ゆめみるボーダーマスコット (ほやしろ)
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1月29日(水)
#1 祈り
1月19日日曜日、とあるライブ会場の楽屋内。そのアイドルは髪をセットされながら、スタイリストと会話をしていた。
「ライブも残り1週間、ラストスパートだねがるるちゃん!」
「ですね〜! あ、よこさんだ。ちょっと電話出ますね」
アイドルはスマホの通話ボタンを押すと、画面の向こう側にいる事務所のスタッフに向かって「もしもしー?」と明るく話しかける。
『もしもしルル?』
「よこさんお疲れさまです!」
『君の私物、ようやく全部まとめ終わったよ。今個人倉庫に向かってるとこ』
通話音からは車のウィンカーを出す音が聞こえる。向こうの話し声は普段通りだが、カッチカッチという小気味良いリズムが微妙に苛立ちを表すような音にも聞こえて、"ルル"と呼ばれたアイドルはつとめて明るく振る舞った。
「わー、ありがとうございますー! 急に無理言ってごめんなさい」
『本当だよ。アレのせいっていう気持ちは分からないでもないけど、普通3日じゃ終わらないからね』
「へへ、よこさんならイケると思ったので。
でも本当助かりましたー!」
『まったく……けど、本当に倉庫で良いの? 明日も使えば大きい家具もまとめて引越し先に運べるけど』
「
軽い調子だが意味深な言い方をしたルルに、スタッフは何かを感じ取る。
『……明日なんかあるの』
「……多分ですけどね。
とりあえず服と電子機器と食材あたりだけでOKです。ぶっちゃけ引越し先まだ決まってないので」
『は? それ初耳なんだけど。
帰って来た時どうす……いやそもそも倉庫使う意味ある?』
「ありますよ。28日はホテル予約したので大丈夫です!
あ、あとよこさん、倉庫行った後は長居しないで帰るか、泊まるにしても
『何それ怖いんだけど。
いやルルの勘は怖いくらい当たるからなあ……今日は終わったら直帰コースだわ。そろそろ倉庫着くから切るよ』
スタッフとの通話後、ルルはにっこり笑ったままスマホをテーブルに置くと、勘じゃないけどね、と心の中で呟いた。
『我々は今まさに「戦力」を求めている』
『「責任」とか言われるまでもない。当たり前のことです』
「うわー、どの局もこの会見だ。当たり前かあ……」
TVのチャンネルを変えながら驚くと、彼女はルームサービスの和朝食に手をつけた。
1週間ほど前から、TVやネットなどの各メディアはこの話題で持ち切りだった。
ここ三門市には、約4年半前に設立された、
設立の少し前に、市は突如異世界から現れた侵略者により、1,200人以上の死者と400人以上の行方不明者を出すという、大規模な被害を受けた。その一大事件は第一次
会見というのは、昨日行われたボーダーによる防衛戦の結果報告のことである。先週の1月20日月曜日、三門市は二度目の大規模侵攻にあったからだ。
「みんなに聞いたら詳しいことわかるかな……」
ルルは朝食を食べ終えると、ホテルをチェックアウトして学校へと向かった。
三門市の中でも特に校則がゆるいと言われる市立第一高校には、様々な髪色の生徒が通っている。茶色・オレンジ・金、もっと細かく言うと、ベージュ系にアッシュやグレーなどを混ぜ合わせた髪色の生徒たちが校内を占めていた。
中でもルルは、その生徒ら以上に極めて派手な髪をしている。
毛先に向かって濃い青のグラデーションを彩った水色の髪に、前髪の毛先だけはピンク。肩先まで伸びたゆるふわツインテールを揺らしながら、彼女は教室の扉を開けた。
「あ〜、がるるちゃんあけおめ〜」
「
がるる、というのはルルの愛称で、本業でも使用しているものである。
柚宇ちゃん、と呼ばれた女子生徒——
二人が両手を重ねて小さな花を散らすようにしてにこにこし合う中、側に座る別の女子生徒がつっこみを入れる。
「あけおめって……もう1月終わるじゃない」
「あっ、
ルルが挨拶すると、その生徒——今
「だって、がるるちゃんに会うの1ヶ月? ぶりくらいだよね?」
「去年の終業式以来だから、そうだね」
国近の言葉にルルはうんうんと頷いて返事する。結花はそういえばそうだったわ、とおかっぱに切り揃えた黒髪を揺らした。
「ライブで全国回ってたのよね」
「そう! 『雑賀冬の陣〜出るのはアルバムか三段撃ちか? え? 三段撃ちは物理的に不可能? そんなことよりがるるといっしょにあけおめめしましょ☆ らいぶ』だよ」
「長い」
アイドル特有のポーズをあれこれきめながら言うルルに、結花は簡潔につっこむ。
「ライブおつ〜」
「おつあり〜」
ふにゃ、と笑う国近と一緒の顔を見せた後、ルルはでも、と二人を見つめる。
「二人、っていうか、みんなの方がおつだったでしょ?」
昨日の記者会見、今朝も見たよ、と加えると、国近と結花は一瞬顔を見合わせた。
「最初の時の8倍だったんだよね、近界民の数。すごいね」
「うん。ゆうてわたしたちはオペだし、戦闘員のみんな程じゃないけどね」
「そうね」
ルルが「オペ?」と首をかしげていると、3人の会話を軽く聞いていた男子生徒——
「お? 俺の話か?」
「ちがうよ」
女子たちのハモり声に、当真は「冷てーな」と傷ついたような顔をして、両手を頭の後ろで組む。
「じゃあ当真くんは戦闘員なの?」
「おーよ。俺はこれな」
当真は
「オペはじゃあ、戦闘しないIGLみたいな? CoDみあるね」
「でもあるけど、画面越しで支援してくからTPS目線だね」
「それで複数管理してくってこと?」
「当真くんは狙撃手だけど、近接メインの人たちが多いから、そこに無双とか狩りゲー要素も足す感じかな〜」
「展開早い近接加わるとか、それめちゃくちゃ忙しくない?」
「慣れれば
「オペレーターえぐいの……戦う人たちもだけど、ボーダーってすごいんだね」
「ふっふっふ」
国近とルルが会話する間、結花と当真は「何の話?」「ゲームに例えてんな」と話している。
ルルは再び3人に向き直ると話題を戻した。
「しかもこれから近界民の世界に行くんでしょ? 準備とか試験とかもあって、もっと忙しくなりそうだね」
そうだろうなと3人が頷くのを見て、ルルは空を見上げるように遠くを見つめる。
「あっちの世界ってどうなってるのかな……やっぱり大っきい近界民がたくさんいるのかな?」
「さあ、私も知らないわ」
「そうなの? 誰も知らないの?」
ルルは国近と当真にも目線を送ったが、二人とも黙って首を横に振るだけだ。彼女はそっかあ、と半ば残念そうな顔をした。
「会見でも言ってたろ? 無人機の試験は成功したっつって。知ってんのは上層部とかぐらいじゃねーの」
「そうだったっけ……てっきりもうみんな行ったことあるのかと思ってた」
そう言ってルルはにこりとする。ほんの一瞬だけ間があった後、当真が再び口を開いて話題を変えた。
「つーかおまえ、やけに聞きたがんな。今まで興味なかったくせに」
「そんなことないよ。でも先週からずっと話題だったし、昨日ので更に注目浴びたでしょ。聞くタイミングも良いかなって」
「まさか入隊すんのか?」
えっ、と驚いた顔を結花と国近に向けられ、ルルは両頬に手を当てながら少し恥ずかしそうにした。
「んん〜興味はあるけど……特に大きな目的もないのに入隊するのって良くないかなあって」
「いやあるだろ」
きょとんとしたルルに当真は続ける。
「被害は少なかろうがボーダー内に死者が出てんだ。でけえ目的でもなきゃまず志願しねーだろ。この時期に興味だけで入るとか相当アホなんじゃねーの?」
「当真くん言うねえ〜。さすがサイドバックリーゼント」
「それ関係あるか国近?」
呼ばれた彼女がやんわりと頷く横で、「私ほめられている……!?」「喜ぶところじゃないでしょ」と、ルルは結花につつかれた。
「まあ、興味が遠征にあるならそれも立派な目的かもな」
「遠征自体には興味ないよ」
ルルはにこやかながらも強めに彼へ返事した後、肩をすくめた。
「お仕事できなくなっちゃうしね。
だがこのムーブにのっからない手はないと思うのもまた事実——」
「がるるちゃんて強欲だよね」
「せめて貪欲と言って」
国近とじゃれあうルルを見ながら、結花が顎に手を当てる。
「ってことはルル、あんた本当にボーダーに入隊するつもり?」
「どうしようかな……もう少しボーダーさんからお話聞かないと決められないな」
「話?」
「あ、まだ言ってなかったね。
わたし、今日ボーダーの人にお呼ばれされてるの」
ルルの予想外の言葉に3人は目を見開く。
「お呼ばれって……まさかスカウト⁉︎」
「だったらカッコよかったんだけどなー。
実は先週の近界民侵攻で借りてた部屋がなくなっちゃったんだよね」
「えっ⁉︎」
「でもボーダーが補償してくれるからって、管理会社さん通じて連絡もらったんだ。
すごいね、昨日帰って来た時に見に行ったら更地になってて笑っちゃった」
「笑いごとじゃないわよ……」
あはは、とのんきに笑うルルに、結花は反応に困ったような顔を見せた。
「隊員は本部内にある部屋をもらえるって聞いたから、ボーダーってどんなところかなーと思って」
