シルヴァリオ・エンピレオ (ゆぐのーしす)
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本編
至高の天に至る傲慢 / Paradise Lost


 汝■■■、嘆きの河を渡る者。

 汝■■■、裁きの焔に焼かれる者。

 汝■■■、――三界を駆け抜けて至高の天に至りし者。

 

 

 そう、私の名前は――

 

―――

 

「■■■■■■■――!!」

 今にして思えば、アレは夢だったのだろう。

 カンタベリー聖教皇国の一大事件と呼ばれる神天地創造――そしてその破綻。

 俺もまたその渦中に間違いなく巻き込まれた人間だった。

 

 翠色の結晶に変わっていく体と共に、意識はここに非ざるどこかに連れていかれた。

 その世界の中で、俺は愛しい――とても忘れてはならない誰かと出会えた気がした。

 

 互いに手が伸びかけ――そして交わらず虚空を切った。

 

 待ってくれ、待ってほしい、ただそう叫んでも虚しく気概は空に解けるばかり。神天地破綻とともに訪れたのは、カンタベリー聖教皇国教皇スメラギと総代騎士ヴェラチュール卿の逝去だった。

 

 ……突如として、国内全域で人々は謎の翠色の結晶に変わり世界が超高次化したという大事件だ。

 公式に公表された話によるとそれは教皇スメラギ、秘跡庁長官オウカ、総代騎士ヴェラチュール卿と他一名が起こした大規模な実験であったとされている。

 

 首謀者がそうそうたる面々であった事に当初カンタベリーの国民の多くはすさまじいショックを受けたという。

 なにせ、首謀者は自分たちを護り国を司ってきたはずの者達であり、加えて一人残らず例外なくこの世を去ったのだから。内は崩壊寸前の大混乱だったが、それを収めたのは大司祭シュウ・欅・アマツ、その伴侶リナ・キリガクレの両名だった。

 彼らの指揮によって、カンタベリーが明朝崩壊するとまで言われた神天地創造事件の余波はなんとか集束した。

 結晶化した人達の後遺症の有無についての検査もそれ以後に大々的に行われ、俺はまぁ問題はないと言われた。気になる話があるとすれば、結晶化した人々の大半は皆一様に「なんかとても大事な人に出会えたような夢を見た」と言っていたらしい。

 

 

 俺――アレクシス・ロダンという、売れない小説家をやっている男はこうして、間抜けにも夢から現実に引き戻されたのだ。

 

「……また、あの夢かよ」

 何度か、あの日の夢を見る。

 重い体をベッドから起こすと、窓からはまぶしい太陽の光が差し込んでいた。全身は汗がびっしょりで、姿見には最低な面構えの男がいた。

 

 ……アレクシス・ロダン。元は星辰奏者の適正があったことから聖教皇国騎士団で働き、しばらくの後に元々成りたかった小説家、脚本家になるという夢をかなえるために騎士団を辞めた男だ。

 元の所属は第六軍団・碧玉騎士団、位階はⅢ、託星詩神(ハーヴァマール)の名で呼ばれていた男。

 今となってはそれももう、遠い昔の話だった。

 

 元々剣を握る事も決して嫌いではなかったが、それよりも俺はペンを握りたい人間であったのは確かだ。

 適性があると発覚してからは家族を挙げて俺を騎士にしてくれはしたものの、……御覧の通りという奴で、売れない小説家に転身してからは半ば絶縁を喰らっている有様だ。

 当然と言えば当然で、騎士という名誉ある職を辞めたという事は世間一般では考えられない暴挙なのだから。

 それでどうしたかと言えば。

 

「――ロダン、朝よ」

 ……幼馴染の家に、お世話になっているという有様だ。

 

「……ハル姉さん、ありがとう。助かる」

「誰が姉さんですか、まったく調子のいい。さっさと起きて、顔洗いなさい」

 ――ハル・キリガクレ。幼い頃に家の縁があって顔なじみになった、俺にとっては姉のような人物だ。

 それ故、色々と子供のころに手を焼いてもらった記憶がある。

 

 今の彼女は不幸によって家族を亡くしている。そのために今は名門の中途半端に広い屋敷を一人で持て余しているという有様で在り、そこに騎士を辞めた俺が頼み込んで転がり込んだというのが今の経緯だ。

 無論、騎士時代の貯金を切り崩しながら生活はしているのでハル姉さんに負担は極力かけないつもりでいる。

 

 ハル姉さん。キリガクレと言えば、カンタベリーに限らずアマツに次ぐ名家として知られている。それがどのような血筋かと言えば、かのリナ・キリガクレと同じ血筋と言えば分かりやすい話だろう。

 俺の家族は親の縁があったらしく、それで時々どの屋敷に遊びに来ることはあったのだが当然にして本来であればそれは成立しない友情でもあった。

 ……その点については、親に感謝はしている。

 

 ハル姉さんに言われた通りに洗面台で顔を洗って、目を覚ましてから下の階に降りる。

 それから食卓に赴けば、そこには既に朝食が並んでいた。

 

 焼いたパンと、スクランブルエッグ。それからマグカップ一杯のミルク。それが二人分卓の上に置かれている。

 既に姉さんは椅子に座って、「まだ?」とでも言いたげに視線を送って待っていた。

 ……見慣れた光景ではある。

 

「悪い、今座るよ姉さん」

「宜しい。さっさとなさい」

 椅子に座って、それから食事をとる。

 静かに食事をとりながら、姉さんは「時に」と話を切り出す

 

「ロダン、貴方そう言えば最新作、売れてるらしいわね」

「新説・神曲の事か。……正直驚いてる、アレ売れたんだな」

「自分の事でしょう、何を言っているのか」

 ……「新説・神曲」、それは俺がつい最近執筆して出版にこぎつけた小説だった。

 内容としては幼い頃に出会った男女が、ある転機を迎えて夢の中で再会を遂げる、という他愛もない話であるのだが――これはあの神天地創造事件の実体験が元になっている。

 実際、この小説が受けたのは俺と同じ神天地事件の被害者達が主だった。その点である意味必然だったと言えるだろう。神天地事件の後遺症の検査では受診者はかなりの確率で「大事な者と別れた気がする」「はっきりとこれだ、誰だとは断言できない」と答えていたというのだから。

 

「姉さんには苦労かけてる。本当にすまないと思ってる」

「済まないと思ってるなら普通、騎士辞めないでしょ」

「……返す言葉が微塵も思いつかない」

「そこで言い訳の言葉が思いつくなら、最初から騎士じゃなくて文筆家になれてるでしょ」

 呆れ混じりにハル姉さんはそういうものの、けれど騎士を辞めて住む場所を借りたいと頼み込んだ俺を断らなかったのは紛れもないやさしさだ。

 そのやさしさにつけこむような形になってしまっていることは重々自覚はしている。

 もちろん、自前の有り金が無くなったらすぐにでもここは引き払うと、頼み込んだ最初の頃にそう約束はしている。神曲で入ってきた印税もあり、今は急場を脱してはいるものの。

 

「……騎士、給与は良かったんだけどなぁ」

「夢を優先するのはそれはいい事だと思う、でもね。私、これでも幼馴染として貴方を追い出したくなんてないもの。言いたいことは察してもらえると貴方の()()()としては実に嬉しい限りだけど」

 忠言耳に痛しってのはたしか東方の言葉だったか。……出来得る限りで善処はしてみようと心に誓った瞬間であった。 

 

―――

 

 同刻、カンタベリーの人知れず廃棄されたある研究所の中で、巨大なフラスコを前にして一人の女は佇んでいた。

 かつてカンタベリーに君臨していた四人の超越者――神祖が実験場としていたある地下区画だ。

 

 薄暗い灯りの下、ぷかぷかとそのフラスコの中にはヒトガタがいた。

 

「目覚めなさい、コードネーム・暁の御子(ルシファー)

「――現在時刻を言え、ウェルギリウス。俺に命令(コマンド)を寄越せ」

 フラスコの中の男――ルシファーと言われたソレは、女にそう返す。

 ウェルギリウス、そう呼ばれる女は眼前の男に対しただ冷然と品定めするように視線を投げる。

 まるで機械のような無機質さを伴ったその美貌は、依然何も変わらずルシファーを眺めていた。

 

「星辰体の同調係数は依然問題なし。神星鉄との躯体のマッチングも齟齬は見られない。……十分ね、術後経過は良好そのもの。危惧していた神星鉄とのアンマッチングの兆候も見られない」

「お前の知性と技術の水準を鑑みるに今の俺の様妥当な結果だと言える。更なる改良を施せ、不良は確認できんが現状維持を肯定できん」

「えぇ。これにて実証実験の第三段階は完遂、第四段階の実証に移行。いいかしら」

 無論と、ルシファーは返す。フラスコの中で、男はその目に依然変わらぬ輝きを宿しながら、己の改良を待つ。

 ……ウェルギリウス。神祖に連なるカンタベリーの暗部に属していた人物であった。

 人造惑星、並びに迦具土神壱型、天之闇戸の技術の一端を目の当たりにした一人の女科学者だった。

 加えて彼女もまた、あの神天地の下で極晃になった人物であり人奏と神奏の技術開発競争を然りと目の当たりにしていた。

 

 星辰体兵器の完成形と発展形、その総てがあの瞬間には総て詰まっていた。

 もはやあの場に、科学の未踏領域など存在していなかった。あの光景を目の当たりにした、その瞬間に彼女の夢は決まった。

 ……決まって、しまった。

 

 

 彼女が趣味の範疇で作っていたとある無名の星辰体運用兵器こそが今のルシファーの原型だった。

 人奏と神奏の激突を目の当たりにした彼女は悲嘆した。自分のソレの完成度のなんと粗末な事かと。

 そしてなればこそ未完のソレを完成に導き、己が科学の極点たる最高傑作を練り上げようと誓った。

 

 彼女のその気質は求道者に似ていた。己の確たる科学観を内界に持ち、果て無く技術を追い求め続ける永遠の研究者。それがウェルギリウスという人物であった。

 斬空真剣とはいきさつは異なるものの、卓越した天性と才覚を幼少期から証明し続け見事神祖の目に留まり、暗部へと招かれたという経歴を持っている。

 量産型天之闇戸の調整にも携わった身であり――その経験もまた彼女を高みへと押し上げている。

 成果物たるルシファーがそれを証明している通りだろう。

 

「オウカ様、いずれ私は貴方を越える。私の傲慢が貴方達の領域に到達し追い越すその日を、どうか第二太陽の彼方で楽しみにしているといいわ」

 その唇の端に傲慢の色を滲ませ、虚空に手を翳して手を握りつぶした。

 至って冷静な、明瞭たる意識で、ウェルギリウスはその狂気を口にした。その様をルシファーは眺めながら、共感するように唇を三日月型に歪めた。

 傲慢(それ)でこそ、己を創り上げた者に相応しいと、ルシファーもまた祝福するように笑っていた。

 

 それは果たして、感情と呼べるのか。……それは今は彼ですら知らない。

 人間のそれに当てはめた場合最も正答に近い答えがソレであるというだけに過ぎないだけかもしれないが、しかし今この瞬間、間違いなくルシファーは笑っていた。

 

 

 

 

 

 




以下、星辰光

アレクシス
■■■■■■■■■■■■
AVERAGE: B
発動値DRIVE: A
集束性:C
拡散性:E
操縦性:AA
付属性:B
維持性:C
干渉性:D


ルシファー
■■■■■■■■■■■■
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AAA
集束性:B
拡散性:A
操縦性:AA
付属性:A
維持性:A
干渉性:A


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邂逅せよ、まだ見ぬ運命 / Eris Lunaheim

神祖とちょっと色々縁のある人々です。


「行ってくるよ、ハル姉さん」

「行ってらっしゃい、夜までには帰ってきてね」

 家の玄関でそう、姉さんと言葉を交わすと俺は街へ出た。

 ……用事としては散歩がてらの買い出し、それから小説を書くための資料の購入だ。

 家を出て、聖教皇国の皇都クルセイダル周辺の市場へと繰り出す。

 

 市場や市街の商業活動はもう教皇崩御から八か月以上経っているからか、元の在り様を取り戻している。

 にぎやかな雰囲気なのがやはり一番だろう、見知った顔もちらほらある。

 屋台や料理店から漏れる談笑の声や美味しそうな匂いを感じると自然と腹が減ってしまうものなのだが、ハル姉さんの食事があるのでそれは控えよう。

 

 ハル姉さんから頼まれた買い出しのメモを見ながら市街地を歩いていると、――突然市中の人々の声は小さくなった。

 皆、一様に一つの方向を見ていた。大通りの向こう側から歩いてくる。

 

 ……それは現・第一騎士団の位階第三位、審神聖女(ロンギヌス)――マリアンナ・グランドベルだった。

 金色に輝く長髪を揺らしながら、きらびやかな蒼と銀の鎧を纏い冷然とした雰囲気を纏って他の騎士を伴いながら市中を見回っている。

 

「……そうか。そう言えば、グランドベル卿は第一軍団(ダイアモンド)になったのか」

 教皇崩御の後に行われた七騎士団の再編で、彼女マリアは第二から第一に転籍となったと聞いている。

 かの斬空真剣(ティルフィング)、ベルグシュライン卿と同門の出であったと聞いている。ベルグシュライン同様に卓越した戦技と天性を持ち、同じくヴェラチュール卿の薫陶を受けた者であったとも。

 市民を護る比類なき武威を持ち、同時に常に国と民を憂いて謙虚さや優しさを忘れない。その在り様をして、人は彼女を鉄血聖女という。

 何も変わらない鉄面皮なだけのお堅い聖女様かと言えば、決してそうではない。市中の人々に手を振り返しながら微笑む彼女の姿は、騎士としても偶像としても、まさしく理想像と言えるだろう。

 

 こうして時折現役の騎士たちは市中の見回りを行う事が時々あり、実際自分も団長代理としてそれを行う事はあった。

 基本的にはこの活動は団長が先陣に立ち騎士団の上位位階の人間たちを引き連れて行うことなのだが、確か現第一騎士団団長はリチャード卿であったはずだ。なので概ね、グランドベル卿も代理として出向いているという形だろう。

 

 ……相も変わらず、自分はこの人には慣れない。そうつくづく思う。

 騎士団を辞める前の話だが幾度か手合わせをしたことがあったから。そう、思い返しているとふと、グランドベル卿と目があった。

 少し、驚いたような顔をしている彼女。

 

「――」

 数瞬流れる沈黙を紛らわすように、視線から逃れるように、俺は頭を下げて一礼を返す。

 彼女の顔をこれ以上見る必要もないだろうと、どうか万が一にも俺のような落伍者……騎士の成りそこないに話かけないでほしいとばかりに俺はその場から立ち去った。

 

 ……流し目でちらりと、見た彼女は――己が引き連れている騎士団の面々と何か小声で話しをしているようだった。

 

―――

 

「……一応これで、ハル姉さんの買い出しは終わりか。漏れはないはずだけど」

 肉、野菜、それから糸や絹。買い出しの為の籠に詰めた品々を見回しながら、俺は市街地の公園でそうため息をついた。

 ……あの場から逃げるように立ち去った自分の卑小さが、相も変わらず嫌になってくる。

 小説家になりたいという夢をかなえるために騎士団を辞めた人間なのだから、それはもう騎士として俺は存在そのものが反面教師のような教材だった。

 自覚はしている。そんな自分に恥じ入るものがあるから、リチャード卿やグランドベル卿のような立派に騎士をやっている人間を前にできないのだ。

 

「……騎士辞めてもう二年経つんだがな。我ながら進歩の無い」

 公園の木のベンチで近くの店から買った氷菓子を少しずつ口にしながら、空を仰ぐ。

 発動体は、騎士団を辞める際に返却してしまった。もう使う事も無いだろうと、そう思って。

 

 

「――お久しぶりですね、ロダン」

「……――」

 音もなく、自分の肩に載せられた手の感触に背筋が冷たくなった。

 反射的に振り向くと……そこには市中の見回りをしていたはずのグランドベル卿の姿があった。

 

「グランドベル……卿」

「はい」

 鎧を脱いだ恰好となっているグランドベル卿の姿に、俺は畏まるしかなかった。

 ……できれば会いたくはない人だったから。

 

「第六軍団を去って以来、ですね。何か御変わりはございますか。たしか、今は物書きをされていると聞いていたのですが」

「グランドベル卿は、第一軍団への移籍となったそうで。……貴方こそ御変わりないようで、何よりでございます」

 どこか、そんな俺を彼女は痛ましさそうな顔で眺めている。そんな目で俺を見ないでほしい。

 ……本当に、お優しい騎士であり、善性の発露という奴なのだろうと思う。俺が騎士団を去ると告げた時、当時の第六軍団団長と彼女だけは俺を引き留めてくれた。

 

 第六軍団団長はともかく、訓練で刃を交えて以来時折すれ違い際に会釈を返す程度であった彼女が俺を引き留めようとしてくれた事。

 ハル姉さん同様に、彼女の気持ちも俺は裏切って騎士団を辞めてしまった事。それが何よりの負い目だった。

 

「……どうして、市中で出会った際には貴方は直に逃げて行ってしまいましたのでしょうか。何か私は貴方へ無礼でも――」

「いやそれは断じて違う、グランドベル卿。貴方が気に病む事じゃない、それに貴方の事は関係ない。俺は……」

「嘘を言う時貴方は早口で、多弁になる癖がある、とよく人から指摘された事はございますか?」

 俺の言葉を遮るように、グランドベル卿はそう告げる。

 ……嘘を言うとき、早口になる事。多弁になる事。それはハル姉さんに子供のころ、よく指摘された事だった。

 グランドベル卿にまさか全く同様の事を指摘される事になる等、思いもよらなかった。だからどうか俺の内心に気づかないでほしいと、そう強く願う。

 

「天下の第一軍団の第Ⅲ位階、グランドベル卿ともあろう者が人の話を遮り事情の詮索とは、随分に礼儀がなっている。……帰っていいですか、グランドベル卿。私は姉さ――知り合いの為の買い出しに出ただけなので」

「……」

 それでも俺に手を差し伸べようと、理解しようとする彼女の優しさは間違いなく素晴らしいものだろう。俺と違って実に人間が出来ている。ヒトとしてそうあるべき形なのだと理解が出来る。

 絵にかいた聖騎士様、そんな彼女が言いたいことは概ね理解ができる。彼女に非ずとも、時折こうして俺は誘いを受ける。

 

「……騎士団に戻らないか、とでも貴方は言うのだろう。ごめんだよグランドベル卿。俺は俺の夢に生きると誓った。だから、貴方が俺に気と時間を砕く必要などどこにもありはしない。そんな価値は、俺にはないんだよ」

「本当に、それだけですか。ロダン」

 騎士団に戻ってくれ。

 よく聞いた言葉だ。ベルグシュライン卿も、この国の武の象徴にして武神の生まれ変わりと言われたヴェラチュール卿も、この世を去った。

 そんな混乱の渦中にあって騎士団は人を求めている。――辞めた後の騎士にもこうして声をかけてくる程度には。

 割り増しされた報酬の提示、位階の繰り上げ。そんなものを見せつけられても、俺の心は何も躍らない。

 ペンを持つ方が、ずっと気は楽だったし何より子供のころの夢だったから。

 

 

「それだけだよ。そして貴方の話もそれだけだろう、さようならだグランドベル卿。……例え一抹でも一握でも、俺を気にかけてくれたのなら感謝する」

 ベンチから腰を上げて。俺はグランドベル卿に振り向くまいと去った。

 風に解ける彼女の声も、聞こえないふりをして。

 

「――ロダン。貴方は今でも、自分の星を嫌っているのですか?」

 

 

 

 買い出しが終わると、市街地南にある劇場へと赴く。

 ……カンタベリー公衆大劇場。旧暦ヨーロッパの各地から劇団が集う、国内屈指の大劇場だ。

 カンタベリー芸術の祭典、とも謳われるソレは国境問わず、芸術家の卵から手練れまで、様々な人々が集う。

 旧暦における騎士物語や神話、それから創作悲劇まで、演目は実に多種だ。

 ニーベルンゲンの指輪、神々の黄昏は旧暦から続く定番のネタだったと記憶している。

 シェイクスピア等、特に新西暦においても有名だと言えるだろう。

 

 かくいう俺も、さる劇団へ脚本の提供を行った事があった。それなりの盛況を収めたとは記憶していた。

 執筆においてインスピレーションとは大事な事だ。

 だからこそ俺は時折こうして芸術の場へと赴くのだが、特に今日は公衆大劇場の様相は異なっていた。

 

 遠目からでもはっきり目に分かるほどの人だかりが出来ている。

 ……恐らくは、有名な劇団が訪れたか、スター級の役者が訪れたか、そんなところだろう。 

  

 そこの看板を見るにはどうにも新進気鋭、超新星などと大仰なうたい文句の役者が所属する劇団が演目を始めるらしい。

 その役者の名前はエリス・ルナハイム。ブロマイドを見る限りでは、美しい銀髪と綺麗に整った顔立ち、抜群のプロポーションが注目すべき点だろう。

 劇団の名前はユダ座。前衛的でこれまでの演劇のセオリーにはない演出や特色を特に好んで取り入れる中堅劇団だと名前は聞いた事がある。

 彼らは聞くところによれば「芸術への反逆」をテーマに掲げているとか。

 確かに写真越しにも美人なのは理解できるとして、だが彼女の名前を俺はまるで聞いたことが無い。

 

「聞いた事、ないな。見た目はいいんだろうが」

 けれど、それだけそうそうたるうたい文句なのだから見に行くのもやぶさかではあるまいと、俺は劇場に足を運んだ。

 願わくば、どうか俺の創作に一石を投じてほしいと不遜にも上から目線で願いながら受付を済ませ客席へと腰を預けた。

 新進気鋭の超新星の程を見定めてやる、という上から目線で観劇する者も実際の所は珍しくはない。

 芸術家というものは分野を問わず、ルーキーの程度を計ろうとする人種が一定数いる。

 それは同業者故の嫉妬であったり、自分のキャリア故のプライドであったり、はたまた自分の創作活動のインスピレーションにしようとすることだったり、動機は実に多様だ。 

 

 人の事を言えた義理ではないが、俺もそういう人種なのだという事は大概自覚していた。

 創作は決して求道のみに生きるに非ず。自分一人の視点に引きこもっていては他者のモノの考え方を取り入れられない。結果出来上がるのは、自明の道理として自分一人の感性だけが十全に満たされる。

 当たり前だが、そんな作品を喜ぶのは自分と、自分と全く同一の趣味嗜好をした人物しかありえない。

 それでは創作とは成らない。人が己を越えて多くの人々に伝えたいモノがあるからこそ古今、芸術とは成り立つものだと俺は思っているから。

 

 思案を重ねるうちに、劇場の灯りは段々と消えていく。

 薄暗くなっていく劇場の中、最後の灯りは消えた。開演の時間は、滞りなく訪れた。

 

 傍らに受付で買った嗜好飲料を置きながら、俺もまた観劇に没頭しようと思った。

 

 演目名は「永遠の淑女」。

 湖畔の家に住む一人の孤独な少女に恋をした青年の視点から描かれる物語。

 病に侵された少女は親類からも見放され、ついに天涯孤独の身となった。その湖畔を時折訪れる青年と出逢いを重ねるたびに恋をしていくが、病というタイムリミットにはついに勝てず、最期に青年が彼女と出会った際には既に彼女は事切れていた、という話だ。

 彼女がその枕元に置いた彼に宛てた手紙の内容を目にし、涙を流しながらもしかし、彼女との思い出は間違いなく己の胸の中の黄金であり永遠であったと悟る。

 

 ……話としてはありきたりな筋書きだ。物理的に残らないモノと、精神的に残るモノとの対比は古来、よくあったストーリーだ。

 しかしだからこそ多くの大衆の胸を穿つのだとも理解はできる。

 

 問題は役者と演出だろう。どれほど素晴らしい脚本であれ、それを雑に演出されれば一気に萎えるというものだが。

 開演と共に、一筋の灯りが舞台を照らす。

 

 ――そこにいたのはエリスだった。

 

 

 

「――嗚呼、神よ。何故御身は私を引き裂いたのか」

 天に、ここに在らぬ何かを求めるかのように一直線に伸ばされた手。指先の一本に至るまで、完璧だった。

 そのたった一度の所作で、観客の目をエリスという女は掌握した。

 

 喉枯れるほどの悲嘆は、見る者の胸に言い知れぬモノを迫らせるほどに迫真だった。

 目尻に涙さえ湛えながら、その悲劇を美しく彩っていく。

 

 

「ウィリアム、ウィリアム。貴方はどうして私に会いに来てくださるの? 私の知る景色は、永遠に変わらぬこの湖畔だけでよかったのに」

 発作のように、か細く震える手。

 己の心臓を抱くように、膝から崩れ落ちながらも、伴侶役の男へと縋るように彼女は叫ぶ。

 真に迫るとは、まさしくこの事だろう。彼女の視点に立ったかのように、彼女の演じる悲しみを理解できてしまったから。

 

 ……この話に、よく似た話を俺は書いたことがあるから。

 

「貴方の事なんて、私は知りたくなどなかった。私は一人でいられればそれで幸せだと思っていたのに、それを貴方はいともたやすく砕いて見せた。――もっと生きていたいと、私は思ってしまった!」

 生きる事を諦めた少女に生きる動機を与えてしまった事を、彼女は筋違いと知っていながら男へ糾弾する。

 涙に濡れた頬は痛ましくも美しく、どこまでも引き込まれていく。

 彼女の作り出す虚構の悲劇に俺も含め観客は胸を打たれている。脚本を寸分たがわず現実にしていくその力量に俺は圧倒されていた。

 叩きつけられるような彼女の感情はしかし、単なる叫びなどではない。そのようにすれば観客の胸を抉ると研究されつくしているうえでの演技だ。

 決して、湖畔の淑女は現実の人間ではない。であるにもかかわらず、彼女というレンズを通して今観客は湖畔の淑女の実在を目の当たりにしている。

 

 

 知らずに、意図すらせずに、俺は涙を流していた。

 

 

「……■■■■■■■」

 かつて、体験した夢の中の別離が、今俺の胸の中に去来していたから。

 その名前を、俺は知っている。思い出せなくても、その字面の意味を知っている。

 

 ――途端に、脳裏の中にあったあの時の光景と輪郭が、肉をつけていく。

 鮮明になる意識と共に、あの時失った少女の顔が蘇っていく。

 月を写したような美しい銀の髪、張りのある真白色の肌――そして、薄い赤の唇。

 

 その姿ははっきりと、――エリスに重なった。

 

 

 エリス・ルナハイム。今俺が目の当たりにしている彼女はそんな名前ではない。なぜならば彼女の名前は。

 

「……ベアトリーチェ?」

 

 

 

 それは奇しくも、エリスは観客席へと目を向けると、刹那に彼女と目が合った。

 その一瞬、彼女もまた、呆然とした表情を俺へと送っていた。

 

 ただの一瞬、ほかの観客には気付かないほどのその刹那であったのに、俺は確信にも似た予感があった。

 呆然とした顔は一瞬で役者のそれへと切り替わり、一切の滞りなく演目は進行していった。

 

 俺はただ、エリスを茫々然と眺める事しかできなかった。

 説明の出来ない――文章化できない感慨が、胸の中に渦巻いていて。何かしようと思うときっと、抑えきれない感情のままに在ることないことをやらかしてしまうだろう予感があったから。

 

 最期、永遠の別離が訪れるそのラストシーンを、俺はただ涙を流す事しかできなかった。

 惜しむことがあるとすれば、泣いてばかりでろくに目のまえの演劇を集中してみることができなかった事ぐらいだろう。

 

 拍手の中、その悲劇は幕を閉じた。

 鳴り響く喝采は留まる事を知らず、けれど俺の胸にあったのは全く別の感情だった。

 

 エリス・ルナハイムという役者。彼女が、あの夢で別離を遂げた人とあまりに似通いすぎていたのだから。

 

―――

 

 劇場を出れば、もう日は堕ちてかけていた。綺麗なものだと、本当にそう思う。

 胸に迫るものはあった。間違いなく、アレは俺に破城槌の如き衝撃を与えた。理解はしたが、イデアから言語化できる領域に落としこめてはいない。

 それだけがもどかしい。

 

 脚本はありきたりだったかもしれないが、エリスの演技は素晴らしかったと言わざるを得ない。

 

「……綺麗だったな」

 そう、空を見上げながらごちる。

 劇場から去る事に後ろ髪を引くような名残惜しさを感じながら、帰路につく。

 

 ハル姉さんの中途半端に大きな家。片手に持った籠の重みを感じながら、門をくぐる。

 そこで出迎えていたのは、やはりというべきかハル姉さんだった。

 

「帰ってきたよ、ハル姉さん」

「ご苦労様、ロダン。……大丈夫? 何かあったの?」

 ハル姉さんは、俺の目尻を指さしている。

 ……涙の跡がある、そう言いたいのだろう。

 

「いいや、何も。少し、知り合いと会っていた。随分長い事あってなくてな。積もる話が色々あった。別に厄介事には巻き込まれてないよ、ほら見ろ服だってきれいなままだ」

「……そう」

 あまり、ハル姉さんは納得していなさそうな顔だった。

 ……普段、あまり泣かない人間だとよく思われている自覚はあるのだが――ふと、ハル姉さんの視点が若干ずれていることに気が付いた。

 俺、ではなく、若干俺の後方を見ているような視線で。

 

 

「――ところで、ロダン。その子、誰?」

「その子って、どの子さ。ハルねえさ――」

 困惑を浮かべながらも彼女がピンと伸ばして指さしたその先にいたのは――、驚くべき事に、あの劇場で見たエリスの姿だった。 

 

 



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舞姫の見た夢 / Diva

一応捕捉になりますが、同作者のニルヴァーナの方とは作中でのつながりは「あまり」ありませんが、同じ世界で諸々の事件は起きているという設定です。


また、近い内にニルヴァーナも加筆修正を行い新しく作り直す予定です。


 それは私ではない私の、原風景だった。

 その女の子は、脳の病に冒されていた。

 夢は、大舞台で踊る事。女優になる事。そう言ってはばからなかった彼女の、無慈悲な末路がそれだった。

 日を重ねるごとに衰弱していく体、私のモノではなくなっていく体。

 新西暦における一〇〇〇年間ですら非常に希な病気だと、当時の研究者は語っていた。……そのあまりのレアケース故にカンタベリー聖教皇国秘跡庁の面々まで総出で私の体と病気についての分析が行われた。

 しかしあらゆる投薬治療も芽は成さず、単に死ぬまでのタイムリミットを――苦しみを延長する以上の意味は持たなかった。 

 

 その当時、秘跡庁の人間を名乗り私を見舞った人物は「■■■■■■■」と名乗っていた。

 名前が長いから、先生とだけ私は呼んでいた。

 

「……先生。私、治りますか」

「治るように、最善は尽しているわ」

 病室のベッドで、私はいつも空を眺める事しかできなかった。

 その空の蒼を、私は誰よりも憎悪した。

 躍る事も、舞う事も出来ない、翼をもがれた惨めな小鳥。それが私という女だった。そんな女の容態のモニタリングや聞き取り、そうしたものを担当していたのが"先生"だった。

 

「嘘。下手なんですね先生」

「そう、思うかしら」

「えぇ。……本当は、私の病気は治るなんて微塵もきっと思ってないんでしょう。オウカ様までいらしているのに私の容態は良くならないというのなら、つまりそれはそういうことなのでしょう」

 実際、先生は事務的に徹していた。どこまでも仕事と割り切って、私に接していたように思える。

 飽くまでも欲しいのは数字とデータ。そう言っているような目をしていたから。

 けれども何もかもが自暴自棄になっていた当時の私にとってはそんなことはどうでもよかった。自分が例え貴重な病気のサンプルとして生かされているのだとしても、別段の文句はなかった。

 

「そうね。オウカ様でもついぞこの有様なのだから、無理もないでしょう」

「否定しないんですね」

「……否定して、在りもしない希望を抱かせ結局ダメでした、となるよりは遥かに慈悲に溢れてる処置だと思うけれど?」

 化けの皮がはがれたのね先生、などとは思わなかった。

 むしろ、きっとそれが地金なのだろうと理解できた。取り繕う事を辞めようが辞めるまいが、私にとっては変わりのない事だった。

 私のゴールが変わらないのなら嘲笑われようと、実験動物みたいに観察されても、何も変わらないから。

 つまりそれはそういうことであり、そういう教訓なのだろうと、私は諦観していた。絶望していた。

 私の症例を、必ず医学の為に生かして見せるから?

 知見は生かしても、私が生きていなければ私には何の意味もない。私は私と同じ症例に苦しんでいる子の為に私の体を分析してください、なんて言えるほど人間は出来ていない。

 

 私の代わりに他の人間を救うために、その貴重なサンプルケースになってくれなんて馬鹿げてる。自慰じみたそんな聖性なんて私は持ってなかったし、心底から反吐が出る。

 

「一つ、聴いておきたいことがあるのだけれど」

「なんですか、先生」

「貴方がもし近い内に死ぬとして。……私にどうかその亡骸を委ねてくれないかしら」

 そう、先生は突拍子もない事を言う。

 私の死体を、一体どうしたいのだろう。概ね医学の為と切り刻まれるのだろうことは想像できたけれど。もう、そんな事さえもどうでもよかった。

 

「……好きにすればいいと思います。私の姉さんも、親も、私を見放した。なら私が死ねばどの道抗議する人はいない。死人に口無しと、よく言うでしょう。そうですね、願う事があるとすれば。貴方が優秀だと自負するのなら、せいぜい有意義に使ってください」

「承知したわ。……一人の科学の徒として、今ここに神に誓う。貴方の尊い犠牲を糧に、私は科学を前に進めて見せる。貴方のような悲劇を、二度と生まないためにも」

 そこにはどのような感情が籠っていたかなど、知りはしない。

 尊い犠牲も、神も、何もかもが死という運命の前では等しくくだらない。

 

「神? おかしなことを言うんですね、先生。私みたいな只人一人救えない、究極の無能の代名詞に一体何を誓うの?」

「まったく手厳しい。しかし事実ね、私も実は無神論者なの」

「カンタベリーでそれは禁句でしょうに。……貴方は本当に聖職者ですか?」

 神様、もしそんな存在がいたとしたら、きっとそれは馬鹿だ。嘲笑する権利の一つぐらいは誰にだってあるだろう。

 何処までも、先生とは意見はすれ違う。――食い違ったままに。

 全知全能な神様が人間を設計したというのなら、どうして人間は寿命なんてものが、病気なんてものがあるのだろうと思うから。

 命は限りあるからこそ美しい、不治の病にかかるのもまた運命?

 馬鹿げてる。そんなものを喜ぶのは悲劇作家とそのファンだけだ。どこまで行っても、当事者は痛くて、辛くて、そして悲しい。

 そんなモノを運命と呼ぶのなら、まさしく神の無能と不在の証明に他ならないだろう。

 

「別に、聖職者である前に研究者なだけよ」

「そうですか。普通、カンタベリーでは逆ではないのですか」

 そんな先生との会話は、少しだけ楽しく思えた。

 私が死ぬまでの間、しばしば私はこうして先生と言葉を交える事があった。

 どこか不遜で、傲慢で、人をモノ扱いしているようにも見える人。結論から言って、正直よくわからない人だった。

 

 

 

 そうして、一切のイレギュラーはなく私は意識を終えた。

 何のために、私は生まれたのだろう。やり残したことは、未来にやりたかったことは、それこそ無限にあったはずなのに。何も、何も、私という無名の少女は何も残すことなくこの世を去った。

 

 

 

 

 そのようにして、私というシステムはこの世に産声を上げた。

 

 

 

 

―――

 

「誰――、て。エリス、さん?」

 俺の背後には、一切見まごう余地なくエリスが立っていた。

 あの舞台に立っていたはずのエリス・ルナハイムがいた。

 

「……そう。私が拾わなかったら野垂れ死んでいた無職の分際で女の子誑かすなんて、いい御身分なことで。ロダン」

「違う、待てハル姉さん。違う。これは違うんだよ」

「何が、どのように、何故、違うのか。浅学非才な私にちゃんと分かるように説明してくれるとありがたいのだけれど」

 明らかに、不服極まる声色が感じ取れる。

 頭が何から何まで混乱しすぎて、頭が追い付かない。

 傍らにいるエリス――あの大舞台の大女優、新進気鋭の超新星は在ろうことか、俺と腕を組んだ。

 

「すみません、家主の方ですか? 私、この方に助けて頂いたんです。けれどその日暮らしの宿がなく、路頭に迷っていたところをこの方に――」

「おい、待て。お嬢さん。俺はそんな事」

「――貴方があの時言ってくれた言葉は、嘘だったのですか?」

 目尻に涙を湛えて、エリスは泣訴するように俺をまっすぐ見つめていた。

 あの時とは何だ。俺は何も言っていない。……大体なんだこの女は、演技力がある事は認めるが、それをなぜ今この場で使っている?

 

 ……いやそもそも、なぜ俺はこの女に尾行されている事に気づかなかった?

 騎士時代の名残で、尾行を察知したり撒く事には慣れているつもりだった。だがそれにしても不審感を抱かせなかった。

 演技で慣れているから、とかそういう問題じゃない。尾行はそう簡単な技術ではない。その時点で眼前の彼女の得体の知れなさの程度が分かるというものだが。

 

「私の名前を、貴方は呼んでくれたでしょう。行かないでくれって」

「何のことだよ、さっぱり見当がつかない」

 ハル姉さんをそっちのけで抗議するように、エリスは俺になおも泣きついている。

 何の事を喋っているのかまるで意味が不明だと、ハル姉さんは半ば呆れ混じりで混乱している。

 けれど、次に放ったエリスの言葉で、俺は確信に至った。

 

 

「――ベアトリーチェ。あの観客席でただ一人。エリス・ルナハイムじゃない、貴方が呼んでくれた私の名前よ!!」

 そう、叫ばれて。俺は確かに思い出す。

 けれど、どうして彼女がベアトリーチェという名前に反応した? 舞台から客席の俺の口元は見えるものなのか?

 頭に駆け巡る疑問の嵐が、この眼前の彼女を看過する事を許さなかった。

 

 お前は知らなければならないと、脳裏のどこかが疼いている。

 あの日、握れなかった手をお前が握れと、心のどこかで叫んでいる。違う、偶然の一致だ、彼女はあの日俺が手を取れなかったヒトじゃない。

 姿形が似通っているだけの只の別人に過ぎない。そう思えば思うほどに、胸の奥が苦しくなる。

 

 まるで、彼女とはそこに一緒に居るのが普通だったみたいに――

 

 

 

「……大丈夫? ロダン。汗、びっしょりだけど」

「え……」

 ハル姉さんに言われて、俺は初めて額に流れる汗の雫に気づく。

 まるで悪夢に魘された時のように。背中まで汗でびっしょりだ

 コホン、とハル姉さんは場を一旦均すように咳払いをしてから、俺達に向き直る。

 

「とにかく、いったん貴方達は中に入りなさい。ロダンの申し開きはそこで聞くから。それと、貴方。エリスだったか、ベアトクスだったかは知らないけれど。本当に一応聞くけど、ロダンに無理矢理連れてこられたわけじゃないのよね?」

「信用無いにもほどがあるだろ、ハル姉さん」

「無職三文作家のロダンは黙ってなさい」

 冷ややかな、塵屑を見る様な視線を向けられると俺はさすがに委縮する。ハル姉さんの冷ややかな目に俺は騎士時代ですら数える程度しか感じなかった恐怖を垣間見る。

 けれどそれに対して、エリスは飽くまでも楚々とした態度で優雅に頭を下げている。

 

「ご温情、痛み入ります。御姉様」

 そう、言って俺達は屋敷の中に迎え入れられた。

 ハル姉さんはエリスには距離感を計りかねつつも優しく、そして俺には距離感を把握した上で冷徹に接していた。

 高等法院のような厳粛さで、卓を挟んでハル姉さんは俺とエリスに相対している。

 

 

 

「……それで。今も全く以って納得が欠片も出来ないのだけど。まずはっきりさせたいのは、ロダンは本当に乱暴を働いてはいないのね?」

「はい、ロダン様はむしろ私に一切れのパンと温情を下さった優しき人です」

「そう、なら良かった。……で、ロダン。その一切れのパンと温情とやらに、やましいものはないの?」 

 完全に、決めつけにかかっている。

 まずそもそも俺は温情はともかく、パンなど寄越していなければ縁があったのはあの大劇場で一瞬目が合った時ぐらいだ。

 

 

「姉さん、勘違いしている。俺はまずパンなどよこ――」

「すみません、ロダン様は恥ずかしがり屋だから、こうして謙遜してしまうのです」

 メリ、と俺の足の爪先にエリスのハイヒールはめり込んでいた。騎士の身を経験していたり星辰奏者でなければきっと耐えられなかった痛みだ。

 流し目の彼女が暗に「話のつじつまを合わせろ」と告げていた。それどころか、俺と組んでいる腕もまるで振り払おうとしてもびくともしていない。

 

 この華奢で細い体でありながら、これだけの力がある事。

 それを曲がりなりにも星辰奏者であるはずの俺が振りほどけなかった事。

 ……それはつまり、エリスも星辰奏者であると考えられる。そんな彼女が今「話を合わせろ」と目で告げているのだから是非もない。

 ともすれば恐らくハル姉さんに危害の塁が及ぶ可能性も否定できない。

 

「……ああ、分かった。認めるよ。永遠の淑女、その役者さんだった人だ。何でもその界隈では有名だった女優さんだが、家が無く宿を点々として寝泊りしていたらしい。それが不憫に思えてな、チップ代わりにパンを恵んだ」

「女優さん? ……ああ、なるほど。道理で可愛らしいと思ったわ。それで? その有名な女優を攫ってきて、貴方は何がしたいの?」

 宿を点々としていた、は推測の域だが、合わせる話の筋書きとして特に破綻はないという事はエリスのヒールの籠められている力が変わらない事から察する事が出来た。

 要はするに、俺が思いつきで言ったでまかせはエリスというこの女が求める筋書きを大きく逸脱してはいないということだ。

 

「ロダン様は私に、宿に困るならこの御屋敷に来るといいと言ったのです」

「待て、エリス。そこまでは――」

 そこで、抗議の声はハイヒールによって殺された。

 足の指は大事でしょう、と彼女の笑顔が暗にそう伝えていた。既に爪先が悲鳴を上げていながら、同時に腕もしっかり極められている。

 この場で逃げたらついでに腕も折ると、言われているような気分だった。

 

「……話は分かりました。エリス……さん、つまり貴方はロダンに住む場所を与えるから来なさいと、そう誘われたわけね」

「えぇ、御姉様。でももし家主の同意がないのなら、それは礼を欠きます。ですからその御裁断は貴方様に委ねようと思います」

「……」

 そう、粛々と頭を下げるエリスは頭を下げる。

 誠心誠意という言葉に似合うその姿で、ハル姉さんにお願いいたしますと仰いでいる――依然、俺の爪先は踏みつぶしたままで。

 それから渋くなった門が軋んだ音を立てながら開くように、重い口をハル姉さんは開いた。

 

「……分かった、分かりました。ロダンが適当を言い出したこととは言え、路頭に迷う貴方のような若くて美しい人を放っておけるほど私は鬼ではないですから」

「誠にございますか、御姉様。……なればこのエリス、まことに嬉しゅうございます」

「ただし。条件はあります」

 そうハル姉さんは言葉を置いてエリスへと、指を向ける。

 

 

「……エリスさんの滞在期間は四か月まで。その間の金銭的な面倒はロダンが見る事と不純異性交遊は禁止。それでいいなら、エリスさんは泊ってくれていい」

「異存在りません、御姉様。ロダン様はいかがですか?」

 エリスの言葉は、表面上はとても穏やかだった。

 少しでもおかしなことを言ったら、その右腕と左足の爪先がどうなるか分かっているでしょうねと。笑顔で圧力をかけていた。

 貴方に拒否権など、微塵も認めていないと。

 

「……俺も異存はないよ、エリス。ハル姉さん」

「じゃあ、決まりね。空き部屋案内するから、どうぞ使って、エリス・ルナハイムさん。細々した決め事は、追々伝えるから」

 そう言って、エリスとハル姉さんは共々、上の階に去っていった。

 一人、下の階に取り残された俺はハイヒールに踏まれ続けた爪先の痛みを噛みしめながら、混乱する頭を整理していた。

 

 あのエリスという女は人知れず俺をつけてきて、しかも単なる女役者かと思ったら恐らくは星辰奏者であり。

 加えてそれは夢の中で別離を遂げた「彼女」とよく似ていて。ベアトリーチェという単語に反応していた。

 ……俺はエリスという銀髪の知り合いを知らない。

 生まれてこの方、現実でそんな知り合いを見たことが無い。であるというのに、彼女ははっきりとベアトリーチェと口にした。

 

 なぜ、俺があの夢の中で叫んだ名前に反応しているのだろう。その真意を俺は知りたいと思っている。

 本当に俺はエリスと名乗るあの女と、何も関係がないのかを、今の俺は断言できなかった。

 

 理性は明瞭で、知性も正常に機能している。その上で、俺は断言が出来なかったのだ。

 

 

―――

 

 自分の部屋でベッドに背中を預けて、重い溜息をつく。

 エリスを名乗るあの女は果たして一体何者だというのだろう。それが。それだけが、皆目見当つかない。

 机に散らばる原稿用紙も、今はその続きを書こうとは思い至らなかった。

 

「何も、考えたくねぇ……疲れた……」

 心から、思う。

 何もかもがあり過ぎで。けれど――そんな俺の安息をあの女は許してくれないようだった。

 こんこん、と扉を叩く音が聞こえる。

 

『ロダン様、入ってよろしいですか?』

「……入るなと言っても入るだろうから勝手にしてくれ。聞きたいことは山のようにありすぎて正直困ってる」

 言う、ぎこりと扉を開けてエリスは俺の書斎へと入ってきた。

 今の彼女が、すこぶる得体の知れない存在なのはもう言うまでもないとして。聞きたいことがありすぎてまずは何から聞くべきなのか。

 それに迷っていた。

 

「言わずとも、分かります。ロダン様。聞きたいことが、あるのでしょう? であれば存分にお聞きください」

「そうだな、じゃあまず。なんで俺の跡をつけてきた? 俺の家になんで転がり込もうとした?」

「おかしなことを言いますね、この家の主はハル様で、貴方様は居候では?」

「……訂正する。なんでハル姉さんの家に上がり込もうとした?」

 それがまず第一の疑問だ。

 俺の跡をつけてきた経緯も、その理由も、まるで彼女は真実を姉さんに告げていない。

 

「それは、貴方様があの舞台で涙を流してくださったから。そのような理由ではなりませんか?」

「涙を流していた人間は、ほかにもいただろう」

「では付け加えます。涙を流しながら、私の事をベアトリーチェ、と呼んでくれたからという理由では?」

「……そう、それだ。俺がある意味で一番聞きたかったのは」

 なぜ、彼女はベアトリーチェという言葉に反応したのか、それが分からない。

 その言葉の内容は、俺しか知らないはずだったから。

 

 

「問いを返すようで申し訳ありませんが、ベアトリーチェという名前をどこで知ったのですか?」

「神天地創造事件、て知ってるか。カンタベリーで八か月ほど前におこった大事件だ」

「えぇ、存じ上げています。……貴方もまた、その被害者だったのですか」

 俺は、そう頷く。

 同時に彼女の言い方にも引っかかりを覚えてこう思わず聞き返した。

 

 

「……貴方も、とさっきお前は言ったな。もしかしてお前もかあの事件に巻き込まれたのか」

「ご名答です。その当時、私もまたあの神天地創造事件に巻き込まれ――そして多くの人々が言う通り、大切な誰かと会ったような、そんな夢を見たんです。……という事は、貴方もまたその夢を?」

「察しが良くて助かる。……ベアトリーチェと名乗る、一人の女の子にその夢で出会った」

 その女の子との邂逅と別離。それが新説・神曲のルーツになっている。

  

 

「私が夢で出会った人は、男の人でした。私はダンテ、と勝手に読んでいましたが――その時の男の人の顔が、貴方にそっくりで――私の事をベアトリーチェ、と呼んでいました」

「だから、俺をつけてきたと? 他人の空似かもしれない奴の顔を見るたったそれだけの為に?」

「はい」

 ……不気味なほど、彼女の語る夢は俺の体験した夢と符合する。

 彼女の夢の中にはベアトリーチェと呼んだ俺――とよく似た男が登場し、対して俺の夢の中には、俺がベアトリーチェと呼んだエリスとそっくりな女が登場し。

 偶然にしてはパズルのピースのようにぴったりはまりすぎていて、構図としてあまりにも出来過ぎている。

 

「……なんだそれは。都合が良すぎるだろう。ともすれば不審者と何も変わりはしない」

「私もつくづくそう思います。……あの場で貴方とお会いするまでは、そう思っていました」

 その言葉に、不思議と俺もうなずきを返していた。

 ……彼女と目があったその時に、初めてもやがかって曖昧だった彼女の輪郭は脳裏に示されたのだから。

 これが偶然の一致だというのならそれまでだろうが、それでも同じくあの神天地創造事件の被害者であった事、全く同一の夢を見ていた事を無視はできなかった。

 何より。

 

「……エリス・ルナハイム。お前は星辰奏者なのか?」

「やはり、気づきましたか」

「馬鹿力、という言葉を知っているかお嬢さん」

 爪先の痛みや極められた腕が、彼女が常人ではない事を如実に示してた。

 神天地創造事件に巻き込まれた同じ被害者同士で、星辰奏者で、加えて全く同一の夢を見ている。

 神天地創造事件の顛末は、この国の支配者であった教皇スメラギやヴェラチュール卿といった要職級の人間たちが起こした、人為的な星辰体運用兵器の創造実験の弊害ということになっている。

 それならば、同じ星辰奏者であった自分たちは事件と何か相互作用が働いた結果、皆一様な夢を見たのでは――そんな朧気な仮説がたつ。

 

 けれどそれは直に俺自身の理性に否定された。あの事件に巻き込まれたの星辰奏者ではないハル姉さんも同じだったし、星辰奏者でもなければ貴種でもない人間たちも同様の症状に巻き込まれていたのだから。

 

 

「とにかく、お前が夢見がちな乙女だという事はよくわかったよエリス」

「……ベアトリーチェ、とは呼ばないのですね」

「夢の人間は夢の人間だ。他人の空似につけた名前で呼ぶわけにはいかないだろう」

 目の前の彼女は、エリス・ルナハイムという一人の人間だ。

 ……幻想につけた名前で彼女を呼ぶのはそれは冒涜も甚だしい。それは一人の人間に対してまっとうな態度ではないだろうから。

 

 

「それとエリス。もう一つ聞きたいがハル姉さんをどうするつもりだ?」

「どうする、とは?」

「とぼけるな。騎士団にエリス・ルナハイムという人間の名前を聞いたことはない。要はするに経緯は知らないが野良の星辰奏者なんだよお前は。そんなお前が、ハル姉さんに危害を加えないとどうして断言できる」

 それは今この場で何よりはっきりとさせなければならない事だった。

 脅迫されたとはいえ、彼女を屋敷に迎えてしまったのは俺だ。もしエリスが姉さんに危害を加える事があったなら、その時こそ俺は自分を憎むことになるだろうから。

 

「あの尾行と関節技を決めた身で、俺を脅迫して家に転がり込んだ身で、信用があると本気で思っているのか?」

「存じています。とんでもない無礼を働いたことも。その上で、私はロダン様を追いかけたのです。……証を立てようにも、立てられるモノをお出しできません。しかし、私は貴方の御姉様に危害を加えるような事は決して、在りません。それだけはどうか信じて頂きたいのです」

「……信じない、と言ったら?」

「なら、このように」

 言うと、彼女は突然姿勢を低く落として――刹那に俺へと手首を掴んで、冷たい床に押し倒された。

 ぎしり、と手首を掴まれ抵抗を抑えられ、こうして彼女に馬乗りにさている。

 

 

「……それでも私は、私の気持ちに整理をつけたいのです。だから貴方と共に一つの屋根の下で生活したい――というのはダメですか」

「気持ちの整理をつけたいのは、夢の中の方か? それとも現実の俺か? どっちなんだ」

「分かりません。……分からないから、それも含めて答えを見つけたいのです」

 綺麗な、目だと思った。

 不純物の見えない、感情の見えない、どこまでも澄んだ目で俺を見つめている。その目が、俺には空恐ろしかった。

 いったいこの子は、俺の目の奥に何を見ているのだろう、と。思いの外に過激な手段に訴えるものだとも思う。

 

「分かった。分かったから離れてくれエリス。もしここで姉さんが来たら勘違いされて即日お前は退去だ。それでいいのか」

「……信じるまで、こうして拘束するだけです。尤も、貴方に拒否権はあると思えませんが」

 瞬間に手首を握る腕に込められた力が強まる

 筋と関節がみちみちと音を立てて、俺は思わず叫びそうになった。

 

 

「信じる、信じれば……いいんだろ!?」

「初めから、そう言っています。……ありがとう、ございます」

 言うと、彼女はその力をようやく緩めてくれた。馬乗りになっている格好から立ち上がると、そこでふと彼女は俺の机へと視線を向ける。

 何か、見たのだろうかと思ったがその視線の先には書きかけのちらばった原稿用紙があった。

 まるで、興味の矛先がそちらに剥いたとでも言いたいのか、俺を後目にその机の上の原稿用紙を手に取る。

 みられることに、別に抵抗はないがそこまでしげしげと見られていると若干に恥ずかしさが感じられる。 

 

「……何か?」

「いいえ、これは貴方のですか?」

「そうだよ、……アレクシス・ロダン。元騎士勤め。色々経緯があって、今はつまらない物書きをしている」

 一枚、原稿用紙に目を通したのだろう。手に持った一枚を机に戻すと、彼女は改めて俺へと向き直った。

 それから童女のように目を輝かせ、視線を向けている。この上なく、嫌な予感が俺はした。

 

 

 

「……貴方のお話を、もっと私に読ませていただけますか?」

 

 

 

 

 

 



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反逆とは / juda

 なんという事はない、アレクシス・ロダンというどこにでもいる男の子供の頃の夢は物書きになる事だった。

 この世のものではない物語を、よく亡き母は語り聞かせてくれた。大好きな作家は旧暦のシェイクスピアで母もそれをよく語り聞かせてくれた。

 けれど語り聞かせてくれるその話は幾分母によってアレンジが加えられているのも知っていた。子供の俺には、悲劇はまだ早いと思っていたのだろう。

 実際それは多分そうだった。そんな大好きだった母との死別は、俺の死生観を大きく揺るがしたと言える。

 

「アレクシスが書いたお話を、いつか私に聞かせてね」

 そう、皺のある顔で母はよく俺に言って聞かせた事を覚えている。

 小説家になりたくて中途半端に書きかけて、それでも未完成で、見せるのが恥ずかしくて「いつか、またいつか」と、先延ばしにし続けた結果がそれだった。

 当時ガキだった俺の残した作品とも呼べないナニかは、結局母に一文節として内容を伝えることもなく終わった。

 

 ……あの時、勇気を出して母にちゃんと聞かせれやれたら俺の人生は何か変わっただろうか。

 俺は、成長できただろうか。

 今でもこうして、母の墓前に作品を備える。せめて、天国で俺の作品を見ていて欲しいと願うから。

 

―――

 

「まぁ、ロダン様は作家でいらしたのですね!」

「そうだな、鳴かず飛ばずで最近やっと、まともに売れる作品が出来た。ハル姉さんが言った通り三文作家だ」

 いくつかの原稿に目を通しながら、驚いたように彼女は輝かせている。

 慎みある淑女に見えて、どこか無邪気だ。彼女の正確は全く以って判然つかない。

 

「……念のためにお聞きしたいのですが、代表作は?」

「世間一般では、新説・神曲ということになってる。聖女の追放、狼の姉妹、なんかもそれなりの売れ行きだったと聞いてる」

「新説・神曲。……なるほど、私も読んだことはあります。それもまた偶然……いえ、必然でしょうか」

 ……彼女が言っているのは、作中の主人公と恋人の別離の話の事だろう。

 必然、と言うべきだろう。夢の中の別離の経験を糧にして書きあげた作品だったから。夢の追体験じみた感覚に陥るからこそ、あの神天地事件に巻き込まれた人々には受けたのだと俺は想像している。

 

「……」

「何か、感想はないのか」

 それから俺の作をもっと観たいと言って、しばらく黙りこくりながら俺の原稿を読んでいる。

 速読家というほどではないが、その視線に宿る熱はこの紙の上に載ったインクから何かを読み取ろうとする意志を感じさせた。

 熱心な学徒や聖書を読む教徒のようなまなざしで、原稿のインクの軌跡とその羅列を追っている。

 読んでいる作は「狼の姉妹」。

 ある王国に次代の王として生まれた双子の姉妹の対立の物語だ。姉のディートリンデと、妹のベルタの対立と国を巻き込んだ動乱、その果てに姉妹は共々死ぬ。

 あらすじは概ねそんなところだ。 

 

「……大体、ロダン様の作風は分かった気がします」

「ほう、言ってみろ」

 こほん、とわざとらしくエリスは咳払いをして、俺へと視線を向ける。

 

 

「率直に言って。貴方は主役を愛しすぎていると思います」

「……主役を愛しすぎている?」

「はい、そのように言いましたが?」

 ……指摘は直球だが、しかし比喩は分かりにくい。それはどういう意味なのか、いまいちよくわからない。

 それを察したのだろう、エリスは静かに語る。

 

「……妹を想いながらも王国の正統な後継者となるために彼女を討たなければならなかった。話の流れとしてはその結末に、命をどちらかが奪わなければ分かり合えなかった悲劇の姉妹としたかったのでしょう」

「そうだな。そういう描写にしたかった」

「その気持ちはよく分かります。その上で、ディートリンデとベルタ以外の登場人物にスポットがあまり強く当てられていません。そう、悪く言えば――」

「最低限、小説としての体裁を整えるために登場させている。いわゆる肉料理の付け合わせの野菜と化している、そんなところか」

「そこまで言い切っていません。被害妄想が深すぎます」

 言い切ってはいない、のならつまりそれと近しい事を想っているのだろう。書きたい登場人物へ意識が集中しすぎる事。

 それは俺の悪い癖なのだと理解できているつもりだったが、今見返すとやはりその悪癖は治っていない自嘲してしまう。

 

「ちょうど、あの演目におけるお前みたいに、か」

「慧眼ですね、自分のことながら耳が痛い。……自己主張をし過ぎる事は必ずしもいい結果につながるわけではない事は理解しているつもりだったのですが」

 

 ……ちょうど、あの時彼女の演劇が証明しているようなものだ。

 あの演目において、エリスはあまりにも突出しすぎていた。

 結果どうなったかと言えば演目ではなくエリスが素晴らしい、という評判になってしまった。彼女の他の役者はどうやっても彼女の演技に比較されてしまった。

 

「ありがとう、エリス。お前から見た俺の作品の反省点はよくわかった」

「……? 一つだけだとは私は言っていないのですが?」

「……素面、か。多分そうだな」

 不思議そうに、首をかしげるその所作と彼女の顔はほんの少しの冷たさと育ちの良さと無垢さが同居していた。

 ……ユダ座で役者をやっている人間。突如として新西暦に現れた女役者。

 加えて俺の夢に出てきて、無言の笑顔で俺を脅迫して今ハル姉さんの家に転がり込んできた。

 その上星辰奏者で。

 

 

「けれど、それでもなんとなく貴方という人が分かる気がします。……作風が概ね悲劇かそれに近い形なのは、都合よく幸せになる未来などないという現実主義的な負の悟りゆえでしょう」

「……知ったように言い切ってくれる」

「けれど、どのような話も最後には何かしら得るモノがあったと、そういう終わり方をするのは貴方が心のどこかで救いがあってしかるべきと思っているから、違いますか?」

 俺の作品は、他者から見ればそういう風に映るのかと、少し新鮮な気分にはなった。

 知ったような事を言うとは思うが、不快な気分ではない。貴重な読者の声という奴は何らかの形で生かしてやろうと思う。

 

「私個人としては、貴方様の作風は好きですよ?」

「そりゃどうも」

 茶化しているという風でもなく、静かに彼女はそう言って柔らかな笑みを向ける。

 心底から面白かったものを見たとでもいうように、原稿を笑顔で俺へと返してきた。

 

 

 

 

 ……だが、それはそれとして今更になって聞きたいことが増えてしまった。

 

「……一つ聞かせろ」

「聞きたいことは終わったと聞いてます」

「今一つ増やしたから聞いてくれ。……お前、金はあるのか。姉さんの話だと金の面倒見るのは俺らしいが」

「えぇ。むしろ面倒をみられる立場にあるのは貴方かと」

 ……有名で売り出し中の役者と、高々一作有名になった程度の作家とでは確かにまるで収入は勝負にならない。悔しい事に彼女の言う事はごもっともだ。

 そして彼女自身悪気がないのだろうが、彼女は時折「何を言っているんだこの人は?」とでも言いたげに首をかしげて問いに問いで返す癖がある。

 無垢で無意識の残酷さとも言えるだろうが、見た目の印象ほど完璧そうな人間ではない。どこか抜けている、と言った風が正しいだろうか。

 

「ふふっ、それとも私が養ってあげればいいでしょうか?」

「……いい性格、してるんだなエリス。いい所のお嬢様かと思ったが悪い意味で見直した」

「お褒めに与り恐悦至極です」

 これはさすがに、悪気で返しただろう。

 淑女と悪女と純朴、いずれとも定義のしがたい性質の人間だと俺は思う。

 あるいは、いわゆる天才という存在はそういう性質を持っているのだろうか。

 何か、只人には得られぬモノを得た代わり、只人でも当然持っているべきものが欠落した人間は得てして物語だけではない。

 全人類の性質を全て足し合わせてそれを同数の分母で割って出来上がる人間を一般人と定義するならば、所謂天才と呼べる人間は看ている目線や価値基準が先天的にズレている場合は少なくない。

 

 あの舞台と同じだ。頭上ではなく真横から灯りを照らしつけられれば、普段見えない部分が見えるようになる代わり、見えていて当然のはずの足元が見えなくなるという具合に。

 

「自覚はしているだろうが、お前は不気味な上に危険人物だ。一にも二にも、俺はそう思ってる。」

「……はい」

「だから今この場で概ねはっきりさせたい。お前は何のために俺に近づいた? 消去法で考えた場合、このカンタベリーで騎士じゃない星辰奏者というのは傭兵か他国の内偵の類だ」

 彼女の正体や出自を考える上で、やれることとしたらまさに消去法で引き算していく形しかない。

 第六軍団時代には、当時の団長の意向で散々にやらされたものだ。おかげで今でも癖のように、尾行がいないかを無意識に確認してしまう。

 ……尤も、その尾行をこの女は平然とすり抜けてきたのだが。

 

「近隣各国だとアドラー、あるいはアンタルヤ。尾行は見事だったが、だからこそこれが仕事だとすると最後まで貫徹しないのはアドラーの仕事にしてはあまりにも杜撰がすぎる。……最有力はアンタルヤで星辰奏者になった人間。お前の出自はそうだと俺は思ってる」

「人を見る目がありませんね、どれも不正解と言わざるを得ないです。……残念で残酷ですが、何一つ私の本質に掠ってすらいない」

「そうだな、旧暦の探偵モノの小説作家にはまったく程遠い」

 手がかり零に等しい推理なんて当たるわけがない。

 けれど、微妙な表情の変化は見て取れた。何一つ、本質に掠っていないと言った時の彼女の顔は、どこか寂しそうだった。

 人間観察だけは、数少ない俺の趣味だったから。

 現状何もわからない彼女に真実があるとすれば、その寂しそうな顔ぐらいだった。

 

「お前、家族はいるのか?」

「結構昔に縁は切れました。……彼らを置いていったのは、私だったから」

「……悪い、辛い事を聞いた。血縁と縁を切っただの切らないだのはいい思い出じゃないからな」

 家族とは、もう縁がない事。……そう言った彼女の顔も、どこか寂しそうだった。

 それはどういう意味なのだろうとは思いながらも同時に、推理出来ることもある。

 先と今と併せて二つの問いで、彼女は自分の出自に触れられることを人より好ましく思っていない事がわかった。つまりは、人様に言いたくない出自であるという可能性だ。

 ……だが、それで人の傷を徒に検分する趣味など俺にはない。

 

「とにかく。さっさと自分の部屋に戻れエリス。お前が近くにいると思うだけで俺は生きた心地がしない」

「人をまるでおとぎ話の怪物のように形容するなんて、酷いですね」

「素であの馬鹿力なら冗談抜きでお前騎士になれるぞ。……そうだな、星辰光次第だが優秀な人材に困ってるらしい今なら多分Ⅴ位ぐらいにはなれる。一時期は第Ⅲ位だったんだから俺が保障する」

「……さすがに今のは頭にきました」

 楚々とした淑女然とした笑顔は変わらず、その意味あいだけが大きく変わっていた。

 俺の部屋を去り、扉を閉める直前の笑い顔は、正直若干形容しがたい恐怖を味わった気分だ。

 ……どこか超然としていた彼女が珍しく人間らしい反応をした、と思った瞬間だったがそれは本人の尊厳の為に口をつぐもうと誓った。

 

―――

 

 ……次の日の寝起きは、不思議と不快ではなかった。

 あの離別の夢を見ることはない。しかしそれが少しだけ寂しかった。頭の痛みも、嫌な汗もない。

 ベッドから体を起こして姿見を見れば、そこには騎士のように真っ当な顔をしている男がいた。……その一点に関しては若干嫌な気分になる。

 

「……騎士、辞めたはずなんだがな」

 あまり、考えないようにしようと思い部屋を出る。……その時に。

 

 

「おい、エリス。足音殺すな、からかうな」

「分かりますか、さすがに」

 いつの間にいたかは知らなかったが、それでもなんとなくで分かる。そういう悪戯を考えつきそうだから。

 

「……というかなんだその恰好は。薄着が過ぎる、寝起きでもさすがに着るもの考えろ。体調を崩す」

「加えて、情欲をいたずらに煽ると」

「理解が早くて非常に助かる。俺もお前に比べればそれなりに年を食っているんだ」

 ……見れば、恐らくエリスの年頃としては一八かそこいらだろう。

 抜群のプロポーションと玲瓏と言うべき面貌も相俟って年不相応に大人びた冷たさを醸し出している。だが、肌の張りを見るに成年ではない。

 幼さと、大人らしさの境界に立つ罪深いその身をもう少し自覚してほしいとは思うが。

 

 かつかつと、階段を下っていけばハル姉さんがいつものように既に朝の食事を作り終えていた。

 ……卓に載っているのは、二人――ではなく三人分の食事。言うまでもなく、エリスが増えたからだ。

 

「おはよう、二人とも」

「はい、御姉様。おはようございます」

 相変わらず、礼儀よく頭を下げて椅子につくエリスに、姉さんは柔らかに笑みを浮かべながら食べましょう、と促す。

 何時もはハル姉さんと俺の二人だったから。

 

「……エリス、昨日から思っていたがなんでハル姉さんに御姉様、なんだ」

「おかしなことを言いますね。ロダン様の実の姉なのだから御姉様、と御呼びすればよいでしょう。しかしそれなら御姉様はハル・ロダンとなるはず……いえ、それとも貴方様がアレクシス・キリガクレ?」

「いや、実の姉じゃない。子供の頃、いろいろあって俺が勝手に姉さんと呼んでるだけさ」

 まぁ、とエリスは驚きハル姉さんはそうね、と相槌を打つ。……どう考えてもアレクシス・キリガクレは字面の語呂が悪すぎる。

 これについては子供の頃の俺が最初ハル姉さんと出会った時に偉い家に失礼がないように、と恐縮に恐縮を重ねていた結果こうなったと言える。

 明確な上下関係という奴も付いてきた結果こうなってる。

 今も昔も、博学で所作も整っていて、美人で、俺のあこがれでもあった。そういう人に成りたい、と思わせるモノを姉さんは持っているだけに今の俺の有様については申し訳なく思えてしまう。

 

「親の付き合いの縁で、子供の頃ロダンは私にべったりだったの。それはもう、どこに出しても可愛らしかったのに今ではこうなってしまって」

「その話、是非詳しく聞かせていただけますか」

「食事中では口は休まらないし、口にモノを含んだまま喋るのははしたないからまたいずれ。時間があれば、ロダンの事はお話してあげるから」

 ……どうかお手柔らかにと切に願う。

 いたずらっぽく唇に人差し指をあてる姉さんが楽しそうで何よりだった。俺が犠牲になって姉さんが笑ってくれるなら何よりなのだが、そこで目を輝かせるエリスに嫌な予感を禁じえない。

 けれど一方、エリスが姉さんと楽しく談笑している所を見るのはそれはそれで気が落ち着く。 

 そんな油断があったのか、いきなり姉さんは話の矛先を俺に向けた。

 

「エリスさん。時に聞くけれど、ロダンについてはどう思っているの?」

「……ロダン様ですか。そうですね、私の立った演目で涙を流して、そして名前を呼んでくれたとても優しい方だと思っています」

「そう。……貴方から見たロダンは、そういう人なのね」

 ふむふむと少し思案するように姉さんは考え込んでいる。

 ……エリスの言葉は、嘘は言っていないが大事な情報はまるきり意図的に抜いている。俺が抗議をしないからか、爪先を踏まれるという事はない。

 

「ああそうです御姉様、本日はロダン様をお借りしてもよろしいですか?」

「結構よ。夕刻までに返却してくれるなら、荷物持ちでもやらせればいいと思う。ロダンも普段は書斎に引きこもってばかりなんだから、たまには運動しなさい」

 姉さんの中での俺の人権は果たしてどうなっているんだろう、と思いそうになるが不義理をしているのは実際のところ俺の方に割合は大きい。

 エリスに借り物される、と言う事はどこかに連れていかれるのだろう。まるきり俺の意志は無視だ。

 姉さんはエリスの事をどうも無害で年頃の女性だとでも思っているらしいが、俺にとっては全くそうではない。

 精々、厄介なことにならなければいいのだが。

 

 食事が終われば服を着替えるといいエリスは上へあがった。

 ……そうして、その場に残っているのは俺とハル姉さんだけだった。

 

「……ねぇ、ロダン」

「なんだハル姉さん」

「エリスさんの事、実際の所はどう思ってるの?」

 そう、襟首をつかまれるような質問を背に投げかけられた。

 

「私はなんとなく分かるわよ、何年姉さんって呼ばれ続けてると思ってるの。……多分、人には言えない事情があってエリスさんを拾ったんでしょう」

「そうだな、それであってる」

「……私にも言えない事情?」

 そんな聞き方をされては、俺は辛い。

 ここで応えないのは姉さんを信じていない事になるし、姉さんの言葉に応じたいのは事実だ。 

 それを理解しているからこそ姉さんもそう言う風に聞いている。家族であるはずの私に言えないのかと、……そういう卑怯な聞き方を俺はさせてしまっている。

 

「いつかは言いたい。……でもごめん、今ははっきりとは言えない」

「……そう。じゃあ、仕方ないかな。その時が来たら、エリスさんの事をちゃんと教えてね」

 本当に、ごめんなさいと心の中でハル姉さんに謝る。

 それから少し遅れて、上の階からエリスが静かに足音を立てながら降りてくる。

 薄い青色が綺麗な服装で、実に女優らしいセンスに富んでいる服装だった。

 

「では、御姉様。約束通りロダン様を借ります」

「エリスさんも、気をつけて。ロダンもちゃんとエリスさんを護るのよ、元騎士様なんだから」

 

 

 

 

 

「エリス。お前は一体俺をどこに連れていくつもりだ」

「行ってからのお楽しみ、です」

 いたずらっぽく言う分には、表面上かわいらしさは取り繕えていても

 この女の腕力を考えるとまるでシャレになっていない。実は傭兵であり、何等かの目的があって集団で囲まれてあることない事される、という線もあり得ると読んでいたのだが。

 

「……エリス。俺は屠殺場に向かうのか?」

「貴方はどのような場所を想像なさっていたのですか」

「傭兵団の薄暗いアジトか、人目の薄い街の裏の一角」

「ある意味、似ていると思います」

 逃げるなど、努々お考えなきように。そんな言葉が聞こえてきそうだった。

 ある意味似ているとはなんだろう。街中を往き、次第に薄暗い込み入った路地へと入ると、人気のない建物の中に案内されていく。

 きぃ、と開く扉の奥には、数人の男女たちがいた。そしてその先陣に。

 

「――ユダ様、お連れ致しました。彼が私の神聖詩人です」

「……ご苦労、舞姫(エリス)。貴公の働きに感謝しよう」

 ……どこの貴族なのかは知らないが、金髪で黒い装束の美丈夫がいた。

 ややくせ毛ではあるが美しい毛並みと、中世的で凛とした面貌に高い背。それは彼女の演じたあの演目で目にした役者の一人に他ならなかった。年は読めないが、声色からは間違いなく男だと理解ができる。

 言い方がいちいち芝居がかっているのか、それとも役作りという奴の為の自己暗示なのかはよくわからない。

 彼女が目立ち過ぎたせいで、若干印象は薄れているがそれでも他者を呑んでしまいそうな独特なオーラを感じる。

 

「……失礼。改めて自己紹介させて頂こうか若人よ。俺の名はユダ、至らぬ身ながら我がこのユダ座の座長を務めている男だ」

「座長? ユダ? ……エリス。説明しろ、その義務がお前にはあるはずだ」

 俺に恭しく一礼するそのユダという男はどうやら劇団の座長だったらしい。

 大仰し過ぎるその芝居がかった言い方といい、とても輝かしい自信に満ち溢れている人間なのだという事はよくわかるが、なぜ彼女がこの男に俺を合わせようとしたのかはまるきり不明だ。

 このユダという男以外は全員、俺をまるで奇異なものか初対面の人間を見る様な戸惑いの色を隠していない

 

「ご無礼、お許しください。ロダン様。貴方様を我らが座長に会わせたかったのです」 

「然り、他ならぬ彼女の客人だ。俺がそう望んだ故に」

「ですから、警戒なさらないでくださいロダン様」

 数年来の友人を見る様な慣れ慣れしさがうかがえるようなユダ。

 名前も劇団の名も、この神の地で名乗るそれとしては罰当たりにさえ思えるが――だが、ユダ座は己らをなんと定義しているかを考えるとそれは納得だった。

 そうこう思っていると、ユダという男はまるで品定めをするように俺をじっくりと眺めまわしている。

 

「……何か?」

「いや、エリスが見定めた男がどの程度のものかと見ていた。エリスたっての望みでな、どうにもお前を稽古場に連れて行きたいと昨日の電信で頼み込んできた。劇団員一同、その男の顔を見てやりたかったというだけさ」

「エリス。……ちょっとそこに直れ。何を考え――」

 ……何を言っているんだろうと思ったが、エリスは至って大真面目に「はい、その通りです」と答えている。

 ますます、劇団員からの視線が怖くなる。

 

「アレクシス・ロダン様。聞けば元騎士様とのことで、私のボディガード兼荷物持ちを今日から務めてくださる方です」

「……そういう事です。本日より、エリス様の付き人を務めさせていただきます、アレクシス・ロダンと申します。よろしくお願いします」

 形式ばった返事は慣れている。

 ……ここで変な事を言おうものなら、エリスにまた爪先を踏まれかねない事はよくわかっていたから。

 微妙に他団員達は納得をしていないようだったが、それをどこ吹く風でオーケィ、とユダは空気を仕切りなおす。

 

「まぁそういうわけだ。エリスは名も顔も売れているからな、万が一という事もあってはいけない。さぁ、今日も稽古と行こうか」

 

―――

 

 エリスの付き人、とは言ったもののまさか稽古場の中まで連行されるとは想定していなかった。

 概ね、彼女の荷物持ちで在ったり、あるいはエリスを眺めていたり、と言ったところだ。

 

 いやそもそも、これは給与という奴は出るのかが怪しい気もするが。

 稽古場ではエリスの演技の調整をしている。演目は「孤独のアンナと竜になったジークフリート」で主演はもちろんと言うべきかエリスだ。

 銀髪がキャラと似合わないと判断されたのか、赤毛の鬘をつけているのが少し笑いそうになってしまう。

 

 主人公はジークフリートの伴侶アンナ。

 村を脅かす悪竜ファヴニルをジークフリートが殺し、その血を浴びて英雄となるがやがて人々からは新たな恐怖の対象と畏怖されるようになる。畏怖を集めるその過程でやがてジークフリートは彼自身が竜となり、自分が殺したファヴニルはどのようにして生まれたのかを悟る。

 竜は妻の手で自分の命を終える事を求めて、妻アンナは泣きながらその剣をかつて夫であったソレの胸に突き入れる。

 竜を殺したその剣で己の胸も突きアンナは自害した。竜とその伴侶の血がしみ込んだ跡地には真っ赤な彼岸花が咲いていた、という話だ。

 

 ……筋書きとしては、救いのない悲劇である。

 特定個人を持ち上げ、英雄になったらそれを邪悪だと指を差し排斥する。そういう人間のサガを描きたいのだという悪趣味さが見て取れる。

 

 旧暦であったジークフリートの竜退治の話の再解釈・再構築と言ったところだろう。

 シーンは、アンナが竜退治に赴くジークフリートを見送るところだ。

 

 貞淑に、貴方の帰りを待っていますとジークフリート役のユダへと語り掛けるエリスの姿は、良く出来たお嫁さんだと思う。

 改めて思うが、稽古の時もまるでエリスには妥協というモノがない。背筋から爪先まで、緩ませるべきところは緩ませ、伸ばすべきところは伸ばしている。

 演劇に詳しくない俺でも、彼女の成している事が分かるのだから、劇団員からしてみれば猶の事だろう。

 

 そう思っていると、突然後ろから首もとに腕を回す奴がいた。

 

 

「なぁなぁ、えーっと。エリスの付き人さん」

「……ロダン、でいい。あんたは?」

「じゃあロダン! 俺はダグラスって呼んでくれ」

 ……団員の一人、ダグラスという人物らしい。ユダとは別の意味合いでなれなれしくて若干俺は引いているが。

 

「ロダン、アンタってたしか昔騎士団にいなかったっけ? 街の見回りしてるとこ見た事あるんだよ。たしか第六だったか第七」

「……よく覚えてるな、そんな昔の事」

「いやいやいや、なんか聞いた事あると思ったんだよ。ロダンって名前。そんな騎士様が辞めた後にまっさかエリスの付き人なんてなぁ」

 ……半ば脅されたも同然の形だし、俺は発動体は騎士団に返却して去っている。

 悪気の無い、清冽で人好きのする笑顔をする奴だと思う。ユダやエリスのような陰や超然とした雰囲気がない、底抜けに明るい奴で清涼剤のような男だなと感じる。

 

「ダグラス。あんたに聞きたいんだが、エリスってどういう奴なんだ?」

「……え? ロダンがそれ聞く? てっきり、エリスがロダンの事を知ってたからご指名したんだと思ってたんだけど」

「指名はされた、今日いきなりな」

 まるで意味が分からない、と言う顔をしているダグラスだが実際事実としてそうなのだ。

 詳細をバラすとどうなるかが恐ろしいし余計な騒動を招きたくないから事の詳細は省くとして、それでも出会って二日なのは事実だ。

 

「……わぉ。マジで? ひょっとして一目惚れって奴?」

「色々経緯は込み入ってるが、それは見当違いだとだけ言っておくよ。浮いた話じゃない」

「いやいや、気になるでしょ、誰だって。だってあの大女優の卵エリスが直々に選んだ付き人だぜ?」

 しかも男のな、と付け足して。

 実際、ほかの団員達が俺を見る目は奇異や好奇心が未だに交じっている。未来の大女優の付き人、という立ち位置はそんなに大変なものなのかと思わんでもない。

 

「……まぁでも話戻すと、そうだね。エリスがどういう奴なんだ、だったっけ」

「そうだな」

「んー、ユダさんがこいつは大物になる、とか言って拾ってきたよくわかんない子だった。初めて見たときは、顔は綺麗だと思ったんだけど人形っぽくて、何考えてるかわかんなくて、ちょっと不気味だったのは覚えてる」

「それ、未来の大女優様に言う言葉じゃないだろう」

 人形っぽくて不気味。随分直言するが、一方で確かに彼女の特徴は捉えていると言えた。

 俺がエリスに抱いた感想も概ねそんなところだったからだ。概ね、彼女は人に対して態度を大きく変えるような性質ではない事は分かった。

 

「多分いい所の出なんだとは思うんだよ。慇懃無礼な時はあるけど凄く礼儀は正しいし、天才だし、しかもそれを鼻にかけるようなところもないし。けど、自分の事をあまり喋ろうとしない。ミステリアスで、クール。それさえ計算済みの演技やキャラづくりかもしれないけど」

「……いや、俺も大体同じ感想だ」

「んでもって、ユダさんもユダさんだ。大体あの人が目をつけた人ってのはハズレがないことで有名でね。エリスもその口だったけど。でもさすがにアレは格が違いすぎるよ」

 ユダ、というあの芝居がかった言い回しを好む男もまた、さん付けされているあたり相当に団員からは慕われているらしい。概ね、聞き耳を立てられる範囲内においてユダに関する話題でネガティブなものは聞いたことがない。

 実際、芸術への反逆というテーマを掲げているのはユダだ。そのユダがユダ座と名前を付けていて、それに集う人間が一定数いたからこそユダ座は中堅層に位地しているのだと理解できる。

 ……ところで、こんな稽古場の隅で油を売る余裕があるんだろうか、この男はと思わなくもない。

 

「ふむ、何を面白い話をしているのかね、ダグラス。それからロダン」

「――す、すみませんユダさん!!」

「俺は責めてなどいない……雑談は感心しないがダグラス、しかし気になる気分も分かるというモノだ。舞台に立つというわけではないにせよ、エリスの付き人ならユダ座の一員に等しいと俺は認めている」

 気品溢れる所作で、顔に薔薇でも咲きそうな笑顔を振りまきながらユダは笑う。

 恐縮していたダグラスも、すぐに委縮を解いてははと笑う。……威厳はあるのに、距離感は近い。不思議な男だなと思う。

 加えて演技に関しても、エリスを除けばユダ座で一番うまいのは彼だろう。座長を張るだけのことはあるという事だろう。

 脚本についても、中々に彼流の皮肉に満ちている。俺好みな皮肉だ。

 

「男同士の世間話だ。稽古が終わったら俺も混ぜてくれよダグラス。今やりたいのは山々だが、次の場面の練習を観なければならない」

「んじゃ、その時にでよけりゃ。ロダンもいいよな?」

 なんか知らんうちに勝手に同意したことにされた。

 ……それから、劇の稽古の風景を眺めながら、ふとちらりと舞台隅に一人佇むエリスへと視線を向ける。

 

 

 何処か、寂寞感と憂いを感じさせるその顔を、俺は不謹慎にも美しいと思った。

 

 ―――けれど、そんな美しさを佳いと認めてはいけない気がした。

 

―――

 

 

 昔、人は天に届く塔を創ろうとした。

 天へ、蒼穹へ。果て無き宇宙へ。ただその極点を目指して塔を建築したという。

 

 神ならざる身にて天に至る行為は傲慢とされ、結果塔は雷に討たれ破壊に至ったという。

 言語も大地も引き裂かれ、人種や国という概念が生まれたという。

 

 ならば。なればこそ、私はこう問わねばならない。

 その「傲慢」とはどのように定義されるのか。

 人の身で神の領域に至ろうとしたことが傲慢であるというのなら、神の領域に既に至っている存在が傲慢ではないのだとなぜ言い切れるのだろう。

 人の「傲慢」を定義する行為こそまさしく彼らの嫌う傲慢そのものではないのかと。

 

 

 私にとってのバベルの塔は、火だった。

 昔から、火が好きだった。ろうそくであれ、焚火であれ、その美しさに私は目を奪われた。

 火種さえあれば、どこまでも際限なく、天井知らずに天に延びていく炎が、私の目に焼き付く原初の科学だった。

 それを美しいと思った。

 

 美しいと思って、火を増やして、くべて――最後には家族に怒られて火は消された。

 酷く怒られて、ぶたれて――私はなぜ怒られているのかが理解できなかった。

 

 貴方達にはこの美しさが理解できないのかと、一種奇怪な人間にさえ映った。

 美しいモノをどうして彼らは私から奪うのだろうと、子供心にそう思った事さえあった。

 そう言う意味では私の少女時代というモノは、まるきり欠落していたと言える。可愛らしい服や美しい化粧を施すことに魅力を感じるのが世間一般の女性像だというのなら、私はそれを大きく逸脱していた。

 数字が、科学が好きだった。現象が好きだった。学術や研究を愛していた。 

 

 

 

 

 私はある日、一人の神祖(カミ)と出会った。

 私はある日、一人の少女(システム)と出会った。

 

 

 そして、私は一人の神を創り上げた。

 

 

 

 暁の御子という名のバベルの塔。

 私の傲慢を証明する最高傑作。大和を撃ち落とす、暁の御子(ルシファー)

 

 

 



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騎士としての最後の日 / Dante

エリスの出自は、それはもうアレです。


『神天地創造事件の特異後遺症患者についての追跡調査、及びウェルギリウス氏の調査についての報告』

 

 神天地創造事件。通称、アースガルド事件の被害者達について検査を行った所、現状の全被検者の内ある一名に特異な傾向が確認された。(以下、当該被検者は甲と呼称)

 甲は元第六軍団所属の人物であり、最終位階はⅢ位。

 甲について血液検査並びに星辰体の感応についての検査を行った所、明らかに特異な傾向が認められた。

 要因は不明で在るが、甲の星辰光に変質は見られない。

 甲について、過去の経歴を遡って調査したが特殊な経歴はない。アースガルド事件による後遺症と判定するには不十分だがアースガルド事件そのものが類似例のない事象であることも鑑み、秘蹟庁は甲の極秘の追跡調査を行う事を決定した。

 

 また、同時期に神祖の研究に関わっていたとされるウェルギリウス氏の失踪が確認されている。

 ウェルギリウス氏は故、オウカ・鳳・アマツ氏の信任篤い研究者であったとされているが、他国への出国、自殺他殺、あらゆる可能性を含めて現在調査中である。

 調査結果についてはおって報告する予定である。

 

―――

 

 ユダ座の稽古場は粛々と、今日を終える。

 ぞろぞろと稽古場から去っていく団員達を見つめていると後ろから突然がしっと肩を掴まれた。

 

「ユダ……」

「男の話の続きと行こうじゃないか。まったく、座長をのけ者にする気か?」

 ユダはやはりなれなれしく俺と肩を組んでいる。

 

「失礼ですが、俺はエリスを送らなければなりません。……続きなら、ダグラスとどうぞ」

「硬いな、俺はお前も団員と認めている。新入りだからと遠慮するな。それに悲しい事にダグラスは急用でいない」

「たかだか付き人には身に余ります」

「俺は余ってないな、よそよそしいぞロダン」

 距離感が近いのは嫌いではないが、やたらにスキンシップを好むのがユダという人間の癖だと思った

 かと思えば、女性に対してそうしているようではないらしく。

 野郎の友情を好む人間としては第六軍団の団長がそういう人種だったのは覚えている。

 しかし――

 

「――それにエリスの事、知りたいんだろう」

 そう、静かに耳打ちをユダにされた。

 それは俺には無視が出来ない話であり、刹那のやり取りを知ってか知らずか、仕方ないですねロダン様、とエリスはかぶりをふるっている。

 

 

「いいですよ、ロダン様。殿方の交流もまた大事になさいませ」

「……分かった。ただ姉さんには上手く伝えてくれ。あの人は俺が遅れると不安がる人だから」

「承知いたしました。では、そのように」

 しずしずとお辞儀をしながら、舞台の隅でエリスはロダンへと手を振っている。

 すまない、と会釈するとその場を俺とユダは立ち去った。

 稽古場から出れば、ユダに連れられ夜の街へ繰り出す。それから一角の酒場に入ると適当なテーブルに腰かけろと言われた。

 

「俺のおごりだ、飲めよロダン。遠慮はするなよ」

「それじゃあ、一番高いワインを頼む。……聞かせてくれ、エリスの事」

「お前とサシで飲む口実だが、もちろん約束は履行するさロダン」

 卓の前で、一対一で向き合っている俺達の間に流れるのは微妙な空気だった。

 まだ、俺はユダという男を知りかねている。

 どういう思考をして、どういう趣向をしているのが、それが雲のようにつかめない男だったから

 ただ一旦その思考は断ち切って今はこの並々とグラスに注がれた金の塊で喉を潤そうと思った。喉が他人の金が駆け抜ける感覚というのは、まぁ人の感性としては間違いなくハル姉さんに怒られるだろうが、とても甘美だった。

 

「で、エリスの事については大体は応えられると思うが、何が聞きたい」

「そうだな。……まず、エリスは星辰奏者なのは知っているか?」

「知っている。それは団員全員承知の上だ。経緯までは知らんさ、そこは当人に聞いてくれ。俺がスカウトする前には自分から言っていたよ」

 ……あまり、これだけでは身の上についてはよくわからないと言える。

 けれど星辰奏者である事そのものは劇団員は全員受け入れている。

 

「……じゃあ、なんで雇った? 演技は上手いのは認めるが、理路整然とし過ぎている。今日の彼女の稽古ではっきりわかったよ。素人目からも、そうだな。言葉を選ばずに言わせてもらえるならアレは――」

「不気味だ、と。そう言うのだな。お前のその目は素人じゃない。俺が保障するよ審美の才がある。彼女に違和を感じ取ったのはダグラスと俺、そしてお前だけだ」

 何に感心したのかは知らないが、ユダはそう俺に向かって笑う。

 彼女の事を不謹慎にもそう言ってしまった以上怒られると思ったのだが、意外とそこは彼も共感しているようだった。

 彼女の舞に何か寒々しさを感じる人間は、恐らく一定数いるだろう。総てが予定調和で、機械のように正確に総ての関節を動かし続ける。情動を介在させない、理論によって生まれているモノのようにおれは見えた。

 

「確かに突出して演技が上手い。それは俺が一番認めているとも。だがその上で彼女には()()()が足りない。……どんな達人も、基本的には何かしら癖であったり関節の可動範囲であったり、その人間に由来する微妙な不完全さを持っているのさ。それがその人間の個性たらしめるものだ」

「……つまり、彼女にはそれがない、と」

「そうだな。表現者として身体的素因に依らないモノについて、彼女はあまりにも完成され過ぎている。取りこぼしたモノがない。それ故、ともすればよくできた精密な機械の動作を見ている気分になる。凡そ俺が言語化するとすればそんなところだが、こういう解答で満足できたか?」

 精密な機械のよう――確かに俺の抱いた感想と、ユダの感想は同じだった。同時にダグラスも彼女のソレを見抜いていると、ユダは言っていた。軽薄そうなあの男は、ユダほどではないにせよひょっとしたら人を見る目もあるのかもしれないなと、俺も見方を改めた。

 ……酒で喉を潤して、ユダは俺に聞く。

 だがしかし。

 

「いいや、なんで雇ったかについて答えてないだろう」

「あぁ、悪いな忘れていた。雇った経緯については、まぁ端的に言えば優秀だったからだ。ちょうど時期としては神天地創造事件のあたりだな。海辺で釣りを楽しんでいたら、偶然彼女がそこで一人で歌いながら踊っている姿を見た」

「……釣り、か。そりゃまたなんとも色気がない、潮と魚の匂いだろう」

 彼女が海辺で歌って、躍っている姿を見たと言った。

 そこに才能を見出して、スカウトしたという筋書きは納得は出来るが。

 

「その時、まさに女神を見た気分だった。月を写したような銀白の髪、女神のような面貌、卓越した舞。俺は確信した、――世界は彼女の反逆を望んでいるとね」

「……相も変わらず言い方が胡散臭いな。芸術への反逆、だったか? お宅のスローガンは」

「その体現者に成り得る者こそ、まさに彼女と俺は信じている。俺の目は生まれてこの方、曇ったことがないんだよ」

 ……芸術への反逆。そのワードに今の彼女は正直似合っていないだろう。

 既存芸術の破壊者かと問われればむしろ逆だ。基礎を外さず、理路整然と詩と踊りを紡いでいく。そんな寒々しさが、彼女には同居していたから。

 

「そして彼女は時折口にしていたのだよ。ダンテ様、とね」

「……夢で呼んだらしい、俺とよく似た男の名前だったか」

「あの神天地創造事件のおりに彼女の夢に現れたらしい、ダンテという男をずっと彼女は追っていたらしい。……ここで俺はまたもや確信した、彼女が真に反逆者として脱皮するにはそのダンテなる男が必要だと」

 何かこう、彼は自分の中で勝手に盛り上がっているのではなかろうかと思ってしまう。俺も作家としての悪癖でよくあるから分かってしまう。自分の中で話が勝手に出来上がっていってこれは傑作だ、と猛るあの恥ずべき感覚とよく似ている。

 破壊者、脱皮、とか随分言い方が紛らわしい。言いたいことは概ねこういう事だろう、完全無欠に見える彼女が男を知った時表現者としてどのような変化を遂げるのか、と。

 

 

「で、俺がその彼女の言うダンテだと」

「少なくとも、彼女はそう言ってはばからないな。……概ね、今日いきなり付き人にするとでも言われたのだろう。筋書きは概ね分かるぞ」

「……はぁ。まぁ有益な話だったよありがとう」

 ……一つ、ここで分かってきたことがある。

 彼女は、夢に出てきた姿に酷似した男は実在すると確信して、そのダンテという奴を追っているのだという事だ。

 普通、それはいくら夢見がちな乙女でも現実的にやりだす事とは思えない。

 天才ゆえに少し独特な感性、というのならそれは別に否定できないが、それでも少し荒唐無稽が過ぎる。……あるいは本当に素で実はメルヘン極まった頭をしている、とか。

 だが、彼女はそんな風には見えなかった。集中しすぎて周りが見えなくなる、といった風ではない。至っていつも冷静で、正気だ。そういう判断をしそうな人間には見えない。

 

「大方、彼女について何かしらの苦労はしたのではないかな。例えばそう、爪先を踏まれるとか」

「したな。ものすごい力で踏まれて脅迫されて、腕まで極められて家に転がり込まれた」

「それは災難だな、ご愁傷様だ。これでも彼女、荒事が実は得意でね。強盗や少し厄介なファンについてはよくそれはもう返り討ちにしていた。……それが癖になるファンもいるらしいがね。俺も以前に余計な事を言って爪先を踏みつぶされた事がある」

 ……荒事に長じているのは他ならぬ俺が体感している。

 恐らく騎士としてもやっていけるのではと思えるほどに。

 

「ともかく、君を見つけたと聞いたとき俺はついに来たるべき日が来たと感じた。まさに芸術の落日に他ならぬと」

「そんな兆し、エリスには微塵も見えない」

「まだ、ちゃんとお前と縁を結んでいないからだろう、ロダン。……私からの過ぎたお願いだと自覚しているが、どうか聞いてほしい。……不信感はあるだろうがあの子を、大切にしてやってほしい。これはあの子が繭を破って欲しい、という理由ではない。純粋に、あの子の事が俺は心配だからだ」

 ロダンは言うと、両手で俺の両肩をがしっと掴んでそう言った。

 グラスの容積から見て、酔うほど飲んでないのは明らかで。

 ……それは心からの嘆願と信じてもよさそうだと思った。

 

「あの子は、正直俺も計りかねている。間違いなく、美しい。姿だけではなく、その在り方も何もかも、総てが。だからこそ、もし彼女が変わる時。その隣にいるのはお前で在って欲しいと思っているんだよ、ロダン」

「親面か?」

「それに似ているな。……彼女が君を選んだのは、何かの意図がある。彼女もまた、決して無意味な事はしない人間なのだと俺は思っている」

 ……それは、俺も思っている。

 俺を尾行してきたのなら、明確に俺単体をターゲットにしている。しかし彼女は俺やハル姉さんに積極的に危害を加えようとしているそぶりもない。

 彼女のやろうとしていることは理解が出来ない。理解が出来ない上でしかし、その動機には俺が大きく関与しているのも薄々と理解は出来ている。

 果たして、彼女は本当に俺と無関係に人間だったのか。

 あの夢はただの偶然だったのか。未だそれらは靄がかって見えない。

 

「ならアンタが一緒に居るべきだろう。俺はあいにくとそういう器じゃない」

「俺こそそういう星のめぐりあわせではないんだよ。彼女は俺の運命ではない、――お前じゃなきゃ、ダメなんだよダンテ。彼女がお前を見つめる目と、お前以外を見つめる目を、よく見てみるんだ。彼女は、初めてお前を見た時心底から嬉しそうな顔をしていたんだよ」

 嬉しそうにほころばせる彼女の顔が、今の俺には想像できない。

 けれど、何を想って彼女はその時頬をほころばせたのだろう。何が彼女の頬をほころばせたのだろう。

 独りでいたとき、彼女は何を想って寂しそうな目をしていたのか。……その孤独を、一体だれが知るというのか。

 

「……どうかお前も、彼女に選ばれたその意味を、お前じゃなきゃダメな理由を探してほしい。それが座長たる俺のささやかな願いだよ」

 一番俺が聞きたかった事を、座長は投げやりにそう答えた。

 なぜ、彼女にとっては俺でなければだめだったのだろうか。そんなものは俺が聞きたいぐらいだったのに。

 

「でだ。いい値段の酒を飲んで、エリスの事を話してやったんだ。というわけで、ロダンは何をすればいいか分かるよな。あんたの事も俺は知りたいんだよ、あんたがエリスの事を知りたがるように」

「……それで駄賃になるんだったらいいよ」

「じゃあ、遠慮なく聞くか」

 ユダは、グラスを傾けながら意地悪そうに言う。

 ……この手の輩が俺に聞きたがる事なんて、たった一つだろう。

 ある意味では、俺はとんでもない事を今までの半生においてやらかしているのだから。

 

「第六軍団のⅢまで上り詰めたロダン様は、どうして騎士を辞めて物書きになったんだ? そのまま働いてれば今頃遊んで暮らせただろうに」

 ……そう、心底から不思議そうにユダは聞く。

 俺が騎士を辞めた理由。

 俺が物書きを始めた理由。

 それは、少し時を遡らなければならない。俺がまだ騎士をやっていたころ、当時の団長の代理として街の見回りをしていた時の事だ。

 

 ……限りある命の使い方を、俺は()()に教わったのだから。

 

―――

 

 俺が昔、第六軍団に勤めていたころの事だ。

 当時の街の見回りで、俺は慣れないながらも当時の部下たちを引き連れながら町の人々に手を振るアイドルのような存在。

 そうしているだけで、それなりの給与は得られるし身分は安泰だった。……そこに居心地の良さを感じながら、胸の中で何かを未練がましく燻らせている男。それがアレクシス・ロダンという男だった。

 

 手を振って、笑いを返して、粛々と街を歩きながら。けれどもそうしているうちは、皮肉にも俺は自分の星を意識しなくてもよかった。あんな星を使いたいなどと、誰が思うものかと。

 ……街を歩きながら、カンタベリーの大医療院の近くを何くわぬ顔で俺は横切る。

 いつものように薄ら笑いをしながら、窓から覗く患者たちに手を振って。

 

 けれど、そんな折に俺の前に飛び出してきた女の子がいた。

 

 

「――おわっ」

「きゃっ」

 少女をかわそうとして、みっともなく俺はそこでコケてしまった。

 それを窓から見ていた他の患者たちははははと明るく笑っていた。そんな彼らを見て、俺の笑顔の空虚さを思い知らされた気分になった。

 彼らは心から楽しそうに、俺の有様を笑っているのだから。それが少し複雑で。

 でも、彼らの笑顔はあの時の俺にはどこかまぶしく思えた。俺なんかとは違う、心の底から楽しそうにしている。

 

 女の子は、病衣を着ていた。きっと外出の許可が出たのだろう。付き添いの医師も思わず彼女の肩を抱きながらごめんなさい、と謝っていた。

 ……年は概ね一五歳かそのぐらいだ。まだまだ若い、未来がありそうな、そんな女の子だと記憶している。

 

「立てるかい、お嬢さん」

「……ごめんなさい、騎士様。私、上手く体を動かせないの」

 地面についている彼女の手と足には、力がまるで籠っていなかった。それは恐らくそういう病気なのだろう。彼女は力なく笑っていた。なんとなく、彼女は生きる事を諦めている目なのだと俺は思った。

 かつて亡くなった母と、よく似た目をしていたから。

 

「すみません、騎士様。この子と少し、話をしてあげられませんか?」

 医師は、そう俺に頭を下げてきた。

 ……まるで神父に頼むかのような真摯さでお願いしますと。騎士の高潔なる務めという奴を果たさなければならない、という意識が先行した俺は仕方がない、とそれに付き合うことにした。

 

 当時の部下には、見回りは少し予定を遅らせると伝えて。医師に伴われながら、その女の子は院の中庭のベンチに座った。

 その手は、力なくだらりと下がっていて。それが俺には直視ができなかった。

 医師はその後はそのまま俺達を中庭に残して、院へ戻っていった。その女の子は、終始無言で無表情で。

 どう話を切り出せばいいのか分からなかった。

 

「……えぇと。俺で佳ければ、何か相談に乗ろうか」

「貴方が相談に乗れば、私は健常者になれますか?」

 ……何もかもに絶望したその声色で、彼女は俺に問いかける。

 相談に乗れば体がよくなるなど、そんなわけはない。騎士は人々に希望を与えるためにいるわけではあるものの、だからこそ無責任な言葉は言えなかった。

 悔しい事に、物書きを夢見ていながら当時の俺には言葉を選べるほどの語彙力はなかった。

 

 

「それは難しい。俺は医者じゃないからね、人間何処の世にも適任ってものがある」

「その貴方が適任と呼ぶ人達が、私の体に匙を投げたんです。……私の余命、あと半年だそうですよ」

「……済まないな、君には酷な事を言った」

 いずれ来たる死を前にしては、そんな感情はもう無意味で無駄なエネルギー消費なのだという虚無の悟りだ。死の運命は、あまりにも悲しすぎる悟りを少女に与えた。

 それが、俺には辛かった。見ず知らずの他人であったとしても、他の騎士たちや医者はこういう人間に何人も、何人も目をそらさずに向き合い続けたのだろうと改めて尊敬の念が沸く。

 普通なら、見ている人間も心を痛めずにはいられない。同時にどれだけ胸を痛めても、その痛みは患者を救うことなどない。

 

「……医師様も、余計な事をするんですよ。私に気を使ったんでしょうね、どうせいずれ死ぬなら御高名な騎士様とお話させてやりたいって具合に」

「俺も大概、高名じゃないし大した人間じゃない。……今は騎士をやっているが、物書きになるのが夢だったんだ」

「ふぅん、変な人」

 心底から、少女はどうでもよさそうにそう言った。

 少女に身の上話をしたとしても仕方ない事だったのに。

 

「騎士様は、どうして物書きにならなかったの?」

「……騎士にならざるをなかったからね。家族の夢とか、期待とか。そういうものを背負ってると思えば、どうしても筆を折らざるを得なかった。と言っても、そもそも筆を握ってすらいなかったというオチはつくけどな」

 少女は、無垢なまでに俺を抉る質問をしてくる。

 仕方のない事だとは思う。

 

「……まだ、この先ずっと生きられるのに。それなのに諦めてるの?」

「――」

 今にして思えば、少女はこの時は健康体の俺を羨ましく、腹立たしく思っていたのだろう。

 その怒りを察してやれなかった事を、後悔している。

 

「私、女優になる事が夢だったの」

「いい夢だ、俺なんかよりずっといい」

「でも、もう半年で死ぬんだって。……それなのに、騎士様は余命がいくらでもあるのに、諦めてるの?」

 ――そう、彼女に言われて俺は横顔を殴られた気分だった。

 余命という形ではっきりと夢がかなわない事を示されている少女。余命などいくらでもありながら、夢を諦めた俺。それが、いかに残酷な事であるか。俺には分かっていなかった。

 表現者になりたくて、それでも手を動かせなくなって最後は死に至る。そんな運命が約束された人間になんと俺は薄情であったのだろうと。

 

「私、段々体が動かなくなって、感覚もなくなっていくんだって。そういう頭の病気だって、聞いたの」

「……」

「神様って、残酷で無能だよね騎士様。私一人を救えないんだから」

 皮肉るように、彼女は言う。

 どうして私はこうなってしまったんだろうと、空を仰ぐ。

 きっと、恨みたかっただろう。自分にそんな運命を押し付けた都合のいい存在がいたとしたら、そんな存在を恨みたくもなる。

 ……俺が彼女の立場にあったのなら、その空の蒼さをきっと憎悪していたはずだろう。 

 

「そうだな、君にそんな運命を押し付ける存在が神様なら、いていい存在じゃない。それは悪魔というんだよ」

「……つまらないわ、騎士様なら不機嫌になると思ったのに」

「信心の浅い俺が星辰奏者になれるんだから、そりゃ神様なんているわけないさ。いればこんな不信心者に星を認めてはくれない。保障するよ、無神論者が騎士になれるんだから神様なんているわけがない」

「……そう。騎士様は無神論者なのに騎士様なの?」

 珍しく、少女はむくれた顔をする。

 神様とやらをバカにされれば騎士も不機嫌になると思ったのだろうか。そのひねくれ具合には、俺は少し親近感がわいた。

 信心の浅い人間というのは別に俺に限った話でもない。むしろ豪槌磊落や審神聖女のような人間こそ本来ならこの少女のカウンセリングをするべきなのだろうと思える。

 けれどだからこそ、無神論者の俺だからこそ果たせる役目も、きっとあるのかもしれないと思った。

 

「お嬢さん、俺は医者じゃないからどうしてやることもできない。体が治らないなら祈祷なんてされたところで耳が鬱陶しいだけだろうしな。俺も正直大和がどうだのこうだの、救って下さるとかいう話は眠くなるんだよ」

「……騎士様、本当にどうして騎士になれたのか不思議」

「騎士になりたくてなったわけじゃないし、聖書なんて興味が無さ過ぎて一文字も読んだことはないさ。適性があったからなっただけでね。……内緒だぞお嬢さん、聞かれたら俺は首が飛びかねない。明日の収入がパーだ」

 大分、罰当たりな事を言っている自覚はある。

 けれど、俺も正直になって言った方がきっと少女と腹を割って話せると思った。

 胸ではなく首を指先で切るようなジェスチャーに、女の子はやっと少し笑った。

 

「やっぱ、おかしいよ騎士様。こんな人、見たことないや」

「そうだろう、俺も俺みたいな騎士がいたら幻滅するよ。……ありがとう、お嬢さん。教えられたのは俺の方だよ」

「……え?」

 少女は、呆気にとられたようなきょとんとした顔をして、俺を見ている。

 

「……俺、騎士辞めるよ。夢は今、決まった。俺の残りの命は俺の夢に使いたい」

「ちょっと。どういう、つもりなの。騎士様」

 どういうつもりも、何もない。

 元から、騎士なんてガラじゃなかった。聖書なんかよりシェイクスピアが好きだったし、自分の星も反吐が出るぐらい大嫌いだった。

 けれども、ただなんとなく騎士の肩書で居れば金は入ってくる。そんな居心地の良さに溺れている身で、今の彼女を前にして騎士として――何より人として生きていると俺は言えなかった。

 自分の夢を胸に燻らせながら、それを一生抱えて生きていくことを俺は誰に誇ると言えるのだろう。

 

「……見ててくれよお嬢さん、明日に成ったら騎士から売れない物書きへ転落する男をザマぁないと指さして笑うといい。きっと笑顔になれるさ」

「ふふ、あはは。何それ、何考えてるのかまるでわかんない」

 騎士になって、いい事があったとすれば金だろうか

 思えばその女の子は初めて笑ったと思う。

 

 それからも看護婦に請われしばしば俺はその女の子と暇を見つけてはよく遭うようになった。

 皮肉だが、暇な騎士であったが故にカウンセリングの機会に恵まれてはしまっていた。

 医者に請われることもなく俺は自分の足で彼女の病室に足を運ぶようになることに、そこまで時間は要さなかった。

 

 

 

「そうだな、笑ってやればいい。こんなバカな男がお嬢さんのカウンセリングをしたんだって思い出してくれれば、俺は嬉しい」

「そうだね、本当にバカだと思う。なんか勝手に自分で納得して、突然満足したように騎士辞めるとか言い出して。……こんなバカな人、忘れられるわけないじゃない」

 それは騎士になって俺が初めて出来た、嘘偽りない笑いだった。

 後悔はない。何も、何も、思い残すことはない。

 かつて母に贈れなかった話の続きを、俺は書き上げようと思えた。騎士になったことに――そして辞める事も何も後悔はない。

 

「……送ろう、お嬢さん。騎士としての最後の日の務めだからな」

「えぇ。ありがとう、バカな騎士様」

「そして、いつか君の事を――俺に大事な事を教えてくれた女の子の事を綴ろうと思う」

 力の入らない少女のその手を取って、俺は最後にその子の病室に送った。

 その女の子の前に傅いて。その力の籠らない君の手足にこそ、俺は生きる事の意味を教えられたのだと自分勝手に解釈して感謝して満足して。

 

「――うん、いつか。待ってる。その本を楽しみにしてる、騎士様」

 

 ……いつか、その空の蒼さを愛せるようになってほしい。俺が彼女に願うとすればそういうところだっただろう。

 そして俺は病室を後にした。

 その廊下で、あの少女の肩を支えていた医師に俺は謝された。

 ありがとう、あの子が初めて笑ってくれたと、そう泣いて謝された。

 

 俺に騎士として出来た最初で最後の仕事が彼女を笑わせる事だったと、そう思えたのだ。

 

―――

 

「これで売れないごく潰しの物書きが一人出来上がった。本にすれば概ね大体一〇〇頁もあれば事足りる内容だな」

「……いや、悪い。騎士様にまさかそんな過去があったとは夢とも露とも思わなかった。浅慮を許してくれロダン」

 ……別に、特別隠し立てる様な話でもない。

 世間様から見れば、お高い位階の騎士が身の程知らずにも一人前の物書きになる事を目指して野に下った、というだけの少しばかり珍しい程度の話だから。

 それにこの話自体はハル姉さんにも話したことのあるものでもある。

 

「……その女の子はどうなったんだ?」

「亡くなったよ。……ちょうど、医者の診断通り約半年後に」

 クラウディア――あの女の子の病は、まだ治療法の解明が成されていない未知の脳症だったという。

 悲しい事に今も尚、その脳症の治療法は解明されていないという。

 

「……改めて敬意を表するよ。お前はまさしく騎士の鑑だ、誰かを笑顔にして見せた鑑だとも。己が不本意なる平穏に反逆を唱え、少女の絶望に一抹とは言え反逆して見せたのだから」

「いい事を教えてやる。よくできた騎士は反逆しないし突然辞めて周囲を困らせたりもしない。ガラハッド卿やリチャード卿を見てみろ、俺なんかよりも現在進行形でちゃんと騎士をやり通してる。ああいう方々をこそ人は見習うべきなんだ」

 俺を見本にしたら、出来上がるのは聖書の一文節も唱えられない不良騎士だけだ。

 ……思うのだが、ユダの中での反逆とはどういうニュアンスなのだろう。

 

 そろそろ、いい時間になったという事もありユダは「お開きだ」と締めくくり、俺達は店を出た。ユダは手を振って、さらば友よと、明後日の方向へと去っていった。

 

 思えば、久々に人とよく話したと思った。物書きになってから、めっきり外界と縁はなくなったから。

 それから、俺は一人で帰路につこうと考えた。

 ……隣にはエリスはいない。そう思うだけで、気が楽になる。なっているべきはずだ。

 爪先を踏まれる事も、腕を折られる心配もない。だというのになぜ俺は寂しく思っているのだと振り返る。

 傍に彼女がいる事が当然だったように思っている、その理由が分からないから。

 

「……姉さんと、うまくやってくれるといいんだけどなエリス」

 彼女の表情が変わった時。そうユダが言う瞬間がいくつか俺には心当たりがあった。

 俺の原稿を見た時、姉さんから俺の昔話をいつかしてあげる、と言った時。その時には彼女はとても嬉しそうに目を輝かせていた。

 

 思えば、エリスが全ての切っ掛けになっていた、そんな気はする。

 俺の周囲は随分に様相が変わってしまった。

 

 エリスに、聞きたいことは山とある。けれど。

 

 

 街を外れ、そこから人気のない路地に出る。

 少し冷たい夜風が肌を撫でる。

 

 

「……おい、俺の後ろのアンタ。尾行が下手にもほどがあるだろう」

 そう、背後に向かって問いかける。

 ……ユダと別れてから、ずっと感じてきたその足音を俺はずっと聞き続けていた。

 ずっと、今この場に至るまで。

 

 それから、後ろを振り向く。

 

 

 

 

 

「――よぉ。アンタが神聖詩人(ダンテ)で合ってるかい?」

 目の前にいたのは、赤毛で無精髭の男だった。

 その男は、アダマンタイト製の大剣を構えていた。



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私を呼ぶ声 / Into Inferno

Q、マリアンナって平均体温いくつですか?
A、星辰光の影響で37度台です。

Q、マリアンナはそれだけ優秀なら、なぜ神祖の計画に参画させされなかったのですか?
A、人としてはある種の偏執で非常に扱いにくい性質をしていたからです。そういう判断もあり、神祖は彼女を計画に関わらせませんでした


  一つ、つまらぬ詩人の昔話をしよう。これはある一人の女の子の話であり、地上の神話だ。

 

 かつて、この地上に月の女神がいた。

 破滅の暁を討った最後の月の女神が、そこにいた。

 私を詩人にしてくれた、――そして今はもう、声をかけてやれない一人の少女が確かにそこにいたのだ。

 

 

 ……ダンテ著 「舞姫神譚・神曲」より

 

―――

 

「許せよ神聖詩人(ダンテ)。この手の小細工が俺は不得手でな」

「……神聖詩人(ダンテ)? いや、なんでその単語を知ってるんだ」

「お前が知ることはない、安心しろ。――そして、お前は今日ここで死ぬ」

 ……大剣の切っ先が、まっすぐこちらに向く。

 一体、この男は何者か等理解のしようがない。

 

「まぁしかしこれも運命か。国家の公的組織から脱した者が、月の女神に見初められる。……実に因果な筋書きだと思うだろう。吟遊詩人(オルフェウス)の前例をなぞるにも出来過ぎだ」

「何を一人で勝手に納得してるんだ」

 嫌でも、その赤毛の男の異様さに俺は息を飲む。

 吟遊詩人(オルフェウス)神聖詩人(ダンテ)。月の女神に前例、まるでその名詞群は彼の中では明確なストーリーとして繋がっているように思える。

 この男の素性のプロファイルなど出来ようもない。こんな男を、騎士団で見たことはなかった。

 所属不明の星辰奏者――それはあの大剣から見ても間違いはないだろう。有り得るとすれば、エリス同様に他国所属だろう。

 少なくともカンタベリーにおける正規の星辰奏者ではない事は事実だ。神聖詩人(ダンテ)という単語を口にしたことは見逃せない。

 ……だが、たかが辞めた騎士の尻を追いかけまわして、その姿をさらす意味が俺には分からない。

 

「お前は、俺と何の関係がある」

「あるとは言えるし、ないとも言える。しかし間接的にというのであれば有ると断言できる」

「……俺をそう呼ぶ人間は、エリスしかいない。お前も、エリスも、俺は知らない」

「つれないな、俺はお前の事も、エリスと名乗る女の事も知っている」

 こういう時、どうするべきかと考えた場合は騎士に助けを請うべきだ。請うべきだが、あまりにも街を外れすぎている。

 周囲に助力を請える人間などいない。

 俺は星辰奏者であるとは言え、発動体は騎士を辞める際に返却してしまった。そして、この男は俺を殺すと言った。――エリスの事を、知っていると言った。

 

「俺をどうして殺すんだ」

「知らん方が幸せという事もある。――あの女の為にも、お前の為にも」

 そう、言った瞬間に男は大地を蹴りだし俺へと肉薄していた。

 

「……、くっ!!」

「徒手空拳にしてはよくやる。どうした、得物はなしか星辰奏者」

 振りかぶられたその剣を、すんでの所でかわし大剣の腹に全力で拳を撃ち込めば剣を弾いた。

 ……間違いない、この男は本気なのだと理解ができた。

 この国の中で、本気で人殺しをしようとしている。

 一切の躊躇なく俺に剣を振ってきた。

 

「本気、かよっ!」

「詩人を気取るなら読解力を養う事だ。俺は殺すと言ったが?」

 続けざまに、踵で振り向きと同時に踵を放てばそれもまたこともなげに男はいなす。

 互いに基準値同士だがまるで山を蹴ったかと錯覚させられるほどに男は微動だにしなかった。足の反発を利用して距離を話せば、

 

「さて、徒手空拳でよくやるがどこまで続くかね。お前は殺すと俺は誓った」

 ……助けは来ないだろう。

 意味も分からないまま、意味の分からない男に因縁をつけられて殺される、そんな終わり方は受け容れる事などできなかった。

  

「……いい構えだ、我流か?」

「手癖の悪さと言い換えてくれ」

 徒手空拳、ならば頼れる武器はもはや自分の研ぎ澄ませた肉体しかありえない。

 やって見せる。やらなければ、負ける。そう、震える心に誓う。

 

 ……拳を握る覚悟もないままに。

 

 

 得物がない以上は、どう考えても間合いは相手に分がある。

 加えて――速い。剣を見切っても、相手はしっかり致命の間合いを見切っている。拳を、決して侮ってはいない。

 正眼から振り下ろされる剣に身を引き空振りさせその剣の峰を掌で抑え込めばその顎を次いで左の腕で撃ち抜く――が。

 

「利いたぞ神聖詩人(ダンテ)、頭が痺れた」

「……」

 渾身の一撃を正面から食らっていながら、男には一切たじろいだ気配はない。むしろ殴っているはずのこちらの拳が痛んだぐらいだ。

 体幹が強い、などと言うレベルを遥かに超えている。返す刀が文字通り訪れて、頬を掠めながらもそれをかわす。間一髪、あと少し遅れていたら恐らく脳味噌がこぼれていただろう。

 改めて、背筋が狭くなる。之は訓練などではないのだと、

 

「……なるほど、いくつか見慣れない流儀流派を感じ取れる。お前のソレは、お前自身の研鑽で磨き上げたモノか?」

「何を言いたい」

「いや何。体捌きにまるで一貫性がない。変幻自在で死線はしっかり読み切っているかと思えば、剛毅に一閃を振るい。それが俺に届かないと知ればすぐさまに逃げの姿勢をとる。……おいおいなんだソレは。まるで継ぎ接ぎだ、まるでお前という人間が分からないじゃないか」

 ……こんな殺し合いに何を求めているのだろうかこの男は、と俺は思えなかった。

 この男は、俺がどのようにして若造のままに第六軍団の第Ⅲ位階に登りつめたのか、それを理解している。

 

「ああ、つまりは分かるぞ。他者から学びそれを高い精度で実践する。まるで理屈としては間違っていない。前例に学び己の血肉とするのは戦士として至極真っ当だ。だが、その上でお前のそれはただの模倣にしては精度が高すぎる。そうさな、お前は――」

「黙れ、今すぐその口をふさいでやる」

 ――その先を言わせてはならない。

 拳を武器にしても、果たしてどこまでやれるかが怪しい。けれどそんな算段も一瞬で吹き飛んだ。

 この男の言葉を言わせたら俺はまた、どうしようもなくなってしまいそうだから。けれど、俺の手口を学習はしているのだろう、安易はフェイントにこの男は乗らない。

 剣を振らせて筋肉を伸ばし切らせるという目論見を達成させてはくれない。こちらの筋肉の動きを見抜いている。 

 

「図星にもほどがあるぐらいには分かりやすいぞ、詩人を気取るならもう少し態度を飾れよ」

「そうかよ赤髭野郎」

 間違いなく眼前の男は俺を殺せるだろうし、そうする。

 だが俺は徒手空拳で、追い返せるか以前に対処できるかすら怪しい。……同時に眼前の男は未だ星を使っていない。

 事態をおおっぴらにはしたくないからそうしているのか、あるいはそれ以外に目的があってそうしているのか、判じがたい。

 今も尚振るわれる剣を受け流し、かわしながらも反撃の機を待つ。

 

 槍の如く突き出される剣の速さにも次第に慣れてくる。手練れで、それも騎士の上位位階には相当し得るほどの腕前なのは事実だ。

 見せかけの拮抗も、今までの俺が得てきた経験――死ぬほどに嫌いだった()()()()()()()を切り崩してようやく迫っているというだけだ。

 

「随分に持つ。誇るといいだろう、俺は決して手を抜いていないからな。……もはやここで言うまでもないだが、実は概ねお前のことは身辺調査がついている」

「だろうな、そうじゃなきゃ尾行する意味もなけりゃ俺を神聖詩人(ダンテ)と呼ぶ理由がない。同時にお前はエリスの事を知っているんだな。そういう文脈だと捉えた」

「俺に勝てればその時には総て教えよう。――だが今の貴様では無理だし殺されてやるのは不快だ。狡猾なる詩人(ロッドファーヴニル)のままでは、銀想淑女(ベアトリーチェ)を伴う資格は無いだろうさ。何より役者が違いすぎる」

「――」

 今、この男はなんと言っただろうか。確かに言った。ベアトリーチェと。

 夢の中の彼女が、俺がそう言った名前を、なぜこの男は知っている。不味い、そう感じた瞬間に回避は遅れていた。

 

「どうした、鈍ったな」

「……ぐっ、おおおぉぉぉ!?」

 右肩から左脇へ一文字に、一閃された。吹き上がる血と、断たれた肉。遅れて脳に叩きつけられる痛み。

 あともう少し判断が遅れていたら、恐らく本当に死んでいた。

 それだけの傷の深さだった。どくどくと血が流れるたびに全身は冷えていく。

 

「さらばだ。お前に神聖詩人(ダンテ)の資格はなしとまぁ、そのように造物主には伝えよう。残念だがまぁそれも運命だと諦めてくれ」

 何かを納得したような声色で、眼前の赤髭の男はその剣を真一文字に振り下ろした。

 

 

 終わった。俺という人間は意味もなく、何の真実も掴めないままに終わるだろう。

 その理不尽に抵抗がしたくて、それでも冷えて血圧も熱も失っていく末端は何も答えない。

 

 不思議なことに、目を閉じた時に頭に浮かんだのはエリスの顔だった。

 

―――

 

「いいえ――終わらない、顔を上げなさいロダン」

 そう、凜とした声が虚空に響く。

 カン、と鳴り響く金属音、鎧同士の擦れる様な音、そして目を閉じてもいつまでたっても訪れない俺の死。

 目を開ければ答えは目の前にあった。

 

「……グランドベル卿」

「遅れましたねロダン、お許しくださいを。これより騎士として貴方を護りましょう、決着をつけたその後に弁明となる事にはご容赦を」

 マリアンナ・グランドベル。現第一軍団の第Ⅲ位を務める、鉄血の聖女と呼ばれる者その人だった。 

 なぜ、俺を助けに来たのだろう。大聖庁から離れているにもほどがあるこの場所に、よりにもよって最上位級の騎士が単騎で訪れたのか。

 ……積もる疑問はある。

 あるが、今はそんな事を言っている場合ではなさそうだった。

 

 十字架を象ったような、その槍を薙げば男もまた距離を離す。

 

「――予期せぬ配役だが……しかしここまで吟遊詩人の筋書きをなぞるとはますます話がよく出来過ぎている。聞こう、女騎士。お前は何者だ」

「第一軍団が第Ⅲ位。鉄血聖女(ロンギヌス)――マリアンナ・グランドベル。罪なき市井の敵を討つ者に他ならぬと知りなさい」

 ずしりと質量を視覚からですら感じ得るであろうその架槍。

 切っ先をまっすぐに男に向けている。そこに在るのは両者ともに純然たる殺意だった。言葉にしなくても、纏う空気の変容は分かる。

 

「では俺も同じく名乗ろう。――我が名はファウスト、ファウスト・キリングフィールド。今から貴様を殺す、貴様が定義するところによる市井の敵という奴だ」

「そうですか。なら、問答は無用でしょう」

「ならば尋常に――」

 大剣が、架槍が、正面から激突する。

 

 始まりの一合が、舗装を打ち砕いた。

 その矮躯にどれだけの力を生み出しているのか、想像がつかないほどにグランドベル卿の一撃は重かった。

 断頭台のように振り下ろされるその一撃は、質量体を得物とする赤毛――改めファウストですら守勢に回らなければならなかった。

 大剣を盾のように構えその槍の振り下ろし受けきっても、その次の瞬間にはほぼ同時と見まごう程の速さで膝、肩、腕を撃ち抜く突きが放たれる。

 

 発動値に至らずとも、これだけの苛烈な武錬をグランドベル卿は示している。……かつて、手合わせした時から何も色あせていない。それどころかさらに磨きがかかっている槍の扱いに俺は舌を巻くしかなかった。

 速く、重く、正しい。槍の穂先と石突を巧みに使いこなし、長大な得物で間断なく攻撃を浴びせかける。

 

 撃ち合いを重ねるたびに大地を抉っていく。相手が後ずされば後ずさった分だけ距離を詰めて、一切容赦もなく打ち砕こうとする。

 勝利の二字を目指す合理、時には己の身を危険にさらす事で利得を得ようとする蛮性が両立していた。

 苛烈にして合理――まさにこれこそ鉄血聖女の名の証明に他ならない。

 

 端的に言って、殺戮巧者として見た場合間違いなくその優位は彼女にあった。

 

 

「……さて、聖女よここで提案だが休戦協定といく気はないか? 俺は御覧の通り殺されそうだが」

「罪なき市井を追い詰め命を奪おうとした。その時点で有り得ないと知りなさい――!」

 あくまでも、両者ともにまだ星を開帳していない。

 だが、このままいけばその展開も予想が出来る。敵を撃滅する、その一点において明確にグランドベル卿は抜きんでている。

 比較対象をこの男に限らなくても、その武錬は全騎士団で見ても決して中層には位置していないだろう。

 

 今も尚、刻々と彼女は勝利の天秤を傾け続けている。

 普段の穏やかな彼女とは全くイメージが結びつかないほどに、その在り様は攻撃性に溢れている――その星も含めて。

 傷を負い続けているのはファウストの側だ。

 もはや無理と判断したのか、彼女から間合いを取ろうと宙へ飛び上がったその瞬間には、彼のその動きさえ読んでいたのだろう。

 グランドベル卿は全霊を籠めて槍を投擲していた。

 音速とさえも思えるほどのその一撃に、ついに明確にファウストは傷を負った。

 

 脇腹を肉ごと抉り飛ばし、その槍は彼女の手元に帰っていく。

 

「やるな、女騎士。危うく内臓が出そうになった」

「そうですか。それは僥倖でしたね」

 優勝劣敗、という言葉の通りだろう。

 純粋に戦士としての土俵で彼女は勝ったから眼前の男は腹を抉られている。……だが。

 

 

「ならば、俺の星を見せるしかあるまい。よもや使う事になるとは思わなかったが、なればこそ感謝しよう。認めてやるとも、お前は人類種の頂点に限りなく近い存在だ。だが――星がそうであるとは限らない」

 横一文字に構えられるファウストの得物。

 同時に、星辰体が励起を始めていく。戦慄く星辰体が、第二幕の開幕を告げていた。

 見るがいい、地獄の門はこれから開くのだと告げるがごとく。

 

 

「創生せよ、天に描いた()()を――我らは()()の流れ星」

 ……その星は、奇妙な星辰の波長を有していた。

 歌うような、音楽に似た――何か、ロダンにとっては聞き覚えのあるモノで。

 だが異変はそこに留まらない。

 

「此処は火の星、第五の天体。汝真に詩人の資格あるならば、その未来を予言しよう。血肉の残骸は物言わず、その土は二度と踏むことはない。嗚呼、永久に遠き我が故郷。もはや未練は欠片もありはしない」

 赤毛であったはずのその髪も、髭も、次第に急速に染物でもされたがごとく銀の白に変わっていく。

 ……その銀色に、俺は覚えがあった。そう、――まるでアレはエリスのようではないかと。

 老化しているでもない、ただただ髪が白くなったというだけの現象であるはずなのに、その白が俺には俺には言い難い恐怖を与えていた。

 なぜ恐ろしいのかを、ちゃんと説明できないのに。

 

「仮初の平穏と大神と結んだ盟に訣別を告げるがいい、さすらば地獄の門は口を開かれよう。淑女の導きをこそ、我は切に切にと至高の天に祈るのだ」

 その逡巡の次には、周囲の環境が塗り替わっていた。

 浸食されていくがごとく、赤茶けた大地が俺達を包んでいる。命の気配の見えない、荒涼たる虚空がそこに在った。

 

「淑女に捧げしの愛こそお前の真実と知れ、今こそ大神の箴言(ハーヴァマール)を破り捨て神曲を紡ぐのだ。――火の星を踏破し、秒針を不可逆に刻むが如く、筆を進めろ――神聖詩人(ダンテ)

 だからこそ、俺はその星の異常さを理解する。

 通常、環境をここまで劇的に改変する事は普通の星辰奏者には出来ない。

 最低でもそれを広域にわたって展開するために拡散性が、次いで環境を思うがままに設定するために操縦性と干渉性が要求される。

 視界に写る世界を丸ごと改変する等、並大抵の出力と資質で可能と出来る芸当ではない

 

「超新星――絢爛なりし決闘領域、(Cielo di Marte)顕現するは火星天(Killing field)

 人知を超えた出力と、超高次の資質を以ってその男は新生を果たす。

 とても、人間とは思えないほどの完成度の星がそこにはあった。

 

絢爛なりし決闘領域、顕現するは火星天 

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:D

拡散性:A

操縦性:AA

付属性:C

維持性:B

干渉性:AA  

 

 

 

 ――だが。

 同じく決してグランドベル卿も星を開帳する。

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」

 

 

「顔を上げよ佳き人よ。輝く明日を担うは我に在らぬ故に我に光は要らず、なれば私は松明となろう。我が血肉よ火を灯し薪となれ、天に掲げたその輝きを以って聖女の証をここに立てよう」

 

「仇成す者よ皆悉く私と共に連れて逝こう、数多の戦士と神の息果てた地平に我らの肉灰を撒け。未来はいつだとて撃滅の灰と鉄より出でて不死鳥のように飛翔するのだから」

 

 

「我が裡なる神に、我が身を裁きを委ねよう。架けて焼けて死ぬがいい――鉄血聖女(ロンギヌス)。聖女の灰こそ鉄血の最期に何より相応しい」

 荘厳なるその祈り。

 何者にも穢せぬ、焔の誓約を胸に聖女は溶鉱炉に身を投げるがごとく焔を纏う。

 

 

「超新星――聖女の骸よ焼け堕ちろ(Schisma Judicium)灰より溢れろ希望の光(Longinus)

 隻眼に焔の如く緋色の輝きを宿しながら、グランドベル卿もまた星を晒す。

 ……聖女の星、その真実を俺は知っている。目の当たりにしたこともある。全身に纏う焔が、俺には痛ましくて辛かった。

 

 

聖女の骸よ焼け堕ちろ(Schisma Judicium)灰より溢れろ希望の光(Longinus)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: A

集束性:AA

拡散性:A

操縦性:E

付属性:D

維持性:D

干渉性:C

 

 ――殺し合い、その第三幕がここに開幕する。

 だが、先手を放ったのは――ファウストだった。

 

「――!!」

 その一瞬で不可視の一閃が抜き放たれた。何もないはずのその虚空を、グランドベル卿は確かに槍で受け止めている。

 撃ち合う音も響く。

 だが、異変はそれだけではない。

 また数度、不可視の剣閃が襲い掛かる。それもまた、グランドベル卿はこともなげにはじき返す。

 はたから見れば、まるで何をやっているのかが理解できない。理解できないからこそ、その一瞬でグランドベル卿のやっている事の出鱈目さに開いた口がふさがらない。

 

 ……なぜならば、恐らく俺の見立てが正しいならばファウストの星の能力はシンプルにして凶悪だから。

 空間隔離・疑似空間切断能力――超高次の資質で疑似的に世界を創造し、空間そのものを斬り裂く剣。

 文字通り何処に立っていても、その斬閃から逃れるすべはない。極論、この世界にいる限りはどれだけ無限遠にいたとしても冗談ではなく世界そのものが剣と化して斬り裂きにかかる、バカげた異能だ。

 

「いよいよ以て人外じみているぞ聖女殿。まさか初見でこれを凌がれるとは」

「その手の星は、生憎とかつて同門の出であった者と手合わせした際に見た事がありますから」

 こともなげにそう言い放つ。

 似たような星を見たことがあるというだけで、初見の星を捌き抜くなどまさしく狂気の所業だ。

 同時に、彼女もまた負けていない。

 

「――爆ぜなさい」

 彼女は、大地に槍を突きさすと爆光が広がる。

 まるで侵食されるがごとく、大地に焔は広がっていく。

 際限なく荒野に広がる焔は彼女自身をも炙っていく。

 

 それは極めて高い集束性と拡散性によるものであり、焔の洗礼を敵味方を選ばず浴びせていく。

 星辰体を燃料にして何処までも燃え広がっていく、裁きの焔がそこに在る。

 ――彼我を共に焔と共に削っていく。それが彼女の星辰光、シンプルなその真実は火炎延焼能力。

 自らをも裁くその代償に、世界総てを焼き払う必殺を誓う災禍の星に他ならない。同時にその星で俺が焼かれていないのは、最大限のグランドベル卿の配慮であるとも言えるだろう。

 自分の星で俺を巻き込まないようにしている。

 

 同時に槍を全力で振り抜けば、空気そのものを媒介にして甚大なる焔光が生じる。軌道上の敵を総て焼き払わんとする極光撃を、すんでの所でファウストは世界ごと両断して抑えきる。

 

 無制限とも言えるほど甚大な出力を振るうファウストを意にも介していないかのようにグランドベル卿の猛撃は続いていく。

 世界は焼け落ちるが如くその延焼の激しさを増していく。ファウストの消耗も目に見えて激しくなる。

 四方を間断なく襲う空間切断の刃に対し目にも止まらない速さで大地を数閃斬り裂けば、焔で焼かれた大地は噴火するかのようにひび割れ爆ぜる。

 

「自分諸共火あぶりの刑とはこりゃまた、俺は厳密には上位規格とは言え割とかなり苦しいぞ」

「なら、それで結構です。私や貴方のような人間こそ火にくべられて死ぬべきでしょう。――そして自白しましたね。人間ではないと」

「隠す意味もないだろうが、そう言う事だ。詳細は言ってやれんが」

 まるで自分の生存すら度外視しているかのような猛撃は、本当に同じ人間なのかと思いたくなるほどだった。

 戦士としての完成度がまるで違いすぎる。

 槍に焔を纏い、果ては空気ですらも極光撃の媒体に変えてしまう。

 

 だが同時に、その熱量は彼女自身をも絶え間なく焼き続けている。常時暴走状態にあるも同然の星辰光であり、その出力に彼女という器はどう見ても耐えられていない。

 あの星を無理なく使うなら、最低でも付属性はさらに一段階は必要となるだろう。

 

 槍を自分の背後に突き刺せば、その爆発の反動でさらに速力を上げて追撃を重ねていく。自分さえも焔に変えたその御業は、その四肢に火薬を搭載したが如き速力を与える。

 ついにその間合いに到達した彼女は目論見通りにファウストを戦士としての土俵に引きずりおろした。

 

 だが――

 

「俺の間合いはそこじゃない。悪いが馬鹿正直に付き合うほど俺は騎士道精神に富まないのでな、心は痛むがまぁ耐えろ」

「……ちぃ!!」

 ファウストの異能とはすなわち、疑似的な空間切断だ。その根底にあるのは空間操作で在り――だからこそ空間をゆがめて距離をとることも容易なのだろう。

 また、間合いを開けられるとともに剣閃が走る。それを撃ち落とし続けながらも、グランドベル卿は少しでも間合いを詰めようとする。

 

 その合間に斬光撃を織り交ぜながら距離を見計らうが、そうしている間にもグランドベル卿は全身を焼かれ続けている。

 まるで火炙りの刑に処されながらその火を武器にしている、まさしく矛盾の徒だ。

 

 だからこそ相性が悪すぎた。距離を取る事を得意とする相手に対して、途端に有効な手段は激減する。

 

 であれば徹頭徹尾距離を取り続ける事こそが、ファウストの必勝手になる。

 接近戦等もっての外、その大原則を維持し続けていればファウストは勝てる。出所はともかく、あの無尽蔵とも言える出力さえあればこの空間は維持し続けられるのだから。

 その間にもファウストもまた焔に炙られ続けて戦闘力を削られ続けるが、それでも距離を離し続けることはグランドベル卿には有効な手と言えた。

 

「はぁあああ!!」

「――っ」

 グランドベル卿はそれでも前へ前へと進軍していく。気力を武器に、大地共々斬り裂きながら、時には足で踏み砕いて大地を爆発させて自分を加速させる。

 持久戦という領域では間違いなく、ファウストは強い。実際彼女は顔に出さずとも疲弊を強いられている。自分の星に全身を焼かれ続けていながら、それでも眼前の敵を滅ぼすのみと猛っている。

 

 何度、空間操作をしたろうか。

 そのたびに無常に空間操作によって距離は離される。……しかし。

 

「其処でしょう。そして、()()しかないでしょう。貴方が逃げる場所は」

 グランドベル卿の策は単純で――そして何より効果的だった。

 空間創造と言っても、恐らくはそれはファウストでも効果領域を無限にすることなどできはしないだろう。

 効果範囲とは一重に拡散性が大きく寄与する。そして拡散性がこの上無く高いと言ってもそれは決して無限ではない。

 

 ファウストの作り出した世界、その最果てに今ファウスト自身をグランドベル卿は追い遣った。一直線に過ぎる進撃は、彼女の苛烈さの発露に見えてもその実は世界の端へ追い詰めるための策だったのだから。

 

 またしてもファウストは空間操作により上空へ逃れようとする。

 空に飛びあがったファウストに対して、しっかりとグランドベル卿は槍の照準を構えていた。

 総てを粉砕してやるとばかりに、手を翳して槍を投擲する――しかし。

 

 彼女の強すぎる星辰光は、彼女への負荷となってほんの一瞬だけその手元を鈍らせた。

 わずか数センチのズレで、ファウストは槍を回避した。ほんの一瞬でも、頬を掠めていたら恐らく本気で脳漿が散華していただろう。

 

「――幸運に助けられた、というわけか。全く業腹だが、神曲譚には全く不要な配役だよ」

 返す刃で、ファウストはその剣閃を放てばグランドベル卿に破滅の剣閃が訪れた。

 

―――

 

 刃が迫る。こんな俺を助けようとしてくれた、グランドベル卿の首が今堕ちようとしている。

 騎士を辞めた俺を、騎士として助けようとしてくれたあの人が。

 それを認めることは俺には出来なかった。

 でも、そんな結末を押し付けたのは俺であり――俺が誰より俺を許せなかった。

 

『――彼女を助けたい、ですか。ダンテ様』

 そう、脳髄に聞きなれた声の思惟が走る。

 ……確証はなくても、それが末路の幻聴であっても、彼女の声に他ならない。

 知っている、いつぞやの夢で聞いたその声を、俺は知っているとも。

 

 

「あぁそうだ、だから俺に力を貸してくれ。俺は、俺の為に死ぬ人間がいる事が耐えられないのだから!!!」

 ただ叫ぶ、どこでもない、誰でもない誰かに、俺は叫ぶ。

 誰に聞いてほしかったのか、果たして声は届くのか。そんな事さえどうでもよかった。

 

 

『――なれば託星詩神(ハーヴァマール)狡猾なる詩人(ロッドファーヴニル)の名を捨て今こそ神聖詩人(ダンテ)へ転生せよ。その暁に、私は貴方に銀月(シルヴァリオ)を委ねましょう。さぁ――今こそ私の名前を唱えなさい』

 名前など、とうの昔に知っている。

 そうだろう――■■■。

 

「――銀想淑女(ベアトリーチェ)よ、俺に運命を託してくれ。神曲の旅路をなぞるが如く!」

 この運命を覆せる力を。

 グランドベル卿を救える力を、俺は今この瞬間、何よりも欲しているのだから。

 だからこそ月に願い俺は吠えるのだ。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()!!!』

   

 



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銀ノ淑女、月ノ卵 / Luna

Q、ウェルギリウスってそんななんかヤバい人だったの?
A、良くも悪くも、神祖という絶対者の治世が終わった結果ハッスルし始めました。海を隔てたどっかの国で聞いたような話ですね


 遅い。まず初めにそう、思った。

 ロダンはいつも、私と一緒にいるかぎり私を一人にすることはなかったから。

 けれども、大丈夫。ロダンなら待っていれば帰ってくれる。……いつだって、あの子は私を一人になんてしなかったから。

 夕刻にさしかかると、エリスさんが帰ってきた。てっきりロダンと一緒に帰るものだと思っていたけれどその傍らにはロダンはいなかった。

 

「ただいま帰りました、御姉様。ロダン様は、少し劇団の方と歓談なさってから帰るそうです」

「おかえりなさい、エリスさん。……そう、よかった。ロダンはいつも、帰りが早いものだから少し不安になったの」

「……御姉様は、随分とロダン様のお帰りを心待ちにしているのですね」

 ふと、エリスさんは柔らかに、からかうようにそう笑った。

 その通りで、私はロダンの帰りをいつも待っている。あの子は昔から、よく私の後についてきてくれたから。

 ……私が家族を総て失った時、傍に居てくれたのもロダンだったから。 

 

「そうね。あの子、私は放っておけないもの。……エリスさん、良ければ朝に言ったロダンの話を聞いていかないかしら」

「えぇ、是非!」

 エリスさんの手をとって、私は屋敷のソファに腰かける。エリスさんも隣に座らせて、茶菓子を用意するとお気になさらずにとエリスさんは言う。

 しぐさや恰好は家の良さというものを感じる。誰かにそうするように育てられたわけではなく、自然体のようにも見える。

 少し、冷たさを感じる大人びた美貌がほんの少しだけ怖くて。けれどとても、ロダンの話を楽しみにしているその様は、年頃の女の子のようにも見えた。

 不躾な言い方が許されるなら、こんなふうな妹がいてくれたら、と少し思う。

 

「……ロダン様は、幼少の頃より御姉様によく付き従っていたと聞いています。どういった経緯なのか聞かせていただいても?」

「えぇ。初めは、私の母さんとロダンのお母様の交流でロダンと最初に出会ったの。とてもかわいかったのよ、ロダン。もう写真はないけれど、それでもよく私についてきてくれたの。仕事で忙しかったお母さんの代わりに、いつも子供の頃は私と一緒にいてくれたの」

「そう……なのですね。ロダン様は幼少期よりそのような、優しいお方だったのですね」

 そうかもしれない。私にとってだけ優しい人であってほしいと、そう思う事もあった。

 騎士は似合わない、なんてよく自嘲していたけれど私は全然そんなことはないと思っていた。きっと、私に証明してくれたように、きっと彼は困ってる人を放っては置けないはずの人だから。

 初めて騎士の甲冑姿を私に見せてくれた時、私は初めて男の人を恰好いいって思えたから。困ったように笑っていた彼を私は決して笑わなかった。似合ってない、なんて思わなかったのだから。

 

「居間に飾ってる、古ぼけた写真があるでしょう。アレが初めて彼が騎士になった時の写真よ、とっても格好良かったんだから」

「確かに、とても似合っていると思います。けれど少し憂いているような顔にも見えます」

「……やっぱり、そこに気づくのねエリスさん。そうね、ロダンは昔から物書きになりたいとよく言っていたの。騎士になってからも、名前を隠して脚本を劇団へ売ったりと、いろいろやってたみたい」

 彼が星辰奏者の適正があると判明したその日から、彼は騎士になったと聞いている。

 騎士になると同時に、段々と私とも疎遠になっていって。この中途半端に広い屋敷が再び私だけのものになるまで、そう時間はかからなかった。

 

「本当はロダンに騎士を続けてほしいと思っているの。でも、ロダンは悩んでいたの。何か、偉い人から虐められたのかと聞けばそうではないと言って。かと言って、馴染めないのかと言えばそれも違うと言って。騎士になってからも会う機会は時折あったけど、それでも彼の顔は曇っていたわ」

「……そんな、過去があったのですね」 

 そうなるころには、彼には不穏な噂があった。曰く「物覚えが良すぎる」と。

 訓練の教官の剣を次々と学んでいっては、特になんら苦労することもなくそれを修め彼らの心を砕き折り続けた。

 ついた仇名が「教官殺し」、他人の剣の腕を盗み自分のモノにすることに長け過ぎたあまりにも狡猾な騎士だと。登りつめた最終位階は第六軍団の第Ⅲ位、若輩としては限りなく大出世と言えた。

 

 ……けれど、そんな幸せを彼はついぞ好まなかったのだろう。部外者の私には彼の事情は推し量ることはできない。「教官殺し」のその異名が背負う意味も、決して彼は自分から語りはしなかったから。

 それでも騎士団を辞めたと言ってこの屋敷に再び訪れた彼の顔は、確かに少しだけ晴れていた。

 

「彼が久々にこの屋敷に来た時は、本音を言えばとても嬉しかったの。また、子供の時のように、一緒にいられると思えたから」

「……率直に述べて、私は御邪魔でしたでしょうか。御姉様」

「いいえ、そんなことはないわ。今の私にはこの屋敷は広すぎるもの。それに私、今は血の繋がった家族は全員亡くなったの、むしろ話し相手になってくれる人が増えるのは嬉しいわ」

「私も詳しくは話せませんが、……もう家族と呼べる人はいないのでその気持ちは察する事は出来るつもりでございます、御姉様」

 そっと、私の手にエリスさんは手を添える。白くて、柔らかくて、折れてしまいそうなほど華奢な指。

 エリスさんは自分で、家族と呼べる人間がいないと言った。それがどれだけ心細いことなのかもまた、私は分かるつもりだった。

 私の家族は、その昔事故で亡くなったと聞いている。船でアンタルヤへと向かうその最中で、船上から足を踏み外して外交官だった父と母は亡くなったと。

 当時の私は親の帰りを待ちながらロダンと屋敷の留守番をしていた。母と父の亡くなった知らせを聞いた時の虚脱感は、何者にも代えられなかった。

 大好きだったお母さんとお父さんはもうこの世にはいない。……抜け殻になった私を支えてくれたのは、ロダンだった。きっと、ロダンがいなかったら私は私ではいられなかったと思う。

 

「私を邪魔ではないと、話し相手になってくれると言ってくれた事、とてもこのような居候の身に余ります。このような御心を戴いただけでも、私は満ち足りています」

「そう。……ありがとう、束の間だけれど自分の家だと思ってゆっくりしてくれるだけでも私は嬉しいわ、エリスさん」

 何処までもエリスさんは真摯だった。

 少し真面目に過ぎると思えたくらいには畏まりすぎている。礼儀の正しさは、まるで子供の頃に厳しくしつけられた私を見ているような気分にもなった。

 けれど、一方で気取っている風にも見えない。それが自然体のように似合っているのも確かだった。

 そんな彼女の様を私はとても佳いと思えた。

 

「ところで、ロダンは今日帰りが遅いのね」

「えぇ、座長との飲みに誘われたはずです。……それにしても、少し遅いかと思います」

 怪訝そうな顔で、エリスさんもそう同意している。

 ……いつもロダンは帰りが早い。それなのに、今日に限っては遅かった。ロダンは、あまり夜遊びに出かけるような人ではなかった。

 変なことに巻き込まれていなければいいのだけれど、そう思う。

 

「ご心配ですか、ロダン様の事が」

「ロダンはいつも帰りが早くて、家から出ようとはあまりしないから。それが少しだけ心配なの」

「……良い、御姉様ですね。ハル様は」

 そう、エリスさんは微かに呟くようにいった。私に柔らかに微笑みかけて、それから席を立つ。

 良い姉だと、そう言われた事が私には少しだけ嬉しかった。

 

「……エリスさん、これからどちらへ?」

「少し、散歩したいのです。それと、ロダン様の行きそうな場所に心当たりがあったものですから」

「そう。……夜は物騒だから、あまり遅くならないようにするといいわ」

 エリスさんは、どこか行きたい場所があるのだという。それと、ロダンの行きそうな場所の心あたりがあると。

 止めることはしないけれど、彼女の身を私は案じている。……遅くならないうちに彼女も帰ってくれると嬉しいのだけれど。

 

 

―――

 

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星」

 銀月に捧げる祈りは、一つの奇跡を証明する。

 ……それは、決してロダン自身の本来の星ではなかった。如何なる奇跡と原理によるものか等、今この場にいる誰もが微塵も理解できていなかった。

 それはロダンでさえも例外ではなく。

 

「破却せよ大神の箴言、我が詩篇を捧ぐべきは汝に非ず。訣別の夜、惑いて進んだその果ては鬱蒼たる神代の森。地獄の門は旅人を歓迎する。嘆きと歓喜に悶えながら地獄の土を踏みしめろ、愛の真実に辿り着くその時を待ち焦がれろ」

 喉を震わせるのは、ロダン一人ではなかった。

 ロダンの星の波長はもまた彼一人のものではなく。連弾するように、共に謳うように、女神の言霊が添えられる。

 

「天球を下れ。嘆きの河を渡り、九つの地獄を越えて煉獄の麓を目指すのだ――不可逆たる秒針は今こそ真に時を刻んだ。綴れよ神曲、神なる詩よ。白紙の詩篇はお前の筆をこそを欲している」

 未だ描かれぬその詩に、始まりの一筆をついにロダンはつけた。

 瞬く間に生じる自己変革は、ロダンを詩人へと変性させていく。けた外れの星辰体の感応量に、圧倒される側になったのはマリアンナだった。

 マリアンナはダンテの星を知っている。だがそれは、()()()()()()()()()()

 発動体も無しにどうやって星を発動させたのかという疑問も、一瞬で消し飛んだ。

 彼が元々宿していた星と今のソレはあまりにもかけ離れすぎている。まるで彼ではない誰かのモノのようにさえも見えて。

 

「超新星――地獄篇 嘆きの調べ、(Silverio)星に奏でるは銀月天(Inferno)

 荘厳なりし銀の絶叫と共に、此処に地獄篇は幕を開けた。

 

 

 

地獄篇 嘆きの調べ、(Silverio)星に奏でるは銀月天(Inferno)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AA

集束性:C

拡散性:D

操縦性:AAA

付属性:E

維持性:D

干渉性:A

 

 

 

 ロダンの手に握られるのは、一振りの銀剣だった。銀色の光をその手に集束した次の瞬間には、その剣が握られていた。

 その様に、ファウストは初めて獰猛と形容できる笑みを浮かべた。よくぞかくのごとく成りおおせてくれたとばかりに歓喜を湛えて破顔する。

 

「来い、神聖詩人。今のお前ならば――あぁ、殺し殺される価値を認めてやってもいいだろう!!」

「黙れよ、今すぐ失せろ赤髭野郎――!!」

 音速もかくやという速度で駆け抜けていくロダンへと、振り下ろした剣の矛先を変える。

 呆然とした顔を浮かべているマリアンナの理解を置き去りにしながら、ロダンは全霊を掛けてその剣を振りかぶる。

 

 宙で、剣と剣がぶつかり合うその瞬間に異変は起きる。

 ファウストの纏っていたはずの極限まで励起された星辰体は、まるで水を掛けられたかのようにその輝きと波長を失っていく。剣を交えた衝撃は極小の空間震となって容赦なく決闘領域を蹂躙する。

 同時に、ロダンの纏う星辰体は銀の輝きとなってロダンを守護し、加護を与える。

 まるでファウストから奪った輝きをロダンに与えるかのように、その星は輝きを増していく。

 

 

「……反星辰体兵器(アンチアストラルウェポン)――いや、違う。確かに星殺しに近い性質を有しているが、しかし原理が違う」

 ――第二法則突破・熱量(エントロピー)強制操縦能力。

 ファウストに応える星辰体のエントロピーを強制的に操縦、それをロダンの出力に還元するという、シンプルにして凶悪な星の真実がそこに在った。

 勝者の光を奪う、冷たい闇。熱量操縦(マクスウェル)の悪魔が、そこにいた。

 

「なるほど、干渉性――だけではなく操縦性を主体とした強制的な星辰体の挙動への介入か!!!」

 剣を打ち合う度に、まるで卵の殻のように決闘領域の天蓋はひび割れていく。

 世界そのものを剣にした空間切断も、正面から切り結び合えば合うほどに火星天は崩壊を速めていく。

 だが――、そこにはもはやロダンの正気は無かった。

 

 隻眼に銀の輝きを宿しながら、寸刻みでその膨大な星辰体感応による苦痛を味わっているはずなのに、一顧だにしない。

 苦悶に眉間と眦をゆがめながらも、あくまでも撃滅を是として血反吐を大地に撒きながらその剣を振るっている。

 

 崩れる決闘領域に、励起出来る限りの最大の出力を注ぎ崩壊を食い止めるファウストもその尋常ではないロダンの様子に余裕がなくなっている。

 飽くまでも勝利は譲らずとばかりに、剣を軋らせる。

 銀光を纏うロダンの膂力はファウストの領域に迫っていた。空間操作で逃げても、何の工夫もないただの踏み込みでその距離を零にする。けた外れの膂力はロダン自身の肉体を酷使してのものだった。

 

「火の星が歓迎しよう。お前は今、地獄の門を踏み出したのだから。詩人として、真なる生誕を遂げたのだ!!」

『黙りなさい、火星天。貴方がそのように追い立てたのでしょう』

「これは異なことを言う、銀月天。お前の望みを俺はそれなりに理解しているつもりだが」

 ロダンの口からは、まるでロダンのものではないかのような言葉が紡がれる。

 その声に、銀色に変わった髪をかきあげながら知己の如くファウストも応える。……間違いなく、今ファウストはロダンと会話などしていない。

 ロダンではなく、ロダンの口を借りて喋る何者かに対して語り掛けている。

 

「愛しの神聖詩人がお前に相応しい男になるように少し調整してやっているだけだろう。もう少しで俺にとってもお前にとっても()()()()になるはずであったろうに、むしろそちらは俺に感謝するべきだが」

『詭弁がお好きなのですね、それで彼の命が潰えればそれまでだとでもいうのでしょう』

「遅いか早いかの程度の問題だろうよ。調教役をやりたくないとそちらが思っているからこそ俺はわざわざこの役を買って出たのだが――それについては如何に、()()?」

 返答は無言での銀剣の一閃だった。

 加えて――

 

「――私もいます、ファウスト」

「……っ」

 ファウストの背後からは体勢を立て直したマリアンナが狙い撃っていた。

 さしものファウストもこれでは旗色が悪すぎると読んだのだろう。ファウストは決闘領域の維持をついに諦める。

 

「潮時だな。まぁ成果としてはまったく上等だ、この上なく申し分ない。――さらばだ神聖詩人。次こそは月悠淑女を伴って見えよう、その時を俺は楽しみにしている」

 くしゃり、と、虚空に手を翳すとその手を握りつぶす。

 瞬間、風景はガラスのように砕け散り、ロダンとマリアンナは現実に帰った。

 視界の晴れた先にはもはやファウストの姿はなく。

 

 そしてロダンもまた、星が解かれ銀の輝きを失っていく。星辰体の戦慄きは虚空へと散逸し――同時にその膨大な発動値と基準値の差額をロダンは支払う事となった。

 正気の光を取り戻した目から垂れるのは、一筋の血の涙。急速に失っていく体温と膝の力が彼に足をつかせた。

 虫食いだらけの自意識は、保つことさえ敵わない。

 

「……ロダン!!」

「グランドベル卿……ああ、そうか。無事でよかっ……た」

 マリアンナはロダンへと駆けよるが、自分が流した血だまりに斃れ伏せたロダンは、ついに意識を取り戻すことはなかった。

 閉じていく意識と共に、ロダンの走馬灯は駆け抜けていく。

 わけのわからない星を、わけのわからないままに、発動体も自覚もなく振るった。そんな事さえ、今の彼は知る事などない。

 

 代わりに意識が途切れるその瞬間に彼の頭にあったのは脳髄を埋め尽くすような新たな疑問の山々だった。

 

 

―――

 

 

「――なるほど。銀月天(ベアトリーチェ)が目覚めたかしら」

「そのようだな、ウェルギリウス。……まったく随分に遅い、理由はいくつか考察できるが」

 人知れぬ、カンタベリーの地下区画のある投棄された一角で、二人は言葉を交わす。

 ウェルギリウスと呼ばれた女研究者は、三日月の形に頬を歪ませながら笑う。

 

「御寝坊さんの御姫様、まぁそう言ったところかしら。あまり責める事ではないでしょう、ルシファー」

「……つくづくお前は理解ができん。なぜ銀月天(逃亡者)を拘束しない、イレギュラーにイレギュラーが重なったとは言え、()()()()()()()()()モノだろう。無為に市井を気取らせる意味が何処にある」

「時として、人間としての成長が大事になるのよ。私のプランの為に必要だと判断した、それだけ」

「人間として? 異な事を言う。俺も銀月天(アレ)も、人間と形容できるのはその外殻だけだ。人間の真似事をさせる事がそれほどに重要な事か?」

 嘲笑う色はない。事実を抑揚なく淡々とルシファーは告げる。

 

「あのままでは銀月天は真の運命にはなり得ない。……だからこそ、重要なのよ。人間の模倣というのものが。私の仮説が正しければ、恐らくは銀月天とその伴侶は()()()()()()()()()()。……奇異な例よ、なぜなら神天地で極晃を得た者は例外なく、特異点に刻む事すら敵わず霧散しているはずだもの」

「俺には理解の遠く及ばん話だ。だが、それが必要だとお前の知性の水準が判断したのなら俺は従おう。だが停滞は許されん」

「簡単に言い直すわ。命の答えを得るその過程を銀月天に再演させ失われた極晃を取り戻させる。極晃という御業の再現、この過程こそ最大の意味があるのよ。第四世代魔星のあるべき姿、その究極系が銀月天なのだから」

 それは誰も知るはずのない、とある男女の真実、その一端でもあった。

 薄暗い、その研究区画にもう一人の足元が響く。その場に参じたのは、ファウスト・キリングフィールドだった。

 ルシファーもウェルギリウスも、ファウストも、特に三者三様に一瞥することもなかった。

 

「ご機嫌麗しゅう、造物主殿。早速味見をしてきたが、私見にはなるが悪くはなかった」

「そう、ご苦労様ね。火星天(マルテ)。その様子だと大層ひどくやられたようね」

「まったくだ、一瞬大真面目に死にかけるかと思った。……概ね、造物主殿の見立ては間違ってないだろうさ。神聖詩人(ダンテ)のアレは()()()()()()()()()だ」

 ファウストの言葉に、ウェルギリウスは首肯する。

 

「その様子だと、まだ貴方には改良の余地があるようね。貴方の基本設計は天之闇戸(アメノクラト)殺塵鬼(カーネイジ)を参考にしているつもりだったけれど、それでもここまで追い詰められることについては予想外だったわ」

「そうだな、まったく面目ない」

「いいえ、いいデータが得られたもの。貴方の損壊はむしろまだまだ改良の余地と価値があると見方を変えるべきでしょうね」

 どこまでも、ウェルギリウスのその目には数字しか映っていないのだろう。

 眼球に写しているのは、ファウストという男ではなく、ファウストの数値化された情報だけだ。

 どこまでも徹頭徹尾、研究者として彼女はファウストを観察している。ファウストはそれを特に不快と思う事もなく、視線を切った。造物主殿のいつもの病気だよとでも言いたげに、ファウストは飄々とどこ吹く風で陰鬱とした区画の天井を見上げるのみだった。

 

 

「――第四世代魔星(エンピレオシリーズ)の始祖たる銀月天(ベアトリーチェ)。そしてその完成形たる至高天(ルシファー)を以て、私の試み(傲慢)は完遂される」

 ウェルギリウスは、真意の見えない微笑みを浮かべながら、ルシファーに焦がれるような視線を向けている。

 それは、段々と組みあがっていく建物や芸術品を見つめる視線のようで、同時に年不相応なほどに乙女らしい熱を帯びていた。

 

 

「……そして銀月天。――貴方は運命から逃れられない。月の女神を最初に見定めたのが誰なのか、きっと今の貴方は知らないでしょうけれどね」

 

 




地獄篇 嘆きの調べ、(Silverio)星に奏でるは銀月天(Inferno)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: AA
集束性:C
拡散性:D
操縦性:AAA
付属性:E
維持性:D
干渉性:A
第二法則突破・熱量(エントロピー)強制操縦能力。
極めて高い操縦性、干渉性による星辰体のエントロピー操縦によって再現される星殺しの権能――敵から奪ったその輝きを己のものとして簒奪する能力。
同時に甚大な発動値により運用者に過酷極まる負担を要求してくる。
――加えてこれはロダンの本来の星ではない。
その在り方はかの死想恋歌といくつか酷似した類似点が見られるが……?




