呪術って噛まずに言える? (定道)
しおりを挟む

ちなみに僕は言えない

「人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい」

 

 僕の育ての親が事ある度に投げかけて来た言葉だ、耳にタコが出来る程に聞き飽きた。

 中学最後の夏にその養父さんが癌で亡くなるまで、ウンザリするほどそのフレーズが僕の鼓膜とその他もろもろを揺らした、だけど僕がそれに対して同意の言葉を発する事は一度として無かった。

 

 当たり前だ、だって僕は言葉を発する事が出来ない。物心付いた時からそうだった、僕の吐き出す空気は意味のある音にならない。

 何でも実父が僕の声帯を含む喉頭を出産直後に摘出したらしい、酷い話だよねまったく。生きてるかどうかも知らない実父は地獄に落ちてほしい。

 

 だから僕は養父さんにうんともすんとも言ってあげられなかった、病院のベッドでだんだん衰弱していく最後の時だってそれは同じだ。

 目も見えなくなっている養父さんには手話で意思を伝える事も出来ない、僕はただ彼の手を握る事しか出来なかった。

 

「おまぇ……じゅ……じちゅっし……しにぃ」

 

 養父さんの最後の言葉はとても小さく、口も回らず、正しい言葉になっていなかった。

 僕の願望では、養父さんはこう言いたかったはずだ。

 

「お前は呪術師になれ」

 

 そうに決まっている、僕はそう信じる事にした。

 

 だが、言われるまでも無く、僕は中学校を卒業すれば呪術師となる。東京都立呪術高等専門学校に入学する事は中学に入学する前から決まっていた。

 

 もちろんそんな事は養父さんも理解していただろう、手続きやその他諸々を手配したのは養父さん自身だ。

 だから彼が言いたかったのはもっと精神的な事、心構えとか覚悟とかその他諸々を僕に喚起したかったはずだ。

 

 だから僕は返答として彼の手を強く握る事にした、呪いの言葉ではなく、別れの言葉すら飲み込む事しかない僕にはそれしかしてあげられない。

 

『安心して、僕はちゃんと呪術師になるよ』

 

 当然だけど返事は無かった、言葉ってのは相手に届いて始めて意味を持つのだ。飲み込んでしまえば自分にしか作用しない。

 僕は別れと誓いの言葉すらも飲み込んでしまう、養父さんに僕の気持ちは伝わっただろうか? そうである事を祈る。

 

 でも、僕にとってはそれが重要だったりする。言葉を飲み込めば飲み込む程に僕は一人前の呪術師に近づくのだ。

 

 僕の術式は「呪言」、本来は狗巻家に伝わるらしいそれは、放った言葉を現実の物にする言霊の力だ。

 だけど喉を潰された僕は言葉を発する事が出来ない、だから僕は自分の言葉を飲み込み、己を強化させる事でその術式を生かしている。

 もちろん正しい使い方ではない、邪道な術式の運用方法だ。それが理由か知らないけど、狗巻家からは養父共々かなり嫌われているみたいだ。

 

 身体的な縛りを課す事による擬似的な天与呪縛、どうやら僕の生みの親はそれを意図的に狙って僕の声を奪ったらしい。思いついても実行するか普通? 名前ぐらいしか知らない実の親はろくでもない人物だったのは間違い無い。

 そんな狙い通りの術士になるのはちょっと抵抗あるけど、実際この運用方法は強いから気に入っている。

 

 力とはパワーだ、呪術師に必要なのはやっぱり暴力だよね。結界とかチャラチャラしたものは高専で覚えればいい、僕は養父さんの教えに従ってひたすらに言葉を飲み込んで、己を強化する事に人生の大半を捧げて来た。

 

 もちろん、辛い事も多かった。喋れない子供なんて同年代も周囲の大人も扱いに困るに決まっている、実際に小中学校では馴染むのに苦労した。

 喋れない代わりに僕はボディーランゲージやその他の表現方法を磨いている、呪力と呪言で強化された肉体で修練して筆談をタイムラグ無しにこなせる様になってからは結構マシになった。

 一瞬で埋め尽くされる筆談ノートは初見の人は大体驚く、面白がって仲よくなれたパターンも多い。

 

 だからこそ、僕は自分で言うのも何だがハンデの割には友達が多い方だと思う。

 授業態度や成績も良かったので教師からの受けも良かった、優等生っぷりを高校受験に活かせないのが勿体無いくらいだ。残念ながら公立の中学校に呪術高専の推薦枠など存在しない。

 ほぼコネと家柄、たまにスカウトでしかその門を開いていない、呪術を学ぶだけあってジメジメとした校風だ。

 

 そんな日本に2校しかないジメジメ教育機関に、中学校を卒業してから直ぐに現地へと向かった、寮生活となるので準備は早めにしておいた方がいい、秘匿性故に覚える注意事項も多いのでほぼ強制的に連行されたとも言える。

 

 

 大都会である地元の埼玉県大宮市から、東京郊外の田舎にある高専に補助監督のオジサンが運転する車で向かう。シティボーイの僕には山の中での暮らしはちょっと辛そうだ。

 

 そしてこの補助監督オジサンは、僕の未成年後見人でもある。

 養父さんの知り合いだったらしい、何でも昔同じ団体に所属していたとか言っていた、養父は自分の事を語らない人だったので詳しくは知らない。

 

 オジサンは運転しながらも、僕に親しげに話しかけて来る。馴れ馴れしいと思わなくもないけど、唯一の家族であった養父さんを亡くした僕を気遣ってくれているので我慢だ。

 それに諸々の後処理でこの人には大変にお世話になった、なのでにこやかに聞いてる振りをしながら世間話を聞き流す、表面上を良くしておけばそれでいいのがこの身体の数少ないメリットかもしれない。

 

 ところで、黒塗りの車に黒スーツって目立つよね? 格好いいけど職務内容的にどうなんだろう? 

 そんな事を考えてたら目的地に到着した、大都会である埼玉は東京へのアクセスに優れているのだ、やっぱり埼玉は最高だね、神奈川や千葉なんて相手にならない。

 

 高専の駐車場に到着し、補助監督さんの軽い説明を聞き流しながら歩く。僕の頭の中は別の事柄で一杯だった。

 

 そう、まだ見ぬ同級生に想いを馳せているのだ。

 

 今年の新入生は、僕ともう一人だけらしい。喋れない割にはコミュニケーション能力があると密かに自負している僕だが、流石にまったく不安を感じない訳ではない。

 

 高専の四年間ずっと同級生となる人物、相性が合うならいいけど逆だったら最悪だ、僕の青春の大部分を占めるであろう高専生活が最悪の物になるだろう。

 

「君と同級生になる子だけど、彼女も既に到着しているよ。寮に荷物を置いたら挨拶するかい?」

 

 オジサンさんから素晴らしい情報が飛び込んで来た、どうやら僕の相方は女の子らしい。いやー参っちゃうね、仲良くせざるを得ないじゃん。

 

 青春の予感にワクワクとドキドキが止まらない、補助監督オジサンに笑顔を向けながら同意の意を示す、元気よく親指をあげてサムズアップだ。

 ちなみに中東の一部の地域でこのハンドサインはNGだから気を付けた方がいい、三食お米派で生涯日本を出る気の無い僕には無用な心配だけどね僕は日本を出るつもりなんてサラサラ無い。

 

 古い割にはそこそこ清潔な寮の自室に荷物を置く、家具や家電は後日郵送される手筈になっている。せっかくの新生活なので新品を揃えた、十分過ぎる程の遺産を残してくれた養父には感謝するしかない、南無阿弥陀仏。

 

 そして補助監督オジサンに連れられ、辿り着いた一年生の教室、そこで僕は運命の出逢いを果たした。

 

 

 

「初めまして、庵 歌姫です。貴方の事は聞いてる、これから四年間よろしくね」

 

 ――天使がそこに居た。

 

 赤と白のコントラストが素晴らしい巫女服を完璧に着こなす可憐な少女、そんな彼女が僕に美しい声で自己紹介をしながら右手を差し出して来る。

 

 あまりの衝撃に少しだけ脳がフリーズしてしまった。

 

 僕は慌てながらも慎重にその右手に応じる、ほっそりとした白い彼女の右手は想像通りスベスベとした感触だった。緊張で手が汗ばんでいないか心配になってくる。

 

 僕は今日ほど生みの親を恨んだ事は無い、彼女に自分の口で自己紹介出来ない、自分の身体が恨めしい。

 

 おのれ……許さんぞのりとし……確かそんな名前だったはずだ、としのりだっけ?

 

「彼は虎杖 悠一、喉に障害があって話す事が出来ないんだ。最初は色々と苦労もあるだろうが仲良くやってくれ、二人きりの新一年生だからね」

 

 補助監督のオジサンが僕の事情と名前を彼女に告げる、それを聞いた彼女は少し痛ましそうな顔をした後に僕に笑顔を向けた、女神かな?

 

「ええ、もちろんです。何か困った事があったら言ってね、出来る限りは力を貸すから。それと何て呼んだらいいかしら?」

 

 「ゆう君♡でお願いします!」とは残念ながら言えないのでポケットから紙とペンを取り出して無難に「虎杖でお願いします」と書いて見せる。第一印象は大事なのでここはぐっと我慢をする。

 呪力と己に対する呪言で強化された僕の肉体は、目にも止まらぬ速度で一連の動作を終えた。余りの早業に彼女は少し驚いている、驚いた顔もかわいい。

 

「じゃあ虎杖君って呼ぶわね、私の事は……庵でも歌姫でも好きな方で呼んでいいわよ、心の中になっちゃうけどね」

 

 はぁ……歌姫ちゃん天使過ぎる……しゅきぃ……

 

 僕は笑顔で頷き彼女に返答する、これからの高専生活を想うと自然と笑顔が溢れてくる。

 これから四年間歌姫ちゃんと二人切りで学園生活が送れるだと? おいおい、高専って最高かよ?

 

 

 

 実際の所最高だった、高専に入学してからの一年間、僕の青春はバラ色に彩られていた。

 

 歌姫ちゃんと一緒に授業を受けて、呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんと一緒に課外活動して、呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんと休日にお出かけして、呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんと一緒に先輩達と模擬戦して、ブン殴る。

 歌姫ちゃんの代わりに顔の怖い担任にブン殴られる。

 

 これが基本のローテーション、そして様々なイベントもあった。悲しい事もあったけど振り返れば良い思い出だ。

 

 歌姫ちゃんを差置き、1級になった自分をブン殴る。

 歌姫ちゃんではなく、冥さんと共に呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんが誕生日を祝ってくれた、呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんのいない交流戦、関西人共をブン殴る。

 歌姫ちゃんのいない任務、悲しくて呪霊をブン殴る。

 歌姫ちゃんの誕生を盛大に祝う、あと呪霊をブン殴る。

 

 徐々に深まっていく僕と歌姫ちゃんの愛と絆、そして呪霊を殴る気持ち良さ、高専最初の一年間は僕に素晴らしい青春を与えてくれた。

 

 だがしかし、永遠にも思われた素晴らしき平穏は唐突に終わりを告げた、僕と歌姫ちゃんの素晴らしき青春の日々をブチ壊す悪魔の様な男が高専に入学したのだ。

 

 その悪魔の名は五条 悟、キュートな新入生の家入ちゃんと福耳過ぎる夏油君に混ざって高専にやって来た。

 

 クソ生意気で先輩を敬う気持ちを1ミリも持ち合わせていないグラサン野郎は、あろう事か入学してすぐに地上に降り立った天使である歌姫ちゃんを侮辱したのだ。

 

 もちろんそんな暴挙を許す僕ではない、自分が犯した罪の重さを自覚させる為に、先輩と後輩の上下関係をきっちり叩き込んでやる為、僕は可愛がり目的で五条に模擬戦を仕掛けた。

 

 結果から言おう、僕は敗北した。

 

 もちろんやられっぱなしではない、3発ほど顔面パンチは食らわせてやった。人をおちょくった面が3回驚く様は割とスカッとした。

 だけどそんな物は慰めにならない、僕は歌姫ちゃんの前で無様にも地面に倒れ伏して情けない姿を晒した。

 その後は悲しみのあまりに3日ほど寝込んだ、歌姫ちゃんがお見舞いに来てくれるのが嬉しくてついつい長引かせてしまった。

 

 つーか無限って何だよ! 意味がわかんねえよ! アキレスと亀って説明になってなくない!?

 卑怯過ぎる術式に負け惜しみの様な文句を言いたい、もちろん僕には飲み込むしかないのだけれど。

 

 さらに最悪なのは、その後頻繁に五条が僕と歌姫ちゃんにちょっかいをかけて来る事だ。

 高校生にもなって人のズボンをズリ下げるのは駄目だろう、ハート柄のトランクスを履いているのを歌姫ちゃんに見られてしまった、クソ五条め……

 

 とにかくあいつはクソガキだ、反則みたいに強い癖に精神が伴っていない。今までやりたい放題で育って来たのだろう、あんな野郎が強いのは本当にムカつく。

 

 それに、奴の悪行はそれだけではない。

 

 人のポケモンを勝手に逃してレポートする、スマブラで負けそうになると人のコントローラーを無限で弾く、マリオカートでは逆走してまで僕を橋から落っことす。小学生かキサマは?

 

 だから僕は五条が大嫌いだ、歌姫ちゃんだって嫌いと言っていたからなおさらだ、あいつは一度痛い目を見た方が世界の為だと思う。

 

 さらにムカつくのは僕に1級術師の推薦を寄越せと脅して来た事だ、そんなもん実家のツテで手に入れろと言っても聞く耳を持たない。

 奴は卑怯にも僕の秘密の日課を携帯の動画で盗撮し、それを何かにつけて脅迫材料として来る。

 あれをチラつかされると僕は奴の言う事を聞かざるを得ない、歌姫ちゃんにだけはあれを見られる訳にはいかないのだ、見られたら僕は死んでしまう……僕は泣く泣く推薦状を書くしかなかった。

 

 そんな最低最悪の後輩が入学して来た2年目の高専生活、始まってからわずか3ヶ月で僕はかなり疲弊してしまった。

 理由は五条だけでは無い、2年生になってからは歌姫ちゃんと一緒の任務に行けてないのだ。

 授業内容の大半が命懸けの実戦なクソ体育会系学校なので、任務が一緒じゃないと会える時間が大幅に減る、歌姫ちゃんが恋しいよ……

 

「何黙ってんの悠一? 少しは先輩らしく面白い話でもしろよ」

 

 前を歩くクソ五条から雑なフリが飛んで来る、俺は喋れねえよとツッコむ元気すらない。筆が乗らない……

 

「悟、少しは虎杖さんを労ってあげないと。ついに庵さんに直接言われちゃったんだよ、僕達もウザくてキモイって相談されただろう?」

 

 ――あまりの衝撃に膝から崩れ落ちる。

 

 夏油君は何て言った? ……僕が歌姫ちゃんにウザがられている? き、キモイだと?

 

 そ、そんなはずは無い、だって内心はともかく表面上はめちゃくちゃ紳士的に振る舞って来たぞ!? 下心は微塵も感じさせなかったはずだ!? キモくてウザい男と休日に映画やスポーツ観戦には行かないだろ!?

 

「あんまりイジメんなよ二人共。先輩、ウザくてキモイとまでは言ってないです。ちょっと鬱陶しい時があるって話だったから気にしないでください」

 

 死にたい……歌姫ちゃんに、そんな風に思われてたんだ……

 

 五条と夏油君はゲラゲラと笑っている、もしかして夏油君も僕の事舐めてる? 気のせいだよね?

 

「ほらー、立ってください虎杖先輩。こんな田舎じゃバスを逃したら最悪ですよ」

 

 家入ちゃんが木の棒で突っつきながら僕を慰めてくれる。

 唯一の優しい後輩である家入ちゃんはかわいいけど、間違った認識は改めなくてはいけない。

 

『埼玉は田舎じゃない、都会だ。2008年には大型のショッピングモールだってオープンする』

 

 一瞬で正しい情報をノートに書き込み、後輩達に見せつける。

 大規模な調整池の近くに日本一大きな商業施設がオープン予定だ、ただでさえ都会の埼玉が益々栄えて困ってしまうな。

 

「はあ? こんな山しかない所は田舎だろ、ショッピングモール関係ないし」

 

 そ、それはここが埼玉でも北の端っこだから……ここはほとんど群馬みたいな物だから……

 

「悟、埼玉出身の先輩にはそれくらいしか誇る物が無いんだ。許してあげよう」

 

 いや、他にも一杯良いところあるし……ネギとか……サツマイモとか……古墳とか……東京から近いし……

 

「どうでもいいから早く行きましょうよ虎杖先輩、1級術師らしくちゃんと引率してください」

 

 もうやだ……帰りたい……何で一年違うだけの学生が学生を引率するの? 呪術界は人手不足過ぎない?

 

 風が語りかけて来る、今回の任務はろくな事が起こらないと埼玉の風が教えてくれる。辛い……辛すぎる……

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴力は良くないよね

 

 埼玉県内のとある山中、僕は五条と夏油君が無双するのを家入ちゃんと共に眺めていた。

 

 今回の任務は、この山で最近調子こいてる1級呪霊の討伐。

 

 メンバーは僕と家入ちゃんに五条と夏油君の4人、はっきり言って過剰戦力だ。

 だけどこの任務は、高専に入学して日の浅い3人に考慮した慣らしだ。安全マージンを通常よりも多く取った一年生向けのお仕事である、普通は1年に1級なんて相手にさせないけどね。

 

 そして、やっぱり五条と夏油君には慣らしなんて必要無かった、僕が介入するまでも無く1級呪霊をボコボコにしている。

 

 先生もそれは予想していたのか、家入ちゃんだけを守っていれば良いと僕に言っていた。

 他人に反転術式を施せる家入ちゃんはメチャクチャ貴重な人材だ、僕も術式の性質で自分になら反転術式を使えるけど他者になんて絶対に出来ない。

 

 だから家入ちゃんには戦わせるなと、口を酸っぱく言われている。家入ちゃんに呪霊と対峙する場の雰囲気に慣れて貰うのが今回の任務の目的だ。

 

 家入ちゃんを守ること自体に不満は無い、だけど正直に言って退屈な任務だ。

 呪霊を殴れない任務に何の価値があるのだろう、やっぱり引率なんてロクなもんじゃ無い。

 

 ああ……歌姫ちゃんが恋しい……歌姫ちゃんと一緒ならどんな任務も退屈では無くなるのに……

 

「うーん、こんな物か、思ったより使えないね」

 

 夏油君は雑魚呪霊共をポケモン感覚で捕まえていく、発言はトレーナーの風上にも置けない。雑魚は無条件で調伏出来るって卑怯だよね。

 そして要らないと判断した雑魚を体術で蹴散らしている、実にバイオレンスな厳選方法だ。ロケット団にだってもう少し慈悲の心があるだろう。

 

「奥の手は無いの? 雑魚を呼ぶだけかよ下らねー」

 

 五条は今回の任務の目標である、1級呪霊をネチネチと痛めつけている。

 饅頭に手足が生えたような呪霊の手足を再生したそばからねじ切って、あえてトドメを刺さない。

 

 五条への攻撃は全て届かず、逃げれば引き寄せられるクソみたいな無下限の術式、バランス調整をミスったとしか思えないクソ呪術だ。

 

 阿呆五条との初見の模擬戦では領域展延して何とか術式を中和して3発殴れた。生得領域を広げる展開ではなく、己のみを包む展延なら僕は得意だ。

 だが、もう一度模擬戦したら今度は殴れるか怪しい。学習能力も卑怯臭い五条はそう簡単に僕を近付かせてはくれないだろう。

 

「飽きて来たぞ傑、何か面白い話をしろよ」

「そうだな……高専の寮が僕達の前の代で新しくなった理由を知っているかい?」

 

 ……いや、わざと壊したんじゃないよ? 修行していて少しだけ力加減を間違えただけだよ?

 

 軽口を叩きながら、自分より低級の呪霊を呼び寄せて操る術式を持つこの1級呪霊を利用して、夏油君と共に下衆の極みのような呪霊漁を続ける2人。

 

 かれこれ1時間は続いている、自分でやるならともかく他人の暴力を見ても楽しくないな。

 

 そして客観的に見ると実に醜い光景だ、呪霊の保護団体がいたら2人は吊し上げを食らうだろう。

 アメリカ辺りに保護団体が実在しないかな? 五条って奴が非道ですってチクってやるのに。

 

「なー、もう終わらせろよ2人共、見てて面白くねーよ」

 

 家入ちゃんはそう言って新しいタバコを開ける、本日2箱目に突入した。未成年が喫煙しちゃダメだよ!……とは言わない。

 だって後で虎杖先輩ウゼーとか、真面目ぶって鬱陶しいとか、陰で言われると思うと恐ろしい。僕は後輩には尊敬されて敬われたい。

 

 肺の汚れだって家入ちゃんの反転術式ならチョチョイのチョイだ、家入ちゃんにとってタバコは健康を害する物にはならない。

 だから注意しない、何も問題は無いのだ、法を破っている所を除けば。

 

「もう少し待ってくれ硝子、この山中の呪霊を集め終わったら次は何処から持って来るのか見極めたい。その範囲によっては使い道がある術式かもしれない」

 

 ああ、そういう意図もあったのね。てっきりアリやバッタを虐める小学生の様な物だと思っていた。ちゃんとした理由があって驚きだ。

 

「傑、弾切れしたぞコイツ。多分この山の中限定の術式だな、土着の呪霊みたいだし」

 

「何だ、がっかりだね。この山の中でしか使えない術式なら利用価値は無い、要らないから始末していいよ悟」

 

 うわぁ……鬼だなコイツ等、呪霊よりも邪悪だよ。やっぱり呪霊の大元である人間が一番の悪か……歌姫ちゃんは100%善で構成されているけどね。

 

 改めて件の呪霊を見る、一応1級であるはずの饅頭呪霊は既に虫の息だ。呪霊とはいえあれだけ手足をもぎられたなら無理も無い、弱々しい姿に憐れみすら覚える。

 

 そういえばコイツ、少しフォルムが二十万石饅頭に似てるな……埼玉の呪霊ならそうであってもおかしくは無い、語りかける風がコイツを生んだのだろう。

 二十万石の地、旧忍藩である行田を羨む敵国の呪いがこの呪霊を生み出したのだ! ここは行田じゃないけどね、行田はなだらかな土地だから山はありません。

 

 しょうがない、同郷のよしみでせめて僕が苦しまずに祓ってやろう。彩の国は愛で溢れている、お前も埼玉の地に還るが良い……

 

 ――僕の脚は風の様に疾く。

 ――僕の拳は岩の様に硬い。

 

 そこまで強い言葉を飲み込む必要は無い、あの饅頭呪霊を苦しまずにブン殴って祓う最低限の言葉で自分を強化する。

 

 強化した脚で大地を踏込む、風の如く飛び出した僕の身体は音を置き去りにして夏油君と阿呆を抜き去り、饅頭の眼前に躍り出る。

 

「きゃっ!?」

「おや?」

「あっ、悠一テメエ!」

 

 岩の様に固く握り締めた拳を勢いを殺さずにそのまま振り抜く、1級程度の呪霊の強度では抵抗をほとんど感じられない。

 

 そしてインパクトの瞬間、呪力が満遍なく饅頭に通る様に流す。周囲に余波を巻き散らかさない様に、あえて遅らせた呪力も流して衝撃を相殺する。

 

 饅頭はチリ一つ残さずにこの世から消え去った、周囲の地面も木々も何一つ傷付いてはいない。

 埼玉の地を乱すのは僕も本望ではない、美しい自然にはそのままでいてほしい。

 

 還ったか、埼玉の地へ……魂は廻る、百年後のネオ埼玉でまた会おう……

 

 あーヤバい……気持ち良い……最高だよ。

 

 やはり暴力……暴力は全てを解決する。

 

 やっぱり全力で拳を振り抜くのは快感だね、しかも呪霊以外は何も壊していないから怒られる心配も無い。

 思いっきり呪霊を殴れば褒められる呪術士はやはり僕の天職だ、他の職種じゃこうは行かないだろう。

 

 コレを覚えるまでは大変だった、全力で殴らないと気持ち良く無いから任務の度に周辺を破壊してしまっていた。     

 その度にガッデム、ガッデム言われて卍固めやビンタを食らう日々、あの体罰教師は直ぐに暴力に訴える。

 

 まったく、暴力は何も生まないというのに……直ぐに手が出る人は嫌だねえ。人間性を疑うよ。

 

「おい悠一、何で引率が獲物を横取りすんの? 馬鹿なのか?」

「虎杖さん、流石に今のはどうかと思いますよ?」

「もー虎杖先輩、急に動かないでくださいよ。ビックリしてタバコ落としちゃったじゃないですか」

 

 後輩達からブーイングが浴びせられる、少しぐらい褒めてくれてもいいのに……格好良く無かった?

