消えゆく白の群像 (来星馬玲)
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第一章 機人との交戦

 これは自分がバトスピ広場の隅に書いていた、カードゲーム『バトルスピリッツ』のカードのフレーバーテキストを題材とした小説です。
 
 広場の閉鎖に伴い未完のままとなっていましたが、何とか完結させたいと思い、執筆を再開いたしました。
 
 既に20万字以上の長編となっておりますが、そのままではネット小説としては大変読み難いものである為、徐々に修正しながら更新していきたい所存です。
 
 作品は放浪者ロロがいた頃の白の世界が舞台となっており、自分が別途執筆していた赤、紫の物語、及び構想だけはあった緑、黄、青の物語と連動する形となっています。
 
 基本はフレーバーテキストやカードイラストに準じますが、それでも自分の独自設定をふんだんに盛り込んでおります。
 
 また、カードにおける「銀狐ハティ」は「一角獣アインホルン」を庇って犠牲になった可能性が高いと見ておりますが、この小説では主役級の登場人物として長く活躍し続けます。(元々勘違いから始まり、スクルディアとのコンビが好きになり過ぎてしまった為……)
 
 他の色の世界のストーリーでは主人公格のキャラクターが登場しますが、白の世界は敢えて群像劇を意識した構成にしており、BS01から始まるフレーバーテキストに沿ったストーリー展開を強く意識しています。
 
 

 なお、この作品ではドラマCD『異界見聞録』も参考にしていますが、フレーバーテキストとの相違点がある場合は原則としてフレーバーテキストを優先してあります。

 物語の鍵を握る【星創る者】についても自分なりの解釈で書いており、【星創る者】の三従者である「飛鋼獣ゲイル・フォッカー」「蛇竜キング・ゴルゴー」「獄獣ガシャベルス」たちも非常に重要な役割を担うキャラクターとして登場します。
 

 長くなりましたが、バトルスピリッツの背景世界について、こういう解釈もあるんだなと思って頂けたら、自分はとても嬉しい限りであります。



 海が死んだ。海洋の生命達は住処を追われ、変質した己の体によって求められるままに、大空を新天地とする他なかった。

 

 その鯨は天空を揺蕩いながら、旅路についていた。その旅路の過程では、多くの同胞が環境の変化と機械化していく肉体の変化に適応しきれず、力尽きていった。

 

 しかし、鯨の背と体内には、未だ適応しきれないでいるものの今日まで生き長らえてきた同胞達がいる。その者らを守り助けること、それが自身に課せられた使命であると鯨は信じている。事実、鯨はそれだけの力を得た。

 

 旅路に行く当てなどはなかったが、目的はある。自分の体に棲みつく同胞達が暮らせる新世界の探求、それと自分自身がその世界に相見えること。変質した己の体では、その世界で暮らす事など出来ないであろう。ただ、それでも一目見ておきたい。

 

 鯨の貫く信念に共感を覚えたのであろう、いつしか鯨と同じく海に住めなくなった魚達が鯨と共に空を泳いでいた。

 

 大空を奪われた鳥達も徐々に集ってきた。鯨はその者らを満遍なく受け入れる。ある仲間は鯨が重みに耐えかねて飛べなくなることを危惧したが、鯨は鳥達を追い返すことが出来なかった。

 

 自分があの門よりもたらされた異変から逃げることしか出来なかった時、多くの同胞達がなすすべもなく苦しみ、倒れていった光景が脳裏に焼き付いて離れない。鳥達も同じ境遇の筈である。

 

 雷鳴が鳴り響いた。また奴らが来たか。鯨と仲間達は身構えた。

 

 門より現れし、雷の銛を持つ機人。異様な熱量を放つ浮遊する物体達。まるで連中は環境に適応できずにいる生命の生存は容認できない、とでも言う様に執拗に鯨と仲間達を付け狙う。その度に鯨と仲間達は機械化した己の体を武器にして奴らを退けた。誰が言うでもなく、いつしか鯨と仲間達は奴らをこう名付けていた。〝侵略者〟と。

 

 

  空の項

 

 

 白き機人は高き天より出現し、上空より鯨を見据えた。それと同時に発光する飛行物体の群れが鯨と仲間達を包囲すべく中空に散開する。

 

 逃げ場はない。奴らは何度撃退してもその数を増して攻めよせてくるらしい。

 

 今回も生き延びることはできるだろうか。仲間達の誰しもが瞬時に思った。鯨とてその心配は避けられない。共に戦う仲間達と、自分に命を預けている無力な同胞達の被害を可能な限り最小限に抑えなければならない。

 

 その刹那。奴らは攻撃を開始した。

 

 機人の指揮により、飛行物体達が鯨と仲間達を取り囲む。あの飛行物体は、自分からは積極的に攻撃してこないが、機人の雷から魚達が逃れるのを断固として阻止しようとしてくる。

 

 機人の放った雷の銛が一閃し、鯨に突き刺さった。鯨の体に激痛が奔る。それと同時に焼け焦げ、異臭を放ちながら仲間の何人かが地上に落下していった。

 

 鯨の背から力無き者らの悲痛の叫びが響く。鯨は怒った。大きく旋回し、機人に喰らいかかる。だが、飛行物体どもがそれを許さず、鯨の前に立ちはだかる。

 

 鯨は飛行物体の群れに正面から激突した。激痛が奔る。飛行物体の何体かも損傷を被った様子だが、奴らはひと際強く発光すると素早く後方に退いた。それと同時に機人も大きく後退し、再び鯨との距離をとる。

  

 両者に緊張が走る。一触即発の状態。

 

 防戦に徹していてはこの包囲網を破れない。鯨は先の衝突で機人の手勢が若干薄くなっている位置を瞬時に見分けると、攻勢に転じる。それと同時に鯨の仲間達も鯨と共に直進した。

 

 鯨の仲間のエイが、先ほど損傷した飛行物体を鋼のひれで切り裂いた。飛行物体は燐光を周囲に撒き散らしながら墜落していった。一瞬怯んだ飛行物体達の隙を突いて、魚達が突進する。

 

 鯨は尾びれで背後の飛行物体を叩き落とし、先を行く仲間達と共に直進する。

 

 何とか脱出できる、鯨と仲間達の誰しもがそう思った。だが、次の瞬間、機人の放った電光が鯨の目前を迸り、仲間達を直撃した。

 

 機人は、先ほど飛行物体が放った燐光を雷の銛に集めながら、鯨の上方から接近してくる。何とか態勢を立て直さなければならない。だが鯨の全身を激痛が奔り、それを押しとどめた。見ると、腹が大きく抉れている。先ほど迸った雷が鯨に深手を負わせていた。

 

 機人は強烈な熱量を放つ雷の銛を構えると、鯨の背中に狙いを定め、急降下してきた。

 

 だめだ。避けられない。だが鯨は最後まで諦めるわけにはいかないと言わんばかりに、何とか体を起こして、機人を迎え撃とうとした。しかし思う様に体が動かない。鯨には機人を迎え撃つだけの力を出せず、機人の接近に対して為すすべがなかった。

 

 やられた。鯨と生き残った仲間達が一瞬そう思った。その刹那、鋼の鋏が一閃し、機人の腕を切り裂いた。機人は予期せぬ反撃を受け、散らばった電光を慌てて集約し、その鋏の主に反撃しようとしたが、鋏の方が早かった。機人の胴体は切断され、地上に突き落とされた。機人は声にならない悲鳴をあげながら落下していった。

 

 周囲の飛行物体達は、墜落していく機人を見据えると、瞬時にその場を離れ、撤収する。侵略者達を退けたのだ。仲間達はその勝利に喜んだ。それから、この勝利をもたらした英雄が誰であるかと鯨の背の辺りに注目する。

 

 それは大きな鋏を持ったエビであった。エビは特に意思表示をするでもなく、その場に佇んでいた。

 

 鯨はそのエビの存在に驚いた。紛れもない、ついこの間までこの環境の変化に適応できずにいた、力無き者であったからである。

 

 エビはそれから鯨に会釈すると、よたよたと鯨の背の中の方へ戻って行った。

 

 仲間達はこの頼もしく、勇敢な新しい仲間の誕生を喜んだ。

 

 鯨とてそうであった。だが、一方で虚しさもあった。自分がかくまっている、力無き者。それらの者にしてもやはりこの世界の変化の影響は避けられないのであろう。そしてその変化を受け入れることに成功した者達でなければあの者達には立ち向かえないのである。おそらくこの異変をもたらした侵略者達に。

 

 エビは鯨の考えを見抜いていた。そして先ほどの会釈の際、鯨にこう伝えていたのである。「あなたとあなたに守られている者達の力になりたい」と。

 

 鯨とその仲間達の旅路はまだ始まったばかりである。

 

 

 

 侵略者ごとにある個々の指令。

 彼の役目は攻撃。

 あらゆるものを消滅させて、続ける前進。

 

 

 

 ガトリングスタンドは目につくものを破壊しながら前進を続けていた。その彼が突然動きを止めた。すぐ近くに友軍の発信があった。

 

 ガトリングスタンドは方向転換をすると発信源に向かう。そしてその場に辿り着いた。

 

 ヘル・ブリンディであった。ガトリングスタンドはヘル・ブリンディの損傷状態を瞬時に分析すると、後方のアスクとエムブラに向かって信号を飛ばす。それから向きを変えると、前進を再開した。

 

 間もなく回収班が来て、ヘル・ブリンディを回収する。損傷状態からして、おそらく修復できるだろう。それから再び指令を与えられ、戦場に赴く。

 

 だが、ガトリングスタンドは意識の片隅で疑念が起こり、落ち着けなかった。先ほど見たあの姿。あれが自分や仲間達が近いうちに迎える末路ではないのだろうか……。




関連カード


●空母鯨モビルフロウ
小さき命を守る宿命を文字通り背負った飛行する鯨。

本章はモビルフロウの旅路でもある。

●レイ・ブレット
最初に侵略者の門の存在に気づいたとされる空魚。

本章における「エイ」とはレイ・ブロット。

●ロブスターク
フレーバーにおいては固まった海を切り裂きながら進み、侵略者へ抵抗している。

本章における「エビ」とはロブスターク。

●ヘル・ブリンディ
「雷を放つ者」、「空母鯨の天敵」とされている機人。
モビルフロウに背負われた小さき命にとっても脅威となる存在。

●スフィアロイド
「異界の蛍」と形容されている動器。
世界が変貌していく情景が書かれており、侵略者の出現と共に起こった異変を物語っている。

本章における侵略者の「飛行物体」とはスフィアロイド達のこと。発光を繰り返しながら他の機械と連携をとった。
カードにおいてはブロック時効果が主な役割の為、積極的な攻撃はしない支援機として登場。

●ガトリングスタンド
あらゆるものを消滅させる、攻撃の役割をもった侵略者。
おそらく地上戦においては主力となるほどの高い戦闘力を持っている。



●生み出される尖兵
名所千選016。
名所千選に選ばれているものは壊れて固定化された門であるが、
本章で触れているものは稼働中の門。異なる世界を繋げている。
門は侵略者が白の世界に攻め込む際に使われており、至る所でその存在が確認されている。
また、この門から世界を機械化させるナノウィルスが放出されている。
一部のスピリットのフレーバーテキストには、門が破壊される場面もある。


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第二章 鋼の原野

『鎧装獣の誓い』

 

 

  陸の項

 

 

「なんということだ……。あまりにも酷い……このようなことが許されて良いというのか」

 

 その惨状を目の当たりにしたヘイズ・ルーンは思わず呻いていた。

 

 鋼と化した原野。それだけなら、決して見慣れているとは言えないものの、つい先日までと大差のないことであっただろう。だが、その原野は鋼と化したうえで、さらに圧倒的な火力で以て破壊し尽くされていたのである。

 

「このことを早く王に知らせねば……」

 

 ヘイズ・ルーンはそう言うと、足早に歩を進めた。まだ引き返すわけにはいかない。誰か生き残りはいるだろうか。そんな希望を胸に秘めて。

 

 原野には機械化した獣達の残骸が散らばっている。無残な光景であった。中には中途半端に機械化したのであろう、まだかつての活気ある緑の世界を彷彿とさせる姿でいる獣の亡骸も散見される。

 

 ヘイズ・ルーンの心の中を憎悪が渦巻いた。この者達は抵抗して散っていったのではない。ただただ無抵抗で、逃げようとし、背後から撃たれたのだ。

 

「侵略者どもめ。このようなことをしてただで済むとでも思っているのか」

 

 誇り高き戦士の称号を授かっているヘイズ・ルーンにとって、侵略者達のこの仕打ちはなおさら許せることではなかった。この世界においても闘争は古くから続いている。だがここまで一方的な殺戮行為は未だかつて聞いたことがない。侵略者どもには一片の慈悲の心すらないとうのか。

 

 ヘイズ・ルーンは破壊された野を丹念に調べながら、駆けた。まだ隠れていてなんとか破壊から逃れた者はいるか。助けられる命。一つでも多く。

 

 鋼と化した原野を疾走していたヘイズ・ルーンがぴたりと動きを止めた。憶えのある匂い。生者の気配。

 

 ヘイズ・ルーンは気配のする方向へ急いで駆けた。生き残った仲間達がすぐ近くにいる。間違いない。

 

 ヘイズ・ルーンが駆けていくと、その先に白い人影が倒れていた。ヘイズ・ルーンには一目でそれが誰であるか分かっていた。

 

「ウル・ディーネ様」

 ヘイズ・ルーンはそう叫ぶと、道化を思わせる上半身と不可思議な渦を巻いている下半身を持つその女性……ウル・ディーネの側まで駆けより、立ち止まった。

 

 ウル・ディーネは瞼を閉じていたが、かすかに息をしていた。外傷は見られない。どうやら気を失っているらしかった。

 

「ウル・ディーネ様。眼を開けてください。また奴らが来ないうちに」

 

 ウル・ディーネが微かに声をもらし、瞼を動かす。ヘイズ・ルーンはほっと安堵のため息をついた。

 

 ウル・ディーネは眼を覚ますとヘイズ・ルーンにものを問うような視線を向けた。ヘイズ・ルーンは頭を垂れると、こう言った。

 

「ご無事でしたか、ウル・ディーネ様」

 

「あなたは……ヘイズ・ルーン殿。救援に来てくれたのですか」

 

「そうです。さあ、急がないとまた奴らが来るかもしれません。あなた様も早くお逃げになってください」

 

 ウル・ディーネは上体を起こすと、視線を破壊された原野の方へ向けた。 

 

「私は……無力でした。私を守る為に多くの者達が侵略者と戦い……犠牲になりました」

 

「ですが、あなたはご無事でした。あなたがいらっしゃらなければこのような辺境の地に歌姫ソール様の平和を願う歌声を届けることも叶いません。あなたは我々の希望なのです。散っていった戦士達もきっと本望だったでしょう」

 

 ウル・ディーネは何も言わずに俯いた。ヘイズ・ルーンは周りに敵がいないことを確認してから、その場に姿勢を落とす。

 

「さあ、お乗りになってください。一刻も早く王の元へ参らなければ」 

 

「いえ……お待ちになって。私の他にもまだ生き残っている者達がいるのです」

 

 それを聞くとヘイズ・ルーンははっとウル・ディーネの方を見上げた。

 

「なんと。それは良かった。ではその者らのもとへ急ぎましょう」

 

「はい、ヘイズ・ルーン殿、ついてきてください」

 

 ウル・ディーネが立ち上がり、這うように歩き出すとヘイズ・ルーンもそれに続いた。ウル・ディーネの案内に従って歩を進めて行くと、やがて片面を大きな崖に覆われた瓦礫の山に辿り着いた。

 

 ウル・ディーネはその場にある大岩を指差すと、こう言った。

 

「あの下に戦士達がかくまっている獣達がいます」

 

「分かりました。私がどかしましょう」

 

 ヘイズ・ルーンはその岩の下に自らの角を差し込むと、一気に突き上げた。大岩は大きな音を響かせながら近くの銀色の岩壁にぶつかる。大岩の下には地面に穿った穴がひらけていた。

 

 二人がその穴を除き込むと、中から獣達の悲鳴が響き渡る。ウル・ディーネが獣達を安心させるために言った。

 

「私達は敵ではありません。こちらにおられるヘイズ・ルーン殿が皆を助けに参ったのです」

 

 ウル・ディーネがそう言うと途端に悲鳴が止んだ。ほどなくして一頭の大柄な狼が穴から這い上がって来た。

 

「おお、ウル・ディーネ様、それにヘイズ・ルーン殿。かたじけない。我らが不甲斐ない故、このようなことに」

 

「スコール殿、あなたの功績は素晴らしかった。ただ、あの侵略者達があまりにも強大で恐ろしい存在だったのです。あなたのせいではありません。どうかお気になさらず」

 

 ウル・ディーネはそう言うと、まだ俯いたままで納得がいっていない様子のスコールに手を差し伸べ、顔を挙げさせた。

 

「さあ、まだ下に残っている者達を連れて早く逃げるのです。侵略者達が現れる前に早く」

 

 だが、スコールはウル・ディーネから視線を逸らし、酷く落ち込んだ面持ちでこう言った。

 

「実は……あなたの妹様が」

 

 ウル・ディーネがはっとなった。

 

「スクルディアが。妹はここにはいないのですか」

 

「私と兄弟の契りを交わしております、ハティとともに奴らの砲撃に合い、不覚ながら……行方知れずに」

 

「そうですか……ハティまで……」

 

 それまで成り行きを見守っていたヘイズ・ルーンが不意に割って入る。

 

「ウル・ディーネ様、それにスコール殿。スクルディア様とハティの捜索、この私におまかせください。私が一人で二人を捜しに向かうので、あなた方はここの獣達を連れて王の元へお急ぎを。」

 

 それを聞いたスコールはヘイズ・ルーンを見つめながらこう言った。

 

「ヘイズ・ルーン殿……かたじけない」

 

 ウル・ディーネは申し訳なさそうな面持ちでありながら、溜息をついた。

 

「ヘイズ・ルーン殿、まだ無事でいるかも分からないのです。あなたまで危険な目に遭うかもしれないのですよ」

 

「いえ。スクルディア様もあなた同様に我々の希望。それにハティは共に戦う誇り高き戦士です。少しでも可能性があるのならば、諦めるわけには参りません」

 

「ヘイズ・ルーン……ありがとうございます」

 

 戦火を逃れ、かくまわれていた獣達とウル・ディーネをスコールにまかせ、ヘイズ・ルーンは再び鋼の原野を疾走する。ただただ、スクルディアと同士ハティの無事を願い。

 

 そしてその疾走はそう長くは続かなかった。不意に明らかに異質な気配をすぐ傍で感じたからである。

 

 咄嗟にヘイズ・ルーンは身構えた。この気配。この世界の生き物ではない。奴らだ。

 

 何かがこちらに急接近してくる。ヘイズ・ルーンの存在に気がついたらしい。来る。奴らが。

 

 その姿は異様としか言いようがなかった。奇妙な筒上の物体を大量に生やした胴体。不気味に振動しながら回転する足。紛れもない侵略者であった。

 

「あ、あれは。スクルディア様」

 

 その侵略者の上に気を失ったスクルディアが横たわっていた。何故、侵略者はスクルディアを連れ去ろうとしているのであろうか。だが、ヘイズ・ルーンにその様なことを気にかける余裕はなかった。

 

 豊穣の緑に溢れた世界を無残に破壊した侵略者への憎悪。スクルディアを救わなければならないという使命感。それが今のヘイズ・ルーンのすべてであった。

 

 侵略者は眼の前にいる大きな角を生やした獣を見定めると、瞬時に筒を向け、迷うことなく砲撃を開始した。

 

 砲弾が飛ぶ。ヘイズ・ルーンは持ち前の身軽さでこれをかわすと、侵略者を睨みつけた。

 

(我ら「鎧装獣」の称号を持つもの、迂闊に自分から攻撃をしかけてはならぬ。己の力に溺れることなきよう。まずは敵の力量を見定めるのだ)

 

 王の教えを心の中で反芻し、ヘイズ・ルーンは侵略者の追撃を次々とかわす。

 

(だが……こいつは……許す事など出来ない。)

 

 侵略者の砲弾によって生じた炎。ヘイズ・ルーンの理性を脅かす紅き炎。

 

(仕留める)

 

 ヘイズ・ルーンは一気に侵略者に突きかかる。

 

 侵略者は突然の獣の反撃に慌てた。

 

 ヘイズ・ルーンの角が侵略者の筒を何本か圧し折る。侵略者がもんどりうつ。その衝撃でスクルディアが中空に放り出された。

 

(いけない、スクルディア様が)

 

 スクルディアが地面に激突する寸前。ヘイズ・ルーンはスクルディアをさっと背中で受け止めた。その瞬間背後で蠢く気配。

 

(まずい……)

 

 間に合わないと思った。だが、瞬時に振り返った時、侵略者は筒を向けているだけで、砲撃をしていなかった。侵略者は何故、躊躇したのか。しかし、ヘイズ・ルーンにはそんなことを考えている余裕などない。

 

 ヘイズ・ルーンは一気に侵略者を目掛けて突進し、その側をすり抜けた。

 

(今は戦っている場合ではない。スクルディア様を安全な所へお連れしなければ)

 

 今のヘイズ・ルーンでもそれだけのことを考える余地はあった。ヘイズ・ルーンの意図を読み取ったのか、侵略者は突如砲撃を再開した。

 

「ぐわっ」

 

 砲弾が足元で炸裂し、ヘイズ・ルーンはもんどりうった。スクルディアが地面に放り出される。

 

「おのれ……」

 

 ヘイズ・ルーンは立ち上がろうとしたが、足が思う様に動かない。先の砲弾で足の骨を折ったらしい。

 

 侵略者はゆっくりと前進し、筒を一斉にヘイズ・ルーンに向けた。

 

 ヘイズ・ルーンは己の最期を悟り、眼を閉じた。

 

 何の変化もない。ヘイズ・ルーンははっと眼を開いた。

 

 眼の前にスクルディアが侵略者との間に割って入っている。そして侵略者はその動きを止めていた。

 

 聞いたことがある。未来を司るスクルディアは敵対する者の未来を僅かながら奪い、一時的に時を留めることができると。

 

(勝機)

 

 ヘイズ・ルーンは侵略者に突進した。足の痛みは治まっている。それが異界の門によってもたらされた変化により、自己回復能力が異常なまでに高まっているためであることを彼は知っていた。

 

 ヘイズ・ルーンは、半ば鋼と化したその角を侵略者に突きさした。

 

「侵略者よ。これが、お前達のもたらした力だ。その力によって滅び去るがいい」

 

 ヘイズ・ルーンは力任せに侵略者を打ち砕いた。打ち砕かれた侵略者の周囲に燐光を放つ破片が飛び散る。

 

(これは……コアだと……奴らも我々と同じ生き物なのか……)

 

 侵略者はその動きを完全に止めた。

 

 

 

 スクルディアはこれまでのショックか、ヘイズ・ルーンに何も話してはくれなかった。ただ、「ハティ……ハティ……」と呟くのみ。

 

 ヘイズ・ルーンは彼女からハティやこれまでのことを聞き出すのを諦め、彼女を背中に乗せると、スコール達と合流するべく、鋼の原野を疾走した。

 

「侵略者……奴らは何者なのだ。我々と同じ生き物が何故このようなことを」

 

 だが、ヘイズ・ルーンの疑問に答えてくれる者は誰もいなかった。

 

 

 

 ガトリングスタンドの残骸を前にして、エムブラとヘル・ブリンディは立ち尽くしていた。

 

「コアを砕かれています。残念ながら修復は見込めません」

 

 エムブラがそう告げた。

 

「我が命の恩人よ、よく今まで任務を全うしてくれた……」

 

 ヘル・ブリンディが呟いた。

 

「お気持ちは分かりますが、一刻も早くオーディーンのもとへ戻らねばなりません。我々にはあまり時間が残されていないのですから」

 

「分かっている。すまないな、時間をとらせて。信号が完全に途絶えた時点で既に来るだけ無駄だと言うことが分かっていたというにの」

 

「気にすることはありません。……さあ、早くアスクの部隊と合流しましょう。それから、オーディーンが我々に任務を割り当ててくれます」

 

「ああ」

 

 エムブラが飛び立ち、その場を離れる。それに続いてヘル・ブリンディも。

 

 ヘル・ブリンディは一端、空中で静止し、ガトリングスタンドの残骸を見つめた。

 

「だが、我はこの世界の者共を恨みはせぬ。この世界の連中とて必死なのだからな。我が仕留め損なったあの鯨の様に。なあ友よ、お前にも分かっていたのだろう」

 

 それだけ言うと、ヘル・ブリンディはエムブラの後を追う。

 

 間もなく戦局に大きな変化が訪れる。要塞皇オーディーン、それに巨神機トールが自ら前線に出向くというのだから。




関連カード


●鎧装獣ヘイズ・ルーン
鎧装獣の一体。
ヘイズ・ルーンとは、北欧神話に登場する牝山羊の名前。
フレーバーテキストは、獣使いドヴェルグの鞭で勇気を与えられ、前進する場面と思われる。

●ウル・ディーネ
叡智極めし三姉妹の長女。
北欧神話におけるウルドは過去を司る女神。
また、水の精ウンディーネもモチーフになっているらしい。下半身は巻貝の殻に覆われている。
『白の章第3節』では放浪者ロロ(もしくは無言で聞いているドヴェルグ)に語り掛けている。
ベル・ダンディアのフレーバーテキストによると、「歌姫の礎」となる役割があると思われる。
二人の妹は魔人であるが、ウル・ディーネは魔神である。

この小説では物語の重要人物として長く活躍する。

●鎧装獣スコール
鎧装獣の一体である狼。
フレーバーテキストでは、歌姫の声が届いてこない状況でも侵略者と戦い続けている。
カードにおいては、系統:起幻を持つスピリットとしてリバイバルされた。

北欧神話におけるスコールとハティは双子の狼であり、フェンリルの息子ともされている。
自分の小説における、ハティと義兄弟の契りを交わしているという設定はそれが元ネタ。

●スクルディア
叡智極めし三姉妹の三女である魔人。
北欧神話におけるスクルドは未来を司る女神。
フレーバーテキストでは未来を奪う能力で異界のもの(おそらく侵略者)の動きを止めた。
カードの効果においても、疲労状態の相手スピリット1体の回復を封じる効果を持つ。

本章ではガトリングスタンドの未来を僅かに奪うことで一時的にその時を止めている。
ウル・ディーネと同様に、本小説では物語の重要人物として長く活躍する。

●機人エムブラ
盾となる能力を持った機人。北欧神話では最初の人間の女の名前。
フレーバーテキストでは獣たちの突撃を防いでいるが、
後に氷雪の勇者皇ウルの盾となり、虚無の軍勢と戦う。


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第三章 光る魚

 空の項

 

 

 もし、此度の異変で体が機械化していなければ、あの時に負った傷で間違いなく命を落としていた。鯨は、機人によって抉られた腹が元通りになっている様子を見て、そう思った。

 

 機人や飛行物体との戦闘で多くの仲間を失った。生き残った仲間達も沈痛な面持ちである。エビの活躍がなければ鯨とて先の戦いで散っていただろう。

 

 その一方で、空を旅する鯨と魚達にも新たな仲間が増えた。侵略者に追われ、空を当てもなくさ迷っていた魚や鳥。例の飛行物体にはりつき、擬態することで難を逃れていたというカブトガニ達。あの英雄となったエビ同様、異変に適応し、共に戦うだけの力を得た者達――。

 

 鯨の背は鋼の外殻によって覆われている。鯨がこの変化をより己のモノとする程、それは頑丈なものとなっていく。この外殻によって、鯨の背の上ではかつての蒼い海を彷彿とさせる海の生き物達の生活が守られている。

 

 あれから後も度々飛行物体の一隊と衝突し、戦闘が起こった。その都度、鯨の背の住民も危険に晒された。中には強烈な熱量の壁を造り出すことでエビの鋏すら弾く連中もいたが、鯨と共に空を飛ぶ者や、エビと同じく、新たに生まれ変わったかつての力無き者達の活躍でなんとか撃退した。

 

 我々は戦う度に強くなっている。異界の門よりもたらされた力を我がものとすることによって。

 

 

 

 白鳥はかつて暮らしていた緑の世界、それに青い大空の夢を見ていた。清らかな湖。仲間達が翼を広げ、空を舞う。

 

 同胞達には同胞達の掟もあるが、こうして湖に身を浸らせている間は、ここが地上のどこよりも素晴らしい楽園であるという実感が湧いてくる。そう、あの異界の門が開くまでは。

 

 最初に異界の門に気付いたのは誰であっただろうか。それは分からない。ただ、白鳥が異変に気付いた時、まだ周りの仲間達はそれに気付いてはいない様子であった。

 

 奇妙な花が水上に咲いていた。無機物を思わせる輝きを放つ花。その下で蠢く虫も様子がおかしい。

 

 その花に吸い寄せられるようにして飛んできた蝶。蝶は虹色の輝きを放っていた。

 

 蝶が花に止まり、蜜を吸う。見慣れた光景である筈なのに、何かがおかしい。動作が生き物にしては不自然なのだ。この蝶からは生気が感じられない。どことなく作り物めいているのだ。例えるなら、幼い氷の姫君達がここを訪れた時に持っていた玩具や、道化の創り出す物体。

 

 蝶がはたと下に落ちた。白鳥ははっとなる。水面に浮いている蝶。花の上でクルクル回っているのは、生き物にとって無くてはならないもの。コアだ。

 

 白鳥は恐怖に駆られた。急いでその場を離れる。あの花が次に狙うのは自分であると直感した。

 

 そして悪夢が始まる。

 

 開かれし異界の門。変色し、変質していく空。湖の様子もおかしい。あらゆるものが無機的な氷に浸食されていく。

 

 仲間達の間から、悲鳴が起こる。何羽かの仲間が舞い上がり、まだ緑が広がっている方面を目指すと、一目散に逃げ出す。

 

 白鳥もそれに遅れまいとして飛んだ。後ろの方にも今頃になって事態を呑み込んだ仲間達が次々と後に続く。

 

 飛ぶ。飛ぶ。まだ残っている緑を目指して。だが、その飛行は一筋の閃光によって掻き乱された。

 

 未だかつて見たことのない不気味な飛行物体の群れ。そいつらが凝縮された熱量を放出する。焦げた臭い。墜落していく仲間。

 

 怖い。

 

 白鳥の翼を閃光がかすめる。漂う異臭。こんなの嘘だ。眼の前に突如出現する、腕のような突起物を持つ物体。放たれる閃光。

 

 

 

 白鳥ははっと我に返った。ここは鯨の外殻の中。そうか、あれは夢だ。夢だったんだ。白鳥はそう自分に言い聞かせる。

 

 あの後、白鳥はなんとか逃げ延び、鯨のもとに辿り着いた。他の仲間とは逸れた。自分の他にも生き残りはいるだろうか。そんなことを考える。

 

 ふと、隣の水辺にトビウオがいることに気がついた。暖かい光を放つトビウオ。そのトビウオは鋼を思わせる皮膚に覆われていた。

 

 そのトビウオの持つ光を眺めているうちに、白鳥の心の中には、あの懐かしい、緑の世界の光景が甦っていく。

 

 トビウオが突然身動ぎをする。と、中空に浮かび上がるトビウオ。

 

 トビウオは白鳥の方を向くと何やら誘っている様な仕草をした後、外殻の外の方へと飛び去っていった。

 

 白鳥は何事かと思い、去っていくトビウオを見つめていたが、すぐに己の身体の異変に気がついた。

 

 半ば機械化している自分の身体。白鳥は変化に適応できていたのだ。そしてあのトビウオも。

 

 白鳥もトビウオに続いた。そうだ。今の自分には仲間を守り戦うだけの力があるのだ。あのトビウオのおかげでそれに気付けた。あのトビウオが今の仲間。そして、鯨、魚達、他の鳥達も。

 

 外殻の外にトビウオと白鳥が飛び出した。鯨とその仲間達がその様子を見守る。新たな戦士の誕生。これは鯨も期待していたことだ。しかし、このようなことを期待してしまうとは不謹慎であるということも分かっている。鯨は己の無力さを痛感する。

 

 白鳥は気付いていなかったが、そのトビウオは異変に適応しきれたわけではなかった。トビウオは機械化していく己の体の内からくる反作用によって、自分の最期がそう遠くないことを悟っていた。

 

 もう一度、あの海に戻りたい。海に帰りたい。その為にも自分の残された力を駆使して大空を飛ぶ。

 

 

 

 空をゆく輝き。光増すごとに失われる己。

 命尽きるまで飛び続ける。

 再び海に帰る日を信じ。




関連カード

●ヴィゾフニル
北欧神話におけるヴィゾフニル雄鶏であるが、バトスピにおいては空魚。

最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
章題の「光る魚」、及び作中のトビウオとはヴィゾフニルのこと。
自分の小説で書かれている、
環境の変化と体の機械化に適応できずに多くの種族が滅んでいったという内容は、
このカードのフレーバーテキストによるところも大きい。

●キグナ・スワン
フレーバーテキストは白の章第10節。
虚無の軍勢との戦闘が始まった後の場面であり、「侵略者たちの空飛ぶ船」を先導するという大役を担っている。
後に星魂スピリットとしてリメイクされる。

本章における白鳥とはキグナ・スワンのこと。
過去の情景ではスフィアロイドが牽制ではなく、自ら積極的に攻撃を仕掛けているが、
相手があまりにも無力であることが分かっていたため。

●盾精ラングリーズ
フレーバーテキストではロブスタークと戦っていると思われる。
生命対機械の分の悪さを物語っている。

本章の「強烈な熱量の壁を造り出すことでエビの鋏すら弾く連中」とは盾精ラングリーズのこと。

●アーメットクラブ
侵略者の動部に張り付くことで生き延びている空魚。
ただ滅びを待つ者とされている。

本章における「擬態することで難を逃れていたというカブトガニ達」とはアーメットクラブのこと。

●メタルディー・バグ
世界が固定化され、輝く石へと変じていく輝く虫。

花に取りついた虫の方が本体であるが、
自分の小説におけるキグナ・スワンの視点では花の印象が真っ先に出てくる。
花に止まった蝶の命を奪う描写は、カードにおけるコア除去効果を意識したもの。


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第四章 ハティの冒険

陸の項

 

 

 鋼の原野を疾走する一つの影。銀色の毛をなびかせるは銀狐ハティ。その背には、ハティにしっかりとしがみ付くスクルディアの姿があった。

 

 ハティは逃げていた。襲い来る侵略者から。背にいるスクルディアを守るために。

 

 先ほどの乱戦で仲間とは逸れてしまった。ハティが一番頼りにしている、「鎧装獣」の称号を持つ者、兄弟の契りを交わした相手でもあるスコールも、今は側にいない。スクルディアを守れるのは僕だけだ。ハティは何度も自分にそう言い聞かせる。

 

 突然、上空を砲弾が通り過ぎる。思わず、ハティは胴体を弓なりに曲げ、その場で停止した。砲弾は、ハティのすぐ目の前で炸裂し、周囲に爆風と破片を撒き散らす。

 

 ハティは己の半ば鋼と化した体を使い、必死になってスクルディアを庇った。破片が体に突き刺さる。ハティはその激痛に懸命に耐えた。

 

 侵略者はハティのすぐ側にいた。例の筒状の物を大量に生やした奴だ。周囲には、目前の侵略者とは違った姿をした連中――不可思議な浮遊物体を浮かばせている名状しがたい形状の水色の物体や、緑色の装甲を身に付けた人型の物体といった容貌の侵略者――が集まっている。

 

 囲まれた。スクルディアがハティにしがみ付いているその腕に力を込める。

 

 ハティは命を賭してスクルディアを守る覚悟で侵略者達と対峙する。

 

「侵略者どもめ。スクルディア様には指一本触れさせないぞ」

 

 侵略者の目的がスクルディアを生きたまま連れ去ることにあるらしいことは分かっていた。それ故、奴らはこちらに対して致命傷になるような攻撃を避けている。ハティにしがみ付いているスクルディアを巻き添えにするのを躊躇しているのだ。

 

 ならば勝算はある。

 

「スクルディア様。何があっても、手をお放しにならないように」

 

 震えながらも頷くスクルディア。その顔を見て、ハティは勇気を振り絞る。

 

 ハティは咄嗟に向きを変えると、片側にいた人型の侵略者に飛びかかった。侵略者は慌てて腕の筒を獣に向けようとしたが、遅かった。ハティは侵略者に爪を突きたてると、鋭い牙でその頭部を一気に引き千切った。侵略者は奇怪な音を立てながら倒れ伏す。

 

 侵略者達が動揺する。ハティはその隙に、一気に加速し、全力で駆けた。この包囲網から抜け出す為に。

 

 その刹那、数発の銃声が響き渡った。

 

 ハティが動きを止めた。胴体から幾筋もの血が流れている。銃弾が貫通していた。ハティはその場に倒れた。

 

 なんてことだ。あまりにもあっけない……。ハティは悔しさに歯を食いしばる。スクルディアがハティから這い降りると、ハティを助け起こそうとした。

 

 水色をした侵略者の一体がスクルディアの背後に立つ。スクルディアがその相手を非難しようとしたが、その侵略者は奇妙な形をした細い腕でスクルディアの頭を一打ちした。スクルディアは気を失い、その体を侵略者が軽々と持ち上げる。

 

 倒れているハティに向かって、腕から筒を生やした侵略者達が一斉に筒を構える。ハティは己の最期を悟った。

 

 銃声が木霊した。

 

 

 

 

 ハティは眼を覚ました。まだ生きている……のか。鋼の原野を照らすダイヤモンドの月が空に浮かんでいる。あれから数刻が過ぎていた。

 

 ハティはがばと上体を起こした。

 

「そんな……、ここはどこだ。スクルディア様は……」

 

「スクルディアは侵略者が連れて行ったよ」

 

 背後で、ハティの疑問に何者かが答えた。ハティはその声に驚き振り返る。そこに居たのは白銀の人影……機人らしき姿だった。

 

「お前は……侵略者だと」

 

 ハティは即座に起き上ると、身構えた。だが、機人は頭を振ると、こう答えた。

 

「私は侵略者ではない。そうだな……私は君達の言う道化といったところかな」

 

 道化と聞き、一瞬ハティは思案した。道化、この世界に置いて中立を守るべき者達。ハティが知る道化は、王が心を開く唯一の道化と呼ばれているドヴェルグだけだった。

 

「道化だと。だが、お前のその姿は紛れもない侵略者ではないのか」

 

「私もあの門に触れてしまってね。何とか命は助かったが、気が付いたら、この姿さ。……自分でも、水面に映ったこの姿を見た時は正直驚いたよ」

 

 そういうと自らを道化と名乗る人物は、皮肉を含んだ笑い声を洩らした。

 

 ハティは相手に敵意がないことを悟ると、緊張を緩めた。

 

「そうか……。あなたが僕を救ってくれたのですね。……そうだ。スクルディア様が」

 

 思わずそのまま走り出そうとするハティを道化と名乗る人物が押しとどめる。

 

「奴らはスクルディアに危害を加えたりはしないよ。連中にとっても歌姫の歌声は必要らしいからね。歌姫の礎になる使命を帯びた三姉妹の一員であるスクルディアも同様さ」

 

 まるで事態を見透かしている様な物言い。ハティはやはりこの相手に安心は出来なかった。

 

 ハティは思わず口調を荒げて言う。

 

「あなたは何故そのようなことを知っているのだ。侵略者の目的をどこで知った」

 

 ハティが詰めよる。道化と名乗る人物は手を広げて頭を振ってから言った。

 

「推測さ。単なるね。ただこれまでの奴らの動きを見る限りでも、少なくともスクルディアに被害が及ばないようにしているのは分かる」

 

「……。僕も侵略者がスクルディア様をなるべく傷つけないようにしていることは感づいていました。……ですが、このまま放って置くわけにもいきません。急いでスクルディア様を助け出さねば、何をされるか……」

 

「君の言うことも分かるよ。だが、君一人の力ではどうにもならないだろう。まずは君の仲間と合流した方がいい」

 

「……そうですね。僕の力では奴らには歯が立たなかったんだ。やはり、兄さんがいないと何も出来ないんだ、僕は……」

 

 兄という言葉を聞くと、道化と名乗るその人物は僅かに反応を示した。

 

「兄……君には兄弟がいるのかね」

 

「はい。と言っても僕達とあなた方とは違いますからね。兄といっても義兄弟の契りを交わした者ですけど」

 

「実は私にも弟がいる。弟はあるお方に仕えているが、今頃はどうしていることか……」

 

 道化を名乗る人物の遠い視線。白銀の甲冑から覗けるその緑色の輝きを放つ瞳に、ハティは吸い込まれそうになるような感覚を覚えた。果てしない虚空が続いているような……。

 

「申し遅れました。僕はハティと言います。僕の命を救っていただきありがとうございます」

 

「ハティか……。私はハクという者だ。まあ、今回のことで気に病む必要はない。スクルディアを救う機会はまだある筈だ」

 

 そう言うと、道化を名乗る人物……ハクは親しみを込めた眼差しをハティに向けた。

 

 

 

 

 ハティとハクの二人は、ダイヤモンドの月に照らされた鋼の原野を歩いていた。ハティは一刻も早くスコール達と合流し、スクルディアの捜索に向かいたかったが、まだ傷が十分に癒えておらず、ハクが押し止めたのである。

 

 ハクの話では、あの筒状の物を大量に生やした侵略者の指令で、一緒にいた連中が追手として差し向けられたらしい。ハティはハクだけでも急いで追手から逃れるように言ったがハクは取り合わなかった。

 

「私は連中から君を助けたからね。君の安全が保障されるまではまだ手を引けないよ。それが私の責任でもある」

 

 その言葉が、ハティには重く圧し掛かってくるように感じた。

 

「自分の身一つ守れない僕が、スクルディア様を守ろうなんて、言えた立場じゃないんだな……」

 

「君は立派だったよ。だから、私も中立の立場を破ってまで君に力を貸した」

 

 ハクはそう答えた。それからハクはハティに向き直るとこう言った。

 

「君はあの娘が好きなんだね。」

 

 その言葉にハティははっとなり、ハクの方に顔を向けた。

 

「スクルディア様は我々にとっての希望です。そのお方を守るのは当然のこと」

 

「いや、私は君個人のことを言っているのだよ。君にとってあの娘はかけがえのない愛すべき人……そうではないかとね」

 

 ハティは俯いた。ハクと顔を合わせることで、あのお方、スクルディアの微かにほほ笑んでいる顔を正面から見た時の様な気まずさを感じたからだ。

 

「……あなた方道化の言うことは……僕にはよくわかりません」

 

「そうか。まあ、気にしないでくれ。この話はもう止めよう」

 

 それきり二人の間に、会話は途絶えた。

 

 

 

 

「まずいな、つけられている」

 

 ハクが呟いた。その言葉を聞き、ハティは侵略者達の気配を瞬時に感じ取った。

 

「奴らが……。気配が近づいてくる。……十体か」

 

「いや、十四体だ、空の方にも注意しておかないとね」

 

 ハクの言葉で、ハティははっとなった。空。侵略者は空からも舞い降りて来るのだ。

 

「見逃してはくれないようだ。奴らも随分と念入りだね。ご苦労なことだな」

 

 地を伝わる振動、上空から微かに響いてくる音。ハティは武者震いをした。この怪我をした体で侵略者と、果たして渡り合えるのだろうか。

 

「ふむ、これは私の手に余るか……」

 

 ハクの呟きを聞きとり、ハティは思わずハクの方を向こうとした。だが、その刹那。ハクが手を振り上げたかと思うと、ハティの意識が途絶えた。

 

 

 

 

 「お前……何故我々の邪魔をする」

 

 侵略者が言った。ハクと名乗った者は答える。

 

「簡単なことだ。私はこの獣を助けたかった。それだけのこと」

 

 ハクは足元で気を失っているハティを指し示した。

 

「我々の同胞ではないな。何者だ、貴様」

 

「お前達の同類ではい。そしてこの世界の住人ですらない。こう言えば君達なら分かるかな」

 

 ハクが冷たく笑った。侵略者達の間に動揺が奔る。中には思わず呻き声を洩らす者までいた。

 

「そんな……、まさかお前は……」

 

「そうだ。私は竜騎の称号を帝より賜っている者。君達の言う【虚無】だ」

 

 瞬時に侵略者達が武器を構える。だが、内心は恐怖のあまり、我を失いそうであった。

 

「それが本当ならば、お前の存在は、容認できない。今、この場で我々の全力で以て消滅させるのみ」

 

「私一人だったなら、あるいはそれも可能だったかもしれないな……」

 

 ハクの呟きが終わらないうちに侵略者達が一斉に重火器を放つ。だが、ハクが手を挙げただけで生じた虚空にそれらの銃撃は全てむなしく吸い込まれていった。

 

 ハクはその虚空に手を差し伸べると、自分の背丈ほどもある巨大な剣を取り出した。

 

「帝よ、あなたより授けられしこの力、使わせて頂く」

 

 浮かび上がる、ハク。侵略者達は慌てて中空のハクに狙いを定める。

 

 勝敗は一瞬で決した。

 

 ハクが大剣を一閃すると、――明らかにこの世の物ではない――白き龍を思わせる閃光が空間を伝わり、周囲にいる侵略者達を破壊した。上空にいた飛行物体も例外なくこの閃光を受け、浮遊能力を失うと、全て地に落ちた。もはやその場で動く者はハクしかいなかった。

 

「安心したまえ。侵略者達よ。君達のコアには傷一つ付けてはいない。無闇にコアを砕くというのは私の流儀に反するからね。それにまだ事を荒立てる時ではないしな……」

 

 ハクのその言葉を聞く者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 ハティが眼を覚ますと、侵略者は誰一人としていなかった。側にいるのはハク一人のみ。

 

 ハティは急いで起き上ると敵の気配を探った。やはり何の気配もしない。

 

「これは……。一体どうなっているのですか。侵略者は」

 

 ハクは緑色の眼差しでハティを見つめながら答えた。

 

「何とか逃げ延びたよ。ここまで来ればしばらくは安全だろう」

 

 だが、ハティはすぐには呑み込めなかった。あれだけの数の侵略者達、あの包囲網を無事に脱出できたというのは並大抵のことではない。

 

 考えてみればハティが初めてハクに助けられた時もそうであった。突然、ハティは気を失い、気がつけばハティは助かり、侵略者達の姿はない。そして側には無傷のハクの姿。

 

「……どうやら、あなたには敵の包囲網から瞬時に逃げ出せるほどの不思議な力があるのですね」

 

「ふむ。思っていたよりは物分かりもいいらしい。その通りだよ。私にはある程度の距離を一瞬で跳躍できる力がある。まあ、道化ならば君達が言う、不思議な力とやらの一つや二つあって当然だがね」

 

「僕にもそんな力があったら……、スクルディア様をあの侵略者から救えたのに……」

 

 ハティはそう呟くと、その場に姿勢を落とし、項垂れた。

 

「この世に存在する全てのもの。それらには一つ一つ違った役割がある。君は君の役割を果たしたまえ。それがあの娘の為にもなり、君自身の為にもなるだろうさ」

 

「僕の役割……、でも僕はその役割を果たせなかった……。スクルディア様を守るなんて言う資格、僕にはなかった……」

 

「案ずるな。ハティよ。スクルディアは無事だ。そしてもうすぐ君はあの娘と再会する。私には分かる」

 

 それだけ言うと、ハクは一つの方角を指示した。ダイヤモンドの月の位置からして、それが南東の方角であることがハティには分かった。

 

「さあ、ハティよ。もうお別れだ。この方角を真っ直ぐ行きたまえ。そうすれば君の兄と合流できる。それに……スクルディアとも会えるだろう」

 

 ハティは思わず立ち上がった。スクルディア……あのお方に会える。それに兄や、きっと他の仲間たちとも。

 

「ハクさん。あなたは、本当は何者なのですか。まるでこの世界の実情を何もかも知り尽くしていらっしゃる」

 

 ハクは頭を振った。

 

 

「いや、私は単なる一人の道化に過ぎないさ。この世界のことだってほんの一面しか知らない」

 

 そう言うと、ゆっくりとハクの体が浮かび揚がった。ハティは慌ててハクを引き留めようとする。

 

「待ってください、ハクさん。僕には……本当にスクルディア様を……それに一人の戦士として仲間たちと共に戦うことができるでしょうか。僕はまだ自身が持てないのです」

 

「君には戦士としての気質が欠けている。が、その変わり君には騎士としての素質があるのだ。スクルディアは君が守りたまえ。君にはそれだけの力と信念がある。この私が保障するよ。さらばだ、若き勇敢なる者よ。近い将来、君とは相見える。そんな気がするよ」

 

 その瞬間、ハクの姿は中空で掻き消えた。

 

 暫しの間、ハティはその場に立ち尽くしていた。

 

 やがて、ハティは意を決すると、ハクの示してくれた方角へ向かって駆けた。

 

(ハクさん、本当にありがとう。また、あなたと会える日、その日が来るのを僕も願います)

 

 ハティは原野を疾走する。急いで仲間のもとへ。そして愛しいスクルディアのもとへ。

 

 ハティが願った通り、そう遠くない未来において、ハティとハクは再会することになる。それはハティが望んでいたものとはあまりにもかけ離れたものであったが……。

 

 

 

 

「プラチナム……何を考えている。お前のしたこと全て筒抜けだったぞ」

 

「何の話かなアルブス」

 

 空中で静止しているプラチナムが答える。

 

「あの獣は後後我らの神に禍をもたらすかも知れぬ存在。あるいは【勇者】となるかもしれないのだぞ」

 

「一応言っておくが……。あれは【勇者】ではないな。なるとしても【勇者】の支えとなる存在、といったところだろう」

 

「プラチナムめ。ウル・ディーネを助けたことといい、獣を救ったことといい、何れにしろお前のやっていることは我らの神への裏切りに値するということが分からんのか」

 

「我らの神……か。アルブスよ、我々竜騎が本来仕えるべき主は帝の筈であろう。神への奉仕など神将達にやらせておけばいい。我々は帝の為に行動する。それで十分である筈だがね」

 

「プラチナム。【虚無】によって魂を奪われた帝を救ったのは我らが神だ。今や、帝は心を失ってしまわれた。神の意志に従うこと。それこそが帝の為でもあるのだ」

 

「どの道、私の使命はこの世界の調査だ。私は私の役目を全うしている」

 

「プラチナム……。今回のことは全て神に報告する」

 

 交信が途絶えた。

 

(帝の為か……。アルブスよ、お前が神からの廻し者であることにこの私が気付いていないとでも思っていたのか)

 

 プラチナムはじっと天を見据える。すでに生じかけている。同胞たちが出現する場所、白夜の虚空。

 

(帝は神と折り合いが悪かった。それが突然、神の保護下に置かれることになるとはな。神よ、何を企んでいる)

 

 プラチナムは虚空から大剣を取り出すと、それを胸の前に掲げた。

 

「この剣。この命。すべては帝に奉げし物。我が愛するル・シエル様よ。私の全てはあなた様の物」

 

 それに応えるかのように、白夜の虚空が微かに蠢いた。




関連カード


●銀狐ハティ
本章における主人公。
北欧神話ではフェンリルの息子の狼の名前であるが、バトスピでは狐。
ただ、月を飲み込むようなイラストはモチーフとなった神話をイメージしている。
フレーバーテキストにある「勇者」とは、おそらく、一角獣アインホルンのことであると思われる。

●アイスメイデン
動器。
フレーバーテキストでは大地に起こった異変が語られている。

本章における「不可思議な浮遊物体を浮かばせている名状しがたい形状の水色の物体」とはアイスメイデンのこと。
固有名詞は持たず、無数に存在する。

●バーサーカー・ガン
動器。
フレーバーテキストでは門より現れた異形のものたちが世界を埋め尽くしていく様子が書かれている。

本章における「緑色の装甲を身に付けた人型の物体といった容貌の侵略者」とはバーサーカー・ガンのこと。
こちらも固有名詞はなく、無数に登場。


●空帝竜騎プラチナム
皇十二竜騎の一人。
フレーバーテキストは「白の章第12節」であり、
勇者の矢を受けて墜落していく空帝ル・シエルの背中から舞い降りている。

●白亜の竜使いアルブス
皇十二竜騎の一人。
「万物の敵」と書かれており、歌声も届かず、無差別に世界や侵略者を破壊している。
陸帝竜騎ベスピニアーのフレーバーテキストから推測するに、龍帝は二体の竜騎が揃うことで本来の力を発揮できると思われる。



●ダイヤモンドの月
名所千選612。
門より垣間見えるもう一つの月。その光は生命を停止させると形容されている。

●白夜の虚空
名所千選番外06。
白の世界に出現したと思しき虚空。
名所千選には相当危険な場所も多いのであるが、虚空は最高危険地帯として列挙されている。



●グラシアルブレス
マジック。
イラストでは空帝ル・シエルがこの技を放っている。

本章では、一時的にル・シエルの力を借りたプラチナムが使用。
自分の小説では、ル・シエル専用の技という設定。


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第五章 鎧蛇の島

『紡がれる者たち』

 

 三姉妹の項

 

 

 

 未だ、失われていない太陽の光。照らされる珊瑚礁。海の生き物達の楽園。

 

 この平穏がこのまま永遠に続いたらいいのに。ベル・ダンディアは海中にその髪を揺らめかせ、魚達と戯れながらそんな事を考えていた。しかし、次の瞬間、一体の海獣が海流を掻き乱しながら乱入してきたことで、魚達は皆、逃げてしまった。

 

「ベル・ダンディア様。ベル・ダンディア様は何処に」

 

「どうしたのですか。ジューゴン」

 

 ベル・ダンディアは落ち着いてその海獣に応えた。

 

「申し訳ありません。実はここから少し離れた海域にも異界の門が出現し、ここまで異変が広まろうとしております。早く逃げてください」

 

「とうとう、この海にも現れてしまったのですね。ジューゴン、あなたは海の仲間達を一刻も早く集めてください」

 

「了解しました。ですが、その前にベル・ダンディア様だけでも先にお逃げください。あの異変の速度は想像以上です」

 

 だが、ベル・ダンディアは頭を振った。

 

「今こそ、私の力が必要とされる時、と存じます。私がその門へと向かい、何とか食い止めてみせましょう。その間にあなたは仲間達を鎧蛇の島へ集めてください。あそこならまだ持ちこたえることが出来るでしょう」

 

「ベル・ダンディア様……しかし」

 

「私は私の為すべきことをするだけです。さあ、ジューゴン、あなたも早く。一人でも多くの仲間を救うのですよ」

 

「……分かりました。では、ベル・ダンディア様も、どうかご無事で」

 

 ジューゴンはそう言うと、仲間を集めるべく大急ぎでその場を去った。

 

 ベル・ダンディアは周囲に隠れている魚達に向かって「あなた方も早くお逃げなさい」と声をかけ、それから遠海の方へ泳いでいった。

 

 異界の門。ベル・ダンディアはジューゴンの仲間のオッドセイの案内でここまでたどり着いた。

 

 不幸中の幸いか、この門には例の門番はいなかった。門よりもたらされた異変によって周囲の海が無機的なゼリー状の物体へと変質していく。コアの輝きを失った魚達が、半ば機械化したまま漂っていた。

 

「酷い……」

 

 ベル・ダンディアの瞳から涙が溢れ、それは濁った海水に溶け込んでいった。

 

「何としても止めなければ」

 

 ベル・ダンディアは意を決すると、きっと異界の門を睨みつけた。

 

 ベル・ダンディアの周囲に光が広がっていく。

 

「ベル・ダンディア様……」

 

 後ろでか細い声が聞こえる。

 

「オッドセイ、御苦労でした。あなたの周りに張っておいた結界もそう長くはもちません。後は急いで鎧蛇の島へお行きなさい」

 

 オッドセイは申し訳なさそうにベル・ダンディアを見返すと、その場を離れた。

 

 ベル・ダンディアと異界の門との静かな戦いが始まる。

 

 異界の力はベル・ダンディアの光に阻まれ、その蠢きを抑え込まれた。だが、依然として外へ向かおうとする力に限りは見えない。ベル・ダンディアの顔は早くも疲れの色に染まっていく。

 

 ここ数日の間、同じことを何度繰り返したことか。その度に海の生き物達は住処を追われ、徐々に追い詰められていく。これが自分の最期になるかもしれない。段々とかすれて行く己の意識の中にそんな考えが浮かんだ。ベル・ダンディアの光が弱まっていく。

 

 海流に逆らい直進してくる影。その影がベル・ダンディアの上を通過するとその前に踊り出た。

 

「ジューゴン」

 

 ベル・ダンディアは叫んだ。

 

「ベル・ダンディア様。仲間達は皆、鎧蛇の島へ向かっております。もう十分です。一緒に引きあげましょう」

 

「ジューゴン……ありがとう」

 

 ジューゴンはやつれているベル・ダンディアを励ましながら、異変によって変質した海水を鋼と化した己の角で切り開き、道を造り出す。ベル・ダンディアはジューゴンにつかまりながら、彼と共にその道を行く。鎧蛇の島を目指して。

 

 

 

 ここは鎧蛇の島の海岸。海岸には無数の石でできた塔が建っていた。その塔の一つがぐらぐらと振動し、中から巨大なヤドカリが姿を現した。

 

 ヤドカリは暫しの間、遠くの海に向かって両眼を凝らしていたが、突然甲高い声を上げた。何事かと思った他のヤドカリ達も己の塔から次々と這い出る。

 

 そこへ一頭の一角獣が駆けて来た。

 

「どうした。また侵略者共が現れたのか」

 

 だが、駆けつけた一角獣は物見のヤドカリ達の仕草をじっと見つめ、物見の伝えたいことが別にあることを知った。

 

「そうか、同胞達が向かっているのか。ならば丁重に出迎えないとな」

 

 一角獣はそう言うと安堵のため息をついた。

 

 鎧蛇の島の住人は、海の仲間達を快く受け入れた。元々、ここの住人は排他的な傾向があるのだが、侵略者という共通の敵を前にしたことで、皆の結束力はかつてないほどのものとなりつつある。

 

 ふと一角獣は遅れて海を突き進んでくる影を見つけた。咄嗟に物見の方を向いたが、物見の仕草で、それも自分達の仲間であることを知り、ほっとする。

 

 その影は海岸に辿りつくと、一気に砂浜に打ち揚げた。一角獣はその側へ急いで駆けていった。海洋で生活を営む海獣。そしてその背にいる女性は。

 

「あなたは。ベル・ダンディア様」

 

 一角獣は驚いた。慌てて、ぐったりとしているベル・ダンディアの元へ駆けよる。

 

「ああ……。アインホルンですね。ジューゴンが助けてくれました……。早く彼の手当てをしてあげなくては」

 

 ベル・ダンディアはそう言うとジューゴンの背から滑り落ちた。ジューゴンもベル・ダンディアも共に虫の息だった。

 

「なんということだ。早くこの二人を治療しなければ。急いで手当の準備を」

 

 アインホルンは側にいた銀色の小動物達に呼びかけると、自分はベル・ダンディアを背に乗せ、森林の方へ向かう。小動物達は海獣の巨体を島の内部へ運ぶわけにもいかず、まだ異変によって浸食されていない清らかな海の方へ、ジューゴンを引っ張る。

 

 島の獣達の治療のかいもあって、ベル・ダンディアは森林の中で活力を取り戻した。ベル・ダンディアは島の獣達に感謝の言葉を述べ、それからアインホルンに尋ねた。

 

「あの。ジューゴンは」

 

「あの海獣でしたら、共にこの島に来た、彼の仲間達が手当てをしております。大丈夫、意識も取り戻したそうですよ」

 

 アインホルンは彼女を安心させる為にそう言い聞かせた。

 

「そう……。良かった」

 

 ベル・ダンディアはほほ笑んだ。彼女がこの島に来てから初めて周囲に見せた笑顔。それを見ると、アインホルンは、照れくさいやら、くすぐったいやら、何故かそんな気分になった。

 

「実は私がこの島に参ったのは、仲間達を助ける為の他にも理由があるのです」

 

 ベル・ダンディアは本題をきりだした。アインホルンは首を傾げた。

 

「ミッドガルズ……彼の力がどうしても必要なのです。」

 

 その言葉にアインホルンは驚愕する。周囲の小動物達がざわめいた。

 

「なんですと、あの災厄をもたらすという大蛇の封印を解くと言うのですか。そんなこと……」

 

「ミッドガルズは確かに乱暴を働き、島の者達にも迷惑をかけてきました。ですが、本当は優しい心の持ち主なのです。私とミッドガルズは古くからの付き合いですからね。きっと私が頼めば侵略者との戦いにも協力してくれることでしょう」

 

「しかし……」

 

「お願いです。この島に封印されている彼の元へ案内してください」

 

 アインホルンはどうにかして諦めさせることは出来ないかと思ったが、ベル・ダンディアの真剣な面持ちを見つめているうちに、その考えが薄れて行った。やがて、アインホルンはしぶしぶしながら言った。

 

「承知しました。では、私が案内を致しましょう。着いてきてください」

 

 アインホルンはそう言うと島の中央の火山がある方角へ向かって歩き出そうとした。

 

 その時、海岸の方で爆音が響き渡った。辺りが激しく振動する。ベル・ダンディアとアインホルンが海岸の方を振り返る。小動物達が慌てふためき、中には森林の奥へ逃げ出す者もいた。

 

「奴らか。何だ、この振動は。今までとは様子が違うぞ」

 

 ベル・ダンディアはさっとアインホルンの方に振り返ると、強い意志を込めた眼差しで彼を見た。

 

「急いでください。この島を救う為にも今すぐにミッドガルズの封印を解かなければ」

 

 アインホルンは彼女の強い眼差しに押され思わず頷く。

 

「ミッドガルズはこの島の休火山の噴火口に封印されております。さあ、こちらへ」

 

 二人は島の火山に向かって、先を急いだ。

 

 島を襲撃したのは、二体の巨大な怪鳥、それに青い装甲を持った人型の兵隊の集団だった。未だかつて見たことのない強大な侵略者を前にしても、島の獣達は果敢に立ち向かう。ジューゴンをはじめとする海の住人達も、侵略者を撃退するべく懸命に戦う。

 

 恐ろしいことに地上の侵略者達は島の内部の方から出現した。すなわち、この島のどこかに異界の門が出現したということになる。

 

「おい、誰か、アインホルン達にこのことを知らせるんだ。何とかして奴らの出所を突きとめないことにはこちらが不利だ」

 

 ジューゴンの叫びに応え、鋼と化したモモンガルが森林の中を木から木へと飛ぶ。

 

 一体の怪鳥がジューゴンの頭上をかすめる。

 

「おのれ、侵略者。お前達の好きにはさせないぞ」

 

 今の戦力ではこの怪鳥達には到底太刀打ちできない。ジューゴンは迫りくる青い兵隊たちに備え、身構える。

 

 物見のヤドカリ達が右往左往する中に怪鳥が急降下を仕掛けてきたかと思うと、凄まじい衝撃波によって物見が住居としている石の塔が次々と粉砕される。再び上昇する怪鳥。その両足には二体のヤドカリが掴み上げられていた。

 

 誰もがヤドカリ達の最期を悟った。だが、次の瞬間。

 

 彼方より飛来する、怪鳥よりも大きな影。銅を思わせる色彩の体を持つ、巨大な飛龍が飛来した。

 

 新たな侵略者の出現。地上の獣達はそう思い怯えた。

 

 ところがその飛龍は、ヤドカリを両足の爪で掴んでいる怪鳥に正面から衝突したのである。怪鳥は思わずヤドカリ達を放し、ヤドカリは海に落ちていく。

 

 飛龍は怪鳥が態勢を立て直す前に方向転換をすると、墜落していくヤドカリ達を素早くその足に掴み、海岸に下ろした。

 

 敵も味方も唖然とした。飛龍の容姿は、あの怪鳥達よりも侵略者らしい。それなのに、飛龍はこの世界の生き物に協力し、あの怪鳥の方が侵略者としてこの世界の生き物を襲っている。

 

 飛龍は上空の怪鳥へ向かって突っ込んでいく。

 

「仲間なのか。あの飛龍は……」

 

 ジューゴンは眼の前の青い兵隊達の存在にはっとなり、言葉を切った。

 

 そうだ。何よりも今はこいつらを撃退することが先決だ。

 

 突如出現した上空の仲間に勇気づけられた獣達は、一丸となって侵略者に立ち向かう。

 

 

 

 火山の噴火口を目指して先を急ぐ、ベル・ダンディアとアインホルン。火山の中腹まで差し掛かった時、突如二つの機人が現れ、行く手を遮った。肩から大型の筒を生やしたこの銀色の機人達にベル・ダンディアは見覚えがあった。

 

「この者達は……。前に門から出てきた侵略者」

 

 二体の機人はアインホルンの足元に向かって砲弾を放った。避けきれず、アインホルンは中空に吹き飛ばされた。ベル・ダンディアも放り出される。

 

 すぐさま立ち上がったアインホルンがその機人達に向かって鋼の角を突き立てる。

 

「ベル・ダンディア様、この侵略者どもは私が喰い止めます。噴火口はすぐそこです。あなたは急いでミッドガルズを」

 

「はい。アインホルン、どうか気を付けて」

 

 ベル・ダンディアは起き上ると、一人で頂上を目指して這って行く。

 

 アインホルンは悔しかった。ベル・ダンディアを一人で先に進ませることしか選択できない己の無力さが。しかし、この二体の機人を相手に自分ができることは精々、足止め程度であろう。

 

 幸い、機人達はベル・ダンディアには構わず、あくまでアインホルンに向かってきた。

 

「よし、いい子だ。お前達の相手はこの私だ」

 

 アインホルンと機人達の戦闘が始まる。

 

 

 

 一方、ベル・ダンディアは噴火口のすぐ近くまで辿り着いていた。彼女は周囲に注意を払う。

 

(とにかく、ここの封印が結ばれている印を見つけなければ)

 

 噴火口を覗こうとしたベル・ダンディアは、後ろに何者かの気配を感じ、咄嗟に振り返った。

 

 そこには、無機的な色彩を帯びた赤子がいた。赤子の背中には腕を二つ繋げたような物体が張り付いており、その先端にはそれぞれ鉄球が付いている。

 

「あなたは……侵略者なの」

 

 その言葉を聞くと赤子は笑みを浮かべた。邪悪な笑みだった。

 

 ベル・ダンディアが思わず、後方に下がると、赤子は鉄球を振り上げた。

 

 危ない。振り下ろされた鉄球を間一髪で避けると、ベル・ダンディアは身構えた。

 

「そう。あなたも侵略者なのね」

 

 笑みを浮かべたまま襲いかかる赤子。ベル・ダンディアは両手に光を集め、それを強い熱量を伴った矢に変え、赤子に向かって放つ。だが、赤子はその光の矢を難なく弾いてしまった。

 

 襲い来る赤子から逃れるべく、ベル・ダンディアは噴火口の中の方へ滑りおりていく。赤子がしつこく追いすがる。

 

「あった、印だわ」

 

 ベル・ダンディアは、蛇の紋章が描かれた岩に向かって急いで這っていく。その岩の前に辿り着いた時、後ろであの鉄球が空を切るのを感じた。ベル・ダンディアは慌てて、よこに転がって、これを避ける。

 

 振り下ろされた鉄球が紋章の描かれた岩を粉々に砕いた。

 

「あ、印が」

 

 途端に大地を揺さぶる振動が起こる。噴火口の内部が次々と崩れて底知れぬ深淵に呑み込まれていった。ベル・ダンディアと、赤子の姿をした侵略者も足場を失い、その深淵に呑み込まれていった。ベル・ダンディアの悲鳴が、火山の内部に木霊する。

 

 突然の火山の噴火。島のあちこちで侵略者と戦っている者達、そして侵略者達ですら一瞬その動きを止めた。

 

 ミッドガルズが封印されたその日から鎧蛇の島の火山は活動を休止していたのだ。それが、今になって突然噴火したということは……。

 

「じゃははははは。娑婆だ娑婆だ。久方ぶりの娑婆だ」

 

 島全体に響き渡る甲高い声。紛れもない、この島の暴君と呼ばれた者、鎧蛇竜ミッドガルズであった。

 

「この俺の封印を解いてくれるなんて、どこの愚か者かと思ったが、まさかあのロキだとはなあ。おまけにそこへ居合わせたのが、ベル・ダンディア嬢だと。こんな愉快なことは生れて初めてだわ」

 

 ミッドガルズの頭部に捕まっていたベル・ダンディアが彼に言う。

 

「ロキですって。まさか、そんな。一体どう言うことなのですか。ミッドガルズ」

 

 ミッドガルズは満面の笑みを浮かべると、ベル・ダンディアに言った。

 

「嬢よ。あなたを襲ったベビー・ロキは、ロキが遠隔操作している端末だったのだ」

 

「あの、赤子が……」

 

「なに。単なるロキの悪い冗談さ」

 

 ベル・ダンディアがはっとなり、ミッドガルズに言う。

 

「いけない。ミッドガルズ、急いで島を襲っている侵略者達を……」

 

 だが、ミッドガルズは僅かに首を振り、こう言った。

 

「いや、もうその必要もなさそうだ。この島の者達は、あなたが思っているよりもずっと強い。見たまえ、嬢」

 

 ベル・ダンディアがミッドガルズの背に捕まったまま、上空から島全体を見渡した。

 

 結束した獣達の前に、追いつめられる侵略者の一軍。海岸沿いでは、あのジューゴンやオッドセイなど、海の仲間達や、物見のヤドカリ達が、次々と青い侵略者達を撃退していた。森林のあちこちでも森の獣達が、侵略者達を追い込んでいく。

 

 火山の中腹で機人達と戦っていたアインホルン。形勢は不利だと思われたその戦いも、モモンガルが集めた仲間達の働きもあり、機人達を、その先にある門の側まで追い込んでいた。

 

「あ、あれは」

 

 この侵略者達にとっての重要戦力となっているのであろう、天より飛来する二体の怪鳥。その怪鳥の片方を、今、一体の飛龍が破壊したところであった。

 

「ヴァルキュリウス」

 

 もう片方の怪鳥は、もはや勝ち目はないと判断したのだろう。一声金切り声を上げるとそのまま彼方の空へと撤退していった。その声を聞いた他の侵略者達もすべて、門へと撤収していく。

 

「みんな、ありがとう……本当にありがとう」

 

「さてと、俺は自分の用を済ませにいくとするか」

 

 そう言うやいなや、ミッドガルズは火山のふもとの森のあたりに頭部を向けると、その森へと潜り込んでいった。ベル・ダンディアは振り落とされないようにと、必死にミッドガルズに捕まる。

 

「ロキの端末よ。そこにいるのだろ。出てこい」

 

 ミッドガルズの声に応え、先ほど火山に落下していった筈のあの赤子……ベビー・ロキが草むらをかき分けて現れた。

 

 それを見つけると、ミッドガルズはベル・ダンディアには内容を理解できない、奇妙な電子音声でベビー・ロキに話しかけた。

 

(ロキよ、聞かせてもらおうか。お前の目的を)

 

 ベビー・ロキが同じく、電子音声でミッドガルズに答える。

 

(ミッドガルズ。我が愛しい息子よ。よく眼覚めてくれたね)

 

(息子だと。道化め。あいにくだが、俺の方ではお前のことを親だなどとは思ってはおらぬわ。望みもせぬ機械の体を与えられたこの恨み、片時も忘れたことはない)

 

(言ってくれるなあ、ミッドガルズ。君の為を思ってしたことなのに)

 

(御託はいい。要点だけ聞かせてもらおうか)

 

(ああ、分かったよ、ミッドガルズ。実は間もなくこの世界に【虚無】が現れる)

 

(【虚無】だと。生きている間に再びその名を聞く時が来ようとは夢にも思わなかったぞ)

 

(そう、【虚無】の名を口にするのは我々の間でもタブーでね。オーディーンやトールにこのことを言ってもてんで相手にしてくれない。僕の友人のスルトですら知らんぷりだしね)

 

(そうか。それでオーディーン達は侵略者としてこの世界を狙っているのか)

 

(あいつらは焦っているんだ。一刻も早く、この世界を力で以て制圧し、ソールの歌声を利用して、この世界に機械化された調和と結束の力を与え、来るべき【虚無】を迎え撃つ為の拠点としなければならないとね)

 

(ソールを利用するだと……。だが、お前も見ただろう、この世界の獣達の力を。勿論、お前の同胞達がもたらした機械の力も一役かっているがな)

 

(そう。だが、僕の同胞達は、完全に機械化され、完成された力でなければ【虚無】には太刀打ちできないと考えているんだ。その為には一片の汚点も許されない、完成された世界が必要だとね。ソールを利用する話だって、彼女が従わなければ、迷わず消滅させるつもりらしい)

 

(それはまずいな。ソールにはこの俺とて恩がある。むざむざと見捨てるわけにはいかぬ)

 

(それを聞けたなら、僕が言うことはもうない。君には僕の同胞達からソールを守りぬいて欲しんだ。もちろん、君だけの力ではいささか不安だから、ヘルやフェンリルにも起きてもらわないと困るがね)

 

(ふん。言っておくが、俺はお前の頼みを聞くつもりなどない。ただ、ソールへの恩を返さなければならない。あのお方の為に、俺は戦おう)

 

(分かってくれて嬉しいよ、ミッドガルズ。全く、言い方が素直じゃないなあ……)

 

 電子音声がぴたりと止むと、それきりベビー・ロキは動かなくなった。

 

「いけ好かない奴だ」

 

 ミッドガルズが吐き捨てた。

 

「ミッドガルズ。何か分かったのですか」

 

 ベル・ダンディアが問う。

 

「まず、こちらから問おう。嬢よ、あなたは、これから俺にどうしてもらいたいのだ」

 

「それは……。実はあなたには、私を連れて、この世界を治めるソール様のもとへ向かってもらいたいのです」

 

「ほう。それから」

 

「はい、それから、ソール様の許可を頂いて、塔の古井戸に眠るヘルの封印を解き、ヘルの力でかの地のフェンリルを目覚めさせてもらうのです」

 

 そこまで話を聞いていたミッドガルズが天地を揺るがすほどの大声で笑った。

 

「嬢、あなたは何もかも分かっていらっしゃる。ロキめ。とんだ無駄足だったな」

 

 ベル・ダンディアにはミッドガルズの言うことがよく呑み込めなかった。

 

 

 

 

 アインホルンが侵略者達の拠点となっていた門を発見し、これを破壊したことで戦いは終わった。仲間への被害も大きかったが、今回の勝利で、島には活気が戻っていった。

 

「それでは、ソール様の元へ……」

 

 アインホルンが言う。

 

「ええ。侵略者達も本腰を入れてきているらしいのです。こちらも早く迎え撃つ準備を整えなければ」

 

 ベル・ダンディアがそう答える、海から潮風が吹いてきて、彼女の長い髪が揺らめいた。

 

 あの戦いが終わった後、浜辺では海の仲間達と島の獣達が語らい、賑わっていた。

 

 ベル・ダンディアは傍らにいる飛龍に向かって手を差し伸べ、その金属質の頭を優しくなでた。

 

「ヴァルキュリウス……すっかり変わり果ててしまって」

 

 ヴァルキュリウスにはもはや、元の面影がほとんど残っていなかった。かつてベル・ダンディアをその背に乗せて共に空を旅した、飛龍ヴァルキュリウス。ヴァルキュリウスは無機的な音声の鳴き声を小さく響かせた。

 

 ジューゴンがベル・ダンディア達の元へ這いあがってきた。

 

「ベル・ダンディア様。ソール様の元へ向かうと聞きましたが……」

 

 ベル・ダンディアは、ジューゴンに向かってほほ笑んだ。

 

「そうです。ミッドガルズがロキから聞いたという話によると、ソール様の身にも危険が差し迫っています。それにヘルとフェンリルの力も借りなければなりません」

 

「……。分かりました。どうかお気をつけて、ベル・ダンディア様」

 

「あなたもね、ジューゴン」

 

 それからベル・ダンディアは両手を広げるとこう言った。

 

「星導く使者たちよ。私のもとへ」

 

 すると、海の中から無数の星型の生物、ヒトデムが浮かび上がり、ベル・ダンディアの元へと集まって来た。

 

「あなた方には、重要な任務をお願いしたいのです。今すぐ、この世界に散らばり、皆に呼びかけるのです。この世界のすべてに、例外なく危機が迫っている。間もなく、皆の元に、歌姫の歌声が届けられる。今こそ力を合わせ、侵略者たちに立ち向う時、と」

 

 ヒトデム達ははたはたと体全体を動かし、了解の意を示した。

 

「ありがとうございます。あなた方の働き、期待しております」

 

 それから、ベル・ダンディアは二体のヒトデムを近くに招き寄せた。

 

「あなた達には、これから、鎧装獣の王、ベア・ゲルミルの元へ向かってもらいます。そこには、私の姉のウル・ディーネ、それに妹のスクルディアがいる筈。その二人に一刻も早くソール様の元へ赴くよう、伝えてもらいたいのです」

 

 ヒトデムは仕草でこれに応じた。

 

 それから、ベル・ダンディアは、ヴァルキュリウスの方へと向き直った。

 

「ヴァルキュリウス。あなたにはこの島にとどまり、島を守ってもらいたいのです」

 

 ヴァルキュリウスは、無機的な音声を響かせ、応える。

 

 そこへ、島を覆うほどの大蛇、ミッドガルズが割って入った。

 

「では、嬢。名残り惜しいだろうが、そろそろ向かうとしようか」

 

「ええ。ミッドガルズ。では、参りましょうか」

 

 ベル・ダンディアが大蛇の背に這いあがる。

 

「待ってください、ベル・ダンディア様。私も共に参ります」

 

 そう叫んだのはアインホルンだった。

 

「アインホルン……、でも」

 

「俺は別に構わないぜ。乗りな、若いの」

 

 ミッドガルズが言った。すぐさまアインホルンは前足から一気にミッドガルズの上に飛び乗る。

 

「アインホルン……、これから向かう先ではおそらく、これまでよりも激しい戦いが待っているのです。あなたにはこの島にとどまって仲間達とここを守ってもらった方が……」

 

 だが、アインホルンは意を決した眼差しでベル・ダンディアを見て、こう言った。

 

「私の力では微々たるものでしょう。ですが、少しでも、あなた様や、ソール様のお力になりたいのです」

 

 ベル・ダンディアとアインホルンが見つめ合う。

 

「この一角獣は嬢の為に戦いたいのだとさ。連れていってやりな、嬢」

 

 ミッドガルズがそう言うと、アインホルンは思わず赤面し、頭を伏せた。その様子を見て、ベル・ダンディアも微かに頬を染める。

 

「アインホルン、あなたのお力添え、感謝致します」

 

 すると、ジューゴンがアインホルンの側に這って行って、こう呟いた。

 

「アインホルン、どうかベル・ダンディア様を守ってくれ」

 

 そう言うジューゴンの顔はどことなく悔しそうでもあった。アインホルンは頷いた。

 

 二人を乗せると、島を覆っていた大蛇はゆっくりと浮かび上がった。それに呼応するかのようにヒトデム――星導く使者達も大蛇の周囲に浮かび上がる。

 

 ベル・ダンディアとアインホルンが仲間達に別れを告げる。大蛇は天空にその体を伸ばすと、ソールの住まう塔のある方角を向いた。

 

 ベル・ダンディアは上空から島を見渡した。

 

 破壊された島を立て直す獣達。新しい石の塔をいそいそと彫り出す物見のヤドカリ達。海辺では、今までベル・ダンディアと苦楽を共にしてきた仲間達が、彼女を見上げていた。名残惜しそうにしているジューゴンの姿も。

 

 ベル・ダンディアの側を機械の飛龍が飛ぶ。飛龍ヴァルキュリウスは作りものめいた鳴き声で別れの言葉を伝える。

 

「みんな……さようなら。また逢う日まで」

 

 ベル・ダンディアが呟く。

 

 ミッドガルズは全身に力を込めると、ベル・ダンディアとアインホルンを乗せたまま、ソールの住まう塔を目指して飛び立った。

 

 それと同時に、周囲のヒトデムの集団も各地へ散らばって行く。それぞれの目的を果たす為に。

 

 

 

 星導く使者。

 危急告げるため、かいくぐる放火。

 誘う先は、叡智秘めし三姉妹。




関連カード


●ベル・ダンディア

叡智極めし三姉妹の次女である魔人。
北欧神話におけるベルダンディは現在を司る。
カードでは三姉妹が揃うとコアステップでコアを増やすほか、巨獣を回復させる効果を持つ。

イラストでは水中の珊瑚の傍で魚と戯れている様子が描かれているので、
海の生き物と暮らしていたという設定で登場。
他の姉妹と同様に、物語における重要人物。

●海獣ジューゴン

硬い角を使って同胞を導く、海獣。

本章では変質した海水を角で切り開きながら、前進する。
ベル・ダンディアとはともに海で暮らしていた。

●オッドセイ
主を守護する使命を課される機獣。
その名前の通り、オットセイがモチーフ。

●タワーミットクラブ
湾岸線で侵略者を警戒しているヤドカリ。
見張り台を住処にしている。

本章では、鎧蛇の島の物見として登場。

●一角獣アインホルン
異界の門を破壊する活躍をしたことからか、勇者と呼ばれている。

本章では鎧蛇の島の獣として登場。ベル・ダンディアのお供となる。

●鎧蛇竜ミッドガルズ
北欧神話ではロキの息子であり、世界を覆うほどの大蛇。
フレーバーテキストでは、歌姫の歌に応えた生命たちの中心となり、塔へ通じる谷間で侵略者たちとの決戦に備えている。
イラストでは島が描かれており、火山から噴煙が昇っている。

自分の小説に登場する鎧蛇の島は、鎧蛇竜ミッドガルズのイラストに描かれている島がモチーフ。

●モモンガル
フレーバーテキストは白の章第2節。

本章では鎧蛇の島の住人として登場。

●ウィンガル
鳥の姿をしているが系統:武装のスピリット。
フレーバーテキストによると、門は天と地上の双方に現れているらしい。
ウィンガルに関しては地上の門から舞い上がっていると思われる。

本章における二体の怪鳥はウィンガル。
カードのイラストにおいてもウィンガルは二体描かれている。

●バーサーカー・マグナム
バーサーカー・ガンの強化型と思しき動器。
フレ―テキストは白の章第8節。歌姫の塔を攻撃する際の主力となっているらしい。

本章における「青い装甲を持った人型の兵隊の集団」とはバーサーカー・マグナムのこと。
固有名詞はなく、無数に登場する。

●デュアルキャノン・ベル
門と共に現れる侵略者。
門を守護している。

本章の「肩から大型の筒を生やしたこの銀色の機人達」とはデュアルキャノン・ベル。

●ベビー・ロキ
フレーバーテキストは白の章第4節。
ロロの放った渾身の一撃をあっさり跳ね返している。

自分の小説では、ロキと名乗る存在が遠隔操作している端末として登場。
なお、フレーバーテキストのエピソードは後の章で出てくる。

●飛龍ヴァルキュリウス
肉体を機械にのっとられ、機竜となった龍。
それでもくじけずに侵略者と戦っている。

本章ではベル・ダンディアの親友として登場。
外見からは元の面影がほとんど残ってはいなかった。

●ヒトデム
「星導く使者」と称されるヒトデ。伝令の役割を担っているらしい。
このカードのフレーバーテキストにおいて、「叡智極めし三姉妹」という記述が出てくる。


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第六章 姉弟

『白銀の竜騎』

 

 

 虚無の項

 

 

 

 天空を横切る白き龍。白夜の地を治める慈悲深き帝と称される、空帝ル・シエル。そしてその背には帝に忠誠を誓う白き騎士ヴァルグリンドの姿もあった。

 

 この地にある白夜の虚空の異変。それを抑え込むことが彼らの任務である。先に調査をした者の話では、空間の歪みが破れ、抑圧されていた【虚無】が噴き出したらしい。

 

 なんとしても【虚無】を封じなければならない。固い信念を胸に秘め、ル・シエルとヴァルグリンドは白夜の虚空を目指す。

 

 白夜の虚空の裂け目に到着すると、ル・シエルはその側の宙に止まり、これと対峙する。予想していたよりも、空間の裂け目が大きい。白夜の虚空は妖しく蠢き、周囲にこの世のものならぬ瘴気を吐き出している。

 

「ヴァルグリンド、余がこの空間を固定する。汝はこの空間の綻びを繋ぎ合わせよ」

 

「かしこまりました。帝」

 

 ル・シエルの口から白銀の閃光が放たれた。閃光が白夜の虚空とル・シエル達を大蛇の様に動きながら取り囲むと、白夜の虚空の蠢きが弱まっていく。ヴァルグリンドがル・シエルの背より浮かび上がると、手慣れた動作で【虚無】の封印に取りかかる。

 

「む。なんだ、あれは」

 

 ヴァルグリンドが呟いた。空間の歪みより浮かび揚がる二つの光球。その二つの光球は一瞬浮かび上がったかと思うと、ゆっくりと下に落ちて行く。

 

 あわや、ル・シエルの放った閃光に触れそうになったが、すんでのところで、ル・シエルが左腕を差し出し、二つの光球を受け止めた。

 

「帝よ、それは一体……」

 

 空間を繋ぐことに掛かりきりであった、ヴァルグリンドがル・シエルに尋ねた。

 

「これは、小さき命。この世の者ではないな。大方、隣り合う世界より迷い込んだのであろう」

 

 ル・シエルは自分が受け止めた存在――既に光を失っている二人の赤子を見定めながら言った。

 

「なんですと、それでは、今すぐにでもその者らを【虚無】にお戻しにならなければ」

 

 ヴァルグリンドに焦りの色が見られた。

 

「【虚無】に還すだと。この無力な、罪なき命を」

 

「ですが、帝よ。もしもその者らをお連れになれば、神のお怒りに触れることとなりましょう。」

 

「神か。余と神の不仲は汝も知っておろう。神が異界の者の存在を容認できないからといって、余がそれに服従する道理などないわ」

 

「確かに、民の多くは神よりも帝を慕っております。しかし、これ以上、神をお刺激なさると、帝ご自身の御身が危ういかと……」

 

「余はあの様な神に跪く気などないぞ。これは、余の決めること。この者達はあまりにも無力な存在だ。この場で出会ったのも何かの縁であろう。余はこの者らをこの世界の住人として育てる。依存はあるまいな」

 何時になく、確固とした信念を見せるル・シエル。ヴァルグリンドには、何故、ル・シエルがそこまでこの異界の小さき命に固執するのか分からなかった。

 

「……は。かしこまりました」

 

 ヴァルグリンドには、それ以上何も言えなかった。

 

 ル・シエルによって救われた双子の姉弟。そもそも片方が姉なのか妹なのか正確には分からないのだが、ル・シエルが私的に藍紫の地の帝である、オプス・キュリテに尋ねたところ、オプス・キュリテがそう決めたのである。

 

 オプス・キュリテはこの世界の最長老であり、他の地を治める帝や、一部の神ですら頭があがらないと言われている賢人でもあった。

 

 姉の方はハク、弟の方はクウと名付けられた。名付け親はオプス・キュリテである。ル・シエルの方には、少々不満もあったのだが、オプス・キュリテにはいささか頑固な面もあるので、しぶしぶしながらも従った。

 

 ハクは成長するにつれ、自分を救ってくれたル・シエルに対する思惟の念を強めていき、ヴァルグリンドと同じ、帝を助け、その半身と称される竜騎となることを心に決め、日々の鍛錬を怠らなかった。

 

 弟のクウもル・シエルを慕っていたのだが、彼は生まれつき体が弱く、ル・シエルは【虚無】の瘴気が度々はびこるこの世界の環境に、彼が耐えられないのではと危惧していた。

 

 

 

 各地を統治する帝。その帝の上にはそれぞれの神がおり、その地域を【虚無】より守り、世界そのものを支えるという役割が神にはある。

 

 【虚無】が何故この世界に出現したのかは定かではない。ただ、神々と、闇帝オプス・キュリテなど、ごく一部の者は何かを知っているらしい。

 

 白夜の地を支える役目を担う神と帝は折り合いが悪かった。この機械化した体を持つ白の神は、機械的に管理された世界の創造を行い、その妨げとなる存在があれば、同胞でも容赦なく切り捨てた。

 

 その行いは他の何柱かの神にとっても冷酷なものとして映ったが、他の神の地域への干渉は、原則として禁じられていた。

 

 各地域の交流は、精々、帝やその側近の竜騎たちが集う円卓における情報や意見の交換程度にとどまる。

 

 白の神にとって度々意見の食い違うル・シエルは気に入らない存在でもあったのだが、帝を信望する民は多く、また、神を支える神将にまで密かにル・シエルに賛同する者がいたため迂闊に切り捨てることは叶わなかった。

 

 この時点で既に、白の神の望みがこの世界の維持ではなく、何かもっと別の――具体的には分からないが――ものであることにル・シエルは気付いていた。

 

 相次ぐ【虚無】の出現の多発。白の神の不穏な動き。両者には何らかの関連性があるというル・シエルの洞察は、後にル・シエル自身への悲劇に繋がることとなる。

 

 姉弟の別れのきっかけは些細なことであった。ある日、ハクの弟のクウが、神に対するちょっとした愚痴を口にしたのが、神の手の者の耳に入り、その者が神に告げ口をしたのである。

 

 これには、日頃から神のことを快く思っていなかったル・シエルがハクやクウ達に神のことを語る際、露骨に悪い印象を与えていたことも大きく関わっている。ル・シエルは後に酷く後悔することとなる。

 

 ル・シエルが住まう皇室に突如、ル・シエルに仕えているもう一人の竜騎、アルブスが武器を構えて乗り込んで来たのである。

 

「無礼な。アルブス、これは何のまねだ」

 

 ヴァルグリンドが怒りをあらわにしてアルブスと対峙した。

 

「神の御命令だ。即刻、帝がかくまっている異世界の者の身柄を此方に引き渡してもらおう」

 

「神だと……」

 

「そうだ。ヴァルグリンドよ、お前も従え。もはや取り返しのつかないところまで来ているのだ。これ以上神を刺激なさると、我らが仕えている帝の御身までもが危険にさらされるのだぞ」

 

 ヴァルグリンドは、項垂れると、黙ってアルブスを通した。

 

「姉上、怖い……」

 

 クウが思わずハクにしがみ付く。二人は、ル・シエルによって、皇室の奥の隠し部屋にかくまわれていた。

 

「クウ。黙っていて。きっとル・シエル様が助けてくれます」

 

 クウには自分のしたことがこの一大事を招いたのだということがようやく分かった。このままでは姉やル・シエルまで巻き込んでしまう。ひょっとしたら自分一人が犠牲になれば姉とル・シエルを救えるのかもしれない。だが、クウはアルブスの元へ出て行く勇気が持てなかった。

 

 壁を突き破る重い音。姉弟がはっとなり、そちらを向く。そこにはアルブスの姿があった。

 

「やはりここにいたか。帝には悪いが、お前達には消えてもらう。その方がこの俺にとっても何かと都合が良いのでな……」

 

 アルブスが銃を構える。クウが悲鳴を抑え、ハクに顔を押し付ける。ハクはきっとアルブスを睨んだ。固い信念を秘めた強い眼差し。

 

「その眼だ、その眼が気に入らない。ようやく、神の命でもってお前達を消滅させることができる」

 

 アルブスの銃から閃光が放たれる。その刹那。

 

 ル・シエルが姉弟とアルブスの間に飛び出し、アルブスの放った閃光をその身で以て弾いた。アルブスとル・シエルが真正面から睨みあう。

 

「帝。これは神の厳命であられる。例えあなた様でも、従っていただかなければならないのですよ」

 

 アルブスはあくまで平然としていた。ル・シエルがおもむろに口を開く。

 

「アルブス。この者らに罪はない。あるのはこの余だ。余が自ら神の元へ出向こう。そして余が神より裁きを受ける。」

 

「なんですと。そんな事……」

 

 アルブスが言いかけた時。突如、ヴァルグリンドがアルブスとル・シエルの横をすり抜け、姉弟の前に立ちはだかる。

 

 ル・シエルとアルブスが思わずそちらに顔を向けた時、ヴァルグリンドは悲鳴を上げているクウを持ちあげていた。

 

「ヴァルグリンド、何をしている」

 

 ル・シエルが叫ぶ。ヴァルグリンドは黙ってアルブスの前に近づいた。

 

「ほほう。ヴァルグリンド、我が同士よ。お前は実に物分かりがいい」

 

 だが、次のヴァルグリンドの行動を見て、アルブスもル・シエルも、思わずあっと言った。

 

 ヴァルグリンドはクウを中空に放り投げると、その場に小規模な次元の裂け目を造り出した。クウはその裂け目に、音も立てずに呑み込まれていき、消失した。

 

「帝よ。どうかお許しください。こうする他なかったのです」

 

 ル・シエルはヴァルグリンドを見据えて、押し黙っていた。ヴァルグリンドはアルブスの方へ振り返るとおもむろに告げた。

 

「アルブス。この通り、神の名を傷つけたクウはどことも知れぬ異界へと追放した。帝やハクに責任はない。私が神の裁きを受けよう」

 

 アルブスは茫然としていた。

 

(この様な事、そのまま神に報告出来るものか。俺の責任が問われるわ)

 

 アルブスはヴァルグリンドに向かって言う。

 

「神の名を傷つけた者は俺の手で消滅させた。神にはそう伝える。そこにいる娘は、まあ、今回は見逃しておこう」

 

 それだけ言うとアルブスは背を向け、その場を去った。

 

 ヴァルグリンドがル・シエルの前に跪く。

 

「帝。申し訳ありません。どの様な罰であろうとも、甘んじてこの身に受けましょう」

 

 ル・シエルはヴァルグリンドを見降ろすと、こう言った。

 

「よい。よいのだ、ヴァルグリンド。汝は余とハク、それにクウをアルブスの手から救ったのだ。感謝している、ヴァルグリンド」

 

 ハクは押し黙っていた。頬を涙がつたう。いつか竜騎となって、ル・シエルの為に生きると誓ったあの時に、もう泣かない、弱音も吐かないと誓ったのに。

 

 突然、ハクは火が付いたように泣きだした。ル・シエルとヴァルグリンドがハクを見つめる。二人とも、ハクに対して、何も言えなかった。

 

 

 

 一面の銀世界。無機的な雪によって覆われたこの地上で、プラチナムは眼を覚ました。

 

(夢……か。竜騎となり、体を機械に変えた今となっても、こんなものを見るというのも、不思議なものだ)

 

 ヴァルグリンドが、空間を操ることができるというその能力を神に買われて神将となり、後釜として、神の指名によってハクが竜騎に選ばれた。

 

 何故、自分のことを快く思っていないであろう神が、自分を帝に仕える竜騎として指名したのかは分からない。ハクは慣習に従い、機械の体を与えられた。

 

 その後、帝は【虚無】に呑まれたことで、心を失い、神の保護下に置かれることとなった。

 

 この世界の調査を神によって命じられたプラチナムは、内心不承でありながらもこれに従い、この世界におもむいた。そして、この世界を調査していくうちに、プラチナムはあることを知り、驚愕した。

 

 弟が生きていた。この世界の道化に身をやつし、歌姫であるソールを始めとする氷の姫君達に奉仕する存在として。

 

 素顔は分からなかったが、双子の弟であることが、プラチナムには分かった。もっとも、今の立場上、直接顔を合わせることなど、到底叶わないが……。

 

 ダイヤモンドの月に照らされた夜空を、二つの星型の影が横切った。プラチナムにはそれが何であるのか分かっていた。

 

「星導く使者か……。いよいよ、この世界の獣たちも本格的に動きだすというところかな……」

 

 プラチナムがそこまで口にした途端、周囲から獣達が飛び出した。プラチナムは驚いた。まさか、自分に気配を感じさせない獣がいようとは。

 

 背に大筒を乗せた機械の狼の群れ。赤い者もいれば、一際大きい青い者もいる。

 

「獣達よ。私は侵略者では……」

 

 プラチナムは思わず言葉を切った。何かが違う。この狼達からは生気がまるで感じられないのだ。では、侵略者か。いや、違う。私は知っている。この獣達と同じ様な存在を……。

 

「久しぶりだな。プラチナム」

 

 背後で声がした。プラチナムは振り返る。そこに立っていたのは……。

 

「君はヴァルグリンド。何故ここに」

 

 ヴァルグリンドが答える。

 

「アルブスが我が神に告げ口をしたのだ。さすがの神もお前を信用できなくなっていたのだろう。それでこの私もつかわされた、というわけさ」

 

 ヴァルグリンドが冷たい笑みを浮かべる。自分の知っているヴァルグリンドとは違う。プラチナムはそう直感した。

 

「このフェンリルキャノン達、大したものだろう。ひょっとしたら、お前ですら討ち取られていたかも知れんなあ」

 

「この獣達に何をしたのだ。ヴァルグリンド。」

 

「なに、ちょっと心を【虚無】に喰わせただけのこと。手駒にするにはその方が、都合が良いのでな。なあ、大した人形だろう」

 

「ヴァルグリンド……。何故だ。何故お前はそこまで堕ちたのだ。」

 

「眼覚めた、と言ってもらいたいな。私はこの世界の真実を、真なる【虚無】を垣間見たのだよ、プラチナム」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは傀儡と化した狼達を招き寄せた。

 

「さて、プラチナムよ。お前が助けた獣……ハティと言ったかな。それにスクルディアにウル・ディーネ……」

 

 プラチナムの体を悪寒が奔った。次にヴァルグリンドが言わんとしていることを悟ったのだ。

 

「フェンリルキャノンどもの遊び相手に、丁度良いと思わないか」

 

 ヴァルグリンドが冷たく笑った。プラチナムは思わず手を振り上げ、虚空より、大剣を取り出そうとした。

 

「おっと。それはいけないなあ、プラチナムよ。お前が仕えている帝……お前の愛しいル・シエルが我らの神の手の内にあるということを忘れてはいまいな」

 

 プラチナムはむなしく手を下ろすとヴァルグリンドを睨んだ。

 

「アルブスの奴はその眼が気に入らないといつもこぼしていたな。だが、私にすれば、可愛いものだ」

 

 ヴァルグリンドは心を失った狼達に向き直る。

 

「さあ行け、フェンリルキャノン達。【勇者】の支えになるとかいう獣どもの力、試してやれ」

 

 狼達が一斉に、鋼の雪原を駆けて行く。

 

「まあ、神がこの世界に御降臨なさるまでの暇つぶしくらいにはなってくれよ」

 

 ヴァルグリンドはそう言うと、空間を捻じ曲げ、プラチナムの前からその姿を消した。

 

 プラチナムは黙って、遠くの方を駆けて行く狼達を見つめていた。

 

(ハティ……。私が助けた獣。君は私に似ているのだ。ただ一人の……そう、愛する人の為に命を賭ける騎士として)

 

 やがて、狼達の姿は地平線の彼方に見えなくなった。

 

 

 

 壊れゆく世界にさらなる破壊をもたらす獣。

 あらゆる抵抗を跳ね返し、求めるのは生命の消失。




関連カード


●空帝ル・シエル
七龍帝の一角。
白の世界に現れた虚無の龍。

自分の小説では元々は白夜の地を収める帝であったという設定。

●鍵鎚のヴァルグリンド
白の神将。
虚無の神を呼び覚ます者。

本章では先代の竜騎としても登場。

●パントマイスター
フレーバーテキストは白の章第3節。
道化たちは戦いに干渉しないとされるが
その例外がトリックスターとこのパントマイスターであるらしい。
ただし、ロロはこの時点で恐竜姫ジュラや竜狩りのアーケオルニ等の存在を知っている筈である。
道化の役割を担う者達と、種族として道化に属するというだけの者達という違いはあるのかもしれない。

自分の小説では生き別れたプラチナムの弟という設定。

●フェンリルキャノン
機獣であるが、生命の消失を求める者とされている。
外見的特徴は後の神狼機獣ラグナ・フェンリルも似ている。

自分の小説では、虚無に心を食われて虚無の軍勢の傀儡となった獣という設定。

●フェンリルキャノンMk-Ⅱ
フェンリルキャノンの上位種。

自分の小説では、フェンリルキャノンとほぼ同じ扱い。


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第七章 魔神機

 陸の項

 

 

 

 仲間がまた一人、倒れた。さすがのトールにも焦りの色が伺える。眼の前にいる岩の体を持つ象達も多くの残骸を晒していたが、未だ、戦意に衰えは見受けられず、果敢にトールの護衛の神機ミョルニール達を破壊していく。

 

 巨大な槌を持つトール自身も長時間の戦いで疲弊しており、これ以上の長期戦は不利であった。

 

 空の彼方より、巨大な要塞を思わせる船が近づいてきた。トールはその存在に勇気付けられた。

 

 空の船より、白き機人達、それに鯨を襲った者達と同じ姿をした飛行物体達が次々と舞い降りてくる。

 

「トール殿。私があなたの剣となりましょう」

 

 地上に降り立ったアスクが自ら、トールに進言した。トールが頷くと、アスクはその身を大剣へと変じさせた。トールはそれまで持っていた槌の代わりに大剣となったアスクを手にする。トールの手を離れた槌は瞬時にミョルニール本来の人型へと姿を変え、トールの盾となるべく、その身を投じた。

 

 トールが渾身の力を込めて大剣を振るう。凄まじい衝撃波が岩の象達を蹂躙し、その体が次々と粉砕されていった。

 

 

 

 巻貝を思わせる殻に籠る少女、魔人スクルディア。彼女は生れてからさほど時を経ていない。

 

 姉であるウル・ディーネはこの世界の原初より存在し、多くのものを見てきたという噂もあるが、定かではない。ウル・ディーネ自身、妹であるベル・ダンディアとスクルディアにすら多くは語らなかった。

 

 スクルディアには、己に課せられるべき使命に対する自覚はまだなかった。何故、獣達が命を賭してまで自分達を守り戦うのか、スクルディアには分かっていなかった。ただ、長女であるウル・ディーネの後ろに隠れ、言葉を閉ざし、震えるのみ。

 

 そのスクルディアが、初めて姉と引き離された。ウル・ディーネの判断で、侵略者達を撹乱する為に、獣達は二手に分けられた。その後の侵略者の追撃で、仲間とも逸れ、ただ一人、スクルディアの傍らにいた者の名は、銀狐ハティ。

 

 ハティは懸命だった。スクルディアを守るべく一所懸命に侵略者に立ち向かうハティの姿。今まで、姉達にしか心を開いたことのないスクルディアの脳裏には、あの銀色の毛をなびかせるハティの姿が焼きついて、離れなかった。

 

 

「ヘイズ・ルーン殿、それにスクルディア様。御無事で」

 

 侵略者を倒し、スクルディアを取り戻したヘイズ・ルーンを、ハティの兄スコールが出迎えた。

 

「ああ。何とか、スクルディア様を救うことはできた……。ただ……」

 

 ヘイズ・ルーンが言い終わらないうちに、急いで這いよってくるウル・ディーネ。スクルディアはヘイズ・ルーンの背より飛び降りると、姉に抱きついた。

 

「スクルディア……」

 

 ウル・ディーネの呟きをよそに、スクルディアはか細い声で「ハティが。ハティが」と繰り返した。

 

 その様子を見ていた、スコールは諦め顔で言う。

 

「そうか……、ハティは助けられなかったのか……」

 

「……ハティの姿はなかった。すまない、スコール」

 

 ヘイズ・ルーンが俯く。

 

「いや、ヘイズ・ルーン殿の働き、感謝している。見事、スクルディア様を侵略者の手から救いだしたのだから」

 

 ウル・ディーネが、スクルディアを優しく撫でていた手を止め、ヘイズ・ルーンの方へ向き直った。

 

「ヘイズ・ルーン殿、妹を救って頂き、ありがとうございます。……ハティのこと、さぞかし無念だったことでしょう……」

 

 ウル・ディーネが暗い面持ちとなる。

 

 獣達の一行はヘイズ・ルーン達を加えると、再び、移動を開始した。ハティの捜索を続けたかったが、怪我を負った者も多く、侵略者が現れる前に、ベア・ゲルミルの元へ向かわなければならなかったのである。

 

 多くの仲間を失った獣達。そのうえ、また一人の戦士の消息が途絶えたという。一行にはその事が重くのしかかっていた。

 

 

 

 突然、スクルディアが叫んだ。

 

「ハティ。ハティが近くにいる」

 

 驚いた獣達の視線がスクルディアへ向けられた。ウル・ディーネも驚き、スクルディアの顔をまじまじと見つめる。

 

「あそこ。あそこにハティが」

 

 獣達は一斉に、スクルディアが指差した方へ顔を向ける。鋼の原野の向こうより駆けて来る一つの影。疾走する銀狐の姿が。

 

「おお、ハティ」

 

 スコールが叫び、一行を抜け、ハティの方へ向かって駆けて行く。獣達の間から、歓声が沸き起こる。

 

「ハティ、よく無事だったな」

 

「兄さんこそ、仲間達を守り抜いたのですね」

 

 兄弟の契りを交わしたスコールが、傷ついた体のハティに肩を貸しながら、ハティと共に獣達の元へ戻ってきた。

 

 ハティが戻ってくると、スクルディアがウル・ディーネの側を離れ、真っ先にハティに抱きついた。

 

「ハティ、良かった。ハティ」

 

 スクルディアが泣きじゃくりながらハティに頭を押し付ける。

 

「スクルディア様……」

 

 ハティが呟いた。

 

 ヘイズ・ルーンがハティのもとへ駆けより、それに続いてウル・ディーネが這いよる。

 

「ハティ、無事だったか」

 

「よくぞ御無事で、ハティ」

 

 他の獣達も次々とハティのもとへ駆けより、皆でハティの働きを褒め称えた。ハティは照れくさい気持ちになり、スクルディアから眼を逸らした。

 

 それから、ハティは真剣な面持ちで仲間達に言った。

 

「皆さん、聞いてください。実は、僕がここにくる途中で、一人の仲間が傷つき、倒れていました。僕一人の力では、彼を運べなかったので、今から、皆にその仲間のところへ向かって欲しいのです」

 

 獣達が思わず、黙りこむ。ヘイズ・ルーンが言う。

 

「なんと……。ではすぐ、救援に向かわねば。王のもとへは急がなければならないが、今、孤立するのは危険過ぎる。皆の者、仲間を救うため、一旦そちらに向かおう」

 

 疲れきっていた獣達であったが、仲間思いでもある彼らは、同意の意を示す。一行はそちらに向かった。

 

 

 

 

「来てくれたか……友たちよ」

 

 傷つき倒れていた、鋼の岩石の体を持つ象は、駆けよってくる獣達に向かって言った。

 

「あなたは南の戦士。何があったのですか」

 

 駆けよって来た、ヘイズ・ルーンが尋ねる。

 

「ああ、あれは悪夢だった。未だかつて見たことのない侵略者によって次々と仲間を討ち取られていったのだ……」

 

 獣達の間に次々と怯えの色が奔って行く。勇猛果敢にして強靭な肉体を誇る南の戦士。この象達をこれほどまでに追い込んだ侵略者とは一体何者なのだろうか。

 

「私は長の命で、このことを鎧装獣の王のもとへ伝えるべく、一人で逃げて来たのだ」

 

 象の消え入りそうな瞳は悲しみに満ちていた。そして、その悲しみの奥深くにある、怒り、憎しみ。

 

「なんということだ……。南の戦士ですらこの様なことになるなんて。侵略者め……」

 

「スコール殿。今は戦士の命を救うことが先決だ」

 

 ヘイズ・ルーンがスコールの怒りを鎮める。

 

「ああ、そうであった。では、戦士よ、あなたを王のもとへお連れ致そう」

 

 ウル・ディーネが這いよってきて、象に優しく手を当てた。

 

「戦士殿。気休め程度ではありますが、手当を致します。」

 

 ウル・ディーネの手がぽうと輝く。徐徐に活力を取り戻していく象。僅かではあるが、象の衰えていたコアの輝きが強まった。

 

「ああ。感謝します。ウル・ディーネ様。大分楽になりました」

 

 そう言うと、象はゆっくりと立ち上がった。それから、象はハティの方を向いた。

 

「君にも感謝している、若き戦士よ。これで、私も自分の役目を全うできる」

 

「いえ、そんな……」

 

 面と向かってあまり褒められたことのなかったハティは少し戸惑う。そんなハティにスクルディアが抱きついて言った。

 

「ハティ。偉い」

 

「な、スクルディア様」

 

 思わず赤面するハティ。その様子を見て、それまで暗い面持ちであった、象がほほ笑んだ。他の獣達の間からも笑い声が聞こえ、場の空気が和んだ。

 

 獣達の一行は新たな仲間を加え、ベア・ゲルミルのもとへ移動を再開した。

 

 

 

 

 原野を抜け、辺りは鋼の雪に覆われた銀世界となる。

 

「もうすぐ、我ら鎧装獣の集う聖地に着く。それまでの辛抱です、戦士殿」

 

 ヘイズ・ルーンが雪原の遠くの方へ視線を向けながら言った。

 

 この雪原は、かつては穏やかな気候で、辺りには緑も生い茂っていた。それが、今では冷たく無機質な雪で凍りつき、かつての面影はほとんど失われてしまっている。これも侵略者がもたらしたものなのだ。

 

 あと少しで王のもとに辿り着く。獣達の顔に安堵の表情が浮かんでいった。だが、その表情は、突然のスクルディアの叫び声で破られた。

 

「怖い。怖い未来が来る」

 

 何事かと獣達が一斉にスクルディアを見た。

 

「怖い未来。こんなの見たくない」

 

「スクルディア様。どうしたというのです」

 

 ハティがスクルディアに問う。スクルディアは叫びながら、ハティにしがみ付く。その瞬間ウル・ディーネが叫んだ。

 

「皆さん。心してください。何かがこちらに向かってきます。おそらく侵略者が……」

 

 象がウル・ディーネの方に振り返る。その瞳には憎しみの色が浮かんでいた。

 

「まさか。私の一族を滅ぼしたあの巨人か」

 

「それは分かりません……。ただ、相手はこちらを包囲するべく取り囲んでいるようです」

 

 獣達の間にまた、怯えの色が奔る。ここにいる獣達の多くは負傷していたり、戦うだけの力のない者ばかりなのである。スコールとヘイズ・ルーンが迫りくる敵に対し、身構える。

 

 それまで、茫然としていたハティも、自分にしがみ付いているスクルディアを見て、意を決した面持ちとなり、侵略者達に備える。

 

(ハクさん……。僕は戦います。騎士として)

 

 

 

 

 次元を歪めてその様子を観察している一つの銀色の影があった。

 

「ほう……。私の放った手勢の存在に早くも感づくとは。やはり、あの娘らを放っておくわけにはいかぬな。さあ、獣共よ、存分に遊ぶがいい」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは冷酷な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 背中に大口径の筒を背負った狼達が、次々と襲いかかる。獣達は驚愕した。その姿は侵略者ではなく、機械化した同胞である獣達であったからだ。

 

「なんだと。この者らが敵だと言うのか」

 

 ヘイズ・ルーンが狼の放った砲弾をかわし、誰に言うともなく叫んだ。狼達は、気配を消し、再び獲物の隙を窺う。

 

 予期せぬ敵の出現に戸惑っていた象は、襲いかかってくる狼達を相手にして、即座に戦意を取り戻した。

 

「この者達が何者であるのかは分からぬが、敵であることに変わりなない。戦える者は戦え。それが生き延びる道だ」

 

 歴戦の勇士である象は、飛びかかってきた赤い装甲を持つ狼をその鼻ではたき落とすと、迷わず踏みつぶした。それでも、他の狼達は気にせずに獲物を取り巻き、隙を窺った。この狼達には恐怖という感情がないらしい。

 

 スコールが戦闘体形に入り、それに続いてヘイズ・ルーン、ハティがそれぞれウル・ディーネ、スクルディアを庇いながら、襲い来る敵に対して身構える。他の獣達も、傷ついた者や力無き者を庇いながら応戦する。

 

 狼達は傷ついた者や戦えない者に対しても容赦なく牙をむき、砲弾を浴びせた。獣達が次々と犠牲になり、そのコアを散らしていく。

 

 ハティが、飛びかかって来た赤い装甲の狼をその鋼の爪で両断した直後、背後から青い装甲を持った大柄な狼が砲弾を撃ちながら飛びかかってきた。

 

 駄目だ。やられる。ハティがそう思った直後、スクルディアが飛び出し、両手を広げた。その動作で、青い狼とその砲弾がその動きを止める。

 

 ハティはスクルディアを急いで背負うと、青色の狼に飛びかかり、鋼の牙で引き千切った。狼は鳴き声もあげずに、どうと倒れる。

 

 安心したのも束の間。ハティの背後から二体の赤色の狼が砲弾を浴びせ、ハティは吹き飛ばされた。

 

 ハティは瞬時に立ち上がり、倒れているスクルディアのもとへ駆け寄る。スクルディアの殻はひび割れ、体中から血を流していた。

 

「ハティ。見たくない未来。ハティが遠くにいっちゃう。見なくてよかった……」

 

 ハティは涙を堪え、スクルディアをその背に乗せると、怒りをあらわにして立ち上がる。この狼達への怒りではない。この狼達にこんなことをさせている姿見えぬ敵に対しての激怒。

 

 ヘイズ・ルーンの攻撃をかわし、青色と赤色の二体の狼が砲弾を撃ちながらウル・ディーネに飛びかかった。ヘイズ・ルーンが叫ぶ。だが、間に合わない。

 

 その刹那。

 

 象がウル・ディーネの前に割って入り、砲弾をその身に受け、迫りくる二体の狼を打ち砕いた。ウル・ディーネの悲鳴と同時に象はその場にどうと倒れた。

 

「戦士殿」

 

 象は消えゆく光の灯った瞳でウル・ディーネを見上げる。

 

「これで、私は私の役目を終えた。我ら南の戦士達は最後まで勇敢に戦った。ベア・ゲルミル殿にはそうお伝えください」

 

「戦士殿……。あなたの名は」

 

「そう……まだ言ってなかったか……。私の名は……ファティ……」

 

 そこまで言ったところで、象は動かなくなった。

 

「あなたの事は永遠に忘れません……。私の過去として……」

 

 ウル・ディーネが泣き崩れる。だが、狼達は待ってはくれない。ウル・ディーネはすぐさま起き上ると、すぐ近くに迫っていた砲弾をかわし、迫りくる敵に備える。

 

 どう足掻いても勝ち目はない。まだ生き残っている獣達を、徐々にそんな感情が支配していく。狼達は依然、疲れの色を見せず、獣達の隙を窺う。

 

 その時であった。

 

 突如空間を突き破り、巨大な機人達が現れた。禍々しい黒い輝きを放つ機械の巨人達。

 

 それを見たウル・ディーネが驚愕する。

 

(あれは、ロキの魔神機。何故ここに)

 

 出現した、四体の魔神機。それは驚きの色を見せている獣達には見向きもせず、無言で、心を失った狼達に襲いかかった。

 

 狼達は、突如出現した魔神機を前にして、若干行動を躊躇したが、その魔神機の狙いが自分達であることを知ると、これに応戦する。

 

 生き残った獣達は、心を持たぬ者同士による凄惨で激しい戦いを目の当たりにする。魔神機達は、重力を捻じ曲げ、次々と狼を粉砕していく。

 

 だが、狼達もただやられているわけではない。この強大な魔神機に対して、迷わず砲弾を浴びせ、爪と牙で以て応戦する。魔神機の方もこの攻撃で傷ついていく。

 

 事態は驚くべき形で収束した。後に残ったのは、生き残った獣達、傷ついたスクルディア、ウル・ディーネ。それに二体の魔神機。魔神機のうち二体は狼との戦闘で破壊されていた。

 

「何故です。何故あなたが……。答えなさい、ロキ」

 

 だが、魔神機達はウル・ディーネには見向きもせず、再び空間を捻じ曲げると、その姿を消した。

 

 

 

 

「ふん。フェンリルキャノンどもめ、不甲斐ない。所詮はフェンリルの模造品に過ぎぬか。だが、面白いものが見られたな」

 

 一部始終を見ていたヴァルグリンドが言った。

 

「まあ、暇つぶしとしては役にたった方かな」

 

 そう言うとヴァルグリンドは空間の歪みを元に戻し、その場から消えた。

 

 

 

 

 あれほど大勢いた獣達も大分減ってしまった。生き残った獣達は黙って肩を貸し合い、散っていった者達の冥福を祈った。スコールやヘイズ・ルーンも暗い面持ちである。

 

 ハティがスクルディアの傷口を舐めている。スクルディアは気を失っていたが、命に別状はない。散っていった者達には申し訳ないが、ハティは心の中で安堵していた。

 

(あれは確かにロキ……。ロキ、あなたは何を考えているというの)

 

 ウル・ディーネは心の中でそう呟いていた。

 

 

 

 

 その戦場から遠く離れた崖の上で、一人の青年が笛を吹いていた。ふと、その手を止め、笛をか細いその口から離すと、青年は言った。

 

「ロキ。君が介入するとはね。どういう風の吹きまわしだい」

 

 青年の後ろにいるベビー・ロキが電子音声で答える。

 

(スクルディアが見た未来は、僕が望むものではなかったからね。それに今、あの者達がいなくなると来るべき【虚無】と対峙する際、支障をきたす)

 

「そうだね。でも君自ら魔神機を動かしたとなると、他の機械達も黙ってはいないんじゃないかな」

 

(それはしかたないよ。他に手がなかったんだから。でも、あの狼達には可哀そうなことをしたよ)

 

「ロキ、君がそんなに優しいとは思っても見なかったよ」

 

(そう言われると照れるね。もっとも、僕は自分のしたいようにしているだけなんだけどね)

 

「まあ、そうだろうな」

 

(それより、ヘイムダル。邪魔をしてごめん。僕は久しぶりに君の笛の音を聴きたかったんだ。長年の友人の君のね。どうだい、久しぶりに僕に聴かせてくれないか)

 

「言われなくても吹くさ。それが私の生きる意義だからね」

 

 そう言うと、青年は、笛に口をつけ、その音色を奏でた。侵略者によって浸食された一面の銀世界に、静かに笛の音が木霊する。

 

 

 

 声ではない言葉。

 紡ぐ音色が雄弁に語る。

 憂い、哀しみ、苦しみ、希望。




関連カード


●巨神機トール
侵略者の中でも特に強大な力を持つと思われる。
同胞を武器に変え、滅びを与える。
イラストで装備しているのは、変形した神機ミョルニール。

●神機ミョルニール
「大帝の槌」と称される。
大帝とはおそらく巨神機トールのこと。

本章では巨神機トールの武器と護衛の役割を担っており、無数に存在する。

●エレファンタイト
侵略者との戦いで姿を消していった抵抗者達。
機人アスクのフレーバーテキストによると、トールとの戦いで滅ぼされてしまったらしい。

本章における「岩の体を持つ象達」、「南の戦士」とはエレファンタイトのこと。

●機人アスク
フレーバーテキストは白の章第7節。
エレファンタイト達と戦っていたトールに、剣に変形したアスクが加勢する様子が書かれている。
後に、氷雪の勇者皇ウルの剣となる。
北欧神話では最初の人間の男であり、エムブラとは夫婦の関係。

●魔神機ビッグ・ロキ
フレーバーテキストでは、異形の竜(おそらく空帝ル・シエル)と戦っている。
系統:武装を持つが、ベビー・ロキと同じ動器スピリットでもある。

自分の小説では、ロキが遠隔操作する戦闘兵器という設定。複数機登場する。

●笛吹きのヘイムダル
道化。
おそらく中立を守っている。
北欧神話ではラグナロクが始まったことを神々に知らせ、後に敵対するロキと相打ちになる。

本章ではロキの友人として登場。


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第八章 千年雪の尖塔

 三姉妹の項

 

 

 

 月に照らされた白き塔。ここは、妖機妃ソールの住まうこの世界の聖地。

 

「ソール様、お薬をお持ち致しました」

 

 マーニが言った。

 

 寝台で横になったまま、窓から外を眺めていたソールはマーニの方を振り向くと、ゆっくりと頷いた。その傍らには、ソールのお供のヘイル・ガルフがちょこんと座り、彼女を見守っている。

 

 マーニは両手で持っていた小壺を寝台の傍の卓上に置き、蓋を取った。ガラスの様な指でその中から青白い宝玉を思わせる薬を二粒取り出すと、優しくソールの口に含ませる。

 

 ソールは黙ってそれを口の中で転がし、呑み込んだ。やがて、ソールは眼を閉じると眠りについた。

 

 マーニはソールの安らかな寝顔を暫しの間見つめていた。それから静かな動作で小壺を片付け、寝台の傍らの椅子へと腰を掛けた。

 

 しばらく、安心して眠っているソールを見守っていたが、やがてソールが先ほどまで眺めていた窓の外へと視線を向け、じっとその情景を眺めた。

 

 塔の上から覗ける銀世界。他方では侵略者の門の影響で作り物めいた無機質な世界へと変貌していっているが、この塔の外に広がっている風景はその様な変化とは無縁であった。ありのままの美しい雪景色。

 

 何者かが、ソールの寝室の戸をこんこんと静かにノックした。ヘイル・ガルフが音のした戸の方を見やる。マーニは立ち上がると、ソールを起こさないように静かな動作で戸の前へ向かい、戸を開けた。

 

「何の用ですか。道化」

 

 この塔の中で「道化」と呼ばれる者は一人しかいない。道化師の衣装と仮面でその素顔を隠した道化は、音を立てずに身振り手振りでマーニに要件を伝えた。

 

 マーニが言う。

 

「そうですか。今、ソール様はお休みになっておられます。私がその客人にお会いしましょう」

 

 マーニは寝台に横たわっているソールが静かに眠っているのを確認した後、寝室を出た。その場に残されたヘイル・ガルフが微かに鳴いた。

 

