ひげを剃る。やはり社畜の俺が女子高生を拾うのはまちがっている。 (狩る雄)
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第1章
第1話 訳あり女子高生


 やはりこいつと腐れ縁なのはまちがっている。

 そう思えて仕方がない。

 

「はちまぁん…はちえも~ん」

「誰がタヌキ型ロボットだ」

 

 居酒屋に入ってもそのコートを脱ぐことはなく、指ぬきグローブを身に着けた手はジョッキを放そうともしない。あれは高校時代、懐かしい体育でペアを組んだのが運の尽き、こいつとの関係性は高校卒業まで続いており、現在務める会社でもよくペアを組まされる。

 

「男がいるなら最初からいえやァ!!」

「もう少し声抑えろ。言っても無駄だろうが」

 

 むしろこいつの長所は、張りのある声くらいまである。それは言いすぎか。

 しかし面接で受かったのも、それが大きかったと今でも思う。紛れもない中二病で、そしてコミュ症で、更には緊張にめっぽう弱くて、よくあの腹黒笑顔な面接官に立ち向かえたものだ。

 

「がんばってデートに誘ったのにぃ~」

「いや、4人で飯食っただけだろ」

 

 会社の横のサイゼだったし。

 緊張するから付いてきてほしいって頼んだし。

 

 まあ、件の女子は、アニメ声優になってもおかしくない声の持ち主で、材木座いわく『中二病の匂い』がして、あどけなさが残る。だから、新入社員としてあの後輩女子はさぞちやほやされることだろう。ちなみに同行人は、高校から付き合っている性格イケメンだったらしい。リア充爆発しろ。

 

「はちまんはいいよなぁ~

 由比ヶ浜殿、雪ノ下殿、それに妹君」

 

「あいつらは別にそういうんじゃねぇんだよ。

 ていうか、うちの妹狙ってたのか? あん?」

 

 それにしても、川崎の弟は、女子大生の小町と『ABC』のどこまでいったんだろう。

 Aなら転生させる、Bなら轟沈させる、Cなら駆逐してやる。さあ、選べ、川崎大志ィ!

 

「男がいるなら最初からいえやァ!! さっさと結婚して幸せになれよ!!」

「おまえ、そういうとこはいいやつだよな……」

 

 酔っ払いに絡まれたことはないが、ここまでめんどうなものだとは思わなかった。いや、まあ、全然酔ってないけど、酔った風を装ってうざいくらい絡んでくる、雪ノ下のお姉さんもいるんですけどね。今はもう頭が上がらない地位に登り詰めているけれど。

 

「……それにしても飲みすぎだろ」

 

 酔えないのだから、酒の良さはよく分からん。

 せいぜいカクテルのカルーアミルクを飲むくらいだ。

 

 マッ缶はいいぞ~、徹夜のお供になる。メガシャキ

 

「はちまぁん、我らもう何歳だと思ってるんだ」

「今年の8月で、あー、24だな」

 

 大学卒業して、もう2年も経つのか。

 研修と残業に追われる日々で、気づけばもうそんな年齢だ。

 

「我らの同期にもすでに結婚した者もいる。我はこのまま取り残されていくんだ~!! あ、はちまん、ビール頼んでくれ」

「自分で頼めよ……」

 

 泣き始めたと思ったら、一度けろっとして、緊張するからって丸投げしてくる。まあ、傷心状態のこいつに、女子と会話させると暴走しかねない。俺はしぶしぶ、the今時の女子大生って感じの人に、ビールとカルーアの追加を頼んでくる。

 

 席に戻りつつ、ウェイっぽい大学生たちの声が耳に入ってきて。

 ふと、京都のあの情景と、涙が思い浮かんだ。

 

 あいつらが確か一番早かったと思う。驚いたし、確かに羨望も感じた。いや、まあ、海老名さんと戸部のやつが挙式するってんで、葉山のやつに連れ出されたせいで、貴重な有給休暇を使わされたことはまだ許していないけど。

 

 あいつらは、あいつらの関係を守り通したのだ。

 だから、羨望を抱いて、惨めに思えてくる。

 

「我は、ハーレム主人公に……」

 

 その寝言は、最近流行している転生ものだろう。いまだに趣味として執筆活動は続けており、その熱意は冷めることはない。『いい大人が』と思うかもしれないが、世知辛いからこそ、理想の世界を夢見る。

 

 もし、奉仕部の終わりが違ったものであったのなら。

 そんなifを考えてしまう。

 

「人生やり直せるかっての」

 

 店員さんから受け取ったビールのジョッキを勢いよく喉に流し込んだが、酔えそうになかった。その代わりに、『君は酔えない』と、蠱惑的な笑みを浮かべた雪ノ下さんの顔が頭に浮かんだ。

 

 

****

 

 肩を大きく回す。

 

 力尽きた材木座を家まで送るのは、まあ、腐れ縁としてサービスで奉仕してやるが、デスクワークで衰えた俺では、少々骨が折れる作業だった。だが、腐れ縁であるからこそ、どんな報酬を貰おうかと思うと、ニヤニヤが止まらない。

 

 まあ、お互い、サイゼで奢らせるくらいの財力なのだ。

 本音を言えば、PS5買わせたいくらいまである。

 

「うわっ、ゾンビ……」

 

 思わず声を漏らした、そんな感じだった。

 その声の持ち主を探すまでもなく、電灯に照らされている亜麻色の髪が視界に入る。

 

「あ、えっとごめんなさい……」

「いや、べつに……」

 

 まずはキョロキョロとして、周囲に誰もいないことを確認する。このご時世、女の子に話しかけるだけで、おまわりさんのご迷惑をおかけしてしまいかねない。いくら女子高生が待ち伏せのごとく、電灯の下にうずくまっていたとしても、悪者扱いされるのは大人の男性だ。

 

「えっと。気にしないでください」

 

 女子高生は俺にそう伝えただけで、うずくまった体勢から変化することはない。

 

 俺は、この空気を誤魔化すがごとく、腕時計代わりのスマホを見れば、22時を表示している。塾帰りという線もあるが、それにしてはこの時間に女子高生が1人というのは不用心すぎる。

 

 なるほど、家出か。

 幼い頃の小町を慌てて捜したのも、もう思い出だ。

 

「ちょちょちょっと、なに通りすぎようとしてるんですか」

「いや、あれがあれなんで……」

 

 どう考えても厄介事だ。

 最悪おまわりさんこっちです、になる。

 

「おにいさん……たすけてくれませんか?」

「……袖を掴むな」

 

 うるうるとした瞳と甘えるような声、そんな小悪魔にあやうく告白してフラれて、刑務所にぶちこまれる覚悟をするところだった。

 

「ぶー、いけず~」

「なんとでも言え。それに、貧乏な社畜にたかってもいいことないだろ」

 

 少し強めに言葉を発すると、女子高生は肩をビクッとさせて縮こまった。俺は平均身長とはいえ、女子高生の彼女からすれば見上げているため、怖がらせてしまったかもしれない。

 

「おにいさん、もしかして頭いいかんじですか?」

「こうこう……これでもいっぱしの社畜だからな」

 

 思わず言いかけたが、高校の話題は出すことを避けた方がいいか。

 

「まあ、あれだ。警察に送り届けるまではしてやる。知り合いに一応女性はいるから安心しろ」

 

 夜って、交番開いているのだろうか。

 まあ、川崎のやつなら何の予定もないだろう。

 

「お、女の人はちょっと……」

 

 どうやら、そう簡単な事情ではないらしい。

 ますます厄介事だ。

 

「じゃあ……」

 

 戸塚……は、今は別の県にいるんだったな。

 すごく会いたい。

 

「中二病で絶賛彼女募集中のオタク、それと、男勝りすぎて妖怪イキオクレ、どっちがいい?」

 

 指で1, 2と、選択肢を示す。

 葉山とか他のやつの、家も連絡先すらも知らない。

 

「悪いが、俺にはもう候補がいない。ボッチだからな」

「おにいさん、おもしろいですね」

 

 クスっと微笑んだ女子高生は、なんとも『らしくて』。

 どうしてか、あの2人の笑顔を思い出してしまって。

 

 この読み合いにおいて、相手にリードを許してしまう。

 

「わたし、おにいさんがいいです。優しいですから」

 

 その素の表情を、普段から見せていれば、好感が持てるのに。

 素敵な何かをちゃんと持っている。

 

「別に、自覚はないんだがなぁ」

 

 持つ者が持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える。

 食糧難で苦しむ人に対して食べ物の栽培方法を教える。

 途上国にはODAを、モテない男子には女子との会話を。

 

 人はそれを。

 

「いいか、これはボランティアだ」

 

 お金を渡して、一期一会の関係にはできる。だが、果たしてそれは彼女のためになるだろうか。いや、再び、手当たり次第に、なあなあで闇雲に人と関わり、もがいてあがいて、そして傷つく。

 

 今から俺がすることは、何度か彼女たちにいやな思いをさせ、そして彼女たちが感謝してくれた、最低な解決方法なのではないか。中途半端に関わり、表面上は上手くいったように思えて、しこりを残す。お互いに同意して家出娘を保護していたら誘拐事件として処理されていた、というのはよく聞く話である。

 

 人が関わる以上、傷つけないことはない、そう先生は言っていた。確かにそうだ。

 

「泊めるだけだ。別になにもしないから、お前も何もしなくていい。ていうか、その、なにもしないでください」

 

「いや、ほんと小心者ですね。私が言うのもなんですが、自己保身といいますか」

 

 クスッと微笑んだ。

 

 ゆっくりと立ち上がり、お尻部分をぱんぱんとはたく。その短めのスカートは、俺の母校である総武高並みだが、それを着こなしている姿は、年相応だ。

 

「ちょっとの間、どうぞよろしくでーす」

 

 この心底ほっとしたような表情、これがまだ自暴自棄になっていない証拠だろう。

 だから、厚生、いや、変われるはずだ。

 

「...おう」

 

 この女子高生の言う、ちょっとというのが、どれくらいの期間になるのか。たぶん、こいつ自身が分かっていないのだろう。



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第2話 居候

 大学生活すら1人暮らしではなかったが、3年目ともなる自分の部屋にはすでに愛着がわいていた。いつだって、ボッチには固有空間が必要なのだ。

 まあ、これから数日間、安寧が脅かされるわけなのだが、小町がお泊まりしに来たようなものだ。美少女とはいえ、そう簡単に年下に欲情するかっての。ガハハ

 

「驚きました。部屋、結構綺麗にしてるんですね」

「物が少ないからな。引っ越しの作業もめんどうだった」

 

 鞄を部屋の隅に置き、すでに緩んだネクタイを完全に外す。

 対して、彼女は、その綺麗に扱っている制服以外、荷物を持っていない。しかし、ゆるふわっとした亜麻色の髪も、その整った容姿も、定期的に手入れされたものだ。

 

「……また引っ越すのもめんどうだしな」

 

 だが、問題は問題にして、初めて問題になる。

 警察に行くという選択肢を彼女は選ばないらしい。

 

「それに、あれだ、汚す気も起こらない。俺は、綺麗なものは、綺麗なままにしておきたい派なんだ」

 

 もし警察に行ったのなら、それは実家及び保護者へ連絡が行くことになる。望まない選択肢を強いることは、今のこの少女に耐えられるはずがない。

 

「……そういうとこですよ

 

 彼女はやや俯いて、キョロキョロとしながら、部屋の広さと高級さに少し圧倒されているようだ。

 

 例えば、綺麗な公園にゴミを捨てることは周囲の目がとても気になる。というか、あとからあの姉妹に何を請求されるかたまったものではない。

 

「えっと、ここ、家賃いくらですか。ふつうに高級マンションでしょ」

「伝手があったんでな。安く借りられた」

 

 男の部屋は『狭くて汚い』というデータもいくつかあったのだろう。もちろんこいつの経歴からして、偏ったデータではある。実際、代わりに実家の俺の部屋は倉庫と化しており、物は増えていく一方だ。

 

「せっかくお掃除してあげようかなって、思ったのに」

「ああ、そういう……」

 

 相手の機嫌取りという意味もあるのだろうが、こいつ自身が心の底では申し訳ない気持ちもあるのかもしれない。どうやら責任感が強いようだし、こんなことをしている、俺としても助かる。

 

 ほら、タダより高いものはないって言うしな。俺からすれば、タダほど良いものはない。専業主夫になりたかった人生でした。

 

「おにいさん、なんだかちゃんと大人って感じです」

「そりゃ、お前よりは大人だな」

 

 彼女は唇を少し尖らせて、黒い革のソファにちょこんと座る。腰を落ち着けるには、別の意味であまり適した部屋とは言い難いらしい。

 

「マッ缶と午後ティー、どっちがいい?」

なんでその2択……えっと、午後ティーで」

 

 それに、『そういうこと』を狙っているかどうか、あらかじめ判断して、避けることができる。どれくらいの期間かは知らないが、見ず知らずの人に頼りながら、女子高生が1人で上手く生き延びてきただけはある。思ったより、家出のプロらしい。

 

 安心して眠れる時間は、家主がいないタイミングだけってところか。

 

「テレビでも、ゲームでもやってな」

 

 部屋の作りはともかく、俺が住んでいるだけはある。テレビから繋ぎっぱなしのコードはSwitchに接続されたままだ。高画質・大画面でやるゲームというのは、この年齢になったからこそ、時に徹夜までしてしまう。Blu-rayの録画リストも1人で扱うことができ、毎週放送なプリキュアを永久保存できる。

 

「えっと、ありがとうございます」

 

 電源をつけた後、テレビのリモコンを手渡す。

 

 俺は、リビングの奥に併設されている台所に向かい、辞書代わりの携帯を取り出した。紺色のブレザーに、灰色のチェックスカート、その服装は似ているが、総武でも海浜でもない。それに、校章がまず違う。

 

 『旭川第六高等学校』、つまり北海道。

 そして、ここは千葉。

 

 思わず、再度検索をかけたくらいだ。

 動揺を隠しながら、少し散らかっている冷蔵庫の中身を物色する。

 

「おまたせ、っと」

「……ありがとうございます、ほんと

 

 最初につけたニュースではなく、歌番組をじっと見つめている。目の前の机の上に、午後ティー500mLのペットボトルをそっと置いた。マッ缶をスコッと開け、キンキンに冷えたコーヒーを喉に流し込む。

 

「くぁ~~」

 

 金曜の仕事終わり、そして材木座の運搬作業、疲れた身体の全身に、甘さが行き渡る。

 

 人生は苦いのだから、コーヒーくらいは甘くていい。梅雨時には生ぬるいMAXコーヒー、秋や冬にはあったか~いMAXコーヒー。

 

「それ、おいしいんですか……? カフェオレ?」

「マッ缶をカフェオレごときと同じにするな。このMAXコーヒーはな、千葉県で生まれたソウルドリンクなんだ」

 

 俺の体は、きっとMAXコーヒーでできていた。

 黄色に黒の文字という神デザインの缶を見せびらかす。

 

「は、はぁ……なるほど」

「数ある缶コーヒーの中でも頂点に君臨する甘さを持つコーヒー、むしろ、全てのジュースに幅を広げても、トップレべルに甘い。それでいてコーヒーである」

 

 大学受験前は、春の嵐に震えながら、MAXコーヒーの空き缶でタワーを作ったものだ。そのタワーも、母ちゃんの手でいつのまにかリサイクルに出されて、世のため人のためになっていることだろう。

 

「あっ、そうだ。自己紹介まだしていませんでした、ね」

 

 マッ缶の力説をことごとく躱され、両手を顔の前で合わせてそう告げる。しかし、その貼り付けた笑顔も、少しずつこちらの様子が芳しくないことに、冷や汗を流すような表情へと変わっていく。

 

「まあ、お前がいいんなら、いいんだが」

「はい、おにいさんになら、きっと大丈夫です」

 

 実際、呼び名に困っていたのは確かだ。誰も構わず、不容易に本当の名前を教えるほど、この女子高生は下手なことはしない。はぐらかすことは別にいいのだが、俺は嘘をつかれて、それを受け入れるようなことは基本的にない。

 

 それならむしろ、はぐらかされたままでいい。

 

「いろはって言います。ひらがなで、()()()です♪」

 

 名字は明かすことはなかった。単に名字を教えたくなかったのか、それとも俺に名前で呼ばせたいか、だろう。三日月形に歪められた唇は、どうやら後者であることを示しているらしい。

 

「比企谷だ」

「え、ひき……引きこもり? ヒッキー?」

 