 

『奴は二十万石饅頭の呪霊だった、同郷のよしみで僕がトドメを刺す必要があった』

 

 行動の理由を理路整然と書き連ねる、コレならこの分からずや共も納得するだろう。完璧で美しいロジックがここにはある。

 

「……コイツさ、喋れないとか以前に言葉が通じない時があるよね」

 

 五条が失礼な事を言っている、そんな事無いよねー夏油君? 家入ちゃん?

 

 なんか夏油君も家入ちゃんも呆れた目で僕を見ている? そんな馬鹿な……

 くっ、不味い、このままだと僕の先輩としての威厳が失われてしまう。

 

『ゴメン、僕にも非が有った。夕飯を奢るから許して』

 

「しょうがねえな、面白味の無い謝罪だけど許してやるよ」

「ワンパターンだけど良いじゃないか、ご馳走してもらおう」

「えーと……帰り道で良い焼肉屋は……」

 

 や、焼肉だと? 贅沢な後輩共め……手持ちで足りるか? 

 

『小山田うどんじゃ駄目? パンチ定食美味しいよ』

 

「やだよ、あそこって、うどんが柔らか過ぎるじゃん」

 

 な、何て事を言うんだ、あれが良いんだよ! セットのご飯物と柔らかい麺がハーモニーを奏でるんだよ! 埼玉を中心に関東に出店を続ける小山田うどんを馬鹿にするな! 

 

「虎杖先輩1級術士なのに結構ケチりますよね、報酬何に使ってるんですか? それとも貯金とか?」

 

 ん? そんなの決まってるじゃん。

 

『歌姫ちゃんにいつか渡すから婚約指輪を買っている、3ヶ月に一度買い直しているから結構出費なんだよね』

 

 いつでも最新のデザインの婚約指輪を渡せる様にするにはそれしか無い、必要経費とはいえ結構キツイんだよね、養父の遺産も使い切ったし。

 

 あれ? 何でそんなに離れてんの3人共? 

 

「傑? コイツ通報するか?」

「いい、意味が無い。残念だけどそれがこの国の司法の限界だ」

「いやー思ったよりヤバいね、歌姫先輩コレを鬱陶しいで済ませるの凄いわ」

 

 んん? なんか侮辱されてない? 何で?

 

 結局、帰り道に徐々苑で焼肉を奢らされた。納得いかねえ……

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ああ、振り抜けない拳は何処へ行く?

 術式の開示、自身の術式の詳細をあえて相手に晒す事によって己の呪力や術式を強化する行為。

 

 いいよね……格好良さと実用性を兼ね備えた素晴らしい文化だと思う。実にオサレだ。

 ジャンプを始めとする多くの少年マンガにもこの行為が散見されるのは、きっと元呪術師のマンガ家がそれを広めたに違い無い。格好いい物は真似したくなるのが人情だ。

 

 そういえば絶賛連載中の大人気漫画ボーボボには領域っぽい技が多いよな……作者は元呪術師か? 可能性は高いな、今度集エイ社に問い合わせてみよう。

 

『最近のパリパリのりを有難がる風潮、嘆かわしいと思わないか? のりはしっとりこそ王道だと言うのに、おにぎりを愛するなら絶対にしっとりだよね』

 

 だから僕も術式開示をやってみた、だが、喋れない僕の術式開示は少しオサレさに欠けるな、ノートに文字を書いて明かす都合上、相手に伝わりにくいのも難点だ。

 

「そ、そう思いますぅ……」

 

 しかも僕の「呪言」はかなりシンプルな効果の術式である、本来放った言葉を現実とするそれを、喋れない僕が使うという縛りで自身のみに作用させる様に特化した物だ。

 

 呪力、五感、身体能力を強化し、己の傷を癒やす、これだけだ。

 

 ノート一枚で説明できてしまう、開示のしがいの無い術式だ。もっとHUNTER×HUNTERみたいに格好良くて複雑な能力なら説明しがいがあったのになあ。

 

 だから結局自分の事を明かすしかない、僕のパーソナルな部分を伝える事によって術式が強化されないかちょっとした実験をしている。

 

『そうか、気が合うね。ところでおにぎりの具の好みは何かな? ちなみに僕は海苔の佃煮が一番好きだよ』

 

「しゃ、シャケが好きです……」

 

 あんまり効果が無い事が分かった、ちょうど良い相手が任務中にノコノコやって来たから協力してもらっている。

 

 最近ここらで変死体が見つかっていたのはこの呪詛師のオッサンのせいだった、この辺りを縄張りにして呪物を作ろうとしていたらしい。

 

 傷を付けた所から相手を腐らせると言う術式を披露してくれた呪詛師さん、残念だけど僕は頭部が無事な限りはそうそう死にはしない。

 腐り落ちた右手をピッコロさんの様に生やして見せてあげたら驚いてくれた、リアクションが大きくて中々見所のあるオッサンだ。

 

『シャケか……』

 

「ひぃっ……」

 

『美味しいよね、僕も3番目に好きだよ。やっぱり気が合うみたいだ』

 

「へ、へへ……どうもです」

 

 そして僕は呪霊はともかく、呪詛師相手の戦いは苦手だ、相性が悪いと言える。

 

 呪術師の等級はあくまで呪霊に対する物だ、等級が低くても対人戦では強い術式を持っている呪術師はそれなりに存在する。

 

 己を強化する僕の呪言自体は相手を選ばない術式だ、シンプルに自身を強化する故に、複雑な条件を必要とする術式とは違って効果を腐らせてしまう場面が少ない。

 

 問題は僕にある、正確には養父の教えに根付いた僕の価値観と言うべきだろう。

 

 ――人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい。

 

 僕は人を呪わない、僕にとっての呪いとは己の拳に暴を込めて振り抜く事だ。

 だからこそ僕は、養父の教えに従って呪霊以外に拳を振るわない、その縛りは僕を確かに強くてしている。

 

 ああ、模擬戦は別だ。あくまで命を賭けたやり取り、実戦にのみにその縛りは適用される。

 そうでなくては人相手の鍛錬など出来ない、養父は古武術に精通していたので僕はその教えを受けている、養父は鍛錬の為にあえて縛りを緩くするように指示して来た。

 

 だから僕は、近くにあった鉄骨をひん曲げて拘束している呪詛師のオッサンに拳を振り抜くなんて事はしない。

 僕の拳は呪術師として呪霊を祓う為に鍛えた物だ、今を生きる命を奪う為のものじゃない。

 

 それに、今日の僕はもの凄くご機嫌なのだ、とても誰かを傷付ける様な気分にはなれない。

 

 嬉しすぎて、この都内にある建設途中で放置された現場までスキップしてやって来た。

 補助監督おじさんの車は使っていない、今日は自分の足で歩きたい気分だった。

 

『気が合うから、僕の幸せをお裾分けするね。これはね、天使から授かった聖なる靴なんだ。中に特殊な呪力を帯びた鉄心が入っていてね、呪力を込めると重くなるんだ! 最大で3トン位までいけるよ! 凄いでしょ!? 天使の愛が詰まってるんだ!』

 

「て、天使!?」

 

 靴はとても重いけど、僕の心は羽の様に軽い。

 

 なにせ地上に舞い降りた大天使である歌姫ちゃんが、僕の誕生日プレゼントに贈ってくれた靴だ。

 

 僕がほしい物をくれるなんて……愛かな? 愛だよね? 愛しかないよね?

 

 1年間呪術師として活動して、呪詛師と遭遇する任務は意外と多かった。人を呪うなんて非道な奴らがそこらにウロチョロしている。

 そして、呪詛師と遭遇する度に、僕は電柱や道路標識を振り回して退治していた。拳を振るえないせいで、後でメチャクチャ怒られる諸刃の剣を使わねばならぬ場面が多かったのだ。

 

 そして2年生になった僕は、画期的な解決策を思い付いた、悪の呪詛師に対抗するための天啓を得たのだ。

 

 瓢箪から駒、コロンブスの玉子、発想のコペルニクス的転回、僕史上最大の発見をしてしまった。

 ノーベル賞を貰えるかもしれない、教育テレビの視聴を続けたかいがあった、ありがとうゴロリ。

 

 殴れないなら、足を使えばいい。呪詛士相手には足を使っちゃおう、蹴っ飛ばせば解決だ。

 

 いやー、天才だね。自分の頭脳が怖いよ、僕は呪術界のアインシュタインかな?

 

 思い付いた僕は、さっそく靴型の呪具を探した。僕の身体能力に耐えうる蹴る事に特化した呪具を求めた。

 残念ながら手頃な物は見つからなかった。鎧の脚の様な呪具は割と存在したが、革靴やシューズ型の呪具は見つからない、オーダーメイドするしか無いとの結論に至った。

 

 そこでもう一つの問題が発生する、僕にオーダーメイドの呪具を買うほどのお金が存在をしない事だ。

 

 天使に捧げるエンゲージリング、そして未だに請求が続く任務時に破損した施設や高専の寮の修繕費の一部、僕の懐事情は非常に厳しい。

 

 先生にはもちろん泣き付いた、高専で僕の靴を買っておくれとすがり付いた、だけど血も涙もないおっかない顔で拒否された。

 酷すぎるぞ、僕が呪詛士に殺されてもいいのかと食い下がったら、絞め技を使えとふざけた答えが返って来た。絞め技なんて使っても僕が気持ち良く無いと反論するとコブラツイストされた。

 

 あの先生は少し頭がおかしいんじゃないかな? 体罰なんて今どき流行らんぞ? 問題になるぞ?

 

 だがしかし! 今思えばアレは必然だった! 大天使である歌姫ちゃんから靴型の呪具をプレゼントされるという運命! その運命が僕を靴から遠ざけていたのだ!

 

 ふふ、歌姫ちゃんの運命が僕に嫉妬したんだ。自分がプレゼントしたいから、僕に靴を手に入れさせないという結果を導いた。

 

 なんていじらしくて可愛い嫉妬だろう、はぁ……可愛さの引き出しが多すぎる……しゅきぃ……

 

 そう思えばあのコブラツイストだって気持ち良く……無いな、ムキムキの先生に極められても嬉しくない。

 

 あっ! いい事思い付いた!今度歌姫ちゃんにコブラツイストかけて貰おう! 絶対に気持ち良いぞ!

 

『あのさ、お裾分けの前に聞きたいんだけど、自然な流れでコブラツイストかけて貰える方法知らない? 相手は女子高生ね?』

 

「へっ!? ええっ!?」

 

『下心とかじゃなくて、純粋にコブラツイストかけて貰いたいんだ。いや、本当にさ、素直な気持ちでコブラツイストを食らいたいんだよ? 胸が当たるとか脚で挟まれるとか全然気にして無いよ?』

 

「い、いや、それは無理があるんじゃないですか……」

 

 使えないオッサンだな、見込み違いだった。

 

『まあいいや、幸せのお裾分けはどっちの腕からが良い? アナタの術式は腕が基点でしょ? 天使の靴で術を封じるね、そうすればアナタはカタギに戻れる。罪を憎んで人を憎まず、三十人以上を腐らせて殺した貴方の罪を天使が浄化してくれる』

 

「い、嫌だ!! 止めてくれえ!!」

 

 鉄骨に拘束されたオッサンがもがく、残念だけどその程度の呪力じゃ振りほどけないだろう。

 

 しょうがないな、右手から浄化してあげよう。人は無意識に左を選ぶってクラピカが言ってたから僕は右を選ぶ、僕は賢いから無意識が嫌いだ。

 

 ――領域展延。

 

 脚部を中心に領域を纏う、特に靴の周辺は念入りに、汚い血で天使の靴を汚す訳にはいかない。こうすれば靴が直接対象に触れずに蹴りぬける。

 

 振り抜く様に右の蹴撃を放つ、オッサンは必死に腕に呪力を込めていたようだが焼け石に水だ、蹴り抜くのにさしたる抵抗も無かった。

 

 叫び声が響く、出血を呪力で抑える余裕があるから問題ないだろう、このオッサンは死にはしない。その程度は出来る呪詛師だからこそ術殺しを行うのだ。

 

 ……あっ!? 僕から見て右って事はこれは左手か!? クソっ! クラピカめ! 僕を惑わせやがって!

 

 

 

 

 

 

 

 

『と、言うことが今日の任務であったんだ、クラピカって酷いと思わない?』

 

 高専の寮にある談話室、ソファーで寛いでテレビを視聴する後輩達に問いかける。

 青春をアミーゴする主題歌が流れるドラマを視聴しているようだ、野生のブタをプロデュースする奇抜なドラマだ。

 

「これさ、どういうリアクションを求められてるの?」

「とりあえず同意しとけよー男子共、クラピカって誰?」 

「クルタ族の生き残りだよ硝子」

 

 んーなんかリアクションが薄いなあ……最近僕の扱いが更に雑になって来た気がする。

 

『分かるだろう? 男子高校生には少年ジャンプを読む義務が存在する、僕は信じていたのに裏切られたんだ』

 

「面倒くせえなあ……硝子、ドラマ見てんだから黙らせろよ」

 

 酷い、少しぐらいかまってくれよ。歌姫ちゃんは任務で会えないんだよ……辛いんだよ……

 

「ええー……あっ、虎杖先輩、歌姫先輩が言ってましたよ。最近視線が気持ち悪いって、イヤらしい感じがするって」

 

 なん……だと? まさか……そんなはずは無い。僕の呪力によって強化された身体能力で行われるチラ見が気取られるはずが無い。

 

『誤解だ、僕は歌姫ちゃんをそんなに穢れた目で見た事は無い、コブラツイストについて考えていただけだ。信じてくれ、そして君からも誤解を解いてくれ家入ちゃん』

 

「コブラツイスト? 意味分かんないです虎杖先輩」

「もしかしてかけて貰いたいんですか? 流石に気色悪いですよ?」

 

 違う、間違っている、僕は気色悪く無い……

 

「おいおい、ついににセクハラで捕まるのか悠一? ジャンプぐらいは差し入れしてやるから臭い飯食ってろよ」

 

 いや? 捕まらないよ? 歌姫ちゃんが僕を通報するはずがないだろう。

 

『コレを見ろ後輩共が! 歌姫ちゃんが僕に贈ってくれた愛の証だ!』

 

 背負ったリュックサックから天使の靴を取り出す、室内でも常に持ち歩いているのだ、まるで歌姫ちゃんと一緒にいるような気分になれる。

 

「うわ!? 実在したのかよその靴、悠一の妄想じゃねーのか」

「この呪力、本当に呪具だ……えっ? 自分で買ったんですか?」

 

 なんて酷い事を言うんだ……愛を知らないな後輩共め、靴から溢れ出る愛を感じ取れないんだな。

 

「あー、そう言えば私歌姫先輩に聞かれたわ、虎杖先輩がほしい物に心当たりがないかって。先生に縋り付いて靴が欲しいって言ってましたって答えたっけ」

 

 ふふ、そうだろう、そうだろう。

 

「マジかよ……歌姫マジに悠一にコレをプレゼントしたの?」

「シンプルな能力だけど呪具だ、かなりの値段はする。只の同級生に贈る物としては……」

 

 ははは、ようやく理解したか。僕と歌姫ちゃんの愛と絆の深さを。

 

 真に相手を想う時、贈り物に値段は障害とはならないのだ!

 

「あれ? 惚気聞かされてたの私? いやーそんなはずは……」

 

『いい加減認めろ後輩共が、僕と歌姫ちゃんは両想いだ。セクハラとかストーカーとか気色悪いとか鬱陶しいとか特級呪物生産者とか風評被害なんだよ、動かぬ証拠がある以上、それが真実だ』

 

 ククク、後輩共が納得いかずにブツクサ言っているのすら心地良い。

 

 これが運命、これが世界の真実、式には呼んでやるから安心しろ。

 

『もうすぐ交流戦だ、この天使の靴で関西人共をベコベコにしてやる、僕と歌姫ちゃんの愛の重さを刻み込んでやろう』

 

 今年の交流戦は東京で行われる。去年はいけ好かない京都野郎をボコボコにしてやった。勝った方の高専で次の交流戦は行われるのだ。

 

 納豆が気持ち悪いだと? 味噌汁の味付けが濃すぎて下品だと? うどんの出汁が真っ黒で頭が悪いだと?

 

 舐めやがって……今年も地面にキスさせて、大都会東京の土の味を教えてやる。

 そして簀巻きにして巻藁に詰め、水戸納豆に包んで野田の醤油工場のタンクに沈めてやるぜ!

 

 ん? 談話室にやって来る新たな気配、これは……

 

「ここにいたか悠一、今日の任務ではよくやった。あの呪詛師には手を焼いていたからな」

 

 先生がこの時間に寮に来るなんて珍しいな、何か用事かな?

 

『呪術師として当然の事をしたまでです。それに今日は実にスムーズに任務がこなせました、この靴のおかげですね』

 

 先生にも天使の靴を見せびらかす、独身には羨ましいだろう……うぷぷぷ……

 

「ああ、上手く使いこなせた様だな。だが気を付けろよ、お前用に手配はしたが一応は高専の備品だ、無駄に破損させればお前にも修繕費を請求するぞ」

 

 へ?

 

『何を言っているんですか先生? これは歌姫ちゃんが僕に贈ってくれた物ですよ?』

 

「お前こそ何を言っている。制作物の呪具だぞそれは、少なくとも二千万以上はする、学生が贈れるはずがないだろう」

 

 そ、そんな馬鹿な……嘘だ……嘘だと言ってくれ……

 

 震える手で反論を書き連ねる。

 

『で、でも歌姫ちゃんが僕に直接渡してくれました、誕生日に僕に渡してくれたんです』

 

「私がお前に渡す様に庵に頼んだ、お前がしつこく頼むから手配した。大事に使えよ」

 

 崩れ落ちる僕、後ろからゲラゲラと聞こえる後輩共の笑い声……うぅ……酷い……

 

 この哀しみ、関西人共に叩き込んで癒やすしかない!

 

「ああ、それとお前には今年の交流戦参加を自粛して貰う。去年お前が西の高専の施設を壊し過ぎて向こうの学長がお怒りだ、交流戦中は大人しく観戦していろ」

 

 拳を握る力が抜ける……ああ、人を呪えば穴2つ……これが……人を呪った末路なのか?

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛ってなんだ?

 

『闇より出でて闇より黒くその汚れを禊ぎ祓え……ねえ硝子、これって何の実験なの? まさかと思うけど悠一が……』

 

 ボイスレコーダーから天使の声が響く、その美しい声に呼応して僕が手に持った呪具の杭から“帳“が拡がる、都内の郊外にある廃工場が夜に包まれて行く。

 

 今日は新一年生二人を連れての任務だ。場所は都内の廃工場、従業員が次々と変死体で見つかって閉鎖された曰く付きのスポットだ。

 

 うん、天使の声で発生した結界の中だと思うと身が引き締まるな、歌姫ちゃんの愛に包まれているような幸福感すら感じる。

 喋れない僕には詠唱による“帳“の構築が出来ない。だからこそ歌姫ちゃんの声を使い、呪力自体は僕の物を使って“帳“を下ろす、僕と歌姫ちゃんの共同作業だ、ふふふ。

 

 もちろん詠唱以外にも“帳“を下ろす方法は存在する、それが出来なくては後輩の引率など出来ないし、1級術師になれるはずもない。

 だが、この方法だと僕のモチベーションが段違いだ。体感で呪力出力が5%ぐらい上がっているような気がする。

 

 家入ちゃんからはいい買い物が出来た、こんな素晴らしい物が10万円というリーズナブルな価格、更に学割りが効いて5万円と言うのだから驚きだ。安すぎて申し訳無い気持ちになる。

 

「虎杖先輩! なんでわざわざボイスレコーダーを使って“帳“を下ろすんですか!? 何か意味があるんでしょうか!?」

 

 元気の良い声で疑問が飛んで来る、良い質問ですねぇ、灰原君。

 

「余計な質問をするな灰原。夏油さんが言っていただろう、この人の奇行は無視した方がいいと」

 

 七海君? 聞き捨てならないなあ……後でネチネチ問い詰めてやるけど取り敢えず灰原君の質問に答えてあげよう。

 

『愛のためさ灰原君。呪術師にとって、とても重要な要素である愛に包まれるためにボイスレコーダーを使うんだ。分かったかな?』

 

「はい! わかりません!」

 

 んんー、元気なお返事だ。

 

 けどしょうがない、一年坊主共が直ぐに理解するのは難しいだろう。1から丁寧に説明してやるか……

 

『しょうがないね、順を追って説明してあげるよ。愛について話をしようか』

 

「いえ、結構です虎杖先輩、手早く指示をお願いします。この廃工場には複数の呪霊が確認されているんですよね、悠長な事をしている暇はないでしょう」

 

 はいはい、聞こえない、聞こえない。僕は日本語ワカリマセーン。

 

 リュックからスケッチブックを取り出す、筆談ノートだと流石に小さすぎるのでこれで愛について教えてあげよう。

 

『明けない夜はない、朝は必ず朝はやって来る。だが、二年生となり、五条が入学して来てからの僕の学園生活は夜の闇と冷たさに耐える様な日々だった。薔薇色だった一年生期間と比べると悲劇的ですらあった』

 

「先輩凄え! 字を書くの早いっすね!」

「呪力の流れが自然過ぎて読めないだと……」

 

『正しい呪術師であろうとする故に、任務によって愛する歌姫ちゃんと引き裂かれる悲しみ』

 

 まさに悲劇、愛故に人は悲しむ……

 

『生意気が服を着て歩いているような五条に、先輩として礼節と常識を教える苦しみ』

 

 屈辱と苦労、常識人の僕にはとても辛かった……

 

『入学当初は素直な後輩だった夏油君と家入ちゃんが、時を重ねるに連れてぞんざいな対応をして来る切なさ』

 

 暴言と無視、僕が優しすぎたのかもしれない……

 

『悪魔の靴を僕に押し付け、京都の学長に媚を売るパンダ大好きムキムキ体罰教師に抱く憎しみ』

 

 権力の腐敗、ムキムキのコビコビ……

 

『貧困にあえぐ可愛そうな僕に、ジュースすら奢ってくれない冥さんやその他先達に感じる失望』

 

 愛なき拝金主義者達、むしろ僕が奢らされた……

 

『実に苦しい一年間だった、歌姫ちゃんと過ごせる蜜月の時だけが僕の冷え切った心を温めてくれた』

 

 歌姫ちゃんと僕が楽しくデートしてる光景を描く、思い出すまでもなく、常に僕の心にある光景をスケッチブック一杯に描く。

 

「うお!? 虎杖先輩絵も上手ですね!」

「はぁ……技術の無駄遣いですね」

 

『だがしかし! 寒さに凍え苦しみに耐える1年間にも意味はあった! 地中で芽吹きの時を待つ種は、困難を乗り越えた分だけ美しい花を咲かせるのだ!』

 

『分かるかい? 困難を乗り越えたからこそ愛は強くなったんだ。共に運命に翻弄され、手を取り合って立ち向かい、僕と歌姫ちゃんの絆はより強い物になったのさ』

 

『灰原君と七海君、人を強くするのは愛だ、人は想い想われる事で成長する。呪術師だって同じなんだ、愛する事と呪う事は紙一重で表裏一体、想いをプラスにするかマイナスにするかの違いでしかない。つまり愛は呪術師にとって力に変換出来る感情なんだよ、人を愛して慈しみなさい、それを理解出来ない呪術師は容易に道を踏み外してしまう』

 

 高専に入学してからの任務の最中、それなりの数の呪詛師を見て来た。

 彼等は歪んでいるが、熱を失っていない者が多い。独りよがりな想いを拗らせた人物が多かった。

 

 そしてとても悲しい事に、僕は現二年生達の育成に失敗してしまった。僕の愛に対する理解が浅かったせいで、三人を間違った方向にへと成長させ、スカルグレイモンへと進化させてしまった。

 だからこそ、新一年生の二人は僕が立派なメタルグレイモンへと育ててみせる。

 

『愛だよ、愛があれば呪術師はメタルグレイモンになれる。君達も愛を育てなさい、今の二年生達は愛を知らないから参考にしちゃダメだよ?』

 

「なるほど! わかりました虎杖先輩! 自分も愛を育てます!」

 

 元気良く挙手して返事をしてくれる灰原君、なんて純粋で良い子なんだろう。愛を知らない後輩共に傷付けられた僕の心を癒やしてくれる素直さだ。

 

「いえ、やっぱり呪術師に愛は関係ないでしょう、それにメタルグレイモンに必要なのは勇気です。愛情だとガルダモンでしょう」

 

 おぉーと!? 七海君はちょっと生意気だなあ!? 理屈っぽい所が夏油君を彷彿とさせる、これは良くないぞ? そのうち夏油君みたく僕にジュースをパシらせる様になってしまう、このイケメンクォーターの後輩を正しく導いてあげなくてはいけない。

 

『だめだなぁ七海君、細かい事を言ってたらモテないよ? 細かい事をグチグチ言うのは女の子にウケが悪い、それじゃあ愛を知ることが出来なくなってしまう』

 

「……なるほど、夏油さんが言っていたのはこういう事か」

 

 なんかため息つかれた……くそっ、少しイケメンだからって調子に乗ってるな? 黙ってても女が寄ってくるから関係ねえよって考えだな?