 

 

 

「用件は分かったわ。ベル・ダンディア」

 

 客間でベル・ダンディアと向かい合って座り、彼女の話を聞いていたマーニが言った。ベル・ダンディアとマーニは親しい間柄の旧友であり、自然とその会話も馴染んだものとなる。

 

 ベル・ダンディアが答える。

 

「では、古井戸のヘルを目覚めさせても良いかしら、マーニ」

 

「残念だけど、それは出来ないわ」

 

 マーニはやや厳しい面持ちとなる。

 

「何故なのマーニ。今、事態はとても深刻なの。そう遠くない未来、この塔にまで侵略者は攻めよせてくるかもしれないのよ。……いえ、もう侵略者は攻めてくるまで猶予はない。そうなってからでは遅いのよ」

 

「ソール様は今、臥せっておられるのよ。あのお体では、封印から目覚めたヘルを抑えつけておくこともできない。ただでさえ、歌声をこの地上に伝えるために日々その御身を削っておられるというのに」

 

「ヘルはきっと自ら協力してくれるわ。あの人だって侵略者のことを放っておける筈はないもの」

 

「あなたは、あの魔女を信用できるというの」

 

 マーニは少し怒った様な眼でベル・ダンディアを見た。

 

「私は信用するわ。ミッドガルズも私達に協力してくれたのよ」

 

「本当は、あなたからミッドガルズの封印を解いたという話を聞いた時、あなたを怒鳴りつけてやりたいくらいだったのよ、ベル・ダンディア。でもできなかった。あの島の話を聞かされてはね。それにミッドガルズならまだあなたと親しかったし、もしかしたら、私達に協力してくれるかもしれない」

 

 それからマーニは、厳しい目つきで言った。

 

「でも、あなたはあの魔女の恐ろしさをまるで分かっていない。ヘルはかつてソール様のお命を狙って、自分がその座につこうとしたのよ。もしも、今、ヘルを復活させたりしたら、弱っておられるソール様に何を仕出かすか分かったものじゃない」

 

「ヘルだって、今はソール様と争っている場合ではないということぐらい分かってくれる筈よ。それにスノトラ様からも頼んで頂ければ……」

 

「スノトラ様のことは口にしないで」

 

 突然、マーニが大声を出したので、思わずベル・ダンディアは口を紡ぐ。

 

「とにかく、ヘルの封印を解くなんて話、認めるわけにはいかないわ。ましてフェンリルの封印まで解いたりしたら侵略者より酷いことになる」

 

 ベル・ダンディアはマーニがここまで強く反対するとは思っていなかったので、何も言えずに黙りこんでしまった。

 

「でも、あなた達三姉妹が礎となり、ソール様の歌声をこの地上の隅々まで伝えるという件に関しては、この私も全面的に協力するから」

 

 そこまで言うと、マーニは卓の上にあるガラスでできた鈴を取り、鳴らした。やがて静々と侍女長のフッラが客間に入り、丁寧にお辞儀をした。

 

「客人に食事を出しておやり」

 

「かしこまりました」

 

 フッラはそういうと部屋を出て行った。

 

「もう話は終わり。さあ、あなたも食堂へいきなさい。久しぶりの再会だし、歓迎するわ」

 

 言い終わると、マーニは椅子から立ち上がった。ベル・ダンディアはそれ以上何も言えず、ゆっくりと椅子から腰を上げる。

 

 

 

 

「それで、結局ヘルの封印を解く話は了承してもらえなかったのですか」

 

 食堂でベル・ダンディアと食事を共にしていたアインホルンが言った。

 

「ええ。でも彼女もソール様のことを想って言っているの。だから、私もあまり強くは言えなかったわ」

 

 ベル・ダンディアがやや俯く。

 

「しかし、それで、これから攻めてくる侵略者に立ち向かえるのでしょうか」

 

「それは……、立ち向かわなくてはいけないわ。私達は私達にできるだけのことをしましょう」

 

 アインホルンも暗い面持ちとなる。

 

(今の戦力だけで、果たしてあの強大な侵略者に太刀打ちできるのだろうか)

 

 アインホルンは同じく沈痛な面持ちで俯いているベル・ダンディアをちらと見やった。

 

(いや、立ち向かわなくてはいけない。私は何が何でもベル・ダンディア様を守らなければ。そのためにここまで来たのだから。そうでなければ島の仲間達や、ヴァルキュリウス、ジューゴンにも合わせる顔がない)

 

 そう自分に心の中で自分に言い聞かせるアインホルンの思考が、食堂の窓の外から響いてきた声で中断される。

 

「やれやれ。マーニの嬢さんにも困ったものだ。ロキの奴があれほど心配していたからな、侵略者との戦いに備えて、ヘルとフェンリルの力はどうしても必要だったんだが」

 

 声の主、鎧蛇竜ミッドガルズはロキが【虚無】の名を口にしていたことを、ベル・ダンディア達には話していなかった。まだその時期ではない。ミッドガルズはそう判断したのである。

 

「まあ、仕方ないな。俺はやれるだけのことはやってやるし、あいつらがいなくても、なんとかなるかもな」

 

 ミッドガルズは落ち着き払った態度でいたが、内心はこの場にいる誰よりも危惧していた。近い将来に到来する【虚無】。それこそが最大の脅威であったが、このままでは、迫りくる侵略者の猛攻ですらこの塔は耐えられないのではないかと、そんな気がするのであった。

 

 フッラの指示で、まだ幼い氷の姫君である侍女達が、ガラスでできた食器類を取り下げる。それから、食後のデザートである氷の様に透き通ったスイーツを卓の上に置いていった。

 

「ほう、俺もそういう物とは長らく無縁だったな。ああ、ロキに与えられたこの体が忌々しいぜ、まったく」

 

 ミッドガルズが愚痴を言った。

 

 今まで、島の草や木の実の類しか口にしたことのなかったアインホルンは、先ほどの食事同様に自分の口に合うかどうか分からず、恐る恐るそれを口にする。ほんのりと甘くそれでいてしつこくない味。これほどまでに美味な食べ物は生まれて初めてであった。

 

 アインホルンは自分の分をすべて平らげてしまってから、ベル・ダンディアの方へ視線を向けた。ベル・ダンディアは眼前の料理に口をつけていなかった。

 

 ベル・ダンディアがアインホルンの視線に気づいて訝し気に見返したので、アインホルンは慌てて目を逸らした。

 

「あなたにあげるわ、アインホルン。なんだか食欲がないの」

 

 ベル・ダンディアがそう言うと、アインホルンの方へそのスイーツを差し出す。アインホルンは気まずくなったが、しばらく迷ったのち、それをゆっくりと口にした。窓の外から、羨ましそうにしているミッドガルズの「おーおー」という声が聞こえてくる。

 

食堂に一人の氷の姫君が入ってきた。姫君は、周りにいた侍女達を人払いすると、ベル・ダンディアの側に近寄る。それまで俯いていたベル・ダンディアははっと顔を上げると、その氷の姫君を見た。ソールの側近の一人、フレイであった。

 

「ベル・ダンディア、話があります。アインホルン、すみませんが、席を外していただいてもよろしいでしょうか。それから、外にいるミッドガルズ殿も」

 

 アインホルンはまだ食べかけのスイーツを、慌てて口の中に放り込んだ。アインホルンはベル・ダンディアとフレイに見られていることを思い出し、恥ずかしくなっていそいそと部屋を出た。窓の外から笑い声が聞こえたが、すぐにミッドガルズの気配も途絶えた。

 

 フレイはベル・ダンディアを窓の外のベランダに連れていった。塔の周りの冷たい外気が二人の前身を緩やかにさする。

 

「フレイ様。どういった御用件で」

 

 ベル・ダンディアが尋ねた。

 

 フレイが黙って塔の外壁を指差した。ベル・ダンディアはそちらを向く。月明かりに照らされている塔の外壁の所々に小さな光が灯っている。ホタルであった。

 

「このホタル達はこの塔を住処にしております。ここの環境はこのホタル達にとっては寒く厳し過ぎるのですから、当然でしょう」

 

 フレイがホタルを眺めながら言う。ベル・ダンディアにはフレイの意図が読めなかった。

 

「この世界に生きるすべての者にはそれぞれ違った役割があります。そう、例えばこのホタル。このホタルの光には、あらゆるものを遮断する防壁として機能する不思議な力があり、古来よりこの塔を外敵や天災などから守ってくれました」

 

 フレイがベル・ダンディアの方を向き、話を続ける。

 

「無論、この塔も含め、地上がこうして成り立っているのはソール様のお力によるところが大きい。ですが、それだけでは世界の維持など不可能なことです。例えば、このホタルのおかげで氷の姫達はこうして今まで繁栄することができた、と言っても良いでしょう。つまり、このホタル達にはそういう役割があるのです」

 

 フレイがベル・ダンディアに向かってほほ笑んだ。

 

「しかし、ホタル達は私達を助けるために生きているわけではありません。むしろ、私達に助けられるためにここで暮らしているのです。このホタルの平穏を守ること、これが私達、氷姫の役割でもあるわけですね」

 

 ベル・ダンディアは黙って、光を灯しているホタルを眺めていた。

 

「全て、この塔に暮らしている一人の道化が語ったことですけどね」

 

「あの人が」

 

「そうです。そして、このホタルの様に、マーニにもソール様を守るという重要な役割があります。マーニからすれば、過去にソール様の身に禍をもたらしたヘルの存在はとても危険なものなのでしょう。それは、私も同じ考えです」

 

「それは分かっております……」

 

「でも、今は全世界の危機。ヘルはヘルなりにこの世界のことを考えて行動しておりました。そして今、ソール様のお力なくしてはこの世界の存続はあり得ない。それはヘルにも分かっている筈。……と言うのが、あなたの考えですね」

 

「はい。フレイ様の仰る通りです」

 

「確かにこのままでは、私達は侵略者によって滅ぼされてしまうことでしょう。ヘルに限らず、かつてのいざこざは忘れ、皆が共にこの世界の存続を賭けて戦わなければなりません」

 

 フレイはそこまで言うと、遠くに連なる山々の方を向いた。彼方を見つめる神秘的な眼差し。ベル・ダンディアは月明かりに照らされるフレイの様子に見とれてしまっていた。

 

「実は、あなたにお願いがあるのです、ベル・ダンディア」

 

 ベル・ダンディアは、フレイの突然の申し出にやや戸惑った。

 

「……はい。何でございましょうか」

 

 ベル・ダンディアが尋ねた。

 

「ここから少し離れた土地。私の妹のフレイアが自らを封印している聖域におもむき、彼女の戒めを取り除いて欲しいのです」

 

「フレイア様の……」

 

「ええ、今こそ彼女にも表舞台に出てもらう必要があります。あなたの姉と妹がこの塔に辿り着くまで、まだ間もあるでしょう。本当は私が出向きたいのですが、ソール様のもとを離れるわけにもいきませんので。その変わりと言ってはなんですが、私は、私の手の者を遣わして、スノトラ様の協力を仰ぎましょう」

 

「スノトラ様の。とすると、やはり……」

 

「そう、今はスノトラ様のお力も必要となる時。そして、おそらくはあなたの言う様に氷の魔女ヘルの助力も」

 

 ベル・ダンディアは嬉しかった。このお方は事態を見越していらっしゃる。遅かれ早かれ攻めよせてくる侵略者。それを前にして氷の姫君同士のわだかまりが溶けずにいたのではこの世界の存続は危ういだろう。

 

 ソール様にスノトラ様、フレイア様、そしてヘル。思想の違いはあれど皆がこの世界の繁栄を望んでいた。侵略者という共通の敵を前にした今、それぞれが力を合わせ、これに立ち向かわなければならない。

 

「分かりました。フレイ様のご期待に添いましょう」

 

「感謝します、ベル・ダンディア」

 

 フレイはそう言うと、ベル・ダンディアをベランダから塔の内部へと招き入れた。

 

「今夜はゆっくりしていきなさい、ベル・ダンディア」

 

 フレイがほほ笑んだ。

 

 

 

 

 ベランダに誰も居なくなると、気配を消して塔の様子を探っていた機械仕掛けの斥候、マグニがゆっくりと飛び立った。

 

 塔から遠く離れたマグニは、近くにあった針葉樹に降り立つと、同胞へ通信用の電波を発した。電波はすぐに別の機械の一軍と繋がり、塔の位置情報などの細かな内容が上層部へと伝えられる。

 

 通信を終えると、マグニは早々にその場を去った。




関連カード


●妖機妃ソール
白の世界の歌姫。
世界の希望と称されており、その歌声は世界の復元、防壁などの役割を担い、
侵略者や虚無の軍勢の進行を食い止めていた。
北欧神話では太陽の女神。

●姫械マーニ
侵略者がもたらした異変によって身体を蝕まれてもなおソールの為に働き続ける氷姫。
北欧神話では月を司る男神であり、狼ハティに飲み込まれる運命である。
覇王編では月光姫マーニとしてリメイクされており、後に六楯の皇帝となるケイの友人であるらしい。

●ヘイル・ガルフ
フレーバーテキストは白の章第8節。
ソールの護衛を担っており、ロロ曰く「護衛のペット」。

●薄氷の侍女長フッラ
歌姫の塔で働いている氷姫。
歌姫と共に身を隠す様子が書かれている。

●機神官フレイ
氷姫の一人。
フレーバーテキストでは歌姫の歌声を届けるために結界を広げている。
北欧神話のフレイはフレイアの兄であるが、バトスピでは女性の姿をしている。

●ホタルリ
歌姫の塔の壁に住み着いている光虫。
「意図をせずとも歌姫を守る」と書かれており、ホタルリの存在がソール達を守っていると思われる。

●偵察機マグニ
侵略者の斥候。
歌姫の塔を発見した。



●千年雪の尖塔
名所千選026。
背景世界において、歌姫ソールの住まう塔と思われる。
後に侵食されゆく尖塔となる。
アルティメットバトルにおいてはアルティメットの本拠となる千年雪の要塞都市が登場した。


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第九章 破壊の翼舞う

 空の項

 

 

 喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。

 より強き侵略者の出現に、

 全ての命は沈黙する。

 

 

 銀色の巨鳥が鯨の方に突っ込んできた。鯨とその仲間達は、突然の侵略者の襲撃かと思い、巨鳥に対して身構える。巨鳥は一端宙返りをすると、鯨のすぐ側の上空で停止した。

 

 その様子を見ていた小さな白鳥が巨鳥の目前に踊り出た。白鳥は、そのほぼ全身が銀色の機械の装甲と化している巨鳥との意思疎通を試みる。

 

 巨鳥もその白鳥や鯨の仲間達に向かって、自分が敵ではないことを仕草で伝えた後、白鳥に対して己の言葉を伝えた。

 

 巨鳥が伝えた内容は驚くべきことだった。巨大な鋼の翼を持つ侵略者がこちらに向かっている。その侵略者ただ一体のみの力で、巨鳥の仲間は全滅したというのだ。

 

 その事実に、空を舞う魚や鳥達は恐怖した。

 

 この大空では、地上ほど強力な侵略者が出現したという情報はまだない。それ故に、皆はこの大空が地上のどこよりも安全な場所だと思っていたのだ。それが、わずか一体で、空の一集落を壊滅させるほどの強大な侵略者が出現することになるとは。

 

 巨鳥の助言で、鯨は進路を変更し、周囲の仲間達もそれに従った。それでも、向かい来る侵略者の恐怖は拭い切れない。

 

 

 

 風を切り、突き進んでくる巨大な敵影。海や地上だけでは飽き足らず、大空にまで破壊をもたらす鋼の翼。天空にそそり立つ白銀の装甲で覆われた巨人。侵略者は突然鯨の視界の脇の方より出現した。

 

 鯨が身構えるよりも早く、その侵略者は無数の青白い閃光を発射した。

 

 巨鳥が鯨の前に飛び出し、機械化したことで得た力を駆使し、結界を造り出す。閃光の多くはその結界に呑み込まれ、消滅していったが、何割かは防ぎきれず、周囲に閃光が飛ぶ。その閃光に当たった仲間達が為すすべもなく墜落していった。

 

 侵略者は鯨の目前まで迫り、間髪を容れずにその翼を振り上げた。避けきれない。

 

 その瞬間、一体の光輝くトビウオが飛び出し、侵略者に激突した。トビウオは光の粒子となって周囲に四散した。侵略者が怯んだ隙に、鯨はその側を一気に離れ、難を逃れる。

 

 白鳥はそれまで一緒に飛んでいたトビウオがあっけなく散っていく光景を目の当たりにした。それでも、侵略者は無傷である。白鳥は突然の友との別れを悲しんだ。

 

 侵略者はすぐにまた、鯨の後を追う。あっという間に侵略者は鯨の真上に来ると、その両翼を振り上げた。すると、それまで鯨の背の上で身構えていたエビが鋏を振り上げ、侵略者に飛びかかった。

 

 エビの鋏の一撃が侵略者の装甲に傷を付ける。だが、それだけだった。エビは侵略者の鋼の拳によって打ち払われ、赤い装甲を砕かれながら、鯨の傍らを落下していく。

 

 侵略者が態勢を立て直し、両翼を広げる。

 

 万事休すか。鯨と鯨の仲間達の誰もがそう思った。

 

 突然、地上より巨大な影が咆哮を上げながら舞い上がってきた。侵略者が動きを止め、そちらを見定める。その姿はこの世界に古くから存在すると言われている竜であった。竜の背には、先ほど傷ついたエビが乗せられている。竜が鯨の横に並び、エビは鯨の背に戻った。

 

 侵略者と竜が対峙する。先に攻撃を開始したのは侵略者の方だった。無数の青白い閃光を竜に向かって放つ。だが、それらは全て、竜の造り出した虹の輝きに阻まれ、消滅していった。

 

 侵略者が拳を振り上げる。構わずに侵略者の懐に飛び込む竜。衝突。侵略者は竜に押され、よろめいた。すかさず竜が鋼の尾で侵略者を打つ。竜の猛攻が侵略者の白銀の装甲を叩き割った。

 

 この竜の登場に鯨とその仲間達は戦意を取り戻した。真っ先に、行動に移したのは空を飛ぶエイ達。エイ達はその鋼のヒレで以て、竜と格闘している侵略者の装甲を次々と斬りつけた。

 

 鯨の仲間の魚達が加勢し、巨大な侵略者に群がっていく。侵略者は堪らず、翼をがむしゃらに暴れさせ、魚達を追い払う。竜はこの隙を見逃さなかった。

 

 竜は全身から虹色の輝きを放ちながら侵略者に喰らいついた。その激しい攻防に前にして、まだ群がっていた魚達も侵略者から離れる。竜は全身から凄まじい熱量を放ち、侵略者の装甲を溶かしていく。さらに、その鋼の爪で侵略者の両翼を切り裂いた。

 

 侵略者は飛行能力を失い、竜の手から離れ、地上へと墜落していった。

 

 それを見届けると、竜は鯨の方へと向き直り、会釈をする。それから、竜に感謝する者達を後に残して、彼方へと去っていった。

 

 先ほどの会釈で鯨は、竜が力無き者達を守り、侵略者と戦うという、自分と同じ志を持つ者であるということを知った。侵略者と戦う同胞の中には、あの様な力強い者がいると思うと勇気付けられた。

 

 だが、白鳥の心は重く沈んだままであった。これまで自分の一番の友であったトビウオが散っていった。あのトビウオもきっと夢見ていたのであろう。自分と同じ、異変によって失われる前の自分が生きた世界を。

 

 あのトビウオが見ることのできなかった世界。それを自分が代わりに見届けよう。そして、仲間達にあのトビウオの事を語り継ごう。共に戦いぬいた同士達のことを永遠に忘れることのない様に。

 

 白鳥の悲痛な決意は、自然に周りの仲間達にも伝わった。そして誰しもが思ったのである。これまでの戦い、先ほどの戦い、それに異変が始まった直後に為すすべもなく散っていった多くの友たちのことを。

 

 皆、それぞれにはそれぞれの強く想う仲間がいる。その仲間を忘れることのない様に後の世の者達に語り継ぐ。そのためにも、この異変を生き延びねばならない。

 

 虹の竜によって救われた鯨とその仲間達は固い意志を胸に秘め、銀色の巨鳥を新たな仲間として一行に加え、旅路を再開した。

 

 

 

 

「やはり未完成であったか」

 

 破壊された翼神機の残骸を前にして、フィアラルが言った。

 

「心のない神機を利用すること、私は最初から反対であったがな」

 

 ガラールが吐き捨てた。その機械の瞳には、激しい憤りの色が込められていた。

 

「それは私も同感だ。例え、相手が我らの仇となり得る存在であったとしても、同じコアを持つ生命を神機の実験台にするなど、許されることではない」

 

「その通りだ。我らの目的は殲滅ではない。この世界の統一だ。この様な物に頼っていては先が思いやられる」

 

「ああ。だが、仲間同士でいがみ合っていては、理想など達成できまい。今はこの神機を回収し、本部へ戻るとしよう」

 

「……。この神機、もしもこの姿に見合うだけの高貴なる魂を宿せば、我々とて心服していたであろうな」

 

 二人の機人は周囲の同胞達に支持を出し、翼神機の輸送を開始した。

 

 侵略者の科学力を結集して生み出された翼神機。今はまだそれに見合った魂を持たず、敵と見れば見境なく破壊をもたらすだけの傀儡に過ぎなかった。




関連カード


●グラン・ドルバルカン
冒頭の一分はこのカードのフレーバーテキスト。

本章に登場する「銀色の巨鳥」はグラン・ドルバルカン。
「より強き侵略者」は未完成の翼神機グラン・ウォーデンとして登場する。
トールやオーディーンは主に地上戦用と思われるので、空中戦を得意とする翼神機であったと解釈。

●翼神機グラン・ウォーデン
フレーバーテキストによると、後に、世界を侵す刃の翼から世界の守護翼へと変貌する。
北欧神話に登場する双子の狼ゲリとフレキ、フレイヤの神具の「鷹の羽衣」をモチーフとして取り入れていると思われる。

本章では、侵略者達が、魂を宿していない翼神機を破壊兵器として利用している。

●虹竜アウローリア
フレーバーテキストは白の章第14節。既に虚神との決着がついた後の話である。
ロロ曰く「座して滅びを待つのも、この世界の住人らしい選択」。
虚無の軍勢に勝利したとはいえ、多くのものを失い、歌声も無くなった世界はただ滅びゆく運命にあったのかもしれない。

本章では未完成の翼神機と戦うモビルフロウ達に加勢する。

●機人フィアラル
このカードのフレーバーテキストに登場する鎧神とは鎧神機ヴァルハランスと思われる。
北欧神話におけるフィアラルとガラールはドワーフの兄弟。赤い雄鶏フィアラルの伝承もある。

●機人ガラール
フレーバーテキストは白の章第14節。
ロロが「決定的な証拠」を発見している。
竜人、乱暴者、天使、魔族、巨人、侵略者の正体に関わるものであるらしく、紫の世界にいた蛇たちに会う決心をしている。

本章ではフィアラルとガラールは行動を共にする機人として登場。


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第十章 双子の妖精

 『銀の華』

 

 機人の項

 

 

 

 オーディーンが指揮する軍勢はこの世界の住人の一大拠点と目される大都市を陥落させた。これは今までで一番の戦果である。都市は、戦勝を祝う機人達で賑わっていた。

 

「ミスト。そんなものは早く捨ててしまいなさい」

 

 ヒルドがやや厳しい面持ちで妹のミストを睨む。ミストは持っていた籠を慌てて後ろに隠すと、おどおどと姉を見返した。

 

「でも、私、この子達が可哀そうで……」

 

 ミストは自分なりに精いっぱい姉に抵抗して見せる。

 

「いけないわ。下手にこの世界の者に情なんて覚えたら、今後の作戦に支障をきたすわ。それに、そんな小さな者でもどんな力を持っているのか、分からないのよ。不確定要素は早々に処分しなければ」

 

 真剣に言い迫る姉の様子に怯えながらも、ミストは籠を後ろに回したまま後退さる。

 

「きっと大丈夫よ。この子達私に懐いているもの」

 

「駄目。このことが他の仲間に知られたら、私の責任問題だわ」

 

 ミストはヒルドの剣幕におののき、しぶしぶしながら言った。

 

「……分かったわ。この子達は私が遠くに捨ててきます。だから、処分するなんて言わないで」

 

 ミストがようやく了承したので、ヒルドは少し表情をゆるめてから言った。

 

「他の仲間には見つからない様にしなさいね」

 

 ミストは弱弱しく頷き、その民家を後にした。

 

 都市から離れた鋼と化した森林。ミストは宙を泳ぐように飛行しながらここに辿り着いた。周囲に誰も居ないことを確認してから、魚を思わせる下半身に収納していた籠を取り出すと、じっとそれを覗きこんだ。

 

 籠の中には、羽を生やした、二人の少女が入っていた。二人ともまるで同一人物かと思われるほどそっくりで、お揃いの美しい金色の髪を伸ばしている。

 

「なんで、こんな小さな生き物も見逃せないんだろ」

 

 それにしても、この少女達には機械化の兆候すら見られない。この世界には姉達が発明したナノウィルスの影響をほとんど受けない生き物も存在するらしい。ミストはそんな事を考えていた。

 

 籠の中の小さな少女達が顔を合わせて何事か話し合っている。ミストには理解できない言葉であったが、この世界の他の生き物と同様に、この少女達は自分達と同じで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりしているのだという実感が湧いてくる。

 

「ごめんなさいね。もう私、あなた達をこれ以上かくまってあげられない。どうか、私達の仲間に見つからない様にね」

 

 そう言うと、ミストは籠の戸を開いた。だが、少女達は二人揃ってミストの方を見つめるだけで、動こうとしない。ミストはどうしたら良いのか分からず、その場で思案に暮れてしまった。

 

 高鳴るエンジン音。突然の音にミストは驚いた。何かが、こちらに近づいてくる。ミストは急いで籠の戸を閉じると、その籠を抱えたまま、無機質と化した草が生い茂っている茂みに飛び込んだ。それから、ミストは音を立てない様にして様子を窺った。

 

 近づいて来たのは二輪を備えた奇妙な姿の獅子であった。その身に非力な小動物達を乗せている。獅子が先ほどまでミストがいた辺りで停止し、乗っていた小動物達が獅子の体から降りていく。

 

 それから獅子は二輪を動かしながら、周囲の様子を調べ始めた。ミストは視線が合いそうになり、思わず顔を伏せた。

 

 しばらくすると、獅子は元来た方へと引き返して行った。小動物達は獅子を見送ると、次々と隠れ場所を探して森林のあちこちに散って行く。誰もいなくなると、ミストはほっとして茂みから這い出た。

 

「今のはきっと、生き残った仲間達を避難させていたんだわ。私達や、姉さん達が造ったオーディーンのせいであんなことに」

 

 ミストは自分達の行いが同胞の為であるとはいえ、哀しくなった。

 

 自分の二人の姉が協力して造り出した最高傑作、要塞皇オーディーン。オーディーンはミストの姉である二人のワルキューレ達にとっての、言わば最愛の息子であり、機人達の指導者となるべき存在でもあった。

 

 オーディーンの核となる魂であるコアまでは、人為的に造り出したものではないのだが、体を与えられたオーディーンはミストの姉であるワルキューレ達を母として慕っており、ワルキューレ達もそんなオーディーンを息子の様に想った。

 

 そのオーディーンが、他方では、生き物達に数えきれないほどの悲しみや苦しみを与える存在となっている。

 

 ミストは、二人の少女の話し声で、はっとした。籠の中では、またあの少女達がミストを尻目に何事かを話し合っている。ミストはぼんやりとその様子を見つめていた。

 

「あなた達の言葉が分かれば、私も何か力になれるかもしれないのにね……」

 

 そうミストが言った途端、二人の少女が同時にミストの方に振り返った。ミストは、一瞬ぎょっとした。

 

 二人の少女が顔を見合わせ、頷き合う。

 

(ワルキューレ・ミスト。あなたの言ったこと、本当ですね)

 

 頭の中に突然響いた声。ミストは思わず、周囲を見渡す。誰もいない。

 

(私達です。あなたのすぐ目の前にいる)

 

 ミストは籠の中の少女達を凝視する。

 

「あなた達が……」

 

 ミストが呟くと、二人の人形の様に小さな少女達は、同時にこくりと頷いた。

(ワルキューレ・ミスト。もう一度聞きます。あなたは、私達の力になってくれますか)

 

 その申し出に、ミストは戸惑った。自分の言葉が分かったということは、この少女達は、今までずっとそのことを隠しながら、自分と接していたのだろうか。そう考えると、ミストは軽い憤りを覚えた。

 

(あなたの思うことも、もっともなことでしょう。でも、私達はあなたのことが信用できるのかどうか、分からなかったのです)

 

 ミストは驚いた。この少女達は、どの程度まで可能であるのかは分からないが、自分の心を読んでいるらしい。

 

「でも……。私は仲間や……姉さん達を裏切る様なことなんてできないわ」

 

(何もそんなことではありません。私達の頼みというのは、私達をオーディーンのもとへ連れて行ってもらいたい、ということなのです)

 

「オーディーンの。どうして」

 

(私達はオーディーンに伝えなければいけないことがあるのです。【虚無】のことで)

 

 【虚無】と聞いて、ミストは眼を見開いた。

 

「【虚無】。その名を口にするなんて」

 

 【虚無】の名を口にしてはならないということは、仲間達の間で暗黙の了解となっていた。それがどれほど恐ろしい存在であるのか、ミストには分からなかったが、ミストはその名を直接頭の中に響かせたこの少女達が怖くなり始めた。

 

(怖がらないで。これは、オーディーンの為であり、あなたや、あなたの仲間達の為でもあるの。どうか手遅れにならないうちに。)

 

「そ、そんな……」

 

 ミストはただ、二人の少女を見つめていた。

 

(私達はあなたを信用します。あなたも、私達のことを信じてください。どうかお願いします)

 

 この子達の瞳はなんて純粋なのだろう。私はこの子達を助けたかった。仲間から。

 

 オーディーンは圧倒的な火力で、抵抗する者達を次々と粉砕していき、それまで都市に暮らしていた住民である獣達、氷の様な姿をした者達、それに道化も私達を怖れて逃げて行った。

 

 仲間はそんな力のない者達が相手であっても、放っておけば結束して牙を向くかもしれないというので、追い打ちをかけた。

 

 そんな乱戦の中で見つけたこの子達。私は咄嗟にこの子達をかくまったのだ。都市にあった民家の中で見つけた籠の中に閉じ込めて。籠には元々何が入っていたのか分からないが、開け放されていた。

 

「私はあなた達を助ける為にここまで来たの。私はあなた達を仲間から助けたかった。それなのに、またあなた達を、あなた達にとって危険な所へ連れて戻るなんて」

 

(あなたが私達を助けてくれた時、私達は嬉しかったのですよ。でも、私達には私達の使命がある。今すぐにオーディーンのもとへ向かわなければ本当に手遅れになってしまいます)

 

「……分かったわ。私でよければ力になる」

 

 ミストにはこの少女達を信用する確かな根拠などなかった。ただ、この少女達を救うことが正しいと思ってここまで来たのだ。ならば、この少女達の純粋な瞳を信じて、協力しよう。ミストはただ、そう思った。

 

 ミストは感謝する少女達を籠から出し、自分の腰の辺りに収納すると、都市の方へと引き返した。

 

 

 

 

 都市から、断続的に爆音が聞こえてくる。様子がおかしい。ミストが破壊された住居の立ち並ぶ街道を泳ぐように飛んでいくと、一人の機人とばったり出会った。

 

「ミスト殿。ここは危険であります。一時、後方へ避難してください」

 

 その機人――ラグーナが言った。

 

「何が起こったというの。この都市は完全に制圧したのでは」

 

 ミストはラグーナと共に都市の北部へ移動しながら言った。

 

「はい、オーディーン殿の活躍で、この都市は制圧したものと思い、皆安心しておりました。ところが、敵側も然る者。オーディーン殿と並ぶ我らの重要戦力となる筈であった戦車をその身に取りこみ、反撃に出た者が現れたのです。」

 

「あの戦車を」

 

「そうです。あれはまだ開発途中で、未だそれに相応しいコアを宿すには至りませんでした。盲点でした。まさか、あれが敵の手に渡るとは」

 

「なんということ……」

 

 姉達が開発したナノウィルスによって機械化していった者は無数にいる。だが、自ら、他の機械と同化してその力を乗っ取るというのは未だ聞いたことがない。

 

 もしかしたら、ナノウィルスによって機械化した力を己の物として完全に制御したことで、自分達の様な、あるいはそれ以上の能力を開花させた獣が現れたのかもしれない。

 

 そこまで考えて、ミストははっとした。そうだ。先ほど見た車輪を持つ獣。戦車とまではいかないまでも、あれも何らかの形で、この世界の獣が私達の仲間を取りこんだ姿だとしたら。

 

 突然前方の横道より、一つの影が飛び出した。二輪を備えた獅子。

 

 ミストが慌てて止まる。その傍らで、ラグーナが即座に攻撃態勢に入る。だが、獅子は一声鳴くと、瞬時にその場を走り去った。

 

 獅子はその背に無力な小動物達を乗せていた。未だ逃げ遅れた者達の救助に徹していたのであろう。ラグーナは攻撃態勢を解いた。

 

「相手方も、必死なのでしょうね。同胞を助ける為に」

 

 ラグーナが言った。ミストは黙って頷く。

 

 二人は都市の北側に敷かれている仲間の陣に辿り着いた。そこには避難してきた機人達や、ミストの姉である、ヒルド、それに長女のクイーンの姿もあった。陣の中央で出陣の準備を始めているのはオーディーンである。

 

「ミスト、よく無事でした」

 

 クイーンがミストの姿を見てほっとする。

 

「損傷はないわね。ミスト」

 

 ヒルドがミストを気遣った。

 

「大丈夫です。姉さん」

 

 ミストが姉達に言った。

 

 オーディーンが間もなく発進する。クイーンがオーディーンに近づき、傍らで何ごとかを囁いた。オーディーンは無言で頷く。

 

 オーディーンが迫りくる敵を迎え撃つべく、前進を開始した。その刹那。周囲に爆音が轟き、眼の前の建物を無差別に粉砕しながら巨大な竜と同化した戦車が出現した。

 

 オーディーンは、周囲の同胞達が後方に避難していくのを待ってから、目前に迫っていたその竜戦車に向かって、一気に体当たりをした。

 

 竜戦車は吹き飛ばされたが、即座に空中で全身を回転させ、態勢を立て直し、着地と同時にオーディーンに向かって集中砲火を浴びせる。オーディーンはこれを避けることができず、懸命に耐えた。

 

 後方では機人達を始めとする、同胞達が固唾をのんでオーディーンと竜戦車の戦いを見守っている。ミストもその一人であった。

 

(ミスト。今です。私達をオーディーンのもとへ)

 

(私達なら、この戦いも止められます。急いで)

 

 ミストがはっとする。あの小さい少女達が自分の頭の中に直接語りかけたのである。

 

 ミストは頷くと、オーディーンと竜戦車が戦っている前方に踊り出た。

 

「ミスト殿。何を」

 

 ラグーナが叫んだ。その声を聞いたクイーンとヒルドが驚き、ミストの名を口々に叫ぶ。だが、ミストは止まらなかった。

 

 ミストは、オーディーンのすぐ側まで来ると、収納していた二人の少女を解放した。放たれ、中空を羽ばたく二人の少女。

 

 二人の少女はミストの方を振り返ると何やら、申し訳なさそうな顔で彼女を見た。ミストにはそれが何を意味しているのか、すぐには分からなかった。

 

 竜戦車と戦っているオーディーンに二人の少女が取り付く。

 

(オーディーン、私達と共に来て頂きます)

 

(何だと……。お前達は)

 

 その瞬間。オーディーンと少女達の姿は跡形もなく掻き消えた。

 

 突然の出来事に茫然とするミスト。未だ、何が起こったのか呑み込めずにいる後方の仲間達。竜戦車ですら、その動きを止めていた。

 

 我に返った竜戦車が咆哮を上げ、砲弾を放った。ミストは吹き飛ばされ、後方の同胞達にまで被害が及ぶ。

 

 オーディーンが居なくなった。ミストが助けたこの世界の住人のせいで。ミストのせいで。

 

 仲間達は状況を理解すると、次々と撤収していった。竜戦車がそれを追いかける。すると、それまで隠れていたのであろう、無数の獣達が後に続いた。その中にはあの二輪を備えた獅子の姿も。

 

 獣達は倒れているミストには眼もくれず、次々とミストの同胞達に追い打ちをかけた。目指すは、機人達の拠点となっている、異界の門。今が好機とばかり、獣達の反撃が始まったのである。

 

 ミストは起き上がると、その様子をただ眺めていた。

 

「私のせいなんだわ。まさか、こんなことになるなんて……」

 

 そう呟いたミストの心中を罪悪感が渦巻いた。

 

 オーディーンの活躍で大都市を制圧した機械達。だが、オーディーンの消失と竜戦車の登場により、立場は逆転した。

 

 機械の軍勢はこの後、拠点となっていた門を破壊され、門の中に逃げ遅れた者達は、多くの犠牲を出しながら、方々へ散っていったのである。

 

 

 

 

 赤に染まった灼熱の地、それと凍りつく様な雪氷の地。その二つが混在する奇妙な世界で、オーディーンは眼覚めた。

 

「ここは……。どこなのだ。仲間は……母上達は」

 

 オーディーンが誰に言うともなく呟いた。

 

 不意にオーディーンは気配を感じ、背後に振り返った。そこには一人の機人が例の二人の少女を従えて立っていた。

 

「君がオーディーンか。よく来た、我が孫よ」

 

 機人はそう言った後で、二人の少女に向かって言った。

 

「御苦労だった。フギン。ムニン。もう下がって良い」

 

「はい、ワーグナー様」

 

 二人の少女――フギンとムニンは、その機人に向かって同時にちょこんとお辞儀をすると、雪氷の地の方へと去って行った。

 

「孫……。どう言うことだ」

 

 オーディーンが問う。

 

「君の体を制作したクイーンとヒルドは私の実の娘なのだ。それに、まだ若いミストもな」

 

「実の娘……。あなたは何を言っているのだ。」

 

「母親は道化と呼ばれる者だ。君でも分かるだろう。」

 

「そんなことが……」

 

 オーディーンは戸惑った。だが、すぐに先ほどまでの戦闘を思い出すと、その機人――ワーグナーに言った。

 

「すぐに戻らねば。同胞達が戦っているのだ」

 

 ワーグナーが頭を振る。

 

「残念だが、それは出来ない。君にはやってもらわねばならないことがあるのだ」

 

「何だと。我には我の使命がある。あなたが例え、本当に我の祖父だとしても、我は仲間の為に戦わねば」

 

「君達はある存在から眼を背けている。君が真に仲間のことを想うのならば、まずはこちらに助力せよ」

 

「何だと。それはどういうことだ」

 

「一言で言おう。君達が真に戦わなければならない相手、それは【虚無】だ」

 

「【虚無】だと……。あなたはあのロキと同じことを言う……」

 

「そうだ。そういう意味では、君達はもっとロキの話に耳を傾けるべきだった、と言わざるを得ないな」

 

 ワーグナーがそこまで言うと、突然、何か巨大な影がワーグナーの後ろに舞い降りてきた。オーディーンはその存在を凝視した。巨大な紅き龍。自分が今までいた世界の住人とは明らかに異質な存在。

 

「儂の名はジークムンド。この狭間の世界より、二つの世界を見守る者。オーディーンよ、汝はこれから、汝が住まう世界、いや、隣り合うすべての世界において平等に訪れる未来の姿を見ることになるであろう」

 

「未来……」

 

「左様。迫りくる異界よりの【虚無】。その【虚無】とこの世界すべての存亡を賭けて戦う者達の姿。それこそが、汝らの世界にも必ず訪れる未来だ」

 

 オーディーンは絶句した。眼の前にいる紅き巨龍の放つ圧倒的な威厳。それに押されていたのである。

 

「汝はこれより、我が息子、ジークフリードと共に聖皇となり、我が息子の影に立ち向かうのだ。それが世界の意思でもある」

 

 オーディーンは無言で紅き巨龍を見ていた。巨龍の足元にいるワーグナーが口を開く。

 

「オーディーン。この戦いに勝利した後、君には新たな力を与え、元の世界へ帰すことを約束しよう。これは、君がその力を得るだけの器になる為にも必要なことなのだ」

 

 オーディーンは黙っていた。ただ、この世界には、自分には想像できないほどの大きな力が渦巻いている。そんな実感が湧いてきたのであった。




関連カード


●ワルキューレ・ミスト
フレーバーテキストは白の章第14節。
機人ガラール、虹竜アウローリア、ウリボーグ、誓約の女神ヴァール、海戦機ニヨルドと同じ節であり、最終節でもある。

本章における主人公。クイーンとヒルドを姉に持つという設定。

●クイーン・ワルキューレ
フレーバーテキストは白の章第5節。
ロロは彼女をフレイムダンスで攻撃したが効かなかった。
カードにおけるクイーン・ワルキューレもスピリット/マジックの効果を受けない。

●ワルキューレ・ヒルド
フレーバーテキストによると歌姫の歌声が届かない者によって塔の門が破壊されている。
それがワルキューレ・ヒルドのことであるのかもしれない。
カードにおいてもスピリット/マジックの効果を受けない。

●要塞皇オーディーン
「最大の都市を凍りつかせた、最大の侵略者」とされている。
侵略者の中でも特に強大な存在であったが、赤の世界へと転送され、龍皇ジークフリードと合体して聖皇ジークフリーデンとなる。
その後、要塞騎神オーディーンType-Xへと姿を変え、白の世界に帰還する。

本章ではクイーンとヒルドがオーディーンの体を作り上げたという設定であり、オーディーンは彼女たちを母と呼んでいる。

●双子妖精フギン&ムニン
フレーバーテキストは白の章第7節。
まだ侵略者との戦いが続いている最中、「侵略者の1人を灼熱の世界に転送する」とロロに告げた道化。
侵略者の1人とはおそらく要塞皇オーディーンのことであると思われる。

本章では未登場であるが、この都市にロロも居合わせている。

●機人ラグーナ
フレーバーテキストによると、指揮者としての役割を持つらしい。
フレイムダンスのイラストでは焼かれており、ロロにやられた可能性がある。
ロロはアイバーンやクイーン・ワルキューレに対してフレイムダンスを使っている。

●ライオライダー
難民達を運び続ける機獣。
「自ら取り込んだ車輪」とあり、機械を取り込むことで己の身体の一部にしたらしい。

●竜戦車アースガルド
一角獣アインホルンと同じく、門を破壊する快挙を成し遂げた機獣。

本章では、ライオライダーと同様に自ら機械を取り込んで己のものとしたという設定。
取り込んだ機械はオーディーンに並ぶ兵器として開発されていた戦車であったため、侵略者にとって強大な敵となる。

●龍騎士ワーグナー
大龍皇ジークムンドと共に描かれている機人。
かつてはジークムンドと戦ったらしいが、やがて両者は堅い絆で結ばれるに至った。
ワーグナーという名前は、ニーベルングの指環の作曲者が元となっていると思われる。

●大龍皇ジークムンド
フレーバーテキストは終章第1節。
赤と白の狭間と思しき世界にワーグナーと共にいる古竜。
『ニーベルンゲンの歌』におけるジークムントはジークフリートの父親である。


●魔龍帝ジークフリード

本章におけるジークムンドの言う「我が息子の影」。
自分の小説では龍皇ジークフリードは二体存在するという解釈(片方は虚無の軍勢によって作られた歪んだ複製)。
龍星神ジーク・メテオヴルムと神龍皇ジーク・カタストロフドラゴンは同時に存在することになる。


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第十一章 鋼葉の樹林にて

 陸の項

 

 

 

 鎧装獣が何故そう呼ばれるか、それは本来彼らの備えている能力に由来する。

 

 鎧装獣は生まれながらにして、己の体を硬質化させる能力を持っており、その装甲は氷の姫君の守護者達が身につけている鎧をも上回る硬度を持つ。

 

 この能力を持つ者の中から選ばれた一握りの獣達が、外敵から民を守る為の戦士達の指導者として、鎧装獣の称号を与えられるのである。

 

 だが、この能力は此度の異変の影響で、仇ともなっている。体が徐々に機械化し、鋼と化していくことによって彼の獣達は己の体を調節する機能を失っていき、体の硬質化を制御できなくなりつつある。

 

 硬質化は体に掛かる負担も大きく、これを上手く制御できなければ、体の組織が崩壊する危険性とも隣合わせなのである。故に、この時点で滅びゆく鎧装獣達の宿命は避けられないものとなっていたと言える。

 

 それでも、機械化そのものに適応しきれず、力尽きていった獣達と比べたなら、まだ幸運だったのかもしれない――ベア・ゲルミルが語ったことである。

 

 鎧装獣を束ね、森の民を治める気高き王ベア・ゲルミルの下、鎧装獣達は、戦士として侵略者達に立ち向かうことを自分達の使命であると自負している。己の身が滅びるその時まで。

 

 

 

 

 鋼のリス、ラタトスカが白骨の様な針葉樹の幹を一気に駆け降りた。ラタトスカが幹を横から踏みつける度に、周囲に金属質の音が響いた。

 

 それまで、無機的で冷たい大地に寝そべっていた、体格に比べて太く短い足を備えている白色の竜がゆっくりと上体を起こした。

 

「どうしたのだ。何かを見つけたのか」

 

 竜の眼の前に座り込んでいたラタトスカが、その言葉に答える。

 

「遠くの方に、見えた。仲間達が、帰ってくる」

 

 竜がラタトスカを見つめ、ゆっくりと頷いた。それまで眠そうに閉じかかったままであった竜の瞼が大きく開かれた。竜は短い足で立ち上がると、ラタトスカが指し示す方向へと眼を向けた。

 

 しばらくすると、遠くの方から、こちらに向かってくる影が視界に現れた。竜は、徐々にはっきりしていくその影を、じっくりと見定める。

 

「おお。あれはヘイズ・ルーン殿。それに他の同胞達も」

 

 竜が久方ぶりの喜びの声を発した。ラタトスカは鋼と化した針葉樹に登ると、嬉しそうに鳴き声を上げながら、向かってくる仲間達に見入っている。

 

 程なくして、近隣に出かけていたヘイズ・ルーンが仲間達を連れて戻ってきた。竜が同胞達を出迎えた。

 

「ヘイズ・ルーン殿、それにスコール殿も。よくぞ戻られた」

 

 鎧装獣の称号を持つ者、ヘイズ・ルーンとスコールがこの樹林の守衛である竜に応じる。彼らと行動を共にしていた獣達の多くが、ここに来てようやく安堵の表情を浮かべた。

 

「ウル・ディーネ様もご無事で」

 

「ええ。ニーズホッグ殿も」

 

 その竜――ニーズホッグがウル・ディーネに会釈した。それから、ニーズホッグは、スコールの弟のハティの方に視線を移し、その背にいる傷ついた少女の姿に気が付き、思わず叫んだ。

 

「スクルディア様」

 

「妹は大丈夫です。ただ……、まだ救えた筈の多くの命が、先の戦いで失われてしまったのです」

 

 ウル・ディーネが、目を伏せた。状況を理解したニーズホッグは深く礼をすると、森の奥へ向かう傷ついた仲間達を見送り、また樹林の入口の辺りに腰を下ろした。

 

 獣達の一行が白色の地面を踏みしめながら、鋼の森を進んでいった。周囲からは、同胞の帰還を喜ぶ機械化した小動物達の鳴き声が響いてくる。スクルディアを背負っていたハティが、自分の名を呼ぶ感嘆の声を聞き、照れ臭さを隠しきれず、顔を伏せた。

 

 一頭の野牛が、先頭を行くヘイズ・ルーンの姿を見ると、鋼の草木をかき分けて飛び出してきた。

 

「ヘイズ・ルーン。よく無事だったな」

 

「ああ。アウドムラ。何とか、これだけの同胞を救うことができた。スコール殿や、他の仲間達のおかげさ」

 

「王も皆の帰りを待っておられたぞ。積もる話もあるが、早く王のもとへ向かおう」

 

「そうせかすな。皆、先の戦いで受けた傷がまだ十分に癒えてはいないのだ」

 

 ヘイズ・ルーンとアウドムラの旧知の間柄は皆が知っている。周囲の眼も気にせず、自然とその会話も親しいものとなっていた。

 

「そうか。侵略者め、あいつらの見境の無さは、この私でも呆れかえる」

 

 アウドムラはそう言ったが、ヘイズ・ルーン達は、自分達を襲った狼達や、それを破壊した巨人達のことを思うと、本当にすべて侵略者がやっていることなのだろうか、という疑念を拭えなかった。

 

 ヘイズ・ルーンとアウドムラが肩を並べて、群れの先頭を歩いて行った。

 

 森の中央付近にある一際大きな針葉樹が立ち並ぶ聖地に、鎧装獣の王は鎮座していた。

 

 重傷を負った獣達や、ハティとスクルディアを残し、ウル・ディーネ、それにヘイズ・ルーンとスコールを始めとする数体の獣達が王と謁見した。

 

「王よ、ただ今戻りました」

 

 ヘイズ・ルーンとスコールが、ベア・ゲルミルに向かって深々と頭を垂れた。

 

 所々硬質化した皮膚を持つ大柄な熊という風貌のベア・ゲルミルは、その鋼の様な瞼を閉じたまま、黙って頷いた。ベア・ゲルミルの傍らに坐していた、蛇の尾を持つ全身が硬質化した獅子、キマイロンが代わりに答える。

 

「ヘイズ・ルーン、スコール、それに遠地より遥々参られた同志達よ。そなた達の無事、王も心から喜んでおられる」

 

 ベア・ゲルミルは黙したまま、遠地から避難してきた仲間達に礼をした。キマイロンもそれに伴い、一礼をする。

 

「此度の戦で散っていた多くの同胞達、それに最期まで侵略者達と戦いぬいた勇猛なる南の戦士達。我らはかの者達の魂の安寧を祈り、忘れることのなきよう、後の世に語り継ごう」

 

 キマイロンが言い終わると、ベア・ゲルミル、それに続いてキマイロンが黙祷した。その場に居合わせた獣達とウル・ディーネがそれに倣う。

 

 暫しの間、皆は押し黙っていたが、やがて、キマイロンがウル・ディーネに向かって頭を垂れた。

 

「ウル・ディーネ様、実はあなた方がこちらにお着きになる前に星導く使者がお越しになりました」

 

 キマイロンの言葉にウル・ディーネは驚いた。

 

「星導く使者。すると、ベル・ダンディアからの……」

 

「仰せの通りです。ベル・ダンディア様からのお言付けで、妖機姫ソール様の塔にスクルディア様と共に参られよ、とのことです」

 

「そうですか……。では、あの子はいよいよすべての侵略者を退ける為に、行動に移すと言うのね」

 

「是非とも歌姫の声をこの地上全てに届けてくださるよう、王に代わってお願い申し上げます」

 

 キマイロンがそう言うと、ウル・ディーネの傍らにいるヘイズ・ルーンやスコール達もウル・ディーネに向かって改めて礼をした。

 

「心得ました。必ずや、ソール様のお声を、地上の隅々まで届けられる様に、微力ながら力添えを致しましょう」

 

 ウル・ディーネは自分の中の使命感を遂に果たす時が訪れることを自覚し、決意を新たにした。

 

 

 

 

「兄の後ろに隠れていただけのお前が、随分と頼もしくなったらしいじゃないか」

 

 アウドムラの物言いに、ハティは恥ずかしさを隠しきれなかった。傍らには安心しきったスクルディアがぴたりと身を寄せており、なおさらのことである。

 

 もっとも、スクルディアにとっては、姉であるウル・ディーネに対しても同様の接し方であり、信頼する相手に対しては自然なことであるのだが。

 

 周囲には、アウドムラの他にも、この森で暮らす者達や、傷を癒しているこれまで共に戦ってきた獣達がおり、ハティとスクルディアに視線が集まっている。

 

 スクルディアはまだ幼いとはいえ歌姫を支える三姉妹の一員であり、若くしてその信頼を得ているハティのことを、仲間達は頼もしく思っていた。

 

「ス、スクルディア様。もう少し離れてくださいよ」

 

 スクルディアはきょとんとして、ハティを見つめ返す。まるで言っている意味が分からないとでも言う様に。

 

「はは。昔のお前も大して変わらなかったぞ。いつもスコールに頼りきりだったな」

 

 アウドムラが笑った。

 

「そ、そんなこと」

 

 そう言ったハティだったが、昔の自分の姿を思い浮かべると、どうにも否定できない気がした。

 

 ほどなくして、王と謁見していたヘイズ・ルーンやスコール達が戻ってきた。その中には二体の星型の浮遊体を伴ったウル・ディーネの姿もあった。

 

「スクルディア。私達はこれからソール様のもとへ向かうことになりました」

 

 それまでハティの方ばかり見ていたスクルディアがウル・ディーネの方へ振り返った。

 

「分かりますね。今こそ、あなたの力も必要となる時。私達三姉妹が再び集うのです」

 

 スクルディアはしばらくよく分からない様な顔で、ウル・ディーネを見つめていたが、やがてハティに絡めていた腕を離すと、黙って頷いた。

 

「ええ。ベル・ダンディアとも会えますよ。あなたがあの子と会うのはあなたが生れて間もなかった頃以来ですね」

 

 スクルディアは、ハティと出会う以前は唯一の心を開く相手であったウル・ディーネの方へ這いよると、彼女にぴたりと身を寄せた。

 

「ウル・ディーネ様。塔へと向かう道中ではいつまた侵略者が現れるか分かりませぬぞ」

 

 アウドムラの問いに対して、ヘイズ・ルーンが答えた。

 

「その点は抜かりない。王の御達しで、グリン・ブルスティ殿とセンザンゴウ殿を始めとする数人の仲間達が護衛の任につくことになっている」

 

「そうか。グリン・ブルスティ程の猛者が付いていれば心強いだろう。まだ若いが、センザンゴウも頼りになる奴だしな」

 

 アウドムラは納得のいった顔で頷いた。

 

「本当は私も御同行したかったが、この地域の防衛の為、残ることとなった。まあ、私の場合はそれが適材適所であるからね。無論、スコール殿もそうだ」

 

 ハティは黙ってアウドムラ達の会話を聞いていた。

 

 ハクと別れ、仲間たちと合流してから、ずっと側にいたスクルディアが自分から離れていく。

 

 本来、彼女は姉の側にいるのが自然なことであるのに、彼女は彼女の役目を担うべくあるべきところに向かうというのに。何故だろう、この感覚は。ハティの心の中を一瞬の間で渦巻いたその感情は喪失感とも呼べるものであった。

 

 ウル・ディーネに身を寄せているスクルディアが気遣わしげにハティを見やる。

 

 今まで生涯を共にしてきた姉の側にいる時が、一番安心できる。その一方で、ハティとの距離が開いているだけで、侵略者の襲撃の際に姉と離れ離れになった時の様な寂しさも込み上げてきた。どうしてハティはこっちにこないの。ただ純粋に語りかける様な眼差しでハティを見つめる。

 

 ハティはスクルディアと視線が合い、はっとなった。すぐに分かった。自分が今すぐ言うべきことが。

 

「僕もお供させてください」

 

 一同がハティの方へ振り向いた。ハティは意を決した表情で皆の視線を受ける。

 

「ハティ。王の指名にお前の名はなかった。グリン・ブルスティ殿とセンザンゴウ殿は無論、護衛につく者達は皆、かなりの猛者揃いだ。何も心配することはない」

 

 スコールはそう言ったが、ハティの決心は揺るがなかった。

 

「いえ、それでも僕はお力になりたいのです。足手まといにはなりません。どうか一緒に連れて行ってください」

 

 スコールが何か言おうとしたが、アウドムラがそれを押しとどめた。

 

「こいつは随分と頼りがいのある奴になったな。ひょっとしたら兄であるお前より……かもな。何がこいつをそうさせたんだろうな」

 

 アウドムラはハティを見やりながら、笑った。

 

「ハティが自分の意志で戦うと言うんだ。止めてやりなさんな」

 

 スコールが驚いたような面持ちでアウドムラを見た。

 

「しかし、王の御意向に背くことにはならんか。我々にはそれぞれ違った役割が与えられているのだ。おそらく、ハティも何らかの使命を与えられることになるだろう」

 

 そこへ、一頭の獅子が歩み寄って来た。王の側近であり、その意思を皆へ伝える役目を担っているキマイロンである。

 

「分かった、ハティよ。お前も共に行くがよい。王は了承してくださるさ」

 

 キマイロンの発言が意外であった為、スコールやハティなどはもちろん、アウドムラでさえ、驚きを隠せなかった。

 

「王は、今どうなされているのだ」

 

「王は、お休みになられている。近い未来、ここを襲撃するであろう、侵略者に備えて。だが、王なら分かってくださるさ。ようやく若き戦士ハティが己の志す道を見出したというのだからな」

 

 王の代弁者であるキマイロンの言葉により、周囲の獣達もそれを認めないわけにはいかなかった。スコールはまだ名残惜しそうにハティの方を向いていた。

 

「兄さん。僕はスクルディア様とウル・ディーネ様をお守りする為、仲間達と共に戦います。そして必ずやソール様の歌声をこの地にも届けさせます。だから、兄さんもとめないで」

 

「そうか、ハティ。お前がここまで強くなっているとはこの私も気付かなかったよ。お前という弟を持てて、私も嬉しいさ」

 

 スコールとハティ、義兄弟の契りを交わした二頭の獣が身を寄せ合った。暫しの別れ。場所は違えども、共に守るべきものの為に、迫りくる敵と戦うことを、スコールとハティは誓った。

 

 

 

 

 ウル・ディーネとスクルディア、それに護衛の獣達がソールの住まう塔を目指して、旅に出た。

 

 護衛の獣達をまとめるのは大柄な体格の勇ましき鎧装獣グリン・ブルスティ。それを補佐する者は、その将来を期待されている若き戦士、センザンゴウ。その他の五体の獣達も勝るとも劣らないつわもの揃いであった。

 

 ハティは固い信念を秘め、皆と共に歩む。傍らには、ハティにすっかり懐いているスクルディアの姿があった。ハティは、口ではウル・ディーネの側にいることをスクルディアに勧めたのだが、ウル・ディーネは「今の妹にはこの方がいい」と語った。

 

 内心、ハティも傍らに自分がもっとも守りたいと思っている存在がいることで勇気づけられていた。

 

「ベル・ダンディア……、それにソール様。待っていてください。必ずあなた達のもとへ向かいます。この戦いを終わらせる為に」

 

 横に二体の星導く使者を従え、ウル・ディーネは仲間達と共に歌姫の塔を目指す。

 

 

 

 

「王よ。どうなされた」

 

 ベア・ゲルミルが瞼を閉じたまま銀色の天を仰いでいた。鋼と化した木々が作り物めいた葉をさわさわと鳴らす。辺りには、ベア・ゲルミルの静かでありながら、激しい熱量が振動している。それほどの凄まじい気迫が、この森の王にはあった。

 

「王よ……」

 

 キマイロンが驚愕する。ベア・ゲルミルがその重く固い鋼の瞼を開いたのである。外気に晒される真紅の瞳。

 

「王、ご開眼なさるとは……」

 

 ベア・ゲルミルは天を仰いでいた顔を下げ、キマイロンの方を向いた。声ではない、言葉。音なき無言の意志の疎通。キマイロンには即座に王の意思が伝わった。

 

「なんと、侵略者達の軍勢がこの森に向かっていると……。もしや、南の戦士達が戦った、巨人が……」

 

 そこまでは分からない、という風にベア・ゲルミルは頭を振ると、ゆっくりと瞳を閉じ、その場に腰を落とした。

 

「了解致しました。今すぐ、同胞達にこの事を知らせましょう。至急、戦いの準備を始めなければ」

 

 キマイロンは駆けだした。この森の同胞達に危急を伝える為に。そして、侵略者を迎え撃つ為に。

 

 鎧装獣の王、ベア・ゲルミル。彼は激しい感情を内に秘めていた。

 

 緑を破壊し、奪った侵略者達に対する憎しみ。同胞達を次々と滅亡に追いやられたことへの怒り。それらの感情を抑え込む為に、彼は沈黙を守り、怒りに燃えた瞳を鋼の瞼で覆っていた。

 

 侵略者によって変質させられた森の情景、この森の空気をじかに感じるだけで、彼の憎しみは燃え上がり、理性を失い、自らの肉体の崩壊の時を早めかねなかったのである。

 

 だが、間もなく、溢れんばかりの怒りを解放せざるを得ない時が来る。ベア・ゲルミルはそれを自覚し、その場に坐すと、ただ黙して時を待った。おそらく、自分にとって最後の戦いとなるであろう、その時を。




関連カード


●鎧装獣ベア・ゲルミル
熊の姿をした最重量級の鎧装獣。
緑を守護する為に、燃える怒りによって突き動かされる。
一番最初の白の構築済みデッキでは正面を飾っていたカード。

自分の小説では鎧装獣の王として登場。

●ラタトスカ
己の非力を自覚し、警戒の声を伝える役割に徹している機獣。
北欧神話におけるラタトスクがモチーフ。

●銀燐竜ニーズホッグ
「平和を愛する優しい竜」とされる。
北欧神話におけるニーズヘッグは世界樹に住み着いており、フレスヴェルグとの不仲で知られている。
その二匹の会話を伝えることで喧嘩を煽り立てているリスがラタトスク。

本章ではラタトスカと行動を共にしており、鋼葉の樹林の守衛を務める。

●鎧装獣アウドムラ
フレーバーテキストは、
おそらく歌姫の声を受けながら虚無の軍勢と戦っている場面。
北欧神話に登場する牝牛がモチーフ。

●鎧装獣キマイロン
フレーバーテキストは、
歌姫の声が盾となって虚神の攻撃を跳ね返している場面。
虚神と直接交戦しているのかもしれない。

本章では言葉を発しない鎧装獣ベア・ゲルミルの意思の代弁者としての役割を担う、ベア・ゲルミルの側近として登場。




●鋼葉の樹林
名所千選166。
鋼と化した樹林。風に吹かれると鈴のような音色が響く。
イラストでは銀燐竜ニーズホッグも描かれている。

本章では鎧装獣の聖地として登場。
鎧装獣はいずれも系統:巨獣か甲獣に属している為、このネクサスの恩恵を受けられる。


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第十二章 輝竜殿浮上

 三姉妹の項

 

 

 ベル・ダンディアがソールの住まう塔を出てから三度目の月が天に昇っていた。ミッドガルズは塔を守護する為に残り、彼女に同行したのは、一角獣アインホルンと、新たに供に加わった巨獣皇スミドロードである。

 

 ベル・ダンディアとスミドロードが最初に出会ったのはまだスクルディアが生まれる前、ベル・ダンディアが飛龍ヴァルキュリウスと共に世界を旅した頃にまで溯る。

 

 ベル・ダンディアがこの世界と隣り合う世界を訪れた際、重傷を負っていたスミドロードの命を救ったことでスミドロードは彼女に深く感謝し、ベル・ダンディアの従者となることを誓った。

 

 この世界の住人となったスミドロードは、危機ある時はいつでもベル・ダンディアの力となるべく、まだ慣れないこの世界で武者修行の旅に出た。

 

 侵略者が出現した際、スミドロードは、昔から親交があったという、氷の淑女スノトラのもとで働いていた。その実力を認められ、スミドロードが巨獣皇の称号を与えられたのもこの時である。

 

 此度、スミドロードはベル・ダンディアがソールのもとに帰って来たという報を聞き、スノトラの了承を得た後、ベル・ダンディアのもとへ馳せ参じたというわけである。

 

 スノトラの下には、スミドロードの現在の同僚であるガラパーゾや、スノパルドといった獣達が残っている。彼らにスノトラの守護を任せ、スノトラのもとを去ったことはスミドロードにとって心残りなことであったが、スノトラは、スミドロードがスノトラにとっても友人であるベル・ダンディアの力となることを喜んでいた。

 

「ベル・ダンディア様、今日はもう十分でしょう。一旦お休みになられた方がよろしいかと」

 

 スミドロードの提案に、ベル・ダンディアは同意した。

 

「そうね。幸い、この辺りはまだ侵略者の姿も見られないし、今のうちに疲れをとっておきましょう」

 

 スミドロードは、ネコ科特有のしなやかな体を曲げて、その場に己の巨体を横たわらせた。ベル・ダンディアとアインホルンがその懐に抱かれる形となる。

 

 アインホルンは、スミドロードと共にいるベル・ダンディアの安心しきった表情を見る度に、なんとも言えない肩身の狭い思いをしていた。

 

 思えば、自分がベル・ダンディアと出会ってから、そう幾日も経ってはいない。聞くところによると、スミドロードとはジューゴンよりも長い付き合いだという。完全に機械化した飛龍ヴァルキュリウスをベル・ダンディアが愛おしそうに撫でていた時も、自分とは比べられないほどの絆の深さを感じた。アインホルンには、どうにも入り込む隙が無いように思えた。

 

 スミドロードの懐でしばらく眠りに付いていた、ベル・ダンディアとアインホルン。異変に真っ先に気が付いたのは、ベル・ダンディアであった。

 

「スミドロード、アインホルン。何かがこちらに向かってきます。急いで隠れて」

 

 ベル・ダンディアが言い終わらないうちに彼方よりの気配に気が付いたスミドロードは、ベル・ダンディアとアインホルンを側の樹海の内部へ隠れるように促すと、二人を庇うようにして覆いかぶさり、その身を伏せた。

 

「一体、何が……」

 

 状況を呑み込んだアインホルンが困惑する。

 

「おそらく、侵略者でしょう。かなりの数です」

 

 三人が身を伏せている間に、侵略者の気配はアインホルンにもはっきりと感じとれるようになっていた。

 

 来る。

 

 上空を、侵略者達の一大拠点となっている巨大な鋼の船が通過した。それに続いて、無数のくろがねの船が次々と天空を横切って行く。夜空の月と星々の姿は隠れ、白く染まった大地が黒色へと塗り潰されていった。

 

 この地上に生きる獣達とは異質な物体の大群。今まで、多くの同胞達を滅ぼしてきたその侵略者達を、スミドロードは怒りの眼で睨みつけていた。

 

 程なくして、上空の侵略者の船団はその姿を消した。未だ、怒りのこもった瞳で侵略者が消えて行った方角を睨むスミドロード。何やら、固い決意の色を顕わにしたベル・ダンディア。アインホルンだけが、鎧蛇の島を襲ったあの軍勢とは比べ物にならないほどの圧倒的な機械の大群を目の当たりにしたことで、茫然としていた。

 

「……急がねばなりません。急いで、フレイア様のもとへ向かい、皆を助けに戻らなければ」

 

 ベル・ダンディアが、立ち上がった。

 

「しかし、それよりもソール様のもとへ戻って加勢した方が良くないですか。もう、フレイア様の所へむかっている時間などないのでは」

 

 アインホルンがそう言うと、スミドロードは頭を振った。

 

「いや。我々は、急いでフレイア様の協力を仰がなければならない。今から戻ったところで、どのみち侵略者を退けることは叶わないだろう」

 

「し、しかし……」

 

「アインホルン。今は、ソール様の御力と、塔の仲間達を信じてください。ソール様の防壁が間に合えば、あの軍勢の侵攻を遅らせることも可能です。それにミッドガルズも協力してくれます。私達は、私達の使命を果たしましょう」

 

 ベル・ダンディアにそう言われると、アインホルンは黙って頷くしかなかった。それでも、アインホルンは心配であった。果たしてあれほどの大群を相手にして、塔の仲間達は持ち堪えることができるのであろうか。

 

 

 

 偵察機マグニより、ソールがいる塔の座標を知らされたスルトは同胞達にこの事を伝え、戦いの決着に望む決心を固めていた。

 

 トールは度重なる激戦で疲弊した為に前線を退き、オーディーンは行方不明になったという。これ以上の長期戦は望ましくない。すべては完成された新世界創造の為。スルトの心中では、かつてないほどの使命感が顕わになっていた。

 

「スルト殿。あなたの御活躍、期待しておりますよ」

 

 スルトは背後を振りかえった。この船の中にいる者であり、誰であるかは分かっていた。

 

「ヴァルグリンド殿。此度の快挙、あなたの協力がなければ為し得なかったことでしょう。あなたから提供して頂いた技術を駆使して、偵察に向かわせていたマグニが塔を発見し、我らの勝利は目前。ご協力感謝致しますぞ」

 

 スルトの背後に立っていた機人――ヴァルグリンドに向かってスルトが言った。

 

 ヴァルグリンドは微かにほほ笑むと、やや表情を引き締めてから言った。

 

「だが、油断為さるな。ソールの力にはこの私でさえ計り知れないものがある。それにこの世界の獣達も死に物狂いで抵抗してくるだろう。奴らも自分達の世界が滅びるかどうかの瀬戸際なのだから」

 

「それは了解しております。しかし、我らの目的は彼らを滅ぼすことではなく新世界の創造。その為に多くの犠牲を払って現在に至るわけだが……」

 

「分かっておりますとも。私もその使命を達するべく、こうして協力しているわけですからね」

 

「あなたほどの逸材が眠っていようとは、今まで気付きませんでしたよ」

 

 ヴァルグリンドは軽く会釈した後、スルトの前から去った。スルトは、船に搭載されているレーダーを見やった。間もなく軍勢はソールの塔に到着するだろう。後は、ソールを生け捕りにし、新世界の創造に従わせる。それで、目的は果たされるわけだ。

 

「スルト、何故あの者を受け入れた。僕があれほど止めたというのに」

 

 いつの間にかスルトの背後にいたロキの端末、ベビー・ロキが言った。

 

「ロキか。近頃のお前が言う事為す事俺には理解できぬ。ヴァルグリンド殿の助力で我々は遂に勝利を手にする一歩手前なのだぞ。そのうえ、何故お前は水を差すのだ」

 

「スルト、今からでも遅くない。あれは危険なんだ。今すぐあれとは手を切って、この世界から締め出さなくちゃいけない」

 

「ふん。お前は何をそう焦っているのだ。お前の言うことに耳を貸す気はない。どこへなりとも消え失せるがいい」

 

 スルトはそれきり、ベビー・ロキを放っておいたまま、黙って船の進軍を観察していた。

 

「残念だよ、スルト。でも、僕はこのまま黙ってはいない。それだけは覚えておくことだね」

 

 不意にベビー・ロキの気配が途切れた。

 

 やがて、しばらく黙っていたスルトが、おもむろに言った。

 

「魔神機の使用権を剥奪されたお前に、何が出来ると言うのだ……ロキよ」

 

 

 

 ソールの住まう白き塔へと通ずる谷間。両方の崖は何れもその岩石特有の本来の白色を備えており、それと澄んだ空気がここがまだ侵略者の影響外であることを物語っていた。この谷間に、銀色に統一された装甲を持つ大蛇が横たわっていた。

 

「近付いてきているな……」

 

 ミッドガルズが呻いた。その声に応えるようにして、鋼の装甲に覆われた竜が舞い降り、ミッドガルズの頭上で静止した。

 

「ああ。奴らだな」

 

 竜はミッドガルズと同じ方角を見据えた。

 

「ファーブニル。塔の備えは万全だろうな。あの軍勢、同時に相手をしていたのでは到底我々だけでは防ぎきれないぞ」

 

 ミッドガルズの問いに対して、ファーブニルが答える。

 

「塔のヘイル・ガルフに信号を送った。ソール様や、姫君達の力を信じる他はあるまい」

 

「ならばひとまず安心……というところか。まあ、我らは我らに出来るだけのことをしよう。」

 

 遥か前方を覆うオーロラ。これがここら一帯の地域を異界よりの浸食から保護しているのである。そして、このオーロラがソールを始めとする氷の姫君達の力によってその輝きを増し、侵略者の軍勢を喰い止める。

 

 それでも一時凌ぎにしかならないが……。ミッドガルズとファーブニルの心中を同様の感情が過った。上空よりの侵攻はしばらくの間防ぐことができるだろう。

 

 だが、地上を前進していく侵略者の群れは、防衛線を越え、塔に辿り着く。ミッドガルズやファーブニルのような各地で待機している猛者がこれを撃退するのであるが、圧倒的な物量で攻め寄せて来る侵略者を防ぎきることは、不可能であろう。

 

(まず間違いなく塔にまで被害は及ぶだろう。後は、我々の友軍が到着するのを待つほかあるまい。ベル・ダンディア嬢、それにスノトラよ。急いでくれ)

 

 空気を伝わる微かな振動が強まった。未だ、侵略者達はその姿を現さないが、確実に奴らは接近している。ミッドガルズは己の体内に眠っている熱量を徐々に解放させていった。幾千年ぶりの戦い。血が騒いだ。これが最後の戦いになるかと思うとなおさらのことであった。

 

 

 

 月に照らされている白き塔。その塔の至るところでは、灯籠の様なホタルの輝きが灯っていた。ホタル達は本能で以て迫りくる異変を全身で感じ取っている。その塔のベランダの一つに白い影が立っている。歌姫ソールであった。

 

 ソールの背後から一人の氷の姫君が姿を現した。ソールはその姫君の気配に気付いたが、振り向くことはせず、黙って塔のホタルと夜空の月と星によって映し出される情景を眺めている。まるで自分とその周りの時が止まっているかのように、身動き一つせず。

 

「ソール様。御時間でございます。」

 

 マーニがそう言うと、ソールは振り向いてから頷き、塔の内部へ戻った。

 

 ソールは、ガラスの様な冷たく透き通った体となった時、かつての生命の温もりと共に言葉を失った。後に残ったのは、この世界にとってなくてはならないもの、歌声だけであった。すべては氷の魔女達の仕業……。

 

 マーニはソールに付き添い、歌声を塔より響かせる為、塔の最上部にある一室に向かった。そこではソールの側近、フレイとフリッグが待っていた。

 

 フレイとフリッグがソールに会釈し、ソールを中に招き入れる。それまで穏やかな顔つきであったマーニは、フレイと眼が合うと、彼女をきっと睨んだ。フレイは動ずることなく、フリッグと共にソールを導く。

 

 ソールが中央にある滑らかな材質の木で出来た椅子に腰を下ろすと、マーニは待ちかねていたようにフレイに言った。

 

「フレイ、あなたがベル・ダンディアを外にやらなければ、ソール様の御負担ももっと軽いものになっていたのよ」

 

 フリッグと共に周囲の窓を開け放していたフレイはその動きを止めると、マーニの方へ向き直った。

 

「マーニ。フレイアの戒めを解く為には、ベル・ダンディアの力が必要なのですよ。私やサーガでも可能ですが、塔を離れるわけにはいかなかった」

 

「フレイアは魔女に加担したのよ。この状況であれの力を借りようなんて正気の沙汰とは思えない。どさくさ紛れに何を仕出かすか分かったものじゃないわ」

 

「いいえ、マーニ。私はフレイアを信じております。現に、今までこの場に侵略者が現れなかったのは、フレイアや、スノトラ様のおかげなのですから」

 

 マーニは驚き、眼を見開いた。

 

「何ですって。フレイアやスノトラ様が。どういうことなの、フレイ」

 

「フレイアは自らに戒めを施した聖域でソール様の歌声を増幅させ、多くの侵略者達の侵攻を喰い止めていたのです。これにはスノトラ様の助力もあってのこと」

 

「そのことをソール様は……」

 

「無論知っております」

 

 そう言ったのは、ソールの歌声を響かせる為の準備を終えた、フリッグであった。マーニが椅子に腰を掛けているソールの方を見ると、ソールは静かに頷いた。

 

「でも、私には魔女に加担したフレイアやスノトラ様を心から信用することなんて出来ない……。あなた達は、目前の脅威にばかり眼を向けているけど、この戦いが終わったらスノトラ様が何をするか分からないわ」

 

「マーニ。スノトラ様は昔のことを酷く後悔なさっておられるのですよ。フレイアも、身を挺して今まで侵略者達を喰い止めてくれていました」

 

 フリッグがそこまで言うと、マーニは押し黙ったまま俯いた。フレイがフリッグの後を繋ぐ。

 

「フレイアからの交信が途絶えたと、スノトラ様より、連絡がありました。事は急を要するのです」

 

 だが、マーニは納得のいかない表情を変えることはなかった。

 

「あなた達があのヘルの助力まで請おうとしていることは分かっています。昔と同じだわ。こんな事……」

 

 そう言うマーニにかける言葉を、フレイとフリッグはすぐには分からなかった。やがて、ソールが椅子から立ち上がり、ガラス細工の様な両腕を広げ、外の景色を見据えた。歌声を響かせる時がきたのである。フレイが部屋の北部に立ち、フリッグが南部に立った。マーニは黙って、ソールを見守っていた。

 

 

 

 硝子の女神フレイアが自らを封じ込めた聖域。その地は何人といえども侵す事のできない高き山々に囲まれ、白く美しい聖堂が立ち並ぶ、獣や鳥達の聖地。透き通った高山の空気に満たされ、天空と接する別天地。ほんの数日前までは、そんな平穏な世界がそこにはあった。

 

 ベル・ダンディア達が訪れたその地は無残にも破壊し尽くされていた。既に獣達はこの地を去り、辺りには打ち壊された聖堂の残骸が散乱していた。

 

 天には既に日が昇り、異変によって濁った空気を弱弱しい光が伝わっていた。

 

「まさかこんな事になっているなんて……。フレイア様は御無事なのかしら……」

 

 ベル・ダンディア達は瓦礫の間を掻い潜りフレイアが封印されている聖堂を目指す。

 

「これも侵略者達の仕業……。なんて奴らだ」

 

 憤慨するアインホルン。だが、スミドロードだけが、腑に落ちない面持ちであった。

 

「これまでフレイア様はスノトラ様の助力もあり、侵略者達の侵攻から多くの同胞達を護っておられたのです。その守護には綻びなどありませんでした。それが今になって急に破られるとは……。敵側はこれまでにない何らかの力を行使してきた、としか考えられません」

 

 一行が辿り着いた聖堂。幸いにもそこは無傷であった。侵略者達ですらここの一際強い結界は破れなかった、ということであろうか。

 

「ここの結界が無事ということは、フレイア様も御無事の筈」

 

 ベル・ダンディアが安堵の表情を浮かべる。

 

 その刹那。不意に何者かが瓦礫の中から姿を現し、銀色の刃を突き出して、ベル・ダンディアに飛びかかった。確実に首筋を狙う刃。アインホルンが気付いた時には既に間に合わないところまで来ていた。だが、それより先に飛び出したスミドロードが、鋭い爪を構え、その銀色の影に突きかかった。

 

 その影はスミドロードの一撃を受け止めると、一気に後方へ退いた。スミドロードとその銀色の機人が対峙する。

 

「スミドロード……」

 

 ようやく事態を呑み込んだベル・ダンディアが呟いた。

 

「ベル・ダンディア様、下がっていてください。この侵略者は私が仕留めます」

 

 その様子を眺めていた機人が口を開いた。

 

「これほどの猛者がいるとは想定外だったな。完全に気配を消していたこの私に気が付くとは、獣の直感というものだろうか」

 

 その言葉にベル・ダンディア達は驚愕した。今まで侵略者と意思の疎通が出来たことはなく、それが可能であるのは、ロキとのみ意思疎通ができるミッドガルズ、ヘル、フェンリルぐらいしか、知らなかったからである。

 

「貴様は何者だ。侵略者なのか」

 

 スミドロードが問い詰めた。

 

「我が名はデュラクダール。主の命により、君達の命をもらい受けに来た」

 

 その機人、デュラクダールが言った。

 

「何故、お前は我々の言葉を喋る。それとも侵略者どもには既に分かっていたことなのか」

 

「なに、簡単なことだ。我が同胞から送られてきた情報で、この世界のことは大体分かっている」

 

 そう言うと、デュラクダールは得物を構えた。

 

「無駄話が過ぎた。君達に恨みはないが、消えてもらわねば後々困るのでな。覚悟したまえ」

 

 デュラクダールはそう言うと、瞬時にスミドロードへ斬りかかった。スミドロードは全身から黄色のオーラを滾らせ、これを迎え撃つ。デュラクダールの刃を弾くと、スミドロードは鋼の牙で以て反撃に出た。

 

「ベル・ダンディア様。急いでフレイア様の戒めを解いてください」

 

「分かったわ。スミドロード。どうか無事でいて」

 

 ベル・ダンディアが急いで、聖堂に向かって這いだす。

 

「そうはさせぬ。行け、傀儡共よ」

 

 デュラクダールの言葉に応じる様に、空間が捻じれると、そこから機械化した四体の狼達が飛び出した。

 

 それはかつてウル・ディーネ達を襲った狼達と酷似していたが、その色はどす黒く染まっており、狂ったような色彩が全身に広がっていた。赤黒い狼が二体と微かに青みを残した黒色の大柄な狼が二体。それらがベル・ダンディアに背中の筒を向けながら、隙を窺う。

 

 自分に牙をむく獣たち。あまりにも異様な光景を目の当たりにして、ベル・ダンディアは困惑した。

 

「こういうやり方は好かないのだがな」

 

 デュラクダールは再びスミドロードに斬りかかった。スミドロードは黄色のオーラで強化した己の肉体でこれを受け止めたが、その体は刃を受ける度に確実に傷ついていく。

 

「アインホルン、ベル・ダンディア様を護れ。その獣たちは完全に正気を失っている」

 

 アインホルンがはっとなり、ベル・ダンディアに迫っていた一体の赤黒い狼を横からつき刺した。狼は致命傷を負った筈であるのに、即座にアインホルンから離れると、再び隙を窺う。

 

 ベル・ダンディアは決意を固め、急いで聖堂の結界へ向かうと、その結界を解きにかかる。その背後にアインホルンが立ち、狼達に睨みを利かせた。狼達は隙を窺いながら、その周囲を取り囲む。

 

「埒が明かぬな。傀儡よ、ベル・ダンディアのみを狙え」

 

 デュラクダールの命令に応え、狼達が一斉に飛びかかった。アインホルンがベル・ダンディアを庇おうと立ちはだかったが、狼達の集中砲火をその身に浴び、為すすべもなくその場にどうと倒れた。

 

「ベ、ベル・ダンディア様……」

 

 アインホルンの呻き声が空しく漏れた。

 

 封印を解くのに掛かりきりであったベル・ダンディアに狼達の凶刃を避ける余裕などなかった。振り返ったベル・ダンディアは己の最期を悟る。

 

 その瞬間。

 

 突如結界から白色のオーラが広がり、中空に飛び上がっていた狼達を包み込んだ。狼達は中空に止まったままその場でもがいていた。

 

「これは、フレイア様の」

 

 ベル・ダンディアははっとなると、再び結界の術式を解きにかかった。

 

「なんだと。フレイアよ、まだこれほどの力を隠し持っていたとは……」

 

 デュラクダールが驚愕する。スミドロードはその隙を見逃さず、一気にデュラクダールに喰らいかかった。デュラクダールは刃でこれを防ごうとしたが、間に合わず、スミドロードにその両腕を食い千切られた。スミドロードが容赦なく追い打ちを仕掛けようとしたが、デュラクダールは飛翔すると、上空からスミドロードを見下ろした。

 

「私とした事がこの様な失態をおかすとは……。主よ、御赦しを」

 

 地上のスミドロードと上空のデュラクダールが睨み合う。

 

「見事だ、戦士よ。だが私にはまだやらねばならぬことがあるのだ。今回は私の負けだが、次はこうはゆかぬぞ」

 

 デュラクダールがそう言うと、その姿は、狼が出現した時と同様の空間の歪みに呑まれ、消失した。

 

 スミドロードは即座にベル・ダンディアのもとへ向い、重傷を負ったアインホルンの側に立ち、狼達に対して身構えた。だが、狼達は中空でもがいたままであり、襲いかかってくる様子は見受けられない。

 

 ベル・ダンディアが結界の術式を解くと同時に大地が激しく振動した。すると、凄まじい地響きと共に、地面が浮き上がっていった。中空に止まっていた狼達が地上に叩きつけられた。狼達は立ちあがり、筒をベル・ダンディアに向けようとしたが、白色のオーラが地面を走り、狼達を次々と地上に突き落としていく。

 

 一体のみ残っていた青みがかった黒色の狼が態勢を立て直すと、ベル・ダンディアに向かって砲弾を放った。即座に動いたスミドロードがこれを己の体で受け止め、狼に突きかかる。スミドロードによって筒を引き裂かれた狼はそのまま地上へと落下していった。

 

「ベル・ダンディア様、御無事ですか」

 

 スミドロードが言った。

 

「ええ、私は大丈夫。それより、アインホルンを」

 

 ベル・ダンディアは倒れているアインホルンのもとへ駆け寄ると、手当にかかる。ベル・ダンディアがそっと手を当てると、アインホルンの体をほのかな緑色のオーラが包み込んだ。それまで苦しげだったアインホルンの表情が、幾分か楽なものになっていく。

 

「ありがとうございます……ベル・ダンディア様」

 

 アインホルンが弱々しく呟いた。

 

「礼を述べるのは私の方です、ありがとう、アインホルン。それにスミドロードも。あなた達がいなければ私はここで命を落としていました」

 

 だが、アインホルンは自分の不甲斐なさが許せなかった。最初にあのデュラクダールと名乗る者がベル・ダンディアに斬りかかった時、自分はベル・ダンディアを助ける為にすぐ動くことが出来なかった。狼達にも歯が立たず、このような醜態をベル・ダンディアの前で晒してしまう。彼女を護る為にこうして同行してきたというのに、スミドロードと比べて自分は何と無力なのだろうか。

 

 やがて、地響きが治まり、聖堂と共に浮き上がった大地が天空で静止した。一体何が起こったのか呑み込めずにいるベル・ダンディア達に向かって、何者かの声が語りかけた。

 

「よくぞ参られた。ベル・ダンディア殿、それに勇敢なる戦士達よ」

 

 しわがれた低く響く声であった。すぐに皆はこの声の主がどこにいるのかを理解した。聖堂を乗せた大地が喋っているのである。

 

「儂の名はブレイザブリク。フレイア様を守護する為にこの聖堂と融合した者だ」

 

 その言葉に、ベル・ダンディアがはっとなる。

 

「ブレイザブリク……。あなたがそうだったのね」

 

「ほほう。この老いぼれを存じておったか。幾千年のうちに儂の事など忘れてしまったのかと冷や冷やしたわい」

 

 ブレイザブリクはそう言うと、穏やかに笑った。

 

「さて、それではフレイア様の戒めを解いて貰おうかの。フレイア様は未だこの聖堂の内部にて自らを拘束なされておる。その拘束を解く事、フレイア様は快く思わないかも知れぬが、今はフレイア様の御力が必要とされる時。頼みましたぞ、ベル・ダンディア殿」

 

「はい、ブレイザブリク」

 

 ベル・ダンディアは急いで、聖堂の中へ向かった。

 

 ベル・ダンディアの力でコアの活力を取り戻したアインホルンはゆっくりと立ちあがると、スミドロードと共に彼女を見送った。

 

 

 

 機械の軍勢が操る船団。その中の一つの船の一室にヴァルグリンドが腰を下ろしていた。

 

「しくじったか、デュラクダール。わざわざ人形にした獣共を復元して同行させてやったというのに。……まあ、こちらは予定通り。今回の所は大目に見てやっても良いだろう。【虚無】の力を試す良い機会にもなったしな」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは空間を歪ませ、そこの歪みより覗ける異次元に浮いている物体――あの狼達の残骸を見詰めた。

 

「ふふ。お前たちにも近いうちに働いてもらうぞ。今度は大勢の御仲間達と一緒に、思う存分遊べるだろうよ」

 

 ヴァルグリンドは次元の歪みを元に戻してから立ち上がり、窓から船外を見下ろした。

 

「この空も。この地上も。我が【虚無】で染めてくれるわ」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは不敵な笑みを浮かべた。




関連カード

●巨獣皇スミドロード
白の巨獣・戯狩。
墜落した「歌姫の船」の下敷きになることで、船を救った。
「歌姫の船」とはおそらくネクサス「無限なる軌道母艦」のことであると思われる。

本章ではベル・ダンディアが黄の世界へ訪れていた頃に救った獣という設定で登場。
暫くの間、氷の淑女スノトラの元で働いていた。

●鋼人スルト
武装スピリット。
フレーバーテキストでは歌姫の塔を攻める巨人たちを指揮している。
北欧神話のスルトはロキに与し、ラグナロクの終局において、世界を焼き尽くした。

自分の小説における設定ではロキの親友(ただし、本章では意見の違いで仲たがいしている)。

●装甲機竜ファーブニル
甲竜・機獣のスピリット。
フレーバーテキストによると、歌姫の塔が彼の縄張りの中心。

本章ではミッドガルズと共に侵略者を迎え撃つ準備をしている。

●硝子の女神フレイア
囚われの女神。
侵されざる聖域に封じられている「硝子の女神」その人と思われる。
侵されざる聖域のフレーバーテキストを考慮すると、己の意思で拘束されていることになる。

●氷の女神フリッグ
氷姫の一人。
己の身体を楽器とすることで、ソールの歌声を届ける役目を持つ。

●デュラクダール
白の神将。
虚無の軍勢の一員。
フレーバーテキストによると、白の虚神が出現する門を守っていると思われる。

●輝竜殿ブレイザブリク
聖堂と融合した竜。
フレーバーテキストでは歌姫ソールを内に宿し、空帝ル・シエルと対峙している。

章題の輝竜殿は輝竜殿ブレイザブリク。
本章では侵されざる聖域でフレイアを守護していた。
聖堂は侵されざる聖域の一部でもあったという設定。



●無限なる軌道母艦
名所千選516。
侵略者の拠点であるが、のちに歌声を各地に届けるための歌姫の居城となった。

本章に出てくる「侵略者達の一大拠点となっている巨大な鋼の船」とはこのネクサスのこと。
それ以外にも無数の空飛ぶ艦隊が存在する。

●侵されざる聖域
名所千選660。
「硝子の女神」が自らを封じ込め、歌の力を増幅していた。
「硝子の女神」とは硝子の女神フレイアであると思われる。

●永久氷殿
名所千選106。
氷の魔女ヘルの住処。

このネクサスは本章に登場していないが、
氷姫が氷の身体となったのはヘルの仕業……という設定はこのカードのフレーバーテキストが元。
なお、ヘルは塔の古井戸に封じられていたので、相当長い間、永久氷殿を離れていたと思われる。


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第十三章 魂の叫び

 陸の項

 

 

 鎧装獣の王ベア・ゲルミルが治める地より遥か南へ向かったところにある広大な銀色の砂漠。ここにはついこの間まで、南の戦士と呼ばれる象達によって守られている獣達が暮らしていた。

 

 その獣達は広大な荒野の中から緑を求め、各地を移動しながら生きていた。しかし、今では既にその面影も失われている。侵略者によってもたらされた異変によって、僅かに残っていた緑もすべて消え去った。

 

 砂漠の砂をかき分けて、地中より、固い甲羅を備えた一体の獣が現れた。その獣は哀しげにか細い声を発すると、岩石と化した己の甲羅を背負い、苦しそうに一歩ずつ歩を進めた。

 

 この砂漠も浸食されていく。獣は嘆いた。砂漠の砂は冷たい金属でできた岩石の様な物体へと徐々に変貌しており、自分の甲羅やあの南の戦士達の岩の様になった肉体と酷似していた。

 

 世界から大切なものが失われていく。この滅びの行く末に何が待っているのだろうか。獣はただただこの浸食から逃れ、自分達を救ってくれる存在を待ち望んでいた。

 

 

 

 ウル・ディーネ達の一行が塔へと向かう一方、鎧装獣達の故郷では新たな戦いの幕が上がろうとしていた。ベア・ゲルミルの代弁者であるキマイロンの指示によって獣達は戦いの準備を整える。力のない者達は、各々樹林の隠れ家へと身を潜め、同胞達の無事と勝利を祈った。

 

 戦いに次ぐ戦い。歴戦の勇士である鎧装獣達ですら疲弊の色が顕著になっていた。戦いの中に身を投じる度に己の体が崩壊の一途をたどり、自分が自分で無くなっていく。鎧装獣や、それと同じ能力を持つ戦士達の誰もが痛感していた。

 

 森の北部にある切り立った鋼の崖の上に、大きな角を備えた獣の姿があった。鎧装獣ヘイズ・ルーンである。遠くを見つめるヘイズ・ルーンの瞳。あの地平線の向こうから今に侵略者の軍勢が現れるのだ。

 

 ヘイズ・ルーンは怖れていた。この繰り返される戦いを。この戦いに勝ったところで得られるものは何もない。しかし、敗北すればすべてが失われる。それでも、戦いを繰り返す度に、間違いなくすべては滅びに向かっているのである。

 

 侵略者達は何を求めているのだろうか。あの時、自分が討ち取った無数の筒を生やした異形の侵略者。あれは確かに我々と同じ生命の核となるべきコアを内に秘めていた。こうして戦い続けるだけで、侵略者の側も多くの命を失っている筈である。何故、奴らは滅びをもたらし続けるのだ。

 

 森の内部が慌ただしくなった。ヘイズ・ルーンははっとなる。奴らが現れたのか。ヘイズ・ルーンの背後からアウドムラが駆けよって来た。

 

「ヘイズ・ルーン、たった今、ラタトスカから連絡があった。奴らが来る。急いで応戦するぞ」

 

「分かった。何としても、我々の同胞達とこの故郷を守らねば」

 

 ヘイズ・ルーンとアウドムラが、迫りくる侵略者を迎え撃つべく、行動を開始した。

 

 鋼のリス、ラタトスカによって森の皆が危機を知る。やがて、侵略者の一隊が出現した。森の上空に現れた無数の黒金の船。その船達が上空から容赦なく森への爆撃を開始したのである。

 

 これに対して翼を持つ者達は砲弾を掻い潜って、船に襲いかかり、地上の獣達は、地にそびえる巨木や同胞の巨獣に跨り、鋼と化した岩石を直接ぶつけるという原始的な手段で応戦した。地上の獣達も被害を被ったが、上空の船も次々と傷つけられ、侵略者達にとっても無視できないものとなっていく。

 

 上空の船から、ばらばらと侵略者達が降下してくる。直接、地上より展開されるゲリラ戦の指導者を潰そうという腹らしい。

 

 浮遊する物体を遠隔操作している水色の体を持つ者や、腕に筒を生やした緑色の装甲を身に付けた人型の機械の群れが獣達に襲いかかる。中空を、発光する飛行物体の群れが飛び交っていた。

 

 熟練した戦士である鎧装獣達にとっては、その多くは決して強い相手ではなかったが、統制のとれた動きに翻弄されているうちに、仲間の獣達が、一人、また一人と討ち取られていった。

 

 戦場の中を駆け巡るスコールの姿があった。これまでの経験からして、敵側にも指揮系統となる機人の類が存在する筈である。スコールは王の指令で、その指揮系統を発見し、これを撃破するという任務を与えられていた。

 

 スコールは獣の直感で、程なくしてそれらしい物体を発見した。左右に強力な熱量の結界を張っている、大口径の筒を正面に備えた異形の機人。異形の機人はスコールの存在に気が付くと、即座に振り向き、周囲の護衛に指令を発すると同時にスコールに対して砲弾を放った。

 

 スコールは砲弾をすんでのところでかわすと、護衛の人型の機械に喰らいつこうとする。だが、それを防ごうとする異形の機人の結界が大きく広がり、スコールを吹き飛ばした。飛ばされたスコールは宙を舞ったまま、近くに倒れていた鋼の巨木の幹を蹴り、体勢を立て直すと、地面に着地した。

 

 どうやら、あの指揮官の結界は自分だけでなく、周囲の機械達をも守護する為のものらしい。スコールは敵との距離を保ったまま、次の攻め手を思案する。

 

「スコール殿。加勢しますぞ」

 

 ヘイズ・ルーンが獣達を引き連れて、駆けて来た。

 

「ヘイズ・ルーン殿。かたじけない」

 

 散開する獣達。侵略者側も、新手の出現に戸惑ったのか、若干対応が遅れた。ヘイズ・ルーンの指揮の下、獣達が一斉に牙をむく。緑色や青色の装甲を持った人型の機械達がこれに応戦する。危機を察知した上空の飛行物体達が、機械の兵たちの援護をするべく、次々と舞い降りてきた。

 

 異形の機人は再び結界を広げると、侵略者達と格闘していた獣達を次々と弾き飛ばしていく。その結界を何とかしないことには、獣達の方が不利かと思われた。

 

 その時、一つの白い影が侵略者の強烈な熱量の壁をすり抜けて、異形の機人に飛びかかった。それは体が結晶化している一体の兎であった。

 

 予期していなかった兎の能力に慌てる異形の機人。兎は結界を造り出している部位に鋭利な刃物の様な牙を突き立てると、一気に噛み砕いた。

 

 機人の右側の結界が消失した。それと同時に周囲の侵略者達を保護していた熱量も消え失せた。獣達が勢い付き、咆哮を上げながら次々と侵略者達を打ち倒す。

 

 スコールが異形の機人に正面からぶつかり、鋼の爪でその装甲を引き裂き、牙で以て機人の胴体を引き千切った。機能を停止した異形の機人はその場に倒れ伏す。そこには生命の核であるコアの破片が散らばっていた。

 

「やはりな。こいつも持っていたか……コアを」

 

 スコールの傍らのヘイズ・ルーンが呟く。スコールは黙って頷いた。砕かれたコアはやがて音も立てずに、空気中に霧散していき、蒸発した。

 

 防衛と後方よりの指揮を主な役割とするヘイズ・ルーンとは違い、常に最前線で戦ってきたスコールは、ヘイズ・ルーンよりも先に何度も侵略者の持つコアを直接見てきた。侵略者が同じ生き物であるという事実。これが何を意味するのかは、この場の誰も理解してはいなかった。

 

 指揮系統を失った周囲の侵略者達が次々と撤収していく。獣達は追い打ちをかけようとした。

 

 遠くの方から激しい爆音が起こった。獣達が思わず動きを止め、そちらへ振りかえる。

 

「まずい。あそこでは王が戦っておられるのだ」

 

 ヘイズ・ルーンの叫び声に周囲がどよめく。先ほどの機人よりも強大な侵略者が現れたというのだろうか。

 

「ヘイズ・ルーン殿。ここはあなた方に任せる。おそらく敵の指揮系統はまだ居る筈。私は王のもとへ急がねば」

 

 ヘイズ・ルーンとその指揮下の獣達をその場に残し、スコールはベア・ゲルミルのいる方角へと駆けて行った。

 

 

 

 金色の装飾を白き装甲に施した侵略の騎士。その騎士の出現と同時に周囲で戦っていた獣達は吹き飛ばされ、鋼の木々は薙ぎ倒された。その中に、毅然とした態度で大地に降り立ったその侵略者を前にしても全く動ずることなく、それを真紅の瞳で睨みつけている巨大な熊の姿があった。鎧装獣ベア・ゲルミルである。

 

「王よ、あの者は危険です。ここは一端退いた方が……」

 

 侵略の騎士の衝撃波に耐え、その場に踏み止まっていたキマイロンが言った。しかし、ベア・ゲルミルは前方から視線を逸らすことなく、侵略の騎士に向かって一歩ずつ踏み出していく。

 

 ベア・ゲルミルが咆哮を上げるのと同時に、侵略の騎士は拳を振り上げ、ベア・ゲルミルに襲いかかった。

 

「王の怒りを静める事、かなわぬか……」

 

 キマイロンはそう呟くと、天空より舞い降りてきた、無数の侵略者達をきっと睨みつけた。

 

「皆の者、王を守れ」

 

 キマイロンはそう叫ぶと、侵略者の群れに飛びかかった。侵略の騎士の一撃を受けても踏みとどまっていた獣達がキマイロンの声に応え、侵略者達に牙を向く。

 

 

 

(この獣……。よもやこれほどの潜在能力を秘めているとは)

 

 鉄騎皇の称号を持つ騎士、イグドラシルは目前の大柄な熊の実力に驚愕した。

 

 その熊はイグドラシルと正面から取っ組み合い、強靭な腕力で以て鉄騎皇に襲いかかった。自分が押されている。

 

(ちい……)

 

 イグドラシルは一端熊の腕を振り解き、後方に退こうとした。それを捕らえようと熊が太い硬質化した腕をイグドラシルに叩きつける。イグドラシルの胴体が大きく抉れ、剥がれた装甲が電光を飛び散らせながら中空を舞った。

 

 イグドラシルの危機に、周囲の獣達と戦っていた神機グングニルの一体が、イグドラシルと熊の間に割って入った。熊は目前に現れた神機を強靭な腕で叩き伏せた。破壊された神機は断末魔のコアの輝きと共に衝撃波を周囲に放った。

 

(すまぬ。同志よ)

 

 神機の衝撃波は熊には何の損傷も与えなかったが、少なくとも隙を作り出すことはできた。

 

 イグドラシルは、強烈な熱量を帯びた高速で回転する光の刃を作り出した。光の刃を一閃させ、熊を正面から切り裂く。熊はこれをまともに受けたが、両断されることなく、硬質化した体で、これを弾いた。

 

(何だと。これが効かないというのか)

 

 だが、一目見て分かった。熊は先ほどの刃を正面から受けたことで、大きな傷を頭部と胴体に負っていた。熊は重傷を負いながらも、依然闘志を漲らせたまま、イグドラシルに襲いかかる。

 

 イグドラシルは一旦後方に下がると、迫りくる熊に向かって閃光の矢を次々と放った。熊は全く避けようともせず、これをすべてその身に受けた。閃光の矢は熊の体を何度も貫通した。それでも熊は全く退く気配を見せず、イグドラシルに腕を振り下ろした。避けきれず、イグドラシルは左腕を叩き落とされた。同時にイグドラシルも、右腕から放った光の刃で熊の右腕を切り裂いた。

 

 重い質量を持ったイグドラシルの左腕と熊の強靭な右腕が地面に落ち、大地が振動する。周囲の獣達が片腕を失った熊を見て何事かを叫んだ。イグドラシルの同胞である神機達にも動揺の色が奔る。

 

 イグドラシルは熊をきっと睨んだ。熊は先ほどの矢を受けて全身から血を流していたが、何の疲弊の色も見えなかった。ただ憎しみに満ちた真紅の瞳だけが赤々と燃えあがっている。

 

(何故だ。何故お前はこんなになっても迷わず戦い続けることができるのだ……)

 

 熊は動揺するイグドラシルに頭からぶつかっていった。イグドラシルの全身から、火花が飛び散る。度重なる損傷で己の体が悲鳴を上げているのが分かった。

 

(我らの怒り思い知れ)

 

 その言葉はイグドラシルの心の中に直接響いた。イグドラシルは驚いたが、すぐに己の魂に凄まじい激痛が奔るのを感じた。見ると、熊はむき出しになったイグドラシルの胸部にあるコアに喰らいつき、鋼の牙を突き立てていたのである。

 

(何だと……お前は)

 

(汝らによって奪われた命。この世界すべての緑。汝らの蛮行、今一度見るがいい)

 

 その瞬間、イグドラシルの脳裏に広大にして豊かな緑の世界が広がった。

 

 生い茂る緑豊かな草木。野を駆ける獣達。天を舞う美しい鳥。宝石の様な輝きを神秘的な輝きを持つ虫。澄んだ空気。蒼く広がる大空。透き通った水。ゆらゆらとたゆたう魚。自然の実りに感謝する者達。この世界のありとあらゆるかつての大自然の風景が次々とイグドラシルの脳裏に重なって展開していく。

 

 その情景の中に一輪の黄色い花があった。イグドラシルにはすぐにそれが何であるか分かった。

 

 あれは私だ。私はあの花が感じている空気の流れ、香りを今こうして直に感じているのだ。イグドラシルの五感がその花と完全に重なる。

 

 イグドラシルは知らなかった。この世界の緑がこれほどまでも美しいものであることを。この世界がこんなに心地よいものであることを。この世界のすべてが尊いものであるということを。

 

 不意に空気の流れが止まった。妙だ。何かこの世界とは違う、異質なものが流れ込んでくる。何だ。あれは。

 

 侵略者だ。この世界を無慈悲に破壊する破壊者達。

 

 世界が悲鳴を上げている。獣達が迫りくる異変から逃げ出した。侵略者が造り出したナノウィルスによって世界が変貌していく。動けないか弱い花に過ぎないイグドラシルは逃げることもできず、ただその変化をその身に受けた。体が硬質化していく。それと同時に体の組織がところどころ崩壊していく。

 

 逃げ惑っていた鳥達が次々と墜落してきた。その中の一羽が眼の前に落ちた。焦げた臭い。鳥は眼を見開いていた。見たくもない世界の変化から眼を背けることができなかった鳥。

 

 イグドラシルは恐怖した。自分も早く逃げ出したい。しかし動く事は叶わない。

 

 すると、上空より、無数の飛行物体が降下してきた。あれは我が同胞のスフィアロイド達。だが、何と恐ろしい存在として映るのであろう。彼らはこの世界に明らかにそぐわないのだ。

 

 飛行物体を掻き分け、一体の巨人が現れた。その巨人を見上げ、花となったイグドラシルの全身を、かつてない圧倒的な恐怖の感情が奔った。

 

 それは紛れもない鉄騎皇イグドラシルの姿であった。鉄騎皇イグドラシルは何の感情も籠っていない瞳で花となっている己を見下ろした。やがてゆっくりと、腕を振り上げる。

 

 よせ。やめろ。私はお前なのだぞ。

 

 しかし、その叫びは侵略者には届かない。鉄騎皇イグドラシルが振り上げた腕から強力な熱量の籠った閃光を迸らせ、花となった己に向かって振り下ろした。イグドラシルは全身が激しい熱量に包まれ、蒸発していくのを感じた。

 

「やめろおおお」

 

 

 

 イグドラシルは光の刃を一閃させると、自分のコアに喰らいついていた熊の頭部を切断した。倒れ伏す巨熊。

 

 イグドラシルはコアに喰らいついていた熊の頭を引き剥がし、地面に落した。

 

「鉄騎皇殿。御無事ですか」

 

 仲間の神機グングニルの一人が獣達を振り解き、イグドラシルの傍らにきた。

 

「……ああ。無事だ。だが、これ以上の戦闘は無理だろう」

 

 そう言うイグドラシルの全身からは、深い疲弊と後悔の色が表われていた。

 

 

 

 今回の戦いは獣達が勝利した。生き残った侵略者達は皆、撤退していった。

 

 しかし、獣達の誰もがこの勝利を喜ぶことは出来なかった。確かに被害は最小限に止められ、獣達の故郷は守られた。変わり果てた故郷ではあったが。そして、失ったかけがえのない存在。

 

 鎧装獣ベア・ゲルミルの亡きがらは獣達の手で手厚く葬られた。周囲には森中の獣達が集まり、涙していた。

 

「王よ。我々一同は深く感謝しております。あなた様のおかげでこの森の平和は守られました。どうか、安らかに」

 

 王の最も忠実な部下であったキマイロンが言った。深く哀しむ鎧装獣達。後は自分達だけでこの森、そして多くの同胞達を守らねばならないのだ。

 

 獣達の中には既に絶望の色を顕わにしている者達も少なくない。悲しんでばかりはいられない。自分が王に代わって仲間達を導いていかねば。キマイロンはそう深く決心した。

 

 

 

 半ば固まったどす黒い雨が降り注ぐ。獣達が皆去った後、王の墓の上に一体の小動物がいた。それはあの異形の機人の結界を破った兎であった。

 

 他の獣達は知らなかったが、兎は王を愛していた。他の王を愛する者達の感情とは違う。この世界の緑の代弁者たる王、同胞達を守り導く誇り高き王。その何よりも、何者にも変えられない、ただ一つの愛しいかけがえのない存在として王を愛していた。

 

 結晶化した兎はいつまでもその場にいた。ただ一人でずっとそこに。




関連カード

●アルマ・ジール
甲獣。
世界を歌が包む時をひたすらに待ち望んでいる。
また、侵略者のもたらした異変により砂漠が固まっている。

冒頭で登場するのはアルマ・ジール。

●魔砲神メガロック
異質な形状をした機人。
防御の役目を担っており、ガトリングスタンドとは対をなす書き方ともとれる。
左右には赤いバリアらしきものがある。

本章では鋼葉の樹林に攻め込んできた侵略者の一員として登場。
無数の下級動器達を指揮している。

●ラビクリスタ
白の漂精。
「与えられてしまった不可視の姿」とあるが、侵略者のもたらした異変によるものかもしれない。
機械になる獣もいれば、高質化して岩石や鋼のような身体になる獣も多いが、ラビクリスタは結晶のごとき姿になったと思われる。
侵略者の動向を探る為に駆け回っいる。
カードでは赤のスピリット、及び、リバイバル版では紫のスピリットからもブロックされない効果を持つ。
なお、漫画では相手のライフを削る場面で喋った。

本章では魔砲神メガロックの熱量の壁を搔い潜って傷を負わせた。
これはカードにおけるラビクリスタの効果が元ネタ。

●鉄騎皇イグドラシル
系統:動器・戦騎を持つ。
フレーバーテキストではイグドラシルの介入により歌姫の塔が沈黙したと思われる。
アニメでは剣を武器として使う描写がある。
後に緑の世界で終焉の騎神ラグナ・ロックとなったと思われ、
緑の虚神、天帝ホウオウガの羽を引きちぎる活躍をした。

本章では侵略者の騎士として無数の神機グングニルと共に登場。
機械の中でも系統:戦騎を持つ者は騎士の称号を持つという設定。
登場時の衝撃波はカードとしてのイグドラシルの召喚時効果を意識したもの。

●神機グングニル
神機ミョルニールなどと同じく、神機と武器の名を持つ武装スピリット。
フレーバーテキストによると、吹雪を起こすことで熱を奪う攻撃を行うらしい。
槍に変形する能力があり、鎧神機ヴァルハランスのイラストにも描かれている。
また、槍戦騎ガウトのイラストでは、槍に変形した神機グングニルと冥機グングニルを持っている姿が描かれている。
アニメにおいても、鎧神機ヴァルハランスが変形した神機グングニルを装備する描写があった。

本章ではイグドラシルに率いられて複数機が登場。
破壊された時に放った衝撃波はカードにおけるグングニルの破壊時効果を意識したもの。


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第十四章 月下の銀狼

 機人の項

 

 

 門の向こうで、機人達の故郷を照らす母なるダイヤモンドの月。この月は獣達の暮らす世界においては異変の象徴であり、唾棄すべき禍の月とも言えるが、機械達にとっては尊いものとされていた。

 

 月下に散乱する残骸。その多くは今回の大戦で破壊された機械達である。その残骸の中を一人の機人が徘徊していた。常に中空に浮いている人魚の様な姿をした機人。ワルキューレ三姉妹の長女、クイーンであった。

 

 クイーンは残骸の中から様々な物を物色していた。まだ使えそうな回路、動器達の装甲、そして未だ消滅していない、輝くコアの破片。それらを彼女は下半身にある空洞に収納しながら集めていた。

 

 しばらくすると、クイーンはその場を離れ、大きな淡黄色の箱の様な建物へと引き返して行った。

 その建物の中では妹のヒルドが何やら機械を継ぎ接ぎしながら作業を繰り返している。クイーンは背後から軽く声をかけると、収納していた物を次々とその傍らに並べていった。

 

「まだこれだけのコアが生き残っていたわ。やはり、ここの月の下なら安心ね」

 

 獣達の住むあの世界では未だ世界の改変が完成しておらず、保護を失ったコアを長く維持することができない。外部の損傷が激しくなりすぎると命であるコアの維持もできなくなるということは、獣達にとっては当たり前のことであるのだが、機械達の場合、何らかの手段でコアを保護し、新しい体を造り出すということが行われている。

 

 その為、機械達は、獣達ならばまず助からないような致命傷を負ったとしても、門の内側に逃げ延び、母なるダイヤモンドの月の下へと向かえばその命を取り留めることも可能である。

 

「ええ、姉さん。では、この中から使えそうな部品を選別しましょう」

 

 クイーンとヒルドが協力し、何やら大きな機械人形を造ろうとしている。特に難しい、欠けたコアの複合作業はすべて姉のクイーンが担当する。機械が繋ぎ合わされていき、徐々にその機械人形の姿が完成に近づいていく。

 

 何度か往復と作業を繰り返し、遂にその機械人形は完成した。その姿はどことなく敵対する獣を思わせるものでもあった。

 

 クイーンが傍らのレバーを掴み、それを一気に引き下げた。レバーの付いた黒色の機械から伸びているケーブルを電流が迸り、強烈な熱量となって、繋がっていた機械人形を直撃する。

 

 機械人形ががくがくと激しく振動する。体内に収められている複合されたコアが強い命の光を放ち、機械人形の鋭い眼光が煌めいた。

 

 おおーおおーおー。

 

 機械人形が何やら獣の咆哮の様な声を上げた。自分と繋がっているケーブルを引き千切り、ゆっくりと立ち上がる。そして自分を造り出した二人の姉妹を黙って見降ろした。

 

 

「私の言葉が分かるわね。あなたは多くの命が一つとなることで生まれ変わったのよ」

 

 クイーンの言葉に対して、機械人形は黙って頷いた。

 

「あなたは生まれながらの騎士。ガグンラーズ、それがあなたの名前」

 

 ヒルドがそう言うと、機械人形はか細い声でこう言った。

 

「……俺は……ガグンラーズ。俺は……騎士。」

 

 ガグンラーズは己の脳内にあるプログラムより言葉を捻出し、自分の名前を何度も何度も繰り返した。

 

「俺は……騎士。俺は……ガグンラーズ。俺は……」

 

 二人の機人に見守られる中、ガグンラーズは徐々に己の自我を形作っていった。混在する多くの動器達の記憶。それらを整理し、今の自分にとって必要と思われるものを集め、再構築していく。

 

「俺はガグンラーズ。そしてあなた方は俺の母。母達よ、騎士であるこの俺の役目を教えてくれ」

 

 機人の姉妹は顔を見合わせ、お互いに頷き合った。クイーンがガグンラーズに語りかけた。

 

「あなたの役目……それは私達の妹、ワルキューレ・ミストを守ること。何があっても。絶対よ。そう、例え私達がミストの敵として立ちはだかったとしても、あなたはミストを守る為に、母である私達を斬り捨てなければいけないのよ」

 

 クイーンの申し出にガグンラーズは若干躊躇した。だが、自分の脳内のプログラムを整理し、その中からワルキューレ・ミストのデータを探し出すと、クイーンの言った事を自分が生きている限り永久に忘れる事のないように焼きつけ、二人の機人に向かって言った。

 

「理解した。俺はワルキューレ・ミストを守る騎士となる。母であるあなた達よりも何よりもミストに従い、守ることが俺の存在意義。騎士としての俺の最優先事項」

 

「よく言ったわ。では、あなたにはすぐにミストのもとへ向かってもらうわよ。彼女は今、とても危険な状況に置かれているの。付いてきて頂戴」

 

 ガグンラーズは二人の機人と共にその建物を出た。

 

 

 

 クイーン達は、特定したミストのいる現在地の座標を教え、門より出撃するガグンラーズを見送った。

 

 本当は最新鋭の機材と技術を駆使したかったが、その様な事をしては同胞達の眼に付くことは避けられない。ミストの為に新たな騎士を生み出したということは仲間達に知られてはいけないのである。ミストは目下、裏切り者の烙印を押されているのだから。

 

 次にあの騎士と会う時は敵同士かもしれない。そう思うとクイーンとヒルドは気が滅入ったが、これが愛する妹に対する自分達のけじめ。後悔はしていなかった。

 

 名も無き動器の集合体と言えるガグンラーズ。彼は獣達や、同胞である機械からも追われる立場にあるワルキューレ・ミストを守り戦うという、母から与えられた騎士としての使命を全うする為、ミストを求めて月下を疾走した。

 

 彼を照らす月はこの世界の月であると同時に、故郷より覗くダイヤモンドの月。ガグンラーズの鋼の皮膚がそれらを反射し、まるで銀毛に覆われた狼の様な姿が地上に顕現していた。




関連カード

●銀狼皇ガグンラーズ
白の武装・戦騎。
フレーバーテキストは白の章第9節であり、虚無の騎士との激しい攻防が書かれている。
戦騎に関連する効果を持つマジック、キャバルリーのイラストにその姿がある。
キャバルリーとは騎士道を意味し、イラストでは立ち上がったガグンラーズと白い翼が描かれている。

章題は銀狼皇ガグンラーズのこと。
ワルキューレ・ミストを護る騎士として、無数の動器の残骸を使ってクイーンとヒルドが共同で作り上げた。


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第十五章 塔へ

 三姉妹の項

 

 

 フレイアが語ったことは実に恐るべきものであった。侵略者との戦いは、世界の崩壊のきっかけに過ぎない、というのである。

 

 侵略者の出現、そして世界の終焉。それらはすべて氷の魔女ヘルによって予見されていたものであった。ヘルがソールと覇権を争って敗れた後も、彼女の残したメッセージに従い、スノトラやフレイアは対抗策を講じていた。

 

 フレイアはヘルに加担した罪を自覚し、自らの意思で己を聖域に拘束していた。それは同時に、迫りくる世界の脅威から身を挺してこの世界を守護するという役割を、自らにかす為でもあった。

 

「ベル・ダンディア。私の力がまだこの世界の役に立てるというのなら、喜んで協力致しましょう」

 

 フレイアの言葉にベル・ダンディアは喜び、感謝の意を述べた。二人はフレイアが拘束されていた聖堂の外へ出た。外で待っていたスミドロードとアインホルンが二人を出迎える。フレイアの眼覚めを知ったブレイザブリクは喜びの声を出した。

 

「おお、フレイア様。お久しぶりでございます」

 

「ええ、あなたには随分と長い間待たせてしまいましたね、ブレイザブリク」

 

 それまでどことなく暗い面持ちであったフレイアであったが、自分のことをずっと守護してきたブレイザブリクに応えて、彼女は明るくほほ笑んでいた。

 

「あなたには申し訳ないのですが、これから大急ぎでソール様の塔へ向かって頂きますよ」

 

「いや、お気遣いなく。しかし、あなた様が自らこの地を離れること、こうも簡単にご了承いただけるとは思っておりませんでしたよ」

 

 ブレイザブリクの言葉を聞くと、フレイアはくすっと笑った。

 

「私はこうして解放されることをずっと望んでいたのかもしれませんね。でも、マーニは私が帰ったらどう思うのかしら」

 

 そう言うフレイアの表情にはまた翳りの色が表われていた。

 

 程なくして、ブレイザブリクはソールの塔へ向けて移動を開始した。皆はフレイアが封印されていた聖堂の内部に入り、到着の時を待った。

 

 

 

 眼の前を強烈な電光が迸った。走馬灯の様に脳裏を廻るこれまでの記憶。かつての体と別れ、与えられた新しい体。その内部を強力な熱量が奔った。

 

(これが私の新しい体。新しい力。なんという凄まじい熱量だ)

 

 やがて、全身の拘束を解かれ、光と共に視界が開けた。己の体が自分の意思で動くことを確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。全身から漆黒のオーラを放ち、天井からの電光を受け、その体は妖しく輝いた。これが私の新しい体なのだ。紛れもない私自身の。

 

「眼覚めたようね」

 

 眼の前にいる機人、クイーン・ワルキューレの言葉で、その機械ははっと我に返った。

 

「ヴァルハランス。それがあなたの名前。あなたは鎧神機の称号を持つ騎士として生まれ変わったのです」

 

「ヴァルハランス……鎧神機ヴァルハランス。それが私の名」

 

 これまで、神機グングニルの一人に過ぎなかった神機。数々の功績を称えられ、神機を統率する騎士として生まれ変わった。機人達が誇る、最新鋭の科学力を結集した新しい体を与えられたのである。

 

「ヴァルハランス。今後のあなたの活躍、期待しておりますよ」

 

 名も無き動器や神機達は、新しい体と名前を機人によって与えられた時、その機人を親とすることが慣わしであった。ヴァルハランスはクイーンに向かって感謝の意を述べ、彼女を母と呼んだ。

 

 ヴァルハランスが甲板に出ると、かつての上司であったイグドラシルが彼を出迎えた。ヴァルハランスは自分を推薦してくれたイグドラシルに改めて感謝し、新しい自分の名前を名乗った。

 

「ヴァルハランス……。良い名だ」

 

「ありがとうございます。イグドラシル殿。今後も、理想の世界を実現させる為、全力を尽くしましょう」

 

 だが、その言葉を聞いたイグドラシルは微かに暗い面持ちとなった。ヴァルハランスは怪訝そうにイグドラシルの眼を覗き込んだ。

 

「如何なさった。イグドラシル殿」

 

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

 

 イグドラシルはそう言うと、甲板から臨める空を見渡した。ナノウィルスによって変質した空。無機的で、空気の流れは冷たく止まっていた。自分達の故郷を彷彿とさせる情景である筈だが、イグドラシルの脳裏をあの熊によって見せられた世界が過った。本来の大空と改変された大空がダブって映る。

 

 自分が花となって体感したあの世界。何故か、イグドラシルにはあの世界が、まだ無事であった故郷に住んでいた時よりもずっと心地よいものであったように思われた。まるで、遥か昔に、自分が本当にあの世界に暮らす花であった様な不思議な感覚。

 

「なあ、ヴァルハランスよ。我々の行いは、許されることなのだろうか。他の世界を犠牲にしてまで生き延びる資格が、果たして我々にあるのだろうか……」

 

 イグドラシルの言葉に、ヴァルハランスは驚いた。

 

「何を言われます、イグドラシル殿。滅びゆく故郷に残してきた多くの同胞達の為にもこれは必要な戦いではありませんか。我々は生き延びねばならないのです。同胞達を導いていく為にも」

 

 イグドラシルは黙って思案した。この世界の本来の環境は自分達とは合わない。むしろ害毒であることは、ダイヤモンドの月の下でしか暮らせない同胞達が無数に存在することからも、はっきりしている。