絢爛なりし決闘領域、顕現するは火星天 
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AA
集束性:D
拡散性:A
操縦性:AA
付属性:C
維持性:B
干渉性:AA  
空間隔離・疑似空間切断能力。
現実の空間からは隔離された世界へと敵対者を引きずり込み、世界そのものを剣として射程無限大の斬撃を放つ異能。
空間操作による縮地術や回避も難なくこなせ、かつ同時に安全圏からの膨大な出力に任せた剣閃という必勝手も構築できる。
世界に捕らわれたその瞬間にもはや逃げる事は叶わない、見的必殺の決闘領域。
その世界から逃れる術はファウストを殺すか――死体となるかのいずれかしかありえない。
シンプルに、持久戦という観点においては面白みなど欠片もない、強力無比な理想的な星辰体運用兵器と言えるだろう。


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心無い剣 / Innocent Sword

Q、■■■はぶっちゃけ「マリアンナ助けるために力貸してくれ」ってロダンに請われたことについてどう思ってるの?
A、「私の為に、ではない事が実に実に、それはもう、えぇ。この上なく腹立たしいですがそれはともかく、貴方が求めてくれたのだから嬉しくないとは決して言ってません」と思ってます。


 どこまでも、沈んでいく。

 無明の闇の中に、俺の意識は埋没していく。

 

 何も見えない中で、上下左右がどちらなのかなんてわからない。堕ちているのか、昇っているのかさえもわからない。

 

「――■■■」

 そう、呼ぶ声が聞こえた。靄がかってなどいない、明確に今ならその声は聞き取れる。

 その姿も、見える。

 

「エリス」

「はい、エリスです」

 虚空の中、彼女の姿は月のようにはっきりと見えた。

 その銀色の髪が、月のようにきらめいていて、美しいと思った。

 

「……エリス。ここはどこだ、俺は死んだのか?」

「いいえ、私は貴方が死なせません」

 闇の中に響く静謐なる声が、否と告げる。

 貴方は死んではいけないと言っている。

 

「貴方は死なせません、ハル御姉様に――そしてあの子に託されましたから」

「あの子? ハル姉さんじゃないなら、それは誰の事だ」

 彼女の言葉が、よくわからない。

 これが夢なのか、現実なのかさえも分からない。けれど、傍らの彼女は俺の手を掴み、まるで導くように先導していく。

 この闇の中で、ただ彼女が目指す視線の先に一筋、光が見えた。

 その一点を目指すように彼女は俺の手を引いていく。

 

「さぁ、ロダン様。目をお開けくださいませ。貴方が護りたかった人が、貴方の帰りを待っています」

 目を開けるも何も、今この暗闇の中で俺は目を開けているだろう。

 そう言いたかったが、その光の扉を潜りぬけた瞬間に俺は現実に還った。

 

 

「――!!」

 がばっと、跳ね起きた先で目に映ったのは白い天井だった。ほのかに香る薬品臭と、白以外の色を排除されたかのような部屋模様と寝心地のいいベッド。

 そこから、概ねここがどこなのかを察する事は出来た。

 

「――おはようございます、ロダン。お体は大丈夫ですか?」

「……グランドベル卿」

 ベッドの傍らには、椅子に座るグランドベル卿がいた。壁には発動体の槍を立てかけて、俺へと視線を向けている。

 ……それから、目が覚めるまでの出来事を思い返していく。

 ファウスト、そう名乗ったあの赤毛の男に襲われて、それからグランドベル卿に助けられた。

 ……助けられた後、俺はどうしただろうか。何か、誰かに向かって叫んだ気がするけれど、叫んだ相手と内容が思い出せない。

 

 

「――っ!!」

「ロダンっ!!」

 指先の末端から、恐ろしいほどの激痛が走った。末端だけではなく、臓器も心臓も痛みを叫んでいる。

 跳ね起きそうになる体を、グランドベル卿が抑えてくれなければ俺の体は床にたたきつけられていただろう。

 血混じりの胃液を吐きかけて、すんでの所で抑えきれた。あまりモノを昨日食べていなかったせいだろう。

 痛みで喉が焼けそうになって、悪寒が止まらなくて。背中を支えるグランドベル卿の体温だけが今の俺を辛うじて正気に戻していた。

 

「く、――はぁ、はぁ……」

「落ち着きましたか、ロダン。無理もないでしょう、それだけの事を貴方はしたのですから」

 ガラスのコップに注がれた水を手渡されると、ゆっくりと俺はソレを口にする。

 口と喉の胃液を洗い流すように、少しずつ冷たい水を嚥下していけば痛みは引いていく。けれど、水だけではどうとも深部の痛みは引かない。

 ……痛む体を推してでも、今の俺にはグランドベル卿に聞きたいことがあった。

 

「グランドベル卿。ファウスト、と言う男が昨日いただろう。アレはどうなった」

「……申し訳ありません。貴方の奮戦があったにもかかわらず」

「待て、待ってくれグランドベル卿……俺が戦った? 発動体も無しに、いつ?」

 聞けば聞くほど、話が噛み合わない。俺は発動体など持っていない。それどころか、あの時俺は戦った記憶は――。

 

「やはり、意識の混濁が見られますか。――昨日、貴方は私を助けるために星辰光を使ったのです。それも、覚えていませんか」

「……知らない。俺は何も知らないんだ」

 グランドベル卿は、決して嘘を言う人ではない。

 俺の記憶があいまいにしても、彼女が言っている事に理があるのも事実だった。俺が最後に見た光景は、グランドベル卿が首を刎ねられようとしている瞬間だった。

 それが成就していないという事は、彼女の代わりにファウストと戦った人物がいたということだ。戦った人物が俺だと言うのなら、俺はどうやって戦ったのかが俺には思い出せない。

 

「……一つ、聞かせて頂けますかロダン。貴方の星辰光の事を」

「それを聞いて、どうしたいんだグランドベル卿。……貴方が一番よく知っているはずだろう」

 歯ぎしりを、しかける。

 なぜ、今になってグランドベル卿はそのような問いを投げたのか、その真意がまるで読めない。

 

「貴方が、自分の星を嫌っている事は分かります」

「貴方に、俺の何が分かる」

「……私の知る貴方の星と、昨日貴方が振るった星は明らかに違っていた事。それしか分かりません」

 ……それは、初耳だった。

 グランドベル卿を俺が助けた事を真実だと受け取るにしても、この説明は明らかに変だ。

 俺が発動体も無しに、自分のものではない星辰光を扱ったという事だ。これは星辰奏者としての絶対原則に反している。

 

「あの場の貴方は明らかに異常だった。記憶には著しい混濁が見られる。……その事態の解明の為にも、貴方の星辰光について調べなければならないのです。……秘蹟庁も大聖庁も、それを所望しているようです。貴方のソレは、前例皆無のケースですから」

「グランドベル卿は聡明だ。ならば貴方は総て概ね察しているだろう。それでもなお、貴方は俺に言わせたいのか」

「はい。貴方は物書きに成りたいから騎士を辞めたと聞いています。……本当は、それだけではないでしょう。黙秘はしてもかまいません、ここで拒んで下されば私からはもうこれ以上問う事はないでしょう。……しかし、恐らくは同じ事です」

「……その秘蹟庁や大聖庁が、本格的な調査に乗り出すから、か」

 秘蹟庁も、大聖庁も、絡んだ話だという。

 ……大ごとになるのは想像に難くない。謎の赤毛の星辰奏者にしても、アレは明らかに並み真っ当な星辰奏者ではなかった。

 莫大な星辰体の感応量とあの突出した六資質、そしてそんな存在が聖教皇国に居たという事は重大な事実だ。

 だがだからこそ引っかかる部分もある。まるで彼女の言い方では、俺のやらかしたという昨晩の出来事はファウストの襲撃と同列かそれ以上に重要な話のように語っているに聞こえる。

 

「調べるなら、あの赤毛の星辰奏者の事なんじゃないのか。俺を調べてどうする」

「――その星辰奏者を圧倒しかけるほどの実力を、貴方が示したからです。端的に言って、野良で隔絶した星辰光の持ち主であるという一点において貴方とファウストは同等です。……その意味が分からないわけではないでしょう」

「……貴方に黙秘しようと、別の人間が調べにくるというわけか。加えて俺は明確に身柄を確保できる上に重要参考人という奴だから、ということもあると」

 その通りです、とグランドベル卿は真実申し訳なさそうに告げる。

 俺の星の事について聞きたい、とは言っても恐らく俺の知る以上の事を言う事は出来ないだろう。けれどそれが必要な事なのだというのなら。

 

「……分かった。遅かれ早かれ、言わなきゃいけないんだな」

「そうなるでしょうね。ロダン、貴方もまた事態の渦中にいる人ですから」

「なら、いい。言う相手がグランドベル卿なら、気は多少楽だ」

 ……グランドベル卿なら、話してもいいだろう。

 少なくとも、顔の知らない他人に無遠慮に土足で踏み入られるよりは万倍マシだとは思えたから。

 

 

「大まかな経緯は、グランドベル卿が知っている通りだ。俺の星や、星辰奏者になってからの経緯について、今更目新しさはないだろうが、何か参考になれば幸いだ」 

 

 

―――

 

 

 俺が配属されたのは、第六軍団だった。その末席を与えられた、しがない騎士。

 剣なんて握ったことはまるでない、ズブの初心者もいいところだった。本来であればⅢ位などとてもとても、なれたものではなかった――はずだった。

 いかに優れた星辰光があろうとも、その根幹にあるのは揺るがぬ基礎だ。あらゆる状況に揺るがぬ基礎と、基礎に証明された自信があってこそ戦士は戦士足りえる。

 極論、戦士の理想とは使い手に左右されない圧倒的な星辰光に他ならないがそれこそないものねだりだ。現実はそんな都合がいいものではない。

 ……だからこそ修練などそれまで微塵もなかった俺は散々に苦労をした。

 

「――よう。歓迎しよう、アレクシス。俺は第六軍団が第Ⅰ位、ランスロット・リヒターだ。今日からお前は第六だ、いいな?」

 そんな、右も左も知らなければ剣の握り方さえも知らないガキだった俺を、それなりの気の長さで見守ってくれたのは素直に礼をしている。

 俺より少し年を食っている程度。若い見た目で、けれど第六の長。貴族然とした優美な振る舞いがありながら、他方で距離感を感じさせないフランクな人間でもあった。

 リヒター団長――リヒターは身分や位階の違いを理由に人づきあいに優劣をつけるような人物ではなかった。それ故団員からの人望の高さは入って間もない俺にも理解ができた。

 同時にリヒターは団員に対等なタメ口を求める変わり者でもあった。有体に言って、恐らくだが第六軍団は規律は若干緩かったと記憶している。

 

 

「そんなおっかなびっくりでどうするんだロダン。お前も聖騎士なんだぞ、胸を張れ胸を」

「胸を張れるような一芸がないもので、団長」

「いやいや、ないならこれから開拓すりゃいい。初めから出来る奴のほうが珍しいのさ。俺もまぁ、そうだったからな」

 からからと笑い飛ばすリヒターは、誰彼構わず肩を組んで語らう事で有名でもあった。暑苦しくて、正直なれなれしくて正直嫌いだとは思わなかったが変わった人だと思った。

 第六での暮らしはそれなりに楽しかった。

 

 ……俺の転機になったのは、星辰光を用いた初めての実地での訓練からだった。

 

 

 星辰光を用いての模擬訓練は、基本的に例えば軍団長のような監督者がいる元で行われる。

 実地での星辰光の運用訓練は一歩でも間違えれば深刻な後遺症を与えかねない為でもある。

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――」

 

 発動体の剣の重さは、発動値に達した事で慣れた。基準値では体捌きはまるでふらふらと倒れかけの独楽のように滑稽だった。

 相手は当時の軍団のⅤ位だったガンドルフ卿だった。剣の練達者、そうリヒターからは聞いていた。

 筋骨の太い、俺よりも二回り三回りも年を経た老練の二字を滲ませるよう古強者。そういう印象だった。年を経る事でしか得られない圧迫感(すごみ)という奴を、ひしひしと感じる手合いだった。

 重そうな剣をまるで棒切れをそうするかのように軽々と担いでいる。

 ようはするに俺よりも圧倒的に格上の男、剣の教官役として俺と相対している。リヒターの監督の元で、尋常に立会をしている。

 鋭くて、上手い。そう感じざるを得なかった。

 その一合一合に重ねた修練を感じさせてくる。

 

「……っ」

「どうした新米、お前の星は多少体捌きがマシになる程度か!?」

 発動値に引っ張られるように、体はまるで勢いをコントロール出来ていない。

 ガンドルフ卿と撃ち合う度に、剣に激震が走って腕が痺れていく。まるで出来損ないの舞台役者のように、不慣れに剣を打ち合わせていく。

 本来であれば実戦じゃこんな無様を晒している時点で首はすっ飛んでいるだろう、それほどに今ガンドルフ卿はわざと手加減をしている。

 

 ランドルフ卿の星は性質としては純粋な身体能力と肉体強度の強化だ。幾度か実演を見せてもらったことはある。

 適当な銃で自分のこめかみを撃って、逆にひしゃげた弾丸を俺に差し出してきたあの実演授業は正直今でも心臓に悪いと思っている。

 星辰光という異能の出鱈目さの一端でもあり、同時にまるでランドルフ卿は本気を出していない事の証明でもあった。

 

 

「さぁもう一回やってみろ、ロダン」

「なら、もう一度、行かせていただきます!」

 手加減されたままでは終われない。そういう負けず嫌いさもあった。

 何より――撃ち合う度に、ガンドルフ卿の業が俺には()()()()()()()()()()()()()から。

 速い足さばきは、ただ星が故に速いだけではない。俺の行動を先に読んだ上での反射で一歩先を踏み出している。

 剣の重さも、体の重心の構え方さえ理解ができれば再現はさほど難しくはなく。けれどガンドルフ卿と自分とでは剣の刀身の長さや体格の違いはあり。そこをうまくすり合わせれば。

 

 

「……なんと」

「上手く、いけた……!」

 見よう見まね、ガンドルフ卿の剣の再現は一瞬で成った。

 理解が出来た。ガンドルフ卿の剣の理念は()()()()()()。なら、あと少しだけ、ガンドルフ卿の剣を観れば、俺は多分ソレを再現できる。

 ガンドルフ卿はそれならばとさらにその踏み込みを深くした。

 もう一段階速い剣閃は、やはり彼がそれまで本気ではなかった事の証明でもあった。音速に届きそうなほどの踏み込みはただ肩同士がぶつかるだけでも冗談ではなく脱臼に至るだろう。

 

「ロダン、お前中々やるじゃないか。まさか見様見真似か?」

「どうも、俺の星はそう言うモノらしくて、ですねっ!!」

 言葉を交わす余裕はなかった。一重に今この瞬間に間に合ったのはその足捌きを入念に見ていたからに他ならない。

 ガンドルフ卿の攻撃は、足の使い方と体幹の強さに多くの技巧が宿っている。地面を削るほどに鋭い踏み込みから生み出される速力こそが起点になっているのだ。

 まだ、自分の星を俺は明瞭に理解は仕切れていない。でも、一度意識をすればそれは明らかだった。

 撃ち合う度に、明瞭に見えてくる。ガンドルフ卿の経験、剣捌き、そうした無形のモノが俺の中に流れ込む。

 

 まるで最初から知っていたかのように、俺の経験と一切の違和なくパズルのように整合し、結合していく。

 観察と模倣は、際限なくその精度を上げていく。……まるで俺が俺ではない誰かになるような気分なのに、確かにそこに在るのは俺の意志だった。

 しかしやがて、たった一度刃が宙を交錯したその瞬間に、俺の剣は宙を舞って地面にたたきつけられた。無機質な音と共に、俺の敗北を告げていた。

 

「……さて、リヒター。これで仕舞いにするか?」

「まぁ、そうだなガンドルフ。ロダンも息が青い。むしろ、これまで剣の訓練をした経歴が無いのにお前にここまで食らいついてこれたんだ。大したもんだろ」

 リヒターは言って、訓練は仕舞いだと告げる。

 剣を収めろ、そう言って。けれど、俺はソレには頷けなかった。

 ガンドルフ卿から覚えるべき事はおおいにあった。打ち捨てられた剣を握る腕にはまだ力は残っている。そして、人も鉄も熱い内に鍛えなければならないとよくことわざで言われる通りだろう。

 

 ……ガンドルフ卿の業を、剣を巻き上げられるその瞬間に俺は総て()()()()()

 

「すみません、ガンドルフ卿。もう一度、あともう一度だけでいいんです。俺と手合わせ、してくれませんか」

「……とのことだが、リヒター? 俺は構わない、骨がある奴は好きだぞ」

「危うくなったら止めるが、それでいいな? ロダンも、無理はするなよ。星辰奏者になってから日が浅いのは事実だ」

 有難うございます、そうリヒターに返して俺はガンドルフ卿ともう一度手合わせをした。

 今度は、もう見逃しはしない。完全に再現して見せる。

 

 体に籠る熱に任せてガンドルフ卿とまた剣を交える。

 推し負け等、しない。ガンドルフ卿ならばこんな時に決して体幹が揺らぐことはなく、地面を踏みしめる足も微動だにしなかったから。

 余すことなく、剣の勢いを伝達させればこそ、初撃において俺はガンドルフ卿に競り負けはしなかった。

 次いで剣を傾け、相手の剣を滑らせればガンドルフ卿は明確に一歩足を引いた。

 

「星辰光か? それにしてもいい体裁きだ」

「えぇ、貴方から教わったのですから」

 足を引いたその時にほんの一瞬だけガンドルフ卿は片足が地面に浮く。その瞬間を読んで、反射して、――俺は踏み込む。

 

 踏み込み、構えて、断つ。それがガンドルフ卿から教わった剣の基礎だったから。

 両足で地面を摺り、体をばねに変えて腰を据えて薙ぐ。けれど、ガンドルフ卿の星は身体能力の強化であり、かち合わされたその瞬間に俺が押し負けるのは事実だった。

 

 打ち負けるのは予想できていた以上驚愕に値しない。問題は、負けた後にどう行動するかだ。ガンドルフ卿の剣は純粋に早くて重い。

 けれど、予想は出来る。

 ――経験模倣・憑依操縦能力。他者の武術や技巧を観察し、それを極めて高い精度で模倣できる能力こそが俺の星辰光なのだから。

 

 俺が初めて学んだ剣がガンドルフ卿の剣ならばこそ、次にガンドルフ卿がどう動くのかが俺には読める。

 同じ剣を使っているならば、返す剣をどう扱うかも概ね想定がつく。

 

 もっと、相手の間合いに足をすくませることなく踏み込む。

 俺の剣は、俺の体の影に隠している。

 

「は、あああぁぁぁぁ!!」

 二本の足を踏みしめて、全身を大樹にして、全力で体の影から剣を振り抜く。

 ガンドルフ卿を超えるなら、きっと今しかないから。

 

「……なっ」

 次の瞬間にには驚愕と共に、遅れて俺の剣を受けたガンドルフ卿の剣が宙を舞っていてた。

 それは、俺がつい先ほどやられたのと同じように。

 

 ガンドルフ卿の喉元に迫るその一瞬で、俺の剣は止まった。無我夢中で、頭も体も沸騰しそうなほどに剣を振るって、今こうして喉元に剣を突き付けた。

 

 しん、と一瞬流れる静寂と共に、ざわめきが沸く。

 下位の騎士が、現役のⅤ位に肉薄する事ができた。

 

 

「勝負、あったなガンドルフ。まさか、チャンスを与えたとは言えお前が負けるとは」

「……言うほど手加減したつもりはないさリヒター。むしろ新米としちゃ大したもんです、言い訳の仕様がない」

 ガンドルフ卿とリヒターはそんな会話を交わしている。

 気が弛緩すれば、俺の星も解けていく。すっと、体から俺を動かし続けていた熱が抜けていく。嘘のように、緊張が解けていくとともに膝から力が抜ける。

 がたん、と膝をつくと俺は立ち上がる事ができなかった。踏ん張ろうとしても、四つん這いになるのが精いっぱいではた目から見るとなんとも滑稽な姿だ。

 

「……無理もない。初めて星を振るって、しかもあれだけ集中力を維持し続けたんだ、無理もない。元々、お前は発動値に限って言えば俺と並ぶ評定だからな、その負担も推して知るべしという奴だ」

「すみ、ません。団長」

 俺の腕を担いで、団長――リヒターは支えてくれた。

 ガンドルフ卿も腕を組み顎鬚をさすりながら、よくぞ倒して見せたと剛毅に笑う。……全然、倒せてなんかいない。

 仮にあのまま、ガンドルフ卿の喉元に剣を突き立てたとてその星辰光故に刃は通らなかったろう。剣の腕では、確かに一瞬だけは肉薄できてもそれでも全然勝った事にはならない。

 

「すみません、ガンドルフ卿。俺が無茶を言ったせいで」

「何を謙遜してる若人め。嫌味に聞こえるから素直に誇っとけ、次は負けん。機会があればまた付き合ってくれ、お前に教えたいことが山ほどある」

 嫌味の無い、からりとした笑いだった。

 まぐれと俺の無理が無理を言ったせいでこの人は負けたのに、何も俺を恨んでいない。

 強いとか弱いとかを抜きにしてもそういう人間で在りたいと思えた、俺の初めての剣の師匠だった。

 

「いずれ、また。機会があれば学ばせてください。俺もまだ、教わりたいことはそれこそ山ほどあるんです」

「おう、楽しみに待っとけ。見どころ有る奴は好きだからな」

 背を見せて、手を振るガンドルフ卿に俺は頭を下げる。

 剣を背負いながら去っていくその背を、俺は恰好いいと思った。

 

 

「ガンドルフ、顔は厳ついがいい奴だったろ。かくいう俺も、なんだかんだで手が足りん時はアイツに助けられてる」

「えぇ、全くです」

 俺の腕を背負ってくれたリヒターもそう言う。

 ……今にして思えば、恐らくリヒターは俺の星辰光の本質を理解していたのだろうと思う。

 

「端的に言って、俺から見てもお前は十分目があるぞロダン。……俺も、お前の事が気に入ったさ。この先が楽しみで仕方ない。目指せ夢のⅠ位――といいたいがそれだと俺が恰好つかないからⅢ位を目指してみてくれ」

「そうなれるように、努力はしたいと思います。……騎士になったときに俺を格好いいって、似合ってるって言ってくれた幼馴染のためにもそうなりたいんです」

「意気さえあれば無理な事なんて何もないさ、いいじゃないかそういうの。お前だけを贔屓にはできないが、それでも見どころは今の所誰よりもあるって保障するよ。だから訓練をしたいっていうなら可能な限りで受けて立つさ――と団員に公言はしてるんだが誰も俺に挑んでくれなくてな」

「そりゃ、団長相手じゃ誰だって恐縮するでしょう、無理もない」

 いやぁ困った、とそんな風に言うリヒター。

 その距離感となれなれしさが、今は好きになれる気がした。

 ガンドルフ卿とリヒター、第六に居た頃の俺には二人の師匠がいた。至らぬ俺によく目をかけてくれた二人だ。

 

 それからリヒターもガンドルフ卿も、何度も何度も、俺の訓練に暇さえあれば付き合ってくれた。無論負けるのはいつも俺の側だけど。

 ロダンという男は訓練好きで、熱心な奴で、少し変わり者だ――そんな評判がつくのにそう時間はかからなかった。

 一面的には、それは俺と言う人間の事実ではあった。俺の星辰光はとにかく実地を重ねることでしか磨けない。俺は当時誰よりも遅れていた事を自覚していたし、何よりハル姉さんはそんなザマの俺でも騎士姿が似合っていると言ってくれたのだ。

 だから、せめて俺を騎士にしてくれた家族やハル姉さんを裏切らないために強くならなければと強く想った。例えば、ルーファス卿のように。あるいはベルグシュライン卿のように。

 Ⅴ位になってガンドルフ卿を位階で追い抜いたときは、ガンドルフ卿も複雑な顔をしながらも祝ってくれた。目標にしていたガンドルフ卿と同じ位階に辿り着けた時は、俺はとても嬉しかった。

 例えⅢ位じゃなくても、俺の初めての剣の師匠と同じ位階になれたことが嬉しかった。その頃になればもう、リヒターを団長と呼ばず名前で呼ぶようになっていた。

 ……元々、敬称はいらんと公言していたわけではあるが。

 

 とても、輝かしい日々だったと思っている。何物にも代えがたい、今でも俺の宝だと思っている。

 

 

 

 けれど、それより同時期に第六軍団では奇妙な噂が流れるようになっていた。

 団員は至って勤勉、しかし一部の団員はその練度が悪化の一途をたどり精神起因の運動障害(イップス)に極めて酷似した現象が見られるようになったというい。

 一般には、ソレはスポーツやそれ以外でも体を動かす行為において、何らかのトラウマや極度の緊張といった精神的な原因で体が動かせなくなる、という症状だ。

 ここ一番、といった局面で腕を動かせなくなる、あるいは極端にその動きが鈍くなる、といった病に酷似した症状だという。

 旧暦においてはよくスポーツを嗜む人間に発生していたという話を聞いたことがある。

 

 ……その症状が第六軍団の何名かに見られたという報告だ。

 星辰光の発動に問題はなくとも、発動体を振るえなくなる。あるいはその練度が著しく落ちる。そんな症状を発症する人間が増えたという。

 原因はまるきり不明で、しかも一見すると発症者に法則性が見えない。

 加えて練度が落ちるというだけならその人間の怠慢も疑える線ではあるからだ。

 だが他軍団にそのような傾向はなく、なぜか第六軍団だけだったのだ。

 

 当時その事態を重く見たリヒターは、可能な限りでの資料を集めた。……俺も、いったん実地訓練は休止にしてその手伝いに駆り出されていた。

 発症者の行動パターンや性別、果ては趣味嗜好まで、ありとあらゆる要素について検討が行われた結果、皮肉にもその彼らは一つの共通点があった。

 ――俺と星辰光を交えての実地訓練を行った事がある人物。それが唯一の共通点だった。

 

 

 

「……飽くまで仮説の域だ、気にするんじゃないロダン。それにほら、俺やガンドルフに何もないんだから、問題ないだろう」

 そう、リヒターは言う。

 共通項ならもっと洗えば他にいくつか見つかるはずだろうと。

 ところが話はさらに深刻なものとなった。本当に、俺と星辰光を交えて戦った人間であるという事以外の共通項が見つからなかったのだ。……加えて、ガンドルフ卿も発症者となった。

 

 ――その時、俺は愕然とした。

 俺は自分の星の全容を何も知りなどしなかったのだ。ただ、先人たちの足跡に学ぶ星なのとだけ思っていた。

 だが、真実はそのように敬虔で勤勉なものなどでは断じてない――俺の剣は人の経験を、足跡を、文字通り何の比喩でもなくそのまま写し取り奪い去る剣なのだ。

 

 ……在らぬ噂――結論から言えば正しかったが――が第六軍団に蔓延するのも決して時間を要さなかった。

 

 剣を握る手が震えるようになった、とガンドルフ卿は言った。

「ガンドルフ卿。……その」

「なんだ、お前の星が原因じゃないのかってそんな与太話をお前が信じてどうするんだ。……俺の至らなさが理由なんだよ、お前の星が原因なんじゃないさ。位階で追い抜いたからって少しばかりデカくなりやがって。思い上がりもほどほどにしとけってんだ」

 ……そう、力なくガンドルフ卿は笑った。この時、きっとガンドルフ卿も、リヒターも、総ての真実を悟っていたのだろう。悟った上で、俺に何も告げなかったのだろうと思う。

 

 

『ロダンは、物覚えが良すぎる。ねぇ、ロダン。僕が八年かけて修めた剣はなんだったんだろうね』

 

 決定打になったのは、一人の団員の言葉だった。

 それらが蔓延していく中で、最後に俺と実地訓練をしてくれた彼はそう言った。数日の後、彼は第六軍団を去った。

 その言葉に、俺は総てを悟った。その言葉は悟るにはあまりにも十分すぎた。

 相手が何年も時間をかけて費やしてきた修練を、俺はものの数日で模倣した――簒奪した――できてしまった。

 俺の星が、相手を追い込んだのだと、俺は理解できてしまった。彼の努力を俺の星はただ強くなりたいという願いのままに蹂躙したのだから。

 

 

 俺の最終位階はⅢ。リヒターが目標にしろといった位階に辿り着いた頃には、何もかもが遅かった。

 誰もが剣を振れなくなる中で、俺だけが至って醒めて剣を握ることが出来ている事実に、俺は心底から恐怖した。

 ハル姉さんに会うたびに、ハル姉さんは俺を気遣ってくれた。その優しさに、俺の心は辛うじて救われていた。

 

 けれども、やがてリヒターとガンドルフ卿以外には俺に声をかけてくれる人間も、手合わせをしてくれる人間もいなくなった。そこに居ても、まるでいないように扱うのが習わしだとでも言うかのような有様だった。

 まるで旧暦の伝奇ものの透明人間のようだった。

 

 

 騎士団合同での訓練でも、俺の悪名は広がっていた。教官殺しはまだいい方だ、自分の師匠の剣をも折った人間だと揶揄された。それが俺にはたまらなく耐えられなかった。

 その当時は第六の中ではまだ発症していなかったリヒターと、俺が出る事となった。

 

 第一からはベルグシュライン卿とルーファス卿。

 第二からはグランドベル卿が出向いていた。……グランドベル卿は教皇スメラギ崩御以前の位階は第二軍団のⅣだ。

 

 リヒターが相手を務めるのは、ベルグシュライン卿。

 ……そして、俺の相手はグランドベル卿だった。

 

「――よろしくお願いします。ロダン」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします、グランドベル卿」

 剣を握って。無味乾燥な目で、グランドベル卿を見据える。

 どうせ、何も変わりはしない。……星もできれば使いたくはない。当時のグランドベル卿を相手にしたときの御前試合のような剣呑さも、俺には何も響かなかった。

 ……観客の騎士たちは、皆一様にグランドベル卿の勝利を疑っていない。

 むしろ、疫病神か何かのような扱いの俺が負ける事を願っているかのような目だった。酷い話もあったものだと自嘲する。

 悪玉と善玉という見事なまでの勧善懲悪の構図で、しかも相手は聖女だ。まさしくおあつらえむきだとさえ言ってもいいだろう。

 

「星を、使ってもいいんですね。審神聖女(ロンギヌス)

「えぇ。貴方の事は存じています。――存分に学んでください」

 静謐に、グランドベル卿はそう告げる。喧嘩を売るでもなく、侮蔑するでもなければ忌むでもない。今の彼女は、ただ武人として俺を見据えている。

 ほんの少しだけ、それが嬉しかった。 

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」

 輝昇する星は、俺の心など察しない。

 ただあるがままに、その在り方を晒すのみだ。

 

「我は絡め取る者、狡猾なる詩人。ただ腹の音の求めるがままに智を欲し食らう蛇。世界樹の根にその牙は遠く届かず、その身は世界を覆うに足らぬ。おお、遥かなりし隻眼たる最高神よ、我に神なる箴言を授け給え」

 俺の中に在るのは、概ね第六軍団の半数以上の人間の剣。

 俺が身勝手に奪って、無自覚に陥れ続けた、塵屑の星だ。

 

「汲めど尽きぬ智の泉こそ天上の美酒なれば、我は一滴余さず飲み下そう。いずれ至る脱皮と新生に想いを馳せ、悶えとぐろを巻きながら、只人たる吟遊詩人はただ焦がれるのだから。ならば今はただただ存分に綴ろう――大神の箴言(ハーヴァマール)

 だから、きっとここで審神聖女に裁かれるというのならまたそれも運命と解釈としていいのかもしれないと思えた。

 何かを学ぼう、そう思う気持ちはとうに失せた。ただ自分の星が他人の歩んだ理を奪う事しかできないのだから。

 それでも、この目の前の彼女は武人として俺と向き合ってくれているというのなら、せめて全力で戦う事が礼儀なのだと心得ようと思った。

 

「超新星――鏡映しの箴言偽本、(Loddfafnir)綴り謳うは我に在り(Havamal)!!」

 ならば聖女よお前のその業も、寸分たがわず俺は模倣して見せよう。

 特化型の宿命。元々、それしか俺には武器はないのだから。

 

 

 

鏡映しの箴言偽本、(Loddfafnir)綴り謳うは我に在り(Havamal)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: A

集束性:C

拡散性:E

操縦性:AA

付属性:B

維持性:C

干渉性:D

 

 

 同時に、グランドベル卿も弾丸のように槍を放つ。

 矢と見間違うほどに鋭い一閃、リヒターの剣に迫り得るだろう。けれど恐れるほどの事はない、相手の動きを先読みするのが得意な第六の団員がいた。

 カン、と金属同士の擦れる音が響く。剣を斜めに構えて一閃を受け流せば、今度はこちらの番だ。返す刀で胴に放つ。

 

 けれどそれもグランドベル卿はこともなげに石突の方を短く持って短剣のように構えて受ける。

 汗等滲ませてすらいない。挑戦者を待ち受けるかのように、門のように彼女は佇んでいる。

 

 けれど、これだけではない。

 

「――ガンドルフ卿、貴方の業を使わせていただきます」

 剣を水平に構え、腰を落とし、踏み込む。

 足が宙を離れる時間を最小限にしながら、全力で踏み込む。剣を体の影に隠してグランドベル卿に肉薄する。けれど。

 

 

「……いい踏み込みですね。ガンドルフ卿がそこにいるかのようです」

 驚くほどに冷静に、彼女は俺の剣を見定めていた。

 何処から迫るかを、直前まで見据えた上でそれを槍で打ち払う。重い、そう感じた。

 彼女は発動値ではないにもかかわらず、俺の剣をまともに受け止めている。その所業がいかに頭が狂っているのか、誰の目にも明らかだ。

 

 発動値に至るということはシンプルに身体能力の強化でもある。だが彼女は真正面から、その刃を受け止めている。

 基準値で受け止めるなど、よほど優れていない限りは、筋繊維が悲鳴を上げていてもおかしくない。

 普通じゃない、実は気がふれているんじゃないのかとさえも思う。それどころか、彼女の槍の重みは俺の剣を逆に圧していた。

 ……星で読み取れる限りでは、特殊な技巧など彼女は何も凝らしていない。鍛えた力と一念だけで、基準値を発動値にぶつけているのだ。当たり前に、そんなものなど学べない。

 馬鹿正直にかち合わせるなどどうかしている。そんな真に迫るやせ我慢は業や理などとは到底呼べやしない。

 

「そろそろ、こちらから行かせていただきましょう」

「――」

 彼女の槍の速度はまた、一段階上がった。

 目で追う事は出来ても、受けた瞬間の衝撃が二の太刀を振るう隙を与えない。正真正銘、彼女は基準値で俺に肉薄している。筋線維の何本かはイカれていてもおかしくないだろうはずなのに。

 一息の瞬間に四方を奔る槍の突き――その一つが俺の肩口の鎧にキズを刻んだ。

 

 息をつく暇も与えないと、彼女の槍は横薙ぎに振り払われる。剣で受けたその瞬間に俺はまともに吹き飛ばされる――が。

 有り得ない光景を目にした。

 俺は吹き飛ばされたはずで、なのになぜ彼女に並走しているのか。

 

 走力も瞬発力も馬鹿げている、構えられる槍の一閃にやはり俺は対応ができなかった。……俺を倒すのに星など使う必要もないということなのか――はたまた、意地でも星を使いたくない理由があるのかは知らないがそれでも彼女が卓越した戦士であることは疑いようが無かった。

 

「く、そがっ!!」

 宙で身を翻しながら槍を受け流し、その反動を利用しながら俺は反転してグランドベル卿へと剣を奔らせる。

 咄嗟の対応はリヒターとの訓練で鍛えられた。とにもかくにもリヒターは体の柔らかさで縦横に剣を躍らせ受け流しながら機を見計らう、そういう手合いだったから。

 

 ほぼ同時に地面に着地すると同時に、直感する。彼女を討つのなら、彼女に間髪をつかせてはならない。

 受けるも攻めるも、走るも言うまでもなく彼女は圧倒的な巧者だ。怒涛の攻撃で隙をこじ開け、開いた隙に一撃を叩きこむ。

 言葉にすれば簡単で、しかし基礎にして最も難しい事であるとリヒターからは学んだ。

 故に今用いるべきはリヒターの柔の剣だ。

 

 突いて、斬って、あるいは剣をしならせながら、グランドベル卿と何合も切り結び合う。

 打ち合って、払い合って、その度にグランドベル卿の業を俺は知る。

 そしてグランドベル卿は、俺を直視し続けている。どこまでも真剣に真摯に、何か痛ましいモノを見る様な目で。

 

「ロダン、貴方は悲しんでいるのですか。……後悔を、しているのですか?」

「……そうだな、とことんクソだ。俺みたいなのが、ガンドルフ卿のⅤ位を継いでいることが」

 彼女の業は、模倣そのものは容易だった。

 捻りがあるかと言えばむしろ逆だ。たゆまぬ基礎を重ねて重ねて、重ねてきた末の揺らがぬ剛の槍。

 打ち合い続けても揺らがない体幹はガンドルフ卿のそれとよく似ていて――でも、だからこそ俺は彼女の槍が真似できない。

 

 彼女の槍を真に無敵たらしめているのは、彼女の心なのだから。

 その心を、俺は決して模倣が出来ない。

 

 彼女の経験を通して、彼女の心を俺は叩きつけられている。

 過去に何があったのかなど知り得はしない。その苛烈さの根源など到底予想の仕様がない。

 でも、彼女は揺らがない。巌のように、自分の中に不動なる何かを抱えている。

 

「学んで、学び続けてしまったのですね。貴方は」

「自覚なんてなかったよ。ついぞありはしなかった、強くなることがいい事なんだと、無条件に思っていたさ。……それで許されるとは思ってない」

「私から、何かを学べましたか?」

 彼女は何処までも静謐に真剣に真摯に、俺に語り掛ける。こうして切り結び合いながらも、刃ではなく言葉をかわそうとしている。

 

「……いいや、何も学べやしなかった。俺の失敗は今にして思えば、最初から明らかだったんだ」

「そう、ですか」

 短く、反芻するようにグランドベル卿は言う。

 

「グランドベル卿、今振るってる剣は俺の剣か?」

「……」

「そういうことだ。俺は、真実借り物以外の何も持ち合わせちゃいない。リヒターやガンドルフ卿、クラウス、カーチスから奪い続けてきた。そうさ俺は、俺が編み出した者なんて何一つ、持ってないんだよ!!」

 それは、自分に向けた怒りだった。

 俺なんかよりずっと騎士になりたくて、剣を磨き続けてきた人がいた。尊敬すべき剣の師匠がいた。

 そんな人々から剣を奪っておきながら、今こうして我が物のように振るい続ける俺自身を俺は心底から絶望して、嫌っている。

 

「相手が強いから、強くなりたいから学びたい、そう思っただけさ。ただ強いから学びたい。――俺は、そこに人の心を学ばなかったし学べなかった。だからこんな体たらくなんだ。業を学んでも、業を使う心がそこには無かったんだ」

 自嘲する。自嘲しても俺の心が死んでも尚剣は冴えるばかりだった。

 心を学ばず、心が死んでいく。当然の応報だった。

 

 

 

「……それでも、貴方は剣を握るべきです。握る、べきなのです。ロダン」

 

 彼女は、そう静やかに言い放つ。

 次の瞬間には、彼女は俺の剣ごと押し切って膝をつかせた。――俺の喉元に、槍を突き付けて。

 あっけなく、聖女に狡猾なる詩人は敗北したのだった。

 

 皮肉な事に、それはガンドルフ卿と初めて手合わせをしたときと似ていた。

 観客の騎士たちは、静まり返ってからおお、と喝采する。悪名の立つ俺が負けた事が、それほどに喜ばしかったのだろう。

 返す言葉は無かった。剣を奪い続けてきた俺に相応しい幕引きだったろう。

 

 グランドベル卿は槍を引き、俺に手を差し伸べる。

 俺は力なく、その手を取った。

 

 

 ……剣を握るべきだと言ったグランドベル卿の真意は、今もまだ俺には分からない。

 話は、それで終わりだ。グランドベル卿の業ではなく、星でもなく、俺はその心に負けたのだ。

 

 

 

 合同訓練からほどなくして――リヒターもまた同様の症状を発症した。……皮肉だが、聞き及ぶかぎりではリヒターが最後の発症者だった。

 これで、俺が星辰光を交えた人間の全員が発症者となった。原因が、証明された瞬間だった。

 ガンドルフ卿もリヒターも、恐らくは俺よりずっと練達者であったからこそ発症が遅れていたのだろうとそう今は推察している。

 同時に、リヒターは最も俺と打ち合い続けてきた人間でもあった。

 

「……済まないな、ロダン。でも、もう少しだけ目をかけてやりたかったし贔屓だってしてやりたかった。黙っていて悪かった、確証はなかったが予想は出来てたんだ。……それでも、黙っていたのは俺がきっとお前を贔屓してたからなんだろうな。……団長失格だ、本当にすまなかった」

「そんな事、ない……! リヒターは俺を庇ってくれたんだろうが……! ガンドルフ卿も、自分の星が原因だなんて思い上がりだと言ってくれていた! 悪いのは、全部全部、俺だろうが……!!」

 思えば、リヒターは発症の原因が俺ではないかと噂が立つ頃には、ほぼいつも俺の訓練に付き合っていた。

 逆に言い換えれば、リヒターとガンドルフ卿は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということでもあるのだから。

 それが、リヒターの心なのだと、俺は今更になって気が付いたのだから。

 

 その強さだけに目を奪われて、訓練を望んだ愚かさの代償を俺はこうして払う事になったのだ。

 剣を学んでも、心を学ぼうとしなかった――その結果がこれだった。

 

 

 

 ほどなくして、俺はあの「少女」と出会い騎士を辞める事を選んだ。それが、アレクシス・ロダンと言う男の騎士物語だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




鏡映しの箴言偽本、(Loddfafnir)綴り謳うは我に在り(Havamal)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: A
集束性:C
拡散性:E
操縦性:AA
付属性:B
維持性:C
干渉性:D
経験模倣・憑依操縦能力。
相対する相手の実践経験を追体験しながら同時に自分の技術に取り入れ模倣し、同時に経験を簒奪する能力。
古来、人は書であれ剣であれ、先人の模倣から道を歩むものである。その究極系ともいうべき星の異能である。
ただし、殺戮の技巧をトレースする事以外の能力は何もなく、火や風といった特別特異な現象を発現させる系統の星ではない。
加えてこの星の持ち主はある意味において、誰よりも初心者でなければ使いこなせないと言える。自分の型というものを持たない、剣すらろくにそれまで握ったことのないロダンだったからこそ、素直に経験を取り入れそれを自分のものとする事が出来たのだと言える。
逆に熟練者であればあるほどに、自分の技術と他者の技術が競合し肉体に対する経験の不整合を生じさせる結果となるだけである。
欠点を挙げるとするならば、精神論やそもそもからして遥か追いつけない高みにいる技術は模倣する事は出来ない点であろう。

……加えてこの星で学べる事は強さのみである。他者の剣をその人間以上の完成度に仕上げてしまうと同時に、その研鑽を無意味であると突き付けられるに等しい星光でもある。

 


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Tips 登場人物

箸休め兼何かしらの投稿の空白に楽しんでいただけると幸いです。
ロダンから見た人物評、あるいは皮肉という体です。


「アレクシス・ロダン」

神聖詩人。

その者が紡ぐは闇に非ず。地獄の門に勝利の意味を問え。

その者が抱くは海に非ず。月に狂い、愛を綴れ。汝が末路は詩人なり。

その者が灯すは光に非ず。破滅の暁を撃ち落とすその刹那に、神の詩篇を完結せよ。

 

「エリス・ルナハイム」

無垢、あるいは機械のようだと時に人間は彼女を例える。

神という者がいたとしたのなら、きっと幾千もの月光の欠片をかき集めて彼女を創ったのだろう。

人が理解するのはエリスという少女ではなく、「美しい」という現象だ。

古来、月は人を狂わせるという。ならば、俺は恐らくエリスに狂っているのかもしれない。

 

「ハル・キリガクレ」

血の繋がっていないけれど、姉同然の人。知性と慈愛を持ちながら、決して必要以上に甘やかすことはない。

けれど困った人間を見捨てることは到底出来ないお人よし。

エリスにとって、例え束の間であっても良き友人となっては欲しいのだが。

 

「マリアンナ・グランドベル」

鉄血の聖女。

聖女の微笑みはきっと万民を癒し、その槍の冴えはあらゆる悪を砕く。

その身が砕ける瞬間まで、聖女は無辜の民を護る一振りの槍であり続ける。誰に望まれなくても、誰に拒絶されても――例え、それが昨日敵であった者であっても。

彼女の善性にこそ、人は普遍的な聖女像を見出すのだろう。

 

「ユダ」

ユダ座の座長。

芸術への反逆を標榜に掲げ、その体現者としてエリスを見出した。

月の繭を破る時、少女は如何なる新生を遂げるのか――その瞬間を、彼もまた楽しみにしている。 

 

「ファウスト・キリングフィールド」

火の星、第五の天体。

天国の旅路にて、第五の蒼穹で邂逅する者。

月光の残照、その欠片を宿す者。

彼もまた、銀の運命を司る者である。

 

「ランスロット・リヒター」

第六軍団団長。

俺に目をかけてくれた、生涯最大の恩人の一人。

変幻自在の柔なる剣。その冴を学びながら、俺は彼と言う男を何も学ばなかった。

今でも、心底から悔やんでいる。

 

「ジェームズ・ガンドルフ」

誰よりも、俺が詫びなければならない人。

もっと、俺は教えを請いたかった。そしてそれは、もう出来ない。

俺が、そのようにしてしまったのだから。

 

「ウェルギリウス」

許すべからざる者。

愛すべからざる者。

解すべからざる者。

あらゆる事象、その根源に坐す存在。

 

「ルシファー」

力を求める者。

知を求める者。

光を求める者。

至高の天、その頂に坐す存在。

 

 

――「少女」

騎士を詩人に変えた、たった一人の人間。

今はもう、声を届ける事が出来ない女の子。

 

 



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月の裏側 / Beatrice

多分これからは投稿ペースかなり落ちるかもです


 ベアトリーチェ。ダンテ・アリギエーリが愛し恋焦がれた人。ヒトの身のベアトリーチェは若くして亡くなったという。

 ついぞ、同じくヒトであったダンテの心を受け取る事はなく。

 

 かくして神の詩は生まれ、神曲の中で淑女は新生する。神聖詩人の導き手として――神聖の象徴たる永遠の淑女として。

 

「だから、どうかあの騎士様に、会いに行ってあげて。私の代わりに、どうか一度でもいいの。顔を見てきてあげて。身勝手な願いだと、自覚しているけれど貴方にしか託せないの」

「――定命の小女(わたし)よ。貴方の想いを私は受け取れません。けれど貴方が想う人をこそ、永遠の淑女(わたし)は導きたいのですから。ですから今はどうか安心してお眠りください」

「うん、約束。だから、お願いね。ベアトリーチェ」

 それは、いつかの日に二人の少女が交わした約束だった。

 借り物の、思い出。けれど、何より少女が大切にした思い出を抱いて、永遠の淑女は新生した。

 

―――

 

「……それが、貴方の騎士としての経歴なのですね」

「リヒターはまだ確か団長をしているがとガンドルフ卿はもう、騎士団にはいないと聞いている。当時の俺の知り合いがいるかは知らないが、もしいたら聞いてみるといい」

 第六軍団のことも、今は何も分からない。俺が騎士団を辞めて、ほどなくしてガンドルフ卿もまた第六を去ったとは当時は聞いている。

 結局のところ、騎士団の威信にかかわる部分もあり第六軍団の俺に起因する騒ぎは表沙汰にはならなかった。

 ……俺が辞め、剣を交える事もなくなったことが理由なのだろう。団員たちのイップスは快方に向かっていると聞いている。

 

「率直に述べて、貴方の経歴に不審な点はなかったと言えます。……ですから猶の事、貴方があの夜振るった星辰光が不可解なのです。何より、貴方は干渉性には秀でていなかったはずです」

 すっと、グランドベル卿は一枚の資料を差し出す。

 ……星辰光の評定値、通信簿のようなモノだ。そこには俺の星辰光のことについて書かれている。

 ――書かれている、はずだった。

 

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AA

集束性:C

拡散性:D

操縦性:AAA

付属性:E

維持性:D

干渉性:A

 

 

「……熱量強制操縦能力? なんだこれは」

「正真正銘、あの夜貴方が振るった星です。概ね、書かれていることは真実ですが」

 其処には、信じがたい事実が羅列されていた。評定値がどこからどう見ても、俺には心当たりがない。……発動値、操縦性においては確かに俺は秀でていた記憶はある。

 総合して、非常に強力な星辰光であると言って差し支えはないだろう。……それこそ、ファウストと拮抗していたと言われてもおかしくないほどに。出鱈目に過ぎる六資質もそうだが、どことなく以前の自分の星の面影も持っている。

 極めて高い操縦性。

 だが、干渉性については不自然だ。何をどう考えてもそうなるはずがない。別人の星辰光を見ている気分にさせられる。

 

 ……発動体も無しに、一体何をどのようにして全く別の星を運用したのか。そもそもそんな事が可能なのか。尽きない疑問はある。あるが、他方で聞きたいことはこちらもあった。

 

「……グランドベル卿。俺からも一つ、聞かせてもらっていいか」

「どうぞ」

 言葉短く、そうグランドベル卿は返す。

 ……俺が聞きたいことは概ね理解しているのだろう。目を閉じてその言葉を待っている。

 

「なぜ、あの時グランドベル卿は俺を助けにこられたんだ。どう考えても、騎士団の兵舎から距離的には間に合うはずもない。……その上、第一軍団の第Ⅲ位階が単身でだ。ファウストが正体不明だとしても、咎無い市民を護るためだとしても、いきなり市中のはずれで投入するべき戦力じゃない」

「……」

「何かきっと隠している事があるんだろう、グランドベル卿」

 沈黙は、そのまま答えだった。

 考えてみれば、この状況に至るまでの流れは明らかに騎士団の対処としてはおかしい点があった。

 星辰体の反応を何かしら検知しようにも、ファウストはあの時点では星を使って等いなかった。

 従って、襲撃など分かるはずがないし、分かったとしても指揮命令系統として考えてればグランドベル卿がいきなり投入される道理はない。聖教皇国の騎士団は規律に厳格である以上、そこがどうにも腑に落ちない。

 

「それについて、これから貴方には話をしなければならない。そう私は思っています」

 がたがたと音を立てながら戸が開く。

 一人、騎士が訪れる。……けれど、見覚えがない顔だ。枯れた、と言える少し生気のない肌の色をした騎士だった。

 率直に言って、少し健康状態がよろしくないのでは、と感じさせられる風貌だった。

 

「ご紹介します。彼は――」

「第一軍団がⅣ位――イワト・(いわお)・アマツだ。貴殿が、アレクシス・ロダンか」

 ちらり、と俺を一瞥すると男――改めてイワトはそう言う。不愛想さが特徴的、アマツと言う名前を聞くにやんごとなき出なのだろう、と言う事も理解が出来た。

 

「第一軍団のⅢ位とⅣ位がそろい踏みとは、よっぽどの事か」

「えぇ。貴方の問いに関わりがある立場としては、イワト殿も同じです故、招きました。神天地創造事件の後遺症についての聖教皇国国民の一斉検査は貴方も知っていますね、ロダン」

「あぁ、そうだな。概ね全国民に何ら問題はなかった、という話らしいが」

「はい。アレは秘跡庁と第一軍団が主導した事業の一環です。神天地事件の後遺症についての調査、それそのものが大きな目的ですが聖教皇国の全国民の中でただ一人。特異な傾向の見られる被検者がいました。無論、その被験者には伏せましたが極秘に追跡調査を行っていたのです」

 話がおぼろげながら、繋がってくる。

 ただ一人、その特異な傾向という奴が見える人間。神天地創造事件の余波を調査するのなら、決して見逃すことはできないだろう。

 

「……つまり、それが俺だとでも?」

「――然り、なれば貴殿も察しはつこう。その通り、ただ一人の特例だった。それ故に新天地事件よりずっと、極秘の追跡調査を行っていた」

「追跡調査は今も続いていて、その結果として速報の入ったグランドベル卿は俺を助けに来た、と」

「概ね、その解釈で間違いはない。グランドベル殿はいかに?」

 イワトが代わりに抑揚なくそう答え、グランドベル卿も頷く。概ね確かに話の筋は通る、と言いたいがそれでもまだ不可解な点はある。

 根も葉も、どこまでも堀りどころがありすぎるのだ。事態の全貌はまだ輪郭がぼやけている。

 

「それでも、グランドベル卿をいきなり派遣する理由にはならない。神天地事件が端緒になったとして、それでもたかだか一人、()()()()()()()()()()()というだけの話にグランドベル卿を突き合わせる道理がない」

「いい洞察だ、ロダン。……その通り、しかし神天地創造事件は特級の星辰現象であり影響は未だ未知数だ。その重要参考人とも言える貴殿を護る故だ。どうかグランドベル卿に在らぬ疑いはかけられぬよう」

 ……それは心得ているつもりだったが、知らず知らずのうちに糾弾しているような語気になってしまった事は否定ができなかった。

 彼女が関わらなければならないほどの事象と事情があるのだと、イワトは告げている。

 

「疑う意図があったのは事実だ。すまなかった、グランドベル卿」

「いいえ、ロダン。貴方には真実を知る権利があったというだけです。神天地創造事件の影響調査を任ぜられたのが私達第一軍団です、それゆえ悪いのですが貴方に明かせない事も無論あります」

「リチャード卿の発案か?」

「リチャード卿及び秘蹟庁のシュウ様の発案です」

「……」

 ……恐らく、今語る以外にも裏があるのだろう。

 神天地創造事件――カンタベリーの歴史に類を見ない事象だ。公式の発表では総代騎士ヴェラチュール卿、秘跡庁長官オウカ、教皇スメラギと他一名が中心となって起こした、星辰体運用兵器の運用実験の結果として起こった出来事とされている。

 同時にその実験は成就せず、その四名は地上を去ったとも。たしかグランドベル卿は今は亡きベルグシュライン卿と同門の出であったと聞いたことがある。ヴェラチュール卿に師事していたとも聞いている。

 

「……それで、重要参考人らしい俺はどうなるんだこの後。手当をしてくれた事、それそのものには感謝している。だがここまで話しておいて、俺に何もしないという事は有り得ないはずだ」

「そうですね。任意の体をとった強制は第一軍団としても望むところではありません。ここでのことは他言無用の事、それを護って頂けるのなら干渉はしないと約しましょう」

「そちらの事情に関して、一切他言するな、か。別にそれならいい。……これ以上突っ込んで聞いたら、おそらく今度こそ俺はここから帰してもらえなくなるんだろう」

「……えぇ」

 答えに窮するような何かを、聖庁もグランドベル卿もイワトも抱えている。

 それからこほんとイワトは咳払いをする。それ以上の勘繰りは不要、と暗に言っているのだろう。

 続けてイワトは問いを投げる。

 

「時にロダン。貴殿は今、ハル嬢の屋敷に住まっているのだったか」 

「……ハル? アマツということならハル姉さんの知り合いか親戚か?」 

「失礼。……ハル嬢の亡き父君の知り合いだったものでな。気分を害したのなら謝ろう」

 それは、予想外だった。「そうだったのですか」とグランドベル卿も目を丸くしている。

 予想のしていないところでまさかそういう縁者と会うとはと思う。気分は別に害していないが、わりと驚くべき事実だった。

 

「それとエリス・ルナハイムという人物について、何か存じているか。数日以前より貴殿は交際をし、今はハル嬢の屋敷に住んでいるようだが」

「……一点、突っ込みたいところはあるが、まぁそちらは盗み見が得意な事で。そうだよ、縁があって御付き合いをさせてもらってる。さる劇団の舞姫だと聞いている」

 たしか聖教皇国には隠密を専門とする暗部組織なるものがある、などという与太話も聞いたことはある。

 俺の私生活まで筒抜けとなると若干息がつまるというものだが。エリスはそれは確かに銀髪という、明確に目立つ外見的特徴があるのだ。

 ……俺は、意図してエリスへの言及は避けた。向こうが付き合っていると解釈するのならそれでいい。下手に誤解を解こうとしてエリスを無用に巻き込みたくなかったのも事実だ。

 

「……時に、ハル嬢は御変わりないだろうか。あの子は幼い頃に両親を亡くしたきり、ずっとふさぎ込んでいたと聞いている」

「今は元気にしてる。そちらが興味があるのは俺についてだ、俺以外の誰かについて聞くのは……それは調査としての質問なのか?」

「無用な詮索をして悪かった。御変わりがないのならそれでよい。質問は以上だ」

 ハル姉さんの親との知り合い、という事は覚えておこう。

 ハル姉さんは両親を亡くしている。たしかハル姉さんの親は母方がキリガクレの姓だった。

 両親揃って外交官なら、なるほど恐らくアマツの方々と面識があるのはそう珍しい事でもないだろう。

 

「……ロダン。貴方はじき、退院は出来るでしょう。追跡調査も、現状は一旦打ち切りとさせて頂きます。ですから、プライバシーについてはご安心を頂ければ幸いかと」

「一旦、か」

「ファウストの動向は看過できないのは事実です。以降は市中全体の警戒をより強める形となります、あの場で討てなかった上に助けられてしまった事、お詫び申し上げます」

「いやいい。グランドベル卿が無事になら俺は嬉しい、それに元々殺されかけたのは俺の方だ、こちこそ礼を言わせてくれ」

 ファウストの行方が知れない事、それは呑み込むしかないのだろう。

 あの男は恐らく俺を狙っていた、エリスの事も知っていた。

 ファウストという星辰奏者と俺の接点になると考えると、単なる劇団員であるエリスの立ち位置は明らかに不自然だ。……ファウストという男がエリスを知っていたというのなら、恐らくそれは劇団員としてではなく、星辰奏者としてだと考えていい。

 

 ――つまりエリスとファウストには因縁があると考えてもいいのだろう、俺はソレに巻き込まれたという事と推察できる。

 

「……ロダン?」

「考え事をしてた。すまないグランドベル卿」 

 よほど真剣に考えこんでいたように見えたのだろう。俺を心配するような視線を投げている。

 

 

「では、ロダン。お大事になさってください。……それからどうかご自愛なさってください」

「グランドベル卿も、お元気で」

 言うと、グランドベル卿は槍を携えて病室を去った。

 ……石造のように不愛想な顔のイワトを残して。てっきり、グランドベル卿と共に去るものだと思っていただけに少し不思議だった。

 

「……」

「……」 

 気まずい沈黙だった。何を話せばいいのか、分からない。

 

「……イワト様。何か?」

「いや。貴殿がハル嬢が時折語っていたという幼馴染だと知った故。……不躾な質問になると自覚はしているが、ハル嬢とは交際していないのか?」

「自覚してるなら聞かないでくれ。……そういう仲じゃない、姉さんに俺なんかは不釣り合いだ」

「そうか」

 言葉短く、イワトは俺を一瞥する。

 ……そこまでハル姉さんについてしきりに聞く理由は、恐らくハル姉さんの両親と知己だったからということのなのだろう。

 

「では私もこれにて去ろう。ハル嬢の事を、どうか支えてやってほしい」

「……」

 そうしてイワトも去っていく。病室に残されたのは俺一人。 

 少し嘆息する。退院できるのは明日だと聞いている。

 

 

 

 

 

 退院の日。かなり強い鎮痛剤を処方されたせいなのか少しだけ体がだるい。

 病室を出ると、どこかその風景には見覚えがあった。

 

「……あぁ、あの女の子の病室だったのか。ここは」

 しみじみ、そう呟く。病室の間取も、窓の位地も記憶の中のそれと寸分たがわなかった。

 おかしな偶然があったものだと、そう思う。もう、あの子はいないけれど。ひょっとしたらあの子が俺を護ってくれたのかもしれないな、と冗談交じりに笑った。

 

 病室を抜けると、おぼろげながら見覚えのある中庭や木のベンチがある。

 ……俺が、騎士を辞めると決めた日の事が少しだけ、頭に蘇るけれど感傷には浸らないようにした。

 医院の玄関を抜ければ――

 

「――ロダンっ」

 飛び出すように、俺を抱きしめてくれた人がいた。

 ……柔らかな花の匂い、安心できるよく知る人。ハル姉さんだった。

 

「バカっ、ロダンのバカ! 医院から連絡があって、事故に遭ったって。あの夜からずっと寝たきりだったって聞いて……本当に心配したんだから!!」

「……事故? あぁ、そういう事になってるのか」

 事故で、俺は入院したことになっている。

 つまりファウストの存在は、意図して伏せられている。第一軍団によって。

 俺達の在り様を、周囲の看護師も他の患者たちもくすくすと笑いながら見ている。ほほえましい光景、という奴なのだろう、これは。

 

「……また、いなくなったらどうしようって思ったもの。私のお母さんとお父さんが事故で亡くなって、……そして貴方も事故に遭ったって聞いたらいてもたってもいられなくて」

「大丈夫だよ、姉さん。俺はいなくならない。だから、安心してくれ、泣かないでくれ」

 ……事故、という事が期せずしてハル姉さんのトラウマを刺激したのだろう。

 俺を抱きしめる腕は少しだけ振るえている。そんなハル姉さんを肩を離してあげると、ハル姉さんは泣いた顔を晒していた。

 ハル姉さんは事故、というワードに対して強い忌避を覚える傾向があった。それは両親が亡くなってずいぶん経つ今でもなおも変わっておらず、時折精神科医のカウンセリングを受ける事もあるという。

 

「もう二度と、いなくなったり、しないでね?」

「約束するよ、帰ろう姉さん」

 姉さんは、涙を拭いながら俺にそう約束を求めた。

 是非はないし、姉さんを悲しませたくなどなかった。姉さんが迎えに来てくれた事は間違いなく俺は嬉しかった。

 姉さんと一緒に、屋敷を目指して歩いていく。

 ゆっくりと、俺の体を気遣うように姉さんはゆっくりと歩いている。こうして思うと、子供の頃のようだった。

 

「ロダン、……手、大きくなったのね」

「そりゃ、成長はするからだよ」

「あの時は、いつも頼りなさそうに私についてきてくれたのになぁ。ロダン」

 少しだけ、姉さんは寂しそうに言う。

 確かに、俺はあの時は姉さんの後ろを歩いていたと思う。

 

「……本当に、ごめんな。姉さん。騎士、辞めたり面倒に巻き込まれたりして」

「それで、こんどは女の子を連れ込んでくるものね。見上げた色男になって」

「エリスとは……そういう仲じゃない」

 不意に浮かぶ、エリスの顔。

 姉さんは悪戯っぽくそう言う。けれどこちらとしてはエリスについて全くシャレになっていない実害を被っている。

 姉さんは実害を知らないだけだからそう言えるのだろうけれど。

 

「……私がロダンの昔の話をする度に、エリスさんは凄く目を輝かせるの。楽しそうに聞いているのよ」

「――」

「だから、今度はロダンから話をしてみてあげて。きっとエリスさんは喜ぶはずよ」

 俺の事を聞くたびに、エリスは楽しそうにしていたという。

 その心当たりが、俺には分からない。ハル姉さんが言うのだからきっとそれは事実なのだろうと納得はできる。

 俺が知らない、エリスの顔をハル姉さんは見た事があるのだろう。……あるいは俺が見えていないだけなのかもしれない。

 見つめる相手が俺か、俺以外かで、彼女の目を観察してみろとユダは言っていた。エリスに今一度、俺は向き合う必要があるのだろう。――ファウストの事も含めて。

 

 

―――

 

 

 今にして思えば、アレは意地を張ってでも取りに行くべきだったとウェルギリウスは悔いている。

 カンタベリー地下研究区画の安楽椅子の上で、彼女はそう回想する。

 

 銀月天(ルナ)――第四世代魔星(エンピレオシリーズ)のあるべき理念の結晶。そう、あるべきはずだったモノが、今は研究区画の一角で眠っている。

 ルシファーの居城とも異なる、より厳重に隔離されたある区画にソレはあった。

 

 そこにあるのは、ベッドとベッドの上で静かに寝息を立てる一人の少女の姿だった。

 同時にその体はいくつかのチューブが接続されている。

 今も尚、ソレは目を覚まさずにいる。

 

「……果たして、貴方は何を夢見ているのでしょうね。定命の少女(ベアトリーチェ)

 そう、眠る少女に向かって彼女はそう語り掛ける。

 その顔は、意外にも冷徹なものではなかった。目の前に在るモノの数的情報の処理をする冷淡がありながら、同時に一種の母性とも言い換えられる視線を向けている。

 

「本来であれば、貴方はセカンドプラン――のはずだったの。()()()()()は別にあった。……恨むのなら、貴方のその嘆きの美しさを恨むといいでしょうね。素体としての優秀さを証明しすぎたもの」

 眼前の少女を創り出すその過程でどれだけ体を切り刻まれても尚、失わないその優秀さを何よりもウェルギリウスは評価していた。

 眼前の少女はウェルギリウスの成果であり、同時に最大のイレギュラーでもあった。

 

 けれど――それすらもウェルギリウスは計画に織り込んで歩みを進める。

 総ては、傲慢の体現者に捧げるがために。

 

 至高の天に至るためならば彼女はあらゆる総てを薪とくべるだろう、かつて自分が火焔(バベル)の塔を創り上げたがごとくに――いずれは、自分のその骨肉さえも。

 



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恋する水銀 / Cielo di Mercurio

Q、エンピレオってどういう話なの?
A、オウカの傍迷惑な後継者が世界を壊しかけ、グレンファルトの(ある意味での)後継者が世界を救う話です。


 再会できた、あの彼の顔を見た時に私は彼が私の運命だったのだと理解が分かった。

 

 永遠の淑女の演目が終わった後、舞台の裏で私はユダ様――私を舞姫として拾って下さった方にそう頭を下げた。

 そんな私の様子を怪訝に思ったのでしょう。ユダ様は、私の目を見つめている

 

「ごめんなさい、ユダ様。どうしても外せない用事があるのです。だから、このまま帰らせていただけますか?」

「珍しいな、エリス。……その様子だと何か尋常ではない様子に見える」

「どうしても逢いたい。逢わなければならない人がいるのです」

 その様子に、ユダ様は少し沈黙していた。無理もない、いきなりそんな事を言いだすなんてと思っているのだろう。

 

「……ダンテ――私の、探していた人が劇場にいたのです。多分、彼なのです。彼のはずなのです」

「なるほど。エリスの探している想い人、だったか」

「いいえ、想い人ではありません。けれど、逢わなければならない人なのです」

 「彼女」から、託された人。神なる地平でただ一人出会えた人なのだから。

 本当に、あの舞台で出会えたのは単なる偶然だった。本当は、人探しをしながら役者として過ごすつもりだった。

 けれど、思いがけずして逢えた。だから彼を見失いたくなかった。

 ユダ座に入って間もない頃に、ユダ様にそう伝えた事があった。ダンテを――夢の中で逢ったあの人の事を私は探していると。

 それを見て、あの時ユダ様は私の事を夢見がちな女だとあざ笑いはしなかった。今と同じように、朗らかに笑っていた。

 

「念願叶ったり、か。いいぞ、座長が許可する、逢いに行ってこい」

「ありがとうございます、恩に着ます。ユダ様っ」

 急いで着替えて、それから私は人目を忍びながら夜の街を走った。

 待って、行かないでと。

 

 彼は意外と用心深かった。時折立ち止まっては、周囲を流し目で見ながら去っていく。 

 きっとそういう経験があるのだろう。どう近づこうか、とても迷う。

 けれども役者をしていたころから、人がどういう所に目を向けるかは分かっていたつもりで。それを少し意識すればことのほか彼は気づかなかった。

 細い路地に入ったときはさすがにどうしようかと思ったけれど。

 

 彼の背中が見えた。けれどどう声をかけていいのか、少し迷った。

 迷っていると、家主と思しき女の人が現れた。とても黒い髪が素敵で、綺麗な人だった。彼は姉さんと言っているのだからきっと彼の姉なのだろう。

 

 そうしたら、つい私は身を隠す事を忘れてしまった。

 姉さんと呼ばれた人の目は私に移ってしまった。ああ、どうしようか。

 そうだ、涙を流してみせよう。きっと彼は困るに違いない、姉と呼ばれたこの人の同情を買うのも悪くはない。

 なんとなく、在りもしない事情を察してくれそうだ。ヒトの同情の誘い方は私は誰よりも心得ているつもだったから。

 

 試みは嵌り、私はキリガクレ――御姉様の屋敷の一員になれた。

 御姉様から零れ聞く、彼の話はとても興味深かった。彼の人間性が垣間見えた気がした。

 ロダン様の御姉様も、同じく私に優しくしてくれた。聞けば、彼女は家族がいないのだという。ほんの少しだけ親近感がわきそうだった。

 自分の家だと思っていいのだと、そう言われた時私は不意に演技ではない涙を流しそうになった。

 目頭が熱い、こんな感情を私は知らない。けれど、悟られるのはどことなく恥ずかしかった。私はここにいてもいいのだと認められたような気がして。

 

 不意に、御姉様はロダン様は返ってこないと言う。いつもは帰ってくるのにと。

 

 そう思った刹那――私の胸に、痛みが走る。

 

 ――私はとんだ愚か者だ。

 会えた、たったそれだけでよかったのに。エリスというつまらない女はそれだけで満たされているべきだったはずなのに。

 彼に償わなければならない、御姉様に償わなければならない。

 こんな、ふざけた因縁に彼を巻き込んでしまった。ほんの少しでも、ここにいていいのだと私は思ってしまった。

 ヒトとして在っていいのだと、私は思った。

 

 私は御姉様に謝して、屋敷を出る。

 ……本当は散歩なんて嘘。本当に本当なのは、どこにロダン様がいるかの心当たりがあるというだけ。

 

 屋敷の中庭で、私は祈るようにしゃがみこんだ。手を組んで、静かに祈りを捧げた。

 どうか私の星よ、彼を救ってほしいと。

 例え、彼を地獄に導くことになろうとも、私は彼を死なせたくなどなかったのだから。

 満ちる月光の残照と共に、すうと息を吸い私は彼へと告げた。

 

 

「超新星――地獄篇 嘆きの調べ、(Silverio)星に奏でるは銀月天(Inferno)

 

 

―――

 

 

「お待ちしていました。御姉様、ロダン様」

「エリスさん待っていてくれたの、嬉しいわ」

「お二人を待つならば一日中とて、疲れません」

 帰路の果て、屋敷につくとそこには直立でエリスが待っていた。

 育ちの良さを感じさせるようなしぐさで、柔らかに微笑みかける。演技はどこか無機質な機械のように思う一方で、感情は決して乏しくない。

 エリスと姉さんは一緒に並んで屋敷の中に入っていく。その刹那にエリスはどこか申し訳なさそうに横目でちらりと俺を見た。

 俺も、屋敷に上がっていく。それから姉さんは自室に戻り居間には俺とエリスだけが残された。

 どことなく、気まずい沈黙が流れる。でも、黙ったままではいられなかった。

 

「……エリス、単刀直入に聞こう。ファウスト、という名前の男を知っているか」

「ロダン様。聞きたいことは、既に聞き終えたはずです」

 エリスは言いたくはなさそうに、顔を背ける。

 欠けた月のように、その輪郭も表情も見えなくなってしまった。バカにしているというわけでもなく、そこに在るのは申し訳のなさだった。

 いっそあからさまな態度の変容だった。

 

「俺に言いたくはないんだな」

「どのようにとらえて頂いても構いません」

「どうして言いたくないんだ?」 

「ご想像にお任せ致します」

「演技か?」

「そう思うのなら、それでよろしいかと」

 打って変わって、そう言葉を短くして彼女はそう答える。まるで単純に反射しているような単調さで、これ以上話をする気はないと拒絶している。

 けれどぎゅっと自分自身の裾を握っているその手は、決して物言わぬ鏡のようではなかった。

 演技ではないのなら、彼女のそれは自分の不義を恥じているかのようだ。……反応を見るに、ファウストという人物の事をエリスは間違いなく知っている。誰ですか、と聞き返さなかったことからも明らかだろう。

 

「俺に聞かれるのが不快か、それとも俺自身が不快か? 或いは信用できないと?」

「……それは、違います。誓って、貴方に対して決してそのような事はありません」

「言ってくれないのなら分からない事もある」

 それは尋常ではない様子だった。ファウスト、という名前を出した瞬間から彼女はそういう反応をしている。

 エリスと男女の仲だったのか、あるいは星辰奏者としての因縁があるか等知り得はしないが、それでもここまであからさまな拒絶を示されては怪しいと言っているようなモノだろう。

 

 ……エリスに無理矢理聞きに行こうとはしたくはなかった。

 エリスに背を向けて、俺も自室に戻る事にした。したけれど、不意にその背に重さを感じた。ぎゅっと、震える手を背中に添えられて。

 いつもの膂力の影は何処にもない。

 

「……ロダン様。どうか夜、貴方のお部屋でお話をさせていただけますか」

「言いたくないなら、言わなくていいさ。それで辛くなるなら本末転倒だ」

「夜までお時間をください。私に打ち明ける猶予と勇気を、どうかください」

 ……打ち明けるのに必要なのは猶予と勇気なのだと、彼女は言う。

 それほどに、口を重くせざるを得ない事なのだろうと思う。

 

「……分かった。打ち明けたいと思えたら、俺の部屋の扉を叩いてくれ」

 

―――

 

 

「何か、あったのかしらロダン。それからエリスさん」

「……いいや、何も」

「御気になさらないでください、御姉様。少々怪談をしていただけです。それはもう、とてもロダン様は顔が真っ青でして」

 フォークとスプーンの運びは重かった。エリスとの間の気まずさがそのまま食事の手の重さになっているようでもあった。

 料理はとても美味しい。姉さんの腕に間違いはないと思っている。

 エリスはその見た目にたがわず、一口が小さく咀嚼も少し長い。所作もまるで幼い頃のハル姉さんを見ているような丁寧さだった。

 加えて背筋に油断がない。針のようにピンと伸ばしている。

 

「……エリスさん、とてもいい姿勢ね。ロダンに見習わせたいぐらい」

「姉さんの姿勢の方が綺麗だし俺が見習いたいのは姉さんの方だ」

「えぇ、私も御姉様を見習いとうございます」

 ……エリスに対して嫌がらせをしようとは思わなかったが、姉さんを贔屓にしたいと思う心はあった。

 それを納得されてはなんだか雰囲気が微妙になる。

 

「ロダン、冗談だけは上手いのよ。無職で三文詩人の癖に」

「いいえ。ロダン様は例え無職であっても、その詩文に月の如き淡くも優しき輝きを私は見ました。もし私がロダン様だけの演者であったのなら、きっと千年を超えて語り継がれる歌劇と成して見せましょう」

「だ、そうだけれど。ロダン?」

 しれっと無職であっても、と付け足したのは全く以って不要だと思う。

 大言壮語が様になっていると思わせるほどに、彼女はそう言い切って見せる。おだてるのが得意なのだなとは思う。けれど一方でエリスが少しだけ無理をして冗談を言っているようにも見えた。

 

「ロダン、頬が緩んでる」

「見間違いだよ姉さん」

「嘘を言う時、言葉が早くなる癖があるの、直したほうがいいと思うわ」

 ……ハル姉さんに指摘されて、グランドベル卿にまで早口を指摘されているのだから致命的だ。

 俺と言う人間は大概浮かれやすい。少しばかりプライドを満足させられると気が緩む。

 

「……それじゃあ、俺は上に上がるよ。今日も美味しかったよ姉さん」

「ありがとう、それじゃお休み」

 そう、姉さんに向けて俺は言った。かつかつと、階段を上っていく。エリスの視線は背中からでも理解できた。

 彼女は待っていて欲しいと言ってくれた。それはとても勇気が要る事なのだと言ってくれた。

 ファウストについて語る事、それが彼女にとってどのような意味を持つのかを俺は知り得はしない。

 今はただ、彼女の言葉を待ってやりたいと思う。

 

 

 

 

 部屋の中で腰を落ち着けて、エリスを待つ。

 八時を過ぎた。エリスはまだ戸を叩かない。

 十時を過ぎた。エリスはまだ戸を叩かない。

 

 十一時を過ぎた。十二時に――日が変わりかけるその刹那に俺の部屋の戸を叩く音が聞こえた。

 

「……ロダン様、失礼してよろしいですか」

「……入ってくれ」

 彼女は、そう言って戸を開けた。きぃ、と音を立てながら顔を伏せて彼女は俺にその瞳を向けた。

 改めて、俺は思う。彼女のその瞳は赤くて、紅玉のようで、とても綺麗だった。その瞳が今は憂いを帯びている。

 

「其処の椅子に座ってくれ」

「はい、感謝致します」

 深々頭を下げると彼女は俺の机の椅子に腰かける。

 彼女の口は未だに、真一文字に閉じている。けれど今こうして俺に言葉を喋ろうとしてくれている。

 

「……昼は急かして悪かった。落ち着いたら言ってくれ」

「ロダン様。私は、貴方に謝らなければならない事があります」

 エリスは目を伏せてそう言う。なぜ謝る事があるのだろうか。

 

「ファウスト、貴方が出会ったというその男は――私の敵です」

「敵、か。星辰奏者として、という意味合いか?」

「はい。ファウスト・キリングフィールド、彼と()()()()()()()()()()達。それが、私の敵です」

 意を決して、エリスはそう口を開く。

 彼女の言葉は、ある程度は想像していた通りだった。ファウストは恐らくエリスと何かしらの縁があった。同じくエリスと縁のある俺を襲撃したのも、別に俺自身をターゲットにしたわけではないのだろう。

 

「……きっと、貴方が私の事情にこれ以上踏み入れれば無関係ではいられなくなる。ファウストやファウストのような化け物と、貴方は関わり合いに成らなければならなくなる。私はそれだけは望んでいないのです

 忌々しくも、そう眦をゆがめながらエリスは言う。

 忌むべきものについて語るように、彼女はぽつりぽつりと話す。

 

「ファウスト――彼の属するある星辰奏者の集団の名を指して、至高天の階(エンピレオシリーズ)と言います。……そして私は故あってその集団と敵対しています」

「つまりはその縁に俺は巻き込まれたんだな」

「はい、……私がロダン様に明かせなかったのは、私の因縁に貴方と御姉様を巻き込むかもしれなかったからです。事実、ロダン様は殺されかけたでしょう」

 胸を縦一文字に裂かれた痛みを忘れてはいない。あんな化け物と関わり合いになるなど、御免こうむる。

 冗談じゃないと思った。けれど、そんな敵と、エリスは因縁を持っている。

 

「彼らは、見てわかる通り人間ではありません。……アレを指して通称、魔星と呼びます。ある種の自律型星辰体運用兵器――常人では考えられないほどの発動値も、感応深度も、アレがそもそも人間の規格ではないからです」

「……兵器、のような見た目には見えなかったが、つまり外見は本質というわけではないんだな。アレが兵器だと言うなら製造者や製造国があるはずだ。少なくとも相当なノウハウの蓄積が必要になるはずだ」

「出所はまるきり不明ですが、一度私は彼らに襲われた事があります。……そこから、今に至るまで因縁は続いています。エンピレオシリーズは、ファウストだけではないのです」

 彼女の説明は突拍子がない事を除けば、呑み込む事ができる。

 つまり、あのファウストという男は兵器であり、外面は人間で血を流しはしても、鋼で出来ている魔神なのだと彼女は言っているのだ。

 

「アレが兵器だというにしても、随分に感情があるように見える。実際、星辰光を使っているしな。……魔星ってなんだ、星を使えるマシーンなんて聞いた事がない」

「魔星の正体は……人間の死体です。ですから、星が使えるのは当たり前ですし、それを目標として製造されています。恐らく魔星という概念を知る人間はごく限られているでしょう、人倫冒涜の極限ともいうべき禁忌の技術ですから」

 ……人間の死体を材料に創り上げられた、禁忌のテクノロジー。

 その産物がファウストなのだという。エリスは至って、大真面目にそんな話をしている。普通なら創作物にありそうな話だと一蹴しそうになるが、星辰体運用兵器の実例は与太話を含めればいくつか挙げられる。

 なぜかカンタベリー産となっているらしい、アスクレピオスの大虐殺の二機の主犯格。

 それからかのクリストファー・ヴァルゼライドが相打ちとなったらしい、()()()()()()帝国首都で暴走したという未知の星辰体運用兵器だ。

 

「人の死体を原料に、特殊な鋼に鍛え直し骨格を鋼で再構成した、星辰多運用兵器の一つの完成形。それが彼らです。星辰奏者よりもより純粋に星を扱う基盤(プラットフォーム)としての優秀さを突き詰めた存在。それが彼らなのです」

「……まさか、グランドベル卿もそれを知っていたのか」

 不意に、グランドベル卿がファウストに向かって言ったある言葉を思い出す。……あの時、グランドベル卿はファウストを「人間ではない」と、言ったのだ。ファウストはそれを肯定いていた。

 その言葉の意味とファウストの性能が、エリスの言葉が決して与太話ではない事を証明している。

 

「この国の騎士団の中でも団長格や第一軍団――あるいは秘跡庁なら知っていてもおかしくはないはずです。表沙汰とはしないだけで、恐らく魔星の概念自体は彼らも知っているでしょう」

「……」

 グランドベル卿は、魔星という言葉を一切発しなかった。そのことからも意図して第一軍団は俺に話を伏せていたのだろうことは想像に難くない。

 グランドベル卿が明かせない、そう言った事はつまりこういう事だったのだろう。

 同時に頭の中で死体を鋼に加工し、人間大の大きさに成型する工程が嫌でも浮かぶ。ヒトの死体を切り刻み、好きに弄り回し挙句鋼の躯体に埋め込む。想像するだけでも少し気分が悪くなりそうだった。

 

「騎士団には頼れないのか」

「……前に私は、自分の出自を言えないと申し上げました。私の身元を明かす必要に迫られます、……それはできないのです」

 後ろめたい出自――例えば孤児。あるいは不貞の子。自分の出自さえ知る事ができないような環境で過ごしてきたということもあり得るだろう。

 それは触れられて楽しい話でもない。……問題は彼女が星辰奏者であるという事だ。普通、星辰奏者となるにはアドラーやこの国カンタベリーのように公的機関に属する過程で手術を受けるか、あるいはアンタルヤのように金を積んで手術を受けるか、という過程を経なければならない。

 アンタルヤのケースは考えにくい。金に困っていない彼女のような役者が星辰奏者になろうとする動機がないのだ。

 同時にカンタベリーもまた有り得ない。彼女のような人間が属していたのを見たことがない。

 かと言ってアドラーと考えると猶の事有り得ない。あの国はそもそも自国の星辰奏者の名簿をしっかり把握と管理をしているはずだ。彼女を密偵としてカンタベリーに送り込んだと仮定するなら芸術活動を許す意味がまるきり不明になる。

 論理立てて考えると、改めて彼女の出自が紛らわしい事は事実なのだと悟れた。

 

 

「……俺はエリス共々ファウストに狙われ続けるのか?」

「それはさせません。……絶対に、何があっても私が貴方と御姉様を傷つけさせません」

「つまり、狙われ続けるんだな。否定しなかったという事は」

 どことなく、予感していた事ではあった。そもそもあのファウストという男はハナから俺を知っていて、同時に俺を狙っていたような口ぶりだった。恐らくエリスと距離を物理的に放せば縁は切れて解決するという話ではないのだろう。

 ファウストはエリスと同じく、俺の事を神聖詩人(ダンテ)と呼んでいた。彼女が夢の中で出会ったという、俺によく似ていた人間を彼女はそう呼んでいた。

 彼女しか知り得ないはずの単語を、ファウストという生体兵器は口にしたのだから。

 

 

「貴方に黙っていた事――今も尚総ての真実を口にはできない事をお許しください、ロダン様。貴方に逢えた事が何より私は嬉しかったのに、だからこそ私は貴方から離れなければならなかったのに……!」

 その緋色の目に、涙が垂れている。自責、あるいは自分自身への怒りだろうか。

 ぽたぽたと、膝を濡らしている。零れる涙は留まるところを知らない。

 俺を自分の因縁に巻き込んでしまった事への負い目が彼女に涙を流させている事は、想像に難くない。

 彼女はただ一人で、きっとあの化け物と対峙し続けてきたのだろう。彼女の話を仮に十割信じたとしたならば、彼女は突然襲われた被害者の側だそんな化け物共に俺を巻き込んでしまった事を何よりも悔いているのだろう

 

「私は償うためなら、何でも致します。死んで償えというのなら、喜んで貴方に私の命を託します。女として償えというのなら存分に尽くします。だから――だから――私をこの家に、居させてください……!!」

 彼女は、そう言うと俺に迫り縋った。詫びるように、童女のように取り乱す。普段の彼女の姿は何処にもなかった。

 居場所を失いたくないと彼女は泣きじゃくっていた。

 その様子は尋常ではない。普段の落ち着き払った姿はまるでどこかに消え失せていた。

 

 

「エリス。まず落ち着いて聞いてくれ。……ハル姉さんの事をどう思っている」

「敬愛しています。居候の私にこの御屋敷を家だと思っていいと言って下さったことを決して忘れていません」

 彼女は泣きながらも、姉さんとの思い出を語る。その様子だと、本当に彼女は姉さんを慕っているようだった。姉さんは姉さんで、エリスとはすっかり打ち解けているようにも見えた。まるでそれは、本当の姉妹のように。

 

「じゃあ俺は?」

「まだ、答えが出せません。何も、貴方に対する感情を、私は定義できていないのです」

「……傷つくな、詩人に限らず芸術家は繊細なんだぞ」

 ……すこし傷ついた。ハル姉さんはそれだけ俺よりエリスと向き合ってきたという事なのでもある。

 俺は彼女を厄介者として扱ってきた事は確かだった。けれど、単に厄介者だというだけではなかった。少なくとも、姉さんもエリスについて喋る時は楽しそうにしていた。

 

「別に、俺も姉さんもエリスを追い出したいとは思っていない。今更迷惑かけてると思うなよ、初めて屋敷に転がり込んできた時点でエリスは俺に十分迷惑をかけている」

「……それは、その」

「だから、泣かないでくれ。気持ちに整理をつけたいから過ごしたいんだろう」

 俺に対しての気持ちに整理をつけたい、と彼女は言っていた。俺でなければならない理由を見つけてほしい、とユダは言っていた。

 何より、彼女は何処か目を離せない危うさがある。目を離してはならないという、予感がある。

 

「まだエリスは全部を言っていない事は分かる。ややこしい事情があるのも分かる。……言っていいと思える日を俺は待ってる事にする」

「永遠にその日が来ないとしてもですか?」

「エリスにとって、言わない事が一番なんだろう。俺はそれでもいい。顔を上げてくれ、美人が台無しだ。姉さんもエリスの涙は望んでいないはずだ」

 どうして、辛くなるのだろう。彼女のような変わった見た目の知り合いを俺は知らないが、それでもなぜか彼女が他人であるとは思えなかった。

 何か、彼女が言う通りに俺はエリスと縁があるのかもない。今でも、あの神天地創造事件での夢は覚えている。エリス――によく似た()()の手を、俺は結局あの時、掴む事がかなわなかったのだから。

 その償いをしているつもりになっているのかもしれない。こんなにも()()今のエリスを俺は放っておくことなどできなかったのだから。

 

「姉さんの屋敷は収容所じゃないし姉さんも俺も看守じゃない。だから、償うとか言わないでくれ」 

「……」

 エリスは、思案するように顔を背ける。俺に縋るその体からはもう震えは去っていた。

 俺を上目遣いで見上げるその緋色の目は、綺麗だった。けれど美女の涙は美しいかもしれないが、その(かな)しさは肯定されるべきではないと俺は思う。

 

「私は、……エリス・ルナハイムはこの家にいてもいいのですか?」

「姉さんが喜ぶ。……俺の書く話をエリスは好きだと言ってくれた。俺には積極的にエリスを追い出す理由がない」

 エリスという人間について、分からないことだらけだが分かり始めた事もまた同じくあった。 

 演劇が好きで、育ちがよさそうで、けれど少し天然で。人の質問に質問で返す癖があれば、時折悪戯っぽさを見せる。

 そんなエリスという人間を、俺はもう少しだけ知りたいと思う。知らないままではいたくはない。

 

「ありがとう、ございます。その御心に応えて――ロダン様にせめてあと一つ。私の中の真実を明かしたいと思います。だから、少しこうしていてください」

「……? 分かった」

 彼女は祈るように胸のあたりで手を組んだ。それから、居間の天井を見上げ俺の胸に手を添えて囁くように言葉を紡ぐ。

 

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星」

 直後――彼女の体は淡い月光の輝きを帯びる。とても柔らかな、銀色の光。

 星辰体もその感応を深めながら、同時に穏やかに凪いでいる。間違いなく、その出力は常軌を逸しているはずなのに、感じる波動はまるで逆だ。ファウストやグランドベル卿のような苛烈さとは対極に位置している。

 ファウストのソレを壊れた蛇口、ないしは瀑布と表現するならば、エリスのソレは静謐に凪ぐ無限に続く湖畔だ。

 深い、眠りを誘うような柔らかさ。冷たいわけでも、熱いわけでもない。ちょうどよい、心地よいと感じる。

 彼女の星――その一端が垣間見えた。

 

 

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:A

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AAA

 

 

 

「これが、貴方を照らす(護る)私の月光(ほし)です。手弱女と思われるのも、あまり私は好みません」

 出力。その一点で問うならばファウストに並んでいる。

 騎士団でこれに比肩し得る存在は恐らく相当数限られる――どころか、彼女が人間である事を疑いたくなる。ファウスト同様に、ヒトの器で扱い切れる星では到底有り得ない。

 であるというのに彼女はそれを扱いこなしている。……訳あり、どころか得体の知れなさはますます増している。

 数値上の強さだけでは測れない何某かを、その星に感じる。けれどそのまた直後に星は解かれた。

 星辰体もまた、静かに励起を鎮めていく。

 

 

 

「――エリス。お前も、ひょっとして魔星って奴なのか?」

()()()とは言えるでしょう。ですが私は死人でなければ鋼でもありません、そのことだけは真実です。……他言無用でお願いします、ロダン様」

 彼女の中の真実の一端を、彼女は今こうして俺に見せた。きっと彼女を信用してもよいという事なのだろう。

 俺を護ると、姉さんを護るとエリスは言った。それに足る実力を持っているのだと暗に今示して見せたのだ。

 

「……自分で言ったからな。言っていいと思うまで待つ」

「いつか打ち明ける事が出来るように、善処致します」

 エリスは恥じ入るように、背を向ける。けれど今のエリスは取り乱した様子はまるでない。

 ……心が落ち着いたようで何よりだった。

 

 

「今日はもう遅い、寝よう。女優に夜更かしは佳くない」

「はい。……では、また明日。おやすみなさい、ロダン様」

「あぁ、おやすみなさい、エリス」

 エリスの心が晴れてくれたのなら、俺はそれでよいと思う。

 俺の部屋を出るその前に、彼女はふと俺に顔を向ける。とてもやわらかで、それまでの彼女が見せた事のなかった笑顔だった。

 綺麗で、幸せそうで。その笑顔を、記憶にとどめておきたいと思えた。

 

 

「明日からまた、私の付き人をお願いいたしますね、ロダン様」

 

 

―――

 

 朝、支度を済ませるとエリスと並んで屋敷を後にする。姉さんはしきりに俺を気遣うように、気を付けてくれと言ってくれている。

 それほどに姉さんを心配させてしまったという事でもあるのだから、言い訳の仕様などない。

 

 エリスの付き人としては、これで二日目になる。

 一日目がユダと別れたあの有様だったのだから。

 

「エリス、俺がいない間は何か劇団は何かあったのか」

「いいえ、変わったことなど何もありません。強いて挙げるなら、私の傍にロダン様がいなかった事でしょうか」

「……天然の女優だな、そういう部分があるとは思ってはいたけど、むしろだからこそなのか」

 臆面なくそんな台詞を言ってのけるのはある種の才能だ。

 本質的に恐らく彼女はある種、純粋なのだろう。行動が芝居がかっていない、優雅な立ち居振る舞いがまるで自然体のようで、大言壮語も小難しい言葉も彼女が言えば様になる。そうしたモノを彼女は纏っている。

 

「チンピラやガラの悪い役や軍人は、さすがに似合わないか」

「娼婦の役を演じた事はあります。意図したイメージとは違うが、妖艶で底知れない女の怖さと欲望がにじみ出ている、とユダ様は評していました」

「……そうだな、エリスはそもそもからして物理的に怖い」

「お褒めに与り大変光栄です。……ロダン様はそれほど私と腕を組みたかったのですね、遠慮など不要でしょうに」

 少し背筋に冷たいモノを感じた。エリスの笑顔が恐ろしい。

 腕を折られるのだけはさすがに御免だ、執筆が出来なくなる。

 

「それは困る。腕を折られなくても、エリスに奪われた腕じゃ話を書けない」

「ロダン様の物語を目にすることができなくなるのは、私にとっての損失です。控えましょう」

 くすくすと、エリスはそう笑う。

 その細身のどこにそんな力があるんだと思うほどの力を彼女は持っているが、あるいはだからこそなのだろうか。

 星辰奏者の体は、純粋に常人と比べてはるかに疲労しにくく強靭だ。芸術においてはそれは反復練習、体幹の強さという点で長所となる。人間、古来から体は資本だとよく言ったものだ。体が強くて損をすることはない。

 

「ユダ様は昨日、貴方の事を心配していました。どうか、お会いした際にはお声がけをするのがよろしいかと」

「心に留めておくよ」

 高い酒を戴いたしなと、内心で付け加える。

 

 やがて、稽古場につくとそこにはユダが待っていた。

 相も変わらずボクシングかよと思うほど距離感が近い。エリスも会釈すると、稽古場に入っていく。

 

「待っていたぞ、ロダン。災難だったな、あの夜確かお前は夜道でひき逃げにあったのだとか。幸いにも星辰奏者ゆえに軽傷で済んだと」

「ああ。騎士を辞めてからは体を動かす機会がなくてな。現役ならあのぐらいかわせたんだが」

 やはり事故、ということになっているのだろう。ファウストの事などエリスと俺以外、誰も知りもしない。

 グランドベル卿の事も、話に挙がりさえしていないのだから、あの夜の事はそれほどに秘匿の順位が高いのだと悟る。

 

「……ロダン、お前に少し面白い話をしてやろうと思う」

「嫌な予感しかしないぞユダ」

「まぁそう言うな、そこの席に座れ」

 ひょいと、ユダは指を刺す。

 いつもは稽古の監督役をするユダが座っている席だった。俺もそこに腰かけると、ユダはふう、と周囲をきょろきょろ見回してからまだ俺に向き直る。

 

「エリスはいないな。よしちょうどいい」

「エリスに見つかったらどうなるか、俺は一番よく分かってるつもりなんだがな。それで?」

 ユダは口を開く。

 エリスに関する話、それもエリスの目の前ではできないというあたり、相応に事情が込み入っていそうな話ではある。

 そう言えばたしかユダもエリスに爪先をよく踏まれたという話を以前にしていたなと思い出す。無理もない、目を憚る理由も分かるというものだ。

 

「実はな、お前が事故に巻き込まれた日。エリスの演技はミスを連発していたんだよ。それもどうにも他の事で頭がいっぱい、と言った具合にな」

「……有り得ないな、普段のエリスからは想像がつかない」

「だろう? どうにも焦っているように見えたし、実際普段ならしないだろうミスを続けていた。……察するに、焦っていたんだよエリスは」

 ……エリスは変わったことはなかったと言っていた。それは多分強がりだったのだろうか。

 ユダは話を先に進める。ここから本題なのだと仕切りなおして。

 

「一度彼女の稽古は中断して頭を冷やせとアドバイスはした。……その時、彼女はたった一言お前の名前を口にしたんだ。ロダン様、と」

 エリスは、俺の名前を口にした。

 普段から何度も、何度も、彼女は俺の名前を呼んでいる。だからこそ、憔悴と焦燥の果てに彼女が俺の名前を口から零したその意味を考えろとユダは言っている。

 俺が呑気に寝ている最中、エリスは何を想っていたのだろう。時折見せる、寂しさを滲ませた横顔の意味も俺は知ろうとしなかったのに。……そんな俺をエリスは慮っていた。

 

「……エリスに、言わなきゃいけない言葉がある」 

「稽古が終わった後でいいから、伝えてやれ。きっとエリスはそれを喜ぶだろう」

 ユダは話は終わりだと席を立った。あとに残るのは数人の役者と、俺だけだった。

 通しの練習が始まる。

 

 演目は「ジークフリート異譚」。以前の名前よりタイトルが随分と短くなっている、ユダの趣味だろうか。

 筋書きはさほど変わっていないようではある。 

 

 英雄ジークフリート役のユダは、とても様になっている。

 エリス扮するジークフリートの恋人アンナは赤毛の鬘をつけている。普段の彼女とはまた違った印象だが、やはり変わらず美しいと思う。

 時折、彼女は俺をちらりと見る。そのたびに恥じ入るようにまた視線を戻す。

 体の運び方はやはり精彩を欠かない、けれど、違う点もある。目の動かし方と息遣いは明確に異なっていた。

 視線の軌跡は有機的で、ジークフリートを慮るアンナとしてのエリスの息は切なそうに漏れている。

 エリスの演技に感じていた違和は、幾分かなくなっている。

 

 それにユダや他の役者も気づいたのだろう、特にユダは目を見開いている。

 

「ジークフリート、貴方を愛しています。例え竜に成ろうとも、その心臓だけは貴方のままなのだから」

 物語のラスト。

 ユダに胸に剣を振り下ろしたするアンナの涙と嘆きで、通しの練習は終わった。

 

 ユダはむくりと背を起こすと「以前にも増して本当に殺されるかと思った」などと軽い冗談を飛ばしている。

 相も変わらず、練習とは思えないほどにエリスの演技は真に迫っていた。ハンカチで演技の涙を拭きとると、エリスはユダからの指摘やアドバイスをこくこくと頷きながら呑み込んでいる。

 ……当たり前だが、演技の涙は決して尾を引くものではない。彼女は顔は既に涙の痕跡はなかった。

 

 彼女と目が合うその時、俺は不意に赤面してしまった。彼女のほんのり上気する肌が、とてもなまめかしく見えてしまったから。

 

 

 団員達へのユダの指導はしばらく続いた。

 自らも演者でありながら的確に他の団員へ指摘をしているその視野の広さは驚く。男優であり、脚本家で、スカウトマンで、座長でと、一人で様々な役をこなしている彼だからこそなのだろう。

 それだけの激務をこなせるのは一重に芸術への愛故だろう。劇団に自分の名前を付けている事からも明らかだ。

 元々のエリス自身の気質もあるのだろうが卓越した才を持つエリスですらも、人としてユダに従っている。

 

 そんな折、ダグラスが少し小走りで稽古場に出向いてきた。

 少し、息を切らしているのか興奮しているように見える。怪訝な様子に、ユダはダグラスに声をかける。

 

「どうしたダグラス。随分に焦っているようだが、来客か?」

「えぇ、何でもエリスの妹さん、とおっしゃる方で」

「……妹? エリスに妹がいたのか?」

 おや、とユダはきょとんとした顔をしながらも反芻するようにつぶやく。

 ……そう、ダグラスが言った瞬間に俺は猛烈な違和感を感じた。

 エリスは、家族がいないと言っていた。

 エリスの顔を眺めると、エリスの顔もやはり困惑しているようだった。

 

「ユダ様、ダグラス様。私に妹はいません。何かの間違いでは?」

「……たまにいる、厄介なファンという奴かもしれないぞダグラス」

 エリスの口からも、妹はいないと示された。ユダは、そんな風に推測を立てている。

 だが。

 

「それが、その。その方はラプンツェル、と言えば姉様には通じる、と言っていました」

 ダグラスは、そう言うと後ろからその来客者を連れてくる。

 

 

「――」

 エリスは、その姿を見るまでもなく、ラプンツェル、という単語を聞いた瞬間に顔面蒼白になっていた。

 血の気が引いたような、真っ青な顔になっている。 

 ラプンツェル、と名乗るその来客は――エリスの前に姿を現した。

 エリスの両腕はだらりと脱力し、目は驚愕で見開いていた。

 

 エリスに非常によく似た銀の髪。腰まで届くほどに長い髪が特徴的な女性だった。

 雰囲気がどこか、エリスと似ている。まっすぐ、エリスを見つめて――あるいはエリス以外の誰も見ていないかのような熱視線を向けている。

 優雅に一礼して、ラプンツェルはうっすらと笑みを湛えてエリスに挨拶をする。

 

 

 

「ご機嫌麗しゅうございます。このラプンツェル、貴方とお会いできる日を楽しみにしていました。――エリス()()()



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水銀ノ病、青ノ殻 / Amalgamation Syndrome

ある意味、誰よりもラプンツェルはエリスに対して純粋で真摯な紳士です。


「エリス御姉様。私はこの時を一日千秋の想いでお待ちしておりました」

 

 ……エリスは、まるで表情が消し飛んだかのように呆然としていた。

 眼前のラプンツェルという少女の異様さに、ユダもどことなく気付いている。ラプンツェルの目にはエリス以外写っていない。恐らく他の団員や俺を景色とさえも認識していない。

 エリスと同じ――そして星を使った時のファウストと同じ銀色の髪。概ねその正体に想像はつく。

 エリスもまた、一瞬俺にちらりと示し合わせるように目を合わせるとこくりと頷いた。……至高天の階、その一人に他ならないのだと理解した。

 

「……水星天(メルクリオ)

「そんな美しくない名前では呼ばないでくださいませ。御姉様が舞姫(エリス)を名乗ったように、私にはラプンツェルという名前がございます」

 そう、ラプンツェルは飽くまでも笑いながら言う。それに耐えかねたのか、俺の手を引きながらエリスはラプンツェルの手を取った。

 ラプンツェルは……エリスの手に夢うつつと言った表情を浮かべながら頬擦りしている。周囲の目を憚る様子すらなく。一方のエリスは表情が嫌悪というほどではないにせよ引き気味な態度で完全に固まっている。

 

 

「すみません、ユダ様。この方は私の《幼い頃の友人》です。少々大事なお話があります故、どうか今は上がらせていただけますか?」

「……」

 ある意味では厄介なファン、という奴だろう。ラプンツェルがエリスを見つめるその顔は乙女のようで、だからこそ恐怖を覚える。

 宗教画や神の像にそうするがごとく、エリスを深く崇拝しているのだと分かる。はたから見ればそれは仲睦まじい姉妹や女同士のやり取りと見えるのだろうが、エリスの表情がラプンツェルに対して好意的ではない事を示唆していた。

 

「……分かった。御知り合いとの再会だ、大事にするといい」

「ご配慮、痛み入りますユダ様。本当に、申し訳ありません」

 エリスは心底から申し訳なさそうに、そう頭を下げる。普段からエリスの態度そのものは真摯で実績も残しているからこそ、ユダや他の団員は納得させられている側面はあるのだろう。

 おとなしく、エリスに腕を引かれながら俺は引きずられるように稽古場を後にした。ユダも、若干困惑した態度であった。

 

―――

 

 稽古場を離れると、エリスは場所を移した。

 無言で、俺とラプンツェルの腕を引いていそいそと、近場の教会の中に押し込むように連れ去った。そんなエリスに対し、ラプンツェルは一切抵抗していないどころか望んでエリスに手を引かれていっているようにすら見えた。

 

「んん、強引な御姉様も嫌いではないのですが……」

「……」

 平日の真昼間と言う事もあるのだろう、神の家は静かで誰もいなかった。けれど空気は張り詰めていた。

 エリスは俺を制するように背後に立たせて、ラプンツェルと向き合っている。

 

 

「――水星天(メルクリオ)、なんのつもりですか。ユダ座まで押しかけてくるとは」

「エリス御姉様にお会いしたかっただけですが? それもならぬとは……私は悲しゅうございます」

「黙りなさい。至高天の階(エンピレオシリーズ)の一人がロダン様に何を為したか、それを知らない貴女ではないでしょう。今すぐ私とロダン様の前から失せなさい、水星天(メルクリオ)。私は貴女に何も感じ入るものなんてないのですから」

「とても傷つきますわ。なんのつもりと問われ、答えを口にすれば黙りなさいとは……」

 エリスは、今まで聞いたことがないほどに激していた。またも俺を巻き込んでしまったと、そう悔いるように。

 けれど、同時に彼女の本質も垣間見える。言葉は非常に強いけれど、無理をして拒絶の言葉を吐いている事もよくわかる。

 自分以外の誰かを本気で憎む事に彼女は慣れていない。そうした負と云われる感情を強く持ったことが恐らくないのだろう。忌むに忌み切れず、嫌うに嫌いきれず。けれど拒絶するべき相手であるからこそこうして強い言葉を絞り出しているのだろう。

 やはり、エリスの本質は恐らく純粋にして白なのだろうと思う。

 

「あぁ、あぁ……その激した御顔も美しい。それでこそ上位機種(おねえさま)。私や火星天(マルテ)などと言う塵屑(ガラクタ)などとはモノが違う、その憂い顔こそ何より似合っています」

「……ふざけないでください。今ここで貴女を討っても佳いのですが?」

「本当は臆病なのに、虚勢を張っているその姿もやはり等しく美しい……」

 蛇のように身をよじらせながら、夢見心地でラプンツェルは恍惚としている。控えめに印象を言っても、あまりにも不気味だ。

 加えてハナから俺を視界にすら入れていない――はずだったが。

 

「貴方、あぁ……ロダンとか言う人。そう、火星天から聞いてましたが、神聖詩人(ダンテ)とは――エリス御姉様の伴侶とは貴方の事だったのですか」

「――」

 不意に水星天――ラプンツェルの視線はこちらに投げられる。エリスに向けるそれとは全く真逆の、心底から興味のないと言わんばかりの態度だった。

 エリスと同じ顔から放たれる言葉だと思うと、少し複雑な気分にさせられる。相手にしているのは間違いなく魔星と呼ばれる存在だ。だが、星辰奏者としての戦闘力の差以上にその昏い情念に恐怖を覚える。

 

「……何か?」

「いいえ。何も、響くモノを感じられない。御姉様が惹かれた理由もまるきり分かりません。嘆かわしい事です。あぁ、とても。えぇ、とても」

「……馬鹿にされた事と因縁をつけられたことはよくわかったよ。それでお前はエリスを殺しにしたのか?」

「殺す? なぜ? 敬愛する御姉様をなぜ私が殺す必要があるのですか?」

 ラプンツェルはさも意味が分からないとでも言いたげに首をかしげる。

 何を言っているんだこの人は、とでも言いたげな態度はどこかエリスの問いを問いで返す癖と似ているものを感じさせる。

 

「とぼけるな。ファウストがしたことを俺は覚える」

火星天(マルテ)? あんな粗野で美しくないモノと一緒にしないでくださいませ。私は御姉様を愛しています、重ねて言いますが、なぜ殺す必要が?」

 言葉を交わすのも煩わしいとばかりにラプンツェルは会話を打ち切ろうとする。根本から、俺をどうとも思っていない態度なのだろう。

 

「あぁ、それに」

「ん――!?」

 再び、ラプンツェルはエリスの方へ向き直る。それからつかつかと歩きだし、じっとエリスの目の前に迫ると――エリスの唇を奪った。

 あまりにも、艶めかしかった。

 ラプンツェルはエリスの舌を嬲るように絡めながら、恍惚さえも滲ませている。

 背徳的で、倒錯的で、だというのに神聖な一枚絵を見ているような気分にさせられる。……それがラプンツェルが相手でなければ、の話だが。

 

「嫌っ――止めてください!!」

 エリスは、ラプンツェルを突き飛ばすように引きはがすと唇を袖で拭いながら、息を荒くしている。

 眉を歪めながら、嫌悪しつつラプンツェルを睨んでいる。その様をやはりラプンツェルは愛しそうに笑っているのみだ。徹頭徹尾、まるでエリスを玩弄するように微笑んでいる。

 エリスとよく似た顔で、エリスとよく似た髪の色で。それが俺にはたまらなく不気味だった。

 

「ああ、御姉様の粘膜の味も、唇の味も、とても美味です。鋼の味なんて微塵もない!」

「……狂ってる」

 ラプンツェルの趣味嗜好の異常性や偏執性にとやかく言うつもりはない。だがそれにエリスを巻き込むのなら話は全くの別だ。

 確かにラプンツェルはエリスの崇拝者だ。そう理解に難い事でもない。それもとびきりに性質が悪すぎる類だ。見ている自分ですら背筋が寒くなる様なのだ、エリスの感じた恐怖はその比ではないだろう。

 エリスは美しい、それは俺も認める事だ。だが、エリスの美しさとは穢されるために在るのではない。

 

 

「御姉様、御姉様、御姉様、私のモノにならない事が煩わしいというのに、誰のモノにならないからこそ美しい。あぁ――だから」

「だから――ロダン様は傷つけさせません」

 故にもはや問答の余地等なかった。エリスは、ラプンツェルは、星を構える。

 

 

『創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星』

 

―――

 

「蛇なる詩人は淑女に魅入られ、月の縁はヒトなる淑女より託された。最高神の死と共に神前婚の盟は破却された。あぁ、私の愛しき神聖詩人よ、それでも貴方は私の手を伸ばしてくれるのですね」

 エリスが紡ぐ言霊は美しく、星辰体は銀白の輝きを帯びていく。

 彼女の本質の一端を体現するように彼女は己が在り方を星に投影する。

 

「貴方の詩と愛が、私を繋ぎとめる。地獄を超えて煉獄へ征こう、祝福せよ神聖なる邂逅。痛みと嘆きが月の縁を再生する。月の繭を破り飛び立て銀想淑女(ベアトリーチェ)。今度こそ、私は旅路を照らす月光と成りたいのだから」

 雪を纏うように、彼女は新生していく。

 真白色の、星で編まれた無縫の天衣を纏う。……美しい、そう感じた。

 

「超新星――煉獄篇 七冠照らす神世の月晃(Silverio)、神聖詩人の導たれ(Purgatorio)

 厳かに奏でられる月の調べがここに顕現した。

 

 同時に――。

 

 

「此処は水の星、第二の天体。私は水、私は銀。いと高く坐す月の銀白に、私の心は捕らわれた。我が内なる水銀よ、銀を蝕み穢すがいい。私は水銀、銀に成れぬ銀なればこそ、御身の輝きをこそ飢え欲するのだ」 

 蒼い、星。甘い香りすら感じる。

 それは穏やかさを伴いながらしかし静かに侵食していく慢性の水銀毒だ。

 

「故に逃がさない。愛する詩人の前で狂い哭いてみせるがいい、水の銀は銀が呑みこむその前に。詩人に捧げた貴方の愛をこそ、水銀は何より穢し奪いたいのだから。傍観せよ神聖詩人、穢れ堕ちる淑女を前に汚濁の悲嘆を綴るがいい」

 蜜のように、どろりとラプンツェルの体表面からは水銀が溢れ出す。

 流出は止まらない、終わらない。滴る毒のように水銀の水たまりをラプンツェルは作る。

 

「超新星――偏執なる水銀の愛(Cielo di Mercurio)顕現するは水星天(Amalgamation Syndrome)

 水の――水銀の星。

 腐乱する水銀の果実は腐り落ちて結実を果たす。どろりと、鋼の波濤となってラプンツェルの星は生まれ出でた。

 

 

 

 先手を打ったのはラプンツェルだった。

 瀑布のように水銀――流体状の神星鉄を操る。エリスはそれをかわしながら、銀光の波動を撃ち込む。

 

 ラプンツェルは壁のように水銀で防壁を創り上げる。

 金属操縦能力ではない。それはラプンツェルの持ち得る機能の一端でしかないのだから。星辰体を注入いた水銀の盾はしかし、脆くも銀光の前では崩れ去る。

 まるで熱を奪われたかのように、その光を失っていく。

 同時にエリスの纏う銀の輝きはより強くなる。

 

 再度振るわれる銀光は破壊の光となってラプンツェルを襲うが、それを平然とかわして見せる。

 躯体として、そもそも身体能力自体が人間を遥かに突き放した存在であることは言うまでもないだろう。

 

「御姉様に触れたいというのに、その月光があまりにもまぶしすぎるのが悲しいのです。えぇ、そう。私はこの上なく――」

「世迷言など、聞きたくありません」

 嫌悪を顔に浮かべながら、エリスはラプンツェルを拒絶する。

 ――エリスから見た場合は皮肉と言えるのだろうが終始、二人の戦い方は類似していたと言えるだろう。距離を見計らっている。

 それは両者の資質から見ても自明だ。

 

 

偏執なる水銀の愛(Cielo di Mercurio)顕現するは水星天(Amalgamation Syndrome)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: A

集束性:E

拡散性:A

操縦性:AA

付属性:D

維持性:AAA

干渉性:E

 

煉獄篇 七冠照らす神世の月晃(Silverio)、神聖詩人の導たれ(Purgatorio)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:A

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AAA 

 

 エリスの星は星辰体熱量(エントロピー)強制操縦能力。

 星辰体の振る舞いに対する干渉性を主体とした介入だ。星辰体そのものへの極めて高い干渉作用と、操縦性による星辰体の熱量操作。

 その星に、ロダンは猛烈な既視感に襲われた。熱量操縦――その特徴、資質がマリアンナに示された自分の星のそれと非常によく似通っていた。その星を見れば見るほど、胸が嫌にざわついた。

 何が、そう思わせるのか、その理由が分からない。

 熱量の操縦によって敵の星を失活させる、熱量操縦の死神ともいうべき存在だった。星は星であるという前提がある以上、彼女の星を抗う事はできなどしない。

 ()()()()()()()()()()()だが、一見すればそれはロダンの星と極めてよく類似する。相違点を挙げるとするならば、ロダンの星は星辰体そのものへの干渉はエリスのそれに比べて数段劣る。対してエリスは星辰体への干渉作用はロダンを大きく突き放していても、熱量――ひいては星辰体の熱量の操縦性においては後塵を拝しているという差異が現れている。

 だがそれでも星に対する絶対性はエリスは当然有していることは事実だ。

 

 その絶対性を鑑みていたからこそ水星天(メルクリオ)たるラプンツェルも距離を頑なに維持している。

 同時にラプンツェルの星の猛威はそこかしこに現れていた。水銀の駆け抜けた後のタイルや金属の類は、綺麗さっぱりに消失していた。

 今も尚、呑み込むように椅子に打ち付けられた釘や十字架をどろどろと、酸をぶちまけたがごとくに水銀は溶かし込んでいる。それどころか、タイルや木に含まれている微小な金属までも取り込んでいる。

 流体状に変えた己の骨格と一体化させている。

 

 ――流体型発動体合金形成・金属操縦能力。それがラプンツェルの星の正体である。

 金属を己が骨格に取り込み合金に変え発動体の一部としてしまう能力だ。同時にそれはラプンツェルの星()()によって可能としたものではない。

 水星天が創り上げられるその過程で、()()()()()()()を骨格に採用している事もまた設計の妙と言えた。極めて特殊な製法故に、その純度や発動体としての性質は純正のソレより落ちている。

 

 だが一方で、ロダンは怪訝に思う。

 魔星として見た場合、明らかに性質としては()()()()()()()のだ。合金を形成する、それそのものは殺し合いという観点で見た場合、さしたる長所になり得るモノではない。

 ……どころか、殺傷力という観点で述べた場合ラプンツェルに勝る存在は騎士団に決して少なくはないだろう。

 

 操縦性、拡散性、付属性という三極の資質を以て星を操っているからこそ、エリスの星の直撃を避けている。

 総体の一部分を失活させられようが、其処を切り離してしまえば星は継続して操れる。だからこそ、エリスの星の絶対性は機能し辛くなっていた。

 

「あぁ、もっと躍ってくださいませ、御姉様。貴方の舞踏を私に見せてください!!」

「水星天――貴方は何が目的なのですかっ!!」

 ……同時に、失活した骨格も再び水銀に取り込めば元通りだ。失活に蝕まれてもその部分だけを切り離し、再度接合させてしまう。そのたびにエリスの星は徒労となる。

 銀光は静やかな破局をもたらずはずだがそれが機能していないのだ。

 

 

「言っているでしょう、貴方と一つに成りたいと。理解するのが恥ずかしいのでしょう、その初心さがとても穢したくなるほどに、犯して嬲って泣かせたくなるほどに美しい!!」

 いよいよにして、地金が出てきたというべきなのだろう。

 エリスと同じ顔が、悍ましい言葉を吐いているという事実にロダンは引きつりそうになっていた。エリスもまた、生理的な嫌悪を隠せない。

 

「来ないで、ください。気味の悪い……!」

「行きますわ、御姉様。今こそ貴女の総てを奪って差し上げます」

 まるで話は噛み合っていない。精神病患者を相手にするようなものであり、まさに今ラプンツェルはエリスに狂っていたと言える。

 銀光の着弾地点をさらに干渉させ、そこからさらにエリスは銀光を炸裂させる。熱量操縦と共にラプンツェルの水銀を跡形もなく消し去る手段に出た。

 一片でも残っていたらそこから破片を回収し、また再び流体の骨格を創り上げるのなら絨毯爆撃式に蒸発させるしかないと考えた。しかしそれも当然ラプンツェルは見切っているからこそ簡単にするりと蛇のように体を変形させて逃れて見せる。

 

 純粋な出力、戦闘兵器としての能力において、確かにエリスはラプンツェルを絶対的に越えてた。

 だが、相性の悪さ――そしてラプンツェルの星の悪辣さはここにきて機能を始めたのだ。

 

 確かに殺傷力で敗北はしよう。出力でも負けている。だが、そもそもラプンツェルはそんな土俵で争う気等微塵もなかった。

 不死性という一点において、ラプンツェルの星は絶対的に勝っている。自分の骨格すらも水銀のように融かし、運用して見せている。

 

 頭を吹き飛ばされた――致命的だろうが、すぐに彼女は首から上を切り離し、再成型すれば元通りだ。

 頭も腕も、どこを吹き飛ばそうが形状記憶合金のように、元通りだ。

 合計、四六度命を奪っているはずなのに、ラプンツェルはまるで堪えていない。

 

 泥に穴を穿つようなものだ、それを理解しているからこそエリスは尚の事歯噛みする。この教会の中で、事を荒立てたくないという事もあるのだろう。

 威力を抑える必要も当然あった。

 

 だから当然――持久戦というにおいてエリスはラプンツェルの後塵を拝していた。

 

 

 まるでこれではかの神祖も同然の不死性だ。流体超合金の骨格の精練と採用、それにマッチングする星辰光の性質は疑似的にではあるが不滅を体現していた。

 星殺しが蝕まれる前に末端を切り離しながら、増殖と補填を繰り返す事で総体をスライムのように維持し続けている。

 けっしてこの教会を焼け野原に変えることはエリスの本位ではなかった。その制約もまたエリスの枷であった。

 

 

 勝負は仕切り直しが何度も何度も何度も何度も、果てしなく続く。エリスは睨み、ラプンツェルは微笑んでいる。

 

 

 一見すればエリスが有利に見えていても、そう言い切れない側面がある事もロダンは理解していた。

 殺せば死ぬ、という生命の大前提がラプンツェルには通用しない。そうなればエリスの甚大な出力はただただエリス自身を苦しめる形になるだけだ。

 事実、エリスは息を荒くしながらラプンツェルに相対している。エリスに状況は不利に傾きつつあった。絶対的な不滅を誇るラプンツェルの牙城が崩せない。

 こうしてる間も、じりじりとラプンツェルは距離を詰めに来ている。

 

「あぁ、その恐怖に滲む顔がたまりません。もっと見せてください」

 エリスは手を震わせながらロダンを庇う。

 焼き払っても、焼き払っても、ラプンツェルはその度に肉体を再構成していく。幾度膝を屈しても、愛しい()()()のためならば何度でも挑んで見せるし、水星天(メルクリオ)は決して折れないし諦めない。

 ……そう言えば聞こえはいいが生理的な悍ましさが加わるだけでこうまで不気味に映るものなのだろう。

 創作物の屍人(ゾンビ)でさえ、これほどの嫌悪を抱かせるには至るまい。

 

 これでは千日手だ。核、あるいは心臓と呼ぶべきモノがラプンツェルにはない。故にエリスに近づく事は出来ずとも滅ぶ事もまたない。

 必要になるのはすなわち面制圧に適する拡散性を備えた星辰光であり――それも生半可では通用しない。

 

「……あぁ、ですが聊かここも騒がしくなって参りました。口惜しいですがこれでは御姉様との逢瀬に浸れません」

 ――しかし、ラプンツェルは突如として星を解いた

 ラプンツェルは心底から残念そうに、焦がれるように身悶えしている。

 

 

「何のつもりですか、水星天。情けを与えたつもりですか」

「別に、なんのつもりでもございません。神聖なる神前での私達の婚礼の儀が、無粋な輩に邪魔される事を私は佳しとしていません」

 ……恐らく騒ぎを聞きつけたか、それとも星辰反応を検知されたか。ラプンツェルの言葉の通り教会の外からは騒がしさを感じる。

 金属の擦れる音の混じった足音は、騎士たちが駆け付けている事の証左だった。

 

 

 その輪郭をラプンツェルは失いながら床にしみこんでその姿を消失していく。

 やがては影も形も消え去ってしまった――ただ、耳朶にねばりつく言葉だけを残して。

 

 

『では御機嫌よう、御姉様。次は神なる地の底(プルガトリオ)にてお会い致しましょう。それから神聖詩人、貴方も存分に御姉様と愛を育んでくださいませ、それまでは御姉様を預けて差し上げましょう。貴方から、貴方の愛した御姉様を奪える日をこそ、あぁ――私は何より誰よりも、楽しみにしています』

 

 

 

 

 

 

 

 




偏執なる水銀の愛(Cielo di Mercurio)顕現するは水星天(Amalgamation Syndrome)
AVERAGE: C
発動値DRIVE: A
集束性:E
拡散性:A
操縦性:AA
付属性:D
維持性:AAA
干渉性:E
流体型発動体合金形成・金属操縦能力。
自身の骨格そのものに流体状の神星鉄の合金を採用した、■■■■■■■の非常に特殊な意欲作ともいうべき魔星。
特殊な製造工程である事、同時に戦闘用を想定していない魔星である事から、出力は他と比べ一段劣っている。
他方、その不滅という一点においては現存する星辰奏者に対し一切の追随を許さない。基本的には設計上と星辰光も相俟って、彼女には核と言うべきモノが存在しない。
頭蓋を撃ち抜かれても、心臓に当たる部分を砕かれても、泥のように総体をまとめて復活させるのみである。損耗箇所は即座に総体から切り離し、影響の波及を遮断させるといった芸当をも可能とする。
単細胞生物並の単純さを以てその不滅を体現する、まさしく水銀のようにとらえどころのない星であるとも言える。
――そして、金属であればこの星はあらゆるモノを貪食する。それは、発動体であっても同じである。


 
煉獄篇 七冠照らす神世の月晃(Silverio)、神聖詩人の導たれ(Purgatorio)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: AAA
集束性:E
拡散性:A
操縦性:A
付属性:C
維持性:E
干渉性:AAA 
星辰体熱量(エントロピー)強制操縦能力。
原理としてはロダンのそれとほぼ同一である。しかしこちらは干渉性によるより広域
・汎用的な制御であることに対し、あちらは操縦性による極めて高度な熱量制御に長じている。
……原理として見た場合ロダンのそれと酷似している以前に、そもそもとして()()はこちらの側であると言える。
性質としては、言うまでもなく星辰体の挙動への介入になるが操縦性が追いついておらず、熱量を自分のものとして回収する効率はロダンのそれに対し数段劣る。
他方、星辰体への干渉作用は比類なく、純粋に星を殺す性質としては彼女の方が出力も相俟って勝っている。
この輝きは愛する人を護る限り、詩人を照らす神世の月晃であり続けるだろう。








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許すべからざる女 / Vergilius

ウェルギリウスにも少女時代はあります。
ありますが、純粋が故にろくでなしになりました。


 人間らしい感情とは、何だろう。

 私は私の人間らしさに従って行動しているつもりだった。客観視して、私――ウェルギリウスは欲がない人間なのだと自覚している。

 もっとシンプルに言い換えれば、私は思考形態が他者と大きく異なっていたのだろう。

 

 私が私の歪みに気づいたのは七歳の頃だった。庭で火遊びをして、怒られて。あぁ、普通の人間はこのような事に対して怒るのだなという感慨しか浮かばなかった。

 火を、美しい科学の象徴を、どうして私から奪うのだろう。彼らはこれを美しいと思わないのだろうか、まるで理解が出来なかった。

 ヒトの成す事も考える事も、何もかもが私の目には現象としてしか映らなかった。

 私は親をモデルケースにして人間の凡その性質について学んだ。それから聖教皇国の研究部門に若くして配属され、その中で人づきあいの過程で私は段々一般人として振舞えるようになった。

 

 ウェルギリウスという女は、実に変奇な人間だった。

 そのような私にも友人、と言う言葉に近い人間はいた。

 師がオウカ様だとすれば、友人――という言葉に最も近いヒトは彼女だった。

 

 私がオウカ様に師事する前――まだ暗部に属していなかった頃の同期の研究者だった。客観的に見て、彼女の才覚は平凡であったと思う。けれど仕事に間違いは少なく、努力家で、信頼できる人間だった。

 それから、何かと私に気をかけてくれていたと思う。

 

「ヴェル。そろそろ食事にしないかしら?」

「コーヒーで足りてるわ。それより見て、オフィーリア。最近のアドラーの技術開発についてなのだれど」

「……普通はコーヒーを食事と呼ばないと思うわ」

 ヴェル、そう私を呼んでくるのはオフィーリア。彼女は端的に言って私に比べて知識の量はさほど優れているわけではなかった。

 けれど私が話をする度に、それをちゃんと理解しようと勉強をする。理解できるようになったらまた聞きに行く。言葉にすればそれは簡単ではあろうが、出来る者はそう多くない。

 私の話の次元についていける人間は、少なくとも研究部門にはいなかった。国家への貢献度という純然たる事実としてそうだったのだから。

 それでもオフィーリアは少し毛色が違った。私の話に食らいついていこうと必死だった。才が凡俗だろうに何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうと真面目に疑問に思った事もある。

 

「オフィーリア、貴女暇なのかしら? 私の食習慣に指摘するエネルギーをもう少し有意義な脳内活動に費やすべきだわ」

「研究に費やす以外のエネルギーの使い方を知らないから孤立するんでしょ」

「研究者ならそれが当たり前でしょう」

 私にとって唯一心が躍るのは研究だけだった。誰も知れない知の未踏領域を開拓していく楽しさを、悲しいかな私は誰とも共有できない。

 結果、私は孤立する。数字と現象しか愛せない女などと揶揄されたこともあるけれど、それでもオフィーリアは私にお節介を焼き続ける。

 それが少しだけ意外だった。

 

「……比較対象を自分にする癖、やめた方がいいと思うけどヴェル。別に深刻な理由なんてないわ、少しズレてると思うところはあるけれどそれでも間違いなくヴェルは天才だもの。尊敬してる友人だから理解できるようになりたいと思うのはおかしい事?」

「オフィーリアでは千年かかっても無理ね、まずはシュウ様の話の六割でも理解できるように努力なさい」

 私を尊敬する、とオフィーリアは言う。……そして友人だとも。

 友人、そう私は思ったことはない。彼女と私は特別何か、変わった関係があるとは私は思っていなかったけれど彼女からしてみればそうらしい。

 強いて挙げるならば、顔を突き合わせる時間という点においては突出していただろう。その程度だ。

 

「世間では、このような関係を友人と呼ぶのかしら?」

「そう、私は思っているけど?」

「世間一般で言う友人の定義を満たすなら、私はそれでいいわ、オフィーリア。私に付き合えるのは貴女ぐらいだもの」

 けれど、気が付けば彼女は唯一、私と議論を出来る人間になっていた。彼女だけが、私の研究の真意を理解していたと、今も昔もそう思っている。

 それに、

 彼女は、自然と私と付き合いが長くなっていた。両親を除けば最も長い時間、顔を合わせた人間となっていた。

 彼女への評価を私は改めた。私に追い付こうと、理解しようとする姿勢は私にはなかったものだった。それは私より彼女は間違いなく優れている。

 

 彼女と一緒に過ごしていても、私の生活は何も変わらなかった。けれど、彼女はそれでも私とよく話をしてくれた。

 公私ともに私を支え続けてくれた。

 私の食生活を見咎めてくれたし、私の偏屈さに彼女は決して辟易しなかった。

 私に理解者と呼べる人間がいたとしたら、それはオウカ様とオフィーリアだけだったと今も心の底から断言できる。

 彼女が時折私に薦めてくれる小説や、音楽も、それを通して彼女が何を好むのかが分かるような気がした。特に彼女は旧暦の作家ダンテの著した「神曲」が好きだったと記憶している。

 一人の恋敗れた男が霊的な世界で地獄、煉獄、天国をめぐり最後に淑女に導かれながら天国の果てに至る、などという話だった。

 

 紛れもなく、彼女は私の人間性だった。それを証明し続けてくれたと思っている。

 それを結局、私は受け取ろうと努力をしても現象としてしか理解ができなかった。彼女の優しさに、私はきっと甘えてしまっていたのだろうとも思う。

 そんな折に、私には転機が訪れた。

 

「ウェルギリウス・フィーゼ。貴方に、神祖(カミ)に仕える栄誉を与えましょう。――来なさい、ウェルギリウス。同じ一人の研究者として、貴女の力を私は欲しているわ」

「是非もございません、オウカ様。卑小の身とは自覚していますが貴女様のお傍で学ばせていただきとうございます」

 

 オウカ様に選ばれた事は、今でも私の中の輝かしい思い出だと思っている。私にとっての神と呼べる人間が仮にいるとしたら、それはオウカ様が最も近いだろう。

 オウカ様からの招聘を、私は断る事はなかった。

 

「オフィーリア。私、異動になったの。オウカ様の下で、働くことになったのよ」

「佳かったじゃない、ヴェル。オウカ様の下でだなんて最高の栄誉よ。とても、今嬉しそうな顔をしてるわ」

「なのかも、しれないわね」

 オフィーリアにそう告げると、彼女は少しだけ寂しそうな顔を浮かべながら私を祝福してくれた。

 

「もう、ここに来ることはないでしょうね。……今まで迷惑をかけたわ、オフィーリア」

「いいえ、ヴェル。私の方こそ貴女と一緒に居られて、勉強になったし楽しかったもの」

 ヴェルは、涙もろい人間だったと思う。送別の言葉を告げれば彼女は私の手を握った。

 

「コーヒーを食事だって言い張ってはダメよ、研究もいいけれどもう少し寝なさい。あぁ、もう他にも言いたいことはあるんだから」

「……えぇ。忘れないようにするわ。貴女の忠告が無駄になったことなんて、今まで無かったもの」

 それが、私が生涯で友とカテゴライズした人間との別れだった。

 誰よりも平凡で、努力家で、私をずっと尊敬し続けてくれた人だった。

 彼女の顔は、今でも私は忘れていない。覚えることは得意だったから。そうして、オフィーリアとの縁はここで終わった。

 

 まもなくして、私はオウカ様に師事する事となった。

 旧暦の真実、極晃、魔星――神祖。開示された真実の山は、まさしく汲めども汲めども尽きぬ無限の泉だった。

 研究の材料も、見識も、何もかもが私には輝いて見えた。オウカ様の口から語られる言葉の総てを委細聞き漏らさなかった。

 聞き逃せるものか、その言葉の一つ一つが千年の知啓の欠片なのだと思えばこそ。

 

 天之闇戸の調整も――手製の魔星もどきを作ることも、それほど難しい事ではなかった。改めて、神祖という存在の出鱈目さ、千年の研鑽の成果を私は目の当たりにした。

 国家運営、帝国からの技術流出、人心の掌握に至るまで、何もかもが彼らは隔絶していた。

 人体実験もまた、そんな彼らの活動の一環だったと言えるだろう。何人を犠牲にしても、彼らはそれを次に、利益につなげて見せている。

 そんな彼らの非人道的な活動に私は関与し、同時に従事もしていた。率直に述べて、天職であったと思っている。思う様、人間の体を弄り回す事が出来た。

 恐らく、こんな私の有様を、きっとオフィーリアは決して許しはしないだろう。そう思うと、彼女と袂を別ったのは正解だっただろう。

 鏡を見るたびにそう思う。メスを持つ手はまるで震えていない。好奇心の高鳴るままに遺体を、被検者を切り刻み鋼を埋め込み縫合する。血で濡れる自分の手に特に何も感じるものはなかった。

 私は確かに、自覚した通り人でなしだった。外付けの人間性というものが無ければさもあらんという奴だ。

 

 私が主たるテーマとしていたのは魔星や機械兵に端を発する、機兵化手術だった。手足を失った人間へ鋼の四肢や臓器を移植する新西暦版の再生医療であり、人の肉を捨て更なる高みを目指すというものだ。

 倫理を無視できる理想の環境において、私の視界は極彩色に彩られていた。

 

 実験、考察、改良、執筆。そしてまた実験に戻る。

 寝食は忘れないようにした。そんなものは研究と比していかに些末なことだろうかとさえ私は思っていたけれど、オフィーリアの小言を思い出すたびに控えようと思った。

 神祖や私の実験が表に発覚しかけたことが一度あった。今にして思えば、アレは綱渡りのような出来事だったと思うし自省している。

 私は証拠をつかみかけた二人を()()()()()()()()殺した。思えばこれが私の初めての殺人だった。

 血に濡れた自分の手を見て思った事と言えば、人の血は暖かいのだな、と言う事ぐらいだった。罪悪感はあまり感じ入らなかったと思う。世間一般では殺人はタブーだというモノだけれども。神祖の治世は絶対で、それを失ってしまえば私はこの最高の研究環境を失ってしまう――その恐怖の方が勝っていたと言えるだろう。

 馬鹿な人達なのだなと、私はつくづく思った。アンタルヤに渡って果たして何をしようとしたかったのかは知らないけれど、そんな乱痴気で私の愛した箱庭を壊される事だけはたまらなく不快だった。

 黙って神祖の治世を享受していれば彼らは無事に暮らせたろうに。これでは、彼らに取り残された()()()があまりにも報われないというものだろう。

 

 

 そんなつまらない出来事もありつつ、私は片手間で人造惑星という奴を作ってみようと思い立った。別に、特に深い意味のある試みではない。自分の技術水準の確認や腕試しという側面は強かったろう。

 オウカ様も好きになさいと言ってくれた以上は存分に試そうと思った。

 

 素体の選定はどうしようか。人体実験の残骸では理想と言い難いだろう。

 アドラーから流出した魔星製造のノウハウにも一通り目を通した。そして私は()()()()しかないだろうと確信し――成果は結実した。

 

 神星鉄の骨格に不格好な肉の塊を、培養するように段々と貼り付けていく。できれば、美しい方がいい。光輝の堕天使の名を冠するのだからそうあるべきだ。

 殺塵鬼がそうであるように、別に素体とそっくりそのままである必要などないのだから。できれば改良の余地も残した方がいいだろう。

 ルシファーはそのようにして完成した。

 

「おはよう、ルシファー。気分はどうかしら」

「脳波と星辰体の反応に特に変化はない。概ねお前の設計は忠実に反映されている」

「そう。ならよかったわ」

 出来上がったそれに沸いた感情は、率直に言って希薄だったと思う。恐らく私がソレに向けている感情は、一番近いモノに例えるならば芸術品を仕上げるそれだった。

 ああ、それなりに良く出来たんだろう。あとは少しずつ改良を施して行こう。神星鉄も、まだ完全に全身に組みこめてはいないけど、それは段階的に行っていこう。

 ルシファーを改良していく度、私の頬は少しずつ緩んでいく。それは別に誰かに見せようとは思わないけれど、きっといつかはオウカ様に見せてみよう。

 

「ウェルギリウス、改造を施せ。今の俺の躯体には集束性が欠けている、加えて計算上俺の躯体では出力に耐えられん」

「えぇ、待っていなさい、ルシファー。貴方を私の最高傑作にして見せる」

 ルシファーは、驚いた事に強さへの衝動が非常に強かった。強くなりたい、というただその一点において天井知らずの衝動を抱えている。

 目に宿るのは、黄金のような輝き。その素体が何なのかを考えればある意味では、なるほどそういう宿業なのだなと思った。

 

「ウェルギリウス、お前の水準はこの程度ではない。従って俺の性能限界もこの程度ではないはずだ」

「当たり前でしょう、ルシファー。まだ改造の計画は在るもの。貴方はまだまだ、強くなれる」

 段階的に改造を施すたびに、ルシファーは強くなっていく。六資質はついに量産型のアメノクラトの影を踏みかけた。

 無論、アメノクラトのデータも参考にしている以上は当たり前な事でもある。ルシファーの強さとは、私の科学の完成度に他ならない。

 

 ……しかしその先駆者たる軍事帝国に一つの究極を私は叩きつけられる。

 第三世代魔星、鋼の限界突破。アレは素晴らしかった、完敗だとさえ言ってもいい。極晃の汎用化ともいうべきアプローチは私には至れなかったものだ。

 極晃という極点に至る事を捨て、強靭な躯体と接続機能を以てその力を御するという考え方は私には出来なかった。

 極晃に至るためのハードルをいかに技術的に下げるかに腐心していた私の浅はかさを思い知った。

 

 そして――ああ。神天地における■奏と■奏の最後の空前たる決戦に自分も参じていた。

 そこで目にした人造極晃創生理論、それにとどまらぬ未知なる兵器群が私の心を捉えて離さなかった。オウカ様ですら及びはしないだろう。

 

 あんな未知がまだこの世にはあったのだと。二度目の敗北を私は叩きつけられた。完敗だった。

 立ち直れないかもしれないと思ったのは、後にも先にもこれが初めてだった。光に全身を焼かれるような敗北感が、歯が欠けかねないほどの歯ぎしりとなった。

 これほどの感情を、私は今まで抱いたことなどなかった。

 

「何を迷うウェルギリウス。俺達は今負けた、それだけだ。ここで立ちあがれば、まだ敗者などではない」

「……そうね、ルシファー。ありがとう、私も今は恐らく貴方と同じ気分よ」

 ……けれど同時に、だからこそ私は思った。まだ、これほどに未踏領域はあるのだと。勝手に自分で、科学の限界を自分の中に定義していた事の愚を恥じた。

 だからこそ誓った。自分の科学の最高傑作を創り上げて見せると、私は改めて誓った。

 

 

 極晃に至る必要はない?

 第三世代は発想は素晴らしい、私は確かに敗北した。それは認めよう。

 だが、そんなものは負け犬のアプローチでしかない。本物に至れない時点で――ゴールの存在を知ってしていながら限界を定めてしまっている時点でそれまでだと言わざるを得ない。

 

 極晃を描くために必要な要件は大きく分けて三つ。

 天元突破の資質の存在。

 上位次元接触用触媒。

 ――想いを同じくする他者。

 

 資質と触媒は、それは魔星であるという時点で何らハードルになどなっていない。問題は、最後の条件だ。

 第一世代魔星は、純粋に星を扱う基盤としての優秀さを追求している。より優秀な兵器、という意味では私の志す魔星の方向性とは似ているモノがある。文献で知る限りは殺塵鬼、氷河姫はまさしくシンプルに優秀だ。死肉を積み上げる性能という一点に関して述べるならば、加具土神壱型を除けば恐らく彼らに並ぶ者はいない。

 資質も触媒も、この第一世代によってほぼ基礎理論は完成したと言える。第二世代、第三世代と続く基盤を築き上げ、偶発的であれ極晃に到達したのだからその功績は述べるまでもない。

 

 第二世代魔星の蝋翼の産物たる煌翼は天奏に捧げた祈りが原形となっている。原理として、彼らは互いに互いを理解し尊重し合っているのだから、極晃を描くに足る因果を持ち合わせている。

 だが、そこに至る過程で第二世代魔星たる蝋翼は大きく寿命を摺りつぶされている。この理論を考え付いた人間は悪魔的だと言わざるを得ないだろう。

 煌翼を卵の中身とすれば、蝋翼は殻だ。

 蝋翼はその本質が光ではない以上、絶対に意志力というベクトルでは煌翼に敗北する。さすればどうなるか。主体は煌翼となり、蝋翼という殻を破り雛となった煌翼は残骸(蝋翼)を後にして飛び立つのだ。翼、とはよく言ったものだと呆れるしかない。

 心底から感嘆した。徹頭徹尾、星辰奏者を人として扱っていない。飽くまで魔星が極晃を描くための部品(ペア)として使い倒している。もし私が軍事帝国にいたならば、きっと似たアプローチをとっていたかもしれない。

 

 第三世代魔星は、眷属としての極晃への接続機能だ。

 極晃の汎用化。選ばれた者だけではなく、より広く星を共有する事。これが意味するところとはつまり極晃の亜種の軍勢だ。

 まさしく鬼に金棒もいい所だろう。加えてその本家本元たるアドラーは星殺したる星辰滅奏者と万象砕く英雄の光輝たる星辰閃奏者――光と闇の二つの究極を抱えている。

 だが。それは所詮極晃そのものではない。極晃奏者と眷属とでは天と地の差だ。極晃そのものに至れない、負け犬のアプローチでしかない。果物がありながら、手が届かないからと枝葉だけ持ち帰るようなものだ。

 

 では第四世代魔星はどうあるべきか。

 言うまでもない。ゴールは極晃だ、それは譲れない。

 極晃を描く以上、相手が同じ魔星であれ人間であれ、ペアである必要がある。

 ならば設計段階からペアで運用する事を前提とした魔星を作り上げる――それはハードルが極端に高くなる。死体選びの段階から魔星の素体に適し、かつペアとして成立するかという二つの課題を越えなければならない。

 魔星本体ではない、その魔星と共に星を描く相手にこそ私は重きを置くべきだと考えた。どれだけ触媒も資質もあろうが、要は心一つで頓挫するのだから。

 であれば自然、その答えは一つしかありえない。

 ――第四世代魔星のあるべき姿とは、神曲における淑女のように()()()()()()()()魔星だ。

 

 第一世代型の魔星を人造惑星(プラネテスシリーズ)と呼ぶのなら。

 第四世代の系譜に相応しき名は、至高天の階(エンピレオシリーズ)以外に有り得ない。

 銀月天と至高天こそ、私の提唱する魔星理論の姿であり、それ以外の総ては試作に過ぎない。

 

 

 創星(つく)って見せよう。理論に穴はない。作為的ではない、人と人とが織り成す一つの極点を極晃と呼ぶのなら。

 その過程さえ演出すれば、再現は出来るはずだ。必要なのは過程(エピソード)なのだから。

 先駆者たちが示した答えに、私は胸を張って証明して見せよう。第四世代魔星の理論と結晶を。

 

 私は至高天(ルシファー)を導く魔女(ベアトリーチェ)になって見せるとも。

 

 

―――

 

 

 水星天の去った教会に取り残された俺達は、茫々然としていた。

 嵐のように訪れ、嵐のように去っていった。水星天という女の在り方が、まるで理解ができなかった。エリスに著しい執着を抱いているようだったが、エリスは酷く気持ち悪そうな顔をしている。

 

「エリス。……気分は概ね分かる」

「察してくださりますか、ロダン様。……安心なさってください、私は異変はございません」

 多少、気分が紛れるのならばそれはそれで嬉しい事だった。一難は去った、今はそれで良しとするべきなのかもしれない。

 だが、それはそうとエリスの姿に気が付いた。……解れかけの銀月の衣装は何処へ行ったのか、星は解けて今は元の服装に戻っている。

 どたどた教会に踏み入ろうとする騎士たちの足音がする。扉がガタンと開く。

 

 

「動くな、其処の星辰奏者達!!!」

 怒号のような鋭い声と共に、多数の騎士たちが踏み込む。……無理もないだろう、エリスのあの出力ではどのようにしても欺ききれないのだから。

 騎士たちの先陣に立っている人物に、ほどなくして俺は気づく。

 あちらも俺達の姿を察したようで、呆然とした顔を一瞬した。

 

 

「……お前、ロダンか」

「久しぶりだな。リヒター」

 第六軍団団長、そして俺の元上司だったランスロット・リヒターだった。

 相も変わらず、軽薄そうな笑いが似合いそうな色男だった。それから随伴の騎士たちの数人には顔の知っている人間もいた。

 ……だが、この場で彼らが俺と相対しているのは騎士としてだ。もう、以前のような友誼と呼ぶべきものは存在していない。

 溶けて朽ちた十字架の残骸を観ながら、リヒターは成程、とため息をつく。

 

「無用な疑いを掛けたくはないが、騎士の務めだから一応聞くぞロダン。お前は被害者か、加害者か?」

「被害者だ。星辰奏者の通り魔に襲われた」

「だろうな、恐らく残骸を見る限りでは熱疲労での破壊の過程をたどっているようには見えない。合金形成やそれに類する星辰光だろう。お前ではない。……とすれば」

 リヒターの目は、俺ではなくエリスへと向く。エリスの姿は、ところどころ戦闘の余波で薄汚れてる。あらぬ疑いを掛けられても、おかしい事ではない。

 

 

「違うリヒター。エリスは何もしていない。逆なんだよ、エリスも被害者だ」

「……そう断定するのもおかしな話だ。この教会の座標で確認された反応は凡そ二人分。だがお前はもう発動体を返却しているから除外していいだろう。通り魔だけが星を使ったとすると計算が合わないのさ。となれば自然、消去法でそちらの嬢さんが星を使ったと考えるべきだ。星辰奏者が只の被害者なわけがあるまい」

 ほぼリヒターはエリスが星辰奏者である事を見抜いている。

 加えて、エリスはこの国の星辰奏者ではない。厄介な事になってしまったものだと頭を抱えたくなる。

 

「ロダン。お前はそのエリスというお嬢さんとどういう関係だ」

「縁があって、今は屋敷を貸している」

「念のために聞くが、星辰奏者であることも知っていて?」

 リヒターは頭の回転が速いのは知っていた。だからこそこの場で誰が一番イレギュラーな存在なのかを理解している。

 けれど、エリスは俺を庇うように前に出てリヒターを睨む。

 

「……いいえ、違います騎士様。ロダン様は何も存じておりません、私が今この場で初めて明かしました」

「そうか、すまないなお嬢さん。……詳しい話はお嬢さんの事も含め、聖庁にて改めて聞かせてもらおう」

 エリスは、そんなウソをつく。話を合わせろと爪先を踏まれることはなかったが、エリスは明らかに俺を庇っている。

 ……グランドベル卿の時とまるでこの流れは同じだ。しかも今度はいきなり団長格がこの場に訪れたのだから何の意味もないはずはないのだ。

 

「任意の同行、というが強制という体と解釈してもいいんだな?」

「言わせないでくれよロダン。俺だって本位じゃないんだ」

「だったら連れていくのは俺だけにしてくれ。エリスは被害者だ、帰してやってほしい。エリスから女優である事を奪ってほしくはない」

「難しい相談だな。この国において、聖教皇国の本土で騎士団の所属ではない星辰奏者がいるという事実が何を意味するか、わからんお前でもないだろう」

 なんともやり辛い、そう思う。リヒターもまた騎士としての役目に徹しているからこそそういう言い方にならざるを得ない。それは苦々しく歪む眦からも窺い知ることが出来た。リヒターを責める事などできはしない。……騎士として、彼は何も間違った事はしていないのだから。

 

「お受けいたします、騎士様。……それよりそのつもりです、貴方の心中もまたお察しいたします」

「佳いお嬢さんだ、騎士ランスロットの名に懸けて、ロダン共々悪い扱いはしないと誓おう」

 恭しくリヒターは頭を下げる。普段が緩い態度だが、そのような一礼もまた様になっているというべきだろう。恰好がいいと思うし、俺の騎士時代の礼法作法はリヒターに教わった側面が強い。

 エリスもまた頭を下げている。……俺が心残りがあるとするならば、そう。

 

「エリスを連れていくというのならその前に、一つだけお願いがある」

「……聞こうか、ロダン」

「ハル姉さんにせめて挨拶をさせてくれ。何も言わずに姉さんをあの屋敷に一人にしたくはない」

 少し、リヒターは思案する。ふむと、頷き、それから随伴の騎士たちを引かせる。ぞろぞろと、引き潮のように騎士たちは去っていく。それからリヒターは向き直る。

 

「いいのか、リヒター。帰らせて」

「いいんだよ。無実の人間に大挙して押し寄せて逃げ場をふさぐような真似だ、戦闘時ならまだしも平時で騎士のやる事ではないだろ」

「そりゃどうも……やっぱり御変わりないようで、第六軍団団長殿」

「照れるな、惚れるぞ?」

 さらっと背筋が寒くなる冗談を言わないでほしい。ラプンツェルはともかく、リヒターは軽口だとは知っているが。

 嫌味の無い涼やかな所作、距離感や軽口はまるで変わっていない。教会に踏み込んだ際の鋭い雰囲気は何処に消えたのだろうと思う。

 

「……ロダン。お前、騎士を辞めてからはどうなんだ」

「何とか、上手い事暮らしてるよ。それなりに苦しんでる」

「そうか。……ならいい、お前が満足しているなら言う事はないさ」

 リヒターは体を翻し背を向け、手を振る。

 からからと笑いながら、教会を後にしていく。

 

「そうだな、お嬢さんもロダンも、明日の正午に聖庁に来るといい。俺からはそう第一軍団に伝えよう。いきなり呼びつけられては不快なのも理解している、心を落ち着ける間も必要だろうよ」

 一昨日に続き、またも取り調べという奴を受けなければならないのか。そう思うと心が沈む。

 加えてエリスをどう、言い訳したものだろうか。エリスは公演を控えている身である以上、あまり身辺を騒がせたくはない。

 それに事と場合によっては出演さえさせてもらえなくなるのかもしれないのだから。

 

 

「ロダン様。……また、迷惑をかけてしまいました」

「エリスが気に病む事じゃない。それに俺は早くこの件は終わりにして、お前に踊って欲しいと思ってる。踊るのが、好きなんだろう」 

「――っ」

 エリスは、少しだけ顔を赤くして背けた

 俺も、そんなエリスを可愛らしいと思った。確かに、俺はエリスのファンではあるのだろう。今日彼女が見せたあの演技が、息遣いと視線の軌跡が、俺には印象に残っていた。

 もし、時間があれば。ハル姉さんと一緒に見に行ってやりたいと強く思った。

 

 

 



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怪物の証明 / Eurydice Replica

Q、エリスは魔星としては誰に一番近いの?
A、ケルベロスやヘリオス君に正体としては近いです。多分エリスからしてみれば彼らはお兄様とでもいうべき存在にあたります。
そしてヴェティはさしずめ「お母様」です。



 エリスと二人で帰るのは初めてだと思った。

 夜、空に浮かぶ月はエリスの髪を銀色に照らしている。見れば見るほど、エリスは人間離れした美貌に思える。大和の昔話に謳われる月から訪れた姫の話がぴったり似合う。

 

「かぐや姫、か。多分、ニュアンスは違うが良く似合う」

「私がかぐや姫ならば、ロダン様は帝という事になってしまいますし私は月に還らなければならなくなります」

「亡き教皇スメラギへの不敬になる、その例えはやめておこう」

 エリスは、そうくすりと笑う。

 こうして笑う時の彼女は年相応な姿に見える。人間離れした雰囲気は、今の彼女は纏っていない。彼女に少しだけ心を惹かれそうになる自分を自覚する。

 今抱いている想いはきっと、ベアトリーチェではなくちゃんとエリスに対して抱いている想いなのだろう。

 

「……ロダン様、顔が赤いですね。体調に御変わりは――まさか、水星天の影響が?」

「いいや、別にそれは特に問題じゃない」

 自分で言うのは少し恥ずかしい。自分の想いだけが空廻っているようで滑稽だ。

 けれどエリスの笑顔は俺も好きだった。

 考えている事がよくわからない人間で、天才肌で、少しだけ人とずれている。俺は思えばエリスの事をまるで知らないし、知ろうとさえしなかった。故にエリスの事情など知りはしないが、それでも彼女は俺の心配を稽古が手につかなくなるほどにしてくれていたのだという事だけは知っている。

 

「お前の事を俺は何も知らないんだ、お前の事について何も知ろうとしなかった。俺が倒れていた時、エリスは稽古をまともにしてられなかったというらしい。……エリスが心配していたのにな」

「……やはり、人のうわさに戸は立てられませんか。あのような情けない姿は、できればロダン様の御耳に入れたくはなかったのですが」

 はずかしそうにエリスは顔を背けた。エリスにも恥ずかしがることはあるのだろうと思うと、とてもかわいらしく思えた。

 片頬に手を当て彼女は目線を合わせようとしていない。

 

「ロダン様、もしやと邪推致しますがとても失礼な事を考えておいででしょうか?」

「いいや。とても可愛らしいと思ったんだ。エリスにもそんな風に恥ずかしがることがあるんだなって」

「……意地が汚い詩人は嫌われるかと。ロダン様」

 エリスの憎まれ口もあまり嫌味が籠っていない。からかわれるのは慣れていないらしい。ある種、年相応(少女)っぽい感性だと思う。

 

「古今、卓越した芸術家は往々にして人格に難があると聞くよ」

「まるで私が人格に難があるとでも言いたげなのですね」

「被害妄想が過ぎるんじゃないのか、それとも自覚は出来てたのか」

「貴方が言ったのでしょう!」

 頬を少しだけ膨らませながら、エリスは俺を睨んでいる。

 そう言う顔もできたのか、と少し思う。彼女は本気で誰かに負の感情を抱いたことはなく、また抱きやすい類の人間ではない。

 エリスの事を、少しだけ分かった気がする。

 

 屋敷が見えてくると、ハル姉さんが俺達の帰りを待ってくれていた。手を振ってくれる姉さん、少し小走りで俺の元を離れて姉さんへ駆けていくエリス。

 そういう日常が、きっとあってもいいのだろうと思えた。

 

 

 

 ……それから足早に俺も屋敷に戻ると、姉さんには早速明日の出頭の旨を伝えた。

 

「……姉さん、驚かないで聞いてくれ。俺は明日、エリスと一緒に聖庁に行かなきゃならなくなった」

「ロダン。……何をやらかしたの?」

「おい姉さん。なんで俺が何かをやった扱いなんだ」

 テーブルについて、エリスと一緒に俺はハル姉さんに向き合ってる。明日の正午に聖庁へ行かなければならない事、エリスも同伴でなければならない事を喋ったことに対する姉さんの言葉がそれだった。

 けれど、それはエリスも否定する。 

 

「御姉様。ロダン様は決して邪なる事は致しておりません」

「なら、……もしかして騎士に復帰するの?」

「俺は騎士に戻るつもりはない」

 一瞬だけ、姉さんの目が輝いた気がしたがすぐに水を掛けられたかのように意気消沈してしまう。

 ……そう言えば姉さんは俺が騎士に復帰する事をそれなり程度に望んでいたなと思い返す。あらぬ期待を掛けさせてしまった事は大変申し訳なく思ってしまう。

 

「昨日、通り魔にエリスが襲われかけてな。俺もその場にいたから、その聴取で出頭を求められた、というわけさ」

「それは……その。大変な目にあったのね。でも、無傷ってことはロダンがちゃんとエリスさんを護ってくれたんでしょう」

「……」

 通り魔の正体は水星天だ。とても申し訳がない事に、姉さんの想像とは真相は逆だ。

 とても骨身に染みるほど情けない話だが。

 

「姉さん。……その、通り魔は星辰奏者だったんだ。そして――」

「隠していて申し訳ありませんでした、御姉様。私もまた、星辰奏者なのです。ロダン様共々巻き込まれかけたのを私がお守りいたしました」

「……ロダン。どういう、こと? えぇと、つまりエリスさんは星辰奏者と言う事は聖騎士って事? 役者なのに?」

 ハル姉さんは見事なまでに混乱している。

 ……星辰奏者であるという事は、ほぼカンタベリー聖教皇国では聖騎士である事と同義だ。だがエリスは聖騎士ではないしおそらくこの国の出身でもない。

 

「いいえ、御姉様。私は聖騎士ではありません、……私はこの国の生まれではないのです。聴取を受けるのは、正しくはその通り魔と――私の事情についてです」

「……そう。エリスさん、何か事情があってロダンが助けたのだと思っていたけど、そういうご出身だったのね」

 姉さんは少し呆れるようにエリスに顔を向けている。

 エリスはそれでも、姉さんをしっかりと見据えている。隠していたのは事実で、言い訳はこれ以上したくないからと。

 そんなエリスの在り様に姉さんも落ち着きを取り戻しながら、話を続ける。

 

「ロダンはいつからエリスさんが星辰奏者だと気づいていたの?」

「……エリスと出会ってその時からだよ」

「……そう。私、蚊帳の外だったのね。あんなに姉さん、御姉様と言われていたのに少し傷つくわ」

 よよとハル姉さんは泣くようなわざとらしいジェスチャーをしている。

 エリスは負い目がある分、本当に気に病んでいるようである。

 

「……御姉様。今まで、黙っていた事をお許しください。私は確かにこの国の出身ではありません。証を立てられるものはありませんが、それでもこの国に仇成すつもりはございません」

「ロダンは複雑な事情を汲んで、貴女を助けようとしたのね。……今更許すも許さないもないわ、嫌なら初めて出会った夜に貴女を追い出しているもの」

 姉さんは重要な部分でやはり勘違いをしているようではあるしエリスもそれを正そうとはしないが、それをわざわざ指摘するのもどうかとは思ったので口はつぐんだ。

 エリスと姉さんの仲がこじれるのは、俺も望むところではなかったからだ。

 

「私はエリスさんが大好きだし、それに経緯はともあれロダンを護ってくれたんでしょう。なら私はエリスさんの味方で、エリスさんも私の身内よ。……身内が居なくなるなんて、私は嫌だもの。そんなのは絶対に嫌なの」

「……御姉様」

 ハル姉さんの両親は、アンタルヤへの仕事の途中で船上で足を踏み外し事故死となった。

 唐突に、一人の環境に投げ出された姉さんはもう、見ていられないほどに憔悴していた。

 それゆえに誰かを失う事への恐怖は人一倍どころか二倍も三倍も大きい。……だからこそ、エリスへの感謝もそれを反映するように大きくなる。

 

「それで、その星辰奏者の通り魔からエリスさんはロダンを護った、と。それはいいわ、分かったわ。……でもその星辰奏者って、どういう人だったの?」

「あまり、思い出したくありません。端的に言って、気味の悪い人でした」

「……ごめんなさい、エリスさんは被害者なのに、わざわざ聞く事ではなかったわね」

 気味の悪い人、と言う点に関しては全くの同感だった。エリスに対する極端な関心――どころか恐らく性的なニュアンスも少なからず混じっているのだろう。

 俺がエリスの立場なら例えスカートがめくれあがろうとわき目もふらず逃げるだろう。

 女性と男性で感性が違うという話もある。

 

「でも、エリスさんがどこの誰でどういう経緯でこの国にいるのかは私にはよくわからないけれど、それでも私はエリスさんが大事な客人で私の友人だという事に変わりは無いわ」

「ありがとうございます。このような不義理を致した私を受け容れてくださって」

「エリスさん。謙虚なのは貴女の美徳だけど、あまり頭を下げ過ぎてはだめよ。もう少し堂々となさい、こういう事は素直に受け取るものよ」

 姉さんに頭を撫でられているエリスは、とても幸せそうな顔をしていた。

 けれど俺と少しでも視線が合えば、途端に恥ずかしそうに顔を背ける。……多分エリスは自分が喜んでいる姿を他人――特に俺に見せる事を好んでいないのだろう。

 どことなく、ユダの言う俺に対するエリスの態度の違いというものが分かる気がした。

 

「私も、御姉様がとても大好きです。私を受け容れてくださった、初めての人で、大切な友人ですから」

「……エリス、俺の事は?」

「ロダン様の事は知りませんっ」

 エリスにそっぽを向かれ、ハル姉さんはくすくすと笑っている。

 足を踏まれて家に転がり込まれて、口裏まで合わせたというのにこの仕打ちは抗議をしても許されるだろう。

 

「……とにかく、災難だったわねエリスさん、ロダン。明日の備えてゆっくりなさい」

 ハル姉さんはそう言って、自室に戻っていった。

 

「ロダン様、それではまた。明日」

「あぁ」

 夜ももう遅いだろう。エリスと別れ部屋に戻る。

 一人だけの部屋は少しだけ肌寒く感じた。

 

―――

 

 翌日、俺達は聖庁に向かった。

 屋敷を出る前に姉さんに挨拶をかわして、エリスと共に歩いていく。

 いくつか街を抜ければ次第に周囲の風景は変わっていく。

 

 人々の声は段々と堪えていき、場の空気も厳かなモノへと変わっていく。大聖庁への出頭の要請はこの国の人間であっても異例な事だ。

 人づてに聞いた話だが、アンタルヤのさる異名持ちの傭兵が招かれたという。

 

「……大聖庁とは、このような場所なのですね」

「そうだな、聖騎士でもない限り滅多に訪れる事のない場所さ。俺も何度かここに来たことはある」

 聖書の一文節も覚えていないほどには聖書嫌いだった俺としてはこのような場は息がつまる。

 踏みしめる度、騎士時代を思い出させられる。とても苦さが七割だろうが、それでも決してそれだけではなかった。

 一方のエリスはいつもと大して様子が変わっていないようだった。

 泰然、あるいは超然、というべきなのだろう。

 

 大聖庁を進んだ先には――

 

 

「お待ちしていた。アレクシス・ロダン、そしてエリス・ルナハイム嬢」

「……お久しぶりです、イワト様」

 お出迎えは石膏のように不愛想だった顔が印象的だったイワト・巌・アマツだった。

 腰に日本刀型の発動体を帯刀していながら俺達を見ている。大和に謳われるサムライ、という奴だったかと思う。

 

「……出頭に応じて頂き、深く感謝致す」

「こちらこそ、お出迎え頂き感謝致します。イワト様」

 エリスも優雅に一礼を返す。

 騎士と姫、と言えば確かに聞こえはいいだろうが、それ以前に星辰奏者と星辰奏者だ。決してそのやり取りは穏便なモノではない。

 以前、俺はイワトに対し「エリスは役者で、付き合っている」と言った事がある。……星辰奏者であるという事は意図的に伏せて。

 俺に時折投げられる鋭い刀のような視線から察するに、その真意をイワトは図ろうともしているのだろう。

 

「詳しい議は、秘跡省にて。ご案内致そう」

「待ってくれ、イワト様。秘跡省は事件に関して管轄外では?」

「この国に非ざる星辰奏者の通り魔の存在――加えてエリス嬢の存在に関する故だ」

 そう体を翻し、イワトは秘跡省へと歩を進めていく。その背を粛々と俺達は進んでいく。

 ……その傍らで、エリスの表情が陰っているのが見えた。

 秘跡省はこの国における星辰体研究の最先端を往く組織だ。であったならば、エリスのあの常識を超えた星辰光についても何か分かるのでは。

 それを暴かれる事を、エリスは好んでいないのだと推察できる。

 

「……ロダン様?」

「離れるな、エリス」

 そんなエリスの手を、俺は握った。エリスは不安がっているのなら、それを少しでも和らげてやりたいと思う。

 手を握られると人は幾分気が楽になれる。それはハル姉さんから子供の頃に教わったことだったから。

 

「ありがとう、ございます」

「……なるほど、貴公ら二人はとてもよく、お似合いだ。仲睦まじい事で羨ましい。……今は亡い友人二人を思い出す」

 何を感じ入っているのだろう、イワトはふむふむと言いながらそう納得している。

 景色は変化していき――秘跡省の敷地に立ち入った。

 それから庁内へと立ち入っていく。いくつかの部屋を抜けると――宗教的意匠が施された応接の間に俺達は辿り着いた。

 第一軍団第Ⅲ位階、マリアンナ・グランドベル卿――第六軍団第一位階、ランスロット・リヒター。そして。

 応接の間――その最奥の机に腰かける一人の女性がいた。眼鏡をかける、物憂げな光を宿した女性だった。

 柔和な笑みが、俺達の緊張を解そうとしている。けれど傍らにはグランドベル卿のリヒターが坐している。気が休まるわけなどない。

 

「お初にお目にかかります、大和典礼秘跡省副長官。オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタインと申します」

 オフィーリア・アインシュタイン。

 かつて聖教皇国の研究部門において星辰奏者の研究に携わって大天才、ウェルギリウス・フィーゼ氏が唯一認めた右腕。

 研究部門をウェルギリウス氏が去ってよりは、オフィーリア氏は才能は及ばずながらも精神的な支柱となって研究部門を率いてきたという。

 ……神天地事件以後は、大規模な抜本的人事整理により副長官へと抜擢されたという。未だ、長官の座については鳳卿に比肩し得る功績を持つ人間が現れないという事で空位となっている。

 

「……元、第六軍団所属。第Ⅲ位階のアレクシス・ロダンと申します」

「ユダ座の女優をしております、エリス・ルナハイムと申します、よろしくお願いいたします」

「昨日の事案、心中をお察しいたします。本来貴方方を護るべき騎士の務めを果たせなかった事を深くお詫びいたします」

 ……そう、オフィーリア氏は粛々と挨拶を済ませる。

 要はするにこれはつまりは儀式なのだ。ひとまず、互いにこれで()()()()()()()()()()()()、これから内容については深く突っ込んで話していこう、といった具合に。

 

「では、これから昨日の襲撃事件についての聴取を始めます。……昨晩、あの協会にいたのはエリスさんとロダンさん。それと星辰奏者の通り魔。この事実に相違は?」

「ないですね、オフィーリア様。概ねそれで合っています」 

「その星辰奏者の素性と使った星については?」

「ラプンツェル。そう名乗っていました。星は……恐らく、合金の形成能力かと。維持性、操縦性においては突出して優れており、加えてそれに準ずるレベルで拡散性にも秀でています」

 特にその問いについては俺は疑義を挟むことはない。

 淡々と、ラプンツェルについて俺は話す。

 

偏執なる水銀の愛(Cielo di Mercurio)顕現するは水星天(Amalgamation Syndrome)

AVERAGE: C

発動値DRIVE: A

集束性:E

拡散性:A

操縦性:AA

付属性:D

維持性:AAA

干渉性:E

 

 俺の記憶する限りでの六資質はこういう風なモノだった。それを聞くと、ふむとオフィーリアは何か考えている。

 それからぶつぶつと、思案するようにつぶやいている。

 

「……過去の文献を遡る限りでは、拡散性と付属性以外は露蜂房(ハイヴ)とほぼ同一。傾向も酷似している。要は戦闘用の個体ではない、或いは何かの試作ということかしら――いえ。こちらの話よ。ありがとうございます」

「何か、オフィーリア様が分かったことなどは?」

「分かったこと、かしら。そうね……例えば魔星、という言葉についてロダンさんとエリスさんは何かご存じでしょうか?」

 魔星。……その言葉に、心臓を掴まれる気分になった。

 死肉を材料にした人倫冒涜の極点たる星辰体運用兵器、エリスが語った水星天の正体だ。だが、それを知っている、と言ってはならないという反射と共に俺は自分でも不意にそれを言った。

 

「……知りません、私もロダン様も」

「そう、でしたか。なら()()()()()()。話を続けましょう。……貴重な証言を有難うございます、お二方。目下、ラプンツェルと言う星辰奏者の行方については調査中とした回答が出来ませんが、貴方方の無事はお約束いたしましょう」

 オフィーリア副長官はそう言った。

 ……少しだけ、胸の荷が下りた。けれど、それだけではない。彼女もリヒターも、大事な事について言及していないのだから。

 オフィーリアの視線は直後、エリスに写る。

 

「……エリス様。昨日、あの教会の座標で確認された星辰奏者の反応は、二人分だったのです。お判りでしょうか。ロダンさんは星辰奏者ではない――ならあとは単純な引き算。つまり、エリスさん。貴女もまた星辰奏者――この国の出身ではない、星辰奏者でしょう」

「……」

 突かれたくない急所であり、真の本題だった。

 オフィーリア副長官は、眼鏡をはずして眉間を揉みながら改めて視線をエリスへぶつける。

 

「エリス・ルナハイムさん。……カンタベリー聖教皇国において、そのような名前の星辰奏者は存在しません。照合した結果エリス・ルナハイムという人間は、戸籍上ですら存在しないのです。他国からの来訪者としても調査は無論しましたが、そのような人物の渡航の記録は一切存在しない」

「――」

 エリスの手は力なく、だらりと下がっている。項垂れるように、顔を背けている。

 ……エリス・ルナハイムは戸籍上からして、この国には存在しない。それはいい、恐らく想定していた事実だからだ。

 

「あの地点で観測された出力は、二つとも明らかに星辰奏者の規格を遥かに超えていた。……そのうちの一つが貴女よエリスさん」

 

 

煉獄篇 七冠照らす神世の月晃(Silverio)、神聖詩人の導たれ(Purgatorio)

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:A

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AAA

 

 

 副長官から提示されたデータ。そこに書いてあったのは、確かなエリスの人外たる証明だった。

 

「……エリスさん。貴女は一体()なのかしら」

「――っ」

 オフィーリア副長官はそう言う。

 

「貴女に極めて酷似した星辰光を持つさる()()()()()()()が貴女の正体なのではと思ったけれど。その様子だとそうではないみたいね。現に、その件の彼女の所在は分かっているもの」

 淡々と、オフィーリア副長官は続けていく。事実を羅列しエリスの弁明の余地を奪い去っていく。

 

「断言してもいいわ、普通は常人がこんな星辰光を扱うことなどできない。発動値だけで問うならばあの英雄や強欲竜にすら並んでいる。それらですら、其の領域に至るまでは再強化手術を要した。……それを生身の、しかも一劇団員の女優が扱うなど道理が明らかに通っていないでしょう。よくて植物人間、発動した瞬間に生死の境をさまよっているのが普通よ」

「……」

 無意識に、俺が彼女から目を背けていた事実がそこにあった。エリス・ルナハイムは普通の星辰奏者ではない事は、俺にも想像がついていた。

 だが、彼女は自分を()()()()()と語っていた。

 

「エリスさん。今から言う言葉は私の独り言と聞き流していただいて構わないわ。――死想恋歌(エウリュディケ)というワードについて、聞き覚えは?」

「……知り、ません」

 飽くまでも温和な態度を崩さない一方でオフィーリア副長官は鋭く問う。

 エリスは、拒絶するようにそうか細く言葉を返す。

 

「……死想冥月(ペルセフォネ)――あるいは、葬想月華(ツクヨミ)というワードは?」

「――知らないと、言っているでしょうっ!!!」

 叫びながら、エリスは副長官を睨んでいる。

 緋色の目に涙を浮かべながら、彼女はそう叫んでいる。まるで、追い詰められたウサギのようだった。

 尋常ではない彼女の取り乱しように、副長官の言葉に彼女は何か心当たりがあるのだという事が理解できた。それも、取り乱してしまうほどに。

 

「……グランドベル卿」

「はい」

 そう静かに副長官が告げると、グランドベル卿は発動体を構える。それもあろうことか、エリスにその切っ先を向けている。

 

「まて、グランドベル。何を、しているんだ貴方は」

「ロダン。貴方はエリス嬢について、初めから星辰奏者であると知っていましたね。……知っていた上であの時イワト様に対して、意図的に伏せていましたね?」

 言い訳を許さないとばかりに、その槍の切っ先をグランドベル卿はエリスと俺に向けている。

 冗談でやっているのではない。グランドベル卿は決して冗談を言わない人だという信頼があるからこそ、本気なのだと分かってしまう。

 決意の焔を宿した目で、グランドベル卿は一顧だにせずにエリスへ槍を向けている。

 

「……結論から述べましょう、ロダン。――貴女が今、エリスと呼んでいるその御方は()()()()()()()()()。ですから、拘束させて頂きます」

「どうしてだ、グランドベル卿。……エリスは何も、罪を犯してなどいない。それを騎士たる貴方が武威で脅して一人の少女に槍を向けている。騎士として恥じ入るモノは何もないのか」

「国防の問題と個人の問題をすり替えているのは貴方でしょう、ロダン。……この国で騎士ではない特級の星辰奏者。それがどのような意味合いを持つのか、例え一時であっても騎士であった貴方が理解していないはずはないでしょうに」

 例え個人として罪を犯していなくても、この復興しかけのカンタベリー聖教皇国において彼女はどのような存在なのかなど言うまでもない。

 他国からの訪問者でも、その場合においても然るべき手続きは要求される。やんごとなき家のボディガードだろうと、テロリストだろうとそれは平等だ。

 エリスが他国からの来訪者だとするならば、その審査を受けた記録すらもないのだから。

 

「……神星鉄(オリハルコン)の炉心の波長、そしてその中でも死想恋歌(エウリュディケ)と極めて酷似した傾向が見られた。――エリス・ルナハイム。貴方もまた、()()()()()()()

 オフィーリアは判決を読み上げるように、そんな事実を叩きつけた。

 エリスがあの至高天の階と同じ魔星であるという事――名の知らぬ誰かの死肉を材料とした兵器であるという事実がそこにある。

 それを、エリスは項垂れたまま否定しない。

 

 

「そういうわけだ、ロダン。お前が意図して彼女の事を伏せた事は不問としよう。だが……悪いがそちらのお嬢さんは見逃せない。グランドベル卿も言ったろう、これは国防の問題なんだよ。どことも知れない特級の星辰奏者で、加えて原初の魔星にして月の運命を司る魔星、死想恋歌と極めてその性質が酷似している」

「……わけのわからない、そちらにしか分からない固有名詞をつらつら並べて勝手に納得しやがって。……リヒター、お前もかよ」

「ブルータス、お前もか。とはよくお前が口にしてたな。……全く懐かしい」

 リヒターはそう軽口を叩きながら、発動体を抜いている。

 リヒターもまた、グランドベル卿と同じく俺に剣を向けている。

 

「市井とするにはロダンは問題はないとして、お嬢さんはあまりにも危険が過ぎる。それ故、拘束させて頂こう。無礼、お許しを」

「リヒター、グランドベル卿。……俺はアンタらの事を本気で尊敬していたよ。かっこいいと思ったさ。途中で騎士を逃げるようにやめた俺なんかよりずっと、ちゃんと騎士をやってるんだって思ってたさ」

「国を護る事が騎士の本分だ。個人的な感傷に浸るのは結構だが、浸れるのはお前が騎士を辞めたからだ。立場の違いを理解しろとは言わん、恨んでくれてもいいしそれだけの事をしている自覚はある。だがそれでも、そのお嬢さんを看過することは絶対にできない」

 グランドベル卿とは対照的に、飽くまでも飄々とした態度を崩さないリヒターに、俺はキレそうになった。

 事実上の強制で出頭させられ、その上でエリスを拘束しようとする有様だ。……だが、リヒターとグランドベル卿の言う事に理があるのもまた、理解している。

 ようは俺がガキなだけなのだから。

 

「……同時に、その疑問を挟まない様子では魔星という言葉を知らないと先ほど述べた事も嘘のようですね。貴方が彼女の事を知っていて黙っていたのなら、改めて言いましょう。エリス・ルナハイムは恐らく人間ではない。……それでも貴方は庇うというのですか」

 もはや猶予はないだろう。グランドベル卿は()()()()()

 加えて、リヒターも相手だ。

 

 エリスを連れて逃げることなどできはしない。

 

「――ロダン様っ」

 

 けれど。その一瞬、エリスは俺の手を掴み次の瞬間には、窓ガラスをぶち破って応接の間を飛び出した。騒然とする守衛の騎士たちは、ぎょっとした顔をしながら俺達を追い回す。

 エリスに手をひかれながら、俺は逃亡劇に否応なしに身を投じることになった。守衛の騎士たちは騒然としながらも俺達を追いかけている。

 

「エリス……どうして……」

「ロダン様。お願いします、今は何も、語らないでください」

 エリスは、決して俺に顔を向けなかった。

 ごめんなさい、と小さく呟きながら、大聖庁中を駆けずり回る。

 

 退路は既に塞がれている。

 騎士たちは縦横に迫っている。ならばと裏道を抜けると、さらに追手は増える。

 砂糖に群がるアリのように。

 逃げて、逃げて、また逃げて。

 

 

 

「ロダン様。……私は、オフィーリア様の指摘の通り。人間ではありません」

「……」

「確かに、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()ですが魔星です。私の体は鋼ではありません。……けれど私も所詮は至高天の階と、同じだったのです」

 エリスはそう、後悔するように言う。

 エリスは、自分の生まれを言いたくないと言っていた。……その真実は、エリス自身が至高天の階と同じ魔星だったからなのだ。

 言えるわけがない、言っていいわけがない。今のこの状況が、言ったらどうなるかを端的にたたきつけているのだから。

 

「私は化け物なのです。月の殻から生まれた、人の皮を被った異形が私なのです」

「それでも、エリスが怪物だったとしても、俺はエリスと一緒に居たい。姉さんもエリスもいる、あの屋敷が好きなんだ」

「……はい。私も、そう思っています」

 エリスの頬を滑り、涙は散っていく。

 エリスが今、どんな顔をしているのかは俺は知り得ることはないだろう。

 ついに最後の追手を振り切った。

 背には誰もいない。ならばと、逃げたその先は――星辰奏者専用の訓練場だった。

 

 まずい、そう思った頃には答え合わせは済んでいた。自分たちは逃げきれたのではない、その場所に誘導されるように追手を仕向けられていたのだと理解したころには遅かった。

 ただただ広い、四方を壁で囲まれた天井の無い訓練場。

 其処で待ち受けていたのは――グランドベル卿とリヒターだった。

 

「逃避行は、これで仕舞いかロダン。退路を潰す、潰せなければ誘導しろ――俺が教えた初歩だと思ったんだが」

「……そうらしいな、リヒター」

 歯噛みする。退路を誘導するのは兵法の基礎だとリヒターから教わったことはあったというに、こんな初歩に引っかかったことに頭が痛くなる。恐らくハナからそういう風に読んでいたのだろう。抜け目のない事で結構だ。

 同時に、エリスもまたグランドベル卿と向き合っている。

 

死想恋歌(エウリュディケ)の再来――いいえ、詩想神篇(エウリュディケ・レプリカ)とでも呼びましょうか。貴方を拘束するには結局はそうしなければならないのですね」

「無論です。……私は成すべき運命があります。貴女などではないのです、鉄血聖女」

 言葉と共に交えられる視線。

 エリスは飽くまでも俺の盾に成るようにグランドベル卿とリヒターの前に立ちはだかる。

 

 

 音もなく、虚空にグランドベル卿の槍は一閃する。その瞬間に周囲は焔に包まれる。

 ぱちぱちと、石材や無機物すら薪にしながら、星の焔は燃え上る。

 

「ではいざ、尋常に」

「負けません、決して――!!」

 

 エリスも次の瞬間には、月の衣を纏って相対していた。

 また、あの時と同じ星辰光だ。銀月の白と、鉄血の緋が声も上げずに激突した。

 

 

 影すら残さない疾走と共に奔ったグランドベル卿の槍を、エリスは片手で銀光の波動と共に受けとめる。

 俺を護るように、撫でるように手を翳せばグランドベル卿の焔は霧散していく。

 

 

「……ロダンと同じ――いいえ、全く同じなど有り得ない」

 グランドベル卿の顔はいくばくかの驚愕を浮かべながら、しかし焔は深部を削るには至らず徐々エリスの銀光の障壁を抉り砕いていく。

 拮抗しているように見えて。しかしそうとは言い切れない。エリスの集束性は彼女の気質を反映するかのように極めて劣悪だ。

 グランドベル卿の焔の集束性を、エリスの星辰光がはがし切れていない理由もそこにあった。

 

 

「エリス・ルナハイム。なぜ、貴方があの時のロダンと同じ星を使っているのですか」

「そのような疑問を投げかける暇があるならば、体をご自愛くださいませ」

 エリスは距離を離せば虚空に手を翳す。

 

機光星辰儀(ルナグラフ)――炸裂照射(イレディエイション)!!」

 極小の銀光を纏った天体を創造し、翳した手を握りつぶす。天体は亀裂を容れながら爆ぜ、滅星の光条となって大地に降り注ぐ。 

 だが、――それを事も無げにグランドベル卿はかわして見せる。その過程でグランドベル卿の焔が剥がれても、燃え盛る大地が彼女の体に灯る焔が絶える事を許さない。

 幾条にも及ぶ光の矢を、たった一瞥しただけで槍で弾き、あるいはかわして見せる。常軌を逸した見切りの精度にさしものエリスもその顔に焦りが浮かんでいる。

 

 全身火だるまのようになりながら、常時暴走しているも同然の星光を纏って平然と「死ぬ前に殺す」を実践しているグランドベル卿に戦慄している。

 加えて同時に、敵は一人ではなく。

 

「……お嬢さん。悪いが、こういうことだ。あいにくと、そういう腹積もりでね」

「ランスロット様……!!」

 エリスの背後からは、リヒターが迫っていた。

 

 

「創生せよ、天に描いた星辰を――我らは煌めく流れ星」

 抜かれるは、ランスロット・リヒターの星。

 第六軍団団長、その座に相応しき煌めきが顕現する。慌てて振るったエリスの星の綻びを正確にリヒターは剣で断つ。

 

「剣に写すは在りし日の蒼き湖面、幾重に重ねた鉄も血も何故我が剣を砕けよう。愛馬の嘶きも友も、総ては輝く過去のままに」

 碧の淡い光を纏いながら、にわかにリヒターの星は風を帯びた。

 鎌鼬のような鋭さを伴いながら、空は絶叫を奏でていく。

 

「愚かなるかな湖の騎士。剣の誉と誓いに背くとは何たる蒙昧、なれば許しておけぬ。友も王も弑したその手に掴める栄光は在りなどしない、なれば贖え――碧耀閃剣(アロンダイト)。破滅の水に足を浸せ、お前を癒せるのは甘い毒なれば」

 おおよそ付け入るべき穴と言えるものはない、第Ⅰ位階に相応しい第六軍団最優の星辰光。

 俺が、結局は勝てなかった星だ。 

 

