道草屋のひと時~彼女たちと猫又の日常~ (三華月)
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道草屋のひと時

初めましての方は初めまして。
再度閲覧して頂いた方はありがとうございます。
『三華月』と申します。
今回の作品は私の処女作でもあります。この原作はASMRの大御所ともいえるサークル様のもので、私は以前から大のファンでした。今回、作品に手を付ける機会が巡ってきた為、初めて筆を執った所存です。
至らぬ点も多々あるとは思いますが、少しでも皆様に楽しい、面白いと思って頂ければ幸いです。
それでは、よろしくお願い致します。


 私は猫である。名前は「クロ」という。名前の通り黒猫である。

 

 しかし、私は普通の猫ではない。近頃よく耳にする転生というものを経て、私はこの世に猫として生を受けたのだ。

 覚えている限り、私はただの人間であった。仕事もしたし、家庭も持った。子供ももうけたし、孫の顔も見た。そして、寿命を全うした。

 ……はずだったのだが、気が付くと私は猫になっていた。それも尻尾の先が二股に分かれた、いわゆる「猫又」というものに。

 

 

 ———猫又。

 

 日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにある猫の妖怪。山の中にいる獣とも、家猫が年老いて化けたものとも言われている。

 

 この妖怪は人を食うらしいのだが、もちろん私はそんなことはしない。むしろ、私には妖怪のような摩訶不思議な力などはない。精々、思考が人間に偏っているぐらいのものだ。

 第一、猫又かどうかも定かではない。単なる染色体異常(突然変異)の可能性だってある。

 

 寿命に関しても知る由もない。さすがに車に轢かれては死んでしまうとは思うが、猫は魂を九つ持つという。ましてや猫又に寿命はあるのかどうか。

 もちろん死ぬのは怖い。しかし、猫又になったせいか、はたまた転生の影響か、どうにも感情の起伏が人のそれと少しズレているように感じる。

 まぁ、一度は三途の川を渡ったであろう存在なのだ。先のことはその時に考えよう。

 

 ところで、私は現在ある所の飼い猫となっている。

 今日はこの場所とそこに住む住人たちを紹介していこう。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ここはとある街外れの、少し奥まった場所に佇む日本家屋の旅館「道草屋」

 利用すれば新鮮な山菜や旬のものを味わうことができ、耳かきや按摩なども体験することのできる一風変わった旅館である。

 

 田舎にある関係上、バスの本数は少なく数時間に一本程度と交通の便は良いとは言えず、コンビニや自販機ですら近くにはない。都会慣れした現代人からすれば考えられない環境であろう。

 しかし、ここに訪れる客は決して少なくない。

 日々の疲れやストレス、孤独感を多く生じさせている現代社会にとって、ここはノスタルジックに浸ることのできる数少ない場所なのだろう。

 

 さらに、ここの従業員である『彼女たち』と接することで癒され、励まされる者も多いことだろう。

 これはそんな彼女たちの生活の一部である。

 

 

「道草屋」は旅館であるため、本来私のような猫や動物は飼ってはいけないはずだ。

 話を聞けば、どうやら先代女将殿の代には捨て犬を拾ってきた当代女将殿がこっ酷く怒られたと語っていた。

 

 ならば、何故私が飼われているのか。

 それは(ひとえ)に「彼女」の功績にあろう。

 

 パタパタ、と襖の向こうから近づいてくる足音が耳に入る。噂をすればというものだ。

 私は寝床から起き、伸びを一つ。すると襖がゆっくりと開かれる。

 

 

 

「クロさん、おはようございます。朝ですよ」

 

 

 紅い行灯袴に黒襟の白い着物。髪は黒く、左右1対のおさげと腰辺りでまとめられた長い後ろ髪が特徴的な彼女は「道草屋」三番目、住み込み従業員。最年少で唯一の未成年、「すずな」殿である。

 

 生まれがここよりもさらに田舎であるためか世間知らず極まれり。これが災いとなり、度々赤面することもあるが、純粋で心優しい女の子である。

 

 そして、何を隠そう私の拾い主。飼い主第一号でもあらせられる。

 

 私は転生当初、土地勘もなく猫というものにも慣れることもできずに野垂れ死ぬ手前であった。そこを拾い、当代女将殿に内緒で世話をしてくれたのが彼女なのだ。

 結局、すぐに女将殿に見つかってしまったものの、誠意ある説得と泣き脅しを経て、その熱意に押された女将殿から客間へ入れないことを条件に母屋の一室で私を飼うことを了承して頂いたのだ。

 

 それからというもの、毎朝は欠かさず私のところに足を運び、挨拶をしていくのだ。

 なんて良い、礼儀正しい子なのだろうか。

 猫であるが、まるで孫娘を見ているようで心温まる思いだ。

 

 すずな殿は私の下の世話──ペットシーツや猫砂などの交換──を行った後、「ごはんですよ」と小鉢に入った(キャットフード)を差し出してくれた。

 

 ここでは朝と夕方に餌が出される。

 はじめは食べることに抵抗があったが、食べてしまえば存外悪くない。最近のモノは素材も良く、身体にも良い。第一、舌が猫に偏ったのか問題なく食べることができている。

 

 食べ進めていくと何やら噛みなれない感触。何だ?と思い、小鉢を覗き込むと小さな煮干しが二つ折りで埋め隠してあった。

 疑問に思い、すずな殿を伺うと小さく「どっきり大成功です」とはにかみ拳を握っていた。

 

 

「これはですね、芹さんからですよ。煮干しが残ったからクロさんにあげるって言ってました。後でお礼を言ってあげて下さいね」

 

 

 どうやら当代女将殿こと「道草屋」の店主「芹」殿からの差し入れらしい。

 彼女は先代女将殿が切り盛りしていた時代から若女将として「道草屋」に在籍しており、現在は代替わりをしてここを仕切ってしている。

 

 長い金髪を狐の耳を模した特徴的な髪飾りでまとめ、スラリと伸びた長身は美を体現している。

 すでに成人しており、よく酒を嗜んではいるがどうにも酔い癖が悪く、何度か絡まれたこともある。しかし、そんな茶目っ気のある彼女の性格は訪れる幾千の客人たちを癒している。

 

 私を飼うことに当初は反対の立場を示していた彼女であるが、私の性格上あまり横着をせず、大人しいことがわかると最近では自由に出歩く許可も下りた。

 流石に強く反対されていれば私もここを出ていく所存のだが「ま、まぁ、一匹ぐらいならいい、わよね!」と言って頂けたのでありがたい。

 

 餌を食い終え毛繕いをしていると、見守っていたすずな殿は立ち上がり、部屋を出ていく。

 襖を閉めず開けたままということは、私が部屋から出て行っても良いという合図だ。

 私は水を舐め、一息ついてから部屋から廊下へと歩みを進める。

 

 

 ここは従業員たちが生活する母屋。

 板間の廊下の先からは彼女たちの声が聞こえる。

 トントンとまな板を叩くリズミカルな音も響いていることから、どうやら朝食の準備中らしい。

 

 生憎と私は台所へは入れない。

 何故かって?

 ここはあくまでも旅館なのだ。いくら今は宿泊客が居ないからと言って、客人に提供する食事も作っている衛生的な場所に私は入ることは許されないのだ。

 

 今用意している食事も従業員向けのモノだろう。味噌汁の良い香りが鼻を擽る。猫である私には塩分が多く食べることができないが、なんとも懐かしい香りであることか。

 

 そんな味噌汁の香りに後ろ髪を引かれつつ、私は台所とは逆、縁側へと向かう。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 今は六月。朝でも過ごしやすい気温となってきたが、そうなると現れる風物詩がある。

 

 それは中庭に面した縁側に横たわっていた。

 蚊帳に包まれた、癖のある白髪が特徴的なやや小柄な物体。「道草屋」二番目の住み込み従業員。だらしろ改め「すずしろ」殿である。

 

 彼女はよく風呂上りなどに縁側に出没する。

 寝転がるだけなら何も問題はないのだが、今日は蚊帳を引っ張り出して縁側で夜を越したようだ。まだ夜は肌寒いこの季節。よく風邪を引かないものだ。

 

 しかし、このままでは芹殿に見つかってまた叱られてしまう。

 仕方がない。ここは起こすとしよう。

 

 爪で上手いこと蚊帳を持ち上げて中に潜り込む。

 私の侵入に気づかずに眠るすずしろ殿の柔らかな頬を何度か前足で押してはみるが起きる気配はない。

 

 心地よく眠っている所を申し訳ないが、そろそろ芹殿が来てしまう。ここは手段を選んでいてはいけない。

 私はすずしろ殿の横へ回り込み、目の前に聳えるお腹に向けて飛び乗ると「ぐふっ!?」とうめき声が一つ。

 

 何事かと戸惑うすずしろ殿に向けて一声鳴くとようやく腹の上に乗る私に気が付いたようだ。

 

 

「な、なーんだ、クロちゃんか。びっくりしたー」

 

 

 びっくりした、ではない。早く起きるのだ。もうすぐ芹殿が来てしまうぞ。との意味も込めてもう一度鳴くと、ようやくすずしろ殿も何かを察したのか、もそもそと壁掛け時計を確認して飛び起きる。

 

 

「すずしろー、ごはん出来たわよー」

 

 

 すると廊下の先から芹殿の声と足音が近づいてくる。

 すずしろ殿の耳にも届いたのか、慌てて蚊帳を開けっ放しの部屋へ放り込むと障子をさっと閉め、髪と寝間着を整える。そして、縁側に戻り、横で見守っていた私を抱き上げて膝の間に座らせる。

 

 その間、五秒も掛かっていない速業。流石である。

 

 

「すーずーしーろー、早く起きないと…あら?」

 

 

 廊下の角から姿を現した割烹着姿の芹殿は、あたかも『寝起きに猫を構っていた風』のすずしろ殿をみて眼を丸くする。

 

 

「…珍しい組み合わせね。どしたの?」

「別に。クロが寄ってきたから構ってあげていただけです」

「そう…。怒らせて引っ掻かれない様にしなさいよ?あと、もう朝ご飯できてるから、早く着替えて食べちゃいなさい」

「はーい」

 

 

 芹殿は「あー、忙し忙し」と言いながら台所へと戻っていく。

 それを見届ける一匹と一人はどちらともなく溜め息をつく。

 

 基本、すずしろ殿はしっかり者だ。よく気が利くし、だだくさをしない。しかし、どこか抜けている所があったり、寝相が悪かったりと見ていると面白い。

 

 密かにすずな殿は縁側で力尽きているすずしろ殿を見つけると、傍らにかまぼこ板で作った『だらしろさんち』の表札を立てていたりもする。それを見つけたすずしろ殿もそこはかとなく嬉しそうにしていることも知っている。

 なんとも面白い。

 

 

 さて、すずしろ殿もそろそろ支度をする頃だ。

 撫でられるのも満更ではないが、ずっとこうしている訳にもいかないだろう。

 

 私はすずしろ殿の膝から降り、縁側を歩いていく。

 頭、背中、尻尾と撫で流されながらすずしろ殿から離れていくと、背後から小さく「ありがとね」との声が耳に届く。

 

