ご注文は……なんでしょう? (珊瑚)
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一話:小さな女性
(1)


 

 

 

「ここだよね……」

 

 とある春の日。私はこの木組みと石畳みの街へとやって来た。とても綺麗で、いい意味で現代的ではない、幻想的ともいえる風景の中を進み、歩くことしばらく。ついに下宿先であるお店の前へと到着。私は地図を確認し、ふうと息を吐く。長い旅路だった……。

 位置は間違いない。この『邂逅のための写し鏡』――地図には私のいる場所に印がつけられている。

 ……。改めて見てみると、なんだろうか、この名前。普通に見やすい地図なんだけども、タイトルだけが奇妙だ。写し鏡というのは……多分、街の姿をこの紙に写しているから、とかそんな由来だろう。かっこいいといえばかっこいい。

 私は地図をしまい、前にあるお店を見た。

 一見すると周囲のお店と同じく洋風な佇まいの建物なのだけど、一つ他とは違う特徴がある。それは『茶屋 甘兎庵』と書かれた看板である。大きな木の板に黒の達筆な文字で記されており、それだけやたら和風だ。看板だけ目立つその有り様は、タイトルだけ珍妙な地図を彷彿とさせる。

 きっとお店の人の趣味が出てるんだろうね。

 面白いことになりそうだ。

 クスッと笑い、早速中へ入ろうとドアに手をかける。時刻は夕方頃だ。多分お店に誰かいるだろう。

 

「失礼しますー」

 

 恥ずかしいけど、お客さんとは違うのだとアピールするため、ノブを捻り中に入りつつ声を出す。

 洋風な外見通り、中も割とそんな感じだ。長方形のテーブルと、落ち着いたデザインながらお洒落さを感じさせる椅子。派手さはないが、綺麗で雰囲気のいいお店であった。

 

「おお、すごい……」

 

 こういったお洒落喫茶店など初めて入ったかもしれない。普段はチェーン店ばかりだし。感嘆しつつ周囲を眺める私。すると店内の席に一人、お客さんがいることに気づいた。

 ふんわりとした、少し明るい茶色の髪。可愛らしく、それでいて大人の女性の品を感じさせる顔立ち。フレームのない眼鏡越しに見える蒼い瞳は宝石のように美しい。大人らしい落ち着いた色のワンピースの上にカーディガンを羽織っており、そしてワンポイントに首元にストールを巻いている。スタイルは抜群で、胸なんて服の上からでも大きさが容易に窺えた。

 神秘的で、すごく綺麗な人だった。

 夕暮れ時の店内。窓際の席でペンを片手にじっと紙を見つめるその女性。なんだか絵画にでもなりそうな光景だった。

 言葉も出ず、私は彼女に見惚れる。

 長年生きてきたが、こんな経験初めてであった。完全に、一目惚れ……自覚できるほどに。

 

「あら? もしかして、サヤさんですか?」

 

 横から不意に声をかけられ、ハッとする。記憶と若干の差はあるものの、聞き覚えのある声だった。落ち着こうと自分に言い聞かせながら私はそちらへと顔を向けた。

 私を見る翡翠のような瞳。花の髪飾り。艶やかなロングの黒髪が目を引く、綺麗な少女が私のすぐ前にいた。緑色の着物の上に白の割烹着を身に付けており、彼女がここの店員であることが一目で分かった。とても和風である。

 

「……もしかして、千夜ちゃん?」

 

 ここに彼女がいることは分かっていた。けれどもこんな綺麗な女の子に成長するなんて。胸なんて私以上あるような。

 驚きから思わず質問で返す私。しかし目の前の少女はそんなこと気にせずに笑顔を見せた。

 

「はい。お久しぶりですね、サヤさん」

 

 やっぱり千夜ちゃんだった。こんなに大きくなって……。あっという間だね。

 って、いかん。なんだか親戚のおばさんみたいなこと思ってるぞ私。私はまだ20代前半。まだまだピチピチなのだ。言動はおろか、思考も気をつけておかねば。早く老けてしまう。

 脳内のネガティブな考えを追い払うように、私は首を横に振り笑顔を浮かべた。

 

「久しぶり。……私のこと覚えてくれてたんだ」

 

 正直、覚えられていないかと思っていた。昔正月に会ったくらいの仲なのに。私はすっかり分からなかったというのに、よく覚えていたものだ。

 

「勿論ですよ。サヤさん全然変わってないですし」

 

 にこりと笑って千夜は言う。

 それもそうか。私と彼女の変わり様はすごい差である。私はあの時からずっとチビで、ぺたんこで、ストレートの金髪ロングだったものね。ふふふ……微妙にショック。

 

「そ、そっか……」

 

「ええ。あ、荷物は上の方にありますから、確認してください」

 

「ありがとう。じゃあ早速……」

 

 丁寧に言われ、私はすぐに千夜から示された方向に向かおうとする。が、その時ちらりと窓際の女性が見え、足を止めた。

 

「どうしました?」

 

「あ、いや……」

 

 尋ねられ、返事に困る。千夜があのお客さんのことを知っているなんて可能性は極めて低そうだし、果たして口にしていいものなのだろうか。十中八九引かれそうな気がする。

 言い淀む私に、小首を傾げる千夜。彼女は私が見ていた先へ視線を向け、納得のいったように手をポンと打った。

 

「あの人が気になります?」

 

「ええっ!?」

 

 妙に鋭い。もっと千夜はのほほんとしていた記憶なのだが。

 

「え、えと……は、はい。気になりましゅ」

 

 動揺のあまり噛んでしまった。予想が当たったからか、千夜ははしゃいだ様子で両手の手のひらを合わせる。

 

「やっぱり。お店で書き物してるし気になりますよね」

 

 ……あぁー、そういう意味だったのね。

 自分の早とちりぶりに恥ずかしくなる。普通はそうだ。お店でああも真剣に原稿と向き合っている人など中々見れないものである。

 

「あの人は小説家なんですよ」

 

 心なしか楽しげに千夜は言った。小説家。なるほど、彼女の雰囲気にはぴったりな職業かもしれない。

 

「名前は青山さん。うちにはよく来るから、今度お話してみたらどうですか?」

 

「そうだね。そうするよ」

 

 微笑んで頷く。

 青山さんか……。是非ともお近づきになりたい人だ。常連さんらしいし、そのチャンスはこれから何度かありそうだ。お店を手伝うためにここへ来たんだしね。

 ……本当、これから面白いことになりそうだ。

 お母さん、お父さん。ぐーたらだった私の新生活は、とても刺激的な日々になりそうだよ。

 私はスキップしかねないルンルン気分でお店の二階へと向かった。

 

 

 



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(2)

 

 

 

 私にあてがわれた部屋は至って普通な和室だった。広さは約7、8畳といったところか。自室としてはそれなりに広い部類である。家具は既にタンス、ちゃぶ台とテレビがあり、右奥には押入れが見えた。入り口から奥には窓があり、陽の当たりも良好だ。窓際に山積みにされたダンボール以外、今のところ不自由はない。いい部屋である。

 

「ここが新たな私の城か……ふふふ」

 

 今までフローリングなお部屋だったけど、これも中々。居心地がよさそうである。さて。荷物の確認といこう。部屋の中を観察し、ぼちぼちダンボールの個数を数える。……ふむ。しっかり全部揃っている。流石は業者。お金を払っただけはある。丁寧な仕事だ。

 

「これで遊べるなー。よしっと」

 

 そうと決まれば早速開封。そして片付け。それから遊ぶの3コンボといきましょうか。ぐーたらで通っているけど、ご褒美が待っていれば頑張れる人間なのだ私は。ふんと鼻を鳴らし、私はダンボールを崩しはじめた。これくらいどうってことはない。一時間もしない内に終わることだろう。

 

「駄目人間じゃないところを見せてあげよう」

 

 見ていてよ……私をぐーたらと電話越しに罵った甘兎のおばあちゃん!

 

 

 

 ○

 

 

 

 と、意気込むのは大抵失敗する前兆であって。

 

「駄目だ……」

 

 私は頭を抱えた。目の前には床に点々と開かれたダンボール箱数個。そしてそれらの隙間を埋めるようにして散らばった数々の私物。見事に足の踏み場がなくなっていた。あまりにすごい散らかしっぷりで、どうやったのか自分でも覚えていない有り様だ。多分これが4コマ漫画ならば台詞一つで一コマ。『ここが新たな私の城か……ふふふ』から始まって、そして『駄目だ……』と言った場面がオチになっていたことだろう。綺麗な起承転結である。

 と。自分のストーリー構成にほれぼれしている場合ではない。この惨状を誰かに見られでもすれば、間違いなく駄目人間認定だ。なんとかせねば。

 

「とりあえず近くの物から箱に詰めてこう」

 

 なんだか無限ループが展開されそうだけども、それが一番な筈。しゃがみこみ、私は床に散らばった物を回収していく。バレないうちに素早く正確に。あのおばあちゃん微妙に怖いんだよなぁ。叱られない内に早くしないと。

 

「……ん?」

 

 荷物を拾っている途中、ふとある物を見つける。他の物と同じように床に落ちていたそれは、私の愛用している携帯ゲーム機である。床に置いていて踏んでは事だ。見つけた端からすぐ回収。大事に腕へ抱えた。

 

「ふぅ、良かった」

 

 まさか私としたことが、床に置きっぱなしにしてしまうとは。姉に踏んづけられた苦い思い出を繰り返すところだった。ホッと安心し、ゲーム機の画面を撫でる。黒一色で作られたそれは携帯ゲーム機にしては洗練されたデザインで、二年は遊んでいる今もかっこいいと思えた。

 ……そういえば、カセットは何が入っていたっけ。

 私は自然と電源をオン。その場に座り込み、収集していた私物をまた床に置いておく。わくわくする起動音が鳴り響いた。当初はカセットの確認だけが目的だったのだが、折角の新生活なのだからとセーブデータやインストールしたゲームの整理をはじめ、ついには自然とゲームをプレイしていた。

 怖いものだ。ゲームは人を堕落させると言うが、まさにそうなのだろう。私のように意志を鋼のごとく固めた人間ですら、知らぬ間の内に熱中してしまうのだ。さぁやろうと思って取り組めば、どれだけの時間をもっていかれることか。こんなものを発売して、ゲーム会社の人は何を考えているのだろうか。末恐ろしいものである。

 こうやって語りを入れている時点で色々察しがつくと思うのだけども、まぁゲームのせいだ。悪いのはゲームだ。

 私は鼻歌混じりにゲームを順調に進めていく。引っ越しの準備とかダンボールの箱に誤って封印してしまったり、あれやこれで最近できていなかったせいか、物凄く楽しい。よし。そろそろ途中だったステージをクリアできそうだ。一段落し、膝の上にゲーム機を置いて伸びをする。――と、その直後、小さな足音が耳に入った。それはトントンと一定のリズムでのんびりと近づいてくる。誰のものかは分からない。けれども誰に見られてもまずいのだ。私は慌ててなんとかしようとするが、遅かった。すぐに部屋の襖がノックされてスッと開き、一人の少女が顔を出す。

 

「あ、あの、初めまして。手伝ってと言われたので、来まし――」

 

 微妙にカールしたどこか品のある金髪。青の瞳。華奢で、守ってあげたくなるような可愛らしい顔立ちの少女である。どこかの学校の制服らしき白いブレザー、白と黒のチェックのスカートを着ており、頭には黒リボンを付けていて……どこぞのお嬢様っぽい子だ。ただ、なんとなく幸薄そうな感じがするのは何故だろうか。

 彼女は優しげな笑みを浮かべて部屋の中を見、固まった。笑顔のまま瞬間冷凍されたようにギギギとぎこちない動きで周囲を見回し、そして最後にゲーム機を膝に乗せた私へ視線が止まる。

 ……誰だか分からないけれど、見られてしまった。

 私はこの場の空気を和らげようと苦笑。わなわなと震えた彼女は徐々に表情を変え、すうっと大きく息を吸う。

 

「――めっ!」

 

 そして子供を叱るように大声で言った。

 まさかこの歳になってそんなふうに怒られるとは思わなかった私である。

 

 

 



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(3)

 

 

 

「なんでこんな散らかして……引っ越しの片付けしてるって聞いたのに」

 

 私を思い切り叱った彼女は、信じられないものをみるような目で部屋を見回しつつ言った。引っ越しの片付けから何故こんな光景になるかは私も分からない。最早超常現象。神のみぞ知るという感じだ。なんて開き直ったことは言えないため、私は苦笑して曖昧に応じる。金髪の少女はため息を吐き、開いた襖を通ると部屋の中へ入ってきた。それから膝に手をついて中腰になり、優しげな目をして語りかける。

 

「私も手伝うから、頑張ろう?」

 

 完全に子供扱いである。それも駄目な子を言い聞かせる言い方だ。二十代の大人相手にこの対応。間違っていないのが悲しいところである。ここで大人だとは言えるわけもなく、私は素直に首を縦に振った。

 

「うん、ありがとう。えっと……」

 

「紗路。シャロって呼んで」

 

 にこりと微笑むシャロ。ふむ、この子も可愛くて綺麗な人だ。千夜の友達なのだろうか。そういえば、千夜が幼馴染のことを話していたような。まさか彼女が? 確か泣き虫で、面白い子だとか言ってたな。けどしっかりした子だよね。優しいし。

 

「私は小空 彩矢(おそら さや)。同じく、サヤでいいよ」

 

「サヤちゃんね。よろしく」

 

 私の頭を撫でて、シャロはてきぱきと床に落ちている物を拾いはじめる。年下ばかりにやらせるのは流石にまずいだろう。ゲーム機の電源を切り、私も作業を再開した。セーブはしていないが、またプレイできる楽しみが増えたと思うことにしよう。

 

「サヤちゃんはなんでここに来たの?」

 

 片付けを真面目にしていると、不意にシャロが尋ねてきた。

 

「ええと……お店の手伝いに」

 

 年齢がバレないよう、返答に困りつつ答える。嘘は言っていない。実家でぐーたらしていたら、私を哀れに思った両親から半ば強制的にここへ送られたのだ。なんでも、親戚に私のことを愚痴ったら甘兎のおばあちゃんが仕事をくれると言ったらしい。人手が少し足りない日があるようで、娘とおばあちゃんだけでは回らないときがあるようだ。両親は私の許可無くその話を快諾した。

 というわけで、私はアルバイトとしてここに雇われることに。嗚呼、素晴らしきかなコネクション、である。

 

「ちっちゃいのに大変ね。何か困ったらすぐに言ってね?」

 

 きっと両親が出張したり、離婚したり、仕事で忙しかったり、なにかあったのだと思ったのだろう。やたら同情するような目で見ながら、シャロは言った。うん、まぁ小さいし大変なんだけど、間違ってないんだけど……多分彼女は色々間違っている。言うべきか言わないべきか――迷いに迷い、私は言うことにした。

 彼女が恥かくことになりそうだし、今後の人間関係のためにも素直に言うべきだろう。それに私の精神がもたない。

 

「あのね、シャロちゃん」

 

「殆ど服ね……それも大量の。うん? どうしたの?」

 

 10年近い年月がもたらした大量の服に苦戦していたシャロは、笑顔でこちらを見る。物凄く言い辛い。でもこれも彼女と私のため。言わないと。

 

「実は私、結構な歳なんだよね」

 

「あははっ、面白い。何歳なの? 12歳とか?」

 

「23」

 

 大学卒業から一年ニート。率直に言うと空気が凍りついた。が、それは一瞬のことで、すぐにシャロは微笑む。

 

「ふふっ、そうなんだ。じゃあ敬語使ったほうがいいかしら?」

 

 駄目だっ! 全然通じない! こういうときばかりは私の過剰な若々しさが憎い!