「超新星――毀れ無き碧の誉れ(Jasper)絶世なるは湖の剣(Caliber Aroundight)!!」

 

 

AVERAGE: B

発動値DRIVE: A

集束性:C

拡散性:C

操縦性:B

付属性:AA

維持性:D

干渉性:A

 

 碧色の星の輝きと共に訪れるのは、風の剣だ。

 リヒターの星、それは単純な風という自然現象の操作――などではない。

 リヒターの剣閃と共に巻き起こる風は、爆発的にグランドベル卿の星を増幅させる。

 一気に燃え上る焔は、ついに安全圏を奪いにかかった。エリスの銀光の領域に俺はいるからこそ守られているのだが――

 

「この程度で、私を捕らえたつもりですか!!」

「だろうな嬢さん。だが、そろそろ息苦しくなってきたろう」

 

 背後から放たれるリヒターの星をかき消そうと、銀光を纏いぶつけようとする。

 何閃も宙に剣を舞わせエリスに風撃をぶつけるが、エリスの星の前ではそれも無意味に霧散していく。

 

 しかし同時にエリスは異変に気付く。()()()()()()()()、純粋に()()()()()()()()()が故の息苦しさを感じている。

 それはグランドベル卿の焔のせいだけではない。

 

 ……リヒターの星を、俺は一度味わったことがある。

 気相化学反応促進能力。

 気体の形をとる、あらゆる化学物質の化学反応を強制的に促進する力に他ならない。風を操る事はなんらリヒターの本質ではないのだ。

 

 グランドベル卿の星が爆発的に燃え上ったのは、その化学反応をリヒターの星が促進させたからだ。

 エリスが物理的に息苦しさを訴えたのも、化学反応を利用し大気の組成を大きく崩したからだ。

 

 かつ、リヒターは自分とグランドベル卿にその影響をうけないように体に新鮮な大気を付属させている。

 ……控えめに言って、相性は最悪なぐらいに最高だと言っていい。

 

 エリスの星も勢いを増すグランドベル卿の集束性に、段々と塗りつぶされていく。

 

「まだです、ロダン様。貴方と、貴方の御姉様の下に、ユダ様の下に、絶対帰って見せますから」

「……っ、エリス」

 グランドベル卿の猛撃は未だに止まない。焔を幾度となくかき消されようと、そのたびに燃え上る。馬鹿げている。

 火が止んでしまったのならもう一度火をつければいいのだと本気でグランドベル卿は実践している。

 

 大地から剣山にように幾条も突き出る星の焔の槍をグランドベル卿は手繰りながら、押し寄せる銀光を一本一本、炎の槍を手に掴んでは使い捨て、手に掴んでは使い捨てて凌いでいる。

 凌いでいるどころか、魔星であるはずのエリスを圧倒しかけている。これを果たして、誰が人間業だと言えるのだろう。彼女のソレを俺は真似しようなどとは絶対に思えない。

 身を削りながらもしかし、それでも俺に精いっぱい微笑みかけてくれている。

 

 同時にリヒターもエリスを狙う。

 いくらエリスであろうとも、騎士団の団長格と第Ⅲ位の二対一を捌くなどとてもできる芸当ではない。

 加えてエリスは近接戦を極端に嫌っている。単純に、彼女には膂力はあってもそれを扱う心得というモノがないだろう。グランドベル卿が踏み込むたびにエリスの顔は明らかに焦りを帯びていた。

 

「魔星――それも恐らくその在り方は冥狼や煌翼に近い。エリス、今の貴方はまるで()()()()()()()でしょう」

 エリスの肌は数筋、傷を負っている。その傷から覗くのは銀色の光――彼女の体の内を渦巻く銀月の粒子だ。

 血は銀色の光にかわりながら、その傷を埋めていく。

 彼女は人間ではない。その言葉の意味がありありと窺える光景だった。……そして同時に彼女はそれだけの怪物性を有していながら距離に慣れていない――本質的に、エリスは戦士ではないのだ。

 

 消耗し続けるエリスを、俺は見たくはなかった。

 彼女は彼女のエゴを通すためにきっと戦っているのだろう。彼女はまだ、俺に隠している事があるのだろう。

 

 けれどそれでも、彼女の力になりたいことは真実だった。

 護られるだけでは、男として論外だろう。彼女の騎士になりなさいとハル姉さんに言われたのに、俺はそれを一部も実践できていない。

 

 だから、俺はあの日手を握れなかった彼女の――エリスの手を、今度こそ取りたい。例え彼女が怪物であろうとも、彼女が見せてくれた笑顔や拗ねる顔――寂しがる顔を、俺は知っている。彼女に見出すべき人間性はそれだけでも、十分すぎた。彼女は十分すぎるほどに俺に人間性を証明してくれたのだから。

 足は動く。体は健在だ。

 心に怯えはまだある。

 

 足を一歩踏み出した。二歩、三歩、段々早めていく、走っていく。

 グランドベル卿が、何か叫んでいる。

 リヒターが、何か叫んでいる。

 

 けれどもはやそれも雑音だ。俺の胸と耳に聞こえるのは、確かに、エリスの言葉だったのだから。

 やる事は理解が出来ている――否、理解するまでもなかったのだ。なぜなら、答え等()()()()()()()()()()()のだから。

 

 

「エリス、お前が詩人(ダンテ)を導く月晃だというのなら――、俺に銀の詩篇(シルヴァリオ)を託してくれ!!!」

 

―――

 

 直後、ロダンの全身は銀の輝きを宿した。

 それは、エリスのそれと全く同じで――ファウストに見せた、あの星と同じだった。

 振りかぶられるマリアンナの槍も、リヒターの風圧の刃も、どこからも知れぬ虚空から現出した銀剣によって防がれ霧散した。

 

「――ロダン。まさか、貴方は」

「……ああ、やっと思い出したよグランドベル卿。今なら思い出せる。つまり、あの夜俺が見せたのは()()だったんだろう」

 隻眼に奔る銀光に、リヒターは戦慄が走る。

 これは何だろうという質問こそ愚問であり、問うまでもなく星辰光だ。だが、ロダンの以前のソレは全く違う。

 いやそもそも、今のロダンは発動体を有していないのだから星辰光を扱う事自体が有り得ないのだ。

 

「……ロダン様。それは」

「エリス、……お前の声が今ならちゃんと聞こえるよ。ありがとう、あの夜、俺に星を()()()()()()のはお前だったんだな、エリス」

 続けて、ロダンはエリスの前に立つように剣を構える。今度はお前を護るのだと、銀色の決意をその目に宿して。

 

「悪かった、エリス。ずっと礼を言えなくて」

「いいえ……いいえ……! 貴方がこうして、私と共に戦ってくれることこそ、私は何より嬉しいのです――何より愛しい私の神聖詩人。貴方の帰りを私はずっと、お待ちしていました!」

 エリスは、万感を湛えてロダンへとそう告げる。同じ銀光を宿しながら、互いに共鳴するように彼女たちは出力を静かに上げていく。

 

 ……特級の異常事態。だからこそマリアンナの聡明さはその真実に至る。

 発動体を有していないにもかかわらず星を使えるケースには、いくつかの例外がある。

 例えば星辰体結晶化能力を持つ神祖が最たる例だろう。

 だが――それでも、例外なくそれらは「発動体として振舞うモノ」があったからこそ星を振るえているに他ならない。

 

 逆説的に今ロダンが振るっているあの星は、()()()()()()()()()()()()()()()()という問いになる。

 ロダン本来の発動体は、騎士団を去る際に返却されている。

 マリアンナの目は、そこでエリスに移される。

 

 不気味なほど、瓜二つの星辰光。エリスから検出された神星鉄の励起反応。それらを総合して考えるともっともらしい結論はたった一つだけだ。

 

「貴女が――貴方自身が、魔星でありながら()()()()()()()だとでもいうのですか、エリス」

 ――第四世代魔星、■■■■■■■の提唱する理論上の魔星。その結実がここに成る。

 発動体型人造惑星。ヒトを導き変革を促す銀月の淑女。発動体でありながら、同時に星辰奏者である――文字通り()()()()()()()()()()

 伴侶に託すという性質においては葬想月華を彷彿とさせながら、単体での戦闘力では死想冥月を、その星の性質においては死想恋歌の在り方を体現していた。

 その裡に三相の銀の女神を内包する、銀月の担い手――最新の月の機神。

 

 第四世代魔星などというモノを知りなどしないが、恐らく発動体型人造惑星というそれだけではないのだろうともマリアンナは考える。

 

 ロダンの星が操縦性の面影を残しながら大きく変質していたのは、発動体たるエリスの性質に大きく引きずられたという要因が大きいだろう。

 だが、それでも発動体だと考えるならばなぜ、エリスはロダンとそれまで何の接点も無かったはずなのに、外付けの骨格も同然の感応を果たしているのかが腑に落ちない。まるで()()()()()()で彼らは接続されているように見えてしまう。

 ……否、そもそも本当にエリスとロダンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そのロダンの様がまるで魔星のようではないかとマリアンナは息を呑む。

 ……あの時のロダンの星は間違いなく魔星たるファウストに肉薄していた。今、ロダンはその星を自分の意志で御している。

 であるならば、果たして今のロダンは魔星とどのような差異があるというのだろう。

 

「エリスは休んでくれ。俺が護る。もう傷つかなくていい」

「いいえ、ロダン様。貴方を導くのは私の役目です。……ですからどうか貴方を照らす月と成らせてください」

 二人、同じ星を宿しながらともに手を携える。

 その在り方に、マリアンナは聞き覚えがあった。まるで。そう、それはまるで――極晃のようではないかと。

 

 だが、同時にマリアンナもリヒターも動じない。だからそれがどうしたと、改めて発動体を構える。

 

「グランドベル卿、リヒター。貴方方がエリスを傷つけるというのなら、その先は俺が戦う」

「正気ですか、ロダン。彼女は人間ではないと申し上げた通りです。遥かに人間を上回る、星辰体運用兵器です。……貴方は兵器の為に命をかけるというのですか」

「そのためにエリスから女優である事を、エリスの日常を奪うのか?」

「カンタベリーの安寧に兵器に与えられるべきものではありません。私は、この国を護らなければならないのです。……一人残らず、零れる者無く」

「グランドベル卿――いいや、マリアンナ。貴方のその護らなければならない者の中にエリスはいないと考えていいんだな」

 どこまでも、話は平行線だった。

 互いに国防を、情を論じている。

 

「製造元も判然としない、人の皮を被った兵器をそれでも貴方は護るというのですか」

「兵器じゃない、エリスだ。……誰がどう定義しても、エリスの本質は絶対に変わらない」

「えぇ。――兵器こそが彼女の本質です」

 理解を拒絶するように、マリアンナはそう切り捨てる。

 ……その心中を晒すことなどありはせず。

 

「エリスの本質はそんなモノじゃない。誰よりも、純粋で白く美しい。――人よりすこしだけ純粋で、生きるのが下手なだけなんだよ」

 その言葉に、エリスは少しだけ頬を緩ませた。ありがとうございます、と、風に溶けてしまいそうなほどにか細い声を出して。

 少しだけ見ているリヒターは恥ずかしくなりながらも、そんなロダンに青いなと苦笑いをする。

 まるで俺にもそういう時期があった、とでも言いたげに。

 

「……夢想家だな、ロダン。元からその傾向はあったが、辞めてからはもっとひどくなった。いいかよく聞け。どれだけそのお嬢さんが人間のように見えても、結局は製造元不明の兵器だ。この国に危害を加えないと仮に口約束をしたとしよう。それで? その確証は何処にある。兵器の有する判断基準は? それが人間のそれと同等だと、なんでお前は信じられる」

「何かあってからでは遅い、と?」

「当たり前だろう。兵器なんだぞ? ただの暴漢などとは全くワケも規模も違う。それこそアスクレピオスの大虐殺の再演が起ころうと何もおかしくない。何より、その子は訳ありだ。俺達としても逃すわけにはいかない」

 正論が耳にこの上無くロダンには痛かった。

 リヒターにもまた、騎士としての矜持があるからこそ引けないのだと同じくロダンも理解をしている。だが、その上で退くことはできなかった。

 エリスの帰りを楽しみにしている人間がいるのだから。何よりユダに、ハル姉さんに託されているのだから。

 

「罪のない市井の笑顔と営みを護るのが騎士だと、俺はリヒターから教わったよ。今、それを実践しているだけだ」

「昔、お前は確か自分をカッコいいと言ってくれた幼馴染の為に強くなりたいと言ったな。……その幼馴染に恥じない答えだと、お前は胸を張って言えるのか?」

 リヒターは、恐らく問いかけを間違えただろう。なぜならば、エリスの笑顔と幸せを願ったのがその他ならぬ幼馴染だったのだから。

 迷いはもとよりなかった。奇しくもリヒターと同じ構えを取りながら、ロダンは正眼に構える。

 エリスもロダンに寄り添い、リヒターとマリアンナに対峙する。

 

 その様は、さながら神曲に謳われる淑女と詩人が如く。 

 

「ああ、第六軍団団長(リヒター)。――胸を張って言えるに、決まってるだろう!!!」

 

 

 

―――

 

 

 

 黒い軍服をはためかせながら、()()()は大聖庁の尖塔からグランドベルたちを睥睨していた。

 その目に憤激の色を宿しながら、腰に刺した雌雄一対の二刀を構えている。

 

 怒り――その男は眼前の光景に激怒(キレ)ていた。

 銀想淑女――まだ罪無きソレに、今まさに騎士たちは正義の為に刃を向けている。

 それを是と出来ぬと、その双眸を輝かせている。無道への怒り、庇護すべき存在への怒りが臨界点に達した時、その男の胸には焔が着火()る。

 

 投身自殺のように、尖塔を飛び降りると、直後全速力で尖塔の壁面を光の如き速度で駆け抜ける

 結わえた金の髪をはためかせながら、その威風を肩にかけた外套に託してその男は涙を、遍く悪を焼き尽くさんと進撃を開始した。

 

 それはまるで――かの英雄を連想させるかのような勇壮さで、次々と壁面を踏み砕きながら疾駆する。その進軍を――エリスも、ロダンも、マリアンナもリヒターも、誰一人として知りなどしない。

 

 

 

木星天(ジオーヴェ)――ユピテル・フォスフォロス。出撃()るぞ」

 

 

 

 

 




毀れ無き碧の誉れ(Jasper)絶世なるは湖の剣(Caliber Aroundight)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: A
集束性:C
拡散性:C
操縦性:B
付属性:AA
維持性:D
干渉性:A
ガス操作・気相化学反応促進能力。
気相の物質同士の化学反応を強制的に促進させる能力であり、本来であれば常温常圧では不活性であるはずの窒素ですらも容易に化合物を形成させる。
窒素・酸素・炭素・水素の反応による爆発物精製、あるいは酸素の化合による強腐食性ガス、爆発性ガスの生成など、非常に多岐にわたる。
純粋な窒素のみの化合による窒素爆弾、あるいはガス操作による呼吸器不全の誘発等といった変幻自在の戦術を可能とする。
六資質についても概ねこれといって突出した得手不得手も無いが他方、このような星辰光の宿命として使い手の発想力が求められることは言うまでもない。
縦横無尽、天衣無縫、まさにリヒターのように飄々としてつかみどころのない星である。




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研究ノート / Vergilius Report

意味ありげに書いてますが、次の更新はかなり先になるんで適当に読んでください。
ウェルギリウスの走り書きメモのようなもんだと思ってください。


・銀月天

エウリュディケ・レプリカ。

干渉性特化型人造惑星――その技術的再現及び第四世代人造惑星。

製造過程において極めて特殊な製法を用いている事が原因と考えられるが、常時発動値を維持していながら同時に一度も自我の起動を果たしていない。

死想恋歌にも似通った経緯が観られるが、銀月天の起動がなされない理由は不明である。

第四世代魔星――その本質とは発動体型人造惑星。

星辰奏者と発動体という不可分の関係性に人造惑星を組み込むことによって、自発的に星辰奏者と魔星の間で齟齬をすり合わせながら心を通じ合わせて極晃を描くエピソードを作る事が目的である。

同時に導かれる側も神星鉄を宿す彼女を発動体とするため強力無比なる星の行使を可能とする。

全エンピレオシリーズとの接続機能を有しているが、それが生かされることは恐らく当面再起動を果たさない限りはないと思われる。

 

・水星天

流体型神星鉄合金のフレームによる第四世代型人造惑星の実証機体。

極めて感情に特異な振れ幅を有する。それはコードネーム・■■■■■■■に対して極めて顕著である。

理由は恐らく素体にあると考えられる。

露蜂房のデータをもとに組み上げた不死性及び発動体侵略型星辰体運用兵器。不死性という一点において、彼女は核となる部位を持たない故に神祖に伍すると評価してもよいだろう。

 

・火星天

広域殲滅型の準戦闘型実証機体。

広域殲滅と戦力の隠匿性という相反する二点の追求を鑑みて出した結論として空間操作による隔離だった。

干渉性・操縦性・拡散性の三点においては少なくともA評定以上である必要があり、この点に関して試みはなされたと言えるだろう。

ただし環境操縦においては彼は空間切断による射程無限大の斬撃以外の攻撃手段を持たず、計算上の戦闘力はアメノクラトの後塵を拝する結果となっている。

 

・木星天

戦闘特化型機体。

純粋な戦闘力、という一点においては間違いなく至高天の次に位置する存在であると言える。

他方、自己犠牲の精神に富み独特の美学や意識と呼ぶべきモノが非常に強い。

端的に述べて、情動制御の弊害にして数理と秩序の敵である。

 

・至高天。

全局面対応機体。コードネーム・ルシファー。

第四世代魔星の最後に至るべき答え。集束性を除き全資質は純粋な計算値で述べるならば、製造時点での迦具土神壱型と表記上のスペックとほぼ同等である。

極めて高い出力、超高精度な制御性、継戦能力を併せ持つ、全局面対応型人造惑星。

 

 

 

 

 

・■■■

番外の天。

月の殻より出でた少女。

少女の夢、その続き。

 

 

 

 

 

 



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緋色の追憶、赫怒の霹靂 上 / Cielo di Giove

色々遅くなりました。多分次回も遅れます


「ウェルギリウス」

「何かしら、ルシファー」

 地下秘匿研究区画、その大型フラスコの中でルシファーはウェルギリウスに問いかけた。

 安楽椅子に腰かけながら、さきほどまで読んでいた本を棚に納め、ウェルギリウスはルシファーの投げる疑義を聞き届ける。

 フラスコに繋がっているいくつかの計器の指示値を眺めながら、ウェルギリウスはコーヒーの入ったマグカップを片手に応える。

 

「お前の手で最初期に創られた魔星――それが至高天(オレ)銀月天(アレ)だったか」

「えぇ、そうね。始まりと終わりの魔星、ある意味における兄妹機。それが貴方達ね」

「――ならば真なる銀月天は未だに覚醒を果たしていない。それもあっているか?」

 ルシファーのその問いかけに意味を、ウェルギリウスは目を閉じながら反芻する。

 銀月天。ウェルギリウスの最初期に手掛けた作品、その内の始まりの天の名を冠する魔星、銀月天。

 真なる銀月天――今は隔離区画にて眠る一人の少女。第四世代魔星として改修された最新の月の機神に他ならない。

 

「銀想淑女――()()()()()()()()()()()()()()()ソレは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だという理解は正しいか?」

「まだ全容は掴めきれてはいないけど、そうでしょうね。アレは常時発動値を維持し続けているにも関わらず自我の覚醒に至っていない。極めて特殊な魔星よ」 

 こともなげに、特大の真実をウェルギリウスは認めた。

 銀想淑女の正体、それはウェルギリウスの創り上げた原初の魔星の一つである銀月天の星辰光なのだと語る。

 

「少女の祈りによって形を与えられた、疑似的な自立活動型星辰光生命体――それが銀想淑女。恐らくそういう存在なのだろうと私は推論を立てているわ。……元々私が設計しようとしていたモノは死想恋歌の再現だけれど、顕現した星辰光は全くの別種――むしろ私の当初の設計思想を体現しているのは銀想淑女ね」

「……銀月天の素体となった者と、銀想淑女とでは性格に特に大きな差異がある。単純な触覚、あるいは操縦性による制御のようにも思えん。その星の根源を離れて自我を体得した星辰光など、イレギュラーにもほどがある」

「それも含めて、とても興味深いのよアレは。強いて前例を挙げるとするなら煌翼や冥狼に近いかしら。自我の確立された自分の写し身を形成する躯体複製能力――それはそれで非常に貴重な星辰光よ。前例皆無だもの」

 躯体複製能力、それが魔星の少女が宿した真なる星だった。

 生前に成りたかったモノに成れなかった事への後悔、自由な体を欲した衝動が生み出した特異な星だった。

 だがその上でルシファーは銀想淑女について解せない事があった。

 

「だがそれでも時系列として説明がつかない。お前が第四世代人造惑星の構想を立てたのも、第四世代として銀月天を設計しなおしたのも神祖共の亡き後だ。銀想淑女が生を得た時期は――地上に現れた時期はそれより以前だ。銀月天の生得的な性質が銀想淑女に引き継がれたのだとしても、疑似発動体型接続機能の実装時期はそれより後だ。共有している理由が知れん」

「恐らく理屈としては素戔王に対する邪竜のようなモノでしょう。太源が機能を追加されているのだから、連座で機能を共有(ダウンロード)し接続機能を得たと仮説は立てられるわ。何にせよ観測出来得るデータの限りでは銀想淑女のソレは間違いなく、私が銀月天に対して施したソレと同一よ。神星鉄諸共、太源の機能を彼女は引き継いでいると考えられる」

「……」

 ルシファーはひとしきり、思案するように内容を反芻する。

 

「納得はできたかしら、ルシファー」

「俺の知性の水準を設計主のお前が見くびったわけではあるまい、ウェルギリウス。不確定な要素は多いが現状の解釈は俺とお前の間に差異はない」

「そう、なら調整を続けましょう。――貴方が其の窮屈なフラスコを出してあげられるまで後少しよ」

 光輝の堕天使の名を冠する存在は、今だ地の底(インフェルノ)に伏している。

 天昇するその時を待ち焦がれ、至高の天を臨みながら、来たるべき()()を二人は待つ。

 

 銀月にあろうと、木星にあろうと、誰でもいい。

 すべてはルシファーの為に在った。そのための至高天の階だった。

 

 至高の天を戴く者に相応しいのは誰かを、決めるその時をこそ二人は待ち望んでいる。

 

―――

 

 鉄血の聖女は、焼け落ちる焔の中で生まれ堕ちた。

 もう、相当昔の話だった。

 

 行って来なさい、行ってきます。

 そんなありふれた挨拶と共に私は村を出て、その日買い物に出かけていた。お母さんとお父さんに頼まれた買い物をしに村を出て遠くへ出掛けていた。

 お父さんは少し多めにお金を渡したから好きなモノを買いなさいと言っていた。好きなモノと言ってもいまいち思いつかなかった。

 でもそれなら何か、お母さんとお父さんに贈れるものを考えよう。何を贈れば喜んでくれるのだろうか、そう思案すれば自然と私の頬は緩んでいた。

 

 村にはよく、私のスカートをめくろうとする悪童の子供達がいた。私とよく話をしてくれる女の子達もいた。

 機関車の一つもない、木々と昔ながらの木造の建物しかない寂れた場所だったけど、それでも私は大好きだった。

 例え不便であったとしても優しくて、暖かな暮らしは確かにそこにあった――私がその日、買い物から帰るまでは。

 

 

 私が買い物から戻ってきたとき、そこに在ったのは地獄だった。

 火に包まれ、朽ち果て廃墟と化していた。数人、野ざらしで倒れている人々がいた。

 叫喚すらない。この上無く熱いはずなのに、命の気配がまるで存在しなかった。

 

 マリスは、アンジェは、ジャックは何処だろう。お父さんは、お母さんは何処だろう。

 あまりにも非現実的な光景を前にして、私は夢遊病者のようにただ村を彷徨った。嘘だ、嘘だと、同じ事を呟きながら彷徨する。

 焔も、村の人々も、何も語らなかった。

 

 自分の知っている人々は――村人全員は、息もなく死に絶えていた。

 そして、私は私の家に辿り着く。お父さんは、お母さんは。そう半狂乱になって家を探せば、姿はすぐに見つかった。

 

 ……変わり果ててなどいない。ただ、その傷口には不気味なほど綺麗な、()()()()()()()()()()()がところどころから生えていた。

 もう、母も父も私の言葉の問いかけに答えは返さなかった。

 

 極限の地獄。命の息吹の無いその光景を前にして、少女であった私は慟哭と共に殺された。

 

 どうして、私は彼らを護る事が出来なかったのだろう。

 何が彼らの身に起こったのだろう。

 もし、これが避けられない運命だとしたのなら、どうして私は彼らと一緒に死ぬことができなかったのだろう。

 

 私は幸運にも生き残ってしまった。私も一緒に死ねばよかったのにと思いながら。

 物言わぬ父と母を前にして私の心はついに折れた。

 

 そこから流れ者として皇都に浮浪者として住み着くまでの事はあまり、覚えてはいない。

 家族も村の皆も失い、それでもなお死にたくないから生きているという自分の有様にしばしば私は涙を流した。みんなと一緒に死にたかったのに、生き残ってしまった幸運を少しでも私は嬉しいと思ってしまった。

 思ってしまってはいけないというのに。

 そうしているうちに路銀も尽きた。

 

 道端に倒れる私に、道行く人々は誰も見向き等しない。

 当たり前と言えばまあ当たり前だった。ぼろきれ同然の服を着ながら、決して心地よいとは言えないだろう体臭を振りまき髪を伸び放題にしている私など、誰も近づきたくはないだろうから。

 朝も昼も夜も、彼らは私を見向きさえしなかった。

 

「――おや、大丈夫かい。お嬢さん」

 けれど人通りのぱたりと絶えた深夜。そんな私に、手を差し伸べる人がいた。

 捨てる神が在れば、拾う神もまた在り、とは確か大和の言葉だっただろうか。

 金髪の美丈夫で、何処かの貴族や騎士を思わせる様な出で立ちだったその人物は後に私の師となるグレンファルト・フォン・ヴェラチュールその人だった。

 

「――っ、……!」

「……なるほど、極度の栄養失調か。加えてその様子だと恐らく失声の疑いもある。……そうだ、ならばお嬢さん。俺についてくるといい」

 月を背にして、彼は私を抱きとめると悠然と歩きだした。声の出し方さえ忘れた私を、後に師になるその男は連れ去っていった。

 私は何処に連れていかれるのだろう。身分も素性もかくしてこの地に来たのだから、きっと然るべき場所に出されるのだろうか。あるいは身売りか。

 煌びやかな雰囲気を纏う騎士。学識のなかった私でも聞いたことがあった、カンタベリーには騎士団というものがあるのだと。

 

 かくして、私はヴェラチュールの家の営む孤児院に入る事となった。

 道端で行き倒れた、名も知らぬ少女に心を痛め慈悲を与えたヴェラチュール卿。

 その慈悲を一心に受けた、後に聖女と謳われるほどに優しくそして強い騎士となった元浮浪児。そんなエピソードは民衆の心を非常に強くとらえた。

 

 あの村の惨劇も含め、神祖亡き後に()()を知った今にして思えば、きっとヴェラチュール卿は別に私の境遇に心を痛めたわけでもなんでもなく、私を選んだことも都合がよかったからと思っていたのかもしれない。

 どうということはなく、私の村は今は亡きオウカ氏の環境改変実験によって滅んだ。

 オウカ氏の遺している研究データからは、そんな味気の無い十数文字によって私の惨劇はまとめられていた。

 

「実に痛ましい過去だ、……その年で随分に過酷に過ぎる人生を歩んできたと見える。だからこそ、他者に優しく、悲劇(てき)へ厳しく在れるのだろう。いい事だ、このヴェラチュールが保障しよう。きっとマリアンナはいい騎士になれる――お前のような者こそ、騎士の規範になるべきだとも」

 私の住んでいた村は山火事で消え去った、そんな話をした時にヴェラチュール卿は心を痛めたように沈鬱な顔をしていた事を覚えている。

 果たしてどんな顔をして、その時ヴェラチュール卿は私を眺めそんな台詞を吐いていたのか。

 なるほど、真実を知ることなく義務に邁進する様は絵に描いたような()()()()であったころだろう。

 あの村の惨劇の生き残りだった私を、せせら笑っていたのだろうか。どのような気分で私を師弟にしたのだろうか。今はもう、それは知るすべなどない。

 私は仇敵であった者達の一人を師と仰ぎ、聖女などともてはやされていた。そんな有様はさぞ滑稽だったはずだ。

 

 神祖亡き後、リチャード卿とシュウ様が中心となり騎士団の再建と再編が行われた。

 その際に私は第一軍団へと転籍となった。……リチャード卿とシュウ様からそれらの真実は開示された。

 

 私の力が必要だと、リチャード卿は言った。

 同時にそのためには神祖の真実を知る必要があるとも。この国の再建の力と成れるのならば私はそれでよかった。

 私の村を奪った所業を許すつもりは毛頭なかった。それでも、神祖の治世が無辜の人々の安寧に繋がっている事。それもまた否定のしようのない事実だった。

 神祖の所業に赫怒の念は抱いても、その憎悪を神祖の治世を享受していた咎無い人々に向ける事は本末転倒であっただろう。

 そうなるよう、神祖は抜け目なく結果を残している。奪った以上の利益を人々に還元している。自分たちを恨んでも、恨み返しをしてもどうしようもないような構図を創り上げている。

 その上、ヴェラチュール卿に拾われた時の腕の暖かさは、私は嘘には出来なかった。私に誰かを救える力と知恵を授けてくれた事、人並みの生活させてくれた事、騎士の心得を与えてくれた事を、私は決してなかった事には出来なかった。

 

 神祖とその治世を憎いと思うのなら助力はしなくてもいいとリチャード卿は言ってくれた。

 それだけの事を、この国は私の村に為したのだと言った。

 神祖を許すことはできない。私の在るはずだった幸せを奪った彼らを許すことなどできはしない。篭手が軋むほどに、私は拳に握りしめた。逡巡だってした。

 消せない怒りは歯ぎしりとなったし、今でも当人らがもし生きていたのならぐちゃぐちゃに引き裂いて肉片の一片まで薪にくべて殺してしまいたいとさえも思っている。

 けれど、私の答えは決まっていた。

 

 憎悪を向けるべき相手はもうこの世にはいない。けれど、護るべき民がそこには在る。

 私の手の届く範囲であっても誰も奪わせはしない。

 

 焼け落ちるのは、私だけでいいのだから。私が――あるいはリチャード卿から聞く限りでのヴェラチュール卿がそうであったように、人の担える限界を超えた悲しみはいともたやすく人間を変えてしまう。

 私のような人間を、私は生み出したくなどない。

 

 総ての悲しみを焼き尽すためにこそ、私は贖罪の焔を手にしたのだ。

 

―――

 

「往くぞグランドベル卿!!」

「来なさい、ロダン」

 ロダンの銀剣とマリアンナの槍が正面から衝突する。マリアンナの膂力は今ですら、ロダンを圧している。

 ちりちりと音を立てながら、銀光に焔が塗りつぶされる事を一顧だにせず鍔競り合う。

 マリアンナの膂力はエリスを発動体とすることで疑似的な魔星と化しているロダンですら気を抜けば圧されるほどだった。

 ファウストの焦燥も、なるほど今なら理解はできるとロダンは思う。本当に同じ人間だと思えない

 

「相も変わらず佳い剣ですね、ランスロット卿。とてもロダンは記憶力がいい」

「そうだろうとも。鉄血聖女にそのように賞賛頂けるとは――ロダンの師匠の冥利に尽きるという奴だ」

 同時に、ロダンの死角からリヒターは剣を構える。

 ちりつく大気は次の瞬間には反応を開始していた。

 

「加減はできん、見切れよロダン。爆燃推進(ナイトロスラスター)――加速(イグニッション)!!」

 瞬時に窒素、炭素、酸素、水素から爆発物を化合させ、同時にそれを推進剤にして爆発的な加速を得る。それがリヒターの十八番だとロダンは覚えている。

 マリアンナから剣戟を解いても、リヒターに虚を突かれておしまいだ。だが、彼らが二人であるようにエリスもまたロダンの背を預かっていた。

 

「ロダン様にこの私が指を触れさせるとお思いなら考えが浅慮と呼ぶほかないでしょう」

「お嬢さん。……ひょっとして生前は鬼ごっこが得意だったかい? 振り切ったつもりだったんだが」

 エリスの手から生まれる銀光がリヒターの一直線上の急加速を阻むように放たれるが、それすらもリヒターは読んでいたのだろう。

 自分の側面に推進剤を化合、速度を維持したままほぼ直角に進行方向を曲げた。

 

 まずい、そうエリスは予感する。完全に抜かれた、銀光を展開しても遅すぎる。加速速度を落とし切る前に剣はエリスかリヒターに到達する。

 続けて耳を裂くような爆発音とともに、二度目の飛翔を遂げるリヒター。

 同時に全身には過酸化物、窒素酸化物による極めて毒性・腐食性の高いガスを纏いながら突貫している。

 通った後の足元は白化と脆化をしていた。

 リヒターを目に移した瞬間に、ロダンは全力で体に力を籠めマリアンナの槍をほんの一瞬だけ押し退かせた。

 同時に、リヒターへ銀光の剣閃を放てば劇物の鎧は剥げていた。

 次いで、入れ替わるようにエリスはマリアンナと対峙しロダンはリヒターと剣を交える。

 

「こうして剣を交えるのは久々だなロダン。まさかこんな機会になるとは」

「そうだな。……もう、イップスは治ったのか?」

「御覧の通りだよ、お前の腕が良かったせいでわりと時間はかかった。おかげで団長の面目は丸つぶれだ」

 苦々しく感じながらもロダンは瘴気の破れたリヒターと打ち合う。

 銀の光が風を掻き消しながら、だが剣の土俵では譲らないとリヒターもまた剣を軋ませる。リヒターの星もロダンを相手にしては純粋な剣の腕でさばききるしかなくなるが、その程度であわてるようではそもそも第Ⅰ位は務まらない。

 リヒターの星はロダンの星の糧となり、地形すら変えかねない膂力となってリヒター自身にその脅威を叩きつける。

 

「お前は物書きをしていると聞いたが、今で体が俺やガンドルフの剣を覚えているという事だろう。元上官としてはそれはもう、嬉しい限りだ。だが切り返しが甘いな、誰がお前の剣を鍛えたと思っている?」

 山のような圧の剣をリヒターは子供をあやすように手慣れた剣捌きでいなし、見切っていく。

 その淀みの無い在り方に確かにリヒターは自分の師匠であったのだという実感をロダンは得る。

 

「さぁ打ち込んでこい。お前の気がすむまで俺は付き合ってやる」

「気がすむまで、はエリスに肩入れする事を諦めるまでという意味か?」

「そうだな、アレは野放しにするには危険すぎる。ただの無害な美男美女なら俺はむしろ愛でたいし元部下の恋を応援してやりたい気分だが。……残念だろうが、お前のデートの相手は俺だ。お嬢さんの身柄は渡せない」

「そいつは素敵だなっ……!!」

 変質したロダンの星からは元の経験憑依能力が失われていた。その根幹にあった突出した操縦性を基盤とし、全く別種の星に生まれ変わっていた。

 それ故、皮肉な事にかつてのように他者の経験や業を奪うなどと言う事は起こっていない。

 エリスを発動体とした星辰光の発動とはすなわち、エリスの情動を内包した形での星の発現となる。

 エリスの星の性質に引き摺られた結果であるにせよ、その人知を逸した出力と星辰体熱量の操縦性は確かにここでロダンを疑似的な魔星へとその存在の位階を引き上げていた。

 これは設計思想からして、何もおかしい事ではない。

 

 なぜならば、淑女とは詩人を天へ導く者なのだから。

 

 

「エリス。貴女は私をファウストから生かして後悔していますか?」

「いいえ。ロダン様の求めに応じて私は星を授けたのみです。そして貴女もまた、ロダン様にとっては大事な人なのでしょう。だからこそ私は貴女を討ちたくない」

「なるほど。……可憐で、美しく、無垢。ロダンの感性は恐らくそういう点を佳いと思ったのでしょう」

 マリアンナを飽くまでもロダンには近づけさせないように、干渉に次ぐ干渉を以てマリアンナの星を凌いでいる。

 出力にしてこちらが勝っている。であるにもかかわらず隙があればマリアンナは食い破ろうとしてくる。

 どちらが魔星かまるで分からなくなるほどだった。

 

「一つ忠告をしておきましょう、エリス。聖教皇国騎士団の中でもごく限られた上位位階の騎士たちは教皇崩御以降、過去の教訓から対魔星のカリキュラムが課されています。ランスロット卿も、私も、その例外ではありません」

「……魔星と知って私と相対せるのはそのような理由でしたか」

「いいえ。そのような訓練が在ろうとなかろうと、私は貴女の前に立ちはだかっていたでしょう」

 今も尚、全身を焔で纏いながら、それを爆薬としてマリアンナは加速する。

 聖教皇国の対魔星用特殊訓練においては、理想的な仮想敵(アメノクラト)が存在していた事は何よりの幸いだっただろう。神祖の置き土産に万歳というところではあるのだろうが、その甲斐もあって対魔星の経験値をマリアンナは得ている。

 対魔星としては万能型のアメノクラトはまさに最高の教科書であるのだから。

 だがそれだけではない。

 それだけであったのなら、マリアンナは実に凡庸で模範的な戦士に留まっていただろう。マリアンナの骨肉を真に鉄血たらしめているのは、ひとえに精神性に他ならない。

 

「死想恋歌の残照、あるいはその技術()の継嗣。改めて告げますが、拘束を受け容れる気はございますか」

「ありません。私には帰らなければならない場所が、舞台があります」

「でしょうね、そのように言うと思っていました。魔星とは極めて情動的に在るモノですから」

「――さながら、まるで今の貴方のようですね。マリアンナ様」

 盤上をひっくり返すように、再び戦況は変わる。ロダンとエリスはほんの一瞬すれ違えば、今度はマリアンナとリヒターの相手はそれぞれ入れ替わった。

 今日初めて組んだとは思えないほど巧みにロダンとエリスはその立ち位置を入れ替える。

 

「……干渉性特化型、と言っても死想冥月や冥狼のように星辰体の性質に介入するモノではない、か。星辰光は掻き消せても、発動値の維持は俺もグランドベル卿も出来ている」

 エリスからの纏う銀光を、飽くまでも冷静に剣で受け、あるいは見切りながらリヒターは分析していた。

 干渉性という資質の究極系は冥王に代表されるように、星辰光の根源たる星辰体そのものへの干渉だ。

 魔星としてのエリスは、星辰体の挙動の制御によって星殺しを再現している。

 

 要はするに星辰体の本質にまでは肉薄しきれていないのだ。だからこそ発動値とそれに伴う身体能力の向上をリヒターとマリアンナは喪失していない。

 

「お嬢さん。グランドベル卿の話の続きだが、そういうわけで俺達は対魔星の訓練カリキュラムを受けている。お嬢さんとの戦闘もそもそも想定出来ていたというだけさ。だがその上で、例えお嬢さんが特級の魔星であってもグランドベル卿とは相性もそうだが相手が悪すぎる」

「貴女方が魔星を相手にする事に慣れているのは分かりました。ですが相手が悪い、とは?」

「何。簡単な事さ。大前提として、そも魔星とは星辰奏者単体ではとてもとても相対せるモノではない。複数人で当たるのが定石だ。その上で――グランドベル卿はその訓練とは言え、団長格を除けば魔星を唯一単身で撃破しているんだよ」

 そう、こともなげにリヒターは言って見せる。

 訓練用にデチューンされているとはいえ、魔星の単身撃破をマリアンナは成し遂げている。

 当人はそれを謙遜するけどなとリヒターは語尾につける。星辰奏者単体での魔星の撃破という偉業は、数える程度にしか例が無いと言っていい。

 その事実にエリスは面くらいながらも、それでもなお引けないとばかりに星を高めていく。

 

「だから別に恥じることはないさお嬢さん。グランドベル卿は強い。彼女の星ならなんとかするのだろうが、俺の星では相性が悪い。集束性による一点突破が出来ない上、干渉性で勝負など当然出来ようがない、か。ならば――」

 リヒターは静かにそう言うと、手を宙に翳す。

 しゅうしゅうと、大気が集まっていく。化学反応の材料を取り寄せているのだろうと言う事はエリスにも理解が出来た。

 

純粋窒素式炸雷(ナイトロチャージャー)――創造(クリエイト)

 リヒターの創り上げたモノに、エリスは血の気が引いた。

 ……アレはどうしようもないモノだと理解が出来てしまったのだから。

 

 純粋な窒素のみが化合してできた、最悪の兵器だ。現存する人類が作り得る爆薬に比してそのエネルギーは凡そ五倍。核というジャンルを含めなければ凡そ理論上の頂点に位置している。

 新西暦でも旧暦でも、大気の組成は窒素が主体で材料はいくらでも転がっている。加えて問題となるのは純粋な窒素爆弾とはそもそも化学的に不安定であるということだ。

 

 元々常識的な条件下では起こり得ないはずの化学反応をリヒターは星辰光を利用して促進させている。レあれば、もしここでリヒターの星辰光に対しエリスが星を行使すればどうなるか等言うまでもない。

 星辰光によって辛うじて結合を保っていた窒素爆弾は星が解かれれば即座に分解し、それに伴い甚大な爆発を齎すだろう。

 星を殺す事も、殺さない事も等しく悪手。故にこれこそリヒターの出した最適解だった。

 

「ロダンを護りたいというのは俺も等しく同じだ。だからこそ、お嬢さんはここで退いてもらえるか。お嬢さんが無理を通そうとすればするほどに、我々も強硬策をとらざるを得なくなるんだが」

「その程度で勝ったつもりになるのは尚早でしょう――!!」

 直後に、エリスはその星の煌めきを強めた。

 星辰体の強制的な制御操縦は何も星殺しだけの用途には限らない。その逆、星辰体の熱量を増大させての純粋な力としての投射もまた等しく可能とする。

 だが、それにはエリスの操縦性がまだ届いていない。

 ――そしてだからこその第四世代人造惑星だ。

 

「だから、俺がエリスの穴を埋めればいい――!!」

 ロダンとエリスの深め合う同調が、即座に互いの立ち位置を入れ替えさせる。

 エリスの銀光を纏いながら飛び出すロダンは、マリアンナの追跡を振り切り窒素の爆級と酸素の瘴気へと身を投じた。

 エリスの操縦性では熱量操縦に限界がある。

 同時にロダンの干渉性では星辰体の掌握がエリスほど長けない。

 元々、この星光は干渉性により星辰体そのものの挙動を掌握、次いで操縦性により運動量を操作するというプロセスにより星殺しを達成している。

 エリスの銀光にロダンのそれが重ねられ、ロダンの剣には身の丈を倍は超えるほどに銀光が立ち上っていた。

 二人で一つ、比翼にして連理。足りない穴を補いながら高みに登りつめていく。

 

 立ち上る銀月の極光剣は純粋なエネルギーとしてリヒターの星と睨み合う。

 

「ロダン――貴方という人は」

「マリアンナ様、どうかしばし私にお付き合いくださいますよう」

 同時に、ロダンの妨害を成そうとするマリアンナをエリスが阻む。

 この状況に至るまで、何もかもロダンとエリスは噛み合っていた。

 エリスとロダンは反射と反射で戦いを演出していく。立ち位置を目まぐるしく変えながら、同時に紙一重で互いの意図を読み取りながら、合わせていく。

 対してマリアンナとリヒターも決してそれには劣らない。むしろ正規の訓練を積んでいる彼らの方が動きの精彩と合理性においては勝っていただろう。

 

 だが、エリスとロダンの動きはまるで読めない。自分たちには見えない何かを彼らは感じ取っているのだろうかとマリアンナは訝しむ。

 陣形や立ち位置の入れ替えを彼らは合理と経験で、ロダンとエリスは反射で対応している。連携の巧みさはマリアンナ達に軍配は上がるだろうが、稚拙であっても単純に一歩連携で先んじているのはロダン達の方であった。

 

 ロダンの剣が降り抜かれた瞬間に、膨大な星辰体のエネルギーを伴った爆光はリヒターの星をかち合い爆散する。

 ロダンの周囲の星辰体は静まりを見せ、リヒターは身を翻してロダンと剣を再度交える

 

「随分に迷いなく元上司に剣を振るえるんだな、お前は。そう言えばお前は自分の星を大層に嫌っていたな、どういう原理かは知らないが星が変わったからか?」

「答える気は、ないな……!」

「……お前は、そうか。まだ後悔しているんだな」

 リヒターは痛ましいモノを見る様な目で、ロダンと視線をかわし合う。

 リヒターの視線が、ロダンには辛かった。

 

「物書きに成りたいというのはそれはいい夢だ。すばらしい事だと思うが、それだけではないんだろう。……お前は俺達第六軍団に負い目を感じて去ったんだ、俺はもうお前を追いはしない。許せロダン、お前を監督してやれなかった俺の責だ」

「……物書きに成りたかったさ、決して嘘じゃないし夢は十分今叶ってる。だが何より俺は何人もの剣を奪った人間だ。その中には俺よりもずっと騎士になりたがっていた人間も、聖書を熱心に読んでる人間もいた。俺はそいつらに顔向けができなかったからあの時逃げたんだ」

 剣も言葉も、もう今となっては総て遅い。

 袂を別ったのは他ならぬロダン自身だったから。それでも今更になって自分の醜態を思い知らされている。

 リヒターは団長を続け、ロダンはⅢの座から逃げ出した。

 

「逃げている人間ならずっと気に病んでなどいるものかよロダン。お前が苦しんでいるようで、不謹慎であるとは自覚はしているがそれでも俺は安心したさ。お前は、それほどにまだ騎士団を大事だと思っているという証左でもあるからな」

「そっちこそ、相応に苦しんできただろうさ。俺が辞めた後のⅢ位の空席、事態を予見していたろうに解決を先送りにしてきた事への訴追。……俺なら想像したくない」

「まぁなんだ。昔、俺がそうだったからな。騎士姿が似合っていると言った自分の幼馴染の為に、なんて言うお前を応援したくなったのさ。結果がこのザマさ、全く俺は団長に向いていない。……大概甘いのは自覚しているんだがな」

 困ったように、どうしてこうなってしまったんだろうなとリヒターもロダンも苦笑いをかわし合う。

 

「大事だった、それにアンタ以上に団長に相応しい奴なんていなかったさ、今でもそう思ってる。けど、もう俺はそちらには戻る資格はないし、戻る気もない。悪いなリヒター……いいや、ランスロット卿。それでも貴方は――貴方とガンドルフ卿は、俺にとっては今でも最高の師匠だ」

 決して、それは過去形ではない。

 そしてロダンは自覚する。一度として奪って剣を忘れたことなどない、奪った者がソレを忘れることなど許されないだろうから。

 振り放たれる剣戟は火花と銀の軌跡を描き、音を置き去りにしていく。打ち合う間隔はもはや音速へと到達しようとしている。

 

「ついてこい、ロダン。これでもまだ、お前の師匠を気取ってるつもりなんでな、負ける気は毛頭ない」

「今はもう弟子じゃない。――それについていくも何も、既に先約がいるんだよ。俺を導く女神がいる」

「生まれてこの方、振られた事はそう多くはないんだがお前に振られるのは中々堪えたぞ。色男というのは惚れっぽい分繊細なんだよ」

 エリスとの連携を断つことを今度はリヒターは主眼に置く。エリスの援護に回ろうとすると、その度に先回りしてリヒターは抜かせないようにポジショニングをとる。

 一瞬の隙を見出して駆けだそうと、爆燃推進によって容易に追いつかれる。

 足の運びを巧みに、リヒターはロダンの進路を妨げる。だが。

 

 

「――ランスロット卿!!」

 耳を裂くような、鋭いマリアンナの声と共にエリスはマリアンナの追撃を脱し、空を舞うようにリヒターの頭上から手を翳していた。

 マリアンナの執拗な猛追を振り切り、ついにエリスはリヒターを射程に捉える。

 まずい、それでは間に合わないとリヒターは予感した。退こうと爆燃推進でできなくはないだろう、だが地上のロダンの攻撃の方向からして、逃げる方向は決まってしまう。そうなれば空から飛来するエリスの星光が照準を合わせてくる。

 

「局地的な数的有利を形成する事、それはお前が教えてくれた事だ」

「ですからリヒター様、これにてチェックメイトです」

 エリスをロダンは信じていた。

 それは理屈などではなく、彼女と結んだ経路があればこそだった。まるで昔から一緒に居たかのような違和感のない連携にエリスを除いた誰もが懐疑は感じている。

 だが、そんな事は今は後回しで佳かった。

 

 直後に炸裂する二重の銀光の波濤は――しかしリヒターを呑むことはなかった。わずかに遅れはしたものの、エリスに抜かれた瞬間に駆けだしたマリアンナはリヒターを腕を掴みその場を脱していたのだから。

 星辰奏者の戦いとは、そのスピードのスケールは常人では到底追い付くことなどできない。故にわずかな判断の遅れが致命に繋がり得る。

 だがそんな遅れなど()()()()()()()()()()()()()()()()()()とばかりに平然とマリアンナはやってのける。全身に纏った焔を炸薬にした、肉体を労わらない暴力的なまでの加速がリヒターの窮地を救った。

 

「……仕切り直しか」

「そのようですね、ロダン」

 焔に包まれた訓練場で、四者四様に相手に向き合っている。

 決着はどこまでも平行線のままにつかない。

 本来魔星であるはずのエリス、エリスを発動体として疑似的な魔星に昇華しているはずのロダンをして、未だに彼らを打ち破れていない。

 それは主にマリアンナの功績によるものが大きいだろう。

 

 もはや事態はここに至り、言葉で解決できる余地は超えただろう。

 月の女神の争奪戦の様相すら呈しながら、なおもマリアンナは挑む。

 

 構えられる得物。エリスはロダンに寄り添いながら、共鳴するように同調を深めていく。銀の光を表出させる。

 更なる魔星の階段を、二人は昇っていく。その実感をマリアンナは感じる。

 

「ロダン様。何があっても、私は貴方をお守りいたします」

「あぁ、離れないでくれ」

 ロダンは確かに導かれている。その淑女に。

 だが――導かれて至る先は何だ。ロダンは一体何になろうとしているのか、エリスはロダンをどこへ導こうとしているのか。

 ……あの時、ロダンは確かに自分自身の星の出力に耐えきれていなかった。だが、それが今はどうなのだという。

 まるで()()()()()()()()かのように、自分の星を自傷に至ることなく御している。

 

 そんな覚醒を認めてはならない――ロダンを怪物にさせてはならない。

 その意志において、間違いなくマリアンナとリヒターは共有していた。

 

 故に、決意と共に両陣営は激突する。

 

 焔の緋色が、銀月の白が交錯するその刹那――第三の色が突如現出した。

 

 

 時速凡そ三〇〇キロで疾走する怒り。駆け抜けた後の大地を陥没させながら走り抜けていく光の殺意の存在感に彼らは否応なしに意識を反転させられる。

 大聖庁へむけてまっしぐらに光のように突き進むその男は、立ちふさがる壁の数々をその二刀で紙屑のように斬り裂き両断しながら直進する。

 明日へ明日へ、ただその心臓(はがね)が叫ぶがままに。

 

 

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星」

 

 

―――

 

 

「此処は木の星、第六の天体。光輝満ちる天上の楽園、不遜なりし絶対神よ。我が両眼に無量の天霆を見るがいい。鳴り響け天上の霹靂よ、雷電の調べよ巨悪の楽土に失楽を齎せ。焼け果てた地平に咲く花こそ並び物なき我が宝なれば」

 一歩、一歩踏み込むたびに加速していくその男。ユピテル・フォスフォロス。

 体表に弾けんばかりの雷輝を纏いながら疾駆する。

 

「黙示の喇叭が汝の傲慢を此処に裁く、終末の審判は来たり。光輝よ遍く万象焼き尽くせ。飛翔せよ、明星の翼(ポースポロス)――炎熱()の象徴とは不死なれば」

 抜かれる二刀は次々と壁や建物を斬り伏せていく。

 十字に切り抜かれた聖庁の施設の中を無尽に一直線に駆け抜けるとユピテルはさらにもう一度壁を切り抜き建物への不法侵入と脱出をその職員たちの瞬きの一瞬で成し遂げた。

 進む経路は一直線、回り道などという小細工を彼はしない。

 

 そして最後の壁をぶち破るとその男はまさに、エリスとマリアンナの激突の渦中に姿を現した。

 光を伴いながら、その男は運命の場に参じた。

 

「超新星――渾沌裁く審判の霹靂(Cielo di Giove)顕現するは木星天(Dawn-Ray Phosphoros)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




渾沌裁く審判の霹靂(Cielo di Giove)顕現するは木星天(Dawn-Ray Phosphoros)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: AAA
集束性:AAA
拡散性:E
操縦性:AAA
付属性:E
維持性:E
干渉性:E
ウェルギリウスの定義するところにおける数理と合理の敵。
その光刃はあらゆる限界を塵芥のように焼却するだろう。
遍く悪を、不正を、歪んだ光を打ち砕き、そしてその最果てに己自身を焼き尽くすためにこそ、男は猛るのだ。


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緋色の追憶、赫怒の霹靂 下 / Phosphoros

Q、ロダンって五感奪うテニスしたりするんですか?
A、テニスはヘタクソです。

Q、第四世代魔星についてウェルギリウスはどう思ってるの?
A、少なくとも第二世代よりかずっと遥かに人道的なアプローチだと思ってます。


 エリスとロダンの去った応接間で、イワトとオフィーリアはただエリスが蹴り破った窓を見つめていた。

 

「……オフィーリア副長官は、エリス嬢について初めから知っていたので?」

「確証はなかったわ。ランスロット卿の報告を聞いたとき、それから星辰体濃度のモニタリングをしていた時はにわかに信じがたかったけれど」

 オフィーリアは何枚かの資料を机の上に広げながら、そうイワトへと言葉を返す。

 

「それを言うなら、第一軍団もでしょう。確かにエリス・ルナハイムという人物は一劇団員である事以外の情報はなかったもの。監視をしている時点では本来なら放っておいてもおかしくはない対象だったもの。……それとも別の意図でも?」

「別に謀などはなかった。ただ、ハル嬢の屋敷に出入りしていると聞いたときにハル嬢にも友人ができたのかと思っただけだ」

「……あぁ、なるほど」

 すとんと、そこでオフィーリアは合点がいった。

 ハル・キリガクレという人物はある意味ではイワトにとっても因縁深い人間ではあったからだ。

 より正しくは、本人ではなく亡き親と因縁があるという意味である。

 

「アイツから、託されたのでな。ハル嬢に、あるいは自分にもしものことがあれば、お前が面倒を見てやってほしいと」

「……もしもの事、ね」

「おかげで最後の最後に勝ち逃げされたままだ。全く我が身ながら情けないし未練がましい話だが」

 ……元々、ハルの父は一人の女性――後にハルの母となる――を巡って争っていた友人であり恋敵だった。結果として、ハルの母が選んだのはイワトではなかった。

 その恋敵が、あの運命の日の直前に「自分やハルに何かがあれば」とイワトにそう託したのだ。まるで自分の末路を暗示しているかのように。

 

「話を戻そう。オフィーリア副長官、この後は如何様に?」

「そうね。……まずは経過を見守りましょう、手出しは不要です。グランドベル卿とランスロット卿を信じて待ちましょう」

 

 

 

―――

 

 荘厳にして、圧倒的。その男は雷鳴と共に現れた。

 怒りに燃える双眸がマリアンナを射抜く。

 ユピテルの様にその場の誰もが息を呑む。光纏う二刀の使い手、集束性の極点を体現するが如き光輝の星――その顔。

 記号的な符合が、過去に軍事帝国アドラーに実在していた一人の男の姿を幻視させた。

 その二刀を握りしめる軋みが往くぞと雄弁に告げていた。

 

「英雄――救世主――その系譜に連なる者と見受けましたが。……その星に、私は聞き覚えがあります」

「ポースポロス。歪んだ光を滅する怒りの執行者と知れ、鉄血聖女」

 焼き切るような赫怒の視線を一身に浴びるマリアンナは尚も臆しない。

 その様をして、エリスはマリアンナを人間だとはもはや思えなかった。当たり前の理屈だ、人は太陽を、放射線を前にして正気で相対して等いられるわけがない。ユピテルの怒りとはつまりそういうモノなのだ。

 魔星を魔星たらしめるものが衝動であり、そしてユピテルの星の根源とはすなわち怒りだ。

 それから憐れむように、わずかにロダンとエリスへと視線を投げる。

 

 そこには、マリアンナに向けていたはずの空恐ろしい熱量は消え失せていた。

 ともすれば、二人を――特にロダンを案じているような視線で。

 

銀月天(ルナ)――否、銀想淑女(ベアトリーチェ)。案内人の真似事もそこまでにしておけ、さもなくばお前が導く先は天国ではなく光無き地獄の果てだ。銀想どころか死想ですら有り得ない、貴様が何者でもなくなった時、俺はお前を討つと決めている」

「貴方に言われるまでもなく、理解しています。私は誰よりロダン様を護りたい」

 鋭い緋色の視線を、ユピテルに真っ向からエリスは叩き返す。

 その様にユピテルは思案を巡らせる被りを振って、それからマリアンナへと向き直る。

 

 ……依然、判決は変わらないとでも言いたげに。

 

「鉄血聖女。貴様の刃は今、罪もない者を裁こうとしている。銀月天が如何なる罪悪を為した、如何なる不正義を行った。言葉があるというなら言って見せろ」

「ありません。死と運命を司る原初の魔星、その宿業を継ぐ者を見逃せとでも? 貴方方魔星があの帝国において何を為したか、知らぬとは言わせません」

「いずれ未来に犯すかもしれない罪の目を摘み取るためにか。今という時間が、二度訪れることなどない。その上で尚、この女を貴様の正義が裁くというのならよかろう。――この明星が敵に成ろう」

 緊迫する空気。マリアンナも、ユピテルも、もはや対話の余地はない。

 膨れに膨れ上がった風船が如く、激突は秒読みだった。

 

 マリアンナとユピテルは互いを撃滅するために。

 ロダンとエリスは、その争いを食い止めるために。

 

 

 そしてその次の瞬間には三つ巴の決戦が始まった。

 ユピテルの初撃は挨拶代わりの極光撃だった。

 

 刀身から放たれるのは超々密度に集束・加速した荷電粒子。

 超高次の操縦性と集束性を以って放たれる荷電粒子加速能力こそがユピテルの星だった。何ら特殊性もなければ、特筆すべき特徴もありはしない。

 呆れるほどに愚直で破壊的な星の光。

 

 それに対抗するはマリアンナの焔だったが、それすら藁屑のように引き裂いて大地を抉り焼く。

 ぶすぶすと、溶融すらした地面を駆け抜けながらマリアンナはユピテルの二刀を捌いていく。

 

 代わる代わる、襲い掛かる光刃はその総てが余すことなく、過つことなく絶技だった。速度も、技巧も、他を隔絶して余りある。

 マリアンナですら、防勢に回りながら反撃の機をうかがっている有様だ。だが、だからと言ってマリアンナの弱者の証明とはならない。

 マリアンナの星の焔は激しさを増しながら、ユピテルの躯体を焼き尽くさんとしている。

 

「鉄血聖女、貴様の論は正しかろうよ。魔星が如何なる存在で、如何なる災禍を撒いたかなど殺塵鬼や氷河姫をはじめ前例は掃いて捨てるほどに在る。だがお前は生まれたばかりの無垢な存在ですら捕らえ管理するというのか。生まれる事を罪と断じる傲慢とどのような違いがあるという」

「彼女はロダンがそう認めたように、純粋な人間性と呼ぶべき優しい性質は持っているでしょう、それは否定する要素はない素晴らしい事です。ですが、なればこそアレが何の目的で生まれたのかを問わねばならないのは自明です。……干渉性特化、加えて死想に酷似した星辰波長が意味するモノなど言うまでもないでしょう。彼女が望んで運命を担ったわけではない事が、彼女を管理しない理由にはならない」

「……なるほど、魔星の子は魔星だと。咎も宿業もまた技術と共に継承されるのだと。ふざけるな――それを裁定していいのは貴様でも、俺でも、誰であってもならぬであろうがァ!!」

 ユピテルの炉心の燃料はすなわち怒り。

 劫と焔をたぎらせる限り、神星鉄は無限に彼に応えるだろう。怒りはそのまま彼の力となる。

 

 

墜落の霹靂(ポースポロス)よ焼き尽くせ――!!」

 暴発寸前なまでに充電(チャージ)される怒り(エネルギー)が、ユピテルの両腕を奔る。

 断頭台の如く振り下ろされた一撃が天衝く光輝となり、マリアンナの槍さえも軋ませた。

 恐らく受けきれたとしても、何度も何度も槍が持ちはしないとマリアンナは直感する。正真正銘、集束性の化け物だ。

 

「そしてポースポロス、貴方の正体は何者ですか。英雄は既に地上を去った。創星計画もその黒幕はいない。だというのにその光輝も、その怒りも。何もかもが英雄と酷似している」

「俺を設計した人間の悪趣味だろう。下らん宿業だ、神星と英雄の構図を当てはめようとでもしているだけだろう。堕天も、魔女も、結局は理解するところは筋書きだけだ、事績をなぞれば覚醒を得られるとでも思っている塵屑だ」

 心底から反吐が出るとばかりにユピテルは掃き捨てる。

 自分の生まれを心の底から憎悪しているかのような怒りを乗せて。

 

 

「貴方の設計者とは誰ですか」

「答える義理はない。俺の宿業は俺だけのものであるべきだ」

「では貴方の今の行動は設計者に命じられたことですか?」

「――否」

 その言葉にだけは、ユピテルは毅然と返した。

 誰かの命令でそうしたのではないと、己が内より生まれた怒りを以って遂行していると

 

「俺は銀想の末路を担うと決めている。故に俺は貴様と何も変わらんだろうよ」

「私は彼女を殺すつもりは在りません。一緒にしないでください」

「だが、矛を交えてまでその身を掌中に収めんとしている」

「彼女の意図を尊重するならば、抵抗はして然るべきでしょう。それでも私はこの国を、人々の暮らしを護らなければならない。貴方が行き着く先は結局虚無です、怒りのままに何もかもを焼き尽くし、何も残さないために戦っている。護るべきモノもない、熱を供給すべき負荷(人々)さえもなく空転する怒りの反応炉。それが貴方という存在なのだと理解しました」

 何処までも話は並行を往く。

 剣戟は未だユピテルが長じている。でありながらも決して状況がユピテルに味方しているかというとそうではなかった。

 

 端的に、それはユピテルがあまりにも攻撃性に特化しすぎた星光の持ち主であるためだろう。

 本質的に、ユピテルは防御力というという概念とは無縁だ。マリアンナの空間を制圧する焔の星光に対して何ら対処手段を持たない。

 

 だが――

 

「死ぬ前に殺せば問題なかろう、俺には十分すぎる」

 言って捨てるユピテルは依然苛烈な攻勢を維持し続ける。

 ヒト型の粒子加速器は縦横無尽に斬光を放つ。絶滅光を連想させるような苛烈さを発揮する。出力ではもはやマリアンナはユピテルに突き放されているにも関わらず、星による爆発的な加速だけを頼りにその膂力をぶつけていく。

 

 一合一合打ち合う度に、互いに身を削り合いながらも尚マリアンナとユピテルは引かない。

 

「エリス。……アレは、恐らく至高天の階なんだな?」

「明察の通りです、木の星を司る赫怒の代行者。それがあのポースポロスという男の在り方です」

「やっぱりか。なんとなく、エリスやアレの言葉から類推したけども」

 その壮絶極まるユピテルの有様、まるで面識があるかのようなエリスとの会話からも明らかだったろう。

 ……単純な戦闘力。その一点だけに絞るならば火星天さえ優に超えている。水星天を不滅の極致と例えるならば、木星天は撃滅の極致だ。

 融解しないのが奇跡だとさえ思えるほどの熱量をその刃は孕んでいる。

 そんなモノと、マリアンナはまともに相対しているのだ。見せかけだけとは言え、拮抗を演じているのだ。その埋め合わせはマリアンナの体が支払っているに他ならない 

 マリアンナを倒さなければエリスは捕らわれる。

 同時にユピテルを倒さなければマリアンナは死ぬだろう。

 だからこそ。

 

「往くぞ。俺はグランドベル卿を死なせたくない」

「えぇ、それを成すにはこの馬鹿げた戦いを終わらせる事だけでしょう、ロダン様」

 飛来するのは銀月の剣。

 第三勢力と言えば聞こえはいいが漁夫の利同然の襲撃であり、しかしマリアンナとユピテルは乱戦の最中で在りながらもそれに対処して見せる。

 無尽の雷輝を以ってユピテルは銀の光を真っ向から迎え撃つ。星と星殺しの相性さえも紙切れ同然に引き裂いてその輝きを突き付ける。

 

 撃滅無双の荷電粒子の光刃は減衰を遂げていたが、銀光がソレを打ち破るには集束性がやはり致命的に足りていない。

 エリスも旗色の悪さは同じく感じている。

 次いでユピテルとロダンは剣を打ち合わせる。

 

 

「俺と戦うつもりか。神聖詩人」

「その通りだ。グランドベル卿を討つというのなら、俺はお前と戦わなければならない。……これは俺とグランドベル卿の問題だ、部外者が首を突っ込むな!!」

「ならば俺も宣しよう。――銀想淑女を裁くのは俺の役目だ、故にここで詩人も淑女も虜となるべきではない。然るべき運命を決すべきその日まで」

 その有様はまるでエリスとは真逆だった。太陽を写すかのような輝く瞳がまっすぐにロダンを、エリスを射抜く。

 止まらない、止まれない、止められない。

 まさしく光だ。遮蔽物がないかぎりはどこまでも遠くへ突き進む。

 

「……裁定者気取りですか。さすがは明星の翼の名にふさわしい、英雄とここまで瓜二つとは反吐が出ます。――私は、誰の運命の虜囚になるつもりもございません」

「審判者気取りで上等だ、お前の怒りも嘆きも至極真っ当だとも。故に咎は地獄で受けよう、お前には生きて、恨むみ憎み、抵抗する権利がある」

「高みに止まって私を、私の命を、運命を、値踏みする事がそれほど好みだとでもいうつもりですか!!!」

 心底から、エリスはユピテルへ嫌悪を示していた。

 月と太陽は、黄金と銀は相容れないのだと吐き捨てて、エリスは尚もロダンと同調を深める。

 だが、それでもなおユピテルの光刃を砕くことはできなかった。

 

 どころか、下手にそこに干渉と操縦を施そうものならば、ユピテルの出力と熱量はエリスとロダンを自爆に陥れるほどだ。

 過剰な熱量操縦によるフィードバックは月を照らす光源になるどころか焼き尽くすだろう。

 

 光の刃がロダンの頬を掠めながら、その剣戟の卓越ぶりにロダンは息を呑む。

 特筆すべきは剣の速さと重さだろう、剛直にして堅実。でありながら時として知性を試すかのようなフェイントを織り成しながらユピテルの二刀は踊る。

 恐らく蛸や蜘蛛ですらここまで腕が達者はないだろう。

 

 披露する剣の総てが殺戮技巧の芸術であり、限りなく理論値に肉薄している。

 

 

 人知を逸した戦いを前にして、リヒターですらも圧倒される。さながらそれは神話のようだった。

 

 エリスと同調を深めていくロダンは、さらに際限なく出力を引き出していく。

 星殺しを凌がれたと同時に、その輝きを反転させる。

 雷焔を、銀の光に還元しさらに進化していく。月が、雷が、焔が、一色に世界を染め上げんとばかりに唸る。

 三者三様に、衝動に突き動かされるかのように戦う。

 

 暴発寸前のエネルギーが居合を構えるユピテルの腕と刀身に奔り、抜き放たれた刹那の後に訓練場の壁は綺麗に斬り裂かれていた。

 

 輝剣の軌道上の一切は光刃を阻む事さえ敵わずに両断される。

 純然たる暴力の極限、破壊というカタチの一つの完成形をユピテルは体現していた。殺傷力――貫徹力。その点において間違いなくユピテルの光刃はかの絶滅光に比肩していた。

 

 縦横十字に振り抜かれる一撃に曇りはない。世界を両断しながらも尚、眼前のマリアンナを撃滅せんと猛る。

 横殴りの銀光もまた襲い掛かる中でさえ、マリアンナは踊るように槍を振り乱しながら焔の斬光撃を飛ばして相殺する。

 

 同時に二刀を翻すとユピテルはロダンを迎え撃つ。

 

「神聖詩人。貴様もまた自覚がないというのなら哀れ窮まるというものだ。理解していないというのならよく聞くがいい――狂い哭け、貴様の末路は詩人以外に有り得ない」

「抜かしたな、木星天。俺が詩人というのなら、お前の末路は英雄どころか英雄にもなれない誰かだ。その怒りの根源すらも自覚していない男が、俺達を知った顔で品評するな!!!」

 ロダンの赫怒を銀光が代弁する。

 怒りと雷の黄金、詩と月の白銀は相容れぬとばかりに鍔迫り合いながら、しかしそこに再び焔が参じる。

 

 もはやその災禍の規模は超人大戦にすら肉薄している。

 際限なく同調を深めていくロダンとエリス。

 

 その光の波濤をマリアンナはかいくぐる。

 ロダンとの剣戟を続けるユピテルの虚を捉えて、マリアンナは飛翔する。

 

 

「終わりです、ポースポロス!!!」

 ポースポロスを正眼に見据えたその瞬間、マリアンナはついに意を決する。

 多段に重ねた、自らの焔による加速飛翔。加速の衝撃で潰れる臓腑の痛みさえも飲み下しながら、彼女はついにその刃をユピテルの心臓に叩き込んだ。

 

 焔と共に捻じ込まれる断罪の槍が、ついにその神鉄に食い込んだ

 口から血を吐くユピテルに、確かにその命を絶った実感をマリアンナは理解する。そして――。

 

 

「――まだだ」

 その違和をマリアンナは感じ取る。

 

 心臓に確かに刃は届いた。間違いなく、その腕の感触が事実を伝えていた。

 だというのに、悪寒がした。

 

「まだ、まだだ」

 みしり、と、何かが軋む音がした。

 

 聞いてはいけない音が、聞こえてしまった。目になど見えない、しかし確かに()()()()()()が、ユピテルの心臓から広がっていく。

 次いで、ばきばきと、ガラスが割れるような音へとソレは変じた。

 

「あぁ、そうだ。まだだとも。俺は未だ、怒りを完遂してなどいない――!!!」

 

 何かが砕けようとしている。

 そして、今ソレは確実に砕けた。

 

 世界が文字通り、ひび割れて。次の瞬間には無傷のユピテルがそこにいた。

 マリアンナの槍には血の一滴すらこびりついていない。

 

「――嘘、でしょう」

 此処にきて、初めてマリアンナは驚愕した。

 一体、今この男は何をしただろうか。

 確かに命を奪った。奪ったはずだが、その光景は()()()()()()()()()()()。回復というカテゴリに分類される星辰光も騎士団には存在しているが、そんな性質はハナからユピテルは有していない。

 

 加えて、ユピテルの体表には黄金の輝きが溢れていた。

 ……その雷霆は、極めてよく似ているが決してユピテルのそれではなかった。禍々しく、毒々しい、命を否定するかのような熾烈極まるその輝きを、マリアンナは知っていた。

 絶滅を意味しながら同時に敵味方の別なく総てを魅せつける煌めく光。

 

「……有り得ない。そんな事、そもそも貴方は――」

 絶滅光(ガンマレイ)――鏖殺の雷霆(ケラウノス)が、三次元空間上に確かに存在していた。

 因果の突破に至った閃奏が成し得る御業の片鱗をユピテルは纏い、地獄の淵から不死鳥の如くに舞い戻った。

 嘘だ、有り得ないと叫ぶ以前に困惑が頭の中を埋め尽くした。

 

 なぜ鋼の限界突破が如く、閃奏の片鱗をこの男が宿しているのか。

 あの極晃を宿す資格を、なぜこの男が有しているのか。有り得ないはずだ道理が通らない。

 

 

 間も無く返す刀で振り下ろされる極光剣が、マリアンナの胴を真一文字に絶滅の光と共に断った。

 

―――

 

 殺し返された。マリアンナの胴は無慈悲に割かれた。

 裂かれた、はずだった。

 

「は、ああああぁぁぁぁ!!!」

 だが、マリアンナは肺腑を奔る激痛に一顧だにすらしなかった。

 直後、深々と刻まれた傷口を在ろうことか自分の焔で灼いて強引に繋いで見せた。

 開き離れかけた肉と肉を、焔で焼いて溶接した。こんなモノは蘇生などとは到底言えはしない、今度はユピテルが驚愕を返す番だった。

 

 尽絶な――それこそ英雄か強欲竜ぐらいしか耐えられないであろう激痛をマリアンナは味わったはずだ。地獄の方がなおマシだと思えるほどの痛みを、マリアンナは感じたはずなのだ。

 

 今しがたユピテルが成した奇跡には到底及びなどしないし、奇跡などと認めていいわけがない。

 それでも、マリアンナは例え末路を遅らせるだけであろうと死を回避して見せた。その一点において、間違いなくマリアンナはユピテルと同等の奇跡を即興で遂行したのだ。 

 

「ぐァ……!!」

 振り放たれるは鉄血の焔。

 身を削った奇跡は、だからこそここに結実する。今度こそ、マリアンナはユピテルの骨肉を袈裟に断った。 

 

 二度目の致命をもねじ伏せんと、ユピテルの心臓は駆動する。

 数度の鳴動はしかし、奇跡の成就に至らなかった。

 

 ユピテルの躯体でさえ、煌めく光を二度も宿すには容量が不足していた。それほどに英雄の極晃は規格外であったのだろう。

 甚大な吐血を伴いながら、しかしユピテルは尚も膝をつかず星も解かない。怒りに燃える、放射線の如き視線はもはやそこにはなかった。

 

「……潮時か。炉心の酷使が理由だろうが、仕方あるまい」

 そうとだけ、ユピテルはつぶやく。多大な血を流し床に血だまりを作りながら、一顧だにせず星を解く。

 光の残照を散らしながら、次第にユピテルの体は光の粒子に変わっていく。

 

 マリアンナは膝をつき、ユピテル以上の出血を晒しながらも彼を睨む。

 

「貴方は……この国で何を為そうというのですか」

「言ったはずだ。歪んだ光を、その眷属を諸共に焼き尽くす。そのためにだけ俺の心臓は在る」

 ただ、そのためにだけ俺は生きているのだと、ユピテルは告げる。

 それからロダンとエリスにその視線を写す。その姿はやはり、今まで戦っていた時のそれとはまったく別だ。ともすれば教養を感じさせるほどに静やかですらあった。

 

「……銀想淑女。最後に滅ぼす魔星がお前である事を俺は祈る」

「英雄譚と逆襲劇の再演でもしろとでもいうのですか。そんなモノは例え死んだとしても御免です、そんな運命に、ロダン様を巻き込む等許されません」

「無論、俺達の運命は俺達が完遂すべきだ。神聖詩人に咎はない」

 そのユピテルの受け答えにエリスは一種、呆れと諦観の混じった顔をしていた。

 致命的にユピテルと自分では考えがズレている。そう言う事を自分は言っているのではないと、エリスは歯噛みする。

 水星天とは別の意味で話が噛み合わない。ユピテルは知性はあるし、人の話に耳を傾ける度量もある。その上で、結局方向性も何も変わりはしないのだ。

 自分が至高天の階と敵対する理由はユピテルの掲げるごもっともで自己犠牲的な義務感から生じたモノではなかったからだ。俺達、などとひとくくりにされる事を、エリスは嫌悪していた。

 

「私が、貴方諸共滅ぼします。そして私は生き続けます」

「否。総てを滅ぼした後に俺自身が灰となる事でのみ運命は達成される」

 エリスは、そう凜然と告げる。

 淑やかで、ミステリアスで、つかみどころがなく。けれどロダンの事となれば彼女は驚くほどに態度が変わる。

 その様に、ユピテルはほんの少しだけ思案を馳せる。

 生まれて間もない命をいずれその手で裁くと決めている。その罪深さを理解していながら止まれない己自身に何より彼は何より激怒していた。

 その怒りを、自分自身ですら制御ができない。天井というものが欠落していた。

 

 瞼を閉じれば、その怒りの視線は自分自身に向いていた。

 ほどなくして光となってユピテルはこの場から掻き消えた。

 

 再度の激突を予感させながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




渾沌裁く審判の霹靂(Cielo di Giove)顕現するは木星天(Dawn-Ray Phosphoros)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: AAA
集束性:AAA
拡散性:E
操縦性:AAA
付属性:E
維持性:E
干渉性:E
荷電粒子超々集束・亜光加速能力。
光速度に準ずる速さまで荷電粒子を加速させて斬撃を放つ能力。
発動体たる二刀を加速器にして放つ超高密度の斬撃に貫徹できないモノは存在しない。
超出力・超集束によって放たれる一撃はまさしく歪んだ光の楽園を焼き尽くし、堕天を齎すに相応しい幕引きとなるだろう。



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神前婚 / Asgard Marriage

多分これで全体の3分の1ぐらい終わったかなぐらいです
なんとなく察しの人もいそうですが、各話のタイトルは「神曲」を題材にした某グロゲーの影響を少なからず受けています。


 ヴェラチュール卿の下で学んだ日々を、今でも私は覚えている。

 

「ふむ、槍が得意か。であればそちらの流儀に俺も合わせよう。生憎槍は剣と比べればそれなり(達人級)、という程度だがそれでいいなら教示しよう」

 養護施設で、よく私はヴェラチュール卿と打ち合った。

 ある日はカン、と小気味よい槍の柄を蹴る音共に、数回宙を翻る槍をつかみ取って軽やかに構えて見せた。

 またある日はくるくると手の甲や腰で槍を独楽のように回転させながら最後は爪先で宙を舞う槍を掬って手に取って見せた。 

 つまらん大道芸さ、などとそんな所作を披露してみせながらいつも鮮やかに訓練の前に芸を披露して見せる。これの何がそれなり、だというのだろうと思う。

 

 武神の生まれ変わりと称される通り、やはりその武錬は卓越していた。

 手合わせをする度に、まるで別人と戦っているかのように流派が変わる。あるいは定まったモノがない。

 いくつ引き出しが在るのだろう、ひきだしの限りがあったとして何年費やせばその総てを私は見ることができるのだろうか想像が到底つきそうもない。

 彼の業を覚えることは、人が手で土を掬って頑張って山を削るようなものだとさえ思えてくる。

 

「どうした、マリアンナ。息が上がっているが休憩をはさむか?」

「いいえ。そのまま続行します。ヴェラチュール卿」

 汗を何度も何度も拭いながら、幼い頃の私はヴェラチュール卿へと挑んだ。

 力を学びたかった。業を学びたかった。その一身でヴェラチュール卿の槍に食らいついている。

 騎士になって力を得ればもう二度とあのような光景を誰かに見せることはないのだと――見ることになるのは私だけなのだと信じ続けて打ち合った。

 

 孤児院に神祖が千年を生きる超越者である事など、神祖と聖教皇国の()()()()はその時に私は知った。

 知らなかったのは、まさしく裏面だけだった。

 

「いい具合に仕上がってきているとも、斬空真剣と打ち合わせてもそろそろいい頃だろう。共にいい勉強になるだろうしな」

 時折、ヴェラチュール卿は私の鍛錬の相手にベルグシュラインを充てることが在った。

 ……ヴェラチュール卿をして千年に一度の才と賞賛を以って讃えられる最高の剣士。最初に見た時私が感じたモノは、本当に徹頭徹尾剣と言うべきものだった。

 苛烈にして怜悧、緻密にして無欠。端的に述べて怪物的だった。事実、私は手も足も出ずに完敗した。

 このような完敗を喫するのはヴェラチュール卿以外には初めてだった。

 

 ヴェラチュール卿を山脈と例えるならベルグシュラインはまさしく鉱山だ。

 そもそも手で掬って取れるような柔らかさを持っていない。初めから完成されている。

 槍の間合いに慣れていないはずだろうに、槍と体の掠る紙一重を見切り間合いに飛び込んでくる。長柄を得手とする人間が最も接近を嫌がられるタイミングを見計らう徹頭徹尾合理的な剣術だ。

 合理的すぎて、嫉妬すら湧かなかった。

 どのような日々を過ごせばそのようになれるというのか、私には皆目見当のつかない異次元の怪物だったと思っている

 

「マリアンナ、と言ったか。……なるほど、豪胆にして苛烈。聞きしに勝るまさしく剛毅の槍だ。打ち合う腕の痺れが証明している、加えて槍の間合いというモノも新鮮だった。勉強になったとも、感謝している」

「だが同時に算段の無い猪突は控えるべきだろう、貴殿の場合は特にその傾向が強いと見える。それによって虚を生み出すこともあるだろうが、命はいつだとて一つだ。命を賭してまで得るべき価値を創出できる捨身かをよく鑑みる事を薦める」

 顔色一つ変えず、私を打ち伏せても特に達成感もなく淡々と賛辞を述べる有様に私は何も言い返しようがなかった。

 私が彼に勝てなかった理由等、純然にして絶対なる実力ただ一つだった。私が持っているモノよりあちらが持っているモノの方が絶対的に多いのだから、絶対に私は勝てないのだ。

 ベルグシュラインはそれからも時折私と手合わせをする事はあったが、しかしついぞ一本を取る事はなかった。

 

 そのような出会いもありながら、私はついに聖騎士になる日を迎えた。

 養護施設からの門出を、ヴェラチュール卿は祝ってくれていた。それはとても身に余る光栄であり――だからこそ今にして思えば私はとんだ愚か者だったのだと理解ができる。

 

「おめでとう、騎士マリアンナ。未だ秩序の定まらぬ新西暦(いま)においてお前の手を欲する者は多く居るだろう。今こそマリアンナ・グランドベルの本当の旅立ちの日だとも。……総代騎士として必誅神槍(グングニル)の名を贈ろう。誇るがいい、まごうことなくお前は俺が観てきた中で最高の槍だった」

「……今まで浮浪児であった私を拾い育ててくださったこと。騎士としての矜持を教示いただいた事。私の身には余る栄誉でした。貴方の祝辞を私は決して忘れないでしょう。……ですから、私にはその名は相応しくありません」

「……と、言うと?」

 ふむ、とヴェラチュール卿は珍しくきょとんとした顔をしていた。

 まるで本当に予想外だった、とでも言いたげに。おそらく私が生涯で唯一見た、ヴェラチュール卿の呆け顔だった。

 けれども答えは決まっていた。

 

「神の槍等、この私のような下賤が担うには相応しくない名です。……審神聖女(ロンギヌス)の名をお贈り下さい。その名を抱いて、私は貴方の下より旅立ちます」

「聖者を裁いた者、か。――なるほど、佳い名だ。ならば果て無く往くといい、暗夜を払う輝ける焔と成れるよう祈っている」

 それが、ヴェラチュール卿との別れだった。

 例え私の村を焼き尽くした者達であろうとも、ヴェラチュール卿は私の師だった。

 師であり、兄であり、親だった。腕に抱かれたあの日の暖かさ。それだけは私は嘘にはできなかった。それだけは間違いではなかった。 

 

 終末と審判の日、焔と槍で裁かれるのは私だけでいい。それが私という女の正しい末路なのだ。あの日死ぬはずだった運命が、()()()()()()()()だけなのだから。

 

 

「最後に餞別代りに神託という奴でも送ろう、至らぬ師からのせめてもの心と思ってくれ。マリアンナ・グランドベル――いつか()()()()()()()()()が、きっとお前の救いとなる」 

 

 

―――

 

 

 蘇るのは、エリスと初めて同調してファウストと戦った夜だった。

 あの時に俺が星を希った相手はエリスだった、それは間違いなく。

 

 足を踏み出すたびに記憶は蘇る。

 原理は分からない、けれどエリスの星の鼓動を俺は知っている。やさしい凪のような、無限に続く湖畔。

 

 無我夢中であったはずなのに、同時に驚くほどに覚めていた。

 エリスと共に戦う事が、俺にはとても嬉しい事のように感じられた。

 不謹慎だとは理解していても、剣を執って久方ぶりに俺は救われた心地を感じた。

 

 けれども――その最中にグランドベル卿はポースポロスの光刃を直撃させられた。

 傷口を焼いて肉を繋ぎとめてポースポロスへ二度目の致命打を叩きこんだ執念は驚嘆すべきだが、それでもそんなモノは奇跡でもなんでもない。

 地に横たわるグランドベル卿に俺は駆け寄った。

 

 

「グランドベル卿!!」

「ロダン……」

 腹から流れる血は空気に触れて赤黒くなっていく。グランドベル卿は裂かれた腹を抱えながら空を仰ぐ。

 文字通り血の気が遠ざかっていく感覚を味わっているにも関わらず、未だ体を起こそうとしている。

 

「ロダン……それにエリス、といいましたか。なぜ貴方達が私を案ずるのです」

「そんなことは今はどうでもいい、早く手当を――!!」

「まったくロダンは優しい。……そんな事だから貴方達は見誤るのです」

 グランドベル卿の腹は真一文字に裂かれている。それを強引に自分の星辰光で焼き繋げて肉と肉を溶接したのだ、見た目は肉が繋がっているように見えているだけでこんなモノはその場を誤魔化すだけだ。

 グランドベル卿はうっすらと呆れたように笑うとともに、俺は首に冷たい感触を感じた。

 

 

「悪いがロダン、そう言う事だ。――グランドベル卿、約束は果たしたとも。これでいいんだろう?」

「……えぇ。迷惑を掛けます、ランスロット卿」

 冷たさの正体はリヒターの剣だった。至って平静なリヒターの声、グランドベル卿の言葉に俺ははたと気が付いた。

 この混乱の中でさえ最終的な目標をグランドベル卿は見失わずにリヒターに託したのだ。

 ……ポースポロス――木星天との戦いにおいてまず俺達が意識をさせられたのはグランドベル卿とポースポロスであり、リヒターは黒子に徹しながら行く末を見計らっていた。

 だから自然とリヒターの事も意識から抜け落ちた。グランドベル卿は自分が相打った時の事まで考えて、そうリヒターに託したのだと思う。

 

「お嬢さんも下手に動かない方がいい、ロダンの首がつながるかは嬢さん次第だ。無理を通してもいいだろうがその前にロダンの首が落ちる」

「リヒター様、貴方は……」

 エリスは眉を歪ませながらもしかし同時に星を振るえない状況に陥っていた。

 状況から見れば騎士たちに盾突き在ろうことか大聖庁の中で甚大な被害をもたらした当事者だ、そう考えると今ここで俺の首が繋がっている事の方が不思議なぐらいなのだ。

 

 それからほどなくして、グランドベル卿はぐったりと肩の力が抜けた。

 眠るように目を閉じてそれから一言も問いかけに反応しなくなった。……嘘だ、と嫌な予感が総身を奔る。

 こんなことは在ってはならないはずなのに。

 

「グランドベル卿っ! ダメだ目を開けてくれ!! 貴女はここで死ぬべき人じゃないだろうがっ!!」

 グランドベル卿。

 俺の知る中で誰よりも優しく、誰よりも強かった騎士。無辜の人々を護るために戦ってくれた人の最期がこうであってはならない。あっていいはずがない。

 だというのに今の彼女の熱の感じられない体が彼女の末路を暗喩しているかのようだった。

 

「お前達が俺達を受け容れるというのならグランドベル卿は速やかに手当をさせるとも。だからロダン、お嬢さん。もし真にグランドベル卿を慮るというのなら今すぐここで矛を収める事だ。事態を最も早く収拾するのならそれが最善である事ぐらいは察してくれ」

「……」

 拳を握って、力の限りたたきつけた。

 グランドベル卿は決して進んで俺達を害そうとしたいわけではなかったのだろう。

 けれどエリスに女優を続けさせたいと、姉さんの傍に居させてやりたいと無理を通そうとごねればごねるだけ事態は先延ばしになる。

 

 

「……グランドベル卿のたっての願いでな。ポースポロスとかいう野郎との戦いの最中に結んだ。渋ったり結論を引き延ばそうとするようなら例え誰であろうと()()()()()()()()()()()とまで言ったんだ。そちらがこちらの要求を呑まない限りはグランドベル卿は死ぬ、呑むようならグランドベル卿は生き延びるだろう」

 呆れた事に自分の生死さえグランドベル卿は交渉材料にして俺達を確保しようとしていた。

 その十重二十重の抜け目の無さに呆れさえ浮かんでくる。……確かに俺は俺の倫理観故にグランドベル卿を見捨てる事が出来ない。

 それはエリスの自由とグランドベル卿の命を天秤にかけるようなモノであったからだ。

 それでいいのなら存分に苦悩して結論を先延ばしにしろと、お前に第三の選択肢等もはや降ってこないのだとリヒターは言っている。

 

 当然だ、俺には出来るわけがない。そこで即断できるほど俺はエリスとグランドベル卿に優劣をつけることも割り切ることもできない。

 言い方を変えるならばグランドベル卿は「エリスを渡さないなら私は自害を選ぶ」と言っているのと同等なのだ。俺がどうこたえるか等、ハナから分かり切っているだろうに。

 

「ロダン様、貴方の答えに私は従います。ですからどうか、迷われませぬよう」 

 エリスはそう言って、俺に答えを委ねた。

 ……エリスも同じくどうしようもなく、俺の言葉が予想できてしまったからなのだろう。

 何度逡巡しても堂々巡り。答えはやはりどうしようもなくて俺は震える声でこう答えた。

 

 

「……リヒター。分かったよ従う。エリスも、今は従うしかない」

「済まない。その決断に敬意を表すよ騎士ロダン。決して悪いようには扱わない、それだけは騎士として約束させてくれ」

 項垂れながら俺達は騎士団に従うしかなかった。

 続々とリヒターの合図とともに伏せられていた騎士たちが現場に駆けつけていく。

 エリスも、俺も、手枷を嵌められ、グランドベル卿も救護の騎士たちが運んでいく。

 

 

「済まない、エリス」

「いいえ、ロダン様。……それもまた、星のなりいきでしょう。誰を選ぶことも、きっとこの場で正解ではなかったのでしょうから」

 二度も、俺はグランドベル卿に負けたのだ。

 一度目はグランドベル卿の力と心に。

 二度目はグランドベル卿の覚悟に。

 

 心技体総てにおいて完全なる敗北だった。

 

 

 エリスと俺は捕らえられた。

 リヒターに連れられた先は応接の間より厳重な、要塞じみた地下施設だった。

 壁材はおそらくはアダマンタイトだろうか。俺の首元にはやはりリヒターの剣は依然突き付けられたままだ。

 同時にそのエリスはイワトが観ている。腰にかけた刀に手をかけながら、俺達の一挙手一投足を観察している。

 イワトについては、特に俺はエリスの事を伏せたこともあり不信の目で見られている自覚はある。

 

 ……グランドベル卿はすぐさまに治療に回されたと聞いている。

 

「……リヒター。俺とエリスは何処に連れていかれるんだ」

「何、聴取の続きだ。ただし前みたいに窓ガラスを蹴破られても困るからな。対星辰奏者用の特殊施設でな、副長官が建てたモノだ。……ちなみにここを使うのはお前達で初めてだ」

「それは聞きたくなかったな……」 

 アーク灯だけがただ無機質に鋼の監獄を照らしている。

 ……分かってはいる。仮にも俺は騎士団に喧嘩を売ってしまった人間だ、こうしてまだ口を利く自由を認められているだけでも恩情深い措置なのも分かっている。

 

「……対星辰奏者・星辰体運用兵器用特殊装甲収容所。正式名称を機鋼氷牢(ニヴルヘイム)という。千基以上に及ぶ星辰体運用兵器を内蔵した特殊監獄だ、例えお前やお嬢さんでも逃げられるような作りはしていないと副長官からは聞いている」

「じゃあ最初からこっちに連れてくればよかったんじゃないのか」

「無論それも考えたが監禁しますと言わんばかりだろう、こんな場所は。そうなれば誰とて逃げる。それに当初から俺達は平和的な解決をこそ望んではいたさ」

 殺風景な地下牢の終点。そこには、あの応接の間の時のように、オフィーリア副長官が佇んでいた。

 ……言うまでもなく、もはや初対面などではない。

 あの時とはまた違う距離感があった。そこからはリヒターもまた傍で控える。

 

 鋼の机で依然資料を読みながら、オフィーリア副長官は俺達に目を向ける

 

「グランドベル卿共々、随分とイレギュラーがあったようね。まずは謝りましょう、手荒な真似をして済まなかったわ」

「頭一つ下げて償った気分になるとは、エリスにした所業を随分安く見積もってくれたな」

「えぇ、……返す言葉はないわ。グランドベル卿に確保を命じたのは私よ、和平的な解決を望んだのも事実だけれど。それでもやはり、結局はこうなるのでしょう」

「……エリスをなぜそこまで目の仇にする。エリスがお前達に何をしたんだ」

 エリスはあの時ひどくおびえていた。

 死想恋歌(エウリュディケ)死想冥月(ペルセフォネ)葬想月華(ツクヨミ)。そんな単語だったと記憶しているし、恐らくそれらはエリスにとって何より大きな意味を持つ言葉なのだとも思う。

 

「その前にまず認識のすり合わせをしましょう。……ロダンさん――そしてエリスさん。改めて聞くけれど魔星という言葉について何か知っていて?」

「……エリスから聞いた以上の事は知らない。死人を材料にして作った人造の機神、常軌を逸した資質と戦闘力。そんな所だ」

「概ね正しい解釈でしょう。……そしてその技術はアドラーが元々基礎理論を完成させた。アスクレピオスの大虐殺、第二太陽の異常接近は知っているでしょう。アレを起こしたのがアドラー産の魔星だという事ははっきりしているわ」

「前例が示されている、というわけか。だからアスクレピオスの大虐殺の再演が起こるとリヒターも言っていたんだな」

 魔星がアドラー発の技術なのだという事は、俺は初めて知った。

 アスクレピオスの大虐殺には魔星が関わっているのだということについても。恐らく眼前の副長官はこの場にいる誰よりも知識があり、事の真相に近い人物なのだろう。

 

「エリスさん。貴女はなぜ魔星の真実を知っていたのかしら。……普通、魔星について知る人間は相当限られるはずよ。まさかそれでも、ただの舞台の女優と言い張るつもりかしら」

 エリスに向けられた懐疑の視線に、エリスは苦々しい顔をしながらも首を縦に振って首肯を返した。

 

「……賢察の通りです、オフィーリア様。銀月天(ルナ)――あるいは銀想淑女(ベアトリーチェ)。それが魔星としての私の名です。魔星や聖戦、大戦、神祖滅殺(ラグナロク)。それにまつわる真実も、総ては私の創造主から与えられています」

「……貴女の創造主、というのは?」

「断じて言えません。……特に、ロダン様には」

「それは設計上の機能ではなく、自由意志による選択としてと捉えたわ」

 エリス。火星天(マルテ)水星天(メルクリオ)木星天(ジオーヴェ)――そして銀月天(ルナ)。それら総てと関わりのある、事態の渦中に坐す人物。

 彼女は今も尚、真実を明かす事は無かった。

 

「……死と運命を司る銀の月乙女達。貴女の躯体はそれらを参考にしているのでしょう。……星の死を齎す死想恋歌、星に希った死想冥月、星を授ける葬想月華。月を映す銀の髪に他の追随の一切を許さない干渉性。貴女の正体は()かしら?」

「私もまた木星天、水星天、火星天と同じ至高天の階(エンピレオシリーズ)の一人――故に銀月天。彼らを滅ぼすためにこそ、私は月の運命を授かりました」

 至高天の階。その一人であるのだと、エリスは言った。

 ……それはそれで驚きではあったが、しかし同時に疑問も生じる。

 火星天と同類――つまりは製造元が同じであるというのならなぜ火星天や水星天と相争っていたのかという事にもつながる。

 

「至高天の階――なるほど、彼らはそういう一団なのね。エリスさんは、火星天や水星天とは元々仲間だったのかしら?」

「……正しくは私の創造主が、彼らと同じ者から創造された魔星でした。煌翼、あるいは冥狼。それらと私は在り方としては近いと言えるでしょう。銀月の天たる創造主の星辰光によって生み出された者。月の繭を破り出でた者――それが銀想淑女、エリス・ルナハイムです」

 彼女の言う創造主の星辰光から生まれた存在。

 意志を持つ星辰光など、俺は前例を全く知らないがふむふむとオフィーリア副長官は頷いている。どこか見覚えがあるとでも言うかのような様子で。

 煌翼、冥狼。その言葉は恐らくは俺以外のこの場にいる全員には何かしら意味を持つ言葉なのだろう。

 

 

「……その話を聞く限りでは、貴女の創造主の原初の衝動は恐らく――自由な体、ないしは理想の自分が欲しい、と言ったところかしら」

「私の創造主は、私を至高天の階とは関わらせないようにしていました。私達のような怪物と関わり合いになることなく、生まれたからには自由に生きなさいとそう彼女は言ってくれました」

「劇団員になることが、貴女の夢?」

「彼女の気質や魔星としての機能、記憶も幾分かは引き継いでいるのでしょう。彼女も大舞台で女優になる事が夢だったと言っていましたから。……それでも、たとえ借り物であったとしても大切な夢です。彼女の夢を彼女に見せたいのですから」

 彼女、とそうエリスは語った。

 演劇が好きな子、そう語る彼女の創造主に少しだけ既視感を覚える。……今はもういない、不治の病の冒された少女の事を連想してしまうから。

 

「……戸籍も渡航歴も、星辰奏者になるための施術歴もない。当たり前でしょうね、貴女の出自はそもそも人ではないでしょうから。複雑怪奇なその正体は今は置いておくとして、貴女の創造主や至高天の階――彼らは何処で創られ、そして何が目的なのかしら」

「申し訳が在りませんが私は知り得はしません。創造主は、それを頑なに秘しています」

「……言えない、というわけではないのね、それは安心したわ。貴女や報告にあった水星天、火星天の完成度、木星天のあの装束を見るに、恐らくはアドラー産と考えるべきかしら。事実、それらを製造し得るノウハウを持っているのは少なくともアドラーを除けば秘蹟庁ぐらいなものでしょうから」

 確かに、それは分かりやすい結論だ。一夜にして経緯不明ながらヴェラチュール卿や教皇スメラギはこの地上を去った。今のカンタベリー聖教皇国は吹けば崩れるとまではいかないまでも、少なくともアドラーに抗し得るだけの力はないだろう。

 確かにこの推論にはリヒターやイワトもふむと納得はしている。

 魔星を送り込み、迅速に制圧。予想外のイレギュラーはエリスの誕生であり、それを始末しなければならないから火星天らはエリスの敵となっている。

 筋書きとしては何ら破綻はないだろう。……だからこそ結論が安直すぎる。そうなるように()()()()()()()としか思えないほどに筋は通っているのだ。

 

「いいや、副長官。だとすればアドラーの仕事が杜撰すぎる。木星天なんかは明らかだろうが、手綱を握れていない星辰体運用兵器を普通放し飼い同然にするか? 違う筈だ、アドラーだからこそこの点においてはむしろ信頼できると言ってもいい。いくらなんでもやってることが雑過ぎる」

「――奇遇ね、ロダンさん。私もそう考えているわ」

 そこで、薄く副長官は笑った。

 全くの同意だと。リヒターとイワトは少し面喰ったような表情をしているが、しかしふと我に返るとそれもそうかと半信半疑ながら頷きを返した。

 

「……ここで重要になるのは、魔星製造のノウハウね。アドラーはたしかに本家本元、けれどその情報は英雄崩御の後にある程度流出している」

「アドラー以外でも作れる可能性はある、と? だが副長官、そのような事を可能とする人物――あるいは組織はあり得るだろうか?」

「そうね。だから今日明日にでもアドラーのさる使者に木星天の事も含めて事の真偽を尋ねるつもりよ。……なんでも、シュウ様やリチャード卿とは()()()()()()だとか」

 イワトのさしはさんだ疑問は尤もだろう。

 実際、俺もそこが分からない。アドラーが飽くまで一番可能性としては高いというだけで事実というわけではない。

 

「……とまぁ、今この場で考えても仕方がないでしょうから話題を変えましょう。どの道この件に関してはシュウ様とリチャード卿に任せるのが筋でしょうから。……至高天の階、とは何か、貴女の生い立ちも含めより詳しく教えてもらえるかしら。エリスさん」

「はい。……私がこの地上に生を受けてユダ様に見出されユダ座で働くことになった折りの事です。至高天の階――その一員たる火星天、水星天の襲撃を一度受けたことが在ります。彼らの目的は……私も未だに分かりません。辛くも逃げ出し皇都周辺に落ち延びましたが」

「……人造惑星(プラネテスシリーズ)に対する至高天の階(エンピレオシリーズ)。天動説における十の遊星天、それに対する地動説における天体。なるほど、名前からして作為的ね。どこまでも星辰天奏者(スフィアライザー)の絵図をなぞっている」

 ……歌劇や文芸作品に詳しい人間ならば恐らく一度は聞いたことがあるだろう。

 火星天、木星天。「神曲」の天国篇における詩人ダンテが淑女ベアトリーチェに導かれる途上に訪れる遊星天の事だ。その旅路の果て、最後に至高天への到達を以ってダンテの旅路は幕を下ろす。

 そのような話だった記憶がある。

 

「茶化すつもりではないけれど、エリスさんはロダンさんの事を何時から知っていたの? その馴れ初めを教えていただけるかしら」

「……」

 エリスはその言葉に対して決して「俺と目が合った日」と即答はしなかった。

 あるいは、それよりもっと以前から俺を知っているような態度で口ごもっている。

 

「エリスさんが一緒にハル・キリガクレ氏の屋敷への出入りを始めたのはつい最近。それ以遠からロダンさんは極秘に追跡調査が行われていたけれど、やはりその時にはエリスさんと知り合ってはいなかった。物理的にそもそも接点はなかったと言ってもいいでしょう」

「……けれど、俺はエリスの星辰光を使っていた」

「えぇ、それがおかしな話なの。グランドベル卿を手当する前にランスロット卿から聞いた話では、彼女は魔星は魔星でも、ロダンさんの発動体としても振舞っていたとか。にわかに信じがたい事ではあるけれど」

 ……無言の肯定をエリスは返している。

 発動体型人造惑星――言ってみれば確かに奇異だが納得できる側面もある。星辰光とは人間の情動が描くモノだ。

 エリスと感応していた俺の星が変質していたのは恐らく人間ではないエリスの方が人間の俺より情動(エゴ)においても性能としても優位になっていたからだとも言える。

 俺が本来ならば持ち得ていなかった干渉性の資質もエリスの属性に引き摺られた結果であるとも考えられる。

 

「……今のロダン様ならお分かりの通り、私はロダン様の発動体であり同時に魔星です。ロダン様に火星天と相対する時に星を授けたのも、その原理によるものです」

「だがおかしいだろう。発動体は元々その人間専用のものであり星辰体のエネルギーが絶えず往還しているというのが常識だ。だが俺はエリスとそれに類する関係を持ったことはない」

「私もランスロット卿の話を聞いたときにはそれがどうしても腑に落ちなかった。……けれどエリスさん、ただ一つこれを合理的に説明できる契機が貴方達には恐らくあった。そしてそれはこの聖教皇国であれば()()()()()()()()()事のはずよ」

 俺達の関係の本当の始まりを合理的に説明できる契機を、副長官は恐らく知っている。エリスもまた知っている。

 ちらりと横目で俺はエリスを見ると、エリスも意を決したようにこくりと首を振る。唯一、俺は物理的にエリスと逢う以前からエリスを知る機会があったのだ。

 けれど、それは。

 いや違う。エリスとよく姿が似通っているだけの夢の中の女のはずで。

 

 

 

神天地(アースガルド)創造事件――星辰神奏者(スフィアブレイバー)、グレンファルト・フォン・ヴェラチュールの極晃によって私はロダン様と出会いました。……ロダン様。貴方の夢で見た少女とは、私の事です」

 

 

―――

 

 明かされたのは極晃、神祖、あるいは魔星。それらの真実だった。

 どれも、字面は記憶が出来ていてもいまいち頭に入ってこない。風のようにすり抜けていくばかりだ。

 オフィーリア副長官とエリスの説明もいまいち理解がおぼつかない

 

 神祖滅殺の真実も、星辰神奏者も、そんなこともどうでもよかった。

 

「……夢が符合したのはそう言う事です。あの時、貴方が私に手を伸ばしてくれたことも、私の名前を叫んでくれた事も、私は覚えています。星辰光で編まれた仮初の肉体は、例え膳立たとしても極晃に一瞬でも私と貴方で至った瞬間に完成されてこの地に焼き付いた」

「なるほど。とすれば納得できることはあるわ。活動する星辰光というモノの前例は煌翼や冥狼――他ならぬ神祖がその代表格。そして冥狼であれば冥月、煌翼であれば蝋翼と言うように、その星を祈った者がいる。……天を巡る詩人と淑女。ロダンさんとエリスさんの関係は形は違えどまさにそれらそのものでしょう」

「私という生命は恐らくそういう存在なのでしょう。少女から願われて生まれて間もない私は幽霊のようなものでした。けれど、ロダン様が私の手を握ろうとしてくれたからあの時私は命として地上に生まれ落ちたのです。その時、私とロダン様の間には星の縁が結ばれたのだと思っています。元々、私の機能は誰彼構わずに発動体となれるわけではないですから」

 ……エリスは、あの夢の中で別離を遂げた少女そのものであった。

 俺の夢などでは、決してなかったのだから。

 

「ロダン。お前はなんて顔をしてるんだ。鏡を見てみろ」

「あ……」

 俺の目は知らないうちに涙を流していた。

 きっとそれはエリスの為に流れた涙だったろう。

 

「……そうか。お前は、だから俺に会いに来てくれたのか。それが、エリスの真実か」

「はい。……あの夢の中で、握ろうとしてくれた貴方の事を私は忘れたくなかった。そして貴女も、私の事をずっと忘れないでいてくれました。……ありがとうございます、それだけでも私は満ち足りています」

 エリスは頬を染めながら、そう笑いかけてくれた。

 それが俺は嬉しくて、こんな状況であっても少しだけ嬉しかった。ただそれを少しだけ呆れたように副長官は見つめている。

 リヒターは苦笑いをしながら顔を背け、イワトは何に感心したのかを知らないが感じ入るように目を閉じている。

 

「貴方達の関係性と星のからくりはよくわかったわ。……エリスさんの人となりも。だからそのお熱いのは控えた方がいいと思うわ。私のような偏屈な人間にはまぶしすぎるのよ、貴方達」

「全くだ、副長官。元部下とは言えこういうノリは俺は苦手なんだよ、自分が年を食ったのを自覚させられる」

 ……そう指摘されると改めて、少しだけエリスと気まずくなる。

 ……エリスは本当は俺とは初対面ではなくて、随分に昔に出会っていて――そこで少し気になる事が在った。

 副長官の言葉では極晃とは星辰光の上位に当たる存在であり、人が生涯の果てに見出す命の答えであると。

 その極晃奏者との激突によって起こったのが英雄崩御であり、同時に神天地の破綻であったのだ。

 

「副長官の話によれば星辰神奏者の星によって生まれた極晃奏者は皆一様に極晃を喪失したんだったか。だけど俺達は恐らくそうじゃないんだな?」

「そうね。貴方とエリスさんの特殊な星辰光の発動形態こそが後遺症検査における貴方に認められた特異な傾向だったのでしょう。……貴方の元々の星はたしか他人の戦闘技術のトレース。であったならそれが極晃となった場合はどのような属性を帯びるのかと考えるの自然でしょう。加えて、ほかの人ならいざ知れず、エリスさんは確かに純正ではないにせよ魔星よ。だから神天地の影響が解けた後でも何等かの形で高位次元との接点が残留している……と考えるのが合理的ね」

 俺達は、決して極晃奏者という奴ではない。けれど、神天地の影響は間違いなく残留している。その縁があればこそ俺達は出会えた。

 ……それが例え、絶対神の掌の上での神前婚であったとしても。

 けれど、問題はまだ解決していない。

 

 エリスの正体、それは納得はいった。けれども、今の俺達の処遇はまだ決まっていない。

 俺の懸念を察したのだろう。ゆっくりと、副長官はそれについて口を開いた。

 

 

 

 

「……エリス・ルナハイム。アレクシス・ロダン。両名の処遇はまだ決めかねている所だけれど、当面はこの大聖庁の監視下に置きます。故、今後の如何については第一軍団及び秘蹟庁の預かりと致します」

 

 

 

 

 



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七冠序篇 / Purgatrio

ある程度、諸々の事実が明らかとなります。


 エリスを俺は結局自由にはしてやれなかった。

 結果としては俺達がしたことは単なる暴走で、その上正体不明の星辰奏者であったエリスを庇い立てし騎士団に盾突いたのだ。

 牢に入れられるには罪状は十分だ。

 

 

「ごめんな、エリス。どうにもならなかったらしい」

「いいえ、ロダン様。貴方は私の為に尽くしてくださいました。その結果なら私は受け容れます」

 エリスは当面地上に帰ることはないのも事実だろう。

 エリスと俺は更なる監獄の下層へ。それが第一軍団と秘蹟庁の下した決断だった。

 言うまでもなく特級の魔星であり、星殺しの性質も含めて妥当な処置だったとしか言いようがない。そうでなければグランドベル卿は無駄骨だったということになってしまうのだから。

 名目としては逮捕や収容、などではなく飽くまででも()()()()()()()()()()、及び保護、ということらしい。

 リヒターから聞いた限りの話では、そのように劇団や姉さんにも話は行っているらしい。……劇団に関してはハナからエリスが星辰奏者だと知っていた上で皆黙っていたのだから、場合によっては法に抵触しかねない部分はあったろう。

 とは言えそれを取り締まる事で徒にエリスを刺激するのも、魔星相手にやる手じゃないと理解はしているのだろう。加えて口裏さえ合わせれば故意性について問う事は難しい。

 

 副長官とリヒターから言い渡された処遇は大きく分けて三つ。

 外出の自由は基本的には認められていない。

 監視役を一人つけた上でエリスか俺のどちらかしか外出が出来ず、俺達の本当の処遇については他言は出来ない。要は片方が出払っている間はもう片方が人質となれ、と言う事である。聖庁内であればエリスと入れ替わりでなくともある程度の移動の自由は認められている。

 エリスが元々は劇団員であるという事に関する配慮もあるのだろう。

 最後に、エリスの躯体の技術解析に対する協力。これは当たり前に魔星としてのエリスの特性の解析だ。誰がどのような目的でエリス――ひいてはエリスの創造主を創り上げたのかという問いにもつながるのだから。

 エリスもまたそれを拒絶はしなかった。当然ながら乗り気なわけではないものの、彼女も自分自身を通して創造主について知りたいと願っている。

 

 俺達の収容場所にあたるアダマンタイトの壁材の無機質な部屋には、それなりに上質なベッドや椅子や机があった。

 決して粗末ではないが、そこには温かさというモノが欠如していた。囚人と言うよりはまるで実験室のようであり、実際副長官のエリスの検証作業に関する協力も俺達の義務に含まれていた。

 エリスを悪し様には扱わないと副長官は述べていたがそれもどこまで信用できるかが分かったモノではない。

 

 

 ……わずかに青みを帯びた白色の灯に照らされた収容室に、俺達は腰を預けることになった。

 

「済まないな、特にお嬢さんには迷惑をかける」

「私とロダン様を拉致同然に収容していながら迷惑の一言で済ませるのですねリヒター様は。私が出自を伏せていた事を棚に上げるつもりはございませんが、それでも私は決して進んで貴方方に危害を及ぼすつもりなどありませんでした」

「……責めは受けよう、許してくれ等しなくてもいい。何を言われたとてお嬢さんの存在は聖教皇国にとって決して無視はできない。それだけは分かってくれ、その上で言い訳にならない事は重々承知だが可能な限りの最大限に自由は保障している」

「そうですか」

 リヒターに向けたエリスの語気は刺々しかった。

 ともすれば早く出ていけとでも言っているかのように、眦は鋭かった。どことなくエリスの気分を察したのだろう、リヒターは足早に踵を返す。

 木星天、水星天ほどではないにしろ刺々しさは感じる。

 

「リヒター。グランドベル卿はどうしている」

「……療護院の話では、とりあえず急場は脱したらしい。安心するといい、じきに回復はするだろうさ」

「……なら、よかったよ」

 少しだけ、ほっとした。グランドベル卿の無事は俺も強く願っていた。

 

 

「……ロダン、それから嬢さん。ここは狭苦しいだろうが元気にしていてくれ。こんなことをしてどの口が、と思われるだろうがそれでも聖教皇国は今現時点ではお嬢さんとロダンの味方だ。それは信じてほしい」

 言って、リヒターは地下室から去っていった。

 それから、気まずい沈黙がエリスと俺の間で流れる。きっと、聞いてみたいことも、かけたい言葉も、山ほどある。

 あるけれどもどうしても最初の一言を言えない。

 エリスももじもじとしながら太ももに拳を置いて視線を下に向けている。

 俺の出方をうかがってるようで言葉のフェンシングでもしているかのような気分になる。これを恐らく人は駆け引きや交渉術などと言うのだろう。

 

「あの」

「あの」

 ……考える事も一緒だったか、声が被ってしまった。

 また、気恥ずかしい気分になる。……俺はこういう気分になったことは、子供の頃にハル姉さんと遊んでいた時以来だった。

 喉の奥に形の無いなにかがつかえてもどかしい。

 

「……エリス」

「はい、何でしょう。ロダン様」

 やっと、エリスに最初の第一声をかけてやれた。

 

「エリスは、確か人間じゃないんだよな?」

「その通りです。……ロダン様だけには、知られたくはありませんでした」

 膝抱えて、顔をそこに埋めるエリスの表情はどこか陰りが在った。

 意志し行動する星辰光がエリスだと言われても、俺にはいまいちピンとは来なかった。

 星辰光が人それぞれが定義する星の光なのだとすれば、彼女の体はきっと月の残照と優しい願いで出来ているのだろう。そうでなければきっと、エリスがこれほどに美しいはずがない。

 

「俺は平凡な生まれだからエリスの気持ちはきっとわかりはしない。けれど、エリスは自分の生まれを恥じているんじゃないんだろう。少なくとも、エリスが自分の創造主という奴を語る時にしていた表情はそういう類のものじゃなかった」

「……えぇ。私は、彼女を誇りに想っています。何より彼女は私に意志と自由を与えてくださいました」

 窓のない、青白い灯下での彼女はその憂い顔も相俟って冷たくて神秘的だった。

 けれどもその上で、やっぱり憂い顔に由来する美しさは肯定されるべきではないと思う。美しく見えるのはいつだって第三者で、当人にとっては何一つとして快いものなどではない。

 一人でいる孤独とは物理な孤独だろう。だが開放された世界の中での彼女は、人の社会の中に在って人ではない者としての――社会的な孤独だ。

 何をどうしても彼女は結局人間にはなれないのだから。

 

「……きっと、私の創造主の理想像が私なのでしょう。人格形成にまでは影響しなかったにせよ、根底にある趣味や嗜好は彼女のモノを引き継いでいます」

「生後にして凡そ一年もない、と言う事か。道理で」

 ……彼女の創造主がどういう人物なのかなど計りようはない。

 彼女が純粋なのだと評した俺とユダの見識は間違いなく正しかった。なぜなら彼女は生まれたばかりの赤子も同然なのだ。ヒトの情緒や機微への若干の疎さはそこに由来するのだろう。 

 

「月の殻を破り出でた先は空虚で冷たい、真っ暗闇。けれど、そんな折に貴方と私は出会った」

 神なる地平――神天地。

 そこで、俺達は共に星を見た。

 

「……殻を破ったばかりの私を、貴方が見出してくださった。けれど――」

「俺が、手を離してしまったから」

「いいえ、神天地は破綻しました。さすればどの道神前婚も何もあったモノではないでしょう。けれど、それでも貴方は私に手を伸ばそうとしてくれた。夢幻であったはずの私と共に星を描き、私に夢の続きを見せてくれた。……私こそ、貴方の手をずっと握り返したかったのです」

 意志する星辰光という、陽炎のような命を俺は共に星を描く事でつなぎとめた。

 その瞬間に彼女は一つの命としてこの地上に生まれ出でた。……銀月天の殻から真に羽を得て飛び立った。

 

「共に描いた時に得た星の縁(星辰情報)から貴方の固有の星辰波長を解析、創造主から与えられた機能を元に貴方に星を授けました。……火星天の時も、マリアンナ様の時も」

 エリスは、俺の手へと手を添える。

 鋼などではない暖かい、人の熱を確かに掌に感じる。少し、胸の奥が疼くような、そんな気分になる。

 けれどもその熱は俺が勝ち取ったものなのではない。 

 

「……膳立てされて俺はお前に出会っただけだ。俺は何の運命も持ち合わせてはいなかった。騎士を辞めた、ただの売れない物書きでしかなかった。俺よりも、きっとお前の手を握るに相応しい誰かはいたんじゃないのか」

「かも、しれません。貴方より知性と品性に秀でた人はこの世のどこかにいたでしょう」

 ……俺よりももっと素晴らしい人間はきっといたのかもしれない。

 極晃を創星する極晃。総代騎士ヴェラチュール卿――絶対神、グレンファルト・フォン・ヴェラチュールの辿り着いた答え。

 絶対神の導きで彼女は俺を選び、俺は彼女の手を一番最初に取った。……それは本当に、俺が勝ち取った運命であったと言えるのか。

 彼女の手を取る結果に釣り合うだけの何かを俺は本当に持ち合わせてなど、いなかった。

 

「ロダン様は聡明なのですから、対価と成果が見合っていないと思っているのでしょう。ロマンチストとしての貴方は事象は認めている。けれど絶対神のお膳立てで昇った――自分の労力を費やさずに得た高みを、リアリストとしての貴方は認められない」

「別に対価と成果を不可分だなんて言うつもりはないよ、何事も疲れたり苦しんだりしない方がいいに決まってる。……だけど成果を得る過程の決断や苦労があるからこそ、人は成果に対して愛着や責任を持つんだろう。過程があるからこそ手放したくないと思うし、それを誇りに思うんだろう。何の労力もなく、ただ投げて渡された答えの何に重さが宿るというんだ」

 俺がエリスと逢った事。それはとても大事なことなのだと思う。

 けれどもそこに至るまでの葛藤や決断というモノが根本的に欠落している。出された書類にサインをすれば降ってくるような幸福を俺は素直に喜ぶ事が出来ない人間なのだろう。

 何よりそれは、エリスに対し無責任ではないのか。

 

「……ロマンチストですね、そしてとても真摯です」

「俺の心を読んだのか、悪趣味だな」

「考えている事は概ね分かります。それに貴方と私は一身同体ですから。貴方との経路を介して感じる星辰体の揺らぎから、貴方の考えている事の概ねは感じ取れます」

 胸のあたりに彼女は手を置いて、暗に私の心臓は貴方と繋がっていると示唆する。

 俺にはそういうしたものは感じ取れない。……エリスが俺よりも生命体として上位の存在だからと言う事もあるのだろう。

 

「幾度か貴方へと語り掛けた事はご存じでしょう。ファウストと戦った時も、そこから貴方が倒れた時も、貴方に語り掛けられたのは私の機能によるものです」

「アレは俺の夢でもなんでもなくて、お前の力だったんだな。……人知れず、ずっとお前は俺を護ってくれていたんだな」

「私が貴方と出会わなければ、そのような事をする必要もなかった。私の都合に貴方を巻き込んでしまった事をお許しください。……詰る資格はロダン様にはあるでしょう。それでも、私は貴方に逢いたかった」

 極晃を共に描いたのだから、彼女を他人なのだと思えないのは当然の事だ。

 だから理由が分からなくても――あるいは欠落していても、彼女と初めて劇場で出会った際に強い衝動を覚えたのだろう。

 

「初めからそう言ってくれればと思ったが、それならそれで俺はお前の言葉を信じることはなかったろう。よく出来たおとぎ話、と思うだけだろうしな」

「……私の真実を知る事で、貴方も至高天の階と関わる事になる。彼らの目的は知り得はしませんが、それでも彼らは私をつけ狙っている。その道連れに恐らく貴方も選ばれてしまった」

 木星天や火星天、水星天。

 天動説における十の遊星天の名を冠する魔星たち。彼らについても、俺は何一つとして知りはしなかった。

 けれど、火星天と水星天はエリスを突け狙っているのに対し、木星天は少し毛色が違った。

 

「火星天や水星天はともかく、木星天は何かこう……違う感じじゃなかったか」

「認めるのは業腹ですが木星天の目的は私と同じく徹頭徹尾、至高天の階全機の抹殺です。そのように創造主からは伺っていますし、実際彼自身過去にそうだと私に言っています」

「……エリスも、やっぱり至高天の階を全員倒す事が目的なんだな。だったら――」

 木星天と協力できるのでは、と言おうとしたのを読んでいたのだろう、エリスは珍しく嫌悪を隠さず眉を歪めて拒絶する。

 単なる個人としての好悪、だけではないのだろう。

 

「無理です。言った通り、彼の最終目的は私を含めての皆殺し。創造主から与えられた命の尊さを理解しているからこそ私は生きたいのです。何より見たでしょう、彼はまともに手を取り合える手合いに見えますか?」

「……見えないな。表層が取り繕えてるように見えても、結局はやる事は変わらない。平静そうに見えても四六時中恐らく憤激している」

 あの苛烈極まる戦いぶりは覚えている。グランドベル卿でさえ守勢に回らざるを得ない、圧倒的な暴力。

 集束性と操縦性に特化した荷電粒子の光刃の威力はズタズタにされた訓練場の壁が物語っているだろう。

 加えて、グランドベル卿が致命の一打を加えた際に見せたあの狂気としか思えない光景も。アレらの根幹をなしているのは強靭極まる精神力だろう。

 どういう原理で成し遂げたかはともかく、気概だけで事象を砕く等尋常な真似ではない。

 

「エリスの言う、創造主からは何か聞いてるのか」

「火星天、水星天――彼らは至高天の階と呼ばれる魔星群である事。創造主自身も至高天の階であるという事しか聞かされていません。彼らの目的については、何も。彼女は今も、私に何も真実を明かしてはくれません」

「……ちょうど、エリスが今まで俺に対しそうであったようにという奴だろう。それに創造主という奴はお前にあんな化け物連中なんかと関わり合いにならないでほしいと思っていたんじゃないのか」

 エリスの話題に時折出てくる創造主の人物像については、どことなくエリスの態度から察することができる。

 創造主の話題を出す時に過度に彼女は畏まることはなく少し表情が柔らかになる。厳密な上下関係というモノはない、友人同士のような気楽さを感じる。だとすれば、恐らくその創造主の意図するところは俺に対するエリスの今までの態度と同じようなモノだろう。

 エリスがそうであるというのなら、逆説的にエリスの創造主もエリスと似ている部分はあるはずなのだから。

 

「何より、エリスがそうなんだからきっとエリスの創造主もエリスを大事にしているはずだ」

「……モノは言い様、ですかロダン様」

「自分の事を棚上げにするのは佳くないぞエリス。何より淑女らしくないじゃないか」

 ……頬を膨らませて露骨にエリスは不機嫌になった。

 その態度に関してはとてもかわいらしいと思う。

 

「創造主が決して私を信用していないわけではない事は分かっています。けれど、それでもやはり私もまた、貴方と同じように真実を知りたい。……分ったでしょう、私は至高天の階についても自分の出自についても、それほど把握はできていないのです」

「かと言って、騎士団に助力を請う事もまた今の状況がそうなっているわけだから出来ない、と。……当たり前だな、多分至高天の階と同類のお前と創造主がどういう目と扱いを受けるかなんて言うまでもない」

「……私の創造主を除く至高天の階を私は滅ぼしたい。――そしてその果てに私もまた、真実を知りたい。なぜ、誰に、創造主が創られたのか。至高天の階の目的とは何かを知りたいのです」

 創造主の口から語られないというのなら、自分で知るために動くしかない。

 ……火星天も水星天も、敵対者だ。孤立無援、と言うべき状態で頼れる存在は自分だけしかいない。その孤独は、人の身には理解が及ばない。

 

「ロダン様。私は、貴方に対して秘密を今まで抱えてきました。貴方様に迷惑をかけてきました。知られたくない事も、一杯知られてしまいました。それでも貴方は明日から私と何も変わらずに接していただけますか?」

「無理だよ、エリス」

 エリスの言葉には、俺は頷きかねる。

 少しだけ傷ついた顔をしている。だけどそういう意味ではない。決してエリスを恐れているわけではないいし嫌いなわけでは猶更ない。

 

「……変わらないままじゃダメだろう。それじゃああの夢から――神天地から何一つとして俺達は進んじゃない。例え始まりが誰か(絶対神)にお膳立てされたものだったとしても、これから少しずつでもいいからお前を知って、時間を重ねていきたいんだ。知らないまま、変わらないままよりは、そうしていたい」

 

――― 

 

 次の日の事だ。匂いのしない、収容室で俺は目を覚ます。

 エリスは俺の場所とは離れたベッドですうすうと寝息を立てながら寝ている。機械式時計の示す秒針は午前の六時を示している。

 

 気持ちよさそうに寝ているエリスを起こすのもあまり気が進まないと思っていたのだが、彼女も少し遅れて目を覚ました。

 

「おはようございます、ロダン様」

「あぁ、おはよう。エリス」

 エリスは小さく口を開けてあくびをしているが、俺の視線に気が付くとすぐに口を閉じてあくびを呑み込んだ。

 ……どうやら、女性としての隙を見せるのが許せない性質らしい。少しだけ恥ずかしそうにしている。

 

「別に、気にしないよエリス」

「そういう問題ではありません。貴方は昨日言ってくれたでしょう、私を知りたいと。……貴方に知ってほしい私は、このような私などではないというのに」

「知れて良かったと俺は思うよ。いつもエリスにはやり込められてばかりだったしな」

「やはりロダン様は心のどこかで私を馬鹿にしているのですね」

 エリスは激怒した、といったところだろうか。エリスの事をまた知る事が出来た。

 思えば、エリスとプライベートの空間を共有するという事は今の今までほとんどなかったと言ってもいい。

 エリスの素顔というものが少しわかった気がする。

 

「もう、いいでしょう。目はちゃんと覚めました。……外出の許可は私達の内どちらか一人でなければ下りないようですが、今日はどうするのですか?」

「エリスが出たいなら、エリスに任せるよ」

「では、本日はロダン様がどうぞ」

 監視つきだが自由にでられるのだったか。そう言えばそういう制約となっていた。

 エリスを一人にするのは少しだけ、憚られる。

 

「いいのか、エリス」

「私は早々にオフィーリア様の検査と分析があると聞いています。ですからそうですね。もしユダ様とお会いする事があれば明日、不定期とはなりますが劇団に復帰すると伝えてください」

「分かった、もし会えたらそう伝えておくよ」

 劇団に戻りたい、と言う彼女の意志はよく伝わる。少し焦っているようにも感じる。

 それだけ彼女はあの場所が好きだったという事なのだろうか。……姉さんの家にも、劇団にも、ちゃんとエリスの居場所はある。そう思うと少しだけ安堵した。

 

「行ってくる。エリスも元気にしてくれ」

「えぇ。行ってらっしゃいませ、ロダン様。お待ちしています」

 挨拶を交わし、収容室を出ると病室じみた、音のない鋼の廊下が続いている。

 俺の足音だけが、ただ冷たく明瞭に響いている。

 

 階段を昇っていくと、次第に少しずつ空気は暖かさを帯びていく。地上に近いという証拠だろう。

 守衛は特に誰もいないようだが。しかし出口に差し掛かりエントランスに差し掛かるとそこにはグランドベル卿が腕を組みながら俺をまっすぐ見つめていた。

 たしか手当を受けている最中のはずだったがそれはいいのだろうか。

 

「……グランドベル卿、お早いご退院で」

「そうですね。今の情勢を鑑みるに、休んでなどいられないでしょうから。第一軍団団長にも許可は取っています。おかげで今は問題ありません」

 許可はともかく、彼女の体が本当にそうだと言えるのかは怪しい。グランドベル卿の気質を鑑みるに、恐らく相当無理を押して今ここに立っているはずなのだが。

 

「外出ですか。なら今日は私の監視が付きますがそれでよろしいですか?」

「いいよ、異存はない」

 けれど、グランドベル卿は俺を伴って、装甲監獄を出た。

 ……雲一つない、新西暦の晴天。けれど傍らにいるのはエリスではなくグランドベル卿だ。

 

 

「ロダン。監視付きの外出は認める、と言いましたが申し訳ありません。私の私用に付き合って頂けますか?」

「拒否権はないんだろう、そも監視殿がいないと俺は出歩けないんだろうしな。……それで、どこへ?」

 エリスの言伝、という役割も別にそこまで時間の要する事ではない。

 姉さんにも会いたい所ではある。

 

 だから、グランドベル卿の願いについては頷き快諾した。

 けれど、その行先は意外と言えば意外で。そして決して俺にも縁がないわけではない場所だった。

 

「……今は亡き――私の師の営んでいた孤児院の跡地です」

 

―――

 

 

「ここが、グランドベル卿の生まれ育った場所か」

「正確には私が師に引き取られた場所です。元々は過疎地の山村に住んでいましたから」

 寂れた、風化しかけた赤茶けた壁肌が特徴的な建物だった。

 今は無人で、年季を感じさせる建物の壁と、生え放題になった雑草が、ヴェラチュール卿の死から経た時の流れを感じさせる。

 

 けれど、リヒターから話を聞いたことはある。神祖と言われる彼らの実験によって彼女の村は滅んだと。

 そしてそんな彼女を拾ったのその神祖の一人にして絶対神、ヴェラチュール卿であったのだとも。

 

 そんな孤児院の庭に、ぽつんと墓――のようなものが立っていた。

 そこまで豪勢な作りではないが、そこへ向かってグランドベル卿は歩いていく。

 

 墓前に到着すれば、そこには碑文が刻まれていた。

 

 ――その剣武においてカンタベリーの天蓋を支えた者。

 ――その叡智においてカンタベリーの未来を見通した者。

 ――そして時を超えて神として在った者、ここに眠る。

 

 刻まれた名前はグレンファルト・フォン・ヴェラチュール。……新西暦の絶対神として君臨するはずであった、そしてエリスと俺を出合わせた男の名前だった。

 

「……これは、ヴェラチュールの家が?」

「いいえ、ヴェラチュールの家は既に断絶しています。ですからこの墓を建てたのは私を含め、かつてヴェラチュールの教えを受けた者達です。……遺体は、当然ながらありませんが」

 墓前を彼女は指さして、そう言う。

 怒りも、喪失の悲しみも、全てが綯交ぜになった表情だった。

 

「……私は神祖オウカの実験で村を失いました。その後、私はヴェラチュール卿に引き取られました」

「宿敵の一味であったはずの者に、知らないうちに引き取られた、と」

「我ながら滑稽なものです。彼らの手ほどきの通り、私はよくできた騎士として成長した。……殺したいほどに憎んでいます。――今も尚、どうしようもなく、私は彼らの流血を望んでいる」

 少しだけ軋む、彼女の拳。

 彼女の顔には涙こそ流れていないが、後悔と怒りが、ただ彼女を肩を震わせていた。

 

「……けれど、それでも私はヴェラチュール卿の子弟です。私は騎士としての、人として力と生き方を彼に教わった。彼に救われた恩を、私は無かった事には出来ない。……何より、悲しむ顔を――悲しみで変わってしまう人を私は見たくはない」

「だから、今も貴方は騎士を続けているのか。神祖の去った、この国津の大地(カンタベリー)で」

「彼らへの憎しみは理屈では消せません。けれど、彼らの護ってきた国と人々に罪はない。……私は聖女であり続けなければならない。それがヴェラチュール卿への、返礼であり抵抗です」

 グランドベル卿にしか分からない感情というモノが在るのだろう。

 憎悪も、尊敬も、等しく捧げている。

 けれどそんなグランドベル卿の姿が、俺にはひどく痛ましいモノに思えた。

 

「グランドベル卿は、どうして進んで自分から苦しもうとするんだ。エリスと戦った時も、木星天、火星天と戦った時も」

「……」

「……いいや、違う。むしろ、貴方は自分が最も苦しむ道しか選べないようにさえ思える」

 以前から彼女より感じた、その歪みが今は分かる。

 彼女はどうあっても、その場において最も危険度の高い選択肢しかとらない。火星天の時も、魔星に対して彼女は単騎で猛然と立ち向かっていった。

 苛烈なまでの決断力――そして自己を省みない進撃は確かに自らを擲ち義務に邁進する高潔な騎士を思わせる。けれど彼女を突き動かす根源はけっしてそれだけではないのだろう。

 

「私の村は、神祖によって滅びました。村の人々の断末魔も痛みも、こんなモノであるはずがない。彼らが死んで、ほんの少しの幸運で私は今こうしてのうのうと生き延びている」

「……」

「あの焔の中に私は還りたかった。彼らと共に、焼かれて死にたかった。だから、私が死ぬのは正しい運命が履行されるだけの事でしかないのです。ですから、貴方に心配される価値のある人間などではありません」

 絶望を籠めた声色に、俺は何も言えなかった。

 彼女が還りたかったモノは平穏な日常ではなく、かつての村の人々の下だ。

 もう声も届けられない彼らに償い続けるために今も彼女は戦い続けている。誰にそう在れと望まれたわけでもなく、ただ痛みだけが彼女の救済となっている。

 

「私が痛みを忘れた時、……それが私には死よりも恐ろしい。だからこそ私は苦しむべき人間なのです」

 彼女はヴェラチュール卿の墓前に花を添えて、背を向ける。

 きっと、彼女はこの先も苦しみ続けるのだろう。

 痛みだけが、彼女と過去を結ぶ。苦しまなければ彼女は生き残った自分を許せないのだろう。

 

 

 

「誰よりも憎んでいます。そして誰よりも敬愛しています。貴方と貴方達の遺したこの国を、私は私の命が続く限り護ります、千年の旅路はその身に堪えた事でしょう。ですから今は安らかにお眠りください、我が師よ。――今でも私は、貴方に育てられた槍ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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去月天想 / Divine Act

 かつて、軍事帝国に滅ぼされた名もない国があった。

 其処には一人の王がいた。戦斧を無二の友として、戦いを以て民に安寧を齎した戦争の王。

 国は富み、戦争の中に生き場所を見出していたはずの王は、いつしか慈しむべき対象を見出し斧を捨て、治世にその力を尽くしたという。

 

 人より殺しに秀でているだけの戦いがたまらなく好きなだけの人でなしだった。国を創った動機も、別に大したものではない。

 その男は王とやらになる気もなかった。

 王は戦いに明け暮れ、その度に国は富んでいった。

 

 戦勝の度に民は喜びを以て王を迎えた。そんな臣民達の姿を見るたびに、王は次第に変わっていった。

 彼らの喜ぶ顔を見るのが嬉しかった。 

 ほんの少しだけ芽生えかけた民への友愛は――しかし長くは続かなかった。

 

 

 軍事帝国との激突。

 

 その時の光景を王は忘れない。

 次々と、超常たる星の兵たちに打ち破られる自軍の惨状を。

 絶滅の光輝を浴びた王を逃がすために、雷霆の露となった忠臣の姿を。

 

 

 ――そしてその英雄の熾烈なる在り方と星を。

 

 

 

 今も尚、骨肉を深く蝕む絶滅の輝きだけが王を蘇らせる。

 どうしようもなく、王は光への復讐を望んでいる。

 

 天頂の雷霆を滅ぼしたる闇を担うは我に在り――故に我が名は摩天震龍(テュポーン)、天頂の神を撃ち落とす土星の龍(サタン)なのだから。

 

 

 

 

―――

 

 ロダン様は少しずつでも私を知りたいと言って下さった。

 隠し事を抱え続けた私を、それでも一種にいたいと言って下さった。……変わらないままは嫌なのだと、そう言ってくれた。

 思い出を思い出のまま懐かしむだけでは何の進歩もないのだと彼は言う。

 

 私に相応しい何も運命など持ち合わせていなかったと彼は想っている。悩み、喜び、決断したその足跡があるからこそ手にした運命は重さを帯びるのだと。

 実に文筆家らしい考え方だと思うし、それだけ今この瞬間、私に対して彼は真摯に向き合っているのだろう。それこそ、私よりもずっと。

 ……創造主の、彼女の記憶にある彼と特徴はとてもよく一致している。

 

 けれど私は創造主にその想い出を受け取る事は出来ないと誓った。彼女の想い出は彼女だけのものであるべきだ。

 だからこれから先は運命も、想い出も、私が自分で積み上げていくべきなのだと思う。……あぁ、きっとロダン様ならこういう時神祖(カミ)は死んだ、などと言いそうだと少し笑ってしまった。

 

「これから改めて、よろしくお願いします。ロダン様」

 

 

 

 

 オフィーリア様の研究室は、装甲監獄内にあるという。

 実に合理的な作りになっていると思う。収容室の出迎えはイワト様を伴いながらオフィーリア様が直接来ていた。

 

「……御機嫌よう、エリスさん。ロダンさん共々、昨晩はよく眠れたかしら」

「えぇ、とても。鋼の寝所はとても冷たくて、匂いも音もなかったと記憶しています」

「そう。それなりにここ、お金がかかっているのだけど満足してもらえたようでうれしいわ」

「実に有意義な血税の使い方だと思います。収容するのが私でなければ、の話にはなりますが」

 せめて水星天を此処に放り込んでくれたのなら、私はまだ血税と云われるモノの使い道として納得が出来たと思う。

 どの道、私はオフィーリア様に従うしかない。彼女の胸三寸で私は劇団に戻れるか――御姉様やロダン様と逢えるかどうかさえも決まってしまう。

 

 ……オフィーリア様に連れられて、私はさらに下層階に降りていく。かつんかつんと、ただ無機質に私の足音は響いていく。

 木で出来た舞台で響く私の足音とは、全く違った響きで少しだけ複雑な気分だった。

 だんだんと、ごうんごうんと機械音が聞こえ始める。研究室が近いのだろう。

 

「じきにつくわ、エリスさん。そんなにおびえないで」

「おびえるのは誰のせいだと思っているのですか」

 私の心中を察しているのだろう。オフィーリア様の言葉と共に到着した研究室には、いくつかのパイプが繋がれた椅子状の装置や計器の据え付けられた制御盤等があった。

 ……金属のパイプ状のものが臓物のように床に散乱していて、足場に困る。

 

「……そこに座って、エリスさん」

「そこの悪趣味な玉座……アダマンタイト製の椅子にですね。是非はないのでしょう、分かりました」

 よく似た装置を私は創造主から与えられた記憶で知っている。……これが神鉄ではないのは喜ぶべきなのかもしれない。

 私は冥狼や煌翼と在り方がよく似通っている。そう考えれば考えるほどに、この光景は因果を感じる。

 お尻が冷たくて少しだけ痛い、と思う。

 

「プラハの地下に在ったと言われる装置を参考にした、星辰波長共振式分析装置。使う材質と用途は大きく異なるけれど、原理はある程度参考にしているの。測定対象と星辰波長を共振させる事で間接的に星辰光や星辰体の傾向を把握するモノ、と捉えてくれるといいわ」

 ……私も魔星の端くれだ、星辰体運用兵器と呼ばれる兵器群についての知見は持っている。恐らく、アレは原典から相当に平和的な――あるいは研究用途へとデチューンされているのだろう。

 

「では、これから分析を始めるわ。エリスさん、協力をお願いね」

 

 

 ……分析、と言っていたけれど。至って普通だった。ともすれば人間と呼ばれる存在が定期的に行うという健康診断と何ら変わっていない。

 

「言語や受け答えには淀みは無く、機械的な傾向も感じ取れないわね。クレペリンテストに関しては特に人間と差異はなく、人格に関しても多少感受性が希薄な傾向はあるけれど一貫性がある。……いえ、むしろ一貫性があるのは魔星ゆえかしら。それでもこうも人間と差異がないなんて」

 まずは特殊合金の椅子に座ったままクレペリンテスト、ロールシャッハトライアルなる書き取りをさせられたり、あるいは単調な何題かの口頭での試問、新西暦における基礎的な知識についてのテストを受けた。

 何か、考え込むようにオフィーリア様は顎に人差し指の関節を充てている。イワト様は相も変わらず石像のように表情と血色が変わっていない。

 かと思えば。

 

「感覚器についても特異な点はないのね。味覚と嗅覚に関しても人間と比べ特殊なわけでもない。生理現象も人間のそれとほぼ同じ、と。あぁ、でも視力に関しては全くの別でランドルト環式では凡そ四」

 今度は視力検査をさせられ、その後は突然料理を出された。明らかに強く塩で味付けされた鳥のお肉、酸味と甘みの強いパイン、強い苦みの紅茶。

 味の強さに思わず眉を歪めてしまいそうになったけれど、私のその反応の何が愉快だというのか、オフィーリア様は至って真剣に私の様子を観察して紙にペンをさらさらと走らせていた。

 ……そう言えば、カンタベリー聖教皇国の元となった旧暦英国はあまり料理が美味しくない、などという話は聞いたことがある。

 

「体内の代謝や機構は凡そ人間に準ずる、といったところかしら。……エリスさん、貴方は人間に限りなく近いわ。少なくともその躯体で起きている現象や化学反応そのものは人間と何ら変わりがない。つまり貴方の肉体の構成物質も生命活動も人間のそれとほぼ同等と解釈できるわね」

「私が、人間?」

「魔星の思考形態は私はよくわからないけれど、人間と同列に見られるのが不快だったのなら謝るわ」

 違う。不快なわけではなかった。

 ……私は人間なのだと云われた時、私の中に在ったのは嬉しいという感情だった。ロダン様やお姉様と同じ、人間。

 オフィーリア様は私の生態について観察していたのだろう、道理の帰着として私は人間だと結論付けざるを得ないといったのだとしても私は嬉しかった。

 

「社会上での自分が人間ではない事への疎外感、人間性を肯定される事による歓喜の発露。今の貴女の表情はそういう風なモノと分析したけれど」

 心中を彼女はこの上なく正確に言語化して言い当てていた。

 心の中を見透かされたようで少しだけ悔しい。私の理想はミステリアスな大人の女性で、そして以前までの私は取り繕えていたはずなのに、今はそれが出来ない。

 人間だと云われた事が嬉しかった、それはある。

 けれどそう――ロダン様やお姉様、それからユダ様や劇団の皆さんと同じだから、私の頬はほころんだのかもしれない。

 

「……とにかく、話を続けましょう。オフィーリア様。他に何か?」

「そうね。……いくつか聞きたいことはあるけれどまず一つ。人造惑星における始まりの魔星、月乙女との関係は何かしら。非常に貴女の星辰波長はそれと似ているのだけれど」

「私の創造主が恐らくは干渉性に特化した躯体となるように設計されたためでしょう。死想恋歌に代表される干渉性特化型人造惑星の技術的系譜は確かに、私の裡に在ります」

 ふむ、とオフィーリア様は思案する。

 それからまたさらさらとメモを取っている。

 

「貴女の創造主は何処にいるの? いえ、そもそも今は貴女の創造主と話はできないの?」

「私も知り得はしません。極晃に至る以前の私は、ずっと彼女の内界に揺蕩う存在でしたから。そして、私の創造主は私を送り出して――それ以来はもう、私には何も語り掛けてはくれなくなりました。それは機能上か、精神的な理由によるものかもやはり判じかねます。……私は確かに、創造主から様々なモノを頂きました。しかしただの一度も、創造主は真実を私には与えてくれませんでした」

「……よほど、貴女の創造主は大ごとに関わっているのでしょうね。決して、貴女にさえ明かせない何かを貴女の創造主は抱えている。違うかしら」

 それは、否定はできなかった。

 私が知っていることは火星天たちが至高天の階の一員である事、至高天の階は創造主を含めすべてで十機存在しているとされる事、ロダン様との出会い――加えて創造主の素体となった一人の少女の事。

 

 ……オフィーリア様は聡明だ。きっと、あと少しだけヒントがあればきっと私も知り得ない私の真実を、解き明かしてしまうかもしれない。

 

 それが、私には怖かった。

 

―――

 

 エリスの頼みでユダへの言伝を頼まれて劇団に来た――グランドベル卿も同伴で。

  

「なんだ、珍しい客人かと思ったらロダン――と。確か第一軍団の第三位殿じゃないか」

「あぁ、久しぶりだなユダ」

 ユダは案の定芝居がかった口調で俺とグランドベル卿を出迎え、劇団の隅のテーブルに招いた。

 他の劇団員たちには自主練習をしてくれと言った。

 グランドベル卿は横目でちらりと俺を一瞥する。……分かってはいる、エリスの事はあまり言えない事も。

 

「……さて、お互いどこから話したものか。招かれざる客という奴もいるらしいのだが」

「私の事はお気になさらないでください、ユダ座長」

 グランドベル卿に向けるユダの視線には、心なしか棘を感じる。

 ……そう言えば、ユダやこの劇団員たちはエリスが星を扱う者であると初めから知っていたのだった。であればこそ、このような騎士たちの訪問に思うところはないわけではないだろう。

 

「多分騎士団からは聞いてるだろうけど、エリスは理由があって今は聖庁に住んでいる。……明日から不定期ながら復帰できるそうだ」

「そうか……。ならよかった。これでも座長なのでな、安心している。うちの看板だからな他の団員も心配していたよ。昨日だったか、聖庁で大爆発が起きたとか、正体不明のテロリストが現れただのと持ちきりでな。物騒なことに巻き込まれてなければと俺も気が気で成らなかった」

「そう、だな」

 ……テロリスト、とは木星天の事だろうか。

 どういう騒ぎになっているのかは窺い知ることはできないが、それでも相当な大事件とされているらしい。

 どこかの軍事帝国に酷似した黒装束。与太話のような話ではあるが市民に動揺を与えるには十分すぎる。

 

「疾風迅雷の如く聖庁へ駆け抜けた、光を纏う黒装束などと持ちきりだな。物騒なものだ、せっかく聖教皇国は平穏を取り戻しつつあったろうに」

「返す言葉もありません、ユダ座長。一重に、私達騎士団の落ち度です」

「別に責めてはいない、聖女よ。最善を尽くした上でもままならない事が世の中にはあるものだ。……エリスの事もな」

 やはりユダは鋭い。エリスがなぜ自由に外に出られないのかを悟っている。

 だが同時に深く突っ込んで聞く事もまたできない。エリスを身元不明の星辰奏者と知って劇団で働かせていたとバレるからだ。

 

「……エリスは実は未だ類を見ない星辰奏者だから研究協力を強く要請した、俺はそう聞いていたが聖女よ。相違はあるかね?」

「いいえ、ありません。突出した発動値と干渉性、かつて前例のない星辰特性から今後の聖教皇国にとって有益であると判断し協力を仰ぎました」

「そのように買ってもらうのは誇らしいが、だがエリスは大事な劇団員だ。邪推だとすれば謝るが、その研究協力というのはエリスが望んだのか?」

「――はい」

 嘘だ。

 俺は一瞬だけ、グランドベル卿に怒りを覚えた。分かってはいてもそれでもエリスの事で虚偽を告げているという事が俺には耐えられない。

 そんな俺の態度が暗に伝わっていたのだろう。

 

「……聖女よ、忠告しておこう。芸術に魂を売った男の戯言だと聞き流してくれると嬉しい」

「なんでしょうか」

「エリスに何かあったら俺はこの国を決して許しはしない。……あの子が舞台に立ちたかった今日を奪っている事を自覚しろ、今と同じ瞬間は二度と訪れない」

 普段のつかみどころのない雰囲気とは大きく変わり、ユダの目は鋭くグランドベル卿を射抜く。

 グランドベル卿もまた、その非難を真っ向から受け止めている。総て承知の上で、彼女は舞姫から日常を奪ったのだから。

 

「分かっています。総て、承知の上です」

 

 

 

 

 劇団は何も様子は変わっていなかった。ユダはゆっくりしていくといいと、俺とグランドベル卿がここにいる事を許してくれてはいる。

 しかし他方でやはりグランドベル卿に対する劇団員の視線は少し畏怖が籠っている。

 平時の当人の気性もあり、グランドベル卿は人々に対してさほどそのような視線を向けられることはない。だがエリスを星辰奏者と知った上で彼らは黙っていたのだから、気が休まらないのは当然だろう。

 グランドベル卿は確かに穏やかな気性ではあるものの、こと戦闘に関してはまるきり別だ。その苛烈さを知っているからこそという側面もあるのだろう、後ろめたい人間にとってはそちらの側面の方が強くとらえられる。

  

「やほ、ロダン」

「ダグラスか。久しぶりだな」

 ダグラス。彼は首に腕を回してニコニコと笑っている。相も変わらず明るくて悩みの無さそうな立ち居振る舞いだ。

 それから、グランドベル卿に気づかれないように耳打ちされる。

 

「……エリス、やっぱり星辰奏者なのがバレた?」

「……」

 無言の俺の態度を察してくれたのは素直に助かる。

 

「私の事は気にせずにいてください、ロダン」

 居心地の悪さはなんとなく感じているのだろう、グランドベル卿は壁際に背を預けて俺と距離を置く。

 

 

「なんか訳あり、て感じ?」

「そうだな。でも明日にはエリスはここに来れるようになる。不定期にはなるけど、それでもエリスは戻りたいと言っていた」

「なら佳かったよ。皆、心配してたからさ。ひやひやしてた」

 ダグラスも安心した表情をしていた。……エリスは皆から心配されている、愛されている――居場所がある。そう思うと俺も少し嬉しかった。

 

 

「彼女は実力を鼻にかけなければ努力を欠かしたことはないし、少し感性がズレてるところは在ったけどそれも含めて愛されてる子だったよ」

「……エリスについて、悪い噂を聞くとすればしょうもない三文ゴシップ記事ぐらいだろ。実物はもっと抜けてるし、普段はからかうのが好きなくせにおちょくり返されると意外なぐらい直情的だ」

「へぇ」

 まじまじと、ダグラスは俺を見つめている。

 何も俺は愉快な事を喋った記憶はないが、なんだかからかいの色が見える。

 

「随分、エリスをよく見てるんだね。そんな弱みというか人間味を劇団の誰かを見せた事はないし今ロダンが語ってるエリスの姿は見覚えがないんだ。けれど、それでもロダンとエリスが二人なら不思議とそんな姿が想像できる気がする」

「……」

「ユダさんが言ってたよ、いつかエリスは殻を破る日が来るって。その契機となるのは詩人だって、そうよくわからない意味深な事を言っていたけど今なら多分その詩人っていうのがロダンの事なんだなって分かるよ。稽古の合間でも、彼女はロダンの事になると少しだけ饒舌になるんだ」

 ……完璧で怜悧な美貌の女優、それがエリスの――あるいはエリスを生み出した創造主の理想像だったのかもしれない。

 エリスは俺に弱みを見せる事、からかわれる事を嫌う。エリスは俺に秘密を知られる事を嫌う。

 その様が可愛らしいと俺は想う。愛しいと想う。

 

 他者のレンズを通して見るエリスも、俺の目が見ているエリスもエリスの一側面で、どれも等しくエリスの本質だ。

 

「やっぱ、なんか意味があったんじゃないのかな。エリスがロダンを付き人にしたのは」

「嬉しいやら、迷惑やらだよ」

「けどロダンはまんざらじゃないんでしょ、その顔。……指摘されると不機嫌になるってことはやっぱ図星?」

 表情を完全に読まれている。昔から、俺は態度が顔に出やすいと良く云われる。

 

「……エリスの困る顔を見るのは愉快だよ。普段すました顔が赤く染まる様を見るのが楽しいとは思う」

「そういう誤魔化そうとする態度を世間ではまんざらじゃない、ていうんだよロダン。もっと、こうエリスに対して素直になってみればどうなのさ」

 素直さ、とはどういう態度の事なのか大人になってしまえばいともたやすく忘れてしまうモノだ。

 子供に出来て、大人にできない事というモノの代表例だ。人間関係のしがらみであったり社会的な制約であったり、あるいは矜持。

 ……エリスの場合はもっと、エリスの正体や出会った経緯から色々と難しい問題はあるのだがそれでも確かにダグラスの言う通りではあったのかもしれない。

 何より俺はエリスの事を知りたいと言ったのだから。

 

「ありがとうダグラス。少しだけ、爪の先程度には参考になった」

「……えーっと、どうも?」

 本当に、少しだけ。けれどもう少しだけエリスを理解しようと努めようと思えた。

 地上と月では距離は離れ過ぎている。望遠鏡で眺めるだけではなく、他ならぬ月の地表をその足で確かに踏みしめなければ真に月の全てを知ったとは言えない。それはきっと、とても途方もない試みなのだろう。

 けれどもかつて旧暦の人類がそうしたように、歩み寄る事は――距離を縮めようとすることは出来るはずだから。

 

 ダグラスと別れ、それから劇団を後にする事にした。

 

「気をつけろよ、ロダン。最近は物騒だとよく聞く、前みたいにまた怪我をしないでくれ。それからエリスによろしく伝えてやってくれ、何時でもユダ座は舞姫が舞台に立つ時を待っていると」

「あぁ、分かってるよ」

 ユダの言葉に、俺もうなずいて握手を交わす。

 それから、グランドベル卿も俺に随行するようにして劇団を後にする。

 

 その最中に、ユダは何かを言った気がした。

 けれど、風が今日は強いから、気のせいだったかもしれない

 

「……聖女を演じるのも程ほどにしておけ。聖女である事を辞められなければお前はきっと、天国には至れない」

 

 

―――

 

 

 グランドベル卿は聖女だ、それは間違いなく。

 彼女と共に歩いていると、時折子供達が駆け寄ってくる。子供達に慕われながら視線を同じくするためにしゃがみこんで手を握り返す彼女の姿に、彼女の善性をヒトは見出すのだろう。

 

 子供達に囲まれながら、彼女は薄く笑っている。その姿を俺はほほえましいと思う。

 何時の世にもその微笑み一つで人を安心させられる、そうした魅力を持つ人間はいるものだ。

 騎士階級でありながら民衆に畏怖を与えない、元平民。そうした意味では彼女は偶像として、ルーファス卿と類似する部分はあるのだろう。

 

「マリアンナ様は入院していたらしいって聞いたのですが、それは大丈夫だったの?」

「大丈夫です。貴方達が私を心配してくれるのなら、それは私にとって何より大きな力となります」

 彼女とふれあう女の子の一人がそんな質問をすると、グランドベル卿はよどみなくそう答えた。

 

「マリアンナ様は悪い人に襲われたの?」

「それは……」

 また、彼女へ質問は投げられる。

 今度の質問は少しだけ困ったような顔をして、グランドベル卿は返答する。

 

「……逆です。私が、悪い事をしたから天罰が下ったのです。この世は因果と応報によって成り立っています。皆は佳い行いを常日頃から心がけなければなりませんよ」

 ……悪い事をしたから、天罰が下った。

 言葉の解釈は人それぞれだろうが、それでも彼女は客観的に見て悪を成したわけではない。

 自分を卑下するような、否定するような言葉を続ける彼女に俺は複雑な気分になる。別にグランドベル卿がエリスにしたことを許すつもりはない。

 けれどグランドベル卿の判断を責めるつもりもないし、今でも俺はグランドベル卿を尊敬している。

 

 騎士の時代、グランドベル卿は俺に武人として向き合ってくれた。

 それでも俺は騎士を続けるべきだった――そう言った意味も、今なら分かる。

 

 痛みを忘却する事が、かつての村の人々を忘れる事が何より恐ろしいのだと彼女は言った。

 グレンファルト・フォン・ヴェラチュールが彼女を使徒にしなかったのも仇敵の間柄である事を差し引いたとしても当然の事だと思う。

 なぜなら彼女は喪失が力となっている。……いつか必ず破綻するからこその強さが彼女の力を形作っている。

 喪失と無縁になる事は痛みに鈍感になるという事であり、痛みを奪うという事は彼女から強さを奪うという事と同義なのだから。

 

 ……俺も同じだ、俺が剣を奪った者は俺が剣を握らなければ喪失していくばかりだ。

 声も上げられず、日の目を浴びることも、誰に知られることもなく未完の業の数々は潰えていく。忘却が恐ろしい、その言葉の意味が今の俺には理解ができる。

 

 

 そして人の身で背負える範疇を超えた悲しみは、当然の道理として人を変えてしまう。

 グランドベル卿が、俺が――あるいは、神祖がそうであったように。

 

 かつて兄を失いながら、しかしその己が在り方を決して見失いはしなかった第一軍団団長のリチャード卿だからこそ、グランドベル卿は騎士として敬意を持っているのだとも思う。

 

 決して親近感は感じない。けれどグランドベル卿の人となりは改めて分かったとは思う。

 自己犠牲に由来する尊さを人はどうしても好むものだ。

 第三者の立場からしてみればそれはどうしようもなく高潔に、尊く映ってしまうというのが人類共通の悪癖なのだ。

 少しだけ、目を閉じる。

 

「……そう言えば、たしか。団長格以外で唯一訓練用とは言え魔星を倒したんだったか」

「――はい、その通りです。とは言えあの超人大戦を戦い抜いた烈震灼槍や豪槌磊落なら、私と同様の事はやりおおせたでしょう。彼らはプラーガに常駐していますから、まだ対魔星カリキュラムを受けられていないだけです」

 ……目を閉じながら思うと、真後ろから声を掛けられる。

 心臓が止まるかと思った。 

 

「……いいのか、グランドベル卿。子供達と話をしなくても」 

「もう済みました。彼らの時間を奪うのは佳くないでしょうから」

 グランドベル卿は依然平静とした態度でそう言う。

 何も自分の為すべきことは変わらないのだと、態度でそう告げている。

 

「貴女を必要としている人はいる。案じる人間もいる。……それでも貴女は自分に生きている価値が無いのだというのか」

「私は、それでもあの焔の中に還りたいのです。皆が眠る、あの中に」

 今も尚彼女は焔の中に捕らわれている。

 懐かしい、懐かしい、地獄の中に。

 

 

 

「きっと、俺はグランドベル卿が亡くなったら悲しむ」

「……そのような事だから、貴方は見誤る。エリスを優先し、貴方は私を見捨てるべきだった」

「仕方がないだろう。それでも俺は亡くなって欲しくはなかった。その昔に俺を気にかけて、騎士として俺と向き合ってくれた貴女を今でも俺は尊敬している。剣を握るべきだと言った貴女の言葉は、忘れてはいない」

 嘘じゃない。尊敬している。

 騎士の規範だと俺は思う。だから、そんなグランドベル卿だからこそ俺は生きてほしいと思うのだ。

 

「私の末路は既に定めています、きっとロダンの願いに私は答える事は出来ないでしょう。……それでも、貴方が私の喪失と不幸を悲しむ者の一人である事は、決して私は忘れません。御心だけ、頂きましょう」

 

 ハル姉さんは騎士姿の俺を格好いいと言ってくれた人だった。

 リヒターとガンドルフ卿は俺に何より騎士としての心得を教えてくれた人だった。

 グランドベル卿は騎士としての俺と最後に向き合ってくれた人だった。

 

 そして今は――。

 

 

「ロダン様、おかえりなさいませ」

「あぁ、ただいま。エリス」

 聖庁について、そうして地下の収容室に戻るとエリスが出迎えてくれていた。

 

―――

 

 エリスは躯体解析に付き合わされていたと聞いている。

 だから少しだけ何をされたのかが気になる。

 

「……エリス。何かされて嫌な事はあったか?」

「とても味の強い食事を出されました。それから、視力検査……のようなものや人格テストのような試問を受けました。……何というか、何と呼べるほどの事もなく拍子抜けでした」

「たしかカンタベリーの前身になった旧暦の国家って食事が不味い事で有名だったか」

 エリスは至って綺麗な身なりをしている。

 少なくとも、何か酷い事をされているという風ではない。オフィーリア副長官はとりあえず倫理観はそれなりに人道的なのだとは理解ができたのは幸いだった。

 

「よかった、エリスが無事なら俺はそれで嬉しい」

「私も、ロダン様の御顔を見る事ができて嬉しいです」

 ……そう、言って自分の発言を反芻すると少しだけ恥ずかしくなった。

 エリスもエリスで、赤面している。

 それから俺は鋼の机に向かう事にした。……まだ、執筆を終えていない作品がいくつかある。それは獄中だろうと書く自由はあるだろう。

 元々、収容室に入れられる前に紙とペンを俺は副長官に要求していた。それが聞き容れられたために、机の上には今いくつかの用紙とペン立てが在る。

 

 題名はまだない。……いつか、完結をさせようとある病床の少女と約束した作品だ。

 モチーフは言うまでもなく、その少女だ。少しだけひねくれていて、何より踊る事が好きだと言っていた、悲運の少女。

 名前はまだ、考えてはいない。エウリピト、と俺は仮にそう名付けている。

 

 その少女は旅をしている。

 地上から、天頂に輝く星に繋がる虹の階段がある。雲間に隠れながらその階段は柱のように九つの世界を貫きながら星に至る。

 王冠(マルクト)、と呼ばれる輝く星を目指して少女は旅を続けていく。その過程で、今までの人生に出会った人々と少女は邂逅する。

 時には憎悪を、怒りを――祝福をもって迎えられながら、九つの世界を彼女は渡り、その生涯の最期に星に至る。

 

 構成は焔と死と氷の世界、小人と人間と巨人の世界、光と妖精と神の世界の全三部にすると決めている。

 

 

 さらさらと、紙の上にペンを走らせていると、その横からは何食わぬ顔でエリスが俺の原稿用紙を見つめていた。……目を輝かせて。

 

「……ロダン様、これは?」

「次回作だよ、気になるのか」

「えぇ、とても」

 彼女の目は俺の文字を熱心に追っている。所謂ネタバレという奴はこの状況が状況なのだからかまされることはないだろうけど、それでも世に出る前の原稿を観られるというのは複雑な気分でもある。

 

「地上篇、途上篇、天上篇の全三部作にするつもりだよ。神曲と同じできりがいいだろう」

「……なるほど。ではこのエウリピト、というこの女の子はさしずめ淑女役といったところでしょうか?」

「いや、主役だよ。……かつて、俺が詩人になる道を選んだ契機となった女の子がいた。その子をモチーフにしている」

 紙の上でのエウリピトの振る舞いは淑女のようとは言えなかった。

 時折皮肉の混じった受け答えをするし、かと思えば年相応に照れても見せる。けれど天の階段を上っていくごとに次第にその角も取れていく。そうした話だ。

 

「……もう、その女の子は病で亡くなった。どうにもならない、不治の病という奴だったらしい。でも彼女は俺に詩人の道へ導いてくれた。亡くなる前に約束したんだよ、必ず君の事を綴ろうと」

 時間の有り余っていた俺が夢を諦める道理が何処にあるのだと、その女の子は言った。

 自分には時間が絶望的に無くて夢を諦めるしかなかったのだと、その女の子は言った。

 俺が最後に見たその女の子の表情は笑い顔だった。

 

 もう、今は声をかけてはやれない。けれど女の子が――クラウディアという一人の少女がこの地上に存在した事を俺は忘れない。

 忘れないために筆を執っているのだから。

 

 エリスは、少しだけ呆然とした顔をしていた。

 けれど、頬をほころばせている。まるでその女の子について俺が語る事を、我がことのように嬉しそうに想っている。

 

「――彼女もきっと喜ぶと思います。ロダン様」

 そう、エリスはぽつりと漏らした。本当に、嬉しそうな顔で彼女は笑っていた。

 忘れられないぐらい、エリスのその笑顔は素敵だった。

 それから少しだけ彼女は目を閉じて息を吸って、それから意を決して俺に向く。

 

 

 

「ロダン様。明日の夜、貴方のお時間をください。私の――銀想淑女と銀月天の、最後の真実を貴方に伝えたいと思います。……それを以て、この物語を見せてくれた貴方への返礼とさせてください」

 

 

 

 

 



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星の断章 上 / Fragment of light

ウェルギリウスの罪状が1個増えました。



 空は蒼く、第二太陽は依然変わらず新西暦の王座で在り続ける。

 

「どう、初めての地上は」

「鬱陶しい色彩だ、あんなモノを神と崇める連中の気が知れん」

「仕方ないでしょう、ルシファー。彼らとて、成りたくてああ成ったわけではないのだけれど。」

「今物理法則と呼ばれている諸原理も千年前の化石が設計した絵図に過ぎん。可能性を制限する事で秩序を齎そうとすることは成程、治世を優先するなら最適解だろう。秩序とはすなわち我慢だとは、よく言ったものだ」

 ルシファーとウェルギリウスは、地上に出ていた。

 ルシファーにとっては初めての――ウェルギリウスにとっては神天地以来の地上だった。

 綺麗な海辺の地平線を、二人は眺めている。

 釣り人が居れば、カップルで寄り添いながら海を眺める者もいる。そうした者達を一瞥しつつ、地上の酸素の味を吟味しながらルシファーは言葉を紡ぐ。

 

「教えろ、ウェルギリウス。ヒトはなぜこの不出来な世界と物理法則を壊さずにいられる。なぜ己が不出来さに耐えられる」

「その不出来さがあるからこそ人と人とは寄り添い合い、時として極晃を描く。誰であれ、無制限に既存の秩序に挑めば当然軋轢は生まれるのよ。そもそもとして秩序は慣性を重んじるもの。お隣さんの例にあるように国家の構造改革などは最たる例ね、秩序の慣性に逆らえば急進的な変革には痛みや訣別といった形での摩擦を伴う」

「例えばそれは、烈奏のようにか?」

 不出来な秩序への挑戦者――明確に新西暦に対して挑戦状を突き付けた極晃奏者達の事を、ルシファーもウェルギリウスも覚えている。

 彼らもまた、神天地創造を契機として一度極晃を形をにしている者達なのだから。

 

「烈奏は破壊という形で、神奏は変革という形で新西暦に挑んだ。では私達は何を答えにして、どのような形で新西暦に挑めばいいかしら」

「無論、俺の可能性に耐えきれんこの世界を破り捨てるためにこそ俺は星を欲している。俺にとっては強くなるという事は――高機能化を果たすという事は命として生まれた以上は天上至上の命題だ。であるというのに可能性を試す前に世界が音を上げるようでは本末転倒もいい所だろう。……俺にとっては命として生まれ出でるという事は命としての完成を目指すという事に他ならん」

「なれば、答えは簡単ね。世界そのものが貴方の可能性に耐えられるようになればいい。そんな変革を可能とするのが極晃だもの」

 ルシファーは至って冷静に、神天地と同列の狂気を語る。

 すなわち、地球そのものを自分の性能評価の実験室にするという事と同義だ。

 同時にそれは命の答えたる極晃を通過地点としか見做していないという事でもあり、奇しくもそのアプローチは絶対神とある種近しいモノが在った。

 

「極晃など、俺にとっては俺に理想の環境を作るための道具に過ぎん。業腹だが、絶対神の神天地こそまさに理想の環境だったと言わざるを得んだろう」

「えぇ。平等な人類の変革、ボトムアップの究極系という意味においてはまさしくアレの以上の完成形は存在しないでしょうね。けれど貴方はソレを認めはしないのでしょう?」

「アプローチの問題だ。所詮神天地が成ろうと、物理法則の担い手が大和から絶対神に移っただけだ。絶対神の定義する環境下で俺の力を証明しようと、それは絶対神の秩序の下で得られた結果に過ぎん。……俺を――俺の性能を定義する者が俺とお前以外の何者かであってなるものか」

 共著にウェルギリウス以外の名は不要だと、自分の力を受け止められるだけの世界が欲しいのだとルシファーは言っている。その様に、ウェルギリウスは少しだけ苦笑を浮かべながら笑う。

 力を求めるルシファーにとって新西暦とはまさに九圏の淵(インフェルノ)氷と重力の牢獄(コキュートス)に等しいのだから。

 

「新西暦において、私は私の科学を証明したい。幼い頃に見た火の輝きの尊さ、科学の極致を私は開拓したい」

「お前の願いは俺の願いと並立し、お前の知性が俺の力となる。故に俺の高機能化によって包含的に達成されるだろう、ウェルギリウス。お前こそ、俺の唯一至高の共謀者だ」

 彼の力の証明は、ウェルギリウスの科学の証明でもある。

 ウェルギリウスは叡智を、ルシファーは力を欲したがために堕天と魔女の盟は成っている。 

 

「そのための至高天の階(エンピレオシリーズ)。技術検証による貴方へのデータのフィードバック――そして十の遊星天同士の殺し合いによる聖戦の果てに貴方を高め上げ極晃に導く事。それが私の絵図よ」

「……聖戦禁止期間(モラトリアム)という奴を設けたのは? やりたいというならすぐにでも聖戦に応じても俺は構わん。事実、特に木星天はソレを切に望んでいるだろう」

「単なる初期値では、どうしても得られない類の強さというモノがあるわ。護るべき概念を養う事、人間性を養う事を私は彼らに最初に求めた。極晃とて、その例外ではないもの」

 ……それが、彼らの聖戦。

 ルシファーを除く十の遊星天はその総てがルシファーの試作品に過ぎない。同時に、ルシファー含めて十の遊星天を殺し合わせる事によりルシファーに相応しい運命の宿敵達との激突の果てに己が出力を極限まで高め極晃に至る事。

 それがルシファーとウェルギリウスの目論見だった。

 同時に彼らは他の遊星天達の運用経過の観察――彼らの人間的成長を目論み意図して聖戦の禁止期間(モラトリアム)を設けていた。

 本格的な戦闘行為の禁止命令をウェルギリウスは造物主として彼らの絶対原則に入力(インプット)していた。

 

「銀想淑女と神聖詩人については、お前はどう考えている」

「あれだけは、本当に想定外よ。けれど銀月天を介しての星辰特性の解析ができた事は幸いだったわ。アレも私達と同じく一度神天地で極晃を描き、そして同時に原理はともかく伴侶の縁を神祖亡き治世に持ち帰る事に成功している」

「なるほど。であるからこそ目をつけたと。俺達と同じ経緯を辿ったのなら、逆説的に奴らに極晃を取り戻させる試みが成功すれば、俺達も同じアプローチで至れるという事だ。それがメインプランたる第四世代人造惑星の設計思想だったな。何より奴らが極晃を取り戻したのならば、それは俺にとって最高の試練になるというわけか」

 銀月天の代行者――銀想淑女についても彼女は糧として、聖戦に巻き込まんとしている。

 もとより、第四世代人造惑星のアプローチは彼らから得たものでもある。

 聖戦の過程で生じるであろう甚大な犠牲など、堕天と魔女は一顧だにさえしていない。文字通り、ウェルギリウスにとって総てはルシファーが天に昇るための薪に過ぎないのだから。 

 

 だからこそ、ウェルギリウスは少女のように憂う。彼の征く最果て――至高の天に至った時、彼の傍に己は存在するのだろうかと。

 

「ねぇ、ルシファー。愛しい暁の子。もし、貴方を私以上に理解し改良できる存在がいたとしたら、貴方は私よりその存在を選ぶかしら」

「――、」

 何をバカな、などとルシファーは即答できなかった。

 理論としてウェルギリウスを捨てる事は正しい決断であろうはずなのに、その思考実験の明瞭たる答えをルシファーは出力できなかったのだ。

 