 

『七海君、君には現在お付き合いしている女性はいるかい? もしくは女性と交際した経験があるかな? 男性でもいいよ?』

 

「いえ、どちらもありませんね」

 

 ふふっ、そうかそうか、それじゃあしょうがないなあ。彼女がいない人には分からないだろうなあ、仕方ないねえ。

 

『そうか、なら愛の大切さが分からなくても仕方ないね。やっぱり、経験の有無ってのは重要だよ、体験した者とそうでない者とでは呪力の核心に対する理解に大きな差があるからね』

 

 可哀想な七海君、本当に憐れだ……知らない感情を怖がっているんだね? 本当は愛を求めているのに……

 

「あっ! そう言うって事は虎杖先輩は彼女居るんですか!?」

 

 ……!! よくぞ聞いてくれたね灰原君、これがねぇ、居るんですよ。世界で一番キュートでプリティなマイスイートハニーが。

 

『もちろんさ、僕には歌姫ちゃんという世界で一番可愛い彼女が居るんだ。僕と歌姫ちゃんは高専で運命的な出逢いをしてね、二人きりの同級生だった僕らはそれはそれは仲睦まじく交流を重ねて行ったんだ。僕は一目惚れだった、歌姫ちゃんも多分そうだね、お互い初めてあった瞬間に運命を感じたんだ。ああ、この人と自分は生涯を共に歩む事になるだろうってね。歌姫ちゃんはね、声の出せない僕の事を優しく気遣ってくれる天使みたいな女の子さ。僕の為にわざわざ手話を覚えてくてね、高速で手記ができる僕には本来不必要なんだけど、今ではそれが二人の愛のハンドサインさ。体罰教師や後輩達の目を盗んでこっそり意思疎通するのはまるで秘密の逢瀬だ、幸せすぎておかしくなりそうだね。それと歌姫ちゃんは僕をデートでカラオケにも誘ってくれるんだ、歌えない僕に変に気を遣ったりしない所が僕と歌姫ちゃんの愛の深さを示しているよね、僕は全力のタンバリンで歌姫ちゃんの歌を盛り上げているよ。僕だけが天使の歌声を聴ける至福の時間さ、世界で一番素晴らしいステージなんだよ。残念だけど君達には聴かせられない、あれは僕だけに許された指定席なんだ、チケットは一枚しか存在しないから諦めてくれ。ああ、そういえば一年の時にはよくスポーツ観戦に行ったな。歌姫ちゃんは野球が好きでね、僕は正直に言うとプロ野球の事については無知だったけど、歌姫ちゃんがそれはそれは丁寧に巨人の素晴らしさをレクチャーしてくれてね、今では僕も立派なジャイアンツファンさ。やっぱり好きな人の好きな物は好きになってしまうよね、同じ物を1つでも多く共有したいと思ってしまうこの気持ちはまさしく愛と呼べるよね、乙女座じゃない僕でもセンチメンタリズムを感じるんだ、愛ってやっぱり躊躇わない事だからね、振り向かない事も重要だけどね。うんうん、一年の時は本当に楽しかったなあ……あっ、僕の誕生日って一応7月7日って事になってるんだけどね、一年の時は歌姫ちゃんが僕にモンブランのボールペンを贈ってくれたんだ、いやあ本当歌姫ちゃんは天使だよねえ、今使ってるこのボールペンがそうさ、これは僕の一生の宝物だよ。毎日少しずつ呪力を込めて強化しているんだ、一生使える様にするためにね、天使から授かった贈り物なんだから当然だよね。あの日からだったなあ、僕が天使に捧げるエンゲージリングを買い始めたのは……本当は一年生の時、歌姫ちゃんの誕生日に渡そうと思ったんだけね。少し怖くなってしまったんだ、代わりに帽子を贈ったよ。気に入ってくれたみたいでスポーツ観戦に行く時は必ず使ってくれている、いやー、感無量だよね。うんうん、やっぱり一年生の時は素晴らしい青春を謳歌できていた。ところがさ、2年生になってからは苦難の日々さ、さっきも伝えたけど任務で一緒になる事がなくなったからね、僕はもっぱらバカ五条のお守りとか単独任務ばっかりになったんだよ、本当に酷い話だ、愛する二人は呪術界に引き裂かれたんだよ。現代のロミオとジュリエット、地上の織姫と彦星、日本のボニーとクライド、呪術界のトムとジェリーだね。だけど会えない時間が二人の愛を育てたのさ、数少ない休日が重なる日には濃密な時を過ごした。時が止まってくれるように願ってもあっという間に過ぎて行く貴重な時間、狂しい程に甘美だった。そうだ、2年生の時の誕生日の話も聞きたいよね、悪魔の靴が僕を惑わしたんだけどさ、歌姫ちゃんはちゃーんと僕の事を考えてプレゼントを贈ってくれたんだ。忙しくてだから誕生日当日に間に合わなかったらしいけど、愛があるなら些細な問題だよね。ほらこれ腕時計さ、僕が任務で拳を振るうとよく手首まで壊しちゃうからさ、直ぐに治すけどね。コレを付けてれば加減するって考えの凄い優しい贈り物なんだよ、歌姫ちゃんの優しさが具現して僕の腕で時を刻むんだ、ゾクゾクするよね。もちろん歌姫ちゃんの気持ちを汲んで左の拳は封印さ、コレも当然呪力で強化してるけど僕の本気には耐えられないからね。戦闘の時には外そうとも考えたけど、やっぱり駄目だったよ、歌姫ちゃんを常に感じていたいから外すことなんて無理だった。でも、それが縛りになって僕の右の拳は更に強くなったよ、コレも愛の力の一端だね。こうして僕の戦闘スタイルが出来上がったんだ、僕を惑わせた悪魔の靴で呪霊を弱らせた所を、天使が教えてくれた愛の拳で打ち抜くって寸法さ。歌姫ちゃんの愛がボクを強くしたんだ、うんうん、感動的な話だよねえ。それでさぁ、歌姫ちゃんの誕生日プレゼントは凄く迷ったんだよ、指輪は5代目に到達していたけど、渡すにはちょっとタイミングが悪いと思ったからさ。歌姫ちゃんの誕生日はもちろん特別で、祝福すべき日で、国民の祝日にした方がいい日なんだけどさ、あの日は歌姫ちゃんが午前中しか時間が作れなかったんだ、実家の用事ならしょうがないよね。僕は婚約指輪はドラマチックでロマンチックな演出の元、一生の素晴らしい思い出になるような渡し方をしたいんだよね。シチュエーションは十通り考えているんだけど、一番安い演出でも六十万は掛るからさ、僕の懐事情も考えて見送ったんだよね。だってさ、歌姫ちゃんとの将来を考えるなら十二分な貯金は必要不可欠だろ? 歌姫ちゃんに金銭面で苦労させるなんて許されないからね、もちろん子供ができた時には十分な教育環境を整えるのも想定しての貯金だよ。僕は子供は3人欲しいと思っているんだけどね、歌姫ちゃんの意見も重要だから、確認するまでは目標金額がはっきりしないんだ。家入ちゃんに3万円で気取られずに聞き出す様に依頼したんだけど、音沙汰が無いんだよね、歌姫ちゃんは恥ずかしがり屋だから聞き出すのに苦労してるのかなあ? 君達はどう思う?』

 

「え、えーと……」

「灰原、虎杖先輩の言う事は3割ぐらいしか真実が混じっていないから、真剣に考えない方がいいらしい」

 

 クソっ、夏油君め……なんで僕の育成の邪魔をするんだ? 嫉妬か?

 

 ……あっ、寄ってきたか、丁度いいな。二人に愛の力を見せてやろう。

 

『灰原君、七海君、呪霊共が寄ってきた。僕が愛の力を実践するからそこで見学していなさい』

 

「うえっ!? 気付かなかった……」

「……囲まれてますね、恐らく準1級相当の呪霊も混じっている……本当に一人でやるつもりですか?」

 

『君達のために少しだけ残すよ、よく見ててね』

 

 灰原君はともかく、七海君には完全に侮られているなあ……でも任せてくれるのは1級術師って所は信用してくれているのかな?

 

 えーと、全部で六体か……二体だけ彼等の練習用に残して始末しよう。

 

 ――僕は人を愛する、決して呪う事はしない。

 

 誓いの言葉を飲み込み、呪力を全身に巡らせる。止まること無く循環させた呪力が僕の身体を活性化させて強化する。

 誓いによって僕の呪いは愛へと昇華する、僕が人を害する呪霊を祓う時の感情は、憎しみではなく愛だ。

 呪力の根源が負の感情なのは間違い無い、だから僕は憎しみを反転させる、憎しみの裏側には必ず愛が存在する、僕の術式、僕が捉える世界ではそうなっている。

 

 ――愛を持って祓う、愛を持って振り抜く。

 

 大地を蹴る、強化された脚は僕の身体を刹那で呪霊の元へと届ける。まずは危険な準1級の呪霊、強化された感覚で捉えた呪霊の表情は嫌らしい笑みを浮かべたままだ、僕の速さを知覚出来ていない。

 

 ――愛よ、黒い火花を散らせ。

 

 高速移動の勢いを乗せ、呪霊の身体の中心に右手を振り抜く。僕の身体を巡る愛による呪力を愛が導くままに乗せて、百万分の一が愛によって必然へと変化する。

 

 ――黒閃。

 

 一体目の呪霊が爆ぜる、養父に仕込まれた重心移動で身体を制御し、二体目の呪霊の頭に蹴撃を放つ。

 

 ――黒閃。

 

 軸足を回転させて反転、強化された肉体で飛び上がり、3体目の呪霊の頭上に拳を落とす。

 

 ――黒閃。

 

 呪霊達が異変に気付く、だが奴らは音がした一体目の方向に意識をむけている。低い体勢のままに地を這うように移動し、4体目に地面からの蹴撃を放つ。

 

 ――黒閃。

 

 残りは二体、今頃迎撃の体制を取る5体目の背後を取る、振り向き様に右の裏拳を……てっ、危ねえ!?

 

 何とか裏拳を寸止めにする、ギリギリで拳を止めて灰原君と七海君の元へと急いで移動する。

 

 いやー、全滅させる所だった、危ない危ない。

 

 せっかく任務に来たのに一匹も呪霊を殴れないなんて可哀想だもんね、愛と優しさを兼ね備えた僕はちゃんと獲物を残しますよ。

 

『どう? 愛の力は参考になったかな? 残りの二体は恐らく準二級相当だ、君達も出来る範囲で愛を意識して戦ってみようか』

 

 ん? 返事ぐらいしてくれよ、悲しいだろ……

 

「……凄え! 虎杖先輩本当に1級術師なんですね!」

 

 えっ、信じてなかったの!?

 

「今のは……黒閃ですか? まさか狙って起こしたんですか?」

 

 おいおい、勘違いしてるぞ七海君。

 

『何を言ってるの七海君、黒閃は狙って出せる現象じゃないよ』

 

「はっ? じゃあ今の黒閃4発は偶然ですか?」

 

『違うよ、偶然じゃなくて必然だよ』

 

 七海君は分からず屋だなあ。

 

「……すみません、おっしゃる意味が分からないのですが」

 

『だからさ、今の黒閃は歌姫ちゃんの愛が僕にもたらしてくれた必然なんだよ。愛の導くままに身体を動かすんだ、狙っちゃ駄目だよ、愛は気付いたらそこにあるものさ。考えるな、感じろ』

 

「愛ですか! 分かりました! 俺も地元の彼女を想って戦ってみます!」

 

 はあ!? 一年生の癖に彼女持ちだと!? 僕は去年のクリスマスにようやく歌姫ちゃんと正式に交際出来るようになったのに………

 

 あまりの悔しさに片膝を突く、僕も一年生の時点で歌姫ちゃんと付き合えていたら……うぅ……会いたいよぅ……

 

「……なんで悔しがっているんですか虎杖先輩、もしかして庵先輩が彼女って言うの貴方の妄想なんですか?」

 

『なんて酷い事を言うんだ! それじゃあ僕が頭のおかしい勘違い野郎じゃないか!』

 

「いえ、庵先輩とはまだ挨拶程度しか交流がありませんし、一方の証言を鵜呑みするのは危険かと思いまして」

 

 おかしいなあ……なんでこんなに疑い深いんだろう? このままじゃ灰原君はともかく、七海君は愛を知らないスカルグレイモンになってしまう……

 

「ですが先程の動きは参考にさせて貰います、ためになる物を見せて貰いました……灰原、行くぞ」

 

「おう! 七海、俺達も格好良く愛を決めてやろう」

 

 呪霊へと向かって行く二人、拙い所もあるけど呪力の流れの思い切りがいい。一応手本にはなれたようだ、可愛げのある後輩で嬉しい。

 家入ちゃんはともかく、五条と夏油君は可愛げが皆無だ。元々が強すぎるから教えがいがない、僕が愛について語っても煩いと文句を言う始末だ。

 

 そして、二人は怪我する事無く呪霊を祓えた、だけど一度では流石に愛を理解するのは難しかったようだ、黒い火花は散らなかった。

 

 灰原君はカラッとしていたが、七海君は結構悔しがっていた、可哀想なので帰りに飯でも奢ってあげよう。

 

 そうだな……最近出来た都内のおにぎり専門店でも連れて行ってやろう。

 

「いえ、自分はパン派なので結構です」

 

 か、可愛くねえ……西洋被れのクォーターめ、米を食え米を。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夏が始まり青春が終わる

 

 

 ミンミンと鳴く蝉の声が聞こえる、まだ7月の初めだというのに気の早い奴だ。

 

 確か蝉が鳴くのはメスにアピールするための求愛行動だったはず、聞かせる相手のいない愛の言葉を発し続ける彼は少しだけ憐れだ。

 自分の生まれた使命を果たすために逸ってしまった慌て者、一寸の虫にも五分の魂、愛の伝道師である僕がその叫びが実る事を祈ってやろう。

 

 僕はミンミンとは鳴けない、愛の言葉を叫べない、だから少しだけ羨ましい。

 でも、愛の表現方法は無限だ、バカ五条の無限など比べ物にもならないくらいに世界には無限が溢れている。

 

『つまりこれは愛を表現してるのさ、分かったかな? 愛を知らない愚かな後輩達よ』

 

 寮の談話室、空調の涼しさと大型のテレビモニターに虫の様に呼び寄せられてグダっている一年生と二年生、呪術師の繁忙期である7月にしては珍しく全員揃っている。

 

 うーん、暑いからってたるんどるなぁ……

 

 残念ながら、僕の最愛のフィアンセ(仮)である大天使歌姫ちゃんと四年生の先輩達はこの場にいない。今朝方任務へと出掛けた。

 

 そして僕も、後三十分したら補助監督のオジサンと任務へと向かわなくてはいけない。今日は単独での任務だ、お供のオジサンと一緒に我が故郷の埼玉県へと向う。

 

 

「虎杖先輩、談話室で踊っているのは愛を鍛えるためなんですか?」

 

 いい質問だねえ、灰原君。君は本当に素直で良い子だよ、今度呪霊を殴る時に一番気持ち良い角度を教えてあげよう。

 

 僕が談話室の中心で、僕が君に話しかけられるまで踊っていたのには理由があるんだ。

 後輩達の無視にひたすらに抵抗してようやく話し掛けて貰えた。

 

「せっかく涼んでいるのに構うなよ灰原、鬱陶しくて暑くなるだろ。無視して踊らせておけ」

 

 はぁ、五条は駄目だな、可愛げもなければ先輩を敬う気持ちも皆無、強さだけが取り柄の男だよ。

 

『最近さ、社交ダンスを始めたんだ。相手がいないと完成しないステップ、コレも愛の表現方法の一つだよね』

 

 ああ、歌姫ちゃんにシャル・ウィ・ダンスしたいよお。

 

「まさか戦闘に踊りを取り入れるつもりじゃないですよね? これ以上変な縛りを追加したらまともに戦えなくなりますよ?」

 

 ん? 社交ダンスを戦闘に取り入れるだと?

 

『夏油君、それは“アリ“だ』

 

「いや、アリじゃないでしょうよ……」

 

『分かってないなあ七海君、古来より舞と格闘技は密接な関係があるんだよ? 古くはカラリパヤット、プンチャック・シラットに古式ムエタイ。例えばカポエイラなんかは、格闘技を禁じられたブラジルの奴隷達が踊りに見せかけて練習した、有名な話だろう?』

 

「それで? 社交ダンスにも格闘の動きが隠されているんですか?」

 

『いや? そんな訳ないじゃん。僕が踊ってるのはスローワルツだよ、そんな謂われは無い』

 

 まったく、七海君は意外に常識を知らないなあ……僕の教育不足かな?

 

「…………」

 

「落ち着け七海、ここで怒ったら虎杖先輩は更に調子に乗る」

 

『僕が考えているのはムエタイで戦いの前に行われる儀式の舞、ワイクルーみたいな物だよ。戦闘前に歌姫ちゃんに捧げる愛のワルツ、呪力爆上げ間違いなしだね』

 

 戦闘前に儀式を行う、これは実に呪術師らしい行為だよね、また一段と立派な呪術師になってしまうなあ。

 

「呪霊や呪詛師の前で一人でスローワルツ踊るんですか? うーん、相手はビビるかも……いいんじゃないんですか先輩?」

 

 おっ、流石だよ家入ちゃん、分かってるねえ。

 

「硝子、虎杖先輩は本当に踊りだすから適当な事を言うなよ」

「いいじゃん傑、やらせてやれよ。ちょっと見てみたい気もするしさ」

 

 ふむ、五条も賛成か。

 

 ……取り入れてみるかな。

 

『ならさっそく今日の任務で踊ってみるよ、せっかくだから補助監督のオジサンに頼んで撮影もしてもらう。愛に飢えた後輩の参考になるだろうからね』

 

「本当ですか? 虎杖先輩が戦う所は参考になるんで嬉しいです」

「はぁ、踊りの部分をカットすれば黒閃の資料になるか」

「勝手に任務を撮影するのは……まあいいか、バレても処分されるのは虎杖先輩ですしね」

 

 うんうん、一年生コンビはなんだかんだ言っても可愛いな、灰原君は素直で七海君はツンデレだ、夏油君は酷いね。

 

 と、いう訳で踊りを再開する。今日の任務で早速取り入れるのだ、歌姫ちゃんに捧げるに足るレベルまで仕上げなくては。

 

「コイツさあ、なんで今日は何時にも増してテンション高めなの? 歌姫連れてきて大人しくさせろよ、アイツの前だと大人しくなるだろ?」

「確かに庵先輩の前だと基本的にマトモですよね、微妙に奇行を隠しきれていませんけど」

「彼女の前では格好つけたくなるんだよ七海、僕も虎杖先輩の気持ちがわかる」

 

 あのさあ、天使と後輩じゃ対応が違うのは当然だろう? 灰原君以外には分からないかな? 

 彼女がいるというステージに立ってない奴には理解出来ないか……やれやれだね、下々の嫉妬は見苦しいよ。

 

「歌姫先輩は今朝任務に出てったよ、虎杖先輩がテンション高いのは見送りの時に海に行く約束してたからじゃない?」

 

 そう! 家入ちゃんの言う通りに僕は素晴らしい約束をしたのだ! 歌姫ちゃんと一緒に海へ行こうと誓った!

 

 ああ、青い空、白い雲、広がる砂浜、照りつける太陽がキラキラと反射して輝く海。

 そして降臨する水着となった歌姫ちゃん、生足魅惑のマーメイド、ただでさえ天使の歌姫ちゃんが渚で女神へと進化してしまう……ふひっ、海は僕と歌姫ちゃんだけの楽園だねえ。

 

「へえ、海に遊びに行くなんてイイですね、去年はゴタゴタして行けなかったからなあ」

 

「灰原、歌姫先輩は都合が合えば皆で行こうって言ってたよ。虎杖先輩は二人きりだと勘違いしてるみたいだけどさ」

 

 何を言う、僕はそんな早とちりをしない。

 

『違うよ家入ちゃん。海に行けば僕の瞳には歌姫ちゃんしか映らないし、歌姫ちゃんの瞳にも僕しか映らないだろう? どんなメンバーで、どんなに混んでても実質二人きりでプライベートビーチみたいなものだからね』

 

「海か、クソ不味い海の家の焼きそばでも食うかな」

「不味いと分かってるのに食べるんですか五条さん?」

「ああいうのは不味いから風情があるんだ七海」

 

 なんだかんだ言っても乗り気だな、海如きで喜ぶとは無邪気なガキどもめ。

 まあ、後輩共が引っ付いて来ても問題無い、ついでに先輩達が来てもいいだろう。歌姫ちゃんと過ごすのは最上の喜びだが、こいつ等だって一緒に居れば青春の彩りぐらいにはなる。

 

 高専を卒業して、立派な呪術師になった時には皆で集まるのもいいだろう。飲みながらそういえばあの時は……ってな感じの思い出になるだろうからね。

 その時にはもちろん、歌姫ちゃんが僕の隣にいるはずだ。虎杖 歌姫になってるかな? それとも庵 悠一かな? 僕は歌姫ちゃんの意思を尊重する、入り婿だって問題無い。 

 

 もうすぐ夏が始まる、呪霊が騒がしい季節だが、高校生にとっては青春の真っ只中でもある。

 

 呪術師だって、みんなで海に行くぐらいは許されるはずだ。

 

『そうだ、今日の任務の埼玉土産は何が良い? 草加せんべい? 埼果の宝石? 二十万石饅頭? 五家宝?』

 

「マルセイユバターサンドにしろや」

「東京バナナンですかね」

「赤福々がいいかなー」

「あっ、最近生キャラメルって話題なの知ってます? 北海道の牧場の奴です」

「この前のピュアホワイト餃子は中々でしたね」

 

 埼玉土産って言ってんだろ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 補助監督オジサンの運転する車で任務の目的地へと向う、場所は埼玉県の北部の山中だ。去年三人を連れて行った任務を思い出す、あそこから割と近い所にある。

 

「今日の任務では、準1級と思われる呪霊が3体確認されている、君の実力は疑わないが十分に気を付けて任務に当たってくれよ、大事な身体なんだからね」

 

『もちろんです、歌姫ちゃんと約束してますからね、ついでに後輩とも』

 

 補助監督オジサンと任務に行く時はいつもこうだ、少し鬱陶しいくらいに僕の身体を心配してくれる。

 

 僕の未成年後見人でもあるオジサン、私生活にはほとんど干渉してこないから凄く助かる、こうやって任務の最中に雑談混じりに近況を報告する程度だ。

 

「よし、到着だね、車で行けるのはここまでだ。人気は殆ど無い場所だが、少し特殊な呪力が発生している山でね、今日の“帳“は私が下ろそう、君は任務に集中してくれ」

 

『了解です、お互い気をつけましょう』

 

 歌姫ちゃんの声が使えないのは残念だ、だけど任務を滞り無く遂行する為に我慢する。今日は歌姫ちゃんに捧げるワルツだってあるから我慢しよう。

 

「じゃあ行こうか、案内するよ」

 

 オジサンはスタスタと山の中に歩いて行く、このオジサンは僕との任務では戦いの場まで付いてくる。攻撃を避けるのは上手だが、正直言うと危険なので辞めてほしい。

 だけど、大事な場面でその場に立ち会えずに悲しい思いをしたなど言われたら断るのも気が引ける。

 過去に何があったのかは知らないが物凄く後悔しているのは伝わって来た、お世話になっている人だし出来る限り望みは叶えてあげたい。

 

 それにしてもこの山……なんか見覚えがあるな? 少し胸がざわつくぞ? 埼玉の地が僕を呼んでいるのかな?