 私は振り返ることなく一つ鳴き、歩みを進めていく。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 縁側を抜けると中庭が見え、私は縁側から飛び降りる。

 今日は晴天。多少湿度は感じるが風もあり過ごしやすく、良い洗濯日和だ。

 ここは日当たりが良いため、布団を干したり、洗濯物を乾かしたりと重宝している。

 

 私にとってもここは居心地がよい。日はよく差し、風通りも良い。暑くなれば縁側の下や軒下に隠れ、暑さを凌いでいる。

 時折、外から私のように軒下へ涼みに来る野良猫もいるが、私と目が合うと一目散に逃げて行ってしまう。

 

 どうやら猫達にとっては私は格上の存在らしく、この道草屋近辺は私の縄張りとなっているらしい。

 らしい、というのも私は猫語を完全に分かるわけではない。大まかなニュアンスは感じとれても、詳細には理解できないからである。

 

 まぁ、私に縄張り意識はあまりないのだが、道草屋へ迷惑が掛からなければそれでいい。

 

 

 私は日課の散歩(巡回)を兼ねて中庭をぐるりと歩いていく。

 すると、母屋から朱色の作務衣に着替えたすずな殿が大きな籠を抱えて中庭へ出てきた。時間的にも洗濯物を干すのだろう。

 

 近寄って一声かけるとすずな殿は私の存在に気が付き、「だめです」と私を手で制する。

 

 

「クロさん、今はだめですよ。これは、お客さんのシーツなんですから、汚してはいけません」

 

 

 なるほど、いつもより大きな籠は宿泊客用の洗濯物であったか。これは邪魔してはいけないな。

 私はすずな殿から離れ、庭石を伝って敷地と道を隔てる木塀へと上り、腰を下ろす。

 それを見届けるとすずな殿は頷き、洗濯物を干しに掛かる。

 

 小さな身体でよく働くものだ。

 布団のシーツや掛布団のカバーともなれば、一人用であってもそれなりに大きい。

 すずな殿も何度か干してはいるはずだが、どうにも手こずっている。思えば、今日のように一人とは珍しい。大抵は二人一組で干しているのだが…

 

 すると、すずな殿の背後に忍び寄る人影がひとつ。

 

 長いサラサラの茶髪に目尻がわずかに下がった泣き黒子が印象的なおっとりとした雰囲気の女性。「道草屋」の一番目、最古参の従業員「はこべら」殿である。

 

 彼女は他二人の従業員と異なり、住み込みではなく自宅から通って勤務している。しかし、仕事が長引いた場合や気が向いた際にはここへ泊っていくなど、自由を体現しているような方でもある。

 

 そして、彼女は以前からすずな殿を虎視眈々と狙っているのだ。

 

 何かにつけ、純真無垢なすずな殿にあれこれと吹き込み、混乱し赤面する姿を目にしては愉悦の表情を浮かべている悪しき者でもある。

 

 忍び寄るはこべら殿も朱色の作務衣を着ていることから、どうやら今日は二人が組であるようだ。

 何と恐ろしいことを…

 

 案の定というべきか、ようやくシーツを干し終えたすずな殿の背後から耳孔に向けて吐息を一つ。

 突然の刺激に「ふわっ!?」と小さく悲鳴を上げるすずな殿。そして、すずな殿の反応に微笑むはこべら殿はなんと幸せそうなことか。

 

 

「ふふ、背中がお留守ですよ」

「は、はこべらさん!びっくりしたじゃないですか!」

「いえ、あまりにも一生懸命でしたので、少しは気を抜いてさし上げようと」

「そ、それは、ありがたいんですが…もっと別のやり方はないんですか?」

「別の?」

「はい。別の」

「そうですねー。んー、では、こういうのはどうでしょう……」

 

 

 手招きをしてコショコショと小声で呟く仕草をするはこべら殿。何を言っているのか聞き取れず、何の警戒心もなく耳を寄せるすずな殿。

 すずな殿、あなたって人は…

 

 再び小さな悲鳴が上がり、駆け回る二人を見下ろしながら私はあくびを一つ。

 何気ない日常であり、何とも平和なひと時。

 

 私は今、黒猫で、猫又で、ここ「道草屋」で生きている。

 一体、これからどんなことが起きるのやら。

 叶うなら、これからも彼女らと共に同じひと時を過ごしたいものだ。

 

 ちなみに、はこべら殿のちょっかいにより、洗濯物を干し終える時間がいつもの倍以上掛かってしまったことは言うまでもないだろう。




ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。


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とある晴れの日

前回の初投稿後、少し作成から離れていたのですが、ページを覗いてみると感想を頂くことができていました。ありがとうございます。あまりの嬉しさに勢いそのままで作成いたしました。少しでも楽しいと思って頂ければ幸いです。


 私は猫又である。名前は「クロ」という。

 

 ここはとある田舎にある旅館「道草屋」

 私はその旅館で飼われている家猫である。

 

 今日も今日とてこの旅館は忙しい。擦り切れた心身に安らぎや癒しを求める宿泊客に答えて彼女たちは労り、励まして明日への活力を与えていく。

 そんな彼女らにとって夜のひと時はようやく息をつくことのできる時間でもある。

 

 今は母屋の座敷に女将の芹殿を除く三名が集まっていた。

 はこべら殿は薄桃色、すずしろ殿は若草色の着物を身に纏い、すずな殿はいつもの行灯袴姿で座敷机を囲んで雑談に耽っている。

 私はそんな彼女らの会話をすずな殿の膝の上で丸まりながら聞き耳を立てていた。

 

 …女性同士での会話とは全く尽きぬものなのだな。

 かれこれ二時間は優に話続けているが、その間同じ話題は一度もなかった。私であったら舌が疲れてしまいそうだ。

 もうすぐ二十三時になろうとした頃、はこべら殿が時計に目を配り、「もう良い時間ですし、今日はそろそろお暇しますね」と帰宅の支度をし始める。

 

 ふと外を見ると、すでに夜も更けて辺りは暗い。この辺りは一段と田舎であり街灯も少ない為、明るい部屋の中にいると特に外が暗く感じてしまう。

 通常、この時間に女性の一人歩きは危険なのだが、ここは田舎。それも、はこべら殿の家は「道草屋」から十分程度の距離にあるらしく、この時間でも帰ってしまうようだ。

 

 しかし、すずな殿は住み込みでないはこべら殿のことが気になっている様子。

 これ幸いにと「ここに住まないんですか?」と尋ねる。

 はこべら殿は少し困った顔をしながら「そうですねぇ…」とつぶやく。

 

「楽しそうですけど…持ち家もありますし、誰かが住まないとすぐ痛んじゃうから…」

 

 そうなのだ。家とは生きている。

 掃除や空気の入れ替えをしなければ壁や柱が腐ってしまう。また、人の気配がなければ鼠や鼬などの小動物が住み着いてしまい、家が荒らされてしまうのだ。

 特に田舎では顕著にみられるため、はこべら殿が道草屋へ住み込みとなるのは難しいのだろう。

 

「それにしても、はこさん家は本が多いですよねー」

「えぇ」

「またお邪魔してもいいですか?」

「もちろん。漫画の続きも増えてますよ」

「わーい!」

 

 すずしろ殿が話題を切り替えると、漫画という単語にすずな殿が反応する。

 何を隠そう、すずな殿はあまり田舎から出たことがない。精々隣町程度らしい。そのためか『都会派』のことに大変興味を示しておられる。

 漫画もその一つだ。

 

 この辺で本が売っているとすれば、遠くのコンビニか古本屋くらいなもの。漫画を読みたくともそうそう手に入る環境ではないのだ。

 すずな殿の手元にも何冊かはあるのだが、何度も見返したものばかり。そこに湧いて出てきたはこべら殿の家の話。

 行ってみたい。しかし、言い出せずにそわっそわっしているすずな殿を見かねた私は丸まりながら鳴き声を一つ。

 すると、鳴き声に反応したはこべら殿がすずな殿の様子に気が付いた。

 

「…今度、遊びに来る?」

「お邪魔します!」

 

 即答である。よほど行きたかったようだ。

 

 その後、「いつにしましょうか」と二人の都合が合う日を選んでいく。しかし、どうやらすずしろ殿は当日に仕事がある為、行くことができない様子。

 そのため、はこべら殿の家に行く際には借りてきて欲しい本を伝える流れとなった。

 しかし、そうなるとすずな殿は単身ではこべら殿の家に招かれるわけか。なんとも恐ろしい。

 何事もなければよいのだが…

 

 ◇◇◇

 

 数日後。

 すずな殿が戦地(はこべら家)へと赴いていった。

 私には無事を祈らざるを得ない。どうか騙され、流されぬようにと願いながら私はすずな殿を見送った。

 

 さて、そうなるとこれからは何をしようか。

 芹殿とすずしろ殿は本日も仕事のため、母屋にはいない。つまり、現在母屋には私は一人(一匹)だけなのだ。

 

 ならば丁度よい。天気も良いことだし、久々に町に繰り出してみよう。

 

 私は猫になって以来、数回に渡って周辺を散策していたりもする。

 ここの近くには林や畑、田んぼだけでなく、数は少ないが飲食店などもある。

 猫の身体では料理を口にすることは叶わないが、香りに誘われて集まってきた野良猫や飼い猫たちと交流する良い機会にもなっている。

 

 ここ数日は雨も降り、なかなか外へ繰り出すことができなかった。

 すずな殿に関して不安は残るが、私にはどうしようもない。気分転換も兼ねて行ってみるとしよう。

 

 私はすずな殿を見送った玄関から踵を返し、中庭へと向かう。縁側から降り、あとは中庭を進めば道草屋の入り口へと至ることができる。

 先日の雨のせいか、ジメジメとしているが風はある。暑く慣れば途中に木陰で涼めばいいだろう。

 

 入り口を目指し歩みを進めていくと、途中で洗濯籠を持った芹殿に出くわした。

 今はいつもの黄色い着物ではなく、朱色の作務衣を着ていることから、本日の洗濯物当番なのだろう。

 私は芹殿の後ろを抜けつつ、出かけてくるとの意も込めて一声鳴いておく。すると芹殿も私に気が付いたのか、「あら…」と洗濯物を干す手を止めて私の方を振り向いた。

 

「クロ、おはよ。なに?出かけるの?」

 

 そうだ、と鳴けば芹殿は「ずなちゃん心配するんだから、あまり遅くならないようにね」と私に声をかけてから洗濯干しへと戻っていった。

 まぁ、私は猫、それも猫又である為か比較的夜目が効く。暗闇でも迷うことはないだろうがすずな殿や皆の心配にはなりたくはない。日暮れまでには帰ってくることにしよう。

 そう考えながら私は道草屋の入り口を抜け、通りへと出る。

 

 通りは決して広くはない。農道または田舎道と表現されてもおかしくない、舗装されていない土道。目の前を通過する軽トラにはナンバープレートすら付いていない。

 まぁ、ここは田舎も田舎。事故さえ起こさなければ何だって良い。(良くはない)

 

 私は左右を確認してから道を渡り、畦道を通って集会場を目指す。

 

 ◇◇◇

 

 半刻は歩いただろうか、私の鼻を良い香りが擽った。

 出汁の香り。前世では慣れ親しんだこの香りも猫になってしまえば格別のものとなる。叶うのならば頬張るように舐めてみたいものだ。

 香りに導かれるように進んでいくと、やはりと言うべきか数匹の猫が集まっていた。

 

 ―――『うどん処』

 

 とあるお婆さんと若い女性が営んでいるうどん屋。最近では若い女性が店を仕切ることが多くなりつつあるが、よく繁盛している食事処である。

 偶にではあるが削り節が振舞われることがあり、それ目当てで訪れる猫も少なくない。

 

 店内では話し声とバタバタと動き回る足音がしていることから今は準備中のようだ。

 私は出しの香りを肴に集まった猫たちのもとへ向かう。

 例に倣い私が近寄ると猫たちは怯えるが、取って食いはしないと鳴くと一先ず落ち着いたようだ。

 

 さて、私は久々の外出であるため最近の様子を知らない。何か変わったことはあっただろうか?

