異世界キャメロット【幕間編】 (粗茶Returnees)
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旅の欠片
旅のはじめ
無印で書かなかった部分とか、その他とかです。
ここは君にとっての異世界だよ。
それはこの上なく真実をついていて、しかしその簡素な物言いにノアは納得がいかなかった。頭の中では理解できよう。自分の生まれた国と同じ地形。同じ島。けれど2010年代のイギリスとはかけ離れた文明のレベルなのだから。
それでも納得はし切れなかった。納得したくないわけじゃない。そんなファンタジーなことが起こり得るなんて微塵も思っていなかったからだ。
想像ではいくらでも異世界を考えられよう。創作の世界ではありとあらゆる世界が存在する。漫画大国、アニメ大国の日本にいたっては「人の数だけ異世界がありそう」と友人間で話し合ったくらい数多くの創作物があるのだ。
だから、実はこれがドッキリで、「知らない間にそういうセットの中に飛び入り参加させられている」と言われた方が納得ができるのだ。
ノア・ヴェンダーは普通の少年だ。親が大学教授という影響もあるようで、同年代よりは少しばかり合理的な考えをする。それくらいの少年で、それ故に非現実的なこの事態にはパニックになる。
「そう言われましても……。いえ、私たちもあなたが土の中から出てきたことには混乱しましたよ?」
「俺って土の中にいたの?」
「服が汚れてないことにはさらに驚きです。ところでその服もあなたの世界では普通なのですか?」
「俺の質問スルーしないでくれる?」
ティンタジェルから伸びる道をただ真っ直ぐに歩く。明確な行き先があるわけではなく、魔術の研究をしたいという本音半分、建前半分で旅に出たばかりだ。しかも「最終目的地であるキャメロットはティンタジェルから歩いて3日の距離だけど、急ぎじゃないから寄り道したい」と言っての旅である。
「汚れがつかない用にできてるのかな……。でも魔術礼装ってわけでもなさそうだし……」
「ブツブツ言いながら人の服を引っ張るな。伸びるだろ!」
「伸びるんですか!? 破けずに!? すごーい!」
「限度はある! 限度はあるってば! おいだから引っ張るなって!!」
「あ」とアルトリアが声を漏らしたのは、ノアの服から破ける音がした時だった。それは当然ノアにも聞こえ、肌に冷たい風が直接当たっている。
「引っ張るなって言ったよな?」
「え、えっと……伸びるのってすごいなぁって……その……」
「限度あるって言ったよな?」
「はしゃいでしまいまして……はい。ごめんなさい」
「うん。いいよ」
「そんな軽く!? え!?」
「いやだって破けたもんはしょうがないし」
言い逃れをするのでもなく、言い訳を重ね続けるのでもない。確かな気持ちのこもった謝罪があった。だからそれでいいのだ。どれだけ少女を詰めようとも、破れた服が直るわけでもないのだから。そもそも直そうにも素材がない。ミシンもない。
「服は欲しいけどな。寒いし」
春とはいえイギリスという国の緯度は高い。春先ともなればその風はまだ冷気を帯びているというわけだ。
(ん? 今でこの気温?)
自分の記憶が正しければ、たしか夏だったはず。それでこの気温はおかしい。そういう年だとすればそれも頷けるのだが、
「はい、できたよ」
「へ?」
その思考を遮るようにマーリンが声をかけてきた。その手にはいつの間にか作られた服がある。ノアは目を丸くした。
「服が欲しいのだろう? これは礼装でもあるから、キミにとって都合がいいよ」
「れいそう? よくわかんないけど、ありがとうございます。マーリンさん」
「さんはいらないよ。旅仲間なのだし」
本人がそう言うのならそうしようか。そう思いながら受け取った
「お守り程度の効果があると思ってくれたまえ」
「へ~。すぐに作れるってすごいな。しかも暖かい」
「ふふん。私をただの綺麗なお姉さんと思ってはいけないよ」
「たしかに綺麗だけど、自分で言うかな……」
「マーリンの言うことは半分ほど流していいですからね?」
さらっと自分だけ好感度を上げる。そんな遊びに興じるマーリンにアルトリアは呆れ、律儀に反応するノアにマーリンとの付き合い方を伝授する。
「やれやれ。私は真面目に対応しているというのに」
「真面目に対応しながら悪戯を忘れないのはどうかと思うのです」
「生真面目なのは面白くないじゃないか。肩肘張って生きるより気楽に生きたまえよ」
「マーリンって達観してるのな」
「人類のナビゲーターだからね」
「人類のって、マーリンも人間だろうに」
「ふっ、あはははは。そうか。キミにはそう見えるのか」
突然笑い出すマーリンにノアは首を捻り、どういうことかをアルトリアに説明を求めた。マーリンを知らず、そしてその手のことに気づけないのなら仕方ないかなと思いつつ、アルトリアはマーリンが夢魔であることを教える。
「むま? サキュバスってこと?」
「はい。正確にはその混血ですが、マーリンはその特性を完全に引き継いでます」
「へー。よくわからんけどすごいな」
「すごい、か。ふふっ、キミは面白い感性をしているね」
「そうか? 初めてそんな人を目の当たりにしたからってのもあるけど」
またマーリンのことを人と言った。その事にマーリンはまた微笑む。嬉しいのではない。面白いと思ったから。そもそも夢魔に感情らしい感情なんてない。人のそれを摂取し、燃料とし、人の真似をしているに過ぎない。「人ならこういう時こうするだろう」と憶測を立てて。
「でもほら、混血って言い方しててさ。特性を引き継いでいるって言い方になるってことは、一応ベースが人間ってことになるんだろ? そう考えると、すごい人だなぁって。想像にしかならないけど、普通なら気が狂うと思うんだよな」
「……」
「? どうした? 2人とも黙り込んで」
魔術を知らない人間故に。神秘のそれも、神代のことも欠片すら知らない人間だからこそか。違う。そういう思考をするのが、ノア・ヴェンダーという少年だ。なにせ彼は、マーリンが人ではないということを半分程度も理解できていないのだから。
彼は彼なりに咀嚼しただけである。
「いや、なに。やはりキミは面白いよ」
「あなたの世界ではそういう考え方が主流なのでしょうか?」
「たぶん少数じゃない? 世界の人口が60億人超えてるから、似た考えの人とか相対的に多いと思うけど」
「60億……マーリン。60億ってどれくらいですか? 多過ぎて全然わかんないです」
「眺めるのに困らない数かな~」
「あなたに聞いた私がバカでした! でも、それだけ多くの人が生きられる世界なんですね」
「社会問題は尽きないけど、平和な時代ではあるかな」
先進国では少子高齢化。発展途上国では人口爆発。見え始めた食料問題。終わらぬ人種問題。地球温暖化。内紛が起きる国もある。
(平和な時代……少なくともイギリスはそうってだけか)
世界的に見ても、戦乱の絶えない国はいくつもある。イギリスもその1つで、その歴史を振り返ってから2000年代を考えれば平和と言えるわけだ。軍は存続しているがそれは防衛のため。決して侵略のためではない。
