艦これ短編……集 (高杉祥一)
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艦娘・アフター・マン

遠い未来、人類は深海棲艦と戦うことを諦めた。
人類の消えた惑星に残ったのは、艦娘と深海棲艦と、人類以外の全てだった。

主な登場人物:大和 武蔵 日向 リシュリュー 他


 彼女は、悪い夢から覚めるように身を起こした。

「浜風……矢矧っ!」

 腕が突き破った生ぬるい水面は、確かに覚えている海面と同じ感触だったと思う。だが彼女が直前まで見ていたまぶしい空とそこにたなびく黒煙、飛び交う影はそこには無い。目に流れ込んでくる雫で視界が揺れるが、ここはどこかの屋内だ。

 ――いや、自分は目など持っていただろうか。屋内に収まる存在だっただろうか。私は一国を背負う、最新鋭の超巨大戦艦――。

「――さん、落ち着いて。大丈夫ですよ、ここでは戦いなんて起こってないんです。落ち着いて下さいね」

 目の前の人影が自分の肩に手を置き声をかけてくる。その言葉に彼女は動きを止め、顔を垂れる雫と髪を払って相手の姿を認めた。

 そこにいるのは、桃色の長い髪を顔の左右でまとめた女性。眼鏡をかけ、白衣を羽織っている。

「自分の名前、わかりますよね?」

「わ、私は……大和型戦艦一番艦、大和……。

 ……えっ?」

 問われて思わず口をついた言葉に、彼女――大和自身が驚いていた。そして見下ろす自らの姿は、浴槽ほどの容器に満たされた液に浮かぶ全裸の女体のものであった。

 大和としては驚きである。

「あっ、あのっ! 私、戦艦で……。人間じゃなくて……!?」

「ええそうです。あなたは日本最大の戦艦の一つである大和でした。

 でも今は人間の体を持っているんですよ」

 そう言って、桃色の髪の女性は大和の手を握る。

「私は明石。工作艦明石だった存在です。

 私達のような存在のことを艦娘というんです。あなたは戦艦から、艦娘に生まれ変わったんです」

 ゆっくりと言い聞かせる言葉に、明石の言葉通りに大和は自らのことを理解した。そして周囲に見える見慣れない機械類に疑問を抱く。

「……あの、今はいつなんですか?

 私は沖縄に出撃して……矢矧や、浜風さんや、磯風さんや霞さんが……」

「坊の岬沖海戦のことですね。

 確かにその戦いで、あなたを含め多くの帝国海軍の艦艇が失われました。でもみんな、艦娘としてこの時代に生まれ変わっているんですよ」

 明石はそう告げながら、大和を助け起こして水槽の縁に腰掛けさせた。そして温度ある液体から上がった肌寒さと、裸であることに覚える気恥ずかしさとで大和は自らの肩を抱く。

 そこへ明石はハンガーに掛かっていたガウンを持ってきながら告げた。

「もうかつての戦いは終わりました。それから長い時間が過ぎたんです。

 今は西暦2321年。もうこの星には、かつて戦争を起こした人類も残っていないんですよ」

 

 ガウンを纏い、長い髪をまとめ、立ち上がれるだけの筋力があることを確認された大和は明石に連れられて目覚めた部屋の外に導かれた。

 そこは大和がどういうわけか覚えている知識でいうところの病院のような場所であった。

「かつて大和に乗った人達、そして戦後に大和のことを思った人達の記憶が大和にも定着しているんでしょうね」

 大和の手を引く明石は、大和の疑問にそう応じた。

「でも人類は、私達が戦った世界大戦から七〇年ほど後に発生した未知の存在〈深海棲艦〉との戦いで地球に見切りを付けて、宇宙にある別の惑星に移住して行ってしまったんですよね。

 私達艦娘はその深海棲艦との戦いの中で生み出されたんですよ」

 そう言って明石は大和をロビーへと連れていく。そこには大和と同じようなガウンやスモックを着た女性達がいて、手にした本や壁に設置されたテレビに視線を向けている。

「深海棲艦という存在は生物様の形態を持っていましたが、その根源には人間に向けられたなんらかの感情があったとされています」

「感情……生物が発生するのに、そんなものが?」

「非常識なことですよね。ですので人類は科学力によって深海棲艦の発生理由と存在を定義することが出来ず、抵抗もむなしく地球からの脱出を余儀なくされたそうです。

 その一方で、深海棲艦の発生原理を解明する過程で生み出されたのが私達艦娘です。感情が込められているとされる特殊な電磁波を無垢な胚に送り込むことで発生する、人間の女性の姿と艦船に似た装備である艤装を持った存在。

 今頃大和の艤装もこの建造院の工廠部で組み立てられているはずですよ」

 そう言う明石に連れてこられたロビー。銀の髪を後ろに結んだり、明石と同じ桃色の髪を短く切った姿が見つめるテレビはこんなことを報道していた。

『長門さんが率いる捕鯨船団の活躍は見事なものですね!

 その一方で地上での畜産により大きな成功を収めた艦娘も存在します。こちらは神戸地区最大の牧場である熊野ファームを営む――』

 食糧生産の様子を報じる番組、青紫の髪を束ねたリポーターの姿を一目見て、大和は勘づいた。

「青葉さん……」

「青葉の艦娘は報道の分野でよく見かけますねー。

 一つの艦から生まれた艦娘でも、一人一人個性が違うものです。これはクルーの記憶や戦後の記録が原因とされているんですがまだ詳しくはわかっていません。大和さんと同じ戦艦大和から生まれた艦娘も複数いますので、意見を交わしてみるとなにかわかるかもしれませんね」

 明石は目覚めたばかりの艦娘が疑問に思うことにも精通しているようだ。ならば自分の疑問にも答えられるだろうと、大和は問いかけた。

「私達を残して、人類は地球を去ったって仰いましたよね。別の惑星って……」

「太陽系外惑星……つまりはこの太陽系の外に地球と似た環境の惑星を求めていったそうですよ? 当初は月や火星に居住区を作ろうとしたものの上手く行かなかったとか。

 出発はもう一二〇年ほど前なんで、そろそろ目的の星に到着する船団もいるんじゃないでしょうかねー。その時には地球にも通信が届く予定なんですよ」

 ほら、と明石は窓の外を指した。そこにはあまり活発に使用されていない様子を感じさせる草生す町並みが見えるが、更にその先には青く霞ながらも巨大さを窺わせる影がある。

「地球と私達艦娘のために残された最後の移民船〈アマツトリフネ〉です。人類の移住が成功した暁には、艦娘もあの船でその星に向かうんです。

 それまで私達艦娘はこの星の上で、深海棲艦が人類を追跡しないよう戦い続ける――っていう悲壮な計画だったんですけどねえ」

 そう言って、明石はペンで頭を掻いた。

「ところが人類が旅立ってしばらくすると、人類を攻撃することが目的だった深海棲艦は活動の縮小を始めてしまいまして……。

 最盛期は航路襲撃や陸地の浸食なんかも行っていたんですが、今では多くの個体が普通の野生動物みたいな生活をしています。

 それでもたまに陸地や……あのアマツトリフネに攻撃を仕掛けてくるものはいるんですけどね。大和さんはその際に採取された艦娘因子から生まれたんですよ」

「そう……なんですか」

 勝手知ったる、という様子でケラケラと笑い混じりに話す明石だが、大和には実感が薄い話だ。まだ彼女の心は、今や遠い昔となってしまった沖縄に向かう海上に残っている。

「時間はいくらでもありますから、少しずつこの時代のことを学んで、触れていくといいですよ。

 なにせここは……私達の大元がずーっと望んできた、あらゆる戦いからの戦後の世界なんですから」

 大和の様子に仕方が無さそうな笑みを向ける明石に、ようやく大和は相手と通じる感情を見た気がした。

 

 そして翌日から大和は、艦娘としての『建造』が正常に行われたかの身体検査を受けると、生きていく上での知識を学ぶ艦娘学校に送られた。

 そこでは様々なかつて艦艇だった少女達が過ごしていたが、戦艦として国家の威信を背負った者はかつて関わった人々も多く、多くの教養を持って生まれてくるためあまり教育に時間を掛けずとも良いらしい。訓練教官の制服に身を包んだ茶髪の女性はそう言っていた。

「あの……もしかして大井さんですか?」

「ええ、私は重雷装艦大井でした。まあここでは練習艦時代の経験の方が活きている気がしますけど。

 あなたも戦艦大和という名前にこだわらず、自分の生き方を見つけるといいですよ。

 現に他にも大和の艦娘は何人もいますけど、みんなバラバラな過ごし方をしていますしね。

 気持ち、ホテルや旅館で働いている人も多いと聞きますが……」

「ほ、ホテルじゃないです!」

 大和の反応に苦笑する大井の諧謔は、かつて軍艦であったことを感じさせないような自然なものだ。そしてそれに応じる自分自身にも、大和は人間らしさを感じずにはいられない。

 そして艦娘学校の戦艦クラスには、自らの姉妹艦である武蔵の艦娘がいた。自分に先んじて建造されたその"武蔵"はこの時代のスポーツに興味を抱いたという。

 グラウンドを走ってきた武蔵は、浅黒く焼けた肌に浮かぶ汗を拭い、

「大和よ、私はこの時代ではあちこちを駆けずり回りたいものだ。係留されてばかりだったかつてとは違い、万全の状態で様々な場所で己の力を試したいな。

 見ろ、きっと私と同じように考えている連中もいるぞ」

 そう言って武蔵が指すのは食堂のテレビだ。どこかの海上で行われるスポーツの中継が映っており、

『さあ海上ラグビーワールドシリーズ、こちらはフィヨルド海域会場でのナイトレイダーズ対チーム風神。エースランナー川内選手ここでボールを取って走る――がっ摩耶選手鋭いタックルでコレを阻止! 前進一二ヤード!』

 ユニフォーム姿に脚だけ艤装を身につけた艦娘達が、北海上で組んずほぐれつしている。その様子を実況する者の名は画面の下に『実況:秋霜』と表示されていた。海上ラグビーというスポーツはこの時代の娯楽でもトップクラスの人気だという。

「お前はどうだ大和よ。人間の体を持った今、やってみたいことは無いか?」

「私は……」

 考え込む大和は、視線を遠くに向けた。艦娘学校から見えるのは、病院から見たのと同じ町並みだ。

 この時代の総人口、総艦娘数は一〇億人ほどだという。かつて七〇、八〇億を誇ったという人類が過ごした都市のうち活用されている部分は少なく、この地も使われず朽ちた建物が多い。

 ここは横須賀。軍艦だった頃から大和は何度も聞いたことがある地だ。

 その地の衰退に、大和は静かに思う。

「私は、今でも誰かを守りたい、かな……」

 大和の呟きに、武蔵は目を見開いた。しかしその意思に通じるところもあるのか、武蔵は言いよどむ大和の肩を抱くと、休憩時間が終わるまでそうしていた。

 

 艦娘学校での教育課程が終わると、大和は深海棲艦に対抗し、またアマツトリフネの建造管理を行う組織である『鎮守府』に就くことを選んだ。最も、艦娘達が地球に残ったのは深海棲艦と戦うためであることから、他の全ての艦娘達も予備役として籍自体は鎮守府に置くことになっているのだという。

 そんな現代の体制を形作ることになった、人類と深海棲艦が戦っていた時代の鎮守府施設は艦娘達の興味が向く場所でもある。大和も艦娘学校を卒業し鎮守府に着任するまでの間を利用して、横須賀鎮守府を訪れていた。

「はい! では私達の見学グループも出発しますよー! ついてきて下さーい!」

 見学に来た艦娘を案内するのは、かつての鎮守府で新任指揮官にあてがわれた歴史があるという駆逐艦・吹雪の艦娘だ。当時の艦娘制服だったというセーラー服を着た彼女は、先導する旗を手に見学者を案内していく。

「艦娘が歴史に登場してから今に至るまで、軍艦にルーツを持ちながら人体を持つ艦娘の立ち位置を人類は明確に定めることが出来なかったんですね。ですので深海棲艦大戦当時の艦娘は基本的にこの鎮守府や各地の泊地施設で生活していました。

 福利厚生の一環としてそういった施設内には様々な娯楽が生まれ、昨今の艦娘文明の基礎となっています。

 右手をご覧下さい。あれは食堂とは別に当時の艦娘の手で作られた食事処です。給糧艦だった間宮さん型の他に、鳳翔さん型の艦娘などが参加していたそうです。

 他の鎮守府にはバーなども作られたところが――」

 案内する吹雪に、食事処跡を改修した売店から手を振る従業員がいる。やはりクラシックな艦娘服を着て髪を結ったその姿は、おそらく瑞鳳だ。

「当然鎮守府の本分である軍事施設が敷地の大半を占めるんですが、治療施設を兼ねた艦娘用入渠ドックは鎮守府独特の装備ですね。

 現在私達の間で使われている高速修復資材方式での治療法は元々鎮守府で使われた艦娘治療法なんです。この方式によって、現在では急な事故で治療が間に合わなかった場合を除いて傷病での死亡率が非常に低いのは皆さんもご存じだと思います」

 吹雪が案内していく先は木造の病院のような施設だが、その一部は今でも湯治施設として活用されているようだった。ロングヘアとサイドポニーの艦娘二人組が洗面器やタオルを手に連れだって入っていく。

 戦いの中で生まれた施設は今生活の場になっていた。そしてそこに住む自分達自身すらかつては軍艦であり、深海棲艦と戦うために今の姿になったのだ。

 全ての戦いの後と、大和の目覚めに立ち会った明石は言った。諸々の技術がもはや戦いに用いられないように、艦娘自身も平和に生きてよいと、それが現代の価値観なのだ。

 だが、と大和は思う。今この地球からは失われてしまったものがあるではないかと。

「続きましてこちらはこの鎮守府に勤めていた提督の執務室を再現したものです」

 吹雪の案内は港や、今やアマツトリフネを臨む司令部施設の一角に至った。その部屋には大きなデスクや、軍帽やコートの掛かったコートかけ、柱時計や掛け軸が揃っている。

 軍人の部屋らしい厳格さを感じるが、その一方で窓際にはどういうわけか小さなバーが作られ酒瓶やグラスが揃っている。部屋の隅にも、なぜか古びたダンボールが妙に丁寧に安置されていた。ここにいた提督とやらの個性なのだろうか。

「あくまでも深海棲艦大戦は人類が深海棲艦から生き延びるための戦争であったため、艦娘部隊の指揮官は人間でなければいけませんでした。しかし緒戦で多くの軍人が失われたことで指揮官に就ける階級の人間も少なく、さまざまな方法で『提督』と呼ばれる指揮官はかき集められたのだそうです」

 どこかちぐはぐな部屋の様子はそのせいなのだろうか。不思議な文様の入った潜水艦の模型が置かれたタンスを横に見ながら、大和はツアー客と共に部屋の奥に進んでいく。

 すると大和は、デスクの上にまた不思議なものを見つけた。軍人の厳格さとも、市井生まれの洒落っ気とも異なる誠実な輝き。

「指輪……」

 開かれたケースの中に収まるのは飾り気の無い銀の指輪。

「当時は人類の人口が急激に減っている時期でもありますし、共に戦う艦娘と提督の間には独特の絆が芽生えて、最終的に結ばれた方もいるそうです」

 案内の吹雪が大和の手元を覗き込んでそう解説した。周りのツアー客の艦娘も集まってくる。

「ですがやはり人間としての籍を持たない艦娘と人との結婚は公式には認められなかったようで、形だけでも……という関係が多かったそうです」

 小さな艦娘などは実感が無い様子でふーんと息を吐いている。そんな様子に吹雪は苦笑して、また次の部屋への案内をはじめた。

「制度に支えられなくてもする結婚というなら、それは本当の愛の結果だったのではないかしら。あなたはそうは思わない?」

 不意に話しかけられて振り向いた大和が見たのは、ツアーに加わっていたブロンドの艦娘だった。ジーンズ姿ながらにスマートなシルエットは腰高でどこか現実離れしている。

「あら失礼、私はリシュリュー。あなたは……大和ね? 私はフランスから艦娘のルーツを見に来たのだけど、あなたはこの近くの方?」

「あ、はい。この横須賀で建造されました。……でも、ここに見学に来た理由はリシュリューさんに近いかも」

「私に限らずいろんな子が気にしていることだわ。私達は人間に必要とされて二度も生まれてきたのに、今この星に人間はいない。そして私達も人間を必要としなくなってしまったものね。

