐとぶつかり合ったそれを見て、ユノさんもまた、アタシと同じ気持ちであったのだと悟ることができた。

 

「彼を、追い掛ける?」

 

 ……コクリ。頷かせた頭。アタシは無言でそれを行うと、次の時にもユノさんは、アタシへの抱擁を名残惜しく解きながら、山道の奥へと進入していく彼の背を目標に、悠々と歩き出していったのだ。



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眠りから解放されし黄泉百鬼

 カルデラの如く広がる盆地。そこに収まる遥かな湖は、深く、青く、揺らめいている。

 山々に囲われたこの場所は、神秘の一言に尽きる。だが、同時にして神聖な区域として国に指定されていることから、一般的な立ち入りは禁じられている、特別な場所であった。

 

 神秘さに拍車を掛ける、湖の中央に存在する一つの祠。果てしなく続くそれに唯一とできた中央の陸地には、神宮を思わせる神々しい建造物が佇んでいた。――その内部には、稲富という地域に伝わる黄泉百鬼の歴史、古くの稲富の地で生き抜いた、樹齢二百年の神木の魂が眠るとされている。

 

 神木は、植物という様態をとりながらも、膨大な超人エネルギーを含んだ生物だった。害をなす事なくその一生を終えた後にも、神木は魂となり、実体のない存在として長くと現世を彷徨い続けているという。

 

 ……だが、時が経つにつれ、膨大な超人エネルギーはその勢いを増していた。今では、その暴走によって、黄泉百鬼という星を滅する者として現世に蘇りを果たしても、何らおかしくなかったのだ。

 

 

 

 五名の霊媒師が、用意された舟で祠へ向かうべく、運んできた盆や膳を慎重に一つずつ乗せていく。

 

 そんな中、一つの存在が茂みから姿を現した。がさごそと音を立てながら、躊躇いのない足取りで霊媒師たちへと歩み寄ってくるその男性――

 

 その場の全員が、驚く様子を見せていった。それでも止めることの無い足取りで彼らへと近付いてくる男性へ、霊媒師の一人が忠告とも言える言葉をかけていく。

 

「止まりなさい。観光客であるとお見受けいたしますが、生憎とこの地は稲富の聖地として認定されている、由緒正しき聖域であるため、部外者のこれ以上の立ち入りを禁じております」

 

「んなこと分かってんだよ。でも安心しな。俺はヒーローだ。『龍明超人協会』、聞いたことあるだろう? しかも、『龍明超人協会直系レオンハルト軍団』に属する、所謂エリートの称号が与えられた、選ばれしヒーローをやっている者だ。こうして俺が出向いた理由ってのも、その祠の中にいるっていう黄泉百鬼を討伐するためなんだよ」

 

 龍明超人協会。そこに属する旨を伝えた男性は、自信満々な様相で親指を自身へ向けていくものだが、霊媒師は一切と対応を変えることはなかった。

 

「お引き取りください。龍明超人協会の御仁であろうとも、これは古くから伝わる稲富の儀式であり、部外者が易々と立ち入って良いものではないのです。どうかご理解を」

 

「…………」

 

 あからさまに機嫌を悪くする、男性。ヒーローと名乗るその超人は、思い通りにいかない現状に苛々を立ち込めていくと、次の瞬間にも、それを言い放ってきたのだ。

 

「あぁ、そうかい!! だったらいいぜ!! 別によ!! なら、俺の勝手にやらせてもらう!! お前らがなんて言おうとも、俺はここの黄泉百鬼をぶっ倒して、レオンハルト軍団副団長補佐に成り上がってみせるぜッ!!!」

 

「な、なにを――ごはッ!!」

 

 霊媒師の一人へと飛び出した、男性の右拳。それは彼の顔面にめり込むと、常人には耐え難い苦痛をもたらしながら後方へと吹き飛ばしていく。

 

 四名の霊媒師は、盆や膳を投げ出しながら、男性を警戒した。……殴り飛ばされた霊媒師が気を失う中、男性は常人である霊媒師を相手に、超人の力を振るっていったのだ。

 

 次々と殴り倒されていく彼ら。それに気を良くした男性は舟を見つけると、それに足を掛けていく。

 

 と、その時にも男性の肩に、何かが乗せられた。触れる感触に男性は「おぉ?」と振り返っていくと、一瞬のみ映った色白の手を最後に、男性の見る世界は回転しながら、陸地へと向かって転がり出していった。

 

「どはァッ!!! ――な、なんだ……!?」

 

 何かしらの力で投げ出されるものの、すぐさま起き上がる男性。そして体勢を立て直して前方を見遣っていくと、そこには一人の女性が佇んでいた。

 

 

 

「ユノさん!! そっちお願い!! ……大丈夫ですか!?」

 

 アタシは倒れている霊媒師さんに駆け寄っていくと、殴られたアザが痛々しく残る彼ら一人一人に声を掛けていって、無事を確認していった。

 

 その間にも、男性と対峙したユノさん。至って冷静な様相で彼を見つめていくものだが、握られた拳が少なからずの怒りを思わせる。

 

「な、何だよこの女!! 俺は龍明超人協会に所属するヒーローだぞ!!? ヒーローに手を上げた以上、正義執行妨害の罪でただじゃおかねェからなァ!!!」

 

 正義執行妨害罪。簡潔に言ってしまえば、ヒーロー活動の邪魔をした際に下される罪の一つだ。それを掲げた男性がユノさんへと怒りをぶつけていくのだが、一方でユノさんは無言を貫き、その足を彼へと進め始めていく。

 

「……お、おうおう、何だなんだ!? タイマン張ろうってのか!!? 上等じゃねェかこの野郎ッ!!! ヒーローに手を上げた罪、俺の拳で断罪してやるぜェ!!!」

 

 右腕を振りかぶる男性。そのまま真正面から突っ切るように走り出していくと、それは躊躇うことなく女性であるユノさんへと思い切り振り抜かれていった。

 

 ……と思われたが、瞬きの瞬間にも吹き飛ばされていった男性。霊媒師の受けた力の、何十倍とも言える大気を揺るがす一撃が、ユノさんの腕を振る動作と共に巻き起こる。

 

 吹き飛ばされていった男性は、地面に転がってその右腕を空ぶっていったことで初めて、自身の状態に気が付いた。

 

「……???? ……ッッ???? あ――い、いでェっ、いで、いでェ、いでェエエエェェッッ!!!!!」

 

 喉がはちきれんばかりの悲鳴。頬を押さえながら苦しむ様子のところ、彼の姿は陰りで染まる。

 男性の胸倉を掴み、持ち上げたユノさん。それに男性は怯えながらも、正当防衛とも言いたげな拳をユノさんへと打ち込んでくる。

 

 だが、手を離された男性はそれを空ぶっていくと、次に死角から飛んできた鋭い右脚の蹴りで、体勢を崩していく彼。周囲の木々を衝撃で揺らがす光景を展開しながらも、ユノさんは左足で自身の身体を横へ一回転させると、戻ってきた右脚は男性の胸倉に引っ掛かり、そのまま持ち上げ、弧を描く形で勢いよく地面へ落としていく。

 

 脳天から直撃した男性は、泡を吹きながらその場に倒れ込んだ。――超人であるヒーローを相手に、圧倒的な力の差を見せつけたユノさん。アタシや霊媒師さん達がそれを見守る中、ユノさんは倒れた彼の胸倉を掴んで、揺するようにしながら持ち上げていった。

 

 …………。意識が朦朧としているのだろう。白目を剥きながら、虚ろな様子でユノさんを捉えていく彼。直後にも、吹いている泡を吐き捨てるようにブッと噴き出すと、それをユノさんの顔面に浴びせ、それにニッと不敵な笑みを見せると同時に、気を失うように項垂れていったのだ。

 

「ユノさん! ……大丈夫?」

 

 倒れる霊媒師さんを抱えながら、アタシは声を掛けていった。しかし、ユノさんは沈黙を貫き続けては、その視線はずっと、彼へと注ぎっぱなしだったのだ。

 

 ……まったく、それにしても何なの、このクズ男。最初から最後まで、ゴミのような人間だった。アタシは煮え滾る怒りを表情に見せていくのだが、次にも、ユノさんは呟くようにそれを口にしていったのだ――

 

「してやられたわね」

 

「……?」

 

 ユノさんに付着した彼の泡が、蒸発するように消え始める。と、同時にしてユノさんの手から男性が溶け始めていくと、その身体はじきにもエネルギーの密集体のようなものとなり、ユノさんの手からすり抜けると、そのエネルギーは祠へと向かって一直線に飛んでいってしまったのだ。

 

 ……もしかして、分身……!?

 

「……超人エネルギーというものは、その人物に驚異的な身体能力をもたらしたり、特定の事象を発生させる異能力を発現させたりといった働きを持つ、その生命にワンランクの進化を促す効果のある、潜在的な力のこと。――あの男、自身と瓜二つの姿を複製することができる能力の持ち主だったみたいね。依頼主に聞いておけばよかった。私の落ち度だわ」

 

 エネルギーが飛んでいった祠を見遣るユノさん。――と、次の瞬間にも祠から、突き刺さるような禍々しい光が射し込み始める……!

 

「え、なに!? 何が起きてるの……!?」

 

 焦るアタシの膝下では、「そ、そんな……! 何ということを……!!」と、この世の終わりのような表情で起き上がる霊媒師さんが、言葉を零していく。

 

 ……そんな、まさか。彼を象るエネルギーが飛んでいった、その先には――!!!!

 

「菜子ちゃん! その人達をお願い!!」

 

「ユ、ユノさん!?」

 

 アタシを置いて、祠へと駆け出したユノさん。驚異的な身体能力を誇るその身体で跳び出していくと、このいざこざで湖の奥へと流れてしまっていた舟を踏み台にして、そこから更に跳躍を行って祠に辿り着いてしまう。

 

 そして、ユノさんは祠の中へと進入していった。

 

 

 

 

 

 神宮に踏み入れる女性。高速を以てして深部へと駆けると、そこでは禍々しき光を放つ祭壇の光景が繰り広げられていた。

 

 射し込む光の、その集束点。飛び散った破片と、破り捨てられたお札の数々。供え物である食べ物や酒が床に転がる中、それらを前にして、高らかな笑いを上げていく一人の男性が存在していた。

 

「ふふ、ふははははッ!!!! なーにが封印の儀式だよ!!! こんなの、たかがごっこ遊びのようなものじゃないか!!! 魂の暴走を鎮めるため?? 俺が直々にこの手で触ってみて分かったね!! ……神木の魂は、限界を迎えていた。肥大した超人エネルギーは今すぐにも破裂寸前で、あのおっさん達がここに到着した頃にも、こうして封印が解かれていたことだろうよ!!!!」

 

 背後の足音。それへと振り向く男性は、先にも殴り飛ばした者と同一の人物だった。

 

「既に、祠に侵入していたのね。分身を寄越したのは、霊媒師の彼らを足止めするためのものかしら」

 

「まぁ、足止めをするまでも無かったけどな! ――女も分かるだろ。この魂から溢れ出てくる、身体の底から湧き上がってくるような無尽蔵の超人エネルギーを……!!」

 

「えぇ、そうね。たとえ貴方が手を下さなくとも、この地の封印は、今この瞬間にも解かれていた。……そういう運命にあったというだけのこと。この稲富という地は、この時を以てして、長年の封印から目覚めた黄泉百鬼の手によって、滅びを迎えるという運命に――」

 

 祭壇から現れた、深緑の禍々しい魂魄。人語では形容できない形状で成されたそれは、解放されると共に無数の大樹の根を伸ばし始め、自身を封じ込めていた祠を突き破るべく、意思を持った触手のように蠢かせていく。

 

 それを目撃した男性は、次の瞬間にも身体の制御が利かなくなっていた。――伸びる大樹の根に、拘束されてしまったのだ。

 

「なッ……!!? お、おいコラッ!!! てめ――お、俺が今から、てめェを倒すって、いう、のに……!!!!」

 

 聴覚が悲鳴を起こす、空間に響き渡った大気の鼓動。それを受けた男性は一瞬にして絶叫を上げていくと、発狂とも言える気狂った様を晒しながら、動けぬ身体をうねらせ、苦しみ悶え始めたのだ。

 

 ――と、彼を拘束する大樹の根は、散り散りとなって引き裂かれた。

 床に落ちる男性を、雑に掴み上げた女性。解放されると同時にして正気を取り戻した彼が「え? あれ……?」と困惑していくと、状況の理解の前にも出口へと駆け出した女性に無理やりと引き摺られていき、男性は悲鳴を上げながらも女性と共に祠からの脱出を果たしていった。

 

 

 

 

 

「ユノさん!!!! ユノさぁんッ!!!!」

 

 必死だった。アタシが涙ながらに訴え掛けるその声を聞き、ユノさんは舟を足場にして、祠からこちらへと跳躍で戻ってくる。

 

 その祠は、突然と飛び出してきた大木の根によって、瞬く間に押し潰されていた。これ以前にも、次第と強くなり始めていった地鳴りで、アタシや霊媒師さん達が体勢を崩してしまい、思うように歩けずにいたこの現状。

 

 祠から現れた、溢れんばかりの大木の根は、恐るべき速度でこの盆地の外へと伸びていくと、周囲の山々の地表を引っぺがすように湖の中央へとそれを吸い寄せ始めており、アタシらもそれに押し出される形で、祠のあった場所へと引き寄せられていく。

 

 これには、アタシも霊媒師さん達も、ユノさんに雑に扱われる男性までもが、この世の終わりのような悲鳴を上げていた。

 

「ユ、ユノさんッッ!!!! ユノさんッッ!!!! 嫌だ、死んじゃうよアタシ達!!!!」

 

「あ、ああぁ……稲富に伝わる、神木の魂の怒りが、お目覚めに……!! この世は終わりじゃ……。せめて最後に、息子たちと孫の顔を見ておきたかった……」

 

「お、女ァ……!!!! お、おい、これどうすんだよ……!! 倒すとか、そういう問題じゃなくなっちまってんじゃねェかこれェ……!!!」

 

 アタシは、その男に掴みかかっていた。

 

「そもそもとして、アンタが封印を解いたからでしょッ!!? アンタのせいでこうなってるってこと、分かってんのッ!!? このバカッッ!!! バカッッ!!!」

 

「は、はああぁぁ!!? これは俺がやったワケじゃねェよ!! 俺が解く前にも、あの封印はもう限界だったんだよ!!」

 

「ここまで来て、自分のせいじゃないって言い張るワケッ!!!? ホント、信じられない!!!」

 

 と、アタシと男性の頭に伸ばされた、上からの手。それがアタシらを引き剥がすようにすると、手の主であるユノさんは、アタシへとそれを告げていったのだ。

 

「菜子ちゃん、私の身体にくっ付いて」

 

「え……?」

 

「私の身体を、全力で、情欲のままに抱きしめて。――早く!!」

 

「わ! はいっ!!!」

 

 アタシは、ワケの分からないまま、ユノさんの背に絡まるようにくっ付いた。

 続けて、ユノさんは霊媒師さん達の下へと駆け寄っていく。そして、右手で一人を掴み、右腕に一人を引っ掛け、左手で掴み、左腕に引っ掛け、余った口で残る一人の霊媒師さんの襟を咥えると、総勢六名の人間を持ち上げて、ユノさんは軽々と駆け出したのだ。

 

 ……と、男性にも駆け寄っていくユノさん。――え、でも、もう余ってなくない? そんな顔をする男性を見下しながら、ユノさんは無言で、右脚を突き出していく。

 

「……う、うぅ、ありがとう、ございます……!!」

 

 恐怖で号泣する男性は、ユノさんの右脚に引っ付いた。

 

 アタシ達のいる陸地は、中央へと引き寄せられる力で、直にも取り込まれそうになっていた。そして、まさにその直前という時にも、ユノさんは全速力で駆け出していったのだ。

 

 正面から降りかかる植物の中を、七名もの人間を抱え込んだユノさんは驚異的なスピードで突き抜けていった。この、ジェットコースターを越える速度に皆が「う、うぉぉおおおおぉぉぉぉッッッ!!!!」と絶叫に近い声を出していく。

 

 大木を蹴り、根を飛び越え、生い茂る葉を突き破る。人間が成せる限りの華麗な身のこなしでそれらをすべて避け切っていくと、見えてきた光を目指して、ユノさんは長距離の跳躍を行ってそこへと飛び込んだ――!!

 

 

 

 右脚にくっ付いていた男性は、振り落とされると同時に、砂利を纏って地面を転がった。勢いもあったことから盛大に痛がっていたものだが、そんな彼を横目に、着地したユノさんは全員を下ろして丘の先へと向かっていく。

 

 霊媒師さん達も、アタシも気が抜けたような脱力感で倒れ込んでいた。……しかし、丘から見えたその光景を目の当たりにして、アタシはすぐにも、この世界の終焉とも言えるであろう絶望を味わうこととなる。

 

 ――盆地に生える全ての植物を取り込んだ、人型を模した超巨大生物の姿。三百メートルとも言える体長を誇るそれは、陰りに染まる雲行きと共に、植物に宿る超人エネルギーを爆発させるかのような咆哮を上げながら、祭り会場ともなっている稲富の街へと歩を進め始めていく。

 

 ……あれが、黄泉百鬼……ッ!? これまでに目撃してきたそれらの脅威を、遥かに上回る存在。もはや絶対的なものさえも感じ取れることから、この日を以てして、この世は本当に終わるのかもしれない――

 

「菜子ちゃん」

 

 丘の先で、こちらへと振り返ってくるユノさん。

 

 ……右手を掲げており、アタシの“それ”を待っていた。

 

「……!!! ユノさん……受け取って!!」

 

 アタシは、提げていた鞄の口を開けてから、それを勢いよくユノさんへと投げつけた。

 

 未だ飛んでいる鞄へと手を伸ばすユノさん。――そして、口の開いた部分へと腕を突っ込み、そこに入れられていた一着の深紅のコートとガスマスクを取り出すと、瞬間にもその場から跳び立って、彼女は陰りの蔓延る暗雲へと溶け込むように姿を消していった。

 

 ゴトンッ。地面に落ちる鞄。中身が空っぽになったそれが空虚となりながらも、アタシは今も街へと向かう超巨大黄泉百鬼を捉えながら、その言葉をポツリと呟いた。

 

「……お願い、ユノさん。稲富の人達を……この世界を救って――!!」



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稲富を駆ける稲妻

 三百メートルを超える、山の祟りとも呼べるだろう大型黄泉百鬼の行進。それを目撃した稲富の地の人間は皆、終焉を予感する絶望と共に、断末魔のような悲鳴を上げて逃げ惑っていた。

 

 暗雲が、青空を覆う世界。直にも吹き荒れ始めた強風は、台風の如き勢いとなって催しの会場を吹き飛ばす。

 ――街に踏み入れた、人間の姿を模した大型黄泉百鬼。その体表を地盤と木々で覆い固め、一歩、一歩と前進する巨体で稲富を破壊し尽くしていく。

 

 逃げ遅れた二名の男女が、降りかかった現実に嘆きながら抱擁を交わし合った。自身らの運命を悟り、共に最期を迎え入れようという一種の潔さ。直にも陰りで染まる二人の身体は、頭上から圧し掛かった巨体によって押し潰されることになる。

 

 ……だが、直前にも迸った紅の残像は、二人の姿を掻っ攫って消え失せる。踏み下ろされた巨人の足が、大地を砕き、街を破壊し、滅亡を招く足跡を残していくその行進。しかし超人エネルギーによって形成された巨体は、迸った残像の訪れと同時にして、全身に巡った、自身にも匹敵し得る“それ”の存在を感知すると、破壊の行進を一度と止め、歩む先にも降り立っていた人影を見遣っていくのだ。

 

 ――魂へ成り果てたと思い込んでいた男女。一方として互いを抱きしめ合う温もりはそのままで、二人は、自身らに何が起こったのかも分からず、周囲を見渡した。

 傍に佇む、深紅のコートを纏った一人の人物。百七十九の背丈で、ジャック・オ・ランタンを思わせる黒色と赤色のガスマスクで素顔を隠した容貌。白髪の長髪を分厚く束ねたポニーテールに、黒で統一されたシャツとパンツ、ブーツ、ガントレット、それらと対比となる白色のベルトで二人へと振り返ると、無事であることを確認した“それ”は、グッジョブ、のジェスチャーを見せると共に、その場から跳び立っていく。

 

 呆然とする二人。そしてハッと我に返ると、男性はそれを口にしていった。

 

「あれは……“エクレール”!? そんな、どうして。いつもは龍明に姿を現すと言われてるヒーローが、なんでこんな最南端の場所に……!?」

 

 驚く男性の胸へと、手を触れさせる女性。

 

「きっと、ここに黄泉百鬼が現れるのを分かっていたのかも……。だから、わたし達を救うために、龍明から……」

 

 自身らは救われたことを理解した二人。吹き荒れる稲富の地に残された空間の中、彼らは伝えきれないほどの感謝と共に、跳び立った紅を見送った。

 

 

 

 

 

 五メートルほどの、真ん丸な石像のモニュメントに降り立つ稲妻。そちらへと振り向く黄泉百鬼が、三百メートルの巨体で見下ろしていくと、互いに遥か遠い瞳と瞳が、ぶつかり合った。

 