「話を聞いていると、私もそっちに行ってみたくなります」
「時代の違いに目を見開くと思うよ」
「それでいいんです。それも含めて楽しそうだなって思ったので」
戦いのない生活。大いに結構だ。アルトリアも戦いは嫌いなのだから、むしろ外敵を気にしなくていい分やりたいことを謳歌できるというもの。
「こちらは争いが絶えませんし、魔獣もいますし」
「魔獣?」
「はい。魔獣です」
人に害をなす獣。だからそれは魔の獣。ノアはオオカミの姿を想像し、時代の違いを考えればそれを魔獣とも呼ぶかと──
「ちょうどあちらに見えるのがその魔獣の1種だね」
──自己完結しかけたところで目を疑った。マーリンが指差した方向にいる魔獣が、想像よりも遥かに大きく、そして凶暴に見えたから。
イメージの方向性は間違っていなかった。四足歩行の獣だ。オオカミを5倍ほど大きくすればほぼ一致する。ただし、鋭利な爪は一撃で人を切り裂き、頑強な牙と顎は大木すら噛み砕く。間違っても人の手でどうこうしようと考えてはいけない。
それは災害なのだ。それに蹂躙されるか、あるいは運良く逃げ延びられるか。討伐できるのは人の身を超えた騎士や戦士だろう。
「なんだよ……あれ……。あんなのが、5頭も……」
「未だに神秘が残る島だからね。あの手の存在はよくいるよ。それに、あれは弱い方だ」
「は?」
「人からすれば十分脅威ですよ」
1頭でさえ村を潰せるような魔獣が、それでもこの島のランキングでは低い方らしい。そのパワーバランスにノアの頭は思考が止まる。アルトリアのフォローになってないフォローも左から右へと流れた。
「竜も妖精もいるような島だよ? ただの獣はさぞ生きづらいだろうね」
それが当たり前なのだと夢魔は淡々と告げた。あれは力しかないただの獣なのだと。そんな存在は生きる場所が限られる。存続自体がその種の最大の課題になるのだと。
「……絶滅、するのかな」
「いずれはするだろうね。それが自然の摂理だ。この星に生まれ、そして消えていった種は多い。それこそ星の数ほどいる」
「それは、そうだけど」
動植物でそれらが多いことは知っている。学者、研究者たちの調査で多くのことがわかったのだから。そして、同じ人であっても世界から途絶えた種族もいる。
自然の摂理と、人の業と。
「憐れむのかい? それもまた人だろうね。傲慢な考えも人らしい」
「傲慢……うん。それはわかってる」
魔獣は人にとってただの災害だ。本来それのことを憂うなどあり得ない。
多くの被害を出し続けた火山があったとして、その火山の活動が止まって嘆く人間はいるだろうか。誰もいないだろう。被害が無くなることに誰もが喜ぶはずだ。
魔獣はそれと同列に考えるべきなのだ。魔獣たちは人の命を奪うのだから。
「やれやれ。なら、一度見たほうが早いね」
「なにを」
「魔獣が人を襲う姿さ。あの魔獣たちが向かう先。あのまま進めば小さな村がある。防衛なんて不可能。間違いなく全滅だね」
「なら急いで知らせなきゃ! 村の人たちが危ないんだろ!?」
「おいおい、キミはどっちの味方だい? つい今しがたまで魔獣のことを憂いてたんじゃないかい?」
「……っ!」
「マーリン」
一貫性のなさを突かれ、何も言えなくなってしまったノアを見てアルトリアが場の仲裁に入る。アルトリアもこのまま魔獣を見逃す気はないらしく、それを見て取ったマーリンは変わらず微笑む。
「村に行くのはいいけれど、どうするんだい? 彼らの嗅覚は鋭いよ。先回りして逃がそうにも追いかけてくるだろうね」
「5頭なら討てる、気がします。マーリンも手を貸してくださいよ」
「ふむ……うん、いいよ」
そうする理由なんて特にないなと思ったマーリンだが、魔獣を打ち倒した後に見る人間たちの夢には興味がある。特に、異なる世界から来たノアのここでの初夢だ。それを報酬と思えば安い経費というわけだ。
かくして一向はマーリンの転移術により村へ先回りし、魔獣の前へと立ち塞がった。村人たちは魔獣が見えるやいなやパニックを起こす。呆然と足を止める者、反対側へと走り出す者、武器を持つ者、何かに祈る者。
そんな状況を背中で感じつつ、アルトリアとマーリンは杖を構えた。片や張り詰めた表情で、片や柔らかな表情で。
「私は援護だからね」
「わかっています。セクエンス!」
魔力で作られた円の刃が生成される。魔獣の数に合わせて5つだ。それらを展開させ、射程圏内に入るのを待つ。単純な話、数が多いほど制御が難しくなり、距離が遠いとそれもまた同じなのだ。
だがあからさまに展開されるそれに、魔獣が真っ直ぐ突っ込むはずもない。これは経験の無さによるアルトリアの失態だ。
「やれやれ。仕方ないね」
左右へと別れ始めた魔獣に、マーリンの魔術が行使される。どこからともなく花弁が舞い、それらが魔獣の横を通り過ぎた時、変化が起きた。
ついさっきまで連携していた魔獣たちが、突如仲間割れを始めたのだ。大荒れの喧嘩。放っておけば共食いにまで発展しそうなそれを、
「ごめんね」
小さな謝罪とともに鎮めた。
「……アルトリアさん、ごめん。俺のわがままのせいで」
「な、なんで謝ってるんですか。私だって、村が襲われるのは嫌だなぁって思ったから。だから……ヴェンダーさんは謝らないでいいんですよ」
冥福を祈る少女の背中はあまりにも小さく、優しい少女の目はあまりにも悲しかった。
それでもなお笑顔を作る少女に、少年は心の内に誓う。
──彼女の心からの笑顔を護りたいと
村を助けてくれたお礼がしたい。そう言われ、アルトリアが押し切られた結果村で1泊することになった。可能な限りでのおもてなしをされ、温かな時間を過ごす。人の温かさは変わらないんだなと実感できたノアも、その日初めて落ち着くことができたようだ。
「眠れないのかい?」
「……慣れない寝床だからかな」
「キミは生活水準が高いところから来たからね。それも仕方ないさ。アルトリアはすぐに寝られたようだけど」
「無理させちゃったから……。戦うの嫌いって言ってくれてれば」
「そしたら村を見捨てたのかな?」
「……」
「それはできないんだろう? キミも、そしてアルトリアも。ならこれは必然だった。それだけの話さ」
そうだとノアも思っている。けれどそれだけで終わりたくなかった。『何故というフィルターを通し、ならばどうするかを考える』というのが根にあるが、これもやり過ぎると人間味が消えてしまう。ノアはそんな気がしていた。
幸せそうにスヤスヤ寝ている少女に目を向ける。穏やかな寝顔は心を安らがせ、ずっと見ていられる。
「おや襲うのかい? やるね」
「違うわ!」
ニヤニヤと揶揄う夢魔に睨みを送り、意味がないと悟ってため息を1つ。ノアがアルトリアを見て考えていたのは、魔獣を倒した後のことだ。無理に作られた笑顔。その体は震えていて、今にも泣きそうな顔をしていた。
普通の少女なのだ。魔術だなんだ。異世界だなんだと考えていて、ちゃんとわかっていなかった。アルトリアという少女は、どこにでもいるような、心の優しいただの女の子だということを。それなのに魔獣の命を奪わせてしまった。共に背負うのではなく、押し付けるという形で。