 この星をどうするか、あのアマツトリフネという宇宙船もどうするか。みんなどこかで考え続けているんじゃないかしら」

 そんな風に言うリシュリューに、大和は自身の中で煮え切らない思いの形を浮き彫りにされたような気分だった。

 立ち尽くす大和の背後で、展示された指輪は陽光を浴び煌めき続けている。

 

 そして大和は、その横須賀鎮守府に着任した。

 最古の艦娘運用施設としての歴史区画の一方で、今でも深海棲艦を相手にする実用区画はこぢんまりとした印象を免れない。

「教育課程で習ったと思いますけど、深海棲艦の活動は続いている一方でその方向性はまるで野生動物のようになっていってるんですね」

 古参かつ最も活発に活動しているという潜水艦隊のリーダー、伊168が居合わせた大和にそう話しかけてきた。

「古戦場に発生する深海棲艦個体はまだ凶暴性を維持していることが多いんだけど、それ以外の海域では本当にただの動物みたいになってるんですよね。

 鮫に襲われて死んじゃう駆逐イ級とかいるんですよ」

「鮫……」

「深海に沈んだ残骸の周囲に生き物が寄ってきたりもするのね。鯨とかもそうなんだっけ?」

 同じく潜水艦隊の伊19も話に加わり、新人の大和を艦隊の輪に混ぜてくる。その一方で、話の内容は大和の興味を引いた。

「本来深海棲艦がなぜ出現し、人類を攻撃し始めたのかは……結局人類自身には答えを出せなかったし、今の生態では研究すること自体が困難になってしまったな」

 大和が配属された水上打撃部隊の同僚、日向は深海棲艦についてそう触れる。

「推測では、深海棲艦は歴史上の事象が人類の認識に強く干渉するために生命体状の姿を取ったものだと言われている」

「ええと……どういうことですか?」

「忘れられたくない出来事が、忘れられないためにバケモノの姿で襲いかかってきていたんじゃないかということだ」

 遠洋に向かうための艦娘支援艦の中で、日向は艦載機である瑞雲を整備しながら大和と語らう。妖精や工作艦に任せないのはこだわりらしい。

 ともあれ、深海棲艦の出現はそんな非科学的な理由に根ざすと推測されていたのだという。そして彼女達の理由である歴史上の出来事とは、

「無論、第二次世界大戦だ。その関連性は確実だろう」

 日向は大和の問いに断言する。

「そして深海棲艦が発生する理由を解き明かせぬままでも利用して生まれたのが、私達艦娘だ。

 深海棲艦を発生させるとされる、時空間を貫通する未知の震動波であるD波を捕捉して人工胚に流し込み培養しつつ、適した艤装を組み立てられたのが私達の正体だよ」

 ぼかされて教えられたことの核心。それに触れられ、大和は一つの大きな納得を得た。その上で問いが口をついて出る。

「じゃあ、私達も……人類に何かを求めているんでしょうか。深海棲艦と同じように」

 そう問われた日向は意表を突かれたように目を見開いたが、ややあって問いを反芻したか手にした瑞雲をテーブルに置き、

「そうだな……。特に今でも戦いを続けている艦娘は、なにか衝動に突き動かされていると言う子も多い。君もそのクチだろう?

 私はそれをぶつける相手がいくつもあるから気にしないが……。その問いの答えを追い求めた結果どんな答えが出るかは、気になるな」

 

 そして明くる日、大和は実戦の現場に立った。

 その先は小笠原諸島の一角。かつては人の姿があったという無人島に上陸した深海棲艦の陣地を撃滅するという任務。道中ですれ違った野生化個体に冷や汗をかく一幕もありながら、大和達はその地に根を張った陸上型深海棲艦・泊地水鬼に相対する。

「この辺りに泊地なんて無かったんだけど、だいぶ対応も乱れてきているわね。

 本土爆撃の危険性があるため、最優先でこの海域の制空権を確保します。打撃部隊は泊地突入をよろしくお願いします」

 同行する支援部隊を率いる雲龍がそう号令を飛ばし、量産配備された震電改部隊を放つ。さらにエアカバーを受けながら、大和達は敵に接近した。

 迎え撃ってくる戦艦部隊からの砲撃を、大和は習った通りの回避機動で躱しながら突撃していく。艤装の四六センチ砲が直撃すれば、戦艦ル級も戦艦タ級も一撃でくの字を折って吹き飛んだ。

「大和さん流石です! ここから先は対地攻撃なので、三式弾に切り替えて砲撃をお願いします!

 大潮ちゃん! 満潮ちゃん! 揚陸部隊の準備もお願いしまぁす!」

 旗艦の阿武隈が自らも大発を用意しながら前に出て、大和は敵への砲撃に挑む。揺れる水面を滑走する艦娘とは異なり、陸上に鎮座する泊地水鬼へ。

 それは船の舳先のような艤装の上に姿を現わす、白い装束と翼のような角を持った女性の姿。測距儀を持つ大和はその姿を遠方からも捉えている。

 そして脳裏にも、響いてくる声が。

『モウ……トベナイノヨ。

 モウ……トドカナイノヨ……。アノヒトタチニモ……』

 呟きか呻きのようなその声は確かに大和に届く。しかし同時に、自分を通して誰かに呼びかけるような、より遠くに届く声のようにも感じられた。

「……諸元入力。全門、砲撃開始!」

 艤装に手を触れ、大和は狙いを定める。艤装の上を駆け回っていた妖精達が退避し、砲撃開始を告げるブザーが鳴った。

 発砲の爆音は可聴域の外。人間大には過ぎた威力が放たれ、そして泊地水鬼の上空で炸裂した。

 三式弾は燃え盛るゴム製弾子をまき散らす。その灼熱に包まれながら、泊地水鬼は叫びを上げた。

『オイテイカレテ……デモ、オイツキタイカラ……。

 マダ、タタカッテイルンデショォォォ!?』

 血を吐くような叫びは大和の脳裏にこびりつく。だがそれを振り払い、彼女は叫んだ。

「諸元修正、弾種徹甲! トドメを刺します!」

「大和!」

 突入する大和を制止する日向の声が響くが、大和は止まらなかった。

「黙らせます! あの深海棲艦を!」

「大和! それ以上は零距離だぞ!」

 突入する大和の砲門は仰角を失い、海面と平行となっていた。しかしその距離でも、大和は突撃を止めない。

 大和は、泊地水鬼の声をこれ以上聞きたくはなかった。なぜかはわからない――わかりたくないと言うべきか。

『センカン……ヤマトォ……!

 アナタモアイタインデショオ……! テイトクタチニィィィ!』

 先陣を切る大和に、泊地水鬼は叫びを浴びせてくる。その音圧を突き抜けて、大和は海上を疾走した。

「私の心を見透かしたつもり……!?」

 大和の叫びに、遠く見える泊地水鬼は口の端を吊り上げる。艦娘同士の社会では相対したことが無い感情を向けられ、大和は歯ぎしりの音を立てた。

 嘲り、憐れみ、見透かし。それらと共に涙を浮かべる泊地水鬼の表情に、大和の心は揺さぶられる。

「言いたいことがあるなら、はっきりと言ってみせなさい!」

 水平射撃を放つ大和は、砲声に掻き消されながらも叫ばずにはいられない。荒い息の喉に硝煙が染みるが、一方で爆煙の奥から響く声は止まらない。

『ワタシノオモイハ……アナタタチモオモッテイルコト……。

 ワカルデショウ……』

 距離も周囲の騒音も無視してその声は届く。本当に、自らの内からわき上がってくるように、

『ミステラレテ……サミシイッテ』

「……っ!」

 今こそ大和は足を止めた。そして海上での仁王立ちの左右に艤装を展開し、全ての砲門を敵に向ける。

「全砲門一斉射ァ!」

 艦娘として生まれて初めて抱く感情を、大和は火力として叩き込んだ。反撃が体を擦過していく一方で、超弩級戦艦の圧倒的な火力が泊地水鬼が陣取る土地を吹き飛ばしていく。

 それは外から見れば声への否定に見えただろう。だが実際は……見透かされたことへの怒りと焦りが込められた砲撃だった。

 そこに込められた動機の不純さは大和自身にもわかる。だからか、派手に吹き上がる土砂と爆煙の奥からの声は止まない。

『アナタモアイタイ……ワスレナイデホシイ……テイトクタチニ、ジンルイニ……』

「やめろおおおおお!」

「大和っ!」

 砲撃し続ける大和の肩に、背後から掴みかかる者がいた。それは追いついてきた日向であり、さらに僚艦達が左右の海上を疾走して前に出て行く。

「落ち着け、深海棲艦の言葉に耳を貸すな。奴らの口車に乗ればそれこそ思うつぼだぞ」

「日向さん……」

「大和の砲撃で敵は十分に削れた。後は退避行動をとって陽動しているんだ。いいな?」

 日向はそう告げ、弾着観測用の瑞雲を放って前進していく。残された大和はその背を見送り、そしてそれが遠ざかるにつれて視界が広がっていった。

 列島外洋の広い海と空。陽光に照らされるその世界での営みも、戦いも、今や自分達艦娘とそれ以外の地球の全てとで巡っている。

 泊地水鬼が大和に向けた言葉が、大和の内心を見透かしたものなら――こんな世界でそう思っている自分は、周囲の艦娘達とは違う、何か間違った存在なのではないか。

 

「なるほど……。

 うーんしかしそういう話を聞くと、技術的な興味でアマツトリフネに関わっている私としてはなんか、考えの浅さを痛感するような……」

 本土に戻った大和が声をかけたのは、アマツトリフネ建造班として横須賀鎮守府に属する軽巡艦娘、夕張だった。

「アマツトリフネの建造は停滞している、と窺いました……。

 夕張さん、他の皆さんももしかして、かつての提督達……人類とまた会うことは望んでいないのかな」

 大和が耳にした噂通り、アマツトリフネの建造に関わる部署は動きが少なかった。事務作業を行う執務室は本日休業の札が下がっており、陸上工廠部にいたのも機械をいじっている夕張だけだったのである。

 そして夕張は歯切れが悪い様子でうなじを掻き、

「……ここだけの話ですよ。

 世間に流れている『アマツトリフネ建造停滞』……いや『中止説』にはいくつか間違いがあるんですよ。

 建造部隊が不活発なのは事実ですけどね」

 先日の戦いの後、大和が艦娘間のSNSをあてもなくさまよって見つけたのがその噂話だ。それゆえに大和はここを訪れ、しかし今真相を聞いている。

「まず第一に、アマツトリフネは現状未完成ですが、同時にこれ以上作業を進められない状態でもあるんです。

 最後に完成させる区画は船のメイン動力源なんですが、これに関する設計データは旅だった人類の側が保持していて地上には残っていないんです。だから私達には作れない」

「!? なぜそんなことを……」

「地上ですぐさま建造が出来てしまった場合、深海棲艦がアマツトリフネを乗っ取って人類を追跡することが無いようにするための保安措置ということになっています。

 でもまあ正直、異なる知的生命体である私達のことを気味悪がっている人類もいると思うので、そうやって私達も人類と分断するためだったんじゃないですかね。

 脱出していったのは艦娘運用に積極的だった日本の人々だけじゃないし」

 夕張は肩をすくめる。その辺りの話題は技術畑の艦娘の間では広く交わされ結論が出ていることなのだろう。

「人類の側も、私達のことを必要としていない……?」

「いや、それは違いますよ!

 こうして私達が自分達だけで文明を築けるほどに強靱な生命体になれたのは、人類が親身に私達のことを研究してくれた賜物です。

 そして人類と共に深海棲艦大戦を繰り広げた歴史の中にも、人と艦娘との絆の記録はいっぱいありますから。でも……」

 長身の大和がしょげる様子に、夕張はその顔を覗き込んで言葉を連ねる。だが最後に付け加える言葉は、彼女自身も苦しげに吐き出すものだった。

「人類全体を動かすための、政治というものは最も多くの納得を得た意見が動かしていくものですから。

 私達を信じてくれた人がいる事実もあれば、そうではない人々もいた事実もある。どちらが正しいとか、そういうことではないはずなんですよね」

 二律背反を勝ち抜いた側が正しいとは限らない。それは賢い者だけが関わるわけでもなく、そして無限に議論を重ねられるわけでもない政治の現場につきまとうジレンマ。

 大和もそのことは理解できる。かつての己……戦艦大和もそういうものに翻弄された身だ。どんな荒波よりも強力な運命の潮流を、大和は記憶の中に覚えていた。

「今でも私達のことを覚えてくれている人もいると思いますよ、大和さん。

 ――で翻ってですね、『第一に』と言った通り第二の理由もあるんです。これも政治が絡むんですが」

 俯く大和に夕張は続ける。

「作業が滞っている理由の第二は、その秘匿されていた動力技術を艦娘だけで再現できてしまったんですね。

 空間を歪めることで通常物理法則の範囲内で超光速移動を可能とするアルクビエレ・ドライブというものなんですが……その辺の解説は聞きたいですか?」

「あ、いえ。私がそれを聞いても……。

 それよりも、技術が完成しているのに作業が滞っている理由というのは?」

 夕張がうずうずと解説したそうにしているのを脇に置いて、大和は真っ直ぐに問いかける。その様子に夕張は一瞬下唇を噛んでぐぬぬと拳を握るが、

「人類側の思惑と同じようなものです。

 この地球で、艦娘だけで生きていけるんだからアマツトリフネを完成させることはないだろうって。

 現に先行して、艦娘人口をアマツトリフネの搭乗可能人数以内に抑える法律は廃止されているんですよね」

 夕張に指摘され、大和は思い出した。教育課程の中で特に重要視されない形で提示されていたその情報。思えばあの扱いは、人類との再会を求める層への後ろめたさからくるものだったろうか。

「今の艦娘世界は、一度はアマツトリフネで人類と再会することを諦め……その一方で、手段は手にしているんです。

 だからいつか、人類に会いに行く艦娘と、地球に残る艦娘とで分かたれる日が来るんじゃないでしょうか」

 夕張は努めて暗くならぬようにしながら大和へ言葉をかけた。その表情に持ち直した大和は、問いを夕張に返す。

「夕張さんは、どちらかを選べるとしたらどうしますか?」

「私? 私は……最先端技術とかををいつでも弄れるならどこでもいいかなって」

 夕張はまたうなじを掻いて苦笑を見せる。そして大和の眼差しを窺い、一つ付け加えた。

「でも、明石や瑞鳳達みたいな技術畑の艦娘同士じゃなくて、私の技術を誉めてくれる人がいたら……きっと嬉しいだろうなって、ちょっとは思いますね」

 首を掻く動きに照れくささが混じる夕張に、大和は微笑みを返した。

 大和も……戦艦大和も、心のどこかにそんな気持ちを飼っていたのだ。

 誉められたい、誰かに。意識してしまうと、その意識は募るばかりだ。

 戦艦大和の思いが報われる日は来るのだろうか。

 

『「返事」がとても遅くなってしまって済まないと思う。

 私は太陽系外に移住した人類の中でも、ある一派を率いる者だ。

 地球を旅立った人類は、程なくして新たな惑星を見つけた。だがそこで、君達を迎え入れる一派と、それ以外との対立が勃発したんだ。

 戦う力なんて限られたものしか持たない移民船団の結論はわかりやすいもので、当初の予定通り艦娘である君達を受け入れる派は移住先の惑星を追放された。それからまた別の惑星にたどり着くまでに、これほどの時間がかかってしまった。

 だが今私達は、人類にとって二つ目の居住可能系外惑星を発見し、それを開発している。君達艦娘に今でも人類と共にいる意思があるなら、どうかこの交信に応じて欲しい。

 from HMP(人類移住計画)4d』

 

 艦娘達の地球は、突如として世界中の天文台が受信したメッセージに揺れ動いた。

 添付されたアマツトリフネの動力部設計も艦娘達が自分達で解き明かしたまま。間違いなくそれは人類からのメッセージだ。

 だがその内容は、人類が自分達を受け入れるために二派に別れたということを示している。自分達にメッセージを送ってきた側にも、納得していない者がいるのではないのかという疑問が生じるのは当然のことだった。