 

「あの、本当なんだけど?」

 

「本当なら、私すごく失礼になっちゃうじゃない。信じられ――」

 

 作業に戻った彼女の言葉が途中で途切れる。シャロの視線の先にあったのはパスケース。奇しくもそれは免許証の面が上になっており、私が運転免許のとれる年齢だということを示していた。シャロの腕の中から小さな山になっていた服がドサッと落ちる。

 

「お、大人子供!?」

 

 意味が不明だった。

 

「玩具――じゃないわよね。ええと、本物……定期まである」

 

 慌てた様子でケースの中身を確認するシャロ。裏面にある期限の切れた定期を見つけ、彼女は確信を得たようだ。バッと勢いよく頭を下げる。

 

「ご、ごめんなさい! てっきり小学校とか中学校の子かと!」

 

 無事誤解が解消したというのに、心が砕けそうだ。

 

「き、気にしてないから……。こっちもごめんなさい」

 

 悪いのは正直に言わなかった私だし、叱られるのも当然のこと。シャロに非がないのは誰が見ても明らかである。半分グロッキー状態になりつつ、私は気にしないよう言う。これからはもう少ししっかりしよう。親から説教されるよりも堪えた。

 

「は、はい……ありがとうございます」

 

 ホッとした様子でシャロは胸を撫で下ろした。

 

「千夜からは親戚としか聞いてなくて……勘違いしてました」

 

 ……なんだろう。それ、千夜が故意にやったような気がする。なんでも面白くしようとする傾向があるし。後で訊いておこう。

 

「いいよ、本当に。よくあることだから。あと敬語もいいよ? 私全然気にしないから」

 

「ええっ? 駄目ですよ、そんなこと」

 

 首をブンブンと横に振るシャロ。遠慮とかではなく、本気で駄目だと思っているようだ。真面目な子である。

 

「いいんだよ。……私人権ないし」

 

「な、なにかあったんですか?」

 

「まぁ、ドナドナ的な」

 

「ドナドナ!?」

 

 うん、間違ってない。だって話をされて業者に電話したと思ったら、いきなり車に乗せられて放置されたもん。

 

「とにかくっ、私がそうしてもらいたいからそうすること! 仲良くしたいんだ、シャロちゃんと」

 

「なら……いい、んでしょうか」

 

「いいのいいの。むしろ呼び捨てするくらいの勢いで。命令する感じで。興奮するし」

 

「それは止めてほしいです」

 

 そこはきっぱり断るんだね。くそぅ。

 

「じゃあそれはいいや。フレンドリーに話そう。ほら、シャーロちゃんっ」

 

「ええ……と、じゃあ、サヤちゃん」

 

 押しに弱いようで、視線を泳がせていたシャロはついに観念し私の名前を呼ぶ。戸惑いながらも私の名前をちゃん付けで呼ぶ彼女。その姿に得も言われぬ達成感を覚える私であった。決して興奮は感じない。

 

「うんうん。そうだよ、シャロちゃん。遠慮は必要ないんだから」

 

「なら……早く片付けるわよ、サヤちゃん」

 

 戸惑っていたシャロだが、私のリアクションを見て大丈夫だと思ったのだろう。落としていた服を拾い、笑顔を浮かべる。ちょっと距離が縮まったような気がする。私は嬉しくなって笑い返した。

 

「ほら、にやにやしてないでさっさと動くの。早く」

 

 距離が……縮まったんだよね。上下が変わったけども、きっとこの関係が正常だと思うのだ。命令されないと私だらけそうだし。

 

 

 



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(4)

 

 

 

「綺麗に片付いたわね」

 

 あれから30分くらい経っただろうか。すっかり綺麗になった部屋を眺め、シャロが満足げに言った。荷物はタンスや押入れに収め、ダンボールはきちんと畳んで一箇所にまとめてある。二人でやったとはいえ短時間でこの作業量。司令官という役割の重要さを痛感した私である。やはり命令を出せる人間は重要だと思うのだ。

 

「ありがとう。私だけなら魔境になってただろうし、助かったよ」

 

 心を込めて私はお礼を口にする。あのまま一人でやればダンボールから出す、しまう、その無限ループで段々と目の当てられない状況になることは明白。彼女には感謝してもしきれない。

 

「いいのよ。今日は暇だったから。それに楽しかったし」

 

 本当にいい子だ……。眩しい笑顔を浮かべるシャロが、なんだか神々しく見えた。私に彼女の要素が少しでもあれば、ドナドナされるようなこともなかったのだろう。嗚呼……。

 

「シャロちゃんが娘に欲しい……っ!」

 

 切実に、彼女みたいな子が身近にいたらと思う。そうすれば日々の生活に困らない上、強制的に送られるようなこともないのに。親は孫に弱いものである。

 

「いきなり何言ってるんだか……」

 

 シャロは露骨に呆れた目をこちらに向ける。そのまま私を見つめ続け、ボソッと呟いた。

 

「本当に歳上に思えない……。リゼ先輩にはタメ口なんて無理なのに。っていうか使おうとも思わないのに」

 

 リゼ先輩が誰だかは分からないけど、余程私が若く見えるのだろう。いや、これは『幼く』と言った方が正しいか。

 

「いいんだよ? 妹扱いでも子供扱いでも。そしたら遠慮なく甘えるから」

 

「お断りするわ。今日みたいなことが何回もあったら嫌だし」

 

「だよねー」

 

 私は笑いつつ、若干落ち込む――素振りを見せる。ちょっとシャロをからかいたくなった。肩を落とし、ちらっと彼女の表情を窺う。するとシャロは見るからにあたふたしていた。

 

「だよねー?」

 

 あとひと押し。小さく首を傾げ、私は同じ台詞を繰り返した。

 

「うぐっ。け、けど友達扱いなら……」

 

 呻くと、もじもじと恥ずかしそうにしながらシャロが言う。顔をほんのりと赤くしちらちらとこちらを見ており、すごく可愛らしい。ちょっと演技しただけで……からかい甲斐がありそうな子だ。ふふ。

 

「じゃあ友達だね。嬉しいな。初めての友達がもうできたよ」

 

「え……?」

 

「この街で、ね」

 

「あ、ああー。良かった」

 

 ホッと息を吐くシャロ。私は余程友達がいない人間に見えるらしい。大人なのに子供のフリをしているイタい人――とか思われてないよね?

 ここは私のコミュニケーション能力をばしーっと見せつけなくては。

 

「いい? 私は一杯友達がいるんだよ。携帯のアドレスだって――5件――あ、る」

 

 私は胸を張り、ポケットから携帯電話を取り出す。最新機種ではないけれど傷一つないそれを優雅に開き、ボタンを押した。が、感触がおかしい。違和感にジッと携帯を見てみれば、それはお店でよく見るレプリカであった。わけの分からない展開に震える身体を押さえ、私はおそるおそる視線を上げる。メールを打つ場面らしき画面には、ご丁寧にボールペンで書いたような文字が。

 

『解約しました。自分で稼げるようになったら、自分で契約してくださいな。がんばるんば』

 

「せいっ!」

 

 私は携帯をへし折った。ぺきっと軽い音がし、破片すらなく綺麗に真っ二つとなる。私はそれをダンボールの山の上にポイっと投げた。

 

「ええぇぇ!? なにしてるの!?」

 

「ふふ……私の友人はシャロちゃんだけだと思ってね。仲良くしよう?」

 

「なんか怖いんだけど」

 

 まさか勝手に解約されているとは。名義が親で、料金も親が払っていたから文句は言えないけども、『がんばるんば』ってあんた!

 

「なにはともあれ、無事に片付けが終わったわけだし、遊んでく?」

 

「何事もなかったみたいに進めるわね……」

 

 もう携帯はどうにもならないし、諦めるしかない。ここは気を取り直して遊ぶのが得策だろう。ぽかんとしているシャロを尻目に、私は友達と遊べるような物を探す。

 

「ゲーム……は一人用しかないし、ボードゲーム、なんてないし、テーブルアールピージーは違うし……トランプはどうかな?」

 

 結局これくらいしかない。押入れの中をあれこれと漁ってやっとこさ見つけたトランプを手にし、私は微笑む。シャロが頷くのを確認すると、ちゃぶ台を挟み私達は向かい合うように座った。

 

「色々持ってるのね、サヤちゃんって」

 

「まぁ、一年間何もしなかった時期があるからね。あと大学四年生は殆ど暇だったし。卒業研究とかなくて」

 

「就職活動って言葉知ってる?」

 

「さ、ブラックジャックしようか?」

 

 今は遊ぶ。それだけである。カードをシャッフルすると、私はそれを適当にテーブルに並べた。

 

「スルー……。あれ? ブラックジャックよね?」

 

 さながら神経衰弱のように並べられたカードを眺め、シャロは不思議そうにする。

 

「折角だから選ぶ楽しみを追加しようと思って」

 

「あんまり意味ないわよね、それ」

 

「選択してもさほど意味がない。人生みたいだよね……」

 

「馬鹿じゃないの?」

 

 私のハードボイルドな台詞が一蹴され、シャロがカードを二枚取る。

 

「馬鹿じゃないもん」

 

 膨れつつ私も二枚選択。1と5というそれとなくいいカードだ。ここから強くなる可能性が高い。一枚、二枚くらい引いても大丈夫かもしれない。

 私はカードで口元を隠し、勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「ふふふ、いいカード引いちゃった」

 

「そうなの? ――ハッ!? まさか、並べたのは傷とか折り目とか覚えてるからじゃ……!」

 

 世界の秘密に気づいてしまったかのように目を見開き、シャロが驚愕する。

 

「いや、気分だけど」

 

「流石親戚ね……嫌なところがそっくりだわ。一枚引くわね?」

 

 一転してがっくりと肩を落とす。テンションを幾分か下げ、シャロはカードを一枚追加で拾った。

 

「あ、これは……」

 

 いいカードを取ったみたいだ。表情をぱあっと輝かせる。

 ぐ、これだと21を出さなければ負けるかもしれない。私はごくりと唾をのみ、カードを一枚引いた。出た数字は4。おしい。あと1で最強なのに。

 しかしまだ勝算はある。ここで一枚か二枚引いて、1か11となれば勝ち。まだまだ神様は私のことを見捨ていないのだ。ふっと笑い、私はカードを引く。そしてかっこよく、素早く一枚を選び取った。

 見えたカードは……エース! 勝った!

 

「ふふ、私の勝ちだね」

 

 取ったカードを並べ、私は勝ち誇る。21ならば勝ち、引き分けはあるも負けはない。決まりだった。

 

「いや、負けね」 

 

 だがシャロは平然と言う。馬鹿な、と思って彼女の前を見てみれば、キングと3、7の三枚のカードが開いて置かれていた。21にも追いつかない、20。

 何故この数字で勝ちを確信しているのだ? 疑問に思い再び彼女の顔を見ると、シャロは耐え切れないといった感じで吹き出した。

 

「ぷふふ……っ、サヤ、カード見れば分かるわよ。あははっ、面白い……」

 

 最強を嘲笑うとは、恐れ知らずな女だぜ……! などど思いつつ本当に状況が飲み込めないので、自分のカードを見る。そこには1、5、4、11の合計21のカード……と、二枚のキングが並んでいた。エース二枚を1として数えても余裕でオーバーである。

 

「な、なん……だと……」

 

 まさかの事態に震える私。ま、まさかあのスタイリッシュな取り方が仇となったのか!? くそう! デスティニーな場面に備えて、ドローの素振りをもっとしておくべきだった!

 

「完敗です……」

 

「ぷっくく、お、お腹、痛い……!」

 

「シャロちゃん、サヤさんとお片付けーーあら?」

 

 真っ赤な顔で敗北宣言する私。床に転がって大笑いするシャロ。そんな不可解な状況の自室に、千夜がやって来る。湯のみと茶菓子を載せたお盆を手に、彼女は部屋を見回す。

 

「面白そうなことがあった気配がするわ!」

 

 それから目を輝かせ、驚くほど素早くテーブルに近寄り、トランプをいそいそと片付けてお盆をテーブルに置いた。すごい食い付きである。

 

「なにがあったんですか?」

 

「いや、聞かんといて……」

 

「関西弁?」

 

 かっこつけてトランプを引いたら自爆した、なんてとても語れるものでない。この一件は封印しておこうと思う。

 

「千夜、今サヤちゃんがね――」

 

「わーわー! 駄目だよ! 言ったら!」

 

 大笑いから復帰したシャロが暴露しようとするのを私は大声を出して止める。

 

「えー? いいじゃない、面白いんだから」

 

「面白いから駄目なんだって!」

 

 シャロの近くに行き、口を手で塞ごうとする私。シャロはそんな私の頭を押さえて楽しげに笑う。騒がしい攻防を眺め、ぽつんと一人で見ていた千夜は一言。

 

「シャロちゃんが弄る側に……!」

 

 余程驚くべきことなのか、シリアス顔でカタカタと震える千夜。つまり普段は弄られていると。興味深い話である。

 

「どういう意味よそれ!」

 

「特に深い意味はないわ。それじゃ、お祝いしましょう」

 

「なんで私が弄る弄られるでお祝いなんてするの!」

 

「え? サヤさんの引っ越し祝いだけど……お祝いしてほしかったの?」

 

「……もうやだこの血筋」

 

 きょとんとする千夜に、シャロは心底疲れた様子で呟く。

 傍から見ると私もあんな感じなのか……。

 

 

 



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(5)

 

 

 

「おかしなシャロちゃん。はい、どうぞ」

 

 お盆に載せていた湯のみをこの場にいる三人、それぞれの前に運ぶ千夜。流石は甘味処の看板娘といったところか、私とは比較にならないてきぱきとした動作でお茶菓子も配置していく。湯のみの中は綺麗な緑色をしたお茶が入っていた。香りがよく、物凄く落ち着く。この色と香りならばきっと味もいいのだろう。そしてお茶菓子は羊羹だ。茶色っぽい羊羹の中に栗が入っており、見るからに美味しそうである。家庭で使うような箸やスプーン、爪楊枝とは違う黒の菓子楊枝が品を高めていた。最早お皿に乗っているのを眺めるだけで、満足してしまいそうだ。

 熱いお茶と羊羹。なんとも理想的な間食だろうか。甘兎に来て良かった。いつまでも眺めていたいが、これは食べ物。空気に触れていては劣化するばかりだ。私は手を合わせ、いただきますと言い羊羹を一口食べる。栗が入るよう切り分けて、口へと運ぶ。

 柔らかい。栗も羊羹も簡単に噛みきれ、絶妙なバランスの甘みが広がる。羊羹は甘めで、栗がさっぱり気味なのかな……最初は甘さがぐわっとくるのだけど、噛めば噛むほど緩和され、程よい具合になる。故に後味がよく、次の一口を早く食べたいという気持ちに繋がるのだ。この羊羹、下手したら一本は食べられるかもしれない。甘兎、おそるべし。

 

「美味しい……。もっと食べたくなるね」

 

「本当ですか? ふふ、でも夕御飯が近いからおかわりはなしですよ。ご飯がお祝い本番なんですから」

 

 嬉しそうに微笑み、千夜がお茶を飲む。私もそれに釣られてお茶をすすり、その味に驚く。ハーブティー、とはまた違うまったりとした香りが鼻を通りぬけ、濃いお茶の味わいが香りを残し、液体と共に喉を流れていく。決して渋くはなく、後を引かない美味しさだ。

 ま、まずい……絶品なのに、否、絶品だからこそ心配になる。私、ここに住んでたら貧血と肥満に困るかもしれない。

 

「うん、分かってる。残念だけど」

 

「あぁ……おいし……」

 

「絶賛みたいで嬉しいわ。お茶はおかわりあるから、いつでも言ってください」

 

 夢中になって食べる私。うっとりと呟くシャロ。二人を見て千夜は笑みを深めた。羊羹を食べつつ私は彼女の表情を眺め、ふと気になっていたことを尋ねてみることにした。

 

「そういえばなんで千夜は敬語なの?」

 

 私の記憶が正しければ、最後に会ったときは敬語じゃなく普通に話していた。昔の記憶と同一の人物の喋り方が変わると違和感がすごい。歳上に敬語は当たり前。だけどどうにも落ち着かなかった。

 

「え? ええと、大人ですし……」

 

 当然のことを指摘され、困り顔を見せる千夜。ふむう、小さいころはそんなこと気にしなかったのに、大人になっちゃってまぁ。嬉しいやら寂しいやらである。

 

「いいのいいの、私に敬語なんて。これから家族みたいな関係になるんだし、タメ口ばっちこいだよ」

 

「そう? それなら、普通に話そうかしら……サヤちゃん?」

 

 私が強く頼み込むと、千夜は記憶と同じ喋り方で、おずおずと私の名前を呼んだ。疑問文となっていたが、まぁこれから慣れていくだろう。私は敬語を使われるようなキャラでもないし。

 

「あ、そうだ。お姉ちゃんって呼んでいい?」

 

「サヤちゃん、それ覚えてたのね……」

 

 嬉しくなった私がお願いすると、千夜は恥ずかしそうに言った。千夜の容姿は成長していて気付くことができなかったけれど、彼女となにをしてなにを話したかはよく覚えている。たった一日、二日のこと。だからこそ濃い記憶として私の中に未だ残っていた。

 

「千夜がお姉ちゃんってどういうこと?」

 

「昔のことなんだけど、実は……」

 