「俺は、最低だ……!」
「そこまで気にしなくていいと思うけど、キミは気にするタイプなんだね」
「俺も戦えたら……何かできれば」
「こらこら、そんなに詰め過ぎない」
「おわっ!? マーリン!?」
後ろに引っ張られ、体が倒れると頭の後ろに柔らかい感覚があった。薄暗い部屋の中で、月明かりのおかげで見えるのは天井ではなく、魅力的で魅惑的な美しい夢魔の美貌。膝枕されているのだとわかった途端、ノアは目を泳がせながら顔が熱くなるのを感じた。
「おや、案外初々しいんだね。かわいらしいよ」
「か、からかうなよ!」
「声も裏返っているよ」
「言うなって!」
起き上がろうにも起き上がれない。体がまったく動こうとしなかった。一度マーリンの瞳と目があったからだ。相手から魔力すら奪えるその瞳で、マーリンはノアの活力を奪い取った。眠れないのなら、眠りに誘ってやろうと。
だって、
「出会ってすぐに契約しただろ? ノア、キミはボクのものだよ」
「なんか拡大解釈されてるような……」
「なんだっていいじゃないか」
よくない。
その言葉は出なかった。急速に押し寄せてくる睡魔に抗えなかったから。
「おやすみ、ノア」
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お友達
基本的にエピソードはn週目です。
この時代では道路も無ければ線路もない。旅となると徒歩が基本だ。馬なんてものはそれこそ諸侯たちのものであり、下々の人間が飼えるわけもなかった。
「ヴェンダーさんヴェンダーさん」
「はいはいヴェンダーです」
そうなると旅路は長いものとなり、そして多くの日数を必要とするものになる。明確な目的のある旅ならまだしも、「どこに行って何をする」という目的もなく歩く旅は冷静に考えてみてどこかおかしい。
それを始めた張本人はいたって楽しそうなので、同行者であるノアはそれに従うだけだ。何より彼女を1人にする気はなかった。
マーリンがいるから1人にはならないし、離脱したところでマーリンに連れ戻されるのだが。
「ご両親はどういう方でしたか?」
「今度は両親の話か」
徒歩の旅のお供となるのは会話である。お互いのことをあまり知らなければ距離感も決めづらい。話題はアルトリアから振られることが多く、ノアがそれに答えるというのが形として出来つつあった。
「えっと、迷惑でなければでいいんですけど……」
「大丈夫。んー、まずは父親からかな」
遠慮がちな様子にくすりと笑う。毎回そうなのだが、アルトリアは話題を振った後に不安げに眉をひそめるのだ。彼女なりに話題探しをし、見つけてはそれを提供してくれている。その気遣いは感謝こそすれ、拒むようなことはしない。
「父さんは国立の大学で教授してて」
「こくりつ……。だいがく……? えーっと、なんですかそれ」
「ごめん。そこから説明いるよね」
この時代にそんなものはない。アルトリアが普通の少女だから、今度はそちらの認識が甘くなってしまう。
「大学っていうのは学び舎のことで、そこにいる専門家とか通っている他の人と一緒に勉学に励むとこだよ。国立っていうのは、国が直接管理してるものって思って」
「ほぇぇー。そんなすごい場所があるんですね! いいなー、私もそういうとこ行ってみたいな~。魔術の研究とかしたいです!」
「俺の知る限り魔術の研究ってやってないはずなんだけど……」
「ええーー」
アルトリアはがっくりと肩を落とし──
「彼の時代では魔術は衰退しているだろうからね。魔術師はいるだろうし、その教育機関もあるかもしれないけれど、公にはないんじゃないかな」
「なるほど!」
──跳ね上がりながら目を輝かせた。マーリンの意見に一理あるからだ。魔術を知らないノアが知らないだけという可能性だって大いにあり得る。
そしてそれは正解だ。マーリンの言うように、魔術師が通う場は存在している。通称『時計塔』だ。
「きっとすごい方いますよね! 年の近い人たちと交流できるというだけでも魅力的です!」
「あはは、実際学校とかそうだしね」
「ガッコウ。それはダイガクというものとはまた別ですか」
「名称の違い、かな。大学はより専門的でハイレベルって考えといて」
「すごい……未来ってすごいです!」
ノアにとっては何でもない当たり前の日常の一幕。それの話をするだけでここまで喜ばれると、話していて楽しくなってくる。けれど、その手の話をし過ぎるのもどうなのだろうかとブレーキがかかった。SF作品でよくある話だ。過去が変わると未来も変わるという話は。
「ん? あぁ、気にするのならあまりしない方がいいね。私は構わないけど」
「何も良くないやつじゃん」
マーリンに聞いてみれば案の定である。
一応ここで一区切りがついているため、ノアは父親の話へと戻すことにした。自分の父親は、教鞭を執る側の人なのだと。
「ではヴェンダーさんのお父様は、いっぱいお弟子さんがいるのですね!」
「え? うーん、うん? まぁ、そういう解釈になる……のかな」
教授という立場を師匠、生徒という立場を弟子と捉えれば間違ってはいない。
「父さんは結構仕事熱心な人でね。というか研究者気質が強いって言えばいいのかな。母さんと比べると話す時間が短いんだけど、尊敬してるんだ」
仕事人間。大いに結構。やりたいことがそのまま仕事になったという人間の典型的な姿だ。その姿は親としては如何なものだと思う人もいるだろう。家族サービスというものが他の家庭に比べて少ないのだから。
それでも、ノアは父親を尊敬している。友人の家族旅行を羨んだことは一度や二度ではないにしても、それでも父親の仕事は人の力になるのだから。それは偉大なことだと信じている。
「人に知識をつけさせる。その人の力の源になるものを与える。一方的なものじゃなくて、高め合うという形で。それができる人ってきっと思ってるより少なくて、教え子のことを気にかけながら自分の研究もしてるから。その在り方はちょっと目標かな。……言ってて恥ずかしくなってきた」
「いいえ。恥じる必要はないことですよ。ヴェンダーさんがどれだけお父様のことを敬っているのかが伝わってきましたから。それに、それはとても素晴らしいことだと思います」
「あはは……、そうだといいな。ありがとう」
家族に言ったこともなければ、友人にすらここまで詳細に話したことはない。アルトリアという少女が相手だと、不思議と言葉が流れ出てしまっていた。それに気づいたのは言い終わったあとで、でもそれを受け止めて貰えたことが嬉しかった。
考えを受け止めてもらったというのは、自分を受け止めてもらったことに等しいから。
「お母様はどんな方ですか? あ、ご兄弟とかは」
「ぐいぐい来るね」
「ぁ、すみません。……なんだか、ヴェンダーさんの話をどんどん聞きたいなって。自分でもよくわからない不思議な感覚ですけど」
「興味ないって言われるより断然嬉しいよ」
バッサリ切られたら、旅の同行なんてできる精神状態ではなくなる。
「兄弟はいないよ。俺は1人っ子」
「あ、そこは私と同じですね。ふふっ、おそろいです」
「そうなんだ。共通点があるとなんか親近感湧くよね」
「ですね!」