だから色々質問したのだとルルが話す間に、朝のHRの始まりを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
彼女がまたお昼にね、と手を振って自分の席へ向かうのを眺めながら、当真が二人にしか聞こえない程度の声で呟いた。
「あいつん
「
「はっちゃけたっていうレベルじゃないでしょ」
「そーいや国近おまえ、急に無口になったな」
「わたしは隠しごととか苦手なの〜〜。今ちゃんは上手く逃げちゃうし〜〜」
「事実を言ったまでよ。近界民の世界のこと、私は本当に知らないもの——
放課後。
背後で沈んでいく夕日に照らされ、細く長く伸びた自身の影を見つめながら、ルルは一人歩いていた。
高校から見て東北東に位置するボーダー本部基地。ルルがそこに向かうのは数年ぶりなのだが、地理に苦手のある彼女でもまず迷うことはない。基地は三門市のランドマークとも言えるほどに、巨大な施設を有しているからだ。
「……うーん、上の人の話を聞く前にみんなの話が聞きたかったけど……」
ルルは鼻歌を歌いながら学校でのことを思い返す。
そのため彼女は始めびっくりしていた。だが、彼らと話してる内に段々と理解した。あれは死を軽視しているのではなく、割り切っているのだということを。ノリは部活っぽいが、三門市で起きる小規模戦争を一手に引き受けているのだから、当然といえば当然だ。
みんなに合わせた私も大概だけど。と、ルルは自分よりも大きく真っ黒な影を自嘲気味に見下ろした。
「やっぱりクラスメイト程度じゃ、
そういう常に死と隣り合わせの軍事的な民間組織のことだ。昨日の会見はさわり、というか嘘も混じった事実で構成されていて、一般企業以上に公に言えない機密事項なんてきっと山ほどあるのだろう。たとえばボーダー隊員による
事実確認はさすがに無理でも、彼らから見たボーダーの内部事情とかならいけるのでは、とルルは考えていたが、この際仕方ないと今は思う。
入隊するかどうかは別にしても、ビジネス的には今が一番おいしいボーダーとの接触なのだから、大事にアピールしなければ。
私、やっぱり強欲なのかな。と、ルルは開き直ったようにすっと顔を上げる。そして住宅地の中に鎮座する建物を見据えた。
おもちゃのブロックのような、長方形の高層ビル。上層階にしかない小さな窓が並んでいる様は、市を展望するためというより監視の意味合いが強くみえる。中にたくさんの秘密を隠しているかのような分厚そうな外壁には、でかでかと描かれた立方体のシンボルマークの中心に、BORDERの字がデザインされている。
周りから浮きまくって異様な存在感を放つそれは、近未来的な軍事要塞を思わせた。
「風の音が少し 怖いけれど
僕は大丈夫 そっちはどうだろう
届けたい声が 届かない距離に
横たわる無数の想いが 橋となるまで」
歌うルルの脳裏には、かつて同じクラスで、ボーダーに所属していた一人の少女が浮かんでいた。その顔は寂しそうでもあり、どこか愉しげでもあった。
「ほんとはもう二度と関わらないつもりでいたけど、ちょっとくらいならいいよね?
——
祈り/amazarashi
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#2 星の界
本部基地を前にして、ルルは二人のボーダー隊員に出会った。
出会った、というより待ち構えられていた、の方が正しいかもしれない。彼らとは互いに見知った仲だったため、ルルは挨拶もそこそこに済ませようとしたが、二人がその先——基地内へは行かせないような素振りをわずかに見せたからだ。
回避不可イベっぽいなとルルが思っていると、一人の隊員が口を開いた。
「びっくりした〜。トトロの歌うたいながら行進して来るだもん、ゾエさん迷子かと思ったよ」
胸を撫で下ろし、自分の苗字の一部を一人称にして話したのは
額のよく見えるこげ茶色の短髪に、黒いミリタリージャケットとカーキのカーゴパンツ、黒のロングブーツを着用している。そして彼はルルの頭二つ分ほど離れた身長と、横幅は2倍近くあるというガッシリとした体つきをしていた。ちなみにルルは校内の体格小さい順トップ3に入る生徒で、北添はその逆で大きい順トップに君臨する逸材である。
今の口調からしても北添が物腰柔らかい穏やかな性格であるとはいえ、彼の学ラン姿を見慣れていたルルにとっては少し威圧感を覚えさせた。
口を3の字にしている彼に、ルルはそれを気取られないようくすくすと笑いながら、腕を振って行進する真似をした。
「この道ひと気ないから、心細くて歌ってたんだ」
「そりゃそうだよ。普通基地へは通用口から入るんだし……そもそもここ警戒区域内だからね」
関係者以外立ち入り禁止の看板があったでしょ、と注意する北添に、ルルは「あったねー」とへらと笑う。
警戒区域というのは、ボーダー独自の技術により、
誤解を解くため、ルルは素直に目的を話した。
「わたし今日ここに用があって来たんだ」
「えっそうなの?」
ルルはうん、と頷きながらスマホのメール画面を開いて見せる。北添がその文面をなになに、と覗き込む間、彼女は首をかしげてもう一人の隊員を見上げた。
「二人とも同じ格好してるね」
「……」
「ここで何してるの?」
「……」
しかしその隊員はルルの言葉を明らかに無視し、我関せずといった感じでそっぽを向いている。
全体的にツンツンとしたやや長めの黒髪。つり上がった三白眼気味の猫目。普段は顔半分をマスクで覆っている彼だが、今はギザギザした特徴的な歯が丸見えだ。
温和な北添とは正反対な態度をとるこの青年の名は
誰も寄せ付けないオーラを放つ影浦をものともせず、ルルは尚も笑顔のまま彼に話しかけた。
「カゲくん聞いてる?」
「……あー? 一々うっせーなオ」
「えっ、ルルちゃんが住んでたとこ、壊されちゃったんだ⁉︎」
影浦のいら立った声をさえぎるようにして、北添が驚いて声を上げた。
「うん。ボーダーって、仮設住居持ってて、格安で部屋も貸してくれたりするんだよね? 色々補償してくれるみたいだから、詳しい話は本部でってことになったんだ」
「なるほどね〜」
北添はスマホから顔を離して納得がいったような表情を見せた。
これで疑いも晴れたよね。と、ルルは安心してにっこりする。
影浦に無視された質問も聞いていたようで、彼が代わりに答えてくれた。
「これはうちの隊服で、
「そうなんだ。広報の嵐山隊みたいな?」
「そうそう」
「へ〜、二人の隊服もかっこいいね!」
にこにこと褒めたルルに、北添は「そう?」と満更でもなさそうな顔をしている。
放っておけばゆるゆるとした雰囲気が続きそうな空気に我慢できなくなったのか、影浦は眉間にシワを寄せた。
「オイ、用があんのはここじゃねえだろーが。さっさと行け、仕事のジャマだ」
「仕事って、防衛任務のこと?」
ボーダー隊員の主な仕事はこの防衛任務だ。隊員たちは警戒区域の外縁に位置する他の五つの支部に配置され、近界民を撃退するのだとTVで見たことがある。どうしてここ(本部)にも部隊がいるんだろ、とルルは目線を空にやった。
彼女がまた質問をしたため影浦の眉間にはもう一本シワが増える。が、彼は思い付いたようにハッと薄く笑った。
「そうだ。俺らは忙しんだよ。ここに来る近界民やら、わざわざ道の隙間を抜けてきやがるような、
「ちょっカゲ!」
影浦をたしなめるように言ったあと、北添はルルに弁解した。
「ごめんね。ルルちゃんが怪しいとは思ってないんだけど、ここは危ないし念のためで……」
だから気を悪くしないでね、とバツが悪そうにする北添に、ルルは気にしてないよと首を振る。
影浦が裏表のないある意味素直な性格であること、そして彼の近寄り難い雰囲気には理由があることも彼女は以前から知っていた。何より彼らに余計な仕事を与えてしまったのは事実である。
「ううん、わたしこそごめんね。
本当は他の隊員の人と来るようにメールに書かれてたから、ここで二人に会えてよかったよ」
ルルは大通りの方を見やって、それに、と小声で付け加える。
「あっちの道だと近界民に会っちゃうし逃げ場も見つからなかったし——」
「……えっ?」
彼女の言葉に北添が首をひねったその時。
ウウー、とあたりに警報が響き渡り、影浦と北添の目つきが変わる。続いて空中にバチバチと火花を飛ばしながら、ブラックホールのような球が浮かび上がった。球は風船のようにふくらみ気球ほどの大きさになったかと思うと、中から同等の大きさの機械のような怪獣、通称トリオン兵が現れた。
ルルはすぐさま兵から目をそらして基地に顔を向ける。
『
警報後にアナウンスが入り、北添は後ろ手に基地の方を指差しルルに合図した。
「ルルちゃん今のうちに!」
「うん、ゾエさんありがとう! 二人ともまたね」
北添は返事の代わりにバイバイと手を振る。彼女が基地内へ入るのを見届けてから、彼はルルに構わずトリオン兵の元へ向かった影浦を追った。
大通りに出現した近界民たちを二人が慣れた手付きで殲滅していく最中、北添がふと口にする。
「そういえばルルちゃん……さっき近界民が出る位置知ってたみたいな言い方だったような?」