 

「ニャー」(おなか、すいた)

「ニャゥ」(いいにおい)

「ミャー」(イシイおばあちゃん、ごはんくれた)

「ミー?」(イシイ?しらない)

 

 おぉう、石井のお婆さん、猫にまで何かを上げているのか?以前はすずな殿も抱えるほどのジャガイモを渡されていたが、大丈夫なのだろうか?

 他にはどうだ?

 

「ミャウ」(クロさま、こわい)

「ニャー」(おなか、すいた)

「ミー?」(クロ?)

「ミャー」(なにかあったっけ?)

 

 それから何度か問答を繰り返すが、話の内容はどこかズレており要領を得ない。

 …やはり猫との会話は難しい。空腹一色の猫もいるため、これ以上の成果は見込めないだろう。

 小さくため息をついていると、ガラッと頭上から音がする。

 

 何だ、と思い頭上を見上げてみると、小窓から三角巾を頭に巻いた女性が顔をのぞかせていた。

 少し癖のある髪を後ろに纏め、朱色の着物の上に割烹着を羽織った彼女は「うどん処」をお婆さんと切り盛りしている「たびらこ」殿である。

 

 そして、いつも集まった猫たちに鰹節を振舞っているのも彼女であったりもする。

 量としては少ないが、腹を空かせた猫たちにとってはご馳走なのだろう。

 しかし、今日はどこか申し訳ないような表情をしている。

 

 まぁ、予想は付く。

 今日はお婆さんと一緒に準備をしているからだ。

 飲食業である関係上、やはり我々猫や動物は衛生上よろしくない。さらに、お婆さんは猫をあまり好いていない。そのため、準備中に削り節を猫に与えれば怒られるであろうことは容易に想像がつく。

 

 たびらこ殿は小声で「ごめんね」というと申し訳なさそうに中へ戻っていった。

 削り節を期待していた猫たちは「まだー?」「おなかすいたー」と鳴き続けているが、今日は諦めろ。あまり鳴いているとお婆さんが出撃してくるぞ。

 私は空腹の猫たちを治めて散るように促す。

 こういう時に上位種というのは役に立つ。猫たちは渋々といった具合に四方へ散っていった。

 さて、私もとばっちりを食らう前に退散するとしよう。

 

 そのあとは一頻り辺りを散策し、時には昼寝をし、気が付けば夕方となっていた。

 そろそろ戻らなければ、皆に心配をかけてしまう。

 私は畦道を通って帰路につく。

 

 どうにか日暮れ前には道草屋へ到着することが出来た。

 私は中庭を通り、タオルの置かれた沓脱石(くつぬぎいし)に飛び乗る。

 私が外へ出向いた時は、館内に汚れを持ち込まないようにと足拭きのタオルが設置される。以前は誰かが飛んできて拭かれていたが、自分で拭いている現場を目撃されてからは基本私任せとなっている。

 流石に泥だらけや濡れ猫になってしまった場合は誰かを呼ぶが、今日はそこまで汚れていない…はずだ。

 一応、毛繕いもしておこう。

 

 一通り身だしなみを整えはしたが、さて、すずな殿は帰ってきているだろうか。

 私は廊下を進み、すずな殿の部屋へと向かう。

 部屋には電気が付いている。しかし、いつもなら開いている障子が今は珍しく閉まっている。何かあったのだろうか?

 見ると障子は締まりきっておらず、ほんの少し隙間が開いていた。

 

 私は恐る恐ると隙間に近づく。すると、紙をめくるが耳に届く。どうやらすずな殿は本を読んでいるようだ。それにしても、障子を閉めてまで一体何の本を読んでいるのだろう?

 確認しようにも、一般的に猫は動体視力が良くても遠くを見ることを苦手とするが、私は猫又である。人並みに眼が良いため何も問題はない。

 しかし、この狭い隙間から見るのは角度的にも難しい。何とか一部だけでも見えないものか。

 

 何度か角度を調整した後に、ようやく本の表紙と背表紙の一部を視界に捕らえた。

 

 えーと、なになに。薔薇が咲き乱れる表紙に………フランス、書院、文、庫…?

 

 瞬間、私は全速力の助走をつけ、確固たる意志を持って障子を破り抜いた。

 すずな殿が素っ頓狂な悲鳴を上げ、駆け付けた芹殿に叱られはしたが反省はしていない。ソレはすずな殿にはまだ早い。




ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。
次回も気長にお待ちいただければ幸いです。


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女の武器とは

思いのほか筆が進みましたので投稿いたします。仕事の関係上、どうしても更新が不定期になっていますのですが、できる限り続けていきたいと思います。何分、勢い任せな部分がありますので、指摘や提案などがあればよろしくお願いいたします。
それでは…


 私は猫又である。名前は「クロ」という。

 

 今は夜。皆の仕事も落ち着き、各々が自由に過ごすひと時。

 私は座敷で机に垂れながら本を読む芹殿と共に寛いでいた。

 

 先日の『ずな部屋強襲事件』により芹殿からお叱りを受けた後、私は一時的な観察処分となった。日中は自室に入れられ、夜は芹殿の眼が届く場所に居なければならなくなってしまったのだ。

 

 言葉だけ聞けば辛そうに感じるが、実際は普段とそう変わらない。

 私に与えられた部屋自体も四畳半と猫一匹に対しては十分に広い。道草屋自体が旅館である為か一部屋一部屋が大きく、今現在寛いでいる居間も十畳とかなり大きい。

 そのため、外に出られないことを除けば何も窮屈な思いはしていないのだ。

 

 まぁ、その処分も今日で終わる予定だ。また破った場合は再度検討することとなっているが早々起こらない…と思いたい。

 おのれ、はこべら殿め…

 

 ◇◇◇

 

 少し時間が経ち夜も更けてきた頃、廊下から足音がひとつ。

 顔を上げると、薄桃色の着物から私服に着替えたはこべら殿が居間へと入って来るところだった。

 

「芹さん、そろそろ帰りますね」

「あら、そなの?てっきり泊ってくもんだと思ってたんだけど?」

「いえ、今日はお泊り道具を持ってきていませんので」

 

 どうやらはこべら殿は今から帰るらしい。

 日によっては泊っていくこともあるが、やはり持ち家があると頻回には泊れないのだろう。

 

 それから少し芹殿と雑談を交わした後、はこべら殿は何故か私の元までやってきた。

 

 両膝を付き、こちらに屈むと天井の照明が背にある為に影が掛かり、長い髪が垂れ下がることで目元が隠されてしまった。

 しかし、隠れていない口元に浮かべてた不気味なまでの笑みが目に映った。

 

 自然と私の耳が立ち、尻尾の毛が逆立ち始める。

 注視する口元がゆっくりと開く。

 

「…クロさん、あまり邪魔をしてはいけませんよ」

 

 …それは何に対してを言っているのだろう。

 本を読んでいたすずな殿の邪魔をしたことに関してだろうか。

 それとも、はこべら殿がすずな殿に行っている遊び、もとい『()()』に関してだろうか。

 

 どちらにせよ、はこべら殿はすずな殿によろしくない!

 させん。させんぞ!純粋なすずな殿を染めさせはせんぞ!!

 

 決意をもとに睨みを効かせながら一鳴きすると、はこべら殿の笑みが一段と深くなる。

 バチバチと一人と一匹の間で火花が散る。

 

「…あれ?はこ、あんた帰るんじゃないの?やっぱり泊ってく?」

 

 芹殿の声に双方、ハッとする。

 はこべら殿は「いえ、クロさんに挨拶をしていただけです」と立ち上がるが、目は依然として私に向いている。

 私は目線を反らすことなく見つめ返していたが、不意にはこべら殿の口が不自然に開閉している事に気が付いた。

 何だ?と思い、注意深く観察してみる。どうやら単語を紡いでいるようだ。

 

 ―――『ガ・ン・バ・ッテ』

 

 頑張って、とはいったい何のことだ?

 それよりも、はこべら殿はまるで私が言葉を理解しているかのように接していないだろうか?

 もしかして、私が人並みの思考力を持っていることに気が付いているのではないか?

 

 いや、まさか。私が道草屋に来てまだ半年も経っていないのだぞ?それに、はこべら殿に会った回数など高が知れている。そんなことは…

 

 私はまるで、いきなり水の中に落とされたかのような焦りと不安感で戦々恐々となる。

 そんな間にも芹殿とはこべら殿はにこやかに話し合っていた。

 

「帰るんなら早く帰らないと。夜道、危ないわよ?」

「そうですね、ではまた明日」

「ほーい、またあしたー」

 

 そういうと、今度こそはこべら殿は自宅へと帰って行った。

 一体、さっきのは何だったのか。

 

 はこべら殿がすずな殿を大層可愛がっているのは知っているが…

 なぜだろう。さっきのことも影響しているのか、動物()目線だと捕食者(はこべら)に弄られている非捕食者(すずな)にしか見えない。

 

 私がはこべら殿に戦慄していると、今度はすずな殿が居間へと訪れた。

 しかし、敷居を跨ぐことはなく、廊下から芹殿を熱い視線で覗き見ている。

 あれは一体何をしているのだろうか。

 

 芹殿も気が付いており、ついには視線に耐えられなかったのか、「…なに?どしたの…」と問いかける。

 するとすずな殿は「…芹さん」と含みを持たせつつ一つの質問を投げかける。

 

「女の武器って、持ってますか?すずしろさんは持ってないって言ってました」

 

 ……なぬ?

 あまりにも突拍子のない質問に芹殿も「おおう…」と唸った。

 

 しかし、女の武器か。

 まぁ、すずな殿も年頃の女の子。身体の成熟には興味があるということか。

 

 先ほどの不安感とは打って変わって、まるで孫娘の成長を見ているようで何とも言えない気持ちとなる。突然のことに驚きはしたが、芹殿なら色々と教えてくれるだろう。

 

「そりゃまあ、ご覧のとおり…ねぇ?ちょっと立派なの持ってますケドぉ」

 

 芹殿は「んふふ…」と妖艶に微笑みながら、たわわに実ったソレを強調する。

 確かに大層立派なものである。私は猫であるが前世は男。欲情まではいかないにしても、目線が引き寄せられてしまう。何を食べれば細身のままそこまで実るものなのか?