「ふむ、そこを切り取ると私も仲間だね」
「マーリンって……」
姉だかなんだかがいるんじゃなかったっけ。ノアの脳裏にふと祖母から聞いた話が過ぎったが、うろ覚えであるためそれを飲み込んだ。伝説上の人物というものは、後世で設定が追加されたりするものだから。違いがあっても当たり前。本人が言うことを信じよう。
「おや、私と同じ部分があって嬉しいのかな?」
「違うから。親近感は湧くけどさ」
「湧くんですか……」
マーリン相手にそうは思えないというのがアルトリアで、人類の大半が彼女と同じように思うことだろう。ノアがズレているだけだ。
「母さんも仕事はしててね。街の花屋でパートタイムで働いてたんだ」
「花屋とは、花の魔術師である私と被ってないかい?」
「何も被ってないから」
「綺麗なお姉さんである私だけど、お母さんも視野に入れようか? 若妻って需要ありそうだよね」
「頼むから変な方向に話を進めるな! マーリンはどう頑張っても綺麗なお姉さん以外無理だよ!」
「大声で褒めてくれちゃって。照れ隠しかい?」
「もうやだこの人!」
「ですから、話半分でいいんですって」
うりうりと頬を突いてくるマーリンにされるがまま。ノアはアルトリアに視線で助けを求めた。彼女の手を払い除けないのは、荒っぽいことをしたくないからである。人のような感情もない夢魔が相手でも、心地よい関係でいたいのだ。
「お母様の手料理とか、やっぱり美味しいものですか?」
アルトリアがマーリンに軽く電流を浴びせ、「荒っぽいなぁ」と艷やかに言うマーリンを無視して話を進めた。
「俺は好きかな。うちの婆さんが言うには、母さんは料理ベタらしいんだけど。それでか会うたびに俺に料理を教えてくれてる」
「お祖母様……厳しいような優しいような……」
「ははっ。孫には甘くなるものらしいよ」
「そういうものですか」
「?」
どこか他人事のようだと思った。実際他人の家庭の話であるが、ノアが感じ取ったのはそうではない。
はたしてそれを指摘していいものなのか。切り込みづらい話だ。それを読み取ることなく、あっさりとそのことを言ったのはマーリンだ。
「アルトリアは親の顔を知らないからね」
「ぇ……」
「そうですね。私の両親ってどういう人なんだろうって想像しちゃいます」
「えっと……」
柔らかく微笑む少女は、言外に気を遣わなくていいと告げていた。ノアは謝罪を飲み込み、彼女の家庭のことを重く捉えながら違うことを言葉にする。
「……きっといい人達だよ。だって、アルトリアさんはすっごく優しいんだから」
「へ? え、ぁ、あー。はい。えへへ、ありがとうございます」
当たり障りのない言い方ではない。その目はとても真っ直ぐにアルトリアに向けられ、その声は真剣そのもの。その声色には優しさが篭っており、アルトリアはほんのりと頬を朱に染めながらお礼を言った。
杖を握る手に力が入る。胸の内もほんのりと暖かくなった。
「嬉しいものですね。そう言ってもらえるのは」
頬が緩む。育ての親はいても同じ目線ではなく、仲のいい友人というのもできなかった。どこか上に見られているような、距離を感じるような接し方ばかりだった。
それを疎ましく思ったことはない。みんな人が良かったから。
けれど、寂しさを微塵も感じなかったとは言えない。親子を見て何も思わなかったわけでもない。それを口にすることなく、マーリンと出会ったときに理解した。自分が"予言の子"とやらで、だからなのか肉親と離れているのだと。育ての親から感じる距離もそういうことなのかと。
「あの……ヴェンダーさん」
「ノアでいいよ」
「……え?」
「アルトリアさんみたいな子って初めてだったから迷ってたんだけど、これから長いこと一緒にいるんだし、たぶん年もそう変わんないでしょ? だから、ノアって呼んでほしい」
そっと手を差し伸べられる。アルトリアはその意味が分からず、彼の顔と手に交互に視線を向ける。
「友達になろう」
「ぁ……」
そう言ってもらえたのは初めてだ。一緒に遊ぶ人はいたけれど、明確に友達だと称すことはなかった。アルトリアからもついぞそれを言えなかった。言っていいものかと迷ってしまっていたから。唯一友達と呼べそうな人物もいるが、どうなのだろうと今でも疑問に思う。
けれどノアはそんな事知らない。彼女の背景を大して知らない。ただ彼は彼の世界、その時代の感覚で言っているだけだ。
──それが彼女にとってとても大きな意味になる
「い、いいんですか?」
友達というものを正しくは知らない。だから、それは彼女にとって大切な存在だ。
「アルトリアさんが良ければ」
戸惑いながらも、アルトリアはノアの手を握った。鍛えている手ではない。だが、それはたしかに男の手で逞しく感じられるものだった。
「嬉しいです。私、お友達ができるの初めてで……。同じ世代の男の子も……その……」
「初々しいねキミたち」
「マ、マーリンは黙っていてください! それで、その……ノ、ノア」
「う、うん? そんなに緊張されるとこっちも緊張するんだけど……」
「あの、私もアルトリアでいいです。そう呼んでほしいです」
「……うん。よろしく、アルトリア」
「はい! えへへ、ノアー!」
友達になれた。その事がたまらないほどに嬉しかった。
アルトリアはノアへと飛びつこうとし、
「いでっ!」
「ぁ」
手に持っていた杖を彼の顔に叩きつけたのだった。
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現代の欠片
2人の形
プーリンメインにしようとすると現代でやるしかないってのがね。
祖父母から甘やかされているノアは、祖父母の家に自分の部屋がある。旅行好きな2人に影響されたのか、ノア自身も転々と旅行することが好きだった。両親と暮らしている街から祖父母の家までは遠いもので、それを利用してノアはそこを寝泊まりする宿代わりに使うことがあった。
便利に扱われているとなると、人によってはいい顔をしない。けれど祖父母はそれを気にするような人たちではなかった。むしろ、孫の顔が見れる喜びが勝るのだ。しかも合鍵を渡している。
「さしずめここはキミにとって、第二の家というわけだね」
「ありがたいことにな」
ノアの部屋にあるベッドに腰掛け、マーリンがゆるりと部屋の中を見渡す。時代が大きく進んだ現代ともなると、家具の違いや素材の違いが見て取れる。今腰掛けているベッドも、昔と比べると柔らかさが全く違う。
「てかなんで俺の部屋にいるの? アルトリアは?」
「あの子なら散歩に出かけたよ。キミが過ごしたここを見て回りたいんだろうね」
「実家ではないんだが……。てかそれ迷子になるんじゃね?」
「使い魔は飛ばしてるよ。あの子が迷子になってもこちらから迎いに行けばいい」
「そっか。ありがとうマーリン」
安心したようにふにゃりと笑う彼にマーリンも頬を緩めた。夢魔の特性を完全に受け継いでいる彼女は、本来人らしいことなどできない。表情も感情も、人の感情を食べることで、"人ならこうするだろう"と真似ているに過ぎない。彼女が浮かべる笑顔だってそれが糧だ。