 思わず、顔がニヤけてしまった。もっと昔は名前いじりはあまり好きじゃなかったのだが、高校時代には毒されて、いつのまにかいい思い出になってしまっているらしい。

 

「ひきがや、だ」

「わかりました、おにいさん!」

 

 まあ、別にそれでいいんだけどね。

 これでも20年以上お兄ちゃんやってきたし。

 

 だが、まだ川崎の弟のやつは、義弟とは認めないからな。お兄さん呼ぶなし。ガルルル

 

「どこに威嚇してるんですか」

「妹の敵」

 

 窓の向こうに、かつて通っていた大学がギリギリ見える。川崎家がどこにあるかはいまだに知らないが、次女のけーちゃんが通っていた保育園のことを考えると、あの近くに住んでいるだろう。

 

「へぇー、妹さん、いるんですねー」

「まあな。目に入れても痛くないくらいかわいくて、よくできた妹だ。今は、大学生やってる」

 

 その話には興味なさそうに、ソファから立ったいろはは、カーテンに隙間を作った。15階にあるこの部屋を気に入っている理由の1つを、いろははもう見つけてしまったらしい。

 

「きれい……」

 

 短すぎるスカートからすらりと伸びている素足は、驚くほどに白く、そして細すぎるくらいだ。身長も高校時代の小町くらいで、つまり平均より少し低い。その華奢な身体で、一体どれくらいの距離と時間、家出をしてきたのだろう。まさに、行動力の化身と言える。

 

「いい街だろ、千葉」

「はい。来てよかったです」

 

 居心地が良すぎて、大学も就職先も千葉を選んだ。

 いろはが、休んでいく場所にはとっておきだと自負する。

 

「今までいろいろありました」

 

 たとえそういった身の上話をすべてしたとしても、俺には聴くことしかできないだろう。

 

 同情だとか、優しさだとか、叱るだとか、そんなことは俺にはできない。俺自身がそれを偽善として受け取るし、あの平塚先生だって頭を悩ませることが俺にできるわけがない。

 

 教職の道からも、結局は途中で逸れてしまったしな。

 

「もう諦めようかなって思ってた時、おにいさんに会えました」

 

 街灯に照らされたその瞳を見て、思わず立ち止まってしまったほどだ。俺には小町と母ちゃんと、ついでに父ちゃんがいたけれど、いろはには恐らくそういう人は少なかったのだろう。

 

 何週間も家出した女子高生を捜しているかどうか。

 

「こんなに良くしてもらって、わたし、なにをすればいいんですか?」

「言っただろ、これはボランティアだ」

 

 これでも、奉仕部部員だったんだ。

 それにしても、責任おばけかよ。

 

「その、ひきがやさん、ならいいかなって、思っちゃってるんですよ?」

「……それは気の迷いだ」

 

 襟を止めている大きめの赤いリボンに手をかけようとしたいろはに、少し強く言う。

 

 今は誰にも縋ることができなくて、唯一頼れるかもしれないやつに依存しようとしているだけだ。そんなものは欺瞞だし、こいつもそんな選択肢を、本心から望んでいないはずだ。

 

「そういうことは、ちゃんと好きな人ができたらしろ。今度誘ったら、妖怪イキオクレのところに送ってやるからな」

「先輩って結構、乙女思考なんですね」

 

 責任取らされそうなのが怖いだけだ。

 

 さて、いろはのお悩みをどう解決するか、だんだんと道筋が見えてきた。大人への憧れというよりは、1人で生きられるように、はやく自立したがっている。家庭環境のこともありそうだが、背伸びしたい気持ちが人一倍に強い。

 

 だが、今の彼女は、手札が少なすぎる。地位もお金も交友関係も、期待できるものではない。

 

「味噌汁、作れるか?」

「はい、人並みにはできますけど……」

 

 木炭製造をしていたあの由比ヶ浜も、料理の腕はずいぶんと成長している。というか、料理の腕が重要ではなく、家事から社会復帰を目指してもらおうと思う。家事代行サービスのような職だってあるし、なんなら専業主婦志望だっていい。

 

「昔は妹に任せっきりだった。久しぶりに、誰かの作った朝ごはんが食べたい」

「はぁ、なるほど……そういうことでしたら、ぜひ腕をふるいます!」

 

 どうやら、やる気満々になってくれたようだ。もしかしたら、居候の宿代は、元々家事代行で済ませていたのかもしれない。だが、いろはがずっと留まることを選ばなかったのは、その度に、なにかしらトラブルが起こったから。

 

 小町という妹がいる兄なのだと証明できたことは、良かったと思う。ずっと仲の良い兄妹でいようね。大学終わったらまたみんなで暮らしてもいいんだよ。お嫁にいかれると、俺と父ちゃんは立ち直れないよ。

 

「俺は自分の部屋で早めに寝るから、あとは好きにしてくれ。冷蔵庫の中身も何食べても構わん。あと、そこに妹の着替えとか、毛布とかがあるはずだ」

 

『お兄ちゃんは触るな』と張り紙のある、タンスを指で示す。小町の、いわゆるお泊まりセットというやつだ。千葉随一に仲が良いが、さすがに異性としての距離はある。

 

「あと、このリビングは鍵かけれるから、起きるまで閉じておいていい、くらいか。……質問は?」

「いや、えっと、その、至れり尽くせりだなって」

 

 いろはがどういう家出生活を送ってきたかは分からないが、どの家でも恐らく初日は、警戒心から満足に眠れたものでもないのだろう。ていうか、見知らぬ異性かつ年上相手に、無防備でいるほど、こいつはバカじゃない。

 

 今でも初対面の女性社員に小さな悲鳴をあげられることも多い俺だが、女子には優しくするよう小町に躾けられている。

 

「最高の妹をもつ、お兄ちゃんだからな」

「うわ、シスコン」

 

 去り際の決め台詞だったんだが、返ってきたのは超引き気味な声だった。

 しばらくの間、理性が削られる共同生活になりそうだ。

 

「その、なんだ、おやすみ」

「はい、おやすみなさいです。その、ありがとう、ございました...」

 

 できるだけ気丈に振る舞っていたようだが、さすがに限界らしい。分かるだなんて、思い上がる気はないが、腰を落ち着ける場所が手に入ったのだ。安心という感情は、人一倍強いだろう。

 

 さて、バカなことをやっているのは、こんな生活をしてきたいろはなのか、それとも、この選択肢は正しいと思っている俺なのか。

 

 手に持ったままのマッ缶を、一気に飲み干した。やっぱり、人生というのは苦すぎる。俺はわるくないし、もちろんいろはだってわるくないのに、社会が悪とする。



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第3話 朝食

 昨晩は酒を飲んだにも関わらず、目覚めがいい。

 酒に強いし、材木座ほど飲んでいないが。

 

 覚醒してきた頭の中に、亜麻色の髪の少女が思い浮かんだ。思い立ったが吉日と言うが、俺はテキパキと部屋着に着替えて、こっそりと洗面所に行って、髭を剃る。

 

 『いろは』という珍しい名前から、捜索願いが出ているならすぐに分かったはずだが、まったくヒットすることはない。行く先のわからない苛立ちを感じつつ、そのまま寝落ちてしまったようだ。

 

 時計の針は8時を示しており、会社に行くのなら遅めの時間だが、大学時代を考えるとあり得ないほど早い時間だ。土曜出勤を通告させるかもしれないスマホには、今日は連絡がないことにホッとする。

 

 さて、平和な土曜日、今日はどう怠惰に過ごすか。

 

「おはようございまーす!……あれ、起きてた

 

 制服のブレザーの上に、パンダのパンさんがプリントされたエプロンを身に着けたその女子高生は、いろはで、どうしてか俺の寝室に入ってきた。あれだけ警戒心を見せていた少女が、だ。

 

「……おはよう」

「あの。おにいさんの妹さんって、こうやって毎朝起こしているのかなって思いまして……」

 

 図星ではあるんだけどな。

 でももう1人で起きれるもん!

 

「仕事の日じゃなかったら、昼まで別に起こさなくても構わん」

「あ、はい。わかりま、した」

 

 ぎゅるるると、小さな音が耳に入った。

 恥ずかしそうに、子どもっぽく笑った。

 

あはは……お腹が空いちゃったのもあります」

 

 いろはは、どうやら律儀なところがあるらしい。

 制服のままだったり、まだ何も口にしていなかったり。

 

「……朝からご苦労さん」

 

 小町のやつも自分の服だって、ちゃんと女子ならば着られたとしても気にしない。むしろ兄である俺の古着を、部屋着にするくらいにはサバサバした性格だ。

 

 まあ、自分の領域で勝手なことをすると、怒る男性もいたのかもしれない。俺も父ちゃんも、小町と母ちゃんに侵略されてばかりだったけれど。

 

「あの、いろいろ勝手に使っちゃったんですけど。本当によかったですか?」

「女子に手料理を作ってもらえるんだ。世間の男はいくらでも台所を貸すだろうな」

 

 そう答えると、嬉しそうにリビングまで降りていった。

 

「さて、かつての専業主夫志望として、お手並み拝見……」

 

 インスタント味噌汁さえ用意されていれば、ちゃんと褒めてやろうと思う。サトウのご飯を用意していれば、べた褒めするつもりだ。冷凍食品でもいいから、おかずがあれば100点満点だ。

 

 前言撤回。

 いろはすってば、もうお嫁さんになれる。

 

「い、いただきます……」

「はい、召し上がれ、です」

 

 ご飯、具の入った味噌汁、焼いたウィンナー、ほうれん草の胡麻和え、それに、形の整った卵焼き、まさしく栄養バランスも見た目もばっちりの、お手本のような朝食だ。

 

「いろは、料理できたんだな」

「えー、失礼ですね。これくらいばっちりできますよ」

 

 小町や雪ノ下レベルにすでに達しており、ようやくまともになってきた由比ヶ浜がこの領域にまで達するに、あと3年は雪ノ下式訓練が必要だろう。ところどころ既製品や冷凍食品もあるが、工夫を行っていることが見て取れる。それに、生鮮食品が少ないのは、俺の冷蔵庫の中身のせいだろう。

 

「朝から、その、大変だっただろ?」

「うーん、まあ、そうですね~」

 

 穏やかな顔をして食べているいろはに思わず、声をかけてしまい、そのお箸を動かす手を止める。

 

「でも、おにいさんのことを考えながら作ると、楽しいって思えました。こういう気持ち、久しぶりです」

 

 これくらいの卵焼きの甘さが、俺の舌には合うものだ。

 

「……あざといし、狙いすぎだ」

 

 あやうく、『毎日お味噌汁を作って』と言いかけた。

 家出が飽きるまではそうしてくれるだろうが。

 

「あざとくないですし、別にさっきのは狙ってなかった、です

 

 そう言い残して、再び黙々と食べ進める。

 美味しそうに、穏やかに、いい食べっぷりだ。

 

 衣食住の、食と住が確保されたので、あとは『衣』か。小町の服を貸そうとしていたんだが、どうにもそこは遠慮するらしい。もちろん、女子大生ということもあるので、サイズの問題もあるだろう。

 

 というか、最大の問題は下着、なのだろうか。

 確かに俺はたとえ同姓だとしても、他人のものは嫌だな。

 

「ごちそうさん」

「はい、お粗末様でした」

 

 先に席を立ったいろはは、テキパキと食器をキッチンへ持っていく。『これは私の仕事だ』と言わんばかりで、家主の俺は彼女のサポートに入るしかない。鼻歌を歌いそうなくらいに、家事を楽しそうにやっているのだが、少し手荒れのある指が目に入る。

 

「あっ、そういえば、なんですかあの缶コーヒーの量」

「缶コーヒーじゃなくて、マッ缶な。俺の燃料みたいなものだ」

 

 冷蔵庫を開けると、整理整頓された様子に思わず、感嘆の声が出る。

 マッ缶も綺麗に整列しており、ちょっとしたお小言を貰ったけれども、その数は多いままだ。

 

 食後のMAXコーヒーが、さらなる幸福感をくれる。

 

「今日、服を買いにいく。いろはのやつな」

「えっ」

 

 お皿洗いを終わらせ、丁寧にエプロンを畳んでいるいろはに、昼の予定を伝える。

 

「あれだ、お小遣いってやつだな」

「で、でも……」

 

 どうやら、遠慮がちらしい。

 どれくらいの期間いるか分からないが、必要投資だろう。

 

「じゃあ、あれだ。少し早めか、遅めの誕生日プレゼントってことで」

……ほんのちょっとだけ、遅いですね

 

 とても驚いた様子を見せて、そして俯いた。

 

 小町を考えると、女子はこういう話には飛びついてくると思ったのだが。いや、小町は小町で、いろははいろは、か。

 

「ここまで良くしてもらっちゃったら。

 どうやって恩返ししたらいいのか分かんないよ」

 

 もはや癖になっているらしい敬語もそこにはなく、制服の袖で目元を抑える。『分からない』と言って初めて涙を見せた雪ノ下の姿がどうしても重なってしまう。もしかすると、今もあの時も『恩の押し売り』で、偽善に酔っているのかもしれない。

 

「わたし、なにやってるんだろ、みんなにめいわくかけて」

 

 うまくやることが、社会に適応することが、いろははできていると思っているようだが、嫌なことから逃げ続けているだけだ。たった1日の安心感を得たところで、立場も精神も不安定で、この安寧が明日も続くとは限らない。

 

「わたし、さいてい」

 

 相手のことを『完全に理解して安心していたい』、そんな独善的で傲慢な思いを、俺もいまだに抱いている。

 だから、『本物』を求めてあがいている、そんないろはを放っておけないと思った。

 

「この時間が全てじゃない。でも、今しか出来ない事、ここにしかないものもある。いろは、今なんだ」

「……じゃあ、どうすればいいんですか?」

 

 確かに、解答例は与えることはできる。

 それくらいの大人には、今はもうなっている。

 

「正解は与えられない。自分で。考えてもがき苦しみ、足掻いて悩め」

「……きびしい、ですね」

 

 どれくらいの時間がかかるか。

 そもそも俺に『ただ側にいるだけ』以外できるのか。

 

「だから、俺が、みんなが、手伝ってやる」

 

 いろはを1人残して、リビングを出る。

 そして、数少ない連絡先、その1つをタップした。

 



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第4話 夕食

 たくさんの方からお気に入り登録していただき、さらには高評価までいただきました。勢い任せに執筆しているところはありますが、どうぞ引き続きお付き合いくだされば幸いです。


 俺にとって、最も気軽に連絡できて、そして秘密とリスクを共有できるのは、やはり実妹の小町だろう。キラキラな大学生活と、自由気ままなボッチの時、その両方をバランスよく楽しんでいる妹を急遽呼び出すことに成功した。

 

「お兄ちゃん、ひさしぶり~! 急な呼び出しにも応えちゃう小町って、ポイント高いよね?」

 

 一度は雪ノ下に憧れて、髪を伸ばそうとしたが、やはり肩の長さがお気に入りらしい。最近知ったが、実は毎朝セットしているらしいアホ毛も、急な呼び出しにも関わらず、チャームポイントとしてアピールしている。

 

「ポイント高い、よね~?」

「お、おう。そうだな。覚悟しておく」

 

 ニコニコを崩さない小悪魔としても磨きがかかっている、そんな自慢の妹だ。生活費については倹約家で、堅実な貯蓄もしているようだが、父ちゃんと俺のお小遣いは日々減少していく。

 

 なんだか最近は、さらにお金を貯めているらしく、ちょっと兄と父はとても不安なのだが。

 

「えっと、この方が……?」

「はい♪ 比企谷小町です」

 

 俺の後ろに隠れるようにしていたが、いろはも小町の快活さにはどうやら安心感を覚えたたらしい。この兄があって、どうしてこんなよくできた妹に育ったのだろうか、いやこんな兄だからこそか。

 

「初めまして、いろはって言います」

「……っておい」

 

 いろはに近づくためとはいえ、小町は俺を軽く突き飛ばす。

 まあ、女子同士で仲良くなれば、話しやすいかもしれない。

 

「いろはちゃん、大丈夫だった? お兄ちゃんに何もされてない?」

「いえ、すごく優しい人でしたから」

 

 キッと、小町は睨みつけてくる。

 

「小町ぃ~、別にお前が泊まる時と、同じ感じだったからな」

「まー、お兄ちゃんだもんね。この人、責任おばけだから、安心していいよ」

 

 いろはは逃げることはないけれど、さっきより緊張気味だ。最初に出会った時に、女子は苦手そうにしていたが、誰彼構わず嫌いというわけではないらしい。心的外傷、すなわちトラウマといったところか。

 こればかりは、少しずつ克服していってもらうしかない。

 