 

 すると、すずな殿を追うかのように表れたすずしろ殿が不安そうな、そしてどこか決意を胸にしたような表情で「すずなちゃん…」と声をかける。

 

「あのね…、日本じゃそういうの持ってると犯罪だし、何かあったなら相談してくれれば…」

「えっ」

 

 ん?犯罪とは物騒な…

 すずしろ殿は一体何を言っているのだろうか。

 すずな殿も彼女で驚きを隠せない様子。

 

「でも、芹さん持ってますよ?」

「えっ!?犯罪ですよ!?」

 

 なに!?女性の武器とは犯罪なのか!?

 し、知らなんだ。いや待てよ。確かに、考えてみれば『女性の武器』と言っても様々だ。男性を魅了するモノの総称を『武器』と表現しているだけであって、使い方によってはそれは公然w――

 

「いやっいやー、そんなっ、犯罪ってほどのもんでもっ」

 

 嬉恥ずかしといった具合に芹殿は手をパタパタと振るが、それに対してすずしろ殿はげんなりと「立派に犯罪ですよ…」とため息をつく。

 何だろうか、改めて二人を見ていると全く持って話が噛み合っていない気がする。

 

「けど…んんん…?ここは田舎ですし…、獣相手とかならある…のかな…?」

「いや…獣相手は無いでしょ…。ドン引きだわ」

 

 ちらりと私に目を配りながら、ですよねー…と白ける双方を見て確信する。

 これ絶対に話噛み合ってない奴や!

 だって、よく考えなくとも獣に女性の武器は通用しないし!相手と場合によっては喰われるぞ、物理的に!!

 それに、持っているだけで犯罪になるなら、シャバには男性しかいなくなるわ!?

 

 私が一匹で鳴き喚いている中、「じゃあ、やっぱり村人相手…なんですか?」と問いかけるすずしろ殿に芹殿が肯定を示すと頭を抱えて崩れ落ちる。

 

「すずなちゃん、このお店はもう終わりだよ…。テレビが来るよ…」

「えぇっ!?」

「いや、失礼すぎるでしょ」

 

 一体、すずしろ殿は何を勘違いしているのだろうか?

 第一、女性の武器と言ったらすずしろ殿もそれなりに実ったモノを持っていらっしゃる。例え持っていなくとも、ここに来る宿泊客を毎回癒しているのだ。十分に武器と言えよう。

 それなのに持っているだけで犯罪とは、一体何を言っているのやら…

 

 ふと芹殿が何かに気が付いたように考え始めると、小声でもしかして…と呟く。

 

「…ずなちゃん。女の武器ってずなちゃんは何だと思う?」

「えっと…、でりんじゃーとか…あっ、あと鉄扇です!」

 

 …

 ……

 ………ん?護身拳銃(デリンジャー)?鉄扇??

 

 そういうことねー…と芹殿は座敷机に額を打ち付ける。

 すずしろ殿は斜め上どころか空の彼方へと高速で飛翔していく回答に目を丸くしてすずな殿を見上げている。

 かく言う私も予想外の答えに眩暈を覚えている。何をどう解釈すれば女性の武器を銃や扇と勘違いするのだ。

 

「…ずなちゃん、もしかしなくても、それ、言ってたのはこでしょ…?」

「はい。はこべらさんです」

「あー…なるほどー…」

 

 納得するすずしろ殿は再び大きくため息をつく。

 対して芹殿は「アイツは昔っから妙ちくりんなことばっかり言って!!」とぷんすこ怒りをあらわにしている。

 

 な、なるほど、そういうことか…

 これですずな殿がいきなり女性の武器について質問してきたのかが理解できた。

 

 …

 ……

 はこべら殿ぉぉぉおおお――――ぉっ!!!

 また、また貴方か!?さっきの『頑張って』はこれのことなのか!?

 なんと質の悪い。すずな殿だけでは飽き足らず、私まで弄ばれているようではないか。

 

 しかし、そうなると、はこべら殿には私の思考力が人並みだと勘付かれている節がある。立ち振る舞いには気を付けなければいけないな。

 まぁ、バレた時はその時に考えよう。

 その場合は、道草屋を追い出される可能性もあるが、孫娘のようなすずな殿がイケない方向へ染まっていくことから目を逸らすことなど出来るはずがない!!

 

 三人&一匹が三者三様の反応を示す混沌とした(カオスな)居間で私は対はこべら殿を強く決意するでだった。




ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。
次回も気長に待っていただければ幸いです。


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命の危機 その1

遅くなってしまい、申し訳ございません。
若干のスランプとオリジナル展開の難しさにぶち当たってしまい、投稿が遅れた次第です。いやぁ、小説ってやっぱり難しいですね。言葉が思い付かないのなんの…。
しかし、この小説にお気に入りをして下さった方もおり、やる気が右肩上がりの作者です。また、今回は続編投稿にも挑戦してみました。(本音を言えば、収まりがつかなかっただけなのですが…)
今後、続編の場合は『題名 その○』となります。
『その2』も近日中に投稿できると思いますが、予定は未定。気長に待って頂ければ幸いです。
それでは…


 私は猫又である。名前は「クロ」と言う。

 

 夏真っ盛りとなり、暑さが増してきたこの頃。

 今日も今日とて、旅館「道草屋」へは癒しを求めて幾人もの客が訪れる。

 

 今は宿泊客をバス停まで送りを終えた十時頃。

 汗ばむような暑さの中、彼女たちは休むことなく働いていていた。

 

「今日も暑いですねぇ」

「夏ですからね」

 

 着物を竿に掛けながら少し疲れたような表情を浮かべるはこべら殿。それに対して、すずしろ殿は作務衣の袖を捲りはしているが、まだ大丈夫そうだ。

 

「こうも暑いと雨の一つや二つ、恋しくはなりませんか?」

「…ならないですね」

「はこべらさん、だめですよ。すずしろさんが芽吹いちゃいます」

 

 にこやかに提案をするはこべら殿に、黙々と草を引き抜いていたすずな殿がチクリと釘を刺す。

 

『すずしろ殿が芽吹く』とは、言葉だけで理解することは難しいだろう。しかし、これは梅雨時期の風物詩でもある。

 癖のあるすずしろ殿の髪は湿気に良く反応してしまう髪質でもある。つまり、この梅雨時期によく跳ねる(芽吹く)のだ。

 

「ふふっ、そう言えばそうでした」

「…ぐぬぬ」

 

 顰めた表情が湿気への強い忌まわしさをありありと物語っていた。

 

 ◇◇◇

 

 さて、そんな彼女たちを眺めながら、私は強く思うことがある。 

 

 ───人間とは何と暑さに強いことだろうか、ということをだ。

 

 私の前世は人間であった。

 そして、現在私は猫又だ。

 この姿になって半年程度。最近ではこの身体にも慣れてきたと思っていた。しかし、現実はそう甘くはなかった。

 

 思い出してほしい。人間とは夏をどの過ごしているだろう。

 

 冷房の効いた部屋で過ごす者、海や川で涼み遊ぶ者、様々だ。

 私も一世紀には満たない時間を人間として生き、夏を幾度となく経験した。暑い時には扇風機にあたり、時には氷菓子を口にした。近くに川があれば友人たちと水遊びをした。

 遠い昔の懐かしい思い出だ。

 

 しかし、人間と猫の間には埋めるなど端から不可能なほどの歴然とした差異が存在する。

 

 ───『身体構造』だ。

 

 人間は体毛が少なく、風が肌へと直に当たってくる。更に、汗をかくことのでき、汗が蒸発する気化熱を利用して熱を逃がすことができる。また、長い二本の脚で立つことで熱せられた地面から離れている為、身体が熱せられてすぐに体温が上がってしまうこともない。何より靴を履いていることで足底を火傷することもない。

 

 対して猫はどうだろうか。

 猫は汗をかくことが出来ない。排熱のほとんどが呼吸と排泄によるのみ。身体は体毛に覆われており、地肌が風を受けることはほぼない。さらに、私の毛色は日光をよく吸収する黒色。また、四足歩行かつ裸足である私の肉球は地面からの熱を直に受けてしまう。つまり、何が言いたいかと言うと…

 

 ───ア゛ツ゛イ゛ッ!!!

 

 私は夏というものを甘く見ていた。いや、動物の過酷さを舐め腐っていた。

 これが夏!小型動物の宿命!!知りたくなかった熱せられた地面の熱さ!!!

 

 いくら水を舐めても身体が冷めることはなく、動こうにも力が出ない。頭も熱い。

 結果として、私は少しでも涼しい縁側の下で力尽きるように地に伏している状態だ。

 

 私の荒い呼吸が続く中、ザッと土を擦る音が近くで響く。

 気怠げに目蓋を持ち上げてみると、しゃがんで草を抜くすずな殿と目が逢った。

 

「あ、クロちゃん。こんな所にいたんですね」

 

 すずな殿の生まれは北の地方だったはずだが、流石は最年少と言うべきか、この暑さの中でも汗一つかいていない。

 若さとは、偉大だな。

 しかし、今の私には鳴く気力もないのだ。申し訳ない、すずな殿…

 

 その様子にすずな殿も違和感を感じ取ったのか、「クロちゃん…?」と訝しむような声が溢れ出る。

 

 チチチッと舌を鳴らし、地面を軽く叩いて私の気を引こうとしているのは良く分かる。しかし、すまぬ、すずな殿。どうにも身体が動かんのだ…

 

「クロちゃん?大丈夫ですか?…おかしいですね?」

「すずなさん、どうかしましたか?」

 

 すると、そこへはこべら殿がやって来た。

 どうやら、縁側の下を覗き込んで動かないすずな殿を不思議に思い、声を掛けたようだ。

 

「はこべらさん…。えっと、なんだかクロちゃんがぐったりしていて…」

「ぐったり…ですか?」

「いつもなら呼んだら返事をしてくれるんですけど、今日は中々してくれなくて…」

 

 少し不安そう表情を浮かべるすずな殿。その様子に何かを感じ取ったのか、はこべら殿がこちらを覗き込んでくる。

 

 目が逢うと、はこべら殿に困惑の表情が浮かぶ。

 すると、何かに気が付いたのか、自身の身体を縁側の下に潜り込むようにしてこちらへと手を伸ばしてきた。

 

 作務衣が地面と擦れ、砂が少し舞う。

 あぁ、服が汚れてしまうぞ…、とやや場違いなことを考えていると、私の首皮が勢い良く引っ張り上げられた。

 

 成されるがままに縁側から引きずり出されると、そこはまるで直射日光の灼熱地獄。

 これでは猫の…いや、世にも珍しい猫又の丸焼きになってしまう。

 

 力なく項垂れる私を見て、はこべら殿は一段と険しい表情になり、すずな殿は不安げにオロオロとしている。

 何をそんなに訝しんでいるのやら…

 

「はこべらさん、クロちゃんどうしちゃったんでしょう?」

「分かりません…、でも、もしかすると…」

 

 はこべら殿は何かを考えると、私を抱えて屋内へと入っていく。

 すずな殿も後に続くと、突然はこべら殿から指示が飛ぶ。

 

「すずなさん、保冷剤とタオル、あと内輪を持ってきて下さい」

「ほ、保冷剤、ですか?」

「はい。素人判断ですけど、多分クロさんは──―『熱中症』です」

 