 

 でも山なんてどこも似たようなものか、多分気のせいだろう。

 

 山の中をオジサンと歩く、歌姫ちゃんや後輩との出来事をノートで伝えながらの登山道。

 軽く一時間程は歩いた、古く寂れた神社がひっそりと佇んでいる。

 

 やっぱり胸が少しざわつく、この神社に見覚えが有る様な……

 

「ここだよ、この場所が相応しい。“闇より出でて闇より黒くその汚れを禊ぎ祓え“」

 

 オジサンが“帳“を下ろす、さっきも言ってたけど少し特別な“帳“なのかな? 帳の闇は何時もより濃く感じた。

 

「よし、ここで暫く待っていれば呪霊達がやって来るはずだ。よろしく頼むよ」

 

 そうだ、ビデオカメラをオジサンに渡そう。立場上は不味い気もするけど、オジサンは甘いから了承してくれるはずだ。

 

『すみません、このビデオカメラで僕の戦闘を撮影してくれませんか? 後輩達の参考資料にしたいんです』

 

「戦闘を映像に残す? なるほどね、ちょうどいいかも知れない……分かった、撮影しよう」

 

 オジサンにビデオカメラの操作方法を軽く説明して渡す、そんなに難しい物じゃない、僕のスピードを追いきれるかは微妙だけど。

 

 おっ、そろそろ来るな。 

 

 そして思ったより数が多い、十六体もいるぞ? まあ問題ないけどね、呪霊が様子見している内に始めるか。

 

 レコーダーから音楽を流し僕は踊り始める、歌姫ちゃんへと捧げる愛のワルツを。

 

ゆったりとした3/4拍子、一歩一歩を大きくステップする、雄大な動きでここには居ない天使を想像してリードする。

 

「なるほど、面白いね。捧げる為の舞は儀式としてはポピュラーだけど、西洋の物でやるのは初めて見たかな。最近の術師は面白い発想をするね」

 

 オジサンの声が聞こえるが、返事は出来ない。

 

 僕は今、ワルツの相手のエア歌姫ちゃんをリードしているのだ、それ以外に意識を割くのはマナー違反だ……ほら、無粋な呪霊がやって来た。

 

 一曲終わるまでの5分弱、ワルツを止める事はしない。あくまでゆったりとしたステップで、架空の歌姫ちゃんに傷一つ付けない様に踊り続ける。

 

 雄大にステップ、軽やかにターン、滑らかにサイドチェンジ、華麗にスピン、呪霊の攻撃を見極めながら基本に忠実なワルツを続ける。

 

 曲が終わる、素晴らしい余韻が歌姫ちゃんと僕を包む。オジサンの拍手の音が聞こえる、呪霊達は僕達の愛に戸惑っているようだ、途中から遠巻きに眺めるだけになった。

 

 ああ、架空の歌姫ちゃんが消えて行く、そして僕の中へと帰ってくる。愛と呪力が全身を駆け巡るようだ。 

 

 

 ――今ならできるよね?

 

 ――領域展開。

 

 ――愛染甜言蜜語(あいぜんてんげんみつご)

 

 

 僕が拡がる、僕の中身が拡張される、僕の世界が外へ飛び出して行く。

 

 凄いな、こんな感覚初めてだ。

 

 自分の内にしか作用しない僕の呪言の術式が、自分の中で完結していた生得領域が拡がって行く。

 

 十六体の呪霊とオジサンを巻き混んで、僕の世界が現実へと具現した。

 

 やっぱり愛は偉大だ、愛を知るのは世界を知るのと同義だった。自分の中でしか展開出来なかった領域、纏って展延する事は出来ても、展開出来なかった僕の生得領域。

 

 それを外へと拡げられたのは、僕が愛を知ったからだ。

 

 だって、愛してるは想っただけじゃ伝わらない、己から発して初めて他者へと伝わるんだ、僕の想いが歌姫ちゃんに伝わらないなんて我慢出来ない。

 

 帰ったら伝えよう、最新のエンゲージリングを渡すんだ、愛と一緒に約束を歌姫ちゃんへと贈ろう。

 

 だから呪霊は早く片付けないとね。

 

 

「呪霊は死ね、愛の為に」

 

 

 領域内に僕の声が響く、僕の声が僕の世界を震わせた。

 

 ここは僕の中だ、いつもの様に言葉を飲み込めばそれは言葉を発した事と同義だ。僕の領域に居る対象に何時でも言葉を届ける事が出来る。

 

 十六体の呪霊が爆ぜる、跡形も無く祓われる。

 

 死を願う言葉はとても強い言霊だ、普通は反動が強いので気軽に使えない。

 でもここは僕の領域の中、言霊の反動など返っては来ない。

 

 僕の言霊は愛だ、愛は僕を殺さない、人を傷つけるのは何時だって呪いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領域が割れる、全身を虚脱感が包む……これが領域展開の呪力消費か……流石に堪えるね。

 

「素晴らしいね、我ながら流石と言うべきかな?」

 

 オジサンも喜んでいる、僕の成長を祝福してくれている様だ。

 僕は高専で成長した、歌姫ちゃんや先輩や後輩達、ついでに先生と出会い、青春を経て愛を知ったんだ。

 

 養父さん、僕は呪術師になりました、これで許してくれますか?

 

 パチパチと拍手の音が聞こえる、オジサンが拍手をしながら僕に近づいて来た、顔が大きく歪む程の笑みを浮かべてこちらへと歩いて来る。

 

「領域展開にまで至るとは見事だよ、僕の想定を大きく越えてくれてありがとう。やはり可能性は混沌の中から生まれる、改めて確信した」

 

 ん? 急にどうしたんだオジサン? 今更そういうのに目覚めちゃったのか?

 

「君が一人前の術師になり、時が来たらコレを渡すように君のお養父さんから頼まれていたんだ。受け取って読んでくれ」

 

 膝を付く僕の目の前に手紙が差し出される、悠一へと書かれた文字は確かに養父さんの字だった。

 

 震える手で手紙の封を開ける、養父さんからの手紙を読まない訳にはいかない……だって、養父さんの言う事に背くなんて僕には出来ないから。

 

 吐き気がする、2枚綴りの手紙を読み進めると吐き気と震えがドンドン強くなって来る。

 

 思い起こされる痛みと熱さ、恐怖と懇願、養父の顔を久しぶりに思い出した。

 

「少し焦ったよ、執着心が強くなる様に調整したらおかしな方向に向かってしまったからね。自分の生まれた土地で強くなるのはらしくもあるけどね。気付いたかい? ここは君が生まれた場所だよ、使わなくなってしまったかつての実験場の一つさ」

 

 オジサンの声が響く、何か重大な事を言われている気もするが、養父の手紙から目が離せない、意識を移せない。

 

「特に庵2級術師への執着には参ったよ、君のお養父さんから依存対象が移ってしまうんじゃないかってヒヤヒヤした。なるべく任務が一緒にならない様に小細工したけど無駄だったからね。異性に対する執着が強いのは少し不思議だ、埼玉土着の呪霊の欠片を混ぜたけど、土地以外が興味の対象になるとは……でもその様子なら大丈夫みたいだね。幼少期から刻まれた痛みによる教育、特定の言葉を繰り返し飲み込ませる事による行動を強制する縛り、君が呪言使いなのもプラスに作用している」

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする――

 

 お腹を蹴られて胃の中がひっくり返る様な痛み、床を汚すと加えて踏みつけられる、ある程度傷付くと自分で治す様に言われる恐怖、久しく忘れていた痛みと恐怖が吐き気と共に僕の中に返って来る。

 

「結果的にはいい方向に作用したね。彼女に執着した君は黒閃の味を知り、領域を展開し、肉体と脳は立派な呪術師へと育った。ここでは三十人程作ったけど、結果的に成功したのは君一人だ、他は教育の段階で死んでしまったよ。素材はなるべく同じ物を使ったんだけどね、違いは何だったのかな……君のお養父さんが教育上手なのかな?」

 

 そうだ、養父さんの言う事は正しい、養父さんに逆らってはいけない、養父さんの言う事は絶対だ。

 

 言う事を聞かないと爪を剥がされる、逆らったら足を折られる、信じないと耳を千切られる、顎を砕かれる、指を潰される、頭を叩きつけられる、目をくり抜かれ、鼻を砕かれる。

 

 そして自分で治す様に言われる、治ったら同じ事を繰り返す、養父さんが許してくれるまで何回でも繰り返す。

 

 綺麗に治らないと学校に行かせてくれない、だから必死で反転術式を覚えた、少しでも痛みに耐えられる様にひたすらに言葉を飲み込んで肉体を強化した。

 

「偶然だけど条件は揃った、君はそこまで期待したプランじゃなかったけれど、ここまでお膳立てが出来たなら使わないのは勿体無いよね。五条悟を徹底的に揺さぶってくれ、随分と仲が良いみたいだからいいとこまで行くんじゃないかな? 無理だと思うけど殺してくれれば最高だよ」

 

 僕は……僕は人を殺さない、呪ったりしない。養父さんだってそう言ってた、だからこそ僕は……

 

「おや、まだ納得出来ていないのかい? 手紙を最後までよく読みなさい、お養父さんの言う事は絶対だろう?」

 

 震える手、揺れる視界、こみ上げる吐き気、全てを飲み込んで手紙の続きを読む。

 

 締め括りには、あの言葉が書かれていた。

 

「人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい」

 

 ああ知っている、痛みと共に何千何万回と聞いた言葉だ。

 

 そして、僕の知らない続きの言葉が綴られていた。

 

「呪いを飲み込め、飲み込んで強くなれ、飲み込んだ呪いで人の敵を呪え」

 

 僕は呪術師だ、人の敵を呪って祓う、そんなものは当然で――

 

「天元様に群がる呪術師共、不敬にも穢れた異物を天元様へと捧げる人類の敵。だからお前は呪術師を呪え、無垢なる真の人間の敵を呪い殺せ」

 

 震えが止まらない……養父さんが言っている、呪術師を殺せと。

 僕はそれに従わなくてはならない、養父さんの言葉に逆らってはいけない、養父さんの言葉は絶対だから。

 

「汚れきった呪術師共を根絶やしにしろ、清浄なる星を取り戻せ」

 

 養父さんの言う事は正しい、だから呪術師は汚れた存在なんだ、そうでなくてはいけない。

 

「そして最後の時、唯一となった最後の穢れを呪え。呪術師となり穢れたお前自身を呪え、必ずやり遂げろ」 

 

 養父さんがやれと言っている、僕はその期待に応えなくてはいけない。

 

「だからお前は必ず呪術師になれ」

 

 ああ、養父さん。僕はもう呪術師です、貴方の言い付けを守っています。

 だから、だから許してください、怒らないでください、殴らないでください、お願いします。

 

 我慢出来なかった、胃の中を全て地面にぶち撒ける。そのまま地面にうずくまる、手紙を通して養父さんが僕を見ているようで耐えられない。

 

「面白いよね、そんなにも暴力に怯えている君が、呪霊に対しては喜々として暴力を振るう。結局人は親に与えられた物を誰かに与える様に育つって事かな? 君のお養父さんは呪術師になれなかった狗巻家の出来損ないだけど、教育の才能はあったみたいだ」

 

 頭上から声が聞こえる、だけど内容が頭に入って来ない、顔を上げるのが怖い、何も見たくない。

 

「君のお養父さんは吃音症で上手く喋れなかった、だから呪言も上手く操れない。それが原因で狗巻家で冷遇されて、最後は呪術界全体を恨む様になったんだ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって奴だね。そして反術師主義に傾倒して、非呪術師が集まる盤星教“時の器の会“の活動にのめり込んだ」

 

 きっと養父さんの事を話している、多分手紙に書いてあった事と同じ事を言っている。僕の理解を確認する様に言葉を紡いでいる。

 

「時の器の会で、呪術師に対抗するために呪術師を造る計画があったんだ。本末転倒で笑っちゃうけどね。彼等は本気だった、君のお養父さんは特に熱心だったよ。代表も扱いに困って殆ど放置さ、だからこそ僕が介入する余地があったんだけどね、ちょうど良いから色々と提供してあげたよ」

 

「呪言使いから声を奪って自身の強化をさせる、そんなコンセプトの術師のテストケース。実は続きがあってね、君の喉から摘出した物に寄生型の呪霊を付けて育てたんだ。ほら、もう一人の君だよ顔を上げてよく見なさい」

 

 言われるがままに顔をあげる、滲む視界に映る芋虫の様な醜い塊。モゾモゾと蠢いて脈打つそれにどうしようもない懐かしさを覚えてしまう。

 

「プレゼントだよ、飲み込みなさい。これで君は声を取り戻すはずさ、元々君の肉体から生まれたものだから反発は少ないはずだよ。これで君は一人で二人分の術式を得る、それで擬似的な天与呪縛による身体的強化と本来の呪言を両立させる、領域展開まで至った君にならそれが可能なはずだ」

 

 醜い塊を両手で受け取る、産まれて直ぐに奪われた僕の声、その源を再び取り戻す為に口の中に運ぶ。

 だって、養父さんの言われた通りにするには、力が必要だから。

 

 穢れを口元まで運ぶ時、左手に付けた時計が視界に映った。

 

 僕を見ないで欲しい、汚い僕の姿を歌姫ちゃんに見てほしくない。そんな事を願いながらもう一人の僕を飲み込む。

 

 ――喉が灼ける様に熱い、身体中で呪力が逆立つ様な感覚、異物が喉を中心に僕の身体の隅々まで拡がって行く。

 

「おォッ……おげッ……おェぇぇっ」

 

 自分でも心底穢らわしいと思う音が僕の喉から響く、僕が初めて世界を震わせた音はひたすらに汚いえづきの音だった。

 

「おや、どうやら適応したみたいだね。本当に成功する所を見ると感無量だよ。ほら、何か喋ってごらん?」

 

 声を出そうとする……初めての感覚、吐き出された空気を意味のある音に変えようと喉を動かす。

 

「ぼぁっ、ぼぁっくはぁ……くぉえおぉ……」

 

 思った様な言葉にならない、こんなにも汚い声が自分の物だとは思いたくなかった。

 

「はは、初めてならそんな物かな? せっかくだから練習しようか、君はこれから何をするんだっけ?」

 

「ぼぉっ、ぼぉくぅは……」

 

 僕はこれから――

 

「君は? 誰をどうするのかな?」

 

「ぼぉくぅは、じゅちゅっちぃを……みぃんっなを……」

 

 僕は呪術師を、皆を――

 

「皆を?」

 

 皆を……皆と、海に行くって――

 

「のぉろうぃます……」

 

 波の音が聞こえた気がした――

 

「良く出来たね、お養父さんも喜んでいるだろう」

 

 ああ、何で――

 

「拙いけど確かに呪言だ、もっと練習してこの原稿を読み上げてくれ。まさかビデオカメラを君自身が持ってきてくれるとは思わなかったよ、声明を伝えるビデオレターを撮影しようか」

 

 吐いた言霊は飲み込めない、僕は言葉で皆を呪ってしまった。 

 

 もちろん、ここから皆に呪言が届くはずが無い。だけど僕は僕の呪いの言葉を聞いてしまった。

 

 もう、後戻りは出来ない。

 

「この肉体も用済みだからね、君が僕を殺す所から撮影を始めよう、その方が説得力が出るだろう」

 

 ああ、僕はこれから人を殺すみたいだ。あれほど忌避していた禁忌をこれから侵す、だってそれが養父さんの言い付けなら逆らう事は出来ない。

 

「じゃあ撮影前の発声練習を始めようか。そうだな、手始めに……」

 

 何時の間にか蝉の泣き声が響いていた、ミンミンと愛を求めて煩いぐらいに鳴いている。

 

「呪術って噛まずに言える?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 記録 2006年 7月

 

 埼玉県秩父市 両神山中

 

 任務概要

山中での神隠し、変死、その原因と思われる呪霊の祓除

 

 

・担当者派遣(高専3年 虎杖悠一)から2日後、高専に差出人不明の郵便でメモリースティックが届く、中身は映像記録のみ。

 

・映像記録内では、虎杖悠一が補助監督の頭部を複数回殴打して殺害。その後、星漿体の同化に反発する主張が5分間続いて映像は終了する。

 

・翌日、山中の捜索で腐敗した補助監督の遺体を発見。頭部の大部分が破損していたが、腹部の手術痕から本人を確認。残穢から虎杖悠一の犯行と断定。

 

・虎杖悠一は逃走、呪術規定9条に基づき呪詛師として処罰対象となる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎杖君からビデオレターが届いています

 

 

 高専の敷地内を歩く、俺と傑と硝子の三人で出発し、歌姫と冥さんを連れて五人でここまで帰って来た。

 

 安否不明だった歌姫と冥さんは無事だった、硝子はかなり心配していたけど俺は心配などしていない。

 歌姫はともかく冥さんまで任務に付いていたんだ、しくじるはずがないだろう。

 

 かすかに蝉の鳴き声が聞こえた、一匹だけがフライングして林の中で鳴いている。要領の悪い蝉もいたもんだ、まだお仲間達は土の中で眠っているだろうに。

 

「冥さんの足を引っ張っちゃってさ、本当に歌姫は弱いよな。そんなんだから悠一が歌姫ちゃん歌姫ちゃんって騒ぐんだよなー」

 

「くっ、敬語を使えって言ってんの五条! それにしつこいのよアンタは。悠一は……えっと、その……しょうがないでしょ?」

 

 任務から二日間帰って来なかった歌姫と冥さん、任務先の屋敷中の結界に閉じ込められていた所を俺達が助けた。

 本人達は三十分しか迷っていないと証言していた、結界内と現実の時間がズレていたらしい。そのせいで連絡が取れず、確認と救援の任務で俺と傑、救護要員として硝子まで駆り出された。

 

「悟、庵先輩をイジメると虎杖先輩が後で煩いよ、帰って来て暴れられると面倒だから程々にしてくれ」

 

「そうそう、お前らがバトると私まで先生に怒られんだからさ。何で止めなかったんだって」

 

「はいはい、前向きに善処しまーす」

 

 そんなもんは分かってる、だけど歌姫をイジるのも、その後にケンカを挑んで来る悠一をあしらうのも面白いから止められない。

 

 入学して最初のケンカを思い出す。

 

 あの時はビビった。俺の無下限を領域展延で中和されて三回も殴られた。ただ領域展延を纏った拳を持っているからって俺を殴れるはずがない、俺の六眼と勘を上回る速度と技術が俺に拳を届かせた、あんなに綺麗に殴られたのは生まれて初めてだった。

 

 もちろん勝ったのは俺だ、その後も何度も挑発してはケンカをしたが俺は一度もアイツに負けた事が無い、俺は天才だから当然だ。

 

 そんな天才な俺の強さに付いて来てくれるのは傑とあのバカぐらいだ、悠一にはあれ以来一度も殴られてはいないが、毎回手を変え品を変え俺に追い縋ってくる。

 傑は近接も強いが、優等生君な所があるので中々ケンカに乗って来ない。

 その点あのバカは物凄く扱い易い、毎回笑わせてくれる縛りや新技を披露してくれる所もナイスだ。

 

「ふふ、後輩達の仲が良くて安心したよ。そういえば虎杖君が歌姫を助けに来ないなんて珍しい事もあるね、耳に入れば任務中でも駆けつけてきそうな物だけど」

 

「冥さん、悠一は任務を投げ出したりはしませんよ。ああ見えて立派な呪術師の在り方にこだわりを持ってますからね」

 

 少し自慢気なのが腹立つな、つついてやろう、

 

「おっ? 悠一が来なくて寂しんぼの言い訳か? 馬鹿みたいにやり取りしてるメールも途絶えた?」

 

「そ、そんな訳ないでしょ! それにメールはそんなに多くやり取りしてないし、さっきの任務で携帯が壊れちゃったから確認出来ないだけよ」

 

 取り繕う様にまくし立てる歌姫、こういうリアクションが面白い。馬鹿と一緒にですぐにムキになってくれるからからかいがいがある。

 そして携帯はともかく寂しがっていないってのは嘘だ、俺達が助けた時に明らかにキョロキョロしていた、誰を捜していたのかバレバレだ。

 

「はいはい、そうだねー」

 

「歌姫先輩、一日五十回以上もメールするのは十分多いっすよ」

 

「硝子まで……会えない日は朝昼晩の六回ずつだからちょうど三十通だけよ、そんなに多くないわ」

 

 うげ、歌姫も去年のクリスマスから大分おめでたい思考になったな、気持ち悪さが悠一に似て来たか?

 

「十分に多くありませんか? 回数を決めている所も気持ち悪いです、虎杖先輩に似て来ましたね」

 

「き、気持ち悪いですって!?」

 

 傑も同じ気持ちみたいだ、と言うか灰原以外の高専の皆も同じ様に思っているだろう。

 

「へー、じゃあ虎杖先輩は山の中で泣いてますね、メールが来ないよぉって。歌姫先輩と同じ日に出た任務からまだ帰って来ていませんよ、何でも思ったより手古摺りそうだから数日かかるって補助監督の人から連絡があったらしいです」

 

 容易に想像出来る光景だ、山の中でシクシクと泣く馬鹿を思い浮かべると笑えて来る。

 

「おや、虎杖君が苦戦する程の任務なんて珍しいね。彼は呪霊に遭遇したら手早く倒してしまうのに、隠れるのが上手い呪霊が相手なのかな?」

 

 もしくは……あれか?

 

「踊っている内に逃げられたかもしれませんよ、何でも戦闘の前にスローワルツを一人で踊るって宣言してましたから。その様子を撮影して来るとも言ってましたよ」

 

 悠一なら本当にやるだろう、馬鹿過ぎて笑える。せっかくだからビデオは皆で揃って鑑賞会をしてやろう。

 

「あの馬鹿……社交ダンスってどう思うってメールが来たのはそんな事の為かい」

 

「はは、相変わらず突飛な事をするね。それで大抵は効果が伴うんだから面白いよ」

 

 冥さんが笑う、俺も傑も硝子も笑っている、歌姫は顔を真っ赤にして唸っている。

 

 本人が居なくても笑えるなんて本当にイジりがいがある、あの馬鹿は高専生活で貴重な奴だ、頑丈でまず死なないと確信出来る所も悪くない。

 

「あ、そうだ歌姫先輩。皆で海に行くって話、灰原も乗り気でしたよ、七海も何だかんだ言って都合が合えば付いてくるでしょうね」

 

 ああそうだった、アイツが任務に行く前にそんな話をしていた。

 

「この時期に高専の皆が揃って海かい? 都合が会えばいいけど繁忙期だから難しいんじゃないかな?」

 

「でも、お盆の後ぐらいなら可能性があるって先生が言ってましたよ、冥さんも一緒にどうですか?」

 

 盆の後か、面倒くせえ実家の行事なんてフケれば行けるか?

 

「そうそう、悠一に全部奢らせるから冥さんも行こうよ、海の家で不味い焼きそばを食いましょう、焼きそばを」

 

「うーん、私は焼きトウモロコシの方が良いかな? 奢ってくれるなら何でもいいけどね」

 

「ちょっと五条! あんまり悠一に集らないでよ! この前アイツ肝臓ってどこで売れるか検索してたのよ!? 問い詰めたら反転術式で治すから大丈夫だーなんて答えたんだから!」

 

「あ、なるほど! その手があったか! 自分じゃ嫌だけど虎杖先輩なら……」

 

「し、硝子? 冗談よね?」

 

 俺でもそれはちょっと引くな、流石にその金で焼きそばは食いたくない。

 

「そもそも歌姫がアイツに貢がせるから金欠なんだろ、指輪をあんなに買わせやがって。だから1級術師の癖に奢ってくれる店がショボいんだよ」

 

「べ、別に私が貢がせてる訳じゃ……指輪だって……隠し持ってる癖に渡してくれないし……」

 

 モジモジしだす歌姫、阿呆臭くなって来るリアクションだ。

 やっぱりちょっと視野狭窄になってるよね、あれを知ってもドン引きしないなんて。

 

「これさあ、感覚がマヒしちゃったけど微笑ましく見ていて良いのかな? 指輪の数が客観的に見るとホラーだよね?」

「一応本人達が納得しているならセーフじゃないかな? 僕はギリギリアウトだと思うけどね」

「うーん、別れた後に気付くんじゃねーの? 気持ち悪さにさ、盛り上がってる程冷めるのも早いかもね」

「こういうのは外野がとやかく言う事じゃないよ、見守ってあげなさい君達」 

 

 モジモジしながら立ち止まった歌姫を置いて、歩きながら話し合う僕達。

 

 ようやく校舎が見えて来た、あの馬鹿は帰って来ているだろうか?