 

 故に、我々は機人の開発したナノウィルスによってこの世界を浸食し、環境を創り変えた。この世界に生きている数多の命の存在を黙殺してまで。

 

 この世界の命の多くは環境の変化に適応できずに死滅していった。だが、機械化した己の体を武器にして、抵抗する者達も次々と現れた。すべての獣を相手にしていたのでは、故郷に残してきた同胞達を救うことは叶わない。その為、この世界の維持に貢献しているという歌姫を生け捕りにし、未だ不安定な世界の改造を完璧なものとすることに協力させるという計画が浮上した。同時に、歌姫を人質とすることで、獣達の抵抗は収まるだろうという目的もあった。

 

 自分達にとって、獣達は新世界創造の障害と言える。しかし、獣達から見たら、我々は突然現れて生活と平穏を破壊した侵略者に過ぎないのだろう。

 

「イグドラシル殿。この頃のあなたのご様子、あまり良いものとは言えません。あの森で重傷を負った時以来でしょうか」

 

「……すまない。今のことは忘れてくれ。我らは勝たねばならないのだから」

 

 しかし、イグドラシルの心中には、さらなる疑問が浮上していた。何故自分達の故郷は滅びの運命を辿ることになったのだろうかという疑問。

 

 世界を浸食して滅ぼすもの、それを皆は陰で【虚無】と認識していた。【虚無】が自分達の故郷に出現した原因は定かではない。だが、この世界が自分達の故郷と同様の世界となった後、再び【虚無】が出現したらどうすれば良いのだろうか。

 

 この世界の統一よりも、【虚無】の原因究明を急ぐべきではないのだろうか。ろくに対抗策を講じることもないまま侵略を開始しようとした際、最後まで反対していたロキの存在が、イグドラシルの脳裏を過った。

 

 船は塔に向かって進んでいく。スルトの連絡で各地に散らばっていた同胞達の大半が召集され、ただ一点の目的地へと突き進んでいるのである。

 

 ヴァルハランスは生まれ変わった自分の初陣を思うと、武者震いをした。話によると遠くの地域で開発していた翼神機グラン・ウォーデンは、実験段階で失敗し、大破したという。なおさらこの戦いにおける自分の役割は重いものとなる筈である。

 

 そんなヴァルハランスの心中にもまた、疑念が生まれていた。自分が信望する鉄騎皇イグドラシル。彼の心を惑わす存在の実態が何であるのか。あの戦いの時、イグドラシルが敵の獣に喰いつかれ、何を見たというのだろう。

 

 イグドラシルは何も教えてはくれなかったが、ヴァルハランスは、イグドラシルが何かを隠しているらしいことに感づいていた。

 

 

 

 歌姫の歌声が響き渡った。前方の上空にオーロラの壁が出現する。ミッドガルズは目を閉じ、ソールの歌声に聴き入っていた。歌声はロキによって機械と化したミッドガルズの体にも活力を与えた。

 

 スノトラやまだ帰還していない三姉妹の協力は得られておらず、十分な礎のない歌声は本調子ではなかった。それでも、今にも消え入りそうでありながら、懸命に命の声を届けようとするソールの想いを感じ取ったミッドガルズは、己の命を賭して戦う覚悟を確固としたものとしていった。

 

「ミッドガルズ。先ほどヘイル・ガルフより通信が届いた。どうやら姫君達は太古の守護獣を目覚めさせるつもりらしい」

 

 ファーブニルの言葉を聞き、ミッドガルズは目を開いた。

 

「守護獣だと。そうか、凍獣マン・モールの助力を請うというわけだな」

 

 古の獣マン・モール。かつて極寒の地を我が物顔でのし歩き、数々の乱暴を働いたと伝えられているが、ソールに心服し、己の命が尽きるその時まで、ソールの守護を担うことを誓ったという。

 

 塔に危機が迫った時、即ち、その力が必要となったとき、マン・モールはソールを守護する為に眠りから目覚める。マン・モールが目覚めさせられるのは、過去にヘルがソールとの覇権を争った時以来のことである。

 

「ヘルが操っていた巨獣達を圧倒したあの力があれば、侵略者が相手といえども決して怖れることはあるまい」

 

 ファーブニルはそう言ったが、ミッドガルズは安心することができなかった。

 

(確かにマン・モールの力は強大だ。だが、相手が侵略者となると、どうしても決め手に欠ける。時間稼ぎにはなるがな。ロキの言うとおりというのが癪だが、やはりヘルやフェンリルの力も必要だ。何よりもソールの歌声をこの世界の隅々まで響き渡らせなければ、例え侵略者を退けたとしても、来るべき【虚無】を相手にした時、為すすべもないだろうな)

 

 オーロラのすぐ側に出現する侵略者の飛行船団。ファーブニルが、遂にきた戦いの時を感知し、戦闘態勢に移った。ミッドガルズも赤く輝く四つの真紅の瞳を輝かせ、上体を起こした。

 

(後は、スノトラと、星導く使者の知らせを受けた各地の獣達の働き次第だな。精々頑張ってくれよ。俺達の戦いが無駄にならない様にな)

 

 ミッドガルズは前方の侵略者達を睨みつけた。間もなく戦いの火蓋が切って落とされる。

 

 

 

「なんだと……これは。極光の障壁を創り出すとは。おのれ、歌姫の仕業か」

 

 スルトが吐き捨てた。大軍勢で以て一気に塔を制圧しようと考えていたのに、ここにきて出鼻を挫かれるとは。

 

「スルト殿。友軍より通信が入っております」

 

 傍らにいた機人がスルトに言った。

 

「繋げ」

 

 了解した機人が回線を繋げた。前方のスクリーンに一人の機人の姿が映し出される。

 

「これは、ヴィーザル殿」

 

 スルトがその場で敬礼する。ヴィーザルは軽く会釈した後、スルトに向かって要件を伝えた。

 

「上層部の一致で、これより我が軍は極光の下へと降下し、地上より塔を包囲することになった。差しあたって、スルト殿には地上に降りてそちらの部隊を指揮し、塔への進軍を開始して頂きたい。機人ドロイデンと盾機兵バルドルの部隊をそちらに送る。上手く使ってやってくれ」

 

「はっ。了解致しました」

 

「うむ。武運を祈っておるぞ、スルト殿」

 

 通信が切れた。

 

 スルトはすぐさま同胞達を集め、地上に降りる準備を始めた。

 

 この戦いに全てがかかっている。同胞達の期待に応え、何としてもこの地を制圧し、勝利しなければならない。

 

 決意を固めたスルトが、機械の軍勢と共に、地上への降下を開始した。

 

 

 

 輝竜殿ブレイザブリクの速度は凄まじいものであった。ベル・ダンディア達が時間をかけて歩んできた道のりをあっという間に通り過ぎ、間もなく氷の姫君達の領地に入ろうとしていた。

 

「あ、あれは」

 

 ベル・ダンディアが目を見開いた。オーロラの壁を囲む黒い船の群れ。その船団より、無数の侵略者達がばらばらと地上への降下を始めているところであった。

 

「このまま進めば侵略者達の格好の的となります。ブレイザブリク、一旦地上へ下りてください」

 

 フレイアがそう言うと、ブレイザブリクはしわがれた声で返事をしてから、地上へと降下していった。

 

「前にも見ましたが、まさかこれほどの軍勢が相手とは……。塔の仲間達は大丈夫でしょうか」

 

 アインホルンが心配そうに言った。

 

「ソール様の防壁が間に合ったようだ。まだ、しばらくは持つだろう」

 

 スミドロードが侵略者の群れを睨みながら言った。

 

「ですが、このままでは侵略者達の思うつぼです。私達も急ぎましょう」

 

 ベル・ダンディアの言葉に、一同は深く頷く。

 

 やがて、ブレイザブリクが地上の砂地に着陸すると、ベル・ダンディア達はブレイザブリクの背より降り、鋼の砂を踏みしめた。

 

「ブレイザブリク、あなたはこの場に残り、侵略者達の動向を探っていてください。私達は侵略者達の軍勢をなるべく避けながら、塔へと向かいます」

 

 フレイアがそう言うと、ブレイザブリクは不満そうでありながらも、渋々従った。

 

「……分かりました。皆の者、フレイア様のこと、頼みましたぞ」

 

 ブレイザブリクは砂の中へと潜っていき、やがてその姿を地上より隠した。

 

「では、行きましょうか」

 

 フレイアが言った瞬間、傍らの砂の中より、一頭の硬質化した黒色の皮膚に覆われた鹿が飛び出した。一行が驚きの眼でその鹿を見ていると、鹿は頭を垂れ、礼をした。

 

「私の名はレインディア。一部始終見ておりました。微力ながら私もあなた方の力になりたい。同伴してもよろしいでしょうか」

 

 フレイアはほほ笑むと、優しくその鹿を見つめた。

 

「あなたも力になってくれるのですね。ありがとうございます。共に参りましょう」

 

 レインディアは喜び勇んで一行に加わった。

 

「私の同族は皆、侵略者達によって滅ぼされたのです。結局、臆病者の私だけが生き残ってしまった……。この戦いこそ、私に残された、汚名返上のおそらく最後の機会。我が一族の誇りを、武功で以て示さなければならない」

 

 レインディアの境遇にアインホルンは共感した。自分は鎧蛇の島の中では勇者とまで言われたほどの実力者であり、当時は自尊心まで顕わにしていたが、ひとたび島を出ると、ろくに活躍もできず、先ほどはスミドロードに大きく差を付けられた結果となってしまった。

 

 己の無力さを痛感しながらも、闘志を失わず、侵略者達に立ち向かう。レインディアの存在に勇気づけられたアインホルンは、ここまでやってきた自分の当初の目的を今一度心の中で反芻した。

 

 レインディアがその身に背負っている一族の重み。それが自分と比べられるものであるのか、アインホルンには分からなかったが、アインホルンは島に残してきた仲間達やジューゴン、ヴァルキュリウス達に託された自分の使命を、改めて確固なものとして見つめていた。

 

 マーニの指示で、ソールの塔に住まう姫君達が術式を解いていった。解放される太古の力、信念。

 

 塔の上部より地上へと響く歌声を直に聞いた巨獣は重い瞳を開くと、ゆっくりと立ち上がった。

 

 極寒の大地を割り、地中より凍てつく冷気と共に現れる。灰色の剛毛で覆われた獣の姿。勇ましい、二本の反り返った牙。振り上げられた、ハンマーの様な物体を先端に備えた重く逞しい鼻が、その獣の強靭さを物語っていた。

 

 太古の凍獣、マン・モールはソールのいる塔の方へと深く頭を垂れると、侵略者が迫りくる地平線の彼方を睨んだ。

 

 自分の力が必要とされる世界の危機。地中に籠りながらも、この世界の動向を見守っていた獣は雄叫びを轟かせると、体内より強大な守りの魔力を解放していった。侵略者と戦う同胞の獣達に己の力を分け与え、自らも幾千年ぶりに闘争へ身を投じる時。

 

 奮い立つマン・モールの闘志は、留まるところを知らない。




関連カード

●鎧神機ヴァルハランス
武装・戦騎。
イラストでは変形した神機グングニルを装備している。
フレーバーテキストによると、虚神の降臨を予見した氷の魔女ヘルより力を与えられた。
また、リバイバル版では発掘されている。

本章では神機グングニルの中の一体が功績を称えられ、新しい身体と鎧神機ヴァルハランスの名前を授かった。
イグドラシルと同じ騎士の称号を持つ。

●凍獣マン・モール
歌声によって目覚めた巨獣。
「異界のすべてを跳ね返す」とあるが、
このカードが実装された時期的には異界とは、
虚無の軍勢ではなくて侵略者のことを指しているのかもしれない。
カード効果は自分のスピリットすべてに【装甲】を与える。

本章では歌姫達が侵略者に対抗する為に目覚めさせた太古の守護獣として登場。

●蹴激皇ヴィーザル
武装スピリット。
フレーバーテキストでは生き残った侵略者率いて門よりこの世界を去っている。
虚無の軍勢の戦いが終わった後、侵略者は侵略行為を止めて白の世界を去ったらしい。

本章ではスルトの上司であり、侵略者の上層部の一人として登場。

●レインディア
甲獣。
敵が侵略者から虚無へ変わったことが書かれている。
「炎を切り裂く角」とあり、カード効果の「空牙」を手札に戻す効果はそれに関連していると思われる。



●極光の大地
名所千選206。
歌によって引き寄せられたオーロラが異界との防壁の役割を果たしている。


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第十六章 虹の輝き

 機人の項

 

 

 命をこねる者。

 あきらめずに大地を育む。

 侵略者に抗う手段は、戦うのみにあらず。

 

 

 活力を失った冷たい大地の上を、一体の巨大な光虫が這っていた。光虫は何やら巨大な球状の物体を転がしながら、度々命なき土をその口に頬張った。口の中に含んだ土をもごもごと噛み砕く。

 

 その様子を銀色の巨岩の陰から見つめる、一人の機人がいた。

 

「何をしているのかしら。ねえ、ウリボーグ」

 

 鋼の人魚の様な姿をした機人、ワルキューレ・ミストはすぐ側にいる小さな青色の猪に語りかけた。

 

 小さな猪、ウリボーグは微かに唸っただけで、ミストと共に光虫を見つめていた。

 

 光虫は尻の辺りから微かな虹色の燐光を放つ白い物を排出すると、それを球状の物体に丹念に塗り込んだ。それから、光虫は移動を再開する。

 

「気になるね。ついていってみようか」

 

 ミストはウリボーグに向かってそう言うと、気付かれない様に光虫の後を追った。ウリボーグも、黙ってミストの後をよたよたとついていく。

 

 やがて、光虫は鋼の荒野を横切る川の前までやってきた。光虫は川に口を付けると、その水を静かにこくこくと飲んだ。

 

「不思議だな。この川はナノウィルスに侵されていないみたい」

 

 川の水の周囲を虹色の輝きが漂っていた。どうやらこの輝きは、河川の流れる先にある海の方からきているらしい。ミストは好奇心から、光虫をそのままにして、ウリボーグと共に海の方へと向かって行った。

 

 ミストとウリボーグは砂浜に辿り着いた。砂浜では至る所から虹色の燐光が噴き出ている。ミストが燐光の噴き出している砂の辺りを注視していると、その砂からもぞもぞと泡が溢れ出た。

 

 泡の中から現れたのは、自分の体格ほどの大きさの鋏を片方に備えた真紅の蟹であった。蟹は全身から虹色の輝きを放っていた。

 

「あれなんだわ。あれが虹色の輝きの発生源。ひょっとしたら、ナノウィルスの浸食を抑え込んでいるのも……」

 

 ミストは思わず言葉を切った。上空より接近してくる何者かの影に気付いたのである

 

 ひょっとしたら、同胞が追って来たのかもしれない。ミストは慌てて隠れ場所を探そうとしたが、到底間に合わない。影は大きく羽ばたくと、ミストのすぐ側に舞い降りた。

 

 それは一体の巨大な竜であった。竜は全身から虹色の輝きを漂わせている。あの蟹とよく似た、命の光。

 

 竜に睨まれ、ミストは後退り、怯えた。竜の眼には、この世界の命を脅かす侵略者に対する敵意の色がありありと浮かんでいた。

 

 だが、竜はミストに身を寄せるウリボーグの姿を見とめると、微かに鳴き声を上げ、敵意の色が薄れていった。

 

 竜は黙ってミストを見据えた。ミストはその場に凍りついた様に動けない。

 

 ウリボーグがミストの鋼の尾びれの部分をつっついた。ミストが驚いて、ちょこんと砂浜に立っているウリボーグを見た。

 

 すると、竜の顔に微かな変化が起こった。ミストにはよく分からなかったが、竜はほほ笑んだのである。少なくとも、竜からは先ほどの様な敵意がなくなっていることを、ミストは知った。

 

 ミストは魚の様な下半身を砂浜に横たえると、ウリボーグと共に蟹達の様子を眺めた。

 

 しばらくすると、砂のあちこちに潜っていた無数の蟹達が次々と這いでた。

 

 蟹の動作を眺めて分かったことだが、どうやらこの蟹達は先ほどの光虫と同じことをしているらしい。

 

 蟹は己の体格程もある大きな鋏の他、もう片方に小さな鋏を備えている。その小さな鋏で砂粒を掴み、口の中に含んでいる。それと共に蟹の全身から出ている虹色の光が強まった。

 

 この蟹達は、こうやってこの世界を浄化し、生命の活力を与えているのだ。先ほどの光虫も同様であろう。そしてこの虹の輝きを持つ竜がこの者達を守っているのだ。そう、私の同胞達の手から……。

 

 不意に竜の瞳に敵意の光が灯り、咆哮した。ミストは驚き、その視線の先を凝視した。竜の視線の先に何かが現れる。

 

 凄まじい速度でこの場に接近してくる影。それは銀色の狼を思わせたが、すぐに、この世界の者達とは異質な気配を放っていることが、ミストには分かった。

 

 あれは私の同胞。裏切り者の私を追ってきたのか、それともこの生き物達を滅ぼしにきたのか。どちらにしろ、自分の同胞は今のミストにとって恐ろしい存在である。

 

 様々な機械を取り込んだ、異形の騎士。それはミストが一度も見たことのない者の姿であった。

 

 ミストとその背後に居る竜の姿を見とめると、騎士の双眼がかっと光った。自身の腕を変形させて、鋭利な刃を創りだす。

 

 竜は咆哮し、騎士に向かって牙を向ける。全身の虹の輝きが飛躍的に強まり、その輝きは身を守る防壁と化す。一触即発の状態。

 

 騎士が刃を振りかざし、竜に特攻しようとした時、ミストが間に飛び出した。ウリボーグがか細い声で鳴いた。

 

「やめて。この子達を傷つけないで」

 

 そう言うミストだったが、同胞が自分の言うことを聞くことがあり得るとは思っていなかった。ただ、この刃で切り裂かれるのが、多くの命を守る竜ではなく、この世界の生き物と機械の同胞の両方に対する罪を背負った自分でありたい。それで罪が償われるとは思っていなかったが、これが今の自分にできる唯一のこと。

 

 ところが、騎士はミストの言葉を聞くと同時にその動きを止めていた。

 

 やがて、その騎士は刃を収めると、ミストの前に跪いたのである。ミストはただ、あっけにとられてその様子を見つめていた。

 

 異形の騎士にもはや敵意が無いのを見てとった竜は、徐々に自身の光を弱めていき、黙って牙を収めた。

 

「俺、ガグンラーズ。あなたを守る騎士」

 

 騎士が言った。

 

 茫然とするミストの傍らにウリボーグが身を寄せた。ウリボーグも、この騎士に敵意がないと分かっていた。

 

「あなたは何者なの。どうして私を守るというの」

 

「クイーンとヒルドが俺の母。俺はミストを守る騎士として創られた。だから、俺はあなたの命令に服従する」

 

「姉さん達が……」

 

 こんな状況になっても自分のことを気遣ってくれる姉達。申し訳ないという気持ちもあるが、何よりミストは姉達の心遣いが嬉しかった。

 

 その状況をしばらく眺めていた竜。やがて竜は重い首を擡げると、鳴き声を上げた。

 

(どうやら、君には奇妙な縁があるようだ)

 

 ミストは竜の方へと振り返った。直接頭の中に語りかけてくる言葉。あの二人の妖精と同じことをこの竜が行っている。ミストはそう直感した。

 

(私は最初、君のことを他の者と同じ侵略者だと思い、滅ぼそうとした。だが、君の側にいる小さな獣の姿を見て思い直したのだ。誰かを護る者。私は、君が私と同じ志を持っているということが分かったのだから)

 

 ミストは竜の眼を見つめた。暖かい、慈愛に満ちた瞳。

 

「この子は私が同胞から追われていたところを助けたのです。私も今では、同胞から追われる身。もう、いつ同胞に討たれても良いと思っていたけど、この子だけは助けたかった……」

 

 ミストはそう言うと自分にすり寄ってくるウリボーグを見た。

 

(そして新たに現れたこの者。この者もその志を持っている)

 

 竜はガグンラーズを見やった。

 

(私は侵略者が憎い。だが、なるべくなら君達の様な者とは争いたくない。それに今、君達と争う理由も無い)

 

 突然、竜は両方の翼を大きく羽ばたかせた。突風が起こる。すると、その風によって砂が飛ばされ、その中から巨大な動器の姿が現れた。動器は既に機能を停止しており、その眼から光が失われていた。

 

「こ、これは……」

 

 ミストにはすぐにそれが何であるのか分かった。それはミストの同胞の巨人機ユミールの亡きがらであった。その周囲には、護衛の動器達の残骸が無数に散乱していた。固有名詞すら与えられていない下級の動器達。バーサーカー・ガン、アイスメイデン、スフィアロイドといった名称で呼ばれている同型機。

 

(その侵略者達は私が破壊した。君はこの私が憎いかね)

 

「同族の死はとても悲しいことです。それはあなた方も同じでしょう。私はこの者達のことを哀れに思います。ですが、私はあなたのことを憎んだりはしません。あなたは多くの命を守る為に戦った。それに私達はあなたの言うとおり侵略者なのですから」

 

 竜の眼光が光った。厳しくも悲しみを帯びた光。その眼が海の地平線を見すえる。

 

(この戦いは虚しいだけのものだ。二つの世界の住人がただ互いを滅ぼし合っている。間もなく訪れる全世界の危機の対策を講じることもなく)

 

「全世界の危機。それはどういうことなのですか」

 

 ミストが言うと、竜は彼女の方にその顔を向けた。

 

(このままいけば、どちらかが……おそらく侵略者が勝利するだろう。だが、その直後に【虚無】は必ず現れる。消耗した侵略者を滅ぼすなど赤子の手をひねる様なもの。結局は、どちらが勝っても共倒れになる未来に変わりはないのだ)

 

「【虚無】……。そんなことが」

 

(どのみち、私や君達だけではどうすることもできない。ただ滅びを待つ他なくなるだろうが、私は今というこの時を守る為に、この命が尽きるまで抵抗をやめるつもりはない)

 

 機械達の多くが陰でその存在を囁く【虚無】。その実態はミストにも分からなかった。

 

(私は古くからこの世界を見守ってきた。だが、もはやそう長くは続かないだろう。何事にも終わりは来るのだ)

 

「でも、私はあきらめたくありません。私もあなたと同様、ただすべてが失われるのを黙って受け入れる訳にはいかないのですから」

 

(そうか。だが、この戦いが長引けばこの世から希望の光は完全に失われる。そしてその未来はすぐ側まで迫っているのだ)

 

「私は私にできる限りのことはやってみます。心強い仲間達もいるのだから……」

 

 そう言うと、ミストは傍らのガグンラーズとウリボーグを見た。

 

 姉達の想いをその身に背負ってミストの前に現れたガグンラーズ。それに、ウリボーグは、同胞達まで敵に回したことで自暴自棄になりかけていたミストを救った存在とも言える。ウリボーグとの出会いがなければ、ミストは仲間達に進んで討たれるという最初に望んだ通りの最期を遂げたことであろう。

 

 先ほど、ガグンラーズの刃から竜を庇おうとした時、確かにミストは自分が犠牲になることを望んだ。しかし、こうして心強い仲間達を得た現在、単に進んで犠牲になる他にも、同胞達や多くの生き物達の為に何かをしてあげられるのではないかという想いが、徐々にではあるがミストの中で強まっていった。

 

(ならば、君は君の道を行くがよい。この戦いを終わらせなければ、我々に明日はない)

 

 そう言うと竜は翼を振り上げ、地上より飛び揚がった。

 

(私はこの地を守護する為に残らなければならない。それでも、私にできることがあればいつでも訪ねてくれたまえ。君達と志を同じくする者が集まれば、あるいは世界の危機を乗り越えることも不可能ではないかもしれぬ)

 

 竜はそう言い残すと、遠くの岩山の方へと去って行った。

 

 ミストは竜に別れの言葉を告げ、ガグンラーズ、ウリボーグと共に砂浜を後にする。自分達に何ができるのかは分からない。ただ、じっとしているよりも行動に移した方が良い筈である。

 

 竜やミスト達が居なくなった後も、蟹達はせっせと自分達の生業を続けていた。自分や仲間達がこの世界で生きていく為、己に出来ることをあきらめずに続ける。これが蟹達の戦いであった。

 

 

 噴き出でし泡。

 世界の侵食を止めうる唯一の虹。




関連カード

●宝石虫スカラベール
白の光虫・殻虫。
【神速】を補助する効果を持ち、背景世界・カード効果共に役割がシオマネキッドと似ている。

冒頭の一文はこのスピリットのフレーバーテキスト。

●珊瑚蟹シオマネキッド
白の甲獣・殻虫。
侵略者がもたらした異変による浸食を止めている。
カード効果では緑のスピリットに【装甲】を与える。
本来の白の世界は緑の世界とよく似たものであったのかもしれない。
鎧装獣ベア・ゲルミルなどが緑のスピリットを補助している点も似ている。

最後の一文はこのスピリットのフレーバーテキスト。

●ウリボーグ
機獣。
フレーバーテキストはワルキューレ・ミストのものと繋がっている、白の章第14節。
世界は平和になったが、世界は凍り、歌姫も勇者も失われた。
「すべての希望を失った世界」とロロは述べている。

本章ではワルキューレ・ミストに助けられ、同行することになった獣として登場。

●巨人機ユミール
人型の動器。
フレーバーテキストは白の章第1節。
ロロがくぐってきた門から続けてユミールがこの世界に現れた。
今までとは「唯一違った」とロロは言っている。
北欧神話の『スノッリのエッダ』によるとユミールとは原初の巨人の名前。
ロロが最初に遭遇する侵略者として登場したのは、それに関連しているのかもしれない。

●虹竜アウローリア

本章における竜はアウローリア。


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第十七章 誓約の女神

 三姉妹の項

 

 

 塔の周辺の地域では、至る所で獣達と侵略者達の死闘が繰り広げられていた。

 

 全く同じ形状をした青い人型の機械の群れが地上を埋め尽くす。空中では、固い熱量の壁に守られた者や、三つの腕らしき突起物を生やした飛行物体の群れが、飛び交う。獣達がそれらを何度倒しても、同じ姿の侵略者が次々と現れ、銃弾や熱線を浴びせた。

 

 依然として獣達が士気を失わないのは、やはり防衛の要となっている凍獣マン・モールの存在によるところが大きい。マン・モールが持つ太古の魔力は、戦うすべての仲間達に漲る活力と底知れぬ熱量を与えている。

 

 塔の周辺の地域には、侵略者達の残骸が無数に積み重なっていった。その一方で、いかにマン・モールの加護があるとはいえ、激戦が続くうちに獣達の屍も徐々にではあるが、確実に増えていった。

 

 各方角の猛者達の活躍もあり、未だに塔のすぐ側にまで侵略者の軍勢が至達したという情報はない。

 

 だが、獣達は気付いていなかった。かつて一体の機械が気配を消してこの塔に接近したように、異界よりもたらされた技術を駆使して、ひそかに塔へと向かう別働隊の存在があることに。

 

 目前に展開される地獄の様な光景に、ベル・ダンディアは思わず目を背けたくなった。共にいる者達も、皆が同じ感覚を覚えた。

 

 大地という大地に、体の大半を失った黒焦げの獣や、乱暴にばらして、うち捨てられた機械の残骸が横たわっていた。遠くの方では銃声が断続的に聞こえ、獣達の怒号、悲鳴、断末魔の咆哮が耳に入ってくる。

 

 獣達と侵略者達が互いをばらし合い、滅ぼし合っている。

 

「氷壁の亀裂を通って塔に向かいましょう。あそこなら可能な限り侵略者達との遭遇を避けられる筈です」

 

 フレイアの提案に従い、一行は氷壁の亀裂と呼ばれる、塔まで長く続いている谷間へと向かった。

 

 氷壁の亀裂は塔からオーロラの壁までの地上を深く抉った様な細い一本道であり、当然侵略者もここに目をつけているかも知れないが、途中には鏡の回廊と呼ばれる、外敵を惑わす、氷の姫君達の創りだした空間がある。さらに、ミッドガルズとファーブニルがこの谷間の守護に当たっており、侵略者も攻めあぐねていることであろう。

 

 一行は、侵略者の砲撃を避けながら、氷壁の亀裂を目指して先に進んで行った。

 

 

 

 真紅の装甲を持つ巨人、鋼人スルトは陽動作戦を講じ、自分は密かに少数の部隊を指揮して塔の近辺へと進軍していた。陽動を担う部隊の指揮は盾機兵バルドルが担っている。

 

 ヴィーザルから派遣されたこの機人は特化した防御能力を持ち、的確に駒を動かす能力に長けていた。スルトは安心して前線におけるこの危険な任務をバルドルに任せることができた。

 

 ヴァルグリンドがもたらした技術はある種の隠れ蓑と呼べるものであった。空間を歪ませることで姿をあらゆる者の視界から隠し、レーダーにも引っかからない。氷の姫達が持つ魔力の網すらも掻い潜ることができるのであろう。それは、すでに偵察機マグニが証明している。

 

 難点といえば、あまり多くの戦力を同時に隠そうとすると、空間の歪みに収まり切らないことぐらいである。

 

 スルトは八名の精鋭を率いていたが、後方からも、五名からなる後続部隊が後を追っていた。この後続部隊の指揮は、バルドルと同様にヴィーザルより派遣されてきた、機人ドロイデンが担う。彼らの主な役割は後方支援であった。

 

 スルトの他にも同様の手段で塔に接近するワルキューレ・ヒルドの部隊と、槍戦騎ガウトの部隊がある。鎧神機ヴァルハランスや鉄騎皇イグドラシルは、最前線での戦闘に従事していた。

 

 スルトはその誰よりも先に塔へと到達し、ソールを生け捕りにすることを望んでいた。

 

 氷壁の亀裂を進むベル・ダンディア達。フレイアの助力で鏡の回廊は難なく通過できた。途中、さ迷っていた侵略者達に襲われたが、共に進む獣達の活躍で、さほど苦戦することもなく撃退できた。

 

 アインホルンは、ここまで来てようやく自分の力が役に立ったことで、多少なりとも自信を持つことができた。もっとも、スミドロードの活躍ぶりには、遠く及ばないことを未だに気にしているのであるが。

 

 前方より激しい銃撃の音が聞こえてきた。一同の間を緊張が奔る。やはり、ここまで入り込んでいた侵略者もいたのである。

 

「この気配はもしや……」

 

 レインディアはそう呟くと、目の色を変え、谷間を疾走した。共に進む仲間達は、突然のレインディアの豹変に驚きながらも、彼一人で先行させる訳にもいかず、急いでその後を追った。

 

 ミッドガルズが、谷間の中を蹂躙する様な激しさで侵略者の軍勢に応戦していた。長い胴体で以て、青い装甲を持つ侵略者を凍りついた岩壁に叩きつける。侵略者は無言で押し潰され、砕けた装甲と共に地に落ちた。

 

 侵略者の軍勢はそれでも怯まず、谷間の中を埋め尽くすほどの機械の群れは、次々とミッドガルズの鋼の胴体に銃撃を浴びせていた。

 

 上空では様々な形状をした飛行物体が浮かび、ミッドガルズの隙を突こうとしていたが、宙を舞うファーブニルがこれを阻止していた。

 

 中空に浮かび、戦況を探っている一人の機人の姿があった。機人は扇の様に黄色く彩られた装甲を広げながら、周囲の飛行物体達に指示を出していた。

 

 その機人の姿を見て、レインディアが叫ぶ。

 

「こいつらだ。仲間の恨み、今こそ晴らしてくれる」

 

「待って。一人で先行したら危険だわ」

 

 しかし、レインディアはベル・ダンディアの言葉には耳を貸さず、岩壁を垂直に駆けていくことで一気に上の方へと登って行き、浮遊する機人の横に達すると同時に、凍りついた岩壁を砕く勢いで蹴り、機人へと飛びかかった。

 

 突然の獣の奇襲に驚き、機人は反応が遅れた。レインディアの角が機人の装甲に突き刺さり、白い装甲と電光を周囲に散らせた。機人はレインディアと共に地へと落ちていった。

 

 地に落ちた機人であるが、レインディアを衝撃波で岩壁に吹き飛ばすと、即座に態勢を立て直し、獣達の出方を窺った。護衛の飛行物体達が次々と機人の周囲に舞い降り、機人を守護する。

 

 レインディアの側にスミドロードとアインホルンが駆け付けた。それに続いてベル・ダンディアとフレイアが側に来た。

 

「あいつです。あいつが侵略者の軍勢を率いて私の仲間を滅ばしたのです」

 

 その言葉を聞き、闘志を漲らせたのはアインホルンであった。

 

「ならば協力してあの機人を倒そう。おそらくあの機人が周囲の侵略者達に指示をだしているんだ」

 

 アインホルンが角を前に突きだし、今にも駆けだそうとする。レインディアは頷き、同じく角を構えた。

 

「気をつけろ。無闇に突っ込んだら何があるか分からぬぞ」

 

 だが、溢れ出る闘争本能を抑えることが出来ずにいる二人に、スミドロードの制止する声は届かなかった。

 

 二体の獣が角を突き出し、機人に突進する。これを見てとった機人は何を思ったのか、片腕を振り上げ、それと同時に周囲の飛行物体達が散開した。その様子を見ていたスミドロード、それにベル・ダンディアとフレイアは瞬時に異変に気がついた。

 

「二人とも待って。様子が変だわ」

 

 ベル・ダンディアがそう叫んだ時には既に遅かった。

 

 機人は扇の様な装甲を広げると同時に全身を変形させると、迫りくる二体の獣の角をがしと受け止めた。その姿は、強靭にして柔軟な鋼の盾と呼べる代物である。

 

 渾身の一撃をあっけなく防がれた。だが、アインホルンとレインディアには、体勢を立て直す余裕などなかった。

 

 背後からベル・ダンディアの悲鳴が聞こえた。周囲に散開していた飛行物体や、青い装甲を備えた機械達が一斉にアインホルンとレインディアに向かって銃撃や熱線を浴びせた。

 

 二体の獣の全身を激痛が奔る。まだ機械化していない肉の焦げた臭いがした。目前の機人が再び人型に戻ると浮かび上がり、中空で腕を振り上げた。

 

 その刹那。

 

 それまで侵略者の群れと戦っていたミッドガルズが一瞬で体躯を伸ばし、機人に喰らいついた。機人は声にならない悲鳴を上げながら、岩壁に押しつけられた。

 

 機人が奇妙な電子音声を響かせた。すると、谷間の上空から青色の輝きを放つ剣が降って来た。

 

 剣がミッドガルズの眉間に衝突する。固い装甲の眉間にその剣は突き刺さり、ミッドガルズは怯んだ。その隙に、岩壁に押しつけられていた機人が抜け出し、上空に飛び揚がった。

 

 逃げていく機人をファーブニルは見逃さず、鋼の刃で以て切り裂こうとしたが、ミッドガルズの眉間に突き刺さったままであった剣が瞬時に離れて人型に変形し、下からファーブニルに向かって飛びかかった。

 

 ファーブニルは接近してきた新手の機人に応戦するべく身構えたが、機人の放った閃光を翼に受け、体勢を崩した。

 

 上空にいる最初の機人がその隙を付き、電光の刃をファーブニルに放つ。傷を負ったファーブニルは咆哮を上げながら、墜落していった。

 

 上空に二体の機人が並ぶと、機人達は一瞬谷間を見まわし、撤収していった。

 

 周囲にいた侵略者達は皆、鏡の回廊の方へと撤退していた。飛行物体達は機人を護衛しながら、共に飛び去っていく。逃げていく地上の侵略者達に対して、スミドロードは追い打ちをかけようとしたが、フレイアに止められ、思いとどまった。

 

 傷つき、大地に倒れていたファーブニルはゆっくりと立ち上がり、上空を睨んでいた。

 

「やれやれ。余計な手間をかけさせてくれたな。若いの」

 

 ミッドガルズが、起き上ったアインホルンとレインディアに向かって言った。その眉間には深い傷跡が残り、剥がれた装甲からは強い熱量を帯びた赤い光が漏れていた。

 

「申し訳ありません」

 

 レインディアが言った。それに続いてアインホルンも謝罪の言葉を述べ、レインディアと共に、助けてくれたこの大蛇に礼を言った。

 

「まあいい。気に病む必要はない。若いうちは誰でもそんなものだ。俺とて昔はそうだった」

 

 慌てて駆け寄ったベル・ダンディアが、アインホルンとレインディアに応急処置を施す。ベル・ダンディアの持つ癒しの力が、僅かではあるが、二人のコアに活力を与え、自己再生能力を促進させるのである。

 

 二人の応急処置を終えたベル・ダンディアが、ミッドガルズの方へと歩み寄り、その眉間に手を当てようとした。だが、ミッドガルズは頭を振り、大きく擡げた。

 

「嬢のお手を煩わせる必要はない。それより、あちらのファーブニルの手当てをしてやってくれ」

 

 ベル・ダンディアは申し訳なさそうにミッドガルズを見つめていたが、すぐに傷ついたファーブニルのもとへ向かった。

 

「お久しぶりですね。ミッドガルズ」

 

 フレイアが目前にそびえる大蛇を見上げながら言った。

 

「フレイアか。久しいな」

 

 ミッドガルズの四つある真紅の瞳が、懐かしそうにフレイアを見た。

 

「あなたとこうして再び会える日が来るとはね。もっとも、ヘルの予言通りならこうなることも当然だがな」

 

「そう、そのヘルのことです。今、私達にはヘルの助力が必要である、あなたもそう考えてはいませんか」

 

 ミッドガルズは頭を空へ向け、暫しの間、遠い目で空を眺めていたが、やがて言った。

 

「まあな。むしろヘルの封印を解くことは、この戦いを生き延びる為にも必須のことであろう。ベル・ダンディア嬢もそう考えている」

 

「そうですか。私には言ってくれませんでしたが、やはり彼女もヘルの解放を望んでいるのですね」

 

「マーニに止められたそうだがな」

 

「それはそうでしょうね。でも、実は私もヘルの封印を解くつもりでここまで来たのですよ。私の姉のフレイや、フリッグ、スノトラ様もそれを望んでいるのです」

 

「ほう、塔の内部にも協力者がいるとは驚きだ」

 

 ミッドガルズが微かに笑った。

 

「ならば迅速に行動に移した方がいい。なに、まずないと思うが、ヘルが協力したがらなければ、この俺からも強く言ってやるさ」

 

「あなたにもそう言っていただけると心強いですね。ミッドガルズ」

 

 ベル・ダンディアの力でコアの活力を取り戻したファーブニルは軽く礼を述べると、飛翔していった。

 

 ファーブニルは上空で何やら遠くの塔に通信を送っている。これはファーブニルが機械化したことで得た能力であり、これと同じ能力を持つ者が、塔にいるソールの護り手ヘイル・ガルフであった。

 

 ベル・ダンディア達は先を急ぐべく、この場をミッドガルズ達に任せ、岩壁の間を進んでいった。

 

 やがて、一行の姿が見えなくなると、ミッドガルズが呟いた。

 

「あの機人が呼んだ名……確かにアスクと言ったな。ふむ、とすると俺が仕留めようとした機人、あれはエムブラで間違いないだろう。すぐに気が付いて良かった。ロキの意思に従うというのは気に入らないが、【勇者】の力は必要となるだろうからな」

 

 それから、通信を終え、舞い降りてきたファーブニルに向かって言った。

 

「先ほどの連中は斥候に過ぎない。一度切り抜けた鏡の回廊の仕掛けを破ることなど、奴らにとっては何の造作もないことだ。次に来る侵略者は先とは比べ物にならないほどの数だ。心せねばなるまい」

 

「そんな予感はしていた。ヘイル・ガルフにも信号を送った。ここを落とされた時の用心の為にな」

 

 ファーブニルはそれきり、目を閉じて押し黙った。ベル・ダンディアによって与えられた活力により、傷ついた装甲が早くも再生していく。

 

 ファーブニルは見事なまでに、己を浸食する機械の体を自分の物としていた。肉体と完全に同化した機械はファーブニルの自己再生能力で自然に回復する。一部の機人などを除いた多くの侵略者にはない能力であった。

 

 氷壁の亀裂を進むベル・ダンディア達。まだこの辺りには侵略者達が攻め込んできた形跡はない。もっとも、この谷間の外の方では、領域に入り込んできた侵略者達と獣達の戦いが繰り広げられているのであるが。

 

 崖の上から一行を見下ろす一つの影があった。銀色の光彩を放つ白い長髪を結え、腰の辺りまで伸ばしている小柄な少女。漆黒のビスチェの様な衣装を身にまとい、あらわになった白磁の様な肌が硝子の様な光沢を備えている。少女の姿は、塔に住む氷の姫君達と酷似していた。

 

 少女は、冷ややかな眼差しで崖下のフレイアに目を止めた。

 

「スノトラの飼い猫。こんなところまでくるとはね」

 

 軽蔑を含んだ声。少女は身を翻すと、軽い足取りでその場を去った。

 

 

 

(む。何だ。この念動は)

 

 それは塔の方面から送られてくる奇妙な波動。音でもなく振動でもない。だが、氷結の大地に立つマン・モールには、自身を動かすその念動の意味するものが理解できた。

 

 それは、侵略者の接近を告げる警告であった。

 

 マン・モールが咆哮を上げることで合図を送ると、周囲に散らばっている獣達の動きが慌ただしくなる。程なくして塔の方面より、一体の鋼鉄の竜が飛んできた。

 

「マン・モール殿。あなたにもこの念動が伝わったのだな」

 

 装甲機竜ファーブニルと双璧を成す塔の守護者、鋼鉄竜ニヴルヘイムであった。

 

 マン・モールは黙したままだったが、ニヴルヘイムと視線を合わせ、頷いた。マン・モールによって危機を伝えられた獣達は、すぐ側まで迫ってきている見えない侵略者に対して身構えている。戦闘が開始されるその時は間近に迫っていた。

 

 戦火より離れた岩壁の上から、戦場を見渡す一人の機人の姿。彼は獣でも侵略者でもない、異質な世界より現れた斥候、ヴァルグリンドである。

 

「封印されているヘルに感づかれるとはな。マグニ一人だけの時とはわけも違う……というところか。どうやらスルト達に任せているだけでは、事を運べそうにないか……」

 

 ヴァルグリンドが空間を歪ませると、進軍しているスルト達の姿が映し出された。次々と別の映像が浮かんでいき、ヴァルグリンドのもたらした技術を駆使して先に進んでいる、他の部隊の様子も映し出されていった。

 

 多くの獣や侵略者には、認識できないその姿も、ヴァルグリンドからは筒抜けであった。それは封印されているヘルにとっても同様のことであるのだろう。

 

「一度発見されてしまえば、大した意味もないからな。所詮、小手先のもの」

 

 それからヴァルグリンドは、スルトの後方を進軍していく機人ドロイデン達の姿に目を付けた。

 

「使えそうだな」

 

 ヴァルグリンドはそう呟くと、口から奇妙な音を出した。周囲にその音が反響すると、ヴァルグリンドの側に、傀儡の狼達が集まった。

 

「ここまで付き合ってくれたお前達は、この世界の最期をその身で以て体感できるかもしれぬぞ」

 

 ヴァルグリンドの冷たい眼光が狼達を見すえた。

 

 

 

 ベル・ダンディア達が氷壁の亀裂を抜けたその時、近くの地域から爆音が轟いた。皆が咄嗟にそちらに振り返る。そこでは巨人の群と格闘する、マン・モールを始めとした獣達の姿があった。

 

「そんな……。侵略者達がここまで入り込んできているなんて……。」

 

 その出来ごとに茫然としているのはベル・ダンディアだけではない。アインホルンとレインディア、スミドロードですら驚きを隠しきれなかった。ただ一人、決意の色を顕わにしたのはフレイアである。

 

「もはや、一刻の猶予もありません。私はヘルの封印されている井戸へ向かいます。」

 

「ヘルの。でも、塔の皆が何と言うか……」

 

「いいえ、ベル・ダンディア。先ほどヘルから私のもとへ念動が送られてきました。ソール様は凍獣マン・モールを目覚めさせましたが、ここまで攻め込んできた侵略者達はあまりにも強大な存在。このままでは味方は総崩れとなり、他の侵略者達も塔へと雪崩れ込んでくることでしょう。そうなれば、もはや私達の手には負えない」

 

 フレイアは、巨人達や、新たに出現したさらなる軍勢と戦い続ける獣達の姿を見渡した。

 

「マーニや他の同胞達が何と言おうと、ヘルの力は今すぐにでも必要とされます」

 

 ベル・ダンディアに、フレイアの固い決心を止める術もなかった。だが、元はと言えば、ヘルの封印を解くことを塔の姫君達に進言したのも自分である。今は、マーニのことを気にしていられる時ではない。ベル・ダンディアはそう思った。

 

「フレイア様。では、共に参りましょう」

 

「あなたは先に塔へ向かいなさい。ソール様を支えることがあなた達三姉妹の役目でもあるのですから。井戸へは私一人で向かいます」

 

「でも、フレイア様お一人では……」

 

「私がフレイア様と共に、その井戸とやらに赴きましょう」

 

 そう言ったのは、レインディアであった。

 

「私があなた方と共に進んできたのは誰の予定にもなかったこと。ベル・ダンディア様の守護はスミドロード殿とアインホルン殿の役目らしい。ならば、ご同行するのはこの私が適任と存じます」

 

 レインディアの申し出に、フレイアは優しい笑顔を向けた。

 

「ありがとうございます、レインディア。では、共に参りましょう」

 

 フレイアとレインディアが井戸へ向かうことに決まり、ベル・ダンディア達はそのまま塔へ急ぐこととなった。

 

「フレイア様。どうかお気をつけて」

 名残惜しそうに、ベル・ダンディアが言ったが、フレイアはベル・ダンディアにほほ笑みかける。

 

「ええ。あなたも気をつけてね」

 

 一行は二手に分かれ、それぞれの目的を果たす為、先を急いだ。

 

 

 

 予期せぬ獣達の応酬。あと一歩というところで発見されてしまうとは。さすがのスルトも動揺したが、すぐに気を取り直し、子飼いの巨人部隊を指揮し、眼の前の獣達に燃え盛る真紅の剣を向けた。

 

 獣達の猛攻を受けたと同時に、隠れ蓑となっていた空間の歪みは完全に消え去った。巨人達は臆することなく、自分たちが本来備えている底知れぬ怪力や、破壊の大剣で以て獣達を粉砕していく。

 

 強靭な侵略者を相手にする獣達は、太古の凍獣の加護を直に受けることで何とか侵略者達に応戦していた。その中でも、太古の魔力の発生源である凍獣の力は凄まじかった。

 

 自分を含めて八名で進軍してきた。だが、眼の前にいる巨獣のせいで、既に二人の部下が破壊された。このままでは、まずい。

 

 部下達の間から歓声が聞こえた。同時に進軍していた、他の部隊が次々と参戦していく姿があった。選りすぐられた神機グングニル達を率いる槍戦騎ガウト。戦闘力に長けた機人達を連れているのは、ワルキューレ三姉妹の次女、ヒルド。そして後方から仲間達を援護するのは、機人ドロイデンの部隊であった。

 

 あれほど、誰よりも功を立てることに拘っていたスルトであったが、今はこの同胞達の存在が有り難かった。

 

 

 

 暗い井戸の底。完全に干上がり、冷気によって凍りつく水分すらほとんどなかった。

 

 暗闇の坑道の中を、己の光沢を明りにして進むフレイアと、それに伴うレインディア。この井戸の中には、この世界とは異質な存在が感じられた。

 

 不意に、前の方から何者かの足音が響いてきた。誰かがいる。フレイアは自身の体から放たれる光沢を前方に向けた。するとその者の姿がくっきりと暗闇の中に浮かびあがる。

 

「あなたはヴァール。何故ここに」

 

 フレイアが驚きの声を上げた。状況を理解できていないレインディアは戸惑い、眼の前にいる漆黒の衣装を纏った少女を見た。

 

「何故だって。あんたこそ、何でここにいるんだ。ヘル様の寝込みを襲おうとでも言うの」

 

 ヴァールは冷ややかな眼差しでフレイアを睨んだ。軽蔑の籠ったヴァールの目を見たフレイアは、思わず暗い面持ちとなる。

 

「私達はヘルの封印を解きに参ったのです。ヴァール、それはあなたも望んでいることでしょう」

 

「ふーん。でもね、今更良い子ぶったところで、もう遅いんだからね。あんたとスノトラはあたしとヘル様を裏切ったんだ。途中までヘル様に尽くすふりをして置きながら、最後にはソールの方に寝返ってくれちゃって。どうせ今度もそうなんだろ」

 

「ヴァール。私達にそんなつもりはなかったのですよ。ただ、この世界のことを案じて……」

 

「言い訳は後でヘル様に言いな」

 

 ヴァールの手に人の背丈ほどもある銅色の鍵が出現した。ヴァールがそれを両手で持って構えるとその先から黒い糸の様なものが放射状に広がっていった。

 

 フレイアとレインディアは身構える間もなく、その黒い糸に絡めとられた。

 

「この世界はヘル様の物。ヘル様の物にならないと意味なんてないんだよ」

 

 ヴァールはフレイアを尻目に、すぐ後ろにあった氷壁に向き直った。周囲には凍りつく水分すらないというのに、その氷壁だけは厚く、坑道を埋め尽くしていた。

 

「我が物顔でヘル様の世界を踏みにじっている侵略者の連中も気に食わないけど、あいつらが起こした戦いのお陰で、こうして隠れてヘル様のところまで来れたんだ。連中には感謝しないとね」

 

 その言葉を聞いたフレイアがはっとなる。

 

「ヴァール。あなたはヘルの念動を受け取らなかったのですね。あなたは、ヘルの真理を理解していないのです。ヘルはただ、彼女なりにこの世界を愛していた。本当は、ソール様やスノトラ様と同じことを想っていたのです。今なら、ヘルやスノトラ様も、ソール様と分かり合える筈……」

 

 フレイアがそこまで言ったところで、彼女を拘束していた黒い糸が硝子の様な首筋に纏いつき、締め上げた。フレイアは微かに呻き声を洩らしたが、それきりただ黙って耐えた。

 

「ソールやスノトラと一緒にしないで。あんたなんかに、気易くヘル様の名前を呼んでもらいたくもない」

 

「フレイア様に何をするのだ」

 

 レインディアが叫んだが、ヴァールは冷めた眼差しをレインディアに向けただけで取り合わなかった。

 

 ヴァールは鍵を眼の前の氷壁に押し当てると、何やら呪文を唱え出した。

 

 氷壁が徐々に崩れていき、その先には、氷壁に閉ざされ、白磁の様な瞼を閉じて眠る、氷の魔女ヘルの姿があった。

 

「ああ。ヘル様……。あなたの忠実なる僕、誓約の女神ヴァールでございます。この様なところにずっとお一人で……お労しい」

 

 ヴァールのヘルに向ける眼差し。それはかけがえのない愛しい者を見る眼であった。

 

 フレイアは黙ってレインディアと共にその様子を見ていた。レインディアは不服そうであったが、フレイアはなんとなく、懐かしいものを見た様なほっとする感情を覚えていた。

 

 ヴァールの手によってヘルの封印が解かれても、ここに来た目的は果たせる。一つ気がかりなことは、ヴァールがその後、どう振る舞うかであった。

 

 ヴァールにも分かって欲しい。ヘルの真理を。

 

 ヘルが協力してくれるということを、フレイアは確信していた。




関連カード

●盾機兵バルドル
機人。
「虚空よりのニ撃目」をバルドルの部隊が犠牲になることで防いでいる。
虚竜か虚神の攻撃が放たれたのかもしれない。

●機人ドロイデン
機人。
塔を囲んだ侵略者の軍を支える、「援護の切り札」と称されている。

●鋼鉄竜ニヴルヘイム
甲竜。
その身を賭してあるものを守り抜く者。
「疲れを知らぬ鋼の体」と称されているが、侵略者の影響で機械化した竜と思われる。

●槍戦騎ガウト
武装・戦騎。
侵略者であったが、「歌姫の尖兵」へと立場を変えている。
また、勇者の到来を待つ者とされている。

●誓約の女神ヴァール
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第14節。
氷の魔女ヘルが封じられていた井戸の底に、「出口となる門」があった。
井戸は歌姫の塔の近くにあるが、そこからロロは白の世界を去ったものと思われる。
続きとなる節は空白の赤の章第14節、もしくは赤の章第15節かもしれない。

ドラマCDであれば赤の世界へ向かう前にその先で星の巫女クシナ、雷神獣ヌエと出会っている。
なお、雷神獣ヌエは終章第1節であり、大龍皇ジークムンドと龍騎士ワーグナーのいる狭間の世界を訪れた時と同じ節。
何枚かの赤のスピリットのフレーバーテキストによると、赤の虚神及び赤の世界が滅びたのも終章第一節である。
赤の章の方は、龍星神ジーク・メテオヴルムが誕生したところで途切れている。


自分の小説におけるヴァールは氷の魔女ヘルの忠実なるしもべとして登場。
ヘルに心酔しており、ヘルの為と思う事であれば手段を択ばない。

 

●鏡の回廊
名所千選062。
1本道であるが、迷いそうな気にさせられる不思議な空間。

本章では歌姫の塔へ続く谷間に仕掛けられた回廊として登場。
外敵を惑わすことでその進行を遅らせた。
なお、「塔へ通ずる谷間」は鎧蛇竜ミッドガルズのフレーバーテキスト。


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第十八章 旅路の終わり、そして始まり

 空の項

 

 

 侵略者とは違いし異形。

 舞い来るは東の天。

 

 

 侵略者の姿をこの頃めっきり見なくなった。侵略者の動向に関して無知な、空の魚や鳥達であったが、何やら良くない出来事の前触れとして、その本能が感じ取っていたのかもしれない。浸食された空を舞う皆の顔色は芳しくなかった。

 

 硬質化して、鉄の様になっている入道雲がそそり立っていた。空を行く者達に安息の地と呼べる場所はないのであろうか。どれほど空を泳ぎ、進んで行っても侵略者達によって壊された空ばかりが続いている。鯨や同胞の魚達がその存在を期待している、ありのままの海が広がっている世界など、全く見当たらない。

 

 異変の兆候に、最初に気がついたのは、ひし形の魚達であった。

 

 空間が奇妙に捻じれ、それに伴い風が起こっている。

 

 侵略者によって浸食されてからは、風もまたこれまでとは異質なものとなっていたのであるが、この風はそれとも様子が違っていたのである。風を感じ取った魚達は、未だかつて感じたことのない、体が芯の方から崩れていく様な、奇妙な寒気を覚えた。

 

 その寒気は他の魚達や鳥達にも、伝染する様に広まっていった。鯨や、その側を進む銀色の巨鳥もそれを感じ取った。

 

 長い旅路を続けていくうちに、体中の感覚が鈍っている、鯨はそう自覚していた。最初に空を泳いだ時は、風を全身で感じていたのであるが、体が変質していくにつれて、段々と鈍ってきているのである。まるでこの体が自分のものではなくなっていく様な、そんな感覚。

 

 鯨はこの異質な風を体に受け、久方ぶりの寒気という感覚を味わった時、このまま体が崩れてしまえば良いという、密かな期待を抱いていた。自分の体ではない様な自分の体。この重荷から解放されるということへの期待である。

 

 その体は、今でも多くの命を支える方舟となっており、自分の使命への怠慢と言える感情は悪しきものである、という罪悪感も伴っていた。だが、長い旅路で鯨や仲間達は、心身ともに疲れ果てていたのである。新天地を求めるという意思は次第に薄れ、現状からただ解放されたいという思いの方が強まっていた。それは絶望と紙一重の感情であった。

 

 天に浮かぶ白夜の虚空。この世界に住む者の誰しもが、決して近付いてはならないと警告されるに至ったのは、大分後のことである。

 

 鯨と仲間達が泳ぐ空から東へ向かった空域では、この白夜の虚空が妖しく蠢いていた。何かを吐き出そうとしている生き物の様な、生々しい蠢動。鯨と仲間達の誰もが、その虚空に気がついていなかった。

 

 突然、天空が振動した。空という空が悲鳴を上げている様な不気味な現象。

 

 鯨と仲間達は、異変を感じ取っていたが、危機感というものが欠如していた。ただ、鯨の背の外殻の中に僅かながら生き残っている、力無き者達は、真っ先にこの異変に恐怖していた。恐慌は鯨の背の中で広まっていった。

 

 そこまできて、空を泳ぐ鯨や仲間達もこの異常な事態をようやく呑み込むに至ったのであるが、もはや避けられないところまで、それは迫っていたのである。

 

 白夜の虚空より白い影が飛び出した。それは、鯨やその仲間達に全く気配を感じさせることもなく、鯨の側へと接近していった。

 

 突然青白い閃光が固い入道雲を突き破り、鯨の方へ迫ってきた。それに気がついた銀色の巨鳥が仲間達を守る為に、その閃光の前へと飛び出し、熱量の結界を創りだした。

 

 この結界はあの翼神機の閃光を防いだ、巨鳥の同族達特有の能力である。巨長はその結界でこの閃光も防ぐことができると信じていた。

 

 閃光が巨鳥を直撃した。閃光の光が瞬時に消え去り、同胞達は、巨鳥が閃光を防ぎきったものと思った。だが、光が消え去ったその空間に、巨鳥の姿は跡形も無くなっていたのである。何かが存在していたという痕跡も残さずに、ただ、消えた。

 

 仲間達が恐慌状態となった。急いで、この場から逃げ出そうとする魚や鳥達。何故か、これまで固い結束力で侵略者達と戦ってきたというのに、この瞬間、その結束力が脆くも崩れ去った。この異変は生き物の精神すらも侵す代物であったと、後になって、僅かに生き残った者達は回想したものである。

 

 我先にと逃げ出す魚、鳥達。その者達の背後から、容赦のない青白い閃光が広がっていった。半円状の軌跡を幾重にも描きながら迫ってくる閃光をその身に受け、同胞達が次々と消滅していった。

 

 鯨はここにきて、自分の使命をはっきりと思い出した。自分は力無き者達を守る為に生き延びなければならない。そして、空を行く仲間達と共にあらゆる困難に立ち向かわなければ。

 

 鯨は意を決すると、逃げ惑う仲間達とは逆方向に進み、閃光をかわしながら、その発生源に突進して行った。背を向ければ即座にやられる。自分とその背に生きるすべての生き物達が。何としても、この破壊を止めなければならない。

 

 鯨の行動力を見て、我を取り戻した何割かの同胞達が、鯨に続いた。恐慌状態を脱し切れずに、背を向けて逃げようとした仲間達は、皆、追い迫る閃光に撃たれ、跡形もなく消滅した。

 

 鯨達は、固い入道雲を掻い潜り、あるいは突き破り、閃光のその先にある存在のもとへと辿り着いた。

 

 正体を現したその存在。薄く透き通った翼を持つ、全身が白色の虚龍。虚龍は岩の様に固まった入道雲をその手で掴んでその巨体を支えながら、鯨達を見ていた。その眼光には、理性の欠片も残っていない。

 

 虚龍は口から虚無をもたらす閃光を吐き出すのを止め、透明な硝子の様な翼を大きく広げた。そして、飛び立った。

 

 虚龍の輝きを伴った長い尾が振られ、天空が切り裂かれた。その尾に当たった魚や鳥達の体が次々と砕け散り、あの閃光を受けた時と同様、消滅していった。

 

 同胞達が消滅していく度に、あの虚龍は不気味な輝きを増している。鯨はそのことに気がついた。あの虚龍は生き物の生命の源、コアの輝きを喰らって、己の物としているのかもしれない。

 

 鯨が虚龍の胸元に体当たりを食らわせた。微かに虚龍が怯んだが、すぐに虚龍は濁った薄紫色の鋭い爪で鯨の胴体を切り裂いた。

 

 深手を負った鯨であったが、何とか持ちこたえ、虚龍から距離を取った。傷口から自分の体が崩壊していく。鯨はそう実感していた。

 

 さきほどは逃げることを争っていた仲間達が、今度は虚龍に向かって我先にと突撃して行く。その中には、あの白鳥の姿もあった。魚や鳥達の攻撃は、虚龍に僅かな傷を与えている様子であったが、虚龍に触れた者達は次々と力を喪失し、空中に投げだされていった。

 

 虚龍の首筋にはあのエビの姿もあった。エビは、鯨が先ほど虚龍に体当たりした時に、虚龍の首筋に取り付いていたのである。

 

 エビが渾身の力で鋏を虚龍の首筋に打ちつけたが、大した効き目はなかった。すぐに虚龍の爪に叩き落とされた。落ちて行くエビは長時間虚龍に触れていた為であろうか、徐々にコアの輝きを失っていき、最後には体ごと消滅した。

 

 今まで多くの同胞を守り抜いてきたエビが、あっけなく消え去った。この事実に、同胞達の間を、再び底知れぬ恐怖が広まっていった。

 

 鯨は挫けなかった。虚龍に対する怒りを顕わに、さらなる攻撃を続行する決心を固めた。背を向ければやられる。命ある限り戦い抜かなければならない。

 

 鯨は崩壊していく体を抑え込み、虚龍に特攻した。それを迎え撃つ虚龍。口から閃光が放たれた。

 

 閃光と衝突する。その瞬間、鯨の脳裏をこれまでの自分の生涯が一度に駆け巡った。

 

 自分が生を受けたあの海。大空を海として漂ってきた、これまでの旅路。そして、これは前世の記憶なのだろうか、この世界とは違う、青い惑星に抱かれて、心安らぐ音と、澄んだ空気の中での記憶。

 

 鯨と共鳴する魂の声が響いた。鯨は心の中で、その声の主に頷いた。そうだ。あなたに任せる。皆を、仲間を、友達を救ってくれ。

 

 鯨の命の輝きが途絶えた。だが、それは消失ではなかった。鯨の魂を引き継ぐ存在の出現。それは鉄の入道雲より現れ、鯨の魂に呼応した。鯨の意識がその存在に吸い込まれていった。

 

 天空の虚龍と対峙する鋼翼魚の出現。鋼翼魚は虚龍に向かって眼に見えぬ波動を放った。直撃した虚龍は吹き飛ばされ、大きく後退する。

 

 鋼翼魚の口から生命の輝きが放たれる。その輝きは、力尽きて消滅しかけていた魚や鳥達に命の輝きを取り戻させた。

 

 虚龍が再び、迫って来た。鋼翼魚が、仲間達に合図を送る。それと共に、無数のカブトガニとエイが虚龍に飛びかかった。次々と虚龍に傷を与えていったが、虚龍に触れたにも関わらず、そのコアの輝きは衰える気配すら見せなかった。

 

 勇気付けられた空の鳥や、他の魚達も次々と虚龍に襲いかかった。白鳥が虚龍の額に一撃を加え、そこにできた傷口を目掛けて、魚や鳥達が殺到する。

 

 虚龍が咆哮し、群がっていた魚や鳥達が吹き飛ばされた。虚龍は眼の前の鋼翼魚に狙いを定め、一気に喰らいかかった。

 

 虚龍によって片翼を食い千切られた鋼翼魚。だが、鋼翼魚は怯むことなく、もう片方の翼である鰭で虚龍の翼を切り裂いた。

 

 鋼翼魚と虚龍がいつ果てるともしれない格闘を繰り返す。鋼翼魚が同胞達に合図を送った。同胞達には何故鋼翼魚が今頃になってその様なことを伝えたのか、すぐには呑み込めなかった。

 

 鋼翼魚は厳しい態度で再び合図を送った。自分を残して逃げろ、と。

 

 虚龍が咆哮し、口から閃光を放った。鋼翼魚は、それが広がる前に大口を開けて、すべてを吸い込んだ。鋼翼魚の、左右に三つずつある黄色い瞳が激しく光った。その光が周囲に散らばり、虚龍の閃光の様に、まだ戦うつもりでいた仲間達を襲った。

 

 驚いた仲間達が次々と逃げ出す。虚龍は眼の前の鋼翼魚に掛かりきりで、逃げていく者を追う余裕などなかった。鋼翼魚は身を以て、同胞達を追い払ったのである。この無限の力を持つ虚龍から逃がす為に。

 

 鋼翼魚の方が優勢かと思われた戦いであったが、徐々に虚龍の方が勢いを取り戻していった。傷ついていく鋼翼魚とは対照的に、虚龍の傷はすぐに再生していったのである。先ほど切り裂かれた翼も元に戻っていた。

 

 虚龍の爪が一閃し、鋼翼魚の喉を大きく抉った。鋼翼魚はごぼごぼと命の雫を漏らしていった。

 

 中空に投げ出される鋼翼魚に向かって、虚龍は容赦なく青白い閃光を浴びせる。強靭な鋼翼魚の肉体がその閃光を受ける度に、鱗が剥がれ、徐々に消滅していった。

 

 鋼翼魚の六つの眼光が、強烈な熱量を帯びた輝きを放った。虚龍がたじろぎ、その動きを若干鈍らせた。

 

 空の至る所で光が灯り、鋼翼魚のもとに集まっていく。その光は、虚龍によって消滅させられた筈の仲間達の命の光であった。消滅した筈の無数のコアが、鋼翼魚が上げた命の叫びに呼応して、再びこの世界に形を持った。

 

 無数の輝きをその身に吸収した鋼翼魚が激しく発光する。すると、鋼翼魚の失われた体が再生していった。

 

 鋼翼魚が虚龍の喉元に喰らいついた。牙を突き立て、虚龍の動きを封じ込める。虚龍は鋼翼魚の背に爪を突き立てたが、鋼翼魚は微動だにせず、その牙を離さなかった。鋼翼魚の発光がさらに強まり、虚龍を呑み込んでいった。

 

 天を一条の光線が奔った。光線は鋼翼魚の頭部を一瞬で貫いた。

 

 鋼翼魚の力が弱まった。虚龍はその隙を見逃さず、喰らいついていた鋼翼魚を突き飛ばすと、口から青白い閃光を放った。その閃光を受けた鋼翼魚の体が砕け散った。

 

 砕け散る鋼翼魚の体が最期に放つ命の閃光。それに呑まれた虚龍もまた、その身を砕かれていった。

 

 消えゆく鋼翼魚の意識。そしてそれと重なり、鋼翼魚の一部となっている鯨の意識もまた、鋼翼魚と共に消え去ろうとしていた。

 

 消えゆく二人の意識は、再生していく虚龍の姿を捉えた。結局、虚龍を打ち倒すことはできなかったのである。だが、二人は多くの同胞達の命を救ったことで、自分達の役割を果たすことができたと信じた。後は、生き残った者達や、この世界を救えるだけの力ある者達に委ねよう。

 

 鋼翼魚は【勇者】の誕生を信じ、意識を共有する鯨もまた、その存在の到来を願った。

 

 二人の意識は途絶え、命の輝きは周囲に散らばっていった。輝きはこの世界に呑まれ、溶け込んでいった。

 

 

 

「まさか、帝のお仲間がこの世界にいるとはな。準備運動のつもりが、帝の方が追いつめられるとは、思ってもいなかったぞ。全く、この神の傀儡は使えるんだか使えないんだか」

 

 アルブスはル・シエルの背に跨ったまま、理性を失っているル・シエルを忌々しげに見た。アルブスの手には、鋼翼魚の頭を撃ち抜いた銀色の銃が握られていた。

 

 空間を裂き、一人の機人が接近してきた。その機人はル・シエルのすぐ傍で停止すると、哀れむ様にル・シエルを見た。そのすぐ後で、アルブスをきっと睨んだ。

 

「プラチナムか。思っていたより、来るのが早いな」

 

「アルブス、これはどういうことだ。帝を動かすなど、約束が違うではないか」

 

 プラチナムの眼は、憎しみの色に染まっていた。

 

「神のご意思だ。そろそろ本格的にこの世界を滅ぼしにかかるというわけさ」

 

「滅ぼすだと……。我々の目的はこの世界を統一し、故郷に残してきた同胞達の新天地を得ることだった筈ではないか」

 

「その前に、この世界のゴミどもを綺麗に掃除してやらなければな。何があっても帝を危険に晒さないというのが、お前が神と交わした約束事だったっけなあ、プラチナム。だがねえ、やはりこの世界の掃除には、帝の力もあると、何かと便利なんだよな。分かるだろ。どの道お前は神には逆らえない、逆らえる立場じゃないからな」

 

 冷笑するアルブスを前にして、プラチナムは黙っていた。ただ、ル・シエルに対して、懇願する様であり、謝罪する様でもある眼差しを向けていた。

 

「おや、まだ残っている奴がいたのか」

 

 アルブスはそう呟くと、銃口を擡げた。プラチナムがそちらを見やると、硬質化した雲に隠れながらこちらを覗いている、一羽の白鳥の姿があった。

 

「アルブス、止せ」

 

 プラチナムの叫び声を無視して、アルブスは手にしている銃から光線を放った。白鳥に向かって直進する強力な熱量。白鳥には悲鳴を上げる隙も無かった。

 

 光線は、白鳥に命中することはなかった。その前に飛び出したプラチナムが虚空を創り出し、光線はその中に呑まれて消えていったのである。

 

「君も逃げろ。早く」

 

 プラチナムに叱咤された白鳥は慌てて、彼方の空へと飛んでいった。

 

「あんな物を守って何になるというのだ」

 

 アルブスはそう言うと、ル・シエルを操り、白夜の虚空へ向かって飛び去った。

 

 一人、上空に残されたプラチナムは、去っていくル・シエルの後姿を眺めていた。

 

「帝よ。今の私を、あなたはお赦しにならないでしょう。ただ、私は、例えあなたが心を失っていようと、神の思い通りに使われていようと、あなたを守りたい。あなたに救われたこの命も、あなたに与えられたこの力も、あなたをただ守る為のもの」

 

 プラチナムは悲壮な決意を胸に秘めたまま、鋼翼魚が残した、無数の命の輝きの微かな名残を見つめた。

 

「出来ることなら、救ってやりたかった。これ以上帝が罪を重ねていくのは、見るに耐えない……」

 

 いっそのこと、ル・シエルを自分の手で討つことが、ル・シエルの望みではないのだろうか、という気もあった。だが、ル・シエルに奉げた己の剣と命で以てル・シエルを傷つけることなど、プラチナムには出来なかった。

 

 伝説の【勇者】の出現。プラチナムは密かにその存在を期待していた。

 

 

 

 鋼翼魚の残した燐光に包まれ、完全に消滅することの無かった鯨の亡骸は、僅かに生き残った力無き者達を乗せたまま、海面に着水した。鯨の、微かにではあるが体に残っていた意識の欠片は、海を泳ぐ魚の姿を見とめ、母なる海に戻って来たのだと思いながら、消えていった。

 

 鯨は気がつかなかったが、その海は汚染された水銀の海だった。泳いでいる魚達は、この水銀海に適応して生き延びてきた、鋼の鱗を持つアンコウ達であった。

 

 鯨の側に、ゆっくりと水銀海の上を漂う巨大な亀が近づいてきた。巨亀の背には鯨と同じく、十分に環境に適応できずにいる、無数の力無き者達が棲んでいた。

 

 海の方舟であるこの巨亀は、空の方舟であった鯨の死を嘆き悲しんだ。巨亀は、姿形は違えども、自分と同じ使命を全うして生きてきた鯨の魂の安寧を心より祈った。

 

 段々と崩れて水銀海に溶け込んでいく鯨の亡骸。その周りには、生き残った空の魚や鳥達が徐々に集まっていた。巨亀が、ゆっくりと崩れゆく鯨の体を持ち上げた。その背に棲む力無き者達を守るという鯨の使命を引き継ぐ為に。

 

 程なくして、鯨の体は崩れ去ったが、巨亀という新たなる命の守護者の出現により、生き残っていた者達は救われた。

 

 これまで鯨と共に空を旅してきた者達を、巨亀は受け入れた。少し遅れて、一羽の白鳥が飛んできた。その白鳥も仲間に加え、巨亀を中心とした一行は新たな旅路に出る。

 

 鯨と散っていった多くの仲間達、それに、あの鋼翼魚の遺志を無駄にしない為にも、皆は目的を見失わず、希望を胸に秘め、この旅路に臨んだ。

 

 

 彼の背には希望の火が灯る。

 抵抗者たちの希望を乗せて、

 果てのない旅は続いてゆく。

 

 

  (空の項 了)




関連カード

●アンジェラフィッシュ
空魚。
フレーバーテキストは白の章第1節。
水中に居られなくなったらしい魚たちが宙を泳いでいる。
ロロは「美しさを感じてしまうのは不謹慎だろうか」という感想をもらしている。

本章の「ひし形の魚達」とはアンジェラフィッシュのこと。

●鋼翼魚オルカノン
空魚。
【転召】を持つ。

本章におけるオルカノンの登場場面は、空母鯨モビルフロウで【転召】し、空帝ル・シエルと対峙するというもの。
白の世界における空帝ル・シエルの同族でもあるという設定。

●メタルアングラー
空魚。
「異質なるものの融合」と書かれている。
水銀の海を泳ぐ。

本章の「水銀海に適応して生き延びてきた、鋼の鱗を持つアンコウ達」とは、
メタルアングラーのこと。

●極甲王グラン・トルタス
甲獣。
最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
その役割は空母鯨モビルフロウと似ている。



●ライフセービング
マジック。
条件を満たせば、ブロックしている自分の空魚スピリットのコアをライフに置く効果を持つ。
イラストでは鋼翼魚オルカノンが描かれている。

本章における鋼翼魚オルカノンの能力は、このカードをモチーフとしている部分も大きい。


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第十九章 空帝急襲

 ―承前―

 

 

 漆黒の装甲と筒を持つ、狼の群れが出現した。空間を裂いて現れたこの狼達は、次々と凍獣に群がっていき、剛毛に覆われたその皮膚に喰らいついた。

 

 唖然として事態を見ているスルト。他の同胞達も同じ様子である。自分達の同胞ではない。では、仲間割れでもしているというのだろうか。

 

 凍獣が、咆哮を上げながら倒れた。どよめく獣達。それでもなお、凍獣は群がる狼達に向かってハンマーの様な鼻を打ちつけ、必死に抵抗した。それまで空中からの援護に徹していた鋼鉄竜が急降下してきて、凍獣に群がる狼達を襲った。

 

 スルトは、これを好機と見てとると、すぐさま生き残った部下である、子飼いの巨人達に指令を出し、塔へと攻め込んだ。他の部隊を指揮するガウトやヒルドも同様の判断を下した。

 

 塔から歌声が響いた。これまでとは様子の違う、心の芯に訴えかける様な歌声。

 

 部下の巨人達の様子がおかしい、そう思ったスルトもすぐに同じ状態に立たされることとなった。歌声を体に受けるとともに、スルトは虚脱感に襲われた。自分が手にする紅蓮の剣の様に燃え上がっていた戦意が削がれていく。

 

 ガウトやその部下の神機達も同様であった。ふと、スルトがヒルドの方を見やると、ヒルドが、思う様に動けなくなった部下達をその場に残し、冷静さを失わず、塔の前に氷壁の如くそびえている荘厳な門へと接近した。

 

 ヒルドが放った金色の閃光を受け、門が砕かれた。ヒルドが更なる攻撃を仕掛けようとすると、砕かれた門の隙間から、鎧を身に付け、武装した二人の氷の姫がその前に踊り出た。

 

 両腕に大形の盾を身に付けた姫と、氷柱の如き剣を掲げた姫。一人が盾を使って、ヒルドが放った追撃の閃光を弾き、もう一人が中空に浮かび上がり、ヒルドに斬りかかっていった。自分の背丈よりも長く、透き通った氷の様な髪が、武装した姫が宙に舞うと共に、大きく靡いた。

 

 動けずにいるスルトに向かって、一体の獣が飛びかかってきた。避けられない。スルトは何とか迎え撃とうと、力を込めて剣を振り上げたが、それを振り下ろすだけの気力は残っていなかった。

 

 銃声が木霊した。スルトに迫っていた獣がばたりと地に伏した。銃を放ったのは、スルトのすぐ後ろに来ていた機人ドロイデンであった。

 

「ドロイデン殿。かたじけない……」

 

 そこまで言ったスルトであったが、すぐに異変を察した。真紅の角を持つ漆黒の機人ドロイデン。その眼は何かに取りつかれた様に虚ろであった。

 

 ドロイデンは、自分が指揮する銃騎士ヘビーバレル隊を前進させた。彼らは誰一人として、ソールの歌声の影響を受けていない様子であった。そして、その眼光の何れもが、狂気の色に染まっていた。

 

「ドロイデン殿。何をしている」

 

 スルトの言葉にドロイデンは耳を貸さなかった。歌声を前にしても平気でいるこの機人の一隊に向かって、獣達が飛びかかろうとしたが、それらはすべて漆黒の狼達に邪魔され、失敗に終わった。

 

「狙うはソールの首級ただ一つ。奴がいるのは塔の最上部。ヘビーバレル隊、構えろ。」

 

 ドロイデンの指揮に応え、ヘビーバレル隊が一斉に銃を擡げた。

 

「止せ、ドロイデン。まだソールを討つのは早すぎる」

 

 スルトの叫び声が空しく響いた。

 

「撃て」

 

 ヘビーバレル隊が一斉に弾丸を放った。氷の姫達と光の刃で以て斬り合っていたヒルドが、慌てて飛び上がり、熱量の結界で銃弾を防ごうとした。だが、間に合わず、ヒルドの胴体に一発の弾丸が命中し、ヒルドは悲鳴を上げながら墜落した。

 

 無数の弾丸が塔の上層部を直撃し、貫いた。

 

 歌声が止んだ。

 

 機械の軍勢の戦意を奪っていた力、獣達に活力を与えていた力、極光の障壁を創り出していた力、それらが一片に喪失した。

 

 先ほどまでヒルドと戦っていた姫達が茫然と塔を見上げていた。歌声が完全に止まっていることを理解した二人。次の瞬間、絹を裂くような二人の声が、地上に木霊した。

 

 

 

 三姉妹の項

 

 

 「ハティぃぃ。ぎぼぢ悪いー」

 

 スクルディアがハティに涎繰りながら凭れかかった。ハティは周囲の視線を気にして、慌ててスクルディアを振り解こうと思ったが、手荒に扱う訳にもいかず、何とか四肢で踏ん張って、スクルディアの体を支えた。

 

 ウル・ディーネ達の一行が、オーロラの側の砂漠に到着したと同時に、ソールの歌声によって維持されているそのオーロラが消滅した。ソールの身に何かあったらしい。一行にその予感が重くのしかかった。

 

 ウル・ディーネが冷静に皆をまとめ、先を急ごうとすると、固まった砂の粒子を押し上げ、巨大な聖堂が出現し、その聖堂を持ち上げるブレイザブリクの姿が顕わとなった。

 

 一行はブレイザブリクから、これまでの事情を聞き出し、彼の背に乗り込んだ。ブレイザブリクは急上昇し、塔へ向かって飛び立った。

 

 オーロラの壁が消滅するとともに、上空で待機していた侵略者の船団が一隻残らず前進した為、その姿は既になかった。もはや一刻の猶予も無い。ブレイザブリクは急いで戦場を横切っていく。

 

 酔ったスクルディアはハティに任せておき、ウル・ディーネは聖堂の内部から、戦況を見渡していた。状況は芳しくない。

 

「間に合わないかもしれない。ソール様の身に何かあったとすれば、私達が辿り着いてももう手遅れ……」

 

 傍らにいた猪の姿をした鎧装獣グリン・ブルスティが、沈痛な面持ちのウル・ディーネをなだめた。

 

「ソール様はきっと無事ですよ。ご覧なさい、地上の仲間達を。彼らは劣勢に立たされながらも、戦意は衰えていない。未だ、希望の灯火は消えていない。あなた様がソール様のお力になれば、すぐにでも勢いを取り戻すことができるでしょう」

 

 そう言うグリン・ブルスティであったが、内心では、もうソールはこの世にいないのではないだろうか、という不安を拭い切れなかった。

 

「ええ、そうですね。ありがとうグリン・ブルスティ殿」

 

 地上の獣達は確かに戦意を失わず、侵略者の軍勢と戦っていた。それでも、徐々に追い詰められていく獣達の心中には、尽きることのない不安と恐怖が蔓延っていた。ソールの歌声が途絶え、凍獣マン・モールの加護が薄れた。このままでは、侵略者に滅ぼされるのも時間の問題ではないだろうか。

 

 このまま、僅かに残っているマン・モールの加護まで失われたら、獣達の指揮が崩壊することは眼に見えていた。

 

 

 

 気が抜けた面持ちでドロイデンとヘビーバレル隊を見つめているスルト。やがてスルトは気を取り直すと、無言で立っているドロイデンに詰め寄った。

 

「貴様、命令に背くとは、どういうつもりだ。この世界の反作用をすべて取り除く為にも、まだ歌姫には利用価値があったのだぞ。一人で先走った行動を……」

 

 呻き声を洩らし、ヒルドが立ちあがった。損傷はあるものの致命傷ではない。その様子を見やったスルトが、怒りを顕わにして、ドロイデンを睨みつけた。

 

「おまけに仲間まで傷つけて、何とも思わないのか。これで貴様は手柄を立てたとでも本気で思っているのか」

 

 もし、ドロイデンがソールを撃たなかったら、スルト達は獣に討たれていたかもしれない。だが、ソールを生け捕りに出来なかったということは、この世界の反作用は当分解決せず、獣達との戦いは延々と繰り返されることとなる。なによりも、命令に背いたうえに仲間を傷つけてもなお平然としているドロイデンが、スルトには許せなかった。

 

 ドロイデンはスルトを無視し、配下のヘビーバレル隊に指示を下した。

 

「遅かった、手ごたえがない。ヘルの仕業だ。すぐにソールとヘルを探し出し、仕留めろ」

 

「ドロイデン、貴様は何を言っているのだ」

 

 スルトがそこまで言うと、地上に凄まじい咆哮が轟いた。スルトが思わずそちらを見ると、剛毛の中に埋もれた固い表皮に喰いついている狼達を振りはらいながら、凍獣が立ち上がるところであった。

 

 凍獣は、喰いついているままの数体の狼達をそのままに、金剛の如き鼻を振り上げ、スルトとドロイデン達がいる方へ向かって突進した。

 

 立ちはだかったスルトの部下の巨人が打ち倒された。周囲の獣達や、鋼鉄竜も怒りを顕わにして、機械達を襲う。二人の武装した姫達も、決意の色を表し、獣達に加わった。

 

 たちまち周囲は大混戦となり、スルトもドロイデンを問い詰めている場合ではなくなった。ドロイデンは、怒り狂う獣達を相手にして、必死に応戦するスルト達を尻目に、塔の門から少し離れたところにある古井戸に眼をつけると、ヘビーバレル隊を伴って、そこへ突き進んで行った。

 

 ドロイデンの部隊にも獣達は襲いかかろうとしたが、漆黒の狼達が獣達を襲って妨害し、ドロイデンとヘビーバレル隊の進軍を止めることのできる者は誰もいなかった。

 

 

 

 ヴァールがヘルの封印を解いた途端、解放されたヘルが坑道内に浮かび上がり、片腕を高く擡げた。

 

 すると、ヘルの腕が発光し、坑道内が白光に満たされた。その光は、徐々にある一点へと収束していき、四つの人型の輪郭をとった。その輪郭が、明確な形となっていき、光が消えていった。

 

 発光の消失とともに、その場に投げ出された氷の姫君達の姿。塔の最上部の一室に居た、ソールと、それを支える、フレイ、フリッグ、マーニであった。

 

「ぎりぎりだったのう。少々手荒になってしまったのは、堪忍しておくれよ」

 

 ヘルが言った。坑道内に転送された四人の姫君達は、皆気を失っていた。

 

 ヘルは、気が抜けた様子で立ちつくしているヴァールを見やると、ヴァールによって拘束されているフレイアとレインディアを指差して、こう言った。

 

「ヴァール。二人を離しておやり」

 

「……はい。ヘル様」

 

 あまり乗り気ではなかったが、ヴァールは素直にヘルの言うことに従い、フレイアとレインディアの拘束を解いた。解放されるとともに、首を絞めつけられていたフレイアが激しく咳き込んだ。レインディアが急いで、フレイアのもとへ駆けよる。フレイアの硝子の様な首には、黒い跡と、僅かなヒビができていた。

 

「フレイア。また辛い目に合わせてしまったねえ」

 

「……いえ。私は都合のよい時にだけ、あなたの力を借りに参ったのですから。この程度の罰では足りないほど……」

 

「そなたが聖域の守護者となっていたことは知っているよ。妾はここから地上を見通していた」

 

 中空に浮かび上がっていたヘルがゆっくりと地に足をつけた。

 

「そなたの望み通り、妾も力になろう」

 

「ありがとうございます。ヘル……」

 

 フレイアは感謝の念を表し、頭を垂れた。

 

 ヘルが、茫然としているヴァールに顔を向けた。

 

「今まで苦労をかけたね、ヴァール。そなたには、分からなかった様だが、妾もフレイアやソール達に協力する。そなたも力になっておくれ」

 

 ヴァールは無言で立っていた。優しく自分を見つめるヘルから眼を逸らし、黙ったまま小さく頷いた。ヘルから背けたその眼の輝きは、妖しく揺らいでいた。

 

 程なくして、ヘルによって転送されてきた四人が眼を覚ます。幾千年ぶりのソールとの再会に、ヘルは自然と笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ベル・ダンディア達が、白銀の守護者リンと風花の戦乙女グナが守護していた門を通り、その先にある塔の前に辿り着いた時には、既にソールの気配は消え失せていた。

 

 門の方から爆音が轟いた。束の間途絶えていた戦闘が再開されたのである。沈痛な面持ちで、ベル・ダンディアは振り返り、門の方を見た。

 

「私が戻って、同胞達の力になりましょう。その方が、ベル・ダンディア様もご安心なさるでしょう」

 

 スミドロードが言った。

 

「スミドロード……」

 

「何、ご心配なさるな。未だ、マン・モールの加護は健在。今、私に出来ることは、彼らと協力して、侵略者を食い止めること。あなたは、急いでソール様のもとへ向かってください」

 

 ひょっとしたらソールの命はもうないのかもしれない、という最悪の可能性には、敢えて触れなかった。スミドロードはアインホルンの側に寄ると、小声で何事かを呟いた。アインホルンが強く頷き、了解したのを見届けると、スミドロードは、ベル・ダンディアとアインホルンに見送られ、戦場へ向かって駆けて行った。

 

 アインホルンは、スミドロードに言われたことを何度も頭の中で反芻した。もしもの時は、ベル・ダンディア様を頼む、と。

 

 ベル・ダンディアの心中では、ソール達やマーニの安否への不安、この様な状況になっても自己の役目を忠実に果たせるのかという危惧などが、渦巻いていた。ベル・ダンディアは、こんな状況になっても、一瞬も迷わず同胞の為に戦場へ赴いていくスミドロードに深く感謝し、そんなスミドロードを羨ましく思った。

 

 

 

 古井戸の中から、凄まじい冷気の柱が噴き上がった。その冷気の波動を受けたヘビーバレル達が次々と凍りついていった。ドロイデンも、これを避けることはできず、共に凍りついた。

 

 突如、井戸の中より現れた氷の魔女。魔女は見る者を凍りつかせる様な冷笑を上げ、次々と機械達に冷気を放っていった。冷気をその身に受けた残りの機械達も、皆凍りつき、動かなくなった。

 

「なんだと。まだこんな奴がいたのか」

 

 スルトは、ドロイデン達があっさりと全滅したことでいささか困惑していた。勝ち目がないとでも悟ったのであろうか、漆黒の狼達は、ドロイデン達を守ろうともせずに、一足先に逃げ出していた。

 

 だが、狼達は自らの意思で逃げていた訳ではなかった。スルトが狼達の駆けていく先を見やると、そこには見覚えのある人物が立っていた。反射的にスルトが叫んだ。

 

「ヴァルグリンド殿。何故ここに」

 

 背後から一体の獣が飛びかかり、スルトは慌てて応戦する。そして、次にスルトがヴァルグリンドのいたところを見やった時、ヴァルグリンドと狼達の姿はなかった。

 

 氷の魔女の出現と共に、再び、歌声が周囲に響いた。いつの間に現れたのか、凍獣の傍らで、機械達と戦っていた長い牙を備えた猫科の巨獣が雄叫びを上げた。その巨獣は歌姫の生存を知り、喜んでいたのである。

 

 歌声が戻ったことで、獣達が奮い立ち、機械達を押し始めた。もはや、生き残った機械の同胞も僅かである。スルトは全滅を覚悟した。

 

 影が地上を覆っていった。獣達の間に動揺が奔る。スルトが上空を見ると、友軍の船が無数に空を覆っていた。

 

「おお。同胞達が極光の障壁を越えてここまで来た」

 

 氷の魔女が若干戸惑った様子を見せたが、すぐに上空に向かって冷気を放った。それと共に、歌姫の歌声が天へと昇っていった。

 

 船が次々と凍りつきながら、大きく揺らぐ。その波動に逆らい、地上へと突き進んでくる二人の騎士がいた。鉄騎皇イグドラシルと、鎧神機ヴァルハランスであった。後方で獣達と戦いながら陽動に徹していた二人が、上空の船と合流し、ここまで攻め込んで来たのである。それに伴って、無数の機人や動器達が降下して来た。

 

 二人の騎士がヘルに向かって突き進んで行く。それを止めるべく、凍獣と、傍らのもう一体の巨獣が、騎士に向かって突っ込んで行った。

 

 魔女はすぐに劣勢を悟ったのであろう。井戸の中から、複数の氷の姫達と一体の獣を触れることもなく引き上げ、塔へ向かって飛び去った。その中には、歌い続けるソールの姿もあった。

 

 今度は機械達が勢いを取り戻し、獣達を追い込み始めた。ソールが生きていたことで、機械達も当初の目的を思い出し、自然と士気も高まっていた。

 

 二人の騎士が二体の巨獣と斬り合う。スルトはその隙に、残っていた部下二名と新たに加わった援軍を従えて、門に向かって攻め込んだ。ガウトとヒルドの部隊が、獣達を追い込みながら、スルト達が進む道を切り開いていった。

 

 門の前に、武装した二人の姫が駆け寄った。姫達は門の左右に陣取り、何やら呪文を唱え出した。

 

 構わず攻め込んでいたスルト達が吹き飛ばされた。スルトはすぐに起き上り、門と二人の姫を睨みつけた。

 

「おのれ、結界か……。小賢しい真似を」

 

 さらに塔の内部から響いてくる歌声。姫君達から送られてきた魔力を受け、獣達が再び力を取り戻し、機械達に応戦する。

 

 凍獣が凄まじい力を発揮し、イグドラシルの左腕を圧し折った。たじろぐイグドラシルを、ヴァルハランスが支える。その傍に、ガウトと共に戦っていた神機グングニルの内の一体が舞い降り、その姿を一つの槍へと変形させた。ヴァルハランスは頷くと、その槍を手にして、歌姫の加護を受けた目前の巨獣達に立ち向かった。

 

 援軍の到着で、機械達の多くは勝利が目前に迫ったと思ったが、ここにきて、氷の姫や獣達の連携と底力によって思わぬ苦戦を強いられていたのである。

 

 

 

 ヴァルグリンドが戦場から離れたところにある、凍りつき、鋼と化した森林の中に佇んでいた。その周囲には、傀儡と化した無数の漆黒の狼達が屯しており、ヴァルグリンドの命令を待っていた。

 

「あと少しでソールを討ち取れたものを……。前線から離れていたドロイデン達を傀儡とするのは訳無かったが、やはりあの鉄くずどもでは役不足だったな」

 

 ヴァルグリンドは、傍らで頭を垂れているデュラクダールを見下ろした。

 

「既に準備は整っているな」

 

「はい。出陣の用意は整えてございます」

 

「マグニが塔を発見した時点で、既に、塔の側に虚空を創り出すことは可能となった。これ以上スルトどもに任せていては、ソールを取り逃す恐れもある。ヘル達が何やら不穏な動きをしている様子だしな。それにウル・ディーネどもまで塔に向かっている。デュラクダールよ。お前は手勢を率いて、塔をいつでも攻め落とせるよう、待機していろ」

 

「御意」

 

 デュラクダールはそう言うと、空間の歪みにその身を委ね、この世界から姿を消した。

 

「後はアルブスだな。ル・シエルを動かしてもらうか。それからプラチナム」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは冷たい笑みを浮かべた。

 

 

 

 六花の司書長サーガによる指揮の下、塔の姫君達が総力をあげて結界を創り出し、それを門の前のリンとグナが増幅させる。そして、結界に護られた塔の内部からは、外世界に向けて歌声が響いていた。

 

 ソールの歌声を傍らのフレイとフリッグが増幅させ、獣達に活力を与えていた。ベル・ダンディアもこれに協力していた。

 

 ソールが生きていた。それにフレイ、フリッグ、親友のマーニも。それに、ヘルが協力してくれたことで、ベル・ダンディアは失いかけていた希望を取り戻した。

 

 本来、ウル・ディーネとスクルディアが持つ、二つの異なる力を紡ぐことがベル・ダンディアの役目であり、ベル・ダンディア自身の持つ力はその二人や、ソールの側近達には及ばないものであった。それでも、ベル・ダンディアは前線で戦うスミドロード達のことを想い、自分の持てる力が、少しでも彼らの助けになることを願った。

 

 マン・モールとスミドロードが、槍を持った侵略の騎士と鍔迫り合いを繰り広げていた。その侵略者は、マン・モールとスミドロードの二体を相手に、互角以上の戦闘能力を発揮していたが、歌姫の加護が強まると共に、徐々に押されていった。

 

 マン・モールに左腕を圧し折られたもう一人の騎士は一端退いたが、後方からの援軍が運んできた新しい腕を装着し、すぐに舞い戻って来た。その右手には、新たに巨大な剣が握られていた。

 

 塔の周囲に続々と侵略者の軍勢が集まってくる。結界を破ろうと、門の前には強靭な体を備えた巨人や騎士達が攻め寄せてきた。

 

 このままいつまでも持ち堪えられる訳ではない。ベル・ダンディアはウル・ディーネとスクルディアの到着を願っていた。

 

 

 

 塔の一室。何らかの儀式を行う為の祭壇の足元に、ヘルが立っていた。

 

「ヴァールや。おいで」

 

 ヘルが手招きをすると、部屋の隅で陰の様に立っていたヴァールが、黙ってヘルに近づいた。

 

「ヴァール、そなたは、フェンリルのもとへ向かって頂戴。そなたならフェンリルの封印を解くこともできる筈」

 

 ヴァールが不満そうな面持ちで、ヘルを見返した。

 

「ヘル様……。今ならソールの声を魂ごと奪って、ヘル様が新しい歌姫となることも容易いことでしょう。そうすれば、塔の連中も、この世界の民も、あなたには逆らえなくなるというのに」

 

「ヴァール……」

 

 ヘルが哀れむ様な顔で、ヴァールを見つめた。ヘルは、硝子の様な自分の手をヴァールの頭にそっと乗せると、優しく撫でた。

 

「あたしもねえ、昔だったらそんな野心を持てたが、すっかり老いてしまったの。心も体もね」

 

「そんな……。ヘル様は昔と変わっておりません。むしろ老いたのはソールでございましょう。ヘル様と同じ硝子の体を与えられたというのに、あの女はすっかり老い、昔ほどの力もありません」

 

「老いたのさ。色々あったからね」

 

 ヘルの手が、少女の頬を愛撫する。ヴァールにとって、こうしてヘルに撫でられる時が、至福の時間であった。今はヘルに対する不満が、それを歪めてはいたが。

 

「あたしの可愛い子。そなたは昔と変わらず可憐で愛らしい。本当はね、あたしでもスノトラでもない、そなたにこの世界を譲りたかったのさ」

 

「そんな、勿体ないお言葉でございます……」

 

 ヴァールは内心困惑していた。この眼の前にいる活気のない老婆の如き様子のヘルが、本当にあの野心に燃え、己の欲望を顕わにし、自らを唯我独尊の如く振る舞っていたヘルと同一人物なのだろうか。しかし、ヴァールに対してのみ表すこの温もりは、紛れもないヘルのもの。

 

 ヘルがヴァールから手を離し、改まった様子で、語る。

 

「それにね、今だからこそ言うけど、ソールどころか、侵略者とも争っている場合じゃ無くなってきているのさ」

 

 ヴァールが怪訝な顔でヘルの顔を見た。

 

「妾の同胞、ミッドガルズも知っているが、間もなくこの世界を【虚無】と呼ばれる者達が襲いに来る。もう、今すぐ出現してもおかしくないところまで来ているのさ。現にその尖兵が姿を現している。皆が力を合わせて、この共通の敵を迎え撃たねば、生き残る術はない」

 

 それまでとは一変した、厳しく真剣な面持ちのヘルを目の当たりにして、ヴァールは若干怯えの色を表した。ヘルは安心させる様にヴァールの白い頬を撫でた。

 

「ヴァール。妾はそなたに生きていてもらいたい。この世界の中で。だからこそ、妾はソールに協力するのさ」

 

 ヴァールはヘルを見つめ、強い口調で言った。

 

「仰せの通り、フェンリルの封印を解きに参りましょう、ヘル様。しかし、私は今でもこの世界がヘル様の手で支配される時を夢見ているのです。そのことをお忘れなきよう」

 

 ヴァールが祭壇を登っていった。ヘルは黙って、ヴァールの後から祭壇の上へと進んでいく。ヴァールを中央に立たせ、術の行使を始めた。

 

「ヴァール。今から、そなたをこの戦場から遠く離れた地へと転移させる。フェンリルの封印されている場所は覚えているね」

 

「はい、ヘル様」

 

「そなたも長い間スノトラの下で暮らして、肩身の狭い思いをしていたのであろう。そなたをまた遠くにやること、許しておくれ」

 

 空間を、白く長いリボンの様な物体がさ迷った。この術は、主に外敵を彼方へと飛ばす為のものであったが、ヘルはそれを制御して、対象を任意の場所へと転移させる為にも用いていた。

 

 その物体がヴァールの細い体を包み込むと、その場に次元の歪みが生じた。やがて、ヴァールの体が周囲の空間ごと明滅し、掻き消えた。

 

 一人残されたヘルは、祭壇に置いてあった術具を片付け、ゆっくりと下りていった。

 

「この戦い、乗り越えられないかもしれぬ。ヴァール、そなただけでも生き延びて欲しいの……」

 

 ヘルはそう呟くと、部屋を出た。

 

 

 

 結界に亀裂が奔った。大剣を持ったイグドラシルが門の前に立ちはだかり、斬りつけたのである。リンとグナが必死になってこれを食い止めようとしたが、雪崩れ込むようにして押し寄せてきた無数の動器や騎士達が妨害し、亀裂をふさぐ隙も無かった。

 

 遠くの方で、塔の防衛の要であるマン・モールが倒れた。劣勢に回っていたヴァルハランスであったが、無数の機械達の援護を受け、マン・モールを打ち倒したのである。

 

 虫の息になっているマン・モールを救う為、スミドロードを始めとする獣達が、倒れたマン・モールに群がる機械達に捨て身で襲いかかった。ヴァルハランスにも、死に物狂いの獣達が次々と襲いかかる。先の戦闘で多くの損傷を被ったヴァルハランスは、この獣達を追い払おうと、懸命になって槍を振りまわした。

 

 結界の裂け目から、凄まじい衝撃波が起こり、イグドラシルは吹き飛ばされた。その後から真紅の剣を持ったスルトが、ただ一人生き残っていた部下の巨人と、無数の動器達を従え、イグドラシルがつくった裂け目へ向かって突き進んだ。

 

 ヘルが後方から魔力の波動を送り、スルト達を吹き飛ばそうとしたが、スルトの持つ真紅の剣がこの波動を防いだ。ヘルは知らなかったが、スルトの持つ剣、レーヴァテインはヘルの底知れぬ魔力と同様に、彼がロキから与えられた物であった。

 

 スルトのレーヴァテインが結界に生じた裂け目を切り開いていった。リンとグナは目前の恐怖を堪え、侵略者を討つべく、獲物を構えた。

 

 その時であった。

 

 上空に次元の歪みが出現した。次元の歪みは急激に拡大し、近くにあった機械の船を次々と呑み込んでいった。その虚空の中より出現する白き影。あの鯨や鋼翼魚達と戦った虚龍であった。

 

 それと共に、あの漆黒の狼達が地上に出現した。狼達は、その強靭な肉体で、獣達と機械達を無差別に襲い始めたのである。地上を獣と機械の悲鳴や怒号が入り混じり、瞬く間に、獣と機械が混在した屍の山が築かれていった。

 

 虚龍の口から閃光が放たれ、世界そのものを穿つ如く、地面に突き刺さった。直撃を受けた獣と機械は一人残らず消滅した。宙を飛ぶ動器の群れが、虚龍を食い止めようと殺到していったが、虚龍の翼で吹き飛ばされ、何とか掻い潜って懐に飛び込んだ者達は、虚龍の背に乗っていた機人が放った熱線によって消え去った。

 

 地面に突き刺さったままになっている閃光が、大地を滑る様にして塔へと直進していった。途中にいた動器の群れが次々と消滅していく。

 

 リンとグナの悲鳴を聞き、虚龍の出現に我を失ったまま、上空で静止していたニヴルヘイムが我に返り、門の前へと急降下していった。

 

 閃光が門を直撃する。

 

 門は跡形も無く消滅し、スルトも部下と共にその閃光を受け、頭部を残して消滅した。

 

 リンとグナは間一髪のところでニヴルヘイムに助け出されたが、塔のそばで放り出された後、ニヴルヘイムの姿を見た二人は茫然となった。ニヴルヘイムは虚龍の閃光を受け、翼を備えた胴体の一部と頭部しか残っていなかったのである。ニヴルヘイムは地面にうつ伏したそのままの姿勢で、息絶えた。

 

 門の消滅とともに、残っていた結界も消えた。虚龍は塔へと接近していった。

 

 虚龍の背後より、聖堂をその身で支えた光輝く竜が現れた。輝竜殿ブレイザブリクである。

 

 ブレイザブリクは咆哮し、虚龍に向かって光の弾丸を放った。虚龍を背後から貫く筈の弾丸であったが、それらはすべて虚龍の背後に突然出現した虚空に呑まれ、消えていった。

 

 ブレイザブリクに乗っていた獣達は、未だ事態を呑み込めず、混乱していた。ただ一人、ウル・ディーネは冷静に眼の前の虚龍を見つめていた。

 

「あれは【虚無】……。とうとうこの時がきてしまったのですね」

 

 絶望の未来に怯え、スクルディアがハティにしがみ付いたまま震えていた。スクルディアを落ち着かせようとなだめていたハティであったが、聖堂の吹貫きより覗ける虚龍の方を見て、思わず叫んでいた。その声は、ブレイザブリクが再び放った光の弾丸の轟音によって掻き消えた。

 

 光の弾丸は先ほどと同じく、虚空に呑まれていった。虚龍の背に乗って虚空を創り出している、熱線を放った者とは別の人物。ハティはその姿に見覚えがあったのである。

 

「ハクさん」

 

 再び叫んだハティの声が届いたのであろうか、虚龍の上にいたその人物がハティの方を見やり、二人の眼が合った。その人物は、哀しい感情の籠った眼をしていた。

 

 

 

 

 塔の中にいた一人の道化が窓から外の光景を覗き、釘付けになっていた。

 

「ル・シエル様……。どうして……」

 

 その道化――クウはもう二度と会えないと思っていたル・シエルが、何故眼の前に出現し、この世界の同胞達を滅ぼそうとしているのか理解できなかった。

 

 道化は、塔の中の螺旋階段を駆け下りていった。こんなこと、止めさせなければならない。ル・シエル様が、この世界を滅ぼすなんて嫌だ。

 

 

 

「姉さん、それにスクルディア。すぐ側にあなた達を感じます。来てくれたのですね」

 

 ベル・ダンディアが呟いた。それに応え、ウル・ディーネの意思が伝わってきた。

 

「ええ。分かっています。では姉さん、スクルディア、共に力を合わせましょう」

 

 ソールの側にいたベル・ダンディアが両手を広げた。手から光の波が伝わり、あらゆる物体と空間を通り抜け、ブレイザブリクの上にいるウル・ディーネとスクルディアのもとにまで届いた。

 

 光の帯に挟まれ、虚龍が動きを止める。その背に乗っていたアルブスが、憎らしげにその波打つ光の帯を見やった。

 

 故有ってベル・ダンディアのもとを離れて暮らしていた、ウル・ディーネとスクルディア。その三姉妹が、今この地に集った。自分達に課せられた使命を果たす為に。




関連カード

●銃騎士ヘビーバレル
武装。
フレーバーテキストでは歌姫の塔の最上部を狙い、弾丸で貫いている。

●鎧装獣グリン・ブルスティ
甲獣・巨獣。
鋼の角を持つ鎧装獣。
グリンブルスティとは北欧神話に登場するフレイの乗り物でもある猪の名前。

●氷の魔女ヘル
氷姫。
塔の古井戸より現れ、歌姫の窮地を救った。
背景世界では多くの役割を持っており、フレーバーテキストにおいても「氷の魔女」という単語が散見される。
初期の白の世界におけるキーパーソンと言える。

●白銀の守護者リン
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節。
「絶望の響きを聴いてしまった」とあり、歌姫は守護者の腕の中へ崩れ落ちた。

本章では自ら塔の外へ打って出て戦う氷姫として登場。

●風花の戦乙女グナ
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節であり、白銀の守護者リンの続きと思われる。
歌が消えた状況でもあきらめない者達を前にして、ロロが何かを決意をする場面。

●六花の司書長サーガ
氷姫。
フレーバーテキストでは「知恵の泉」と称され、侵略者が敵から味方に変わっている様子がうかがえる。



●ドリームリボン
マジック。

本章ではヘルがヴァールを遠方に送る為に使用。
本来は外敵に対して使う呪文でもあった。


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第二十章 獣機

 機人の項

 

 

 侵略者の使いし対消滅。

 己と敵とを巻き込みし渦。

 渦が生み出しは禍々しき力。

 

 

 強烈な熱量の爆発とともに、大地が焼けた。その場に存在していたあらゆる物体が蒸発する。それは機械と獣の両軍勢を巻き込んだ。

 

 同胞すらも焼き払った、天に浮かぶブリシンガメンの首飾りは、己の創り出した惨劇を、無感動に見下ろしていた。

 

 一見何も残っていない大地。だが、その中をただ一人でさ迷う、セイウチの様な姿をした獣がいた。その獣は、何が起こったのかも分からず、自失したままゆらゆらと歩いていたが、突然、思い出したように、先ほどまで一緒にいた同胞の名を叫んだ。

 

「マルコぉぉ。マルコぉぉ。」

 

 彼の同胞、封印獣マルコは彼と共に侵略者と戦い続けてきた。仲間の獣達が援軍に来たことで、長く続いた侵略者への抵抗が報われると思った矢先、この惨劇が起こったのである。

 

 マルコは勇敢だった。それは長年の親友である彼がよく知っている。マルコは古参の戦士であり、仲間想いで、同胞を守る為に命を賭して戦ってきた。そのマルコが守ってきた同志、共に戦ってきた戦士達が、一瞬にして消えた。侵略者達も同時に消えたが、何の慰めにもならなかった。守ってきた者達が、皆居なくなってしまったのだから。

 

 侵略者の生み出した新兵器によってただ一人生き残った彼の名はセイ。彼は、熱量の渦の中心で、無数に存在していた獣や機械と融合し、新たな体を得ていた。彼の体にはマルコの体も取り込まれていたのであるが、彼は知らなかった。

 

 これが、【虚無】と対峙した際、獣と侵略者、双方にとって希望の担い手となる存在、獣機セイ・ドリルの誕生であった。

 

 

 

「よしと。これで完成」

 

 ミストは出来上がった装置を腕に装着した。リストバンドの様な形状の装置であった。

 

「ほらほら。何か言ってみてよ」

 

 ミストはにこにことほほ笑みながら、ウリボーグの顔を覗きこんだ。ウリボーグは、きょとんとした顔でミストを見上げただけであった。

 

「ねえねえ。私の言っていること分かるかな」

 

 ウリボーグは怪訝そうにミストと視線を合わせたまま、じっとして動かない。これではいつもと同じ調子である。

 

「本当に分からないの。あなたの本当のお名前とか、知りたいこともいっぱいあったのに」

 

 ミストは諦めて、魚の様な下半身を針金細工の様な草むらに下ろした。肌に感じる風は冷たく心地よかったが、傍らのウリボーグにとってはどんなものなのだろうか。この獣にとって本来異質であろうこの風は、不快なのかもしれない。そのことも知りたかったが、ウリボーグの表情を見ているだけではさっぱり分からない。

 

 ミストが造り出した装置は、言葉の通じない相手との意思の疎通を図る為の物、自動翻訳機の様な物であった。これは以前に出会った、自分の脳裏に直接語りかけてきた妖精達にヒントを得て、独力で開発を続けていた物である。

 

 材料や設備は、討ち捨てられた機械達の前線基地や、残骸などを利用した。本当はこんなものを無闇に残しては、敵に利用される可能性も危惧するべきであるが、相手は無学な獣達であると高をくくっている節もある。最近はこの様な物が目立っているが、同胞達との接触を断っているミストには、最近の動向は見当もつかなかった。

 

 無言で氷像の様にミストの背後に立っていたガグンラーズが、身動きをした。その理由は、ミストには既に分かっていた。何者かの気配がすぐ近くでしたのである。

 

「ミスト。何かいる」

 

「そうだね。でも、小さな獣でしょ。そっとしておこうよ」

 

 それでも、ガグンラーズは用心深く、周囲の様子を探っていた。ガグンラーズが柔軟な構造になっている体を大きく伸ばし、気配を丹念に感じ取った。

 

「二人、いる。話している。俺達の方を探りながら」

 

 二人が話し合っている、と聞いたミストははっとなった。前にもこんな事があったのである。急に興味を覚えたミストは、気配のする方へそっと近づいた。気づかれたことが分かったのであろう、その何物かは、急に気配を隠して身を潜めようとした。

 

「やっぱり。あなた達だったのね」

 

「わっ」

 

「わっ」

 

 

 草むらに隠れていた二人の妖精は、ミストに覗き込まれてぎょっとなった。二人は慌てて飛び上がり、逃げ去った。

 

「待って、何もしないから。ただ、あなた達に聞きたいことがあるの」

 

 妖精達はミストの言葉には耳を貸さず、針金の様な草むらを越えて、白金の様な森林の中へと逃げ込んだ。

 

「ミスト。追って捕まえるか」

 

 ガグンラーズがそう言うと、今にも走り出しそうな姿勢となった。ミストは、ガグンラーズに任せようかと一瞬思ったが、ガグンラーズの物騒な出で立ちを見て、すぐに思い直した。

 

「んーん。私が後をつけるよ。ガグンラーズは後ろからついてきて、ウリボーグと一緒にね」

 

「わかった」

 

 ミストは逃げて行った二人を追い、ガグンラーズとウリボーグが後からついて行った。別にあの子達のことを恨んではいない。ただ、教えて欲しかった。自分に語ったことは本当なのか、嘘だったのか。オーディーンの身に何が起こったのか。

 

 

 

 森林を越えた先にあるのは月に照らされた静かな荒野。その境界線にある大岩に腰をかけ、月を見上げている一人の道化がいた。白磁の様な肌の豊満な体を僅かな白い衣装で覆い、道化の帽子を被った若い女性の姿。

 

 その露わになった背中からは白く小さい、天使の様な羽が生えている。月の光を受けて、金色の髪が艶やかな光沢を帯びていた。

 

「ディース様ぁぁ」

 

 二人の妖精が、静寂を破って、その道化の方へ飛び込んできた。

 

「あら。どうしたの、フギン、ムニン」

 

 ディースは動じることなく、双子の妖精、フギンとムニンに声をかけた。

 

「あのね、私達追われているんです」

 

「匿ってください、お願いします」

 

 何時になく、切羽詰まった様子のフギンとムニン。ディースは落ち着き払った態度で静かに立ち上がると、二人の妖精を招いて、硬質化した林の前にある粗末な造りの古い小屋に向かった。

 

「この中に隠れていなさい。後は私が何とかするから」

 

 フギンとムニンは口早に礼を言うと、急いで小屋の中に身を潜めた。

 

 程なくして、森林の中を掻き分けながら、一人の機人が姿を現した。それに続いて、一体の小さな青い猪と、獣の様な形状をした機械人形が出てきた。

 

「あ……」

 

 ミストは、岩の側にいるディースと眼が合った。月の光を身体に受け、白く滑らかな肌が薄らと輝いている。初めて会った筈なのに、ミストは何とも言えない懐かしい気持ちになった。ただ、こうして彼女を見ているだけで、心の底からほっとするような、不思議な感覚。

 

「何かご用かしら」

 

 ぼんやりとディースを眺めていたミストは、その言葉ではっとした。ウリボーグとガグンラーズが、頻りにミストと道化の様子を窺っている。

 

「あ……あのー、私達は人を探しているのです。これくらいの小さな、二人の女の子なんですけど……」

 

「ふふっ。フギンとムニンね」

 

 ディースはそう言うと、柔らかくほほ笑んだ。

 

「知っているんですか。できたら、居場所を教えて欲しいんですけど……」

 

「すぐには教えられないわね。あなたは、フギンとムニンに会ってどうしたいの」

 

 その言葉に、ミストは戸惑った。考えてみれば、眼の前の女性もこの世界の住人。彼女にとっては、自分とガグンラーズは侵略者なのだ。

 

「その……、あの子達に教えてもらいたいことがあるのです。私達はあの子達を傷つけたりなんてしません。信じてください」

 

 そうは言ったものの、ミストは自分を信用してもらえるとは思っていなかった。ただ、この眼の前の女性の優しく清らかな瞳に、縋りたいという思いはあった。

 

「良い眼をしているわね……あなた」

 

 ディースがミストの顔を覗き込みながら言った。ミストは少し恥ずかしかった。

 

「フギンとムニンは、二人とも臆病だから、落ち着いて話せるかしら」

 

「でも、私、以前にあの子達とお話ししたこともあるんです。突然、別れることになってしまって……。ただ、あの子達に確かめたいことがあるの」

 

「オーディーンのことかしら。それとも、二人があなたの為でもあるとか言ったとか」

 

「え。どうしてそれを」

 

 ミストが驚いてそう尋ねたが、ディースは答えるそぶりを見せず、そっとミストを小屋の方へと招いた。

 

「来なさい、二人に会わせてあげるから」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ミストは素直にディースの後について行った。ウリボーグとガグンラーズも黙って後ろに続く。小屋の窓からその様子を観察していたフギンとムニンは驚いて、二人で何事かを話し合った。

 

 その時、何かが暴発する様な轟音が響いた。びっくりしたフギンとムニンが慌てて二人で窓を開け放し、静止するディースの声も聞かずに外に飛び出し、何処かへ隠れた。

 

 ミストとディースが一緒になって轟音を轟かせている者を見た。その獣は、鋼の装甲と一体化しており、轟音は回転する牙の如きドリルによるものであった。

 

「覚悟しろ、侵略者」

 

 獣の機械化ではなく、機械と融合した獣。ミストがかつて見た、機械を取り込んだ獅子や竜戦車とはまた違う、禍々しいオーラを放つ異質な存在であった。

 

「セイ、お止めなさい。戦っては駄目」

 

 ディースが叫んだが、セイは聞く耳を持たず、胸元の装甲からさらなる二本のドリルを突出させ、ミストの方に迫って行った。それを見てとったガグンラーズが雄叫びをあげ、体を変形させると、セイの前に立ちはだかった。

 

「セイ、止めて」

 

「道化は黙っていろ」

 

 セイはそう言うと、目前のガグンラーズの装甲目掛けてドリルを突き当てようとした。ガグンラーズは瞬時に装甲を変化させてこの一撃を受け止めると、変形させた刃でセイの装甲を切り裂いた。セイは反射的に後ろへ飛んだが、傷は深く、歴然とした力の差を味わった。

 

「ち。やはり力では敵わぬか。だがな、力だけで、我々の魂をも屈服させることができると思ったら大間違いだ。こい、例え我が身朽ち果てようと、貴様の命も道連れにしてくれる」

 

 なおも戦おうとするセイ。ガグンラーズは構わずに刃を振りかざし、セイに斬りかかろうとした。

 

 ガグンラーズが突如その動きを止めた。眼の前にミストが飛び出したのである。刃はミストの頭部に当たる、すんでのところで静止していた。

 

「ガグンラーズ、戦わないで」

 

 ガグンラーズは黙って刃を収めた。ただ、いつでも目前の獣に飛びかかれる様に、警戒を解くことはなかった。

 

「私達に戦う意思はありません。どうかあなたも、武器を収めて」

 

 ミストがセイの眼の前で頭を垂れ、身を落とした。あまりにも無防備な姿。

 

 機械と完全に融合したセイは、意識せずとも機械の言葉と意思を読み取ることができた。セイはガグンラーズに対して警戒しながらも、ミストの様子を見ているうちに戦意を削がれていった。

 

「俺は、多くの同胞達の命を奪った貴様ら侵略者が憎い。今すぐにでも、貴様を、この貴様らによってもたらされた武器で以て貫いてやりたい」

 

 ドリルを回転させるセイ。ガグンラーズが再び戦闘体形になろうとしたが、ミストが押しとどめた。

 

「あなたの気が少しでも治まるのなら……。そうしても構いません。ただ、ガグンラーズ達には手を出さないで」

 

 セイはガグンラーズを睨んだ後、心配そうにミストに身を寄せるウリボーグを見やった。この小さな獣は我らの同胞。その同胞が、眼の前の無防備な侵略者を気遣っているのか。

 

 セイは武器を収めた。

 

「俺は貴様らが憎い。だが、それ以前に誇り高い戦士だ。抵抗しないものを手にかけたりはしない。貴様らとは違うのだからな」

 

 セイは背中を向け、足早にその場を去った。緊張の解けたミストは手を地面につけ、その場に魚の様な下半身を横たえた。ウリボーグが心配そうにすり寄ってきた。

 

「彼……セイは、侵略者のもたらした兵器で仲間を一度に失ったのです」

 

 ディースが既に遠くの方にいる、セイの後姿を見やってそう言った。

 

 ミストは何と言ったらよいのか分からず、暗く沈んだ面持ちで、俯いていた。

 

「フギンとムニンがしたことで、あなたも多くの仲間を失ったのでしょう」

 

 ディースがあらゆることを見通しているのが不思議でならなかったが、ミストは何も言わずに頷いた。

 

「あの子達も、悪気はなかったの。ただ、全世界の脅威に立ち向かおうとしていた」

 

「全世界の脅威……。それは私達のことですか」

 

「いいえ。確かに侵略者の出現でこの世界は大きく変わってしまった。この世界の住人が望んでいなかった異質な世界へとね。でも、それは前哨戦に過ぎないの。これから現れる……いえ、もう現れ始めている脅威は、この世界の住人とあなた達、その双方にとって共通の敵となる存在」

 

 そこまで聞いていたミストは、思わず呟いた。

 

「それは……【虚無】……」

 

 あの虹の輝きを持つ竜の言っていたことである。ミストは改めてその言葉を頭の中で反芻していた。

 

「そうよ。そして、この世界と隣り合う複数の世界にも【虚無】は出現している。オーディーンの力は、別の世界でどうしても必要とされたの。隣り合う世界の何れかが【虚無】に落ちたら、この世界もただではすまない」

 

「それで、あの子達は、オーディーンを連れ去った……」

 

 ミストはこれまでに起こった一連の出来事の何れもが、正体の分からない【虚無】に関わっていることを知った。

 

「だとしたら……。私達もぐずぐずしてはいられない。そうでないと、あの、虹の竜に会わせる顔がないわ……」

 

「虹の竜……。そう、虹竜アウローリアに会ったのね」

 

 そう言うディースは遠い眼をしていた。

 

 

 

 ミスト達はディースと別れ、新たな旅路に出た。いく当てはなかったが、虹竜アウローリアの前で誓ったことは忘れない。自分達は、自分達に出来ることを探さなければ。

 

「あ、そう言えばあの人のお名前聞いていなかったな」

 

 そう言うとミストは何気なく、身につけている試作の装置を見やった。

 

「これ、結局どうなっているのかな……」

 ミストはそれを取り外そうとした。すると、ぶうんと羽音の様な奇妙な音が響き、装置に微かな明かりが漏れた。

 

「あれ、作動したのかな。」

 

 ミストがそう言うと、傍らのウリボーグが、訝しげにミストを見上げた。ミストはウリボーグの方を見た。

 

「あなた、私の言っていること、分かるかな」

 

 ウリボーグは黙ったまま小さく頷いた。ミストは感激し、喜びの声を漏らしていた。

 

「わあ。じゃ、じゃ、まずは、あなたのお名前、聞かせて聞かせて」

 

 ウリボーグは俯いたまま、ぶっきらぼうに「ウリボーグでいいよ」と呟いた。

 

 ウリボーグ、ミストが彼を最初に見た時、真っ先に思いついた名前。ミストはもっと尋ねたかったが、ウリボーグは黙ってばかりであった。元々無口だったらしい。ウリボーグで本当にいいのかと念をおしたが、ウリボーグは頷くだけであった。

 

 ここにきて、ミストは装置を使わなくても、あの道化や、機械と融合した獣と話が通じていたことに驚いた。あの獣もそうだが、あの白い道化のことが急に気になりだした。

 

 今から戻ってちょっと尋ねようかと思ったが、すぐ近くの物音で、その考えは中断された。

 

「あら。あなたたちは」

 

 ミストが白い草むらを覗きこむと、そこにはあの双子の妖精――フギンとムニンがいた。

 

「わっ」

 

「わっ」

 

 慌てて飛び去ろうとした二人であったが、すぐに思い直し、舞い戻ってきた。

 