「んだそりゃ。おめーの聞き間違いじゃねーのか」
呆れる影浦に、北添はあっと思い出したように口を尖らせた。
「っていうかさ〜カゲ、ルルちゃんに当たり強すぎじゃない? ゾエさんハラハラしたんだけど」
「は? 普通だろ。つかあいつの表情と感情合わねえから気持ち
「気持ち悪いって……ルルちゃんのファンに刺されるよ」
「知るか」
くだらねえと顔をしかめる影浦に対し、北添は少し考える素振りをしてからためらいがちに口にした。
「それって
影浦は片目を釣り上げて北添を一瞥する。
「ありゃ犬飼の野郎とは
あのチビ、俺らをモノかなんかだと思ってやがる」
「ええ〜……?」
話は終わりだとでも言いたげに、影浦はその場から駆け出しトリオン兵に向かって行く。北添は半信半疑な顔をすると、ルルとの会話を思い出すようにして、星座がまたたき始めた夕空を見上げた。
ルルがボーダー本部メディア対策室、室長のオフィスを訪れる10分ほど前。中には二人の男性がいた。
二人は壁に設置されているモニターに映し出された、幼い少女が歌う映像を見ている。
星の
『雲なきみ空に 横とう光
嗚呼洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里のあなた
いざ
口語では大人もまず使わない古語の混じった歌詞を、少女は情緒豊かに歌い上げる。映像は古いものだが、その歌声は澄みきっていてみずみずしい。
画面の中で拍手を受け、少女が礼をしたところで映像が終わった。
「なんというか、今の彼女からは想像がつかないですね。何年前です? これ——」
「10年は経っているはずだね」
「よく見つけましたねこんな古い映像」
「本人が見つけたものだよ。今の声と比較した動画を最近あげていたのを偶々見かけたのでね」
応接用のソファに座り、外務・営業部長である
「驚きましたよ。まさか根付さんが彼女の熱烈なファンだったとは」
室長専用のデスクで手を組んでいた
「それは些か曲解じゃないかねえ……彼女のここ数年の快進撃は運やタイミングだけが起爆剤となったのではなく幼少からマルチに活躍できる才能があってこそだったと公正明大に評価しているのであって決して熱烈な訳では——」
自身が少々早口だったことに気付いたのか、根付は誤魔化すように咳払いをした後一言加えた。
「……まあ、直接会って話をしてみたいのは本音ではあるがね」
「はは、それでこちらを貸してくださったんですね」
唐沢は苦笑し、書類をファイルに戻しテーブルにのせると一呼吸置いた。
「——やはり彼女を
その言葉にピクリと眉を動かして、根付は彼がテーブルに置いたファイルを見下ろす。中には
「唐沢さんこそ、部下に頼めば書面で済んでいたことをわざわざ差し向かいで会おうとしていたそうじゃないですか。同様じゃないかね?」
「いやあ、私は引き込むというより頭を下げる側です。
手札は揃ってますが、ファンという心強い味方もいらっしゃいますし、話もスムーズに進みますよ」
「だから私はファンではないと先ほども——」
根付が冗談めいた唐沢の台詞を否定しようとしたところで、入口の向こう側からノックがあった。ガチャリとドアが開くと、メディア対策室の室員が室長、と中へ呼びかける。
「
「構わないよ」
言いながら立ち上がり、根付は唐沢の隣へと向かう。
室員に促され、ルルは「失礼します」と部屋の中へ足を踏み入れた。
室長室なのだから当然だろうが、大きなデスクに3人掛けのゆったりしたソファが2台と、両側には観葉植物が飾ってあり中は広々としている。
この部屋の外にも応接用のテーブルはあったが、室長室までわざわざ連れて来られたということは公にはできない話があるのかもしれない。それはそれで好都合だと、ルルは根付と唐沢に向かって笑顔を向けた。
「メールを送った唐沢です。こんな時にここまで来させてしまってすみません」
「とんでもないです! 他の被災者の方々への説明会はもう終わっていると聞いたので、むしろ私だけのために申し訳ないです」
「ボーダーとして当然のことですからお気になさらず」
「ありがとうございます」と、ルルは唐沢の右手を両手でぎゅっと握り返す。
「ところでここまでは誰と……?」
質問した唐沢の顔を見つめて、ルルは小首をかしげた。
彼は特に疑うような表情はしていない。ただの質問のようだ。だが本当は一人で来たのがバレるのもよろしくない。
おそらく護衛的な意味で、彼は誰かと来るようにとメールに書いたのだろう。(必要ならこちらで隊員に指示しますともあったが断った)
高校にはボーダー隊員たちがちらほらいるし誰かしらは捕まえられる。しかし一番親交のあるクラスメイトたちでさえボーダーについてほとんど聞き出せなかったのに、道中を付き添われるなんて正直時間の無駄だ。護衛などなくても、自分の身なら自分で守れる。
ルルは笑顔のままごまかした。
「任務中だった影浦くんと北添くんに途中まで送ってもらいました」
「そうでしたか。今は警戒区域の周りだけでなく、念のため本部付近にも部隊を置いているんですよ」
第二次侵攻があってから1週間と少し。完全に安心とはまだ言えないのだろう、警備を強化するのも当然である。門の誤差の数値が微妙に高かったのも、そのせいなのかもしれない。
そうなんですね、と頷きながら、だから二人はあそこにいたのか、とルルは納得した。
続いて彼女は
「根付さんですよね。昨日の記者会見、拝見しました」
彼は少し驚いた風な顔を見せたが、そうかね、と会釈をして、
「私はこの件に直接関わりはないのだが、同席させてもらっても構わないかね?」と言った。
メディア対策室の室長が絡むということは、案外同じことを考えているのかもしれない。
ルルは「ええ、もちろんです」と二つ返事でにこりと返した。
実際唐沢と根付の二人からは、今回の災害に対する謝罪の他に、彼女が望んでいた以上の申し入れがあった。
星の界/杉谷代水
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#3 Ж
「サポーターかボーダー隊員、ですか?」
「所属されている事務所にご確認したところ、
一応個人事業主だとルルが頷くと、唐沢も同じように頷いて話を進める。
「アイドル以外にも、子ども向け番組への出演やご自身で動画の配信、最近ではブランドも立ち上げてましたよね——」
彼は用意していた資料をテーブルに広げながらルルにプレゼンしていった。
要約すれば、サポーターならボーダーの宣伝も兼ねて自身の行う活動をバックアップしてもらい、隊員としてなら、3年ほど前からメディア向けの広報も担っている
どっちを選んでもやることはほとんど変わらないが、いわば株主か従業員になるかでは、ボーダーとの関係は大きく変わる。
彼女としては(商談は)いけて何かのタイアップ、ぐらいに考えていたため、継続的に仕事が入るならどちらも魅力的な話である。しかしここで即決しては立場が逆転しかねない。
一通り説明を受けた後、ルルは恐縮そうにかしこまった。
「全世界から注目を浴びるボーダーの方々にお誘いいただけるなんてとっても光栄です。
きっと、他にもたくさんのお話を頂いてるのでしょうね……?」
現にSNSや掲示板は
そんな中で私に声をかけるメリットはなんだろう、とルルは疑問に感じていた。
アイドル戦国時代と言われる中、ソロでトップ層に食い込める実力があると自負してはいるが、それはあくまでアイドル界隈での話。他の芸能活動や動画配信、自身のアパレルブランドに関しても同じことが言えるのは、彼女もよく分かっていた。手広くやっていても(寧ろそのせいもあるかもしれないが)、知らん人は知らんのが現状なのだ。
私じゃなくてもいいのでは? という思いを伏せてルルは言ったが、唐沢と
「だからこそだよ。今はサポーターや隊員の申し込み以上に、更なる情報を求める声が非常に多くてねえ……我々としても逐一情報を公開していきたいのはやまやまだが、この一大プロジェクトに集中する必要もある——。
そこでどの層にも一定の知名度があり、且つセルフプロデュースにも慣れている人材ならば、我々とその声をうまく繋いでくれるのではないか、とね」
そこまで言って、根付は先ほど室員が持って来た紅茶に手を付けた。
根付は会見では下手に出つつも、記者たちをコントロールしているような雰囲気があった。
簡単には人を褒めなそうな彼に能力を買われているのは、彼女にとって正直意外ではあったが嬉しい誤算である。同時に、はっきりと"私でなきゃいけない"と言わないあたりは流石だよなあ、と感心してしまうほどだった。
彼女はテーブルに広がったプレゼン資料を見つめ、考える素振りを見せた。
ボーダーは、特にその上層部は、少数でまとまる歴史の浅い組織だ。メディア向けにTV出演しているとはいえ、情報は小出しでまだまだ謎が多い。そのため、
そこで、市民側の立場からボーダー怖くないよ大丈夫だよ〜と堂々と言えるような人間がいれば——要は娯楽職業であるアイドルならば——、それを崩すのは容易である。
ということは。と、ルルは何かを察したような笑みを浮かべて顔を上げる。