 そしてなにより……すでに艦娘達の多くはこの地球での生活に適合し、ここに文化を築いている。そこから旅立とうという者が少数派であることは、メッセージへの反応によって浮き彫りになってしまった。

『アマツトリフネは……私達の文明の天文分野の発展のために用いる方が良いのではないでしょうか』

『しかしそのために用いるならば、宇宙からの誘導がある人類との合流のために用いた方がより多くの発見があるはずです。

 私達だけでの宇宙開発は人類との合流計画に比べれば小さな規模のものばかりです』

『でも私達は人類がなし得なかった月の恒久拠点の建設も――』

『アレは人類時代に設計がほぼ終わっていたものじゃないですか。アマツトリフネと同じようなもので――』

 テレビは国際的な艦娘合同政府の議論を中継している。そこで語られる意見は人類との合流の推進、停止どちらの意見もあるが、

『今の艦娘文明と人類が合流するということは、肯定的な艦娘が彼らのもとに行くだけではありません。人類が移住した惑星との間に交流が始まるということです。

 この点を特に重視して議論を進めて行きたいと思います』

 大統領職に就く高雄の艦娘がそうインタビューに応じ……世界中で意見が交わされるようになる。

「人類がいなくなったことと深海棲艦の沈静化の因果関係は、科学的には明かされていない。だが戦いが激しかった時期の環境に戻ることを不安視する声は大きいようだな」

 冷静な日向は、世相をそう大和に教えてくれた。そしてそんな流れを前に、大和は一人ではなにもできることはない。

「このまま、人類からのメッセージを無視していくことになるんでしょうか……」

「このままではな。なにか、人類と合流することによるメリット……人類と合流しないことによるデメリットが明確になれば話は違うだろう」

 そう言うと、日向は二人が語らう横須賀鎮守府戦艦寮談話室のテレビをザッピングする。日向が止めたチャンネルでは、色の濃い肌の艦娘がスーツ姿で訴えかけていた。

『人類とて好き好んで地球を後にしたわけではない。地球への回帰は彼らの悲願であるわけだ。

 ここで私達が呼びかけを無視すれば、私達は地球を制圧する人類の敵となり……それは私達が深海棲艦に成り代わることに他ならない。

 艦娘との共存を掲げる一派とでも交流を得れば、全面衝突は回避できる。そのためにも、アマツトリフネを出発させるべきだと私は考える』

 手振りと共に訴え、メガネの位置を直すその姿を一目見て、大和は相手がどの艦の艦娘であるかに気付いた。

「武蔵……!」

 艦娘学校で一緒になった武蔵とは違う、自分より先に建造された武蔵だろう。その堂々たる振る舞いと、狼狽する大和とを日向は見比べる。

「君達姉妹艦は割と人間が好きなのかも知れないな……。今のところ、あの武蔵議員が人類合流派の急先鋒だ。他にもゴトランド議員、デ・ロイテル議員、迅鯨議員など合流派は決して少なくはない」

 その言葉に、大和は小さな救いを得た。だが同時に後悔も生じる。

「……軍に入ってしまった私は、力にはなれないですよね。政軍分離、ですものね……」

 現代は2300年代。艦娘文明は人類が辿った歴史を継承している。自分達艦娘が軍艦であった時代の後に生まれた政治形態も、そこには存在していた。

 だが、

「悔やむことはない、大和。私達は艦娘だ。

 誰もが軍艦をルーツとして生まれた経歴があることから、しばしば人類の規範との食い違いと越境は起きてきている。

 大和は大和らしく、自分の出来る範囲で人類に会いに行きたい思いを表現すればいいんじゃないか? それはきっと誰かに届くだろう」

「表現……?」

「ここは横須賀。アマツトリフネの建造と、その防衛を請け負う鎮守府だ。

 何かから、誰かから、アマツトリフネを守る戦いをする時もあるだろう。

 その場で……戦艦大和にはできることがあるんじゃないか?」

 その一言に、大和の心臓は強く鼓動した。全身の末端まで血が巡り、日向が言う戦いのために動き出そうとしているような感覚。

 体の奥で生じたそのエネルギーを抑え込むように身を縮める大和に、日向は優しく手を肩に置く。

「私も守るための戦いをしたいと思っているよ。その時は、君の方が活躍するんだろうがね」

「そ、そんな。私は艤装のスペックは高いけど新人だし、この鎮守府でも艦歴でも日向さんの方が長いし……」

「大和」

 日向は今こそ大和に真っ直ぐと言葉をかけた。

「その戦いはきっと、心の強さが作用する。

 ならば私が知る限り、そこで最も力を発揮するのは……君のはずだ」

 

 日向の言葉を証明する時は、思いの外早く訪れた。

 

 その夜、横須賀鎮守府に響き渡った急報は近年まれに見る深海棲艦の艦隊行動であった。

 小笠原諸島より出現したその影は房総半島の内側に食い込み、東京湾へのルートを一直線に遡上してくる。

「過去にこんな事例は……!?」

「真偽不明の『霧の艦隊』事件の断片的な記録ぐらいですね。

 現状なら目的は一つ……アマツトリフネでしょう」

 横須賀鎮守府総司令の任に着いていた陸奥に、参謀兼秘書の大淀が告げることで東京湾・アマツトリフネ防衛戦は正式に作戦行動として開始された。そして夜の中に、鎮守府施設から直接艦娘が出撃していく。

「夜戦での防衛戦となるとこれまでの鎮守府の戦歴でも前例がほとんど無い戦いですね……。

 みなさん、お気を付けて!」

「昼間寝てる私にとっちゃ、願ったり叶ったりなんだけどねえ……!」

「加古ォ!」

 出撃部隊にそんな警告を発して、重巡である古鷹と加古のペアが前に出て行く。やがて探照灯、照明弾、夜偵、さらに決死の覚悟で出撃した夜戦対応空母からの報告が敵の全容を明らかにする。

『敵旗艦は戦艦棲姫。

 その護衛に空母ヲ級……おそらく改フラッグシップ級。

 さらに護衛に……戦艦レ級との報告も多数』

 鎮守府に一度集約されてからの通達は確度が高い。それ故に、海上に待機する艦娘達はその戦力を厳粛に受け止めるしかなかった。

「夜間制空権……基地航空隊の助力もなければ難しいヤツですね。

 まあ頑張りますけど……。皆さんも頑張りゅ?」

「頑張るしかないだろう。我々の装備の限りを尽くそう」

「厳しいですね……サラ、ちょっと呑んじゃってたんですけど」

 大和達の背後で、夜戦空母部隊の瑞鳳、グラーフ・ツェッペリン、サラトガがそんな言葉を交わしている。不安を覚える中で夜戦航空機が空中に上がっていく下、大和達水上打撃艦隊は艦隊陣形を組むが、

「この場に遭遇して躊躇することは許されませんよ」

「見敵必殺。私達はいかなる戦場においても最強であることを求められているはずです」

 先遣隊を上回る勢いで戦力を空中に上げていくのは、横須賀所属の赤城と加賀の仕様"戊"の二人だ。

 暗夜のエアカバーの中、敵を待ち受ける。そんな大和の記憶には無い戦場は、当然大和には想定できない展開を見せる。

『敵水上打撃艦隊、吶喊してきます! 夜戦航空隊の展開速度より速い……!』

 前線部隊に指示を飛ばす大淀が戦慄を露わにする中、大和達は突入してくる深海棲艦を待ち受ける。内房と三浦半島への無差別砲撃が、彼女らの存在を示す灯籠のように接近しつつあった。

「ここまで積極的な深海棲艦の侵攻は歴史上久々だな。人類からの連絡に対応したのかな……?」

 ゴキゴキと指を鳴らしつつ、日向が大和に呼びかける。その軽口に、大和は曖昧な笑みを浮かべるしかない。

「敵の様子は……?」

 迎撃戦の中で、未だ明かされない敵の姿。そこに大和は不安を抱くが、

「任せて! 突入するよお! 神通、那珂、みんな! 準備はいい!?」

「いつでも構いません、姉さん」

「よぉし! ミリタリーアイドル那珂ちゃん! 晴れ舞台行くよぉ!」

 横須賀鎮守府所属の水雷戦隊を率いる軽巡達が戦列を組む。その背後には、麾下の駆逐艦達も。

「探照灯、照明弾は全力展開ね! 夜偵も飛ばしまくるよ!」

 軽巡チームを率いる川内が姉妹に指示を飛ばす。その声音は、この緊迫した状況をして明らかな高揚と共にあった。

「昔から今まで色々あるけど、結局私達の戦いってこれだと思うんだよね。

 人間と一緒にいたいか、いたくないかってさ」

 突撃を敢行する川内はそう告げながら、主力艦隊の先陣を切る大和にハイタッチを向けてきた。そして大和は、自分も気づかぬうちにその手に自分の掌を交わしている。

「磯波、浦波、綾波、敷波! 仕掛けるよぉ!」

「ここは私も頑張る時なのです……!」

「磯波姉さん、浦波も一丁決めますよ!」

「やーりまぁーす!」

「べっ、別にあたしは人類との再会とかそういうのは興味ないんだけどさ……ふんっ」

 川内が率いる第一九駆逐隊は東京湾に航跡を残して前進していく。そのひたむきな姿に、大和は沈黙してはいられなかった。

「……水雷戦隊の突入を支援しますっ!」

「……応!」

 砲撃態勢を取る大和。その隣に日向が並び、艤装の砲塔を浦賀水道の方角へ向けていく。

 二隻の戦艦が放つ砲火は、その周囲からあらゆる音を消し去る。夜闇にも鮮やかなマズルフラッシュの後には、本来の姿が誇った威力が遠い海面に炸裂する水柱が見えた。

 だが敵の進行は止まらない。大和は海面に艤装を身につけた足を踏みしめ、

「砲撃続行……!」

『こちら川内、夜偵より入電! 敵夜間航空戦力展開中! 夜間戦闘機の層が厚い……。夜だってのに急降下爆撃まで』

『水雷戦隊、航空隊を一時退避。水上打撃部隊による三式弾斉射で空域を一掃して下さい。然る後に第二攻撃』

 陸奥の指示を受け、夜闇に駆ける影が左右に逃れていく。そして大和達も、手元の艤装妖精に言葉をかける。

「弾種変更、三式弾。信管設定は――」

 訓練で繰り返した手順だが、夜戦で、対地攻撃でもなしにこの装備を使う時がくるとは。

「戦艦部隊、対空射撃開始!」

 日向の号令に、大和に加え横須賀鎮守府の全出撃戦艦が一斉射撃を放つ。歴史上では効果を十全に発揮できなかった三式弾だが、正確な情報と十分な砲門数がある今なら話は別だ。

 燃え盛る弾子の拡散が夜空を染め上げる。その光の傘の下で、深海棲艦の航空部隊が叩き潰されるように姿を消していった。

 対空射撃は成功している。だがその光の下に、大和は海上の影を見た。

「……前方! 小艦艇群!」

 爆煙を背に凄まじい速度で突進してくる敵。あまりの数に津波のようにすら見えるそれは、

「PT子鬼!

 ……弾種そのまま、水平射撃! 副砲も全門用意!」

 大和は即断し、艤装を低く構えた。戦艦には御しがたい相手だが、この突進をそのまま通すわけにはいかない。

「大和! 危険だ!」

「わかっています! けど……!

 いけぇぇぇっ!」

 海面に打ち下ろすような砲撃。炸裂する三式弾と副砲の連射がPT子鬼群をまとめて吹き飛ばしていった。

 圧倒的火力の炸裂。しかし、

「大和! 敵から丸見えだぞ!」

「っっっ!」

 砲火は夜闇に映える。それをもって敵を一掃した大和に、どこかくすんだ探照灯の光が浴びせかけられる。

「――重巡リ級!」

 目を眩まされながらも、大和は自身に迫ってくる敵を見据えていた。黄色い燐光を放ち、両腕に深海艤装を身につけた姿。

『ギィィィ――!』

 唸り声を上げながら、重巡リ級は快速を活かして主砲を押しつけてくる。顔面に迫るその砲口に、大和は瞬発した。

 腕を振るい、突き込まれるリ級の腕を担いで投げ飛ばす。着任してからの陸上教練で会得した柔術の動作だった。咄嗟に繰り出せるだけの訓練が出来ていたことを大和は内心で感謝する。

 そして投げ飛ばされたリ級に対し、大和はすかさず主砲を向ける。一瞬の中で砲塔に駆け込む艤装妖精の手振りを見切り、

「弾種徹甲!」

 海面に叩きつけられ滑走するリ級への砲撃。至近距離での着弾は大和自身にも莫大な水飛沫を浴びせてくる。

「――天龍や木曾みたいな真似をするんじゃない、戦艦なんだぞ」

「済みません……もう至近距離だったから……!」

 ずぶ濡れの大和を日向は庇いにかかる。そしてその周囲では、水上打撃艦隊の各員が突入してくる深海棲艦に反撃を繰り広げていた。

「いや、ナイスファイトでしたよ大和さん! この間合いならこの手しかない……だから私達に任せて!」

「霧島っ! 榛名が先行するからついてきて下さいね!」

 前進するのは高速戦艦である榛名と霧島の二人。そしてその艤装が大きく左右に広がり、さらに鋭く展開していく。

「アドバンスド・グラップル・パート展開! 高速戦艦隊、斬り込みます!」

 巨大な五指と、金属すら断ち切るモーターカッター。榛名と霧島はそれぞれの装備を展開して突撃を迎え撃つ。

 駆逐艦、軽巡の断片が周囲に飛び散る中、大和達も迎撃の火力を投じていく。そしてその向こうで左右に展開していた横須賀の水雷戦隊が再集結し、敵艦隊を前後から挟撃する構えが完成しつつあった。

 だが同時に敵の主力艦隊も大和達のもとに到達しつつある。先の報告に寄れば戦艦棲姫を中核とした戦力であるとされていたが、

「報告と違うぞ! あれは……戦艦水鬼改!」

 闇夜に翻るスカートと、巨大な深海艤装の腕を見た日向が叫んだ。さらに敵の周囲には、腹部から伸びる艤装を抱えた重巡ネ級、尾のような艤装を従えて酷薄な笑みを浮かべる戦艦レ級の姿も見え隠れする。

「くっ……」

 敵に突入していた榛名と霧島が散開しながら牽制射撃を繰り返す。だが敵の悠然とした進撃は――止まらない。

『ミチヲアケロカンムスドモ……。オマエタチガホントウニヤリタイコトヲ、ワタシタチガジッコウシテヤロウ……』

 悠然と海面を歩みながら告げる戦艦水鬼改の声は、まるで耳元で囁かれるかのように海域の艦娘達全てに届いた。

『ジンルイトキリハナサレテ、ワカレテ、ジブンタチノアリヨウヲサダメラレズ……ツラカロウナア』

 気だるげに艤装を撫でる重巡ネ級は周囲からの砲撃を躱し、反撃の一撃を差し込んでいく。

『オマエタチダケダロォ! カンムスノナカデモジンルイトサイカイシタイナンテオモッテルノハァ! ワタシタチガカワリニイッテヤルッテンダヨォ!』

 艦載機を深海艤装の口から引きずり出し、戦艦レ級は迎撃の砲列に飛び込んでくる。自身が振りまく火力も凄まじく、突撃を受けた艦娘は退避行動を余儀なくされていた。

 戦線が瓦解していく。そして水面に漂う炎上する残骸が、東京湾に鎮座するアマツトリフネの姿を夜闇に浮かび上がらせつつあった。

 暗夜に浮かび上がるその姿は、技術で作り出されたものではないかのようだった。深海棲艦達の艤装と同じような、未知の原理で生み出された存在であるかのような。

 あるいは自分達艦娘が作り上げたものは、対して違いが無いのかも知れない。人類への妄執を抱く深海棲艦達と――。

「――違うっっっ!!!」

 その瞬間、大和は夜の海面めがけて叫び、そして全砲門の一斉射を放った。混沌の戦場に楔を打つような轟音が、叫びと共に夜を駆け抜けていく。

「私達とあなた達とでは……人々に向ける思いは、同じなんかじゃない。あなた達に代わりなんてできっこない……!」

 大和の口からほとばしった怒号は、ただの叫びではなかった。

 出来るはずが無いことを軽々と口にされた怒りが、見くびられた悲しみが滲んだ慟哭が夜の海を渡っていく。

「あなた達が人類を追い求めているのは、深海棲艦がそうして生まれるからでしょう?