 ――瞬間、黄泉百鬼の全身から伸ばされた、意思をもった大木の根。それは大蛇の如く蠢くと、石像に立つ彼女へと襲い掛かる。

 胴体を貫こうとした、根の突撃。高速の攻撃が彼女へと繰り出されると、それをしっかりと確認していた彼女は身構え、次の時にも、自身を貫く直前と身を捻じっていった、全身を百八十度回転させた、不可解な回避。

 

 飛び込むように、前方へ。そして彼女は顔面を石像に擦り付けていくと、纏ったガスマスクから火花を散らせ、大の字となった姿勢で瞬間的な前進を行い出したのだ。

 開脚によって空けられた空間を通り抜ける、黄泉百鬼の攻撃。同時に襲い来る衝撃波が彼女のコートをはためかせると、広げた両手を石像へと食い込ませ、大の字の姿勢を前方へ押し出し、足を着いてからの、石像を食いこませた両手を持ち上げるように、驚異的な身体能力で一気に後方へと仰け反らせる――

 

 ――彼女から投げ出された石像のモニュメント。この勢いは発出と呼ぶに相応しく、豪快に投げつけられたそれは黄泉百鬼の胴体に撃ち込まれ、あまりもの衝撃でその巨体を揺るがしていく。

 すぐさま駆け出した彼女は、地面を蹴り出し、巨人の足に到達すると共に、垂直となっているそれを剛速のダッシュで一気に駆け抜ける。そうして瞬きもの瞬間に三百メートルの距離を走った彼女は、黄泉百鬼の顔面へと向かって、渾身の右拳を叩き込んだのだ。

 

 超人エネルギーで固められた、地盤を纏う表面。そこに亀裂が生じ、一部分を粉々に粉砕しながら殴り抜ける彼女。天に上った衝撃は暗雲に風穴を開け、わずかながらの光をもたらした。

 落下する紅。だが、黄泉百鬼の全身から飛び出してきた無数もの根が襲い掛かる。それらを視認することなく感覚で把握した彼女は、空中で華麗なる緩やかな回転を行うと、狂ったように次々と降りかかる根を足場にして、飛び移るように地上へと向かい出した。

 

 時に走り、時に滑り、時に跳んで、時に避ける。全てが鮮やかである身のこなしで大地に降り立った彼女は、そこから束となって降りかかった根へと手を伸ばし、その無数の先端を左手で掴み取ると、剛腕の力で引っ張ることで黄泉百鬼の身体から引きちぎってしまう。

 

 根本から抜かれ、その圧巻の怪力によって体勢を崩した黄泉百鬼。膝をつくことで、彼女との距離が一層と近付いていく。

 と、ふと耳にした音に、彼女は音の発信源へと振り向いた。――根が突き刺さる崩れた屋台の陰。そこでうずくまって泣きじゃくる、一人の少年……。

 

 彼女は飛び込み、少年を抱えながら、黄泉百鬼から離れるように駆け出した。そうして背を向けた彼女の様子を隙と見た黄泉百鬼は、有無を言わさぬ百数本もの根を伸ばすことで、圧倒的な数の連撃を彼女へと浴びせ始めたのだ。

 

 暗雲の陰りに染まる大地の中、無限に襲い来る、地面を貫くほどのパワーを持つ大木の猛攻。それを抱えられた肩越しで目撃していた少年が、絶望で顔を歪めていく。しかし、抱えられた絶対的な安心感で泣くことを止めると、今も高速で駆ける彼女の、ガントレット越しの手で頭を撫でられ、少年はなだめられることとなった。

 

 悪夢の如き光景。それらを掻い潜るよう、背にしたままの状態でアグレッシブに駆け回る紅。この安心感は絶対であることを少年は理解すると、次にも蹴り出しながら方向変換を始めた彼女は、スライディングをしながら、瓦礫となった建物の中へと思い切り突っ込んでいったのだ。

 

 思わず目を瞑る少年。――通り抜ける風の感覚で目を開けていくと、気付けば隣で抱えられた一人の男性が、ワケが分からないといった表情をして存在していた。

 二人を抱えた彼女は、まだまだ駆け抜ける。今も彼女の真横を貫く根が襲い掛かる、脅威の嵐に晒される中、アトラクションコーナーとして展開されていた遊具の集まり場へと彼女は訪れると、外の様子を覗き出してきた、潰れた巨大な風船の中で倒れ込んでいた女性が、形容し難い表情を見せていく。

 

 次の瞬間にも、倒れ込んでいた女性は、身に押し寄せた浮遊感と同時にして、その身体を上空へと浮き上がらせていた。

 いや、紅の彼女が伸ばした右脚に、彼女の身体が引っ掛けられていたのだ。怪我を負わせない力加減で、衣類に引っ掛けるようにして上空へと連れ込んだ紅の閃光。共に跳躍を行っていたようであり、引っ掛けた状態から一度と脚を離し、直後にも右脚の関節で女性の身体を挟むようにして持ち替えていく。

 

 上空へと逃げ込んだ彼女を仕留めるべく、狂い猛る黄泉百鬼の根が伸ばされた。高速で展開される数百のそれらだが、二人を抱え、一人を脚で挟んだ彼女による、空中での華麗な回転による身のこなしで次々と受け流される。時には余った左足で根を蹴っていくと、跳躍に跳躍を重ねたその勢いで、彼女は抱え込んでいた三人の人々を、遥か彼方へと投げ飛ばしていったのだ。

 

 あまりもの急なそれに、皆が揃えて悲鳴をあげていった。――ドスンッ。命にも関わるだろう高度からの落下を果たした三人が、暗転した視界と共に起き上がって自身らの無事を確認する。

 

 アトラクションコーナーから飛ばされてきたのだろう、巨大な衝撃吸収マットの上。三人がそこに落とされると、遠くへ飛んでいった彼らの無事を見届けた紅は空中で背を向け、根を沿うように黄泉百鬼へと走り出していったのだ。

 

 …………絶句。言葉を失う三人。じきにも彼らの下へと生存した者達が駆け寄ってくると、救われた少年はその感謝を大声に乗せて、戦う彼女へと響き渡らせた。

 

「あ、ありがとぉーーーー!!!! 助けてくれて、ありがとぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 ばたんっ。少年のすぐ近くに落ちてきた、一つのポシェット。それを見た少年が、「あ、ぼくのやつ……。助けてくれた時に落としたやつなのに……」と呟きながら拾っていくと、そこに挟まれていた一枚の鉄板を見慣れぬものと感じて、少年は取り出していく。

 

「……!! …………っっ!!!」

 

 少年は、目を輝かせた。それは、鉄板にめり込んだ一つの手形。右手であるそれは所々と刺々しい印象をうかがわせ、少年にとっては、先ほどにも頭を撫でてくれた“それ”のガントレットであることを、容易に理解することができていた。

 

 自分を助けてくれた救世主。それが残してくれた、生きる未来への希望。

 救助にやってきた地元の人間に連れられながら、少年は鉄板を抱えて再度と振り返っていく。……今もそこでは、襲い掛かる根を鮮やかに避け続ける紅の姿が映っていた――

 

 

 

 

 

 根を渡り、黄泉百鬼の頭部にまで上ってきた彼女。握りしめた右拳を構えて飛び出していくと、一直線を描きながら目標へと到達し、脅威ともなる右腕を振り抜いていく。

 それに対し、黄泉百鬼は自身の身体を即座に真っ二つと裂くことで、彼女の攻撃を回避していったのだ。空ぶりした彼女が三百メートル近い高度で身体を投げ出すと、真っ二つとなった断面から一斉となって這い出してきた根の束が、宿した超人エネルギーを注ぎ込んで彼女を叩き付けていく。

 

 地上へと一直線を描く彼女。すぐにもそれは大地との正面衝突を起こしていき、受けた衝撃で何度も地上を跳ねるように転がりながら、体勢を立て直していく。

 と、振りかぶられていた黄泉百鬼の右腕が、彼女へと迫っていた。これまでに踏み抜くだけだった破壊の行進は、その手を下すに値すると認めた破壊の対象へと繰り出される、成仏する魂さえも残さぬほどの強力な攻撃――

 

 ――向かい合う彼女。立て直した体勢で構え出していくと、眼前から迫るそれを避けるどころか、断固として動かぬ姿勢で右拳に意識を注ぎ、その一撃を繰り出していく。

 この瞬間にも、二つのエネルギーが爆発的な衝突を引き起こしていった。そこを中心として稲富の地を伝った、空間を揺るがすほどの大地震。

 

 生き残った建物は崩壊を始め、地を這う生物は頭を抱えて伏せるしかなくなる。中心地点から順番となって物体と足場が崩壊を始めていく中、全身全霊のパワー比べの結果が、形となって表れた――

 

 迸った亀裂は、地割れとも表することができた。稲富の地で形成された黄泉百鬼の腕はボロボロと崩壊し、これに巨体が仰け反る様子を見せると同時にして駆け出した彼女。

 巨人の脚を駆け、伸ばされた根へと飛び移り、彼女は巨人のその更に上へと上り詰めていく。そして、この極限とも言えるだろう、三百メートルをも見下ろす地点にまで到達した彼女は、宙に投げ出したこの身体で両腕を伸ばし、下へと向かうよう大気を蹴り出していくと、瞬間にして黄泉百鬼の肩に両手を食いこませ、次にも驚異的な身体能力によって、食い込ませた両手で黄泉百鬼の皮を剥ぐように、巨人の身体を回るよう下へ下へと大気を走り出していったのだ。

 

 高速の下りは、インコーナーを攻めるように全身を傾けながら駆けていく。まるで、木像の表面を剥いでいくような光景だった。それを、大気を走るという奇天烈な手段によって行っていく彼女の勢いに、黄泉百鬼はエネルギーを震わせた唸り声を上げていくことしかできない。

 

 巨人の右脚まで剥ぎ取り、肩から足元までめくれた表皮と共に地上に降り立つ彼女。と、その一瞬もの隙を突いた、もう片腕による黄泉百鬼の拳が降りかかる――

 刹那、彼女は手に持つ黄泉百鬼の表皮を、ありったけの力を注ぎ込んだ腕を引く動作で引っ張ったのだ。彼女へと引っ張られた表皮は、剥がされた跡が残る右脚をずらすように動かし始め、これによって体勢を崩した巨人は、転倒という形で三百メートルの巨体を宙へと投げ出していく。

 

 彼女は、更に表皮を引っ張った。後方へ、その更に後方へ。力いっぱい、全身全霊を込めて。

 身体の周囲を回るように剥がされ続ける表皮。そこに引っ張られる力が加わることで、この瞬間にも黄泉百鬼は、帯回しの要領で回転し始めたのだ。

 

 引っ張られた表皮が、次々と彼女の傍へ落ちていく。この間にも、空中に留まるような回転で身体を投げ出してしまった黄泉百鬼が唸り声を上げていくと、じきにも出発地点となった肩の表皮が彼女の下に到達し、それに伴い、黄泉百鬼の上半身も彼女の眼前にまで落ちてくる。

 

 ――引き絞られた右腕。ガントレットを装着した拳が照準を定めていき、踏ん張った両脚と、据えられた腰。全身の筋肉を総動員させ、渾身の一撃を溜めに溜めながら、彼女は中央に捉えた相手の顔面が迫るその瞬間を縫うように、驚異から織り成す全力のストレートを、黄泉百鬼へとぶちかましていったのだ。

 

 

 

 巨体を貫く、衝撃。震動が目に見える形となって空間に響き渡り、百七十九の身長から繰り出されたその一撃によって、三百メートルもの超大型黄泉百鬼は敢え無く後方へと吹き飛ばされていった。

 

 歴史を塗り替えるような、圧巻の一言に尽きる光景。大地に破滅をもたらしたその存在が宙を舞い、纏っていた稲富の地を上空に散りばめながら、それは山なりの軌道で、無人の街へと向かっていく――

 

 ――ズドォンッ!!!! 巨体が落下する轟音。戦いに終わりを告げるストレートに、彼女は終始もの無言を貫きながらも体勢を楽にしていく。

 ……というのが、彼女の中での筋書きだったのだろう。しかし、ふと巡ってきた違和感に彼女は佇み、落ちた黄泉百鬼の様子をうかがっていた。

 

 落ちた、という割には着地がわずかながらと早かった。いや、落ちたというよりは、“何かに押し留められた”、が正しかったのかもしれない――

 

 ――瞬間、自然発生した刃の山が、黄泉百鬼の全身を包み込んだ。

 それは、内側から食い破るように発生したと思われる。それでいて、あからさまに黄泉百鬼の意図した展開ではないことは明確であり、その証拠として、自然消滅を始めた刃の山の残像からは、内側から貫かれたそれによって塵となった、黄泉百鬼だった砂埃が風に乗って去っていく。

 

 ……じきにも、黄泉百鬼のいた方向から歩いてきた、一人の男性。百八十六もの背丈であり、雪のような柔らかい白色のショートヘアーと、白色の半袖シャツに、黒色のインナーシャツ。白色のパンツに茶色の靴で、かけていたサングラスをゆっくりと手で取り払いながら、距離を置くように彼女の前で立ち止まった。

 

「悪いな、最後の最後に横取りしちまって。でも安心してくれ。この様子はすべて、今も上空で飛んでいるステルス機能が搭載されたドローンによって、中継で放送されている。だから、この稲富の地に巡った災いを見事払い除けた大手柄は、変わらずにあんたのものだ。――それにしても、素晴らしいな、その力は。同じ超人であっても、あんたの力強い戦いにはついつい見惚れてしまうな」

 

 滑らかに喋る、男らしくも凛々しい声。手で取り払ったサングラスからは、この世の美麗を注ぎ込んだかのような美顔が現れる。

 

 透き通るような瞳が、彼女を真っ直ぐと捉えていた。……そして、先ほどにも黄泉百鬼にトドメを刺した、食い破るように現れた刃の山の正体。

 

 彼女は、無言を貫きながら彼と相対し続けた。一切と発することのない言葉をも必要としない、互いにのみ通ずる超人的な感覚のみで、眼前の存在を認め合いながら――



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ヒーローという存在

 災厄が去った今、稲富には爪痕が刻まれし平穏が訪れた。

 

 龍明の大都市から颯爽と駆けつけたのであろう、最南端の島に姿を現した、稲妻の手によって――

 

 

 

 

 

 避難市民や地元のヒーローが、超巨大黄泉百鬼によって破壊の限りを尽くされた街に戻ってくる。皆が命の危機に瀕したことから、稲富に留まらず、こうして国そのものが滅びずに残る現状に、奇跡というものが実在することを信じたことに違いない。

 

 脅威は去り、紅の閃光の出番もこれにて幕を閉じる。……と、通常であれば、姿を消した黄泉百鬼に合わせてその稲妻も跳び去るものだが、今回はその様子を一切と見せることなく、ある存在を目にしたことでこの場に留まり続けていた。

 

 ……稲妻である彼女と向き合うように佇む、一人の男性。雪のようなショートヘアーが特徴的である整った美形の彼は、かけていたサングラスを手で上へとずらしながら、今も対峙するかのような構図で交わし合う視線へと切り込んでいく。

 

「正直、俺一人では手が足りなかったんだ。俺の異能力でもあの黄泉百鬼を討伐できた可能性はあると信じているが、如何せん俺は市民の避難と誘導に専念をしていたもんだから、正直なところ俺一人でこの地を守れる気がしていなかったんだよね。だから、まさか稲富にまで駆け付けてくれた、あんたという最強の戦力に、俺は本心から感謝をしているんだ。……ありがとう、エクレール。あんたのおかげで、稲富とこの世界は救われたんだ」

 

 手を差し伸ばす彼。それは距離を保たれた、代わりとなる握手だった。

 

 それに対し、佇む様で眺めるのみの彼女。その様子に彼は、差し出していた手を流れるような動作で後頭部に回していきながら、セリフをしゃべり続けていく。

 

「自己紹介が必要かな? なら、ぜひともさせてくれないだろうか。俺は、“タイチ”というヒーロー名で活動をしている、『龍明超人協会直系』の、『レオンハルト軍団副団長補佐』を担っている、まぁ、割と名の知れた実力者という名目でやらせてもらっているもんだ。肩書が長すぎてピンとこないだろうけど、要は、俺は龍明超人協会の、会長、団長、副団長、そして副団長補佐の、上から数えて四番目のすごい人って認識でいい」

 

 龍明超人協会直系レオンハルト軍団副団長補佐、タイチ。名乗るその様子はどこか適当でありながらも、その声音は至って真面目といった、適度に力を抜いた調子でそれらを話していく彼。それに対しても稲妻の彼女は動じない中、ふと彼が口にしてきた言葉に、彼女は耳を傾けていく。

 

「俺がこうして稲富に来ていたのも偶然でね。というのも、バックレて姿を消した部下が此処に来ているという情報を入手したもんだから、俺が直々に連れ戻すべく、わざわざここまで足を運んできたという経緯があったんだけどな。……ただ、そいつ、自分の分身を作り出す異能力を持っているもんだから、それにまんまとハメられてな。俺の追跡に気付いていたみたいなんだ」

 

「…………」

 

「それで、そいつを見失っててんやわんやとしていた内に、この騒ぎが起きたんだ。まぁ、ある意味ではここまで来た甲斐があったというもんだ。じゃなきゃ、稲富を起点に、この世界はマジで滅んでいたかもしれないからな」

 

 サングラスを取り払い、右手の指にかけてから、それをくるくると回すようにする彼。と、ここで思い付いたように、続けていく。

 

「で、そんな大混乱と出くわした矢先で、エクレールという噂のヒーローとご対面ときたもんだ。いや実際に目にしてみると、本当に、あんたの中に宿る超人エネルギーの、その爆発的な力の数々に大層驚かされた。あぁ、実力は申し分ない。十分すぎる。ぜひとも、龍明超人協会に入ってもらって、正式なヒーローとなってもらいたいくらいさ。……ただ、爆発的ゆえか、少々と粗削りなところも見受けられるな」

 

「…………」

 

「あんたの力が強すぎて、周囲に被害が出てしまっているんだ。なにも、人を救うことだけがヒーローじゃない。自分の力と異能力の性質を十分と理解した上で、その力を上手く制御しながら、周囲に損害を与えないように立ち回って、問題事を解決する。俺らヒーローにはな、強さだけじゃなく、最小限の被害に留めるための努力も必要とされているんだ」

 

 ちらっ。彼女を見遣る、タイチと名乗った男。いつ見ても一切と動じないその佇まいに、彼は次は何を喋ろうかと軽く頭を働かせていく。

 

 と、そうして少しばかりと外した視線に、彼女は背を向け、そのまま驚異的な跳躍で跳び去ろうとする。それを見た彼は「あ、これだけは聞いてくれないか!」と端的に言葉を投げると、次にも、「これは、超人協会からの、あんたへと向けた忠告のようなものなんだ」の付け加えられた一言に、彼女は動きを止めていった。

 

 すぐにも、彼は忠告ともなるセリフをしゃべり始めていく。

 

「あんたとしても、何かしらの目的を持って、組織に属することのない自主的なヒーロー活動に勤しんでいるんだろう。だけどな、超人協会に所属する人間として、あんたのような非正式なヒーローに活躍されてしまうとな、複雑な事情によって、下手すれば俺らがあんたを討伐しなくてはならなくなってしまう事態になりかねないんだ」

 

 その眼差しは、本物だった。背中越しに感じ取れた視線から、彼の本気さを汲み取った彼女は足を止めて耳を傾けていく。

 

「そもそもとして、世間による善と悪の線引きは、その大きな力を持つ存在が、ヒーローであるかどうか、という大まかな括りの中で決められているんだ。例えるとな、”黄泉百鬼”はその強力な力で人類を襲う、排除すべき悪の存在に分類される。一方でな、”ヒーロー”はその強力な力で人類を救う、信じるべき善の存在に分類されるんだ。要は、悪者の怪物か、正義の味方かの問題だな」

 

「…………」

 

「で、あんたもその正義の味方の括りで戦ってくれているんだろうけど、これを全体的な、大まかな括りで見てみるとな、正式なヒーローではないあんたの立ち位置は、『強力な力を持っている』という共通点のみが一致する、善と悪の間に挟まれた、グレーゾーンの立ち位置に置かれていることになるんだ。――つまり、ヒーローではないあんたという存在は、強力な力を持つ、味方にもなり得るし、敵にもなり得る、信じていいのかどうかの判断に迷ってしまう立ち位置にある」

 

 サングラスを回していた手は、動きを止めていた。それだけ彼は、口にする言葉の一つ一つに意識を集中させていたのだろう。

 

「今は、世間が友好的に見てくれていることから、それに免じて俺たち超人協会は大目に見ているだけなんだ。しかし、いずれあんたの立ち位置は、世間に大きな混乱を招く原因ともなるかもしれない。そうして引き起こされた問題事は、あんたと、俺ら超人協会の信用を落とす、互いに不利益を被る結果となる可能性がある」

 

 視線だけで振り返るように、彼の言葉へと向いていく彼女。その間にも、彼はこの場をチャンスと見るかのよう、訴え掛けられるだけの言葉をぶつけるように彼女へと続けていく。

 

「超人協会は、自分達の信用を落とす要因となりかねないあんたという存在を、危険視している。それに、俺個人としても、ヒーローではないあんたの驚異的なその力が、いつ牙を剥いて民衆に向けられるのか。……そういった、『もしも』の可能性も、ヒーローではないあんたには常に付きまとっているんだ」