 

 相変わらず蝉が一匹鳴いている、ミンミンと煩くて悠一みたいだ。アイツは喋れない癖に煩いと言う珍しい生き物だ、一人で騒がしい所もよく似ている。

 

 

 

 

 

 悠一は高専には居なかった。

 

 そして、そのまま俺達の元へ帰って来る事はなかった。

 

 俺達は教室に集められてその事を知らされた、悠一が生徒として高専に帰って来る事は二度と無く、変わりにアイツが撮影した映像が高専に届いていた。

 

 その映像の中で悠一はワルツを踊っていなかった、見た事の無い無表情で、僕達の知らない声で鳴いていた。

 

 初めて聞く声で、喋れないはずの男がミンミンと煩く鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都内にあるビルの一室、時の器の会の代表役員である園田さんが僕の為に用意してくれた潜伏先。

 

 そこで僕は園田さんとスーツ姿の男性と対面していた。

 

「ふぅ……本当に余計な事をしてくれたよ、君も、君のお養父さんもね。それにせっかく高専に潜入出来ていたのに何故わざわざ離反した? 内部からであれば様々な方法が取れたものを……あんなメッセージまで送って、奴らに警戒してくれと言っている様な物じゃないか」

 

 園田さんの顔には笑みが張り付いている、だけど伝わって来るのはいら立ち、僕は園崎さんを怒らせてしまった。

 

「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」

 

 養父さんの手紙には、オジサンの指示に従う様に書いてあった。だからメッセージを撮影して送った、オジサンの頭を潰して殺し、星漿体の同化に反対するメッセージを読み上げた。

 

 残されたメモに書いて合った通りにメモリースティックを高専に送り、書かれていた番号で園田さんに連絡を取った、その後は園田さんの指示に従う様に記載されていた。

 

「君は本当に報告書通りだね、命令を忠実にこなす呪術師に教育したと書いてあったよ。私と君のお養父さんでは忠実の解釈は違ったようだがね」

 

「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」

 

「……君のお養父さんはもういいと言っても君の成長記録を送り続けて来た、会として計画は打ち切ると何度言っても理解してくれなかった。おぞましい教育とやらの映像も一緒に送り付けて来るから辟易していたよ。ようやく死んだと思ったら今度は君だ、親子揃って私の頭を悩ませてくれる」

 

 ああ、養父さんに教育されている時にカメラで撮られていたのはそういう事だったのか。あの映像は園田さんに、時の器の会に見せる為の物だったんだ。

 カメラの反対を向いて倒れてしまい、上手く撮れなかったって怒られたのを思い出す。

 

「申し訳ありません。でも、養父さんにそう言われたんです」

 

「わかったわかった、もういい。後はそこの男の指示に従いなさい、術師殺しと協力してどんな手を使ってでも星漿体を殺せ。事が終わっても帰って来なくていい、好きに生きなさい。君を見ていると気分が悪くなってくるよ」

 

「分かりました、養父さんもそう言ってました」

 

 園田さんが僕に背を向けて歩き出す、星漿体を殺す事が園田さんと時の器の会の望みだ。

 

 天元様の新しい器である星漿体、選ばれた少女である天内 理子、彼女を殺せば養父さんの言い付けを守れる。

 

 天内 理子はまだ十四才、中学二年生の女の子だ。星漿体であっても呪術師ではない、人間の少女だ。

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

「後は任せたよ孔君、そこの男は好きに使い潰してくれて構わない。どんな手段を使ってでも、天内 理子を殺して天元様を守ってくれ。何か必要な物があれば会で用意しよう、術師殺しの悪名に期待してるよ」

 

 術師殺し、僕も噂に聞いた事がある。まさか共闘する事になるとは夢にも思わなかった、自分も術師を殺す存在になるなんて想像出来なかった。

 

 園田さんが部屋を出て行く、残された僕と孔と呼ばれたスーツの男性。僕はこの人の指示に従って天内 理子を術師殺しと協力して殺さなくてはいけない。

 

 そして、彼女を護衛するであろう彼等を僕が……

 

「えーと、虎杖だったよな? 俺は孔 時雨だ。今回の依頼の仲介人で、代表と術師殺しを繋いだ。これから伏黒と合流するために現場まで行くんだが一つ聞いておくぞ」

 

 スーツの男性、孔さんはタバコに火を付けながら僕に話し掛けて来る。

 家入ちゃんと同じ銘柄だ。その臭いに何故か懐かしさを感じる。

 

「何でしょうか?」

 

「お前さん、元仲間を殺せんのか? 星漿体の護衛には五条 悟と夏油 傑が付く事になっている、高専の後輩だろ」

 

 ああ、そんな予感はしていた。オジサンも五条について言っていた。

 

「術師としての彼等を殺します、呪って殺します。養父さんがそう言ってました」

 

「術師としてのだ? なんか含みがあるな、中途半端は勘弁してくれよ」

 

「大丈夫です、ちゃんとやります」

 

 オジサンが教えてくれた呪術師を殺す方法、術式を奪って彼等を人間に戻してあげられる唯一の手段、僕にはそれを成す力があると教えてくれた。

 

「ちゃんと彼等を教育します、養父さんが僕に教えてくれた方法で、彼等が心の底から人間に戻りたいって思える様に気付かせてあげるんです。呪術師を辞めて人間に戻ると彼等の口から約束してもらいます」

 

「はあ?」

 

 心の底から人間になりたいと思い、自分の口から僕に宣言してもらう。

 

 互いの縛りがないとそれは成せない、彼等ならきっと分かってくれる。話せばきっと分かってくれるはずだ。今の僕は言葉を届けられる。

 

「その後に彼らの指を切り落とすんです。十本ちゃんと切り落として、僕がソレを食べる。そうすれば術式は僕に移ります、彼等は晴れて人間に戻るんです……あっ、五条は目も食べてあげなきゃだめですね、六眼は特別だから……オジサンはそう言ってました」

 

 僕の身体ならそれが出来るらしい、僕の身体は指を食べるという行為が意味を持つ様に造られている。オジサンは嬉しそうに語っていた、僕の頑張り次第で結果が変わるとも。

 

「そのオジサンってのは何だ? お前の親父さんとは別人だよな?」

 

「オジサンはオジサンです、僕の未成年後見人で、僕に色々便宜を図ってくれて、養父さんの事も色々と助けてくれたらしいです。昨日そう言ってました」

 

「盤星教の人造術師計画の関係者って事か? 一緒じゃねえのかよ、高専とか呪術師側に捕まると色々と面倒くせえぞ?」

 

「大丈夫です、昨日僕が殺しましたから」

 

「……そうかよ」

 

 だってオジサンはそれを望んだ、養父さんだってそう言っていた。

 言われた通りに呪わなければならない、殺さなければならない、呪術師としての彼等を、この世の全ての呪術を。

 

 もしも……もしも彼女が現れても、僕は呪わなくちゃいけない、術師として殺さなくてはいけない。

 

 だってそれが、養父さんの言い付けだから。

 

「なるほどね、代表の気持ちがちょっと分かるよ。お前さん気持ち悪りーな、話してるとざわつくよ」

 

 そう言って、付いて来いと部屋を出て行く孔さん。僕も必要な荷物を纏めたカバンを手に取り立ち上がる。

 

 ふと視界に映る、サイドテーブルの上に置かれた筆談用のノートとボールペン。

 

 歩もうとする身体が動きを止める。

 

 今の僕には必要ない物だ、声を取り戻したのだから筆談などする必要が無い。 

 

 だからいらない、もう用済みだ。僕の呪力が込められたあのボールペンは、現場で気配と呪力を隠すのに邪魔になる。  

 

 だけど目が離せない、ボールペンに伸びる手を止められない、ツルツルで傷が付かないように大事に使って来たボールペンを指でなぞる。

 

 慣れ親しんだはずの感触、使う度に感じていた幸福感、どちらも何処かへ行ってしまった、感じるのは締め付ける様な胸の痛みと吐き気だ。

 

「おいおい、何してんだ? 早く行くぞ」

 

 孔さんが扉の向こうからこちらを見ていた、孔さんの背後に養父さんが居て僕を見ていた。

 

 養父さんが僕を見ている、言い付けを守っているか僕を見守っている。

 

「すみません、今行きます」

 

 左手から時計を外しボールペンの横に並べる、コレも今の僕には必要ない、養父さんがそう言っている。

 

 オジサンさんから本来の呪言と新しい力を得る手段を学んだ僕だが、左手を使えない縛りは五条相手では大きなハンデだ。アイツに有効なのは一撃の威力よりも手数の多さ、そしてスピード、だから左手を縛るコレは枷にしかならない。

 

 ボールペンと腕時計は僕にはもう必要が無い、コレを使う事は二度とないだろう、この部屋に置いて行く事にした。

 

 孔さんの元へと歩き出す、もう戻らない部屋を後にする。

 

 星漿体の少女を殺す為に、五条と夏油君を人間に戻す為に、全ての呪術師を呪う為に僕は歩み出す。

 

 

 背後から声が聞こえた気がした、多分気のせいだ。

 

 

 歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、夏油君の声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、七海君の声が聞こえた気がした、冥さんと先輩達の声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、僕が叫んでいる気がした、夏油君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、僕の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんへの声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、七海君の声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんへの声が聞こえた気がした、冥さんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、五条の声が聞こえた気がした、先生の声が聞こえた気がした、先輩達の声が聞こえた気がした、灰原君の声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした、家入ちゃんの声が聞こえた気がした、歌姫ちゃんの声が聞こえた気がした。

 

 

 蝉の鳴き声が聞こえた気がした、波の音が聞こえた気がした。

 

 

 きっと全部気のせいだ、養父さんがそう言っている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

作戦に夢と希望を詰め込んで

 

「意味がわかんねえよ! 何言ってんだよこの馬鹿は!」

 

 悟が隣で机を蹴飛ばす、映像が終わり沈黙が流れた教室に机の転がる音が響く。

 

 誰もそれを咎めたりしない、心中は皆同じなのだろう、私だって同じ気持ちだ。

 

 何故? 一体何で? 意味が分からない。

 

 そんな疑問で頭の中が埋め尽くされてしまう、映像の真偽、呪詛師に洗脳された可能性、星漿体と天元様の同化に反対する理由、何故こんなメッセージを高専に送る必要があるのか? 考えなくてはいけない事が山程あるはずなのに考えが纏まらない。

 

 何が理由で? 何を考えて? どうしてそんな事をしているんですか虎杖先輩?

 

 周囲も似たような反応だ。先生ですら疑問と焦燥を隠しきれていない。

 任務へ行く前の浮かれた虎杖先輩と映像の中で凶行に及んだ彼をどうしても同一視出来ない、出来るはずが無い。

 

「だいたい何であの馬鹿が喋ってんだ!? あり得ねーだろ! アイツの喉の障害は普通じゃねえ! 呪力で汚染された意図的な呪いの一種だった! アイツの馬鹿みたいな反転術式でも直せなかったはずだろ! 六眼で視たから間違いねえ! コレがアイツのはずねえだろ!」

 

 普段の余裕ぶった態度を投げ捨てて悟が叫ぶ、言いたい事は分かるし気持ちは同じだ。

 だが、先生は言った。虎杖先輩は呪術規定により呪詛師と断定されたと。

 虎杖先輩は高専の生徒ながら貴重な1級術師、しかもその中で私達に並んでトップクラスの実力者だ。そんな簡単に切り捨てられる人材ではない。

 

 それはつまり、疑い様の無い証拠が既に――

 

「夜蛾先生、私もその映像の人物が虎杖君とは思いたくない。喋っている事も含めて普段の彼とは似ても似つかない、術式による洗脳や脅迫、映像自体がフェイクの可能性は無いんですか?」

 

 冥さんが問い掛ける、先生は沈痛な面持ちを変えずに話し出す。

 

「映像の山中の捜索は既に行われた、監督員の遺体と悠一の残穢が確認されている。頭部を失った遺体は間違いなく悠一の担当の補助監督員で未成年後見人のものだった。腹部の手術痕がカルテと一致したから間違いない」

 

「そうだとしても呪詛師に操られてる可能性はあんだろ! あの馬鹿がしくじって――」

 

「悟……コレを見ろ、悠一の実家の捜索で見つかった物の写しだ。報告用に要点が纏めてある」

 

 先生が差し出した紙の束、悟はその一部をひったくるように取って読み始める。

 

 私もその資料を一部を手に取り読み始める、数枚の写真が添付された誰かにプレゼンするような資料だ。

 

 …………

 

 …………

 

 これは……

 

「んだよコレ……ふざけてんのか……」

 

「悠一の養父が残した記録、盤星教で行われていた、自分達の意のままに動く呪術師を造る計画の資料だ。悠一は……妊娠中の女性に呪霊を寄生させ、そこから産まれた子供だ。先程の映像の山中の神社跡から母親の遺骨が発見され、呪術総監部の術師が悠一の血液と比べて縁を辿った、そしてこの資料の内容が間違いでは無いと判断した」

 

 現場で検体にされた妊婦は六十ニ人。出産前に妊婦三十ニ人が死亡して出産に成功したのは三十人。

 

 そして母体は出産後に全員死亡している。

 

 その後の教育の段階、成長の過程で実験体二十九人が死亡し、唯一生き残った計画の成功例が虎杖先輩だと記載されていた。

 

 つまり、あの人の肉体には産まれながらに呪霊が混ざっている。あの異常なまでの反転術式の効きはその影響だった。

 

「その実験で使用された全ての呪霊は、呪言によって様々な縛りが課されている。産まれた子供に呪言の術式を発現させ、なおかつ意のままに操れる様に様々なアプローチが行われていた。後者は不完全ではあったようだがな」

 

 虎杖先輩は生まれながらに縛られ、呪われていた。

 

 そして、産まれた直後に計画の中心人物の一人である養父によって引き取られている。

 

「産まれた子供は妄信的な性質にはなるが、完全に行動を強制させるまではいかなかったらしい。なので教育と呼ばれる暴力行為、特定の語句と紐付けた痛みと恐怖で肉体に宿った呪霊の縛りを想起させて思考と行動を操ろうとした。だが唯一の成功例と呼ぶ悠一でさえあの映像を見る限り不安定、教育とやらも完全ではない」

 

 他の実験体は教育中に死亡、そう記載されている。教育とやらの醜悪さに嫌悪感が止まらない。実験体一人に対して親替わりの教育者も一人ずつ用意されたと書かれている。

 

 そしてこの名前は……

 

「先生、この教育者の内の一人、虎杖 利紀と言う人物はまさか」

 

「ああ、死体で発見された補助監督員と同一人物だろう。奴も教育者の一人で元盤星教の信者だった」

 

 先輩がオジサンと呼んでいたあの監督員は、先輩の血縁者ではなく計画の関係者だった。

 虎杖先輩が殺したのは教育者、つまり復讐……もしくは教育に先輩が反発したのが殺害の動機か? 養父が死んだ後にあの監督員が虎杖先輩の教育を引き継いだのか? 

 

「もしかして虎杖先輩はあの監督員の教育と指示に反抗したのではないですか? 教育の内容がこの資料の通りなら、暴力を伴う洗脳の術式みたいな物でしょう。ならば虎杖先輩の犯行には情状酌量の余地があり、それなりの正当性があるのでは?」

 

 七海の言う理屈、確かにある程度の説得力がある。だがそれは通らないだろう。

 

「七海、お前には映像の悠一が正気に見えたか? あそこまで執拗に殴り続ける奴が正常な状態に見えたか?」

 

「いえ、それは……」

 

「正気を失った呪霊混じりの実験体、それが呪術界にとって最重要である天元様に必要不可欠な星漿体を否定している。加えて犯行予告とも言えるメッセージを高専に送り付け、現場からは逃亡して行方不明だ。上はもはや悠一を人間とは思っていない、暴走した呪霊扱いだ。しかも術師として1級であると言う事は特級相当の危険性が……」

 

「ふざけんな! テメエは次期学長になりたいからって言いなりかよ!」

 

「聞け!! 悟!!」

 

 先生の声が空気を震わす、見た目に似合わず理知的なこの人がこんな大声を上げる所を初めて見た。

 

「悠一を救いたいなら完全に無力化して拘束するしかない! 他の術師ではなく私達の手でだ! 他の術師や関係者や非術師の一般人! ましてや星漿体の少女を奴が殺したら助命嘆願が完全に不可能になる! 悠一がこれ以上手を汚す前に私達で拘束して無理矢理にでも説得して治療する! それが唯一の道だ!」 

 

 やはり先生は虎杖先輩を諦めてなどいない、悟の顔にも不敵な笑みが戻った。

 私の心も前向きな方向へと傾いて行く、やるべき事が見えて来た。

 

「いいか悟! そして傑! お前達二人に天元様から任務の指名があった! 任務内容は星漿体の少女である天内 理子の護衛だ! コレはチャンスだ! 天元様からの指名なら上も異を唱える事は出来ない! 悠一の目的は星漿体のはずだ、必ず天内 理子の前に姿を現すだろう!」

 

 ああ、確かチャンスだ。天元様の意図など私には図りしれないが今は感謝しかない、絶好の機会を与えてくれた。

 

「やるぞ傑、あの馬鹿をふん縛って連れ帰んぞ」

 

「ああ、虎杖先輩も不幸だな悟、私達二人を敵に回すなんてな」

 

 笑みが溢れて来る、まだ間に合うはずだ。

 

 僕と悟が揃えば何だって出来る、あの馬鹿な先輩を連れ戻してやろう。

 

「そうだな、俺達が最強だって思い出させてやる」

 

 悟と共に席から立ち上がる。絶望するにはまだ早い、私と悟は最強なのだから。

 

「天元様と星漿体の同化のタイミングは二日後の満月! 任務内容はそれまで少女を護衛して天元の元へ送り届けることだ! その過程で悠一を無力化して拘束しろ!」

 

 二日後の満月、思ったよりも切迫した事態だ。だが、短期で決着が付くのは私にとっては望ましい、あの先輩には早く文句を言ってやりたい。

 

「少女を狙っている組織は大きく分けて2つ! 天元様の暴走による現呪術界の転覆を目論む呪詛師集団“Q“! そして天元様を信仰して崇拝する宗教団体、盤星教“時の器の会“! 悠一は恐らく盤星教に身を寄せているだろう!」

 

「雄、健人、お前達は二人のサポートに回れ、私の権限下で任務への帯同を許可する。だがお前達は先程の話を聞いていない、問われたら私に指示にされたとだけ答えろ」

 

 索敵や一般人の避難誘導に避難先の安全確保、虎杖先輩以外の呪詛師との戦闘、手伝ってもらう事は多い。

 

「わかりました!」

「了解です」

 

「冥、私個人からお前に仕事を依頼する。この資料に記載さている放棄された複数の実験場。コレはまだ私の息がかかった関係者にしか知らされていない。彼等と協力して残された情報を集めてくれ、上を説得する為の材料が一つでも多く欲しい」

 

 冥さんに資料と材質の違う一枚の紙が渡された、恐らく報酬金額が提示されているのだろう。冥さんはそれを見てにやけている。

 冥さんは仕事となれば利益や金銭を判断基準にするが契約は絶対に破らない、だからこそ信用が置ける。

 

「ふふ、承りましたよ先生。虎杖君にも借りが作れるね、何を奢ってもらおうかな?」

 

「歌姫と硝子は高専で待機だ。他の任務が入らないように手を打つ、お前達は二日間高専の敷地から出るな」

 

「待ってください先生! 私も五条達と行きます! 行かせてください!」

 

 庵先輩が立ち上がって抗議する、だが姿勢がふらつき顔色も悪い。明らかに本調子ではない、無理も無い反応だろう。

 流石にそれを揶揄したりは出来ない、虎杖先輩と一番親しいのは間違いなく庵先輩だ。この人にとってあの映像と資料は刺激が強すぎる、恋人のあんな姿を見て正常で居られるのは術師でもそうはいないだろう。

 

「歌姫、お前なら理解出来るはずだ、悠一を拘束して説得して治療する際に一番重要なのが自分だと。奴は産まれながらに呪われていて、あの呪いを祓えるのはより強い呪いだ。この中で悠一を一番強く呪えるのはお前しかいない」

 

 随分と先生らしい言い草だ、確かにこの人の口から愛の力とか絆の力とか飛び出して来たら笑ってしまう。

 

 強い感情に根ざす縛りや呪いを書き換える為には、より強い感情が必要なのだ、

 それも今回のケースでは一方通行では駄目だ、双方向に強い感情、より強い執着があった方が新しい縛りと呪いは強くなるだろう。

 

 生まれながらの呪いを上書き出来る様な強い呪い、愛憎の感情ならばそれが可能かもしれない。

 呪術師をしてると嫌でも分かる、愛と憎しみの感情で生まれる呪霊がどれだけ多いのか、愛と憎しみがどれだけの呪力を生むのか。

 

 まあ、あの先輩は庵先輩に説得されれば簡単に正気に戻る様な気もする。うんざりするほど聞かされた庵先輩への愛の言葉、あれがまやかしだったなどと私は思わない。

 

「そして解呪後の悠一は術式を失っている可能性がある、それが肉体にどういう影響を及ぼすのか未知数だ。それを治せる可能性があるのは硝子、お前しかいない。学生でありながら随一の反転術式の使い手であるお前なら出来るはずだ」

 

 希望的観測に希望的観測を重ねる、本来なら愚行とも言える作戦立案だ。

 だけど、それしか可能性が無いならならやるしかない、道が一本しかない方が余計な事を考えずに済む。

 

 

「歌姫先輩、私と一緒にここで待ちましょう? そこのバカ二人がアホな先輩を連れ帰って来ますから」

 

 

「……そうね、弱い私にはそうするしかない」

 

 再び着席する庵先輩、ふらつく彼女を硝子が支える。一応は納得してくれたようだ。

 

「何浸ってんだよ歌姫、ヒロイン気取りか? 調子に乗ってんじゃねーぞ」

 

 まったく、悟はこれだから……励ますにしても言い方があるだろうに……

 

「お前が弱いなんてみんな知ってんだよ。慰めて欲しいならあの馬鹿に頼めや、俺と傑が連れて来てやる」

 

「……ええ、その通りよ。五条、夏油君、灰原君、七海君、冥さん」

 

 庵先輩が私達に顔を向ける。顔色は優れないままだが、視線には力が込められている、諦めている人間の目ではない。

 

「悠一を私の元まで連れて来てください、悠一を助ける為に力を貸して下さい……お願いします」

 

 ああ、悪い気はしない。目的が明確になり先輩に想いを託される、やる気の湧くシチュエーションだ。

 

「そう言ってんだろ、簀巻きにして連れて来てやるよ」

「分かりました先輩、必ず連れ帰ります」

「任せてください! 俺も全力を尽くします!」

「荷は重いですが任されました、待っていてください」

「安心しなさい歌姫、報酬分はきっちり役目を果たすよ」

 

 庵先輩が少しだけ微笑む、弱々しいが確かに笑っている。大丈夫、全て終わればちゃんと笑えるはずだ。

 

「呪術師達に悔いの無い最後は無い、だからこそ今を後悔するな、お前達は悔いの無い未来を想像しろ」

 

 先生が教育者らしい事を言う。悟は顔をしかめているが、私は悪い言葉だとは思わない。

 

 悔いの無い未来、今の私達が心の底から笑う為には必要なビジョンだろう。呪い呪われた先にも希望はあるはずだ。

 

 そうやって呪術師として生きた先に、後悔に塗れた死が待ち受けて居たとしてもそれが正しい事だと思えた。私を知る友が、仲間が、後輩達が私の意思を継いでくれる。

 

 呪術師達とはそういう生き物だと、そうやって世界の安寧を守る尊い役割だと信じられた。私達はそんな高揚感に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう、あの頃の私はそう信じていた。それは半分が正解で、残りの半分が間違いだった。

 

 私達が希望を抱いた夏が終わり、次の夏を迎えて私は思い知る事になる。

 

 先生の言葉は正しかったという事、呪術師達には未来を想像して希望を持つことが必要だと確信を持った。

 