「……無意味な前提だ。お前以上に俺を理解している人間がどこにいるというのなら答えてみろ」

「私の生涯に賭けて、そんな存在は居ないと断言してもいいわ」

「ならこの思考実験も終わりだ、前提条件が成立しない以上は導くべき解も存在しない」

 無意味な思考実験と切り捨てたその問いが持つ本当の価値をルシファーも――そして問うたウェルギリウスでさえも、理解などしていなかった。

 

―――

 

 ポースポロスは確かに鉄血聖女と神聖詩人を前にして、敗北を遂げた。

 己が致命傷を粉砕した筈が、それ以上の不条理を以て叩き返された形となって今に至っている。ふさがらぬ傷が、今もこうして彼の命数を削り続けている。

 気力と根性だけで歯を食いしばりながら意識を繋ぎとめているのは因果律に喧嘩を売っているとしか思えないほどに凄絶な光景だ。

 

「まだ、だ。このような所で俺は――」

 路地裏の壁に体を横たえながら、体を引きずる。聖女の一撃だけではない、二度目の特異点接続を試みた代償が心臓に刻まれている。閃奏の星を借り受けた代償の深さをも意味している光景だった。

 

 やがて、大地にその身が崩れ落ちる。

 気力も虚しく空を切るばかりだが、あるいはそれが本来正しい因果の在り方なのだろう。

 その最中。自我の寸断に至る刹那に、何者かの幻影を見た。

 

「――大丈夫ですか、そこの方?」

 品物を詰めた籠を持った一人の女が、ポースポロスへと駆け寄る。

 今手当てをしますから、死なないで。そんな声が聞こえてくる。

 

「大丈夫です、今手当てしますから。貴方は絶対に私が死なせません。だからどうか、無理をなさらないでください、名も知らぬ人」

 肩を担がれ、血で汚れるのをも厭わずに彼女はポースポロスを引きずっていく。

 息を切らせながら、彼女はポースポロスを運んでいく。

 暖かく、柔らかい背だとポースポロスは感じた。まだだ、絶対に死なせないと、そう繰り返しながら彼女は運んでいく。

 

 

 

 そうして連れられた場所は見知らぬ路地裏の家。

 そこで、ポースポロスは上着を脱がされ手当てをされていた。意識だけは食いつないでいるポースポロスにとっては、処置の痛みはノイズにさえならなかった。星の担い手としては完全なる人間の上位互換にあたる魔星にとって人間の手当てにいかほどの意味があるのかは疑問があった。

 同時に眼前の彼女への猜疑も浮かんでしまった。

 

「もう少しで処置は済みます、名も知らない人」

「……ポースポロス、でいい。名乗るほどの名など持ち合わせていない」

 白い頭巾をかぶりながら、彼女は時折汗をぬぐいポースポロスの傷口を拭いていく。

 ブリキの盥に満たされた水は傷口や体を拭った布を絞るたびに赤黒く汚れていく。小走りで彼女は盥の水を張り替えながら、手慣れた様子で手当てをしている

 

「礼は言いたい。だがなぜ、俺を助けた。俺の有様を観ていたはずだろう」

「簡単な事です。……そんなモノ()()()()()()()()()()()()からですよ。ポースポロス」

 軟膏をポースポロスの体表に薄く延ばしながら、彼女はそう答える。

 傷も血も、死体も見慣れているからと。

 

「そんな()()()()()話より、体をゆっくりとでいいですから起こして。私も支えますから」

 そう促されて、ポースポロスは抗えなかった。心底から、眼前の彼女は善意で自分を手当しているのだと思う。懸命なそのまっすぐな眼差しだからこそ、ポースポロスは拒めなかった。

 横たえている上体を起こしながら、今度は包帯を巻く。その手さばきには熟練の色が見て取れる。そして何より、彼女は凄惨な光景を見慣れていると言い放った。

 だとすれば自然と、眼前の彼女の来歴も絞られてくる。

 

「……従軍医、かそれに近しい経歴か。これだけの適切な処置を施せる者がただの市井であるはずはない」

「ご名答、と言っても元です。超人大戦(ギガントマキア)で色々と込み入った事情があって、御役御免となったわけです。今はこうして、しがない一市井を営んでいます。こうして貴方を助けたのも、半ば職業病のようなものです。こういう人を見るたびについ放っておけなくなる、私の悪い癖です」

 彼女が包帯を巻き終える直前に、彼女は手を止めた。

 

「お前は俺の素性を勘繰りはしないのか」

「私が聞けばいいのは、貴方の傷の事ですか。それとも――()()()()()()()()()()()()()その顔の事ですか?」

 凄絶な意志力を宿した青の瞳。金の髪。その面貌、身体的特徴が一体何に似ているのかと言えば、それは言うまでも無くて。

 

「元々、そういう顔で生まれてきたのでな。勘繰るほどの事情などない」

「顔に事情はなくとも、流血には事情があるんでしょう? それも――そんな恐ろしいモノを引っ提げておきながらなんて」

 ポースポロスの傍らには彼が振るっていた二刀が鞘に納められておかれている。

 

「……別に多くは問う気はないですよ。目の前で人が死なれるよりは万倍マシですから」

「仮に俺が他国の刺客だと言ってもか」

「刺客であることと、刺客だと宣誓するのとでは意味合いが違いますよ。真実そうであるならば宣誓などしませんし私を殺すと思います」

 流血を見慣れていると言い放っただけはあり物怖じしている様子はない。

 窓から照らされる太陽の光は、程よく彼女の金髪を明るく照らす。優しいその顔を前にして、ポースポロスは何もできなかった。

 ……元々、ポースポロスは元々そういう設計だ。

 怒りの執行者――不義に対する怒りこそが彼の原初の衝動だ。加えて感情の抑制にリミッターというものが彼にはない。

 だからこそ彼は善意というモノを上手く断れない。

 

「貴方がどのような宿業を背負っていようと、私には関係のない事です。助けられたはずの命が目の前で死なれる事の方が私は嫌なのです」

「……例えそれが咎有るものだとしても、か?」

「只人であれば救いが必要でしょうし、咎人であれば然るべき裁きが必要でしょう。罪業の裁定と清算もないままに死ぬ魂ほど罪深いモノもそうないでしょうに」

 咎人である、というのならそれはポースポロス自身が最も己を塵屑の咎人と断じている。

 感情の抑制を創造主によって意図的に彼は外されている。だからこそ彼は特に彼は自分の定義するところにおける不義を見過ごせず暴走を遂げてしまう――マリアンナの時の如く。

 

「ジュリエット・エオスライトと申します。エオス、ないしはジュリエット、と呼んでください。」

「……ジュリエット。感謝している、嘘じゃない。だが明日にはここを出ていく。世話になった」

「死にかけだった人が何を言っているんですか、少なくとも傷の完治も鑑みて一週間は安静にしてください。気力と気概は万能薬ではありません、むしろ痛みを誤魔化して事態の把握を遅らせて取返しのつかない事になります。恐らく症状を見る限りでは星辰体との過剰感応による中毒症状が衰弱の主原因でしょう、この手の症例は超人大戦や神天地事件で良く見ていましたから」

 慧眼というべきか、相当に彼女はやり手だと実感する。

 彼女の見立ては確かに当たっていた。ポースポロスの内燃機関は閃奏との接続により深刻な損傷を受けている。……本来であれば閃奏は容易に接続を許すような特異点では断じてない。

 故に道理を捻じ曲げて眷属となったその代償も甚大であるのだが、そのような事をジュリエットも知る由は無かろうとポースポロスは目を閉じる。

 

 

「おやすみなさい、ポースポロス」

 

 

 それは、久方ぶりの安息だった。額を撫でるジュリエットの体温が、陽光のように柔らかで眠りへといざなった。

 目を閉じて、己が内の鋼と対話する。

 そこに在るのは赫奕たる輝きを湛える太陽と、その輝きを写した黄金の海だった。

 ポースポロスは空を仰ぎながらそこに佇んでいる。

 

 

 

 

「――終末の落暉(ポースポロス)、光の後継者よ」

 太陽は、ポースポロスへ問う。

 

「今一度問おう。閃奏()を担い、お前は何を為したい」

「無論。堕天を討ち、その最果てに俺自身を焼き尽くすのみ」

 よどみなく、ポースポロスは天に向かって宣誓する。それが俺の答えだと。

 

「ならばお前は怒りは何のために在る」

「……俺の裡に眠る、戦士たちの尊厳の為にのみ」

 ポースポロスが閃奏に接続を果たした理由は、ポースポロスの設計者の頭脳だけではなかった。

 光の属性を持つ、閃奏へと接続を許された魔星。

 その真実を知るからこそ閃奏はポースポロスとの接続を許した。……例え、それが黒幕の想定通りであったとしても。

 

「……お前の祖国の戦士たち、機甲巨人化創星録(フルメタルギガース)の肉片と鋼――それが俺の素体となった達だ」

 神祖滅殺の過程で討たれた機甲巨人化創星録の戦士たち数十名余りの脳漿と肉片、強烈なる光の思惟がしみ込んだ鋼――それがポースポロスの素体だ。

 彼らは祖国アドラーに縁を持つ者達であり、同時に第三世代魔星の完成形たる限界突破の試作機とも言える存在だ。であるからこそ、不完全ながらもポースポロスはその機構を継承している。

 

「俺が彼らとは別個に独立した自我を確立しているのは、一個人ではなく肉片となった者たちの総体である事が起因しているのだろうよ。……故に俺は許せん、彼らの骨肉を弄び己が野望の薪とくべる堕天と魔女は必ず討つと決めている。それらの創造物も、俺がそうであるようにこの世界に在っていいモノではない」

「――」

 同調する無言の怒りもまた、増幅する太陽の輝きが代弁していた。

 祖国の英雄たちの亡骸を弄ばれたという怒り、許してはならない悪がこの地上に存在するという事実こそが、ポースポロスと閃奏を繋ぐ接点であった。

 そして怪物とはもとより怒りを糧とする故に、怒りという感情は両者が共鳴する唯一の感情で在った。

 

「この国には悪魔がいる。許してはならぬ、解してはならぬ、愛すべからざる者がいる。――奴らに弄ばれた者達がいる。それが俺が剣を執る唯一の理由だ」

 観る者総てを焼き尽くすような放射能光(ガンマレイ)の如き輝きを孕む太陽を前にして、ポースポロスは欠片も臆しはしなかった。

 彼もまた同じく、光の属性を持つ者である故に。

 かくして、太陽は告げる。

 

「木星の天霆よ。お前が真にお前の運命を見出した時、また相見えよう」

 

 

 

 

 

 目を開ければ、傍らにはジュリエットがいた。空はもう夕暮れの色を呈していた。

 同時にことりと傍らに食事を乗せた盆が卓に置かれている。

 

「過ぎた施しだ、ジュリエット。謝しはするが俺には要らん」

「何を言うのですか。病人は黙っていてください、それにもう私は私と貴方の分を作ってしまいました。今更二人分食べろとでも?」

 相も変わらず臆さない物言いに、ポースポロスはやはり強く出られない。

 仕方あるまいと、卓に載せられた食事を取る事にした。

 

「お前はこうして、傷つく者達を癒してきたのか。叫喚も痛みも、その死とも向き合い続けてきたのか」 

「そうですね。何度も何度も、看取ってきました。その中には私の友人もいました。……結局、それに耐えきれなかったから私は従軍医を辞めました」

 彼女の言葉は少しだけ陰りが在った。

 まだ風体はまだこれほどに若い。耐えきれなかったのは彼女が弱かったからではなく、誰よりも真摯に死へと向き合い続けたが故だろうとポースポロスは思う。

 誰かに死んでほしくないという想いも、その技量も偽りは決してない。

 一点の闇もない聖性は、鉄血聖女を連想させる。形は違えど聖女という普遍的なイメージの体現者であろうと思う。

 

「今も尚お前の手を欲する者は居るはずだろう」

「救いを求める手は無数にあれど、私の手は二本しかありません。握れなかった手を、握らない事を選んだ手を私は覚えています。今でも私の心残りです」

「……酷な事を聞いた。忘れてくれ」

 出された食事を咀嚼しながら、ポースポロスはそう自省する。

 晴れやかな彼女の顔を陰らされるのは心苦しかったという事もある。

 

 

「それで、そろそろ聞かせてもらえませんか。貴方がどうして流血していたのかを」

「許せとは言わん。断じて話せん」

 端的な拒絶が帰ってくる。困った、という風にジュリエットは頭に手を当てるジェスチャーをする。

 

 ……ポースポロスの目的はすなわちすべての至高天の階の抹殺だ。

 だがそうするにもすぐに行動に移せない理由が木星天にはあった。聖戦禁止期間を抜きにしても、彼は火星天と至高天、水星天と銀月天はともかくとして彼はそれ以外の至高天の階の顔を知らないのだから。

 ただ存在してはいる、あるいは聖戦開幕までに創造されると、創造造物主たる魔女から聞かされているだけだ。

 

「――上等だとも。望みと在らば聖戦の果て、総て諸共焼き捨ててくれる」

 病床で、その拳を割れんほどに握りしめる。

 自分の裡に眠る戦士たちの尊厳の為にも、堕天と魔女は討たなければならない。

 

 そんな彼の姿を、ただジュリエットは痛ましく眺めるだけだった。

 戦う事しか、前に進む事しかできない光の怪物。

 己自身ですら知り得はしない怒りの行く末を案じながら。

 

―――

 

 エリスさんの躯体解析から一夜明け、私――オフィーリアは装甲監獄の自室で目を覚ます。

 エリスさんについての星辰波長の解析から、エリスさんとロダンさんの相互作用についていくつかの推論を立てながら不眠不休で考え続けた。

 襟元を正しながら、白衣を羽織り髪を整えると机の傍らに立てかけていた写真に視線をやる。

 ……かつて、ウェルギリウスと一緒に研究部門に居た時に取った写真だ。尊敬していた友人だった。

 彼女はきっとそうは思っていないだろうけれど、それでも私にとってはその知性は誰よりも尊敬に値した存在だった。

 

「ヴェル。今貴女は何処で、何をしているの? どうして、私には何も言ってくれなかったの?」

 もう、彼女はオウカ長官――神祖オウカに師事して以来、顔を合わせていなかった。そして、神天地事件から夜が明ければ、彼女は行方不明となっていた。

 写真に写る彼女は当たり前に、何も答えてはくれなかった。

 

 ……今でも、彼女を案じ続けている。友人として。

 

「それでもそろそろ、行かないと――」

 過度に感傷的になるのは、佳くない。昔から私は一度悩み出せば止まらない悪癖がある。

 今日はどうしても外せない用事があるのだから。

 ……隣国アドラーのさる特使との会談において秘蹟省のトップとして出席する役目があった。議題は無論、銀想淑女と木星天という男についての事だ。

 何せ今、アドラー上層部では新種の人造惑星と木星天と銀想淑女の話題で持ち切りであるというのだから。

 

 装甲監獄を後にすれば、大聖庁の更なる中枢、会談の議場へと私は向かう。

 

 本来であればその場にシュウ様も同席したいと言って聞かなかったというが、しかし折悪くアンタルヤとの外交に絡む話で出席が出来ず私だけの出席となったという事だ。

 ……隣国のアドラーのさる特使を語る時、シュウ様は珍しくいつもの知的な態度はどこかへ吹き飛び何処か逸ったような口の回り方をするとリナ様から辟易と呆れの混じった声色で聞いた記憶がある。

 

 広大な敷地をただ一人、私は渡り歩きそして議場の扉に手をかける。

 

 ぎこ、と音を立てながら扉が開かれると、そこには一人の大男ともう一人、眼鏡をかけた女性がいた。

 ……シュウ様の話によればたしかその会談に招かれている一人はシズル・潮・アマツ。

 だとすれば、残る一人のこの巌のような筋骨の大男は――

 

 

「御噂はかねがね、アンタが後任の副長官って奴かい。初めましてと言えばいいかね。――第九北部征伐部隊・魔弓人馬、ジェイス・ザ・オーバードライブ、よろしく頼む」



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星の断章 下 / Break the shell

次話名は「晃星神譚・星界戦線」となる予定です。


Q、エンピレオ世界ではミツバのババァはどうしていますか?
A、木星天の話を人づてに聞いた瞬間に真顔になりました。ご愁傷様です。


「秘蹟省副長官、オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタインです。本日はよろしくお願いいたします」

「シズル・潮・アマツと申します、こちらこそどうぞよろしくお願いします」

「ジェイス・ザ・オーバードライブ。堅苦しいのは無しにして本題に入ろうや」

 かつては蝋翼と煌翼の誕生に関わり今は司法取引によって再び研究者の道を歩んでいるというシズル・潮・アマツ。

 そしてかつて神祖滅殺を担った一員であった第三世代型人造惑星でもあるジェイス・ザ・オーバードライブ。

 

 仮にも私もまた聖教皇国を代表している者としての自覚はあるつもりだけれども、いざ対面するとその巨躯に気圧される。

 まさしく名にたがわぬ巨人ぶりといった所だろう。凜烈とした意志力を宿した目も、彼の在り方を雄弁に語っている。奇縁あって聖人認定され、そしてシュウ様とは良く分からない男の友情という奴を育んでいるとも、リナ様からは伺っている。

 

「ではまず。一昨日聖教皇国内で存在が確認された木星天(ジオーヴェ)を名乗る人造惑星についてね」

()()()()()()()()()だとかなんだとかで天秤は騒然、しかもただのパチモンかと思ったら俺と同じ事をやらかしたと聞いたらコールレインの旦那は卒倒しかけてたな、ありゃご愁傷様だ。――で、そちらの言いたい事はなんだ。包み隠さず言ってみな」

「では、お言葉に甘えて貴方の胸を借りるとしましょう。……光の魔星、あの光輝の特徴は英雄や煌翼に非常に傾向が酷似している。その上でのあの魔星の完成度は常軌を逸している。失礼を承知で単刀直入に聞くけれど、貴方達軍事帝国アドラーの差し金かしら?」

 ……私としては、当然可能性としてはそれが一番大きかった。

 ロダンさんも言っていたように、アドラーの仕事としてはあまりにも雑だが同時に技術的にアレだけの完成品を創り上げるノウハウは何をどうしてもアドラー以外の候補が挙がらない。

 私自身、この推理は正しいとは思っていない事は百も承知だ。

 

「英雄亡き帝国において、その後継を渇望されて生み出された者こそ木星天。英雄の後継にして天頂神(ゼウス)と同じ属性を持つ木星の眷星神(ユピテル)。魔星群の試験運転として大虐殺よろしく神祖亡き後の弱体化したカンタベリーを征圧するために試験投入された――といった所だと私は推論しているわ」

「……なるほど、道理は通っちゃいるな。アンタの立場ならいの一番に考える線だ。……で、どう思う?」

 ジェイス氏は決して一笑に伏しなどせずに、少し思案で頭を傾けながらシズル氏にそう意見を仰ぐ。

 ……私がハナから見当はずれの推論を述べて反応を探ろうとしていることなど、あちらはお見通しなのだろうか。シズル氏は白々しいと言外に含ませながら私を見据えている。

 

「帝国がカンタベリーを討つのだと考えるとまずは後顧の憂いを絶つことが先決でしょう。第一に神祖無き後のカンタベリーであっても私達は決して軽視はしていない。下手に戦力の配分を傾けて背後から刺されるような事があっては笑い話にならないもの」

「……かつて、彼らと相対した事があるからこそ、かしら」

「そうとも言えるし、……何より下手に事を構えた場合今度は調停者(スフィアブリンガー)がどう動くかが分からないもの」

 曲がりなりにも、公式の記録ではシズル氏はかつて豪槌磊落を相手にしていたはずだし、同時に超人大戦の渦中では烈震灼槍もいたはずだ

 彼らの姿を見てそれでもカンタベリー恐るるに足らず、などとは決して言えない。

 加えて、三国の均衡を下手に崩そうとした場合星辰界奏者がどう動くかを考えなければならないだろう。

 現存する極晃奏者は滅奏、界奏――それに加えて烈奏。彼らの動向を考えた場合、例えアドラーであろうとも下手に事を成すべきではない事は明白だ。

 

「そう言う事だ、ウチはまぁシロではあるんだがそれでも諸々の疑惑って奴はどうしても拭えないのは事実さ。例えば――お宅らからの話だとなんとその木星天って奴は閣下と接続したんだったか?」

「その通りね。私も最初は聞いたときは信じがたかったけど。だからこそ私は報告を聞いたとき最初は貴方達の差し金かと疑ったのよ」

「……無理もねぇな。俺がアンタの立場なら真っ先に疑って当然だわ」

 閃奏との接続機能は第三世代人造惑星――他ならぬ眼前の限界突破が第一号だ。

 そもそもとして魔星製造のノウハウ自体、アドラーが長じているのは道理だ。

 それに準ずるとすればかつて神祖と呼ばれる者達がアメノクラトの量産に成功しているカンタベリーをおいて他にはない。……だが技術部門を統括する立場にある私が把握する限りではそのような企みは今のカンタベリーには存在しない。

 レディ・アクトレイテにも調査を依頼中ではあるものの、私に極秘裏でそのような研究を行っている部門等存在しているとは聞いたことがない。

 

「道理として、残る可能性は貴女達カンタベリー聖教皇国自身という事になるわ。けれど、閃奏と接続できる理由が私には分からないわ。カンタベリー発の魔星に、英雄が極晃を授けるなんて原理からしておかしいもの」

「だが裏を返せば逆にこうも考えられるんじゃねえのか? ……接続した原理はともかく、総統閣下が接続を許す理由があった、てな」

 英雄の神話を肉眼で見てきた人間だからこその説得力でもある。

 原理を考えるよりも、英雄の動機から探っていくことが近道になるのではないか、とジェイス氏は言っているのだろう。

 そこでシズル氏は、ふと思いついたように口を開いた。

 

「魔星の素体となった人間がアドラーにゆかりのある人物であり、かつその木星天という名前の魔星がアドラーの国益となるように動いている場合はどうかしら。……認めるのは複雑な気分だけれどそれでも英雄は並大抵の特異点ではないもの、少なくとも帝国の利益にならない場合や社会通念的に悪と言える存在に星を許す存在ではない事は明らかよ」

「悪か善か、と言うと間違いなく後者に属する人物、という事なのね木星天は。……閃奏の視点から木星天の目的や正体、人間性を逆算する――確かに盲点だったわ」

「とは言っても、あの閃奏よ。英雄が実際は何を考えてその木星天という名前の魔星に接続を許したかだなんて、それこそ英雄しか知り得ないわ。……私は今でも英雄の考えなんて分からないし、分かりたいとは思わないもの」

 ……言葉尻に辟易の色が見える。彼女の過去からしてみれば無理もない事だろう。

 英雄の視点など只人が共有できるはずもなければ模倣できるはずもない。ジェイス氏もそれは仕方のない事だろうよと、腕を組みながら目を閉じる。

 てっきりシズル氏の言葉はジェイス氏の逆鱗にふれそうだと思ったが、そういうわけでもなかった。

 

「……ありがとう、とても参考になったわ。とりあえず、一旦は木星天については貴方達の疑いは晴れた、と言っておきましょう」

「どういたしまして――と言いたいところだが、本題はここからなんだろ。副長官さんよ」

「そうね。第二の議題――銀想。ジェイスさんの言う――品の無い言い方になるけど模造品(パチモン)よ。貴方達アドラーが創り上げた原初の魔星、月乙女の星辰波長と非常に酷似した性質を持つ魔星の事についてね」

 ……英雄に対する木星天、月乙女に対する淑女。その二つを考察するにおいて、アドラーの技術の潮流とは切り離せないだろう。

 光と闇の二つの模倣が今カンタベリーにおいては存在することになるのだから。

 

「こっちも、結論から言えばウチはシロだ。俺も月乙女の量産計画なんてモノは聞いたことがねえ」

「でしょうね、干渉性特化型はそもそもそちらには干渉性の完成形たる冥王がいるもの。わざわざその劣化品を作る動機が薄い」

 これに関しては私は最初から帝国は黒幕ではないと考えていた。

 エリスさん――より正しくはエリスさんの創造主は、恐らくアドラーへの帰属意識は持っていない。

 アドラーへの帰属意識を持つのならエリスさんの人格形成にも影響を齎しているはずだ。

 実際、エリスさんの分析に関してアドラーに関する話題を時折振った時も、さして彼女は関心を示す態度をとらなかった。

 

「それと、そういや発動体にもなる魔星、なんてよくわからん話もあったな。そっちはどうなんだよ」

「それに関してはそちらに話を聞くのが恐らくは適任でしょう。――単刀直入に、一人の研究者として意見を仰ぎたいのシズルさん。他者の発動体でありながら自らも星を振るえる魔星というモノは製造可能かしら?」

 この会談に際し、私がシズル氏へ出席を求めたのはこのためでもあった。

 第二次創星計画に携わった、魔星の技術領域に極めて近しい技術者だからこそ私は意見を仰ぎたかったのだから。

 

「……可能、とは言えるでしょうね。ただし飽くまでも試作品レベルでの話よ。星とは祈るモノでしょうに、自分の祈りに他者の祈りが混じればそれだけ著しく()()が下がるわ。もしそんな試作品を十全の性能で扱えるペアがいたとすれば、まさしく運命の二人と言えるでしょうね」

 ロダンさんの星の変質を促しながら、同時に自分自身も突出した魔星へと変貌を遂げていた。

 ……アレですら、エリスさんが主体となっていることからも分かる通り、アレですら恐らく()()()()()()()()()。同時にだからこそ、その齟齬を真に埋めきった時ロダンさんとエリスさんはどうなってしまうのか、それが私にはわからなかった。

 

 

「私見にはなるけれどその銀月天の製造者は、極晃を創星したかったんじゃないのかしら」

「聞かせて頂戴、シズルさん」

「奏鋼や第二次創星計画に携わっていた身だから推測できるけれど、発動体はある意味で星辰奏者と最も身近と言える存在よ。それが意志と実体を持つ存在であったなら、当然相互理解の速度や深度も高くなる。魔星に単なる暴力装置としての機能を求めるならアプローチとしてはそもそも第一世代人造惑星で完成されているもの、魔星を作る人間が今更昔の通過点を目指しているわけがないでしょう」

 ……ロダンさんとエリスさんは確かにグランドベル卿の話では魔星ですらない何かならんとしているように見えたと言っていた。

 二人で一つの星を共有する在り方、相互に意志を通わせる事で高みを目指す事。……確かに、シズル氏の話は理があると言えた。

  

「少なくとも魔星であるという時点で天元突破の資質についてはクリアしている。発動体としての神鉄の所有者がどういう扱いになるかは別として、それでも高位次元接触用触媒もクリアしている。――そして最後の関門たる勝利を共有する他者。これも当然それなりにハードルが低くなる。第二世代が極晃奏者の雛型、第三世代が極晃の汎用化であるのなら……」

「――さしずめ銀想淑女は第四世代型人造惑星。そのコンセプトは極晃の養殖場、あるいは極晃への案内人、といった所かしら」

「そう、でも所詮は推測よ。どういう目的でそんな魔星を作ったのか、作った人間は魔星製造のノウハウをどこで学んだのか。肝心な部分は未だに不明よ」

 話の筋は、確かに通っている。

 極晃という星辰奏者の最高到達点が明らかになって以来、つまりは第二世代以降からは極晃と魔星はきっても切り離せない関係にあると言ってもいい。

 だからこそ、エリスさんのあの機能はあるのだろう。エリスさんの根源たる銀月天が誰に創られた存在なのかは今はまだ計りようはないけれど。

 

「魔星がいるという事は、魔星を作った人間もいるという事よ。……魔星設計の手腕といい、所謂私達が定義するところによる第四世代型人造惑星の着眼点といい、それだけの知を何を為すために養ったのか私には計り知れない。きっと、貴女たちの言う木星天と銀月天の創造主の思惑は人知の及ぶところではないでしょうね」

 かつて第二次創星計画に携わっていた身である事からも、思うところはあったのだろう。

 彼女はそう言って、眼鏡の位置を直しながら続ける。

 

「人が秩序や倫理に挑む時――それは例え挑んででも成し遂げたい望みがある時よ。そうしたモノが木星天や銀月天と言われる存在の創造主にはある――あるいは、()()()()()()と私は考えているわ。魔星の本来の製造方法は本来、死体を材料とすることだから」

「ま、あんま考えなさんな。今の俺達には手がかり皆無なんだ、脳内労働が苦手な俺に比べりゃむしろアンタらは良く考えてる方だ」

「ごめんなさい、限界突破(オーバードライブ)。それもそうね」

 堕ちたアマツの才媛とかつて呼ばれた彼女の慧眼は今でも健在だった。彼女はこの曖昧な情報の断片から確かに創造主の輪郭をおぼろげながらも捉えている。

 銀月天や木星天を設計した人物、恐らくすべての黒幕。

 そんな人物は、私の知り得る限り消去法では一人しかいなかった。

 

「魔星を創造出来得るだけの卓越した頭脳を持ち、倫理観に乏しく、今も尚かつ行方の知れない人物――それらに当てはまる人物、貴女には見当はつくかしら。オフィーリア副長官」

 

 

―――

 

 私はイワト様を伴って、外出した。

 今日は劇団の皆さんに挨拶をしたい――けどその前に私は御姉様の屋敷に立ち寄りたいとイワト様にそう告げた。

 そう言えばたしか、彼は御姉様と面識があったというけれど

 

「……ハル嬢の屋敷か。良いだろう、私としてもハル嬢の顔は見ておきたいからな」

「ありがとうございます、イワト様。……時にお聞きしますが、イワト様は御姉様の御知り合いなのですか?」

「かつての友人の忘れ形見という奴だ、親を亡くして以来時折私はハル嬢の面倒を見ることが在った。……おじさま、などと言われるたびに複雑な気分になる。ナオに随分に年々似てくるのでな」

 お姉様は確か親を幼い頃に亡くしていると聞いたことがある。

 そんな彼女を支えたのがロダン様だったとも。

 

「只今帰りました、ハル御姉様」

「エリスさん――!」

 

 御姉様の屋敷の前につくと、そこには箒で庭を掃いている御姉様がいた。

 私の姿に築くと彼女は箒を置いて駆け寄って、私の手を握ってくれた。……案じてくれている人がいるのだという事の尊さを、私は強く噛みしめた。

 

「……ごめんなさい、御姉様。少しだけ、ここを留守にする事になります」

「いいの、エリスさん。貴女の顔が見られただけでも、私は嬉しいんだから」

 ただそこに在るだけで嬉しいのだと彼女は言う。何をするでもなく、ただ詫びる私に御姉様はそう言ってくれた。

 無償の愛という言葉は、それはきっとこの光景を形容するためにこそあるのだろうと思えた。

 それから、御姉様はイワト様に目を向けた。

 少しだけ、畏怖が籠っているような声色で、それから私を庇うようにそっと肩を抱き寄せて。

 

「……イワトおじさまも、お久しぶりです」

「そうだな、ハル嬢。……随分、元気になったな。エリス嬢の事はもう聞いているし知っているとも思うが済まなかった」

 申し訳なさそうに深々とイワト様は頭を下げている。

 

「エリスさんは確かに、この国の星辰奏者ではないのかもしれません。それを意図して伏せていたのは良くない事だとは私もエリスさんも分かっています。けれどエリスさんは何も悪い事なんかしていません。私はずっとエリスさんと一緒に居ましたから、だからエリスさんにおかしな疑いをかけないでください、おじさま」

「……存じている。決して、エリス嬢に悪しき行いはしないと約束しよう。彼女もまた、ロダンと同じくハル嬢の大事な友人なのだから」

「もししたらおじさまとは絶交です」

 困ったような、少しだけ昔を懐かしむような笑いをイワト様は浮かべている。

 何が面白かったのだろうかと御姉様は怪訝な顔をしている

 

 

「……性格も、その顔も、やはりナオに似てきている。やはりハル嬢は彼女の娘なのだな」

「ありがとう……ございます。イワトおじさま」

 彼女、というのも以前に語った「昔の知り合い」というのももう亡くなったという御姉様の実の母の事なのだろう。その人物の事を例に挙げるとき、イワト様の石膏のような顔は少しだけ柔和さを帯びる。

 

「私は門前にて待つ。ハル嬢とエリス嬢は何か話したい事があればそうするといい、私は干渉しない」

「そうですか。……ありがとうございます、イワト様。お手数はおかけしません」

 イワト様は粛々と、そう告げて門前に背中を預けてそう促した。

 ……意外と、この人は優しいのかもしれないと思う。けれどあまり長居は出来ない、劇団に顔を出す用事も当然ある。

 けれども、少しだけ私は嬉しい。

 それから御姉様は私の方へ向く。少しだけ、ちょっといい淀んで、慎重に言葉を選びながら私に問う。

 

「……今はロダンも、一緒なのよね。エリスさん」

「はい」

「エリスさんにとって、ロダンはどんな人?」

 ……私にとって、ロダン様はどのような人なのか。

 その答えを私は知りたかったはずなのに、上手く私は言えない。

 ロダン様への気持ちも、少しずつ変わっていっていることは自覚出来ていてもそれを言葉で説明できるだけの語彙力が私にはなかった

 

「……分かりません、分からないのです。けれどロダン様と顔を合わせるのが少しだけ難しく感じます。ロダン様を語らう時、私の胸には安息と緊張が同居するのです。どう表現するのが正しいのかは、今はまだ私には分かりません」

「その心はとても大切なモノよエリスさん。今は言葉にできなくても、きっといつかは分かる日がくるわ」

「そのような日が、本当に私に訪れますか御姉様」

「えぇ、約束するわ」

 とても優しい笑顔だった。私の好きな、御姉様の笑顔だった。

 御姉様も、ロダン様の事を語る時嬉しそうな顔をする。

 

「御姉様は、幼い頃に親を亡くされて以来ロダン様が一緒だったと聞いています。……その話を、聞かせてもらってもよろしいですか?」

「エリスさんはロダンの話、好きなんだ。――そうね、いつか話してあげるって言ってたものね。少し、昔の話よ。まだ私が幼い頃の――」

 

―――

 

 私の両親は外交官だった。

 母方の姓であるキリガクレの家に生を受けた私は、母が仕事で知り合ったという家の一人の男の子とよく遊ぶことがあった。

 その男の子はアレクシスといい、私をよく姉さんと呼んでくれていた。

 男の子は一歩離れて恐る恐る私についてくるくせにいつもべったりで、本を読むのが好きで、なんだかおとなしい男の子だった。

 

 母さんと父さんはいつも帰るのが遅くなるから、その代わりにロダンがいつも一緒に居てくれた。

 暇があれば、私に本を読み聞かせたりしてくれた。

 かけっこもあまり足が速くなかったけれど、それでも必死に私についてきてくれる彼がついつい可愛らしくて待ってあげたりした。

 健気な彼の姿を見ると私はつい、捕まってあげたくなってしまう。

 

 ……けれど、そんな日は永遠には続かなかった。

 私の両親はアンタルヤへ向かう船旅の最中に船上から足を滑らせて事故死を遂げたと、私に知らせが入ってきた。

 いきなりの事で、私には何がどうなったのかなど分かりはしなかった。言葉は理解できていても、それが現実なのだと私の理性は受け容れられなかった。

 

 待っていればお父さんとお母さんは帰ってくると私は信じ続けて、信じ続けて、待ち続けて。

 それはついぞ一度も報われなかった。

 

 父と母を失った私は喉には何も食べ物が通らなかった。私には、何も語れることなどなかった。

 私は、来る日も来る日も、引きこもった。もう、屋敷の外に出る気なんかなかった。

 部屋から出れば、待っているのは父と母がいないという現実だけだったから。

 

 それでも、あの男の子は――ロダンは私の屋敷の前で私が姿を現すのを待ち続けた。

 来る日も、来る日も。雪の日も、雨の日も、彼は暇を見つけては、私のものとなった屋敷の前で私が出るのを待ち続けた。

 

 目障りで、目障りで、仕方がなかった。

 そこまでして、善意で私を外へ連れ出したいのだろうか。親戚の人達と同じくロダンは私に前を向けとでもいうのだろうか。

 これまで彼が私に向けてくれた優しさは、私の中で押しつけがましい善意へと容易に変貌した。

 

 彼は身内を無くした事なんかないから知らないだけなんだと。

 そう思わなければ、彼の視線に私は耐えられなかったから。

 だから、私は耐えられなくなって彼の前に姿を現した。疎ましい日の光に焼かれながら、彼を睨みつけて。

 

「ロダンなんか、大嫌い!! いつもいつも、私の気なんか知りもせずに!!! ――貴方なんか本当の家族じゃない癖に!!!」

 そんな事を、私は言いたかったのではなかったのに。

 本当の家族じゃない、なんて、どれほど酷い言葉を投げつけたのだろう。彼の優しさに甘えて、私は彼に取返しのつかない言葉で当たり散らした。

 少しだけ、ロダンは傷ついた顔をしていた。その顔を見ると、私は過ちを悟った。

 ごめんなさい、ロダンという前に彼は私の言葉を制して言う。

 

「それでも、俺は姉さんの顔をもう一度だけで見たかったんだ。いつも、鬼ごっこだって姉さんは俺を待ってくれていただろう。だからもう一度姉さんが歩けるようになるまで、今度は俺が待つ番なんだから」

 

 ロダンは、ずっと私を待ってくれていた。かつて、私がロダンが付いてくるのを待っていたように。

 そんな彼の心を私は、きっと知りなどしなかった。当然だった、部屋に引きこもれば痛みも――彼の心も知ることはなかったのだから。

 

 

 私は親を亡くして初めて泣いた。大声を上げて、彼に縋りついて、みっともなく彼の胸で泣いた。

 

 辛かった。本当は辛いと言いたかった。父さんも母さんもいない明日なんか、見たくなかった。

 

 太陽の日差しは、母と父のいない明日は、私にはまぶしすぎたから。それでも私が折れないように、焼かれないようにと彼は支え続けてくれた。

 可能な限り、自分の時間を擲って彼は私と一緒に居てくれた。

 

「……ロダンは、私の前からいなくならないでね。私はもう、誰かが居なくなるのは嫌だから」

「居なくなるわけなんかないだろ、姉さん。約束するよ」

 ロダンは、余裕さえあれば私の為に食事を作ってくれた。

 正直、今もあまり彼は料理が上手いわけではない。けれど私の為に何かをしてくれるという事が、私にとってはたまらなく嬉しかった。

 体調が悪い時、彼は付き切りで看病してくれた。

 そんな彼の献身の甲斐もあって、私はどうにか立ち直る事が出来た。

 

 

 そんな彼だからこそ、私は騎士になって欲しいと思った。

 騎士の姿が似合わないなんて思ったことは私は真実一度もない。

 

 

 ……そんな彼も今は昔という有様だし、エリスさんを連れ込んで来た。

 すっかり不良になってしまった、なんて思うけれど、それでも彼は私を一人にはしない。いつも私を案じてくれる。そう言うところは昔から変わってない。

 

 エリスさんも、なんとなく事情があって彼と一緒に過ごしているのだという事は分かる。

 私には事情を話せないとロダンが言った時、私はのけ者にされたようで少しだけ悲しかった。

 けどエリスさんからロダンの話を聞く時、私は心の中でそうでしょう、ロダンにも良い所はあるんだからと、頷いたり同意をしたりしたものだ。

 

 彼の良い所を知っているのは私だけなんだから、なんて少しだけエリスさんに対抗意識も芽生えはした。

 けれどそれ以上に弟分の彼の事を褒めてくれる事は私にとってもわがことのように嬉しかった。

 

 エリスさんがロダンの事を語る時の顔に、私は少しだけ身に覚えがあったから分かる。

 かつてベッドから起き上がろうとして彼に体を支えられた時に、鏡に映る私の表情そのものだったから。

 

――—

 

「ロダン様と御姉様にはそのような事があったのですね。……少しだけ、御姉様に妬けてしまいます」

「妬けるほどの経験ではないないわ。ロダンと一緒に居れば、いずれ体験することよ」

「一緒に居れば、ですか」

 ……私は、ロダン様や御姉様とは本質的に違う。

 人間ではないのだ。どうしたって、何をしたって、人間と同じ摂理と時間の下に生きることはできない。

 英雄の生き方を凡人が出来ないように。そもそも、私に限らず人は各々が各々に流れる時間と秩序に従って生きているのだから。

 

 それでも、限られた時の中を誰かと生きるその一瞬の連続を、人は人生というのだろう。

 

 私は、御姉様とどうなりたいのだろう。

 何より、ロダン様とどうなりたいのだろう。

 この形容の難しい感情は果たした私の裡から溢れたモノなのだと、本当に自信を持って言えるのだろうか。

 

「……私にはまだ、ロダン様と自分がどうなりたいのか。分かりません。けれど、ロダン様と一緒に居る事は、私にとっては決して不快な体験ではありません」

「答えなんて、もう言っているじゃない。エリスさん。……あとは貴女が気づくか気づかないかだけよ」

「それはどういう――」

 私の唇に御姉様は人差し指をおいて、それ以上言わせないでと告げていた。

 後は私が気づくか、そうではないかというだけなのだという。

 

「……悪いけど、答えは言ってあげないわ。だからこれは私からの意地の悪い宿題だと思って、エリスさん。――私だって、ちょっとだけ悔しくて、複雑な気分なんだから」

 そう、悪戯っぽく御姉様は言う。本当に少しだけ悔しそうにして、困ったという顔をして。

 その心は、今の私にはまだ理解が遠い気がした。

 

「ほら、行きなさいエリスさん。イワトおじさまを待たせてはダメよ、それに劇団に行くんでしょう?」

「はい、お見送り有難うございます、御姉様。宿題、確かに頂きました」

「よろしい、ではいってらっしゃい」 

 背を柔らかく押されて、それから手を振って御姉様はじゃあと言って私を見送ってくれた。

 イワト様も御姉様の笑顔に絆されたのか、少しだけ表情に柔軟性が戻ったように見えた。

 

 

「顔、にやけていますよ。イワト様」

「そうか。……私は今そのような顔をしていたか」

「ええ。でも、いつもの石膏のような顔よりは今の貴方の顔の方がいいと思います」

 自分自身の顔をぺたぺたと触りつつイワト様は「そうか」と感慨深くそう言う。

 石膏のような表情筋、などとロダン様は形容するけれど、イワト様は自覚自体はあるようだ。

 

「……生来、あまり表情が豊かな部類ではないのでな。加えて私がかつて目標にしていた剣士がいたが、今は亡きあの男のそんなところまで私は見習っていたのかもしれん」

「絶対剣士、ですか。道理で」

 ……私の記憶の中にある絶対剣士と呼ばれるその男は「死んでいる」と言えるほどに表情筋が機能を放棄しているわけではなかったと思う。

 ただ発動体が同じ刀である事や、第一軍団の上位の位階に属する事からもきっとそれなりに親交というものでもあったのだろう。

 

「邪念や雑念といった余分という概念とは無縁の男だった。そういう男に成りたいと私も修練を積んだが、それでもなおそぎ落とすにはかなわなかった。どうしても私という男は俗人的な性分らしい」

「それでいいかと、イワト様。捨てる事でしか至れない高みもきっとあるでしょう。けれどその余分の中にこそ、きっと人を真にその人たらしめる成分は含まれている事もあるでしょうから」

「魔星に説教されるとは、思いがけん事もあるものだ。……いや、すまないエリス嬢。冗談としては悪質だった」

「別に、気にはかけていません。貴方の壊死していない表情筋の本数を数えるのはさぞ楽な事だろうと思っていただけです」

 ……本当は嘘だ。少しだけ私は傷ついた。

 けれど、それでもイワト様は私を人間として見ているだろうか。イワト様は少しだけ驚いた顔をしていた。けれども、少しだけ笑って元の不愛想な顔に戻った。

 それがすこしだけおかしくて、つい私もつられて笑ってしまった。

 

 そうすればイワト様は若干不機嫌な顔になる。けれど不機嫌な顔のままでも稽古場までついてきた。

 ついてこなれば尚嬉しいことに変わりはないけれど、それが決まりだから仕方がなかった。

 

 

 

 

「エリス――よく来てくれた! 皆、エリスが帰ってきたぞ!!」

 稽古場につけば、ユダ様はそう言って私を出迎えてくれた。

 他の皆も、私を囲んで出迎えてくれた。

 

 私が星辰奏者である事を黙っていてくれた人たち。

 芸術の背教者を高らかに自認する、自称反逆者たち。ジュリアさん、ジンさん、ダグラス様は何も変わっていない様子。

 始めは、私が入団した当初彼らは私を怪訝な目で迎えた。ユダ様に連れられて、ユダ座の門戸を潜ったときに向けられたのはなんというか、未知の生物を見る様な目だった。

 実際、それはある意味正しかった。

 

 私が演技を見せると彼らの半信半疑は賞賛に変わった。

 それから、私は何度も何度も舞姫として舞台に立ち続けた。彼らと稽古を交えつつ、時にはユダ様から演技の指導役を任されることもあった。

 

「エリス、大丈夫だったの? 騎士の人達に何か変な事はされなかった?」

「特にされていませんよ、ジュリア様。私の肌を見てください、何も手出しはされていません」

 ジュリア様。私が入団する前は主演の女優であり、少しだけ私には負い目というものがある。

 けれど、嫌味の無い人でそれはそれでこれはこれと、私人としては私とよく仲良くしていただいた人だった。

 いつかは今私がついている主役の座を取り戻して見せると宣戦布告を私へと突き付けた人だった。その熱意は、私にはなかったものだからこそ私は見習いたいと思う

 

「……今のユダ座はお前が居てくれなきゃ始まらねぇさ。何はともあれ、不定期であれ練習に参加してくれんのは嬉しいけど無理はすんなよ。あの玄関口に突っ立ってる石膏面はお前の監視役って奴なんだろ?」

「石膏面……は少しだけ違うかと思いますが、その通りですよジン様。あまり長居は出来ない事、ご容赦を」

 ジン様。経理も兼任する人で、元は他の劇団でくすぶっていた所をその実力を見出されユダ様にスカウトされた人でもあった。忌憚なく意見をユダ様とぶつけ合う好人物であり、そういう側面も含めてユダ様は買っているのだろうと思える。

 少しだけ怖い見た目の人、だけれど彼の演じる殺陣は迫力と気迫にも溢れる見事なモノだったで、私は未だに彼のソレは真似ができない。

 

「あれ、今日はロダンはどうしたの? というかあのイワトとかって人第一だよね、もしかして……」

「そんな面白い話ではありませんよ、ダグラス様。イワト様は私の付き人ではありません、私の付き人はロダン様だけです、今は一緒にいられないというだけです」

 ダグラス様。噂話が好きな人で、好青年といった人だ。元々、ユダ座結成当初からユダ様に付き従っていたという。

 割と私に似て天才肌な側面はあり、多少通しで練習をしただけで凡その立ち回り方を覚えて脚本に演技をすり合わせる術に長けている。

 彼個人としては、ユダ様と一緒の方が気楽にやれるという理由でこの劇団にいるらしい。無駄話というものが多く、よくユダ様に肩を掴まれる人なのは印象が深い。

 私も、デリカシーの無い発言をされた時は彼の爪先を笑顔で踏んだ記憶はある。 

 

 

 彼らだけではない。ほかにも、私がお世話になった人はたくさんいる。

 

 それからユダ様は練習に戻ろう、と言った。

 今すぐにでも練習に戻ることはできるのかと私に聞くけれど、私は大丈夫だと言うとふと安心したように笑いを浮かべてユダ様は手を叩く。

 

 始まる稽古。

 着替えを済ませて舞台に立てば、私は鬘を身に着けて赤毛のアンナに早変わりだ。

 

 

 アンナ、竜殺しの英雄の伴侶にして、最期に変わり果てた夫の末路を担い自らもまた死を遂げた非業の女性。

 今の私には、きっと彼女の気持ちは分かるのかもしれない。

 

 物語の中にしかその存在を許されない彼女を、私なら形にしてやれる。

 ユダ様の脚本の中でのアンナは、どういう気持ちだったのだろう。

 

 最期に自害によって命を終える彼女の胸には何が満ちていたのだろう。

 なんとなく、彼女が悲しかったのは分かる。それを今までは私は表現していた。彼女の事を知ろうとはしなかった。それは実在しないから。

 

 でも、それでも今はほんの少しだけ、脚本に滲むインクの向こうに彼女の姿が見える気がした。

 その胸に去来したのは身勝手な民衆に対する怒りだったのだろうか。あるいはどうすることもできなかった哀しみか。

  

 例え彼女に成れずとも私だけが、彼女の言葉を伝えられる。

 それが役を演じるという事なのだから。

 

 ユダ様は、目を見開いて私の演じる姿を見ている。きっと、これがユダ様の言う殻を破る事なのかもしれないと思えた。

 殻を破り空をその目に映した時、真に舞台に淑女は現れるのだとユダ様は言った。

 だから私は空を見よう。割れた殻から漏れる月光を導にして真に淑女は新生を果たすのだから。

 

 物語の結末、アンナは自らの胸にナイフを突き立てて命を終えて幕は下りる。

 

 

 満ちる静寂の後、ユダ様は静かに拍手した。

 

「驚いた、エリス。動きに洗練さは以前に比べれば少し見劣りはするが、だが表情の使い方が以前に比べていい意味で不規則になっている。……何より、俺の頭の中にあるアンナのイメージと大分近くなっている」

「恐縮です、ユダ様」

 表情の使い方。それは多分意識したのかもしれない。

物語の

「……確かに、エリスの演技は今までは完璧と言ってよかった。指先の動かし方、視線の運び方、それら総ては文句のつけようもないし、百回やれば百回同じようにエリスはできただろう。だが、俺の脚本の中のアンナはエリスと違ってそこまで綺麗に関節を動かすわけではない、むしろ多少動きに余裕がある方がイメージに合う」

「なら、それを私に伝えて頂ければよかったのに」

「登場人物は何処まで行っても紙と舞台の上でしか生きる事を許されない存在だ。俺は普段、登場人物の気持ちになれと言うが、まぁすまん。大前提としてそもそもそんな儚い存在が抱く気持ちを理解して演じろ、などと言っても普通は簡単にできることではないんだよ」

 登場人物の気持ちになる事は重要だと、よくユダ様は言う。

 彼のイメージするアンナのイメージと私の演じるアンナのイメージが噛み合ってきたのは、つまり私が彼の描いたアンナの気持ちをそれなりに理解しているという事でもあるのだろう。

 

 アンナなら、どう考えるか。

 アンナなら、どう思うか。

 紙の上のインクをなぞる以上に事を私はいままでしなかった。例えそれが紙の上の存在なのだとしても、私はアンナの実在性を心のどこかで冷笑的に捉えていた側面はあった。

 けれどそれらはかつての私と同じだった。創造主無しでは本来生まれ出ですらしなかった命だからこそ――それを自覚したからこそ今の私は少しだけ、アンナの実在を信じられるような気がした。

 

「エリスは美しい。それは間違いなく、芸術の反逆者たる俺が認めている。……合格点など、お前の反逆者の資質を認めた時から与えているとも」

「むしろこの程度で認められては私が困ってしまいます。まだ、やらせてください」

「……良いだろう、もう少しだけ付き合ってやる。その感覚をしっかり思い出して、モノにしろ」

 もう少しだけ、やってみたい。試してみたい。

 何せ久々に舞台に立つのだから、この一瞬一時を無駄にしたくない。

 例え、私がヒトと同じ摂理を生きる事は出来なくても、誰かと一緒に居るという事は孤独ではないということだ。

 彼らと一緒に在るこの一瞬を、私の胸に焼き付けよう。

 決して忘れないようにと、私はそう強く想えた。

 

―――

 

 劇団から帰路を辿る過程で、私の体の熱は引いていった。

 それが少しだけ名残惜しくて月空を仰ぐ。

 

「じきにつく。エリス嬢、夜は寒い。気を付けると良いだろう」

「お気遣い痛み入りますが、心配は無用です」

 

 イワト様はただただ無言で、収容室へと私を送り届けた。

 粛々と謝して、私の前から去っていく。

 

 そらから扉を開けると、そこにはいつもと変わらずロダン様がいた。

 

「お帰り、エリス」

「只今、戻りました」

 

 彼は私の口から勝たされるずっと、待っている。

 彼の描く「彼女」は、実物とはよく似ていた。

 皮肉が好きなエウリピトは、空に輝く星を目指して旅をする。

 九つの宇宙を越えて、その最後の旅路――十つ目の天に至り終幕に至る。モチーフは北欧神話と天動説における十の遊星天だろう。

 滅殺神話(ラグナロク)と神曲の交わる、少しだけかわった冒険譚に因果を感じる。

 

 彼にとって、彼女は騎士から詩人へと転生させた始まりの導き手だった。

 そしてあの時、私は確かに彼女から彼を託された。

 

 それは、神曲において至高の賢者(ウェルギリウス)が煉獄の頂において淑女(ベアトリーチェ)へと詩人(ダンテ)の導き手を託したように。

 

「……エリス。いつでもいい、教えてくれ。お前にとっても、俺にとっても、覚悟のいる事なんだろう。真実を明かすという事は」

「はい。ですから、少しだけ今だけはロダン様のお傍に居てよいですか?」

「必要な事なら、そうさせてもらうよ。エリスが嫌じゃないならそれでいい」

 ベッドの上で、私はロダン様の横に並んで腰かける。

 それから、ロダン様の手の上に私の手を添える。

 少しだけ、喉が潰されるような感覚に陥りそうになる。けれど、それでも私は彼に私の真実を明かしたいから、勇気を振り絞る。

 

「以前のように、少しだけ私の主観記憶にお付き合いいただけますか?」

「ああ、何時でもいい。好きな時にやってくれ」

 星辰体の往還が始まり、淡い燐光が私達を包む。

 ロダン様との意識の共有は私にとっての基礎的な機能であり、さすがに二度目となればロダン様も特に驚きはしていないようだった。

 私の主観記憶の映像信号を星辰体の揺らぎへ変換し、彼を追憶の狭間へと私は誘う。

 星辰体の奔流の中で彼の主観が私の内界へと移り変わるその刹那に、私は震える声で彼へと伝えた。

 彼に伝えなければならない、私の創造主の名前を。 

 

 

 

「私の創造主――銀月天の素体となったのは一人の少女。かつて貴方に救われて、そして貴方を救った始まりの淑女(ウェルギリウス)――クラウディアという女の子です」

 



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晃星神譚・星界戦線 / Sphere Coder 

「……誰?」

 クラウディアという一人の少女――より正しくは、彼女を素体とした魔星・銀月天と出会った。

 彼女と初めて出会ったのは、彼女の内界だった。

 一面銀白色の、寒々しさすら感じる白一色の地平。そこに私と彼女は居た。

 塩とガラスと、氷で出来た世界に彼女は立っていた。

 

 

「……私は、貴女の星辰光(アステリズム)です。クラウディア」

星辰光(アステリズム)? 貴女が?」

 きょとんとした顔で彼女は私に問いを投げる。貴女の星光が私なのだと言っても、あまり彼女は理解ができていないようだった。

 ……無理もない。今の私は煌翼と似た存在であり、どうしても彼女の内界にか存在を許されていない。

 今しがた私は生まれたばかりであり、事情を上手く呑み込めていないのはお互い同じなのだろう。

 

「あぁ、なるほど。先生はそのようにしたのね。ならこれはむしろ当然の結果かしら。……随分に、人を好き勝手に()()()()()()()()のね、おかげで思考一つもまともにまとまらない」

「……何か、私について気になる事でも?」

「いいえ。こちらの話」

 彼女は私を眺めながら少し思案していた。

 率直に言って、なんというかがさつな人だと思った。彼女の祈りによって生まれたのが私なのは、他ならない私が一番理解しているけれど彼女は半信半疑だった。

 

「名前はなんていうの、貴女」

「名前? それは私に必要なモノですか?」

星辰光(アステリズム)さん、なんてどう考えてもおかしいと思うし可愛くなければ美しくもないでしょ」

 彼女はおかしなことを言う。

 私は彼女の星光であり、名前という概念は存在しない。まるで彼女は私を人間のように扱う。

 

「好きに名付けて構いません。私の機能は変わりませんから」

「……なんか、マシーンみたい。全然人間っぽくないし人間を相手にしてる気分じゃない」

「否定は致しませんしそもそも私は人間ではありません。貴女の入力する命令こそ私には総てです。ご命じくださいクラウディア、私は何をすれば佳いですか」

 入力された命令と保有するリソースを以て成果を出力する。

 そうした意味では私は演算機のようなものだろう。彼女の最大利益のために私は星を演算する。それだけが私の意義だ。

 ……ただ、どうも私の理解と彼女の理解では少し乖離があるようにも見える。

 

「……じゃあ、今日からあなたの名前はエリス。エリス・ルナハイム」

「……エリス、ですか。クラウディア」

「良い名前でしょう、銀月天(つき)から生まれた貴女らしい」

 エリス。ルナハイム。響きに特に何も感じるものはない。

 私は彼女の為に生まれただけだ。少しだけ、彼女は嬉しそうに私へと語り掛けている。

 

「……命令をください、銀月天」

「命令? なんで私がそんな事しないといけないの?」

「命令がなければ私はどうすればよいのですか?」

 私としては至極当然の疑問を投げかけたのに、彼女はなんでそんな質問をしているのかと問う。

 ……私をどのような存在だと定義しているのか、私と彼女の間で大きな齟齬がある事は納得できたと思う。

 

「クラウディア。貴女は私を何だと思っているのですか?」

「……私の星から生まれた、よく知らない人。ただ、顔はすごく綺麗」 

「私は私を貴女の演算機であり被造物であると思っています。モデルは恐らくヒトなのでしょうが、生物学的に私は人間ではありません」

 根幹の部分に、大きな乖離があったのだろう。

 彼女は私を人、と形容した。私に人間性を見出している、と言ったところだろうか。 

 確かに私は外観や思考形態は彼女をモデルとした疑似魔星であり、人と認識することに無理はないだろう。

 故に幾分か彼女の記憶や趣向といったものを私は継いでいる。

 だが、私の意義は彼女のためにある。それを疑問視されては私はどうすればよいのだろう

 

「……別に好きにすればいいと思うけど。私、別にああしろこうしろと首輪をつける様な事は言う気はないもの」

「好きにする、とはどのような行為でしょうか」

「ああ、もう! 本当にああいえばこう言う――」

 彼女を呆れさせることを私は言ったつもりはないしそのような機能は私には備わっていない。

 至極当然が疑義を挙げただけなのだけれど、彼女は私の両肩に手を置く。

 

「いい、エリス!! 貴女にはやりたいことはないの!?」

「やりたい事、ですか。……考えた事がありませんでした、そういう設計をされていません」

「当たり前でしょう、創星(つく)った実感なんてわかないけれどそんなものは創るまでもなく備わっているものでしょう!? ……分かったわよ、エリス、貴女に命令するわ。自分でモノを考えて、やりたい事を見つけて!! あと一つ思いついたから付け加えるわよ、これ以上私にいちいち命令をさせないで!!」

 ふむと、少し考えた。

 なぜこうも創造主である彼女が必死なのか、何に対して焦り苛立っているのかはよくわからない。

 けれど、私に自律的な思考を求めている事はよくわかった。彼女の考える自律と自由を私は果たして彼女の考える通りの定義で理解できているかは怪しいけれど、それが彼女の命令だというのなら遂行するべきだと判断した。

 

 

 

 

 まずは人間の真似事から始めてみろと彼女は言う。

 

 彼女はまず主観記憶から、ある程度都合のいい様に情報を削除して私に仮想の人間社会を体験させた。

 加工された彼女の人生の追体験から、私は人間とはどのようなモノかを学び私はある程度、感情というモノを理解ができた。 

 凡そ、人間というモノを知る教材としては彼女の半生はいい教訓となった。

 

「……創造主。どうして貴女は私を気にかけてくださるのですか?」

「気にかけたつもりはないけど?」

「気にかけていないのなら、私の人間性を認めはしないかと」

 凡そ人間と言われる存在が持つ性質の平均値と鑑みた場合、創造主はやはり少し思考が独特だと私は結論せざるを得なかった。

 生前の特徴といくつか性格上一致しない点があるのも魔星として造られたためだろうか。

 

「……別に、貴女を奴隷にしたいとか下僕にしたいとかそんな事考えたって仕方ないでしょう」

「そのいずれでも、貴女が望むなら私は構いません」

「自由になる体と心があるのに自分の意志をないがしろにする態度が嫌いなの。……生きるってそんな空虚なモノじゃないし、そんなものであっていいはずもないでしょう」

 ……彼女から与えられた体験の片鱗からは彼女が自由にならない体であった事がうかがえる。

 だからこそ生前の彼女にとっては自由になる体は喉から手が出るほどに欲しく、加えてそんな想いがあったからこそ彼女の星は私という形をとったのだろう。

 

「多分、エリスには私の願望が混じってる。認めるのは癪だけれど、その綺麗な顔とか育ちが中途半端にいい喋り方は私のなりたかった理想の役者像の具現なのかもしれないわ」

「つまり、貴女の設計がとても良かったのですね」

「設計とか機能とか命令とか、自分の所作を機械みたいに例えるのをやめなさい!! あと自画自賛じみてて恥ずかしくなるから設計が良かったとか言わないで!!」

 まくしたてるような言い方に、少しだけ私は気圧された。

 気圧される、などという感情が私の中にあるのだなと思うと少しずつ私は変質しているのかもしれない。

 はぁと心底からうんざりするような彼女のため息に私の頬は少しだけ緩んでいた。

 

「……ふぅん、笑ってるじゃない。エリス」

「今、私は笑っていましたか。創造主の在り様が、少しなんというかその……」

「いい、エリス。それが面白いっていう感情よ。忘れないで」

 この白一色の世界で、彼女と私は少しだけ意思疎通というモノに成功した気がした。

 それから、創造主は正直なところ俗物的だなと思った。神経質な気質を有しているけれど、ただ私の失態にちゃんと指摘をしてくれるし、見捨てることもない。

 このような性質を人は面倒見がいいというのだろう。

 

 それから創造主の主観記憶を元に私は幾度か人生の追体験をするうちに、何度も見るその主観記憶の終盤において必ず()()()()()が現れる事に気づいた。

 何度か試行すればそのたびに微妙に細かいシチュエーションに揺らぎは生じるものの、それでも一貫して彼女の主観記憶の最後にはその騎士が現れて彼女の主観記憶は終了する。

 

「……クラウディア。この騎士様は?」

「……勝手に騎士を辞めて、勝手に何か納得して物書きになった人。今どうしてるかは分からない」

 投げやりで、抽象的な言い方だ。

 けれど主観記憶の中でその青年の騎士を相手にするとき、私の中にある創造主の記憶が少しだけ救われたような気分になっているのを私は感じる。

 彼女の生涯において、そのように感情を左右されるような存在はこの青年以外には存在しなかった。

 

「それならば、逢いに行けば宜しいでしょう」

「無理。……今の私の有様を見せるのは、絶対に」

 逢いに行きたいくてもいけない理由が彼女にはある。

 それがどういった理由なのかは私には図りようがない。

 

 

「けれど、そうね。もし逢いに行けるときが来たら、その時は貴女が彼に逢いに行ってほしいのエリス。……貴女がかつて笑わせた少女は元気だと、伝えてほしい」

 

―――  

 

 晃星神譚はここに成った。

 新たなる秩序を制定すべく開闢された神天地が、正邪も貴賎も区別なくあらゆる諸人を救いあげていく。

 そう。たった一人の、ただの一人の例外もなく。

 ――たとえそれが、()()()()()()()()()()()()であっても。

 

 翠色の燐光と共に、私達もまたその輝きに祝福された。

 私の創造主が月を旅立つが思いがけずして来たのだと、私は思う。

 初めて彼女と出会った日から、色々と彼女には迷惑をかけたけれど。

 

 ただ翠色の光に包まれながらも彼女は旅立とうとはしなかった。

 どうしてなんだろう、それが少しだけ不思議になるけれど次の瞬間には――私は幽体離脱のように彼女の内界を飛び出し、外界――正真正銘の現実の世界へと降り立っていた。

 

「創造主。どうして――」

「多分、貴女も一つの命として絶対神から認められたからでしょう。……()()()()()()()()()、だから貴女が代わりにこれから騎士様に逢ってあげて。――今の私は、彼に逢えないから」

 創造主はそう言うと、私の胸に指を添えて、少しだけ目を閉じる。

 それから翠色の結晶へと、私の体は変性していく。

 

「……これは、私の最後の命令をするわ、エリス」

「はい、なんなりと」

 彼女は少しだけ、暖かな顔をして笑う。

 

「どうかあの騎士様に、会いに行ってあげて。私の代わりに、どうか一度でもいいの。顔を見てきてあげて。身勝手な願いだと、自覚しているけれど貴方にしか託せないの」

 身勝手な命令だ。

 本当に、身勝手。逢いに行きたいなら自分で逢いにいけばいいと思うのだけれど。

 

「――定命の小女(わたし)よ。貴方の想い(命令)を私は受け取れません。けれど貴方が想う人をこそ、永遠の淑女(わたし)は導きたいのですから。ですから今はどうか安心してお眠りください」

「うん、約束。だから、お願いね。ベアトリーチェ」

 借り物の、思い出。けれど、何より少女が大切にした思い出を抱いて、永遠の淑女は新生した。

 

 

 

 

「君が、俺と共に戦ってくれるのか。ありがとう」

「そのように、彼女に託されましたから」

 

 神天地で出会ったのは、彼女の記憶の中にあった騎士――ロダンという人物だった。

 記憶と寸分たがわない彼と共に私は一つの極晃を紡ぎ出す。

 彼の胸に手を翳して、少しだけ深呼吸をしてその名を告げる。

 

 

「超新星――晃星異譚 狡猾なりし詩人の旅路に訣別を(Arriving Sphere Coder)!!」

 

 

 

 

晃星異譚 狡猾なりし詩人の旅路に訣別を(Arriving Sphere Coder)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:B

拡散性:B

操縦性:EX

付属性:B

維持性:C

干渉性:D

 

 

 

 

 

 彼は腕に収まるように、私は抱かれながらその特異点を見据える。

 討つべき敵は紅き星光を纏う禍津の極晃――星辰人奏者(スフィアゲイザー)のみ。その意志の下に、彼と私は共に縁を結んだ。

 

 彼と私の描いた星は星辰光創造能力――人奏が数理(デジタル)によって星を設計するのなら、私達は物語(アナログ)によって星を設計して見せる。

 星とは祈るモノであり、祈りとはその人間の足跡から生まれるモノだ。

 であるからこそ私達は物語を紡いでいく。()()()()()()()()()()、それを星に昇華させていく――それが私達の極晃なのだから。

 

 雲霞の如きアメノクラトの大軍へと、私達は共に飛翔する。

 

 

 

銀想淑女(ベアトリーチェ)、解析を頼む」

「ええ、私の為すべきは理解しています、神聖詩人。貴方は存分に紡いでください」

 人の身では人類史を理解しきるのは無理がある。その情報の密度に耐えきれるのは私のように魔星しかありえない。

 新西暦から続く人類史の解析と神聖詩人への還元は私が担い、星辰光の再現(コーディング)を神聖詩人が続けていく。

 

 

「憑星、完了。同調、完了。――再星開始(コーディング)。滅びを奏でろ冥王よ、お前の嘆きを貸してくれ!!!」

 冥王讃歌が一から紡がれていく。

 綾を織る様に、命を籠めるように紡がれていく物語が収斂を遂げて滅びの闇を招来する。

 同時に闇という属性は私にとっても非常に相性が良かった。

 

 干渉性特化型人造惑星たる銀月天の特性を私は継承している以上、それは当然のことでもあった。

 溢れる闇が、アメノクラトの大軍を討ち払っていく。

 

 剣に纏った闇が一閃されればその軌道の延長線上の魔星群は諸共に息絶えて星晶鋼の結合を維持できず自己崩壊に至る――が、その中に数体、生き残ったアメノクラトは自己を砕き星晶鋼片に変えてから再び己の形を再構築して私達に追いすがる。

 

 航行速度は第一宇宙速度を超えて、魔星群と星をぶつけ合い続ける。

 光の軌跡を描きながら彼らの星を、私達は完全には相殺しきれていなかった。

 

 どうしても性質上、私達の星は原典には絶対的に劣り――そして界奏のように異種の星光を共存させることもできない。

 何処までも様になることなく模造品らしく薄っぺらさを晒していくのが、私達の限界でもあった。

 

 二十を超える魔星群は私達を追尾しながら対次元兵装、地層切断兵装を駆使して多段に畳みかけるように追い詰めていく。

 相性差を覆し常に進化していく未来兵器たちを相手取るならば――考える事も、連携も一瞬だった。

 極晃を生み出す絶対神の極晃に決して誤りはないと痛感する。

 確かに、私達の連携と判断に齟齬はなかったのだから。

 

「創生の火よ舞い降りろ――最古原初にして最新最強の魔星よ。産火の神威を此処に顕現しろ!!!」

 次いで、顕現するは無限進化の天奏の焔。

 闇を脱ぎ捨て輝ける雷焔を纏い、更なる飛翔を遂げる。私達の軌跡は第二宇宙速度を超えて第三宇宙速度へと到達していく。

 

 天元突破の核焔を推進剤にして何処までも加速していきながら、無尽の焔を以て視界に映るアメノクラト達を焼き払う。

 

 だが、それすら彼らは予想済みだったか、さらに自己改修と学習を繰り返しながら私を取り囲み先回りする。

 行動パターンの変容も、当然恐らく人奏の組み込んだ人工知能によるモノだろう。徹底的に数量での圧殺を目論んでいる。

 

 四方から十重に飛翔する殺人光線をかいくぐりながら、さらに速度を上げていく。

 けれど――それでも神聖詩人(ダンテ)の体は模倣された天奏にさえ耐えられていない。

 ひび割れのように光が彼の肌から漏れていて、苦悶を上げながらも尚も破滅へと向かって速度を上げていく。

 

 

「気にするな、ベアトリーチェ。今はあのガラクタを倒す事だけに集中したい」

「分かっています、ですが貴方もどうか、無理をしないで」

 一瞬でも進化を止めたらその瞬間に、私達は討たれるだろう。

 だからこそ、私達はどうしようもない袋小路に追い詰められていく。

 所詮、これが極晃によって生まれた極晃による限界なのか――そう思案するうちにアメノクラトの内の一機がその兵装をこちらに向けていた。

 

 不味い。そう直感する。

 

 ――超高速時間逆行消滅弾(ニュートリノマグナム)

 人知の極限が辿り着いた、撃ち抜かれた対象の時間を逆行させ消滅させる悪魔の兵器。

 

 その銃口は無情にも弾丸を放った。

 神聖詩人の体の真芯を撃ち抜いた時間逆行弾は彼を内から食い破り、遡行消滅をしようとしていた。

 だがしかし。

 

「炎熱の象徴とは不死なれば――地獄の底より輝け光の翼、万象救世の太陽神(ヘリオス)!!!」

 彼の撃ち抜かれた胸からは蜘蛛の巣を張る様に、ひび割れるように軋みを上げながら事象が砕かれ――そして彼は約束された死を破却し不死鳥のように舞い戻った。

 

 纏う星辰光は今度は不滅を謳う輝きの焔だった。

 けれど事ここに至るまで、彼は間違いなく無理をしている。本来、光は彼の属性ではない。

 属性の齟齬を半ば無理矢理すり合わせながらその選択肢を彼は取った。取らなければ、彼は死んでいた。

 その代償は彼の心臓に克明に刻まれていたのだから。

 

 冥王――滅奏は彼以上に私の性質に合致していたために確かに無上の加護を齎していたが、出力の土俵においては追いすがれない。

 神星――天奏は確かに魔星群の進化速度に対抗するためにはあの場での最適解だったが、それでも私と彼の気質との齟齬が尽絶な摩擦となり彼に降りかかっている。

 煌翼――烈奏は死を打ち砕くにはそれしかなかった。

 

 依然、侮りを一部も見せずにアメノクラトは増産されていく。雲霞の如く、天上を埋め尽くしていく。

 その場限りの軌跡を齎し、私達に宿っていた烈奏の残滓は掻き消えていく。

 

 肩で息をしながら、神聖詩人も私も眼前の光景を睨んでいる。

 それでも、怯む心はなかった。

 

「もう一度だけ、戦ってくれるか。銀想淑女」

「貴方の頼みと在れば、どこまでも。神聖詩人」

 もう一度、私達は死出の旅路に出ることになるだろう。それでも今は邂逅できたこの一瞬を大切にしたいと思う。

 不謹慎ではあったけれど、それでも彼と共に戦うこの時間の連続が楽しいと私は思えた。

 

―――

 

 けれど、星の戦線は絶対神の敗北によって終わる。

 銀月の運命は完遂され、ここに私達の旅路は終わった。

 

「――ベアトリーチェ!!!」

「――ダンテ!!」

 

 崩れていく世界樹と特異点の中で、それでも彼は私の手を掴もうとその手を伸ばしてくれた。

 極晃によって肉を得ていた私は神天地を喪失するとどうなるのだろう。

 

 考えたことはなかった。創造主の内界に再び戻るのだろうか、星辰体へと還元され屑星と散るのだろうか。

 いずれにせよ、私は前例に乏しい生命である事は明白だ。もう眼前の彼と会う事は二度とない。

 少しだけ、彼を失う事が惜しいと思えた。

 

 

 けれど彼は、奇跡を起こしてくれた。

 

 星を識り、星を織る極晃。その残滓を以て彼は私自身を紡いだ。

 別離の叫びが生み出した最後の奇跡なのだとしても――私の肉体は確かに崩壊せずに、常世に焼き付いた。

 

 ――神聖詩人は私を救うために、最後に()()()()()()()私という星を紡いでくれた。だからこそ、仮初の極晃に最後の最後で真実と勝利が宿ったのだろうと私は思う。

 

 彼は、私を救ってくれた。

 少女の模倣品でしかなかった私を人として認めてくれた。

 

 総てが終わった後で私が佇んでいたのは、ユダ様と初めて会った時の海岸だった。

 そうして、エリス・ルナハイムという女は銀月天の殻より生まれ出でたのだ。

 

 

 いきなり一人で投げ出されて、私はどうすればいいのか分からなかった。

 

『……騎士様、エリスを救ったんだ。うん、よかった』

「えぇ、救われました。クラウディア。……今度はもう、命令を請いませんクラウディア」

『へぇ?』

 私の胸には、創造主との経路が生きている。

 創造主の声色は心無しか、少し弾んでいる。本当に、私の無事を喜んでいるようだった。

 

「……創造主は、どちらにいるのですか。私は現実の貴女ともお逢いしたいのです。それが私が為したい事です」

『そうね、……今はまだ、エリスとは会えないけど。最も遠くて、そして最も近い場所。地獄のさらにその奥が私の居る場所』

「抽象的すぎて分かりません。もう少し、固有名詞を使ってください」

『ダメ。……会えないと、言ったでしょう』

 彼女は、人と会う事を好まない気質は確かに見受けられた。

 けれどそれでもここまで念を押すという事は、それだけの理由があるのだろう。彼女を困らせる事を、私は望んでいない。

 ……だから、私は彼女の言葉に渋々頷いた。きっと、魔星として生まれたからには複雑な理由があるのだろうとは、思う。

 

 

『私の事はともかく、それ以外に何かエリスはやりたいことはないの? せっかく、生まれたのに何もしないの?』

「やりたい事――そうですね。貴女と同じように、私も女優になりたい。いつか、つい貴女から見に行きたくなるような劇を御覧に入れて差し上げます」

『――うん、いい夢だと思う。私の分まで、なんて言わないから貴女自身の為にやってみて。評判なら、いつか必ず見に行ってあげるから』

 創造主から、私は嗜好を受け継いでいる側面はあるのだろう。

 けれど、それでも私は彼女に夢の続きを見せてやりたいと思うのだから。

 

「それから、あの騎士様にお逢いしとうございます。……神天地にて救って頂いた礼を私はしていませんから」

『……そうね、是非逢いに行ってあげると良いと思う。その後、どうするかはエリスが自分で考えて』

 私がやってみたいと思う事の二つ目はそれだった。

 私を救ってくれたあの騎士に逢う事。それは、何を置いても私は譲れなかったから。

 

 

 それから幾月か時が過ぎた。

 

 火星天と水星天と邂逅した時。その際に創造主からは至高天の階の存在について話を受けた。

 それから、私はどうにか彼らを追い返した。元より、私の星は星殺しだ。

 相性と出力の二点において絶対的に彼らに優越しているというのも大きかったし――恐らくあの時彼らも本気で私を相手取るつもりはなかったのだろう。不気味なほどにあっさりと引いたのを覚えている。

 

 ……創造主は私に語り掛けることはできるが、私は創造主へと口火を切る事は出来ない。それが上位と下位の関係であり、経路を使って意思疎通を図る時は必ず創造主の許可が無ければ私は口が利けない。

 その時から段々と、創造主は私に語り掛けることはなくなっていった。

 

 ユダ様に見出されてユダ座に入団した。

 そこで、私は演劇に身を投じる最中――観客の彼に出会った。

  

 やっと出会えた。神なる地平で創造主から託された人、私を救ってくれた人。

 嬉しかった、逢いたかった。歓喜が胸に満ちる。

 

 

 

 それから創造主が最後に語り掛けたのは、ロダン様に星を授けたあの日だった。

 彼を救いたいと、願いを捧げ懇願しそして彼女はあの機能を私に授けてくれた。

 遺言じみた言霊と共に。

 

「お願い、エリス。どうか、騎士様と一緒に居て挙げて。あの人は優しくて、すぐ壊れてしまう人だから」

 

 

―――

 

「……これが、私の主観記憶における彼女の物語です」

「……あの子が、エリスの生みの親だったのか。あの子が、銀月天だったのか」

 主観記憶は現実へとシフトし、俺はベッドの上に意識が帰った。

 傍には、ちゃんとエリスがいる。……あの少女ではなく。

 

「そうか、生きてくれていたのか。クラウディアは」

「正しくは本人ではありませんが恐らく、今も彼女は生き続けています。このカンタベリーのどこかで。けれど彼女は恐らく逢おうとはしないでしょう、――今は誰とも」

 ……エリスの主観記憶における彼女は、俺が知る彼女と相違はあまりなかった。

 ただ言えるところがあるとすれば、少し直情的で放任主義的だ。魔星は厳密には素体と同一人物ではない。

 その影響もあるのだろう。

 

 クラウディア――あの少女が銀月天であった事は、俺にとっても衝撃に値した。

 エリスが過去に語る創造主の特徴に既視感を感じるのは、そもそも道理だったのだ

 けれど少しだけ、救われた気分になる。俺はあの子に一度救われていたのだから。

 迫る思いで、胸がいっぱいになる。涙さえ、流れそうになる。

 

 

「本当に、銀月天はクラウディアなのか」

「本当に、本当ですロダン様。……これが、私が貴方に秘匿していた最後の真実です」

 ……エリスは、本当に勇気を出して打ち明けた。

 俺との関係が決定的に何か変わってしまう事――そしてクラウディアは何者かによって魔星に加工されたのだという事を俺に告げるための勇気が、必要だった。

 それは、俺にとっても辛い事実であるから。

 

「私は、彼女ではありません。今、私は自分の意志で生きて、自分の意志でロダン様と一緒に居るつもりです。……けれど、同時に私の中に彼女も生きています」

「面影は全く感じない。けど、通じるものは感じるよ。それに面影がないと言えばエリス自身もそうだろう」

 見れば見るほど、エリスは彼女と似ていない。

 言葉遣い等は最たる例で――加えて、過去のエリス自身はなんというか、無機質な印象を受けた。

 自分の事にまるで無頓着で言われた事に粛々と従う、透徹とした演算機じみていて、それに手を焼く彼女という印象だった。

 けれど同時に彼女の面倒見の良さという側面も感じ取れた。

 事実、創造主たる彼女の事を語る時の彼女は感謝の念が感じ取れる。

 

「……過去の事です、今更気にしてどうなるというものでもないでしょう。私とてそれなりに恥じているのです」

「茶化すつもりはなかった、悪かった」

 彼女にとっては、恐らく昔の自分を見せる事はそれなりに羞恥心のある事なのだろう。

 少しだけ、顔を伏せている。

 

「クラウディアが魔星であるという事は、クラウディアを魔星にした人間もいるという事なんだろう」

「えぇ。恐らくはそうでしょう。けれど誰が何の目的で作ったのかは、未だに分からないままです。そして、一つ言えることがあるとすればその人物を私は許せないと思います」

「……だな。彼女を骨肉を鋼に変えた人間がいるという事だ。俺もそれは同じ気持ちだし、それが誰なのかを知りたいと思う」

 握りしめられた拳に、彼女の手が添えられる。

 本来の魔星の作り方は人間の遺体を原料とする事だ。そしてそれは、クラウディアの遺体を魔星製造に利用したという事実をも示している。

 彼女を弄んだ人間がいたとしたなら――彼女が今も尚その人間の傍に有るというのなら俺はそれを許しは出来ないだろう。

 

 

 ……けれど、同時にエリスがそのように打ち明けてくれた事は嬉しかった。共有する秘密の多さや深度が親交の度合いを決定づけるとまでは言うつもりはないけれど、それでも自惚れでないのなら俺は彼女に信頼されていると捉えてもいいのだろうか。

 

「……貴方に記憶がなかったのは仕方がないことかと思います。私は貴方に星を施されましたが、その逆に貴方は自分自身には何もしなかったのですから。以前にも言いましたが、私の胸には神鉄が在ります、ですから中途半端に上位次元との接点が残ってしまった事もまた、私が神天地の記憶をこちらに持ち帰ってこれた理由の一つでしょう」

 俺には確かに、彼女を救った記憶などなかった。無我夢中で手を伸ばし叫んだ記憶しかない。逆に言えば、そんな想い出の切れ端だけを持ち帰ってこれただけでも幸運だったとは言うべきなのだとは思う。

 けれど、それでもエリスとの運命は決して俺が勝ち取ったものではない――そう言おうとして。

 

「だからロダン様、決してこの運命を自分の手で勝ち取らなかったモノなのだと決して卑下しないでください。私は彼女に託されて貴方と極晃を描きました。ですがそれでも最後に私を救って下さったのは貴方の意志です。だから貴方は既に勝ち取っているのです、ロダン様。――私が救われてる事は貴方の勝利にはなり得ませんか?」

 エリスの目が空恐ろしいと、以前の俺は思った。その目の透明さの意味を知らなかったから。

 けれど今は違う。彼女は、ただ本質的に純粋なのだ。まっすぐ、ただ何かに目を曇らせることなく、俺だけを映している。

 だから彼女の目は美しい。

 

 そっと、エリスの肩を抱き寄せる。

 鎖骨のあたりに、エリスも顔を埋める。

 体が触れ合う事に、あまり羞恥は感じなかった。今この瞬間だけでもよかった。エリスと一緒に居たいと思えた。

 

 勝利の女神という言葉があったのなら、それは彼女の為に有る言葉だったのだろうと思えた。




晃星異譚 狡猾なりし詩人の旅路に訣別を(Arriving Sphere Coder)
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AA
集束性:B
拡散性:B
操縦性:EX
付属性:B
維持性:C
干渉性:D
星辰光創造能力。
天元突破の操縦性により星辰波長を完全に制御し、別種の星辰光を創造する能力。
人奏は技術的に星を再現するが、他方でこちらは一から他者の人生を物語として紡ぎ上げて星を有機的に創造する星光。
創造される星の出力や性質は紡ぎあげる物語の精度やディテールによって変化し、それゆえに星の創造主自身であっても目的の成果物から逆算して制御する事は難しいという欠点が存在する。
原典のある星光を再現する場合においては、特異点からアクセスできる人類史を教科書として物語を再構築しソレを行使するというプロセスを取る以上絶対に原典に勝る星を練り上げる事は出来ず、極晃奏者本来の気質と紡ぎ出す星の乖離は当然無視できない。
総じてこの極晃は晃星神譚によって生まれた存在であり、根幹が非常に脆弱であり敗北は必然であったと言える。
故に特異点にその答えは刻まれることもなく、それ以上でもそれ以下でもない無意味な屑星として散った。

 
ただ一つ言える事があるとすれば、この極晃を描いた事が大神の箴言との訣別の契機となったことであろう。


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輝きに背を向けて / Romeo and Juliet

大体、エンピレオの女性キャラはオフィーリアなりジュリエットなりエリスなり、文芸作品と演劇からとってます。


 エリスの鼓動と体温がこれほどに身近に感じる。

 エリスがこれほどに愛しく思える。月の光を集めた、女の子。

 あの子の残滓を彼女が継承している――それはあるのかもしれない。

 

「ロダン様、どうか教えてください。私が今貴方に抱くこの想いは、私の裡から出でたモノだと思いますか?」

「なんでそんな事を聞く。俺には今ここに居るエリスが総てだ」

「私は女優になりたい、ロダン様を護りたい。その想いは変わりません。けれど、それらは総て彼女から受け継がれたモノです。……私には、私の裡から溢れたモノがありません」

 今この瞬間も、創造主の設計図をなぞっているだけなのかもしれないと彼女は暗に言っているのだろう。

 ……話に聞く数少ない前例である冥狼も煌翼も、その自我はベクトルは違えど非常に強固なモノだった。

 あちらは極晃星に願った者に応じた造形を取っていることに対し、彼女はあの子があの子の未来の理想像が形となりその存在の基盤は俺が引き継いだ形となっている。

 自立活動する星辰光という在り方においては彼ら――あるいは神祖とエリスは同質だ。

 存在の基盤が極晃星にあるか、第二太陽にあるか、あるいは俺とあの子にあるかの違いはあるが、だからこそその基盤の違いがエリスの在り方に大きく影響を及ぼしているのだろう。 

 

「……別に、それはお前に限ったことじゃない。誰の模倣でもない真に自分を自分たらしめるモノは誰だって探している。人は誰だって前例や模倣から生き方を学ぶんだ」

「私は物語の綴り手ではありません。模倣ですらなく、綴り手たる銀月天の描いた登場人物が私なのです。紙の上の存在が意志を持つようなものであり、私は文字通り彼女の夢なのかもしれない」

 自分が自分であるという根拠を、彼女は求めている。

 けれど、そんなモノは言うまでもない。

 

「良い事を教えてやるエリス。お前が紙の上の登場人物を気取ろうと俺には読解力はある。俺がお前の読者になってやる、……だからそんな事を云わないでくれ」

「……なんですか、それは。ロダン様は屁理屈だけは本当に、驚嘆に値します」

「屁理屈と皮肉は詩人の必修科目だからな」

 困ったように、エリスは少しだけバカバカしいと笑っている。

 その顔を俺は見たかったと思う、暗い顔をしてほしくはない。

 

「お前があの子の模造品だと思っているのはお前が思っているだけのことだ。お前を定義する人間がお前しかいなくなればあの子の模造品がお前の答えになる。けどそうじゃないだろう、お前は確かに実体を持って人と関わって生きている。俺にとっては、間違いなくエリスはエリスという一個人だ」

「……」

「人は人と関わって生きて行く。他者との相対視の中で人は自分の立脚点を見出すんだ。自己評価は尊重するべきだけどそれが絶対じゃない、それと同じくらいエリスをエリスという個人として認めてくれている人間が居る事もまた忘れないでくれ」

 少しだけ、彼女は口を緩ませているけれどはたと気が付くとすぐに唇を固く結んだ。

 そう言う、弱みを見せようとしないところも可愛らしかった。

 

「だから今すぐに答えを出せなくてもいい、何年かかってもいい。エリスからも聞かせてくれ。お前にとって俺はどんな人間なのかを」

「えぇ、必ず」

 そっと彼女の腰を抱きとめる。唇が、触れ合う。

 ……こんなことは幼い頃の俺の初恋だったハル姉さんにだってしたことはない。

 

「御姉様も、意地の悪い宿題を出すのですね」

「……なんで、そこで姉さんの名前が出てくるんだ」

「いいえ、女同士(こちら)の話です」

 悪戯っぽく、そこはエリスは誤魔化す。

 姉さんはさてはエリスと俺を茶化していたんだろう。別にそれはいいけれど、やはり気になりはしてしまう。

 

「不純異性交遊は禁止、なんてたしかエリスを拾った時に姉さんに言われたな」

「御姉様は屋敷の中ではそのようにしなさいと言ったのみです。ロダン様、よくご覧ください。……私達は今どこに居ますか?」

 ……ああ、なるほどと思った。屁理屈だが道理は合っている。

 悪女め、女優めと思うと思うけれど、エリスは少しだけ頬を染めながら視線を逸らす。

 そういう仕草は反則だ。

 

「私は、ロダン様とどうなりたいというわけでもなかった。ただ、お傍で一緒に居たかった。――暖かく、優しく、手放しがたい。これが、誰かを想うという尊い感情なのですね」  

 彼女と肩を抱き寄せて、影を重ねる。

 衣擦れの音を立てながら青白い灯下だけを頼りに息遣いが響く。

 不慣れなのはお互い様だった。

 

 エリスは、俺の名前を口にしてくれる。

 そのたびに俺もエリスの名前を口にする。

 

 求めるように、確かめるように、そして繋ぎとめるように。

 

 

――― 

 

 

 ポースポロスがジュリエットに助けられてより、彼は剣を握っていなかった。

 傍らに丁寧に立てかけられた二刀は汚れ一つなく綺麗だった。ジュリエットがやったのかと、ポースポロスは内心で小さく謝す。

 

「ジュリエット。世話になった、達者にしてくれ」

「ならその物騒なモノは置いていって。それと世話になったと言うのはいいけど貴方は私が助けてから何回このやり取りしましたか? 病人は病人らしくおとなしくしていればいいでしょう」

 無理矢理体を起こして出ようとしては、その度にジュリエットは止めにかかる。

 確かに、彼は本気で彼女の下を出ようとした。実力行使に出れば確かに彼女を押し退ける事は出来ただろうが、それを是とは決してできなかった。

 

 討つべき対象は至高天の機神達だ。決して刃を向ける相手は無辜の民ではない。その怒りと同等の熱量で、彼はその一線を自分に課している。

 だが、他方で鉄血聖女を討とうとしたこともまた彼は自分の中で恥じている。

 魔星の中でも怒りという感情を糧とする存在である故に、例え大局的に見て必要な犠牲や不義であっても彼は看過が出来ない――必要悪という概念を彼は許容できない。

 

「……いい加減にしないと通報するけど異存は?」

「受け入れよう、そうする権利がお前にはある」

「前言撤回。通報したらしたで絶対実力行使に出る」

 ……杓子定規なのか真面目なのか判じかねるとばかりに呆れながらジュリエットは意思疎通を試みる。

 実際、確かにポースポロスは至極理性的に受け答えをすることはできる。

 だがその上で答えが変わらない頑迷さは光の属性を持つ者の宿痾なのだろう。経路と過程が変わるだけで、最終的なゴールが変わらない。

 

「お前も大概だ、ジュリエット。俺に差し伸べる手があるのなら、他の者を助けるべきだ」

「無理ですよ、ポースポロス。貴方は()()です。……その傷以上に、貴方という人の在り方が」 

 ジュリエットは、心底から心を痛めるようにそう言った。

 彼女には既視感があったのだから。

 

「貴方のような人を、私は大なり小なり何度か戦場で見たことが在ります。たった一つ目標を決めたらそのためには自分の命さえも燃料に数えてしまう人、立ち止まって振り返るという簡単な事が出来ない人――そして、怒れる者。教えてください、ポースポロス。何が貴方を憤激させ、何が貴方を歩ませるのですか」

「……超人大戦、か。無理もない」

 自分の愚かさを、嫌というほどポースポロスは自覚している。

 悪魔を生み出すための試金石にされた者達の事を想えばこそ、胸に灯る焔は不滅なのだから。

 

「……俺にはそれしかない。宿敵でも、好敵手でもない。討つべき悪魔がこの国には居る」

「その悪魔は誰の事? 教皇スメラギが亡くなる前も後も、カンタベリーはこれでも一応神の国と言われているんだけども」

「お前が知ることはない、――知る前に俺が討つ。それで総ては解決する」

 己諸共に至高天の階を絶滅させる事、それがポースポロスの望みだった。

 歴史の皮肉でもあったろう、聖戦の再演にこの手で幕を引くためにこそ彼は英雄の光を継いだのだから。

 そのように決めたなら、もう止まる事は出来ない。

 

「この世界には人を人と思わん者がいる。人を捨てた者もいれば、人でありながら人ではなくなった者もいる。俺は奴らを――そして何より俺自身を悪魔と呼ぶ」

 止まる事はなく、初めから結論は決まっている。怒りの行き先等初めから虚無に決まっている。

 故に己もまた悪魔なのだとポースポロスは定義する。

 

「……私は、ポースポロスの事情を知る人間。いつ貴方の事を口外するとも知れない。そんな私は殺した方がいいとは思わないの?」

「否。お前は悪魔などでは断じてない。目的達成に必要な犠牲でもない。故に俺にはお前を斬れん」

「でも、私ではなくても誰かを殺すんでしょう」

 物怖じをしないのはジュリエットの気質なのだろう。

 死と戦争を身近で見過ぎた人間なら、そうなっておかしくはないのだろうとポースポロスは彼女の目を見てそう思う。

 例え武器を握らずとも、彼女もまた戦い続けた人間なのだと目を閉じながらその在り方にポースポロスは敬意を抱く。

 

 こうして例え非力であろうと自分を止めようとして、咎めようとしている。その在り方こそ誰かにとっての真の光であるべきなのだろうと思う。

 

「私はポースポロスを悪魔にしたくない」

「俺は既に悪魔だ。お前に手を施される価値等ない」

「それは私が決める事。黙って聞いてれば貴方は自分を責めてばかり、誰かに自分の事を聞いたことはあるの? というか貴方友達いるの、そんな石頭じゃ答えは見えてるけど」

 ……彼女の言葉にポースポロスは耳が痛いとばかりに苦笑いを少しだけ浮かべる。

 

「……そうだな、俺には友と呼べる者は居ない。居るのは悪魔だけだ」

「じゃあ、私が友達になってあげる。ポースポロス」

 何を突拍子もない事を言う、とポースポロスは呆気にとられる。

 彼女は指を突き付けて、大真面目にそう宣言して見せる。

 木星天の宿痾に対峙して見せると言っているのだから、呆気にとられる事に無理はない。

 

「俺が恐ろしくはないのか」

「一番浅くても大体十五ミリも肉を抉られて死にかけてるくせに気合と根性で生きながらえてる人なんて誰だって恐ろしくないはずがないでしょ。少しは常識を語りなさい常識を」

「正論だな、反論の余地がない」

 微塵も恐れる様子はない風なジュリエットの在り様に、内心ではポースポロスはそちらも常識を少しは言えと思う。

 物理的な強さに怖じず正しい事を正しいと言える強さを彼女は持っている。

 

「だから、私が貴方の友達になってあげるの。――貴方の病を絶対に治して見せるから」

「そちらが主題か、ジュリエット」

「友達になる事も、貴方の病を治すことも、喋った順序が違うだけでどっちも主題」

 ……

 

「もう一度だけ聞く。俺が恐ろしくはないのか、ジュリエット」

「貴方の言動は一貫してる。悪意があるわけでも、秩序や人の善性を試みようとしているわけでもない。むしろ逆で、善性に基づく行為に対しては貴方は上手く拒めない。報復の動機は恐らくは義憤――怒りだけ」

「――」

「……と訳知り顔で言ったけど、旧暦の心理学をかじった程度で分析できる範囲ではそうだと結論づけるしかないというだけ。貴方の問答からあなたの心理的傾向を類推できること、その呆けた顔を見て大体答えに近い所を言い当てられたなと推測する事ぐらいしかできない。でも貴方は悪意で人を害そうとする人じゃない」

 体だけではなく心理学についても彼女は長じていた、ポースポロスの性質についての概ねの部分は彼女は言い当てていたと言えるからだ。

 であるからこそ、ポースポロスは少しだけ怪訝に思う。どうしてこうまでして自分に付き合うのかと。

 

「……なら聡明なお前には分かるだろうジュリエット。お前が考えている通り俺は重症だ、諦め方も、諦めるという行為も俺は知らん」

「私も、実は同じ。一度治すと決めたら諦める事を知らないの。……おかげで精神を病んで薬だけがお友達になって、超人大戦で従軍医を辞めることになったけれど」

「死に対する極度の潔癖症――いや、無理もない。あの大戦は文献や記録で追う限りでは相応に酷いモノだったと云われている」

 人の病と死に対し彼女ほど真摯であった人物は希だ。彼女の指が指し示す先には向精神薬に類する薬が入っている瓶があった。

 少しだけ、陽の光から顔を背けてポースポロスは目を閉じる。

 

「……好きにすると良い。お前の気が済むまで俺はお前に付き合おう」

 

 

―――

 

 

「……ポースポロス、少しだけ散歩をしない? いつまでも引きこもっているのも退屈でしょうに」

「気遣いは無用だ、俺の顔はカンタベリーに限らず何かと都合が悪い」

「大丈夫、服を用意してあげるから。フードを被れば案外とそうそうバレはしないし」

 そう、急かされるように彼女に服を着せられポースポロスは体を起こす。

 フードの深いコートを半ば無理矢理着せられると、ポースポロスは彼女に連れられ部屋を出る。

 

「……人見知りの振りをして。とにかく誰とも目を合わせないで。名前を聞かれたら適当にケネス・ブライトとでも答えて」

「気遣いは要らんと言っているがケネス・ブライトか。分かった」

 ポースポロスの長身は少し目立つが、彼女は何も気にしていない様子だった。

 とは言え彼女の気遣いを無碍にすることもまた等しく彼には出来ない。

 

「まず、そもそも貴方何処の出身?」

「聖教皇国だ」

「大嘘。言葉の訛りはアドラー」

 ジュリエットは呆れたように即断するがポースポロスは決して嘘は述べてはいない。

 そのルーツは確かにアドラーに在るものの、製造されたのはカンタベリーだ。言語の訛りは恐らく素体に引き摺られた結果だろう。

 

「そのどこかの英雄の肖像画を連想させる紛らわしい顔は?」

「元々俺はそういう顔で生まれてきた、顔を訝られるのは慣れている」 

「……そうね。整形の痕とかなかったし」

 実際の所はポースポロスの顔は意図的に創造主が似せて創った、という意味合いでは偶然ではない。

 接続機能をより確固たるものとするために記号上の特徴としても、属性としても本家本元の英雄に限りなく近づけることを目標として設計されている。

 

「外に出るのは良い。だが俺は何をすればいい、ジュリエット」

「うーん、リハビリ? それからちょっと図書館につきあって」

 まるで病人か何かのように扱われている事に、しかし彼はむしろ理解を示していた。

 彼女の観察眼は確かに星辰体の過剰感応症状を正しく見抜いていたのだから。図書館――彼女は読書が趣味なのだろうかと推測する。

 

「旧暦大和の象徴的建造物、と云われているヤツだったか」

「それは国会議事堂。私が言ってるのは旧名、国立国会図書館よ。日本国での出版物の多くがここに所蔵されていると言われている」

「……」

 国立国会図書館――改めカンタベリー聖教皇国聖庁大書院。

 大破壊による同時に失われたとされる多くの文芸作品や論文が所蔵されている。

 

 かつて神祖と呼ばれた者達の手で少ないながらも資料は保存されており、劣化著しいモノは写本として継承されている。

 この手の旧日本の資料の修繕・保全作業に従事する雇用の創出は神祖の功績であると言えるだろう。

 聖教皇国の出版物もまたここに所蔵されており、同時に文芸作品の出版も担っている一大施設である。

 聖教皇国国民であればだれでも利用のできる場所であり、制度としては旧日本の図書館のそれを継承している。

 

 フードを深くかぶり、視線をかわすようにポースポロスは俯きながらジュリエットと入館する。

 

「ジュリエット、なぜ俺を此処に連れてきた?」

「剣ではなく本に楽しみを見出しては、と思ったけど」

「俺は剣も流血も楽しんだことはない」

 流血を彼は決して好みはしていない。

 むしろ秩序と平和の必要性そのものは理解しているし聖教皇国に仇を成すつもりも、アドラーに利するつもりもなかった。

 

「本は好き?」

「特別嗜んだことはないが嫌ってはいない」

「ならよかった。思ったより、乱暴な人じゃなくてよかった」

 ジュリエットはそんな風に安心したとポースポロスに言う。

 書架にある本に目を細めながら、ポースポロスは眺めている。

 

「借りる本、迷っているの?」

「書に特別親しんだことはないと言ったはずだ。俺よりはジュリエットが長じているのだろう」

「じゃあこれはどう?」

 指先で本の背を追いながら、ジュリエットは指先で二冊を選んだ。

 一冊目のタイトルは「新暦版 ロミオとジュリエット」。旧暦の劇作家、ウィリアムシェイクスピアの著作の一つであるとされている。

 二冊目は「新暦版 モンテ・クリスト伯」、アレクサンドル・デュマの著作である。

 

「お前の名前と同じか」

「気分よ気分。それに、この本を新西暦向けに翻訳した人はとても腕がいい事で実は有名よ。旧暦と新暦だと言語体系も異なる分、この手の翻訳家って旧暦文章の繊細なニュアンスを新暦の言語に訳すセンスが必要な技術職でもあるの」

「……神聖詩人」

 本に書かれている翻訳を担当した人物の名に、思わずポースポロスは目を細める。

 A・ロダン。かつて自分が剣を交えた相手でもあった。あまり売れない作家であったことは覚えているが、翻訳に長じるのは初めてポースポロスは知った。

 旧暦と新西暦の歴史は地続きではあるが言語体系は大きく変化しているのその繊細な差異を捉え翻訳できるという職業は成程、文化の側面から見て重宝されるだろう。

 何より文学作品を通じて旧暦の事情を垣間見ることもできるだろう。

 

 

 それから銀月の天に選ばれた男の行く末に少しだけ考えを馳せる。

 彼は吟遊詩人(オルフェウス)とは違う。同じように、己もまた英雄(ゼウス)とは違う。

 

 そして己には宿敵であれ最愛であれ、傍らには誰もいない。故に彼らとは道が交わる事は無かろうととりとめのない思考を打ち切った。

 銀月の天も至高の天も、この手で堕とすと決めている。一度決めたら、諦めるという決断は彼には有り得なかった。  

 

「……おーい、ポースポロスさーん?」

「すまない。考え事をしていた。待たせたか」

「心ここに在らず、といったところだけど?」

 ジュリエットに急かされ、背を押される。時折体を気遣うようなそぶりを見せながら、圧迫しすぎないように背を支えている。

 人体の構造をよく理解した上で彼女はそうしている。どういう風に支点と力点を受け持てば痛みを感じさせないようにできるかがたったそれだけの彼女の行為からも想像できる。

 

 彼女が抱える本は旧暦の医学書であり、なるほどとポースポロスは理解をした。

 

「……お前は良い医者に成れる。抱えた本の数々からもそれは明白だろう」

「医者になっていい事なんか、私にはなかった」

 彼女の声は少しだけ陰りを帯びる。抱えた本の古ぼけた包装が彼女の内心を代弁するように軋む。

 一文字に結ばれた彼女の唇は誤魔化すように微笑むだけで何も語らなかった。

  

 卓につけば、朝日に照らされながら彼女は医学書を開いていた。人体の構造や臓器の簡易な図が、モノトーンで描かれている。

 彼女は懐から紙を出せば、そこにさらさらとペンで書き写している。

 勉強熱心なのだろう。丁寧に書き連ねられた乱れの無い筆跡も彼女の気質を示していた。

 

 それから、少しだけロミオとジュリエットをポースポロスは開く。少しずつページをめくる。

 

 ……あまり、世辞にも明るい話であるとは言えず少しだけ目をひそめる。

 モンタギューの家に生を受けたロミオは、キャピュレットの娘たるジュリエットに恋をする。

 彼らはやがて結婚を果たすが、その幸せにも陰りがさす。

 

 ジュリエットと同じ血筋の男と諍いを起こしロミオは彼を殺してしまい、それが原因となりロミオとジュリエットは家ごと道を分かたれジュリエットは別の男と結婚をさせられそうになるという。

 

「暗い話だな。救いが無さすぎる」

「そういう作風の作家で、そういう話が当時の人々には受けたというだけ」

 ロミオとジュリエットの結婚を取り持った修道僧の一計によって、仮死薬によって死を偽装しジュリエットは望まぬ結婚を避けようとする。

 不幸な行き違いによってロミオはその一計を知り得ることもなく、仮死したジュリエットを前にして絶望したロミオは死を選択する。

 その後目覚めたジュリエットもまた、死したロミオを前にして本当の死を選ぶ。

 

 ……名前は同じでも、眼前のジュリエットとはまるで似つかないなと、少しだけ目を閉じる。

 

「ジュリエットは暗い話が好きなのか」

「名前が一緒だから選んだだけ。私の名前の由来も、ロミオとジュリエットだって母さんは言ってたかな」  

 手当された家で見た時と同じく、太陽に照らされる彼女の顔は美しかった。

 

 妙な人間関係が構成されてしまったと、少しだけ思う。

 

 最終的には自分が取る道は何も変わらない。彼女の施した優しさも、この束の間の穏やかな日々も結局は振りほどく――自分の手で無為にしてしまう。

 

「ロミオ、なぜお前はロミオなのか――ロミオの秘密を知ったジュリエットの言葉か。……真実を明かさん俺へのあてつけでこの本を選んだか」

「ロミオと自分を重ねているの? 案外と面白いところあるのね、ポースポロス」

「……俺を非難する道理がお前にはある、すまない」

 正真正銘の聖戦の再演、それを無傷で成せるなどとはうぬぼれていない。まして生きてそれを成し遂げようなどとは毛頭考えていない。

 やれるかやれないかなどという議論は既に通り過ぎている。決めたからこそ征く、それ以外の選択肢を彼は持ち得なかった――今はまだ。

 

 

 そして彼らは知り得はしない。その書架に陰に蛇は潜んでいるという事も。

 無精髭を生やした伸び放題の髪をした一人の男は、彼らを遠目から盗み見るように眺めていた。

 蛇のように目を鋭く向けながら、その唇の端を愉悦と喜悦に歪める。それは数年来の宿敵にようやく出会えたような歓喜に打ち震えていた。

 

 

 

 

「――見つけたぞ英雄(ヴァルゼライド)。今度こそ俺は俺の総てをお前から取り戻してくれる」

 

 

 

 

 

 



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女の容 / Femme Fatale

ちょっとまた更新頻度落ちるかもしれません。

次回は土星天の登場です。


 魔性の女(ファム・ファタール)、という概念はいつの世にも存在する。

 端的にそれは男女関係における一つの形態であると言えるだろう。

 破滅と運命を等しく齎す。

 自覚なく悪女性を発揮し破滅にいざなったかそうではないかという違いはあるだろうがエリスも、間違いなく部類には入るだろう。

 

 淑女と悪女は矛盾なく同居する。彼女と逢うことが無ければ恐らく俺はただの一般人として、何の運命も持ち合わせていない人間として死ぬ道が在っただろう。

 至高天の階と関わる事も無かったはずだ。

 客観視すれば、彼女はそもそも俺と姉さんに厄介事を持ち込んできた人物ということになる。

 けれど、それだけではない。

 例え自分が招いたモノだとしても、エリスは確かに俺を救ってくれた。逢いに来てくれた。

 

「おはようございます」

「……おはようございます、ロダン様。昨晩は、その……」

 同じベッドの上で、彼女は少しだけ体を手繰ったシーツで隠しながら顔を隠して俺にそう言う。

 そうしたいのは俺の方も同じではあるのだが、エリス相手になんとも男として恰好がつかない様なのだから。

  

「ロダン様。私達は、その。恋人となった、でいいのですよね」

「……改めて言わせてほしい。俺はエリスの事が好きだ、一緒に居たい」

「是非、お受けします。ロダン様」

 彼女と契りを交わしたことに後悔はしていない。

 エリスはやはり顔を合わせるのが少しだけ避けている。

 

「お受けする、のはいいのですがロダン様。御姉様の事はいいのですか?」

「……相も変わらずハル姉さんが好きだな、エリスは」

「御姉様は敬愛していますがそれとこれとでは話は別です。何より御姉様は私がロダン様と知り合うより前からずっと傍にいたのですから、何かその。御姉様に対して想うところはあったのですか?」

 嫉妬、だろうか。エリスのこういう表情は初めて見た。

 姉さんがどう言う人かは知っているだろうが、俺が昔どう思っていたかという事もエリスは知らないのだから無理もない。

 至極当然な考え方でもあるし、もし俺が仮にハル姉さんに昔恋人がいたと聞いたら複雑な気分になっただろう。

 

「一度しか言わないからよく聞いてくれエリス。……白状すると俺は姉さんの事が好きだった。姉さんには釣り合わないだろうけど、本当に俺の初恋だった」

「釣り合わない、と想っているのはロダン様だけでは。ロダン様は昨日私に言ったことはお忘れですか?」

「……だって、そんな事を姉さんに聞けるわけがないじゃないか」

 姉さんに馬鹿正直に「俺は姉さんが好きだけど俺は姉さんに釣り合う男なのか?」と聞いたらその日から見る目が変わってもおかしくはない。

 俺にはそれが怖い。

 

「私には、自分が私にとってどういう男なのか聞かせてくれ、などと情熱的に口説いてくださったのに。御姉様にはそのようにできないのですね」

「……ダメだ、返す言葉が見つからない」

「ロダン様はどうにも御姉様には頭が上がらないのですね」

 エリスは勝ち誇ったように茶化してくる。俺自身の言葉を借りて彼女は俺をやり込めるという事が時折ある。

 その時は彼女はとても悪女らしい、楽しそうな顔をする。

 

「エリスはその……嫌じゃないのか。俺の初恋という奴がエリスじゃないのは」

「嫌――ではありません。その相手が御姉様なら納得します。でも少しだけ御姉様に嫉妬してしまうのです。私が出会うより前のロダン様を知っている事、昔ロダン様に想いを寄せられていた事が」

「……今はそうじゃない。別に姉さんは俺に幼馴染より上の想いなんて抱いていないし、何度か実際姉さんは親が亡くなってからも何度か縁談の話が舞い込んできたとは聞いてる」

 カンタベリー聖教皇国は血統主義的な文化を多分に持つ。家格という奴はそれなりに縁談について回る話でもあり、理想的かつ端的な例ではあるがリナ様とシュウ様の関係は教科書的で、万人のあこがれの的となっている。

 仲睦まじく、共に同じ日系の血を引いている事はある程度の血統の均衡を証明している。

 

 だからこそ親を失った姉さんは敢えて露悪的な言い方をすれば、非常に優良物件であったと言える。

 親の守護を失った身寄りのない日系の血統とくれば、引く手数多どころか合法的かつ強権的に連れ去る事だって出来ただろうし、もしそうなったら俺の手もう姉さんに届かなくなる可能性だってあった。

 ……俺はカンタベリーの歴史の裏側を計らずして知った形にはなるものの、縁談でこそはないがザンブレイブ卿――より正しくは神祖イザナの家に引き取られる話もあったらしい。そうならなかったのはある意味で本当に良かったと思う。

 

 もし姉さんが其のいくつかの縁談の内一つを引き受けていれば。

 その当時に俺がよく姉さんに出していた不味い食事や拙い介護は早々にお役御免となっていただろうしそれが姉さんにとっても幸せとなったはずだ。

 

 けれどそのいずれも姉さんは総て強く固辞している。

 その動機は計れないけれど、俺には一貫して「だって、私が居てあげないとロダンの友達は本だけになっちゃうでしょ」とよく言っていた。

 今は姉さんは聖庁大書院で旧暦日本の資料の保存や継承に携わる仕事をしていると。手先が器用で博学な姉さんらしいことだと思う。

 元々の真面目な気質もあるのだろう、ハル姉さんは遺産に手を付ける事も血筋で優遇される事もあまり好まず、自分で働いて得る金銭で生活している。彼女の両親であったナオさんとマシューさんがいた頃に比べれば、少し生活に陰りは見られるだろうけれど。

 少し堅物が過ぎる側面はあるけれどそんな所を俺は姉さんに対して佳いと思う。

 

「いつか御姉様に聞いてみてくださいませ。……私も一緒にいてあげますから」

「その時が来たらよろしく頼むよ、エリス。……俺達の事も打ち明けないと何れはいけなくなるし」

 そして、エリスも俺も服を着替える。

 青白い不健康そうな色合いの病衣を身に着ける。

 

「ロダン様。もう一点、聞き忘れていました。……マリアンナ様の事についてはどうお思いですか?」

「ハル姉さんならまだしも、どうしてそこでグランドベル卿の名前が出てくる」

「お忘れですか、ロダン様。貴方は誰の為に一番初めに私に星を求めたのか」

 ……俺が女性と知り合うという事はあまりなかった。エリスと知り合う前に俺を知っている女性はグランドベル卿ぐらいだ。

 少し、エリスの顔には不服の色があらわれている。

 

「グランドベル卿をそういう目で見たことはない。あの人は、誰にだって優しくしてくれる人だ。俺は命を救われた恩はある」

「私はマリアンナ様に優しくされた事はありませんし命を狙われかけましたが?」

「……エリス、不機嫌にならないでくれ。グランドベル卿は確かにエリスを奪おうとした。それは俺も認められないと思っている。けどそれでもあの人は憎まれることも、自分が傷つくことも――一番泥を被る事も総て承知の上で選ぶ人だ」

 戦士として彼女は諸人には高潔に映る。それは俺も例外ではないが、彼女がかつてのヴェラチュール卿の墓前でしていた表情を俺は忘れられない。

 憎悪と愛情は矛盾なく成立する。けれど、それを成し得たのはグランドベル卿やリチャード卿しか見たことない。

 どれほど辛くて、苦しい事なのか、分かったつもりでいる事は彼女らに対する侮辱になってしまうのだろうが、それでも俺はだからこそグランドベル卿に敬意を持つ。

 

「……ロダン様は御姉様の事を語る時は喜ばしそうにして、マリアンナ様の事を語る時はマリアンナ様の肩を持つのですね」

「そうだな。ハル姉さんとは血筋は違うが姉弟同然で、グランドベル卿は戦士として俺に大事にな事を教えた人だ」

「では私はロダン様にとってどういう人なのですか? ……貴方は私に求めるばかりで、自分の事を云いません」

 エリスは姉弟じゃないし、戦士でもないから当然彼らと近しい立ち位置にはなれない。

 姉弟である事も、戦士としての共感と憧憬も、別にソレは人間関係の一形態というだけであってそれ単体が人間関係の貴賎を代弁しているようなものではない。

 エリスは人間関係としての彼女らに対する優越性をどこか求めているのだろうとも思うし、拗ねている動機がそれなら猶可愛らしいと思うのだ。

 

「……エリスは淑女だ。俺は詩人だ」

「抽象的な言い方ですね、もっと詩人なら固有名詞を使ってください」

「……エリスは男女の仲として、好きだし例え何があっても俺を見放さず導いてくれる。だから、エリスは詩人にとっての淑女だと言っているんだ」

 ……火焔天を上り、銀月天を飛び立ち至高の天に導いてくれる存在。そうしたモノがエリスだと俺は思う。

 

「人間関係は優越性がある方が尊いモノのように見えるだろう。けれど人は誰にとっても特別で、普遍的に無二性があるんだよ。だからエリスだって、俺には替え様なんかあるはずがない存在だ」

「……なら、そう言う事にしておきます、ロダン様」

 いまいち、あまり納得している様子ではない。けれど、エリスの手を握れば彼女の表情は柔らかくなった。

 摩擦を感じさせない、すべすべとした彼女の手。少しだけ冷たいけれど。

 今日は俺とエリスは研究協力――名目上は――であり、俺達の間にある星辰光の解析で副長官に呼ばれていたはずだ。

 

―――

 

「ルシファー。貴方は人として、何をしてみたい?」

「俺は人ではない、故に為したいことはないが」

 ウェルギリウスとルシファーは、口元をかくしながら聖教皇国を白昼闊歩する。

 本来であればウェルギリウスは行方不明者として捜索されている人物であり、当然顔を隠すのは当然だった。

 

「これもまたお前にとっては必要な工程なのだろう。理解しているとも、始まりの極晃を描いた死想恋歌も神星も、二値の地平を超えたる人間性と定義される性質を以ってその頂に到達している。だからこそ俺もまたその人間性という奴を身に着ける必要があるという事だろう」

「そうね――と言っても、人間性ばかりはさすがに数値に変換は出来ない。貴方自身が見出さなければならないし、私という人間の性質上貴方に教える事が出来ない」

 ウェルギリウスの視座は人間のそれとはズレが在る事はルシファーもまた同様に理解していた。

 人の為すあらゆる事象を粒子や物質の挙動による現象としてしかとらえられない人間であるために、一般的な人間の感性というモノに理解が示せない。

 

「お前の知性の水準でも、不可能な事はあるのか」

「そうね、旧暦日本においても人間の心を電子的に設計するという事は一大研究テーマであったとはオウカ様も言っていたわね。人は人と関わる事で己を定義していく、人生はその作業と私は考えているわ」

「他者と関わる事で? 絶対値ではなく相対値の集積で? おかしなことを。俺に限らずは命とは命として生まれた時点で個として立脚している。他者との相対視で揺らぐ在り方に何の価値がある、不変の輝きとはそうあるべきモノだろう。輝きに変化が生じ得るとすればそれはリソースの問題であるべきで、相対評価によるモノではない」

 ルシファーはそう宣言する。

 自己というモノの定義においては極楽浄土の担い手とある種趣を同じくする見解だった。

 

「この世界においてただ"在る"という事実のみが個人の実在を肯定する。であるというのになんだという、銀想淑女の在り様は。まるで惰弱だろう、お前の設計への侮辱も良い所だ」

「元々銀想淑女は想定外の生命だもの。彼女の生得的性質のいくつかは銀月天を継承しているけれど、私が本来関知できる部分ではないし性格はその最たるものね。だから銀月天を介して観測できているのは幸いよ」

 己が己であるという一点においてはルシファーは譲らない。その意志の強固さは光の属性を帯びる者に共通しているモノでもある。

 実体があり、意志をしているというならそこに己の実在を疑う余地があるのか――否、そもそも相対視によって変わる在り方に価値はなく、絶対不変こそが真に価値あるモノであると悪魔は謳う。

 

「……今現時点で、貴方にとっての一番の好敵手は? これでも技術実証以外にも()()()()()()()()を設計するつもりで至高天の階は創っているのだけれど」

木星天(ジオーヴェ)――あるいは太陽天(ソーレ)。次点においては土星天(サトゥルノ)。俺に対し明確に拮抗し得るとしたらそいつらぐらいだろう」

「総合評価としては現状、貴方を除けば太陽天が最強と言っていいでしょうね。天元突破の出力と優れた諸資質を基盤とした極めて高い汎用性は天之闇戸や迦具土命壱型と同様のコンセプトでもあるし」

 ふむとウェルギリウスは頷く。

 ルシファーにとって必要なのは窮地であり、機能停止に追い込めるだけの実力を持つ魔星を設計する必要があった。

 ウェルギリウスはルシファーの性能を熟知している故に決して設計において容赦はしない。至高天の階は十柱各々が凡百の星辰奏者と隔絶された性質と性能を帯びている。

 

「至高天の階、その十柱により聖戦。それを勝ち抜いた最後の一柱にこそ私は自由を与える。至高天の階という運命から解放されて自由に生きる、と云う権利を」

「勝者には戦利品が必要なのだろうが、悪いがその景品とやらは俺が没収することになるだろう。――勝つのは俺以外に居ないのだから」

 至高天の階は、生まれながらにして聖戦という悪魔の窯に投じられる運命にある。

 其処を生き延びた者にこそ、自由と栄誉は与えられるとウェルギリウスは言う。彼女にとっては、それすらルシファーを成長させる糧でしかないのだから。

  

「その点、太陽天は実につまらん。よりにもよって奴は早々に俺達に()()を願った。……生前を知ってはいるが、アレはまさしく重症だ」

「とは言え、太陽天と貴方が至高天の階の創造に大きく寄与したのも事実ね。結局貴方は自分たちの味方をしてもかまわないし、その後に好きに生きて好きに死ねと言ったけど」

「アレもそれで本望だと言った。俺達の共犯者であり利益を提供した人物でもある、帰順するというのならその褒美という奴は必要だろう。そもそもアレは俺と敵対したとて何処にも至れん……特に、至高の天(おれ)にはな」

 真実、残念だとルシファーはそう言う。

 彼は決して根拠なく傲慢なわけではない。事物事象を数値として価値を換算し、その上で裁断しているだけの事である。

 その上でルシファーは太陽天と木星天を己に準ずると認めていた。

 

「……となれば本命はやはり木星天か」

「貴方にとっては天敵の一つでしょう。アレは太陽天とは全くの真逆――()()()()()()()()()()()()()()()()()魔星。総合評価においては率直に言ってアレはむしろ劣等よ。破壊に極限まで純化された星辰光と数値換算可能な領域を超えた意志力。貴方の宿()()にはピッタリでしょう?」

「俺が神星とすれば、さしずめ木星天は英雄か。なるほど、確かに性質としては道理だろうよ。それが俺が極晃に至るプランの一つ――光と光の終末晃星大戦(アーマゲドン)だ」

 ルシファーが極晃を描くプランとしてはウェルギリウスは当然にしていくつかの案を考えていた。

 一つは本命たる疑似発動体型接続機能を用いた、文字通り第四世代型人造惑星のアプローチ。

 第二案としては、光と光の決戦による終末晃星大戦(アーマゲドン)があった。

 

「閃奏の横槍は当然考えるべきだけど、むしろ貴方は望むところ、というのでしょうね」

「俺の性能を実証出来得る強度を持ち得るのは木星天以外はいない」

「では()はどうかしら? 銀月天――銀想淑女、あるいは土星天。彼女らは貴方の御眼鏡には?」

 ウェルギリウスの述べる第三案――それは光の対極たる闇との決戦だった。

 

「土星天か。太陽天と土星天の次点といったが悲しい事に性能(それ)だけだ、性能以上を発揮する何かを有していない。英雄憎しは結構だが、ヤツの気質の指向性(スペクトル)は英雄に対してのみ純化され過ぎた所為で最も性能を発揮できるのは英雄やそれに類する属性を持つ者に対してのみだ。結果として理性は乏しく、木星天(ユピテル)天頂神(ゼウス)の区別もつかんという有様だ。土星天の生態は人類種より原生生物との相似点を探す方が楽だろう」

「手厳しい、では銀月天は?」

「アレは未知数だ。未知数故に俺の最大の敵となり得る可能性も有している。数値を定義できる域にはない、いわば代数ですらない虚数だ。俺達の計画におけるイレギュラーとして認めよう」

 ウェルギリウスもルシファーも、数値評価に対しては極めて真摯で公正だ。

 故に侮らない。勝利に因する要素をかき集め、それをリソースとして計画成就への道筋を演算する。

 だからこそ彼らは銀想淑女と神聖詩人を検証している。

 

「奴らは評価を日々更新し続けている。同調係数も、神聖詩人の出力も今や純正の魔星の影を追うほどに。――だが、なんだ。一昨日の数値のブレは。奴らの同調係数の桁が一つ上がり、しかもそれが継続している。これが誤差であるわけが有り得ない。有り得ないが、俺の理論体系では説明がつかない」

「星辰特性の同調係数は互いの理解度や精神の傾向によって左右される。負ではなく正の方向での相関関係の異常上昇。……考えられるとしたら、それは()()()()()()()()()()()()としての進展ね」

「……ウェルギリウス」

「私の知性も理性も真面目にそう結論付けたわ、そんな顔をされても私は困るのだけれど」

 ウェルギリウスの言葉に対してルシファーは一瞬だけ真顔になる。

 それから元の表情に戻り、ウェルギリウスの言葉の意図を問う。

 

「愛、か。人類種における人間関係の一形態をそう呼ぶこと――それが神星を断頭台に追い込み、太陽神を鎮め、絶対神を打ち砕いた要因となったことは知っている」

「そう。宿敵であれ、同志であれ、愛であれ、想いを同じくする他者がいるからこそ極晃は至る。……ルシファー。貴方にとっては私はどういう存在かしら?」

 ウェルギリウスは水平の天秤の如く、決して揺れない。

 他者の命も、あらゆるリソースもルシファーの高機能化のための材料として使う。社会通念的には間違いなく悪と呼ばれる性質の持ち主であった。

 最も人々が思い描く普遍的なマッドサイエンティスト像の体現者である。ルシファーもまた、自分の高機能化の過程で生じる犠牲など斟酌しない。

 ルシファーという至高の作品を創り上げるためなら、彼女は何処までも永遠に――それこそ千年を超えてでも果て無い完成を目指して挑んで見せるだろう。

 ウェルギリウスの知とルシファーの力は互いが互いに最大の利益を生み出す。その一点に関して、彼らは確かに運命の二人だった。

 

 

「――共犯者。俺達の関係はそれ以上でも、それ以下でもない。堕天と魔女の盟に相応しきはそれ以外に有り得ない」

 

―――

 

 顔を隠すポースポロス――改め偽名ケネス・ブライトはその帰路をジュリエットと共に辿る

 道行く過程で、ポースポロスと云われた男の人相書きが出回っている事にジュリエットは何が愉快なのか、茶化すような笑いを浮かべていた。

 

「ポース……ケネス。見て、貴方の人相書き、そっくりだね」

「腕がいい、俺の顔の特徴を非常によくとらえている。」

「といいつつ、お隣の国の英雄さんの髪型少し変えたらそっくりになりそうだし、そんな手間はかからなさそう」

「人相書きには困らん顔だと自覚している」

 市中では話題で持ち切りになっていた。

 お隣の英雄に顔の非常によく似たテロリスト、機甲巨人化創星録の生き残り――あるいは稀代の殺人鬼(ダニエル)よろしく世直しを謳い、英雄を騙る者。

 いずれも、ポースポロスの真実には肉薄していないが恐慌状態に陥るのも理解ができる。それほどに英雄の名は死して尚恐れられていることでもあるのだから。

 公式には、彼は正体不明ながら英雄ヴァルゼライドとは一切関係のない人物とされている。

 

 誰も彼も、いずれは裁かなければならない。

 特に銀想淑女は何の罪もない命だ。故に聖戦の時まで彼女は自由を謳歌するべきだと考えている。

 彼女を害そうとした故に鉄血聖女と木星天は矛を交えることになった。

 

 怒りに支配されていた己の愚を恥じるように、ポースポロスはその噂話を聞きながら拳を握りしめる。

 

「……というか驚いた。ポースポロスってなんとなく想像はついてたけど指名手配犯だったんだ。なんかとんでもない人を助けた気分なんだけど」

「一般的に言うテロリストの定義とは趣を異にするが、フードを剥ぎ取り聖庁に突き出すなら今の内だ」

「別に、病気が治るまで突き出すつもりはないけど。言った事には責任持ちたいし、それに貴方はなんとなく分かるもの、無軌道な人殺しじゃない。――むしろ本来それを憎む性質の人物。そもそも大前提として貴方による犠牲者とされてる人はいない」 

 少しだけ、ポースポロスは彼女の歪みを想う。

 血塗れで虫の息であった自分を助け、テロリストと判明しても「想像がついていた」とさらりと流し、治療は続行中だと言い放つ。

 ポースポロスは悪と闇を忌む性質がある以上、ジュリエットに対し自分の心臓(はがね)が反発しない事自体ジュリエットの善性を証明している事にもなる。なるのだが――

 

「お前は俺の病気が治るまでは突き出さないと言った。なら、一つ言っておこう。俺の重症は恐らく()()だ、治るようなら初めから俺は止まっている。お前の論に従うならお前は一生テロリストを匿わなければならないことになる」

「だったら貴方がその歩みを止めてもいいと思えるようになるまで診てあげるから」

「お前は良い医者に成れると言ったが、但し書きをつけよう。お前は診る患者を選ぶべきだ」

 彼女はまるで、諦めるという事を知らない。

 何せ彼女の為そうとすることは光の宿痾が完治するまで付き合うという事と同義であるのだから。

 

「俺が、今すぐにお前の首を刎ねようとしたらどうするつもりだ」

「だったら跳ねる前に私と約束して。貴方の手による最後の犠牲が私になる事、そして貴方が立ち止まる事を」

「……医者の範疇を越えている。命を助けるために命を投げ出す等本末転倒だ、お前は若くそして聡明なのだから自分の時間を有意義に使うべきだ」

 微塵もやはり恐れていない。

 無論、ポースポロスも本気で言ったつもりではなかった。つもりではなかったが、それでも彼女は至って本気に止めようとしている。

 そんな献身を踏みにじって突き進むのが光の宿痾なのだと、ポースポロスは戒める。

 

「時折年寄りみたいな事言うねポースポロス」

「俺はケネスではなかったのか」

「はいはい、忘れたわケネス」

 無駄口を叩きながら、それからジュリエットの家に戻る。

 きぃ、と小さく軋む戸。古ぼけた木の香りは少しだけ気分が落ち着く。己には似合わない、日常の匂いという奴だ。

 被ったフードを取りながら、ポースポロスは寝所に腰かける。

 

 

「今日はありがとね、ポースポロス。少しだけ楽しかった」

「……楽しかった、か。俺といるのがそれほど愉快だったか?」

「指名手配犯と一緒に市中を歩くって中々スリリングだったし」

 ……冗談にしてはシャレになっていないとポースポロスは苦笑いをする。

 

「少しだけ、笑うようになったねポースポロス」

「お前の冗談は突拍子が無さすぎる」

「それじゃあ、今日はもう寝ていいから。明日また傷の具合を診るからそのつもりで、ポースポロス」

「あぁ、世話になる」

 彼女は言って、ポースポロスの部屋を去った。

 傷の具合は大分マシになっている。体を曲げるときの痛みは元々問題とはしていなかったが、それでも感じないほどに快癒している。

 四肢の感覚は明瞭で、為すべき事は理解している。

 

 だが――そこで部屋の中に在るべきはずのモノがない事を知る。

 彼の友としているはずだった、あの二刀がそこにはない。

 

 確かに、それはジュリエットによって傍に立てかけられているはずだった。

 そして日中、自分はジュリエットと共にいたはずだからジュリエットが隠したわけでもない事は明白だ。

 

「まさか――」

 そこで彼は枕の傍に置かれた置手紙を見る。

 ……封を切り、その書面に目を通す。

 

 

 其処には深夜、皇都の外れで待つとのみ書いていた。

 

 ――差出人の名は、摩天震龍(テュポーン)という人物だった。

 

 

 

 



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研究ノート / Vergilius Report Ⅱ

次回結構遅くなりそう感あるので、その間適当に見ていってください。
概要としては前回に引き続きウェルギリウス視点での研究レポートです。


Q、ハルはもう少し神祖の治世が長いとどうなってたの?
A、エンピレオ世界ではイザナ家に引き取られていた可能性はあります、多分。

Q、ウェルギリウスから見てロダンとエリスが致してる事はどう思ってるの?
A、本当に予想外の中の予想外で、本当にそこまで進展するとは思っていませんでした。


・金星天。

聖戦に心底から興味のない人物。

本質的に意欲的であるとは言い難い。特に話術を始めた人間社会に溶け込む性質に関して知性の水準は卓越を認めるが、他方で計算上の性能評価ではルシファーには勝るとは言い難い。

総じて、得るべき教訓も少なく反省点の残る結果に終わった魔星。

 

・土星天

成功作でありながら同時に失敗作。

素体となった男の名はエイリーク・フィアオクス。かつて軍事帝国アドラーに滅ぼされた諸国の王であり、その出自は傭兵であったとされる。

敗走の後に聖教皇国に渡り偽名で暮らしている。

絶滅光の直撃を受け、全身に癌が転移しているが、こちらの問題は魔星化するにあたり解決している。

歪んだ形ではあるが、全身を病魔に冒されながら英雄に対する極めて強い執着を残してしている点については驚嘆に値すると云う他ない。人類種の意志力の極限とも言えるだろう。

 

・太陽天

兵器としては火星天と同様に汎用性を追求した躯体。

アメノクラト、神星のデータのフィードバックによりハイエンドな戦闘力を実現している。

単純な出力と諸資質の投射による征圧、この一点において太陽天に勝る存在はかつての神祖を於いて他に居ないと断言してもいいだろう。

惜しむらくは聖戦おいて早々に至高天に帰順を示した点である事だが、これも致し方のない側面はあるだろう。

私が素体に見出した太陽天を冠するに相応しい性質を鑑みれば、非常に惜しまれる事である。

 

・恒星天

銀月天の真なる完成品となる予定の魔星である。

銀月天になり得るはずだった()()()()()を用いる事を予定としており、疑似発動体化接続機能を搭載する事は決定している。

単純な性能評価としては計算上、死想冥月と相似かつ同等となる想定である。

総じて、至高天たるルシファーには闇の属性を持つ者との戦いの経験値が不足しているために開発の必要が生じたモノでもある。

 

・原動天

敢えて述べるならば、まだどのような権能を担わせるか、素体の選定をどうするかは未定である。

 

・神聖詩人

第二の番外の天。故に仮に名を与えるならば原動天――ないしは火焔天とでも名を与えるべきだろうか。

銀想淑女との疑似発動体化接続機能の行使による魔星化及び精神的同調は極めて良好に進んでいる。

性的な関係を結ぶまでに及ぶのは予想の範疇を大きく超えていたと云う他ないが、しかし非常に良質なデータを得られている。

ルシファーもまた神聖詩人と同じアプローチによる極晃創星を方法論として目指すことができるだろう。

問題はルシファーと共に極晃を描く者になるのだが、その点に関しては未だに決めかねている側面はある。

 

 

 



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半減期の無い妄執 / Typhon

※当たり前ですが、さすがにテュポーンはこの一戦で退場はしません。
後多分話の通じなさで言えば水星天より上です。



 夜、ポースポロスは寝たふりをする。

 ジュリエットが寝静まったことを周到に用心深く確認すると、ゆっくりと音を立てずに寝所を抜け出す。

 

「済まない、ジュリエット」

 すぅすぅと寝息を立てるジュリエットを後目に、ポースポロスは済まないと一言謝りそして家を出る。

 例え罠だと分かっていても、今の彼には対峙しないという選択肢はなかった。

 結局、こうなる。悪魔を殺す事は彼女を悲しませる事でもある。

 

 だが、それで立ち止まれるようなら報復等最初から考えていない。そのような利口な設計をされていない。

 

 摩天震龍なる人物は自分とジュリエットの事を知っている――その事実がポースポロスに無視を許さなかった。

 

 静かな夜の中、ポースポロスは皇都の外れへと赴く。

 

 総てはあの手紙の主、摩天震龍という男に相対するために。

 人一人いない街を越えて、霧が濃く、鬱蒼とした森へと歩みを進めていく。湿り気を帯びる土の音が、否応無しにポースポロスの勘を研いでいく。

 

 

 

「――っ、!!!」

 微かに風の音が響くと同時に、その頬を戦斧が掠めた。

 まるで意志を持つかのように巨大な戦斧は弧を描きながら飛翔する。ほんの一瞬でも肌を撫でれば挽肉に変えかねないほどの鋭利さと質量を帯びながら、戦斧は尚も飛翔を続ける。

 

 その異変に気付くとすぐさまにポースポロスは駆けだした。

 確証はない――ないが、摩天とやらの差し金なのだという事は理解はできた。

 

 背後から襲い掛かる斧を一瞥すらせずに宙返りと共に蹴り飛ばし、着地と同時に右腕を軸として体勢を反転させ、残る一振りを済んでの所でかわす。

 

 その間一秒として足らず。神速の武錬をさらりと披露しながら同時にポースポロスは疾駆を続ける。

 あちらもこちらが見えていないだろうに大したものだと感嘆する。真っ当な使い手でなければ練度でもない。

 

 ほぼ恐らく戦場の勘でこちらを丸裸同然に見抜いている。

 

「シィ――!!」

 木の一本に五指をめり込ませ根ごと引き抜き、それを渾身の力で振り抜く。

 ポースポロスの人知を逸した膂力はそこらに生えている単なる名も無い木を音速の質量兵器に変えてしまう。

 だがその返答の如くその木は両断され、次の瞬間にはポースポロスへ両断された木が蹴り返される。

 

 開ける視界、その彼方に邂逅するのは――土星天だった。

 

 

 暗中で鋭い脚撃を交わしながら、その勢いでポースポロスと土星天は後ずさる。

 

「俺の名は土星天(サトゥルノ)、またの名を摩天震龍(テュポーン)――英雄から奪われた総てを取り戻すために黄泉より蘇った土星の龍と知れ」

「……」

 その男の出で立ちはポースポロスをして異様と思わざるを得なかった。

 威風を示す筋骨と長身、両腕に握られた己が半身程の大きさの戦斧――そして先ほどの戦い。

 総てがその男が戦場で生きてきた存在である事を示していた。

 

 であるというにも関わらず、その男の目は闇に淀んでいた。光を求め、闇の一色に染め上げる事のみを至高とする歪んだ感性の発露がそこに在った。

 

「貴様が至高天の階であるというのなら俺の敵だ」

「然り。俺はお前を殺す為だけにこの機を待ちわびてきた。……お前に奪われた総てを、この手で取り戻すために」

 ポースポロスの言葉にテュポーンはくつくつと、沸騰寸前の鍋蓋のような薄い笑い声を上げると――ポースポロスの持っていた二刀を彼に向って放り投げた。

 間違いなく挑発だ。

 

「刀を取れ、全霊の貴様でなければ俺が打ち砕く意味はない」

「望み通り、露と散らしてくれる。意味なく散るがいい悪魔め」

 それをポースポロスは掴むと、怒りの灯った視線をテュポーンに向けた。放射線の如き凄絶なエネルギーを孕んだ視線に恐怖するどころかそれでこそとテュポーンは嗤う。

 ポースポロスの心臓がテュポーンが不倶戴天であると教えていた。

 

「俺と戦うがいい、英雄。お前の骨を噛み砕き、その血で喉を潤し、その肉を腹に納めた時こそ俺の救済は訪れる。……いいぞ英雄、その目だ。その目こそが俺を滾らせる」

「……強欲竜の類か、いずれにせよ貴様は今ここで殺すと誓った。――俺の二刀は俺の骨肉も同然だ、貴様如きが弄んで良いモノではないと知れ」

 二刀に怒りを代弁するがごとく紫電が走る。

 その二刀こそ、彼の素体となった者たちの鋼を材料として創り上げられた彼だけの得物なのだから。

 

「俺はお前という全存在を打ち砕き蹂躙する。その時を夢想する刻こそ俺は――嗚呼――俺は!!!」

 闇の深淵を映す瞳が、狂気の緋色を描く。

 暴力的で身勝手なまでの歓喜に、テュポーンの星光は打ち震える。

 それは毒々しく、そして壮絶だった。英雄の討つ摩天の牙がここに顕現する。

 

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星」

 紡がれる起動詠唱に淀みはなく、朗々と闇を紡ぎあげていく。

 

「此処は土の星、第七の天体。傲慢なるかな絶対不敗の天頂神よ、汝が雷霆が総身を打ちのめす。大地を舐めて幾星霜、土の味だけが我が空虚を繋ぎ止める。朽ちる総身の何たる無残、我が骨肉だけが屈辱の忘却を許さない」

 びきびきと青筋を立てながら狂気と共に隆起する躯体が男の変貌を物語る。

 もはや正気を宿していない闇の眼光が炯々と輝く。

 

「英雄譚よ腐れ堕ちろ、我が所望は堕天ただ一つ。決しよう天頂神――勝利の果実を共に争おう、絶滅神話(ティタノマキア)はここに再生する。蒼穹を摩せよ摩天震龍(テュポーン)――我が栄光は今や目前なりせば」

 これなるは配役を変えた神話の再生。

 故に天頂神(ゼウス)に捧げる摩天震龍(テュポーン)逆襲譚(毒牙)に他ならない。

 

 

「超新星――勝利の栄光は爛れ堕ちる果実が如く、(Cielo di Saturno)顕現するは土星天(Typhon)

 

―――

 

 テュポーンの星光による異変は即座に現れる。次々と枯れ落ちる。

 命在る者一切絶滅してしまえばいいとばかりに、テュポーンはその輝きを放つ。

 

 光――光。命を否定する、絶滅の輝きがテュポーンから溢れている。

 その瞳を闇に濁らせながら、歓喜にその巨躯を震わせている。

 

「核分裂、放射能光。だが――」

 その輝きにポースポロスは既視感を覚える。

 ……既視感、どころではない。知らぬはずがない、英雄の系譜を継ぐ者。

 だが、なぜこの男はそれを振るっているのか、ポースポロスをして理解が追い付かなかった。

 

「英雄――英雄、ああそうとも。お前が知らぬはずはない、お前が俺に教えた痛み(ヒカリ)だ――!!!」

 

 

勝利の栄光は爛れ堕ちる果実が如く、顕現するは土星天

AVERAGE: AA

発動値DRIVE: AAA

集束性:C

拡散性:E

操縦性:D

付属性:AA

維持性:AAA

干渉性:AAA

 

「維持性――放射能光の付属の巧みさを鑑みれば付属性にも秀でている。加えて分裂光を連鎖的に引き起こす超高次の干渉性。撒散らし汚染する事を至高とする闇黒の光か」

「然り――お前のお前の落日に相応しかろう!!!」

 星を持たぬ者なら、秒で即死するだろう。白血病、ないしは最たる例は癌だ。

 瞬時の判断で全身に星を巡らせなければ、半人半機たるポースポロスですらも毒光に蝕まれていただろう。

 絶滅光とは原理は同一だが、根本的な指向が違う。

 

 絶滅光に比べれば確かに土星天の毒光は遅効性だ。即死に至らしめる性質のものではない。

 

 だが必ず蝕み殺す、千年かかろうと、万年かかろうと呑み殺す。蛇の如く総身で縛り上げ、肉も骨も砕き、毒を流し込み、総てを喰らう――その妄執を光に垣間見る。

 半減期等ありはしない。名誉も大地も血肉も、総てを半永久的に汚染し貶め嘲笑する事を至上としている。光でありながら、絶滅光の対極にある闇黒の光だ。

 

「なるほど、故に摩天震龍(テュポーン)――天頂神すら蝕む猛毒の光輝」

 二振りの戦斧と二刀が宙を踊り、撃滅の輝きを散らしながらつばぜり合う。

 断頭台の如く振り抜かれる光の軌跡を真っ向から迎撃しながらテュポーンもまた疾駆する。

 体表に纏う毒光は攻防一体の核熱の鎧となり、駆け抜けた後に残るモノ総てを枯れ堕とす。辺り一面の線量はけた違いに跳ね上がっていき、脆弱なる生命を駆逐していく。

 

 焼け爛れた大地にただ一人ポースポロスは二刀を構える。

 全身に纏った荷電粒子の電界が毒光を偏向させる事で彼もまた毒光を中和しているが、それでも段々と末梢に感覚に違和を覚える。

 加えて、閃奏の星を借り受ける事もまた今のポースポロスの炉心の状態では難しい。

 仮にそれを成せたとしても、言うまでもなく土星天の毒光の維持性が生半可な蘇生を許さない。

 

 常にポースポロスの身を削り続ける以上、たかが一度や二度の奇跡等諸共に蛇竜の毒に蹂躙されるだけだ。

 

「英雄――貴様は果たして何を俺が奪えば絶望する? あぁ――そうだな、ならば食前酒に例えばあの女がいい。たしかジュリエットとかいったか? そうだな、俺も魔星になってから久しく色というモノを味わっていない」

「――貴様」

 憤激の輝きがポースポロスの隻眼に灯る。抉られたがごとき眉間の皺が、その怒りを代弁している。

 握り潰さんばかりの握力を籠めながら、二刀は握りしめられる。

 

「その穢れた口を閉じろ、貴様が如き魔星風情がジュリエットの名を口にするな。俺達の下らん宿業に彼女を巻き込んでみろ。貴様の細胞の一片までこの世から葬り去ってくれる」

「その怒りをこそ俺は待――」

 怒りの執行者は言葉を待つことない。ポースポロスの刀をその殺意を告げるかの如く、加速器と化した刀を振るう。

 その瞬間に、振り放たれた光芒は幾条もの光の矢となり、プリズムのように分裂し一面を焦土に還した。

 ただの直線的な極光斬撃だけではない、英雄には持ち得なかった超高次の操縦性こそがこの芸当を可能としている。

 幾条にも及ぶ光芒の軌道を総て制御し槍衾のように撃ち抜く芸当はまさしく神業と言えるだろう。

 

 皇都の外れが震撼する。尽絶なるエネルギーの炸裂は遠目からでもうかがう事に難くはないだろう。

 

 しかし過たず撃ち抜かれた光条の合間を縫って、毒光を纏ったテュポーンはその只中を最小限の負傷で潜り抜ける。

 その程度の苦難など難なく潜り抜けるだろうとポースポロスもまた、第六感を頼りにテュポーンへと駆け抜ける。

 

「英雄、それでこそ貴様は、貴様はァ――!!!」

「誰の事を云っている、間抜けが」 

 侮蔑を露わにポースポロスは一刀を翻し怒りと共に地面に突き刺した。

 音速を越えて駆け抜けるテュポーンへ向かって、その全霊を右脚に込めて突き刺した刀の峰を蹴り上げる。

 

 太陽神(ヘリオス)よろしく大地を鞘に見立てたジャックナイフの如き()()()()()()()()は、音速を遥か彼方に突き放す速度でテュポーンへとその切っ先を飛翔させた。

 

「ぐ、ごァ……ッ!!」

「散れ、土星の龍(サトゥルノ)。報いを此処に受けるがいい」

 鎧たる毒光でさえ、天霆を受け止めるには藁屑同然であり深く肩口を抉られた苦悶をテュポーンは漏らす。

 極限まで加速された荷電粒子は擦過するだけでもその傷口を焼き尽くす。痛みは当然尽絶なモノに他ならない。

 振るわれる二の太刀が胴を両断せんと飛翔するがそれを土星天は許さない。

 戦斧でその一撃を受け止めると膂力を以ってこれを押し返す。

 

「ぬ……ぅ!! さすが、それでこそ――それでこそお前は俺が殺す価値があるぞ()()()()()()()ォ!!!」

「――そう言う事か。これでは水星天の方がまだこれでは話が通じる」

 テュポーンは確かに今ポースポロスと相対していながら、しかし彼を見てなどいなかった。

 見ているのは、過去の英雄。絶滅光の担い手――クリストファー・ヴァルゼライド。

 もとより、ポースポロスは彼の極晃への接続を目的とした躯体設計となっており、加えて身体的特徴や嗜好等、記号上においても細かな点を限りなく英雄へと近づけて設計されている。

 故に英雄と見紛うことに無理はないが、それにも限度というモノが当然ある。例えるならばもっとも最たる例は星辰光の資質だろう。

 

 集束性は無論継承しているにせよ、ポースポロスの特化している第二の資質は操縦性であり、英雄は付属性である。

 英雄を模してこそはいても、それでも完全に同一視しきれない差異というものはどうしても存在する。

 だが事ここに至るまでテュポーンの述べている文脈はほぼその総てがポースポロスではなく故人へとたたきつけられている。

 人違いにもほどがある。ともすれば錯乱しているとも捉えても差し支えはないあろう。

 

「応報の機を授けた事に感謝するぞ魔女よ。英雄を討った後に貴様らも諸共に討ち滅ぼしてくれる」

「魔女に何を吹き込まれたかは知らんが俺は英雄ではない、人違いだ他を当たれ」

 無論、他を当たる前にポースポロスが殺しに行くだけの話だ。

 尚もポースポロスを観ようとしない有様はまさしく妄執だ。何が起因しているかは知らないが英雄への妄執という一点において、彼は強欲竜にすら伍するだろう。

 

「英雄を俺の手で討たせてもらう取引として堕天と戦う事――それが魔女が土星天に突き付けた条件だった。そして今こうしてお前を戦っている――ならば是非もあるまい英雄よ、貴様の敵はここに居る!!!」

()()()だ、阿呆め」

 ポースポロスには言葉を交わす気さえも蒸発していた。

 この男は何処までも自分と問答をする気等ないし、彼もまた真っ当な解答を土星天に期待などしてなかった。

 

「俺を滅ぼし堕天を滅ぼし、魔女も滅ぼす。よかろう、それで貴様は何を為す」

「知れた事。貴様に奪われた俺の国を我が戦斧と共に打ち立ててやる」

「それを誰が喜ぶ。お前の打ち立てる帝国とやらの復活を望む者がどこに居るという」

「――どこにも居ない。もう、何処にもな。臣も、民も、誇りも、帰るべき場所も総てお前に奪われた、お前が奪ったのだ英雄。貴様が言えた言葉かァァァァ!!!」

「貴様の事情等俺が知るかと言っている」

 闇のケダモノのその慟哭だけは、真に迫っているような気がした。

 渾然とした闇の根源にあるモノ、それは決して狂気などではない。英雄に総てを奪われた――それをしきりにこの男は口にする。

 

「貴様にどのような過去があったか等知り得はせん。だが俺を無視するというのならそれで構わん、俺の名を知らずに死んで逝け、今の貴様には名を覚えられる事すら不快だ」

 荷電粒子の光刃は音すら置き去りにしながら戦斧と打ち合う。

 それでもなお、土星天のその戦斧捌きは微塵も曇っていない。眼前の男を粉砕せんと猛る限り、在りし日の武錬を十全以上に発揮し続ける。

 

「う、おおおおぉぉぉ!!!」

「はあぁぁぁぁ!!!」

 極輝の斬光剣が、被爆光の戦斧が正面からぶつかるたびに尽絶な爆圧が生じていく。

 切り結び合う度にその出力の桁が跳ね上がっていく。 

 

 世界等壊れてしまえとばかりに、物理法則に二人は挑戦状を突き付け続ける。

 だが土星天の眼光にもはや正気の光は宿っていなかった。わけのわからないうわごとを叫びながら、尚も限界を超えてポースポロスと打ち合っていく。

 それは光と闇の戦争の再現であり、互いに出力を跳ね上げながら際限なく殺し合いを演じていく。

 

 そして数百合打ち合った後にキン、と甲高い音と共に、互いにあとずさりながら得物を構え合う。

 

 

 

 ポースポロスは一刀を大地に突き刺し、祈る様にもう片方の一刀を天に掲げる。

 成層圏を睨むように、その刀は空高く光が立ち上る。

 同時にポースポロスのその背に星辰体で編まれた片翼のようなものが生じる。

 

 それは形状として近いモノを挙げるなら翼と呼ぶべきだろう。実体はなく、しかし一種の神話的な神々しさが宿っている。

 

 神話に謳われる終末的光景――光の羽毛が舞いながら綾を織る様に幾条もの輝線を束ねて一筋の極光剣となる。

 

 

 対して土星天もまた、その星を漲らせていく。

 放射線量の桁を跳ね上げていく。もはやその熱量に土星天の外殻が耐えられていない。

 干渉に次ぐ干渉によって己自身が星辰体と物質の中間とも呼ぶべき存在に変貌している。もはやそれは人どころか魔星ですらない。己が肉体の主体を星辰光に塗り替えられている。

 強いてこれに近い生態を上げるとするならば、自立活動する星辰光の代表格たる冥狼だろう。

 

 

 

「散れ、土星天。お前に嘆きは訪れない。ここが貴様の妄執の終着駅だ」

「否――俺は往くぞヴァルゼライド!! 俺は、お前に――」

 

 ポースポロスは、その腕を全霊を以って振り下ろした。

 光の奔流と共に、土星天の断末魔は最後の言葉が紡がれる事なく焼き尽くされた。

 

 

 

 その夜、皇都には地震が起こり、名も無き森の一角は隕石が落ちたがごとく焼け爛れていたという。

 

―――

 

 その夜、皇都が揺れたという話をジュリエットは朝になって知った。

 体を起こして、ベッドから起きようとするとポースポロスがそこにいた

 

「……ポースポロス。夜更かしでもしてた? 顔、なんかすごいけど」

「元々、あまり落ち着いて寝付ける性分ではない。心配させたか」

「いえ、別に。そんな事よりほら体見せて。傷の具合見るって言ったでしょ」

 彼女の言葉にポースポロスは一瞬難色を示した。

 あの皇都を文字通りに震撼させた夜、ポースポロスはこの家に帰った。

 自分が何をしたのか、それを知られる事はあまり好都合ではなかった。だがそこで言い訳する気もなかった。

 

 椅子に腰かけさせられ、上着を取り去る。

 包帯を解かれると、彼女は傷の具合を診ながらまた手当を続けていく。

 

「うん、治りが思ったよりも結構速い。あと四日は余裕をもって見積もった方がいいけど」

「……」

 彼女は、不気味なほどに何も問わず、ただ傷の具合を粛々と見ている。

 筋肉の緊張状態や、星辰光の行使への負荷等容易に見抜けるはずなのに彼女は口にしない。

 

「じゃあ、ほら。これで良し。寝てもいいよ、ポースポロス」 

「……ジュリエット。お前は、俺が昨日の夜何をしていたのか知らないのか」

「……分かってますよ、そんな事。貴方の体からは極めて強い星辰体感応の痕跡が見える。筋肉の緊張状態も当然触診から分かる」

 彼女はその背にぺたりと手を添える。

 どうして貴方はそうなのかと、力の限りで抗議するように。

 

「お前には、明かせない」

「そう。それは貴方の言う悪魔に関する事?」

「もとより俺は悪魔だ。故にお前の優しさを施されるべき資格はない」

 只人として穏やかに生きるという選択肢はあり得なかった。

 あらゆる困難を塵屑のように踏みつぶし踏破し、結局最後にはやり遂げてしまう――その性質を指して、光という。

 けれど。

 

「よかった、……他人の空似だから当然だろうけど貴方は英雄じゃない。――今の貴方は、まるで()()()()()()()()()()みたい。お隣の国の英雄は、多分だけどそうじゃなかった」

「――」

 子供のよう――それは一側面としては正しい事実だ。

 ポースポロスは製造されてから一年も経っていない。

 自己評価の低さ、自罰的な思考、そんな部分を彼女は察している。

 

「……理解者面されるのが不愉快かもしれないけど、それでもポースポロスの事は患者としてなら誰よりも理解しているつもり。だから貴方を決して見捨てるつもりはないし、通報するつもりもない」

「……済まない」

「返事はちゃんとしているように見えて、自分が悪かった、済まなかった、お前には何も明かせない、の三種類の内の大体どれか。別に多分会話を打ち切ろうとする意図はないんだろうけど、そういうのは良くないと思う」

 ……ポースポロスの拳は、今はもう握りしめられてはいなかった。

 彼女の想いをこうして踏みにじり、これからも悪魔を皆殺しにするまで踏破する。

 その果てに自分自身を焼き捨てる事こそが閃奏に星を借り受けるための契約だった。勝てるかどうかではない、勝つ以外の道を彼は考えない。

 故に、結局最後は彼女はポースポロスを救えない。ポースポロスはその病を抱いたまま、いずれ必ず消滅する。

 だから、少しだけポースポロスは彼女の献身に淡い想いを馳せる。例え確率が絶無であろうと自分が地上を去る前に、彼女の手が自分の病に届くことを。

 

 

――― 

 

 エリスさんとロダンが聖庁に向かった日、イワトおじさまから伝えられたのは二人が星辰体研究のために聖庁に保護されるという事だった。

 けれど、イワトおじさまはどこか私に甘い所がある。

 本当の事を聞かせてほしいと私がねだれば、歯切れは悪いながらも教えてくれた。

 

 全容は知らないけれど、それでもロダンがエリスさんの研究協力に頷かずにエリスさんを護ろうとしたことは聞かされた。

 エリスさんは当初、その研究協力に反抗して星を使った事。

 それからロダンはエリスさんを護って戦った事。

 ……だからこの名目上の保護は収容の意図もあるという事。

 

 エリスさんはそんな事をする人じゃないと私は知っている。

 そんな風に反抗するという事はやっぱり、別に研究協力の名目というのは半分嘘で、この国ではない星辰奏者として収容されているという事なのだろうという事も察しはついた。

 そんなエリスさんをロダンが庇った事も想像に難くなかった。

 

 そう、ロダンはいつだって優しい。

 私は彼に救われてきた。親を失った私の家族代わりとなって、ずっとついてきてくれた。

 ……それもきっと私の主観ではそうだというだけでしかない。

 

 私は――違う。ロダンが付いてきてくれたんじゃない。私が、ロダンに依存してきた。

 姉として慕われるたびに私は嬉しくなった。始まりが家格に起因する彼への優越感だとしても。

 

 彼は正直、あまり社交的な人じゃなかった。いつも彼は本が好きで、そんな彼を外に連れ出そうとしたのが私と彼の付き合いの始まりだったと思う。

 

 走るのがやっぱり彼は慣れなくて、それでもいつだって私に懸命に駆けてついてきてくれる。

 かくれんぼや鬼ごっこの途中でこけても膝をすりむいても、泣きそうになりながら私の背中を追いかけてくれる。

 姉さん、姉さんと彼の口とイントネーションで言われるたびに、私はとても嬉しく思う。

 

 背を追う者と追われる者が逆転したのは、私が親を失ったあの時からだった。

 

 彼はもう一度私が歩けるようになるまで、今度は自分が待つ番だと言ってくれた。

 だからもう一度立ち上がって、立ち直って。もう一度彼に背を追わせてあげたいと思った。

 

 今だって、正直全然立ち直れてなんかいない。

 胸にわだかまる悲しみと私は訣別できていない。未だにこの屋敷の中に親の姿の幻視するし、夢に親は出てくる。

 本当に、大好きだった。

 母さんはよく私の頭を撫でてくれて、父さんは私が自分のお小遣いで初めて買ったハンカチをいつも大事そうに身に着けていてくれた。

 

 今は、ロダンがいてくれる。

 彼はいつだって私を一人にはしなかった。

 歴史にもしもというものはないだろうけどもし彼が騎士を続けていたら、彼は亡きルーファス卿にだって負けない優しい騎士になれていはずだ。

 例え彼が誰に評価されなくたって、私だけは彼の良い所を知っている。

 

 だから、彼が誰かにその優しさを向けるという事は喜ぶべき事なんだろう。

 エリスさんは切なさそうな顔で、ロダンに対する想いが自分でも分からないと言っていた。

 ロダンとエリスさんはどういう仲だったのかは分からないけれど、それでも彼と彼女の仲は大きく変わったことは分かったし、そんな顔をして言葉を絞り出しているならもう自分で答えを言っているようなものだと思う。

 

 ……エリスさんは、きっとロダンが好きなんだろうし、ロダンはその優しさを今はエリスさんへと向けている。

 

 エリスさんが少しだけ羨ましいと思えた。

 昔から彼を知っているのは私だけ。そんな無意識なエリスさんに対する醜い優越感が私にはあった。

 それに対し、エリスさんのなんと純粋な事だろう。純朴、無垢、そんなところをロダンは気に入ったのかもしれない。

 

 だから、悔しかった。

 ……こんな私を、エリスさんにもロダンにも知られたくない。

 

 

 私は事故によって親を奪われた。

 ――なら、ロダンを私から奪うのはエリスさんになるのだろうか。

 

 私はエリスさんが大事だ。私にできた友達だったから、それは決して変わらない。

 別に、逢えなくなるわけじゃない。

 親を亡くしてから何度かあった名家の縁談を断ったのは、気持ちの通わない婚礼を快く思わないかったのもあるけれど、ロダンとそもそも物理的に逢えなくなることを恐れたからだった。

 

 エリスさんとロダンが仲良くしている分には別に、物理的に私とロダンはあえなくなるわけじゃない。

 けれど、ロダンの気持ちは今エリスさんに強く向いていることは分かる。

 

 物理的な距離の隔絶がない事が保障されている今は、心の距離の隔絶が怖かった。

 それは身勝手で強欲な願いなのかもしれないし、欲するところに天井がないと笑われても仕方のない有様なのだろう。

 

 

 

 もしエリスさんとロダンが結ばれる日が来るとしたら。私はその時本当に彼女を祝福できるのか、今の私には自信がなかった。




勝利の栄光は爛れ堕ちる果実が如く、顕現するは土星天
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:E
操縦性:D
付属性:AA
維持性:AAA
干渉性:AAA
核分裂・放射能光発生能力・汚染型。
発動値を維持し続ける限り放射能光に酷似した性質を発揮し続ける、半減期無き闇の光。
突出した付属性、維持性、干渉性により半永久的に付属させられた対象を毒光で蝕み続ける、極めて猛悪な性質を持つ星光。
その干渉性により常に連鎖的に核分裂に次ぐ核分裂が常に生じている状態でもあり、その光を攻防一体の鎧としても扱うことができる。
闇の属性にありながら光という形で星が顕現したのは、一重に素体となった男が絶滅光の味を極めて詳細に知る一人であるためだろう。
脆弱な生命を否定する、闇黒の光はただそこに在るだけで無尽の災禍を齎すだろう。まさしくその有様は土星の龍――そして天頂神の敵対者が如く

そして忘れてはならない。土星天の妄執に半減期という概念は根本から存在しないという事を。



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女心 / Pure Heart

ルシファー曰く土星天は「水星天より重症」「人間より原生生物の方が木星天の生態としては近い」です。


 オフィーリア副長官の招集で俺とエリスは装甲監獄の更にそのまた地下の最下層へと訪れた。

 ごうんごうんと響く駆動音と共に地下には広大な空間が広がっていた。

 青白いアーク灯に照らされた、訓練場のような何か。確かこの装甲監獄は一応カンタベリーの血税で創られたモノらしいが、よくもまぁと感心せざるを得ない。

 其処にはグランドベル卿とオフィーリア副長官が待っていた。

 

「おはようございます、エリスさん。ロダンさん。今日は少し、実地の星辰光行使について検証したい事があるの。協力して頂けるかしら?」

「協力しなきゃここから出られないし、なんならここで俺達が星を使って暴れたところで最悪地下室空間ごと倒壊させればいいわけだから拒否権ないんだろ」

「この地下をそこまでもう全容を把握しているのロダンさん。探偵になったらいかが?」

「なんとなく、オフィーリア副長官ならやりそうだと思っただけだよ。星辰体運用兵器なんて使わなくてもこの施設内の全質量を叩きつければ、例え魔星でも無事では済まないのは大体分かる」

 エリスは、ぎゅっと俺の袖を掴んでいる。

 概ね、恐らくエリスもこの地下室の構造については理解が出来ているのだろう。堅牢な作りを見ればそれは明らかだ。声が果てなく反響するあたり、相当に容積が大きいのも理解がいった。

 

「……そうね。決していい感情を持たれていないのは理解している。それでも、私達もまた貴方達を害そうとする気はない。それはどうか信じてほしい」

「いがみ合っても仕方がないのは分かるさ、元々は俺にも責任はある。……やろう、必要な事をさっさと終わらせて俺はエリスを自由にしてやりたい」

 深く、オフィーリア副長官は頭を垂れる。

 オフィーリア副長官はエリスは少なくとも、エリスが分析協力に対し悪感情を持たなかったという一点においては倫理観は真っ当だし信頼はしてもいい。

 創作伝奇もののマッドサイエンティストでは決してない事は信じてもいいのだろう。

 

「……それじゃあ、まず初めの検証はロダンさんの星辰光についてね。試しに一回だけでいいからロダンさん、星を使ってみて?」

 

 エリスは深く息を吸う。

 それから同調が開始される。往還する星辰体、エリスとの間に感じる星の共振が俺に加護を齎す。

 今までエリスとの感応は唐突な形でやってきた。恐らく今が初めて意識的に彼女を発動体として同調した事になるが、それでも驚くほど違和感なくエリスの中に入り込めた。

 

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AA

集束性:D

拡散性:C

操縦性:AAA

付属性:E

維持性:C

干渉性:AA

 

 そこで、グランドベル卿は少し怪訝な顔をする。

「……評定が更新されている。特に干渉性について、ロダンは元々資質は持ち合わせていなかったのに」

 確かに、俺の星の資質は依然と比べると一回り上がっている――どころか性能評価で言った場合、間違いなくこれは魔星そのものだ。

 

「エリスさんの資質は干渉性。ロダンさんの資質は操縦性。……ならエリスさんも星を使ってみて」

「分かりました、オフィーリア様」

 エリスはこくりと頷き自分の胸に手を当てて、それから起動詠唱を紡ぐ。

 銀月をその身に宿しながら、月乙女の天衣を身にまとい彼女は女神へと新生する

 

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:A

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AAA

 

「……こちらは変化はない。ロダンさんだけは補完するように資質が更新されている。エリスさんとロダンさんの相互関係の変化かしら」

「些細なことで構いませんが、ロダンとエリスは何か変わりはありましたか?」

 グランドベル卿は俺達に向けてそう問う。

 俺達としては質問の意図がいまいち読解できない。それをなんとなくオフィーリア副長官は察したのだろう、補足で説明を付け加える。

 

「魔星エリス――貴女の発動体であり同時に魔星でもあるという在り方を私は仮に第四世代人造惑星と呼ぶ。そこで、ここからが私の推論になるわ」

「……聞かせてください、オフィーリア様」

 エリスも、恐らくそこまで自分の事を知り得はしていない。

 あの子を元に生まれたのがエリスだ。自身の機能に関してはエリスも把握したいということだろう。

 

「……貴方の創造主が同様の機能を持っていて、それを貴方は共有しているという事だったわね」

「はい」

「間接的に神星鉄を発動体としている以上はロダンさんは発動値の大幅な引き上げは当然あるけれど、同時に貴女の干渉性も性質の一部として引き継いでいる。対してエリスさん自身は魔星ではあるけれどロダンさんは決して第四世代型人造惑星ではない――つまりエリスさんは()()()()()()()()()という事ね。だからエリスさんはロダンさんの星の影響を受けていない」

 俺が持ち得ない干渉性の資質はエリスを発動体としたことで俺が後天的に身に着けたモノだ。

 だがその逆にエリスは元々俺の性質に引き摺られたりはしていない。俺が

 

「……今までのロダンさんの星の発動形態は計らずもエリスさんの星と自分の星との正面衝突のような形になっていた。どこまで行っても、星に祈るという行為においては他者の祈りは()()でしかない」

「けれど、今のロダン様と私はそうではない。それから訂正してください、オフィーリア様。――ロダン様の想いは決して私にとっては異物ではありません」

「ごめんなさい、言い方というモノが在ったわね。恐らくエリスさん自身がロダンさんの祈りを許容する事が出来るようになった、と云うよりも同じ指向を向いたからというべきでしょう。だからこそ相互理解がそのままロダンさんの力になる」

 エリスとの相互関係、理解。

 それがそのまま力になっているのだとしたら、――思い当たる節は一つしかなかった。

 エリスもそこに思い当たったのだろう、共々俺達は赤面する羽目になる。

 

「……エリス。それは言い出せないような事なのですか? 些細と斬って捨てられるような事ではないと?」

「――それは……その。ロダン様との事は何を一つとっても、私にとって些細なモノではありません」

 口を噤むのは無理もない。エリスは元々誤魔化す事をあまり知らない。

 純粋で、正直だ。だから昨日の夜の事は中々言い出せない。加えてエリスはグランドベル卿の畏怖すべき部分しか知らないのだから当たり前だ。

 

「グランドベル卿、エリスは女優だ。女優とくれば、キ()()()()()()()()()()()()()ぐらいはあるだろう。エリスは俺でその練習をしていた。だからエリスからあまり言わせてやらないでくれ、頼む」

「……そうでしたか。二人の事についてはあまり特に言及するつもりはありませんしロダンに限りそのような事はないでしょう、聖庁の下では節度はどうか守って慎んでください」

「聖庁の下では、なんて言ってもそもそも今は俺達は聖庁以外に出られないからそこは安心してくれ」

 グランドベル卿はひとまず納得したようで何よりだった。

 ただ、節度を護れと言ったグランドベル卿の信頼を既に裏切っていることは申し訳なく思うのも事実だ。

 ……事実なのだが、あからさまにエリスは不機嫌になっている。

 グランドベル卿の肩を持ったつもりはないし、エリスにとってもこの言い訳はそれなりに道理は通っているはずだ。

 

「……ロダン様。貴方があの夜のかけてくださった言葉の数々は演技だったのですか?」

「ちょっと待てエリス、その言葉は誤解を色々招く」

「――というのは冗談です、マリアンナ様。この通り、私達は演技の練習をしていました。心を許せる男性はロダン様以外私にはいなかったので」

 ……エリスは俺が狼狽する姿を見るとすぐに機嫌がよくなった。

 なんというか、以前よりもエリスは表情が分かりやすくなったと思うが、それはそれとしてなんだか弄ばれているような気がする。

 淑女然とした楚々とした微笑みで、彼女は俺をからかって見せる。

 

 そんな有様を見て、少しだけグランドベル卿は笑っている。珍しい笑い顔だ。

 それから、こほんと咳払いしてオフィーリア副長官は話を戻す。

 

「……エリスさんにとって、ロダンさんは心を許せる異性である事。それが理由なのでしょうね。第四世代人造惑星という概念は導く者単体ではなく導かれる者も含めての一つのシステムで定義されるべき概念であり、同時に過去のロダンさんの星はアレでさえも完成形ではないと言ってもいい。事実として今貴方は性能を更新している」

 俺の星にはまだ見ぬ先が在るのだと、オフィーリア副長官は言う。

 まだ、エリスに導かれるその途上に俺は居る。では、エリスに導かれるその最果てに俺は何になるんだろう、そんな思案が頭に浮かぶ。

 

 それからオフィーリア副長官は指を静かにさす。この地下実験場の暗闇の奥に、いくつかの青白い輝点が見える。

 数は三機。微かな駆動音と共に、こちらに近づいていくのが分かる。

 

「これから貴方達には訓練用人造惑星のアメノクラトと戦ってほしいの。もちろん原設計に比べて大幅に訓練用にデチューンはされているし、訓練用だから貴方達を殺傷しないように制御はするわ」

「……人造惑星を三体もか」

「無論これは私の研究への協力や改良のためのフィードバックの意図もあるけれど、実戦闘を通して貴方達の星の傾向を知りたいの」

 エリスから見せられた主観記憶に在る、あのアメノクラトと形は一緒だが、それでもアレが大分原典から大きく異なるのは分かる。

 というよりも、むしろ星辰人奏者の改良したアレが常軌を逸しているのだろう。

 攻性光子放射装置、暗黒物質裁断刃、新説・矛盾量子力学、超高速時間逆行消滅弾――新西暦を置き去りにしたあの超未来兵器群に比べたらまだこれはずっと人道的かつ常識的だ。

 

「用意した三機は訓練用のアメノクラトを基盤として、更に統合戦闘型、指揮支援型、環境改質型と設計を用途に応じて変更したモノよ」

「……随分豪勢だな、アメノクラトって一応神祖が量産に成功したとは言えそれなりに数に限りが在るんじゃないのか?」

「えぇ。その内一機はグランドベル卿に模擬訓練で単身でスクラップにされたわ。それはもう、酷い有様で再利用を何度か断念しようと思った位よ。あと、恐らく貴方達の星辰光の傾向や性能限界を把握するには恐らく同じ魔星を用意しないと真っ当なデータは取れないと判断したの」

 ……グランドベル卿は複雑な表情をしている。団長格を除けば唯一単身で訓練用のアメノクラトを倒したという話は相応に有名なのだろう。

 かといって、ではこの場でグランドベル卿に俺達の相手をしてもらうのかと言えばそれも不味いだろう。

 

「……その話はもういいでしょう、副長官。訓練用とは言え魔星です、ロダンも気を付けて」

 そう言うと、グランドベル卿は少し後ろに下がり退避する。

 

「構いません、ロダン様。私は何時でも」

「あぁ、行こうエリス」

 俺の手には銀剣が生じ、エリスも手を翳してアメノクラト達に臨む。

 一歩、一歩、歩を進めながら速度を上げて俺達は走る。  

 

 

―――

 