 

 …………静寂。彼に対する返事の一つも飛んでこない空間。ただ彼女が彼へと背を向け続けていく中で、彼は最後に締めくくるように、そのセリフを彼女へと伝えていった。

 

「――ヒーローになるか、今の活動を辞めるか。別にこの二択を催促しているわけじゃないんだが、これからも活動を続ける以上は、そこら辺も考慮してくれると助かる。……という忠告さ。聞いてくれてありがとな。あんたも忙しいだろうに、すまないね」

 

 ニッ。無難な微笑みも、彼の美形が後押しして〆の一括りになる。そうして区切りをつけた彼が口を噤んでいくと、そう時間を置くことなく彼女は動き出し、驚異的な身体能力で跳び立っては、瞬く間にその姿を消してしまった。

 

 ……残された彼。後頭部を掻くような仕草でその場に立ち尽くすと、次にも、とある確信を思わせる笑みと共に、清々しい様相でぽつりとそれを呟いた。

 

「……こりゃ、長い付き合いになりそうかもな」

 

 

 

 

 

 稲富にもたらされた被害は甚大でありながらも、それは、国の予想を遥かに下回っていた。これも全て、驚異的な身体能力のみで事件を終息へと導いたとされる、赤き閃光の奮起によるものであることは明確だった。

 

 ステルス機能が搭載されたドローンによる、事の全てを証明する映像。これは瞬く間にメディアで取り上げられると、この件によって、稲妻と称される彼女の知名度はより一層とうなぎのぼりとなる。

 

 朝の番組から、夜の番組まで。ヒーローの活躍を追う特番だけに留まらず、深紅の衣を纏う彼女の姿は、ひっきりなしと映り続けた。そうして画面の中を縦横無尽と駆け回る彼女の姿は余すことなく晒されていき、中には、稲妻に助けられたという人間のインタビューや、その際に貰ったものとして一つの鉄板が紹介されていく場面も、決して少なくなかったものだ。

 

 ――最小に設定された音量で、口のみが動き続ける様を見せていく探偵事務所のテレビ。無音の中で真の情報が伝えられていく最中にも、アタシは事務所に訪れていた一人の依頼主を、ビルの出口まで見送るために外へと足を運んでいく。

 

 外階段を下り、ビルの前まで移動してアタシはお辞儀をした。それを見た依頼者の主婦も一礼をしていくと、改めて、その言葉をアタシへと伝えてきたのだ。

 

「本当に、この度はありがとうございました。息子の行方だけでなく、息子の過ちを正すためにも、ヒーローの皆さまと掛け合って色々とやってくださったことを、協会の方々からうかがっております。どうか葉山さんにも、よろしくお伝えください」

 

「はい。またお困りでございましたら、ウチの葉山が相談に乗りますからね。……息子さん、更生できるといいですね」

 

 稲富の件で、御用になった男性ヒーロー。正直なところ、出所も難しいんじゃないかとも思える今回の大罪は、本人に対してはそんなの当たり前だと怒りの言葉をぶつけたい反面、親御さんに対しては同情さえも抱いてしまう。

 

 アタシは手を振って、依頼主を見送った。それからアタシは三階の葉山探偵事務所へと戻っていくと、そこでは事務机と向かい合い、書類の整理を行うユノさんの姿があった。

 ……事務所のテレビに映る、深紅のコートで暴れ回るその様子。ガスマスクで素性を隠した謎の非公式ヒーローを一目見て、すぐにもアタシは視線をユノさんへと戻しながらそれを口にしていく。

 

「よろしくお伝えください、だって」

 

「えぇ、しかと聞き留めたわ。――これを以て、今回の依頼は無事に終了ね。さ、それじゃあ私は早速、自分へのご褒美としてお出掛けしてこようかしら」

 

「バーに行くの? だったら、帰ってくるのは明日になるよね」

 

「私好みの素敵な女性がいたら、ね」

 

「程々にしなよ? アタシ、ユノさんが興奮するあまりに強い力を使っちゃわないか、いっつも心配してるんだから」

 

「ふふっ、ありがと」

 

 ライダースシャツを肩に掛けるように持ちながら、足早な動作でアタシへと寄っては、この額に軽いキスをしてくるユノさん。それを受けてアタシが「んぎゃ」と驚き半分な反応を見せてしまうと、これに気分を良くしたユノさんは、恍惚といった表情でアタシを見遣って、玄関へと向かい出していく。

 

 ……と、そんなユノさんの外出を止めるかのように、アタシはそれを訊ねかけてしまったのだ。

 

「ユノさんは、ヒーローにならないの?」

 

 ピタッ。止まる動作と、少しばかりと保たれた会話の間。少しして、ユノさんは視線で振り返るようにしながら訊ね返してくる。

 

「菜子ちゃんは、私にヒーローになってもらいたいの?」

 

「え? ……あー、んー。別に深い意味とかはなかったんだけど。その、ヒーローになるための力はあるんだし、何ならいっそのこと、ヒーローになっちゃえばいいのにって、思った」

 

「そう」

 

 二文字を呟き、ユノさんはいつもと何ら代わりのない様子で歩き出すなり、この事務所から出ていってしまった。

 

 ……あ、え、それだけ? アタシは、呆然と立ち尽くすばかりだった。まさか、こんなにも素っ気ない返答で会話を切り上げられるとは思ってもおらず、ユノさんのことだから、アタシにちょっとちょっかいをかけるというか、セクハラまがいの発言をして会話の中身を濁らせるかとも踏んでいたのに……。

 

 意外な返答で、容易く逃げられてしまった。

 

「……でも、ユノさんにヒーローは似合わないか。すっごい自由人だし、今のままの方が、ユノさんとしては心地が良いんだろうな」

 

 自己解決。アタシは自分に頷いて納得してから、終わった業務に羽を伸ばし、解放感と共に録画してあった番組を再生しながら一人の時間を過ごしていった――――



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陰謀を駆ける影
日常へと来訪する超星


 高校のお昼休み。教室で一人お弁当を食べるアタシはいつも、スマートフォンを片手にもぐもぐ口を動かしながら端末を操作している。

 一人を極めた現状に、アタシはむしろ居心地の良ささえも見出していた。それくらいに、アタシは単独での行動を好む一匹狼だったのだ。

 

 ……単独を好む、一匹狼、ねぇ。ふと脳裏によぎらせた、長身で凛々しい佇まいの、白髪ポニーテールが特徴的な女性の姿。アタシも以前までは、彼氏が欲しいなんて駄々をこねていたものだけれど、気付けば“あの人”に似てきている自身の変わりように、成長なのか、変化なのか、よく分からないものを感じている。

 

 というより、『ペットは飼い主に似る』という言葉が先行してしまうのが問題だった。いや、確かに、アタシは彼女に養われているのも事実ではあるけれど……。

 そんなことを考えながら進める食事の手。同時に端末の画面から入ってきたその情報に、アタシは噂をすればというものを実感させられる。

 

「……『エクレール、快進撃』。『稲富に続き、龍明の危機も救う』」

 

 スマートフォンに映る、紅の閃光として活躍する彼女の姿。黄泉百鬼を殴り飛ばすその瞬間が捉えられた写真を見て、アタシはつい先ほどにも考えた、『ペットは飼い主に似る』という言葉を思い出していく。

 

 ……もしアタシが彼女に似ることができたのなら、アタシもまた彼女のように、まるで敵無しな最強ヒーローになれたりするのだろうか――――

 

 

 

 

 

 強さとは、何なんだろう。それはきっと、アタシのような後悔を生まないようにするために、存在するものなのかもしれない。

 哲学かな? 首を傾げながら歩み進める帰路の道のり。隣の道路を走る走行車が風を切る中で、もうすぐそこにまで見えてきた探偵事務所のビルの前で、その姿を見つけていく。

 

 中々に美人な、二十代の女性。その彼女とやけに親しく話し込んでいるのは、圧倒的な美貌で見る者を振り返らせる、絶世の美女。佇まいのみで存在感を見せ付けてくる彼女こそが、ビルの三階に設けられた私立の探偵事務所であり、アタシの住まいでもある葉山探偵事務所の経営者、私立の女探偵、葉山柚乃である――

 

「葉山さん。業務中にも関わらず、わたしのわがままに付き合ってくださり、ありがとうございました」

 

「えぇ、急ぎの案件も無くて暇を持て余していたから、ちょうど良い気分転換になったわ。――おかげ様で、すごく熱烈な一時を過ごすことができたわ。依頼主として事務所にいらっしゃった時から、私は貴女をずっと、魅力的に思っていたの」

 

「まぁ、葉山さん……っ」

 

 頬を赤らめる女性。そんな彼女が照れくさそうに視線を逸らしていくと、それを逃すまいとユノさんは距離を詰め、彼女の背中に手を伸ばして若干と抱き寄せながら、もう片方の手で、女性の手を取っていく。

 

「昼間から乱れちゃって、貴女は本当に卑しい女ね」

 

「ちょっと……っ。あれは、葉山さんがすごかったから……!」

 

「でも、誘ってきたのは貴女からだった。貴女は平日の日中にも関わらず、我慢することができずに私を求めてしまったのよ? ――本当に、卑しい女。そんなに卑しいものだから、あんな、湧き水みたいにたくさんと……」

 

「や、やぁ……っ! だめ、思い出させないで……! 葉山さんがもっと欲しくなっちゃう……っ」

 

「私が欲しくなるの? 貴女には、素敵な殿方がたくさんいるとうかがっていたけれど?」

 

「そんなの、忘れた……っ! 葉山さん。わたしにはもう、葉山さんしか見えないの……っ!」

 

「素直な子。――いいわ。また可愛がってあげる」

 

 百七十九という長身の背で、包み込むように女性を抱きしめるユノさん。その情欲的に見下ろす視線もまた相手の興奮を煽るようであり、ユノさんの懐に収まり切った女性は、この流れに全てを委ねて瞼を閉じ切っていた。

 

 ……うわぁ、大勢の人間が出歩く街中で、一体何やってんだあの人……。すごく近寄りにくい空気を漂わせるそれだったが、如何せんそれを住まいの手前でかましちゃってくれているものだから、アタシは若干と引き気味な表情を見せてしまいながらも、彼女らの前まで来て、無言の視線で訴え掛けていく。

 

 すぐにも、こちらの存在に気が付いたユノさん。投げ掛けた視線と共に、平然とした様で「菜子ちゃん、おかえりなさい」なんて掛けてくるものだから、思いもしないそれに女性は驚きながらもユノさんから離れ、「あ、じゃあ葉山さん、また……っ!!」と言いながら、焦り気味にこの場から立ち去ってしまった。

 

 慌てる背へと、手を振っていくユノさん。その姿が人混みに紛れて消えていくと、ユノさんは「さ、中へ入りましょう」と、何事も無かったかのように言って外階段へと向かい出したのだ。

 

「ちょっと、ユノさん。……あの女の人、前に依頼主として来てくれた人じゃんか! ――まさか、自分の好みだからって、依頼主にまで手を出したの!? そんな私的なことのために、個人情報を利用したりしているんじゃないよね!?」

 

「彼女からの依頼は、すでに解決済みよ。だから契約はとっくに切れているし、彼女の個人情報は適切に処理させてもらった。……その上で、私は個人的に彼女と連絡を取り合い、今日一日を共にした」

 

「…………まぁ、嘘ついてる気配もないし、信じるけど……」

 

「大丈夫よ、菜子ちゃん。私は女にだらしないかもしれないけれど、守るべきものはきちんと守っているわ」

 

 と言いながらユノさんはアタシへと近付くなり、制服越しにお尻を撫で掛け始めたのだ。

 

「ぎゃぁ!!!? ユノさん!!!!」

 

「可愛い。――ほら、続きは事務所の中でしましょう」

 

「は、続きとか無いから!!!! ほんとバカみたい!!!」

 

 本気で怒るアタシの言葉も、既に外階段を上り始めていたユノさんの背中にぶつかっては、敢え無く跳ね返されてしまう。

 

 ……ほんと、信じられない。いや、嘘をついていないことは信じるけれど、その後の――

 

「――もう、何なの……っ!!」

 

 アタシは、いろんな意味で彼女に敵わなかった。それは、どんな黄泉百鬼でも倒してしまう腕っぷし的な意味でも、真面目と不真面目がハッキリしすぎている性格的な意味でも。そして、圧巻の戦闘を繰り広げては周囲の人間を魅了する、ヒーローとしての圧倒的なカリスマ性的な意味でも……。

 

「……アタシも、ユノさんに似ることができたなら、なんて考えてたけど……でも、こんな変態的なところは、絶対に似たくなんかない……!」

 

 不機嫌丸出し。階段を上っていくユノさんの背に、アタシはあからさまに頬を膨れさせることしかできなかった。……しかし、それでも認めるべきところは素直に認めているものだから、アタシは、まぁ今回はそれに免じてという心持ちで自分を納得させつつ、そんな彼女の背についていくように外階段を上り始めたのだった。

 

 

 

 

 

「ねぇユノさん。そう言えばさ、さっきの女の人って、二十五歳なんだっけ。ユノさんも、そろそろ迎える誕生日で二十五歳になるよね」

 

 台所の食器を洗いながら、アタシはそれを訊ね掛けていった。これを耳にした事務机のユノさんは顔を上げ、ペンを持つ手を止めながら答えていく。

 

「そうね。“仮の”誕生日が、そろそろかしら」

 

「じゃ、プレゼントを用意しなきゃね。何がいい? 去年は、ユノさんはお肌の手入れに力を入れているからって言って、基礎化粧品をあげたんだっけ? 今年はどうする? 毎日身体を鍛えているから、トレーニング器具にでもする? それとも、お出掛けで持っていけるような、ユノさんにピッタリなカッコいい鞄にでもしようか?」

 

 色々と挙げながら、アタシは食器を洗う手を止めて彼女へと振り返っていく。

 

 と、そこで目が合う、何かを訴え掛けてくるような、力強い眼差し。頬杖をつきながら向けられたそこからは、瞳の奥で揺らぐ彼女の素直な欲求が表れていた――

 

「今年の誕生日プレゼントは、菜子ちゃんの貞操が欲しいわ」

 

「…………」

 

「ね?」

 

「いや。ね? じゃないんですけど」

 

 呆れ。を、通り越した、一周回っての平常心。予測にも困難を極めない、ある意味で彼女らしい清々しいほどまでの簡潔な返答。

 

 あぁ、はいはい。真面目な話をしたアタシがバカでしたよーっと。全てがどうでもよくなったアタシは、ユノさんを無視するように洗い物へと戻っていった。

 

 ――と、その直後のことだった。

 

 ピンポーン。……突然と鳴り響いた、事務所のインターホン。

 

「え? 来客? ユノさん?」

 

「いえ、今日の予定は無いハズ」

 

 立ち上がるユノさん。アタシが急いで洗い物を済ませていく動作の中、ユノさんはうかがうように玄関へと向かっていき、その扉を開いていく。

 

 ……じきにも聞こえてきた、ユノさんの「どうぞ、こちらへ」の声。その声音はどこか気が進まない雰囲気を漂わせていたものだが、次にも事務所へと入ってきた来客の姿に、アタシは心臓が飛び出るほどの衝撃を受けたのだ――

 

 事務所へと入ってきた、その男性。百八十六もの背丈であり、雪のような柔らかいショートヘアーと、それを覆い隠すように被られた黒色のキャップ。サングラスをかけて素顔を隠すその様と、白色のジャンパーに黒色のシャツ、白色のパンツと、ベルトの長い黒色の鞄という、白黒で構成されたシンプルな服装……。

 

「どうも、お邪魔します。夕方にすみませんね。予約も無しに、突然とお邪魔しちゃって」

 

 滑らかに喋る、男らしくも凛々しい声。話す様子はどこか適当でありながらも、その声音は至って真面目な雰囲気を漂わせる、声だけでイケメンであることを証明する透き通る喋り……。

 

 というか、その声にアタシはとてつもなく聞き覚えがあった。……内心、いや、まさか、なんて思いながらもうかがっていく彼の顔色。すぐにもその手で退けられたサングラスから現れたのは、この世の美形という美形を詰め込んだかのような、白馬の王子様のような完成されし超絶イケメン――

 

 ――というか、この人ってまさか。

 

「た、“タイチ様”!!??」

 

 アタシは、驚きのあまりに声を裏返らせた。同時に巡ってきた歓喜が、アタシを反射的に彼の下へと走らせる。

 

「え、うそ!!? なんで!!? なんでタイチ様が探偵事務所に来てんの!!?? え、だって、ヒーローをやりながらも、ドラマとかモデルとか、いろんなお仕事をしてるスーパースターなのに!!!! え、ホントになんで!!? てか本物!!?」

 

「おぉ、気持ち良いほどの驚きを、ありがとうな。巡り会った何かの縁として、握手の一つでもしておくか?」

 

「えっっっっっ。えっっっっっっ!?!?!?」

 

 歓喜のあまりに、アタシは息を詰まらせて死に掛けた。

 

 上ってきた、言葉にならない音。それを喉につっかえさせながらもアタシはタイチ様を直視し続け、そのまま反射的に両手を出して握手を求めてしまう。……もはや脊髄で物事を考えていた。だが、そんなアタシの期待にもしっかりと応えてくれたタイチ様は、その笑顔と共にアタシの手を握り、握手を交わしてくれたのだ。

 

「あ、あぁぁぁ…………」

 

 表には出さなかったものの、密かにタイチ様のファンをしていた身として、この瞬間にもこの世の未練が無くなったと言ってもいい。

 

 アタシ、もう死んでもいい。脳天に注入された幸福で絶頂を迎えたこの視界。だが、タイチ様の後ろを歩いてきたユノさんが、そんなアタシにものすごい複雑そうな顔を見せてきたことから、アタシは我に返るかのようにハッとしながらも、タイチ様へとそれを訊ね掛けていったのだ。

 

「え、でも、ホントにタイチ様、なんで探偵事務所に来たの!? ドラマの撮影??」

 

「あぁ、いやいや。俺は今日、プライベートのお忍びでここまで足を運んできたのさ。――でもまさか、探偵への依頼は、電話での事前予約が必要だったなんて知らなくてな」

 

「え、依頼……?」

 

 席をずらす音。ユノさんがタイチ様の座るところを用意し、事務机からファイルやペンを持ち出しては長テーブルへと移していく。

 

 そして、彼と向かい合う反対の席を引いていくと、ユノさんはそこに腰を掛けながらそれを口にしていったのだ。

 

「あまりお時間は取れませんが」

 

 ……その声音は、どこか尖りが含まれていた。いや、アタシの勘違いだったのかもしれない。

 しかし、明らかにユノさんの態度は変わっていた。――今、こうして存在している目の前のユノさんは、探偵としての側面をまるでうかがわせない、何かしらの緊張感を持った、“裏の顔”としての対応……。

 

「菜子ちゃん。お茶を用意して」

 

「あ、うん……!」

 

 その目つきも、どこか鋭く思えた。……まるでアタシを突き刺すようなそれに、アタシは動揺してしまいながらも急いでポットを用意していく。

 

 そうしている間にも、タイチ様は席に腰を下ろし、提げていた鞄を傍の床に置きながらユノさんと向かい合っていった。――対面したユノさんの顔を、まじまじと眺めるかのような瞳を向けていきながら。



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予感を煽る不穏の空気

 お茶を差し出したその相手は、偶然にも超がつくほどの有名人であるこの奇跡。アタシはお茶を運ぶお盆を震わせながら彼へと出していくと、彼は「お、ありがとう」と清々しくお礼を言って、ニッと笑顔を返してくれたのだ。

 

 テレビ番組やドラマでしか見たことの無かった、生の笑顔。もはやこの国において知らない人などいないとも言えるイケメンが、アタシのためだけにその笑顔を浮かべてくれた。――あぁ、何ということでしょう。何の変哲もない一般人のアタシが、スーパースターである彼の笑顔を独り占めしてしまっている……。

 

 彼の名前は、タイチ。このタイチという名前は、超人協会に所属するヒーローとしての、ヒーロー名として知られるニックネームであり、彼が芸能界で活動する時の芸名でもあったりする。ヒーローと言うだけあって超人である彼は、『龍明超人協会』の直系、『レオンハルト軍団副団長補佐』という、名前の長さからして最上位の強さを誇る、超人の中でも特に強力な力を持つ、我々にとっての正義の味方だ。

 

 その圧倒的な美形は、もはや人類が生み出した奇跡の賜物。これまでの人類の歴史において彼ほどの顔を持つ者など存在しなかったんじゃなかろうか。この偉大なイケメン具合は、国の重要文化財として指定してもいいレベル。だが、彼のあまりにも素晴らしい要素は、顔だけでは留まらなかった。

 

 ヒーローとしても名を馳せる彼だが、元はと言えばヒーロー活動によって広まったその顔と名前。出身も芸能関係ではなく、それは飽くまでも、ヒーローとして知れ渡る内に副業として発展した活動。顔が良くて演技もできる彼ではあるが、その本業こそは人類を守るべく黄泉百鬼を打ち倒す、白馬の王子様。

 