「なんか、すみません」

「いいのいいの。ゆっくりでいいからね」

 

 あらかじめ、小町にはある程度事情を説明している。

 

 いろはが北海道から来たことも、家出のプロだということも、知っていてなお、深く問いただすことはない。一歩間違えれば、警察に通報されてもおかしくはないことをしているのだが、ほんとうによくできた妹だ。俺が警察のお世話になるというよりは、いろはは保護者に連絡がいくことを望んでいない。

 

「お兄ちゃんをここで見張っておくからさ、お風呂入ってきなよ」

「えっと、使っていいんですか?」

 

 こちらを困ったように見つめてくる。

 

 勝手に使ってもらっていいが、昨晩のうちにそれを言っていないのが原因だったのだろうか。相変わらず遠慮し始めるとどんどん遠慮し、それに元々が律儀なところもある。まあ、俺が異性の部屋に行った場合も、めっちゃ緊張するだろうけれど。

 

「もちのろんだよ。ここのお風呂はいいよー、景色見ながらお風呂入れるからね。むしろそれ目的で泊まりにきているくらい」

 

 代わりに小町が答えた。

 えっ、お兄ちゃんに会いたいからじゃなかったの。

 

「さっ、こっちこっち。着替えも貸してあげるから」

 

 直接触れることはしないが、背中を押すように、いろはをお風呂場へ向かわせる。お風呂場はお風呂場で、『お兄ちゃん触るな』のスペースがある。うちの妹には反抗期は来なかったが、さすがに異性の壁は存在する。むしろ無かったら実の兄妹としてヤバい。

 

 そうして手持ち無沙汰となった俺は、Switchの電源をつけた。

 

 1週間ぶりなので、島の住民にはまた驚かれるだろう。対戦ゲームとはまた違って、こういうほのぼの系を好むようになったのも、俺が社会の荒波に乗っているからだと自覚している。。

 

「で。お兄ちゃん、どこまで本気?」

 

 リビングに戻ってきた小町が、真剣な瞳と声でそう尋ねてくる。最初電話した時も、俺が何か弱みを握られていないか、とても心配させてしまったくらいだ。

 

「奉仕部の活動、くらいだな」

「そっか。今のお兄ちゃんは小町的にポイント高いよ」

 

 喜んでいるような、呆れているような、そんな声だった。

 

 

*****

 

 女子大生と女子高生の買い物に付き合うことは、想像以上に肩が凝った。加えて、お財布も軽くなった。まあ、PS5の購入代金よりは、安い買い物だった。まだまだSwitchとPS4には現役でいてもらわないとならない。

 

 部屋の隅にはもう1つ、立ち入り禁止のスぺースができた。いろはは、小町が使っていたスーツケースを譲渡してもらい、服とか必需品とか、その中に荷物を入れている。

 

 いつ俺に愛想をつかせても出ていっても大丈夫なように。

 いつひとり立ちできるようになってもいいように。

 

「あっ、ピカチュウだ。ポケモンやってたんですね」

 

 お鍋をぐつぐつと煮込んでいるいろはから、そんな声がかかった。どうやらゲームはあまりしないらしいいろはだが、さすがにネズミの中で最も有名なキャラクターといっても過言ではない電気鼠は知っているらしい。雪ノ下さん大好きパンダのパンさんと競えるくらい。

 

 みずタイプはでんきタイプに不利とはいえ、レベルが違う。

 注文を集めたピカチュウは、みずのはどうを受けて倒れた。

 

「まあ、ぼちぼちだけどな」

 

 俺のディアルガが半強制的に、産まれたばかりのフカマルと交換されて以来のポケモンだ。あいつに地下通路で罠のループに嵌められたの、一生忘れないからな。

 

「比企谷さんに似てて、なんだかウケますね」

「いやウケねぇから」

 

 『頭がよく面倒くさがり。縄張りに敵が近づかないよう、そこかしこに罠を仕掛けている。』だなんて、なんだ俺じゃん。

 

「キャンプ? カレー?」

「俺もよくわからん」

 

 HP回復もできるため、ポケモンセンターにまで戻らなくていいのは助かるが、急にカレー要素が登場したのは過去作経験者にも謎だ。

 

 ていうか、かわいいなぁ!ヒメンカぁぁ!

 

「でも、キャンプとか行ってみたいものですね~ はんごー炊さんとか」

 

 いろはがそう呟いた。

 北海道だからそういうイベントがなかったのか、それとも。

 

「飯盒炊飯、な」

「それです」

 

 懐かしき千葉村、もう今はないらしいんだよな。

 なんとなく寂寥感がある。

 俺もあの夏休みからキャンプに行っていない。

 

「いつか行けばいいんじゃねぇの。まだ若いんだし」

「まだ比企谷さんも行けますって。わかいわかーい」

 

 昔からインドアで、急にアウトドアになるとは我ながら考えづらい。

 

 出張であっても、千葉から出るのも億劫だと感じるほどだ。もちろん大学時代の周りは海外旅行に行くやつも多かったし、雪ノ下姉妹に至っては短期留学に行くという、国際でグローバルな帰国女子をしていたし。そしていろはに至っては、訳ありとはいえ、北海道からはるばる千葉だ。まあ、たぶんインドアな気質だけれど。

 

「そろそろできますよ~」

「おーう」

 

 画面の中がカレーなのはともかく。

 部屋の香りもカレー、これから数日はカレー三昧になるのが楽しみだ。最終日のカレーうどんまでが一番美味しく感じる。まあ、カレーが苦手という人もいるらしいがな。

 

 買い物場面から、具材とルーについてはオーソドックスなカレーのようだが、いろはがじっくり時間をかけたから、というか俺がとても待ち望んでいたことは確かだ。この昂る気持ちは、珍しく目を輝かせることだろう。いや、誰得だよ。

 

「「いただきます」」

 

 食文化や宗教によっては避けられるらしいが、俺の中でカレーに牛小間切れ肉が一番合うと思う。『薄っぺらいやつほど人に影響されやすいのと同様、薄く切ったほうが味がよく染みる』なんて皮肉を、家庭科の調理実習のレシピに書き込んだくらいだ。その時の平塚先生のどや顔、どんなだっけ。

 

 まあ、そんなことよりも。

 

「うっま、何入れたらこんなに美味くなるんだよ」

「えっと、『カレーの隠し味は度胸だ』って教えてもらいましたから、味噌とかマッ缶とか、冷蔵庫にあったのいろいろですね」

 

 料理がまずくなるのは、火力とオリチャ―発動って言われているが、センスとスキルがある場合なら大成功を導くらしい。でもガハマさん、さすがに桃缶はやめましょう。

 

「カレーって作り置きにも便利だよなぁー 味変もできるし」

「ですです。冷蔵庫に入れてあったら日持ちもしますから」

 

 母ちゃんも小町もよく作ってくれた理由が分かる。

 これなら、いろは自身も少し時間に余裕ができる。

 

 だがしかし、俺が休日な時はともかく、平日の暇なときはいろははどうするのだろう。

 今は鼻歌を歌いそうなくらいに美味しそうに食べているが、以前までは友達と、どのような遊びをしてきたのだろう。こうなったら、ボッチでできる遊び100選を教えてあげようかしら。いや、それだと正真正銘ボッチ道を歩んでしまう。

 

 もしかすると、実家で小町たちと暮らすことを選ぶかもしれなかった。いろはと小町で、話し合った結果なのは分かる。

 おかげで、いろはがいることで休日なのに少し賑やかだ。だが悪い気はしない。

 

 ていうか、明日ニチアサじゃん。

 早起きしてプリキュア見ないと。

 



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第5話 髭を剃った。

 アンケート回答ありがとうございます。

 原作を知らない方も読んでくれているようで嬉しいのと、読んでても読んでなくても面白い作品を書こうと頑張ろうと思います。これは私事ですが、カクヨムと漫画の知識しかなかったため、単行本を購入いたしました。4月にあるアニメも楽しみにしているので、とうぶんは熱が冷めないと思います。引き続きよろしくお願いいたします。


 

 

 実妹より年の離れた、女子高生の居候ができたが、俺の生活は大幅に変わるわけではない。大学時代も実家通いであり、妹の小町が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたため、その時間に戻ったかのようだ。

 

 高校時代は『働きたくないでござる』なんて言っていた俺は働きに出かけ、専業主婦見習い修行中のいろはに、お留守番と家事を任せることになる。高校時代の俺からすれば、今のいろはが理想の立場で、俺が妹以外の誰かを養うだなんて想像がつかないだろう。

 

 まあ、いろはがいるのも期間限定のことである。

 もし年末ジャンボ宝くじで一攫千金を取ったら、仕事を辞めて、仕事大好き人間見つけて結婚しよう。いや俺、結局専業主夫目指しちゃうのかよ。

 

「いただきます」

「はい、召し上がれ」

 

 休日明けの月曜日の早朝、過ごしやすいスウェットを着たいろはと共に食卓につく。

 ちゃんとした朝ごはんを食べて仕事行くなんて、いつぶりだろうか。

 

 だが。

 

「へぇー、ひきがやさん、トマト嫌いなんですね」

「嫌いじゃない。苦手なだけだ」

 

 トマト食べると、おえってなるから。

 カレーに入ってるならヨシ!

 

「それ同じ意味じゃ……

 んー、甘くて美味しいのに」

 

 俺の皿から指で取ってくれたプチトマトを、小さく潤った唇の奥に入れる。口の中で遊びつつ、ゆっくりとかみかみしているようだ。いちいち仕草があざとい。かわいい。

 

 もし同い年でクラスメイトだったなら、勢いで告白してフラれちゃいそうだ。フラれるまでがワンセット。青春わんだほーい。

 

「どうかしましたー?」

 

 おっと、またボッチの悪い癖が出ているらしい。

 もし話しても滑るだけだから、ボッチで心の中であれこれ考えて『ふひひっ』とかしちゃうとこある。隣の席の太郎ちゃんだったか花子ちゃんだったかに『キモッ』って呟かれたのは忘れていない。

 

「いや、あれだ、トマト好きなんだな」

「んー、まあ、たぶん?」

 

 好き嫌いについて、いろははあまり見せない。もちろん、いろは自身が料理していることもあるが、栄養バランスうんぬんより、彩りや食感のためなのか、料理にちゃんと野菜を入れてくる。たぶん料理については、小町より雪ノ下タイプだといえる。

 

「あっ、ひげ」

「んー、明日剃るつもり」

 

 半熟な目玉焼き、お茶碗のご飯、そんなベストマッチをかきこむ手を止め、自分の顎をさわるが、まだ許容範囲だと思う。『明日やろうそうしよう』で誤魔化す。

 

 来客対応や、『なんかヤバいですね☆』の地位の上司に会うのならともかく、今日はそういう予定はない、はず。

 

「てか、寝癖もですよ」

「えぇー……今やるのかよ……」

 

 いろはは完全に食べる手を止め、俺の背後に回って、手櫛をかけられる。

 よしよしと撫でられているようで、俺の天然もののアホ毛が滑らかになっている気がする。

 

「もうちょっとしたら、お仕事行かなきゃですもん」

「あー、もうこんな時間か」

 

 俺はもうダメ人間卒業したと思っていたけれど、また戻ってしまいそうだ。いろはったら、家計簿まで作るくらいには、すでに主婦適正が高い。これだったら進路指導の際の平塚先生も『専業主婦、ヨシ!』って認めてくれそう。

 

「はい。だから、そのまま食べててください」

「はいはい……」

 

 だが、あくまでここは借宿であり、奉仕部の部室のようなもので、いろはもいつかは一人立ちしなければならないのだ。あまり俺から入れ込みすぎるのも、しこりが残る。

 

「なんというか。オッサンになったって感じがしてきた」

「大人って感じはしますけど、まだまだ若いと思いますよ。うんうんほんとに」

 

 細い指で、髭の剃り残しのある頬っぺたを、ぷにぷにつつかれるのだが、手加減がありがたく、あまり不快感はない。

 

「いやな、二十歳になったばっかの頃は、髭がちょっとでも伸びてきたら気になって剃ってたんだ。剃り残しがないかめちゃくちゃ気にするくらい」

 

「へぇー、男子もそんな感じなんですねー」

 

 再び自分の席に戻ったいろはは、手を洗うこともなく、お箸とお茶碗を持って相槌を打った。

 大丈夫?お手々に比企谷菌ついてない?

 

「まあ、あれだ、『髭を剃るのが面倒になる』のがオッサンなんだな」

 

 いや、いろいろとオッサンっぽいところ昔からあったけれどね。猫背とか。

 

 今日も朝早くから作り始めてくれた、出汁の効いた味噌汁を、喉に流し込んだ。マッ缶の甘さとはまた違った旨味があり、ほどよい味噌の香りが、実は毎朝の楽しみになっている。

 

「ごちそうさん」

「はい、お粗末様でした。歯みがきしてきてくださいね」

 

 母ちゃんかよ。

 

 いや、俺の母ちゃんは朝から味噌汁なんて作らないけど。まあ、共働き家庭だからしょうがないところはある。まだ小学生だった小町と俺に、毎朝牛乳とトーストを用意してくれるだけで感謝だった。今年の『母の日』は何をあげようかしら。

 

 

 いろはには、そういう保護者は、いたのだろうか。

 そう考えつつ、鏡を見ながら、髭を剃った。

 

 

「うん。やっぱり髭を剃ったほうがいいと思います」

「はいはい。いってきます」

 

 いってらっしゃい、と送り出してくれるいろはは、今は確かに幸せそうだった。

 

 

*****

 

「……行っちゃった、か」

 

 いまだ食べかけの朝ごはんを置いたまま、私は高そうなソファに寝転ぶ。

 あれはもうお昼ご飯にしよっと。

 

「あーもう、また増えてる」

 

 スマホに大量の通知が来ており、今からこれをちょっとでも消費しなければならない。

 3日間もリプしてないものだったりある。

 

「あー……」

 

 最近やってなかった自撮りをしようとしたんだけど。

 この部屋を、この景色を、大事にしたい。

 

『俺は、綺麗なものは、綺麗なままにしておきたい派なんだ』

 

 あの人といると、ほんと調子くるう。

 こんなの初めてだ。

 

 

「まあ、カーテン閉めて、電気消したら、いいかな……」

 

 さすがに撮らないと、心配させちゃう。

 こんな私でも『かわいい』って褒めてくれる人が待っている。

 

 

*****

 

 今日も今日とてデスクワークが続く。

 

 大量のメールの返信をあれこれしながら、電話が来たら応対しなければならない。カテゴリーが建設業だけあって、なかなかな威圧感ある人からも連絡がくる。

 

 メンタルが小破して、『ひぇ~』ってなったことも何度かある。

 来客対応なんてしなきゃならない日には、場合によってはなぜか俺が頭を下げなきゃならない時もある。

 

「ね、ね、ヒッキー、これで合ってる?」

「比企谷センパイだ。それか、比企谷サンダ」

 

 サンダー?かみなり?とあれこれ首を傾げているが、やっぱり伝わらないものってあるのだろうな。もうこのネタも古いし、俺もおっさん世代かしら。

 

「ヒッキーって教え方丁寧なのに、たまに変なこと言うよね」

「気にしてくれるな」

 

 まあ、空気を読むスキルが上手いこと昇華した由比ヶ浜だからこそだろう。俺たち以外にはちゃんと敬語を使うし、周囲をあらかじめ確認した上だ。

 ていうか、職場だと先輩後輩の関係だけど『おな高』じゃん、というのは由比ヶ浜談。

 

 さて、2年勤めあげた俺ですら、『おえっ』てなるくらいの数字の羅列だ。経理業務について、責任ある仕事であるが、ミスは起こりうるものだ。

 

 何度、俺は上司たちから叱られたことか。

 まあ、合ってるんじゃねぇの。ヨシ!