 私達は……私は違う! 私は……自分が艦娘だからじゃなく、私自身の意志で人々に会いに行きたい!」

 声を上げ、大和は砲撃を続けた。暗闇に浮かび上がるレ級の嘲笑に、ネ級の諦めきった目に威力を叩き込み、違うと、自分はそうではないと声を上げ続ける。

 今この戦いの中だからこそわかる。体は軋み、半身である艤装も金属の悲鳴を上げて戦いきれぬと呻く中で、大和が胸に抱いていた人類への思いはその向きを変えていなかった。

 困難の中にそれでも躍り込み事を為そうとする思い。それを人は意志と呼ぶはずだ。

 本能の類いではなく、大和は、

「私は戦艦大和として生まれたけど……そんなことに関係なく、私は人々に会いに行きたい!」

 回避しきれないネ級の突進に対し、大和は海面を砲撃して巨大な水柱を上げる。その威力に急制動をかけたネ級めがけ、自らが打ち上げた海水を突っ切って掴みかかり、

「そして……私達を待ってくれている人達に、根拠の無い恨みを募らせたあなた達を近づけるわけにはいかない……!」

 海面に抑え込んだネ級へ、大和の全砲門は蜘蛛が獲物に食らいつくように砲身を向けた。そして己を顧みない威力の炸裂が、大和の全身を暗夜の中にも鮮烈に浮かび上がらせる。

 打ち上げた海水が降りしきる中、気付けば大和の周囲に仲間の艦娘達の姿は無かった。恐らく仲間達は深海棲艦の突入を受け止めるために後退したのだろう。

 己の位置を保つだけで、孤立する。ああ、かつても今も、戦艦大和の運命は同じなのだなと大和は奥歯を噛みしめた。

「来いっ! 深海棲艦! 私が人類最大の守りの力、戦艦大和だ!」

 乱戦の孤独の中で大和は吠える。そしてその瞬間、孤立する力を削るように戦艦レ級が三体、すれ違いざまに大和を切りつけていった。

 そして呻きを上げる大和の前に、巨大なかいなに抱かれるようにして前進してきた戦艦水鬼改が接近してくる。

『カナシキカンムス……。

 オマエノカタオモイニシュウシフヲウッテヤロウ……。ハクジョウナジンルイトホカノカンムススベテニカワッテ……』

 戦艦水鬼改は厳かに両腕を広げ、それに応じて深海艤装の砲門が大和へ向けられる。世界最強とうたわれた大和をもってしても、耐えがたい火力がそこにはあった。

 切りつけられた大和はその脚に力が入らない。さらに切り返してきたレ級達は、そんな大和を羽交い締めにし、さらに辱めるように戦闘服の胸元を引きちぎってくる。

「私が倒されようと……!」

『ダレモオマエノイシナドツガナイ……』

 抗う大和の視線を受け、戦艦水鬼改は告げた。その突き放すような響きに、大和は怒りに満ちた涙を浮かべるほかない。

 終わりの号砲が鳴る。その瞬間、

「偉そうなこと言ってんじゃねーわよ!」

 突如として飛び込んできた叫びと共に、至近距離からの砲撃が横様に戦艦水鬼改を殴りつけた。

シャイセ(クソッ)! 角度が悪かったわね……」

「ビスマルク姉様、落ち着いて! しっかり狙えば夜戦で姉様に敵う深海棲艦なんていませんから……!」

 爆煙を振り切って突入してきたのは、高速戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンだった。二人が艤装に掲げる旗は、欧州艦娘共同体からの派遣艦隊を示すものだった。

 それはアマツトリフネ防衛に全艦娘が一丸となっているというポーズを取るための、いわば名目上の艦隊だったはず。この二人も不遇をかこっていた艦娘だろうが、

「でも言いたい放題言われて腹が立つのは事実よ! そこのヤマトだけじゃないわ! 私は、私を褒め称えてくれるあの人達に憧れてこの東京湾にやってきたんだから!」

「ビスマルク姉様……!」

 荒れ狂う波濤の中で、ビスマルクは言ってのけた。そしてそれを支えるプリンツ・オイゲンの左右を抜け、さらに突入を駆ける重巡洋艦の姿がある。

「ポーラ知ってますよ~? 昔の職人さんが作ったワインは今の技術じゃ再現できないんですよねーぇ?

 呑みたいなー……歴史あるお酒に、美味しいおつまみもいっぱい~」

「ポーラ! こんな空気で言うことぉ!?」

 ふらつくような蛇行で突撃する重巡ポーラと、一直線に追いすがる重巡ザラが戦艦水鬼改とその護衛のネ級達を追い散らしていく。彼女達が掲げる旗も、やはり欧州からの派遣艦隊のものだ。

「この地から望まず去って行った人々を呼び戻すことを、時間の流れに任せて無意味と言われてはかないませんね」

「奴らの思ったとおりであるというのも癪なことだ! 余はそんな悲劇は好まぬ」

 背後から、大和を捕らえていたレ級に砲撃を叩き込んで悠然と現われる戦艦艦娘が二人。その厳かな姿に、大和は荒い息を吐きながらもその名を呼んだ。

「ウォースパイトさん、ネルソンさん……!」

「ヤマト、この戦場にいる艦娘は皆君と同じ思いだ。

 会いたいよな……かつての私達を生み出し、今でも求めている人類に」

「私もダーリンに会いた――――い!」

 二人の戦艦が生む航跡の波を飛び越え、駆逐艦娘ジャーヴィスが戦いの中に飛び込んでいく。さらにそれに続いて同型艦ジェーナスに、軽巡シェフィールドも続き、

「ま、物好きは隠れて生きているってことね」

「リシュリューさん……!?」

 英国艦娘と微妙に距離を取りながら現われるのは高速戦艦リシュリュー。それも、大和が旧横須賀鎮守府の観光ツアーで言葉を交わしたあのリシュリューだった。

「大丈夫よヤマト。存外物好きってのは世界のあちこちにいるものだわ。

 なにせ……私達自身、昔船だった存在を人間の形にしようなんて思った人々がいたから生まれて来られたんだから。そんな艦娘達が作った世界なら、ってね。

 大丈夫よ。ここはあなた向きの海。同じ思いの艦娘の航跡が潮流を作る場所だわ」

 そう言って肩を叩き、リシュリューも夜戦の爆炎の中に飛び込んでいく。突撃と共に火力を放った各国の戦艦達は、さらにターンして第二撃を放とうとしていた。

 それを迎撃すべく戦艦水鬼改を囲うレ級とネ級の艦隊は四方に飛びかかっていくが、そこに追いついてくる水雷戦隊と、

「ナイトバトルだ! キリシマも頑張ってるんだってな! あたしもやるぞお!」

「サウスダコタ! また一人で無茶をして……! 電源落ちるわよ!」

 米国艦隊が深海棲艦を背後から打ち据える。戦艦サウスダコタとワシントンが血路を開き、ガッツに定評があるジョンストンとサミュエル・B・ロバーツが日本の艦娘達と並んで雷撃を放っていた。

 悠然たる深海棲艦の隊列は今や乱戦に掻き乱され、爆光はあらゆる場所で咲き乱れている。その光に照らされるアマツトリフネは、まるで祭りの中に置かれた神輿のようだった。

「結局、こういう場面にまで追い詰められないと言いたいことも言えない奴というのは存外多いのかも知れないな」

 激戦を見渡す大和を支えるように、いつもの日向が肩に手を置く。そしてその苦笑を見る大和の視線の奥で、飛行甲板を携えた航空戦艦伊勢が突入の勢いを消しきれずに、

「日向? 味方が押してるよ? 先行くからね?」

「私もすぐ行くさ。

 大和、君が付けた道が今多くの艦娘の行く先になっている。君がいなければ気づけなかった者もいるだろう。

 君が人一倍悩んでいたことにも、意味があったんじゃないかな」

 そう言って、日向は大和の肩を叩き自らも突入の進路を取る。

 その背を見送る大和の脇を、『報道』の腕章を付けた艦娘が一人すり抜けていった。テレビカメラを担いだポニーテールの姿は、重巡青葉だ。

「引き続き現地東京湾海上からお送りしております! 画面に見えますは先程深海棲艦相手に単騎立ちはだかり啖呵を切った横須賀鎮守府所属の大和さんです!

 多くの艦娘が奮い立ち、彼女に感謝を告げて前進しております! 現地の空気は攻勢に転じた模様です! 引き続き中継を続行しま――――す!」

 そんなことを言う青葉自身がこの場の空気を決定づけている気もする。思わず笑みを浮かべた大和に、追いついてくる影があった。

「大和――」

 凜々しくも心配そうな声に振り向いてみれば、大和が初めて見る艦娘達の姿がそこにはあった。そして初見ながら、大和にはわかる顔触れだ。

 矢矧。

 涼月。

 初霜。

 霞。

 磯風。

 浜風。

 雪風。

 朝霜。

 世界を彩る風雅にかつての人々が付けた名を冠した、戦艦大和の仲間だった艦娘達だ。

 だが今ここにいるならば、それはかつてからの因縁だけではない。今も同じ思いを抱いているからこそだ。

 大和を気遣いつつも、この一戦への意欲をその瞳に燃やす艦娘達を前に、大和は崩れかけていた体を立ち上げる。

「皆さんとはあの時以来ですね……。

 でも今は捨て鉢ではありません。私達が思い描く未来に、私達自身も連れて行く。そういう戦いをしないと」

「もちろんです!」

 拳を握って声を上げるのは雪風だった。歴史を学んだ大和は知っている。塗料が擦れ落ちた双眼鏡を持つ彼女こそ、かつてあった『その後』を最も長く見てきたのだと。

「皆がいる世界じゃなきゃ雪風は嫌です! 艦娘も、人類も……しれぇ達も……!」

「雪風姉さん……」

「こういうとき雪風の思い切りの良さには敵わないな」

 浜風と磯風が、泣き出しかねない雪風を支えている。そんな様子に霞は腰に手を当て。

「泣き虫はいいとして、大和、他の戦艦は突撃してるわよ? 被弾してるとはいえ、このままでいいわけ?」

「今回は全員で護衛できますよ! 輪形陣、行っちゃいますか!?」

「私も一緒に、前進したいです……!」

 初霜と涼月もぐっと両手を握り意欲を燃やしている。それらを前に、頭の後ろで手を組んだ朝霜が鋭い歯を見せて笑った。

「どうせこの後誰かさんに誉められるなら、一番手柄を立てたいもんだねえ。

 なあ皆で行こうぜ! それで……帰ってこようぜ」

 朝霜の言葉に、大和を囲む仲間達は皆それぞれの方法で同意を示した。

 そして大和自身も、力なく倒れかけていた砲身に再び仰角を取らせ、戦艦の威容を取り戻していく。

「……アマツトリフネ防衛艦隊、前進……!」

 海面を蹴立てる響きは、かつての戦いを思い出させる波音となる。

 だが自分達が向かう先は絶望の中ではない。戦場としても、未来に繋がるものだと。

 大和は再び体を前に進ませていく。その重量で海面が轟くと敵の駆逐艦や航空戦力が迫ってくるが、

「大和をやらせるわけにはいかないわ……!」

 前方に滑り出すのは軽巡矢矧。その砲撃が敵駆逐艦を蹴散らすと、さらに三人の駆逐艦娘が飛び出していく。初霜、磯風、浜風。

「磯風さん、浜風さん! 空中の敵を輪形陣で迎撃します!」

「突撃が求められているのだから単縦陣でもいいのでは……?」

「言ってる場合ですか!」

 三人の対空射撃、特に改乙の武装を持つ磯風と浜風のコンビネーションが大和の前方の空を開いた。しかしその奥からはさらなる敵が迫り、

「対空戦闘なら私を忘れては困ります……!」

 三人の前に飛び出すのは秋月型駆逐艦の一員である涼風。その防空性能を支える長一〇センチの弾幕を夜空に広げ、反撃の機銃掃射の中に分け入っていく。

「行けぇ! 大和……!」

 空爆の中で艦娘制服を千切り飛ばされながら、涼風が進撃する大和へと声援を飛ばす。その声を受ける大和を矢矧が護衛し、さらに三人の影が前に飛び出した。

「ああもうおっそい! 突撃なんだからもっとしゃんとしなさいったら!」

「おっ? なんか島風みたいなこと言ってねえか?」

「島風ちゃん確かに速いですよね!」

 霞、朝霜、雪風が空の爆風の下を縫って前に出て、水上の敵を露払いしていく。

 その先に、猛攻に押されて下がっていた戦艦水鬼改の姿が見えてくる。そして大和達の突撃に呼応し迎撃に向かってくるのは、黄色の燐光を帯びた駆逐ナ級後期型だ。

 彼女達が得意とする雷撃が放たれ、迫ってくる。だがその前に霞と朝霜が飛び出し、

「馬鹿ね、雷跡が丸見えなのよ!」

「そーれ吹き飛べぇ!」

 海面めがけて放たれる12.7cm連装砲が、的確に魚雷の弾頭を誘爆させていく。吹き上がる巨大な水柱に矢矧や霞も朝霜も、駆逐ナ級達も戦場の外に押し流されていった。

 突き進むのは莫大な重量で海面に食らいついた大和。そして荒れ狂う海面の流れを読み、その前方に滑り込んだ小柄な影。

「雪風――改二! 突撃を援護します!

 大和さん、敵はこの先です!」

 振り向いて叫びながら、雪風の雷撃がまだ水煙に霞む先へと放たれた。そして波に攫われていくその姿に頷き、大和は最後の一蹴りで冷たい霧の中にその身を躍らせる。

 刺すような冷たさと湿り気を抜けた先にいるのは、ナ級が迎撃を受けたことで狼狽した戦艦水鬼改。しかしそれでもこちらに向いた視線が、歯を食いしばる大和の表情を捉える。

『――ナゼオマエタチハアキラメナイ!?』

「あなた達が、深海棲艦が一人で諦めているだけです!」

 浴びせられる声を突き抜けるように大和は叫び、艤装右の主砲に装弾しながら振りかぶった。その姿に敵は深海艤装の巨大な腕を迎撃に伸ばしてくる。

 雪風が放っていた魚雷が彼女の足下で炸裂したのはまさにその瞬間だった。巨大な艤装ごと、戦艦水鬼改の身が宙に浮かぶ。

 大和はその土手っ腹に三連装主砲の砲口を叩きつけた。そして威力を炸裂させる。

 四六センチ砲の密着射撃の威力は、その分厚い砲身自身も耐えられないものだ。三連装砲が引き裂け砲塔が内部から弾けつつも、砲弾は戦艦水鬼改の体を千々に引き裂きながら突き抜けていった。

「艦娘は……私達は未来を諦めません……!」

 爆風によろけ、破裂した砲塔からの破片で頬に切り傷を作りながら大和は離脱していく。その惰性航行に周囲の深海棲艦達は恐れを成しながらも飛びかかってこようとするが、

「もう勝負は決したわ! 帰りなさい――深海に!」

 駆けつけた矢矧が大和の肩を支えつつ、周囲に砲撃を送る。ずぶ濡れになった雪風達駆逐艦も周囲に輪形陣を敷き、さらに海外艦娘や横須賀部隊も周囲で残敵掃討の流れに入った。

「大和、すごかったわ」

「矢矧……私、自分が思ってることをがなり立てただけで。でも……」

 疲労困憊の大和は、力を失った艤装の重みにへたり込みながら問いかける。

「『戦艦大和』らしいこと、できたかしら……?」

「あなたはあなたらしくするだけで、今も昔も世界の軍艦達のヒーローよ」

 そう大和を労いつつ、矢矧は進路を横須賀に取っていく。深海棲艦追撃に加わる艦娘達が、大和の姿に最敬礼しながらすれ違っていった。

 そして夜の戦火に照らされ、アマツトリフネは傷一つ付けられずにその姿をそびえさせている。

 