 端正な顔立ちから繰り出される、超人的なその力。一般的なヒーローでは太刀打ちもできないほどの腕っぷしと、彼が宿す超人的エネルギーが生み出す、どこからともなく現れる鋭利な刃の数々。それは、ある時は地面から生え、ある時は植物からも生え、そしてある時は、対象の身体からも生えてくる――

 

 ――刃を無限に生み出す異能力使い。かつ、相手が起こしていく瞬間的な動作を見切りながら繰り出していく、臨機応変ながらも堅実な戦闘の立ち回り。相手の攻撃をいなしながら、確実に刃で斬り刻むその姿はまるで、蝶のように舞い、蜂のように刺すを体現した鮮やかさと華があり、彼は見る者を惑わしながら、あるいは誘惑しながら、対峙する者を斬り捨てた返り血で濡れていく……。

 

 ……この様子から、彼は“千刃鶴”という異名をつけられていた。ユノさんで言う、紅の閃光、と同じようなものか――

 

「それで、探偵さん。先ほども入り口で軽くお話ししたと思いますが、今回、貴女に相談したい案件が二つあったんです。が、時間も遅いんで、内一つは日を改めて相談したいと思っています」

 

「お気になさらず。内容によっては、二つの依頼をお引き受けすることも可能ですから」

 

 軽快に喋るタイチさんと、一方で警戒する様子を見せていくユノさん。……やっぱり、いつものユノさんじゃない。アタシがその横顔に少しばかり不安に思ってしまう中でも、二人の会話は次々に進んでいく。

 

「ありがとうございます。俺が依頼したい二つの案件は、それぞれ、人探しと、素行調査です。まずは、人探しの件で相談をさせてください」

 

 そう言い、テーブルの上で両手を組んでいくタイチさん。

 

「とあるヒーローの所在を探りたいんです。その人物は我々超人協会内で将来性を見込まれており、いずれこの世界を支える、戦力の要ともなり得る逸材なんです。最前線で戦えるだけの実力は十分。カリスマ性もあり、世間からも愛されている。ただ、その人物をスカウトしようにも、基本は神出鬼没であり、接触を図ろうにもその機会が中々に巡らず、スカウトに難航してしまっているのが現状です」

 

「……お訊ねしますが、その人物の名前をお聞きしても?」

 

「名前は不明です。ただ、世間からは、“エクレール”の呼び名で浸透しております」

 

 …………っ。アタシはユノさんを見遣った。

 

 ポーカーフェイス。至って平然とした様相だった。しかし、タイチさんが捜しているというその人物がまさか、目の前にいるだなんて思いもしないだろう……。

 

「申し訳ありませんが、こちらのご依頼を引き受けることはできません」

 

「何か、不都合でも?」

 

「モラルの問題です。所在調査は、その対象の所在を特定する調査です。この葉山探偵事務所の方針として、所在調査を引き受ける場合、その対象者は依頼主のご家族や身内の関係者、及びご友人といった、依頼主との接点を持った人物であることを条件としております。依頼主との接点を持たない第三者の所在を特定するような調査は、犯罪の助長となる可能性があることから、このような方針を掲げておりますので、どうかご了承ください」

 

「なるほど、確かにそうだ」

 

 ニッ。ふと見せたタイチさんの笑みは、ユノさんをじっと眺めて、捉え続けていく。

 

「どうやら、葉山さんは信頼しても良い人物のようだ。――そういうワケで、ここからは二つ目の案件についての相談をさせてもらえないだろうか」

 

「素行調査、ですね。ただし、素行調査も、身内といった親密な関係とはいかずとも、依頼主にとって第三者にあたる、全くの無関係である人物が対象者である場合、先ほどと同じ理由で依頼をお断りさせていただくことがございます」

 

「それであれば、俺がこの案件を依頼する理由としては十分だな。……なに、先ほどのエクレールの件とは違って、この素行調査の対象者は、俺の叔父にあたる人物なんだ――」

 

 

 

 

 

 夜を迎え、大都市から射す無尽蔵な照明によって一つの夜景を展開する、龍明の街。眠ることも知らずに発展を続ける街中では、その各地で引き起こされる様々な事件の騒動によって、今日も忙しなくとヒーローの行き交いが繰り返されていく。

 

 何気無い街並みに馴染む、大きなテラス席が特徴的な洒落っ気あるレストラン。煌びやかな照明もまた、この大都市に光をもたらす明かりの一部となり、誇らしげにその運営へとあたっていくのだ。そんな賑わいをみせるレストランの外席で一人、食事を行っていくアタシ……。

 

 少しして、悠々とした足取りでアタシのいる席へと歩いてきた、ユノさんの姿。彼女を発見してアタシは手を振っていくと、ユノさんもまた柔らかな笑みを浮かべながらこちらとの合流を果たして、席へと腰を下ろしていった。

 

「お待たせ、菜子ちゃん」

 

「ううん、平気。スマホで見てたよ。ユノさんの活躍」

 

「ありがとう。食事中の菜子ちゃんが目にするだろうと思って、形を残しながら討伐してきたわ。中身が出てしまっていたら、菜子ちゃんの食欲が失せてしまうでしょう」

 

「もう今更って感じでもあるけどね。いつもご飯食べながらユノさんの活躍見てるし。……でも、ありがと。命を懸けて戦ってくれているのに、アタシのことも考えてくれてさ」

 

「当たり前じゃない。私はいつまでも、菜子ちゃんのヒーローであり続けてみせる」

 

 そう言い、グレープジュースの入ったグラスを手に取って、口へと流し込んでいくユノさん。足を組みながら、背もたれに肘をかけて飲料を飲んでいくその様子は、中身がジュースであっても大人の飲み物を連想させてしまう。

 

 ……ほんと、こういう時だけはそれっぽいんだから。なんか、ずるいなぁ。アタシはオレンジジュースを飲みながらそんなことを考えている間にも、ユノさんはオーダーを頼んでは一息といった調子で、軽く息をついて目を閉ざしていく――

 

 ――と、直後にも一つの悲鳴がテラス席に響き渡ったのだ。

 

「遺言なんて、そんなッ!!! あなた、今どこにいるの!!? ねぇ、返事してッ!!! ――うそ、電話が切れて……あなた、あなた……!!!」

 

 近くの席に座っていた一人の女性が、耳に当てていた携帯電話を落としながらその場で泣き崩れていく。この事態に店の従業員が駆け付けてくると、女性は従業員に掴みかかるようにして、涙ながらに、「旦那が……旦那が仕事帰りに、黄泉百鬼に襲われたって……ッ!!!」と訴え掛け始めたのだ。

 

 ……賑やかだった周囲の活気が、一瞬にして通夜のような空気となる。

 

 ――日常茶飯事な光景だった。黄泉百鬼という死の国から蘇りし超人エネルギーの暴走体がこの世界に蔓延る限り、大切にしていた人がいつ自身の下から去ってしまっても、何らおかしくないのが現在のご時世だったからだ。

 

 アタシは、一年前の大災厄を思い出す。……パパ。失った平和な日々に、堪え難い思いで胸がいっぱいとなる――。

 

 ごとっ。ゆっくりと立ち上がった、アタシの正面。すぐにも動き出した彼女のそれにアタシは視線を向けていくと、脱いだばかりのライダースシャツを肩に掛けるように持ち出したユノさんが、この場を去るように歩き出すその姿――

 

「菜子ちゃん。ステーキを注文してしまったから、直にも運ばれてくると思うわ。……冷めてしまう前に、私の代わりに食べてくれないかしら」

 

「……行くんだね」

 

「見過ごせないでしょう」

 

「そういう所、すごくヒーローっぽい」

 

「私は、菜子ちゃんにとってのヒーローで在り続けたいの」

 

 レストランを後にしたユノさん。落ち着くこともなく夜の街へと姿を消していった彼女の背を見送りながら、アタシは言葉にすることのなかった声援を、内心で何度も繰り返していった。

 

 ……ただ、このレストランに訪れたのも、元はと言えば素行調査の依頼の一環であったことを忘れてはならない。

 それは、ヒーローであるタイチさんの叔父にあたる人物であり、黄泉百鬼の生態を追究する研究員として世間に名が知れ渡っている、黄泉百鬼の専門家、“桃空博士”の悪行を突き止めてほしいという内容。

 

 正式には、悪行と決まったわけではない。ただ、その疑いを匂わせる言動が目立つことに危惧しているらしく、タイチさんはその対象者の素行を調査してもらいたいという案件で、アタシ達にその依頼をお願いしてきた。

 

 話を聞いたユノさんは、これを承諾。タイチさんはそれに安堵を見せていくと、桃空博士という、アタシやユノさんも知る有名人との、自身との繋がりを証明する代物を提示していったことで、ユノさんはそれを元にして現地の調査へと乗り出したという流れだった。

 

 ……タイチさんが探偵事務所に現れてから、数日もの時間が経過していた。アタシもさすがに明日は学校があるということで、これでユノさんの帰りを待つことなく、事務所に一人で帰ることとなっていたものだけれど……。

 

「……なんか、今日は特に黄泉百鬼の被害が多い気がする」

 

 龍明の大きい街道を辿る帰り道。煌びやかな照明に照らされながらも、心のどこかで不穏な空気を悟ってしまっていたアタシ。

 

 日に日に数を増してきた黄泉百鬼の出現報告や、その度に出向くユノさんの出動回数に、アタシは嫌な予感がしてしまえていた。

 ……何かが起こるかもしれない。言い知れないそれにユノさんの身を案じながら、アタシは探偵事務所までの帰り道を辿っていった。



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鮮血に濡れし、紅き閃光

 大都市の龍明に存在する、発展途上の中央から広がるように展開された大きな町。波状のように地平線へと続いていく龍明の地域は国一番の面積を誇っており、それを余す事なく活用する方針から、龍明の人々による地域づくりによって、その面積は未だに広がり続けている。

 

 中央ほどの活気や照明は無いものの、町という規模であるこちらの地域にも、多くの人々や交通の便が見受けられた。

 彼らもまた、黄泉百鬼に怯えながらも日々を平穏に過ごす、ごく一般的な市民だった。中央から外れた地域であるゆえに、セキュリティに関して言えば少々と心許無い印象が与えられる、みすぼらしさをうかがわせる町並みが特徴的だった。しかし、一方で黄泉百鬼の被害は、中央の大都市よりは少ない傾向にある。

 

 そのことから、中央から外れた地域である町の規模での暮らしに、憧れを持つ者も少なくなかった。……治安としてもきっと、波状のように広がる周囲の町々の方が良かったに違いない。

 

 今日も、若干ながらの貧相な町並みを行き交う姿が多かった。夜ということもあって、帰路であったり、寄り道であったり、その個人によって目的が大いに異なってくることだろう。

 

 ――だが、この時ばかりは、そんな町並みに一つの脅威が迸っていた。物が敷き詰められていない、空間にゆとりのある町中を、異質な形状を成した黄泉からの使いと、それを仕留めるべく追い掛ける紅き閃光が、白熱としたチェイスを繰り広げていたものだから。

 

 

 

 

 

 驚異的を超越した、超人をも凌駕する身体能力。そこから発生する爆発的なエネルギーは、あらゆる速度にも対応できる俊足としても機能していた。

 だが、同時にして脅威と呼ばれ恐れられる異形の存在もまた、それと互角なスピードによって大都市の中を突き進む。

 

 一直線の町を抜ける、凄まじい速度の軌跡。町往く人々がそれに驚きと不安を抱えながら、それらを噂していく。

 

「な、何だ……!? すごい風圧と一緒に、何かが駆け抜けて……!?」

 

 スーツ姿の男性が振り返っていく間にも、それらは既に次の地域となる別の町の道路を突き進んでいた。

 

 ――先頭を往く存在。それはタコを彷彿とさせる八本の触手が特徴的な生物であり、膨らんだ頭部と触手に巡る吸盤の数々が、より一層とそのイメージを定着させていく。だが、それが地上で浮遊を行い、それも、大気中を高速のスピードで突き抜けていく姿は、とても常識からかけ離れた有様であることが確かだった。

 

 そんな異形は、一本の触手で一人の男性を抱え込んでいた。彼はそれなりの歳である一般人であり、この高速に晒され続けたことで、言葉にならない声を出しながら、ただただ自身の行方に震えるばかりであった。

 

 一方、高速の異形を追う形で駆け抜けるのは、深紅のコートを身に纏った、大地に迸る稲妻。ガスマスクで素顔を隠したその活動は、もはや言わずもがなである。

 彼女は、それなりな時間をこの異形に費やしていた。この脚を以てしても追い付くことが敵わない存在は恐らく初めてであり、彼女は走らせる脚を止めることなく、しかしどのタイミングで仕掛けるかの思考を巡らせ続けていく。

 

 最小限の被害で、町の中を抜けていく双方。互いに荒事を避けたいという意思が読み取れる、避けていく場面では確実に避けていくチェイス。じきにも異形は脇に逸れた小道を見つけると、その高速を以てして即座に方向変換し、不意を突くよう直角に曲がる軌道で紅き閃光を振り切っていく。

 

 彼女もまた、その動作に食らいついていった。小道へと入った双方は、次々と直角に続く入り組んだ小道の中を、精密な判断力でぶつかることなく突き抜けていく。

 だが、その直角によって、彼女は着実と異形との距離が離されていた。次第と突き離されていく距離と、入り組んだ道によって、視界に捉え切れない対象の異形。

 

 ……彼女は、走りながらも考えた。――むしろ、これを好機と見たのだ。

 

 

 

 直角を鮮やかに突き抜け、再び町中に出てきた異形。抱えた男性が怯える様子を無視して進む自身の道のりを、異形は振り返るようにして見遣っていった。

 

 ……ヤツの姿は見えない。おそらく、ついてくることができなかったのだろう。

 再び前を向く。——もう、心配することはないのだ。不安となる要素が取り除かれた今、後は自身の向かうべき道を突き進むだけでいいのだから。

 

 染まる陰り。人型のそれが、高速を突き進む異形にかぶさっていく――

 

「うぁ、うぁああああッッッ」

 

 驚きで声を上げた男性は、次の瞬間にも風圧によって遠くへと吹き飛ばされていった。

 直前にして、浮遊していた異形の身体が突如と地に落ちる。――いや、頭上から降りかかった強力な剛腕によって、その異形は地面に叩き付けられていったのだ。

 

 上空を駆け、入り組んだ小道の地形を無視した稲妻。迷路のお約束を無視した破天荒な立ち回りと、暴風が束となって襲い掛かったかのような拳の一撃によって、異形を地面に埋めながら体勢を立て直す彼女。

 

 すぐにも、吹き飛ばされていった男性の下へと駆け出した。

 視界の中央に捉え、高速のダッシュによって、男性が落ちてくるだろう地点へと向かい、豪快なスライディングを決めていく――

 

 ――男性を抱えるようにキャッチした彼女。そのまま町をしばらくと滑り込んでいき、それが自然と止まる頃に、瞑っていた目を開けていく男性。

 抱えられた自身に、男性は言葉を失って驚くことしかできなかった。興奮と恐怖によって息も切らしており、この世の終わりのような一時を過ごしたことが目に見えて分かる。

 

 稲妻の彼女は、どこからともなく、一つの携帯電話を差し出した。それを見た男性が、「そ、それ、おれの……」と声を出していくと、彼女はそれを男性へと手渡ししていき、次に右手の親指と小指のみを立てて、自身の耳元でそれを軽く振っていく。

 

 『電話 しろ』。声を出さない稲妻からのジェスチャーだった。男性はそれに不思議と思いながら見遣っていると、ふと視線を他へやった彼女は直後にも、男性を置いていくなり異形の下へと駆け出してしまっていた。

 

 あの異形が、再び動き出して逃走を図っていたのだ。これを追いかけるべく町から姿を消した彼女と、その背を見遣り続けながらも、ふと向けた携帯電話の液晶に映る画面……。

 そこには、一つの写真と電話番号、発信のマークがあった。彼はこれを見て、安堵のあまりに携帯電話を抱えるようにしながら涙を流していく。

 

 ……男性は、発信ボタンを押して耳へとあてがった。――すぐにもスピーカーから流れてきたのは、彼が愛する妻の声だった。

 

 

 

 

 

 龍明の夜を突き抜ける異形の姿。それを追うよう街の照明を飛び越える、一つの人影。

 空中におけるチェイスも互角のスピードを繰り広げた中、突如と地上へと下りた異形を追うべく建物の屋上に降り立った彼女が、目の前に続いていくそれらを渡りながら脚を走らせる。

 

 と、彼女はふと、屋上にあった機材の陰に身を潜めた。

 ……物陰から見遣る、その光景。稲妻の追跡を撒いたと思ったのだろうか。その動きを鈍らせながらも、大気中を泳ぐように存在感を消しながら異形が忍び込んでいく、一つの大きな建物。

 

 周囲の建造物を一回りと巨大化させたようであり、雲のように幅のある、近未来的なその建物。周囲には、サーチライトとも言えるだろう地上から射す明かりが夜の龍明を照らしており、さらには建物の周囲を徘徊するよう動き回る、監視カメラ用のドローンの姿。

 

 彼女は、物陰から出てきた。その足取りは、まるで意外そうに様子をうかがうものだった。

 ……時代の最先端を行った形状の建物は、まるで研究所を思わせる。それもそのはずで、今こうして視界の中央に捉えている建物こそが、彼女が“表の顔”で承った案件の、所在だったからだ。

 

 ――彼女は、気配を殺しながら、音も掻き消す隠密行動で建物へと近付いた。

 下からのサーチライトと、徘徊するドローン。建物に近付くにつれて、それらに捉えられてしまう可能性が増える、侵入の難易度が高い区域。

 

 ……だが、そんな研究所に、あの異形が侵入していったのだ。建物の上層部分にある一室の窓が開いているその隙間から、異形はすり抜けるような流れで内部へと入っていった。

 

 研究所内の人間が、危ないかもしれない。彼女もまた、監視の目を盗んでその窓へと跳躍を行った。

 建物の屋上を飛び移って近付いたその距離。申し分ない距離にまで詰め、頃合いを見計らって飛び出していった自身の身体を、ちょうど窓の位置に落ちるよう調整していく。

 

 彼女は、くぐり抜けるように窓からの侵入を果たしていった。

 同時にして周囲を警戒する。……照明の灯らない、物音ひとつも立たない無人の空間。

 

 あの異形は、何処へ……? 彼女は不思議に思いながら、一歩、また一歩と歩みを進めていく――

 

「そう警戒しなさんな。確かにここは、わたしが有する個人の研究室ではあるのだがね」

 

 暗がりから響いてきた男性の声に、彼女は咄嗟にそちらへと向いていった。

 

「なんとも、大胆な侵入じゃないか。とても鮮やかな身のこなしも、テレビで拝見したままの動きだ。しかも、メディアでしょっちゅうと見かける怖い顔。そんな、正義の味方を気取るフリーの超人さんが、不法侵入という罪を犯してまでこの研究所に。はて、一体何の用かな?」

 

 暗がりから、歩きながらゆっくりと姿を見せていく男性。白衣を着こなし、ゴーグルを着けたその外見。しかし、特筆すべき点は、彼が生やしている雪のような白色の短髪だっただろう。

 

 その色合いには、馴染みがある。彼女が佇む中、男性はセリフを続けていった。

 

「わたしは、“桃空”というものだ。あなたも、わたしを拝見したことはないだろうか? 世間では“桃空博士”という愛称で呼び親しまれている、黄泉百鬼というこの世界の害悪についての研究を行う、しがない研究員。という名目なんだが、ね、知ってるよね?」

 

「…………」

 

 素行調査の対象者、桃空博士。本人との接触はリスクが高く、素性が知られてしまえば、本件は失敗という形で依頼主を失望させることとなる。

 

 だが、今は“裏の顔”として活動する姿。彼女は彼の言葉に反応することなく、“裏の顔”としてこの場へと訪れた目的で周囲を見渡していく……。

 

「ん? どうしたかな? わたしの部屋を、そんなに見渡して。……あぁ、あぁ。興味あるかな? わたしの研究に。ヒーローもどきの慈善活動を行う“エクレール”ともあろう方ならば、黄泉百鬼という無限に湧き続けるこの世の害悪生物を、興味本位で研究を続けるわたしの意見の一つや二つも聞きたいだろう。ね?」

 

「…………」

 

 この部屋へと侵入したはずの、あの異形の姿が見えない。

 彼女は、神経を張り巡らせて周囲の気配を拾い上げていった。

 

 ……と、そうして意識を内側へと向けていく彼女へと、桃空と名乗る博士はそれを口にしていく――

 

「せっかく研究所へと足を運んでくれたんだ。その手段こそは強引で、法に触れる褒められたものではなかったけどね。しかし、こうしてわたしの研究所に訪れてくれた客人をもてなさないこともまた、非常識。……そこで、わたしなりのおもてなしをぜひとも、あなたへ贈りたい。そう、これは――わたしにとって、好都合極まりないのでね」

 

 桃空博士へと視線を向ける彼女。

 ――瞬間、死角から伸びてきた気配に、彼女は瞬間的に身体を逸らすことでその脅威を避けていった。

 

 バァンッ!!!! 伸びてきた気配が彼女の傍を通り抜け、直後として後方から響いてきた崩壊の音。目に見えぬ伸びた脅威の何かによって、研究所の壁が部分的に粉々と砕け散ったのだ。

 