もっとも、彼女は自分を人の社会にとっての異物だと自覚し受け入れている。自分という存在と、人という存在は別と考えているのだ。
『それがマーリンの個性ってことじゃねーの?』
いつの日か、ノアに夢魔という己の話をしたらそう返された。目を丸くしたのを覚えているし、よく笑ったものだ。
「さて、せっかく2人きりになれたんだ」
部屋にある椅子に腰掛けているノアへと歩み寄る。何を企んでいるのだろうと僅かに警戒する彼に苦笑し、彼の髪をくしゃっと撫でた。
「どうした?」
「ノア、キミはボクを狂わせるんだ。甘い毒ってやつだね」
「そのつもりはないんだけど」
何度目かになるやり取り。マーリンは正直に吐露し、ノアも正直に返す。
「キミは
「そういうものか。むしろそれを持ってそうなのはマーリンの方だけどな」
「おや嬉しいことを言ってくれるね。まぁボクは見ての通り綺麗なお姉さんではあるからね」
「マーリンが思ってるより、俺はマーリンに魅力があると思ってるよ」
「……」
彼の頭を軽く引き寄せる。逆らうことなく寄せられた頭はマーリンの腹部に当たり、ノアは動揺からか体が強ばっていく。
「マ、マーリン!?」
「ん。そこで話されるとくすぐったいな」
「……!!」
離れようと藻掻こうとし、けれど非力なマーリン相手に強引な手を取れないノアはすぐに沈静化していく。今頃は必死に心を鎮めているのだろうか。
そんな彼にくすりと笑みを溢しながら、マーリンは少しだけ手の力を強めた。彼を見るだけで心に
モードレッドの言うように、これは人の真似事なんだろう。夢魔だからわからない。人の気持ちを理解できず、共感することもできない。これはきっと幻覚で、錯覚で、本当は何1つ感じてはいないんだろう。
それはなんだか──
(寂しい、かな?)
そう思うことすら……。マーリンはそこで思考を切った。ドツボにはまる気がしたから。何よりも、そういう事を考えるのも、振り回されるのも自分らしくない。
「ノア」
「?」
彼の名を呼ぶことすら、何か意味を持つ気がする。名前なんて、個人を識別するだけの記号だと思っていたのに。
手の力を緩めると、彼が離れていく。椅子から見上げてくるその目は未だ輝いていた。平和な時代で育った彼にとって、地獄のような世界を生きたというのに。出会った時と変わらない目をしている。
今度は彼の膝の上に乗った。向かい合うように。
「なんか今日距離感おかしくない?」
「いいじゃないか。誰も見ていないさ」
「そういうことじゃなくて」
「それよりもだね。話しておかないといけないことがあるんだ」
いつもと同じように淡々と告げる。どんな状況でも変わらず冷静に情もなく事実を言うのが
「結構大事なことなんだ?」
「……そうだね」
それでも、"つながり"を持つからかノアは、それがいつもとは違うのだと気づく。
「事実確認をするけど、ボクらは"つながり"を作ったね? キミにボクの魔術回路を通すために」
「へぁっ、ぇ、ま、まぁそうだな」
「ふふっ、そういうキミのかわいらしい反応は見ていて楽しいよ」
マーリンに慣れたのか、反応があっさりとしたものに変わっていっていた。それでもこの手のことは耐性がなく、初心な少年らしく顔を真っ赤にする。
「熱く求めてくれたくせに」
「ほりかえさないでくれ……!」
目がぐるぐると泳ぎまくる。呂律も回らなくなり始め、揶揄い過ぎたかなと思いながらもマーリンは薄っすらと笑う。ノアを揶揄ってはいるが、あの時のことはマーリンにとっても揺れ動くものがあるのだ。
──あの時が間違いなく一番お互いに
マーリンを介して夢魔の特性が流れ込んだノアと、ノアを介して人間性が流れ込んだマーリン。
後になってからお互いに気が狂っていたなと振り返ったものだ。
「あの時お互いに流れ込んだもの。それは今は薄れているけれど、"つながり"がある以上完全には消えない」
「こっちに来ても"つながり"の感覚は残ってるもんな。マーリンの魔術回路がまだ俺にあるってことだろ?」
「そういうこと」
それはつまり、"ノア・ヴェンダーもまたマーリンである"という状態すら残っているというもの。
それは魂レベルでの"つながり"であるに等しい。
「ボクらの魂はお互いを求める状態でもあるんだよ」
「求めてないが?」
「激しい方向ではなくてね。ははっ、キミも年頃の男の子というわけだ」
「っ! や、ちがっ! だって話の流れがそうだったじゃん!」
「そんなに必死にならなくても」
くすくす笑うとノアが仏頂面になる。完全にマーリンのペースに呑まれていることにようやく気づいたのだ。ノアのペースに持ち込めたことなどほぼないのに。マーリンと言葉を交せば、いつだって翻弄されてばかりだ。
「検証していないからわからないけれど、距離は関係してくるだろうね」
「今めっちゃ近いのは?」
「これはキミで遊ぶため」
「あのなぁ」
「遠く離れていると、ボクたちはお互いに引かれ合う。一定の距離にいないと落ち着かなくなるんだろうね。剣と鞘がワンセットのように、ボクとノアもワンセットってところかな」
「それは……うーん。どうなんだ?」
嫌だなとは思わない。正しく言えば、もう相手を拒否することはできない。嫌に思うことはなく、嫌いになることはなく、悪意を向けることもない。
そうなる前に、過去の自分にその事を教えたとしても、一考こそすれ結論は変わらなかっただろう。ノア・ヴェンダーはそういう人間だったから。
「ぁ、それってさ」
考えていてふと浮かんだ疑問。それは見落としていたことで、けれど決して放置してていいことではない。少なくともノアにとってそれの重要度は高かった。
「
マーリンの説明が思い違いではなくすべてその通りなのだとして。ノアがマーリンを求めるように、マーリンもノアを求めるのだとしたら。
やがて死を迎えるノアと死を知らないマーリン。この2人でその関係性は、やがて訪れる地獄の関係ではないのか。マーリンはどれだけ探しても決して見つからない相手を求めることになるのではないか。
そうなのだとしたら、自分はなんてことをしてしまったのか。
1人の少女に生きてほしかったから、共に生きたかったから。
ずっと支えてくれていた彼女を地獄に突き落としたのではないのか。
一気に体の熱が引いていく。魂すら冷える。生きた心地がしなかった。これほど愚かで残酷な結末を──
「ノア」
「っ!」
優しい声に思考を切られた。反射的に顔を上げると花の香りがした。柔らかな感触が唇に触れている。幻惑的な感覚に包み込まれていく。
「心配しなくていい。ボクは夢魔だよ? 人の感性で懸念しなくていいんだ」
「でも……だって俺は……!」
「ボクが選んだ道でもある。キミ1人が気負うことじゃない」
「違う! それは違うだろマーリン! だって、俺は
協力してもらい、裏技で強くなれる土台を用意してもらい、守られ、支えられ、奮い立たせられた。何を返せるわけでもないのに。一方的に与えてもらってばかりで、それなのに自分から渡せたものが
恩を仇で返すどころじゃない。無自覚な悪にしても
「そう思いつめることではないさ」
それなのにマーリンは笑う。彼女に悲しい顔をさせることのほうが難しいだろう。どうであれ笑うような、人から離れた存在なのだから。