 

「材木座、チェック頼む」

「お、おう、任された...」

 

 隣にデスクに積み上げられたタスクよりも先に、チェックさせる。お世辞にも要領がいいとは言えないが、その分仕事が正確なのは確かだ。

 

「いやー、もう、私も仕事できちゃう系じゃない?」

 

 飼い犬のように待っている由比ヶ浜は、ブルーライトカットのためにかけている眼鏡をクイクイしている。

 

「自分から仕事するようになったらもっとだな。まあ、予想より早く終わったんじゃないか」

「……ヒッキーが褒めてくれるの、めずらしい」

 

 照れたように、相変わらずのお団子頭をくしくしとしている。鞭もないけど、飴もない先輩でごめんね。

 

「あっ、てかヒッキー、今日はちゃんと髭、剃ってきたんだ。それに寝癖もないや」

「なんかそういう気分だっただけだ」

 

 そういう由比ヶ浜の見た目も、もうビッチとは呼べない清楚に満ち溢れている。中身はいい意味で変わってないのだけれど。

 

 以前まで、もはやピンクくらいには茶色に染めていた髪も、就職活動以降はちょっと茶髪といったところだ。まあ、ピンクに幻視してしまうくらいには、似合っていて見慣れたものだった。

 

「八幡、ここは桁が合わなくないか?」

「んー、あー、そうだな。」

 

 俺もまだ、一人前とは程遠いらしい。

 お礼に材木座の仕事を少し手伝ってやることにする。

 

 仕事が一人でできるなら、効率よくボッチでやるのだが、まだまだ詰めが甘いところがある。教育係として指導してくれた先輩には、材木座ともども耳にタコができるくらいには叱られた。材木座と俺が今も仕事を真面目に続けているのは、飴と鞭の使い分けがいい人だったからだ。

 

「らしいぞ、由比ヶ浜」

「は~い!」

 

 由比ヶ浜は自分のデスクに、トテトテと戻っていく。

 

 俺もオッサンになったと思っていたが、この部屋でドンッと座って、目を光らせている我らが首領には、まだまだ子どもに見えるのだろう。

 

 俺たちがこうやってちょっとした雑談していても、微笑ましい表情で、自分の髭をなぞっている。

 あの人こそ、髭が似合うおっさんだよな。

 



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第6話 千葉のサイゼリヤ

 お昼休み。

 

 デスクワークということで、その気になれば溜まったタスク消費のために、休む暇もなく食べながら働くやつもいる。メリハリのメリとハリがあまりない俺も、片手間に食べる程度で満足することも多い。残業は少しでも減らしたいこともある。

 

「あっ、ゆきのんきたよ!」

 

 キャリアウーマンだの、デキる女だの、そういう代名詞があてはまる人物がやってくる。それに、部署に関係なく、『社長令嬢』として有名人であり、ちょっと出歩くだけで視線を集めてしまう。

 たぶん内心うんざりしているながらも、威風堂々を崩さないことは流石と言える。

 

「あら。今日はあなたも呼び出されたのね」

「ああ。掴み出された」

「今日はみんなタイミング合ってよかった~」

 

 締め切りに追われている材木座には、まあ、コンビニスイーツで糖分を補給してやろう。

 

「なんか高校時代に戻ったみたいだね!」

「別に昼は一緒じゃなかっただろ」

「私を毎度呼び出す、という点では合っているわよ」

 

 平社員の俺はともかく、電話1本で呼び出すことのできるガハマさんは凄いし、電話1本で来てくれるゆきのんさんはチョロい。さて、昔から体力のない雪ノ下だが、今は顔色は良さそうだ。

 

 去年の年末とか、目が腐りかけていた。

 雪ノ下は、お世辞にもコミュ力高くはない。

 

「……なにか」

「……なにも」

「ねっ、今日どこ行く?」

 

 現在午後の1時、会社の食堂はまだ恐らく混んでおり、並ぶことも億劫だ。このビルの付近にはちょっとお高そうなレストランがあるが、懐に余裕がある人の多いそこに行くとなると、『襟を正す』必要がある。

 

「サイゼでいいだろ」

「ええ。そうね」

「いつもそこじゃん。まあ、美味しいからいいけど」

 

 2人が隣り合って歩いていくと、舗装された道路を叩く音が軽快に鳴る。春風に押されるように、俺はゆっくりと追いかける。

 

「今日ねー、ヒッキーが褒めてくれたんだよー」

「そう。比企谷君も誰かの教育係をこなせるのね。それに、由比ヶ浜さんが何か大変なことをしでかしていないようで、何よりだわ」

 

 天気が良すぎて、俺は鼻の付け根を軽く抑える。

 日光に照らされた黒と桃色のパンプスが目に入った。

 

「えー、ちょっと桁まちがえちゃうくらいだって」

「それは、最大限に気を付けてほしいのだけれど」

 

 外食するとしたら、無難な選択肢はファミレスか牛丼屋になる。早い安い美味い。まあ、サイゼリヤはサイゼというカテゴリーで、千葉のサイゼは聖地にあるサイゼリヤだから、特別感がある。

 

 なんて、考えていたら、あっという間に目的についた。

 ちょっとした散歩という距離だ。

 

 たぶん大学生らしきアルバイトに案内され、何も言わずとも禁煙席に通された。といっても、最近のサイゼは全席禁煙となっているからだ。相変わらずその距離が近い由比ヶ浜と雪ノ下が、続いて俺の目の前に座った。

 

 俺の分まで氷水を持ってきてくれたようで、2人ともほんと気が効くよね。俺は席を確保することをがんばりました。

 

「ゆきのん何にする~? サラダとかシェアする?」

「チキンか、小エビ、かしら?」

 

 1つのメニューを見せ合いっこする光景も、見慣れたものだ。メニューを暗記するほどには通っている俺は期間限定や季節のメニューを見るだけでいいから、まだメニューは余っているのだが。

 

 さて、おなかぺこぺこの『ペコリーノチーズたっぷりローマの名物パスタ』は気になるが、にんにくの文字で注文することを断念した。大盛りかつ『追いペコリーノ』とか、我がMAOも満足するくらいだろう。

 

 今度、いろはを連れて来ようかしら。

 お昼ごはん、ちゃんと食べているといいんだけれど。

 

「ヒッキーは決まった?」

「ん? カルボナーラ、それにプチフォッカだな」

 

 頭の中に保存されたグランドメニューの中から、気分で選択した。料理が来るまでの待ち時間に見ても楽しいくらいにはカラフルで良デザインになっており、電子カタログについついブクマつけたくらいだ。

 

「あっ、すみませーん」

 

 ドリンクバーは入り浸る原因になり兼ねないので、休日以外は基本頼まないようになった。

 由比ヶ浜があれこれ頼む光景を、俺はぬぼーっと見つめるくらいだ。紅茶セットも手元になく、雪ノ下も手持ち無沙汰なようだ。

 

「ゆきのん、最近調子どう?」

「大丈夫よ。姉さんもちょっかいをかけてこないから」

 

 雪ノ下建設は、ある程度は同族経営や家族経営に当てはまる。

 というか、まずお姉さんのことを気にかけるあたり、雪ノ下も家族大好きちゃんだ。

 

 実質、跡取りとして扱われている雪ノ下のお姉様も超優秀だが、会食だの会議だので、忙しい時期は流石にきつそうだ。妹様に過剰に会いにいったり、俺と平塚先生をバーに連れ回したり、そういうことをするのはイライラしている時だ。もちろん普段もよく顔見せるけど。

 

「今は結構落ち着いているな。だが。年末とか年度終わりとか、覚悟しておいたほうがいい……」

「そうならないよう、去年は予定をどんどん前倒しにしたはずなのにね……」

「あはは……」

 

 年末は、雪ノ下姉妹共々、目が腐りそうだった。

 社長は完全に目が腐っていた。

 無事だったのは、雪ノ下の母上くらいだ。

 

「そういえば、ヒッキー、今日って定時に上がるの?」

 

 材木座のヘルプ信号を軽々と避けて、いそいそと帰るつもりだ。

 明日の朝だって早いのだ。

 

「ああ。そうするつもりだな」

 

 まあ、もちろん残業をしてもいいくらいには仕事はあるのだが、いろはのことを考えると、少し早めに帰りたい。子どものいる先輩方はこういう気持ちで、定時前になると三倍速になるのかしら。

 

「えー、りっちゃんたちも誘って、どっか行こうとしたのに」

「せめて、週末にしてくれないかしら」

 

 冷や汗を流すあたり、デキる女な雪ノ下さんもちょっとした残業はしてしまう。普段からお弁当を作りそうなくらいには料理上手なのだが、そこまで時間を取れなくなっているらしい。

 

 うちの父ちゃんも母ちゃんも、そりゃあ手料理が少なくなる。

 働いてみてから強く実感した。

 

「わかった! じゃあ週末ね!」

 

 おっと、由比ヶ浜さん、結構きつい注文をなさる。

 脳内でスケジュールを再構成させる雪ノ下は押し黙った。

 

 『お待たせしました』と、営業スマイルで述べた店員さんによって、注文した料理が丁寧に並べられていく。恐らくこの女子もアルバイトなのだろうが、いろはもこういう飲食業なら即戦力になりそうだ。

 

「「「いただきます」」」

 

 早速ペコペコのお腹の中に、カルボナーラを入れていく。

 この値段でこの美味さ、ヤバいですね☆

 

 サイゲのガチャにかけるお金だって浮くかもしれない。

 あれの10連目は遊ぶから、天井のお覚悟を。

 

「はい、ヒッキー」

「……おう、サンキュ」

 

 サラダを取り分けてくれたらしい由比ヶ浜が、お皿を差し出してきた。サイゼの数少ないクレームとして、『生トマトがサラダに入っている』ことなのだが、由比ヶ浜ができるだけ避けてくれたようだ。

 いや、ほんと、いいお母さんできると思う。

 

「はい、ゆきのんも」

「ありがとう」

 

 お互い、素直にお礼を述べたり、施しを受けたりできるくらいには、捻くれ度が下がったものだと、実感する。ぷるぷるの小エビを口に入れると、とろけるように甘さが広がった。

 

「うっま!」

 

 タラコソースのスパゲッティを食べた由比ヶ浜は、胸を張って、美味しさを主張する。いや、ため息をついた雪ノ下さんも、お姉さんのことを考えると希望はあったんだよ。

 

「なにかしら、ヒゲガタニくん」

「今日は髭剃ってきたっての」

 

 そんなに俺は髭が似合わないのだろうか。

 大学時代は小町からよく指摘されていたけれど。

 

「ほんとだよね。寝癖もないし、結構早起きしたの?」

「まあな」

 

 残業までしてて、女子は準備に時間がかかって、家事までやる。それに比べたら、今の期間はいろはがいることで、俺はのびのびと生活できている気がした。専業主夫になる夢は叶わなかったが、専業主婦を養う側になるというのも、結構いいんじゃないかと思えてきた。

 

「雪ノ下は今は実家だっけか?」

「そうね。父も母も、もう歳だから」

 

 昔から、身を粉にして働いていそうな両親だ。お付きの運転手さんや、お手伝いさんにも助けられてきたようだが、さすがに夜までいてくれるというわけでもないのだろう。

 

 雪ノ下がハッとしたのは、少し暗い雰囲気になりかけていたことに気づいたからだろう。

 

「大丈夫よ、2人とも元気すぎるくらいだから。つまり、まだ時間はあるということにもなるわね」

 

 雪ノ下は、姉を実力で超える道を選んだ。

 影を追いかけていた頃はすでに遠い過去らしい。

 

 由比ヶ浜は満面の笑みで、俺も表情が少しは緩んでいる気がする。

 いろはもいつかはこの2人のように『自立』できるだろうか。

 

「ゆきのんを支えてくれる人もできたから安心だね」

「彼はそういうのとは違うわよ、由比ヶ浜さん」

 

 おや、大学時代でも浮いた話の1つもなかった雪ノ下だが、由比ヶ浜から恋バナの矛先になるくらいには、特定の男性と交友関係があるらしい。才色兼備を体現するこいつが好きになるって、どれだけ優秀でイケメンなのだろうか。

 

「えー、そうかなー」

「そうよ。都築さんから紹介されただけだから」

 

 都築、どこかで聞いた名字だ。

 高校時代のクラスメイトの名前さえ危ういけどな。

 

「だから。長い付き合いになるかもしれないのは、あくまで仕事として、よ」

「うーん、そっかー」

 

 チョロい。わかりやすい。

 相も変わらず、恋愛偏差値が低すぎる。

 

「……比企谷君、分かったかしら?」

「わかったわかった、ビジネスの一貫だろ」

 

 ちょっと低い声で軽く睨まれたが、その表情が呆れたものに変わる。

 由比ヶ浜も苦笑いだ。

 

 どうやら由比ヶ浜も知っているらしい、都築って言われても、思い出せないのだから仕方がない。もしかすると、会ったこともないかもしれないし、その名字の親戚を知っているとかかもしれない。

 

「やっぱり、ヒッキーはヒッキーだね」

「別に、大学の最初くらいだろ、会わなかったの」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、というのだけれどね」

 

 少しは変わったっての。

 カルボナーラの残ったスープに、フォッカを浸して口に入れる。昔はドリンクバーコーナーにあるガムシロップで食べていたが、さすがにそこまでやると、女性陣が釘をさしてくる。

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も、小町も、そしていろはも、もう少し食べればいいのにと思う。

 いや、ほんと、お昼ごはん、ちゃんと食べているといいんだけれど。

 

「……なんだよ」

「んー、ヒッキー、また誰かのこと心配してる顔だなぁって」

「シスコン」

 

 シスコンに、シスコンと言われた。

 まあ、小町のことだって、いつも気にしてきた。

 

「あっ、そういえば! 映画なんだけどね……」

 

 トレンドに詳しい由比ヶ浜の話に耳を傾ける。

 今日もカレーだし、チーズを買って帰ろうかなと思いつつ。

 

 



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第7話 仕事帰り

 高評価してくださった方々、ありがとうございます。2つの原作のネームバリューのおかげもありますが、これからの期待を含めての評価をくださっているので、慢心せず執筆を続けていきます。
 各原作混ぜてさらにオリジナル要素付け加えたり、勢いのままにネタに走ったり、たまに描写が現実的すぎて暗かったり、そういうほろ苦くて甘い青春が好きな作風ではありますが、しおりやお気に入り登録してくれている方々、引き続きよろしくお願いいたします。


 

 

 わたしはわたしが嫌いだ。

 そう自覚したのは、いつからだっただろう。

 

  『かわいい』

  『大好き』

  『可愛いね』

 

 褒めてもらうことで、ちょっとポジティブになれる。

 そして、いつか自分を好きになれるはず。

 

 誰もいない静かな部屋でも、こうして誰かと繋がることができる。学校じゃなくても、たくさんのことを知ることができる。それに、誰かと話したい気分と、1人でいたい気分が、自分でもよく分からない周期でぐるぐると変わる。ちょっとポジティブな時には疲れるくらい気を遣っちゃうし、ナーバスなときは気を遣わせちゃってるというのがわかる。

 

 出るナントカがナントカっていうけど、目立ちすぎるとダメで、逆に目立たないと誰にも見向きされない。

 

 だから、相手の機嫌を取ってきた。

 でも。

 

『自分で。考えてもがき苦しみ、足掻いて悩め』

 ほんと、苦しい。

 私よりもずっとずっと大人で、嫉妬しちゃう。

 

 何を探しているかもわからないのだから、何も見つけられない、何も見つからない。彼の期待に応えられない。

 

 

「おひる、ちゃんと食べたのかな」

 

 彼は。

 比企谷さんは、不思議な人だ。

 

 家出した女子高生なんて、なにか『取引』でもしないと家に入れてはくれない。私は今まで、何人もの男性の家を転々としてきた。もちろん嫌なこと何度もあったけど、それより家には戻りたくないから、今までなんとか耐えることができた。だけど、今は、いい言葉は見つからないけど、生きることが楽だと感じる。

 

 これが『ボランティアだ』なんて、わたしのあんまりな頭でも、リスクとリターンが釣り合ってないことくらい分かる。ほんとバカな人だ。ほんとに私は最低だ。

 

 頼めば、なんでもくれるくらいには甘い。

 心地良すぎて、なんだか調子が狂う。

 

 気分転換しよ。

 

 カシャッ、そんな聞き慣れた機械音。

 電気を消し、カーテンを閉め、自撮りした。

 

  『かわいい』

  『その服似合ってる』

 

 すぐにコメントが来たし、これからも増えるだろう。

 顔がいいことは自覚していて、うまく使ってる。

 

 こんな私を褒めてくれて、求めてくれる人がいる。SNS上だと『かまってちゃん』なんて言われないし、『調子に乗ってる』なんて言われない。いや、もしかしたら心の中では思っているかもしれないけれど、優しいフォロワーさんはそんなことをわざわざ返信しないし、表情が見えないから、みんなを信じることはできる。

 

 信じないと、やってられない。

 

「そうだ。頼まれた絵、描かないと……」

 

 また知らないアニメのキャラクター。

 

 見本を見ながら、アレンジを加えながら、指で描いていく。

 少しでもかわいく、かわいいって言ってもらえるように。

 

「あっ……」

 