 シャロに尋ねられ、私は記憶を辿りながら語る。

 親戚の集まりで会った日のことである。

 当時の千夜は私のことを歳下だと思っていたのか、初対面でありながら私のお姉さんを自称していたのだ。きっかけは覚えていない。千夜は私のことを連れ回したり、食べ物を食べさせてくれたり、それはもう甲斐甲斐しく話を焼いてくれた。私はそんな千夜に対して自分の年齢を隠し、妹を演じることを決めたのだ。小さな千夜が大人ぶって世話してくれるのがとても可愛らしく、本当の年齢を明かそうとは思えなかった。いや、純粋な彼女のためにも言わない方がいいと思ったのだ。

 このまま私の年齢がバレなければ、幸せなまま終わることができる。幸せな時間の中、私は自分の正体が発覚する瞬間がこないよう祈った。気持ちは舞踏会で王様と踊るシンデレラである。

 しかし二日目。時計のベルが鳴り響く。

 ――なんて言うとロマンチックな響きだけども、現実はそう美しくはない。

 千夜が胸を張って言い放った『お姉さん』という言葉に、私の母は言ったのだ。『その子は千夜ちゃんより大人だよ』と。流石は実の娘をドナドナする極悪人。空気を読むことも、思考する素振りもなくストレートに言い放ったことを今でも覚えている。子供の夢を壊すのはいつだって大人なのだ。

 それからデリカシーのない母は大人げなく、まるでスイッチを押していない目覚まし時計の如く喧しさで、千夜のこと延々とをからかい――千夜は物置に引きこもってしまった。可哀想に、幼い千夜にはすごくショックだったのだろう。私はそっとしておこうと思い、彼女が元気になることを祈った。さながらその時の気分は舞踏会に行けるよう夜空に願うシンデレラであり――その想いを叶えたのは童話の通りおばさんみたいな魔法使い。千夜のおばあちゃんだった。

 彼女はつっかえのある物置の扉を力づくで引きずり出すという、魔法もびっくりなことをやってのけ千夜を救出した。シンデレラにドレスを着せて、城へ投げ飛ばすようなパワフルプレイである。時間にして数分の引きこもりであった。おばあちゃんに説教されて元気はどうかは察しがつくだろうが、物置から出された千夜を見て心底ホッとした。引きずられて可哀想とも思ったけれど。

 後にオニばばあと称した千夜に、私は心底同意したものだ。

 

「……嘘でしょ?」

 

 エピソードの一つを語り終えると、シャロは露骨に怪しむ目をこちらに向けてきた。顔を真赤にさせた千夜がなによりの証拠だと思うのだけど、まぁシンデレラ云々の脚色を加えたから信憑性がなくなるのは当然か。でも起きたことは全て実際の出来事、ノンフィクションである。私の鮮明な記憶がそう言っている。

 

「ま、まぁ嘘か本当かはどうでもいいと思うわ。他の話しましょう、他のっ」

 

 両手を合わせた千夜が可愛らしく話題を変えようとする。まだ頬が赤く、恥ずかしがっていることが容易に分かった。その反応でようやく察したか、シャロが目を細めた。

 

「千夜、まさか今の本当なの?」

 

「ど、どうでもいいじゃないっ。ねぇっ、サヤちゃん?」

 

 慌てふためく千夜は、私へ助けを求めるように話を振る。私はニヤッと笑った。

 

「お姉ちゃん呼び、いい?」

 

「うっ。いい、わ……」

 

「わぁい。それじゃ、お姉ちゃんとシャロちゃんのことを聞こうかな」

 

 交渉成立。新たな話題を考えると提示、それから羊羹を口に放り込む。千夜はホッとした様子で胸を撫で下ろし、大きく息を吐いた。彼女にとってよっぽど恥ずかしい話らしい。

 

「釈然としないけど――何を聞きたいの?」

 

 シャロがお茶をすすりつつ尋ねる。

 

「うーん……定番だと学校のこととかかな」

 

 親戚。それも大人と子供となれば、それが王道だろう。私も何度親戚の集まりのことで聞かれたか。

 

「シャロちゃんの学校ってどんな学校なの? お嬢様学校?」

 

「ええ、まぁ……一応」

 

 自分でお嬢様学校と言うのに抵抗があるのか、曖昧に頷くシャロ。見た目の雰囲気で言ったけど、やっぱりそんな感じなんだね。制服もお洒落だし。

 

「どう? 入学して一週間ってところだけど学校生活は」

 

「本当に親戚っぽい会話よね……」

 

 若干げんなりしながらシャロが言う。自分でもそう思った。

 

「それは私も気になるわ。友達できた?」

 

「できてるって。順調だし大丈夫」

 

 少し煩わしそうにしながらシャロは答えた。きっと何回も訊かれたのだろう。

 

「っていうか、その質問した回、数二桁いってるわよ? どれだけ心配なのよ」

 

 あ。合ってた。

 

「でもシャロちゃんごきげんようとか言わないから、学校で孤立してないか心配で心配で。ちーっすとか言ってない?」

 

「挨拶で孤立するわけないでしょ。あとそんなこと言わない」

 

 至極真っ当なことを言って羊羹を口にするシャロ。

 

「甘くて美味しい……」

 

 まぁ、お菓子でこれだけ幸せそうにできるのだ。きっと何事もないのだろう。今度は千夜の学校の様子を尋ねることにする。

 

「お姉ちゃんはどう? 妹として気になるなぁ」

 

「私の方も問題はなし。ココアちゃんっていう友達もできたわ」

 

 にこりと笑って答える千夜。うん、心配することはなさそうだ。良かった良かった。

 

「二人は同じ学校なのかな?」

 

 安心から気軽に訊いてみると、二人が微かに反応を示した。どうしたのだろう。なんだか空間にヒビが入ったかのような不穏な空気を感じたんだけれど。

 

「シャロちゃんと私の学校は違うの」

 

「え? そうなの?」

 

「うん。シャロちゃんは特待生で学費が免除されるから、って今の学校に入ってて。私は普通の学校に通ってるの」

 

「あー……なるほど」

 

 千夜に語られ、納得する。高校の学費も結構ばかにならないからなぁ。減らせるなら減らすに限るよね。それにお嬢様学校ともなれば頭もいいところなんだろうし、いいこと尽くしだ。

 しかし特待生か。優しくて可愛くて、それで頭もいいって――将来有望である。

 

「……」

 

 腕を組み、考えこむ。まさか二人が別の学校だとは。こうして放課後には会えるだろうけど、部活やバイトをするならば会えない日もある。寂しさを感じているに違いない。私にできることといえば――

 

「よし、二人とも。寂しかったら私が遊ぶからいつでも呼んでね」

 

 彼女らと遊ぶことだ。

 大人である私が遊ぶと言うと、彼女達は揃って苦笑を浮かべた。

 

「ええ、ありがとうサヤちゃん」

 

「私がお姉ちゃんだけど頼りにしてるわ」

 

 大人として、少しは力になれたらと思ったけど、逆に子供扱いされているような気がする。

 まぁいっか。力になれるなら大人でも子供でも。お茶をすすり、私は暢気に考えるのだった。

 

 

 



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(6)

 

 

 

「やっぱりシャロちゃんとは幼なじみだったんだ」

 

「ええ。話した通りの子でしょ?」

 

 寝間着姿の千夜が楽しげに笑う。

 食事を終えてお風呂あがり。寝間着に着替えた私は、宇治松家の居間で雑談をしていた。ここもまた畳が敷かれており、家具の類いも殆ど和風である。テレビやポット、その他色々な物があって快適に過ごせそうな場所であった。

 自分で淹れたお茶を口にし、私は今日出会った少女のことを思い返す。面白いのは同意するけど、泣き虫ではなかったよね。それに下手したら千夜よりしっかりした子かもしれない。

 ――っていうかよくよく考えれば、彼女達の年齢で泣き虫なんてあり得ないか。何かある度に泣いていてはきりがないし、周りからおかしく思われてしまうこと請け合いだろう。そういう人はテレビだけで十分だ。正直、シャロが泣く姿は可愛らしいのだろうなぁ、なんてことも思ってしまうのだけども、やはり駄目だろう。常識的に考えて。

 

「そうだね。いい子だったよ」

 

 思考を終え、千夜が淹れたものとは月とすっぽんなお茶の味わいに渋い顔をしながら私は答える。やっぱりポットではこれが限界か。それともお茶を急須に入れてからすぐ湯のみに注いだのが悪かったのだろうか。はたまた茶葉が違うのか。いずれにせよ、初心者すぎる私にはあの味は出せそうにない。ここまで差が出るものとは思わなかった。プロというものは伊達ではない。

 

「そういや、シャロちゃんって近くに住んでるの?」

 

「……気になるの?」

 

 家の場所を尋ねただけなのだが、千夜が警戒した様子を見せる。まるで不審者を見るような目だ。微妙に傷つく。

 

「幼馴染だから近くに住んでるのかなー、と思っただけなんだけど、駄目だった?」

 

「駄目ではないけど……そうね。多分近い内に知ることになるような。いや、絶対知るわ」

 

 曖昧な返事をする千夜。駄目ではないと言っているし、どうやら何か事情があるようだ。絶対と言い切るところがすごく気になるけど、ひとまず安心する。女の子同士、それも親戚から幼馴染の家の場所を教えたくないとか言われたらもの凄くショックを受けそうだ。

 

「そっか。それならいいや」

 

「ごめんね? 別に侵入したり、出待ちしたりするとは思ってないから安心して」

 

「それ絶対思ってたよね」

 

 つっこむと、冗談よと彼女は微笑む。心なしか嬉しそうだ。

 

「でもびっくりしたわ。いきなりシャロちゃんと仲良くなるなんて。年齢とか全然違うのに」

 

「気を遣わなくていい見た目と精神年齢だからだと思うよ」

 

「それもあるだろうけど、多分サヤちゃん本来の人柄のおかげじゃないかしら」

 

「ごめんなさい。せめて精神年齢は否定してください」

 

 まさかの自虐が肯定されて私はがっくりと肩を落とす。分かっていたようで千夜はくすくすと笑った。こういうところは昔から変わらないのね。

 

「サヤちゃんと話すのは楽しいわね。シャロちゃんがちゃん付けで、それも笑顔でからかうのもなんだか納得だわ」

 

「……お姉ちゃんなら誰ともで楽しくなるんじゃないかな」

 

 恨めしげに千夜を見る私。彼女ならばたとえ正常な大人が相手であっても楽しめそうだ。すごく自然な流れでからかわれるし。それが本気なのかふざけているのかイマイチ分からないのが厄介なところである。

 

「そんなことないわよ。私がこうやって話せるのはお友達だけ」

 

「ならいいけど……ん? いいのか?」

 

「いいのよ、多分」

 

 それで得をするのは千夜だけだと思ったが、まぁ信用されているということだろう。それにこうして千夜と話していると、楽しかったあの時が帰ってきたようで懐かしい気分になる。それでだけで、からかられていることなんて割とどうでもよかった。千夜に冗談を言われても不快でもないし。ボケとツッコミの漫才みたいなものだ。

 

「……さて、そろそろ寝ようかしら」

 

 壁に掛けられた時計を見て呟く千夜。時刻はまだまだ夜が始まったといった感じ。私ならばもっと遅くまで起きているのに、健康的な生活だ。だからこんなにスタイルがいいのか。

 

「おやすみ。私はもっと起きてるよ」

 

「うん、おやすみ。あんまり夜更かししたらダメよ?」

 

 立ち上がり、居間から出て行く間際に振り向き、お茶目にウインクなどする彼女。私はそれに手を振って見送り、テレビのリモコンを手にする。時間を潰す手段は今のところ携帯ゲーム機とテレビくらい。テレビは深夜と早朝は観れないし、この時間に観ておくとしよう。

 リモコンのスイッチをプッシュ。テレビの電源を点ける。それから適当なバラエティー番組にチャンネルを回し、それを観ることにした。それなりに面白く、三十分ほどの時間があっという間に過ぎる。そしてちょうどCMに差し掛かったタイミングに、居間の襖が開いた。

 

「千夜は寝たかい?」

 

 誰だろうと思えば、夕食の後、早々に自室へと向かった千夜のおばあちゃんである。昔の記憶より若干老けた印象の彼女はゆっくりとした動作で部屋の中に入り、私の向かい側へと座る。そしてちゃぶ台の上に酒瓶を一つ、お猪口を二つ置いた。

 

「もう寝たかと思ったのに、どうしたの? 寝室はここじゃないよ」

 

「質問に答えんか」

 

「寝ましたごめんなさい」

 

 睨まれて竦み上がりつつ答える。冗談を一蹴する返答。この人も相変わらずだ。のるときはのってくれるのに。でもこうやって怒られると懐かしく思えるから不思議だ。

 

「そうか。ほれ、サヤ。取れ」

 

「取れって……明日仕事大丈夫?」

 

 一応言われた通りに取るも私は心配になり確認する。明日は思いっきり平日だから、千夜もいないはずだ。酒は避けるべきだと思う。ダジャレではなく真面目に。

 

「そこまで歳じゃないよ。それに、今日から労働力が増えるんだ。一杯くらい平気だろう?」

 

「そう言うならいいけど」

 

 私への信頼ともとれる言葉に、つい嬉しくなってしまう。酒瓶を持った彼女へと私はお猪口を差し出した。彼女は微妙に嬉しそうに目を細めつつお酒を注いだ。こうしていると、自分が大人になったと実感する。昔はジュースを飲んで、酒を飲む大人たちを眺めていたというのに、時というものは早いものだ。感慨深く思い、私はお猪口の底を見つめた。とくとくとゆっくりと注がれていく透明の液体が、お猪口の中を満たす。縁に丸い形で辛うじて留まるお酒は、まるで人生の危うさを思わせ――

 

「――って、入れすぎ!」

 

 すっかりロマンチックな思考に浸り止めるタイミングを見失っていた私は、ようやく今の状況に気づいた。震えそうになる手をなんとか抑えて、おばあちゃんにつっこみを入れる。

 

「なに言ってるんだい。一杯縛りなんだから、限界まで入れないと損ってものだろう?」

 

「あんたただ飲みたいだけだろっ」

 

「失礼な。しっかりぐーたらのお祝いをしたいと思っているよ」

 

 くそう。これを狙ってたからさっきは嬉しそうな顔をしてたんだな……。ぐーたらとか言っとるし。

 

「さ、乾杯まで少し待っていておくれよ」

 

 テーブルに置いたお猪口へゆっくりと酒を入れていくおばあちゃん。お猪口に半分以上くらい入れると、彼女はそれを持った。

 絶対だ。これ絶対そうだ。私のことを面白がってるよこの人。

 

「おや、これだとゆっくりやらないといけないねぇ」

 

「あんたがやったんでしょ!」

 

「はいはい。分かってるよ」

 

 フッと鼻で笑い、彼女は二つのお猪口を近づける。

 

「新しい家族に、乾杯」

 

「か、乾杯……」

 

 二つのお猪口が静かにぶつかり、食器を重ねた時のような小さな音が鳴る。と同時に私は顔を自分のお猪口に近づけて、氾濫間近のそれを処理しようと試みる。つんと鼻にくるお酒の香り。独特の味のそれを口に入れ、呑んでいく。少量の筈なのに喉が熱くなり、お酒を、アルコールを呑んでいるのだと強く感じる。美味しいとはまだ不慣れな舌では言えないけど、割と高級品なのだと分かった。呑み易さが普通のものと違う。

 

「……美味しいっていうのかな、こういうのが」

 

「なんて言ってるうちはまだまだだよ」

 

 そういうものなのだろうか。未だお酒というものはよく分からない。

 ちょこちょこと呑みながら、私は目の前の人物を見つめる。新しい家族に、か。……嬉しいな。

 

「ふふっ」

 

「なに笑ってるんだい? まさかもう酔ったとかじゃないだろうね?」

 

「いや、思い出し笑い。それに私はもっといけるから大丈夫だよ」

 

 微笑みながら言う。お酒は別段好きでもないけど、私は強い方なのだ。これくらいなんともない。

 

「……仕事、頑張るんだよ」

 

「うん。多分大丈夫だと思う」

 

 ちょっとだけ優しくなった声に、私は頷いて答える。

 今までのんびりしてきただけに自信はない。けどやろうとは思えた。強制的とはいえ、働かない私にみんな親切にしてくれて、今この場にいるのだから。

 

「頑張らないと……よしっ」

 

 ぐーたらなどと言われないよう、精一杯やらないとね。青山さんとも仲良くなりたいし。私は意気込み、お酒をまた一口呑んだ。

 

 

 



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(7)

 

 

 

 翌日。

 

「サヤちゃん、朝よ。起きて」

 