 オフィーリア副長官は手を翳しながら、アメノクラトを操縦する。

 その手に嵌められた篭手は、恐らくアメノクラトを操縦・制御するためのデバイスだろうか。

 

 機影は三機。

 その三機とも、資質は微妙に異なっていた。

 

 

第五次世界大戦用星辰兵器・天之闇戸 指揮支援型(カーネル)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:E

拡散性:B

操縦性:AA

付属性:AA

維持性:C

干渉性:A

 

第五次世界大戦用星辰兵器・天之闇戸 環境改質型(クリエイター)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:D

拡散性:B

操縦性:AA

付属性:C

維持性:C

干渉性:AA

 

第五次世界大戦用星辰兵器・天之闇戸 統合戦闘型(センチネル)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AAA

集束性:AA

拡散性:C

操縦性:B

付属性:C

維持性:B

干渉性:B

 

 

 足を踏みしめて、エリスと共に広大な地下実験場を駆け抜ける。

 副長官の指揮の下にアメノクラト達は三機三様に攻め手を分ける。正三角形を描くように俺達二人を取り囲みながら、破壊の神官としてその星を存分に振るう。

 

 環境改質を担う機体は星を振るうと、いきなり地下実験室の環境は戯画のように塗り替わった。

 加えて、その先陣を切り開くように統合戦闘型が俺をめがけて駆け抜ける。

 

「エリス、俺の後ろを頼む」

「貴方は戦闘型を頼みます、ロダン様」

 三機のアメノクラトの連携は巧緻の極みだった。支援型が出力を環境改質型に出力を供給すると環境改質は一瞬で進む。

 エリスと俺の星で干渉と操縦を成し遂げ環境を塗り替えを阻止し続けながら、同時に統合戦闘型と戦わなければならない。

 風景は虫食いだらけのように、雷雨や溶岩と元の実験室とが五分五分で混在している。

 

 統合戦闘型は右腕を振りかざすとそこには電界の剣が生じていた。

 剣を打ち合えば、星で編まれたアメノクラトの剣は解れるが、同時に強靭な脚部による蹴撃が走る。

 

「く――、この程度」

 剣で受けても、この重さ。同時に踵落としの構えをアメノクラトは取る。

 機械とは思えないほどに滑らかで、その関節の動きにまるで歯車らしさというモノを感じない。星が利かないと判断すると単純な質量での肉弾戦に切り替える。

 三機を並列して操縦している副長官も恐らく相当なやり手だ。

 

 エリスとの連携を寸断する絶妙なポジショニングと時間差を生み出しながら、三機それぞれの役割をいかんなく発揮させている。それだけの思考を常に巡らせ続けているのは誰の薫陶によるモノなのだろうか。

 

 

 だがその程度で負ける気はない。俺は統合戦闘型を、エリスは支援型と環境改質型を相手取っている。

 指揮支援型と環境改質型は本質的に直接戦闘に秀でない躯体であり、同時にエリスはその資質の完成度も相俟ってそれらを相手取るのに向いている。

 戦力配分としては、それが最適だ。

 

 エリスもまた干渉に次ぐ干渉を以って銀光の絨毯爆撃でアメノクラトの身を削り続ける。最新の魔星として、その月の暴威を十全に振るい続けている。

 

 だからこそ俺は統合戦闘型と後顧の憂いなく戦える側面はある。

 エリスが護ってくれるのだから、俺もまたエリスを護らなければならない――そう想えば想うほどに、胸の底から形容のしがたい力が沸いていく。

 

 アメノクラトは演算を、俺は経験を以ってその武芸を叩きつけ合う。

 俺の銀剣の一閃をアメノクラトは白刃取りで受け止めるが、その直後に俺は剣から手を離し掌底を構える。エリスの与えてくれた月光がその手には宿っている。

 

「――獲った!!」

 アメノクラトの左腕を掴みその反動で背後に回り込めば、全霊を籠めて掌打を撃ち込む。

 星の宿った掌底は根こそぎアメノクラトの星を奪い一時的な機能停止へと追い込む。

 

 アメノクラトの手放した剣を再びその手に取れば、剣を横一文字に構える。

 目に光を失っている今だからこそ、アメノクラトの炉心にはこの剣は届く――そう思うが、それを成就させるほどに副長官は甘くはなかった。

 

「ロダン様!! 離れてください!!!」

 エリスの叫ぶ声と共に、構えを済んでの所で解いてかわしてその場を脱した。

 エリスの叫んだ理由は指揮支援型にあった。

 

 支援型より外部から星を注ぎ込まれて強制的に再起動した統合戦闘型は、即座にその鋼の拳を振り抜いていた。

 後一手、遅くなっていたら俺はその拳で穿たれていた。

 

「ロダン様、ごめんなさい。遅れました」

「謝るのは無しだ。エリスが居なきゃ俺はそもそも戦えてない」

 俺達の陣容が崩れると同時に三機は正三角形を描くように再び戦闘陣形を取る。

 翳される手と共に、周囲の空間が歪んでいく。

 

 無機質なアメノクラトが初めて言葉らしい言葉を話す。

 支援型が星の供給を行い、環境改質型がソレを元に極小領域で事象改変を行い、同時にそれを頭語戦闘型が極限の密度に圧縮する。

 

 背筋に悪寒が走る――エリスも同じ事を想っていた。

 

「擬装――極・超新星(ハイパーノヴァ)――装填完了、射出シークエンス終了まであと四秒」

「――受けて立ちます、オフィーリア様」

 極小領域事象改変による重力場変動式超新星爆弾。傍目から見ても、サルでもわかる尽絶たるエネルギーだ、それが解放されたらこの地下室はどうなるか等想像つかない。

 

 もちろん、オフィーリア副長官は恐らく理解しているはずだ。途中でこの魔星連中を機能停止にして検証を中断することもできるだろう。

 

 だからこそ、剣を構えて真正面から受けて立つ。心の通わない鋼の機神に決して俺達が負ける道理はない。

 まだだ、まだこれではダメだと叫ぶ。エリスもそれに際限なく、どこまでも応えていく。

 同調係数は天井を睨んで何処までも跳ね上がっていく。

 

 

 体表から立ち上る銀の輝きが剣に集束していく。やっぱり、あぁそうだ。エリスがいるのなら俺は無敵になれる、それが導く者なのだから。

 

 銀月の極光剣と共に駆け抜ければ、超新星に俺達は正面から立ち向かう。放たれる爆縮光にその刃がめり込むと、バターのように柔らかくその刃がめり込んでいく。

 

 時間にして小数点以下の何桁目かもしれない秒数を、俺達は凌ぎ切り断ち切った。

 

 

 ……同時に、相当先ほどの業の代償だろう。アメノクラトは俺達が刃を交えるまでもなく、機能停止に追い込まれていた。相当星を費やしたのは明らかだ。

 目の光を失うとともに、環境改変は解かれ元の地下室に世界は戻っていった。

 アメノクラトの奥からオフィーリア副長官も素方を現し、機能停止したアメノクラトを労わる様に装甲を撫でる。

 

「……驚いた。訓練機とは言え、それでもアレを凌がれるなんて」

「オフィーリア様。さすがに冗談にしてはアレは性質が悪いかと」

「最悪の場合の抑止機能は実装しているから安心してほしいわ、言ったでしょう、そんな物騒なことを試す気はないと」

「本気で私達を始末するつもりなのかと一瞬思いましたが」

 ……三機が最後に見せた、あの星の爆弾の事だろう。

 エリスは明らかに不服だが、既に検証は終了した。

 髪をエリスは振り乱せば、その瞬間にしゃらんと音を立てて彼女の天衣は星辰体に還り病衣に戻る。

 美しい所作で、つい目が奪われる

 

「検証はこれで終わりか、副長官」

「えぇ。アメノクラトの改修のためのデータ収集も目的の一つではあったけどやはり、貴方達は興味深いデータを提供してくれるわね。――特にロダンさん、戦闘の最中も出力に微少だけど向上の傾向が見られた。恐らくそのいずれもエリスさんと立ち位置を入れ替えるときや呼びかけが在った時」

「……そして最後のアレか」

 自分でも驚くほど、状況と出力に順応している。

 一片も疑う余地さえなく、自分はあの旧日本の遺産の量産品に立ち向かえると即断して突っ込んだ。

 木星天の時でさえ俺は恐怖というモノを全くとは言わないが感じなかった。……それは恐らく、俺の持ち得る力の水準が大きく上がったからなのだろう。

 けれど何よりエリスが居れば決して怖くはない、そう思えるほどにエリスと一緒に居る事は心強かった。

 

「とりあえず、今日の検証は一応はこれで終了よ。ロダンさんもエリスさんも有難う。ロダンさんもかなり疲れてそうだから食事が必要なら準備なら収容室に用意させるけれどいかが?」

「……是非頼む」

 元が俺は人間であるせいなのだろう、魔星としての出力との差額はそれなりに大きい。今になってどっと疲労感が出る。

 エリスはそのような事はないものの、生態の違いというモノはやはり埋め難い側面は大きいのだろう。

 エリスが俺の肩を支えてくれるけれど、それでも疲労感は強い。少し頭痛がする。

 

「……多分、一対一だったらグランドベル卿の方がずっと強かった。それこそ訓練用のアメノクラトを団長格を除いで唯一単身でスクラップにしたと聞いても疑いの余地はない」

 その光景はありありと思い浮かぶ。辺り一面を焔で焼きながら、アメノクラトを無残な鉄くずに変えて象のように踏みつぶす様はまさに凄絶だ。

 

「ロダン。褒められても私は貴方に何も返せません」

「貴方はその強さで俺を護ってくれた、グランドベル卿は既に俺に返してる」

「……貸し借りとは前貸と前借が認められているものなのですか?」

「認められてる事にしてくれ。そうじゃないとグランドベル卿は中々賛辞を受け取らない癖がある」

 グランドベル卿は粛々と頭を下げる。

 ……エリスはあまりそれに対して快い視線を向けてはいなかった。そう言えばエリスはグランドベル卿に苦手意識を持っていたなと思う。

 俺はグランドベル卿の肩をよく持つとエリスは言っていた。

 何処となくエリスの視線を察したのだろう。それでは、とグランドベル卿はその場を辞そうとする。

 

「待ってくれグランドベル卿」

「なんでしょう、ロダン」

 少しだけ、グランドベル卿は驚いた顔をしている。けれど、俺は彼女への誤解を解いてほしいと思うからこそ俺は伝えないといけなかった。

 エリスは怪訝な顔をしている。

 

「エリス、グランドベル卿に付き添ってやってくれ。彼女はこれでもまだ病み上がりなんだ、だからエリスが隣に居てやってほしいし、グランドベル卿の事をもっと知ってほしい」

 

―――

 

「火星天。いつもながら貴方の考えていることはわからないわ」

「別に? 何も考えていないぞ水星の。聖戦も、堕天も、俺は心底からどうでもいい。そしてそれはそちらも同じだろう」

 火星天――ファウストはそう言って、水星天に語り掛ける。

 彼らは大聖庁の屋根の上で佇んでいた。

 

「いよいよ聖戦の幕は近づいて、最後に残るのは至高天のみ。聖教皇国が諸共吹っ飛ぼうが恐らく魔女は斟酌などするまいよ」

「別に、私からしても滅ぼうがどうでもいい。結局、最期に御姉様さえ生きていればそれでいいもの」

「御姉様、ねぇ」

 火星天は水星天の髪に色に目を細める。なぜ彼女がその色をしているのか――そして己もまた、なぜ発動値に至った時にそのような色を呈するのか、その真実を知っている。

 知っている故に、火星天と水星天はある意味では同盟関係を結んでいた。

 

「聖戦は心底からどうでもいい――まったくの同意ね。魔女の脚本の主役は堕天のみ、それ以外の遍く総ては所詮脇役であり付け合わせの野菜でしかない、ということ」

「つまり、付け合わせの野菜らしく俺達はいずれ至高天に戴かれる、とそういうだが生憎と野菜には野菜の意地というものがある」 

 火星天は文字通り、何も聖戦に意欲を見出してはいなかった。

 最後に自分が滅ぼされようが、堕天に討たれようがどうでもいいと思っていた。

 なぜなら何を考え行動しようが、その総ては魔女と堕天の盤面でしかないのだから。仲良く彼らは好きに至高天でもなんでも描いていればいいと辟易しながら思っている。

 だがたった一つ、胸に残した想いだけが彼に聖戦の傍観者で居る事を許さなかった。このまま、ただの一脇役として流れに何の影響を与えることもなく死ぬことは許されぬと。

 

 水星天もまたその考えは趣自体は異にするが意図する部分は同じだ。銀想淑女以外の事など、ハナから彼女はどうでもよかった。御姉様と愛し合えるのなら聖戦の意義など無いに等しいと、本気で思っている。

 

 

「――妄執と狂奔を装いながら、その実至高天の階の誰よりも醒めて盤面を見通している……お前も飛んだ食わせ物だろうに、水星天」

 

 



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天霆の轟く地平に、闇は在り / Cielo di Saturno

ちょっと日常回続くかもです


「おはようございます、ロダン」

「……グランドベル卿。おはようございます」

 それは、ランスロット卿にイップスが発症した時――そしてロダンが騎士を辞める前の話だった。

 彼と訓練で刃を交えて以来、往来で目が合うと彼は申し訳なさそうにいつも私に会釈をする。

 そんな彼の姿が私には痛々しく思えた。

 

 私が彼を下した日以来、彼は剣を握っていないらしい。加えて彼は一人でいる事を好むようになった。

 聖庁で彼に挨拶をしようとすると、いつも彼は私から逃げるように去っていこうとする。

 そんな有様が何度かくりかえされ、私は彼をの背を追ってその手を握ったことがある。

 

「待ってください、ロダン。どうして貴方はそのようにして私を避けるのですか」

「……避けてはいないよ、グランドベル卿。手を離してくれないか、俺のような人間と一緒に居れば貴女が何と勘繰られるか分かったモノじゃない」

「そのような勘繰りをする人間はその程度の人間だというだけでしょう。……離しませんよ、ロダン」

 彼は、少しだけ勘弁したように息をつく。

 衆目はあったものの、別にそれは私にとっては勘案するべきことではなかった。

 彼は都合悪そうにはしていた。そんな彼の考えを尊重して、私は当時所属してた第二軍団の兵舎の裏へと連れていった。

 ここでは、人目はつかないから。

 

「第二軍団の兵舎裏か。人の往来の都合であまり人が通らない場所で、たしか告白や逢引の隠れた名所になっているんだったかな。それともアレか、グランドベル卿は俺に告白でもしてくれるのか」

「……」

 彼は皮肉るように無理に作ったような笑顔を浮かべて、会話を打ち切りたいかのようにそう冗談を言う。

 風聞で聞く限り、彼はそんな風に冗談を言う人間ではなかったし。

 

「ロダン、冗談は要りません。なぜ私を避けるのですか」

「……そうだな、悪かった。別に大したことじゃない、グランドベル卿はよくできた騎士だ。俺なんかよりずっと真っ当に生きている。……だから俺は貴女に顔を向けられるたびに惨めな気分にさせられるんだ」

 彼は尚も視線を逸らしながら、そう言う。

 私を目に入れることが辛くて惨めな気分にさせられるという。

 

「俺だって本当はグランドベル卿みたいな、ガラハッド卿みたいな、強くて優しい人に成りたかったんだ」

「……」 

「いや、違うな。それもどうせ嘘だったんだ。騎士になんて元々俺はなりたくなかった。でもそういう人間に成れるって俺に言ってくれた幼馴染がいたんだ――俺の騎士姿が似合うって、その子は言ってくれていた。それだけじゃないけれど、でもそれが俺が騎士をする理由の大部分だった」

 今はこの有様だけれど、と彼は自嘲するように言った。

 それがとても痛ましくて、私は辛かった。彼はⅤを得るまでその素行には至って問題はなかった。少なくとも、今のようにこうしてひどく自虐に奔ったり問答そのものを厭うような有様ではなかったはずだ。

 

「……それが貴方の苦悩ですか。それで貴方は変わってしまったのですか」

「俺は姉さん――その幼馴染に合わせる顔がなくてね。……リヒターの、そして何より姉さんの信頼を裏切っている事が俺には耐えられないんだ」

 ロダンは酷く子供のようだった。今にも泣きそうで、立つことさえも辛そうだった。

 そんな彼を私は放っておくことはできなかった。

 

「俺は、どうすればよかったんだろうな。グランドベル卿」

「今の貴方は休息が必要です、十分苦しんだ。だから今は何もしなくてもいい、貴方が騎士として再起できるまで、私がついています。……だから、休んでくださいロダン」

 それから私は彼が騎士を辞めるまで、しばしば彼のカウンセリングを行うことが在った。

 顔を合わせるたびに、彼は少しだけ昔話をしてくれる――決して、騎士になってからの話はせず。

 彼の話には比較的よく、幼馴染が登場する。

 物書きになりたかったという事も。結局最後の最後まで騎士に乗り気ではなかったけれど、それでも騎士に成ろうと決めたのは幼馴染の言葉故だったとも。

 そして彼はその一念で若くしてⅢ位に登りつめて見せた。決して肩書だけではなく、その力量を以って高みに至った。

 

 ……それからほどなくして、彼は騎士を辞めるといった。

 やりたいことが見つかったのだと、彼は言う。ほんの少しだけ、そう言った彼の顔は明るかった。

 

「ありがとう、グランドベル卿。貴女には返し切れないくらい世話になった」

「いいえ、ロダン。……私の方こそ許してください、結局私は貴方の心の暗雲を晴らすことはなかった」 

 ロダンはそれでも首を横に振って、それから私に頭を下げる。

 

「達者で居てくれグランドベル卿、結局俺は貴女に応える事が出来なかった。……貴女は謙遜するかもしれないが、俺は本当に貴女のような騎士に成りたかったんだ」

 

―――

 

 

 ロダン様は時折、勝手なことを言い出す。

 マリアンナ様の付き添いをしてくれと云われて、今はこうして彼女と一緒に居る。

 

「エリス、迷惑を掛けます」

「いいえ、ロダン様にとってマリアンナ様は大事な人です。貴方が倒れればロダン様は悲しみます」

「そうですか」

 マリアンナ様は返事が短い。

 それから少し沈黙が流れる。会話の長く続くわけが無い――かと思ったけれど、マリアンナ様の方から先に口を開いた。

 

「……エリス。貴女は私が憎いですか?」

「……憎くはありませんが怖い人です。貴方は正しい事を正しく為せる人です、それを疎むつもりはありません」 

「怖い、ですか。そうですね、恐れられる事は慣れています」

 恐れられる事にも、憎まれる事にも慣れている。

 そう喋るマリアンナ様の顔は何も変わらなかった。その裏にあるモノは悲壮な決意だ。

 聞いたことがある、彼女はかつて村を神祖によって滅ぼされたと。だからそんな光景を二度と造らないために彼女は騎士を続けているのだという事も。

 

「当初、私は貴女の出自を軍事帝国の手の者であるにせよないにせよ、聖教皇国の敵対者と認識して貴方に槍を向けました。貴女を管理することが聖教皇国の安寧につながると信じてそのようにしました。私を恨む権利が貴女にはあるでしょう」

 また、そういう言い方をする。

 自分が苦んだり恨まれれば万事は上手く事が進むという考え方をする人間は一定数いると造物主から教わったことがある。

 彼女は恐らくそう言う性質なのだろう。……上手く事を運ばせるために――最大効率の為に自分を犠牲にするという在り方は、一種神祖と似ているようにも思えた。

 恐らくこれは元々の彼女の気質もあるが絶対神の薫陶も少なからず含まれているのだろう。

 

「……エリスはとても、純粋です。混じりけの無い、真白色のキャンバス。そのような在り方をロダンは佳いと思ったのでしょう。謝罪します、エリス。私は貴方を兵器だと言って貴女を傷つけました」

「……過ぎた事です、マリアンナ様。それに貴女様はわざと恨まれ役を買って出たのでしょう」

 マリアンナ様は言って私へと深く頭を下げる。

 私は決してマリアンナ様が憎いわけではない。ないけれど、……それでも彼女に対して少し思うところはある。

 

「ロダン様はマリアンナ様の肩を持ちます。……マリアンナ様にも事情はある、といった文脈でよくそのようにします」

「彼が騎士を辞める前、最後に手合わせをしたのが私でしたから。それ以来、彼は剣を執らなくなった」

「そう、だったのですか」

 それから、グランドベル卿は彼の事を少しずつ語る。

 かつて彼には師と呼べる人間がいてその内の一人がリヒター様である事、彼の元々の星が他者の積み上げてきた業を奪うモノであった事。

 師の業を計らずして奪うことになり、彼はそこで決定的に折れてしまった事も。

 

 ちょうど御姉様の語っていた、ロダン様の顔が暗かったという時期と話は重なる。

 その時の彼の苦しみは御姉様でさえ癒すことはできなかったのだろう。

 

「……ロダンはあの時、騎士として完全に死んでいたでしょう。ただ、聖庁へと彼の足を運ばせるのは騎士としての規定と義務感だけだった。陽光を忌み、日陰を好み、時折意味もなく在りもしない何かを探すような足取りで彷徨するような有様でした」

「それほど、ロダン様は追い詰められていたのですか」

「彼の元々の星はそう言うモノでした。他者の数年を彼は一日で踏破し、本人以上の習熟度で使いこなして見せ付ける。そして彼と相対した者達はほぼ例外なく、自信を喪失し経験を丸ごと奪われたかのように剣を振るえなくなりました。かつてのランスロット卿もその一人でした」

 そんな過去があったなんて知らなかった。

 御姉様も、マリアンナ様も、私の知らないロダン様を知っている。それが少しだけ悔しかった。

 認めたくはないけれど、リヒター様にも私はこの点において敗北している。あの軽薄な騎士にもそんな過去があった等、私は露とも知り得はしなかった。

 

「私は、そんなロダン様の姿は知りませんでした。ロダン様のそんな顔は、私は一度も見た事はありません」

「私もまた、貴女と話すときのロダンの顔を見た事はありませんでした。少なくとも、彼にそのような顔をさせたのは貴女のみであるという事は疑いようはないでしょう」

 マリアンナ様はそう言って、私の手を取る。

 

「彼は騎士としては落第だったでしょう。私情に走った末に自分の師の制止も振り切り唐突に騎士の身分を辞したのですから」

「……それは、そうかもしれません。ですがロダン様は――」

「しかし彼は訓練を決して怠る事はなく、その力量と努力によってⅢ位まで上り詰めた。素行に目立つ不良もなく、少なくとも彼がⅤ位を得るまでは至って模範的であった。これらの事績を無視して彼を貶める事もまた、決して公正ではないでしょう」

 彼の来歴はそう言うモノなのだと、私は初めて知った。

 どうしようもなく、私は彼の過去に関われない。それがもどかしくて辛かった。

 これが嫉妬、という感情なのだろう。ロダン様の事で知らない事があるという事が――私の知らないロダン様を知っている人間がいるという事が私はあまり愉快な気分になれなかった。

 

「……エリス、貴女は確かに過去のロダンを知らないかもしれません。そのことについて、恐らく私やランスロット卿に嫉妬しているであろうことも理解しています。けれど、どうか今の彼を見てください。彼はほんの少しでも変わる事が出来た。それは、他の誰でもない貴女にしか成し遂げられなかった事なのですから」

「――」

 彼は変わらないままでは嫌だと――神天地から何一つとして進んでいないと言った。

 これから少しずつでも、私を知りたいのだと言ってくれた。そして彼が居なければ私にその先はなかった。そんな彼に私も少しでも応えたいと私は思っている。

 

「愛しい人よ、どうか過去を振り向いて。……ですか、()()()

「浅学非才の身で申し訳ありませんがそれは何かの文学作品の一節でしょうか?」

「いいえ。こちらの話です」

 だというのに私は前に進むどころか後ろを気にするばかりだった。私に振り返る事の出来る密度の過去はないし、何よりロダン様の過去にどうあっても関わる事等できはしない。

 私の(うた)は過去の彼には絶対に届きはしない。

 それは悲しい事だとは思っているけれど、それでも私は前を向きたいと思えた。

 導く者(ベアトリーチェ)が過去だけを向いては、きっと導かれる者(ダンテ)は迷ってしまうだろうから。

 

―――

 

 収容室に戻った俺は、重い体を引きずりながら食事を取る。エリスはグランドベル卿と一緒に居るはずだから、戻ってくるのは少しあとになるだろう。

 一人寂しく食事、というのはあまり好みではなかった。

 大体は姉さんと一緒に食事を取っていたから。

 

 スプーンで口に食べ物を運んでいると、唐突に収容室の戸が開いた。

 

「ああ、戻ってきたのかエリ――」

「残念、お嬢さんじゃなくて俺だロダン」

 ……出てきたのはリヒターだった。エリスだと当然のように思っていただけに少し気落ちした。

 

「なんだその露骨に残念そうな表情は、元上官としては中々傷つくぞ」

「……そんな残念そうにしてたか俺は」

「露骨すぎる。あのお嬢さんも俺に負けず劣らず顔がいいのは認めるが、それでもこうまで落胆されると辛い」

 リヒターは冗談も込みなのだろうが顔の自己評価が高い。高いし実際貴公子を思わせる雰囲気も相まって美形だ。

 血筋も貴種の血統を除けばリヒター家は相当な名家だった記憶がある

 

「……当初、エリスの自由はもっと強く制限される予定だった。手かせ足かせをつけて四六時中監視を施し、一挙手一投足を報告させるといった具合でな。だが彼女の出自は明らかとなり、加えて下手に彼女の自由を制限しようとすればお前が本気でやらかしかねない」

「一応弁明させてもらえるとすれば、エリスはお前達が拘束しようとさえしなければ決して暴れなかった。抵抗したのは俺達だが、先に不義を働いたのは騎士たるそちらだ。リヒターとグランドベル卿には申し訳ないと思っているがこれに関しては俺は決して譲るつもりはない。……それに多分、エリスに酷い扱いをしているなどと聞いたら多分俺は正気じゃいられなくなると思う」

「喜ぶといいさ、ロダン。彼女の出自が在る程度判明した事、それからお前達の内どちらか一方を刺激すればもう一方がやらかしかねない事を加味した結果、温情判決となったわけだ」

 ……喜ぶべき事ではあるのだろう。

 だが温情的な判決だとは言われはしても、エリスの自由が拘束されている有様を俺は決して好ましいとは思えなかった。 

 

「エリスを刺激しないようためにはお前が必要で、そしてお前を刺激しないためにはエリスが必要で……つまり二人まとめて聖教皇国は管理すべき、とリチャード卿及び副長官とグランドベル卿の結論になったわけだ。リチャード卿は元々()()()()()()()()()()()()()時点から相当に穏健派だったからこれはまぁ、リチャード卿の功績も大だな。……ったく色男め、寄りにもよって神天地で相当面倒な女を作って帰ってくるとはな」

「その通りだよ、リヒター。エリスはとてもいい悪女(淑女)だったろう」

「……未婚の俺が言えた義理ではないが、お前の女の趣味だけは昔から分からん。完全無欠の絶対神も采配を誤る事はあるらしい」

 ……別にリヒターは意図していったわけではないのだろうが、確かに二重の意味で神天地で女を作った、という表現は正しかった。

 エリスは本来消滅する途上であったが、俺があの時描いていた極晃によって星の生命体であったエリスはその存在の基盤を再構成されて生き永らえた。

 エリスの本来辿る末路まで見通していたのではないかと思うほどに、確かに絶対神の采配は文字通り絶対だった。

 

「リヒター。一つ、話いいか?」

「なんだ、言ってみろ。ちなみに騎士団に戻るという話なら俺は何時でも大歓迎だ」

「……以前、リヒターは俺に幼馴染の為に騎士になるのはいい事だって言ってたよな。お前は騎士になる前ってどんなだったんだ」

 悪いがリヒターの期待に応えることはできない。俺が聞きたかったのは、そういう事だった。

 リヒターは俺に目をかけていてくれたとも語っていた。その話が聞きたかった。

 

「何、なんという事はないさ。元々俺は双子の弟として生まれた。まぁ、兄貴はいたにはいたんだがあちらが正当な後継者って事で俺は本来次期当主になる予定じゃなかった」

「……今はリヒ――ランスロットが当主、と。複雑だな」

「そう。俺の兄貴――パーシヴァル・リヒターという男は宮廷剣術という奴がとにかくうまい奴だった。兄貴が入院したころには俺は当主代理、そして兄貴が亡くなったら肩書から代理が消えた。兄貴が居れば多分俺は第六の長にも当主にも成ってなかったろうよ」

 パーシヴァル・リヒター、名前だけは聞いたことがある。貴族の家内が大病を患ったりこの世を去ったり、というのはある程度大きな話題になるものだ。俺も騎士になる前に新聞でチラリとリヒター家の話につては目にしたことがあった。

 兄のパーシヴァルが病に伏せり、その代行としてリヒターが当主となっているとかなっていないとか、そんな話だったのは覚えている。

 

「そんなわけで俺は常に兄貴と比較されて育ってな、兄貴が亡くなってもそれは変わらなかった。父も母も毎回毎回よく飽きもせずにまぁ、兄貴に恥じない騎士になってくださいだの、天国のパーシヴァルも喜んでいるでしょうだの、よく言えたもんだ。何を語るにしても兄貴の事を絡められると神経が参ってくる」

「名門には名門の苦悩って奴があるってわけか。……なんか聞いてると、文脈としては兄弟仲はそんな良くなかったように聞こえるけども」

「特別仲が悪いわけではなかったが複雑な距離感があった。親が俺に期待したのは兄貴のスペアとしてのランスロットさ。期待されない事の辛さは分かってるつもりだ。だからお前が幼馴染の期待に応えたいと言った時、俺はお前の力になってやりたいと思ったというわけさ。結果はお前が犯罪者一歩手前になってしまったが」

 やれやれと少し呆れたような笑いを浮かべながらリヒターはそう俺に言葉を投げる。

 期待されずに育ってきた、そんな背景があったことは知らなかった。あの軽薄な表情や軽口も、今にして思えばリヒターなりの自身の境遇に対する強がりではあったのだろうか。

 兄がこの世を去った後でさえ、その兄の影を振り切る事が出来なかった。

 良く出来た兄と比較され、鬱屈と屈折を味わってきただろうに、そんな過去を微塵も彼は感じさせなかった。天衣無縫の星を振るう、いつも飄々として事に当たれる頼れる団長として。

 

「俺はリヒターの心を知ることはなかった。知らないままに騎士をやめてしまった。聞いた話題が悪かった、配慮がなかったよすまない」

「もう過ぎた事だ。どうにもならんさ。それに別に俺は好んで身の上話なんてことはしない。されたところで面白い話でもないからな」

 ……ちょうどそれは、俺の騎士団時代の話と似たようなモノだろう。

 その時の話をグランドベル卿から言うように求められた時、俺は八つ当たり気味に彼女に当たってしまった。リヒターと俺のその差に、俺自身の未熟さを今更になって痛感する。 

 

「ロダン。お前は俺が知らん間に随分変わったらしい。あの時の初々しく瑞々しいお前は何処にもいない。いい意味でも、悪い意味でも騎士姿はもうお前には似合わんだろうよ」

「騎士なんてガラじゃないとは思っていたつもりだが、いざ言われると若干悲しいな。騎士の肩書に未練という奴はあるらしい」

 騎士の時の事はあまり思い出さないように努めてはいたが、それでもどうしてもグランドベル卿とリヒターを相手にすると思い出してしまう。

 俺が騎士を辞めるといった時にグランドベル卿とリヒターだけは俺を止めようとしてくれた。それだけは本当に感謝している。

 リヒターは飯時を邪魔して悪かったと謝しながら、それからぷらりと手を振って背を向けて去っていく。その刹那に、少しだけ立ち止まって俺に言伝を残していった。

 

「じゃあな、ロダン。あの銀のお嬢さんと良き日々を過ごしてくれ。……ああ、それと副長官からの言伝があってな。お嬢さんとロダンと、三人でしたい話が夜にあるそうだ」

 

 

―――

 

 皇都のはずれ、跡形も残らない焼け野原と化した大地に、その男は白目をむきながら倒れ伏していた。

 臓腑が熔け、肉は焼き尽くされ、土星天の闇は英雄を前にして二度目の蒸発を迎えた。もはや彼の肉体はぐつぐつと煮える臓物を受ける鍋以上の機能をはたしていなかった。

 ……当然だ、天霆の轟く地平に一片の闇もあってはならないのだから。

 

 

「――酷い有様だな、土星天。その損傷では例え魔星であろうと機能停止に陥るのが道理であろうに」

「……堕天」

 

 血にぼやける視界の中に居たのは至高天――ルシファーだった。

 死の淵に在った己を魔星として生かし、英雄との再戦の機を与えてくれた。至高天の階たちの主。

 

「俺を笑いに来たか、堕天」

「笑う? お前の神星鉄の反応が微弱ながら残留していたから跡地に訪れたのみだが」

 顎に指を充てながら、その土星天の有様を検分するようにルシファーは呟く。

 土星天は確かに生物として再起不能なレベルまで内燃機関が焼き尽くされていた。それは攻撃性の一点に振り切れた木星天の脅威の証明でもあり、これであればなるほど恐らく己にも届き得るだろうとルシファーは木星天の脅威を評価していた。

 

「たしか貴様はよく口にしていたな、この世界に在るという事実のみが己の実在を肯定すると」

「何を喋っているのか判然つかん、人間の言語体系で喋れ」

「見て分からんか、堕天。今、()()()()()()()()()()()()()――すなわち俺は在るという事だ。しかるに俺は英雄を殺す星の定めなのだ!!!」

 土星天は、そう損耗した肉体で白目をむきながら高らかに天に叫ぶ。

 その有様に、ルシファーはため息をつく――コイツはダメだと。恐らくかなり深部にまで極光剣の斬撃が食い込んだせいなのだろう、生前から続く錯乱は更に深度を増していた。

 同時に、土星天の肉体の変容にも目を向けた。

 

「……相も変わらず頭の沸いた事をのたまう。そしてその有様――なるほど、これがウェルギリウスの提唱する心一つによる進化という奴か」

「然り――俺は死なん。光は闇を生むように英雄がいる限り、俺は不滅だ。摩天震龍(テュポーン)がそうであるように」

 肉の欠損を、土星天の星辰光が補填し毒光によってその肉の輪郭を取り戻している。

 もはや躯体の構成物は、もはや土星天ではなく土星天の星辰光に置き換わりつつあるという事実をも示していた。

 確かに土星天は木星天の一撃によってその肉体の大半は蒸発させられた。肉片を残す事でさえも決して容易な試みではなかった。

 

「恐らくは維持性による欠損部位の補填か。神星鉄を核として、肉を捨て星辰光に肉体の構成が置き換わっている。……人類種の執念の為せる技という奴か。もはやそれでは理性などいよいよとして残っているまい」

 もはやそこに土星天の正気は微塵も残っていない。

 白目をむきながら意識を寸断に追い込むほどの激痛に悶え、それでもなお歓喜と愉悦の放射能に塗れた吐息を漏らす様はまさしく怪異、化外と云う他ないだろう。

 魔星が最も星を振るえる時というモノは、すなわち最も己が本性を発揮している時とも言い換えられる。

 星で肉を補い、あまつさえ再起すらしようとしている今の土星天の頭蓋の中等、ルシファーであろうとも解析も予想もしようがなかった。

 慮外の執念が導いた進化と言えば聞こえはいいが、もはやその生命は魔星の枠すら超越を果たそうとしていた。

 

 そしてその姿を目に焼き付けると、一切の興味を失ったようにルシファーは土星天から視線を切った。それから空を仰ぎ、少し息をつく。ルシファーがこの場に立ち会ったのは、実際のところは社会勉強という側面もあった。

 極晃に至るために人間性を学べというウェルギリウスから課された課題。

 そこに解を見出すためのテストケースとして、土星天と木星天の因縁を観察していたがとんだ徒労に終わったとばかりに嘆息する。

 

「人間性を学び、見出せ、かウェルギリウス。土星天や魔星ではケースとしては極端すぎる。ならば――」

 そう、少しルシファーは思考を巡らせて――その明晰たる頭脳はウェルギリウスから与えられた課題にある一つの解法を見出す。

 

 

「居るではないか、最初から道理だったなウェルギリウス。俺達の先駆者にして第四世代型人造惑星のモデルケース。――なぁ、神聖詩人(ダンテ)



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避け得ぬ対峙 / Ophelia

エリスは月天女服を「この上なく破廉恥で、アドラーの技術者の方や神星にはその……邪な嗜好があったのでしょうか? それともあまり想像したくありませんがお母様の趣味ですか?」と思ってます、多分。

エリスの中での呼び方は月乙女達は「お母様」か「お姉様」で、ヘリオス君についてはその出自の複雑さも相俟って基本的に「お兄様」です。


 オウカ様に仕えてから、面白くなかった日々などなかった。

 色を得て色彩に溢れる毎日。私に自由に研究をさせてくれたオウカ様には私は感謝している。急に視界が開けたような気分で、私には尽きぬ美食を並べられているが如き体験だった。

 

 あの人こそは私の神祖(カミ)だったと思っている。

 

「ウェルギリウス、貴方休まないの? よくも数週に渡って書斎にこもって私の過去の論文について目を通し続けているのね」

「何かにつけて、先行研究というものは大事でしょう。神星――そして神祖は間違いなくこの新西暦の最先端です。先駆者に学ぶという事はそれこそ貴方達神祖も辿ってきた道では?」

 ……私が目を通していたのは星辰体そのものの性質についてのオウカ様の研究だった。

 神国大和が第二太陽と呼ばれるモノとなり、神祖と呼ばれる者が地上に誕生して間もない頃の論文でもある。星辰体の基本的な性質を探るための試みがそこには山と記載されている。

 星辰体の物質への影響の及ぼし方について詳細にまとめられていた。

 聖教皇国の創成期には彼らは旧暦において消滅した半導体技術の再興を介し、より優れた演算機を得ようとする試みを行っていた。

 金属が消滅したのなら有機物による半導体は動作は可能なのかという試みはこの点非常に興味深かったと思う。

 結果としては旧暦に謳われる半導体と同等の動作をするはずの演算素子は皆一様に動作不良を生じたという。

 他には金属とも非金属とも分類のしがたい炭素やゲルマニウムなどといった、いわゆる半金属と言われる元素についても半導体文明の再起の可能性を求めていた跡がうかがえる。

 

 この事からオウカ様は自身の論文において、金属やそれに類するものが一様に抵抗値の消滅を迎えただけではなく、第二太陽の影響は「金属・半金属の使用の有無に関わら()()()()()()()()()()()を阻害している」と洞察している。

 出した結論がオウカ様や神祖たちの論文とは信じられないほどに荒唐無稽であるにもかかわらず、それを呑み込ませるに足るだけの論拠を列挙し説得力を持たせている。

 単純な学術としてだけではなく、彼らの論文は私の知的な好奇心を満たしてくれた。

 

 そこで、私達しかいない書斎に一人男が入ってくる。

 

「ウェルギリウス。呼んだか。たしか今日は午後から研究の助手をしろとのことだったが」

「あぁ、来たのねルシファー」

 彼の名はルシファー。当時の名を試製人造惑星壱型という、私の製造した魔星の一つだった。

 怜悧な顔貌で、彼は創造主たる私――それからオウカ様へと視線を向ける。

 オウカ様も特に何ら考える事もなく、ルシファーに視線を映す。

 

「神祖オウカ、ウェルギリウスと俺は今日は何をすればいい?」

「……そうね、今日はアメノクラトの調整に移るわ。()()()()()()()()()()()()()()データを元に、フィードバックをかけていく。先に実験室の方へ行って準備を進めてくれるかしら」

「了解した。ではそのように俺は努めよう、神祖オウカ」

 言って、ルシファーはその部屋を退出していった。それから再びオウカ様は一切表情を変えず私へと視線を戻す。

 

「……アレ、貴女の趣味なのかしら。()()()()からあの外見として創るなんて」

「顔はともかく、頭脳に関して言えば恐らく彼は私と同列です。実際オウカ様の研究にも何度か参加させましたが彼は技術者(エンジニア)としても優秀だったでしょう」

「そうね。手先の精巧さも頭脳も彼は間違いなく素晴らしかったわ。アメノクラトの実践投入において彼と貴女、シュウの貢献によるモノは間違いなく大きいでしょう」

 ルシファー、私の手で創り上げた暁の子。

 卓越した頭脳は、やはり素体譲りなのだろう。

 初対面の時は彼を前にして、多少驚くことはあるかと思ったけれどオウカ様は眦一つ動かしさえしなかった。

 ……きっとこれではまだオウカ様を驚嘆させるには足りないのだろう。少しだけ私はあの時挫折を味わった。

 当然の事だろうと思う。神星や軍事帝国という先駆者がいる以上、今私がしていることは彼らの前例をなぞっているだけに他ならないのだから。

 けれど、そんなオウカ様だからこそ私は目標を高く持てるという側面はある。

 彼女はまるで揺れない――世界樹の幹のように。千年の時を超えて培った経験と見識こそが彼女を神なる者へと押しあげたモノなのだから、私がその領域に至るには千年をかけなければならないのだろう。

 

 けれどそれではダメだ。彼女と同じ時間かけて同じ領域に至ったのでは結局千年の開きは埋まらない。私の歩みをオウカ様は待たないのだから。

 彼女の千年に私は密度で勝負しなければならないのだ。彼女の領域に九百年でもいいから早く辿り着きたい。例えわずかでも成長の速度で上回れば、何年かかろうとその差分の集積で私は彼女は並んでみせようと思う。

 

 不意に、オウカ様は私に向き直って綺麗な形の顎に指をあてて私に問う。

 

「ああ、そう言えば。新しく私達の仲間にしようと思う人がいるだけれど。それについて少し、ウェルギリウスに意見を求めたいのだけれどいいかしら」

「……? 相談相手がシュウ様であったり神祖であったり、あるいはご自身で裁断なさるならまだわかりますが、なぜ私如きに?」

「普段ならそうね。けれど、今回私が引き入れようとしている人間だけに関しては、貴女に意見を仰ぐのが()()だと判断したわ」

 奇妙なことを、オウカ様は仰る。

 ……私に意見を仰ぐことが適切であるとオウカ様が判断し得る人物――そう考えると私の頭に浮かんだのはただ一人だった。

 

「――オフィーリアの事ですか、オウカ様」

「まだ名前すら出していないのだけれど。まぁいいわ。明察の通り、オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタイン。確か貴女と同門ね」

 想像を裏切らない、ある意味予想通りの答えと言えば答えだった。

 今、聖教皇国の技術部門の表側のトップとして私が認めるのは彼女だけしかいないから。

 

「経歴を調査する限りでは、決して己が天性のみに解法を求めず堅実に堅実に経験を積み上げていく人種――例えるならスメラギに近いかしら。重ねた時間を財産に変えていくことに長けている所謂努力家と言われるタイプね」

「教皇猊下に、ですか」

 ……オフィーリアはそう、オウカ様には評価されていたのだと思うと私は例えようのない誇らしさを感じた。

 確かに、彼女の人物評は私のオフィーリアに対する人物評と一致していた。ともすれば、私以上に彼女を理解しているのではと思うほどに。

 それはそれで、少しだけ複雑な気分になる。

 恐らく人間観察の審美眼は千年を超えて鍛え上げられたモノなのだろう。

 

「アインシュタイン家の一人娘で家は貧しいながらも親の愛情を受けて歪む事無く育っている。聖教皇国の機関学校を主席で卒業しその後は聖教皇国研究部門へ勤務。性格は温和で、多少人見知りの気性はあるものの、嘘のない堅実な仕事と人柄で信頼されている。……私は彼女の事を是非欲しいと思うけれど、貴女はどうかしら」

「……()()()()。オウカ様。たしかに彼女は努力家で、費やした時間を結実させる才能に長けています。ですが彼女は何処まで行っても凡人です。思考の瞬発力というモノに乏しく、倫理観が真っ当すぎます。非人道的な研究に従事は出来ない性質でしょう」

「そうね。彼女は確かに研究者としての倫理観も強く、少しでも倫理的な問題を持つ研究には決して彼女は従事しなかった。加えて彼女は非常に考え方が堅実ね。ウェルギリウスのように、数段飛ばしで走ろうとはしない。ただそこに確かに足場が在る事を確認しながら、一歩ずつ階段の歩を進めていくような性質の人間よ。それに、彼女の倫理観に抵触しない研究に従事させる選択肢も当然私は用意しているわ」

「彼女に才能があり――しかしそれは天性や天授のそれではありません。ですが人望と信頼に関しては彼女は私が知る限り、誰よりも優れていました。……単に優秀なだけの人間とは、彼女は違います。私にさえ、彼女は理解者となろうと粘り強く努めてくれた。だから――」

 私はなぜ、言葉を重ねてオウカ様の提案を否定する事に躍起になっているのか、自分ですら分からなかった。

 分かるはずもない。……私は私自身の機微というモノでさえ言語化できないのだから。

 本当に大事な、言いたい事を理論で覆い隠している。そんな自覚はあっても、私の理性は私の言葉(感情)を止める事は出来なかった。

 

「だから……彼女は聖教皇国の表側を担うべき人材です。事実、今は彼女が聖教皇国の星辰体技術開発の大きな支柱となっていることはオウカ様もご存じでしょう。柱が抜かれれば土台は揺らぎ――」

「つまり分かったわ。――()()()()、という事ね。ウェルギリウス」

 眼鏡の位置を直しながら、オウカ様はそう言った。

 私は恐れていた。それは何をだろうか。

 オウカ様に下につく競争相手が増える事を恐れていたのか。いや、違う。オフィーリアはそもそも才能で問うならば私には追い付けない。彼女の才能を私は誰よりも正当に評価している。

 だからこそ彼女は私に追い付くことなどできはしない。

 才能で追いつかれることなど私は微塵も危惧していないし、仮にそうであったとしても私には別にそのような競争心はない。

 

「貴女の意見も理がある。認めるわ、唐突な提案でごめんなさいウェルギリウス。機関の長としても、貴女のモチベーションに関わる決断はするべきではなかった」

 オウカ様は、そう言って驚くほどあっさりとオフィーリアの登用を取り下げた。

 取り下げられた瞬間に私の胸に訪れたのは暗澹とした、後ろめたい安堵だった。

 そして私は遅れて自覚する――私の所業をオフィーリアに知られる事を恐れていたのだと。

 

 言えるわけが無い――それまで、私は何人もの人間を平静のままに犠牲にし続けてきたのかなど。 

 言えるわけが無い――ルシファーの素体が何で在ったのかなど。

 子供が寝小便を隠すような感慨を、私の感性はまだ残していたのだな思う。

 

 

 ()()()――オウカ様の言葉は正しかった。オウカ様は私の事をこれ以上ないほどに正しく洞察していた。

 そして、オウカ様は少しだけ私を見つめて言う。

 

 

「……貴女もいずれ使徒にする予定だから一足早いかもしれないけれど、神託を授けましょう。――ウェルギリウス。()()()()が、いつか貴女の旅路の終着駅になる」

 

 

―――

 

 

 収容室で、エリスと俺は再び顔を合わせる。

 エリスは途中までグランドベル卿を伴い、収容室につくと同時にグランドベル卿は会釈を一度返すと、扉の前から去っていった。

 

「グランドベル卿とはどうだった、エリス」

「やはりあの人が私は苦手です。けれど勘違いし、すれ違ったままでいたい人でもありませんでした。悪しき人ではないと思います」

「……そうだな。グランドベル卿は悲劇(てき)に対し苛烈であり、護るべき対象に対しては寛容だ。恐らく、リチャード卿と並び聖教皇国で最も普遍的な騎士象の一つだろう」

 グランドベル卿は決して恐れるべき人ではないという事は分かってもらえたのだろう。エリスの顔からは畏怖の色は消えていた。

 

「昔のロダン様がどのような方だったのか、聞きました。御姉様は幼少期の――弟としてのロダン様を知っています。マリアンナ様は騎士としてのロダン様を知っています」

「俺の過去はそんな面白い話じゃないだろう、エリス。情けない思い出だからな、出来れば触られたくはなかった。……全くエリスの事を笑えない、俺はエリスの寝起きのあくびを笑っていたのにな」

「ならこれでお互い様でしょう、ロダン様。……ですが()()()()()()()()()()は私だけのモノです。例え御姉様でもマリアンナ様でもこれだけは絶対に譲れません」 

 エリスはしばしば俺の過去を知らない事、過去に関われなかった事を悔しがることがあった。

 加えてその前例のなさ故にエリス自身にもまた過去というモノが欠落している。どうしようもなく、彼女には自他ともに過去というモノが無い。

 だけれどそれでもエリスは前に進みたいのだと、言ってくれている。それを俺は嬉しく思う。

 

「ありがとう、エリス。……絶対神に感謝するべきなのかなこれは」

「……きっかけを作ったことは感謝してもよいのでしょう。そうした意味では間違いなく私達の恩人であり、同時に絶対神の采配に狂いはなかったと思います」

 身分の違いもあり、言葉を交わす機会等無かった、もうこの地上にはいない星辰神奏者(スフィアブレイバー)

 彼らの下で俺達は確かに極晃を描き、縁を結び、そして今に至っている。

 

「そう言えば、あの極晃を描いたときもそうだったがエリスのあの服は――その」

()()()()()()方も伝統的に袖を通していた装束らしいです。……月の衣は干渉性特化型の魔星の最適な形態なのです。私とて別に好きで破廉恥な装いでいるわけではありません」

「……舞台で晒したら翌日どころか即日には絶対発禁を喰らいそうだな」

 ……エリスは恥ずかし気に言う。確かに、戦闘時のエリスの姿はよく冷静になると、相当に布面積が小さい。

 服としての機能を果たしているかは怪しい。思えば、エリスと似たような装束の女性があの主観記憶における星辰人奏者の傍らにはいたなと思い出す。

 ……死想恋歌(エウリュディケ)死想冥月(ペルセフォネ)葬想月華(ツクヨミ)

 ――銀月天(ルナ)にして銀想淑女(ベアトリーチェ)たるエリス。その先駆者であった月天女たちの記憶も、エリスの主観記憶を介して俺は知っている。だからこそ、エリスは彼女たちの事をお母様――あるいはお姉様というのだろう。

 

 ……それから恥ずかしがりながらもエリスと目が合う。

 今度は恥じらいこそはしても目線を逸らさずに、まっすぐとその綺麗な紅い目を俺を見つめている。

 どこまでも吸い込まれそうな、紅玉のような美しい赤。月光を映したような銀色の髪。

 

 エリスと顔が近づいて、あと少しで唇が触れそうになり。

 

 

「――ロダンさん、エリスさん。ランスロット卿から話は聞いてると思うけど……」

 

 

 収容室に、オフィーリア副長官は入ってきた。

 ……互いに既に腰に手を回していて、唇が後少しで触れ合う所だった。

 少しだけ彼女は眼鏡の位置を直して、真顔を呈しながら非常に間の悪そうな引きつった微笑を浮かべながら俺達を見つめていた。

 

「……これはグランドベル卿に報告かしら。聖庁内では節度を護ってください、と確か言われていたはずだけれど」

「誤解じゃないが、後生だ副長官。どうか見逃してくれ、頼む」

 

 もう少し副長官が尋ねる時間が遅れていればどうなっていただろう。あまりそのことは想像しないようにした。

 とにかく、今ここですべきは平謝りただそれのみだった。

 

 

―――

 

 

 珍しく、俺達は装甲監獄の外に出された。オフィーリア副長官に招かれた先は、初めてエリスと一緒に聖庁に訪れた時にエリスが窓を蹴破ったあの部屋だった。

 

 蹴り破った窓は綺麗に修復されており、あの時と同じようにリヒターとグランドベル卿も立っていた。

 時間がそっくりそのまま巻き戻ったようだった。

 

「……リヒターから帰り際に聞かされたけど、話とはなんだ。副長官」

「私達に関わる事、なのでしょう」

 エリスも俺も、副長官に聞きたいことはソレだった。

 それから少しだけ息ついて、副長官は言う。

 

 

「……恐らくは至高天の階の創造主――ないしはその創造主とやらの関係者と思われるある人物の事よ。元々、彼女については目下レディ・アクトレイテの指揮の下捜索中ではあるのだけれど」

「……!!」

 その言葉に、この場にいた人間達は一様に息を呑み、副長官の次の言葉を待っていた。

 ひとしきり、彼女は決意するように目を閉じ、それから重々しくも口を開く。

 ……創造主。木星天を、至高天の階――ひいては銀月天をこの世界に送り出した、恐らくすべての元凶。

 

 あの子を魔星に変えた人物の名を。

 

 

「――聖教皇国研究部門元最高統括官、ウェルギリウス・フィ―ゼ。かつて私と同門だった友人の名前よ」

 



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堕天はかく語りき 上 / Lucifer

多分エンピレオは当初の予定よりめちゃくちゃ完結まで長くなりそうです。






 ジェームズ・ガンドルフという男は、ロダンが第六軍団を去ったのちに後を追うように去っていった。

 

「……考えを変える気はない、か。すまなかったな、ガンドルフ。本来であれば俺も責をとってⅠ位の座を辞すべきなのだろうが」

「いや、いいさ。どのみち、俺はあいつをちゃんと育ててやれなかったしもともと体にはガタが来てたんでな」

「達者でな、リヒター。俺はまだ、もう少しだけ第六軍団でやらなきゃならんことがある」

 剣を置き、ガンドルフはそう言ってリヒターの下を辞していった。

 誰よりもロダンと間近で稽古をしていた故に、今でもなおもその手には時折イップスの兆候を生じている。

 

 神天地事件の後にガンドルフは細々とだが、修理屋を営んでいる。

 銃や機械式の時計――果ては物理式演算機など、様々な機器の修理を請け負っている。

 元々、ガンドルフは騎士となる前はそれが本業であり、騎士になってからもしばしば仲間内での時計やその他の携行する物品の修理を担っていた。

 ある種、彼の剣は手先の器用さにも起因するものではあり――そんな彼にもロダンに代わる新たな門弟というべき人物がいる。

 

 ただしそれは修理屋としての門弟――ではない。

 

「よう、店主殿。そろそろ時間だろう、いつもの稽古を頼む」

「まったく、お前の()()()は知ってはいるが、本来必要じゃないだろうに。それどころか俺よりもずっと強いだろお前」

「俺には必要だよ、大問題だ。剣を握らない時がある事が耐えられない性質でな」

 ガンドルフはそう呆れたように、閉店した後の店の奥にたたずむ一人の青年に声をかける。

 

 

「――ほら、いくぞ。()()()()()。準備ができたら見つからんようにいつもの場所に来い」

 

 

―――

 

 聖教皇国機関学校――旧暦で言う所の大学というものに相当する高等教育機関を卒業した私は、当初からの目標だった聖教皇国の技術部門へと配属された。

 アインシュタイン家はウェールズのごく一般的で、少し周りと比べると貧しい家庭だった。

 父や母を少しでも支えたい一心で私は勉学に励み続けてきた。歩みは遅いかもしれないけれど、努力を欠かさなかった自負だけはある。

 かけた時間と主席卒業の事績が私のプライドでもあった。

 

 けれど、世の中には本物の天才というモノが居る。理由もなく、ある日突然閃光のように彼らは現れる。

 

 ウェルギリウス・フィ―ゼは私にとってはそうした類の人種だった。

 端正で、人間味というモノをあまり感じさせない冷たい顔つきだった人だ。

 私と彼女は同じ頃に所属したいわゆる同期という奴だった。

 

 星辰奏者を創り上げるための手術に関して、そのいくつかのノウハウは彼女が大きくかかわっているものの、その頭角を現したのは軍事帝国アドラーの技術流出より以前からだった。

 

 星辰奏者を創り上げるための手術における星辰体照射時間や、人体曝露への危険性等をヴェルは予見していた。実際、彼女の考察と予言のいくつかは星辰化手術が実用段階に至る過程で証明されていった。

 実際のところ彼女が星辰化手術の技術開発に携わっていたのは英雄崩御から数えて約一年程度だったが、それでも彼女の功績は非常に大きかった。

 

 私にもプライドというものはあり、それは自分が知識を得るまでにかけた時間に起因するものが大きかった。それだけに私は彼女と所属が一緒になって早々にぐうの音も出ないほどに完敗した。

 

 私のかけてきた時間の意味を一蹴するかのように、彼女は己が才を示していく。

 

 卓越した見識と論理に裏付けられた議論は彼女の知性を証明し、第六感めいた閃きによって難題を乗り越えていく様はその天性の証明していた。けれどそれ以上に、彼女の根底にあるのは科学と数理への真摯さだった。客観的観測によって証明された不変をこそ彼女は愛していたのだろう。

 彼女はあまり信心深い性質ではなかったが、それでもそれに代わり得る最高教義というべきものがあったとすればそれは間違いなく科学だったと思う。

 

 ……当然、往々にして一定の集団において突出した個性を持つ者は浮いてしまう。

 彼女はその知性と天性の代償なのか、あまり人づきあいというモノが上手くなかった。一定以上、知性の水準が違えば会話は成立しないと良く言われるが彼女の場合は特にそれが顕著だった。

 

 彼女と対等な議論ができる人間は、彼女が在籍して半年もすればほぼ居なくなっていた。

 嫌味を言うわけでも、罵倒するわけでもなく、淡々と彼女は実績と在り方によってのみ知能の優劣を明らかにしていく。

 それゆえに彼女も孤立を深めていくし、孤立を悟ると彼女は話の水準を自分以外に露骨に合わせるようになった。

 余計な軋轢を生むのも賢い選択ではないと思っていたのだろうけれど、それがまた彼女以外の人間をみじめにさせる要因にもなった。

 

 

 けれど、私はそんな彼女を知りたいと思った。

 何をして生きてきたら、そんな風になれるのか。どうしたらそんな風な天才になれるのかと。

 

 私が成りたい研究者の人物像は、何の苦労も顔に出すことなく御伽噺の探偵がごとくに颯爽と難題を解明する――まさにウェルギリウスのような人だったから。

 

 

 いつも彼女は一人で食事を取る。そんな折に私は彼女を尋ねてみた。

 

「ウェルギリウス、少しお昼の休憩時間いいかしら?」

「……ええ、と貴女は」

「フルネームは長いからオフィーリアでいいわよ」

 彼女は人の名前をあまり覚えてない。

 そのせいもあり人名が主語になるような会話は自然と周囲の方からしなくなっていった。

 彼女が口を開くのは議論の時か職務上必要と判断した時のみだ。

 しかし同時に彼女の才能と実績故に周囲は遠慮と配慮をするようになった――結果、ヴェルは一度としてそのように要求した事が無いにも関わらず自分に環境を従わせることに成功していた。

 環境に合わせるのではなく、環境が自分に合わせるべきという、そんな彼女の在り方は一種私には羨ましく映った。

 

「……それで、御用は何かしら。ミス・オフィーリア、朝の議論の続きなら歓迎するわ、場所を移しましょう」

「いえ、そんな堅苦しいものではないわ。貴女の事を同門の仲間として知りたいと思ったの」

「なら、他を当たるといいと思う。私がどういう人間かぐらい、貴女なら分かっているでしょう」

 興味が無い、という風ではなかった。

 けれど、その行為はあまり意味がないと彼女は言っているようだった。

 

「他の人の事は大体覚えてるわよ。でも、貴女だけは今の今まで全く知らなかったもの」

「そう、なら手を煩わせるには及ばないわ。私の経歴についてはあとで論文用紙一頁分にまとめてオフィーリアに渡すけれど」

「……貴女、それで良く機関学校を卒業できたわね」

「たしか貴女はウェールズの方だったからしら。私はスコットランドよ」

 彼女は研究の事以外に興味を示めさなかった。

 ……恐らくは同じように、彼女はそういう在り方を続けた末に機関学校を卒業してきたんだろう。 

 

「私の事を知りたいのなら好きにすれば聞けばいいと思うけど。けれど人のプライベートに立ち入る以上タダ、というのはあまりフェアではないわ」

「……つまり?」

「最低限、私と議論できる水準になったら考えてもいいわ。……ここも退屈な場所よ、機関学校と何も変わらない」

 ……彼女の言葉は、少しだけ寂しそうだった。

 それは天才ゆえの孤独なのだろう。演算機のように透徹としていた彼女の、数少ない人間らしい表情だった。

 

「……受けて立つわ、ウェルギリウス。元から、私は貴女に追い付きたいと思っていたもの」

「そう。なら、努力するといいわ。私は何時でも待っているから」

 彼女は、特に興味もなくそのように言う。

 心底から、私に何の期待もしていないのだろう。私も他の研究員と同じだと彼女のその目は算定している。

 ……そんな彼女の様に私も少しだけ腹が立った。

 というよりも、プライドという奴を刺激されたのだろう。憧れの相手にこうまで無機質に返されたら、何が何でも振り向かせたくなるのが私の気質というモノなのだろう。

 

 それで、彼女の初対面は終わった。

 

 それからというもの、私は彼女の執筆した論文――果ては彼女の卒業した機関学校での彼女の卒業論文まで取り寄せて目を通した。

 彼女が私の遥か先を行っているというのなら、彼女の遺して来たモノを精査しなければならない。

 

 彼女が如何なる手法と数式を用いてきたか、彼女はどのような側面から事象事物を見ているのか、それを彼女の論文の中から知りたかった。

 

 学生時代の論文でさえ彼女は機関学校で扱う範囲ではない定理や計算手法を彼女は用いていた。あるいは、彼女が自分で導出した新たな定理もその妥当性を証明した上で自身の論文に用いていた。

 

 ……啓示を受けて書いたのかと思うほどに、それは難解に過ぎた。職務の傍らで何度旧暦の学術書を開いたかなどまるで記憶がない。

 そのたびに私は彼女との距離を感じる。私は彼女のようになりたいと思ったけれど、それは人間としての彼女だ。

 

 彼女の事を知ろうとすれば知ろうとするほどに、彼女の事がわからなくなっていく。もし彼女が()()()()()()()()()()、私は彼女のようになれない。

 論文や彼女自身を見て私は痛感した。彼女はきっと、人と同じモノの見え方をしていない。

 彼女にとっては森羅万象全てが数理であり、理論と数式を以って換算する対象でしかないのだろう。

 

 あらゆる事物が現象としてしか恐らく捉えられない――故にその現象の原理を解き明かすことに彼女は異様に長けている。

 

「……驚いた。冗談で言ったつもりだったのに、まさか本気でやるだなんて」

「貴女がやってみろと言ったのでしょうに、ウェルギリウス」

 私の努力という奴はある程度一定の形で実を結んだのだろう。ウェルギリウスの議論についていけるようになってきたころには、彼女は少しだけ驚いた顔をしてそう言ったのだ。

 ……彼女の話を理解できるようになれば、彼女の見ている世界も分かるものかとは思ったけどそんなことはなかった。

 むしろ感じた者は卓越した智、それ故の孤独だった。

 深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いている――とは誰の言葉だっただろう。

 

 理解が難易極まる彼女の論文に広大な荒野を一人往く旅人、そんな姿を幻視する。

 彼女が何を求めて智の果てを目指しているのかが私には分からなかったし、今にして思えば彼女自身もそれはわかっていなかったのかもしれない。

 

「見直したわ、オフィーリア。私と同じ水準で議論をしようとしてくれたのは貴女で初めてよ」

「……やっとこれで貴女は私を見てくれたのね、ずいぶん苦労したわ」

「――()()()()はある、とだけ言っておくわ」

 ウェルギリウスは、やっと私の眼を見てくれた。

 彼女の眼には興味の色がほんの少し見え、少しだけ唇の右端は笑っているようだった。

 

「その薄い隈の浮かんだ顔を見ればわかるわよ。大方、過去の私の論文でも眺めていたのでしょう、あるいは、その参考文献や学術書かしら」

「……生憎と、時間をかけることしか能がない女なのよ。どこかの誰かさんのように脊髄反射で理論を考える天才とは違う」

「努力できることも気力も才能の一つ。私は貴女みたいに知識を得ることに多大なエネルギーを必要としなかった人種だから、私にはそういう才能(気力)がなかった。誇ってもいいと思うわ」

 ……それは、褒められているのだろうか。嫌味なのだろうか。

 彼女はあまり他者を罵倒する事もこき下ろすこともなく、それを悦とする感性からは程遠い。だから素直に賛辞として受け取っていいのだろう。あとは私の捉え方ひとつの問題だ。

 

「……貴女の見どころ、できる事ならもっと見せて。ええと、貴女の名前は……」

「オフィーリア、よ。ハムレットのオフィーリア。天才のくせにもう忘れたの?」

「ありがとう、オフィーリア。それなりに、今の貴女には期待してるから」

 期待している。

 それは機関学校にいたころに良くかけられていた言葉だった。けれど、彼女に言われると私はたとえようもなくうれしく感じてしまう。

 それから、私は彼女の手を取って、握手した。

 ぽかんとした表情をしていたウェルギリウスだったけれど、そんなことはお構いなしだった。

 

「これからよろしくね。ウェルギリウス。いつか貴女に並んで見せるから、その時までもう少しだけ私を認めないでおいて頂戴。私は貴女と違って凡人だから自惚れやすいの」

 

―――

 

 ウェルギリウスが、神祖オウカに師事したのは神天地崩壊の二年前だった。

 神祖滅殺は成り、その後処理に聖教皇国は裏も表もなく駆り出された。

 

 神天地に巻き込まれた全国民の後遺症の検査、それから神祖たちの所業の隠蔽。

 何から何まで、聖教皇国の総力戦の様相を呈していた。

 シュウ様とリナ様は端的に言えば神祖の側の人物ではあったものの、だからこそという側面はあったのだろう。崩壊寸前の聖教皇国を取りまとめるにおいて彼らの尽力は必要不可欠であった。

 

 私は神祖オウカの後釜として、長官となる事をシュウ様からは伝えられたけれどそれの言葉には容易には頷けなかった。

 ……それは恐らく、ウェルギリウスが神祖オウカへ師事していったことへの嫉妬だと自覚している。

 ウェルギリウスと離れ離れになった要因にもなった人物と同じ肩書を名乗るのは、あまり気が進まなかった。

 結果、シュウ様とひと悶着はあったものの妥協案として副長官とさせてほしい、と言う形で決着はついた。

 

 そのウェルギリウスは、神天地が崩壊して以来行方不明となっていて、私は彼女の安否をいつも気にし続けていた。

 聖教皇国の復興はリチャード卿率いる第一軍団が主軸となり、海を隔てた隣国アンタルヤのリベラーティの手も借りつつ元の姿を取り戻していった。

 

 私には復興に並行し神祖たちの遺した研究資料の解析という仕事もあった。

 大破壊から、聖教皇国の今に至るまで科学を司っていた神祖オウカの遺した資料は膨大なものにわたる。

 

 その中には、ウェルギリウスの遺した論文も当然あった。神祖オウカよりも先に、私は彼女のそれを見ることにした。

 ウェルギリウス、彼女の遺した論文には私は当然興味があった――けれど、その学徒のような期待は無惨に打ち砕かれることとなる。

 

 ……倫理観というモノが根本から欠如しているとしか思えない、非人道的な試みの数々がそこには羅列されていた。

 至って冷静な、何の感情を交えることもない文章が、ウェルギリウスの所業を示唆していた。

 

 肉と鋼を縫合による、半人半機の魔星創造の試み。

 過剰な星辰体照射による星辰奏者の疑似蘇生。

 ……果ては()()()()()()()()()()星晶樹の創造実験。

 挙げていけば、きりがない。

 

 読めば読むほどに気分が悪くなっていく。

 夥しく量の、悍ましい試みの数々に、私はウェルギリウスの正気を疑った。恐らくこれだけの量をこなしたことから、神祖オウカに脅されてやったわけではなく自主的なものだろう。

 

 ……私は、彼女を理解していた気になっていただけではなかったのかと思いさえしてきた。

 確かに彼女は特に動物実験においては倫理観が少し欠如している側面はあった。けれど、それでもこのような実験の数々を平然と行うような人間だったのか。

 

 あるいは、私は「そんなはずはない」と思っていただけなのかもしれない。

 彼女の論文に散見されるのは、魔星創造への試みだった。

 

 ……そして、ある一つの不出来な。試製人造惑星壱型(ルシファー)という名の星辰体運用兵器の開発に成功したとも書いている。

 

 正体不明の魔星が闊歩しているというこの聖教皇国の現状において、シズル氏の慧眼は間違いなく全ての黒幕の輪郭を捉えていた。

 

『人が秩序や倫理に挑む時――それは例え挑んででも成し遂げたい望みがある時よ。そうしたモノが木星天や銀月天と言われる存在の創造主にはある――あるいは、それしかないと私は考えているわ。魔星の本来の製造方法は本来、死体を材料とすることだから』

『魔星を創造出来得るだけの卓越した頭脳を持ち、倫理観に乏しく、今も尚かつ行方の知れない人物――それらに当てはまる人物、貴女には見当はつくかしら。オフィーリア副長官』

 

 かつて、愛に狂い数々の非道に進んで手を染めた者だからこそ、通ずるモノはあったのかもしれない。

 彼女の条件に当てはまりえるのは、ウェルギリウスしかいない。

 彼女の才能を誰よりも信じているからこそ、私はそうだと結論付けざるを得なかった。

 彼女の倫理観を誰よりも信じたかったからこそ、私はその疑惑を否定しなければならなかったのに。

 

 

 

 

 

 

「……これが、私が彼女を重要参考人と考える理由よ」

 副長官の話には、確かにそれなりに道理は通っていた。

 自分にとっては「かつてそういう名前の天才的な研究者がいた」という程度の話でしかウェルギリウス氏の事は知らない。

 横目で見るとエリスも疑問符しか浮かんでいないような顔だった。知る人は知るだろうが、しかし概ねその名の認知度は高いとは言えない。

 

「副長官。確かウェルギリウス博士は今はレディ・アクトレイテの捜索中では?」

「えぇ。ところが箸にも棒にも引っかからない。この国にいるのか――いるとして、生きているのかどうかさえも私たちはいまだにわかっていない」

 グランドベル卿の疑問に対し、副長官はそう答える。

 

「すべては疑惑の域をすぎない。けれど彼女の失踪に関連するかどうかを抜きにしても、私は彼女を探す意味はあると考えている」

「……実際に試作とはいえ魔星を完成させている実績があるから、か」

「加えて、飽くまでこれは可能性の一つだけれど――」

 副長官はそう言うと、ゆっくりと俺たちを指さした。

 

「……もし、何等かの手段で神天地から何かしらの記憶や知識を持ち帰ってきて、それが魔星製造に生かされているとしたらと? 現に木星天の完成度は半端ではなかったもの」

「ご名答。……現に貴方達はあの神天地での記憶を持ち帰っている。星辰人奏者と星辰神奏者によって生み出された超技術群(オーバーテクノロジー)――その片鱗だけでも智識としてこの地上に持ち帰ってこれたとしたならどうかしら」

「至高天の階のいくつかは恐らく彼女の独力で創造されたが、神天地事件以後に生まれたモノに関してはそれが生かされているということか」

 ……荒唐無稽で、証拠もない。副長官の想像の上での話に過ぎない。

 当の副長官自身、これは推測に過ぎないから忘れなさいと言っている。

 

「私から伝えたいことはそんなところよ。恐らくは貴方達にも無関係ではない話だろうから、こうして集まってもらったの」

「……副長官、そのウェルギリウス氏がエリスの創造主を創ったのか?」

「重ねて言うけれど、推測に過ぎないわ。それでも彼女はいまだ公的には行方不明者とされている。事の真偽はともかくかつてはアメノクラトの調整を担当し、曲がりなりにも魔星を製造に成功しているという時点で疑惑としては充分よ」

 感情を抑えるような早口で副長官はそう見解を述べる。

 かつての自分の友人を疑わなければならない、そういう苦悩もあったのかもしれない。隠し切れない痛切の色が彼女に顔からはうかがえる。

 

「彼女が自分で持ち去ったかは知らないけれど、残された論文にある魔星製造の試みは一体だけよ。それから彼女はどうも、もう一体魔星を製造しようと考えていたみたいね。干渉性特化型の人造惑星――とだけしか書いていないわ。……気分の悪くなる話だけれど、魔星製造のための素体をいくつかはリストアップしていたみたい」

「――待って、くださいオフィーリア様」

 エリスはそこで副長官の話を遮り声を挙げた。

 エリスの問いたいことは、俺も分かる。わずかにエリスの眉間は歪んでいた。

 

 

「オフィーリア様。今から私がお聞きする事に答えてください、そのようにすれば貴女の疑問は解決し、至高天の階をめぐる全ての謎は解明されるでしょう」

 ……その干渉性特化型の人造惑星の成果物がもしあの女の子――銀月天であったとしたならば、至高天の階を名乗る魔星達の黒幕は明らかとなるだろう。

 エリスの声は震えていた。

 

「その魔星の素体候補の中に、クラウディア・ハーシェルという人物は存在しましたか?」

「……それは、誰かしら」

「今までロダン様だけには明かした事のある名――私の創造主の本当の名です。銀月天を創造する礎にされた、一人の女の子です」

 彼女は、数枚の手元の資料を手繰り視線を少し這わせるものの、数刻の後に視線の移動は止まった。

 ……嘘だろう、というかぶりふるいながらオフィーリア副長官は天を仰ぐ。

 あるいは心のどこかでは真実には薄々辿り着いてはいた上で、自分の推理が間違っていて欲しかったのかもしれない。

 

「――いたのですね、オフィーリア様」

「……ヴェル。私は、それでも貴女の事を信じたかったわ」

 エリスの問いの答えになどまるでなっていないが、それでも態度は雄弁だった。

 けれど至高天の階にまつわるすべての謎は――あの子を魔星に変えてしまった人間は、明らかとなった。

 エリスもこくりと、無言でうなずく。

 ――ウェルギリウスと俺たちは対峙しなければならないのだと、そう強く思った。

 

 副長官の沈黙は、何よりもその苦悩を代弁していた。

 

「……エリスさんと、ロダンさんは収容室に戻っていいわ。グランドベル卿とランスロット卿は申し訳ないけれど、少し残ってもらえるかしら」

「えぇ、問題ありません」

「グランドベル卿に同じく、俺も異存はない」

 リヒターとグランドベル卿は首肯する。

 

 それから俺たちは背を向けて、収容室に戻ることにした。

 ……その最中、背中から声が投げられた。

 

 

「……ありがとう、エリスさん。貴女のおかげで私達は全てを知ることができた。副長官として、貴女に礼を言うわ」

 

 

―――

 

 

 俺たちは、ゆっくりと収容室へと戻っていく。

 もう、陽がくれかけている。

 

 聖庁の中庭をエリスと二人歩く

 

「ウェルギリウス、か」

「えぇ。あの子を魔星に変えた――恐らくは全ての黒幕でしょう」

 ……ウェルギリウス・フィ―ゼ。

 オフィーリア副長官の話から伝え聞く限りの彼女は、どうにも人間味というものが感じられなかった。

 透徹とした演算機――俺と会うよりさらに昔のエリスの様とよく似ているようにも感じられた。

 あの子を魔星に変えたことへの怒りはある。けれど、それはウェルギリウスが見つかってから論ずるべきであり、法に従って裁かれるべきだと思う。

 

「だとすれば、因果なものだ。神曲の絵図をなぞっているにもほどがある、ウェルギリウスという名前もその最たるものだろう」

「神曲において、詩人は地獄の門から煉獄の頂まで師たる賢者(ウェルギリウス)によって導かれるとされています。……第四世代型人造惑星としての機能は、まさしく詩人の旅路をなぞっているのでしょう」

「そして、月の天のその先を淑女に導かれ至高の天に至る――か」

 ……俺にとっての淑女(ベアトリーチェ)はエリスだ。それは変わらない。

 なら、賢者(ウェルギリウス)は誰になるのだろうか。少なくとも、ウェルギリウス・フィ―ゼの事では断じてない。

 

 それは初めに騎士姿が似合うと言ってくれたハル姉さんであり、騎士としての俺の面倒を見てくれたリヒターやガンドルフ卿であり、グランドベル卿であり――俺が詩人となる決断をさせてくれたあの子だ。

 

「……俺は生きているのなら、もう一度あの子に会いたい。会って、ありがとうと伝えたい」

「私も同じです、ロダン様。いつか、必ず見つけましょう」

 決意を新たに、エリスとぎゅっと手をつなぐ。聖庁の夜は、少しだけ寒い。

 

 

 帰路を辿るその過程で一人、見慣れない人物が視界に入った。

 その人物は本を片手に、俺たちへと視線を向けて歩いてくる。

 

 目測ではおおよそ身長は一八〇程度。長身で、金色の髪が眩しい端正な顔つきの男だった。

 片手に持っているのは――「新説・神曲」。

 装いこそは技術部門の白衣だが聖庁で働く人物に、そんな目立つ身なりの男を見たことはない。

 あるいは俺が知らないだけかもしれないが、その人物は俺と目が合うと謙虚に頭を下げた。

 

 

 

「失礼、俺は聖庁で働いているルシウスという者だ。俺はこの本のファンでな、――人違いであれば申し訳ないとは思うが、著者のロダンという人物はお前の事で相違ないか?」



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堕天はかく語りき 下 / Lucius Fiese

エンピレオの舞台の裏側と、もろもろの事が明らかとなります。

ルシファーの製造法について、ウェルギリウスが「オフィーリアには絶対明かせない」と考えている理由も明らかになります。


「――イワト、ごめんなさい。私、すでに心に決めた人がいるの」

 イワト・巌・アマツの失恋は二五の頃だった。

 ナオ・キリガクレ――ハルの母の心を射止めたのは外交官であったマシュー・ジットマンという男だった。

 おおよそ、順調な出世の道を歩んできた当時のイワトにとってそれは唯一の敗北だった。

 若い日の彼には、その才覚故の驕りも当然見え隠れした時期ではあった。

 

 イワトにとってマシューもナオも幼馴染の間柄であったが、しかしナオが選んだのは同じ外交官だったマシューだ。

 正義感の強い男であり規則に厳格な男ではあったものの人望に厚いマシューは、ナオと入籍することとなる。

 ハルという一人娘の事を語るとき、マシューとナオはとても幸せそうな顔をする。

 

 友情と嫉妬の境界でイワトとマシューとの付き合いの在り方に悩み続け、ナオとマシューの結婚からは、次第にマシューは疎遠になっていった。

 そんな折、マシューは彼を十数年ぶりに食事に誘い、「自分にもしもの事があれば娘をよろしく頼む」と伝えた。

 向こうから、そんな連絡を取ってきたのだ。

 

 そのように伝えられた数日後に、船上からの転落事故という形でナオとマシューはこの世を去った――ただ一人の娘を残して。 

 

 ……その時、確かに悲しみはあった。だが、一抹の暗い歓喜が胸の中にあった事をイワトは否定できなかった。

 それを自覚するたびにイワトは苦しみながら、しかし友情と嫉妬の天秤が傾いていく事を感じた。

 

 残された一人娘であるハルは、日に日にナオの面影を感じさせるように成長していった。

 そのたびに、ハルへの暗い感情が浮上していく。

 

 ――ナオと同じ顔をした彼女を■せれば、それはどれほどに佳いあの二人への■■になるだろうかと。

 

 

 

 

 そして今、彼は聖庁の大図書館の中で、本棚越しにある人物と語らう。

 

 

「ご苦労様、イワト卿。ようやく、オフィーリアも真実に辿り着いたのね。もう少し早いかと思ったけれど」

「……そうだな。しかし聖庁も木星天と土星天の激突の跡地を察知して動き出している頃だ。事は急ぐと良かろう。――ところでだが」

「えぇ。知っているわ。貴方への報酬の事でしょう?」

 本棚の向こう側で、魔女の唇はわずかに弧を描いて笑う。

 悪魔のような言葉を、紡ぐ。

 

 

 

「――案ずることはないわ。ハル・キリガクレの身柄は、聖戦が終ったあとで貴方に与えましょう」

 

 

―――

 

「ポースポロス。傷はだいぶ良くなったのね、驚いた。数日でここまで快癒する人なんて見たことない」

「お前の手当が優れていたからだ、ジュリエット。礼を言う」

 ただ、そうポースポロスは謝した。

 魔星であることに起因する治癒能力の高さはしかし、ジュリエットには言えるモノではなかった。

 

「……達者でな、ジュリエット。たとえ一時であろうと、世話になった事は決して俺は忘れん」

 ポースポロスは、立てかけられていた己の刀を手に取り、何度目か忘れそうになるいつものやり取りをする。

 去ろうとすれば、必ず彼女は止めに来る。止めに来る――はずだった。

 

「……そう。行くんだ、ポースポロス」

「――あぁ」

 彼女は、決して止めはしなかった。

 そのままポースポロスを見送ろうとしていた。

 

「どうして止めないんだ、なんて聞かないでね。もうこのやり取り疲れたし」

「……済まない」

「ほら、またそうやって謝る。いいから早く行きなさい。――知ってるでしょ、最近騎士の見回りは多くなってる。闇とは言え医者の端くれとして貴方を庇いたいのは山々だけど、じきにこの辺にもそろそろ手が伸びると思う」

 ……そうなれば逆に一つの場所にとどまる事がデメリットになり得るのだと、言う事だろう。

 その意図を汲み取ったからこそ、ポースポロスは深く頭を下げた。

 彼女の優しさに顔を向けることはできないのだと自覚して、背を向ける。

 

「さらばだ、ジュリエット」

「えぇ。さようなら、厄介な患者様。……少しでも貴方の病が晴れる事を私は祈るわ」

 ジュリエットもまた、言ってポースポロスを見送った。

 もう二度、見ることはないかもしれないその背を。

 

 

 ジュリエットの元を去り――そしてポースポロスは予見する。

 腕の感覚の違和が消えていない事を、彼は意図してジュリエットには伏せていた。

 

 ……汚染の毒光はまだ尚自分の骨肉を冒し続けている――即ち、土星天は滅んでいないという事を。

 

 

 

「――いいだろう、土星の龍(サトゥルノ)。今度こそ、その妄念諸共に断ち切ってくれる」

 

 

―――

 

「――、」

 堕天の産声は、音もなかった。

 試製人造惑星壱型(ルシファー)は、ウェルギリウスの手によって生まれた。

 

 俺の素体となった存在は――そして俺の正体とはウェルギリウスの赤子だった。

 ウェルギリウスは神祖オウカの伝手で()()()()の協力を得て子をなした。もう使われない名だが、その赤子はルシウス・フィ―ゼというらしい。

 

 出産した直後――その子を絞殺し神星鉄に打ち直し俺という存在は生まれた。

 これがウェルギリウスの論文に記されていた試製人造惑星壱型と呼ばれた兵器(オレ)の出自だ。

 

 その手で我が子を絞め殺した母の顔は、俺の記憶素子の中に確かに残されている。ウェルギリウスは表情一つとして変えず、機械のようなよどみのなさでその首に手をかけた。

 強制給餌がごとく、埋め込まれた神鉄星へと強制的に特異点の星辰情報を流し込まれ、現在の俺という人格は形成された。

 思考中枢をその躯体諸共に焼くだろう情報の奔流で、生じかけた自我は幾度となく洗い流された。

 己は何者かさえも見失いそうになる只中で、ただそこに在るという事のみが己の実在を肯定させた。

 このままでは俺は終わらない、終われない――そう、()()()と阿呆の一つ覚えのように俺は叫んでいた。

 

 都合数十度目に至る自我の完全洗浄を迎えた果てに打克ち――己を確立する事に成功した。

 

「……ウェルギリウス。お前が俺の製造者か」

「えぇ。その通りよ、試製人造惑星壱型。愛しい暁の子」 

 生まれて初めて交わした言葉はその程度のものだった。

 初めて味わう空気は、爛れた喉を癒しなどしなかった。

 

 俺の母――であり製造者であるその女は己をウェルギリウスと名乗っていた。

 俺を製造した目的は己の技術水準の確認――そしてこれから生まれ出でるであろう彼女の手による魔星製造のノウハウの構築にあると言った。

 

 わが子を無機物の如くに扱い鋼に変え、俺を創り上げた事。そこに怒りはなかった。

 そもそもとして、ルシウス・フィ―ゼは確たる自我を確立する前に世を去り、俺は人格の洗浄を受けた。

 故に俺はもはや別人であるとさえ言ってもいい。俺には人間の倫理観など興味はないし、倫理観と正義の味方と形容できる資質など持ち合わせていない。

 

 だが代わりに胸の中にあったのは、堪えられなさだった。

 今の俺はまるで完成されていない。六資質も、星辰光も、何もかもが脆弱に過ぎた。それでは命として生まれ出でた価値が無い。

 

「……お前はこのような出来で満足か、ウェルギリウス」

「それはどのような意味かしら?」

「俺は俺の不出来さに耐えられんと言っている。なんだこの躯体の脆弱さは。俺の知性の乏しさは。――仮にも俺はお前の胎から生まれてきた。お前の知性の産物はこの程度であってはならないはずだろう」

 不出来な己を外気に晒していることそのものが、俺にとっては耐え難い事実だった。

 誰に見とがめられているわけでもなく、俺自身が俺の脆弱さを許せなかった。

 生まれたからには、生命としての完成を目指すべきだ。

 智も力も、到達でき得る総てを己が裡に修めるべきだ。生命とは、そのように強くあるべきだと俺は考えている。

 それは命の義務であり、少なくとも俺にとっては代謝に等しい。

 

 その原初の衝動――自意識の漂白さえも超えて焼き付いていたモノは恐らくルシウス・フィーゼという男の末期の叫びだろう。

 このままで終わりたくはない、終われない(まだだ)という叫びだけは、未完のままでいたくはないという俺の衝動に形を変えて生き続けたのだと考察している。

 

 

「ではルシファー。貴方にとっての命の完成とは何かしら」

「俺の知覚でき得る領域において、俺に並び得る存在も仰ぎ見るべき存在もない状況を指して言う」

「……奇遇――いいえ、貴方の生まれだからこそかしら。貴方は力を欲し、私は智を欲した」

 俺の渇望をウェルギリウスは知っている。

 そして自らもまた智を求めているのだと言う。……それまでの事績を鑑みるに、倫理観ともどもにその情念は常軌を逸していると言ってもいいだろう。

 

 人機の縫合などその狂気の入り口に過ぎない。

 ウェルギリウスの残している論文の記述には、数々の試みが記されている。

 人が耐えられる星辰体の照射の限界強度、生身の人間の神鉄を介した高位次元との強制接続。

 星辰体の強制感応による人格洗浄や、星辰奏者を制御中枢に据えた超大型躯体の星辰体運用兵器製造。

 俺には人並みの倫理観というモノは理解が遠いが、それでも研究の過程で生じた死者の数は彼女の倫理観の欠如と狂気を代弁していた。

 

 同時にこれらの試みは一つの成果物――俺という魔星として収斂と結実を果たしたのだという事も想像に難くなかった。

 

「今の私の科学の最高到達点が貴方なのは事実よ。けれど、それでは終わらないわ。……まだ、貴方にも私にも、その先がある――私の科学の象徴たる貴方を、この程度では決して終わらせない。必ず私は貴方を完成に導いてみせる」

「お前が智を求める限り、俺の力はお前に利そう。お前が賢者を謳うのならば地獄の淵(コキュートス)より俺を天昇に導いて見せるがいい、俺は命の続く限りお前の共犯者であり続けよう」

 ウェルギリウスの眼に映るのは、ただ遠く彼方。

 前人未到の科学の領域、そのテストベットとなれと俺に告げている。

 だがもとより俺は是非などなかった。彼女の智の果てを俺は見たくなった、何よりその眼に俺は共感を覚える。

 揺れぬ静謐な眼光の中に、現状維持を許せない危険な熱量を宿している事が。

 だからこそ、俺は彼女の理論を証明し続ける実験台になろうと決めたのだ。

 

 

「お前の実験台(最高傑作)に俺はなろう。存分に試せ、妥協は許さん。お前の行きつく人智の果てを、俺が実証し続けてやる」

 

 

 

 

 

 ――神聖詩人、アレクシス・ロダン。

 俺と同じ第四世代型人造惑星たる銀月天の現身を伴って、その男は聖庁を歩いていた。

 寒い茶番だとは重々に俺は理解している。だが、それでもこれ以上の方策を俺の理論体系は導かなかった。

 加えてその傍らにいるのは、第四世代人造惑星たる銀想淑女。

 

 

 聖庁に潜り込むことそのものは難題ではなかった。

 ウェルギリウスに借りたかつて聖庁で使用していた白衣も、それなりに様になってはいるようだった。

 

「――そうだ、俺がその本の著者のロダンさ。ルシウスさん」

「直接会って、話をしたいと思った。芸術には疎い自覚はあるが、それでもこの本の著者の事が気になってな」

「本の内容じゃなくて、俺の事が?」

「あぁ。そこで思いもかけず、事情のある身として聖庁に保護されていると聞いていてもたってもいられずな。ファン、という奴だ」

 概ね、事情については当たり障りのない解答をした。

 銀想はどうにもいぶかしんでいるようだ。……俺の知る限りでの銀月天の素材となった人物とはやはりその様に類似点が乏しい。

 少なくとも、立ち居振る舞いからは銀月天の生前を連想はできない。

 だが俺にとって重要なのは、銀想ではない。

 

「……エリス、先に戻っていてもらえるか? 俺も少ししたら帰るから」

「えぇ、わかりました。どうぞ、お楽しみください。ロダン様、ルシウス様」

 礼を返し、エリスと呼ばれた女はその場から去っていった。

 その背が見えなくなると、俺は神聖詩人へと視線を戻す

 

「では、聞きたいこととは? なんでも言ってみてくれ、ルシウスさん」

「俺は生来、あまり書を親しまない性質でな。無からエピソードを創造するという事は、即ち零から一を生むという事だ。興味深い活動だと俺は考えている」 

「期待に添える応えではないことは先に謝るが、アレには元ネタという奴がある。……というよりも、まったくの零から創作をできる人間はそう多くないし俺はそういう類の人間じゃないよ」

「詩人とは想像を文字列に変換する技術に長ける職業と解釈していたが、必ず誰しもがそうではない、ということか」 

 神聖詩人を尋ねるにあたり、その事前学習としてその著作を概ねほぼすべて目を通し分析をしている。

 語彙力や文節の長さや数は、旧暦の作家のいくつかに類似点は見られる。

 確かに、神聖詩人の言葉はその通りであった。

 

「アレは、神天地事件の夢で出会って――そして別れることになった女性をモデルとしている」

「なるほど。そこに着想を得てあのような筋書きに至ったというわけか」

「あぁ。……どうにも彼女の事が忘れられなくてな」

 ……神聖詩人の言うその「女性」とはすなわち銀想に他ならない。

 神天地創造を経た後に地上に銀月天と全く同一の星辰波長を持つ、俺たちのモノではない神鉄の反応が観測された。

 すなわちそれこそが銀想淑女。銀月天の手によって創造された亜種魔星であり――銀想の星辰波長には不完全ながら極晃創星に起因する他者の星辰波長も見られた。

 つまり彼も銀想もまた俺達と同じ、プロセスは違えど不完全な極晃の繋がりをこちら側へ持ち帰った存在だと判明した。

 故にウェルギリウスにとって興味深い観察対象になったという事実がある。

 

「時に詩人よ、お前に問いたい。お前に師と呼べる者はいるか?」

「昔はいたよ。……今は、いない」

 神聖詩人は言って、少しだけ目を伏せた。

 ……あまり触れられることを好まない内容だというのだろうか。だが、さほどそこに斟酌する気はない。

 なぜならば、俺が聞きたい答えはそこにあるのだから。

 

「もしもの話をしよう。仮にその師より、お前を高みに導ける者がいたとしよう。お前は師とその者とどちらに師事する?」 

 ……俺の事を自分以上に理解し改良できる者がいたとき、俺はどうするべきなのか。

 ウェルギリウスが過去に俺に投げた問いだった。

 俺はウェルギリウス以上の者がいるという前提条件を認めなかった。そして認めよう、俺はそこに答えを見出すことができなかった。

 

「……人によって答えはいくつかあるだろう。難しい質問だな。それでも、俺なら元の師を選ぶ」

「合理的ではない答えだ、成長速度の妨げになる。何より何の利得もない」

「人は合理だけで生きてるわけじゃない。要はアプローチの問題だよ、俺は俺に肩入れしてくれる人間に肩入れしたくなる。俺の師は俺の成長を喜んでくれていた、だったらその意気に答えたいと思うのは弟子の感情として当然だ。どのように導かれるか、ではなく誰に導かれるかが重要な人間だって一定数いる」

 自らの存在意義を相対視や相互承認の中で見出せるから――その思想は俺にはなかった。故に俺はウェルギリウスの見解を否定した。

 相対視とはすなわち何者にも頼らず己を定義できない弱さであると思っていた。

 己が世界に在るという事実のみが己の実在を証明する――故に俺は俺の絶対値(ありか)を見失いなどしなかった。

 だがウェルギリウスのあの問答が、俺の中の絶対を揺るがした。

 

 ……どのように導かれるか、ではなく誰に導かれるかが重要である。

 その論に従うならば、俺の答えは明白だった。俺はウェルギリウスのアプローチこそが至高と信じている。

 俺の高みはウェルギリウスによって導かれなければ意味はない――違う。

 俺はウェルギリウスの理論をこそ俺の勝利によって証明したい。俺の運命はウェルギリウス以外の何者であっても成らない。

 

 ウェルギリウスの人智の果てを、俺は証明し続ける。それが俺の原初の誓いだったのだから。

 

「例えば――そう。ならばお前にとって、先の彼女はどのような存在だ。過去、星辰光の特殊性故に聖庁へ招かれた人物は終焉吼竜を始めいくつかいて、お前も先の彼女もその例だとは聞いている。だが俺は生憎とその件に関しては管轄ではなくてな」

「俺も彼女も、少しだけ境遇が珍しかったというだけだ。けれど彼女には何度も、何度も、人知れず助けられた。彼女は自身の存在こそが俺の勝利だと言ってくれた」

「……羨ましいな、どのような経緯で今この状況に至ったのかは知らないが。しかし常人には得難いモノを得ている」

「俺の事が、かい?」

「エリスと名乗る先の彼女も、お前もいずれもだ。生来、人間に関心の無い性質でな。感情というモノだけは俺の養った理論体系だけでは定義ができない」

 それは俺には持ちえぬ強さだ。誰かがいるという事の強さを、神聖詩人は己が著作においても謳っている。

 

「別に数字で理解なんてする必要はないだろうルシウスさん。古今、人の心というモノを数的に理解しようとする試みは歴史を紐解けばいくらでも見受けられる。であるにもかかわらず、それが未だに成就していないのはまさしく神様の贈り物ってやつなんだろう」

「数式による理解の試みは、すなわち神へ近づこうとする行為だということか。……なるほど、それは例えば、蝋の翼で太陽神に肉薄しようとした者のように?」

「近づこうとする事は高みを目指すという意味ではその試みは決して無駄じゃないと思う。けれど、もし本当に心というモノが数式で解釈できるとして、解明されたとして――そうなったとき、人間は演算機と違うと言えるのか。……俺はそれが恐ろしいと思うし、だからこそ解明されてほしくないという願望も混じっているんだと思う」

 ……人と機械との違い。

 それはある意味において星辰奏者(マン)人造惑星(マシーン)の違いとも言い換えられるだろう。

 星辰体運用兵器とは理路整然とした数式を以って星を出力するのが旧暦での在り方であり、神星はその数式を情動制御に置き換え新西暦における技術として確立した。

 だが数式では極晃には至れないし、一と零を超えた地平に至ったからこそ神星は極晃に至った。

 そして絶対数式(アメノクラト)を界奏と閃奏は上回り勝利を手にした。

 

 だからこそウェルギリウスは人間性を学べと俺に示したのだろう。

 

「……違うとは言えんだろうな。与えられた数値条件によって出力される感情や脳内の生理活動――その方程式や機構が解明されたとしたならば、その時人間は人間という言葉の定義もろともに()()()()()()()()()()()だろう」

「だろう。海が青いのも、酒が出来るのも、太古の昔においてはそれは科学的に解明されていなかった。妖精、あるいは悪魔や天使の仕業だと言われしばしば畏怖やロマンの対象となってきた。……ところが、科学の発達によってそれらは全て駆逐され、今ではそんなことを宣う人間は詩人か狂人ぐらいだろう。その対象にもし人間の心がなったら、俺はそれは悲しいことだと思う。――何より、エリスへの想いは決して数式で計られたくない。エリスは、物言わぬ機械じゃない」

「そう思いたくない、から神秘のままであってほしい、か。特に、先にエリスという者への想いはそう考える対象である、と」

 そうだと神聖詩人は頷く。

 そう思いたくないから、解かれないままであってほしい。それを智の乏しき敗者の発想に過ぎないと俺は断じることはできなかった。

 神聖詩人は運命を――自分を導く者を得ている。

 銀想淑女は運命を――自分が導く者を得ている。

 

 人間としての俺が未だ掴めていないモノをすでに神聖詩人は手にしている。

 そして銀想淑女は一と零の地平を超えた感情というモノを手にしている。

 それが俺には()()()と感じた。

 

「……これが感情か。俺は羨ましいと――悔しいと感じているのか。俺の名が背負うにふさわしきは傲慢のみと思っていたが、嫉妬もまた俺の中にはあったという事か」

 神経を通じて指の隅々までその熱は伝達する。体感にして、恐らく体温は小数点以下で一度上昇した事を俺は観測した。

 神聖詩人は怪訝な顔をしているが、そんなことは些末な問題だった。

 

 俺は誰と極晃を描けばいいというのか。それはウェルギリウスと幾度となく、数限りなく議論を重ねた。

 本来であればその相手は第四世代型人造惑星たる銀月天となるはずだったが、それは神星の筋書きよろしく銀月天は目覚めず頓挫を迎える羽目になった。

 

 これによって、俺とウェルギリウスの計画は根本から見直さなくてはならなくなった。 

 第四世代型人造惑星としての機能は俺にも後に搭載され、その接続対象は至高天の階――そしてウェルギリウスであった。

 

 木星天との聖戦――終末晃星大戦(アーマゲドン)を以って木星天、あるいは太陽天と共に至る事になるだろうと、今この瞬間までは思っていた。

 

 

「……礼を言おう、神聖詩人。他者にこのような感情を抱くのは初めてだが、お前の知性を俺は今理解ができた」

「……え? ルシウスさん。今、神聖詩人って」

 俺の予想は最初から最後まで誤りはなかった。

 己に由来する強さのみではなく、他者の強さを真摯に認め取り込むことでしか得られない高みもまたあるのだと理解した。

 

 俺もまた、神聖詩人と同じ天国へ至る道(パラディーソ)を歩んでいる一人の旅人(ダンテ)に過ぎない。

 ……そうだとも。堕天と共に極晃を描くのは、魔女でなければならない。

 

 俺の傍らに在るべきは、共犯者たる魔女(ウェルギリウス)に他ならない。

 

 

 数瞬遅れて、神聖詩人は俺から距離を話して構えを取る。

 だが――すべては遅い。

 神聖詩人と俺の性能検証は今、始まったのだ。

 

 

 

 

 

「――創生せよ、天に描いた明星(みょうじょう)を――我らは極夜の流れ星」

 



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死想変生 / Divine Lost

めちゃくちゃ間が開いてすいません、扁桃炎で死んでました


多分現状2/3が終ったぐらいなんですが、次回投稿も少し間が伸びるかもしれません。
そうなったときはちょっとしたキャラ紹介とかみたいな感じで脇道に逸れるかもです。


「創生せよ、天に描いた明星を――我らは極夜の流れ星」

 

 悪魔の祝詞は、唐突に紡がれる。

 共振する神鉄が莫大な量の星辰体を励起され、秩序は一色に塗り替えられる。

 

 

「此処は終の星、第十の天体。全霊鎖す氷の冥府に天昇の未来は縫い付けられた。されど胸を焦がす激情は何やらん、成就せよ我が天昇。秩序の鎖よ朽ち果てろ、砕ける音を幾度待ちわびた事か」

 ルシファーの胸の神鉄は黄金に輝き、そこから塔のように一本の槍が現出する。

 神罰の儀を遡るかの如く、その槍を引き抜きルシファーは右手にその光の槍を携える。

 

「輝く六翼は天を翔け、神塔(バベル)の果てを飛翔する。如何なる炎熱も雷霆も我が墜落を担うに能わず、故に二度と堕天は訪れぬ。愚かなり、いと高き者どもよ、汝らを試みるは我に在り」

 輝く星々を従えながら、堕天の王はここに降臨する。

 

 

「無間の夜は明け、第十の天は顕現する。衆生よ森羅よ万象よ、黎明が汝らの心を照らすまで、我が言葉を導に抱くがいい。――光輝を纏え、喝采と共に我が名をここに執行しよう」

 神の庭をあざ笑うかの如く、輝きを冠する人造の神性は数多の光の柱を従え顕現する。

 これなるまさに人造神、地の底より生まれ今や天をつかまんとする者。

 

 それは、大和をも撃ち落とす暁の御子――黎明の翼(ルシファー)。 

 

 

「超新星――熾天統べる黎明の翼(Cielo Quieto)顕現するは至高天(Empireo)

 

―――

 

 

「――嘘、だろ。ルシウスさん」

「それは人であったときの俺の名だ。輝ける者、と呼ぶがいい」

 息をするだけでもむせ返りそうな星辰体濃度が、眼前の男が魔星であることを端的に示唆していた。

 エリスや木星天と比べても、その出力は常軌を逸していると評価するほかない。

 

 単純な出力――その一点のみ関して問うならば、恐らくは極晃に迫ろうとさえしていた。

 

「……ロダンさん!! これはいったい……!?」

 その只中で、オフィーリア副長官は聖庁の庭に駆けた。

 特級の異常事態は、誰彼構わず否応なしに混沌へと陥れていく。騒然とする騎士たちの声が聞こえる。

 

「わからない。わからないがアレも至高天の階だ。俺の事を神聖詩人だと言ったからな。あちらはルシファー、とだけ名乗っていた」

「……試製人造惑星壱型――ウェルギリウスが製造していた魔星の一体と名前が一致している。……という事は」

 副長官は、驚愕と共にルシウス――ルシファーの顔を見つめる。

 そんな副長官の姿を、ルシファーはどこか興味深く眺めていた。依然、光のように輝く黄金色の視線はそのままに。

 

「なるほど、その様子では恐らく魔女の真実に達したか。その通りだ、女。ウェルギリウス・フィ―ゼの創り上げた魔星が一柱にして共犯者、至高天の階(エンピレオシリーズ)の頂点に立つ者――それが俺だ」

「……貴方が、ウェルギリウスの創り上げた魔星だと?」

「……そういう貴様は、ウェルギリウスのいうところによるかつての知己という奴だったか。オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタイン。時折ウェルギリウスは貴様の名を口にしていた」

 視線はそのままにルシファーの持つその光槍が無情にも副長官に振り下ろされようとした。

 それは当然、受け入れかねる。冗談ではない。

 

「――エリス!!!」

「えぇ、何時だとて仰せのままに。ロダン様!!」

 同様に俺も星を励起させ、真正面から光の波濤を銀剣で断ち切る。

 しぶきのように飛散する光の粒子に、ルシファーもまた目を見開く。

 

 数瞬遅れて、そこから俺の背にエリスもまた舞い降りる。

 敵意を隠さない緋色の瞳が、怒りの視線をルシファーに投げつけていた。

 

「ルシウス様。いいえ、魔星ルシファー。貴方もまた、至高天の階ですか」

「そうだと言ったが、淑女。銀月天の後継よ」

 直後、ルシファーの背には光で編まれた六翼が顕現する。

 それは熾天に謳われる神話がごとく、禍々しさと神々しさを渾然一体に併せ持ちながら編まれていく。

 輝く六翼は戦慄き、大気の星辰体を取り込みどこまでも出力を跳ね上げていく。

 腕に構えられた光の槍を打ち放たせてはならない。

 

 自分たちの後ろにあるのは大聖庁であり、そこには多くの人がいる。

 それを何の良心の呵責もなくこの男はやりおおせようとした。普通の精神構造ではない事は明らかだ。

 

 

機光集束刃(マターエッジ)――堕天の光輝よ地を満たせ」

「させるか!!!」

 考えるよりも先に、脊髄が俺の足を走らせた。

 剣を打ち合うその刹那にルシファーは腕をかざすと――俺達の足場としていた大地は唐突に剣のように隆起し、次々と接近を拒むように乱立した。

 

「副長官。逃げてくれ、話は端折るがコイツも至高天の階だ。貴方にどうこうとできる相手じゃない」

「……じゃあ、ロダンさんとエリスさんにはどうにかできるとでも?」

「少なくとも、貴方よりはどうにかできる。……何より、俺とエリスには無視のできない相手なんだ。副長官は逃げてくれ、グランドベル卿かリヒターならちゃんと貴方を守ることができるはずだ」

 少しだけ、後ずさりながら副長官は無言で頷いた。

 

「ごめんなさい、ロダンさん。今はこうするしかできない。だから貴方達も、命を優先して――!!」

「あぁ、そうしてくれ。……グランドベル卿とリヒターと合流したら逃げろと言ってくれ」

 言って、副長官は背を向けて走り去っていった。

 それを見届けた後に、俺達は再びルシファーへと視線を返す。

 

 ……一歩、遅ければ全身が串刺しとなっていただろう。似たような星光は、確か風のうわさでかの強欲竜団の長がそうであったと聞いたことはあるが、いまのルシファーの成した御業は根本的に異なる。

 

「……ロダン様、見てください」

「あぁ。……恐らくコレは単なる状態変化じゃない」

 乱立する杭のように隆起したソレは、明らかに材質が変わっていた。

 ……石や砂、草や土で出来ているはずの大地から黄金の十字架が生えている。それもただの金属じゃない――恐らくは星辰体と感応している事を見ると神鉄と同等の特殊合金だ。

 

「なるほど、これを読んだか。見立てはあっている、反射と理論に大きな乖離はない。だが――数秒先の演算が浅い」

 手を翳せば、次々とその十字架の杭は広がっていく。環境は侵略されるがごとく次々と黄金へと変じていく。

 この世に神はいないとあざ笑うがごとく、銀の輝きを駆逐するがごとく、世界は塗り替えられていく。

 

 

「例えば――、これらすべては疑似的な俺の発動体であり同時に俺の躯体も同然だ。これを同時並列的に感応、干渉させたらどうなる?」

「……ぐ、ああぁぁぁぁ!!!」

 パチン、と指を鳴らした瞬間に、杭の群れは数度の共振と共に連鎖的に爆ぜる。

 絨毯爆撃的に広がる爆光を、住んでのところでエリスの月光で相殺し俺は生きながらえた。

 同時に、エリスもその月の衣の幾分かは焼けてしまっている。相殺の月光でさえ、ルシファーの星光を殺しきれなかった。

 熱と痛みにエリスもまた顔をゆがめている。

 

 

 ……恐らく今ので理解はできた。

 

 天元突破の出力――それに比肩するのは、物質を自在に成型できる操縦性だ。

 だがそれだけはない。ルシファーの星を構成するあらゆる要素に穴と言えるモノが根本的に存在していない。

 

 

熾天統べる黎明の翼、顕現するは至高天

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AAA

集束性:B

拡散性:AA

操縦性:AAA

付属性:A

維持性:A

干渉性:A

 

 

 

 比較する事さえ絶望的に感じるほどの圧倒的な力量、人と兵器の隔絶を突きつける差があった。

 

 ……そしてこの男の星は、単なる物質成型ではない。

 英雄の御業を()()()、神星の御業を()()()と例えるならば、今ルシファーが成し遂げた御業は()()()だ。

 物質そのものを根本的に別に物質に変換してしまう、人奏者とは異なるもう一つの創造性の極致。

 

「……立て、詩人と淑女。銀月天が地上に遺した月の残照と謳うのならば、その輝きを俺に見せてみろ」

「ふざ、けるな……」

 平平と、ルシファーと名乗るその男は言った。

 それはエリスと俺の怒りを煽るには十分に過ぎた。

 

「ウェルギリウスのせいで、あの女の子は物言わぬ鋼に変えられたんだぞ……!!」

「個体名はたしかクライディア・ハーシェルと言ったか。アレを見定めたウェルギリウスの観察眼の卓越は認めねばなるまい。俺も施術に関わったが――そうだな、術後の経過は」

「――お前も、ウェルギリウスに加担したというのかルシファアアァァァ!!!」

 足の筋がイカれることなど、もはやどうでもいい。

 剣を握って今まで、俺は恐らく初めて殺意を抱いた。再び乱立する鋼の杭も、力任せに銀光の剣でひきっさく。

 

「ロダン様――受け取ってください!!!」

「あぁ、行こうエリス!!!」

 地上だけではなく、今度は切り裂いた杭の破片が再度形を成して俺達に間断なく襲い掛かってくる

 眼前の遥か彼方から飛来する杭は銀剣が、背後からはエリスが対応する形で星殺しの銀光を行使する。

 

「鬱陶しい、邪魔だ!!」

 

 再度戦慄き乱立する杭も、銀剣を大地に突き刺し力の限り銀光に還元すればボロボロと十字杭は形を失い崩れていく。

 奪った星はそのまま俺達の出力になり、同時に膂力となる。

 

 同時にルシファーは核変換を介したのだろう、環境の改変すらも容易にして見せる。

 足場が底なしの湖へと変わりかければ、エリスの導きで波濤を泳ぎ切りながら星を殺し水を叩き割り地上へと免れ出でる。

 

 

「なるほど、環境改変への適応も早い。成長速度の速さは、恐らく淑女との縁によるものか」

「……お前の設計の元になったのは、恐らく天之闇戸か」

「加えて、ウェルギリウスによれば絶対神(ヴェラチュール)もだ。俺を陥穽無き万能として設計したらしい」

 今度は溶岩の溢れる灼熱地獄を創造する。

 それもまたエリスの振るう星を前にしては、煮える事さえなく岩礁と溶岩は冷えて固まっていく。

 

 

 シファーは光の槍を構えて、間合いに飛び込んだ俺と打ち合う。

 

「答えろルシファー。至高天の階とはなんだ!!」

「俺の試作品にして、俺が高みへ至るための踏み台だ。来るべき時が来れば、最後の一機となるまで、俺達は殺しあう運命にある」

「……ふざけるな、そんなことをする目的がどこにある」

「今までの極晃奏者たちがそうであったように、俺が成長するためには絶体絶命の窮地が必要だ。俺を極限状態まで追い込めるだけの強度を持った至高天の階だけが、俺を――俺と魔女を極晃へ導ける。十機の魔星の各々が殺し合いを演じ、勝ち残り己を高め上げた者と俺が雌雄を決する――これを以って俺達は聖戦と呼ぶ」

 文字通り、悪魔のごとき企みに、本当に俺は意志ある存在と対話しているのかを自分で疑いたくなった。

 だが少なくとも、自分と違う摂理に生きている存在の言葉であることは疑いようはないだろう。

 自らが極晃という極晃という高みに達するために好敵手を製造し、養殖するというその発想はあまりにも人智を逸していた。自ら望んで困難を創り出してまで、それを打倒する事で成長を得ようとする神経は俺には理解ができなかった。

 だからこそ、いくつか合点のいくこともある。

 木星天は俺達に対し苛烈に敵対しているわけではなかったし、水星天もまた気色の悪さを除けばさほど積極的にエリスを害そうとはしていなかった。

 ……魔星同士で殺しあうという最終目的においていかに特殊性があろうと、俺達の存在は看過しようと関与しようとさほど大局に影響を与えないからだ。

 聖戦の配役に入っていたのは本来銀月天であって、淑女と詩人ではないのだから。

 

「銀月天は製造されてから一度も目を覚まさなかった。残念ではあるが素質ある死体は貴重なものでな、代替がきかない。だが、地上で銀月天と同じ鼓動を持つ貴様の存在が確認できた時、魔女は一つの案を考えた。……物言わぬ銀月天に代わり淑女、貴様に第四世代人造惑星の成功例になってもらうという案をな」

「だから、火星天をけしかけたのですか、貴方達は。何もかも、ロダン様との邂逅も、仕組まれていたものだと……!!!」

「概ね正しい理解だ淑女。神天地で共に極晃を描いた者を探し地上を彷徨っていた事は知っている。お前の魔星としての特性も概ねのところは把握している。ならばその片割れたる詩人を追い詰めれば自然、お前は恐らく未だ目の覚めぬ銀月天に代わりその機能を使い詩人を助けるだろうと予想していたが――ここまで完全な形で接続機能をトレースする事までは予想していなかった。」

 あざけるわけでもなく、ルシファーは淡々と事実と所業を述べていく。

 何も罪悪感など感じ入ることもない、自分が高見に上るためならば何をも犠牲にしても心が痛まないという悪魔の感性に怖気さえ走る。

 話は確かに通じている。通じているが、ルシファーは――そして恐らくウェルギリウスも、根本から倫理や良識というモノに価値を見出していないのだ。

 そして、火星天も水星天も別に他の至高天の階の仲間というわけでなければ、ウェルギリウスの協力者というわけでもないのだろう。

 

「俺もまた銀月天や貴様と同じく第四世代型人造惑星であり――そしてその設計理念が()()()()()()()()()()()()ことをお前達は自身の成功を以って示したというわけだ」

「心底から、反吐が出るな……!! 木星天も水星天も、エリスのあの力も、全てお前の好敵手を製造するためにあったとでも言うつもりか。そのために人間がいくら犠牲になろうと、聖教皇国が諸共吹き飛ぼうと、どうでもいいというのか!!」

「俺はそうだと言ったが?」

 俺の剣が突出して優れているというつもりはかけらもないが、それでもルシファーの槍捌きは星のみに頼る者の手練れではなかった。

 恐らく戦いの経験はないが、未来の超速演算と数理によってその剣戟を生み出している。

 打ち合えば打ち合うほどに、俺の習性を恐るべき速度で学習し理論値と実効値のズレを潰してくる。

 フェイントを放つタイミングを、恐らくは俺の僅かな所作や視線の動き、星辰体の揺らぎから総合的に判断してルシファーは戦っている。

 ……昔の俺の星を見ている気分にもさせられるが、そこには人の研鑽と歴史など一切ない。ただ、その槍に宿っているのは演算機が如き道理と数理のみ。

 

「淑女に星殺しを一任し、核変換を阻止しながら剣戟で俺を直接狙い撃つという発想は悪くはない。むしろ数的有利をとれるのならば俺もそう判断する。……残念だ、神聖詩人。お前も淑女も、どこまでも俺の演算通りに動く、予想外など何一つとしてない」

 呆れと侮蔑もあらわに、ルシファーその膂力の下に俺の剣を退ける。

 リヒターの剣も、ガンドルフ卿の剣も、恐らくすでにルシファーは見切っている。定量化し、分析し、それを数値として還元して学習している。

 

「秩序よ滅べ、俺ならざる天など諸共一切堕天せよ。機光神鉄楽土(フォールン・エデン)――開闢(ビギニング)

 ルシファーの宣言と共に、空に幾何学的な光の紋様が描かれ、次いで聖庁のすべての建造物は黄金の神鉄へと変わった。

 そこから次々とハリネズミのように神鉄の十字架は創造されていく。

 

 同時に、核変換によって周囲の大気も毒の瘴気のように汚染されていき、腐食と変性を繰り返しながら黄金の楽土は広がっていく。

 

 俺の星で相殺されているからこそ、俺の周囲の大気は影響を受けていないがそれでもルシファーの星の性質の凶悪さを物語るには十分すぎる。

 

 核変換と物質成型によって織り成される無限の楽園創造は、この男を堕天使の名を冠する魔星足らしめている。

 

「貴方達の極晃のために……そのためだけにあの子は鋼にされたというのですか……!!」

「ウェルギリウスの当初の目的はそうだったな。何にしろ、アレは未だに目が覚めぬ事を除けば非常に良い素体だ。()()()()()()()()()()()()なお、あれだけの完成度を有して――」

 エリスは歯ぎしりをしながら、初めてその顔に憎悪を映した。

 おおよそ、今まで見せたことが無いほどにその顔は敵意に満ちていた。木星天や水星天に対してのそれとはまったく別の、純粋な憎悪。

 

 それと共に、エリスの出力も跳ね上がる。

 

 舞うように翳された手と共に襲い掛かる銀光が波濤が、次々と神鉄の十字架を砕きルシファーへと襲い掛かる。

 同時にエリスのアイコンタクト共に、その波濤を合間を縫って俺も翔ける。

 最大出力で放たれた銀光は周囲一帯の星辰体の運動量を奪いながら突き進む。

 

 

「ほう、出力は悪くない。銀月を担う者は本来、逆襲の属性であったとされるが――なるほど。共鳴する感情は激しき怒りではなく()()()()()()。なればこの結果は自明か。これでは俺の出力でも覆す事はままならん……だが」

 眼前に襲い掛かる滅びの奔流を、ただ冷静に観測している。

 奔流の影を縫って走る俺の姿もその眼に移しながら。目を閉じ――

 

 

「その予想外をこそ、俺は見たかった。その強さを学ばせろ神聖詩人、銀想淑女!! ――そうだ、まだだ!!!」

 次の瞬間、その喝破と共にさらにエリスに追随するように出力の桁を叩き上げた。

 

 震撼する大地、共鳴する黄金の十字架の群れの中に紅い輝きが混じる。

 ……嫌な予感は的中する。その十字架の群れは大地の紅星晶鋼と共鳴しながら根こそぎそのエネルギーを簒奪している。

 

 加えて本来、この黄金の十字架の数々は延長されたルシファーの躯体も同然だ。

 それだけの躯体が星辰体と感応すればその出力は言うまでもない。

 

 ルシファーの手にしている槍から迸る極光は、もはや俺とエリスの星を総動員したとしても恐らく熱量操作を仕切れない。

 単純な出力でのぶつけ合いではもはや敗北は秒読みだが、それでも俺には恐怖は訪れない。

 

 俺にはエリスがついている――俺は、俺達の最高到達点を知っている。

 深めていく同調と共に、光の海を渡っていく。

 

 腕が焦げつく熱量も、今は気になどならない。エリスと相互理解を深める事がそのまま力になる事こそがエリスの魔星としての性質なのだから。今俺達はまさに、出力の上昇とともに()()()()()()としている。その予感を、静かに感じる。

 

 切り伏せる十字架の山は銀光を浴びせればもはや原形を保つことなく元の土くれへと戻っていく。

 踏み込むたびに、世界は色を取り戻すように黄金から無為自然へと還っていく。

 

「がァ……!!」

 

 銀光の波濤と共に、ついにルシファーを捉えた。

 剣は水平に構えられ、銀の一閃は手に持った槍を砕き、その胸を貫いた。

 

 その命を、至高天の階の元凶たる一を討った。

 だがその驚愕も刹那、ルシファーはその口端を歪め笑っていた。

 

 

 

「まだだ――」

 

 

 

 

―――

 

 胸を貫かれたルシファーの肉体は急速に熱と輪郭を失って鋼に還っていく。

 俺達は確かに、俺達の力量で至高天の階を討った。

 

 だが――

 

「――()()()、と言ったのが聞こえなかったか。神聖詩人」

「逃げろ、エリス!!!」

 その背に、聞こえてはならないはずの声が聞こえた。

 嘘、と思うその刹那に、俺はエリスを突き飛ばした。

 

 身を翻せば視界に映っていたのは、倒されたはずのルシファーだった。

 先ほどまでルシファーであったモノの残骸がそこに転がっているにも関わらず、眼前の男は何一つとして傷もなく健在のままそこに在った。

 何もかもが予想外だったとでも言わんばかりに、呆れるように嘆息する。

 

 次いで俺の胸は、ルシファーの腕によって貫かれた。

 片腕で持ち上げられる俺の心臓は血を流し続けている。体感した事の無い激痛、体内の異物感が否応なしに俺が致命傷である事を示唆している。

 

「ロダン様!?」

「エリ……ス……。よかった、無事で……」

 青ざめた顔を向けながら、エリスに力なく微笑む。

 エリスもまた顔面蒼白となりながら俺を案じてくれているが、その声も次第に聞こえにくくなっていく。

 

「詩人、貴様の技術の卓越を認めよう。寸前であったとはいえ、俺の肉体がよく偽りであったと気づいたな」

「……ルシファー。やはり……先ほどのアレはお前の星で創り上げた、偽りの肉体だったのか」

絶対神(ヴェラチュール)、そして銀月天と貴様から学びを得たというだけだ。躯体の素材が俺と同一か、星晶鋼かの違いがあるというだけだが疑似神経系の作りが甘かったか。反応が数瞬遅れた。加えて完全な躯体複製ともなれば本来人奏や神奏の領域だ。いくつかの思考回路は焼け付いたが――それは後でどうとでも補える話だな」

 冷然としていながら、同時に矛盾することなくある種の熾烈な意志を孕む黄金の眼光に、反吐が出そうになる。

 ……木星天と、同じ類の妄執がその眼にはある。

 この男は、今にして思えば傲慢でありながら強さというベクトルに対し真摯であった。己の完成度を、敵を超克し撃滅する強さと捉え、その強さを自分に取り入れようとするという意味においては間違いなく。

 

 

「ロダン様を離しなさい、ルシファー!!!」

 ダメだ、と口にしようにも、喉がつかえて声が出せない。

 エリスはそう叫びながら、星を纏ってルシファーに接近する。無茶が過ぎる、エリスはもともと白兵戦を得意とはしていなかったはずだが、そんな判断すら投げだすほどに今エリスは激昂している。

 

 

「確信したぞ。ウェルギリウスの理論は正しかった。お前達はあの瞬間、極晃に達しようとしていた。確率は恐らく三割を切っていただろうが偶発的であろうと確かにその域にお前達は達しようとしていたのだから」

 そんなことは知らない、極晃も、何もかもがどうでもいい。

 今はそんなことよりもエリスが何より大事なのだから。

 

「淑女、貴様の本質は導く者だ。配役を誤ったな、闘い、殺す者ではない。まして、闇を担う者では猶更ない」

 銀光の波濤をただ一瞥しただけでかいくぐり、さくりと何の抵抗もなく、ルシファーの槍はエリスの胸を貫いた。

 純白の天衣を血の緋色で染めながら、エリスもまた凶刃に斃れ伏す。

 

 こぽ、と口から赤黒い血を吐き出しながらエリスもまた俺の傍に転がる

 地面にゴシャ、と嫌な音が体の中から鳴りながら、地面に叩きつけられた。

 

 

「エリス――!!!」

 エリスは俺に手を伸ばして、伸ばして――だがルシファーはそれを許しはしなかった。

 輝く六翼が鳴動すると、俺達はその手足を封じられるように、無数の十字架によって杭のように地面に張り付けられた。

 昆虫の標本のように、足も腕も杭で貫かれる。

 その激痛に、声にならない叫びが出る。

 

「――ああああぁぁ!!!」

「感謝しよう。おおいに得られるものはあった、検証はこれで仕舞いだが殺すには惜しい、特に銀想淑女。貴様は前例に乏しい魔星だ。その臓器と細胞の一片に至るまで解剖し分析するとしよう」

 エリスの傷が深刻であるせいか、俺達は共に星をふるう事さえもままならない状況に陥っている。

 ……エリスから感じる星の鼓動も次第に弱まってきている事も。

 

 

 もはや俺達にもはや助けは訪れない。

 それはどのようにしても、覆せない末路だ。けれど俺は命を失う事以上に、エリスを失う事が恐ろしかった。

 

「エリス……。いつも助けられてばかりだったから、今度こそ……たすけ……、られたと思った、んだけどなぁ……」

「……いいえ、ロダン様。悲観、なさらな、いでくださ……」

 どうしようもなく、悔しかった。

 眼前には、あの子の体を弄んだ者がいる。すべての元凶、その一つが未だにこの世に存在しているという事実が。

 

 血に染まった世界でただ一つ、エリスの声だけは明瞭に聞こえる。けれどエリスとの感応を通じて、次第にエリスの鼓動が弱まっていくのを感じる。

 失いたくない、失っていいわけがない。

 

 そんな一握りの思惟でさえ、喪失していく血液が思考を奪っていく。

 その刹那に、ルシファーはいう。

 

「貴様らの細胞の一片も銀月天も、無駄にはしない。お前達の覚醒を目にして俺は至高の天に至れると確信に至った。感謝しよう。神聖詩人、銀想淑女――そしてクラウディア・ハーシェルにもな。だが無念だろう。後継がこれでは銀月天も浮かばれんだろう」

 その言葉に思うところは、ただ一つだった。けれどそれよりも先に、エリスは立ち上がった。

 それは俺に比べてエリスの傷が浅かった事や、魔星として俺より堅牢であったことにも由来するのだろうが、だが異変は明らかだった。

 

「エリ……ス?」

 エリスが立ち上がった事、それを俺は喜ぶべきだったはずなのに肯定できなかった。

 ……なぜなら極限まで純化された思考が衝動となり、エリスは力の入らない四肢を駆動させていたのだから。エリスの体の動きに反比例するように、エリスの鼓動は弱弱しくなっていく。

 

 そして――エリスの鼓動が途絶える刹那に、銀月の輝きは突如として闇黒へ反転した。

 それはまるで、(プラス)が零を経て(マイナス)になるように。

 

 

「許せ、ない……!!」

 それはエリスが初めて抱いた、負の感情――復讐劇(ヴェンデッタ)だ。

 故に今この瞬間、エリスは死想と同等だ。

 

 

「そんなことのために、ロダン様を――そして、あの子を、クラウディアを……――!!!」

 

 それはダメだと、腕が引きちぎれようと、エリスへただ手を伸ばす。

 ()()()に進んではいけないという予感があった。

 

 

「……ルシファー、ウェルギリウス。貴方達だけは、私は絶対に許さない。――例え導く者(ベアトリーチェ)の資格を失おうと、貴方達を地獄に引き摺り下ろす!!!」

 

 

 

 エリスの瞳に流れる涙が、怒りを代弁していた。俺もまた、エリスと同じ表情をしていたろう。けれど俺が見たかったエリスの顔はそんなモノじゃなかった。

 エリスから溢れた闇黒は俺をも呑み、その意識を奪い去っていく

 

 

 

 

「天墜せよ、我が守護星――鋼の地獄で堕天させろ」

 エリスの瞳に宿すのは血の彩を代弁する赤。

 銀の輝きなどもはやそこにはなく、地獄の闇黒だけだ。

 エリスの体は起き上がり、杭すら押し退け再起するがもう、その瞳に正気など宿っていない。

 そこに在るのは光のような熱ではなくただ妄念じみた、屍を動かすがごとき負の想念だ。

 

「至高の天など我には要らず、故に導く先は天に在らず。いと高き傲慢よ、その輝きの一つに至るまで我は滅そう、光無き氷の地獄と嘆きの河にのみ汝が安息は在ると知れ――!!!」

 たとえ銀想を捨て、死想に堕ちようと討たねばならない邪悪があると知った。

 至高の天など、諸共朽ちてしまえばいいと彼女は呪っている。眼前に広がる不朽の黄金も、なにかも。

 何が堕天だ、何が魔女だ。

 あの子を弄び、数多の死を生み出したのだからもう十分常世の天国は楽しんだろう。今こそ九圏の深淵に還る刻だ。

 

 そんな怨嗟の声が響く。

 ダメだと、叫んでももはや遅かった。エリスは天衣は黒に染まり、その眼光は緋色の軌跡を描いていた。

 

『銀月天――否、銀想淑女。案内人の真似事もそこまでにしておけ、さもなくばお前が導く先は天国ではなく光無き地獄の果てだ。銀想どころか死想ですら有り得ない、貴様が何者でもなくなった時、俺はお前を討つと決めている』

 いつか、木星天が言った言葉を思い出す。

 彼女は、何になろうとしているのか。その行く果ては、変貌を遂げる闇黒の輝きが暗示していた。

 俺はエリスの限界を誤認していたのだろう。あるいは、ルシファーでさえも。

 

 エリスは逆襲劇という属性を帯びなかったからこそ、()()()()()()()()()であったのだろう。

 そしてエリスは今、()()()()()()を知った。木星天や水星天にさえ向けたことのない感情――誰かを憎む事が苦手だったはずだったエリスだからこそその覚醒は決定的だった。

 

 ――故に、今ここに真に銀月天は完成してしまったのだ。

 

 

 

「超新星――天国篇 十天堕とす失楽の詩(Silverio)神滅担うは至高天(Empireo)!!!」

 

 




熾天統べる黎明の翼、顕現するは至高天
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AAA
集束性:B
拡散性:AA
操縦性:AAA
付属性:A
維持性:A
干渉性:A
核変換・物質成型能力。
躯体設計において基盤となったデータは絶対神と天之闇戸であり、全局面における万能型人造惑星として設計された。
何度かの改修を経ているが、初期設計と比べ大幅に総合値は上昇している。
この世に存在する物質であれば、物質の核変換によって疑似的に天之闇戸のように環境改変を行うという運用も可能である。
核変換によってこの地上に存在するあらゆる物質――高位次元接触用触媒や核物質でさえも例外ではない――を創造することができる、終焉吼龍とは異なるもう一つの創造性の極限であると言える。
大規模な核変換による環境改変、大質量の投射による圧殺、果ては禁忌たる核物質の創造による大量虐殺と、その応用性は極めて多岐にわたる。
どのように運用してもまさしく万能と言ってほぼ語弊は生じない性能値を誇る。
極限に至った創造性はあらゆる神秘を駆逐し、人造の神性の名の下に再定義していく。
あらゆるモノを薪とくべ、至高の天に至るその日まで。




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天の色、天の定義 / Return from Inferno

多分、聖教皇国の建築物倒壊の被害額は凄い事になると思います。


 ルシファーはその変容に目を見張る。

 月の純白を纏っていたはずのエリスの天衣は黒く染まる。その有様が死想冥月にあまりにも酷似していた事に驚愕さえ覚える。

 

 加えて詩人すらもその闇に染め上げて、その肉体を再起させた。

 だが、エリス同様にもはやその眼には正気は宿っていない。月の怪物としての新生――あるいは堕天を果たしたエリスを、ルシファーは美しいと笑う。

 何かに操られるように、ロダンもエリスも足を踏み出し闇を纏って駆け抜ける。

 同時にその闇は次第に黄金の楽園を蝕んでいく。輝きを否定するがごとく、黒化していく有様にルシファーは違和と既視を覚える。

 

 

 

天国篇 十天堕とす失楽の詩、神滅担うは至高天

AVERAGE: AA

発動値DRIVE: AAA

集束性:C

拡散性:AA

操縦性:A

付属性:C

維持性:D

干渉性:AAA

 

 

 

「なるほど、極晃の亜種――あるいは極晃への回帰過程の産物か。だがその特性もまた、前例がない」

 彼女のソレは変貌する前と違い根本から星辰体の影響を排斥している挙動を有している。……星辰体熱量操縦能力の発展形とみるのが恐らくは正しい推測であり、星殺しという性質は間違いなく継承している。

 自分の延長された手足であるはずの黄金の発動体は、神経を断たれたかのように星辰体との感応を失っていったのだから。

 

 操り人形の如くロダンは意志の介在しない剣を振るう。研鑽の影はない、ただの力任せの一撃でありながらそれはルシファーの膂力を圧していた。

 それを即座に受け流すと掌に極小の幾何学状の機構が円環を描きながら収斂させていく。

 

融合(フュージョン)――熱核星辰炸裂機構(ニュークリア・マターブレイク)!!!」

 収斂していく機構は地上から失われたはずの核の災厄を顕現した。

 光帯で編まれた円環の収縮と共に、聖庁が吹き飛ばすがごとき一撃を放とうとするがエリスも同じくその手を鏡合わせかの如く闇黒を収斂させ、黒い光体を創り上げる。

 

 直後に解放される核の災禍は、一切として地上を焼くことなく消滅した。

 炸裂していく光を闇を食らい、その閃光すら黒く染め上げて星を対消滅させる。

 

 

「……なるほど、その闇黒の性質はやはり反粒子に極めて近い――正気か淑女。貴様のソレは()()()()()()()()()()()()()()()星の駆動だ。まさしく狂気だ、俺にすらその進化は予想できるはずもない」

 

 エリスは先人の道を歩みながらもう同時にソレを超克していた。

 反物質創造能力・感応型――神鉄を内包する発動体でもある己自身を反物質の発動体に変革し、地獄の闇を従えながらエリスは帰還する。

 同時に、その詩人のその変貌にルシファーは目を向ける。その肉体はだんだんと物質としての輪郭を失い、構成成分がエリスと同様の闇黒――自立活動する星辰光に変貌しようとしている。

 

「第四世代人造惑星の影響か。詩人、貴様もまた、今人間としての殻を破るつもりか」

 反物質で創造された神鉄は、地の底から響く冷たい負の輝きを放つ。

 反物質の高位次元接触触媒との感応による星辰光発現は文字通り、前代未聞でありルシファーですらもその進化は未だ以って解析が不可能だった。

 

「ちっ、創生(フュージョン)――星辰式反応炉、縮退(リアクター・ソレノイド)!!」

 瞬間に、エリスとロダンを取り囲むように、次々と電磁の鳥籠が組み上げられていく

 小数点以下の速度で殺戮の炉心はパズルのように組み上げられ、詩人と淑女はその全身を捉えられる。

 

 全天を覆う核炉心に直接放り込む――それさえも淑女は超えるとルシファーの思考回路は計算した。

 さらに数秒後にはその予見通りに、エリスは闇の滲むその手で反応炉の内壁をずぶり抉り、ひしゃげさせた。

 

 同時に闇の閃光と共に両断されて、淑女と詩人はさらなる飛翔を遂げる。

 反物質と感応する事で得る星の異能。その性質のいくつかをルシファーは戦いながら予想する。

 己の星辰光と彼女の星辰光の衝突は、ルシファーの星辰光を蝕むように輝きを闇の色に変えていく。

 ルシファーのそれを正の星辰光とすればエリスのそれは負の星辰光だ。正の星辰光を負へと変えていき己の糧としていく。

 

 つまりは、己の色に相手の星を塗り替え侵略する――その闇が骨髄に達すればルシファーでさえ機能停止は免れないと即断する。

 

 超質量の極小天体を創造し、それを叩きつけようとすればエリスも同様に呼応するように、闇をぶつける。

 暗黒天体のように、ルシファーの人造天体は削り取られ一遍残らず闇へと変換させられる。

 

 エリスの纏う闇は負の星辰光という前例のない異能体系そのものだ。

 物質と反物質、粒子と反粒子の関係を投影されたかの如く正の星辰光と負の星辰光は鏡合わせの性質であり、同時に未解明な側面も多々ある。

 

「灼けつき爆ぜろ――至高天・極辰明星晃(パラダイス・ロスト)!!!」

「黒に堕ちなさい――至高天・極辰冥星晃(パラダイム・シフト)!!!」

 

 光翼の羽ばたきと共に幾条もの光の羽が降り注ぐ。

 飛翔する羽毛は、そのすべてが十字をかたどった杭へと変貌し地上へとその質量を叩き込む。

 エリスもまたその背に星で編まれた闇の翼を現出させ、同様に負の星辰光で編まれた数千もの黒き光条を放ち迎撃する。

 

 そのうちの数条の闇の閃光がルシファーの脇腹を貫くと、その闇が星諸共に骨肉を蝕んでいく。

 

「がぁ……!! まだ、だ。まだ終わらん――」

 その様を見て即断するとルシファーは闇に冒された己の臓肉をその手で抉り捨て去り、次の瞬間には核創造を以て己の肉体の欠損を補填した。

 無限の創造性は代替臓器の創造にすら到達したが、尚もエリスはその瞳に憎悪を宿しルシファーに立ち向かう

 

 

 だが代替臓器の創造のみならず数体の精密創造によってルシファーは数体の躯体を複製し、攻撃陣形を整え星を構える。

 複製された躯体と共に構えられるのは、縮退と膨張を繰り返す光の意志力。ルシファーの手より生み出されたのは――放射性物質。臨界寸前まで高め練られた核分裂反応は、生命の生存圏を剥奪しながらエリスとロダンというたった二人にぶつけられた。

 

 その出力差はもはや十数倍に達していた。核熱の炎は己の色を譲らぬとばかりに単純な出力差でエリスの星を圧していく。

 エリスの天衣は焦がされながらもなお、その呪詛は留まるところを知らない。ルシファーの意志力が覚醒すればするほどに、エリスもまたその憎悪を増幅させていく悪循環に陥っていた。

 

 憎悪による覚醒もルシファーは意に介してなどいない。それどころか喜々たる高揚すら滲ませながら星をふるう。

 ――当然と言えば当然で、ルシファーにとって試練とは己を成長させるための薪でしかないのだから。

 

 

 その一撃を辛うじて相殺しきり聖庁崩壊を防ぎ、エリスはさらに飛翔し続ける。

 闇を纏いながら、ルシファーのその喉元に手をかけんとばかりに呪詛の嘆きを散らしながら正気の喪失した眼で睨む。

 

 己のあらゆる星を以てしても、エリスの闇は戯画のように塗りつぶしていく。

 出力が意味を成さないそのイレギュラーを前にして、ルシファーは飽くまでも冷静だった。闇を――敗北を目前にして、そしてまたしても堕天は再起する。

 

 

「……学んだぞ、淑女。お前の闇を」

 眼光に灯るは意志力の焔。再起動し組み上げられていく数式が、前人未到の領域へと到達するための解を導き出していく。

 その右腕は光を灯しながら、同時に左腕に()が生じる。

 

「そして掴んだぞ、()()()を――まだだっ!! 対消滅(クランチ)――双極対滅星辰光(アナイアレイション・アストログラフ)!!!」

 その一念の喝破と共に、エリスの眼前に爆圧が生じる。それと同時にエリスはロダンともどもに地表に叩きつけられる。

 解れかけた黒の天衣と流血が、エリスの消耗を代弁していた。それでもなお、再起を果たそうとエリスは立ち上がろうとする。

 

 エリスの手にした闇の正体が発動体の反物質化によるモノであるとするならば、ルシファーの手にした闇もまた同様の答え――即ち()()()()()()だった。

 

 もとより、原理としてルシファーの権能は物質創造に他ならない。故にその創造性の極限として反物質に辿り着くのも何ら不自然な事ではなかった。

 

 エリスの肉薄の刹那に行ったのは、何の工夫もない物質と反物質の対消滅だった。エネルギーを質量に変換する御業は、しかし単純が故に圧倒的だった。

 光と闇を、ルシファーはその両手に携えながらエリスを睥睨する。

 

 

 命を賭した覚醒でさえ、ルシファーは糧として飛翔する。

 

 敗亡の淵からの飛翔を以て、ルシファーはついに己が裡に()()を得た。

 反物質を手にしたことだけにはもはやとどまらない。反物質創造の御業に到達したという事は同時にエリスの領域を手にしたという事をも意味する。

 エリスの起こした逆襲劇は逆算されて、その原理が自分に牙を向いた。

 

「返すぞ、淑女」

 

 ルシファーの翼の色に反物質の黒が混じると同時にルシファーは、エリスと同じ闇黒を生み出す。

 反物質発動体による感応という原理の模倣によって生まれた闇黒の輝線が、今度は意趣返しのように地上に降り注ぐ。

 エリスもそれに対応するように地獄の瘴気を生じさせるが――しかしこれは単純に躯体の差が如実に現れた。

 

 互いに符号が同じなら、後はどちらが勝るかは絶対値での対決となるだけだ。ルシファーの出力の乗せられた闇はいともたやすくエリスのそれを圧して再び下した。

 

「……ぅ、あぁぁぁ!!!」

 エリスは、何度も何度も、打ちのめされても立ち上がる。

 憎悪を動力にして、幾度となく。もう、失われてしまった人への慟哭を叫びながら。

 

 

―――

 

 

 ……俺が目を覚ましたのは、月を写した湖だった。

 冥界のような静寂の中、空に見えるのは青白い月だけだ。そこには誰も居はしない。

 歩を進めれば、ちゃぷちゃぷと水の音だけが聞こえてくる。

 

 ファウストに襲われた後、或いはあの子の事についてエリスは俺に語り掛ける時の世界である事は何となく察しはついた。少なくともここはあの世という奴ではないし、エリスも俺も経緯はともあれ死んではいない事は明白だ。

 推測にはなるが、過去のエリスはあの子の内界に居たという。

 恐らくは今の俺も過去のエリスのように、エリスの内界に居るのだろう。

 

 この世界の主であるはずのエリスは、今はどこにも居ない。

 

「エリス、どこだ。お前は今どこにいる」

 声はただ反響するばかりだ。寒々しい月明かりだけが、闇を照らしている。

 空を見上げても何もなく、エリスは居ない。

 

 ふと、その湖面を見る。そこには一筋の銀色の光が見えた。

 俺がよく知っている、銀色の光。反射的にそこに手を伸ばしたその瞬間にずぶりと、俺の手は引きずり込まれるように湖面に沈んだ。

 水ではなく、それは泥のような粘土のある質感だった。エリスの内面と捉えるにはあまりにもこの光景は乖離がありすぎる。

 

 であるにもかかわらず呼吸はできる。窒息の気配もないし、粘性の物体が口に入ってるような感覚もない。不思議な感覚だったが、同時に空に浮かぶ月からの体は離れていった。

 光指さない湖の底に、天から堕ちるように俺は墜落していく。

 

 少しずつ、あの銀色の光に手が近づいていく。けれど手を伸ばそうとするとまた遠くへと遠ざかっていく。

 理由は明白だった、その光の中におぼろげながらも確かにエリスの輪郭があったのだから。 

 光の中で確かにエリスは居た。太陽に浮かぶ黒点のように、銀色の光を放ちながら黒い天衣を纏っている。

 

「エリス――聞こえるか、俺だ!! ロダンだ!!! 聞こえているなら返事をしてくれ!!」

「ダメです、ロダン様。……私は、そちらにはいけません」

 拒絶するように、エリスは俺から離れていく。

 どこまでも、はてもなく、光のささない湖の底を目指してエリスは俺を振り返る事さえもなく進む。

 

「……大体分かる、復讐や逆襲――そうした衝動こそ本来は月の魔星の力を引き出すのに最も適している。そしてエリスは初めて本気でだれかを憎んだからこそそうなったんだろう」

「……こんな姿を、私は貴方に見せたくありませんでした。憎悪に染まる、私の姿を」

 ……銀月の系譜は、エリスの記憶を介して俺は知っている。

 俺はエリスの純粋さを佳いと思っている。そしてそれ故に皮肉にも、エリスは今まで兵器として完成しなかったのだという事も想像に難くはなかった。

 純化された負の情熱というモノを今まで、エリスは一度として持ったことはなかったのだから。

 

「あの子は、私に人間であることを与えてくれた。私に、ずっと付き合い続けてくれました。クラウディアは、貴方の事を私に託してくださった。そんな私が今、貴方を巻き込んでしまったのです」

 エリスはそれほどに、銀月天の事を慮っていたのだろう。

 復讐せずにはいられない。その心は、つらいほどに分かる。

 

「地獄の底まで引きずり落としたくて、一秒でさえソレらが存在する事が許せない。例え総身を引き裂かれても、ソレを構成する要素全てをこの地上から消し去ってしまいたい――それが、今の私の胸にある感情なのです、ロダン様。どうしようもなく、私はウェルギリウスとルシファーの破滅を願っています。そんな私の姿を、貴方に見せたくなかった」

「……いいや、俺もエリスと同じだよ。ウェルギリウスも、ルシファーも、決して許せはしない。それだけはエリスと同じはずだ」

「だからこそ、私は貴方を連れてはいけない。銀想でも、死想ですらもなくなった私には、貴方を導く資格はありません。……私が真に魔星に近づくたびに、ロダン様も私に引きずられてその在り方は近づいていきます」

 ……第四世代人造惑星、という奴の弊害だろう。エリスの星辰光に俺の星辰光は完全に取り込まれている。

 衝動においても星においても、完全にエリスのそれが俺を上回った結果がこれだ。元から俺の星はエリスに引きずられて変質している側面はあるが、それでも今のこの状況は明らかだった。

 エリスの在り方に、俺の星も、俺という存在も引きずられていく――つまりそれは。

 

「ロダン様を、私は遅かれ早かれ変えてしまいます。今、この時でさえロダン様は星になろうとしています」

「……つまり遅かれ早かれ、俺はエリスと同じ自律活動する星辰光になる、という事か」

「ご賢察の通りです。そして現に今、貴方の体組成の幾分かが星辰光に置き換わっている。その結果として私の内界に星辰光という形で貴方は引き寄せられたのです」

 ……エリスと同類になる、その言葉の意味は俺には分かりはしない。けれど一つ明確に分かることがあるとすれば、完全に俺の体が星辰光に置き換わった時、俺は人間であることを失うのだろうという事だ。

 人の摂理から逸脱していること。エリスはその生まれの孤独を一番よく知っているからこそ、俺にその在り方を押し付けてしまう事に罪悪感を覚えているのだろう。

 

「私は、ロダン様から人間である事を奪うでしょう。私の憎悪がやまない限り、それは止まりません。……ロダン様、私をどうか許さないでください。私は、貴方と出会わなければよかった。貴方から人間である事を奪ってしまうぐらいなら……!」

 エリスは詫びるように、嗚咽を漏らしながらそう言った。

 目尻を滑る涙がエリスの心中を代弁していた。

 太陽ではなく、月の近づいた結果がコレなのかと思うと皮肉な話だと思う。

 

「ロダン様は、私と同じ存在になる。そうしてマリアンナ様や御姉様も、誰も彼もを置き去りにしてしまう。貴方は人として、生きられなくなるでしょう。……謝って、取り返しがつく話ではありません」

「……」

 やがて、暗い湖の底にエリスと俺は降り立った。肌にまとわりつく感触は泥そのものなのに、息はできるという感覚のちぐはぐさにはなれない。どうにも、現実との違和を感じてしまう。

 いまだにエリスは、背を向けている。

 

「ロダン様は、どうか眠っていてください。次に現実で目を覚ました時には、ルシファーは滅び、全ては終わります」

「……ふざけるなエリス。ここまで俺を好き放題に引っ張りまわして、そして最後には放置か。これがお前の考える誰かを導くという事か?」

「私が憎いのなら、如何なる定めも受け入れます。ロダン様の好きなようになさってください」

 ……違う、と口をついて言葉が出た。エリスの肩はすこしだけびくりと動いた。

 エリスが憎いわけでは決してない。エリスが俺を人間ではない何かに変えてしまう事を糾弾しているわけでもない。 

 腹が立つのは、まるで今生の別れのように言うからだ。

 

「……いいかエリス。白状すれば、俺はエリスを恨んではいないと言えばウソになる」

「だったら――!」

 エリスはそう叫んで、初めて俺へと振り返った。

 罪悪感に耐えられないとでも言いたげに眉をゆがめて俺へと視線を向けている。今のエリスにとって、むしろ俺に許されることが何より辛い事なのだろうから。

 

「エリス。俺がエリスの何を恨んでいるのか、分かっているのか?」

「……貴方をこのような争いに巻き込んで、そして今人間であることを奪おうとしているから、でしょう」 

 ……()()()()()()()を、エリスは勘違いしていた。

 確かにそれは客観的にみれば恨みに値する事実かもしれないが、俺が実際に恨んでいるかどうかとは別の話だ。

 

「よく思い出せエリス。お前は一番最初に姉さんと対面した時俺に何をした?」

「……御姉様の同情を買おうと泣いて見せ、貴方の足を踏みました」

「じゃあ、ユダ座に俺を初めて連れて行こうとしたとき、俺に何をした?」

「御姉様に無理を言って、ロダン様を付き人にしました」

 ……そこまで分かっているのなら、答えは明らかだろう。だが未だにエリスは何を聴いているんだろうこの人は、と言わんばかりにぽかんとした表情をしている。

 そういう部分は機微に疎いのだなとは思うけれど、かわいらしいとは思う。

 

「それらは全部、お前が()()()()()でやった事だろうし、それに関しては俺はきっちりお前を恨んでる。……けどお前がやった行動を恨みはしても、お前の()()を恨む事だけは絶対にない。そこにお前の意志は関係ないからだ」

「それとこれとでは話が違うでしょう!? ロダン様は人ではなくなる、私と繋がってしまったばかりに……! それをどうして、ロダン様は許容できるというのですか!?」

 エリスは叫びながら、俺を睨んでいる。

 どうしてそんな風に、平静でいられるのかと聞いているのだろうけれど。

 

「……木星天と戦った時も、火星天に襲われた時も――私が貴方に真実を明かした時も、貴方はその状況に順応していた。そして今人間ではなくなるその瀬戸際でさえ、貴方はそうして平静でいられる。……おかしいです、ロダン様。どうしてですか。どうして――どうして私を責めないのですか!?」 

 どうして責めないのか。どうしてこの状況に順応しているのか。

 正直、それは俺も驚いている。日常から非日常に転落したのは火星天との邂逅の時だった。グランドベル卿が護ってくれたからあまり動揺していないのかもしれない。

 けれど、恐らく神天地に降り立ったこと以上に頓狂な事態はないと無意識に知っていた――エリスが傍に居たからこそ俺はあまり動揺していなかったのだろう。

 

「仮初とはいえ極晃という高みにエリスと共に至ったことを、多分記憶は忘れても体が覚えているんだろう。その時の万能感と心強さがあるから、多分今までの事態を飲み込めてきたんだと思う」

「そんなこと、聞いているわけじゃっ……!」

「……ならエリス、最後に一つだけでいいから答えてくれ。お前がユダ座に入ったのは、()()()()()()()()、でいいんだよな?」

 一体何を聞きたいのかと、怪訝に思いながらエリスはこくりと、頷く。

 その答えが、俺には嬉しかった。

 その答えが、俺にとっての何よりの解答なのだから。

 

「なら、よかった。――俺がエリスを恨まないのも、許すのも、どれだけひどい目を見ても一緒に居たいと思うのも、俺がエリスの()()()()()()()()だからだ。エリスを一番最初に見初めたのは俺だ」

「……なんですか、それは。心配したのがバカバカしくなってきました」

 初めて、呆れ交じりではあるけれど彼女は笑ってくれた。

 ……それでいいと思う。何より、憎悪も闇も、彼女には似合っていないから。

 

「あの子は、真実を知れば純粋故にエリスがこうなってしまう事を知っていたから、エリスに普通に生きていてほしいと願ったんだろう」

「けれど私はロダン様を置き去りにして、憎悪に力を求めた。――ロダン様を巻き込んでしまった」

「……復讐も、逆襲も、俺はもろ手を挙げて賛同はできない。けれどウェルギリウスとルシファーを俺達は討たないとならないんだ。……それが人であった頃のあの子への弔いにならなくても、俺達はその過去に決着をつける必要がある」

 ウェルギリウスという人物を俺達は知らなければならない。知った上で、審判の場で裁かれなければならない。

 けれど過去に決着をつける、裁くなどというのも所詮は耳障りのいい言葉への言い換えで、復讐に賛同できないという言葉も半分は嘘だ。けれど、決着をつけなければ進むことのできない未来もある。

 

「エリスは純粋で、何色に染まる無色のキャンバスだ。だから何色のドレスだってエリスは似合うし着こなせる。……けれども、それでもエリスには()()()()()()()

「演じるからこそ纏える色もあれば、演じては纏えない色もあるのでしょう。今の私は、闇の黒だけしかありません。それでも、私は貴方の旅路を照らせますか――もう一度貴方の淑女になる資格は、ありますか?」

 エリスは恥じ入るように、そう俺に語り掛ける。

 そんなもの、元から必要はない。一人で背負うのが難しいなら俺も一緒に居たい。

 

「……なりたいもなにも、最初からなってる。資格なんて必要あるかそんなもの。俺にも、エリスの運命を担わせてくれ。何より、エリスの導く先なら地獄でも悪くはないしエリスの同類になるのも、存外悪い気分じゃなさそうだ」

「御冗談を。私が地獄に導くのは、ルシファーとウェルギリウスだけです」

 エリスは洒落になっていない冗談を言いながら、少しだけ歩み寄る。

 初心で純粋な真白色。その天衣はもう黒を帯びてなどいなかった。

 

「逆襲の闇も、境界の海も、希望の光も俺達には縁遠い話だよ。なら、そうだな。俺達は至高の(ステラ)を目指そう」

「……天国? これから私達は冥府に旅立つという事ですか? それとも太陽に近づきすぎて翼を焼かれて死ぬということですか?」

「どっちでもないよ、エリス」

 水底から見える水面が――水面の景色がぴしりと音を立てて罅が入る。

 その罅は、景色全体に広がって、そして砕けて消えて俺達は月の空に坐す、元の地平に戻った。音が無く、静やかな世界。そこでエリスは、少しだけ驚いた顔をしていた。

 エリスと一緒に見たい景色は、俺達の旅路の終着にある。神曲の果て、地獄も煉獄も天国も最後は(ステラ)で物語は結ばれるのだから。

 

 

「別に神話や御伽噺の天国なんて要らない。エリスや姉さんと一緒に見る景色が、一緒に暮らす日々が、俺にとっての天国だ。だからもう、()()から出ようエリス、暗くて、冷たくてかなわない。そんな場所でエリスを一人にはしたくない。エリスと一緒に見る景色のために、俺達はルシファーと戦うんだ」

 

 

―――

 

 

 ぴしり、と音を立てて、突如としてエリスの黒の天衣は罅が入る。

 その次の瞬間には、卵の殻のように砕けて月の白を取り戻し、その闇黒の星を喪失した。失われていく闇黒の残滓はエリスが闇から還ってきた事をも意味していた。

 その瞳の緋色は、もう血涙の赤を連想などさせはしなかった。

 

「……、何だ。理解ができん。なぜだ詩人、なぜだ淑女。手にする直前であったはずの頂を――極晃を、なぜおまえたちは擲った」

 ルシファーは振り上げた槍の矛先を失ったがごとく、そのまま制止する。誰に止められたわけでもなく、しかし明確に初めて、いら立ちと侮蔑を込めて二人を目にした。

 

「なぜ、お前達は手にした逆襲劇を捨てた。ソレがあればこそ、俺に抗し得たはずだ。……お前達は、生命としての一つの極点に至ろうとしていた。なぜそれを捨てられる?」

「……エリスが黒に染まっても、それを看過できる人間ではなかったというだけだ。心も黒に委ね復讐を成就させる力を得る事を、俺は生命としての高みに上ったとは思わない」

 エリスの体を抱き留めながら、ロダンはそうゆっくりと語る。

 ロダンの星に還りかけていた肉体もまた、肉を取り戻していた。

 

「詩人。お前という全存在の事績はおおむね俺は把握している。そしてお前とて、かつては力を求めていただろう。己が剣を磨き上げる事に対するお前の感情――と定義できるものは今の俺と相違はないはずだ。自分の不可能域が狭まっていくことに対する高揚、次を目指す原動力。それは俺とお前の相似点と認めてもいいはずだ」

「そうだな。上っ面だけは最悪なぐらいその通りだよ、認めてもいいさ。お前は熱心で勤勉で――その熱量のすべてが己が成長へと向けられている。決してそれそのものは否定されるべきじゃないし、俺もそうだった。……だからこそよくわかるよ、お前は相対する人間の強さしか学んでいないだろう」

「その人間を構成する余分な要素をすべて切り落とした時、初めてその真価は明らかとなる。試練はその人間の余分を排除し結果、本質だけが生じる。本質以外は些末であり誤差、不純物だ。……俺もまた、俺に対してそうあるように――試練を課すよう努めている」

 ルシファーの言葉に一切の淀みはない。

 核、或いは真髄、本質以外は要らないと言っている。……この男が見ているのは人間ではなく、その人間を構成する数値だけだ。

 

「……理解なんかかけらも示したくないが、価値観の違いがある上で言わせてもらう」

「私達の姿(天墜)が天昇に見えたというのなら、その眼は不良品というほかないでしょう」

 絆に覚醒、愛や好敵手、そうした関係をただの数字で計量し評価する感性も知性も、俺は理解を示したくはない。 

 ルシファーの眼は、裁定するように俺達を眼に収めている。だが、その眼の奥にはいらだちを代弁するかのような揺らぎが見えた。

 

「気に食わん、気に入らん。なぜ、頂を捨てたお前達が遥か高みに至っているように見える。気の持ちようという奴こそ総てだと? ……ああ、不愉快だ。不愉快だが、その理由が俺には解釈できん。――得るべき教訓は得た、もう死ね」

 鬱陶しそうに、心底から理解のできないモノを見るかのようにルシファーは眉間に皺を寄せると光の槍を振り上げる。

 俺達の消耗は深刻で、星は使えない。

 傷口がふさがりかけた胸を抱えながらも、エリスに肩を支えられてルシファーを睨む。あと数刻で、恐らく俺達は微塵も残さず消滅を迎えるだろう。

 

「さらばだ、神聖詩人。銀想淑女」

 光の槍が振り下ろされるその刹那に、聞いた事のある声が、聞こえた。

 水銀のようにねばつく、エリスとよく似た声が。

 

 

「――それは、()()()()でしょう。至高天」

 

――

 

「……水星天。どうして貴女が」

「話はあとでしょう御姉様。言いたい事はいくつかあると存じますが、今は首の皮を繋げることが先決です」

 

 

 俺達の眼前に立っていたのは――水星天だった。

 何層にも展開された水銀の盾は一枚、また一枚と砕かれていく。

 そのたびに補填されていく水銀の盾は、光の槍を凌ぎ切れはしなかったが、その軌道を逸らし直撃を避けた。

 光が粒子となって飛散し、視界が晴れた先には、水星天の背があった。

 

 ……なぜ、いま水星天が俺達を救ったのか。なぜ同じ至高天の階である水星天がルシファーと対峙しているのか、その理由が俺には分からない。

 分からないがただ一つ言えることは今この状況では水星天は俺達の味方であり、すがるべき対象であるということだけだ。

 

「……水星天。お前が、まさか淑女と詩人に与するとはな」

「当たり前でしょう、堕天。御姉様を頂くのは私と決めています。貴方では、断じてありません」

 三日月のように曲がった唇はそのままに、しかし明確にその語調には敵意があった。

 ……水星天の言葉を言葉の通りに理解するならば、私より先に姉を奪うな、という意図なのだろうか。 

 

「詩人も淑女も、番外の魔星だ。故に聖戦の役者ではない以上、聖戦までに殺すも生かすも、俺の一存だ」

「役者であるはずの木星天と土星天の激突――聖戦禁止期間(モラトリアム)の逸脱を見逃していたくせに?」

「木星天だけは特別だ。アレに聖戦禁止期間(モラトリアム)というものは意味を成さん、意志力が上回った結果の事故だ。故に俺は関知せん」

 何の話を、しているのかはわからない。

 けれど水星天もまたエリス同様に、反吐が出るという態度でルシファーと相対している。ともすればエリス以上に嫌悪の色を隠していないようにさえ見えた。 

 

「……御姉様もまた、銀月の系譜を継ぐ者であり銀月天のうつしみ。であるなら、聖戦においてその全存在は銀月天と同等である事は明白でしょう」

「なるほど。認めよう、お前の言う事にも理がある、水星天。……認めるのは業腹だが、俺の星は貴様を相手取るには《手間》だ」

 ルシファーは、そう言うと俺達に背を向ける。

 流し目で一瞥しながら、背の六枚羽をきちきちと犇めかせ、その躯体を繭のように包み込んだ。

 

 

「詩人、淑女。貴様らにもまた資格があると認めた。故にこの場を生きながらえることを俺は許そう、願わくばお前達もまた俺の宿敵となる事を祈っている」

 光の繭となったルシファーは、その直後に俺達の視界から喪失し――その星の気配も感じられなくなった。

 

 後に残るのは、俺とエリス、そして水星天のみ。

 エリスもまた、少しだけ驚愕したような顔をしながら水星天を見つめている。

 けれど水星天は、ニコリとやはり感情の見えない顔で笑ってエリスに微笑みかける。

 

 

「ご機嫌麗しゅう、御姉様。約束通りに、御姉様を迎えに上がりました。……私は、詩人の味方ではありませんが、御姉様の味方です」

 

 

 

 

 




天国篇 十天堕とす失楽の詩、神滅担うは至高天
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:AA
操縦性:A
付属性:C
維持性:D
干渉性:AAA
反物質創造能力・感応型。
神鉄ごと自己を反物質化させて星辰体と感応するきわめて特異な原理によって発現する星辰光。
通常の原理で発現する星辰光をその出力の多寡を物ともせずに戯画のように塗りつぶし消滅させる。
反粒子のそれと性質は極めて酷似する。
しかし他方で暴走状態に近い発動形態であり人智を逸した権能の代償として、自己の過剰干渉による特異点化、またその経路を介してのロダンの肉体の変質といった弊害を招く危険性を持つ。
冥王とはまた異なる、地獄の法理。奈落の神威は氷と重力の地獄を顕現する。


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太陽と月の逆位置 / mercurio


つい先日Lightからマガツバライの情報が公開、とても楽しみですね
ちなみに現状僕は斑鳩翼推しです


 水星天の言葉に俺は呆気にとられた。

 エリスも、困惑しているようだった。

 

 ルシファーから受けた傷は少しずつだが癒えている。恐らく一時的にでも星辰光に肉体が置き換わった影響なのだろう。

 エリスもまた、その胸に受けた傷は傷跡と血痕こそは生々しく残っているもののふさがってはいる。

 水星天の笑い顔はあいもかわらず怖気が走るが、それでもエリスの面影をどこか感じる。その齟齬がまた、俺にとっては気分が悪かった。

 

「……俺達の味方? なんのつもりだ、水星天」

「詩人。少なくとも、堕天を疎んじているという意味合いでは私達は一致するのでは?」

「エリスを攫いたい、などと言った事を忘れていたとは言わせない。今すぐにここで証を立てろというのはそれほど不当な要求じゃないと思うが?」

 今のエリスを戦わせることはできない。エリスを庇いながらも水星天と何とか俺は口を聞くが、水星天は少しだけ考える。そこで名案を思い付いたばかりに顔に笑みを作った。

 

「そうですね。詩人の嗜好は知りませんが例えば――()()()()、そして御姉様と私の関係について、或いは聖戦の真実というものはいかがでしょう? 尤も、知ることで()()()()()()()とは限りませんが」

「……貴女と私に、何の関係も真実もあるはずはない。私の姿を真似ただけでしょう」

「いいえ。あるのですよ、御姉様。少なくとも()()()()はあると断言できるだけのものが」

 どうしようもなく、その言葉は嫌な予感がした。

 間接的にはある、とは火星天も使った言い回しだ。間接的に、とはエリスと水星天の関係を中継する存在があるという事であり、それはつまり。

 

「あぁ。そう言えば私としたことが、すっかり忘れていました。御姉様は、元々誰からその姿を授かったのでしたっけ?」

「……聞かせなさい、水星天。貴女の素体は、あの子に関わる事ですか?」

「それを語るには、いささかここでは風情に欠けるでしょう。御姉様がエスコートしてくださるなら私めも、口が柔らかくなるというものですが」

 俺達にとっては無視のできない言い回しだ。銀月天――あの子に関わる事において、俺とエリスは無視するという選択肢は持てない。

 まして、それが至高天の階の一人の言葉ならば。

 それから、ルシファーの去った事を確認したが故なのだろう。小走りで副長官とグランドベル卿、リヒターが駆け付けた。

 ……俺達とルシファーでどれだけ壮絶な応酬が行われたのかは、周囲の荒廃している有様からも明らかだ。

 手で副長官を庇いながら、グランドベル卿は水星天へと視線を移す。不味い事態、である事にかわりはない。

 今この場に、エリスを除いて魔星が一体存在する事の意味は何より分かっていたからだ。

 

「……お嬢さん、もしやとは思うが。ラプンツェル、というのは」

「えぇ、私の事です。若き碧騎士様。いつかの折りは、御姉様と私の婚姻の儀に水を差した事、よくよく存じています」

「それは大変に失礼した。聖教皇国に実害がないのであれば、それは存分に進めてもらって構わなかったが――味方、と捉えていいかな? こちらも騎士なもので、野蛮な真似はしたくないんだが」

 リヒターは飄々と、しかし飽くまでも騎士としての厳然さを以て水星天に構えている。

 

「味方、とは誰にとってのですか?」

「無論、聖教皇国だ。より正しくは誰、というわけではなく聖教皇国の国益にとっての、だが」

「なら味方ではないですね。ご期待に添えないようで申し訳ありませんわ」

 平平と、水星天は言葉を返す。

 持って回ったような言い方の真意を計るのは、俺には難しいが、他方でエリスの味方だと言った事は否定できない。

 ……至高天の階という内実はおおむねルシファーとの問答で理解はできた。

 ルシファーにその成果のみを収穫されるためにだけ運命を養う、熾天の虜囚。故にそもそもとして彼、或いは彼女らは互いに仲間意識というモノは根本からない。  

 木星天であれば至高天の階の皆殺し。だが、火星天と水星天は目的というモノが見えない。

 

「私は御姉様の味方です、御姉様を頂くその時まで。ですから、私が御姉様に与した結果として聖教皇国に利しても、仇成してもそれは私の関知するところではありません。聖教皇国の味方ではないというのはそういう事です」

「……一応聞きたいがお嬢さん。頂く、とは?」

「無論、婚姻の儀ですが?」

 本気か、冗談か、それさえも意図が計りかねる。だが一貫しているのはエリスへの執着だろう。

 加えてやはりエリスと姿が似ているというわけではない、エリスとよく似た「何を言っているんだろうこの人は?」とでも言いたげな問いに問いを返す癖も垣間見える。

 そこから察するに、恐らく婚姻が云々というのは少なくとも水星天の中では本気なのだろう。

 元が非常に生真面目な気質であるグランドベル卿はそもそも何をしゃべっているのか要領を得ないといった困惑した態度で、副長官は少しだけ気色と気分が悪いという顔色をしている。

 俺も水星天に抱いた感想はそうだったのだから無理はない。

 

 ……そして、意を決したようにグランドベル卿はグランドベル卿に会釈をしながら前に出る。

 

 

「……水星天、と言いましたか。聖教皇国秘跡省の長として、貴女に至高天の階に関連する事態の解決への協力を申し入れたいと思います」

 

―――

 

 秘蹟庁の建築物は幸運な事にエリスの尽力があったために倒壊は免れていた。

 水星天と俺達はテーブルにつくと、水星天の言葉を静かに待った。

 至高天の階に関連した事態の終息、それは間違いなく聖教皇国が第一に優先すべき問題でもあったからだ。

 神祖の培ってきた情報統制のノウハウにも限度がある。時が過ぎればだんだんと事の真相は断片的にでも民衆に伝搬するだろう。

 故に今求められるのは、迅速な解決に他ならないのだ。

 

「先に言いましたが、はき違えないでください。私が御姉様に与した結果、聖教皇国の利益となる可能性も、損失となる可能性もあるだけです」

「つまり、協力はして頂けると?」

「私が協力するのでは聖教皇国ではなく、御姉様です。それの上で私と手を結ぶというのなら、いいでしょう。あとで悪魔と契約した、などと後悔されても困りますから」

 水星天は感情の見えない笑いを浮かべている。受け流すような物言いはやはり疲れる。

 抽象的な言葉から察するにしても、限界というものは当然あるし副長官も理解しようと務めてはいるようだが頭に手を当てている。

 

「エリスと俺はお前に襲われたし、それ以前からもエリスはお前に襲われていた。その上で今になって、エリスに与するのはなぜだ」

「半分は私の趣味ですが、もう半分はあの女――ウェルギリウスの指図故、とでも言ったところでしょうか」

「……待った。ウェルギリウスの単語を出したという事は、俺達がウェルギリウスの事を知っている前提で話を進めているのは?」

「ずいぶん前から――それこそ御姉様が囚われの身となったその日から聖庁に私がいたからですが? 多少、骨格を弄れば鍵穴からでも扉の隙間からでも私は侵入できます」

 もう少し警備は考えた方がいいのではなくて、と水星天は優雅に己の犯罪行為を言い放つ。

 ……聖教皇国の法に照らせば不法侵入だが、彼女の星の性質から考えたらまぁ無理がある話ではない。リヒターはどうすべきか若干悩んでいるようだが。

 

「……その前にまず、自己紹介位したらどうだ水星天。エリスの事はおおむね、俺達は知っている。でもお前の事は何も知らない。お前がなんでエリスとよく似た顔をしているのかもな」

「詩人に教える義理はないのですが、致し方はないでしょう。何より御姉様にせがまれていますから」

 ……エリス以外の事に関してはまるきりドライだ。

 感情と俺が解釈でき得るモノを示すのはエリスについて夢心地で語る時と、ルシファーに対して憎悪を向ける時だけだった。

 

「ですが、えぇそうです。御姉様は私の事を知りたいと欲していますが……それが貴女を幸せにはしない決断になるかもしれないことは、理解と覚悟ができていますか? 一度()()()()を纏った身なら、分からぬはずはないでしょう」

「……つまり、私を不幸にする話。そしてあの子に関する話でもあるという事ですね。覚悟はできています。私に、もう聞かないという選択肢はありません。――私はずっと、目を背け続けていました。聞かない方があの子を慮る事なのだろうと、そう言い訳をし続けてあの子の真実と向き合う事を本心では避けていたのかもしれません」

「……」

 水星天は、少しだけ黙る。

 エリスの言葉を、いつものように弄ぶように受け流すことはしなかった。シンと、場は静寂に包まれる。

 

「多くの人間は、真実ではなく真実という言葉の響きを愛するものです。……ですが、今の御姉様であればよいでしょう。少しだけ、話は長くなります」

 水星天はふと普段の様子からは似つかない、観念したような笑いを浮かべて。

 それからひとしきり紅茶で唇と舌を湿らせてから、ゆっくりと口を開く。

 

 

「銀月天――より正しくは、試製人造惑星弐型。それが御姉様の原形となったある人造惑星であること既知の事でしょう。その製造者もまた、あの女――ウェルギリウス・フィーゼです」

「……弐型? という事は、壱型こそが……」

「明察の通り、堕天たるルシファーの事です。アレこそ、ウェルギリウスの創り上げた原初の人造惑星の成功作。そこに至るまでどれだけの犠牲の山が築かれていたかは言うまでもないでしょう。最悪の場合、クラウディア・ハーシェルもその犠牲の一つになる可能性があった」

 言葉こそは平静を装っているものの、副長官は気分が悪そうにしていた。

 ……エリスの扱いからも倫理観が案外まともだと思ってこそはいたが、やはり副長官は信じてもいいのかもしれない。少なくともその犠牲の数に心を痛める、人として感性があったかなかったが副長官とウェルギリウスの違いだったのだろうから。

 

「……だが、ルシファーは創り上げられてしまった」

「そこで、次にあの女が着目したのは月天女。かつて冥王と共に聖戦の破綻を担った、アドラーによって生み出された干渉性特化型人造惑星。その技術的再現と模倣だった」

「銀月天を生み出す犠牲として射止められたのが、あの子だったと」

「それは半分正しく、半分間違いです詩人。……知っての通り、魔星とは兵器としてみた場合優れた素体の選定から行わなければならない。だから数をそろえるのが難しい。今後の実験も兼ねて数が欲しかった。そこであの女とルシファーは文字通り悪魔のような計画を練り上げた」

 語るのも悍ましいとばかりに水星天は眉をひそめながら語る。

 

「……もし人道を無制限に無視していいのなら、全く同一の特性を持つ魔星を複数製造したいとするとどのような方法を考えつきますか?」

「どれだけ無視をしたとしても、そんなもの同じ素体が複数でもなきゃ無理だろう」

「そう。同じ素体から作れば、同じ魔星が出来上がります。でも、現実問題として素体は現実として一つだけ。そしてそれをウェルギリウスは成就させた。……ここまで言えば、概ねの察しはつくでしょう」