 続けて、彼女は気配を感じ取る。それは無数となって前方から伸びているようで、それを感覚のみで感じ取りながら、彼女は上半身を揺らすことで確実に避け続けていく。

 そして、自身の耳元を通り抜けたそれへと手を掛けると、同時にしてぬめりを帯びた感触がガントレットに伝うと共にして、彼女はそれを全力で引っ張ることで透明の何かを強引に引きずり出したのだ。

 

 前方に積み上げられていた荷物の山を突き破る、瞬時にして姿を現した異形の姿。タコを模したその形こそ、彼女が不法侵入までして追い掛けてきたそれと同一のものだった。

 彼女が手に持つ触手が、意図的に千切られる。これによって本体から切り離された彼女は、手に残ったそれを捨てつつ、桃空博士の下へと駆け寄っては彼を守るべくその前に立ち塞がった。

 

 と、次の瞬間、彼は彼女の耳元で、それを呟いたのだ。

 

「安心したまえ。それは、わたしのペットだ」

 

「……っ!?」

 

 わずかながらと振り返る彼女。その隙を突くように、高速の飛び掛かりで襲い掛かった異形の存在。

 彼女は、触手によって身柄を拘束された。そしてすぐにも異形の存在に、鮮血の如き赤色の墨を振りかけられる。

 

 深紅のコートのみならず、その全身を真っ赤に染めた彼女。それが行われた直後にも、彼女は驚異的な力による強引な引き剥がしとして両腕を振り上げ、これによって拘束を解くと同時にして目にも留まらぬ剛速の拳を一撃、異形の存在へと殴りつけてやったのだ。

 

 その身体が吹き飛ばされ、研究所の壁を破っていく様子。この物音は研究所全体にも響き渡ったようで、それをキッカケとして、防犯ブザーが鳴り響き始めたのだ。

 

「おぉ、豪快だねぇ。さすがは、龍明や稲富を救ってきた超人なだけはある」

 

 余裕綽々。そんな様子で言葉を発する彼へと振り向いていく彼女。

 

 すぐにも、研究所の自動トビラが開かれた。そこから急ぎの様子で佇んでいたのは、この研究所で働いているのだろう、秘書とも呼べる服装をした一人の女性……。

 

「桃空博士!? 無事でしょうか!?」

 

「あぁ、平気だよ。それよりも、急いで緊急招集命令を出してくれないか。場所は、ここ。ほら、常備している緊急用のブザーで、早く」

 

「え!? あ、はい……!!」

 

 そう言い、女性は入り口に留まりながら、肩に掛けていた鞄の中から一つのボタンを取り出していく。

 手の中に納まる程度の、小さなボタンだった。女性はそれを押していくと、次にそれを口元へと運びながら、「至急、桃空博士の研究所前へいらしてください!」と言葉を投げ掛けて博士へと向き直っていった。

 

「博士、これでいいでしょうか!?」

 

「あぁ、そうだね。ご苦労様」

 

「では、急いで避難を――ッ」

 

 瞬間、女性の胴体が触手に貫かれた。

 

 ――背後に回る、異形の姿。女性は悲鳴をあげることもままならないまま、血を噴きながら力無く項垂れていく。

 稲妻の彼女は、それを目撃するなり桃空博士へと向いていった。……動じる様子を見せない博士の様相。焦りも脅威もうかがわせない、冷酷な眼差し――

 

 異形は貫いた触手を引き下げて、女性を廊下の壁に打ち付ける。そしてすぐにもその姿を透明化させていくと、この直後にも駆け付けてきた、武装した警備員たちが研究所内へと武器を構え出していったのだ。

 

「は、博士ッ!!!! 無事ですか!!」

 

 警備員の存在に、彼女はそちらへと向いていく。

 

 と、それと共にして、博士は突如と大声で喚き始めたのだ。

 

「た、助けてくれェッッ!!!! こ、この超人が……!!! この超人が、わたしの秘書を……ッ!!!!」

 

 稲妻の彼女は、博士の言動に即座と振り向いた。

 

 博士は、恐怖におののいた顔で、稲妻の彼女を指差していく。……廊下には、倒れる血だらけの女性。警備員はそれを目撃してから再び研究所内へと視線を戻していくと、そこには鮮血の如き真っ赤な墨を被った、紅き閃光の姿が存在していた――

 

「エ、エクレール……ッ!!!? そんな、まさか……ッ!!!?」

 

「そのまさかなんだよっ!!! は、早くわたしを守って……! いや――この研究所を襲撃してきたエクレールを、早く始末してくれェェっ!!!!」

 

 怯える博士は、頭を抱え込んでその場に転げ回った。

 

 大げさな演技であり、迫真でもあったそれ。彼女がそれを弁解しようと警備員へと手を伸ばした瞬間にも、彼らは向けた機銃の発砲によって、彼女への攻撃を開始していったのだ。

 

 弾丸の嵐を避け続け、彼女は研究所内をしばらくと跳び回る。――弁解の余地無し。状況が既に傾いている現状、口頭で彼女の無実を晴らすことは叶わなかったことだろう。

 

 彼女は、粉々に砕け散った壁から研究所の外へと跳び出した。それを追撃するかのように警備員は駆け寄って発砲を繰り返していく中、彼女は追手のついてこられない驚異的な跳躍の移動によって、瞬く間に龍明の夜へと溶け込んでいったのだ。

 

 ――ブザーが鳴り響く研究所。サーチライトが、襲撃を受けた研究所を照らしていくその中、徘徊していたドローンの数々は、この一部始終をしっかりと捉えていた。



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英雄の着ぐるみを剥がされて

 その日、龍明を始めとした全国の人々が震撼した。

 これまで、超人協会という組織に属することもなく、正体不明のヒーローとして独立した慈善活動を行ってきた、紅き閃光エクレールの輝かしい功績。その結果を知る者であれば、誰もが認めざるを得ない稲妻の偉業の数々。

 

 だが、メディアへと提供されたとある一本の映像が、それまでと信じ切っていた厚い信頼を地へ落とす結果となったのだ。

 

 黄泉百鬼の生態を追究する、研究家の桃空博士を襲撃した事件。研究所を監視していたドローンが撮影したその映像には、稲妻の侵入から、返り血を被ったその姿で建物から飛び出していくその一部始終が捉えられていた。

 

 この日にも、全国にも渡る多くの人類が、その超人に対する非難の声を上げていった。――我々のヒーローだと思っていた、エクレールという最強の超人は、人類が心を許した時に抱く精神的な繋がりの、信頼というものを理解した上で利用することで、その牙を巧みに隠し続けてきたのだと。正体不明の通りすがりの救世主という、得体の知れなさを売りにした肩書で我々の人間社会へと溶け込むことで、こうして牙を剥く機会をうかがい続けていたのだと。メディアによって稲妻の企みが露見したその瞬間にも、人類という生き物は失望と不安のままに、荒げた声でそれらを口にしていったのだ。

 

 証拠となる映像が全国に拡散された瞬間からも、エクレールという脅威を敵対視する勢力が着実と数を増やしていった。――数多のヒーローをも凌ぐその驚異的な身体能力も、今を生きる全人類にとってはもはや、この世界を滅ぼしかねない要因として多くの人々に恐れられ始めたのだ。

 

 

 

 

 

 宵闇の龍明。照明が眠らぬ街をつくり出す、平穏を謳歌する変哲の無い一時。

 と、その時にも上がった悲鳴と共にして、車が横転する音が街中へと響き渡った。

 

 現場は、龍明という大都市の中でも特に中央寄りである、盛大な活気に溢れる繁華街。煌びやかな街灯と店の明かりが如何にも、この地域こそが国の経済を支える主戦力ですと主張するようにギラギラと輝き続けている。

 

 そんな大勢が集う街の中に、一体の黄泉百鬼が現れていた。カニの甲羅を背負うような、人型のそれ。両腕は殻のように硬い皮膚で形成されており、両足も、節足動物に似通うものでありながらも人の脚部を思わせる形状をしていることから、余計に不気味な印象を与えてくる紛れもない脅威。

 

 それが突如と姿を現すと、腕による薙ぎ払いで傍の車を力ずくで押し退けて、周囲の人類へと存在を知らしめたのだ。これには力を持たぬ人間達は自身らの危機のままに、悲鳴を上げながら逃げ惑うのみ。

 

 すぐにも黄泉百鬼は、殻のような皮膚でありながらも伸縮自在と伸ばせる腕で、目についた一人の男性を掴んで、引き寄せた。掴まれた男性は絶命を悟った大声を上げてもがくものだったが、常人の力では一切と敵わぬ黄泉百鬼の握力によって、男性はそれを振り解くことも許されない。

 

 黄泉百鬼が男性を持ち上げていくその様を、周囲の人間は逃げ惑いながらも眺めることしかできなかった。――あぁ、彼はただただ不幸な人間だった。身を守るには逃走の一択しか存在しない常人たちが皆、内心で口を揃えながら男性の成仏を願っていく……。

 

 男性の首に、黄泉百鬼の手があてがわれる。

 

 斬首されるか。多くの者達が目を背けていくその光景。――だが、次の瞬間にも、迸った一つの紅が皆の確信を裏切るように現れたのだ。

 

「あ、あれは……エクレール……っ!!」

 

 ギャラリーの若い男性が声を上げると、その場の一同は一斉と顔を上げてそれを視界へと入れていった。

 

 黄泉百鬼を、変わらぬ剛腕に物を言わせて殴り飛ばしていく、超人の姿。見慣れていながらも、しかし我々へと降りかかる脅威を予感させる、一種の宣告とも言えるその一撃が、黄泉百鬼という人類がこれまでと敵対視し続けてきた破滅の申し子を、瞬殺してしまう。

 

 黄泉百鬼に掴まれていた男性は、拳の勢いで吹き飛ばされていった黄泉百鬼から解放されるように、衝撃のままその身を投げ出していった。――上がる悲鳴と、直ぐにもそちらへ駆け込んだ稲妻の超人。この脚力で男性が落下する前にも容易く空中で受け止めていくと、稲妻は着地の滑り込みからピタッと静止して、抱える男性をゆっくりと下ろしていったのだ。

 

 これら一連の騒ぎを、中継という形で放送していたドローンが飛び交う上空。多くの目に留まるこの空間の中、稲妻の手によって無傷で済んだ彼は、一方で恐怖を隠すような強張った表情で稲妻へとそれを口にしていく。

 

「……お、おれらを襲っておいて、今さら媚を売りに来たのかよ……ッ!! どんなにヒーローらしい人助けを行おうとな、おまえはもう、れっきとした人類の敵なんだよ……!! 分かるか……!? あぁ!?」

 

 次にも、男性から繰り出された一発のビンタが、稲妻の頬に叩き付けられたことで高い音が響き渡った。

 

 ――叩かれて、そっぽを向く稲妻。この様子に男性は、次にも重たい蹴りを稲妻の胴体へとかましていき、その超人を一歩と退けていく。

 

「おれに触れるんじゃねぇ!! このバケモノがッ!! おれらを敵に回しておいて、平然と人間社会にしゃしゃり出てくるんじゃねぇぞ、この外道野郎ッ!!」

 

 男性のセリフに感化され、次の時にも周囲の人間が怒れる声を一斉に上げ始めたのだ。

 

「そーだそーだ!! 人を助けただけで、良い気になってんじゃねぇぞッ!! この、人の形をしたバケモノ野郎!!」

 

「わたし達はね、あんたみたいな怪物に毎日怯えながら暮らしているのよ!! ねぇ、分かる!? この苦しみ!! あんたみたいな滅ぼす側のバケモノにとって、わたし達人類の苦しみは分からないでしょうね!?」

 

「なぁ、そもそもとして、エクレールってもしかして黄泉百鬼なんじゃねぇの?」

 

「なにッ!? おい、ヒーローはいないのか!? 一刻でも早く目の前のバケモノをぶち殺せッ!!!!」

 

 稲妻を取り囲み、数の言葉によって空間的に圧倒する人類の抵抗。その言動は更にヒートアップしていくと、人々は騒動の中で散らばっていた車の部品や、落ちていた鉄パイプを拾い出していくと、それを稲妻へと投げつけてきたのだ。

 

 四方八方から投げつけることで、眼前の脅威を排除するべく働き始める団結力。これら以外にも石ころや魚といった、手で掴める様々な物を人類は見つけていくと、それを即座に投げつけながら紅き閃光へと罵声を浴びせ続けていく。

 

 降りかかる周囲のそれらに対し、稲妻は抵抗する様子を見せなかった。――それどころか、その場から立ち退く動向もうかがわせず、その場に留まり続けては、人類から投げつけられるもの全てを受け止めるように、避けることもなく稲妻はやられるがままを貫いていた。

 

 と、次の瞬間にも、一人の男性は頭に血が上ったままにあるまじき行為を働きかけた。

 

「こんの……!! あんな人殺しバケモノ、野放しになる前におれの手でぶっ殺してやる!!!!」

 

 男性は叫び上げると、暴徒化した民衆を止めるべく駆け付けた警察官の一人に襲い掛かるなり、彼が携帯していた一丁の拳銃を奪っては、それを紅き閃光へと向かって発砲してきたのだ。

 

 パァンッ!!!! 響く銃声が、怒り狂う人類の意識を取り戻した。一気に沈黙した空気の中、発砲した男性は複数の警察官に取り押さえられ、身柄を拘束されていく。

 

 ……着弾した稲妻は、額に当たったその衝撃で顔を仰け反らせていた。

 素顔を隠すガスマスクが、稲妻の身を守ったとも言えるだろうか。――いや、それがたとえガスマスクを装着していようとも、していなくとも、これまでの超人をも超越する活動を可能としてきた彼女の、驚異的な身体からしてみては、もはや銃弾の一発や二発など、然したる問題では無かったのだ。

 

 むくり。撃たれた額のまま、仰け反っていた顔を起き上がらせる。……ガスマスクの額部分に残る黒焦げは、放たれた銃弾が本体に届いていないことを告げていた。

 

 ガスマスクの強度が強かったのか。それとも、眼前の稲妻ほどの身体能力まで来ると、もはや銃弾すらも身体を通さないのか。どちらにせよ、生身の人間では武器を使用しようとも一切と傷付けることのできないその存在に、一同は改めて、現在と相対している存在が、限りなく人間の域から大いに外れてしまった、人外に近いものであることを再認識したことだろう——

 

 ――稲妻は、何処ともなく跳び立ってしまった。

 用は済んだ。この一言が容易に伝わってくる、これまでと変わらぬ去り方。それはまるで、当の本人である稲妻は、以前と現在で、一切もの変化を迎えていないことを思わせる、至って通常通りとも言うべき、一種のお約束として見て取ることもできなくはなかった。

 

 

 

 

 

 外階段を上る音。カン、カン、カンと響かせたそれは鍵で扉を開けていくと、「ただいま」といういつもの帰り文句で、帰還を果たしていく。これを聞き付けると、アタシは座っていたイスを押し倒すようにして、すぐさま玄関へと駆け寄って彼女へと飛び付いていったのだ。

 

「あら、お出迎え? 珍しいわね、菜子ちゃん」

 

 扉が閉まる音。自然と、ゆっくりと閉じていくそれが静かに音を立てていくと、ユノさんは抱き着いてきたアタシを両腕で包み込むように、この背へと回してくる。

 

「こんなに熱烈な歓迎をしてくれるなんて、菜子ちゃんらしくもないサプライズとも言うべきかしら。……あぁ、ごめんなさい。私ちょっと、興奮しちゃったかも。こうしてハグで出迎えられてしまうと、私、菜子ちゃんの普段の様子とのギャップを感じてしまえて、お腹の奥からムラムラと刺激的な快感が――」

 

「悔しい――」

 

 ユノさんの服を握り締めるアタシ。これにユノさんは言葉を止めていくと、今も押し付けるように抱き着いてくるアタシの身体を、優しく抱きしめてきたのだ。

 

「どうしたの、菜子ちゃん。貴女らしくもないわ」

 

「……だって、だって……悔しいんだもん……っ!!!」

 

 顔を上げるアタシ。それと共に、内側から溢れ出してくる感情のままに、アタシは目から大粒の涙をボロボロと零してしまう。

 

「なんで、どうして……っ。ユノさんはこの世界を守るために、皆に代わって黄泉百鬼と戦ってくれているのに……! それなのに、どうして……ユノさんがこんな目に遭わないといけないの……っ!? アタシ、悔しいんだよ……ッ!!! こうして、いっつも、ユノさんを傍で見てきたから……!! だから、なおさら悔しいって思えてきて……もう、アタシ……っ!!!」

 

「…………」

 

 顔を擦り付けるように、ユノさんへと縋りつくアタシ。――どうして、アタシが泣いているのかが、自分自身でも分からなかった。ただ、一つだけ言えたこととして、彼女がこれまでと中継先で戦ってきた勇猛なる姿と、その成果と相反する現実の反応に、アタシは言い知れない悲しみを覚えてしまったのだ。

 

「ねぇユノさん……。今からでも遅くないよ……! 明日、超人協会に行こうよ……! それでエクレールがヒーローになれば、みんな、ユノさんが研究所を襲撃しただなんて思わなくなるって……!!!」

 

「菜子ちゃん」

 

 冷静な一言だった。とても落ち着きを払っていて、本人ではないアタシが泣きじゃくりながら顔を上げていく。

 

「世間の目からは、私こそが研究所を襲撃した犯人として映っている。そしてこれは、揺ぎ無い事実として信じられていく」

 

「そんなワケないじゃんか……っ!!!! ユノさんは、研究所に入っていった黄泉百鬼を追いかけるために侵入しただけで――」

 

「菜子ちゃん。私はね、今の状況をそれほど気にしていないの」

 

 ぎゅう……。アタシをなだめるように、優しい温もりで柔らかく抱きしめてくるユノさん。

 

「私はね、菜子ちゃん。こうして、菜子ちゃんという守らなければならない存在が無事でいてくれるだけでいいの。もっと欲を言ってしまえば、菜子ちゃんが私と過ごす日々に幸せを感じてくれると、私はもう、この上ない喜びに包まれる」

 

「……でも、だからって、ユノさんは本当に人殺しなんてしてないじゃんか……っ!! メディアで報道されている映像だって、あれ、博士の飼っている黄泉百鬼が映っている部分が、意図的に切り取られているじゃんか……っ!!! ユノさんはハメられただけなんだよ……!? ユノさんはただ、皆を守るヒーローとして黄泉百鬼を倒そうとしていただけなのに……っ!!!」

 

「菜子ちゃん」

 

 アタシの頭に添えられた、ユノさんの温かな手。色白のそれがアタシを大切にするかのようずっと包み込み続けるその中で、アタシが涙ながらに訴え掛けるそれと向き合いながらも、ユノさんはまるで訂正するかのような調子で、その言葉をアタシへと放ってきたのだ。

 

「私は、みんなのヒーローなんかじゃない。私はね、みんなのヒーローになるつもりはないの。――私はただ、菜子ちゃん。貴女のヒーローであり続けたい。ただ、それだけ」

 

「……でも、それじゃあ……っ。それじゃあ結局、何も変わらないじゃんか……!!」

 

「いい子いい子。さぁ、奥でなにか、温かいものを飲みましょう」

 

 そう言い、歩き出すユノさん。彼女のそれにアタシもユノさんにくっ付くよう歩いていくと、ユノさんはそんなアタシを一切と離す様子を見せることもなく、アタシという泣きじゃくる存在を抱えるように、ずっと、付きっ切りとなってなだめ続けてくれたのだ。



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反逆の刃

 この数日と、何かと話題に欠かない昼下がりの研究所。此処は本来であれば、前日も前々日も、そしてこの日も、黄泉百鬼という人類に仇なす脅威を研究する施設として日々、精力的に黄泉百鬼の生態を追究していたことだろう。

 

 しかし、あのエクレールによる研究所の襲撃以来、連日に渡る注目によって一時と研究が中断されていた現状。損壊した部分の修復であったり、建物の周囲をマスコミが往来していることから、研究員の出入りも大きく制限されたことで、業務は休止へと追い込まれていた。

 

 研究員にとっては、久方ぶりの休息だったのだろう。激務が続く環境に訪れた、幸か不幸かにもよる連休に、日頃から研究に取り組む人々は羽を伸ばしていたのかもしれない。研究所の出入りが容易になり、警備は強化されつつも、その内部はむしろ以前ほどの厳重さを思わせない。

 

 ――襲撃の出入り口となった、修復されつつある、とある個室の光景。外部からは、露出した研究所内を撮影しようと飛び交う、マスメディア所有のドローンが見受けられる。それらにうんざりといった顔を見せていく白衣の男性が存在していたが、そんな彼へと、研究員の女性が声をかけていった。

 

「桃空博士、お客様がいらっしゃいました」

 

「ん? お客? わたしにかい?」

 

 女性へと振り向いていく、桃空博士と呼ばれたその男性。とても不思議そうにした表情をしながらも、同時に厄介そうな顔を見せていく。

 

「またメディアの関係者じゃあるまいな。そういった輩は、今は追い返しておいてくれ」

 

「あの、それが……そのお客様、自身のことを『タイチだ』とおっしゃっておりまして……」

 

「なに?」

 

 タイチ。その名を耳にした博士は、途端に表情を明るくする。

 

「それを早く言わないか! タイチって、あのタイチだよな! タイチは、わたしの甥だ」

 