「つまり、嵐山隊とはまた違った、マスコット的役割を求めている、ということですね」
「かなり飛躍してはいるが……まあ、君ならば妥当な立ち位置だね」
遠回しな言い方だが、間違ってはいないようだ。ルルが小さくふふ、と笑っていると、唐沢がやんわりと話を戻した。
「もちろんお返事はすぐでなくて構いませんよ」
「いえ、今この場で決めれると思います。ただ、条件と言いますか、一つ心配していることがありまして——」
ルルは唐沢がテーブルの端に置いた、近界被災者生活再建支援概要という、長いタイトルの小冊子を一瞥した。
「お住まいですね?」
「……はい」
これも事務所の誰かから聞いていたのだろう、懸念していたことを唐沢に言い当てられ、ルルはおもむろに頷く。
ライブを開催する数日前。
彼女の部屋は何者かに不法侵入されていた。心当たりはあって、以前動画の配信中に
「近々引越しを予定していたそうですね」
「はい。荷造りを手伝ってもらっているところでした。できれば、あの部屋にはもう入りたくなかったので……」
そう言ってルルはわずかに顔を曇らせる。
第一次近界侵攻により、暴落とも言えるほどに不動産が安くなった三門市。ルルが越してきた最大の理由はそこにある。初めの侵攻は経験していないが、ある程度のリスクは避けられると彼女は思っていた。
不法侵入はともかく、さすがにライブ中家がなくなるのは回避できない。
ある程度倉庫に運べただけいいか……と、ルルは気を取り直して口角を上げる。
「ですがその部屋も今は……危険はなくなっただけいいかもしれませんね」
不幸中の幸いだったと明るく振る舞うルルに何とも言えず、唐沢と根付は哀れむような目で彼女を見つめた。
「こちらで紹介しているのは三門市と共に設営した仮設住居、市が買い取ったマンションの一室または持ち家でして、それから——」
唐沢が言いながら冊子に載っている写真を指し示していき、根付がその言葉を引き継ぐように「ここにある宿舎区画だね」と加える。
なるほど、とルルは頷いて二人の説明を聞いていった。
冊子内の物件の方が部屋は広いが、本部基地内の方がセキュリティは高い。だが隊員か職員でなければならない。
どっちにしようかと悩んでいたルルに、ふと疑問が浮かんだ。そもそもサポーターかボーダー隊員のどちらかしか選べないのだろうか? と。
彼女は今しがた浮かんだもう一つの選択肢がありなのか二人に尋ねた。
「あの、ちなみになんですけど——」
「はい! 本日からボーダーサポーター兼メディア対策室コミュニケーションマネージャーとして活動することになりました、雑賀ルルです!」
メディア対策室を後にして、根付と共に嵐山隊の作戦室に入るなり、ルルが元気よく言った。作業中だった嵐山隊の面々が目をぱちくりさせる中、根付がゴホンと咳払いをして詳しい説明を入れる。
「雑賀くんは我々が新しく雇い、提携した室員でね。君たち嵐山隊の負担を減らすため、同じく広報活動をしてもらうことになった——いわば君たちの後輩にあたるわけだ」
「よろしくお願いします!」
ルルのアイドルポーズのち、一拍置いて最初に反応を示したのは、彼女と同じ高校に通う1年生の二人だった。
「マジかがるる先輩が⁉︎ えっでもアイドルとかはどーするんですか?」
「並行して活動するよ〜」
「こちらこそよろしくお願いします、雑賀先輩」
「ありがとう、よろしくね!」
無造作に髪をセットしたチャラそうな雰囲気の少年——
三門市立第一高校内には、各学年一クラスに一人以上はボーダー隊員が在籍している。彼女がクラスメイトの
「わ、TVで見るより小さいかわいい〜」
「や、
「ありがとうございます〜」
正義を体現したような真っ赤なジャージタイプのジャケットを着用する4人の隊員たちの中、
綾辻は三門市屈指の進学校、
「久しぶりだな雑賀さん!」
「!」
人気が凄まじい人はもう一人いたんだった、と、ルルは爽やかな声がした方へ顔を向ける。
「お久しぶりです! 先輩が卒業して以来ですね」
「そうだな。元気そうで何よりだよ」
「ありがとうございます!」
ルルがぺこりと頭を下げると、嵐山
「……アイドル……先輩……?」
明るい水色の奇抜な髪色、先輩と呼ばれるには顔が幼く身長が低い。そんな特殊な外見をしたルルを見て、そう呟いたのは
嵐山隊最年少で、
目鼻立ちがはっきりしている大人びた顔をしかめた後、木虎は根付に話しかけた。
「広報活動なら室員より隊員の方が向いていると思うのですが……」
「ああ、初めはそのつもりだったよ」
根付が木虎に説明を始めたのに気付き、他の5人も彼に注目する。
「だが雑賀くんは本業もあるから、隊員になれたとしてもランク戦はおろか、防衛任務にさえ当たれない可能性が出てきてねえ。何より一番の理由が——」
と、根付が残念そうな顔でルルをちらりと見た為、彼女は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「その……わたし、戦闘員の素質がなかったみたいで……」
「素質?」と首をひねった佐鳥に、時枝がすかさず「トリオンですね」と答え、根付とルルが頷く。
「数値はいくつだったんですか?」
場合によっては……と小さな声で加えた木虎に、ルルは肩をすくめたまま無言で人差し指を立てた。それが1を示しているのが全員に伝わる。
「まあ正確には1未満、いずれにせよ極めて低いトリオン量だったということだね」
「1未満って、そんなことあるんですね」
根付の言葉で驚く綾辻に、ルルは気恥ずかしさを隠すように声を張り上げる。
「でもっ室員としてなら今すぐ、堂々と活動できるので……!」
「オペレーターの選択肢もあるが、入隊式がしばらく毎月の開催とはいえ、式はまだ3週間も先だからな……とにかく新しい仲間が増えるのは嬉しいことだ。よろしくな雑賀さん!」
フォローを入れてくれた嵐山に笑顔で返すと、ルルは改めて「よろしくお願いします!」と嵐山隊のメンバーに頭を下げた。
だが、木虎はまだ納得のいっていないような顔をしている。
既にアイドル部隊として活躍している自分たちの元に、ボーダーとは関係のないアイドルが突然現れ、「同じ活動をする」などと言われたら不満を持って当然である。これがアイドル界だったなら、木虎のような態度は小さい方で、もっと露骨で殺伐とした空気が漂っていてもおかしくはなかっただろう。
木虎が気にしているのはおそらく、「アイドルにボーダーの広報活動が務まるのか」「活躍を奪われるんじゃないか」あたりだろうか。
そう考えながら、ルルは主に木虎に向かってにこりと話し出した。
「早く皆さんの助けになれるよう、ボーダーについてしっかり勉強していきます!」
「……本業が忙しいのに大丈夫なんですか?」
「アイドルやるために必要なことだから大丈夫!」
自信満々にVサインを向けられ、木虎は呆気に取られながらも「関係ないと思うのですが」と眉をひそめる。ルルはぶんぶんと首を振った。
「わたしは藍ちゃんやみんなと違って戦えないし、コミュニケーションマネージャーって言っても、やることは今までとほとんど変わらないよ。
だから、アイドルにできるのって、やっぱりコレだよね——ライブ!」
それまでへらっと笑っていたルルの瞳に力が入る。
作戦室の片隅で紺色の質素なセーラー服を着た彼女は、そこがまるでステージで、たくさんの観客を目の前にして、きらびやかな衣装をまとっているかのように強い笑顔を振りまき、そして歌った。
「Go Up 大地を割いて
ずーんとそびえるサーバ
キュートもファニーも詰まった宝島
Blow Up 嵐のように
しゅーっと粒子のシャワー
なんだか分かった気になっちゃう相互作用
情動飛ばし足りない そう角度がほしい
もっともっとスーパールミナル!」
「フゥー!」
主に佐鳥の歓声と拍手の後、ルルはビシッとポーズを決める。
「来たる2月1日! メディア対策室新室員がるる、初ライブ開催決定〜!」
「がるる先輩イエーイ!」
「佐鳥くんいえーい!」
ハイタッチして盛り上がる佐鳥とルルをよそに、時枝がふと木虎に小声で話しかけた。
「そういえば、さっき何か言いかけてなかった?」
「……いつですか?」
「雑賀先輩のトリオン量を聞いた時」
ああ、と木虎は思い出したような顔をした。
「大したことじゃありません。"場合によっては、戦闘員になれるかもしれない"と思っただけです」
「トリオンは鍛えれば増やせるしね」
「実際トリオンの低い隊員もいますし」
「
澄ました顔で答える時枝にあえて肯定せず、木虎はでも、と続ける。
「1未満の人にそんなことを言うのは無責任だと思ったのでやめました」
「なるほどね……もし先輩がオペレーターを希望したとしても、どっちみち両立は厳しいみたいだし、今の立ち位置がちょうど良いんだろうね」
木虎は頷きながら、時枝にも聞こえないほどの音量で、
「……戦う意思のない人には、オペレーターも不適任ですから」と、ぽつり呟いた。
二人の会話はもちろんルルには聞こえていなかったものの、木虎の言う通り、その時彼女に近界民と戦う意思はみじんもなかった。だがトリオンは鍛えるつもりでいたし、自分がおそらく誰よりも多くトリオンを増やせることも分かっていた。