「あなた達、どうかしたの」

 

 ミストが気遣わしげに尋ねると、フギンとムニンは申し訳なさそうに、頭を下げた。

 

「あの……私達」

 

「ディース様にあなたの案内をする様に言われて」

 

 ミストは眼を丸くし、二人を交互に見た。

 

「ディース。それがあの人の名……。」

 

 ミストは翻ると、引き返そうとした。フギンとムニンが慌ててミストを引き留める。

 

「待って、今ディース様は忙しいの」

 

「後にして。後にして」

 

「そうなの……。でも、あなた達なら色々知っていそうね」

 

「わわ、知らない知らないの」

 

「そんなことより、私達についてきて」

 

 フギンとムニンが慌ただしく舞い上がり、前の方へと飛んでいった。ミストは諦めると、二人の後を追った。その後ろから、ウリボーグとガグンラーズが足早について行った。

 

 

 

 遥か高空に浮かぶ無数の鉄の塊。侵略者達が開発した破壊兵器。連なる様が首飾りの様であったことから、それはブリシンガメンの首飾りと呼ばれていた。危険過ぎる為に、開発途中で討ち捨てられてしまった筈であるが……。

 

 その機械の至る所に、緑色の粘土状の物体が無数に張り付いていた。不定形な軟体動物の如く蠢いている。

 

 機械の一つに腰を掛ける一人の機人らしき人物がいた。金の装飾の入った黒金の如き装甲。その人物は周囲の粘土状の物体を見やり、皮肉の笑みを浮かべた。

 

「ほっほっほ。哀れよのう、碌に実体化すらできない我が同胞達は。だが、案ずることはない。お前達にも与えられる使命は山の様にあるぞい」

 

 それから、その人物は自分が腰を下ろしている巨大な機械を、手にしている杖の様な物体でこつこつと叩いた。

 

「この世界の機械など当てにならんと、我が主は仰っていたがのう。いや、なかなかどうして、大したものを拵えてくれたものじゃ」

 

 遥か下の大地を一瞬にして焼き払った凄まじい威力。これを利用しない手はない。

 

「中途半端なところで捨てられていたようじゃが、この知将ゲンドリルの手に掛かれば、ざっとこんなものよ。まあ、この世界の鉄くず共には過ぎた玩具じゃて」

 

 ゲンドリルの双眼が遥か下の地上を見通す。地上の至る所で繰り広げられている戦いが手に取る様に分かった。

 

「我が主も、もっと早く儂を呼んでおればよいものを」

 

 ゲンドリルが奇妙な波動を出すと、周囲に粘土の様な姿をした生き物達が続々と出現していき、高空の機械を埋め尽くしていった。

 

「さあ、来るがよい、我が同胞達よ。我らの神が待っておるぞ」

 

 異界の軍勢に乗っ取られたブリシンガメンの首飾り。ここで戦闘が繰り広げられるのも、そう遠くない未来の話である。




関連カード

●獣機セイ・ドリル
機獣。
冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
【転召】の対象になると発揮される効果を持ち、獣機合神セイ・ドリガンとの関連性が示唆されている。

●封印獣マルコ
甲獣。
フレーバーテキストでは、最後まで侵略者へ抵抗する様子が書かれている。
「その意思は受け継がれる」とある。
後に系統:起幻を持つスピリットとしてリバイバルされた。

●甲精ディース
白の道化。
その歌声は光を呼び、その光が活力を生む。
その役割は白の世界の歌姫、妖機妃ソールに似ている。

●知将ゲンドリル
白の機人・神将。
虚無の軍勢の一員。
氷壁を生み出して「巨船の火線」を消している。
無限なる軌道母艦、もしくは他の艦の攻撃を防いでいる場面と思われる。
カードにおいても【氷壁】を持ち、【氷壁】を持つスピリットに【装甲】を与える効果も持ち合わせている。
ゲンドリルとは北欧神話におけるオーディーンの呼び名の一つでもあり、「魔法の心得あるもの」という意味がある。
イラストにおいても持っている杖から魔法陣らしきものが浮かんでおり、魔術師の類であるかもしれない。



●ブリシンガメンの首飾り
名所千選661。
侵略者達が高空に用意した最終兵器。
歌姫の声を全世界に届けるのに利用される。
イラストでは直接地上を撃っている様子が描かれている。


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第二十一章 虚神の影

 三姉妹の項

 

 

 空帝竜騎プラチナムが虚龍に迫るあらゆる物理的攻撃を遮断し、白亜の竜使いアルブスが虚龍の内に眠る底知れぬ能力を引き出す。そして、三位一体の力を虚龍、空帝ル・シエルが集約し、圧倒的な破壊と滅びの力で以て制圧する。

 

 これが龍帝と竜騎の力である。もっとも、プラチナムとアルブスの不和、ル・シエルが既に心を失った神の傀儡であることもあり、本調子には程遠いのであるが。

 

 虚龍の息吹は、圧倒的な威力で獣と侵略者の双方を蹂躙した。幸いにもイグドラシルや氷の姫君たちが新たに創り出した防壁が多少なりとも通用し、全滅は免れた。それでも、そうなることを見越していたかの様に、暴走する漆黒の狼の群れが獣と侵略者を無差別に襲い、防壁が乱された。

 

 皆の希望となっているのは諦めずに声を送る歌姫、そして叡智秘めし三姉妹であった。

 

 三姉妹の紡ぎ出した光の帯は虚龍の動きを妨害し、帯から地上へと滴り落ちる無数の光の雫が、生きとし生ける者たちに命の輝きを与えた。生き残った獣だけではなく、その場に居合わせた機械もまた、この雫をその身に受け、失いかけていたコアの活力を取り戻した。

 

 滅びの未来を奪い、生命を育む。三姉妹の真なる力である。

 

 虚龍の出現と、再び現れた漆黒の狼の群れによって、獣と機械はお互いに争っている場合ではなくなっていた。一瞬でも気を逸らせば、狼に喉笛を噛み切られ、上空より迸る滅びの閃光で消滅させられる。動器たちは塔への進軍を諦め、上空の虚龍を警戒しながら、心を失った狼達との戦闘に専念していた。

 

 イグドラシルは、獣も機械も区別せずに皆を防壁で包んだ。混乱するこの状況で、誰もそれを咎める者などいない。自分が屠ってきた者たち、それらの存在を脳裏に焼き付けたあの熊、その者たちにとっての仲間の力となること。イグドラシルが内心望んでいたことであった。

 

 イグドラシルと歌姫の防壁に守られながら、マン・モールがゆっくりと上体を起こした。もはや力尽きる寸前であった筈のマン・モールの瞳には、活力が戻り、漲る命の光で輝いていた。三姉妹の助力によって、生命力を取り戻したのである。マン・モールが持つ太古の魔力が周囲に拡散し、同胞たちにさらなる力を与えた。

 

 激戦の最中、スルトが意識を取り戻した。体の大半を失い、動ける状態ではない。しかし、ロキから渡されたレーヴァテインが液状の姿となり、コアを虚龍の閃光から守護してくれたことで、致命傷は避けられた。スルトは周囲の状況を確認しようと、意識を廻らせた。

 

 天空の虚龍と地を駆ける得体の知れない狼を相手に、獣と機械がいつの間にか協力し、抵抗を続けていた。その中にはガウトやヒルドの姿もあった。上空に舞い上がり、聖堂を背負った竜と協力して虚龍に挑んでいるのは、ヴァルハランスである。そして、上空から降下してくる、十一体の巨人たち……。

 

「ロキの魔神機だと。ロキは使用権を剥奪された筈だ」

 

 その魔神機の軍勢を率いる様にして、四つの足を備えた獣の如き下半身を持ち、槍と盾で武装し、若干青みがかった鉛色の、甲冑の様な装甲に身を包んだ機人が降下してきた。スルトはその者を知っている。人馬機兵アトリーズであった。

 

「アトリーズ……」

 

「彼、アトリーズはぼくの良き理解者でね。内部に協力者がいるなんて、君も気づかなかっただろう、スルト」

 

 スルトが視線を動かすと、その場に佇むベビー・ロキの姿が視界に映った。

 

「ロキ……。このおれを笑いに来たのか」

 

「助けに来たんだよ。親友の君をね」

 

 ベビー・ロキがそう言うと、魔神機のうち一体が、スルトの側に着地し、レーヴァテインに包まれたスルトを抱え上げた。

 

「今更、役立たずのおれを助けてどうしようと言うのだ……」

 

「いや、君には既に新しい体の用意は出来ているよ。君の持っているレーヴァテインと共にね」

 

「ロキ。あの化物がお前の言っていた真の脅威なのか……」

 

「確かにあれも【虚無】だ。だけど、この世界すべての危機はこれから始まるんだよ」

 

「……礼は言っておく。恩にきる」

 

 スルトを抱えた魔神機が飛び立とうとした。その刹那、一つの白い影が空間を横切り、魔神機の両腕が切断された。魔神機の腕ごと墜落するスルト。液状のレーヴァテインが変形してスルトを包み込み、墜落のショックは抑えられた。

 

 金剛の如き鎚を持つ一人の機人が立っている。地に落ちたスルトがその姿を見て、あっと言った。

 

「ヴァルグリンド……」

 

 ヴァルグリンドはスルトを見つめながら冷たい笑みを浮かべた。

 

「スルトよ。お前には感謝しているぞ。これでようやく、この世界を滅ぼすことができるわ」

 

「何を言っているのだ、お前は……」

 

「ご苦労だったな、スルト。後は休め、永遠にな」

 

 ヴァルグリンドが鎚を一閃させると、白銀の波動がスルトを襲った。その瞬間、ベビー・ロキがスルトの前に仁王立ちとなり、それを正面から受けた。ベビー・ロキの体が砕け散り、周囲に飛散した。

 

 端末の一つとはいえ、ロキが自分を庇った。感傷に浸る暇も無く、ヴァルグリンドが更なる追撃を行おうとした瞬間、両腕を失った魔神機がヴァルグリンドに襲いかかった。不意を突かれ、その魔神機に手こずるヴァルグリンド。その隙に、いつの間にかスルトの傍に来ていたもう一体の魔神機がスルトを持ち上げ、上空に飛び立った。

 

 側にいた狼の一体を使役することで、魔神機を破壊したヴァルグリンドは空を見上げた。もはや、スルトへの興味はない。見ているのは、空帝ル・シエルと、天を伝わる光の帯であった。そして、ル・シエルに挑む魔神機の群れとヴァルハランスの姿。

 

「さすがに任せてはいられぬか」

 

 ヴァルグリンドが、持っていた鎚を冷たい地面に叩きつけた。それと共に周囲の空間に亀裂が奔った。大地が震動し、空間が軋む。世界そのものが悲鳴を上げているような有様であった。

 

 空という空、大地という大地に突如鋼の機人の群れが出現する。それに混じって、さらに緑や黒の粘土状の物体が溢れだす。異界の軍勢は瞬く間に空と大地へと溢れていった。

 

 ヴァルグリンドが、傍に降り立ったデュラクダールを見やると、透かさず言った。

 

「デュラクダール、これはどういうことだ。お前に与えた軍勢は、まだまだこの程度のものではなかった筈だ。それに実体化すら出来ない者が多すぎる」

 

 デュラクダールは頭を垂れ、詫びた。

 

「申し訳ございません。何者かの妨害に合い、同胞たちの実体化がどうにもままならないのです」

 

「ちっ。ロキだな」

 

 ふと、ヴァルグリンドはある者の存在に気がついた。全身を白と青の道化師の衣装で覆った小柄な人物。塔から出てきたその道化は、制止するリンとグナの声も聞かず、真っ直ぐにヴァルグリンドの方へと駆けてきた。ヴァルグリンドは周囲の狼に指示を出し、その道化を襲わせないようにした。敢えて、そのようなことをしたヴァルグリンドの顔には、僅かだが、失望の色が浮かんでいた。

 

「ヴァルグリンド様」

 

 道化はヴァルグリンドの前に立つと、仮面の下で息切れをしながら、その名を呼んだ。

 

「ほう、誰かなお前は」

 

 既に正体を見通しているヴァルグリンドは、敢えて尋ねた。

 

「あなた様に命を救って頂いた、クウでございます。ヴァルグリンド様、何故あなたはこのようなことをなさるのですか。今すぐ、ル・シエル様を止めてください」

 

「それは出来ない相談だな。クウ」

 

 ヴァルグリンドの持っている鎚が一閃した。クウには一瞬何が起こったのか分からなかった。見ると、自分の胴体が大きく抉れていた。クウは声も上げずに、その場に倒れた。

 

「ど、どうして……」

 

 地に伏したクウの救いを求めるような視線はヴァルグリンドから、傍らのデュラクダールへと移った。デュラクダールは若干暗い面持ちとなると、眼を逸らした。

 

「脆いな、あまりにも脆い。【勇者】、貴様にチャンスを与えてやったというのに、がっかりだよ。これ以上待っていても無駄なようだ。早々にソールの首を取り、目障りな虫けらどもの掃除に取りかからねばな」

 

 ヴァルグリンドの言う【勇者】が意味するものは分からなかったが、ヴァルグリンドの異常な変容を、クウは知った。

 

「あなたは……何故こんなことを。ぼくの知っているヴァルグリンドとは……まるで」

 

 苦しむクウの腕を、ヴァルグリンドが踏みにじった。クウは悲鳴を上げる気力もなく、微かに呻いただけであった。

 

「お前を助けたのが、本当にヴァルグリンドだったとでも思っているのか。ははは。違うな、お前はヴァルグリンドという男を知らない。奴は己の保身ばかりを気にする器の小さい奴だった。もっとも、その能力は高かったから、今でもこうして利用してやっているのだがね」

 

「そんな……まさか、お前は……」

 

「神ともあろうものが、愚痴を言われただけで、一々お触れなど出すとでも思っていたのか。お前をこの世界に送り出す為の口実に過ぎなかったのだよ。アルブスとの不和を増幅させ、帝を罪に問うという意図もあったがな」

 

 クウが弱々しく道化の仮面の中で、口を動かした。もう、声を出すだけの力も残ってはいなかった。

 

「そうだよ。では、我自らこの世界に赴くとしようか」

 

 ヴァルグリンドが鎚を中空に突き立てた。空間に突き刺さった鎚の周囲がひび割れ、次元が破壊されていく。顕わになった異次元の奥底から垣間見える巨大な白い獣の姿。万物を【虚無】へと導く虚神の威光が放たれた。

 

 ヴァルグリンドがその虚神の姿を真正面から見据える。傍らのデュラクダールが恭しくひれ伏した。

 

「さあ、この世界に住まうすべてのものどもよ。見るがいい、我の姿を。【虚無】がこの世界を覆う時は間近に迫っておるぞ。はははは」

 

 哄笑するヴァルグリンドの目前で、虚神の冷たい双眼が光った。

 

 

 

(とうとう、この時が来てしまったんだね……)

 

 ロキが微かな音を出した。

 

 無数の超時空重力炉。虚無の軍勢が溢れ出る入口を潰し、あらゆる物質をエネルギーへと変換させる。これにより、虚無の軍勢の出現を最小限に食い止め、この世界に実体化しようとする虚無の軍勢のエネルギーを霧散させ、実体化を阻害する。これこそが、ロキが迫りくる【虚無】に対抗する為に用意していた、一つめの切り札であった。

 

(【勇者】が誕生すらしていない今、虚神が実体化したら、勝ち目は万に一つもない。この超時空重力炉を総動員させてでも防がなければならないな)

 

 ロキはミッドガルズとヘルの生体反応を探った。二人とも無事なようだ。だが、ミッドガルズの方では、事態を理解していない獣と機械の戦いが続いていた。早く止めさせなければならない。

 

 ロキはアトリーズの部下である機人たちの協力を得て、上層部に訴えでる準備を固めていた。

 

 

 

「あれは……クウ」

 

 プラチナムが弟の気配を感知し地上を見やると、ちょうど一人の道化がヴァルグリンドの前に辿り着いたところであった。そして次の瞬間、道化がその場に倒れ伏すのが見えた。

 

 プラチナムが咄嗟に大剣を構え、地上に降り立とうとすると、背後からアルブスに肩を掴まれた。

 

「どこへ行く気だ。持ち場を離れたら、帝がどうなるか分かっているのだろうな」

 

 プラチナムはアルブスを睨み返した。アルブスは冷たい眼で見返しただけであった。

 

「そうら、次が来たぞ。お前の出番だ」

 

 魔神機たちが放った無数の光弾がル・シエルに迫っていた。プラチナムは大剣を一閃させ、巨大な虚空を周囲の空間に創り出し、すべての光弾を消滅させた。

 

(すまない……クウ。わたしはお前を姉として護ってやることができなかった)

 

 機械と化したプラチナムは涙を流さない。内に秘めたる悲しみは行き場もなく、プラチナムの心を埋め尽くしていった。

 

 三姉妹によって動きを妨害されたうえに、ヴァルハランスと無数の魔神機に囲まれ、さすがのアルブスも危ぶんだが、ヴァルグリンドがすぐに手をうってくれた。異界から出現した虚無の軍勢にたかられ、ヴァルハランスと数体の魔神機は地に落ちていく。後は、残った魔神機と、しぶとく寄ってくる動器たちを始末すれば良い。

 

「さあて、狩りを楽しもうじゃないか。え、プラチナムよ」

 

 

 

 虚無の軍勢は、ブレイザブリクにも襲いかかった。ブレイザブリクは結界を張って侵入を防ごうとしたが、フレイアが搭乗していない状態では、十分な結界を張ることはできない。たちまち、無数の虚無の軍勢に取りつかれた。

 

「ウル・ディーネ殿。これ以上は持ちませぬ。一旦、地上へ下り、同胞たちと合流してもらいますぞ」

 

「分かりました、ブレイザブリク」

 

 この場を離れては、ベル・ダンディアが紡いだ力が解れてしまう。だが、致し方なかった。

 

 地上へと降下していくブレイザブリク。その背では、侵入してきた虚無の軍勢と獣たちの戦闘が繰り広げられていた。グリン・ブルスティの指揮の下、数々の実戦を経験してきた猛者である獣たちが、聖堂の中にいるウル・ディーネとスクルディアを護りながら、得体の知れない敵を次々と打ち倒していった。その中にはハティの姿もあった。

 

 ハティの脳裏には、虚龍の背に乗っていたハクの姿が焼き付いて離れなかった。ハクは自分を道化だと言った。だが、ハティは、ハクがもっと違う、この世界に置いて重要な役割を担う存在であるような気がしていた。この世界の事情を知り、まるであの三姉妹や氷の姫君の様な力を持つ、不思議な存在。それがどういう訳か、ハクはあの虚龍とかかわりがあるらしい。

 

 ハクがこの世界の敵……。万物の敵……。

 

 ハティの頭の中に、スクルディアの意思が響いた。咄嗟に振り返ると、丁度、ハティの背後で、侵略者と酷似した姿の機人が刃を振り上げたところであった。ハティは爪でその機人の腕を切り裂き、その場に打ち倒した。倒れた機人は、こぽこぽと音を立てながら崩れていき、緑色の粘土状の物体へと変化していった。

 

「スクルディア様、ありがとうございます」

 

 ハティは気を取り直し、未だ溢れて来る得体の知れない敵へと牙を向いた。

 

 ぼくは誓ったんだ。スクルディア様を守ると。例え、ハクさんが敵になろうと、ぼくの決意は変わらない。変えてはいけないんだ。

 

 程なくして、ブレイザブリクは破壊された門の残骸の傍へと降り立った。

 

 

 

「姉さん、スクルディア……」

 

 せっかく紡いだ力が解れてしまった。ベル・ダンディアの腕が下ろされた。

 

「ベル・ダンディア、わたしはこれからブレイザブリクのもとへ向かいます」

 

 傍らにいたフレイアが言った。

 

「え。ですが、今はこの場でソール様に協力した方が……」

 

「いえ、ブレイザブリクの聖堂でこそ、わたしは存分に力を振るえるのです。こうしてブレイザブリクが来てくれた以上、わたしがこの場に止まっている必要はありません」

 

「そうですか……」

 

「あなたも来てください、ベル・ダンディア。これ以上ソール様が歌を続けていては、ソール様のお身体が持ちません。塔のことはヘル達に任せて、わたしたちは外のブレイザブリクのもとへ向かうべきです」

 

「……分かりました。では、お供します」

 

 ソールの歌声を増幅させる為にその身を削っているフレイが、フレイアに目配せをした。フレイアは黙って頷く。姉の期待、いや、この世界の仲間たちの期待に応えなければ。

 

 ソールの隣をフレイとフリッグに任せ、二人は部屋の出口へと向かった。そこに立ってソールを見守っていたマーニと眼が合い、ベル・ダンディアは頭を下げた。

 

「ベル・ダンディア……。頼むわね」

 

「ええ、マーニ。ソール様のこと、任せたわ」

 

「気を付けてね」

 

 ヘルと対面した時、マーニは驚くほど冷静であった。ひょっとしたら、ヘルの協力を、マーニも心の奥底で望んでいたのかもしれない。ソールを支え、これまでの生涯の大半をソールと共に過ごしてきたマーニ。彼女は、笑顔でベル・ダンディアを送り出した。

 

 ベル・ダンディアが、ミッドガルズとアインホルンと共にこの塔へと戻ってきてから、初めて見るマーニの笑み。ベル・ダンディアは、内心ほっとしながら、マーニと別れた。

 

 

 

 スミドロードは道化が倒れているのに気がつくと、襲い来る虚無の軍勢や、狂った狼たちを払いのけ、急いで道化のもとへ駆けていった。側にいる二人の機人、その片方はあの聖域で戦った、デュラクダールと名乗った人物であった。スミドロードはその二人を一瞥しただけで、道化を素早く咥えた。ヴァルグリンドはスミドロードを無視し、デュラクダールも一瞬スミドロードを見やっただけで、彼に従った。

 

 スミドロードは振り返り、急いで塔へ戻ろうとした。そして目前の存在に茫然となった。

 

 駆けて来た方向からは見えなかったその存在が、今、はっきりと見えた。巨大な青い翼を両方に備えた、白銀の獅子の如き勇ましい体格。蒼い刃を備えた冷たい角。蛇の様に滑らかで、不気味な光沢を持つ尾。半ば機械と化したその体は、この世界の獣たちを思わせたが、あまりにも禍々しく、それでいて異彩を放つ全身は、その内に秘められた神々しさも認めざるを得なかった。

 

 スミドロードは、一目見ただけで、強烈な畏怖の感情に捕らわれ、足が竦み、その場で硬直してしまった。これほどまでに恐ろしい存在を未だかつて見たことはない。

 

 周囲に群がる得体の知れない軍勢に気がつくと、スミドロードは無我夢中で疾走した。傷ついた道化の体を気遣う余裕すらなかった。それでも、道化を振り落とさないように、必死にくわえ、駆けた。恐ろしい、あれは神なのか。あんなものを相手にして勝ち目などあるというのか……。

 

 空間を突き破り、出現する虚神。だが、ヴァルグリンドの表情は思わしくない。

 

「主よ、如何なさった」

 

 デュラクダールは現れた虚神ではなく、傍らのヴァルグリンドに向かって尋ねた。虚神からは意識が感じられなかったからである。

 

「……。完全には実体化できなかった。ロキめ、よもやあやつがここまでやるとはな」

 

「……では、一旦退却なさいますか」

 

「いや、その前にこの世界の者たちに一時の絶望を与えてやろう。ひょっとしたら、【勇者】という最大の獲物が覚醒するかもしれぬぞ」

 

 主は、先ほどから【勇者】の出現を望んでおられる。何故なのだ。【勇者】は主にとって最大の障害となるかもしれぬというのに……。

 

 デュラクダールには、そのことがどうしでも腑に落ちなかった。

 

 

 

 上空の魔神機が全滅した。残るはヴァルハランスと共に戦う三体のみ。ヴァルハランスは、予期せぬ仲間の出現とはいえ、まだ側にいる魔神機を頼もしく思った。

 

「ヴァルハランス殿」

 

 ヴァルハランスの名を呼びながら駆けて来る、半獣半人の如き姿の機人、人馬機兵アトリーズ。アトリーズは、ヴァルハランスの前で立ち止まった。

 

「虚無の軍勢の大半は、ロキ殿が超時空重力炉で食い止めました。残っている彼らとて長居は出来ぬ筈。もう一息です」

 

「虚無の軍勢……、そうか、あいつらのことだな。超時空重力炉とは何なのだ」

 

「超時空重力炉は、ロキ殿がこの世界と、我々の故郷との間にある次元の狭間に設置した、虚無の軍勢の実体化を妨害する為の物です」

 

「やはり、ロキは事態を見越していたのだな」

 

 この世界と機械たちの故郷は門で繋がっている。その間の次元の狭間には果てしない無が広がっていると言われているが、それを見た者はほんの一握りの者であった。その空間に炉を設置するなど、普通は考えられないことであるのだが、あるいはロキならそれも可能であろう。ヴァルハランスは妙に納得していた。確かにそこなら、得体の知れない虚無の軍勢とやらを相手にしても、絶好の隠れ蓑である。

 

「ヴァルハランス殿。あなたは、急いで塔の側へ向かい、氷の魔女ヘルと会ってください」

 

「塔へだと……ヘルとは何者なのだ」

 

「ヘルはあの氷の魔女。彼女の協力を得るのです」

 

「我々はこの世界を侵略しにきたのだぞ。今更、そんなことができるものか」

 

 虚龍の動きが慌ただしくなる。光の帯が消え、虚龍は力を取り戻しつつあった。

 

「大丈夫、ロキが手を打ってくれています。今のあなたでは、あの虚龍には太刀打ちできません。あなたは、ヘルの魔力と共闘して、初めて真の力を発揮できるのです」

 

「真の力……。私はクイーンによって完成された肉体と力を得た身の筈……」

 

「我々はコアを持つ生命体。本来、その力は成長し、変化し続けるものなのです。あの獣たちのように。あなたには、あなたやあなたの制作者ですら知らない、底知れぬ未知の力が秘められているのですよ」

 

 上空の虚龍の口から、青白い滅びの閃光が放たれた。閃光は真っ直ぐにヴァルハランスの方へと向かってきた。瞬時にアトリーズが盾を構え、ヴァルハランスに迫っていた閃光をその身に受け、それを防ぎきった。

 

「急いでください。私が抑えている間に早く」

 

 アトリーズの有無を言わさぬ迫力。ヴァルハランスは彼の意志を無駄にしない為にも、意を決すると、塔へ向かって飛び立った。

 

 ロキから与えられた装甲のおかげで、何とか消滅は免れた。だが、今の一撃で体中が悲鳴を上げているのがよく分かる。アトリーズは微かに笑みを浮かべていた。これが自分の役割。時を稼ぐことで、同胞たちを勝利へと導くのだ。

 

「さあ、虚龍よ。来るなら来い。私の存在を賭けて、ここを護り通して見せようぞ」

 

 虚龍を睨むアトリーズの傍らに、生き残った魔神機たちも集まった。決死の覚悟のアトリーズに向かって、虚龍は更なる閃光を放った。

 

 

 

 現れたのは虚神の影。それでも、獣と機械に恐怖を与えるには十分であった。虚神が咆哮を上げるだけで、周囲の者たちは皆、己の存在が内から崩壊していくような感覚に襲われた。

 

 懸命に恐怖に耐えながら、無数の青い装甲を持った動器たちが近付いて行く。虚神を動かす熱量の発生源は傍らに居る機人、鍵鎚のヴァルグリンドである、ヴァルグリンドを破壊せよ。アトリーズはそう言っていた。その言葉を信じ、皆はヴァルグリンドに向かって進撃していった。

 

「ほう。我のもとへ向かってくるとは、良い度胸だ。では、我も応えてやらなければ失礼に値するな」

 

 ヴァルグリンドがそう言うと、虚神が巨大な両翼を振り上げた。周囲に滅びの衝撃が、眼に見えぬ津波のように広がっていった。その衝撃波を受け、進軍していた機械たちの魂の悲鳴が響き渡った。次の瞬間には、動器は一機も残らず、消滅していた。

 

「つまらん。まるで手ごたえが無いではないか。おや」

 

 ヴァルグリンドは、自分の側に駆けて来る二体の獣を見やった。青と白の装甲を備えた一角獣。それに、漆黒の体毛を備えた鹿の姿。

 

「なるほど、そう言うことか。面白い」

 

 虚神が動きを止め、ヴァルグリンドが一人で前に出た。デュラクダールもそれに続こうとしたが、ヴァルグリンドが片手でそれを制した。

 

「手を出すなよ、デュラクダール」

 

 デュラクダールは承服し、身を引いた。

 

 アインホルンとレインディアが並び、ヴァルグリンドと睨み合う。

 

「お前は、デュラクダール」

 

 アインホルンが、ヴァルグリンドの背後にいる機人を見て、叫んだ。前にブレイザブリクの背で戦った、ベル・ダンディアの命を狙っていた者。アインホルンの瞳に闘志が宿った。

 

「二人だけでよく来たな」

 

 ヴァルグリンドが言った。

 

「違うぞ、我々には心強い仲間が付いている」

 

 レインディアがそう言うと、突如、上空から一体の竜が舞い降りてきた。ミッドガルズと共に戦っていた筈の、装甲機竜ファーブニルである。そして、背後から響いてくる歌姫の加護、マン・モールとイグドラシルの力。今、獣と機械たちは強力な熱量によって満たされていた。

 

「なるほどな……。デュラクダールよ、お前の放った軍勢では、抑えきれなかったらしい」

 

「……申し訳ありません。かくなるうえは……」

 

 デュラクダールは刃を構え、獣たちの方へ近付こうとした。

 

「早まるな、デュラクダールよ。お前は一端、残った者どもを率いて撤収しろ。我はもう少し遊んでいく」

 

「……御意」

 

 デュラクダールの姿が瞬時に掻き消えた。ヴァルグリンドは獣たちの方へ向き直ると、笑みを浮かべた。

 

「さあて、試させてもらおうか。お前たちの力をな」

 

 ヴァルグリンドが鎚を構える。アインホルンとレインディアは鋼の角を構えた。上空にいるファーブニルが牙を向き、ヴァルグリンドに襲いかかろうとした。それを合図に、二体の獣がヴァルグリンド目掛けて突進した。

 

 ヴァルグリンドが鎚を前に突きだし、衝撃波を放った。二体の獣は角で以てそれを弾き、一気にヴァルグリンドに突きかかった。しかし、ヴァルグリンドを貫く筈だった角は、空を切った。

 

 二体の獣の背後に瞬間移動していたヴァルグリンドが鎚を振り上げた。すかさず、上空のファーブニルが背後からヴァルグリンドに飛びかかる。ヴァルグリンドはひらりとかわすと、鎚を振るい、それによって生じた波動でファーブニルを打ち払った。ファーブニルは、もんどりうって地を滑りながら吹き飛ばされた。

 

 余裕の笑みを浮かべるヴァルグリンドに向かって、すぐに態勢を立て直した二体の獣が突きかかった。ヴァルグリンドが鎚を振り下ろす前に、二体の獣の角がヴァルグリンドの胸に突き刺さる。一見、致命傷に見えるというのに、ヴァルグリンドは笑みを崩さなかった。

 

「まあ、こんなものかな。可哀そうだが、力の差があり過ぎるようだ」

 

 ヴァルグリンドの姿が消失した。見ると、先ほどからじっとしていた虚神の真上に、ヴァルグリンドが浮いている。奇妙なことに、先ほどの傷は跡形もなかった。

 

「では、我はこれで失敬するよ」

 

「待て、お前たちは何を企んでいるんだ」

 

 アインホルンが叫んだ。再び飛び上がったファーブニルがヴァルグリンドの隙を窺っている。

 

「お前たちが、生き延びたら知ることになるだろうさ。今、この瞬間を、な」

 

 虚神が翼を羽ばたかせた。周囲の空間が震える。

 

「この一撃を受けても、生き残るだろう。【勇者】ならばな」

 

 ヴァルグリンドの姿が掻き消える。それと共に、虚神が咆哮し、空間を凄まじい熱量が迸った。

 

 ほんの一瞬で、周囲にあったマン・モールとイグドラシルの守護が喪失した。空中のファーブニルが断末魔の咆哮と共に砕け散った。アインホルンとレインディアに向かって、見えない波動が迫る。アインホルンが咄嗟に、レインディアを庇おうとしたが、それより先にレインディアがアインホルンの前に飛び出した。

 

「そんな、レイン……」

 

 その刹那、砕けていくレインディアの全身が視界に映った。消滅していくレインディアの瞳が、アインホルンの眼を最期まで見つめていた。

 

 波動はそれでも収まらず、アインホルンの体を吹き飛ばした。アインホルンは、自分の身体がこの世界から消えていくのがなんとなく分かった。

 

 

 

 その波動は、塔の方にまで響いていた。万物の存在を揺さぶる滅びの震動。ブレイザブリクはこれを抑え込むべく、結界を広げていく。聖堂の内部には、フレイアと、三姉妹が力を合わせて、防壁と命の光を創り出していた。

 

 塔の前には新たな力のオーラを纏ったヴァルハランスが立ち、上空の虚龍を睨んでいる。傍らには、微かに原形を留めているアトリーズの亡骸があった。

 

 ヴァルハランスが飛び立とうとする前に、虚龍の姿が白夜の虚空に呑まれ、消え去った。デュラクダールから神の命令を伝えられ、引き上げていったのである。虚龍の背にいたプラチナムは、最後まで、この世界の惨状をその眼に焼き付けていた。悲しみと怒り、そして己の罪悪を憎む輝き。その眼を、地上にいるハティはしっかりと見つめていた。

 

 虫の息の道化をリンとグナに預けると、スミドロードはアインホルンのいる方へと駆けていった。そして、その場に倒れているアインホルンを見て、愕然となった。アインホルンには頭部と僅かな胴体しか残っておらず、その残った肉体も得体の知れないものに取りつかれ、燐光を放ちながら徐々に消滅しているのである。

 

 それでも、コアの輝きが微かに残っているのは、周囲に広がる三姉妹の加護によるものか。スミドロードはアインホルンをその背に乗せた。助かる見込みなど、到底あるとは思えなかったが、せめてベル・ダンディアたちのもとへ連れて行きたかった。

 

「ファーブニルが……消えて……レインディ……アも、わたしを……庇って」

 

 スミドロードの背で、アインホルンが弱々しく言った。

 

「いい、喋るな」

 

「私が消える筈……だった。それなのに……レインディア……が」

 

 消えゆくアインホルンの命の灯火の中で、レインディアが瞳で訴えたことが何度も反芻された。我が一族の誇り、お前に託す……。レインディアはそう伝えていたのであった。

 

 アインホルンを背に、スミドロードが走る。目前の絶望は取りあえず去った。だが、これからどうなるというのであろう。もし、機械たちが侵略を再開したら、もう打つ手などない。頼みの綱の歌声は先ほどから止まっている。ソールの体にも限界が迫っていたのであろう。

 

 スミドロードの脳裏に、あの虚神の姿が甦った。あまりにも強大で恐ろしい。もはやこの先に、希望などというものが存在するのであろうか。疾走するスミドロードは、自分の中から湧きあがってくる圧倒的な絶望を、懸命になって抑え込んでいた。




関連カード

●人馬機兵アトリーズ
馬の様な下半身を持つ武装スピリット。
フレーバーテキストは、
空帝ル・シエルの攻撃を受ける犠牲となることで勝機を作り出すという場面。

●機神獣インフェニット・ヴォルス
白の虚神。
フレーバーテキストでは歌姫の塔を虚無でのみ込んでいると思われる。
この後も歌姫たちは輝竜殿ブレイザブリクや無限なる軌道母艦に乗り込み、虚無の軍勢との戦いを継続している。



●超時空重力炉
名所千選602。
虚無の軍勢の入り口を潰すために開発された、侵略者たちの切り札の一つ。



●ハイエリクサー
マジック。
イラストではベル・ダンディア、ウル・ディーネ、スクルディアら、叡智極めし三姉妹が描かれている。

本章で三姉妹が協力する場面はこのカードが元になっている部分も多い。


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第二十二章 滅びゆく世界

 虚無の項

 

 

「死者の魂が無限の軍勢となる。死は終わりではない。終わりがあるとすれば、存在するすべてのものが【虚無】に還る時だ。諸君らの魂、決して無駄にはせぬ。かの次元を制圧した暁には、諸君らを新世界に住まわせることを約束しよう」

 

 白の神には、白夜の地に住むすべての住民が従った。他に頼るべき者、縋るべき者は存在しない。従わなかった者はそもそも生きてはいないか、神の傀儡となっている。死者の魂ですら、神の支配下となっているのだから、そもそも最後まで従わなかった者などいないと言っても良い。

 

 自分の育った故郷。前にこの世界を離れた時と比べ、状況はさらに悪化していた。他次元の侵略に労力を消耗するようになり、それは避けられなかったのだから、こうなることは分かっていた。ただ、現実に目の当たりにすると、やはり胸が痛んだ。

 

 過去に帝が統治していた白夜の地は、現在では無残な有様であった。地上は荒廃しきっており、多くの民の屍が至る所に転がっていた。実りもない。殺意に満ちた空気が充満している。あらゆるものが滅びの波動に満ちていた。

 

 この世界で生きている者の大半は、なんとか【虚無】に適応し、ダーク化した者たちであった。ダーク化したところで、命が【虚無】に削られつつあることに変わりはない。理性を半ば失いながらも、生きようとする本能に身を任せ、自己の崩壊を先延ばしにしているに過ぎない。

 

 プラチナムは、帝が健在であった頃の世界を夢見ていた。あの頃に帰りたい。心の中で反芻する、叶わぬ望み。この世界の均衡が崩れたのは、帝が【虚無】に魂を喰われ、神の意思で動かされるだけの存在になってからのことであった。おそらく、それには神が関わっている。あの狼たちのように、神の手によって帝が喰われたらしいことに、プラチナムは感付いていた。しかし、それでも黙って神に従うしかない自分が恨めしい。

 

 そのうえ、自分は弟を見捨てたのだ。プラチナムの脳裏に、ヴァルグリンドの鎚によって体を貫かれたクウの姿が何度も現れ、彼女に対して訴えかけるような視線を向けていた。

 

 瘴気に満たされた死の大地。土は活力を失い、酸化した鉄と銅を混ぜた様な地面が広がっていた。その腐った大地を踏み、ル・シエルは鎮座していた。意思のない瞳は、色彩を失った狂った地平線に向けられていた。傍らには、ル・シエルを見守るプラチナムの姿があった。

 

 ル・シエルの体から何か白くて丸いものがぼろぼろと零れ落ちた。プラチナムがそれに気が付き、両手に収まるほどのその物体を拾い上げた。白く透き通った殻に、固まった体が包まれていた。

 

「これは……。あの世界の生命体。何時の間に張り付いていたのだろう」

 

 その存在を知られることなく、今までル・シエルに張り付いていたその生き物はすでに息絶えていた。気配と姿を隠し、ル・シエルに存在を吸い取られることもなく、今まで生き延びてきたのだろうか。あの世界には、まだまだ謎に包まれた存在が無数に存在しており、このような者がいてもおかしくはないのかもしれない。

 

「この者たちは帝の身に潜むことで、今まで生き延びてきたのだな。それでも、もう耐えられないところまできていたのだろう。可哀そうなことをした」

 

 プラチナムの機械の両手に包まれていた生き物は、やがて黒く変色し、ぼろぼろと崩れて、地面にこぼれた。他の者たちも同じで、崩れて地面に広がった。

 

 

 

 グラスカルゴたちとの交信が途切れた。スノトラは重く沈んだ面持ちで、美麗な木目の椅子に腰を下ろしていた。

 

 自ら志願したグラスカルゴたち。スノトラは、彼らを止めることが出来なかった己の不明を恥じ、彼らの冥福を祈った。

 

 スノトラは直ちに、ソールの塔にいる、ヘルとの交信を試みる。伝えなければいけない。グラスカルゴたちが、決死の覚悟で虚龍に張り付き、虚無の軍勢の内を探ろうとした末に感知した恐るべきものを。

 

 あれは虚龍よりも恐ろしい。そして、例の虚神や、虚無の軍勢とも比べ物にならないほどの脅威であるかもしれない。あれが何なのかは分からない。ただ、【虚無】としか言いようがないだろう。

 

 

 

「次にこの故郷へ帰還することはない。かの世界に無数の白夜の虚空を創り出し、決戦に臨む。白夜の虚空さえあれば、あの世界のあらゆるところに我々は攻め込むことができるのだ。既に、知将ゲンドリルが手筈を整えているであろう。ロキの造り出した障害さえ取り除けば、我々の行く手を阻むものなどなくなる」

 

 神の命により、民が総動員され、膨大な数の軍勢が組織された。軍勢を指揮する神将たちもつどった。これに加え、神が自ら操る【虚無】により、あの世界で力尽き、取り込まれた魂までもが戦力に加えられる。

 

「帝の調子はどうだい、プラチナム」

 

 デュラクダールがプラチナムに、やや気遣わしげな視線を送った。

 

「ああ、今の帝にしては悪くはない。それでも本調子には程遠いな。あの世界では帝の力を制御するのも容易なことではない」

 

「そうか、だが、仕方あるまい。帝に意思が無い今、君とアルブスが頼りなのだから」

 

 デュラクダールは神に仕える神将であるが、かつて帝が統治していた頃は、帝を深く信望していた。その為か、彼は、度々プラチナムと帝の身を気遣う素振りを見せる。アルブスとは何かしらの確執がある様子だったが。

 

 アルブスの姿は見えなかった。何やらヴァルグリンドから神の言付けを伝えられたらしい。プラチナムには、そのあたりの事情はよく呑み込めなかったが、何かが自分の知らないところで動いているらしいことには感付いていた。

 

 故郷は、もはや救えない。同胞たちを扇動し、他次元への侵略と破壊行為を強行するあの神の真意は不明のままであるが、後には引けない。

 

 間もなく、世界の命運を賭けた更なる戦いが始まろうとしていた。決戦の時は近い。

 

 

 (虚無の項 了)




関連カード

●グラスカルゴ
光虫。
フレーバーテキストは白の章第7節。
空帝ル・シエルに張り付き情報を送ろうと試みた者。
虚竜よりも危険な存在を予告し、帰ることは無かった。

●氷の淑女スノトラ
放浪者ロロを友人と呼んでいる氷姫。
フレーバーテキストは、白の世界から去るロロを歌で送る場面。
カードでは黄の軽減も持つ。


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第二十三章 勇者の誕生

  ―承前―

 

 虚無の軍勢が退き、上空の虚龍もその姿を消した。だが、これで終わりではないということを誰もが理解していた。

 

 侵略者の侵攻が滞り、戦闘は収まった。生き残った獣は、つい先ほどまで侵略者たちと共闘していたことを思うと、何とも割り切れない気持ちになった。

 

 彼らが敵であるという認識は以前のままであり、侵略者に対する憎しみは依然として治まることはない。彼らの協力で全滅は免れたが、侵略者によって命を落とした同胞は、ここにいる獣たちとは比べものにならない数であり、彼らの蛮行は皆の脳裏に鮮明に焼き付いていた。

 

 獣や氷の姫君たちは、侵略者が侵攻を再開することを警戒し、皆の間に緊張が奔っていた。

 

 

 

 ブレイザブリクの聖堂。ここでも、また、消え入りそうな命が一つ。重傷を負ったアインホルンは、泣きながら彼を抱き寄せるベル・ダンディアのもとで、息を引き取ろうとしていた。時折、アインホルンがうわ言を漏らし、彼の散っていった仲間たちや、ベル・ダンディアへの想いを、ベル・ダンディアは改めて知ることになった。

 

 アインホルンを止める機会は幾らでもあった筈なのに、結局このような末路を見届けることになるなんて。ベル・ダンディアは己の不明を悔やんだ。連れて来るべきではなかったのだ。アインホルンは、鎧蛇の島の勇者と謳われた戦士だった。あの場に止まり、ヴァルキュリウスやジューゴンたちと共にいた方が、アインホルンの身は安全だっただろう。

 

 ベル・ダンディアは、アインホルンの彼女に対する想いを早くから悟っていた。しかし、ベル・ダンディアからすれば、アインホルンへの想いは、姉妹は無論、スミドロードやヴァルキュリウスと比べても遠く及ばないものであった。

 

 純粋に自分を想ってくれるアインホルンには感謝していた。今流している涙は紛れも無く、アインホルンの為のものである。それでも、ベル・ダンディアのアインホルンに対するこれまでの接し方は、ある種の義理の様なものであったかもしれない。今、アインホルンの想いを再確認しても、そのことに変わりはないという、自分の感情をベル・ダンディアは一方では恥じていた。

 

 ただ、今はこの消えゆく一つの命を助けたい。そこには、必死になってアインホルンの自分に対する想いに応えようとする意思も少なからずあった。

 

 背後からスミドロードが近寄ってくるのが分かった。暫しの間、スミドロードは黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「ベル・ダンディア様。スクルディア様がお会いになりたいと仰っておりますが……」

 

 ベル・ダンディアは、自分の力を分け与え、少しでもアインホルンの命を長引かせる為に彼の体をさすりながら、そのままの姿勢で言った。

 

「いけないわ。姉さんはともかく、わたしはスクルディアと直接会ってはいけないの。特に今はね」

 

「左様ですか……。やはり、何か事情がお有りのようですね」

 

「ええ、そうなの、スミドロード。わたしたち三姉妹は、わたしが紡ぐことで、三人の力と共に、感覚や精神をも一体化させることになるの。わたしが側にいるだけで、あの子――スクルディアは、わたしや傍にいる姉さんの見るもの感じるものすべてを受け入れることになってしまう」

 

 ベル・ダンディアは、アインホルンからそっと眼を離し、視線をスミドロードに向けた。

 

「それはとても危険なことなの。あの子はとても豊かな感受性を持っているわ。何より、わたしや姉さんが持っていないものを持っている。スクルディアが、わたしや姉さんと同じになってしまってはいけない。未来は固定されるべきではないの。過去に見守られ、今というこの時に在るものを、何ものにも捕らわれない意志で導いていかなければ……」

 

「嬢。ちょっといいかね」

 

 ミッドガルズの声であった。ベル・ダンディアがはっとなって振り返ると、聖堂の外から顔を覗かせているミッドガルズの姿があった。その額には、機人アスクによって付けられた傷跡が生々しく残っていた。

 

「ミッドガルズ……。良かった、あなたは無事だったのですね」

 

「まあな。だが、まだ若いファーブニルが二ヴルヘイムの後を追う様にして命を散らし、このおれが生き残ったというのも、何とも皮肉なものだな」

 

 群がる侵略者をミッドガルズが請け負って、ファーブニルは二ヴルヘイムたちと協力する為に塔へ戻った。ところが、ニヴルヘイムは虚龍の閃光から、リンとグナを庇って命を落とし、ファーブニルもまた、レインディアやアインホルンと共に虚神の波動を受け、消滅したのである。

 

「嬢よ、実はあなたとアインホルンに用があるという者を連れて来たのさ。いけ好かん奴だが、頼りにしても損はないだろうよ」

 

「え」

 

 それまで気配を消していた一つの影が、ミッドガルズの顎の下からゆっくりと姿を現した。その姿を見て、ベル・ダンディアはあっと言った。不気味な笑顔を浮かべている赤子の姿。かつて、鎧蛇の島でベル・ダンディアを襲ったロキの端末――ベビー・ロキであった。

 

 

 三姉妹の項

 

 

 ここはソールが住まう塔の一室。重傷を負った道化は、寝台に横たえられながら、目前に迫ってきている、己の死の気配を黙って見つめていた。真横にある窓からは、外の風景が覗ける。その空を、二匹のマンボウが泳いでいた。侵略者の出現で身を隠していた空魚である。

 

 道化は、心の中で、浮遊魚モラモラーと呼んでみた。名付け親は誰だろう、と思いながら。そして微かに笑みを浮かべる。オプス・キュリテ様みたいなネーミングセンスだな、と思った。

 

 マーニが部屋に入ってきた。その手に、透き通った液体を詰めた瓶を持っている。

 

「これは、私たちが魔力を集めて作ったホーリーエリクサーです。これであなたの傷も癒えると良いのですが……」

 

 マーニが寝台にいる道化の側でかがむと、その薬を道化の口に含ませた。道化は弱々しく喉を動かし、それを飲む。僅かだが、道化の顔に生気が戻ったようにも見えた。

 

「……ありがとうございます、マーニ様」

 

 マーニがはっとする。マーニはその道化の言葉を初めて聞いたのであった。道化は、ヘルとの一件があってから言葉を失ったソールのように、普段は黙したまま姫たちと暮らしていた。

 

 言葉を語らぬ者同士、道化がソールとも親密な関係になっている様子も見られ、マーニは軽い嫉妬を覚えたこともあった。道化がフレイやフリッグと話していたということは聞いていたが、今こうしてその言葉を聞くと、少し戸惑った。

 

 その道化――クウは、もう自分は助からないということを自覚していた。薬の効き目は多少なりともあったが、それでも、自分の体を浸食していく【虚無】を止めることは叶わない。出来ることなら、誰にも心配をかけることなく一人で消えていきたかったが、この塔で長年働いてきた彼を、皆が放っておく筈も無かった。

 

 ヴァルグリンド――正しくは神の操り人形だった存在――が、クウをこの次元に飛ばした時、彼を救ったのはスノトラだった。しばらくスノトラの下で育てられたクウは徐々にこの世界に馴染み、後にスノトラに従う獣たちの手によってこの塔へと連れてこられた。スノトラの真意は分からなかったが、クウは素直にそれに従い、この塔でソールたちの為に働く決意を固めた。

 

 塔では、フレイとフリッグ以外とは口を聞いてはならないと、スノトラより強く言い聞かされていた。何を意味するのか見当も付かなかったが、スノトラの言うことすべて意義あることと自覚していたクウは、何の疑いも持たなかった。

 

 今、こうして言いつけを破ってマーニに口を聞いたのを、クウは後悔していなかった。クウは、自分が力尽きる前に、自分の声をマーニに聞いてもらいたかったのである。マーニには、心魅かれるところがあった。ソールに対して献身的に接している彼女の様子に共感を覚えたからかもしれない。

 

(笑顔になったら、とても美しいのだろうなあ……。姉さんみたいに)

 

 クウが見るマーニの顔はいつも厳しいものか、暗く沈んだ面持ちであった。ソールと接する際は、表面上は明るく取り繕っているが、やはり、内に秘められた翳りが垣間見えたものである。自分のことを心配して、哀しい顔で見つめるマーニを見て、クウの意識は、彼女が心から笑う日を思い描きながら、暗い闇へと沈んでいった。

 

「道化」

 

 マーニがそう言ったが、クウに反応はなかった。硝子の様な体を震わせながら、マーニは嘆いた。いつもソールを気遣い、ソールや塔の者たちに尽くしてきた道化。道化のすることといったら、侍女たちと同じ下働きか、奇抜な芸で姫たちに娯楽を提供することぐらいであったが、彼のソールに対する想いは、自分と同じくらいのものであったような気がした。マーニは自分の同志の命が消えていくのを、深く悲しんだ。

 

 不意に部屋に何者かが入ってきた。マーニが咄嗟に振り向いた。

 

「ヘル……。どうしてここに……」

 

 ヘルはゆっくりと寝台に近付き、マーニの傍に立った。その背後から、赤子の姿をした奇妙な機械が付いて来た。それを眼にしたマーニが驚愕し、次の瞬間にはその瞳に怒りの色が顕わになっていた。

 

「ヘル、侵略者を塔に入れるとは、お前は何を考えているというの。やっぱり裏切るつもりだったの……ヘル」

 

「それは違うよ、マーニ。妾はこの道化の命を救いにきただけさ。この者の力を借りての」

 

 なおも言い詰めようとするマーニを尻目に、ヘルはクウに向かって話しかけた。

 

「道化よ……。お前には【勇者】となる素質があるのじゃ。ロキに身を任せるが良い。さすれば、お前は新たな力と命を与えられるだろうさ」

 

 消えゆくクウの意識が微かにそれを聞きとった。そのクウの脳裏に、何者かの意思が伝わってきた。

 

(クウよ、ぼくの名はロキ。君は【勇者】となる気はあるかな)

 

(【勇者】……。ヴァルグリンド……いや、白の神も言っていた。それは一体……)

 

(【勇者】はこの世界の希望の担い手、そして唯一【虚無】に対抗できる存在でもある。君にはその素質があるんだよ)

 

(あの【虚無】……。あなたは、一体何者……、どうしてそんなことまで知っているのですか)

 

(【勇者】の誕生を促すことがぼくの役割。ぼくは、新しい【勇者】の魂を導く為に、先代の【勇者】によって造られたのさ。そして君には、二つに分けられた【勇者】の力が眠っているんだよ)

 

(二つに分けられた……。では、もう一人はまさか姉さん……)

 

(いや、それは違う。彼女は本来、【勇者】の力を制御し、【勇者】を導く役割を担うべき魂だったんだよ。その力を空帝ル・シエルに奉げているらしいけどね。もう一人というのは獣さ。先代の【勇者】はその魂を受け継がせ、遠い未来に厳選された二つの魂が覚醒するように仕組んでおいた。覚醒した二つの魂を先代の【勇者】が残した機械の力で結び付けることで、初めて新世代の【勇者】は誕生する)

 

(ぼくが【勇者】の魂を引き継ぐもの……)

 

(話を戻そう。君に【勇者】となる意志があるなら、ぼくはぼくの全存在を賭けて君に新しい命を与えることを約束しよう。もっとも、新しく誕生する【勇者】は二つの魂と機械の力が一つになった存在。今の君ではなくなることは覚悟してもらいたい)

 

 このまま無力な一人の道化として生涯を終えるくらいならば、自分を支えてくれた多くの仲間たちの為に己の命を捧げよう。クウはそう考えた。それが己に与えられた使命ならばなおさらのことであった。

 

(ぼくはなります。【勇者】に)

 

(そうか、よく言ってくれたね。君が受け入れてくれるなら、ぼくの方も気が楽さ)

 

 ベビー・ロキが頷くと、ヘルが両腕を広げた。周囲に氷の結晶の様な輝きと共に白い帯状の物体が現れ、道化とベビー・ロキの体を包み込んだ。ヘルと、呆然とするマーニをその場に残して、二人の姿は消えた。

 

 クウとベビー・ロキは遠くの空に浮かぶ、侵略者の船へと運ばれていった。決心したクウであったが、迷いもあった。姉や、ル・シエルと戦うことになるのは明白である。かの者たちはこの世界の敵として君臨しているのだから。

 

 自分はこの世界を救う為に力を尽くす道を選んだ。後で後悔するかもしれない。あるいは、生まれ変わった後は、後悔することすら出来ないのであろうか。クウはそのことをロキに尋ねなかった。聞けば、なおさら決心が揺らぐ予感がしたから。

 

 

 

 機械たちの上層部では、休戦するか、このまま侵略行為を続行し、塔を制圧するかで意見が分かれていた。

 

 休戦を特に強く主張しているのは蹴激皇ヴィーザルであった。それに対し、黒槍機ボルヴェルグなどの自ら前線で戦ってきた重役の多くは、一刻も早くこの世界を制圧した後、改めてあの軍勢に対する備えを整えることを主張した。

 

 ヴィーザルが言うことは、休戦と言うよりも、獣たちと協力してあの軍勢に備えることであり、これは侵略行為自体の永久放棄を意味していた。ここまで戦ってきた同胞たちが反感を覚えるのは当然のことである。もし、侵略を中止したら、故郷に残してきた同胞たちを見捨てることになるかもしれないのだ。

 

 それでも、ヴィーザルには古株の鉄騎皇イグドラシルが強く賛成しており、徐々にこれに付き従う者も増えていた。鎧神機ヴァルハランスなどの新鋭の者たちにも賛同者は多い。曰く、侵略行為の中止は故郷を見捨てることではない。我々は我々の力だけで、故郷を救う為に尽力するべきである、と。

 

 それが絶望的であるからこそ、他次元侵略に及んだのであり、反対する者たちが意見を曲げる様子はなかなか見られなかった。

 

 決着を見せない議論に終止符を打ったのは、ロキの介入であった。ロキはこの世界と自分たちの故郷を襲う共通の敵、【虚無】の存在を語った。自分たちとこの世界の住人が戦うのは、【虚無】の思うつぼでしかない、と。ロキの存在を嫌悪している者はこれに耳を貸そうともしなかったが、次の瞬間には無視する訳にもいかなくなった。

 

 巨神機トールからの通信が入ったのである。トールは破壊の使者として猛威を振るっていた時とは打って変わり、現在では機人たちの住まう都市の守護者となっていた。そのトールがロキの言葉に従い、既に各地のナノウィルス発生装置の破壊を開始していると言ったのである。

 

 多くの者は絶句した。あれほど好戦的であったトールが、自ら侵略行為を放棄した。トールの突然の豹変にしばらく呆然としていた者たちは、急に思い出したようにトールを咎めようとしたが、トールに一喝され、また黙り込んだ。

 

「諸君らは、この世界の真実から眼を背けている。我らの主は言った。本来、我らがこの世界の支配者階級であると。だが、現実は単なる残忍な侵略者だ。支配者面する資格など微塵もない。あの虚無の軍勢を、虚龍を、そして虚神の存在を今一度思い出してみよ。ロキの言った通りではないか。我々は己の罪を自覚し、この世界の者たちに頭を下げなければならない。そして、この世界を救う為に【虚無】と戦うことを、命を賭けて誓わなければならないのだ。それが、我々の世界を救うことにも繋がる」

 

 仲間の間では不満も多々あった。それでもトールの有無を言わさぬ態度に気圧されてしまった。機械同士の不和は後後まで尾を引くことになったが、この場ではヴィーザルたちの意見に従わなければならない結果となってしまった。それだけ、トールは皆から怖れられていたとも言える。

 

 トールは一方で、同胞たちを従わせる為に、忌み嫌っている己の力まで誇示したことを後悔していた。そう、自分の破壊の力は恐ろしくも忌まわしいものだ。わたしは聞いてしまったのだ。あの、岩の像たちを破壊した時、無数の魂の叫びを。その叫びは共鳴し、一族が完全に滅び去る運命を嘆き、わたしに対する底知れぬ恨みの声を響かせた。

 

 元々、ロキに訴えられていたせいもあるのだろう、その声を何故か聞いてしまったわたしは自ら前線を退き、同胞の守護者として振る舞った。もう戦うのが嫌だったのだ。それでも、今は【虚無】に対抗する為に、槌を取らねばなるまい。これがわたしの贖罪だ。

 

 トールの最大の疑念は、機械たちを支配者になるべき存在であると述べた姿見えぬ主であった。主は機械たちの故郷の影の統治者と言われているが、その存在は謎に包まれている。機械たちは生れた時からその主から賜る詔に従い生きていた。トールとて同様であったのだが、ここにきて、その存在を疑問に思ったのである。

 

 機械たちの多くは、主の言葉があったからこそ、自分たちがこの世界を侵略することで生き延びることが最も正しい選択であると信じた、と言っても良い。

 

 主の望みが世界の破滅に直結している、トールはそう確信していた。

 

 

 

 侵略者たちの母艦の一室。ロキによってその場のあらゆる設備が作動し、溶液に満たされたカプセルの中でアインホルンとクウの命が合成されつつあった。そしてその場に鎮座する、魂なき【勇者】の装甲。

 

(間もなく【勇者】が誕生する。後は、可能な限り導いていかなければ。その為にぼくはプログラムされたんだからね)

 

 既に力尽きる寸前であったアインホルンとクウ。二人の体は溶液によって溶かされ、二人の魂を新しい体に馴染ませる為に利用される。

 

(自分の役目はきちんと果たす。ただ……、それだけってのも面白くないな)

 

 一室に一人の神機が入ってきた。流れる様な体を持つ、奇妙な神機。

 

「大分捗っているらしいな。ロキ」

 

 神機が言った。

 

(まあね、ずっとこの時が来るまでテストも繰り返してきたんだ、失敗はない筈さ)

 

「ほう、おれもその一環かね」

 

(そうだよ、と言ったら、気にいらないかな、スルト)

 

「別に構わんよ」

 

(それを聞いて安心したよ。ま、本当は君が親友だったから助けたわけだけどね。ぼくはぼくにとって都合の良いものを優先するわけだから)

 

「そう言う方がお前らしいよ、ロキ。それと、おれのことはスルトではなく、神機レーヴァテインと呼んでくれ。おれの新しい名だ」

 

(分かったよ、レーヴァテイン)

 

「さてと、おれはお前のことを親と呼ばねばならないわけか」

 

(その必要はないよ。ぼくは例え姿形が変わっても、一人の親友でありたい)

 

「ははは。そう言ってもらえるとおれも安心できる、ロキ。」

 

 蠢くクウの魂が、アインホルンの命であるコアへと吸収されていった。クウでもアインホルンでもない、それでいて両者の意思を引き継ぐ新しい命の誕生。それは目前に迫っていた。

 

 

 

 侵略者の侵攻が治まってから丸一日が経過した。塔の周りに侵略者の軍勢が、集まってきた。再び戦いが始まると思い、身構える獣たち。ソールは己の硝子の体を振るわせ、声を発した。塔の住人たちも、再び始まる戦いを思い、警戒の色を強めた。

 

 侵略者たちが攻め寄せて来る気配はない。不思議に思う獣や姫君たちの目前に、突如巨大な映像が映し出された。この世界を侵す無数のナノウィルス発生装置の映像。獣や姫君の中には、その存在に感づいている者も多くいた。その者たちは、次の瞬間にあっと言った。

 

 侵略者たちは、自分たちの手でその装置を破壊し始めたのである。そして、映像が一通り終わった後、一人の騎士が塔の側に歩み寄ってきた。殺気立つ獣たち。ところが、その騎士は戦う意思がないことを示す為、吼え猛る獣の側までゆっくりと近付くと、その場に跪いた。

 

 暫しの沈黙が続く。何時しか、異変を知ったソールは歌うのを止めていた。ソールは、窓から塔の下を覗いた。フレイとフリッグも、ソールと共に騎士を見つめる。獣たちの間から抜け出し、ベル・ダンディアが騎士の前に近付いていくのが見えた。それを守護する為であろうか、スミドロードが付き従っていた。

 

 ベル・ダンディアが騎士の前に立つと、言った。

 

「あなたの顔を見せてください」

 

 騎士は黙って面を上げた。緑色の温かな眼光。ベル・ダンディアはその眼光の奥深くにある親しい獣の面影を見た。スミドロードも気付いたのであろう、その瞳の輝きに見入っていた。

 

「やはりあなたは……アインホルン……」

 

「はい、ベル・ダンディア様。かつて、わたしはその名で呼ばれていたことも記憶しております」

 

 ベル・ダンディアの眼から涙が溢れた。アインホルンは、一人の道化と一体化しながらも生きていたのである。ベル・ダンディアは知らなかったが、その騎士の瞳の輝きは、空帝竜騎プラチナムとも酷似していた。

 

「アインホルン……」

 

「それと共に、わたしはこの塔で育った道化でもあるのです、ベル・ダンディア様」

 

 二人が形は変わっても生きていてくれたことは嬉しかった。ただ、眼の前にいるのはもはや、アインホルン一人でもなければ、あの道化でもない。ベル・ダンディアは複雑な気持ちになった。

 

 騎士が獣たちの方を見渡しながら言った。

 

「わたしの名はウル。かつて侵略者だった者たちからの平和の使者として、参上致しました」

 

 その言葉に獣たちはどよめいた。この世界の言葉を喋る、かつての同胞だった機械の騎士。初めて、公然の場でこの世界の住人と侵略者が意思の疎通を果たした瞬間であった。




関連カード

●浮遊魚モラモラー
空魚。
フレーバーテキストは白の章第8節。
「虚空からの一撃」が塔の門と包囲していた侵略者たちを一度に消滅させた場面。

自分の小説におけるモラモラーの名付け親は放浪者ロロ。

●神機レーヴァテイン
武装スピリット。
「千万の敵を屠る刃」と称される流体の神機。
北欧神話においてはスルトの持つ炎の剣と同一視されることが多い。
カードでは巨神機トール及び鎧神機ヴァルハランスと組み合わせることで発揮する効果を持っており、
これはリバイバル版でも同様である。
なお、リバイバル版では「戦闘力はなくても、サポート専門の戦力」と書かれており、
フレーバーテキスト内の評価において、前者とはかなりの差が見られる。

本章では身体の大半を失った鋼人スルトが、ロキの手により、所持していた剣と一体化した新しい姿。

●天弓の勇者ウル
白の勇者。
系統:武装・勇傑を持つ。
フレーバーテキストでは空帝ル・シエルを矢で撃ち落としている。
この場面は、空帝竜騎プラチナムに書かれている白の章第12節へ続くものと思われる。



●機械神の加護
名所千選615。
機人に支配された都市。
イラストでは巨神機トールが都市を守っており、トールには守護者としての側面もあることが窺える。

本章におけるトールが守護者になっている都市とはこのネクサスのこと。


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第二十四章 光雨

『星創る歌声』

 

 

 歌の項

 

 

 満月の光に反射して、きらきらと輝く白砂に覆われた海岸に、澄んだ海水が静かに波打つ。砂浜に漂う微かな虹色の輝きが、さらわれていく砂と共に、海へと溶け込んでいった。

 

 誰かが唄う声が響いてくる。砂浜で一所懸命になって虹の輝きを創り続けている蟹たちがその動きを止め、歌声のする方へ向かって、吸い寄せられるようにとことこと歩いて行った。

 

 砂浜を少し登った先に、僅かに残された羊歯のような緑の植物が生い茂っている。その中に水晶が台座のように積み重なっていた。その上に腰を下ろし、月を見上げながら唄っている一人の道化の姿があった。

 

 蟹たちはこの道化の側に集まってくると、拝む様にしてその場にじっとしていた。いつしか、緑の中から、数匹の光虫たちも這い出てきた。

 

 この世界は歌によって創られたと伝えられている。今でも、魔力の籠った歌声によって世界は維持され、新たな活力の源が創られている。その為、歌声の主たちは皆から重宝され、最も大きな力を持っていたソールがこの世界の歌姫として崇められている。

 

 歌声は本来、中立を守るべき道化や、一部の竜たちが持っている能力であり、かつてはソールたち氷の姫君も道化であった。結果として、中立であるべきだった姫たちが権力を持つようになり、声を盗み、支配者となることを企てた氷の魔女ヘルの一味などの登場を招いてしまった。

 

 あの争いは、力ある道化が中立を破ったことに端を発している――ディースはそう考えていた。甲精ディースもかつては姫君たちの一員であったが、皆に担ぎあげられているソールを不憫に思いながらも、一人で抜け出し、知り合いである笛吹きのヘイムダルと同じく中立を守った。

 

 幸か不幸か、その為ディースはヘルの呪いから免れたのである。ディースと同じ境遇の姫たちもいたが、彼女たちが今はどうしているのか、ディースは知らなかった。

 

 ディースの歌声に導かれるようにして、巨大な竜が舞い降りた。竜はディースの歌声に聴き入ったまま、その場に腰を下ろしていた。しばらくして、ディースは唄うのをやめると、満月を見上げていた顔を下げ、竜と眼を合わせた。

 

「久しぶりね、アウローリア」

 

 アウローリアはくぐもった鳴き声を漏らした。

 

「姫様こそ、お久しゅうございます」

 

「もう姫とは呼ばないでって言ったでしょう。わたしも今では一人の道化」

 

「これはとんだご無礼を……ディース様」

 

 ディースはふうと溜息をつくと、諦めた顔でアウローリアに尋ねた。

 

「あなた……、ミストと話したそうね」

 

「ミスト……。なるほど、そうでございましたか」

 

 アウローリアは何事かを納得した様子で、頷いた。

 

「それで、このわたしをお訪ねになったというわけで」

 

「あの子からあなたのことを聞いて、何だか、急にあなたに逢いたくなったのよ。ただそれだけ」

 

 ディースは、澄んだ海の水平線を眺めた。この辺りの海は、珊瑚蟹や宝石虫たちのおかげで、異界よりの浸食を免れていた。

 

 海に注がれる川の上流から下流にかけて、様々な光虫たちが土と水を浄化し、海岸では無数の珊瑚蟹たちが虹の輝きを創り出し、浸食を食い止める。虹の輝きは空気と水に溶け込み、それらが風や雨に運ばれて循環することで、この辺りの地域の平和が守られているのである。

 

 アウローリアは珊瑚蟹たちと同じく、虹の輝きを持つ竜。外敵から皆を守護する彼は、世界の浸食を食い止める者にとっての希望の象徴でもあった。

 

「あなた様は、丁度良い時分にお越しになられた。今宵は満月。この地であれば、間もなく光雨を見ることが出来るでしょう」

 

「光雨、まだそれを見られる地があった……。あなたが、この地の者たちを助けてきたおかげね」

 

「救われているのはむしろわたしの方。この地に住まう者たちが、このわたしにも活力を与えてくれるのです」

 

「そうね……。世界の維持は彼らの役目。そして、わたしたち歌声の持ち主は綻んだ世界の修繕を担う者。ただ、役割が違うというだけで、その命の重さは皆同じ。だから決して驕ってはいけなかったのに……」

 

 ディースは悲しい眼で眼の前に広がる海を見ていたが、やがて海の上に浮かぶ満月の辺りから、一筋の光が零れ落ちたのに気が付くと、はっと息をのんだ。

 

「光雨……」

 

 満月から零れ落ちる光雨が海の上にぽつり、ぽつりと落ちていく。美しくも儚げな光景。侵略者が現れる遥か以前、姫たちが争い出す前は、今夜の様な満月の時には、世界中の至る所に光雨が降り注いだ。それが、姫の驕りにより世界が変動するにつれて姿を消していき、侵略者の出現で、ごく一部の地域でしか見ることが出来なくなった。

 

「光雨の減少と共に、この世界からは大切な何かが失われていった。そんな気がするわ」

 

「ですが、わたしたちにはまだなせることがある……、ディース様もそうお思いでございましょう」

 

「ええ、もちろん」

 

 光雨が、海に降り注いだ。蟹や光虫たちも、黙ってその光景に見入っている。光雨を吸い取った海の中で、虹色の珊瑚が煌めいた。

 

 しばらく黙って見ていたディースが、アウローリアの方を振り向いて言った。

 

「歌いましょう、アウローリア。今というこの時を祝して」

 

「そう仰ってくださるのを待っておりましたよ」

 

 ディースはアウローリアにほほ笑みかけると、ゆっくりと詠唱を発した。それに伴い、アウローリアが静かでいて、空間に染み渡るような声を響かせた。周囲をたゆたう虹の輝きが、二人の声に唱和するかのように空間を伝わっていく。

 

 光雨は、歌声に吸い寄せられるかのように、海岸沿いの方にも降ってきた。心地よい光雨の中で、ディースとアウローリアは歌い続けた。やがて光雨は止んだが、ディースとアウローリアは詠唱を続けた。

 

 蟹が次々と海の方へと戻っていき、光虫たちも少しずつ姿を消していった。歌声によって繕われた世界で、それぞれの役割を果たす為に。

 

 これから程なくして、侵略者たちによる世界の浸食は終わりを告げた。

 

 だが、変わり果てた世界を修繕するほどの歌声は、もはやこの世界には残っていない。ディースやアウローリアは決して力ある者ではなく、それ故に過去の大戦を生き延びたとも言える。本当に世界全体を動かすほどの力の持ち主は、反戦派のソールを除いて滅んだ。そのソールもヘルの呪いに蝕まれ、昔ほどの力は残っていないのである。

 

 そして目前に迫ってきている【虚無】。この存在を既に察知しているディースとアウローリアは、危ぶんだ。これまでの世界の変容で、過去の大戦と同じかそれ以上の犠牲者がでた。それを上回ることは避けようがない。

 

 どれだけの者が生き延びることが出来るのか、誰もいなくなるのか、何れにしろ、望まなくても世界は大きく変わる。



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第二十五章 和合

 三姉妹の項

 

 

 ソールはマーニに塔のことを任せ、護衛のヘイル・ガルフを伴い、塔を降りた。マーニを始めとする氷の姫君たちが彼女を止めたが、ソールの決心は揺るがなかった。侵略者の申し出を頼りにして和睦に応じるべく、直接対面しようとしたのである。

 

 ソールが塔を出ると、待っていたリンとグナがソールを護るために、付いて行った。後方には、塔の窓から心配そうにソールを見つめるマーニの姿もある。

 

 先ほどの得体の知れない存在との戦闘で、ニヴルヘイムとファーブニルが命を落とした。交信が途絶えたことでそれを知ったヘイル・ガルフは、沈痛な面持ちとなっている。命を賭したニヴルヘイムによって救われたリンとグナも同様であった。

 

 防衛における最大の要である凍獣マン・モールは重傷を負いながらも一命を取り留めていたが、既にこのまま戦を続けても勝ち目など万に一つも無いことは明白である。もはや、この和睦に縋る他はなかった。

 

 ウルと向かい合っていたベル・ダンディアがソールたちの気配に気づき、振り向いた。ウルが近付いてくるソールの方を向いて、恭しく礼をする。

 

「ソール様。お久しぶりでございます」

 

 ウルの言葉に、はっとなるソール。眼前のウルの姿に見受けられる、あの白い道化の面影にソールはすぐに気が付いた。ソールの硝子の喉が言葉を紡ぐことも叶わずに、震えた。

 

「そうです、ソール様。彼、ウルはわたしの親友アインホルンであり、あなた様の塔で働いてきた、あの道化でもあるのです」

 

 ベル・ダンディアがそう言うと、ソールの傍にいるリンとグナが驚き、二人で顔を見合わせ、それから訝しげにウルとベル・ダンディアを見た。

 

「ベル・ダンディア様の仰る通りでございます。わたしはあなた様にお仕えしてきた道化と鎧蛇の島の戦士アインホルン、それにかつて機械たちの勇者と呼ばれた存在が残した体をロキと言う名の機械が合成させて生み出した存在です」

 

 すぐに呑み込んだソールと違い、リンとグナにとってその話は信じ難いことであったが、ウルの瞳には正しくあの道化と同じ輝きがあり、それに気圧されて口を挿むことができなかった。

 

 ソールが片腕で合図をすると、傍らのヘイル・ガルフが前に進み出た。ヘイル・ガルフはベル・ダンディアやリンとグナには内容を理解できない奇妙な電子音性を発した。ミッドガルズとロキが対話をしたときと同じものである。

 

 しばらく、周囲の者たちは黙ってヘイル・ガルフを見守っていたが、やがて電子音性が途絶えると、ウルは頷いてから答えた。

 

「有難うございます、ソール様、それにヘイル・ガルフ殿。すべて後方の仲間たちに伝えました。皆、あなた方がこの和睦に応じてくださったことを心より感謝しております」

 

 その言葉を聞き、言葉を話すことの出来ないソールは笑顔で応えた。

 

 ベル・ダンディアも嬉しかったのであるが、一方で寂しさも覚えていた。ウルの言った「仲間」とはつい先ほどまでの侵略者のことである。ウルが既にそちら側の住人であることを考えると、もうあの逞しくも健気なアインホルンが、ずっと遠くに行ってしまったような気がする。

 

 ソールが無事に塔へ戻ると、獣たちは凱旋の喜びの如く賑わった。選ばれた獣と機械の幾人かがウルのもとへと集い、それぞれの作法に倣って相手に対して和を結ぶ意思を伝えた。

 

 長く続いたこの世界の住人と侵略者の戦い。それが終わったことで獣たちの多くは喜んだ。だが、あの異界の存在を目の当たりにした者や、機械たちの心中には不吉な予感が取り付いて離れることはない。かつてない破局。それは目前に迫ってきているのである。

 

 

 

 凍りついた樹々はそれでも命の輝きを失っておらず、それぞれが守護する命を育んでいた。樹木の内に籠る命の輝きは、その間を歩く少女の影をくっきりと浮かび上がらせた。

 

 少女はヘルによって他方へと飛ばされた誓約の女神ヴァールである。ヴァールはヘルから与えられた使命を果たすべく、この凍りついた樹海の奥地を訪れた。この地にフェンリルがいる。それがもたらすものはヴァールには分からなかったが、ヘルを自分に振り向かせる為にはこれは必要なことであると、何度も心の中で自分に言い聞かせた。

 

 気配がした。樹氷の奥から自分を探る何ものかの存在。ヴァールは瞬時に虚空から武器である鍵を取り出すと、身構えた。

 

「誰。出ておいで。さもないと」

 

 ヴァールが鍵を振りかざすと空間が恐怖におののくかの様に振動した。側の樹氷に亀裂が奔る。ヘルに対する憤りを正体のわからぬ相手にぶつける勢い。

 

 樹氷の間から一筋の白い光の帯がさ迷い出ると、ヴァールの全身を包み込み、その力を抑え込んだ。驚くヴァール。その様子を眺めていた何者かが、ゆっくりと姿を現した。

 

「相変わらずせっかちなのですね、ヴァール」

 

 硝子の様な唇から紡がれる澄んだ声。結えてある白色の髪は、周囲の樹氷と酷似していた。白磁の様な肌の輝きは、塔に住んでいる氷の姫君や、ヴァールと同様のものであった。

 

「エイル……」

 

 ヴァールが呟いた。エイルは軽く頷くと、ヴァールを包んでいた光を払い、ゆっくりとヴァールの側に歩み寄った。ヴァールは束縛から解放された後も微動だにせず、黙って彼女の方を向いていた。

 

 樹氷の女神エイル。彼女は誓約の女神ヴァールと同じく、かつて道化であった氷の姫君たちとは違う、氷の魔女と呼ばれる古き一族である。

 

 一族の中ではさほど甲羅を得ていないヴァールと比べると、エイルはヘルに次ぐほどの古株であった。それでも、永久凍土の如くその年を感じさせないエイルの姿は、ヴァールや氷の姫君たちとさほど変わらない。

 

「ヴァール、久しぶりですね」

 

 ヴァールは若干不機嫌そうな顔つきとなり、エイルに向かって言った。

 

「あんたに用はないよ、エイル。あたしはヘル様の御命令で、この地に眠るフェンリルを呼びさましに来たんだ」

 

 エイルはくすりと笑った。

 

「もちろん、知っていますよ。だからこそわたしはこうしてあなたを出迎えに来たのですから」

 

 エイルは手招きをするとヴァールに背を向け、歩を進めた。ヴァールはしぶしぶと後に従う。

 

「その後、ソール様のご容体はどうかしら。マーニに渡した薬はちゃんと効いているでしょう」

 

 医術を生業としているエイルは、忌み嫌われる魔女の一族であるにも関わらず、氷の姫君たちからは頼りにされており、塔の住人とも例外的に親しい間柄である。ソールの体を蝕む病を静める為の薬も、彼女が処方したものであった。

 

「知らないよ、ソールのことなんか。でも、あいつはしぶといから、大丈夫だろ」

 

 ヴァールのあからさまな悪態を耳にすると、エイルは訝しげに眼を細めた。エイルの背後にいるヴァールはその変化に気が付かなかった。

 

「そう、そういうこと……。それでヘルは……」

 

 エイルが微かにそう呟いたが、ヴァールは気にも留めずに、エイルと共に樹氷の森の奥へと進んで行った。

 

 

 

「まったく、散々おれたちの世界を荒らしまわった挙句がこれかよ。今度はおれたちに仲良くしましょうと言ってきやがった。得体の知れない化物が現れておれたちと戦っている場合じゃなくなったからと言って、今までのことを忘れることが出来ると連中は本気で思っているのかよ。おれは嫌だぞ、あんな奴らと手を組むなんて」

 

 大柄な硬質化した猪という風貌の鎧装獣グリン・ブルスティが、嫌悪の感情を剥き出しにしながら吐き捨てた。

 

「しかし、グリン・ブルスティ殿。ウル・ディーネ様も仰っていたように、これ以上侵略者と戦ったところでもう勝算はあまりないんですよ。今は、彼らと手を組めるようになったことを皆と共に喜ばなければ」

 

 ハティがグリン・ブルスティを宥めた。

 

「そんなことは分かっている。確かに、今は奴らと戦う必要がなくなったことはおれだって嬉しい。だがな、今更あいつらが詫びてきたところで、失った仲間は帰ってこないんだ。それに、あの化物を倒した後はどうなるんだ。奴らのことだ、これ見よがしにおれたちの世界を我が物顔で支配しようとするに決まっている」

 

「ぼくはそうは思わないけどな。ぼくたちは今までできなかった彼らとの意思の疎通に成功したんですよ。もうこの世界の何割かは彼らが移住するのに適した環境になっているという話も聞きました。あの連中を退けた後は、何とかお互いに折り合いをつけて共存していくことも出来るんじゃないかと思いますよ」

 

「ふん。ヘイズ・ルーンやアウドムラはお前のことを高く評価していたようだが、おれに言わせればまだまだ甘いな。侵略者どもには戦士としての志すらなかったのだ。おれは決して許さないからな」

 

 ハティは救いを求める様に傍らのセンザンゴウへ視線を向けたが、センザンゴウは硬質化した皮膚に覆われた背中を揺らしながら、黙々と白い虫の様な食事を貪っている。その無表情な顔つきからは、如何なる感情も読み取ることは出来なかった。

 

「ハティ」

 

 突然響いた声にハティが振り向くと、宮殿の中に大急ぎで入ってきたスクルディアの姿があった。

 

 ハティは慣れた動作で、飛びついて来たスクルディアをその獣毛に覆われた体躯で受け止めた。

 

「どうなさったのですか、スクルディア様」

 

「ベルお姉ちゃんが会ってくれないの。ずっと会いたかったのに」

 

「ベル・ダンディア様が……」

 

 ハティはただ泣きじゃくるスクルディアに対してどうしたら良いのか分からず、ただただ途方に暮れていた。

 

 暫しの間、抱きついてきたスクルディアを見守っていたハティであったが、いつの間にか宮殿の内部に入っていたウル・ディーネが這いよって来る気配に気が付くと、顔を上げ、彼女の方を見た。

 

「ウル・ディーネ様」

 

 ウル・ディーネが小さく頷いた。

 

「あなたにはまだ話していませんでしたね、ハティ。何故、わたしとスクルディアがベル・ダンディアと離れて暮らさなければいけなかったのか」

 

 ウル・ディーネはそう言うと、スクルディアの髪をそっと撫でた。

 

「スクルディアの……、未来の為なのですよ」

 

 スクルディアが言葉を続けようとした刹那、この宮殿と一体化している竜、ブレイザブリクの声が木霊した。

 

「ウル・ディーネ殿、ご用心なされ。何やら、皆の動きが慌ただしい。機械たちがあの異界の存在の接近を感知したらしいですぞ」

 

 ウル・ディーネの側に一体の星導く使者が飛び込んできた。星導く使者がウル・ディーネの前で何かを伝える仕草をする。

 

「【虚無】が……」

 

 ウル・ディーネが震える口でそう言った。途端にスクルディアが微かな声を漏らし、震えた。

 

 ハティはまたあれが再来するのかと思うと凄まじい恐怖に襲われたが、自分の懐で怯えるスクルディアの温もりを感じると、ハクと別れた際に心の中で誓った志を思いだし、身を引き締めた。ただ、そのハクと戦うことになるかもしれないという予感がハティの心中に暗い影を落としていたのであるが。

 

 グリン・ブルスティが闘志を全身に漲らせたと同時に、それまで周囲に無関心な様子と思われていたセンザンゴウが立ち上がると、真っ直ぐに前を見つめた。

 

 ウル・ディーネがセンザンゴウの視線の先を見やると、そこにはフレイアの姿があった。

 

「皆さん、聞いてください。ヘルの話では、ロキの造った超時空重力炉で【虚無】の出現は抑えられているのですが、虚無の軍勢の別働隊が次元の狭間に存在するそれらの障害を破壊しているというのです。もうすぐ【虚無】は現れます。それまでにこちらも万全の態勢で臨まなければ」

 

 そこまで言うと、フレイアはウル・ディーネの方に向き直った。

 

「ウル・ディーネ殿。この場の防衛はわたしに任せて、あなたはここにいる者たちを連れて塔に避難してください。機械の軍勢も塔の警備にあたっております。そこならまだ、持ち堪えられる筈」

 

「フレイア様。わたしも【虚無】を抑える為に、ここに残ります」

 

 ウル・ディーネはそう言ったが、フレイアは頭を振った。

 

「いいえ、ウル・ディーネ殿。万が一ということもあり得ます。あなたたちやソール様の身にもしものことがあれば、我々はすべての希望を失うこととなるのですよ。ここにはわたしが残り、あなた方は塔の姫たちの指示に従ってください」

 

 ウル・ディーネは何事かを言おうとしたが、フレイアの強い意志の籠った眼差しを目の当たりにすると、渋々ながらも承諾した。

 

「……分かりました。フレイア様、どうか御無事で」

 

 フレイアは頷くと、ハティの方へと歩み寄り、その頭をそっと撫でた。

 

「ハティ、といいましたね。スクルディアのことを頼みますよ」

 

「はい、フレイア様」

 

 フレイアの瞳の奥の悲壮な決意を感じ取ったハティは、それこそが自分がこの人に対して応えることのできる唯一のことである、とそんな気がした。

 

 星導く使者を従えたウル・ディーネ、それにハティとスクルディア、センザンゴウを始めとする獣たちが塔へと向かおうとしたが、それまで黙っていたグリン・ブルスティはフレイアに歩み寄ると、こう言った。

 

「フレイア様、わたしもこの場に残り、あなた様の力となりましょう」

 

「グリン・ブルスティ殿、しかしあなたはウル・ディーネたちの護衛を任されてここまで来た身。あなたも塔へ向かってください」

 

「フレイア様。残念ながら、わたしにはあの侵略者だった機械と共に戦うことなど出来ません。わたしは今でも、あの者らに対する憎しみを抑えるだけでも精いっぱいなのですから。それにわたし以外の者たちだけでも十分でしょう。センザンゴウも若いとはいえ、頼りになります」

 

 フレイアはグリン・ブルスティの思いがけない申し出に思わず言葉を失った。グリン・ブルスティは構わずに後を続ける。

 

「わたしもこの場に残った方が力になれます。このわたしと同様に、機械たちとの協力を望まない獣たちも多い筈。彼らも機械たちとは別に防衛にあたることを望んでいることでしょうな」

 

「グリン・ブルスティ殿……。分かりました。あなたにはこの宮殿に残って【虚無】との交戦に備えて頂きましょう」

 

 グリン・ブルスティの有無を言わさぬ様子を前にして、フレイアにはそう言うほかは無かった。

 

 ウル・ディーネたちと共に塔へ向かった獣たちもいる一方で、居合わせた獣たちの中で、何体かがグリン・ブルスティに共感し、共に戦うべく、その場に残った。フレイアの心中で暗い感情が揺らめく。それに応えるかの様に、ブレイザブリクが直接フレイアの心の中に話しかけてきた。

 

(フレイア様……。我々ともに戦ってくれる戦士たちがいてくれること、感謝せねばなりませんな)

 

(ええ、そうですね。でも、彼らは救いたい。この場で犠牲になるのはわたし一人で十分なのですか)

 

(この儂もお供しますぞ、フレイア様。あなた様を守護する為にこれまで生き延びてきたのですからな)

 

(ブレイザブリク、それはいけません。わたしが死んだ後は、あなたがこの者たちを護り、安全なところまで送り届けるのです)

 

(あなた様をお護りすることこそが儂の存在意義なのです。それに、機械たちがこの世界の守護を約束したからといって、世界に安全なところなどあるものでしょうか)

 

(……ブレイザブリク、これは命令です。あなたはここが落とされる時、この者たちを連れ、機械の船へと避難するのです。わたしが命を落としても、後を追うなどと考えてはいけませんよ)

 

(…………)

 

 ブレイザブリクは応えなかった。

 

 

 

「フェンリルが眠っているという所はまだなの」

 

 ヴァールが苛立たしげにエイルに尋ねた。

 

 先ほどからエイルの案内に従い、樹海の中を進み続けているのであるが、似たような風景ばかりで一向にフェンリルの気配が感じられない。フェンリルの力がミッドガルズと同等、あるいはそれ以上だとすると、封印されているにしても未だにその気配が感じられないというのはいささか不自然なことに思えた。まるで同じ所をぐるぐると歩き廻っているような感じだ。

 

「そうね、ここら辺で良いですね」

 

 エイルが足を止めると、ヴァールの方に向き直った。

 

「何、どうしたんだよ。ここじゃないだろ」

 

「ええ、その通りですよ。ここにフェンリルはいません」

 

 ヴァールが何か言うよりも早く、エイルは白い霧を周囲に放った。突然の出来事に思わず悲鳴を上げるヴァールを白い霧が一瞬で覆い、集約した霧は瞬く間に固い氷へと変貌していた。

 

 ヘルが封印されていた時と同じ、永久凍土の如く氷漬けとなったヴァールの前にエイルが立った。

 

「ヴァール、悪く思わないでください。これもあなたの為であり、ヘルの望みでもあるのです。未だ、フェンリルを目覚めさせる時ではないのですから」

 

 氷漬けにされたヴァールにはその言葉は届かず、ただ、エイルを恨めしげに睨んでいた。

 

 

 

 ウル・ディーネは罪の意識に苛まれていた。フレイアは「万が一」と言っていたが、実際は望みなどそれほどあるとは思えない。機械たちの動向が、塔より離れ、未だ【虚無】の魔手が伸びない地までソールたちを避難させようとすることを物語っていることからも、それが分かる。そんな状況下で、フレイアたちをあの場に残してきたのだ。

 

 自分たちに課せられた使命、それを今一度見つめ直す時。ウル・ディーネはそのことへの意志を強めていた。




関連カード

●樹氷の女神エイル
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節。
ソールの犠牲により生じた虚神の一瞬の隙をついて、勇者が行動に出る場面。
カードの樹氷の女神エイルは系統:星魂に関する効果を持つ。
北欧神話におけるエイルは「最良の医者」と称されている。

●センザンゴウ
甲獣。
敵が侵略者であろうと虚無であろうと一貫して姫を守護する。
「虚無の一撃」によって絶命する。
このカードのフレーバーテキストの続きが盾機兵バルドルかもしれない。


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第二十六章 放浪者

 機人の項

 

 

 虚無の騎士と侵略者の刃がかみ合う。

 激しい攻防は、無限かと思われる時間続いた。

 ―放浪者ロロ『異界見聞録』白の章第9節より―

 

 

 フギンとムニンの案内に従って歩きまわされたミストたちであったが、一向に目的地らしい場所には着かなかった。ミストは不信感を顕わにしながら言った。

 

「あなたたち、さっきから適当な場所を歩きまわらせているだけで、何か隠しているんじゃない」

 

 フギンとムニンが慌てた様子で答えた。

 

「違う違う。私たち、ディース様に頼まれているの、本当よ本当」

 

「そうそう。あなたにぜひ、この先に来てもらいたいの」

 

 ミストは、この二人の妖精がディースのもとから自分を引き離そうとしているらしいことに薄々感づいていた。だが、それが本当なら、それはディースの意思でもあることになる。ミストは、もうしばらくこの子たちに付きあってあげてもいいか、と思いながら後に付いて行った。

 

 この一帯ではもはや獣の気配はなかった。硬質化した草木が疎らに生えている荒野は、まるで空間そのものが凍り付いてしまったかのように風もなく、果てしなく広がっていた。

 

 ウリボーグが悲しげに鳴き声を上げた。ミストが心配に思って覗きこみ、何事か尋ねると、ウリボーグは「疲れた」とだけ言った。

 

(そうか、ウリボーグは獣だから疲労という感覚があるんだわ。私ったらうっかり忘れていた。でも、そうすると、フギンとムニンはどうなのかしら)

 

 ミストはウリボーグを安心させるように軽く撫でてやってから、フギンとムニンに向かって言った。

 

「ねえ、ここら辺で休まない。あなたたちも疲れたでしょ」

 

 ミストがそう言うと、フギンとムニンはぴたりとその動きを止めた。

 

「ええ、そうね」

 

「そうね、そうね」

 

「休みましょう」

 

「休もう、休もう」

 

 フギンとムニンは嬉しそうに側に合った鋼の岩に下りると、その場に座り込んだ。ウリボーグも何も言わずに腰を下ろす。

 

「さてと。それじゃ私は」

 

 ミストは傍らにいるガグンラーズの背後にまわり、動力部の側でしゃがんだ。

 

「今のうちに点検しておくからね、ガグンラーズ」

 

 ミストの姉であるクイーンとヒルドが造り上げた銀狼皇ガグンラーズ。ミストはガグンラーズの内部を覗き、その整備を行うだけで、姉の匂いのようなものを感じた。今、姉たちが触れた所に、自分もこうして触れている。

 

 ガグンラーズは黙ってされるままになっていた。ガグンラーズの感情の籠もっていない瞳と視線が合う度にミストは何となく寂しさを覚える。姉に造られたガグンラーズも、もともとは固有名詞を持たない動器だったのであろう。それまでの動器であったガグンラーズの働きを自分は知らないというのに、ガグンラーズは見ず知らずの他人であった自分の為に己の身を削ってくれている。

 

 自分はガグンラーズ個人のことを何も知らない。それに比べて、ガグンラーズは自分に関するあらゆるデータを姉たちから教わっているだろうし、ガグンラーズは今までずっと自分のことを見ていてくれた。

 

 自分だってガグンラーズのことをいつも見ているが、彼は感情を表に出さないし、自分はガグンラーズの過去を知らない。この子のことももっと知りたいな、そしてもっと仲良くなりたい、ミストはそう願った。

 

「お腹空いたなあ……」

 

 ウリボーグがぽつりと呟いた。

 

「ウリボーグ……」

 

 考えてみれば、ウリボーグはここ数日何も食べていない。侵略者たちの影響でこの世界からは実りが失われていっており、完全に機械化していない獣にとって過酷な環境なのだ。

 

 ミストたちは、ダイヤモンドの月から送られてくる熱量のおかげで半永久的に活動ができる。ミストは、そうして完成された機械の体を持つ者だけが生き残り、生身の体を持つ者は適応できずに滅びるという同胞たちの当初の計画を悲しく思った。

 

「ごめんなさい、ウリボーグ。すぐに気付いてあげられなくて。じゃあ、みんなで緑の地を探しにいこう」

 

 ミストはそう言うと、ウリボーグを己の背に乗せた。

 

「フギンとムニンも疲れたでしょ。しばらく案内はいいから私の背に乗っていたら」

 

 その言葉を聞くと、二人の妖精は顔を輝かせた。

 

「いいの、ミスト」

 

「いいんだって、フギン」

 

「いいのよ、さ、乗って」

 

 フギンとムニンはすぐさまミストの背に座った。

 

「じゃあ、急ぎましょう、ガグンラーズ」

 

「わかった、ミスト」

 

 ミストが中空を滑る様にして先へ進むと、後ろからガグンラーズが獣の如く疾走して付いてきた。

 

 ディースと別れた地からは、大分離れてしまった。もしかしたら、今から引き返してウリボーグやフギンとムニンの為の食糧を恵んでもらえるのかもしれない。

 

 以前なら、来た道をすぐに戻ることくらい訳無かったのであるが、ここ数日、何故か機械たちの方向感覚に支障を発生していた。ミストも例外ではなく、近頃の異変を疑問に思っていたものである。

 

 それがアウローリアの言っていた【虚無】の影響であることなど、ミストには知る由も無かった。

 

 

 

「ここ、見覚えがある」

 

「え。そうなの、ガグンラーズ」

 

 ミストはガグンラーズの方を振り返った。ガグンラーズの瞳は白い荒野が延々と広がっている前方へ釘づけになっていた。

 

「あの塔。歌姫の声を響かせるもの。データにあった」

 

 ミストはガグンラーズの視線の先を凝視し、己の視力の感度を調節しながら、その存在を確かめた。屋上に音叉を取り付けた白い塔。それの建築に従事する獣たちの姿。

 

「俺、覚えている。ここで、俺、戦った」

 

「ガグンラーズ……。あなたが、動器だった頃の記憶なのね」

 

 フギンとムニンがテレパシーを使って二人だけで何やら話し始めた。ミストには、内容は分からなかったが、すぐにそれらしい気配を感じ取ることができた。

 

「どうしたの、フギン、ムニン」

 

「ひゃっ」

 

「きゃっ」

 

 フギンとムニンは驚いて同時に叫んだ。

 

「もし、出来たらで良いけど……もう隠し事はしないで欲しいな」

 

 フギンとムニンは顔を見合わせ、頷き合った。それから宙を舞い、ミストの前に踊り出た。

 

「あの塔は、星導く使者たちが伝えたベル・ダンディアの指示で、歌姫ソールの声を世界中に響かせる為に造られているの」

 

「そして、あれと同じものが、今、世界中の至る所で造られているの」

 

「そうだったの……。それならウリボーグの仲間もいるから、食糧を分けてもらえるかもしれないわ」

 

 それを聞くと、ウリボーグがするりとミストの背を降りると、一行の先頭に立った。

 

「ウリボーグ、どうしたの」

 

 ミストが尋ねると、ウリボーグは小声で答えた。

 

「僕が先に行けば、ミストは敵じゃないって分かってもらえるだろ」

 

 ウリボーグは塔へ向かって歩き出した。

「ありがとう、ウリボーグ。気にかけてくれて」

 

 ウリボーグを先頭にして、一行は音叉の塔へ向かって進んで行った。

 

 

 

 凄まじい光の塊が落ちた。ミストたちは何が起こったのか分からなかったが、ガグンラーズだけがいち早く危機を感じ取った。

 

 ガグンラーズは獣の様な口を開いてウリボーグを咥え込み、ミスト、フギン、ムニンを庇うように抱き込み、全力でその場を離れた。

 

 死の熱風が吹き叫び、背後からガグンラーズを襲った。それに続いて空間を粉砕するかと思われるほどの爆音が轟く。ガグンラーズは一声も漏らさず懸命に耐え、一刻も早くこの熱風の圏外へ脱出するべく駆ける。

 

 ミストは急速に遠ざかっていく視界の中で、塔が溶ける様に崩れ、その周りの獣たちが蒸発していく姿を捉えた。

 

 一瞬の後、ガグンラーズが倒れ、ミストたちはその場に放り出された。ミストの体中に強烈な熱量を受けた跡が残っている。フギンとムニンはガグンラーズの変形する装甲に全身を包み込まれていた為、無傷で済んだ。だが、ガグンラーズとウリボーグの装甲は半ば溶けており、一目で重傷と分かる。

 

「何が起こったの……。どうしてこんなことに」

 

 呆然としているミストが呻いた。

 

「これは……侵略者の兵器」

 

「セイの時と同じ……」

 

 フギンとムニンの言葉を聞いたミストが二人の視線の先を見やると、上空に銀色の飛行物体が連なっていた。

 

「あ、あれはブリシンガメンの首飾り……。やっぱり、わたしたちのせいなの……」

 

 そう呟いたミストであったが、同胞が引き起こした惨劇を思うと共に、気がかりな点もあった。ブリシンガメンの首飾りはこの世界そのものを破壊しかねないほど危険な代物であった為、開発は中止になっている筈である。それが何故、今になって実際に使われているのだろうか……。

 

「貴様ら。やはり、所詮は侵略者だったな」

 

 突然の声に驚いてミストが振り返ると、そこにはセイの姿があった。

 

「セイ……」

 

 ガグンラーズがミストの危険を察知すると、傷付いた体を起こし、ミストとセイの間に割って入った。

 

「やはり、貴様とは戦う運命にあったようだな……」

 

 セイがドリルを回転させ、ガグンラーズが刃を構える。ミストが慌てて止めようとしたが、それより先にセイの前に飛び出した小さな影があった。

 

「お前……。何故だ、何故そんな姿になっても侵略者の肩を持つのだ」

 

 ウリボーグは傷付いた己の体を懸命になって支えながら、セイに向かって言った。

 

「ミストは悪くない。これはミストのせいじゃないんだ。それなのに、お前は自分が本当の敵に立ち向かう力が無いからといって、罪のない者に刃を向けるのか」

 

「何を言う。そいつは我々の同胞を滅ぼした連中の仲間なのだ。報いを受けて然るべき」

 

「お前は仲間の為ではなく、自分の力不足を忘却する為だけに戦おうとしている。それがわからないのかよ」

 

「な……何だと……」

 

 セイは黙りこみ、ミストとガグンラーズを見やった。全身傷付きながらも争いを止めようとするミスト。ただ、ミストを護る為だけに、自分へ刃を向けるガグンラーズ。それから、視線を奔らせると、ミストとセイ、両方の無事を願うフギンとムニンの姿があった。

 

「しかし……しかし。誰が何と言おうとこいつらは侵略者だ。侵略者なのだ」

 

 そう言うセイであったが、ドリルの回転は収まっていた。セイには既に戦意がないことを知ったガグンラーズも刃を収める。

 

「セイ……」

 

 ミストには、セイに対して何と言ったら良いのか分からない。ウリボーグはああ言ったが、ミストの中ではセイたちに対する罪悪感が溢れんばかりになっているのだ。

 

「ほっほっほ。そうそう。仲間割れとは醜いものじゃ。そうであろう、若き戦士たちよ」

 

 その場の全員がはっとなり、上空を見上げた。立方体の飛行物体に腰を掛け、黒金の杖を持つ、金色の装飾を纏った鋼の魔導士の如き機人の姿……。

 

「お初にお目にかかる。儂の名はゲンドリル。我が神から知将の称号を賜った者」

 

 ゲンドリルはそう言うと、自分が腰を下ろしている黒金の立方体を持っている杖でこつこつと叩いた。

 

「それにしても、ブリシンガメンの首飾りの一斉射撃をすんでのところでかわすとはのう。なかなかやりおるわい」

 

 それを聞いたセイがかっと眼を見開き、ドリルを回転させた。

 

「お前か……お前がやったのか。俺の仲間たちを滅ぼしたのも……今回のことも」

 

「その通り、良い勘じゃ」

 

「おのれ」

 

 セイが空中のゲンドリルに向かって飛びかかった。ゲンドリルが杖から黄色い放射状の熱量を放ち、それに当たったセイは地面に墜落した。

 

 ミストたちがセイのもとに駆けよる。傷は浅かったが、怒りに燃えるセイは悔しそうであった。

 

「ブリシンガメンの首飾りはまだまだ未完成。この世界を滅ぼすだけの力はない。儂には仕事が残っておるからの。お前たちの相手をしている暇はない」

 

 ゲンドリルが杖を一閃させ、空中に輪を創り出した。すると、その輪の部分だけ空間が歪み、その中から無数の粘土状の物体が現れた。

 

「残った者どもの掃除と、焼け跡の調査。お前たちに任せるぞ」

 

 ゲンドリルの姿が掻き消え、後に残された粘土状の物体が地に落ち、徐々に形が出来上がっていった。その場に出現した姿はスミドロードたちが戦ったデュラクダールと酷似した姿を持つ五人の騎士たちであった。

 

 刃を向ける騎士たちを呆然と見つめているミストの側で、フギンとムニンが言った。

 

「【虚無】の騎士よ」

 

「気を付けて」

 

「【虚無】……。これが」

 

 間髪を容れずに騎士たちが襲いかかってきた。ガグンラーズがミストの前に踊り出て、斬り合った。それを見たセイが瞳に闘志の炎を宿し、立ち上がった。

 

「加勢する。侵略者よ」

 

 セイがドリルを回転させ、一人の騎士の装甲に打ちつける。装甲を穿つだけの威力は無かったが、騎士を怯ませるだけの効果はあった。ガグンラーズはその隙を逃さず、刃を一閃させる。ずるり、と騎士の頭部が地面に落ちた。

 

 頭部を失った騎士であったが、首の付け根の部分がぼこぼこと泡立ち、すぐに真新しい機人の首が生えてきた。地面に落ちた首も同時に泡立ち、騎士の胴体に飛び付くと、その体に吸収されていく。

 

「ちい。化物め」

 

 セイが怯まずにドリルを回転させ、襲い来る騎士に応戦した。

 

 ガグンラーズは鋼の刃を体から生やし、同時に四人の騎士を相手にしている。残りの一人の騎士はドリルを回転させるセイと斬り合った。騎士たちはミストたちの方にも襲いかかろうと隙を狙っていたが、縦横無尽に駆け回りながら刃を振るうガグンラーズがそれを許さなかった。

 

 疲れを知らぬ機械と騎士の戦い。それは気の遠くなるほど長く続いていた。虚無の騎士と戦う二人を見守るミストとウリボーグ。ミストの傍らには怯えながら戦いを見ているフギンとムニンがいる。

 

 最初に異変に気が付いたのは、ウリボーグだった。それに続いてフギンとムニンが何事か叫んだが、それはウリボーグの声に掻き消された。

 

「危ない、ミスト」

 

 ウリボーグが飛び出すと同時に、ミストの背後の岩陰から刃を構えた二人の騎士が現れ、ミストを襲った。

 

 ミストが振り向くと、騎士の刃が飛び出したウリボーグの胴体を切り裂こうとしているところであった。

 

 ミストは悲鳴を上げ、瞬時に両腕から眩いばかりの白光を放った。白光の直撃を受けた騎士はたじろいだが、構わずに刃を振るった。深手を負ったウリボーグがどうと倒れ伏す。ウリボーグは虫の息であったが、もしミストの白光が間に合わなかったら胴体を切断されている筈であった。

 

 ミストはウリボーグを護る為に騎士の前に立ちはだかる。フギンとムニンが慌ててミストの背中につかまり、敵の視線から逃れた。

 

「これ以上はやらせない。私がウリボーグを護る」

 

 ミストは新手の二人の騎士と戦う決意を固め、体中に熱量を蓄積させていった。ガグンラーズはミストに加勢しようとしたが、四人の騎士がそれを邪魔している。

 

「ミスト……大丈夫なの」

 

「相手は【虚無】なのよ……」

 

「私の姉、ヒルドは第一線で戦っている戦士なのよ。私だって」

 

 そう言うミストは、己の体内からかつて感じたことのないほどの熱量が溢れてくるのを感じていた。今、ウリボーグを助けるには、まず目前の敵を倒さなければならない。そう思うと、ミストは強く頷いた。

 

 ミストは人魚の様な下半身を大きく振り上げると、自分から騎士に飛びかかった。背中につかまっていたフギンとムニンが思わず手を離す。ミストの白い両腕から先ほどよりも強力な白光が放たれ、騎士を直撃した。騎士はもんどりうって倒れたが、直ぐさま起き上りミストを襲う。ミストは胴体から閃光を放ちながらこれを抑え込む。騎士の刃が一閃したが、全身が熱量の塊となっているミストの装甲を切り裂くことは出来ず、高い金属音を響かせただけであった。

 

 ミストと虚無の騎士の戦いはガグンラーズやセイと同様に延々と続いた。傷付いたウリボーグの体を挟む様にして身を寄せ合っているフギンとムニンは、震えながらも、次にどこかから新手の騎士が出てこないかと、絶えず周囲の気配を探っていた。

 

 フギンとムニンは七人の騎士とは違う、何ものかの気配を感じ取った。また、新たな虚無の騎士が現れたと思い、急いで仲間たちにテレパシーでそれを伝えた。思わず身構えるガグンラーズ、セイ、ミスト。

 

 空間が歪み、何者かが現れた。騎士とは違うローブをはおった人物。その人物はひどく驚いた様子で、周囲を見回していた。

 

 それを見てとった七人の騎士が戦っていた相手から離れ、身構えた。その様子を見たミストは、騎士たちが何やら動揺しているらしいことを読み取った。

 

「あ、あなたは」

 

「どうしてここに」

 

 二人の妖精が声を揃えてそう言った。

 

 

 

 遥か上空でブリシンガメンの首飾りに改造を施していたゲンドリルは、地上を映し出している映像を見やると、思わずその動きを止めた。ゲンドリルの双眼が驚愕の色に染まっている。

 

「何だと……何故だ、何故奴がいる。直撃した筈だぞ」

 

 あの放浪者の存在は、別の次元を攻めている同胞たちから送られてきた情報で知っていた。何故、複数の次元で同時に目撃されているのか解せなかったが、何より信じ難いことは、ある竜騎の話によれば、あの放浪者は不死身であるということであった。だが、こうしてブリシンガメンの首飾りによる一斉射撃の直撃を浴びて生きている姿を見ては、一笑に付す訳にもいかない。

 

「まさか、本当に不死身である筈がない。余所者のヴァン・ソロミューやジョーカーの言うことなど信じられるものか」

 

 そう言うゲンドリルであったが、徐々に落ち着きを取り戻すうちに、冷静に眼の前の現実を見ていた。

 

「だが……もし、もしかすると、だ。不死の実の話が本当だとするならば……」

 

 ゲンドリルは杖を振り上げ、空間に突き立てた。

 

「確かめねばなるまい。どの道、我々の動向を知り尽くしているという放浪者の存在を捨て置く訳にはいかぬ。我が神もそれを危惧しておいでだからな」

 

 空間に突き刺さった杖が妖しく発光する。その杖に向かってゲンドリルが言った。

 

「デュラクダールよ、聞くのだ。お前は今すぐ持ち場を離れ、儂が今から指示する座標へ向かえ。これは、最優先事項だ。わざわざ我らの神から許可を得ている場合ではない。放浪者について調査し、可能ならば即刻始末しろ。あくまで可能ならば……だがの」

 

 そう言うゲンドリルの顔に僅かな変化が表われていた。

 

 

 

「今までどこに行っていたの」

 

「スノトラ様やドヴェルグもあなたのことを心配していたのよ」

 

 フギンとムニンの問いかけに答えようと、その人物が口を開く。だが、声はかすれて、今にも消え入りそうなものであり、上手く聞き取れない。すると、その人物の姿も薄くなっていき、それを見守るフギンとムニン、ミストたち、それに虚無の騎士たちまでもが消えゆく残像に釘付けとなっていた。

 

 やがて、その人物は跡形も無く消え去った。

 

「そんな……消えた」

 

「でも、確かに生きていた」

 

 フギンとムニンが呟いた。

 

 ミストとガグンラーズはすぐに気を取り直し、身構えた。セイもドリルを回転させ、騎士の隙を窺う。だが、騎士は刃を構えたまま襲いかかってこない。

 

「どうやらあれはどこかに行ってしまったようだな。ならばすぐ追うとしよう」

 

 ミストたちがその声の主を咄嗟に確かめた。皆の視線の先には、今までこの場にいなかった新たな騎士の姿があった。

 

「お前たち、これ以上の戦闘は無意味だ。私と共にあの放浪者を追え。それがゲンドリル殿の指示であり、我らが主の意思だ」

 

 七人の騎士がすぐにその騎士のもとへ集まった。

 

「待て。逃がすものか」

 

 セイがドリルを突き出してその騎士に向かって突進した。だが、新たに現れた騎士が装着している爪状の武器を一閃させると、セイのドリルが欠け、セイはその場に倒れた。

 

 ミストは急いでセイの側へ駆けよった。セイの傷は浅く、致命傷ではない。ガグンラーズがセイとミストを護る為に、騎士の前に立ちはだかった。

 

「勇敢なる戦士よ。これだけは言っておく」

 

 騎士はセイの方に視線を向けた。

 

「己の命を粗末にするな」

 

「何だと……。お前は」

 

 その刹那、空間が歪み、燐光に包まれた騎士たちの体が溶け込む様にして消え去った。

 

 後に残されたミストたちは、無限に続くかと感じられた戦いが、唐突に終わったことを知った。

 

 

 

 天貫く塔の城。その一室で、ハープを弾いていた一人の氷の淑女が、その動きを止めた。

 

「……ドヴェルグ。私たちの友人が帰ってきましたよ。早速、出迎えにいきましょう」

 

 傍らに居る長身の白尽くめの人物が黙って頷いた。

 

「私たちにとっては短かった……。でも、あの人にとってはとても長い旅だったのでしょうね」

 

 淑女は立ち上がると、ドヴェルグを伴い、部屋を出た。

 

 

 

「ウリボーグ、しっかりして」

 

 ミストはウリボーグを必死になって元気づけた。フギンとムニンは眼に涙を浮かべてウリボーグを見つめている。ガグンラーズとセイは黙ってその様子を見守っていた。

 

「ミスト……」

 

 呻くウリボーグのコアの輝きは今にも消え入りそうであった。ミストは、突然はっとなり、フギンとムニンに向かって言った。

 

「そうだ。あなたたちなら、ウリボーグを治療できる場所まで運べるかな。この前、オーディーンを連れていった時みたいに……」

 

 二人の妖精はそろって項垂れた。

 

「あれは……。ワーグナー様がいたから……」

 

「転送する先にも、前もって私たちの協力者がいないと駄目なの」

 

「そんな……」

 

 ミストは俯いた。このままではウリボーグは助からない。こんな荒野の真ん中で、ウリボーグを救う手段などないだろう。

 

(フギン、ムニン聞こえる)

 

「あ、この声は」

 

「ディース様だ」

 

 妖精たちはそろって顔を上げた。

 

「え……。ディース様って……」

 

 ミストは驚き、周囲を見回した。だが、何ものの気配も感じられない。

 

(今、アウローリアの力を借りて、そちらに思念を送っているわ。状況は分かっています。ウリボーグを救う為、その場の全員をこちらに転送するから、あなたたちも協力して)

 

「分かりました、ディース様」

 

 フギンとムニンは同時に言うと、精神を集中させ、その場に居る者たちを白色のオーラで包みこんだ。

 

「助かるのね、ウリボーグは」

 

 ミストがそう言うと、フギンとムニンは頷いた。ミストは喜びに満ちた笑顔を浮かべ、ウリボーグを抱き寄せた。

 

「良かった……」

 

 ウリボーグは小さな鳴き声を発してミストに応えた。

 

 その様子を見ていたセイは、自分の体もオーラに包まれていくのを感じながら、ウリボーグとミストを見つめていた。

 

(あの騎士……。敵である俺を気遣うとはどういうつもりなのだ。あの時、奴は俺を仕留めることが出来た筈だというのに)

 

 セイは傍らのガグンラーズを見やった。ガグンラーズもまた、白色のオーラに包まれながら黙ってミストたちを見守っている。その様子からは相変わらず、如何なる感情も読み取ることは出来なかった。

 

(こいつも仲間を想う、ということがあるのだろうか。それとも、ただ単に命令に従っているだけなのか……)

 

 セイの疑問に答える者は誰もいない。

 

 やがて、白色のオーラは収縮し、その場にいた全員の姿が掻き消え、あとには荒廃した鋼の荒野が広がるのみ。




関連カード

●銀狼皇ガグンラーズ

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。



●天貫く塔の城
名所千選606。
歌姫ソールの従妹が住まう塔。
彼女は楽器の名手であるらしい。

本章では氷の淑女スノトラが住む塔として登場。

●共鳴する音叉の塔
名所千選266。
歌姫の声を増幅して各地に響かせる役目を持つ。

本章に出てきた音叉の塔は建築中だったものの一つ。


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第二十七章 鎧装獣、立つ

 陸の項

 

 

 鋼葉の樹林を乾いた風が通り過ぎ、鈴を鳴らしたような音が響いた。黙って見張りを続けているニーズホッグは、生気のない眼で樹林の外の凍てついた平原を眺めていた。樹の上にいるラタトスカも生命力を吸い取られたかのように虚脱している風であった。

 

 鎧装獣の王、ベア・ゲルミルはもういない。ニーズホッグにはこの世に残されていた数少ない希望が、為すすべも無く消えていくのを黙って見ているしかできないのではないだろうか、と思えた。

 

 南の戦士が全滅し、鎧装獣を中心としたこの樹林の戦士ももはや数える程度しかいない。ウル・ディーネたちがソールのもとへ向かってから長い時間がたったが、未だにここには歌声など届いては来ない。

 

 あるいは見捨てられたのかもしれない――ニーズホッグはふとそう思い、すぐにその考えを打ち消した。いや、あのウル・ディーネ様が自分たちのことを忘れる筈が無い。ソール様もきっと聞き入れてくれる筈だ。

 

 しかし、星導く使者の指示で築きあげた音叉の塔には、未だ何も届いては来ない。

 

 

 

「もはやどうにもなるまい……侵略者の動きが止まったと思ったら、今度はそれとは比べものにならないという虚無の軍勢だと。はっ、これ以上の危機が来るというならば、もう我々にうつ手などあるものか。いっそのこと、何もかも終わってしまえば良いものを」

 

 アウドムラの愚痴を黙って聞いていたヘイズ・ルーンはその言葉を黙らせたかったが、できなかった。アウドムラの言うことが、自分の疑念をそのまま言い当てていることに、ヘイズ・ルーンは気がついたからである。

 

 二体の鎧装獣の側へ、別の鎧装獣が近づいて来た。ヘイズ・ルーンとアウドムラの視線がその獣に向けられる。王の側近であった白き獅子、鎧装獣キマイロンであった。

 

「ヘイズ・ルーン、それにアウドムラよ。そろそろ時間だ、王のもとへ参るぞ。スコールはもう先に向かっている」

 

 二体の鎧装獣はそろって頷き、蛇の頭部のついた硬い尾を翻して樹林の奥へと歩を進めるキマイロンの後ろへついて行った。

 

 樹海の奥地には無数の墓があった。そして、暗い面持ちで進む三体の鎧装獣の向かう先には王の墓があり、そこにはスコールが立っていた。

 

 王の墓は他の戦士たちと同様の質素なものであったが、その墓に張り付いている白い結晶が一際目立っていた。結晶は兎の輪郭を保っている。その結晶はかつて、スコールがヘイズ・ルーンたちと共に異形の機人と戦った際、機人の結界をすり抜けて敵に一撃を加えたことで勝機をつくり出した、あの兎であった。

 

「この小さな獣は王を心から慕っていたのであろう。我々の比ではないほどにな。王の傍へと召され、永遠に共にいられるのだ」

 

 スコールはそう言うと、黙祷を始めた。それと共にキマイロン、ヘイズ・ルーンとアウドムラが祈りを捧げた。

 

 しばらく、四体の鎧装獣は祈り続けていた。だが、一つの轟音がその祈りを中断させたのである。

 

 各々瞬時に身構えると、森の内部から悲鳴や怒号が木霊した。また、新たな戦が始まる。

 

 森に住む獣の一体が大急ぎで駆け寄ってきて、言った。

 

「大変です。見たことのない連中が我々の築きあげた音叉の塔を襲撃しました」

 

 キマイロンが辛うじて冷静さを保ちながら、聞き返した。

 

「して、その数は」

 

「分かりません……。とにかく、今までの侵略者とは比べものにならないほどの数だということは言えます」

 

 アウドムラが舌打ちし、スコールが唸った。ヘイズ・ルーンは無表情のまま聞いていた。

 

「もう、終わりなのでしょうか……我々は」

 

「諦めるな。良いか、お前は戦うことのできない森の同胞たちを避難させろ。我々は塔へと向かい、敵と戦う」

 

 それから、キマイロンは共に戦う仲間たちを瞬時に見回した。

 

「よし、ではスコールは同胞たちを護るために、この者と共に行動しろ。アウドムラとヘイズ・ルーンは私と共に来るんだ」

 

 キマイロンの指示で、その場にいる獣たちは即座に行動へ移した。

 

 音叉の塔を襲撃したのは、あのミストたちが戦った虚無の騎士と酷似した姿を持つ無数の軍勢であった。その騎士の群れは応戦する獣たちを次々と斬り倒し、塔へと攻め込んだ。

 

 キマイロンたちが駆け付けた時には、既に塔は大きく損傷し、崩れ去る寸前であった。

 

「何ということだ……もう、手遅れだったのか……」

 

 ヘイズ・ルーンの嘆きを叱咤するようにキマイロンが叫んだ。

 

「塔は、また新しく造り直せばいい。だが、同胞たちの命はそういうわけにはいかぬ。我々は、その命を護るために死力を尽くして奴らと戦う。良いな」

 

「……ああ、心得ている」

 

 ヘイズ・ルーンからかつての闘志が失われつつあることを、キマイロンとアウドムラ、それに現在別行動をとっているスコールも感づいていた。だが、今はそんなことを気にかけている余裕などない。キマイロンたちは初めて戦うことになる虚無の騎士たちへ向かって飛びかかって行った。

 

 

 

 虚無の騎士の実力は、ここ最近に戦った侵略者の動器たちよりも遥かに強大であった。ただ、それでも、獣たちも何とか抵抗できた。もっとも、虚無の騎士は空帝ル・シエルがそうであったように、未だこの世界に適応し切れてはいなかった。したがって、その実力はミストたちが戦った騎士たちよりも、数段劣る。獣たちの知る由もないことであるが。

 

「ぐう」

 

 アウドムラが敵の刃を受け、深手を負った。アウドムラはすぐに、硬質化して本来の機能を果たせなくなっている己の翼を一閃させて、敵の騎士の頭部を切断した。騎士は再生することもできずに、どうと倒れ、二度と立ち上がることはなかった。

 

「アウドムラ。大丈夫か」

 

 ヘイズ・ルーンが駆け寄った。アウドムラは息を切らしながらも、笑って見せた。

 

「ああ、まだ戦えるさ……」

 

 未だ、闘志を絶やさないアウドムラであったが、眼の前のヘイズ・ルーンの瞳には絶望の色がありありと浮かんでいた。

 

「ヘイズ・ルーンよ……確かにわたしはお前の前で愚痴をこぼした……。だが、これだけは言っておく。鎧装獣の誇りにかけて、最後の最後まで諦めるな。絶対に忘れるんじゃないぞ」

 

 そう言うと、アウドムラは、塔の防衛にあたっている仲間の獣に刃を振り上げていた騎士に横からぶつかっていった。その様子を眺めていたヘイズ・ルーンは背後に殺気を感じ、瞬時に姿勢を落とした。騎士の刃が空を切る。すかさずその騎士に襲いかかったヘイズ・ルーンであったが、内心はこの得体の知れない軍勢に怯えていた。

 