 あの乾杯の後、これまでより信じられないほど早い時間に眠った私は、聞こえてきた千夜の声によって目を覚ます。窓から射し込む朝日が眩しい。制服姿の彼女の姿を薄目で確認し、私は身動ぎした。

 

「ん、お姉ちゃん? ……あと五分」

 

 別に目は覚めていたが、お約束というやつである。千夜に起こされるというのも悪くない。お姉さんぶる、といった可愛らしさはなく余裕ある対応はお姉さんそのものなのだけど、そういう千夜もまたいい。甘えたくなる。我ながらとことん駄目な人間だなとは思う。

 

「あら。おばあちゃんに怒られるわよ。ほら、早く」

 

「うわっと、びっくりした」

 

 布団が捲られたと思えば、ひょいと持ち上げられ、私は寝ぼけたふりをやめる。

 

「はい、これでよし」

 

 床に私を立たせると、千夜は満足げにしながら言った。ニコッと笑い、寝癖のある私の頭を撫でる。

 

「おはよう。時間は……おおう、結構早い」

 

「仕込みとかあるから。サヤちゃんもお仕事今日からよね? ご飯用意してあるから、食べたら下に行って」

 

 ということはこの時間より早くにおばあちゃんとか千夜は起きているわけだ。お茶屋さんも大変である。まぁ、大変と言っても、学校の登校前ということで、現在の時刻は7時前後なんだけども。でも私のここ最近の睡眠事情を考慮すると、この時間に起きることは物凄い早起きなのだ。むしろまだ寝ていない時間だったことも多々ある。

 

「了解。お姉ちゃん、学校頑張ってね」

 

「ええ、ありがとう。がんばってお勉強してくるわ」

 

 グッと拳を握り、ガッツポーズを作る彼女。やる気は満々といった感じだ。そんな彼女を見ていると、こちらまでやる気が出てくる。

 

「私も頑張らないとなー。さーて……二度寝」

 

「言ってることと行動が一致してないわよ」

 

 布団に潜り込もうとする私につっこみが飛ぶ。流石は千夜。つっこみもできるのか。感心である。

 

「というのは冗談で、お姉ちゃんは朝ごはん食べたの?」

 

「私も今から。一緒に食べましょう?」

 

 のほほんとした雰囲気で言い、千夜は部屋から出ていこうとする。私もその後に続いた。朝食はやっぱり和食なのだろうか。昨日の晩御飯は洋食――それもお祝いだからか鳥の丸焼きだったり、唐揚げ、ポテト、サラダにスープという豪勢なラインナップだったのだが。あれは美味しかった。丸焼き以外は千夜が作ったらしいし、朝食も期待できそうだ。

 千夜の後ろ姿を眺め、廊下を歩く。するとお味噌汁の匂いが漂ってきた。久しく嗅ぐ匂いだ。大学生になってからは朝食なんて抜いて当たり前な感じだったし、お味噌汁はたまに夕食や牛丼屋で食べるくらい。朝に飲むなんて何年ぶりだろうか。

 なんて思っていると、私のお腹が鳴った。

 

「ふふ、腹ペコみたいね」

 

「あはは、いい香りでつい」

 

 苦笑気味に答える。まさか匂いでお腹が鳴るなんて。私の身体はいつからこんな正直者に。

 

「健康的でいいことよ。作った人間として私も嬉しいし」

 

「健康的ね……」

 

 居間の襖を開き、中へと入っていく。部屋の中心に置かれたちゃぶ台には昨晩と同じ位置に料理と箸が配置されていた。あそこが私の定位置になるようだ。座布団に着席。千夜とテーブルを挟んで向かい合う。

 朝食のメニューは和食だった。お味噌汁と焼いた鮭。それから漬け物といった献立だ。シンプルながら美味しそうだ。早速手を合わせて挨拶をすると、私達は食事をはじめた。

 朝食といえばこれ。そんな感じのメニューの味はとても懐かしく、素朴ながら美味しい。塩加減は若干柔らかめで優しい味がした。健康的にもよさそうだ。

 

「そういえば、お姉ちゃん私について知ってるの?」

 

 食事をしつつ、私は問う。おばあちゃんには私の両親を通じてぐーたら生活が露見していたけど、彼女は知っているのだろうか。

 

「サヤちゃんについて?」

 

「うん。ほら、ここに来た理由とか、普段の生活とか」

 

「はむっ、んー……」

 

 鮭を口に入れ、むぐもぐとやりつつ千夜は視線を斜め上に向けて小さく唸る。何か考えているようだ。そうして思考した後、口の中のものをのみこむと、彼女は短く答える。

 

「特には」

 

「あ、そうなんだ」

 

「ぐーたら生活してたとはおばあちゃんから聞いたけど」

 

「……そうなんだ」

 

 くっそー……あのおばあちゃんめ。次会ったら褒めまくって恥ずかしい思いをさせてやろう。ふっふっふ。

 ま、秘密でもなんでもないしいいんだけどね。そういう生活をしていたのも事実だし。けどそれを千夜に知られるのは少し恥ずかしい。……これからは仕事をするわけだし、せめてぐーたらと言われないようにしないと。

 

「あ、でも一応仕事はしてたんだよ? 犬の散歩とか洗濯とか家庭内のお手伝いだけど」

 

「そうなの? 偉いわね、サヤちゃん」

 

 うん、なんだか言ってて虚しくなってきた。

 千夜ちゃんは本気で私のことを褒めてくれているのだと分かるけど、だからこそ心苦しいというか。仕事をしている全国の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいである。合計一時間もしない作業を仕事と呼んでごめんなさい。全国の多忙な主婦さんにも謝罪します。私のは家事のおままごとレベルでございます。

 真面目にしないとね、ほんと。今日から私は生まれ変わるのだ。ぐーたらとは言わせない。

 そのためにも朝食をしっかり食べてエネルギーをためておこう。ふぅ……お味噌汁やっぱり美味しい。

 

 

 



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(8)

 

 

 

 朝食は食べた。いざ仕事! 千夜の分も食器を洗い、身支度を整えてお気に入りの服に着替えると、私は意気込んで一階へと向かっていった。今日から甘兎のお手伝い。歳上として千夜にも負けないくらい活躍せねば。

 さて、店内は……まだ誰もいないか。まぁ、当然だろう。飲食店が開店する時間は普通のお店よりも遅いものだ。仕込みとか言ってたし、多分厨房かな。無人のお店を眺めて頷くと、私はおばあちゃんを探して厨房へと歩く。予想通り、そこにはおばあちゃんが。着物を身に付けており、お酒の影響はないようで元気そうだった。あの後一人で呑んだりはしていなかったみたい。

 

「おはよう、おばあちゃん」

 

「おはよう。意外だね。この時間に起きてくるなんて。お昼頃かと思ったよ」

 

 鍋のようなものから視線をこちらに向け、相変わらず気難しそうな顔をした彼女が挨拶を返す。私も多分千夜が来なかったらそれくらい寝てたかもしれないなと思う。などと馬鹿正直に言わず、私は胸を張った。

 

「ふふん、偉いでしょ」

 

「まぁ、千夜のお陰だろうね。昨日頼んでおいたから」

 

 サッと鍋に再び顔を向け、彼女は言った。知ってたんかい。うぐぐ、自慢げにした私が馬鹿みたいなことに。

 

「着替えておいで。制服は用意してあるから」

 

「え? 折角この服に着替えたのに?」

 

 私は自分の身体を見下ろして不満を訴える。今日着ているのはお気にい入りのワンピース。春に相応しい、うっすらとしたピンク色の可愛らしい服だ。青山さんが来るかもしれないということで意識したのに。せめて開店時間まではこの服装でいたい。ということで私は食い下がる。

 

「……着替えてきた方が身のためだよ」

 

 が、制服を着る方針は変わらない。それどころか、なんだか小学生がお洒落をしようと頑張るのを微笑ましく見るような優しげな目をされた。やはり一つの服のみでコーディネートするのは幼稚ということだろうか。私のファッションのお手軽さはジーンズにパーカーなどという組み合わせと大差ない。コンビニや本屋くらいにしか出かけなかった私の、精一杯なお洒落だったのだが……ここはお店の上司に従うとしよう。

 

「分かった。あのさ、私の服、おかしいかな?」

 

「おかしいというか、幼いね」

 

「ぐふぅ!」

 

 心配になって訊いてみると、端的すぎる答えが返ってきた。食い気味な返答に、私はカウンターでもくらったかのような衝撃を受ける。やはりスタイルか。身長か。

 

「その服は悪くないんだけどねぇ。着物は大人っぽく見えるから、着た方がいいよ」

 

「そ、そう……了解」

 

 少しでも緩和されるならそれがいい。着物が大人っぽく見えるとか、初めて聞いたけど最早すがるような思いである。子供扱いされることはそれほど嫌じゃないんだけど、ここまで言われるとショックが強い。ため息を吐きつつ、私は歩き出そうとする。

 というか、私のような見た目の子が着ても七五三だとか思われるのではないのだろうか。とても大人っぽく見えるとは思えない。おばあちゃん時々出処不明なことを口走るからなぁ。

 

「赤色の着物があんたのものだよ」

 

「わかった。用意してくれてありがとう」

 

 背中にかかる声へお礼を返す。赤色か。制服ってことは千夜みたいな和服なのだろう。高価なのかなやっぱり。

 考えつつ移動し、更衣室と看板の出ている部屋へ。中に入ってみると家具類は鏡くらいで、ただ押入れがあるだけ。本当に更衣室という用途だけで使われているらしい。多分押入れに制服とかがしまってあるのだろう。

 

「さてと……」

 

 押し入れを前に私は真剣な顔をする。着物はあまり着たことがないけど、大丈夫かな。少し不安だ。

 

「まぁ、何事も経験だよね」

 

 

 

 ○

 

 

 

「……これでよし。すっかり着付けのことを忘れていたよ」

 

 案の定、経験者を頼ることになった。何分も格闘しても着ることができなかった私はおばあちゃんへ助けを求め、ようやく制服を身に付けるまでに至る。

 

「どうだい? 綺麗だろう」

 

「……うん、そうだね。可愛い制服だよ。ありがとう、おばあちゃん」

 

 千夜の着ていた物の色違い。薄めの赤色でとても綺麗な着物だ。本当に着物には大人っぽく見せる機能があるようで、鏡に映っている私の姿がいつもより大人びて見えた。なんとか七五三には見えない。心底ホッとする私である。

 

 

「しかしほぼ裸の状態で助けを求めにきたときは何事かと思ったよ」

 

「忘れてください」

 

「忘れなくても何の影響もないよ」

 

 加えて価値もないとでも言いたげである。彼女は私の服をしっかり整えると、頭を少し乱暴に撫でた。シャロもそうだけど、割と頭を撫でてくるなみんな。やはり位置がちょうどいいのだろうか。

 

「外で掃除をしておいで。道具は外に用意してあるから」

 

「ん、分かった」

 

 掃除なら私にもできそうだ。知識がなくても、地面を綺麗にすることくらいできなくては。私は頷いて更衣室から出て行く。微妙に歩きづらく、手を伸ばさないと袖から出ない。苦戦をしながらドアを開いたり、靴を履いたりしてなんとか甘兎から外へ。爽やかな空気が私を出迎える。

 

「ふぅ……眩しいなぁ」

 

 朝日など久しく浴びたような気がする。日差しを防ぐべく手を目の上に当てて、私は空を見上げた。雲ひとつない快晴。真っ青な空には太陽が輝いている。春の陽気を感じられるいい天気だ。夜更かししてゲームしたりするのもいいけど、こういうのも悪くはない。私は微笑んで、出入口の近くに立てかけられていた箒を手に取る。ちりとりも一応置いてあったが、とりあえず放置。

 

「甘兎前のゴミを掃除すればいいんだよね」

 

 左右を見て呟く。右から左へ、って感じでいいだろうか。石畳だから掃除はし易そうだ。箒を手に、私は甘兎の右端へ。隣にある古い物置のような建物がある境界から掃きはじめる。ひとまず自分の店の前だけ、道の半分くらいを掃除しよう。勝手が分からずに他の人に迷惑をかけたりすることは避けるべきだろうし。

 昔にした落ち葉掃除のように力を入れて地面をしっかり掃く。毎日綺麗にしているのだろう。埃などの量は少ないが、それでも小さく煙が立つ。それを逃さぬよう丁寧に仕事をすることを心がけ、私は進んでいった。

 

「結構楽しい……」

 

 肉体労働ではあるものの、疲労感を超える楽しさがあった。ゲームのやりこみをやっていたりしたので、単純作業が好きなのかもしれない。埃などゴミが集まっていく様は中々に爽快感がある。箒を手に目を輝かせて掃除をする幼い子ども……絵的にこれはどうなのだろうかと頭に一瞬よぎるものの、楽しいのだから仕方ない。

 

「あら、新人さん?」

 

 夢中になって掃除をしていると不意に声がかかった。手を止めてそちらを見てみれば、見知らぬ中年くらいの女性がいた。ここの常連さんか、ご近所の人だろうか。優しそうな人だ。私は頭をぺこりと下げる。

 

「今日から働くことになったサヤです。よろしくお願いします」

 

「甘兎で……学校はいいのかい?」

 

「はい、一応大人ですので。23歳です」

 

 私が普通に言うと、彼女は目を大きく開いて驚く。

 

「そ、そうなの……色々事情があるんだね」

 

「まぁ……そうですね」

 

 ここでドナドナ言うとまたびっくりしてしまいそうなので黙っておく。おばさんは私にとにかく頑張るよう言って去っていった。店が営業したら、この説明を何回かするようになるだろうなぁ。お店の中で未成年に見える人間が平日の昼間から働いていたら間違いなく気になるだろうし。

 ま、仕方ないことだ。そこは諦めるとしよう。とりあえず今は掃除を頑張ろう。

 

 

 

 ○

 

 

 

「……どうしてこう極端なんだろう」

 

 ゴミが多く入ったちりとりと箒を両手に持ち、私はため息混じりに呟く。

 あれから一時間ほど経っただろうか。私は気づいたら甘兎前はおろか、数軒離れた建物の前まで綺麗にしていた。楽しくて自分でも気づかないうちに歯止めがきかなくなってきたようだ。途中で気づけたことは僥倖だっただろう。

 拾い範囲を掃除したお陰で、集めたゴミを拾うだけでも一苦労だった。住人の方々にはとても感謝されたけど、掃き掃除にこの時間は怒られそうだ。あ、怒られそうといえば――

 

「おばあちゃん何してるのかな」

 

 呼びにも来ないし、何かしら作業はしているんだろう。和菓子でも作ってるのかな。

 

「道具は……ここでいっか」

 

 箒は甘兎と隣の建物の間に。ちりとりに取ったゴミはそこに置いてあったゴミ箱へ入れておく。これでよし。

 

「ただいまー」

 

 道具を置いて入り口かた入ると厨房へ帰還。中で作業をしていたおばあちゃんへ声をかける。彼女はなにやら道具を用いて餡らしきものを作っていた。

 

「お帰り。随分長いことやってたね」

 

「あはは……楽しくてつい」

 

「そうかい。あんまり夢中にならないようにね」

 

 意外だ。怒られなかった。驚きつつ手を水で石鹸をつけて洗う。

 

「次は店内の掃除を頼むよ。布巾はそこにあるから、綺麗にしながら使っておくれ。モップもある」

 

「ん、りょーかい。ちなみにこのお店、開店は?」

 

「10時だよ」

 

 10時か。壁にかけられた時計を見やり、私はぼんやりと考える。現在の時刻は9時。店内の掃除を念入りにしても間に合う時間だ。

 それにしても私どんだけ集中して掃き掃除してたんだ。時間を確認して改めて恐ろしく思ったよ。

 

「さ、掃除だ掃除だ」

 

 手を洗い、布巾とモップを持って私は無人の店内へ。さっそくテーブルの掃除から手をつけようと決め、空気を入れ替えるべく窓を開けるのだが――何故だろう。私は何者かの視線を感じた。誰かがここにいて、私のことを見ているような気がする。きょろきょろと辺りを見回すも、それらしきものはどこにもいない。丸い台に鎮座したうさぎの置物があるくらいだ。

 全身が黒く、目の周りや鼻、口、お腹が白いなんだかパンダみたいなうさぎである。頭に冠を乗せていて、無表情ながら可愛らしい。作り物にしては柔らかそうな質感だ。まさか剥製?