彼女はそれができる力を持っていた。
妄想網 Ж Superluminal/MOSAIC.WAV
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#4 手をつなごう
トリオン……主に
生物の心臓の横に備わっている臓器だが目には見えない。これを利用して、ボーダーにより量産された対近界民専用武器「トリガー」を扱うことができる。
含有量には個人差があるが、トリガーを使用しこれを消費させることで、ある程度の成長も可能。
「がるるちゃん何してるの〜?」
「
ボーダー支給のタブレットでトリオンの項目を読んでいたルル。それをテーブルに伏せてから、彼女は
無駄なものがなく整頓されていた嵐山隊作戦室に対し、太刀川隊のそれは無駄なものしかない。正確には戦闘に必要のない、漫画やゲームなどの娯楽であふれている。お世辞にも綺麗とは言えない。というかはっきり言って汚い。
ルルは作戦室の中央に設置された、年季の入ったソファに座っている。肘かけにぐしゃぐしゃとまるまったブランケットを適当に膝にかけると、背もたれにぽすっと沈んだ。
「やばいよこれ300ページもあるんだけど〜!」
「お? じゃあカロス図鑑の1/3くらいだよ」
隣にいた国近は、片手で3DSをプレイしながら、もう片方の手で900ページ近くある分厚い本をぽんぽんと叩く。
「そうかボーダーの公式ガイドブックと思えば……! いややっぱむりつらーい」
泣き真似を始めたルルだが、国近はゲーム画面から目を離さないまま動じない。そしてテーブルに広がったお菓子たちを適当に指差した。
「まあまあシャラサブレでもお食べ」
「それシャラシティにも売ってないやつ」
「そう。つまり激レアなのだよ」
「ありがたくいただこう」
「……」
向かいのソファでは、
黄色みがかった茶色の明るい髪に二重の鋭い目を持っているが、雰囲気は柔らかい。彼は彼で「千発百中」とプリントされた謎のTシャツを普段着にしていることが多く(今も着ている)、周りを余計にそう感じさせた。
ルルはずるずると国近の肩にもたれかかると、一緒になってゲーム画面をのぞき込んだ。ピンクブラウンと水色の対照的な髪が合わさって、その場でゆらゆらと揺れる。いつものことなのか、国近は特にそれを払いのけたりしない。
距離感がバグ気味な二人を見て、出水はシャーペンを走らせる手を止めた。
「
シャラサブレ、ではなく砂糖で表面がつやつやしたココナッツ味の薄いサブレを、さくさくと口に入れた後、ルルは出水に向かって頷いた。
「わたし時々ゲーム実況動画あげてるんだけど、
「へ〜」
「がるるちゃんはわたしが育てました」
「師匠ではない」
顔の横に星がキラリと光るような勢いで言った国近に、ルルは即座につっこみを入れる。出水の手元を見ると、あっと申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね騒いじゃって。勉強中だったね」
「あーいえ、多分今日中には終わんないんで気にしないでください」
「そうなの? 難しいってこと?」
言いながらルルは身を乗り出し、テーブルの出水側に置かれた問題集を見つめた。何かのグラフとアルファベット、不等号が文章内に並んでいる。
「数学?」
「いや物理基礎っす」
「力学的エネルギー……なるほど……」
「先輩分かるんすか?」
「わかんない。けどわかる。かも」
ルルは考え込むようにして、問題集の隣に並ぶ教科書をじっと見つめ始める。彼女が勉強を教えてくれようとしているのに気付いたのか、出水はそれをやんわりと止めた。
「いや悪いんで大丈夫すよ。元々柚宇さんに用があったんじゃ?」
「そーなの。お願いがあって来たんだけど、柚宇ちゃん厳選終わった?」
呼ばれた国近は画面を食い入るように見つめながら首を振る。
「まだ〜おくびょうどんかんA抜け5V出すまで待って〜」
「何て?」と、意味が分からず首をひねる出水。
「多分あと30分以上はかかるよ」
気にしないで、とルルは慣れた感じで言った。出水は相槌を打つと、ルルが伏せたタブレットに目をやる。
「……ちなみになんすけど、アレっておれが見ちゃマズイやつ?」
「マニュアルのこと?」
出水が頷いたのを見て、ルルは顎に手を当てた。
支給されたタブレット内のデータは関係者外秘であり、本部外に持ち出すことは禁じられている。関係者というのは特定の職員、または一定のレベルに達した隊員のみだと、彼女は根付に説明されていた。
ルルはにこりとタブレットを手に取ると、出水にスッと差し出した。
「全然大丈夫だよ。出水くんにとっては知ってて当たり前のことしかないと思うけど」
仮に二人に見られちゃマズイものをここで堂々と見るのはリテラシーがなさすぎる。というかそもそもの話。
そう考えながらルルはだって、と続ける。
「出水くんA級1位だし」
「そうすかね?」
彼はへらっと軽く謙遜しながらもタブレットを受け取った。
ボーダーの戦闘隊員は大きく3つに別れている。最初は訓練生としてのC級、主力であるB級、そして精鋭揃いのA級。
C級は正確には正隊員ではない。
渡されるトリガーも訓練用でその持ち出しを禁じられており、防衛任務にはつけない。そのためポジションごとに行われる合同訓練か、C級隊員同士で戦う
とはいえ、真面目に訓練すれば割と誰でもB級へ上がれるようになっている。
しかしB級からA級への道のりは長く険しい。
隊員同士でオペレーターを含めた
最短ワンシーズン(3ヶ月)の昇格も夢ではないが、次シーズン以降での降格もままあるらしく、その維持も難しいとされている。
そしてここにいる2人。出水と国近の所属する太刀川隊はA級1位。彼らは2年以上もの間、チームランク戦のトップに君臨する凄腕集団なのだ。
こんな部屋なのに。
と、物であふれ乱雑した様を眺めて、思わずそんな考えがルルの頭をよぎった。
「うわコレ……普通にやばい」
「やばいよね、文字たくさんで」
すいすいとタブレットを素早く操作している出水に、ルルは愚痴るように苦笑した。だがそういう意味ではなかったらしく、彼はいや、とひとり言のように続けた。
「遠征とかサイドエフェクトとか、機密レベルたけーなって…………うわポジション別でトリガーの説明もあんのか、そりゃ300ページいくわ……」
出水の口から出た"遠征"という単語が聞こえたらしく、国近が突然わずかにびくりとする。動揺を隠し切れていない彼女に、ルルは笑いそうになる口元をおさえた。
タブレットから目線を外した出水は、ちらりと目の前のルルを一瞥する。
「けど
「じゃないよ〜」
首を振って否定すると、ルルは嵐山隊とのやり取りを思い返した。
国近に頼みたいことにも関わるため、自身のトリオンが1未満であることは伏せて、「元々戦闘員になるはずだったが忙しいため断った」と彼に説明した。
「あ〜それで……ならほとんど覚える必要なさそうすね。半分以上が戦闘員向けって感じだし」
礼と共に出水にタブレットを返され、ルルは何と返事しようかと考えながらにこやかにそれを受け取った。
戦闘員ではないがトリガーを扱わない訳ではない。彼女はマニュアルと一緒に、訓練用でないノーマルトリガーも手にしていたのだ。
「でも、トリガーには興味あったから、ちょうど良かったよ」
「研究でもするんすか?」と、サブレを口にしながら笑う出水。
彼は冗談だと思っているようだ。ルルもにやりとして、そんな感じだと頷いた。
「え、マジなの」
「マジだよ〜。メディア対策室の室員
にこにことVサインする彼女を見て、「……サポーターってつえーなマジで……あいつは息子だけど」と出水は小さく呟いた。
「そうだ! せっかくだから遠征のことも聞いてみたかったんだよね」
「遠征すか? そのマニュアルにのってる内容じゃなく?」
「うん、じゃなく。単純に向こうの世界のこと知りたいなーって」
ルルはそう言ってタブレットに目を落とす。
マニュアルの説明では、ボーダー隊員が実はもう何度も
そのあたりのことは耳タコレベルで知っている彼女は、肩をすくめてため息をついた。
近界、と聞く度、ルルの頭には
彼女はボーダーの重要な規則をいくつも破り、近界民の世界へと旅立って行ったのだ。去年の5月初めの話なので、あと数ヶ月で1年が経つ。
だがルルには、それが十数年も前の出来事のように感じられていた。
鳩原が向こうでどうしているかなど、おそらく遠征に行った隊員たちは知らないだろう。
追いかけるつもりなんか、全然、まったく、これっぽっちもないけど! と、ルルは自身に言い聞かせるように心の中で呟く。
けど、ただ、知りたい。聞くだけなら、別に何の影響も——
「雑賀先輩?」
「!」
うつむいたまま動かなくなったルルに、出水がおそるおそる声をかけた。
ハッとして顔を上げた彼女は、すぐにいつもの調子に戻ると、少し意地悪な笑顔を見せた。
「いやー、今朝も同じクラスの子に聞いたんだけど、誰も教えてくれなくって——ね、柚宇ちゃん」