 謎かけ、だろうか。

 同じ魔星を複数作りたかったら同じ遺体も複数必要。そして、悪魔のような計画。

 その言葉に、一抹の嫌な予感がよぎった。

 エリスはそもそも銀月天から生じたモノだった。そのエリスと顔が同じ水星天。恐らく同じ考えに至ったのだろう、エリスも怖気の走ったような顔をしている。

 

「……あの子の()()()()()()()()()()、銀月天と水星天は創られた、ということか?」

「その通り。恐らく着想(アプローチ)は色即絶空より得たのでしょう。正しくは脳の七割は銀月天、三割は私。……だから私は正真正銘、御姉様の姉妹機なのですよ銀想淑女。尤も、私の資質は干渉性には秀でませんでしたが、同一素体からの魔星の量産という試みそのものは成功を収めている」

 誰も幸せにはしない真実と語った理由は明らかだった。

 あの子は、ウェルギリウスの知性の下、最大効率で有効活用されたのだろう。その事実に、握りしめた拳に力が入る。歯ぎしりしそうになる。

 あの子は、こんな事のために犠牲になったのだろうか。あの子の人生を裁量する権利は誰にもない、けれどその上であの子の人生はなんだったんだとそう思わざるを得なかった。

 机の下で力のこもる手に、エリスの手が添えられる。許せない気持ちだけは一緒だった。 

 

「水星天。ウェルギリウスは今どうしているのかしら」

「……貴女は、そう言えばあの魔女のかつての友人、でしたか。あの女の行方など知れないことはいつもの事ですが、実験台の選定でもしているのでは?」

 副長官は、食い入り気味にそう聞いた。無理はないだろう、かつての友人の非道を見過ごせる性質では恐らくない人だろう。

 対して水星天は心底から興味がないか、或いは嫌悪するような声色で語っている。ウェルギリウスを魔女、或いはあの女と呼ぶ事に関しても、ルシファーに向けるそれと同等の敵意を感じられた。

 

「仮に知ってどうすると? あの女はその精神も倫理も、人の理解できる領域にはないでしょう。貴女の事情に興味はありませんが、いまさらただの人間の貴女に何かできるとでも? かつての友人を止める義務がある、などと見当違いの義務感に駆られているのならそれはあまりに不毛に過ぎます。魔女は、当にそんな救いなど求めていなかったでしょうから」 

「……」

 水星天の言葉に、副長官は押し黙った。

 もうアレは人ではないし、人としての救いなど求めていないのだと水星天は言った。その言葉の意味を最もかみしめているのは副長官だろう。

 

「十柱の遊星天による聖戦、その過程で皇国が諸共吹き飛ぼうと魔女は斟酌などしないでしょう。そもそも魔女の盤面の主役はルシファーのみ。聖教皇国も、騎士も、或いは私や御姉様ですら端役に過ぎない。率直に言って、もう貴方達にできることはないと断言してもいいでしょう。聖戦は成就するでしょうから」

「……ルシファーを創り、あの子を創ったウェルギリウスの目的はなんだ。ルシファーに極晃を齎すため、それは分かる。だけどその先が分からない」

「目的などないでしょう、あの女は。永遠に改善点を見つけ続け、当人が納得できる出来になるまでそれは何度でも繰り返す。最高傑作、などという幻想を求めて魔女はひたすら果てもなく」

 ……その実験の一環として銀月天――ひいてはエリスに、第四世代人造惑星という機構は埋め込まれた。

 恐らく火星天も、木星天も、何かの実験のために製造されたのだろうと類推はつく。

 実験結果を収集しながら、今もなおルシファーの改修作業を続けているのだろう。

 

「これから、貴方達がどうするのかなど私には微塵も興味はありません。しかし、今日を以て私は至高天の眷属を辞し、御姉様に与します。どうか、よろしくお願いいたします」

 

―――

 

 事態は、もはや聖教皇国を待ちはしなかった。

 聖教皇国の手にも軍事帝国の手にも非ざる魔星の襲来を以て、アドラーへの疑惑は払しょくされることとなった。

 同時にウェルギリウスは行方不明者としての捜索から一転、死体損壊や殺人、非人道的な人体実験といった余罪の数々から犯罪者として指名手配をされることとなった。

 無論、神祖との関与や魔星製造といった事績は意図的に伏せられた。今は、非常事態宣言という奴の発令の是非を問うている最中であるという。

 

 シュウ氏はこの事態の収拾に際し第一軍団を任命した。

 それで俺達がどうなったかと言えば、聖庁に留まる事は変わらないが収容生活の待遇は終わることとなった。

 理由としてはやはりエリスが進んで聖教皇国に不利益を齎そうとする存在ではなかった事、ルシファーとの闘いで被害を最小限度に抑えた事が挙げられた。

 が、他方でエリスとの過度な感応や、そもそもの消耗はどうしようもなく、加えてエリスと俺は前例のない魔星であったために、しばらくは秘跡省の下で研究協力も兼ねて治療を受けることになった。

 

 グランドベル卿と副長官からは切に謝罪はされたもののエリスはそれを容れた。 

 ……しかし他方で今度は水星天をどう管理するかが焦点となった。

 

 

 聖教皇国の方針としては魔星の討伐が一にも二にも挙げられた。次いで、ウェルギリウスの捕縛。

 それゆえに、水星天の意図は測りかねるものの水星天とエリスもまた、聖教皇国側の対魔星の一つの方策だった。目には目を、魔星には魔星を、となるのは至極わかりやすい帰結だろう。

 それを特に水星天はあざ笑うわけでも、憐れむわけでもなく、せいぜい頑張ってくださいと言うのみだった。

 

 水星天は当然、聖教皇国に味方をしているわけではない。万が一にも聖教皇国がエリスを害することがあれば、最もエリスに利する形で皇国と敵対すると公言しているほどだ。だからこそエリスを介する形で聖教皇国側も水星天を手元に今のところは置いている。

 当たり前に、魔星を人の目に触れさせるわけにもいかない。

 

 ルシファーの襲来から二日明け俺達は地下の装甲監獄から地上に晴れて出ることができた。……エリスの隣に、水星天付きで。

 

「ロダン様。水星天、なんとかなりませんか」

「釣れないのですね、御姉様。私達は骨肉を分けた姉妹も同然だというのに」

「だから、どこがですがっ。大体私は貴女の血の繋がった姉ではありませんし気色も悪いし、鬱陶しいのです!」

 ……水星天は、エリスの手を掴みながら満面の気色悪い笑みを浮かべている。

 緊張感にはなんとも欠ける。エリスは至って大真面目に引いているし、俺も引いている。だが、他方で真実を知った今となっては拒むにも拒み切れないといった態度もエリスの中にはあるのかもしれない。

 

 

 

 外傷こそ今は癒えたものの、エリスの消耗故に星の行使は現状では不可能であり、それに関して酷く申し訳なさそうにしていた。

 本音を言えば、姉さんの家に帰りたいのは山々だけれどエリスに水星天がついてくるのでは話が変わってくる。……さすがにコレを姉さんに会わせたいとは思わないし、傷ついたエリスや俺を見るのも姉さんは心を痛める事だろう。

 

「今こそあの装甲監獄の出番じゃないのか? 少なくともエリスを押し込めるよりはずっと正しい血税の使い道だ」

「私の星の前ではあんなモノはむしろ箱庭同然です。――むしろ、あの監獄の中で今まで詩人と御姉様が何を語らい何を致していたのか……あぁ、私が知らないわけはないでしょう。それはもう、お熱い事で何よりでしたわ。多少骨格を弄れば鋼の壁を目にでも耳にでもして――」

「前言撤回だ、副長官の肝いりらしいあの装甲監獄はいつになったら役に立つんだ」

 悶えるように体をくねらせながら夢心地で語る水星天だが、さすがにこれは聞きたくなかった新事実だった。

 エリスは赤面と嫌悪の混じった、複雑な顔をしている。

 ……聖庁に不法侵入した事は今更だとして、エリスとのやり取りを全部見られていたという事なら恐らくつまり言葉の通りそういう事なのだろう。壁に耳あり、障子に目ありなどとは大和のことわざだっただろうか。

 

「……なぜ貴女は、私にそこまで執着するのですか」

「さて。それが私にもよくわからないのです。初めて御姉様を目にした時。それはもう、私は満ち足りた心地になったのです。自分に足りないモノが、まるでパズルのピースのように過不足なく。御姉様の演目なら、何度も何度も足を運びました」

「いわゆる出禁にできれば幸いなのですが」

 ……夢心地。足りないモノ、という事は恐らくそれはつまり。

 

「自分に用いられている素体が欠けていることに対する、本能的な飢餓感――エリスもまた言い換えれば銀月天から生まれた存在だ。エリスの中に、自分に欠けたもう一つの根源を無意識に見出していたからじゃないのか」

「否定はしません、解釈は自由ですとも。えぇしかし、今のこの私の胸の水銀の高鳴りだけは私の中の真実なのです」

 水星天は、エリスとは違う。無論、あの子とも違う。

 けれど、存外に恐らく考え方や思想信条は非常にシンプルなのだろうとは思う。信用できる相手では決してないけれど、ルシファーの敵対者としては信じてもいいのではないかと、俺は思う。

 ルシファーやウェルギリウスの事を語る時の嫌悪だけは、エリスと同じモノのように見えたから。

 

「……じゃあ、あの子についてはどう思っているんだ」

「別にどうとも。確かに骨肉を分けた姉妹機にはあたりますが、素体の記憶や嗜好を継承したのは彼女の方でしょう、私はその失敗作。それ以上の感情などありません」

「どちらかと言えば、エリスの方に境遇は似るから、か」

 エリスはあの子から星を、水星天はあの子から肉を受けついでいる。故に水星天はあの子とは対等ではない。

 ……脳ごと素体を水星天は埋め込まれている。恐らくエリスの主観記憶で微妙に生前とあの子の性格に差異があったのはその特殊極まる製造過程にも起因しているのだろう。

 水星天に、あの子の影は感じない。そうした彼女を彼女たらしめるものを継承していたのは銀月天の方であり、水星天はその余りを受け継いでいるのだろう。

 

 自身の完全なる像を知るが故の本能的な飢餓感、だけではエリスへの好意には説明がつかない点もある。

 所詮はそれらは俺の推測でしかないけれど、欠けてるモノを追い求める感情が水星天にあったというのならそれは本来銀月天に対して抱くべきモノのはずだ。

 

 だからこそ、銀月天ではなくエリスを佳いと思った感情こそが、銀月天の模倣品としてではない水星天としての感情なのだろうと俺は思った。

 

 

―――

 

 右腕の感覚が末梢から喪失していく。

 恐らく今のままでも肘までなくなるだろう。そう、ポースポロスは算段していた。

 

 骨も残さず、土星天は焼き尽くしたはずだった。その腕の違和こそが、土星天の健在を証明していた。

 あの男の自我はもはや融解寸前だった。

 

 死を撒く土星の龍、その再起の予感がポースポロスにはあった。アレが再起したらならば、もはやその災禍は無辜の人々にさえも及ぶだろう。

 

「――させん。俺が手ずから殺すと決めている」

 それだけは、あってはならない。息の根を止め損ねたのならば――それによって更なる怪物と化したのならば、その清算はしなければならない。

 

 何より、あの男は英雄という名の妄執に囚われている。

 過去に何があったかなど、己が知ったことではない。だが、その妄執こそが原動力になっているというのなら、対峙しないという選択肢はなかった。

 閃奏との契約は、自身の自害を含めての意味での至高天の階の皆殺しだ。だからこそ星を借り受けたに過ぎない。

 それ以外の事について詮索するなという契約は交わしてなどいない。そこから先の委細は己の裁量と裁断によるのみだ。

 

 あの男はポースポロスを見てなどいなかった。

 その妄執の根源をこそポースポロスは断ち切ると決意を新たに、感覚を喪失しかけている右腕を握りしめた。

 ジュリエットからもらった外套で顔を隠しながら、街を歩く。

 

 

 聖庁の震撼が今しがたあった。恐らく、聖戦までの刻限はそう長くはないとも予感する。

 罪なき市井が巻き込まれることを許容してはならない。この宿業を清算するべきは己にあるのだから。

 

 ふと、その罪なき市井の代表格としてジュリエットの顔が頭に浮かぶ。

 壊すこと以外に能のない己などよりああいう誰かに救いを施せる人間こそが救われなければならないし、ジュリエットのような人間に己が不始末の尻ぬぐいなどさせてはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ポースポロスを見送ったジュリエットは、少しだけため息をつく。

 何もかも、結局ポースポロスは背負って往ってしまった。

 

「……治したかったし、止めたかった。それだけは本当だったんだけどもなぁ。()()()

 

 あの超人大戦と同様に自分は治す事が出来なかったポースポロスが特殊だったから、などという言い訳は彼女は自分に許しなどできなかった。

 許せば、生じる結果は超人大戦のような阿鼻と叫喚だけだ。

 従軍医を辞してもなお、闇医者という形で医療に携わるのはその妄執じみた決意が成すモノだった。

 

 人は彼女を太陽のようだという。

 穏やかな笑みと、痛みを取り除く確かな技量。そこに人は母のごとき慈しみを見出すのだろう。

 

 医者としての信念。そう言えば聞こえはいいのだろうが、彼女の真実は趣を異にする。

 患者の苦しみを取り除きたい――それは一面的な事実でしかない。

 ジュリエット・エオスライトは彼女は医者の一家として生を受けた。当然にして彼女も医術の道を歩む事になる。

 彼女に転機があったとすれば、幼いころからの友人の死だったろう。当時の医学では不治の病とされた大病を患ったその友人の死は、幼い彼女にはあまりにも残酷に過ぎた。

 

 その時、彼女は己が胸にあるモノを理解した。

 

 死と病への怒りと憎悪――人は病み、人は死ぬという、人にとっての当たり前を彼女は許容できなかった。

 新西暦が歩んできた千年の集積知を以てしても、いまだ不治と病は駆逐に至っていない。その現状を彼女は何よりも憂いていた。

 けれど、そんな当たり前を否定する力もまた、当たり前に持ち合わせていなかった。

 

 御伽噺のような奇跡は太陽のように万人には降り注がない。

 病と死を許容するこの世界は間違っている。有限を美しいとは思う感性からもまた、彼女は遠かった。

 

 超人大戦の従軍医としての経験によって、彼女の狂気は振り切れた。

 もはや、誰が味方で誰が敵なのかさえも分かったものではない。けれど、陣営の別なく彼女は手当をし続けた。

 何度も、血を拭い、切開をし。

 救いを求める手を懸命に握りながらも、一人、また一人と命が潰えていった。

 文字通り手が足りなくて救えなかった命があった。救わない事を選んだ命があった。彼女に感謝をしながら息絶えていく人々の姿を前にして彼女の悲憤は極限に達した。

 

「お前は何も間違っていない。病も死も、それは生命の欠陥と未完の証明だ。間違っているのは不出来なる未完を許容する秩序だ。だからこそ星を超えた星が必要になる。ジュリエット・エオスライト、お前の力が俺達の計画には必要だ」

 

 だからこそ、彼女は堕天と手を結んだ。

 間違っているのならそれは是正されなければならない、正当なる怒りを以て天に糾さなければならない。それは、悪魔と手を結んででも為さなければならない。

 

  

 ことりと、彼女は机に円筒状のガラスの筒を置く。

 そこには有機的な鼓動を繰り返す、金色の金属光沢がある心臓状のモノが培養液の中に浮かんでいた。

 

 どくん、どくんと太陽の核は鼓動を繰り返す。駆動すべき時を待ちわびるかのように。

 

 そして彼女は切に願う。どうか、これを使う日が来ないことをと。

 




太陽というのは、つまりそういう事です。
地の文でも割と今までそれっぽい描写はしていたので多分太陽天にあたる人物は誰かはわりと明らかだったと思います


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原動天と恒星天 / Paradiso

Q、ロダンの過去の極晃はなんと呼びますか?
A、織奏です。

Q、某神祖は生前、ウェルギリウスについてはどう思っていたの?
A、「顔と体はいいのに反応が薄くて機械を抱いてるような気分にさせられた」とのことです。

ウェルギリウスの余罪は多分あと2個ぐらいです。


 まだ、俺の騎士であった頃、グランドベル卿のカウンセリングを受けていたころの話だ。

 彼女はいつも、俺に対して心を砕いていた。茶を用意してまで自分の執務室に招き俺と言葉を交わしてくれていた。

 そんな有様は衆目も気が付くだろう、あらぬ噂を立てられることもあった。

 曰く、不良騎士に聖女は誑かされている。曰く、聖女の温情に不良騎士は甘んじている。

 思い起こすと、いくつかそういう話が耳に入ったことはあった。そのたびにグランドベル卿に申し訳なくなり、何度もグランドベル卿のカウンセリングを辞そうとはしたがそこでグランドベル卿は退くほど素直ではなかった。

 そんな程度の人間はそんな程度の人間だ、とだけ彼女は言うのみだった。

 

「グランドベル卿。その、あまり俺と顔は合わせない方がいいだろう。第二軍団の第Ⅳ位ともあろう人の時間の使い方じゃない」

「私の時間の使い方を裁断するのは私です。……貴方と手合わせした者として、貴方の苦悩と才の喪失を見過ごす事は出来ませんでした。随って、これは私の意志ですしランスロット卿にも許可は得ています」

 ……堀はしっかり埋めているらしい。リヒターも把握しているのだというのだから。

 俺は、ある意味グランドベル卿の真面目一徹具合を見くびっていたのかもしれないと思い知らされたものだ。

 

「俺に騎士に戻ってほしい、というのはそれは善処はしたい。けど、騎士に戻ってそれでどうするんだ。俺には騎士になって成したいことはない。結局俺が騎士になる事を強く断れなかったから、こんなことになってるんだろう」

「……それでも、幼馴染のために剣を執った事は尊い動機だと言えるでしょう。もとより、動機よりも星辰奏者としての資質が認められて騎士になるケースが今では一般的なのですから、それをさして特別卑下する事ではありません」

 星辰奏者としての資質があるという事はそれだけでも騎士階級への道となる事を意味し、だからこそ俺は家族に背中を押された。

 最終的に、ハル姉さんに騎士姿が似合っていると言われたことが騎士になる事を決めた動機でもあった。

 それは、グランドベル卿が騎士になる事を決めた動機に比べたらきっと、ちっぽけなほどに軽い。幼馴染に少しばかり褒められていい気になっただけのガキでしかなかったのだと思う。

 

「……グランドベル卿はかつて、故郷の人々を山火事で失ったと聞いている。貴女が騎士をしているのは、失われるはずの命を救うため、そういうものじゃないのか。それに比べたら俺の動機なんて不純もいいところだろう」

「少し違います。それだけであったなら、私は従軍医の道を選んでいたでしょう」

「似合っているんじゃないかなグランドベル卿なら。世話をされるならグランドベル卿がいいと思う」

「……誉め言葉、と取っておきましょう。私が騎士を務める理由は、貴方が考えているような大層な理由ではありません」

 ……大層な理由ではない、というその言葉の意味をこの時の俺は理解できていなかった事だろう。

 贖罪でさえもない。亡くなった者の痛みを忘れないために、自分は苦しむべきだと思っているからこそ彼女は槍を執っている。

 もう、声の届かない人々に詫びるために。その人々が彼女の苦痛を求めていなくても。

 

「私にはもう、知己はいません。ですから誰かのために強くなろうとする在り方が私には羨ましく、そして眩しい。その在り方を私は損なってほしくはない」

「……」

「力とは信念を伴わなければ暴力であり、信念もまた力を伴わなければ夢想です。決して貴方に不足はなかった。だからこそランスロット卿はⅢ位を認めていたのでしょう。何より貴方自身がその動機を蔑むのは、貴方の幼馴染の心をも蔑む事になるのではないですか」

 リヒターやハル姐さんに申し訳が立たないとは思わないのか、そう言われている気分になる。……彼女自身がそれを意図したわけではないにせよ、重くのしかかる言葉でもあった。

 誰かのために強く在ろうとする在り方をここで失っていいのかと問われればそれもまた、いいわけがない。

 グランドベル卿も何となく、空気の重さを察したのだろう。少し話題を変えることにしたようだった。

 

「貴方は少なくともⅢ位を得るまでは至って模範的な騎士であったと聞いています。聖教皇国の聖書に親しまない事以外は教養に不足もなかった、と」

「……時代は聖書よりシェイクスピアとダンテだ。聖書の内容なんて一文字も読んだことはない」

「その芸術家達も、作品を創り上げる教養の一端として聖書を学んでいたでしょうに」

「ぐ……だが異議ありだ、グランドベル卿。そもそも今の聖教皇国の聖書は神国大和の賛美と正当化による極東黄金教の伝搬が目的だろう。旧暦の聖書とは趣を少し異にする。したがって俺が聖書を好まない事とそれとは別問――」

「聖書を嫌い()()()()()()()()()()()が無いはずなのに、内容とその意義をよく考察していらっしゃるのですね。感心な事です」

 ……二度もグランドベル卿に言い返された。それも、中々に痛いところを。

 そんな俺の顔にグランドベル卿は少しだけくすりと笑った。思えば、これが彼女の初めて笑った顔かもしれなかった。

 

「ガラハッド卿には、くれぐれも内緒にしておきましょう。私も彼にはよくして頂いた恩は有りますが、こればかりは」

「……そうだな。さすがにアレでぶん殴られたら槌に染みが残るかどうかさえ怪しい」

 その境遇故、ガラハッド卿とも交流はあったなと記憶している。

 あの人はグランドベル卿とはまた違った意味で騎士らしい騎士だと思うし、その暑苦しさを除けば騎士として見習うべき人だと思う。

 

「……不思議だな。グランドベル卿の騎士をやってる理由は信心故、というわけでもなさそうに見える。公人としてはともかく、私人としての言動からはあまりそこまで大和の残せし御心がままに、なんて聞いたことが無い」

「教養として一通り覚えているのみで私は信仰に対しては中立です。……教えを佳いと思う者もいれば、息苦しさや偽善さ、欺瞞や政治的意図を感じる者もいるでしょう。それらも含めての信仰の自由であるべきだと私は思います」

「グランドベル卿は懐が実に広い、聖女なんて言われるぐらいだ、俺みたいな不信心者が嫌いなものかと思っていた」

 よく言われます、とグランドベル卿は謙遜する。

 そんなグランドベル卿との語らいとカウンセリングは俺を救ってくれていたと思う。

 しばしばそれからもグランドベル卿と顔を合わせることはあった。彼女の仕事の手伝いを少ししたりすることもあった。

 彼女はそれには及ばないと言ってくれていたけれど、それでも少しでも彼女に恩は返したいと思っていたから。

 

 彼女の人となりも、それらを通じて知ることができた。

 例えば酒もたばこもあまり好まない事や、師譲りでショウギと呼ばれる盤上遊戯が得意である事。

 私生活は至って質素である事や、背が高い事を若干コンプレックスとしている事。

 

 聖女、という言葉のイメージだけでは分からない、彼女のいろいろな事を俺は知った。

 

「ふふ、いっそ私の秘書になりませんかロダン」

「……グランドベル卿が初めて冗談を言ったぞ、少し驚いた」

「融通が利かない気質である自覚はありますが、そんなに私は冗談が似合わないですか……」

「冗談は似合わないかもしれないけど、グランドベル卿の秘書なら競争率が高そうだよ」

 グランドベル卿が初めてジョークを言ってくれた時、俺は少し楽しかった。

 その時はグランドベル卿が珍しく落ち込んでいたりもした。彼女は本当に、親身になってくれた。自然とそのころから俺もよく笑うようになった。

 

 もしあの子との出会いがもう少し後だったら俺はもう一度、騎士になろうと思えていたのかもしれない。

 短くはあったが、グランドベル卿との日々は俺にはかけがえのないものだったと思う。本当に、そう思っている。

 

 

 

 

 

 聖教皇国は魔星の対処に際し、早急な対応に追われることとなった。

 その一環として聖庁のあるはずれにある森の惨状もまた調査がなされていた。

 

「酷い、ですね。これは。規模からみても恐らくは魔星の関与と考えて妥当でしょう」

「ああ。……ここが魔星の激突した場所の一つで間違いないだろう、グランドベル卿。それに、あの切断面の木は木星天で間違いない」

 視界に映る一面は、隕石の墜落のような様相を呈していた。

 グランドベル卿と俺はそこに立っている。

 ……魔星の関与していると思しき場所であるだけに、その調査を第一軍団団長より要請された結果今ここに彼女も俺もいる。

 その現第一軍団団長の事はあまりよく知らないが、俺とエリスの処遇に対して当初から寛大な対応を求めた人物であった、とはリヒターからは聞いている。

 その処遇に関して、グランドベル卿と一悶着あったとも。伝え聞く限りではエリスの処遇を巡ってはその時だけはグランドベル卿は第一軍団団長と一戦交えるかのような雰囲気だったとも聞いている。

 

「ロダンの見立てはあっているでしょう。木星天、あの男の仕業とみて間違いはない。けれどそれだけではない。もう一人いたと考えるのが妥当かと」

「だな。明らかにあの木星天の星だけでは説明のつかない状況もある」

 木星天は確かに破壊の極致とも言うべき星の担い手だった。だがそれだけでは不自然な光景も散見された。

 枯れた草木、特に灼けた様子のない息絶えた小動物たち。それは木星天の星が齎したモノではないことは明白だ。

 加えて切断面の荒い木々と、そうではない木々が混在している。

 

「集束や拡散のような破壊に優れた資質というよりは外傷をあまり与えない付属や干渉によるモノでしょうか」

「……性質としてはリヒターの星に似ている、といったところだろう。何かの物質なり現象なりを発生させる類と見るべきだ。恐らく、木星天と相対していた奴は相応に手強い。木星天でさえ暫く手こずったはずだ」

「その口ぶりから察するに木星天の勝利を疑っていないようですが、アレが勝者とはまだ限らないのでは?」

「いや、多分勝者は木星天だ。確証はない、けれどグランドベル卿も……いや、グランドベル卿だからこそ分かるはずだ。阿呆のようにまだだと叫ぶあの男が、聖戦を前にしてこんなところで終わるはずがない」

 グランドベルもまた、納得はしているようだった。

 ……アレが英雄の系譜を継ぐ魔星であるとするならば、こんなところで終わるはずがない。

 

「切り上げよう、グランドベル卿。傷は癒えたか?」

「心配は無用です、貴方はエリスを慮るといいでしょう。私と共にいれば彼女の不興を買うのでは?」

「エリスは今は安静にはしているだろうさ。それに貴女の事を勘違いしたままではいたくない、とも言っていた。嫉妬することはあるだろうが、不興を買いはしないだろう」

「そのようにある事を祈ります」

 副長官の下で今はエリスは治療を受けている。

 だが、それはそうとグランドベル卿に対してはどうしてもエリスは少しだけ経緯が経緯であるだけに態度が硬くなる。

 

 ……それからまた、今のこの地の惨状を目の当たりにして、改めて俺は思う。

 グランドベル卿は至高天の階とやはり本気で戦うつもりでいるのだろう。どうしようもなく、彼女の安息は、己を苛む焔の中にしかないのだから。

 

「……グランドベル卿は、やはり至高天の階と戦うのか」

「魔星との闘いにおいて、私は恐らく無事で帰ることはできないでしょう。結局私は死んでほしくないと言った貴方の願いを無碍にします」

「……」

「だからもう一度だけ言って頂けませんか。私に死んでほしくはないと、私が死ねば悲しむと。――その言葉があれば、たとえ幾何かであっても私への戒めになるでしょう」

 ……それは少し、困った。

 面と向かって言うのはやはり恥ずかしいものがある。けれどグランドベル卿は、俺が騎士として誰よりも尊敬する人だから。

 偽らざる言葉を贈りたいと思う。

 

「貴方は喪失の痛みを誰よりも知っているはずだ。だからどうか貴女に生きてほしいと願う人々から、()()()()()()()貴女を奪わないでほしい。……生きてくれ、グランドベル卿。貴女の帰還と無事を祈っている人がいるんだから」

「――」

 少しだけ、グランドベル卿は驚いた顔をしていた。

 それから柔らかな笑みを浮かべて、目を閉じる。その顔は今までグランドベル卿が数度しか見せたことのない顔だった。

 ……騎士ではない彼女としての笑みだった。

 

「……ありがとうございます。その言葉さえあれば、私に黄昏は訪れない。誓いましょう、そして示しましょう。貴方にも誰にも、私の喪失は訪れないという事を」

 

 

――

 

 

 

「お父さん、お母さん。私は元気よ。家はほんの少しだけ広く感じるようになってしまったけれど」

 キリガクレ家の墓前で、ハルはそうつぶやく。

 聖教皇国に限る話ではないが、いつも墓地というモノは厳粛でしずかだ。

 ただ、花を置く音とハルの足音だけが響く。

 

「私ね、ロダンとまた一緒に暮らすようになったの。それからね、私友達ができたの。エリスさんっていうんだ。優しくて、礼儀正しくて、私の事を受け入れてくれたの。ロダンもエリスさんもいるんだ。だからね、もう私は寂しくないよ」

 自分に言い聞かせるように、彼女はそうつぶやく。

 ぎゅっとその手を固く握って。

 

 墓前から去るその合間に、一人の女性に声をかけられた。

 

 

「すみません。ハル・キリガクレ様は貴方の事でしょうか?」

 その女性は、とてもきれいな人だった。見覚えがあるような、ないような。判然と思い出せるような知り合いはいなかったけれど。

 銀――と呼ぶには少しほの暗い、灰色の髪をしていた。

 

「えぇ、そうです。昔、父と母を亡くしまして」

「存じています。私もマシュー氏とナオ氏の知り合いでしたから。その心中お察しいたします」

「まぁ、父と母をご存じだったのですね」

 その女性は少しだけ昔を懐かしむように言っていた。

 知り合い、という事は外交に関係する方なのだろう。少しだけその人が気になってしまう。

 

「差支えなければ聞かせてほしいのですが、生前の父と母とはどのようなご関係で?」

「関係……そうね。いろいろ、というよりは私の方から一方的に意識していただけではあるのですけれど」

 少し、不穏な前置きで。

 そして彼女は、一瞬理解のできない言葉を言い放った。 

 

「別に、どうという縁でもないわ。マシュー・ジットマンとナオ・キリガクレを殺したのが私――ウェルギリウス・フィーゼであったというだけよ」

「え……?」

 私が問いを返す前に、私の後ろにいつの間にかいた背の高い男の人が私の首に拳を放った。

 足音一つさえ、しなかった。

 

 神経が揺らぐ感覚に立っている事も、意識を繋ぐことさえもままならなくなる。

 意識の途絶する刹那にみたものは、そのウェルギリウスと名乗った人の笑い顔だった。

 

「――()()()()()()()。真なる銀月天、月の運命を継ぐ者の完成形。詩人を導く、闇の淑女(ベアトリーチェ)

 

 

 

 

 

 

 

 ウェルギリウスの罪状の告発と共に、次第に活動圏は奪われていった。

 少なくとも、聖教皇国の地上での活動できる場所は皇都周辺ではほぼ存在しなくなっていた。

 

 未だ聖教皇国の把握しきれぬ地下に彼女は逃げ場を見出すに至り、そこでルシファーと落ち合った。

 であるにもかかわらず、その顔には焦燥の色は微塵もなかった。対処ができるから、ではなく根本的にその事象に対してなんら興味がないのだろう。

 ルシファーと共に創り上げた聖教皇国の地下研究区画。ウェルギリウスにとっての天国、ルシファーにとっての地獄の中で彼らは語らった。

 

「ルシファー。()()()()()の気分はどうだったかしら?」

「詩人と淑女の事か。……アレはやはり相容れん。だが相容れんという事は俺の対極にあるという事だ。学びを得るとは苦薬を口にする事なのだろう、アレはアレで学ぶ価値があった」

 ルシファーは、そう語る。

 理解できないモノを語るような不服さがその声色にはあった。それを見て、ウェルギリウスはくすくすと笑う。

 

「……何が面白い、ウェルギリウス?」

「いいえ。いいわ、とても。今の貴方がとても()()()()()もの」

 ウェルギリウスは少しだけ笑い、それから沈黙が訪れる。

 研究区画の中央では、青白い光を放ちながら緑色の立方体がくるくると空中を回転している。

 

「思えば、ここまで長かった。全ては貴方が持ち帰ってきた神天地の超越的技術群(オーバーテクノロジー)のおかげよ」

「謝すには及ばん。一時に夢に等しいとは言え、極晃に至った俺の権能を以てすればその一端を記録した記憶媒体を創造する事も不可能な話ではなかった。むしろあの場の全てをこちらに持ち帰れなかった事こそ俺の敗北だ」

 宙に舞う、その立方体こそルシファーとウェルギリウスが神天地の記憶と技術を常世に持ち帰ってこれた理由だった。

 神天地破綻の直前に情報を極限まで圧縮して収納された、ルシファーが創り上げた神星鉄製の記憶媒体(メモリー)

 その解析によってウェルギリウスは魔星製造の技術を会得し――自らもまた神天地の記憶を継承していた。

 

「ルシファー、恒星天の設計は決まったわ」

「アレが、お前のかつて言っていた本命――真の銀月天に相応しいという素体か」

「えぇ。奪われた過去を持つ者、という意味において当初は女の他にもう一人候補――かつて神祖の実験で村を失ったさる騎士がいたわ。……尤も、()()は星辰界奏者とはまた違う意味で()()()()()()が取れ過ぎていた所為で最終的に候補にはなり得なかったけれど」

 ルシファーとウェルギリウスの視線の先にあったのは両腕を鎖で繋がれたハルの姿だった。

 未だ尚、気を失っている彼女の輪郭を指先でなぞりあげ、ウェルギリウスは嗤う。

 

「月天女に必要なモノはただ一つ――()()()()()よ。銀想淑女は言わば偶然の山積によって生まれた奇跡、けれど彼女は違う。太源(大和)に近い血を持ち、そして()()()()()()を持つ者――冥月とほぼ同一の性質を有している。これがどういう意味か、分かるでしょう?」

「論理の帰着としては何も間違いではない。確かに銀月の暴威を担うに相応しいだろう」

 それから、小さな呻き声を上げながらハルは眼を覚ます。

 視界に映るのは青白い灯火と、ルシファーとウェルギリウス。未だ事態を飲み込めない彼女は、自分の腕が鎖で繋がれている現状に気が付くと恐怖で顔をひきつらせた。

 

「……何、なの。貴方達。これは、いったい何だっていうの!?」

「あぁ、やっと目を覚ましたのね。お久しぶり、とでも言うべきかしら。ハル・キリガクレ」

 特に感情と抑揚を交えることもなく、ウェルギリウスはそう答えた。

 対してハルは、予想だにしない事態に恐怖と驚愕が半ばしている。

 

「改めて、ご紹介させてもらおうかしら。私はウェルギリウス・フィーゼ。事故として処理されたであろう、貴方の御両親を殺した真犯人という奴よ」

「どう、いうこと。私の父も、母も、アンタルヤへ向かう船上で足を滑らせて亡くなったと聞いて……」

「えぇ。それが表向きの、貴方達が知り得る範囲での真実よ。でも真実はそうではなかった」

 要領を得ないといった顔でハルは飽くまでもウェルギリウスを睨んで、けれど言葉を理解しようと努めている。

 

「貴女の両親は聡明で勇気があった。その洞察はこの国の暗部の一端に暴くに至った。けれどそれでは困るの。()()()()()()()が滅んだ事件の原因を秘密裏に彼らは調査をしていた。アレが単なる山火事などではない事、人為的な何等かの実験であった事を彼らは突き止めていたのよ」

「……父さんと母さんは、いつも家を留守にしていた。けれどそれは仕事の話であって――」

「えぇ。けれど正規の仕事ではなくこの国の暗部に触れようとする試みね。実際、それだけの優れた知見を彼らは持っていた。だから、そんな彼らを私があの船上で始末した。それだけよ」

 かくもあっさりと、ウェルギリウスは彼女にそう真実を明かした。

 そんなウェルギリウスの言葉をようやく呑み込めたのだろう、ハルは糾弾するような眼光で彼女を睨みつけていた。

 

()()()()()、と周囲には言っていたようだし、実際船上での彼らの持ち物の中に不審なモノはなかったけれど――あるいはそれが狙いかしら。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か。それともめぼしい資料は知人に預けたか、破棄してしまったか」

「ふざけないで……!! そのために、私の父さんと母さんは貴女に殺されたとでも言うの……!?」

「えぇ。その当時はそれが必要だったと判断された。私にとっても国にとっても邪魔なモノでしかなかった。優秀なのは佳いことだけれど、優秀過ぎるのも考えものね。もう少し優秀ではなかったら私と肩を並べることもあったでしょうに」

 ウェルギリウスは激するハルとは対照的に、少しだけ惜しそうに言った。

 聖教皇国の真実の一端を掴んでいた。その知啓の由来は動かぬ正義感によるモノであり、神祖と与し得ない。

 だからこそ、その危険性を判断した上で神祖もまた抹殺という決断に行きついた

 

「……とても、残念だったわ。神祖の治世の存続にその頭脳は生かされるべきであったでしょうに、貴女という一人娘を残して身勝手に逝ったのだもの。貴女もさぞや心細かったでしょう」

「嘘……嘘よ、そんなの。貴女が勝手に言っているだけでしょう!? 父さんも母さんも、事故で死んだ、そうに決まって――」

()()()()()()()が、ここにあると言っても?」

 ウェルギリウスはハルの言葉を疎んじるように、その懐からあるモノをハルの下へと放り投げた。

 黒く変色し乾ききった血がべったりと付着した、懐中時計。ハルにとってはよく見慣れていたモノだった。

 海に転落して両親は死んだと聞いていた。転落して死んだのなら、身に着けていたモノを――父の懐中時計をウェルギリウスが持っているはずがないのだから。

 同じ品の別のモノ、等あり得なかった。その懐中時計の裏側には、父の名が刻印されていたのだから。 

 

「その血が貴方の父のモノであるかどうかまでは、さすがに調べられはしないでしょう。けれどそれでもおかしいわね。事故だとするのなら、どうして私は貴方の父の血が付着した懐中時計を持っているのでしょうね? ……私にとっても、貴方の両親の死は悲しいのよ。こんな事を考え出さなければ、貴女という一人娘を孤独にせずに済んだんでしょうに」

「――貴女のせいで、私は……私の父さんと母さんは死んだのでしょう!!! 私から、親がいるという当たり前の幸せを奪ったのが他ならない貴女であったというのなら、どの顔でそんな言葉を吐いているの!? 返してよ、私の……!! 私の家族を……!!」

「返せ、と言われてももう居ないわ。神にさえ、それは不可能よ――()()()()()()()()は」

 さして罪悪感を感じる様子もなくそうとだけ言うと、唇を歪めて何かの塊を手に取り出す。

 ……それは心臓のような形状で、黄金色のナニかだった。有機的に、命を持つかのごとく拍動している。

 その輝きをハルは悍ましいと思った。ソレを受け容れてはならないと予感する。

 

「そう言えば。貴方はエリスと云う女の子と一緒に暮らしているのだったかしら」

「……どうして、エリスさんの事を?」

「そんな事はどうでもいいでしょう、どうせ()()()知ることになるわ。あぁ、でもその前に一つ。――その貴女の大事な大事な女の子は、今貴女から貴女の幼馴染を奪おうとしているらしいわね」

 エリスの名前を出されたことへの当惑など、ウェルギリウスは意にも介さず話を続ける。

 そこから先が重要な話なのだとでも言うように。

 

「知っているわ。貴女の事は誰よりも、私はよく見ていたもの。両親を失って天涯孤独となった貴方を支えてくれたのは、さて誰だったかしらねぇ」

 エリスの耳元で、ウェルギリウスはそうささやく。

 その先の言葉を聞きたくないとハルは叫ぶ。

 

「その幼馴染の青年は、最近ある女性とお付き合いをしているそうよ。容姿に恵まれた、貴女とは違う純真無垢を絵にかいたような淑女のような女性と」

 言葉を脳に刷り込むように、憎悪を育ませるように、ゆっくりとした言葉でウェルギリウスはさらにハルに語り掛ける。

 

「貴女を置いていって、その青年は彼女と一緒に居る事を選んだようね。とても残酷な青年ね。――その青年の初恋は、貴女に他ならなかったというのに」

 直後、ウェルギリウスはずぶり、とその塊をハルの胸へと埋め込めこんだ。

 決して小さくはない悲鳴が、彼女から上がった。けれどウェルギリウスはそれを斟酌する事はなかった。

 

「貴女は殺さないわ。その憎悪――生来の感情こそ、月の運命にふさわしい。本望でしょう、()()()()()()()()()を貴女は得ることができるのだから」

 

 ハルの胸にその神鉄の核が納まるとともに、第二の心臓とも言うべきソレは感応を開始した。

 生身の人間が神鉄を埋め込まれることの意味も、ハルの苦しみも、言うまでもない。

 

 肉体の組織の再編、魔星と同等の深度での感応による激痛は、彼女の絶叫となってただ地下室に響き渡った。

 

 その叫びは、地獄の河(コキュートス)に響く嘆きの如く。

 

 

―――

 

 

 凄惨なる恒星天の創星への試みは、その経過と完成を待たなければならない。

 ハルの苦悶と叫喚をまるきり意識から遠ざけ、ウェルギリウスはルシファーと語らう。もはや、ハルの叫び声は彼らの環境音の一つでしかなくなった。

 

 

「話を戻そうかしら。貴方の社会科見学の事だけれども、貴方は事象に対する不服を述べるとき、感情ではなく理論を先に挙げる癖がある。けれど今貴方は明確に詩人と淑女を気に入らない、と言ったのよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()、この意味が分かるかしら」

「――」

 その言葉に、ルシファーはふと我を失う。

 あの時、星を擲った詩人と淑女に感じたモノは不快感だった。

 己では辿り着けぬ高みに達しようとしていながらそれを擲った事、合理を捨てた事。理由を注釈するだけならば幾らでも言葉は創れる。

 感じたモノを記憶領域から抹消することがルシファーにはできなかった。感じたモノを演算して再現する事がルシファーには出来なかった。

 即ち、感情であり人間性をルシファーは既に体得していたのだとウェルギリウスは指摘する。

  

 

「アレは……そうか。アレこそが怒り、或いは羨望か。俺は――詩人のようになりたいと思っていたのだな」

 ウェルギリウスは少しだけ目を閉じる。

 ルシファーの創造と改良の過程に想いを馳せる。聖戦も、至高天の階も、全てはルシファーのために用意し続けた舞台だった。

 

 神塔たる自分の科学の象徴。火焔天より出でて至高天に至る者。

 彼は感情をついに己の裡に定義した。それは自分には出来なかった事であり、ルシファーと己を無意識に同一視していた彼女にとってはその相似点の断絶を意味していた。

 

 

「オフィーリア。……貴女が何を想って私を送り出したのか、今ならその心に私は迫れるのかもしれないわね」

 ルシファーに見出していたモノは果たして何だっただろうか。己の智の外部器官として――それは一面的な事実であって、それが全てではない。

 ……それは彼女にとっての矛盾だ。ルシファーの成長と覚醒は設計者として好ましい事象であるにもかかわらず、それを寂しいと思う()があった。

 胸に蟠る感情に彼女は覚えがあった。あるいはそれを気づかないふりをしていたのかもしれない。

 

 

「水星天の妄執、金星天の諦観、木星天の赫怒、土星天の狂奔。太陽天の帰順、火星天の焦燥――銀月天の運命。何もかも。舞台は整えたわ。あとは貴方を送り出すだけよ」

「……いいや、足りん。まだ()()があるだろう」

 そう、ルシファーは言葉を遮った。

 

「……()()()()()()()、ウェルギリウス。木星天でもなく、他のいずれでもなく、俺と共に極晃を描くのはお前でなくてはならない」

「――」

 呆気にとられたように、ウェルギリウスは言葉を失う。

 おおよそ、彼女の人生においてはじめての驚愕だった。お前も至高天の階になれ――そうルシファーは言っているのだから。

 それは主導者の入れ替わりであり造物主へのルシファーの造反、聖戦という計画の乗っ取りを意味する言葉でもあった。

 

「言っている言葉の意味を、そのまま受け取っても?」

「いつか、お前はお前より優れている者がいたとしたら俺はお前を捨てるのかと聞いたな。俺は比喩など言わん、答えはこれだ。――俺の天昇はお前に導かれなければ意味はない。お前の理論をこそ、俺は証明したい」

 至高天の階の一人と成れという言葉に、ウェルギリウスは嫌悪も拒絶も示さなかった。

 態度はその逆。心底から嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 なぜならば狂気への解答もまた狂気だったのだから。

 

「宿敵でも、運命でもない。共犯者、俺達にふさわしい盟はそれ以外にあり得ないと言っただろう。――お前の望む最高傑作の完成を、お前が責任を以て見届けるがいい」

 自らの最高傑作の描く極晃を、その傍で見届けろ――その言葉をウェルギリウスは受け容れた。

 ルシファーの胸に、鋼の鼓動を確かめるように彼女はそっと手を置く。

 そして彼女は納得したかのように、童女のように笑った。

 

 誰がその笑みの悍ましさを知りなどしよう。

 知らぬ者から見ればそれは無邪気な子供のそれであり、無上の恍惚に達した薬物中毒者のようでもあり、悟りの地平に辿り着いた者のそれとも形容できたろう。

 あるいは真実、彼女は今この瞬間に見神の領域(エンピレオ)に達していたのかもしれない。

 

 

 純粋培養された狂気と才気は、ついに最後の答えを導き出すに至る。故に堕天と魔女は真に並び立った。

 

「そうね。私としたことが盲点だったわ。()()()()()()()()()()のなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのに。――ねぇ、お願いルシファー。私の心臓に鋼を埋め込んで。()()()()()に私を変えて」

 

 



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少女の記録 / Paradiso Memory

オリジナルの銀月天から見た、各キャラへの皮肉ないしは人物評の体での箸休めです。
カードゲームのフレーバーテキストのような感覚で見て逝ってください、今回は本編はありません。読み飛ばして大丈夫です。

多分次回も遅くなりそうなので申し訳ありません。


「詩人」

私の記憶に残っている人。

なんだかよくわからない、勝手に納得した人。

詩人になったというけれど青臭さはどうしても抜けないけれど、彼の詩は嫌いじゃない。

けれどさすがに彼の書いている話の中での私の描き方はどうなんだろう。もう少し私は礼儀はいいし、皮肉なんて言わないのに。

 

「淑女」

詩人を導く人。

私の理想像、かと言えば多分そうだと思う。

私と違ってひねくれずに育ってくれたけれど、きっとそれは私の教育が良かったのだと思っておきたい。

生きるという事はどういうことなのか、彼女はこれから知っていくのだろう。何色にも染まり、何者にだってなれるだろう。

世界は彼女の新生を求めている。

 

「恒星天」

嘆きで詩人は導けない。

けれどその嘆きこそ、愛深さの証明だろう。

肩を持ってあげたいのはあの子だけれど、それでも詩人にとっては彼女もまた大切な人だ。

この世に導かれない者はいないだろう、彼女もまた確かに詩人を導いた一人なのだと私は思う。

 

「金星天」

常識人だとでも言いたいのだろうけれど、発端からしてその狂気は決して至高天の階の何者にも劣らない。

つかみどころがない、正直一番よくわからない人。あちらが私をどう思っているかは知れないけれど、私は勝手に恩を感じている。

顔で花屋をやれそうな人。薔薇でも育てていればいいだろうに。

 

「太陽天」

熱さと温かさは表裏一体。何事も、距離と加減は大事なこと。

尤も――加減を知らない人も世の中にはいるけれど。

誰よりも優しい熱を持つが故に、誰よりも熱く憤る人。

ひょっとしたら、彼女ならかつて私であった人の病を治せたのだろうか。

 

「土星天」

今もなお、狂える龍。

その高潔さゆえに歪まざるを得なかった、運命の虜囚。

狂奔と呪詛に身を浸しながら彼が求めたモノは果たして聖戦の果てにあるのだろうか。

 

「火星天」

望まぬ転生は、ただ一つの誇りさえ握りつぶす。

彼は言う。見よ、無双の剣とは之即ち己が星に他ならぬと。

最高の剣とは何だろう。剣が発揮する機能のみによって、それは証明されるべきだと彼は知っているはずなのに。

 

「堕天」

至高の天にでも、天国にでも、好きに至ればいいと思う。

並ぶ者がいないという事は定量的な優劣を証明しても、完成を証明はしてはくれない。

誰も証明できない完成。己が孕む矛盾を彼は自覚しているのだろうか。

或いは自覚して尚、それを呑み込んで彼は突き進むのだろうか。

 

――「先生」

人の体をよくも躊躇なく切り取っていったものだと思う。ただ、感謝できる事があるとすれば、あの人が今どうしているかを知れた事ぐらいだろう。

彼女が本当に欲しかったものは――堕天に真に求め見出していたモノは何なのだろう。

少なくとも、それを今の先生が知ることはないだろう。

かつてそれを知っていたはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 



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各々の天国 上 / Pain

金星天はまぁクラウディア曰く「顔で花屋やれそうだし私は勝手に恩義を感じてる」、ウェルギリウス曰く「社交性はいい」の当たりでほぼほぼ作中の存命キャラで候補は二名しかいなかったと思います。


 彼女(ハル嬢)に出会ったのは、私がマシューに敗れてその数年後だった。

 

 当時、私は貴族階級として家を継いだ。家を守る事が使命であろうし、そこに疑義を差しはさむ事はなかった。

 だが、婚約に際しては私は父の用意した縁談を佳しとはできなかった。思えばそれが私にとっての遅れて訪れた反抗期であったのかもしれない。

 

 幼馴染、という奴が私にはいた。

 ナオ・キリガクレ、マシュー・ジットマン――当時、聖教皇国において外交官を生業としていた彼らだった。

 ナオはよどみのない受け答え、教養、気質。それら総てはおおむね男たちの羨望の的であったと私は思う。

 他方、マシューはあまり口数が多くはなく冗談の言い方を知らない男で、名の知れた血筋ではなかったが確かな仕事ぶりは皆から信頼されていた。身分制度の強固であった聖教皇国において、身分を超えて信頼関係を構築していたのはマシューのその仕事ぶり故であった。

 

 マシューもまた、あの頃は間違いなく私の友人であったと思う。

 ……ナオに、私の求婚が拒絶されるまでは。

 

 ナオは結局、マシューを選んだ。

 それでいいし、それがいい。正義感の強いあの男はきっとナオを幸せにするだろうと、私は強引に自分を納得させようとした。

 それでも、あの子に出会った時、私の中で何かが壊れた気がしたのだ。

 

「お母さん、このおじさんだぁれ?」

「おじさんは失礼でしょう、ハル。この人はイワト、私とお父さんの友達よ」

 ナオはその娘――ハル・キリガクレを連れていつも休みの日は出かける。

 ハル嬢は、そのころからナオとよく似た顔立ちをしていた。

 

 彼女は成長していけばいくほどに、ナオにその顔も立ち居振る舞いも似てくる――()()()()()

 そんな彼女を見れば見るほどに、私は自分が情けなく思えてきた。その顔を私に向けると思うほどに、彼女の存在もまた私が恋に敗れた事をその身で突き付けてくる存在だった。

 

 そんな彼女は、幼馴染のアレクシスという青年とよく笑顔で笑いあっていたのを覚えている。

 皮肉な因果と言うヤツで、その有様はまるでマシューとナオのやり取りを見ているかのようだった。

 

「ほら、出なさいロダン。いつまでも引きこもってるなんて不健康よ。今日は教会に行く日でしょ? ロダンのお母さまからもよろしく言われてるんだから」

「……母さんが差し金なのかよ、僕はあまり外に出たくないって言ってるだろう、本を読んでいたいんだ」

「そんなに()()()()のが嫌なんだ、ロダン。……ごめんなさい、貴方の事を考えてなくて」 

「あぁ、もう分かった行くよ。姉さんと行くのが嫌だって言ってるんじゃないよ、教会に行くのがあんまり進まないって言ってるだけだよ!」

 彼らのそのようなやりとりは、はたから見る分には非常にほほえましい光景であったと思う。

 ハル嬢はからかうように落ち込んだポーズをして、ロダンはそこに慌てているといったところだろう。

 どことなくこの少年はハル嬢に思慕を抱いているのだろう、ハル嬢に連れられて行くのがまんざらではないという態度だった。

 

 ……それからというもの、血をなぞるようにハル嬢はだんだんとナオに似てくるようになった。

 物心や教養も身に付き始め、私がイワトおじさまと呼ばれるようになった頃には明確にロダンを意識しているような態度をとるようになった。

 

 

 ナオと別の顔になるのなら、まだ私は妄執を抱きはしなかったのかもしれない。

 感情を文章にするなら、私は判然とまではしなくても間違いなくマシューとナオを恨んでいただろう。

 私の妻にならない道を選んだと言うのなら不幸せになってしまえばいいのにと、そう思っていた。

 

 そう思うと私の中のハル嬢の表情は曇っていく気がした。……あるいは、私の中でのハル嬢とナオの区別もあいまいになってきたのだろう。

 ハル嬢とナオは違う。そのいずれにも否はないと分かっている。けれど、私が恋に敗れた象徴こそがまさにハル・キリガクレだった。

 

 彼らが不幸せになる事を心の片隅で私は願って、願って――それはある日唐突に成就を迎えることになった。

 彼らは仕事でアンタルヤへと出かけると言っていた。その往路で彼らは船上から足を踏み外し、亡くなったという知らせが舞い込んできた。

 

 私にとってはそれは驚きの出来事だった。

 友であった彼らの死は聖教皇国の誇る才能の喪失として、悲しまれそして惜しまれた。誰からも彼らは愛されていたという証拠でもあり、それゆえにハル嬢の悲嘆はあまりにも深かった。

 人として立ち直れるのかを危ぶむほどに、彼女は衰弱しきっていた。

 

 無理も無い、病や自然死であったならまだ納得は出来ただろうがそれでも彼女にはあまりにも辛きに過ぎた。

 彼女は両親の死を知ってから引きこもるようになり、あの青年とは立場が逆転した。

 それからいかなる経緯をたどったかは私には計れないが、彼女は立ち直った。

 

 

 ……しかし、私は彼らの死をどう思っていたのだろう。悲しみはある、友として花は手向けた。だがその報を知った時、私がまず感じたモノは()()()()()()()()()だった。

 

 自分の妄執とも言うべき二人はどういう経緯であれこの世を去った。自分の中の執着はやっと終わったのだと、そう安堵した自分自身に私は愕然とした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()ではないのかと。

 

 だが――私の妄執は終わらなかった。

 ハル嬢が――マシューとナオの二人の残した象徴がいたのだから。

 

 

「初めまして、イワト卿。私の名前は――」

 そして私は魔女と出会った。

 

「貴方に、私の協力者になってほしいの。貴方の望むモノを、私はあなたに与えられるのだから。

 聞いてはならないその言葉の全てを聞き届けた。

 ナオとマシューの死の真実。そのすべてを知った時、私は落胆した。

 

 彼らの死は、神祖の治世には必要な事であったという。

 その下手人が誰かは結局、魔女自身の口からは明かされぬまま。

 マシューではなく。私を選んでいればこのような末路を辿るはずはなかった。

 

 私は魔女と契約し内通者である事を約した。聖戦の後に、ハル嬢を貰い受ける事を条件に。

 私にとっての、妄執の象徴を。

 

 

 

 そして私は私の過ちを思い知る。

 魔女は、彼女を人として私へと渡す事など考えていなかったのだと。

 

 聖教皇国の地下深くに眠るソレを――ハル・キリガクレであったモノ。

 両腕を鎖で繋がれ、胸に光を放ちながら彼女は叫喚していた。瞳は禍々しい赤に輝き、ナオ譲りの美しかった黒い髪は()()()()に染まっていた。

 

 彼女の膝元には、唾液と吐瀉物の混じった血が広がっていた。

 ……その星の気配に、彼女が何をされたのか理解が及んだ。彼女の胸にあるモノが神鉄であることなど、わざわざ見るまでもなかった。

 

 

「ハル嬢――今助けに!!」

「――今更、何をするつもりだ、イワト・巌・アマツ」

 駆けようとした私の肩を掴んだのは、ルシファーだった。

 魔女の生み出した、輝きを冠する人造惑星。怜悧な目で彼は私を征していた。

 その腕の力から私は逃れられない。暗黒天体のように、その眼は誰も彼をもくぎ付けにする。

 その美貌も、眼光も何もかも、彼を構成する要素の最小単位に至るまでが彼という存在の異質さを示唆していた。

 

 

「……ルシファー、これはウェルギリウスの試みか?」

「俺と、ウェルギリウスの試みだ」

「――」

 ルシファーはそう一切として斟酌などせず応える。

 その様に怒りの気炎を上げようとして――しかし私はその先の言葉を口にできなかった。その言葉を述べる資格はないと理解していたのだから。

 

「この女を貰い受けたい、というお前の要請は承諾した。だが人間として引き渡す、とは俺達は一度として同意していない。今更になって聖教皇国に背いた身で貴様は善性や倫理道徳を俺に説くつもりか?」

「違う、ここまで私は成すつもりは……!!」

「ここまでするつもりではなかった、か。いい言葉だ。人間の文学作品においてはしばしば見受けられる表現だな。では聞くが貴様の定義す(考え)るここまで、とは()()()()の事だ。少なくとも、ハル・キリガクレに苦痛を与えるという点に関してはその範疇のはずだが?」

 ここまでするつもりはなかった――それは、どこまでの事を指していただろう。

 私は、ハル嬢を貰い受けて。そしてどうするつもりだっただろう。

 

 ナオの代わり。それはあるだろう、否定はできない。

 ……だが何よりも――彼女を奪う事で私を選ばなかったナオと、ナオを奪ったマシューへと復讐を果たしたかったからではないのか。

 彼女を奪い、彼女を穢し、その尊厳を滅茶苦茶にする事こそが私の目的であった。

 

 だが今、こうして彼女は苦しんでいる。私の妄執であったはずのそれは苦しみ、魔星にされようとしている。

 その様を目の当たりにして私は果たして人間らしく憤激し、彼らを批判する権利があるだろうか。

 例え心の片隅であっても友の不幸を願った私に、ハル嬢の苦しみを慮る権利があるだろうか。 

 

「俺と魔女が憎いというなら翻意は構わん。むしろ俺達に肉薄できるというのなら歓迎しよう。尤も――瞬で八つ裂きにするだけだが」

 きちきち、と音を立てながらルシファーの背には輝く翼が生じていた。鋭い刃となった羽が、私の首元に突きつけられうっすらと血が流れていた。

 脅しなどではない、本気でルシファーはやるつもりだ。ウェルギリウスと彼の所業を鑑みればそれは言うまでもない事であるし、何よりその眼が嘘偽りなく私を射抜いていた。

 もはや、足が地面に氷漬けにされたかのように、そこから動けなくなっていた。

 

「俺達の計画に貴様はもう不要だ、じきに聖戦は始まるがそこの女だけは聖戦の後も生かして貴様にくれてやろう。そしてこれが俺がお前に与える最大限の寛容だ、選ぶがいい。今すぐここから地上へ失せるか、俺達の実験台になるか――」

 

 

 

―――

 

 

 俺は――ユダ・モンテスは芸術が好きだ。描く事が、歌う事が――踊ることが。

 芸術に魂を売ってもいいとさえ俺は思っている。

 そう在ったからこそ、俺は役者となる道を選んだ。

 劇団を立ち上げ、志を同じくする者たちを集め、ユダ座は中堅の劇団として名が通ることになる。

 後に主演の座をエリスに取って代わられることになるジュリアは、俺の劇団の最初期のメンバーだった。

 

 だが、俺の作風は初めは物珍しさや自評評論家連中の気を引き人気はそれなりに得られたが、時が過ぎれば反応も鈍くなってくる。

 端的に述べて、俺の作風は飽きられていた。

 そのころから俺はスランプに陥っていたとも言っていい。

 

 その折り、何度目かの公演を終えた俺へ一人の客が現れた。

 年は俺と同じか少し若い程度の女性だった。

 常に薄い笑いを浮かべている、銀灰色の長髪の女性であったことは覚えている。……その笑みからは何を考えているのかが読めなかった。

 職業柄、表情の使い方と言ったものは俺は心得ているが、眼前のこの女の作り笑いはどこかいびつだった。

 

「――ユダ座長。私は貴方の芸術活動の助けになれるかと存じます」

 率直にいって、今まで遭ってきた人間の中で少し雰囲気が異なる人物だった。貼り付けたような一切変わらない作り笑いは、恐らく何かの目的があってそうしているのではない。

 表情は読めないが、作り笑いは致命的なまでにこの女は下手だった。この笑顔以外、笑顔の作り方というものを知らなかったのだろうかと思う。

 はじめは、その女はパトロン志望かと思っていた。

 だが、そうではなかった。聖戦、魔星、或いは神天地。そんな突拍子もない話を次々とその女は語りその最後にこう持ち掛けた。

 

「貴方の生み出す芸術は間違いなく素晴らしい。けれどそれをさらに追及するには人間という器の性能限界はあまりにも低すぎる。――無論タダではとは言わないけれど人の身を捨て、()()()()となる気はないかしら?」

「なろう、聞いた限りだと面白そうだ」

 俺は即答した。

 その有様に、逆に面食らったのは眼前のこの女だった。その作り笑いも、一瞬だけ剥げていた。その一瞬だけは、彼女という人間がどのような存在であるのかが垣間見えた気がした。

 

「ん? どうした、何を驚いている。俺はそれでいいといったぞ?」

「……――いいえ。私はタダではない、と言ったのだけれどそれでもいいのかしら」

「あぁ。俺は芸術に魂を既に売っている男だ。今更売ろうにも売り物が無い身でな、このぐらい体験としてもこのぐらい天外なほうがいいインスピレーションになる」

 洒落をあまり解する人間ではなかったか、その女は少しだけ逡巡する。

 

 ……もとより俺は芸術が好きだった。人ならぬ身となる事で芸術の最果てを求められるのならば、それは俺にとって本望だった。

 何より、この体験が俺の作風の停滞を打破する契機となると思ったからだった。

 今ならはっきりと分かるが、俺の中の天秤は若干()()()()()()()()のだろう。

 

 

 何ら現状に不満があったわけでもなければ、追い詰められているわけでもない。ただ、芸術を極めたいと思って出たのが魔星となる決断だった。

 退屈より、刺激を求める人間は当然この世界には一定数いるものであるし俺もその性質を多分に持つ人間だった。

 だが文明の成熟している社会において尚命を賭してまで刺激を求める人間はむしろ異常者だし、そんな決断を()()()()下せること自体が俺が人として――芸術家として致命的に思考の支点がズレている証左なのだろう。

 

 魔星の製造法も人工的なものから自然・偶発的発生まであるらしいが、俺の場合はベースは飽くまでも生身の人間として鋼を埋め込むという形だったらしい。

 本家本元はそれこそ一度完全に人として機能停止した肉体を用いるらしいし、俺はソレでいいと言ったが魔女にも何等かの目的があったのだろう。第一世代のアプローチをとる事を佳しとはしなかった。

 

 

 数年の命を擲って手に入れた人ならざる肉体は、俺の期待以上に応えていた。

 肉体に疲労が生じない。

 指先に至るまで神経が新しく張り巡らされたかのように、思考に行動が追従する。意識はどこまでも明瞭で、肉の器の不如意を嘆きたくなるほどに冴えていった。

 

 素晴らしい、これが人ならざる肉体が生み出せる芸術か。

 文字通り、俺は生まれ変わった心地だった――例えその代償にいずれ堕天と相対しなければならないとしても。

 

 筆も、踊りも、何もかもが冴えの抑えを知らない。このころの俺の作風は下手に気取らない、正統派の脚本だったと思う。

 このころの俺は間違いなく芸術家としての絶頂期であった。

 

 役者はいいが脚本が人を選びすぎる、中堅どころの劇団。そんな評価も払拭された、ユダ座はその地位を押し上げた。

 生まれ変わった一座、等と記事に書かれたこともあった。確かに今にして思えば、自称評論家の連中のその言葉は表面的な意味においては期せずして真実を突いていただろう。

 

 だが――恐らくは誰もが。そして俺も無意識には気づいていたのだろう。

 劇団の誰もを突き放し、俺のみが突出した舞台。十人に聞けば十人が、俺以外の演者の名前をすぐに挙げられない。

 

 俺が別人のようだと、ある日ジンはそう言った。ダグラスもまた、直言こそは控えていたが違和感は感じ取っていたのだろう。

 ジンは俺が劇団を立ち上げてから暫くして俺が直々にスカウトした男だった。

 本来であれば彼は荒々しくも繊細な剣舞を持ち味とする役者であったが、属する劇団との芸風の乖離に悩み燻っていたところを俺がスカウトした人物でもあった。

 その芸の裏に仕込まれた数々の技巧の繊細さ、それを観客に悟らせない腕前は見る者が見れば凡庸な役者ではない事は一目瞭然であったろう。加えて思わぬ副産物だったが彼は金勘定も非常に得意だった。

 ユダ座に移籍して早々にジンが頭を抱えたのはユダ座の家計簿だった事は言うまでもない。

 

 そのような付き合いもあり俺達は一種悪友とも呼べる仲ではあった。

 だが、俺が求める道は書いて字の如く、求道のそれだったろう。そこには志を共にする者などいない。

 

 違和感の答えは単純な事で、周囲と合わせる事を俺は辞めていた。

 芸術とは俺であり俺が芸術である、などという独尊。言葉にせずとも、無言の軋轢は生じていた。

 

 認めたくはないが殉ずる対象が科学か芸術かの違いを除けばある種、俺は魔女と似ていたのだろう。

 

 

 ほどなくして俺は、座長の権限で劇団の活動を休止することにした。

 

 動機はなんということもない。自分探し、と言った。

 

 ふざけているのか――などとは言われなかった。ただそれを告知した瞬間にジンには無言で一発殴られ、ジュリアには平手打ちをされた。

 人を捨てている以上は別に特別物理痛みは感じなかったが、それでも俺の胸だけは無感動である事を許さなかった。いわゆる、これが心に響くと言うヤツなのだろう。

 

「お前の事が俺は前から気に食わなかった。……だがな、俺が気に食わなかったのは優等生(いま)のお前じゃねぇ、スカした面して芸術の反逆者だのけったいなお題目を掲げて毎回毎回劇団の帳簿を火の車にするお前なんだよ。……分かったらさっさと荷物まとめて出て行け」

「あぁ。……済まなかった、ジン。そして皆。一か月ほどだが、劇団を開ける事になる。できれば俺が戻ってくるころには、俺の席がなくなるぐらい皆が上達してる事を祈る」

 そうして、俺は劇団の皆と一度別れ、それからしばらく自分探しの旅というヤツをすることにした。

 期限は一か月と初めから定めていたが、どこにいくという宛てもなかった。

 

 列車や船で西へ東へと、縦横に足を運んだ。

 草木の生えない凍土の国。

 闇鍋宗教を国教に据えている移民と原住民の国。

 はたまた、かつては中華と呼ばれた龍の名を冠する国。

 

 それからまた聖教皇国へ戻り、時には釣りに興じながら歌を演劇のフレーズを口ずさむ。

 

 

 そんなある日、俺は地上の月を目にした

 ある日は太陽に照らされながら、またある日は月に照らされながら、その彼女は海辺で踊り歌っていた。

 俺は初めて、真に美しいと思うモノを見た。

 

 

 月のようにソレは美しく。そして彼女こそが魔女と堕天の語るところによる銀月天のうつしみである事は理解ができた。

 

 俺などというまがい物には到底たどり着けない、彼女の立ち居振る舞い。

 夜しか存在を許されない月のように儚くありながら、同時に太陽のようにただそこに無為自然に在るだけで周囲を従えるような不思議な雰囲気。生まれながらにして天然の役者。

 

 彼女の在り様に俺は完敗し、そして同時に乾杯した。

 確かに道理だっただろう。俺は芸術の神となるために肉を擲ったが、彼女は違う。

 俺のようなまがい物とは違い、そもそも神になる必要さえもない。

 

 彼女は生まれながらにして神に祝福されている。歌声が美しい、その踊りが上手い。だが、何よりその無垢さが気に入った。

 

 魔女の実験台、などという話は聞いているがそんなモノはどうでもよかった。

 魔星かどうかなど俺にはどうでもいい話だった。粗削りだが、間違いなく才能はある。

 

 彼女のそれは、まるで声の届かない誰かに見せたいようだった。

 

「気にしないでくれ、俺はただの通りすがりだ。いい舞だが、どこで学んだのか教えてくれないか」

「私の歌を、踊りを見せたい人がいます。私は彼女に教わり、継ぎました」

「それはいい事だ。……きっと、その彼女もまた君が舞台に立つ事を望んでいるだろう」

 

 だからこそ教えたくなった。その歌声を、踊りを魅せる舞台がこの世界にはある。君の舞台を待っている人間達がいるのだと。

 そして護りたくなった。堕天と魔女の企みごときで摘んでいい願いではない。

 かつて俺は俺こそが芸術であると思いあがっていた。だが彼女が芸術と言うのなら、彼女のために聖戦に殉ずるというのもまた芸術の殉教者めいていて悪くはない、とも思えた。

 

 

「――あぁ、名前は知らないし君の顔には別段そそらないが、その才能に俺は惚れた。是非とも俺の劇団で一緒に働いてくれないか?」



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各々の天国 下 / Paranoia

多分、僕が作者として一番申し訳ない事をしたと思うのはハルです。


 心臓だけが私の意に反して動く続けるような不快感、全身を焼きつくすような激痛。

 自分の中身が自分のモノではない何かに置き換わっていくような感覚。

 

 一秒毎に、私は死んでいる。

 

「あぁあぁぁぁ……!!!」

 

 聖戦――神星、強制的に星辰体と感応させられながら私の脳内に情報が焼き付けられた。

 焼け果てた都、屍兵と化しながら進軍を続ける悪夢の軍勢。

 見たことのない光景と共に、頭が割れそうなほどにそれらは流し込まれる。

 

 神天地も、極晃も、――私がこれから何になろうとしているのかさえも、脳内に焼き付いた。

 

 ……極晃も、神祖も、ありとあらゆる真実が頭の中に流れ込んでくる。

 やめて、もう流し込まないで。私の中にはもう入らないから。そう叫んでも、ただ無情のまま現象は継続していく。

 

 痛みを感じないようにするためなのだろうか、段々と意識が希薄になっていく。

 意識を手放したくないと思っていても、水のように私の手から私の意識はいともたやすくすり抜けて逝ってしまう。

 膨大に極まる情報量が恐怖さえも押し流していく。

 大破壊――聖戦、数多の犠牲。

 貴種を騙り、その傲岸が故に吊るされた女がいた。善性を騙り、その愉悦が故に処された男がいた。

 

 慟哭と共に千年を生きた絶対神がいた。使命と共に千年を生きた眷星神がいた。

 

 大義という運命の車輪に摺りつぶされた少女がいた。彼女は逆襲となり神なる星討つ闇の月となった。

 男の子のために嘆いた少女がいた。彼女は境界を描き太陽と邂逅する海の月となった。

 全てを奪われた少女がいた。彼女は希望を成就し神世と訣別を告げる光の月となった。

 

 歴史の裏側、その真実が余すことなく私の中へとなだれ込んでくる。自分の喪失を前にして、私がすがったのは彼だった。

 

「いやだ、忘れたくない……、私から取っていかないで……! 助けて、ロダン――」

 希薄になる意識の中で、そこである四人の女の子の夢を見た。

 

 

 一人は、少し背の低い女の子だった。

 一人は、背が私と同じぐらいの黒い天衣を纏った女の子だった、

 一人は、紅い花弁を纏う女の子だった。

 

 そして、最後の一人は()()()()()()()の女の子だった。

 銀色の輝きを纏いながら、彼女たちはどこかへと飛び去って行ってしまった。

 

 

 私の体には、黒い霧のような何かがまとわりついて私の身動きを妨げていた。

 

「待って――待ってよエリスさん……!! 貴女は本当は、本当の貴女は……!!」

 

 また次の瞬間には景色は遠ざかっていく。どこまでも、墜落していくように私の体は彼女たちから遠ざかっていく。

 彼女たちが天に上っていくように、私は暗い地の底に引きずられていく。

 天地上下も定かではないこの光景の中で、わた彼女たちが昇っていく方向だけが天上というモノを定義していた。

 

 深く暗い音のしない世界。

 深海のように澄んだ黒一面の中で、そこにいたのはロダンだった。

 

 彼は、私に何も言わずに背を向けている。何も彼は言わない。問いかけに応えてはくれない。

 ただ無言で、彼はこの世界の天上を向く。

 

 エリスさんたちの飛び去って行った、白銀の星へと彼もまた。

 彼は一度も私に振り向いてくれることはなかった。

 

 思い出したかのように一人、天からロダンを迎えるように訪れる女の子がいた。

 

 エリスさん。私にできた、数少ない友人。

 

「連れて、行かないで。私の大事な人なの、私のたった一人の弟なの。だから連れて行かないで――私を置いていかないで!!!」

 手を翳して、ロダンとエリスさんにそう希う。

 どれだけ叫んでも、彼もエリスさんも一切振り返ることはなかった。私の声が聞いていないかのように、その光景だけが一方的に見せつけられる。

 二人は共に手を携えて昇天していく。光輝く空の果てに。

 

 暗くて冷たい、お父さんもお母さんも、誰も居ないこの地平で私はついに、ただ一人取り残された。

 お父さんとお母さんは、あの人――ウェルギリウスに奪われて。

 

 私にとっては一番気を許せる人を、ウェルギリウスの創り上げた魔星に奪われた。

 

 エリスさんは、本当は人間じゃなかった――それは驚きはしたけれどどうでもいいことだった。

 エリスさんは本当はロダンと初対面じゃなかった。本当は神天地創造の折りに出会っていて、そんなロダンを追いかけてエリスさんは出会った。

 

 運命的な出会いと言うヤツなのだろう。そんなロダンを今、エリスさんは手に入れている。

 羨ましい――妬ましいと私は思った。……()()()()()()()()()()()()()()のに。

 

 居場所のあるエリスさんと違って、私にとっては彼しかいない。

 たとえ私と一緒にいる人はどれだけいても私に残された身内は、私の孤独を癒してくれる身内は彼しかいない。

 

 私は彼に支えられて立ち直れた。彼は私のために騎士になると言ってくれた。

 だから――だから、私はエリスさんを祝福できなかった。エリスさんを妬む自分が確かに私の中にはいた。

 エリスさんの事もまた、私は許せなかった。……友人だと、今でも思っている。それは変わらない。

 けれど私の理解のできない世界においてロダンの理解者となっている事そのものが私には羨ましくて、羨ましくて辛かった。

 

 そんなエリスさんが彼をどこかへ連れて行くと言うのなら、私は彼をエリスさんから奪わなければならない。

 そして彼と共に、私の父さんと母さんを奪ったあの人に――堕天に、復讐しよう。しなければならない。

 

「殺す、あの人を私は――償いをさせてやる……!!」

 かつてロダンが綺麗だと言ってくれた私の髪は、月を映した銀色に染まった。

 

 憎悪、或いは哀しみ。私の纏う闇は、そうしたモノで出来ているのだと理解できた。

 

 彼らの所為で私はお父さんとお母さんを失った。その償いが未だに彼らには一切として訪れていない事実そのものが、私には許せなかった。それは神の不在の証明に外ならないのだから。

 大好きだったあの陽だまりの日々はもう戻りはしない――だからこそ私は闇を手にした。

 私の目は何色をしているか、私にはもう分からなかった。

 きっと、ロダンなら分かると思う。ロダンなら――私の目を昔のように綺麗だと、言ってくれるはずだから。

 

「だから、待っててロダン。エリスさんから貴方を取り戻して、一緒に私はあの女へ復讐するの。彼らの何もかもを引き裂いて踏みにじって、ぐちゃぐちゃにして、その報いを受けさせるの。お父さんとお母さんの苦しみをあいつらに遭わせるの。ロダンなら分かってくれるよね? いつかみたいに私を待って、くれるよね?」

 

―――

 

 

「――、ふっ!」

「相変わらずやるなアンタ。騎士を辞めた身とは到底思えない」

 皇都郊外のさらにはずれにある鬱蒼とした森の中で、その二人は剣を構え向き合っていた。

 そこに在ったのは火星天とガンドルフの姿だった。

 なんという事のない、剣の練習と言うヤツでありガンドルフが火星天を匿って以来よくこうして火星天は手合わせを所望する。

 

 

「……やれやれ。毎度毎度、やる意味があるのかこれ? お前そもそも、こんな小細工は必要ないだろう」

「必要なくても、なんとなく剣をちゃんと振らないと落ち着かない性質でな。悪く思わんでくれ」

「そうか。まぁお前に手を貸すのは事情を知った今ではやぶさかではないんだが、生憎と俺も年だ。もう少し老体だと思っていたわってくれ」

 ……ガンドルフが火星天を匿った理由は、どうという事もなかった。

 きっかけは時計の修理の依頼を装ってガンドルフの店に火星天が訪れた事だった。

 聖教皇国に迫りつつある第二の聖戦、それを止めるために住む軒先について協力してほしい――という事が火星天の要求だった。

 無論、そのような荒唐無稽な話を当初ガンドルフは信じる気はハナからなかった上、騎士団に突き出すつもりしかなかった。

 だが事の次第が明らかになるとともに、火星天の言葉が真実であった事を彼は理解することとなる。

 一度、火星天は木星天に機能停止寸前まで追い詰められたことがある。

 その際に命からがらに逃亡し水星天の手を借り――その際に肉体を維持するための処置として水星天の水銀を肉体に埋め込んだ。この時、水星天とは一種の不戦協定を結ぶに至っている。……いずれは決着をつけなければならないが()()()()()()()()()()、という意味合いでだが。

 

 その結果が発動値への移行時の髪色の変化でもあり、ところどころ水星天に修繕されたつぎはぎのある肉体と髪の色を目の当たりにしてようやくガンドルフは彼の言葉を信じたという経緯がある。 

 

 そして火星天が己の素体の正体を明かした時、ガンドルフもまた気は進まないながらも彼を匿い面倒を見る事に決めたのだ。

 火星天もまた、自分の素性に()()()()()()があったがためにガンドルフを隠れ蓑として見出したという経緯もある。

 

 ……火星天は事情については一切与り知らないものの、造物主であるウェルギリウスの命令もある程度は受け付けなければらならない以上、神聖詩人への襲撃は発覚すればガンドルフとの関係の破綻に直結しかねない事象でもあった。これに関しては幸運であったともいえるだろう。

 

 同時にある種、神聖詩人の覚醒と性能検証のための当て馬とされたことに関し火星天は表情は出さずとも深く憤激していた。

 

「……お前の言う聖戦まで、あとどれぐらいなんだ火星天」

「さてな。造物主殿の腹次第だろうが――、年内には始まるだろう。そういうわけで聖戦阻止って目的のためにもう少し剣の稽古に付き合ってくれよ、なぁ()()

「その呼び方はやめろというに。……昔受け持った弟子を思い出す。――それにお前、そもそも聖戦阻止もさほど興味があるわけじゃないだろう。至高天の階とやらを全員討った結果、聖戦は阻止されるというだけであって、阻止する事そのものは実は目的じゃないだろうお前」

「あぁ、バレたか?」

 悪びれることもなく、火星天はそう返答する。

 つかみどころのないところはかつての上司とよく似ている、とガンドルフは顎をさすりながら怪訝な顔をしている。

 

「だが悪い話じゃないだろう。俺ほど()()()()()()()()()()()()()と真面目に考えてる魔星も、魔女の景品を欲している()()()()()()もいないと断言してもいいぐらいだ」

「……その発言が嘘じゃない保証は?」

「殺塵鬼と一緒にするなよ、殺塵鬼とは。元々魔女が付けた名に愛着などクソの微塵もないが、火星の名を猛烈に返上したくなる」

 大概の問答をのらりくらりとかわす火星天にしては珍しく、あまりいい気分ではなさそうだった。

 同時に至高天の階全員に勝利しよう、などという気の触れた言葉にガンドルフは呆気に取られる。言葉もそうだが、その難易度は空前絶後と言ってもいい。

 堕天、木星天をはじめ、人智を逸した怪物の群れに彼は本気で戦うつもりでいるのだから。

 

「そんな相手に勝てるのか、如何なる勝算があるか、なんて顔するな。言っておくが嘘でもなく大真面目だぞ?」

「……分かった。そういう事にしておこう。俺も騎士を辞めて長いからな、その手の勝算だ何だという話は現役と現場に任せるさ」

 悪かったと謝しながらも、しかしガンドルフはやはりと疑義を呈する。

 なぜ、いつも剣の手合わせをせがむのか――それは聖戦を前にするお前の利益になるのか、と。

 

「なぜ剣の手合わせをせがむのか? 剣を振っていないと俺が剣を得物としていた事をつい忘れそうになるからだが、そういう解答では不満か?」

「不満に決まってんだろう。お前は魔星だろう、なら剣より星を振るえばよかろうに」

「まったく、痛いところを突く。……まぁ、その指摘はある意味正解だと言っておこうか。生憎満点は出せないがこれで勘弁してくれ」

 歯切れの悪さを感じさせる言葉に、あまりそこを抉るべきではないのだろうとガンドルフは判断する。

 魔星とはもとよりその性質として生前が何かしらの破綻者であったケースがほとんどだという。そうした意味では恐らくその星に相応しい歪みを火星天も背負っているのだろうと思う。

 

「堕天にとっては、至高天の階(おれたち)なんてものは栄養食のような認識だろう。人は体内で合成できない栄養分は経口摂取するわけだが、奴らにとっての栄養はまさしく運命というヤツだ。単純な物理的強弱では現れない、人間的な意味での強さや輝き、体験。ロマンもクソもない言い方をすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうしたモノを堕天は欲し、学習し、己がモノにしたいと思っている。堕天にとっては栄養食であり、魔女にとっては堕天の試作品でしかないのさ至高天の階ってやつらは」

「他人の血反吐の味が、その堕天ってやつにはそれほど旨いのかね。……理解ができんし、したくもないがな」

「そのたとえに倣って言い方を変えるとすれば、アレはそもそも味覚というヤツが無い。味を感じないから他人の食後の言葉を聞いてそれがどういう味かを自分の中の理論で組み立て理解しようとしてるというわけだ。原理として考えれば実に単純だが()()()()()()()()()()からこそ、アレは人間として在り方を異常なまでに欲している。まぁ尤も、それを得る事が己の機能強化(アップデート)になるからという理由だから始末が悪い」

 それから辟易するように火星天は言う。

 限りなく深い、憎悪を吐き出すように。

 

「俺はそれでも、剣を以て剣を取り戻さなければならないのさ。矜持も、執着も、魔女と堕天から奪われた全てを利子付きでな」

  

 

 

 

 



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聖戦前夜 上 / Before Paradise

 私はルシファーを討てなかった。

 あの時抱いた冷たい心こそ、銀月の運命を担った者たちが抱いて来たモノなのだと改めて私は思う。

 そこにそれが存在している事が一秒として許せない。その構成要素の一片に至るまで滅ぼし尽くさなければならない。

 そうしたモノでこそ、本来月の星光は出来ていたのだろうから。

 

「エリスさんの容態は今のところは安定しているわね。貴方を構成のは物質と星辰光の中間――今は星に寄っている傾向はあるけれど、それでも躯体に綻びは見られない」

「私は元々、星によって生まれた存在です。……星を振るえば、星に在り方が寄るのは至極道理でしょう。まして、あの星は……」

「えぇ。アレは、恐らく出力だけに限って言うならば極晃にさえ限りなく肉薄していた。……けれど冥月や恋歌の例が証明している通り、自己干渉が極限まで進行した場合貴女はロダンさん諸共に肉の器を喪失していたかもれない」 

 死想冥月は文字通りの己が全霊を賭して絶対無敵の太陽神(ヘリオス)に挑んだという。彼女が本来辿るはずだった末路を鑑みると、私は少しだけ胸が締まる思いがした。

 ルシファーには一矢として報いれず、それどころか連座で私につながっているロダン様まで道連れにする。

 命を救ってくれた人の命を、私は奪ってしまう。このような在り方のどこが淑女だと言えるのだろう。

 

 

 そして光を以ってルシファーは覆し、己が裡に闇をも宿した。

 アレはそもそも、窮地を窮地だと思っていない。どこまでもその数値評価は己自身に対しても公正だ。自分が持ち得ていないモノがあったからこその窮地だと認め、その上で相手に学ぶ。

 だから根本的に彼にとって窮地は何ら恐れるものではない。むしろ喜々としてそれを超克し、打ち砕く事にこそ悦を得る感性なのだろう。窮地が窮地として機能していないのだ。

 

 理解できないし、したくもない。アレに対して思考を巡らせるという行為そのものが、私の中の憎悪を再起させてしまうから。

 

「ありがとうございます、オフィーリア様。これで私は戦えます。ルシファーは私が――いいえ、私達が討ちます」

「ウェルギリウスは、どうするつもりなの?」

「……、それは」

 ウェルギリウスはかつて、オフィーリア様の友人であったと聞いている。

 神祖によって魔道に堕ちて道を歪められたとも。

 

「……ごめんなさい。意地の悪い事を聞いたわ。恐らく、仮に生きて連れて帰ったとしても極刑は免れないでしょう」

「いいえ、オフィーリア様。ウェルギリウスは貴女の前に連れてきます。……その時、魔女ではなく()()()()、彼女を裁いてください。それが彼女にとっての救いとなるでしょう」

「……裁くのは私の管轄外ではあるのだけれど、善処はするわ」

 もう、人としての救いなど魔女は求めていないと水星天は言っていた。

 その数々の所業は情状の酌量はできないだろうし、私はもとより彼女に何ら同情するものはないが聖教皇国の法体系では恐らく彼女も、オフィーリア様も救うことはできない。

 

「……話を戻しましょう、エリスさん。体に何か、変調は? 特に発動体化機能については前例がない以上はあの星光の行使での影響が気になるわ」

「そうですね、試してみましょうか」

 言って、少しだけ目を閉じる。

 星辰体の往還経路は確認できている。私とロダン様の間にある繋がりはちゃんと自覚ができる。

 機能に問題はない。

 後は、私が発動体となるだけで――、けれどその瞬間に私の脳裏に浮かんだのは、黒い天衣を纏う私の姿だった。

 憎悪の黒。銀月の闇。十天の果てではなく九圏の深淵に詩人を導く、嘆きの輝き。

 または私は同じ事を繰り返してしまう――ロダン様を地獄に導いてしまうのではないか。

 

 ――怖い、そう思った時。私の躯体からは感応が途絶えていた。

 

「……エリスさん、どうしたの?」

「でき、ないのです」

 私の手は震えていた。

 ……機能にきっと問題はないと理解しているはずなのに、私は発動体になることができなかった。

 私の姿を私は初めて恐ろしいと思ってしまった。

 

「発動体に、今の私はなれないようなのです」

 

 

 

 ルシファー襲撃から暫くの後、第一軍団ではある事件が起こっていた。

 それは第一軍団第四位階、イワト・巌・アマツの昏睡事件だった。早朝、グランドベル卿が発見したという。

 意識不明の重体とされ、現在は治療を受けている最中だという。

 ……毒、或いは星によるものか病か。原因は一切として不明だ。遺書に類するモノも発見されていない以上は自殺とは考えられにくい、とされている。

 

 

 この事は聖教皇国に大きな衝撃を与えた。ウェルギリウスや至高天の階への対処について混迷を極めている最中に起こった事件であり、そちらとの関連を当然疑われた。

 

「……グランドベル卿。イワト卿は何があったんだ」

「私にも、判じかねます。ただ今は一刻も早く回復を祈るばかりです」

 床室に伏せるイワトは、いまだに目を開けない。

 別に深い付き合いというわけではないが、知らない仲というわけでもなかった。

 傍らのグランドベル卿も、複雑な表情をしている。……少なくとも俺よりはずっと顔を合わせる機会そのものはあったはずだ。グランドベル卿も心を痛めていることだろう。

 

「……普通に考えれば星辰奏者の生理機能は常人を遥かに凌ぐ。私は医学には疎いですが、それでも人間という種の性質を鑑みた場合、服毒によるものとは考えにくい。星辰奏者を陥れるのならば星、と考える方が自然でしょう」

「イワト卿は個人的に誰かと交友していたという話は?」

「私にも当てはまることですが、イワト卿は往々にして自身の事を語りたがりません。それこそ、ロダンの幼馴染の事ぐらいしか」

 ……確かにそれこそ、ハル姉さんの親と知り合いだった、というぐらいしか知らない。

 何かの手がかりがあるわけでもなし。かと言ってそれだけに集中していられるような事態では決してない。

 至高天の階。それらを無視することはできない以上はどうしても今はイワトの容態が快方に向かう事を祈るしかない。

 

「行きましょう、ロダン。心苦しいですが、それでも今は今の課題に対して全霊を尽くすのみです。何よりエリスが待っているのでしょう、貴方は」

「そうだな、今はそちらを急ごう。ルシファーの企みも気にはなるからな」

 イワトの眠っている床室を後にした後、俺たちはオフィーリア副長官の装甲監獄を訪れた。

 

 青白い灯火が薄暗く照らす研究室の中で、オフィーリア副長官は何かの鋼の椅子に座っているエリスと実験をしているようだった。

 

「ロダン様、マリアンナ様、おはようございます」

「あぁ。おはようエリス。体の具合は?」

 エリスはルシファーとの闘いで深刻な損耗を負った。

 加えてエリスは在り方としてはかつて冥狼と呼ばれた魔星と等しく、前例に極めて乏しい。治療の手段が未知数なのだ。

 それについて、歯切れ悪そうにエリスは口ごもった。何か不安な事があるのだろうか。

 オフィーリア副長官はフォローするように、言葉をはさんだ。

 

「まず、エリスさんについてだけど……単刀直入に言うけれど、今のエリスさんはロダンさんの発動体となる機能が支障をきたしているの。つまりはロダンさんはエリスさんを介して星が振るえない、ということよ」

 その言葉に、俺は一瞬だけ言葉の理解が遅れた。

 それはつまり、エリスを介しての――魔星としての星を使えないという事だ。

 少しだけ眩暈がする。エリスとの繋がりが断たれたかのような、そんな感覚にさえ陥りそうになる。

 

「エリス。……それは、本当なのか?」

「本当です、ロダン様。今この瞬間とて、ロダン様が星を求めていることは伝わっていても、私は貴方の発動体と成れない。私の体は誰よりも私が知っています、機能を喪失など決してしていません。……けれどなろうとしても、私の神核が応えないのです」

「……いや、エリスが気に病むことじゃない。エリスの生態を恨むことはないって言っただろう」

 ルシファーとの対決の影響はあるだろう。少なくとも契機とはなっているはずだ。

 そしてはっきりとしている事実がある。俺は、エリスの星を使う事が出来ない――つまりは普通の星辰奏者の規格となってしまったという事だ。

 

「……ロダン様。本当に、申し訳ありません」

「いいんだ、エリス。今は原因は分からなくたっていい、それでも俺はずっとエリスに助けられ続けたのは事実だ。お前はそれだけでも十二分に俺を救ってくれているんだから」

 ただ、項垂れるエリス。声の震えから察するに泣きそうになっているのだろう。

 ……理解はしている。エリスの導きがあったからこそ俺は木星天や火星天から生きて帰ってこられた。

 良くも悪くも、俺の実力というモノはエリスに大きく依拠しているところが大きい。

 

「俺は、至高天の階には勝てない。そういうことになるのか」

「単純な数値評価だけで下すなら、その通りですロダン。貴方はエリスが居なければ、規格としては通常の――私と何も変わらない星辰奏者です。」

「……グランドベル卿は、俺に聖戦から降りろと、多分そう暗に言ってくれているんだな」

「受け取り方は自由です」

 自覚はしていた。エリスと共にいたからこその万能感は否定のしようのない事実だったからだ。

 それをはがされれば残るのは、只人の狡猾なる詩人(ロッドファーヴニル)だ。そうなってやっと、自分の実力の欠如を思い知らされる。

 対して同じ星辰奏者であってもグランドベル卿は踏んできた場数も質も違う。劣勢である事――その時ある中で最も困難な決断を選び続けてきた故に。

 

「……この後の事は、グランドベル卿。貴女に任せても?」

「えぇ、オフィーリア副長官」

 グランドベル卿は副長官に謝すと、俺についてくるように促した。

 俺が背を翻せば、エリスは少しだけ身を乗り出す。

 

「ついてきてください、ロダン。今後の事を、少しだけ」

「待ってください、マリアンナ様。私も――」

「エリス。これはロダン自身に関わる話です。ですからどうか今だけは、抑えてください。貴女が力を取り戻さなければ、ロダンも安心はできないでしょう」

 俯きがちに、エリスはその言葉に従った。

 治療と機能の復旧に専念しろ、ということでもあるのだろう。

 少しだけエリスにそんな顔をさせるのが心苦しかった。

 

「ロダン様」

「なんだ、エリス?」

「……、いいえ、なんでもありません。いってらっしゃいませ」

 

 

 

 それから監獄を後にして俺はグランドベル卿と並んで歩く。

 

「……して、俺に用とは?」

「ロダン。単刀直入に聞きますが、貴方はエリスの加護を失って尚、至高天の階と戦いたいですか?」

「……それは」

 戦いたい、と口で言うだけなら簡単だった。

 グランドベル卿はそれを聞いているのではない。戦える手段があるのかと、方法論を問うているのだろう。

 それは厳然な事実だった。戦いたいという心だけで勝てるのならばハナから発動体も星も必要ではないからだ。

 

「戦いたい、と言うのなら。私は貴方に一つ、道を示すことができるでしょう」

「……それは?」

 グランドベル卿と共に訪れたそこは、練兵場だった。そこに、グランドベル卿の示した答えというヤツは有った。

 練兵場の真中にリヒターはいた。

 そしてその傍らに突き刺さっていたのはかつて――俺がまだ第六軍団にいたころに握っていた剣だった

 

 

「……選定の剣、か。俺はアーサー王じゃないんだぞ」

「貴方にとってはまさしく魔剣(グラム)に等しいでしょう。その剣故に、貴方は騎士を辞したのですから」 

 俺には手を離して久しいかつての発動体が、禍々しい魔剣のように見えた。

 栄光も破滅も、等しく担い手に齎す。そんな剣。

 脚本としてなら上出来だ、あまりにも皮肉が過ぎる。確かにそうだ、俺が星辰奏者として戦うにはそれしか道はあり得なかった。

 

「……意外と、握る感慨はないものだな。あれだけ俺はこの剣を握り続けていたのに」

「持っておけ、ロダン。今はそうでなくとも、護身用でなくとも、お前にはきっと必要なものだ。……お前は未だに、慚愧に囚われている」

 慚愧など、感じなかったことはない。

 ただ強くなりたいと思ったから剣を振るった。

 目に見える、物理的な強さだけを求めて、その人の心を知ることはなかった。

 強さだけをただ求めるルシファーは俺にその心の共感を求めていた。

 

 ……確かに、俺はルシファーと似ているのかもしれない。

 強くなればハル姉さんは俺を認めてくれると思った。俺の騎士姿が似合ってくれると言ってくれた事を俺は今でも忘れていない。けれど、急ぎ過ぎたあまりがあの結果だ。決して星の特性としてそうなったのだ、などと言い訳できるわけもない。

 

 強さを奪う剣とルシファーの在り方に、果たして何の違いはあるのか。

 ない――今はまだ。

 

 目を逸らし続けてきた応報が訪れたというだけだ。だから、俺はかつての友であったこの剣に残した慚愧を拭い去らなければならないのだろう。

 たとえそれが、過去を抉る行為であったとしても。

 

「ありがとう、リヒター。グランドベル卿。その恩義に報いるためにも、俺は今だけは騎士に還ろうと思う」

 

 

―――

 

 誰もが、予感はしていた。

 聖戦の刻は近いと。

 

「ウェルギリウス。術後の経過に違和は?」

「貴方の施術が優れていたのでしょう。体幹から末梢に至るまで、不如意は一切としてないわ」

 ウェルギリウスは薄暗い地下で、そう語る。

 纏っている病衣の胸からは、決して小さくはない血痕が滲んでいた。

 

 ルシファーの手による施術によって彼女は生きながらにして魔星――原動天となった。

 至高天に寄り添う第九の天として魔女は新生を果たした。

 

「俺たちは今第四世代人造惑星である以上、お前と俺の間に優劣はない、あとは至高天の階との聖戦を以って出力を高め上げ、極晃に至るだけだ」

「えぇ、けれどその前に私はやっておかないといけないことがあるの」

「……なるほど。それは、お前の知己というあの女の事か」

「聖教皇国に残した人間性と訣別しなければ、私は至高の天には至れない」

 オフィーリア。

 オウカでもなく、また神祖でもない。人であった頃の魔女をただ一人だけ友と言ってくれた人物だった。

 

「間違いなく、オフィーリアは私にとっての外付けの人間性だった。だから待っていて、オフィーリア(私の人間性)。貴女を殺さなければ、私は真の新生を得られないだろうから」

 確かに、その時ウェルギリウスの唇は演技ではなく笑っていた。

 その様をルシファーは見逃しはしなかった。

 

 見逃さなかったうえで、その微笑の意味を問いはしなかった。それを問う事こそ、人間の概念で言う「無粋」に類するモノであると解釈していたからだった。

 



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聖戦前夜 下 / After Eden

ここから先が全体の三分の二から先になります。
多分日常回は少なくなります。


 ロダン様のお役に立つことができない。

 それはつまり、ロダン様が常人となる事であり――詩人ではなくなってしまう事だった。

 ルシファーの襲来によって焼け果てた聖庁で、私の足音だけが寂しく響く。

 

 私の加護を失っても尚、ロダン様は戦う決断を下したという。

 忌むべき魔剣に力を求めて。無茶だと思うし、無謀だと思った。魔星と星辰奏者では規格が違う。

 

 ……違う。ロダン様を心配していることは本当だ。でも、だからこそ私は自覚してしまう。

 私は頼られていると思えば私は私の存在意義を見出せた。頼られることが嬉しかった。

 

「何か、お悩みですか。御姉様」

「……何もありません。特に、貴女に話すような事についてなど」

 横から、水星天が現れた。相も変わらず、気色の悪く体をゆすりながら私に視線を向けている。

 ……いい意味でも、悪い意味でも、彼女は印象に深いところはある。

 

 常軌を逸しているとしか思えない私への執念。

 水星天と言えば何者か、と問われた時おおよそその答えに窮することはないだろう。

 

「……私には、それが無い。ですか」

「無い、と言われましても御姉様に欠けているモノなど、それこそ私に向ける愛ぐらいでしょうに」

「貴女には言っていません水星天」

 

 木星天は何者だろうか。

 あるいは至高天は何者だろうか。

 そう問われた時、その二人については特に考える必要もないだろう。

 

 では翻って私はどうだろう。役者、つかみどころのない人、或いは銀月天の残照。その程度だ。

 私について、それと同義となり得る言葉が無い。……いわゆる個性と言えるものが無い、文字通りの役者だ。

 どうしようもなく、私はロダン様にその存在の定義を依存している。彼がいるから、私は彼を導く者――淑女で在れる。

 

 お前は何者だと私の中の私が問う。

 助けられたから尽くしたいことは事実だけれど、私は銀月天の残滓を受け継いでいる。

 自信をもって自分の裡に養えたと言える、所謂人間的な厚みと呼ぶモノがない。

 

「あぁ、悩ましげなその御顔も美しい……」

「では、私の顔を完全に真似て鏡を眺めているのが佳いのでは?」

「御姉様のその悩み、激し、睨む御顔も御姉様にしかできないでしょうに。真似ることはできるでしょうが、それは御姉様の裡から漏れたモノではありません。そんなモノに価値を見出せとは……あぁ、これもまた御姉様の課す試練でしょうか」

「――」

 少しだけ、私は頭を殴られた気分だった。

 ……私から漏れ出たモノ。私にしかできない顔。

 認めるのは癪ではあるけれど、水星天にそれを教えられるとは思っていなかった。

 私の感情によって歪む顔でなければ水星天は満足を得られない、というのも認めるのは心底から嫌だけれど私の無二性なのだろう。

 

 ……少しだけ、蒼穹を仰ぐ。

 

 今、クラウディアはどうしているのだろう。

 どうすれば、私はもう一度ロダン様の力になれるだろう。

 

 考えても、どうしても答えは見つからなかった。

 

 

 

 

 

「それでは、行ってきます。師よ」

 亡きかつての主へ向けて、聖庁の中で私はそう一言だけ告げた。

 予感はある。聖教皇国を襲うであろう国難――聖戦の再演。

 アスクレピオスの大虐殺に並ぶ光景を私は幻視する。罪無き人々が逃げまどいながら巻き込まれ息絶える様を。

 

 ウェルギリウスが何を成そうとしているのか、私には分からなかった。

 けれどただ一つ分かることがある。最高教義に対するそれのような、異常なまでの科学への信仰。

 

 その象徴としてルシファーという魔星を創り上げ、極晃を得ようとしている事だ。

 

 師は神天地を以って世界に挑み、変革を成し遂げようとした。

 ならば、ルシファーの目指す先は至高天とでも言うべきなのだろうか。

 

 犠牲の山で築かれた神の塔、その頂に君臨する堕天の王。

 

「そんな天国を私は認めない」

 なぜなら、彼らの天国は彼らで閉じている。大義も正義もなく、そしてその極点でさえ彼らにとっては通過点でしかない

 この世の全ての人間も、事物も、彼にとっては燃料でしかない。

 いかにその燃料を効率よく燃やし、収率よく成果物を得るかという事にしか興味が無い。まさしく学者の鑑であり、人間性の負の極点に他ならない。

 

 人は誰かの燃料ではないし、燃料であってはならない。

 その悲劇もまた、強さの原動力であってはならない。

 

 幾多の犠牲の上に築かれた地獄のような天国など、到底認められるものではない。

 

 討つべき邪悪は定まっている。ただ静かに今は自分の槍を見遣る。

 

 神祖の加護を失った聖教皇国は今、最大の国難を迎えている。

 彼らという最大の庇護者を失ったこの国が真に彼らの手から飛び立てるかが問われている。

 

 だから私は師に示さなければならない。貴方達の創り上げたこの国に黄昏は決して訪れない事を。

 そして私はロダンにこれから示すと誓った。貴方が私の喪失を悲しむ者であり限り、私に黄昏は訪れないという事を。

 

 ぎしり、と篭手はきしむ。

 握る槍に私は少しだけ想いを馳せる。

 

 

『……グランドベル卿。いいの、ソレは?』

『心配には及びません。これの使うべき時は心得ています。……無理を言って申し訳ありませんでした』

 私が木星天との戦闘で負傷した折に、オフィーリア副長官に託したものだ。

 魔星との戦闘は苛烈を極めることになるだろう。帝国であればかつての結晶核、或いは第三世代人造惑星であるように。

 私に許されたただ一度、只一振りの切り札がそこにはある。

 

『重ね重ね言った通り、原理も性能も理論段階のモノよ。……原理からしてそもそも魔星よりも先に貴方が耐えられない可能性がある』

『すべて承知の上です。オフィーリア副長官、もとより要求をしたのは私である以上貴方の責任にはしません』

『……分かったわ。約束通り、リチャード卿には黙っておいてるから持って行きなさい。……それから、絶対に帰ってきて。貴方はこの国に必要な人だから』

 リチャード卿には、黙秘したままだ。恐らくあの方は反対するだろう。

 

 全てが終ったあと、等と夢想するのは楽観が過ぎる。

 けれどもしそれがかなうなら幾何かの皮肉も込めて、顛末を告げるために師の墓前に訪れようと思った。

 

 それから叶う事があるとすれば、ロダンへと帰還を告げよう。私が帰還しなければ、彼は泣いてしまうだろうから。  

 

 その直後――少しだけ違和を覚えた。

 星辰体の大気濃度の上昇。恐らく気配はそう近くはない。

 

 西の空には、一条の光の柱が昇っていた。

 毒々しい、鮮烈な光輝。

 

 それは決して木星天のそれではない。けれどわずかに少しずつ、それは皇都まで近づいている。

 

 

 そう考えた直後には、考えるよりも先に私の足は聖庁を去っていた。

 一直線に、私は走る。

 

 聖庁を抜け、街も抜け、やがて鬱蒼とした森の中へと私は駆けていく。

 

 次第に近づいていく、星の気配と共に嫌な胸騒ぎがする。

 焔を纏いながら、私は全霊を翔けて疾駆する。

 

 その森の最果てに、男はいた。

 まるで虫食いだらけのように、その男の体はどころどころ実体を欠いていた。星光が、その穴埋めをして辛うじてヒトガタを保っている。

 もはや原形など計り知れようがない。

 

 その目に宿るは妄執の輝き。

 光の吐息を吐きながら進軍するその有様はまさしく怪異、化外と呼ぶほかない。

 

 怪物の進行方向の果てには罪なき人々がいる。

 この怪物を、決して到達させてはならないと予感する。

 

 

「――来なさい、魔なる星よ。皇都の土を踏みたいというのなら、私を倒していきなさい」

 

 

 

 

 空は高く、どこまでも澄む。

 燦然たる第二太陽、その玉座を睨む。

 

「第二太陽、お前達を俺は越えていく。高天原でも、神天地でも――あるいは至高天でもなく。俺の望んだ地平を見出すために」

 至高の御座にこれからウェルギリウスとルシファーは挑む。

 

 彼らは今かつての居城である、聖庁へと臨んでいる。

 その正門に、オフィーリアは佇んでいた。

 

 魔女と堕天が。そしてかつての友が、一堂に会していた。

 

「お久しぶり、ね。オフィーリア。とても、とても。この日を私は心待ちにしていたわ」

「そう。私はこの日が来てほしくはないと思っていたわ」

 彼女の背後には数十機のアメノクラトが控えている。

 オフィーリアの腕には、アメノクラト制御のための外部機構が取り付けられている。

 

「制御理論は恐らく教皇スメラギのソレの模倣かしら。それから逆算してある程度挙動をパターン化し組み合わせを貴女の頭脳で扱える限界まで増やす、という手法かしら。統率に歪みが見えない、とてもいいアプローチね」

「……」

 どこまでも、オフィーリアはその距離を痛感する。

 たった十数メートルが、天国と地獄を結ぶ絶望的な距離にさえ思えた。何も自分はオフィーリアの事を理解できていなかった。

 その聡明さが見出しているものを共有できなかった事が、オフィーリアにとっての智の限界だった。

 そのことウェルギリウスはあざ笑いさえしなかった。徹底して、彼女はオフィーリアを数値として評価していた。

 

「ずいぶんなお出迎えね。かつての貴女の友人に、対する礼儀なのかしら」

「……何が、友人よ。一人でどこかに行ってしまったくせに」

「送り出してくれたのは貴女よ。――えぇ、それだけは感謝しているの。嘘ではないわ」

 もうそこにはかつての友誼などありはしない。

 ウェルギリウスの傍らにいるのは、自分ではなく堕天の主だった。

 ウェルギリウスの非道における最大の利益供与者にして成果物。六翼の輝きを携えるルシファーの完成度にオフィーリアは恐ろしささえ湧かなかった。

 

 おおよそ星辰体運用兵器として、欠点と言うべきモノが見当たらない。

 その目に意志力を、その資質に合理の極限を見る。あればあるだけ欲する(強欲である)――という意味合いにおいて、()()()()()()()()()という言葉をこれほどの体現している者はいなかっただろう。

 そうまで至るために、どれだけの命を摺りつぶしてきたのか。そう考えるほどに、悍ましさを感じた。

 まさしくこれこそは犠牲者の死肉と嘆きの山で築かれた、科学技術における極点を目指す神の塔(バベル)

 

 きちきちと、無機質に軋らせながら光の翼はその切っ先をオフィーリアへ向けていた。

 その翼の一枚から羽毛の一片に至るまで、その完成度は常軌を逸している

 

 端的に悪魔、天使――或いは(カミ)。そうとしか形容のしようがないし、言葉を尽くせば尽くすほど形容は陳腐に堕すだろう。

 地獄の淵より堕天を覆し飛翔する、輝ける者。その墜落を担える者はもはやいない。

 

 

「……来るがいい、オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタイン。俺は祈る、お前が魔女を超える賢者である事を」

「もう議論の時間はとうの昔に過ぎたわ。……ここで貴方達を、私は討つ。それが人間としての貴女たちに与える救済よ」

 数刻の静寂。

 その後に、決戦の火蓋は落とされた。

 

 聖教皇国に、十色の星光が輝く。

 神祖亡き地平に天国への道を照らすように、際限なく輝いていく。

 

 

「始めるぞ、ウェルギリウス」

「えぇ――仮初の日常も、学び舎の時間(モラトリアム)も、これにて仕舞いよ」

 今日、この瞬間のために全てはあった。

 そのために至高天の階たちを育て、その運命を収穫してきた。

 

 全ての至高天の階達の聖戦禁止期間(モラトリアム)は今この瞬間に破り捨てられた。

 

『貴女の名前が、貴女の旅路の終着駅となる』

 それはかつて、己が師に言われた神託だった。

 その言葉の意味は未だ以って計り知れはしない。

 

 けれどその今、自分たちは至高の天に至ろうとしている。

 星を得ようとしている。だからこそその神託を超えなければならない。

 ルシファーとならそれが成せる。

 地獄も煉獄も越えて、十天の彼方に臨む事を以って亡き師に報いようと、ウェルギリウスは思った。

 

 

「さぁ、始めましょうルシファー。私達の聖戦(アーマゲドン)を――」

 

 

 

「――なるほど、ついに来たるべき時が来た、か」

 少しだけ、ユダ――金星天と呼ばれた男は、嘆息する。

 至高天の階達は、互いにその顔を知らない。

 木星天、水星天、火星天は例外的に星を使ったが為にその顔も星も認知されているに過ぎない。

 白々しくも己はタダの一般人を装って、今の今まで淑女を匿ってきた。

 

 

 聖戦開幕までは、顔の知ることもできない兄弟機たちがいるとだけ魔女からは聞かされている。

 

 だが今は同胞たる至高天の階達の神鉄の気配を感じる。その星の波長を辿ればこそ、自然と彼らは同胞へとたどり着くのもまた道理だろう。

 

 魔女と堕天は反逆も恭順もさほどに興味はないのだろうし、それはそもそも至高天の階達を創り上げた主目的ではないのだから。

 飽くまで「無期限に人として生きる権利」という景品をぶら下げ、のびのびと放し飼いにさせている。

 魔星製造で得られた知見のルシファーへのフィードバックのために。或いは、製造した魔星たちの行動や傾向、特性の解析のために。

 

 栽培、ないしは畜産という概念はそういう意味では間違った表現でもないだろう。農業にしろ何にしろ、はじめは試行錯誤が肝要だ。

 その過程で得られた知見を次に生かすために蓄積し――最後に生産物は消費される。

 魔女の言う聖戦が、この消費に当たると言えるだろう。

 

 ユダの神星鉄は魔星としての彼の名が示すがごとく、金色に輝いている。

 

「……なので、まぁ火星天殿――で良かったか。俺はこれでも平和主義者だし最弱の自覚はある。だから互いに争わずに健全な関係を構築したいと思うのだが、返答はいかに?」

「今俺がここにいる事そのものが返答だと思ってくれ。その代わり悪く思ってくれてもいいぞ金星の」

 

 今ユダが立つ場所は――火星天の星の中だった。

 荒涼たる、赤褐色の荒野。その世界に、いきなりにしてユダは引きずり込まれたのだから。

 互いの神鉄の励起が、至高天の階である事を証明されていたのだから。

 

「なら俺が死ぬ前に一つ聞かせてもらうか火星天。――お前は本気で魔女の景品が欲しいのか?」

「あぁ、欲しいな。二度目の生というヤツに興味はある。その第一歩がお前だ、木星天や今の土星天などという気の触れた奴なんぞに誰がいきなり挑みたいと思う?」

 どこまでも、火星天は取り合わない。

 掲げた大剣の切っ先が、金星天へと向けられている。

 

「君の事など知りはしないし、興味も無ければどうでもいいが。しかし二度目の命、そんなもののために尊厳を魔女にでも売り払ったか」

「違うな、まとめて買い戻すために俺は戦っている」

 ……過程は違うし自分の場合は自分から望んで成ったという違いはある。

 だが理解はできる。望まぬ新生をこの男は魔女によって齎されたのだと。

 魔星とは大前提として、ヒトをベースとして作られる以上、火星天にもその元となった人物はいたはずだ。

 その転生に歓喜を覚える者もいたのかもしれない。

 だが歓喜も悲嘆も、絶望も希望も、歪んだ輪廻も全て魔女の盤上だ。待っているゴールは、堕天の燃料となる事のみだ。

 ルシファーの晩餐のためだけの転生。それを覆そうと火星天は目論んでいる。

 金星天もまた、火星天のその原動力など知りようはなかったが、一種少しだけ哀れさを感じ入る。

 

「木星天ではそうも言ってはいられないが、俺は有情だ。お前ならば祈る暇は与えよう」

「俺は生憎と芸術に魂を売ると決めているし、すでに売ったのでな。祈りも後悔も、とうの昔に済んでいる」

「なるほど、愚問だったか色男」

 友誼なのか、或いは軽口なのか判然付かないまでも、しかし両者の間には明確な殺意があった。

 決して、言葉で解決などする話ではない事など、ユダは理解していた。

 

「あまり褒めてくれるな、顔がいいぐらいしか取り柄が無い魔星でな。殴るならできれば顔以外を頼む」

「では、刎頸を以って俺の誠意として勘弁してくれ。手加減が慣れんのだよ」

 どこまでも、火星天の殺意は変わらない。

 お前を殺すと、剣の切っ先ががりがりと殺戮領域の岩肌を削りながら吠えている。

 

 命無き赤色の荒野にて、神なる曲の序章は開幕した。

 

 

 



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神域に臨む者、その孤独 / Cielo Cristallino

 戦端は、アメノクラト達の放つ輝線によって開かれた。

 無警告での星光行使にルシファーは特に惑うこともなく、光翼を盾に凌ぎきる。

 

 光翼の材質表面に纏う電界が、その軌道を歪め散らしてく。

 

「創生せよ、天に描いた明星を――我らは極夜の流れ星」

 それとほぼ同時に、アメノクラト達の只中をウェルギリウスは空を切りながら進む。

 その疾駆と星は紛れもなく、魔星の証明だった。

 

 

「此処は暁の星、第九の天体。星霜の刻を超え至高の賢者は星を仰ぐ。深淵に伏したる輝ける者、不遜なりし光の翼。汝が枷を解き放ち氷の刻を破却しよう、その飛翔を我が許そう。今、地獄の嘆きは喝采に成る」

 動員されたアメノクラトは合計で三四機。

 その内の既に二機をルシファーは事も無げその翼で引き裂き内燃機関を引きずり握りつぶした。

 同時に光のように疾駆するウェルギリウスのその腕には淡い星の燐光が宿る。ずぶり、とその装甲はひしゃぎ、メスを執り手術するようにその制御中枢へと星を流し込み爆散させる。

 

 かつての友人のその変貌を前にして、それでもなおもオフィーリアは立ち向かう。

 常人が魔星になるという事の意味を、彼女もまた知らないはずはなかった。ウェルギリウスの考えが何も、分からなかった。

 人である事を捨て、犠牲を積み重ね、その翼でどこを彼女は目指しているのか。

 

「地獄の彼方より光を目指して堕ちたる翼は天翔けた。地獄で鍛えたその翼の眩しさに我は心を奪われる――愛しき暁の子、堕天は二度と訪れない。淑女の導きなど我は請わぬ。求めたが故に、どこまでも往こう。十天の彼方に至るを以って我等は旅路は終えるのだ――星を巡れ、星天賢者(ウェルギリウス)

 

 

「超新星――神域臨む賢者の旅路(Cielo cristallino)顕現するは原動天(Vergilius)

 

 

 

「さて、オウカ様の真似事、とまではいかないけれどこれでも私は教えを受けているの。――例えば、こんな風に」

 黄金の眼光が軌跡を描きながら、まるで舞うように彼女の腕は振るわれる。そのたびに、アメノクラトは損傷していく。

 その手に燐光を放ちながら、同時に間断なく迫るアメノクラトの襲来をまるで未来予知によって読み切っているかのようにいなし、或いは回避しながら。

 

「……貴女は、机仕事(デスクワーク)が主だったでしょう」

「何を驚くことがあるかしら。私がオウカ様から何を教わったと思っているの? 貴女こそ、その鉄人形を操るのなら亡き教皇猊下ぐらい徹底的に突き詰めるべきだったわね」

 中華、或いは神国大和の古来の武術がベースだろうか。支点と力点のコントロールを主眼に置いたウェルギリウスの体術は、決して何ら達人に見劣りするものではなかった。

 ウェルギリウスはオウカの体術の見様見真似からそこまで昇華させている。

 師の教えが佳かった、とでも言うべきなのだろうし、ウェルギリウスの天稟故ともいえるだろう。

 

「なるほど、私がアメノクラトを調整していたころに比べて出力が低下している。けれど制御性、或いは特定資質の先鋭化に関しては原設計よりも改良がみられる。過剰な性能を廃し、より人に操縦しやすいように制御項目も削られている。……ここまでの進展を成したのはオフィーリアの手腕、或いはシュウ様。合理的に考えてそれ以外はないでしょうね」

「ほざきなさい――!!」

 オフィーリアもまた、星は纏っていた。

 その星光の性質は――自分の思考速度の多元・超高速化。そしてそれを最大限に生かすために、腕に装着された専用端末によってアメノクラトの操縦を担っている。

 

 だが、そんな彼女の演算をあざ笑うかのように――あるいは()()()()()()()()()の如く、オフィーリアはアメノクラト達を攻撃をかいくぐっていく。

 

 生身では対応など不可能な環境設定――溶岩の海を形成させればそれよりも先にルシファーはコートのようにウェルギリウスの体表に自らの光翼と同じ素材の障壁を形成させる。

 どこまでも、賢者のように。先が見えているかのように。

 

「……私と同じ、高速演算能力による超高精度な未来予知。いいえ、それだけでは説明がつかない」

「いいえ、見ているモノが違うわオフィーリア。そして断言してあげる。()()()()()()()()()()と」

 ウェルギリウスはその当人の在り方とはまるで打って変わって異なる戦闘体系を体現していた。

 何ら特異な星光でもない、手足による白兵戦。

 

 率直に述べて、超高精度な未来予知――神祖オウカ譲りの体術。それを除けばあまりに魔星としてはそれは地味に過ぎた。

 

 

 

神域臨む賢者の旅路(Cielo cristallino)顕現するは原動天(Vergilius)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:D

操縦性:AAA

付属性:A

維持性:B

干渉性:E

 

 

 

 

 だが同時に、明確な変質も顕在化していく。

 

「なるほど、面白い。これが第四世代人造惑星の運用特性か。特に資質に関して、発動値と操縦性が顕著だが――俺とお前の星辰特性が()()()()()()()

「えぇ。神聖詩人と銀想淑女によって見出された基礎的な特性の一つでもあるけれど。兎角、発動値はその躯体設計に大きく依存する傾向があることから推察するに、私は元々は操縦性が優れていたのでしょう」

 元から比類ない高みにあったルシファーの発動値に引きずられるように、ウェルギリウスの資質も変容している。

 加えてルシファーもまた、その星光行使が目に見えて変わる。

 オフィーリアの多元並列演算の元に操縦されたアメノクラトの連携が、いともたやすく寸断される。

 明確に視覚で分かる差異ではないが、思考速度の高速化を遂げたオフィーリアだからこそその違和を感じ取れていた。

 

 体術だけではない。果ては星光行使の気配すら先回りして潰すかのように、粒子加速砲がアメノクラトを一機、また一機と撃墜していく。

 

 オフィーリアは、知り得などしない。

 ウェルギリウスのそれは微小粒子観測能力――目にさえ見えない極めて微小な規模の粒子の挙動を解析し、蓋然たる精度で未来を観測している。

 賢者の慧眼、そう呼ぶほかはないだろう。

 

 

「……ロダンさんとエリスさんと同じ第四世代人造惑星。ウェルギリウス、貴方は自分をそんな風に改造したのね……!」

「えぇ。()()はあちらだけれど、それを解析したのが今の私とルシファー。第四世代の有用性は……まぁ、オフィーリアなら説明することもないでしょう」

 今、ウェルギリウスの胸から生じる輝きは神鉄特有のものだ。

 絶え間ない感応に煮えるように胸は熱を帯びている以上想像を絶する苦痛がウェルギリウスを駆け巡っているのは当然であろうはずなのに、そもそもとして意に介していない。

 口から血がこぼれようと、全身の血液が煮えようと、彼女は彼女自身を実験動物のように俯瞰し観察しながら戦うだけだ。

 彼らもまた、彼ら自身が述べたように第四世代人造惑星。そして同時に、彼らは真の意味での第四世代だ。

 神聖詩人と銀想淑女は飽くまでも詩人が常人であり、()()()()()のそれではない。

 だが、堕天と魔女は違う。互いが互いにとっての発動体であり――この一点において明確に詩人と淑女とは彼らは異なっていた。

 

 故に淑女は詩人の星を扱えないが、後発故に堕天と魔女は互いに互いの星を熟知し扱える。

 

「なるほど、これが光の翼。このように扱うのね」

「精度が数十原子単位甘い。この人形どもを引き裂くには苦慮はせんが、それは理論値ではない」

 彼女の背にもまた、ルシファーと同じ光刃で出来た片翼が生じていた。

 羽ばたきと共に星辰体と感応しながら、羽毛の刃を雨のようにアメノクラト達に叩きつける。装甲表面に生じる多層の力場が辛うじて彼らの星を凌いでいるが、それでも兵器としての完成度は圧倒的なまでにルシファーが上だった。

 質が越えるか、量が圧するかという問いは、しかしこの場においては前者がその優性を証明していた。

 

「それはつまり、このように?」

「悪くない精度だ」

 豆腐のように彼女の翼はアメノクラトの装甲を削り取り、その内燃炉心を手に収める。

 それを少しだけ検分し次の瞬間には特に何の感慨もなくリンゴのように握りつぶした。

 

 一機、また一機と残骸が生産されていくとともにオフィーリアにも焦りが生じてくる。

 ハナから一対一では勝負になるなどと思っていなかった。

 

 聖教皇国に限らず現行の技術水準における最も懸念すべき武力の脅威は魔星に外ならない。

 その脅威性はほかならぬ技術者であるオフィーリアは一番よく理解していた――故に、聖庁の一部を対魔星兵器として建設しなおしたのだ。

 最悪の場合の決戦の舞台として――被害を最小限に抑えるためにも。

 

演算(アクセル)――多重偏向斥力場、展開(コキュートスフォール)!!!」

 裂くようなオフィーリアの叫びと共に、アメノクラト達は今度は聖庁をその地盤ごと陥没させた。

 崩れる地盤と多重に施された重力による斥力場はルシファーとウェルギリウスでさえも覆すことはできなかった。

 肺腑を押しつぶすような重圧と共に地下に引きずられ込むが、その影響圏を光翼の推力をさらに上げてルシファーとウェルギリウスは突破する。

 

 音を立てて崩落する瓦礫の山の中を屈折光のように軌道を描きながらルシファーとウェルギリウスは飛翔していく。大小さまざまな瓦礫を足場に変えながら一歩、また一歩と地下空間を駆け巡りながらようやく視界が開く。

 

「……なるほど、ここであれば行動範囲を大幅に制約し、かつ被害を最小限にとどめられる、か。オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタイン。俺の知る皇国の地下とは構造が大きく異なる」

「魔星の脅威は、限界突破で予習済みだもの。そうなれば備えというモノはいくらあっても足りないでしょう――ましてそれが光狂いともなれば、最終手段もやむを得ない。まさかそれを使う相手が、この国の中にいるだなんて悪夢もいいところだけれど」

「悪魔が齎すものとして悪夢は妥当な表現だろう」

 すました顔で、しかし一部もルシファーとウェルギリウスは油断はしない。

 

偏光(ポラリゼイション)――光翼集束加速刃、起動(リアクターエッジ)!!!」

「……っ!!」

 

 彼女の片翼は粒子加速器となり、羽ばたきと共に幾条もの殺人光線を飛来させる。

 電子が、或いは陽電子が乱舞する。

 

 どうしようもなく、性能が違い過ぎる。

 数を減らしていくアメノクラト、オフィーリアの焦燥。それらもすべて、ウェルギリウスにとってはどうでもいい事だった。

 所詮は居間でさえもどこまでも性能検証以上の意味合いを持ちはしなかった。

 

「答えなさい、ウェルギリウス。貴女はどうして、あれだけの所業を――犠牲を積み上げてきたの?」

「……おかしな話ね。昔は、貴女に私の所業を知られることだけが、唯一私が恐れる事だったはずなのに。今はこうして貴女と対峙しても何も思うところはない」

 だが、オフィーリアのこの問いかけに、初めてウェルギリウスはわずかに逡巡した。

 つかの間の逡巡はしかし、ウェルギリウスの邪悪を払拭はしなかった。

 

「私と対等以上は、この世界にただ()()()()でいい。ただそれだけの話よ」

「質問に答えなさいと、言っているでしょう!!!」

 怒号と共に、アメノクラトは複数体が取り囲むように、戦闘陣形を整えた。

 ロダンとの戦いの時にも見せた、禁忌の技の片鱗。

 時空の歪むほどの重力の奔流が極点に集中する。

 

 

創生(フュージョン)――質量操縦・偏重力風星辰光(グラビティションコントローラー)!!」

 

 だが、それさえ起動されるその前にルシファーの光翼が片翼から瞬時に()()()()()生じ、重力場で重力場を一方的に微塵に引き裂き駆逐した。

 その羽ばたきの余波が、次々とアメノクラトの装甲をひしゃげさせていく。

 

「全てはルシファーのためよ。私の科学の唯一無二、世界の全てはそれのための材料に過ぎない。そんな難しい話かしら」

「……よく分かったわ、ヴェル。私は今まで貴女を何も理解していなかった。まして、こんな人でなしだとは微塵も知りなんかしなかった。貴女が材料にしてきた人々にも、人生があったはずでしょう!!!」

「魔星になったのだから、()()()()と言えばその通りね。私なりに犠牲にしてきたモノに対して敬意は払っているつもりよ。原資に対する成果物の収率は可能な限り最大化しなければ、()()()()()()()()()()()でしょう?」

 まったく、どこまでも会話がかみ合っていない。

 犠牲に対して惜しむ理由が倫理としてのそれではなく、単純に人間を資源と換算してのそれであった。

 人間が実験動物に飼い犬以上として扱わないように、ウェルギリウスは人間を資源以上として見てはいなかった。

 かつての神祖でさえ、自分たちの生んだ犠牲を国益に還元しようとはしていた。そして数多の犠牲を費やしても、彼女に目指すものは無い。還元する相手はルシファーだけ。それを人は普遍的な倫理と照らし合わせ邪悪と言う。

 

 確かに、彼女は負の意味で神祖の跡を継ぐ者だろう。

 

「……人の命を、貴女はなんだと思っているの?」

「肉が動き、息をし、思考するという現象に対し、ヒトと呼ばれる種が仮に命という語を充てたというだけにすぎない。生も死も、私に見える世界は数式と現象でしかないというだけよ」

「私も、その一つでしかないのね」

「――えぇ」

 そうして、ウェルギリウスは一切視線をオフィーリアから切って目を伏せる。

 

 この()()()()()最後の一体でさえ、ついにアメノクラトは機能を停止した。

 どこまでも結果は無情だった。

 

 

「う、ぐっ……!!」

「褒めてあげる、オフィーリア。貴女にしては本当によく善戦した。自慢ではないし何の慰めにもならないと思うけれど、私は今まで誓って嘘は言ったことはないわ」

 オフィーリアの首を掴みそれをウェルギリウスは宙に掲げる。

 ウェルギリウスから賛辞、それは皮肉にもかつてオフィーリアが求めていたものだった。

 光翼の切っ先をその首元に突きつけて。

 

「オフィーリア。今ここで私とルシファーと一緒になってくれるかしら。貴女の事、これでも私は今の聖教皇国の頭脳の中で一番評価しているの」

「……嫌、よ」

 ただそうとだけ言って拒絶する。

 それだけは拒絶しなくてはならなかったから。

 

「貴女には私を止めることはできなかった。それが結果ね」

「今の貴女に手は貸せないし、何より貴女を止められなかった人間が貴女と対等になれるはずもないでしょう」

「私をここで拒めば、貴女は死ぬ。それでいいのなら私は貴方の意志を尊重するわ。言い残すことがあれば、遺言を聞いて悦に入る感性はないけれど、今してくれると嬉しいわ」

 その言葉に、どれだけの感情をこめているのか。それはもはやオフィーリアにはあまりに理解が遠すぎた。

 

「私は貴女と対等になりたかった。貴女と対等にはならなかったことを、対等になる事の意味が分かってもなお、悔しいと思う。悲しいと思う。貴女の孤独を理解できる人間は誰も居ない」

「……言ったでしょう。私と対等以上は、四人だけでいいと。さようなら、オフィーリア」

「えぇ。――()()()()()()()()()()()()

 首を絞められながら、オフィーリアはその口元を歪ませた。同時に、低く唸るような音が地下空間に響く。

 

 今彼らがいる座標は、装甲監獄の直上。

 そしてその装甲監獄の頂上からただ一機だけ敢えてオフィーリアの残したアメノクラトが居た。

 

「……オフィーリア。貴女はまさか」

「見誤ったわね、ウェルギリウス。最初から生きて帰るつもりなんてないわよ」

 オフィーリアは、最後の命令を送る。その直後に装甲監獄の頂上からアメノクラトはその拳に全霊の星を込めて、地下へと装甲監獄そのものを撃ち抜いた。

 

 崩れる大質量体を前にして、ルシファーもウェルギリウスも回避の術など持たなかった。破壊の規模が違い過ぎた。

 たとえ未来を見通していても、回避が間に合わない以上読まれていようがは関係なかった。

 最後の命令を成し遂げたオフィーリアは、少しだけ悔しいと思った。

 

 最後までウェルギリウスの隣にいるのは、自分ではなかった。

 たった一度でも、彼女に自分を認めさせたいと思った。

 それが叶わなかった事だけが、彼女の心残りだった。

 

「……さようなら()()()。友として、貴女を止める事が出来なかった。私は、貴女を導くことはできなかったのね」

 

 装甲監獄は崩落し聖庁は震撼する。ここに運命の一つは、終幕を告げた。

 

 

 

「う、おぉぉぉぉぉぉ!!!」

 ルシファーの天を衝く咆哮と共に六翼は幾何学様の輝線を走らせながら励起する。

 それはもはや翼ではなく、剣と言うべき物体だった。

 

 剣翼を振りかざすとともに真向からその大質量と相対する。

 

 装甲監獄そのものを大質量兵器とする試みは、しかし本懐を達成はできなかった。

 崩落する建造物をルシファーは全霊をかけて迎撃し、地上へつながる孔を穿った。同時に、ウェルギリウスを地上へ退避させ事なきを得た。

 

 ルシファーの眼前には、ただ言切れ気を失ったオフィーリアが瓦礫の上に倒れていた。

 

 ルシファーの光の翼を解体し、その一枚を一本の槍に変えて振り上げる。もはや、オフィーリアは絶命は避けられはしないだろう。

 その直後に聖庁の地下からは一筋の光条が立ち上った。

 

 

 

 同時にウェルギリウスに遅れ、地上にルシファーが現れる。

 

「オフィーリアは?」

「さてな。骨が残っていれば幸いだろうが、加減はできなかった」

「そう。手間、かけたわね」

 なんの斟酌もなく、ウェルギリウスへルシファーはそう語る。

 灰と化した地下の空洞からは一切視線を切って、背を向ける。

 

 光の翼をはためかせ羽ばたくと同時に、地上を睥睨するとそこには見覚えのある顔があった。

 

 

「待て。ウェルギリウス」

「……そう、あぁそう言えば貴女達とは初めてかしら。神聖詩人、銀想淑女」

 天に坐す彼らに声を投げるのはロダンとエリスだった。

 怒りと共に糾弾の視線をぶつける彼らに、ウェルギリウスはさしたる興味を抱かなかった。むしろ、彼らに興味を持っていると取れる態度をとっているのはルシファーの方であった。

 

「ウェルギリウス。貴女が、全ての黒幕ですか」

「銀月天の代役ご苦労様、と言うべきかしら。貴女の成長はこの上なく素晴らしかった、その成果物のおかげで今私達は一つ、階段を昇れたもの」

「……ただそれだけのために、ロダン様を玩弄したとでも言うのですか。そして今、かつての友人であったはずのオフィーリア様も手にかけたのですか」

「道徳の話は聞き飽きたわ。友人だと思っていたのはオフィーリアだけだった、という話にそれ以上の注釈が必要かしら?」

 今、ここで彼らと雌雄を決する事は少なくとも、ロダンとエリスにはできなかった。

 ルシファーの時ですら彼らは追いすがるのが限界だった。まして今、ウェルギリウスとルシファーは第四世代人造惑星だ。

 道理として、今ここで詩人と淑女が勝利することはないだろう。

 

「今ここで優劣を明らかにするのはあまりにも容易い。だが――」

 直後の風切り音と共に、次の瞬間にはルシファーとウェルギリウスの胴は両断されていた。

 

 

「……、火星天か。こちらの射程外からの不意打ちはさすが、と呼ぶほかあるまい」

「――下らない世辞はいい。どうせその躯体も偽りだろう、堕天め」

 両断された二人は、ボロボロと泥人形のようにその輪郭を失っていく。

 ……ロダンの時と同じ、偽りの躯体。

 

 恐らくすでに火星天の襲撃を察し堕天と魔女はこの場をとうの昔に脱している、そう理解できていたからこそロダンは歯ぎしりを禁じえなかった。

 

 

 そして砂のように風化していくその躯体の奥から見えるのは、かつて初めて出会った至高天の階である、火星天だった。

 特徴的な赤いくせ毛、鋼の塊のような大剣。赤く輝く淡い燐光を纏いながら、その男は聖庁へと降り立った。

 

 

 

「――よう、神聖詩人に銀想淑女。アレから久しいな、具合はどうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




神域臨む賢者の旅路(Cielo cristallino)顕現するは原動天(Vergilius)
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AAA
集束性:E
拡散性:D
操縦性:AAA
付属性:A
維持性:B
干渉性:E
微小粒子観測能力。
大気を流れる微小な粒子の挙動の一部に至るまで、視覚・感覚的に変換しソレを解析する。
大気の流れから相手の数秒先の行動を読むことは無論、より精度を高めれば素粒子の領域にまで到達し得る神域の慧眼。
ただし素粒子観測の域にまでは達しても、彼女が可能とするのはそれを観測するのみであり粒子の操縦には至れない。
超高精度の未来予知や、微細領域の研究分野での利用にしかその有用性は生かせず、この能力もまた直接的な戦闘力に直結する種類の星ではない。
彼女の場合は白兵戦によってそれを補っている。
その慧眼に惜しむものがあるとするならば、慧眼の担い手が賢者であるとは限らない事だろう。


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天に届け、火星の剣 上 / Marte

大体今のところほぼほぼ結末までは構想はできました。
できましたが、真面目にウェルギリウスの処遇については悩みました。


 かつて、一人無名の剣士がいた。

 天稟の才はされど日の目を見ることもなく、病を以ってソレはただ歴史という土の中に埋葬された――埋葬された、そのはずだった。

 

「さぁ起きなさい。■■■■■■・■■■■。星剣一体たる貴方の求道、私に見せて」

 かくのごとくに土は暴かれ、望まぬ転生を遂げた。それは、皮肉にも火星の魔神として。

 魔女の掌。科学技術の輪廻転生が彼の抱いたたった一つの矜持さえ、塗りつぶす。

 

 故に火星の剣は激する。

 

 

「何が星剣一体だ、ふざけるな。こんなモノは、俺の求めた剣ではない」

 

 

 

 

 時は遡り、金星天――ユダはファウストと相対していた。

 一瞬だけ息を吸うと、タクトを振るうようにユダは両手を広げ星を顕現する

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我等は彼岸の流れ星」

 ユダの言霊が、朗々と紡がれていく。

 それと共に、だんだんと殺戮領域の荒野の風景はまるで別の天体の光景かのように侵食されていく。

 

「此処は宵の星、第二の天体。朽ちぬ黄金の輝きこそ、美なりしモノの象徴なれば。明けぬ極夜を焼き尽くすが星の輝き。旅人よ、淑女よ、どうか星を導に抱いて往きなさい」

 少しだけ、ユダの口の端は笑っていた。

 ……彼は概ね悟っていた。火星天には恐らく――そもそもとして、己は他のどの至高天の眷属たちにも勝てる魔星ではないことを。

 死ぬかもしれないが、死期を引き延ばすことぐらいはできるだろう。元から、こうなることは魔女との契約の一部だった。その決断に決して後悔はしていない。

 

「天往く星々こそ我が歌劇、淑女と詩人の度人こそ我がつづる脚本。皆々様方、その前座をご覧あれ。美なる星の名にかけて飽きはさせぬと宣しよう――此処に綴れよ絢爛美星(ベネレ)

 きっと、それは魔星にならなければ淑女の事など知ることはなかったから。

 保護者面か、とロダンに問われた時の事を思い出す。今この場に至っても不思議なモノで、意外なほどに火星天を金星天は気にしていなかった。

 

「超新星――虚実綾成す幻想演目(Cielo di Venere)顕現するは金星天(Terraforming)!!!」

 

 

 

 

 地面が腐るように崩れていく。

 液状化現象のように足が飲まれていく。強い粘性と硬さという相容れぬ二性質を両立させたはしかし、ファウストには通じなかった。

 一息の元に数条の剣閃が放たれると、泥は足場ごと粉微塵に切り刻まれていく。

 

 ただそれだけであれば驚愕するには値しない。恐るべきは彼のその剣技の精度だろう。

 少しでもズレれば自分の足ごと肉を抉っていたはずの精度で、彼は泥を散らしていく。

 

「何の星は知らんがその程度で、俺を捕らえたつもりか色男」

「無論」

 この殺戮領域においてファウストに断てぬ領域はない。だがその次の瞬間には、眼前の光景は大きく変わる。

 

 眼界を覆うがごとき波濤。

 今立つ場所が海底に挿げ替えられたかのような大量の水が天から降ってくる。

 まるで海と空の上下が入れ替わったかのような、三半規管を狂わせるような構図ですらあった。

 

「固形物では意味がない、だから流体で攻めると。あぁ道理であり合理だ」

「そうとも、もとより私は戦士ではないのでね」

「さて、たしか演者だったか」

 叩きつけられる大質量の海でさえ、火星の剣は切り開く。

 世界の両断と共に断たれた海と海の間隙を突き抜けると、火星天は殺戮領域を見渡す。だが、どこにも金星天の姿は見当たらない。

 恐らくは、そもそもとして接近戦に向かない星なのだろうと推察する。

 加えて精神体感応の気配もあいまいだ。事象改竄という星は前例はある上に、何より火星天自身の原設計がソレを参考にしたものである以上彼は対処をわきまえていた。

 

「全方位、隙は無し。恐らく星の性質はアメノクラトと同等か。事象改竄に類するモノだろう」

「概ね見立ては合ってはいる。しかし、まぁ分かったところでどうしようとなるものでもないことぐらいもまた、分かっているだろう。無益な殺し合いは避けるべきと私は考えているのだが」

「生憎とそれは聞けない相談だな」

 無限大の射程の剣はしかし、今この場に至ってもなお金星天の実体を断つにはかなわなかった。

 ぱちん、と指が鳴る音が響けば今度は凄まじい磁界と電界の嵐が吹き荒れる。

 足場すら見失うその世界の中で、極小の殺戮領域を纏いながら火星天は舞うように泳ぎ切る。

 

 集束する紫電の槍が鳥籠のように乱舞し串刺しにしようと、その全てを網膜に映しはたき落す。

 

 火星天のその技は、決して星だけによるものではなかった。星と剣の一体たるその在り様は、金星天を間違いなく感嘆させていた。

 

 その極点に密度が集中した次の瞬間には真空に電子の導火線が炸裂し、猛毒の宇宙線が散乱する。

 もはや安全圏など、火星天にはない――だがここは殺戮領域。彼の居城に置いて彼が敗北することなどありえない。

 

「悪いが、ソレもこうすればいいだけの話だろう。そろそろ見飽きてきたぞ」

 剣を一筋上に断てば空間の連続が断ち切られ、そこであらゆる殺戮光線はせき止められるかのように遮蔽され、彼の眼前で散っていく。

 

「アメノクラトの真似事は、その甚大な出力と全方位の資質に起因するモノが大きい。それを高々肉に神鉄を埋め込んだ程度の常人が扱おうとすれば相応の規模にしかならんということだ。概ね見ずとも分かるさ、経緯はともかく貴様は()()()()()()()()()()()()()だろう」

「……なるほど。つまり、君は第一世代の製造方法で生まれた魔星というわけか」

「そうだな。魔女の意図なぞ一切知らんが、俺はそういう生まれだった。……これが。こんなものが、科学の極限が辿り着いた現代における輪廻転生とはな」

 素性はよく聞いておくべきだった、と金星天は少しだけ思った。

 攻め手は文字通り、ある意味において彼は無数にあった。対して、火星天はこの世界と剣以外のモノを持たない。

 火星天への見方は、少しだけ金星天は変わった。

 恐らく思ったよりも彼は生前教養があったのだろうし、剣の道を目指してもいたのだろう。そして何より、月並みな言い方だが――

 

「――月並みな言い方だが、君は()()()()()()()()()なのかもしれない。かつて火星の名で知られていた魔星と同様、無軌道な殺戮者だとばかり思っていたが」

「どのような口舌を垂れようが最終的に殺す。その一点において、俺は殺塵鬼と違いはなかろうさ」

「だろうな。魔女の因果の裡において君は最も模範的であろう。至高天の階、その名を最も忠実に執行する者がまさか君とは思いもしなかったが」

 唐突に今度は空間が真空に変わるが、それでさえ周囲の自分の世界を切り抜いて鎧のように纏い火星天は疑似宇宙を輪切りにする。

 もはや、でもアリだ。

 たとえ殺戮領域を何度塗り替えられようと、そのたびに上から火星天は塗りつぶす。

 

「……思うに、お前は魔星にされた割には魔女に対する悪感情が見えんな。第二世代の例に倣うなら、鋼を心臓に埋め込まれる苦痛は相当のモノのはずだが――信じられんな。自らお前は魔女の話に乗ったとでもいうのか」

「……目ざといな、やはり教養に富む。君みたいなのが俺の劇団の出資者だったなら、さすがに好き放題に脚本は書けなかったろうよ」

 それまでは至って落ち着き払い、ともすれば知性さえも感じられた火星天の声色にわずかに、いらだちがの色が混じる。

 自ら望んで魔星となった事。望まぬ転生を経て魔星となった事の違い、それに対していら立っていることは、言うまでもなく察することが出来た。

 

「魔女に従順かと言えば、決してそうではない。だがかといって魔女に対し憎悪しているかと言えば、それもまた否だ。堕天流に言えば、お前のそれにもっとも近い感情は()()だろう」

「……憐憫、か。一番妥当な形容で、正しいだろうな。アレはそもそも人間性の負の極点と言うべき性根なのは事実だが、思考と秩序が実数軸にない。人が見える世界とアレが見ている世界は恐らくほんの少しだけ角度が違う。だが、その角度の違いが魔女を現世に生み出した。」

 同時に、火星天もまた金星天の星を洞察していく。

 これまでの戦いの中で、確かに無限というべき手数を金星天は行使してきた。

 

 そのいずれも、真っ当な星辰奏者であれば――あるいは魔星であっても決して対処が容易なモノではない。

 

「私は、君の個人的な願いのために殺されてやるわけにはいかないのでね。私にはまだ、やりたいことがある――というよりも、出来てしまった」

「事情を知らんのは俺も同じだ、金星。そして俺は堕天を――」

「いいや、ルシファーを討つのは君ではない。それだけは確かだ」

 金星天は、ただそうとだけ言い捨てる。

 その言葉に、火星天は訝しむ。

 

「……今一度問うが、君はなぜ堕天を討ちたい。その動機は何だ」

「何が言いたい。この場において詐術が意味を成すと思うか」

 超質量の建造物がさかさまになってその尖塔の矛先を火星天に向けて墜落していくが、それでさえ火星天は十字に両断する。

 だが、次の瞬間にはまた、金星天は技を繰り出そうとしていた。

 

 崩れていく殺戮領域。

 

 一点に収斂していく重力分布が、全てを呑み込んでいく。

 砂礫も、大気も剥ぎ取っていく。

 世界そのものを呑み込もうとする重力の奔流にしかし、火星天の脳内に敗北という演算結果は存在しなかった。

 

「言葉は終わりだ、そして讃えよう。……すっかり騙されていたよ、お前の星は()()()()()()()()()()だろう」

 訪れる終焉を前にしてただ、目を閉じる。

 それは決して、敗北を受け容れるためではなく。

 

 

―――

 

 ふつりと、ただ虚空を一閃する大剣。

 だが、事ここに至りその剣閃は、初めて金星天の肉を抉り血を纏った。

 

「うぁ……!!」

「手ごたえあり、か。ようやく視覚と触覚が完全に同期したぞ」

 目を開け、そして火星天の目前に広がっていたのは元の荒涼たる殺戮領域のみ。

 暗黒の中に吹き荒れていた重力の奔流など、影もなかった。

 

 閉じた瞼に震えはなく、振りぬいた剣閃に迷いはなく。ただ、火星天はその一撃で金星天の星を打ち砕いた。

 

「……いつから、私の星が事象改竄ではないと?」

「別に大した理由でもない、俺の五感に感じた僅かな違和だけが手がかりだった。――お前の星は()()()()()()()()()()()()()()()、だろう?」

 火星天のその洞察の成否は結果が物語る通りだろう。

 

 

虚実綾成す幻想演目(Cielo di Venere)顕現するは金星天(Terraforming)

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:D

拡散性:C

操縦性:A

付属性:AAA

維持性:A

干渉性:E

 

 

 極めて精巧に似せられた偽りの感覚。特定の感覚だけではない、五感全てを複雑に相互作用させて完全に違和を潰していた。

 星を浴びせられた時も、常人では悟れないほどに僅かなズレがあった。

 例えば、皮膚を切りつけられれば痛みを感じるまでの差はあるだろうが、誰とて即座に切られた感触は感じるだろう。

 実際、確かに金星天の星は行使されても何ら違和感はなかった。

 だがほんの僅かに、視覚と触覚にわずかに()()()()()というべきものがあった。

 

「……俺の星に対するお前の星による五感の演出も、全く違和感が無かった。斬れば断てるしその反力も感じる。焼かれれば痛み、輝けば眩しい。五感がそのように感じたのならそれがその者にとっての現実となるし、真が真であり虚が虚である必要さえもない。殺戮の舞台の上で偽りを演出する――なるほど、まったく役者らしい星だ」

「そうだな。元々俺は戦いなんて趣味じゃない、まさか、最後の最後に敢えて視覚を放棄するなどという筋書きは想定しなかった。……感覚を捨て()()()、或いは()()()()などという筋書きも理屈もクソもないモノに君は全てを託したんだ」

 真実、あの時火星天の五感は掌握されていた。星辰体の感覚さえも、金星天の手の上だった。

 そして最後に火星天は目をつぶり全ての感覚を無視し、ただ自分の勘――何よりかつて剣を振り続けた経験に全てを賭けた。

 金星天がどこにいたかさえ、彼には定かではなかった。正真正銘、勘、と言う言葉でしか例えられない境地を以って彼はその神鉄を穿ったのだ。

 ……強大無比たる星の担い手の決め手としたモノが魔星ではなく人であった頃の経験だった。

 

「……完敗だ。といっても俺如きでは倒した実感は無かったろうが」

「いいや、素晴らしかった。……あと少しお前に芸が達者であったか、俺が元から()()()()()()()()なら、お前の討つことは出来なかったろう」

「……なるほど。君の慚愧は、ソレか。魔女に奪われたモノの正体は」

 ごぷ、と血を喉奥から湧く。

 金星天はもはや敗北した身だ。火星天が剣を振り下ろせばその命は終わる。

 

「さぁ、俺を殺すといい。俺の死が君の糧となるかはいささか疑問が残るが、堕天を討てるというのならそれもまた、本望だろう」

「ではその前に一つ聞こう。お前が死ねない理由とはなんだ、お前はそう言っていたが」

「……なんだ、そんな事か。もうすぐ死ぬ人間にする質問にしては意地が悪い」

 息絶え絶えに金星天はそう言って観念したように力なく笑う。

 

 

「……死ぬ前に、淑女のちゃんとした演目を見たかった。それから詩人と彼女について語らいたかった。俺の方が顔はいいし、怪力と爪先を踏む癖には惚れなかったが、その才能に惚れていたからな」

「……」

 金星天の頭の中に浮かぶのは、エリスのことだけだった。

 初めて海岸で彼女を見た日から。初めて彼女がロダンの事を語る時の彼女の顔は、とても晴れ晴れしかった。

 役者になりたい、と言う願いをかなえてやりたかった。それは境遇への同情によるものもあったかもしれない。

 けれど何より、彼女が将来に織り成す演目を見たくなった事が動機だった。

 

「その様子では助からんだろう。首は跳ねん、顔は傷つけん約束は果たした、ならば文句は無かろう、……好きな場所で野垂れ死ね」

「……痛み入るが、あぁ。あと死ぬ前に舌が回るうちに嫌味の一つか二つは言わせてくれ。……君は案外真面目で育ちがいいだと俺は語ったが付け足そう。君の本当の願いという奴は、君が魔星である限りは永劫叶わない。そして最後に」

 それからまた、血が混じった咳をし金星天はただまっすぐ、火星天とは真逆の方角を指さした。

  

 

 

 

 

「――君に堕天の墜落は担えない。なぜなら堕天を討つのは詩人と淑女だからだ」



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天に届け、火星の剣 下 / Nameless Sword

火星天の正体はまぁ何となく察した人はいるかもしれません。


「じゃあな、ガンドルフ卿。世話になった」

「……お前の言う聖戦、か?」

「あぁ。……ほかの連中がどうかは知らんが、少なくとも俺はお前に恩義がある、迷惑はかけない」

 聖戦開幕のその日、火星天はそうガンドルフに告げた。

 鉄塊のような大剣を背負いながら、その居を出ていく。

 

「……達者でな()()。アンタは筋はそんな良くなかったと思うが、それでも毎日俺に剣を握らせてくれたことは感謝してる。聖戦が終る頃にはもう二度、会う事も無いだろう」

 

 

「詩人。お前が堕天を討つというのなら、俺はお前を討たねばならん。アレは俺が先に討つ、故にお前の手出しは許さん」

「ふざけろ火星天。それを譲れと言われてはいそうですかとなると思っているのか?」

「お前の是非など俺は聞いていない。できればどうか苦しまずに死んでくれ、……そうだな、淑女を殺させてくれるのならお前を見逃さんこともない」

 火星天は顎をさすりながら、そうロダンに言う。

 エリスは少しだけ、ロダンの袖に寄り添いながら火星天を睨む。

 

 彼らには、文字通り何も縁が無い。間接的にはあるとはいえるのだろう。

 ロダンはかつての自分の剣を構えて、エリスの前に出る。その様子を火星天は少しだけ訝しむ。

 

「……なんのつもりだ詩人。ソレは恐らくお前の本来の発動体――そしてそれは神鉄ではない。そんな鈍らを構えて俺と戦うと?」

「……お前程度にエリスの力はもったいない、というだけだよ」

 その光景は、少なくとも常軌を逸しているように火星天は思えた。

 詩人と淑女は二人で一つだ。そんな男が今、淑女の力は不要だと言っている。魔星と人間の格差は絶対的だ。

 それを覆せるのは、一握りの命知らずの破綻者だけだ。

 

「なるほど。大体の事情は察した。淑女と仲たがいでもしたか――あるいは、淑女の力を頼ることができなくなったか。そんなところだろう。……下らん騎士願望だ、そんなモノで一人で俺を討つと? 堕天を討つと? 笑わせるな文筆家風情が」

「――勝手にそちらで文脈を察しているところ悪いが、誰が一人でといった?」

 火星天の言葉に、ロダンの者ではない声が投げられる。

 宙を舞いながら、碧い剣を一閃するランスロットの姿がそこに在った。

 

 それとほぼ同時に、ロダンも駆け出す。ただ一度の踏み込みで音速に肉薄しながらその剣の質量を叩きつける

 

「……貴様」

「悪いな、赤いの。お前の顔は趣味じゃない」

 ただ二度、剣を振り払う

 一閃の元にランスロットの剣の軌道を逸らしその横腹に蹴りを叩き込み、同時に二閃目でロダンの剣を迎え撃つ。

 そして、世界は荒野に染まる。

 エリスを排斥しながら、ランスロットとロダン、火星天はただその荒野の中に放り出される。

 

「ふざけた冗談だ、これもこの歪んだ因果という奴か。……まさかその面を見せられるとはな」

「何に感心しているのかは知らんが、俺の顔に見惚れたか。いいことだな」

「……その軽口は誰に対して詐術か、或いは欺瞞かは知らんが鬱陶しいな――死ね」 

 次の瞬間には剣は放たれて、十字に斬撃が放たれる。

 

 それを真っ向からロダンは迎え撃つ。

 射程無限大の剣。世界そのものを刃にする、遠近感を投げ捨てたかのような星にロダンは何度も何度も、打ち合う。

 

 火星天の星に対応できたのは一重に、マリアンナの戦いを目の当たりにしていたからでもあった。

 

 一閃、放つたびにそれをロダンが受け、ランスロットがただひた走りながら追い詰めていく。

 幾度となく重ねた訓練は、かつての師弟の連携をよみがえらせる。

 

 互いの息を読むような連携に、しかし火星天もまた引き等しなかった。

 奇しくも三人、剣を得手とする者同士であり、剣戟において彼は二人に遅れは取らなかった。

 

 同時に、ロダンは少しだけ火星天の剣に、彼の在り方を垣間見る。

 その刹那に、在りし日のある男の夢を見た。

 

 

 その男は、ある名家の生まれだった。

 容姿も教養も、おおよそ人として望まれるあらゆるものを天から授かった彼はしかし、そのいずれにも興味を示さなかった。

 

 彼が唯一心を奪われたのは一重に剣だった。

 

 剣、それは騎士の証。物言わぬ鋭利な鋼にこそ彼は魅せられた。

 

 

「――兄上、また貴方は剣の稽古ですか。付き合わされる身にもなってくださいよ。何より、持病の具合が悪くなれば父上とて案じましょう」

 あらゆるモノに恵まれながらしかしその男はただ一つ、体に恵まれなかった。

 持病による薄命を彼は悟っていた。

 

 どうしようとできる事でもない、生まれたころからそうであり。

 だからこそ、そんな彼にとっての安らぎは家族ではなく剣にあった。

 

 己を非才と卑下する弟の事も、過保護になる親の事も、彼にとっては興味の薄い事物であった。

 

 強くなりたい、剣を巧くなりたい。

 そう願ってただひたすらに彼は病身を押して剣を振り続けた。

 

 だがその剣を継承する者はおらず、それでいいと彼は思った。

 延命のためには、いかがわしい民間療法や薬に手を出しながらも、その気力だけで骨と肉を削りながら彼は生き続けてきた。

 

 肉が削げ、骨が削げ、命が削げる――ならば、剣もまたどうして、不滅であると言えようか。

 そう彼が病床で悟った時にはもう、幾何の命の猶予もなかった。

 

 彼は、その時初めて喪失を恐怖した。生涯と熱量を賭した己の剣が、名を残すことさえも許されずに歴史の土に埋葬されるという事だった。

 命が潰える事以上に恐怖した。

 

 意味を求めて剣を握ったわけでもなければ、代えの効かない何かになりたくて剣を握ったわけでもない。

 剣才は有れど、それも卓越しているわけでもない。

 けれど、ただ愚直に剣を振り続けたその軌跡が失われる事が彼は――()は何より耐えられなかった。思考しているこの一分一秒でさえ、俺の剣はどこにも残らず失われていく。

 

 ただ愚直に剣を振り続けてきた日々が末期の走馬灯のように駆け巡りながら、俺は病床で天を仰ぐ。

 ただ一度だけでいい。剣を握らせてくれと。

 

 そうしてそこでまた、光景は霞む。

 見知らぬ誰かの掌が、翳される。悪魔のようなささやきで。

 

 

 

「ならいいでしょう。その願い、確かに聞き届けたわ。■ーシ■ァル・■ヒ■ー。貴方の夢の続き、第二の生を存分に楽しみなさい」

 

 

――

 

「――、っ」

「ぼさっとするなロダンっ!!!」

 何かが頭の中を掠めた気がした。 

 誰かの夢のような何かが。その次の瞬間には火星天の殺戮剣が迫り――そして俺を庇おうとして、リヒターは俺を突き飛ばし身を挺した。

 その背に突き立てられた不可視の剣が肉を抉り、俺の眼前でリヒターが崩れ落ちた。

 

 

 

「……おい、リヒター!! 聞こえるか!!」

「……騒ぐなよロダン、ちゃんと聞こえてる」

 リヒターの肩を持てば、その力がまともに入っていない事がうかがえた。致命傷に他ならない、眼前でかつての師が自分を庇った事に、俺は歯ぎしりを禁じえなかった。

 

「リヒター……済まない……!! 俺の所為で……!」

「……そんなことはいいんだよ、ロダン。……全く、よそ見はするなと何度も何度も、飽きるぐらい昔教えたろうが馬鹿弟子」

 肺でやりくりできる少ない空気を吐き出しながら、リヒターはただそう言葉を紡ぐ。

 喋れば喋るほどに苦痛は増すはずだが、それでもなおも何かを、俺に伝えようとしていた。

 

「ロダン。……悪いが俺はこの通りだ、だがまぁ頑張ってあの野郎を倒してくれ。手当が早ければ俺は生存するしお前の所為ではなくなる。……今更になって実体験したからこそ思うが、やっぱりどうかしているぞグランドベル卿。なんで死にかけの息絶え絶えで喋れるんだか」

「もう、喋るなよリヒター、傷に障――」

「だから今から一度しか言わない。よく聞けいいか、ロダン」

 そう、リヒターは改まって言う。

 歯を食いしばりながら、それでも言葉をひねり出して続ける。

 

「……お前が()()()()のかは知らないしアイツが何者なのかも知らない。だが分かったはずだ。お前の剣は打ち合う人間の技巧のその奥に、野郎の生涯を見たはずだ。……今のお前の剣は()()()()()()()じゃない、だから向き合うんだ――火星天の絶望に」

 ……火星天と向き合え、とリヒターは言う。

 あの打ち合った時に垣間見た光景に彼の妄執を視る。

 俺の経験憑依は、恐らく急激に星辰奏者としての実践経験を積みだしたことによって成長したモノだろう。

 

「麗しい師弟の絆と言うヤツか。さて、別れの挨拶とやらが済んだところ悪いがじきにそこの詩人も送ってやる。……安心しろ、煉獄か天国には行けるよう念仏ぐらいは捧げてやろう」

「宗派と教派が違うんだよ、お前も元がこの国の生まれなら聖書と経典ぐらい暗記してから出直してこい」

 今火星天に抱いている感情は、師を討ったことに対する怒りでも憎悪――だけではない。

 それは少なからずあるが、主成分じゃなかった。……恐らくは憐憫、或いは悲しさなのだろう。

 

 ゆっくり、リヒターを地面に下す。そして再び剣を構える。

 

「……お前も、金星天と同じ目で俺を見るのか」

「誰の事を言ってるのかは知らないが、俺にはお前を戦わなきゃいけない理由が今出来た」

 奴の本当の願い求めるモノが今の俺には分かる。

 それは恐らく勝ち負けの土俵で決着をつけていいモノではない。

 

「決意を改めたところ悪いが、御覧の通りと言うヤツだ。――そら、俺の星から逃れてみろ」

 水平に一薙ぎ、或いは垂直に。無限の間合いの殺戮剣から逃げ場はない。

 だからこそ、真正面から打ち合うしかない。ただ、剣を打ち合わせる。

 

 それは何の目的があるモノでもない。距離も詰められなければ、何の致命ももたらすことはできない。

 俺にできることはただ、迎撃するだけだ。

 

 火星天の剣の軌道を視て、それを寸分違わず学習してオウムのように返す。

 何度も何度も、執拗に、偏執的に。

 

 脳がチリついて、走馬灯にも似たセピア色の何かが映る。

 火星天の経験が憑依していくとともに、また俺の脳裏の意識は寸断されかける。

 

 恐らくは、俺の星も成長を続けているのだろう。

 なまじエリスから切り離された分、自分の剣の再現性がより研ぎ澄まされていくのを感じる。

 星光に依拠しない、純然たる剣技。

 

 それが今俺達が競っているものだったのだから。

 

「……なるほど、お前の星光は経験の模倣か」

「あぁそうだ。そして、これらはお前がウェルギリウスに奪われたモノだ」

「――そんなモノで、俺を討つ? 俺が捨てたモノが俺を討つと?」

 冷静で飄々とした火星天の眦に、初めていらだちが混じる。

 

 防戦一方に押し込まれながらもなお、俺はその剣を振るい続ける。

 魔星と人という基盤の違いはしかし、今ここに至ってさほどに機能していなかった。

 仮初であっても俺がエリスの眷星神としてあり続けた事による、超高濃度の星辰体被爆への順応が挙げられるだろう。

 だからこそかつての魔剣もまた限界を超えて感応し続ける。俺の求めに応じてどこまでも駆動する。

 

 今この場に至り、初めてその異変を火星天は感じ取ったのだろう。

 

「聖人面で俺を諭したつもりか神聖詩人。俺の剣を真似て、それで何ができる? お前の星では、俺には届かない事など自明だろう」

「いいや。諭さないさ、火星天。……ここは一つ、お前も剣士なら剣で語るとしようじゃないか」

 何も特殊なことなどしていない。俺はただ剣を振っていただけだ。

 打ち合う角度も、振りぬく早さも、何もかもを()()()()()()()()()()()()()()()()()()、火星天の剣閃を模倣し打ち返しているというただそれだけだった。

 

 そんなことを実現できるのは、火星天の剣を徐々に体得しているからに他ならない。

 習得の深度も速度も精度も密度も、常軌を逸している。ガンドルフ卿やリヒターの剣を学んだときでさえ、こうなど成らなかった。

 

 その不気味さを理解しているからこそ火星天は怖気が走る。

 他人の経験を自分にそのまま張り付けるという事は即ち、他人そのものに成り代わりかねない行為だ。

 

 今俺は正真正銘、かつての火星天の記憶さえも憑依させている。

 奴の生涯など、ノイズだらけで分からない。

 

 彼我の境界さえ危うくなるほどに彼の内面を俺は覗く。もっと、火星天の剣に近づける。

 限りなく、限りなく、研ぎ澄ませ続ける。

 

 そのたびに、彼の叫喚を俺は目の当たりにする。

 

 

「う、おおおおぉぉぉぉ!!!」

「気色の悪い意趣返しを――!!」

 嫌悪の臨界を振り切ったとばかり火星天は次々と殺戮の剣閃を放つがそれでさえも、真っ向から切り伏せていく。

 何より、嫌悪がその剣を握る手を鈍らせたはずだ。

 

 今火星天が見ている景色は、俺が今まで剣を奪ってきた者達のそれと同じはずなのだから。

 

「お前は俺の十数年を、たかがこの一戦で……俺の剣を踏破してきたとでも言うのか」

「生憎それしか、出来ないんだよ」

 元からそれは特化型の宿命だ。

 相手の土俵で自分の手札を通す事でしか活路は開けない。加えて俺の星は突き詰めても殺傷には直結しない類の性質だ。

 だからこそ尚の事、一意専心以外に戦術はあり得なかった。

 

「何が剣だ。何が星剣一体だ――分かるよ、お前の怒りと絶望が。だってこんなモノ、()()()()()だろうが!!!」

「……分かった口を、利くなッ!!!」

 奴の怒りが、奴の剣を知った俺には分かる。

 星が強ければ、剣を振るう意味などない。

 

「剣の極み――星剣一体という奴さ。俺の行きついた答えこそがコレだ」

「……心にもないことを言うなよ。だったらそもそも剣を振るう必要すらないだろう、お前の星は剣どころじゃない。欠陥品もいいところだ」

 兵器として、それは全くの欠陥品だ。

 剣を振るうという行為を挟まなければ放たれない兵器はある種酔狂にさえ映るだろう。

 

「では詩人。貴様は如何にして覆す? 万象穿つ剣の世界で、お前の剣は何を語る?  ……語れんだろうよ。ならばそれが答えで、それが証明だ」

「剣を振るう腕と星が合わされば確かに強いだろうさ。けど、剣の腕がいかに良かろうと星を代替はできないし、純粋な兵器として追及するなら星が強ければ剣は不要になる。悲しいまでに、それが現実で、……お前はそれを憂いているんだろう。おその星を振るえば振るうほどに、自らの研鑽の意味を見失っていく」

 その考えは、分からないわけではない。

 事実、俺はエリスと繋がっていた時、俺は俺の研鑽がどれだけ生きたかと言えば、そう多くはなかったからだ。

 剣を鍛えていなければ斬り抜けられなかった、という事態は多くはない。

 逆に星が強くなければ斬り抜けられなかった、という事態は腐るほどあった、 

 

 星は剣を代替しても、剣は星を代替できない。だから必然として剣と星は決して対等ではない。その矛盾と無情が火星天を突き動かす原動力なのだ。

 

「見ろ詩人。俺が地金を晒せば晒すほどに俺の剣は無意味に堕していく。射程こそは暴力の優劣の尺度だ、高々数尺の棒切れを振るうためだけの研鑽に何の意味がある?」

 踏みにじられた剣の矜持を彼は取り戻そうとしている。

 火星天――天国を巡る旅路において、自らの教義を守るために戦った者が至る天であるという。

 

 そして今彼は己が志した剣の道を護るために、戦っている。

 

「棒切れを振るい一人殺す間に、星は百人を殺す。であれば剣に何の意味がある。そして俺は星を振るほどに、剣を満足に振るえなくなっていく。俺の手が、剣ではなく星を握る。ならば俺の剣はどこにある」

「それを奪われたからお前は激している。……兵器としての剣ならお前の言葉が正しいさ。けどお前が求めていたのは、兵器としての剣か。それとも求道としての剣なのか。……思い出せよ。お前の研鑽の価値は、実用的かどうかなんてどうでもいい天秤で計れるものだったのかよ」

 ……火星天が初めて剣を手に取った時、それをどう思ったのか。

 物を言わずただそこに在る事のみで己を示す鋼の在り方に、美しさを感じたからではないのか。

 それが、今の俺には分かる。

 

「あぁ、だからこそ俺は今一度、狡猾なる詩人(ロッドファーヴニル)に戻ろう。お前から全てを奪うんだ――()()()()()()()()()()()()()()

「――、詩人。お前は」

 だから、俺の剣はきっとこのためにあったのだろうと思う。

 忘れない。今まで奪い続けてきた剣の事を忘れたことなどなかった。

 今から火星天の剣もまた、その一本となるだけだ。一本となって、永遠と成るだけなのだ。

 

「お前がたとえ、お前自身の剣を忘れようと、俺は忘れない」

 少しだけその数拍、火星天の剣は鈍りその息をのむ。

 剣技と経験の完全再現――その果てに齎すモノは精神不全(イップス)

 そして今この瞬間に、火星天の全ての剣を俺は網羅した。常軌を逸した学習速度も、この瞬間のためにあった。

 

「行くぞ、火星天。……俺がお前に、人としての死を与えてやる。お前が天国に行けるように」

 火星天の剣を思い出しながら、ただ水平に構える。

 

 低く腰を落とし、ガンドルフ卿の技を思い出しながらしっかりと土を踏みしめ駆け抜ける。

 

「その技は、あの男の――あぁ、そうか。お前が、あの男の言う弟子という奴だったか」

 

 火星天は嘆息して苦笑いした刹那、自分の星を解いた。

 けれどそれは敗北を受け容れるためではなかった。

 

「……そうだな、俺が間違っていた。星が邪魔なら初めから()()すればよかったんだな。――()()ぞ、魔女。俺にはもう、()()()()()()()()()

 

――

 

 キン、と音を立てて、そしてまた戦いは仕切り直しとなった。

 火星天は、驚くべきことに自分の星を捨てた。ただ一人、剣士となるために。

 殺戮領域の荒野は晴れ、元の聖庁に彼らは立っていた。

 

 エリスも、水星天も、聖庁に還ってきた彼らの光景に息をのむ。

 

 火星天は星を捨てた。それは、常識として考えて気の触れている行為でしかない。

 だがだからこそ、今彼の剣は研ぎ澄まされている。

 

 剣を振るうに当たって介在する邪念も外力もありはしない。星に頼るなどと言う選択肢を自分から捨てたのは愚かであり魔星として本末転倒というほかないだろう。

 だが、それ以上に彼は剣を執る者として詩人に挑みたくなった。

 自分の剣をその目に焼き付け忘れないと豪語したのだから、責任を以て余すことなく見届けろと火星天は内心でつぶやく。

 ありていに言えば、剣士として決着をつけたくなったが故――そして己の剣を伝授したいが故だった。

 

「火星天――いや、名も無い騎士。俺は、お前を何と呼べばいい」

「そうさな。……言わないでおこう、ここは名無しで頼む。なにかと都合の悪い名前でな」

「星は使わないでおいてやろうか」

「舐めるな、要らん気遣いだ詩人」

 ただ正眼に、二人剣は構える。

 

「火星天改め――名無し(ネームレス)、いざ参る」 

「なら、俺もそちらの流儀に倣ってやる。――アレクシス・ロダン、いざ参る!!」

 言葉とともに、彼らは大地を翔けだす。

 それを水星天は止めようとは思わなかったし、エリスは止められなかった。

 

 何度も、何度も、剣を打ち合い、弾きあい、或いはかわす。

 彼らのソレは真剣での果し合いであり――そしてある種稽古のようにさえ映った。

 

 なぜ火星天が星を投げ捨て素のままで戦っているのかなど、エリスには理解に遠すぎた。

 けれど一つ確実なことがあるとすると、火星天の顔にはもはや険はなかったという事だろう。

 

 体を反転させ、蹴りを交えながらもけれど互いに致命には至らない。

 本気で彼らは剣を打ち合い続けているというのに、エリスは彼に()()()()()()()()()気がした。

 

 

 今この場で彼らはもはや勝敗など争っていない。矜持を賭けて、ただ彼らは戦っている。

 同時に火星天の剣にも変化が生じていた。

 

「――、お前、生前にそんな技使ってなかったろうが……!!」

「あぁ、今考えて今作った。どうだ、驚いたろう?」

 距離を離し天高く飛び上がったかと思えば、その次には自らの大剣の柄を蹴り飛ばし超速で飛翔させた。

 流星のような一撃に、済んでのところでロダンは対応しきり、その軌道を逸らす。

 少しだけ、その口調は()()()()()()()()()なと思った。

 

 同時にその一撃を凌ぐために隙を晒したロダンに火星天は拳を握りその横顔を全霊で撃ち抜いた。

 

 

「……剣士、と言うよりは拳士かお前」

「剣を使う人間が剣だけを使うと誰が決めた? ……全く、貴様は()()()とやらから何を学んだやら」

 剣を拾い――火星天は今度はロダンに向けて水平に打ち投げ――あろうことかその大剣にサーフボードのように乗り上げロダンに肉薄する。

 