『熱中症』

 急激な体温上昇に身体が順応できないことで生じる適応障害。

 夏場によく耳にするものだが、何も人間だけに生じるものではない。人間以外にも、生物なら誰しもなりうるもの。もちろん「生物」の中には猫も含まれている。

 

 つまり、今の身体が動かない状態は熱中症によるものなのか…

 人間の時に何度かなったことはあるが、猫だとこんなに辛くなるものだとは思わなかった。

 しかし、そうと分かれば対処の方法はある。これは人間と猫に違いはない。熱くなった身体を冷やせばいいのだ。 

 

 はこべら殿に抱えられてやってきたのはとある和室。ここは普段、私が立ち入ることのできない客室だ。

 襖や窓は掃除の為に開けられており、心持ち冷たく感じる風が髭を擽る。

 

 部屋に入るなり、私を日陰に降ろすとはこべら殿は小さくため息を一つ。

 

「…賢いクロさんにしては珍しいですね。…やっぱり、まだ子供だからでしょうか?」

 

 子供…

 まぁ、猫になって半年程度。人間の年齢に照らし合わせれば、今の私は十代半ば。まだ子供に含まれる範疇なのだろう。

 猫又に猫の年齢が当てはめるかは微妙だか…

 

 若干の抵抗も兼ねて一鳴きするが、まだ身体が熱い。まるで身体の中が炙られているかのようだ。

 いつしか部屋の中には私の荒い呼吸音だけが嫌に響いていた。

 

 すると、頭に何かが触れる。ひんやりと冷たい、しかしどこか温かい感触だ。

 何とか見上げてみれば、はこべら殿と目が逢い、その細い手は私の頭を撫でていた。

 

 はこべら殿が撫でてくれるとは珍しい。

 普段私に構ってくれるのは、すずな殿かすずしろ殿だ。たまに芹殿も構ってくれるが、大方酔っ払っていたりする。

 はこべら殿はいつも一線離れた所から眺めていることが多いのだが、どうやら今日は違うらしい。

 

 撫でられ(撫で)ながらお互いを見つめ合う奇妙な沈黙が場を占める。

 

 すると、廊下の先からバタバタッと小走りの足音が耳に入る。

 目線を向ければ、若干息を切らしたすずな殿が「持ってきました!」と大量の保冷剤とタオルを抱えてやってきた。

 

 あまりの多さにはこべら殿は苦笑しながらも、二人で保冷剤をタオルで包み、私の首や脇などに当てていく。さらに、内輪で扇いだ風が当たることで、身体の熱がどんどん逃げていくのが分かる。

 

 どのくらい経っただろうか。

 献身的に労わってもらった甲斐もあって、まだ本調子とはいかないが、随分調子が良くなってきた。

 この具合ならあとは自分でどうにでもなる。

 保冷剤もあるし、何なら涼しい場所を探しにも行けるだろう。

 

 ふらつきながらも何とか起き上がり、感謝と仕事を止めてしまった謝罪の意味も込めて一鳴きする。

 

「クロさん、大丈夫なんですか?まだ寝ててもいいんですよ?」

 

 そうは言うがなぁすずな殿、これ以上、仕事の邪魔をするわけにもいかんだろう?今日だって夕方から宿泊客が来るじゃないか。

 

 私は軽く(かぶり)を振り、部屋から出ていく……はずだったのだが、はこべら殿に首皮を掴まれてしまった。

 猫は首皮を掴まれると動けない…

 

「はぁー…、すずなさん。クロさんは私が診ていますので、すずしろさんのお手伝いに行ってもらってもいいですか?」

「…?わかりました。それじゃあ、行ってきますね?」

「えぇ、お願いします」

 

 …これまた珍しい。

 はこべら殿がすずな殿と一緒に行動する機会であるにも関わらず、すずな殿と離れるとは…

 

 私は首皮を掴まれたまま、はこべら殿の様子を伺う。しかし、これは悪手であったようだ。

 振り向いた私の目に映ったのは、少し怒ったような表情のはこべら殿であった。

 




追記:これまでに投稿した内容の中で進行上矛盾が生じてしまう場面があったため、一部編集をいたしました。
事後報告及び詳細不掲示をお詫びします。申し訳ありませんでした。


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命の危機 その2

お待たせしました。今回は前回からの続きとなります。

相も変わらずに不慣れなオリジナル展開&スランプにより製作に時間が掛かってしまいました。(近日中とは一体…)
原作重視でオリジナル展開を組み込むと、様々な齟齬が生じるので、いかに収めるようかと試行錯誤したのですが、どんどん書きたいものから遠ざかっていく現象が発生。何度作り直したことか…
何とか形にできたので投稿いたします。

指摘や感想をいただけたら幸いです。
それでは…


「なぜ、こうなる前に私たちに声を掛けなかったんですか?」

 

 一人と一匹だけとなった部屋で、はこべら殿の開口一番はそんな言葉であった。

 

 いやいや、声をかけろと言っても私は猫なのだ。喋れないし、熱中症であることにも気が付いていなかったのだから、仕方がないだろう。

 

 そんな私の考えをどうやってか読み取ったようで、はこべら殿は大きなため息を一つ吐くと、私を持ち上げて正面を向かせてくる。

 

「いくら幼いと言っても、これまでのあなたを見聞きしていれば他の猫よりも随分と賢い事は分かっています。そんなあなたがいきなり体調を崩せば、皆さんがどう思うか。特にあなたを一番大切にしているすずなさんが心配しないとでも思いましたか?」

 

 ……それは、そうだ。

 この道草屋に来てから、最も接する機会が多いのは拾い主であり飼い主でもあるすずな殿だ。

 そうでなくとも、私の世話を面倒がらずに笑顔でしてくれる心優しい彼女達が、倒れた私を見て何も思わないはずはないだろう。

 考えれば分かることだが、この日常が当たり前になっていた。

 怠惰に日和った私の頭から何時の間にか大切な事が零れ落ちていたようだ。

 

 自身の行いに悔い俯いている私を見て、はこべら殿が「ふむ…」と小さく唸る。

 

「…もしかしてとは思っていましたけど、クロさん。やっぱり、あなた…私の言葉、分かっていますよね?」

 

 …

 ……

 ………ん?

 

 話の流れが鋭角に変わり過ぎて、一瞬何の事を言っているのか理解できなかった。今まで話の流れから考えて予想だにしていなかった言葉が私の耳孔へ、脳へと滑り込んでくる。

 

 思わず頭を上げてはこべら殿を見上げると、さっきまでの怒ったような表情はどこへ行ったのか、にこやかな笑みをその顔に浮かべていた。

 

「すずなさんを話題()にして、少しカマをかけてみたのですが…、その落ち込んだ顔と驚いた顔、やっぱり言葉が分かるようですねぇ」

 

 …想定はしていた。

 何時かバレてしまうだろうと覚悟もしていたが、まさか今だとは…

 

 しかし、まだ慌てる状況でない!

 せ、世間には利口な猫など五万といる。人間の言葉を理解する猫も一匹や二匹ではないだろぉう!

 

 表面上では白を切りつつ、内心バイブレーションの如く動揺していると、はこべら殿は(おもむろ)に作務衣から手帳とペンを取り出して何かを書き出した。

 三枚の紙にそれぞれ『○』『△』『✕』を書き、私の目の前に差し出してきた。

 

「クロさん、『○』と『△』を見てください」

 

 …決して見るものか、と努力はした。しかし、目は口程に物を言う。

 私は無意識というか、ほぼ条件反射で○と△に目線を走らせてしまっていた。

 

「図形も分かると…」

 

 マズい…。

 いくら利口な猫でも、躾することもなく図形とその名称を理解している個体はいないだろう。

 

「あっ…」

 

 こ、今度はなんだ…?

 私は今度こそ動揺しないようにと身構える。

 これ以上、墓穴を掘るわけにはいかn―――

 

「足元にムカデが…」

 

 なにぃ!ムカデだと!?

 ムカデの毒はスズメバチの毒に良く似ている。人間でも危険なのに、猫の身体では一体どうなるか。

 

 私はまだ上手く動かない身体で飛び退き、足をバタつかせる。

 しかし、私の足元にはムカデは居らず、元いた場所にもムカデの姿はない。

 

 そして、気が付く。

 にこやかに微笑んでいたはこべら殿の口角がゆっくりとつり上がっていくことに…

 

「これはもう、確定…でしょうか?」

 

 やられた…

 これは非常にマズい…

 はこべら殿といる時間が経てば経つほどボロが出てしまう。

 すでに手遅れ感はありありと感じてはいるが、何とかこの場を切り抜けなくては…

 

 私が戦々恐々していると、はこべら殿は小さく笑みを溢す。

 

「ふふっ…、そんなに怯えないでくださいな。確かに、ここまで頭が良いとは予想していませんでしたけど、追い出そうなんて考えていませんから」

 

 な、何故だ?

 自分で言うのもなんだが、いくら猫でも、これだけ異常な存在なら追い出そうとするのが普通でないのか?

 人間とは元来、未知のモノや理解不能なモノに対して強い拒否感を感じる生き物だ。はこべら殿は何とも思わないのだろうか…

 

「ん?首を傾げて、どうかしましたか?……あぁ、なぜ追い出さないか分からないって感じですね。簡単ですよ。そんなことをしたら、すずなさんに嫌われてしまいますから…」

 

 なるほど、納得だ。

 しかし、それだけなのだろうか?

 

「それに、元々動物は好きですし、何より皆さんの反応に一喜一憂するあなたを見ていると、まるで人っぽくて面白いですから」

 

 まさか、猫と人間を結びつけるとは…

 はこべら殿、あなたの勘は凄まじいな。

 

 しかし、はこべら殿が良くても他の彼女達はどう思うだろうか。

 芹殿やすずしろ殿、すずな殿に拒絶でもされたら私は果たして立ち直れるだろうか?

 …覚悟はできているが、自信はない。はこべら殿には悪いが、それならばいっそのこと自分から出ていくべきか。

 

 そんな事を考えると、自然に項垂れてしまう。

 すると、はこべら殿は「まぁ、でも…」と口にする。

 

「芹さんや他の皆さんもあなたを追い出そうとはしないと思いますよ?」

 

 これまた可笑しなことを言う。

 再三言うが、私は異常なのだ。今は気が付いていないにしても、発覚した時にそんな猫を置いておく理由があるのだろうか?

 

 意気消沈する私を尻目に、はこべら殿はつらつらと語り続ける。

 

「芹さんは元々犬派なんですけど、今では部屋にあなたの写真を飾ってありますし、割烹着にだって黒猫のアップリケを付け始めたんですよ?それに、最近ではよくあなたの事を『うちの自慢の子』って良く言い張ってますからねぇ。気が付きませんでしたか?」

 

 し、知らなかった…

 犬派というのは昔の話からも薄々感じてはいたが、そんな嬉しいことを言ってくれていたとは…

 

「すずしろさんだって、デパートへ行く度にあなたのおやつや玩具を買ってきてるんですよ?でも、飼い主のすずなさんがあなたにあげてない手前、いつ使おうかとソワソワしてますし…」

 

 それは、私に教えてしまってもいいのだろうか?