 今のままでは、呪術師の終わりには後悔しか待ち受けていないと本当の意味で理解出来た。

 

 だから私は非術師共を根絶やしにする事にした。

 

 私が心の底から笑う為に、全ての呪術師達が醜悪な猿共の食い物にされない為に、呪術師の終わりが幸福である為に、世界の全てを作り替える事を決意した。

 

 私は大義の為に生きる、懸命に生きる、約束を果たせなかったせめてもの償いでもある。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰よりも強く在りたいと願う君の

 

「おい、そろそろ終わった――」

 

 開け放った扉の先に広がる光景に言葉が止まる、職業柄似たような光景を見る事が多いが思わず顔をしかめてしまう。

 

 椅子に縛られて事切れている死体の顔が苦痛に満ちていたからだ。故郷で刑事をやっていた時を含めてもここまでの表情を見た事が無い。生まれてきたことを心底後悔して絶望している、そんな表情だ。

 

 部屋の中には椅子が四つ、そこに座る縛られた死体も四つ。

 

 四つの死体の両手の先には指が無い、目の前で蹲っているこの男の胃袋に収まったのだろう。

 

 男が立ち上がる、ふらつきながら立ち上がってこちらを向いた。部屋の惨状に比べて返り血をまったく浴びていない所が不気味だ。

 

「終わりました孔さん、伏黒さん……」

 

 死にそうな顔をしている、コイツは今安定しているのか? それとも……どちらにせよ対応している俺としては冷や冷やする。

 

 代表からこいつを制御する為の呪具を受け取ってはいる。だが、本当に効果があるのかは怪しい所だ。

 

 コイツの資料、そして取扱い説明書とやらには目を通した。養父の指示には絶対逆らわないと書いてあったが、俺はコイツの養父でも何でも無い。

 養父の声を再現するというこの呪具だって養父本人とは違うだろう、油断は禁物だ。

 

「うげっ、本当に食ったのか? 気持ちわりーな」

 

 伏黒が自分で指示しておいて無責任な事を言い出した。コイツも呪霊を身体の中に飼ってるのを知っている、俺に言わせればどっちもどっちだ。 

 

 伏黒は虎杖にこう言った。護衛達の術式を食って無力化させ、なおかつ自分の指示に従うのであれば護衛達は殺さなくても構わないと。

 そして、実際に食って術式を使う所を確認させろとも言い放った。

 

「あんまり刺激すんなよ、何するかわからねえぞコイツは」

 

「ビビんなよ、ちゃんとご褒美もくれてやっただろ? アイツ等を連れてくなら海がいいって言うから叶えてやったじゃねーか。人質を沖縄まで連れて行ったのは笑えるけどな、プライベートジェットってマジかよ?」

 

 俺達の要請に応じ、代表はプライベートジェットを使って拉致した星漿体の世話係を沖縄まで連れて行った。

 別に沖縄を指定した訳じゃない、海がある所と言ったら何故か沖縄になった。金持ちの考える事は分からん。

 

 人質交換の脅迫メールと写真も送り、護衛と星漿体が沖縄に向かったのも確認出来た。削りは一応成功していると言っていいだろう。

 

 伏黒の指示通りに手付金で天内 理子に制限時間付きで賞金を懸け、集まった呪詛師は学園を襲撃した。

 その隙に伏黒が星漿体の世話係を拉致、俺が盤星教に引き渡した、人質として使う様にと指示を出したのは俺だ。

 

 金で集まった呪詛師は護衛の二人に呆気なく撃退された。だが、無意味では無い、警戒を継続させるのが目的で副産物も得られた。

 

 そう、今この部屋で椅子に繋がれている四つの死体、二つは学園を襲撃した呪詛師のものだ。護衛達が学園を離れたタイミングを見計らって、虎杖 悠一に回収させた。

 

 もう二つはQとか言う組織の呪詛師、コイツ等も高専の護衛に撃退された奴等だ。こっちも同様に回収させた。

 

 食っても良い術師なんてそこらには転がっていない、哀れだが有効活用させてもらう。

 

「ほれ、何か芸を見せてくれよ。新しい術式を手に入れたんだろ?」

 

「分かりました」

 

 次の瞬間、虎杖 悠一が五人に増えた。確かに紙袋男の術式だ、五条 悟との戦闘を監視していたから間違いない。

 

「おお、やるじゃねえか虎杖君。本当に取り込めてるな、この説明書とやらは嘘を書いてねえみただな」

 

 楽しげな様子で紙束を弄ぶ伏黒、あれが代表から渡された虎杖 悠一の取扱い説明書だ。

 呪術師として出来る事、制御用の呪具の解説、もしもの時のセーフティ、全てが記載されている。

 

「面白いな、こんなに便利なら俺の道具にしたかったぜ。教祖様がいらねえって言ってたんだろ? 勿体ねえよな」

 

 少し前に、伏黒は虎杖と軽く組手をして動きを確認していた。

 

 虎杖は戦力としては一級品だった、伏黒の速度に付いて行ける術師なんて初めてお目にかかった。

 しかも他人の術式を取り込む事ができ、なおかつ命令には忠実、確かに道具としては理想的な性能をしている。

 

 だが、コイツは長く使える道具じゃ無い。術式を取り込む能力を使用した場合は虎杖は使い捨ての道具だ。

 

 説明書には、術式の取り込み方と注意事項も記載されていた。

 

 対象に術式の放棄を宣言させた後、そいつの指を全て切り落として食べる。術式を取り込む方法はこいつが語ったのと全く一緒の内容が書かれていた。

 

 そして、こうも続いていた。術式を取り込めばこいつの肉体は一週間と持たない。

 

 暫くは新しい術式の使用は可能だが、徐々に肉体と術式が反発して崩壊していく。そう書いてあった。

 つまり、術式を取り込むのは最後の手段になる、虎杖自身も説明書を読んでいた。その上で伏黒の指示に従った。

 

 ここまで来れば基本的に命令に忠実だとは言うのは信じてもいい、教育とやらの成果は大した物だ。

 

 それとも、元後輩達がそんなに大事だったのか? 自分の命を投げ出してまで救いたいのか? 

 だが救いの内容は最悪だ、指を食われるであろう奴等には同情する。死体を見て改めてそう思う。

 

 まあどうでもいいか、一週間持つなら襲撃のタイミングには十分過ぎる程だ。

 

 伏黒はああ言っているが、後で死んでくれるのも個人的には安心する。こいつの雰囲気からはどうしても危うさを感じてしまう。

 

「しかし部屋を大分汚したな、もうちょっと綺麗に事を済ませられなかったのか? 部屋が血塗れじゃねえかよ、掃除に幾ら取られるんだコレは?」

 

 特殊な清掃業者に掛かる費用は伏黒に出させる、コイツが言い出したんだから当然だ。

 

「すみません、綺麗にします」

 

「あん? そんな暇は……」

 

 虎杖の一人が指で自分の手の平を切り裂き、床に血を垂らした。

 結構な出血量だ、呪詛師達の血で汚れた床が更に血液で汚れる。やっぱり頭がおかしくなったのか? 

 

 虎杖が手をかざす、壁や床一面に拡がった血液が意思を持ったかの様に球体となって集っていく。これは……何だ?

 

「これは……加茂家の“赤血躁術“か? 食った奴等の中に加茂家が居たのか?」

 

 伏黒が呟く、恐らく血液を操る術式なのだろう。加茂家って言えば御三家、伏黒なら知っていてもおかしくない。

 

 あっと言う間に、部屋の汚れが綺麗になって行く。血液の塊が意思を持ったかの様に虎杖の身体の中へと消えて行く。

 

 他人の血液を混ぜて大丈夫なのか? 血液型が一致するのか? なんでその体積が身体に収まるのか? そんな疑問が浮かんだ。

 

 いや、コイツは化け物だから問題ないか。呪霊が混じっているのにまともな人間であるはずがない。

 

「いえ、これは僕の元々の術式です。母さんから受け継がれた物だとオジサンが言っていました」

 

「おいおい、隠し機能か? 他には隠して無いだろうな、心当たりがあるなら全部吐けよ」

 

 勘弁してほしい、危なっかしい道具の性能を把握仕切れていないなんてゾッとする。

 

「説明書に記載されていない能力なら領域展開があります、つい最近覚えました」

 

「アホが、メチャクチャ重要な情報じゃねーかよ。なんで報告しねえんだ馬鹿が」

 

 全くだ、領域展開にまで至っているなら見積もりが違って来る。むしろ削るまでもなく護衛達を始末出来るんじゃないのか?

 

「五条と夏油君は簡易領域を習得済みで、領域展開を使う呪詛師に勝った事もあります。あの二人に対して領域展開は必殺足りえません。それに……」

 

 言葉を濁す虎杖、珍しい反応だ。基本的には質問には明確に答える。

 

「それに何だ? 言ってみろ」

 

「恐らく五条は僕の領域展開をその目で見たらその場で領域展開を習得します、五条はそういう奴です」

 

 何を言ってんだコイツは? そんな訳ねえだろ。

 

「おいおい、そんな都合良く覚醒する訳が……」

 

「いや、あの五条家の坊ならあり得るな……だが全て問題なし。俺だって領域対策ぐらいはある、それにいい道具君がいるしな。虎杖、領域展開のタイミングは俺が指示する。上手くいけば奴等を纏めて始末できるな」

 

 まあいい、伏黒本人がそう言ってんなら任せよう。戦闘のプロに口出しするつもりはない、戦闘を生業とする奴等にしか分からない感覚ってのがあるのだろう。

 

「始末? 伏黒さん……」

 

「あ? うるせえな、言葉のアヤだよ。俺のターゲットは星漿体のガキだけだ。護衛は無力化出来ればどっちでも構わねえつっただろ」

 

 面倒くさそうに虎杖をあしらう伏黒、確かに口約束はしているが縛りを使った訳じゃない、伏黒の気分次第でどちらにでも転ぶだろう。

 伏黒にはセーフティを渡してある、コイツに限ってヘマを打つ事は無いとは思うが一抹の不安がよぎる。

 

「……はい、分かりました」

 

「よし、襲撃は奴等が高専に戻って来てからだ。お前は分身の術式三体を使って敷地内で適当に暴れろ、なるべく被害と重要性の高い施設を狙って星漿体の所に増援が来ないようにかき回せ。やり方も方法もお前に任せる、元生徒なんだから高専には詳しいだろ」

 

「はい、分かりました」

 

 まあ、それとは別に蠅頭もばら撒く予定だ。今は繁忙期だから高専に戦力が少ないのも確認している。虎杖は元々想定していない戦力、どっちに転んでも問題無い使い方をすべきだろう。

 

「残った二体は星漿体達とご挨拶だ。俺も気配を消して付いて行く、後輩達ともよろしくやってくれ」

 

「はい、分かりました」

 

「よし、作戦会議終了。俺は出掛けて来るからお前は待機してろ、このビルを出るんじゃねーぞ」

 

「はい、分かりました」

 

 伏黒が部屋を出ようと歩き出す、この野郎!?

 

「おい、どこに行くんだ? 死体はどうする?」

 

「あ? 金を増やしに行くんだよ。死体は任せるわ、虎杖もな」

 

 文句を言ってやろうとした次の瞬間には消えていた、逃げ足も恐ろしく速いヒモ野郎だ。どうせ競馬場にでも向かったのだろう。

 

「はぁ……押し付けて行きやがって」

 

 ため息が漏れる、知り合いの業者を手配して四つの死体を始末しなければならない。血が抜けて干からびているので片付けは早く済みそうではある。

 だが、面倒な事には変わりない。

 

「ん? 何してんだお前」

 

 いつの間にか一人に戻った虎杖が死体達の前に立ち、死体の指先をじっと見ていた。あんだけ惨い事をしておいて今更後悔か? 

 

「教育って難しいんですね、ただ痛めつけるのは簡単なのに……養父さんは凄いです」

 

 何故か俺の方を向いて同意を求めて来る虎杖、微妙に視線がズレているのも気持ち悪い。

 

 本当に嫌になる、仕事でなければやってられない。

 

「そうだな、浸ってる所を悪いが自分の部屋に戻って待機してろ。俺は業者を呼んだり忙しい、部屋から出るなよ?」

 

「はい、分かりました養父さん」

 

 大人しく部屋を出ていく虎杖、背中からじゃ表情は見えない、見たいとも思わない。

 

 新しいタバコに火を点ける、肺に拡がる煙が少しだけ精神を落ち着かせてくれる。

 

 ふと、死体に目をやる。視線が向けられた様に感じたからだ。

 

 失ったはずの目玉で、真っ黒な八つの眼孔が俺を見詰めている様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺と傑は天内と黒井さんを連れて高専の敷地内、筵山の麓の結界内にようやく辿り着いた。

 今日は護衛最終日、時刻は十五時ピッタリだ。天内の懸賞金は四時間前に取り下げられている。

 

 悠一は未だに俺達の前に姿を現さない。

 

 懸賞金を使って呪詛師を呼び寄せたり、黒井さんを沖縄まで拉致って呼び出したり随分と回りくどい手を使って来た。

 はっきり言ってアイツらしく無い手だ。もしかして盤星教と悠一は行動を共にしてはいないのかもしれない。

 

 だが、天内を襲撃するならこの場が最後のチャンスだ。天元様の居る夢星宮本殿の入口は任務に関係無い学生が知れる場所ではない、あそこまで入り込んだら悠一は俺達を辿れなくなるだろう。

 

 高専の結界内で、気取られずに俺達に接近するのは不可能だ。

 

 高専は呪術界にとっても重要な施設、天元様の力によって強化された結界を無理矢理通れば俺達に知らせが届く。

 でも、相手は悠一だ。アイツがトップスピードで突っ込んでくるなら警戒を解くわけにはいかない、最後まで油断などしない。

 

 傑からも緊張と警戒の気配を感じる、天内には分からないだろうが黒井さんには気付かれているかもしれない。術師ではないのにやたら強い人だ。

 

 灰原と七海はダミーの入口の方を監視させている、悠一は馬鹿だからこのまま俺達に辿り付けない可能性も大いにあり得る。

 

「まったく、ガキのお守りは最後まで気が抜けねーな」

 

「お!? 最後まで失礼な奴じゃ!」

 

 声を張り上げる天内、だが内心の不安を隠し切れていない。

 

 ふざけているよな? 学校で普通に過ごしていた奴が、いつもつるんでいた奴がある日突然いなくなるなんて……ふざけた話だよな?

 

 天内はコレからあの馬鹿とある意味同じ事をする、学校の友達に、黒井さんに、このふざけた喪失感を与える羽目になる。

 

 そんな物を、そんな気に食わない物を俺達が容認する必要は無い。

 

 俺は我侭を押し通す、俺にはその力がある、俺が誰よりも強く在るのはその為だった……ようやく分かった。

 

 先生と他の奴等には、特に先生には悪い事をするかもしれない。だけど天内を助ける為にはそうするしかない。

 

 約束は必ず果たす、少し時間はかかるがあの馬鹿を必ず正気に戻し、三人で揃って教室に帰ってやる。

 

 どうせ呪術界の上層部なんて真っ黒な老害ばかりだ。先生の言葉は真っ当な道だが助命嘆願をしても通るとは思えない。

 だから、まずは生き延びる事だ。悠一を説得して仲間に引き込む、俺達が協力すれば勝てる奴などいない。

 

 俺と傑と悠一、揃って対抗すれば天元様や呪術界を敵に回しても負ける気がしない。天内の事だって守ってやれる、何だったら逃避行に歌姫を連れて行ってもいい。

 

 俺達が揃って無敵になれば、呪術界だってその内認めざるを得なくなる。俺達と敵対するデメリットがメリットと比べ物にならない程に大きいと教えてやる。

 その時に改めて皆の所へ帰ればいい、次期学長はオジャンだろうがしばらく我慢してもらおう。

 

「天内、これから多分襲撃がある。今までの雑魚とは比べ物にならねえ奴がやって来る」

 

「うっ、で、でも……守ってくれるんでしょ?」

 

 こういう所は可愛げのあるガキだ、しおらしい事を聞いてくる。

 

「守ってやるよ、お前がそうしたいなら明日からも守ってやる」

 

「え?」

 

「お前が天元様と同化したくないなら守ってやるって言ってんだよ、俺と傑……多分もう一人の馬鹿もな」

 

 あの馬鹿をボコボコに殴って正気に戻す、教育なんて塗り替えてやる。

 そうすれば女子供には甘々のアイツは天内に力を貸すだろう、そうに決まっている。絶対に何とかなる。

 

「理子ちゃん、君がそれを望むのなら私と悟はそれを助ける。約束するよ」

 

 傑にはもちろん話を通してある、天内が同化を拒否したらそうすると決めた。

 灰原と七海にも後で手紙を読む様に託してある、硝子に歌姫、先生にも届くだろう。

 冥さんは……まあ一応硝子辺りが事情を話すかもしれない、万札をいっしょに包んだ方が良かったか?

 

「わ、私が? でも、そんな事をしたら……」

 

「お前の本音を聞かせろ、俺達や世間に気を遣ってくだらねえ嘘をつかなくていい」

 

 答えなんて決まっている、沖縄であんなにはしゃいでいたコイツが十四年なんて短い自由で満足するはずが無い。

 

「わ、私は……やっぱりもっと皆と一緒に居たい! 黒井とお別れしたくない! もっと色んな所へ行って、色んな物を見たい!」

 

「お嬢様……」

 

 天内が叫ぶ、涙をボロボロと溢しながら大きな声で叫んだ。黒井さんも天内を抱きしめて涙を流している。

 

「決まりだね、早速行動しよう。まずは場所を変えて……」

 

「待て傑、馬鹿野郎のお出ましだ」

 

 感知用の呪符に反応がある、高専の結界に侵入した異物が五つで随分とバラけた侵入経路だ。複数のルートから侵入している。

 

 その内二つが高速でこちらに向かって来る、今のアイツに仲間なんているのか? いや、盤星教の所属は非術師の組織、金で呪詛師を雇った可能性もある。

 

「理子ちゃん、黒井さん、私の後ろへ!」

 

 傑が呪霊を出して二人を守る態勢に入る、俺も前に出て呪力を更に巡らせて術式を研ぎ澄ます。 

 

 二人を俺と傑で挟み込む様に立ち位置を変える、守るならばこのポジションがベストだ。

 

 俺達の眼前、鳥居の前の石畳に一つの影が降り立った。見覚えのある顔だ。高専に入学してから飽きる程見た。

 だが懐かしくも感じる、あれから一週間も絶っていないのに随分と久しぶりに会ったかのようだ。

 

 俺の後ろ、傑の方にも同じ気配が降り立ったのを感知する。

 

 帰って来たと思ったら二人に分裂しやがって……いや、五人か? 五つの反応は全てあの馬鹿かもしれない。

 呪符が感知した残りの三つの反応、これも全て悠一の可能性がある。増援が来ない様に高専をかき回すつもりか?

 

 この術式は、紙袋野郎の物だ。

 

 あんなB級ホラーみたいな術式を取り込む方法を実践しやがった、まじで指を食ったのか?

 だが、紙袋野郎は呪詛師だ。殺していても問題無い、金で天内の命を狙う輩の命を俺は気にしない。

 

「よお悠一、随分と遅かったな。バターサンド買いに北海道まで行ってきたんだろ? ほら、さっさと寄越せや」

 

 反応が無い、いつもの悠一なら顔を真っ赤にしてノートを見せ付けてくる。

 先輩を敬えだとか、埼玉土産を馬鹿にするなとか反論してくるはずだ。

 

 だから、無表情で俺達を見ている悠一なんて間違っている。コイツはやっぱり正気を失ってやがる。悠一が俺と傑にこんな顔を見せるはずがない。

 

 今のコイツは本来の悠一ではない、そうでなくてはいけない。

 

「五条……夏油君……天内理子……」

「沖縄は……海は楽しめたかな……」

 

 心臓が跳ねる、呪言を恐れた訳ではない。俺と傑は脳を呪力で守っているし、天内と黒井さんは傑の呪霊が守っている。呪言対策は怠っていない。二人の悠一がステレオで喋ったのが理由でもない。

 

 驚いたのは、悠一の声を初めて生で聞いたからだ。映像越しではなく、アイツの吐き出した音が直接俺達の鼓膜を揺らして初めて分かった。ノートではあんなにはしゃいでいたアイツが発した声、覇気の欠片も感じられず、弱々しくて悲しみに満ちている。

 

 声に込められた深い負の感情、悠一がこんな声で喋るのが許せなかった。

 

「ああ、お前抜きだから楽しかったよ。辛気臭い声出しやがって、今更イメチェンして高校デビューか? 遅すぎんだよアホが」

 

 やはり盤星教と悠一が繋がっていたのは間違いない、そうでなくてはこんな質問は出てこない。

 

「良かった……楽しんでもらいたかったんだ……」

「もう二度と見れない……せめて最期に海を……」

 

 イライラする、こんな状態の悠一をこれ以上見たくない。

 

「こんな時まで意味不明な事を言ってんじゃねぇよ、空気を読め空気を」

「虎杖先輩、戻って来てください。庵先輩や他の皆も貴方を待っています」

 

 前の悠一には俺が、後の悠一には傑が声をかける。迷惑さも二倍になるとは世話の焼ける奴だ。

 

「ごめん五条……夏油君……人間に戻ろう……お願いだ……指を差し出してくれ……」

「ごめんね天内理子……君だけは殺さなくちゃ駄目なんだ……ごめん、ごめんよ……」

 

 後ろで天内と黒井さんが息を呑む音が聞こえた。第一印象は最悪、そんな所だけは変わらず馬鹿野郎のままだった。俺も初めてあった時は気に食わなかった。

 

「ふざけんてんじゃねえ! いい加減正気に戻れ!」

「虎杖先輩、今の言葉を庵先輩にも聞かせられますか?」

 

 悠一が手を顔で覆う、身体が僅かに震え出す……泣いてるのか? くそが……

 

「ごめん……僕を見ないで庵」

「許して……許して養父さん」

 

 悠一が覆っていた手を降ろす、祈るように両手を合わせた。目元にはやはり涙が滲んでいる。

 

 そして、祈りに思えた両手が印を結ぶ……これはまさか!? 

 

「傑!!」

「悟!!」

 

 後ろで傑が簡易領域の発動を始める、俺も反射的に同様の動きをする。

 

 だが、このままでは――

 

 

【【領域展開】】

 

 

 天内と黒井さんが――

 

 

 

【【愛染甜言蜜語】】

 

 

 

 領域が拡がる、二人の悠一から拡がる生得領域が俺達を包んでいく。

 

 悠一の世界に、悠一の心の中に、俺達が閉じ込められていく。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

呪い呪われた僕達の未来を創造して

 

 

 拡がる領域、一瞬だけ瞬間移動させられたのかと錯覚する。

 

 悠一の領域内の風景は高専そのものだった。見覚えがありすぎる光景が拡がる、隣には校舎と寮があり俺達は運動場に立っている。

 

 生得領域は心の中だと誰かが言ってたのを思い出す。中の様子は展開した人物の人格形成に大きな影響を与えた地が反映される事もままあると聞く。

 

 悠一のアホが、やっぱり学校大好き君じゃねえか。

 

 悠一の術式は“呪言“、それが領域内では強化されて必中必殺となる。天内と黒井さんを傑の呪霊では呪言から守りきれない。

 

 俺と傑が二人のそばに移動し二人を包む様に簡易領域するか? 駄目だ。それではまともに戦えずにジリ貧で終わる。

 

 ならば悠一の領域展開を防ぐ為には? 二人を守りつつ悠一に勝利するために俺はどうする?

 

 答えは一つ、領域展開を押し返せるのは領域展開のみ。

 

 無限の拡張という言葉に記せば愚かしい矛盾。

 

 未だに反転術式すら習得していない俺には遠い虚構。

 

 それに至る為には? 