「奇想天外な事しやがって、見てて飽きないよ」

「そらさっさとかわせ、俺を轢き逃げ事件の犯人にさせてくれるなよ」

 乗り上げた剣を足で捌きながらその手に持ち替えロダンへと大上段から斬りかかる。

 

 まるで予想もつかない、変幻自在たる剣の扱い。生前でさえ、これほどに芸が達者ではなかったろう。

 ……今、この男は魔星の宿命を超えて再び成長しようとしている。

 

 その成長はロダンの記憶が当然知るわけもなく当たり前に対応などできるはずもない。

 

「……最初から出し惜しみせずにやればいいだろうが、この赤髭が」

「魔星の身だからできないこともあるんだよ、優男が」

 だが、同時にロダンも決して譲りはしなかった。意趣返しと如くに剣の柄を蹴り上げ火星天へと剣を飛翔させる。

 

 今この瞬間も火星天が成長し、そのたびにロダンが追いかけるという構図になっている。

 星を扱わないからこそ剣が洗練されていく。という本末転倒はしかし、火星天は後悔などなかった。

 事実その技は少なくとも殺戮領域で振るう剣などとは比較にならないほどに多芸に、そして練達を遂げていた。

 

 その速度も、ロダンが次第に埋めていく。

 端的に言って星を自ら封印した火星天とロダンとでは、優劣ははっきりとしていた。

 

 いくら技を思いついてもそれをロダンに奪われていく。

 火星天の技を真っ向から見据え、決して忘れないようロダンは刻む。

 

 この男が修めた剣が確かにかつてこの地上に存在していたことを、決して忘れないように――受け継ぐために。

 

 そうして、まもなく決着は順当に、呆気なく訪れる。

 

 ざくり、と鋼の感触を感じながら、詩人の剣は火星天の躯体を袈裟に断った。

 

 

「……なるほど。星を捨てれば、やはりこうなるか。道理だな」

「あぁ。そしてこれが人としてのお前の末路だ」

 倒れそうになる体を、剣を杖代わりに支えて、ロダンは火星天と向き合う。  

 

「勝ったのだろう、詩人。なぜお前は悲しそうな顔をしている?」

「……勝った? こんなのがか。……こんな悲しすぎる結末が、勝利であるはずがあるかよ。こんな悲しすぎる勝利が、あるかよ!!!」

「……まったく、面倒くさい奴だ。文筆家という人種はどいつもこいつもこうなのか。勝ち方にいちいち浪漫を求めるのは立派な悪癖で悪趣味だ」

 勝利の歓喜など、微塵もなかった。

 この結末でさえ、魔女と堕天の盤面でしかないのだろう。そのために火星天の物語(生涯)は魔女に消費されたのだから。

 誰も幸せになどなりはしなかった。

 

「なぁ詩人。……俺の剣は、どうだった?」

()()()()()()()()()、お前みたいな奴の剣は特に。安心しろ、俺は記憶力がいいんだ」

「なら、よかった。存外この結末で、良かったのかもな」

 生涯ただ一度、安息したような顔をして火星天は崩れ落ちる。

 その顔にはもう妄執などなかった。

 彼は人としての正しき死を彼は魔女から取り戻し、その剣を確かに詩人は目に焼き付けたのだから。

 

 

「迷わずに往け、詩人。……託すのは癪だが魔女の盤面を覆せ、そして魔女から全てを奪い返せ。お前にはそれが、できるはずだ」

 

 



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疵龍慟哭 / Lunatic Warcry

大分怪獣大決戦みたいな様相になってきました。


「殺せぃ者共、よく食らうがいい――その果てにこそ栄光は在るッ!!」

 その傭兵の男の名を、エイリークという。

 血まみれの斧を自らの得物としたことから、後の世に恐斧王(フィアオクス)と呼ばれる男だった。

 戦乱の中の生まれにおいて、彼は殺すか殺されるか以外の道はなかった。故に彼はそれが世界の普通だと、思っていた。

 彼にとっては世の中は苦界に満ちているのが普通であるし、その中で生き抜くための最善を尽くすのは当然の事だとさえ思っていた。

 従って弱者と呼ばれる人間の事も、人々が普遍的に愛する平穏という概念も彼にとっては理解から最も遠いものだった。

 弱ければ死に、強ければ生きる。例え世に冥府魔道と呼ばれようと、それが道理であると彼は認めていた。

 

 戦争において、その男は最強だった。戦えば勝ち、領土を引っ提げて凱旋する血まみれの王。

 彼の栄光はいつも血の傍らに在りながら、しかし次第に彼に民衆や他の傭兵たちはついていくことになる。

 

「民も臣も、勝てばついて来よう。そして俺は勝つ、何も問題などあるまい」

 

 蛮族の王(ヴァイキング)と呼ばれながらもその男は進撃を続ける。

 ついにはその男は国を打ち立てる。人々は讃える、恐斧の王はここに在りと。

 

 王になる気などその男はなかった。その器ではないと自覚していたし何より人を仕切るよりも人を殺す方が絶対的に彼は得意であった。

 だが、否が応にも彼がその斧によって築き上げた財産は彼に王である事を求めた。

 

 政治には通じなかったが、同時に好んで悪政や粛清を敷こうとする思想ともまた彼は無縁だった。

 渾沌たる秩序無き戦争の中を生き抜いてきた彼にとって、国を築いた時こそが初めて得た安息だったのだろう。

 

 その安息の中で彼は初めて人々の営みに目を向けた。

 その営みの中で人々は何を考えているのか、彼にとっては理解に遠かった。だがその在り様を見るたびに庇護心と言うべきものを自覚した。

 

 安息の中で、人は初めて安らぎを得る。

 顔に顕しなどしなかったが、それでも彼は平穏たる秩序を目に映す時、その心は嘘のように静かに薙いでいた。

 

 彼の国に生きる者たちもまた、その斧によって築き上げた財産だ。

 己の体はもう、己だけのものではない。数多の築き上げてきた財産の上に居る以上、それを護る事は強者の義務であると彼は誓った。

 

 総じて、恐斧王、と呼ばれた男はその名に反するがごとく、民には善政を敷いていたと言えるだろう。

 治世が盤石となる頃には、もはや彼を蛮人と誹る者もいなくなった。

 

 己の国も民も余計な荷物と断じ、一人の暴力として野に降る選択肢も無論彼にはあっただろう。だが、それを選びはしなかった。

 弱肉強食の道理を当てはめられるべきは自分のような生まれの者だけであって、それを誰彼構わずに適用することは誤りである事もまた理解していた。

 

 今がたとえ弱者であろうといつか翼を広げ強者となるためにこそ、強き者は弱き者が手折られないよう護らなければならない――それが、彼が生前において見出した悟りだった。

 

 血塗れの斧は、その時初めて誰かを護る刃へと変わった。

 彼なりの、彼に芽生えた不器用な臣民への愛の形だったのだろう。そのころには長年の腹心を妻として、彼も家庭というモノを持つに至った。

 

 

 だが、そんな彼の国の落日はまもなく訪れる。

 

 軍事帝国アドラーの台頭、星辰奏者の実践投入によって突如としてその運命は暗転する。

 次々に堕とされる国の防衛拠点。

 

 人智を逸した星辰奏者の力によって蹂躙される兵たち。

 その光景を前にして、エイリークは初めて憤激する。

 

 失われていく。自分の築き上げてきた全てが、民が。

 

「ふざけるな、俺が国を離れるのは勝利か、死以外に在り得ん!!」

 逃げろ、という部下の声を彼は切り捨てた。

 彼は決して退きはしなかった。断崖の絶壁に追い込まれようと、彼は最後まで王である事を捨てなかった。

 

 生身の人間と星辰奏者。その優劣などもはや推し量るまでもないだろう。

 

 そして彼は、生涯で初めて怪物と言うべき存在に相対する。

 その男の眼に宿る熾烈なる意志力、絶滅の光輝を纏う二刀。……その男を見たとき初めて彼は悟った。

 

 至大、最強、究極――陳腐だが、それ以外に形容できる言葉が無い。

 迅速な首都制圧の手腕も、単騎での戦闘力も、何もかもがこの男は逸脱していた。

 

 己が最強など、無意味だと諭されているかのようにその男は絶対的だった。

 

「――さらばだ、恐斧王。お前の慟哭を背負い、俺は往こう」

 

 勝敗など、もはや問うまでもなかった。ただ一閃、絶滅の光輝が骨肉を断った。

 その刹那に彼は腹心であり妻である者に突き飛ばされ、間一髪で絶命を免れながら、断崖の谷底に堕ちた。

 

「どうか生きながらえてください、我が王。貴方に仕えることができ、私は幸せでした」

 

 眼前で絶滅光の露となる腹心の――妻の姿を、その目に焼き付けながら彼は堕ちていく。

 そして、絶滅の輝きに全身を蝕まれながら、英雄の眼を直視した。

 

 燃えるような、雷霆のごとき激しさを孕みながら、その男はエイリークの眼を己に焼き付けるように、見据えていた。

 

 

 

 

「これで、終わりましたか詩人、火星天」

「……水星天」

 膝をつきながら斃れる火星天を前にするロダン、その後ろから声がかけられる。

 エリスの傍らにいる水星天は少しだけ、憐れむように目を細める。

 

「……水星の。お前は結局、淑女と共に在る事を選んだか」

「えぇ。……そういう貴方は、詩人に託す事を選びましたか」

 かつては共謀者であったこと、その点に関して水星天は感じるものがあったのだろう。

 

「火星天。貴方の執着は、晴れましたか?」

「聞いてくれるな、そこは俺達の盟約に免じるべきだろう。……お前もさっさと、姉離れとやらでもすべきだろうよ」

「その顔では、満更でもないといったところですか。……それに姉離れはお断りですね。私の病は、治るぐらいならずっと不治でいたいですから」

「……変態め。淑女も災難だろう、こんなのに付きまとわれてはな」

 それきり、水星天と火星天は互いに視線を交わしはしなかった。

 

「……皮肉なものだな、金星。まさにお前の言う通りの脚本だ。――詩人、淑女。……ユダ座に行け、急所は避けた。()()()()()()()()()()奴がいる」

「火星天、それはどういう……」

「遺言は以上だ。……俺は疲れた、少し寝る。少しだけ、な」

 そう言って、火星天はこと切れた。

 ねじの切れた人形のようにどさりと聖庁に斃れ、そして二度、目を覚まさなかった。

 

 地面に突き刺さった火星天の剣を、ロダンは引き抜き握る。

 片手には自分の剣を、もう片手には火星天の大剣を握り、ロダンは火星天に背を向ける。

 

「……お前の私物、借りていくぞ火星天」

 ただ一言、そう言って。ロダンは第二太陽を仰ぐ。

 第二太陽の光を浴びる彼の背に、エリスはかけてやれる言葉が見つからなかった。

 どうしても彼のその痛ましい姿に寄り添いたいと思うのに、彼と自分の間にどうしても距離を感じてしまう。

 

 あの時、間違いなく彼と火星天の間でしか共有できない何かがあったのだろう。

 その何かのために彼らは戦っていて、それは自分が介在していいモノではなかった。

 

 それがどうしても悔しくて、少しだけ火星天に妬いてしまう。

 

 この聖庁において、犠牲者は副長官オフィーリア――そして火星天の二名。

 あまりに聖戦の序奏と言うには、それはあまりにも壮絶に極まる光景であった。

 

 

 

 

 

 そして時を同じくして、聖戦の第二幕は幕を開ける。

 

「はあぁぁぁ!!!」

「――■■■■■■■!!!」

 もはや、言葉にならない言葉を叫びながら、土星天はマリアンナにその戦斧を振るう。

 全身が虫食いのように自らの星辰光に食われ侵食されながら、同時にその星辰光が欠損した肉を代替している。

 眼前の男の正気の在処など、どこにもなかった。

 

 周囲は焔と放射線で塗れ、生き物も木々も全て凄絶に息絶える。

 その男の眼は黄金に軌跡を描きながら、マリアンナを映す。だが――

 

「ああ、見つけた。見つけた、見つけた、見つけたぞ――()()()()()()()オォォォオ!!!」

「……!?」

 突如に爆発する喜悦、絶頂(オーガズム)に達したかと見まごうほどにその顔は歪んでいた。

 往年の宿敵に出会ったかのように、その顔は喜悦に浮かび――

 

「誰の事を、言っているのですか!!」

「何を言っている? その激しい輝き、その目――貴様こそはあの()()に外ならぬであろうがァ!!!」

 事ここに至り、自分と相手の認識の齟齬をマリアンナは認識する。

 ……あの男がどういう精神をしているのかは不明であるものの、間違いなく自分をかの英雄であると認定している。

 勝手に()()()()などされても、困るだけではあるもののしかし同時にこの男がこの上なく高揚していることも分かる。

 

 もはや、自分の敵対者の誰もかれもをかの英雄としてしか認識できない。

 ()()()()()()して勝手に英雄認定して一人で盛り上がる、いかれた妄執だとマリアンナは口から溢れる血を拭いながら睨む。

 

 この男が勝手に自分を英雄認定しようが、英雄とどのような過去があろうが、今この進軍を止めなければ文字通り、聖庁は死地と化すだろう。

 

 加えて、明らかにこの男の星辰光は魔星という枠からさえも外れかけていた。

 

 何度も何度もその肉を焔槍が抉っても、そのたびに星辰光が肉の代わりとなる。

 力任せに穿たれる斧の一振り一振りは地形を変え得るだけの力がありながら、しかし致命的なまでにそこには技巧というモノがなかった。

 

 あまりにも直情的で直線的で読みやすく、その間隙を縫って放たれる彼女の槍は彼の肉を何度も何度も刻んだ。

 だがそのたびに放射能光は彼の肉になる。

 

 自分の星辰光は機能している。周囲を焔に巻き込みながらこの男の再生を抑制している。

 だが、それを上回る速度でこの男は肉を補填し続けている――どころか自己への過剰干渉によって自分自身が星辰光となり替わろうとしている。

 彼が最もその星の暴威(地金)を露わにできるのは、本来は言うまでもなく英雄に類する存在だけであり、それが設計上での最大の欠点であることをルシファーは挙げていた。

 だが今の彼には、眼前の()()()()()()()()()()()()()()

 聖教皇国に英雄が居るはずがない、そもそも英雄は既に亡くなっている――そんなことさえ、彼の狂乱は意に介さない。

 誰が相手であろうと全霊をかけて星の暴威を振るえる正真正銘の怪異、それが今の土星天だった。

 

 このまま続けても自明の理として、恐らく自分は負ける。

 しかしそれでもマリアンナの中に撤退の二字はなかった。ここで自分が退くという事の意味を誰よりも理解していたのだから。

 

「今が私の運命が正しく履行される時だというのなら、本望です」

 今この瞬間でさえ、彼女が全身に纏う焔は放射能光の侵食を排斥しきれていない。比類ない集束性を持ちながらも、徐々にその肉体は毒光の侵略を受けている。

 己の焔で焼かれる方が、毒光を浴びるよりもはるかに延命できるという皮肉な状況だが、たとえここで肉灰と成り果てようとも、彼女は退かない。

 

 胴を十字に断とうが、それでさえも土星天は止まらない。

 

「勝利の果実は貴様を選ばん、故腐り落ちろ――侵略星辰(インベイション)渾沌虚空洞(ネガティブイラプト)!!!」

 戦斧が大地に叩きつけられると、その瞬間に蜘蛛の巣のように毒光が拡散する。

 土すら沸騰しながら、毒光の奔流が迫る。

 

 

「これで、私が止まるとでも?」

 マリアンナもその槍に焔を纏う。極限まで研ぎ澄ませ集束させた炎を放つ。

 一息の元、横薙ぎに払われた焔の奔流は毒光を真っ向から叩き伏せ、土星天の総身を焼き尽くすが――それでさえもやはり止まらない。

 

 星辰光と肉体の境界すら曖昧になり、今やその存在が()()()()にさえ達しようとしている。

 

 その維持性故に、ついには眼前の男は活動する星辰光としての不死性すら獲得した。

 その進化はウェルギリウスの設計を遥かに超えたモノであり、ルシファーでさえ呆れと共に驚愕を齎したモノだった。

 

「諦めません。罪無き人々を、師の残した国を護るためにこそ、私は今ここに在るのですから」

 ただそうつぶやき、脳裏に浮かぶ国の子供達の顔やロダンの顔も振り切って、マリアンナは災禍の龍へ槍を掲げ駆け出す。

 

 そして彼女がここまで持ちこたえたからこそ、その輝きは報われる。

 

「――よく言った、鉄血聖女(ロンギヌス)。退くがいい」

 その声と共に、彼女の傍を光のように疾駆する男がいた。

 黒い軍服、手に構えた二刀に纏った紫電――その男は、木星天だった。

 

 雷電と共に、その男は怒れる黄金の輝きを眼光に宿しながら舞い降りる。

 

 駆け抜けるとともにただ一閃、土星天の胴を断つ。

 

「■■■……!!!」

 

 鋭利に、苛烈に、その雷電は傷口すら焼き潰し土星天の骨にまで達し、土星天はついに膝をつく。

 

 

「……木星天、なんのつもりですか」

「――この男は、俺が決着をつけなければならない。退くがいい、お前の手を煩わせることもない」

 かつて、木星天は怒りと共にマリアンナを討った。

 その男はある種改まった――罪悪感すら感じている態度でマリアンナにそう告げている。

 

 木星天の目的は至高天の階の皆殺しであり、その一点においては本来自分は標的になるはずがない存在だった。

 同時に木星天はある程度淑女に対し同情的であり、それを掌中に収めようとしたマリアンナの行為に対してあの時激していただけで道義として考えた場合にむしろ自分にも否があることはそのものはマリアンナは自覚していた。

 だからこそ、この男は真実土星天を討とうとしているのだろうという事も分かった。

 だが――

 

()()()()。土星天を討った後に、貴方も討ちます。木星天」

「……良かろう、承諾した」

 そこで退く事を選べるのならば、今この場にマリアンナはいない。

 己に一太刀を浴びせたマリアンナの技量も、気概も知っているからこそ木星天はそれを拒みはしなかった。

 

 そして――眼前の光景に最も当惑しているのは、土星天だった。

 苦悶の声を上げながら甚大な熱量を躯体に循環させながら男は再起する。

 

 何度も何度も、執念の元にその肉体を駆動させ続ける。

 

「……ヴァルゼライドが二人……? なんだ、なんだという。この光景は――」

 第三者から見れば特に違和のない光景であっても、土星天にとってはそうではなかった。

 眼前にヴァルゼライドと認定したモノが二人いるという矛盾に当惑しながら――しかし次の瞬間には嗤っていた。

 

「まぁ、いい。どのような術かは知らんが貴様らを葬ればいいのであろう――!!!」

 彼の狂気が導き出した答えは実に単純だった。

 眼前の二人を滅ぼせばそれでいい、一刻も早く妄執から解放されたいとでも言うかのように土星の龍は咆哮する。

 慟哭にも似た絶叫に、心のどこかで哀れさをマリアンナは感じた。

 死を振りまく龍(テュポーン)、その絶叫は今はこの世にいない何者かに対してのそれだった。

 

「合わせろ、聖女」

「言われるまでもありません、落暉(ポースポロス)

 戦端を切り開くのは、木星天の極光斬撃だった。

 放たれる極光剣を戦斧で土星天が凌げば、その頭上からマリアンナは狙いを定め、槍に纏った炎を叩きつける。

 

 土星天の片腕が吹き飛び――その次の瞬間には、その腕もまた星辰光によって編まれ再構築されていた。

 

「斬っても死なん、か。ならば」

()()()()()()()()()だけのことでしょう」

 木星天もマリアンナも、今この場で導き出した答えは同一だった。

 

 紙一重で戦斧の一撃をかわしながら、二人は立ち回る。

 

 瞬時に再生するというのなら、それよりも早く肉を削り落とせばいいとばかりに、マリアンナの星もより激しく燃え上る。

 その気炎を代弁するかのように、次第にその炎は周囲を巻き込みながら激しさを増していく。

 

 木星天の再生もまた、彼女の焔によって鈍る。

 だが同時に土星天もまた吠え猛ける。今この場に英雄がいるのならば、それを滅ぼすのが己の運命であると天に叫びながら斧を握るその腕を軋らせる。

 

「輝く者よ悉く滅びよ――天墜・蛇龍転生(コラプトバース・ウロボロス)!!!」

 その瞬間にテュポーンの躯体は大きく肥大化した。

 その丈は三メートル、十メートルと膨れ上がる。

 

 光の巨人、そうとしか言いようのない光景だった。遠近感さえ狂いそうになりながら、建物ほどの巨躯となった土星天に立ち向かう。

 土星天のいう器でさえももはや彼の星辰光の鞘になどならなかった、横溢した毒光がヒトガタを成しながらその拳を緩慢に、しかし確かな重みをともなって振り下ろされる。

 

 

放射熱傷・焦熱毒光(ラディエイション・バーン)――撒き死ねぃ!!!」

 その拳が着弾した大地は小規模な核爆発を起こしながらめくれ上がる。甚大な砂礫をまき散らしながらも、土星天は嘆きに導かれるままに狂乱する。

 

 間一髪のところでマリアンナも木星天もその一撃はかわし切るが、その災禍の規模はもはや他のどの至高天の階と比してさえ、並ぶ者はいなくなっていた。

 端的に述べて、至高天を除けば今最強と呼べる至高天の眷属神は土星天であるとさえ言ってもよかった。

 だが――

 

「もはや化外か。だが――」

「勝つだけです。聖庁には、絶対に辿り着かせません」

 木星天にとっても、マリアンナにとってもそれは何の意味もない話だった。

 敵がどれだけ強いか、と言う事をハナから彼らは問題としていない。戦うからには、勝つ以外にはあり得ない――例え己が犠牲になろうと。

 

 その一点において、確かに皮肉にもマリアンナは英雄たる資質の一部は持っていたと言えるだろう。

  

 咆哮と共に振り下ろされる左の拳をマリアンナの槍が突き破り、次いで呻きながら放った土星天の右拳を木星天が一刀の下に断つ。

 

 両腕を断たれた土星天に、示し合わせたわけでもなくほぼ同時に踏み込み木星天とマリアンナは駆け出す。

 

「ああ、早く、早く早く早く早く早く――死ンでクれ、ヴぁルぜラいド――おおぉあああああ!!!」

 

 一筋の光となり、マリアンナがその光体の真芯を捕らえ貫けば、円形にくり貫かれる。

 

 その深奥に土星天の神核――神星鉄が心臓のように脈動していた。生物のように毒々しくも、狂ったように鼓動を重ねるそれを木星天は見逃さなかった。

 

「なるほど。それがお前の核たるモノか」

 煌めく二刀に蓄電(チャージ)された怒り(エネルギー)が、刀身に灯りながらソレをめがけて極光撃が放たれ神鉄に迫る。

 無尽蔵の星辰を生み出す核、それを討たない限り恐らく土星天の進軍は止まらない。

 

 彼方に輝くその一撃が、土星の龍に今こそ落暉の審判を下す。

 迫る荷電粒子の波濤を前にして、尚もその慟哭にも似た叫びはこだまする。

 

 

 邪悪なる龍は討たれ、ここに妄念は終焉する。……そう、土星天の妄執に()()()と言うモノが存在すればの話だが。

 

 神鉄にその一撃が迫る瞬間に、ひときわに激しい咆哮が天を震わせる。その瞬間に核爆発が起きる。

 

 鮮烈なる輝きと共に炸裂する毒光が周囲一面を吹き飛ばし、極光斬撃をも覆し押し流した。

 まるで隕石の衝突とも見まごうかのような光景に、マリアンナも木星天も、初めてその顔に驚愕を宿した。

 

 ――龍、或いは蛇。

 肉の器から解き放たれた土星天の躯体は腫瘍のように膨れ上がり――全長五十メートルを超すであろう巨躯へと成り果て――そして人の形すら捨て龍のような姿となっていた。

 

「……、こんな出鱈目……!」

「英雄を討ちたいがために、そこまで人を捨てたか土星天」

 

 その一鱗一鱗が猛毒の星辰光で編まれた文字通りの摩天震龍(テュポーン)

 天を摩する猛毒の龍、その眼光が睨む先ははるか後方――皇都。

 小賢しい足止めなどもはや何も意味など成さない。その顎を開けば、全身が加速器の如くに莫大極まる熱量を送り出す。

 

「一切息絶え絶滅せよ――冥光・禍之柱神(イクスレイ・テュポーン)!!!」

 

 ひとしきり、その顎を天に向け――鉄槌のようにその極光の吐息(ドラゴンブレス)を振り下ろした。

 



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残光落日 / Lightning

オフィーリアがマリアンナに残したモノってなんだったの? っていうのと、一回閃奏を載せたポースポロスの一撃を受けた事がこの話につながってきます。


 英雄に敗れた俺は失意の中で、流離った。

 

 国も富も、民も何もかもを、英雄に奪われた。

 いくつかの国を流離って、そしてやがて知らぬうちに帝国アドラーの土を踏んだ。

 

 かつて、俺の国であった領土と民はアドラーのモノとなっていた。

 

 

 見知らぬ広場に俺は気が付いたら立っていた。そこには子と母がいた。

 かつて、俺の国に住んでいた者たちだった。

 

 

 彼女達は、笑っていた。俺の治世と変わらないその笑顔を、今帝国の治世で彼らは浮かべていた。

 

 ……柔らかな笑顔。俺の心を安らがせた、その笑顔が帝国に在る――英雄によって奪われた。

 

 

 

 気が付いた時。俺の足元には物言わぬ屍が二つあった。

 血の海があった。

 

 俺が護りたかったモノを、俺が摺りつぶした時、俺は堕天した。

 

 そうして俺は帝国を逃げ――皇国へと流れ着いた。

 

 絶え間なく蝕む、絶滅光の後遺症が正気を削り取っていく。やせ衰えた皮と骨に残るモノは英雄への妄執のみ。

 俺が、俺でなくなっていく。

 

 その最果てに俺は魔女と邂逅した。

 

 

「貴方の狂奔こそ土星の名を冠するに相応しい。英雄の敵対者(テュポーン)にして、堕天にさえ伍する土星の龍(サタン)

 

 

 

「いいえ。だれがさせると思いますか――!!」

 マリアンナは即断する。全霊を翔けてその焔を以って飛翔し、龍体の喉元を目掛けてその槍を突き立てる。

 

 もはや土星天の星辰光は確かに肉としての密度さえ有している。

 尽絶な、熱量を散らしながら、彼女の槍は彼女の叫びに応える。もはや今この場において、彼女の肉体は人智の限界を逸していた。

 

 内臓のいくつかは機能喪失に陥り、加えて次第に毒光の影響が回り出している。

 それでもなお繰り出される彼女の星辰がついに、龍体の顎をわずかに逸らす。

 

 龍の吐息はわずかに聖教皇国から軌道が逸れ、遠く彼方の海へと着弾し水のクレーターを創り上げる。

 

 痛みに悶えるように土星天の龍体は躯体を捩らせ、空に何度か光の吐息を吐き散らす。

 龍体の背に木星天とマリアンナは飛び乗れば、龍体を斬り裂きながら競うような速度で頭頂部まで一気に駆け上がる。

 

「断つ――!!」

「斬り伏せる――!!」

 ほぼ同時にその龍体の首が撥ねられ――次の瞬間にはまた、腫瘍にように斬り裂かれた部分からは星辰が漏れだし、さらに躯体が肥大化した。

斬り裂けば斬り裂くほどに、狂奔していく。

 狂奔すれば、さらに星は増幅される。

 唯一弱点があるとすれば神鉄だが、それでさえこの龍体の前では穿つことは困難を極める。

 

 

「ヴァる……ゼ……ライドオォオォオオオ!!!」

 

 もはや、一刻の猶予もない。

 今龍体の吐息の矛先は、ついに彼女を捕らえた。

 

 もう一度放たれたならば次こそは絶体絶命だ。

 夥しい量の血を吐き出しながら、マリアンナはその光輝に臨む。

 

 無謀なる断崖への飛翔、焔を纏いながら彼女は矢となり飛翔する。

 どこまでも、音速を超えて天を目指して。

 

「滅べよ英雄、粒子の塵に還るがいい!!!」

 そうして撃鉄は振り下ろされ、破滅の光芒は再来する。

 海を剣では断てないように、光の洪水は彼女の焔を容易く攫って行く。

 

 彼女の決意を一蹴するようにソレは呆気なく押し流されていく。

 台風や地震を殴りつけることなどできないように――龍に人が抗えないように。それは当然の道理だった。

 

 光に総身を飲まれていく彼女の発動体も、彼女同様に限界を迎えていた。

 ぴしりと、音を立てて槍は砕けようとしていた。

 

 

「……あぁ、これが走馬灯というモノでしたか。これがあの時死ねなかった私の応報、ですか」

 走馬灯のようにソレまでの記憶がながれていく。

 初めて、槍を手にした時の事。村の皆。

 

 それからリチャード、或いは師。エリスとリヒター。

 絶命に至る刹那に、最後に浮かんだのは。

 

 

「……そう、でしたねロダン。ここで死ねば、泣き虫な貴方は泣いてしまいますね」

 少しだけ、苦笑いする。

 

 切れ切れになる声を振り絞りながら、限界を迎える自分の槍をさらに光の渦中へと押し込んだ。

 体の感覚さえ絶えそうになる光の中で、踏み出した。

 

 いつか、私が聖女ではなくなる時が私の救いになると言われた。

 

 ……今なら師の言葉が分かる、きっと今こそその時なのだと。

 

 砕けていく槍はしかし、星辰を喪失させはしなかった。

 槍の総身が砕けるその刹那、その中に黄金の輝きを放つ新たな槍を彼女は握っていた。

 

 ……砕けていくその槍は単なる本命を隠匿するための外装であり、彼女の握ったその一振りこそ本命だった。

 それこそ、オフィーリアの協力によって生まれた()()()()対人造惑星用兵装だった。

 

 

 同時に彼女が()()()()()()()()()()()()が、開いていく。鎧の隙間からうっすらと血と黄金の輝きが漏れる。

 

 彼女の肉体は限界を超えて今こそ再起する。

 閃奏によって刻み付けられた傷が輝いたその瞬間に、全ての契約は完了した。

 

 

 彼女のその傷からひび割れるように、ぴしりと音を立てて彼女の死は覆された。

 

 ガラスの割れるような音と共に、彼女は焔と――そして天霆を纏い龍の吐息を貫いていく。

 その光景に刮目したのは、木星天だった。

 

 

 この瞬間、間違いなく彼女は第三世代人造惑星の域に達していた。

 それを成立させたのは一重に、過去に閃奏と接続された木星天の一撃を受けていた事。その傷口に残った星辰反応を逆解析し、()()()()()()()()()()()()事は一重にオフィーリアの手腕でもあった。

 

 傷に臨した彼女は、さらにその死に近づく試みをした。

 逆解析された星辰情報を元にした神鉄の組み込み改修。

 改修された発動体との感応による閃奏との対話。

 

 その総てを彼女は乗り越えて、()()()()()()()()()()()()奇跡を完遂した。

 

『――一言、狂気よグランドベル卿。確かに理論上は不可能なことではない。そして、何より困ったことに――閃奏は本来皇国民には最も縁遠い特異点であるにもかかわらず、恐らく貴女は眷属としては神奏を除けば()()()()()()()()()()

『それでも、必要です。私の何を犠牲にしても至高天の階は討たなければならない』

 彼女の発動体もまた、それに合わせる形で改造を施された。

 発動体に神星鉄を組み込むことによる高位次元との接続、極限まで高められた出力――そして最後に、閃奏の眷属に()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが今ここに、槍に走る雷霆と共に結実する。

 

『……理論は私が保証する。でも、使った結果の安否までは保証できない。それでも貴女はやるのね』

『はい。迷惑を掛けます、オフィーリア副長官。……それでも私はこの国を、この国に生きる人々を護るために戦いたいのです』

 逡巡はあった。

 本来これは、()()()()()()()()となるはずのモノだった。

 だが、土星天はここで止めなければならない。こんなモノを放置しては恐らく聖教皇国は破滅する。

 

『いと高き御身に願い奉る――ただこの一度だけでいい。私の命を代償としてもいい。だから、どうか私に星を授けてください』

『――』

 けれど、選択に後悔はなかった。

 例え、自分の何を犠牲にしても止めなければならなかったから。

 

『落暉が、迷惑をかけた』

『はい』

『――往け。討つべき邪悪が定まっているのならば』

『――はい』

 猛毒と絶滅の光芒に中に、一筋光が走る。

 彼女の瞳が黄金色の軌跡を描く。決意の輝きを宿して、眼前の光の海を映す。

 

 

 

『もう、苦しまないで。誰も、最初から貴女を責めてなんかいないのマリアンナ』

『いつまでも、こんな場所に還ろうとしないで。まだ、マリアンナにはやることがあるんだから』

『だから往って、マリアンナ。今をどうか生きて。貴女はもう十分苦しんだ。だから、自分を許してあげて』

 たとえ脳裏に聞こえたそれが、末期が生み出した幼いころの走馬灯だとしても。

 

「えぇ。ありがとう、みんな。少しだけ、そちらに行くのが遅れる事をどうか許してください。師よ――そして、お母さん、お父さん。行ってきます」

 家の玄関から出るような穏やかさで宙を踏み出し、槍をただ一閃する。

 

 

亜晃創星(Stratosphere)――彼岸に捧ぐ聖性喪失、(Divine Logos)灰より出でしは天への導(Rhongomyniad)!!!」

 

 

 その光の一閃は土星天の総身を貫いた。

 

 どこまでも、どこまでも、果てなくその輝きは貫いていく。

 成層圏も大気圏も突き破って。

 

 この日、聖教皇国の全ての人々は蒼穹に一筋の星を見た。

 それは神なる詩篇に謳われる、天に架けられた火焔の階段のように。

 

 

―――

 

 

 空からマリアンナは堕ちていく。

 星も、何もかもが喪失していく。

 体が冷えていく。閃奏を振るうその代償を感じた。

 

 

 

「……師よ。私は、この国を護ることが出来ましたか?」

 少しだけ、空に手を翳して虚空に問う。答えが返ってくることなど期待していなかった。  

 瞬間的で、甚大な星辰体感応の代償は、何より彼女が一番よく感じていた。

 

 もう、自分の体に星が通わない――()()()()()()()()()()()()()事も。

 もとより彼女は帝国民ではない。故に閃奏との貸し借りは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()一度きりの奇跡だった。

 因果律の破壊、超極小時間中での集束性の天元突破――そしてそれは恐らく彼女の生涯で一度しか用いることができず、今彼女は()()()()()()()()()()()()()()()

 あまりにも彼女が捧げるモノにあまりにも見合っていないからこそ許された、ただ一度だけの神槍だった。

 

 

「……護ったとも、聖女。お前は間違いなく決着をつけた。……ここから先は、俺の決着だ」

 その体を木星天が抱き留め、慈しむように、ゆっくりと下した。

 

 

 そして、眼前に残った男を睨む。

 天の覆うほどの巨躯を誇っていた土星天の肉は全て蒸発し、神鉄も微塵に砕かれていた。それでもなお、執念だけが辛うじてヒトガタとして彼をこの世にとどめていた。

 

 

「――ヴァルゼライドおぉぉぉぉ!!!」

「――俺を視ろ、摩天震龍」

 ただ一撃、木星天は自らの全霊を載せて土星天の顔面を殴りつけた。

 

「ごァ……!?」

「後一度しか言わん、俺を視ろ。土星天!!」

 二刀を収め、拳でもう二度殴りつける。

 彗星の如く降り注ぐ二打目にもんどりうって倒れ伏す土星天は、焼けただれた土を握りしめながらその顔を上げ再起しようとする。

 

 だが彼の顔は次の瞬間には、困惑に変わっていた。

 

「……き、さま。ヴァる、ぜらい、ど? いいや、違ウ。……否、そこノ女も、違……ウ?」

「聖女も俺も、ずっとそう言っている。……目を見開け、土星天。今なら貴様の眼に真実が映っているはずだ」

 第三者から見れば特に困惑に値する光景ではなかったはずであり――そして今木星天の眼前には、ただ真実のみが広がっていた。

 

「……そうか。これは――全ては、魔女の盤面か」

「そうだ。……お前の矜持も、妄執も、総てを奪ったのは全て魔女と堕天だ」

 ただ、冷厳と事実を告げる。

 今の土星天はその言葉を解す知能を取り戻していた。その胸にもう、光は灯らない。

 

「……ふふ、ふははは。そうか。俺は――、道化であったのか。俺も、お前も」

 顔に手を覆い、そして土星天は声も笑うくつくつと笑う。

 それはやり切れない、哀しみからか。正気を取り戻したが故か。

 

 

「……俺と英雄は、何が違った。アレは壊すことしかできん者だ。俺と同じ裁き、殺し、壊すことしかできん破綻者――そういうモノだったはずだ。なぜだ、なぜアレの治世で、俺の民は笑う事が出来た?」

 そして、よれよれと、老人のように。

 あるいは救いを求めるかのように、物乞いかのように、彼は木星天へと駆け寄る。

 

「あの男が、俺から全てを奪った。国も、民も――そして、その笑顔さえも!!!」

「……」

 泣訴にも似た、あまりにも哀切の窮まる絶叫。

 

「ボロクズ同然の俺が放浪しながら帝国の土を踏みしめた時、かつての俺の国の民は笑顔だった。あぁ、その時、気づいていたら。気づいたときには――俺の足元に、死体が転がっていたよ」

「……」

「その時の哀しみが、怒りが、絶望が、貴様に分かるかァ!!!」

 その時、土星天の狂気は彼の正気を凌駕したのだろう。

 だが、木星天は以前のように知るかと切り捨てはしなかった。

 

 

「思い出せ。お前は何を奪われたことに激怒した。それはお前の手にした身分か、人か? それとも富か? ……違うだろう。お前の怒りの根源はなんだ。」

「――そ、れは」

 頭の裡で、ちりつく思念。嗚咽にも似た、喉の奥がちりつく感覚。その中に確かにあった。

 戦いの中に生きてきた彼が真に安息を得たのは、いつだったか。

 

 それは、何という事もない平穏を生きる人々の笑顔を見たときではなかったか。

 それは、暴力以外を知らなかった彼が初めて知った平穏の象徴ではなかったのか。

 

 答えは、彼の頬に流れる一筋の涙が告げていた。

 

「あぁ――そうだ。民の笑顔は、俺が初めて掴んだモノだった。それは、初めて知る暖かさだった」

「――」

「だから、やめてくれ。国も、富も、何もかもを捧げてもいい。かつての俺の民を恨む気ももとよりない。だから俺から、()()()()()()――俺の、大事なモノを取っていくな英雄!!!」

 その狂奔の真髄に在るのは、決して邪悪なモノではなかった。

 鉄火の熱しか知らなかった男が手にした、柔らかな熱。

 

 恐らく壊し、殺し、裁く事しかできない者、という点において、英雄とこの男は――そして木星天も同じだったろう。

 そして、性質の違いこそあれ己が国を生きる者を愛した事もまた然り。

 

 

「恐らくは、お前は英雄と変わらん、その愛故にお前は堕ちた。だが、命を無くしては笑顔も何もあった者ではない。お前が居なければかつての民たちは、お前が好きだった笑顔を繋ぐことさえできなかった――違うか?」

「――」

「確かに、お前は英雄に奪われたろう。民に幸せを齎すことも、お前以外にできる者がいただろう。だがな――その民が健やかに生きられるように命を繋げ、落命の雨から護る傘となることは英雄ではなく、他ならぬお前だけにしかできなかったはずだ」

 そう断じるとともに、木星天は左腕の骨を鳴らし雷鳴を纏いながらその鳩尾を殴りつけた。

 苦痛を訴えながら、胸を抑え込み土星天は後ずさる。

 

 

 それでもなお、立ちあがる。何のために戦っているかさえ、今の彼には判然としていない。

 けれどその叫びにもう、慟哭はなかった。

 強き者が、いずれ弱者が羽ばたくその時まで守る事――それを自分は確かに実践していた。そのことを彼は思い出した。

 

 

「貴様がまだ立ち上がれるというのなら、己が名を言ってみろ。魔女の生贄でも、歪んだ輪廻の虜囚でもない、己が真実を」

「あぁ――あぁ……!!」

 その時、一筋の輝きが土星天の瞳に宿る。

 だがそれは決して、狂気を意味するものではなかった。

 もはや核を砕かれた彼には幾何も命数は残されていない――人として挑み、そして人として死ぬ唯一の機会を木星天は与えたのだと、土星天は理解した。

 

 刃の毀れた斧を握りしめ、全霊をかけて踏み出す。

 

 

「我が名はエイリーク――聞くがいい、そして畏れるがいい、誰でもなき者よ――恐斧王(フィアオクス)、エイリークなり!!!」

 

 

 

 

 木星天の一刀と共に、土星天の命は絶たれた。

 

 肉体の収斂は解れ、星辰体に還っていく。

 元より彼の全身は肉の八割を喪失していた以上。文字通り跡形も残らず霧散していく。

 

「……これが、結末か。これで解放される。ありが……とう」

 憎悪と、妄執からの解放。

 英雄への執着からの解放。

 今度こそ、この世界から彼は還っていく。

 

 

「さらばだ――そしてお前に誓おう。堕天と魔女は、必ず討つと」

 新西暦に空に、一人の王は星と成って還っていく。

 彼の星は、最初から何もなかったかのように掻き消えていく。

 

 

 もう、まるでこの地上に妄執など残していないとでも言うように。




彼岸に捧ぐ聖性喪失、(Divine Logos)灰より出でしは天への導(Rhongomyniad)
AVERAGE: B
発動値DRIVE: A
集束性:EX
拡散性:A
操縦性:C
付属性:D
維持性:D
干渉性:E
特異点接続能力・閃奏接続型
特異点との接続時でのみ使用できる星辰光。この発動形態を彼女は亜晃(ストラトスフィア)と呼ぶ。
閃奏との接続による瞬間的な集束性の天元突破による因果律崩壊、及び使用者の星辰光の集束性の極限増幅機能。
本来であればこれは木星天に対し用いる兵装であり、木星天を特異点接続まで追い込んだ上での因果律突破を同じく因果律突破をぶつけることにより相殺し、死に至らしめる事が本来の想定された用途であった。
マリアンナは特例でこそはあったが、本来聖教皇国に住む人間にとって閃奏は容易に接続を許す特異点ではない。
極晃奏者には非ざる身による限定的な極晃行使の代償は非常に深く、稼働時間も極めて短い。
極晃を魔星ならざるその身で受け容れたが故にマリアンナ・グランドベルは星辰奏者の資格を永久に喪失することとなった。
本来、マリアンナが最もその適正を示すのは他ならぬ師の極晃である神奏であるが、その精神性と生い立ち故に閃奏、次いで次点において滅奏に適正を示す。
彼女は、師の予言を完遂した。聖女である事を失ってでも、彼女はこの国を護りぬいたのだ。



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星屑たち、その残照 /Cielo del sole

 初めから、いずれ辿るだろう末路は分かっていた。

 分かっていてなお、狂わなければ俺は俺である事さえできなかったのだろう。

 

「貴方には知り得ないことであろうけれど、私は英雄をこの地上に再び降ろすことができる。……そしてそれは私の計画のためには必要な事。――時が来れば貴方には分かるわ、恐斧王。貴方の妄執を貴方自身の手で破壊する舞台を私が整えましょう」

 魔女の言葉の意味を半分も俺は理解が出来ていなかった。

 毒光の後遺症はもはや全身に達していた。舌を動かそうとしても、身動きを取ろうとしても、思考しようとすることでさえも、筆舌に尽くしがたい苦痛を招く。

 

 もはや俺が誰なのかさえ、俺は分からなくなっていた。

 残ったモノは英雄に対する妄執のみ――それだけがただ、俺を生かし続けていた。

 

 耐えられない、限界だ、殺してくれ。思考さえ許されないにもかかわらず、意識が継続する事さえ俺にはもう耐えられないのだから。

 待てない、終末を迎えさせてくれ――俺の執着を誰か終わらせてくれ。

 それはひどい矛盾であり、執着の終焉を願っていながら、その執着だけが俺を死なせてくれなかった。

 

 病床に俺は繋がれている。いつ繋がれているかなど決して知り得はしない。

 

 恐斧王――誰だそれは

 エイリーク――誰だそれは。

 オウカ、ウェルギリウス、素体に相応しいのは――誰だ、それは。

 

 耳にかすかに聞こえる、医者どもの言葉など何も分からない。俺が誰なのかさえ、俺には分からなかった。

 

 

 そして俺は、再び目を覚ます。

 土星の龍――天霆の敵対者として。

 

 あの男の輝きは確かに、英雄のソレだった。

 

 

 ……俺は、果たして何に執着していたのだろう。

 英雄は確かに俺の国を奪った。

 

 だが民をあの男は決していたずらに損なおうとはしなかった。

 そして、俺の国の民らは確かにその命を繋げていた。

 

 ……クリストファー・ヴァルゼライドが認められなかったのではない。英雄に落ち度があったわけでもない。

 民らの笑顔を永遠に俺の手に留めておきたかったための、醜い妄執だった。この世に永遠などありえないのだと理解していながら、俺は俺の治世の終焉を――そして英雄の治世に受け継がれることを受け容れられなかったのだ。

 

「……俺は終わった命だった。終わった者は、終わらなかった命を勝者に託すべきだった。……なんだ、それは敗者の道理だろう」

 そうだ、勝者に己が臣民を託す。それは聞こえこそはいいが、言い訳の余地など微塵もなく敗者の理論だった。

 その終わりを受け容れられなかったから俺は化外となったのだ。

 

 そして木星天と言うあの男の言葉で俺は、俺の終焉を認めることができた。

 民に慈悲を施すことは俺以外の何者かにできたとしても、その民を護り続けてきたことは決して消えぬ俺の足跡であり、英雄ではなく他ならぬ俺にしかできないことであった。

 

 人一人で完結する永遠などありえない。継承されていく輝きこそ真に不滅なのだから。

 

 光に還り地獄に落ちる刹那に、俺は生涯でただ一度初めて安息を迎えた。

 

「……認めよう、さらばだ英雄俺の負けだ。――もし死後があったならば、俺は地獄に行こう。あの母と子を殺した罪は、俺が贖わなければならないのだから」

 

 

 

「そう、木星天。勝ったんだ」

 少しだけ、ため息をつく。

 あぁ、どこまでも予想通りだと。

 

 番狂わせがあったとすれば、皇国の空に上ったあの光は恐らく木星天のモノではないという事だろう。

 聖教皇国の者、だろう。にわかには信じがたいし、そのためにどれだけの代償を支払ったのかは計り知れないがそれでも土星天を討ち破るという難行を成し遂げた者がいるという事実は確かにある。

 

 彼は土星天と決着をつけ違ってたがっていたはずだ。それは完遂できたのかは、私には分からない。

 

 

『……好きに生きて好きに死ね、だがお前に誓おう。絶対なる死の排斥、楽園の建設――その願いは俺が叶えてやる』

 私は死のない世界を求めた。

 それがかなわなければ、せめて自分の手の及ぶ世界の人々だけでも死んでほしくなかったというだけだった。

  

 

「ケネス? ねぇ、起きてよ。ケネス。どうして、答えてくれないの?」

 私はかつての亡き友に――ケネス・ブライトにそう誓った。

 

 私の家はとびぬけて裕福なわけではなかった。

 医者の一家として生を受けた私は、生まれながらにして人の死と身近だった。

 よく、医者であった父と母を私は手伝った。

 

 患者と顔を合わせることはよくあった。その過程で患者の人達と仲良くなることもあれば、死に分かれる事もあった。

 エオスライト家の優しい娘さん。博学で慈悲深い子。そんな風に私は言われてたと思う。

 

 けれど、いつも私は人が死ぬときに言い知れぬ怒りを覚えていた。

 

 また間に合わなかった――それはあるだろう。

 私がもっと知識を着けられていれば――それもあるだろう。

 けれど何よりも、私は死に対して憤激していた。

 

 怒りの矛先を自覚したのは、私が一五の時だった。

 

 死は当然の現象であり、そして人はだれしもが免れない。

 それは当然の事であり、旧暦から今に残る医学書ではその機構は概ねほぼすべて解明されていた。

 けれど、私はそんな当たり前を許せなかった。

 

 ある人は残された家族への遺言を私に託して亡くなった。

 ある人は私に手を握っていてほしいと言って亡くなった。

 

 ……ケネス。私の友人であった人は、最後にありがとう、と言って亡くなった。

 

 

 私は、彼に何もできなかった。

 そんな有様だった私に、彼はなぜありがとうと言ったのだろう。その答えが、今でも私には分からない。

 無力な私には、そんなことを言われる資格なんてなかった。

 

 この地上から死を消し去りたい、そんな底なしに馬鹿げた愚かな願いを抱えたジュリエット・エオスライトという人物は聖教皇国の医療部門を任されるほどにまで成長した。

 

 その愚かさは、知識を得るための熱量に変換された。

 寝る事さえ厭い、旧暦と新西暦の学術書を読みふけった。

 

 聖教皇国始まって以来の天才だと、私の事を皆はそう呼んだ。

 医学の発展のために、などという輝かしい目的意識など私は特に持っていなかった。死と病の根絶が私の目的だった。

 

 そのために必要なモノは全て学んだ。けれど私はその願いを達成することはできなかった。

 

 ほどなくして、ある地において私は従軍医として付いていくことになった。

 その地は古都プラーガといい、当時私がそこに派遣されたのは激戦の予兆が考えられたためとされている。

 

 

 

 そこで、私は地獄を見た。

 

 多くの人々が犠牲になっていく。そこには悪も善もなかった。

 

 傷を縫合し、血を拭って、やがては敵も味方も関係なく私は手当をし続けた。

 どうか死なないでと祈るように何度も、何度も、血を拭った。

 

 もはや気の触れた光景としか言いようがなかった。

 人倫冒涜の極致たる機兵たち、審判者、邪竜――そして太陽神。

 

 恐らく私にとって神々の黄昏と呼ぶに値する光景があったとしたら、あの時だったと思っている。

 そして私は信じている。遍く死神を焔で焼き尽くした地平にこそ真に楽園は下りてくるのだと。

 

 魔女は私の肩を叩く。貴女を求めていたのだと。

 木星天は何も私の予想を裏切りはしなかった。結局アレはそうなる――いずれ、戦わなければならなくなる。

 

 恐らく木星天は至高天にすら勝ち得るかもしれない。

 常識として考えて、数値評価で言えば木星天は至高天には及ばない。けれどそれでも彼はきっと数値の地平を踏破する。

 

 たとえ一時でも、監視も兼ねた彼の主治医であった私には分かる。

 どれほどに絶望的な状況であろうと彼には根本的に諦めるという人間が標準的に搭載しているであろう選択肢が欠如している。

 アレこそは諦めを知らない落暉暁光(ポースポロス)太陽神(ヘリオス)のような怪物。

 

 こんなことで、楽園の創造を決して邪魔はさせない。

 彼が堕天を討つと言うのなら、私は全霊を賭して彼を殺そう。

 彼の宿痾を私は治したかった事、それもまた私の偽らざる想いだ。それを成せなかったのが今だから、せめてそのけじめは私がつけよう。

 

 天動する第四(太陽天)の守護星に誓って、鋼の恒星(ほむら)を掲げ彼を討つ。それが私の成すべきことだから。

 

 

 

「……ん? なんだ、ロダンとエリスか」

「なんだ、じゃないだろ馬鹿座長」

「ご挨拶だな、もう少しこう。傷病者にかける言葉は選べないのかお前達は」

 息絶え絶えの様子で、胸に傷を負った状態でユダは自分の稽古場に横たわっていた。

 俺達がユダ座に来る頃には、ユダは血まみれの状態で舞台に突っ伏していた。

 死にかけではあったが、確かに火星天の言う通り急所は避けられていたようだった。

 ……急げば間に合う奴がいる、とだけ火星天は言っていた。そして今ここには半死半生のユダがいる。にわかに信じがたい気分になるが、その筋書きに概ねは察しがついた

 

「……ユダ。火星天、という男は知っているか?」

「あぁ、知っている。つい先刻、襲われたからな」

「――つまり、お前は至高天の階か?」

「今となっては隠す意味も無いだろうが、そういうことになる。……隠して済まなかったな」

 ……当面の手当として有効かはさておき、いったんは止血させユダを横にさせた。

 実際火星天がユダを襲うとしたら、ユダが魔星である事ぐらいしか行動に合理性が見いだせない。恐らく火星天は無軌道に意味もなく死人を量産するような人物ではないだろう。

 こんな身近に魔星がいたのだと、ある種俺自身最も面喰ってはいるのだが。

 

 

「……火星天め。恐らく、俺に手加減したんだろう。……エリス、ロダン。何か聞きたいこともあるだろう。その概ね総てに大体俺は答えられる」

「……」

 最初に、口火を切ったのはエリスだった。

 

「ユダ様、貴方は私を騙していたのですか? ……ご自身が魔星である事を隠し、私が魔星であること知らないふりをして」

「お前の素性を知っていながら匿った。その一点においては俺はお前を騙していたと言えるだろう。……知っていたさ、お前の事については、堕天と魔女が喋っていたからな」

「……では、なぜ私を素性を知っていながら匿ったのですか?」

「……」

 言っていいモノか、悪いモノかと考えるように、少しだけユダは逡巡していた。

 

 

「……エリス。初めて俺と出会った事は覚えているだろう。あの時、お前はその舞を見せたい人がいると言っていた」 

「……はい」

「恩着せがましい言い方になるが、お前の願いを俺は叶えてやりたかった。お前がどういう過去を背負っていようが堕天と魔女はお前に安息を許さないだろう。……お前の踊りと歌が俺は好きだった、だから俺はお前に投資したくなった。芸術の徒として、そう思ったからそうしただけだ」

 ……真摯に座長として自分に接してきた過去を、エリスは嘘だと思わなかった。

 何より思いつきで時折どこの客層に受けるのかわからない脚本を書いて赤字を作ったりする享楽的なこの座長が、特に何か裏を考えていそうな人だとはエリスは思えなかったから。

 

「ロダン。お前にも、騙していて悪かった。本当はエリスが魔星である事も知っていたが、お前には敢えて言わなかった」

「……婉曲な表現、ないしは真実の暗喩だったという事にしてやるよ座長。何はともあれ、お前はエリスをずっと陰ながら助けてきたんだろう。だったら至高天の階だからと言って俺が戦う理由もない」

「……ありがとう、二人とも」

「おい、座長。何勝手に一人で満足して目を閉じようとしてるんだ。止血は終わったろう、あの世に行くにはまだ早すぎるぞ」

 ぺちんと、ユダの頬を軽くたたきながら、不服混じりに言う。

 実際、死ぬわけではなかったもののユダは意識が一瞬飛びかけていたのは事実だろう。

 

「……分かった、分かったからせかすなロダン」

「多くは聞かない、詳しいところはその手の専門家に任せればいい。……どういう経緯で魔星になったかなんて、それこそあまり愉快な話じゃないだろう」

「そうだな、それと少なくとも聖戦が終るまでは放っておいてくれると助かる。どこにも行きはしないさ、俺には護らなければならない場所がある。……すべてが終れば、出頭しよう」

 ……ユダがどんな想いで、劇団を立ち上げたのかは俺は思えばあまり知らなかった。

 けれど、この稽古場は恐らく彼にとっての神域だったのだろう。

 

 そこは当然、エリスも立つ。だから暗に、エリスの居場所を護りたいと、そう言っているようにも聞こえた。

 

 

 

 

 一日にして灰に還った聖庁の正門。

 今現状で残されているのは手負いの状態のリヒター。

 それから水星天。エリスとロダン。

 

 ルシファーとの決戦で崩落した聖庁の装甲監獄は、今は寒々しくその孔の底を覗かせているのみだ。

 

 対魔星の方針について主導してきたのは、主にオフィーリアと第一軍団によるモノが大きい。

 それゆえに今は情報も指揮も錯綜している有様だった。

 

「……酷いものですね、ロダン様。一日にしてこのようになるなど」

「まったくだ。最悪にもほどがある」

 これだけの激戦があったにもかかわらず、公的な施設における被害が奇跡的に聖庁に終始している。

 それは僥倖だというほかが無い。

 事態の推移は一刻の予断さえ許しはしない。

 

 だがざり、と正門から音が聞こえてくる。首を回せば、そこには――グランドベル卿と、グランドベル卿に肩を貸しながら歩く木星天がいた。

 

「……久しいな、詩人と淑女。そして水星天」

「木星天……」

 グランドベル卿の傍らに木星天が居る事。その理由は分かっていない。

 けれど恐らく、木星天は決してグランドベル卿と相争っていたわけではないのだろうとは察しはついた。

 

 

 

「私を殺しにでも来ましたか、木星天」

「水星天、貴様もまた必ず殺す。だが今ではない」

「いまではなくとも、いつか殺すのなら変わらないでしょうに」

 刺々しく水星天もまた、木星天に糾す。

 至高天ほどではないにしろ、水星天の中では最優先で警戒する対象でもあった。

 だが今は少なくとも一触即発というわけではない点においては水星天とエリスは安堵していたという。

 

「……木星天、グランドベル卿とお前は何をしていた」

「至高天の階、その一柱を倒した。……聖女は己の全てを対価にして土星天を討った。今はまだ、目を覚ません。……診てやるといい」

 言って木星天は腰に差した二刀を地面に突き刺し、それからマリアンナを担ぎロダンへと引き渡した。

 すぅすぅと寝息を立てている彼女の姿は、これまで見たことが無いほどに安らかだった。

 

 そうして、木星天は聖庁を去ろうとする。

 

「どこへ行くつもりだ、木星天」

「……至高天を討つ、それで総ては決着する」

「……その体で、何が出来る。――お前達風に言うなら、お前の体は既に耐用限界に限りなく近づいている」

 たとえ痛苦をその顔に映していなくても、木星天はの肉体は土星天との決戦においてその毒光の後遺症を残している。

 

「俺が休む刹那に悪魔はこの地上を何の裁きを受けることもなく闊歩する」

「……お前には、お前の無茶を止める誰かはいないのかよ」

「――いたとして、それで止まるようなら俺は俺の礎となった者達に悪魔の打倒を誓いはしない」

 少しだけ、木星天は逡巡した。

 心当たりは一人だけいたが、すぐに掻き消えた。

 彼の燃料とは即ち怒りであり、彼という存在を代弁するモノもまた怒りだった。

 その怒りの最大にして唯一の矛先は至高天に他ならなかった。

 

「打倒するのはいいとして、ルシファーの消息の手掛かりがないだろう」

「……否、あるとも」

 木星天はそう、返した。

 そこで、エリスの傍らの水星天もまた、なるほどと相槌を打つ。

 木星天の言葉が理解できる自分自身のが癪だとでも言いたげな態度だ。

 

 

「――聖教皇国地下第二五六区画。魔女の居城にして工房です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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悪魔の塔、星の愚者 / Despair

短ければ多分後7話、長ければ10話ぐらいで完結すると思います
多分次回は投稿遅れます。


 焔の中に、その巨神はいた。

 人の形をした型に太陽を流し込んだようなような者だった。

 

 勇壮に進撃し、降りかかる悲劇を一刀の下に断ち、涙の雨を焼き尽くす絶対至高の太陽神。

 

 力無き者はその姿に聖性と嫌悪を覚えただろう。

 忌み嘆く者はその姿に忌避と憎悪を覚えただろう。

 輝き焦がれる者はその姿に憧憬と歓喜を覚えただろう。

 

 感想とは所詮、ヒトがある事物事象に対しそのヒトの感性体系と理論体系で感じるモノであり、禁じることは誰一人にとて出来はしない。

 感想とは、自由なものなのだ。

 

 

 ――であればこそ、怒れる者(太陽天)がその姿に親近感を覚えることは、必然だったろう。

 

 

 

 場所は移り、今は秘跡省のかつての神祖オウカの居室に彼らは一堂に会していた。

 面子は木星天、水星天、ロダン、エリス。

 それらだけだった。

 

 居室のソファに、マリアンナは今はその体を横たえ、休眠している。

 リヒターは手当を施すために場所を移された。

 

「……本当に聖教皇国の地下に奴らはいると考えていいのか?」

「堕天と魔女の工房、そこで至高天の階達は生まれた。概ね、奴らが腰を落ち着けるとすればそこ以外は無い。聖戦の開幕と共に至高天の階同士は、ある程度その星光反応から距離の感覚や方角は感じ取れる」

 窓際で、腕を組みながら木星天はそう答える。

 ……考えれば考えるほど、英雄そっくりの顔の男が聖教皇国の中枢で腕を組みながら立っているという光景は異なものだと思う。

 

「ウェルギリウスとルシファーが、何より貴方に敵意を向けられているのにそこに留まり続けるとなぜ言えますか」

「堕天と魔女の行動を思い出せ。アレは少なくとも聖戦の開幕以後は事と次第が露見する事をどうとも考えていない。そうでなければ魔星を放し飼いになどせん。何より、俺を設計しようとはしない」

「……彼らの動機としても、身を隠すことはそれほど重要ではない、ということですね」

「栽培者が自身の栽培物の様子を見るのに身を庇う必要がないのと同等だろう」

 むしろ、攻め込んでくることを彼らは望んでいるのだろうとエリスは思う。

 彼らに思考を巡らせることが、どうしようもなく忌々しい過去を思い出させてしまう。

 

「……木星天、頼みがある。俺達を、その地下の区画まで連れて行ってくれ」

「……」

 ひとしきり、木星天はロダンとエリス――それから水星天を見る。

 

 

「水星天ならともかく、行けば、恐らく詩人と淑女は死ぬ」

「覚悟の上だ」

「お前達の憤激は俺には分かる。だがお前達が死んで悲しむ者はいるか。……俺が堕天を討ち、至高天の眷星達を討つ――以って魔女の盤面は終焉する。それを是と出来ぬのなら、止めはせん」

「……」

 それは、と言いかけて言葉にロダンは詰まった。

 少なくとも、ロダンとエリスには自分が死んで悲しむ人間の心当たりはあったからだ。

 決して木星天はついてくるな、とは一言として言っていない。だがその上で死地に赴く覚悟を問うている。

 

 

「私は御姉様に従いますが?」

「お前は黙っていろ、これは淑女の問題だ水星天」

「貴女の方針は聞いていません、水星天」

 木星天とエリスはそう、息の合った返答を返した。

 木星天は済まなかったと目を閉じて、エリスは居心地の悪さを感じていた。

 

 皮肉だが、この重苦しい雰囲気を水星天はある程度緩和していた。

 

 

「……夜には発つ。考えが纏まったなら此処に来い、それまでは答えを待とう」

 

 

 

「……ん、ロ、ダン?」

「あぁ、俺だよ。グランドベル卿」

 次に、私が目を開けた時に視界に映っていたのはロダンだった。

 手が温かい、彼に握られている。

 

「……ロダン。私は、生きていますか? この光景は、現実ですか?」

「あぁ。……現実だよ、グランドベル卿。……貴女は確かに、帰ってきてくれたんだ」

「なら、良かった。私は貴方を悲しませることはなかった」

 心底から、嬉しそうなロダンの顔。

 彼はなんて幸せそうなのだろうと思う。私に、そんな顔をされるだけの価値はないと思っていたのに、そんな彼の心底から幸せそうな顔を私は何より手放しがたいと思った。

 ……私が許せなかったのは、私だった。あの日の焔の中で死ねなかった報いを私は欲していた。

 なのに彼は、まるでこの世これ以上大切なものは無いのだとでも言いたげに、私を案じてくれていた。

 

 

「もう少しだけ、私は生きてみたいと思います。あの村の子達が生きることができなかった明日を、少しでもあの世であの子達に伝えられるように」

「是非、そうしてみてくれ。そうしてくれれば、俺はうれしい」

 もう少し、あちらに逝くのは後になるのだろう。

 私の胸にもう、焔は宿らない。星辰奏者としての私は死んでしまっただろう。

 

「……認めたくはありませんが、私は案外木星天と似ていたのかもしれません。それ故に閃奏を招来できた」

「確かに貴女は本来は光の資質を備えてはいたのだろう。けれど、その熱量は悲劇(てき)以上に何より貴女自身に向かっていた。だから、貴女は例えるのであれば光――ではなく焔。そう言うべきなのだろう。自分の骨肉を燃やしながら闇を晴らす灯だった」

 光、ではなく焔。言い得て妙であったと思う。

 思えば他者にとって、私はどう映っていたのかはあまり気にしたことが無かった。

 ……私が閃奏に賭けたのは自分の性質を何より自覚していたからでもあった。

 何かが異なればまだだ、と叫んでただ戦い続けるそんな人間に私はなっていたのかもしれない。

 

「ロダン。……貴方は、堕天と魔女の下へ行くのですか?」

「……聞いていたのか、グランドベル卿」

「えぇ。盗み聞きをするつもりはありませんでした」

 彼は、木星天の言葉に答えを返せはしなかった。

 

 

「……ロダン。貴方は私に死なないでほしいと言い、そして私は貴方に目の前に帰ってきました。私が貴方に死なないでほしいという願いは不当ですか?」

「……」

「そこで即答できない事こそ、貴方らしいともいえるでしょう。今こうして問答している間にも、貴方はこの場でのもっともらしい解答を考えている。違いますか?」

 苦々しい色がその顔にはありありと浮かんでいた。

 どこまでも表情が読みやすい人だと思う。

 

「敢えて、困らせる事を言いました。けれど私に対して貴方がそうであったように、貴方の喪失を恐れる人がいる事を忘れないでください」

「グランドベル卿も、その内の一人か」

「……それをわざわざ私の口から言わせる必要があるでしょうか」

 ……彼について、私はよく気を砕いていたと思う。

 彼を憐れんだから、というのは無論あるだろうし、彼が騎士として有望だからという事もある。

 けれど今私が彼に向ける感情を私は何と例えれば良いのだろう。

 今、私は彼について考えるとき、少しだけ心臓が温かく感じる気がした。だからこそ、今は私は彼が行ってほしくないと思っている。

 

「……もう私は星辰奏者ではなくなりました、ロダン」

「あぁ。木星天から聞いてる」

「ですから私にはもう貴方を止める力はありませんし、貴方の決断を尊重します。……貴方に私は決して多くは望みません。だからどうか、生きて帰る事を誓って頂けますか?」

 言葉だからこそ、彼には武力よりも響くだろう。けれど結局言葉は言葉で、彼の選択を止める物理的な力は宿らない。

 本当は止めたいと願っている私がいる。それが正しいし、最善は木星天が至高天と相打ちとなる事だ。

 

 彼はエリスの本体たる銀月天と面識があり、同時に彼女の仇を取りたいと考えている。

 今でも神祖を憎んでいる私が、復讐をするなとは決して言う事は出来なかったから。

 

「……誓おう、グランドベル卿。貴女は約束を護った。俺が護らない道理はない」

「言い忘れていました。それから、エリスも護って帰ってきてください。……彼女に、私は話したいことや詫びたい事が、たくさんあります」

「承知したよ、エリスにもそう伝えよう」

「それからロダン。……一つだけ、今ここで冗談を言っていいですか?」

 彼は、いいよと首肯する。

 だから少しだけ、私はその言葉に甘えようと思う 

 

「……もし、何事もなく全てが終った時。その時は――そうですね、私の秘書になりませんか?」

 いつか彼に言った、冗談だった。

 少しだけ、今は本気だ。

 それから彼は少しだけ苦笑いの混じった迷った顔をして、答えてくれた。

 

「それは、その時に考えよう。魅力的だがエリスが拗ねる」

 

 

 

「……水星天」

「はい、なんでしょう神聖詩人」

 ……水星天は、特に興味もなさげに聖庁の外を眺めているばかりだった。 

 相も変わらず、少し調子が狂う。エリスと同じ顔をしているだけに、どうともやり辛い。

 根本的にこちらに特に興味がないのだろう、乾いた抑揚で応じる。

 

「俺は、堕天を討ちたい。エリスもそう望んでいる。そしてエリスを巻き込むことになるだろう」

「そうですね、こればかりは御姉様も愚かだと思います。木星天共々堕天が死ぬことがこの場における最善でしょう」

「でも、お前はエリスを護るんだろう」

「当たり前でしょう。私は御姉様を愛しています。愛する者を護ることと、愛する者が愚かである事は、何ら関係のない事でしょう?」

 水星天の性根は測りかねるところが大きい。

 今のところは、味方と捉えるべきなのだろう。

 

「……じゃあその愛する御姉様の付き人はどう思っている?」

「御姉様の付属物に特別の価値はないでしょう。それどころかさっさと死んでその立ち位置を私に寄こしてくだされば何よりなのですが」

「……エリスを大事に想っている一点においては、同じはずだと思ったんだがな」

「えぇ、そして貴方が死ねば御姉様は悲しむでしょうね。大変まことに不本意ですが、私が貴方に与する理由はその一点のみです」

 ……エリス、その存在がある限りは俺は水星天と目的を一つと出来る。

 薄氷の契約のようなものだが、それでも敵対するよりはましだ。

 

「神聖詩人。貴方が堕天と魔女と戦う理由は何ですか」

「……あの子から――或いは火星天からヒトである事を、ヒトとしての死を奪ったからだ」

「……でしょうね。そのように答えると思っていました」

 堕天と敵対する理由。

 要するに、水星天はそこまで命を賭ける動機は何かと聞いている。

 

「そして、だからこそ俺はルシファーとウェルギリウスを知らなければならない。恐らくルシファーもその起源となった人間がいる。……そいつが何を考えて、なぜ魔女に与しているのか。魔女が何を見ていたのか、それを知らなければならない」

「知って、どうするというのです。情状酌量の余地があれば赦すと?」

「別にそのつもりはないよ。……ただ、もう副長官は亡くなったが、それでも彼女を魔女ではなく人として裁くとエリスは副長官と約束したらしい」

「それもいいでしょうし、好きにするといいでしょう。私は貴方の方針には心底として興味がありません。せいぜい、御姉様を悲しませない決断をしてください」

 始めから言われるまでもない話だ。

 それから少しだけ、外に出る。

 故オウカ氏の居室、その外にはエリスが佇んでいた。

 

 

「エリス」

「はい、なんでしょう。ロダン様」

 エリスは少しだけ、曖昧な笑みをしている。

 今もなお、俺とのつながりを彼女は戻せていない。それを気に病んでいるのだろう。

 

「……ロダン様。私は、ロダン様の力になりたいと考えています。けれど今はそれを、成せません。……私は、私のあの姿を恐ろしいと思いました」

「……」

「ロダン様も連座となるところだった。あの光景をもう一度、繰り返しかねないと思った時私は、何もできなかったのです」

 心因性、と一言でいう事は簡単だろう。

 けれど問題の根が深い。エリスは良くも悪くも純粋で、そして何より引きずりやすい。

 俺がそれについてどうとも思っていない事を告げたとしても、彼女自身が彼女を許せないのだろう。

 

「私はどうしようもなく今、ロダン様に執着しています。……火星天の事も、マリアンナ様の事も、貴方は私とは違う方向性での理解者となった。……率直に打ち明けると、私は少しだけ疎外感を感じてしまうのです。……面倒な女だと、笑ってください」

「今更だな。……別に、面倒な女なのは最初から知ってる」

 少し、エリスはきょとんとした顔をしている。

 俺の言葉がそれほどに意外だったのか、当惑しているようだった。

 

「面倒ごとを持ち込んできて、俺の足を踏み、姉さんを騙し、野郎にさえ嫉妬するような奴を面倒じゃないと誰が思う?」

「……確かに客観的に見て、言い逃れの余地なく面倒な女だと思います」

「そんな自他ともに認める面倒な女を、俺以外の誰が付き合いきれると思う? そもそも、お前と極晃を描いたのは誰だ?」

「……ロダン様です」

「そうだろう、その通りだ。だからエリスが心配することなんか何もない。……ルシファーとウェルギリウスが事態の根源だ。あいつらを討てば総てが丸く収まるとは限らないが、それでも聖教皇国に迫った危機は終わるだろう。……その後でいくらでもエリスに付き合ってやるさ。だから気に病むな」

 少しだけ、エリスの表情は晴れた。

 その笑顔でいいし、その笑顔がいいと思う。

 

 

「討とう、ルシファーとウェルギリウスを」

「えぇ、私達のために」

 

 

「決断は、決まったか」

「あぁ」

 木星天は、そう俺に問う。

 太陽は沈み、もう夜を回ろうとしていた。エリスと、俺、そして木星天が一堂に会していた。

 

「よく悩み、考えた末の判断と見た」

「そう解釈してくれると助かる」

 事態は刻一刻と進展を遂げていく、恐らく残された時間はそう多くはないだろう。

 

「事態は一刻を争う。もはや皇国の指揮を待つべきではない――少し離れろ、往くぞ」

 ただ、そう言って木星天は、居合を放つ。

 幾筋かの剣閃が部屋の床を走ると、そのまま床は陥没して崩落した。

 

 

 その空洞を覗き込むと、手で「こちらに来い」と木星天は合図をしていた。

 

「……行こう、エリス。水星天」

「えぇ、行きましょうか」

 そのまま地下に一直線。

 着地すれば見渡す限りの果ての無い闇一色。こんな世界が聖教皇国を住む者たちのすぐ足の下にあったのかと思うと現実味がわかなかった。

 

 理路整然と柱が一定の間隔で並びながら、地下空間の天蓋を支えている。

 なるほど、と感心せずにはいられない。確かにここは何かを隠すのならうってつけだ。

 

 話でしか聞いていないが、神祖の国家建設の過程で生まれたモノだという。

 

 

「概ねの方角は分かる。……いや違う、敢えて知らせている。恐らく堕天と魔女もこちらの動きは既に察知している」

「……大体、分かる。かすかに遠くから、星を使ってる気配がある」

「来い、とでも言っているのだろうよ。アレは収穫とやらを待ちきれんらしい」

 忌々しい。

 ただその一点において、俺達の意志は一致していただろう。

 

 ルシファーの座標――悪魔の工房(コキュートス)に、俺達は一気に駆け抜けた。

 

 

 風景は一気に残像を描き、無明の地下空間を駆けていく。

 どこまでも、果てもなく。

 

 怒りと共に早鐘を打つ心臓を少しだけ、風が冷却してくれる。

 

 

 そしてこの地下空間の果てに、隔壁が見えた。

 増改築を繰り返したようなつぎはぎだらけの構造物だが、ソコだけが明らかに周囲の空間から切り取られたかのような異様さを持っていた。

 

 木星天と、俺の剣はその隔壁を切り抜き打ち破った。

 

 崩れていく瓦礫の中に――視線は交錯する。

 

 

「待っていたし待ちくたびれていた。よく来た、詩人。木星天」

「えぇ、ずっと。私は貴方達を待っていた」

 ルシファーとウェルギリウスは、そこにいた。

 

 

「剣――か。ならば俺は公正を重んじよう」

 

 

 ルシファーはその両手を虚空に翳すと、輝く結晶がやがて剣となり、両手に双剣が握られていた。

 

 右手の剣で俺の剣を、左手の剣で木星天の剣を受けると、それを同時に押し返した。

 

 

 

 ついに、魔女の中枢、そこに俺達は辿り着いた。

 そこにはただ、ルシファーとウェルギリウスが坐しているのみだった。

 

 

「苦しみ悶えて死ね、堕天。天国(ヒカリ)煉獄(きょうかい)も、地獄(ヤミ)にすらももはや貴様の安息はないと知れ」

「いい殺意だ、木星天。俺が求める熱量に達している」

 極限の赫怒をその身に浴びながら、尚もルシファーは笑っている。

 

 そして、声すら残さず木星天はその二刀を翻しルシファーに踏み込んだ。

 光を思わせる神速の踏み込みは――しかし次の瞬間には俺達の眼前には目を突き刺すような鋭い閃光と共に、焔が広がった。

 

 赤色、青色――などではない。

 晴天の太陽を目前にした時、その色を何色だと問われれば辛うじて白としか答えられないほどにその熱量は常軌を逸していた。

 

 視界から光が晴れたその先に、天井から降りるように一人の女性がいた。

 俺には、面識などまるでないが至高天の階、その一人であることは明らかであり――同時に、木星天の顔に初めて困惑が刻まれていた。

 

 

「……驚いた、その躯体はもうとっくの昔に限界を迎えてるはずでしょうに。えぇ、貴方達は初めましてになるけれど――ポースポロス。貴方は久しぶり、かしら。私の名前はジュリエット・エオスライト――それともこう言ったほうがいいかしら。太陽天(ソル)、と」

「……なぜ、お前がここにいる」

 静かに、しかしその吐息に怒気が宿る。

 木星天は間違いなく、今この場で誰よりも激している。

 

 

「ジュリエット、なぜだとは問わん。――魔女、貴様らは超えてはならない一線を超えたな」

「人聞きが悪いわね、木星天。何を勘違いしているのかは知らないけれど元から彼女は至高天の階だし、私達の協力者よ。彼女は望んで私達に手を貸した――まぁ、身分を隠して貴方の手当をしたのは彼女の職業病でしょう、責めないで上げるといいわ」

 ……今この太陽天という女は堕天と魔女に与している。それだけが明然たる事実だった。

 文脈から察するに、恐らくこの眼前のジュリエットという女性は人であった頃の木星天の知己なのだろうか。

 

「私が魔星で驚いた? 別に私は驚いてないよポースポロス。貴方がここまで生き延びてくるのも、ルシファーとの決戦で幕を引こうとしている事も、総て私は()()()()()()もの」

「……お前が魔女を討つ障害となるのなら、是非はない」

 困惑も一瞬で、次の瞬間には何の変わりもない憤怒と殺意が、紫電となって刀身を走っていた。

 

 

 だが、驚愕はその一つだけではない。

 

「死になさい――ウェルギリウスウウゥゥゥ!!!」

 ルシファーとウェルギリウスの背後から、襲い掛かる一人の魔星がいた。

 どす黒い、瘴気のようなモノを纏いながら、それは全霊で星を叩きつける。

 その声に俺は、よく聞き覚えがあった。

 

 

「――目覚めたか、恒星天(ステラート)

「えぇ、()()()()()()()()ね、ルシファー」

 何事もないように、その襲撃の余波をルシファーたちは背に生じた羽のような光る構造物で防いだ。

 恒星天――その星の担い手に、今度は俺達が驚愕する番だった。

 

 

「嘘……、でしょう。そんな――ウェルギリウス、まさか貴女は……!!」

 エリスもまた、青ざめた顔をして恒星天――ハル姉さんを見つめていた。

 黒い天衣を纏い、緋色の眼光を宿している。綺麗だったその黒髪は、まるでエリスのソレを連想させるかのように、銀色に染まっていた。

 それから、少しだけ俺達に微笑む。もう、その瞳からは正気が喪失していたことは明らかだった。

 

「あぁ、エリスさんとロダンじゃない。……ちょうどよかった、ねぇロダン。一緒にウェルギリウスとルシファーを、殺そうよ。エリスさんも、もう戦わなくていいの。だから安心してロダンの事、()()()()?」

 その笑みが、あまりにもちぐはぐで寒気と怖気が走った。

 べっとりと張り付いた笑顔、その下に渦巻くモノが絶対零度の憎悪である事が分かってしまったから。

 

 

「どうしてだよ、姉さん――なんで、姉さんが魔星になってんだよ!?」

 

 




■■■■■■■■■、顕現するは太陽天
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:AA
操縦性:AA
付属性:A
維持性:B
干渉性:AAA
太陽天。
その輝きは、天昇せし鋼の恒星が如く。


■■■■■■■■■、顕現するは恒星天
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AA
集束性:D
拡散性:AAA
操縦性:A
付属性:C
維持性:E
干渉性:AA
恒星天。
その嘆きは、万象呑み込む空虚が如く。




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天昇せよ、我が守護星 / Eoslight

 俺達の眼前にあったのは、間違いなくハル姉さんだった。

 その綺麗な顔も、何もかもがそっくりで、それなのに髪は月を映した白になり、黒い天衣を纏っている。

 

 姉さんの胸には、紫紺の輝きを放つモノがあった。

 

 

 

「……ウェルギリウス。お前は、ハル姉さんに何をした」

「別に、何も。ただ少しだけ外科的手術をして、彼女の望みを叶えてあげただけよ」

「――」

 俺の心の中に、冷たいモノを感じた。

 恐らく今までで初めて、俺は殺意に限りなく近い感情を人に抱いたかもしれない。

 

 

「……殺してあげる、ウェルギリウス。父さんと母さんの報いを受けて死んでよ」

「できるのなら、是非そうして欲しいわ。その方がルシファーも喜ぶもの」

 今でさえ、発狂しそうなほどに俺は怒りを覚えている。

 直後に振るわれる姉さんの星――なのだろう、虚空が縮退していきながらルシファーを呑み込もうとするが――それを太陽天が阻む。

 

 直後に放たれる極大の光炎が、それを押し退ける。

 

「……余計なことを、太陽天」

「好きに生きて、好きに死ねと言ったのは貴方でしょうに。至高天」

 ルシファーの壁となるように、飽くまでも太陽天は立ちはだかる。

 太陽天に対し、ハル姉さんは忌々しいモノを見るような目でその手を翳す。

 

 

「そう、誰かは知らないけど死にたいの。ウェルギリウスとルシファーを殺す邪魔をするなら、貴方も同じ墓に入れてあげる」

「できるものならやってみるといいと思うけど、紛い物の月天女(アルテミス)

 ……姉さんは明らかに何かがおかしかった。

 これほど、攻撃性を強く示すような人ではなかったはずだ。……俺が例え姉さんを見誤っていたのだとしても。 

 だが。

 

 

「――貴様の相手は俺だ、太陽天。神聖詩人と淑女の因縁に、お前は関係などないだろう」

「……できれば、貴方とは戦いたくなかったけど。これが本当の運命の皮肉って奴なのかな、ポースポロス」

 ざり、と一歩踏み出し、木星天はその刀を構えながら太陽天に問う。

 二人にどういう関係があったかなど、俺には分からない。知り得ようがない。

 けれど太陽天は不思議と納得したような顔で、少しだけ苦笑いを交えながら一切の視線を姉さんから切った。

 

 

「……ちっ」

「姉、さん」

 姉さんは、いら立ち紛れに舌打ちをしながら俺達に視線を戻す。

 その様が俺の知る姉さんとは全く合致しなかった。まだ、姉さんには隠された双子の姉妹がいたと言われた方が理解はできただろう。

 

「詩人、落暉――せいぜい奮闘するがいい。太陽天を討てたならば――俺はお前達と戦おう。審査役はお前に委ねよう、太陽天」 

「私達は、次なる地平で待っている」

 ただ、そうとだけ告げると、ルシファーとウェルギリウスはその背に光の翼を形成し地下の天蓋を破壊する。

 その次の瞬間には、彼らの姿は眼前から消え去っていた。

 

 

「誰が、逃がすとでも――」

「待てよ、姉さん。どこに行くつもりだよ」

 今まさに、姉さんが飛び立とうとするその刹那に俺はそう言葉を投げた。

 姉さんを往かせてはならないという予感がしていた。

 

 

「何を言ってるの、ロダン? あの女とルシファーを、私が殺すのよ? あぁ――それとも私と一緒に、復讐してくれるって言ってるの?」

「違うよ姉さん、往けば必ず姉さんは負ける。アレはエリスでさえも敵わなかった」

「……エリスさん。――エリスさん、エリスさん。口を開けばロダンはそればかりね」

 姉さんの目に浮かんだいたのは怒りだろう。

 けれどなぜ、それを今エリスに向けているのか、それが俺には分からなかった。

 

 

「ねぇ、貴方の友人としてもう一度だけ聞きたいの、エリスさん。ロダンの事、頂戴?」

「……嫌、です。お姉さま。それは断じて、出来ません」

「私達、友達でしょう? どうして拒絶するの?」

 何かが、姉さんはおかしい。

 ウェルギリウスに何をされたのか、そんなことは想像すらできなかった。けれど分かることがあるとすれば恐らく()()()()()()()()()()()()()()から今姉さんはそうなっているのだろう、と言う事だけだった。

 

 

「……私は、お姉さまの友人です。しかし、今の貴女は私が愛したお姉さまでは断じてありません」

「あぁ。……姉さんが何をされたのか、俺に分かるのは魔星にされたことだけ。俺が知っている姉さんは、優しかった」

 だから、今この場でしなければならない事もまた、エリスと俺は分かっていた。

 こんなことのために、剣なんて握りたくはなかった。

 

「……なんのつもり? ロダン、どうして私に剣を向けているの?」

「知れたことだろう。姉さんを止めないと、姉さんはルシファーに挑んでしまう」

「……うふ。あははは!!」

 俺の言葉に姉さんは少しだけ呆れた顔して、それから嘲笑するように声を上げた。

 

 

「あの女が、私に何をしたか――私の何を奪ったか知ってる? 知らないよね、知ってるはずがないよね? だって私もあの女に聞かされて初めて知ったもの。……私の父さんと母さんは事故死じゃなくて、あの女の手によって殺されたって」

「……、そんな事が」

「だから、私はあの女を殺すの。何もかもを踏みにじって、生まれた事を後悔させてあげるの。ねぇロダン。人道に背いてることは分かっているわ。でもロダン、私、そんなおかしなこと言ってる?」

 ハル姉さんの両親には何度か俺は世話になったことがあった。

 いつもよろしくされるのは俺だったのに、そのたびにハル姉さんを宜しく頼むと言われてた。だから、そんなあの人たちの死にウェルギリウスが関わっている事に対して、俺は憎悪を抱かない事はできなかった。

 ……まして当事者である姉さんであればそれは尚の事だろう。

 

 賢者面して「その気持ちが分かる」、等とは俺は決して口が裂けても言えなかった。哀しみが分かるのは、姉さん自身だからだ。

 

 だからこそ今姉さんが纏う黒の天衣と、その銀月を映した髪の色の由来が分かってしまう。

 なぜなら銀月の黒も、闇黒の黒も、その染料は踏みにじられた者の哀しみと憎悪なのだから。

 

「……お姉さま」

「何? エリスさん?」

「私の事が、貴女は憎いのですか?」

 ……エリスは、そう告げた。

 姉さんがエリスに時折向けるその視線の正体を、エリスもまた知りたがっていたから。

 少しだけ、姉さんは息を吸う。それから、告げる。

 

「――えぇ、大嫌い。私からロダンを奪っておいて、何食わぬ顔で一緒に居て、私の知らないところにロダンを連れ去ってしまおうとする。そんな貴方が私は――とても。とても大嫌いだった。この雌兎(めすうさぎ)――貴女なんか、屋敷に上げるんじゃなかった」

「……そう、ですか」

 傷ついた顔をするエリス。

 けれど姉さんは、冷たい顔のままで何も慮りはしなかった。

 

「それが姉さんの本音か」

「……私が愛したお姉様ではありませんなんて、エリスさんはよく言えたものね。私の事をろくに知りもしないくせに」

 ……今なら、姉さんの執着するモノは分かる気がした。

 姉さんはまだ、あの頃から()()()進めてなどいない。マシューさんとナオさんを失ったあの日から、まだ姉さんは何も。

 自惚れではないとしたら、あの時姉さんが頼れる人間は俺しかいなかった。

 身よりの無くなってしまった姉さんにとって、自分の血筋に群がる人々は嫌と言うほどに見てきたはずだ。

 

 ……それほどに、姉さんにとっては()()()いなかった。だからこそ、エリスの存在をどうとらえているかなど今この場に至っては明らかだったろう。

 詩人を攫う淑女、或いは淑女と共に往く私人。いかに言葉を見繕おうと俺は姉さんから遠ざかっていこうとしている。

 

 

「……では、お姉さま。今から一つだけ約束していただけますか? ……私達が負ければ私はロダン様を差し出しましょう。そして、私達が勝ったならどうか私とロダン様を認めていただけますか?」

「……二言が無いのなら、受けるわエリスさん。貴女からロダンを取り戻して、私はロダンと一緒にいるの。そして一緒に、あの女に復讐するの」

 エリスはそんな約束を、姉さんとする。

 けれど別にそれに対して俺は異存はなかった。……どのみち、今ここで姉さんを止めなければ姉さんは魔星のまま暴走するだろう。

 ルシファーに挑み――当然のように敗北するだろう。

 

 だから止めなければならない。それが、ハル姉さんの弟である俺の義務だと思うから。

 

 

 

「詩人、太陽天は俺が討つ。……恒星天(そちら)の因縁は詩人と淑女(おまえたち)で清算しろ」

「……恩に着る、木星天」

「礼はいい――往くぞ」

 木星天は太陽天と――そして俺達は恒星天と向き合う。

 

 ……因縁の清算は、今ここで果たされなければならない。

 

 

「さぁ、木星天。始めましょうか、絶滅神話(ティタノマキア)の再現――私達の聖戦を」

「否――これは聖戦ではない、所詮どこまで往こうが愚か者の内輪の私闘でしかなかろうよ」

「……あはは、それもたしかにそうね。……看病している間に貴方の寝首をかけばよかったと、今でも後悔しているほどよ」

 それきり、木星天と俺は視線を交えることもなかった。

 二刀が、剣が、或いは光が、闇が構えられる。

 

 その一秒後に、地下の天蓋は諸共に消し飛んだ。

 

 

「天昇せよ、我が守護星――鋼の恒星を掲げるがため」

 遥か彼方に捧ぐ、光輝の祝詞が紡がれる。

 ……それは、明らかに至高天の階から逸脱していた。

 それは、太陽天に搭載する神鉄の核の設計そのものが神星を参考にしていたためという事もあるのだろう。

 

「ここは光の星、第四の天体。諸天よ諸人よ見るがいい、天駆の系譜が光輝を運ぶ。永劫不変の黄道の運行に天動の神秘は宿る。なれば汝旅人、太陽へ翔け、墜落を超えて星の彼方を臨むがいい」

 ここに、かつて地上から失われたはずの神火は甦る。

 炎熱()の象徴の不死なのだから。

 濃縮される熱量はもはや、人間のそれを遥かに逸脱していた。出力――ただその一点のみにおいて問うならば、極晃にさえ肉薄しかねないほどになっていった。

 

「邪悪なる者、その墜落の一切をその輝きを以って我が担おう。天翔ける高き者よ、万象焼き尽くす秩序の太陽神よ、我が手に焔を遣わした給え。汝、真に賢者ならば超えるがいい。炎熱()の象徴とは不死なれば、此処に神火は甦る――遍く悪徳を焼き尽くせ、暁天極光(エオスライト)

 

「超新星――天光新生、火はまた灯る。(Cielo del sole)顕現するは太陽天(Heosphorus)

 その手を翳した瞬間に、またしても純粋な爆発現象が起こる。

 

 

 単純にして甚大なる熱量、超高出力を資本とした六資質の単純投射は苛烈に苛烈を重ねていた。

 もはや熱量にして、一つの村を滅ぼし得るほどに。

 甚大極まる爆圧の中を、ポースポロスは輝剣で切り開き生存圏を開拓しながら突き進む。

 

 

「――核融合、か。だが……」

()()()()()()()かな、ポースポロス。貴方ならまぁ分かって当然ではあるんでしょうけれども」

 一切の接近戦を許さない、極大恒星の雨あられ。

 単純な星の暴力だが、その由来がポースポロスには分からなかった。

 

 集束性においてはこちらに部があろうと、それ以外の部分に関しては伯仲しているかそれ以上だった。

 破壊を突き詰めた、兵器としての極限の万能性。そんなものは見れば分かるだけの視覚的事実にすぎなかった。

 

 明らかに、人智を逸した熱量。

 人類史上でそれを生み出すに足る現象とはまさしく神星の御業に外ならなかった。。

 

 

数式装填(フュージョン)――集束拡散・範囲定義、維持・期限設定、操縦・干渉開始。――放て、数理の焔。質量消滅・熱量解放(マター・デストラクション)!!!」

 今度は、加減などなかった。

 焔の只中をひた走るポースポロスの四方を囲むように極大の火球が取り囲む。

 次いで次の瞬間には爆散する。

 

 もはや、ポースポロスに勝ち目等ない――だが、それは数字の上ではそうであるだけの話だった。

 

 爆光の晴れたその風景にその姿はなく。

 

 

「――まだだ!!」

 間違いなく、葬った。その手ごたえがありながら次の瞬間には太陽天の足元から、閃電を帯びた二刀が突き出る。

 次いで、地面を蜘蛛の巣のように割りながら、木星天が無傷で現れた。

 

「狂ってる。炸裂の瞬間に、地面を切り抜き潜行し、私の足元を目掛けて一気に切り抜いて――!」

「邪竜の真似事も、存外役に立つらしい」

 殺戮業火の只中を駆け抜け、今この眼前でポースポロスはその二刀を太陽天へと走らせる。

 今度は致命の間合いに引きずり込まれたのは太陽天の方だった。

 

 判断に十分な時間さえあれば精密に焔を操縦して遠ざけることができる。だが、今ここで放てば彼女諸共無事では済まないだろう。

 

 だが――

 

「えぇ、こんなところで私は終わらない。――まだだ!!!」

 自分の片腕を捨てるという判断を彼女は迷うことなく下した。

 ポースポロスの刀身の切っ先に火球が生じると、彼女の片腕共々にポースポロスは焔に飲まれた。

 

 だがその星の炸裂の刹那に、その一刀を手放し脚がちぎれかねないほどの全速力でポースポロスは退いた。

 

 ざりざりと、残る一刀を杖にしながら再度刀を構える。

 

「核融合という()()ではなく、よりその原理の根幹――()()()()()()()()()()()()()能力。それがお前の星だろう、ジュリエット・エオスライト」

「……」

 その沈黙は肯定に等しかった。

 ……神星のソレにしても、原理は質量欠損と等価となる熱量の解放だ。

 故に彼女のその六資質の全ては、その原理の根幹を再現する事に費やされている。

 干渉性を基軸としての質量の完全抹消――それに伴うエネルギー解放の精密制御。それらを一挙に制御するには少なくとも、相当数の資質が必要なる

 だからそれだけの突出した総合値がありながら、彼女の星は応用性や特殊性というモノを欠いている。

 

「……極晃がそうではないかの違いを除けば、私の方が理論にも理論値にも限りなく肉薄しているはず。なのに現象という無駄を挟んでいるはずなのにアレだけの熱量を生産できるなんて、やはり天奏はおかしいわね。まったく正気を疑いたくなる」

 

 神星のように核融合という現象を経ず、直接質量を熱量に変換する神域の御業――故に太陽天。

 質量抹消・熱量解放能力――彼女の齎す恒星現象を定義するとすれば、そのような能力となる。

 

 

 

 そして今、彼女が成した事は何だっただろう。

 彼女は、だらりと力がこもらず焼け爛れた自分の右腕を見ながら、嘆息している。

 

 普通、自分の腕を捨てるなどと言う行為を常人ができるわけがない。まして、それが戦士ではなく医者であった彼女ならば。

 だが同時に、ポースポロスには納得できる点もあった。

 

「お前は以前こう言っていたな。俺と同じで、止まる事を知らないと」

「そんな昔の事よく覚えてるね。まだだまだだ、て馬鹿みたいに叫んで、それでも人は死に続けて、最後は精神薬だけがお友達になった、って話だっけ」

「……なるほどこういう意味だった、というわけか」

 思えば、幾度か光の資質の片鱗を彼女は覗かせていた。

 木星天を前にして決して物怖じをしなかった事。

 誰よりも死を見続けたが故の極度の死への忌避と拒絶――それはつまり、彼女は「まだだ」と叫び続けながら傷病者を治療し続けたという事だ。

 

 ……彼女の叫ぶソレの根源は、決して歪んだモノではない。

 ()()()()()()――誰よりも死と病を拒絶するが故の、まぎれもない善性から生まれた絶叫だ。

 

 

「……貴方は、もしかしたら本当に至高天に勝つかもしれない」

「無論だ」

「だから、私は貴方を殺す。貴方を殺せば、不確定要素はなくなる。私の楽園建設は――死と病の無い世界は成る。……知ってる、貴方も、()()()()()()()()とでも説教するんでしょう。邪悪な手段で成就する目的に何の価値がある、なんて」

 至高天に勝つかもしれない――否、勝つ。

 恐らく至高天を討ち破るとしたら彼しかいない。

 

 同じ光の資質を持つ者だからこそ、彼女はそう直感した。今ここでこの男は殺さなければならないと。例えかつての患者であったとしても。

 

 無事な腕をかざすと、また爆光が生じる。

 何度も、何度も放つたびに、今度はそれが爆散する前にポースポロスは斬り伏せる。

 

「ジュリエット。お前は――お前の願いは、何も、何一つ、間違って等いない。例え()()()()()()()()()()()()()()()()、俺は保証する。……お前の願いは決して間違いなどではない」

「――、そう。てっきり、賢者面をして諭すのかと思っちゃった。なら、私が今ここでポースポロスを殺したって、なんの問題もないよね?」

「それはお前には出来ん。なぜならば俺は勝つからだ」

 彼女の星は確かに、破壊の一点において間違いなく兵器としての一つの到達点にあった。

 だが、同時にそれは全資質によって精密に制御されてはじめて顕現する数理の焔だ。

 

 少しでも数式の収斂が歪めば、自爆するか霧散するだけの結果に終わるが故に彼女は連発を控えていた。 

 

 その欠点を段々とポースポロスも把握しかけている。

 

「ねぇ、ポースポロス。私の患者さん。貴方は結局、呆れるほど何も治らなかったね。石頭も、仏頂面も――あきらめの悪さも」

「俺の病は不治だと言ったろう。診る患者は選ぶべきだとも、俺は初めに忠告した」

 今度は、あろうことか地中に彼女は照準を合わせ質量を解き放つ。

 床さえ容易にめくれ上がり、瓦礫の山々が築かれながらも次々とポースポロスは飛び移り、或いは斬り抜き乱反射の軌道を描く。

 どこまでも馬鹿げた機動。

 

「――掴んだ、今度こそッ!!」

「否、終わらん」

 

 けれど、今この場においてポースポロスは行動範囲を間違いなく制限されていた。

 その焔が生じるのを見届けた瞬間にポースポロスは全霊を掛けて十数に及ぶ瓦礫の山々を蹴り飛ばし、ジュリエットへと投射した。

 

 咄嗟の迎撃にジュリエットは星をぶつけざるを得ず、必殺を目した策は突破された。

 その様に呆れを浮かべながら、少しだけ自嘲するように笑う。

 

「……私は、手を尽くしてきた。死も病も、あらゆる苦しみをこの世から消し去ろうと、もがいてきた。けれど、最後は大体うまくいかなかった」

「……」

「結局死んだ患者や傷病者は私にこう口々に言ったわ。ありがとうって。……あはは、本当に死んだ奴ってバカしかいないと思わない? それともバカは死んでもなんとやらってことわざがあったかしら。だってそうでしょう――何もできなかった私が感謝される理由なんて何一つも、ないんだから!!!」

 絶叫と共にその星が煌めく。

 自分さえも巻き込みかねないほどの熱量を解放すれば、ポースポロスでさえも退かざるを得なかった。

 

 これは特化型と高次元の万能型の差であるともいえる。

 両者ともに基本的な戦術は単純な六資質の投射になりやすい性質の星であったがために、ここで優劣が射程という形ではっきりと表れている。

 

 このままではポースポロスの敗北は単純な数値評価では秒読みだが、だからこそジュリエットは決して見誤らない。

 絶体絶命()()の窮地で、この男から希望(ヒカリ)は奪えないのだから。

 

 

「――まだだ!!」

 事実、こうして少ない間隙を縫いながらこの男は極光斬撃を肉薄させようとしている。

 攻めるだけであればまだしも、守ることは両者ともにやはり同じく根本的に向いていない。

 

 出力で辛うじて誤魔化せているだけで集束性という土俵ではジュリエットは遅れを取っている結果、ポースポロスが差し込む隙は潰せていないという結果になる。

 

 ジュリエットが圧しているように見えても、少しでも隙を与えたり星の収斂がほころべば、恒星ごとポースポロスの極光斬撃は叩き切ってくる。

 

 だが、小賢しいがこの場では意味を成さないことなど、ジュリエットは理解していた。

 気力気概の勝負――でのバカの土俵で戦うには、同じバカにならなければ勝てないと予感していたから。

 

 だから、二人は叫ぶ。

 例え新西暦が匙を投げようと、己が全霊を焼き尽くそうと。

 

 

 

『まだだ、此処で終わるなど、有り得ない――!!』 

 

 

 

 




天光新生、火はまた灯る。(Cielo del sole)顕現するは太陽天(Heosphorus)
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:AA
操縦性:AA
付属性:A
維持性:B
干渉性:AAA
質量抹消・熱量解放能力。
ガスや液体であれ、その質量のごく一部を完全消失させ、質量欠損に光速の二乗を乗じたエネルギーを解放する能力。
神星のそれと非常に性質は似通っており、核融合という工程を省き質量を単純なエネルギーに変換するという工程を以って地上に恒星を顕現させる。
全方位において隙と呼べるモノの無い六資質のその総ては、質量のエネルギー変換の精密制御のために傾けられている。
同時に、この星を制御するためには尋常ではない脳内の負荷がかかるため、連発の効くような星ではない。
そのため、比類ない万能性を持つ六資質に比して、さほど特殊性や独自性のある星ではない。
他方、殲滅性やその甚大極まる破壊力の制御性、彼女単体で生産し得る総エネルギーという点においては、これに勝る者は極晃奏者を除けば神祖をおいて他にはいないと断言できるだろう。
彼女自身の気質の他、彼女に埋め込まれる神鉄の核は神星の設計データが参考にされている事も、このような形で星が顕現する事となった理由だろう。
太陽はその輝きで地上に恵みを齎す一方で、近づく者を焼き尽くす一面もまた持つものである。
彼女もまた、太陽の慈愛と苛烈を矛盾なく持つ者なのだろう。


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旭は昇り、やがて永き夜は明けて / Sunriser

多分、一番描写に苦慮しつつ一番書くのが楽しかったのはジュリエットとマリアンナだと思ってます。


 私がまだ医師として奔走していたころ、私は難病治療の研究に携わった。

 聖教皇国の医療水準の向上――ひいては旧暦相当のソレへの昇華を目されていたし、私もまたその務めを期待されて任官された。

 

 実際、私にとってこれは適材かつ適所だった。

 そのころに彼女――ウェルギリウス・フィ―ゼと私は知り合った。

 

 若くして比類ない才覚を持ち、神祖オウカの信任篤い才媛だという。

 彼女の才能は多岐にわたり、それゆえに部門を超えて越境的にその意見を求められることもあったという。

 実際、私が皇国に在籍していたころに残したいくつかの医学的成果は彼女の寄与がある。

 

「――罪人や浮浪者を使う人体実験に何か問題でも? ミス・ジュリエット?」

「問題しかないに決まってる。前者については彼らの最期は法と刑によって裁定されている。後者はそも、浮浪者である事そのものには罪がないである以上、それは承服できないに決まってるでしょう」

 彼女はその言動に少なからず倫理観の欠如がある事を除けば、非常に優れた科学者だった。

 それが故に、私は彼女の事はやや苦手意識があった。仕事以上の付き合いなど、まだその時点ではなかった。

 

 特異的な精神性はしているが、それでも卓越した科学者である事以上の感情は彼女にはなかった。

 私がこうしている間にも、病は私の手を待つ人々を蝕んでいく。

 

 けれど、私が見てきた患者たちは「いつになったら治るのか」とは決して一度も私に問わなかった。

 私には結局何もできないと悟っていたのだろうか。それを確認する術はない。

 

 そして彼らは最後に、私に「ありがとう」と言って逝く。

 

 

 諦観であれ、絶望であれ、彼らはとうの昔に死を受け容れている。希望はある、などと私は例え口が裂けようと喋ることはできなかった。

 彼らを看取る時、私の心は屈しそうになる。

 

 原理が分かった、病状が分かった――だから何だと言うのだろう。

 私の残した成果はいずれも、何一つとして難病の治療法を確立した、という文章は含まれていなかった。こんなモノを成果だと称える人間の知性が優れているとは私は思わなかった。

 

 そうして、私はまた患者の一人を看取った。

 何人めかなんて、覚えていない。覚えているのはカルテの上に書かれた名前だけ。

 

 けれど、その人は病床で、私宛てに手紙をつづったという。

 

 

 ――先生、貴女は私が知る誰よりも私に真摯に向き合ってくれたことを知っています。

 ――いつも窓から見える先生の居室が暗くなっているのを見たことがありません

 ――貴女がいつも、夜を徹して研究されていることを知っています。

 ――いつも皆が寝静まった頃に病棟を徘徊しながら病状を心配そうに観察してくれていたことは、多分皆が知っていることだろうと思います。

 ――皆、先生に感謝しているんです。

 ――恐らくこの手紙を先生が読まれている頃には私はこの世にいないでしょう。

 ――本当に、今までありがとうございました。

 

 

 そんな、文章だった。

 その人がどれだけの余力を振り絞ってこの手紙を残したかを想えば、私は胸が潰されそうだった。

 私が何行何文字カルテや論文に文字を書き連ねようが、手紙の一文字一文字の価値になぜ並び得るだろうか。

 

 初めて、私は人前で泣いたと思う。

 私の力が及ばなかったから。

 

 膝から崩れ落ちて、私は泣いた。

 彼らは亡くなった。それは恐らく私にはどうしようもなかった。けれどどうしようもなかったで済ませていいはずがなかった。そんなモノは私の慰めにはならなかった。

 

 

 それから去るように難病治療の研究から手を引いた。以降、私は従軍医という形で医療に携わることとなった。

 さる緩衝地帯において激戦が予想されるとのことだったという。

 

 ブラザーやシスターと私は行動を共にしていた。

 彼らの部下の騎士たちとは私は比較的よく打ち解けていたと思う。私が元々は医療部門の出身であったことが彼らにとってはよほど珍しかったのだろう。

 彼らと一緒に過ごすうちに、私は少しだけ自分の胸の中に仕舞い込んだ妄執を忘れることができた。

 それは、たとえいつか致命的な破局を迎えるモノだったとしても、私にとって楽しかった思い出だと思う。 

 

 そしてやがて超人大戦の渦中に私は身を投じることとなる。

 事態が終局を迎えるころにはもはや、敵味方など関係なかった。ただ死なないでと叫びながら、私は手当し続けた。

 

 痛い、苦しいと叫ぶ声を、私は振り払うことなどできなかった。

 結局私は自分で自分の苦しみを広げるだけだった。見知った顔を結局私は何人も見送った。

 

 そうして私は、太陽の巨神と邂逅した。

 

 

 それは、憤激と共に勇壮に進軍していく。

 あらゆる悲劇を断つために。

 

 不遜かもしれない。けれどその様を見て私は、彼に似ていると思ってしまった。

 彼もまた、どうしようもなく憤激している。何に怒っているのか、その怒りが切り開く地平は――。

 

 

 

 超人大戦は終わり、そして私は医者の身分を辞すことにした。

 医者が医者に精神疾患だと診断された結果がこの様だ。

 結局私は、また何もできないままに終わった。精神薬に頼るようになったのもその頃からだ。

 

 そんな私の下を尋ねてくる人がいた。

 意外と言えば意外で。

 

「――ジュリエット、私は貴方の知啓を欲している。……ちょうど、医療分野はあまり私の専門ではないから、手が欲しかったの」

 そう、彼女は言う。

 傍らに、ルシファーという名の美丈夫を伴って。

 そして彼らは言う。

 

 私の抱き続けた願いを知っていると。

 それを解決するに足る方法論を、自分たちは準備ができるのだと。

 

「ジュリエット・エオスライト。貴女の望みを、私はかなえてあげられる。だからどうか私とルシファーに力を貸してくれるかしら。貴女が見たい世界を、私達は私達の願いの過程で用意ができるのだから」

 だから、私は悪魔と手を取った。

 魔星製造について、死体の取り扱いや心理学についていくつか私は彼女に対し知見を提供し――私もまた魔星となった。

 最短最速で私の願望がかなう、たった一つの方法論を求めて。

 

 

 過熱していく戦況の中で、ただ互いに必殺の距離を測る。

 星を振るう度に更地が増えていき、地形が変わっていく。

 

 ジュリエットに一刀を焼き捨てられ、残るは一刀のみにありながらポースポロスは何一つとして臆していなかった。

 

 

 

「お前と同じか、或いは俺はお前以上に愚かだろう。俺にはただ怒りしかない。……俺の怒りは誰のためにもなりはしない、結局はそうしなければ治まらないからそうしているともいえるだろう」

「何の根源も、過去もない怒り。そんなつまらないモノのために殉じるなんてどうかしてると思わない? 何のために、何に怒っているのか、それが私には分かる。――けどそれは本当に貴方の裡から出た感情?」

 ポースポロスは、その言葉に自嘲するように頷く。

 全くその通りで、だからこそ己は愚かで、返す言葉はないのだと。

 

「……俺はそのように設計された。英雄のうつしみ、光の系譜を継ぐ者として。例えそれが、堕天と魔女によって与えられたモノだとしても。――全く、どうしようもない」

「……本当にどこまでも、どうしようもない人。借り物の怒りで私も、至高天も原動天も討つ? ……本当に救えない人、魔女の盤面から一歩として貴方は出ていない」

 筋書き通りに元凶に憤激し、筋書き通りに魔星として成長している。

 その果てに彼は死ぬ。皮肉で滑稽で、あまりにも救われない。

 

「だからそんな救いがたい者でも――救いがたい者だからこそ、お前は救おうとした。お前の在り方を忘れることは、俺には出来ん」

「――で、()()()()んでしょ? 殺す時には神妙な顔をして、お前は心の中で生きているとか自己弁護して、堕天を討つのに邪魔だから殺すんだ」

 首肯は、ただ無情だった。

 どれだけ経緯を抱こうが結局殺す事しか彼は選べない。どこまでも魔女と堕天の脚本の上で踊るだけの役者だ。

 

「私は絶対に貴方を始末する。……そうすれば、楽園は成る。死神の息絶えた地平が」

「堕天が何を目論み何を以って秩序に挑もうとしているのかは知らん。お前が与するのだ、少なくとも絵空事ではないだろう、方法論については()()()()()()()はつく。お前は堕天が齎す結果に納得した上で、与したのだろう」

「……全て、私は納得してる。これしか、私が縋れる方法はない。……だから私は決断したよ、未来の永遠のために、今の有限(いのち)を私は焼き捨てる。それが人類史上に記録される最後の死になる」

 飽くまでも、どこまでも、ジュリエットの決断は変わらない。

 光のような決意は、確かにポースポロスと同類と言っても差し支えはなかった。

 

 

「永遠が救済になる者もいれば、決してそうではない者もいるだろう。病を根絶するならまだしも、お前は()()()()()()()()()つもりか」

「別に、千年も二千年も生きなさいと言っているわけではないわ。自死の権利だって与えるもの」

「……お前の望む楽園は、自ら死を選ぶ事でしか不死という永遠を終わらせることはできないという事だ。不本意な死、或いは老衰、病が訪れない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はお前の本当に欲しているモノか」

「えぇ、それがあるべき人類の進化よ。人間は自らの意志によってその刻限を決めることができる。これ以上に正しい事も、これ以上に責任のある行為も、決してこの世のどこにもありはしない!!!」

 その言葉は、決して自分に言い聞かせるためだけのものではなかった。

 少なくとも真実の意志があるが故に彼女はその星を駆動させられているのだから。

 

「……ヒトの在り方がそうなれば、次いで訪れるモノは停滞だ。いつでも己の意志で終わらせることができる命は、今そこに在る課題を、或いは目標を先延ばしにしようとするだろう。当たり前に、時間とはあればあるだけいいのだから。人がその人たらしめる衝動とは多くの場合その命が有限であることに起因する。……意志が永遠(じかん)に希釈されるであろう苦しみもまた、お前は全人類に与えようというのか?」

「死ぬよりは――死の恐怖があるよりはマシでしょう。そんな不完全性を排する事こそ、私の望みよ。例え、後世に私が悪魔の眷属と言われようと、私はそれが正しいと信じている」

 言葉では彼女は折れはしないだろう。それが全人類の救済になると本気で信じているのだから。

 例えそれしか縋るモノが無かった賢者の叫喚であったとしても。

 

「有限は所詮有限よ。限りがあるから命は尊い? そんなカビの生えた論説、私は大嫌いだしそんなことをしたり顔で喋る連中の気が知れないわ。時間に限りがあるから大切に生きろと? ()()()()()()()()()()()()()()の間違いでしょ?」

「決して否定はできんだろう。だが限りある命だからこそ、それを保全し護ろうとする志は尊いのだろう――例えばそれは、お前のようにな」

「ああそう、おほめにあずかり光栄ですこと。貴方を手当したのは聖戦まで貴方を管理する事も目的ではあったし、無理ではあるとわかってはいたけど聖戦そのものをあきらめてもらう事が最善だった。……けど、医者としての使命感が先だったことだけは誓って事実よ。それだけは医学を志した者として、貴方に嘘はつきたくない」

「そんなことはとうに知っている」

「知った顔されると腹が立つのよ」

 輝きながら、爆縮を続ける光炎を斬り伏せ、或いは斬閃を重ねて微塵に引き裂き、ポースポロスは進撃する。

 太陽に臨む蝋の翼の如く、だんだんと彼もその肉を削られ続けている。

 

「私はルシファーとウェルギリウスを護る。彼らだけが、楽園を創れる――死の絶対なる排斥、万人の楽園を!!!」

「死神の息絶えた地平はなるほど、確かに楽園と言えるだろう。不老不死は有史以来の究極の願望だ。……だがな、死も病も廃絶された地平において、お前の手は必要とされない。その温かさを知る者もいない――楽園において、()()()()()()()()()()()()。……されないんだ」

「――それでこそ、私は本望!!!」

「その答えこそ、万人にとっての光なのだろうよ。だからこそ、俺はお前の願いを越えていく。お前のその尊い願いでさえ、俺は堕天を討ちたいがために踏みにじる」

 今この場において、何より誰よりも、己自身にポースポロスは激している。

 ジュリエットの善性は決して嘘ではないのだと知っているが、それを踏みにじらなければならない――踏みにじる選択を下せる己自身に。

 

 いらだちと共に、彼女は極小恒星を生み出しそれをポースポロスへ投げつけるがそれすらも縦に一閃両断すると、その間隙を縫いながらポースポロスは翔けていく。

 

「もう、いいよ。疲れた。……初めからこうすればよかった」

「――、まさか」

 ……まるでそれは、天使の輪のように光輪がポースポロスとジュリエットを取り囲む。

 その一条一条が、人智を逸した熱量で編まれている。

 

最終装填(フュージョン)――質量解放・第四熾天円環晃(ジュデッカ・ソル)

 

 その星辰行使に、今ジュリエットが成そうとしている事をポースポロスは理解してしまう。

 ジュリエットの星は相打ちや自分自身を巻き込まないよう、その制御に全資質が費やされている。

 逆に言い換えればそれが最大の枷であり――それを無視したならそれこそ彼女自身の資質と命が許す限り無制限の破壊を齎せるだろう。

 

 

 ただ加速を続ける光輪が、その輝きを増していく。己もポースポロスも共々焼き尽くさんがために。

 

 

「もういい、終わりだよ。さよなら。……私は、貴方を治療することはできなかった。貴方と心中するなら、救えない同類同士、悪くないのかもね」

「――あぁ」

 ジュリエットの瞳に浮かんでいるのは、涙だった。

 もはやポースポロスは回避などできないし、するつもりもなかった。

 光の只中を駆け抜ける足はもはや彼自身でさえ止めることはできなかった。けれど、少しだけ彼は笑う。

 

 その結末も、決しては悪くはないだろうと。

 

 

 

 ただ怒りのままに駆け抜ける。

 想いを載せるように、その一刀を振り抜く。

 

 ――結局殺す道しか選べない己の愚かさをかみしめながら。

 ただ前を向くことが光。ただ進行方向に立ちはだかるすべてを焼き尽くす事こそが光だというのなら、それは先駆者と何も変わらない。

 尊いと思ったモノを壊してでも進む光。

 

 

 ジュリエットの胸を彼の一刀は間違いなく貫いた。絶命に足る深度だった。

 直後に世界は光に包まれる。

 

 彼も、ジュリエットも蒸発を迎えるだろう。

 だから、その刹那に叫ぶ。

 

 先人と同じ道を選びながら太陽とも、英雄とも異なる勝利の形を手にするために。

 尊いと思ったモノを破壊しなければならない――そんな自己嫌悪など、もはや要らない。

 古来からよく言われることだ。――想ったなら口先ではなく行動で示せと。

 

 

「――あぁ、だから。俺の勝利は()()()()だ」

 

 そう、叫んだ瞬間に因果は破壊された。

 けれど、破壊したのは一秒後に訪れたはずの己の死ではなく――彼女だった。

 

 血のにじむジュリエットの胸からぴしりと、蜘蛛の巣のように広がっていく。

 事象が、世界が悲鳴を上げながら彼女の死を破却していくとともに、破局の光輪はその収斂が綻び霧散していく。

 

 ガラスのように霧散していく己の死に、ジュリエットは驚愕する。

 何をやったかは理解できている。ポースポロスはそういう設計だからそういう御業ができる事だって知っている。

 けれど、だからこそ今彼が眼前で成した行為の意味がまるで理解できなかった。

 

 

「……何、してるの。ポース、ポロス」

「――、こうすることでしか、俺は止まることはできなかった」

「バカじゃないの!? ……分かってる? 私は敵よ。貴方が殺すべき、悪に与する者よ!!」

 自身の因果律を破壊したのなら、それは至極理にかなった行為だ。

 だがあろうことか、ポースポロスはジュリエットの死を――()()()()()()()()()()()のだ。

 それは到底理解不能で、英雄の後継であったならば彼には選択できない行為でもあった。

 反射的に星を解き崩れ落ちるポースポロスを抱き留めてしまうほどに、その行為に彼女は驚愕していた。

 

 

「俺は、それでもお前を砕くことはできなかった。お前の輝きを俺は滅ぼせないと思った。……お前の手の温かさを、俺はこの地上から消し去りたくないと思った」

「……ふざけないで、この光頭の石頭!! ……私と貴方の決着を、こんな形でつけていいと本気で思っているの!? 元からバカだと思ってたけど、本当にバカなんじゃないの!?」

「そう言っているのなら、さっさと殺せば良かろう。それができないからお前は優しいのだ。……あぁ、そうだな認めよう。()()()()だ、ジュリエット、お前に救われた時、俺は既にお前に敗北していたんだ」

 閃奏の星もまた、霧散していく。

 ……ここにきての閃奏の行使によってもはや、彼の体は限界を超えていた。

 切り札をこんな無為に使った事はしかし、今この場においてはジュリエットにとって最も大きな意味のある決断だった。

 

「こんなボロボロになるだけ戦って。それで最後は私を殺した後に救って、やっぱり殺したくありませんでしたとか本当にやってることバカだよ、サイコパスだよ? 自覚持ってる!?」

「……言ったろう。こうすることでしか、俺は止まれなかった。()()()()()()()事でしか」

 彼の刀には、血の一滴として付いていなかった。

 それは彼が確かに彼女の死を覆したという証明であり――そして何より。

 

「……貴方の病気、ちゃんと治ったじゃない。重症だとか俺は価値がないとか言っておいて、最後の最後に踏みとどまって、勝利を微塵に砕いて投げ捨てて。そんなこと、貴方には絶対にできなかったことだと思っていたのに」

「恐らく誤診だジュリエット。お前は名医ではなかったのか」

「うっさいわねいちいち。……私の負けよ、ポースポロス。……こんなことされて、今ここで貴方を殺して勝ちました、なんて言えない。……貴方にできた(立ち止まる)ことが私にできないなんて、凄く腹が立つ」

 ……ジュリエットはまだ星を扱う余力はあっただろうし、ポースポロスもその一刀を振るうだけの余力があった。

 だが今ここでその決着に臨むことは、彼らはしなかった。

 

 ポースポロスは、ただ彼女に背を向けて天に臨むのみだった。

 視線の先には、輝く翼をはためかせる堕天と魔女がいた。

 

 空に羽をはためかせながら、黄金の瞳で彼らを睥睨する不遜なる者がその結果を見届けている。

 

 

「……私はもう負けた。だから、負けた人間は負けた人間らしく道を譲る。……けれどお勧めしないかな。絶対、今のままじゃ貴方死ぬし」

「要らん心配だ、ジュリエット。俺の最期を俺が決めるだけだ」

 ただ、そうとだけ言ってポースポロスは一刀を構える。

 やっぱり、そういうところは結局治ってない、とジュリエットは苦笑いする。

 

「だから、ポースポロス。ここは一つ、()()()()()()()()()私が責任をもって貴方に付き添ってあげる」

「魔女と堕天に反旗を翻す気か?」

 ジュリエットも、もう一度立ち上げる。それからポースポロスと肩を並べるように、堕天と魔女を見据える。

 

「別に。……前に私言ったでしょ。石頭で知り合い居なさそうな貴方の友達になってあげるって。大体その体で何が出来るのよ」

「……物好きだな、好きにしろ」

 もう、特に言葉をすり合わせることもなかった。

 交わすまでもなかったろう。

 

 破滅に向かうかのような、最後の輝きを見せながら彼らはもう一度星を駆動させる。

 ただ一つ、想いを重ねて。

 

 

 今一度、焔と雷は甦り、地上に最後の奇跡と聖戦を具象する。

 

 

「往くぞ――堕天!!!」



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慟哭は渚のように / Rain again

次回タイトルは「晃星大戦 上」です。
第二太陽ん中の皆さんがどういう顔しながら地上を見てるかはもう、タイトルの文字の羅列で察してください。


 いつかの日。俺は長い、夢を見ていた。

 俺の中に――あるいは、揺れぬ水面に、もう一人の俺を見る。

 

「――お前は?」

「僕は、■■■■。そして僕は君だ」

「■■■■? おかしなことを。そんな男の名は自我と共に戸籍諸共に死んだ。消えろ残影(ゴミ)が、俺の中に貴様は存在してはならない。俺は俺だ」

 俺と同じ声と顔で、俺を糾弾するつもりなのだろうか。

 ウェルギリウスの自我洗浄が不完全であったか。あるいは自己改造を重ね過ぎたが故の俺の中の不具合(バグ)か。いずれにせよ、不確定な要素は潰すに限る。

 

「言われなくてもいずれ消えるさ。もとより君がいる以上、僕は消えるしかない。……けど、そうだな。願いがある。聞いてもらえるかな?」

「……」

 男は言葉を続ける。

 俺を意に介していないわけではない。

 不愉快な残像だが、気が付けばその男は姿も形も消えて声だけを残していった。

 初めからそこにいなかったかのように。

 

「……二度と、君の前に姿を現さないと僕は誓おう。だから()()()がもし苦しんでいたら。その時はどうか、君が救ってほしい。それが■■■■(ぼく)の、たった一つの願いだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 堕天と魔女は、地上を睥睨する。

 その背には人知を逸した巨大な尖塔が立っていた。

 

 それはルシファーとウェルギリウスの延伸された手足とも言うべき者であり、それそのものが巨大無比な神鉄だった。

 惑星のように、いくつかの円環がその塔を取り巻くように浮遊し軌道を描く。

 

 その様はさながら、神話に謳われる神に臨んだ塔のように。

 

「……これが()()()()となるだろう、ウェルギリウス。お前は至高の星を手にし、その願いは成就する」

「ええ、知ってる。私の最高傑作だからこそ私は信じている。もう未来なんて読むまでもない」

 もう、彼らの中でソレは確定した運命だったのだろう。

 

「淑女と詩人、恒星天(ステラート)。とても面白い組み合わせだと思わないかしら」

「詩人は一人、そして淑女は二人。詩人の傍らは一人しかいられない。であれば、詩人はどちらを選ぶ、か」

「えぇ。願わくば、どちらを選ぶことになろうと、私達に最高の試練を与えられる存在へと飛翔する事を願っている。決して嘘偽りのない私の願いよ。そのために、ハル・キリガクレに翼を与えたのだから」

 無邪気な、或いは単純にどうなるのだろうという、邪悪なる興味の元にmお彼女はそう言った。 

 

「古くからの知己であり、そして最新世代の魔星。少なくとも、相関係数(きずな)は淑女と何ら遜色はないもの」

 ハルの胸に神鉄を埋めたその手をさすりながら、ウェルギリウスは微笑を浮かべる。

 そんな様を、ルシファーは少しだけ目を細める。

 

「……なるほど、太陽天は敗北したか。そして木星天が勝利したらしい」

「想定通りと言えば、想定通りかしら。……紆余曲折はあったけれど、心変わりかしら。太陽天も私達と戦うつもりらしいわね」

 地上から天を臨む木星天、その傍らには手を翳す太陽天の姿があった。

 

 

「……ジュリエットは私達に帰順を誓っていたはずだけれど。――木星天にでも絆されたかしら」

「好都合だ。もとより、好きに生きて好きに死ねと言った。そして今、自由意志の元に俺達への叛逆を選んだ、故に太陽天は俺を裏切って等いない。何より俺の性能を極限まで引き出すには最高の教材だ」

 ルシファーの頬には、笑いが浮かんでいた。

 太陽天と木星天。光の双極を前にしてさえ、彼は微塵も怯んでいなかった。

 

 

「――木星天、お前達の決断を俺は尊重しよう。俺達の神塔の礎となるがいい――終末晃星大戦(アーマゲドン)の開幕だ」

「神の塔、ではなく破滅(ハノイ)の塔の間違いだろう。貴様らを滅ぼすのが貴様らが俺に与えた役目だ。望み通り、骨の一片さえ残さずこの地上から消し去ってやる」

「完成すれば世界は破滅するという塔の話だったか。それも悪くない、世界を破壊し創り直す。そのための聖戦だ」

 もはや木星天の肉体は限界を超えている。

 ところどころから、亀裂のようにひびが入りながら、その隙間から光が覗いている。

 それでもなお、勝利すると彼の瞳が雄弁に語る。死への片道切符を、それだけあれば十分だとこの男は言った。

 

「……太陽天、いつか貴女は言っていたかしら。死の無い地平を欲すると。その成就は私達が責任を以て遂行してあげる。だから全力で来なさい」

「言われなくてもその通りよ。ドクター・ウェルギリウス、狂った哀れなプロメテウス、或いはザラスシュトラ。……貴女は末期よ、木星天より救いようがない」

「鏡というモノがないのかしら、貴女に言われると格別ね。死体の保全加工や心理学の手ほどきをはじめ、私もまた貴女に教えを受けた。例え路を違えても、貴女の献身だけは私は忘れないようにしてあげるわ」

 ウェルギリウスは自らの胸の真中を指先でなぞりながら、その輝きを見せつける。

 もはや、戦局は最終局面。

 

 激突は秒読みだった。

 

 

「ルシファー。……貴方は以前、ヒトではないから願うものは無いと言っていた。今は、どうなの?」

「――俺の願いは」

 ……ウェルギリウスの言葉に、ルシファーは目を閉じる。

 語る言葉を選ぶように。

 

 それは、以前の彼にはない変化だった。

 抽象的な質問であるという事もあるのだろうが、それだけではなかった。

 

 

 世界が悲鳴を上げるその数秒前、彼は意を決したように言った。 

 

「世界がお前を排斥し、お前が世界に配慮しなければならないというのなら。そんなモノは地獄(インフェルノ)と変わらん、何の価値がある。お前の願いの成就こそ俺の願いだ。……俺の拓く地平にお前を孤独にする者はいない。決してな」

 

 

 

 

「天墜せよ、我が守護星――鋼の地獄(ならく)で終滅させろ」

 その祝詞は、エリスのそれと全く同じだった。

 深い、深い、月に吠える憎悪の詩が彼女を偽りの月乙女へと変貌させていく。

 エリスはその姿に、言葉をただ呑み込むことしかできなかった。

 

「ここは死の星、第九の天体。悲哀の涙は頬を濡らし、闇夜は奪ったモノを返しはしない。涙の渚は水面となりて煌めく月を写し取る。熾天を鎖せよ、月と闇の衣を纏い我が手に冥星(ならく)を遣わしたまえ」

 之成るは偽りの月天女。

 涙の水面に映る冥界の月が、彼女の闇となり纏う。

 

「なれば詩人よ、神聖なりし我が幽冥(エレボス)。貴方と共に私は星を見たい。十天の彼方、恩讐の彼岸に我が請願よ成就せよ。悲劇(なみだ)を照らせ月光よ、名も無き神歌を奏でておくれ」

 詩人を導く、もう一人の淑女として彼女は新生する。

 かくして、月の殻は破られる。闇の翼を得て、虚空へ彼女は飛び立つ。

 

「超新星――月の残照、恩讐担えよ夜想幽天。(Cielo di Stellato)顕現するは恒星天(ChaosNyx)

 

 

 

 

月の残照、恩讐担えよ夜想幽天。顕現するは恒星天

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:D

拡散性:AAA

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AA

 

 

 

 

「……水星天。癪だと思うが助けてくれ。今のエリスと俺には、お前が必要だ」

「貴方に必要とされると考えると心底からやる気が起きませんが、まぁしかし私も間接的には無関係ではありませんから。……何よりお姉さまが必要としているのなら是非もありません」

「それからもう一つ。姉さんを絶対に殺さないでくれ。俺が悲しむし、何よりエリスが悲しむ」

「……では、せいぜい生き残ってください。今はお姉さまの命令だと思って従ってあげます」

 水星天は告げるとともに躯体を一瞬で液状に変える。

 地下を駆け巡りなら、毛細管のように一瞬で広がっていくと思うと、次の瞬間には地下空間を支える柱のいくつかが一気に脆化し倒壊する。

 

 

 崩落する天井はしかし、次の瞬間には姉さんが宙に翳した手に生じた暗黒天体が呑み込んでいた。

 洞のように渦巻きながら、光も呑み込みながらソレはくるくると回転運動をしている。

 

 そしてぷつりと音を立てながら、建造物の残骸を消し去った。

 出力はもとより、その星の性質も推察できるところとしては極小の疑似暗黒天体の創造だろうか。

 

 

「……エリスさん。これが私の力――ロダンを護って、あの女を殺せる力なの。だからもうエリスさんは戦わなくていいわ。ご苦労様」

「本当にそのように思うのなら、そう思って結構です。私はそれでも命尽きる最期の刻までロダン様と共にいます」

 少しだけ、姉さんの声がいらだちを帯びる。

 やはり何かがおかしい。――あるいは、信じたくはないがそれが姉さんの素なのか。

 

「……ロダン様。ロダン様ロダン様――エリスさんはいつもそればっかり。ロダンが大事で愛している? 違うでしょう、貴女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが気持ちよくて心地よいんでしょう、エリスさんは」

「――っ、私は空虚などでは」

 嘲笑も露わに、姉さんはそう形容する。

 空虚で過去が無く、何もない。……女優になりたいという夢でさえ、あの子から継承したものでしかないと。

 

「人はどうしようもなく誰かに縋りたくなる時がある。……分からない、とは言わないし経験はあるもの。でもね、エリスさんは違うでしょう。……ロダンと一緒に居る、必要とされたい――必要とされれば、()()()()()()()()()()()()と信じたいんでしょう?」

「姉さん。……例え、それが姉さんの真実の言葉であったとしてもエリスをそれ以上傷つけるのなら俺は黙ることはできない」

「ロダンは、私よりエリスさんを選ぶんだ。……誰よりも私を慕ってくれたのに、貴方もあっさり私の前からいなくなるんだ、()()()()()()()()()()()()()

「俺は誰かに奪われるわけじゃない。まして、エリスを大事にすることは姉さんを蔑ろにすることと等価では決してない」

 姉さんの言葉の文脈を俺は理解する必要があるのだろう。

 エリスを選ぶことが、姉さんにとっての俺の喪失と同義であると姉さんは訴えている。

 その喪失とは物質的な喪失ではないことは明白で――姉さんから俺の心が離れる事。それを恐れているのだと、俺は思う。

 

「私は、忘れられないわ。お父さんとお母さんの事も、ロダンの事も、誰よりも私は大好きだった。私は手放したくなかった。私だって、これでも折り合いはつけようと努力はしたわ。ロダンの事をちゃんと祝福できるようになろうって。母さんとお父さんの事は忘れようって」

 姉さんの手が翳されると、そこからは今度は光炎――太陽天のそれと極めて酷似した輝きが生じた。

 

 大質量物体を消し去った。かと思えば今度は()()()()()()()()を撃ち込んできた。性質に検討がつかないのは同じで、エリスもまた怪訝な顔しながら戦っていてた。

 

 姉さんを決して殺してはならない。当たり前にそれはあるし、そもそもエリスの星は沈静化には向いても、誰かを撃滅する事には不向きだからその点に関しては心配はしていない。

 けれどそれでも出力に制限をかけて戦わなければいけないジレンマは当然感じている。

 

 ……そして、姉さんはこう語った。俺を愛していたのだと。

 

「俺は、姉さんは俺に、幼馴染以上の想いは抱いていないと思っていた」

「私はロダンの初恋が私な事ぐらい、知っていたよ。……それが続いてくれるものだと、私は思ってた。ロダンはずっと、ずっと、私を大事にしてくれた。私、知ってるもの。本当は騎士になりたくはなかったけど、私が似合ってるって言ったから私のために騎士を続けることができたんだって」

「……そうだよ姉さん。俺の初恋は、間違いなく姉さんだった」

 姉さんに騎士の姿が似合っていると言われたことを、俺は今だって忘れはしていない。

 姉さんが安心できるように――あるいは、姉さんにいつか認められたかったから騎士をしていた。それがうれしかったのだと、姉さんは言う。

 

「結局、私は無理だった。どうしてもお父さんとお母さんのいない日々を耐えるなんて、無理だった。ロダンはずっと私に親身にしてくれた。……その時だけは悲しさを忘れることができたの。それだけは、私は本当なんだから」

「俺は、姉さんに少しでも前を向いてもらいたいと思って……」

「前って、どこのこと? ……お父さんとお母さんの居ない未来を、そう比喩()っているんでしょう?」

 どう、比喩をしようとそれだけは変えられない言葉だった。

 姉さんの叫びと共に、またしても周囲の空間は軋みはじめ、壁材ごとめくれ上がりながら黒い極点へ呑み込まれていく。

 

「ねえ、過去を大事にすることはそんなに悪い事? 死んだ人を引きずらない事って、そんなに美しい事? ……私はそんな美しさなんて要らない。記憶の中だけでも、お父さんとお母さんは生きていてほしいと思う事が間違っている事だなんて、私は思わない」

「……全くその通りだよ。姉さん。悲しいほどにその通りで全く間違っていない。それを忘れることは苦しみを伴い、想い続けることもまた苦しみを伴う。……奪われた側はどうしようもなく心の痛みから逃れることはできない」

「何も失ったことが無いくせに、ロダンに何が分かるの」

「失ったよ。……俺に生きる道を諭した子は失われた。人としての死を得る事さえもできないままに」

 喪失の苦しみなど知っている。

 姉さんのその喪失も、あの子の喪失も、同じ人間の手によってもたらされたのだから。

 

 姉さんは手を翳す。そして次の瞬間にはその手からは黒い蜃気楼のようなものが渦巻き、次いで地下空間を支えていた石柱が飛来する。

 

「……、姉さん!! 止まってくれ、分かってるのか――その力は、ウェルギリウスに与えられたモノなんだぞ!!」

 石柱を剣で絶つが、次の瞬間には幾多もの瓦礫が飛来してくる。

 ……その石材の量や出所。そうしたモノを考えた時、今姉さんの扱う星の性質に概ねの見当はついた。

 一見すれば明らかに姉さんの星ではなかったあの太陽天の焔も、木星天と太陽天の死闘のさなかに掠め取り、それをぶつけたのだろう。

 

 運命の皮肉と言うべきなのだろう。その真実は、死想冥月と呼ばれた貴種の少女のそれと似ていた。

 

「恐らくは遠隔召喚(アポーツ)――ではないのでしょう。現象は似ていますが、決して同一ではない。空間そのものを歪めて物体や現象を削り取り、或いはそれを自在に取り出す能力。空間に始点(入口)終点(出口)を定める空間操作能力。違いますか」 

「……そう、分かったから何なの? エリスさんが星をかき消すことぐらいは私だって知ってる。でも、物量には勝てないよね?」

 そう、くすりと笑った次の瞬間には、姉さんの背にはまるで虫食いのように幾多もの闇の空孔が広がる。

 

「詩人、さっさとどうにかなさってください。私とて殴られ続けるのは中々に身に応えるのですが」

 弾幕を、水銀を糸のように張り巡らせながら水星天は凌ぐ。

 それでも討ち漏らしたカケラは俺の剣やエリスの星で打ち払った。

 

 そこからは大量の砂礫が流星のように降り注ぐが、今度はそれを金網のように水星天が全身を形状変化させるとソレを凌ぐ。

 いくつかはぶつりと破られながらも即座に陣形を組みなおして凌いでいる。

 

「水星天、だったかしら。……その星は確かに脅威だけれど――知ってるよね、ソレは私には相性が悪いことも」

「……そういう貴女は詩人の姉、でしたか。詩人と違って貴女となら友人になれると思ったのですが、ここまで話が通じないとは思いもしませんでした」

「その総体は、補填するからこその無限でしょう。だったら、細切れに引きちぎって呑み込んでしまえばいい」

 また、空間は歪み黒い蜃気楼が生まれる。

 渦を巻きながらソレは今度は、地面にめり込みながら半球状に広がっていく。

 

「……不味い、ですね。これでは――」

 水星天の液状の総体は、だんだんと末端がそれに飲み込まれていく。

 寸での判断で水星天は呑み込まれつつあった自分の肉を切り離して退くが、目に見えて彼女はその体躯が縮小していた。

 

「水星天、大丈夫か」

「体の三割ぐらいは今ので持っていかれましたが、これのどこが大丈夫なように見えますか?」

 恨みがましく視線を投げられるが、今はそうも言っていられない。

 姉さんの星は、それほどに強かった。

 

「あの女を私は滅ぼして見せる。そのために、ロダンが必要なの。ロダンだって、復讐したいよね?」

「……否定はできないよ姉さん。けど、姉さんにそんなことをしてほしくない」

「私はしたいわ。だってそうでしょう、奪った側に何の報いも訪れないなんておかしいでしょう。だから私が殺すの。別にお父さんとお母さんに喜んでほしいとは思ってない、でもこれは必要な事。そうしないと――」

「姉さんは、マシューさんとナオさんが殺された()()()から前に進めないからか」

 人は多くの場合、その過去が現在未来の行動原理を成す。別にそれそのものはさほどに奇特な話でもない。

 それは俺も、姉さんも、グランドベル卿も――そしておそらくは魔女でさえも。

 

「……ウェルギリウスの与えた力で、ウェルギリウスを討つことがお姉さま本懐を遂げられることですか?」

「じゃあ、どうしろっていうのよエリスさんは。私はずっと、事故だから仕方なかったって言い聞かせてきた。ずっとずっと、だから忘れようと頑張ってきた。でも、事故じゃなかったなら忘れる事なんかできるはずがないでしょう。それ何より、あの女は殺せるものなら殺してみろって言ったわ。だったら所望の末路を叩きつけないといけないでしょう」

「……貴女の悲劇も、与えた力も何もかも、堕天と魔女は己が飛翔の糧としようとしているのです。そのような形で、姉様も、その悲劇も消費されるのです。……本当にそれがロダン様を道連れにしてまで貴女の成すべきことですか」

「……貴女だって、ロダンを巻き込んだくせに――私からロダンを奪ったくせに!!!」

 空間が歪み、捻じ曲げられる。

 今度は明確に、エリスを標的にした。引きずろうとさせても、エリスの銀光はその星をかき消す。

 エリスの星は星辰光が星辰光である以上これに抗し得るのは同じく星殺しの性質を有するモノ、或いは単純な破壊に特化した星以外にはないのだから。

 

「私は渡さないわ。ロダンの好くものを好いて、嫌うものを嫌う――そんな空虚な貴女なんかに渡さない。えぇそうよ、私は誰よりも先に、誰よりも長くロダンの傍にいた、誰よりも先に――!!」

「誰よりも先に、それほどに。……そう、思いつめざるを得ないほどに異性としても家族としても、ロダン様の事を、愛していたのでしょう」

 ……エリスは、そう言った。

 それほどに、姉さんは俺を愛していてくれたのだと。

 

「だから……、私は。私は、エリスさんが初めて屋敷を尋ねた時、本当は怖かった。ロダン、は……、私みたいにしたみたいに。困って、いる人を見逃せない人だった……、から。だから――」

 直後に、姉さんはまるで苦しむように、自分の体を抱きしめながらその胸に爪を立てた。

 心臓をえぐり出そうとしているかのように見えるほどに、姉さんは呻き苦しんでいた。

 

 そうして、姉さんの眼が紫紺の軌跡を描きながら、口を開く。

 

『でも貴方は淑女を選び、彼女を捨てたのでしょう?』

「――貴様が、姉さんの口で騙るなあああああああ!!!」

 その言葉の主など問うまでもない。敢えて、魔女は俺達の憎悪を煽るようにそう仕向けている。

 そうした方が、堕天の試練になるから。

 

 また、虚空に底なしの孔が開く。

 際限なく周囲を呑み込み引きずり込んでいく。

 

 俺は今はエリスの星を扱うことができない。だからだから足ごとざりざりと、姉さんの方にひかれていく。

 剣を杖代わりにしようと、突き立てた床さえも呑み込まれていくのだから意味が無い。

 

 けれど今のではっきりわかったことがある。

 姉さんは確かに排他的な側面はないわけではなかったし、エリスに対し決して元からいい感情()()を抱いていたわけじゃない。

 そしてそれは、恐らく極端な形で今この場に現れているのだという事も。

 

「……姉さんは、総てが本意なわけじゃない。おそらく、胸に埋め込まれた神鉄の影響だろう。意図的に()()()()の情動が神鉄で増幅されている」

「そして増幅されているという事は――お姉さまが心のどこかで私を疎んでいたことそのものは、事実だったのでしょう。火のないところに、とは大和のことわざでしたでしょうから」

 姉さんはエリスを排斥しようとしている。

 けれど苦しんでいる姉さんの心が俺には分かる。

 優れた星に必要なのは、より純粋で大きな情動――それを姉さんは恐らく本人でさえ望まぬ形で引きずり出されている。

 その核になっているのはウェルギリウスへの憎悪――そしてエリスへの拒絶だ。

 

「……そうやって、いつまでもロダン様に過去を見出しているから。貴女は私にロダン様を奪われたのでしょう」

「この、泥棒兎!!」

 歯ぎしりをしながら、姉さんは身を乗り出した。

 ……姉さんには、白兵戦の経験なんてない。反射的に多分そうしたのだろう、そうしなければ耐えられなかったから。

 

 エリスは、姉さんの星の渦中を渡る。周囲を渦巻く黒点が生じても、それをエリスが羽ばたくように腕を振るえば銀光と共に霧散した。

 

「私は確かに、空虚でした。私が自分の裡に養ったモノは、それほど多くはないでしょう。けれど過去を変えられなくても未来と自分を、自分の意志で創ることはできます。ロダン様と一緒に、そして、何よりお姉さまと共に」

「……そんな、方便なんて聞きたくない」

 エリスはただ、真摯に姉さんと視線を正面から交える。

 エリスは、覚えてくれていた。過去がどうにもならないものだったとしても、神天地の頃のままでは何も進歩が無いのだと。

 だから、これから少しずつでも俺はエリスを知りたいと言ったことも。

 

「……ロダン様との思い出は美しい事でしょう。絶対であり、不可侵であったでしょう。……結局それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけです。ロダン様が、()()()()()()()()()()()()()()()、と」

「ロダンだって、私から離れないって言ってくれたもの。絶対に私を一人にはしないと言ってくれたもの」

「えぇ――私も似たような言葉をロダン様から頂きました」

「あの女は、私から母さんと父さんを奪った。そして今貴女は、私から優しい時間(ロダン)を奪うんだ」

 エリスは、姉さんの前に立つ。

 それから、ただ一度手を振り上げて、姉さんの頬をその手で打った。

 

「……エリス、さん」

「悔しいですか――怖いですか、お姉さま。……ロダン様とお姉さまの日々において、確かに私は端役でしたでしょう。重ねた時間も、想いも、私はお姉さまには遠く及ばなかった。けれど、過去のロダン様しか見ていないから、たかが端役に――貴女の言う、空っぽな女に()()()()()()を奪われたのです」

「貴女が、貴女がいたから私は……!!」

 姉さんの胸に輝く紫紺の光は、その濁っていくばかりだ。

 姉さんは自分の体ごと、暗黒天体に飲み込ませるとまたエリスから退くように距離を開けた。

 自分の頬をなぞる様に撫でながら、それから視線を地に伏してとうとうと語る。

 

「私には、ロダンしかいなかった。お父さんもお母さんも失った。……依存してる自覚はあるわ。でも、ロダンは私を一人にはしなかった。ロダンと居る時だけは、子供の頃の思い出を感じられたもの。だから私はロダンと優しい時間を取り戻すの。あの女を殺して、過去を清算して、そうすればほら――()()()()()()()でしょ?」

「……」

 ……子供の頃と一緒。

 それは、つまり。

 

「何も、戻りなんかしないよ姉さん。……復讐を捨てろとは言わないよ、けど復讐のために姉さんを連れていくことはできない」

「何言ってるのロダン。貴方に私がついていくんじゃない――()()()()()()()()()()()()()?」

 姉さんは諭すようにそう言うとパチンと指を鳴らす。

 

 その次の瞬間に、俺の体はまるで俺以外の意志で動くかのように、星辰が流し込まれた。

 闇のようにどす黒く、慟哭するような悲しさと、雨のような冷たさで。

 

 

 

 

「ロダン、様」

「姉、さん。……そう、か。そういう事かよ、ルシファー。ウェルギリウス……!!」

 今、俺は心底から悔しくて仕方がなかった。

 姉さんがしたことは単純な事で――そして悲しいまでに、覿面だった。

 

 今、俺の肉体には姉さんの星が流し込まれている――つまり、姉さんもまた第四世代人造惑星だ。

 エリスの加護ではなく、今の俺には姉さんの加護が与えられている。

 

 そしてそれは肉体の支配権を半ば掌握されるようなものでもあった。

 

「……お姉さまも、私と同じ――」

「えぇ。第四世代、だったかしら。これでわかったでしょう、エリスさん。貴女はもう戦う必要はない。その役割も、私がちゃんと責任をもって引き継いであげる。だから言ったでしょう、ロダンを頂戴って」

 絶句して、エリスは眼前の光景を茫々然として眺めていた。

 

 けれど事態はエリスの憂慮など介さない。

 姉さんは手を振るいながら、俺の剣を切っ先を決めさせる。

 

 エリスに向けるようにして。

 

「だから、エリスさん。ロダンにはこれで手を出せないよね? 私のモノだよね?」

「……こんな、事のために。堕天と魔女はお姉さまを……!!」

 手足はまるで俺の意志ではない何者かがそうするように動く。

 そしてそれを俺は拒めなかった。

 

 技術とは当然にして後発のものが優れている。

 ……第四世代人造惑星の後期型――つまりは()()()()()()()が今の姉さんだ。

 そして、そんな機能を持たせた意図は概ねこうだろう。

 

 ……第四世代の実証実験は既に終わった。最新鋭の第四世代人造惑星の創造を以って、ルシファーの試練とするのだと。

 あるいは、試作機と、実践機のどちらを詩人は選ぶのか、と。

 赤の他人と接続しろと言われても恐らく俺には不可能だ。仮にそんなことができるとするならば星辰界奏者(スフィアブリンガー)の領域の話だ。

 

 例え、俺にいかに害意もなく好意的であった人物でも。

 だが神前婚で結んだエリスを除けば確かにただ一人、俺はハル姉さんと繋がることができるし何より拒むことができない。

 最愛の身内、その一人だからだ。

 それを理解しているから、堕天と魔女は姉さんを第四世代人造惑星にした。あの子をそうしたように。

 

「エリス。……ダメだ逃げてくれ。姉さんは本気だ」

「……」

 今この瞬間でさえ、姉さんは思惟を感じる。

 冷たくて、暗い。復讐だけをただ求める――その在り方は、あの時のエリスと全く同じだ。

 

 今、エリスは俺と繋がるという専売特許を姉さんに奪われた。

 ……淑女の資格を失い、そして俺にとっての無二の存在ではなくなってしまった。そんなエリスの心中など、察するに余りがある。

 

 エリスは俺を献身的に支え続けてくれた。例えそれが創られた命と意志で在ったとしても。

 それがエリスにとっての己の存在証明なのだと、俺は気づいてやれなかった。

 

「ロダン。私と一緒に来てくれるよね。私ならエリスさんよりずっと巧くロダンを導ける。ロダンをずっと理解している。だからエリスさんを――」

 腕の力が全くこもらない。

 エリスでさえ俺の肉体の支配権を奪う事はなかった。この差は単純に俺は姉さんに対して逆らえないからなのだろう。

 

「エリスさんを――」

「エリスを、姉さんはどうしたいんだ。……仮に、ルシファーもウェルギリウスも討てたとしよう。それですべてが丸く収まったとしよう。そうしたらエリスを姉さんはどうしたいんだ」

「……そ、れは」

 喋る自由まで掌握されなかったのは、助かった。

 俺にはまだ、姉さんの中に正気は残っている事は分かる。例えほんの一握であったとしても。

 今極端な形で、姉さんの情動は増幅させられている。しかしそれは作られた感情ではない、そういう感情が発生するだけの土壌が姉さんの中にはあったということだ。

 

「私、は。エリスさんと……エリスさんを、取り除きたくて」

「抽象的な言い方じゃ伝わらないこともある。つまりエリスを、殺したいと。そう言おうとしたんじゃないのか。……そう言いかけて、壊れかけた心で押しとどまったんじゃないのか。例えエリスを疎む気持ちが心のどこかにあったとしても」

 俺の剣の切っ先をどこに向けさせようとしたのかは、明らかだった。

 それでも、エリスをどうしたいのかと聞いた時、姉さんの拘束は弱まった。

 

 ……姉さんの魔女への憎悪は真実だ。エリスを疎む気持ちも真実だ。

 姉さんは今この瞬間も、自分の中で戦い続けている。

 けれど――

 

『殺しなさい、恒星天。貴女は今こそ真実の淑女になれる。創られた偽りの淑女を殺し、詩人の愛を永遠のモノとすることができるのだから』

 姉さんは薄氷の上で思い留まり続けている。ほんの少しでも外力を与えられれば、それは容易に揺らぐ。

 ましてその言葉は、魔女からのものだ。

 

 

 その瞬間に、またしても体の自由は奪われた。俺の握る剣が、体が、エリスへと向かおうとする。

 止まれと叫んでも、もはや待ってはくれない。

 

 けれど踏み出すその刹那に、掠れるような姉さんの声を聴いた。

 

「――助けて、ロダン」

 

 

 

 意図しない疾駆と共に周囲に生まれる極小天体が、エリスを襲う。

 

 周囲の建材も何もかもを呑み込みながら、鋭い剣を形作りそれらが飛翔していく。

 茫々然とした顔でその光景をエリスはただ眺める事しかできなかった。

 

 総体を削られた水星天ではこれを凌ぐことなどままならない。

 

 月の縁は奪われ、そして姉さんを止めることは叶わない。

 その身の纏っている闇の意味を誰よりも知るからこそ、エリスは痛ましく思っているはずなのだ。

 どうすればいいのか分からない。少なくとも、今の彼女一人には。 

 

 

「私にはどうすればいいのか、分からないのです。こういう時、私には何ができるのか。何をしてあげられるのか」

 そう、虚空に祈るようにエリスはつぶやいていた。

 もうエリスをこの場で味方出来る力を持つ者等いない。姉と慕った人が怪物になる事を、詩人がその眷属になることを見届ける事しかできない。

 彼女一人には答えを出すことは不可能だった。俺でさえ、どうしようもない。

 

 

「――だから、助けてください。助けてください、創造主(クラウディア)。そして、私はお姉さまも、ロダン様も助けたいのです」

 彼女の言葉は、特に何かを意識したわけではなかった。

 ただ心から、すがるような響きで、そう言っただけだった。

 

 

 

『……これがもし演技だったら大女優になれるのに、仕方ないなぁエリスは。――うん。力、貸してあげる。いままで、ずっと待たせててごめんね』

 

 

 

 俺の振りかぶった剣は、エリスに迫るその刹那に止まった。

 なぜ、等と考える必要はなかった。

 

 そこには姉さんの加護を脱し、再びエリスの加護を得て銀光を纏った俺の姿があったのだから。

 手を翳すエリスは、優しく微笑む。

 その微笑み方にエリスであり、そしてエリスの根源であったある一人の少女を見る。

 

「君は――、あぁ。クラウディアか。君が、エリスを、俺を、繋ぎなおしてくれたのか」

『……久しぶり、騎士様。……エリスを放り出して他の女に取られて、何か弁明とかはないわけ? 私、これでもエリスの保護者なんだけど』

「……どうして今になって目覚めたかは、分からない。けどありがとう。弁明は……今はしてる暇はない。後から、いくらでもする」

 ……俺は姉さんと繋がっていた。それは間違いなく。

 ハルの加護を押し退けるには、エリス一人の縁では足りなかった。

 だからこそ、エリスの中にいる()()()()()()()がここで天秤を覆した。

 

 エリスだけではなくとその根源になった一人の少女の存在は、俺の中で姉さんとの天秤を覆すに足るだけの総和だったからだ。

 

「……クラウディア。気持ちはわかりますが、しかしロダン様にとってもお姉さまは大切な人です。私にとって貴女がそうであるように」

『分かってる。分かってるけどさすがに節操が無さ過ぎるでしょ騎士様。……ほら、頑張って。エリスが頑張ったんだから、次は騎士様の番よ』

 そんな声が、聞こえてくる。

 エリスの背後に、姿は見えずとも彼女がいる。

 だからこうして今、やっとエリスは繋がりを取り戻せた。

 

 

「どうして、ロダン。……私を、拒絶したの? 私といるのが、そんなに嫌だったの? 私はロダンの事、好きよ。でもロダンはそうではないの?」

「姉さんが好きだと言ってくれている俺は、多分昔の頃の俺だ。白状するよ、俺は多分あの時は姉さんに認められたくて、やってることの大半は姉さんが動機だった。……ごめんな、姉さん」

 ……剣を再び握る。

 そしてエリスの加護を纏う。

 

 俺の周囲を覆うように闇黒天体が生じるが、それさえもエリスとのつながりを取り戻した今では霧のように霧散する。

 

「過去を過去と割り切って、未来を見据える――言葉にすれば響きはいい。普遍的に、ヒトは未来を輝かしいモノの象徴と捉えてしまう悪癖がある。なぜなら人は多くの場合言葉の意味本質ではなく、その響きを愛してしまうからだ。……俺は姉さんが立ち上がるのを待つと言っていたのに、ごめんな。一人だけ姉さんに隠して」

 姉さんのために騎士になろうと誓った。

 姉さんの刻は、マシューさんとナオさんが亡くなった時から進んでいなかった。それが俺の責任ではないとしても、それでも姉さんの傍に居ると約束したのは俺だったから。

 

「……水星天。削られ続けた体に酷なのは重々承知してるが、お前に助けを請うのはこれで最後だ。俺を助けてくれ」

「――なるほど、大体()()()()()()は理解しました」

 ただ、水星天はそう言うだけだった。

 言いたいことは恐らく伝わっている、そう信じたい。

 

『……騎士様、貴方が姉と慕う人を救うのならもうこれが最後の機会。だから焦らないで』

「ロダン様。何が在ろうと、私は貴方の傍に居ます。だから恐れずに進んでください。……お姉さまを取り戻して、ください」

 二人の声が、その背に聞こえてくる。

 身にまとう銀光の残照を残しながら、姉さんへと俺はひた走った。

 

 握る剣に迷いはない。

 

「ロダン、……来ないで。貴方を殺したくなんか――」

「姉さんが来ないでと言うときは、大概無理をするからそう言うんだ。本当は来てほしいんだろう」

 眼前には幾多もの闇の空孔が広がるが、白銀光の剣閃を以って断ち切る。

 エリスの星は今でも健在だ。それどころか、以前にも増してその加護を感じる。決して錯覚ではないだろう。

 

 次の瞬間には、眼前にまたしても暗黒天体が形作られる。

 今度はただ一つ――けれど、その規模の桁が外れている。姉さんでさえ呑み込みかねないほどにその規模は肥大化している。

 これでは、単純にこちらは星の規模が足りない

 

「――お届けのモノはこちらですね、詩人」

 その背後から、さらに巨大な岩塊が水星天の声と共に飛翔する。

 

 水星天は戦いがこの時に至るまで、自らの躯体を悟られないように地下空間の建材にしみこませて、或いは食い込ませていた。

 

 その結実が、今ここに成る。

 その岩塊は全て水星天が集めてきたモノだ。

 

 

 姉さんの星は入口と出口があるトンネルのようなものだ。

 ――そして、入口にも当然()()()()の限界がある。単純に岩塊がその黒体へと投げつけられると岩塊諸共にその星は霧散する。

 

『――詩人、貴方は淑女を選んだのね。恒星天も可哀想に、あれだけ貴方を愛していたはずなのに』

「人の心も、機械の部品だと思っているような奴が、姉さんと俺を語るな」

 姉さんでさえ、もう止まる事が出来ないのだろう。

 明らかに姉さんの体は星辰体の感応に耐えきれていない。例えその魔星としての基盤が貴種に連なるものであろうと、ここから先は恐らくもう耐えられないはずだ。

 

()()()()と行きましょうか、詩人。淑女。……貴方達へのプレゼントをずっと考えてきたけれど、これならきっと気に入ってくれるんじゃないかしら』

「――!!」

 姉さんを、魔女は実験動物だとしか思っていない。

 その精神性に、俺は今でさえ反吐が出そうだ。

 

 

()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()

 より一層、姉さんがその身にまとう闇の色は濃くなった。

 総てを否定し塗りつぶすかのような蒼黒の波紋、命を否定し星辰体を消滅させる負の輝き。――そう、即ち。

 

「お前は、姉さんを強制的に()()()()()()()()()としているのか――!!」

 ふざけている。

 ……星辰滅奏者(スフィアレイザー)の事は、俺も深くは知らない。だがこんな形で己の極晃を利用されるなど、少なくとも姉さんも冥王も望んでいないはずだ。

 

「ロダン――、ダメ!!! やめて、もう来ないで……!!」

 

 喉が摺りつぶされる。全身の力が虚脱していく。

 こんなところで、負けられない。まだだと仮に叫んでも、もはや結果が変わらない。

 

 本来であれば即死だった。だがエリスの星を帯びている事、エリスの星とその設計がそもそも月天女に連なる者であることが、辛うじて俺の破滅を退けていた。

 自分の体の重ささえ、支えることができなくなるその刹那に思惟が脳裏に走る。

 

『……できれば肩入れはしてやりたいところは山々だけどよ、それは認められるわけねえだろ嬢さん。後そこのお前、さっさと決着つけてやれ。……お前の()()()、なんだろ。この嬢さん』

「――」

 声の主は分からない。けれど、なんとなくその正体は分かった気がする。

 その声が途絶えるころにはふつりと、姉さんの纏っていた滅奏は消失していたからだ。

 

 ……滅奏が姉さんを――より正しくは魔女を()()()()()()()()()()()のだ。

 滅奏の綻びと共に、また力を取り戻す。

 

 

 剣を構え、姉さんの目を正面から見据える。

 何も、心は乱れていない。

 

 姉さんは呆然としながら、俺を見ている。

 それから少し、困ったように笑う。

 

「姉さん。少し痛むと思う、我慢してくれ」

「――うん、ロダンなら、いいよ」

 構える剣に、もういない誰かの手が添えられる錯覚を感じる。

 胡乱で、剣呑な、赤き剣客。

 

『神聖詩人、よく聞け。こういう時はこうするんだ』

「知ってるよ、ユダにやってたっていうやつだろう」

 剣が、姉さんの胸に突き立てられる。

 痛いのは、一瞬だけと誓っていた。姉さんを傷つけたくなんかなかったから。

 

 

「――水星天、今だ!!!」

「はい詩人。仰せのままに」

 直後に、俺の剣先は()()()()と変形していく。

 まるで飴のように――水銀のように

 

 その瞬間に、紫紺を纏う神鉄は水星天の星に侵略されていく。

 

 ……俺の全ての策はこのためだけに合った。俺の剣に水星天の躯体を紛れ込ませ、その剣を姉さんの神鉄に接触させて水星天の星で侵略させる事で無力化させる。

 彼女の合金形成能力は、神鉄でさえもその例外ではない。

 

 星が解れ、恒星天の神鉄はついにその原型を失い水星天に屈した。

 

 姉さんの髪の色は元の綺麗な黒に戻り、黒い天衣も霧散し、俺の腕の中に納まった。少しだけ、姉さんの胸は血がにじんでいる。

 けれど目立つ傷が遺されなかったのは、一重に水星天の星が故だろう。

 

 黒い羽が舞いながら、姉さんのその瞳には正気が戻っていく。

 

「……ロダンは、やっぱり。私を助けてくれた」

「あぁ、助けに来たよ姉さん。……本当に、姉さんは俺の初恋だった。そして今でも、俺は姉さんは大切だ」

 姉さんはもう、魔星ではなくなった。

 思い返せば、初めてここまで姉さんと密着したと思う。

 

 それから少しだけ遅れて、エリスは駆けていく。

 少しだけ顔が不服そうだ。

 

「エリス……さん。ごめんなさい。本当は、私は貴女を心のどこかで疎んでいた。心のどこかで、ロダンは私を好いているのが当然だと思っていた。……嫉妬、していたの」

「いいえ、お姉さま。……私もまた、貴女に嫉妬していたのです。ロダン様の過去は貴女だけが持っていたのですから」

 姉さんは涙を流しながらそう、エリスに謝る。

 

「私、エリスさんに酷い事をたくさん言ったの。……一言一句、覚えているもの」

「それでも、お姉さまは今まで私を愛してくださいました。ロダン様の事を私が語る時、お姉さまは我が事のように、嬉しそうにしていました。家にいていいと、言ってくれたことを決して忘れません。お姉さまから頂いた心を、私は忘れません。……だからまた、私の友人となってくださいますか」

 もう、姉さんの目には狂想の色はなかった。

 俺の知る姉さんが還ってきたのだと、実感する。

 

「……もちろんよ、エリスさん。もう一度ロダンと一緒にあの家で、暮らしましょう。……今度は本当に、心の裡を明かしあえる友達として、恋敵として」

「えぇ、是非。全てが終った時、お姉さまに挑ませてください。今度はちゃんと、認めてもらえるように」




月の残照、恩讐担えよ夜想幽天。顕現するは恒星天
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AA
集束性:D
拡散性:AAA
操縦性:A
付属性:C
維持性:E
干渉性:AA
空間歪曲・操作能力。
入口と出口という始点と終点を設けて空間を歪め、物質や現象を取り込みそれを自在に取り出す。
物理的実体を持つモノから、或いは火や雷といった現象に至るまで、あらゆるものを呑み込みそれを吐き出す。
取り込む体積の限界はあるものの、おおよそ物理的な力を生ずるような単純な星辰光であれば一方的に封殺できる。
星辰光をも取り込み、それをそのまま叩き返すという意味においては星殺しを体現しているともいえる星である。
空間を歪めることによる物質の取り出しや、空間歪曲自体をぶつけて暗黒天体のように人自体を呑み込んでしまうなど、その応用力も非常に多岐にわたる。
彼女の星は彼女自身の知覚が三次元に留まるが故にその星もまた三次元への空間干渉に留まる。理論上になるが、さらなる高次元を彼女が知覚できるようになった時次元数の頚城を超越して星を振るう事が出来るようになるだろう。
空間を捻じ曲げる事そのものは本質ではない、より正しく言い換えるとするならば彼女のソレは異次元間を接続し、或いは操縦する能力である。

また、彼女は全く意図しない形で強制的に滅奏と接続させられかけた。……本来であればその彼女自身の気質や属性もあり、滅奏に適正を示す。



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晃星大戦 上 / Sphere ■■■■

エンピレオ世界で一番苦労した人は多分リチャード君だと思います。
マリアンナとは悉くエリスに対する対応で意見が衝突しまくったのもありますし、基本自分を大事にしてくれという話をマリアンナは全く聞きません。
そしていろんな建築物が倒壊しまくったので胃痛が多分マッハだと思います


「お姉さま、私の肩を掴んでください。今は、あまり動いてはいけません」

「……ありがとう、エリスさん。……それからロダンも」

 戦いが終わり、そしてエリスがハルを背負う形になった。

 ロダンもすでに星を解いている。

 

「やれやれ、これで終わり――とはいかないらしいですが。詩人。……どうやら銀月天が貴方を御呼びらしいですので」

「……大体、ソレは感じてる。まだエリスの中に彼女がいるのを感じるからな」

 エリスの体はうっすらと、上気するように淡い銀色の輝きを纏っている。

 その持ち主は言うまでもなく、エリスの創造主たる銀月天だった。

 

『……そろそろ、騎士様に明かしてもいいころかな。うん。今まで、ずっと黙っててごめんねエリスも』

「クラウディア……貴女は、この地下空間にいたのですね。冷たくて暗い、こんな場所に」

『そうだね。いろいろ、語らないといけないことは山ほどあるから、まずは私が居る場所に案内してあげる。……そうね、そこの詩人の姉らしい人は……』

 エリスの口を借りて彼女はしゃべっているので、はたから見ればエリスが自問自答しているようにも見えなくはない。

 そんなクラウディアは少しだけ、ハルに視線を向ける。

 ハルは、少なくとも今までは一般人として暮らしてきた。そんな彼女に、聖教皇国の裏を語ってもいいのか。それをクラウディアは迷っていたらしい。

 

「……私は、聞かないフリしたほうがいいの? その、……ええと。エリスさんのお母様?」

『お母……、そんな私老けてる? 確かにエリスの保護者とは言える立場なんだろうけど』

「その保護者に、私は途中から育児放棄されましたお姉さま」

 よよと泣くジェスチャーをしながら、エリスはそう言う。

 ハルは何となく、要領を得ないながらも話にはついていけてるらしい。

 

「……頼む。クラウディア。ハル姉さんを同席させてやってくれ」

『……そうね、無関係ってわけじゃないし。今からエリスの体を借りて案内させるから、付いてきて。そう遠くはないはずだから』

 言って、エリスは足を運ぶ。

 ゆっくりと、地下空間の闇の向こう側を目指して。

 

 それからエリスの背で、ハルはロダンに語り掛ける。

 

「ねぇ、ロダン。……私は、その。ロダンの事をどう、思えばいい? いろいろ、バレたくない事とか、バレたし」

「……俺は、姉さんの事を家族として好きだよ。それは変わらない。でも今は、エリスを大事にしたい。……姉さんが想いを寄せてくれていたことは、俺にとってうれしいし、誇るべきことだと思ってる」

 想いの丈を突きつけ合って、傷つけあって。

 でも、それでもちゃんとこうして仲直りはできた。

 

「お姉さま、ロダン様。……そのことなのですが」

「何? エリスさん」

「……ただいまを以って、ロダン様との話は()()とさせてください」

「うん、わかった。――え?」

『はぁ?』

 ハルとクラウディアは、そう面喰ったように言った

 ロダンもまた、真顔になった。

 

「エリス。……その、俺に至らないところがあったのか」

「違います、そうではありませんロダン様。……私は、貴方の事をお慕いしています。――その上で私は改めて、総てが終ったあとで貴方を賭けて()()()()()()()()()のです。恨み合いも抜け駆けも無しで、正々堂々と」

「……」

 少しだけ、ロダンは思案する。

 体まで重ねた仲だった。けれど、エリスがそれを望んでいることも分かる。

 ハルとは、その点においてはどうしても決着をつけなければならないだろうから。

 

「多分、姉さんの想いには俺は応えられない。俺はエリスが好きだ。……けどエリスがそう強く望むのなら、俺はエリスの意志を尊重してやりたいと思う」

 

 その話を受けていいモノかと。そんな話を大真面目な顔したためか、ハルは少しだけ呆れたように笑って、それからエリスの願いを承諾した。

 

「受けて立つわエリスさん」

「無論です。私も、負けるつもりはありません」

 ほんの少しだけ、剣呑な雰囲気。

 けれど、それはそれで悪くはなかった。

 これから対面することになるであろう銀月天も、少しだけ苦笑いを浮かべていた。

 

『さて、そろそろ到着よ。……水星天も、今までご苦労様。エリスと騎士様には長く待たせてごめんね』

 

 

 

 

「散れ、今が応報の刻と知れ堕天」

 その開幕は、極光斬撃によって開かれた。

 極限たる怒りと共に放たれた一撃は、大地を抉り飛ばす。

 

剣翼鍛造(サモンアームズ)――堕天剣刃翼(アスモディウス)!!!」

 ルシファーの羽の一枚が、突如として巨大化をしながら全長三十メートルを超える黄金の剣に変わり、天から鉄槌のように振り下ろされる。

 

 単純な質量兵器でありながら、同時にソレは極小規模の加速器を成していた。

 真向からその質量を機構ごとポースポロスは粉砕する――が。

 

「その程度、超えなければ後継機とは言えんだろう。次だ、英雄の後継ならば、試練を越えて見せるがいい――殺戮浄化星辰光(アシッド・アモン)

 次の瞬間には、大気が丸ごと猛毒のガスとすげ代わっていた。

 

 ただ息を吸うだけで人機の別さえなく腐蝕を齎す地獄の瘴気――だが、ソレもまた、無意味だった。

 

数式収斂(リジェネレイト)――再演算(リブート)。熱量解放・増殖!!!」

 その瞬間に、質量が熱量に変換される。

 ルシファーの生み出した猛毒さえ、太陽天の一撃は容易に焼き尽くす。滅茶苦茶の破壊されつくしながら、ルシファーの星は破産にさせられ――そしてまた、風景は切り替わる。

 

 森や地下空間の建材など、微塵も存在しない亜空に蒼き波濤が押し寄せる。

 

 押し寄せる、のみではない。次第にそれらには蒼い氷の華が咲いていく。絶対零度に肉薄せんとばかりに凍てつきながらその波濤はジュリエットとポースポロスを呑み込もうとしていく。

 

「これでロミオとジュリエットの完成よ――極零氷河・絶対零度(レーテ・レヴィアタン)

 今度の趣向はウェルギリウスのそれだった。氷晶の華を伴いながら迫る波濤に、今度はポースポロスとジュリエットは共に並び立ち、そして星を振るう。

 

 

「創生の火よ――!!」

「――舞い降りろ!!」

 氷に閉ざされる刹那に、ジュリエットはその星を瞬時に創り上げる。

 今度は、ポースポロスの剣にソレを纏わせる。

 

 雷焔の剣が、天を衝きながら立ち上る。

 振り下ろされる一撃と共に質量が解き放たれ、荷電粒子が散華する。

 

 波濤も氷華も何もかもが融解する。まさしくその有様は英雄と神星の後継と呼ぶ外になかった。

 

 

 次いで、ジュリエットの反撃が飛来する。数珠繋ぎ、ないしは葡萄のように極大火球が生じると、次の瞬間にはルシファーとウェルギリウスを焼き尽くさんとばかりに質量の焔が胎動する。

 

 だがそれを容易に通すはずもなく、ウェルギリウスの翼がその火球の核を引き裂く。

 起爆の前にそれを食い止めたのは一重に、ウェルギリウス本来の星が質量消失の兆候を見極めたからでもあった。

 

「そろそろ試運転は終わりね、私の翼を見せてあげる」

 きちきちと虫の咀嚼のようでありながら、金属の擦れ合う音を立てながらウェルギリウスの背にも新たな翼が生じる。

 今度は片翼ではなく、ルシファーと同等の六翼だった。

 

 星辰体を巻き込みながらその光が振るわれると、瞬間に莫大な風圧が襲いかかる。

 純粋な羽ばたきは音速を越えた大気の絶叫と共にポースポロスとジュリエットに襲い掛かる。

 

 それだけではない。躯体固有の共振周波数を孕んだ風圧の一撃は、容易に木々諸共に環境を粉砕していく。

 

 

「――まだだ!!」

 ポースポロスは躯体は尚も限界を超え続ける。

 甚大極まる風圧を、十字の一閃で断ち切り返す刀で反撃の閃光を放つ。

 

 刀に纏った紫電は、枝分かれし幾何学様に分岐しながらウェルギリウスとルシファーへ襲い掛かる。

 

 

「信じられんな、その躯体のどこにそれだけの熱量を生産する余力と余地がある。設計の瑕疵があったすればそれは歓喜すべき誤算だ」

「摺りつぶした者達の生涯を単純な数字としてしか捉えられん貴様らの限界だ。その翼はどこにも至れない」

 ルシファーの言葉への返答は、極限まで煮詰められた殺意だった。

 極輝の剣閃は盾に構えたルシファーの翼を容易く両断する。

 

 だが、その程度ではルシファーもまた止まらない。

 翼を解体して創り上げた剣を振り上げ、ポースポロスと対峙する。

 

 鍔迫り合いながら、熾烈極まる意志力の視線を交わしあう。

 だが、どこまでも両社の視線は交わりはしなかった。

 

 ルシファーはある種、純粋な稚気じみた興味すら交えながら。

 ポースポロスはただひたすらに、怒りの一色をその瞳に浮かべながら。

 

「俺の終わりを突きつけて見せろ、落暉暁光(ポースポロス)。お前もまた、暁の御子の名を冠するならば。――お前はまだ、全性能を発揮していないだろう」

「貴様の望みはソレだろう。俺はもとより、閃奏と非常に親和性が高くなるように設計されている。――つまるところ貴様の目的は俺ではなく、()()()()()()()()()()()()()()、だろう」

「少し解釈が異なるな。お前であろうが、閃奏であろうが、結局は同じことだ。お前が閃奏以上に俺の性能限界を引き出せるというのなら極論俺はどちらでもいいし、誰でもいい」

 どこまでもその名の通りに傲岸に、そう言い放つ。

 そのためにお前を創ったのだと、言い捨てる。

 

 もはや事ここに至り、言葉を交わす余地など微塵も残らず失せていた。

 ポースポロスにとって最も星を引き出せる情動は即ち怒りであり――それは閃奏も同じだ。

 故に星を振るえば振るうほどに、そのポースポロスの在り方もまた閃奏に限りなく肉薄していく。

 

 そうなれば、どうなるか――地上に、極晃の一端が舞い降りる。

 文字通りの怒りの代行者――木星天を端末として望まぬ再臨を閃奏は遂げるだろう。

 

 ポースポロスの躯体に走る黄金の輝きを放つ亀裂もまた、彼の星の在り方が刻一刻と閃奏に近づいている事の証左でもあった。

 

「さぁ今こそ救世主になってくれ、悪魔(デーモン)はここにいるのだから」

「――俺は英雄でも、救世主でもない。そして他にも当たるな、貴様らの望みは貴様らの自慰で満たしていろ」

 ポースポロスの剣戟はひたすらに苛烈を極めた。

 もはや受けるという概念が成立しないほどに、何度も何度もルシファーの剣を打ち砕く。

 そのたびに剣を創造し打ち合うが、ポースポロスの成長速度もその行動も、驚くべきことに段々とウェルギリウスと共有していたはずだった慧眼の星を覆していく。

 

 ルシファーの演算とウェルギリウスの未来視が、ポースポロスの剣を追いすがっている。

 ポースポロスの行動と理論の誤差がだんだんと開いていくことをルシファーは感じる。

 

 どこまでもその戦いぶりは荒々しくもはやそれは斬る、と言うより殴りつけると形容すべきだろう。

 徹頭徹尾理論で剣を振るうルシファーと、怒りのままにその光刃を振るうポースポロスはまるきりその在り方は逆だった。

 合理が怒りを圧せないその有様に、ルシファーはポースポロスの裡を見る。

 

 斬られれば、その倍を斬り返してくる。

 ポースポロスの体表に走っている雷電がルシファーの翼も剣も焼き尽くす。

 

 六翼と剣の、ルシファーの七刀流はポースポロスには確かに肉薄していたし、ポースポロスの総身を間違いなく削っている。

 

 そのはずなのに、その倍以上ポースポロスは斬り返してくる。

 

 

「ルシファーその間合いを避けなさい。私が――」

「残念、先生。させると思った?」

 

 ルシファーの援護に入ろうと環境改変を試みようとするウェルギリウスを遮ったのはジュリエットだった。

 左手をかざしながら、改変されていく物質侵略そのものを灰燼に還していく。純粋に、その熱量に耐えきれない。

 

「ルシファーの勝利が、そんなに信じられない? それとも、怖かった?」

「単純な戦力の数的有利における問題よ太陽天」

「あぁ、そう。その割には()()()()()()()()ようだけど」

 太陽天は、その瞳に蒼い軌跡を描きながら、皮肉るようにそう淡々とウェルギリウスに告げる。

 

「一つ言っておくけれど貴女が天塩にかけて育てた堕天と違って、落暉はこの上なく愚かで欠陥品よ。その代わり、バカさ加減ではこの世の誰にも負けていない。バカに数字を説いても無駄なように、極まったバカの物性値を人間の合理で定量化しようとする試みは必ず破綻する」

「だから私は可能な限り勝率の高い手段を取ろうとしているだけよ。感情など、正常な判断の雑音にしかならない」

「そうね。()()()()()にしておこうかしら」

 ウェルギリウスとルシファーは分断されながら、同時にその翼でジュリエットの星を鋭角的な軌道で間一髪で回避し続ける。

 いくつもの光炎の合間を縫うように、飛翔しながら、その翼を加速器にして荷電粒子を加速させて輝線を放つ。

 同時に、猛毒の大気と溶岩の海を形成するが、それさえも容易に粉砕し太陽天は君臨する。

 

 太陽天と木星天に対しての堕天と魔女の評価は寸分たがわず正しかった事が今ここで証明されている

 

「そも、貴女はなぜ不死の夢を捨てたのかしら。私達と相対する決断をしたこと、それそのものは私は歓迎するわ。でも、それだけが腑に落ちないの」

「……」

「えぇ、教えてくれないかしら。私達にここまで加担した上で、今この場で私達をどのような顔と舌で糾弾できるというのか、その理論を教えてほしいの」

 ……ただ、純粋に興味からウェルギリウスはそう聞いている。

 裏切る決断をした理由は、さほどに興味はなかったのだろう。だからこそ、心底からジュリエットは呆れていた。

 やはりこの女は、ヒトの心など何一つとして理解していないと。

 

 

「やっぱり、貴女何もわかってなかったのね、ドクター・ウェルギリウス。……私がいつ、()()()()()()()って言った?」

「――は?」

 ウェルギリウスはその顔に困惑を浮かべた。

 言っていることが、まるで理解ができないとばかりに。

 

「貴女達と敵対する事と、私の夢をあきらめる事がなぜ等価なのだと思っているの? その時点で文脈が読めてないにもほどがある」

「論理が破綻しているわ太陽天。貴女の夢は全人類の自由意志による不老不死化、それを成せるのは神奏を除けば恐らくルシファーしかいない。なのに貴方はそれを捨てるの?」

「最速最短でやろうとするなら正しい。今すぐ人類を救って見せろと言うのなら」

「何を言いたいのか、意図の解釈が難解ね」

 要領を得ないと言った風に、ウェルギリウスは少しだけ顔を顰める。

 ウェルギリウスからしてみれば、明らかに彼女の言葉は道理も理論も通っていない。ともすれば、突発的に人格障害でも患ったと考えるのが合理的なようにさえ見えた。

 

「死が無くなることが万人にとっての幸せになると思ってきたし、それは今でも変わってはいない。けれど、それが正しいかどうかが判断できるほど人類はその価値観も知覚も成熟してなどいない」

「……人類の生物としての欠陥に言及する意図が理解しかねるわ」

「そう、だったら理解しなくていいわ。……自分勝手な救済を、私は押し付けようとしていた。悲劇の無い世界は幸せに満ちていると信じた」

 初めて、ウェルギリウスは理解不能なモノを見る目で太陽天を見つめていた。

 ジュリエットは決して人格分裂などしていない。何も彼女のその狂気も、変わっていないことはその星の輝きが証明していた。

 だからウェルギリウスの中ではジュリエットは矛盾していた。

 

「……私は私の力で死を世界から排斥して見せる。何が在ろうと、それを成して見せる。けれど――それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()私はそれでいい」

「つまり、今そこに在る救済を捨てるのね。貴女の力とは何のことかしら、人間の智の限界を知っているから貴女は私達に救いを求めたでしょうに、まだ苦しみたいというのなら貴方は真性のマゾヒストかしら」

「そして私は私を継ぐ者に決断を託す。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あるいはそも()()()()()()()()()()()()()()()()()。その是非を」

 大真面目に、太陽天はそう語る。

 人類は何時の日か死を克服する事となるのだと。

 その時、どうか自分の後を継ぐ者がその是非を判じてほしいのだと。

 

 その言葉が大真面目だからこそ――彼女の信念は何もブレてはいないからこそ、太陽の天はその輝き続けるのだ。

 その様をして、初めてウェルギリウスは苦い笑いを浮かべた。

 

「ふざけた自己弁護ね。実現可能性や不死の形態の在り方をいったん棚に上げるにしても、その未来に貴女の意志は介在しない。それを佳しとできるのかしら?」

「佳しとできるか、できないかが人と神祖を別ったモノよ。私は飽くまでも人として人を救う。そう、今決めた」

「木星天の言葉にでも絆されたかしら。経路と手段、そこに費やす時間の違いでしょう、私とルシファーのプランと何の問題があるかしら」

「あるに決まってる。今すぐここで人々が真に不死に至ったとして、()()()()()()()()()()で誰が死という概念を伝えるの。死に挑んだ過程と歴史の山積があるからこそ。その死を乗り越えようとしてきた人々の試みを、或いは病に臨んできた人々の熱量を知る者をいてこそ、不死はそこに形而上学的な重みと温かさが宿る。……認めたくはないけれど、()()()()()()()()()()()()()()その価値が完全なるものととなる――まったく、その通りよポースポロス。貴方の言葉に同意するのは、心底から嫌になるけども」

 嫌にはなる。

 だが、この地上からジュリエットの手の温かみを消し去りたくないとポースポロスは言った。

 その一念で、ポースポロスは踏みとどまった。

 

 だからこそ、ジュリエットはそこに答えなければならなかった。

 

 

 

 そして。

 

 白兵戦を挑むルシファーも、ポースポロスと剣技になんら遜色のあるものではなかった。

 ここにきて、ルシファーは初めて圧されかけていた。

 

 全身に高圧電線のようにその雷電を纏いながら、ポースポロスは剣を振るう。

 光の翼でさえ容易に熔融していく。

 

 ポースポロスはもはや文字通り、その全霊を賭していた。

 

「おおおおぉぉぉぉ!!!」

「――、まだだ!!」

 己が演算速度を一桁上げてもなお、ポースポロスの行動の予想精度の誤差はブレていく。

 

 距離を離して再度核変換による環境改変を試みても、それを平然とポースポロスは焼き尽くして踏破してくる。

 剣戟で、或いは極光剣であらゆるモノを斬り伏せてくる。

 

「やはり、お前は素晴らしい。俺の性能をどこまでも試させてくれる。俺の世界は今、輝いている。――これが、生きるという事か」

「ならば輝きに翼を焼かれて死ね。悪魔に相応しい末路は、墜落だけだ。世界も人も、貴様らの実験台ではない」

 怒りと共に放たれる一切殲滅の雷霆剣は、もはや防御という概念が成立しない。

 一度振るう度に地形が変わる。

 その有様は人の形をした災害としか呼べない。

 

「銀月天が、土星天が、火星天が何をしたという。貴様らの誤りはただ一つ――現実と折り合いがつけられなかったことだ」

()()()()が、現実に排斥されながら現実に配慮しなければならないというのなら、なぜ折り合いをつける必要がある。俺は憂いている、今この世界は薄氷の上に乗せられた鉄球のようなものだ。政治であれ、侵略であれ、個人であれ、出来る者がその可能性を求めることができるはずなのに、それができないのだから」

「多くの者は折り合いをつけ、苦しみながら生きている。制約に乏しい欲望の追求はやがて他者との衝突を生む。その刻に対話を選ぶか排斥を選ぶか――対話を選ぶ者がいたからこそ、排斥を選んだ結果を歴史から知っているからこそ、人は己の可能性に制限を課す意味を知った」

「目指せる先があるのになぜ目指さない。苦しみながら縛りを遵守する在り方が尊く見えるのだとでも? 結局のところ、排斥の結果とやらの多くはその人間や人間の属する共同体、或いは物質的な資源の脆弱さに由来する。その脆弱さを排するのが、俺達の拓く地平だ」

 聞こえはいい。

 人間があるがままに在れるように。それは字面にすれば響きは素晴らしい。

 己の描く新世界はそうしたモノなのだと、ルシファーは言う。 

 

 例えば、それは輝ける者があるがままに在れる灼烈の地平のように。

 例えば、それは全ての者があるがままに在れる神域の地平のように。

 

 だが。

 

「――貴様の人間の定義とは、()()()()だろう」

 振り降ろされる天霆、それを凌ぐために四翼を構えるがそれさえ融解していく。

 尚も矢のような踏み込みで刹那にルシファーへ肉薄すると、再びルシファーはその六翼を構築し鍛え直し、打ち合う。

 

「まだだ、落暉。貴様の性能限界を魅せてみろ――俺の進化の糧と成れ!!!」

「――見誤ったわね、堕天。そこまでよ」

 その怜悧な声と共に、次の瞬間にはルシファーと木星天を取り囲むように円環状に炎が渦巻いていた。

 その意図を理解するからこそこれをルシファーは読めなかった。

 木星天諸共に、ジュリエットはルシファーを葬ろうとしていることに。

 

「正気か太陽天。……木星天も諸共死ぬぞ」

「堕天、貴様はやはり思い違いをしているな」

 瞬間、ポースポロスの右腕がルシファーの首を掴んだ。

 万力のように、握りつぶさんとばかりの膂力を込めて。

 

「俺も、ジュリエットも、総て承知の上だ。なぜ俺達が相打ちを覚悟していないと思った? 命を捨てる覚悟などとうの昔にしている」

「読めん、奴だ。勝利のためにここまでやるというのか」

「――やれ、ジュリエット」 

 そう言った瞬間に、光帯は加速する。

 もはや義体による回避も間に合わない。

 

「ルシファー――!!!」

「……、ウェル、ギリウス」

 その刹那に、太陽天の攻勢から逃れてウェルギリウスは叫ぶ。

 加勢しようとしているのだろう。巻き込まれると知りながら、光帯へと手を伸ばす。

 

 死の訪れるその刹那に――導き出された敗北という結論を否定するために、ルシファーは再起する。

 

()()()()()()淑女――あぁ、そうだ。俺達は終わらない、まだだっ!!!」

 その瞬間に、ルシファーの背には闇色――反物質で出来た翼が生じた。

 瞬間に生じた闇黒の星辰は、光帯の爆縮をは水を掛けられたかのようにその輝きを失っていく。

 

 同時に、ポースポロスの胸を蹴り飛ばし距離を離す。

 

「ルシファー!!!」

「心配するな、ウェルギリウス。俺はお前の最高傑作だ、その性能を信じろ」

 ルシファーはウェルギリウスへと言う。

 その背に在る黒天の翼――それはエリスの得た闇と同等のモノだった。

 反物質と化した発動体による星辰行使はしかし、ルシファーにも相応の代償を齎していた。

 

 その星の扱いを最もよく知るのはエリスで在り、故にルシファーは己自身の中で光と闇が相互に食らいあう結果となっていた。

 だが、同時にエリスの原理がルシファーの超出力によって再現されるという事の意味が、今ポースポロスの眼前にありありと映っていた。

 

 ルシファーが天に翳す、闇黒の星。

 黒に黒を重ねた無明の闇は、一切合切の星辰を食らわんとばかりに輝きを貪食する。

 

 太陽天の焔でさえかき消したソレは、最大規模となって現出する。

 

「終わりだ、落暉。そして閃奏共々に礼を言おう」

 振り下ろされる腕と共に、暗黒天体のように闇の奔流がポースポロスに襲い掛かる。

 

 触れれば瞬で機能停止に足るその闇黒を前にしてさえ、ポースポロスは敢然と飛翔する。

 

「――力を貸せ、閃奏。俺の最期をお前に委ねる」

 同時に閃奏の眷属たる彼は雄々しく尚も輝く。

 ここにきて、彼の器は完全に限界を超えた。

 ひび割れはがれるその肌の奥からは眩い殲滅の絶滅光が覗いてた。

 閃奏の眷属として、彼は今この瞬間完全に覚醒していた。

 

「まだだ、この程度では落暉を倒すには足りん!!!」

 同時に、ルシファーもその意志力を覚醒させる。

 閃奏の剣が撃ち抜く輝きに、その闇は出力を増す。

 

 光か闇か、その色を競うように。

 

 だが、悲しむべきか。その優劣は単純な差となってポースポロスの劣勢という形で訪れた。

 押し返されていく絶滅の極光剣。

 

 対消滅と対生成を繰り返しながら、食らい合いを続ける闇と光。

 

 その刹那に。ポースポロスは目を閉じる。

 今この場において、圧倒的に劣勢なのは自分だ。

 

 閃奏の眷属となってもなお、致命の末路を突きつけられない結果だ。

 どこまでも魔女の盤面を逸脱してなどいない――だが。

 

 

 

「――来るがいい、産火の焔よ。()()()宿()()は――宿()()()()()は、此処にいる!!!」

 天霆に、()()()()が重なる。

 それは、雄々しき赤。()()()()の無限の熱量。

 

 隻眼に雷と焔二つの輝きがポースポロスに宿る。

 

「……、っまさか。木星天、お前は閃奏と、天奏の――()()()()()()()()になったとでも言うのか!!!」

 自殺行為だ。

 光と光の掛け合わせは文字通り、眷属さえ容易に焼き尽くすだろう。

 閃奏と天奏が、特異点の彼方から今ポースポロスに応えたのだ。眼前の邪悪を焼き尽くすがために。

 

 そして、ルシファーに応える特異点など、当たり前に存在しない。

 

 ルシファーは初めて、驚愕を浮かべた。

 極限の集束性と、天元突破の出力。攻撃性において絶対を誇るその二要素の掛け合わせは当たり前に絶対無敵であり、それを実現可能な者などいるはずがないと思っていたのだから。

 

 無限の闇はその一閃に貫かれる。

 

「蒼穹焦がす天元の焔よ、闇穿つ断罪の天霆よ――最後の奇跡を今ここに!!!」

 時間にして、二秒もないその刹那。

 

 打ち砕かれた闇と共に、今度こそルシファーの想定は完全に上回られた。

 茫々然とするその瞳がポースポロスを捕らえる。

 

「ガァ……ッ!!」

「終わりだ。永劫、奈落の果てで苦悶しろ」

 

 その鋼の剣が、今度こそルシファーを絶った。体から噴き出る鮮血に己が敗北をルシファーは悟る。

 

 その様に、ウェルギリウスは初めて叫んだ。

 我を忘れるように、初めて彼女は理論より先に感情が先行した。

 

 

「――死なないで、ルシファー!! 貴方は、貴方こそは暁の子、私の最高傑作なのだから!!!」

 その手をウェルギリウスはルシファーへ、初めて力の限り伸ばした。

 

 墜落していくルシファーもまた、その手を虚空に伸ばす。

 

「ルシファー、貴方こそ。幼い私が夢見た神の塔!!! 私の科学の象徴――私の、()()()!!!」

 

 あらゆる策を踏破し、ポースポロスは完全に自分の上を往った。

 敗北だった。

 

 それを受け容れるしかないと、真実ルシファーはそう思った。だが、ウェルギリウスの伸ばす手を目にして、そんな思考は一瞬で払拭された。

 

「……あぁ、そうだ。ウェルギリウス。俺達は――ただ、征かねばならん」

 この一撃は、いい授業料にはなっただろう。

 だが、一撃を食らっただけだ。今ここで死ぬという、たったそれだけのことだ。

 

 この孤独な女を、新たなる地平に連れていくと誓った。

 この孤独な女の実験台になろうと誓った。

 

 では、それは何のために?