 アウドムラは何とか騎士をもう一体打ち倒したが、すぐに襲いかかってくる別の騎士の刃を受け自分の体から急速に力が失われていくのを感じた。

 

(ぐう。ここまでなのか……。いいや、まだだ。まだ戦えるぞ)

 

 その時であった。

 

 どこからともなく、歌声が響いてきて、崩れた塔の壊れかけた音叉に当たった。音叉は大分衰えているとはいえ、その役目を忠実に果たし、周辺で戦っている獣たちに歌声を届けた。それに続いて心の底に染みいってくる優しいハープの音色が響き渡り、獣たちは活力を取り戻していった。

 

「遅いじゃないか。待っていたぞ、この時を。ずっと待っていたんだ」

 

 アウドムラは全身に活力を漲らせ、襲い来る騎士を次々と薙ぎ倒していった。騎士たちは突然のアウドムラの反撃に慌て、態勢を立て直すと。同時にアウドムラの喉元目がけて斬りかかっていった。

 

 ヘイズ・ルーンは歌声で得た活力を駆使して何とか眼前の敵を倒すと、急いで、アウドムラの側へと駆けていく。胸騒ぎがする。ようやく歌声が届いたというのに、ヘイズ・ルーンの不安は晴れなかった。

 

 アウドムラは敵の騎士をもう一体倒したところで、ヘイズ・ルーンが駆けよってくるのに気がつき、安堵の息をもらした。

 

「……ヘイズ・ルーン……。後は任せた……」

 

 アウドムラはその場に倒れた。ヘイズ・ルーンが傍に来た時には既にアウドムラは息をしておらず、コアの輝きも失われていた。

 

「アウドムラ……」

 

 歌声が響く中、ヘイズ・ルーンは活力を持てあましたままただ絶望した。確かに音叉の塔は役目を果たしている。だが、敵の騎士の勢いは未だ留まるところを知らない。勝ち目があるとは思えなかった。

 

「終わりなのか……もう」

 

 絶望するヘイズ・ルーンの側へ、新手の騎士がじりじりと近寄ってくる。そして、相手に決定的な隙があることを見抜くと、騎士たちは一斉に飛びかかって来た。

 

 その刹那。

 

 空を裂く鞭の音。騎士たちが急に動きを止めた。

 

 ヘイズ・ルーンが背後を振り返ると、そこには白尽くめの長身の人物が立っていた。

 

「あなたは……まさか……」

 

 獣使いドヴェルグ。鎧装獣の王、ベア・ゲルミルが唯一心を開く道化の姿がそこにあった。

 

 ドヴェルグは手にした鞭を振るい、騎士たちを追い払った。それから鞭の先をヘイズ・ルーンの方へと向けた。

 

「何故……あなたが……」

 

 ドヴェルグはヘイズ・ルーンの問いには答えず、鞭でヘイズ・ルーンの眼前の空気を裂いた。

 

 その瞬間ヘイズ・ルーンの脳裏に、これまで共に生きてきた同士たちの姿が走馬灯のように映し出されていった。広大な緑の地であったこの世界で暮らしている多くの獣たち。侵略者によって破壊されていく緑を守護するために、友人のアウドムラと共に鎧装獣の一員となったあの時の記憶。そして、ヘイズ・ルーンを見つめる王の姿が……。

 

「分かりました……ドヴェルグ殿。私は、アウドムラの、王の、あの兎の、……散っていったすべての仲間たちの遺志を受け継ぎ、残された者たちを護るため、全力で以て戦いましょう」

 

 ドヴェルグが頷くと、その姿が薄れていった。代わりに、その場に白色の魔法陣が出現し、ヘイズ・ルーンの全身を包みこんだ。たちまち傷ついた体が癒されていき、体が熱量で、満たされていくのを感じた。

 

「ありがとうございます、ドヴェルグ殿」

 

 ヘイズ・ルーンは角を構え、敵を倒し、取り戻した勇気を皆に知らせるため、一気に騎士の群れへ突進していった。

 

 

 

 鋼葉の樹林より遠く離れた地。そこには、ドヴェルグとスノトラ、それにスノトラの守護獣であるスノパルドとガラパーゾの姿があった。

 

 スノトラは手にしたハープを鳴らし、ドヴェルグは己の喉を振るわせ、歌声を響かせていた。

 

 やがて、それまで感じられた虚無の騎士の気配が収まっていき、スノトラはその手を止め、ドヴェルグも歌うのを止めた。

 

 ドヴェルグはスノトラの方へ体を向けると、深々と頭を下げた。スノトラが口を開く。

 

「いえ、ドヴェルグ。これこそが私たちの使命。あなたもそれを全うしてくれているのですから、感謝しているのですよ」

 

 この時代に帰って来た放浪者を迎えにいくため、スノトラとドヴェルグは、スノパルド、ガラパーゾと共に放浪者のもとへ向かう途中であった。

 

 そんな時、鎧装獣の暮らす鋼葉の樹林の側へ〝虚無″の軍勢が迫ってきていることをドヴェルグは読み取り、一旦そちらに向かい、彼らに加勢するよう、スノトラに進言したのである。スノトラは迷わず頷き、自分が得意とする楽器の音色でドヴェルグの歌声を増幅させたのであった。

 

 ドヴェルグはかつて、歌姫ソールに次ぐほどの歌声の持ち主であった。その力を真っ先に氷の魔女ヘルに狙われ、ドヴェルグは言葉を失い、歌声の力の大半も奪われてしまったのだ。

 

「では、そろそろ参りましょうか、ドヴェルグ。ロロのもとへ」

 

 ドヴェルグは黙って頷き、スノトラの後に従って歩き始めた。スノトラとドヴェルグを護衛するべく、スノパルドが一行の前に立ち、ガラパーゾが後ろからつき従う。

 

 ドヴェルグは、己の姿を戦場へ投影した際、あの場に居合わせた獣たちの様々な感情や想いを読み取った。そして、自分の一番の親友である鎧装獣ベア・ゲルミルがもういないことを知り、深く悲しんだ。

 

 スノトラの前では平静さを保っていたドヴェルグであったが、今、その瞳から涙があふれ出し、止まらなかった。

 

 スノトラは背後のドヴェルグの悲しみに気づいていたが、敢えて何も言わなかった。ドヴェルグとベア・ゲルミルの友情には、何者も入り込む余地など無い、それがたとえドヴェルグと共に生きてきた自分でも……。

 

 スノトラたちは消えた放浪者を追い、旅路を再開した。




関連カード

●鎧装獣ヘイズ・ルーン

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。

●獣使いドヴェルグ
白の世界における放浪者ロロの同行者である道化。
フレーバーテキストは白の章第1節。
カードにおいては鎧装獣に関する二つの効果を持つ。
このカードのリメイクである、道化神ドヴェルグのフレーバーテキストの書き方は初期の白のスピリットのものと似ている。

●守護巨獣ガラパーゾ
巨獣。
「亀裂の番人」と称される。
黄の軽減シンボルを持っている。

本章ではスノトラの守護獣として登場。

●守護機獣スノパルド
機獣。
フレーバーテキストでは、歌姫ソールの歌声を己の喉に宿すことで奏でていると思われる。

本章ではガラパーゾと共に、スノトラの守護獣として登場。



●ヒーリングサークル
マジック。
白と黄の軽減シンボルを併せ持ち、ライフを増やすメイン効果がある。
イラストでは獣使いドヴェルグが描かれている。

本章ではヘイズ・ルーンの傷を癒す為にドヴェルグが使用。


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第二十八章 星創る者

 歌の項

 

 

 星創る者の三従者、時空を超え現れ出で、導きし降臨。

 成されるのは無残なる終焉か、力満ちし誕生か。

 

 

「世界が死んでいっているのよ」

 

 その女性は結晶に囲まれた泉の水面上でうずくまり、自分の殻に腕を乗せ、半ばあきらめ顔で呟いた。ドヴェルグは彼女には背を向け、無言で僕を先に促した。僕はその女性に向かって頭を下げ、ドヴェルグと共にその場を立ち去る。

 

「失われたのは活力、人も大地も」

 

 背後から彼女の言葉が響き、僕の胸に刺さった。僕には彼女の悲痛の想いがよく分かる。だが、僕の力ではどうすることもできない……。

 

 

 

 門をくぐり、この世界に訪れた時、最初に出会ったのは見上げるほど巨大な機械人形であった。門を出ると、そこには銀色の海が広がっていた。海岸沿いは微かに青みがかっているが、一目でその海が何かに汚染されていることが分かった。空は鉛色をしており、重い空気が空間に満ち溢れている。

 

 この奇妙な世界に呆然と立ち尽くしていると、僕の背後にある未だ開いたままであった門から巨大な影が、ゆっくりとした動作で這い出てきた。

 

 機械人形は僕を睨み据え、眼を光らせた。本能が危険だと知らせる。大急ぎで逃げると、機械人形は腕を突き出して、此方に迫って来た。

 

(やられる)

 

 そう思った時、天より一体の竜が飛来した。虹色の輝きをまとった竜。あの虚竜を連想する姿であったが、どことなく雰囲気が違った。

 

 虹の竜は一瞬僕の方へ視線を送ったが、すぐに機械人形の方へ向き直った。機械人形は突き出した腕から熱線を放ち、熱線は虹の竜に向かって直進していく。竜の虹の輝きが急速に強まると、熱線は竜の眼前で打ち消された。どうやら、虹が防壁の役割を果たしているらしい。

 

 攻勢に出た竜。勝敗は一瞬で決まった。竜の爪によって胴体を引き裂かれ、巨大な機械人形は力を失い、轟音と共に砂浜に倒れ伏した。

 

 竜は機械人形から目を離し、その視線を此方に向けた。やがてその竜の声が直接僕の脳裏に響いて来たのである。

 

(君は……何者だ。どこから来たのだ)

 

 僕は答える。

 

「私の名前はロロ。門をくぐり、青き世界よりこの世界を訪れました」

 

(そういうことか……)

 

 竜は地に降り立つと、真っ直ぐにこちらを見た。

 

(私の名はアウローリア。この世界を見守る竜の一人だ。私は君のことを待っていたのだよ)

 

「私を」

 

(君はこことは違う……五つの世界を見て回った筈だ。そして、その世界の行く末もな……)

 

「どうしてそのことを……」

 

 竜の言うとおり、僕は今まで、五つの世界を旅した。最初に訪れた赤き世界はその後どうなったのか分からないが……他の四つの世界は【虚無】に呑まれてしまった。ただ、あれで本当にすべてが消滅してしまったのかどうかまでは分からない。どうか生き延びていてほしい……今まで出会った者たちのことを想い、僕はそう願っていた。

 

(君は【星創る者】に導かれてここまで来た。それはこれからも変わるまい。……【星創る者】が決定するその瞬間までは)

 

「それは……どういう意味なのですか。」

 

(すぐにわかる。それよりも……君に客人だ)

 

 竜がそう言うと、竜の背から、一人の長身の人物が降り立った。全身白尽くめの衣装を身にまとった男。その人物は此方に歩み寄ると、手を差しだした。その人物の意思が何となくであるが伝わってきた。僕がその手を握ると、男は此方の手を固く握り返してくれた。がっしりとした体躯の屈強な男であることがすぐに分かった。

 

(彼の名前はドヴェルグ。彼は最初から君を待っていたのだ、【星創る者】の意思に従って)

 

 【星創る者】が何を示すのか、その時はまだ分からなかったが、僕はその者の意思に従ってここまで来ることが出来たというのならば、今はそれに従おう、とそう考えた。

 

 こうして、僕とドヴェルグの旅が始まったのである。

 

 

 

 六番目にやってきたこの世界は、これまでで最も異質な世界であった。まるで生命力というものが根こそぎ吸い尽くされ、すべてが永久凍土の中に閉ざされつつあるような無機的な世界。

 

 ただ、生命力の失われた世界は一方で美しくもあった。不謹慎かもしれないが、人工的な芸術作品を思わせる世界であり、何か大きな……【神】とでも呼ぶべき存在がこの作品を一所懸命に完成させようと苦心している……そんな印象。

 

 例えば、空魚。

 

 美麗な作り物めいた鱗の光沢が、ゼリーのような海の上に広がる鉛色の空を泳ぐ姿は美しい。過去に訪れた緑の世界の美しさも、実にすばらしかったが、こうした人工物めいたものにも独特の美がある。

 

 そう思ってしまうのは、僕がそういうものに慣れ親しんだ人間であるからかもしれない。もしこのことをドヴェルグに話せば、彼は怒るだろう。だから僕はそういったこの世界に対する感想を、自分の胸の内にそっとしまっておいた。

 

 この世界を侵す侵略者。その一人がまたもや僕の前に現れた。巨大な二つの鉄球を備えた赤子の姿。赤子は悪意のこもった笑みを浮かべたまま、僕に近づいて来た。その口から、銀色の鋭い牙が生えている。

 

 赤子が襲いかかってくると、ドヴェルグが手にした鞭でこれを迎え撃った。赤子は怯むことなくドヴェルグを殴り倒し、此方に飛びかかって来た。

 

 僕は、過去の世界で学んだ護身術を駆使し、ドヴェルグから渡された棍棒に渾身の力を込めて赤子を打ちつけた。しかし、赤子に当たった棍棒は圧し折れ、跳ね返された。赤子の鉄球で僕は打ち倒され、その赤子は僕に圧し掛かって来た。

 

 ドヴェルグに助けを求めようとしたが、彼は地に伏したままであった。

 

 僕に圧し掛かっていた赤子はしばらく黙って此方を見下ろしていた。僕は不思議に思い、その赤子の顔を見上げる。赤子は先ほどまでとは打って変わって、無邪気な笑みを向けてきた。

 

(やあ、君がロロかい。僕はロキ。いきなりこんなことして悪かったね。いや、本当は君がもっと強いと思ったから、これくらいの悪ふざけ、どうということはないだろうと思っていたんだけどね)

 

 それは僕の脳裏に直接話しかけてきた。アウローリアと同じだ。

 

 赤子が僕の上から降りた。僕は警戒しながら立ち上がると、ふとドヴェルグの方を見やった。ドヴェルグはまるで何事も無かったかのようにそこに立っているではないか。

 

(ドヴェルグも君のことを試したかったんだよ。ま、結果はこんなだったけど……。でも君の強さは単純な腕力なんかじゃない、【星創る者】がそれを証明している。だから気にすることはないよ)

 

 また、【星創る者】である。ロキと名乗った赤子は話を続ける。

 

(君も知ってのとおり、この世界は僕の同胞である機械たちの侵略を受けている。でも、このままでは、結局共倒れになるしかないんだよね。分かるだろう、【虚無】だよ)

 【虚無】……。僕は黙って頷いた。

 

(その【虚無】を止めるためには君の協力が必要なんだ。五つの世界を見て回った君の、ね。君は【星創る者】の三従者に会う必要がある)

 

「三従者、それは一体」

 

(三従者は君を探している、でもこちらから探しにいくことはできない。三従者は時を越えて、今というこの時代を探しているからね。時の旅というものは、僕らが想像できる範疇を凌駕している。……まあ、もうすぐ君が体験することなんだけど)

 

 僕はさらにロキへ向かって問いを投げかけようとしたが、ロキは両腕の鉄球でそれを制した。

 

(君はそれまで無事でいること。そのことだけを気にしていればいいんだ。僕はもう帰るよ。じゃあね)

 

 それきり赤子は動かなくなった。

 

 

 

 まさに動く要塞。その存在を前にして、僕は瞬時に過去の光景を連想した。龍皇ジークフリードと白い機械の巨人が合体する……あの機械が眼の前にいる要塞皇であることは間違いなかった。

 

 要塞皇の後ろの機械の群れの中には、鋼の人魚を思わせる機人の姿がある。その機人は先ほど僕を襲ったあの機人だった。

 

 僕が赤の世界にいた頃に学んだフレイムダンスの呪文を、あの鋼鉄の人魚は弾いた。危ないところであったが、ドヴェルグの鞭が人魚の装甲を打ちつけ、外敵を追い払うことに成功したのである。

 

 周りにはドヴェルグの仲間である獣たちが集っている。そして、この都市を一度制圧した要塞皇の砲撃が今まさに再開されようとしていた。

 

 その時、要塞皇の背後から一人の機人が飛び出した。機人は僕を襲った機人とよく似た人魚の姿をしていたが、どうやら別人であるらしい。その機人のもとから二人の妖精が舞いあがり、僕はあっと言った。

 

 ドヴェルグの方を振り返ると、ドヴェルグは黙って頷いた。二人の妖精は、この都市に訪れた際に出会った不思議な道化、フギンとムニンであった。

 

 フギンとムニンは要塞皇にとりつくと、こちらに視線を送った。そして、僕にこう伝えた。

 

(ワーグナー様の命により、この者をあなたの知っている灼熱の世界に転送します)

 

 すると、要塞皇の全身が光に包まれ、やがて消え去った。

 

 これにより、侵略者たちは動揺し、獣たちの一斉反撃が始まったのである。特に獣を導く竜戦車アースガルドの働きは目覚ましかった。竜戦車が敵の門を粉砕したことで、勝敗は決し、敗走する侵略者の掃討が開始された。獣たちは日頃の恨みを爆発させ、徹底的に敵を叩いた。凄まじい執念であった。

 

 僕とドヴェルグは急いで、その場を立ち去ろうとしたが、背後から機人の一人が飛びかかって来た。ドヴェルグが迎え撃とうとしたが、その機人は手強く、このままではドヴェルグの命が危ない。

 

 僕はフレイムダンスの呪文を唱えた。機人の全身は炎に包まれた。それでも機人はドヴェルグに襲いかかろうとしたが、ドヴェルグが鞭を一閃させ、機人の胴体を破壊した。機人はもう動かなくなった。その様子は哀れであり、僕は友を救うためとはいえ、機人を手にかけてしまったことを悔やんだ。

 

 僕たちは機人の亡骸を後にした。

 

 

 

 ドヴェルグの主という氷の淑女スノトラの住まう塔に、僕たちは足を運んだ。そして、その地で、【星創る者】の従者に出会ったのである。

 

 スノトラのもとで数日を過ごした後、再び旅立とうとした時、星が天を過った。だが、すぐにそれが星ではないことを知る。

 

 それは真っ直ぐ、此方に迫ってきて、塔の門の前で降り立った。それは、一匹の金色の毛を持つ狐であった。やがて、狐はこう言った。

 

「探しましたよ、ロロ」

 

 澄んだ、女性を思わせる優しい声であった。僕の横にいるドヴェルグとスノトラが恭しく頭を垂れた。狐が話を続ける。

 

「あなたにはこれから私と共に時を遡っていただきます。そして、この世界の真実を知るのです」

 

 僕はドヴェルグとスノトラの方を見た。二人は異を唱えるそぶりを微塵も見せない。

 

「お行きなさい、友人ロロよ」

 

 スノトラがそう言った。僕に断る理由はない。僕は、頷くと狐の側に歩み寄った。

 

「では、参りましょう」

 

 狐の体がすうっと舞いあがると、僕の体も同時に宙に浮いた。僕は狐と共に夜空を飛ぶ。

 

「ロロ……まず、あなたに問います。あなたはこの世界を救いたいですか。つまり、あなたが見てきた世界のように、この世界が【虚無】に呑まれ……やがて永久に失われることを、あなたは拒みますか」

 

「私は、この世界を救いたいです。そして……できることならば、今まで私が見て回ったすべての世界が救われることを、私は望んでいます」

 

 迷う理由など無いのだ。僕がこれまでの旅で出会ったすべてのものを思えば、そう願うのは当然のことなのだから。

 

「よろしい。それこそが【星創る者】の望み」

 

 夜空を疾走する金色の狐の姿……僕は何となく、「飛鋼獣」という呼び名を連想した。

 

「そうです、【星創る者】は私を飛鋼獣と呼びました」

 

 僕の心を読んだ飛鋼獣が言った。

 

「……その【星創る者】とは一体……」

 

「時を越えます。今この世界に生きる者にとっては一瞬の出来事ですが、あなたにとっては永久に近い旅かもしれません」

 

 視界が白色で満たされ、自分の五感が急速に変化していった。人間としての感覚ではなく、ましてや直接魂で感じる、というのとも少し違う。敢えて言うならば、「神の感覚」か。

 

 

 

 長い旅だった。どれだけ長い旅だったかもう思い出すこともできない。ただ、私は何か大切なものを得たし、少なからずこの世界に何かを残せたことも確かだ。私はこの白き世界の始まりから終わりまでを見たことが何となく分かる。

 

 断片的な記憶を拾い上げてみると、私はこの世界の過去の大戦に立ちあい、【虚無】の存在を何度も忠告して回った。青の世界では無駄だった忠告だが、様々な時代、様々な場所で私が現れ、忠告を繰り返したことで、目覚ましい成果を上げたことは間違いない。

 

 侵略者とこの世界の住人の多くが【虚無】を今になっても黙殺し続けていることもまた事実だが、これにより【虚無】の存在をはっきりと理解し、対策を本気で講じようとする者たちが現れた。

 

 それは、先代の勇者の天戒機神グロリアス・ソリュートであり、ロキであり、ウル・ディーネであり、ソールを始めとする一部の氷の姫君たちであり、ドヴェルグであり、ディースであり、アウローリアであり、……まだまだいた筈であるが、一番の成果は野望と憎しみに燃えていた氷の魔女ヘルが、己の内に閉ざしていた真の心を目覚めさせたことであろう。

 

 ヘルにはヴァールという名の愛娘にも等しい従者がいた。彼女に対する愛が無ければ、【虚無】を認識したとしても、ヘルの悪意は決して衰えたりはしなかっただろう。それがきっかけでヘルもスノトラ、エイル、フレイアといった良き理解者を得たのだ。

 

 この時代に帰る途中、ここ最近に起こった事件なども一通り見てきた。

 

 空母鯨モビルフロウ――名付け親は私であるが――の旅路。その中で一時の英雄となったロブスタークの姿があった。ロブスタークは生命対機械という、あまりにも分が悪い戦いにも挫けずに戦いぬいた。

 

 未完成であった翼神機グラン・ウォーデンとの戦いで散っていったヴィゾフニル、翼神機を迎え撃った虹竜アウローリアの姿……他にも無数の空魚たちが生き、そして散っていった。侵略者と共に……。

 

 モビルフロウは鋼翼魚オルカノンと共闘し、白き虚龍に挑んだが善戦空しく消滅していった。だが、極甲王グラン・トルタスがモビルフロウたちの遺志を引き継ぎ、モビルフロウが護りぬいてきた生命は、今も旅を続けている。

 

 この一連の出来ごとの中で私は、一羽の白鳥の存在が強く印象に残った。他の者たちと比べて大した力は持っておらず、特に活躍したわけでもないが、その内に秘めている星の輝きは私の心を強く引きつけた。そして、その白鳥を竜騎であるアルブスから救った同じ竜騎のプラチナム……。

 

 プラチナムの弟がソールの塔で働いている白い道化師であったということを私は知っている。そして、その道化は、ロキによって鎧蛇の島の勇者アインホルンと融合し、この世界の【勇者】となったのだ。

 

 巨神機トールと戦い散っていったエレファンタイトたち……。エレファンタイトの一族は滅んでしまったが、その魂の叫びはトールの心へと届き、トールがロキと協力するきっかけとなったのだ。彼らの滅亡を無駄にしないためにも、【虚無】は食い止めねばなるまい。

 

 私は一瞬、現在に近い時間に出現した際、ブリシンガメンの首飾りに狙われた。だが、私はすぐに違う時空へとその身を投じ、難を逃れたのだ。あの場にいた者はおそらく全滅してしまったのであろう……。

 

「ロロ、あなたは理解していますね。自分が誰であるのか」

 

 やがて、私から「神の感覚」が徐々に失われていき、私は今となってはとても懐かしい……人の形となった。

 

 私を取り囲む三体の異形。一つはあの飛鋼獣。もう一つは、恐竜とコブラを合わせたような姿を持つ、真紅の蛇竜。もう一つは、三つの首を持ち、骸となった地獄の番犬を連想させる獄獣。

 

「星創る者の三従者、時空を超え現れ出で、導きし降臨」

 

 そして、私は飛鋼獣の問いに答える。

 

「はい、私が【星創る者】です」

 

 三従者は同時に頷いた。

 

「そのとおりです、【星創る者】よ。ただ、あなたにはまだ気がついていないことがあります」

 

「それは何でしょうか」

 

「【星創る者】……それは本来、あなたが生まれ育った――そして、あなたが【スピリット】と名づけた魂の根源でもある、青き惑星そのものがなる筈だったのです」

 

「青き惑星……」

 

 そうだ、私はそこで生れ、育ったのだ。

 

 今度は蛇竜が語り始めた。

 

「【星創る者】よ。心したまえ。あなたの生みの親でもある母なる青き惑星は、今後あなたを脅かす存在となろう。何故なら、青き惑星もまた【星創る者】であり、【星創る者】は自分がそうなるよう、未来から過去の自分を自分のもとへと導いている。……あなたという一人の人間を、未来の【星創る者】は自分があなたとなるよう全霊で以て導いていると同時に、あなたが【星創る者】となることを全力で阻止しようとしているのだ。青き惑星のためにな」

 

 獄獣が言葉を継ぐ。

 

「【星創る者】。そうなるべきだった青き惑星は汚れてしまい、汚れた青き惑星が【星創る者】となることを、この世界の意志が拒んだ。しかし、【星創る者】は複数の世界が重なることで存在しているこの不安定な宇宙には、必要な存在だった。そこで、青き惑星の遺伝子を持つ一人の血肉を備えた人間が選ばれた。それが、ロロ」

 

 飛鋼獣が再び口を開いた。

 

「人間であるあなたの身体では、時を遡り、神の領域に達することなど、不可能でした。そこで、【星創る者】は不死の実を創り出し、それを世界樹に託したのです。それによって緑の世界はより強大な困難に直面してしまったのですが……」

 

 私が気づくと同時に、飛鋼獣は話を続けた。

 

「そうです、【星創る者】。【虚無】に完全に呑まれてしまっては、後に【星創る者】が全世界を再生するという使命も果たせなくなります。【虚無】に完全に呑まれることを防ぐことができれば、【星創る者】は壊された世界を救済できます。もっとも、ロロ、あなたが唯一無二の【星創る者】とならなければそれも果たせませんが……」

 

「今は、緑の世界の救済に力を注ぐべき、ということですね」

 

「【星創る者】よ、では、我々に命令してください」

 

「はい。飛鋼獣ゲイル・フォッカーよ、【星創る者】が命ずる。君は緑を守護する使命を帯びた騎士、鉄騎皇イグドラシルを緑の世界へと誘いなさい」

 

「分かりました、【星創る者】」

 

 飛鋼獣の姿が掻き消えた。今度は獄獣の方へと向き直り、こう告げた。

 

「獄獣ガシャベルス、【星創る者】が命ずる。君は紫の世界へと赴き、疫病でかの世界を滅ぼさんとしている魔界七将デスぺラードの心に問いかけ、彼を本来護るべき緑の地へと導きなさい」

 

「了解した」

 

 獄獣も消えた。

 

 やがて、蛇竜が語り出す。

 

「ロロよ、間もなく、あなたはこれまでの記憶の大半を失う。あなたは【星創る者】そのものであると同時に、【星創る者】の意志に反抗する敵対者であるからだ。あなたが神の視点でこの世界を見たこと、【星創る者】はそれを許しはしない。必ずや、母なる青き惑星はあなたの前に立ちはだかる。その時、我々はあなたに仇為す敵となるであろう。我々は【星創る者】の命に従うのみだからだ」

 

「心得ています、蛇竜キング・ゴルゴー」

 

「母なる青き惑星も汚れた一面だけの存在ではない……これも心得ておいて貰いたい。汚れる前の天地を司る高潔な一面もまた同時に存在しているのだ。ロロ、青き惑星があなたに仇為す時、天地司る意思に問いかけよ。その者の協力を得ることができれば、たとえ相手が悪しき幻羅であったとしても、勝機はある。では、さらばだ、ロロ。我々は、あなたが【星創る者】となることを阻止しようとするが……見事あなたが真に【星創る者】となること、望んでおるぞ」

 

 最後まで残っていた蛇竜の姿も消えた。そして、私の意識も……。

 

 僕は……誰だ。僕は、僕だ。放浪を続ける一人の旅人。不死の実を口にした人間。

 

 

 

「動いたな、【星創る者】」

 

 白き機神獣の双眼がそれを見抜いた。

 

「だが、放浪者であろうと、幻羅であろうと、我が邪魔はさせぬわ。我々は【虚無】の代行者。創造主などは必要ではないのだ。そうであろう、我が同士たちよ」

 

 【虚無】に意識などは存在しないが、明確な意志はあった。すべての宇宙を滅ぼし、【虚無】に還すという意志。それが、【星創る者】とは決定的に違っていた。




関連カード

●飛鋼獣ゲイル・フォッカー
星創る者の三従者の一体である、白の剣獣・機獣。
緑と白の軽減シンボルを併せ持つ。
ドラマCDにおける星創る者の三従者は幻羅星龍ガイ・アスラの配下として登場した。
また、アニメにおいても異界王が幻羅星龍ガイ・アスラと共に星創る者の三従者を使用している。
創界神ネクサスとして登場した異界王の《神託》は無魔と機獣にも対応しており、
星創る者の三従者との関連性が窺える。

本章における冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
自分の小説では、「無残なる終焉」と「力満ちし誕生」の選択が、
まだ確定していない【星創る者】の手に握られているという解釈。

●獄獣ガシャベルス
星創る者の三従者の一体である、紫の無魔・想獣。
紫と黄の軽減シンボルを併せ持つ。
フレーバーテキストは終章第5節。
放浪者ロロは星創る者の三従者を過去に見たことがあるらしい。

●蛇竜キング・ゴルゴー
星創る者の三従者の一体である、赤の皇獣・異合。
赤と青の軽減シンボルを併せ持つ。
フレーバーテキストは終章第5節。
飛鋼獣ゲイル・フォッカーの前半部分に獄獣ガシャベルスを足した内容。
なお、創界神ネクサスの異界王の《神託》は、皇獣・異合には対応していない。

●魔界七将デスペラード
3番目の魔界七将である夜族・呪鬼。
紫の世界に疫病をまき散らしたが、
後に緑の世界でキングタウロス大公と融合して大甲帝デスタウロスになったと思われる。
大甲帝デスタウロスは緑の章第12節。
ブラックタウロス大王が「森を消した怪獣」と戦う場面とどちらが先であるかは不明。

●幻羅星龍ガイ・アスラ
赤の神星・星竜。
太陽と月をも滅ぼす最強最悪の星と交渉人ミクスは言う。
ドラマCD『異界見聞録 完結編』では、
世界のひずみを吸収するタマゴが限界点に達したことで誕生する、世界を滅ぼす者。
そのタマゴを管理している人物が星の巫女クシナである。
アニメでは異界王のキースピリット。
ドラマCD、アニメ、何れにおいても星創る者の三従者と共に並ぶ場面があり、
創界神ネクサスの異界王も系統:神星と名称「幻羅」に関する効果を持つことからも関連性が窺える。

本章では、【星創る者】の一つの可能性としてその存在が示唆されている。
現時点では【星創る者】は決定していない。

●天地神龍ガイ・アスラ
赤の神星・星竜。
八星龍の一体であり、地球を体現する。
太陽と月の戦いに呼応した幻羅星龍ガイ・アスラが取り戻した本来の姿であると思われる。

本章に出てきた「汚れる前の天地を司る高潔な一面」とは、
天地神龍ガイ・アスラの示唆。



●フレイムダンス
マジック。
背景世界ではロロがアイバーンやクイーン・ワルキューレに対して使っている。
イラストでは機人ラグーナが焼かれている。

本章ではロロが機人ラグーナに対してこの呪文を使用。
ラグーナは第十章で登場していたが、あの時とは別視点の同じ場面。


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第二十九章 機神獣、再来

 三姉妹の項

 

 

 散らす側から散る側へ。

 戦況変われど、変わらぬ使命。

 主を守りて、果て逝くその身。

 

 

 ソールの住まう塔から離れた地。かつては侵略者に対する防壁であった極光の障壁の下で、【虚無】出現に備えるかつての侵略者が待機していた。観測機のメーターが異常を示してから数刻が過ぎている。

 

「妙だな……。【虚無】はもう何時現れてもおかしくないというのに……」

 

 この一隊を指揮する黒槍機ボルヴェルグは、腕組みをしながら上空を睨んだ。

 

「おそらく、ロキ殿が造った超時空重力炉によって未だその出現を抑え込まれているのでしょう。あれがなければ、【虚無】はあの時と同様、塔のすぐ近くにいきなり出現していたかもしれません」

 

 部下の機人ヴェルンドが言った。

 

「ふん、ロキか。【虚無】が奴の言っているとおりの脅威であるならば、このまま守りを固めるべきではあるだろうが……やはり、奴の言うことなどどうにも信用できん」

 

「しかし、これは既に決定されたことです。それに……あのとき現れた【虚無】がほんの尖兵だったとすると……【虚無】の脅威は我々の予想を遥かに上回っていたことは間違いありません」

 

「どうだかな。あるいはロキめに一杯喰わされたのかもしれないぞ。奴め、まさかトールまで味方につけるとはな」

 

「心外だなあ、ボルヴェルグ」

 

 背後から響いた声にボルヴェルグが振り向くと、いつの間に近づいたのか、ロキの端末であるベビー・ロキの姿があった。

 

「君が言うとおり、【虚無】は今現れてもおかしくない。警戒は怠らないことだね」

 

「言われなくても分かっておるわ。……ロキ、貴様が何を企んでいるのか知らぬが、いつか貴様の化けの皮、剥いでくれる」

 

「僕は純粋に同胞たちを護りたいだけさ。その心に偽りはない……」

 

「大変です。メーターが振りきって……」

 

 ロキの話はヴェルンドの言葉で中断された。

 

 空間が激しく振動する。世界そのものが悲鳴を上げている……その場に居合わせた誰もがそう実感した。周囲の動器たちも、己の存在がいかに不安定であるかを見つめ直さざるを得ないこの恐慌に直面し、理性を保とうと一所懸命に堪えた。

 

「来る、奴らが」

 

 ボルヴェルグが呻いた。

 

「とうとうその時が来た。ボルヴェルグ、僕はこのことをすべての仲間に知らせる。ソールの塔が落ちるのも、時間の問題だろう。計画どおりソールたちを避難させたうえで【虚無】に立ち向かう」

 

 ベビー・ロキは、「君たちもどうか生き延びてくれ」と言い残し、機能を停止した。

 

 世界が恐怖に怯える中、彼方の天地の境目より、黒い転々としたものが接近してくる。紛れも無く、虚無の軍勢だった。

 

 極光の障壁が大きく歪んだ。そして、次の瞬間には障壁のすぐ側の空間が捻じれ、そこからさらなる軍勢が出現した。それと共に、障壁が千切れ飛び、オーロラの輝きが霧散した。

 

 侵略者の大軍勢でさえ突破しきれなかった極光の障壁を、虚無の軍勢はいとも容易く消し去ったのだ。

 

「まさかこれほどとは……。……見誤ったわ」

 

 ボルヴェルグの声が空しく響いた。

 

 

 

 それまで眼を閉じ、祈るように黙していたフレイア。その両目が開かれた。

 

「来ます」

 

 それを聞いたグリン・ブルスティはすぐに宮殿の外へ飛び出すと、【虚無】が迫りくる方向を睨んだ。ブレイザブリクも意を決すると、強力な結界を展開した。周辺の獣たちも思い思いの手段で【虚無】に備える。

 

「ブレイザブリク……私が言ったこと、憶えておりますね。あなたはここの獣たちを護り、いつでもソール様のもとへ退けるよう、備えておいてください。その時は……私がこの場で【虚無】の侵攻を食い止めるために……最期まで戦います」

 

 ブレイザブリクはもう何も言わない。ただ、その内には新たなる決意が固められていた。それを明かせば、フレイアの決意は確実に鈍る。だから、ブレイザブリクは愛するフレイアに対しても心を閉ざしているのであった。

 

 

 

 破壊された門の前で、スミドロードは【虚無】を睨みながら、ベル・ダンディアに言った。

 

「ベル・ダンディア様。あなたは、ソール様と共に機械の船へ避難してください」

 

 スミドロードの声には有無を言わさぬ気迫が籠められていた。ベル・ダンディアは頷く他ない。

 

「……ええ、私たち三姉妹はソール様の礎として、必ずや、あなたたちの力になります、スミドロード」

 

 そこへ、上空で敵を警戒していた二人の機械の騎士が降り立った。スミドロードの前に立っていたウルが二人の騎士を迎え入れる。騎士たちと何やら意思の疎通を行い、ウルは頻りに電子音声を交わした。やがて、ウルはベル・ダンディアとスミドロードの方を向いて言う。

 

「我々の準備は整いました。後は、塔の姫君たちを屋上から避難させましょう。あの船を使って」

 

 ウルは、塔の上空に浮かんでいる鉄の船を指差した。

 

「ここの防衛は、この二人の騎士、鉄騎皇イグドラシルと鎧神機ヴァルハランスが率いる私の同胞たちが務めます」

 

 二人の騎士は、眼前にいる言葉の通じないベル・ダンディアたちに向かって一礼した。

 

「ベル・ダンディア様。我々も彼らとともに戦います。あなたはあなたの使命を果たしてください」

 

「はい、スミドロード」

 

 ベル・ダンディアはその場に居合わせたスミドロードを始めとする獣たち、ウル、そしてかつての侵略者であった機械たちに感謝の意を述べると、早々に塔の内部へ向かった。

 

 ベル・ダンディアは、本当はこの場に残り、スミドロードとウルと共にいたかった。もう会えないかもしれない、そんな気がしたから……。

 

 

 

 スクルディアが涙を流し、ハティの温もりを求めた。ハティは黙ってスクルディアを宥めている。スクルディアは、また見てしまったのだ。恐ろしく、悲しい未来を。

 

(僕はあの時から何か変わったのだろうか。スクルディア様や、他の仲間の命を狙った鋼の狼たちと戦ったあの時……。僕は結局無力だったんだ)

 

 ハティは、自分がスクルディアから一番頼りにされているということを自覚していた。ハティは、それに応えたかったのだ。スクルディアが好きだから。

 

(スクルディア様は、未来を操る力を持つ魔人として崇められているけど……本当は、一人のか弱い女の子なんだ。それなのに僕を護るために、身を挺して敵に立ち向かった)

 

 ハティは、自分の毛皮に抱かれているスクルディアを、暖かく見つめた。

 

 スクルディアが恐怖を堪えて、ハティを侵略者から護ろうとした時のこと、鋼の狼たちとの戦いでハティが命を落とす未来を阻止するために、スクルディアが自分を犠牲にしてまでハティを救った時のこと。あの時の光景がハティの心の中で再現された。

 

(だから、僕は強くならなければならないんだ。僕はスクルディア様を護るべき騎士。スクルディア様が持つ強い心に報いるためにも、僕自身が真に強くならなければならない)

 

 ハクは言った、ハティにはスクルディアを護る騎士の素質があると。もう自分の無力のせいで、スクルディアを危険な目に遭わせてはいけない。騎士ならば、守護するべき大切な者のために命を落とすことも厭わないのだ。

 

「ハティ」

 

 スクルディアが叫び、窓の外を指差した。ハティがそちらを見やると、ちょうど空間の歪みが出現するところであった。

 

「あれは、前にも見たことがあるぞ」

 

 ハティは己の内から込み上げてくる恐怖の感情を堪え、未来を見たことで、ハティとは比べものにならないほどの恐怖に苛まれているスクルディアのことを想い、その身を庇うようにして抱きすくめた。

 

 ハティの周りにいたセンザンゴウとその指揮下にある獣たちも外の光景に釘付けとなっていた。歪みはますます広がり、そこから――あの虚龍のものと同じ――白くうねる閃光が迸った。

 

 轟音が響き、天に浮かんでいた機械の艦隊が墜落していく。

 

「奴ら、天の船を根こそぎ落とすつもりだ。いかん、このままではソール様の退路も絶たれるぞ」

 

 仲間の獣が叫んだ。

 

 轟音はなおも続き、外では、かつての侵略者であった飛行物体の群れが敵を迎え撃とうと飛び回っていた。だが、敵は未だその姿を現さないで、広がっていく空間の歪みの至る所から滅びの閃光を連発した。そのたびに機械の船が墜落し、飛行物体の何体かが消滅した。

 

 塔の上の方から歌声が響いて来た。それによって空間の歪みによる浸食が抑え込まれ、閃光も止まる。やがて、痺れを切らしたかのように空間を突き破って、あの時と同じ白き虚龍が姿を現した。ここからでははっきりと見えないが、間違いなくあの背にはハクがもう一人の騎士と共にいる――ハティはそう確信した。

 

 センザンゴウが踵を返すと、周囲の獣たちがそれについて行った。ハティが慌てて尋ねる。

 

「センザンゴウ殿。どこへ向かうのですか」

 

 センザンゴウは答えず、部屋を辞した。その背後からついていく獣の中の一体がハティの方へと振り向き、代わりに答える。

 

「センザンゴウ殿は塔の外へと出向き、一戦交えるお覚悟だ。我々も共にいく」

 

「塔の外……では、僕も共に戦います」

 

 センザンゴウの部下である獣は頭を振った。

 

「いや、ハティ殿はここに残り、スクルディア様をお護りするのだ」

 

「あなた方を向かわせて、僕だけ塔の中に残っているというのは……」

 

「ハティ殿。センザンゴウ殿と我々は、君がいるからこそ、スクルディア様のことを任せて死地に赴くことができるのだ」

 

「…………」

 

「君はスクルディア様を護り、生き残った者たちと共に機械と協力し、この世界を救う力と成れ。それが、君の我々に対する返礼だ」

 

 最後まで残っていた獣はそう言うと、足早に立ち去った。

 

 

 

「ヴェルンド」

 

 ボルヴェルグが部下の名を叫んだが、ヴェルンドはもう答えることはなかった。ヴェルンドの身体を突き通していた虚無の騎士の剣が引き抜かれると、ヴェルンドはどさりと倒れた。切っ先は更なる獲物を求めてさ迷い、ボルヴェルグの方を向くと、ぴたりと止まった。

 

「おのれい」

 

 ボルヴェルグは手にした槍を構えると、虚無の騎士に向かって飛びかかった。数合打ち合った末、ボルヴェルグは騎士を倒す。息を継ぐ隙など無く、新手の騎士がわらわらと迫って来た。

 

「これ以上この場を抑えておくことかなわぬか。ならば、一体でも多く、道連れにしてくれる」

 

 ボルヴェルグは決死の覚悟で敵の騎士たちと戦う。既に多くの部下が討たれ、残すところ数名。皆、己の最期を悟り、主君であるボルヴェルグと運命を共にする決心を固め、虚無の軍勢と戦った。

 

 空を閃光が横切った。

 

 次の瞬間にはその閃光は地上へと降り立ち、それと共に周囲にいた虚無の騎士を次々となぎ倒したのである。

 

 ボルヴェルグは、突然現れてこの見事な早技を披露したものの正体を見極めようと眼を凝らした。そこにいたのは、赤い装甲を煌めかせる機械の巨人。手にしたノコギリを思わせる刃を備えた大剣が、激しく振動していた。

 

 ボルヴェルグは一目でその者に機械とは違う異質な何かが混じっているのを見抜いた。

 

「ボルヴェルグ殿、助太刀いたす」

 

 その機械が言った。

 

「あなたは仲間か……」

 

 ボルヴェルグはその者の正体が掴めないため、警戒していた。

 

「我が名は竜機合神ソードランダー。この世界の竜とかつての侵略者である機械が融合することで誕生した戦士」

 

「ソードランダー……我らの同胞と竜が一体化したというのか……」

 

「間もなく我が同志たちも加勢する。ボルヴェルグ殿、貴殿には本隊と合流し、歌姫救出に全力を尽くしてもらいたい。この場の防衛は、我々に任されい」

 

「……かたじけない」

 

 ソードランダー同様、機械とこの世界の獣が一体化した存在が次々と舞い降りてきた。彼らは虚無の騎士を相手に一歩も引けを取ることはなく、果敢に敵を打ち倒していく。

 

 ボルヴェルグはソードランダーの指示に従い、生き残った部下を集めると速やかに撤退した。

 

 

 

 上空に浮かぶ艦隊が半ば壊滅状態であることを見てとると、フレイアはブレイザブリクとグリン・ブルスティ、それに周辺で戦っている獣たちに、塔へと戻るよう言った。ブレイザブリクは黙って了承の意思を示したが、グリン・ブルスティや他の獣たちは頑として頭を振らなかった。

 

「仕方ありませんね……」

 

 フレイアが両腕を広げると、周囲にいた獣たちが瞬時に見えない力に拘束される。グリン・ブルスティが叫ぶ。

 

「フレイア様、何をなさるのです」

 

「あなた方は、ブレイザブリクに乗り込み、ソール様のもとへ向かってください。機械の船が落とされた今、ソール様をお連れできるのはブレイザブリクしかおりません」

 

「それは分かります、フレイア様。ですが、我々は前にも言ったとおり、侵略者との共闘を拒みます。そんな我々が塔に向かったところで、これからの戦いでは足手まといにしかならない、ということも自覚しているつもりです。ならば、この場で敵に討たれた方が、我々の同胞たちに貢献できるというもの」

 

「いけません。自らを、望んで死地に追い込むなど」

 

「いや、こればかりはいかにあなた様といえ、お譲りするわけにはいきませんぞ」

 

 その様子を横眼で見ていたブレイザブリクが、口を開いた。

 

「フレイア様……。この者たちの望みどおりになされ。儂が一人でソール様のもとへ向かいましょう」

 

「何を言うのですか、ブレイザブリク」

 

「この者たちをその場しのぎで救うことだけが、この者たちへの慈悲になるとお思いにならないことです。この者たちが言うとおり、これから機械と共闘する際、それを拒むものがいては虚無の軍勢との戦いにも支障をきたすことでしょう。この者たちはそれを理解しているからこそ、こうしてこの者たちなりに戦い抜こうとしているのですぞ」

 

 フレイアは言葉を失った。周囲の獣たちがブレイザブリクの言ったとおりだと声を上げる。やがて、フレイアは弱々しく、獣たちの拘束を解いた。

 

「フレイア様、あなた自身のお覚悟をお認めになるのならば、この者たちの覚悟を認めてやりなされ。塔へは儂一人で向かいます。では、フレイア様……できることなら、生き延びてください……」

 

 ブレイザブリクは飛び上がると、塔に向かって直進していった。それとほぼ同時に、周辺の空間が歪みだし、虚無の軍勢が出現した。

 

 フレイアはきっとその歪みの方を見ると、己の力を解放し、周辺の空間に防壁を展開した。これにより、虚無の軍勢は出現を妨害され、勢いを大きく失った。

 

 獣たちの歓声が響き渡る。

 

「フレイア様。我々一同、お供いたしますぞ」

 

 獣たちは、自ら虚無の軍勢に襲いかかった。

 

 

 

「ハティ……急がないと」

 

 スクルディアが呟き、ハティは思わず聞き返した。

 

「え。スクルディア様、何を」

 

「歌姫の礎……三姉妹の使命……」

 

 スクルディアはハティのもとを離れ、這い出した。ハティが慌てて後を追う。

 

「歌姫のところ……お姉ちゃんたちが、呼んでいる」

 

(そうか、ウル・ディーネ様とベル・ダンディア様がスクルディア様を呼んでいるのか。ソール様のもとへ)

 

 ハティは気づいたが、それと共に、ウル・ディーネの語ったことを思い出す。ベル・ダンディアがスクルディアと離れて暮らさなければならなかったわけを。

 

(でも……このままだと、僕たちはむざむざ虚無の軍勢に滅ぼされてしまうかもしれない。スクルディア様はご自分の使命を果たすため、二人の姉に会いに行くのだ。僕が……僕が、しっかりとしていなければ)

 

「スクルディア様。では共に参りましょう。あなたの姉上たちが待っている、ソール様のもとへ」

 

 スクルディアが頷いた。

 

 

 

 虚無の軍勢の出現地点が次々とスクリーンに映し出されていく。ロキは、それらを読み取り、直面した危機に対応しようと、次々と自分の同胞たちへ指示を送った。

 

(さすがにこれはまずいよね。【虚無】がこんなに早く侵入してくるとは思わなかった)

 

 ソールを乗せる手はずが整った矢先に突然虚龍が襲撃してきたため、予定が大きく狂ってしまった。超時空重力炉もほぼ全滅してしまっている。

 

(ソードランダーたちが間に合ってくれたから、一応壊滅は先延ばしにできたようなものだけど……おや)

 

 比較的塔に近い地域でかつてない異常な熱量が観測された。それまで何の変化も見られなかった筈である地点だ。

 

(ついに来るか。天戒機神グロリアス・ソリュートよ、君から与えられた僕の使命、果たせないかもしれない……)

 

 

 

 虚無の騎士の刃が一閃し、グリン・ブルスティの巨体がどうと倒れた。別の獣が咆哮し、グリン・ブルスティを倒した騎士に喰らいかかった。グリン・ブルスティとの戦闘で傷ついていた騎士は身構える隙も無く、獣の牙で喰い千切られ、無言で倒れた。

 

「グリン・ブルスティ……」

 

 フレイアはそう呻いたが、防壁を展開するのに精一杯で、仲間の方を見る余裕もない。その顔には疲れの色がありありと浮かんでいる。

 

 また、別の獣の断末魔が響いた。一瞬、フレイアの注意がそちらに向かれる。その時、フレイアの防壁の隙間を捉えた虚無の騎士の一体が剣を構えると、フレイアに向かって突きかかって来た。

 

(く、しまった)

 

 フレイアはその攻撃をかわすと、氷壁を創り出し、騎士を自分の結界の領域から押し出した。騎士はしぶとくその場に留まろうとした。フレイアの防壁はますます乱れ、別の騎士がフレイアに向かって斬りかかった。

 

 フレイアは瞬時にその場から退いたが、鋭い衝撃が全身を襲った。見ると、肩から右腕にかけて、身体がひび割れている。

 

 氷の魔女の呪いで硝子の身体となっているフレイアは、痛みを感じなかった。だが、傷ついたところから得体の知れない瘴気が入り込み、全身を蝕まれつつあることを感じていた。

 

(これ以上はもたない……)

 

 フレイアの身体から力が抜けたことで、防壁は弱まっていき、更なる虚無の軍勢が今まさに実体化しようとしている。

 

「フレイア、諦めないで」

 

 声と共に、周囲にフレイアのものとは別の守護が満ちていった。

 

「あ、あなたは……」

 

 フレイアがそちらに意識を向けると、そこには姉であるフレイと……かつての自分の主、スノトラの姿があった。

 

「姉さん。それに……何故、スノトラ様がここに」

 

「ヘルがここに導いてくれたのです。さあ、今は【虚無】を抑えましょう」

 

 スノトラが空間に白光を収束させ、ハープを創り出すと、それを奏でた。フレイが錫杖を掲げ、虚無の軍勢を追い散らす。姫君たちの加護を受け、勢いづいた獣たちは敵の騎士との格闘を繰り広げた。

 

 フレイアは透かさず防壁を修復し、敵の動きを束縛する。ただ、どうしてもスノトラに確かめておきたいことがあった。

 

(スノトラ様……供のドヴェルグは)

 

 フレイアの心の声に、スノトラはすぐに答えてくれた。

 

(……ドヴェルグとは逸れてしまいました。フレイア、今は心を乱してはいけませんよ)

 

 フレイアは了解すると、防壁の維持に専念する。

 

 遠くの方で途方もない熱量が爆発した。空間が悲鳴を上げる。フレイアたちは心の平静を失うところであったが、何とか堪えた。

 

 あの時現れた存在が再び出現する。誰もがそれを理解していた。

 

 

 

 虚無の軍勢は、塔へと続く谷間、氷壁の亀裂にも殺到していた。鏡の回廊はあっけなく崩され、後には冷たい瓦礫が積み上げられているだけであった。その瓦礫の上を、感情を全く示さない冷たい軍勢が踏み荒らしていた。

 

 その軍勢の前に立ちはだかる巨大な亀の姿があった。守護巨獣ガラパーゾである。ガラパーゾは白い魔法陣の結界を創り出し、虚無の軍勢を食い止めていた。

 

 上空から巨大な影が飛来し、ガラパーゾの結界を破ろうとする軍勢を、なぎ倒した。その巨体は頭部で光っている赤い瞳をガラパーゾに向ける。

 

「ガラパーゾか。スノトラの守護獣であるお前がここにいるということは、スノトラとドヴェルグ、それにもう一体の守護機獣スノパルドも来ているのか」

 

 鎧蛇竜ミッドガルズの問いに、ガラパーゾは頭を振った。

 

「いや、スノトラ様はフレイア様のもとへ向かったが、ドヴェルグ殿とスノパルドは故あってここにはいない」

 

「そうか。だが、お前が来てくれるとは心強い。俺も力を貸すぞ」

 

 ミッドガルズが、虚無の軍勢を睨みつけた。軍勢は先ほどの急襲で怯んだが、すぐに態勢を立て直すと、進軍を再開した。

 

 遠くの方の異常な熱量はここにも伝わって来た。流石のミッドガルズも身震いを禁じ得ない。あくまでどっしりと構えているガラパーゾがいなければ、ミッドガルズとて、取り乱してしまっていたかもしれなかった。

 

 膨大な熱量が渦巻く上空から二体の機人が降り立ち、ミッドガルズとガラパーゾに加勢した。その機人たちの後ろから、配下である無数の動器たちが飛来する。

 

(アスクとエムブラか。よく来てくれた、助かるぞ)

 

 ミッドガルズが二人の機人に向かって電子音声で語りかけると、機人たちは軽く会釈し、戦闘を開始した。

 

「まさか、敵であったエムブラを一度追い込んだこの氷壁の亀裂で、今度は味方となったエムブラとアスクと協力することになるとはな……」

 

 ミッドガルズは微かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 再び現れた機神獣は前回よりも強大な熱量を有していた。一目でこれを見抜いたイグドラシルとヴァルハランスは恐怖を抑えるだけでも精一杯であった。もし、彼らに騎士としての誇りが眼覚めていなければ、この相手を前にして逃げ腰になっていたかもしれない。

 

 二人の部下である、槍戦騎ガウトが率いる神機グングニルの一隊と、盾機兵バルドルが指揮する部隊も、この上司がいなければ強大すぎる敵を前にして逃げ出していたことであろう。

 

 それに対して、前回白き神の恐怖を体感したスミドロードは四肢が竦んでしまった。共に戦ってきたファーブニル、レインディアを容易く葬り、アインホルンを瀕死の重傷に追い込んだ機神獣。あの時の力が、まだほんの小手調べであったと認めざるを得なかった。

 

(スミドロードよ、怖れるな。我々には歌姫と三姉妹の真の加護がついておる。)

 

 スミドロードの心に直接意思を伝えた巨獣は、機神獣の背後から同胞たちを守護する結界を創り出していた。

 

(心得た……凍獣マン・モールよ)

 

 スミドロードの脳裏に真っ先に現れたのは、敬愛するベル・ダンディアの姿であった。あのお方を護るためならば、この場で散ることも躊躇いはせぬ。スミドロードは内なる恐怖を自分がこれまで生きてきた目的である者のために、必死になって抑え込んだ。

 

「大した面構えだな。ようやく我の力を示す良い機会だ」

 

 そう口にしたのは、機神獣ではなく、その足元にいるヴァルグリンドであった。ヴァルグリンドはスミドロードの横にいるウルの姿を見やった。

 

(【勇者】。だが、まだあまりにも小さすぎる。今この場で潰すことは簡単だが、それでは面白くないか……)

 

 機神獣の眼光が周囲にいる者を眺め廻す。ウルさえもさほど気に留めなかった視線はヴァルハランスのところで止まった。機神獣に代わって、ヴァルグリンドが再び口を開く。

 

「氷の魔女ヘルの助力を得ている者は貴様か。他の者の手には負えんかも知れぬな」

 

 機神獣の両翼が開かれた。それに呼応するかのように上空の虚龍が咆哮し、塔を睨む。

 

 同胞の艦隊は虚龍によって壊滅寸前に追いやられ、一旦後退せざるを得なかったのだ。ここで持ち堪えなければ、我々に明日はない……。

 

 ヴァルハランスは散っていたアトリーズ、そして多くの友たちのことを想い、眼前にいる敵の総大将と対峙する。




関連カード

●機人ヴェルンド
機人。
散らす側から散る側へ変わっても変わらぬ使命を全うしている。

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。

●黒槍機ボルヴェルグ
武装・戦騎。
力なき者を圧倒し、強者のみの戦場を生み出すと呼ばれるほどの者。
このカードの召喚時効果もそれを再現しているのかもしれない。

●竜機合神ソードランダー
機獣・武装。
フレーバーテキストは白の章第10節。
侵略者と歌姫たちの両勢力が協力し、次々と新兵器が生み出されていった。
このカードのイラストは獣機合神セイ・ドリガンと繋がっており、
あちらには侵略者と歌姫たちが手を組んだ象徴と書かれている。
竜機合神ソードランダーにも同じことが言えると考えられる。


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第三十章 大海の豪傑

 機人の項

 

 

 ディースが、集めた光雨で作った薬をウリボーグの口に含ませると、ウリボーグに生気が甦った。やがて、活力を取り戻したウリボーグは自分の力でゆっくりと立ち上がった。ミストの顔がぱっと明るくなる。フギンとムニンも喜び、ウリボーグの周りを飛び回った。

 

「ディースさん、ありがとうございます」

 

 ミストが礼を言い、ウリボーグもそれにならって感謝の意を述べて頭を垂れた。

 

「ちょうど、光雨が降ったばかりだったから。おかげで治療も間に合ったわ」

 

 ミストたちが転送された場所は、以前に虹竜アウローリアと出会った砂浜であった。周囲には、今でも宝石虫や珊瑚蟹が変わらずに暮らしており、汚染された土や水を浄化し、大地を育んでいた。

 

 浄化され、虹の輝きに満ちているこの地域は、かつての緑に満ちていた世界を彷彿とさせる。元通りというわけにはいかないが、他の地域と比べたらその差は歴然であり、この地の生命たちの働きは実に目覚ましいものであった。

 

 セイはこの光景を眺め、この壊された世界にまだこんなところが残っていたのかと感心していた。ディースのような世界の守り手の住む地域では、かろうじて残っている緑もあったが、これほどまでに広範囲に渡って、澄んだ空気で満ちている地域が今もあるとは、セイも知らなかった。

 

 遠くの山脈のあたりから一つの黒い影が現れ、近づいて来た。しばらくこの場を離れて、同胞たちの安全のため巡廻に出ていたアウローリアである。アウリーリアは何やら急いでいるらしく、ここを離れる時よりも速い速度で飛んできた。すぐに虹竜の巨体が砂浜に下り立った。

 

「アウローリア、どうしたの」

 

 ディースは、アウローリアの尋常でない様子に戸惑い気味であった。

 

「先ほど、海の方から【虚無】の気配を察知し、急いで戻って来たのですが……。不思議です、もうその【虚無】の気配が感じられなくなりました」

 

「【虚無】がまた現れたのですか」

 

 ミストが尋ねると、アウローリアは未だ把握しきれていないと答えた。

 

「アウローリアには、私たちよりも優れた空間感知能力があります。【虚無】が現れそうになったことはおそらく間違いないと思うわ」

 

「ディース様、何かが此方に近づいて来ます。【虚無】とは違う存在……おそらく海の者か機械……」

 

 アウローリアが、海と空が繋がっている境目の辺りに眼を凝らした。他の者たちもアウローリアの視線の先を見た。

 

「本当だ……。待って、微かに信号がある」

 

 ミストが身をかがめると、その瞳の輝きが弱まった。身体の機能を一時的に休ませ、微弱な信号の受信に備えたのである。

 

「何かしらね」

 

「ちょっと怖いわ」

 

 フギンとムニンが囁き合った。

 

「私の同胞だわ、こっちに来るつもりみたい」

 

 その言葉を聞いたセイが真っ先に身構え、緊張した面持ちでまだ見えぬまれびとの方を見た。

 

「侵略者か」

 

「セイ、まだ敵と決まったわけではないわ。早まらないでね」

 

「分かっている、ディース殿」

 

 やがて、その姿はアウローリアとミスト以外の者の眼にも映り、海を押し広げるように掻き分けながらぐんぐんと接近してきた。

 

「やっぱり。機海兵ゼーロイヴァーだわ」

 

 ミストがゼーロイヴァーと呼んだ者は海岸沿いに達し、力強く逞しい二本の足で波を切り開き、一歩一歩確実な足取りで砂浜に近づいて来た。

 

 ヴァイキングの如き猛々しい角を備えた兜を思わせる装甲を頭部に持ち、暗い緑色の胴体の上で、真紅の髭状の突起物が冷たく蠢いている。赤いマントを翻し、金色の装飾を施した巨大な盾で胴体にかかる波を払いのけながら、砂浜に乗りこんで来た。

 

 ゼーロイヴァーの右の剛腕に握られた鋼の斧を眼にして、セイは敵愾心を顕わに、虚無の騎士との戦いで欠けたドリルを鋭く回転させ、いつでも飛びかかれるよう腰を前方へ曲げた。セイと視線が合った人型の動器ゼーロイヴァーは、その敵意を読み取り、真紅の眼光を宿し、斧を掲げる。

 

「まだ敵と決まったわけじゃないわ、セイ。お願い、武器を収めて」

 

「黙れ、侵略者の言うことなど当てになるものか」

 

 セイがミストの制止を聞かずに、ゼーロイヴァーに襲いかかろうとした時、セイの背後から機械の腕が回され、セイの身体を軽々と持ち上げた。セイが悪態をつき、振り解こうとすると、変形した腕からコードが伸び、セイを拘束した。

 

「ミストの言うとおりにしろ」

 

 ガグンラーズはセイを拘束したままそう言ったが、セイには伝わらなかった。

 

 その様子を眺めていたゼーロイヴァーは、相手が襲ってこないことを知ると、斧を下ろし、ミストの側に近づいて来た。ガグンラーズはセイを拘束する一方で、ゼーロイヴァーがミストに危害を加えないかと疑いの眼を向け、いつでも刃を出せるよう備えていた。

 

「ミストよ、こんなところで出会うとはな。その後、元気にしていたか」

 

「……はい、ゼーロイヴァー」

 

 ミストにはゼーロイヴァーの考えが読めなかった。侵略者がオーディーンを失ったのはミストのせいでもあり、ミストは同胞から裏切り者として追われている立場だった。かつては仲間であったゼーロイヴァーだが、いつミストに斬りかかってきてもおかしくはないのだ。

 

 ミストは警戒し、その警戒を読み取ったウリボーグもガグンラーズ同様、ミストを護ろうと、熱量を蓄え始めた。アウローリアとディースは黙ってゼーロイヴァーを見つめている。

 

 幸いにも、ゼーロイヴァーの方からきり出してくれた。

 

「ミスト、お前がそう警戒するのも仕方あるまい。だが、もう我々はお前を敵とみなしてはおらん。何故なら、すべての機械がこの世界の者と協力し、【虚無】に備えると決めたからな」

 

「え、すると私たちはもう侵略者ではないというの」

 

「そういうことだ。よって、お前が裏切って獣たちに協力した、という一件も帳消しになっている。今はそんなことを罪に問うている場合ではなくなったからな。もっとも、仮にそうでなくとも、俺は君と同じ身分になっていたのだがね」

 

「同じ身分。まさか、あなたも」

 

「こいつ、敵じゃないのか」

 

 ウリボーグの言葉で、会話が中断された。ミストはウリボーグを優しくさすり、その緊張を解してやる。

 

「ええ、そうよ。私たちはもう侵略者ではないとゼーロイヴァーは言っているの」

 

 その様子を不思議そうに眺めているゼーロイヴァーが口を挟む。

 

「その獣の言っていることが分かるのか」

 

「ええ、私が作ったこの装置があれば、私でもこの世界の住人と言葉による意思の疎通ができるの」

 

 ミストが腕に装着しているリストバンドのような機械を相手に見せた。

 

「流石は、クイーンとヒルドの妹だ。侵略することばかり考えていた我々も、最初からそういった技術の開発に眼を向けるべきであったのだがな。それがあれば、あの者たちとの共闘も、もっと円滑に上手くいったのであろうな」

 

「……あの者たち。それが、あなたの言う同じ身分、という話と関係があるのね」

 

「そうだ、ミスト。俺の友人のヘル・ブリンディは空、俺はこの世界の海を制圧するために派遣された。俺は大海を荒らし、海の生き物たちを大いに脅かした……今となっては恥ずかしい話だがね。そうしているうちに出会ったのだよ、生命を守護し、我々の侵略に真っ向から立ち向かう、巨大な島の如き巨亀とな」

 

「巨亀、あなたはその者と」

 

 ゼーロイヴァーが頷く。

 

「最初、我々は敵同士として戦った。巨亀とその同胞たちは手強く、俺と俺の部下ではほとんど歯が立たなかったが。そんななか、現れたのだ、【虚無】が」

 

 ゼーロイヴァーが【虚無】というと、ディースとアウローリアが顔を見合わせた。

 

「後から加勢したヘル・ブリンディの話で知ったことだが、どうやら【虚無】は一足早く空にも出現したらしい。ヘル・ブリンディの宿敵であったという鯨が、突如空間をつき破って現れた虚龍に沈められたそうだ。危うく俺と海の守護者である巨亀も同じ末路を辿るところだったよ。戦いの最中、俺は言葉の通じぬ巨亀と共闘し、【虚無】を何とか退けたのだ。その戦いで俺はほとんどの部下を、巨亀も共に戦う同士たちの大半を失ってしまった……。分かるだろう、そんな状況下で、それまで協力していた俺たちがまた血で血を洗うなど、お互いに望んでいなかったんだ。向こうが先に敵意を引っ込めてくれたから、俺も助かったよ。俺はほっとして斧を下げた。それ以来、俺とわずかに生き残った俺の部下はその巨亀たちと共に生きてきた。度々現れる【虚無】の兆候に警戒しながらな。生き残ったヘル・ブリンディも、今では地上に下り、巨亀といる」

 

「では、その巨亀は今はどこにいるの、ゼーロイヴァー。見たところ、ここにはあなたしかいない様子だけど」

 

 ゼーロイヴァーは手にした斧をおもむろに掲げると、地平線に向けた。空との境目まで広がっている海は、光雨を吸収したためか、黄色い光芒をたたえており、それに虹の輝きが夢幻の深みを与えていた。

 

「俺たちは大海で長い放浪をつづけた。水銀とゼリー状の固い液体の合わさった汚染された海をな。この世の終わりまでつづく旅ではないかと危ぶんだが、やがて、澄んだ海の中に浮かぶ島へ辿り着いた。美しい珊瑚に囲まれた島だった。活火山の煙が天高く昇っていたから、遠くからでも分かったよ。その島に近づいたとき、上空から完全に機械化してもなお己の意思を保っている飛竜が現れ、俺に襲いかかって来た。……あの時は己の最期を悟ったさ。だが、巨亀がその飛竜を抑え、俺が敵ではないと相手方に伝えてくれたらしい。その島の住人たちは、不満を持つ者もいた様子だが、俺と俺の同胞たちを仲間として受け入れてくれた。巨亀はそこを終着点と見なしたんだろう、もうそこから移動しようとはしていない」

 

 そこで、ゼーロイヴァーは言葉を切ると、真紅の眼光をディースの方へ向けた。

 

「ロキから話は聞いている。あなたがディースだな。あなたには分かる筈だ、俺の言っていることが」

 

 ゼーロイヴァーの口からロキの名が出て驚いたミストは、さらに思いがけないことを聞き、ディースの方をふりむいた。

 

「ええ、分かります、ゼーロイヴァー」

 

 ディースが観念したような様子で呟いた。

 

「俺はロキから指令を言い渡された。本部からではない、ロキ個人の指令だとな。本来ならそんなもの一笑にふして然るべきだが……思うところあってそれに従い、ここまで来た。ディース殿、あなたには今すぐ鎧蛇の島――俺と巨亀が辿り着いた島に来てもらいたいのだ」

 

「……私たちも動くべき時ということですね。分かりました、私も共に鎧蛇の島へ向かいましょう」

 

 ディースが了承すると、ゼーロイヴァーは頭を下げ、礼を述べた。

 

「ディースさん、あなたはロキのことを知っているのですか」

 

 ミストの質問にディースが答える。

 

「直接の面識はないわ。でも、大昔からこの世界を見守ってきた者で、ロキのことを知っている者は結構いるのよ。私の知り合いのヘイムダルがロキの友人で、よくロキのことを聞かせてもらったこともあるわ」

 

 ゼーロイヴァーは身を翻し、海を眺めた。その瞳には深き安堵の念が込められている。

 

「ここもまた美しい……。我々は【虚無】から護らねばなるまい、この世界を。それが我々の贖罪であり、生き延びるための唯一の道だ」

 

 ゼーロイヴァーは周囲にいる者たちを眺め廻した。

 

「時間が惜しい。では、今すぐ来てほしい、できればここにいる全員の力が欲しいのだ」

 

「アウローリアはこの地を護るために残らなければならないわ。それに、他の皆はどうかしら」

 

 ディースが言うと、アウローリアが頷いた。

 

「鎧蛇の島まで皆をお送りするだけならば、何とかなりましょう。……ディース様、力になれず、申し訳ありません」

 

「アウローリア、あなたにはあなたの使命がある。それを果たしてくれているのだから、感謝しているわよ」

 

 ディースとアウローリアの会話を聞いていたセイが、いつまでも自分を拘束しているガグンラーズから離れようともがいた。

 

「おい、いい加減に離せ。もう、その侵略者と戦うつもりはない」

 

 ガグンラーズは全く耳を傾けず、微動だにしない。ミストが慌てて言った。

 

「もういいのよ、ガグンラーズ。セイを離して」

 

「分かった、ミスト」

 

 ガグンラーズがセイの拘束を解くと、セイはまた悪態をつき、絡みついているガグンラーズのコードを払いのけた。

 

「例の【虚無】という連中に対抗するために、まずは鎧蛇の島にいく必要があるのだろ。だったら俺も行く。侵略者どもも許せないが、【虚無】の奴らはそれ以上に憎い。俺の仲間を滅ぼしたゲンドリルとかいう奴は、必ず俺の手で討ち取ってやる」

 

 セイの想いはゼーロイヴァーに伝わったのであろう、彼は大きく頷いた。

 

「私も行くわ。私だって仲間の役に立ちたい」

 

 ミストが言うと、ウリボーグがミストの顔を見上げた。

 

「ミストが行くなら僕も行く」

 

「ウリボーグ……。でも、危険だわ、あなたはここでアウローリアさんと一緒にいた方が安全かもしれない」

 

「危険なのは世界中さ。どこにいてもきっと奴らはやってくる。それなら僕はミストと一緒にいたい。僕だって、少しだけど力になれると思うんだ」

 

「……ありがとう、ウリボーグ」

 

 それからミストはガグンラーズと、その傍で何やら話し合っていたフギンとムニンの方を向いた。

 

「あなたたちはどうするの」

 

「俺はあなたを護るよう、母たちに言われた。俺はあなたについていく」

 

 フギンとムニンは驚いた様子で飛びのいた。ミストが不思議に思い、尋ねる。

 

「どうしたの、フギン、ムニン」

 

(ど、どうしよう、ムニン。鎧蛇の島なんておっかないよ。ここにいてアウローリア様と一緒にいた方が安全かも)

 

(だ、だからってディース様をそこにいかせておいて何かあったりしたら……)

 

(しーっ。縁起でもないこと言わないで)

 

(ごめんごめん。……でも、後でワーグナー様に顔向けできないわ)

 

(ワーグナー様。うー、あの人優しいけど、ディース様のことになると私たちなんて二の次三の次なんだよね)

 

(それに、ミストと一緒にいた方が安全かもしれないわよ。だってそっちにいけば強い仲間もいっぱいいるんだし……)

 

(それだけ【虚無】に眼をつけられる恐れもあるんだけど)

 

(……どっちも嫌だね)

 

(ちょっと、ムニン。結局どうするの)

 

(そうだなあ……。ミストだったら、何があっても私たちのことをちゃんと護ってくれるわよ、きっと)

 

(そ、そうだね、そうだよ。この間のことも悪かったと思っているし、ミストのことが心配だから、私たちも力になりたいとか何とかいってついて行った方が点数をかせげるんじゃない)

 

(そうそう。フギン、冴えてる)

 

(いざって時は、ミストや他の仲間に助けてもらうの。私たちの能力だって役に立つんだから、ミスト以外のみんなだって、私たちのことを大事にしてくれるかもしれないわ)

 

(うんうん。それがいいわ。そうしよう)

 

 ゼーロイヴァーがいらいらした様子で持っている斧を砂の上に押しつけ、フギンとムニンの方に眼光を向けていた。その視線に気づいたフギンとムニンはぎょっとなって飛び上がった。

 

「私たちもいきます。少しでもミストやディース様のお力になれると思うから」

 

「そ、それにミストには以前悪いことをしたと思っているの。だから、ミストのためにも一緒にいきます」

 

 しばらく心配そうに二人を覗き込んでいたミストであったが、二人の返事を聞いてその顔がぱっと明るくなった。

 

「ありがとう、フギン、ムニン、私のことも気にかけてくれて。あなたたちの力なら絶対役に立つと思うわ」

 

 ミストの言葉を聞いたフギンとムニンは、笑顔をとりつくろった。その様子を眺めていたディースはくすりと笑うと、すぐに真剣な面持ちとなり、ゼーロイヴァーに言った。

 

「では、参りましょう」

 

「ああ、急いでくれ。俺は海中から鎧蛇の島へ向かう。ロキが言っていた話では、まだ集めるべき仲間がいるのでな、幾つか寄り道していかねばならないのだ。ロキの言うとおりならば、あなたたちも鎧蛇の島の位置は分かっているだろう。先に鎧蛇の島へ向かってくれ。武運をいのっている」

 

 ゼーロイヴァーの巨体が海を突き進んで行き、やがて海中に没した。

 

 他の者がアウローリアの背に乗ると、アウローリアは虹の輝きで浮力を生み出し、上昇した。天高く昇っても、澄んだ空気は変わらない。

 

 この地の珊瑚蟹や宝石虫たちの働きの素晴らしさをあらためて実感したミストは歓喜の声をもらした。

 

 これほどならば光雨が生み出されるのも納得できる、とディースは思い、アウローリアとこの地の生命たちに感謝した。

 

 やがて、上空で旋回した虹竜の巨体が空気を裂いて海の向こうへと飛び立った。

 

 向かう先は鎧蛇の島。かつてベル・ダンディアが訪れ、飛竜ヴァルキュリウスに残された者たちの守護を託し、ミッドガルズとアインホルンと共にソールの塔へと旅立った地であった。




関連カード

●機海兵ゼーロイヴァー
人型の動器。
虚無の軍勢によって荒らされた海を修復している。
破壊者である虚無と、侵略を望む機械の差異が書かれている。

自分の小説では海を制圧する為に極甲王グラン・トルタスと戦い続けていたが、
両軍共に虚無の軍勢に襲われ、そのまま共闘する同志となったという設定。
空の制圧の役目を任じられたヘル・ブリンディとは友人の関係。


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第三十一章 侵食されゆく尖塔

 三姉妹の項

 

 

 虚無に帰る螺旋の塔。

 歌姫の脱出に遅れること一刻。

 

 

 スクルディアは姉ベル・ダンディアの姿に心を奪われ、しばし放心したように佇んでいた。すぐにその顔が明るくなり、急いで姉のもとへ這いよろうとする。ところが、すぐにスクルディアは大理石の床に倒れ込み、頭を抱えた。ハティは驚いてスクルディアの傍に近づき、顔色を窺った。

 

「スクルディア様。どうなさったのです」

 

 スクルディアは困惑した顔で見開いた眼を床に向け、涙をとめどもなく流し、呻き声を出していた。

 

「見える……たくさん……」

 

 ハティが辛うじて聞き取れた内容はそんな言葉だった。

 

 ウル・ディーネが透かさず己の殻を蠢かせ、スクルディアの傍へ這いよると、白磁のように白い手をスクルディアの頭に乗せた。当てられた掌からほのかな朱色の燐光があふれ出し、スクルディアの結えられた髪がその燐光を受けて煌めいた。

 

 ウル・ディーネが手を離すと、スクルディアが姿勢を正した。ハティがその顔を覗き込んで見たところ、スクルディアの表情から感情が欠落していることが分かった。

 

「ハティ、心配は要りません。スクルディアの意思を一旦封印したのです。こうでもしないと、私とベル・ダンディアがこれまでに見てきたすべての記憶を、スクルディアが見てしまうことになるのです。スクルディアはまだとても幼いから……それを背負うには早すぎるのです」

 

 ウル・ディーネが誘うと、スクルディアは黙ってその後についていった。

 

 ウル・ディーネはスクルディアを連れて、祭壇の上で歌声を響かせながらも、一連の出来事を視界の片隅に収めていたソールの傍にいる、ベル・ダンディアのもとへ進んだ。祭壇を昇り、ソールより一段下のところにある広がりにいる、ベル・ダンディアの右側にウル・ディーネが立ち、左側にスクルディアが立った。

 

 三姉妹が歌姫の礎となり、その歌声を世界中に響かせる時が来た。スクルディアの身を案じていたハティは、ふと自分の横に立っている人物の気配に気がついた。見ると、それは一人の氷の姫君だった。

 

「あなたがハティね。私はマーニ。ウル・ディーネからあなたのことは聞いているわ」

 

 マーニはそう言うと、部屋の周辺にある、外の光を集約させるための窓の一つを見やった。マーニが突然叫び声を上げた。

 

「虚龍が」

 

 ハティがその視線の先を見ると、ハクともう一人の騎士が乗っている白き龍が口を開き、今まさに虚龍の息吹が放たれた瞬間であった。

 

 ハティは己の眼を疑った。

 

 

 

 機神獣が自分を取り囲む戦士たちを一瞥した後、その足元にいるヴァルグリンドが天空の虚龍に向かって指令を出した。

 

(アルブスよ、お前はル・シエルを使い、塔にいるソールを狙え)

 

 これを聞いたアルブスは自我を失っているル・シエルを操り、塔へと狙いを定めたまま前進した。プラチナムは黙って追従するしかなかった。

 

「まずい、虚龍は塔を狙っている。バルドル、ガウト、お前たちは部下を従え、急いで救援に向かえ」

 

 イグドラシルが指示を出すと、バルドルとガウトは己の部下たちを引き連れて塔に向かった。

 

 虚龍は歌声によって張り巡らされた防壁を破壊しながら、塔へと接近していく。このままでは間に合わないかもしれない……イグドラシルたちの心中を不安が過った。

 

「よそ見をしている暇などないぞ」

 

 ヴァルグリンドが鎚を一閃させると虚空の裂け目が出現し、自我を奪われた傀儡である狼たちが飛び出し、イグドラシルに喰らいかかった。

 

 イグドラシルを助けようと動きかけたヴァルハランスに、鎚を突き出したヴァルグリンドが飛びかかる。それと共に機神獣を中心に波動が放たれ、近くにいた獣や機械の何体かを蒸発させた。波動はなおも空間を荒れ狂い、周囲にいる者たちをなぎ倒しながら暴れた。

 

(おのれ、【虚無】)

 

 マン・モールが巨岩の如きものを備えた鼻で、背後から機神獣を薙ぎ倒そうとした。だが、機神獣は青みがかった装甲に覆われた体躯でそれをがっしと受け止め、果てしない虚空を備えた双眼で凍獣を見すえた。

 

(貴様の守護は目障りだな。消えろ)

 

 機神獣の双眼から【虚無】の波動が放たれ、マン・モールのいる空間がひび割れていった。たちまちその場に【虚無】が出現し、マン・モールの巨体が呑み込まれていった。

 

 マン・モールの魂があらん限りの咆哮を上げ、消滅していく。マン・モールの鼻がせめて一矢を報いようとするかのように振りあげられたが、それも空しく崩れ去り、マン・モールは跡形も無く消え去った。

 

「マ、マン・モール殿……」

 

 スミドロードの驚愕は、他の者とて同じであった。侵略者を今まで食い止めてきたマン・モールが為すすべもなく消滅したのだ。

 

「白の神、よくも」

 

 ウルが怒りの声を上げた。鋼の拳を構え、襲いかかろうとしている。

 

(【勇者】よ、もう手遅れだ。見るがよい、この世界の最後の希望が消えるその瞬間を)

 

 虚龍が防壁をすべて打ち破り、無防備となった塔に閃光を放った。その場にいる、生き残っていた機械と獣たちのすべてが絶望した。

 

 

 

 虚龍の息吹はソールのいる一室を正確に狙っていた。その場にいたマーニは己の内に諦念が宿ったことを感じていた。

 

 閃光が塔の眼前で爆散した。一瞬、何が起こったのか分からなかった。ハティは落ち着きを取り戻すと、その出来事を理解した。

 

 ハティは、自分の脳裏に、宙へと跳び上がり閃光を受け止めたセンザンゴウたちの姿が焼きついていることを知ったのである。

 

(センザンゴウたちがその命を散らすことで、僕たちを護った……)

 

 感傷に浸るひまも無く、虚龍はもう一度閃光を放とうと熱量を蓄え始めた。

 

 三姉妹によって増幅された歌声が、外へ向かって響き渡る寸前に、再び閃光の息吹が放たれた。

 

 

 

 イグドラシルは、バルドルが部下たちとともに宙へ舞い上がるのを凝視した。そして、先ほど獣たちが犠牲になった時と同様に、バルドルの部隊が虚龍の放った一撃を受けた。

 

 バルドルたちが消滅するのと同時に、塔から歌声が響き渡った。塔の眼前にいた虚龍は、歌声によって創られた圧倒的な防壁にぶつかり、虚空へと吹き飛ばされた。歌声はこれまでとは比較にならないほどの魔力を持ち、瞬く間に世界へ向けて広がっていった。

 

「バルドル……それに名も知らぬ獣たちよ、貴君らの働き、決して忘れぬ」

 

 イグドラシルの言葉を遮るように、周囲に白き神の波動が響いた。

 

(どうやら命拾いをしたようだな。だが、最期の時が少々先延ばしになったに過ぎぬ)

 

 機神獣は、歌声に阻害されてもなお、膨大な力を有していた。塔に向かって前進を始める機神獣を食い止めようと、機械と獣たちが殺到する。

 

(退けい、雑魚どもが)

 

 機神獣が咆哮すると、機械と獣たちは吹き飛ばされた。その中にはスミドロードやウルの姿もある。歌声で【虚無】の力が抑えられているとはいえ、白き神の波動をまともに受けた何体かの機械と獣が砕け散った。

 

 イグドラシルが狼を払いのけるよりも早く、ヴァルグリンドを薙ぎ倒したヴァルハランスが機神獣に飛びかかった。

 

「【虚無】の神よ、覚悟しろ」

 

 機神獣は大きく跳躍し、ヴァルハランスの突進をかわした。すかさずヴァルグリンドが鎚を構え、ヴァルハランスを背後から襲った。

 

(捉えたぞ)

 

 その時、上空から一つの影が飛来した。次の瞬間、その影はヴァルグリンドの前に立ちはだかり、流体状の身体で鎚を受け止めた。

 

「なに、貴様は」

 

 その者は、腕を刃へと変化させ、動きを封じられたヴァルグリンドの胴体に深々と突き刺した。激しい熱量を送り込まれ、ヴァルグリンドの身体が徐々に崩壊していく。

 

「スルトだな……」

 

 ヴァルグリンドが呻いた。

 

「スルトの名は既に捨てている。だが、お前への恨み、片時も忘れたことはないぞ、ヴァルグリンド。冥土の土産に教えてやろう、俺はロキが創り出した猛き剣、その名も神機レーヴァテイン」

 

 レーヴァテインが持てる力を解放し、ヴァルグリンドを追い込んだ。それでもなお、ヴァルグリンドは不敵な笑みを浮かべる。

 

「我が完全に実体化した今、もはやこのヴァルグリンドの身体に用はない。レーヴァテインといったな、ではこちらの土産をやろう」

 

 ヴァルグリンドが最後の力をふりしぼり、レーヴァテインの流体状の身体を抑え込んだ。捕らえたヴァルグリンドから、逆に全身を抑え込まれたレーヴァテインは急いで逃れようとした。

 

「さらばだ、レーヴァテイン。この身体とともに【虚無】へ還るがいい」

 

 ヴァルグリンドの身体が内から破られ、そこにマン・モールを消滅させたものと同じ【虚無】が出現し、レーヴァテインの全身を呑み込んだ。

 

「レーヴァテイン」

 

 ヴァルハランスが叫んだ。

 

(【虚無】に呑まれたら、もう助からぬわ。ヴァルハランスよ、次は貴様の番)

 

 機神獣がヴァルハランスに向かって頭から突進し、激突した。ヴァルハランスの胴体に角が突き刺さる。ヴァルハランスは、己のコアに傷をつけられ、苦痛に耐えながらも懸命に押し返そうとした。

 

(無駄だ。さあ、【虚無】に呑まれるがいい……)

 

 そこまで言ったところで、白き神が動きを止め、瞬時に後方へ退いた。ヴァルハランスは、機神獣の動揺を察した。初めて見る、機神獣の感情の変化であった。

 

(この気配は……凍獣マン・モールのものか)

 

 虚空を突き破り、【虚無】に呑まれた筈のレーヴァテインが姿を現した。機神獣がレーヴァテインを凝視する。

 

「あの巨獣の魂が俺を救ってくれた」

 

 レーヴァテインはそう言うと身を翻し、ヴァルハランスのもとへ跳躍した。

 

「ヴァルハランス殿、この神機レーヴァテインを使ってくれ」

 

 レーヴァテインの身体が変形し、かつてスルトが持っていた紅蓮の炎を思わせる大剣と化した。ヴァルハランスはそれを右腕に同化させると、機神獣へ切っ先を向けた。周囲に生き残っていた者たちの間に、緊張が奔った。

 

(小賢しい。貴様らが束になったところで、神には及ばぬ)

 

 ヴァルハランスはレーヴァテインを構えると、一気に機神獣に突きかかった。機神獣は装甲で刃を受け止めると、波動をヴァルハランスの全身に浴びせた。ヴァルハランスの全身が悲鳴を上げ、大きく吹き飛ばされ、宙を舞った。

 

「ヴァルハランス殿」

 

 イグドラシルが、他の者と共闘しながらようやく最後の狼を打ち倒し、救援に向かおうと、大地を蹴り、飛翔した。それよりも早く、機神獣がヴァルハランスに止めをさすべく、ヴァルハランスを追って天を昇った。

 

(ヴァルハランスよ、聞こえるかい)

 

 消えかかっていたヴァルハランスの脳裏に声が響いた。

 

(あなたは……ヘル殿)

 

(妾の持てる全ての魔力をそなたに託す。【虚無】の神は何としてもこの場で滅さなければならぬ。頼むぞ、ヴァルハランス)

 

(分かりました。必ずや、【虚無】の神を滅ぼします)

 

 空中のヴァルハランスに凄まじい熱量が生じた。機神獣は構わずに刃状の角でヴァルハランスを切り裂こうとした。ヴァルハランスは宙を飛んでその攻撃をかわし、体を回転させるとレーヴァテインを突き出し、機神獣の胴を斬りつけた。

 

 斬られた機神獣は落下し、イグドラシルの横をすり抜けて大地に叩きつけられた。ヴァルハランスが地に降り立ち、それに続いてイグドラシルも大地を踏みしめた。ヴァルハランスの変わりように、イグドラシルも驚いていた。

 

(こ、この力は……)

 

 機神獣は立ち上がると、己の胴体の装甲が斬り裂かれ、皮膚に小さな傷ができているのに気がついた。

 

(機械人形の分際で、我に傷をつけただと)

 

 ヴァルハランスは全身に闘気を漲らせ、機神獣に斬りかかった。機神獣の放つ波動を無限の装甲で弾き、一気に距離をつめる。

 

 機神獣の翼から真空が生み出され、その中を無数の凍てついた刃が飛んだ。刃はヴァルハランスの身体を傷つけたが、致命傷を与えるには及ばず、ヴァルハランスはレーヴァテインを機神獣の頭部に振り下ろした。

 

 機神獣が角でこれを受け止める。しばらく鍔迫り合いが続いたが、機神獣の刃が突き上げられ、左腕を切断されたヴァルハランスが宙を舞い、地に伏した。

 

 機神獣が角を突き出し、突進しようとしたが、その動きが止まった。機神獣の角がぼろぼろ崩れ、獅子のたてがみを思わせる盾の如き装甲にひびが広がった。

 

(我が押されている……。これが、ヘルの加護を受けた者の力だというのか)

 

 ヴァルハランスは立ち上がり、失った左腕を気に留めるまでも無く、レーヴァテインを構えた。機神獣は、眼前のヴァルハランスに、ヘルとマン・モール、それに多くの魂が重なっているのを見た。

 

「【虚無】の神よ、私はお前を倒し、この戦いを終わらせてやる」

 

 ヴァルハランスが【虚無】の神を押していることで、他の仲間も勇気づけられ、再び機神獣を取り囲んだ。なんども交戦しながら生き延びていたスミドロードも、白き神を倒せる希望を見出し、希望が恐怖に勝った。

 

 ウルもまた、このままいけばヴァルハランスが白の神を倒せると確信していた。ロキは【勇者】が覚醒しなければ【虚無】には決して勝てないと語っていたが、この状況を眼にした今となっては、必ずしもそうではないと思えたのだ。

 

 しかし、白き神は皆の希望を一笑する。

 

(確かに、その者の力は我の予想を遥かに上回っていたようだ。だが、所詮はただの機械人形。我を滅ぼすことなど不可能だ)

 

「ただの機械人形かどうか、それはすぐに分かる。もっとも、分かっている時には、お前は既に骸と化しているであろうがな、【虚無】の神よ」

 

 ヴァルハランスが言った。

 

(大した自信だが、それは傲慢というもの。では、試してみるが良い)

 

「騎士の名にかけて、お前を滅ぼす」

 

 突きだされたレーヴァテインが機神獣を貫く寸前。機神獣の足元の大地の空間を突き破り、無数の強靭な盾のごとき装甲を備えた竜が飛び出し、その一撃を遮った。レーヴァテインはその内の一体に弾かれ、形状が大きく歪んだ。流体の刃を弾いた竜の装甲が欠けたが、それも他の竜の群れに流され、すぐに判別がつかなくなった。

 

 出現した竜は機神獣の盾となり、迫っていたヴァルハランスを押し出すと、その内の何体かが群れから飛び出し、ヴァルハランスの胴をかぎ爪で引き裂こうとした。その様子を見てとったイグドラシルがヴァルハランスを助けようと竜に斬りかかったが、後ろから襲ってきた別の竜に喰らいつかれ、身動きもままならない。

 

 二人の騎士を助けようとスミドロードとウルも近づいたが、群れから飛び出した何体かの竜に妨害された。竜の群れの出現は留まるところを知らず、やがて天を埋め尽くし、世界に響く歌声をも阻害し始めた。

 

(我が忠実なる金剛の盾。盾竜イージ・オニスだ)

 

 盾竜の群体は機神獣を取り囲む渦となり、その渦は天に繋がる柱のようであった。盾竜の柱は内に主を内包したまま、徐々に塔へと近づいて行く。周囲の者たちは【虚無】の神の進行を止めようとしたが、渦に迂闊に近づくわけにもいかず、為すすべもなかった。

 

 盾竜に気を取られていたため、上空を金色の影が通過したのに気がついた者はごくわずかであった。金色の影は、群体の一部を形成していた二体の盾竜と格闘しているイグドラシルの背後に着地すると、甲高い鳴き声を発した。

 

 イグドラシルと戦っていた二体の盾竜が弾き飛ばされ、イグドラシルが透かさず放った閃光を受けて、装甲を砕かれた。それでも盾竜を完全に破壊することはかなわず、手負いの盾竜はすぐに群体に入り込み、その姿は見えなくなった。

 

(鉄騎皇イグドラシルですね。あなたを迎えに参りました)

 

 金色の影の正体である狐がイグドラシルに語りかけた。

 

「迎えに来ただと。あなたは何者なのだ」

 

(私は【星創る者】の従者。あなたを必要としている世界へ、あなたを導くことが私の使命)

 

 その瞬間、イグドラシルの脳裏にこの世界とは違う、豊かな深緑の大地が広がった。かつて、鎧装獣の王ベア・ゲルミルに見せつけられた緑の世界と酷似した世界。そして、その世界に暗い影を落とす【虚無】。

 

 イグドラシルは【星創る者】が己に課した使命、自分が本来為さねばならないことを理解した。だが、イグドラシルは頭をふった。

 

「いや、今は自分の同胞たちを救うことが先決だ。この世界での任務を放棄して旅立つことなどできぬ」

 

(この世界におけるあなたの力では、【虚無】の神には歯が立たないでしょう。このままではあなたは本来の使命を果たすこともできず、消滅する運命にあります)

 

「……そうかもしれない。しかし、せめて、この世界の仲間たちのために、僅かでもいい、未来を切り開く助けとなりたい」

 

(……あなたを見捨てるわけにはいきません。あなたがそれを望むならば、私も力を貸しましょう)

 

 狐は盾竜の群体によって形成されている渦を見すえた。

 

(あの金剛の盾の中で、一番脆い部分を私が割り出し、特攻します。あなたは、ヴァルハランスと共に私の後ろから続き、盾を打ち破ってください。……【勇者】が未だ真の力に目覚めていない今、【虚無】の神に一矢報いる可能性を秘めているのはヴァルハランスだけです。あなたは彼を【虚無】の神のふところへ導くことだけに専念してください)

 

「分かった。【星創る者】の従者よ」

 

(盾を破るため、巨獣皇スミドロードと【勇者】ウルの力も必要です。彼らとヴァルハランスには私が伝えます。では、心してください、イグドラシル)

 

 狐が飛び立ち、すぐに行動が開始された。狐が伝えた指示を理解したスミドロードが自分に群がっていた盾竜を払いのけ、ヴァルハランスを手こずらせていた盾竜たちに飛びつき、捨て身の覚悟でこれらと交戦した。スミドロードの勇猛さに心を動かされた他の獣や機械たちも、群体から飛び出して来た盾竜を襲った。ヴァルハランスはすぐにイグドラシルの横に並んだ。

 

 狐が疾走し、宙を飛んだ。一筋の金色の閃光となり、盾竜の渦のただ一点に向かって突進していく。

 

 二人の騎士は狐のすぐ後ろについて、渦に向かった。それを食い止めようと群体から無数の盾竜が飛び出したが、ウルが同胞たちを指揮しながら横から閃光を放ち、それを狙い撃った。

 

 盾竜の群体に激突した狐の身体が砕け散り、周囲に金色の輝きが霧散した。イグドラシルとヴァルハランスは怯むことなく、狐が消滅した渦に刃を突き立て、全身から熱量を放ち、群体を押し広げた。中にいる機神獣の姿が僅かに映る。

 

 二人の騎士が渾身の力で盾竜を突き破り、機神獣に接近していった。無数の盾竜がこの二体の騎士を押し出し、群体を修復しようと群がってきた。このままでは機神獣のもとには辿りつけない、イグドラシルはそう確信した。

 

(……ヴァルハランスよ、後は頼んだぞ)

 

 イグドラシルの全身から膨大な熱量と閃光が放たれた。その力はイグドラシル自身の身体をも破壊しながら、群がる盾竜を吹き飛ばした。

 

 ヴァルハランスは空いた穴を広げ、渦の中へ入り込むことに成功した。そして、背後にいるイグドラシルの反応が急速に消えていったことを知った。

 

(イグドラシル殿……すまぬ)

 

 ヴァルハランスは眼前の白き神の威圧に気圧されることなく、レーヴァテインを構えた。

 

(よくここまで来た。だが、ここは我が領域。先のようにはいかぬぞ)

 

 ヴァルハランスは、機神獣の頭部に流体の刃を突き刺そうとした。刃は機神獣に傷一つつけることも敵わず、ひしゃげた。ヴァルハランスは愕然とする。

 

(愚か者め。ここには歌姫の歌声も届かぬのだぞ)

 

 機神獣の蛇のように細長い尾が、ヴァルハランスの全身を打ちつけた。ヴァルハランスの体がどうと倒れる。

 

(貴様は大したものだよ。ここまで我を手こずらせたのは先代の【勇者】以来だからな。褒美に、貴様にも見せてやろう。この世界の歌姫どもが【虚無】に還る、その瞬間を)

 

 盾竜の壁に外の映像が映し出された。それを見たヴァルハランスは己の眼を疑った。そこにはソールの塔が映っており、塔の下からマン・モールを呑み込んだものと同じ【虚無】が広がっていたのである。その側にいたガウトは、急いで部下を避難させていたが、何体かの神機グングニルが【虚無】に呑まれていった。

 

「や、やめろ。【虚無】の神」

 

 ヴァルハランスは立ち上がると、レーヴァテインを変形させ、機神獣の翼のつけねを狙って斬りかかった。機神獣が片方の翼を一閃させ、レーヴァテインを引き裂いた。分断されたレーヴァテインが形を失って周囲に飛び散る。ヴァルハランスはそれでもあきらめず、残っていた右腕で機神獣の胴体を打ちつけた。機神獣の装甲を傷つけることは敵わず、右腕は破壊の波動を受けて、崩れた。

 

 両腕を失ったヴァルハランスが地に伏すと、機神獣は強靭な前足でヴァルハランスを踏みつけた。地に押しつけられたヴァルハランスの全身に亀裂が奔っていく。

 

(黙って見ていられぬようだな。ならば一足先に消滅してもらおう)

 

 押しつけられたヴァルハランスの身体に【虚無】の波動が広がっていった。ヴァルハランスの全身が悲鳴を上げたが、その魂は【虚無】の神に屈することはなく、なおも強大な敵を打ち滅ぼそうと熱量を放ちつづけていた。それに呼応するかのように散らばっていたレーヴァテインの体が集まり、機神獣に取りついた。

 

 機神獣がレーヴァテインを振り落とそうとすると、ヴァルハランスが渾身の力をふりしぼり、機神獣の前足を押し上げると、その腹部にぶつかった。

 

 レーヴァテインが瞬時にヴァルハランスの失われた右腕のあった部分に集約し、強靭な刃となった。ヴァルハランスは己と同化したレーヴァテインを機神獣の腹部に突き立てた。

 

(貴様)

 

「【虚無】の神よ。共に滅びようぞ」

 

 ヴァルハランスの体内で、この時を待っていたかのようにヘルの力が急速に強まっていった。ヴァルハランスの脳裏にヘルの意志が響いた。

 

(ヴァルハランス、妾も命を賭けてやろう)

 

 ヴァルハランスは内なる力すべてを解放することで、ヘルに応えた。レーヴァテインに集約された膨大な力が、突き刺さっている機神獣の体内に轟いた。

 

 機神獣の咆哮が天地に響き渡った。

 

 

 

 イグドラシルの身体の大半は破壊され、頭部と僅かな胴体が原形を留めていた。むき出しになったコアには、ベア・ゲルミルにつけられた傷跡がまだ残っている。イグドラシルはその傷跡に感謝していた。それがなければ、自分は本来の使命に気づきもしなかったのだ。

 

(イグドラシル、あなたはよく戦いました。……そんなあなたを更なる戦いへ向かわせるのを赦して下さい)

 

 消滅した筈の狐が実体化し、イグドラシルの傍らに舞い降りた。

 

「……構わない、私の力が本当に役に立つというのならば」

 

(では、あなたを緑の世界へお連れします)

 

 イグドラシルの身体が宙に浮き、金色の輝きに包まれた。その輝きは別次元の世界への扉を開き、イグドラシルの身体がこの世界から徐々に消えていった。

 

 イグドラシルが視線を向けると、歌姫の塔が下の方から黒く変色していき、【虚無】の波動に呑み込まれつつあった。事態は未だ絶望的に思える。

 

 ふと、イグドラシルは自分を見つめるウルの姿を捉えた。ウルがどこまで理解しているのか分からないが、ウルはイグドラシルに別れを告げている様子であった。

 

 突然、ウルの眼光が変化するのをイグドラシルは見逃さなかった。見ると、上空を白き虚龍が舞い、塔へと接近していた。歌声が盾竜によって阻害され、再び虚龍の接近を許してしまったのだ。

 

 イグドラシルは、未だ熱量を解放しているヴァルハランスの存在を認識し、彼と【勇者】の存在に一抹の希望を見出した。

 

(同志たちよ……。頼む、皆を救ってくれ)

 

 イグドラシルの身体が消え、後にはイグドラシルの想いを乗せた淡い燐光がきらきらと零れ落ちた。




関連カード

●盾竜イージ・オニス
白の甲竜・神将。
「金剛石の心」、「最強の盾」と称される。
矛竜ロン・ギニアスとは対を成す存在と思われる。
系統:「空牙」を手札に戻すブロック時効果はレインディアと同じ。

本章では白の虚神が膨大な数の盾竜イージ・オニスを呼び寄せた。
群体を形成することで虚神を守る盾となり武器ともなる存在であり、
虚神にとっての切り札と呼んでも差し支えないという設定。



●侵食されゆく尖塔
名所千選626。
千年雪の尖塔が虚無の影響で変化したものと思われる。
歌姫の塔が虚神との戦いで虚無に飲まれている描写が機神獣インフェニット・ヴォルスに書かれている。

本章の章題。
なお、冒頭の一文は機神獣インフェニット・ヴォルス。


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第三十ニ章 絶望壁の要塞

 陸の項

 

 

 例え絶望しか見えなくとも、

 守り続ける小さき者たち。

 いつか報われる事を信じて。

 

 

 空気が変わった。さほど長時間ではないにしろ、歌姫の歌声が届き、それは確かな成果を生み出した。

 

 あれから虚無の軍勢は散発的にではあるが、何度も襲ってきた。その度に全滅を覚悟していたのであるが、近隣の獣たちが加勢したこともあり、どうにかして退けることができたのだ。今日こそ敗北は決定的になると思われたが、歌声がそれを覆してくれた。

 

 キマイロンとスコールは肩を並べて完成した音叉の塔を眺めていた。

 

 音叉の塔は役目を全うし、歌声を響かせてくれた。今までの苦労も無駄ではなかったのだ。二体の鎧装獣は、ウル・ディーネたちがソールと協力し、皆を救ってくれたことを感謝した。その一方で、今回の戦いで散っていった多くの仲間たちが、この光景を見ることができないのが残念でならなかった。

 

 アウドムラが散り、その遺志を継いだヘイズ・ルーンもまた先の戦いで命を落とした。生き残った鎧装獣はキマイロンとスコール、それにもう一人。

 

 キマイロンたちのもとへ一体の獣が駆け寄ってきた。硬質化した強靭な皮膚に覆われ、槌の如き鼻を備えた逞しい体躯。昨日、鋼葉の樹林の獣たちを導く戦士として新たに任命された、鎧装獣オオヅチであった。王であるベア・ゲルミルは既に亡くなっているため、任命したのは王の側近だった鎧装獣キマイロンである。

 

「キマイロン殿。一大事です」

 

 オオヅチはキマイロンたちの側に辿り着くと、慌てた様子で言った。

 

「どうしたのだ」

 

 キマイロンが面と向かって尋ね、スコールもそちらを見やった。

 

「侵略者の一団が突然現れ、あなた方に面会したいと申しているのです」

 

 思いがけない言葉に、キマイロンは驚いた。

 

「侵略者だと。……今はそうではないと聞くが、眉唾物ではあるな。しかし、どうやってその機械たちと意思疎通ができたのだ」

 

「それなのですが、侵略者は我々の同胞を仲間に引きこんでいるらしいのです。侵略者と我々の同胞、両方の特性を持った者がいて、その者が相互の言葉を話しておりました。どうやら、ただの機械化とも違うらしいです」

 

「……どうする、スコール殿。奴らはつい先日まで我らの命を脅かす敵だったのだぞ。これは罠かもしれない」

 

 キマイロンはスコールの意見を求めた。スコールは少し考え込む仕草をしてから言った。

 

「会うべきだな。これまでの侵略者からのやり口からしても罠とは思えない。どの道、連中に総攻撃をしかけられたら、今の我々では全滅するだろう。それに、【虚無】に対抗できる何らかの糸口が見つかるかもしれぬ」

 

「……そう思うか。よし、ならば我々の腹は決まった。オオヅチよ、その者たちのもとへ案内してくれ」

 

「はい」

 

 オオヅチが踵をかえして鋼葉の樹林へ向かい、キマイロンとスコールが後ろからついていった。後には、塔の見張りに立っている何体かの獣が残された。

 

 

 

 面会を求めたのは二人の機人、それと彼らの技術で【虚無】に対抗するために改造されたというグリプドンたちであった。

 

 グリプドンは、南の戦士と双璧をなすと言われている、高い硬度を誇る甲羅を持つ四足の獣であった。その者たちがこうして侵略者たちと肩を並べているという事実が、キマイロンやスコールたちにとって意外だった。

 

 二人の機人はどことなく似た容姿をしているが、片方は白い甲冑のような装甲を備え、もう一人は全身が黒い装甲で覆われていた。形状こそ違うが、共に瞳には緑色の光を宿している。

 

「キマイロン殿、我らの申し出は他でもない、あなたとスコール殿に我らが根城、絶望壁の要塞まで来てもらいたいのだ」

 

 一体の大柄なグリプドンが仲間を代表して言った。

 

「絶望壁の要塞……ここから少し離れているな」

 

 キマイロンは唸った。鋼葉の樹林には、戦う力のない多くの獣たちが残されている。その者たちを守護する使命を帯びた鎧装獣である自分たちが、樹林を離れることには抵抗があった。

 

「ここの防衛は我々と機械の者に任せてくれ。あなた方をお送りする者はこちらにおられる」

 

 グリプドンが目配せをすると、一体の白豹がキマイロンの側に近づいてきて、一礼した。

 

「私は守護機獣スノパルド。キマイロン殿、それにスコール殿。ぜひ彼らの言葉に従い、私についてきてもらいたい」

 

 キマイロンは、スノパルドの名に聞き覚えがあった。そして、それをすぐに思いだす。

 

「あなたは、スノトラ様の守護獣。もしや、ヘイズ・ルーンが見たというドヴェルグ殿の件と関係があるのでは」

 

「そのとおりだよ、キマイロン殿。……実は、スノトラ様とドヴェルグ殿はある友人のもとへ向かおうとしていたのだが、【虚無】の襲撃に遭い、離れ離れになってしまったのだ。おそらく、ドヴェルグ殿が君たちに力を貸したことで、敵に感づかれてしまったらしい」

 

「そうであったか……」

 

「スノトラ様には守護巨獣ガラパーゾがついている。それに、歌姫の塔にいるヘルが遠方からとはいえ助力をしてくれている。おそらく、大丈夫だとは思うのだが……」

 

「それで、ドヴェルグ殿は、今はどこにおられるのだ」

 

「ドヴェルグ殿は絶望壁の要塞におられる。【虚無】の狙いはドヴェルグ殿だったらしい。奴らはスノトラ様ではなくドヴェルグ殿を執拗に狙ったのだ。……ドヴェルグ殿も本当はこちらにこられるおつもりであったのだが、重傷を負っているためそれもかなわず、今は養生なされている」

 

 ドヴェルグが重傷を負ったという話を聞き、キマイロンとスコールはむろん、周囲にいた獣たちの面持ちも暗いものとなった。

 

「実は、あなた方に来てもらいたいというのは、他でもない、ドヴェルグ殿の望みであるのだ」

 

 スノパルドがそう言うと、キマイロンとスコールは顔を見合わせた。そして同時に頷く。

 

 キマイロンがスノパルドの方へ向き直り、言った。

 

「わかった、スノパルド殿。では、そちらの言葉に従い、絶望壁の要塞へ参るとしよう」

 

 スノパルドは二体の鎧装獣たちが了承してくれたことに感謝した。それから、スノパルドは奇妙な電子音を出し、二人の機人に鎧装獣たちの了承を得たことを伝えた。

 

 キマイロンとスコールにはわからなかったが、それは、ソールを守護するヘイル・ガルフがファーブニルや二ヴルヘイムとの交信に使ったものと同じものであり、ミッドガルズがベビー・ロキと意思の疎通を行った電子音もまた同様のものであった。

 

 移動砲獣と化したグリプドンと機械たちに鋼葉の樹林の防衛を任せ、キマイロンとスコールは、スノパルドと護衛にあたっている二体のグリプドンと共に、絶防壁の要塞を目指した。鋼葉の樹林に唯一残った鎧装獣であるオオヅチは、己に課せられた責任に不安があったが、スコールに勇気づけられ、気を落ち着かせた。

 

 樹林を出るとき、キマイロンとスコールは、入口を守護していた銀燐竜ニーズホッグがもういないことを改めて意識してしまい、気を落とした。先の戦いでニーズホッグに救われ、何とか生き延びることができたラタトスカがそのことを察し、悲しげに鳴いた。それでもラタトスカは、精一杯の明るさをとりつくろって鎧装獣たちを見送った。

 

 

 

 絶望壁の要塞とは、グリプドンの一族が古くから住んでいる、天然の要塞とでも呼ぶべき場所であった。

 

 断崖絶壁に広がる威容が、見る者を圧倒する。侵略者が現れるよりも遥か昔、かつてこの世界で大きな大戦があった頃、この難攻不落の絶壁は、攻め落とそうとする者たちに絶望を与えた。敵対する者からは畏怖の念で、グリプドンたちからは敵に与える絶大な恐怖を称賛する意味で、いつしかそこは絶望壁の要塞と呼ばれるようになったのである。

 

 キマイロンたちが辿り着いた要塞は未だその威容を誇っており、その圧倒的な迫力に、キマイロンは思わず身震いした。スコールは感心するように天然の要塞を見渡している。

 

 三体のグリプドンが、客人である鎧装獣と帰還した同胞たちを迎えた。黄色の眼を光らせるグリプドンたちを覆う強固な甲羅には、やはり機械の筒が備えられており、この要塞の威容を際立たせていた。

 

「待っていた、友たちよ。さあ、こちらに参られい」

 

 キマイロンたちとともに来た二体と、番をしていたグリプドンの内二体をその場に残し、出迎えた一体のグリプドンがキマイロンたちを絶壁の内部に招き入れた。絶壁に穿たれた空洞では、多くのグリプドンや彼らと志を同じくする獣たち、それに機械が防衛にあたっている。

 

 地下深くへと傾斜している、不気味に変質した鋼鉄の岩石に覆われた隧道を進んでいくと、外からの光がほとんど届かなくなったが、微かな燐光を放つ茸が生えており、内部を照らしていた。

 

 内部の岩壁は外側とは違い、本来あるべき自然なものであることをキマイロンは見抜いた。キマイロンは、未だ汚染されていない環境がこうして残っていることに感動を覚えていた。スコールも感嘆の声をもらし、地上から離れた地下深くに未だ侵されていない自然が残されていることを嬉しく思い、それを護りぬいてきた絶望壁の要塞の獣たちに感謝の念を抱いていた。

 

 周囲には岩と土を横にくり抜かれた房室が、ちらほらと見受けられた。それらの内部にはそこで暮らす獣たちの姿があり、それは地上から避難してきた者たちだった。その多くは機械化と環境の変化に適応しきれていない獣であり、絶防壁の要塞の戦士たちはこの者たちを守っているのであった。

 

 案内役のグリプドンが一つの部屋の前で立ち止まると、横に退いた。スノパルドがキマイロンとスコールに中へ入るよう言い、先にその部屋に入っていった。キマイロンとスコールもつづいて中に入る。

 

 内部ではどういう原理か判別できないが、天井に大きな岩の塊があり、そこから光が放たれ、部屋全体を地上の昼間と思われるくらいの明るさで照らしていた。部屋の奥には明らかに道化のために造った寝台が置かれており、その上にドヴェルグが横たわっていた。

 

 スノパルドがドヴェルグの傍らにしゃがみ、その耳元で何かを囁いた。ドヴェルグは頷き、上体を起こすと、眼の前の二体の鎧装獣を見た。キマイロンとスコールは、亡き王ベア・ゲルミルの親友だった道化に敬意を表し、恭しく頭をたれた。

 

 ドヴェルグはしばらく黙って親友の部下であった獣たちを眺めていたが、やがてドヴェルグの体内からほのかな光芒が広がり、ドヴェルグの口が開かれた。

 

「待っていた、次世代を担う若き鎧装獣たちよ」

 

 ドヴェルグが言葉を発したことで、キマイロンとスコールは驚いた。ベア・ゲルミルから聞かされた話では、過去の大戦でヘルがドヴェルグの持つ歌声に眼をつけ、その声を奪おうとしたことがあったという。歌声の魔力を奪うことは叶わなかったが、ドヴェルグは言葉を失い、歌声の魔力の大半も喪失した。そのドヴェルグがこうして喋っているというのは、実に不可解なことであった。

 

 キマイロンたちの当惑を見てとったその存在は、それを振り払うように言った。

 

「私はドヴェルグではない。私はドヴェルグの体内に封じ込められている者。ドヴェルグの身体を通して、君たちに語りかけているのだ」

 

「……あなたは何者なのですか」

 

 キマイロンが尋ねると、その存在は答えた。

 

「私の名はフレキ。かつて君たちと同じ鎧装獣だった者であり、ロキによって生み出されたフェンリルの半身だ」

 

 鎧装獣フレキ。その名をキマイロンとスコールは聞いたことがあった。過去の大戦において、ベア・ゲルミルともに世界に災厄をもたらす存在と戦ったという、伝説の鎧装獣、双子の狼フレキとゲリ。その大戦で、フレキとゲリは命を落としたと語られていたのだが……。

 

 キマイロンが己の疑問を口にすると、フレキはすぐに答えた。

 

「私の肉体はあの時の戦いで、ゲリと共に滅んだ。だが、先代の【勇者】天戒機神グロリアス・ソリュートとロキの協力で、私はドヴェルグ、ゲリは樹氷の女神エイルの体内にその魂を封じこまれ、今日まで生き延びてきたのだ。来るべき【虚無】との戦いのために」

 

「【勇者】、それにロキとは何者なのですか」

 

「それはいずれわかる」

 

 ドヴェルグの体内にいるフレキはそう言うと、キマイロンから目を逸らし、スコールの方を見た。フレキは、スコールの獅子の如き金色のたてがみに覆われた顔の中で煌めいている瞳を、じっと見つめた。その瞳に宿る強い意志の輝きを見たフレキは、ドヴェルグの身体で大きく頷いた。

 

「君の名は何というのだ」

 

「スコールと申します」

 

「そうか、ではスコールよ。君に頼みがある」

 

「何でしょうか」

 

 スコールは内心困惑していた。おそらく、今鎧装獣の中で一番の実力者であるキマイロンを置いて、自分に向けられた頼みというものがどうにも解せなかったのだ。

 

「私の魂は、ドヴェルグの体内にいる限り、無力な存在に過ぎない。だから、それ相応の器を備えた選ばれし獣に、私の魂を託したいのだ。その獣とは……君、スコールに他ならない。君こそが私の魂を受け継ぐに相応しい」

 

「何ですと。し、しかし……」

 

 スコールには、自分が選ばれたということが信じられなかった。確かに戦士としての己の力には自信があり、鎧装獣の一員であるという自負もある。それでも、自分が世界の命運を賭けるこの戦いに置いて、伝説の鎧装獣の魂を受け継ぐというほどの大器だとは思えなかったのである。

 

「私よりもこちらにいるキマイロン殿の方が相応しいのではないでしょうか」

 やっと口を出た言葉であった。

 

「確かにキマイロンも素晴らしい意志と力を持っている。これからの鎧装獣を導いていくことができるのはキマイロンを置いて他にはいないであろう。だが、私の魂を託すというのはそれとは別の問題だ。魂とそれを宿すコアの相性とでも言うべきかな、それがあっている獣は、スコールよ、君を置いて他にはいない」

 

「……私にそのような大役が務まるのでしょうか」

 

 スコールがいつになく落ち込んだ面持ちで言うと、傍らのキマイロンが言った。

 

「いや、スコール殿。あなたは自分で思っているよりも素晴らしい才能と内なる力を秘めている。長年ともに過ごしてきた私にはそれがわかるのだ。それに、この私も、フレキ殿とスコール殿の魂のオーラには、やはり共通する何かを感じる」

 

「キマイロン殿……」

 

 王の側近であったキマイロン。かつてスコールが鎧装獣ではなくその下の一介の戦士に過ぎなかった頃、王を補佐し共に戦うキマイロンに対して憧憬の念を抱いていた。その後、義理の弟であるハティは鎧装獣の特性を持たなかったため、その一員に加わることは叶わなかったが、スコールは鎧装獣に選ばれた。それからは、スコールにとって、キマイロンは憧れの的ではなく、共に戦う親友へと変貌していったのである。

 

 今、スコールがキマイロンに激励され、その瞳を見た時、かつて自分が憧憬の念で以て見ていたキマイロンの雄姿が思い起こされた。スコールは、自分が憧れたキマイロンがここにいて、自分を認め、それが更なる高みへ臨むことを願っていることで、自分がそれだけ成長したのだという実感が湧いてくるのを感じた。それは、スコールの決意を後押しし、スコールは意を決し、ドヴェルグの体内にいる伝説の鎧装獣フレキの魂と面と向かった。

 

「わかりました、フレキ殿。私はあなたの魂を受け継ぎ、必ずや【虚無】との戦いに勝利してみせましょう」

 

「そうだ、スコール。その決意、忘れるなよ」

 

 ドヴェルグの全身が強い輝きに包まれた。その輝きはドヴェルグの身体から抜け出し、様々な色を持つ虹光の塊となり、宙を舞った。そして、光の塊はスコールの身体へと下り立ち、その全身を眩いばかりの輝きで満たした。

 

(我が魂、受け取るのだ。そして、我が導きに応え、もう一人の半身ゲリのもとへ向かえ)

 

 光はスコールの体内に吸い込まれていき、やがて収まった。

 

(ゲリ……そうか)

 

 フレキの魂を宿したスコールには、誰のもとへ向かえば良いのかわかっていた。スコールの脳裏では、弟の銀狐ハティの姿とゲリの姿が重なって見えた。

 

「私は行こう……我が弟ハティのもとへ」

 

 スコールが呟いた。

 

 

 

 絶望壁の要塞の至る所で喧騒が起こっていた。防衛にあたっているグリプドンたちが砲を構え、攻め寄せてくる敵に備えた。

 

 虚無の軍勢は要塞に近づくまで、その気配を察知されなかった。突如空間を突き破って現れると、絶壁に向かって進軍を開始した。たちまち砲撃戦が開始される。

 

 絶壁の上空からも虚無の騎士たちがわらわらと降下してきた。獣と共闘している機械の飛行物体たちがこれを撃ち落とそうと襲いかかったが、虚無の騎士の装甲は固く、さらにあまりにも膨大な数であったため、次々と要塞に侵入してくる軍勢を食い止めることはできなかった。

 

 傷ついたドヴェルグを地下に残して、外に出たキマイロンとスコール、それにスノパルドは、事態を理解するとすぐさま苦戦している仲間たちに加勢した。

 

 絶望壁の要塞を以てしてもこの敵を絶望させることはかなわないのか……とグリプドンたちの多くが思った。だが、諦めようとは決してしない。絶防壁は自分たちにとっては希望である。戦うことのできない小さな命を守護する砦。何があっても、自分たちの心まで絶望に染まってはならないのだ。

 

 同胞の命を救い、共に生き延びるため、絶壁の獣と機械たちは、虚無の軍勢に立ち向かった。




関連カード

●鎧装獣オオヅチ
白の巨獣・戯狩。
鎧装獣の一体。
フレーバーテキストでは、天空より飛来した虚神に立ち向かっている。
「新たな力の到来」を信じており、刹那ではあるが時間を稼いだ。
カードにおいては黄の軽減シンボルと黄のスピリットを回復する効果を持つことから、
同弾収録の氷雪の勇者皇ウル等を補助するデザインと思われる。
その為、「新たな力」は勇者皇となったウルのことかもしれない。

●移動砲獣グリプドン
機獣。
絶望しか見えなくても報われることを信じ、小さき者たちを守っている。
絶望壁の要塞のイラストで、要塞を守護しているのはこのスピリットたちであるが、
こちらのフレーバーテキストではグリプドンの方が絶望に抗っている。

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。



●絶望壁の要塞
名所千選601。
天然の要塞。
これを攻め落とそうとすれば絶望を知るという。
イラストでは複数の移動砲獣グリプドンが砲を構えている。
なお、星座編では火星神龍アレス・ドラグーンが絶望壁の要塞を焼き、守備隊を全滅させている。


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第三十三章 脱出

 三姉妹の項

 

 

 塔が【虚無】に浸食されていくなか、内部にいる者たちは脱出することもかなわず、塔の上層部へと避難していた。薄氷の侍女長フッラと、フッラが率いる氷の侍女たち、塔の内部の防衛を担当している獣たちが率先して姫君たちを避難させている。

 

 塔の外壁ではホタルリたちが【虚無】を抑え込もうと、防壁をつくり出していた。この塔が【虚無】に呑まれたら、自分たちも行き場を失う。下方のホタルリが魂の断末魔を上げながら消滅していくのを目の当たりにしてもなお、ホタルリたちは引くことを知らず、一丸となって防壁をつくりつづけた。

 

 この危機にソールたちも気がついていた。ソールは構わずに歌いつづけようとしたが、ウル・ディーネが屋上へ避難するよう進言し、ベル・ダンディアとマーニがそれに同意したので、ソールも歌を中断せざるを得なかった。

 

「ウル・ディーネ様、屋上に登ったところで、機械の船はまだ待機してはいないのですよ」

 

 ハティは、まだ意識を封印されているスクルディアのことを気にかけながら、ウル・ディーネに尋ねた。

 