 

 真似ればいい、手本は目の前に拡がっている。

 

 呪力の核心など関係は無い、術師の成長は必ずしも段階を踏む必要はない。

 

 欲しい物を欲しい時に自分の術式で解釈する。自分の世界のルールは自分で決める。あの馬鹿が普段から騒いでいた事だ。

 

 悠一は愛だとか慈しみだとか、負の感情からはおおよそかけ離れている恥ずかしい言葉を、己の力とするなんてふざけた解釈をしていた。

 

 自分の世界の在り方は好きに決めていい。馬鹿から学んだ数少ない教えを実践する。

 

 無限を拡げる、無限は本来至る所に存在する。俺が今そう解釈した。

 

 ならば俺の無限は、空無辺処は此処に在る。

 

 

 【領域展開 無量空処】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり五条は領域展開に至った。

 

 僕の領域と五条の領域がせめぎ合い、術式の必中効果が消失している。これでは彼等を呪言で意のままに操る事は出来ない。

 

 だけどそれは想定内、必中効果が消失したのは五条も同じ事だ。

 お互いに領域を維持しつつの戦いが始まる。夏油君は無理をして倒す必要は無い、天内理子もこの際無視しても良い。

 

 五条に領域展開出来ない程にダメージを負わせれば僕達の勝利だ。領域内で分断された以上三体の分身は戻す事は出来ない、恐らく動けない状態か消滅しただろう、縁が切れたのを感覚で理解する。

 

 数の上では三対二、こちら側が有利だ。

 

 五条に向かって影が高速で躍り出る、呪力の全く存在しない異質な存在が音も立てずに忍び寄る。

 

「っ!? テメエ! どこから湧いて来た!?」

「おいおい、今のを気取るのかよ」

 

 五条の背後で刀が静止する。僕の目から見ても完璧なタイミングだったのに五条はそれを防いだ。

 

 伏黒さんが止められた刀を手放してこちらへと飛んで来る。

 

 不意打ちは失敗、五条はどうやって呪力無しの伏黒さんに気付けたのだろう?

 この人は呪力が全く存在しないのに加え、気配。隠すのが上手過ぎる。僕も予め存在を知らなかったら見失っていただろう。

 

 五条は本当に隙の無い奴だ。第六感が鋭すぎる。

 

 それとも、僕が模擬戦で不意を突く様な戦法を取り過ぎたのがいけなかったか? 

 

「虎杖、こっちのお前はここで領域を維持しろ。向こうのお前さんはそのまま“呪霊操術“のガキの相手をしな、俺は五条悟の相手をする」

 

「はい、分かりました」

 

 伏黒さんがかき消える、僕の全力よりも一割増しで速い速度だ。

 新しく覚えた“赤鱗躍動“を使えば並べるかもしれないが練度が足りないだろう。ここは素直に伏黒さんに従うべきだ。

 

 そう、僕は言い付けを守っています。だから見ていてください養父さん。

 

 多彩な呪具を使い五条と渡り合う伏黒さん、五条が初めての領域展開の維持で本調子で無いとはいえ驚異的な強さだ。

 どこまでも伸びる鎖と術式を無効化するあの剣の組み合わせ、それに速度と手数が加わって五条が防戦気味だ。術式を無効化する呪具のせいで無下限を使いにくいのも理由だろう。

 

 そして、もう一人の僕は先程から夏油君を足止めする様に戦っている。

 

 動き回って一撃離脱を繰り返す。消極的にだがその場を離れられない様に、天内理子を守らざるを得ない様に攻めたてる。

 

 夏油君を五条と合流させなければそれでいい。

 

 二日間ぶっ続けで術式を維持し続け、その上で領域展開まで重ねれば流石に呪力と脳の限界が近いだろう。加えて伏黒さんの相手までしているのだ。

 どう考えても領域の我慢比べは僕に分がある、局所的には時間はこちらの味方だ。時間を稼げばこちらの勝利だ。

 

 五条の領域が消えれば、二人を呪言を使って意のままに操れる。天内理子を苦しまずに殺すことができる。  

 

「……何だ?」

 

 先程から分身との同期が不安定だ。領域展開と併用しているせいか? それとも僕の肉体が限界に近いせいなのか? 自身の感覚ではそこまでの異変は感じない。

 

 だが、この戦闘が終わるまでには十分持つだろう。

 

 五条と夏油君を救い、天内理子を殺す。それが達成出来ればそれでいい。養父さんの言い付けを守りつつ僕は死ねる、これ以上人を殺さずに終われる。呪術師から人間に戻すのも五条と夏油君だけで済む。

 

 それが僕の終わりだ。僕が選んだ呪術師としての最後、言われた事を守りつつ自分で選べる唯一の道だ。

 

『人を呪わば穴2つ。だからお前は誰かを呪ってはいけない、呪いの言葉は全て飲み込みなさい』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 養父さんの声が聞こえる、小狡い思考を見透かすかの様に僕を責め立ててくる。

 

『呪いを飲み込め、飲み込んで強くなれ、飲み込んだ呪いで人の敵を呪え』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 人の敵を呪えと、手を緩める事無く呪いを飲み込み強くなれと声が聞こえる。

 

 死んで楽になりたいなどと考える僕の甘えを許してくれない。養父さんはやっぱり僕を見ている。

 

『天元様に群がる呪術師共、不敬にも穢れた異物を天元様へと捧げる人類の敵。だからお前は呪術師を呪え、無垢なる真の人間の敵を呪い殺せ』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 僕はちゃんと言い付けを守っています。天内理子を殺し、二人を呪術師として殺します。だから許してください。ここが僕の限界です、終わりなんです。

 

 僕の言い訳を養父さんは見破って来る、限界まで呪術師を呪えと耳元で囁いている。

 

『汚れきった呪術師共を根絶やしにしろ、清浄なる星を取り戻せ』

 

 吐き気がする、吐き気がする、吐き気がする。

 

 天内理子は殺します、僕が殺します。そうすれば天元様が守られる、園田さんも言っていました。それで許してくださいお願いします。終わりにしてください。終わりにさせてください。これ以上僕は呪いを飲み込めません。これ以上僕は誰かを呪えません。

 

 吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。

 

 人を殺した僕は、人を呪った僕は穴を掘りました。自分の穴もちゃんと掘りました。養父さんの言った通りです。オジサンの言った通りです。園田さんの言った通りです。孔さんの言った通りです。伏黒さんの言った通りです。

 

 でも、全部僕なんです。

 

 言われたのも言ったのも僕なんです。言われてやったのも僕なんです。養父さんは僕なんです。今後ろで囁いている貴方も僕です。僕の目の前に立つ貴方も僕です。孔さんの後ろで僕を見ていたのも僕です。僕の喉で蠢いているのも貴方で僕です。あの山でミンミン鳴いていたのも貴方で僕です。波の音を聞いたのも貴方で僕です。僕を殴ったのは貴方で僕です。僕を教育してくれたのも貴方で僕です。僕を育ててくれたのも貴方で僕です。小学校で笑っていたのは僕で貴方です。古い友人達に貼り付けた笑みを浮かべていたのは僕で貴方です。中学校で先生に褒められていた僕は貴方で僕です。優等生を演じていた僕は貴方に言われた僕で僕なんです。僕と貴方はずっと一緒に生きてきました。貴方が死んでもそれは同じでした。

 

 全部僕です、貴方は僕なんです。貴方はずっと僕のそばにいて僕になっています。僕は貴方です。

 

 でも、高専に入学し、彼女達に出会ったら僕は僕でした。そこに貴方はいませんでした。

 

 それは彼女が、彼等が呪術師だからです。

 

 彼等はそれぞれ自分の呪いを持っています。術式という名の世界をそれぞれ持っていました。それは僕と養父さんの呪いとは違う、僕達の世界とは違って見えたんです。

 

 彼女と出会って、彼等と出会って、僕は僕になりました。

 

 養父さん貴方ではありません。僕だけの僕です。

 

 彼女や彼等の隣りに居ると僕は僕なんです。彼女のおかげで、彼等のおかげで、僕は自分と貴方の他にも世界があることを知ったんです。

 

 だから僕に彼等を呪わせないでください。僕に彼等の穴を掘らせないでください。貴方は僕と一緒に穴に埋まってください。僕と一緒に眠ってください。

 

 吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。

 

 ふざけるなと養父さんが怒鳴っている。オジサンが怒鳴ってる。僕の頭の中で怒鳴ってる。喉で蠢く僕も同じ様に怒鳴ってる。殺した四人の呪詛師達が怒鳴ってる。

 

 呪術師を呪えと怒鳴ってる、言う事を聞けと怒鳴ってる。僕の中で養父さんが拳を振り上げている。

 

「あっ……」

 

 思わず顔を背けると、窓ガラスに映る自分が見えた。青い顔をした僕、人殺しの裏切り者が映っていた。

 

 これは僕の領域の中に建つ校舎の窓だ。窓の向こうには教室が見える、僕が一年生の時に使っていた教室だ。

 

 間違えるはずがない、だってここは――

 

 ――轟音が響く。

 

 五条と伏黒さんの戦闘の余波で瓦礫が飛んで来た。教室の壁の一部が窓ガラスと共に破壊される。

 

「あ、ああ……」

 

 おぼつかない足取りで教室に足を踏み入れる。誰も居ない教室だけど、ここが壊れてしまうと大事なものが無くなってしまう気がする。

 

 だってここは、この場所は――

 

 

 誰かが僕の心をなぞった、優しい指先で僕の心を撫でた。

 

 

 領域の外側、僕と現実を隔てる境目を誰かが触れている。誰かがこの領域の中に入って来ようとしている。

 

 駄目だ、それは駄目だ。絶対に入ってはいけない、ここに来てはいけない。

 

 領域の外側の様子を見る事は出来ない、あくまで触れられた感触がわかるだけだ。

 でも、僕はこの手の感触を知っている。見えなくても、呪力で感知出来なくてもわかる。

 

 僕がこの手の感触を忘れるはずがない、彼女は……ここで、この場所で僕と……

 

 気配を感じる、彼女がそこに立っているのを感じる。

 

 

 教室のドアが開いた。

 

 

「悠一、ここに居たのね」

 

 

 ああ、入って来てしまった。彼女が、今の僕を一番見て欲しくない彼女が、今の僕が一番会いたくない彼女が僕の世界へ入って来てしまった。

 

 庵が、歌姫ちゃんが、僕の唯一の同級生で恋人の庵歌 姫が領域の外から中へと入って来た。

 

 彼女の声が僕の耳に届く、あの時と同じ美しい声で僕の名前を呼んでいた。

 

 彼女は静かに微笑んで僕を見ている。あの時と同じ赤と白のコントラストを纏う彼女は二年半で美しく成長していた。大人らしさを纏った笑みで僕を見ている。

 

 声が出ない、返事が出来ない、喉が詰まって音を発せない、締め付けるような胸の痛みが僕の発声を許さない。

 

 筆談することも出来ない、ノートも彼女から貰ったペンも僕は置いて来てしまった。僕は彼女に何も伝える事が出来ない。こっちに来ないでくれと伝えられない。

 

 

 彼女が歩いて来る、僕の方へとゆっくり歩みを進めてくる。

 

 

 駄目だと叫ぶ、心の中で叫ぶ、養父さんではない僕がこっちに来てはいけないと叫んでいる。

 

 これ以上見ていたら、これ以上近づいて来たら、僕は彼女の事まで呪わなくてはいけなくなってしまう。

 

 呪術師としての彼女を殺さなければいけなくなる。彼女を教育して指を切り落とし、飲み込まなければいけなくなる。養父さんと同じ僕がそう叫んでいる。

 

 それは、そんな事だけは許されない。だからこっちへ来てはいけない、養父さんではない僕が叫んでいる。

 

 でも伝わらない、僕の身体が言葉を飲み込んでしまうからだ。喋れる様になったはずなのに僕の言葉を伝えられない。

 

 伝えなくちゃいけないのに、教えなくちゃいけないのに。彼女をただ見ている事しか出来ない、ぼくに向かって歩く彼女から逃げる事も目を逸らす事も出来ない。

 

 

「ああ、一年生の時の教室ね、懐かしいわ。私達はここで初めて出会って自己紹介をした……悠一は覚えてる?」

 

 

 忘れるはずなど無い、僕が新しい世界を知った日だ。僕が僕になった日だ。僕が新しい呪いを受けて、新しい呪い方を知った日だ。

 

 

「喋れる様になったのよね? 返事をして? 私は悠一の声が聞きたい」

 

 

 ああ、違う、駄目だ。駄目なんだ、

 

 こんな汚い声を聞かせる訳にはいかない。こんな汚い僕を見ないで欲しい。

 

 目頭が熱くなる、先程も流した跡をなぞる様に涙が溢れてくる。

 

 

「悠一……ごめんね、声を出すのが嫌だった? それとも……私の事、嫌いになった?」

 

 

 そんな訳がない、僕はただ――

 

 

「違うよ庵、違うんだ……僕は」

 

 

 彼女は僕の声を聞き、一瞬だけ驚いた顔をした。

 

 そして、すぐに笑みを浮かべた表情に戻る、先程よりも深く笑っている。僕の大好きな庵の笑顔だ。

 

 

「いいじゃない、素敵な声よ? もしかして恥ずかしかった? でも、そうね……」

 

 

 彼女が僕の声を褒めてくれた。僕の汚い声を、僕の穢れた声を。僕の呪われた声を。

 

 浅ましい僕はそれだけで嬉しいと思ってしまう。喜びの感情を抱いてしまう。

 

 駄目だ。これ以上庵と話してはいけないのに、庵から離れなくちゃいけないのに……

 

 身体が動かない。庵の側に居たいと、庵を見ていたいと、庵の声を聞いていたいと願ってしまう。

 

 

「やっぱり名前で呼んでくれないのね、私は勇気を出して呼び方を悠一に変えたのに、貴方はいつまでも庵のまま。皆の前では歌姫ちゃんって呼んでいるんでしょ? どうして私の名前を呼んでくれないの?」

 

 

 だって、だってそれは決めていたから。彼女を、庵を直接名前で呼ぶのは渡す時だと決めていた。

 

 彼女が僕に手を伸ばす、僕の頬に触れて涙を拭ってくれる。

 

 初めてここで握手した時と変わらない、ほっそりとした白い手だ。あの時と同じスベスベとした優しい感触が頬に伝わる。

 

 眩しいまでの彼女の指先の美しさが、心地良い感触が、僕の脳を埋め尽くす。

 

 

 僕はこの指を、この指に、彼女の事を――

 

 

「そんなに私の指が気になる? 私の指がどうかしたの?」

 

 

 切り落とせと、切り落として喰らえと叫ぶ声が聞こえる。頭の中でガンガンと声が響く、養父さんが叫んでいる。 

 

 

「庵、僕は君を――」

 

 

 言葉に呪いを込める、ありったけの呪いを、そして僕の頬に添えられた彼女の左手を手に取る。

 

 

 僕はこの手を、この指に、愛しい彼女に――

 

 

 彼女は黙って僕を見ている、僕の次の言葉を待っている。

 

 

 殺せ、呪術師を殺せと叫ぶ声が聞こえる。養父さんの怒鳴り声が響く、僕の脳髄を刺激する。

 

 

 伝えなくちゃいけない、彼女に今の僕を伝えなくてはいけない。

 

 言葉に出して伝えなくては想いは伝わらない。

 

 

「歌姫……僕は君を……君を愛している。初めて会った時からずっとそうだった」

 

 

 ありったけの呪いを、養父さんではない僕の気持ちを、この世で最も強くて尊い言葉を歌姫に届ける。

 

 

 僕の言葉で、僕の気持ちで、僕の世界で歌姫に愛を伝えた。

 

 

「……知ってる、だって私も同じだから。悠一、私もあなたを愛している」

 

 

 ああ、もう養父さんの声など聞こえない。養父さんの姿など見えない。

 

 僕の視界には歌姫しか映らない、僕の耳は歌姫の声しか拾わない、僕の脳は歌姫の事しか思考しない。

 

 これが今の僕なんだ。怒鳴りたければ怒鳴ればいい、笑いたければ笑えばいい。もう二度と今の自分を曲げたりはしない。

 

 全身が幸福に包まれた様に感じる。胸の痛みなど消え、鉛の様だった全身が軽くなる。

 

 

「悠一、私に渡すものがあるのよね? 隠しているのを知ってるの……私は一番新しいそれが欲しい」

 

 

 そうだ、僕は歌姫に渡さなくてはいけない物がある。これだけはあの部屋に置いていかなかった。

 

 初めて領域を展開した時に、自分の世界を具現した時に自分に誓ったから。次に会った時に渡すと決めていたから。

 

 懐からケースを取り出し、中から指輪を取り出す。

 

 八個目の婚約指輪、彼女の指に嵌める為だけに作った指輪。彼女に誓いを立てて、彼女と約束を交わす為の指輪。

 

 

「素敵……悠一、お願い。貴方の手で私の指にそれを嵌めて欲しい」

 

 

 ああ、夢の様な心地だ。僕はこれを望んでいた。何百何千回とこうなる事を望んできた。

 

 ゆっくりと壊れ物を扱うように、優しい手付きで彼女の指に約束を近付ける。僕の手で歌姫の左手の薬指に指輪を嵌める。

 

 歌姫はそれを嬉しそうに見詰めている。

 

 

「歌姫、君を愛している。僕といっしょに居てほしい、これからずっと一緒に居てくれ」

 

 

 手を取ったまま、歌姫を見る。歌姫も僕を見ていた。頬を少し染めて、潤んだ目で、優しい笑顔で僕を見ていた。

 

 

「うん、約束ね。これから私達はずっと一緒……愛しているわ」

 

 

 ああ、これだ、これが今の僕だ。僕達なんだ。

 

 僕は今ようやく完成した。僕の世界はようやく完全な物になった。一人じゃなくて歌姫と約束を交わす事で僕の世界はようやく完成した。

 

 僕は彼女を呪い、彼女も僕を呪ってくれた。こんなにも嬉しい事はない、こんなにも幸せな事はない、僕は今世界で一番恵まれた呪術師だ。

 

 

「歌姫」

「悠一」

 

 

 互いの名を呼ぶ、お互いの名前を声に発して呼び合う。声を発するとは素晴らしい事だった。こんなにも尊い行為だった。

 

 ああ、これが……これこそが……

 

 ――タン、と乾いた音が響いた。

 

 歌姫が左の頬を弾けさせながら倒れる。

 

「えっ?」

 

 歌姫が倒れる、僕の前で血を撒き散らしながら倒れていく。

 

 僕に愛を誓ってくれた歌姫が、僕の世界を完成させてくれた歌姫が教室の床へと倒れて行く。

 

「ハイお疲れ。終わりだ虎杖、さっさと領域を解け」

 

 伏黒さんの声が聞こえた。だけどそちらを向く事は出来ない。

 

 だって、目の前では歌姫が頭を血の海に沈めて倒れている、目を離せる訳がない。

 

 意味が分からない。意味が分からない。

 

 なんで? なぜ? なんで? 約束したのに? 名前を呼んだのに? 約束したのに? 誓ったのに?

 

「なんで……」

 

「あ? お前が俺の言う事を聞かないでイチャ付いてるからだろ。分身まで解きやがって……おかげで面倒くせえ事になった」

 

 そして気付く、僕の世界の、僕の領域の違和感に。

 

 これは……領域が……五条の領域が消えている?

 

 教室の外に目線を向ける、血塗れで倒れ伏す五条、傷だらけで天内理子達と共に半透明の呪霊に包まれてこちらを睨んでいる夏油君が見えた。もう一人の僕は何時の間にか消えている。

 

「五条悟は仕留めてようやく星漿体だと思ったら、もう一人のガキが妙な呪霊を纏って籠もっちまってな。お前が相手をしねえからだぞ? “天の逆鉾“もお前単独の領域内では不完全でよ、お前の領域が干渉するから無力化が上手く働かねえ」

 

 もう一度歌姫に視線を戻す、やはり倒れ伏したままだ。先程よりも血溜まりが広がっている。

 

 駄目だ、こんなのが現実なはずがない。こんなものが僕の世界であるはずがない。

 

「ほら、早く領域を解け……だめか、やっぱりそこまで便利って訳でもねーなお前……なんだ、ちゃんとそういう顔も出来るんじゃねえか、呪術師らしい表情だぜ?」

 

 ああ、当然だ。

 

 腹の底から殺意がみるみると湧き出ている、あんなに嫌悪していた殺人と言う行為を心の底から欲している。

 

 殺してやりたい、この男を八つ裂きにして殺してやりたい。

 

「まあいい、約束を先に破ったのはお前だからな?」

 

 伏黒が結ばれた紐の様な物を取り出して千切る、感じた事のない感覚が僕の身体に溢れてくる。

 

「ガッ!?」

 

 身体の平行が保てない、力が抜け落ちて床に崩れ落ちる。

 

 僕の中で何かが弾けた。僕を形作る何かが壊れた。僕の中の決定的な何かが痛みを伴って崩れたのを感じた。

 

「お前が反抗して来た時の始末用のセーフティ、ちゃんと機能したな。お前の中の呪霊の欠片が崩壊した、あと十分も持たねえ……一応聞いてやる、何か言い残す言葉はあるか?」

 

 痛みと殺意、怒りと憎しみが僕の身体を駆け巡る。

 

 あと十分? それだけあればこの男を、コイツを――

 

 「あぁ……」

 

 仰向けに倒れた歌姫の顔が見えた、血に塗れて傷付いた歌姫がぼくの視線を釘付けにする。

 

 違う、飲み込め。殺意など飲み込んでしまえ。

 

 そんな事をしている場合じゃない、こんな男に構っている暇などない。

 

 僕の最後? 言い残す言葉? 