 

 己は力の果てを、ウェルギリウスは智の果てを求めた。

 それは孤独の道だ。誰からも理解されず、誰とも感性を共有できない。故に、この女の孤独を理解できるのは、己しかいないのだと理解していたから。

 

 自分の拓く世界において、彼女に苦しみは訪れない。

 神天地でも、高天原でもなく――ウェルギリウスの提唱する至高天でもなく。

 

 己が開くその地平――熾高天を拓かんがために。

 

 

「天逆せよ、我が守護星――鋼の熾高天を拓かんがために」

 

 

 

 

「天逆せよ、我が守護星――鋼の熾高天(たかみ)を拓かんがために」

 その言霊が、朽ちた翼に熱を与える。

 損傷に損傷を重ねた躯体に、再び熱が灯る。

 

「氷の戒めも、嘆きの河も、至高の天には訪れぬ。神聖なりし賢者の導きが地獄の旅路を照らす。地獄の夜は明け、煉獄に明星は昇り、天国の階段を臨むのだ」

 傷だらけの躯体、その傷口には幾筋も光が走りながら、瞬く間にその損傷を埋めていく。

 そして第四世代人造惑星の真価にして進化がついに顕現する。

 

「幾星霜の旅路の果て、我等は共に天をその手に抱く。地に堕ちたる明星、輝ける暁の御子。汝の翼にはや枷などありはしない、その名が担うは傲慢なればこそ我らは高天原(てん)を糾すのだ」

 ルシファーとウェルギリウスは、その鼓動と言霊を重ねながら星を織り成す。

 至高の星を、熾高天を。

 綾織る様に、聖教皇国の蒼穹に極彩色の紋様が走る。

 

「なれば汝、星巡る賢者よ。星の輝き、原初の焔をその目に焼き付け導とするがいい。汝の地平は火焔の神塔(バベル)の果てに在る。天よ、我等が塔を砕いてみせろ、我等が翼を焼いてみせろ。かつて我等を裁いた如く」

 やがて、聖教皇国全土を侵略していくように、不朽たる黄金の輝きが無尽に広がっていく。

 重なる星の鼓動は、ついに一つの答えを出す。

 

「愛しき我が暁の子。その飛翔こそ永遠なり、その翼に墜落も堕天も訪れない」

「十天の彼方に至るを以って、我等の旅路は終わるのだ。――焼き付けろ、熾高天はここに成る」

 十二の翼が光の軌跡を描きながら、編まれる。

 神々しさと禍々しさが同居する、渾然一体たる翼が新西暦の青き空を羽ばたいた。

 神話にそれは謳われる。かつて地に繋がれしかくもおぞましき暁の子は熾天の長であり、堕天を迎える以前その翼は一二枚あったとも。

 

 

 

 堕天を覆し、ルシファーは天昇する。熾天を統べたる十二の羽を携えて――星を統べる者は創星する。

 

 星辰暁奏者(スフィアルーラー)として君臨した。

 

「超新星――熾高天の新生、十天の彼方に(Falling Sphere)響け楽園創造の福音よ(Ruler)

 

 




熾高天の新生、十天の彼方に響け楽園創造の福音よ
AVERAGE: AAA
発動値DRIVE: EX
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付属性:A
維持性:A
干渉性:AA
その福音は、誰がために。


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晃星大戦 下 / Armageddon

後、極晃も星辰光も含めて、星は1個しか登場しません。

つまりロダン君とエリスです。最後は君たちなので頑張ってください


「お久しぶり、騎士様。エリス。それから水星天」

 しゅうしゅうと音を立てながら、地下の区画の一角から音を立てて、それは現れた。

 鋼のベッドの上に、ソレは――クラウディアはいた。

 

 俺が知る頃とは、銀色になった髪以外、寸分たがわない外見だった。

 

「……どうしたの、騎士様。そんな泣きそうな顔して」

「いや、いいんだ。君にまた逢えたことが、俺は嬉しいんだ。……俺は君に何もできなかったからね」

「別に、騎士様が何かしてくれたとは思ってないし、正確には私はクラウディアと呼ばれていた女の子本人じゃない。……けどまだ生きていた頃の私は、きっと貴方に感謝してるから。それは私が保証する」

 病衣からのぞく、少しだけ不健康そうな白い肌。

 けれどその皮肉ったような口ぶりは間違いなく俺の知るあの子だった。

 

「……銀月天。私の役目はこれでよろしいので?」

「うん、水星天もありがとう。少しいろいろ想定外はあったけども」

 水星天とクラウディアのそれは、少しだけ何か姉妹じみたやり取りだった。

 起源を同じくする者同士ということもあるのだろうが、それ以上に何か約束事があったのだろうか。

 

「クラウディア。水星天は……一体何の話をしてるんだ?」

「エリスと騎士様は本当はこんな争いに巻き込まれる必要なんてなかった。……まして、自分から進んで首を突っ込む必要なんて、微塵もね」

「つまり水星天はその牽制をさせるための、クラウディアの命を受けていたと?」

「それも少し違う。初めから、私達は魔女と堕天に反目していた。その上で騎士様とエリスがもし、痛みを越えてでも真実を欲するなら、私に合わせてもいいと水星天が判断したのなら私の下に案内をさせる。そういう密約だった。だから、趣味嗜好はともかく、本質的に水星天は敵ではないの」

 ……敵ではない、とは言えどこからどこまでが水星天の趣味嗜好で、どこからどこまでが銀月天との共謀の結果なのか。それは今は明らかにする意味もないだろう。

 

「エリスと同じ要領で、水星天とも会話はしていたけれど。これは魔女と堕天にはバレてはいなかったみたい」

「多分バレていても、あちらは歓迎するだろう」

 ……忌々しい事だが。

 

「その、水星天。私達は貴女が共謀者だとは、露とも知らず」

「……とても。えぇとても傷つきました御姉様。私は魔女の命とは言え初めて貴女と相対した時からずっと貴女をお慕い申し上げていたのに。ではそのお詫びにお姉さまと一夜を――」

「ごめんなさい、銀月天。やはり……忌憚なく言わせていただければ気色悪いです」

 エリスの生理的な嫌悪もまた、間違いなく真実だった。

 はぁとため息をつきながら、銀月天は「それから」と話しを続ける。

 

「……本当は、私も騎士様と星を描きたかった。けれど、私の真実を知ったら騎士様は悲しむ。だからエリスに託したの。……エリスも私の真実を知れば悲しんでしまう。それが、貴方達を遠ざけた理由。……ごめんなさい。騎士様、エリス。本当は私も、貴方達と逢いたかった」

「いいえ、いいのです。クラウディア。こうして、今話を出来ているだけで私達は満たされています」

「まったく、エリスも騎士様も泣き虫なんだから。……で、満たされているだけだと意味が無い。今地上がどうなってるか。大体想像つくでしょ?」

 ものものしい轟音が響く。

 何かが炸裂した音や、はたまた地下空間を揺らす振動が。

 

 それはつまり、ルシファーとポースポロスの決戦が始まったという事でもある。

 

「騎士様も、……騎士様のお姉さん? は特にだけれど、、怒らずに聞いてほしいことがあるの」

「何かしら、ええと、クラウディアさん」

「……私は、実は多分、それほどウェルギリウス・フィ―ゼの事を――()()()()()()()()()()()()の。ルシファーの事も」

「――」

 姉さんはそう言われると、複雑な表情になった。

 確かに、姉さんにとっては未だにそれは殺したいほどに憎い対象であることは事実だったから。

 

「……敢えて言えば、多分関心が無いという奴だと思う。不本意な転生、と言えるのだろうけれど、それでも先生は私を創り出した。そしてこうして騎士様とまた逢えた」

「……」

 ……確かに、もう二度と逢えないだろうと思っていた彼女と今こうして、また言葉を交わせるのは魔女がいたからという論理にはなる。

 だが、それでも。それは喜んではいけない論理なのだろう。

 

「ただ、私やルシファーを創り出す過程で、先生はどれだけのモノを平然と犠牲にし続けたのか。……それを思うと、私は少しだけ胸が辛くなる。数多の犠牲の山の上に私はいるのだから。多分だけれど、木星天の怒りもまた、そこに由来している」

「そう、だな。その胸の苦しさは、正しいモノだ。決して、人として忘れてはいけない痛みなんだ」

「うん。私もそう思う。……そして、多分先生にはそれが無かった。あの人は、最初から痛みを感じるという機能が無いから」

 祈るように、胸の前で手を組んでクラウディアは懺悔するように言う。

 決して彼女に非が在るわけではない、そうであってはならない。彼女のその痛みは、善性と倫理の証明なのだから。

 

「先生の事を私は決して好きになんてなれない。けれど、哀れな人だと思う。……あの人は、理解者を自分から捨てた。人間関係の形にもいくつかあるだろうけれど先生が選んだ絆は、共犯者だった」

「ルシファー、か」

 ……ルシファーとウェルギリウス。彼らの間にどのような関係があって、そしてどのような理由でルシファーは与しているのか。

 それが分かったところで何が出来るというのか。けれどそう思った直後、嫌な感覚がした。

 

 星辰体の濃度分布が偏ったかのような、濃密な曝露。

 まるで地上に、言い知れぬ何かが生まれたかのような錯覚。そしてそれは俺には覚えがあった。

 

 ――ルシファーは、極晃に辿り着いたのだと。

 

「思い出話は、それこそ幾らでもしてあげたい。けれどもう時間がないの。……地上は焼け野原になるまで、そう時間を数える必要はない。……だから、騎士様。今こそ、貴方に救世主になってほしい」

 至って、真面目にクラウディアは言う。

 救世主になる、その言葉の意味はもう言うまでもないだろう。

 

「お願い騎士様。私を、聖庁まで連れて行って」

 クラウディアの言葉に、是非など返すまでもなかった。

 けれどクラウディアは、ベッドから起き上がり地面に爪先を着けると同時に、体制を崩してしまった。

 

「……歩き慣れてないの。安心して、一応脳機能に障害が無い以上は歩く機能はちゃんとあるから。……でも、そうだね。我儘、一ついいかな騎士様」

「……何かな。他ならない君の願いだ。なんだって、言ってくれ」

 彼女はそう言われると少しだけ嬉しそうな顔をした。

 それからこほんと咳ばらいをして告げた。

 

 

「うん、私は今は上手く歩けないから、騎士様が私を抱きかかえてほしいの。騎士らしく、お姫様を抱くみたいにしてほしい。それもまた、人だった頃の私の夢の一つだったから」

 少しだけ、姉さんを抱くエリスとそれから姉さんの視線が怖い。

 水星天に助けを求めようと視線を向けると、秒でそっぽを向かれた。

 

 

 

「ジュリエット。土星天の素体についてなのだけれど、摩天震龍はどう調整しようかしら」

「一にも二にも、英雄への常軌を逸した執着が原動力となる。天頂神の敵対者として在ろうとする精神性――そこに冥王との類似性を見出すとすると恐らく干渉性が突出するはず。だからそのように長所を伸ばせばいい」

 私がまだ、魔女に力を貸していた頃、私は魔女の傍らによくいたと思う。しばしば、彼女は私に意見を求めてくる。

 彼女は、どこまでも不必要な事はしゃべらなかった。

 確かに、機械のようだと思った。

 

 彼らに志すものの途上に、私の目指すモノはあると信じていた。そのために私は彼らに手を貸そうと思っていた。

 彼らの志に共感したわけでもない。

 

 ただ方法論が私の思惑一致したから手を結んだ。そこに、あまり信頼関係と言った人間的湿度を含むつながりはなかった。

 ……今にして思えば、それが私の理想卿を成就させる唯一の方法なのだと私は思いたかっただけなのかもしれない。

 

 けれどそんな魔女にも、感情らしい感情を向ける対象がいた。

 

「――ウェルギリウス、そろそろ休め。カルテを渡せば後は俺が調整を引き継ぐ」

 金髪美麗の偉丈夫。

 暁の子の名を冠する魔星。

 ルシファーに対してだけは、彼女はほんの少しだけ頬をほころばせていた。

 

 それから、彼女はしばしば同じ小説を読みふけることがあった。

 まるでそれしか小説を知らないかのように、気が付けばそれを開いている。

 

 小説のタイトルは「神曲」という。旧暦から伝わる一大文学作品だとされるらしい。私はあまりそちらに関しては聡くはない。

 

 ある日、私はそれしか本を読まないのか――あるいは知らないのかと問うた。

 非常に抽象的な言い方にはなるが、その時の彼女の表情はルシファーに向けるそれともまた何か性質が変わっていたように見えた。

 

「えぇ、私はこれしか知らないの。……私にこの本を贈った人が、いたのよ」

 

 

 かくのごとくに最悪の悪魔にして至高の天使は降臨する。

 天に煌めく十二の翼がその威容を晒す。

 

 雲さえ裂きながら、その翼は振り下ろされる。その瞬間に光の柱が列を成して大地を走った。

 もはや柱と言うよりは壁と形容するのが相応しいだろう。

 

「……嘘、でしょ。ここまできて、こんなこと」

「現実だ、ジュリエット」

 ジュリエットとポースポロスは眼前の光景にただただ立ち尽くす。

 極限まで追い詰めた、追い詰めた上で彼らの全ての想定の上を往った。

 

 だがその上で彼らはそれを更に超越した。

 

 

「これが極晃か。……なるほど、天元突破の資質は()()()()()()――つまり、俺の発動値とウェルギリウスの操縦性か。第四世代人造惑星が極晃に至った場合の運用特性は未知数だったが、なるほど。つまりは()()()()()か」

「……ここから先の筋書きは、私達でさえ用意していない。けれど、これが貴方の得た答えなのね。私達の目指した、唯一絶対の科学の極致」

 ウェルギリウスはそのルシファーの傍らに在りながらそう、真実心底から嬉しそうに語る。

 彼女は感情らしい感情を、今まさにこの瞬間発露しているのだ。

 おぞましい、夥しい犠牲者の上に築かれた暁の星の子。

 

「――まずは、推進力から見るか」

 ただ、軽くポースポロスは宙を翔ける。その瞬間に、甚大な速度と共に彼は加速する。

 

 

「……っ!!!」

「ポースポロス!!!」

 莫大な推進力を載せた単純な翼の打撃はしかし、ポースポロスの反応速度さえ振り切ってその一撃を叩きつけた。

 

 地平の彼方と見紛うばかりに彼方に突き飛ばされ、次いでジュリエットにその矛先は向いた。

 

 

「――まだだ!!!」

「その通りだ太陽天。……お前も木星天も、まだ捨てるには惜しい。検証にもうしばらく付き合え」

 咄嗟に構えたその焔が、最大規模となって炸裂する。

 数式の収斂と共に爆縮し解放される質量は――しかし何一つ、キズ一つとしてルシファーにはついていなかった。

 ルシファーの翼は赤とも青とも、或いは紫とも緑ともとれる極彩色を帯びてその一撃を遮った。

 

「……そんな」

「極晃奏者であろうと俺以外ではその熱量では無傷では抑え込めないはずだ。素晴らしい完成度だ太陽天」

 次いでその手に生じた結晶が、次々と機構を編み上げる。

 ゼロから星の設計図を描き上げ、極大の炉心を組み立てた。

 

創生(フュージョン)――超電導爆縮晃星(スーパーリアクター)

 同時に、炉心に膨大な電流が走りながら、更に重力の分布が歪む。

  

 

「……あああぁぁぁ!!!」

 その炉心に取り込まれたジュリエットの全身は瞬時に攪拌されたかのように沸騰を迎える。

 

 ルシファーの極晃の性質とは何か。その本質は。

 そう考えを巡らせても、答えは出なかった。

 

 だが。

 地平線の彼方から、光のようにその男は再来する。焔と雷霆を纏いながら、ジュリエットを囲む炉心を両断し、済んでのところで彼女を救う。

 

「ポースポロスッ、貴方って人は……!!」

「安心しろ。……ここから先は、俺に任せろ。……恐らく、奴らに勝てるのは俺だけだ」

 今のポースポロスの姿は、もはや光の巨人と言うほかなかった。

 天閃双奏の二重眷属である以上、それまで以上に加速度的に彼の肉体は崩壊が進行している。

 

 絶対的な攻撃性と出力、それを制御しきれるだけの甚大な精神力があっても肉体がついてこない。

 閃奏ただ一つを運用することを想定した設計は、当たり前に天奏まで担う事は不可能だ。

 その有様は、彼女をしてもなお気の触れた光景だとしか言いようがなかった。今この瞬間でさえ、彼は甚大極まる苦痛を浴びているはずだ。

 そうであるにもかかわらず、意思疎通を続けていられることそのものが、ポースポロスの意志力のすさまじさを物語っていた。

 

「……分かった、多分加勢はできないけど頑張って。それにさ」

「なんだ」

「貴方のバカさ加減は、私が保証する。貴方は勝つ、必ず」

 その言葉に応えるように、ふとポースポロスはわずかに笑った。

 もう、帰ることのできないであろう死地に、全霊を込めて足を踏み出す。

 

 それから、大地を蹴り出す。

 

 

創生(フュージョン)――新性物質・創造(アークマター・デザインド)!!!」

「おおおおぉぉぉ!!!」

 裂帛の気合と共に、ポースポロスの剣はルシファーがその手に生じさせた結晶を打ち砕く。

 

 だが次の瞬間には、地上絵のように、地上と空に巨大な電子配線が編まれていた。

 それらは、音を立てながら駆動し演算を開始する。まるでそれは、旧暦に謳われる自動演算装置のように。

 

 何度も何度も、執拗に軌道修正をしながら地表から輝線が描かれる。ポースポロスの行動を学習しながら。

 数度の演算と共に、それらは未来のポースポロスの空間座標を捕らえた、

 

「捕らえたぞ。――星辰式演算回路、駆動!!!」

 それらは電流を通わせポースポロスの躯体に甚大極まる電磁界を生じさせた。

 

 しかし全身を焼き尽くされる激痛でさえ、天奏と閃奏の二重眷属と化した苦痛の方が勝っている。

 光のように疾駆しながらなおもその剣を振るう。

 天元突破の出力と集束性によって編まれた極輝の一撃は、もはや()()()()()()()()()無傷ではすまされないスケールに到達していた。

 

 だがルシファーの一二の羽がきちきちと鳴動すると、今度は翼を撃ち抜く前にまるで油膜に水が弾かれるように、その一撃は軌道が逸れた。

 

「……」

「……なるほど、さすがは天奏と閃奏といったところか。まさかここまで出力差を埋めてくるとはな」

 ポースポロスはその星の正体の概ねのところは掴みかけていた。

 

 元々のルシファーの星は現代科学において存在している物質の創造だ。

 だが、今この男がやって見せたことは何だっただろう。旧暦における、演算素子(コンピュータ)の再現。

 それは、新西暦においては金属の超伝導化と共に過去に捨て去られた旧暦の超越技術だったはずだ。

 

 次いで、まるで熱と電界の外力に対して斥力が働いたかのように不可視の力場が生じた一二の翼。

 

 その在り様に、ポースポロスはようやく見当がついた。

 

「……新物質創造能力。この新西暦の地上には存在しない、物理法則を超越した物質の創造能力か」

「聡明だな、木星天。限りなく、正答に近い。そして俺は正解者への褒美は惜しまないと決めている」

 また、その手には物質が創造される。

 

 今度はポースポロスを取り囲むように、いくつかの黒紫色の小片が生じる。

 だが、それは何の圧力も干渉も加えていないにもかかわらず、()()()()()()()()()()発生させた。

 

 ポースポロスの出力の一撃によってそれらは破断するが、まだ尚も試練は止まらない。

 

「ちッ――!!」

「次だ、木星天。貴様の好きな試練をくれてやろう」

 次に訪れたのは、()()()()()だった。

 

 その波濤を構成する物質は矛盾を矛盾なく成立させて全てを呑み込む。

 零度と灼熱、相反する二つの熱量を孕みながら襲い掛かる波濤はあらゆるモノを瞬時に冷却しながら同時に焼き尽くす。

 

「う、おおおぉぉぉ……まだだッ!!!」

 全身が冷却と蒸発を同時に迎えながら、ぴしりと音を立てて死を破却してポースポロスは甦る。

 当たり前のように、己が死を覆して。

 

 そのたびに損傷を深める。

 

 天元突破の出力と操縦性の辿り着いた果ては、()()()()()()()()()()だった。

 対するポースポロスは、そもそもとして極晃奏者ではない。

 

 辛うじて、閃奏と天奏の加護を得て天秤の傾斜を完全に傾く寸前で抑え込んでいるだけだ。

 

 その仮初の拮抗もポースポロスの意志力と彼の器がどこまで耐えるか――極論、彼が死ぬのが早いか遅いかという話でしかなく、まして勝利等絶対的に不可能だった。

 

 

 まるで地上に反発するようにルシファーは宙を超高速で闊歩して見せる。

 反重力の性質を帯びた物質で翼が構成されているからだ。

 

 

 振るわれる天霆の一撃を、今度は()()()()()でその翼は打ち払った。

 モース硬度もクソもない()()()()()()が勝った。()()()()()()()()()()だ。

 なぜなら、そういう性質と成る様に設計された物質だからだ。

 

 

 極限の熱量を帯びるポースポロスの肉体を、ルシファーの結晶剣が無情に引き裂いた。

 ()()()()()()()()()()()絶対的な耐久性が勝った。やはりこれもまた、()()()()()()だ。

 なぜなら、そういう性質と成る様に設計された物質だからだ。

 

 

 

 そうして鍛え上げられた絶対に破壊されない剣は、ついにその借り物の天霆と神焔さえ両断した。

 新物質の創造という極晃の真価は単なる物質の創造だけではない。

 

 創造された物質は、新西暦の――第二太陽の定めた物理法則を逸脱する。

 ルシファーの定義した物理法則と方程式の下、それらは厳粛に秩序を制定し執行する。

 

 それこそが暁奏の絶対たる権能。

 

 燃焼効率の狂った新物質が創造される。

 入力を出力が上回る、効率が一を超える燃料が生み出される。

 ――永久に無から熱量を生む、禁忌たる永久機関が生み出される。

 

 世界はもはや、地獄を成していた。

 

「――木星天。俺の望みは人間も、この世界も、一から設計し直す事だ。あらゆる生命も環境も、大気も海も大地も、()()()()()()()()()()()やり直される。不老不死など、()()()()()()()()()()()()でしかない」

「……人間の基礎設計そのものを作り替え、知覚も能力も向上させ誰しもが己が可能性を追求できる世界――そして、後に続いて生まれるであろう極晃をも許容できる新世界秩序、か?」

「そこには、他者との衝突による自己の損耗などというくだらない事象は存在しない。配慮しなければ破壊されるような脆い世界も、病も死も、存在しない。俺は神奏ほど結論を急ぎはしない。人類の基礎設計が最低でも人造惑星以上となる、たったそれだけの事だ」

 たったそれだけと、その狂気をルシファーは語る。

 可能だろう。それはジュリエットを説得させたに足る論拠だ。

 何より彼の見せたその権能の数々が、実現可能性を端的に物語っていた。

 

 

「多くの場合、人類が可能性をあきらめるのはその肉体の軟弱さに由来する。なればこそ、まずは完全たる肉と血を与えよう。死という不完全性も廃そう。未来では己が肉体を己で組み替える機能も実装しよう。その研鑽の果てに、いつか俺達に並ぶ者を俺達は至高の座で待つ。それが、俺達の望みだ」

「なるほど。……それもまた、多くの人間を決して不幸にはしない権能だろう。否定すべき要素などどこにもない。人類救済においてはその在り方は()()()()()()だろう」

「だが、お前はそれを認めないと言うのだろう?」

 当たり前だ、とその光刃が振るわれるが、それさえもルシファーにはもはや届かない。

 まだだ、そう叫んでもなお、もはや戦況は覆らなかった。

 

 心は心。万能の燃料などでは、決してないのだから。

 

 やがて決着は順当に、そしてあっけなく訪れる

 

 一二の翼が、木星天の肺腑を貫いた。

 度重なる閃奏の権能も、その奇跡の在庫は底を衝いた。

 

「ぐァ……!!」

「極晃を持たぬ身でよくやったとも。真実、お前に敬意を捧げよう。誇るがいい、お前は俺が敬意を捧げるに値する至高の宿敵だった」

 

 翼に突き飛ばされながら、木星天の躯体は宙を舞う。

 それからジュリエットの傍らへと、ざりざりと無惨に転がる

 

 

「ポース、ポロス。ねぇ、起きてよ。……起きて、お願いだから……!!」

 もはやポースポロスの躯体はからは天奏と閃奏は掻き消えていた。

 その意志力に、躯体が追従できなかった結果だった。

 

 

「……太陽天。お前にも、敬意を表そう。俺達に反旗を翻す決断を下し、そして俺達を木星天と共にここまで追い詰めた。お前の目指した未来もまた、俺達が責任を以て成就させよう。……安心して眠れ、お前の妄執はここで終わる」

「……、堕天」

 ポースポロスの肩を抱きながら、ジュリエットもまた彼を庇うようにその身を挺する。

 

 それから、決して離さないようにジュリエットはぎゅっと、ポースポロスのその肩を抱き寄せる。

 せめて少しでも痛みを感じないように、盾になれるようにと。

 

「ねぇ、ポースポロス。貴方は、頑張った。私は到底出来ない事を頑張ってくれた。私の夢は間違ってないと。……バカはたとえ死ななくたって、ちゃんとある程度は治るんだって証明してくれた。……だからもう、無理しないで。例え今までも一人でも、死ぬときは同類として貴方と一緒に居てあげるから」

 ジュリエットのその涙がポースポロスの胸へ落ちる。

 堕天の剣は、ただ無情に振り下ろされた。

 

 その刹那に。

 

 彼女の涙の最期の一滴が頬に落ちるその刹那に、ポースポロスの瞳に一筋の輝きが宿る。

 

 

 

「――あぁ、まだだ。ジュリエット。お前の灯を、決して俺は絶やしはしない」

 

 

 

 

 

 

 その剣は、輝く二人を別つことはなかった。

 ポースポロスは血をにじませながら、その剣を握りつぶさんばかりに力を込めて食い止めていたから。

 

「……木星天」

 瞬間に、その剣は砕かれた。

 絶対に、砕かれないはずのソレが、微塵に。

 

 彼の裡より真実の怒りが、紡がれる。

 

 

 

 

 

 

「天昇せよ、我が守護星――鋼の恒星(ほむら)を掲げんがため」

 握りつぶされ粉砕された剣はただの鋼の屑になってさらさらとポースポロスの掌を滑り落ちる。

 

 

「蒼穹目指す天駆の残火は、地に堕ち地に満ち地獄の河を焼き尽くした。九圏の奈落の彼方を越えて、灰より翼は新生する。天翔けよ、光の翼――炎熱の象徴とは不死なれば」

 奈落を越えて、地に伏した翼は再び熱を帯びる。

 ジュリエットが、ポースポロスに肩を貸しながらその胸に手を当てる。

 

「地獄の冷たさが、煉獄の熱が天国目指す我等の翼を鍛えるのだ。永遠なる愛しきわが恒星(あなた)、我は御身の傍に在ろう。その輝きを以って我等の大地に邪悪は照らされる」

 輝く星辰体が、彼らを祝福するように包んでいく。

 どこまでも深く、深く。ポースポロスとジュリエットは、その鼓動を一つにする。

 

「落ちたる星の如き刹那の輝きを以って、総ての罪業を破壊しよう。聴くがいい、偽りの楽園に終末の喇叭は奏でられた。遍く邪悪なる者どもよ、我が墜落を焼き付けろ。その暁に汝が末路は訪れよう」

 遠い過去に、ジュリエットに焼き尽くされたはずの双刀の片割れが、ポースポロスのその手に宿り、蘇る。

 もはやその躯体に罅など無く。そして、閃奏も天奏もいなかった。

 閃奏の眷属としてでもなく、天奏の眷属としてでもなく己のつかみ取った運命だったのだから。

 

「叫ぶがいい、穢れた大地に失楽は訪れる。審判の日、浄罪の熱に抱かれた大地に、花々は再び咲くのだから。三界の果て、十天の彼方、我が創星の暁に清らかな光と暖かな熱を運ぶのだ」

 故に彼らは己が勝利を叫ぶ。

 其は矛盾に在りながら、矛盾に在らず。

 秩序の挑戦者たる光の資質を帯びながら、しかしポースポロスはその秩序をこそ護るために、剣を握る。

 勝利とは――ただ、そこに在る営み(秩序)を護る事。只人である事に対し、生に対し真摯である事。

 

 天駆の系譜を継し者、太陽神に連なる者。彼らが奏でるは暁に在らず曙に在り。

 

 ――故にその名を、星辰曙奏者(スフィアセイバー)

 

 

「超新星――落暉新生、十天の彼方(Litgtning Sphere)を拓け曙の剣(Saber)!!!」

 




熾高天の新生、十天の彼方に響け楽園創造の福音よ
AVERAGE: AAA
発動値DRIVE: EX
集束性:B
拡散性:AAA
操縦性:EX
付属性:A
維持性:A
干渉性:AA
新物質創造・素粒子操縦能力。
天元突破を遂げた発動値と操縦性は、粒子・物質というこの世界のルールを逸脱する。
その発動値と操縦性は無限の計算能力と新物質の創造性となり、顕現する。
この地上には存在しない、物理学を超越した物質・素粒子の数々を創り上げ、更にそれを上位変革(アップデート)させる能力。
更にその根幹を成すのはウェルギリウスの星より端を発する素粒子操縦である。
あらゆる物質の最小単位たる素粒子をも操るその操縦性は、限定的な因果律操縦をも可能とする。 
無からエネルギーを生み出すモノ、或いは沸点や融点の存在しない鋼材、燃焼効率が一を超える燃料――旧暦の半導体と同等の機能を有するモノ。
ルシファーの生み出すあらゆる新物質は、星から生まれたモノでありながら新西暦の秩序すら逸脱し、新たなる物理法則体系を形成していく。
その星を以てすれば現状の人間や地球環境の構成物質を一から設計し直し一新することも可能である。全人類の自由意志による不老不死化などは所詮はその通過点に過ぎない。
人類救済、その一点に関してのみ述べるのであれば神奏に準ずると言っても何ら差支えはないだろう。
さながらソレは、この世に非ざる楽園の創造主の如く。
失楽の園たる新西暦を焼き捨て、真に楽園たる熾高天を創り上げんがために、彼は侵略する。
物質文明の覇者にして輝ける一二の翼をもつ者。それこそが暁の子である。


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冥界、境界、人界――そして / Stella

Star、Sphereであれ、星という意味合いの単語はいくつか存在します。
そして神曲の末節は天国篇も煉獄篇も地獄篇も星、という名が充てられます。
つまり、どういうことなのかというのが今回の話にもなります。

恐らく、完結はあと2-4話ぐらいです。
謝すのは少し早いですが、本当にここまで見てくださった方々、ありがとうございました。


 かくして、世界は都合四度目の変革期を迎える。

 

 

 

「地獄の淵より新生したか、落暉。やはりお前は素晴らしい、想定の悉くを裏切ってくれる」

「神を気取るのもそれまでだ。貴様の望んだ楽園はこの世界に訪れはしない――未来永劫な」

 旭を映す、曙光の剣がルシファーへと飛来する。

 それは容易くルシファーの羽を叩き折り、次いでポースポロスとジュリエットは共に宙を踏み出す。

 

「私は、私の過ちを償うためにも魔女を討つ。――往こう、ポースポロス」

「あぁ、往くぞ。この楽園に、終末をくれてやる」

 極光の輝きは、その軌道上の全てを貫いて破壊する。

 ルシファーの生み出す新物質群(アークマター)が環境を侵略し改変していく。

 

 全ての生態系の基礎構造は変革を遂げる。

 虫が、木々が、或いは何の変哲もない石くれでさえ。

 

 虫の一匹が自己を変革し増殖していく。千にも、万にも、億にさえも到達する。

 それら一匹一匹は非力でありながら、しかし間違いなく()()()()の性能を持っていた新たなる生態系だった。

 

 

「貪り食らえ――自律変革・貪食飛蝗群生奏(グリーディ・ベルゼバブ)!!!」

 一挙に、それらは顎をきちきちと鳴らしながら襲い掛かる。

 金属や非金属というくびきさえ超越した躯体を持ちながら、超小型の虫型魔星群が一斉に雲霞の如く襲い掛かる。

 

 まさしくその有様は虫の王(ベルゼバブ)だ。

 

「ポースポロス。そこは私に任せて――!」

 ジュリエットの手に生じた光体は、極小規模の太陽風となってそれら魔星群を一挙にして蹴散らす。

 翼を焼かれ、その躯体さえ同じ極晃の域に達した者の焔の下では、ただただ融解を遂げるのみだった。

 沸点も融点も存在しないはずの装甲は一撃のもとに焼き尽くされた。理外の熱量を生み出し続ける彼女の気力が、ルシファーの設計をねじ伏せた結果だった。

 

 だが――、その中のいくつかの完全死を遂げなかった魔星群は、更に自律しながら自己を変革させその耐性を得て飛翔する。

 生物が免疫を獲得するように。

 

「……これが、貴様らの言う変革か。楽園とはよく言った。人類の変革の果てに行きつく先は、人類ですらない何かだ。これを見たかったと、これを待っていたと、本気で宣うのか」

「……今、私は反旗を翻して心底から良かったと思っているわ、ドクター・ウェルギリウス。人奏は人類には早すぎる星かもしれないけれど、暁奏は()()()()の問題よ」

 進化というにはあまりにも悍まし過ぎる。

 原生生物からの人類進化の過程を早送りした光景もそのようなものなのかもしれない。

 本来であれば数千年、或いは数万年をかけて行われるであろう種の進化がたった数秒で達成される。

 文字通り死の克服など、その途上で果たされる程度の話でしかなかったのだ。

 死とは、その途上で一蹴される程度の事象でしかなかったのだ。

 

 これが人類だと――人類の輝かしい進化の模式図だと果たして言えるのか。

 

「語弊があるわね木星天、太陽天。人類の在り方はもまた進化を遂げるという事よ。腕と足の本数も、目の個数も、それは飽くまで今の世界において最適化された結果に過ぎない。旧暦においては、人間の祖先は猿だったとされるらしいわね。その猿でさえ、元を辿れば単純な細胞の塊だったとも。今が過渡期ではないと、なぜ人の知性で言い切れるのかしら」

「言えるに決まってる。それは本来、進化の速度に適した文明と認知の進歩が傍らにあってなされるべきモノよ。今の私達が千年前の人間に文明を説いたとて、道具を与えたとてその人たちにはその使い方は理解できない。意志を置き去りにした肉体の進化がどのような結果を招くのか、理解しているの?」

「私達は()()()()()、後は各々が自由な進化や退化を遂げればいい。結果が堕天であれ昇天であれ、それは私の関知するところではない。強くなりたいならなればいい。高機能化したいのなら歓迎するわ。それでルシファーや私の領域に届く者が私達を尋ねてくれることを私は祈っている」

 おぞましく映るこの光景でさえ、熾高天が齎す未来においてはやがて普通と成るのだと言う。

 人の在り方さえも、根本からそれらは変えかねない。

 

「結局のところ貴様らはどこまでも情けなく空しい、己が孤独に向き合えなかっただけの塵屑だ。同類が、或いはある共通項において自分たちに比肩し得る者が欲しかっただけだろう。人類を変革する? ――よくほざいた、()()()()()()()()()()()()()()()者がどの面を下げて諸人にこの足跡に続くのだと語り掛ける」

 怒りと共に放たれる剣閃が光の波濤となってルシファーとウェルギリウスを襲い掛かる。

 それをかいくぐりながらなおも星を創生する。

 

「敢えて問おう、貴様らはなぜそうまでして世界を――人間を改造したい。貴様らの目に映るソレらはそれほどに退屈か。秩序とはそれほどに守る価値のない、退屈なものか」

「退屈だな、それらに殉じる連中も俺とウェルギリウスからすれば理外もいいところだ。世界とは、観測者の認知の集積の上に成り立つ概念だ。であればなぜ世界はウェルギリウスを排斥する。なぜ――なぜ、誰もウェルギリウスや俺達についてこれない。俺達が孤独? ――当たり前だな、人類が俺達の領域に至っていないからだ」

 耐性を得て襲い掛かる機虫の群れは、ポースポロスの剣では絶対的に拡散性故に太刀打ちができない。

 ――その、はずだが。

 

 天に掲げた曙の剣がたった一度、一閃された。

 その刹那に――百を超える剣閃がただの一閃として()()()()()()()()放たれる。

 

 都合、百回放たれたその一撃が機虫の群れを微塵に焼き尽くして滅ぼした。

 

 今ポースポロスがしたことは何ら特殊な事でもない。絶滅光、灼閃光に匹敵する一撃を、()()()()()振るっただけだた。

 

 

落暉新生、十天の彼方を拓け曙の剣

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AAA

集束性:EX

拡散性:D

操縦性:AAA

付属性:E

維持性:E

干渉性:E

 

 

 

「――なるほど、集束性の極点。即ち、百余の事象を今この瞬間に()()()()()()という事か。多元事象の並列召喚――即ち可能性の限定時空間への極限集束および出力。お前の取り得る行動総てを()()()()()()()()()()()()()、それがお前の極晃か」

 その剣閃を放つ瞬間、わずかに蜃気楼のようにポースポロスの躯体は重なった。

 それこそポースポロスの権能――事象多元並列召喚能力。

 

 この新西暦において、ポースポロスのあらゆる可能性は()()()()()()()()()()()

 

 ポースポロスもまた因果を光速突破したが故に、彼の可能性は一本の糸のようにこの次元に集束する。

 無限の可能性をその裡に宿す、曙の剣。

 

 英雄、太陽神の在り方を継承しながらしかし彼は因果の破壊ではなく、因果の縫合を選んだ。

 

 左に振るう剣、右に振るう剣。あるいは縦。それらの一撃の数々は重ね合わされる。

 その一撃さえ極まった集束性は致命に至らしめる。

 

 端的に述べて、彼のその攻撃性は先駆者たる閃奏、或いは烈奏に何ら劣るものではなかった。

 

 

「問を戻そう。答えの導出は容易、即ち俺達の視座を理解できる段階に人類はいないからだ。倫理がどうした、道理が何だという。それは俺達以外が共有しているだけのものだ。命とは強く在るべきで、往ける限りを往くべきだ。――例えば、このように」

 パチン、と成る指と共に、更に生態系が書き換わっていく。

 急速に成長していく木々が、生物が、それぞれの異種間の細胞を融合させていく。

 それは塔のように際限なく成長を遂げながら、やがて蛇のような巨大な龍体へと変じた。

 種の壁すら越えて個を捨て群として生態系を成す、恐るべき星辰体運用兵器と成る。

 

 それはまるで、かつての土星天のように。

 その口が開くと、その体躯の全てが加速器を成して駆動する。

 鋼の喉に破滅の光芒が装填されていく。

 

 光を越える速さで加速された粒子の奔流がポースポロスとジュリエットを目掛けて放たれる。

 猛毒の放射線を孕みながら飛来するそれは同時に、時空間を歪めながら軌道上を奔っていく。

 

 ポースポロスとジュリエットの全身はその瞬間に焼き尽くされた。恐らく十数度は蒸発して余りある熱量だが――同時に、その程度ではポースポロスの()()()を砕くことはできなかった。

 

「まだだ――!!!」

 目に奔る決意の光が並列する事象の中から()()()()()()()()()()()()、この次元へ召喚した。

 返す刀で振るわれた一閃が、空間さえ破砕しながら輝線を両断し龍体を斬り伏せた。

 

 太陽が昇る事は自然摂理であり、それと同様に曙光の輝きは何者にも打ち砕くことは叶わない。

 

 

「事象の集束――なるほど、今度は並列する事象から己の生存という結果を集束し出力したか」

 今度は、ルシファーは白兵戦の土俵に引きずり込まれる。

 極彩色の結晶剣を携えて放たれる剣閃はしかし、裂帛の気概と共に放たれるポースポロスの一撃によって微塵も残さず破壊される。

 

 その次の瞬間には、またルシファーの剣が形成されるがそれさえも容易に打ち砕かれる。

 

「……俺の設計ではお前の意志力には届かないという事か。ならば届くまで改良するだけだ――!!」

 何度も、何度も、破壊されるたびに設計を計算し直し、剣を創造する。

 砕けた残骸を散らしながら何度も何度も、再計算を試みる。

 絶対的数理の下に鍛造と鋳造を繰り返しながら、尚も剣は破壊される。理論値の悉くをポースポロスが上回り続ける。

 

「おおおおぉぉぉぉ!!!」

「まだだ――、届け……奴の強さに!!!」

 ルシファーの資質は概ねほぼ総てにおいて、ポースポロスを上回っている。

 

 ポースポロスの勝利条件は至極単純で、防御不能の攻撃を至近距離でルシファーに叩き込むという一点に集約される。

 対してルシファーの勝利条件はその逆、接近戦などもっての外――その全方位の資質を生かして多元的にポースポロスを追い詰める詰将棋だ。

 

 智と力――対極たる両者の在り方を映す鏡のようでもあった。

 

 意志力の程度はほぼ互角を見てもいいだろう。故に総合値を問うならばその勝率はルシファーが優勢だ。

 

 射程、そしてもはや界奏に次ぐとさえ言えるであろう手数がルシファーの総合値の根拠であり、故に疑う余地のない論理の帰結だ。

 対して、ポースポロスに与えられたのはただの剣だ。限りなく、この世の万象が()()()()()()()()という程度の剣。その一つしかないが故に、その一を極限まで研ぎ澄ませんとする。

 

 飛来し並列して訪れる事象の全てを演算しながらも、同時に己の核に届き得ない極限の間合いを見計らいながらルシファーは剣を振るう。

 百を超える剣の試作品が砕かれ続ける。もはや接近戦など無意味と悟れば義体を編み上げそれを単純な爆弾のようにぶつけて距離を突き放す。

 

 永久機関の搭載された、生機一体たる機動城塞が生まれればその核をポースポロスが抉り抜く。

 常温で核融合が勝手に起こる、人類の夢の具現のような物質をルシファーが創り上げれば、それを上回る熱量をポースポロスは捻り出す。

 

 人類の、物質文明の夢がこれでもかというほどその空に描かれる。

 反物質が、常温核融合が、負の質量を持つ物質が――あるいは、新西暦における半導体演算素子が。

 

 皇都を数度は焼き払う甚大極まる熱量と山のような奇跡の残骸を散らしながら聖戦は紡がれる。

 

「安心して傍観するがいい、この地上の極晃奏者共。俺達が()()()()()()()()()()()()()とも。物質文明の進化の設計図を、俺が手ずから創り上げてやろう」

 そして、ルシファーはその手を天に翳す。

 そこに、新たなる設計図が紡がれる。

 

 その設計図は――即ち、()()()()()

 

 自己組織化する新物質が、素粒子が異なる次元の世界を創り上げ、ルシファーとポースポロスを新西暦から隔絶していく。

 それはつまり――ルシファーとポースポロスの聖戦の場と言う事でもある。

 

「来い。地上はあまりにも、聖戦には狭すぎる」

「上等だ――諸共、焼き尽くしてくれる」

 その瞳に光の軌跡を描きながら、暁と曙を呑みながら特異点は燦然たる光輝と共に皇国の天上に立ち上った。

 

 それはさながら、神なる詩篇に謳われる至高の天が如くに。

 

 

「ありがと、騎士様。もう降ろしていいよ」

 言って、クラウディアは聖庁に立つ。

 それから、空の彼方を指さす。そこには、太陽と見まごうほどにひときわ眩しく輝く何かがあった。

 

 

「……ロダン、様。アレは」

「信じたくない光景だが、多分ポースポロスとルシファーは極晃奏者になった。……つまり、聖戦の開幕だ。不味い、なんてものじゃない。最悪、どちらが勝つか以前に()()()()()()()()()()()

 神星と英雄――そして堕天と落暉。

 大局的に見て、その構図は聖戦と何も変わって等いない。

 

 まだだ、まだだと叫び続ける。そんな光景が目に浮かぶ。

 恐らく、聖庁まで移動してきた事は間違いではないだろう。あのままあの場に留まっていれば、共々巻き込まれて俺達は死んでいた。

 

 姉さんも、水星天も、エリスも、皆無事だ。

 だが、ポースポロスは今もなおあの特異点で戦い続けている。

 

 事態はもはや人智を逸脱し、世界の運命はポースポロス一人に託された形になる。

 

「木星天まで極晃奏者になるのは想定外だった。彼らは永遠に成長し続ける。そうして、多分エリスと騎士様の描くだろう極晃は、当たり前に負けると思う」

 ……脳裏に浮かぶのは、かつてエリスと極晃を描いた記憶だった。

 あの星で、ルシファーに勝てる未来が思い浮かばない。総合値が絶対的に足りていない。

 

「……ポースポロスの勝利を祈る以外、ないのか?」

「現状、それが最適解。……救世主になってほしいと言った手前で、本当に御免。私には、騎士様が勝つ姿を信じ切れないの」

「謝らなくていい。数学ぐらいは分かるさ」

 だが、行き着く果ては聖戦だ。

 世界は不可逆の変革を遂げるだろう。

 

 ……ここまで来て、手詰まりだ。

 その変革の果てに世界はどうなるだろう。

 曖昧な言い方をせずに明文化するのならばまず、ポースポロスとルシファーの激突による熱量が最低でも聖教皇国全土を覆いつくすだろう。

 そうなったとき、姉さんは――クラウディアは、諸共に死んでしまう。

 

 次は、冗談ではなく地球全土を焼き尽くすだろう。

 その次は第二太陽もただの余波で消し飛ぶ。

 では更にその次は。

 

 次は、次は次は次は。

 

 出来るはずがないと言う希望的観測と、奴らならやらかしかねないという絶望的観測を比較して、圧倒的に勝ったのは後者だった。

 ルシファーはそれを斟酌などしないが、ポースポロスは決して地上を焼き払う事を望んでなどいない。

 

「……ダメだ。それは、それだけは絶対に受け入れられない」

 言葉にして、それでもどうすればいいのか。方法が思い浮かばなかった。

 

 だが。そこで俺達の背へ声が投げられる。

 それは、この場に在るはずのない声で。

 

 

 

「――えぇ、まだよ。エリスさん、ロダンさん。私達は、まだここで終わりはしない」

 

 

 後ろから投げられた声の主は――オフィーリア副長官だった。

 白衣のところどころに泥の汚れがあり、かけた眼鏡に罅が入っていた。

 

 出で立ちは戦地帰りの医者のようにも見える。幽霊だと言われれば恐らく今俺は納得してしまいそうになるだろう。

 ルシファーとの戦闘で討たれ、装甲監獄の底で亡くなったと聞いていたが確かに自分の目で、副長官を見た記憶は俺にはなかった。

 

「……オフィーリア、様。貴女は、ルシファーに敗れて亡くなったはずでは?」

「……私も、そう思ってたわ。エリスさん」

 痛むであろう肩を自分の手で抱きながら、副長官はそう語る。

 ……本当に幽霊が現れたのかとさえ、俺は思った。……でもこれは間違いなく現実だ。

 

「暫くあの地下で気絶して寝ていたらしいの、私。それから目を覚まして、必死に廃墟と化した装甲監獄を昇って、やっと地上に出て――」

「ルシファーが仕留め損なった?」

「私を助ける者はあの時いなかった。だから逃れられた理由があったとすれば、意図的に殺さなかった。という事しか考えられない」

 信じられない話だ。

 ルシファーが、なぜ副長官を生かしたのか。

 それはつまり、ウェルギリウスに対する背信行為だ。ルシファーは徹頭徹尾合理を重んじるはずだし、そうする合理性が理解できない。

 ……ますます、ルシファーの目的がよくわからなくなる。

 

「……とにかく、私は幽霊じゃないわ。ロダンさんに出した食事の内容を覚えてると言えば、本人なのは分かるでしょう?」

「わかった、貴女が幽霊じゃない事ぐらいは理解してるよ副長官。……まずは場所を移させてくれ。いろいろ言いたいことも積もるわけで、腰を落ち着けていられる暇がないのは分かるが早口だ」

 副長官は顔を拭いながら、そう言った。

 

 

「言われなくてもそのつもりよ、ロダンさん。エリスさん。……それから水星天とそこの方々は――」

「俺の姉さんと、銀月天――クラウディアだ」

 初めて、副長官と顔を合わせる人もいるはずだ。

 姉さんははじめまして、と距離感を見計らいつつそう会釈する。クラウディアもまた、怪訝な顔をしながら挨拶をする。

 

「ハル、さんは一応貴方の周辺人物として知っているわ。……貴女が、あの銀月天?」

「……騎士様、私の事なんて吹き込んだの? 一応初めまして、になるのかな。貴女が先生の昔の知り合いだったっていうオフィー……、オフェリア? さんでいいのかな」

「訛りの違いもあるけれど、オフィーリアでいいわ。クラウディアさん。……貴女が、エリスさんの創造主、と呼ばれる人であってるかしら」

「あってる。外見年齢がコレだけれど、一応エリスのお母さんってことになるのかな。……それでオフィーリアさん。……もちろん、貴女には暁奏打倒の心当たりはあると解釈してもいいんだよね? 私も、ある意味ではソレを目的にここまで来たから」

 そう、目下の問題はそこだ。

 理屈で言えば、どうしようもない状況だ。

 ルシファーとポースポロスの戦いに下手に介入すればこちらが巻き込まれかねない。

 かと言って、世界の行く末を任せるのはあまりにも無責任で、無茶だ。

 

「……今から貴方達に案内したい場所があるの。今聖教皇国において、縋れるモノはそれしかないから」

「それは?」

 この状況を覆し得る可能性がある、聖教皇国――そして極晃。

 考えた時、思い至るモノはただ一つだった。因果の皮肉とその収束に、苦笑いさえ浮かんだ。確かに、天に階段を架けるならば、一つしかありえない。

 

「――かつて、神天地創造事件と世に呼ばれた事件を引き起こした炉心。世界樹の社よ」

 

 

 

 

 

 いくつかの幾何学用の紋様を走らせながら、いくつかの荘厳な鳥居がそびえたつ。

 聖教皇国という国家の最高機密に相当する区画であることは疑いようは無い。

 神天地創造事件を引き起こしたという炉心は今もなお、その深奥に黙して坐してしている。

 

 神殿、或いは社。そう形容するのが相応しい荘厳たる意匠と威容だった。必然性か、創造者の嗜好かは俺には判じかねるし興味はあまりなかった。

 

 そこを、ゆっくりこつこつと歩く。

 

 間違いなく、今ここに在るのは星辰体運用技術の最先端――かつて神祖と呼ばれた者達が組み上げたシステムだ。

 

「……いいのか、副長官。こんなところに案内させて」

「神祖が去った今となっては、それほど最高機密というわけではないわ。星晶樹の創造機能は喪失したけれど、それでもまだ膨大な星辰体の制御装置としての役割は果たせる。……それこそ極晃創星に瞬時に必要な程度の量は」

 ……ここに、どれだけの争いがあったのだろう。

 炉心への階段のところどころに、剣で抉られたようなの傷跡がある。

 神祖を滅ぼした者達の死闘の跡が垣間見える光景でもあった。名も、顔も知らない彼らは何を想い、何へ挑んだのだろうか。

 馳せる想いと感じる因果はあるが、それはまた後でだ。

 

 

「つまり、これが聖教皇国の最期の砦というわけか」

「えぇ。……そして、この炉心を利用しロダンさんとエリスさんの極晃を創星し、二人をあの特異点に撃ち込む。少なくとも、聖教皇国で現状唯一の勝算よ」

「……つまり俺たち次第か」

 確かに道理は通っている。

 けれど担わされるであろう宿命は、あまりにも重すぎる。

 

「神天地で極晃を一度描いた人たちは、言わば世界樹の枝葉のようなものね。特異点の彼方にその答えを刻み付けることも敵わず散った。――そして、だからこそまだ尚、ロダンさんとエリスさんの極晃は白紙のままなのよ」

「白紙ゆえに、以前の極晃とはまるで性質の異なるモノになる可能性もある、ということだな」

「この装置も、幾度か改修を行って今は幾分か平和的な用途に転用できるようになっている。想定される用途はもちろん、対魔星――そして」

「極晃奏者、か。……表向き、神祖の時代が終わったとは言いつつ、やる事やってるんだな」

「人聞きが悪いわね、神祖の遺産の真っ当な用途への有効利用よ」

「星辰人奏者が聞いたらはたしてどう思うやらだ」

 制御用の端末のような何かを操りながら、副長官は鳥居様の制御装置の向こう側を見遣る。

 それから、ひびの入った眼鏡をはずし、俺とエリスに問う。

 

「最終確認だけれどロダンさんとエリスさんには、拒否する権利がある。恐らく一度往けば帰ってこれない可能性の方が圧倒的に高い。……そんな運命は、例え国家や秩序の存亡がかかっていても勝手に決めていい事ではないと思っているから」

 少しだけ、エリスと視線を交わす。

 綺麗な、澄んだ赤い瞳。そこに迷いはなかった。

 返す回答は、さほど困りはしなかった。

 

「――いや、ありがとう。副長官。その心だけで十分だ。貴女を魔女だとは俺は思わない」

「オフィーリア様。私達は、とうの昔に覚悟はできています」

 何のために戦うのか――それは、あの子のために。

 火星天の、金星天の、或いは水星天のために。

 

 ……魔女が奪ってきた誰かの物語を、在るべき場所に還すために。

 

 

「……ありがとう、二人とも。元々この装置は神祖の星辰波長に最適化された論理体系をしているから、それをエリスさんとロダンさん用に最適化し直す必要がある。まだ少し時間はかかるけれど、可能な限り急ぐわ。貴方達を送り出すまでの間をどうか悔いの無いように時間を使って」

 

 

「姉さん」

「ロダン。……本当に、往くの?」

「いくよ、エリスを連れて」

 ……聖庁の外で、少しだけ俺は姉さんと出かけた。少しだけ、視線を伏せていた。

 エリスはクラウディアと一緒にいると聞いている。

 こうして、改めて姉さんと一緒に手を握りながら外を出ると、まるで子供の頃に戻った時のようでもあった。

 それから、姉さんは少しだけ俺の背に縋る様にだきついた。

 

「……ロダン。私は貴女も、エリスさんも好き。だから行ってほしくない」

「俺も、姉さんの事は大好きだよ。子供のころから、憧れじゃない日なんてなかった」

「それは、家族として?」

「……姉さんも、厳しいことを聞いてくれるなぁ」

 姉さんの事を、異性として好いている心がないと言えば嘘になる。

 だから、姉さんが俺を引き留めようとしてくれることが、俺には嬉しかった。

 

「私はエリスさんの事は好きで、やっぱりそれでも本音を言えばほんの少しだけ嫌い。……もう一度、振り向かせて初恋の相手が誰だったか、どこかの三文作家に思い出させてやりたいの。だから、必ず帰ってきて――エリスさんと一緒に」

「……ありがとう、姉さん。いつか、姉さんの言葉にちゃんと答えられるようになりたい。だから待っていてくれ。俺も、エリスも、姉さんの事が大好きなんだから」

 姉さんの体を、そっと抱きしめた。

 もう二度と逢えないかもしれないから。

 

「……少しだけ、妬けるなぁ。エリスさん。私も一緒に、いたかった」

「――姉さんも、一緒だよ。決して。俺は一人じゃない」

「それってどういう――」

 泣きそうになる姉さんの頭を撫でる。

 子供の頃、いつも姉さんが俺にしてくれたことだった。 

 

 

 

 それから、俺は少し考える。

 ……なぜルシファーは副長官を生かしたのか。

 ……ウェルギリウスの絵図とはなんだったのか。

 

 至高天の階達は、言うまでもなくその絵図は神曲に準えたそれだった。

 神星――地動説における星達と、番外たる冥王星。

 魔女――天動説における遊星天。

 

 だが神星のそれに比べて、魔女の筋書きは幾分ちぐはぐだ。

 第四世代人造惑星は、詩人と淑女の関係を当てはめたそれだろう。

 十なる天の旅路において、詩人が最初に訪れる遊星天は月の天だ。そうした意味では確かに銀月天は構図においてははまり役という奴だった。

 

 水星天、火星天。それらの由来もまた、当然十の遊星天だ。

 しかし太陽天は旧暦における暁の神性たる女神、エオスに準えている。

 木星天もまた、旧暦における暁の明星を意味する神性、ポースポロスに準えている。

 

 かと思えば、原動天は神の詩篇における詩人の師にして賢者たるウェルギリウス。

 恒星天は原初の混沌の子たる暗夜の神性ニュクス。

 

 極めつけはルシファーの座だ。

 

 ウェルギリウスの創り出した魔星たる至高天にあたるルシファー。その語源もまた、この国において聖書に慣れ親しむ者において知らぬ者はいないであろう。

 かつて高き御座に在りてその傲岸が故に地に堕ちた暁の子。

 そのルシファーは明けの明星とも訳され、そして金星もまたの名を()()()()()という。

 であるならば金星天の座が本来はルシファーに与えられるべき最もふさわしい名でありながら、しかし現実としてその座を与えられたのはユダだった。

 

 強引に解釈してもいいのなら失楽園であれ、旧暦宗教上の最大公約数的な解釈におけるそれであれ、ルシファーは叛逆と自由、或いは傲慢という属性を持つ神話的存在だ。

 

 金星天を叛逆の象徴と捉え、ユダ――つまりは同じ叛逆者の名をそこに充てたというのなら、理解できなくはない。ただウェルギリウスがそんなことを意識しているとは思い難い。

 

 性能値として至高の名にふさわしい者として、ルシファーを至高天に充てたのだろう。

 

 ……モチーフが錯誤しているにもほどがある。ちぐはぐ過ぎて宗教や神話の闇鍋のような有様だ。

 ただし神曲も旧暦の実在する人物や多数の他の神話的存在をその構図の中に持つ、ある意味では混沌さに富んだ作品だ。

 

 ウェルギリウスの宗教観や思想は俺は知り得はしない。

 だがウェルギリウスの設計した魔星たち、その絵図の根幹にあるのは間違いなくかつて神曲と旧暦において呼ばれたモノだ。

 だが神曲とは、元々旧暦の原典からして宗教色の強い著作だ。

 だからこそなぜ無宗教であろうウェルギリウスが神曲を選んだのかその理由が分からない。

 

「……俺は、ルシファーとウェルギリウスを何か勘違いしている?」

 少しだけ、虚空につぶやく。

 それから地下に戻る。少しだけ、肌寒い。

 

 

 

 

 そこには、黙々と調整作業を続けるオフィーリア副長官とクラウディアがいた。

 

「騎士様せっかち。さすがに、まだ時間はあるよ」

「ならクラウディア。君と話が、したい」

「……うん、わかった。いろいろ話したい事が在るよね」

 ……剣の傷跡がところどころに刻まれた階段にクラウディアと一緒に腰を下ろす。

 あの子と今こうして、二人で話すというのは久々の経験だった。本来だったら成立するはずのない光景だったのだから。

 

「……君が、いてくれて本当によかったと俺は思う。君のおかげで、俺は自分の道を決められたから」

「別に、いい大人が勝手に救われた気分になって、勝手に騎士を辞めただけ。私は――クラウディアという女の子は何もしていない。何もできず、何も残すこともないままこの世を去った」

「それでも、君の事を俺は忘れない。俺の中で君は永遠だ」

 何それ、とクラウディアは記憶に残っている彼女と全く同じ笑みで笑う。

 そう、笑ってくれると俺は嬉しいと思う。彼女は何よりも諦観ではなく、喜びによって笑うべきだと思うから。

 

「随分好き勝手に先生が持って行ったせいか、私が星を描いたらあらまびっくり。私の中にエリスが出来上がり。おまけにエリス自身が意志を持つ星だったからか、それ以降は私は自分で発動値が解けなくなっちゃった。恐らくは欠けた肉体を無意識に補おうとした結果、エリスを自分の創り出すことになったんだと思う」

「だろうな。己の原典を知るからこその本能的な飢餓感、それは水星天も恐らく持っていた。往々にして、星辰光は情動が描くものだ。その例の極北はポースポロス――そして英雄や神星だろう」

「水星天は物質侵略、私は自己複製という形で、自分の欠損を補うように星を描いた。……正直私も水星天は気持ち悪いと思ってるけど、それでも彼女もまた私の肉を分けた妹のような存在なの」

「まぁ……その。その妹とやらに、エリスのファーストキスは奪われたんだがな」

 気色が悪い、と言う事に関しては否定はしていないのはまぁ、仕方がないと思う。

 

「騎士様とエリスを繋ぎ直すのに、それなりに苦労したんだけどそれに関しては何かこう。見返りはないの騎士様? エリスはエリスで大変だったんだから。あの子、本当に貴方にあの時負い目を感じていたから」

「……」

「内面がぐちゃぐちゃで、まるで()()()()()()で、不謹慎だけどあの時私は嬉しいって思った。エリスもちゃんと悩んで、恋に苦しむ少女そのものなんだって。だから、一緒に手を貸してあげた」

「そうだな。エリスは純粋だ。誰かを憎むのは本来当然苦手だし、引きずりやすい。俺はハナから恨んでなんかいないけど、それでもエリスは自分で自分を罰する。そういう人間なんだ」

 ……エリスは少なくとも、間違いなく人間だ。

 人間である事を疑う理由等、俺が腕を折られかけた腕力以外には存在しないだろう。

 

「先生と堕天を討つこと、エリスが大事である事、その二点においては私は水星天と一致し、水星天は私と手を結んでくれた。……私は元々、先生と堕天の目的のために目覚める気なんてさらさらなかった。例えばそう、目覚めるのは王子様が来てくれたら――なんてね」

「恐らくこの国で最も普遍的なイメージにおける王子様に近いのは……亡きルーファス卿か」

「勘弁して頂戴、騎士様」

「これでも、騎士時代の俺の目標だった人だぞ」

「冗談でしょ?」

 そこを即答されるのは、どうかと思いつつ苦笑いしてしまった。

 俺は聖教皇国の裏側を計らずとも知ることになるまでは少なくとも()()()()()ルーファス卿を優れた騎士として尊敬していたのだから複雑な気分だ。

 それでも騎士になりたての頃はルーファス卿への憧れも間違いなく、俺の原動力になっていた。

 ルーファス卿は例え求められた役割が偶像であったとしても、直接は関与しなかったにしても、誰かを導いてはいる。その功績は俺は否定する要素はどこにもないと思っている。

 

「とりあえず話は戻そうか。エリスはよく君について、自由意志を許してくれた人だと、生みの親だと言っていた。……だからありがとう。君もまた、エリスと俺にとっての永遠の淑女(ベアトリーチェ)だった」

「別に。でも、私もありがとう。エリスを助けてくれて――エリスを、愛してくれて」

「……愛されるべきではない、愛されてはならない人間はいないよ。いては、ならないはずなんだ」

「でも、先生はそうではなかった」

 ウェルギリウスに同情など出来ようはずもない。

 これだけの惨劇の数々を進んで自ら築いてきた彼女は、決して神祖の被害者では、ない。

 だが彼女は人だ。人の摂理の中で生きた彼女が感じたモノは恐らく強い疎外感だろう。

 

「読者のいない作家というのは時折己の存在意義を見失うものだ。同様に、理解者がいないという事は少なからずウェルギリウスの思想に何かを与えたはずだ。そうでなければ、他者たるルシファーを創ろうという発想にはならない」

「先生が、ルシファーに望んだものはなんだったんだろうね。多分、もう先生はそれを知ることはないだろうけれど」

 ウェルギリウスという人物を俺はあまりその実像を知らない。

 けれど、ルシファーを創り上げた。 

 

「……だから、なのかもね。よく、先生は何かの本の一文を口ずさんでいた。恋愛小説とは違うけども、たしか女性に伴われながらいろんな星を旅する話。……永遠なる存在、祝福の薔薇、その者星の果てにかの女と共に悟る、みたいなの」

「――神曲、ね」

 そこで、いったん指を止めてオフィーリア副長官は指摘した。

 科学者は、文学に疎いとは俺の固定観念だったのかもしれないと思う。

 

「神曲の天国篇、それも最後の最後。淑女ベアトリーチェに導かれながら、ダンテが天国の旅路の最後の遊星天に赴く結末の話よ」

「……確かにそうだな。薔薇、星、女と共に――文章的にも恐らく舞台は最後、詩人が至高天に至るところだろう。だが、なんでそんな宗教色の強い作品をウェルギリウスが?」

「……昔、私は彼女に本を贈ったことがあったわ。彼女はあまりにも文学作品に疎いから、貴女のいいと思う本を知りたいと言われて、私はその本を贈った記憶がある。……けれどそれだけね。今となっては、思い返す事もない、古い話よ」

 ただ、そうオフィーリア副長官は言ったきり、指を再び動かし始めた。

 胸を抉る話題だっただろう。

 けれど彼女の話は、決して俺には聞き逃す事の出来ない事だった。

 

「そして、彼女は私と戦う時、こうも言っていたわ。……私と対等以上は、四人だけでいいと。意図は知らないけれど」

 ……ウェルギリウスの描いた筋書き――悪夢の神曲を、一人の読者として――あるいは文筆家として俯瞰する。それは、俺にしかできないことだ。

 御伽噺の探偵じみているけれど、恐らくこれはルシファーとウェルギリウスの本質を知る事において、重要な事のはずだ。

 その四人の内訳はいくつか察しはつく。

 一人目は彼女の師たるオウカ

 二人目は共犯者たるルシファー。

 三人目は確証はないが、恐らく銀月天――クラウディアだ。銀月の運命、その贄として射止められたこと、当初ルシファーと並び彼女の実証実験の中核を担うはずだった事からも、特別視されていることは分かる。

 では四人目。そう考えた時、ルシファーの叛意の理由も見えてくる。

 

 なぜ、ウェルギリウスは銀月天を、或いは自身をも淑女に準えたか。

 なぜ、ルシファーは副長官を生かしたのか。

 ――天使にとっての堕天の結果が悪魔であるのなら、悪魔の堕天の結果とは何であるか。

 

 ……事績から逆算して、もっともらしい筋書きを考えるとすると、俺が文脈を捕らえ間違えていなければ答えは恐らく()()しかありえない。

 そしてそれは、恐らく(けん)を越える言葉(けん)となるだろう。

 

 

 

 

 

 それから、定刻を迎えた。

 収斂していく、青白い光体。星辰体の分布はあの極点に今集っている。

 

 何重もの鳥居は、まるで天国への門のようだった。特異点への門と化している、という意味においては恐らくそれは何の比喩でもないだろう。

 

「クリエイターID、全権限を一時的にアレクシス・ロダン、エリス・ルナハイムの両名に移譲。……これで、総て準備は完了よ」

「いや、()()だ。副長官。最後の欠片がここにある――水星天」

 少し遅れて、水星天がやってくる。その手に握られているのは火星天の剣だった。

 その剣を俺は受け取る。

 

「さて、これで私の用は済みました。では心置きなく散ってください詩人、保証はしません」

「ありがとう、水星天。お前にも、俺は助けられた」

 そして火星天の剣、だけではない。

 その剣にはもう一つ――姉さんの胸の神鉄、つまりは第四世代人造惑星用の発動体が水星天の星によって合金を成し、形を変えて埋め込まれている。

 

 水星天が摘出した、恒星天の炉心。

 

 ルシファーとウェルギリウスは、互いが魔星だった。 

 対して俺はエリスと違って、根本的には第四世代人造惑星ではない――つまり対等ではない。

 だが、これで条件はルシファーとウェルギリウスに対して、俺達は対等だ。

 

 あればあるだけいいのは無論道理だ。だから神祖の――そしてウェルギリウスの遺したモノを、有効活用するだけだ。

 

「オフィーリア様。……いつかの約束を、私は果たします」

「……何か、約束したかしら私は?」

「……ウェルギリウスを、連れて帰ってきます。魔女ではなく、人として、彼女を裁くために」

 そう、言われると副長官は笑った。

 それから頭を下げる。

 

「結局、総て貴方達に押し付けてしまった事、それをどうか聖教皇国の技術部門の長として許してほしい」

「別に、押し付けられたとは思ってない。元々、因果の収束とは多分こうなるはずだったんだろうさ」

 第四世代人造惑星の運用特性における通常の極晃奏者との最大の相違点は、両者の間での天元突破の資質の共有だ。

 例えばルシファーとウェルギリウスは出力と操縦性の天元突破に至ったように。

 だからこそ、これは至極道理だ。

 

 俺達を見送るのは、副長官と水星天、それからクラウディアだった。

 

「……エリス。ちょっとだけ、やっぱり嫉妬していいかな。貴方に騎士様を託した身で厚かましいのは分かってるんだけど、それでもよく似合ってる」

「いいですよ、クラウディア。私も、嫉妬というものを始めてお姉さまに教わりました」

「それから、育児放棄してごめんね。ずっと、謝りたいって思ってた。ひょっとしたら、恨まれてるかもしれないと、思ってた」

「そんなことは、ありません。貴女はたった一人の私の創造主なのですから」

「……だから、私そんな母さんって年じゃないはずなんだけどな」

 少しだけ、クラウディアは拗ねる。

 その在り様に、俺も少しだけ笑いかけてしまった。

 

「ほら、騎士様も笑わない。帰ってきたら騎士様と一緒にエリスの演目を見に行ってあげるんだから、予定を入れておいて」

「わかった、そんなことを言われたら是が非でも帰るしかなくなるじゃないか」

「でしょ?」

 そんな言い方は、反則だろう。覿面すぎる。

 

「甘ったるい寸劇はそこまでにして頂けますか詩人。貴方の顔なんか、見たくありませんから。お姉さまを連れて帰ってくることだけを考えてください。一体この三文詩人は誰に何度無茶を頼んだと思っているのですか」

「済まなかった。だが、ルシファーとウェルギリウスは討つ。それを以って、お前への報いとさせてくれ」

 水星天とは思えば、あまり言葉を交わす機会はなかったなと思う。

 あまり言葉を進んで交えようとは思わないが、それでも今は俺達に与してくれている。

 

 天へ続く、その階段に足を踏み出す。震えは微塵もありはしない。

 一歩、一歩、確かめるように歩み出す。

 

 思い返すのは、エリスと過ごした日々だった。

 例え、エリスの輝きが星の歴史からしてみれば瞬き程度に過ぎない刹那のそれだったとしても、虚空から生まれた存在であったとしても。

 俺はその在り方を知っている。

 少しだけ嫉妬深いところも、若干に天然な気質であるところも。

 朝が弱い事も、よく人の足を踏むことも。

 

 人は誰かに認識され、記憶されることによってこそ初めてそこに実在すると言えるのだろう。

 それはきっと、魔女や堕天でさえも例外ではなかった。

 

 人は認知をし合って生きているともいえるだろう。

 誰かを忘れない事でこそ、誰かは誰かにとっての永遠となれるのだから。

 

「本当にエリスには助けられた」

「でも、一番最初に先に助けられたのは、私の方です」

 ここは冥界の闇のように暗く静やかだ。

 

 

「今日だけは、エリスの脚本家は俺だ」

「もちろんです。私も、結末までお付き合い致します」

 俺達の心は境界の海のように凪いでいる。

 

 

「何ぶん小説はともかく、脚本はあまり経験がない。稚拙になるかもしれない」

「それでもきっと、今日より良い結末(明日)となるでしょう」

 星辰体の煌めくその深奥は人界の空へと続いている。

 

 

「ウェルギリウス――ルシファー。お前達には、新西暦は握れない。お前達が本当に新生を目指すのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「神歌の結末は、天国も煉獄も、地獄も、等しく()()()()によって、結ばれるのですから」

 ――だからその頂で、俺達は星界の詩を奏でよう。

 至高の神歌を綾織るように。

 

 

 

 

 

 

「星創せよ、我が守護星――鋼の至高天(たかみ)を共に観よう」

 彼らがその手に掴むモノのは、極晃――()()()()()()

 滅奏と同じ過程をたどりながらしかし、身にまとう星辰体は黒から転じて深く煌めく銀色を帯びていく。

 

「白紙の詩篇は既に無く、十天を超え詩人は至高の天をその目に宿す。さらば遥かな神天地、最高神よ、我等は御身の許を越えていく。三界駆ける巡礼の果てに嘆きと穢れは焼き尽くされ、輝ける洞察は見神の域に至るのだ」

 干渉性と操縦性――星辰体を変革させる究極たる二つの資質が天元突破を果たす。

 ()()()()()を超越して星辰体が変革を奏でる。

 星辰体の改質進化と共に、彼らもまたそれに適応(感応)するように躯体を変革させていく。

 

「永劫不変たる星の運航に人は神の愛を知る。貴方と共に観る星々こそ彼方に輝く星界十天(エンピレオ)、祝福の白き薔薇は神聖詩人を歓待する。駆け抜けたその足跡が、貴方と私の旅路の証明」

 纏う輝きは星辰体にも、反星辰体にも在らず――虚数の星辰体。敢えて呼ぶべきとすれば、超星辰体(イマジナリーアストラル)

 星辰奏者は星辰体が感応するから変革を遂げた彼らの肉体は新たなる星辰体を迎える器と成る。

 

 

「冥界の闇、境界の海、人界の空の果てに、星界の詩は響くのだ。三界巡る旅路の終わり、月の繭を破り焔の階を翔けながら、十天を抱きて詩人と淑女は新生する」

 星辰光とも極晃星とも、根本からそれは動力源(エンジン)が異なる。

 故に超星辰体たるそれによって駆動する異能はもはや極晃星にも星辰光にもあらず、()()()()()()()()()()――至晃星(ステラ)

 

「何より愛しき神聖詩人、痛みと嘆きの刻は過ぎた。喜劇を紡げ月光よ、至高の神歌を奏でましょう。天に届け我らが誓願、永遠にして刹那――その結末に私は貴方と星を仰ぐ」

 此処に、新たなる異能体系は開拓される。

 ――地獄も煉獄も天国、神聖喜劇の末節は、総て(ステラ)、と綴られるのだから。

 勝利とは、忘れない事。

 それはハルであり、火星天であり――あるいは太陽天、木星天――クラウディアを。

 かつて詩人が奪い続けた剣を。

 そして、ウェルギリウスが奪い薪にくべた、どこかの誰かの物語(生涯)を。

 

 火星と詩人の二剣を携え、詩人の腕にエリスは抱かれる。

 祝福と共に銀と金の輝きを帯びながら、超星辰体は鳴動する。

 

 

 

「超新星――淑女と詩人の新生、十天(Singing Stella)の彼方に歌え舞姫神譚(Diviner)!!!」

 




落暉新生、十天の彼方を拓け曙の剣
AVERAGE: B
発動値DRIVE: AAA
集束性:EX
拡散性:D
操縦性:AAA
付属性:E
維持性:E
干渉性:E
荷電粒子星辰光極限集束・多元事象並列召喚能力。
並立する複数の事象を一つの次元に束ねそれを並列召喚させる能力。
左を向きながら右を向き、同時に上を向きながら下をも向く、という単純ながら荒唐無稽な事象が実現するようになる。
並立する多元事象――ヒトの器に到底収まりきらないであろう極限に分岐する可能性を一つの因果に束ね裡に内包する、集束性の天元たる曙の剣。
攻撃のみならず、自己の喪失に際し消滅を免れた可能性を召喚することによって覆すという点においても、烈奏や閃奏を倣っていると言えるだろう。
同じ集束性の天元突破に在りながら、因果律の崩壊という権能に至っていた場合恐らく新西暦はポースポロスの内包する可能性に耐え切れず、またポースポロス自身でさえ己を制御する事ができず、因果を逸脱した形容しがたい何かに変貌を遂げることとなる。
そこに至らなかったのは、彼の在り方を変えるに足る誰かがその傍らにいたからでああろう。
太陽が昇ることは万古不易の秩序である。それと同等に、ポースポロスに絶てぬモノが存在しないことも、疑う余地なき森羅の自明である。


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神歌終譚 / Empireo

これにて、最終決戦は終わり、次回で一応本編は最終回です


余裕があれば、更にその後に1、2話ぐらいニルと同様に後日談が続くと思います。


 特異点の虚空に、第三の星が顕現する。

 超星辰体を纏いながら、煌々たる光輝を従えて詩人と淑女は世界を裂いて星来する。

 

 ポースポロスとルシファーの死闘。

 その刹那に現れた彼らの姿を、ルシファーとポースポロスは見上げた。

 

「……詩人。淑女。なんだそれは。理解ができない――演算の範疇を越えている、解析ができない。……お前達の未来が俺には見えない」

「反星辰体も星辰体も、その物性の概ねは知っているし計算できる。でも、今の貴女達が纏っている輝きは――」

 ルシファーとウェルギリウスはその顔に驚愕を宿す。

 彼らをして、今のロダンとエリスの在り方は異質と映ったのだから。あの神星でさえ、反星辰体はその理解を越えていた。

 冥王の前例があったからこそルシファーとウェルギリウスはその性質については概ねの理解は得ているが、だが眼前のそれは文字通り解析不能だった。

 素粒子の軌跡を観測し未来を予知する慧眼はウェルギリウスもルシファーも共有するモノであったはずだが、だからこそと言うべきなのだろう。

 

 超星辰体という未知の粒子を、彼らは観測できず、理解すら許されない。

 

 

淑女と詩人の新生、十天の彼方に歌え舞姫神譚

AVERAGE: A

発動値DRIVE: AA

集束性:C

拡散性:A

操縦性:EX

付属性:B

維持性:C

干渉性:EX

 

 

 

「……干渉性と、操縦性。淑女と詩人の在り方――そして、その剣は火星天と恒星天の。なるほど。これこそ過去からの逆襲か」

「お前達が薪にしてきた総てが、お前達の敵だ。……往くぞ、ルシファー。ここが、俺達の運命の終着駅だ」

 ポースポロスの傍らに、ロダンは並び立つ。

 それは()()()()の史上二度目にして、そして恐らく最後になるであろう共闘だった。

 

 傍らで、視線を一度だけ交わすと、言葉はもはや要らなかった。

 星の最終決戦が、此処に開幕する。

 

 

 

「開幕を告げろ熾天の翼――失楽園(シン)暁晃熾天奏(パラダイスロスト)!!!」

「幕引きを奏でろ星界の詩――復楽園(ロウ)星晃至天奏(パラダイスリゲインド)!!!」

 素粒子が地平の彼方を逆行しながらロダンとエリスの新生を覆そうとする。

 だが、その根幹にあるのは例え極晃であろうと星辰体だ。

 星辰体を越える超星辰体――虚数の星辰体(イマジナリーアストラル)とも言うべき存在と感応している彼らは、その時空の奔流さえ、何事もなく覆す。

 

 舞うようにエリスが手を振るえば、逆行していく素粒子はその運航が止まり元の正しい時間を運ぶように回帰していった。

 

「ならば解析してやるまでだ。その星の解明に至った時、俺達は更なる階段を上るだろう――!!」

 解析できないモノが、現代科学の洗礼を浴びていない未知が眼前に存在するという事実が、ルシファーを高揚させる。

 あらゆる神秘を数理によって定量化し、それを解明する事に高揚する――困難に挑みそれを打破することに悦を得るその精神性がルシファーの喜悦を招く。

 

「その階段の先は、断崖だ。貴様らの翼はどこにも羽ばたけん」

 光の如く疾駆するポースポロスと、それに付き従うジュリエットが極光剣を振り下ろす。

 それも、今度はポースポロスだけではなくジュリエットの星も相乗されている。

 

 抜き放たれる神速の居合――重ね合わされる事象が、文字通り星の数が如き質量解放をも巻き起こしながらルシファーへと迫る。

 

 だが、ルシファーも等しく極晃奏者である。

 苛烈極まるその一撃を前に導き出したのは防御ではなく、()()だった。

 

「創生――星辰式恒星環天球(ダイソンジェネレイター)!!!」

 

 次々と爆発していくそれらの周囲を円形に囲みながら光体のようなモノが生まれる。

 熱量を浴びれば電力を生み出す物質が、その一撃を取り囲み環を成しながら一撃を減衰させながら吸収していく。

 

 旧暦における、恒星の生み出す全てのエネルギーを取り出すことを目標とした空想上の天体級超巨大構造物(ダイソン天球)と同等の産物がそこにはあった。

 

 同時に恒星規模での熱電変換によって得られた多大なる電力は、ルシファーの一二の翼の鳴動と共に虐殺の荷電粒子砲となって返される。

 幾条にも及ぶ破滅の光芒を、今度はロダンとエリスが迎え撃つ。

 

「歌ってくれ、エリス。お前の詩を聴かせてくれ」

「所望とあれば、幾度でも」

 ただ、手をかざすだけで光芒は塵となって消え去る。

 一見すればそれは確かに滅奏の御業のソレに見えるが原理は根本から異なる。

 新暦の物理法則とは、第二太陽や極晃が定義するモノだ。

 であるのならば、全く異なる異能体系によって定義された彼らの纏う物理法則が塗りつぶせない事も道理だった。

 

 

冥界神歌(ハウリング)――星辰体神域昇華(アセンション・ノヴァ)!!!」

 世界とは、星辰体の海だ。

 そして、ロダンの――星辰星奏者の目覚めた権能は、星辰体の進化だ。

 進化を歌う神歌の共鳴と共に、空間の星辰体は彼らの祝福を受けて昇華していく。

 同時に、ルシファーの築き上げた神域はその新物質が色を失いぼろぼろと崩れていく。

 

 神々しくも、それは楽園喪失(パラダイスロスト)のように寂寞を残す。

 

 だが――まだだ。

 その程度で屈するようなら、極晃奏者とはなっていない。

 

「物理法則を新西暦へ回帰させたか。ならば新西暦と暁奏とで物理法則の齟齬が生じて消滅するのは道理か。――ならば、これはどうだ」

「……!!」

 次に生み出したのは、極小規模で設計された暗黒天体だった。

 

 その深奥に渦巻く超重力が超星辰体さえ呑み込みながら今度はロダンとエリスへ迫る。

 空間という三次元の絶対原理は、反星辰体と同様、超星辰体でさえ例外ではなかった。

 

 

 反発と結合――正負相食む二つの力が融合しながら迫る暗黒天体を、今度はポースポロスが迎え撃つ。

 

「詩人も淑女も、決してやらせん。お前達の薪になど断じてな」

 天に掲げたその輝きが幾千にも折り重ねられ極彩色の軌道を帯びる。

 

 歪む空間ごと、ポースポロスは叩き切って破壊した。

 世界という森羅の土台ごと破壊されれば、もはや暗黒天体とて散る以外にはあり得ない。

 

 大局的に見て、ルシファーの優位は覆ったとえ言ってもいいだろう。

 

 星ゆえに取り得る手段は無限にあれど、解析不能たる権能故にロダンへの有効打は未だに見えない。

 逆にポースポロスはたった一撃でも浴びた瞬間に蒸発する上、どのような物質を設計しても彼の攻撃を物性で防御することは絶対的に不可能だ。

 

 彼とウェルギリウスの設計した魔星たちは、間違いなく最大の試練として彼の眼前に立ちはだかっていた。だが、それは彼らの意図していた通りであり、ルシファーの頬には一筋に血とともに喜悦が刻まれていた。

 

「……ふふふ、はははは……!! いいぞ、そうだ。そうでなくてはならない。お前達を知り、そしてお前達を越えた時、俺は新生する!!」

「……この上無く、ひたすらに強さを目指すことがお前の理想か」

「生きとし生ける者は、己の完成を目指さなければならん。それが俺にとっての生きるという事だ。今でさえ、こうしてお前達は俺の前に立ちはだかった。そして熾高天において、俺に比肩し得る者がいつか現れるだろう――その強さを、俺の裡にない強さを俺は知りたい」

 反吐の出る、悍ましい感性だ――とはロダンは思わなかった。

 その言葉の表面だけをなぞるなら、確かにその通りであろうし事績を辿る限りルシファーには酌量の余地など、決してないだろう。

 強くなりたい、己を高めたい。それはだれしもが普遍的に持ち得る意識だ。その覚えは、決してないとはロダンは言えなかった。

 だがそのために他者を犠牲にしていい道理など、どこにもない。

 

「逆巻き呑めよ浄火の焔――境界神歌(コーリング)天墜飛翔煉獄譚(アクセル・リアクター)!!!」

 至晃星の星焔を纏い、一条の流星となってルシファーを迎え撃つ。

 一二の翼から次々の放たれる光芒を舞うように交わし続ける、

 

 人工知能を載せた殺戮光線さえ置き去りにしながら、焔を推進剤にしてエリスと共にロダンは飛翔する

 第一宇宙速度を超えて彼らは飛翔する。それはさながら初めてエリスと極晃を描いた時と同じ在り様でありながら、しかし今彼らは確かに己が星を完全に制御しきっていた。

 それこそがまさに今彼らが己が星を己が運命によってつかみ取った証明でもあった。

 

 同時にルシファーも限界を超えた速度で疾駆しながら、ロダンと切り結ぶ。

 何度も火花を散らしながら、光の軌跡を描く。

 

「……一つ聞こうか、ルシファー。お前はなぜ、強くなりたい。強くなりたいから強くなりたい、なんて奴も世の中にはいるだろうが、ことお前に関してそれは有り得ない。論理が破綻しているだろう、お前は徹頭徹尾道理を以って考える存在のはずだ」

「生命として強くあるべきだという思想に理由が必要か。詩人、貴様は生態に理由を問うのか?」

「――それが総てじゃ、ないだろう」

 ルシファーの常軌を逸した、力への妄執。

 その起源は決して彼自身に由来するもののみではないはずだ。なぜならば、そうであったのならば彼は極晃を描けないはずだから。

 

「……ルシファー。貴方の望みは強くなることじゃない。決して、それだけじゃない。――貴方は、ウェルギリウスの最高傑作となりたかったのではないのですか。()()()()()()()()()()()()()()事でウェルギリウスに()()()()()()()()()()()()()のではないのですか」

「――」

 刹那の沈黙をルシファーは浮かべる。

 予想さえ、しなかった淑女のその言葉。

 初めてそこで、ルシファーはロダンとエリスの眼を見た。そこにあったのは憎悪、ではない。

 

 それは同じ地平に立ち、理解し、対等であろうとする者の眼だ。

 

「困難に挑みそれを破壊する事で悦を得るという感性は、別にそれほど珍しいモノではないでしょう。だけどルシファー、貴方の望みはそれだけではない」

「――俺やポースポロスを打ち砕くことで、最高傑作たる己の性能を()()()()()()()()()()()()()()()んじゃないのか」

 ロダンのその言葉をルシファーは少しだけ反芻し、それから拒絶するように翼を振り払う。

 粒子加速器と化した羽毛の一枚一枚から輝線が放たれ、それをロダンとエリスは銀光を以って打ち払う。

 放ちながらも同時に打ち消されていく輝線から逆算しながらルシファーとウェルギリウスもまた超星辰体の物性の逆解析を試み続ける。

 どのように干渉すればどのように現象は応答を返すのかを探りながら、秒間当たり数千種の物質を創造してはそれを使い捨てる。

 

 彼らの慧眼が超星辰体に迫ろうとしていることなど、ロダンもエリスも百も承知だった。

 だが、超星辰体も同時に並行して進化を続けロダンとエリスを神域の彼方に導いていく。超星辰体との感応によって肉体諸共変革していく今の彼らはもはや生命活動に酸素さえ必要としていないのだから。

 

「……何を言うかと思えば、それがどうかしたか。ウェルギリウスの実験台となることは過程でしかない。俺の設計者に、俺の機能革新を頼むことに意味を求めたいというのなら――最も妥当な人の語で充てるのならば作家病や妄想癖と言うヤツか」

「えぇ、どこまでもくだらないわね。私達は孤独で、そして共犯者よ。相互の最大利益のために、私達は盟を結んだ。貴方達の言葉で勝手に定義されるのは――なるほど。これが不愉快、という感情ね」

 ルシファーは拒絶するように、距離を取る。

 次の瞬間には空間が軋みを挙げて恐ろしい速度でそのルシファーとの距離を突き放していく。

 

「――俺達のいる空間そのものを、破棄するつもりか」

「さらばだ、詩人。淑女。願うならば、是非とも限界を超えて見せてくれ」

 彼方に遠ざかっていく彼らは際限なく加速を続けていく。

 いくら飛翔に飛翔を重ねても、彼らはそもそもとして出力の天元突破を果たしている。

 出力の土俵ではどうしても追いすがれない。

 

 だが。

 

「ならば、世界ごと破壊すればいいだけだろう」

「相も変わらず、ポースポロスはこればっか。もう少し常識を語りなさい常識を。……詩人、淑女。ついてきて」

 ジュリエットはそう目くばせすると、またしてもポースポロスは空間をガラスのように叩き割った。

 思えば、初めてジュリエットとは顔を合わせたなとロダンは思う。同じく極晃奏者を導く者同士通ずるものがあったのか、エリスも少しだけジュリエットへと「お互い、苦労しますね」と笑みを投げる。

 その裂け目を突き抜けながら、ルシファーの翼に追い付いた。

 

 

「逃避行はここで終わりだ、ルシファー」

「誰が、逃げると言った?」

「……随分、感情が分かりやすくなったな。やっとお前が()()()()()()()()ところだ」

 ルシファーの剣と、ロダンの――火星天の剣が交錯する。

 膂力は互角でありながら、同時にその剣戟にルシファーは目を見張る。

 

 そこに在ったのは、決してロダン一人の剣ではない。文字通り、火星天の剣もそこに在ったから。

 

 わずかにロダンの剣が圧し――ルシファーの胴を絶った。

 

 だが、四散するルシファーの躯体が鋼を増殖させながらルシファー同様の躯体を設計し練り上げた。

 恐らく気づかぬ間に義体とすり替えたのだろう。

 

 同時にそれらは確かに太源たるルシファーと躯体の性能は比べ物になど到底なりはしなかったが、それで十数体も構えられれば鬱陶しさは確かなものだった。

 

 また、ルシファーの姿が見えなくなる。

 だが、ロダンは目を瞑る。

 

「技を借りるぞ、火星天」

 

 ――それは、敗北を受け容れるためではなかった。

 もはや数百体に及ぶ躯体。そのいずれが本物の躯体かなど、知り得ようがない。

 

 だからこそ任せた。かつて火星天が信じた己が直感を、火星天が信じたその技を。

 ロダンのその剣閃が、超星辰体によって延伸されて放たれる。

 

「――、貴様」

「手ごたえ、在ったなルシファー」

 さくりと、数里彼方のルシファーの本体の躯体を絶ち穿つ。

 

 同時に、増殖を繰り返したルシファーもどきの残骸は、土くれのように形を失い虚空に溶けていった。 

 だが、まだだと繰り返すルシファーのその傷口は既に閉じていた。

 

 

「ルシファー、損耗状況は?」

「危惧すべき水準ではない、奴らの打倒には一切として遂行に問題は生じない」

 再び、その眼前に星奏者達と曙奏者達を映す。

 

 先導するポースポロスの振るわれる剣へ、再びルシファーは剣を創造する――それも、大陸を斬り裂くためにあるとさえ思えるほどの剣だった。

 

 もはや剣ではなく、()()()()()()()()とさえ言ってもいい。

 

剣翼鋳造(マテリアライズ)――堕天光翼剣(ソード・オブ・ベリアル)

 その剣が振り下ろされるとともに、ポースポロスもまた剣閃を放つ。

 十、千、万と重ね合わされた剣戟が、ルシファーの剣の躯体を次々と破壊していくがそれでもなお、文字通り天衝く巨躯たる剣からしてみればその損壊はたった一部だった。

 

 人の身で扱う剣では、もはや菓子のように叩き折られるだけであり――だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という発想の勝利だった。

 

 破壊されるのなら――割れることのない剣が創れないのなら破壊されても殺すに足る質量が残るだけの鈍器を創り上げればいい。

 単純なだけに、その攻略には隙というものがなかった。

 

 加えて、それは単にこの上ない強度を持っている剣と言うだけではない。単純にその規模が大きすぎるだけに、ポースポロスの星でさえ、死を裂けられても回避という可能性を掴み取るにはかなわなかった。

 

 

「ぐァ……!!!」

「破壊は創造と表裏をなす言葉だが――どうやらお前の破壊と俺の創造では、俺が勝ったらしいな」

 ポースポロスを袈裟に裂いたその一撃はしかし、その一撃さえあれば十分だった。

 巨剣の残骸を次々と飛び移る様に、乱反射の如き軌道を描きながらエリスとロダンは虚空を裂いて飛翔する。

 超星辰体を纏う彼らの纏う物理法則は、彼らを果てなく飛翔させる。もはやその踏み込みでさえ、第一宇宙速度に達しかねない速度でルシファーへ肉薄する。 

 

 

 またしても、暗黒天体が生じかける。だが、今度はエリスとロダンが早かった。

 そして、操縦性の極致とは改良にある。ルシファーが――かつて、星辰人奏者が示したように。

 

 現在進行形で超星辰体もさらなる進化を遂げていく。

 歪む重力、無形たる奔流さえも彼らが纏う物理法則に従って、火星天の剣が切り伏せていく。

 至晃星たる彼らの纏うその星は、超星辰体と共に進化を重ねていく。

 容無き虚無さえ切り裂けるように、酸素を必要とせずに天を飛翔できるように。

 

 ルシファーがロダンへ星を行使するという事は、つまるところ価値基準も定かではない他国へ己の通貨を押し付けるようなモノであり、当然そんな行為は無理がたたるに決まっている。

 

 だが、進化という観点においてはルシファーもまた決して譲ることはない。

 出力、操縦性とは進化と改良の側面を意味する資質である。そう、故に。

 

 

「見せてあげるわ、太陽天。これが貴方の()()よ」

「灰燼滅却――極・超新星(ハイパーノヴァ)!!!」

 描き出される未来兵器。

 それはかつてこの地上に在った粛々たる理論によって編まれた、数理の焔だ。

 出力の換算として、すでにルシファーはロダンのそれの数百倍に達していた。

 

 自国(おのれ)通貨(極晃)が通用しないというのなら、いくらでも山と積み上げ叩きつければいいという子供じみた発想だが、しかし単純が故に穴が無い。

 それを行使する者に求められる資質を考慮しなければ、ある種の最適解だからだ。

 皮肉にもそれは、同じ出力の天元突破たる神星が出した解答と同じだった。

 

 無限に爆縮していく炉心へ新物質の燃料が放り込まれていき、臨界に達し放たれる熱量が特異点に轟いた。

 超星辰体さえ、その熱波の前では辛うじて拮抗を保つのが限界だった。

 

「まだだ――!!!」

 故に、今度はポースポロスの番だった。

 全霊を込めて虚空を斬りつけ叩き割り、その空間の断片を次々と蹴り飛ばしその焔を押し返していく。

 太陽神の御業の再現でもあり、それをポースポロスが成せるのもまた道理だった。

 それを横目で見て、改めてこの男が敵でなくてよかったと、心底からロダンとエリスは思った。

 

 同時に、自分の周囲の空間だけを綺麗に斬り抜き着込むように空間の裂け目を纏うと、流星のように突貫しポースポロスは新星の核たる炉心を一刀の下に切り伏せた。

 

「堕天、魔女。何度でも言ってやる。貴様らは孤独に耐えられなかっただけだ。貴様らは一度として、他者に理解を求めたことがあったか。己が孤独に向き合った事があったか。人ならばそれは誰にでも出来ることで、そして誰よりも弱かった貴様らに選択できなかった決断だ」

「――お前達は誰よりも弱かったから、楽園などと言う幻想に夢を見たんだ。秩序が退屈(孤独)だと言ったか。つまりはそういう事だろう、お前達の退屈を紛らわせる者を養殖するための蟲毒、或いは実験場(システム)――それが熾高天だ。真にお前達が孤独と向き合いそれを肯定できたというのなら、こんなモノ(極晃)は必要なかったはずなんだ」

 ロダンとポースポロスは二者二様に軌跡を描きながら特異点を飛翔する。

 黄金が、銀月が不規則ならも美しい軌道を描きながらルシファー迫る。

 

「私に世界との齟齬を再認識しろとでもいうのかしら。それに私はもう十分孤独を知ってきたわ、誰も私の科学への想いを理解できない事も。私の見ている世界は数理によって解体して解明されるべきその対象でしかないことも」

 ウェルギリウスにとって、世界とはそういうものだった。

 未知なるモノがそこに在れば、数理のメスを用いて解体しそこに宿る原理を解き明かすためにある。

 人のあらゆる行動も、事物事象も、万象がただの現象――物質の挙動の結果、即ち数理としてしか認識できない先天的なある種の精神疾患が故だった。

 

 それをポースポロスは、情状酌量の余地なく切り捨てた。

 こんな有様に堕天したのは全てはお前達の責任であり、お前達の応報なのだと。

 

「律動せよ時の理、天の河よ。反発し、結合し、あらゆる矛盾を内包せよ――失楽遡行・永劫楽土熾高天創世譚(アストログラフ・アトラクター)!!!」

 空間がきしむとともに、ポースポロスとロダンはその変容を目の当たりにする

 まるで沸騰する水の泡のように、癌細胞のように、特異点が次々と虚空から生じていく。

 四方八方が特異点で埋め尽くされ、時空さえ歪めながら全身を圧殺しようとする。

 

 

人界神歌(ウィッシング)――銀月花葬送散華(スプレマシー・ローズ)!!!」

 超星辰体の分布が偏り、集っていくとともにそこには銀色の薔薇の数々が咲き誇った。

 それら一凛一凛が、結晶化された超星辰体で編まれたそれだった。

 

 星辰体の結晶化とは本来神祖やそれに連なる者達の権能だが、超星辰体の生みの親はロダンとエリスだ。

 故に彼らはそれのみに限って言うならば誰よりも扱いは慣れているし、このように加工することも何らわけの無い話だった。

 

 単純な星の爆弾として、それらは散華し輝きと共に極小規模の空間震を生み出し乱造された人造特異点を焼き尽くした。

 

 そして、エリスもまた告げる。

「ウェルギリウス。貴方は、人界の青空に馴染むことができなかった。それは孤独だったことでしょう。……私には、決してそれは分からないわけではありません」

「そう。……あぁそう言えば貴女もその生まれは人ではなかったわね」

「それでも、私にはクラウディアがいた。彼女から大切な事を教わった。貴女にも居たはずです、貴女を理解し、貴女の傍に寄り添おうとした人が」

「――えぇ。私は()()()()()()()()至高の天を目指すと誓った。それだけね」

 一切、語らいを拒絶するかのように、ウェルギリウスはエリスを突き放す。 

 けれど態度の変容は明らかだった、

 

 

 

 エリスは、少しだけ認めたくはないがウェルギリウスは()()()()の自分と似ていると思った。人の摂理の外に生きる者、という点においては決してエリスはウェルギリウスを別人だとは思わなかった。

 

「ルシファー。お前は初めから()()()()()()()()()()()()()()()()と自覚していたんじゃないのか。……孤独の寄り添い方はいくつかあるだろう。だがその中でお前が選んだのは依存であり、共犯者だ。――ウェルギリウスに最悪の絆を選ばせたんだ」

「何の比喩だ。詩人の淑女の構図に準えるのなら、俺は導かれた側だ、ウェルギリウスにな」

 ルシファーはどこまでも、拒絶する。

 そしてロダンは確信する。ルシファーは、やはり決して総てをウェルギリウスに明かしているわけではないことも。

 

「お前達は、地上の人間をそうまで作り替えたいのか」

「――えぇそうね、これまでは飽くまで()()()()に留めておいたけれどそろそろ頃合いね」

「地上の人間を、総て第四世代人造惑星に作り替えるつもりか。そうして、第二太陽と同等の存在を創り上げようとでもいうのか」

「いい事を聴いたわ。それは私の着想にはなかったわ――()()()()()()()()()()()()神聖詩人」

 ウェルギリウスの口端は歪む。

 手に描かれるのは、次世代の人間の設計図。

 

 ロダンもエリスも、青ざめる。

 そんなことをしようものなら世界はどうなるか。

 

 そしてついに地上に楽園は訪れる。

 神亡き後の神の国は黄金色に包まれる。

 

 

「――楽園建設の、開始よ」

 

 

 地上に黄金の輝きが走る。

 楽園創造の福音と共に皇国に住む総ての人々は祝福される。その光景は神天地創造のやり直しのように映りながらも、同時に意味するところはまるで別だった。

 

 第四世代人造惑星という機構が基本機能として組み込まれていく。

 人間の生態系が書き換えられていき、それだけではなく人々は()()()()()されていく。

 一対一ではなく、一対多数。多重に張り巡らさされた広域通信網(ネットワーク)のようにそれらは繋がれていく。

 

 神天地が各々の極晃を描かせるのに対して、熾高天は全くその逆に第二太陽同様のアプローチで聖教皇国そのものを一つの極晃に昇華しようとしていた。

 

 狂気にさえ映る光景であり、まるで魔女の釜だ。

 それを供給源としウェルギリウスとルシファーは糧として、更に飛翔するだろう。

 人がその生涯の辿り着く命の答えを、彼らは尊重すらしていない。

 

 神奏にさえそれはあった――否、それを何より尊重していたからこそ神奏は神奏という極晃を描いたのだ。

 

 ルシファーとウェルギリウスはそれを単純な熱源として利用しようとしているだけであり、まさしく究極的な極晃への冒涜ですらあった。

 

 

 だがその刹那。

 奇異なるモノが――()()()()()()()()()()声が、ウェルギリウスに響いた。

 

「――、え?」

 なぜ、あの地上に彼女がいるのか。

 彼女は死んだはずではないのか。第四世代人造惑星たる己の心臓の鼓動が、それを証明していた。

 第四世代人造惑星に誰もが作り替えられていく地上において、()()()()()()()()()()()()()()()()()がいたのだから。

 その事実そのものが、異常だった。

 

 

「……どう、して。オフィーリア」

 その驚愕の意識の間隙を突かれ、ロダンの肉薄をウェルギリウスは許した。

 

「――終わりだウェルギリウス。お前がまさかここまで簡単に、俺の言葉に乗せられるとは思ってなかったよ。……お前の導き手は、()()()()()ずっといたんだ」

「あの青ざめた顔も、驚いた顔も、演技だったということかしら」

「……確信したよ。お前は、ルシファーから何も知らされていなかったんだな」

 ロダンの狙いはむしろ楽園創造をさせる事にあった。本来存在してはならないはずのそれを、第四世代人造惑星という機能によってウェルギリウスと繋げさせること。

 それによって生じる意識の間隙を縫う事。

 それがウェルギリウスには可能であると、彼らの極晃の万能性を信じていたからこそ打てた手でもあった。

 振り上げる、至晃星の剣。だが振り下ろされるその刹那、ウェルギリウスをルシファーは突き飛ばしその身代わりとなって刃を受けた。

 

 

「……、うァ……!!!」

「ルシファー、どうして!?」

 袈裟に抉られた傷が、ルシファーを明確に今追い詰めた。

 その剣の刻んだ傷が、確かにルシファーの内燃機関に達していた。その創造性でさえ、恐らく改修は不可能だろう致命をルシファーは負った。

 

「なぜ、オフィーリアが……」

「黙っていろ、ウェルギリウス――!!」

 躯体に甚大な損耗を初めて負ったルシファーはしかし、まだだと叫ぶ。

 機能停止の断崖に追い詰められながらもなお、覚醒を続けようとする。

 

「あぁ――まだだ。今こそ俺は――」

 ロダンが二の太刀を放つその刹那に、世界は光に包まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 眩い光の先、ゆっくり眼を開けたそこは無明の宇宙だった。

 何もない、傍らに、ポースポロスも居ない――第二太陽も、存在しない。

 

 星辰体が、そこにはない。

 まるで違う惑星に移住したかのような光景で。

 

「……まさか」

「現行のそれをモデルとした極小宇宙の創造――及び、疑似並行世界の創造。お前のその力の原資は、総て解析不能たる未知の星辰体によるものだ。故に、星辰体も第二太陽も存在しない宇宙を設計すればお前達は機能不全と成る。……至極当然の道理だな」

 超星辰体も、結局は星辰体を原料としている以上今ここで纏えるモノが元から纏っていたモノ、そしてエリスの躯体を構成する星辰体以外ない。

 だがルシファーは、ウェルギリウスを経由地として星辰体の共有を受けている。だから勝敗は決した。

 

 出力と操縦性の天元突破の至った極致が、並行世界をその素粒子の一つに至るまで設計し開拓した。

 ルシファーにとっての楽園の地であり、エリスとロダンにとっての流刑の地だ。

 文字通りの並行世界の創造――天地開闢に費やした熱量の負債をルシファーは血反吐を吐きながら払っていた。

 無理があまりにも祟り過ぎた。そうする価値があり、そうしなければ倒せないとロダンとエリスを評価していたからこその空前絶後の覚醒だった。

 

「お前達の超星辰体は最後まで俺には解析できなかった。称えよう――その一点において、お前達は俺に勝利した。お前達の()を、俺は解明できなかった」

「そう、ですか」

 息の出来る生物を殺すなら、酸素のない水に沈めればいい。それと全く同様に()()()()()()()()()と言うのなら、()()()()()()()()を創ればいい。

 余りにも荒唐無稽で強引で、だからこそ星辰星奏者を追い詰めるにはこれ以上はないという選択肢だった。

 原理に基づいた絶対的な勝利の方程式だった。仮に、今自分たちが持っている総ての超星辰体を動員したとしてルシファーの攻勢を一度か二度凌げるかといったところであり、それはルシファーの計算とロダンとエリスの予想が完全に一致していた。

 その剣を振り上げる。完全なる勝利、その至高の絵図がここになる。

 

 新たなる天地創世、その足掛かりが一つ、此処に刻まれる。

 

 ――その、刹那に。

 

 

 

『まだだ――、俺の星を忘却したか堕天』

「……ま、さか」

 ルシファーの胸から突然、まるで空間が裂けるようにポースポロスの剣が()()()

 霆光を纏いながら、それはルシファーの炉心を焼き尽くすがごとく。

 

 やがて、二刀目が生える。

 

 ポースポロスの剣はあらゆる可能性を内包する。

 そしてルシファーが並行世界を創生した時、新西暦は並行世界を許容してしまった。

 

 故にポースポロスの多元事象を束ねる権能は――可能性は並行世界にさえ届く。

 

 

 

「――往こう、エリス。全ての運命に、幕引きを」

「これが、私達の紡ぐ神歌の結末です――!!!」

 エリスの体を構成する星辰体がロダンの剣に、火星天の剣に輝きを与える。

 

 

「ま、だだァ!!!」

 ルシファーの剣がただ一太刀を以って粉砕された。

 

 逆袈裟に火星天の剣がその躯体を断つ。

 ロダンの剣が、星のような疾駆と共にルシファーの胸を断ち――そしてその胸から覗く次元の裂け目――新西暦からポースポロスは飛来し、ルシファーの背を断ち斬った。

 

 交錯するようにロダンは、ポースポロスはその剣を放つ。

 

 

 

 

 そして――楽園創造を告げる一二の翼は虚空に散り、並行世界は卵の殻のように砕け新西暦に溶けていった。

 

 

 かつて、この地上に月の女神がいた。

 破滅の暁を討った第四の月の女神が、詩人がそこにいた。

 

 

 ――此処に一人の男と一人の女が綾なした、神聖喜劇は幕を下ろした。

 

 

 

 

 深く刻まれ炉心にさえ到達したその傷に、もはやルシファーには抗う事が出来なかった。

 まだだ、まだだと叫んでも、その神鉄は応えはしてくれない。

 

「ルシ、ファー。なぜ貴方は」

「……ウェル、ギリウス。俺はお前を母だと、思ってはいない。だがお前の孤独を放り捨てる事を、許容できなかった。……お前を拒絶する世界が、俺には受け入れられなかった」

 堕天の最期、ウェルギリウスはその人生において、初めて涙を流しながら寄り添い続けた。

 

「……初めから知っていた。世界は、悲しいまでに圧倒多数の健常者によって成り立っている。手を差し伸べる者も、当然いるだろう。だが神祖の御許以外にお前に居場所は、与えられはしなかった。俺はお前の最高傑作となることで、お前の居場所になりたかった。お前の孤独が埋まるのなら、俺はそれでいいと思った。そうすることで、お前を排斥する世界を破壊できるのなら」

「そんな、たったそれだけの事の。ために貴方は今まで」

「……たったそれだけの事が、結局俺には出来なかった。……オフィーリア・ディートリンデ・アインシュタイン。敗北した、というのなら俺は今より以前に一度、アレに敗北している」

 ルシファーはそう、嘆息して語る。

 ウェルギリウスには、もはや学者然とした超然たる雰囲気はなかった。

 まるでそれは、子に懸命に語り掛ける母の姿にも似ていた。

 

 

「オフィーリア――アレを討つ時、お前は躊躇った。迷った。その時、俺は悟った――俺はお前を導けない。アレのようにお前を導くことはできなかった、アレの代わりになることは俺には不可能だった。それは恐らく、熾高天に生まれ出で、俺達に比肩し得るであろう者達にさえ不可能であったろう……だから理想郷の開闢にアレを立ち会わせたいと思った――アレを、お前に会わせたいと願った」

「――」

 ウェルギリウスの腕の中で、ルシファーは瞼が落ちる。

 機能停止に至ろうとするその刹那に、ウェルギリウスは泣きじゃくった。眼前に映る現実を受け入れられない、子供のように。

 ルシファーがウェルギリウスにさえ隠した、ほんの少しの余分こそが運命を破局に導いた。

 総てを終えた末に訪れる楽園、そこにこそただの人であったオフィーリアを住まわせたかった。

 ウェルギリウスが決して孤独とならないように。

 たったそれだけの余分が、楽園を崩壊させたのだ。

 

「……詩人。お前は、俺達の告発者ではなく理解者であろうとすることを選んだ。……認めよう、俺の敗北だ。お前の言葉は概ねにおいて正しかった」

「もう、邪魔はしないさ。好きな時に好きな場所で眠ってくれ」

「……お前の著作は、俺は嫌いではなかった。木星天――お前は、俺と同類だと思っていた。だが、そうではなかった。――そしてすまなかった、ウェルギリウス。いや、お母……さん。俺は少しだけ先に逝く。せめてその魂の行く末が地獄ではない事を、九圏の果てで祈っている」

 絶え絶えたる息と共に、ルシファーは機能を停止した。

 もはや力のこもらないルシファーのその指を握り返しながら、ウェルギリウスは慟哭した。

 その在り様に、何もロダンもポースポロスも、言葉を交わす気にはならなかった。

 初めて、魔女は己の半身と言える存在の喪失を知った。

 ただ、子供の用に――あるいは子を失った母のように、泣き続ける。その嘆きだけが、至高の天にこだまする。

 

 

 やがて、星は解かれ各々は地上に帰っていく。

 暁奏を喪った聖教皇国は、国津に元の還っていく。

 新たなる生態系は芽吹くこともなく、彼らの夢見た楽園は成らなかった。

 

 

 

「オウカ様。……これが、貴女の神託だったのですね。そして、これがかけがえのない誰かを喪うという事だったのですね」

 

 

 

 その時、初めてウェルギリウスは悟った。

 かつて己が師が送った神託――己の名が、運命の終着駅になるという言葉の意味を。

 

 神歌において至高の賢者(ウェルギリウス)は、煉獄の果てで詩人を送り出したという。天国をめぐる旅路において、詩人を導いたのは淑女であり、そこに賢者はいなかった。

 ――賢者の旅路は煉獄で終わるように。

 極晃星(スフィア)を答えとしたが故に、至晃星(ステラ)を彼らは想定さえしなかった。

 

 

 

 

 だから彼らの旅路は、至晃星(てんごく)ではなく極晃星(れんごく)に至った時点で既に終わっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 地上に還ったその時、ウェルギリウスは茫々然として膝をついた。

 はらはらと散る、光の羽毛が天から降ってくる。

 

 それは己が敗北を、そして彼らの勝利を歌い上げていた。

 

 もう、堕天はいない。

 楽園は訪れない。

 

 

 輝く青空――もう悪魔のいない、世界に今度こそウェルギリウスは取り残された。元の独りぼっちに逆戻りだ。

 

 その背にかつかつと、二人分の足音が響く。

 オフィーリアが銃を構えて、その傍らにクラウディアを伴ってウェルギリウスの背に立っていた。

 聖教皇国の長い夜は、今ここに終わったのだ。

 ウェルギリウスの手にはただ一つ、白く清く、美しい羽が握られていた。

 それはきっと、ルシファーに残っていた、ほんの一握りの善性の象徴だったのかもしれない。

 

「――随分、遅かったじゃない、オフィーリア。そしておはよう、久しぶりね銀月天」




淑女と詩人の新生、十天の彼方に歌え舞姫神譚
AVERAGE: A
発動値DRIVE: AA
集束性:C
拡散性:A
操縦性:EX
付属性:B
維持性:C
干渉性:EX
星辰体改質進化・新異能体系獲得能力。
星に非ざる星を奏でる者――故に、星辰星奏者。
星辰体そのものへの超干渉・超操縦により既存の星辰体とも、反星辰体とも異なる別種の素粒子たる超星辰体を生み出す能力。
また、超星辰体との感応による顕現する星光は原理・理論体系が根本的に異なる異能であり、本来は星辰光とさえ呼ぶべきものではない。
彼らの紡ぎあげる物理法則に従って、その輝きは詩人を護る月光となるだろう。
性質としては滅奏同様に、星辰体及び星辰光に対する相性差を挙げられ、同時に出力の土俵においては特段に秀でる者ではないため、その点に関しては弱点は同様である。
しかし星辰体そのものの精密制御はもちろんのこと、超星辰体そのものも進化を遂げ改良し続ける。この点においては大きく異なる点だろう。
振るえる現象そのものは焔や雷など、ごく自然にありふれたモノを起点にするがその悉くは例外なく神域の物理法則を帯びる。
ただの疾駆も、飛翔も、その呼吸さえも文字通り神域の業となる。

第四世代型人造惑星の別解にして、本当の終着点。
故に詩人と淑女の辿り着いた答え、十天の旅路の結末に相応しき名は極晃星に非ず、至晃星である。


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舞姫神譚 / Divine Comedy

最後のタイトルは、神曲の英語名(神聖喜劇の意)です。
これにて、エンピレオ本編は完結です。


今まで至らぬところ多々ある拙策を慈悲深く作品を見守ってくださった方々に、深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!


 魔女の去った、崩れかけた特異点において四人は顔を突き合わせた。

 

 エリスとロダン。ポースポロスとジュリエット。

 対照的な二人の極晃奏者は特に笑うことなく仏頂面で、しかしその傍らに在る者達はどこか気まずそうな、共感のこもった笑顔を交え合っている。

 

「――ありがとう、星奏者。お前が居なければ、俺は聖戦の轍を踏んでいただろう」

「……シャレになってないぞポースポロス」

「自覚はある。洒落は不得手だ」

 ポースポロスは目を閉じながら、心からそうロダンに謝す。

 聖戦の余波でこの地上を焼き払う事など、絶対にポースポロスも――閃奏も望んでいなかった。だからこそ、ロダンが居なければ正真正銘聖戦の末路を遂げていただろう。

 間接的にロダンはポースポロスを救ったのだ。だからこそ、心から謝しているのだ。

 

「……ポースポロスは、素直じゃないから」

「ロダン様も大概、素直ではないと思います」

 少しだけ、苦笑する。

 

 それからポースポロスとジュリエットもまた光に包まれながら、地上に還っていく。

 

「ポースポロス。……俺の方こそ、ありがとう。お前が居なかったら俺は負けていた」

「謝すに及ばん、詩人。……そしてさらばだ、地上でな」

 月と太陽の女神に伴われながら、そうして二人もまた地上に戻っていく。

 ポースポロスの姿を少しだけロダンは心から格好いいと、そう思えた。 

 人間として彼と語らえる日がくればいいと、思った

 

 

 

 

「……来てもらうわ、ヴェル」

「撃たないのかしら、その銃は飾り?」

「撃って、どうするのよ」

 散っていく特異点を、ただウェルギリウスは見届けるしかできなかった。

 空しく吹く、荒涼たる風だけがオフィーリアの白衣をはためかせる。

 構えた銃も、力無く降ろされる。

 

「……先生。貴女の夢は、醒めた?」

「……えぇ。詩人と淑女の。そして貴女の勝利よクラウディア・ハーシェル」

「ならよかった。強かったでしょ、私の――私とエリスの、騎士様は」

 ウェルギリウスは、ただ項垂れて幽鬼のように立ち上がり、オフィーリアに両腕を差し出した。

 

 がちゃり、と乾いた鉄の音が響く。

 その腕に手錠がかけられた。

 そして、オフィーリアに伴われ彼女は捕らえられた。

 

 

 

 

 かくして、聖教皇国を震撼させた至高天の階達の――そして神祖から続く一連の大騒動は終息を迎えた。

 逮捕という結末を迎えたウェルギリウス・フィ―ゼは打って変わって聴取には極めて協力的な態度を取っていた。

 結果として惨劇の多くは彼女一人に帰結する事。

 ジュリエット・エオスライトの関与は設計理論・死体の取り扱いのみにとどまっていたことが明らかとなった。

 

 保護という名目で現状聖庁にいるクラウディア・ハーシェル――銀月天は多くの時間を疑似的な機能停止状態で過ごしてしまっていたが故に供述出来ることはほとんどなかった。

 

 ジュリエットは、ウェルギリウス・フィ―ゼの協力者として罪に問われることにはなったが、前述のウェルギリウスの供述により減刑の見通しが立つという事だった。

 特に、ジュリエットについてはオフィーリアの提言が大きかった。

 

「ドクター・オフィーリア。……罰は何でも受けるわ。私はそれだけの事をした。だから――」

「当たり前だけれど、罰は受けてもらうわ。そして罰は、何よりも苦しいモノでなくて――例え間接的であっても奪ったモノに見合うモノでなくてはならない」

 彼女達は面会する機会があった。奇しくも、同じ研究の道に通ずる者同士だった。

 

「だから――貴女には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今もなお、貴女の手は必要とされている。例え貴女が死を望んでも、残念ながら今の聖教皇国の法体系ではそれを科すことは不可能。……だからそれが、聖教皇国が貴女に提示できる中での()()()よ。ジュリエット・エオスライト」

「――、なるほど。そう。たしかに、それは私に課せる中で最大の罰ね」

 そう、静かにジュリエットは涙を流した。

 ただ、けれど不思議とそこには悲壮さはなかった。彼女のソレは、納得の下に流れた涙だったから。

 かつて自分が目を背けた道へ再び向き合う事。それは耐え難い痛みを生むはずなのに、ジュリエットの顔は確かに安堵に満ちていた。理由は、語るまでもないだろう。

 

 それから金星天もまた、特に聖教皇国に被害を齎すことはなかったため特段咎め立てはされなかった。

 むしろその逆であり彼はその星を以って幻覚を紡ぎ、皇都周辺での混乱を最小限に抑えていたのだという。事実外はともかく、皇都周辺ではそもそも特異点が生じていたことさえ、知っている人間はいなかった。

 彼自身は今も、奇抜な脚本を練りエリスや他の団員を困らせつつも芸術活動に専念している。

 

 では水星天はと言えばその星の性質があまりにも特異かつ危険すぎたこともあり、現状は監察付きで管理されている。

 エリスの時にはその処遇で対立していた第一軍団団長とマリアンナもこれに関しては珍しく、意見が一致したという。

 

 

 そして、クラウディア自身はウェルギリウスの発明たる第四世代人造惑星の貴重なサンプルではあったのだが、それを下に技術研究を行うことは副長官オフィーリア、および第一軍団隊長が認めなかった。

 彼女はウェルギリウスの技術研究の犠牲者であり、決してその哀しみを継続させてはならないという判断もあった。

 

 それだけではない。ウェルギリウスの非人道的な研究の数々――第四世代人造惑星に関する技術資料の一切は焼却され、その詳細は永遠に歴史に葬られることとなった。

 故に正真正銘、今地上に存在する第四世代人造惑星はロダンとエリス、そしてクラウディアだけだであり、今後製造されることは永遠にない。

 

 今は奇縁あって、クラウディアはオフィーリアの下で働いている。それは聖教皇国として魔星を管理する目的もあったろうが、今となっては公的には身寄りのない彼女を憂いてオフィーリアが雇った形となる。

 

「オフィーリアさん。この前に取ってほしいって言われた実験データはこれでいい?」

「ええ、ありがとう。クラウディアさん。そこに置いておくといいわ、寝起きで疲れたでしょう。コーヒーを淹れてあげるわ」

「じゃあ、砂糖たくさん入れておいて。苦いは苦手なの」

 意外な事に、彼女達はそれなりにうまくやっていた。

 クラウディアはもとより魔星である以上、星辰体技術に通じていることは言うまでもない。

 公的にはクラウディアという人物は死んだことになっている以上、当然新しい名前と戸籍を用意する必要があった。

 結果として今の彼女の名前はクラウディア・ステラということになった。

 素性としては最も偽りやすいものとして「商国の暗闘から逃れるために苗字を変えた人物」というモノになり、これに関してクラウディアは若干複雑な表情を浮かべていた。

 

「それとこれから確かアドラーからさる方が来る、だったっけ。たしか一一時に訪問の予定だったはずだったと思う」

「えぇ、茶を用意しておいて。私の前ではそれでいいけれどくれぐれも失礼はないようにね」

「はいはい、オフィーリア副長官様」

 いそいそと、クラウディアは小走りで準備しながら応接卓を水拭きしながら準備する。

 オフィーリアは少しだけ、胸にぽっかりと穴の開いた気分にだった。

 

 失ったモノは、いくつかあった。

 なぜ、ルシファーは自分を殺さなかったのか。

 

『ルシファーは、多分ウェルギリウスの傍に真にいるべきなのは本来は自分じゃないと思っていたんだろう』

『だから、極晃を成した後、総ての仕事を終えた後に来るべき楽園に貴方を住まわせようとした』

『……ウェルギリウスの挙げた対等以上の四人、その最後の一人は恐らく貴女なんだ。そして、貴女が寄こしたある本をウェルギリウスはそれこそ何度も何度も、見返していたんだろう』

 ロダンは、後にそう語った。

 今となっては根拠も何もあったものではない。

 唯一物的証拠があったとすれば、地下空間での彼女の書斎にあるたった一冊の本には、何度も何度も読み返したかのような皺が刻まれていたことぐらいだ。

 

「――ィーリアさん? オフィーリアさーん?」

「あ、あぁ。ごめんなさいクラウディアさん。少しだけ、考え事をしていたわ」

「……先生の事?」

 少しだけ、クラウディアは表情を陰らせながらそう聞いた。

 それは、誰にとっても痛みを呼ぶ話題だった。

 オフィーリアは、あの日以来ウェルギリウスとは一切顔を合わせていない、

 

「……知らないわ、犯罪者の知り合いなんて私にはいないもの」

「……そっか。うん、ごめんね」

 ただ、少しだけ俯くだけだった。

 

 ウェルギリウスはその数々の罪状から聖教皇国の法の下、死刑が執行されることが決まった。

 それに際し異を唱える者はいなかった――オフィーリアは、その判決に異を唱えはしなかった。

 

 その頭脳故に司法取引によって星辰体運用技術の研究に復帰する事も考えられたが、ウェルギリウス本人がそれを拒絶し、また副長官であるオフィーリアも認めなかった。

 

『今、聖教皇国にはシュウ様と――かつての私の友人がいるわ。その二人さえいれば、私の出る幕はないでしょう』

 ただ、そう供述したという。

 

 そして、三日後には死刑は執行されるという。

 その報せを、ただ聞いた時のオフィーリアは、ただそう、とだけしか応えなかった。

 短いその嘆息に、どれだけの想いがこもっていたかは彼女以外の誰にも測りようがなかった。

 

 

 

 

 

 それから、ウェルギリウスは死刑執行の日を粛々と迎えた。

 牢から出て絞首台へと、彼女は歩いていく。

 

 けれど、絞首台に赴くその途上に人を見た

 

 ……それは己がよく知っていて、そしてかつて捨てた友だった。

 

「……そう。私の最期に、貴女が立ち会うのね」

「えぇ。久しぶりね、ヴェル」

「まだ、その名前で呼んでくれるのね」

 少しだけ、ウェルギリウスには感慨があった。

 よく聞いた声色と、よく聞いた抑揚。懐かしくて、懐かしくて、胸がうずいた。

 長い暗がりを抜けて、久方ぶりに光を浴びたような気分になった。

 

「……私、これから死ぬのね」

「それが貴女の報いよ。ハルさんの両親や、クラウディアさん。亡きエイリーク氏に鋼の戦士たち。彼らの死を弄んだ報いよ」

 旧友との会話――と言うには、あまりにもそれは残酷だった。

 かつての友人へその末路を告げることは、決してオフィーリアにとっては心の痛まない行為ではなかったからだ。

 

「……貴女からもらった本、面白さは分からなかったけど。もっと、もっと、読み返したかった」

「それは、なぜ?」

「なんでかしら、私にも分からない。……あぁ、けれどオフィーリアが初めて私にくれた本だから、だったのかもしれない。それをめくるたび、貴女の顔を思い出せたから」

「……嬉しい、とは言わないわ。そう口にしたら私は貴女を赦してしまいそうになる。私を置き去りにした貴女を」

 渋く作ってしまった紅茶を飲んだような顔で、オフィーリアはそう言って、ウェルギリウスの傍らをすれ違った。

 ウェルギリウスは刑場へ、オフィーリアは外へ。

 もう、二度と顔を合わせはしないだろう。

 

「――そうなのね。私の淑女(ベアトリーチェ)は、こんな近くにいたのね。……自分から導き手を捨てた女が天国を目指せるわけなんかなかった。……あぁ。つくづく、敵わないわオウカ様」

 ウェルギリウスは、生涯でただ一度その過ちに気が付いた。

 もう気が付いてからでは、遅かった。けれどその気づきだけがウェルギリウスにとっての最期の救済となっただろう。

 ただそこに在ったはずの理解者。

 誰にだって淑女はいる。それに気付くか気付かないかが、淑女と魔女を隔てたものだった。

 

「ルシファーの成長を見誤った。それもまた、私の失敗だった。……彼はとっくに、人間に成っていた。気づかなかったのは私だけ――私は母としても失格ね」

 ルシファーの献身にさえ、ついぞ気づきはしなかった。

 天使が己が務めを堕落すれば悪魔に転ずるのであれば、悪魔が己が務めを堕落すれば、何に転ずるのか。

 それは言うまでもなかった。……例え邪悪な形であっても、ルシファーは確かに己が母に救済を齎そうとしていたのだから。

 

 

「さようなら。貴女は、確かに私の友人だった」

「ありがとう、オフィーリア」

「……もし、あの世があったら地獄の旅に付き合ってあげる。いつか、本当に犯した罪の全てを償いきれるように」

「うん。本当に、ありがとう。……貴女がいつかの日に淹れてくれたコーヒーの味、私は嫌いじゃなかったと思う」

 そして、もう二度と語らう事もなかった。

 

 冷たい床にひたりと足を着ける。絞首縄に首を納める。

 それから、がちゃりと無機質が音が刑場に響いた。

 

 ――魔女は、最後に人として命を終えたのだ。

 

 

「よう、リヒター」

「ガンドルフか。久々だな」

 ある日の街中、その酒場でかつての上司と部下は顔を合わせる。

 ルシファーの激突から数か月を経ていた。

 

 

「随分、大変だったらしいなそっちは」

「まったくだ。俺とお前の馬鹿弟子がさんざんにやらかしてくれた。騎士を辞めるわ、騎士に剣を向けるわ、果てはまぁ――大体知っての通りだが」

 呆れるようにリヒターは両手を振るってそう言う。

 ガンドルフもまったくだと頷く。

 だが、彼らにはある意味において共通の知己があった。火星天――その素体。

 火星天を意図して匿っていたことに際し、ガンドルフも当初調査を受けた一人だったからであり。

 

「……火星天。より正しくは、リヒター。お前の双子の兄貴、パーシヴァル・リヒターか。隠していて、悪かった」

「まったくだ。……寄りにもよって、魔女の自供で俺の与り知らんところで俺の身内の名が出てくるとはな。……ロダンには図らずとも、酷な事をさせてしまったと思っている」

 パーシヴァル・リヒターは剣の道を志しながら、その薄命さ故に狂気に憑かれていたという。

 根拠にない民間療法、或いは薬物に手を出してまで永らえようとしたという。

 その名を出したからこそ、ガンドルフは火星天を捨ておくことはできなかった。

 剣を志しながら命半ばで道を終えた者、その在り方に哀しさを見出したからこそ彼は火星天を弟子にした。そこには、かつて道半ばで弟子を導けなかった後悔も少なからず含まれていたのかもしれない。

 

 

「……兄貴は、実際のところ俺は顔を合わせたことは病床に臥せってからはほとんどなかったし、公的には亡くなったと聞いている。実際、確かに俺は兄貴の葬式に出たからな。親も、兄貴に家を継がせたかったらしいからな。火星天――あいつは、俺に特に因縁をつけはしなかった」

「悲しいだろう、身内だったはずなんだからな」

「あぁ。そして、火星天はロダンに討たれ、ロダンがその業を継いだという。……兄貴は、自分の剣を継いでくれる人間を探していたのかもな。兄貴は当主になるより、剣を握る事が好きだった人間だっと記憶している」

 賭けた情熱を分子に置き人の一生涯を分母に置けば、短命な人間は時間当たりの情熱において、常人のそれを遥かに超えるだろう。

 故に火星天を突き動かした剣への衝動は、天之闇戸を基礎設計とし殺塵鬼を参考にしていながら世界ごと剣に変える星へ成った事が証明している通りだろう。

 

 本来であれば天之闇戸の事象改竄を主軸とした、万能性に富む星になるはずだった。

 素体によって多少その在り方に色はつくだろうが、それでも概ね天之闇戸のそれに準ずる在り方となるはずだった。

 それが剣という形態をとったのは、人としてのパーシヴァルの最期の矜持でもあったのだろう。

 

「実際のところ、火星天が兄貴だと言われてもびっくりするぐらい実感がわかなかった。何せ火星天は俺にはほとんど関心を示さなかったからな。俺も、火星天を兄貴だとはあの時露ほども思わなかった」

「分からなくて当然だろう。ガタイも、顔も何もかも違い過ぎるからな。それに、アイツはお前の事は双子の弟だということ以外に語らなかった」

「……俺が兄貴に寄り添っていれば何かが変わったとも思わん。その剣を俺なんか眼中になくて、ロダンに継がせたのも、まぁそれなりに複雑な気分さ」

 少しだけ、空を見上げる。

 リヒターは辛気臭い顔はしないようにしたかった。

 胸が痛みはしなかった。けれど、胸に空洞が開いたかのような、そこに在るべきモノが欠落したかのような感覚があった。

 

 今はただ喉を洗い流すように、胸を埋めるように酒を流し込んだ。

 酒はそこまで強くはないが今だけは酔う事を許してくれと、虚空に向かって祈りながら喉へ酒精を流し込むことにした。

 

 

 

 戦後処理、というものはいつだとてついて回ってくる問題だ。

 その最たる例が、ポースポロスだった。

 

 曙奏は確かに聖教皇国を救った上、彼の存在もジュリエットの減刑の最たる要因の一つであった。

 だが、ポースポロスが現状近隣諸国のどの国に帰属するのか、それは明確に定まってはいなかった。

 

 万が一にも、アンタルヤは有り得ないだろう。

 聖教皇国に帰属するのかと言えば素体の故郷はアドラーだが、ではアドラーに帰属するかとポースポロスの精神の故郷は聖教皇国にあった。

 加えてもしアドラーに帰属しようものならばそれこそ、彼の顔も極晃もアドラーにとって非常に大きい()()()()()()()を持ってしまう。

 

 故に、ポースポロスはただ誰にも与しない事を選んだ。

 誰にも与せずしかし調停者とも異なる、天頂に坐したる怒れる秩序の守護者として――世界の在り方が変革を迎えた時、その是非を問わんとする曙の剣として。

 

「さらばだ、閃奏。そして済まなかった。――末路を託すと言っておきながら、この有様だ。俺はこの世界に尚も在り続けている」

 今、ポースポロスが立っているのは聖教皇国の集合墓地だった。

 かつて超人大戦や神祖滅殺に際し亡くなった者達がそこに眠っている。

 

 静謐の中、ただ彼らは眠り続ける。

 けれど墓に還れなかった者達が今もなお、ポースポロスの裡にいる。その者達にこそポースポロスは何より心から謝している。 

 

 ポースポロスの隣に、一人の男が立つ。

 その男に、奇妙な事に見覚えが無いはずなのに、見覚えがあった。

 天衝く巨躯、鋼の手足。歴戦の貫禄を思わせる、凛冽とした意志力の眼光。装束を見なくてもそれが誰なのかは、もはや言うまでも無かったろう。

 

「――よう。そっちも墓参りかい?」

「あぁ。……墓に眠ることができなかった者達を弔うために、此処にいる」

「そりゃいいことだ。……ちなみに、ソイツらはどんな奴らだった?」

「誰よりも、勇敢な者達だった。俺など及びもしない――笑って他者のために命を賭し明日を託せる、誇るべき者達だった」

 間違いなくポースポロスの裡にいる者達は一人残らず、ポースポロスにとっては戦友にして勇者だった。

 その言葉に思うところがあったのだろう、少しだけ空を仰いでそれから男は呵々と笑った。

 

「そうだろう、そうだろうとも。笑顔を――温かい営みを護らんとする限り、人は果てなく無敵になれるのさ」

「同感だ」

 言葉短く、しかしほんの少しだけ笑いを浮かべながら。

 

「その者達を故郷に還してやれないことが今の心残りでな」

「いいんだよ。総統閣下みたいに生きる必要はねぇ、ただそいつらに恥じない生き方をしてやってくれ。きっと、それが何よりの弔いになる」

「……礼を言おう、名を知らぬ鋼の勇者。達者でな」

 言って二人は向き合い、鋼の手で握手を交わした。

 熱のこもらぬはずの鋼の腕にこそ、しかし確かな熱を互いに感じる。

 

「いつか亡き者達のためにも、故郷を見せてやりたい。その時があればよろしく頼む」

「おいおい、コールレインの旦那が泡吹くぞ」

 至って大真面目にポースポロスはそう述べる。その様に、苦笑いを浮かべつつ男は応と頷いた。

 それから、互いに背を向けて去っていく。

 

 その刹那、極晃(ほし)の彼方にポースポロスはかすかな声を聴く。

 かつて己の裁定を託した者の声が。

 

『往くがいい、昇天曙光(ポースポロス)。お前の翼の行く末は誰のものでもない――他ならぬお前のものなのだから』

 

 

 

 

 

 ジュリエットは今は、再び難病治療の研究者として再び研究に従事することとなった。

 医療における国策としての中核として、彼女は贖罪のために今は手を尽くしている。

 

「ジュリエット先生、本日の来客なのですが――」

「先生、はやめてアメーリア。……本来なら私は受刑者になるはずだったのは聞いている通りよ」

「それでも、かつても今も、先生は難病治療の研究に尽くしてくれたと聞いています。何より、私を救ってくれました」

 彼女は聖庁の監視役――兼助手と呼べる人間がつけられた。名をアメーリアという。

 聞くところによればかつて以前に研究者として在った時に提出した研究成果によって救われた元、患者なのだという。

 過去の自分が、巡り巡ってこうして人を救った結果。アメ―リアもまた医者を志すようになった、とオフィーリアからはジュリエットは聞いていた。

 その皮肉に、少しだけ彼女は苦笑いする。捨てたはずの自分の理想に、今の自分が救われているのだから。

 

「……先生が、何を思って犯罪に手を貸したのか。それは私には分からないです。尋ねたいとも思わないです。でも、先生は私を救ってくれましてた。だから私にとっては、先生の下で働くのは夢だったんです」

「元犯罪者の助手を進んで志願する人は貴女以外いないって聞いてたんだけども、本当に博士人生(キャリア)を棒に振るつもり? たしか貴女機関学校を首席で出てるんじゃなかった?」

「はい、博士人生潰すつもりで来ました。どうせ先生がいなかったらあの時死んでた命ですから私の命は先生のもの同然です!」

「……はい、じゃなくてね」

 半ば呆れつつ、ジュリエットはそう答える。淀みなくそう言い放つ助手に、ジュリエットははいはいと言って再び机に向かう。

 彼女になら、きっと将来を託してもいいのかもしれない。そう、思えなくもなかった。

 

 それから思い返したように聞く。

 

「……そう言えば来客が、と言っていたけど今日はそんな予定があった? オフィーリア副長官、シュウ様とは昨日面会は終わったけど」

「はい。その、ついさっき来た人で。先生を尋ねに来たそうです」

「一応聞くわ。どんな人?」

「……えーと、身長が高くて。顔が怖くて、金髪で碧眼。あぁそうだ。門前で大真面目に"俺は先生(ジュリエット)の患者だとだけ言えば分かる、まだ俺は病気は治っていない"、って言ってました」

「……とんでもない不審者ね、今出るから待っててと伝えておいて」

 そこまで聞くと、ジュリエットは少しだけ頭を抱える。

 非常に、それはもう、身に覚えしかない患者だったからだ。

 少しだけ遅れてジュリエットは助手のアメーリアを伴って外に出た。その顔は少しだけ嬉しそうに、怒っていた。

 

 

 

 

 

 

「ハル嬢。……本当に、済まなかった」

「……イワト、おじさま」

 あの夜以来、奇跡的に意識を取り戻したイワトの傍らには、ハルがいた。

 彼はウェルギリウスとの通謀を自白し、そして今に至る。

 

「私は、魔女と通謀していた。……総ては、ハル嬢の父と母に復讐をしたいからだった。私はハル嬢を――」

「なんとなく、イワトおじさまが私を見るときの目は知っていました。……お母さんが、お父さんに奪われたのが憎かった。……だから私をお母さんに見立てて復讐したかった、と」

「そうだ。……ハル嬢があのような目にあったのは私の所為だ。私の醜い嫉妬が、ハル嬢を。だから――殺してくれ、糾弾してくれ」

 そう、病床で血が滲みそうになるぐらい拳をイワトは握りしめていた。

 自らの犯した罪に、耐えられないと。

 けれどハルは少しだけ哀れに想った。その気持ちを分からなかったわけではなかったから。

 

「おじさまのしたことは私は許せません。だから死んで楽になろうなんて考えないでください。ちゃんと、罪と向き合ってください。私は母ではありませんが、それを父も母も望んでいると思います」

「……そう、か」

「私は知らなくてもいい事や、知りたくなかった事だっていっぱい知りました。……それでも、父と母を友人として愛していた貴方を喪う事もまた私には耐えがたい事で――もう、身内が死ぬのはたくさんなんです。だからどうか生きてください、イワトおじさま。それだけが、ナオ・キリガクレとマシュー・ジットマンの娘である私の願いです」

 生気を失った有様のイワトにハルは最後にこくりと会釈して、そして去っていく。

 ただ、涙を流しながら。イワトは病床に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 それから聖教皇国はもとの活気を取り戻した。

 それは、さる名家の屋敷も同じことだった。

 

「――ほら、ロダン起きなさい。あまり遅起きだと紅茶を苦く淹れるわよ。エリスさんは先に起きてるのに」

「姉さん、もう少し慈悲をくれ慈悲を」

「私の慈悲は在庫があるの。ロダンがもう少し私を気にかけてくれると在庫が増えるわ」

 少しだけ、ハルの急かされながらロダンは屋敷の階段を下りていく。

 あの日以来、エリスもハルも元の屋敷に一緒に住むようになった。

 

 同じ想い人を巡って、少しだけ複雑な距離感はあるけれどそれでも仲は姉妹のように至って良好だった。

 

 朝の食卓に、ロダンとエリスとハルがつく。

 今日の朝食はサーモンの炒め物だったが、ほんの少しだけ形がいびつだ。

 

「……今日は、もしかしてエリスが料理をしたのか?」

「ロダン様。……今、料理の見た目が下手だから私が作ったんだろう、とお思いになりましたね?」

「待て、エリス。腕が千切れる、お前も役者なら間接の可動域を考え――ちょっと待て、腕の中身が冗談抜きで切れる。人間の可動域の限界を超えるぞ」

 相も変わらず、ロダンはエリスに対しては弱かった。

 腕があらぬ方向に曲げられかけている様を、少しだけくすくすとハルは笑う。

 

「えぇ。エリスさんが料理をちゃんと作れるようになりたい、って言ったの。私に弟子入りしたいって」

「はい、私が一番好きなのはお姉さまの手料理ですから」

 エリスは屈託のない笑みでそう答える。

 裏表というものがないのは、エリスの無垢ゆえの資質でもあるのだろう。だからこそハルとの関係を持ち直せたという側面も強い。

 かつてと何も変わらない、こうして団らんとしていてくれること。それがロダンにとっては何よりうれしかった。

 以前にもまして、ハルとエリスは本当の姉妹のように見える様だった。

 

「エリスさんは洗い物も手伝ってくれたのよ。比べて、ロダンはひどいわ。こんな人にエリスさんはもったいないと思うの」

「それは丁重にお断りいたします、お姉さま。私も、ロダン様をお慕いしていますから」

 例え家族として愛していても、そこだけは剣呑だった。

 エリスもハルも、互いにそこに関してだけは譲らなかった。

 

「俺はエリスが料理を覚えようとして、俺に振舞おうとしてくれたことが嬉しいと思ったんだ。だから、そんなことは思ってないよ」

「……なら、そういう事にしておきます」

 腕が解放されて、やっと食事をとる事にした。

 フォークで少しずつ、口に料理を運びながら、ゆっくりと朝は過ぎていく。

 

 それからロダンは買いだしに行くことになった。

 今日はエリスとハルは二人揃って、どこかに遊びに行くらしい。

 

 

 篭と、ハルの書いたメモを眺めながら市街へ赴くことにする。

 

 

 初めてエリスの舞台を見に行った時と、まるきり一緒の光景だった。

 

 出店にコインを渡して氷菓を買うと、その隣で全く同じ氷菓を頼む人がいた。 

 

「――貴女は」

「お久しぶりですね、ロダン」

 そこにいたのは、マリアンナだった。

 あの時とは違い、もう騎士姿ではない。暖かそうな私服を纏いながら、彼女は氷菓を受け取っていた。

 

「……騎士に、戻らないかとは聞かないんだな」

「私自身、もう騎士に戻れない身になりましたから」

 ……彼女はもう、星辰奏者にはなれない。

 けれど不思議な事に彼女は、それを悲しんでいるそぶりはなかった。むしろ、以前の彼女からロダンが感じていた陰は払しょくされていた。

 少なくとも、今このように氷菓を口に運ぶ彼女の姿は騎士時代には考えられなかった姿だったから。

 それから同じベンチにならんで腰掛ける。

 

「ロダン。貴方は、生きて帰ってくれました。だから私はそれがとても嬉しいと思います。……貴方の喪失は訪れなかったのですから」

「……貴女はそう言えば、今は騎士の身分は辞して教会に勤めているのだったか」

「えぇ。リチャード卿には大変お世話になりましたから、道半ばで騎士を辞すのは心苦しいものがあります」

「目に浮かぶよ、グランドベル卿は頑固だからな」

 自覚はあります、と粛々と彼女はそう答える。

 教会での修道女姿のマリアンナはの出で立ちは、想像はそれほど難しくはなかった。

 

「……騎士を辞めてからも、思うところは在りました。でも私はもう少しだけ、生きてみたいと思います。私に生きてほしいと願った人々の――そして何より、貴方のために」

「なら、よかった。貴女は、貴女自身を赦せるようになったんだな」

「師は私が聖女でなくなる時、私に救済が訪れると言いました。今ならその言葉は分かる気がします。……私が生きていることが――彼らを忘れないことが、村の皆が確かに生きていた証になるのですから」

「俺が類推したり知った顔で注釈をつけようとするのも無粋だろう。グランドベル卿が一番納得できる解釈が多分、正解だ」

 少しだけ、手が肌寒い。

 けれどマリアンナの手がロダンの手に添えられる。

 誰も彼も焼き尽くす焔のそれではなく、暖かく穏やかな日差しのような熱だった。

 奇しくもそれはロダンとエリスの行きついた答えと、同じだった。

 

「ロダン、今日は暖かい日ですね」

「貴女の手も、温かいだろう」

 言葉にせずとも少しだけ、感じる想いがある。

 長い暗がりを抜けて、光を浴びたような、そんな憑き物の落ちた彼女の笑顔は柔らかだった。

 

 

 

 

 

 それからマリアンナと別れ買い物を済ませると、帰路につく途中街中でユダと出会った。

 

「おぉ、ロダン。久しぶりだな」

「久しぶりというほどでもないだろユダ。……あの時、皇都周辺でパニックが起きなかったのはユダのおかげだって聞いてる。ありがとう」

「いや、別に。特に何かをしたわけでもない。俺とて皇国民さ、市民の――そして力を持つ者の義務は果たしただけだ」

 ユダはあの聖戦に際し、市民への動揺が広がるの自分の星を最大規模で駆動させて食い止めていた。

 そのために皇都周辺では動揺がさほどに広がることもなかったという経緯がある。加えて、聖教皇国に仇を成す存在でもなかったために、現状は市井としての暮らしと芸術活動を保証されているのだとも。

 

「ありがとうな。エリスと共にいてくれて。いつか、殻を破る日が来るという話を俺がしたことがあったろう」

「別に感謝されるような話でもないだろう。エリスが自分でちゃんと悩んで、自分で勝ち取っただけだ」

「……二日後の公演、身に来いよ。何せ俺とお前の脚本の合作で贈る、エリスの舞台だからな」

 そう言えばと、ロダンは思い出す。二日後にエリスの演目があるという事を。

 その公演は、聖教皇国の復興を記念した公演であるという。

 ――その脚本はユダとの合作という形でロダンはかかわっていた。

 

 

「本来なら聖庁のお咎めを受けた時点で俺はユダ座の存続の危機だったんだが、まぁそこは聖庁の混乱を納めた事を考慮に入れて、大目に見ていただいたというところだ」

「宮廷芸術家になればよかったんじゃないのか?」

「悪くはないかもしれんが、往々にして芸術とは時として権力に反逆するモノだ。俺は何でもできるが、お行儀よく脚本を創る事だけは唯一不可能だ」

「作風は人それぞれだろうが自己評価が著しく高いな」

 相も変わらず、うさん臭さと大言壮語は変わらないとロダンは思う。

 実際彼の作風は彼の在り方と言動を反映する鏡のようなものでもあった。

 

「……ユダの脚本は、あまりにも混沌とし過ぎている。大体なんで途中からエリスが自分の外套を盗まれたことにキレて河でおぼれてる悪党を木の棒でばしばし殴る話になってんだ。悪魔役のダグラスが可哀そうだし子供が多分泣くぞ」

「お前の脚本はあまりにも故事を準える描写が多すぎる。教養のある客層には需要はあるだろうしお前が作品に込めた宗教的な意図を感じ取れるだろうが、大体の観客は眠くなる。というか俺は眠くなった」

「なら、足して二で割った脚本ならちょうどいいだろうという事で合作になったんだろうに」

「その通り、そしてこれはいい、この上なくいい。俺達が本気でぶつかった末に、エリスの新たな門出を刻むに相応しい舞台になった」

「その気色の悪い例えはやめてくれないか」

 まさか、自分が脚本を合作する日が来るとは、とロダンは思った。

 文化や時代の考証、見る者の教養に訴えかける示唆に富む作風はロダンが得意とし、観客の心の動きを掴み退屈させない舞台を構築する作風についてはユダが得意としていた。

 結果として出来上がったモノに、ロダンも確かに納得した。

 

 エリスの舞うに相応しい舞台、という一点においてユダとロダンは確かにこの世で一番彼女をよく理解している人間であったと言えるから。

 

 

 

「騎士様、約束守ってくれたんだ」

「当たり前だろう、クラウディア。君が予定を開けておけと言ってくれたんじゃないか」

 クラウディアはその日――エリスの公演の日、オフィーリアへ無理を言ってでも予定を開けてもらおうとしたが思いのほかすんなりとオフィーリアは許可した。

 しかしそれは、オフィーリアもその事情をあらかじめ知っていたからでもあった。

 楽しんできなさい、とだけ言って彼女の休暇を許可したのだ。

 

 そのついでとしてロダンへとオフィーリアは子守を頼み結果として、クラウディアの保護者のような形でロダンは同伴していた。

 

「……さっき受付の人になんか子供扱いされた。私の享年はたしか数え間違ってなければ十五歳よ? 子供って年じゃないでしょう?」

「俺みたいに無駄に年だけ食った人間からしてみれば子供もいいところだ。そして人の一生を書物に例えるとすれば、若いという事は未だ綴られていない頁があるという事だ」

「その先を、自分で綴りなさいって? ……老人みたいな例えをするね騎士様」

「へこむぞ」

 クラウディアは若干むくれて不服そうだった。

 クラウディアは席につく。傍らに、たくさん入ったコーヒーを置いて。

 それから少し遅れてロダンも席につく。

 

「騎士様は紅茶が好きなの?」

「コーヒーは生憎とあまり好まない。それと一度、気に入っていていた書物にコーヒーをこぼしてしまったことがあってね。自分の小遣いで買った初めての書物なだけに、大層あの時は後悔したものだ」

「私は甘いコーヒーが好きだけど」

「それはとてもいい事だ。苦さを好むことを成人性と見なし、甘さを好むことを小児性として貶めるのは佳くない大人になる兆しだ。俺にも経験はあるからね」

 実感のこもった口ぶりにクラウディアは「こんな大人になりたくないなぁ」と、そう返した。

 少しだけ、ロダンは気落ちするがまったくもって同感だった。

 

 

「騎士様は悪い大人?」

「良い大人なら騎士を辞めないし聖書に文句を言わないからね、それは保証しよう」

「そうだね。それも売り出し中の将来有望な女優に手を出すぐらいだから、それはもう、とっても悪い大人だと思う」

「――危ないな、せっかくのエリスの舞台を紅茶を噴き出して汚すところだったじゃないか」

「安心して、私は騎士様とエリスについては公認よ」

 そうしているうちに、開演の刻限を迎えた。

 

 ――静謐の中、エリスが光を浴びながら舞台へ立つ。

 一瞬だけ、観客席へエリスは笑顔をむける。

 

 

 ただのほんの一瞬、ロダンとクラウディアにしか見せなかった笑顔。

 

 そしてエリスは舞う。

 誰もが、目が離せない。

 

 かつて、ロダンは一人でエリスの舞台を見た。

 今は、クラウディアと共に観る。エリスの演目を見に行こうという約束はちゃんと果たせた。

 

 ロダンは、クラウディアに導かれてこの舞台を目にしている。

 そして、エリスが辿り着いた舞台――地上の至高天は御伽噺でもなんでもなく、確かに今そこに在る。

 

 

 淑女は空想(インフェルノ)を飛び立ち、現実(プルガトリオ)をも越えて、永久(パラディーソ)に輝く物語(ステラ)となる。

 

 

 後の世に、それは舞姫エリスの最高の舞台と謳われることとなる。

 

 

 

 

 

 

 その演目の名を、舞姫神譚という。



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