 

「ん……?」

 

 黒うさぎを凝視していた私は首を傾げる。今、まばたきしたような……。それに心なしか耳も微かに動いているように見ええる。本物……なのだろうか。恐る恐る手を伸ばす私。黒うさぎはまったく反応せずにジッとしている。少しして、額に指先が触れた。柔らかい。温かく、近くで見れば呼吸に合わせて身体がかすかに上下している。生きていると確信できた。

 

「うさぎが店内に……どういうお店なんだろう、ここ」

 

 昨日来たときや今朝は置物としか思えなかったのに。世の中不思議なこともあるものだ。感心しつつ私はうさぎから指を離した。本来なら抱きしめたいところだが、今は仕事中。あまり動物には触るべきではないだろう。

 

「それにしても大人しい子だなぁ」

 

 私がテーブルを拭いていても彼は視線すら向けない。これでは置物と間違ってしまっても仕方ないだろう。何かに捕まってもジッとしてそうだ。テーブルを拭きつつ私はのんびりと考える。

 

「汚れが――ふぇっ?」

 

 テーブルについた汚れに意識を向け、一生懸命になって擦っていると、どこからかバササと音がした。鳥が飛ぶときの羽の音だ。もしかしてあのうさぎ以外にペットが? と、期待を込めて私はテーブルから店内に視線を向ける。すると見えたのは、黒うさぎの上に乗った黒い鳥――カラスだった。

 

「え?」

 

 カラスがペット? 予想外な光景にぽかんとする私。すると次の瞬間カラスは飛び立ち、黒うさぎを連れて私の開いた窓から飛び去った。遠ざかっていく羽音。二つの黒は徐々に小さくなっていく。春は出会いと別れの季節。カラスとうさぎは出会い、そして私と別れたのだ。新たな門出と別れである。

 

「え……ええぇぇ!?」

 

 私はそれはもう驚いた。思った通り捕まっても大人しかったのだが、まさかカラスに捕まってもジッとしているなんて。あの子は生きることを諦めたりしているのだろうか。

 

「とりあえず追跡!」

 

 私が開いた窓からカラスは侵入したのだ。これであんこが鳥の子になったりしては大変である。私は布巾とモップを置いて窓を閉めると、慌ててカラスの後を追った。

 

 

 



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(9)

 

 

 

 飛んでいく一匹と一羽を追跡し街の中を駆ける。お店の開店まであと一時間程度。早く追いついて掃除をしなければ、おばちゃんだけでなく、お客様にも迷惑がかかってしまう。慣れない服で若干ペースは遅くなるものの、うさぎが重いのかカラスの動きは鈍い。体力が続けば無理なく追える速度であった。もっとも、追っているだけで事態はちっともよくなっていないのだが。

 こうして追ってはいるが、うさぎを助けるために何ができるのだろうか。走りつつ私は思考を巡らせる。何か投げてカラスからうさぎを開放させるのはどうだろうか。――いや、着地できるか微妙なところだし、それはやめておこう。あの子空中にいる今も座ってる体勢のままだし、きっと落とされてもあのままなのだろう。高いところから落下したらどうなるか……怖い。小動物はデリケートなのだ。

 やはりこのまま追っていくしかないか。嘆息。窓なんて開けなければ、こんなことには。

 ……っていうか、何故カラスはあのうさぎを拐ったのだろうか。それも窓から侵入してピンポイントで彼を狙ってたし。何か恨みでも買ったのかもしれない。

 

「どんどん知らない道に入っていく……」

 

 見捨てるわけにも行かず、見知らぬ道を進んでいくことになる。童話の世界のような景色の中、動物を追いかける。さながらアリスのようなシチュエーションだ。もっとも私は和服で、街は洋風というミスマッチな組み合わせなのだけど。

 

「ああもう……うさぎさんを放しなさーい!」

 

 いつまでたってもうさぎを離す気配がないカラス。私は業を煮やし手を上に挙げ、叫ぶ。が、当然返事はなく、代わりに住民さん達から好奇の視線を向けられる。いい年して何をしているのだろう、私は。冷静になると物凄く馬鹿っぽい状況だ。けれどピンチであることもまた確かで、一生懸命にならざるを得ない。

 そうこうしている内に、通りを抜け、路地に入り、公園らしき場所に辿り着いた。噴水のある綺麗な場所で、ベンチや整備された木など、一つ一つの見た目が美しい。こんな状況でなければ写真でも撮ってみたいと思うくらい素晴らしい風景だった。

 車や通行人に注意しつつ公園へ入る。美しい景色から目を離し私は上、カラスの様子を窺った。悠々と飛ぶ彼は公園の上へと通りかかり――うさぎを落とした。

 

「な――っ!?」

 

 予想通り、座ったままの体勢で落下していく黒うさぎ。それなりな高さだ。無事かどうかは危うい。私は落下地点に急ごうとペースを上げる。

 と、うさぎが落ちるであろう位置を見て私は硬直した。うさぎの落下地点であろうベンチ。そこに座っているのがなんと青山さんだったのだ。眼鏡はかけていないものの、昨日と雰囲気のよく似た服を着た彼女。膝に乗せたお弁当のような物を前にニコニコと笑い、食事を始めようとしている。なんとなく……何が起こるか予想できてしまった。

 が、止める術はない。どう走っても追いつけるような距離ではなかった。

 

「あ、あの、危な――」

 

 私が言い切るよりも早く、それは起こってしまった。恐ろしいほど大人しく、垂直に落下したうさぎは青山さんの膝の上、お弁当に音を立てて落下。突然の出来事に青山さんの女神の如き笑顔が固まった。

 彼女の前で立ち止まった私は、呆然とそれを見る。……やってしまった。クッションになってくれて助かったのだけれど、これは災難というか。私の責任だよね。どないしよ。

 

「お弁当にあんこさんがトッピング……これは食べられませんね。大丈夫ですか?」

 

 ため息を小さく一つ。思ったよりも落胆していない様子で、のんびりと青山さんはうさぎを持ち上げる。それからバッグからハンカチを取り出し、うさぎの身体を拭きはじめた。

 あんこ? うさぎの名前、なのかな。流石常連さん。うさぎの名前を知っているみたいだ。

 

「あの、すみません」

 

 いつまでも黙って立っているわけにはいかず、一歩踏み出して声をかける。あんこを拭いていた青山さんはハッとし、私のお腹の上辺りを見た。

 

「サヤさんですね。ご苦労様です。はい、あんこさんです」

 

「え、あ、はい。ありがとうございます」

 

 あんこを差し出され、受け取る。今度はどこにも行かないようにしっかり抱きしめておいた。あんこの頭を撫でつつ、私は青山さんの膝の上にある弁当を見た。朝食用なのだろう。美味しそうなサンドイッチとパンケーキがプラスチック製の入れ物に入っていた。二つの食べ物をまたいで、円形のあんこの跡ができたりしているのだが、それを差し引いても美味しそうだ。

 申し訳ない気分になり、私は頭を下げた。

 

「ごめんなさい! 私の管理不足のせいで!」

 

 窓を開けただけでああなることを誰が想像できるのか分からないけど、悪いのは原因を作った私。謝罪を入れ再度頭を深々と下げる。

 

「気にしないでください。食べられなくなったのは残念ですけれど、私もあんこさんが無事で嬉しいです」

 

 彼女は透明なプラスチックの蓋を被せ、目を閉じながら穏やかに首を横に振った。うう、お優しい方……。

 

「それにパンケーキとサンドイッチに餡こという閃きをいただきました」

 

 それは……どうなのだろう。私が苦笑すると、彼女は続けた。

 

「サヤさんも初日で、色々大変でしょう。ただあんこさんには気をつけてあげてください。千夜さんがいても時々拐われますから」

 

 あんこは本当に何かしたのだろうか。常連の青山さんから告げられた言葉に、私はあんこを見下ろす。彼は大人しく私の腕に抱かれており、とても何かに危害を加えるような存在には思えなかった。やはり色が理由なのか。時々とか付いてるってことは複数回拐われてるってことだし。

 ……っていうか、あれ? そういえば名前呼んでるし、仕事初日なのも知ってるし、青山さん私のこと千夜からでも聞いたのかな。

 青山さんの台詞を反芻し、疑問を抱いた私は尋ねてみる。

 

「あの……なんで私の名前を?」

 

「千夜さんと会話しているのを聞いて、彼女から話をお聞きしました」

 

 盗み聞きしてすみません、と付け足して彼女は頭を小さく下げる。

 

「大丈夫ですよ。その、私に興味持ってくれて嬉しいですし……はっ!?」

 

 彼女がわざわざ千夜に私の話を聞いて、なんて嬉しい限りだ。謝る必要などない。私のテンションは急上昇する、のだが、ここであることに気付く。

 

「……どうしました?」

 

「い、いえっ! なんでもないです!」

 

 目を閉じたまま首を傾げる青山さん。私は彼女にすぐさま返事をし、思考を巡らせた。

 私と千夜の会話を聞いていた。すなわち、私が青山さんのことを気になると答えたことも知っているのでは!?

 いやでも、聞かれていても大丈夫だよね。話の流れ的に私が気になった理由は、青山さんが原稿を睨んでいたからだし。うん、好意を持っているとは言っていない。大丈夫。

 よし、ならばここは積極的に。

 

「青山さん、お詫びに今度何かお詫びにごちそうしますので――アドレスを交換してください」

 

「ごちそう……携帯電話ですね。分かりました」

 

 言って、彼女はバッグを漁りはじめる。教えてくれるみたいだ。こう言ってはなんだけど、あんこが拐われたお陰だ。グッジョブである。

 

「えーと、携帯……」

 

 うきうきとしながら携帯を取り出そうと考え――フリーズ。

 そうだ。忘れていた。私の携帯は悪名高い母親によって解約されレプリカになって、真っ二つになったのだ。最後の真っ二つは私のせいなのだが。

 

「すみません、私携帯持ってませんでした……」

 

「そうなんですか? なら、番号を」

 

 携帯電話を取り出した青山さんはきょとんとした様子で言うも、目を伏せつつ操作する。自分から交換を提案して携帯を持っていないという意味が分からない行動をとったにも係わらず、青山さんに戸惑う様子はない。彼女は携帯電話を膝の上に置くと、メモを取り出してそこにさらさらとペンを走らせた。

 

「どうぞ、サヤさん」

 

 紙と画面を見比べ、番号の確認を終えると彼女は私にちぎった一枚のメモを差し出す。そこには綺麗な文字で書かれた青山の名と、電話番号が。

 

「ありがとうございます。近いうちに絶対連絡しますので」

 

 小さくガッツポーズ。メモは着物の帯に挟んでおく。帰って仕事が終わったら財布の中身を確認しなくては。うまくいけば数日後には青山さんと食事が……ふふふ。

 

「はい、楽しみにしていますね」

 

 笑顔を浮かべる青山さん。彼女は私のお腹の辺りを見て返事をする。

 ……会ってからずっと目を合わせていないような。気のせいかな。

 不思議に思うも、公園の時計を見た私は彼女と別れ店に急いで戻る。開店まで時間はまだあるけれど、掃除する時間を考慮すると急ぐ必要があった。

 

「楽しみにしてるって……青山さんが」

 

 危機的な状況なのにも係わらず、思わず笑みが浮かんでしまう。私はにやけつつ記憶を辿り、来た道を大急ぎで戻った。

 

 

 



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(10)

 

 

 

 それから特に問題は起こらず、私も慣れない接客をそれなりにこなせるようになった。料理はおばあちゃん任せだけども、ウェイトレス役は十分に果たせている筈だ。なにせこれまで触れなかったレジまでマスターしてしまう完璧具合だしね……ふふん、得意げな気分。

 時々お客さんに年齢や職業を訊かれたりする以外、現在悩み事はない。順調と言えるだろう。

 

「いらっしゃいませ」

 

 さて、夕方が近くなってきた頃。お客さんが来たのか、店のドアが開いた。笑顔を浮かべそちらへ視線を向けると、中に入ってきたのは見知らない少女。セーラー服、なのだろうか。青を基調とし白をアクセントにした制服らしきものと帽子をかぶっており、身長は私より少し高いくらい。私のように若々しすぎる人種でなければ中学生――だろう。

 とても甘味処に一人で来るような客だとは思えなかった。ふわふわとした長い水色の髪を揺らし、彼女は店内を見回す。誰かを探しているみたいだ。こうしてじっと見てみると、幼い見た目に反し大人びたというか、落ち着いた印象を受ける。今もはっきりとした感情が窺えない。私もこれくらい大人しそうだったら大人びて見えたりするのかもしれない。大人しくなんてまず無理だろうけど。

 

「……あの」

 

 それから少しして、店内を見ていた彼女の蒼い目が私を捉える。そしておずおずと声をかけてきた。その様子は大人びた、というよりも人見知りをする子供のようで可愛らしい。私の口調は自然と優しいものとなる。

 

「はい、なんですか?」

 

「店員さんですか?」

 

 おおう、今までその質問はなかったなぁ。ちょっとだけ可笑しくなる私。こういう子に言われるなら笑って許せるから不思議だ。単に現金なのかな。

 

「はい、店員ですよ」

 

 私は微笑んで答える。すると彼女は少しだけ嬉しそうな顔をした。

 

「そうなんですか。千夜さんのお知り合いで?」

 

「まぁ、親戚ですね。昨日お手伝いするために引っ越して来ました」

 

「なるほど。お、お互い、大変ですね」

 

 どこか親近感を抱いたような安堵した表情を浮かべる少女は、私が青山さんに連絡先を訊いた時のように勇気を出した感じでぎこちなく言う。なにこの子。すごく抱きしめたい衝動に駆られるんだけど……ん? お互い?

 可愛さのせいで気付かなかったけど、この子も私と同じような境遇なのだろうか。私の大変なことと言えば、

 

「ドナドナ……?」

 

「……? なんですか? それ」

 

 違うみたいだ。無表情のまま首を傾げる少女。流石にこんな子が強制的に送られる筈もないか。働く必要ないんだし。

 

「なんでもないです。気にしないでください」

 

「そうですか?」

 

「はい」

 

 まさか純粋な子供に、働かずだらだらした挙句出荷される大人のことを話すわけにはいくまい。悪影響極まりない。笑顔をキープしつつ私は断言する。少女は困惑した様子を見せるも、少しすると何か思い出したかのようにハッと口を三角形に開いた。

 

「あの、あんこを触ってもいいですか? おやつを持ってきたんです」

 

 ここにはあんこに会いに来たということかな。会話の流れ的に千夜の知り合いみたいだし、多分大丈夫だろう。カラスに拐われたし、彼女に触られるくらい、今更な感じだ。

 

「どうぞ。好きに触ってください」

 

 あれだけのことがあったにも係わらず、台座に未だ鎮座しているあんこを横目で見やり、許可を出す。もう本当に置物みたいな感じだ。店内で和菓子を出すと僅かに反応するんだけど、それ以外は全然動かない。見た目は可愛いのに愛嬌がないというか、現金というか。勿体ない。

 

「ありがとうございます」

 

 ぺこりと頭を下げてあんこの近くへ向かう少女。心なしか明るくなった彼女はポケットから何かを出す。薄い茶色をした丸いそれは、クッキーだった。ペット用だろうか。甘いものが好きらしいし、あんこには嬉しいおやつだろう。

 

「……」

 

 クッキーを差し出すと、普段からは考えられない機敏さであんこが食いつく。少女の手の平の上に口をつけ、一心不乱に食べる姿はちょっと可愛い。少女の顔も緩んでいるように見える。少女はあんこの頭を空いている手で撫で、ほうっと息を吐いた。癒やされているみたいだ。

 

「そういえば、あなたの名前はなんですか?」

 

 一応お店側の人間とお客さんなので敬語を継続。千夜と知り合いならばこれから係わることもあるだろうし、個人的にも係わりたいし名前を尋ねておく。あんこに夢中になっていた彼女は手で撫でたまま、こちらへと顔を向けた。

 

「香風 智乃です。チノと呼んでください」

 

「チノね。私はサヤ。よろしくね」

 

「よろしくお願いします、サヤさん」

 

 チノは微笑し、頭をぺこりと下げた。つられて礼を返す私。礼儀正しい子だ。

 

「サヤさんはうちの学校ではないみたいですね。どこに通っているんですか?」

 

「学校? あー……通ってないです」

 

 彼女もまた私の年齢を勘違いしているようだ。私は首を横に振ると、驚いたように目を開くチノへ説明する。

 

「私は20代のお姉さんですから。フリーター? なのかな」

 

 ただのお手伝いさんだし、正社員ではないだろう。給料はもらえるらしいけど。

 

「……本当ですか?」

 

 チノの瞳が動揺から揺れる。それから徐々に彼女の顔が赤く染まっていった。何かまでは分からないものの、何かしらの理由で恥ずかしがっているようだ。彼女はか細い声で言う。

 

「ごめんなさい……同年代の子かと、すっかり」

 

「同年代――あぁ」

 