 

 最後ならば僕は呪いの言葉を残すしかない。そう決めている。

 

 でもそれは、伏黒相手にではない。僕の最後の呪いが怒りや憎しみ、人を傷付ける物であって良い訳がない。

 

 完成した僕は、完璧になった僕はそんなくだらない物を望んだりしない。

 

 僕が望むのは、たった一人の事だけだ。

 

 這いつくばる身体を動かす、倒れ伏す歌姫の所まで這って行く。

 

 

 伏黒はそれを咎めない、そこだけは感謝しよう。

 

「歌姫……」

 

 血塗れの歌姫の顔に手を触れる、弾丸の貫通した右の頬が破けてしまっている。それを覆う様に、これ以上こぼれ落ちてしまわないように手のひらで包む。

 

 僕は今から歌姫を呪う、この世で一番尊い呪いを、この世で一番残酷な呪いを歌姫に伝える。

 

 僕の呪言で、僕の最後の呪いを歌姫に捧げる。

 

 

「愛してる、生きてください」

 

 

 呪言に乗せて、反転術式を歌姫に施す。ありったけの呪力を、いままで成功した事のない他者への治療を試みる。

 

 成功するに決まっている、だって僕と歌姫は愛し合っているのだから。僕と歌姫の二人の世界は完璧なのだから。

 

 僕は歌姫で、歌姫は僕だ。出来ないはずがない。

 

「ちっ、下らねえ……」

 

 隣で声が聞こえた。吐き捨てる様な言葉はどこか寂しそうに聞こえた。

 

 歌姫の傷が塞がっていく、手を止めはしない、僕の呪力が尽きるまで呪いを続ける。

 

 ああ、もう一つだけやる事が残っていた。

 

 大嫌いな後輩を、生意気な馬鹿を起こしてあげなくてはいけない。

 

 アイツは自分がどういう存在なのか忘れてしまった様だ。   

 

 声を届けよう、呪言でもなんでもないただの言葉だ。

 

 遠くで倒れているが、僕の世界の中でならきっと届くだろう。

 

 

『早く起きろ五条、お前は最強なんだろ?』

 

 

 これでいい、後は自分で勝手に何とかする。

 

 本当に最後まで世話のかかる後輩だ。僕と歌姫の世界を最後まで邪魔しやがって……ごめんな。

 

 せいぜい頑張れ五条、お前なら出来る。

 

 歌姫に集中する、もう歌姫以外の事を考える余裕は無い。

 

 血に塗れても、傷付いていても、歌姫の顔は綺麗だ。世界で一番美しい。

 

 歌姫の傷が治っていく、僕の愛しい人の命が僕の世界で力を取り戻して行く。

 

 

「……マジか? 反転術式だと?」

「大マジだよ、うるせえ声も聞こえたしな」

 

 

 五条の声が聞こえた気がした。だけど僕には歌姫しか見えない。

 

 ……ああ、そう言えば先生が言ってたな。呪術師に悔いのない死などない、あれは嘘だった。

 

 

 だって僕はこんなにも満ち足りている、悔いなどない。

 

 




 次回で最終話です、明日中には投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

失礼ね、純愛よ

 

 

 声が聞こえる、生徒達の声だ。半ば覚醒して来た意識に生徒達の声が飛び込んで来る。

 

「五条先生? 寝てる……机の上も散らかしっぱなしだよ、だらしないなぁ」

「あっ、この椅子高い奴でしょ? やっぱり特級って高給取りなのかしら」

「呼び付けといてこれかよ、本当に適当な人だな」

 

 夢を見た。久しぶりにあの頃の夢を見た。

 

 我ながら女々しいとも思う、だけど時折あの頃の夢を見る。

 

 場面も時系列もメチャクチャだがあの声だけは決まって聞こえてくる。

 

『早く起きろ五条、お前は最強なんだろ?』

 

 本当に余計なお世話だ。お前に言われるまでもなく僕は最強だし、あの時すでに呪力の核心を掴んでいる途中だった。

 

 最後までうるさい奴だった。最後まで余計なお世話を焼く先輩だった。

 

 あの時、術式を無効化する“天逆鉾“で刺され倒れ伏した僕だが、死の淵で反転術式を習得して立ち上がった。

 

 その後、更に習得した虚式“茈“で伏黒甚爾を撃破した。

 

 僕が腹を抉った伏黒 甚爾は、最後に恵について語ってこの世を去った。

 

 恵と顔はそっくりだが、後に調べた所業から性根は真逆だと思われるあの男。そんな人でなしが最後に語ったのは捨てたはずの息子にまつわること。

 

 やっぱり愛は呪いだ。どんなに捨てようとしても最後まで付いてきてしまう。

 

 本当にしつこい、だから愛だ愛だうるさかった悠一はあんなにウザったい性格になったのだろう。

 他人を愛する事、他人に執着する事、そんなものを重要視していればああなるのも納得出来る。

 

 あの日、襲撃で死んだのは悠一と伏黒 甚爾の二人だけだった。

 

 傑は天内と黒井さんを庇って怪我を負ったが軽症、もちろん天内と黒井さんは無事。高専は施設こそ被害は出たが、職員にも生徒にも死者はいなかった。

 

 僕と傑の前に現れたのとは別の三人の悠一。二人は施設を破壊して回り、一人は先生、灰原、七海の前に現れ戦闘になったらしい。

 随分と消極的な戦闘を繰り広げた後に分身は消え去ったそうだ。恐らく傑と戦闘していた悠一が消えたのと同じタイミングで術式が解けて消えた。

 

 術式を取り込んで我が物にする行為にはやはり無理があった。他人の術式の使用は肉体の反発が強いのだろう。

 

 まあ、それを勘定に入れても悠一が本気で殺すつもりで戦ったら、先生はともかく灰原と七海は死んでいただろう。

 

 寝返るにしても中途半端な事をして悠一はこの世を去った。

 

 伏黒甚爾に撃たれた歌姫を治療し、覆い被さる様に悠一は死んでいた。肉体は中も外もぼろぼろで間違い無く死んでいた。

 

 硝子は遺体が崩壊しない様に外見を綺麗に直した。だから葬式の時にはそれなりに綺麗な状態の悠一が棺桶で眠っていた。

 

 自分を犠牲にしてでも歌姫を治したのは良くやったと思う。

 

 でも、それを言うならそもそも襲撃してくるなって話だ。

 

 結局、僕達に迷惑をかけるだけかけて、俺達の心を散々引っ掻き回して悠一はいなくなった。

 

 あの馬鹿があの夏にしたのはそういう事だ。土産も寄越さずに余計な物だけ残していった。

 

 

 あの後、天内の同化の拒否はあっさりと許された。

 

 星漿体は他にも存在したらしく、それどころか天内は本命では無かった。天内は星漿体の候補としては一番優先度が低く、外部組織に存在が露見したのは上層部の自演だった。

 

 要は撒き餌で目眩まし、天内は他の候補を守る為の餌で死んでも問題無いと上層部には判断されていた。

 

 だから、同化を拒んでもお咎め無し、そういう事だった。

 

 天内と黒井さんが自由になって嬉しい反面、まやかしの理由で命を落とした奴が居るという事実がある。

 

 俺も傑もそこだけは釈然とせずに上への不信感は募って行った。

 

 

 そして夏が終わり、一年が終わる少し前に歌姫が失踪した。

 

 悠一の葬儀でも取り乱す事も無く、喚き散らす事も無く、静かに遺体を眺めていた歌姫。

 

 顔の傷を硝子が治そうとしたのを拒否し、呪術師として復帰して淡々と任務をこなしていた歌姫。

 

 俺達と話しても、大きな声や反応を見せなくなり静かに微笑む様になった歌姫。

 

 伝言も手紙も何も残さずに俺達の前から姿を消した。実家の方にも何もメッセージを残さなかった。本当にいきなり、忽然と姿を消した。

 

 もちろん、俺達は出来る限り歌姫を捜索した。呪術総監も呪詛師と認定された悠一の恋人が行方を眩ませたとあっては捨て置かない、それなりの人員が歌姫を全力で捜索した。

 

 だが、全く痕跡は見つからない。目撃情報も残穢も全く残さずに歌姫は消えた。

 

 俺達が高専を卒業する頃に、呪術総監は歌姫は人知れない所で後追い自殺したと判断して捜索を打ち切った。

 現実に絶望した術師が行方不明になるのはそこまで珍しいケースではない。

 

 でも、僕はそうは思わない。あの夏以降、儚く消えてしまいそうな雰囲気を纏った歌姫だが、自分から命を投げ出すはずがない。

 

 悠一は最後に力を振り絞って歌姫を治療した。歌姫に生きて欲しいと願ったはずだ。

 それを歌姫が無下にするとは思えない、きっとどこかで生きているはずだ。

 

 せめてビデオレターでも送って来ればいいものを……歌姫と親しかった硝子はかなりショックを受けていた。人に心配をかける所まで彼氏に似てしまった様だ。

 

 僕も、個人的に探偵や術師界の情報屋に依頼して情報収集を続けている。だけど全く網にかかって来ない。

 

 

 そして冬が終わり、僕と傑と硝子が三年生となった夏、今度は傑が僕達の元から去って行った。

 

 任務の最中、現場の村人百人以上を皆殺しにしてアイツは逃亡した。

 

 傑は呪詛師となった。アイツは自分の意思で人を殺した。

 

 傑がその村で何を見たのかは正確には分からない、紙の上での情報しか僕には分からない。だって、僕は現場にはいなかったから。

 

 俺と傑と硝子は三年生になってから、正確にはあの夏が終わってからは一緒に任務をこなす事がなくなったからだ。

 

 傑と……親友である傑と共に居る時間は少なかった。ひたすら最強を模索していた僕は周囲が見えていなかった。

 

 傑がおかしくなったのは村での出来事だけが理由ではない、今ならそう断言出来る。

 

 傑が任務に出る一週間程前に、俺達に知らせが入った。

 

 一般人として暮らしていた天内と黒井さん、二人が盤星教の元信者に殺されたという知らせだ。

 

 俺は……俺と傑は約束を守れなかった。守ってやるって言ったのに天内を……黒井さんを守ってやれなかった。

 

 盤星教はあの夏が終わって一ヶ月後には解体されていた。悠一の件で呪術界が介入する口実が出来たと言うのが理由だ。

 でも、本当はいつでも潰すことなんて出来たのだろう。星漿体と呪術界への敵意をコントロールするために存続させていただけだ。

 

 あの計画も、悠一が生まれたあの実験も、裏では呪術界の支援があった。

 

 よくよく考えれば、あれ程の量の呪霊を調達できるのはそれなりに大きな組織でなければ不可能だ。

 結局は自分達の行った所業がコントロール不能になっただけ、悠一の暴走は呪術界にとっては身から出た錆だった。

 

 本当にくだらない奴等が上に居座ってやがる。上層部には老害しかいない。

 

 僕は別の任務で参加出来なかったが、傑は冥さんと一緒に盤星教関係施設の捜索に参加したらしい。 

 

 そこで、悠一や他の実験体が教育されている映像記録を押収したと後に冥さんに聞いた。冥さんは止めたが傑はそれを見たとも教えてくれた。

 

 気付けなかった……いや、傑なら大丈夫だと高を括っていた。

 

 あいつが揺れている時に、親友が苦悩している時に俺は頭を叩いてやれなかった。突っ込んでやれなかった。

 

 余計な事を考えるなと、俺達は揃って最強なんだと言ってやるべきだったのだ。

 

 勝手に付いて来てくれると思っていた。自分の最強に夢中で声をかけるのを怠った。

 

 考えは言葉にしなくちゃ伝わらない、そんな当たり前の事を見失っていた。

 

 そのツケは結局、去年になってようやく回って来た。

 

 傑は憂太の里香ちゃんを手に入れる為に、新宿と京都に百鬼夜行を仕掛けて陽動とし、単独で高専を襲撃して憂太に撃退された。

 

 その逃亡中、僕が傷付いた傑を見つけて止めを刺した。僕は親友をこの手にかけた。

 

 傑は最後に自分は心の底から笑えなかったと吐露し、非術師は嫌いだと言い残して死んだ。   

 

 傑は……僕達と居た時は心から笑っていたはずだ。そんな事も忘れてしまう程に、分からなくなってしまう程に変わってしまっていた。

 

 なあ悠一、確かに僕は最強になったよ。

 

 でも、僕一人が最強になっただけじゃ世界は変わらない。

 

 呪術師が人を助け、呪術師も救われる世界。

 

 おめでたい愛とか慈しみとか、綺麗事を好きなだけ言える世界を作るには僕一人が最強なだけじゃ駄目みたいだ。

 

 だから僕は教師になった、呪術界に押し寄せる新しい波。そいつ等に最強を教えてやる為に教師になった。

 

 最近になって、高専には僕に次ぐ奴等が続々とやって来た。まるであの頃みたいだ。

 

 危ういが強い秤、お前と同じで愛とか友情が大好きな憂太、クソ真面目で責任感の強い恵、そして……

 

 そして、悠仁がやって来たよ。お前とそっくりの悠仁が宿儺の器として僕の前に現れた。

 

 きっとこいつ等はお前と同じだ。僕に置いていかれない様にどんどん強くなってくれる。

 

 だから……今度は大丈夫。僕だけじゃない、最強を継ぐ奴らが大勢居る、だから何とかなる。

 

「五条さん? 全く、人を呼び付けておいて寝ているとは……」

 

 七海の声も聞こえる、そう言えばついでに呼んでいたっけ?

 

「あっ! ナナミン、ちっーす!」

「虎杖君、ナナミンは止めてください」

「虎杖お前……七海さんになんて呼び方を……」

 

 はは、何だか懐かしくなるやり取り……僕も年を取ったかな? 昔を懐かしむのはおっさんの特徴だ。

 

「いいじゃないか七海、生徒にあだ名を付けてもらえるのは良い教師の証だよ」

 

「灰原、私は教師じゃない。分かってて言うな」

 

 くくっ……そうだ。今日は灰原も京都から来るんだったな、相変わらず仲の良い後輩達で安心する。

 

 七海は一度は術師から離れた。だけど仏頂面に見えて感受性の高い性分、結局は呪術界に戻って来た。呪いを見て見ぬ振りを出来る性格じゃない、予想通りだ。

 

 灰原は京都の高専で教師をしている、随分と生徒に慕われている様だ。呪術師にしては珍しい明るく素直な性格は教師にピッタリかもしれない、前を歩く奴が辛気臭くしてたら希望なんて持てないからね。

 

「盛り上がってるねえ、君達。僕の寝顔がそんなに貴重かな?」

 

「うげ、起きてたの先生? もしかして狸寝入り?」

「寝顔って……目隠ししたままじゃ拝めませんよ」

「もしかして今日は皆で任務に行くの先生? 場所は? 東京? お土産買えるとこ?」

 

 やれやれ、悠仁以外も生意気で可愛げのある生徒達だよ。

 

「んー任務とはちょっぴり違うかな? お土産は買えるよ悠仁、僕には甘い物よろしくねー」

 

 これで埼玉銘菓なんて買って来たら笑える。素直さは全然違うが見た目は本当によく似ている、

 

「五条さん、生徒にお土産を集るのは教師としていかがな物かと」

「まあそう言うなよ七海、生徒にお土産貰うのって凄い嬉しいんだ。京都の皆もよく買って来てくれるよ」

 

 うーん……憂太以外の生徒達は僕に滅多にお土産をくれないよね。けっこう奢ってあげてるのになあ……何が原因だろう?

 

「嘘、あの人達お土産買って来るような常識あるの? 交流戦の時も八つ橋持って来なかったじゃない」

「まあ灰原さんは慕われているんだろ、誰かと違って手放しで尊敬出来る教師だし」

「交流戦以来、東堂から任務のお土産が送られて来るんだよなあ……何故か俺の番号もアドレスもIDも知ってるし」

 

 仕方ない、生徒に慕われる担任を目指しますかね。

 

 何か……ああ、プレゼントなんていいかもしれない。

 

「んー、しょうがないなあ。なら虎杖君にはお土産代の先払いとしてコレを差し上げましょう」

 

 机の上に置いてあったボールペンを悠仁に手渡す、ペンは悠仁の手の中で相変わらずピカピカと新品の様に光っている。

 

「五条さん、それは……」

「七海さん、あのペンに何かあるんですか? 妙な呪力が込められてますよね」

「へー高そうなペンだな、貰っちゃっていいの先生?」

 

 うんうん、悠仁にはコレが良く似合う。僕が持っているよりはアイツも文句を言わないだろう。

 

「それはねえ、僕の学生時代の馬鹿な先輩の忘れ物だよ。丁度いいから拾って使ってたんだ」

 

「うわ、最低のモラルね……」

「おいおい……俺が子供の頃から使ってたぞ? 何年越しだ?」

「借りパク!? やめてよ先生、“屠坐魔“の件がばれて真希さんにメチャクチャ怒られたんだからさあ」

 

 真希は気が強いからね、最近は憂太に会えないからイライラしている。

 

「大丈夫、大丈夫。悠仁が持っているならアイツも文句言わないよ。もしも返して欲しいって言ったら渡してあげて」

 

 どうかな? 案外もう要らないなんて言い出すかもしれない……それは無いか。アイツが歌姫からの贈り物に執着しない訳がない。

 

「……まあ、五条さんがそう言うなら虎杖君が持っていても問題ないでしょう」

「そうだな、後輩には優しい人だった……ちょっと変わってもいたけどな」

 

 七海と灰原も同意している。

 

 これは僕達の自己満足だ。一種の呪いかもしれない。

 

「ええー本当に? あっ、先生達の先輩って事はその人も呪術師か。それなら俺も会う機会があるかな?」

 

 現実には存在しない、あり得たかもしれない未来や可能性。

 

 そんなものに思いを馳せるのは不毛だと言う人も居るだろう。下らない感傷だと否定する人も居るだろう。

 

 でも、願うのは自由だ。

 

 自分の信じたい物は自分で決めればいい、誰にも文句をなんて言わせない。

 

「ああ、あるかもしれないね。その時は埼玉土産を山ほど持って来るさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 埼玉県大宮市内、駅から徒歩十分の所にあるマンション。

 

 今日の目的地はそこだ。ニヶ月毎に彼女に会いに行くが毎度場所が変わって実に面倒だ。本人はずっと籠もっているだけだから楽だろう。

 だが、私はか弱い反応を頼りに部屋を探し当てなくてはいけない、私ですら見つけるのが困難な程に隠された空間なので骨が折れる。

 

 だが、それも今日で終わりだ。約束の物を受け取ったら二度とあの場所を訪れる必要は無い。

 

 彼女の望みはあそこで閉じこもって暮らす事、私の望みは彼女が作った物が完成したら受け取る事。

 互いにそれ以外は不可侵で、契約後も互いを害しない。加えて彼女があの空間にこもるのを支援する。そういう縛りを結んで彼女と私は契約をした。

 

 西棟のエレベーターで六階まで登る、その後に階段で四階まで降りる。渡り廊下を経由し、東棟のエレベーターで最上階まで登る。その後に一番西側にある部屋へと向かう。

 

 そして辿り着く、本来は住民の存在しない913号室のチャイムを鳴らす。

 

 返事は無い、だけどガチャリと鍵が開いた音が聞こえる。それを合図に私は部屋の中へと入って行く。

 

「やあ、ニヶ月振りだね。いや、君から見れば一年振りかな?」

 

 返事は無い、彼女は部屋の中で食事を取っていた。

 

 隣に私が引き取りに来た物を座らせて、対面には私が提供した人形を座らせて昼食の時間を過ごしていた。

 

 傍から見れば、普通の一家団欒に見えない事もない。

 

 だが、よく見れば分かる。彼女以外の人の形をした物、人を模した物に表情が無いことを。

 

 私に言わせれば気味の悪い光景、彼女が言うには幸せな家族の空間。

 

 やはり女の情念は恐ろしい。長く生きていているがこれにはヒヤッとさせられる。彼女の両手の指に嵌められた八つの指輪もおぞましい、本来は薬指のみに嵌めるサイズのそれを、親指以外の全ての指に呪力で固定している。

 

 この部屋の中は外の世界と時間の流れが違う。この部屋の中で一日過ごしても、外の世界では大体四時間ちょっとしか時間が経過しない。この部屋は現実の約六倍の速度で時間が流れている。

 

 この部屋は彼女の領域だ。それを私が提供した呪具と、彼女の結界術を組み合わせる事によって、ほぼ永続的に維持する事が出来る。

 

 さらに、埼玉県内にある扉であればどれでもこの空間にアクセスする入口となりうる。

 前情報無しにこの場所に辿り着く事はほぼ不可能だ。仮に一度見つけられても入口を変えてしまえばそれまで、呪術師達に捕まる事はあり得ない。実際に彼女は捜索されているが痕跡すら掴ませていない。

 

 彼女はあまり外へは出ていない様子だ。物資の補充以外は殆どの時間をこの空間で過ごしているのだろう。食料はそこまで問題にならないはずだ。

 

 なにせ彼女はもはや半分は呪霊、呪力さえあれば食料を取らなくても生命を維持出来る。食物を摂取するのは嗜好以上の意味を持たない。人形と一緒で老化もせずに姿を保てる。

 

 だが、制作を依頼した物を育てるには食料は必須だ。なので昼食の邪魔をしたりはしない、終わるまで黙って観察する事にしよう。

 

 最後のおままごとぐらいはゆっくりと見守ってあげよう。

 

 そこらに漂う呪力、もしくは呪霊を狩って得られる呪力、それを利用すれば空間内においては大抵の物を創造する事が出来る。複雑過ぎる機構、自分の知らない物、それらを除いた物品は呪力さえあれば自前で賄える。

 戦闘には役に立たない特殊な領域展開、ただひたすらに自分の執着する人形と過ごす為だけの閉じられた空間。

 

 私が望む物とは違う、だが私からは決して生まれない可能性の産物でもある。そういう意味では貴重なサンプルだ。

 

 

 

 

 

 

「さて、食事は終わったかな? 約束通りその器を渡してくれ」

 

 頃合いを見計らって声をかける。返事は無い、嫌われたものだ。

 

 彼女は隣に座った器を席から立つように促す、それは大人しく無表情で彼女に従う。

 

 そして彼女は、目線を合わせて器を抱きしめた。別れを惜しむ様に強く抱きしめている。

 

 

 無表情で抱きしめられている器、外見は五歳程度の子供。

 

 彼女が自分で産んだ器、私の依頼の品だ。

 

 

「必ず会いに行くから……待っててね」

 

 

 よく言うよ、まるで愛情深い母親気取りだ。

 

 自分の欲望を、自分の執着を満たす為に、その抱きしめている器を私に差し出す癖に被害者気取りか? 

 

 狂った女は怖いね、そうやって自分を被害者の様に飾り立てる。

 

「おや?」

 

 もう一つの人を模した物が動き出した。僕が高専で回収してあげた分身である二人の虎杖 悠一の肉体。消える前に固定して、その内の一つを基に造った人形、姿形は虎杖 悠一そのままで彼女の執着の対象。

 

 それが動き出して彼女の側に寄り添った。人形の癖に面白い動きをする。なかなかよく出来た動きだ。

 

 まあ、自分と同じ反応に惹かれているだけだと思うけどね。二つ回収した内のもう一つの分身の肉体、それは彼女が食らった。

 

 器を産むために、人形の子を宿す為に、人形に魂を宿す為に、人形とずっと過ごす為にはそれが必要だと教えた。

 そうすると、さしたる抵抗も見せずに言う通りにしていた。この女は中々どうして呪術師だ。

 

 そう、この人形に魂は存在しない。あの時、虎杖 悠一の本体は領域の中にあった。魂は本体にしか宿らない。

 

 伏黒 甚爾は、セーフティ用に作った崩壊用の紐を破った。彼の本体だった肉体は崩壊を始め、魂はバラバラに砕けたはずだ。

 

 この人形は、確かに肉体の構成という意味では生前と同様だ。

 

 だけど魂は戻る事は無い、崩れてしまった魂の情報は降霊術でも降ろす事は不可能だ。魂の形など観測する方法は存在しない、形の分からない物を修復できる者など存在しない。

 

 虎杖 悠一は確かにいい線までいった。あの実験で得られるはずの成果を越えて、私の想定以上の結果を見せてくれた。

 

 そこにはとても感謝している。だからこんな茶番にも付き合ってあげている。

 

 虎杖悠一で私が失敗したとすれば、欲張り過ぎた所だろう。

 

 彼の肉体には色々詰め込み過ぎた。能力は用途に合わせてシンプルに纏めた方がいい、次に活かすいい教訓となった。

 

 今度は上手く造るとしよう、彼女はその人形との間に最高の素体を作ってくれた。器としては私の求めている物を完璧以上に満たしている。

 

「そろそろ良いかな? 名残惜しいだろうが私も暇ではないからね」

 

 いつまでも器を抱きしめる彼女に声をかける、促さないといつまでもそうしていそうだ。家族ごっこをこれ以上見せられるのは勘弁してほしい。

 

 彼女はこちらに向き直り憎しみを込めた視線を私に向けてくる、恐ろしい表情だ。

 

「もっと感謝して欲しいものだね、これだけ協力してあげたんだからさ」

 

「縛りによる契約は守る。それ以上を求めるな」

 

 やれやれ、嫌になるね。自分がまだ善良な人間でいるつもりかな?

 

「まるで私だけが悪者みたいな言い草だ。心外だね」

 

 人形に自分が愛する男の魂を宿らせる為に、人形との間に子供を設けてそれを差し出す。

 納得して同意したはずだ。別に私は提案をしただけで強制などはしていない。

 

 もっとも、虎杖 悠一の魂が元に戻る事などないだろう。砕けた魂を元に戻せた事例など、人よりも長く生きてきた私でも知らない。

 

 まあ、これだけ偏執的な執着を人形に注ぎ続ければ、付喪神の様に人間の様に振る舞うぐらいはするかもしれない。今も彼女の側に寄り添う人形はなかなかにそれらしい。

 

 でも、結局はままごと遊びと一緒だ。彼女が存在しない記憶を人形に植え付けて反応を楽しむ人形遊び、それ以上にはならないだろう。

 

 だが仮に、万が一が起こり、人形に虎杖 悠一の魂が戻って来たらそれはとても面白い、素晴らしい事だ。

 

 私では導けない可能性、混沌から生まれる奇跡、愛という呪いが引き起こす未知の現象。

 

 それを実際に観測できるのであればとても喜ばしい。是非ともこの目で見てみたいと思う。

 

「じゃあね、この器は確かに貰っていくよ。君はせいぜいその人形と楽しく過ごしてくれ」

 

 私は器の手を取り玄関へと向かう、器は無表情のまま抵抗もせずに手を引かれて歩き出す。

 

 彼女と人形はそんな私達をじっと見詰めていた。子供を売った親が我が子に向ける視線、様々な呪いが込められた人間の汚らしいエゴが込められている。

 

 ああ、忘れる所だった――

 

「そうそう、この器に名前はあるのかな? 生みの親の執着が籠もった名前の方が呪力が増す、教えてくれないかな?」

 

 名前は大事だ。名は体を表すとも表現される程に肉体に与える影響は大きい。

 

 名前に意味があった方が器の強度が上がる。執着心の込められた強い呪いが名にかけられていれば素体としてより貴重な価値を持つ。

 

 

「その子の名前は悠仁、虎杖 悠仁よ。私と悠一の子供はきっと人を助ける子に育つわ」

 

 

 ああ、なんて身勝手な願いだ。愛に狂った母親が自分勝手な希望を子供に託している。

 

 

 やはり愛と呪いは同義だ。こんなにも人を縛りたがる。

 




 









 ここまで読んで頂いてありがとうございます。おかげ様で一応の完結まで書き上げる事が出来ました。沢山の評価や感想に感謝しています。

 このお話の展開についてと、続編の予定についてを活動報告の方に書いてあります。興味のある方はぜひ見てください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。