 それから幾分か後。

 横須賀のアマツトリフネは陽の下で満艦飾に彩られていた。

 軍楽隊の演奏が響き、海軍カレーや地元艦娘漁協の屋台が並ぶ鎮守府には『アマツトリフネ発進式典』の文字が躍る。

 アマツトリフネへの深海棲艦襲撃は、能動的にせよ消極的にせよ人類への接触へと世論を後押しした。艦を放っておけば深海棲艦が何度でも襲いに来るだろうという悲観的予測もあったが、人類と共に決着を付けない限り深海棲艦は発生し続けるはずだ、ならばまた人類と戦列を共にしようじゃないかという前向きな声が大多数だ。

 そのきっかけであり、象徴として祀り上げられたのが大和だった。横須賀沖での戦いの傷を癒やした彼女は、当初の希望通り今日アマツトリフネに乗り込み出発する。

 式典の顔でもある彼女は来賓席に座り、世界中から募集されたクルー艦娘達の登場列に手を振ったり逆に手を振られたりしていく。目の前を過ぎていく艦娘達は今までどこにいたのかを問いただしたくなるほど、大和と同じように人類と会うことを楽しみにしているようだった。

「やっぱ第一声は『やっと会えた!』よね?」

「陽炎ちゃんいつもそれやん」

「みんな違う星で生活するのに必死でクタクタだと思うのよね! だから私にいっぱい頼ってもらうんだから!」

「はわわ、頼もしいのです」

「持って行ける食糧で皆さんの故郷の味を再現できるでしょうか……」

「鳳翔の味なら大丈夫だって! それよかあたしは持って行ける酒の量が心配だよなぁ~」

「向こうも緊張すると思うし、ゴトは昔からの知り合いみたいにフランクに接してあげたいな」

「近しいだけじゃなくて、皆さんのお仕事を手伝えることも大事ですよね。ねっ」

「クマ~」

「ニャ~」

 個性豊かな顔触れがアマツトリフネへのタラップを上がっていく。皆人類と再会し、その手を引いて地球への道のりを戻ってくる者達だ。

 その行く先には数多の困難があろうが、不安は無い。自分達は力を持ち、戦乱の海を駆け抜けた艦娘なのだから。

「大和、そろそろ君のスピーチの時間だ」

 人類との接触を推進していた、艦娘合同政府の武蔵議員が大和に声をかけてくる。かつては大和がテレビの向こうに見た相手だが、横須賀戦の後に顔を合わせてからは姉妹艦ということもあり近しい間柄になっている。

「スピーチをしたら大和も搭乗して、またしばらくの別れになるわけだな」

「再会できますよ。私達も、人類とも。

 ところで私の艦娘学校の同期に、あなたと同じ武蔵の艦娘がいるのだけど」

「うむ」

「こっちの世界のあちこちを巡りたいって言ってたから、危なっかしいことをしないか見守ってくれないかしら」

「コネを活用していくじゃないか」

 大和が微笑みを返すと、武蔵は腰に手を当てて悠然と頷いた。二人の巨大戦艦娘はそうしてすれ違い、大和は式典会場に設けられたスピーチ台に登壇する。

「……分断の歴史を越え、今再び私達と人類との時計の針を動かすための行いが始まろうとしています」

 大和は会場の艦娘達を見渡して口を開く。かしこまった者も、屋台の料理を口にしている者も、誰も尻込みはしていない。

「今この世界は概ね平和ですが、深海棲艦は未だ存在します。

 戦いを終わらせるための行為は新たな血を流すことを強要されるかもしれませんが、それでも深海棲艦を、彼女達を放っておこうという考えは、あの夜以来減り続けていると思います。悲しい諦観と恨みを抱き続ける彼女達を……」

 大和が触れた泊地水鬼や戦艦水鬼改達の言葉は、今も記憶にこびりついている。手が届かぬ場所に行ってしまった人々にすがりつくようなあの叫び達が。

「歴史を前に進めるために、私達の提督を迎えに行きましょう。

 今日、アマツトリフネはそのために抜錨します!」

 大和が高らかに宣言すれば、鎮守府に集まっていた鳩達が飛び立つ。そしてその翼よりも高い場所に至るための船が、長い沈黙から目覚めていった。

 

 西暦2356年、地球と惑星HMP4dとの星間航路確立。

 第二次深海棲艦大戦と、その終結への歴史が始まる。



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甘いおせんべ条約

構想時間不明。執筆二時間。
秘書艦大淀は見た。

主な登場人物:大淀 提督 八丈


 秘書艦。それは第一艦隊旗艦の艦娘が提督の業務を補佐するという慣例である。

 とはいえ戦闘能力に優れる一方で事務、それどころか机についてじっとすることすら苦手な艦娘も多い昨今。提督執務室の秘書艦デスクで仕事をするのは概ね大淀の役目であった。

 連合艦隊旗艦を務めた経験があってか、大淀としては秘書艦業務は苦手ではない。無心で書類を片付ける間に業務時間が過ぎ去っていく分戦闘より楽であるともいえる。

 そしてこの艦隊の提督は人柄も悪くないので仕事場を共にするのも苦ではない。ただ一点、気にかかることはあったが。

 今日もその時刻がやってくる。午後三時。執務室の柱時計を見た大淀は、パソコンに向かい艦隊の中長期資源推移で頭を捻る提督に告げる。

「提督、ヒトゴーマルマルです。一息入れますか?」

「んん……いや、俺は一つ結論が出るまでもう少し粘るよ。

 大淀は間宮さんとこでも行ってきたらどうだ? おやつの時間だろ」

「おやつって……駆逐艦の子じゃないんですから」

「そうか? 球磨や多摩はおやつタイム逃しそうになると大騒ぎするが」

「あの辺は例外です」

 とは言いつつも、大淀も間食で間宮に厄介になることは多い。だがこの後起こることの推移を見張ってからではないと気が気では無いのだ。

 そして今日は、提督と言葉を交わしている間にその懸念の原因となる存在が彼のそばにまで迫っていた。

「てーとくぅ」

 不意に執務室に響いた甘い声は大淀のものではない。当然いい歳の提督のものでもない。

 提督の机脇からひょこりと覗く亜麻色の髪。ふわふわとしたツインテールを頂いたあどけない顔は、艦隊の海防艦娘八丈だった。

「おう八丈」

「今いーい?」

「別にいつだっていいぞ」

 気軽に応じる提督に、八丈は目を細めると机の影を回って一度姿を隠す。そして大淀が見ていると、八丈は提督の顎下に再びその姿を現わした。

 小柄な八丈は提督の膝の上に座ってもその懐に収まってしまう。そして今、執務中の提督を相手にそうしているということだ。

 そしてパソコンに視線を戻し唸る提督を尻目に、八丈は机の上に上体を倒して伸びをすると勝手知ったる様子で机の隅に手を伸ばす。そこには執務中に提督がつまむ煎餅アソートのパッケージがあった。

 無造作に片手を突っ込み中身を漁った八丈は、個包装された煎餅の一つを手に取る。ザラメが振りかけられたアラレが三つほど入ったものだ。

 思い悩む提督の手慰みに頭を撫でられつつ、八丈は個包装を開けそれをポリポリと食べていく。そしてすぐに食べ終わると包装のビニールを机脇のゴミ箱に落とし、また次の煎餅を漁り始める。

 大淀の懸念はこれであった。艦娘の中でも幼い容姿を持つ傾向にある海防艦の一員、八丈が提督相手になんのてらいも無くふれあい、そして提督もそれを受け入れているという現状である。

 神妙な面持ちで大淀は分析する。八丈は四人組である占守型海防艦娘の三女で、今まさに齧歯類のように新たな煎餅をポリついているようにお菓子好きである。

 そして提督は集中する時に手慰みにするものを求めるタチで、今机の上に置いている煎餅アソート以外にもお菓子のストックを机に隠し持っている。大淀もたまにご相伴にあずかるのでその辺りは知っている。

 八丈が提督のお菓子ストックを目当てに執務室を訪れるようになったのは着任して早々のことだったが、日に日に距離が縮まり今ではこんな風に膝に乗って食べたりする有様である。

 提督とここまでスキンシップを取っている艦娘はそうはいない。ツッコミで訓練用爆弾を艦爆に落とさせる瑞鶴のようなのもいるがアレは別ベクトルだ。如月や荒潮は思わせぶりだがあれはチキンレースの類いなのでどうでもいい。

 ゴトランド……あれは……。

 閑話休題。大淀はとっちらかりかけた思考を目の前の情景に戻す。

 艦娘と提督との絆が深まることは別に悪いことではない。その結果想定された練度以上の力を発揮する艦娘も多く報告されているのは事実だ。そしてこの対深海棲艦の戦時下で繋がりやぬくもりを求めたくなる気持ちも大淀には否定できない。

 しかし……いい歳こいている提督と、その懐に収まってしまうような八丈とというのはどうなんだろうか。大淀は目の前の光景に、何か間違っているような、間違っている方向に向かってしまいそうな不安を覚えずにはいられない。

「てーとくぅ、もう甘いの無いよー……」

「んー? 仕方ないな」

 アソートの中を漁っていた八丈が机の上に伸びると、提督は未開封のアソートを引き出しから取り出して今までのものの隣に置く。そうすると八丈はニュッと目を細め、がさごそとそれを開封していくのだった。

「じゃー今日はこんだけ! しむ姉達やガッキーにも分けてあげるんだあ」

「食べ過ぎるなよ?」

「分けるって言ってるじゃーん!」

 一掴み分の煎餅をジャケットのポケットに突っ込むと、八丈はまた机の下に潜航して提督の膝から離脱する。そしてそそくさと去りつつ、

「大淀さんもまたねー」

「あっ、はい……」

 なんの気後れもなく無邪気にそう言って去って行く八丈に、大淀は返す言葉も無い。そして提督は撫でる頭が無くなったからか気持ち寂しそうに煎餅アソートからチーズアーモンドおかきを手に取る。

「提督」

「どうした大淀」

「八丈さんとケッコンカッコカリするおつもりですか?」

 訊ねてみると提督は全身を折ってむせることで驚愕を表現した。チーズアーモンドおかきがどこら辺まで入ってしまったのかは大淀にはわからないが、ガス欠気味の艤装のような音を立てて苦しむ提督は三〇秒ほどの時間を掛けると応じられるようになる。

「どっ、どういう質問なん? それ……」

「いやだってあんなにベタベタしてたじゃないですか。金剛さんに飛びつかれると引きはがすのに」

「あれは比叡が後で怖いんだよ。

 八丈に関しては為すがままにさせてるだけだよ。それにほら」

 提督は机に残された煎餅アソートのパッケージをつまみ上げてみせる。

 よく見知ったものだ。艦隊の酒保で取り扱われている市販品で、注文票を使えば箱単位で頼むことも出来る。艦娘寮の常備品として大淀も会計上で取り扱うし、軽巡寮で食べることもある。

「これって甘い煎餅が三種類ぐらい混じってるけど、俺って煎餅が甘いと許せないタチだろ?」

「あー……そうでしたっけ?」

 言われてみれば、提督と執務室のお菓子ストックを共有していると妙にしょっぱい煎餅を見かけない気がした。最近はそうでもないが。

「なんかの弾みでその話になった時に、じゃあ俺が残す甘い煎餅は私のーってことで八丈と取引してさ。八丈はいつでも甘い煎餅持っていっていいって代わりに任務頑張るって契約してるんだよ」

「ははあ……。なんだか割に合わなくないですか?」

「いやそんな厳密な契約じゃないから」

 確かアソートに入っている甘い煎餅はザラメアラレと糖衣煎餅、あと黒糖コーティングのアラレもあっただろうか。それだけのものを差し出して、子供っぽい海防艦の「頑張る!」を引き出せたなら上手い取引かもしれない。

「しかしそれにしても膝に乗せるってのは?」

「だからその辺は八丈のしたいようにさせてるだけだって。他の海防艦とか、時津風やリベッチオも俺のことアスレチックかなにかだと思ってるだろ?」

 確かにオフの提督はその辺りの元気がいい艦娘によくよじ登られている。その状態で那智や千歳と呑んでいたりもするので大したものだ。隼鷹やポーラは教育上良くないのかそういうときは遠ざけているようだが。

「ふーん……提督はちっちゃい子に人気なんですね」

「言い方ァ。

 てか清霜が武蔵にペタペタしてるようなもんだと思うぞ本当に」

「言い訳がましいこと言って、提督からはどう思ってるんですかー?」

 理路整然、という体の提督を少しからかいたくなり、大淀は意地悪なことを言ってみる。しかしそれに対し提督はくそまじめに、

「俺は俺の指揮に命をかけて戦ってくれる全ての艦娘を愛しているし、尊敬しているぞ」

 よくもまあ顔色一つ変えずに言えたものである。逆に気恥ずかしくなり、大淀は緩む口元を提督から隠すように顔を背ける。

「戦時から現代に生まれ変わって、箸が転がっても面白い年頃になった子のすることを邪推しちゃいかんぞ大淀」

「はいはい」

「だいたいお前が他の軽巡に比べて妙に大人びてるんだよ。アブルッツィやシェフィールドみたいな大型軽巡寄りだったのはわかるけど、酒匂みたいなのもいるんだしさ」

「ほほう」

「球磨多摩を別枠扱いしてたけどお前も那珂とか阿賀野ぐらいはっちゃけても別にいいんだぞ」

「そうですね。じゃあ人のことをでっかく扱う提督には神通さんのようなところを見せてみましょうか」

 見せた。

 

 ところで後日である。

 オフタイムに酒保を訪れた大淀は、ちょうど駄菓子を買いに訪れていた八丈と鉢合わせした。

「大淀さんだー! こんにちはっ」

「八丈さん、お疲れ様です」

 紙袋を手にぱたぱたと手を振る八丈の姿に微笑ましさしか感じない大淀だが、昨日の提督とのやりとりもあったので興味本位で『甘いおせんべ条約』とでも言うべき取引について訊ねてみた。

「そーそー! てーとくおせんべが甘いのダメなんだってー! 好き嫌いとかダメだよねー」

「そうですねー」

「だいたい甘いのがダメなんておかしいでしょ。甘いのが一番だよぅ。他の何者にも勝るよぅ」

 頬に手を当ててうんうんと頷く八丈の将来が若干心配になる大淀だが、とりあえず頷いておく。ともあれ取引は事実らしい。

「それにしても提督のお膝で食べるなんて、八丈さんは提督が大好きなんですね」

 プリプリと提督の甘味煎餅忌避に気炎を吐く八丈に、自分が抱いた懸念も気のせいかと大淀は軽口を叩く。

 しかしそう言われると、途端に八丈はなにやらもじもじし始め、

「んーとね……。

 なんだかてーとくのお膝でお菓子食べてると、あったかいしてーとくの匂いがするしで落ち着くんだー」

 思わぬ展開に真顔になる大淀の前で、八丈は照れて頭を掻きつつ、

「この前なんてうっかりそのまま提督のお膝で寝ちゃいそうになったし、なんでか行くたびに乗っかるのやめられないんだよね」

「あわわ……」

「あとてーとくってたまに執務室のソファで寝てるでしょ?

 その時に使ってる毛布を引っ張り出してソファーの上でくるまってるとなんでか体がむずむずしてきて――」

「はっ、八丈さんは私が見ていない時は執務室入室禁止です――――!」

 ソファ寝は自分にも経験があるので微妙に気持ちがわかってしまう大淀なのであった。



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E3X

2020秋冬合同イベント、E3、Xマス
『北方港湾部 反逆深海化部隊』とはなんだったのか
これはその一つの可能性のお話

主な登場人物:ヴェールヌイ タシュケント ガングート ゴトランド 他


 コラ半島周辺、バレンツ海を舞台とした東洋艦娘部隊の大規模遠征作戦。それが〈2020W船団護衛作戦〉であった。

 吹雪舞う北極海に派遣されたのはその環境を得意とする艦娘達だった。腕を組み、仁王立ちしたまま海面を滑っていくのは軍帽とパイプを携えた銀髪の姿。

「寒いッッッ!」

「上着着なよガングート。襟も締めてさ……」

「それは暑苦しい!」

「帝政生まれって感じだなあ……」

 傍らを行く空色のストールを羽織った艦娘が肩をすくめる。戦艦ガングートに駆逐艦タシュケント。ソ連艦艇の艦娘だ。

「しかしタシュケント、提督に与えられた任務はコラ半島沖に出現した戦艦部隊の撃滅だろう?