 そうだ、依頼されてSNSのアイコンを描いてあげる、これが私のボランティアなんだ。

 元々は、もしお金を求めちゃうと、期限とか文句とか、あれこれ言われちゃうのがイヤだからだけど。

 

 比企谷さんは、褒めてくれるだろうか。

 私を、大人として認めてくれるだろうか。

 

「いや……ぜんぜん下手だから……」

 

 線画まではなんとか描けた。

 でも色塗りしたら、もっと下手になる。

 

 みんな、お世辞で褒めてくれたり、満足してくれたりする。でもお母さんならもっと上手く描けるし、ほかにも上手い人はたくさんいる。最近はリツイートで流れてくるようなイラストも、趣味とは思えないほど上手で、それに、どんどん新しいのを描いてアップしていく。私なんて、絵より自撮りのほうが、リツイート伸びるし。

 

 まあ、これ頼んできた人、あんまり親しくないから、いいか。

 それに、ボランティアだもの。

 努力はしたって、自分に言い聞かせる。

 

「疲れた……通知、だれ……」

 

 ぼやけた視界で、既読をつけないように、メッセージを見る。

 

  『いろちゃん、最近調子どう?』

 

「うるさい……しつこい……」

 

 ブロックのボタンを押そうとして、やめた。

 

 この人、別に悪い人ではないから。

 悪いのは私だ。

 

 その時の気分で描いたオリジナルのキャラクターでも、リツイートといいねくれる人だから。

 

「3時……だから……2時間くらい……」

 

 今日は作り置きのカレーだから、ご飯を炊けばいいくらいだ。

 新品でフカフカの敷き布団の上に寝転ぶと、電源もついていないテレビの前にはSwitchやWi-Fiのコードが繋がったままなのが見える。

 

 勝手にWi-Fi使ってること、いつか言わないといけない。

 比企谷さんは鋭いところあるから、いつか気づかれる。

 

 怒って、追い出されちゃうかな。

 携帯取り上げられちゃうかな。

 

 

 大人に怒鳴られるのほんとしにたくなるから、やだ。

 

 

『かわいこぶってるよね~』

『顔いいからって調子乗ってるし』

 女の子だから、かわいくいたいものじゃないの。

 それに、いま憂鬱で調子わるいんだけど。

 

『いつまで寝てるんだ!!』

 毛布を、つよくつよく握りこむ。

 もう、限界だった。

 

『服とか買ってあげるよ』

 親切な人のおかげでちょっとずつ荷物が増えていく。

 でも寝るときに視線を感じて怖かったから、逃げた。

 

『このまま僕の彼女にならない?』

 ちょっと年上で大人しそうな人だった。

 でも逃げ道がなくなりそうで、断って逃げた。

 

『出てかないと警察につきだすから!』

『押しかけてきてさ、ほんと困ってたよ』

 またあそこに戻るのはイヤだ。

 しかも彼女さんがいるのになんで取引したの。

 

 

 毛布の下で、携帯を握りこむ。

 

 

 もう、これしか私には残ってないから。

 これだけは守らなきゃ。

 

 

*****

 

 さて。

 妹の小町が、本気で弱音を吐いたことはほとんどない。

 2度の受験のときも、寝るときはすやすやと寝ていた。

 

 次に思い出したのは、戸部のやつから真剣な相談を受けたことだ。

 

 あの依頼を含めると、戸部からは2度目だった。いわゆるマリッジブルーについてであり、軽く調べたソースなのだが、程度は様々で女性の半数がその悩みを持つらしい。その時は、海老名さんのことは三浦や由比ヶ浜、戸部には葉山たち、それぞれに定期的に相談に乗ってもらうという対症療法を行うしかなかった。根本治療についてはその専門家でも難しいだろう。

 

「……いや……ないで……」

 

 仕事から帰ってみると、部屋は暗いままだ。

 毛布を強く握りこんで顔を見せない。

 

 はっきりとした言葉が、節々と聞き取れることは、たしか悪夢を見ているからこそだったはずだ。

 

 肩をゆすって起こす?

 このまま様子を見る?

 

 選択肢が頭の中に浮かんできたが、どうするべきか。

 仮に起こすとして、どう声をかければいい。

 

 『辛いのはお前だけじゃない』

 『先生に相談していいからね?』

 元々、俺は、同情や憐れみを受けてきた側だ。『時間はすべての薬だ』という。 だがそれは違う、時間は遅行性の毒にほかならない。ゆっくりと、過去の出来事さえも浸食していき、終わらせて諦めさせるためのものだ。まあ、中学時代は諦めたが、運が良かったから、高校時代は悪くない青春を送れた。ていうか、隙あらば自分語りなんて、俺も歳をとったものだ。

 

 ともかく。

 

 いつか一人立ちしなければならない少女にとって『過保護』になることは避けるべきだ。一人で生きられるようになって、初めて誰かと歩いて行く資格がある。一人で生きられるから、一人でできるから、きっと誰かと生きていける。今は、雪ノ下のやつも、一人で生きられるようになった上で、誰かと生きようとしている。

 

 俺は、親でも兄でもないのだ。

 答え合わせは『魚の獲り方』を教えることではない。

 俺が安心させたとして、それは『仮初め』だ。

 

 それに、逃げちゃダメなんて強者の考え方でしかない。それを強いる世界こそが間違っている。『俺は悪くない、世界が悪い』なんて言葉は言い訳じみているが、まるっきりの間違いじゃない。いつも自分が悪いなんてそんなことはないのだ。社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っていることだってたくさんある。

 

 諦めるにしろ乗り越えるにしろ、自分で解決するべき。

 そう自分に、強く言い聞かせる。

 

 

 シャツを腕まくりして、キッチンで手を洗いはじめる。

 

 

*****

 

 飛び起きた。

 冷や汗が流れるような気分だ。

 

 スマホは23時を示しており、部屋は真っ暗だ。

 

「やっちゃった……」

 

 元々、サボる、ということは珍しくなかった。でも、あの家を出てから、機嫌をとるために、必死になって真面目にがんばってきた。心が休まるのは1人になったときであり、お昼寝することで夜も無防備な姿を決して見せないようにした。こんな私でも、まだ綺麗なままでいたいという気持ちがある。人によっては、この気持ちを嗤うのだろうけど。

 

「謝って、許してもらわないと」

 

 いつまでここにいていいのか、考えてしまう。

 

 これだけは言えるのだ。

 いつか、比企谷さんに彼女ができたら、私は出ていくしかない。

 

 だって。

 ラップにくるまれた、おにぎりがあって。

 

「ほんと、楽だなぁ……」

 

 だから、こんなに素敵で優しい男性を、好きになる女性は絶対いる。断言する。

 

 ひんやりとしたご飯は、コンビニのおにぎりの以上に美味しく感じた。

 たぶん帰ってから炊いてくれたのだろう。

 

 寝起きはよく憂鬱になっちゃうから、そんな、かわいくない姿を見せたくないから、助かる。

 

「ずるいですよ……もう」

 

 どんどんダメになっていきそう。

 ずっとずっと、このぬるま湯に浸かっていたい。

 



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第8話 週末の飲み会

 高評価、ありがとうございます。個人的にあまり気にしていなかったのですが、バーの色がつくと、良くも悪くも目立ちますね。2つの原作のことを知らない方も増えるだろうし、ますます気を引き締めなければならないと思っています。まあ、相変わらず勢いで執筆していて、読みづらい文章もあるかもしれませんのでご了承ください。
 お気に入り登録してくれる方も増えてくださっており、不定期更新ですが、引き続きどうぞお付き合いください。


 

 

 いろはは朝には何もない風を装っていた。

 だったら、俺は何も聴くことがない。

 

 衣食住について助けるけれども、それ以上は特に手を出していない状態が続いており、もう1週間が過ぎようとしている。いろは自身が解決すべき問題で、誰かに縋って乗り越えること、それは依存にすぎない。

 

 諦めるにしろ乗り越えるにしろ、自分で解決するべき。

 

 その考えは。

 週末まで、変わることはなかった。

 

「比企谷、肉だ!肉を焼け!」

「牛角じゃないんすから、野菜はないですって」

 

 シックな雰囲気の店舗だが、騒がしい。

 ビールのジョッキ片手にあれこれ命令してくる。

 

「隼人~、お肉よそって~」

「なんでも、でいいんだろうな」

 

 時間制の食べ放題ということで、どんどん箸を進める平塚先生と違って、陽乃さんは赤ワインのグラス片手に、優雅な食事を楽しんでいる。そんな女王様によって、呼び出された葉山も、俺同様働かされている。

 

 困ったような表情を浮かべているが、最近の陽乃さんの隣にはよく、こいつがいる。

 構われすぎて大変な目に遭っちゃっているのだろうな。ご愁傷様。リア充爆発しろ。

 

「ゆきのん、すきーーー!」

「こぼれる、こぼれるから。落ち着いて」

 

 まだカクテル2杯目じゃなかったか、たしか。

 由比ヶ浜が、酒に弱いのは知っていたけれども。

 

「静ちゃん、いい食べっぷりだね~」

「これほど旨い肉を食べたのは久しぶりでな」

 

 由比ヶ浜の入社のお祝いってことで、平塚先生と雪ノ下さんが奢ってくれるらしいが、こんな高級そうな焼肉店、しかも『食べ放題スペシャルコース』なんて、小町の誕生日にだって経験したことがない。

 

 お兄ちゃんも小町も、回転寿司で満足しちゃうもの。

 でも、お祝いのときでさえ、300円のお皿はためらう。

 

「旨い肉にはビールが美味い!

 あっ、すみませーん! ビール追加で!」

 

 ノリは居酒屋のままかよ。

 

 どうやら空気にも酒にも酔っているらしく、歯止めが効きそうにない。小皺がありつつも相変わらず美人だと感じさせ、その辺の男よりも男らしい、おかげで婚期が遅れていた、今ではそんな平塚先生も一児の肝っ玉母さんだ。

 

 いや、貰ってくれて、ほんと良かった。

 『千葉県のYさん』のような器の広い男性なのかしら。

 

「ヒッキーも食べさせてあげよっか」

「食べてる。食べてるから」

 

 高級そうなお肉だが、『牛角』で食べるくらいには、テキパキと網いっぱいに焼いている。だって焼肉奉行がいる。

 

 しかしがつがつ食べるのは、俺と葉山と平塚先生。

 おかげで、焦げる前に消費しなければならない。

 

「じゃ、ゆきのん、あーん」

「あーん」

 

 雪ノ下は抵抗しても無駄なことを悟ったのか、黒髪を耳にかける仕草をしながら、差し出しされたお肉にはむはむと齧りつく。そして、少し大きめにスライスされた『カルビ』を一口では食べず、自分の箸を使いながら器用に半分くらいに噛みきった。

 

 そして、口元を手のひらで抑えながら、咀嚼する。

 そういう所作もテーブルマナーなのだろうか。

 

「雪乃ちゃん、かわいいよね~」

 

 おっと、全く酔ってないのに絡んでくるお姉様がいたんだった。

 人が食べているところをまじまじと見るものでもない。

 

「姉さん、急に何を言っているのかしら」

 

 食べながら喋るということはなく、しっかりと呑み込んでから、雪ノ下は姉にジト目を向ける。

 

「雪乃ちゃんはかわいいままだってことだよ」

「……姉さんこそ、その、昔から綺麗だわ」

 

 えー、そういう会話だったの。

 はちまんったら、なんか裏があるかと思っちゃった。

 

 『千葉の兄弟姉妹は仲がいいなー』だなんて思っていると、陽乃さんはこちらを見てニコッとした。いわゆる『含み笑い』というものであり、女子語検定3級も取得できていない俺にはよくわからないです。

 

 ただ、まあ、いつか感じたような、『ぞくりとした感覚』はない。

 比較的には、穏やかな雰囲気で話すことができている。

 

「ふむ。それにしても、由比ヶ浜も『雪ノ下』で働くことになるとはな」

 

 平塚先生は再びビールをぐびぐびと喉に流し込んでいく。

 心底、嬉しそうで、完全に酔っている。

 

「ぷはぁー! いやぁー、めでたい!」

 

 離任式の時、あの後悔を残した表情が、どうしても忘れられないでいた。

 だから、たぶん、今の俺はホッとしているのだと思う。

 

「いい飲みっぷりっすね」

 

 俺も真似して、ビールを勢いよく喉に流しこむ。

 会社付き合いで飲む時より、ずっと美味しく感じた。

 

「やー、でも1年遅れちゃいましたけどね」

 

 お世辞にも勉強ができるとは言えなかった由比ヶ浜だ。受かるために、雪ノ下姉妹のねっちょり指導をがんばった。『努力あるのみ』な姉妹なおかげもあるとはいえ、よく耐え抜いたと思う。

 

「1年や2年、気にすることはないさ。

 ほら、私、若手で結婚できたから」

 

 年齢の話は、まあ、置いておくとして。

 口は禍の元だ。

 

 実際に直撃したことはないが、久しぶりに『衝撃のファーストブリット』を受けそうだ。それにしても、ああいうノリを今の生徒ともやっているのだろうか、だがしかし、ますますネタが通じなくなってそう。男子なら『スクライド』は必修科目だと思っていた時期もありました。

 

「結婚、結婚かぁ……」

 

 由比ヶ浜から漏れた声は、少し、重い呟きだった。

 

 うちの小町ちゃんもそういうの気にするお年頃なのかしら。

 キミには、まだまだまだまだ早い。

 

「大丈夫大丈夫、ガハマちゃんも引く手あまたでしょ、ねっ、隼人」

「ああ、高校の時もそうだったよ」

 

 意地悪な質問を受けた葉山は、苦笑いをしながら、事実を答える。俺からすれば陽乃さんの発言、どれもこれもが考えて答えちゃうものなのだが、さすが幼馴染というべきか、差し障りのない返答だ。

 

「でも。昔から意識してきたのは、1人だけどね」

隼人のくせに、いいパンチうってくるじゃん

 

 ほんの一瞬、俯いたその表情が、やっぱり姉妹なのだと感じさせる。

 

「葉山も男前になったんじゃないか? なあ、陽乃?」

「ぜーんぜん、まだまだ子どもっぽい」

 

 少し赤らめたその頬は、ちょっと飲みすぎたのだろうか、それとも。

 

「そういえば、比企谷君、最近帰り、早いんだって?」

 

 陽乃さんにしては、やんわりとした変化球だ。

 それ、結構きついフォークボールなんですけど。

 

 いやー、千葉ロッテマリーンズは最近成績伸びてきてるし、今年はもしかしたら優勝いけちゃったりね。なんて、あれこれ考えている時間はなく、おそらく『恋人できたの?』みたいな質問だろう。女子語検定で習ったやつだ。

 

 さて。

 

「別に、元々早かったですけど」

 

 しまった、打ち損じた。

 

「へぇ~」

 

 余裕を取り戻したらしく、蠱惑魔な笑みに変わる。

 

 助けて、葉山えもん。

 なお、肩を諫めただけだった。

 

「今週、5日間、真面目に取り組んでいたようね。定時にあがるために」

「そうそう。ヒッキー、4時とかめっちゃがんばってるの」

 

 たぶん、由比ヶ浜から雪ノ下へ、雪ノ下から陽乃さんへ伝わったのだろう。

 ずいぶん恐ろしい伝言ゲームをされたものだ。最終回答が恐ろしい。

 

「さきさきはないとして、ひょっとしてるみるみ?」

「めぐりもありえるかもね」

「戸塚君、という可能性も少なからずあるわ」

「まさか。姫菜じゃあるまいし」

 

 やだっ、俺の交友関係狭すぎ。

 高校時代の同級生、10人も覚えていないのバレちゃう。

 

「てか、ガハマちゃんは違うんだ」

「あはは、ないですねー」

 

 ガハマさん、『(こんな男と付き合うとか)ないです』って、ことでしょうか。

 

「それなら。比企谷の妹さんは、どうだ?」

「「「「あー」」」」

 

 うまいこと言ってやったという表情の平塚先生に、4人共、納得したようだ。

 

 小町は今頃、誰と夜を過ごしているのだろうか。

 友達の家にお泊まりに行くから、お兄ちゃんとお父さんは心配です。

 

「まあ、一緒に買い物行くとかよくするんで」

「「シスコン」」

 

 嘘は言っていない。

 ていうか、雪ノ下姉妹もシスコンだろう。

 

「まあ、そんな感じで。

 てか、そろそろラストオーダーです」

 

 いろはも、いつかはこんな風に、誰かと笑い合えるだろうか。

 

「おお、もうそんな時間か。悔いのないよう、注文しなければな」

 