 私は察した。お店の手伝いをしていると口にした時、彼女はお互い大変だと口にした。つまりは彼女もまた何かしらのお店を手伝っていて、同年代に見えた私に親近感を覚えていたのだろう。だから知り合いになろうと勇気を出して吃りつつも会話をしてくれた。なのにそこで私が大人だと分かり――後は大体察しがつく。私も実際やったら恥ずかしいかもしれない。

 

「いいんですよ、気にしないで」

 

「いえ、そういうわけには。私には普通に話してくれて問題ありません」

 

「は、はぁ」

 

 きっぱりと断言された。やだこの子、真面目。

 

「じゃあ普通に話すね。チノちゃんもいんだよ? 普通に喋って」

 

「私はこれが普通です」

 

「そうなんだ……」

 

 小学、中学生でこの口調。見た目の印象以上にしっかりしている。私とは大違いだ。

 

「チノちゃんって中学生?」

 

「はい。今は学校帰りです」

 

 まだほんのりと赤い顔で頷くチノ。あんこがクッキーを食べ終わると、彼女は私へと身体を向ける。

 

「そっか。下校途中に来るなんてあんこが好きなんだね」

 

「そうですね。近づいても逃げたりしないので」

 

 他の動物には逃げられるのかな……。意外だ。

 

「これからも遠慮しないでここに来てね。あんこも嬉しいだろうし」

 

 チラッとあんこを見て私は言う。彼は微動だにしていない。しかし少なくともおやつをもらえるのは嬉しい筈だ。あの喰いつき方から分かる。

 

「それに友達だし。同年代ではないけど」

 

「やめてください……恥ずかしいです」

 

「ふふっ、私で良かったら暇なときはいつでも遊んだりできるから、是非とも、ね?」

 

 再び赤面する彼女へ私はウインクしつつ言った。お互い仲良くなろうと思っているのだ。会わない理由はない。

 

「はい……。私はこの近くの喫茶店で働いてますので、良かったら来てください」

 

 赤くなった頬に右手を添えて、彼女は少しだけ口の端を上げる。笑っているみたいだ。

 

「喫茶店かぁ……いいね、行ってみたいな。チノちゃん制服とか着るの?」

 

「制服ですか? はい、着ますよ」

 

 頷くチノを下から上まで眺めて、私は想像する。このお店のように和風な喫茶店ならば、和服。洋風ならばメイド服みたいなウェイトレス服だろうか。いずれにしても見てみたい。そして私のことをお客様として接客してくれるチノを体験してみたい。

 

「うん! 絶対近いうちに行くよ!」

 

「……変なこと考えてません?」

 

 サムズアップして快諾すると、不審者を見るような目で見られた。女の子の制服姿を想像することが変なことならば、世の中の大半は変なことになってしまう。私は断じて違うと首を横に振った。

 

「そんなことないよ。ただミニスカートのチノちゃ――」

 

「あ、チノちゃんだ!」

 

 私の脳内の健全性を語ろうとしたタイミングで、喫茶店のドアが開く。元気な声と共に現れたのはピンク色の髪をした少女、そして千夜だった。

 

 

 



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(11)

 

 

 

 学校帰り、だろう。千夜と一緒にいるのは多分同じ学校の友達、同級生の……ココアだったかな。千夜が名前を言っていたような記憶がある。彼女がその人物かは分からないが、こうしてここに来ているということは友達で間違いないだろう。

 

「ミニスカートの私……?」

 

「いらっしゃいませ」

 

 客かもしれないので、一応お客さんとして接する。危ないことを口走りかけたので、二人の登場はまさに助け舟。有り難く乗ることにした。小首を傾げるチノに背中を向けて、私は入り口の前に立つ二人へと近づいていく。

 

「お席にどうぞー」

 

「あ、私達はちょっとお話するだけだから大丈夫よ」

 

 席に案内しようとすると、千夜が苦笑しながら言う。私がどの程度できるようになったかテスト、とかではないらしい。それならば不自然な敬語も必要ないか。肩の力を抜く私。そこでふと、千夜の隣、ココアらしき少女からジッと見られていることに気付く。

 可愛い少女だ。セミロングの髪に、花びらと葉っぱの髪飾りを着けていて、顔立ちは有り余る快活さが窺えた。若々しいとでも言おうか。大きな青紫の瞳はくりくりとしており、行動力がありそうで、元気さが見ていて伝わるような女の子である。スタイルも平均的、健康的で、少女らしさ、青春という言葉を感じさせる。誰にでも好かれそうな子だ。

 彼女はわくわくとした輝いた目を私にまっすぐ向け、口を開いた。

 

「ミニスカートのチノちゃんって?」

 

 聞こえていたみたいだ。それにしてもすごい食い付きである。

 

「もっとミニスカートでも可愛いんじゃないかと思いまして」

 

 誤魔化す手段が見つからないため、それとなく問題が少なそうな返答をする。答える際に私は視線を泳がせ、隣に来たチノを見るのだが――彼女のスカートは既にひざ上で、割とミニだった。……ここから更にミニって私は変態か。

 

「ああー、そうなんだ。確かにそれでも可愛いよね」

 

 あ、なんか仲間が。ココア(仮)とは仲良くなれそうな気がする。

 

「やめてください」

 

 変態的な発言をした私、笑顔で言い放ったココアを一蹴するチノ。あまり表情が変化していないのだが、露骨なくらい嫌がる空気を感じられた。

 

「そうよね。お店の中ならともかく、外を歩くんだもの」

 

「それってもしかしてシャロちゃんの制服のこと言ってるの?」

 

 ココアが首を傾げる。制服? 文脈から察するにシャロはどこかでバイトしてるのか。そしてスカートが短いと……是非見に行ってみたい。

 

「そういえばシャロさんはミニスカートでしたね。シャロさんはミニスカートでも可愛らしいです。だからミニスカートならシャロさんに言ってください」

 

『シャロちゃん売った!』

 

 妙な早口で言うチノに、私とココアが同時につっこむ。よほど恥ずかしいのか、知り合いを売ることに躊躇がない。

 

「あら、もう息がぴったりね」

 

 千夜はくすくすと笑い、私とココアを交互に見た。ココアと私の目が合う。天真爛漫を体現したかのような明るそうな彼女と、面倒くさがりな私とでは差がありすぎるような気もするけど――何故だろう。とても近い何かを感じる。ミニスカートの件、つっこみの件でなんとなく同類なのではと思ったのが原因だろうか。

 

「そうだね。なんだかシンパシーを感じるよ」

 

 暫し見つめ合っていると、ココアが微笑む。そして手を握ってきた。

 

「初めまして! 私はココア。サヤちゃんって千夜ちゃんの親戚なんだよね?」

 

「あ、うん。初めまして」

 

 お客さんでもないし、歳上でもない。彼女も親しげに話してくれているし、私は遠慮なくタメ口で答える。少しぎこちないけども。まさかこれほどフレンドリーに接してくるとは思わなかった。

 私は彼女の手を握り返す。そして握手をすると、ココアは空いていた手も使い、私の手を包み込む。

 

「小さくて可愛いなぁ……いいなぁ、私もこんな親戚ほしいなぁ」

 

 ……なんだか、若干危ない感じだ。

 シャロと同じく、またも私の年齢のことを知らないようなので、私は千夜のことを責めるような目で見る。が、彼女はきょとんとするのみ。しまいには親指を立ててサムズアップしてくる。仲良き事は美しい、なんて言い出しかねない爽やかな笑顔である。

 駄目だ、分かってない……。

 っていうか、年齢って人を紹介する上で大切な要素だと思うのだ。同性だから気にすることもないだろうに。

 

「お姉ちゃん……」

 

「え? 私?」

 

 千夜に呆れて思わず呟くと、目の前のココアが反応を示した。すごく期待したような目をしてらっしゃる。

 

「なぁに? サヤちゃん」

 

「え!? 千夜ちゃん!?」

 

 すごく驚愕してらっしゃる。

 

「どういうことなの!? 千夜ちゃんいつの間に妹が!?」

 

 動揺した様子のココアは私と千夜を交互に何往復もして見る。その間も私の手はしっかり掴んだままで、私は彼女の動きに合わせて軽く揺さぶられた。

 

「妹を欲している私より早く――抜け駆けを! 羨ましい!」

 

 目を固くつぶり、ココアは絶叫する。彼女のこの妹に対する情熱は一体何なのだろう。私はなんて言ったらいいか分からず、チノへ助けを求めることにする。千夜は頼りにならないし、先程彼女はココアに対して強い言葉を投げかけていた。ココアへの対処は慣れているようだし、ここは彼女が適任だろう。

 が、彼女もまた動揺したかのように口を丸く開いて、かたかた震えていた。

 

「サヤさんは確か大人……そのお姉さんということは、千夜さんはまさか……まさか」

 

 あかん! それは失礼や!

 

「ね、年齢とか関係なしに千夜ちゃんって綺麗で大人な感じがするでしょ!? だから私、お姉ちゃんって呼んでるんだっ!」

 

 チノの言葉が千夜に聞こえる前に私は大きな声で言う。あくまで年齢は関係ないと強調して。

 

「そうなんですか? ……少しホッとしました」

 

 チノの誤解を解けたようで、彼女は小さく息を吐いた。……よかった、大変なことになる前に止められて。千夜は多分怒りはしないけど、しばらく不貞腐れて面倒なことになる筈だ。もしくは若返るために何かおかしなことをしたり――いずれにせよ面倒を起こすことに違いはあるまい。

 

「そっか……。親戚で妹……羨ましいけど、シスターコンプレックスの称号は千夜ちゃんのものだね」

 

「まぁ、かっこいい。何て意味なの?」

 

 ……と思ったけど、誤解を解いても面倒なことになりそうだ。というか、もうなった。

 

 

 



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(12)

 

 

 

 いつの間にか個性的なのは千夜だけかと思ってたけど、他の面々も彼女同様濃い方なようだ。悪い人ではないと断言できるけど、なんだか不思議な感覚である。面倒事が嫌いな私が、係わりたくないと思わないのだから。

 

「シスターコンプレックスはともかく、私はお姉ちゃんの妹みたいなものだから、みんなも私と仲良くしてね?」

 

 こちらに質問が飛んできたら厄介だ。話を変えるために私は笑顔を浮かべて言う。ココアがそれに満面の笑みを浮かべて応じた。

 

「うん! 私のこともお姉ちゃんって呼んでいいんだよ?」

 

「ココアちゃん……いい加減に手を離してくれない?」

 

 未だに繋がった手がブンブンと振られ、私は呆れながら言った。元気な彼女が何かする度に手も連動して動き、微妙に疲れてしまう。

 

「あっ、忘れてたよ」

 

 パッと手を離すココア。忘れてたのね。わざとかと思ってたのに。

 

「相変わらず妹のことになると我を忘れますね」

 

「私シスターコンプレックスだから……嗚呼、それも過去の名だね」

 

 何故そこでシリアス調になるんだと言ってやりたい。

 

「ココアさん。そろそろお店に行かないといけません」

 

「え? もうそんな時間……って本当だ! 早くしないとチノちゃんのお父さんに迷惑かかっちゃうね」

 

 ココアは時計を見ると、その場で慌てて足踏みをする。チノがやって来てから10分は経っていた。それほど時間が経っていないように思えるが、チノが言うには彼女の働く喫茶店はここの近く。この僅かな時間でも結構響いてくるのだろう。10分もあれば着替えたり、準備もできるし。――って、そういえば。

 

「ココアもチノと同じ場所でバイト?」

 

「うん! チノちゃんの家に下宿させてもらってるから、そのお礼にご奉仕、って」

 

 ほう……下宿。チノみたいな子がいる家に下宿。それも喫茶店。若い時、青春真っ盛りな時期にそんな体験ができるとは羨ましい限りである。私も私で現在おいしい状況ではるのだが。和服美人の大和撫子と同居――これであのおばあちゃんがいなければ、小躍りしているレベルの幸運だ。

 元気よく答えるココアを前に、私は一人頷く。

 

「そっか。それなら行く理由が増えたかな。友達二人に会えるし」

 

 美少女二人だし。

 笑顔の裏で私は密かに付け足す。

 

「チノちゃん、サヤちゃんと友達になったの? よかったねー」

 

「……早く行きますよ。お邪魔しました、千夜さん、サヤさん」

 

 ぺこりと頭を下げて、足早に店から出て行くチノ。ほんのりと頬を赤らめて、逃げるように退店する彼女はとても可愛らしかった。恥ずかしがり屋さんなんだなぁ、と微笑ましい気持ちになってしまう。

 

「あ、チノちゃん! じゃ、またね二人とも。よかったら遊びに来てね」

 

 手を大きく挙げてチノを追うココア。姿が見えなくなるまで彼女の印象は変わらず、背中ですら元気そうだと思わせる雰囲気があった。彼女のような人をムードメーカーというのだろう。一緒にいて飽きなそうだ。

 

「……さて。私もお仕事しようかしら。サヤちゃんはどうする?」

 

 伸びをし、小さく息をもらした千夜はこちらを横目で見やる。彼女からの視線を感じ、私は咄嗟に目線を上へ。危ない。つい胸を凝視してしまった。これでは思春期の男性ではないか。いやでも、スタイル抜群で大人っぽい彼女が、制服姿で伸びをしているのだ。見ざるを得ないというもの――ってこれもなんか駄目だ。語れば語るほど駄目人間になっているような気がする。

 

「私は休んどこうかな。今日は頑張った」

 

 掃除の割合が多いけれど、頑張ったのは事実だ。疲れたのもまた事実であって、ずっと立ちっぱなしなのはニート生活をしていた私には堪えた。もう今日はこのままベッドインしたいくらいである。

 きっぱりと自分で頑張った宣言をする私。千夜は面白そうに笑い、口元に手を当てた。上品で、それでいて嫌味のない仕草だ。彼女によく似合っているからそう思えるのだろう。

 

「ふふ。じゃあ、おばあちゃんに言ってから着替えて上がりね」

 

「ん。了解」

 

 頷いて、私は千夜へと一歩近づく。そして頭をずいと突き出した。

 

「どうしたの?」

 

 私の行動の意図が分からないのだろう。頭上から、きょとんとした様子の声がかかる。頑張った宣言と同じく、私は恥ずかしげもなく自分の要求を口にした。

 

「撫でて、お姉ちゃん」

 

「あ、そういうこと」

 

 ポンと手を打つ音。合点がいったらしい。少しして、千夜の手が私の頭に触れる。

 昔とあまり変わらず、小さくて、頼りない手。だけども心地よい感覚だった。なんでだろう。両親からやられると恥ずかしくて仕方ないのに、千夜だとそんな気持ちもないのだ。ただ心地よくて、素直に甘えていられる。撫でられたのも会ったのも結構昔なのに、この感覚はよく覚えている。お姉ちゃんとはやはり偉大なものだ。

 目を閉じ、撫でられる感覚をしっかり味わう。髪が乱れない程度の優しい手つき。かすかに漂う千夜の香り。いい……この甘えているという実感。心地よくて駄目人間になりそう。

 

「――こうしていると、サヤちゃんに会った時のことを思い出すわ」

 

「昔だし、期間も短いのに覚えてるものなの?」

 

 目を開いて上を見てみる。千夜は私の頭を丁寧に撫でながら、懐かしむように目を細めていた。

 

「覚えているわよ。私の妹のことだし」

 

「……なんかお姉ちゃんから妹って言われると照れくさいね」

 

「サヤちゃんからそう呼ばれてる時、私も同じ気持なのよ」

 

「ほう。じゃあ両想いということですな」

 

「ふふ、そうね」

 

 互いに笑い合う私達。最後に一撫ですると千夜は私の頭から手をゆっくりと離した。

 再会したばかりだというのに、こんなふうに冗談を言い合えるとは。本当に両想いなのかもしれない。なんちゃって。

 

「はい、おしまい。明日また頑張ったらしてあげるわ」

 

「本当に? よーし頑張っちゃうぞ」

 

 ――今思ったけど、私って大人だよね?