 確かに、最近すずしろ殿からよく目線を感じることがあったのが、あれはそういう事だったのか…

 というか、はこべら殿はよく知っているな…

 

「すずなさんなんて、あなたと遊んでいるときの笑顔と言ったら、もう、ふふふ…」

 

 あぁ、それは大いに分かる。

 彼女の蕩けるような表情は何物にも代えがたい。だから、少しも曇らせたくはないのだ…

 

「…あなたも色々と思うことがあるとは思いますけど、案外どうにかなるものですよ?」

 

 そう、なんだろうか?

 彼女達に迷惑を掛けないだろうか?

 

「まぁ、遅かれ早かれ、皆さん気付きそうなものですので、私からあれこれと言いふらすつもりもありません。それに、もしも追い出されるようなら、私が引き取ってさしあげますよ」

 

 だから…と、はこべら殿は私の頭を優しい手遣いで軽く撫でる。

 まだ熱中症の名残か、はたまたさっきまでの怒涛の暴露(ストレス)による知恵熱なのか、煮詰まった頭に触れる手が気心地よい。

 

「次こそは、悪い状況になる前に、私…いえ、私達に一声掛けてくださいな」

 

 …はぁ。

 これもう、はこべら殿には頭が上がらないな。

 第二の飼い主(暫定)になって頂いたのだ。これ以上、うじうじと悩んでいても仕方ないのだろう。

 私は一声鳴いてから、私を撫で続けている掌に頭を擦り付ける。

 

 今できる最大限の意思表示。

 はこべら殿も感じ取ってくれたのか、少し驚いた顔を浮かべた後に「約束ですよ」と優しく微笑んだ。

 

「では、私は戻りますね。そろそろ行かないと芹さんに怒られてしまいますので…」

 

 そうだ、あまりの出来事に忘れていたが、今は掃除中だった。

 これ以上、足止めをしてはいけないな。

 

 私ははこべら殿から離れて一鳴きしようとした。

 すると、廊下の先からパタパタッと小走りの足音が聞こえてきた。

 ん?子の足音は…

 

「はこべらさーん、クロちゃんの様子、どうですか?」

「もう動けるようにはなったみたいですので、大分良くなったと思いますよ?」

「わぁ、よかったです」

 

 現れたの掃除へ戻って行ったはずのすずな殿であった。

 戻ってきたという事は、掃除の目処が立ったのだろうか?

 

 すずな殿は私に駆け寄ると、「心配したんですから」と頭を撫でてくれる。

 いやはや、いらない心配を掛けてしまってすまなかった、すずな殿。

 気持ち良さに目を細めていると、頭を撫でていた手がピタリと止まる。

 

「あ、そうだ。えっと、芹さんとすずしろさんがかくれんぼをしようって…」

 

 …掃除をしていたのではないのか?

 まぁ、息抜きも兼ねての遊びと言うところか。

 この暑さでも遊ぶ体力があるとは、やはり人間は強いのだな…

 

「あら、懐かしいですね」

「かくれんぼは子供の遊びですよ。大人になってまでそんn「面白そうですねぇ」―――ぇ?」

 

 どうやらはこべら殿も参戦するらしい。

 すずな殿は子供の遊びと考えているようだが、大人だからこそ子供のように遊びたい時があるのだ。

 しかし、まだ子供の域を出ないのすずな殿には分からない様子。

 

 予想外の返答にすずな殿が呆然としていると、廊下から足音が二つ。

 すずな殿を追うようにして現れたのは、芹殿とすずしろ殿であった。

 

「はこー?あんたも一緒にかくれんぼしない?」

「えぇ、是非」

「結構楽しそうですねー」

「エッ!?」

 

 参加:三、保留:一。

 成人組が全員参加する中、唯一の未成年がソワソワとしている。

 大方、すずな殿も参加はしたいが、自身の思い描いている『理想の大人の対応』が邪魔をしているのだろ。

 

 葛藤するすずな殿を尻目に、はこべら殿が薄く口角を上げつつ「すずなさんは大人のようですので…」と芹殿を促す。

 

「よーし!じゃあ参加は子供三人ということででやりましょうか」

「わ、私もやりますっ!!」

 

 高らかに参加を表明する後ろ姿に、呆気ない理想の陥落が私には見えた。




ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。

本当は今回でまとめたかったのですが、予想以上に長くなってしまったため、次回も続きとなります。
次回で目途が着く予定ですので、温かい目で見守って頂ければ幸いです。


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命の危機 その3

お待たせ致しました。続編は今回でようやく終了となります。

何とかエタる(意味合ってる?)ことなく着陸することができました。胴体着陸でも着陸には変わりありませんよね?
何時の間にか原作とは異なる路線を歩んでいるような感じがヒシヒシとしますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

それでは……


 どのくらい時間が経っただろうか。

 彼女達がかくれんぼに勤しんでいる頃、ようやく熱が下がり、動けるようになった私はゆっくりと廊下を歩いていた。

 

 まだ本調子とは言えないが、室内で動く分には問題はないだろう。

 しかし、無理は禁物だ。はこべら殿と交わした約束もある。

 次に体調が悪くなったなら、一声掛けてみるとしよう。

 

 廊下を進んでいくと、こちらへと歩いて来るすずしろ殿と遭遇した。

 辺りを見回していることから、どうやらかくれんぼの鬼になったのだろう。

 近くによれば、すずしろ殿も私に気が付いたようだ。

 

「あれ、クロちゃん。熱中症になったかもって聞いたけど……もう大丈夫なの?」

 

 はこべら殿かすずな殿が伝えてくれたのか?

 いやはや、心配をかけてしまって申し訳ない。すずしろ殿が知っているという事は芹殿にも伝わっているのだろう。後で顔を見せに行かねばな……

 

 私が一鳴きすると、何となく伝わったのか「そっか、気を付けなよ?」と頭を撫でてくれた。

 すると、すずしろ殿は何かを思いついたように声を上げる。

 

「ねぇ、クロちゃん。この辺ですずなちゃん見なかった?」

 

 いや、見てはないが……それを猫である私に聞くのか?

 第一、それはズルと言うものではないのだろうか?

 私が頭を振れば「そっかー」とため息を吐くすずしろ殿。

 

「じゃあ、匂い!すずなちゃんの匂いは辿れないかな?」

 

 あ、諦めたんじゃないのか?

 待て、すずしろ殿。匂いで探れるのは犬で、私は猫だ。ましてや、訓練もしていない犬猫が指示通りに匂いを辿ることなんてできるはずがないだろう!?

 

 これでもかと頭を振ってみるが、何故かこれは伝わらない。

 どうやら、すずしろ殿との通信状況はあまり良くないようだ。

 何故だ!さっきは伝わったではないか!?

 

 いくら応援されても出来ないものは出来ないのだが、ここまで期待の眼差しを向けられてはどうしようもない。

 

 私は小さく唸りながらも、仕方なく鼻を引くつかせてみる。

 すると、廊下を抜ける風に乗って数多の匂いが鼻腔を擽った。

 

 ―――縁側で干されている布団の香り。

 ―――強い日差しに照らされたイグサ畳の香り。

 ―――風に巻き上げられたのか土の香り。

 ―――今日の昼食だろうか、出汁の香り。

 ―――そして、嗅ぎ慣れたどこか落ち着く香り。

 

 ―――ん?

 

 近くに知っている匂いを感じて辿ってみれば、そこは襖の閉まっている客室だった。

 気のせいかと思い、もう一度嗅げば更に強くなる落ち着く香り。

 

 いや、まさか、そんな……

 私は犬ではなく猫なのだ。猫又でもあるが、鼻の短い猫が犬並みの鋭い嗅覚を持っていることなんてあり得るのだろうか?

 私は慄きながらも、すずしろ殿へと目線を向ける。

 

 目線に気付いたすずしろ殿が開けた客室の中は一見誰も隠れていない様子。

 しかし、依然として鼻腔を擽る落ち着く香り。

 その出所は……

 

「わ、本当にいた!すずなちゃん、みっけー」

「み、見つかっちゃいました」

 

 ……居ちゃったよ。

 積まれた布団の後ろから、ひょっこりと出てくるすずな殿。

 

「すずしろさん、強いです…」

「ふっふっふっ……まぁ、今回のお手柄はクロちゃんなんだけどね」

「え?クロちゃん?」

「そ、すずなちゃんの匂いを探してって頼んだら本当に探し当てちゃったからびっくり」

 

 すまぬ、すずな殿。そんな目(ジト目)で私を見ないでくれ……

 

「……クロちゃん、嫌いです」

 

 ―――グァハッ!?

 クロ は こうかばつぐん の こうげき を うけた 。

 

 ち、違うんだすずな殿!いや、何も違わないのだが……

 悪気があったわけではないのだ。私もここまで鼻が利くとは思ってもみなかったのだ!

 

 何とか弁明しようと鳴喚き、すずな殿の足元に頭を擦り付ける。

 我ながら必死である。

 

 しかし、すずな殿から嫌われるよりは断然いい。

 前世で孫から「おじいちゃん、きらい」と言われたあの絶望感はもう味わいたくないのだ。

 

 何度鳴いただろうか。

 不意に優しく抱えられ、温もりと落ち着く香りが私を包んだ。

 

「もう……次は教えないでくださいね」

 

 先程までの拗ねたような表情とは打って変わり、優しく微笑むすずな殿が私の目に映る。

 

 許してくれるのだろうか?

 私が教えてしまった謝罪を込めて不安気に一鳴きすると、すずな殿は小さく笑う。

 

「ふふ、分かりました。許してあげますね」

 

 ……よかった。

 若干、頼んできたすずしろ殿に思うところもあるが、今はどうでもいい。

 私は寄せてきたすずな殿の頬に軽く頭を擦り付けるのであった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 さて、かくれんぼも終盤戦。

 どうやらすずしろ殿は私と会う前にはこべら殿を見つけていたらしく、残るは芹殿のみとなった。

 しかし、芹殿はこの道草屋の事を熟知している。そう簡単には見つからないだろう。

 

 見つかってしまったすずな殿は私を連れて広間へ向かう。

 そこにはすでに見つかっているはこべら殿が時間つぶしなのか読書に耽っていた。

 

「……あら、すずなさんも見つかってしまいましたか」

「はい、見つかっちゃいました」

「私も、まさか一番に見つかってしまうとは思ってもみませんでした」

 

 確かに。

 はこべら殿であれば、搦め手を使って最後まで隠れていそうだが……

 すずな殿も同じように考えたのか、どこに隠れていたのかを問いかけている。

 

「灯台下暗しを狙ってみたのですが、すずしろさんの方が一枚上手だったようで……」

「……?」

「そういうすずなさんはどこに?」

「客室の布団の後ろです。でも、クロちゃんのせいで見つかっちゃいました」

「……クロさんの?」

 

 すまぬ。

 はこべら殿は不意に出た私の名前に理解ができない様子だったが、すずな殿が経緯を語っていくと「なるほど」と腑に落ちた様子。

 

「クロさんは頭も良くて、鼻も利くのですね」

「いい事です」

「そうですね。良い事、ですねぇ……?」

 

 うっ、はこべら殿の視線が痛い。

 そう見ないでくれ。私だって気が付いていなかったのだから、仕方がないではないか。

 