 平塚先生は、メニューを広げた。

 目を輝かせている姿は、あの頃から変わっていない。

 

「ゆきのん、デザートなににする? シェアする?」

「なにか、さっぱりしたものがいいわね」

 

 サイゼと同じように、2人でメニューを見始める。

 

「飲み足りないから、まだ付き合ってよね」

「ああ、わかったよ」

 

 葉山が身に着けた腕時計の針は、9の文字を指していた。

 

君たちと一緒に酒を飲めて、私は幸せだ

……そっすね

 

 隣の平塚先生から、俺にだけ向けられた小声だった。

 

 残りのビールを飲みきり、俺も、もう1杯だけ注文することにした。

 

 



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第9話 雨の夜

 家の中では結構だらしないとこあるけれど。

 

『じゃ、行ってくるわ』

 

 黒いスーツ、水色のワイシャツ、青いネクタイ、それを着こなしている比企谷さんの背筋はピンと伸びている。家の中で心配になるくらいの猫背なのは、仕事でちゃんとキリッとしているからこその反動なのだろうか。

 

 彼が家を出て、急に静かになった気がする。

 元々、自分からはあまり話さない人だけど、こっちから話してて、気が楽で、楽しくて。まあ、たまによくわかんないことも言うけど、むしろそれがないと味気ないというか。

 

「……よし」

 

 小さく呟いて、玄関からリビングに戻って、私はまずテーブルの上にある食器を重ねていく。ご飯粒が1つも残っていない、そんなお茶碗に、なんだか頬が緩んじゃう。

 

 同じ家に、1週間以上滞在することは珍しくことではない。けれども、『いつか』が来ることは分かっている。いや、いつか出て行かなければならないのだと、ちゃんとわかっている。

 

 例えば、彼に恋人ができたときだ。

 

 でも。

 

 このぬるま湯が、気持ちいい。

 お皿がカチャカチャと鳴る音は、静かさを紛らせる。

 

 お礼とか感謝だとかを言ってくれることもあるし、言われなくてもなんだかわかる。彼の不器用な優しさは、ほんとあざとい。調子がくるうし、責任を取ってほしいくらいだ。

 

 お皿洗いも終わり、再び布団を床に敷いて寝転ぶ。

 

 電源を付けた携帯は、4月23日を表示しており、平日の終わりの金曜日だ。なんとかフライデーってわけでもないし、今日は飲み会があるって言ってたし、ともかくとして、比企谷さんの帰りは遅くなると言っていた。

 

 となると、夕食の献立を考える必要もない。

 今日は、1日暇ということになる。

 

「描こ……」

 

 『誰かのために』というわけではなく、『自分のために』

 比企谷さんを思い出しながら、アニメ風に、デフォルメっぽく。

 

 寝癖のアホ毛だとか、ぬぼーっとした目だとか、そういうとこが彼の特徴的なところで、私的にチャームポイントだ。男子に『かわいい』とか言うと、微妙な顔をされるんだけれどもね。

 

「はやく帰ってこないかなー」

 

 まだ、1時間も経っていないから、ウケる。

 

 昔も、他の男の家も、『1人でいる時間』のほうが、ずっと楽で、自由気ままに過ごせる時間だった。もしこんなお兄ちゃんがいたらなー、と小町さんが羨ましくなってきた。

 

 だから、比企谷さんに恋人ができた時には、出て行こう。

 私は、妹でもなんでもないから。

 

 

****

 

 黒塗りの高級車から、慎重に降りる。

 

「まったねー、比企谷くん」

「こちらこそ、どもです」

 

 葉山のやつに覆い被さるくらいに、身を乗り出して、こっちに手を振ってきた。そういう子どもっぽいところは相変わらずのようだが、わかっててやってそうなのが、雪ノ下家長女である。

 

「比企谷、今度またラーメンな!」

「わかってますよ」

 

 別れの言葉なのだが、また会う予定をこじつける。こういう男勝りなところが婚期が遅れた理由なのだろうが、ほんと平塚先生を貰ってくれる人がいてよかった。

 

 微笑んで、まるでお嬢様のように、軽く手を振っている雪ノ下のお嬢様に、軽く手を挙げておく。言葉を交わさなくとも『また会おう』という意味だ。すでに家に送られた由比ヶ浜も含めて、季節が廻ったとしても、関係は続いている。

 

 雪ノ下の、その奥にいる、若い運転手さんが会釈すると、車内の灯りが消えた。再び、雨の中を、その見るからに高級車が走っていく。雪ノ下姉妹に呼び出され、『お勤めご苦労様です』、と言いたいくらいだ。

 

 すでに22時で、いろははどう過ごしているだろうか。

 待っているのか、それとも寝ているのか。

 

 便利な電子ロックで鍵を開けて、家に入ると、電気は付いていない。

 またうなされているのかもしれないと、あまり物音を立てないようにして、リビングに向かう。

 

 布団は綺麗に畳まれていて、スーツケースも置いたままだ。

 

「靴……」

 

 急いで、もう一度、玄関に向かった。

 

 まず前提として、玄関からして電子ロックだから、そう簡単に不法侵入されることは考えられない。使い古したローファーがない。それに、俺が普段から使っている、黒い傘がない。

 

「あいつまさか……」

 

 もしかすると、入れ違いになるかもしれない。

 こういうときに、連絡手段がない。

 

 苛立ちを覚えてしまう。

 手段を用意していなかった俺に、非がある。

 

 

****

 

 雨で前が見えない。

 それに、やばい、電池が。

 

「いま、何時……」

 

 ああ、もう。

 最近、充電切れるのが早くなってたけど。

 充電器は家に置いてきちゃったし。

 

「かんぜんに、迷子……」

 

 いくらなんでも、バカをやった。

 

「はぁ……」

 

 見つけた公園で、ベンチに座り込んだ。濡れた感触がイヤだけど、仕方がない。ここで朝まで待って、見覚えのある場所を少しでも探すことにする。まあ、戻らないべきなのかもしれないけれど。

 

 傘を持ったまま、だから、寝転ぶこともできない。

 雨宿りにでも駅に移動するとしても、補導されちゃう。

 

 比企谷さんが言っていた焼肉店は、駅前くらいしかないと調べてわかっていた。そもそも、人通りの多い駅前で、比企谷さんを見つけるのは難しいことはわかっていた。

 

 でも、気になったのだから仕方ない。

 

 あの人付き合いが微妙そうな比企谷さんが、少し嬉しそうに、飲み会に行く、って言っていたから。比企谷さんと、比企谷さんと一緒にいる人を見て、帰る。それだけだ。

 

 良くも悪くも見つけることはできた。もう1人男の人がいたけど、綺麗な女の人たちに囲まれる、比企谷さんがいた。特に、白衣を着ていて目立っている人とは、これでもかっていうくらい楽しそうにスキンシップをしていたし。

 

 あんな人たちがいるなら、私を『女』として見るはずがない。

 そりゃあ、優良物件の比企谷さんを放っておくわけないだろう。

 

 私は、いつか比企谷さんが幸せになるためには、邪魔になるとわかった。あの人たちに踏み込むことができるわけないし、過ごした時間も圧倒的な差があるのだろう。もし人に優先順位を付けるとしたら、私は選ばれない。

 

 今まで、『私のために』終わらせてきた居候だけど、初めて『誰かのために』終わらせようとしている。袖で抑えた目に溢れている涙は、何が悲しいのか、自分でもよくわからない。比企谷さんに恩返しができるなら、嬉しいはずなのに。

 

 ほんと、きらい。

 

「家出?」

 

 なんだか、ぶっきらぼうに、声をかけられた。

 女性の声であることに、複雑な感情が芽生える。

 

「お姉さん、大丈夫ですか?」

 

 私は涙を拭う。

 

 たぶん、中学生くらいで、お下げの女の子が心配そうにしている。その隣には、スーツを着て、綺麗な長い黒髪をポニーテールにしている女性がいた。なんというか、女子から見てもかっこいい感じの美人さん。

 

「その、どこに帰ったらいいか、わかんなくて」

 

 言うことに迷って、出た言葉だ。

 半年以上前に出た家なのか、比企谷さんの家なのか、それともまた新しい居場所なのか。

 

「お姉さん、迷子なんですか?」

「うーん、そうかも」

 

 この歳になっても迷子って、中学生からすると笑い者だろうか。でも、目の前の女の子は、不安そうに、たぶんお姉さんの顔を見ただけだ。

 

「帰る場所があるんなら、良かった。1時間だけだよ」

 

 そんな不器用な優しさを、くれる人がまた現れた。

 隣にあるベンチに、姉妹揃って腰かける。

 

「……ありがとう、ございます」

「別に、仕事の範疇だから」

「けーかも大丈夫ですよ。塾の帰りなので」

 

 まるで、お姉さんの照れ隠しが比企谷さんみたいで、妹さんの優しさが小町さんみたいだ。

 

「あの、お仕事って?」

「これでも、教師やってるからね」

「高校の先生なの!」

 

 ああ、なるほど。

 確かに似合っている。

 

「うらやましいです、あなたみたいな人が先生で」

「私のできる範囲でしか、やってないけどね」

 

 その大人っぽい表情は、どこか達観している。

 

「してあげられないこともいっぱいあるよ。

 子どもたちの家のこととか、特にね」

 

「……でしょうね」

 

 昔の私がそうだった。

 

 なんだか、保護者のほうが上みたいになってるし。

 先生も、強くは言えない立場なのだろう。

 

「でも、今の保護者みたいな人は、信じられないくらい優しい、です」

「なのに、家出したの?」

 

『家族大好きです』って感じの妹さんは、少し表情を明るくして、だからこそ不思議そうに聞いてきた。

 

「無条件な優しさって、こわくないですか?」

 

 まだ、媚びる男子とか、冷やかす女子だとか、そっちのほうが上手く対処できる。

 

「ものすごく優しい人なんですけど、でも、優しい理由がわからなくて……。そんな人からも愛想尽かされちゃったら、なんかもう立ち直れなくなりそうで……」

 

 彼女でもないのに、家出した女子高生を泊めるって、そんなの善意だけでしてくれるはずはない。そして、もしも、彼が善意に溢れる人間だとして、彼が私を嫌いになったのなら、どれだけ私はダメなやつなのだろう。

 

 彼女がいるのに、妹でもなんでもない異性の居候を作ったままだなんて、あの責任感が強い比企谷さんは、苦しむに決まっている。

 

「こういうとき、あいつらなら、どうするんだろうね」

 

 お姉さんは、そう呟いた。

 

「根っからの優しいやつらは結構いる。そういうやつに限って、不器用、ド天然、孤高、あと女王様気質、だったりするんだけどね」

 

 この2人や比企谷さんを入れて、7人。

 なんだ、結構いるものらしい。

 

「それに、優しすぎるのもいいけど、『待たないで、こっちから行く』くらいの気概じゃないと。何もしないまま、望むものが手に入らないやつもいる」

 

 手のひらに顎を置くように、背を丸めて、そう呟いた。

 

「ま、動いたところで変わらないものもあるみたいだけど」

「じゃあ、がんばっても、意味ないんじゃないですか」

 

 思わず、語気が強くなってしまう。

 

 自分にいら立つ。

 半年間がんばってきたけど、無駄かもしれないと。

 

「徒労に終わるかもね。まあ、それでも何かは残ったんじゃない?」

 

 その言葉は、一体、誰に向けられたのだろうか。

 この女性は、どんな素敵な人と会えたのだろう。

 

「その人のこと、その、好きだったんですか?」

「……べつに」

 

 わかりやすいなぁ。

 

「え~、ほんとにござるか~?」

「ほんと~?」

「けーちゃんまで……」

 

 けーちゃんというらしい妹さんが、お姉さんの向こうからニコニコと顔を覗かせた。こうやって、静かな空の下で、外で過ごすことは多いけれど、久しぶりに誰かといられる。根っからの優しい人みたいだし、選択肢として、『この人たちに付いていけば』なんて考えてしまう。

 

「お姉さんは、好きなの? えーと、家族? 彼氏さん?」

「好き、ではあるかな」

 

 嫌いではないのは確か。

 ならば、その反対で、好きでいいのか。

 

「お姉さんの言う、すごく優しい人なら、悩んでること、ちゃんと聞いてくれると思います」

「まあ、たぶんね」

 

 警戒心は結構強いみたいだけど、過保護すぎると思うくらいには優しい。でも、そうか、あれだけ過保護になってくれているのは、少なからず、信用だとか、信頼だとか、してくれているのだろう。

 

 どれだけ、心配をかけてしまっているか。

 怒るんじゃなくて、ちゃんと叱ってくれそうだ。

 

「お姉さんも、信じてみようよ」

「うん、がんばってみる。だから、その……」

 

 その後、お姉さんの携帯を借りて、だいたいの方角を確認する。元々、あちこちをうろつくことは、そう珍しいことではない。方向音痴って、実際には会ったことないけど、いるのだろうか。

 

 お姉さんたちは送ってくれるみたいだったけど、そこまでお世話になるわけにもいかない。

 どうにか、補導されないように、家に、帰らないと。

 

「またね」

「気を付けなよ」

「ありがとうございました。それでは」

 

 近所迷惑にならないよう、声を抑えて、2人と別れる。雨は相変わらずだけど、ここが千葉で、4月末で、温かくなってきたから助かった。冬になる前に、関東に入っておいてよかったと、過去の私を褒めたいくらいだ。

 

 

 いい人たちだった。

 千葉に住んでいる時に、また会えるかもしれない。

 

 

 その時は、またお礼を言おう。

 そして。

 

「いろは、か……?」

 

 びしょ濡れで、スーツのままで。

 

「いや、その、ごめんなさい」

 

 言うことに困って、傘を差し出す。

 まさか探しにくるほど、感情的な行動をするなんて。

 

「まあ、なんだ、無事でよかった。わるかったな」

「どうして、謝るんですか」

 

 私から受け取った傘で、私と一緒に入る。

 相合傘なんて、初めてだ。

 

「こういうときに、連絡手段を用意していなかったこと、だな。時計や辞書にも便利だしな」

「それがその、持ってるんです、携帯」

 

 言った。

 言ってしまった。

 

「その、勝手に、Wi-Fiとか使って、充電とかも」

 

 常に持っているスマホを見せる。

 取り上げられないって、信用してる。

 

「いや、まあ、それはいいけどな。ていうか、そうか、ネットに繋がってないのか……」

 

 怒ることはなく、呟くようにそう告げるだけだ。

 ほんとう、どんなワガママも聞いてくれそう。

 

「それは追々だな。ひとまず帰るか」

「なんですか、ほんとう……」

 

 ほんとう、好きになってしまいそうだ。

 

 これはあくまで自分より、こっちに傘を向けてくるせいだけど。

 比企谷さんの隣に近づいて歩く。

 

「明日、休みの日ですよね」

「たぶんな」

 

 雨に濡れた匂いに、焼肉の匂いが混じっていて、明日は高いお肉でも食べさせてもらおうかなって思って。

 

 ワガママを言ってみようかなって。

 そう思った。

 

 



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第2章
第1話 お願いごと


 原作小説2巻部分に入ります。少し投稿間隔が空き、申し訳ありません。4月アニメまでの繋ぎとして、ぜひ読んでいただければ幸いです。


 『事実は小説より奇なり』とも言うが、最近流行りの異世界転生ものほど、奇妙奇天烈な体験はしたことはない。ライトノベルの主人公のように、ドキがムネムネな非日常を求めていた時期もあったが、あの頃は中二病を患っていたにすぎない。

 

 平穏こそ至高。

 ゴールデンウィーク、連休は家で過ごすに限る。

 

 なんて、学生時代までの話だ。

 

 この連休中、独り身代表として、不治の中二病のやつと一緒に職場に駆り出された。上司の家族サービスのために、若手は一肌脱ぐのだ。新入社員の頃からお世話になってきた身だけど、別に先輩方のためじゃないんだからね!

 

 ちなみにガハマさんは、研修に追われる日々である。

 あれはヤバい。意識高い系会話の日々、それある!