「キミから貰っているものだってあるんだよ」
「そんなの──」
「あるんだ」
ない、という言葉を言わせない。マーリンは強引にそこを遮った。
今にも泣きそうな顔をする彼をそっと撫でた。頬に触れ、目元をそっと触れる。
「ノア。キミがいたからボクは人を擬似的に識ることができた。この感覚が本物かどうかはさておき、ね」
自分の考えだって持っている。ノアの言ったように、それが個性というやつなのだろう。そこに、真偽不明の感覚が加わっただけだ。彼に泣いてほしくないと思う自分がいる。彼の笑顔を見たい自分がいる。
つながったところで今もなお千里眼に映らない少年。自分の目で見ないと視えない彼。
そんな彼に与えられたこの感覚。彼にしか感じないモノ。たとえそれが偽物でもいいと思っている。偽物だろうと、心地よく騙されているだけマシだから。
「キミが長生きしても、たしかに悠久の時を生きるボクにとっては短な時間だろうね。でも、たとえ終わりが来たとしても、そしたら"つながり"は消えるだろうさ。だから、責任なんて感じなくていいんだ」
初めての試み。前例などない。どうなるかなんて、その時が来ないとわからない。いくらマーリンでも、言い切ることはできなかった。そうはならないから安心していい、なんて言えなかった。
彼のことを識ったからこそ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
気休め程度にしかならない。ノアの中にある罪悪感を、いったいどの程度取り払えただろうか。
少なくとも、彼が言葉を飲み込んで、マーリンにお礼を言える程度には払えている。強張った声だとしても、それでもいい。彼の口からそれが出たのだから、ひとまずはそれでいい。
「……ふぅぅ。これについてはまた考えるとして、少し出掛けるか」
「気持ちの切り替えかな? 付き合うよ」
「アルトリアとも合流しよう。しばらく歩いてから、カフェかどこかでゆっくりしたい」
「うん、いいね」
ノアの膝上から降りる。人ではない彼女は非常に軽く、何も知らなければ逆に心配になるほどだ。
「あぁ、そうだ。もう1つ話すことがあったんだった」
「うん?」
「正直、ボクもまだ整理ができていないというか。これが整理のつくものかもわからないのだけどね?」
「マーリンが?」
そこまで曖昧なことを言う彼女は珍しい。揶揄うために、自分が楽しむためにわざと抽象的な言い方や言葉数を減らすことはあれど、本人の中で固まっていない話というものはこれまでなかった。
正確には、
ならばそれは、そういうことなのだろう。
「ボクはアーサー王を導いた魔術師だ。伝承でもそうなっているよね?」
「うん。性別の違いとかはあるけど、大筋はそうなってる……はず」
「言い切れないあたりキミらしいね」
そういうオカルト的な話に触れることが少なかったのが、ノアという少年だから。
「そう、
「……ん?」
「記憶が掠れているんだけどね。男のアーサー王だったはずなんだ」
「ぇ……」
そうなると、前提が崩れてくる。特異点での出来事への認識が変わってくる。
「予感で言うと、この話はアルトリアにはしない方がいい」
「…………マーリンがそう言うなら」
女性のマーリンという存在も、剣を好まないのに騎士王になったアルトリアという存在も、すべてがあの特異点に元からあったものだと思っていた。そこにノア・ヴェンダーという異物が加わっただけなのだと。
けれど、マーリンのその話が正しいとするならば。その前提が完全に覆る。
「どうやらボクもキミと同じ、あそこに入った側なんじゃないかな」
「……そう、なるね。でももう特異点はない。もしそうだったとして、謎は残るけど今が全てだ。3人一緒にいる。それが答えだよ」
あそこがなんであれ、それはもう消えた場所なのだ。あの特異点を支える聖杯が無くなったのだから。謎は暗闇に放り投げてもいい案件だ。
マーリンへと手を伸ばす。それに一瞬呆け、ふわりと花のように笑うと彼女は彼の手を取った。出会った時よりも厚くなった皮。ランスロット卿の指導を受け、鍛えられた体は逞しく引き締まっている。
変わらないなと思っていた少年が、ふと気づいた時には変わっている。それは気づくと楽しくて、彼に対してはどこか嬉しいことであり、寂しくも思えてくる。
「俺は、3人でいられたらそれでいいんだ」
「安心したまえ。キミたちが拒んでも、ボクはキミの側にいるから」
繋いだ手を、少しだけ強く握った。
次からはもっと平和に。
ここではあまりシリアスな話したくないですからね。
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初挑戦
夢魔は眠りを知らない。眠らないことが当たり前で、眠る人の夢に入り込む存在。そこで得た感情を賦活し、燃焼し、感情らしさを出すためのエネルギーにする。そうやって生活しているのが夢魔という存在で、地球上最後の夢魔であるマーリンは、しばらく前からずっと同じ少年からそれを得ている。
夢魔に『特別』を教えた少年。一時的に『感情』すら実感させたこともあれば、『人と同じ感覚』でさえ体験させた少年。英雄になどなれず、反英雄になることもない、ただの少年。
彼の夢はマーリンにとってお気に入りであり、彼の寝顔を見るのもマーリンの気に入っていること。たまにそれがバレて小言を言われるも、花のように笑う夢魔は何一つ気にしない。それさえ楽しんでいるのだから。
そんなマーリンは当然早起きである。眠らないのだから起きるという言葉が相応しくないが、誰よりも朝が早いのだから早起きとも言える。少なくともノアはそう表現している。
マーリンの最近の日課は、早朝の周囲を散歩すること。ブリテンの時代に比べれば人の生活も大きく変わり、人の活動時間がズレた。職業による違いが大きく表れている。それでも早朝というのは人の活動が少ない。人そのものは醜いものだと思っているマーリンにとって、この時間はそれを見なくていい貴重な時間。それを堪能してからゆっくりとノアたちの下へと戻る。
「ただいま」
「おかえりなさいマーリン。今日は長かったですね」
「たまには足を伸ばそうかと思ってね。ノアは?」
「ノアは出かけてますよ。彼に何か用ですか?」
「用事はないさ。なんとなくだよ」
「……そうですか」
最近なかなかノアと2人きりになれないアルトリアは、少し頬を膨らませて元凶を見つめる。
「ふふふ、アルトリアは何をしているんだい?」
「見て分かりませんか?」
「お菓子でできた剣を作ってるのは分かるね。物騒だ」
「わたしだってそうしたくてしてるわけじゃないんです!」
口を尖らせたアルトリアに反応するように、チョコ剣がマーリンへと射出される。それの操作をジャックしたマーリンによって、チョコ剣は全て部屋の中でワルツを踊り始めた。
「ちょっと私への敵意混ざってたね」
「……マーリンがずっとノアの側にいるから」
「そう言われてもね。私と彼は"つながり"がある。望もうが望むまいが引かれ合うんだ」
「マーリンがそういうのを気にするとは思えないのですが」
「キミも分かるだろ?