国近の肩がまたびくりとする。そしてその震えは徐々に大きくなっていく。彼女の顔は先ほどルルが泣き真似をしたのと同じようなしかめ面をしていた。
「ずるいよがるるちゃん……その時はまだボーダーに入ってなかったでしょ〜⁉︎
それにわたしだけじゃなくて
わたしは悪くない、と国近は頬をふくらませむくれている。
普段は超が付くほどのおっとりマイペースな癒しキャラである国近。だが今は、彼女がゲームに負けた時にたまに見せる態度とそっくりだ。
ちょっと言い過ぎたかな、とルルは両手を合わせた。
「ごめんごめん。そうだね柚宇ちゃんは悪くないよ。ボーダーの機密を守っただけだもんね」
「ほんとだよ〜! おかげであの後当真くんにもイジられたし、5Vは出ないし……何て日だ!」
「5Vはわたし関係ないじゃん」
ルルがすかさずつっこむと、国近はむう、と3DSとにらめっこし始める。
ゲームに関しては負けず嫌いで縛りプレイなら余計に妥協しない彼女のことだ。さらに時間をかけるため、今日はこのまま作戦室にお泊まりコースだろう。
自室は本部内にあるし特に問題はない。しかし彼女への話は先に済ませたい。と、ルルはテーブルのお菓子をすすめる。
「ちょっと休憩しよ? ほら、ミアレガレットですよ」
「うん……」
国近は素直に手を伸ばしてミアレガレット、ではなく分厚いバタークッキーを手に取るも、その返事には元気がない。見かねたルルは、以前一緒に見たことのある映画の主題歌を口ずさんだ。
「きみと手をつなごう つらいときはもっと
ゼロからはじめよう ほら ほら 手をつなごう」
「さすがに0からは……ポケトレ60連鎖はつらいよ〜」
「きみと手をつなごう つらいときはもっと
イチからはじめよう ほら ほら 手をつなごう」
「それなら、まあ……」
もぐもぐとクッキーを頬張りながら、国近はしぶしぶ頷く。あともうひと押し必要だ。
振り向いたルルは、何だこれ……と言いたげな目をして蚊帳の外にいる出水の手をとった。
「出水くん!」
「え?」
そしてルルはマイク代わりに自分のこぶしを口元に当て「夜空にー」と歌うと、はいっと出水にそのマイクを向ける。
「いやいや知らないおれ知らないその曲」
「ホシニー」
そんなことは想定内だったルルは裏声でセルフコーラスを入れ、ぶっと出水を吹き出させた。
「届け愛よ みんなの」と彼女は続けて歌うと、今度は国近にマイクを向ける。「願いがー」と、恥ずかしそうにしながらも合いの手を入れた国近に、にこりと頷く。
そして「つながってゆくように 未来へ」と、手を差し出し、彼女は国近と手をつないだ。
この後2連チャン続くサビの大合唱を聞き、半強制的に二人と手をつながされた状態で、出水は「何だこれ……」と小さく口にした。
「ライブのお手伝いー? いいよ〜」
「助かるありがとー!」
その後、奇跡的にポケモンの厳選が終わり、すっかり機嫌の戻った国近は、ルルの依頼を聞くと二つ返事で快諾してくれた。
手をつなごう/私立恵比寿中学
今話から感想欄オープンにしました。
ご自由にコメントしていただければ幸いです。
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#5 Transfer
ルルが
快くOKしてくれた国近にぎゅっと抱きつき、ルルはもう一度礼を言った。だが、彼女はうーんと小難しい顔をしている。
「でも訓練室はー……どうだろう?」
そう言って彼女は
訓練室とは、各部隊の作戦室全てに設置されている部屋のことで、文字通りトリガーの訓練ができる場所である。
ルルは「もしかしてだめかな」と、不安気に首をかしげた。
「だめじゃないと思うけど〜」
「そこは一応、太刀川さんに聞いた方がいっすね」
「そうそう」
太刀川隊の共有施設なのだから、隊長である彼に話を通す必要があるのは当然だ。二人の言葉に、まあそうだよね、とルルは納得した。
本当なら国近と太刀川の二人がそろった状態で、ルルは話をするつもりでいた。だがまずは人材を確保したかったこともあり(もし断られればここの訓練室も借りづらくなるため)、先に国近に聞くことにしたのだった。
作戦室に来る前に彼女に連絡をした際、ルルは「太刀川さん? 今はいないんだ〜でもしばらくしたら戻って来ると思うよ」と聞いたのを思い出した。
「そういえば太刀川先輩、まだ帰って来ないね」
「まだラウンジか食堂でレポートやってるのかな〜」
「あ、それでなんだ」
どうしようかな、と彼女は目線を天井に向けると、よし、とソファから勢いよく立ち上がる。
「わたし先輩探しに行ってくるよ」
「そんなことしなくても、わたし太刀川さんに電話するよ〜?」
国近の提案をルルは「いいよ大丈夫〜」とやんわりと断った。
太刀川のやっているレポートというのは、おそらく大学の課題か、隊長の毎月の義務である、
そんなことを考えつつ、彼女は床に点在する漫画やゲームにつまづかないようにしながらドアへと向かう。
「先輩に会うの久しぶりだし、直接会ってお願いしようかなって。レポート中ならなおさらだし。
あとお腹もすいたからついでに——」
言いながらドアの開閉ボタンを押そうとしたルルだったが、そこに触れる前にプシューッとひとりでにドアが開いていく。
ルルと向かいに立っていた彼は同時に声を発した。
「あっ」
「ん? おまえは…………」
そう言って彼はルルを見下ろすと無言になる。
緑がかった、暗く鈍い青色のもっさりとした髪。同じような色をしたアゴヒゲのあたりに手を当て、格子状の特徴ある瞳でじっと見つめられ、彼女は思った。
この人私のこと覚えてないな……まあ高校で1年かぶったくらいじゃ仕方ないか、と。
気を取り直して、ルルは目の前の彼——太刀川
「お久しぶりです太刀川先輩! お邪魔してます」
「お? おお、久しぶりだな」
「あの時はお世話になりました!」
「……? ああ、別に気にするな」
太刀川はアゴに手を当てたまま得意げに口の端をあげる。
ルルが彼に世話になったことは一度もない。内心笑いながら彼女は話題を変えた。
「ところで太刀川先輩にちょっとお願いがあって——」
「ほう? けどおまえもう帰るんじゃないのか」
「実は今から先輩を探しに行こうとしてて。ちょうどよかったです」
「そうか。で、なんだ? ランク戦か?」
その言葉になかば呆れながらも、ルルは苦笑いで首を横に振る。すると彼は明らかにがっかりした顔で「そうか……」とこぼし、出水の横に腰をおろした。
ルルより二つ年上の太刀川は、見た目こそ年相応の成人であるものの、内面に関しては大分抜けている。だが、こと戦闘においては人が変わったかのように凄まじい力を発揮する。いわゆる戦闘狂である。
部隊のA級1位に加え、彼は
「太刀川さん露骨すぎでしょ」
「いや俺に頼みっていったら普通ランク戦だろ」
「がるるちゃんは戦闘員じゃないよ、太刀川さん」
「なに? そうなのか」
彼が出水と国近にいさめられている様を見て、ルルは思わずくすりとしてしまった。誤解させたことを謝ると、太刀川は「全くだ」と威厳ある態度に戻ったため、さらに笑みを浮かべた。
「訓練室を借りたい? なんだ、やっぱバトりたいのか」
「太刀川さん一回戦闘から離れて〜」
国近の一言で微笑んだあと、ルルは自己紹介も兼ねて説明を始めた。
「わたし2月1日にランク戦会場借りてライブを開くんですけど、」
「ライブ……? っていうかその日ってランク戦初日だろ」
「はい! 隊員のみんなにも見てもらえると思って! もちろんランク戦してない時にやります!」
ランク戦の場所は個人と部隊で変わる。ルルの話す会場とは部隊用のもので、最大4人の3〜4チームが余裕で走り回れる広さと、それを観覧できるスペースがある。つまりライブにもうってつけの場所なのだ。
熱意のこもった瞳で話すルルに、国近はあ〜! と合点のいった顔を見せた。
「それでわたしに頼んだのか〜。あそこなら観覧の解説席からランク戦のとこいじれるもんね」
「そういうこと!
解説席の機械操作って基本オペレーターの人たちがやるって聞いたから、
国近は得意げにコクコクと頷き、まかせろと親指を立てている。
「隊員はともかく他の観客とかってどうすんすか? いれませんよね流石に」と、今度は出水が質問した。
「うん。生配信で流して、あとでアーカイブとかからも見れるようにするよ!」
へ〜、と出水が相槌を打ったあと、ルルはあらためて太刀川の方を向いてバッと頭を下げる。
「ライブでトリガーを使用するので練習場所が必要なんです。訓練室の使用許可をください!」
「訓練室はまあ、好きにしたらいい」
特に悩んだ様子もなく太刀川は即答した。
ルルはぱっと笑顔になって礼を言おうとしたが、彼はテーブルに広がるサブレを一つ手に取りながら「けど——」と続ける。
「ライブでトリガーって何するんだ?」
「盛り上げるためのちょっとしたパフォーマンスです。
時々
「えっ、ライブってそっちなの〜? アイドルなのに?」
国近は驚いて目を丸くしている。
彼女の言う、普通アイドルがやるライブも、ルルはもちろん行う予定だ。
ん〜、とルルは口に手を当てた。
「ランク戦って午前と午後の部に分かれてるんでしょ?