 

 さて。

 

「ただいまっと」

 

 雪ノ下が実家に戻るとかなんとかの話があって、それに、職場に近いこともあり、この高層マンションの一室を安く借りられた。自転車通学に慣れっこなので、電車通勤はしたくないでござる。

 

 ともかく、大学卒業と共に、実家を離れて、俺の1人暮らしが始まったわけだが。

 

「おかえりでーす!」

 

 元気よく高い音で、それでいて、聞き取りやすい、そんな返事が返ってくる。

 

 リビングには、ほどよい味噌の香りが漂い、空腹を誘ってくる。肩のくらいの長さの亜麻色の髪を、後ろでお団子っぽくまとめているのだが、女子はああいうおしゃれってどこから学んでくるのだろう。

 

 洗面所に行って、手を洗いながら、すでに緩んでいるネクタイを外す。

 

 『帰る』というメッセージを送ったものの、俺に時間を合わせてくれて、驚くほど気が利いて器量もいい、家事もできる。それに、顔も悪くはない、むしろアイドル級だ。理由は不明だが、家出をして、北海道からこの千葉までやってきたらしい。

 

「座っててくださいねー」

 

 そう言われるけれども、俺も何か手伝うことはないかと探し始める。すでに机の上には常温で冷しゃぶといったおかずが置かれていて、ご飯もつぎ終わっている。緑の入ったお味噌汁を、置いて、夕食が完成する。

 

「それじゃあ」

 

 エプロンを畳み終わった、いろはが席に着いた。

 

「「いただきます」」

 

 空腹で疲れた身体に、出来立ての夕食を作ってもらえる、たぶん、これが幸福なのだと思えるくらい、頬が緩む。そして、俺のそんな様子を見て、にへらと自然と笑えているいろはがいる。

 

 どうやら、家事をする生活は充実しているようだ。

 猫舌の俺には、このぬるいお味噌汁が心地いい。

 

「味噌汁、いつもより濃いな」

 

 出汁もきいていて、ご飯が進む味だ。

 おかわりしたくなるくらい。

 

「週末だし、ちょっと疲れてるかと思いまして。どうでしたか?」

 

 やだ、いろはす、意識して調整してくれたらしい。

 危うく、毎日味噌汁作ってと言って全力でフラれそうだった。

 

「おかわり、あるか?」

「はい、もちろんです」

 

 いそいそと席を立とうとするいろはを手で制して、お鍋や炊飯器のもとへ向かう。鍋にあるままなので、温めることもできるが、夏は冷たいお味噌汁とご飯をかきこむくらいだから、つまりそのままでいい。

 

「あのー」

 

 申し訳なさそうに、いろはが声をかけてきた。

 

「少し、お願い事が、ありまして」

「なんだ?」

 

 なんでも買ってあげられるほどの余裕はないが、以前までよりは、懐は温かい。予備校で上手いことやって手に入れていたお小遣いも、妹の小町に使ってあげたことも多い、できたお兄ちゃんだ。

 

 それに、ワガママを言えるというのは、少なからず信頼関係があるということだ。

 いや、傍若無人という言葉が似合う、事あるごとに母校にちょっかいかけてきたシスコンとかいるんですけどね。まあ、あの人のワガママは、あれで、人心というものを掌握するのだから、ヘイトを集めることはない。

 

「バイトをさせてください」

「……バイト、ねぇ」

 

 いろはが自立し始めていることは、まず嬉しく思う。

 お茶碗とお椀をそれぞれの手に持って、席に座る。

 

「いやな、俺はいいんだがな」

 

 無責任に、GOサイン出すわけにもいかないだろう。

 

 嬉しさの反面、今の一応の保護者として、そして社会人として、どうすれば高校生段階でバイトができるのだろうと考える。俺が若い頃は、学校や親に内緒でバイトしていた知り合いもいた。今はたしか教師をやっているらしい川崎のやつが、その例だ。

 

「実際のとこ、どうなの。最近の高校生って、バイト」

「うちの学校は、まあ、保護者の許可さえあれば……」

 

 社会的に言えば、俺は保護者でもなんでもない。

 

 身分証明らしきものは、学生証の他に、保険証やマイナンバーカードがあればマシといったところか。ていうか、北海道の現役高校生を、働かせてくれるのは、よほどの千葉のお人好しだろう。

 

「……どうしましょう」

 

 八方塞がりなことはわかっていて、俺を頼っているらしい。

 

 残念ながら、雪ノ下建設で、高校生のバイトを募集しているとは聞いたことはない。年始年末なら、郵便局とか、高校生バイト募集しているのかしら。もしくは、高校生の新聞配達って今でもやる子いるのだろうか。

 

「一応聞いておくが、どういう系がいいんだ?」

「えーと、接客、とかしてみたいかなって」

 

 料理もできて、掃除もできて、要領がよくて、ボッチとも会話できる。様々な職場に引く手あまたな人材であり、うちの部署で預かりたいくらいだ。どちらにせよ、未成年であり、現役高校生という身分は、今の社会では制度上、自立することが難しい。

 

 いくら、本人が背伸びして、大人になろうとしていたとしてもだ。

 

「まあ、知り合いがいるバイト先はいる。近くのコンビニでな」

「えっと、私的には、結構アリだと思うんですけど」

 

 俺個人としては、結構きついイメージがある。

 

「俺も、大学のとき、バイトの候補としては考えた」

 

 まず第一に、常に接客業であることがボッチにはきつい。また、年中無休である以上、どんどんシフトを入れられて、気づけば深夜から朝にかけて、働くこととなる。そのどちらも、いろはは対象外であるけれども。

 

「なんとなく、忙しそうだろ、コンビニ」

「まあ、なんとなく」

 

 仕事の種類が最近ますます増えているだろうことは、見ているだけでも想像がつく。そして、同僚として、気の進まないシフトを組まされることもあるだろう。今のいろはの、心に余裕があると決して言えない状態で、果たして誰も彼もと、上手くやっていけるかどうか。

 

「同僚とか、人付き合いも結構ありそうでな」

「そこは大丈夫ですよ。ちゃんと、扱いやす……頼りになる先輩を、しっかり見つけてきますって」

 

 雪ノ下が呆れるような考え方だが、俺好みの答えだ。

 

 少しずつ、人とのコミュニケーションを練習していけばいいと思っていたのだが。俺なんか、受動的な人間厚生を奉仕部でやっていたけれど、いろはは『変わろう』という気概があるらしい。もっと、今や過去の自分を認めてあげればいいのに。

 

「ん-、まあ、お仕事内容とか、調べてみます」

「ああ。ゆっくりお考え」

 

 再び、お茶碗を手に持って、ご飯を口にかきこんで、ぬるい味噌汁でお米をほぐす。高校時代とか、固くなりやすい冷や飯に飽きた頃には、インスタントの味噌汁でこうしていたものだ。職員室の平塚先生にお湯をもらいにいけばいいし。

 

「……ゆっくり、か」

 

 何かを考えごとしているいろはも、お箸を握って。

 ハッとして、こっちを見てくる。

 

「あっ! もしかして今、私のこと心配してくれてるんですか。頼れる人が他にいないだけで ぶっちゃけ重い自覚もあるんで もっといい人見つけてください。ので、ムリですごめんなさい」

「えっ、いや、なんだって?」

 

 難聴系主人公になった覚えはないが、ほとんど聞き取れなかったため、しどろもどろな返事をしてしまった。とりあえず、頭を下げていることから、何かを謝罪していることはわかる。

 

「あっ、気にしないでください、はい」

「そうか。……そうか?」

 

 ごくごくと、キンキンの麦茶を飲んでいる。

 あれだけ喋り続けていたから、酸欠にもなったのだろうか。

 

「あ、そうだ! バイト先のお知り合いさん、どういった関係なんですか? 女子ですか?」

 

 ニコニコと、顔の前で手のひらを重ね合わせた。

 なんだか、意識高い系質問だ。

 

「女子ではあるな」

「ふむふむ。それで?」

 

 さて、どう説明したものか。

 

「ボランティアで会った年下の知り合い。今、たしか大学生だったはず」

 

 鍵アカで、バイトを始めるのだと近況報告していたので、ファボリツ同時猫を送っておいた。雪ノ下が衝動のままに描いたイラストだ。お互い、SNSとは無縁の生活だったが、数少ない繋がりを持続することには役立っている。

 

「そうですか。けっこう、楽しみになってきました」

 

 幸せそうに、いろはは食事を再開する。

 その食事量も、最近は増えてきた。

 

「ああ。連絡とっておく」

 

 俺も、食事を再開した。

 

 こうして、少しずつ変化しながら、いろはという女子高生との奇妙な同居生活は続いている。

 



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第2話 他己紹介

 4月からは『ひげひろ』アニメ放送、そして、4月後半には俺ガイル14.5巻発売ですね。私自身、原作を読み進めながら、執筆しております。あくまでパロディですので、原作準拠ではないことはご了承ください。


 

 

 3人のジムリーダーに勝利した、ポケモントレーナー ハチマン。

 

 ワイルドエリアには、まるでサファリパークのように、ポケモンがあちこちに野生で出現している。新たな街を目指していく。予想外にレベルが高いイワークも、道を塞ぐように出現しているカビゴンも、過去作を経験したハチマンにとって、敵ではない。

 

 といっても。

 

 リアルでは、会社帰りの社畜だ。

 マッ缶の甘さが、疲れた身体に染み渡る。

 

「比企谷さん」

 

 お布団の上でごろごろしている、いろはが声をかけてきた。

 

「んー、なんだ?」

 

 すでにお風呂も済ませており、もこもこでゆるふわなパーカーと、愛用の毛布で、ほてほてした顔のままだ。健康的な素足をお布団の上でパタパタとさせているのは、目のやり場に困るというか、あざとい。

 

 再び、マッ缶に口をつける。

 かすかな苦みが、アクセントである。

 

「なんかおもしろい話、してください」

「ボッチに、それは無茶ぶりなんだよなぁ」

 

 出会った頃は、お互いの距離感を測りかねていたが、最近はいろはのほうから話しかけてくることが多くなっている。そのほとんどが、たわいもない雑談であり、世代ギャップを感じることもよくある。

 

「いや、でも、あのとき……」

 

 何か言いたげなので、続く言葉を待つ。

 ていうか、高校時代でさえ、俺は話題に乗れなかったのに、今時の若者なら殊更にだろう。

 

「じゃあ、高校のとき、どんな感じだったんですか?」

 

 どうやら、人の体験談に興味があるらしい。俺からすれば、先輩の成功体験を聞いても次の日には忘れているし、先輩の失敗談を聞いても聞き流す。まして、恋バナなんて、蚊帳の外だった。

 

 ソースは、中学時代に受けたキャリア教育の一貫。

 大人になるほど、自分語りしたくなるものだろう。

 

「これでも、成績優秀な優等生でな。特に文系科目なんて」

「あっ、そういうのいいんで」

 

 もう出鼻をくじかれてしまった。葉山には1度だけ勝てて、国語について学年2位になれた自慢をさせてほしい。

 

「あれです、仲良さげな感じの女子とか、そういうのです」

 

 ははーん、どうやら俺の彼女いない歴を知りたいらしい。いや、まあ、SNSで拡散するようなやつではないだろうけど。

 

 なら、ただの興味本位なのだろうか。

 俺なんかに興味持ってもいいことないと思う。SNSの誰かや、生放送主と交流するのは、それはそれで今の一応保護者としては心配することだが。

 

 ゲームをスリープ状態にして、ソファに深く腰かける。

 

「仲良さげな感じ、ならば、いたにはいたな。ていうか、小町とはめっちゃ仲が良い」

「小町さんはわかってますよ。えっ、血がつながってないとか、ないですよね」

 

 義妹がヒロインとか、すぐには例が出てこないけど、よく聞く設定ではある。

 

「いや、どう見ても似てるでしょ。ああ見えて、結構ボッチ行動が好きだったりするしな」

「意外です」

 

 確かに、キラキラ女子大生も満喫しているのはある。女子高生からすれば、親近感のわく、憧れの対象なのかもしれない。俺からすれば、ちょっと抜けているところがかわいい妹である。

 

 だから、もし、仮に、お嫁にいってしまえば、俺と父ちゃんは立ち直れないだろう。

 

「そうじゃなくてですね、ホウシブって、のを。

 ていうか、なんなんですかね。部活なんです?」

 

「奉仕部は、お悩み相談とか、下請け部とか、そんな感じだな」

 

 そもそも、3人だと、同好会なのだろうが、そこは平塚先生がゴリ押したのだろうか。

 今思えば、あの若さで生徒指導を担当していたのは、周りから頼りにされていたと思う。その分、苦労してそうだが。

 

「俺の他に、女子2人だけ……、あれって部活か?」

「どんな人ですか?」

 

 雪ノ下と、由比ヶ浜か。

 

「頭脳明晰で才色兼備、だが毒舌でコミュ力に難あり。

 対して、コミュ力が高いギャルだが、かなりド天然」

 

 指で、1,2とそれぞれ説明した。

 

 まあ、雪ノ下はコミュ力を少しずつ身に着けているし、由比ヶ浜は勉強や料理も努力するようになった。奉仕部に所属させられる理由が、長期的な人間厚生というものであるのならば、平塚先生の依頼は成功しているのかもしれない。

 

「ギャルってなんか古いですね。てか、そのお二人って仲良かったんですか?」

「ああ。今でも仲が良いくらいだな」

 

 出会った頃の雪ノ下は余裕もなく、俺のガラスのハートが粉々になるくらいに毒舌だったが、むしろ由比ヶ浜はそこがいいと言った。

 

 まあ、俺も、嘘をつかないあの真面目さが、嫌いではない。

 だんだんと柔らかくなったし。

 

「ふむふむ。この前、他にも誰かいましたよね?」

「ああ、あの日な。部長だったほうのやつの姉ちゃんと、その魔王の配下だな」

 

 何度か、雪ノ下に絡んできた陽乃さんだが、あれもシスコンの干渉とも言えるのだから、雪ノ下家というものは普段から『ざわ……ざわ……』してそうな家族だ。そこに飛び込む男子が2人もいるのは、痺れる憧れるゥ!

 

 なんて考えつつ、空になったマッ缶の代わりに、冷蔵庫から緑茶をとってくる。

 

「ん-、他に仲の良い人って、いたんですか?」

 

 指で、何かを数えているらしいいろはが、話を促してくる。

 

「一応、友達と言えるやつは、2人はいるな」

 

 どうやら、いまだ俺の交友関係の話題に、満足していないらしい。根掘り葉掘り聞かれても、数えるくらいにしか、高校時代の知り合いというものはいないのだけれど。

 

「男子?」

「ああ。今も同僚で腐れ縁なやつと、東京のほうで教師やってる親友だな」

 

 俳優でもモデルでも声優でもやれそうな、相変わらずの容姿の戸塚だが、教師兼テニスの顧問としての道を選んだ。どうして千葉にいないのか、小1時間ほどホテルで語り合いたいのだが、大学時点ですでに交流もあった高校らしい。

 

 材木座は、まあ、いいか。

 

「それでそれでー?」

「他にもと言われてもな……あとは川崎くらいか?」

 

 海老名さんとはまあまあ気が合うけど、葉山や戸部のグループだったし、三浦は良いやつだけど怖いし。それに、めぐり先輩に至っては、連絡先を知らないままで、交流は少ないままだった。

 

 たしか、生徒会の後任として1度誘われたが、俺なんかが生徒の前に出たら、生徒会の風評被害待ったなしだし。

 

「んー、川崎、さん?」

「たまに口に出してるかもだが、川崎大志ってやつの、姉ちゃんだな」

 

 あの男前なところは、平塚先生に通ずるものがあるが、まさか教師になることを選ぶとは思わなかった。いや、俺も教員免許は取ったけれど、就活と並行しながらだったし。

 

 まあ、教育実習で、るみるみと再会できたおかげで、いろはのバイトのコネができたけれど。

 

「えっと、髪が長くて、美人の?」

「髪、たしかに長いな」

 

 成人式以来は会っていないが、いまもあのポニーテールなのかしら。

 

「そうですか……」

 

 小指が閉じられて、右手が握りこまれた。

 やがて、こちらに向けられたのは、不自然な笑顔。

 

「ていうか、全然ボッチじゃないじゃないですかー」

「あくまで仲良そうな感じのやつらだから、友達は少ないんだよな、これが」

 

 小学校も中学も、高校1年も、ボッチだったけれど、案外振り返ってみると、意外と交友関係があるらしい。まあ、友達なのだと思えるのは2人か4人であって、そもそも友達の定義ってなんだよって今でも思う。

 

 だが、奉仕部は、更生するきっかけにはなったのだろう。

 

「それで、高校生活、良かったんですか?」

「……まあな」

 

 自分語りというのも、たまには良いものだ。

 見知らぬ先輩たちの気持ちが少しわかった。

 

 しかし。

 未来志向な、願望の押しつけをしたところで、反発しそうなものだ。それに、誰かの成功談や失敗談を聞いて、それを参考にするのは、そんなものはただの欺瞞だ。姉の実績を追い続けた雪ノ下は、余裕をなくしていた。いろはの問題は、いろはが考えて解決すべきだ。