 その一方で我々に命じられたのはコラ半島に切り込んだカンダラクシャ湾への突入だ。どういうことだ?」

「旗艦なんだからミーティングの内容ぐらい聞いておこうよ。その艦隊を迎え撃つ上で、陸上の拠点としてコラ半島を確保するのが目的だろう?

 北岸を別の艦隊が押さえて、私達は内陸側の湾に突入するってわけ」

「いやタシュケント、さすがに私だってそれは覚えている。

 妙なのはその『湾内』に『敵』がいるということだ」

 パイプをくゆらせてガングートは首を傾げている。そんな彼女の言うことがいまいち伝わらないのかタシュケントも眉をひそめるが、そこに並び立つ小柄な影があった。

「外海から分断されたようなカンダラクシャ湾に、深海棲艦の強力な勢力が存在するとは思えないってことだね」

「そうそれ。わかりやすくていいなちっこいの」

 膝を打つガングートの視線の先にいるのは駆逐艦ヴェールヌイ。響の名で帝国海軍を戦い抜きソ連に渡った過去を持つ彼女は、この部隊でも最古参だ。背丈は同じ駆逐艦であるタシュケントより頭一つ小さいが。

「でも内海である地中海や紅海に強力な深海棲艦が出現した記録もあるよ」

「しかしそれに比べるとカンダラクシャはただの湾だ。

 白海の四分の一を占める港湾だが、それ以上の何者でもないだろう。陸上のムルマンスク側からしてみれば重要かもしれないが……海から来る深海棲艦からしてみれば袋小路だ」

「でも深海棲艦側は陸上拠点の重要性を認識しているみたいだし、イタリアではジェノヴァやアンツィオに駆逐艦規模なのに強力な個体が出現したのも事実よ?」

 ガングートに背後から声をかけるのは、彼女ら三人とは文字通り毛色が違う艦娘だ。スリットの深いタイトスカートや航空艤装が特徴的な彼女は考え込むように腕を組みながら目元の泣きぼくろを自ら撫でている。

「この辺りはそちらの方が地元という風情のようだな、ゴトランド」

「まあね。

 でもまあ、私達提督から対地装備の指示はされてないじゃない? 相手は陸上型深海棲艦じゃないでしょ、これ」

「戦艦を旗艦とした小艦艇群だってミーティングでは言ってたね。輸送ワ級が含まれているのが気がかりだけど」

 スウェーデン出身のゴトランドと、ソ連出身のガングートやタシュケントとの間には微妙な空気感がある。その間を取り持つのが日本生まれのヴェールヌイだった。

「『陸上型深海棲艦になるもの』を運んでいたりしてね」

「ふーん……私はこっちのPT小鬼の方が面倒だな。あいつら私の砲がろくに当たらん」

 ヴェールヌイのメモを覗き込むガングートとタシュケントはめいめい勝手なことを言う。そんな二人を見てゴトランドは苦笑し、ヴェールヌイは雰囲気が和らぐことに頷きを見せる。

「私達は皆練度が高いし武装も強力だ。司令官が私達を頼るからには何か理由があると思うよ。気を抜かずに行こう」

「ま、この北極海の寒気の中ではいやがおうにも気が引き締まるというものだがな」

 音頭を取るヴェールヌイにガングートが軽く応じ、艦隊はコラ半島の東端を曲がって白海、カンダラクシャ湾へと向かっていく。

 ここまでの航路では飛行場姫からの空襲などもあったので、コラ半島の確保が重要だというのは四人とも実感している。しかしそれにしても、という思いは拭いきれないが、これ以上話し合っても詮無いことだ。部隊は北へと転進し、敵が潜むというカンダラクシャ湾に進路を取る。

「……偵察機を飛ばしましょっか」

「帰還時に着水できるだろうか」

 カタパルトを支度するゴトランドに、同じように水偵を準備するガングートが問う。冬の白海は凍結した面積も多く、小回りが効く艦娘に比べると空中機動から着水する水偵にとっては難儀な地だ。

 しかしゴトランドは悪戯っぽい笑みを浮かべて見せ、

「なにかあったらガングートが氷を砲撃して着水地点を確保してちょうだいね」

「貴様……この辺の氷を舐めてるな?」

「この辺は私の方が地元って言ったのはだあれ? スカンジナビア流の冗談よ」

 そう言ってゴトランドは搭載してきた多目的水上機・瑞雲を射出していく。水上機管理を任されている航空戦艦娘の日向がやたら熱っぽく押しつけてくる装備だが、そのユーティリティ性は各国の艦娘も納得のものだ。

「むう……まあ空からの目は要るか。この視界だものな」

 吹雪に煙る視界は灰色の濃淡でしかない。すでに内海である白海に突入しているので陸地も見えるはずだが、それを肉眼で拝むことは敵わないだろう。ガングートはしぶしぶとゴトランドと共に水上機の射出のために手を動かし始めた。

「そういえばこの付近にはソロヴェツキー諸島があったな」

「なにか縁がある地なのかいガングート」

「いや……ソビエトの時代に収容所として使われていた場所でな。今は世界遺産だが、あまり見たくはないというか」

「幽霊でも出そうだね」

 歯切れの悪いガングートに、ぼそりとヴェールヌイが応じる。それに対してガングートとタシュケントはどぎまぎと表情を引きつらせ、

「よよよよせ縁起でも無い。深海棲艦だけで充分だもののけの類いは!」

「そうさ! それに幽霊なんていないよ! 唯物論的に考えて!」

「ハラショー」

 必死に否定する二名に適当な相槌を打ち、ヴェールヌイは前に出て行く。クスクスと笑うゴトランドもだ。

「世界遺産なんでしょ? 深海棲艦大戦が終わっていつでも来られるようになるといいわね。

 ――と、偵察機が敵を補足したみたいね」

 瑞雲からのモールス信号を受け、ゴトランドは首を傾げると耳に手を当てる。同時に吹雪の彼方、北西の方角で数度稲光のようなものが瞬いた。

「想定通り戦艦ル級他、少数の深海棲艦を補足。――あちゃー、ツ級に迎撃を受けているみたい」

「練度は充分なんだろう? 飛行隊は飛行隊なりに生き延びるさ。落とされた時は一緒に日向に頭を下げてやる。

 その前に、敵がこちらを捉えないうちに先制攻撃を仕掛ける!」

 そう言うと、ガングートは航走を続けながらも両足を踏ん張り艤装の主砲塔を稼働させていく。

「ちっこいの共、突撃は任せるぞ! 私もゴトランドも最高速はさほどでもない」

「はいはい、逆に私達は特別速い方だしね」

「PT小鬼と……あとワ級が場合によっては中々沈まない。気をつけてタシュケント」

「オーケーヴェールヌイ」

 飛び出していく駆逐艦二隻に、その背後から砲撃を放つガングート。戦端が開かれ、その一方でゴトランドだけがガングートの隣でまだ通信に聞き耳を立てていた。

「えっ? ――待ってガングート!」

 主砲発射の轟音に包まれたガングートめがけ、ゴトランドは線の細い身に似合わぬ鋭い声で呼びかけた。

()()()()()()()!」

「なに? この期に及んで幽霊話を続けるつもりか……?」

「違うの! 瑞雲の妖精さんがそう……ああもう落とされちゃった!」

 悔しげに声を上げ、ゴトランドは視線をガングート同様正面に向ける。そこには吹雪の分厚い灰色が広がり、タシュケントとヴェールヌイの航跡がその中に続いているばかりだ。

 しかしそこへ、突如として重低音が響いた。砲撃でも航空機のエンジン音でもないが、艦艇であった過去を持つ彼女達はその正体を瞬時に理解した。

「霧笛……」

 視界不良時に船舶同士が交信するための一般的な装備だ。だが深海棲艦はそんなものを使わないし、一般船舶がこの戦闘領域で活動しているはずもない。

「誰だ! そこにいるのは!」

 オープンチャンネルにガングートががなり立てた瞬間、吹雪の奥に黒々とした影が浮かび上がった。

 

 突入するタシュケントとヴェールヌイの耳にもその霧笛は届いていた。それも至近距離からであり、タシュケントはその音が聞こえてくる向きを正確に把握していた。

「……突っ込んでくる!?」

 瞬間、航走の中からさらに足を蹴り出しタシュケントは急加速を得る。艦隊には島風やマエストラーレ達も所属しているが、タシュケントの速度はずば抜けたものだ。吹雪を押しのけ背後に空隙を作った途端、そこに巨大な舳先が割り込んでくる。

 深海棲艦の駆逐艦かとも思ったが、そのシルエットは金属を組み合わせたプロダクトデザインによるものだ。

「通常艦艇!? なんでこんなところに!」

 加速の中で体を入れ替え、タシュケントは襲来した者の姿を見据える。

 それは戦場に城塞にも似た構造物を持つ。そして吹雪の中に、確かに連装砲塔と傾斜した角度を持つランチャーが見えた。

「巡洋艦……?」

「いや、駆逐艦だね。それもあれは……」

 滑らかな機動で合流してきたヴェールヌイが、タシュケントの呟きに応じる。彼女の目は闖入者のマストを見上げ、そこに国旗が無いのを認めつつも断言した。

「ロシア……いやソ連艦艇だ」

「私達のとこのぉ!?」

「ソ連はもう無いよ」

 驚愕するタシュケントに、ヴェールヌイは淡々と告げる。それが意味するところをタシュケントもたちどころに理解した。

「ソビエト崩壊後に残された艦か!」

 ソビエト崩壊という出来事とその後の体制転換の際に、このムルマンスクを本拠地とするロシア北方艦隊はソビエト時代に揃えた大規模艦隊の維持費を捻出しきれず、多くの艦艇を運用するでもなく解体するでもなく死蔵していた。

 その状態からの転換は度々試みられてきたが、完遂を前にして巻き起こったのが深海棲艦大戦だ。

「でもそういう艦艇は半島外側のセヴェロモルスクにいるんじゃないか!? あっちが北方艦隊の本拠地だろ?」

「私なら本拠地に旧式艦は置かないな。……まあ私はウラジオ(太平洋艦隊司令部)にいたけど」

 ヴェールヌイの返事にタシュケントは唸るしかない。そしてここ白海カンダラクシャ湾には、その名を同じくするロシア北方艦隊の拠点であるカンダラクシャも確かに存在する。

「そんなことより、なんであんな旧式艦が動いているのかを考えた方がいいんじゃないかな」

「うー……。今でもロシア海軍の所属なんだろ? 私達を援護しにきたんじゃないか?」

「事前の通達も無しに?」

 ヴェールヌイはタシュケントを結論に導くように問う。そしてちらりと視線を相手に向け、

「砲塔の指向を確認」

「あーもう!」

 二人は弾けるように散開軌道を取り、それぞれ海面に孤を描いていく。そしてその直後に、ロシア駆逐艦の艦首主砲が火を噴いた。

 二人が本来進むはずだった航跡上に着弾の水柱が上がる。それを受け、ヴェールヌイが無線機のマイクを取り上げる。

「ロシア海軍艦艇に告ぐ。

 ロシア海軍艦艇に告ぐ。

 こちらは遣欧艦娘部隊白海作戦艦隊。現在貴国を含む国際共同作戦により展開中。

 貴艦の攻撃の意図を問う」

 冷静かつ明瞭な問い。しかしそれに対し返事は返らなかった。代わりに艦に装備された対空防御システムが、弾幕を張るための銃身に俯角を取って海上の二人を狙う。

「ダメか」

 ヴェールヌイはマイクを戻すと、相手の船体が生む死角を通って火線を逃れていく。その様子を速度任せに遠ざかっていたタシュケントは歯噛みしながら見守っていた。

「ああもう! 誰が乗ってるかもしれない内は手出し出来ないじゃないか! って……」

 海面に地団駄を打つタシュケントだが、その視界に不意に赤の光が飛び込んできた。

 ヴェールヌイを追う謎の駆逐艦の艦橋から生じたその光は、点滅している。

 光の明滅を前に、訓練されたタシュケントはすぐに意味を見出す。意味が通じるかはわからないが、モールス信号として。

 そして答えが出るまでにさほど時間はかからなかった。

「У…… Ура(ウラー)ァ?」

 それは突撃の鬨の声としてのロシア語だった。つまりあの艦は一心不乱にヴェールヌイを、自分達を攻撃しにかかっている。

「もう、なんで祖国の船と戦わなきゃならないんだ……!」

 覚悟を決め、タシュケントは手にした主砲艤装に装弾する。艦娘艤装は人間サイズながらに艦娘が扱えば実物と同じだけの威力を発揮するが、曲がりなりにも近代艦艇である相手にどこまで通じるか。

 しかし、いざと進路を変え相手の土手っ腹に突っ込んでいこうとしたその瞬間、タシュケントは聞いた。新たな霧笛を。

 そして思い出す、突撃の喊声は一人で上げるものではないということを。

「う……わぁ――――!」

 振り返ったタシュケントが見るのは、吹雪を断ち割りながら迫る赤い光の大群であった。

 

 その頃、砲撃を取りやめ急遽タシュケントとヴェールヌイを追ってきたガングートとゴトランドは、ロシア駆逐艦の追跡を受けるヴェールヌイを発見していた。

「ええいやめんか!」

 伏せるように主砲塔の角度を下げ、ガングートは至近距離からの砲撃をその駆逐艦に叩き込む。そして大口径弾の貫通が船体をくの字に折り、相手の行き足が止まった。

「うわっいきなり撃つ?」

「我が国の海域で狼藉を働くものには問答無用だ。例え我が国の資材を用いていてもな。

 だいたいマストに国旗も揚げていない艦など正気じゃないだろう」

「強気だね。まあ私が誰何しても返事が無かったから同意するけど」

 回避運動を続けていたヴェールヌイが合流しつつ、ガングートにサムズアップを見せてくる。そのマイペースな調子に頭を掻きつつ、ガングートは応じた。

「タシュケントは?」

「これの向こう側。すぐ見えてくると思う」

 ヴェールヌイの言葉を裏付けるように、至近距離で発砲の光が瞬く。それはこちらに向かいながら背後を狙う艦娘が発するものだ。

「タシュケント! そこにも敵がいるのか!」

「ガングート! これまずいって――――!」

 視界に現われたタシュケントはそう叫びながら、そのまま回避機動で遠ざかっていく。何事かと停止した駆逐艦の陰を覗き込むガングート達が目にするのは、海面より高い位置に連なる赤い光の列だった。

「ええいまだいるのか! ちっこいの、なんだこいつらは!」

「放棄されてたソ連艦艇じゃないかって私は思う。それがおそらく……深海棲艦に乗っ取られたもの」

「深海棲艦が人類の艦艇を操っているというのか? どうやって? 人間型のヤツが乗り込んでいるとでもいうのか?」

 深海棲艦研究は、艦娘運用国よりも多くの国で広く行われている。その成果が漏れ聞こえることは希だが、しかしそれでもガングートが言うようなことがナンセンスなのは艦娘誰もが知っていた。

 深海棲艦も艦娘も、人間大の体躯と人間同様の補給リソースで戦闘艦艇の性能を発揮できることが脅威であり、希望なのだ。

 故に艦艇は艦娘のサポートに回り、深海棲艦は人間型個体が強く、艦艇を用いない。それが導かれている結論だ。

 新しい役割を持った艦艇は生み出されつつあるが、それはここにはない。冷戦時代に生み出されたこのコラ半島に係留されている旧式艦には。

「方法もそうだけど理由がわからないわ。見た目だけは派手だけど、旧式艦なら私達や残っている艦艇でも倒せる。戦力にならないんじゃない?」

 ゴトランドは冷静だ。そして目の前にあるソ連艦艇に向ける視線も一歩退いたものだった。

「そうか、私の砲撃で一撃轟沈させられるものな。そうなるとなぜ、か……」

「私はなんとなくわかるけどな」

 え? と全員が目を向けた相手はヴェールヌイだった。しかしその視線を受け、彼女は帽子を目深に被り目をそらす。

「……それより、あの敵はとにかく小回りが効かない。私とタシュケントなら間に潜り込んで翻弄できるから、その隙にゴトランドと一緒に砲撃してほしい」

「お、おう……?」

 一人先に飛び出すヴェールヌイに、他のメンバーは呆気に取られる。しかしヴェールヌイの先に待つ赤い光の艦隊を見て、すぐさま動き始めるしかない。

「――とにかくソ連艦艇を迎撃する! 今のヴェールヌイの指示で行くぞ!」

「了解……!」

 続く三人も動き始める。灰色と赤が蠢く中へ。

 