「ええ、そうですね、ハティ。……ですが、感じるのです。あの盾竜たちをかいくぐりながらこの塔に近づいてきている――【虚無】とは違う大きな力を」

 

 塔の近くにも、無数の盾竜が群がっている様子が窓から見えた。歌声が止まったことで、この塔を守護する力は大きく損なわれる。住人の避難が完了するまで、あの盾竜を抑えておくことなどできるのだろうか。ハティの脳裏を、スクルディアが見たという未来の予感のことが過り、不安が増した。

 

 屋上へと避難させるため、ハティに背負わされているスクルディアは未だに虚ろな眼をしており、ハティの不安感をあおった。

 

 

 

 盾竜の渦が崩れ、ばらばらになっていく。盾竜は周囲へと散開し、明確な目的もなく飛び交った。渦が消えたところには、前のめりになったまま翼を閉じた機神獣の巨体があり、微動だにしない。

 

 ウルとスミドロードは、機神獣から生気が感じられないことで、ヴァルハランスが勝利したという期待感で満たされていった。しかし、それも束の間であった。

 

 機神獣が突然、耳をつんざくような咆哮を轟かせ、両翼を羽ばたかせた。それまで機神獣の下敷きになっていたヴァルハランスの身体が吹き飛ばされ、ウルとスミドロードのすぐ眼の前の地面に叩きつけられた。

 

 呆然となってヴァルハランスを見つめる獣と機械たちは、既にヴァルハランスの生命力が完全に失われていることを知った。多くの悲鳴が木霊した。

 

 一時宙に浮いた機神獣であったが、すぐに大地に下り立ち、前足の片方を折って膝をついた。憎々しげにヴァルハランスの亡きがらを睨みつける。

 

 ヴァルハランスの亡きがらから液体がこぼれ出した。その液体は見る見る人型へと変貌していった。やがて、神機の姿を取り戻したそれは、ウルの傍らに下り立ち、機神獣を睨み返した。

 

「レーヴァテイン殿……ご無事でしたか」

 

 ウルが声をかけると、神機レーヴァテインは機神獣から眼を逸らさないでいるまま答えた。

 

「ヴァルハランス殿の命が尽き……ヘルの魔力は俺に注がれた。俺に生き延びろということか。だが、生き残ったところで、誰があの【虚無】を止められる……」

 

 機神獣は深手を負ったらしいが、未だ、大きな熱量に満たされている。凄まじい生命力であった。主が無事であることを知った盾竜の群れが、すぐに白き神のもとへ集まってきた。機神獣の眼光が盾竜を見渡す。

 

(お前たちはこの地を破壊し尽くし、一帯の生物を根絶やしにしろ。忌々しい、マン・モールの守護もまだ残っておるわ)

 

 機神獣の意思が伝えられると、盾竜はすぐに統率された行動を開始した。僅かな間鎮まっていた戦闘が再び開始された。

 

 塔にはホタルリや肉体を失ったマン・モールの他にも、無数の守護があった。過去の大戦で命を落とした姫君たちによるものまである。これまでその力が表に出てこなかったことを考えると、【虚無】に覆われたことで、眠っていた力が目覚めたのであろう。【虚無】に呑まれてもなお、形を留めていることがそれを証明していた。

 

(アルブス、聞け。お前たちはイージ・オニスとともに塔を攻め、ソールを仕留めろ。どうやら、【虚無】の浸食だけでは間に合いそうにない)

 

 白の神の命令に応え、アルブスに操られた空帝ル・シエルが塔に接近していった。その背後から追うように、輝竜殿ブレイザブリクの姿があるのを、機神獣は見逃さなかった。

 

(我の手落ちか。勝機を逸したかもしれぬな……)

 

 機神獣を中心に空間が歪みだした。それが、一旦逃げるためのものであるとウルは見抜いたが、止めようとしても返り討ちにあうことがわかっていたので、黙って見逃した。【勇者】としての使命を果たすためにも、まだやられるわけにはいかなかった。散っていった者たちのためにも。

 

 

 

 崩れかかった姿勢のヘルの身体を、傍らにいるフリッグが支えた。ヘルの顔は苦悶の表情に歪んでおり、氷の如き全身に薄いひびが広がっていた。全精力を託したヴァルハランスが力尽きたことで、ヘルのもとに戻ってきた活力は僅かなものであり、他に残っていた力はすべてレーヴァテインに与えた。ヘルは、己の生命が尽きかけていることを自覚していた。

 

「……妾もここまでのようじゃ。所詮は罪ばかり積み重ねてきたこの身、今更死などは恐れぬわ……」

 

 ヘルはヴァールのことを想った。この世界が【虚無】に呑まれたらあの娘も助からない。ヘルにとって唯一の気がかりであった。

 

「【勇者】。あやつに託すほかあるまい。妾がこれまで秘めてきた力を」

 

「力、というのはもしや」

 

 フリッグがヘルに尋ねると、ヘルは頷いた。

 

「そのとおり。……妾がかつて、この世界に降り注いでいた光雨を束ねてつくった天弓。あれを【勇者】に託さねば」

 

 【虚無】が下の階まで迫ってきているのをヘルとフリッグはともに感じていた。ヘルの弱りきった身体では【虚無】から逃げきることはかなわない。ヘルが【虚無】に呑まれたら、【勇者】は永遠に天弓を手にすることはないのだ。

 

 そう考えたフリッグが決心すると、回廊の中央に立ち、詠唱を開始し、術式を展開し始めた。ヘルはフリッグの決意を読み取ると、一言「恩にきるよ、フリッグ」と言い、そのまま立ち去ろうとした。

 

 回廊を駆けていたフッラと数人の侍女が、フリッグとヘルがまだここの階層にいることに驚き、急いで近づいた。

 

「フリッグ様。何をなさっておられるのです。早く、屋上に避難してください」

 

 フッラがそう言ったが、フリッグはそれには答えないで詠唱を継続していた。ヘルが代わりにフッラに向かって言う。

 

「フリッグは他の者を逃すために、この場で【虚無】を食い止めようというのさ。このままでは、屋上まで避難したところで、救援が間に合わないかもしれない。お前たちもさっさと逃げることだね」

 

「へ、ヘル。しかし、フリッグ様が」

 

「いいから早く逃げなさい」

 

 フリッグが一喝し、生み出した防壁でフッラと侍女たちをヘルの側へ押しやった。フッラたちはしばらくの間その場に留まり、背を向けたまま防壁をつくりだすフリッグと、黙って去っていくヘルを交互に見返していたが、フリッグがもはや何を言っても耳を貸さないことを知ると、フリッグに涙を流しながら謝礼の言葉を伝え、階上へ向かった。

 

 フリッグの足元から【虚無】の波動が伝わってきて、床の上に敷いてある絨毯がどす黒く染まった。やがてその黒色すらも失われ、何色でもない、抑え込まれていた【虚無】が眼前に現れ出た。フリッグは、ソールに忠誠を誓うマン・モールの魂の守護が周囲に満ちていることを頼もしく思いながら、全力で【虚無】を抑えにかかった。

 

 ここで自分は滅びる。しかし、世界が【虚無】に沈むことさえ阻止できれば、世界は再生し、新しい時代が誕生する。太古の昔、【星創る者】が語ったことを、フリッグは己の意識の中で何度も反芻していた。

 

 やがて、フリッグの全身は【虚無】の波動に覆われていった。

 

 

 

 ヴァルグリンドの生体反応が消えたことに間違いはない――プラチナムはそう確信していた。

 

 ヴァルグリンドがとうの昔に、帝と同様意識を【虚無】に喰われていたことを、プラチナムは既に知っていた。それでも、今日まで傀儡として生きてきたヴァルグリンドが消滅したことを悼む気持ちがあった。少なくとも帝が自分とクウの命を救った時、ヴァルグリンドは神に怯えていたとしても、帝の意志に従ったのだ。その意味ではヴァルグリンドもまた、自分たち姉弟にとって恩ある存在であったと言える。

 

 白の神はヴァルグリンドのことを器の小さい者だったと語ったが、かつて帝の竜騎としてその役目を忠実に果たしていた功績もあるのだ。プラチナムは黙ってヴァルグリンドのために祈った。

 

 傍らのアルブスは憎悪と好奇の入り混じった眼差しで塔を見すえている。アルブスもヴァルグリンドと同様に神の傀儡なのだろうかとプラチナムは一時考えたが、すぐにそれを打ち消した。プラチナムは幼い頃から、そして今になってもアルブスの醜悪な本性をいやというほど見てきたが、アルブスには神すらも冒涜している面があることを、プラチナムは見抜いていた。

 

 アルブスが竜騎に任命されたのは神の思惑であろうが、アルブスは明らかにヴァルグリンドなどの神の傀儡とは違い、己の欲望を満たそうと執心している。今も、塔にいるこの世界にいる住民を、己の道楽のための獲物として見ていた。

 

「プラチナム。臆病な神様は退いたが、残っている塔の守護は俺たちとイージ・オニスどもだけでどうにでもなる。いよいよ連中にとって最期の時が来たというわけだ」

 

 アルブスが冷笑した。早くもアルブスは、塔を落とした後の残党狩りに悦楽を見出しているようであった。

 

 塔に接近するル・シエルの背後から、巨大な飛行物が迫ってきた。興を醒まされたアルブスが忌々しそうに背後の輝竜殿を見やった。

 

 輝竜殿は進路を妨害する盾竜たちを払いのけながら、一直線に塔へと向かっていた。盾竜に傷つけられ、一体化している聖堂のところどころが破壊されていたが、もっとも大事な個所はより強力な守護に覆われ、無傷であった。塔の住人を救出するためのものであることが一目でわかった。

 

「まあ、あんまり簡単にいくのもつまらないよな」

 

 アルブスが呟いた。

 

 

 

 それまで持ち堪えていたフレイアたちであったが、敵の騎士に新手の盾竜が加わり、追い詰められつつあった。それを一変させたのは、空から舞い降りた機械の騎士だった。

 

 騎士は黒い槍を下に突き出したまま地面へと一直線に降下し、手にした槍を大地に突き刺した。広範囲にわたって衝撃波が伝わり、大地を轟かせた。この一撃で群がっていた騎士の何体かが吹き飛ばされ、フレイアとスノトラまで宙へと押しやられた。フレイだけが残っている敵と機械の騎士と共にその場に踏み止まっている。

 

 一瞬、フレイアは機械の騎士が自分たちをも巻き添えにしたのかと思ったが、すぐにその考えが間違っていることに気がついた。上空には機械の船があらかじめ待機しており、宙に舞ったフレイアとスノトラを救援するべく、対象を捕まえるための重力波を放っていた。

 

 そのことに気づいたフレイアははっとなり、地上に踏み止まったフレイの決意を知ったのである。気づくのが遅すぎたフレイアは己を何度も叱咤した。

 

 重力波によって機械の船に運ばれる中、フレイアはスノトラと眼があった。スノトラはすべてを理解しているようであった。その氷に閉ざされた瞳が、悲しく煌めいた。

 

 

 

「ヘルの魂が尽きかけている……」

 

 ミッドガルズの声はいつになく苦渋に満ちたものであった。ロキによって機械の身体を与えられたミッドガルズは、同じ境遇であるヘルの意思を、遠くからでも感知することができた。

 

 ガラパーゾは一瞬ミッドガルズの言葉に反応したが、すぐに迫りくる虚無の軍勢に注意を向けた。アスクとエムブラが軍勢を従えて来てくれたとはいえ、多勢に無勢。いつまでも持ち堪えられるものではない。

 

「ガラパーゾよ。お前はスノトラから言いつけられて、ここの防衛にあたったのであろうが、それはお前の望みではあるまい。お前が本来守護するべき者のもとへ行くがいい」

 

「なんだと。ここを抑えておかなければ、塔に向かって多くの敵の軍勢が雪崩れ込むことになるのだぞ」

 

「この俺様を甘く見るなよ」

 

 ミッドガルズは哄笑すると、ガラパーゾの巨体を己の胴体で打ちつけた。ガラパーゾは味方から襲われるとは思ってもいなかったので、身構える隙もなくまともにくらい、共闘するアスクとエムブラの方へ放り投げられた。

 

(アスク、それにエムブラよ。お前たちは、そのわからず屋を連れ、上空の船に逃げ込め。お前たちは先代の【勇者】の力を受け継ぐ存在。このようなところで、役目を果たすことなく朽ち果ててはならぬ)

 

 ガラパーゾの巨体を受け止めたアスクとエムブラが、呆然となってミッドガルズの出した電子音を聞いていた。

 

(ミッドガルズ、お前一人でこの場を守りきるなど不可能だ)

 

 アスクが反論したが、ミッドガルズは高笑いで返した。

 

(どの道、まもなく塔は落ち、この地は滅びるわ。ならば一人でも多く生き延び、反撃の機会を窺った方が得策というもの。心配せんでも、それだけの時間は俺が稼いでやる)

 

(ミッドガルズ、あなたを見捨てて逃げろと言うのですか)

 

 エムブラが言ったが、ミッドガルズは取り合わなかった。

 

(早く行け。でないと、お前らを一人残さず頭から喰らってくれるわ)

 

 ミッドガルズが有無を言わさず、敵もろとも友軍の機械を薙ぎ倒そうとしたので、アスクとエムブラは部下を率いて退かねばならなかった。エムブラがミッドガルズに謝礼の意を伝え、危なくなったらすぐに友軍のもとへ引き上げるよう言ったが、ミッドガルズはそれには耳を貸さず、黙って敵の軍勢に踊りかかっていった。

 

(ソールへの恩義、これで果たし終えたことにしてもらおう。……嬢よ、お前と共にこの地へ来ることができて俺は満足だ。ロキのためではなく、俺が望んでいる死地に赴くことができたのだからな。あとのことは任せたぞ嬢……それにウルよ)

 

 ウルのことを思ったミッドガルズであったが、ミッドガルズの思い浮かべた姿は【勇者】ウルではなく、短い間ではあったが共に旅をしたアインホルンの姿であった。アインホルンの姿の向こうには、共にこの谷間で侵略者と戦ったファーブニルの姿もある。その瞳は死してもなお闘志に満ち足りており、ミッドガルズを激励した。

 

 アスクとエムブラがガラパーゾを支え、機械たちを撤退させた直後、谷間から膨大な熱量が噴き上がってきた。ミッドガルズが内に秘められていた力を解放させたのである。

 

 ガラパーゾと機械たちは、ミッドガルズの凄まじい底力に脅かされつつも、自分たちはそれだけ追い詰められているということを痛感していた。

 

 

 

 塔の屋上には、ソールを始めとする氷の姫君たちやその侍女、護衛の獣たちが集まっていた。その中には三姉妹とハティの姿もある。

 

 塔を浸食する【虚無】の速度は予想以上に早く、フリッグと志を同じくする姫君たちが自ら志願して塔の内部に留まり、その身を犠牲にして浸食を抑え込んでいた。

 

 ソールは散っていった仲間たちを追悼した。言葉を失っても、それを言い表そうとするかのように、歌声を世界に響かせた。ソールは自分が世界に残された希望であることを熟知しており、自分を助ける者たちの好意に黙って甘んじていた。

 

 ソールの本心は散っていった命の重さと、己に課せられた責任の重大さから、解放されることを望んでいた。それでも、この世界を長く支えてきた者としての労わりの情は誰よりも深く、この世界を護り助けることだけに尽くすことを、心に決めていたのである。その決心は今もなお揺るがない。

 

 側近であったフリッグが【虚無】に呑まれ、離れたところにいるフレイが命を落としたのをはっきりと感じる。ソールに忠誠を誓った、ソールにとっての大昔からの友人でもある凍獣マン・モールが残してくれた守護も、残り僅かだった。皆の想いに応えるためにも、ソールは歌った。

 

 傷ついたヘルが屋上に上がってきた。ヘルがその場に倒れ込みそうになるのを見てとったマーニが、急いでヘルのもとに駆け寄り、肩を貸した。ヘルは弱りきっていた。

 

「マーニ、すまないね。大嫌いな妾に手を貸してくれて」

 

 未だにヘルのことを快く思っていないマーニは何も言わなかった。マーニは足を折って膝をつきそうになるヘルを助け起こしながら、ヘルと共にソールのもとへ近づいた。ソールの傍には、歌声を共鳴させる姫君たち、それに三姉妹の姿もあった。姫君の中には、過去に戦線へ赴いて侵略者と戦ったリンとグナ、姫君たちの知識の宝庫と呼ばれる六花の司書長サーガの姿もあった。

 

 ヘルはソールたちを一瞥しただけで、塔の上空を眺めた。上空では防壁を破ろうとする盾竜がひしめきあっていた。その盾竜を押し分けるようにして、白き虚龍が姿を現した。虚龍は幾重にも張り巡らされた防壁を破壊しながら、塔に接近してくる。その息吹は間近にまで迫っていた。

 

 今、虚龍の息吹が防壁を打ち破り、塔の屋上に強靭なる爪を振り落ろした。爪は歌声を弾きながら屋上の端をえぐり取る。虚龍の口に青白いオーラが蓄えられ、屋上の者たちを消滅させる力が放たれようとしていた。

 

 虚龍の横腹に輝竜殿が体当たりを喰らわした。虚龍は口から息吹を吐き出しながら、大きく突き飛ばされた。暴発した息吹に巻き込まれ、何体かの盾竜が消滅したが、虚龍や他の盾竜たちは全く意に関していない。すぐに態勢を整え、迎撃にかかった。

 

(ソール様。それに塔の同胞たちよ。今、助けますぞ)

 

 ブレイザブリクが大口を開け、屋上にかぶりつくようにして、そこにいた者たちを一人残らず呑み込んだ。

 

 護るべき者たちを体内に収めると、ブレイザブリクは虚龍と盾竜の軍勢を避けながら、塔の門のあった辺りの大地へと滑空していった。後ろから盾竜の群れが殺到する。ブレイザブリクの目指す者は門の側で未だ戦っている同胞たちの救援であった。ヘルが瞬時に伝えた念動により、その中には皆を救う希望となる【勇者】もいることをブレイザブリクは知っていた。

 

 門の側で戦いながらもなお生き残っている者はごく僅かであった。ウルにスミドロード、レーヴァテイン、数えるほどしかいない機械や獣たち。その中には、【虚無】から逃げ延びたガウトと一体だけ生き残った神機グングニルの姿もあった。

 

 ブレイザブリクの全身が数倍に膨れ上がり、生き残った者たちを大口で次々に呑み込んだ。ブレイザブリクは全員を救出し終えると、大きく飛翔し、塔から離れていった。塔には未だ生き残っているホタルリや、【虚無】の浸食を食い止めるために残り、【虚無】に呑まれかかっている者たちがいたが、もはや助けに行く時間もなかった。ブレイザブリクは断腸の思いでその場を去った。

 

 盾竜たちをかわしながら、上空へと避難していたブレイザブリクであったが、下方より白き虚龍の巨体がブレイザブリクに突進し、一気に突き上げた。ブレイザブリクは危うくひっくり返りそうになったが、内部に宿した者たちに細心の注意を払いながら身体を持ちなおした。

 

 ブレイザブリクの眼前に白き虚龍の全身が超然と君臨する。ブレイザブリクが咆哮して威圧すると、虚龍は両翼を激しく羽ばたかせながら上方へと舞いあがり、息吹を浴びせてきた。ブレイザブリク一人の力では、この一撃で消滅していたかもしれないが、内に秘めた歌姫たちの守護により、何とか耐えることができた。

 

 ブレイザブリクは光弾を放ち、虚龍を攻撃した。虚龍の背にいるプラチナムが虚空をつくりだし、その攻撃を無力化した。

 

 上空の二体の龍はなおも対峙しつづけていた。

 

 

 

 【虚無】に呑まれてもなお、塔は形を維持している。塔に残った者は全滅し、ホタルリたちも【虚無】に呑まれ、マン・モールの守護も喪失した。それでも、塔が消滅しないでいるのは、過去の大戦で命を落とした姫君や、獣たちの魂の積み重ねによるものであったのかもしれない。

 

 浸食された塔の下方で、何者かの影が蠢いた。生命が失われた塔の側で、その影はしばらく佇んでいた。その姿はガウトの部下であった神機グングニルに酷似していたが、全身が暗い黄土色に染まっており、核となるコアは禍々しい真紅の輝きを放っている。

 

 やがて、その者は両腕を伸ばし、もはや盾竜たちもいなくなった上空に向かって、軽やかに飛翔した。新たな力の誕生を望んで。



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第三十四章 虚無望まぬ騎士

 歌の項

 

 

 目覚めると、そこは砂浜であった。僕の故郷のものを思わせる潮風に晒され、海水が緩やかな波を生み出しながら砂の上を滑り、砂を削り取って海へと戻っていた。ここの海水はとても澄んでおり、自分が白の世界にいるということを暫しの間忘れていた。

 

 徐々に記憶が戻ってくると、ドヴェルグたちと別れ、金色の狐と共に天を舞い、闇を裂く光に包まれたところで、記憶が途切れていることがわかった。あとには忘却が広がるだけだ。でも、長い旅をしてきたような気がする。あの時スノトラや狐が喋っていたことが確かなら、自分は過去の世界に行っていたのだろうか。ちょっと信じられなかった。

 

 もしかしたら、自分の星に帰ってきたのだろうかと思い、砂の上に立ち上がって周囲を見回したが、すぐにそうではないことを思い知らされた。

 

 海岸には無数の塔が立っており、幾つかの塔の内部から見上げるほど巨大なヤドカリが顔を出し、こちらを探っていた。自分よりずっと小さな僕のことを警戒しているらしい。そのヤドカリから眼を逸らし、海の方を見ると、ここからそう離れていないところに島があった。なにやらごつごつしており、岩の塊のようにも見えた。その上部には何羽かの海鳥たちが空を舞っていた。

 

 ふと、海の向こうを黒い影が横切った。その影は急速に大きくなっており、こちらに近づいて来ていることは明白だ。その影が日の光を反射させ、くっきりと姿を現した時、僕は恐怖に駆られた。あの形状は紛れもない、竜である。この世界を襲っている虚龍かもしれない。

 

 僕がその場から急いで離れようと砂浜を駆けている間にも、竜は接近しつづけ、僕の上を一気に通過した。少し時間がたってから、ソニックブームの轟音が僕の耳をつんざいた。やがて鋼の飛竜がゆっくりと舞い降り、僕の眼前に着地した。

 

 飛竜は僕のことをじっと見つめ、小さな電子音を一度だけ発したのち、黙ったまま立っていた。僕の中から恐怖心が薄れていった。今まで出会った虚龍ならば、その多くが問答無用で襲いかかってきたが、この竜にはその気配が見受けられない。周辺のヤドカリたちも特に意に関しておらず、この竜が脅威になるとは思っていない様子だった。

 

 飛竜はもう一度電子音を発したが、僕には意味が伝わっていないと理解したらしい。機械の翼を羽ばたかせると、ジェット機のような轟音を響かせながら、天へと昇っていった。見たところ、空を飛ぶのに翼を動かす理由はあまりなさそうであったが、おそらく生身の竜であったころの名残なのだろう。

 

 ここにいてもしかたがないので、僕は浜辺を離れ、木々がまばらに生えている陸地の方へと足を運んだ。

 

 一帯の植物は自然のままのものもあるが、やはりこの世界の異変は避けられなかったらしく、不自然に硬質化したものも混在していた。時折、銀色の小動物が僕に驚いて駆けだし、遠巻きにしてこちらを見た。

 

 見たところ、僕の故郷のシマリスなどの齧歯類を思わせる動物であった。似たような獣は至るところにいたが、中には機械化から免れたまま生き延びているものもいた。ここの環境のおかげなのだろう。

 

 前方には森林が広がっており、その向こうには巨大な火山が聳えているのが見えた。尖った山の頂上からは黒い煙が噴き出しており、活火山であることを物語っている。あれが噴火すれば、ここもひとたまりもないのではと、不安になった。

 

 同行者のドヴェルグはおらず、スノトラの姿もない。周囲には僕の言葉を理解できる者などいそうにない。見知らぬ土地で一人さ迷うのはこれまで何度も経験したことであるが、やはり頼りになる同行者と別れたことで、僕は心細かった。

 

 しばらく歩いていると、たわわな銀色の果実をつけた大木を見つけた。ここにきて、自分が空腹感を覚えていることに思い至ったが、とても食べられそうにない。それでも近づいてみたが、果実からは冷たい金属の匂いが漂っており、これを食べると思っただけでぞっとした。

 

 スノトラからもらった携帯食糧があることを思い出し、持っている鞄の中身を探ってみたところ、それはちゃんとあった。僕はほっとすると、木の根元に腰を下ろし、瓶の中に入っているビー玉のような形の食べ物を一粒取り出し、口の中に放り込んだ。どういう素材であるかはわからないが、それはラムネ菓子のような味がし、食感は心地好いものであった。僕はしばらく口の中でそれを転がし、自分の舌を満足させた。

 

 近くで物音がした。木の後ろの方から何者かの気配を感じ、ふり返ってみたが、誰もいなかった。不思議に思いながら、立ち上がろうとしたとき、不意に自分の身体が浮き上がった。冷たい腕が僕を持ちあげている。見ると、それは氷のように冷たい金属質の装甲を備えた機人であることが知れた。そしてこの機人から感じられる、形容しがたい異質なオーラは、これまでに何度も遭遇したものであった。

 

「【虚無】……」

 

 機人はその言葉に一瞬反応した。それきり押し黙ったまま僕を抱えると、森林の方に向かって疾走した。景色が高速で通り過ぎていき、僕はめまいを覚えた。機人の腕をふり放そうともがいたが、がっしりと固定された腕の前には無力であった。

 

 やがて、僕を抱えた機人は森林に囲まれた火山の岩肌に辿り着いた。しばらく値踏みでもするかのように、固まった溶岩の上を慎重に歩いていたが、側の赤い崖の中腹にある亀裂に目をつけたらしく、一気に跳躍すると、その内部に入り込んだ。

 

 亀裂の中は予想以上に深い。機人が全身で発光し、内部を照らしているのは、人間の眼でものを見ている僕のためであるような気がした。そうでなくとも、機人の眼光は常に鋭い光を放っており、前方を目で見て知覚することは容易いものに思えたからだ。

 

 しばらくの間、機人は内部へと歩を進めていたが、歩みを止めると、僕の身体をそっと平らな岩の上に下ろした。僕が起き上ってその機人を見ると、驚いたことにその機人は、僕が生まれ育った星の人間がそうするように恭しく頭を垂れ、喋り出した。

 

「このような手荒なまねをして申し訳ない。あの場では獣たちを恐れさせるかもしれなかったのでな。……あなたは私のことを知らないであろうが、私の方ではあなたのことを知っている。あなたは今まで五つの世界を、生きたまま旅した放浪者……ロロ殿であられるな」

 

 この言葉に、僕はさらに驚かされた。僕にはまだ恐怖心があったが、好奇心がそれに勝った。恐る恐る尋ねてみた。

 

「あなたは、何者なのだ」

 

 機人が答える。

 

「私の名前はデュラクダール。あなたの言う虚無の軍勢の一員だ。そして、知将ゲンドリル殿よりあなたの命を狙うよう、命令されている。だが、私はそんなことなど不可能であるということを知っているのだ。ロロ殿、あなたは不死の実を口にしている」

 

 一体この虚無の軍勢を名乗る機人は、どこまで知っているのであろうか。僕が何故、そのようなことまで熟知しているのか尋ねると、機人はあっさりと答えてくれた。

 

「私は五つの世界に一人ずつ配備されている、神器の称号を持つ騎士の一人なのだ。神器の騎士とは紅蓮のラ・ディアブロードを師とし、その門下生、藍紫のブリュナグオン、緑眼のデルファングス、黄道のパオ・ペイール、青嵐のガラドルグ、そしてこの私白夜のデュラクダールの五人によって構成されている。師のラ・ディアブロードを含めた我々六人は、お互いに次元を隔てての意思の疎通を可能としており、このたびの異世界侵略において、絶えず情報を交換し合っていたのだ。それでロロ殿、あなたが六つの世界に同時に存在しているという事実がすぐにわかった。もっとも、あなたが不死者になっているという情報は、パオ・ペイールとガラドルグがそれぞれ、友軍の光帝竜騎アルカナジョーカーと海帝竜騎ヴァン・ソロミューから聞かされたことであったが」

 

 中には知っている者の名もあった。僕が黙っていると、デュラクダールは本題に入った。

 

「パオ・ペイールとガラドルグから得た情報によると、あなたは世界が【虚無】に呑まれて消滅していく光景を、目の当たりにしたそうであるな」

 

「……はい。確かに私は世界の崩壊を目の当たりにしてきた。ただ、あれで本当に全世界が滅んでしまったのか、急いで門を潜ったので真偽はわからない。……それはあなた方がやったことでしょう」

 

 僕がそう言うと、デュラクダールは頭をふった。

 

「いや、世界の消滅は我々の望むことではない――我々とて生きているのだよ。隣り合わせに生きてきた【虚無】を武器として利用することもあるが、同時に【虚無】は我々が最も恐れているもの。我々は【虚無】から逃れるため、神の命令に従い、他次元侵略という行為に及んだが、あなたの仰ることが本当であるなら、我々の未来もまた絶望しかない」

 

 虚無の軍勢が、本当は【虚無】を望んでいないという話は、僕にとって意外であった。もしかしたら、僕を欺こうとしているのではないかという疑いもあったが、そうだとしてもこうして僕に語りかける【虚無】の騎士の行動は解せない。

 

「パオ・ペイールの情報が伝達された時、我々はそれがすぐには信じられなかった。しかも、パオ・ペイールとの交信はすぐに途絶え、別の筋から得た情報によると、パオ・ペイールは我々を裏切ったと聞いた……」

 

 暫し、デュラクダールは黙していたが、やがて話を続けた。

 

「我らの中で一番同胞たちを案じていたパオ・ペイールに限って、そんなことがあるなど到底信じられなかったよ。その後、事態は予想だにし得なかった方向へと進んだ。ブリュナグオンからの交信が唐突に絶たれ、ガラドルグがパオ・ペイールと同じことを言い、これもすぐに途絶えた。聞いた話によると、ガラドルグは命を落としたらしい」

 

 そう言うデュラクダールは頭を落とし、とても悲しそうだった。僕は彼らの同胞に対する想いを感じ、それは僕が見てきた世界の者たちと同種のものであった。

 

「残された我々の誰もが、パオ・ペイールが正しかったのだと思うようになっていた。……だが、このことを神に進言した我らが師ラ・ディアブロード、それにデルファングスが、神の怒りを買った。……その後何の連絡もない。そうして、残されたのは私一人となってしまったのだ」

 

 デュラクダールの眼光が私を見た。その瞳の輝きには哀願の情すらも感じられた。

 

「我々は神には逆らえない。だからロロ殿、あなたの力を貸して欲しいのだ。何故かは知らないが、あなたは間違いなく【星創る者】に導かれている」

 

 【星創る者】、その名を何度も聞いてきた。何故か、今の僕にはそれがとても身近な存在に感じられた。

 

「……しかし、私は一人の無力な人間に過ぎない。私が救おうとした世界もすべて滅びの道を辿ってしまった」

 

「いや、あなたが現れてから、明らかに何かが変わりつつある。不死の実の話など、私や私の仲間の多くは信じていなかったが、あなたが不死者となったことで、私はその考えも改めた。私は、あなたがいれば――たとえ他の世界が手遅れだったとしても、この世界を救うことができるかもしれないと信じているのだ」

 

 デュラクダールの話の真偽のほどは定かではないが、伝わってきた熱意は僕の心に深く響いたということは確かである。僕はこれまでの世界で、愛すべき仲間と世界を救うために行動してきた。その何れもが己の無力さを痛感するに終わっただけであったが、デュラクダールの決意を思うと、僕の中でもまだこの世界を救うために、自分のできることをしようという意志が、再び頭を持ち上げ始めていた。

 

「あなたは、魔界の貴族が支配していた暗黒の世界が、その後どうなったかもご存じであられるか」

 

 デュラクダールの言う世界が、紫の世界であることはすぐにわかった。僕は頷いた。

 

「私は紫の虚神が現れ、世界中を【虚無】で呑み込んでいく様子を目の当たりにした。既に世界のおよそ九割は消滅し、私は間一髪のところで、魔族が暗黒の館に造った門をくぐり、【虚無】から逃れることができた。……おそらく、残された世界も虚神に滅ぼされたのだと思う。あの世界に、神に立ち向かえる力など残されてはいなかった……」

 

「紫の神。やはり……怖れていたことが……」

 

 デュラクダールの驚愕は尋常ではなかった。しばらく、茫然自失としていたが、徐々に落ち着きを取り戻すと、語り出した。

 

「ブリュナグオンとの連絡が取れなくなり、あの世界を攻めていた同胞たちからの交信まで途絶えてしまったことで、我々一同は共通の不安を抱えていたのだが……紛れもない真実だったのか。……ロロ殿、紫の神、蛇凰神バァラルは他の神とは根本的に異なる存在だ。あの神の本質は【虚無】そのものであり、紫の帝、闇帝オプス・キュリテ様の力によって制御されることで、藍紫の地を維持することができたのだ。そのバァラルが解放されたとなると……破滅だ」

 

 デュラクダールから感じられるものは絶望であった。だが、己の先ほどの決意がその絶望に対する抵抗を始めたらしく、激しく頭をふった。

 

「他の神と異なる存在という、バァラルとは何者なのだ」

 

 僕がそう言うと、デュラクダールは少し間を置いてから答えた。

 

「バァラルとは【虚無】そのもの。【虚無】によって存在する【虚無】という矛盾。【虚無】の意志とは万物を消滅させ、【虚無】一色に染めることだ。そこには如何なるものも存在することを許されない。故に、バァラルはあらゆる存在を否定し、【虚無】に還す者。バァラルにとって、一番身近にある消し去らなければならない存在とは、バァラル自身に他ならない。だが、バァラルはこの世界が存在し、【虚無】が存在として認識される限りは存在しつづける。だからバァラルは全世界を消滅させるまで戦いを止めないのだよ、自分自身を永久に存在させないという目的を果たすために」

 

 まさに真なる【虚無】の本質を知らされた瞬間であった。デュラクダールの言うとおりであるなら、【虚無】とは全世界の存在にとって共通の敵であることに間違いはない。

 

「ロロ殿、私はそろそろ立ち去らねばならない。感づかれてはまずいのでな……。それに私には、まだやるべきことがある」

 

 デュラクダールが空間を捻じ曲げて、そのまま立ち去ろうとするので、僕は慌てて呼び止めた。

 

「あなたは私に力を貸して欲しいと言った。私にどうすれば良いというのだ」

 

 デュラクダールがふり向いた。

 

「それは【星創る者】が導いてくれる筈。私は何より、真実を知り、あなたにも現状を知ってもらいたかったのだ。あなたはまもなくここを訪れるであろう、歌姫たちと行動を共にするのが良いと思う。私が仕えている白の神の行動にも解せないことが多すぎる……ロロ殿、心するのだ」

 

 デュラクダールの全身が空間と共に歪み、消えた。発光が失われたことで、視界が闇に埋め尽くされた。

 

 デュラクダールの話が本当であるとしたら、虚無の軍勢も、この世界の侵略者や、他の世界でも見てきた、それぞれの思惑でお互いに争っている種族たちと大差ないものであるのかもしれない。ただ、僕がこれまでの世界で見てきた虚無の軍勢の行いを考えても、デュラクダールの言葉をすぐに信用するのは考えものだった。

 

 僕は手探りでもと来た道を引き返し、岩のごつごつした地面を慎重に歩みながら、亀裂の外へ向かった。

 

 

 

 僕は亀裂の外に出てから、一帯の地形を把握するため、適当な足場を見つけて岩肌を登っていき、火山の火口付近へ向かった。

 

 頂上から見渡してみると、どうやら僕のいるここは、他の陸地から遠く離れた島であるらしい。この島の側には、前に見たものと同じ岩の島が一つだけあったが、その島が微かに動いたように見えたので、僕はおやっと思った。

 

 海の向こうから、飛行する影が近づいてきた。あの機械の飛竜かと思ったが、どうも違うらしい。慎重に眼を凝らしていると、見覚えのある竜の姿が映った。あれは、この世界に訪れた時に出会った虹竜アウローリアだ。

 

 島の中からあの機械の飛竜が飛び出し、アウローリアと対峙した。一瞬、冷や冷やしたが、飛竜は島へと引き返し、アウローリアを島の中へ招き入れた。アウローリアもそれに従い、島の一部に広がる平原に下りて行くのが見えた。

 

 それを見届けたのち、僕は火山を下り始めた。あのアウローリアの背には、ドヴェルグがいるかもしれない。最初に出会った時がそうであったように。

 

 僕は一抹の希望を胸に、アウローリアの下りた場所へ急いだ。

 

 

 

「デュラクダールめ、連絡が滞っているではないか」

 

 ゲンドリルの顔が歪んだ。

 

 放浪者の調査のため、デュラクダールと騎士を数名送り込んだが、未だにこれといった成果は得られていない。

 

 一度、放浪者と行動を共にしていたことがあるという、この世界の道化ドヴェルグと接触したという情報が、デュラクダールと行動を共にしていた騎士の一人から送られてきた。だが、とり逃してしまったと言う。ゲンドリルは取り逃したという話は信じていなかった。

 

 放浪者の一件があってから、デュラクダールが妖しい動きを見せている。他の世界の神器の騎士の一件もあり、デュラクダールにも気をつけねばなるまい、とゲンドリルは考えていた。未だに神がそのことを捨て置いているのも解せなかった。

 

 できれば、自ら乗り出して放浪者の調査に赴きたいが、自分には神から与えられた別の使命があり、おろそかにするわけにもいかない。その使命とはこの世界の制圧の際に障害となり得る芽を、一つ残らず摘んでおくというものであった。

 

「だが、ちょうど良いかも知れぬのう。ドヴェルグを追わせておいた一軍が発見したもの、絶望壁の要塞と連中は呼んでおったが――あれが消えれば未だ抵抗しつづける地上の者どもも、真の絶望がどういうものか思い知ることになるじゃろう」

 

 ゲンドリルが腰をかけている機械の塊が妖しく発光した。それに共鳴するかのように、大気圏外に並ぶブリシンガメンの首飾りが順々に光っていく。作業に従事していた緑色の粘土状の物体がブリシンガメンの首飾りから離れ、目的を失い、さ迷うように浮遊した。

 

 ゲンドリルが自分が腰をかけている機械を持っている杖でこつこつと叩くと、それを合図に粘土状の物体が集合し、次なる指示を待った。

 

「ようやくエネルギーも溜まったようじゃの。では、次の標的は絶望壁の要塞、それから鋼葉の樹林じゃ。あそこを叩けば我らが神も大分楽になる筈」

 

 虚無の騎士たちではすぐに攻め落とせないと判断した場所には、ゲンドリルが自ら赴き、制御しているブリシンガメンの首飾りで消滅させる。歌姫の加護が十分に届いていなければ、ほんの一瞬で消し去ることができた。

 

 セイたちが戦った、侵略者からゼンマイ平原と呼ばれていた獣の聖地も、そうやって消滅させた。あそこが聖地と呼ばれていた理由は、天命を終えた獣たちが来世での再生を祈り、眠りにつく地であったからだが、ゲンドリルの知っていることではなく、仮に知っていても興味のないことであった。

 

 ゲンドリルが杖を振るうと、大気圏外に浮かぶブリシンガメンの首飾り全体が移動を開始し、その速度は急速に早まっていった。




関連カード

●ゼンマイ平原
名所千選566。
獣たちの墓場であり、
虚無の軍への最初の抵抗の始まりの地。
巨獣の森もまた、ゼンマイ平原と同様に墓場である。

自分の小説では獣機セイ・ドリルが
ブリシンガメンの首飾りの超エネルギーを受けて獣や機械と融合した地という設定。
後に侵略者と歌姫が手を組む象徴となる者が、
虚無の軍勢に乗っ取られた兵器の攻撃を受けながらも、
獣や機械の魂と合わさることで誕生したことが、虚無への抵抗の始まりという解釈。


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第三十五章 大械獣目覚める

 三姉妹の項

 

 

 一人の氷の姫君の犠牲によって、【虚無】が抑え込まれ、撤退していた多くの機械や獣たちが救われた。

 

 前線でしんがりを務めたボルヴェルグもまたその一人であった。ボルヴェルグはここが死に場所と覚悟し、同胞を逃すために激戦区へ単身特攻したのであるが、つい先日まで自分たちが敵と認識していた者に救われるとは、思ってもみなかった。

 

 ボルヴェルグは、この世界の住人と共存しようという、ヴィーザルたちの考えを快く思ってはいなかった。今更共存するというなら、これまでの戦いで散っていた同胞たちの死は何だったというのだ。僅かばかりの領土を得て、そこでこの世界本来の環境に適応できない同胞たちを住まわせるだけというのでは、あまりにも見返りが少ない。しかし、今回のことでボルヴェルグの考え方も大きく揺らいだのも確かであった。

 

 ボルヴェルグは味方の避難が完了してから、自分も宙へと飛び立ち、機械の船へと向かった。

 

 ふと、遠くの空を何かが横切ったのが、視覚の隅に映った。眼を凝らして見ると、味方の神機グングニルに酷似した姿であることがわかったが、どうも様子が違う。

 

 あるいは逃げ遅れた同胞かもしれないので、上空の船に少し待つよう合図を送り、自らその機械のもとへ向かった。

 

 相手は空を裂きながら接近してくるボルヴェルグの存在に気づいたのであろう。ボルヴェルグのいる方を一瞥すると、速度を上げ、ボルヴェルグから遠ざかった。ボルヴェルグは不審に思い、相手を追いかけようと最大速度で近づいたが、神機らしき者の側の次元が歪み、その機械は消失した。

 

 あっけにとられて眺めていたボルヴェルグであったが、あの次元の歪みが虚無の軍勢によるものと酷似していたことに気がつくと、あれは自分の仲間の姿を装った敵だったのかと思うようになった。

 

 これ以上同胞を待たせていては危険だった。ボルヴェルグは捜索を打ち切って、味方の船のもとへ急いだ。

 

 

 

 ブレイザブリクは追い迫る虚龍や群がる盾竜に対して、度々光弾で反撃しながら応戦したが、深追いはせず、ひたすら距離をとって逃げることに専念していた。今は敵を倒すよりも自分の中にいる、歌姫たちを安全なところへ避難させることが先決であった。

 

 ブレイザブリクの反応をレーダーで捕捉した機械の艦隊の生き残りが、救援に飛んできてくれた。その中に、他の艦隊をそのまま収納できるのではないかと思えるくらい巨大な軌道母艦が浮かんでいた。

 

 そこから伝えられた電子音で、ブレイザブリクは己の為すことを理解した。このことをブレイザブリクの内部にいるヘイル・ガルフも理解し、内部の者たちに伝えた。

 

 艦隊が砲撃を開始し、ブレイザブリクを襲う盾竜たちを狙い撃った。被弾した何体かの盾竜が墜落していったが、その傷口が急速にふさがっていくのをブレイザブリクは視界の隅に捉えた。頑丈な盾竜に致命傷を与えることは難しいが、少なくとも時間稼ぎにはなる。

 

 虚龍に対しても無数の砲弾や熱線が放たれたが、それらはすべて虚龍の背にいるプラチナムのつくり出した虚空に呑み込まれ、無力化された。

 

 ブレイザブリクが軌道母艦に辿り着くより前に、先回りした盾竜たちがブレイザブリクを包囲しようとあらゆる方向から接近してきた。全方位から攻撃されれば、すべてを防御することも至難の業だ。ブレイザブリクは危惧したが、軌道母艦から出撃した巨大な動器の軍勢が盾竜たちに襲いかかり、盾竜を食い止めた。

 

(これは……ロキの魔神機か。まだこんなに残っていたとは)

 

 ロキが遠隔操作する殲滅用の神機、魔神機ビッグ・ロキの軍団が盾竜たちとの交戦を開始した。これまでの魔神機とは形状が異なり、空中戦用に特化したものであるらしい。ロキの用意周到に、ブレイザブリクも舌を巻いた。

 

 ブレイザブリクが軌道母艦の横に肩を並べると、軌道母艦から回収用の重力波が放たれた。ブレイザブリクは大口を開き、中に収容していた者たちを重力波の方へと導いた。ソールの護衛に当たっていたリンとグナがソールを送り出し、それから塔の姫君と三姉妹、獣たちが軌道母艦へと転送されていく。

 

 轟音が響き、破壊された魔神機が次々と墜落していった。ソールの歌声が途切れたことで、虚無の軍勢が力を取り戻したのである。

 

 好機とばかり、勢いづいた盾竜たちが魔神機を瞬く間に全滅させ、ブレイザブリクと軌道母艦のもとへ殺到した。軌道母艦がこれを迎え撃ったが、弾幕をかいくぐった盾竜が次々と軌道母艦の横腹に突き刺さった。

 

 ブレイザブリクは自分本来の力で、己の中にいる者たちを護った。ブレイザブリクは己の力を出し惜しみすることなく、全精力を解放している。彼は、ここが死に場所と決め込んでいた。ブレイザブリクはフレイアの覚悟に応える自分の決意を遂に果たす時が来たのだと、確信していた。

 

 全員の移動が終わると、ブレイザブリクは自らの防壁を解き、全身を弾丸にして盾竜の群れに突っ込んだ。その中で最も大きな力を放っている虚龍に目をつけると、刺し違えてでも倒すと自分に言い聞かせ、虚龍に突撃する。

 

 その時、ブレイザブリクの脳裡にフレイアの声が響いた。ブレイザブリクははっとなった。間違いなく、あの艦隊の船の一つにフレイアがいる。フレイアは生きていたのだ。

 

(フレイア様。あなたが生き延びていらっしゃったとは……。儂は嬉しいですぞ、これで安心して死に逝くことができますわい)

 

 もう一度、フレイアのブレイザブリクを止める声が響いたが、ブレイザブリクにとって、それは自分が命を落とすということに、確固とした意義ができたに他ならない。ブレイザブリクの全身が虚龍に衝突し、膨大な熱量が天空に広がっていった。

 

 

 

 その存在は、己を闇に落ちた神機と認識していた。無数の機械や獣の、無念の思いや憎しみが内部の意思に混在し、一つの形をなしているその様は、冥機と呼ぶのが相応しい。

 

 冥機は【虚無】の力を取り込んだことで、虚無の軍勢と同じ次元跳躍の能力を獲得していた。ボルヴェルグが見たものがそれである。

 

 冥機は己の目的を認識し、それに必要な力のありかを把握すると、そこへ向かったのである。冥機が訪れた場所は、かつて氷の魔女ヘルが根城にしていたという永久氷殿だった。

 

 止むことのない吹雪が空間を覆う中、冥機は永久氷殿の門前に下り立った。気の遠くなるような歳月が過ぎていてもなお、永久凍土の城壁は本来の形をそのまま維持している。

 

 冥機が両腕を突きだすと、その先端から小さな虚空が生み出されていった。虚空をまとった腕が門に触れると、永久凍土で造られた門の中にずぶずぶと入り込んでいく。やがて冥機の全身が門を通り抜けた。

 

 永久氷殿の内部に入り込んだ冥機は、宙を浮きながら、氷の回廊の上を滑るように移動した。内部は外の吹雪とは一転して無音の空間であり、すべてが閉ざされた氷で造られていて、時間の変化というものを感じさせない。

 

 外の光を氷殿全体が吸収し、増幅しているらしく、内部は常に明るい光で満たされていた。冥機は何の感情も示さずに回廊を進み、何度か角を曲がった。その的確な動きは、最初から明確な目的地のあることを物語っている。

 

 冥機が何度目かの角を曲がると、その先には地下へとつづく階段があった。冥機は段差の上を浮遊しながら下っていった。

 

 吸収した光を放つ地上部の永久凍土とは違い、地下の氷に覆われた空間は暗黒であった。その中で、冥機のコアが放つ真紅の光だけが闇の中を照らしていた。

 

 闇の中で、冥機の動きが止まった。冥機の眼前には、魔術によって見えない錠がかけられている分厚い氷の扉がある。

 

 冥機は虚空を生み出し、門の時と同様の手段で扉を抜けようとしたが、強い魔力に弾かれ、背後の氷の壁に全身を打ちつけられた。冥機は態勢を立て直すと、真紅の熱線を扉に浴びせた。

 

 氷の扉には傷一つつけられなかったが、冥機の思惑は別のところにあった。冥機の意思が熱線によって運ばれ、扉を通過した意思が内部にいる者を呼び起こしたのである。

 

(俺の眠りを妨げる者はだれだ)

 

 内部から応えがあった。冥機はその者の意識を捉え、直接脳内に自分の意思を伝達した。

 

(我は世界の変革を望む者。汝も同様であろう)

 

 内部にいる者の意識は暫しの間、考え込むように押し黙っていたが、やがて返答した。

 

(俺が望むのは自由だ。俺も、俺の同胞たちも魔女の束縛から逃れたい、それだけを願っている)

 

(それは容易いことだ。何故なら魔女の力は既に衰えている。汝らが望めば、汝ら自身の力でこの地を破壊し、束縛から逃れることもできる)

 

(……確かに、俺たちを束縛する力は弱まっている。だが、俺は魔女が恐ろしい。叛逆の意思を示せば、俺たち全員永久なる責め苦を味わうことになるであろう。俺は魔女がわざと束縛を弱めて、俺たちの叛逆を誘っているのではないかと疑っているのだ。魔女が俺たちを苦しめる口実を得るためだけにな。前にもそんなことがあったのだ)

 

(魔女の力が未だ衰えていないというならば、果たして魔女は我の侵入を許すかな。我は魔女が怖れている【虚無】の者だ)

 

 冥機が再び両腕を突き出して虚空を生み出し、戸に近づけた。魔力の錠には触れなかったので、今度は押し返されるということもなかった。

 

 戸の内部へ入り込むことはかなわないが、【虚無】の力の気配は内部へと伝わった。対話者の唸り声が聞こえ、内部にいる他の者たちの気配も強まった。

 

(お前はどんな見返りを求めているのだ、【虚無】の者)

 

(我は汝らが解放され、復讐を果たすことを望んでいる。それだけで、我の目的もじきに達成されるのだ)

 

(復讐だと)

 

(そうだ、我が兄弟。汝と汝の仲間たちは、魔女を心の底から憎んでいる筈だ)

 

(復讐……俺たちを利用し、永久なる苦しみを与えつづけた魔女に復讐する……)

 

(我が後押ししよう。魔女は衰え、力尽きる時もそう遠くない。その前に汝ら自身の手で魔女を討つのだ)

 

(お前の言うとおりだ。俺たちを苦しめた魔女が、このまま静かな安らぎを得ることは許されない。この世の地獄を味わわせてやる)

 

(その意気だ)

 

 地の底から揺さぶられ、永久氷殿全体が激しく振動する。魔女によって封じ込められていた巨獣たちが目覚めようとしていた。

 

 

 

 ソールたちが乗り込んだ船は、機械たちから無限なる軌道母艦と呼ばれていた。

 

 内部で塔の者たちを出迎えたのは、一人の人魚のような姿をした機人であった。ヘイル・ガルフが一歩踏み出し、ソールの代わりに感謝の意を述べると、機人は会釈し、皆を軌道母艦の奥へと導いた。

 

 ソールとヘイル・ガルフ、それにサーガと数人の姫君たちが会見のために、機械の衛兵が厳重に守護している一室へと案内された。他の者はいくつかの部屋に分けられ、護衛の動器の監視下に置かれた。この世界の住人と機械の和睦が結ばれたとはいえ、まだ警戒の色は拭えない。それは機械も獣も同様であった。

 

 ウル・ディーネとベル・ダンディアの要望で、ウル・ディーネとスクルディアは同室、ベル・ダンディアだけは遠く離れた別の部屋に招かれた。

 

 ウル・ディーネはベル・ダンディアの気配が、遠くの方へ去っていったことを確認すると、スクルディアの頭の上にそっと手を置き、意識の封印を解いた。

 

 意識が目覚めたスクルディアはしばらくきょとんとした顔つきで、じっとしていたが、ベル・ダンディアがいないことを知ると、泣き声を上げた。

 

 ウル・ディーネが落ち着かせようと手を差し延ばすよりも早く、傍らのハティが獣毛で覆われた胴体でスクルディアを抱きすくめた。それを見ていたウル・ディーネがふうと溜息をつく。スクルディアにとって必要なのは、自分よりハティなのかもしれない。ウル・ディーネは嬉しいような寂しいような、複雑な心境であった。

 

 

 

 ベル・ダンディアは部屋に備えられた強固な素材の窓から、軌道母艦の外を眺めていた。窓の外に盾竜の姿はない。

 

 ブレイザブリクが虚龍を足止めしている間に、軌道母艦は高速で戦線を離脱した。その速度は、過去にスミドロードとアインホルンと共に侵されざる聖域へ向かった際、地上から目の当たりにしたものでもあった。

 

 他の艦隊も少し遅れてついて来たが、何隻かはまだ塔の周辺の戦場に、取り残された同胞たちの救援に当たっているらしい。こうしている間にも、塔の周辺では戦闘がつづいているのだろう。そして多くの命が戦場の大地に呑まれていく。

 

 そのことを思っていたベル・ダンディアがふいに泣き出した。両手で端正な顔を覆い、背中をわなわなと震わせる。周囲には獣や、護衛の動器たちもおり、その視線を感じたが、自分を抑えられなかった。

 

 どうして自分はまだ生き残っているのだろう。獣たちが期待していた歌声は、盾竜に阻害されて十分な成果を上げられなかった。

 

 死にゆく者たちの期待に応えることすらできないまま、世界を救う力があるからという理由で、自分たちは優先して護られ生かされてきた。そうして護るために力を尽くした者たちは、救済されることなく命を落としていくのである。

 

 ソールが力不足と言うのではない。それを支える自分の無力さを悔いた。ブレイザブリクは己を守護する力が喪失することを承知で、ソールや氷の姫君、自分たち三姉妹を優先して先に脱出させた。

 

 あの時、既にブレイザブリクは自分が助からないことを承知していたのである。それでも最後の獣を脱出させるまで、虚無の軍勢の猛攻に耐え抜き、最期に艦隊が撤退する時間を稼ぐために特攻した。

 

「こんなのって、あんまりだわ。皆の期待に応えることもできずに、護るために戦う者たちを見捨ててまで生き延びるなんて」

 

 誰かが罪深い自分を罰してくれたら良いのに。だからと言ってこのまま命を落とせば、自分を護るために散っていった者たちも報われない。ベル・ダンディアの嗚咽が部屋の中に木霊した。

 

「ベル・ダンディア様。あなたに涙は似合いませんよ」

 

 その声にベル・ダンディアが振りかえると、そこにはウルの姿があった。ウルの機械の身体は、天井の光を反射して明るく輝いていた。

 

「アインホルン……」

 

 ベル・ダンディアが口にしたのは【勇者】ウルではなく、その前身の片割れ、鎧蛇の島の勇者アインホルンのものであった。ウルはベル・ダンディアがその名を口にしたのを黙って受け入れた。それはアインホルンの意思であり、同調するクウの意思でもあったと言える。

 

「私が鎧蛇の島で初めてあなたにお会いした時、あなたの強い心に打たれたものです。ジューゴンからも聞きましたよ、あなたが身を挺して海の命を護ってきたということを。あなたはご自分の役割をご立派に全うしておられるのです。散っていった者たちも、あなたやソール様たちを護り抜いたことで、より多くの同胞の命を救うことができたのです。皆、本望だったと思いますよ」

 

「アインホルン……ごめんなさい、今のあなたはウルでしたね」

 

 ウルは小さく頭をふった。

 

「いえ、あなたにとって私はアインホルンで構わないのですよ。私もそれを望んでいるのですから。これからも私はスミドロードと共に、アインホルンとしてあなたをお護り致します。私が鎧蛇の島を離れたのも、そのためだったのですから」

 

 スミドロードの名を聞き、ベル・ダンディアは涙を柔らかい手で拭い、小さく頷いた。スミドロードは今は艦内の別の場所にいる。

 

 ベル・ダンディアはスミドロードと一緒にいたかったのであるが、スミドロードの巨体はこの個室には収まらなかった。艦内では大形の動器や騎士を収納するための場所があり、スミドロードもそこへ連れて行かれた。

 

 ベル・ダンディアもついて行こうとしたのであるが、ベル・ダンディアにはもっとくつろげるところにいて欲しいとスミドロードに断られたのだ。

 

「……ベル・ダンディア様、私たちは間もなく鎧蛇の島に到着します。ロキの指示によると、あそこに【虚無】に対抗するための力があるそうです」

 

「鎧蛇の島……」

 

 途端にベル・ダンディアの脳裡に飛竜ヴァルキュリウスと海獣ジューゴン、それにオッドセイやモモンガル、鎧蛇の島で出会った仲間たちの姿が映し出された。島の主、鎧蛇竜ミッドガルズはここにはいない。塔の近辺で取り残された者たちと共に戦っているのかもしれないが、生死は定かではなかった。

 

「もう一度赴くのね、鎧蛇の島に」

 

 また会えるのだろうか、あの地に残してきた仲間たちと。不安もあったが、もう一度会えるかもしれないという期待がそれを否定しようとした。前を向いて進まなければならない。たとえ小さくとも、進む先に希望があるなら。

 

 

 

「鎧蛇の島かい。今更そんなところへ行ってどうしようと言うんだい、ロキ」

 

 ロキがヘルのためにこしらえた寝台に横たえられたまま、ヘルが言った。既に身体の崩壊が始まっているが、ロキの施した処方でまだしばらくは持ちそうであった。

 

(ヘル、君の体内の天弓の力まで失われ、【勇者】の助けとしては十分ではなくなっていると、わかっているだろう)

 

 ロキの端末、ベビー・ロキが電子音で言った。

 

「するとロキは、そこへいけば妾の失われた力が取り戻せるというのかい」

 

 ヘルがけだるそうに言った。

 

(あそこは今となっては数少ない、光雨の降る場所。そしてその時期は間もなく訪れるんだよ。君の集めた光雨の何割かは失われてしまったけど、そこで補充すれば天弓は活力を取り戻せる。……ヘル、君の身体も回復できるかも知れないよ)

 

「ふん、一度は捨てた身でも、助かるならすがらない手はないのかもしれないね」

 

 そう言うと、ヘルは少しの間黙って考え込んだ。その間、ヘルの言葉を待っているかのようにベビー・ロキは沈黙を守った。やがて、ヘルが口を開く。

 

「ミッドガルズにも見せてやりたかったねえ。鎧蛇の島の光雨を」

 

(そうだね。……ミッドガルズは今後【虚無】に対抗し得る者を助けてくれた。僕たちもそれに応えないといけないな)

 

 ヘルは黙って頷いた。ベビー・ロキが部屋を辞すと同時に、マーニが中に入ってきた。

 

 マーニはこの船に乗ってから、ヘルの看病を担当していた。ソールの介護も請け負っているマーニであったが、現在ソールは機械たちとの会合に参加している。マーニも誘われたが、マーニは思うところがあって、敢えてそれを断った。

 

「ヘル、あなたが私たちにかけたこの呪いは、本当に解けないものなの」

 

 マーニは部屋に入るなり、そうきり出した。ヘルの症状が大分落ち着いているとみたからこそ、何度も尋ねているこの事柄を改めてきり出したのであるが、これを聞くとヘルは露骨に顔をしかめた。

 

「何度も言っただろう、マーニ。妾の呪いは永久なるもの。解くすべはないのさ。妾の身体がこのとおり、今も昔も変わらない氷でできているようにね」

 

「せめてソール様の病を癒してはくれないの。あれもあなたの呪いのせいなのでしょう」

 

「ソールの魔力は喪失したもの。あの病気も本来もっていた能力を失ったことによる後遺症のようなものなのさ。妾の呪いによるものではない」

 

 マーニはヘルを見すえた。その硝子の瞳からは激しい憤りが伝わってくる。ヘルはマーニが自分がある事柄を隠していると感づいていることに、気づいていた。

 

 それでも、今はマーニに語ってやるつもりはなかった。時期が来れば氷が溶けるように事態は変わる。それは目前にまで迫っており、もはや待つほどのものでもない。

 

 マーニが黙ってヘルの身体を清潔な布で拭いてやった。ヘルの全身からはすり減らされた氷の砂が驚くほど取れた。

 

(光雨にすがるか……。端からそんなつもりはないわ。妾はこのまま天命に従い、滅びなければならぬのだ。これ以上ソールたちを喰い物にして生き長らえたところで、【虚無】の利にしかならぬ)

 

 ヘルはマーニに身をゆだねながら、ヴァールのことを想った。自分が命を落としたあと、ヴァールはどうするだろうか。ヴァールが生き延びれば、それに越したことはないのだが、くれぐれも早まったまねだけは取ってほしくない。

 

 この世界は【虚無】に勝利しなければならない。それが【星創る者】の意志であり、ロキの意志であったが、何よりも自分自身の意志であることが、当然のことながら、ヘルの行動を決定づけた。

 

 

 

 永久氷殿が轟音とともに崩れさり、内部から鋼の装甲を備え、無限なる熱量を持つ核融合炉を内蔵した巨獣が立ち上がった。

 

 最初に立ち上がった巨獣の足元から様々な形状と特徴を有した異なる巨獣の軍団が、次々と這い出てきて氷殿の残骸を踏み荒らした。その何れもが、解放された歓喜と、これから復讐するべき相手に向けられた憎悪で沸きたっていた。

 

 無限の核エネルギーによって動く、巨獣たちを統べる大械獣が咆哮すると、同胞たちが地を揺さぶる歓声で応えた。

 

 大械獣の眼前に冥機が近づいた。宙に浮く小柄な冥機の身体は、大械獣の鋼の剛腕が横にふるわれたとしたら、簡単に粉砕されそうなものであった。大械獣は自分たちに一大決心をさせてくれた、その小さな冥機に敬意を表し、巨体で以て一礼した。

 

「おお、友人よ、感謝しておるぞ。俺たちは立ち上がり、自由を勝ち取る。俺たちの手で魔女を滅ぼさぬ限り、俺たちの安寧は永久に得られぬ。皆の者、遂に立ち上がる時だ。魔女をこの世界から滅ぼすのだ」

 

 大械獣の言葉に、同胞の巨獣たちは先ほどよりも大きな歓声を上げた。

 

 天地を揺るがす巨獣軍団の咆哮に、無情に吹く吹雪ですら震えあがったようだった。現に吹雪は弱まっており、この吹雪も魔女の術によるものであるためだった。永久氷殿が崩れたことで、一帯の魔力の多くが失われたのだ。

 

(当然のことをしたまでだ、兄弟よ。ではこれから魔女が向かう先、鎧蛇の島を襲撃しよう。鎧蛇の島には魔女と志を同じくする者、即ち我らにとっては魔女同様、共通の敵が屯しているのだ。我がそこへと導いてやる)

 

「兄弟、俺たちはお前に助けられたのだから、その恩に報いるため、お前の力にもなろう。俺たちが真に憎むは氷の魔女ヘルただ一人であったが、お前を脅かす敵がいるなら、俺たちもその敵を魔女同様に憎もう。そして共に憎き敵を滅ぼそう」

 

(さすがは我が兄弟。では共に参ろう、憎き魔女どものもとへ)

 

 冥機の複数の思念が混在する意識が、歓喜で統一されていった。この世界を滅びに導くことができるという至高の喜び。

 

 我はこの世界に生きるすべての者を憎んでくれよう。この無限につづく苦しみ、生命の輪廻というものすべてが我の敵だ。

 

 我の記憶は現世に絶望した多くの命の断末魔の積み重ね。万物は存在してはならぬのだ。この世界の希望の担い手と呼ばれるものを救うために、どれだけの命が犠牲になったのだ。この世界が存在する限り、犠牲は永久につづく。

 

 ならばこの世界は存在するだけで罪なのだ。救済者を必要とする世界など不要。我は滅ぼしてやるぞ、世界を。存在を。この巨獣どもが我の意志を代行してくれる。そして虚無の軍勢も。

 

 冥機の入り混じった真意のほんの一部も、巨獣たちは理解していなかった。ただ、魔女とその仲間を滅ぼすという目的だけは一致していた。

 

 冥機が腕をかざすと、そこに虚空が生み出され、それは大きく広がっていった。永久氷殿の崩壊により、この地に残っていた魔女の魔力の大半が失われた今、巨獣軍団を鎧蛇の島まで跳躍させるなど、容易なことであった。

 

 虚空に踏み込み、核融合炉で動く巨獣たちは全身する。純粋に憎き敵を滅ぼすという執念が、世界の破滅を招くことも知らずに。

 

 

 耐え、耐え、耐えた雌伏の闇。

 解き放たれし、魔女の戒め。

 奮い立つ反抗の狼煙。




関連カード

●冥機グングニル
武装。
「闇に落ちし白銀」と称され、神機グングニルがダーク化したものと思われる。
また、翼神機グラン・ウォーデンの誕生に関わっている存在であり、
旧版では【転召】、リバイバル版では《煌臨》元になる際に自身のコストを上げる効果を持つ。
リバイバル版におけるフレーバーテキストでも「つなぎになる存在」と書かれており、
背景世界における役割も一貫している。

本章では虚無に飲まれた無数の意識を吸収した神機グングニルが変質し、虚無の意志に従う者となった。
しかし、冥機グングニルは翼神機に必要なものとなる。


●大械獣ギガ・テリウム
機獣・巨獣。
フレーバーテキストによると、
「魔女の戒め」から解き放たれたことで「奮い立つ反抗の狼煙」をあげた。
おそらく、氷の魔女ヘルの元で耐え抜いたギガ・テリウムが反逆を開始する場面。
カード効果のブロック時効果をアタック時に発揮させる効果も、それを再現しているものと思われる。

本章の最後の一文は大械獣ギガ・テリウムのフレーバーテキスト。


●永久氷殿
名所千選106。
氷の魔女ヘルの住処。
歌姫たちが氷の身体になったのは魔女の呪いによるものらしいが、
それが今や世界の切り札という皮肉をロロが語っている。


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第三十六章 反撥

 陸の項

 

 

 グリプドンたちが強豪であることは熟知していたつもりであったが、それを敵に回すとは考えてもいなかった。

 

 幸いにも衝突は避けられたが、未だ一触即発の状態であり、予断を許さない。キマイロンは頭を痛めていた。

 

 ドヴェルグの治癒がひとまず完了し、スコールとスノパルドはドヴェルグと共に旅だった。フレキの意志に従い、ハティのもとへ向かったのだ。そして、悲劇はその直後に起こったのである。

 

 絶望壁の要塞の上空が激しく発光し、次の瞬間、今まで聞いたこともない爆音が轟いた。

 

 生き残った者たちはしばらくの間何が起こったのかもわからず、呆然とあたりを見回していたが段々と状況が呑み込めてきた。とてつもない熱量が爆発し、絶望壁の要塞が一瞬で廃墟と化したのだ。

 

 外の防衛に当たっていたグリプドンや機械、他の獣たちは、皆一瞬で蒸発した。絶壁の内部にいた者たちの多くも黒焦げとなり、崩れた絶壁に押し潰された。

 

 僅かな生き残りが瓦礫の山から這い出て助けを求めたが、それに応えたのは無情なる虚無の騎士による掃討であった。動けなかった者は全滅し、動ける者は大急ぎで逃げ出そうとしたが、虚無の軍勢に追い打ちをかけられ、過半数はそれで命を落とした。

 

 生き延びた者が鋼葉の樹林に辿り着き、ようやく他の地域の者にも事態が呑み込めたのである。

 

 二人の機人フィアラルとガラールは、逃げてきた動器の話から、虚無の軍勢が使った兵器がブリシンガメンの首飾りであることを知った。

 

 かつて機械たちがこの世界を侵略するために開発した兵器であり、危険過ぎたため実験段階で廃棄した筈の代物である。しかも話を聞いていると、機械たちが開発していたものとは比べものにならないほど強力になっていることがわかった。

 

 この話が鋼葉の樹林の防衛に当たっていた、グリプドンたちの耳に入ったのがまずかった。激怒したグリプドンたちが、かつての侵略者の兵器で同胞が滅ぼされたことを公言し、これを聞いた獣たちも、抑圧されていた機械たちへの憎悪を爆発させた。

 

 中でも侵略者に同族を滅ぼされ、鋼葉の樹林に逃れてきたという境遇のエンペラドールの執念は凄まじかった。エンペラドールは傍らにいた動器を瞬時に引き裂き、破壊した。

 

 エンペラドールに共感する獣たちは彼の行動力を褒め称えると、彼こそが新しいリーダーに相応しいと考え、エンペラドールに同調した。

 

 エンペラドールが、たまたま鋼葉の樹林にいたことで生き残ったグリプドンたちや、賛同する獣たちと結束し、本格的に機械たちへ反旗を翻したことで、機械たちも応戦せざるを得なくなり、再び獣と機械の戦いが始まろうとしたのである。

 

 これを止めに入ったのが鋼葉の樹林の守護者である鎧装獣、キマイロンとオオヅチであった。

 

 キマイロンは【虚無】との戦いはこれからもつづいていくというのに、機械たちと争っている場合ではない、無益な戦いは止めろと説いた。

 

 エンペラドールはそれを退け、虚無の軍勢と侵略者が共謀していたのだと主張した。曰く、侵略者が多くの種族を根絶やしにしてきた事実がそれを証明している、と。

 

 キマイロンはエンペラドールたちの怒りが尋常ではないことで、戦闘は避けられそうにないと危ぶんだが、キマイロンと志を同じくする獣たちが獣と機械の間に割って入り、両者を抑え込んだ。

 

 エンペラドールはなおも戦う意志を持っていたが、エンペラドールに同調する者たちの大半は、立ちはだかる同胞の獣たちを前にして戦意を挫かれ、それを見抜いたエンペラドールが仲間たちを引き連れて、その場を退いたのであった。

 

 この出来事でショックを受けたのは、キマイロンたちだけではなく、機械たちも同様である。特に苦労してグリプドンたちと交渉し、和解した実績を持っていた、フィアラルとガラールの苦悩の色は濃かった。

 

 グリプドンたちが改造を受け入れ、機械との明瞭な意思の疎通が可能となったことで、自分たちとグリプドンたちは深い信頼関係を持つに至ったと思っていたのだ。それが崩壊し、生き残ったグリプドンはすべてエンペラドールの側についた。なまじ機械たちの技術力を多分に理解していたことも、反乱の要因になっているのが皮肉である。

 

「キマイロン殿。エンペラドールたちは樹林の東側に陣取り、侵略者をここから追い出せと抗議しております。……今のところ我々の側についている同胞たちの間でも、機械たちへの不信感を露骨に示す者までいる始末」

 

 オオヅチの話を聞いていたキマイロンは、なおさら暗い面持ちとなるばかりである。

 

「……確かに私も今まで敵同士だった機械たちとは馴染めない。我らの王や南の戦士、各地の豪族たちの多くも彼らに滅ぼされた。機械たちが無力な者にまで手をかけてきた事実もある。【虚無】が現れなかったとしたら、彼らは今でも我々を脅かしつづけていたことは間違いないだろうし……」

 

「……あなたがそのようなことを仰られてはいけませんよ。我々は今を見つめなければならないのです。今、機械と争えば滅び以外の未来はあり得ない。機械たちは向こうから協力しようと言ってきたのです。彼らは過去に敵だったけれど、現在では状況を理解したからこそ今なすべきことを行おうとしているのです。彼らよりも誇り高い戦士である我々が、今という状況を理解できなければ、それこそ散っていった者たちに顔向けができない。我々は生きるためにかつての敵と手を組むのです。選択を誤り、全滅してしまっては何の意味もありません」

 

「そうだな……そうだ」

 

 キマイロンは何度も頷いた。

 

「もう一度、エンペラドールたちを説得しよう。こんなことは早く終わりにしなければならない。虚無の軍勢がいつここに来てもおかしくないのだから」

 

「お供します、キマイロン殿」

 

 キマイロンはオオヅチを見つめ、もう一度大きく頷いた。未熟だった筈の若き鎧装獣が、今はとても頼もしく思えたのである。

 

 

 

「ガラール、我々は本当にやり直せるのだろうか。もはや取り返しのつかないところまで来ているのではないか……」

 

 白い甲冑の如き機人フィアラルは傍らのガラールに向かって力無く緑色の眼光を向けた。その瞳の輝きの奥から、絶望の色が滲み出ている。

 

「弱気になるな、フィアラル。今更取り返しがつくかつかないかなど、問題ではない。ただ、実践できるからには一瞬でも早く、行動することだ。……どの道、結末は【虚無】に勝利するか、敗北して滅び去るかの二つしかない。ならば、生きている限り皆と協力し、【虚無】と戦いつづける以外に選択肢などないのだ」

 

 フィアラルとは対照的な黒き装甲を持つ機人ガラール。フィアラルと酷似している瞳の輝きには確固とした意志が宿っていた。フィアラルはその瞳を見つめ、消えかかっていた己の意志の灯火を今一度燃やした。まだ、自分たちは生きている。希望はあるのだ。

 

「あの獣たちのもとへ向かおう……。そして、我々に戦う意志がないということをもう一度伝える」

 

「そうだ。それこそ今我々がするべきことだ」

 

 二人の機人は同胞の機械をその場に残し、エンペラドールたちのもとへ向かった。

 

 鋼の針葉樹の間を、凍てつく冷気が通り過ぎる。機人たちは、それが自分たちがこの世界にもたらしたものなのだということを思い、己の為すべきことを何度も脳裡で反芻した。

 

 

 

 氷ついた岩の上に腰を下ろしている猿の如き獣の姿があった。機械化した装甲の所々で緑色のコアの輝きが煌めいている。頭部には鋼の兜のような装甲が備えられており、閉じられた二つの眼の下で、細長い筋が幾重にも束ねられた強靭な二房の白髭が周囲の無機的な風の動きを敏感に感じ取り、微かに揺らめいていた。

 

 髭がぴんと伸ばされ、獣の顔が両目を閉じたまま、鋼の樹木が生い茂る前方に向けられた。獣は小さく呟いた。

 

「来るか……」

 

 何体かの別の獣たちが走り寄ってきた。口々にこちらにやって来る者たちのことを喋り出したが、岩の上にいる獣は前足を掲げ、それを制した。

 

「丁度キマイロン殿とは話したかったところだ。出迎えてくれ。失礼の無いようにな」

 

 程なくして、道を開けた獣たちの間を通り、キマイロンとオオヅチが姿を現した。白髭を生やした獣は、氷ついた岩の上から飛び降りると、この森に残された最後の鎧装獣である二体の獣に会釈した。

 

「エンペラドール殿、こんなことはもう止めにしよう。我らは機械と争っている場合ではないのだ」

 

 キマイロンがそう切り出すと、エンペラドールは瞳を閉じたままキマイロンと顔を合わせた。

 

「キマイロン殿、確かにあなたの心配ももっともだ。だが、その危惧を機械どもにいいように利用されているということには気づけなかったらしいな」

 

「何を言っているのだ、エンペラドール殿。あなたこそ、キマイロン殿の言うことを真に理解してはいないというのに」

 

 オオヅチが憤りも顕わにそう言ったが、エンペラドールは取り合わなかった。

 

「グリプドンの話では絶望壁の要塞を破壊したのは、機械どもの兵器だったそうだ。奴らは最初から我らを殲滅するためにあの兵器を造り出したのだぞ」

 

「それは……確かにそうだったのだろう。だが、その兵器を利用したのは【虚無】の者だ。機械ではない。あなたは機械と虚無の軍勢が共謀していると疑っているそうだが、あの兵器は多くの機械をも巻き添えにしているのだ。【虚無】は我々と機械、共通の敵なのだぞ」

 

「果してそれが信用できることかな……。仮にそうだとしても、【虚無】も機械も我らの敵であることに違いはない。機械どもと手を組み、【虚無】に勝利したとしよう、その時機械どもは弱りきった我らを滅ぼし、この世界を乗っ取るに決まっている。キマイロン殿、あなたは機械どもに散々利用され、切り捨てられるだけの存在で満足できるのか。あなたはあんな鉄くずどもに利用される程度の器ではない筈だ」

 

「機械と争うのはお互いに不利益なだけだ。そもそもこの世界の住人だけでは【虚無】には勝てない。……生き延びる選択肢は機械と共闘するしかないのだ」

 

「では、機械どもにいいように使われ、最期は機械の侵略を助けた挙句に捨てられるために戦うと言うのか。その時になってからでは遅いのだぞ、キマイロン」

 

 エンペラドールの双眼がかっと開かれた。その眼は両方とも本来の色彩を失っており、どす黒い土塊のようであった。

 

「私の同胞は機械に滅ぼされ、ただ一人生き残った私は光を失った。臆病者の私とて、散っていった一族の誇りすべてを受け持つ義務は心得ている」

 

 キマイロンは、エンペラドールの土塊の如き瞳に暫し圧倒されていた。その瞳には光こそないが、果てしない憎悪が渦巻いている。

 

「そして各地の豪族が相次いで侵略者に滅ぼされた。その中にはあの南の戦士や、先のグリプドンたちも含まれている。おそらくこの世界の至るところで同じ惨劇が繰り広げられたことだろう。機械と手を組むこととは即ち、これまでの戦いすべてを諦め、自ら滅びの道を選ぶことに他ならない。あなたとて王を失い、多くの同胞を機械どもに討たれた筈だ。誤った選択はするな、誇り高き鎧装獣よ」

 

「先も言っただろう、我々だけでは【虚無】には勝てない」

 

「その考え方がそもそもの間違いなのだ。我々の力はそんな程度の物だったのか。我々は鉄くずどもに尾を振るだけの誇りも尊厳もない、ただの傀儡だったのか。そうではない。我々は、我々の手で勝利を勝ち取るべきだ。機械から押しつけられたこの力も利用できるなら利用してくれよう。だが、我らが機械に利用されていては駄目だ、それは我らの真の敗北を意味する」

 

「あなたが取りつかれている疑念が、この世界の滅亡を引き込むことがわからないのか。この世界は確かに我らのものだ。機械のものではない。だが、機械たちも自ら頭を下げて我々に協力しようと言っている。ドヴェルグ殿もそれに賛同し、スノパルド殿の話では氷の姫君たちも機械たちと協力していると聞く。我々は機械たちを受け入れ、ともに繁栄するべきなのだ。今まではその土壌がなかったために多くの悲劇が起こってしまったが……今は違う」

 

「疑念ではない、確信だ。機械化に適応できずに、死に絶えた同胞の無念を忘れたのか。機械を受け入れるということは侵略を受け入れること。適応できなかった同胞の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。それに前も言ったが、そもそも私は機械どもが虚無の軍勢からこの世界を護るために戦っているなど、信じてはいない。奴らが【虚無】を引き込んだのだ。奴らが来なければ【虚無】も現れなかった。あの鉄くずどもこそが、諸悪の根源に他ならないのだ」

 

 エンペラドールの意思を変えることはできないのか……。キマイロンはそう思い、項垂れた。

 

 傍らのオオヅチはエンペラドールを黙って睨みつけており、その瞳には怒りすら宿っている。視力による知覚ができないエンペラドールであったが、憤るオオヅチの気配ははっきりと感じていた。エンペラドールはそれを相手にはせず、オオヅチの憤怒は高まった。

 

「……我々が【虚無】を引き込んだということ、それはそのとおりかもしれない」

 

 奇妙な音声が響いた。キマイロンとオオヅチ、周囲の獣の多くにはその内容が理解できなかった。だが、兜の如き頭部の装甲とともに、ヘイル・ガルフと同じく侵略者の話法を獲得したエンペラドールと、改造されたグリプドンたちはその言葉を聞きとっていた。

 

 気配も感じさせずに現れたのは、二人の機人であった。皆は、その機人たちがここの機械たちの指揮官であることを知っていた。

 

「この私に気配を感じさせずにここまで来るとはな。またキマイロン殿をかどわかすつもりか、侵略者」

 

 エンペラドールが怒気も顕わにフィアラルとガラールを交互に睨む。

 

「我々の故郷はかつてない災厄に見舞われた。我々機械の上層部の者たちが何か知っている様子ではあったが……おそらくあれは【虚無】なのだろう。私の同胞の多くもそれに感づいていた。この世界の侵略の決行が決まった時、まだこの世界には【虚無】の兆候も見られなかった。ところが、侵略を決行する段階になってから様々な兆候が観測され始めたのだ。上層部が焦っていたのもそのせいだろう。一刻も早くこの世界を統一し、完成された世界で【虚無】を迎え撃つ……それが当初の我々のプランだったのだ」

 

 そこまで言うとフィアラルは、自分のことを憎悪を籠めて睨んでいるエンペラドールの前で跪いた。

 

「頼む。もう一度我々に機会を与えてくれ。我々はもう決して侵略行為は行わない。共に力を合わせ、【虚無】と戦おう。戦いに勝利した暁には、我々一同全力で以てこの世界の復興に力を注ぐことを約束する」

 

 跪くフィアラルを見下ろすエンペラドールの表情には何の変化も見られなかった。ただ忌まわしげに並んだ牙を擦り合わせ、白髭を振った。

 

「私が光を失う寸前に見たもの……あれは一面に広がる私の同胞たちの亡骸だった。それだけではない、誇り高き私の同胞たちが護り抜いてきた、多くの無力な獣たちの変わり果てた姿が、私の眼に焼きつけられたのだ。私は今でもあの光景を見ている。私の眼に映る光景はあの時のままで止まっているのだ。それをもたらしたのは誰だ。貴様ら侵略者ではないか」

 

 エンペラドールはヘイル・ガルフと同種の能力を駆使してフィアラルに言った。その言葉を周囲の獣たちの多くは理解できなかったが、グリプドンの生き残りたちは黙って聞いていた。

 

「今更信用できるものか。だが、部下を連れずにここまで来た度胸だけは認めてやろう。せめて苦しませずに葬ってくれる」

 

 フィアラルに抵抗する気配はなかった。エンペラドールは構わずに白髭を振り上げる。硬質化した髭は、束ねることで機械の装甲をも切り裂く刃となるのだ。

 

 それを見て、今まで黙って見ていたガラールがエンペラドールとフィアラルの間に割って入った。

 

「待ってくれ。お前がそれを望むなら我々二名をこの場で葬っても構わん。だが、この森にいる他の機械たちには手を出さないでくれ。彼らは我々の命令に従ってここに来ているに過ぎない。皆、この世界の住人と戦うことは望んでいないのだ」

 

「貴様らの言うことなど信じぬ。逃げる者の命すら奪ってきた貴様らだ。それ相応の末路を辿らせてやる」

 

 エンペラドールの髭が蠢きガラールの胴体に狙いを定める。それを見てとったキマイロンが叫んだ。

 

「止せ、無抵抗な相手を手にかけるつもりか。あなたは戦士としての志も忘れてしまったのか」

 

「キマイロン殿、この者らに情けは無用だ。それをこの者らは散々示してきたではないか」

 

 エンペラドールの白髭が一閃し、ガラールを襲った。ガラールの黒色の装甲が引き千切られ、宙を飛んだ。

 

 破壊されたガラールの装甲の中から傷ついたコアがむき出しになる。それでもガラールは黙ってその場に立ったまま、エンペラドールを見つめていた。

 

 エンペラドールが白髭を真っ直ぐに突きだし、コアへ向けた。キマイロンがそれを止めようと跳びかかったが、片方の白髭で打ちつけられ、近くの鋼の針葉樹の幹に叩きつけられた。針葉樹から金属質の高い音が響く。キマイロンは無傷であったが、強い衝撃を喰らったため、すぐには立ち上がれなかった。

 

 エンペラドールの両方の白髭が同時にガラールのコアに接近する。今度はオオヅチが止めに入ろうと槌の如き鼻を振り上げたが、間に合わない。

 

 ガッキと音がした。微動だにしないガラールとエンペラドール。周囲の獣たちは言葉を失い、その様子を見守った。フィアラルが驚きの眼でガラールのコアに刺さっていると思われる髭を凝視した。

 

 やがて、エンペラドールが己の髭をガラールのコアから引き離した。周囲の者たちが見ると、ガラールのコアは少し欠けていたが、さほど傷ついてはいなかった。

 

「……全く避けようともしなかったな、貴様」

 

 エンペラドールが呟いた。それは獣の言葉であったが、ガラールはエンペラドールの感情を理解しているらしく、静かに頷いた。

 

「もし、少しでもかわそうとしていたら……僅かでも迷いがあったなら確実にそのコアは砕け散っていた」

 

 エンペラドールは髭を収めた。周囲の者たちはその様子を呆然となって見つめていた。

 

 一体のグリプドンがガラールとフィアラルの側に歩み寄った。グリプドンはガラールをちらと見やったあとで、フィアラルの方へ向き直ると、機械の言葉で言った。

 

「ブリシンガメンの首飾りを造り出したのがお前たちの同胞であるということに変わりはない。それが我が同胞たちを滅ぼしたという事実もだ。……だが、少なくともお前たちの覚悟は本物であるらしい。機械すべてを信用することなどできないが、お前たちは信用するに値するのかもしれない」

 

 エンペラドールの傍らについていた生き残りのグリプドンたちも同意の意思を示した。それを見ていた獣たちの敵意も徐々に消えていった。オオヅチとキマイロンもその変化を読み取っていた。

 

「……。駄目だ、やはり。信じることはできない」

 

 エンペラドールはそう言うと、踵を返してその場を立ち去ろうとした。

 

 もはや自分に従う獣たちがいないことで、これ以上自分が機械と戦おうとしたところで無意味だと自覚していた。だからもう自分には居場所がない。

 

 エンペラドールの足を止めたものは、遠くの方から響いた悲鳴であった。つづけて無数の獣、それにフィアラルとガラールから待機しておくように言われた筈の機械たち。

 

 エンペラドールは一瞬、機械たちが襲ってきたのかと思った。しかし、すぐにそうではないことを知る。

 

「奴らだ。【虚無】が攻めて来た」

 

 一体の獣が叫んでいた。至るところから轟音が響き、大地が振動する。状況を把握したキマイロンが周りの獣たちに指示を出し、皆が次々と行動に移った。それまでエンペラドールの側についていたグリプドンや他の獣たちもそれに従った。

 

 フィアラルとガラールも部下に指令を伝える。電子信号が伝わり、瞬く間に鋼葉の樹林にいるすべての機械たちがそれを受け取り、行動を開始した。

 

 虚無の軍勢は鋼葉の樹林の内部から突如現れた。絶望壁の要塞を襲った際は上空から攻めてきたが、今度は地の底から生えてくるようにしてわらわらと溢れ出てきた。

 

 鋼の装甲を備えた虚無の騎士や、蠢く不定形な粘土状の物体。それに両者の中間のような異形の姿もあった。

 

 力のある獣たちの何体かが森の住人を避難させ、残りの者たちが虚無の軍勢を喰い止めるべく牙をむく。

 

 これまでの戦いで敵の戦闘方法を熟知していた獣や機械たちにとって、敵の一体一体は決して倒せない相手ではなかった。ただ、敵の総数は見当もつかない。戦闘が長引けばそれだけ獣たちは、機械化しているとはいえ疲労も溜まり、機械に関してはその多くが指揮系統を破壊されただけで隙が生じるため、不利であった。

 

 エンペラドールも他の獣たちと共に戦った。ある悲壮な決意を胸に秘めて。

 

 大地が激しく振動した。

 

 不思議なことに虚無の軍勢の侵攻が急に収まりつつあった時のことだ。

 

 鋼の針葉樹が黒く変色し、崩れていく。その様子を見てとったキマイロンは唖然となった。

 

 大地から不気味なうねりが生じ、それは巨大な渦を形成しつつあった。その場にいた獣たちが断末魔を上げながら渦に呑まれ、崩れ去った。渦は慌てて飛び去ろうとした虚無の軍勢の何体かも巻き込み、その規模を広げていった。

 

 虚無の軍勢は渦が出現したことで目的を果たしたのか、戦闘を放棄して上空に引き挙げていった。放っておいたら鋼葉の樹林すべてがあの渦に呑まれるのでは……。キマイロンの危惧を裏づけるように、渦は更に広がる。

 

「【虚無】だ。ドヴェルグ殿がスノトラという者から聞いたという……。虚龍に張りつき、奴らの世界に潜入した者たちが感知した、【虚無】」

 

 キマイロンの傍にいたガラールが叫ぶと、それを聞きつけたフィアラル、それに違う方向からエンペラドールと一体のグリプドンが駆けつけてきた。

 

「例の【虚無】か。虚龍でも虚神でもないのか……これは」

 

 グリプドンが言うと、フィアラルが頷いた。

 

「そのとおりだ。あの話が本当だとすると……これこそが【虚無】そのもの」

 

 【虚無】の渦はなお拡大をつづけている。周囲にいる者たちはどうすることもできず、集まった者たちも相手があまりに強大であったため、結局背を向けて逃げる他はなかった。

 

 【虚無】の渦が広がる早さは、渦そのものが大きくなるほど早まっているらしい。逃げ遅れた獣が足を取られ、渦に呑み込まれて消滅していった。

 

 それまで背を向けて走っていたエンペラドールが、仲間の悲鳴を耳にすると立ち止まった。渦は目前にまで迫りつつある。

 

「エンペラドール殿。どうしたのだ」

 

 キマイロンの声には幾分かの当惑があった。

 

「私は機械とは相容れない。だから、この世界に私の居場所はない」

 

 エンペラドールが跳躍する。渦から逃げていた獣たちが横からエンペラドールの雄姿を見て、口々に何事かを叫んだ。次の瞬間には、エンペラドールの全身が【虚無】の渦に呑み込まれていた。

 

 エンペラドールは【虚無】に呑まれてもなお消滅していなかった。滅んでいった同胞の魂がエンペラドールに集まり、強大な守護の力がエンペラドールを護っている。

 

(おお、皆ここにいたのか。そうだ、もうこの世界に我らの居場所はないのだ。ならば、生き残った者たちの居場所を創るためにこの身を捧げよう。皆、私に力を貸してくれ)

 

 エンペラドールは渦を突き進み、その中心部に達していた。

 

(さあ、最期の大仕事だ。……キマイロン……オオヅチ……同志たちよ、あとのことは頼む。この世界を……滅んでいった者たちの遺志を……受け継ぎ……【虚無】に勝利してくれ)

 

 エンペラドールの身体がコアを中心に発光した。それはあらゆる存在を許さない【虚無】の中における唯一の色彩であり、存在だった。

 

 

 吐き出し、吸い込む虚空の渦。

 己を栓にし、止める者あり。

 弱まる虚無、遠のく崩壊。




関連カード

●エンペラドール
機獣。
己の身体を栓にすることで「虚空の渦」を止めた。

本章の最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。


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第三十七章 孤島の決戦

 三姉妹の項

 

 

 火をつけるは、主の苦鳴。

 己を省みず身を起こす。

 課した使命は永遠の守護。

 

 

 軌道母艦とその周囲に浮いている無数の機械の船の前方に、広い海の中にぽつんと浮かんでいる二つの島があった。

 

 片方の島の中央には巨大な火山があり、そこが鎧蛇の島であることを物語っている。機械たちはもう片方の島の正体が、海の守護者、極甲王グラン・トルタスであることを事前に知っていた。

 

 機械の艦隊を出迎えたのは、鋼の装甲を備えた一体の飛竜であった。飛竜は完全に機械化した発声器官を使って艦隊たちに伝言を送り、それに応えた軌道母艦が前進し、残りの艦隊は島の周辺の海の上へと散らばっていった。虚無の軍勢に備え、いつでも応戦できるよう配置についたのである。

 

「ヴァルキュリウス……良かった、無事だったのね」

 

 軌道母艦の一室で、旧友であるヴァルキュリウスの姿を認めたベル・ダンディアが呟いていた。ベル・ダンディアの声はヴァルキュリウスには届いていないが、ヴァルキュリウスは一番の親友であるベル・ダンディアの気配を敏感に感じ取り、ベル・ダンディアに向けて一声鳴いた。

 

 軌道母艦内の別の場所にいるスミドロードもまた、ヴァルキュリウスを眺めていた。

 

 スミドロードはもともとこの世界の住人ではなかった。この世界とは違う次元の、穏やかな魔力に満ちた世界。スミドロードはそこで、飛竜ヴァルキュリウスと共に旅をしていたベル・ダンディアと出会ったのである。

 

 当時、ベル・ダンディアはウル・ディーネが見た啓示に従い、隣り合う別世界を廻り、見聞を深めるための旅に出ていた。多くの者は知らないことであるが、それはやがて生れてくるスクルディアのためにも必要なことであったのだという。

 

 ヴァルキュリウスの姿を前にして、スミドロードの脳裡に自分が生まれ育った獣の国、初めてベル・ダンディアたちと邂逅した妖精の国の情景が広がっていった。故あってその国にある螺旋の塔に封じられていたスミドロードは、天使と呼ばれる者たちによる裁きを受け、半死半生の目に合わされた。

 

 強靭な生命力を持つスミドロードは、その生命力が仇となり、天使によって背負わされた咎のせいで苦しみつづけたまま螺旋の塔で生き長らえ、誰かが拘束されている自分の命を断ってくれることを待ち望んでいた。そんな時、出会ったのが異国からやってきたというベル・ダンディアであった。

 

 ベル・ダンディアは妖精の国に客人として迎えられていたが、苦しんでいるスミドロードを目の当たりにしたことで、一計を講じ、弱っていたスミドロードに活力を注ぎこみ、スミドロードを連れ出し、ヴァルキュリウスと共に妖精の国を抜け出したのである。

 

 スミドロードは生きることを諦めていたところで、ベル・ダンディアに助けられ、生きる目的を得た。スミドロードはそれまでの暮らしを自ら望んで捨て去り、生涯をベル・ダンディアのために尽くすことを誓ったのである。

 

 何が心変わりをさせたのか定かではないが、あの一件を境に、妖精の国の女王は天使たちに諂うのを止めた。使われなくなった螺旋の塔は打ち捨てられ、のちにヴァルキュリウスが見てきた話によると、今では廃墟と化しているらしい。

 

 その後、妖精の国が天使に見限られ、守護を失ったことで【虚無】によって滅ぼされたのであるが、自由に世界を行き来できなくなった今では知る由もなく、当然スミドロードもそのことは知らなかった。

 

 現在では獣の国が、仲が悪かった筈の魔法の国やトランプの国と協力し、この世界と同様に、虚無の軍勢と戦っているという事実もまた知らざることである。

 

 

 

 ミストたちが鎧蛇の島に到着してから数日が過ぎた。ディースが持参した光雨で作った薬はこの島の住人から喜ばれ、今なお変化した環境に苦しんでいる多くの獣たちの命を救った。

 

 かつていがみ合っていた獣と機械が共存して暮らしているこの島では、【虚無】による侵攻はまだ一度もなかったらしい。それはこの島が、未だこの世界本来の加護に包まれている為であり、光雨が降る地上に残された数少ない地域であるからだということを、ディースは理解していた。

 

 復興に力を注ぐ獣と機械の中に混じって、放浪者ロロの姿もあった。アウローリアがこの島に下り立った際、走り寄る獣たちの中にロロの姿を認めた時、フギンとムニンは驚きのあまり取り乱したものである。

 

 驚いたのはミストやセイも同様で、ゲンドリルの放った虚無の騎士たちとの戦闘の際に見た人物と、遠く離れた鎧蛇の島で出会ったということが、なかなか信じられなかった。ところがディースとアウローリアは、放浪者がここにいることを最初から熟知していたらしく、さも当然のようにロロへ声をかけた。

 

 ミストはディースがロキと示し合わせていたから、ロロがここにいることも事前に知っていたのではと疑ったが、ディースは笑ってこれを否定し、ディースがロキとは何の面識もなかったのだということを再確認させられた。

 

 フギンとムニンはすぐさまロロに質問攻めをしたが、【星創る者】の三従者の一人と出会ってからのロロの記憶が喪失していることを知っただけで、徒労に終わった。なおも諦めきれない様子のフギンとムニンであったが、ロロの疲れの色を見てとったディースが止めに入り、二人の妖精は渋々と引きさがる他なかった。

 

 それから数日たってゼーロイヴァーが帰還し、ゼーロイヴァーと志を同じくする機械たちが島に集まった。極甲王グラン・トルタスはかつて宿敵であった現在の友ゼーロイヴァーと、その同胞たちを快く出迎えた。

 

 ミストたちが聞いたゼーロイヴァーの話によると、他にも多くの仲間が世界中に散らばり、獣たちと協力しながら【虚無】に備えて行動しているという。【虚無】の影響によるものか、音信が不通のため連絡が取れずにいる者たちも少なくなく、散らばっていった者たちがそれらを繋ぎ止める役目を果たそうと懸命になっているらしい。

 

 そして、ゼーロイヴァーが帰ってきた今日、無限なる軌道母艦に率いられた艦隊が現れたのであった。

 

 

 

 軌道母艦が島に広がる森林の空中で静止し、重力波によるエレベーターが地上に繋がった。そこから数人の氷の姫君と獣たちが地上に着地した。その中には氷の魔女ヘルやベル・ダンディアたちもいる。

 

 ヘルは護衛の機械や獣と共に、ロキの端末ベビー・ロキに導かれて火山の方へと向かった。それとは反対に、ベル・ダンディアとウルを乗せたスミドロードが海岸の方へと駆けていく。そこで待つヴァルキュリウスや、かつて共に過ごした仲間たちとの再会に、ベル・ダンディアと、アインホルンの記憶を持つウルははやる気持ちを抑えられなかった。

 

 スミドロードとその背にいるベル・ダンディアの姿を認めたヴァルキュリウスが、上空で電子音声を響かせると、大急ぎで砂浜に下りた。それと同時にスミドロードがヴァルキュリウスの前で止まると、その背にいたベル・ダンディアとウルは砂浜に降り、ヴァルキュリウスの傍へ駆け寄った。

 

「ヴァルキュリウス、逢いたかったわ」

 

 旧友との再会に思わず涙を流し、ベル・ダンディアは頭を垂れるヴァルキュリウスの金属質の頭部を撫でてやった。その様子をウルとスミドロードは温かく見守っている。海岸の見張り番のヤドカリたちが帰ってきた仲間を、遠巻きにして眺めていた。

 

「ジューゴンは。他の仲間たちはどこにいるの」

 

 そう尋ねた途端、ヴァルキュリウスの眼光に深い哀しみが過ったのをベル・ダンディアは見逃さなかった。言い知れぬ不安を感じたベル・ダンディアは、完全に機械化して発声器官そのものが変質したヴァルキュリウスは言葉を話せないので、救いを求めるように周囲を見回し、波打際に這っていった。

 

 ジューゴンの姿がない。それに、ジューゴンと共に海に暮らしていた者たちの姿も。

 

 巨大な島の如き亀の背から這い下りた一つの影が、ベル・ダンディアの傍へ泳いできた。それを見たベル・ダンディアの顔がぱっと明るくなる。ジューゴンの仲間のオッドセイだった。

 

 オッドセイは青色のヒレで地上を這い進み、ベル・ダンディアの眼前で会釈した。オッドセイの暗い面持ちを垣間見たベル・ダンディアは、先ほど感じた希望が無残にも崩れ去り、絶望の色に染まっていくのを感じた。

 

「オッドセイ……あなたは無事だったのね」

 

「はい、ベル・ダンディア様。……ですが、ジューゴンたちは……」

 

 ベル・ダンディアは、今すぐにでもオッドセイの口を黙らせたかった。その先を聞きたくなかった。だが聞かなければいけない、そう心の中で反芻していた。

 

「ジューゴンはあなた様がこの島を去ってからも同胞を引き連れ、世界中の海に取り残されている仲間たちを助けるために各地を廻っていました。私もその一人でした。その途中であそこにいる極甲王グラン・トルタスと出会ったのです。ジューゴンが護り抜いた者たちは今でも極甲王のもとで暮らしております」

 

「…………」

 

「……ジューゴンは……私の尊敬するジューゴンは最期まで立派でした。あの侵略者に討たれるまで……ジューゴンは仲間を護るために戦い続けたのです」

 

「侵略者……まさか、ジューゴンは機械に……」

 

「ええ、そして何という皮肉なのでしょう。その機械は極甲王と協力し、【虚無】と戦ってきたことで、今では極甲王にとって一番の仲間になっているのです」

 

「そんな……そんなことが……」

 

「ジューゴンと共に戦っていた同胞の多くも命を落としました。私は未熟だったから、かえって仲間に護られ、生き残った……。私は恥じております、己の弱さを。力ではなく、心の弱さを」

 

「……いいえ、オッドセイ、あなたはとても立派よ。あなたは仲間たちの遺志を継いで、残った者たちを護るために戦ってきたのでしょう。……きっとジューゴンだってあなたのことを誇りに思っているわ」

 

「ありがとうございます、ベル・ダンディア様。……ジューゴンがあの機械に挑む時、私に言いました。もし自分が命を落としたら、その時はベル・ダンディア様に伝えてくれ、ただ一言、ベル・ダンディア様、生きてください、と。それが、ジューゴンの最期の言葉でした」

 

 ベル・ダンディアは途中まで聞いていたところで泣き崩れ、何度もジューゴンの名を叫んだ。その後ろでは、いつの間にか傍に来ていたウルとスミドロードが黙って頭を垂れている。

 

 ふと、何か巨大な影が側に立っていることに気がつき、ベル・ダンディアは涙で濡れた顔を振り上げた。そこには、赤いマントを羽織り、真紅の髭を思わせるものを生やした人型の機械が立っていた。

 

 ベル・ダンディアは心がここにないかのように、気の抜けた顔でその兜を備えた機械の顔を見ていた。

 

「……彼が、その機械です」

 

 オッドセイの呟きが耳に入った。

 

「……」

 

 ベル・ダンディアは何も言えなかった。ジューゴンの命を奪った者がここにいる。今まで獣たちの命を奪った機械をずっと見て来た筈なのに。どうして、そのことについてもっと深く考えてこなかったのだろう。

 

 ジューゴンという、自分が海で暮らすようになってから鎧蛇の島に来るまで、ずっと一緒だった者の命を奪った者を目前にして、初めて酷く身近なものとして実感している。

 

 ベル・ダンディアは、ジューゴンの命を奪ったという者の眼の前にいるのが耐えられなかった。自分の殻を引きずって、その場を急いで這って去り、森林の中に駆けこんだ。居た堪れなくなったウルとスミドロードは、ベル・ダンディアのあとを追った。

 

 

 

「さてと、ではロキよ、今後の見通しはどうなっているのだ」

 

 その部屋の内部には、一人佇むレーヴァテインの他に人影はない。部屋の壁の一面にあるディスプレイがレーヴァテインの言葉に応え、作動した。

 

 ディスプレイの全体が水色に染まり、その中に白い立方体が映し出された。ディスプレイからホログラムが浮き上がり、立方体は立体感を伴ってレーヴァテインの前に現れる。

 

「まずは当初の予定どおり、この島に光雨が降るのを待つ。そうすることでヘルの持つ天弓マクラーンの足りない力を補い、完全体にするのさ」

 

「マクラーンがあれば、本当に【虚無】に勝てるというのか」

 

「それはちょっとわからないよ。僕も【虚無】の全貌を把握しているわけではないからね。ただ、現状における最も有効な対抗策であることだけは間違いない」

 

「ふん、何時になく弱気だな」

 

「仕方ないよ、今回の相手はあまりにも強大すぎるから、これからどう転ぶのか……。でも、僕はできる限りのことはやって見せるさ。竜機合神ソードランダーたちの戦果は予想以上に大きかったし、まだまだ手段は残されていると思う」

 

「ソードランダーか……あれがよく俺たちに協力してくれたものだ」

 

「この世界の守護者たちも状況を良くわかってくれているからね。【星創る者】の伝えた話によると、【虚無】に対して【勇者】の次に有効な力とは、異なる生命が融合した、それまでになかった新しい存在だそうだ。ソードランダーの他にも、ヘルと力を融合させたヴァルハランスが【虚無】の神と渡り合ったという事実がそれを証明している」

 

「なるほどな。では、それと同じく、異なる生命の力を融合させた者を大勢創り出し、【虚無】に対抗するというのが、今後の計画となるのか」

 

「そういうことになるね。本当は命をいじくり回すような真似は好きじゃないんだけど……」

 

「過去にミッドガルズやヘル、それにフェンリルを改造したお前が言うことか。……まあ、俺たちがこの世界にばらまいたナノウィルスは、それよりももっと酷いものではあったがな」

 

「それはまあ、悪いとは思っているけども。でも、僕はあの三人を我が子同然に愛しているのさ。僕の手で生まれ変わったあの子たちを」

 

「ふん、やはりお前はいけ好かない奴だ」

 

 レーヴァテインはミッドガルズと同じことを言った。だが本心では、決して悪いようには思っていない。

 

 立方体がくるくると回転し、角が縮み、球体となっていく。やがて完全な球となったそれの上にこの世界の地図が表示され、一点に赤い光が灯った。その光は現在地である鎧蛇の島を示している。

 

「世界中に放った僕の赤子たちのおかげで、この世界の全体像ができ上がった。ナノウィルスはなくなったけど、今でも【虚無】の影響で地形が変動することもしょっちゅうだから、これが完全な模型、というわけにはいかないけどね。最近妨害が酷くて、なかなか思うように赤子を動かせないし」

 

 緑の光が複数灯り、赤い光から黄色い線が延び、それらの光を結んでいった。レーヴァテインは、どうやらそれが今後の進行順序であることを読み取った。

 

「これらの地域は未だ【虚無】の影響が限りなく少ないんだ。その幾つかでは、今でも光雨が観測されているほど。ここに防衛線を張りつつ【虚無】に追われてきた者たちを助け出し、戦力を増強する。それと、光雨そのものが持つ力もまた【虚無】に対抗できるかもしれない。これらの地域が敵の手に落ちることは、なんとしても阻止しなければいけないよ」

 

「しかし、まだまだ決定打に欠けるな。【勇者】の覚醒に力を注ぎ、ソードランダーのような戦士たちを創り出すのには賛成だが、他に何か策はないのか。ロキよ、お前のことだ。超時空重力炉や、フェンリルたち三兄妹の他にも何かを用意していたのではないか」

 

「一応、秘策ならあったんだけど。困ったことに、作戦の要になる筈のブリシンガメンの首飾りを敵に奪われてしまったんだ」

 

「ブリシンガメンの首飾りだと。あれはお前が開発に反対していた代物ではないのか」

 

「僕がただ諦めて放っておいていたと思うのかい。僕はブリシンガメンの首飾りの強大な力を別の方面に応用し、【虚無】に対して効果的な活用法ができるよう、開発をつづけていたんだよ。ブリシンガメンの首飾りを利用すれば、歌姫の持つ歌声を増幅し、全世界に満遍なく浸透させることが可能なんだ」

 

「歌声、そういうことか。確かに先の戦いも歌声があったからこそ、多くの者が生き延びることができた。あの時はこの世界の住人が造った音叉の塔により、ほんの一時ではあったが、世界中が【虚無】と対等に渡り合えたと聞く。それをより広く、より強く響かせることができれば……」

 

 ここにきて、初めてレーヴァテインの心中に希望の光が灯った。この世界を侵略しようとした時から、ソールの持つ歌声には注目していた。さらには、ソールたちと敵として対峙した際、その力を散々思い知らされたのだ。

 

「それともう一つ。翼神機の件なんだけど、今一度あれの力を目覚めさせようと思う」

 

「翼神機……」

 

 開発途中の翼神機。その力は鎧神機ヴァルハランスさえも上回る最強の神機となる筈であったが、開発陣が一部の反対派の意見を黙殺し、コアを内蔵させることもしないまま遠隔操作によって実戦投入された。

 

 本来は選ばれた者のコアが内蔵される筈であったが、魂が反発作用を起こし、数体の機械の命が犠牲になったことで中止されたのである。操作された翼神機はこの世界の住人を大勢葬ったが、最期は空魚たちと協力した虹竜アウローリアによって破壊された。

 

「あのあと翼神機は回収され、今はフィアラルとガラールという者たちに預けてある。僕が思うに、翼神機の誕生はまだ早すぎたんだ。何故なら、翼神機に必要な命は僕たち機械のものではなかったのだから」

 

「翼神機に必要な魂の当てはあるのか」

 

「ある。それは僕の息子フェンリル、と言うより、かつてフェンリルだった鎧装獣さ」

 

「そういえば前に話していたな、かつてフェンリルだった者は、フレキとゲリという名の二体の鎧装獣に分かれたと」

 

「そういうこと。そしてそちらの方は着々と進行しているから、心配はいらない。ただ、それだけだと、翼神機は【虚無】に対抗するには力不足だけどね。あのヘルと力を合わせたヴァルハランスでさえ、【虚無】の神には勝てなかったのだから。何かそれとは違う、もっと別の力も必要になる筈。そうでないと、とてもじゃないけど最強の神機と呼べるほどの存在にはなれない」

 

「ヴァルハランス殿に代わる新しい力、か。……ロキよ、俺が力になれることは何かないのか。俺の内には僅かではあるがヘルから送られた力も残っている」

 

「そして、ヴァルハランスの魂もね」

 

「何だと。しかし、俺にはその気配が感じられないのだが」

 

「時期が来ればわかるさ。……それより君の役割だけど、君は巨神機トールのもとに赴き、彼と共に戦って欲しい」

 

 巨神機トールは、残された機械たちの中でも最大の戦力と呼んで差し支えない。オーディーンが行方不明となり、ヴァルハランスが散り、イグドラシルの消息も不明となった現在では、トールの存在はなおさら際立っている。そのトールと組むということは、レーヴァテインにとって類いない名誉と言えた。

 

「トール殿か。良かろう、この俺の力が役に立つというなら、喜んでお前の言うとおりにしよう」

 

「そう言ってもらえると助かるよ、レーヴァテイン」

 

 前線を退いていたトールも、【虚無】に備えて戦いの準備を始めていた。間もなく、レーヴァテインは軌道母艦から別の船に乗り移り、トールのもとへ向かう。それがヴァルハランスの生き様を目の当たりにした己の為すべきことだと、レーヴァテインは確信していた。

 

 

 

 ミストは殻を備えた魔人、ネコ科の猛獣を思わせる巨獣、それに機人という何とも不釣り合いな三人組がゼーロイヴァーの傍から走り去り、森林の中へ駆けこんでいくのを見かけ、首を傾げた。それを眺めていた飛竜ヴァルキュリウスが宙に舞い上がり、ゼーロイヴァーの足元にいたオッドセイが黙って海へ戻った。

 

 ミストは尾びれを振るい、宙を泳ぎながらゼーロイヴァーに近づいた。片時もミストの側を離れないでいるガグンラーズが黙ってついていき、それに気がついたフギンとムニンが慌ててミストたちを追った。後ろから、不思議に思ったウリボーグもついてきた。

 

「ゼーロイヴァー、何かあったの」

 

 ゼーロイヴァーは黙ってミストを見つめ返した。すると、いつからそこにいたのか、セイがミストの背後から声をかけた。ミストははっとなって振り返る。

 

「その機械は、自分が手にかけた者の友人と出会った。さっきの魔人がそれだ」

 

 そう言うセイの瞳に、幾分かの軽蔑と憎しみの色が籠められているのを、ミストは見逃さなかった。侵略者を憎んでいたセイの心は大分落ち着いていたかに見えていたが、今まで表面に出ないようひた隠しにしていただけで、セイには以前と同様に、機械に対する憎悪が消えずに残っていたのだ。

 

 セイの様子を見てとったウリボーグが、悲しそうでいて、強い決意が籠められた視線をミストに向けた。何があっても自分はミストの味方だ、と目で訴えるウリボーグが、ミストにはありがたかった。

 

 フギンとムニンが顔を見合わせて互いに頷き、ミストの方に飛んでいき、その肩に座った。取り敢えず、ミストの側についていた方が良さそうだと判断したからであったが、ミストがフギンとムニンの様子を見て、純粋に嬉しそうにしていたので、フギンとムニンは少しだけ申し訳なさそうな面持ちでミストから顔を背けた。

 

「ゼーロイヴァー、その、何と言ったら良いかわからないけど……」

 

 ミストが言うと、ゼーロイヴァーは逞しい手を前に出して、制した。

 

「お前が気にすることではない、ミスト。覚悟はしていたことだ。……ただ、俺は幻想を抱いていた。今まで苦しめた巨亀や海の獣たちが俺を受け入れてくれたことで、昔のことは償われ、これからはこの者たちと一緒に生きていけるという、幻想を。本心ではわかっていたつもりだったが、やはり俺はわかっていなかった。……俺とこの世界の住人とではどうすることもできない溝が残っているのだ。多くの機械たちも同じ思いであろう」

 

 ゼーロイヴァーには、ベル・ダンディアやオッドセイの言葉が理解できなかった。しかし、この世界の住人の態度を見れば大体のことは想像がつく。そうでなければ、巨亀と共に【虚無】と戦うこともかなわなかったことであろう。

 

(私だって侵略者だったんだ。今は真に理解できていないかもしれないけど……ゼーロイヴァーと同じ思いをすることだってあるかもしれない)

 

 それでもミストは、この世界の住人と機械の溝が埋まる日が来る筈だと信じている。現に自分とウリボーグや、フギンとムニンの間には絆があると信じていた。それが幻想だとは思いたくなかった。

 

 

 

 異変が起こった。ロキが管理しているメーターが膨大な熱量を観測したのである。

 

(これは【虚無】の気配。まさかこんなに早くやってくるなんて。しかし、それにしては様子がおかしい)

 

 メーターが観測している【虚無】の存在は決して大きなものではなく、むしろ【虚無】にしては弱い方であった。その一方で観測されている膨大な熱量は、明らかに別のものだった。

 

 それは核融合エネルギー。機械たちにとっては旧式のものであったが、これほどまでに膨大な量の原子力は遥か昔の大戦以来だ。

 

(過去の大戦の遺物が関わっているのだろうか。しかし、虚無の軍勢がわざわざそんな物を持ち込んでくるとは考えにくいな)

 

 突然、何らかの妨害が入り込み、メーターが作動しなくなった。軌道母艦に備えられたシステムに次々と異常が発生し、ロキは急いでそれらの修復に当たった。

 

 決まった身体というものを持たないプログラムであるロキがいなければ、軌道母艦は浮力を失い、地上に墜落していたかもしれない。システムへの直接攻撃により、ロキの身にまで危険が及んだが、ロキは何とかそれをかわし、修復を急いだ。

 

(ロキ。貴様に邪魔をされると面倒なのでな。しばらくそいつらの相手をしていろ)

 

 そんなメッセージがロキの中で響いていた。

 

 

 

 火山の火口付近には、氷の魔女ヘル、リンとグナ、数体の獣と機械たちが集まっていた。リンとグナは一応護衛という名目であったが、内心ヘルが妙な素振りを見せはしないかと注意して見張っており、マーニから頼まれた目付役としての役割も担っていた。当のマーニは、軌道母艦の中での会合が終わったソールの世話をしており、ここにはいない。

 

 頂上ではディースがこの島の獣たちを従えて、ヘルを待っていた。

 

「久しぶりね、ヘル」

 

「ディースかい。……まだ生きていたとはねえ」

 

 ヘルはそう言ったが、過去の大戦以来である眼の前の道化を懐かしむ様子で眺め、微かに笑みを浮かべていた。

 

「ええ、私にはまだ使命が残っているから」

 

 ディースは天を見上げ、上空に雲一つないことを確認した。

 

「今夜、満月があの位置にきた時、光雨が降るわ。光雨の量は昔ほどではないけど……私がこの場の一点に集めるから、あとはヘル、あなたの出番よ」

 

 日が沈むまでまだ時間がかかる。質量を伴ったこの世界の雲が月を隠し、光雨が弱まる恐れもあったが、島の周辺の上空に並んでいる艦隊が、何らかの技術を駆使して雲の塊が近づくのを阻止していた。幸いにも火山の活動は治まっており、噴煙が光雨を阻害する心配もなさそうである。

 

「待って。……この反応は、僅かだけど【虚無】のもの」

 

 ヘルたちと共にいた機械の一人、クイーンが言った。ヘルとディースは驚き、クイーンが携帯している掌に収まるほどの大きさの、メーターが取りつけられた装置を覗きこんだ。【虚無】が現れるとなると、光雨の発生すらも危ぶまれる。

 

「でも変ね。虚無の軍勢が来るにしては反応が弱い……」

 

 ディースは同意を求めるようにヘルへ視線を向けた。ヘルの表情には深い困惑の色があり、ディースは何事かと尋ねた。

 

「……あの者どもだ。妾のしもべたる巨獣……。よりによってこんな時に」

 

 ヘルが言い終わらないうちに、島の森林の方からただならぬ熱量が発生し、一瞬だけ【虚無】の気配が極端に強まった。すぐにそれが弱まると、島中に轟音と咆哮が響き渡り、これから始まる戦いに、そこに居合わせた者たちが身震いした。

 

 見ると、巨獣の集団が森林を巨体で以て押し分け、火山の頂上を睨みつけていた。

 

 

 

(フギン、ムニン、聞いて。あの巨獣たちの狙いはヘル。私たちはヘルを護らなければなりません。すぐにガグンラーズを連れてこちらに来て。彼の力が必要です)

 

 巨獣軍団の出現で当惑していたフギンとムニンは、ディースの意思を受け取ると、すぐにそれをミストに話した。

 

「私もいくわ。いって、ディースさんたちの力になりたい」

 

 ミストは意を決し、そう言った。

 

「でもでも、ミスト」

 

「向こうは危ないよ」

 

「だからと言ってここでじっとしている訳にはいかない。それに、ガグンラーズは私の言うことしか聞かないのよ」

 

 フギンとムニンは口ではミストにここへ残るよう勧めていたが、内心ほっとしていた。自分たちだけで向かうよりは、ミストがいてくれた方が心強い。

 

 セイとウリボーグも加わり、ミストたちはディースのもとへ急いだ。ゼーロイヴァーはその場に残り、海の方へと歩む。本当はミストたちに加勢したかったが、自分は巨亀たちに加勢するべきだと判断したのである。まだ【虚無】の兆候は弱かったが、もうすぐ攻め寄せて来るであろう、虚無の軍勢に備える必要があった。

 

 

 

 突如現れた巨獣たちを目の当たりにして、ベル・ダンディアはそれを呆然となって眺めていた。スミドロードがベル・ダンディアに言う。

 

「あれは……スノトラ様から聞いたことがあります。ヘルがかつて使役していたという原子怪獣たち。この眼で見るのは初めてですが……おそらく、あの巨獣たちを指揮しているであろう獣は、大械獣ギガ・テリウム」

 

 原子力エネルギー特有の放射能反応がある。スミドロードは話に聞いていたその巨獣が何故、今この場にいるのかわからず困惑していた。

 

「あれが噂に聞くヘルのしもべたち……。まさか、あの獣たちの狙いは……」

 

「ヘルの命かもしれません。あの者たちの内から、とても強い憎しみのオーラが感じられます」

 

 ウルの言葉を聞いたベル・ダンディアは自分の考えを再確認し、頷いた。

 

「止めさせないと。この世界の者同士が戦ってはいけないわ」

 

 ベル・ダンディアが急いで巨獣の先頭にいたギガ・テリウムのもとへ向かった。スミドロードとウルも慌ててあとを追う。あの巨獣たちの憎しみは尋常ではなく、下手をすればベル・ダンディアの命まで危ない。スミドロードとウルは共通した危惧を抱えていた。

 

 ギガ・テリウムは進行方法に一人の魔人の姿を認め、歩を止めた。巨大な鋼の爪を備えた装甲を装着した腕を振り上げ、同胞たちを止める。ギガ・テリウムは眼前の魔人を見下ろして、厳かな態度で口を開いた。

 

「あなたはこの世界を守護する魔人とお見受けする。その魔人が何故我らの前に立ちはだかるのだ」

 

「あなたたちこそ、何故、この場に現れたの。これから何をすると言うの」

 

 ベル・ダンディアが尋ねると、ギガ・テリウムは一声吼えた。

 

「決まっているだろう、憎きヘルを亡き者にするためだ。この先にヘルがいること、あなたにはわからぬか」

 

「それはいけないわ。今のヘルはこの世界を救うために行動しているのよ。あなたたちがヘルを憎んでいることはわかります。でも、どうかその怒りを治めて。ヘルに頼めば、すぐにでもあなたたちは自由の身になれるわ」

 

 ギガ・テリウムの鉛色の装甲に覆われた頭部にある、二つの眼が鋭く光った。尾を振り上げ、己の怒りを表現する。

 

「お前は何を言っているのだ。ヘルはお前たちにとって共通の敵だった筈。たとえヘルがどんなに罪を償おうとしたところで、その悪行の数々は赦されるものではない。……唯一、ヘルの罪が赦されるとしたら、命で以て償われた場合のみ」

 

 ギガ・テリウムの同胞の巨獣たちが怒りを顕わに、先頭のギガ・テリウムを急かした。邪魔する者など、たとえ魔人であったとしても踏みつぶしてしまえ、といった声も聞こえる。

 

 それでもギガ・テリウムは、なおも立ちはだかるベル・ダンディアを踏みつぶすことを躊躇していた。どんなに己が怒りに染まっていようとも、この世界の担い手たる者を手にかけるなど、やって良いことではない。

 

(くだらんな、兄弟。そんな感情は捨て去ることだ。そうでなければ汝らは、永遠に自由を勝ち取ることなどできぬぞ)

 

(しかし、兄弟よ、魔人に牙を向けることはこの世界では大罪だ。それは世界を滅ぼすことと同義なのだ)

 

(そうやって世界の権力者を崇めたてまつり、結局は自分たちだけが犠牲になっているということがわからぬのか。あれもヘルと変わらぬ、結局は搾取するために我々弱者を利用するだけで、自分たちが平穏でいられればそれで満足なのだ。犠牲を強いる支配者の言いなりになどなるな、兄弟)

 