「……」
ただの人間と変わらないのに、どんな英霊ともどんな人間とも違う存在。だからマーリンと"つながり"を作れたし、それだけでなく彼女を惹かせさえする。
なによりも、誰よりもノア・ヴェンダーという存在に影響を受けているのは、他ならぬアルトリアだった。マーリンのような"つながり"が無くとも、アルトリアはノアのことを目で追うし、彼の隣にいたくなる。
その感情を理解せずとも。
「私が直接ノアをどうこうするつもりはないよ。眺めているのが好きだからね」
「それならいいです。夢魔の介入は洒落にならないので」
「言うね。それで、チョコレートを作ろうとしてるってことは、ノアにあげるつもりなのかな? バレンタインデーというやつで」
「~~っ!! なっ、なな……なにを!」
「ははは、そんなに顔を赤くしちゃって」
少女らしい反応を愉しみながら、アルトリアがやっていたことを目視で把握していく。アルトリア自身に料理スキルはない。というか家事も何かと怪しい。魔術大好きなこの少女は、その辺りも魔術でやっちゃえばいいかと思っているから。ノアとの旅の道中、3食目以降全てノアが料理を担当したと言えば、彼女の豪快料理に想像をつけやすいだろう。
そんなわけで、アルトリアはチョコ作りも魔術でやっちゃおうと思った。
バレンタインデーは感謝の気持ちを伝えるものだと知り、極東ではチョコを送り合うと聞いた。ノアが行ってみたいとよく口にする国の慣習だ。アルトリアはそこに目をつけたわけだ。
狙いは良かったのに、結果がなかなかでない。しかも今日はバレンタインデー当日である。ノアは夕方頃の帰宅予定と言って出かけていて、今は午前9時。ノアの指す夕方はおよそ17時から18時。長く見積もっても9時間。
「へ~。最終工程は冷やして固めるのか。ふむふむ、型に嵌めて……なるほどね」
「マーリンは何をこれみよがしに呟いてるんですか!」
「なに、アルトリアがやるのなら私も便乗しようかと思ってね。あー邪魔はしないから気にしないでくれ。私は現代のレシピ本というやつを覗きながらやるから」
「千里眼を何に使ってるんですか!? そもそもそんなピンポイントに視れるものでしたっけ!?」
「そこはさておき、キミも見るかい? このユニークなレシピ本を」
「用紙を使って複製って……」
いろいろアウトなんじゃないかなー、ノアが叱りそうだなーと思いながらも、アルトリアはそのコピーレシピ本を手に取る。魔の誘惑には勝てなかったらしい。
「……これレシピ本ですか?」
「ここのページにレシピがあるからレシピ本だよ」
「えぇ……」
本の厚さに対してレシピのページが少ない。けどレシピがあるならレシピ本という暴論も頷けなくはない。そこ自体は今重要でもないので、アルトリアは流すことにしてその工程に目を通していく。
「やり方自体はそう難しくもなさそうじゃないかい?」
「そうですけど……マーリン。この材料1つ1つがどれの事を指してるか分かるんですか?」
「え……? 作ろうとしてたんだし、アルトリアが把握してると思っていたのだけど」
お互いに顔を見合わせる。そのままワルツを踊るチョコ剣に視線を移し、そのうちの1本をアルトリアに渡した。マーリンに味など分からないから、味見はアルトリアがするしかないのだ。
「チョコらしい味ではあると思いますけど…………ッ!!!!」
なんとなくで作ったけど、たぶん大丈夫だろうとアルトリアはそれを一口齧り、剣を大空へと投げ捨てた。
「あーあ、魔術でブーストまでしちゃって。あれ宇宙彷徨うね」
チョコ星になったチョコ剣を見送ったマーリンが、口を覆って膝を折るアルトリアを見下ろす。反応からして相当やばい味だったらしい。味は分からないけど、噛ってみるのも嫌だなと珍しいことを思った。
「マーリン……食べ物は時に凶器ですね……」
「毒を仕込むとかは昔からあるからね」
「そういうベクトルとは違うのですが……まぁいいです。ちょっと口直ししてから再挑戦です。その本の通りにしましょう」
「材料の把握はどうするんだい?」
「千里眼に任せます」
「そういう使い方をするものじゃないんだけどな……」
□□□
夕方となり、出かけていたノアも帰宅。自分の部屋へと戻ったところで、そこで待っていた夢魔に小さくため息を零す。人の部屋に勝手に入るなと言っても聞かない相手だ。あるいはそのため息は、それに慣れている自分へのものかもしれない。
そんな彼に目を細めたマーリンは、どこか機嫌が良さそうな軽い足取りで近づく。そのまま流れるように、後ろ手に隠していたもの、ラッピングされた箱を手渡した。
「これって……」
「ふふっ、もちろんチョコだよ。キミのためにわざわざボクが作ったんだ」
「ありがとうマーリン! 嬉しいよ!」
「んっ……まったく、予想からズレてくるねキミは」
純粋な笑顔が返ってくるとは思っていなかったマーリンは、目を丸くしたあとに手の甲で口元を隠した。ノアが相手の時のみ現れる"らしさ"。それを隠すためだ。
「マーリンには世話になってばっかだから、今日はそれを少しでもお返ししようって思ってたのにな」
そう言って笑う彼に夢魔も頬を緩めた。
知っている。使い魔を通してノアのことを見守っていたから。彼が場所を借りて他所でチョコを作っていたことを。そわそわしていたアルトリアを見て察し、そのお願いを事前に済ませていたことを知っている。
普通の少年で、夢魔にとって可愛らしい存在。
「俺もマーリンに用意したんだ。貰ってくれるかな」
「もちろんだとも。キミが時間をかけて用意したのだからね」
「ははっ……マーリンが味わえるか分からないけど……」
「キミらしい心配だね。なら、少しだけ"強めよう"か」
「……え?」
人間と同じように味わえない夢魔への気遣い。彼がいつも気にしていること。それを一時的に解消する方法はある。その行為自体は彼がしたがらないだろうからと、夢魔はそれに近いもので留める。