「え、えぇ。それはうかがっておりましたが……」

 

「その様子だと、信用していなかったな?」

 

「……すみません。あのタイチ様の血縁者、というものに実感が湧かなくて……」

 

「あぁあぁ、まぁ気にしなくていい。これも何かの縁だ。きみに、タイチと会話をさせてあげよう。何せタイチは、わたしの甥、なのだから」

 

「……本当ですか!?」

 

 女性は、この上ない至上の喜びを見せていった。一気にパァッと広がった笑顔で、歩く博士の後へと続いていく女性。彼らは来客を待たせているという研究所の入り口へと出向いていくと、そこには黒色のキャップを被った、サングラスの変装姿がそこに佇んでいた。

 

「タイチ、よく来たな!」

 

「あぁ、どうも。叔父さん」

 

「おまえ、相変わらず変装が下手だなぁ。そんなんじゃあ醸し出されるスーパースターのオーラは隠せないだろう」

 

「あっははは、お手厳しい」

 

 そう言い、サングラスを手でずらしながら覗き込んでくるタイチ。彼の顔を見た女性の研究員はそれを一目すると、感極まった甘い悲鳴をあげて握手をねだっていくのだ。

 

 彼は、それに応えていく。握手と軽く言葉を交わし合い、彼女の日頃からの声援にタイチは感謝を述べていく。そういったやり取りを交わしてから、タイチは桃空博士と二人きりで話をしたいという旨を伝え、女性には一旦と、この場から退いてもらっていった。

 

「……タイチ、それにしてもどうしたんだ、急に。珍しいじゃないか、わたしの所に顔を出すだなんて。来るのならば、連絡の一つでも寄越しなさい」

 

「すいませんね。近くがドラマ撮影のロケ地だったんですけど、現地解散だったもんで、その足でこちらに」

 

「あぁ、そういうことか。まぁまぁ、今日も一仕事終えて疲れているだろう。良かったら休んでいきなさい」

 

「お言葉に甘えて」

 

 ニッ、と軽い笑みを見せていくタイチ。桃空博士の案内で研究所内へと案内されるタイチは、彼と足を並べて歩くその廊下で、ふとその言葉を投げ掛けていったのだ。

 

「随分と世間の話題を掻っ攫っているじゃないですか。下手すれば、俺が主演を務めているドラマよりもよっぽど、こっちの一件の方が話題になっている」

 

「わたしとしては、不本意だけどな」

 

「だろうな」

 

 出勤している研究員が少ないことから、スーパースターが堂々と歩いていても、何の騒ぎにもならない研究所内。桃空博士もそれを把握しているようで、敢えて彼を隠すこともなく廊下を歩かせていく。

 

 と、その時にも、博士が招こうとしている応接室の扉の前まで来るなり、タイチはそれを口にしていったのだ――

 

「おかげさまで、興味を持つことができましたよ」

 

「? タイチ、それは何のことだ?」

 

「何って、当たり前じゃないですか。――叔父さんの計画のことですよ」

 

「!!」

 

 応接室のドアノブにかけていた、博士の手。それはすぐにも離されると、タイチの両肩へと移していくなりその目を輝かせていったのだ。

 

「おぉ……そうか。おぉ、そうか……! おぉ、そうかそうか!! ……あれだけ渋っていたのに、あぁ、そうかそうか!!!! タイチもとうとう、わたしの計画に乗ってくれるか!!」

 

「あのエクレールの社会的な地位を落とした以上、実質彼女の実力を下したも同然ですからね。俺の気が変わったのも、そういった叔父さんの実績を目にしたからこそですよ。……やはり、叔父さんの計画は間違っていなかったようだ。今日はそのために、こちらにうかがったわけですからね。――だから、聞かせてくださいよ。俺の興味が冷める前に、俺をより惹き付けるために、博士が今も画策する、“その計画”の内容を……」

 

「あぁ、もちろんだ!! タイチともあろう、富と名声、金と力とその全てが備わったスーパーヒーローがこれに乗ってくれるなんて、心強い限りだ!!」

 

 タイチの背を何度も叩く博士。抑え切れない喜びに、子供のようにはしゃぐ彼に対して一切と表情を変えないタイチは、そのまま彼に誘われて、応接室ではない異なる部屋へと案内されるために廊下を進んでいく。

 

 研究所の最深部。関係者でも立ち入り禁止である、ごく限られた人間にのみ入室を許可された、厳重な鍵で守られた部屋。それの扉を博士が開けていくと、タイチは入室するなり鼻に入ってきたニオイに手をかざしていった。

 

「うお、薬品の臭い……か?」

 

「嗅覚を突き刺すほどの激臭ではあるが、これもわたしの計画のためになるものなんだ。しばし我慢しておくれ。直にも慣れる」

 

「しまったな。服にニオイが付かないかが心配だ」

 

 冗談をかまし、博士を笑わせていくタイチ。……その間にも、タイチは細くした視線で、事細かに隅々まで周囲を眺めていく。

 

 研究所の最深部にある、厳重なロックが掛けられた一室。そこは一切と陽の当たらない場所であり、公に晒すことも許されない極秘のプロジェクトが進められている研究室だった。

 目にしたことの無い、SFチックな機材の数々。それらのコードが絡まるように床を這っている光景や、何も無い空間に映し出されたプロジェクターの映像が、人体の図をぼんやりと浮かび上がらせている。

 

 ひと際と目を引く光景は、この部屋の奥に存在していた、カプセルのような大きな装置だった。この中には、装置の中にいっぱいと注がれた得体の知れない透明な液体と、その中で酸素マスクを装着させられた、全裸の成人女性が収められていた――

 

「……叔父さんの話を聞いた時は、まるで映画のワンシーンみたいだと思っていた。だが、実際に目にしてみると、こう、ショッキングの一言に尽きる光景だな」

 

「安心しなさい。タイチもすぐに慣れる。タイチは黄泉百鬼が襲った現場で、原型を留めることも許されなかった多くの人間を見てきている。それらと比べたら、こんな程度、些細なことだろう」

 

「……なるほど。どうやら俺は、自分の考えがまだまだ甘かったようだ」

 

 謎の装置に搭載された、様々なボタンやレバーのある機材を操作する博士。それと共にしてカプセルの奥にあった檻状の飼育小屋が開くと、そこからはタコを模したような異形が、浮遊しながら博士の下へと飛んできたのだ。

 

「こいつはな、あのエクレールをも出し抜くほどのスピードとパワーを持たせることに成功した、完全体一号なんだ。その実力は既に実践で証明されていて、あのエクレールを相手に、長距離によるチェイスでヤツに劣らない速度を見せ付けた」

 

「へぇ、そいつはスゴいな。俺もエクレールを傍で見たことはあるが、ありゃ、俺でも敵わないかもしれないと本気で思わされたくらい、世界を救えるほどの力を持っていると言っても過言ではないほどの超人さ。――エクレールこそが、誰もが望んでいたヒーロー像に最も近しいだろう」

 

「ふん。あんなぽっと出の超人に劣るほど、わたしのペットは甘くないわ」

 

 張り合うように、鼻を鳴らしていく博士。その間も博士の手で撫でられる異形は、そこに浮遊したまま滞在し続けていく。

 

「でも叔父さん、これで叔父さんが作り上げた“黄泉百鬼”こそが、俺ら人類が進化の果てに辿り着いた、超人という新人類を超えていることが証明されたわけだ」

 

「あぁそうだ。わたしが作り上げたこの黄泉百鬼こそが、将来的にも超人に代わって、この世界を救う足掛かりとなることだろう」

 

「黄泉百鬼に対抗するには、黄泉百鬼の力をぶつけるしかない。死者の国から蘇った、超人エネルギーの暴走体である黄泉百鬼ではなく、超人エネルギーを宿す人間を土台にすることで、超人エネルギーの制御に成功した“人工の黄泉百鬼”。――いずれこの世界を救うのは、我々人類が進化の果てに組織した超人の軍団ではなく、叔父さんが作り上げた数多の人工黄泉百鬼による、量産できる最強生物の軍団。……叔父さんの計画、『黄泉百鬼化計画』は着実に進行しているということだな……」

 

 博士が撫でる黄泉百鬼を見遣り、タイチはすぐにも視線をカプセルの中の女性へと移されていった。

 

「……なるほど。所属するや否や、突如とウチから姿を消してしまった新入りの女ヒーローの顔と一致している。――彼女も、そして……今、叔父さんが撫でている“彼”も、いずれは人類を守るべく猛威を振るうんだろうな」

 

「今の実験体は、黄泉百鬼へと組み替えるのにとても良好な体質をしている。黄泉百鬼へと変えるのに適している逸材なんだ。そう遠くない内にも、実験体はこのペットと同じように、黄泉百鬼らしい力強いフォルムへと変貌を遂げるだろう」

 

「人類という形態で過ごしていると、例えその個体が優秀な超人エネルギーを宿していたとしても、その宿し主がエネルギーを上手く扱えずに、せっかくと恵まれた体質であるにも関わらずそれを活かすことなく死んでしまうことも珍しくないだろう。だが、叔父さんの計画では、その潜在的な超人エネルギーを、科学の力で余すことなく引き出すことができる。実に合理的だな」

 

「ハッハッハ!! だろう! だろう!! タイチもわたしに似て、世の中を見通すことができる目で物事を考えることができるようだ! ――あぁ、こんなにも優秀な甥を持つことができて、わたしは嬉しく思っているぞ!」

 

 喜ばしい。それを全面的に押し出す博士は、上機嫌な様でタイチの背を叩いていった。

 

 ……表情を一切と変えることのなかったタイチ。彼と相反するようなその様相で、それを静かに訊ねていく。

 

「でも、だからと言って、エクレールをあそこまで追い詰める理由は無かったんじゃないですか?」

 

「ハッハッハ! まだまだ甘いなタイチは。エクレールは、宿している超人エネルギーこそは目を見張るものがあるが、だからと言って、あれほどまでの力を持ったヒーローではないヤツがいつ、我々に牙を剥くかは分からないだろう。だから、遅かれ早かれヤツが人類に牙を剥く前に、わたしはそれを摘発してあげただけなんだ。――わたしは優しいぞ。だって、エクレールが本当に世界へと仇なす前に、その間違いを教えてあげてやったんだからな!」

 

「……博士は、作り上げた人工の黄泉百鬼を、エクレールに破壊されることを恐れているだけなんじゃないですか?」

 

「…………」

 

 沈黙が走る空間。近未来的な機械に囲まれたその中には、カプセルの中から響いてくる気泡の音がわずかに伝ってくる。

 

「叔父さんとしては、その社会的な地位を落とすことで、エクレールは姿をくらますだろうと考えていたようですけどね。しかし実際は、国から目の敵にされようとも、エクレールは自粛することもなく、その自主的なヒーロー活動を以前と変わりなく続けている。……身に覚えの無い濡れ衣で四方八方から因縁をつけられても、それでもなお彼女は人類のために戦い続けているんだ」

 

「ヤツがどんなにヒーローらしく振る舞っていても、所詮は趣味で人助けをしている逆張りの若造に過ぎんだろう。いいや、ヤツこそが、人の形を模した黄泉百鬼かもしれん。それほどまでに、ヤツの身体能力は卓越している。――わたしは、そんな脅威に脅かされる日々は懲り懲りだ。だから、わたしの技術と科学の力で、長きに渡る人類と黄泉百鬼の闘争にケリをつけるんだ」

 

 手を握り締めるほどの力説。甥を前にして高らかと語る博士は、自身が目指す未来を掲げながら、それを宣言していく。

 

「そのためにもまず、疑わしきエクレールを、わたしの黄泉百鬼で仕留めてみせよう! それを皮切りに、わたしの計画を世間へと発表しようではないか!! わたしの作った人工黄泉百鬼が、エクレールという人類の反逆者を討ち破った! その実力が実証されれば、わたしの技術力と知名度も合わさって、世間はわたしの思想に賛同してくれるだろう!! ――そのためにも、タイチ。わたしの計画に乗ってくれたおまえには、わたしのスポンサーとなってもらいたい」

 

「…………りょーかいです」

 

 力説する博士とは反する、適当ながらも至って平常なタイチの一言。それに博士は大いに納得していくと、その研究室から出た二人は研究所内の廊下を歩き、その玄関口で、博士はタイチへと別れの言葉を掛けていった。

 

「タイチと実りのある話ができて、わたしは満足だ。この世界を黄泉百鬼から守るためにも、これからもよろしく頼むよ」

 

「えぇ、叔父さんのためにも、俺なりに頑張っていきますよ」

 

 そうして別れを告げた桃空博士は、タイチを背にして研究所の奥へと進んでいく。

 

 とても満足そうな足取りだった。ご機嫌な様子も見受けられ、若干とステップを刻むようなそれに、タイチはただただ手を振り続けていく。

 

 ……終始、表情を変えることがなかった彼。手を振るそれを下ろしていくと、踵を返しながら、静かなる感情のままに、それを呟いていったのだ。

 

「――悪いな、叔父さん。俺は、叔父さんの思想に同意することはできない。……俺としては、人を犠牲にしてまで叔父さんが作り上げた人工の黄泉百鬼に未来を託すよりも、エクレールという逸材を国で支援することこそが、人類がこの先を生き抜くための術だと考えているもんだからな」

 

 ――彼の手元には、一つのUSBが握りしめられていた。小さく、コンパクトであるそれは、存在感を放つことなく彼の手に収められている。

 

 彼は、振り返ることなく歩き出した。……潜入して掴んだ真の情報を手のひらに、彼は歩く自身の道のりを、真っ直ぐと捉え続けていた。



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救済を願いし野望の露呈

 宵闇を晴らす、光源に溢れた龍明の街。その日も大都市の中央では黄泉百鬼の出現報告によって、多数の被害がもたらされていた。

 

 通報によって駆り出された数名のヒーロー達は、連絡を受けることで、出動という形で黄泉百鬼の討伐へ乗り出していく。――既に各地へと送り出されていた、分散している超人協会の戦力達。その通報を受けた時にも超人協会は、被害の状況や黄泉百鬼の戦闘力を鑑みて、自身の手元に残る有限の戦力を、その脅威にどれほど割り振るのかという手腕も発揮してみせなければならない。

 

 ……だが、今回は超人協会の判断ミスとも言えただろう。時として、連絡時の被害を大きく上回るほどの、イレギュラーともなる脅威が乱入者として入り混じるケースがあるからだ。

 

 だからこそ、超人協会は即戦力となる人材を欲していた。――そして、今現在と組織が求めるそれに合致する、身軽で最強の身体能力を有する紅の稲妻が、偶然にもその現地へと赴いていた。

 

 

 

 

 

 戦闘の痕跡が残る、被害を受けた建物や広場。激しい戦闘が行われたのだろうボロボロとなったそれらは背景となり、既に終わっていたハズの任務の、延長線とも言える追加の闘争をそのヒーローは繰り広げていた。

 

 二メートルの身長はあるだろう、盛り上がった筋肉が特徴である赤いタンクトップと黒いボトムスの巨漢。彼は勇ましい掛け声を上げながら敵へと仕掛けていき、筋肉に物を言わせた力強い両腕のスイングで対象を追い詰めていくのだ。

 

 彼が腕を振るう様はいっそのこと清々しく、パワーに全てを振り分けたのだろう超人エネルギーの使い方で、勇猛なる筋肉を相手に叩き付ける。その大振りな戦い方は見る者を惹き付け、彼というヒーローが繰り広げる戦闘は、世間に多くの人気を博していた。

 

 これを生で見物する人だかり。皆がヒーローである彼を応援するその中で、大衆に混じる二人の若い男性が会話を行っていく。

 

「いやぁ! やっぱナマで見ると迫力が違うなぁ!! さすが、龍明超人協会直系レオンハルト軍団系チューイング軍団団長のチューイングさんだ!!」

 

「え、なに? 何て? なんかよく分かんないけど、要するに有名人ってことだよな。頑張れー」

 

 二人が混じる大衆の前を横切る、二つの人影。一人はその体格で筋肉を振り回し続け、建物の屋上へと逃走したそれへと手を伸ばしながら、巨体にはあるまじき挙動で、対象とそっくりの軌道を描くような跳躍を行っていく。

 

 屋上に降り立った対象。そこからいくつかの屋上を渡るように飛び移った後、しかしその後ろにピッタリとくっ付くような、まるで逃げる自身の動きを真似るような完璧な追跡を確認すると、ここに来て潔さを感じる佇まいで彼を待ち受けた。

 

 直にも、ヒーローの彼が追い付いてくる。その巨漢に見合わない身軽な追跡に、彼は得意げな笑みを浮かべていたものだ。

 

「ふっふふふ。わたくしの異能力に、あんたさんもお手上げといったところかな。なに、この異能力のカラクリは至って単純なものでね。わたくしの異能力は、手をかざした先にいる動く物体を追跡する能力なのだよ。だから、たとえその身体能力でわたくしの追跡を振り切ろうとしても、わたくしはあんたさんの動きにピッタリとついていき、絶対に逃さない」

 

 ウロウロとしながら自慢げに話をするヒーロー。その間にも撮影用のドローンが周囲に漂い始めてくる中で、彼はヒーローショーを演じるかのような仰々しい様でセリフを続けていく。

 

「ところで、あんたさん。あんたさんの活躍はこのわたくしも拝見をしていてね、あんたさんの輝かしい功績と、それを成すに至った実力は既に承知の上なのだよ。だからこそ、敢えて訊ねさせてもらいたい。――あんたさん、どうしてわたくしを避けるのかな? わたくしとやり合おうとしないその逃げの姿勢、傍から見たら腰抜けだと思われても仕方のないくらい、今のあんたさんは情けなく映っているけれど? 侵略者ともあろう者が、そんな醜態を晒し続けてもいいものなのかね? ねぇ、そこんところ、どうお考えなのかな? ……“エクレール”」

 

 彼が手を伸ばしながら、訊ね掛けるその言葉。眼前のこれに対し、深紅のコートに身を纏うガスマスクの超人は、一言一句と口にすることなく佇み続けていた。

 

「んー、実にクール! あんたさんのその、背中で語るスタイルはわたくしも好感を持てていたのだけれどもね。あんたさん、あのままヒーローらしく振る舞っていた方が似合っていたよ? だからこそ、なぜ、あのタイミングであんな騒動を起こしたのかは分からないけれど、こうしてね、国から抹殺指令が下されている“指名手配犯”と接触した以上は、わたくしも、龍明超人協会直系レオンハルト軍団系チューイング軍団団長のチューイングさんとして、あんたさんを始末しなければならないの、分かる?」

 

「…………」

 

 訊ね掛けた彼のセリフに一切の興味を持たない、眼前の稲妻。佇む姿勢から、ふらっ、と脱力気味な様子を見せていくと、次の瞬間にも、一瞬の隙を突いた跳躍でその場から跳び出していったのだ。

 

「逃がさないよッ!!!!」

 

 即座に手をかざしていくヒーロー。同時にして跳躍していく彼は、跳び出していった稲妻と一ミリのズレもない軌道でその後を追跡し、しかも、それに追い付かんとする速度で一気に距離を詰めていく。

 

 地上に着地した稲妻。すぐにも駆け出して街の中を剛速の速さで駆け抜け始めるが、直後にも地上に降り立った彼もまた手をかざしながら駆け出すと、眼前の稲妻とほぼ同じ速さで街中を駆け始め、しっかりとその姿を追跡していくのだ。

 

 二人のチェイスは、これを見守る大衆の期待を裏切る早さで終了する。これに観念したとも言える稲妻は、建物に囲まれた、人通りのある街のど真ん中で立ち止まり、後ろに続いていたヒーローの彼もまた、立ち止まったそれに追い付いては得意げな顔を見せていく。

 

 ヒーローと人類の敵が向かい合う構図は、街中を行き交っていた多くの目に留まった。目にした人々が声を上げ、傍を歩く知人を呼び止めて、それを見物としてぞろぞろと人だかりが二人に押し寄せてくる……。

 

 この光景に、ヒーローの彼は顎に手を当てがいながらそれを口にした。

 

「ふぅん、考えたね。確かに、こうして無関係の市民たちを大勢と呼び寄せてしまえば、わたくしの自慢でもあるこのパワーが強すぎるがあまりに、周りを巻き込んでしまいかねない。つまり、わたくしはこの場において、本来の力を出せなくなってしまったと考えるべきでしょうね」

 

「…………」

 

 発展した街中は、ビルに囲まれた閉鎖的な空間となっていた。特に目を引く建物は、その大きなビルに取り付けられ、今もニュース番組を流している大型ビジョン――

 

「それにしても、あんたさんの追跡は楽しいもんだねぇ! わたくし、あんなに速い速度で走ったのは初めてだった! 勿体無いねぇ、こんなにも恵まれた超人エネルギーを持っているんだから、今までのようにヒーローとして名を馳せていれば良かったのに。あぁ、本当に勿体無い、勿体無い」

 

 そう言いながらも、次第と構えを取り始めていく彼。巨体からなるファイティングポーズは絵になり、これを見た野次馬の大衆は、今か今かと繰り広げられる戦闘を楽しみにしていく。

 