 艦隊最速のタシュケントは、先行するヴェールヌイを追って敵艦隊に飛び込んだ。そして迷い無く加速していくヴェールヌイに少しずつ引き離されていく。

「ヴェールヌイ! さっきからなんかおかしいよ!」

 呟きを漏らしたヴェールヌイは、ガングートにもゴトランドにも、自分にも見えない何かを見ているようだった。

 先行するその姿が、その見えないものに向かっていくかのようで、タシュケントは焦燥感を抱かずにはいられない。

「ええいっ……同じソ連の同胞なら邪魔をするんじゃないよ! なんで君達は深海棲艦に操られちゃってるんだ!」

 割り込んでくる舳先に、タシュケントは手持ちの砲塔から射撃を打ち込む。ガングートに比べれば小口径のその砲弾は、相手を一撃で沈めるとまでは行かない。

 それはヴェールヌイも同じだ。敵艦の間最短距離を前進していくその姿は、周囲の敵を牽制しつつも撃破はできていない。押し寄せる波濤と敵艦の中に小さな姿が消えていく。

「ヴェールヌイ!」

 吹雪の奥に消えていくその姿めがけ、タシュケントは加速を重ねていく。艦隊最速として追いつけなかったなどと言うわけにはいかない。

 重心を傾けて敵の合間を抜けていく。敵艦が密集していることで砲撃は抑制されているので、タシュケントからしてみれば速度だけの勝負だ。

 艤装が生む速度に加え、蹴り足の加速でタシュケントはヴェールヌイに追いついていく。

「ヴェールヌイ! どうしたのさ、いつもの君らしくないよ!」

 タシュケントが声を上げれば、ヴェールヌイの視線が振り返る。

「この艦隊を深海棲艦に渡すわけにはいかない」

「でもゴトランドが言っていただろう? 敵の戦力になるわけでもなし……。何に気付いたんだよヴェールヌイ!」

「この艦隊は私と同じなんだ」

 タシュケントの声が届くと、ヴェールヌイの呟きも同じように届いてきた。

「忘れられた旧式艦……朽ちるに任せられるまま、全盛期の夢を見続ける。それは艦娘になった私と同じだ……」

「じゃあ、それを深海棲艦が取り込もうというのは……!?」

 因縁を持つ艦の面影を持つ深海棲艦個体は強力なものが多い。ここにいる艦艇が皆そのような個体に変貌したならば?

「全ての艦娘に深海棲艦たり得る素養があったなら、ここに放置されていた冷戦時代の艦隊は艦娘予備軍であり深海棲艦予備軍だ。

 そして深海棲艦達はそれに目を付けた……」

「じゃあどうすればいいんだヴェールヌイ!

 深海棲艦は沈没艦からも発生する……。ここにいる艦を沈めても意味が無いことになるよ!?」

 タシュケントの問いに、ヴェールヌイが示す答えは一つ。さらなる加速だ。

「首謀者たる深海棲艦個体を撃破して、後方にいる友軍と共にこの艦隊を確保する。

 司令官達もそれを想定して今回の作戦を実行しているはずさ」

 ソ連艦隊の奥に存在する深海棲艦群を叩く。今の自分達にできることはそれだけだとヴェールヌイは判断しているのだ。

 しかしそこへ、周囲の艦達から声が響いてきた。

『デカブリスト……』

 それはヴェールヌイがその最期を迎えた時の名。

「違う。今の私はヴェールヌイだ……!」

 応じながらヴェールヌイは前方から迫る二隻の間に滑り込んだ。タシュケントの前で二つの艦首が激突し、門が閉じるように小さな姿が見えなくなっていく。

「ええい、首謀者って始めから確認されている敵だろ? 戦艦と輸送艦がいるんだからヴェールヌイの火力だけでは……!」

 大外を回り込んでタシュケントは追随していく。通常サイズの艦艇が密集しつつあるため前方は海上にあるまじき混雑ぶりだ。さらに錆び付いた金属音を立てて砲塔が自分達を追随してきているのがわかる。

 だがヴェールヌイは水柱の合間を駆けて止まらないし、自分だってそうは当たらない。通常艦艇は海面を時速三〇ノットで疾走する人間サイズの存在など想定していないのだ。

 脅威があるとすれば、とタシュケントが意識を巡らせたその時。敵艦隊の奥に見慣れた影が見えた気がした。

「ヴェールヌイ! 一〇時の方向からPTボート!」

 自分達同様旧式艦の間を縫ってくる黒い影。不釣り合いな巨大な魚雷を抱えたその姿は深海棲艦の快速雷撃戦力であるPT小鬼の群れだ。

 自分達以上に小柄なその姿は海上では狙い澄ましてもそうそう攻撃を当てることは出来ない。タシュケントは主砲塔艤装を腰に下げると対空機銃を手に取り、さらに熟練見張妖精も艤装上に展開させる。

「こなくそ――――っ!」

 ヴェールヌイの側面をカバーする機銃掃射。しかし敵は止まらず、ヴェールヌイへの雷撃が放たれた。

 だがヴェールヌイは慌てない。掻き乱された海面に立つ波に足をかけ、跳ね返るようにして急変針。五線譜のような雷跡の横をすり抜け、タシュケントとPT小鬼を十字砲火に追い込む。

 そして背後ではヴェールヌイを見失った深海魚雷が旧式艦の一隻を巻き込んで次々と誘爆していく。人間サイズには過ぎた威力だが、ここにいる旧式艦達が皆深海棲艦に変貌すればその使い手は大幅に増えることになる。

 PT小鬼を掃射で泡立つ海面に沈め、二隻の快速駆逐艦はターンする。狂乱の海域を突破し、カンダラクシャ湾の奥へ。

 そこにその敵は待っていた。球形の輸送ブロックに項垂れた裸体の本体部を載せた輸送ワ級達。そしてその円陣の中には武装を両腕に携えた人影。戦艦ル級、軽巡ツ級。

「ゴトランドの瑞雲は落とされちゃったんだっけ? ガングートの砲撃じゃなくて私達の雷撃で決めるよ!」

「そうだね。……ん、いや?」

 突撃の前傾を取るタシュケントの側方で、ヴェールヌイが顔を上げる。その視線は戦場から外れた空を捉えた。

「ガングートの水偵は残っているみたいだ」

 瑞雲同様の単葉下駄履きの機影がそこにはあった。海上と並んで過酷な空で生き延びているのは交戦を目的としない偵察機故か。

 そしてタシュケントも横目にその翼を見ると、その友軍機は左右にバンクして何か合図を送ってきていた。

「ここからさらになんかあるのかな」

「通信はガングートの方に飛んでるよね。どうかな?」

 後方の二人を気にするヴェールヌイだが、今は眼前に敵がいる。すでにこちらも接近戦である雷撃を構える中、もう後戻りは出来ない。

「敵を倒して確かめに行くさ。タシュケント、決めるよ」

「姫級がいないならなんとかなるさ!」

 ワ級の合間を縫ってル級を狙うコースへ滑り込んでいくヴェールヌイとタシュケント。ル級は副砲を、ツ級は主砲を繰り出してこれを迎撃してくる。だが雷撃のために横様に駆け抜けていく駆逐艦の速度は捉えきれない。

 そして二人が放った雷撃に対し、ツ級はそばに浮かぶワ級を突き飛ばして魚雷の進路上へと放った。身代わりとされたワ級は直撃を受けてその輸送殻を破砕され、内部のがらんどうの空間を露わにする。

「空……ここへ何かを運んできた後なんだ。

 艦艇を乗っ取るためのなにか……?」

 離脱と再装填をしながらタシュケントは首を傾げる。そしてその視線の先で、ツ級は主砲である両用砲を空に向け始める。

 ガングートの水偵を落とそうというのか。否、戦闘の入り交じる音の底から遠い重低音が響いてきている。

「これはジェットエンジン!?」

 再び視線を上げれば、ガングートの水偵が退避行動を取っている。その彼方の曇天からなにかが接近してきているのだ。

 この北極圏に艦娘部隊の航空機はあまり展開出来ていない。基地航空隊もそうだし、噴式戦闘爆撃機などは航続距離も足りない。

 ならば現われた者は――。タシュケントが見上げた空に鋭角的なシルエットが横切る。

「ロシア軍の航空機じゃないか……」

 深海棲艦大戦では緒戦の被害以後温存されている通常戦力。それは深海棲艦を正しく消滅させることが出来るのが艦娘だけだとか様々な理由が噂されているが、なにより既存兵器が人間大の相手を攻撃することを想定していないことが多い点が大きい。現に今動いている旧式艦艇もタシュケント達を捉えきれない。

 それがここに現われたということは、

「旧式艦を撃沈するつもりなんだ……」

 低空に現われたロシア軍攻撃機はそのまま後方の旧式艦群へ。対艦攻撃のために低空に進入するその姿に対し、突破をかけてきていたガングートとゴトランドが退避している。

 ミサイル攻撃と爆発を背負う旧式艦。タシュケント達は知らない戦争の姿。その炎に照らされ、深海棲艦達も一度は手を止めて沈み行く船達を見渡す。

『デカブリスト――』

 遠く無念の声が響く。そしてその声を掻き消すようにさらなる対艦ミサイルが飛来し、呻く声は空を向いた。

『アドミラル・クズネツォフ……!』

 それはロシア海軍唯一の空母の名。ソ連時代最後期に完成した、この旧式艦達の後輩。

 そしておそらく、攻撃を加えるロシア軍機の母艦だ。タシュケント達は雪の彼方にカナードを備えた鋭角的な機影を見上げる。

『艦娘部隊に告ぐ。現在当海域で活動しているロシア軍艦艇の行動はロシア軍の意図に非ず。

 深海棲艦による拿捕と断定し、我が軍はこれを排除し貴艦隊を援護する』

 通信に冷徹な声が届く。そして繰り広げられる炎の宴を前に、ヴェールヌイがぽつりと呟いた。

「こうして見捨てられるからダメなんじゃないかな」

 通信にこぼれるその言葉に、タシュケント達は思い浮かべずにはいられない。

 自分達が元の姿だった頃と、今の狭間の時間。形無い歴史上のものとして、忘れ去られつつあったあの頃の寂寥感。

「そうか……私達に思いを抱いてくれる人々の視線が無くなっていくと、そう吹き込んだのか」

 人間に想われ、人間を想う艦艇の側面が艦娘の根幹だと多くの者が、艦娘自身ですら信じている。そして深海棲艦はその逆であるとも。

「だとすれば……最後の一押しをしたのはお前達じゃないか!

 あの艦隊には――私達のようになれる可能性もあったのに!?」

 口に出してみれば酷い話だ。歴史に埋もれて行き、そしていずれまた浮かび上がる……。その過程に深海棲艦が干渉した。それがこの戦場の正体。

 同胞に焼かれていく艦隊の断末魔から、タシュケントの視線は立ちはだかる戦艦ル級へと鋭く突き刺さった。

「なんということを……なんてことを」

「そうだね。許すわけにはいかない」

 呻くタシュケントにヴェールヌイは頷き、そして海面に低く構えた。凍てつくような水面を蹴り、戦艦ル級への再突入を仕掛けていく。

「こんなアンフェアは……」

 発射管を抱え、肉薄していくヴェールヌイ。しかしその横様に、急機動するツ級が両用砲を突きつけようとしていた。

「ヴェールヌイ、危ないっ!」

 すかさずタシュケントは己の主砲を放ちながら追随する。ツ級を躓かせれば、ヴェールヌイはその脇を抜けてル級へと突っ込んだ。

 肉薄しての魚雷再攻撃。水柱が天へと吹き上がり、両腕に巨大な艤装を持ったル級の体が傾ぐ。

 タシュケントはツ級へと射撃を続けてその姿を遠ざけていった。その一方で、よろめいたル級が姿勢を立て直しながら離脱するヴェールヌイに狙いを定めようとするのが視界の隅に見える。

「あっ、くそ……!」

 タシュケントの火力ではツ級を留めるのが精一杯だ。そしてガングートとゴトランドはまだ追いついてきていない。

「ヴェール――」

「響ィ――――!」

 不意に冷たい空気をつんざいて声が届く。それと同時に、小柄な影がヴェールヌイとすれ違ってル級に突っ込んだ。

「響はやらせないんだからぁ――――!」

 至近距離から射撃を叩き込むその姿、なびく黒髪にタシュケントは覚えがある。

「暁……! 別働隊か!」

「済みません、遅くなりました!」

 暁に続いて栗色の髪を揺らして海面を疾走してくるのは、高速戦艦イタリア。このカンダラクシャ湾に対するもう一つの作戦である戦力輸送の護衛に付いていた隊だ。

「輸送は成功しました! 私達も敵戦力……? の迎撃に参加します!」

「水上艦艇は深海棲艦に操られている! ロシア軍が攻撃しているから気をつけて!」

 すかさず指示を飛ばし、タシュケントはツ級を押し込んでいく。その様子に、イタリアは事態を理解して砲塔を稼働させた。

 砲撃はワ級を一撃で沈め、さらに周囲に降り注ぐ。ツ級とル級もさすがに警戒したか、後退の進路を取り始めた。

「ヴェールヌイ、タシュケント! 奴らを逃がすな!

 こんなことをできる力を野放しにするわけにはいかない!」

 ガングートの声にタシュケントはヴェールヌイと暁に追随する。戦力が合流し、戦いは追撃戦に変わった。

「そうだ、ここで奴らを根絶やしにする……!」

「タシュケント、熱くなり過ぎちゃだめだよ」

「どういうことなの響?」

 暁だけはまだ状況を詳しくは理解していないようだった。頭上を行くロシア軍機にも視線を上げ、そして呟く。

「戦闘機に……対潜哨戒機もいるみたいだけど」

「えっ?」

 暁の言葉にヴェールヌイとタシュケントが振り返れば、炎上する旧式艦艇の上空をプロペラ機が通過していくのが見えた。しかしその姿は水上艦艇ではなく、潜水艦を探し出すためのものであり、

「まさか……ソビエト時代の潜水艦――原子力潜水艦まで……?」

 ヴェールヌイが引きつった声を漏らす頃、ガングートとゴトランドがようやく追いついてくる。

 追跡の結果として戦艦ル級と軽巡ツ級が撃沈されたのは、そのしばらく後のことであった。

 

 公式な作戦結果として、ロシア軍は深海棲艦に拿捕された全艦艇の処分を行ったと発表している。

 そして作戦終了から現在まで、さらなる深海棲艦の人類側艦艇奪取、及び奪取された艦艇を用いての攻撃の兆候は確認されていない。



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「提督、出撃艦隊から大破艦が出ましたが」

轟沈しない限りはどんな傷も治ってしまう艦娘のお話

主な登場人物:明石 夕張 望月 提督 川内 他


 その日も艦隊は深海棲艦との戦いを繰り広げていた。

「捕捉された敵艦隊は戦艦タ級flagshipを含む水上打撃艦隊です! 気を引き締めていきましょう!」

「頑張っていこう!」

「負けないぞ~!」

 戦艦の護衛として帯同していた駆逐艦娘も、敵艦隊との接近戦ともなれば果敢に雷撃を仕掛ける役目である。着弾観測射撃が敵艦隊に降り注いだ後、快速を活かした突撃が航跡を引いて走って行く。

 しかしそれを見送る艦隊旗艦……山城は思うのだった。

「……今日も嫌な予感がするわ」

 

 艦隊の泊地に設置された入渠ドック。そこにサイレンが鳴り響く理由はいつも一つだ。

「おっ大破艦娘の帰還!」

「よっしゃ急ぎましょう明石さん!」

 待機していた現場担当艦娘である明石と夕張がいそいそと向かう先は港湾部の桟橋。携えていくものは担架であり、作業用のツナギに加えて衛生装備としてのゴム手袋類も完備しての出動だ。