 私がはこべら殿の目線に居た堪れなくなっていると、廊下の先から足音が聞こえてくる。

 顔を向けると、なぜかこちらも居た堪れない表情をしている芹殿とジト目のすずしろ殿が歩いて来るところだった。

 

 話を聞けば、芹殿は探しに来たすずしろ殿を揶揄う為、天袋へ隠した髪飾りに「バーカ」と書いた紙を仕掛けていたとの事。

 それを傍目から覗いて、すずしろ殿が手に取った時の反応を楽しみにしていたのだとか。

 

 しかし、今日のすずしろ殿は冴えていた。

 (髪飾り)を見破り、見事近くに隠れていた芹殿を見つけ出したらしい。

 

 ここまでは良い。

 

 その後、芹殿が髪飾りを回収する前にすずしろ殿は手に取ってしまい、仕掛けてあった紙をすずしろ殿の元に晒されてしまったことで今の状況へと至ったらしい。

 

 茶目っ気のある芹殿らしいと言えばらしいのだが……

 

 まぁ、それでいて彼女達は楽しんでいるようで、掃除の時よりも生き生きとした表情となっている。

 適度に休息を取ることは大切だ。根を詰めすぎては上手く行くものも上手く行かなくなるからな。

 

 私自身にも言えるのだから、以後気を付けるとしよう。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 広間に全員が集まると、かくれんぼはお開きとなった。

 しかし、芹殿が何かを思い出したかのように声を上げる。

 

「そうだ。さっきね、懐かしいの見つけたのよ」

「懐かしい、ですか?」

「そう。まぁまぁ、来てみなさいな」

 

 そう言って向かった先は、芹殿が隠れていたらしい客間。

 到着すると、芹殿は押し入れの中へ潜っていき、取り出したモノは……

 

「三味線ですか」

「髪飾り置く時にね」

 

 それは紫の胴掛けが特徴的な三味線であった。

 確かに、三味線とは懐かしい。昨今ではあまり見かけなくなったからな……

 

 すると、芹殿は徐に構えて指弾きで弦を打ち始める。

 

 ―――べぃん、べぃんっ……

 

 ……思っていた音と違うな?

 よく見ると、長い間手入れをされていなかったのか、三味線には少し埃が被っていて、撥皮も汚れている。弦も緩んでいるのだろうな……

 これでは良い音を出すのは難しいそうだ。

 

「まぁ、古いお屋敷ですもんねー」

「そうねー、探せば他にもありそうよ?」

「わたし、探してきます!」

 

 そう言ってすずな殿は押し入へと入っていく。

 時折ガサゴソと漁る音が聞こえていたが、しばらくして出てきたすずな殿の手には打楽器のトライアングルが握られていた。

 さらには木魚や破れた小太鼓なども掘り出されてきた。

 

 ……あの押し入れの中は一体、どうなっているんだ?

 三味線と小太鼓は分かる。お座敷で使っている所を生前に何度か見たことがあるからな。

 木魚も、まぁ……わかる。

 しかし、トライアングルを旅館で使うことなんてあるのだろうか?

 

 私が素朴な疑問に頭を捻っていると、遅れてやって来たはこべら殿が廊下からひょっこりと現れた。

 

「あら、三味線?」

「押し入れで見つけたのよ」

「いつから押し入れ(ここ)に?」

「昔、お婆ちゃんが使ってはいたけど……いつからかは分かんないかな?」

 

 芹殿がもう一度指弾きをすると、はこべら殿も三味線に視線が向く。

 

「撥皮に弦も痛んでいますね。直すのですか?」

「んー……直したいとは思うんだけどね?」

「渋りますね」

「だってほら、お高いじゃない?」

「伝統楽器、ですからね」

 

 すると、トライアングル片手にやり取りを眺めていたすずな殿が「あのー」と声を掛ける。

 

「そう言えば、三味線って何の皮が使われてるんですか?」

「えーとね、確かー……」

「猫皮ですね」

「……ぇ?」

 

 ほぉ、三味線の撥皮って猫皮だったのか。動物の皮とは知っていたが、何の皮かは知らなんだ。

 

「それ、私も知ってます。確か、優しい音を出したい場合には猫の皮で、逆に強い音を出したい場合には犬の皮をってやつですよね?」

「そうですね。今では合皮を張るのが主流のようですけど」

 

 まぁ、そうだわな。

 もちろん、今でも本皮を使っている物もあるとは思うが、高級品だけだろう。

 今の御時世、猫や犬の皮を大々的に使えば苦情の一つや二つ出かねないからな……

 

 それにしても、先ほどから何やら思いつけたような表情を浮かべているすずな殿はどうしたのか?

 その様子に芹殿も気が付いたのか、ふと声を掛ける。

 

「すずなちゃん、どしたの?」

「芹さん、さっき三味線直すって……」

「?そうね、このまま押し入れの肥しにするのも忍びないし……それがどうかしたの?」

 

 すると、何を思ったのかすずな殿は私を抱えあげて、強く抱きしめる。

 いきなりどうしたのだ、すずな殿?

 

「……クロちゃんは、ダメです」

 

 ……すずな殿は何を言っているのだろうか?

 芹殿とすずしろ殿は目が点になって呆けており、はこべら殿でさえ首を傾げている。

 

 しかし、どうやら見当がついたのか小さく噴き出すはこべら殿。

 その様子を訝し気に伺う二人に小さく耳打ちをすると、二人はいきなり声を上げた。

 

「使わないわよ!?」「使うわけないよ!?」

 

 いまいち話が見えてこない。何を使わないのだろうか?

 

「第一、直すにしても張るのは合皮よ?本皮なんてとてもとても…」

「そうじゃなくても、クロちゃんで三味線を直そうなんて思っていなからね!?」

 

 これはまた……

 まさか、すずな殿がこれ程盛大に勘違いを起こすとは思わなんだ。

 しかし、否定してくれてよかった。

 知らず知らずの内に撥皮にされたとなっては流石に敵わん……

 

「そ、そうですよね!よかったです」

「勘違い極まれり……」

「すずなちゃんって、時々天然入りますよね?」

「そこが可愛いんじゃないですか」

 

 はこべら殿はブレないな……

 まぁ、そんなこんなで他愛ない雑談をしていれば、いつの間にか全員でバンドを組むことになっていた。

 

 バンド名は『Beauty 七草 Girls』略して『びゅなが』

 

 弦楽器(三味線)仏具(木魚)打楽器(トライアングル)の異色のコラボ。

 ボーカルの歌声(般若心経)に合わせて刻まれる軽い木霊と指弾きが混ざり合い、締めの甲高い単音が嫌に一体感を醸し出す。

 しかし、これも必然か、『びゅなが』は音楽性の違いにより、泣く泣く解散となってしまったのであった。

 

 私としては面白い組み合わせであったのだがな、仕方がない。

 彼女達は一通り笑い合ってから、忘れかけていた掃除へと慌てて戻っていった。

 

 さて、私も涼しい日陰を探すとしよう。

 しかし、外は日差しが強く、遠くに見える逃げ水が夏の熱さを物語っていた。

 外はないな、と諦めて私は廊下を進む。

 

 ……まだ保冷剤は溶けていないだろうか?




ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。

何かとオリジナル展開を多く挟んだため、齟齬が生じていると思いますが宇宙のように広いお心でご容赦を……

もちろん、指摘や感想は大歓迎でございます。少しでも良い作品にできるように頑張っていきますでの、これからもよろしくお願い致します。


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ご連泊~裏話ばっくやーど~

 今回は公開作品との混合に挑戦してみました。
 少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

 それでは…


 私は猫又である。名前は「クロ」と言う。

 

 今は日も傾いて、(ヒグラシ)の声が辺りに響き渡る黄昏時。夏の暑さがようやく遠退き始め、幾分か過ごし易くなった今日この頃。

 田舎の旅館『道草屋』は、いつもとはどこか違った雰囲気を纏っていた。

 

 それもそのはず。今日の道草屋には珍しい客人がいるのだ。

 珍しい、と言っても常連のお得意様なのだが、その利用内容がいつもと違らしい。これまでは一泊二日の宿泊が主であったのだが、今回はなんと二泊三日の連泊。

 これには指名された芹殿も驚きを隠せない様子。予約の電話を取った時やお得意様が到着した時にも何度か確認していた程だ。

 

 まぁ、お得意様も疲れているのだろう。

 聞けば、何度か芹殿を指名しているようで、疲れを癒すことに関しては、ベテランの芹殿は適任と言えるのではないだろうか。

 

 そんないつもとは少し違う道草屋の縁側を歩いていると、これまた不思議な光景を見つけてしまった。

 私の視線の先。

 そこには、廊下にしゃがんで客間の壁に耳を寄せているすずしろ殿。何やら息を潜めていると思えば、コツ…、コツ…と客室の壁を小突いているようだ。

 

 …確か、この客間には例のお得意様がいるはずだが、イタズラか? いや、まさか。すずしろ殿に至ってそれはないだろう。

 

 このまま通り過ぎようとも思いはしたが、私の足はその場から動いてくれない。

 これはあれだ。知らぬ振りをすれば何か損をするような予感がして、その場から動けなくなるあの感覚。物音がすればどうしようもなく確認してしまいたくなるあの誘惑だ。

 

 …

 ……

 ………

 

 ここは一つ、ゆっくりと近づいてみることにしよう。お得意様が居る手前、客間に入ることはできないが、廊下であれば怒られまい。それに、鳴かねばそう問題も起きないだろう。

 

 一歩、また一歩と近づけば、何やら話し声が聞こえてくる。

 これは芹殿の声か。すずしろ殿はこの声に耳を澄ましていたようだ。

 では、なぜ壁を小突いていたのだ?

 

 不意にパチリ、と普段なら気にならない程度の小さな床鳴りが足元から一つ。

 なのだが、すずしろ殿はよほど集中していたようで、肩がビクリと跳ねると、その拍子に壁に当たってゴトッと音を立ててしまった。

 

 

 ―――『…なんの音です?』

 

 

 どうやら部屋の中まで音が響いてしまったようで、客間から聞こえる芹殿の声に少し焦った様子のすずしろ殿は、バッ!と振り返り、私と目が逢うと口元に人差し指を立てている。

 私が頷いてその場に静かに座ると、すずしろ殿は静かに「ふー…」と息を吐く。

 

 …何かの邪魔をしてしまったようだ。しかし、一体何をしているのだろう?

 どうやら追い払われることもないようだし、丁度良い。このまま居らせてもらうとしよう。

 

 少し間を置いて、再び客間から壁越しに芹殿の声がポツリ、ポツリと聞こえてくる。

 

 

 ―――『その人、どこか欠けておりませんでしたか?』

 

 

 芹殿の声に間違いはないが、幾つか気になったことがある。

 まず、お得意様との会話というよりも、何か語っているような口調。そして、少し低めの声はどこか不安を掻き立ててくるような印象を受ける。

 

 

 ―――『最後に出たって聞いたのは、5年くらい前…ですかね?』

 

 ―――『この辺りで昔っからたまに出るんですよ… 夕方ごろに道の先に立ってて、何かボソボソ呟いてて… 必ずどこか欠けていて…』

 

 ―――『顔が半分だったり、酷いときは腰から上が丸ごとなかったり… 言い伝えとかもなくて、なんだかよく分からないから、この辺りじゃ『ハンブン』って呼ばれてるんですけどねぇ…』

 

 ―――『取り殺されたとか、そういう話はないですから、大丈夫だとは思いますが… 追いかけられた、と言うのは…』

 

 

 …これはあれだ、芹殿の十八番とも言える怪談ではないか?