「……悪いけどね、エクレール。周囲に人を集めたからって、これでわたくしが本領を発揮できなくなった、なんて考えない方がいいよ。何せ、こういう状況にも対応できるように、わたくしは日頃からの鍛錬を欠かせたことがないんだからね!! ――覚悟なさい。あんたさんはこれから、わたくしの手柄となって葬られるんだからね……!! ……いくぞ、エクレールゥゥウッッ!!!!」

 

 この場に注がれる視線の、その全てを背負った大一番。表舞台の主役を飾る大役を担った彼は、撮影用ドローンも含めた最高の注目度を集めながら、全てを注ぐ勢いで叫び上げた気合いの掛け声と共に、稲妻へと攻撃を仕掛けていったのだ。

 

 湧き上がる大歓声。目前となった世界平和。ヒーローという我々を守る超人に全てを託した、熱狂的な盛り上がりを見せる決闘の舞台——

 

 稲妻もまた、佇む姿勢からわずかと拳を構えて、眼前から襲い来るそれへと向かい合った。……直にもぶつかり合う拳。今この瞬間にも、力自慢の二人による剛腕対決がお披露目となる――

 

『えー、ただいま速報が入りました。先日にも桃空研究所にて起こった、エクレールによる襲撃事件でございますが、どうやらこの事件に進展があったようです。今こちらで、その映像を流していきます』

 

 ビルの大型ビジョンから流れ込んできた、男性キャスターの声。それを耳にした街中の現場は、二人の拳が衝突するというその瞬間にも、巻き上がっていた歓声を一気に止めてそちらへと振り向いていく。

 

 ……少しでも身体を動かせば、この二人の拳は軽くぶつかり合う。寸前となる場面で互いに動きを止めた双方は、ヒーローである彼が大型ビジョンへと向いていくその動作につられて、稲妻もまたそちらへと向いていくのだ。

 

 ――そこには、以前にも目にした、エクレールが桃空博士の研究所を襲撃する様子が収められた映像。だが、しかし、連日と放送されていた今までの映像とはどこか様子がおかしく、まるで、今まで目にしていた映像は、編集が施されたものであることを告げるかのように、今こうして流されている映像は、とても滑らかに次へ次へとそのコマを進めていく。

 

 ……エクレールが襲撃する、その前。稲妻が侵入したという窓に入っていく、異形の姿。その後にもエクレールが窓への侵入を行っていくと、次にも内部で、稲妻が博士と思われる人物と接触する様子が映し出されている。

 

 あとはもう、語るまでもない一連の流れであった。姿を消し、突如と現れた異形との戦闘。この中で壁は破壊され、それがエクレールによるものではないことが証明される。すぐにも訪れた場面では、女性秘書が異形の触手で胴体が貫かれる様子を、モザイク処理を施された修正で流されていくと、そこで大衆からはどよめきが起こり始めていくのだ。

 

 そして、博士による迫真の演技でエクレールの襲撃を装い、警備員による発砲が行われ、エクレールが跳び去っていく。その跳び去る様子こそは既に何度も目にしていた様子だったが、それ以前となる空白の出来事は、現場に居合わせていたエクレール本人と博士以外の人物が目にするのは、これで初となるのだろう。

 

 一連の映像が放送されたことで、湧き上がっていた現場の歓声は、困惑へと変化していた。

 特に、本人を前にしている野次馬達は、現状と降り掛かってきた情報を加味して、稲妻へと様々な声を上げていたものだ。それらは主として、エクレールというヒーローへの謝罪であったり、エクレールという超人を信じていたという声であったり、中には、あの映像はフェイクだとして、エクレールを人類の敵と捉え続ける声も上がっていたりと、稲妻へ寄せられた言葉は少なくない。

 

 と、その時にも相対していたヒーローの彼は、鳴り出した着信音でハッと我に返るようにしながら、耳元に指をあてがってその声を聞き取り始めた。

 

「こちら、チューイング――何ですって? 強大な力を持つ黄泉百鬼が、桃空研究所から出現……!?」

 

 超人協会からの指令だった。これに稲妻も耳を傾けていく。

 

「六メートルほどの巨体で、人型を模した黄泉百鬼。頭部は両肩も含めた三つを有する外見的特徴で、それは研究所から現れるなり、目についた人類を無差別に襲っている……!? 今現在、その黄泉百鬼は何処に……? はい、えぇ。龍明大通り七丁目――」

 

 瞬間、彼の眼前で佇んでいた稲妻は、飛び出すように跳躍を行うことで宵闇へと姿を消していく。

 

 呆気にとられた、ヒーローの彼。すぐにもハッとすると、耳に流れ込んできていた本部からの通信にイェスの返答で頷いていきながら、追跡しようにも瞬く間に去ってしまった対象に、彼は自分の足でついていくように現場へと急行していったのだった。

 

 その間も、大型ビジョンには未だにその映像が流されていた。……番組に出演するコメンテーターといった者達が、それについての会話を交わしていく様子を届けながら――

 

『こちらの映像はどうやら、匿名の方から提供されたもののようですね。しかしテレビ局の関係者によりますと、その人物は我々もよく知る人間であり、信用に足る有名なヒーローなのだと言うのです――』

 

 

 

 

 

 閉ざした扉。厳重な鍵が外部からの侵入を許さない、極秘と設けられた研究室。

 

 男がそこへ駆け込むと、すぐにも彼の背後からは、扉を強く叩く音が鳴り響いてくる。

 

「おい博士ッ!! どういうことなんですか!! おれ達に説明してくださいッ!!」

 

「博士!! わたし達、博士を信じていたんです!! だからどうか、釈明だけでもしてください!! じゃないとわたし達、本当に博士を疑わなければならなくなってしまうんです!!」

 

 研究員の男女が数名と扉に押し寄せ、この厳重な研究室へと閉じ籠った彼へ、それらを訴え掛けていく。一方として部屋へ駆け込んだ博士はと言うと、絶望の淵に立たされたかのような、追い詰められた極限の様相を見せながらその場にうずくまっていったのだ。

 

「なんだ……!? これは、一体なんだと言うのだ……!? これは何かの間違いだ……! わたしの管理は完璧だった……! それなのに、なぜあの映像が流出してしまったというのか……!?」

 

 頭を抱え、パニックを引き起こしていた彼。この背には今も扉を叩く震動が伝ってくる中、博士は立ち上がって駆け出しながら、それを呟いていく。

 

「わ、わたしの、今までの……! 社会的な地位が……名誉が、信頼が、すべて、無くなってしまう……!! そ、それではダメなんだ……!! わたしはただ、人類が黄泉百鬼に打ち勝つ未来を、描いてきただけなのに……!!」

 

 謎めいたSFチックの機材を操作し、檻からタコのような異形を解放する博士。次にもカプセルの中にある、酸素マスクを取り付けられながら液体に漬けられていた女性を見遣っていくと、一つのボタンを押したことでその動作は停止し、女性は一度も開けることのない瞼を閉ざしたまま、口から泡を出して液体の中を彷徨い出す。

 

「わたしの計画は、完璧だった……!! わたしの計画が遂行されれば、人類はもう、黄泉百鬼という怪物に怯えなくて済むというのに……!! なぜだ……!? なぜ、こうまでして身を削ってきた、正義の味方であるこのわたしが、ここまで追い詰められなければならないのだ……!!?」

 

 タコのような異形が博士へと寄ってくる。それへと静かに手を乗せていく博士は、次の時にも至った一つの結論と共に、憎悪にまみれた表情で顔を上げていったのだ――

 

「――エクレール。これも全て……エクレールの仕業か……ッ!!!! あぁそうだ。エクレールという超人は生まれもっての能力で有頂天になるどころか、名声を独占するべくライバルを蹴落とそうと画策し、あろうことか人類を救おうとしていたこのわたしをどん底へと突き落としたのだ……!!!! あぁ、あぁ。あぁ、あぁ。いいだろう、いいだろう。エクレール、そこまでしてわたしを敵に回したいのならば……その喧嘩、正々堂々と買ってやることにしようじゃないか……!!」

 

 手を伸ばし、腕を異形へと差し出していく博士。それを合図と見たのか、異形は次にも触手を博士の腕へと絡めていくと、それはスルスルと博士の全身を伝い始めていって、その身体を異形の触手で埋め尽くしてしまう。

 

 そして、異形は博士に覆い被さるなり、瞬間、その頭部へと食らいついていったのだ。

 肉を裂き、骨を断つ生々しい音。これを受けて博士は反射的に身体を仰け反らせていくものだが、そうして異形に捕食されたことで博士の体内へと流し込まれる超人エネルギーが、その身体を徐々に異質なものへと変形させ始めていく……。

 

 ……今ここに、人類と呼ぶには相応しくない一つの異形が、完全体となって誕生した。

 六メートルの体格と、異常な発達を見せた人型の怪物。粘土のような体表と、土偶のような肌をしたそれは、人間をより醜くした頭部と、両肩にも同じ様相を見せる二つの頭部を備え付けた、見た者に戦慄を走らせる容貌として研究室を歩き始めていく。

 

 両肩の頭部が、怨嗟の唸りを上げていく。それと共にして中央の頭部は厳重な扉を真っ直ぐと見遣っていくと、今は見えない“その対象”を見据えた眼差しを向けながら、異常な発達で肥大した剛腕でその障壁を破っていったのだ――



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遂行された、紅の正義

 速報という形で、即座に広まりつつある真の情報。匿名のヒーローから提供された、桃空研究所の襲撃事件の真相を物語るその映像は、犯人が驚異的な身体能力を有する超人ゆえに、ほとんどの国民が国の存亡を不安視するまでの出来事に発展していた。

 

 だが、本事件の事実が公に晒されたことで、現在、国では様々な声が上げられていた。その多くはエクレールという無実のヒーローに同情する声であったり、疑いに掛かったことの謝罪や、最初から信じていたという者の声。一方で、この映像はエクレールを善人に仕立て上げるための工作だという声も上がっており、エクレールという無名の救世主を巡る論争は、双方の勢力が共に半々という状況で、国の住民同士が激しい口論を交わし合っていく。

 

 ――ネットを主とした媒体で、今現在、最も熱い話題として盛り上がりを見せていく世間の様子。だが、当の本人である彼女は、そんな論争には一切と目もくれることなく、今も自身が抱く正義に身を委ね、夜の龍明に迸る紅の稲妻となって“彼”の下へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 無差別に人類を襲っている。その通報を最後にして、現場は静けさに包まれていた。

 倒れる人々の姿。多くが被害を受けた負傷者であり、こと切れたように地に伏していく人間の姿もうかがえる。

 

 駆け付けたヒーローも、全員が返り討ちとなって龍明の街に倒れ込んでいた。中には、絶命という形で無念の殉職を遂げた者も存在しており、最期まで立派に戦ったのだろう傷跡を身体に残して、魂へと成り果てている。

 

 ……街の地域の一つを半壊にまで追い込んだ、これまでに出現してきた黄泉百鬼と肩を並べるほどの、圧倒的な脅威を孕んだ無慈悲の生命体。六メートルの体格を誇るそれは、異常な発達を見せた人型の怪物となって君臨していた。

 粘土のような体表と、土偶のような肌をしたそれ。人間をより醜くした頭部と、両肩にも同じ様相を見せる二つの頭部を備え付けた、見た者に戦慄を走らせる容貌。両肩の頭部が怨嗟の唸りを上げていくと、現在と手で鷲掴む一人の少年を、自身の口元へと近付けていったのだ。

 

「ぁ、ぁぁ……ぁぁあ……っ!!!! やめろ……!!! やめてくれ……!! どうか、それだけは……こんなところ、母さん達には見せられないんだ……っ!!!」

 

 恐怖におののく、ヒーローの少年。背丈も百七十五ほどで、思春期真っ盛りという幼さを思わせる。

 その彼は、段々と近付いてくる眼前の醜い頭部に、涙目で訴え掛けていた。――しかし、相対した黄泉百鬼には彼の事情など知る由もなく、少年の悲痛なそれにも構わず、怪物は裂ける口角で大きく口を広げると、叫ぶ彼を口の中へと放り込んでいったのだ。

 

「やめろ……ッ!!! やめてくれェェェエエエッッッ!!!!」

 

 断末魔のような叫び声。その一部始終も撮影用のドローンが捉えていたために、これを中継点として現地の様子を眺めていたギャラリー達は、思わず目を背けたくなるような瞬間に肝を冷やしたことだろう。

 

 だが、次の瞬間にも、少年は身を投げ出すような挙動でその場から吹っ飛ばされたのだ。これには死を確信した彼も、一瞬と思考が真っ白となるほどの急展開に驚愕の表情を見せていく。

 

 ――どこからともなく、龍明の空から降りかかった稲妻の蹴り。急降下と共に突き出された彼女の脚が、怪物の肩にある頭部に直撃してその巨体を吹き飛ばしてしまったのだ。

 この衝撃を足蹴りにすることで、ふわりと浮くような動作で着地を行った紅き閃光。その間も彼女の蹴りで後方へと飛ばされていた怪物は、街の地面を滑り込む形でしばらくと身体を擦り続け、そこから体勢を立て直すなり彼女と向き合っていく。

 

 ……彼女には、身に覚えのない顔だった。だが、彼女に備わる超人エネルギーが“彼”を察知すると、同時にして怪物もまた、憎悪を音という形に乗せた唸り声を上げていく――

 

「……エク、レール……ッ。エクレール……ッ! ……エクレールゥゥゥウ!!!!」

 

「…………」

 

 自分をここまで追い詰めた、自身の破滅を招きし全ての元凶。

 

 “彼”は、恨みという感情のままに、夜の龍明に邪悪を振り撒く咆哮を叫び上げた。――それは、“彼”の無念とも呼べただろう。

 これまでとずっと、自身が考える救済を信じ続けた、“彼”なりに歩んできた一本道。だが、“彼”は救済を信じるがあまりに、いつしかその一直線から外れてしまっていた。

 

「エクレールゥゥッ……!!!! エクレェェェェェル……ッッ!!!!」

 

 内側で爆発する、恨みの衝動。人語とも言えない、声のようなこもった音を響かせながら全身の筋肉を膨張させる怪物は、怒りという怒りを体内に張り巡らせると共にして、次の時にも飛び出すように稲妻へと襲い掛かってきたのだ。

 

 佇む姿勢で、真正面から向かい合う彼女。狂うように猛りながら襲い来るそれが近付くにつれ、少しずつ身構え出した彼女は、怪物から左拳のストレートが飛び出してくるのを見計らって、それに合わせるよう右拳を繰り出していった――

 

 ――ズドォンッ!!!! 拳と拳がぶつかり合ったとは思えない、拳に挟まれた大気が破裂するかのような轟音。これが衝撃となって周囲に伝わり出すと、身を投げ出してから地面に転げ落ちていた少年が、その衝撃波に乗せられたように再び転がっていく。

 

「う、うぉぉッ!? うぉぉおおッッ!!?」

 

 ……何だ、このパワーは……!? こんなの、今までに感じたことが無い……!!

 

 驚嘆とも言える、内心で叫び上げた言葉。続けて少年は前方を見遣っていくと、そこで繰り広げられていた、両者の拳がぶつかり合う怒涛のラッシュ。

 

 少年は冷や汗を流しながら、ただただ言葉を失って呆然としてしまっていた。――噂には聞いていた。エクレールという、最上位のヒーローにも引けを取らない、圧巻となる身体能力を持つ超人の存在。その活躍はかねてより耳にしていたものだが、実物となる迫力を肌身で感じることによって、彼はこの時にも、最上位のヒーロー達が口を揃えてエクレールを賞賛していた理由を体感することとなる……。

 

 と、少年は開いた口が塞がらずにいると、そこへ駆けつけてきた巨漢のヒーローが少年の下へと駆け寄ってくる。

 

「アレウス!! 良かった、あんたさんは無事でいてくれたんだね!!」

 

「チューイングさん……! ……すみません。俺、市民の皆さんも、今まで面倒を見てくださったヒーローの皆さんも、誰一人と救えず……っ」

 

「――ヒーローというのはね、常に生きるか死ぬかの弱肉強食の世界にいるの。それがたとえ、どんなに気高き志を持つ人物であろうとも、黄泉百鬼を相手にその実力が敵わなければ、問答無用に死んでいく実力社会なんだから。……アレウス。あんたさんが気に病むことはない。こうして遺されたわたくし達は、名誉ある戦いで命を落としてしまったヒーロー達の無念と信念を背負って、先に進まなければならないの……」

 

「……俺が弱かったから、みんなを守れなくて……っ! すんませんっ……先輩方……! すんません……っ、市民の皆様方……っ!!」

 

 泣き崩れる少年を、巨漢の彼が抱き留めていく。……アレウスと呼ばれた少年が痛恨に打ちひしがれる間にも、巨漢のヒーローは少年を守るようにしながら、今も繰り広げられる熾烈な戦闘へと視線を投げ掛けていく――

 

 怨嗟の唸り声を上げる怪物。肥大した筋肉で全てを破壊すると言わんばかりに振るわれる拳は、眼前でぶつかり合う彼女とのラッシュによってその思惑ごと阻止されていく。

 彼女という存在が現れ始めた頃から続く、その稲妻を邪魔に思う因縁。博士としての地位と名誉を全て失った“彼”にとって、残された唯一の感情は、目の前の稲妻へと抱いた逆上の念のみ。

 

 彼女は、それを真正面から受け止めていた。正々堂々と向かい合った彼女は一切の容赦をすることがなく、全力でぶつかってくる眼前の怪物の拳を、一発一発、着実に殴り返すことでその巨体を押し退け始めていくのだ。

 

 自身の最高傑作であり、自身の生涯を注いだ最高峰の力。だが、それを以てしても眼前の超人にはまるで敵わない。しかし、持ち前の粘り強さで“彼”は本能のままに力を振るい、今も、自身が打ち勝つ救済の未来を信じて、その一発を彼女へと、振りかぶった――

 

 ――沈む、彼女の姿勢。突如と交えてきた不規則な潜り込みに、怪物は信念を込めた一撃を盛大に空振りさせていく。

 踏み込む彼女。引き絞った左腕が十分に力を蓄え込んでいくと、次にも上半身を投げつけるような放り出す一撃を乗せて、左拳のアッパーが怪物の腹部に直撃した。

 

 食い込む拳は、筋肉が膨張した怪物の肉体へとめり込んでいく。それは次第と突き破り始め、体内へと侵入してきた彼女の拳が、怪物を反射的に前屈みの姿勢へと変えさせる。

 そのまま繰り出された、彼女の右拳。力任せの美しくないフォームで叩き付けるように突き出すと、彼女の拳は怪物の左肩にある醜い頭部を貫通し、しかも指を引っ掛けることで、引っ張る動作と共にその部位を強引に引きちぎってしまったのだ。

 

 引き剥がされる、黄泉百鬼の部位。怪物がこもった叫び声を上げながら身を退かせていくと、彼女は追い掛けるように再び踏み込んで左拳をボディへとねじ込み、その直後に再度の左拳で粗暴なストレートを繰り出して怪物の体勢を下げていく。

 

 彼女へと下りてきた、怪物の頭部。目線の高さにまで来たそれを見るなり、彼女は開脚するように右脚で蹴り上げ、その鋭い一撃が怪物の上顎に加えられると共にして、怪物は衝撃のままに、口角を裂くような、大きな口を開けてしまう。

 

 と、次にも彼女は、右手に持っていた右肩の頭部を、その怪物の口へと強引に押し込んできたのだ。パンチの如く突っ込んできたそれに怪物が唸り出していく中で、彼女はすぐにもその場で跳躍を行い、前方への回転を帯びながら、怪物の脳天へと向かって踵落としの一撃を加えていく。

 

 この攻撃によって、怪物は地面に叩き付けられた。加えて、口へと押し詰められた右肩の頭部が、自身の顎の力によって噛み砕かれ、周囲に自身の部位をぶち撒ける。更には踵落としの衝撃でバウントするように怪物の身体が浮き上がると、着地した稲妻は即席の蹴りによって怪物を後方へと吹き飛ばし、それを追うように驚異的な身体能力で駆け始めていくのだ。

 

 吹き飛ばされる空中で腕を伸ばし、地面を手に食い込ませることで吹き飛ぶ衝撃を和らげていく怪物。そのまま接近を図る稲妻へと不意の一撃となる拳を突き出していくが、それを見切った彼女は体勢を低くすると、スライディングという形で怪物の攻撃を鮮やかに回避していく。

 

 彼女のスライディングは勢いを纏いながら、怪物の股下まで滑り込んできた。と、そこで急停止するように彼女は左腕を地面へと突き刺していくと、そこから勢いを方向変換させた足払いを繰り出すことで、怪物の足を払って浮かせてしまったのだ。

 

 怪物に、成す術は無かった。前へ転ぶように崩した体勢は、すぐにも彼女の右拳のアッパーで狩られてしまう。この攻撃は怪物の右肩の頭部を貫通すると、彼女は開いた手で頭部の中身を鷲掴み、そこから、彼女から見て後方へとその脚を一歩踏み込み、渾身の振りかぶりによって怪物を地面に叩き付けていく。

 

 直後、彼女は軌道をなぞるように再び怪物を持ち上げては叩き付け、その軌道をまたしてもなぞるように持ち上げては叩き付けて、を繰り返し始めた。――巨体の怪物が何度も何度も地面に叩き付けられるその光景。打ち付ける度に街の地盤は抉られ、怪物の身体からはその一部となる肉片が周囲へと生々しく飛び散っていく。

 