ショーを午前の部の前にやって、午後の部の後に歌う、って流れかな」
「午前の部の前って〜……午前だよね……?」
天然めいた発言をする国近はどこか不安そうな顔をしていた。「そうだよ?」と返したあと、それがどうしたのとルルは目でその先を促した。
「わたし朝早いの苦手だから〜きびしいかも〜〜」
「あ、ごめん。柚宇ちゃんにお願いしたいのは午後だけだから大丈夫だよ」
「なんだよかった〜」
国近はほっと胸を撫で下ろしたが、「いやでも俺たち明日の早朝に(防衛任務の)シフト入ってるじゃないすか」と出水に突っ込まれている。
「出水くん。寝る場所と仕事場が一緒なのはでかいのだよ」と、なぜか自慢げに語る彼女をよそに、太刀川が話を戻した。
「にしてもよく上が許可したな。戦闘以外でのトリガーとランク戦会場の使用なんか」
「ああ、それは——」
違うんですよ、と言いかけてルルは思い留まった。
今回のライブは名目上、
集まった資金は全て復興費用にまわるが、継続的に応援してもらえるよう誘導すれば、結果的にサポーターや協力者を増やすことにつながる。
これも目的の一つではあるが、最大の理由は「
先ほどメディア対策室室長の
『ああ、あの遠征の公表は正直完全に誤算でねえ……唐沢さんにしてやられたという感じだよ』
『いやいや、私はお膳立てしたまでですよ。"彼だけが悪かった、会見は終了します"では、後味が悪すぎますからね』と、会話していた。
どこかトゲを含めた唐沢と、やれやれと盛大なため息を吐く根付を見兼ねて、
『彼……? そういえば最初に遠征の話をしてたのは、
腕に包帯を巻いていた——』とルルが入ると、
『そうです。病院から特別に許可を得て、私が会場へ連れて行ったんですよ』
唐沢の説明に、ルルはなるほど、と会見の裏側にあった出来事を少なからず知った。
昨日の会見終了間際は、"誰が原因で侵攻は起きたのか"よりも、"近界遠征はいつどのように行われるのか"で収集がつかなくなっていた。それをボーダーのトップである司令官が遠征への協力を募って上手く会見をまとめたため、事なきを得ていた。
しかし、これまで世間に秘匿していた"遠征"が、あまりに話題になり過ぎることを上層部(特に根付あたり)は望んでいない。
遠征に興味を持った、マスコミの
そこで根付は、ライブでルルにトリガーを使用させるという結論に至った。
『我々メディア対策室では、今後近界民との戦争が終結した後についても、長期的に考えていてねえ。
その一つとして、トリガーには戦闘以外での有用性もあるのだと示すべきだ、とね』
そうして話題をかっさらい近界遠征で盛り上がる世間を一時でも鎮めよう、というのが彼のプランなのだ。
側から見ればルルは利用されていると思えなくもない。だが注目を浴びれば知名度UPも期待できるし、ファンの獲得にもつながる、win-winの関係である。彼女は十分納得していた。
そしてこういう話をわざわざここで言う必要はない。遠征経験のあるバリバリの戦闘部隊、太刀川隊なら尚更だ。
ルルは親指と人差し指で小さな丸を作るとふふ、と悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「わたし、結構サポートさせていただいたので……」
出水と太刀川はそういうことか、と事情を察した顔をみせる。
それに対し国近は「あ〜〜、がるるちゃん悪い顔してる〜〜」とわざとらしく言い、「悪くないから。いい顔だから」と、ルルは得意のアイドルスマイルで応戦した。
夕食を済ませたあと、ルルはさっそく訓練室を借りた。スマホとスピーカーを用意すると、爆音で曲を流し始める。
本部の建物はトリオンでできており、防音・防振に優れている。どれだけボリュームを上げようが、訓練室の外へは漏れないのだ。
ピアノが走るように流れて始まり、電子音がナチュラルに混じっていく疾走感のあるイントロ。その間約50秒。
ウォーミングアップをしながら片足でリズムを刻む。手にはトリガー。
この武器は起動の意志さえあれば、起動者の思うままその形を変える。ルルは歌うと同時にそれを起動させた。
「するりと腕を抜けてくスケジュール
トリガーはおもちゃのようなキューブ型に変わる。彼女の小さな手のひらに浮かび、白く淡く光っている。続けてそれを小指の先ほどの大きさに割っていく。
「変えられないなんて諦めたりしないでね
無数に走るラインは君を待ってるんだ」
歌詞に合わせて粒を真っ直ぐにつなげラインを作ると、それぞれに絵の具を塗るように色を与えた。
身体の動きに合わせて空間を彩る虹色のトリガー。満足そうに眺め、彼女はBメロに入ろうとした。が、できなかった。
「あちゃあ〜」
バシュンッ、という音と共に、輝く無数のラインは一瞬にして消え去る。ルルのトリオンが切れてしまったのだ。
「まあ、仕方ないか1未満じゃ……」
彼女は残念そうな言い方をしながらもどこか淡々とした表情で、爆音のまま何も知らずに先を行く曲を止めた。
「っていうか効率が悪いのか」と、短剣の
「……先にトリオン増やしてから歌と合わせた方がいいよね……よし、そうしよ」
ルルは一人うなずくと、スピーカーにつなげたスマホの時間を確認する。
現在8時9分。訓練室に入ってから5分も経っていない。
時刻を食い入るように見つめたあと、眠りに落ちるようにゆっくりと目を閉じた。
体感3秒後。ルルはピアノの爆音にハッと目を開ける。
スマホの時間は8時6分。
少し早すぎた、と思ったがトリガーはまだ起動されておらず手に握られたままだ。
問題ない。曲はもう流したままにしよう。
むしろ目印になる。と、彼女はウォーミングアップで頭をぐるりと回しながらぶつぶつと呟く。
「当日はリハも含めると大体8時間……余裕みて10越えしたいけど3日に分けても1年くらいはかかるから…………遊んでちゃダメだな」
ルルはトリガーを起動させて、先ほどとほぼ同じ大きさのキューブを手のひらに浮かばせた。今度はそのまま直線に飛ばすと、自身に当たらない距離でドンッと炸裂させる。
「するりと腕を抜けてくスケジュール——」
そして何事もなかったように、もう一度同じ歌詞を歌い始めた。
目を閉じ、自身を眠りに近い状態にもっていくことで、過去の自分自身へ意識を飛ばす。ルルは時間
ボーダー内には、ルルのような超感覚、超技能、特殊体質、強化五感といった力を持つ人間が何人かいる。そういった能力のことを、組織では総称して「サイドエフェクト」と呼ぶ。
この力は
Transfer/livetune adding 中島愛
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1月30日(木)
#6 SwEEt dREAM
ルルがボーダーに入隊した次の日。
彼女は朝早くから学校に登校すると、コートとマフラーを脱がないまま席につき膝にブランケットをかける。そして自身のノートパソコンを開くと、キーボードとマウスを忙しなく動かし始めた。
しばらくカタカタカチカチと音を鳴らす彼女のもとに一人の女生徒が近付き、ルルは顔を上げてへらりと口角を上げた。
「あ〜〜
「ルル、おは……って、何その顔⁉︎」
「え〜? いつものかわいいルルちゃんでしょ〜〜?」
「自分で言う?」と、
防衛任務に就くボーダー隊員同様、ルルは早退するか遅刻するなどして芸能活動に向かうことが多い。そのためメイクや髪型は普段ならバッチリ決めている。
が、今日のルルはいつもより薄化粧で髪もゆるふわじゃなかったり、やたら間延びした口調をしていたりとどこか抜けていた。目の下にうっすらとクマが浮かび目は開かずまつげで隠れそうになっているあたり、彼女が徹夜をしたのは明白だった。
驚きはしたものの何かを察した結花は、腕組みして首を傾けた。
「……もしかしてライブの準備?」
「そだよ〜今ちゃんもう知ってるんだねえ」
自分の席に着きながら、結花は「昨日の夜通達があったのよ」と答えた。
ボーダーでは上層部などからの連絡事項は基本的に、各隊に配られているタブレットに通知がいく。
ルルがメディア対策室室員としてボーダーに入隊したこと、2月1日にライブをすることなどが昨日の通達内容だったと彼女は加えた。
「……にしても、まさか本当に入隊するとはね」
驚きと呆れの混じった顔をしている結花に、ルルは返事する代わりに歯を見せてにかっと笑った。
「
「今日は朝から防衛任務だからって、わたしが起こしてあげたんだよ〜〜」と、ルルは昨日の
頬杖をつき結花はふうんと相槌を打ったあと、はたと何かに気付いた様子を見せた。
「ん? 柚宇がライブを手伝うって言っても、他にもスタッフはちゃんといるのよね?」
「もちろんいないよ?」
「……は?」と、今度は怪訝な表情を浮かべる結花。
「今回のライブは"
「……つまり運営側はボランティアじゃないといけないってこと?」
「そう〜。うちの事務所でやると人件費発生しちゃうから、ボーダーの誰かにお願いする方が都合がいいんだよね〜〜」
両手だけは相変わらずキーボードとマウスを動かし続けているが、どこか余裕のあるルルの言葉に、「だからってライブまであと二日しかじゃない、どうするのよ」と結花はまくしたてた。