「山城さーんお待たせしましたぁ!」

「大丈夫、慣れてるわ……今日も酷い目に遭ったってことだけど」

 被弾による破れと煤けに塗れた山城と、その艦隊に加わっていた四名の姿が海上に見える。

 一艦隊の編成は基本六名の艦娘から成る。それが示すことは単純だ。

「大破したのは望月よ。艤装に直撃を受けて行き足が止まった直後に戦艦タ級からの射撃を複数回受けたわ……」

「了解でーす。直ちに入渠に移行しますので艦隊の皆さんは提督への報告をお願いしますねえ」

 山城から報告を受けると同時に、明石は一本のロープを受け取る。それは艦隊に輪形陣で守られながらここまで曳航されてきた、救命ボートに繋がったものだ。

「うごぉぉぉ……」

 ボート上の"望月"はごぼごぼとうなり声を上げる。そんな彼女を、明石と夕張は海上のボート上から担架へと移すのだった。

「『ヨガのポーズイチゴ味』って感じですね」

「あるいは『ナポリタン特盛り鉄分多め』か」

「海水浴びながら帰ってきた重傷者に言う台詞かよお……」

「頑張ってもっちー! もうすぐ入渠ドックよ!」

「先にご飯食べて待ってるからねー」

「治療頑張ってね~」

 見送る三日月、水無月、文月を置いて明石と夕張はえっさほいさとでも擬音を付けたくなるような足取りで望月を運んでいく。

 人間大の体躯と維持コストの一方で戦闘艦の能力を持つ艦娘――。深海棲艦大戦の最前線に付く彼女達にとって、不覚を取った経験は誰しも一度や二度では済まないものだ。幼げな睦月型達もそれは同じ。

「ただこれって絶対認知が歪んでると思うのよね……」

「? 誰に向けて言っているんですか?」

 虚空に呟く山城に、艦隊最後の一人である蒼龍が問いかける。しかし山城はくたびれた様子で肩を落としながら桟橋に上がると、艦隊の面々を司令部に出頭させるべく促すのだった。

 

 艦娘用入渠ドック施設は、軽度な損傷を受けた艦娘用の箇所に関しては銭湯や食堂のような設備となっている。

 一方重傷の艦娘用の設備は純然たる医療設備であり、同時に工業設備でもある。清潔なタイル敷きの一室に設置されたドック槽の周囲には、長年の運用に耐えてきた工具の数々が並ぶ。

 望月を運んできた明石と夕張はそのドック槽の横までくると、担架を傾けて望月をドックに満ちた液体の中に投下した。手慣れたというよりももはや乱暴な扱いにも見えるが、激しく損傷を受けた艦娘にとっては他人に抱え上げられることすら痛みを伴う場合も多いのだ。長年の運用で得られた知見である。

「救命ボートの自動揚陸からドックまで運ぶのやってくれる機械欲しいですよね~」

「なんとなくどう作ればいいかわかるけど予算下りないでしょ……」

 雑談を交わしつつ、二人はドック槽に備え付けられたガントリークレーン状の機器を操作する。それは損傷した艦娘から艤装を回収するための設備だ。

 ボロボロの状態で水面に浮かぶ望月の周囲でクレーンのフックがドック底に沈んだ艤装へと下ろされていく。それと同時に、物陰からヒョコヒョコと現れた艤装妖精達がミニチュアサイズの手こぎボートで望月の周囲に集まり始めた。

「あー妖精さん達来たー……。ようやく楽になるわー。

 バケツ食らわないよね? 今日はもう出撃予定無いはずだし」

「さーあそれは提督次第ですねー」

 回収した艤装を搬送パレットに乗せながら、明石は望月の投げやりな問いに応じる。損傷した状態は苦痛ではあるが、ドックでの修復が始まればそこから先は艦娘にとっては休息の時間に等しい。身動きこそ取れはしないが、戦闘に満ちた日常の中における静かな時間ではあるのだ。

「伝令ーっ!」

 折しも、そこに『秘書艦』の腕章を付けた艦娘が一人現れる。今日の秘書艦当番であり、元気が有り余っているため伝令として走り回ることも得意な海防艦、その一員である八丈だ。

「おっウワサをすれば。提督は望月の入渠についてはなんて?」

「はいっ、その件です! えーと、『駆逐艦娘望月の入渠については、高速修復材を用いず臨時休暇扱いとする』だって!」

「うおっしゃあ~」

 伝令の紙を読み上げる八丈に対し、ドック槽内の望月はゆるゆると腕を振り上げる。すでにそうできる程度には修復が始まっている様子だ。

「じゃあ艤装の修理もゆっくりでいいですね~。先にご飯食べに行こっか、夕張」

「帰投待ちでお昼後回しだもんね~」

 手押し台車に乗せた搬送パレットを押し、明石と夕張はドック部屋を後にする。高速修復無し、艤装の撤去もすぐに終了した今回の案件は大破艦への対応としては楽なパターンだと言える。

「ほいじゃあ望月さん、ごゆっくり~」

「あ~い、たっぷりごゆっくりしてきま~す」

 妖精風呂と化したドック槽から手を振る望月に対し、明石と夕張も手を振り返し、八丈を促して部屋から立ち去っていく。

 その風景が漂わせる血生臭さは、回収した艤装から漂うものだけだった。

 

「じゃあ今回の望月の件も大したことは無いんだな」

 明石と夕張が食堂に訪れると、提督も食事に訪れていたところだった。カレーを食べる提督の隣と向かいに、ドリアを持ってきた明石と天麩羅そばを携えた夕張が座る。

「大規模作戦中でもない割には激しい被弾でしたけど大丈夫ですよ。艦娘の艤装は見かけが壊れてもしばらくは艦娘自身を守ってくれますから」

 こともなげに言って先割れスプーンを振る明石だが、提督の顔は浮かない表情だ。

「長く艦隊を率いてもその点については未だに納得がいかないな……。実体としての艦娘と艤装を支える別の力があるってのは」

 そう言いながら、提督はカレーをひとすくい。そしてその様子を見る明石と夕張の頭の上に、いつから付いてきていたのか艤装妖精が一体ずつ姿を現し提督を見つめる。

「力の顕われとしての妖精さん達はいますけど、提督は海上で力を実感することは無いですもんねえ。まあ、工作艦の私も似たようなもんですけど」

「妖精さん、艦載機、海上移動――あと気付きにくいけど砲撃や雷撃も艦娘独自の力が働いているわけで……提督も実感できればいいんですけどねー?」

 艦娘仲間である山雲のように、「ねー?」と視線を交わす明石と夕張に対し、提督はスプーンをくわえて恨めしげな視線を向ける。

「俺だってお前達のことについて習ってはいるんだよ。艦娘は元となる艦船が持つスペックや関わった人々の力が、艦娘になる際に人間一人の体に収まりきらなかった――だからその分のエネルギーを外部に発揮できるのが艦娘の特徴であり、利点でもあるって」

 それは今この食堂で語らっている相手も、素手で戦闘艦の力を発揮し得るということでもある。しかしそんな明石と夕張に対し、提督のぼやきはあくまでも友人に向けるような気軽さに満ちている。

「でもなあ、人間は今まで自分の手足と機械以外の力で世界に干渉することなんかできなかったんだ。そこに『スプーン曲げられます』なんてのと比べものにならない超能力を、それも集団で持ってるのが現れたりしてはだなあ……」

「それ言ったらですねえ、四〇年代の知識しかない私達の前でいきなりコンピューター端末とか使ってみせた提督達もですねえ」

 いつしかお互いをつつき合いながら、提督と明石と夕張は食事を平らげていく。

 一見平和な午後を、食器洗浄待ちの間宮が静かに厨房から見つめている。

 

 提督との歓談と共に遅いランチを終えた明石と夕張は入渠ドック施設へ戻る。ドック槽でくつろぐ望月の一方で放置された、艤装装備を修復する役目があるのだ。

 望月のドック槽で取り外され搬送パレットに乗せられた艤装の残骸は、明石達が根城としている工廠に運び込まれている。被害状況を検分して修繕なり新造なりするのが明石達の役割だ。

「武装は精度が大事だから基本ダメですねぇ~……。機関部や防楯はどう?」

「エンジンはまずいですけど、装甲は予備パーツで全面的に張り替えればなんともないですねえ。

 ……逆ならなお良かった気もしますね」

 あまりにも簡単なミーティングの末、明石と夕張はそれぞれの作業に取りかかる。

 しかし艦娘が手にする武装は、砲塔や魚雷発射装置としてのいくつかの機能がある以外は単純な携行火器と、小振りな内燃機関に過ぎない。少なくとも実体としては。

 可能な限りストックされた部品をかき集め、一部の部品を鼻歌交じりに新造する間に明石と夕張の午後は過ぎていった。夕食前にはなんとか全ての部品が揃い、組み立てのみを残す段取りにまで到達している。

 よって二人は残りの作業を明日に回し、ナチュラルに定時の夕食に向かうのだった。

「……やや、あれ望月さんじゃないですか?」

 夕飯の御膳を手にした明石と夕張が目にしたのは、入渠ドック印の浴衣を着て今日の出撃艦隊の面々と席を共にする望月の姿だった。明石と夕張はその背後に忍び足で迫る。

「やあやあ望月さん。お元気になったようでなによりです」

「艤装ももうすぐ直りますからねー」

「ぐああ工廠組のバックアタックだああ!」

 入渠明けで全身が回復したての艦娘は体が敏感である。経験上その点を熟知している明石と夕張が背筋に指を這わせると、望月は予想通りに敏感な反応を示し、隣に座る三日月の胸をがっちりとホールドすることでなんとか椅子ごと転倒するのを免れるのだった。

「きゃあああもっちー! いきなりそういうことしたらダメでしょうっ!」

「んんん絶対今のは通りすがりの工廠系女子の仕業だろ! ちっくしょう人の体のことを必要以上に熟知しやがってえええ!」

 三日月に取り押さえられながらもぷんすかぽんと気炎を上げる望月の様子に、明石と夕張はキチンと回復している様子を確認する。向かいの席の山城が「余計なことするわね……」と言わんばかりの目を向けてきていたのは長年のつきあいの力でスルー。

「今回の大破案件も簡単でよかったねえ」

「大規模作戦だとこの規模の被弾でも数が多いから一日中拘束されますけどねー。次の作戦はこっちが攻めるのか向こうが攻めてくるのか、どうなるのやら」

 ぎゃあぎゃあと盛り上がる今日の出撃艦隊の横で、明石と夕張もあっけらかんとした晩酌に突入していくのだった。

 

 そしていつもの夜に戻っていく泊地施設を、提督は執務室から見渡していた。

「提督どうしたの? 夜だよ盛り上がらないの!?」

 窓際の提督に対し、後ろから腰の辺りに飛びつくのは軽巡艦娘川内。その左薬指には指輪が光る。

「食べないで夜戦すると盛り上がらないよ! いい夜戦は健康からだよ!」

「んああ……そうだな川内。それにしても俺は思うんだよ。艦娘を見ていると健康とか命とかについて考えちまうんだ」

「難しい話だ!」

 アホの子とキャプションが付きそうな笑顔の川内に提督は苦笑いを一つ。

「深海棲艦と艦娘が現れる前の世界には、不思議なことはほとんど残っていなかったんだよ。科学的に色んなことがわかっていて、不思議だと思っていたことのメカニズムも明らかになっていたから。

 でも深海棲艦の生態や、艦娘が力を発揮するシステムはまだまだ解き明かされていない。だからまだ『不思議なこと』なんだけど――」

「まあ確かに私達も『どう』したら『こう』なるってよくわからないまま使ってるかなぁ。パソコンとかスマホもそうだけど」

 執務室に置かれた業務用パソコンを見る川内の姿に、提督は今日一日の間だけでもほのかなデジャビュを感じるのだった。

「でまあそんな不思議な力頼みではあるけど艦隊を運用しているとさ、艦娘が深海棲艦に叩きのめされて帰ってきて、修復をするわけだろ? そういう時に一番、『不思議』頼みなんだって感じるんだよ」

「入渠の時? そういうもんかなあ」

「そういうもんなんだよ。

 なにせお前、艦娘の入渠システムで直せる重傷ってのは普通なら治療が諦められるクラスでな……」

「えー……?」

 おどろおどろしい調子で言う提督に対し、川内は首を傾げるばかりだ。

「重傷ってどのぐらい? 手足とか、内臓が何個ぐらい無くなったら?」

「質問のレベルがそんなに高止まりしている時点で俺から見ると異常なんだよ。普通は腕一本吹き飛んだら大騒ぎだし、重要な臓器が欠損してたら治療なんかできないんだぞ」

 言っていて寒気でも走ったか、提督は腕をさする。そうしながら窓の外を見るが、その視線は景色ではなく記憶の中を探るように虚空に向かっていた。

「深海棲艦大戦が始まってすぐの、艦娘が登場する前の戦いを思い出すというか、その頃の記憶が遠くなって恐ろしいというか……ハァ――――ン!?」

 センチメントに沈む提督だが、その無防備な尻に向けて川内がしゃがみ込み、両の人差し指をドスと突き込む。内股で傾いでいく提督に対し、川内は嘆息を一つ。

「こらっ。一人だけ辛いことを知ってるような顔するな~? 私達が軍艦の生まれ変わりだってこと忘れた~?」

「おおお……」

「ボロボロになったら人は死んじゃうってことは……まあ艦娘によるけど、いろいろ知ってるんだからね?」

 そう言って提督の顔を覗き込む川内の表情は、不満げに口を尖らせてはいた。しかし喧嘩別れでは終わりたくない、理解があって欲しいという表情だ。

「ただ正直、この体になってからは入渠ドック槽頼みだから実感は無いかなあ。提督が私達の砲撃や移動に関する実感が無いみたいに……」

「だったらまず気軽に人の尻に致命傷になりかねない攻撃をしないで?」

 足踏みをして痛みを散らす提督に、川内はごめんごめんと手を合わせる。そんな姿に提督は、仕方がなさそうな笑みを浮かべる。

「まあ、ある意味これは俺の心配の核にあたる部分なのかもしれないな。

 凄まじい重傷でも艤装の力と入渠ドックの力で回復できるのが艦娘だけれど、この戦争が終わったらお前達を社会に迎え入れる必要がある。

 その時艦娘の入渠治療はそのまま続けられるのか、人間に合わせるのか……。どういう軋轢が起きて、どんな齟齬が生まれるのか」

 異常な回復が可能な艦娘を羨む者が現れるか、それを奪われた艦娘達がどう思うか。提督の気苦労は絶えない。

 しかしそれに対し川内はニッと口の端をつり上げる。

「私達が勝つことを信じてくれてるんだ。だったら私達は大丈夫なんじゃない?」

 川内はあっけらかんとしたものだ。そしてこの底抜けの楽天ぶりと、その一方で覗かせる知性が、提督に彼女を信頼させる要素となっている。

 夜更かしのプロとは思えないほど艶やかな川内の髪を、提督はなでる。そうして勝ち誇るような表情を浮かべる川内を隣にしながら、彼は再び泊地の夜景を見渡した。静かで穏やかな夜を。

 工廠に、艦娘寮。正面ゲートや、桟橋。そして工廠と入渠施設。

 見れば晩酌を終えたのか明石と夕張がそちらに向かっている。入居施設には常夜灯が灯り、闇夜にその姿を浮かび上がらせていた。

 そして施設の背後には、照明に照らされた貯水タンク。入渠ドック槽に充填される液体――深海から汲み上げられた海水が保存されている。

 それは艦娘の驚異的な回復力を支える根幹であり、高速修復材はより高純度な深海の海水でもある。

 そして深海棲艦もその名の通り、深海の潮流の中で体を癒やしていると推測されている。

 しかし今は、今だけは提督はそのことを頭から閉め出していた。傍らの少女が、たとえ凄まじい力と大きな謎を秘めていようとも、人間である自分を信じてくれているから。

 

 開戦一〇年が迫る夜は更けていく。

 そして未来は近くに見えるようで、未だ手は届かない。 



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