 もはや、数え切れないほどの猛攻が怪物を襲った。剛腕に全てを委ねた、一種の残虐性をもうかがわせる一方的な攻撃。これに飽き足らず、彼女は最後に地面へと怪物を叩き付けるなり、そろそろと千切れそうとなった頭部を引っ張り出し、投げ出すように怪物の身体を宙に浮かせると、そこから頭部と身体を繋ぐ肉が伸び始め、ハンマー投げの要領で彼女は怪物を振り回し始めたのだ。

 

 これに伴い、怪物の身体は徐々に、彼女から遠のくよう放り出され始める。その間も怪物は、彼女の圧倒的なパワーを前にして、わずかながらの抵抗も許されなかった。

 ――いつ千切れてもおかしくない、限界にまで伸び切った怪物の肉。その限界の直前まで彼女は怪物を振り回していくと、次の瞬間にも彼女は突然と腕を上へと持ち上げていき、それにつられる形で怪物は、彼女の上空へと巨体を投げ出してしまう。

 

 ブチッ!! 千切れた頭部の肉。手に残ったそれを彼女はそこら辺へ投げ捨てていくと、上空へと投げ出された怪物が落ちてくる、そのタイミングに合わせるよう、彼女は右腕を限界まで引き絞り、最適な瞬間を見計らってこの拳を繰り出していったのだ――

 

 ――大気をまとい、無尽蔵な超人エネルギーを一気に集中させた、強烈な一撃。その繰り出されるわずかの瞬間のみスローモーションに見える重量を含み、彼女は真っ直ぐと捉えたその対象が落ちてくる、ほんの一瞬の絶好となるタイミングを的確に見極めていくと、次にも振り抜かれた渾身の右ストレートは、落下してきた怪物の胸部へのクリーンヒットを決めていったのだ。

 

 

 

 

 

 人類が生み出してきた言語の中で、その衝撃を説明することができる言葉は存在しなかった。

 

 一点に集束した、超人エネルギーが織り成す人外の力。人智の領域を越えた一撃は、怪物を中心にして空へと突き抜けると、この衝撃から一息置いて、怪物は恐るべき速度で龍明の夜空へと放たれていった。

 

 吹っ飛ぶという次元ではなかった。発出とも見て取れるほどの勢い。大気圏にねじ込むような一撃であっという間に上空へと打ち上げられた怪物は、そうして吹っ飛ぶ軌道線上で、まとっていた黄泉百鬼の肉片を散り散りと振り撒いていく……。

 

 ……次第とそこから現れたのは、乾いた泥のような皮膚へと化した、生身の人間の姿だった。つい数時間ほど前まで、博士という愛称でその名を馳せていた研究員。彼は上空を舞う一時の遊覧飛行の中で、自身に降りかかった様々な出来事に思考を真っ白とさせながらも、しかし、先ほどにも食らった拳の一撃によって、自身の思想が打ち砕かれたことを理解していた。

 

 

 

 大都市とは思えぬほどの静けさで溢れかえる、ボロボロとなった変貌の龍明に佇む稲妻。打ち上げられていった彼を見送るように見上げていた彼女は、直にも踵を返し、右腕を一振りして付着した肉片を払っていく。

 

 付近で少年ヒーローを抱えていた巨漢の彼は、稲妻を黙視することしかできずにいた。……ヒーローの枠に収まる超人と言えども、同類が展開した圧巻の戦闘に、堪らず言葉を失ってしまっていたのだ。

 

 ドローンのプロペラが、軽々しい音を立てながら稲妻を映していく光景。――少ししてから歩き出した紅き閃光は、数歩とその歩みを進めると、とても身軽な様で跳躍してみせて、溶け込むように人知れずと龍明の夜空へと姿を消していく。

 

 深紅のコートに身を包んだ、ガスマスクで素性を隠すその超人。紅き閃光の異名で親しまれていたその存在は、今日も通常通りにその正義を全うすると、まるでその剛腕で振り払った災難の如く、あっという間にその場を去っていったのだった――――



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『価値』と『無価値』の狭間

 ピンポーン。鳴り響くインターホンの音。真昼の休日に探偵事務所を駆け巡ったそれに、アタシは「はーい」と言いながら玄関の扉を開けていく。

 

 ガチャリと開けると、そこにいたのは黒いキャップのサングラスお兄さん。百八十六ほどの背丈の高身長と、サングラスを手でずらしながら覗かせる美形が、その隠しきれない圧倒的なイケメンオーラを放ちながら、アタシへと声をかけてくるのだ。

 

「や、菜子ちゃん。依頼の件で、うかがいにきたよ」

 

「お待ちしてました、タイチさん! ささ、中へどーぞ、どーぞー」

 

 アタシは今、超が付くほどのスーパースターであるタイチ様と、あろうことか二人きりでお話しをしてしまっている。それだけでこの世に未練は無くなるわけだが、今回ばかりはそんな私情を挟んでなんかいられない。

 

 アタシの案内で探偵事務所へと上がってきたタイチさん。この狭い空間に置かれた長テーブルと八つのイスが、彼をお出迎え。更には、用意されていたお茶菓子や、依頼の資料となるファイルや写真の数々が見受けられて……。

 

 それらをテーブルに広げ、資料の紙に目を通していたユノさんが、「お待ちしておりました」と一言告げていく。これにタイチさんも「どうも」とキャップを取り払いながら言っていくと、そこから現れた雪のような白いショートヘアーを少しだけいじってボリュームを増していき、身なりを整えた彼は、アタシが引いていったイスに腰を掛けていったのだ。

 

 

 

 預かっていた数枚の写真を封筒に入れるユノさん。それをタイチさんへと手渡ししていきながら、言葉を口にしていく。

 

「今回、タイチさんの叔父様である“桃空博士”の素行調査として本件を預かっておりましたが、調査の最中にも、桃空博士の身柄が警察に拘束されてしまいましたので、本件の調査は継続不可能という形で対応をさせていただきたいと思っております。以前にも事前説明をさせていただいたように、葉山探偵事務所の方針として、如何なる理由であれ調査が継続できなくなった場合、調査料金の全額を依頼主へとご返金させていただく決まりとなっております」

 

「俺としちゃあ、調査をしてくれた分の報酬は探偵さん方に受け取ってもらいたいんだが。ま、そういう説明があったもんだしな。――今回の調査料金は、また別の機会に依頼するとなった時に支払わせてもらうさ」

 

 ニッとした笑みを見せたタイチさん。受け取ったペンや紙で手続きを行い、ユノさんから差し出された封筒を受け取っていく。

 

 それを鞄へと入れて、タイチさんは用を終えた。あとはこの席を立って、事務所を出るだけだ。

 ……という流れだったものだから、アタシはタイチさんをお見送りするために玄関へと歩き出した、その時だった。

 

「葉山さん、少しだけお時間ありますかね」

 

 座ったままのタイチさん。両手をテーブルに置いたまま、彼を見遣るユノさんと目を合わせていく。

 

 ユノさんは、どこか彼を避けるように上半身を逸らしていた。しかし、その声を掛けられたことで、彼女は姿勢を直しながら、彼と向かい合うようにそれを返していったのだ。

 

「直にも休息時間をとらせていただきますので、ほんのお少しだけですが。……はい、私に何かご用でしょうか」

 

「今回、俺は葉山さんに、叔父さんが企んでいた悪事の証拠を掴んでもらいたいと思っていたんだ。ま、結果としては、成り行きで俺がその証拠を掴んでしまったワケなんだが。さいkし、そうして俺が叔父さんの野望を食い止めることができたのは、紛れもなく、エクレールというヒーローが活躍してくれたおかげだったんですよ」

 

「叔父様とは血縁者であるタイチさんが、その尻拭いとして各地のメディアへ出張なされているご様子はうかがっておりました。とても苦労をなされているようで、同情します」

 

「あっははは。ま、そういうもんだからさ、俺はお礼を言いたくてな。――ありがとう。エクレールに、その言葉を伝えたかったんだ」

 

「……以前にもご説明いたしましたが、第三者の所在を調査することは犯罪の助長となりかねないため、本探偵事務所ではそのようなご依頼を引き受けることはできません」

 

「違う違う、依頼とかじゃなくってな。俺はただ純粋に、エクレールというヒーローにお礼を言いたかっただけなんだ」

 

「でしたら、ヒーロー活動の最中にも偶然と出くわした際に、タイチさんご自身が本人へとその感謝を述べてみたらいかがでしょうか。尤も、あらゆる事情がございましても、私は本件に協力いたしかねますが」

 

「はっははは、俺は葉山さんにも感謝をしていますから。じゃ、さっきの言葉はエクレールじゃなく、葉山さんへの感謝として受け取ってください。エクレールへのお礼は日を改めて、俺が直々に伝えにいきますから」

 

「……お会いできるといいですね」

 

 目を細めたユノさんと、意気揚々と語るタイチさん。まるで正反対な性質を思わせながらも、意外とお似合いなんじゃないかとうかがわせる二人の様子。

 

 これこそまさに、美男美女とも言うべきだろう。二人の雰囲気に蚊帳の外であるアタシは、この景色ずっと眺めてられるな~……なんて思いながら棒立ちしていると、ふと、タイチさんがユノさんへとその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「なぁ、葉山さん。俺、不思議に思っていることがあるんだ」

 

「……何でしょう」

 

「エクレールってどうして、超人協会に所属する正式なヒーローになりたがらないんだろうなって」

 

 アタシは、ユノさんへと視線を注いでしまった。

 

 ……アタシも、それは気になってた。ユノさんへと抱いていた疑問をタイチさんも抱いているという事実に、アタシは彼と向かい合うユノさんを見遣っていく。

 

「……ご依頼の相談ならともかく、ご依頼とは関係の無い世間話でございましたら、葉山探偵事務所は受け付けておりませんので。……そろそろ休憩時間ですから、この辺でお引き取り願ってもよろしいでしょうか――」

 

「噂に聞いていた頃は、そんなに気にしていなかったもんなんだが、稲富でエクレールと出会った瞬間にも、俺は直感で理解することができたんだ。――黄泉百鬼という脅威に晒され続けるこの世界だが、エクレールという通りすがりの救世主に協力を仰ぐことができたのであれば、きっと、人類が黄泉百鬼に打ち勝つ未来も見えてくるのかもしれない。ってね」

 

 タイチさんの眼差しが、ユノさんを直視する。これを受けたユノさんは、持ち前のクールビューティな表情を全く変えない様相で向き合っていた。

 

「だからこそ、俺は不思議に思っていることがあるんだ。それは、単独による慈善活動で、本職としているヒーローさえも凌駕する実力があるにも関わらず、なぜ、エクレールという人物は、組織に属そうとしないのか。もちろん、その人物が単独での活動でこそポテンシャルを発揮できるのであれば、俺はそれを否定なんかしない。ただ……もし本当にそうなのであれば、俺ら超人協会は自由な単独行動を了承した上で、エクレールという無名のヒーローを超人協会に迎え入れたいと考えている」

 

「タイチさんの、エクレールという人物に寄せた厚い信頼はよく分かりました。しかし、私は葉山探偵事務所という、私立の探偵稼業を営むしがない一般人に過ぎません。そんな私にエクレールという人物について語られたところで、ただただ反応に困るだけです」

 

 冷静というか、素っ気ないというか。エクレール本人であるユノさんの、彼を突き離すようなそれらに、アタシは「容赦ないな~」なんて思いながら見遣ってしまう。

 

 ……と、ここに来て少々と空間に走った静寂の間。その中でもタイチさんはユノさんへと向けた熱い眼差しを送り続けていると、ユノさんは鼻でため息をつくようにするなり、そんなことを言い出してきたのだ。

 

「――もし。もし、仮に私がエクレールだとしましょう」

 

「ほう?」

 

「もし、私がエクレールの立場であるならば……きっと、単独行動こそに意味を見出すはず」

 

「単独行動こそに、意味を見出す。か。俺には、単独行動自体には何のメリットも感じられないな。しかし、そこに意味を見出しているのであれば、きっと、エクレールにしか分からない、何かしらの事情を抱え込んでいる可能性はありそうだな」

 

「…………」

 

 しばしと沈黙を貫くユノさん。その間もタイチさんがユノさんをしっかりと見つめていく中で、ユノさんは言葉を選ぶかのようにセリフを続けてくる。

 

「エクレールには、膨大な超人エネルギーが宿っているはず。でなければ、あれほどまでの身体能力はそう易々と発揮することはできない。その力があるからこそ、エクレールはこれまでにも多くの黄泉百鬼をその手で討ち破ることができ、数々の脅威が降りかかるこの熾烈な現代を、エクレールはその力一つで生き抜くことができている」

 

「あぁ、だな」

 

「だけど、当の本人であるエクレールは果たして、その膨大な力に価値を感じているのだろうか」

 

 ……? 訊ね掛けるような目を向けるタイチさん。

 

「単独行動に意味を見出し、膨大な力に疑問を持つ、か。単独行動とその力に一体、どんな関係があるんだろうな」

 

「エクレールはなにも、善意で人を助けている訳ではないのかもしれない。慈善活動として行っている黄泉百鬼の討伐は決して、人助けを目的とした名誉あるヒーロー活動によるものではないの。……今も続くエクレールの活動は、有り余るほどの”膨大な超人エネルギーの使い道”を考えた時に、黄泉百鬼という、人類が仇なす敵を殴り飛ばす以外に”価値が無いもの”と見出している故の、単なる独りよがりに過ぎないのかもしれない」

 

 テーブルを見ているのか、テーブルの上に乗せている自身の色白な手を見ているのか。特別に何処を見ることもない視線のユノさんは、アタシとタイチさんを前にしながらも、その意識を自身の内側へと集中させるように、とても静かな調子でそれを続けていく。

 

「エクレールは、自分の有り余る力を、”持て余している”。それはきっと、今の自分には必要性を感じられないものだから。もう既に、その力の意味を、失っている。しかし、その力は自分の中に残り続けるの。これからも、この先も、ずっと。――”宿命のように残留し続けるその力”を抱え込んだエクレールは、既に意味を持たない無価値な力の使い道を考えた末、その力をぶつけても文句を言われない、黄泉百鬼という好都合な生命体にぶつけ回ることで、その”無価値な力に価値を見出そうとしている”のかもしれない……」

 

「俺としては、その力に絶大な価値を感じるもんだが。しかし、エクレール本人にとっては、その力はむしろ、枷、のようなものとなっているわけか」

 

「エクレール本人には、人を救いたいという気持ちが微塵にも存在しない。そこに黄泉百鬼がいて、その近くに偶然、襲われていた人達が存在していた。そしてその人達は、自分はエクレールに救われたと勘違いすることで、エクレールという超人のことをヒーローとして呼ぶようになった。――エクレールなんて結局、自分の目的で動いているだけの自己満足人間なの。だから、エクレールがヒーローと呼ばれる筋合いなんか無いし、ヒーローとなる資格も無い」

 

 …………。

 

 沈黙が走る事務所内。ユノさんの推測にアタシは、今までに聞かされたことのない、明かされたことのないユノさんの原動力を耳にしたことで、だからヒーローになりたがらなかったんだと、心のどこかで納得してしまっていた。

 

 ……でも、それじゃあ、ユノさんが事ある毎にアタシへと口にしていた、『菜子ちゃんのヒーローでありたいの』という言葉は、何だったの……?

 

 ユノさんは、自分はヒーローなんかになる資格は無いと言っているけれど。でも、そんなこと言ってるようじゃ、ユノさん、アタシのヒーローにもなれないんじゃないの……?

 

 自分がヒーローになることを、どこか恐れているような印象がある。だからこそ、これまでと口にしてきた言葉とは裏腹に、実はユノさん、気持ちのどこかではヒーローになりたがっているんじゃないかって、アタシは思っちゃうの――

 

 

 

「俺としては、エクレールはれっきとしたヒーローだと思うぜ」

 

 ユノさんと向かい合う、タイチさん。真っ直ぐな眼差しは依然として変わりなく、むしろ、その視線はより一層と、ユノさんを中央へと捉えて離さずにいた。

 

「ヒーローになる志とか、資格とか、まぁ色々と引っ掛かるところはあるんだろうが、現役でトップのヒーローをやっている身からすりゃあ、極論、ヒーローってのは、人を助けているか、助けていないか。の違いしかないんだ。だから、どんなに素晴らしい志を掲げてヒーローになったヤツも、人を助けられない時点でそいつはヒーローなんかじゃない。逆に、どれほどと人助けに対して消極的なヤツでも、人を助けていたらその時点でそいつはヒーローさ」

 

「…………」

 

「要は、助けているか、助けていないか、の問題なんだ。で、エクレールは現に、大勢の人々を救っている。つまり、エクレールはヒーローだと俺は思う」

 

「私は、そう思わないわ」

 

「俺は、そう思う」

 

「そう思わない」

 

「いいや、俺は思う」

 

 頑なに譲らない双方。共に視線をぶつけ合うその眼差しは、ユノさんも、タイチさんも、お互いに真っ直ぐで、とても力強いものをうかがわせた。

 

 と、タイチさんは言葉を続けていく。

 

「それにな、エクレールの意思とはまた別に、俺はやっぱ、エクレールはヒーローとして超人協会に入るべきだと思うんだ。――普段、エクレールがどんな稼ぎで暮らしているのかは、まぁ、分からないけど? でも、少なくとも、ヒーローとして超人協会に所属したその状態で黄泉百鬼を倒していった方が、そっちでの稼ぎで食っていけるようにはなるだろ」

 

「エクレールは、稼ぎのために黄泉百鬼を倒しているわけじゃないの」

 

「稼ぎが入るということは、それだけ懐が潤うんだ。――いいか、葉山さん。超人の出現によって、人類には段々と余裕が出始めてきたこのご時世だ。今や、腕っぷしの力だけが物を言う世界じゃなくなってきているんだぜ? もちろん腕っぷしの力も大事だが、今は、財力という金の力にも、価値が出始めている」

 

「だったら尚更、財力という力はエクレールには関係無い――」

 

「金も物を言う時代だ。財力という第二の力はきっと、エクレールが守りたがっているであろう“大切な人”を、間接的に守ることができる強力な武器になるハズだ」

 

 …………。タイチさんのそれに、ユノさんは喉につっかえさせた言葉を呑み込んでいく。

 

 そんな彼女の様子に、タイチさんは確信を思わせる、とても小さい笑みを見せていったのだ――

 

 

 

「長い間お邪魔してすまなかった。俺の世間話に付き合ってくれてありがとう、葉山さん。また相談したい案件が出てきた場合は、こちらの探偵事務所に相談するとしますよ」

 

「…………」

 

 心なしか、タイチさんはものすごく満足そうだった。重い腰を上げて「よっこいしょ」と立ち上がる彼に、アタシはお見送りをしなきゃと思って駆け寄っていく。

 

 と、その途中にもアタシは、チラッとユノさんを見遣った。

 ――何とも言い知れない、とても複雑そうな表情。それを見せていくユノさんの思考の中ではきっと、いろんな言葉が駆け巡っていたのかもしれない……。

 

「あ、アタシ、タイチさんをお見送りしますからっ!」

 

「お、サンキュ! 菜子ちゃん」

 

 キャップを被るタイチさん。サングラスも掛けて完全に変装を完了した彼と共に、アタシは歩き出していく。

 

「ユノさん、タイチさんのお見送りに行ってくるからね」

 

「……えぇ、お願い」

 

 今までの、女性が関わる物事に対して輝いていた、女たらしのユノさんとは思えないほどの浮かない顔。そんな顔をしていては、せっかくの美貌で好みの女性を釣ろうにも釣れないだろうにと、アタシがこれまでに見てきた表情の中でも、トップクラスに入る鬱々とした様相を見せながらイスに張り付いているその様子……。

 

 ……いや、大丈夫かなユノさん。心配してしまいながらも、来客であるタイチさんを見送るために玄関へと向かうアタシ。そしてタイチさんをビルの前でお見送りした後、アタシは様子をうかがうように事務所へと戻っていくのだが……。

 

「ユノさん、タイチさんを見送ってきたよ」

 

 アタシが事務所に戻ってきた時も、ユノさんはそのイスに座り続けながら、手を顎に付けて未だ思考に耽っていた。

 

 ……相当、何かに悩んでる。アタシは心配して彼女に近付いてみると、その途中にもゆっくりとこちらへ振り向いてきたユノさんの、とても真剣な眼差しがアタシに突き刺さってきて――

 

「菜子ちゃん。……もしも私が、超人協会に所属する正式なヒーローになった。としたら……菜子ちゃんは、どう思う、かしら?」

 

 真面目な声音で、しかしアタシをうかがうように訊ね掛けてきたその言葉。ユノさんにはあまりにも珍しい、とても自信が無さげで、この上なく頼りなさそうな、どこか不安を思わせる彼女らしくない調子……。

 

 ……アタシは、この時にも言葉を失ってしまった。想定できるはずのない、まさか、そんな、という信じられないような突拍子の無い気持ち。

 

 でも、一方として、アタシはユノさんの恐る恐るなそれを耳にした瞬間、「やっと言ってくれた」という安堵の念がよぎった。

 

 共にして、アタシは無意識とユノさんの頭を抱えるように、ぎゅっと抱きしめていたのだ――

 

「――うん、うん。ヒーローとして活躍するユノさん、すっごくイイと思う」



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