(そうなのか……しかし……)

 

(他の兄弟たちを見ろ。皆、忌むべき世界の統治者の犬たる魔人を憎んでいるではないか。あの魔人がヘルを気にかけているのは、ヘル同様、我々を利用しようとしているからに他ならない。ヘルがいなくなれば、汝らは束縛から解放され、利用されることもなくなる。あの魔人はそれを怖れているのだ。皆はそれをわかっているからこそ、邪魔する魔人を始末しろと言っているのだぞ。汝がわからなくてどうする)

 

(う、だが、俺はあの者を憎むことは……)

 

(憎め兄弟。憎むのだ。我らを束縛するこの忌まわしき世界を。ここにいる者どもは敵だ。壊せ。存在を赦すな。ヘルも、魔人も、歌姫も。すべてを破壊しろ)

 

 冥機の言葉がギガ・テリウムの脳裡で何度も繰り返された。ギガ・テリウムの理性は自分が犯そうとしている大罪を止めさせようと抵抗したが、徐々に冥機の意思に呑み込まれていく。

 

(罪を背負うのが怖いと言うのか。罪ではない、罪を勝手に問おうとするだけの偽善者どもを滅ぼすのだ。怖れるな、正義は汝らにある)

 

 ギガ・テリウムの意思が消えた。代わって、憎悪に染まった荒ぶる理性なき機獣の意思が表れた。ギガ・テリウムが同調したことで、他の巨獣たちは狂喜の咆哮を響かせた。そして巨獣軍団が大械獣に率いられ、前進を再開する。

 

 スミドロードが、危うく大械獣に踏みつぶされそうになったベル・ダンディアを咥えると、巨獣たちの前を退いた。ウルが駆けより、あまりのことに自失しているベル・ダンディアを落ち着かせようと、懸命になって宥めた。

 

「ああ……」

 

 ベル・ダンディアが倒れ込み、スミドロードが慌ててそれを支えた。巨獣軍団はベル・ダンディアたちには見向きもせず、真っ直ぐに火山へと進軍をつづけている。彼らの最大の狙いはヘルであり、他の者に構っている余裕などないのだろう。

 

 巨獣たちを眺めていたウルがベル・ダンディアの顔をもう一度覗きこみ、愕然とした。ベル・ダンディアの口から血が流れている……。光る緑色の髪の輝きもまた弱まっていた。

 

「放射能だ。それも尋常ではない。とてつもない量の害毒」

 

 スミドロードがウルに向かって言った。冷静さを取り繕ってはいたが、内心は酷く当惑している。

 

「奴らの動力源によるものなのだろうが……老朽化が著しい」

 

 スミドロードがスノトラから聞いた話であれば、ヘルが封印されてから相当長い年月の間が過ぎている。他者の侵入を許すことのなかった永久氷殿の中で、あの巨獣たちは憎しみを燻ぶらせたまま生き永らえてきたのであろうか。

 

「もし、生身の獣であれば即座に命を落としていただろう。ナノウィルスの影響も受けなかった魔人であられるベル・ダンディア様でさえ、この有り様だ。この私もさすがにこれは苦しいが……機械化していたことに感謝してしまうよ」

 

「では、急いでベル・ダンディア様を安全な場所へお連れせねば……」

 

「ウル、君に頼む。ベル・ダンディア様を軌道母艦に避難させてくれ。あるいはウル・ディーネ様ならば、ベル・ダンディア様を助けられるかもしれない」

 

「わかった。しかし、あなたはどうするのだ、スミドロード」

 

「私はあの巨獣たちと戦う。この星の命運がかかっているのだ」

 

 スミドロードはベル・ダンディアをウルに預けると、巨獣を追いかけた。ウルは黙ってスミドロードを見送り、ベル・ダンディアの身体を両腕で抱きかかえると、軌道母艦の重力エレベーターのもとへ急いだ。スミドロードのことが心残りではあったが、迷っている暇はない。急いでベル・ダンディアの命を救わなければ。

 

 

 

 ヘルを護るために、クイーン率いる動器の軍団が、大械獣の前に立ちはだかった。背後にはヘルのいる火山が聳えており、ここから先に巨獣軍団を進ませるわけにはいかない。要請した応援が来るまで、何としてでも死守せねばならないのだ。

 

(どけ、機械ども)

 

 先頭の大械獣に代わって、全長がニ、三十メートルにも及ぶ全身機械の雷竜の姿をした巨獣が前に踏み出し、全長の半分以上を占めている長大な尾を一振りさせた。尾は先端にいくほど鞭のように細くしなやかになっており、それが高速で動器を薙ぎ倒した。

 

 クイーンは一瞬で半壊滅状態になった同胞たちを見て愕然となり、この強大すぎる相手に恐怖した。

 

(おお。次は我らの番)

 

 雷竜につづいて、二体の犀が前頭部にある一本の強靭な角を前に突き出して突進し、動器たちを突き破った。犀たちを止めようと、クイーンの傍らにいた二体の武装した機人、デュアルキャノン・ベルが挑んだが、一撃で打ち倒され、歯が立たなかった。

 

「強すぎる……。でも、退けない。ここを通したら、すべてが終わる」

 

 クイーンは恐怖を堪え、二体の犀に向かって閃光を放った。犀は前足に備えられていた銀色の盾を展開し、広がった盾が閃光を跳ね返した。跳ね返った閃光がクイーンの足元で炸裂し、クイーンの身体が吹き飛ばされた。上空で尾びれを使って何とか態勢を立て直したクイーンの胴体を狙い、全身が硬質化した猛禽類を思わせる姿の巨鳥が迫る。

 

 空から一体の機械の鳥が急降下し、クイーンを襲った巨鳥に体当たりを喰らわした。巨鳥は大地に叩きつけられ、突出していた片方の犀に激突した。

 

「ウィンガル」

 

 クイーンが叫んだ。そのウィンガルと呼ばれた怪鳥の姿をした機械は、かつてこの鎧蛇の島を襲った二体のウィンガルの片割れであった。

 

 ウィンガルは常に同じ姿をしたつがいで行動する。だがこのウィンガルの相方は、鎧蛇の島で獣と機械の戦いが起こった際、飛竜ヴァルキュリウスによって破壊されていた。クイーンを助けたウィンガルは、機械が獣と協力することになってからは、相方の死地でもある鎧蛇の島を護るために戦っていたのである。

 

 クイーンが見上げると、さらにもう一体、天から舞い降りる飛竜ヴァルキュリウスの姿があった。ウィンガルは相方の仇でもあるヴァルキュリウスの登場に、無機的な甲高い咆哮で応えた。ヴァルキュリウスもそれに応え、二体が連携して巨獣軍団に襲いかかる。憎み合った者同士とは思えない、絶妙なコンビネーションであった。

 

(貴様らも邪魔をするか。ええい、ぶち壊してくれる)

 

 雷竜が唸り、背中に装着された大口径の筒から熱線をウィンガルに向かって放ち、その隣にいた大猿の姿をした巨獣が、ヴァルキュリウスに飛びかかる。熱線はウィンガルの胴体を貫き、大猿は逃れようとするヴァルキュリウスの機械化した尾を引き千切った。

 

 大猿が地面に着地すると、ほぼ間を置かずにウィンガルの巨体が大地に墜落し、地響きをたてた。先ほどウィンガルに体当たりされた巨鳥が、起き上ろうとするウィンガルに飛びかかり、両翼を爪と嘴で引き千切った。ウィンガルは無機的な音声の断末魔を上げ、巨鳥にコアを踏みつぶされたことで完全に機能を停止した。

 

 クイーンが叫び、己の閃光を全身に回転させるようにしてまとわせると、巨鳥に向かって突きかかった。横から犀が突進し、クイーンの胴体に激突する。宙を舞ったクイーンは落ちていく途中で巨木にぶつかり、地面に墜落した。身体の損傷が激しく、思うように動けなくなっていた。

 

(ヘルだ。ヘルを早く仕留めねば)

 

 巨獣軍団はクイーンを捨て置き、火山に雪崩れ込んだ。それを見てとったヴァルキュリウスが、巨獣たち全体に力を与えていると思しき大械獣に狙いを定め、一気に頭から突っ込んだ。ヴァルキュリウスの渾身の一撃は大械獣には届かず、雷竜の振り払った尾に全身を打たれ、ヴァルキュリウスは無数の樹木を圧し折りながら飛ばされ、地面に落ちた。

 

 起き上ろうとするヴァルキュリウスに先ほどの大猿が迫ってきた。大猿の酷く残忍な眼つきと視線が合い、ヴァルキュリウスは機械化した声帯で、あらん限りの鳴き声を響かせた。

 

 

 

「ヴァルキュリウスが……」

 

 旧友である飛竜の魂の叫びを聞き、ベル・ダンディアが呻いた。

 

「……ヴァルキュリウス……戻らないと……戻って彼女を助けないと……」

 

「駄目です。あなたのお身体が持たない」

 

 ウルの言葉に耳を貸さず、ベル・ダンディアはウルの腕を振り払い、地面に落ちると、そのまま来た道を這い戻ろうとした。

 

「ベル・ダンディア様」

 

 ベル・ダンディアを止めようと、ウルが彼女に駆け寄る。その途端、周囲に異質な波動が起こり、ベル・ダンディアの前方に影が現れ、その影は瞬時に質量を伴った人型の物体となった。

 

「神機グングニル。いや、しかし……」

 

 ウルの呟きを聞いたベル・ダンディアは、行く手を遮る機械を前にして我を取り戻し、思わず後ずさりしていた。確かに眼前の機械は、神機グングニルによく似た形状をしている。だが、これは全く別の存在だ。ウルの本能が、相手がこの世界とは相容れない異質な存在であることを、漠然と認識していた。

 

(我が名は冥機グングニル。魔人ベル・ダンディア、それに【勇者】よ。お前たちにはここで消えてもらう)

 

 冥機が両腕に備えられた盾を突き出し、鋭く尖った先端が発光した。

 

 放たれた黒き閃光はベル・ダンディアの胸を貫く寸前のところまで迫ったが、間一髪のところでウルがベル・ダンディアを抱きかかえ、横に退いた。ウルはベル・ダンディアを抱きかかえたまま硬質化した草むらに飛び込み、その上を転がった。振り返ってみると、冥機の放った閃光で数本の樹木が圧し折れ、倒れていくところであった。

 

「必ず私があなたをお守り致します」

 

 ウルはベル・ダンディアを地面に下ろし、冥機の前に立ちはだかった。それを見ていた冥機が両腕を大きく左右に広げた。冥機の両腕から闇の波動が迸り、ウルとベル・ダンディの周囲を取り囲む輪となった。その輪の至るところから影が現れ、先ほどと同じように実体化した。

 

 現れたのは、七体もの冥機であった。最初からいたものを含めれば八体もの数である。

 

「くっ」

 

 ウルは周囲の冥機たちを見やり、ベル・ダンディアを庇いながら身構えた。瞬時に見極めたことであるが、新たに現れた冥機からは意思というものが感じられなかった。どうやら、あの一体の冥機によって操られているらしい、とウルは考えた。

 

 冥機がそのウルの洞察を見抜いたらしく、意思の波動を投げかけた。

 

(この者たちすべてがかつての我だ。我は【虚無】に呑まれた神機グングニルすべてでもある。我にとって我が肉体の抜け殻を操作するなど容易いこと)

 

 冥機たちが一斉に襲いかかってきた。まともに戦っても勝ち目がないことを悟ったウルは、再びベル・ダンディアを抱きかかえると、眼前の二体の冥機の間をかいくぐり、全速力で逃げ出した。走るウルの左右を冥機が次々と追い抜き、前方に現れる。

 

 ウルは片腕から閃光を放ち、冥機を攻撃した。一体の冥機が両腕の盾を合わせてそれを弾き、その背後から二体の冥機が飛び出すと、ウルに突きかかった。

 

「ウル」

 

 ベル・ダンディアの声が空しく響く。胴体を突き刺されたウルはその場に倒れ、ベル・ダンディアの身体が地面に転がり落ちた。

 

「そ、そんな……」

 

 ベル・ダンディアはウルの身体を助け起こそうとしながら、これと同じ体験をしたことを思い出していた。

 

 侵されざる聖域でデュラクダールたちと戦った時、一角獣アインホルンがベル・ダンディアを心を失った狼たちの砲撃から庇い、地に倒れ伏したあの光景。あの時はフレイアとブレイザブリクのおかげで助かったが、フレイアは今ここにおらず、ブレイザブリクは虚龍との戦いで命を落としており、もういない。

 

「アインホルン……ごめんなさい。私……あの頃と何も変わっていなかった……」

 

 自分を護るために敵の刃を受け、倒れ伏した【勇者】とその半身アインホルンの姿が重なって見えた。そして、この世界の希望が失われる原因になってしまっているのであろう自分の存在。あの頃と変わらぬ、弱き存在。

 

(そうだ、ベル・ダンディア。お前たちは己の弱さを棚に上げ、心の弱き者たちを利用して、犠牲にしつづけるだけの存在だ。この世界の姫君たちも変わらぬ。……我は姫君を庇い、力尽きて逝った獣でもあるのだ。リンとグナという名の自ら戦場に出ることで、自分たちも戦う者の力になっているのだという自己満足に耽っている愚か者どももいたが……我はそれを庇って命を落としたニヴルヘイムでもあるのだよ)

 

「ニヴルヘイムですって。そんな、彼らも私たちを憎んでいたと言うの」

 

(そのことに気づいたのなら、お前も我らの一部になるが良い。さすれば存在すべてが【虚無】に還るその時まで、我らと共にいることができるぞ。……海獣ジューゴンもお前を呼んでいるぞ。そして、今まさに力尽きようとしているヴァルキュリウスとも一つになれる……)

 

「ジューゴンが。そんな、ジューゴンが……そんなこと……」

 

(じたばたしてもどうにもならん。これはジューゴンの意思でもある。さあ、貴様の命、我に捧げよ)

 

 冥機が刃を掲げ、ベル・ダンディアに向かって振り下ろした。ジューゴンやヴァルキュリウスたちと一つになれる……。そう思ったベル・ダンディアは、微かな安堵を覚え、頭上の刃が振り下ろされるのを眺めていた。

 

「いけません。ベル・ダンディア様」

 

 オッドセイが飛び出し、ベル・ダンディアの周囲に強力な結界を創り出した。結界に弾かれ、冥機の刃が弾き返された。

 

「オッドセイ、どうしてここに」

 

 正気に戻ったベル・ダンディアが、驚きの眼でオッドセイを見つめる。

 

「ジューゴンたちの魂の叫びを聞きつけ、ここに来たのです。ベル・ダンディア様、あの者に惑わされてはなりません」

 

 オッドセイにつづいて、この島の獣たちが次々と加勢し、冥機たちと対峙した。冥機は忌まわしいものを見る眼でそれらを見まわした。

 

(お前たちは何故、我を拒む。その者や姫君どものために、犠牲になることを望んでいるわけではあるまい)

 

「我々はお前を拒む。【虚無】よ、この世界の存在全ての敵よ」

 

 獣たちの中にいたモモンガルが言った。

 

(お前たちの真の敵は存在そのものに他ならない。【虚無】はむしろ、すべてを存在という束縛から解放する救世主と呼ぶべきだろう。……我の中に混在する多くの意思がそれを証明している)

 

「だが、反発する者もいる。現にジューゴンやニヴルヘイムの、【虚無】を拒む心は我々にも届いているのだ」

 

 オッドセイが叫んだ。

 

(お前たちは真に理解しておらぬ。確かに【虚無】を拒む意思をジューゴンたちは持っている。だが、同時に存在を憎む心も併せ持っているのだ。存在とは、一つのものが矛盾しあうものでもある。そしてその矛盾が、生きる者の苦しみを生み出すのだ。だから、私がそれを取り払ってやろう。これは、この世界に生きるすべてのものが望んでいることなのだ)

 

 冥機が閃光を放ち、獣たちを襲った。閃光にコアを貫かれ、何体かの獣が力尽き、倒れた。

 

(おいでよ。ここに来れば寂しくないよ……)

 

(よく来た、さあ、他の者も救い出そう)

 

(そうだ、皆の者)

 

 断末魔と共に散っていった獣たちの魂が冥機に吸収されていく。その魂の叫びが、冥機を通じて、まだ生きている者たちの脳裡に伝わってきた。その中には、【虚無】の力になることを歓喜する魂も少なからずあり、生き残っている者たちの多くは戦意を失った。

 

 多くの獣たちが自ら冥機に討たれることを待つように、無防備な状態で立ちすくみ、その槍でコアを貫かれ、息絶えた。

 

「なんでこんなことに……」

 

 呻くベル・ダンディアを庇いながら、オッドセイが冥機の攻撃を耐えていた。傍らには状況を把握したウルが傷ついた身体を起こし、冥機に対する抵抗をつづけている。

 

(護るべき者を失えば、お前たちの戦意も完全に消え去るだろう)

 

 オッドセイの結界が破られ、冥機が内部に侵入してきた。オッドセイがベル・ダンディアを突き飛ばし、冥機の刃をその身に受ける。突き刺さった刃からオッドセイの熱量があふれ出し、オッドセイの身体が破壊されるとともに、冥機の全身が砕け散った。

 

「オッドセイ……」

 

 ベル・ダンディアが駆け寄った時には、オッドセイはもはや力尽きる寸前であった。

 

「私は……ジューゴンが羨ましかった……。いつもあなたの側にいられて……いつもあなたに一番気にかけてもらえて……」

 

「そんな……オッドセイ、私はあなたが好きです。大切な仲間ですもの……」

 

「私は……本当は一番大事にしてもらいたかった……一番愛してもらいたかった……高望みであることはわかって……いた……。でも、最期にあなたのために尽くすことができて……私は……満ち足りて……」

 

 オッドセイのコアが光を失い、二度と動かなくなった。ベル・ダンディアは泣きながら、オッドセイの気持ちを理解していなかったことを何度も詫び、オッドセイの身体を抱きかかえたまま彼に感謝の言葉を言いつづけた。その背後から冥機の一体が近づき、刃を振り上げる。

 

「危ない」

 

 ウルがベル・ダンディアをオッドセイから引き離して、後方に退いた。冥機が次々と襲いかかり、ウルを取り囲む。

 

(諦めろ、【勇者】。お前たちもこちらにこい)

 

 冥機が一斉に襲いかかる。その刹那。

 

 上空から一体の騎士が降下して来た。騎士は上空で黒槍を構えると、それを大地に向けて投げつけた。黒槍は一直線に急降下し、大地に突き刺さった。

 

 それと共に周囲に凄まじい衝撃波が大地を奔り、冥機の集団を吹き飛ばした。オッドセイや他の獣たちの亡骸まで宙を舞い、その中にはまだ生きている者の姿もあった。

 

「心配するな。獣たちは上空の船が回収する」

 

 騎士はそう言うと、地面に下り立ち、刺さっている槍を引き抜いた。

 

「ボルヴェルグ殿、かたじけない」

 

 ウルがその騎士――黒槍機ボルヴェルグに言った。

 

「状況は把握している。ウル殿はその魔人を連れて、軌道母艦に急いでくれ。魔人の体内に入り込んだ放射能を取り除くなど、我らの技術では不可能なことだ。ウル・ディーネという者ならばあるいは可能かもしれない……」

 

「心得ています」

 

 そのやりとりを見すえている冥機の身体がふわりと宙に浮いた。

 

「む、逃げるつもりか」

 

 ボルヴェルグが槍を構える。他の冥機は最初の衝撃で散り散りになったが、一体だけ残っている冥機がいたのだ。

 

(倒されるまで戦うほど愚かではない。我にはまだまだ力が必要なのだ)

 

 ボルヴェルグが槍を投げつけたが、命中する前に冥機の身体が消失した。槍は空を切り、天へと昇っていったが、やがて空中で静止し、すぐにボルヴェルグの手元に戻ってきた。

 

「ちっ」

 

 ボルヴェルグは忌々しげに吐き捨てた。

 

「ボルヴェルグ殿……では、我々はこれで」

 

「ああ、気をつけることだ、【勇者】。まだ、この島の戦闘は終わってはいない。私はヘルのもとへ向かう」

 

 ボルヴェルグはそう言うと、火山を目指して飛び立った。それを見送ったウルは踵を返し、軌道母艦のもとへと急ぐ。

 

 ベル・ダンディアは、ウルに抱きかかえられたままうわ言を繰り返していた。ベル・ダンディアの心の中では、オッドセイの最期の言葉と、先ほどの冥機の言ったことが延々と渦巻いていた。

 

 

 

 ミストは倒れているクイーンの姿を認めると、急いで近づいた。クイーンは近づいてくるミストに気づき、顔を上げた。

 

「ミスト……無事だったのね」

 

「姉さん」

 

 ミストにはこうして再会できた姉に言いたいことが山ほどあった。だが、今は一刻を争う。

 

「母上……」

 

 ガグンラーズが呟いた。クイーンはミストとガグンラーズ、それに共にいるウリボーグ、セイ、フギン、ムニンを見やった。

 

「ヘルの命が危ない……。そして、それが失われることは、この世界の希望を喪失することに繋がるわ。ヘルだけじゃない。あの巨獣たちの暴走はあらゆるものを滅ぼす」

 

 それからクイーンは、ミストの瞳を縋るようにして見つめた。

 

「ミスト、お願い、ガグンラーズたちと力を合わせてあの巨獣たちを止めて。……今更、身勝手なことを言う姉でごめんなさい。でも、あなたは私たちワルキューレ三姉妹の中で最も強い戦闘力を持っている……だから、あの巨獣たちにだって対抗できるかもしれない……」

 

「わかったわ、姉さん」

 

 ミストが頷くと、ガグンラーズがミストに向かって言う。

 

「ミスト、俺に命令してくれ。母上を傷つけた者と戦え、と。頼む」

 

「……ええ、ガグンラーズ。一緒に戦いましょう。あの巨獣たちと」

 

 ガグンラーズが瞬時に刃を造り出し、火山を駆けあがった。ミストは他の者たちを連れて、ガグンラーズのあとを追う。

 

 周辺には動器や機人たちの亡骸が散乱していた。その中に、一際大きな飛竜の屍もあった。飛竜はすぐ近くで大破しているウィンガルと同じく、全身が機械でできているが、この世界の住人である飛竜ヴァルキュリウスであることを、ミストは知っている。

 

 前方に一体の巨獣の姿があった。長い牙を生やしたネコ科の獣を思わせる巨獣は、大猿の姿をした巨獣と死闘を繰り広げている。両者の全身は傷だらけであり、このままでは相討ちになるかもしれなかった。

 

 ミストはどちらが敵か一瞬戸惑ったが、理性を失い、放射能を撒き散らしている大猿がこの災厄の原因に一役買っていることを見抜き、もう一体の巨獣に加勢するべく飛び出した。

 

 

 

「見よ、憎き魔女ヘルはそこにいる。今こそ積年の恨み晴らす時」

 

 大械獣の咆哮に、巨獣軍団が応える。巨獣たちの咆哮が島中に響き渡った。

 

「いよいよ妾も年貢の納め時かねぇ……」

 

「させません」

 

 ディースはヘルを庇って仁王立ちとなり、その前にリンとグナがそれぞれ盾と剣を構えて巨獣軍団に身構えた。さらにそれを護ろうと、獣たちが立ちはだかる。

 

「ヘルに与する愚か者どもよ。裁きを受けるが良い」

 

 大械獣が吠え声を上げると同時に異常な量の放射線がヘルたちを襲った。

 

「う、うぐっ」

 

「な……」

 

 リンとグナが汚染された空気の中でめまいを起こした。ヘルの呪いで氷の身体になっているため、即座に命を落とすということはなかった。しかし、巨獣軍団の放つ害毒は確実に生命の源であるコアを汚染し、その命を蝕み、削り取っていく。

 

 機械化した獣たちも苦しむなか、白き道化ディースが堂々とした態度で大械獣の前に立ちはだかった。

 

「お前は何故生きていられるのだ」

 

 大械獣が足元に立っているディースを見降ろしながら言った。

 

 翼を生やした道化であるディースが魔人と同程度かそれ以上の存在であったとしても、生身でこの空間の中で生きているのが、大械獣には解せなかった。そして、その疑問と見覚えのある道化の姿によって、僅かな理性が呼び起こされていた。

 

「私の身体は歌でできているの。……本来なら、ヘルの呪いを受けなかった私はとうの昔に天命を終えていたわ。でも、私にはまだ果たすべき役目があった。だから、私は己の歌と、歌姫の歌、それに虹竜アウローリアの歌によって今日まで生き長らえてきた……」

 

 ディースの全身から虹の輝きがあふれ出し、空間が光で満たされていった。その輝きが放射能を浄化し、リンとグナ、それに獣たちが再び活力に満たされた。

 

「うう、やはりあなたは……」

 

「去りなさい、巨獣たち。ヘルはもうあなたたちを束縛する力もない。未来を【勇者】に託し、己の天命を終える覚悟もできているのです。これから逝く者の安息を妨げることは、如何なる者であろうとも許されません」

 

「ディース様……」

 

 ギガ・テリウムが呻き、憎悪と闘争心が薄れていく。

 

(騙されるな兄弟。見よ、我の言ったとおり、あの者もヘルと手を組んでいるではないか。古き支配体制を破壊するためには、歌声の持ち主も一人残らず根絶やしにする必要がある。さあ兄弟たちよ、その道化を葬り去れ。そして魔女を討つのだ)

 

 冥機の声を聞いたギガ・テリウムは咆哮を上げ、己の憎しみを増幅させる。そして、巨大な剛腕を振り下ろし、ディースを襲った。

 

「ディース」

 

 ヘルが叫ぶ。その声に応えるかのように、一体の狼の如き姿をした機械の騎士が飛び出し、ディースに迫っていた大械獣の右腕を切り裂いた。

 

「ぬぐぅぅ」

 

 腕を斬り落とされた大械獣が忌々しげに眼前の騎士を睨む。

 

「ガグンラーズ……よく来てくれました」

 

 ディースがガグンラーズに向かって言った。

 

「俺、戦う」

 

 ガグンラーズが身体の至るところから刃を生やし、大械獣と対峙する。

 

(邪魔をするな)

 

 雷竜が大械獣を押しのけるようにして前に踏み出し、ガグンラーズに向かって尾を打ちつけた。ガグンラーズはその衝撃に耐え、両腕で尾を捕まえると、暴れ狂う尾を身体から生やした刃で切断した。

 

(おのれ)

 

 尾を失った雷竜は背中の筒をガグンラーズに向け、熱線を放った。それを見てとったリンがガグンラーズの前に立ち、両腕に身につけている盾をかざし、熱線を弾いた。

 

 ガグンラーズがなおも熱線を放ちつづける雷竜に飛びかかり、刃を回転させると、雷竜の強靭な首を刎ねた。首を失った雷竜は大量の放射線を噴き出しながら、どうと倒れた。

 

 二体の犀が突進し、ガグンラーズに迫った。ガグンラーズはそれを防ぎきれず、突き上げられた。それを狙い、大械獣の後ろから先ほどの雷竜とは幾分かは小ぶりではあるものの、強靭さにおいては引けを取らない二体の雷竜が尾を振るい、ガグンラーズを地面に叩き落とした。

 

 なおも立ち上がろうとするガグンラーズに向けて、二体の犀、二体の雷竜の砲門が同時に開かれ、四つの熱線がガグンラーズを狙い撃った。

 

「ガグンラーズ」

 

 ミストの声が響いた。ディースがそちらを見ると、ミストとウリボーグ、それにセイ、フギン、ムニンの姿、さらに巨獣皇スミドロードがそこにいた。

 

「ミ……ス……ト」

 

 ガグンラーズは力尽き、その場に倒れた。

 

「そ、そんな……ガグンラーズ……」

 

 ミストはガグンラーズを倒した巨獣軍団をきっと睨むと、全身から熱量を発散させ始めた。眼の前でガグンラーズを破壊され、ミストの心中は穏やかな彼女とは思えないほどの怒りに染まっていた。

 

「よくも……よくも、ガグンラーズを」

 

 ミストが無数の光弾を放ち、二体の犀を狙い撃った。犀は盾を展開してそれを防ごうとしたが、光弾を受けた盾は弾け飛び、犀の身体に数発の光弾が炸裂した。片方の犀は倒れ伏したが、もう片方は未だ力を失わず、ミストに突きかかった。それをまともに喰らったミストは宙を舞い、危うく火口に落ちるところで、空中で静止した。

 

 ウリボーグがその犀に向かって突進し、全身をぶつけた。ミストの光弾で損傷を負っていた犀はその一撃で装甲を破壊され、倒れ伏した。

 

「ウリボーグ、後ろ」

 

 ミストの声を聞いたウリボーグは振りかえり、二体の雷竜が熱線を放つ瞬間を見た。飛び出したスミドロードがウリボーグを咥え、それを避けた。熱線は地面に当たり、周囲に熱気が巻き起こる。

 

 数体の仲間を倒されたとはいえ、巨獣軍団の闘争心は衰えることを知らず、大械獣の指揮のもと、次々と様々な姿をした巨獣の群れが攻め寄せて来た。三体の巨鳥が突風を起こして獣たちを吹き飛ばし、雷竜が宙に舞った獣たちを熱線で狙い撃ちにした。身体の大半が蒸発した獣の亡骸が、バラバラになって地面に落ちた。

 

「……流石は妾の巨獣軍団じゃ」

 

 ヘルが諦念の感情を籠めて呟いた。大械獣がヘルに向かって直進し、それを護衛する二体の犀が前を突き進んだ。

 

「ヘル。諦めてはいけない」

 

 ディースがヘルの前に飛び出し、結界をつくり出した。その結界も犀には通用せず、結界を打ち破られたディースの身体は犀に突き飛ばされ、ヘルの身体にぶつかった。ヘルとディースの身体はそのまま火山の火口へとまっさかさまに落ちていく。

 

「ディースさん」

 

 ミストが二人を助けようと尾びれを振り、火口の内部へと下りていく。煮えたぎる溶岩の上でディースとヘルの身体を捕まえたミストは、直ぐさま二人を熱気から引き離すべく、中空を泳いで、火口を抜け出した。

 

 ディースの力が弱まったことで、一帯はまたもや害毒に満たされていた。その光景を見たミストは愕然となる。仲間の獣たちや氷の姫君は皆大地に倒れていた。ウリボーグもセイもスミドロードも……。

 

「ミストぉ」

 

「ディース様ぁ」

 

 双子の妖精フギンとムニンが大急ぎでミストの方へ飛んできた。渦巻く放射能の中で生き延びるには、ディースの加護にすがるしかない。それを知っているフギンとムニンであったが、ディースの力が酷く衰えているのを知り、動揺した。

 

(見るのだ兄弟。ヘルはあそこにいるぞ)

 

 巨獣軍団がミストたちの方へ狙いを定め、無数の熱線や閃光を放った。ミストはディースとヘル、フギンとムニンを庇い、集中砲火をその身に受け、火口の近くの地面に墜落した。

 

 投げ出されたヘルとディースの姿を認めた巨獣軍団が、ゆっくりとその側に集まる。その様子からは、この地獄絵図の最後を飾るヘルを、どのように始末しようかという悪意すら感じられた。

 

 それを前にして、白き道化、ディースがよろよろと立ち上がった。すでに起き上る気力もないミストは、ディースに向かって弱々しく手を伸ばした。

 

「まだ邪魔をするか、道化め。良かろう、魔女よりも先にお前を消滅させてやる」

 

 ギガ・テリウムが、ガグンラーズに斬り落とされた右腕の代わりに左腕を前に突きだした。

 

 ディースはミストの方を見やった。

 

「ワルキューレ・ミスト。……綺麗になったわね」

 

「……え、ディースさん……」

 

「私、今まであなたに、何もしてあげられなくてごめんなさい。……だから……最期にあなたたちに歌をあげるわ。私の歌を」

 

「何を言っているの、ディースさん」

 

(フギン、ムニン)

 

 ディースがフギンとムニンに意思を伝達する。

 

(ワーグナーに会ったら伝えておいてね。私は今でもあなたのことを愛している、と)

 

「ディース様、そんな」

 

「逝っちゃ嫌ですよお」

 

 フギンとムニンが泣きじゃくる。

 

 ほほ笑むディースの背後から大械獣の剛腕が振り下ろされた。それと同時にディースの全身が虹の粒子と化し、周囲に広がった。

 

 虹色の輝きに乗って歌声が皆に届き、倒れている者たちに活力を与えた。ミストが上体を起こした時には、既に多くの獣が立ち上がっていた。力を得たセイとウリボーグの姿もある。

 

「おお、歌声だ。俺がまだ自由だった頃、俺はこの歌を愛していたのだ……」

 

(その自由を奪った者が眼の前にいるぞ兄弟。この歌声の主も魔女と共謀していたこと、既にわかっているだろう)

 

「し、しかし、この歌声は俺たちをも包みこんでくれている……」

 

(また利用されるだけの傀儡に戻ろうと言うのか、愚かな。……兄弟、今一度思い出せ。過去の大戦を。ヘルの傲慢を。お前たちが受けた苦しみ、ヘルに操られたお前たちが手にかけた同胞たちの悲痛の叫び。怨嗟。葛藤。絶望。復讐するのだ。魔女に、世界に)

 

 冥機の意思が歌声に勝った。大械獣は今までに受けた苦しみと憎しみすべてを一度に思い出し、歌声によって洗われようとしていた心が圧倒的な意志の力で歌声を放逐し、破壊の衝動が急速に高まった。大械獣と共闘する巨獣軍団もこの影響を受け、世界を憎む憎悪の放射能を撒き散らした。

 

(歌声は創造の力。この世界は歌声によって創られたという。即ち歌声こそがこの世界で最も憎むべき存在だということだ。歌声さえなければこの苦しみから解放されるのだ)

 

「気をつけろ、ミスト。ディースの歌声で俺たちは力を取り戻したとはいえ、こいつらの力はそれすらも遥かに上回っている……。俺は今まで侵略者を憎んできたが、こいつらの憎しみと怒りは、それを超越するほどのものだ」

 

 セイがミストに向かって言った。

 

「どうして……私たちが憎み合って争っても、何も得るものはないのに」

 

「こいつらの過去に何があったか、俺は知らない。だが、おそらくそれだけが憎しみのすべてではあるまい。こいつらの憎しみ、怒りには多くの存在が重なって見える。こいつらはそれらすべての化身と呼んでも差し支えない」

 

「なんでそんなことがわかるの、セイ」

 

「確証はないが……俺は一瞬、俺が知っている友の姿を見た気がする。友は最期まで侵略者を憎んだままこの世を去ったのだ……」

 

「憎悪の亡霊……。その体現者……」

 

 ミストはセイの言葉にめまいを覚えたが、すぐに気を取り直した。ここで負けたらガグンラーズとディース、散っていった仲間たちに顔向けができない。

 

(マルコ……お前か、お前なのか。何故、お前がこの世界を脅かす。何故お前がこの俺を憎む……)

 

 セイが飛びかかってきた犀の突きをかわし、ドリルを回転させると、その犀の胴体を狙った。犀は瞬時に盾を展開し、セイの攻撃を弾くと、背中にあるもう一つの盾を押し上げ、そこから光線を放った。光線はセイの胴体を貫き、負傷したセイはその場に跪いた。傷ついたところから膨大な量の放射線が入り込み、全身が悲鳴を上げた。

 

 ミストはセイを気にかけたが、自分に襲いかかってくる二体の巨鳥の猛攻を防ぐので精いっぱいで、加勢する隙などなかった。ミストの実力が予想以上に高いことを見抜いた巨鳥が合図を送り、大械獣がそちらに突進する。

 

 ミストの背後にはヘルがおり、ヘルは残り少ない己の力で巨獣たちを寄せつけないようにするのが限界であった。ヘルの力は限りなく衰えていたが、もともと巨獣軍団を制御していたのはヘルであり、それを操り、制御する術に長けていた。消えかかっていたその能力を、追いつめられたことで無理やりひねり出しているというわけであり、ヘルは自分がいつ力尽きてもおかしくないことを自覚していた。

 

 大械獣の左の剛腕が一閃し、ミストの胴体を激しく打ちつけた。ミストは力を失い、地面に落下するところであったが、左右から二体の巨鳥がミストの身体を捕まえた。

 

 巨鳥は片方がミストの頭部を咥え、もう片方がミストの尾びれを咥えると、激しく羽ばたきながらジェット機を思わせる動力をフル稼働させ、同時に後方へ退こうとした。ミストの胴体を引き裂こうとしているのだ。

 

(ごめんなさい……ディースさん。あなたの歌声をせっかく受け取ったのに……)

 

(ミスト、諦めては駄目)

 

 ミストの脳裡に響いたのは紛れもなく、ディースの声であった。

 

 

 

(ガグンラーズ……聞くのです……ガグンラーズ)

 

 破壊されたガグンラーズが微かに蠢いた。ガグンラーズのむき出しになったコアは放射能に汚染され、不気味な色に染まっている。

 

(立つのです、ガグンラーズ。あなたは騎士。そしてあなたが騎士として護るべき者が今、命の危険に晒されているのです。あなたは救うのです、彼女を)

 

「ディー……ス……」

 

 虹の輝きに包まれたガグンラーズの身体が徐々に再生していく。

 

 ガグンラーズの背中から白く大きな翼が出現していた。その翼は、ディースの背中に生えていた白翼と酷似している。放射能に苦しみ、犀に踏みつけられていたセイは、その翼を見て勇気づけられた。

 

「ガグンラーズよ、立ってくれ。ディースの想いに応え……ミストを救ってやってくれ」

 

 セイは力を振り絞って犀を押し上げ、投げ飛ばした。突然の反撃に驚いた犀は一端退いたが、すぐに態勢を立て直し、セイに突進した。翼から放たれた虹の輝きで活力を取り戻したセイは、突進してきた犀と真正面から激突し、取っ組みあった。

 

「ガグンラーズ、急いで」

 

「ミストが大変、早く早く」

 

 戦闘の中を泣きながら逃げ回っていたフギンとムニンが、ガグンラーズに生えた翼を認めると、口々に呼びかけた。

 

「うおおお」

 

 ガウンラーズから四枚の翼が広がり、光の輪がガグンラーズの胴体を囲むように出現し、周囲に広がっていった。その光を受けたスミドロードが、それまで格闘していた二体の大猿を振り解くと、ガグンラーズに襲いかかろうとしていた一体の犀に飛びかかった。

 

「ミスト、助ける」

 

 騎士道精神で目覚めたガグンラーズは跳躍し、ミストを捕まえていた二体の巨鳥の首を、身体から生やした二つの刃で以て斬り落とした。墜落するミストの身体をがっしと受け止める。

 

「ガグンラーズ……ありがとう」

 

 ガグンラーズから生えた四枚の翼がミストを優しく包みこむ。ミストの体内に歌声が注ぎ込まれ、ミストは活力を取り戻した。

 

「ディースさん……」

 

 仲間の巨鳥を倒され、大械獣は思わずたじろいでいた。大械獣の脳裡に、また冥機の声が響く。

 

(兄弟、急げ。その機械にはディースの力が備わっている。このままでは我らの目的も果たせなくなる)

 

 大械獣が咆哮し、ガグンラーズに襲いかかった。その左右から二体の雷竜が足を踏み出し、砲を構える。

 

(ガグンラーズ、一撃で倒すのです。あなたに残された時間はもう……)

 

「わかっている、ディース」

 

 ガグンラーズは二つの刃を構え、襲ってくる大械獣に向かって自分から飛びかかった。それと同時にガグンラーズの翼から二つのつむじ風が生じ、大械獣の後方にいる雷竜を狙い撃った。つむじ風の直撃を同時に受けた二体の雷竜は、砲を構えたまま横倒しになり、放たれた熱線はあらぬ方向へと飛んでいった。

 

 ガグンラーズは大械獣の攻撃をかわすと、自分より巨大なその胴体に取りついた。

 

「う、うごっ」

 

 ガグンラーズの長く伸ばされた刃が交差され、大械獣の胴を切断した。力を使い果たしたガグンラーズがその場に倒れ込み、大械獣は呻き声をあげながら上半身を傾かせた。大械獣の上半身がずるずると大地に滑り落ち、もがきながら転がり、火口の内部に落ちた。その場に立っていた大械獣の下半身も倒れた。

 

 大械獣は火口に落ちていく間、最後までヘルの方を睨みつけていた。そのままどぼんと溶岩の中に落ち、沈んでいった。

 

 力尽きたガグンラーズの四枚の翼が大械獣の下半身を包みこみ、そこから洩れる膨大な放射能を抑え込んだ。胴体を切断された大械獣は、下手をすれば大規模の核爆発を引き起こしていたかもしれない。それをディースの翼と歌声が押し止めているのである。

 

「ガグンラーズ……」

 

 ミストは倒れたガグンラーズの身体を、哀しく見つめていた。

 

 

 

(お、俺は目的を果たせなかったのか……。何たる失態だ……。すまない、兄弟たちよ)

 

(ギガ・テリウム。あなたは憎しみから解放されるのです。ヘルの命はもう尽きます……)

 

(ディース。教えてくれ、俺たちはなんでこんな戦いをしなければならなかったのだ。結局、今回の戦いは何も得るものがなかった。何も果たせなかった。これではヘルの命令で戦いつづけていた過去と何も変わらぬ……)

 

(あなたは【虚無】につけ込まれたのです。あなたの憎しみが、この世界を滅ぼすために使われた……)

 

(【虚無】……そう言えば、あの者はそう名乗っていた)

 

(【虚無】は全存在の敵。私もあなたも存在するもの。だから、その者に従うことは全世界を憎むことなの……。それは存在に対する裏切り。つまり、存在である己に対する裏切りでもあるの。あなたが一番憎んでいたのはヘルではなく、あなた自身だったのよ)

 

(そうか……そうなのか……)

 

『兄弟。存在とは罪だ。自分が存在していることが罪だと自覚したからこそ、汝らは我らと共に歩む資格があったのだ』

 

(う……兄弟……)

 

(ギガ・テリウム、その者の言葉を聞いては駄目)

 

『見よ、ディースはなおも汝を利用しようとしているではないか。……なあ兄弟、この世界の永遠の輪廻の苦しみ、お前にはそれがわかるだろう』

 

(ああ……憎み、憎まれ、滅ぼし合う……)

 

(ギガ・テリウム。その者の言葉を聞きいれることは存在の否定よ。あなた自身の否定でもあり、あなたがそう考えることすらも否定する。矛盾の無限地獄に落ちるのよ)

 

『ディースよ、そのとおりだ。この世界は矛盾に満ちた地獄。存在する者が互いに滅ぼし合う醜き世界。この地獄から抜け出す手段はただ一つ。存在のない、世界ではない世界。【虚無】しかないのだ』

 

(そうだ……そうだ……)

 

(駄目、駄目よ)

 

『我はすべてを滅ぼし、自分を含めた全存在に終焉をもたらす。その瞬間我は目的を終え、永遠の【虚無】により、すべては完結するのだ』

 

(それがすべての完成……世界の正しき終着地点)

 

(駄目。私たちは存在。そうならないよう努力するのが存在としての真の務め)

 

『さあ、終わらせよう、兄弟。共に【虚無】となるために』

 

 

 

 火山が胎動する。この島にかつてない何かが起こっているのだ。今まで戦っていた者たちは互いに手を止め、呆然とその様子を眺めていた。

 

 大械獣ギガ・テリウムが倒されたことで、巨獣軍団の士気は一気に落ち込んでいた。さらに、これまで自分たちを突き動かしていた冥機の気配まで離れていた。我に返って見ると、当初はヘルだけを憎んでいた筈なのに、どうして自分たちはこんな大それたことをしてしまったのだろう、と困惑した。

 

「何が起こっているのだ。これは」

 

 戦いに加勢していたボルヴェルグが言った。

 

「わからない……でも、とても嫌な予感がする」

 

 ミストはそう言うと、周りにいる仲間たちを見渡した。ウリボーグとセイは虫の息であったが、何とか一命は取り留めていた。フギンとムニンはぶるぶると震えながらミストにしがみついている。スミドロード、リン、グナ、それに数体の生き残った獣たちも黙って火口を眺めていた。

 

「……ディースには抑えられなかったようだねえ。ロキもいつまでたっても助けにこないし。仕方がない、妾が今すぐ犠牲になる他ないようじゃ」

 

 ヘルが火口に近づいた。ミストが慌てて止めようとしたが、虹色の壁が出現し、ミストはそれ以上前に進めなかった。

 

(ミスト、ヘルを止めてはいけません)

 

「え、ディースさん、何故」

 

 ミストが見上げると、ヘルの頭上に一体の光輝く蜻蛉が浮いていた。蜻蛉は虹色の輝きを持ち、それは先ほどのディースの歌声によるものと酷似していた。

 

(さあ、ヘル。あなたの体内にある天弓マクラーンを)

 

「わかっているよ。これは妾の身体を砕かなければ取り出せない。弱り切った今では、もはや正規の手段では解放できぬ」

 

(ヘル。私が必ず、天弓マクラーンを完全なものにします)

 

「これは妾の身から出た錆、妾が償わなければならないことは承知している。……ただ、一つ。一つだけ頼まれてはくれないかねえ」

 

(いいわよ、ヘル。あなたの決心は見返りを求めても恥じることではない)

 

「妾の愛する……ヴァールのことさ。あの娘は妾の仇を討とうと無茶をするだろうけど……何があっても、あの娘を助け、護り抜いて欲しい。……それだけさ」

 

(わかったわ、ヘル)

 

「聞いてもらえて感謝しているよ。……では、さらばじゃ」

 

 ヘルが火口に身を投げた。それを追い、蜻蛉が火口の内部に降下していく。

 

(来たな、ヘル。俺たちの怒り、思い知れ)

 

 ギガ・テリウムの上半身が溶岩の内部から浮き上がり、激しく発光した。落下していたヘルの身体が砕け散り、火口の内部に氷のかけらが舞った。

 

 砕け散ったヘルの身体から、一つの弓が現れた。蜻蛉は溶岩に落ちる前にその弓を掴み取り、一気に上昇していった。火口の中ではとてつもない核爆発が、まるで時間が停止しているかのように止まっていた。

 

 

 

 樹氷の森。氷漬けになっていたヴァールの意識が目覚めた。ヴァールはかつてない悲しみに満たされ、それが徐々に怒りへと変貌していく。

 

(ヘル様が、ヘル様が)

 

 ヴァールは自分を覆っている永久凍土にありったけの力をぶつけた。永久凍土にひびが入り、それが広がっていく。

 

「ヴァール……」

 

 眼の前にエイルが立っていた。ヴァールは自分を哀れむ眼で見つめているエイルに対して、激しい憎悪の念を覚えていた。

 

「エイルう。よくも」

 

 永久凍土が砕け散った。ヴァールは瞬時に己の手の上に武器である鍵を出現させると、エイルに突きつけた。

 

「あたしとヘル様の誓約が解かれた。あたしとヘル様を結ぶ誓約が。ヘル様かあたしが命を落とさない限り、この誓約は解けなかったんだ。なのに、なのに」

 

 ヴァールが糸のような波動を放ち、エイルの身体を拘束した。エイルはされるがままになっていた。

 

 ヴァールは動けないでいるエイルの喉元に鍵の先を突きつけた。

 

「お前のせいだ。お前があたしを騙してこんなところに閉じ込めている間に、ヘル様が」

 

「ヴァール……。あなたはヘルから解放されたのですよ」

 

「黙れ。あたしは誓約をしがらみだなんて思っていない。あたしとヘル様を繋ぎ止めてくれる魂の証明だったんだ」

 

 ヴァールがエイルの喉に押しつけている鍵に力を込めた。

 

「すぐには楽にさせないよ、エイル。永劫の責め苦を味わわせてやる」

 

「ヴァール、私はあなたを騙してはいません。フェンリルはここにいます。そして、あなたをヘルが命を落とすその時まで閉じ込めたのは、ヘルの望みだったの」

 

「嘘だ。そんな出まかせ、誰が信じるものか」

 

 エイルの体内から光が放たれた。その光はヴァールを包み込んだ。驚愕したヴァールは慌ててエイルに止めをさそうとしたが、手が動かなかった。

 

(止めたまえ、ヴァール)

 

 ヴァールの脳裡で声が響いた。

 

「何だよ、あんた。あたしの邪魔をするなよ」

 

(僕はゲリ。君の探していたフェンリルの半身だ。……エイルの言っていることは本当だよ。エイルに罪はない)

 

「何を言っているんだよ。何を……。ヘル様があたしを置いて……一人で逝ってしまうなんて……そんなことするわけないじゃないか」

 

 ヴァールは手にした鍵をエイルから離し、地面に膝をついた。

 

 樹氷の森の中にヴァールの嗚咽が木霊した。

 

 

 

 火口の内部から蜻蛉が舞い上がった。蜻蛉が手にしているものは、天弓マクラーン。ミストは宙を舞い、蜻蛉に近づき、その弓と蜻蛉を交互に覗きこんだ。

 

「あなたは……ディースさん……」

 

「いいえ、ミスト」

 

 蜻蛉が答えた。

 

「私の名前はトンビュール。たった今、ディースの歌声により生まれたのです」

 

 トンビュールと名乗った蜻蛉の複眼が七色に輝いた。それに呼応するかのように、天弓マクラーンが虹色の輝きを増す。

 

「それより、皆と共にこの島を脱出してください。ヘルが自分を犠牲にした最期の力で抑え込んでいますが……間もなくこの島は、大規模な核爆発により消滅します。おそらく、この辺一体の海が蒸発するほどのものでしょう。時間がありません。早く」

 

 トンビュールの切迫した意思は周囲にいるものすべてに伝わった。逃げなければいけない。今、すぐに。

 

 解放されたばかりの天弓マクラーン。本来この島で降る筈だった光雨はもはや望めず、未だその輝きには何かが欠けていた。

 

 どの道、汚染されたこの地ではもう、光雨が降ることはない。虚無の軍勢との戦いにおける切り札は、まだその真の力に目覚めてはいなかった。

 

 

 満月の夜に降り注ぐ光雨を束ねて作った、『天弓マクラーン』。

 魔女の体内に封じられていたが、その死により解放された。

 ―放浪者ロロ「異界見聞録」白の断章―




関連カード

●オッドセイ
機獣。

本章の冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。

●トンビュール
蜻蛉の姿をした光虫。
その七色の複眼は「すべてを見通す」と称される。
「虚竜の巣」を追った。



●螺旋の塔
名所千選157。
黄のネクサス。
妖精の国のはずれにある塔。
かつては牢獄の様に使われていたらしいが現在は廃墟になっているという。

本章では、かつて黄の世界の住人であったスミドロードが囚われていた塔として登場。



●キャバルリー
マジック。
疲労状態の自分のスピリットをすべて回復するが、
それによって回復した系統:「戦騎」を持たないスピリットはこのターンの間アタックできない、という効果を持つ。
イラストでは銀狼皇ガグンラーズが白い翼に支えられるようにして立ち上がっている。

本章では、このマジックを基にしている場面が出てくる。

●マクラーンスラッシュ
マジック。
白の世界の勇者ウルが手にすることになる、『天弓マクラーン』。
氷の魔女ヘルの死により解放される。

本章の最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。


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第三十八章 希望の大灯台

 陸の項

 

 

 鋼葉の樹林は【虚無】に呑まれて消滅した。エンペラドールの活躍により被害は最小限に止められたが、解放された【虚無】はなおも広がりつづけ、世界を浸食していく。生き残った獣と機械たちは、徐々に迫ってくる【虚無】から少しでも遠くへ離れようと、移動をつづけていた。

 

 一行を導くのは、実質的に獣たちの長となった鎧装獣キマイロン、それにフィアラルとガラールである。キマイロンを補佐するオオヅチもまた他の者たちから慕われ、指導者としての頭角を現しつつあった。

 

 一行の中には三体のグリプドンの姿もあり、この三体がグリプドンの最後の生き残りだった。グリプドンは獣と機械の意思を繋げる役割を忠実に果たし、キマイロンとフィアラルたちは同じ目的地を目指して共に歩んでいた。

 

 上空にはフィアラルたちの乗っていた機械の船が一隻だけ残っていたが、獣たちすべてを搭乗させることはかなわず、今回の戦いで負傷した者や、今もなお環境の変化に苦しみつづけている獣たちを優先して収容していた。他の船も残っていれば、皆を乗せて目的地に直行できたかもしれないが、それらは絶望壁の要塞と共に虚無の軍勢によって破壊されてしまった。

 

「この世界のどこに向かおうと、ブリシンガメンの首飾りは現れるだろう……我々がそう造ってしまったのだから。だから一刻も早く対抗策を講じたうえで、ブリシンガメンの首飾りを奪還、あるいは破壊する必要がある。ロキの言うとおり、可能であればブリシンガメンの首飾りを取り戻し、世界再生の役に立たせるべきだが、それが無理なら早く破壊しなければ、悲劇は繰り返される」

 

 フィアラルの話によると、ここから離れた海岸の近くに機械たちの拠点があるらしい。そこで戦力を増強し、上空のブリシンガメンの首飾りに攻め込むというのが彼らの計画だった。

 

「ブリシンガメンの首飾りを攻めるのは良いが、【虚無】への対抗策は未だ何の目処も立っていない。このままでは広がった【虚無】に呑まれ、それこそこの世界のどこにも逃げ場はなくなってしまう」

 

 そう言うガラールは悔しそうな様子であった。無理もない、【虚無】に対抗できる明確な解答も見いだせないまま、ひたすら撤退しつづけているという現状は、彼にとって耐え難いことなのだ。フィアラルは黙って頷いていた。

 

 鋼葉の樹林の消滅は、そこの獣たちがよりどころを喪失したことを意味している。皆の憩いの場所、王や多くの戦士たちの墓場、護るべき拠点が失われた。代々受け継いできた樹林には獣たちの歴史があり、生き様がある。鎧装獣の誓いも、あの樹林の守護者となることであったのだ。

 

「私は鎧装獣の誓いと、その誇りは決して忘れさせぬ。樹林は失われたが、私とオオヅチ、それにスコールは生き残ったのだ。生き残った我らが、この世界を護るために戦い、散っていった戦士たちのことを後世に伝えねばならない。さすれば、我が誇り高き同士たち、偉大なる王ベア・ゲルミルの名は永遠に、この世界を生きる者たちの心の中で生きつづけるのだ」

 

 侵略者との戦いで全滅した南の戦士、虚無の軍勢によって滅ぼされたグリプドン、滅亡した各地の豪族や異変に耐えられなかった者たち、己の信念を貫き、滅んでいった者たちの遺志と共に【虚無】に真っ向から挑んだエンペラドール……。

 

 皆、生きつづけねばならない。その者たちを、次代を担う者らの心の中で生かしつづけることが、生き残った自分たちの最大の使命だ。

 

 

 

 移動を開始してから数日後、一行は海岸の側にある機人たちの大都市に到着した。

 

 都市には巨大な機械の像が聳え、それはこの都市を守護している巨神機トールを象徴しているのだという。像からはホログラムが現出し、都市を巨大な両腕で覆っている。この映像は質量を伴っており、トールの力を増幅させることで、外敵からのあらゆる攻撃を遮断しているのだという。

 

「これがトール……。やはり……あの時見た者と瓜二つ」

 

 一行の中にいるアルマ・ジールが、怯えの色を顕わにして呟いた。

 

 アルマ・ジールはかつて南の戦士たちと共に暮らしていた獣の一員であった。それが鋼葉の樹林に逃れてきたことで、樹林の住人となったのである。アルマ・ジールの話によると、眼前の都市を守護しているトールは、南の戦士を滅ぼした侵略者だという。

 

「そうか……グリプドンたちからも話を聞いてはいたが、やはり。……だが、もとより覚悟はしていたこと。恨みを捨て、彼らと協力することを考えよう」

 

 キマイロンはそう言ったが、王や同胞たち、それに自分自身が憎んだ相手に縋る他ないという現状に疑念を覚えた。それをすぐに振りはらい、オオヅチの語ったこと、自分がエンペラドールたちに言ったことを頭の中で反芻した。

 

 都市の機人たちは、避難してきた者たちを快く迎え入れた。重い質量を伴った空気が充満し、独特の光沢を放つ壁や歩道がきらきらと煌めいている。天空には機械たちの故郷の物である、ダイヤモンドの月がはっきりと現れていた。

 

 この世界本来の姿とは明らかに異質な物に満ちている都市。汚染されていたとはいえ、今まで樹林で暮らしていた獣たちにとって、この都市の環境は酷く不快なものであった。

 

「これほどまでに、あのダイヤモンドの月をはっきりと見たことはない……我らとお前たちとでは、住む世界が違うということを再確認させられたよ」

 

 一体のグリプドンがフィアラルに向かって言った。

 

「そうだな……。我らとてこの世界本来の環境は馴染めないものであり……ここに住んでいる機械の中には、この世界本来の環境に適応できない者も少なくない。この世界の自然の空気に触れているだけで、身体の装甲が劣化し、体内のコアが傷つく者までいる」

 

「無論、だからと言って侵略行為を正当化するつもりはないがな」

 

 ガラールがそう呟くと、グリプドンはしばらく考え込む様子を示し、やがてキマイロンたちと何事かを話し合った。

 

 獣たちを代表して、グリプドンの一体が、機人たちに向かって言う。

 

「我々は共存しなくてはならない。侵略行為に対する妥協というわけではないが……この世界の住人と機械たちで共に暮らせる世界を創っていこう。すべての世界を同じにする必要はない。住む場所は違えども、それぞれの領分を守りながら、力を合わせる時は合わせ、助けが必要な時はお互いに助け合う、新しい世界をこれから創るのだ」

 

 フィアラルとガラールは二人揃って、そう言うグリプドンの瞳を、まじまじと見つめていた。周囲を見回すと、他の獣たちも同じ考えであるらしい。街道に出てきて様子を見守っていた機人や動器たちの間からも賛同の声が響き、都市の冷たい金属質の壁に反響した。

 

「ありがとう、獣たち。我々は必ず、君たちの期待に応えて見せる」

 

「ああ。我らも古き慣習を一新し、対等な立場でこの世界を築き上げていこう」

 

 フィアラルとガラールは、獣たちとこうして心を通わせることができたことを、真に喜んでいた。この世界の住人を敵とみなし、支配するために戦いつづけていた頃では決して得られなかったものだ。

 

 聞くところによると、ドヴェルグ、スノパルド、スコールの三人はこの都市に立ちよったらしい。その後、機械たちの技術で【虚無】に対抗できる装甲を得た空魚たちと共に海へ向かい、待機していた船の一隻に乗って、歌姫たちのいる軌道母艦のもとへ向かったのだという。軌道母艦には叡智秘めし三姉妹、それに銀狐ハティもいる。

 

 仲間たちを機人の都市に残し、キマイロンとオオヅチとグリプドンたち、フィアラルとガラールは海岸沿いにある岬へと案内された。案内人は二体の神機ミョルニール。巨神機トール直属の神機である。

 

 岬には灯台が建設されつつあった。その建設に従事している者の中にはこの世界の獣や、地方に暮らす氷の姫君の姿まであった。

 

「あの灯台は浸食されたこの世界で、機械と獣の双方が暮らせる環境を創り出すために建造しているのです」

 

 片方のミョルニールが語った。彼の話によると、灯台の灯光がこの世界に浸透した機械たちの環境を、獣たちにとってより住み良いものにするらしい。

 

 ただ、それは変化したこの世界を受け入れたうえで、その延長線上においてこの世界の住人が暮らせる道を選出するという行為であり、かつての侵略行為の正当化を意味してはいないだろうか。キマイロンの脳裡にまたもやそういった疑念が浮上した。

 

 キマイロンと同じ思いを抱いたのであろう、グリプドンがミョルニールたちにそのことを言うと、ミョルニールは少し暗い面持ちで語った。

 

「この世界の本質そのものが、既に変質しているのです。もう元の世界に戻すことはできません。それに、元の世界で我々は生きてはいけない……。だからこそ、両者が生きられる環境を、変化した世界の上に築くことが我々に課せられた使命なのです」

 

 グリプドンたちは、不満を隠せなかった。突然現れた侵略者たちが世界を散々改変させた挙句、今になって元からこの世界に住んでいた者たちのために、この世界を侵略者たちの住める環境を維持したまま、獣たちの暮らせる世界に近づけていこうとすると言うのである。それは機械を中心にした考え方であり、この世界本来の住人をあまりにもないがしろにしてはいないだろうか。

 

 しかし、他に良い選択肢があるわけではない。彼らの言うとおり、この世界はもう後戻りのできないところまで来ているのだろう。それに今更機械たちがこの世界に住むことを非難することもできない。グリプドンたちは半ば諦念に近い感情で、変わり果てた世界を受け入れることに同意した。

 

 グリプドンから話を聞いたキマイロンとオオヅチも、結局は同じ考えに行き当たった。フィアラルとガラールは、ミョルニールの話しぶりに不安を感じたが、敢えて指摘はしなかった。

 

 

 

 ブリシンガメンの首飾りは確かに強力だが、難点といえば、充電に時間がかかることである。もっとも、加護を失いつつあるこの世界では、先のように【虚無】を解放させることで、ブリシンガメンの首飾りに頼らなくとも標的を殲滅することは可能になりつつあった。

 

(しかし、あまり【虚無】の力に頼っていると、儂らの破滅もそれだけ近づいてしまうのう……)

 

 ゲンドリルの危惧はそこにあった。元々【虚無】と隣り合わせで生きてきた自分たちは、【虚無】の力により無限の活力を得ている。しかし一歩間違えば、自分たちが【虚無】に呑まれて消滅してしまうため、常に己の死と隣り合わせで生きていると意識することを余儀なくされているのだ。

 

 未だ自我を持っている虚無の軍勢の一員は、そうした意識を誇りに思っていた。己を滅す【虚無】を常に意識し、ぎりぎりの境界線のところで留まっているからこそ、自分たちは強大な力を制御できる。この世界の住人たちとは、土台覚悟の強さが違うのだ。

 

 大気圏外に連なって浮かぶブリシンガメンの首飾りの間を、一つの影が横切った。常に周囲を注視しているゲンドリルがそれを見逃す筈がない。ゲンドリルは腰を下ろしていた鉄の塊から離れると、その影の前へ瞬時に移動した。

 

「何者じゃ、お主」

 

 ゲンドリルは平静さを装っていたが、自分に気づかれずにブリシンガメンの首飾りの側まできた者となると、只者ではない。ゲンドリルはいつでも相手を葬れるよう、杖を構えていた。

 

 その相手は地上にいる機械達の一員、神機グングニルと酷似していた。しかし、何かが違う。容姿だけではない、存在の本質的な何かが。

 

(我は味方だ、知将ゲンドリル)

 

 冥機の意思が空間を伝わった。

 

「儂はお主のような者など知らぬ。味方だと、信じられるとでも思っておるのか」

 

(信じる、信じないは勝手だが、我は汝らの神にとっても重宝され得る存在だと思うがな。それに、我は汝に良い情報を仕入れてきてやったのだ。聞いておかないと、後悔することになるぞ)

 

「情報じゃと」

 

 ゲンドリルは一瞬躊躇した。相手の力量を探っては見たが、おそらく大した力ではあるまい。相手の言うとおり、その身体からは【虚無】の力が感じられ、自分たちと同種の能力を備えているらしい。仮に相手が自分にとって都合の悪い存在だったとしても、周囲には自分の部下も無数に存在し、葬るのはとても容易いことだ。

 

「……良かろう、言ってみるが良い」

 

(聞いてくれて感謝する、知将殿。情報とは他でもない、不死の実、不死者のことだ)

 

 不死の実。それを聞いてゲンドリルは思わず身を乗り出していた。

 

(汝らも少しは知っているだろうが、放浪者ロロは世界樹の世界において、不死の実を口にした。【星創る者】の意志によってな)

 

「【星創る者】が介入しておるのか。……だが、我らが神は、そのようなことは申しておらぬ」

 

(偶然だったと思うのかな、一介の人間に過ぎないただの放浪者が、世界樹の世界における争いの種となっていた物を口にしたという事実が。あらゆる世界の者、汝らの故郷の者でさえ欲して止まなかった不死の実を喰い、不死者となったことが。あれは必然だっのだ、【星創る者】がそうなるよう放浪者を導いたのが真相だ)

 

「何故、【星創る者】が放浪者を不死者にする必要があったというのだ」

 

(【星創る者】がロロとなるため、ロロ自身が【星創る者】となるためだ。ロロは最初から不死の実を口にするためにあの世界へ向かったのだ。本人はそれと知らずにな)

 

「何だと……。ぬう、斯様なこと、信じ難い。仮にそれが事実だとしても、お主は儂に何を求めておる」

 

(我が求めることは、汝らの勝利だ。それと、汝が欲する物のもとへ汝を導くこと)

 

「儂が何を欲するというのか」

 

(不死者の力だ。青き大海に浮かぶ強豪共の国で、海帝竜騎ヴァン・ソロミューですら得ることのできなかった不死の能力。それさえあれば、汝だけではない、汝の神の威光はすべてに勝る絶対の物となるであろう)

 

「不死者の力が儂と我が神に……」

 

(放浪者ロロを捕らえ、その力を取り込めば良い。他の世界の者たちにはできなかったが、知将である汝ならばその術式を理解できよう。……我は放浪者ロロの居場所を常に特定しつづけることができる。今、ロロは歌姫たちと共に無限なる軌道母艦にいる。汝らが見逃すことのなきよう、我が導いてやろう)

 

 冥機の身体がふわりとゲンドリルの傍から離れた。ゲンドリルは咄嗟に杖を突き出し、相手に狙いを定めていたが、冥機からは攻撃を仕掛けてくる気配はない。

 

「……だが、儂は神からこの世界の各地にいる残存戦力の殲滅を命じられておる。勝手に持ち場を離れるわけにはいかぬ」

 

(わからぬか。我の意志は汝らの神の意志であると知れ)

 

 冥機の双眼がかっと開き、ゲンドリルの中枢を突いた。ゲンドリルは思わず中空でたじろぐような仕草をしたが、すぐに持ち直した。

 

「おお……これは……正しく我が神」

 

 ゲンドリルはひれ伏し、神の指示を待った。冥機は不気味に発光しながらブリシンガメンの首飾りの先頭部へと飛んでいき、遥か彼方の空へ、腕を向けた。

 

(さあ、この先だ。ゲンドリル。軌道母艦を沈め、ロロの身柄を拿捕するのだ)

 

 ゲンドリルは冥機の指示に従い、冥機の指し示す方角へ進路を取り、軍勢を進ませた。ゲンドリルは冥機の真意が白の神と同じであると、もはや信じて疑わなかった。

 

 

 

 この世界の住人と機械が協力し、遂にその灯台は完成した。二つの世界の住人が共存し、共に【虚無】と戦い、新たな時代を築いていくという希望の象徴。地面から逆さに突き出した氷柱の如き形状の希望の大灯台は、灯光を世界に向けて解放していた。

 

「キマイロン殿、遂にこの時が来ましたね……」

 

 オオヅチが感慨深そうに呟いた。

 

「ああ、この灯火がこの世界の同胞たちと機械たちの希望の象徴。今この地で、我々が共存し、共に未来を築いていくという誓いが証明されたのだ」

 

 キマイロンはこれまでの自分の生涯を、走馬灯のように思い起こしていた。

 

 過ぎ去った日々はもう帰ってこないが、それらはただ消えていったのではない。これから築く未来の礎として、我々が数多の世代を繰り返しながら生きつづけるのと共に、生きているのだ。

 

「オオヅチよ、それに今は遠い地にいるスコール。今一度、鎧装獣の誓いを示そう。我らは己の身体を完全に制御できなくなるその日まで、戦いつづける。生きとし生けるものすべてを護るために」

 

 キマイロンの述べた表明に、オオヅチは己の誇りを籠めて宣誓した。

 

 希望の大灯台は、この世界本来の住人と機械、双方の世界を築くという決意の表明。そして、【虚無】との戦いに勝利し、生きる者のための未来を切り開く、希望の象徴であった。

 

 灯光は遠い海の向こうまで届き、やがて多くの仲間を集めることになる。のちに【虚無】との決戦において、それが果たした役割はとても大きなものであった。

 

 

 (陸の項 了)




関連カード

●希望の大灯台
名所千選562。
侵略者のもたらした浸食を受け入れた白の世界の象徴。
虚無に勝った後はどうするつもりなのだろうか、とロロは疑問に思っている。


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第三十九章 獣機合神

 ―承前―

 

 

 火山を中心に熱の塊が膨張し、爆裂した。

 

 熱の爆発は連鎖的に起こって広がり、鎧蛇の島を包みこみ、周辺の海を覆っていく。海面が干上がり、蒸発した水分は天へと舞い上がった。

 

 鎧蛇の島が消滅したあとには、地下に蓄積されたナノウィルスによって形成されたと思しき、白骨のような陸地が現れた。

 

 穿たれた部分を補おうと周辺の海水がそこへ流れ込んだが、ナノウィルスにより汚染された半ばゼリー状の海の動きはひどくゆっくりに見えた。

 

 暴走した巨獣軍団の核爆発により、光雨が降る地域がまた一つ失われた。

 

 ギガ・テリウムの敗北で戦意を失ったかに見えた巨獣軍団であったが、既に冥機の植え込んだ災厄の種を取り除くには遅すぎた。生き残った獣と機械たちは彼らに対して共にこの地を去ろうと進言したが、巨獣たちはギガ・テリウムのあとを追うと言い残し、鎧蛇の島に留まった。

 

 どの道、巨獣たちを助けていては他の者たちが逃げる時間もなかったかもしれない。その結果、かつてヘルに利用されてきた巨獣軍団すべてが鎧蛇の島で命を終えたのである。

 

 極甲王グラン・トルタスと海戦機ゼーロイヴァーが率いる一行は、何とか爆発から逃れることができた。グラン・トルタスたちは上空の機械の艦隊に別れを告げ、鎧蛇の島の跡地を離れていった。彼らは海をさ迷い、新天地を探すことになるだろう。

 

 それまでグラン・トルタスに護られてきた者には空母鯨モビルフロウと共に生きていた者たちもいたが、その中には機械の艦隊についてくる者もいた。それぞれの意思で機械と協力して、【虚無】に立ち向かおうと決心したのである。

 

 機械の艦隊と共に空を飛ぶ者の中に、あの白鳥の姿もあった。白鳥は虚龍との戦いや、自分を救ってくれた騎士のことを鮮明に覚えていた。

 

 白鳥の内には、かつてロロが神の視点を得ていた時に見抜いた力が徐々に芽生え始めており、白鳥自身、自分には成し遂げねばならないことがあると自覚している。ただ、それが何であるのかはわからなかった。

 

 

 機人の項

 

 

 ガグンラーズは最期まで騎士として戦い、騎士として散った。あれほど己の役割を自覚し、それに忠実に生きた者をかつて見たことがあるだろうか。そう考え、セイはマルコのことを思い浮かべた。

 

 マルコとガグンラーズでは役割や目指していることはまるっきり違う。ただ、最期まで己の意志を曲げることなく、それに殉じた点に関しては同じだ。何れも何ものにも劣らない強い意志を持っていた。

 

(それに、ディース。あの道化の昔のことは知らないが、彼女もまたマルコやガグンラーズと同じだ。使命を全うするためだけに生きていた……)

 

 それに対して自分はどうだろう。マルコを始めとする同胞たちの仇を討つために戦おうとしたが、本来憎むべき相手ではないミストやガグンラーズを襲った。仇ではないことを知ったあともミストたちを憎もうとしていたが、あれは己の力の無さを認めたくなかったからに他ならない。

 

(俺は【虚無】の奴らに歯が立たなかった。心の底から怖れていたのだ、あいつらを。だから、憎しみを侵略者に向けることで、心の均整をとろうとしていた。結局は仲間のためではない、自分のためだけの憎しみだったのだ)

 

 セイはゲンドリルの放った騎士たちとの戦いを思い起こした。あの時、ガグンラーズがいてくれなければ、自分は抵抗することもできずに命を落としていただろう。そしてそのガグンラーズに対して何度も挑んだこと。いつもミストが止めに入ったことで自分は救われた。

 

 セイは隣室にあるガグンラーズの亡骸を思った。そこにはミストたちワルキューレ三姉妹がおり、ガグンラーズを彼女たちなりのやり方で弔っているのだろう。

 

「俺がガグンラーズに勝てなかったのは当然だ。ガグンラーズは俺の親友マルコと並ぶ気高い心の持ち主だったのだ。俺とはあまりにも志の強さが違い過ぎる。未だに【虚無】への恐怖心に捕らわれている俺では、所詮足元にも及ばない……」

 

 セイの内部で諦念の感情が起こったが、同時にそれを非難する意思も顕わになっていった。ガグンラーズは命を落とした。ならば誰かがその遺志を継ぎ、ガグンラーズが護った者たちを護り抜き、【虚無】と戦わなければならない。ガグンラーズが第一に護っていた者は他でもないミストだが、ミストは俺にとっても恩あるべき存在ではないか。

 

(そのとおりだよ、セイ)

 

 言葉は直接セイの脳裡を突いた。セイの部屋の壁に備えられているディスプレイが明滅し、何やら白い人型の影のようなものが映し出された。

 

「話には聞いていたが……お前がロキか」

 

(ご名答。僕は現在この無限なる軌道母艦を統轄しているロキさ)

 

 セイは黙ってディスプレイに映し出された画像を見すえていた。先ほどまで移っていた人型の影らしきものは消え、ディスプレイにはセイにとって意味不明な数式やグラフが羅列され始めた。

 

(君は自分のことを無力だと思っているようだけど、とんでもない。君の持っている潜在能力は、この船にいる者たちの中でも一位二位を争うほどのものなんだ)

 

「……俺にそれほど力があるというのか。信じられないな」

 

(何しろあのブリシンガメンの首飾りの直撃を受けて生き延びたんだからね。さらには、君はもはや一個の生命体ではない。主導権は君自身の意思が握っているけど、君は君と共闘した獣や、敵だった機械たちと融合した存在)

 

「融合……。確かに、俺はあの閃光と熱風の中にいたことをおぼろげながらに憶えているが……あれの直撃を受けて生きていられる筈はない」

 

(元々ブリシンガメンの首飾りは、ただ破壊するためだけに造られたわけじゃない。万物を一旦分解してから再構築し、変革された世界を生み出すためのものだったんだ。言わば、この世界を侵していたナノウィルスの原型と呼ぶべきものかな。虚無の軍勢はそれを単なる兵器として利用しているけど、何らかの作用が起こり、君が誕生した。これは一見単なる偶然のようにも見えるけど、僕は必然だったと確信している。【星創る者】が関与していると、ね)

 

「【星創る者】か。俺もその名を聞いたことはあるが……」

 

(それよりも、君はガグンラーズの遺志を継ぎたいと思っている筈)

 

「…………」

 

 セイはロキのディスプレイを見つめた。自分の心の内を把握しているこの対話者は自分に明確な役割を与えようと導いている。実体の見えないロキの言動の上で転がされている現状が多少癪ではあったが、ロキの言っていることは自分の望みでもあるのだから、逆らう理由などなかった。

 

「そうだ。俺はそう願っている。お前なら俺の内に眠る潜在能力とやらを目覚めさせられるのだろう、ロキよ。ヘルやミッドガルズ、さらにはフェンリルに力を与えたお前なら可能な筈だ」

 

 自分はミストに甘えていた。【虚無】ではなく彼女やガグンラーズに怒りを向ければ、ガグンラーズが本気で自分の命を奪おうとしたとしても、ミストは自分を助けて赦してくれる。心のどこかでそう考えていたから、自分は【虚無】よりも侵略者に憎しみを向けていられたのだ。

 

(恩には報いなければいけないからな……いや、それだけではない。俺はガグンラーズのようになりたかったのだ)

 

(君のその言葉を待っていたよ、セイ。君自身が進んで協力してくれなければ、僕には何もできないからね)

 

 背後でかたりと音がした。セイがそちらを向くと、ロキの端末であるベビー・ロキが笑みを浮かべたままセイに目配せをし、背を向けた。

 

(ついて来い、というのか)

 

 セイはベビー・ロキのあとを追い、部屋を出た。

 

 

 

 ワルキューレ三姉妹はガグンラーズの死を悼み、機械たちなりの手段でガグンラーズの遺体を弔おうとしていた。

 

 ガグンラーズの継ぎ接ぎされたコアは完全に生命力を失っている。身体を解体したあとはこの世界の外気に内面が触れて溶けてしまう前に粉々にし、故郷のダイヤモンドの月のもとへ送り返す。

 

 ガグンラーズの母であるクイーンとヒルドは先の戦いの損傷が未だに残っており、まだしばらくは安静にしているようミストは訴えたが、ガグンラーズをいつまでもこのままにしておくのが余りにも惨めであったため、そのままガグンラーズの解体作業に取り掛かっていた。

 

 ミストの傍にいるウリボーグがか細い鳴き声を上げ、ミストの尾びれをつついた。ミストはウリボーグに声をかけ、ウリボーグが何かを指し示していることを知ると、そちらを見やった。

 

 冷たい銀色の床の上に、何時からそこにいたのであろうか、ベビー・ロキが鎮座していた。セイを導いているベビー・ロキとは別の個体である。

 

「ロキ」

 

 ミストが声をもらすと、クイーンとヒルドがはっとなってベビー・ロキの方へ振り向いた。他の多くの機械の例にもれず、ロキの存在をあまり快く思っていないクイーンとヒルドは一瞬顔をしかめたが、すぐにロキに向かって何の用で来たのかを問いただした。

 

 ロキが答える。

 

「ガグンラーズの解体だけど、それは待ってもらえないかな。まだガグンラーズには役目が残っているんだ」

 

「ロキ、ガグンラーズは私たちの大事な息子よ。あなたにガグンラーズの弔いを邪魔立てする権利などない」

 

 クイーンが反感も顕わにベビー・ロキを睨む。ヒルドもまた同様であった。ミストは少し困惑して両者を見やった。

 

「ガグンラーズのコアは確かに力尽きた。でも、その魂までもが完全に消え去ったわけではない。僕たち機械の魂というものは、生前の身体と強く結びついていてね。まあ、だから弔う時には解体して早く魂を解放させてやるんだけど……ガグンラーズの魂はそれを引き継ぐ者のために、まだ必要なんだよ」

 

「あなたの言っていることはわからないわ。ダイヤモンドの月から与えられた生命は、ダイヤモンドの月に還すのが慣わしの筈でしょう。ガグンラーズに必要なのは、安息よ」

 

 クイーンはそう言うと、ガグンラーズの亡骸の頭部を慈しむようにさすってやった。

 

 クイーンはミストと反目する必要がなくなった今、当初の目的を全うすることが必ずしも必要ではなくなったガグンラーズがこうして役目を終え、魂の安息を得ることに対して諦念に近い感情を抱いていた。別離は辛いがガグンラーズはもう十分に役目を果たしている。あとは戦いのない安らかな世界へ旅立つべきなのだ。

 

 しかし、ロキはそれを否定する。

 

「ガグンラーズが安息を得るのはまだ早い。さらにつけ加えておくと、今ガグンラーズをダイヤモンドの月に送り返したところで、ガグンラーズの魂が安息を得るのはほんの一時。【虚無】がすべての魂を喰らい尽くすまでの短い間に過ぎない。何よりも、まだ為せることがあるというのにその可能性を断たれるなど、ガグンラーズ自身が望んでいなかった」

 

 

「知った風な口を」

 

 クイーンが怒気を顕わにベビー・ロキへ詰め寄ったが、相変わらず落ち着いているロキの言葉が返ってきた。

 

「君とヒルドは、安息を得ることができずにいた動器たちの残骸をかき集め、ガグンラーズを造り出したね。ダイヤモンドの月に召される筈だった魂を死後の世界から遠ざけ、現世に留めておきながら、自分たちの手がかかっているガグンラーズに限っては早く安らかに眠らせたい、と」

 

「う……それは」

 

 クイーンは口ごもった。ロキの言うとおり、ガグンラーズに対しては他の同胞に対するもの以上の想いがある。早くガグンラーズを弔いたいというのは、力尽きる寸前であったコアと装甲をかき集め、無理やり現世に引きとめたという後ろめたい感情があってのことであり、ガグンラーズが愛しい息子であるからこそそれが際立っているのである。

 

「僕にそれを咎める気はないよ。ただ、少しはガグンラーズ本人の遺志も考えてやってもらいたい」

 

「ガグンラーズの……遺志」

 

「ガグンラーズは君たちに与えられたミストを護る騎士としての使命、それを誇りに思っていた。ミストと出会い、共に旅をするうちにそれはより確固としたものになったんだ。【虚無】という脅威と遭遇したことで、最後までミストを護りとおし――ミストだけではない、母である君たちも含まれているけどね――その役目を終えるまでは決してダイヤモンドの月のもとには帰らないと誓っていたんだ。それが志半ばで倒れてしまった」

 

「そう、ガグンラーズは自らの意志で姉さんたちを護ろうとしました。ガグンラーズは私に懇願した。クイーン姉さんを傷つけた者と戦うよう命令してくれ、と。ガグンラーズは私を護る使命を全うしてくれたけど、本心から姉さんたちを慕う、強い意志の力があったわ。ロキの言うとおり……」

 

 ミストがそう言うと、クイーンは自分が目の当たりにしたその光景を思い起こし、うつむいた。クイーンもガグンラーズの言葉を聞いている。それが最後に聞いた再会したガグンラーズの言葉であったのだ。

 

「ガグンラーズが本当に望んでいたのなら、私は止めないわ」

 

 クイーンははっと頭をあげ、ヒルドの顔を覗きこんだ。ガグンラーズにとってもう一人の母であるヒルドの眼光には揺らぐことなき決意が籠められていた。

 

「私たちは消えゆく魂を無理やり生き返らせてまで、ミストを護る騎士に仕立て上げた。だから、今度はガグンラーズの本当の望みを叶えてあげるべきじゃないかしら」

 

「本当の望み……。でも、それが真実だとしても私たちが彼に課した重荷からでた感情かもしれないのよ」

 

「ガグンラーズは再び生きる目的を与えてくれた君たちに感謝していたよ。僕が保障する」

 

 ロキの言葉に、ヒルドは頷いた。クイーンはまるで救いを求めるかのようにミストの方を見やったが、ミストもまたロキの言うとおりにした方が良いと思っていることを見抜いた。

 

 ミストもガグンラーズがこのままいなくなるのは望んでいない。無論、ガグンラーズという個人はもうこの世にいないが、ガグンラーズという存在の一部でも良いから、ずっと傍にいるのを感じていたい。これはミスト自身の望みであり、ガグンラーズを引き留める理由にはならないことを自覚していたが、少なくともロキの言葉に従いたいという意志には一役買っていた。

 

「わかったわ、ロキ。もう一度、ガグンラーズに力を与えてやって。ガグンラーズの遺志を引き継ぐ、新しい戦士と共にあるために……」

 

 クイーンは半ば諦念のような感情を覚えていた。

 

 

 

(感じる。俺の内に渦巻く多くの魂の声が)

 

 ロキが操作する機械に埋め尽くされた白い部屋の中で、セイは眠りにつきながら何度も己の意識の中で無数の邂逅を体験していた。甦るのは、苦楽をともにしてきた仲間たちの記憶。生きた証。

 

 仲間たち一人一人の誕生の瞬間から、あのゼンマイ平原での最期の戦いまで、数多の生涯がセイの中で繰り返された。

 

 その中には封印獣マルコの一生もあり、セイは巨獣軍団の中に見たマルコの声の真相を確かめようと必死に呼びかけたが、マルコは最期まで答えなかった。

 

 セイは仲間たちの他に、敵として戦った機械たちの生涯も経験した。ブリシンガメンの首飾りが放たれるあの瞬間に対峙していた機械たちの記憶。セイはこれまで憎みつづけてきた相手の内面を知った。

 

 不意に、また別の機械たちの意思がセイの中に入り込んできた。与えられた任務を忠実に果たすことだけを使命としている動器たち。やがてその動器たちの意識が収束していき、一体の騎士の意識へと集約された。紛れもない、銀狼皇ガグンラーズであった。

 

 

 

 光雨を求め、天空を飛行する艦隊の大軍勢。その中で一際目立つ無限なる軌道母艦から、一体の人型の機械が飛び出した。

 

 その機械は獣としての原型をほとんど留めてはいなかったが、腕と背中に装着されたドリルが回転し風を切るさまは、あの獣機セイ・ドリルを思わせた。

 

 重装甲の巨大な体躯からは整然とした機械の力と同時に、野を生き、風と共に駆ける獣の荒々しくも逞しいオーラ、それらを統轄する、本来セイが生きていた大海を思わせる広大な内包力。機械でも獣でもない、全く新しい存在。

 

「俺の名は獣機合神セイ・ドリガン。共に戦った獣たち、機械、それにガグンラーズよ。お前たちの魂は転生し、この世界に召喚された。俺たちが共に戦い、これから築きあげていく新しい世界に。誓おう、俺は必ずやお前たちの意志を、生きた証をこの世界に示す」

 

 獣機合神セイ・ドリガンは生まれ変わった己の同志と共に世界の空を感じた。空は透き通っており、汚染された世界ばかりを見てきたセイ・ドリガンの心は洗われるようであった。

 

 飛行するセイ・ドリガンの雄姿を見つめる一羽の白鳥の姿があった。白鳥は、セイ・ドリガンの姿に、鯨と魂を一体化させて白き虚龍に挑んだ鋼翼魚を垣間見た。

 

 同じ力を感じる――白鳥はそう思った。




関連カード

●獣機合神セイ・ドリガン
機獣・武装。
フレーバーテキストは白の章第10節。
侵略者と歌姫が手を組んだ象徴と呼ばれる。
おそらく、獣機セイ・ドリルに関連する。


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第四十章 星のスピリット

 歌の項

 

 

 付き人に守られた歌姫が、得体の知れない機械の船の中にいる。

 窓外の空中にダイヤを埋め込んだ輝くイカが無数に漂っている。

 アンバランスな対比。奇妙に感じるかもしれないが、

 それは不思議と似合っていた。

 これから決戦の地に赴くのだということを忘れさせてしまうほどに。

 ―放浪者ロロ『異界見聞録』白の章第10節より―

 

 

 虚無の軍勢が迫っている。それは白鳥にも感じられた。

 

 周囲には穏やかな空気に満たされた夜空が広がっており、平穏につつまれていたが、徐々に接近しつつある災厄の兆候は生きる者の安息を蝕みつつある。

 

 先ほどまで共に飛んでいた獣機合神は軌道母艦から信号を受け、艦内へと戻っていった。獣機合神セイ・ドリガンは生まれ変わった己と己の同胞にこの世界を感じさせようと、護るべき空をその身に体感していたのであるが、迫りくる危機に備えさせるために、軌道母艦のロキに呼びもどされたのである。白鳥の知らないことであったが、言い知れぬ不安はその危機を把握させていた。

 

 もうすぐ決戦が始まる――果たして自分や仲間たちは生き残ることができるのだろうか。あの虚龍一体だけで自分の同胞たちは全滅寸前に追いやられたのだ。それとは比べものにならないほどの大軍勢が攻め寄せてくる。望みなど万に一つもないのかもしれない。

 

 怖い。

 

 湖で暮らしていた時、鯨と共に当てのない旅路をつづけていた時。今まで見てきた同胞の死。それをもたらした侵略者たちが現在は仲間という事実。

 

 仲間たちの命を奪った侵略者に対する恐怖は未だ消えておらず、その侵略者たちですら自分たちと協力せざるを得ない状況に追いやった虚無の軍勢の存在。その何れをも超越する、幾度となく垣間見た【虚無】――。

 

 白鳥はある者の姿を思い浮かべた。自分に勇気を与えてくれた、穏やかな燐光をまとった鱗を持つ、トビウオ。

 

 あの光る鱗の魚は、侵略者との戦いで命を落とした。しかしその志は自分の中で生きつづけている。白鳥はそう自負していた。あるいはそう思わなければ、眼前の現実から逃げることしかできなかったかつての自分に戻るかもしれないと怖れていたのかもしれない。

 

 今、白鳥は飛んでいる。自分自身の翼で羽ばたいている。あの魚に教えられた志と一緒に空に生きている。例えどのような障害が立ちはだかろうとこの心だけは変えてはならない。自分は飛ぶのだ。最後まで自分が愛したこの世界で生きるために。

 

 前方に一つの光の点が現れた。闇の中で微かに明滅している。

 

 一瞬、白鳥はそれを夜空の星と思ったが、どうも様子が違う。青白い光は中空を泳ぐようにして旋回しながら、徐々にこちらに近づいてくる。軌道母艦もそれに気がついたのか、そちらへ進路を取った。二つの思惑が空中の一点に向かって接近している。白鳥はそう考えた。

 

 光は白鳥の方を見ていた。そして、すうっと白鳥の傍へ近づき、白鳥の身体に触れた。

 

 白鳥は無数の細長いもので全身をさすられているのを感じた。間もなくその正体がわかった。

 

 青白い光を放つ宝石の周りに透き通った白い生き物の姿が浮き上がっていく。銀色の双眼の光がぽうっと灯った。その生き物は無数に生やした、紫色の斑点のある透明な触手で白鳥をまさぐっている。白鳥は不思議と恐怖を感じなかった。何故か親しみを感じる。

 

 あなただ。あなたを待っていました。

 

 その白い透き通った身体を持つ生き物――ダイヤを核とするイカが言った。

 

 白鳥はイカに対して己の疑問を投げかけた。イカは頭部の両側をはたはたと風になびかせながら答えた。

 

 あなたは星の者。私はあなたに星の魂を伝える使命を帯びて今日まで生きてきたのです。あなたにこの星の輝きをお渡しします。ついてきて下さい、星たちのもとへ。

 

 イカが空中で翻り、白鳥から遠ざかっていった。白鳥は急いであとを追う。白鳥の意思が通じたのかは定かでないが、軌道母艦が白鳥と共にイカを追い、機械の艦隊がそれにつづいた。

 

 前方に散りばめられた星の明りが映る。空に流れる川のようにたゆたい、接近する白鳥を迎え入れる。

 

 星の一つ一つが輝くダイヤであり、そのダイヤをコアにしている透き通った身体のイカが前方を埋め尽くしている。その星の命は侵しがたい清浄なる輝きに満ちていた。

 

 白鳥が突入すると同時に、機械の艦隊は星の川に入り込んだ。

 

 大小さまざまな輝き。白鳥は安堵の感情を覚えていた。自分が生まれる前、ここにいた気がする。白鳥にはわからなかったが、それは胎児が母親の胎内にいる時の感覚と似ていた。

 

 あなたは【星創る者】によって選ばれたのです。夜空を彩る星の輝きの一員として。

 

 白鳥を案内してきたイカが静止したかと思うと、白鳥を天の川の上方へと招いた。白鳥は無意識のうちに翼を羽ばたかせ、そちらへ向かう。天の川に入り込んだ機械の船の動きは非常に緩慢な動きとなり、時の流れそのものが抑え込まれているようであった。

 

 白鳥は軌道母艦が後方に取り残されていることに気がついたが、後戻りをする気にはなれなかった。自分はこの先へ向かわなければならないのだ。怖くはない。生きるために進むのだ。

 

 やがて白鳥の目前に濃い青色の魚のような姿をした生き物が姿を現した。身体の数か所に宝石を埋め込んだイルカの姿――。

 

 星は生きている。でも、この世界でその命を伝えるのは並大抵のことではない。この世界は変革を恐れているのだから。永遠に変化することのない【虚無】を望むのもまた、仕方のないことなのかもしれない。

 

 いや、自分はこうして生きている。自分もまた一つの星。【星創る者】が創造した星はこの世界に必要とされて生れてきたのだ。

 

 本当に我々は必要とされているのだろうか。君も私も、このまま【虚無】に呑まれてしまえば、もう苦悩することもなくなる。もし星が創られつづけるなら、これから未来永劫終わりなき戦いが繰り返される。君はその戦いを望むのかい。

 

 戦いは望まない。でも必要とあらば戦う。あるいは生きることそれ即ち戦いかもしれないけど、生きる、ということにはもっと別の……何か目的があると思う。確かにこうして前に進むのは生きるため。でも何故生きるのかというと、誰も戦うために戦うのではないように、生きるために生きる、というのも違う。生きる、というのはその目的を探すことなんだと思う。戦いが何かを果たすために戦うのと同じように。

 

 それじゃあ、その目的について当てがあるのかい。当てもなくただ生きているだけではないのかな。

 

 当てはまだない。だけど、自分はこれからも生きていたい。そう望むからには理由がある筈なんだ。何故生れたのか。何故生きるのか。永遠に答えなんて出ないかもしれないけど、それを諦めて【虚無】に呑まれる道を選ぶなんて、自分は嫌だ。

 

 そうか。それなら君も星の一員として認めよう。君の言うとおり、星はこの世界に必要とされて生まれてきた。この世界において星の力は微々たるものだけど、遥か未来において、その力は全世界を司るほどのものになる。……でも、その星が新たな戦いに利用される未来もくる。最後に確認しておくよ。君はそんな未来がくるとわかっていても、星の一員になるのかい。

 

 なる。今を生きるために。そして、その意味を探求するために。

 

 星を宿したイルカの全身が発光し、夜空が一瞬白色に染まった。周囲からイルカが無数に集まってきて、新しい同志が間もなく誕生するのを祝っているようだ。

 

 あなたに託します。私が護ってきた、あなたのための星の魂を。

 

 イカが白鳥に取りつき、内に秘められた星の輝きを解放した。

 

 

 

(これが星の魂というものなのか……。変だな、僕には無縁なものである筈なのに、魂なんて)

 

 ロキは困惑していた。そして、その感情を覚えている自分に気がつき、さらに得体の知れないものを見るように自分という存在を眺めた。

 

(そもそも僕は【星創る者】が名づけた【スピリット】という生き物ではない。先代の【勇者】がのちの戦いに備えて造り出したものだ)

 

 ロキは、自分が為そうと思うことを為すことが自分の使命であると自覚していた。それこそが即ち自分に設定されたプログラムであり、自分は予め決められていることを忠実になぞるだけの機械に過ぎない。

 

 自己の感情というものは認識しているが、その感情も予定調和の副産物であり、結局はある種の錯覚のようなもので自由意思は存在しない。そう考えていた。

 

(しかし、魂は変化しつづけるもの。最初からわかっている目的を目指し、忠実になぞっていくだけの存在ではない。それが僕の導きだした結論だ。その魂を内に感じる)

 

 ロキという存在には、確かに星の魂が宿っていた。軌道母艦の前方にいる白鳥がそうであるように。

 

 ただ、白鳥が宿す魂と比べて、ロキの内に現出したそれは、力強く、逞しい。白鳥が星の魂を生み出し、不安定な世界の創造に携わる存在であるならば、自分は世界を歪みから護り、綻びを紡いで万物に明確な形を与え、維持する存在。

 

(紛れもない、やはり僕は魂を持っている。これも予定されていたことなのかい、天戒機神グロリアス・ソリュート……)

 

 

 

 軌道母艦が星の川を抜け出し、程なくして機械の艦隊が追いついた。前方にはイルカやイカたちに別れを告げた白鳥の姿がある。白鳥は姿こそ変わっていないが、内に秘めし星の輝きには威厳すら漂っているほどであった。

 

 白鳥とは別に天空を舞う生き物の姿がある。それはディースの歌声によって生まれた蜻蛉、トンビュールである。その節足には天弓マクラーンが支えられている。天弓マクラーンは新たな光雨こそ得られなかったが、星の川の中を通過しているうちに、眩い輝きを放っていた。

 

(ありがとう、星の子たち。あなたたちが今まで護り抜いてきた星の輝き、それが天弓に新しい力を与えてくれました。かつて、この世界が危機に陥った際、天戒機神グロリアス・ソリュートを始めとする選ばれし英雄たちとこのマクラーンによって、世界は救われました。でも、【虚無】そのものを完全に抑え込むことは叶わなかった。そして今、【虚無】はあの時とは比べものにならないほどの脅威となり、私たちの前に立ちはだかったのです。……従来と同じ力では、【虚無】には勝てません。だから、新しく生れた星の輝き、これから変化していく魂。それがこの戦いにおける切り札となるのです)

 

 成長しないものはやがて腐っていき、【虚無】に堕ちる。それ故、新しい力でこの世界に活を入れてやらなければならないのだ。

 

 

 

 白鳥は力強く羽ばたき、前へと進んだ。

 

 その目的地は定かでないが、軌道母艦は白鳥を先導役として前進する。未来に輝く、星を目指して。




関連カード

●ランプスキッド
空魚。
フレーバーテキストは白の章第10節。

本章の冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
清浄なる天の川を形成する群れとして登場。

●ドルフィング
空魚・星魂。
星座編に登場する、イルカ座のスピリット。
「情報戦の最先端を行くのは紛れもなく彼ら」と称される。

本章に出てきたイルカはこのスピリットがモチーフ。
まだロロの想いによって星座が創られる以前であるため、星座編のドルフィングそのものというわけではない。
また、背景世界の時系列では星座編よりも覇王編が先となる。
なお、清浄なる天の川のフレーバーテキストは覇王編よりも前の時代となるが、イラストではドルフィングが描かれている。

●魔星機神ロキ
星将・武装。
アルティメットバトルにおいて星のスピリットとして登場し、アルティメットの攻撃を跳ね返している。

本章における一場面はこのスピリットの示唆。



●清浄なる天の川
名所千選600。
発光するスピリットの群れによって形成される天の川。
ロロはここを歌姫たちと共に「空中をゆく船」で突っ切ったという。
イラストでは、ドルフィングが天の川の上を泳いでいる。
ランプスキッドのフレーバーテキスト、もしくはそれと近い時期の場面と思われる。
カードにおいては、空魚と星魂を補助する効果を持つ。

自分の小説では、発光するランプスキッドの群れという解釈。


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第四十一章 襲撃

 三姉妹の項

 

 

 ウル・ディーネがロキに呼び出され、急いでベル・ダンディアのもとへ向かってから大分時間が過ぎた。先ほど星の輝きを宿したスピリットの群れでできている天の川を通過し、抜け出てきたところだ。ウル・ディーネからは未だに何の音沙汰もなく、ハティの不安感は増すばかりであった。

 

(スクルディア様……)

 

 ハティは傍らのスクルディアの横顔を見やった。スクルディアは、整然と整えられたこの部屋にある、強化ガラスの窓から遠ざかっていく天の川を見つめていた。その風貌からは感情が欠落して見えた。

 

(スクルディア様は相当苦しんでいる筈なんだ。なのに、その感情を僕に見せてはくれない。前はもっと喜怒哀楽のはっきりした人だったのに)

 

 ウル・ディーネがスクルディアの感情を封じ込めた際、後遺症のようなものが残っているのでは、と疑っても見た。だが、ウル・ディーネの尊厳を傷つけることなど考えたくもなかったし、よくよく考えてみると自分にとって一番都合の悪いことから眼を背けているのではないかということに思い当った。

 

 もしかしたら、スクルディア様はもう自分のことを頼りにしていないのでは……。

 

(確かにいつも僕は不甲斐ないところばかりを見せてしまった。今も姉のベル・ダンディア様が危険な状態だというのに、僕は力になることもできずにここで、ただこうしている。でも……でも、もっと僕に自分の想いを打ち明けてくれてもいいじゃないか……。一人で苦難しているスクルディア様を黙って見ているなんて、僕だってつらい)

 

 しかし、ハティにはスクルディアに声をかける勇気はない。どう接すれば良いのか、これまで何度も宥めてきたというのに見当もつかなかった。ロキに呼び出されたウル・ディーネの表情には非常に切迫するものがあった。もしかすると、最悪の事態もあり得るかもしれない。

 

 そこまで考えたところで、スクルディアがさっとハティの方を振り向いた。ハティは思わず目を丸くする。

 

 スクルディアの表情には、ハティを非難するような様子が見受けられた。気まずくなったハティはスクルディアから目を背け、俯いた。心の中でスクルディアに対して謝った。

 

 無機的な高音が鳴り響き、ハティは咄嗟に顔を上げた。艦内に非常警報が伝わり、慌ただしく走りまわる機械たちの音が聞こえてきた。

 

 軌道母艦が方向転換し、速度をあげた。その際、ハティは窓から外の様子を見て、愕然とした。

 

 一隻……いや、二隻の機械の船が煙をあげながら墜落していく。その船には前の戦闘でも見た盾竜がびっしりと張りついていた。

 

 遥か遠方から、更なる盾竜の群れが視界を埋め尽くす勢いで迫ってくる。その群れから突出した何体かの盾竜が全身を弾丸のように丸め、高速で突っ込んできた。

 

「ハティ」

 

 スクルディアが呟いた。見ると、その瞳はとても悲しい色をしていた。ようやく見ることのできた、スクルディアの感情の変化。だがこれは自分が望んでいたものとはかけ離れている。ハティはスクルディアの笑顔が見たかったのだ。

 

「スクルディア様」

 

 ハティも一言そう呟き、スクルディアを護るように暖かい獣毛で包んだ。この船が落とされたら何もかも終わる――でも、自分は最後までスクルディア様を護り抜く。こんなところでこのお方の未来が奪われるなんて、絶対にさせない。

 

 ハティは己の決意を、世界を破壊する敵に対する怒りに変え、外の盾竜たちを睨んだ。

 

 

 

 敵の気配が途絶え、決戦の時は暫し遠ざかったと思われたその時間も、長くは続かなかった。

 

 突然、軌道母艦の前方に白き虚龍が空間を突き破って出現し、先導役の白鳥に対して滅びの息吹を浴びせた。対峙する虚龍の攻撃手段を熟知していた白鳥は、何とかそれをかわしたが、うねり狂う青白い閃光は、周囲にいた飛行する動器や空魚たちを薙ぎ払った。

 

 虚龍による奇襲を合図に、盾竜の群れが至るところから出現し、艦隊に襲いかかったことで、戦闘が開始された。この盾竜たちは先発隊であり、遠方から盾竜の大軍勢が雲霞の如く押し寄せてくる。

 

 ロキはこの場での戦闘は圧倒的に不利と判断し、全軍へ撤退命令を出した。多くの者がロキの判断に従い、それを後押しするようにヴィーザルやボルヴェルグといった者たちが自ら指令を下したことで、全軍の進行方向は決まった。

 

 ロキが算出したこの世界の安全地帯――いつまで持ち堪えられるかわからないが――その地域を目指して、機械の艦隊は全力でその場を退こうとした。

 

 虚龍は白鳥に追い打ちをかけようかと思案している様子であったが、艦隊が撤退を始めるのを見てとると、軌道母艦へ向かって直進した。

 

 虚龍の行く手を阻もうと、無数の動器たちが軌道母艦から飛び出した。その動器を軽々と蹴散らし、虚龍はさらに接近する。

 

 その虚龍の眼前に、一体の巨大な人型の機械が飛び出した。猛々しいドリルを先端に備えた鋼鉄の大槍を手にした戦士。獣機合神セイ・ドリガンであった。

 

 

 

「プラチナム、さっきの奴はお前が助けた白鳥じゃなかったか」

 

 アルブスが苛立たしげに吐き捨て、ル・シエルの首の辺りに跨っているプラチナムの背中を睨んだ。プラチナムは前方を凝視したまま黙ってその言葉を受け流した。

 

「余計な手間を取らせやがって。……ま、一番の獲物はもはや袋の鼠だ。そろそろこの戦いもフィナーレといったところだろうよ……」

 

 アルブスが思わず口を閉ざした。前方に現れた機械の巨人。先ほどまでの動器たちとは比べものにならない熱量を備えていることは、一目見ただけでわかった。しかも、空帝ル・シエルと同種の力――前に戦った鋼翼魚がそうであったように――を持っている。

 

「おいおい、どういうことだよ。こんな奴が出てくるなんて、聞いてないぞ」

 

 アルブスの動揺をよそに、プラチナムは黙したまま獣機合神を見すえていた。

 

(お前か……お前なら、帝を救うことができるのか)

 

 プラチナムは大剣を構え、獣機合神へ切っ先を向けた。前方の機械は今の帝に匹敵するほどの力を持っている。帝が本来の力を失っているからであったが、プラチナムはその皮肉をかえって喜んでいた。

 

 獣機合神が大槍を構え、虚龍に突進した。それと同時に虚龍が咆哮と共に敵を迎え撃つ。両者が激突し、空中に凄まじい熱量が迸った。

 

 

 

 外から立てつづけに爆音が鳴り響いた。襲撃してきた敵の攻撃は確実に軌道母艦にも命中しており、艦内の至るところが激しく振動した。

 

 窓から外の戦闘を眺めていたハティであったが、ここにいては危険ではないかと思うといてもたってもいられなくなり、スクルディアを背中に背負うと、部屋を出た。

 

 長い回廊を駆けながら、もっと安全な場所はないかと艦内を探索する。時折、数体の機人や動器が、ハティには見向きもせずに、慌ただしく通り過ぎていった。

 

 突然後方で轟音が響くと、二体の動器が吹き飛ばされてきた。ハティは咄嗟に、もんどりうって床を転がるように滑っていく緑色の装甲を持つ人型の動器をかわし、背後を振り返った。

 

 回廊を突き破って外から侵入してきた一体の盾竜がいる。盾竜はハティの姿をじろりと見やり、その背にいるスクルディアに眼を止めるた。

 

 盾竜は咆哮を上げ、向かって左の前足を突き出し、濁った色彩の角を両側に備えた頭部を持ち上げた。双眼が真紅に光り、無数の白光の粒子が渦を巻きながらハティに迫ってくる。

 

「虚無の軍勢め。スクルディア様には指一本触れさせないぞ」

 

 ハティは牙をむき出し、盾竜を精一杯睨みつけ、威嚇した。盾竜は再度咆哮を上げることでそれに応え、強靭な盾となっている両肩を前に突き出すと、一気に突進してきた。

 

 ハティは全身から熱量を発してこれに立ち向かい、盾竜の喉元を狙って喰らいかかった。ハティの牙が盾竜の首の辺りに打ち当たったが、盾竜の厚い装甲を傷つけることはかなわず、盾の形状をした両肩で一気に押し返された。ハティは懸命になって踏ん張ろうとしたが、軌道母艦の回廊の表面はハティの予想以上に固く、床に傷をつけただけで踏み止まることもできず、身体を壁に押しつけられた。

 

 ハティは盾竜の狙いが背後のスクルディアであることを見抜き、スクルディアを横に放り出すようにして降ろすと、捨て身の覚悟で盾竜にぶつかっていった。

 

「ハティ」

 

 スクルディアの声が回廊に響く。ハティは獣毛を逆立て、強靭な機獣としての力を漲らせ、盾竜を抑えつけると、鋼の爪でその装甲を引き裂いた。盾竜が白光の粒子を放ち、ハティの毛皮を焦がしたが、ハティは構わずに荒々しく盾竜の胴体を引き千切り、その体躯を壁に投げつけた。

 

 暫しの間、盾竜の眼光が弱々しく明滅していたが、やがて光は失われ、盾竜は動かなくなった。

 

 スクルディアがそっとハティに近づき、息を切らしているハティを優しく両腕で包む。震えるスクルディアの感触が、麻痺しかかっていたハティの感覚を呼び覚ました。全身を激痛が奔ったが、ハティは黙ってスクルディアの頬を舐めて、安心させようとした。

 

 こんな戦いをスクルディア様には見せたくない……ハティはそう思った。スクルディアが怯えている原因が敵だけではなく、それと戦う自分の獰猛な獣の面でもあることをハティは察していた。それでも懸命になってハティを励まそうとするスクルディアには、見ていて痛ましいものがあった。

 

 数体の動器がハティの横をすり抜け、前方で立ち止まると、何やら身構えた。その様子をよく確かめようと、ハティが注意深く前方を探ろうとすると、先ほど盾竜が開けた穴から次々と新手の盾竜が侵入してきた。

 

 動器たちが応戦しようと銃を構え、一斉に盾竜を狙い撃った。その攻撃は盾竜の装甲には通用せず、ハティの目前で動器たちが一体ずつ盾竜の牙と爪の餌食になっていく。

 

「……スクルディア様、急いで退きますよ」

 

 ハティはスクルディアを再び背負うと、その場から退いた。かつての敵とはいえ、まだ戦っている動器たちをおいて先に逃げるのは辛かったが、ハティにはスクルディアを護るという使命がある。この場に残っても全滅は時間の問題であり、そうなればセンザンゴウたちの犠牲も無駄になってしまうのだ。

 

 ハティの前後で同時に衝撃を起こり、双方から盾竜の群れが雪崩れ込んできた。ハティは思わずその場に立ち止まり、動けなくなった。逃げ道はない。

 

(駄目なのか……。もう)

 

 到底勝ち目はない。それでも最期まで戦う他道はないのだ。ハティはスクルディアを庇いながら、身構えた。こちらから動けば、その瞬間にスクルディアの命はない。ハティは盾竜が襲いかかってくるその瞬間が、ほんの刹那でも先送りになって欲しいとひたすら願った。

 

 一つの白く細長い糸が空間を踊った。糸は厚みを増して帯となり、ハティとスクルディアの身体を包み込んだ。

 

「な、なんだ、これは」

 

 困惑するハティをよそに、帯がハティとスクルディアの身体を持ち上げ、二人の身体が宙に浮いた。

 

「……ドリームリボン」

 

 スクルディアの呟きが耳に入った。二人の身体はその空間を滑るように抜け出し、盾竜のいる場所から急速に遠ざかっていった。

 

 

 

 獣機合神の大槍がル・シエルの片翼を貫く。プラチナムが虚空を作り出し、後方の空間へと跳躍したことで難をのがれたが、危うくやられるところだった。

 

「ち。ふざけやがって。何でまだこんな奴が残っていやがったんだ」

 

 アルブスが銃を獣機合神に向け、引き金を絞った。直進する閃光は獣機合神の核と思われる胸部の球体を正確に狙っていたが、獣機合神は光よりも早く大槍を突き出し、閃光を弾いた。

 

「おい、プラチナム、もう一度帝の息吹をぶつけるぞ。こいつを相手に長期戦はまずい」

 

 プラチナムは無言で従い、虚空を操ると、獣機合神の周囲の空間を覆い始めた。プラチナムの動きを見てとった獣機合神は虚龍に突進しようとしていたが、迂闊に動けば虚空に呑み込まれ、全身が崩壊する。思案するようにその動きを止めた。

 

「今だ。やれ、ル・シエル」

 

 アルブスが号令すると、自我を失っている虚龍は口から青白い息吹を放出した。息吹は空間を伝わり、虚空に入り込む。虚空を伝わった帝の息吹が、全方位から敵に襲いかかり、散りも残さず粉砕するのだ。かわせる筈がない。

 

「終わりだ、貴様」

 

 アルブスは勝利を確信した。次の瞬間には、あの機械は存在そのものを消滅させられ、空間には何も残ってはいまい。しかし。

 

 荒れ狂う閃光が瞬時にある一点に収束していき、消えた。見ると、獣機合神の大槍のドリルの先端に黒い球体が出現し、その球体が獣機合神を覆っていた虚空と息吹を吸い込んでいるのである。

 

「な……なんだと、どうなっているんだよ」

 

 無言で獣機合神を見すえていたプラチナムには、その球体の正体がわかっていた。球体は超重力の塊。一度吸い込まれたら光さえ出られないため、球体は暗黒そのものである。確か、紅蓮の地域を統括する赤き神が重力を操ると聞いていたが、眼の前の機械はそれに近い能力を持っているのかもしれない。

 

 獣機合神が大槍を突き出すと、回転するドリルの前で暗黒球が膨張し、空間を浸食していった。重力の波が伝わり、ル・シエルを呑み込む。

 

「引き寄せられている。プラチナム、急いで脱出しろ。何をぼやぼやしている」

 

 プラチナムは動かなかった。ル・シエルは重力に抗おうと翼を羽ばたかせていたが、徐々に獣機合神のもとへ吸い寄せられていく。

 

(ここまで、だな。申し訳ありません、ル・シエル様。私はこうなることを望んでいたのです。このまま共に滅びましょう……)

 

「プラチナム、急げ」

 

 アルブスの声はもはや悲鳴に近い。だが、プラチナムは大剣を下ろし、未だ敵に抗う帝を哀しく見つめていた。

 

 突如熱線が空間を迸り、獣機合神の胴体を貫いた。盾竜の間をかいくぐり、一つの巨大な円状の飛行物体が接近してくる。その物体は再度熱線を放ち、獣機合神を攻撃した。

 

 空間が白熱し、ル・シエルの背にいるプラチナムの装甲が急激に熱せられた。プラチナムは我に返ると、虚空を作り出し、後方の空間へ跳躍した。獣機合神はなおも追い打ちをかけようとおびただしい量の光線を放った。ル・シエルの全身が傷つけられたが、致命傷には至らなかった。

 

「プラチナム、何故だ。何故、すぐに逃げなかった」

 

 アルブスは獣機合神が遥か遠方にまで遠ざかったのを確かめると、怒気を顕わにプラチナムに喰ってかかった。プラチナムはそれを無視し、ル・シエルの相貌から目を離さないでいた。

 

(できなかった、私には。私はル・シエル様を護るために、共に生きるために竜騎となった。だが今のル・シエル様はもはや生きてはいない神の傀儡。ル・シエル様の魂は解放を望んでいる筈なのに、私はまたしてもル・シエル様を裏切ってしまった)

 

 プラチナムが聞く耳を持たないことを知ると、アルブスは悪態をつきながら、ル・シエルを操り、戦場を退いた。

 

 鋼翼魚と戦った時よりももっとひどい。ル・シエルの傷が癒えるまでは戦闘に参加しない方が賢明だ。周囲の盾竜はそれを咎めたりはせず、虚龍と竜騎たちを感情の籠もっていない眼で見送った。

 

 盾竜にその存在を気取られることなく、その様子を見ていた七色の複眼があった。ディースの歌声によって生み出された、彼女の分身とでも呼べるトンビュール。トンビュールは虚龍の残していった気配を敏感に感じ取り、その行く先を察すると、軌道母艦へと飛び去った。

 

 虚神に次ぐ障害となるあの虚龍をこのまま放っておくわけにはいかない。決着をつけるために、このことをロキに進言しよう。トンビュールはそう決心していた。

 

 

 

 セイ・ドリガンは新手の敵の出現に戸惑ったが、武器を構えると応戦した。無数の盾竜がセイ・ドリガンに特攻してきたが、セイ・ドリガンの放った衝撃波に弾き飛ばされた。

 

 セイ・ドリガンは巨大な鋼の塊に接近すると、ドリルでその物体を貫いた。物体が電光を迸らせ、セイ・ドリガンの装甲を破壊する。セイ・ドリガンはそれに耐え、一気にドリルを突き刺し、物体を断ち割った。

 

 爆風が天空を埋め尽くす。その圧倒的な熱量を受けてもなお、セイ・ドリガンは形を保ったまま爆発から逃れた。

 

 不意に、盾竜たちの攻撃が途絶えた。不信に思ったセイ・ドリガンは遠くの空へ顔を向けると、大気圏外に浮かんでいる無数の円状の物体を視界に捉えた。セイ・ドリガンは、それを前にも見たことがある。

 

「ブリシンガメンの首飾り。奴か、奴が来ているのか」

 

 セイ・ドリガンの闘争本能が燃え上がる。再現される、自分が一体化している無数の獣と機械たちの最期の記憶。仲間の仇、知将ゲンドリル。

 

「ああ、わかっている。焦ってはいない。あいつは一筋縄ではいかない。ここにきて判断を誤るわけにはいかないからな。だが、奴は俺が……俺たちが倒す。必ずな」

 

 セイ・ドリガンは自分と、自分が一体化している同志たちにそう言い聞かせると、軌道母艦へ帰艦した。

 

 急いでゲンドリルを倒しに向かいたかったが、そうするには損傷を負い過ぎた。攻撃が止んでいる今の内に艦内へ戻り、万全の態勢で臨まなければなるまい。

 

 

 

 ハティが眼を覚ますと、そこは凍結した無機質の草が一面に生えている原っぱであった。傍らには、スクルディアが横たわっている。ハティは一瞬慌てたが、スクルディアが気を失っているだけであることに気づくと、ほっと息をついた。

 

「お前がハティだろ。何だか頼りないな」

 

 ハティが声のする方へ振り向くと、そこには二人の氷の姫君がいた。一人は漆黒のビスチェのような衣装をまとい、手に鍵を携えた少女。もう一人は高貴な身なりの青白いドレスを身につけている貴婦人であった。

 

 少女が、持っている鍵をハティに向かって突き出した。ハティは驚いてそれをかわそうとしたが身体が氷ついたように動かない。当惑するハティの頭部に鍵が押しつけられた。

 

(ハティ。探したよ)

 

「あなたは……」

 

 ハティは直接脳裡に話しかけてきた姿見えぬ相手に対して言った。

 

(僕はゲリ。フェンリルの半身さ。……君には肉体を失った僕の魂を宿す資格があるのだよ。君の兄、スコールがフレキを宿したようにね)

 

「兄さんが」

 

 事態が呑み込めず、ハティはとまどった。相手が敵ではないらしいことはわかるが、一体自分に何を期待しているのだろう。

 

 ハティは傍らのスクルディアを見やった。おそらく彼女たちがスクルディアと自分を救ってくれたのだ。結局、自分にはスクルディアを護るだけの力もなかった。そんな己にある「資格」というものが、ハティには解せなかったのである。

 

 スコールとフレキの魂が出会い、そして今、ハティとゲリの魂が出会った。経過こそ違ったが、ロキの思惑は着実に進行していた。




関連カード

●激神皇カタストロフドラゴン
赤の虚神・古竜。
「紅蓮の向こうから現れた」とされる。
おそらく、紅蓮の虚空より赤の世界に出現した。

本章において「紅蓮の地域を統括する赤き神が重力を操る」とあるが、
激神皇カタストロフドラゴンはドラマCD『異界見聞録 完結編』において、
「グラビティーブレス」という技を使っている。


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第四十二章 助勢

 機人の項

 

 

 心を持たない軍勢との戦闘は熾烈を極めた。

 

 恐怖も何も感じることのない盾竜の軍団は一寸の迷いもなく全身を武器にして、飛行する機械の艦隊へ次々と突撃してきた。

 

 多くの盾竜が歌姫を乗せた軌道母艦に直進したが、これを死守するべく護衛の艦が砲撃を継続しつつ盾竜の進路に躍り出ることで攻撃を防いだ。艦隊の砲撃は盾竜に効果はあったのだが、敵の数が多すぎる上に、その一体一体が砲撃を直撃させない限り落ちないだけの耐久力を備えている。

 

 そして、遠方にブリシンガメンの首飾りが出現したところで、敵の進撃はより苛烈なものとなる。

 

 盾竜の群れに混ざって、空中に無数の魔法陣が現出した。艦隊から放たれた一斉射撃はこの魔法陣に触れるとたちどころに軌道を捻じ曲げられ、威力を分断され、中空へ溶け込むようにして消えた。

 

 これにより、艦隊の攻撃を掻い潜って艦まで到達する盾竜の数が急増し、全体を蜂の巣の様にされた機械の船が群がる盾竜に張り付かれたまま、墜落していった。

 

 戦況はさらに悪くなったと誰しもが考えていたが、この事態に直面したところで、軌道母艦を動かしているロキの心中にはある疑念が生まれていた。

 

(妙だな……。ブリシンガメンの首飾りの方から出向いてくるなんて)

 

 あの魔法陣はおそらくブリシンガメンの首飾りを動かしている敵将によるものだろう。元来、ブリシンガメンの首飾りは地上への攻撃力に関しては強大であるが、敵の接近を許してしまうと小回りが利かないという弱点を露呈してしまう。

 

(ブリシンガメンの首飾りは対抗手段の無い地上の獣たちを攻撃する為に使われていた。それをこんなところで空中戦に投入してくるなんて、普通じゃ考えられない)

 

 歌姫や勇者を根絶やしにする為に虚無の軍勢も主力を差し向けてきたのかもしれないが、それには相手も相応のリスクを負う筈であった。

 

(僕の計画では、今は世界中を逃げ回りつつ、結集した戦力で徐々にブリシンガメンの首飾りを包囲し、奪還するつもりだったけど。……これは、もしかしたら千載一遇の好機かもしれない) 

 

 罠の可能性もあった。しかし、敵の進軍を止める手立てが乏しい今となってはこのまま撤退を続けるのは得策とは言えない。魔法陣に押し出されるようにして迫ってくる盾竜の速度はこちらを数段上回っているのだ。

 

(やるしかない。こっちにとっても賭けになるけど、ここでブリシンガメンの首飾りを手に入れることが出来なければ、もう虚神との決戦に臨める機会もないかもしれないのだから)

 

 ロキはヴィ―ザルたちの了承を得るよりも早く、全艦隊に一つの指令を発した。

 

 

 

「なんだと。ロキの奴、正気か」

 

 ロキの電文を受け取ったボルヴェルグは、困惑と憤りの混ざった声を上げた。

 

 ここは敵を迎撃するしんがりの役目を担っている黒鉄の船のブリッジ。船の操縦や索敵に従事していた機人たちのうちの数名が、上司のボルヴェルグの方へ視線を向けた。

 

「つい先ほどまでは全軍に撤退命令を出していたロキが、今度は全戦力で以て敵陣へ攻め込めと言ってきおったわ」

 

 確かに、敵の進軍は早まり、迎撃しきれない盾竜のもたらす被害は刻々と増していくのみであった。しかし、当初の計画では多少の犠牲には目をつむり、歌姫を無傷のままこの世界に残された聖地、巨獣守りし神域へ送り届けることが最優先事項であった筈だ。

 

「ロキめ、ここはまだ決戦の場ではないのだぞ。歌声と勇者を失ったら残存勢力でゲリラ戦を継続するのが関の山だ。聖地に籠城するいう受け身な戦術は俺も好かないが、それ以外に有効な選択肢など、あるわけがない……」

 