彼の首に腕を回し、胸を押し付ける。緊張が走って固まる彼にくすっと微笑んでから、夢魔は唇を重ねた。ソフトものでは終わらせず、魂を絡め合うように深く、深く求めていく。
時間の感覚を忘れ、長いのか短いのか分からないそれを済ませた頃には、
「……何も言わずにされると困る」
「おや。それなら、言ったらどうなっていたのかな?」
「それは……その……」
「ふふっ、キミのそういうところは変わらないね」
顔を真っ赤にして俯くノアを、マーリンはそのままでいてほしいと思う。人は変わる部分があれば変わらない部分がある。根は変わらないと言うが、根が純粋さを保つ人間がどれだけいるだろうか。彼は特異な経験をしてもそれを失っていない。そういった部分も、今では惹かれる要因になっている。
もし、そこが崩れたりしたら。自分たちの関係は一変するだろう。
確信している。そうなったら、自分は彼から離れるだろうと。
同時に思っている。今の状態が続けばいいなと。
「ふむ、甘い……と思うね。たぶん美味しいチョコなんだろう。ボクは味わう経験が無いから基準もないし断言はできないけど、でもこれはきっと美味しい」
「いや十分だよ。ありがとうマーリン」
「ふふっ、礼を言うのはボクの方じゃないかい? さ、リビングに行きたまえ。アルトリアが待っているよ」
「うん」
アルトリア用のチョコを手に部屋を出るノアを見送り、マーリンはノアのベッドに倒れ込む。体の熱が冷めるまでまだかかる。部屋を出ている方がいいのだろうが、それを否定する自分がいる。
「あぁ……ノア……」
掻きむしるように、彼女は彼の枕を抱きしめた。
リビングに行くとアルトリアが落ち着かない様子でソファに座っていた。その様子は初々しい少女らしく、愛らしい。ノアが部屋から出てきたことに気づいた彼女は、パッと表情を明るくし、気恥ずかしさも混ざったように笑う。
そんな彼女にノアは言葉を失う。
彼女のその愛らしさに──ではない。
「えへへ……、すごい、恥ずかしいんですけど」
自覚をしているアルトリアも、目を逸らしながら言葉を紡いでいく。
「その……マーリンがこういう手も現代にあるって言っていたので……」
普段隠れている健康的ですらっとした素足を晒し、生地の薄いキャミソールを着ている。それだけでもノアを赤面させる破壊力があるのだが、それを耐えさせているのは、
「ぷ、プレゼントは、わたし……です」
「…………」
「……なんちゃって……」
固まって反応が返ってこない。それに耐えかねたアルトリアは、羞恥心が込み上げていき小声ではぐらかした。昼間の出来事からテンパり、それを愉しむマーリンの揶揄いに飛びついてしまった自分を殴りたい。
「アルトリア」
「ふぁい! ぁっ……!」
変な返事をしてさらに恥ずかしくなり、彼女の目がぐるぐる回る。それに苦笑しながら彼女の胸のリボンを解き、帯を緩めてから抱き寄せた。
「これからも、一緒にいてほしい」
「……はい。わたしも、ノアの隣にいたいです」
普段の彼らしからぬ積極性。そこに少し戸惑うも、彼女も彼の背に手を回した。感じる鼓動、温度。1つ1つが胸の内を温めてくれる。
「アルトリアにチョコ用意したんだ。受け取ってくれるかな?」
「もちろんです」
腕を離し、作ってきたチョコが入った箱を渡す。マーリンが一時的に人間性を少し得た代わりに、ノアはその夢魔の特性を少し引き受けている。それは人としての倫理観を薄めており、ノアは残る理性でなんとか自分を律していた。
受け取ったアルトリアが心からの笑顔を浮かべ、宝物のように胸の前で抱き締めた。
「大切にします」
「食べ物だから食べてね」
「そうでした! えへへ」
「そこまで喜んでくれると嬉しいけどさ。……ところでキッチンの様子を見るに、アルトリアも作ってたの?」
「…………それは……失敗、しちゃいまして」
失敗を繰り返し、時間も無くなっていくことでアルトリアは焦り、何か用意したいとマーリンに相談。それが今に至る理由であり、アルトリアがどれだけテンパっていたのかよく分かる流れだった。
「お菓子捨てちゃった?」
「あ、いえ。それは勿体なくて、後で自分で処理しようかと」
「ならそれ貰うね」
「え!?」
「作ろうとしてくれてたやつでしょ? なら貰うよ」
「ノアは……優しすぎます」
「そうか?」
「だって、誰にでもそういうこと言うんでしょ?」
「なんでちょっと不機嫌に……」
少し拗ねた彼女は言葉を返さず、ノアも彼女に言われたことを考えた。
「まぁ、頑張った人のそれを無下にはできないだろ」
「そうですけど」
「でもさ、アルトリアは特別なんだよ」
「え?」
「成功とか失敗とか抜きに、俺はアルトリアのだから欲しいんだ」
そこを気にしながらも渡してくるなら受け取る。それは誰が相手でも同じ。
失敗していようとそれが欲しくなる。これはアルトリア相手に思うこと。
冷蔵庫の中を確認し、アルトリアが失敗したというチョコを取り出す。彼女が何か言う前にそれを口に放り込んだ。
「失敗って言うけど、酷い味じゃないぞ?」
「だって……ノアみたいに作れてないし」
「そりゃ俺は料理が趣味だったりするからな」
「でもわたしは気にしちゃうから」
「なるほど」
「……ノア、本当に味大丈夫?」
「大丈夫だぞ」
「汗かいてるよ?」
「アルトリアの気持ちがいっぱい篭ってるからかな」
やっぱり彼は優しすぎる。そう思いながらアルトリアも自分のチョコを食べ、不思議な味に顔をしかめる。それを咀嚼しながらノアから貰ったチョコを取り出し、口直しも兼ねて味見。
「……美味しい。どうやったらこんなに変わるんですか!」
「どうって言われても……。あ、今度一緒に作るか」
「いいですね! 楽しそう!」
「魔術は禁止だからな」
「わ、わかってますよ!」
お菓子作りの腕の差を実感しながら、アルトリアは次の予定に胸を膨らませるのだった。
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