 なんで頭を撫でられるくらいでこんなやる気が出るのだろうか。冷静になってみると、ここ数分精神が幼くなっていたような。

 

「さぁ、頑張って休もうかな」

 

 まぁ考えていても仕方ないことだろう。私は思考を放棄し、肩を回す。

 千夜から頭を撫でてもらえるなんて、きっと誰でも喜ぶご褒美だ。私がやる気を出してもしょうがないと思う。うん。今回はそういうことにしておく。

 

「うん。頑張って、サヤちゃん!」

 

 見当違いなことで頑張ろうとする私を、笑顔で見送る千夜。きっとシャロがいたらつっこまれてたんだろうなぁ、なんて思いつつ私は千夜へ笑顔を返して、厨房へと向かった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 で、それから少しして。

 休む予定だった私は、とある店の前に立っていた。

 

「ここがラビットハウス……」

 

 ラビットハウス。あのチノと、ココアが働いているという喫茶店だ。

 外観は至って普通の喫茶店、といった感じ。白い壁に、窓やドアは木製。特に目立ったものは見つからない。そこら辺に並んでいる家々と変わらず、なんだかひっそりとした印象である。

 店の前には小さな花壇や、椅子の上に置かれた植木鉢など、割と色豊かなコーディネート。なのにこう落ち着いて見えるのは、おそらくお店側のこだわりか何かなのだろう。なんとなく、ゆっくりできそうな気がしてしまう。

 じっくり見れば見るほど、しっかりしたお店に見えてくる。

 そしてお店のドア近くに提げられた金属製の看板。これがまた洒落ていていい。カップとうさぎ、そして周りには葉っぱのようなデザインの装飾が。ここがラビットハウスだと一目で分かるデザイン。そして森の茶会……そんな童話チックなイメージが頭に浮かぶ。

 メルヘンチックな落ち着いたお店。現実(朝から夕方までの労働一回)に疲れた私にはぴったりだろう。

 日給だと5千円を貰って、すぐ来るのはどうかと思っていたけど……その迷いも吹っ切れた。こんな素敵な喫茶店、入らねば損だ。

 

「よし入ろう」

 

 私は意気込み、入り口のドアノブを捻る。

 いざ、ラビットハウス――!

 

 

 



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(13)

 

 

 

 カランカランと音。ドアを開くとどこかで聞いたようなベルが鳴り、私の来店を告げる。

 ラビットハウスの中は『どこかで見た』と思わせる、喫茶店らしい見た目をしておりました。立ち並ぶテーブルと椅子は年季を感じさせるものの、木特有の落ち着いた雰囲気と色であり、奥にあるカウンターはさながらお洒落なバー。棚に並べられた道具や皿なども、インテリアとしての役割を持っているようで、色は勿論並べ方もまた綺麗だと思える。

 絵画なども壁に飾られていて……なんだか、美術館のよう。この喫茶店自体が美術的な作品であると言われても、まったく疑うことはしないだろう。喫茶店として完成されたスタイルである。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店をきょろきょろと見回す私。すると、不意に目の前から声がかかった。てっきりココアかチノかと思っていたけど、彼女らとはまた違う声音である。誰だかは勿論分からない。が、女性であることは分かった。なのでココアチノと同じく美少女を期待するのだが――その予想をはるかに上回る人物がそこにいた。

 

「お客様、お一人ですか?」

 

 若干悲しくなる質問を完璧な笑顔で投げかける、目の前の人物はまごうことなき美少女であった。

 腰を越す長さの紫色の髪は、ツインテール。三次元では浮きがちなそれを、彼女は見事自分のものにしていた。きりりとした目の瞳は、髪と同じく紫色。大きなリボンがついたウェイトレスの制服であろうその下から、女性らしい豊かなスタイルが窺える。

 可愛らしくスタイル含め女性的でもあるのだが、凛々しいという言葉が何故か思い浮かぶ少女だ。

 綺麗な人だ。異性にももてそうだが、同性にももてそうである。事実私もときめきめいているし。

 

「あ、はい。一人です」

 

 見知らぬ少女の容姿に見惚れること数秒。我に帰ると私は慌てて返答する。

 小さな女の子が一人で喫茶店に。不思議に思われたのか、店員の少女は一瞬きょとんとするものの、すぐにまた笑顔を顔に作る。流石は店員さん。迷子かだとか訊いたりしてこない。嗚呼、普通のことだけど有り難い……。

 

「カウンターとテーブル席、どちらがよろしいですか?」

 

「カウンターでお願いします」

 

 カウンターをちらりと見やれば、チノにくっついているココアを発見。彼女らに挨拶に来たようなものなので、勿論カウンターを選択した。

 

「では、こちらへ」

 

 女性店員さんはこれまた見惚れてしまいそうな、見事な物腰でカウンターへと私を案内する。彼女についていき、私はその後ろ姿を眺める。女の子――というか、女性らしい。後ろ姿のラインすらなんだか立体的に見えて、こう……世の男性らのフェチというものも理解できるような気がする。長めのスカートから見えるタイツ……? それともニーソか。分からないけど、スタイルも相まって生足よりいかがわしく見えた。……っていうか、私は女の子の後ろ姿を眺めてなに長々と語っているのだろうか。

 馬鹿か。

 

「どうぞ、お客さーーうおっ!?」

 

 前から驚いたような声が聞こえる。なんだろうかとぼんやり考えていると、何か柔らかいものに当たった。

 

「んえ? ――っとと、ごめんなさい!」

 

 思考から我に帰れば、前には店員さんが。いつの間にやら私はもうカウンターの前まで来ていたようだ。で、立ち止まって振り向いた店員さんに私は構わず直進したと。

 馬鹿か。二度目の呟き。

 

「あ、いや、気にしないでください。急に立ち止まった私も悪いので」

 

 慌てて頭を下げる私に、笑顔を浮かべて優しく店員さんは言う。その言葉には、私が主に悪いというニュアンスが含まれているのだが、まぁ間違いないだろう。だって視界が限られてるわけでもないし、カウンターがどこかなんて見て分かるし、店員さんが立ち止まるタイミングなど容易に分かるものだ。そこで店員さんに突っ込んでいったのだから、完全に私の不注意である。私が男性だったら間違いなくセクハラだ。

 

「店員さんは全然悪くないですよ。すみませんでした。……えと、席は自由なところで?」

 

 やっぱり小説のように長々と思考するのがいかんと思うのだ。厄介な癖である。

 このまま謝り続けても相手が困るだけだろうと判断。私はカウンターの席に視線を向ける。店員さんは頷き、手でどうぞと示す。

 

「はい。お好きな席に」

 

「じゃあ、ここで」

 

「――あ! サヤちゃん!」

 

 適当な席を選び、店員さんの横へ出る。すると大きな声がカウンターの向こうから上がった。ココアだ。私を見つめ、キラキラと目を輝かせている。

 少し気付くのが遅いような気がするものの、たぶん私がリゼの影に隠れていたから誰だか分からなかったのだろう。入店した時はチノとふれあっていたし。

 

「や。暇ができたから早速来たよ」

 

 気さくに手を挙げる私。ココアの隣に立つチノは控えめに会釈をする。会ったばかりからか、その動作は若干ぎこちない。

 

「本当に来てくれて嬉しいよ。ささ、どうぞどうぞ」

 

 彼女とは対照的に、ココアの方は変わらずフレンドリーだ。笑顔を浮かべて私にカウンターの席に座るよう、ボディーランゲージで示す。てっきりお店だから敬語かなにか使うと思ったが――ここはそういうことを気にするお店でもないのだろう。私もそういうことを気にする人間ではないので助かる。むしろ敬語だと堅苦しくなりそうだ。

 ココアに進められるまま、私は席に。ちょうどココアとチノの中間辺りの位置だ。

 辛うじてつま先が付く椅子に座り、ほっと一息。仕事中殆ど立ちっぱなしだったから、ただ座るだけでもかなり楽になった気分だ。

 着席から少しの間を空けて、ココアがカウンターの上に身体を乗り出す。そしてとても楽しそうな、いきいきとした顔で彼女は私に尋ねた。

 

「ご注文は何にします?」

 

「……ココアさん、まずメニューを渡してください」

 

「ああっ、そうだった! ちょっと待っててサヤちゃん」

 

 ――大丈夫なんだろうか。

 ばたばたと、おそらくメニューが置かれている場所へと向かうココア。慌ただしい彼女の様子を眺めつつ、私は苦笑した。危なっかしいけど見ていて面白い。

 フッと私の隣から小さな笑い声。ちらっと見やれば、案内してくれた素敵な店員さんであった。

 

「見事な空回りだな。ココア、メニューなら私が持ってるぞ。どうぞ」

 

 彼女は容姿の印象からイメージし難い口調で話し、私の前にメニューを置く。黒いカバーに金色の枠、デザイン、メニューとアルファベットで表記が。店先同様、シンプルで分かりやすい。

 

「あーっ! リゼちゃん、私がおもてなししたかったのに」

 

「知らん。っていうか持ってきすぎだ」

 

 メニューを数冊抱えて戻ってきたココアへ、リゼと呼ばれた店員さんが冷静なつっこみを入れる。

 

「普段はしっかりできるのに……張り切りすぎです」

 

 再びどたばたとメニューを戻しにいったココアを眺め、チノは小さくため息。良かった。普段はできてるんだ。

 

「また妹がらみか? ……って、すみません。私語ばかりで」

 

「いや、いいんですよ。二人とは友達ですし、気にしなくて」

 

 首を横に振る。レストランのような物とはまた違う、ずっしりとしたメニューを手に取り、私は笑顔を浮かべた。

 

「むしろタメ口推奨です。私も使っていいですか? 使ってよろしいでしょうか?」

 

「……チノ、この人は」

 

「ココアさんみたいな人だと思ってください」

 

 ジト目の二人がこそこそと、こちらに聞こえる声で喋る。ココアみたいな人かぁ……嬉しい。嬉しいけど、なんだかいい意味で使われていないような気がする。今みたいなはしゃぎっぷりのことを言っているのだろうか。それとも、初対面でも遠慮無くずけずけと踏み込んでいくところだろうか。

 ふむ。でもそこもココアのいいところだと言えよう。そんな彼女に似ているのだから、私も誇らしい気持ちで――

 

「チノちゃんっ! メニュー入れるところ外れちゃったんだけど!」

 

「どれだけ強い力を込めたんですかっ!」

 

「いや転んじゃって」

 

 ――うん、前言撤回。

 

 

 



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(14)

 

 

 

 やっぱりレディとしては落ち着きが少し欲しいものだよね。私にはないような気もするけど、気のせいだ、多分。

 

「どれ見せてみろ」

 

「うん……これ」

 

 リゼに手を差し出され、ココアがしょんぼりとした顔でカゴらしき物を手渡す。金属製だろうか。綺麗なシルバーの、これまたシンプルな物である。壁に掛けるようになっているらしく、長いアームが付いているのだが――それが歪に折れ曲がっていた。なるほど。転けて力をかけたならこうなるのも納得だ。ただ何もないであろう店内で転ぶことが、些か心配になる点ではあるのだが。

 ペンチとかがあれば直せるかもしれない。それほど重大な損傷ではないし、男性なら素手で直せる程度の問題であった。けれど店内にはどう見ても女性しかいないし、みな可憐な容姿をしている。とても修理ができそうな人物はいなかった。

 が、リゼはふとしたことのようにその曲げ部分を握り――

 

「ああ、これくらいなら……ほっと」

 

 小気味よい掛け声とともにそれをあっさり直してしまった。

 驚いた。さながらスプーン曲げを見ている観客の気持ちだ。あんなか細い身体のどこに力が――いや、もしかしたらあのカゴが見た目以上に柔いのかもしれない。もしくは、リゼが見た目以上に逞しいか。

 

「どうだ。これでも問題ないだろ」

 

「わー、ありがとうリゼちゃん! 助かったよ」

 

「ふふん」

 

 ココアにお礼を言われ、誇らしげに胸を張るリゼ。そんな彼女の様子を見ていると、やはり彼女ではなくカゴが柔いのではと思える。だってねぇ? みんなそんなに驚いてないし。きっとあれくらい普通なのだろう。

 

「硬くて困ってたんだー。戻してこよっと」

 

「今度から気をつけてくださいね。リゼさんがいないと困っちゃいますから」

 

 ――なんかリゼが強い方の可能性が高まってきたんだけど、あんまり気にしないでおこう。

 

「頼りにされてるんだね。リゼちゃん……でいいのかな?」

 

「ん? あぁ、構わまい。そっちはサヤ、だったな」

 

 照れくさそうに頬を指先でかき、彼女はちらりと私を見る。社交辞令が如く言葉に照れてくれるとは。可愛らしい子だ。

 返答がうやむやになったけれど、タメ口はいいらしい。こうして話すと、彼女のこの口調も自然に感じられた。女性らしくもあり、きりりとした雰囲気も持ちあわせている彼女だからこそできる芸当であろう。

 じっくりリゼの照れ顔を鑑賞する私。彼女は徐々に落ち着きを取り戻し、私の顔をジッと見返した。

 

「サヤは……チノの同級生か?」

 

 やはり気になるのは年齢や、二人との関係らしい。

 リゼの言葉に、チノが赤面して反応を示した。どうやら自分がしてしまったミスを思い出して恥ずかしがっているらしい。ふふふ。同級生と思って私に話しかけてきたからね。思わずからかいたくなるけど、我慢我慢。

 

「違うよ。ほら、私は大人。23歳!」

 

 チノをからかう代わりに、私はポケットから免許証の入ったパスケースを印籠のようにリゼへ見せる。ふふ、純粋で照れ屋っぽい彼女は果たしてこれでどんなリアクションを見せてくれるのか楽しみ――ってあれ? なんか、ジッと見られているような。

 特に大きなリアクションはなし。これまでの展開からいって『ええぇぇ!?』みたいな、芸人ばりのそれを期待していたのだが、彼女はまじまじと免許証を見るのみ。そして暫しの沈黙の後、若干声を低くして問いかける。

 

「……本物か?」

 

 ああ、なるほど。玩具だと思ったのかな。シャロも最初はこれを見てそう思ったみたいだし、納得だ。私は得意げな顔をし、首を縦に振る。

 

「そう。間違いなく本物だよ」

 

「そうか」

 

 やっぱりリアクションが小さい。それどころか私の返事を聞いて深く考えこんでしまった。そんなに分からないことがあったかな。ううむ。私の年齢と身長の一致しなさっぷりとかは疑問に思うだろうけど……それは本人にも分からない謎だし。

 自然と私も考えこんでしまう。するとぽつりとリゼがもらす。

 

「偽造か」

 

「なんで!?」

 

 思いもよらない言葉につっこみをいれた。まさか偽造を疑われる――いや、疑問符もついてなかったね。確信を得て偽造だと思われるなんて思いもしなかった。

 

「いや、どう見ても本物だが、サヤはその……」

 

「小さいだけだから! 幼く見えるだけ!」

 

 物凄く言い難そうにするリゼへ私は必死になって語る。自分で何故自分のことを幼いと言わなければならないのか。言っている自分ですらそれは分からない。

 

「そ、そうか……にわかには信じがたいが」

 

 まだ不可解なものを見るような目をしているものの、そこまで語ってようやく彼女は私のことを受け入れてくれた。

 私が面白リアクションすることになるとは……常識人的な人かと思っていたけど、この人もまた個性が強そうだ。

 

「しかしすごいな……マヤぐらいの身長か?」

 

「私の将来を見ているようです……」

 

「かわいいよねー」

 

 私のことを見ながら呟くリゼとチノの二人に続く声。見れば、いつの間にか戻ってきたココアがチノの隣に立っていた。彼女は驚く私達の注目の中、グッとガッツポーズを作る。

 

「大人でも可愛い。これはもう永遠の妹と言っても過言ではないよ。物凄く希少だよ」

 

「そのへんの家庭にいるだろ」

 

 冷静な指摘がリゼから飛んだ。永遠の妹――妹というものは家族の関係。永遠に続くのが当然である。

 

「でも、ずっと小さくて可愛い子なんて中々いないでしょ?」

 

「……そうですね。そうだと信じたいです」

 

 中学生、おそらく思春期真っ盛りであろうチノが肯定する。多分彼女は大きくなりたいんだろうなぁ……気持ちはよく分かる。私も自分の身長が小学時代から伸びない中学何年生くらいの時は、ひどくショックを受けたものだ。女性は大人っぽい容姿に憧れるものだ。身長はともかく、胸はやはり大きい方がいい。そう。千夜やリゼくらいは欲しいものだ。見栄えが全然違うからね。

 

「うーん。チノちゃんもサヤちゃんみたいに成長してくれると、私としては嬉しいんだけどなぁ……」

 

「嫌です。私は絶対大きくなりますので」

 

 物凄く自信と確信に満ち溢れた様子で、チノは断言した。

 ふむ。彼女からも少なからずシンパシーを感じる。私も小さい頃は理由なく大人っぽい容姿にあこがれていたし。なんて言ったら、チノは落ち込みそうだけど。

 

「えーっ! でもそれだともふもふが……っ」

 

「チノが大きくか……楽しみだな。綺麗になりそうだ」

 

 慌てるココアに、目を細めるリゼ。方向性は違うものの、なんだか二人とも母親みたいだ。

 