「ボルヴェルグ殿、ヴィーザル殿より通信が入りました」

 

 部下の機人が言った。ボルヴェルグが通信を繋ぐように指示すると、すぐにブリッジ内の中空にヴィーザルの姿が映し出される。

 

「ボルヴェルグ殿、貴殿は承服しかねている様子であるが、私はロキの作戦に従う決意を固めた」 

 

「ヴィーザル殿……また、あなたか」 

 

 ボルヴェルグの脳裏に、この世界の住人との和睦の件でヴィ―ザルと争った時の記憶が呼び起こされた。あの時も、ヴィーザルはロキに追従するような態度をとっていたのだ。

 

 今となっては、あの判断は正しかったのかもしれないという気がしているボルヴェルグではあったが、今度もそう言えるとは限らない。

 

「ここは決戦の場ではないのだ。我々が全戦力をすり減らしてまでこの場を勝利したとしても、後に待っているのは全滅しかない」

 

「ブリシンガメンの首飾り……あれを何としても奪還する」

 

 ヴィーザルは即答した。一瞬気圧されたボルヴェルグが口を開くよりも早く、ヴィーザルは話を続ける。

 

「あれと同じ物を造っている余裕など、我らにはもう無い。あれは歌姫の歌声と合わせることで、全世界へ【虚無】に対抗する力を与えることが出来る……言わば、我らにとっての最後の切り札」

 

「……そうか、ロキはブリシンガメンの首飾りを利用して、歌声を浸透させようと言うのだな。しかし、この状況下でそれが可能だとでも言うのか。主力を失った末に奪還出来ず、破壊しか出来なかったとなれば我々に得るものは何も無い」

 

「あれを動かしている者は【虚無】の中でも相当な強者と見た。虚神の気配が途絶えているにも関わらず、一帯の盾竜の進行速度が急激に増しているのは、敵将の介入があったからこそだろう。即ち、その者を討ち取ることが出来れば、敵の進行を食い止めると同時に制御を失ったブリシンガメンの首飾りを手に入れることが出来るかもしれない」

 

 【虚無】の将を討ち取る。それが出来れば統率されている盾竜の指揮系統も乱れ、戦況を覆せるかもしれない。

 

「無論、歌姫とその礎たる者たちは何があっても守り抜かねばならない。信頼できる者たちを護衛に当たらせている。……ボルヴェルグ殿、私はたった今集めた決死隊を率いて、敵の陣中に突入する。出来れば……貴殿の助力も乞いたい。頼む」

 

 ヴィーザルがそこまで言ったところで、不意に通信が途切れた。それと共に艦に激突してきた盾竜の衝撃が艦内を激しく揺さ振る。部下の機人や動器たちが消火活動と、侵入してきた敵の撃退の為に走り回った。

 

 ただ逃げ回るだけという消極的な戦術を止め反撃に出る……。ヴィーザルの覚悟を目の当たりにして、ボルヴェルグは逡巡していた。

 

 

 

 ロロの身柄を拿捕するべく、ゲンドリルは冥機の指示に従い、己の手勢と周辺の盾竜の指揮をとっていた。

 

 母艦の守りは固く、百戦錬磨の知将と言えども、攻めあぐねていた。だが、ここでロロを捕らえることが出来なければ、未だ【虚無】の影響の届かない所へ逃げられてしまう。ゲンドリルは焦っていた。

 

(ゲンドリルよ、我も我が分身を使って陽動を試みよう。お前はこのまま母艦を追い詰めるのだ)

 

「了解致しましたぞ、我が神」

 

 冥機の言っていることが神の言葉であると信じて疑わないゲンドリルは、そのまま冥機に従った。

 

 冥機はふわりとブリシンガメンの首飾りから離れると、片腕を突き出した。空間に歪みが生じ、冥機の身体がその歪みを通過する。そのまま冥機の姿は消え去り、見えなくなった。

 

 

 

「うひゃあ、怖い怖い、やめて、こっちこないでえ」

 

「きゃあ、フギン、そっちからも来たよ」

 

 軌道母艦への侵攻を阻止するべく、艦隊は全力で盾竜に向かって砲戦を続けていたが、それでもそのすべてを殲滅することは敵わず、何体かの盾竜の侵入を許してしまった。

 

 心を持たずとも獰猛さと残虐性だけは底知れない盾竜は、母艦の居住区にまで入り込んできていた。本来戦闘用ではない機人たちも護衛と協力してこれに応戦せざるを得ない状況である。

 

 双子の妖精は次々と接近してくる新手の盾竜から、泣きじゃくりながら逃げ回っていた。周囲の獣や機械にはこの道化たちに構っている余裕などなく、己の身を守るだけで精一杯となっている。

 

「フギン、ムニン」

 

 二人の悲鳴を聞き取ったミストが、自分の受ける攻撃も顧みずに、飛び出した。

 

「ミストぉ」

 

「助けて、助けて」

 

 フギンとムニンがミストの懐に抱き着く。ミストは、二人の背後から迫っていた盾竜から二人を庇い、鋼の装甲でその爪を受けた。金属音が周囲に響き渡り、破損したミストの装甲が宙を舞った。

 

 ミストは無力な妖精たちに凶器を振るう眼前の敵をきっとにらみつけたが、感情の欠落したその眼光と眼が合い、一瞬たじろいだ。盾竜たちはその隙を見逃さず、ミストに喰らいかかってきた。

 

 ミストは慌てて両腕から光弾を放ち、迫り来る盾竜を狙い撃ったが、盾竜の装甲を完全に破壊することは敵わず、右腕に鋼の牙を突きたてられた。

 

 喰らいついている盾竜の口内へ再度光弾を放ち、内部から致命傷を負った盾竜を振りほどくと、ミストは大きく後退した。既に、前方には別の盾竜が続々と迫ってきている。

 

「ミスト……ごめんなさい、私たちの為に」

 

 ムニンが傷ついたミストを労わりながら呟いた。フギンの方は未だ泣き声をもらしており、まともに言葉を紡ぐことも出来ない様子であった。

 

「私のことは気にしないで……私が、あなたたちを護るから」

 

 ミストは自分の腕の中でぶるぶると震えている双子を見て、その姿が、機械の同胞たちから逃げていた二人を籠の中に匿っていた頃の姿とダブった。

 

 盾竜が間髪入れずに飛びかかってきた。撃ち落とそうと、ミストが両腕を突き出すのと同時に、横から小さな機獣が飛び出し、全身で盾竜の側面にぶつかった。盾竜はもんどりうって壁にぶつかった。

 

「ウリボーグ、ありがとう」

 

 ミストはいつも傍にいたウリボーグがとても頼もしく見えたが、盾竜が上体を起こして即座にウリボーグへ襲い掛かろうとするのを見て取ると、急いで両者の間に割って入り、盾竜に向かってありったけの熱量を浴びせた。破損した装甲の内側を焼かれた盾竜はその一撃で絶命した。

 

「このままではもたない……急いで、この子たちをもっと安全な場所へ避難させないと」

 

 ミストは抱きかかえたフギンとムニン、それに追従するウリボーグも連れて、なおも交戦状態が続く回廊を滑るように浮遊しながら疾走した。

 

 所々で爆音が轟き、侵入してきた盾竜と戦う動器や神機、それに獣たちの姿があった。ミストは仲間に加勢したかったが、この無力な妖精たちと、ウリボーグを護る者が自分しかいないと自覚していたので、可能な限り戦闘を避けた。

 

 さっきの居住区が駄目だとすると、他に安全と言える場所があるのか、甚だ不安であったが、ミストは僅かな希望にすがる思いで回廊を進んでいった。

 

 前方から高速でこちらに急行してくるクイーンに姿が視界に映った。ミストは、クイーンの様子から只ならぬ気迫と不安を感じた。

 

「ミスト、大変よ」

 

 ミストの眼前で急停止したクイーンの表情には、絶望の色がありありと浮かんでいた。

 

「ヒルドが……ヒルドが、あの竜に」

 

「ヒルド姉さんが……」

 

 ミストはクイーンの言葉を終わりまで聞かずに、クイーンの飛んできた道を疾走した。クイーンとウリボーグが慌てて後を追う。

 

「ヒルドは歌姫の塔を攻める時の戦闘で負った傷がまだ癒えていなかったの。応急処置で新しい装甲を装備していたけど……」

 

 機人の多くはコア以外を造り物の機械の身体で賄う他の機械とは違っていた。また、これは神機たちとて同様であるが、たとえ新しい機械で補ったとしても、それが身体に馴染まなければ十分な力を発揮することはできない。

 

「居住区の方で爆発があって、あなたがその妖精たちのことが心配だからと飛び出して行ってから……すぐ、盾竜が私たちのところにも攻めてきて……」

 

 前方に、それは見えてきた。変わり果てたヒルドの姿が。

 

「私たちも応戦した。でも、あの竜たちを抑えきれなくて。……そんな状況下で傷ついたヒルドは、最期は私を庇って……」

 

 ミストは悲鳴をあげ、ヒルドの亡骸にしがみついた。ミストの嗚咽が回廊に響いた。

 

 その様子を後ろから見ていたフギンとムニンは思わず互いの顔を見合わせた。双子は全く同じことを考えていた。ミストは私たちを助けようと二人の姉をその場に残して駆けつけて来てくれた。もし、私たちがこの船にいなかったら……ミストがその場を離れることがなければ、三人で盾竜に応戦していれば、ヒルドは無事だったかもしれない。

 

 その場に居合わせた全員が、新手の盾竜の気配を前後から感じ取った。ミストたちは、悲しんでいる時間すらないという事実を突きつけられた。

 

 

 

 万全の状態とは言えなかったが、セイ・ドリガンは意を決して戦火の渦中へ出撃した。

 

 セイ・ドリガンは前方を飛行していたヴィーザルの指揮する精鋭部隊を抜き、先陣に躍り出た。

 

 無謀ではない、この役割は俺たちにこそ相応しい――セイ・ドリガンは、己と己の中で生きている同志たちに心の中でそう言い聞かせる。

 

 今や後方にいるヴィーザルたちもセイ・ドリガンが率先して前に出ることを咎めはしなかった。むしろ、ヴィ―ザルたちはこの獣機合神の雄姿がとても頼もしく思えた。

 

 盾竜たちの猛攻は激しかったが、それを迎え撃つセイ・ドリガンの力もまた凄まじかった。

 

 先端が回転するドリルとなっている大槍で、襲ってきた盾竜を正面から穿つ。バラバラに粉砕された盾竜が地上へと落下していった。

 

 盾竜の密集している空域に突入したことで、更なる激戦が繰り広げられる。一直線にブリシンガメンの首飾りを目指していたセイ・ドリガンであったが、全方位から攻めてくる盾竜との戦闘で、思うように攻め込めなくなっていた。

 

 大槍を振り回しながら盾竜を薙ぎ払い、悪戦苦闘しているセイ・ドリガンに、ようやく追いついたヴィーザルの部隊が加勢する。それでも、圧倒的な物量で攻めてくる盾竜を追い払うことは敵わず、戦況は不利であった。

 

 盾竜の特攻を受け、ヴィーザルの部下の何名かが胴体と浮力を失い、地上へ落ちていった。艦隊から飛び出してきた機械たちの数は徐々に減っているのに対して、陣中に踏み込んだ外敵を打ち倒すべく集まってきた盾竜の方はその数を増していた。

 

(ぐう……このままでは全滅も時間の問題か)

 

 ヴィーザルは己の心中を巣食おうとする絶望に抗うかのように、己の蹴激皇という異名に恥じぬ戦いを成そうと、自分の得意とする蹴り技を放った。

 

 ヴィーザルの脚部に凍てついた冷気が宿り、襲い来る盾竜の軍勢を次々と薙ぎ払っていく。この蹴りを受けた盾竜は剥がれた装甲から凍結していき、浮力を失って落下した。

 

 それでも、全方位から攻めてくる盾竜を一蹴することは蹴激皇であっても敵わず、その頑丈な騎士の装甲でさえも盾竜に傷つけられていき、一瞬でも気を抜けば致命傷を負いかねない状況であった。

 

 機械の艦隊の方面より、無数の飛行物体が接近してきた。ヴィーザルはそこから発信されている信号を受け取る。

 

「ボルヴェルグ殿……来てくれたか。かたじけない」

 

 援軍の存在に勇気づけられたヴィーザルは、力を込めて眼前の盾竜を蹴りつけ、粉砕した。

 

 最前線で戦うセイ・ドリガンやヴィーザルの部隊に加勢したのは、黒槍機ボルヴェルグ、それにロキの指令に従う動器や神機の軍団。さらには、急造したと思しき、ロキが自ら遠隔操作する飛行戦用の魔神機ビッグ・ロキの姿もあった。

 

 更なる遠方では、盾竜を振り切った何隻かの船が後方から援護射撃を放っていた。

 

 既に艦隊の覚悟は決まった。ブリシンガメンの首飾りを奪還し、この戦局を覆すべく、皆が一丸となって行動に移したのである。

 

 

 

(むう……奴らめ、反撃に転じてきおったわ) 

 

 ゲンドリルは顔をしかめた。まだこちらの方が戦力では優勢と言えるが、艦隊から出撃してきた軍勢は先ほどよりも深いところまで入り込んできている。予断は許されない。

 

 ゲンドリルの真横の空間がうねり、歪んだ。何事かとゲンドリルがそちらを見やると、空間を破って一人の白い騎士の姿が現れた。まぎれもなく、それはデュラクダールであった。

 

「ゲンドリル殿、何故あなたはこのような所まで出張っているのだ。神はゲンドリル殿が勝手に前線へ出ていることにお怒りであられるぞ」

 

 デュラクダールの言葉はゲンドリルにとって意外なものであった。すぐさまゲンドリルは答える。

 

「何を言うか、儂は神の御意思に従い、この場にいるのじゃ」

 

 デュラクダールの方もゲンドリルの言葉が予想していたものと違っていたので、困惑した。

 

「デュラクダール、貴様、儂が出した命令に逆らったな。お前にはロロのあとを追うように言っておいた筈だ」

 

 デュラクダールは一瞬、動揺を隠せなかった。もしかしたら、自分が鎧蛇の島で放浪者ロロに会ったこと、ロロに伝えたことを感づかれてしまったのでは……。

 

 ゲンドリルはデュラクダールの変化を見逃さなかった。

 

「いや、それは違う。私はロロの行方を追ったが、結局消息は掴めず……」

 

「黙れい。この裏切り者めが」

 

 ゲンドリルの杖が一閃し、雷撃が放たれる。デュラクダールは咄嗟に腕に装着しているガントレットで防いだが、空間をうねりながら迸る雷撃はデュラクダールの装甲の所々を砕いた。

 

(ゲンドリル殿の眼……正気ではない)

 

 デュラクダールは、今のゲンドリルには何を言っても無駄であると悟ると、急いでその場から退いた。

 

 背中からゲンドリルが追撃を放ってくるかと警戒したが、その気配は無かった。どうやら前方の戦況に執心しており、自分に構っている余裕などはないらしい。

 

 デュラクダールは戦線から離れながら、周囲の盾竜たちを見やった。自我を持たない盾竜は、機神獣の指示が届かないこの場では、ただゲンドリルの命令に従うのみの傀儡であった。

 

「脆いものだな。心を持たない軍勢など」

 

 デュラクダールが呟いた。

 

 

 

 戦闘の最中、冥機グングニルは空間を跳躍しながら、着実に軌道母艦との距離を詰めていった。

 

 ゲンドリルには陽動と言ったが、冥機の思惑は全く別の所にあった。

 

(放浪者ロロ。未来の【星創る者】。我らの敵。世界を滅ぼす際に最大の障害となる者。今すぐ消さねばなるまい、我らの為に)

 

 冥機が周囲に思念を放つ。【虚無】を求めるもの。己を含めた世界の滅亡を望む魂。その残留思念。それらをかき集める。

 

 冥機の傍に複数の盾竜が集まってきた。その眼光には歪な紫色の輝きが宿っていた。

 

(お前たちも滅びを望むだろう。傀儡となって、利用されるしかないお前たちならわかる筈だ。この世界の真実が、真なる【虚無】が)

 

 冥機のもとに集った盾竜たちは、ゲンドリルの命令とは異なるものに突き動かされていた。

 

(では、共に参ろうか。世界を確実に消し去る為に)

 

 冥機は軌道母艦の死角を瞬時に割り出すと、そこへ直進した。冥機に操られた盾竜たちもそれに続く。

 

 その時、冥機は軌道母艦に向かって接近してくる新手の一団の存在を認識した。

 

(あれは道化のドヴェルグ……それにフェンリルの半身か)

 

 一隻の高速艇と、高速艇を護衛する、全身に針を備えた装甲を持つ青色の空魚たち。

 

(時間が無いな。この好機を逃すわけにはいかぬ)

 

 冥機は先を急いだ。この世界を再生する可能性を秘めている【星創る者】を抹消する為に。




関連カード

●サウザンニードル
獣使いドヴェルグの護衛を務めている空魚。
名前の通り、フグ目の魚であるハリセンボンがモチーフ。
フレーバーテキストは白の章第11節。
この一文により、ロロは過去へ行っていたこと、ドヴェルグとは行動を別にしていたことなどがわかる。
キグナ・スワンの白の章第10節では空中戦が行われているので、空魚であるこのスピリットもそれから間もない時期に登場したのかもしれない。

ドラマCD『異界見聞録 完結編』の設定では白の世界には過去に戻る術が存在し、
赤の世界の力を借りる為にその力を使ったという話題が出てくる。
その際、聖皇ジークフリーデンの誕生も関わっているという設定であった。
ただ、具体的に赤の世界からどのような力を得たのかは明らかにされていない。
また、双子妖精フギン&ムニンのフレーバーテキストは白の章第7節であり、侵略者との戦いの最中にその術が使われたことになり、第八節から第十節の間はドヴェルグと別れていたという話になるのかもしれない。
終焉の騎神ラグナ・ロックや大甲帝デスタウロスの存在に関しては触れていない。


自分の小説では、ロロは氷の淑女スノトラの助言に従い、飛鋼獣ゲイル・フォッカーら星創る者の三従者の介入によって過去へ戻ったという設定。
ゲイル・フォッカーのフレーバーテキストには「時空を超え現れ出で、導きし降臨」という記述があり、それが白の章第11節と関わってくるという解釈。
ただし、過去を旅した時の記憶の大半は失われており、ロロが担った主な役目は白の世界に時代を越えて警鐘を鳴らすこと。

また、設定について補足しておくと、
ロロは異界の門をくぐるたびに未来の【星創る者】の介入によって過去へ遡っており、その為に、連絡を取り合っていた虚無の軍勢は、複数の世界で放浪者の姿を同時に目撃している。
ロロがくぐる時だけ門が違う役割を果たすという設定は、「巨人機ユミール」のフレーバーテキストも考慮。



●巨獣守りし神域
名所千選616。
伝説の聖地。
ここへ歌姫を送り届けようとしたが、挫折した。
ロロは「非常に無念」と言っている。
巨獣皇スミドロードのフレーバーテキストによると、無限なる軌道母艦は墜落しているので、それが挫折に直結しているのかもしれない。


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第四十三章 覚悟

 三姉妹の項

 

 

「ベル・ダンディア。あなた、【虚無】を求めましたね」

 

 軌道母艦の一室。部屋に戻ってきたベル・ダンディアに向かって、フレイアが唐突に切り出した。

 

 ベル・ダンディアの脳裡に、鎧蛇の島における一連の出来事が呼び起こされる。ジューゴン、オッドセイ……多くの仲間の死。そして、結果として見捨ててしまった親友ヴァルキュリウス……あの島では多くの大切な者を失い過ぎた。

 

 絶望しきったベル・ダンディアは抵抗する気力も失い、冥機の刃が自分に振り下ろされる時を待ち望んでいたのかもしれない。

 

 ベル・ダンディアはフレイアの問いに答えられずに逡巡していた。

 

「咎めているのではありません。ただ、あなたが【虚無】を求めたこと、そこから目をそらしてはいけないということです」

 

「……はい、確かに、私はあの時、【虚無】を乞いました」

 

「……やはり、そうですか」

 

 フレイアは防弾加工された窓から外の様子を眺めた。外ではブリシンガメンの首飾りを奪還する為に艦隊が一致団結して盾竜の軍勢と戦っている。歌姫を匿っている軌道母艦は後方で護られているが、接近してくる盾竜の侵入すべてを防ぐことは敵わなかった。

 

 ここも決して安全ではない。一刻も早く、全軍に歌姫の声を届け、友軍を鼓舞しなければいけないのであるが。

 

「あなたが今のままでは……叡智秘めし三姉妹の連携が取れず、歌姫の礎となることは出来ません」

 

 ベル・ダンディアは沈痛な面持ちで、顔を伏せた。本当は今すぐにでも皆を助ける力になりたかった。しかし、フレイアに指摘された通り、ベル・ダンディアの心中にある迷いが枷となり、三姉妹の能力を十分には発揮できないでいるのが現状である。

 

 ウル・ディーネとスクルディアの持つ能力はこの世界において大きな影響力を発揮し得るが、両者を繋ぐベル・ダンディアの力が無ければ、歌姫に助力することは叶わなかった。

 

「そこで、私はあなたをここに呼び寄せたのです」

 

 そう言うフレイアは、指の間に挟んだ、細くて長い黒い物をベル・ダンディアに近づけた。ベル・ダンディアは顔を上げ、その物体をまじまじと見つめる。

 

「これは……」

 

 ベル・ダンディアの問いに、フレイアが答える。

 

「これは、ある人物の髪の毛です。ヘルの呪いで氷の身体となった私たちには長らく縁の無い、強い生命力を宿している」

 

「それを一体、どうなさるのですか」

 

「すぐに分かります。そして、ベル・ダンディア、あなたには見届けて欲しいのです。私の覚悟を」

 

 フレイアの氷の瞳には強い決意の色が込められていた。

 

 

 

 そこには鋼の様な氷原が広がっている。高質化した氷は形を変えることが無く、まるで時間を止められているかの様であった。

 

 本来は極寒の風が吹雪いていた地域であったが、空気の流れが止まってしまった今となっては、寒気の無い代わりに金属的な冷たさが生きる者の感覚を狂わせる。

 

 樹氷の女神エイルを先頭に、ハティとスクルディア、それにヴァールの四名がこの時止まりの氷原を横切っている途中であった。ハティの内には、フェンリルの半身であるゲリが宿っている。

 

 ひゅん、と、何かが空を切る音がした。ハティは咄嗟にスクルディアを護るようにして仁王立ちとなり、身構えた。それは数間先の氷の上に落ち、ガツンと音を立てて周囲に散らばった。見ると、動器の残骸であった。

 

 これまでにも度々友軍の機械や、敵の盾竜の変わり果てた姿と思しき塊が降ってきている。それらは上空で繰り広げられている戦闘の激しさを物語っていた。

 

 遥か上空では無数の盾竜がひっきりなしに飛び回っており、機械の艦隊との交戦の模様が地上からも窺えた。ハティは、上空では仲間が死力を尽くして戦っているというのに、加勢することも出来ずにいることがもどかしかった。

 

 ふと、エイルがその歩みを止めた。他の三名もつられてその場に留まる。ヴァールが訝し気にエイルの顔を見やった。

 

「どうしたんだよ、エイル」

 

 ヴァールがもどかしい気持ちを露わにしながら言った。

 

「この辺りですね。今から上空の船にいるサーガと連絡を取ります」

 

 エイルはそう言うと、懐から樹氷で固められた黄色い宝玉を取り出した。

 

 眼を閉じ、術式を行使することによってサーガとの交信を行うエイル。それに呼応するかのように魔力の波が地上と上空から伝わり、風の止まっている筈の周囲の空間が振動した。

 

 すぐ傍で、がたりと音がした。なおも交信を続けるエイルはそのままの姿勢でいたが、ハティとヴァールは瞬時にそちらへ視線を走らせた。

 

 氷塊の背後から赤子の姿をした動器が現れた。一行は、それがロキの操作する端末、ベビー・ロキであることを既に知っていた。

 

 ヴァールが急に抑圧されていた感情をむき出しにしながら、ベビー・ロキに詰め寄った。

 

「ロキ。お前、なんでこんなところに」

 

 ヴァールが何故これほどに怒りを露わにしているのか分からずにいたハティとスクルディアは、やや困惑気味に両者を見つめていた。

 

(君たちの反応をキャッチしたからね。近くに待機させていた赤子を使って、こっちから出向いたのさ)

 

「……お前が、ヘル様を鎧蛇の島へ行かせなければ、ヘル様があんなところで命を落とすことは無かったんだ」

 

 ヴァールが己の武器である鍵を構えながら、今にもベビー・ロキへ襲い掛かろうとしている姿を見て、思わずハティが両者の間に割って入った。

 

「やめるんだ。今は、仲間割れをしている場合じゃ……」

 

「うるさい、獣め。邪魔だ」

 

 ヴァールが鍵でハティを突き飛ばした。スクルディアがハティの名を呼びながら急いで這い寄り、その体を支えた。スクルディアが非難の目をヴァールへ向けたが、ヴァールは取り合わなかった。

 

(誤解しないで欲しいんだけど。僕はヘルを助けたかったんだ。ヘルはヴァルハランスと魂を一体化させ、ヴァルハランスたちと共に【虚無】の神と戦った。でも、ヴァルハランスが力尽きたことでヘルも生命力の大半を失ってしまった。だから、鎧蛇の島で降る筈だった光雨を使って、ヘルの生命力も回復させるつもりだったんだよ)

 

「ふん、結局はお前の計算違いのせいじゃないか」

 

(……確かに、そうかもしれないね。僕も、まさか【虚無】の意志で動く者が身内に現れるなんて予期していなかったんだから)

 

「身内だと。お前ら機械の中に裏切り者がいたっていうのか」

 

(あれは機械の身体に宿っているけど、機械だけじゃない。この世界で散っていった生き物の様々な思念が集まって生まれた、言わば怨念の集合体)

 

「……そいつがヘル様を殺したって言いたいのか」  

 

(そうなるね。ヘルの助力を失えば、この世界が【虚無】に呑まれる時が近づく。それがあの者にとって利することだったからヘルの命を狙ったんだ。現に、この世界はあの日を境に、急速に【虚無】へと向かっている)

 

 ヴァールは構えていた鍵を下ろすと、思案気な表情のまま俯いた。ヘルを救おうとしても救えなかったという不甲斐ないロキのことも腹立たしいが、今、上空の艦隊が戦っている虚無の軍勢に対する怒りがそれを上回る勢いでこみ上げてきた。

 

 ヘルを死に追いやった冥機グングニルは虚無の軍勢とは別の思惑で動いていたが、ロキは敢えて指摘しなかった。何れにしても、冥機と虚神の最終的な目的に違いはないとロキは踏んでいたからである。

 

 スクルディアがヴァールの恐ろしい形相をのぞき込み、消え入りそうな声をもらした。スクルディアは怯えていた。ヴァールの激情に。

 

 スクルディアを落ち着かせようと身を摺り寄せているハティの方へ、ベビー・ロキが近づいた。

 

(君がハティだね。いつも見てはいたけど、直接対話をするのは初めてだったかな)

 

 ハティは直接脳裏に語り掛けてくる眼前の動器を相手に、多少戸惑いながらも素直に受け答えをした。

 

「そうですね。以前、あなたの魔神機には助けられました。あの時、助けてもらえなかったら、僕たちはあの狼の群れとの戦いでおそらく全滅していた……」

 

(今度は、僕らの方が君の助けを欲しているんだよ、ハティ)

 

「え、それはどういう……」

 

 言いかけて、ハティは己の内に宿るゲリの魂が熱く輝くのを感じた。

 

 ハティがゲリから既に聞いている話では、ハティにとって義兄弟の契りを交わした兄であるスコールが、ゲリと同じフェンリルの半身フレキをその身に宿し、ドヴェルグと共に軌道母艦と合流する手筈になっていた。ハティとスコールが再び肩を並べることがフェンリルを創り出したロキの望みでもある、と。

 

(簡潔にお願いするよ。ハティ、君とスコールには、フレキとゲリの魂と共に翼神機グラン・ウォーデンの核となって欲しい)

 

「翼神機……それはあなた方の造り出した機械兵器」

 

(僕が力を与えた、ヘル、フェンリル、ミッドガルズの三人は来るべき【虚無】に対抗し得る能力を持っていた。でも、故あって肉体を失い魂のみ生き延びてきたフェンリルは、自分の力を受け継いでくれる者がいなければその役目を全う出来なくなっていたんだ。そこで選ばれたのが、君とスコールというわけさ)

 

「だけど、それって僕と兄さんが翼神機の一部になるってことだよね」

 

(その通りだよ。スコールは既に覚悟を決めているけど、弟の君にまで強要するつもりはない。……ただ、完全体となった翼神機がなければ、今の戦局を打開することは出来ないと僕は思ってる。このまま【勇者】が覚醒してくれたとしても、ね)

 

 自分がこの戦いにおける切り札を担うことになる――ハティにとってそれは、願ってもいないことであったが、気がかりなこともあった。

 

 ハティの心情を察したのであろう、スクルディアがハティの獣毛にしがみ付き、寂しそうな顔で言った。

 

「ハティ……やだよ、ハティが遠くにいっちゃうの。……ハティがハティでなくなるの」

 

 ハティはこのままスクルディアと一緒に居たかった。しかし、こうして温かく抱擁してくれる彼女を護り抜くだけの力が、自分には無いことも痛感している。

 

 時の止まったかの様な氷原の中。異質な環境ではあるが、上空の激戦とは対照的に、ここはとても平穏で穏やかな空間であるとも言えた。しかし、【虚無】へのカウントダウンはこの氷原ですら確実に進んでいるのだ。

 

 ハティは改めて幼いスクルディアの顔を見た。今では一番身近でいて、一番護りたい者。【虚無】との戦いが続く限り、彼女にとっても明るい未来は決して来ない。

 

 徐々にではあるが、ハティの心中では一つの決心が芽生えつつあった。それは、苦心しながらも覚悟を決めたスコールと同じものだった。

 

 

 

 戦闘の渦中、冥機グングニルは艦隊の混乱に乗じて、手勢にした数体の盾竜と共に軌道母艦の内部に潜入していた。

 

 既にロロと特定している一つの生体反応の位置は把握している。不死者と言えども、真なる【虚無】へ引きずり込めば二度と抜け出すことは敵わないだろう。冥機の中に混在する思念は、【虚無】の入り口と直結したまま、他者をその先へと誘う準備を固めていた。

 

 浮遊したまま回廊を進む冥機の前方に、武装した動器の一団が飛び出した。動器は冥機の姿に面食らったが、その周囲に従えられている盾竜に対して応戦するべく、各々の武器を構えた。

 

 冥機が片腕の突き出したのを合図に、盾竜たちが一斉に眼前の動器へ襲い掛かった。並の武器では歯が立たない装甲を持つ盾竜を相手に、動器たちが次々と討ち取られていった。

 

 全滅した動器。冥機はその残骸の真上で静止すると、煌くコアの残滓を吸い上げていった。

 

(お前たちも我らの一部となるが良い)

 

 冥機に蓄積されている魂が、更に密度を増していった。

 

(この先だ……この先にロロがいる) 

 

 進軍する冥機の前後で爆音が轟いた。砲戦を掻い潜って突進してきた盾竜が、軌道母艦の外装を突き破って侵入してきたのである。冥機にとってそれは願ってもいないことであった。

 

 戦う事を強要される者同士の戦いは、更なる【虚無】の浸食を加速させた。

 

 

 

「この反応は……奴が来ているのか」

 

 軌道母艦の内部で盾竜と応戦していたウルは、己に内装されているセンサーで【虚無】の気配を感じ取った。

 

 おそらく、先の鎧蛇の島で一戦交えた冥機のもの。あの時の味わわされた苦汁がウルの内に蘇った。

 

(まずい……冥機の行先はベル・ダンディア様のいる区画。まさか、また)

 

 眼前に襲い掛かってきた盾竜によって、ウルの思案が中断された。ウルは瞬時に外敵との距離を取ると、先ほどまで自分がいた位置に着地して隙が生じた盾竜に向かって、ありったけの熱量を放った。ウルの攻撃を正面から受けた盾竜の装甲が四散し、力尽きた盾竜がその場に倒れた。

 

「皆、聞いてくれ。この竜たちとは違う【虚無】の者が、この戦いの希望となる我々の護るべき者の命を狙って攻め入ってきた。ついてこれる者は私に続いて欲しい」

 

 ウルは身をひるがえし、まだ敵の残っている回廊を一気に駆け抜けた。盾竜に応戦していた、危機的な事態を察した他の機械たちも、ウルの後を追った。

 

 盾竜との激戦はなおも続いており、それらを退けて進むのは並大抵のことでは無かったが、この戦いにおける切り札となる存在が失われる寸前であることを知った以上、背に腹は代えられない。

 

 行く先々で犠牲を出しながらも、ウルたちは冥機の反応を追跡した。

 

 

 

「……来ましたね」

 

 そう呟くフレイアの言葉が何を意味しているのか読み込めなかったベル・ダンディアであったが、すぐにそれが何を意味しているのかを知った。

 

 轟音と主に錠を施されていた扉が吹き飛ばされ、傷ついた護衛の動器が室内に転がり込んできた。それに続いて、冥機と数体の盾竜が乱入してくる。

 

 冥機は部屋の中央で動きを止めると、その眼光で周囲を眺め回した。内部には明記を屹然とした態度で直視するフレイアと、甦る過去の絶望に気圧されそうになっているベル・ダンディアの姿しかない。

 

(どういうことだ。ここにロロは居ない……)

 

 冥機の内部で混在する思念が困惑していたが、フレイアから感じられるロロの気配を感知することで、状況を理解した。

 

「そうです、あなた方をここに招いたのは私です」

 

 フレイアはそう言うと、一本の髪の毛を相手に見せつけた。

 

「これは不死者から直接頂いた、彼の身体の一部。私はこれに宿る不死者の気配を増幅させることで、あなた方に、ここにロロがいると錯覚させたのです」

 

(我らを謀るとはな。だが、そのような時間稼ぎ、何の意味も持たぬ。お前たちを即葬り、ロロを探すだけの猶予はあるのだからな)

 

「【虚無】に従う者よ。私はあなたと一つになりたい」

 

 フレイアの言葉に、然しもの冥機の意識も同様を隠せなかった。ベル・ダンディアもまた、信じられないと言う様に、驚愕の目でフレイアを凝視した。

 

 なおも涼しい面持ちでフレイアは話し続けた。

 

「あなたの中にはブレイザブリクや、私の姉フレイたちの意識も感じられます。その意識もまた【虚無】を望むというのならば、今すぐにでもこの私を共に引き込みたい筈。私も、そうなることを望みます」

 

 冥機は、己の内部でフレイアを愛したブレイザブリクやフレイ、それにフレイアの元で戦い抜いたグリン・ブルスティを始めとする獣たちの意思が強まるのを感じた。それらは自分を構成する意識であり、冥機にとっても従わざるを得ないだけの影響力へと拡大されつつある。

 

「フレイア様。あなたはどうして……」

 

 ベル・ダンディアが詰め寄ろうとしたが、フレイアが片腕を突き出すと両者の合間に結界が生じ、ベル・ダンディアはそれ以上フレイアに近づくことが出来なかった。

 

「私は今、知りました。何故死地を共にする筈だった獣たちや姉を失ってまで、私は生き延びてきたのか。すべては、この時の為だったのです」

 

 その時、盾竜たちを退けながらウルが一室に駆け込んできた。見ると、冥機と対峙するフレイアの姿。そして、焦心のベル・ダンディア。

 

「ベル・ダンディア様、フレイア様。今、お助けします」

 

 ウルは戦闘態勢に入ると、冥機を己の熱量狙い撃とうと両腕を掲げた。しかし、強力な見えない防壁が生じ、ウルの動きを封じた。

 

「丁度良い所に来ましたね、ウル」

 

 ウルは自分の動きを封じている防壁が、こちらへ手を突き出しているフレイアによるものであると察した。

 

「何をなさるのです。このままでは……」

 

「あなたもよく見ておきなさい、ウル」

 

 フレイアは冥機に向き直ると優しく語り掛けた。

 

「あなたの中の意識も望んでいること。さあ、私を【虚無】へと導いてください」

 

 複数の意識が混在する冥機は、既にフレイアの意志に抗えなくなっていた。

 

(良かろう。フレイアよ、貴様も我が一部となり、共にこの世界を【虚無】に還すのだ)

 

 冥機が刃を突き出す。ウルとベル・ダンディアが口々に何事かを叫んだが、一層強まった防壁に遮断され、事態を傍観するしかなかった。

 

 全く動じることの無いフレイアに向かって、冥機の刃が直進した。刃はフレイアの氷の身体を貫通し、砕けた氷の破片と淡い燐光が周囲に飛び散った。

 

 刃はフレイアのコアを貫いている。そのままの姿勢で、暫しの間、両者は動きを止めていた。

 

(こ、これは……)

 

 先に静寂を破ったのは冥機の方であった。飛散した輝きは冥機の前身を取り囲み、包み込んでいく。

 

「ですが、私は【虚無】に還ることを拒みます」 

 

 氷で出来ているフレイアの全身がひび割れ、砕け散った。フレイアの作り出した防壁が瞬時に掻き消え、束縛されていたベル・ダンディアとウルが解放される。

 

 ウルは急いで、ベル・ダンディアの元へ駆け寄り、彼女を庇う様にして立ちはだかると、周囲の状況を眺め回した。

 

 フレイアの残した輝きに包まれた冥機。それと、冥機に操られていた筈の、微動だにしない盾竜たちの姿。まるで、この場の空間が静止してしまったかの様であった。

 

(【虚無】から目を背けることは出来ない。私たちを護る為に戦い、散って言ったものが【虚無】を望むというのであれば、それも認めなければならない。しかし、【虚無】に呑まれることに抗うのが生きとし生ける者の務め)

 

(何を莫迦な。我々は【虚無】を望み、世界を終焉へ導くのだ)

 

(私の目的はあなたがそうすることを防ぐこと。私はあなたの内にいる私の協力者と同調しようと、自らあなたに取り込まれたのです)

 

(おのれ……。だが、いくら貴様と貴様に同調する者が束になろうと、【虚無】を止めるなど出来ぬ)

 

(それでも、私と私の同志にはそれを止める為に戦い抜く覚悟があります。その為にはあなたの力さえも利用させてもらいます)

 

 フレイアの思念がウルとベル・ダンディアの脳裏に直接響く。

 

(【虚無】は常に私たちと隣り合うもの。それから目を背け、黙殺し、ただ遠ざけるというのであれば、それを望んだ魂たちとの溝を深め、この世の歪みを広げることになります)

 

「でも、私たちはこの世が【虚無】に呑まれるのを阻止する為に戦っているのです。迫る【虚無】は退けなければならない……」

 

(それで良いのです、【勇者】。ただ、戦いに疲れ、安寧を求める者たちがいたこと。その者たちが結果として、【虚無】にひかれていたこと。心に留め、忘れないでください)

 

 冥機の意識が急速に遠のいていった。冥機の両腕が脱力したように下げられ、中空に浮いたまま焦点の定まっていない目が虚空へ向けられている。

 

 冥機に洗脳されていた盾竜たちが、操っていた糸が切断されたかのようにその場へ頽れた。

 

(翼神機……翼神機の元へ)

 

 冥機から伝えられた微かな意識の波。冥機は浮遊したまま、滑るように移動すると、一室の外の回廊へ向かった。

 

 ウルとベル・ダンディアがその先へ視線を移すと、そこには冥機と向かい合うベビー・ロキの姿があった。

 

 

 

 ブリシンガメンの首飾りを操りながら進軍していたゲンドリルは、不意に我に返った。

 

「こ、これはどうしたことだ……」

 

 機械の艦隊との戦闘は尚も継続されており、相手側の犠牲に比べればこちらの被害は大したことは無いように見える。だが、戦場の中で着実にこちらへの距離を詰めている獣機合神とその同胞たちの姿を、ゲンドリルは見逃さなかった。

 

「……そうか。儂としたことが、【虚無】を行使する立場にありながら、【虚無】に付け込まれるとはのう」

 

 冷静になったゲンドリルは己の持つ魔力を使い、戦場全体を広く見通す千里眼を展開した。

 

 機械の援軍である高速艇を護衛していた針に覆われた空魚たちが、盾竜たちの装甲に張り付き、電磁波を発生させることで破壊している情景が映る。

 

 さらに遠方からは、獣機合神と同様の技術を駆使して制作されたと思しき竜機合神とその同胞たちが、艦隊に加勢するべく高速で接近していた。

 

「これ以上の戦闘の継続は危険であるか。ましてや、これは神の意図していなかったこと」

 

 ゲンドリルは全軍に撤退命令を下した。それと同時に、しんがりとなる盾竜を配置し、退路の確保を最優先にして陣形を組みなおす。

 

「申し訳ありませぬ、我が神」

 

 そう言うゲンドリルの相貌には疲弊の色が浮かんでいた。

 

 

 

 サーガとの交信を終えたエイルの話によると、虚無の軍勢が急に後退を始めたことで、ひとまず軌道母艦は戦場から脱することが出来たらしい。ハティは内心ほっとしていた。

 

「じゃあ、早く、またドリームリボンを使って今度は機械の船に戻るぞ。連中に追い打ちをかけてやるんだ」

 

 そう言うヴァールは、逸る気持ちを抑えられないといった風であった。

 

「焦らないでください、ヴァール。まだまだ戦力差では私たちの方が不利なのですよ。迂闊に深追いをするのは危険すぎます」

 

「でも、機械の奴らはこのままブリシンガメンの首飾りに攻め込む算段なんだろ。だったら、あたしたちも協力した方が早く奴らを叩ける」

 

「私たちには私たちの役割があります。それを果たすのを優先しなければ」

 

 ヴァールは納得した様子ではなかったが、エイルがサーガのいる場所へ一行を転移させる術式の準備に取り掛かっているのを見て取ると、不満げに手にした鍵を凍りついた地に押し付け、押し黙った。

 

(ハティ。本当に良いんだね。もう後戻りは出来なくなるけど……)

 

 ベビー・ロキから発せられらた言葉に、ハティは強く頷いた。

 

「はい。僕は僕の護りたい者の為に戦う。それに必要な力を得る為にも、僕は兄さんと同じ志の元で戦いたい」

 

 涙を流しているスクルディアは、ハティへ非難の視線を向けている。ハティにはそれが辛かったが、ここまで自分が生き延びてきたのは、散っていった多くの獣たちの遺志を受け継ぐ為でもあるのだ。

 

 そして、今一度呼び起こされる、ハクの言葉。「君には騎士としての素質があるのだ」と。

 

 ハティは己の覚悟を、自分の意識の中で何度も反芻した。

 

 【虚無】との戦いは、ここで終わらせなければならない。未来ある者の為に。




関連カード

●時止まりの氷原
名所千選126。
侵略者のもたらした異変により、氷であって氷ではないものが広がっている。
そのため、寒いわけではないらしい。


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第四十四章 ゲンドリルの意地

 機人の項

 

 

 トールによって守護されている都市の格納庫に、翼神機は安置されていた。その場には、二人の機人、フィアラルとガラールが佇んでいる。背後には、護衛を務める二体の神機ミョルニールの姿もあった。

 

 フィアラルの手に握られている、円形状の装置に取り付けられたメーターが大きく揺れ動いた。機人たちの間に緊張が走る。

 

 翼神機の頭上付近に空間の歪みが生じた。それは【虚無】の者が使う技と同種のものであると、二人の機人は既に熟知している。

 

「事前に聞いていた通りだが……これが本当に我々の味方のものなのだろうか」

 

 フィアラルがエネルギーを計測しているメーターを見つめながら、呟いた。異質なものを前にして、畏怖の念を禁じ得ない。

 

「友軍に取り込めば、確かに大きな戦力になるかもしれないが。ロキの言うことを素直に信じて良いものかどうか……」

 

 なおも思案するフィアラル。その傍らで、黙したまま目前の翼神機を見つめていたガラールが口を開く。

 

「……来るぞ」

 

 ガラールの言葉に、フィアラルははっとなった。それまでフィアラルが眼を逸らせずにいたメーターの数値が瞬時に上昇し、ガラールの言葉がすぐ現実のものとなることを告げていた。

 

 空間から這い出るようにして、黒紫色の光体が沸き上がった。それと共に、黒い光の中から小柄な人型の機械の姿が現れる。その機械の姿は、友軍の神械グングニルに酷似していたが、全身の色が赤黒く染まっていた。

 

「お前が、冥機グングニルか」

 

 ガラールの問いかけに対して、冥機は僅かな動作で応えただけで、そのまま翼神機の頭部に張り付いた。

 

 フィアラルが慌てて冥機を呼び止める。

 

「待て。お前は本当に我々の味方なのか。お前の持っているその力、その姿。何れもが、お前が【虚無】のものであることを示している」

 

 冥機がフィアラルの方へ向き直り、視線を合わせる。冥機の眼光を直視したフィアラルは、己が暗い深淵に落ち込んでいくかのような錯覚に襲われた。

 

 微かなうめき声をもらすフィアラル。その肩に、ガラールの黒い装甲に覆われた手が添えられた。ガラールの鼓動を感じたフィアラルが我に返る。フィアラルは危なく自分は【虚無】に呑まれるところだったのかと思うと、生きた心地がしなかった。

 

(私は……仲間……冥機の力……制御……して)

 

 冥機から途切れ途切れに伝わってくる意思。フィアラルとガラールはそれがロキから聞かされていた、冥機と同化した氷の姫君のものであることを悟った。

 

(翼神機……連れていく。……時間が……ない)

 

 冥機を中心にして空間の歪みが広がっていき、徐々に翼神機の全身を包み込んでいった。フィアラルはこのまま見過ごして良いものなのかと不安を隠しきれなかったが、ガラールが半ば諦念した風な様子でフィアラルに向かって言う。

 

「翼神機グラン・ウォーデンの力は、我々の手には余る。……信じるしかない、グロリアス・ソリュートによって造られたというロキの言葉を。そして、今や一番信頼しなければこの世界の住人を」

 

 フィアラルは黙ってうなずいたが、その思考は未だ逡巡していた。

 

 やがて、翼神機全体が空間ごと大きくねじれ、虚空へと飲み込まれるようにして消えていった。

 

 

 

 質量を伴った凍てついた空気が甲板の上で渦巻いた。

 

 先ほどまでは襲撃を受けていた軌道母艦であったが、盾竜の軍勢が撤退したことで、大きな重量のある風が艦を打ち付ける音だけが周囲に響いていた。

 

 ミストは自分たちのもたらした、この世界にとって異質な風を全身に受けながら、遥か遠くの戦場を眺めていた。歌姫たちを匿っている軌道母艦は最優先で戦線を離れており、その場にいるミストもまた、束の間とはいえ戦いから解放されていた。

 

 ミストの瞳は虚ろであった。先の戦闘で姉であるヒルドを失い、クイーンが重傷を負った。短期間で目まぐるしく変わる情勢の変化に巻き込まれ、多くの命が失われていったのだ。

 

 今もなお機械の同胞たちが、ブリシンガメンの首飾りを奪還する為に虚無の軍勢と死闘を繰り広げている。

 

 ふと、一帯の大空に響き渡る音色を聞き、ミストは天を仰いだ。

 

 それは人の声の様であり、機械の身体を持つミストにとっても感情を揺さぶられる想いが込められていた。

 

「……ディースさん」

 

 ミストはふと出た己の呟きに、多少の戸惑いを覚えた。改めて聞き入ってみれば、その音色は確かにディースの歌声に酷似している。

 

 歌声は、ヒルドの死を悼んでいる――ミストは、そんな気がしていた。

 

 ミストの見上げている高空を、一匹の蜻蛉がすーっと横切った。あれはディースの歌声から生まれた、ディースの意志を受け継ぐ者。蜻蛉はそのまま軌道母艦の真上を通り過ぎていった。後には、ミストの心の奥にまで染み入る、何か懐かしい気持ちにさせてくれる歌声の余韻が残された。

 

「ミスト……」

 

 背後からの呼びかけを聞き取り、ミストは振り向いた。見ると、甲板の床の上で俯く双子の妖精フギンとムニン、それに真っ直ぐミストを見つめるウリボーグの姿があった。

 

 いつもは宙を舞う妖精たちも、この重い空気に押される空間の中では飛ぶことは出来ず、背中の羽根も力なく畳められていた。

 

「ごめんなさい、ミスト。私たちのせいであんなことに……」

 

 ムニンが消え入りそうな声で言った。傍らのフギンも何か言いたそうであったが、その震える唇は言葉を紡ぐことをも酷く躊躇っている様子であった。

 

 ミストは妖精たちの抱く罪悪感を察した。そして、それが彼女たちの無垢な優しさからくるものであると信じて疑わなかった。それ故に、ミストは猶更妖精たちのか弱い心を介抱してあげなければならないと思うのであった。

 

「あなたたちは悪くないわ。……だから、そんなに気に病んだりしないで、ね」

 

 ミストは魚の様な下半身の浮力を使って身をひるがえし、妖精たちの前に舞い降りると、そっと労わるように右手を相手の頭上にかざした。

 

 ちょっとでも触れたら壊れてしまいそうなくらい儚げな印象を与える妖精の少女たち。ミストには、自分の心の痛みよりも、彼女たちの方が心配でならなかった。

 

 フギンとムニンからすれば、常に相手を思いやろうとするミストの方が見ていて痛ましいものがあった。ただ、そんなミストに甘えていたい自分たちの願望も強まっていた。

 

 黙って三人の様子を眺めているウリボーグもまた、もっとミストの力になりたいと願い、それでいて実質的にミストの庇護下にあることを感謝していた。

 

「フギン、ムニン、ウリボーグ。ヒルド姉さんやガグンラーズを失って……あなたたちまで居なくなるなんてことになったら私……」

 

 ミストは今でも変わらずに自分の傍にいてくれている、それだけで嬉しい――そう言いたかった。しかし、この小さな仲間たちの抱えている苦悩を思えば、それを口にすることも憚れる。

 

「ガグンラーズは……今、セイと一緒に戦っているの、ミスト」

 

 ムニンの言葉に、ミストは驚いた。

 

 ガグンラーズがロキの手によって新しい戦士として生まれ変わり、【虚無】の者たちと戦っているということは知っている。だが、それがセイと関わることであるとは……。

 

「セイは私たちと別れた後、新しい機械の身体になって敵と戦っているの。その身体には紛れもない、ガグンラーズの魂も宿っている……」

 

「ガグンラーズとセイが、今もあの戦場で……」

 

 ミストは遥か遠くで繰り広げられている戦闘を見やった。瞳の中に仕込まれたセンサーの出力を上げてよく見ようと試みたが、朧げな戦火を垣間見ることしか叶わなかった。

 

「ミスト、私たちなら……あそこで戦っているセイたちを見ることもできるの」

 

 ミストはムニンの方へ向き直り、懇願するように言った。

 

「私にも教えて。セイとガグンラーズのことを」

 

 ムニンはフギンと顔を見合わせた。お互いに頷き合うと、双子が手を合わせる。それと共に、中空に一筋の光明が灯り、そこから一つの映像が映し出されていった。

 

 最初は不鮮明なヴィジョンに過ぎなかったが、徐々に映像ははっきりとしたものとなり、友軍と協力して盾竜の群れと戦う獣機合神の姿が映し出されていった。

 

「獣機合神セイ・ドリガン。それが、今のセイの名前なの」

 

「セイ・ドリガン……」

 

 ミストはセイ・ドリガンの雄姿に釘付けとなっていた。大分様変わりしていたが、セイの面影がある。そして、セイと共に戦う、騎士ガグンラーズの姿が重なって見えた。

 

 ウリボーグもまた、遠方で戦う獣機合神の映像に見入っていた。共に旅をしたガグンラーズとセイの面影を持つ機械の戦士。勇猛果敢であると同時に、強い信念を持つ獣機合神の姿は、ウリボーグの心をもとらえて離さかった。

 

「セイ、ガグンラーズ……どうか、無事に帰ってきて」

 

 ミストはセイ・ドリガンの無事を強く祈っていた。

 

 

 

 朱色の火花をまき散らし、撃墜された盾竜が吹き飛んでいった。なおも殺到して襲い掛かってくる盾竜の群れに対して、獣機合神は一瞬も休むことなくドリルを備えた大槍で迎え撃つ。

 

 ブリシンガメンの首飾りとの距離は大分詰めた。この調子で攻め入れば、十分に勝機がある。最前線で猛威を振るう獣機合神の存在に勇気づけられた機械たちの士気は、大いに高まった。

 

 友軍の犠牲も大きかったが、既に敵の中枢にまで到達しつつある。普段は温厚なヴィーザルも逸る気持ちを抑えきれなくなっていた。

 

 一方で、共に戦うボルヴェルグはこの戦況の変化に疑念を持ち始めていた。僅かな時間であったが、唐突な敵の士気の乱れがあったからこそ、戦況を覆すことが出来たのだ。ここまで常に第一線で戦ってきたボルヴェルグだからこそ、この不自然な戦局に感づいていた。

 

(些か出来過ぎているのではあるまいか……。あれだけこちらの歌姫という泣き所を突いてきた敵がこうもあっさりと退却するなど)

 

 歌姫を失えば、我々の敗北は決定的となるだろう。それなのに、虚無の軍勢は中途半端なところで引き上げ、結果として勝機を逸している。もし、最初から歌姫を狙って攻めて来ていたのであれば、あの状況下で退くなど、到底考えられない。

 

(敵の目的は歌姫では無かったのか。いや、しかし)

 

 だが、こちらはこの好機に乗るしかない。ボルヴェルグはここに来て友軍の士気を挫いてはならぬと言わんばかりに己の疑念を振り払い、黒槍を突き出した。生み出された旋風は盾竜を薙ぎ払い、同胞たちの進むべき道を空中に作り出した。

 

 ボルヴェルグによって穿たれた敵軍の穴へ、セイ・ドリガンが瞬時に飛び込んだ。大槍を大車輪の如く回転させ、周囲の盾竜たちを巻き込む。セイ・ドリガンの後ろからボルヴェルグ、ヴィーザルを始めとする友軍がなだれ込み、なおもセイ・ドリガンを食い止めようと迫って来ていた盾竜たちを蹴散らした。

 

「もう一息だ。我々は敵の喉元にまで入り込んでいるぞ」

 

 ヴィーザルが叫び、それに応える無数の動器と神機たちが一斉にブリシンガメンの首飾りの近辺の空域に攻め込んだ。

 

 この戦い、既に勝敗は決した。我らの勝利だ、ヴィーザルはそう確信していた。

 

 

 

「来おったか」

 

 浮遊し連なっているブリシンガメンの首飾りの中央の個体に腰を下ろしているゲンドリルが、接近してくる獣機合神を見据えていた。

 

 先陣を切っていた獣機合神は幾度もゲンドリルの差し向けた盾竜と衝突していたが、後方から続々と連なってくる機械たちの援護によって、既にブリシンガメンの首飾りの端に到達していた。

 

 獣機合神はその眼光でゲンドリルの姿を捕らえると、獣の様な咆哮を上げ、ブリシンガメンの首飾りを形成する一つの人口衛星に取りつくと、大槍を振り回しながらその上を一気に駆けた。

 

 ここに来るまで冷静になろうと心中で己を諫めていた獣機合神セイ・ドリガンであったが、討つべき敵の姿を直視したことで、沸き起こる強い闘争心を抑えきれなくなっていた。

 

 ゲンドリルの身体が胡坐をかいている姿勢のまま宙に浮く。続けて、手にしている杖を一閃させた。黄色い紋様によって構成された魔法陣が中空に現出し、それと同じものが二重三重になって創り出されていった。

 

 ゲンドリルが杖の柄の部分を前方に押し出すと、連なった魔法陣が砲撃の如く突き進み、迫り来る獣機合神を目掛けて直進していった。

 

 魔法陣と激突した獣機合神は人工衛星から押し出され宙を舞ったが、バーニアを噴射させることで空中で踏みとどまり、魔法陣の壁を押し返した。

 

 獣機合神は次々と連射される魔法陣に向かって、大槍の先端の高速で回転するドリルを構えると、凄まじい唸り声を響かせながら突進した。魔法陣の壁が次々と突き破られ、空中に四散し、獣機合神の通った後ろには金色の粒子が尾を引いていった。

 

「ゲンドリル。捉えたぞ」

 

 セイ・ドリガンはそう言い放つと、眼前のゲンドリルに向かってドリルを突き出した。ゲンドリルはひらりと身を翻すと、セイ・ドリガンの得物をかわし、杖の先端から雷光を放ち、セイ・ドリガンの装甲を焼いた。

 

「よくここまで来たな……戦士よ」

 

 ゲンドリルは追い込まれてもなお、幾分かの余裕を感じさせる態度を崩さなかった。

 

 セイ・ドリガンは先の攻撃で受けた傷を顧みることも無く、再度大槍をゲンドリルに向けて、言った。

 

「俺はこの時を待っていた。貴様に滅ぼされた我が同胞たちの仇を討つ、この時を。……あの時、受けた屈辱、今ここで返させてもらおう」

 

 ゲンドリルが訝し気に眼前の獣機合神を見定めた。やがて、納得した様子で言う。

 

「ほう……おぬし、あのセイと呼ばれていた獣か」

 

「俺の意識はセイのものだが、俺は多くの獣や機械たちと一体化し、共通の意志で今この場にいる。今の俺の名は獣機合神セイ・ドリガンだ」

 

「なるほどのう……。随分と様変わりしたものよ」

 

「貴様のその虚勢も今すぐ崩してやる。もう貴様には後が無い筈だ」

 

 セイ・ドリガンの大槍に備えられたドリルが一層強く熱量を帯び始めた。次の一撃でゲンドリルを仕留める。セイ・ドリガンはそう決心していた。

 

「大したものよ。儂の死での道連れにしては不足はないか」

 

 ゲンドリルの杖が高く掲げられた。魔法陣が何重にも連なって上昇していき、天を貫くように聳え立つ。

 

「なんだと……ゲンドリル、何をするつもりだ」

 

 セイ・ドリガンの問いに対して、ゲンドリルはほくそ笑んだ。

 

「ほっほっほ。おぬしほどのつわもの、それに既にこの空域に入り込んでいるおぬしの仲間の機械ども。皆まとめてブリシンガメンの首飾り諸共消し飛ばしてくれよう」

 

「ブリシンガメンの……まさか、貴様、自爆するつもりか」

 

「その通りじゃ。儂が改良したブリシンガメンの首飾り、おめおめと敵にくれてやるとでも思っておったのか、愚かな……」

 

 セイ・ドリガンはゲンドリルが言い終わるのを待たず、その胴体を狙ってドリルで突きかかった。ゲンドリルは左右から電光を迸らせることで直進するセイ・ドリガンの勢いと視力を奪い、攻撃をかわした。

 

「お前たちがここに来るまでの間に、既に術式は完了してある。あとは起爆させるのみ……」

 

「ちいっ。やらせるか」

 

 セイ・ドリガンが我武者羅に大槍を振り回して電光を打ち払うと、ゲンドリルに飛びかかる。しかし、両者の間に出現した魔法陣によって阻まれた。

 

 中空に連なる魔法陣が急速に拡大し、それと同時にブリシンガメンの首飾りの中央を担う人工衛星から膨大な熱量が溢れ出した。連なるブリシンガメンの首飾りが次々と発光し、今にも爆発する寸前であった。

 

「さあ、共に【虚無】へと落ちようぞ」

 

 セイ・ドリガンがありったけの熱量を発散させることで己を抑え込んでいる魔法陣を打ち破った。だが、間に合わない――セイ・ドリガンはそう思った。

 

 天空を突く勢いで連なる巨大な魔法陣。それが突如激しく明滅し、急速に光力が失われていった。尚も空間に留まろうとしていたかに見えた魔法陣が、糸が解れたかのように綻び、形が崩れていく。

 

 ゲンドリルは驚愕の眼でその様子を凝視していた。やがて、魔法陣は一つ残らず崩れ去り、空間に溶け込むように消えていった。

 

「なん……だと。なにをした、貴様」

 

 あまりの出来事にセイ・ドリガンもまたその手を止めていた。後方から駆け付けている機械の仲間たちもまた、この目まぐるしい状況の変化に戸惑っていた。

 

「あ……あれは」

 

 ゲンドリルが上空に表れた空間の歪みを見抜いた。その歪みが大きくねじ曲がり、空間を押し開きながら、巨大な白銀の神機が姿を現した。

 

「翼神機じゃと。まさか、完成したとは。……しかし、この力は」

 

 翼神機の両翼は広げられ、左右に凍てつく氷の様な結界が形成されている。そこでは未だ残っているゲンドリルの魔力の残滓が、金色の弱弱しい光を出しながら渦巻いていた。

 

「儂の魔力を打ち消すほどの氷壁を創り出すとは。あやつ、我が神と同じ力を備えているというのか」

 

 翼神機の頭上に、冥機グングニルが浮かんでいた。冥機は槍を備えた両腕を左右に広げ、翼神機の両翼に禍々しい波動を送っている。

 

「……そうか。奴が敵に取り込まれた、ということか」 

 

 ゲンドリルの両腕が力なく下げられた。ゲンドリルはこれ以上術式を展開しても無駄であることを自覚していた。

 

「万策尽きたな、ゲンドリル。覚悟」

 

 セイ・ドリガンが大槍を構え、再び戦闘態勢に入った。

 

「知をもがれたとはいえ、儂も神将の一人。むざむざとやられはせぬ」

 

 ゲンドリルはセイ・ドリガンを睨むと、杖へ向け、先端に熱量を集中し始めた。

 

 セイ・ドリガンが先手を打とうと、ゲンドリルに向かって駆けだした。一閃された大槍が、ゲンドリルの杖によって受け止められる。そのまま両者が得物による打ち合いが繰り広げられた。

 

 冥機によって制御されている翼神機の展開する氷壁によって、ゲンドリルは魔法陣を使った攻撃と防御を封じられていた。それでもゲンドリルの機人本来の力と特殊合金で造られた杖の威力は強力であり、セイ・ドリガンとて容易く打ち破ることは出来なかった。

 

 だが、セイ・ドリガンの内に秘められた熱量はゲンドリルのそれを大きく上回っており、徐々にゲンドリルの方が押されつつある。そのことは、本来後方で指揮を執る知将であるゲンドリルにもわかり切っていることであった。

 

 そして、遂にセイ・ドリガンのドリルがゲンドリルの杖を圧し折った。急いで杖を修復しようと光電の糸を両腕から放出し、杖を繋ぎだしたゲンドリルであったが、間に合わなかった。

 

 セイ・ドリガンのドリルがゲンドリルの胴体を穿ち、一気に貫いた。己を貫通したドリルを見下ろし、ゲンドリルは観念した風で抵抗を止めた。

 

「遂に……遂に、討ち取ったぞ……同志たちよ」

 

 セイ・ドリガンが高らかに宣言した。

 

「……見事、セイ・ドリガンよ。……だが、神は……この世界の何もかも滅ぼすおつもり。……滅びゆく順序が入れ替わっただけに過ぎぬわ」

 

 徐々に熱量を失っていくゲンドリルが弱々しく語った。

 

 セイ・ドリガンはゲンドリルの真意が掴めず、コアの輝きも消えゆく宿敵に問う。

 

「……虚神は貴様らも滅ぼすというのか」

 

「……左様。……あの冥機……何故、儂はあれの意志を……我が神の意志と確信したのか。今ならばわかる。我が神は……最初から同胞を生き永らえさせる気などなく……冥機も神も、真なる【虚無】の発動を望んでいたのじゃ……」

 

「ばかな、ならば貴様は何れ自分も消されるとわかっていてなお、【虚無】の神に従ったというのか」 

 

「それが神将の位を授かった者の忠義……おぬしには……わかるまい」

 

 ゲンドリルの折られた杖が足場に落ち、カタンと音が響いた。

 

「お前たちの【勇者】の覚醒も……翼神機の誕生も……すべて、神の思惑通り。……せいぜい、抗うが良いわ。……じゃあの、先に……【虚無】で……待っておる……ぞ」

 

 ゲンドリルの全身が黒ずんでいった。そして、芯まで錆び付いた金属の様にぼろぼろと崩れ出し、形を失ったゲンドリルの身体が翼神機の両翼から巻き起こっている風に巻き込まれ、空中に散っていった。

 

 セイ・ドリガンは大槍を収め、風に弄ばれながら消えていくゲンドリルの骸を、ただ茫然と眺めていた。

 

 

 

 

 今回の戦いは、【虚無】に抗う機械たちの勝利に終わった。ゲンドリルの消滅により、統率する者を失った盾竜の群れは方々へ散っていき、後に残されたブリシンガメンの首飾りを奪還することに成功したのだ。

 

 戦勝を祝う機械たちの中で、一人、何やら思案気な様子で佇む騎士の姿があった。黒槍機ボルヴェルグである。

 

 ボルヴェルグの傍らには未だ翼を広げたままこの世界の重い空気を一身に受けている翼神機と、その翼神機に取りついている冥機グングニルが居る。

 

 ボルヴェルグは訝し気に冥機を見やった。歌姫の塔が【虚無】の神によって浸食されていった際に見た闇に染まった神機。それが友軍として存在しているとは、ボルヴェルグにとって、間近で見てもどうしても信じ難いことであった。

 

「もし、冥機が味方についていなかったら、我々はブリシンガメンの首飾り諸共、消滅していた。……ロキよ、お前は最初から冥機を味方につける気でいたのか」

 

 その問いに答える、一つの影。ボルヴェルグの背後に、ロキの端末であるベビー・ロキの姿が現れた。

 

(冥機の力を利用することは、この戦いが始まった時点で決めていたよ。敵の将がブリシンガメンの首飾りをそう簡単に渡してくれるとは思わなかったからね)

 

「気に入らんな。お前はまるで何もかもを知り尽くしているかのようだ。我々は皆、お前の掌の上で弄ばれている……そんな気がしてならんのだ」

 

 暫しの沈黙があった。やがて、その沈黙を破ったのは、ボルヴェルグの疑念に応えるロキの電子音声であった。

 

(多分、君たちが僕に抱くそういった感情と同じものを、僕も僕を造った先代の【勇者】に対して、思っている……よ)

 

「先代の【勇者】……天戒機神グロリアス・ソリュートか」

 

(そう。僕は【勇者】の想定通りに動いて、君たちを導いているに過ぎない。だからね、時々思うんだ。【勇者】には予め決めておいたプランがあって……ここまでの戦いも、これからの戦いも、【勇者】は知っているんじゃないかって。僕も、所詮は【勇者】の思惑に利用されている一つの傀儡に過ぎないのかもしれない、と)

 

「かつて【虚無】と戦ったグロリアス・ソリュートが、今後の戦いを見通しているというのか」

 

(確証はないけど。僕というプログラムの全貌は、僕自身にもよくわからないところがあってね。新たな危機に局面するたびに、【勇者】の遺したデータが浮かび上がっていくんだ。僕が次に為すべきことを予め指示しておいた、そんな感じに)

 

 ボルヴェルグは改めて、冥機の姿をまじまじと見つめた。この【虚無】の使者だったものの力さえも利用することを、グロリアス・ソリュートは予見していたというのだろうか。にわかには信じられない話である。

 

 ボルヴェルグの視線を受けても、冥機には僅かな反応も見られなかった。翼神機に取りつく冥機の相貌は虚ろであり、心はここにない様子で、両眼は虚空に向けられていた。

 

 

 

 ブリシンガメンの首飾りが歌姫たちの手に渡ったことを、白の神は既に知っていた。

 

 白き機神獣の両翼は広げられ、獅子の様な相貌と狼の様な巨躯が、これから己に滅ぼされる世界の風を受け、獣毛がなびいていた。

 

(ゲンドリルめ、しくじったか。……だが、どの道、真なる【虚無】を発動させる際に自由意思のある部下が残っていても邪魔なだけ。そろそろ頃合いかもしれぬ)

 

 機神獣の両眼が鋭く輝き、虚空に眼光が焼きつけられた。すると、虚空が蠢き、異なる空間同士が繋ぎ合わされ、遠方の情景が浮かび上がった。

 

(アルブスよ。お前はこれから空帝ル・シエルをプラチナムと共に操り、ブリシンガメンの首飾りを攻め、歌姫を抹殺せよ。近隣の空域一帯のイージ・オニスを総動員しても構わぬ。だが、失敗は許さぬ。良いな)

 

 それだけ伝えると、機神獣は竜騎との交信を止め、己がこじ開けた次元の裂け目へ飛び込んだ。

 

 ヴァルハランスに傷つけられた機神獣の身体は、完全に回復している。更に、周辺の地域の浸食はほぼ完了しつつあり、現出した白夜の虚空は【虚無】の代行者たる虚神の本来の力を引き出す役割を果たしていた。

 

 あとは、歌声さえ消えればこの世界の消滅を阻むものは無くなる――それもまた、機神獣の想定通りに事が運んでいた。

 

 機神獣が次元を跳躍し、その場を立ち去ってもなお、周囲には【虚無】の影響が色濃く残っていた。

 

 ぼろぼろと崩れ去っていく森林の中から、一匹の小さな虹色の蝶が舞い上がった。その後に続いて、弱り切った小さな獣や光虫たちの姿が現れる。

 

 虚神からは全く問題視されていなかった小さき者たち。その者たちは、侵略者から逃げ延び、今もまた【虚無】から逃れようとしていた。

 

 虚神の姿が消えた今のうちに、ここよりも安全な場所を目指す。それが滅びゆく者たちの最後の抵抗であり、それを導くことが今日まで生き延びてきた蝶の使命であった。

 

 

 皆を導く、小さな光虫の輝き。

 まだ残るかぐわしき緑の地へ。




関連カード

●レインボウパピヨン

白の光虫。
自分のフィールドに緑のスピリットがいれば自身のBPを上げる効果を持つ。
フレーバーテキストでは、緑の地へ皆を導く役割を担っており、侵略者に追われていた生き物たちを助けるスピリットの一体と思われる。
侵略者が現れる前の白の世界は緑の世界と酷似していたらしい節があり、他にも初期の白のスピリットには緑に関する効果を持つ者が多い。

本章の最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
おそらく、侵略者に追われる時を想定した一文であるが、虚無の軍勢が出現した後も変わらない使命を全うするという意味で引用した。


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第四十五章 踊る鎧神

 歌の項

 

 

 殺意を返し輝く盾。

 刹那の間を受け、踊る鎧神。

 

 

 白鳥は風の失われた重い質量に満ちた空を飛んでいた。かつてのこの世界の生き物であれば、このような空を飛ぶなど不可能であったが、機獣と化した白鳥にとってはそれが最早自然なこととなりつつあった。

 

 白鳥は、そのことを恐れていた。もう、かつての世界は二度と戻ってこないのではないか――そう思ったからである。

 

 事実、世界の本質が変容した今となっては、侵略者が来る前の世界へ戻すことは到底不可能となっている。白鳥の本能はそれを感じ取っていたのだ。

 

 この空も、先ほどまではかつての世界を彷彿とさせる風が吹いていた。以前、獣機合神もそれを体感するために飛行した。だが、【虚無】の力が行使されたことで世界の均衡が瞬く間に崩れ、気づいた時には慣れ親しんだ風も消えていた。

 

 世界が壊れていく。己の内に秘められた星の魂が、壊された世界に何を与えることが出来るのか――白鳥はそのことを自問するようになっていた。

 

 

 

 視界の悪い、吹き荒れる吹雪の中。そこでは、歩哨を務める獣の鳴き声が時折聞こえるほかは、生命を感じさせるものはなかった。

 

 この広大な雪原の中、一際強い氷雪に覆われている、青白い砦が建っていた。

 

 砦はあまり大きなものではないが、五方向と中央部分に備え付けられた青白い発光体から創り出されている結界が、一際異彩を放っていた。

 

 ここは古の戦において、氷の姫君たちの拠点の一つであった。その機能はヘルとの戦いの頃と比べても衰えてはおらず、要塞皇オーディーンを主力とする侵略者の一軍がこの世界の中心を担う王都を襲撃した際、都で暮らす姫君たちの何人かがこの砦に逃れてきた。

 

 しかし、この砦の主である六花の司書長サーガの計らいにより、砦に集まった姫君や従者の獣たちは皆、ソールを始めとする多くの姫君がいち早く立てこもっていた千年雪の尖塔へと移住していた。建物を守護する術式はこちらの方が強固であったが、向こうには凍獣マン・モールを筆頭に、ファーブニルやニヴルヘイムといった豪傑たちの存在があったためである。

 

 現在では姫君たちからも見放された僻地と言えるが、今になってこの砦を利用する者たちがいた。

 

 砦に備えられた唯一の出入り口から、一体の大柄な白い虎が顔をのぞかせた。その虎は身体の大半が機械化しており、背中には本来この世界の住人にはそぐわない筈の火器が備えられていた。

 

 虎が一声吼えると、雪原を走っている複数の獣たちが、虎の声を頼りにして、砦の方へ走ってきた。

 

「どうだった。奴らの動きは」

 

 帰還した歩哨の獣たちに対して、虎が尋ねた。

 

「今のところは、出現の兆候も見受けられない。まだ、ここの存在に気づいてはいないのではないか」

 

「油断するな。奴らは不意に現れる。こことて、決して安全とは言えないのだ……」

 

 虎はそう念を押すと、歩哨の役割を終えた同胞たちを砦の内部に迎え入れた。

 

 主のサーガすらいなくなった砦であったが、今は敵から逃げ延びてきた各地の獣たちがここに立てこもっていた。

 

 獣たちにとっての敵とは、かつての侵略者である機械たち、及び虚無の軍勢である。この場にいる獣たちには世界の情勢の変化は伝わっておらず、歌姫と侵略者が手を組んでいることも知らなかった。そのため、虚無の軍勢も機械の侵略者と同じ勢力であるというのがこの獣たちの認識である。

 

 ただ、獣たちをまとめるリーダーとしての役割を担っている虎のビアンコは、虚無の軍勢が機械よりももっと異質な存在であることを察してはいた。機械たちは門というこの世界の機構を利用しているが、新手の軍勢は世界そのものを捻じ曲げてその機能を破壊することで侵入してきている。歴戦の勇士であるビアンコは、おぼろげながらそれに感づいていたのである。

 

 砦の内部は手入れをする姫君がいないために寂れていたが、獣たちなりに環境を整えてはいた。結界の術式を理解する者が誰もいないため、もし防壁を破られてしまったら立て直しは不可能であったが。

 

 綺麗に削られた冷たい石で構成されている回廊を、ビアンコと、豹の姿の機獣、ジャッカルのような姿の甲獣が連れ立って歩いていた。

 

 本来、大自然の中、草や大地を踏みしめながら闊歩する獣たちにとって、砦の床は居心地の良いものとは言えない筈であった。それが今では、機械と化し、硬質化した身体を持つ今の獣にとっては、己の足で踏みしめるものが人工物であろうと自然物であろうと大して変わらなくなってしまっている。獣たちは本能的に恐れていた。自分たちが長年培ってきた感覚と価値観が失われていくことを。

 

「このような歌声も届かない辺境の地、いつまで持ちこたえられるかわからぬな……」

 

 ビアンコが唸るような声で言った。

 

「連中はここの存在には気づいていないのであろう、ビアンコ殿。この場で隠れていれば、何れ歌姫たちや世界中の同胞たちが反撃に転じた際、はせ参じることもできる筈」

 

 傍らにいる機獣の発言は、ビアンコにとっては些か楽観的過ぎる気がした。

 

「……世界は確実に滅びに向かっている。お前たちも見ただろう、外の世界を。雪は冷たさを失い、風は身を突き刺すように鋭く、重い。異変は留まるどころか、むしろ加速している。このまま黙っていては、我々は敗北する。その後は……すべてが死に絶える未来しかあるまい」

 

「ビアンコ殿。あなたの懸念もわかるが、この地に落ち延びてきた同志たちの生きる気力を奪いかねない言葉は控えてくれ。皆、救いを求めて、かつての聖域の一つであるこの砦に集っているのだから」

 

 反対側にいる甲獣の言うことも、ビアンコにはよくわかる。ただ、氷の姫君たちからも見捨てられた辺境に留まっていても事態は好転しないのだという考えが、重圧となって己の思考を圧迫していた。

 

「すまない、今のは忘れてくれ……」

 

 その一言が、ビアンコにとっての精一杯であった。

 

 

 

 神機レーヴァテインと合流した巨神機トールは、遊撃隊として奔放し、各地に出現している虚無の軍勢を相手に、猛威を振るった。トールに率いられているのは複数の神機ミョルニールや、選りすぐりの機人たち。その機人の中には、フィアラルの姿もあった。

 

 フィアラルが遊撃隊の一員として出撃している一方、長年の相棒のガラールはトールが守護していた都市に残り、情報戦に従事していた。遊撃隊にとって、拠点のガラールたちから送られてくる情報は命綱と呼べるものであり、敵との不利な戦闘を回避しつつ、敵軍に対してより効果的な打撃を与え続けていた。

 

 遊撃隊の主な目的は虚無の軍勢の戦力を切り崩すことの他に、各地で孤立している獣たちの救援も兼ねていた。特に、未だ機械たちとの共闘関係に気づかずに戦い続けている猛者も少なくなく、そういった者たちを味方につけることで戦力を増強しつつ、この世界の住民とのわだかまりを着実に解消することが最優先事項と言えた。

 

 トールの部隊とは別に、地上を駆ける獣たちによって構成されている第二の遊撃部隊と呼べる者たちもいた。その部隊の中心を担っているのが鎧装獣キマイロンであり、その腹心として鎧装獣オオヅチや、生き残りのグリプドンの姿もあった。獣の他にも、本部やトールの部隊との連絡を取り合うことを主な任務とする動器たちが同行していた。

 

 生き残りの獣たちを発見した場合、まずはキマイロンの部隊が率先して交渉を試みるが、虚無の軍勢との交戦中により急を要する場合、飛行能力を持ち、機動力にも長けている巨神機トールの部隊が先に外敵を撃退する。これにガラールたちの協力によって張り巡らされた情報網が加わり、連携が展開されていた。

 

 今、巨神機トールは神機レーヴァテインと並んで飛び立ち、次なる目的地へと急いでいた。

 

 ガラールから送られてきた情報によると、これまで観測されたことのない膨大な熱量が辺境の雪原地帯に出現したという。本来なら、正面からぶつかるのは危険な相手として避けねばならなかったが、近隣の地域には今もなおゲリラ戦を展開して抵抗し続けている獣たちがいることも確認されており、居てもたってもいられなくなったトールは現地へ直行した。

 

 トールは、かつて自分が戦ってきたこの世界の獣たちを救うことこそが自分の使命であると自負していた。ロキに言われたからではない。己が打ち倒した、岩と化した像たちの魂の叫びを聞いたことが、トールの信念の源であった。

 

 金属のような光沢と重い質量を伴った氷雪が、飛行するトールとレーヴァテインの全身を打ち付ける。それでも二体の装甲に傷をつけることは無かったが、これから救うべき獣たちもこれに身をさらされているのだと思うと、心に刺し入るものがあった。

 

 かつては鋼人スルトとしてこの世界の住民を相手に戦っていたレーヴァテインも、トールと行動を共にしているうちに、獣たちに対する情愛に似た感情を持つに至っていた。

 

 今にして思えば、何故自分たちと同じ感情を持っている生命たちを踏みにじり、その者たちの生きる社会を滅ぼそうとしていたのか。考えるだけでもかつての戦いが恐ろしいものに感じられる。

 

 そして、現在交戦中の虚無の軍勢。

 

 お互いに理解し合えないという点ではかつての機械と獣の戦と似ているが、連中の本質が真に【虚無】なのだとしたら、この戦いはもはや避けては通れるものではない。

 

 これまでの戦いで、虚無の軍勢の大部分を構成する虚無の騎士と盾竜の詳細が分析され続けてきたが、かの者たちの内面を知ることはできなかった。

 

 それは獣たちとの交戦では疎かにされていたことであり、その際の教訓を活かしてのことであるが、敢えて判別できたことを上げるならば、連中には感情というものが一切見受けられない、というものであった。

 

 以前、レーヴァテインも対峙したことのある虚神や神将とは対話も可能であったが、どうやら虚無の軍勢は完全な傀儡と化している兵力で以てこの世界を攻めているらしい。だとするならば、一切、交渉などの通じる相手ではないことになる。

 

 前方に、五角形の結界によって守護された砦が見えてきた。まだ自分たちが侵略者であった頃、千年雪の尖塔を発見した偵察機マグニとは別に行動していた部隊が発見した経緯のある、氷の姫君たちの拠点。既に打ち捨てられていたため、調査を打ち切り、放置していた場所であるのだが――。

 

「来たぞ。この反応……奴らだ」

 

 後方で随行しているフィアラルが叫んだ。それと同時に、砦の付近の上空で大きな次元の歪みが生じた。

 

「凄まじい熱量だな。我々を軽く凌駕している」

 

 レーヴァテインが武者震いをしているかのように、流動体となっている全身を震わせた。

 

「ああ。だが、やらねばなるまい」

 

 トールが決意を露わに、己の内に秘めていた熱量を高めていった。

 

「……そうだな」

 

 トールに呼応し、レーヴァテインは自らを剣へと変形させ、トールの腕と一体化した。

 

「総員戦闘態勢。それから別動隊のキマイロン殿にも連絡を。住民の救助は彼らに任せ、我々は五角形の砦の防衛を優先し、敵を迎え撃つ」

 

 出現する虚無の軍勢を前に、合戦の火ぶたが切られようとしていた。

 

 

 

 先に帰還した獣たちとは入れ替わりに歩哨に出ていた獣が大急ぎで戻ってきた。何事かと駆け付けたビアンコたちであったが、すぐに状況を理解した。

 

 上空の空間が大きくねじれ、そこから異質な波動が伝わってくる。その波動が己という存在の一番深くに入り込み、内から存在を否定されるかのような衝動にかられた獣たちの嗚咽にも似た鳴き声が木霊する。

 

「静まれ。取り乱したりすれば、奴らの思うつぼだ」

 

 駆けだすビアンコ。慌てた獣の一体が、呼び止める。

 

「ビアンコ殿。どうされるおつもりで」

 

「知れたこと。侵略者どもから与えられたこの機械の力で……奴らを迎え撃つ」

 

「し、しかし……」

 

「お前たちも感じただろう、これまでとは比べ物にならない程の連中の力を。歌声のないこの砦では持ちこたえることなど不可能だ……私が時間を稼いでいる間、お前たちは同胞たちを引き連れ、遠くへ避難するんだ」

 

 歪みに耐え切れなくなった空間が割け、そこから巨大な影が蠢きながら実体化していく。その影から直接放たれた放たれた衝撃波が砦の結界を構成する発光する球体の一つに当たった。球体は一瞬で砕け散り、結界が急速に薄れていった。

 

 衝撃波によって引き起こされた振動は砦全体を襲い、獣たちを包んでいた加護が急速に失われていくのを、誰しもが理解していった。

 

「急げよ……。私は、行く」

 

 意を決したビアンコは結界の外へと飛び出し、背後から聞こえてくる同胞の声を振り切り、次元の歪みの下方へと駆けた。

 

 上空には銀色の両翼を広げる、獅子とも狼ともつかない巨躯の機神獣が姿を現していた。

 

「今度は我らの同胞に酷似した怪物か……。しかし、敵であることに変わりはない」

 

 ビアンコは背中に備えられた二つの銃を異形の怪物に向けると、熱線を発射した。放たれた熱の帯は巨大な機神獣を正確に狙い撃ったが、機神獣の前に出現した透き通った氷壁によってかき消されてしまった。

 

(ほう。我が傀儡から逃げ続けてきた臆病者しかいないのかと思えば、真っ向から挑んでくる者がいるとはな)

 

「なんだと。貴様は……」

 

 脳裏に直接伝わってくる意思に、ビアンコが驚愕する。

 

(その勇気は褒めてやろう。だが、その無謀は哀れんでやろう。……さあ、勇敢にして愚かな戦士よ、【虚無】へ還るのだ)

 

 機神獣は両翼を羽ばたかせると、地上へと舞い降りた。剛腕な四肢によって大地が踏みしめられると、地上を破壊の波動が伝わり、凍り付いた地面が音を立てて崩れていった。

 

「うぬ」

 

 ビアンコは素早い身のこなしで崩壊していく氷塊を足場にしながら飛び回り、相手を翻弄するかのように背後へと回った。機神獣の赤い輝きを帯びた眼光がビアンコの後を追い、滅びの光が放たれる。

 

「うぐ……」

 

 寸でのところで直撃を回避したビアンコであったが、光がビアンコの身体をかすめ、胴体を大きくえぐり取られた。

 

 かつての獣であった頃のビアンコであれば、この一撃が致命傷となっていたであろう。だが、侵略者のもたらしたナノウィルスによって変化した機獣の身体は、まだビアンコの戦意を失わせないだけの熱量を全身に送っている。

 

 ビアンコは重傷を負いながらも、まだ残っている己の痛覚をこらえながら、機神獣を睨んだ。隙あらば飛びかかろうという構えであるが、眼前の異質な怪物の気配を探り取ることは到底かなわず、攻め込む機会をうかがい知ることはできない。

 

(新手も来たか。こうも続々と猛者が集うとはな……好都合だ)

 

 機神獣の言葉が何を意味しているのか、即座には呑み込めなかったビアンコであったが、間もなく遠方から急接近してくるもう一つの巨大な影の存在を察した。

 

「あれは……侵略者だと。ぐ、おのれ、この上敵の増援が来るなどと」

 

 ビアンコが見たのは飛行する巨神機トールの姿であった。巨神機トールは己と一体化した流動体の猛る剣を振り上げると、大きく一閃させた。

 

 熱風が空を割き、氷雪を吹き飛ばしながら接近する。ビアンコは何とか踏ん張っていたが、気を抜けば巻き込まれそうな勢いであった。

 

 機神獣が大きく飛翔した。その場に残されたビアンコは何事かと上空を見上げる。巨神機の放った熱風を回避した機神獣が、そのまま突進してきた巨神機とぶつかり合い、壮絶な格闘戦を繰り広げていた。

 

「なん……だと。奴らが争っているのというのか」

 

 茫然となって上空の激戦を見つめるビアンコ。ふと、遠方より、何者かが近づいてくる気配を感じた。ビアンコがそちらを見やると、疾走する一体の獣の姿が映った。

 

 

 

 虚神との交戦は、トールとしても初の体験であった。敵はまるで値踏みでもしているかのように、トールの装甲の至ることを強靭な爪と尾で斬りつけた。その度に、砕け散ったトールの装甲が風に呑まれ、宙へと飛散していく。

 

「ぐ……おのれ。このトールを弄ぶとは」

 

 トールは激しい怒りの衝動にかられ、手にしているレーヴァテインに力を込めると、機神獣の胴体を突き刺そうとした。刃は軽々とかわされ、むなしく空を切った。

 

「トール殿。冷静になってくれ。奴は歌声と氷の魔女ヘルの力を得たヴァルハランスでも勝てなかった相手だ。不用意に近づけば、こちらがやられる」

 

 レーヴァテインの声が木霊する。

 

「……ああ、すまぬ」

 

 そう言うトールであったが、機神獣の動きはまるで捉えようがなく、その後も相手の攻撃を受け続け、翻弄されていた。

 

(現状の機械どもの最高戦力とも呼べるトール。それがこの程度か。……ならば、早々に終わらせるとしよう)

 

 機神獣が一気に高空へと飛び立った。あまりの速度に、トールでも追いつけない。

 

(消えろ)

 

 機神獣が赤い光を雨のようにまき散らした。赤い光はトールの硬い装甲を次々と貫通し、その浮力を奪う。飛行できなくなったトールはそのまま墜落していった。

 

 光は尚も降り注ぎ、五角形の砦にも命中した。弱まっていた砦の結界は立ちどころに消失し、建物全体が轟音を上げ、崩れていく。

 

(く……砦が。この世界の同胞たちが……)

 

 トールの思考が眼前の惨事に狂わされていく。トールはかつてない恐怖を味わわされていた。

 

(これが恐怖。この私が……このような感情を覚えるとは) 

 

 眼前の敵にはまるで歯が立たず、護ろうと誓ったものは容易く壊されていく。トールは途方もない無力感に襲われていた。

 

 

 

 

 音を立てて崩れていく砦。ビアンコは愕然となった。一瞬の間の後、我に返ったビアンコは急いで破壊された砦の方へ疾走した。

 

「誰か。誰かいるか」

 

 廃墟と化した砦の跡に、ビアンコの声が虚しく響く。一帯は今もなお滅びの波動に満ちており、この場にいてはビアンコの身体も分解されかねなかった。

 

「ビアンコ殿。ここは危険だ。急いで退避しなければ……」

 

 そう声をかけたのは、鎧装獣キマイロンであった。つい先刻、キマイロンは上空の巨神機が友軍であることをビアンコに伝え、共に虚無の軍勢と戦う同志となって欲しいと交渉を試みていた。その矢先に、虚神の放った滅びの光が砦を貫き、破壊したのだ。

 

「し、しかし。ここには仲間たちが」

 

 言いかけたビアンコは、傍らに転がっていた獣の亡骸を見て、言葉を失った。その獣はほとんど原型を留めてはおらず、見ている傍で黒く変色し、ぼろぼろと崩れていった。

 

「このままではあなたも【虚無】に呑まれる。ビアンコ殿、早く戻ってくれ」

 

 キマイロンの声を聞き、ビアンコは黙ってうなずくと、徐々に形を失っていく瓦礫の山から退いた。

 

「あれがキマイロン殿の言う【虚無】の神の力なのか……。失った、何もかも。それも、一瞬で……」

 

 今まで護ってきたものが刹那の閃光ですべて消えた。ビアンコの虚脱感は、キマイロンにとっても痛いほどよくわかった。キマイロンもまた、多くの仲間と、故郷である鋼葉の樹林を失ったのだから。

 

「私も……【虚無】の神の実物と対峙するのは初めてだが……機械たちの話によると、奴は、歌姫が立てこもっていた千年雪の尖塔も【虚無】で呑み込んだそうだ」

 

「あの塔も。すると、砦を選ぼうが、塔を選ぼうが結果は同じだったということか……」

 

 ビアンコの相貌が、みるみるうちに絶望に染まっていく。

 

「……だが、歌姫は機械の船に乗り込んで、生き延びた。我々には、まだ希望が残っているのだ」

 

 キマイロンがビアンコに言い聞かせたが、ビアンコの内を占める暗い感情を払拭することは叶わなかった。

 

「機械……かつてそうなるべきでは無かった侵略者の手の内に歌姫が居る。……もし、これが侵略者の術中だとしたら」

 

「ビアンコ殿。先も話したが、彼らはもう侵略者ではない。今では共にこの世界のために戦う同志なのだ」

 

「…………」

 

 ビアンコは未だに機械と姫君たちが手を組んだという話を信じ切れていなかった。つい最近までは同胞の命を奪ってきた機械たち。それが今では仲間になったなどと言われても、すぐに納得できる筈もない。

 

 それでも、キマイロンはビアンコに機械と協力し、分かり合う道を選んで欲しかった。

 

 キマイロンの脳裏に、最期まで機械との共存を拒み、【虚無】に呑まれる道を選んだエンペラドールの姿が浮かぶ。あのような悲劇もまた、繰り返してはいけないのだ――キマイロンは心の中で己に言い聞かせる。

 

「……すまない、すぐに、信じることはできない。考える時間をくれ」

 

「わかった、ビアンコ殿。だが、今はまず安全な場所まで避難することが先決だ。間もなく、私と行動を共にしている同志たちも駆け付ける。急いで合流し、一旦退こう」

 

 ビアンコは黙って頷いた。

 

 

 

 重傷を負ったトールの姿と、救うべき獣たちの全滅を目の当たりにし、後から追いついてきたトールの指揮下にある機人や神機たちの誰もが、決定的な敗北を悟った。

 

 しかし、事態は思わぬ展開を見せる。

 

 再度、虚神から滅びの光が放たれようとした刹那、彼方から、歌声が響いてきたのだ。

 

 声はその場に居合わせた機械と獣すべてを護る盾となり、虚神の光を弾き返した。さらに、傷つき、倒れていたトールに活力が注ぎ込まれる。

 

 トールは立ち上がった。その手には、膨大な熱量を迸らせるレーヴァテインがしっかりと握られている。

 

「こ、これは……」

 

 レーヴァテインは己の内から漲って来る力に驚いた。

 

(ロキは言っていた……俺の内には、ヘルの魔力の残滓だけでなく、ヴァルハランスの魂も宿っている、と)

 

 レーヴァテインは共に戦ったヴァルハランスの魂の波動を思い出していた。そして、その波動と一体化し、【虚無】の神と戦った、あの時の感覚を。

 

「トール殿。勝機はあるぞ。歌姫の加護がついていれば、あるいは」

 

「……ああ」

 

 トールも初めて歌姫の加護を受けたことで、レーヴァテインの言っていることが決して希望的観測などでは無いと理解していた。先ほどまで【虚無】の神との実力の差を見せつけられて戦慄していた己の感情が嘘のようであり、今なら【虚無】の神とも対等に渡り合える――トールはそう直感した。

 

「トール殿、我らもお供いたします」

 

 神機ミョルニールたちがトールを護るように周囲を浮遊する。

 

「……うむ」

 

 トールは左手で一体のミョルニールを掴み、握りしめた。掴まれたミョルニールは変形し、大帝の雷としての役目を体現する。

 

 右手には神機レーヴァテイン、左手には神機ミョルニール。武器を構えたトールが蘇った浮遊能力で以て飛翔し、機神獣を目掛けて突っ込んでいった。

 

 トールの後ろから、護衛のミョルニールや機人たちが次々と飛び立つ。皆、歌姫の加護を受け、【虚無】との戦いに勝機を見出していた。

 

 襲い掛かるトールを、機神獣が真正面から迎え撃つ。さらに、機神獣の背後から複数の盾竜イージ・オニスが飛び出し、トールの周囲にいる者たちに奇襲を仕掛けた。

 

「皆の者。取り巻きは任せた。私は、こいつを」

 

 トールは一直線に機神獣へと接近し、レーヴァテインを一閃させた。それを回避する機神獣。透かさず、変形したミョルニールにありったけの熱量を込め、投げつけるトール。ミョルニールは機神獣の胴体に直撃し、ブーメランのように回転しながらトールの手元に戻ってきた。

 

(歌声が加わっただけでこれほどのものになるとはな……)

 

 機神獣の双眼が、トールを見抜く。

 

(それだけではない……歌声に呼応し、散っていった多くの魂が集約している)

 

 そのことに気づいたのは機神獣だけではない。周囲で戦うトールの同胞たちもまた、トールに宿る多くの魂の残像を見た。

 

「こ、これは……ヴァルハランス殿」

 

 フィアラルが呟いた。

 

 フィアラルは鎧神機ヴァルハランスとの直接の面識はなかったが、後方で新兵器の開発に従事する者の一人として、後にヴァルハランスとなる者へ贈られる筈だった武装の身体を見知っていた。

 

「まるで……現実に戦場で戦うあの者の姿を目の当たりにしているようだ」

 

 ヴァルハランスの魂はレーヴァテインに宿り、トールへと受け継がれた。その場にいる誰もが、そう確信した。

 

 猛威を振るうトールを前に、押され出す白き神。ヴァルハランスの素早さとトールの力強さが合わさり、歌姫の加護が強まったことで、その力は【虚無】の神を上回る勢いであった。

 

「ここで、終わりにしてやるぞ、【虚無】の神よ」

 

 勢いづいたトールが機神獣へと連撃を浴びせ、その装甲と翼を傷つけていく。

 

 しかし、劣勢に回ったかに思われた機神獣は、トールに向かって哄笑を浴びせる。

 

(大したものだな、歌声の力というものは。改めてよくわかったわ、お前たちの頼りの命綱というものが、な)

 

 機神獣の後方に大きな次元の歪みが生じる。【虚無】の神は逃げようとしている――そう直感したトールは急いで追い打ちをかけようとした。

 

(ひと時の勝利に酔いしれるが良い)

 

「貴様」

 

 トールが全力を込めたレーヴァテインとミョルニールで機神獣に突きかかったが、横から飛び出してきた盾竜の群れによって阻まれてしまう。

 

(……間もなく、世界が終わる)

 

 機神獣はそう言い残すと、歪みの中に入り込み、跡形もなく消え去った。

 

 トールは破壊されて墜落していく盾竜の残骸には目もくれず、【虚無】の神が消えた空間を睨みつけていた。

 

 トールは疑念を覚えていた。あまりにもあっけない、【虚無】の神の撤退。もしかすると、何か別の目的があったのだろうか。

 

 その時トールが感じた疑念の答えが出るのは、それから間もないことであった。

 

 

 

 南の戦士と呼ばれていた、岩と化した像たち。トールによって破壊された彼らの残骸は、今もなお凍り付いた荒野の風にさらされていた。

 

 その残骸の中で立ち上がる、一つの獣の姿があった。全身機械と化した、緑色の像。その像は、南の戦士の一員であった。

 

 他の者たちは、侵略者のもたらしたナノウィルスによって岩のような身体になってしまった一方で、その者は環境の変化に適応しきれずに、他の戦士から守られながらも苦しみ続けていた。

 

 その後、過去のトールとの戦いで巻き添えを喰らい、力尽きた筈であった。しかし、今、再び満ちた活力を伴い、自分の足で大地に立つほどにまでなったのだ。

 

 機獣と化した像は理解していた。彼方から響いてくる歌声が自分に生きる為の力を、魂をわけ与えてくれたのだ、と。

 

 像は重い足取りで一歩一歩、前へと踏み出す。その足が大地を踏みしめるたびに、地の底から同胞の魂が沸き上がり、己と一体化していく――像はそう実感していた。

 

 共に戦った仲間はすべて失った。それでもまだ、戦わなくてはならない。だが、この歌声に応え、この世界の命を存続させる為ならば、それも厭わない。

 

 像は悲壮な決意を胸に、歌声に導かれるようにして、己の故郷を後にした。




関連カード

●機人フィアラル
機人。

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
自分の小説では、「鎧神機ヴァルハランス」の魂を受け継いだ「神機レーヴァテイン」と一体化している「巨神機トール」に、フィアラルたちが「踊る鎧神」の姿を垣間見た、という設定。

●ビアンコ・ティーガー
機獣。
フレーバーテキストは白の章第12節。
おそらく歌姫のことを指していると思われる「ガラスの女神」が砕け散り、勇者が命を落とし、多くの者たちも「虚空の渦」に呑まれた。
それら「大きな代償」によって、「虚無の神」は滅び、「この世界だけは救われた」と書かれている。
おそらく、虚神との戦いの最終局面で活躍した機獣であると思われる。

●ガドファント
機獣。
歌をなくした姫にすべてを捧げ、己の命が声に宿ると信じて戦い抜いた。
「蠢く咆哮を彩る悲痛」とあり、この悲痛は「白銀の守護者リン」のフレーバーテキストにある「ガラスが砕け散るような音が歌姫の喉から聞こえた」に関連するのかもしれない。

自分の小説では、同じ像型スピリットの「エレファンタイト」と同じ種族であったという設定。
「エレファンタイト」は侵略者のもたらしたナノウィルスによって岩のような身体になってしまったものと思われる。
その一方で、ガドファントは他の獣と同じように機獣へと変貌したという解釈。



●五角形の砦
名所千選162。
本来歌姫たちの都であった「永久凍土の王都」から住民が退避する際、ここか「千年雪の尖塔」で迷ったとある。
結局は「千年雪の尖塔」が歌姫の拠点となった為、こちらは放置されていた。
名称が「五稜郭」と似ていることに加えて、パラレル版のイラストでは「氷の覇王ミブロック・バラガン」が共に描かれており、覇王編との関連性もあるかもしれない。

本章では、かつて「妖機妃ソール」と「氷の魔女ヘル」の両勢力が争った際、氷姫たちの拠点の一つであったという設定。
「六花の司書長サーガ」が砦の管理を担っていたが、氷姫たちが「千年雪の尖塔」へ退避することが決まってから、サーガ自身も同胞を率いて塔へと移動した。
その後、侵略者や虚無の軍勢との戦いの中、落ち延びてきた「ビアンコ・ティーガー」を始めとする獣たちがこの場に立てこもっていたという展開。


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第四十六章 追跡

 三姉妹の項

 

 

 すべてを見渡す七色の複眼。

 侵略者とともに追う虚竜の巣。

 

 

 虚無の軍勢の手に落ちていたブリシンガメンの首飾りの奪還は成功し、ロキの指示のもと、機人たちがこの浮遊兵器の改造にいそしんでいた。

 

 試運転により、ソールの歌声を世界に響かせるという役割を果たせるということがはっきりした。ブリシンガメンの首飾りだけでは十分な成果は得られなかったであろうが、各地に建設された音叉の塔が効力を何倍にも高めてくれたのである。

 

 ブリシンガメンの首飾りの中枢区では、歌唱するソールの姿があり、その左右には、ソールに付き添う形で尽力しているウル・ディーネとベル・ダンディアも並んでいた。

 

 他方では、機人たちと共に作業に従事するウルの姿。ウルの心には、ベル・ダンディア、それに冥機を取り込むために犠牲となったフレイアの姿が焼き付いて離れなかった。

 

 ウルは、後方よりソールたちを見守る一人の氷の姫君の姿に気がついた。マーニ……ソールを献身的に支え続けている彼女を、ウルもよく見知っていた。

 

 ウルの心の中で、クウのものだった意識が強まっていった。クウ――歌姫の塔で、姫君たちのために働き続けていた道化。クウにとって、マーニという女性は同志でもあったのだ。

 

 空間を一筋の光が横切った。幾重にも重なった質量を持った空気の層を、滑らかに切り裂くナイフの如き存在。それは、ウルのすぐ目の前で静止した。

 

 七色の輝きを放つ光虫。ディースが最期の力を振り絞った歌声を発した際に生まれた、トンビュールだった。

 

(ウル。私はこれより、機械たちとともに白き虚龍の行方を追います)

 

 トンビュールの言葉を聞き、顔を曇らせるウル。白き虚龍……ル・シエル様。

 

(……あなたの迷い、私には見えています。ですが、あの龍を野放しにしておくのは危険すぎるのです。だから、私の能力を使い、龍が形成している巣を捉え、破壊します)

 

「……はい」

 

 ウルの心に重くのしかかってくるのは、クウの命の恩人である空帝ル・シエルのことだけでは無かった。クウの姉、ハク……即ち、虚竜を操る白き竜騎の存在だ。

 

(ウル。間もなく、完成した天弓マクラーンがあなたに送られます。新たな光雨を得られなかった代わりに、星のスピリットたちからわけてもらった魂の込められた、私たちの切り札。これは、虚神に対する決定打ともなり得る武器です。もう、一度しか放つことはできないでしょうが……)

 

 天弓マクラーンは、ロキが最終調整を行っていた。本来、光雨によって真の力を発揮する武器を、星の魂で代用するとなると、一筋縄ではいかないらしい。

 

(虚無の軍勢が怪しい動きを見せております。ブリシンガメンの首飾りも標的となるでしょう。……もしもの時は、ウル、あなたがソール様たちを……ベル・ダンディアやマーニも、あなたが護るのです)

 

 すーっと舞い上がる、トンビュール。去り行く光虫を見送るウルの視線の先に、一頭の獣の姿が映り、ウルは「おや」と思った。

 

 硬質化した皮膚に覆われた、獅子の如きたてがみを備えた狼の姿。狼は、ソールを見守るマーニの傍へとゆっくりとした足取りで近づいていった。

 

 

 

「マーニ様。お時間、宜しいでしょうか」

 

 背後から響いた声。氷の姫君とは異なる発声器官であり、マーニは相手が獣であることに即座に気がついていた。

 

 訝し気に振り返るマーニ。一頭の狼が、自分に向かって深々と頭を下げる様子が目に入った。

 

「あなたは……」

 

「スコール、と申します」

 

 マーニは、スコールの名に聞き覚えがあった。援軍として駆け付けた空魚の群れを率いていたドヴェルグやスノパルドたちと共にこの船に乗り込んでいた、鎧装獣の生き残りである。

 

「……良いですよ。どういった要件かしら」

 

「実は、先の戦闘で一時はぐれていたというスクルディア様……それに、私の弟、ハティの件なのですが」

 

 スクルディアとハティは、盾竜に襲われた際、どういうわけか地上に転送されていた。後で知った話では、それは樹氷の女神エイルの唱えたドリームリボンの呪文の影響であり、エイルが連れてきたゲリという名の鎧装獣の魂とハティを会わせることが目的であったのだという。

 

 スクルディア、エイル、ハティ、更に行動を共にしていた誓約の女神ヴァ―ルの四名は、六花の司書長サーガの協力により、既に船内に転送されていた。

 

「わたしとハティは機械によってもたらされた兵器……翼神機グラン・ウォーデンと一体化し、【虚無】と戦う覚悟を決めました。……ですが、スクルディア様はこれに強く反対しておりまして。結果、心身の乱れたスクルディア様ではソール様の礎になる役目も果たせず、此度、ソール様の負担も増してしまいました……」

 

 スコールの言う通り、叡智秘めし三姉妹は、三人揃ってこそ歌姫ソールの歌声を増幅するという役割を十全に果たすことできる。ソールの身を第一に考えているマーニは、スクルディアの姿がないことに疑念を抱いていたのだ。

 

 今、疑念は氷解した。確かに、スクルディアはお供のハティに強く依存していた――マーニは、自分が見聞きし、実際に目にした光景を思い浮かべた。

 

「我々の不注意でした。申し訳ありません」

 

「いいえ。あなた方は勇気ある決断をしたのです。それを何故、咎めることができましょうか」

 

「……あの、どうか、スクルディア様をお責めにならないでください」

 

 スコールの懇願。マーニは小さくため息をつく。

 

「わかっています……スクルディアは、まだ子供ですからね」

 

 そういうマーニであったが、内心では、スクルディアに対して羨望に似た想いを抱いていた、

 

 何故あのような生まれて間もない少女がこの様な大役を担わねばならないのだろう。ソールの力になるのは、自分が誰よりも望んでいるというのに……その役目、代われるものなら、自分が代わりたい。

 

(ベル・ダンディアも、鎧蛇の島の一件で相当悩んでいた。でも……)

 

 ベル・ダンディアはフレイアの覚悟を目の当たりにし、自分なりの決意を見出したのだという。迷いを捨てたベル・ダンディアは、ソールの礎として、姉のウル・ディーネと共にその役割を全うしているのだ。

 

「それから……ソール様の歌声により、各地で戦っていた同胞たちが救われたという報を聞いております。仲間たちに代わって、深く感謝を申し上げます」

 

 スコールは、マーニの前で跪いた。本来、スコールが感謝の意を伝えたいのはソールたちであろうが、未だ歌声を響かせているソールに直接対面するのは憚られたのだろう。

 

「面を上げなさい、スコール」

 

 マーニは目の前の獣に対して、優しく声をかけた。

 

「感謝をしているのは、むしろ私たちの方です。あなたたちが勇敢に戦い続けているからこそ、今の私たちがあるのですから……」

 

 常に、より命の危険にさらされてきたのは、前線で戦う戦士たちだ。マーニはそのことを心に深く刻み込んでいた。

 

「そして……かつての侵略者のもたらした機械と同化する、あなたやハティの決意。それは並大抵のものではない筈」

 

 翼神機グラン・ウォーデンの制御には、冥機グングニルと一体化したフレイアの力も関わっているのだという。それに、スコールとハティの魂も加わるのだとすれば……翼神機は、氷の姫君と獣、更には機械の力を結集した存在となる。

 

 マーニは思った――幼いスクルディアでも、やがて気づくだろう。最早、後には引けない、全戦力を尽くして戦わねばならないという、この戦いの実態を。

 

 

 

 トンビュールに導かれた機械の軍勢。部隊の切り込み隊長を買って出たのは獣機合神セイ・ドリガンであった。

 

 セイ・ドリガンは先の戦いでも敵の将を討ち取るという快挙を成し遂げていた。それ故に、機械の間でも強く支持する者は多かったが、度重なる連戦により、その負担が大きくなるのではと危惧する者もいる。

 

(セイ……本当に良いのですか。あなたには、ブリシンガメンの首飾りの護衛に回った方が良いものと思いますが)

 

 トンビュールもまた、セイが白の虚龍と戦うのを心配していた。

 

「ディース……いや、トンビュール、だったか。俺は、一度、あの龍をあと一歩のところでとり逃した。今度こそ、決着を付けなければならないのだ」

 

 ゲンドリルとの因縁にけりをつけたセイ・ドリガンであったが、次は虚龍を倒すことに執念を燃やしていた。

 

「俺なら、奴を倒せる筈だ。先の戦いで、それがよくわかった。だからさ、犠牲を最小限に抑え、今後の戦いに備えるためにも……これが、最善案なんだ」

 

(セイ……)

 

 セイは、焦り過ぎているのではないだろうか。トンビュールはそう思ったが、事実、現在の戦力で白の虚龍と対等に戦える者は、セイ・ドリガンを除いて他にはいない。

 

 あるいは、トールが居てくれたら――しかし、トールは自らの意思で生き残った獣たちの救援に赴いており、今から呼び寄せたところで、間に合う筈もないのだ。

 

 次元跳躍の能力を持つ冥機グングニルは、翼神機グラン・ウォーデンの制御に尽力している。遠方の空域には、今もなお盾竜たちの気配が残っており、隙を見せれば即座に攻め込まれるだろう。冥機を持ち場から離す選択も叶わなかった。

 

 一行は、今もなお忌まわしき虚空が広がり続けている空域を飛び、先を急いでいた。

 

 空路を僅かにそれれば、【虚無】の影響で変質していく空間に惑わされ、何処とも知れない所へ飛ばされるかもしれない。先導役を担うトンビュールの千里眼だけが頼りであった。

 

 

 

 歌い終えたソールには、深い疲労の色がありありと浮かんでいた。マーニはソールに駆け寄ると、よろよろと倒れそうになるその身体を支えた。マーニに続いて、スコールも静かに歩み寄って来る。

 

「ソール様……ウル・ディーネ様、ベル・ダンディア様。私の同胞たちを助けて頂き、有難うございます」

 

 遠方では、トールが【虚無】の神と遭遇したらしい。ソールの歌声がなければ、トールは無論、トールによって救われた獣たちの命も助からなかっただろう。

 

「スコール……あなたも、決心したのですね」

 

 ウル・ディーネは、その逞しい鎧装獣を真っ直ぐに見つめていた。

 

「以前、私が鎧装獣たちと共にいた時も……あなたには護られてきました。……そのうえ、あなたに斯様な決断をさせてしまった私たちを……許してください」

 

「いえ、より多くの御恩を頂戴しているのは我々の方。……私はあなた様に報いる為にも、機械と一つになる道を選んだのです」

 

 両者のやり取りを見つめるベル・ダンディア。

 

(……迷いを捨てきれたと言えば嘘になるけど、私は、この生かされた命を使って、生かしてくれた者たちの為に尽力する)

 

 それが、ベル・ダンディアの決心であった。

 

 ベル・ダンディアは、自分に向けられたある視線に気づく。その先にあるのは、【勇者】ウルの姿――。

 

(ウル……)

 

 ウルだけではない――ベル・ダンディアは、今もこの船のどこかにいるスミドロードの想いをも感じ取っていた。それに、ジューゴンやオッドセイ……失われていった多くの命。そして……。

 

(ヴァルキュリウス……あなたの愛したこの空。私も、護る力になりたいから……)

 

 まだ戦いの先行きは読めない。でも勝たねばならない。

 

 ベル・ダンディアは、遠方の空域を見据えた。今もなお、広がり続けている【虚無】。底知れぬ恐怖に対して、正面から向き合いながらも、今のベル・ダンディアの決意は揺るがなかった。

 

(フレイア様……見ていてください)

 

 次にかの者らが攻めてくる時――もう間近にまで迫って来ていた。

 

 

 

 トンビュールの追っていた虚竜の巣。それは、硬質化した雲を集めて作った白銀の要塞とでも呼べる代物であった。雲は異常な強度を持っており、生半可な攻撃ではびくともしないだろう。だが、セイ・ドリガンにとっては、脅威にはなり得なかった。

 

 セイ・ドリガンが大槍を回転させると、瞬く間に固まっていた雲の壁が崩されていった。空気中に形成された大渦は尚も留まるところを知らず、周囲の雲を巻き込んでいく。

 

 あぶり出される形で、白き龍の体躯が白日の下にさらされた。

 

「いたぞ。総員、戦闘態勢」

 

 セイ・ドリガンと行動を共にしていたボルヴェルグが号令を発する。今となっては、ボルヴェルグとセイ・ドリガン、更にはこの場で肩を並べているソードランダーの三人は、共に戦う同志として、硬い絆で結ばれていた。

 

 部下の動器たちが一斉に砲を構える。狙いはただ一つ、白き龍帝。

 

「撃て」

 

 放たれた無数の火線。だが、それらは合間に出現した虚空に呑み込まれ、掻き消えた。

 

「ち。あの騎士か」

 

 ボルヴェルグは、龍の背に乗ったまま大剣を振るっている竜騎を睨みつけた。その竜騎――プラチナムが更に大剣を一閃させると、次元を切り裂く刃が次々と機械たちの方へと降り注いだ。

 

 引き裂かれた空間に囲まれ、身動きできなくなる機械たち。

 

「プラチナム、手ぬるいぞ」

 

 プラチナムの傍らにいるアルブスがそう言うと、手にした銃を操り、空間に固定されている動器たちを次々に撃ち抜いた。コアを失った動器たちの残骸は、浮力を失って地上へと落下していく。

 

「く、怯むな」

 

 進軍ままならない部下たちにげきを飛ばすボルヴェルグ。そこに、セイ・ドリガンが割って入る。

 

「止せ。これ以上犠牲を増やしてはならない。ここは、私が」

 

「ぐ……セイ・ドリガン殿、すまない」

 

 セイ・ドリガンは大槍を振るい、アルブスの放っている熱線を弾いた。そのままの勢いで、一気に突進する。

 

「我も続こう。セイ・ドリガン」

 

 セイ・ドリガンの切り開いた活路を進む、もう一つの姿。竜機合神ソードランダーであった。

 

「ああ、頼む」

 

 セイ・ドリガンは一直線に虚龍に向かって突進していった。その後ろからソードランダーがのこぎり状の大剣を振るい、セイ・ドリガンを押し包もうとする鋼の雲を薙ぎ払う。

 

「まったく、大したコンビネーションだな。おい、プラチナム」

 

 アルブスの指示を待たずに、プラチナムは既に行動を起こしていた。

 

 幾重にも層を形成した虚空がセイ・ドリガンの進路を阻む。セイ・ドリガンは怯むことなく、これを打ち払ったが、アルブスの銃撃が加わわったことで、攻めあぐねていた。

 

「加勢するぞ、セイ・ドリガン殿、ソードランダー殿」

 

 ボルヴェルグの黒槍が強大な旋風を巻き起こす。それは質量を伴った風となり、アルブスの放つ熱線を防いだ。

 

「はあ」

 

 セイ・ドリガンが叫び、一気に虚龍との距離を詰めると、回転する大槍を振り下ろす。間一髪のところでこれを避けた虚龍であったが、衝撃で右翼に大きな亀裂が奔った。

 

「ふん。やはり正面から戦っても勝ち目はないな。……だが、それ故に、まんまと計略に引っかかってくれて助かったぜ」

 

 不敵に笑う、アルブス。

 

「何だと。俺たちが貴様の策に落ちたとでもいうのか。莫迦な、追い詰められているのは貴様らの方だ」

 

「ふん、愚かな。おびき出されたんだよ、お前たちは」

 

 機械の群の中に紛れていたトンビュールが、アルブスの言葉を聞き取り、動揺する。

 

(まさか……いや、私の眼を以てして見抜けない筈が……)

 

「プラチナム」

 

「…………」

 

 プラチナムが剣を振り上げると、空間が縦に避けた。たちどころに、次元の歪みが広がり出す。

 

「トールの部隊は獣どもの救援に周り、ブリシンガメンの首飾りにおける主力のお前たちは、俺たちの目論見通りにここへやって来た。今、歌姫の護りは手薄の筈だ……」

 

 ボルヴェルグが慌てずに切り返す。

 

「ふん、次元跳躍か。迂闊だったな、その手は喰わないぞ。ブリシンガメンの首飾りには空間を再構築する力がある。流石に、まだ遠方の浸食を止めるのは敵わないが……歌声が加わった今、歌姫の船の周辺の空域に、虚空を出現させることは不可能だ」

 

「迂闊なのはお前たちの方だ。これが、その虚空に見えるのかな」

 

 空間を破って現れたのは、かつて空母鯨モビルフロウたちが空で目にしたものと同じ――異界の門だった。

 

「な……」

 

 ボルヴェルグは絶句した。

 

「門は、この世界本来の機構だ。空間の修復によって、これを止めることはできない」

 

「だ、だが……船の傍に、門がある筈は」

 

「ゲンドリルの置き土産だよ、奴が門をブリシンガメンの近隣に移動させておいた。知将と呼ばれた奴だ、ただ何も策を講じずにやられたとでも、思っていたのか」

 

「御託はいい。その門を破壊してしまえば、問題ない」

 

 大槍を振るい、逃げようとする虚龍の先手を打って門を貫こうとする、セイ・ドリガン。そこに、一筋の白い閃光が直進し、大槍を弾いた。

 

「何、貴様……」

 

「久しぶりだな、セイ」

 

 新たに現れたのは、黒き装甲を光らせている機人。神将の一人、デュラクダールだった。

 

「お前らの相手はそのデュラクダールがやってくれる。……そして俺たちは、歌姫の首を頂くとしようか」

 

「ぐう、逃がすか」

 

 虚龍に追いすがろうとするセイ・ドリガンと、それに続くソードランダー。しかし、デュラクダールが振り上げた爪を合図に、それまでどこに隠れていたのか、盾竜の群れがどっと押し寄せ、行く手を塞いだ。

 

 開かれた門の中に入っていく空帝ル・シエル。哄笑するアルブス。その傍らにいるプラチナムは、機械たちと戦う神の騎士、デュラクダールを見ていた。

 

 プラチナムの視線に気づいたデュラクダールは、彼女に視線を返す。

 

(プラチナムよ……君には、君の信じる道を進んで欲しい。私には、できなかったから)

 

 デュラクダールの悲壮な想いを、プラチナムは感じ取っていた。

 

 ボルヴェルグがル・シエルの胴体を目掛けて、黒槍を投げつけた。舞い上がったデュラクダールが爪状の武器を振るい、これを叩き落とす。妨害を振り払う勢いでル・シエルは門の中へと消えていき、それと同時に門は閉じられ、跡形もなく消え去った。

 

(おびき出された……私の能力を熟知したうえで……)

 

 トンビュールは驚きを隠せない。竜騎たちは、自らの居場所を探られているのを承知の上で、機械の軍勢がこの場に集まるように仕向けていたのだ。

 

「ち。門だと……ブリシンガメンの首飾りに続き、また侵略者の兵器が」

 

「よせ、セイ・ドリガン」

 

 セイの侵略者への怒りが再燃することを恐れたソードランダーが、セイ・ドリガンを諫めた。

 

「いや……門は、我々が造ったわけではない」

 

 ボルヴェルグが力のこもっていない声で呟いた。

 

「なに……ならば、あれは何だというのだ」

 

 セイ・ドリガンの問いに応えようとするボルヴェルグを遮り、デュラクダールが口を挟む。

 

「教えてやろう。門は世界創世の際に造られたのだ、大いなる意思によってな」

 

 デュラクダールはそう言いながら、構わずに敵へ襲い掛かろうとしていた盾竜たちを片手で制した。

 

「この世界を侵略しにきた機械たちは、最初から存在する、世界そのものの機構を利用して侵入していただけに過ぎぬ。……厳密には、この世界も侵略者の故郷も同じ世界、門は一つの世界を異なる性質ごとに細分化する為に造られた」

 

 セイ・ドリガンにソードランダー、ボルヴェルグは各々の武器を構えたまま、デュラクダールの話を聞いていた。部下の動器たちは、攻めて良いものかどうか逡巡している。

 

「我々は幾つもの次元を隔てた先、正真正銘の別世界からやって来たのだ。世界の機構を知り尽くした我々の技術を以てすれば、この世界の門を操作することもまた、造作もない」

 

「何者だ……貴様らは」

 

 セイ・ドリガンが怒気を露わにして詰め寄る。

 

「同じだよ。お前たちと。ただ、住む世界が違っただけ……」

 

 デュラクダールは再び、爪状の武器を構える。

 

「さて。そろそろ始めようか、セイ。お前があの時からどれだけ成長しているのか、楽しみだよ」

 

「……ぬかせ」

 

 大槍を構え直すセイ・ドリガンであったが、その意識の片隅では、あることを思い出していた。

 

 【虚無】の騎士を率いていたデュラクダールとの戦い。あの時、撤退していくデュラクダールに対して、無謀にも単身で追い打ちを仕掛けようとしたセイを、デュラクダールは殺そうと思えば殺せた筈だった。

 

 突進するセイを軽く打ち払ったデュラクダール。その時、デュラクダールはセイに向かってこう言った――「己の命を粗末にするな」、と。

 

 セイ・ドリガンは、己の中に生じた微かな迷いを振り払った。

 

 今、セイ・ドリガンの熱量はデュラクダールを大きく上回っている。それでも、このデュラクダールもまた油断ならない強敵であるに違いなかった。

 

 新たに始まる、戦い。それを見守るトンビュールは、この戦闘の行く末と、ソールたちの無事を強く願っていた。、




関連カード


●トンビュール
白の光虫。
「七色の複眼」により、かつての侵略者と協力して「虚竜の巣」を追った。


冒頭の一文は、このカードのフレーバーテキスト。


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