 たまに口遊(くちずさ)んでいる所を耳にしたことはあるが、宿泊客に向けて語っている所に出くわすのは初めてだ。

 

 と言うより、人によっては眠れなくなってしまう事もあるの思うのだか、疲れを取りに来ているであろうお得意様に怪談とは大丈夫なのだろうか…?

 

 そんなことを考えていると、芹殿の語りに変化があった。どうやら、場面が変わったようだ。

 

 

 ―――『その晩、私はなかなか寝付けませんでした。もともと私は霊など信じておらず、女将の話は「客人を楽しませるための作り話だろう」と思っているのですが…、目を瞑ると、俯いて歩く私を半分の顔がニヤニヤ見下ろしている妄想が拭えないのです』

 

 ―――『…と、小さくギ… ギ… 廊下の軋む音がします』

 

 

 すると、芹殿の語りと合わせるようにして、息を潜めていたすずしろ殿が動き出し、わざと床板に体重を掛けるようにして足を踏み出せば、ギィ…ギシ…と床鳴りが響く。

 

 これは上手い。語り手と効果音で、あたかも物語が現実に起こっているような臨場感を演出しているのか。

 

 

 ―――『女将さん、か。 女将さん…だよね?』

 

 ―――『開け放した窓から夕方に感じた、あのムワッとした、纏わり付くような空気が入り込んできました』

 

 ―――『コン、コン…』

 

 

 今後は戸を叩く音。

 すずしろ殿は客室の襖をノックし、ゆっくりと開けていく。

 開いた襖の間から覗くと、客室の中には芹殿とこちらに背を向けたお得意様。

 

 

 ―――『後ろから、襖がズッ…と滑る音が聞こえ、小さく聞き覚えのあるボソボソ声が…』

 

 ―――『コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ…』

 

 

 段々と大きくなる芹殿の声に合わせて、すずしろ殿はゆっくりと忍びながら近づいていく。

 とうとう客人の耳元まで来ると、静かに息を吸い…

 

 

 ―――『コッチミロ』

 

 

 肩がビクリと震えるお得意様。

 芹殿が語り掛けている反対側からの不意打ちとは、これまた面白い。しかし、どうやら怪談はここで終わったようで、すずしろ殿は種明かしとばかりにお得意様へと向き直っている。

 

 それにしても二人掛かりの怪談とは考えたものだ。内容もそうだが、語り手と演出の息が合っていないとできない芸当だろう。

 その点、何かと付き合いの多い芹殿とすずしろ殿は上手いこと連携が取れており、素晴らしかった。

 

 そんな怪談に見入っていれば、いつの間にか日が暮れて、もうすぐ夜になる。しかし、このまま寝に行くのも何か味気がない。何かないものかと頭を捻れば、ある事を思い付いた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 そうだ、と思い至って来るは母屋。

 

 ここには、彼女達の休憩室も兼ねた十畳ほどの座敷があり、予想が正しければ彼女がいるはず。そして、その予想はズバリ的中する。

 

「あ、クロちゃん。お帰りなさい」

 

 部屋の中央にある大きな座敷机でお茶を飲んでいるのはすずな殿。

 

 今は営業中であるものの、今日の宿泊客はお得意様のみ。そのお得意様には二人が付いており、すずな殿は店番なのだろう。ちなみに、はこべら殿は今日はお休みである。

 しかし、店番と言っても飛び入りの宿泊客は滅多に居らず、その実質は休憩中と言うわけだ。

 

 座敷に足を踏み入れるや否や、すずな殿は小さな紅い座布団を側へ置いて、ポンポンと叩いて見せる。

 人が座るにはやや小さいそれは、何を隠そう私専用の猫用座布団。ある時にすずな殿とすずしろ殿から送られた物で私の宝物の一つである。

 

 促されるまま座布団へと腰を降ろせば、すずな殿は微笑みながらやさしい手つきで撫でてくれる。

 交わす言葉がなくとも穏やかな時間が過ぎていく。

 何とも落ち着く、いつも通りの日常。あぁ、なんと幸せなことか…

 

 どのくらいそうしていただろう。

 ガラッ…と座敷の障子が開かれると、すずしろ殿が入ってきた。

 

「あ、お疲れ様です」

 

「お疲れ様ー、何もなかった?」

 

「大丈夫でした。 …あれ?今日は芹さんと旦那様のお世話をするんじゃ?」

 

「いやー… ちょっと、ね?」

 

 どこか歯切れの悪い様子。何かあったのだろうか?

 すずな殿も首を傾げてはいるが、座敷に隣接する台所へ「お茶、淹れてきますね」と入っていった。

 

 すずしろ殿は礼を言いつつ、座布団へ腰を下ろすと大きくため息を吐いていた。

 怪談の手伝いにお得意様の世話にと少し疲れたのだろう。労いも兼ねて一鳴きすると、すずしろ殿はこちらへと視線を向けてくる。

 

「あ、クロちゃんも居たんだ。 もー、さっきは驚いたんだから…」

 

 おっと、それに関してはすまなかった。どうも、気になってしまうと身体が動いてしまうのだ。猫の習性なのだろうか?

 

 どこか恨めしそうに訴えかけてくるすずしろ殿に、丁度お茶を淹れてきたすずな殿が「何が驚いたんですか?」と問いかければ、待ってましたと言わんばかりにすずしろ殿はこれまでの経緯を語り始めた。

 

 笑いもそこそこに話が盛り上がっていると、廊下からべぃん…、べぃん…、と弾く音が聞こえてくる。

 

 この音は三味線か。

 いつぞやの掘り出した三味線を直して芹殿が演奏しているのだろう。

 それにしても芸達者なものだ。話ではつい最近まで使い方も分からないと口にしていたのに、しっかりと曲を成している。

 

 

 ―――『薄雲覗く(さかずき)に 玉響(たまゆら)揺れる玉兎(たまうさぎ)

 

 ―――『交わす言葉に花が咲きゃ 闇も宵々(よいよい)帰り道』

 

 

 さらに驚いたことに、弾き語りまで始めてしまったではないか。

 しかし、聞いたことのない唄だ。見れば、すずな殿も首を傾げている。あまり知られていない唄なのか?

 

「これって、何の曲なんですか?」

 

「地元の唄だよ。すずなちゃん聞いたことなかったっけ?」

 

「初めて聞きました」

 

「よく祭りとかで流れてるんだよ。まぁ、歌詞は芹さんの振り付けだけど… そっか、すずなちゃんはまだ行ったことなかったもんね」

 

 なるほど。通りで聞いたことのない唄だったわけだ。すずな殿も納得したのか、聞こえてくる唄に耳を傾けている。

 

 

 ―――『吹かし者ににゃ灯りやせん 灯りやせん』

 

 ―――『(よい)もほろろに通りゃんせ 通りゃんせ』

 

 

 …終わったようだ。

 どこか懐かしさを感じる良い唄だった。これを弾き語るにはかなり練習したのだろう。しかし、どうやら芹殿の演奏はこれで終わりではないようで…

 

 

 ―――『狐に親子がまた明日 夕焼け小焼けに手を振った』

 

 ―――『お宿は小さな軒の下 明日も笑っていますように』

 

 

「あ、この唄は知ってます。よく芹さんが歌っているヤツです」

 

「正解!これは芹さんの十八番みたいなのだからね」

 

「なんだか、聞いてると落ち着きますね」

 

 確かに。

 唄の音色と言い、語りの調子と言い、なんとも穏やかな気持ちとなる。まるで子守歌のようだ。疲れているであろうお得意様も、これで少しは心安らぐに違いない。

 

 

 ―――『狐の親子はまた明日 夕焼け小焼けに手を振った』

 

 ―――『お里の野山も狐色 明日も笑っていますよに』

 

 

 …聞いているとなんだか眠くなってきた。

 しかし、寝るにはまだ早い時間だな。このまま座敷(ここ)でゆっくりするとしよう。

 

 そのまま、うつらと舟を漕いでいれば、廊下から足音が一つ。

 勢いよく障子が開いて現れたるは、頬を膨らました芹殿だ。そのまま座敷へ入り、すずしろ殿の頭に拳骨を「セッ!」と振り下ろす。

 

「たっ!?」

 

「なんで途中で出ていくのよもーっ!」

 

「えぇ…、だって二人いても狭いだけですし…」

 

 どうやらすずしろ殿はあの怪談の後に客間から退室したようだ。

 まぁ、確かに四畳半の客間に三人は狭いように感じる。それに、今回指名を受けていたのは芹殿であり、すずしろ殿は言ってしまえば『お手伝い』だ。的を得ている。

 しかし、芹殿も単に退室したことに怒っているのではないようで…

 

「あー…、一人で死ぬほど緊張した。テンポも間違えるし、トチるし、もうやだ。すずしろが出てったせい」

 

「呼び止めればよかったじゃないですか」

 

「…それはそれで二人っきり嫌がってるみたいじゃないもぉー…」

 

 そう言って机に突っ伏す芹殿。

 どうやら慣れない三味線をお得意様相手に一人で弾き語るのが心寂しかったようだ。なんとも乙女らしくて、自然と頬が緩んでしまいそうになる。

 当のすずしろ殿も呆れたような、それでいてどこか納得のいった表情をしている。大方、私と同じようなことを思っているのではないだろうか。

 

 すると、芹殿が「そういえば…」と何かを思い出したかのように声を上げる。

 

「さっきのあれ、アドリブなんてちょっと驚いたじゃない。やるなら言っといてもらわないと」

 

「…?あれって、何のことですか?」

 

「ほら、あれよあれ。怪談の途中でガタンって音がしたやつ。面白くて良かったけど、いきなりだと私もびっくりするじゃない」

 

「あぁ、それなら―――」

 

 …おっと、何やらこれは雲行きが怪しくなってきたぞ?

 咄嗟に明後日の方に目を逸らしはしたものの、すずしろ殿の方から湿度の籠った熱い視線を感じる。

 無言の圧力を背中に感じる中、すずな殿はクスクスと笑いを堪えており、芹殿は訳が分からないといった様子で「えっ? なになに、どしたの?」と見回すばかり。

 

 さて、そろそろ良い時間だ。私は自室で寝る(戦略的撤退)としよう。

 彼女たちと目を合わせないまま、ゆっくりと座布団から腰を上げれば、私に集まる彼女たちの視線。謝罪を込めた一鳴きを合図にバッと私は駆ける。

 

 座敷机の下を潜り抜け、勢いそのまま廊下へ、そして自室へと風の様に駆けて行く。置き去りにした座敷からすずな殿の笑い声と私を呼ぶすずしろ殿の声が夜の館内に響くのであった。




 ここまで読んで頂き、誠に有難うございます。
 次回も気長に待って頂ければ幸いです。

 感想や指摘、評価もよろしくお願いいたします。


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