 

 ともかく。

 高校関連の話題は、また今度にしたほうがいいだろう。

 

「バイトの面接、明日なんだろ」

「ええ、まあ、そうですけど」

 

 いまだ、時間は23時なのだが。

 寝不足はお肌の天敵って、小町もよく言っていた。

 

「んじゃあ、おやすみ」

「……はい。おやすみなさい、です」

 

 自室へ向かう。

 早起きして、朝ごはん作ろうかなと思いつつ。

 



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第3話 社会人

「『早くやらなきゃ』と慌ててしまうかもしれませんが、ゆっくりでいいので正確にやることを意識してください。早くやることよりも今日は、あやふやなまま対応しないことを心がけてくださいね」

 

 そんな感じで、あれよこれよと早口で説明を受け、店長を任せられている男性の人は、急ぎ足で出ていった。ちゃんと、1日の流れとか、定時業務とか、一応はメモを取りながら聞いたけれど。

 

 この制服を着てから、身が引き締まるというか、なんというか、たぶん緊張している。それは、学校のものとは違って、新品のもので、名札には『トレーニング中』、そして『いっしき』と書かれていた。

 

「おまたせ」

 

 つるみ、と書かれた名札が、まず目に入る。

 

「はじめまして、一色って言います」

「ん。よろしく」

 

 背中まで届くくらいの黒のロングは、丁寧に手入れがされていて、勉強ができる系の女子大生って感じだ。この人が比企谷さんの知り合いらしいけど、こんな美人な現役女子大生がいて、よくもまあ、ボッチだのとぬけぬけと。

 

「まずは、品出しなんだけど……いらっしゃいませ」

「あっ、いらっしゃいませ!」

 

 通りすぎていったスーツの男性が、ぺこりと会釈して通りすぎていった。ちょっと目がキョドっていたのは、まあ、つるみ先輩には、私でも見とれてしまうくらいだから。

 

 ていうか、さっき店長、できるだけとは言っていたけれど、スマイルや笑顔というよりは、つるみ先輩は、ほほえみって感じ。

 

「顔出し、からしていこうか」

 

 口で説明するよりは、見て学べというように、手を伸ばしながらサンドイッチを前に揃えていく。お昼時に、学生や会社員の人がどんどん来たためか、まばらにしか残っていないけれど。

 

 私もできるだけ急ぎながら、棚の整頓をする。

 そういえば、比企谷さんも、意外と見えないところは整頓できてなくて、引き出しの書類とか、タンスの中とか、整頓したのは褒めてくれたっけ。

 

「手際いいね。あと、手癖も」

「は、はぁ……」

 

 なんとなく、相槌を打った。

 

「記録やっておくから、新しいの入れていって」

「はい!」

 

 お客さんとして来る時とは、真逆で、新しい商品を奥から入れていく。同じ種類のものは連続させればいいし、値札が付いているところもある。そして、他のお客さんが来たことに気づいたので、一度離れる。

 

 お仕事の邪魔をしちゃったって、申し訳なさそうな表情をしてくれたけれど、こちらもお仕事お疲れ様ですって言いたいくらい。なんていうか、私はまだまだ働き始めだけど、社会人としてお互いの大変さが伝わるというか。

 

「あいつ、最近どう?」

「えっと、あいつって?」

 

私くらいにしか聞こえないくらいの声で、話しかけてきたつるみ先輩は、iPadっぽいものをテキパキと操作している。

 

「一緒に住んでるんでしょ?」

 

 今の、私の事情を伝えられたらしいけど、尋ねてきたのは比企谷さんのことだった。まあ、学校をサボっていて、しかも遠く離れたところに1人でやってきていること、それを根掘り葉掘り責められるよりはマシだ。

 

「あっ、もしかして、気になっちゃう系ですか?」

 

 詳しくは聞いてないけど、教育自習の時にどうとかって話だったはず。

 

「そういうの、苦手だから」

「す、すみません……」

 

 あまり恋バナとかしない人らしい。

 なんだかサマになっているジト目が向けられた。

 

「今日、家に行くね」

「ええ、まあ、私はいいですけど」

 

 居候のこちらとしては、比企谷さんに許可を取ってほしい。

 

「でも、帰ってくるの、8時とかですよ」

「……まあ、やることやってから、行くから」

 

 私語はこれで終わりという感じで、レジに行くことを促された。どうやら、大学生は大学生で、宿題とかに追われているらしい。

 

 バイトが終わる18時に、すぐに連絡入れておかなきゃと思いつつ、初めてのレジ作業に気を引き締めた。

 

*****

 

 残業前のご飯休憩に出たり、お子さんのお迎えに行ったりと、少しずつ人が減ってきている。俺も肩を軽く揉みつつ、自分のスマホを手に取った。小町からの連絡以外に、珍しくLINEが新着メッセージを通知している。

 

『お仕事中に連絡して申し訳ありません、本日、家にお邪魔させていただくこととなりました。追伸:ご紹介くださった一色さんとは、良好な関係を築けたと思います』

 

 平塚先生や雪ノ下の系譜を感じ取れるメッセージをしてくることに、思わず苦笑いして、こちらを視野に入れた女性社員にキモがられるところだった。以前とは違って、友達ができたらしいのに、いまだにLINEというツールには慣れていないらしい。

 

『いろいろサンキュな、ルミルミ』

『ルミルミ言わないで』

 

 手短な返事に対して、普段のノリで返ってくる。

 

「ヒッキー、誰から?」

「んー、ああ、ルミルミだよ。大学のこととかな」

 

 『ちかいちかい』と手で制しながら、距離を取らせる。

 

 ぐいぐいと顔を近づけてくる由比ヶ浜だが、すでに俺や材木座なんかより交友関係が広いのは、こういうアクティブなところなのだろう。最近はアクティブラーニング流行ってるらしいし、アクティブという資格とかあってもいいと思う。

 

「あれなんだけど、さーばーだっけ、それに上げといたよ」

「サーバに、アップロードな」

 

 コンピューターとコンピュータ、伸ばしたり伸ばさなかったり、実際のとこはどっちでもいいらしいな。相も変わらずの言葉使いだが、そこが親しまれるし、ちゃんと伝わるから、由比ヶ浜は人気なのだろう。

 

 カチカチと、マウスでクリックして、データのダウンロードを始める。

 

「こういう報告、ショートメールでいいんだけどな」

「10秒ちょいで来れるのに、わざわざ?」

 

 同じ場所にいるのに、メールで報告し合うのは、確かに由比ヶ浜には慣れないことだろう。いや、同じ場所にいなければならないから、空気になろうとするんだけど、俺とか。

 

「いやな、アップロードしたという事実が残ることになる。もし何かの拍子でデータが消えてたら、それまでサボっていたと言われても仕方がない」

 

「そうだ。我々はアピールをせねば、どんな冤罪にかけられてしまうか分からん」

 

 最近、悪役令嬢ものにも手を出し始めた材木座がいつも通り大袈裟に言っているが、まあ、かねがねその通りだ。『ほう・れん・そう』において、報告と連絡は自衛手段にもなりうる。そして、相談をすることで、責任問題に巻き込める。

 

「まあ、こうやって直接話しかけるのも、関係構築にはいいんだろうな。ボッチには知らんけど」

 

 由比ヶ浜には、そのままでいてほしいと思うのは、こいつの教育係としてはまちがっているのだろうか。

 

「なんか、ヒッキーと中二、変わってないね。

 やっぱり、みんなといっしょに働けてよかった」

 

 その屈託のない笑顔で、一体どれだけの男子が見とれてしまったのだろう。

 

「ひとり立ちしたら、別の部署になるかもだがな」

「またそういうこと言う~ でもゆきのんだって別の部署だし」

 

 スピード出世を目指しているあいつを、新入社員でよくもまあ連れ回せるものだ。まあ、それができるのが親友というやつなのだろう。

 

「あっ! じゃあさ、ゆきのんが作った部署に、みんなでとか!」

 

 腕に腰を当て、胸をぐいっと張った。

 それはさぞ、紅茶の香る、居心地の良い場所になる。

 

 今のあいつの作る場所というのは、それなりの実績が求められそうだ。

 

「そういうの、わるくないな」

 

 すでにダウンロードが終わっている、由比ヶ浜の成果を見ていくことにした。

 



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第4話 大人になっていく

 4月16日は、いろはの誕生日ですね。
(間に合わず、遅刻しました)

 私事ですが、『#いろはす水源ストーリー(コラボ小説)』の第二弾を読みましたし、『4月20日発売の俺ガイル14.5巻』も予約済みです。


 

 

 桜色や紺色のスニーカーが綺麗に揃えられている。

 それぞれ、小町とルミルミか。

 

 靴箱の中に入っている、いろはの靴は結構年季を感じるものだ。だから、お買い物リストに入れておいた。そりゃあ、北海道から千葉まではるばる来たのだし、『それある!』と脳内の折本さんも言っている。玉縄のやつは、まだアプローチをかけているのだろうか。知らんけど。

 

「ただいま~っと」

 

 大学時代から使ってきた、この革靴も、最近いろはが磨いてくれたようで、まだまだ現役でいられるだろう。オフィスでは履き替える俺とは違って、こういうのを履いて、外回りをする社会人の方々はご苦労様です。

 

 さて、サプライズのために買ってきたものを、涼しい玄関に置いていく。あとは、バレないように、自然を装うだけだ。こういうことは、主に由比ヶ浜主導で、度々行われているが、いろはにとっては初めてのことだ。

 

 ネクタイを緩めつつ、リビングに向かえば、お肉の香りが漂っている。帰宅する予想時間を伝えたとはいえ、ベストタイミングになるように、準備してくれたようだ。

 

「お兄ちゃん、おつかれー!」

「おつ」

「おかえりでーす!」

 

 実妹・後輩・居候、女子3人も揃うと姦しい。

 

「おー、おまたせー」

「いいのいいの、お兄ちゃん手洗ってきてねー」

 

 ここはマンションの中でも高層に位置していて、よほど羽目を外さなければお隣さんのご迷惑にならない。そのため、実家暮らしの雪ノ下姉妹や由比ヶ浜、更には葉山グループなどなど、雪ノ下が住んでいた時期からよくここを溜まり場としていたため、パーティーに使えるような家電は揃っている。

 

 たこ焼きもチーズフォンデュも、2度ほどやったきりだ。

 お互い働き始めてから、外食のほうが多い。

 

「いい香りですねー」

「溢れそうなんだけど」

「さすがは小町、具だくさんだな」

「まーね、お母さん直伝だし」

 

 焼き肉、豆腐、白滝、ネギ、白菜などなどを、割り下にぶち込んでしまう。通称、潜影蛇手。

 

 丁寧に作ろうとすると、鍋奉行という名の労働者が出てしまうのだが、こうすれば、全員同時に食べれる。それに、特売や割引といった付加価値は、なぜか美味しく感じるのは、かーちゃんの教育の賜物だろう。

 

 さて、4人で『いただきます』をしてから、競うように、鍋に箸を伸ばした。

 

 この美味さには、ご飯が何杯でもいけるが、そこはあれだ、女子や成人男性の悩みというやつで、憚るものだ。だから、おかずのみ大盛りのできるお店には何度もお世話になった。代わりに、10個入りの生卵なんて、すぐになくなってしまうだろう。

 

 ゆで卵をいっぱい食べることが健康の秘訣です、というようなことを言った、バンドウさん?は、今もお元気なのでしょうか。

 

「ウマすぎて、ウマになりそうだ」

「八幡、サムい」

「小町もお兄ちゃんも、一番のヤツ、あんま飲まないけどね」

 

 ルミルミやいろははまだ未成年だから、遠慮というわけではなく、俺も小町もお酒はあまり飲まない。むしろ甘党な気質があるので、その界隈ではジュースと呼ばれるような、カクテルしか飲まない。といっても、あれは家で自作よりは、そういう雰囲気の店で飲むから、美味しいのだろう。

 

 ていうか、こういう食事に、冷たい水こそが、胃に優しいと感じ始めている。たまに、『マッ缶』と『いろはす』で、自販機の前でうんうんと迷ってしまうくらいだ。こってり系ラーメンのなりたけにも、あれほど平塚先生と通っていたのにな。

 

「どうだ、美味いか?」

「はい、おいしいです」

 

 はらりと頬へ落ちる、柔らかそうか髪を、細くしなやかな指先でそっと掬って耳にかけて、いろははこちらを見やる。ふにゃりと脱力した頬、満足感たっぷりな表情、そんないろはは、CMやコラボ商品に出たら大人気になりそう。

 

「バイト、どうだった?」

「なんか、大変でした」

 

 くしゃっと笑みをこぼし、少し疲労を感じさせる表情。

 

「それだけ、ちゃんとやったってことだ」

「なんですか、褒めても何も出ないですよ」

 

 視線を少し逸らして、食事を再開する。出会った頃は、小食すぎると感じさせるほどだったが、今のいろははどんどん箸を進めている。

 

 まあ、食べながら、『タバコの種類多すぎ』だの、『レジ袋いるかどうか聞かなきゃいけない』だの、そういうことを漏らしているが、辞めたいという言葉が出てこないあたり、いろはの真摯さが窺える。ほら、いっぱいがんばっているからこそ、疲れや愚痴は溜まるものだろう。

 

 ていうか、バイトの先輩であるルミルミも同調して、珍しく口数が多いし、小町も過去のバイト経験を語る。年代は別々だが、いわゆる社会人同士の飲み会っぽくて、たぶんこれが大人の女子会というやつなのだろう。大人になっても、女子はもっと恋バナをするものだと思っていたが、そういうのは旅行先でやるものなのかもしれない。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん、そろそろ」

「ああ、このタイミングなのね」

 

 耳にこそこそと話しかけてきたが、こういうのはいつも由比ヶ浜や小町に従うだけだ。ほら、俺とか、空気を悪くすることに定評があるし、手癖とか間とか性格とかも悪いって自覚しているし。

 

 いそいそと席を立ち、玄関に置いてきたものをとってくる。

 

「えっと、もしかして……?」

 

 どうやら、小町が1ヶ月遅れになったこととか、伝えていたらしく、いろはは驚きで、きょろきょろしている。誕生日を知ったのはいろはと連絡先交換した時で、小町と計画したのだって数日前だ。

 

「えっ、あの」

「誕生日おめでとさん」

「おめでとー!!」

「おめでとう」

 

 このために、仕事終わり、予約したショートケーキを取りに急いだ。といっても、この3人娘も、ケーキ作りはお茶の子さいさいなので、少々、値が張るお店だ。

 

 さらに、プレゼントとして、薄黄色と白色の混じったスニーカーだ。黄色と白の組み合わせって、小町的にポイント高いらしいし、いろはっぽいし。

 

「それに、ここに来て1ヶ月くらいじゃん?」

「バイト祝いも兼ねてる」

 

 いろはの現状、バイト先への交渉、ルミルミもいつの間にか立派な先輩らしい。俺からすれば、今まで最年少の知り合いだったため、大学デビューを果たした女子大生といっても、まだまだ過保護になってしまうけれど。

 

「私、これでも結構鋭いんですが、なんか、自然でした」

 

 いまだ驚いたままの、いろはは、飴玉が入るくらいに口が開いたままだ。

 

 我ながら、ここ数日はバレないようにすることに苦労した。ほら、サプライズを知ってしまったときとか、めっちゃ気まずいし。ソースは、教育実習の際に、色紙製作をちらっと見てしまった俺。

 

「最近、新しいことがいっぱいのせいですね」

「……ああ、そうかもな」

「さっ、ケーキ食べよ!」

「お皿、出してくるね」

 

 にへらと笑う顔、困ったような顔、その中間のようで何か含みを感じる笑顔、その表情がなんだか気になったとはいえ、いろはの嬉し涙や、小町やルミルミの祝福ムードというべき雰囲気にのまれる。

 

 喉元まで出かかった言葉は、なんだ。

 誕生日を祝われること自体は、嬉しそうだが。

 

「きゃー、美味しそうー!」

「うん、綺麗」

「こういうの、別腹ですよねっ!」

 

 コーティングされて、ツヤが出ているイチゴ、たしかナパージュって言うんだったか、高級なケーキはそれで見た目が良くなる。そんな風情のないことを考えつつ、俺は、上品さを感じさせるケーキを口に含んだ。

 

 まあ、甘さと美味しさで唸っている女子たちに、少し軽くなったお財布も満足だろう。そんなことを考えつつ、難しい顔を見せないように、自然のままでいるように心がけた。

 



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