口調は一見キツめだが彼女はやや心配性なところがあり、自分にほとんど関係のない事柄でも親身になって話を聞いてくれたりアドバイスをくれたりもする。
ルルはサイドエフェクトのおかげで学校の成績は良い感じに保てている。だが芸能活動で授業に顔を出せない日が続いたときには、決まって結花がノートやプリントをまとめてくれていた。(余談だが
依頼を即答でOKしてくれた国近を含め、恵まれてるなあ、と思いながら、ルルは期待を込めた目で結花をじっと見つめる。
「……悪いけど私は手伝えないからね」
「だよね〜知ってた。今ちゃんランク戦で忙しいし、本部所属じゃないもんね」
結花はその通りだと頷く。
彼女がオペレーターとして所属しているのは
またランク戦はB級同士で対戦した後、A級ランク戦を行う。
来馬隊は前シーズンB級8位で終わりを迎えている。ランク戦を間近に控えた彼ら含め、B級部隊にライブの手伝いをお願いするなど、よほど余裕のある隊員でないと引き受けてはくれないだろう。
さらに結花は普段、鈴鳴支部で任務をこなす。片道およそ2kmほど離れた本部に、ライブの練習をしたいからと気軽に呼びつけるには遠い距離だ。
「まあでも今日は
玉狛? と首をかしげる結花に、ルルは言葉を続けた。
「
「なるほどね。あの子なら引き受けてくれそうだわ」
「やっぱり? A級
一瞬間があった後、結花は静かに否定した。
「ルル。
「あれ〜? そうだった〜」
彼女は何でそんなこと知ってるのと言いたげだ。その目線から逃れるように、ルルは目を瞬かせて眠いアピールをした。
5秒くらい戻るか? と考えたが、ついさっきまでトリオンを増やすためだけに数百回と時間を繰り返している。
彼女のサイドエフェクトは浅い眠り、つまりレム睡眠時でのみ発動する。いつもなら深い眠りであるノンレム睡眠との使い分けが自在なのだが、昨日は最低限の睡眠しか取っていないため不安定である。
うっかりすると5秒以上戻ってしまい、今パソコンで編集しているライブ用の音源が消えるか、下手をすればトリオンを増やす前に戻ってしまう可能性もある。
ルルは"ボーダーの広報活動するのに隊員の名前を覚えるのは最優先だけど、昔の話も聞いちゃったからこんがらがるよね"という体で誤魔化した。結花も"昨日の夜入隊して1日も経ってないんだからごっちゃになっても仕方ない"と納得してくれた。
「風間隊は本部所属だったね。びっくりした〜」
「びっくりしたのはこっちの方よ。前からボーダーにいたみたいな言い方するんだもの」
「あははまさか〜〜」
また怪しまれないようルルは笑いながら否定した。
だが彼女の言ったことは実際当たっている。ただしこの時間軸
ルルがボーダーに所属するのはかれこれ数十回目になる。今現在と最初の世界線をのぞき、彼女は常に高校入学と同時にボーダーへ入隊し、そして去年の5月から先を進めずに時を戻っていた。
宇佐美栞が風間隊に所属していたのは2年近くの期間だが、それは約1年前までの話である。ルルにとっては"風間隊オペレーター"としての認識が強かったために間違えたのだった。
結花が一旦カバンの整理を始めた為、ルルは音源の編集に集中しようとスクリーンに目を向ける。
B級以上の隊員なら大体みんな覚えてると思ってたけど、3年くらい前になると意外と忘れちゃうんだなあ……知ってるのも去年の5月までだし、そのあと入ってきた隊員は覚え直さないとだし……。
あれ、結構大変じゃない? と、自問自答してルルは首をひねる。
その内バレるのは確定っていっても今はちょっと困るし、かといって何か間違えてめっちゃ戻るのもしんどいなあ……トリオン増やすのと多分人員確保にも戻んないといけないから——
「今度はどうしたのよ?」
整理を終えた結花と目が合う。ルルは無意識にう〜んとうなっていたらしい。パソコンの画面も先ほどと何も変わっていない。
「いや〜〜……わたし実は玉狛支部行くの初めてで〜〜……敬遠してたわけじゃないけどいやしてたかもしれないけどちょっと緊張してるっていうか〜〜……」
「あんたやっぱり元々ボーダーと繋がりあったの?」
「いっけね」
結局彼女は学校を出るまで、眠気のせいでうっかり口を滑らすというのを4回ほど繰り返してしまった。
「Gimme a sweet dream right away
ふたりを隔てるチョコレートの壁
ゆっくり崩してフォークとナイフで
ねえ鍵をかけて秘密の箱」
ヘッドホンを耳当て代わりにして、流れる曲に合わせて口ずさむ。以前ルルがCMに出演した時にタイアップされたものだ。
何十もの音を掛け合わせた重厚感あるサウンドが冬の寒さを紛らわす。かに思えたが、ルルはぎゅっと目をつむり嘆いた。
「ああ〜ダメだ〜〜っやっぱり寒い〜〜……‼︎」
彼女は今本部基地の南側に流れる川沿いを一人歩いていた。川の上をすべる冷たい風がその髪を激しく揺らす。頬と鼻につきささるような感覚を覚え、マフラーに顔をうずめた。
「ううう〜、でも玉狛行くにはこの道しかないからなあ……」
ちらりと前方に目をやると、橋を渡った先、川のど真ん中に、何本もの柱に支えられた大きな建物が見える。三門市で唯一の施設であり、本部から半独立した組織とされているボーダー玉狛支部だ。
元々は水質調査などに使用されていた施設だったが使われなくなったため、ボーダーが買い取り新しく基地を建てたらしい。だが外観は以前のままなのか、所々壁が剥がれ中のレンガが剥き出しになっている。屋上には白い鳥が群れ全体的に古ぼけた印象があり、正直ボーダーのロゴがなければ一見無人にも見えてしまう。
悪寒を吹き飛ばすようにふるふると首を振ると、ルルは残り数10mの道のりを急いだ。
「——はっきり言って無理ね」
「えーっ‼︎ どうしてーっ!」
やや高飛車な少女の声に、ルルの声が食い気味にあたりに響きわたる。
彼女が支部への差し入れにチョコレートを渡し、客間へ通されたあと、単刀直入に依頼の内容を伝えた直後のことだった。
「ちょっとちょっと。お願いされてるのアタシだから」
口に含んだ紅茶をあわてて飲み込み、宇佐美栞は隣に座る少女を止めた。そしてショックを受けている向かいのルルに謝る。
「すみませんこなみが勝手に……」と、栞は隣に座る少女を指差した。
その少女——
「これ限定のやつ!」
「そうなの! 今年のコレクションはロゴと一緒のデザインでかわいいよね!」
「でも今年の初めで販売終わったはずじゃ……」
「わたし
「あんたやるわね」と、小南は感心したような顔でさっそくチョコをもぐもぐと頬張り目を細めた。
ルルがふふふ、と得意げに微笑んでいると、栞が「あのねえ、」とやや気まずそうに続ける。
「
「えっ⁉︎ そうなの⁉︎」
小南はびっくりした拍子に2つ目のチョコを取り落とした。二人に比べて目線の低いルルは、両手を振って明るく振る舞う。
「よく間違われるし気にしないで〜。ルルでもがるるでも、好きに呼んでね!」
「さすが人気のアイドルは違うな〜」
栞の言葉に気を良くし、ルルはまた得意げに笑みを浮かべた。しかし小南の言葉を思い出し、途端に肩をすくめる。
「それで話に戻るんだけど……理由聞いてもいいかなあ? 一日に予定があるなら仕方ないけど、もしそうじゃないならやってもらうことは難しくないし、お礼はできることなら何でも——」とルルが言いかけたところで、再び小南が割って入った。
「その当日に予定があるのよ。うさみはランク戦でオペするんだから」
「……ランク戦? 小南ちゃんの
「あたしたちはね」
どういうことだろうとルルが首をかしげると、すぐに栞が補足を加えるように説明を始めた。
「ウチに新しく隊員が入って、その子たちで玉狛第二部隊を結成することになって、アタシがそのオペレーターをつとめることになってるんです」
「なるほどそういうことかー!」
頷くルルと一緒に、小南もそうそうとコクコク頷いている。
その流れはこれまでボーダーに所属していたときには起きなかった。つまり去年の5月以降の話で、彼女の言い方から玉狛第二は最近入った新人たちの部隊で、今シーズンがデビュー戦ということになる。
「それじゃあランク戦に集中しないとだよね〜……。
柚宇ちゃんに相談した時"宇佐美ちゃんが適任、というか宇佐美ちゃんしかいない"って即答してたからすご〜く楽しみだったんだけど……でも仕方ないよね……すご〜〜く残念だけど……」
ルルはがっくりと肩を落とすとこれ見よがしな言い方で遠くの方を見つめる。
「いや〜、できるならお手伝いしたいし楽しそうではあるんですけ」
「ほんと⁉︎
「……!!」
胸元まで伸びたストレートの黒髪にスクエア型の赤いフレームの眼鏡をかけた、知的で穏やかな雰囲気をもつ宇佐美。彼女の黒い瞳は期待と迷いに揺れている。
これはいける、とルルは確信した。
当日の手伝いが無理なら、データだけ貸してもらうのも全然ありだ。というかその方がいい。
小南が宇佐美の肩をゆらして抵抗させようとするのも構わず、ルルはいかに宇佐美が適任であるかを勢いだけで熱弁し、最終的に彼女を口説き落とすことに成功した。
SwEEt dREAM/Tommy february6
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