「そ、そんなことは……サヤさん、ご注文は決まりました?」

 

 顔を赤らめて、チノは落ち着かなそうに髪を直す。照れていることはバレバレだったのだが、彼女はそれを誤魔化すかのように私へと問いかけた。そういえばメニューを渡されたまま雑談してしまって、見てすらいなかった。いけないいけない。お店に来たんだから、何か頼まないと。

 メニューを開く。落ち着いたお店の雰囲気通り、メニューもまたそのような感じだ。けれど、ただシンプルというではない。綺麗に間隔を空けて並んだ文字と、必要最低限の絵。簡素ながらしっかりとお客さんのことを考慮されて作られており、分かり易かった。

 メニューに書かれているものの中心はコーヒー。それがウリなようで、種類もまた豊富だ。次いで、軽食。サンドイッチやトースト、パスタ、デザート類など選択の幅は広い。値段も良心的だ。

 ただコーヒーの値段だけは高めに思えてしまう。いつも缶コーヒーやインスタントばかり飲んでいるからだろう。喫茶店で出るコーヒーというものの相場が分からなかった。ま、そこは喫茶店だ。カウンターにはコーヒーを入れる道具らしきものが見えるし、インスタントなど遠く及ばない質なのだろう。つまりは値段相応ということだ。うん、楽しみ。

 

「じゃあキリマンジャロと、フレンチトーストを」

 

 コーヒーに甘いもの。これはもう定番だろう。そこにフレンチトーストなのだから、もう間違いない。無難な選択であると言える。

 

「かしこまりました。では、リゼさん」

 

「あぁ。行ってくる」

 

 注文を受け、リゼがお店の奥へと歩いていく。多分彼女が調理してくれるのだろう。リゼの手料理……それだけでコーヒーの値段にも納得だ。むしろもっと払いたい気分になってくるから、私というやつは現金というか。

 リゼが店の奥へと消え、チノもまた動き出す。そして小さいながら感心するような手際の良さで、道具をあれこれと駆使し、コーヒーを淹れはじめた。

 なにをしているかはよく分からないけど、豆を擦っている時点でいい香りがしてきた。これから、あの錬金術のような道具を使ってコーヒーを作ってくれるのか……。なんだかかっこいい。わくわくしてきた。

 可愛いと思っていたチノも、こうして仕事をしている姿を見るとかっこよく見える。真剣な顔でコーヒーを作る姿は職人と称しても遜色ない。

 ――で、

 

「ココアちゃんの仕事ってなに?」

 

 私の前でずっとにこにこしているココアは、果たしてなんの仕事をしているのだろうか。

 

「私? 私は接客とかお掃除がお仕事で……今はお客さんの話相手?」

 

「あぁなるほど……」

 

 リゼが私の接客をしたから仕事が終了してしまったということか。見たところお客さんも今は私しかいないし、こうして棒立ちしているのも仕方ないことだ。

 

「料理もコーヒー淹れるのもできないのかと思った」

 

「……あはは」

 

 私が言うと、ココアは目をふいっと逸らした。……わ、分かり易い。この喫茶店よりも。

 

「まぁ、今年から来たなら仕方ないよ。コーヒーも料理も一朝一夕でできるものじゃないだろうし」

 

「りょ、料理はできるんだよ? コーヒーはさっぱりだけど」

 

「……料理もパンだけならですけどね」

 

「うぐぅっ」

 

 あ、撃沈した。

 コーヒーを作っているチノから補足され、カウンターに突っ伏してしまうココア。……彼女も色々大変なんだなぁ。

 ちなみに私は料理もコーヒーもパン作りもさっぱりだ。料理なんて下手したら病院行きの被害者が出るかもしれないレベルである。無論パン作りなどできるはずもなく。それと比べたら、ココアは十分才能にあふれている。

 

「大丈夫だよ。私なんて料理もパン作りもできないし、羨ましいくらい」

 

「うう……サヤちゃん優しいね」

 

 顔を上げるココア。本気でショックは受けていないようで、あからさまに分かる嘘泣きの演技を入れた。

 

「そんなことないよ。事実だから。パン作りできるなんて、かっこいいし」

 

「そ、そうかなっ? サヤちゃんに言ってもらえると嬉しいよ」

 

 単純なくらいココアが喜ぶ。こうも喜んでくれると、私も褒め甲斐があるというものだ。再び笑顔を取り戻すココア。すると彼女は何か疑問がわいたのか、笑顔のまま首を傾げた。

 

「サヤちゃんって、大人なんだよね。なんで千夜ちゃんのお家に来たの?」

 

「ええと……まぁ、恥ずかしい話なんだけど」

 

 今後付き合いがあるであろう友人だ。ここは正直に語り、親睦を深めるとしよう。引かれるかもしれないけど。

 私は覚悟を決めると、ココアへと自分がここに来た経緯を語る。千夜との出会いは、彼女がまた恥ずかしがるかもしれないので省略。あくまで私のみに話を絞り、簡潔に。

 

「はぁー……大変だねぇ」

 

「思ったより、なんだか……あれですね」

 

 あまりにもだらしない理由だからか、二人の反応は微妙だった。私もいい大人のそんな話をされたら、間違いなくこんなリアクションをするので別にいいのだけど。

 

「と、そんな感じで、甘兎庵のお世話になることになったんだ。……だらしないでしょ?」

 

「ちょっとそう思うかな」

 

「ココアさんっ!?」

 

 真顔できっぱりと答えるココアに驚愕するチノ。が、ココアは笑顔を浮かべて続けた。

 

「だけど、千夜ちゃん喜んでたよ。サヤちゃんに会えて、一緒に暮らせるって。私も会えて嬉しいし。だからだらだらに少し感謝、なんて。それにこれからだよこれから! 甘兎で頑張ろう! サヤちゃん!」

 

 最初は天使の如く優しい言葉を掛けていた彼女だけど、最後の方は熱血っぽくなっていた。

 キラキラと輝く目を見て改めて思う。本当に元気な子だと。多分ココアは心から思っていることをそのまま口にしているのだろう。これから頑張ろう、なんてよくある励ましの言葉が、彼女の口から出ると不思議と心に届く。

 

「うん。勿論頑張るつもりだよ。流石にいつまでも人に迷惑かけてるわけにもいかないし」

 

「頑張ってください。私も応援しています」

 

「ラビットハウスはサヤちゃんを応援してるよ!」

 

 頷いて、私は微笑む。

 二人に応援されている。きっと千夜も言葉にしないけど、私がきっちり働くことを期待している。彼女らの気持ちを裏切るわけにはいかない。親の気持ちをずっと無駄にしてきたからこそ、今度こそ頑張らねば。

 

 

 



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(15)

 

 

 

「お、なんだ盛り上がってるな」

 

 とそこへリゼが戻ってくる。手には一枚のお皿。まだ前に置かれてもいないのに、甘く香ばしいにおいが漂ってくる。チノが淹れているコーヒーに負けず劣らずいい香りだ。彼女は賑やかな私達の様子を微笑ましそうに見て、カウンターから出ると優雅な動作でお皿を私の前に置いた。

 

「うわ……高そうな……」

 

 見事なフレンチトーストだった。

 白い雪が降ったような砂糖がコーティングされた美しいきつね色のパンに、ほんのりとパンの温度で溶けた白い生クリーム。単調になりがちな料理に味の変化を持たせるために添えられているのだろう。色合いが美しく、盛り付け方もまたいい。食欲をそそられるにおいに、見た目――味もいいのだろうと想像を掻き立てられる。

 

「リゼちゃん料理上手なんだね。憧れるよ」

 

 どっかの高級ホテルで出てきても納得がいきそうな品に、私は心から感心する。こんなものを高校生――であろうリゼが作れるなんて驚きである。

 

「ありがとう。ま、何回も作ってるからな」

 

 当然のことのように答え、しかし恥ずかしげに目を逸らすリゼ。うん、可愛い。

 

「わー……美味しそう。リゼちゃんいいなぁ。お料理上手で」

 

「ありがとう。ココアはまず材料から見直すべきだな」

 

「なんかサヤちゃんの時とリアクション違うよね!?」

 

 すっと真顔に戻ったリゼに指摘され、ココアが叫ぶ。リゼにまで言われるとは、ココアの料理はどれだけひどいのだろうか。ちょっと興味が出てきた。

 

「おまたせしました、サヤさん。キリマンジャロです」

 

 少し間を空けて、チノが私の前にやって来る。そして相変わらずな丁寧な口調で言い、コーヒーのカップを私の前に置いた。

 真っ白のカップに入れられた黒いコーヒー。コーヒーならではのいい香りが鼻に入り、フレンチトーストにとろけていた私の意識をしゃっきりとさせる。あんまりブラックコーヒーとやらを飲んだ機会はないけれど、これは何も入れずに飲むことができそうだと感じられた。やはり値段相応なのだろうか。質が全然違うような気がする。

 

「じゃ、いただくね」

 

 早速食すことにしよう。私は手を合わせていただきますと一言。三人がじーっと見つめてくるのが気にかかるものの、これほど美味しそうな物を目の前にして止まる気はない。熱い内にいただこうと、まずはコーヒーに。カップを手にし、私は一口飲む。

 口に広がる苦味、そして香ばしい香り。ジュースのように手放しに美味しいと言えるような飲み物ではないが、それでもいいものだと思えた。口の中が、頭の中が、身体の中ですら、すっきりする思いだ。ただ幼稚な味覚には少し苦味が強いかもしれない。私はカップを置き、続いてフレンチトーストに手をつけた。

 ナイフとフォークを手に。柔らかいトーストを切り、まずはそれだけを口にする。

 コーヒーですっきりしていた口内に、甘い味わいが広がる。しっとりとしたくちどけ。まるでチョコレートのように甘くとろけ、上品な甘みが口に広がる。なるほど。クリームをつけることを前提に、本体は甘さ控えめなのか。私の想像するフレンチトーストの味よりもインパクトは小さいものの、コーヒーと合わせるにはこれが正解なのだろう。

 リラックスし、またコーヒーを一口。口の中の甘さがちょうどよく中和され、またフレンチトーストを口にしたくなる。はやる気持ちを抑え、今度は生クリームとともにフレンチトーストを一口大に。食べる。うっとりするような甘さに、とろけるような食感がさらに増す。バターとはまた違う、単純な糖分による甘味。ものによってはやり過ぎなくらい甘く感じることもあるが、これは違う。卵と砂糖の甘味に自然と混じり、食感の良さを増してくれる。生クリームを付けるときは、

のんびり食べた方がいいね、これは。しっかり咀嚼し、呑み込み、口の中の甘さがちょうどよくなった頃にまたコーヒー……これでまた飽きずに食べることができる。

 しつこくなりがちな甘みも、コーヒーによって完全に中和されている。嗚呼、やっぱりこの組み合わせはいい。甘さと苦味の繰り返しが心地良い。いわばお酒とおつまみみたいな感じだ。飽きずにコーヒーとトーストを食べることができる。

 

「美味しいよ、二人とも」

 

 半分ほど食べ進めたところでようやく手を止め、私は感想を告げる。三人はそこでようやく気を抜いたようにホッと息を吐き、笑顔を浮かべた。

 

「よかったぁ……サヤちゃんに気に入ってもらえて」

 

「そうですね。嬉しいです」

 

 料理やコーヒーを淹れたりしてはいなのだが、安堵するココア。彼女に同調するようにチノは頷く。

 

「そんな不安になるような腕前かな。驚くくらい上手なんだけど、二人とも」

 

「それでも好みというものがあるだろう。ま、美味しいと思ってくれたならなによりだ」

 

 リゼが髪をいじりつつ言う。しっかり私の言葉に照れてくれたようで、素っ気ないことを言いながらも顔はほんのりと赤かった。

 

「もっと自信を持ってもいいと思うよ。あぁ、美味しい……」

 

 ジャンクフード好きな私ですら、気を抜くと感嘆がもれそうな出来なのだ。もっと高級店並みの自信をつけてもいいと思うのだけど……まぁ、謙虚なのもいいことか。しっかり味わい食べていく私。この値段でここまで楽しめるなら最早お得なレベルである。コーヒーの値段にも納得だ。

 

「あの、良かったらまた今度も来てください」

 

「ああ。遊びに来てくれ」

 

「注文しなくても、お話に来てくれて大丈夫だよ」

 

 なにより三人の美少女が話し相手になってくれるのだから……そこらのメイド喫茶よりもお得だろう。もっとも、友達である私の特典なのだろうけど。他人はこうもいかない筈だ。

 チノ、リゼ、ココアからの嬉しい言葉に私の顔は思わずゆるくなる。アドレス登録五件の私が、一日でこんな人数の少女と会話を――これはもうリアルが充実していると言っても過言ではないのでは?

 

「うん。絶対に常連になる」

 

 お金はまだまだあるし、これからも増える。とりあえず携帯電話が欲しいから節約しないといけないけど、ここへ来るくらいのお金の余裕はできるだろう。他で無駄遣いをする予定もないし、ゲームで使う予定も今のところもない。完全に毎日ペースで通う自信があった。

 

「ほんとっ? 嬉しいよ、サヤちゃんが来てくれると」

 

 ココアが今日一番の笑顔を浮かべる。ここまで喜んでくれると、私も嬉しいを通り越してなんだか恥ずかしい。

 ――そういえば、ココアは妹が好きみたいだったし、お姉ちゃんって呼んだら喜んでくれるだろうか。

 

「ココアさん。あんまりしつこくするとサヤさんに迷惑が――」

 

「私もココアお姉ちゃんとすぐ会えて嬉しいよ」

 

「わーっ! 今の聞いた!? ココアお姉ちゃんって!」

 

 予想通り、テンションを急上昇させるココア。彼女ははしゃいだ様子で、今にも万歳でもしかねない様子で喜ぶ。喜ぶとは思っていたが、あまりの喜びように若干驚く私。

 喜んでくれて良かった……と思うものの、私とココアに台詞を遮られたチノは不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 ――まずい。タイミングが悪かった。

 

「ココアさん、うるさいです」

 

 見るからに不機嫌となったチノが頬をぷくっと膨らませて言う。ふてくされるその様子すら可愛らしいと思える。が、不快な思いをしているのは確か。私は慌ててフォローを入れようとする。

 

「ココア。少しは落ち着いたらどうじゃ」

 

 が、それよりも早く誰かが言う。なにやらダンディな、この喫茶店のメンバーに似つかわない声だったが……誰だろうか。他に誰かいたのかもしれない。周囲を見回す私。が、特に誰も見当たらない。ココアとチノ、リゼがいるだけだ。とてもあのダンディな声が出せるメンバーがいるとは思えなかった。ただ……いつの間にかカウンターに白い毛玉みたいな、謎の生物が乗っかってるんだけど、これは何なのだろうか。まさか彼が今の声を――ってあり得ないよね。メルヘンすぎる。

 

「はしゃいでいる暇があったら、少しはバイトの練習をしたらどうじゃ、練習」

 

 と思って毛玉を見つめていたのだが、あながちメルヘンでもないような気がする。なんとこの毛玉、台詞と同じタイミングでぴょんぴょんと跳ね出したのだ。まるで彼が話しているように。可愛らしい見た目をしているのに、随分とおじさんっぽい声で話すものだ。

 多分マイクか何かで誰かが話しているのだろうと推測。落ち着くべくコーヒーを飲むと、私は店員らへ顔を向けた。

 

「あの……これって誰が?」

 

「私の腹話術です」

 

 意外にも、毛玉の声を出していたのはチノだったようだ。なるほど。このお店は彼女の家らしいし、きっと家族に小さい頃から仕込まれていたのだろう。どこのサーカスだという話なのだけど、メルヘンの欠片もない現実ならば納得だ。まさかあの毛玉が声を出しているなんてあり得ないし。

 

 

 



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(16)

 

 

 

 しかし……腹話術はいいとして、この生き物ってなんなのだろうか。もこもこしてて、丸くて白くて……そう、あれは、

 

「わたがし……」

 

 期間限定の美味しくて甘いお菓子。そのものだ。おそらく目を輝かせて手を伸ばす私。すると毛玉が私の邪な気配に気づいたのかこちらを見て後ずさり。が、逃がさない。容赦なく手を伸ばしむんずと掴む。ちょうど頭の部分なのか固い感触がした。しかし毛は柔らかい。触ってますます正体が分からなくなるのは初めてだ。

 

「わたがしじゃないです。ティッピーです」

 

「アンゴラウサギな」

 

 トレイで口を隠した訂正したチノに、すぐさまリゼからまた訂正が。アンゴラウサギ。そういうのもあるのか。なるほど。ウサギと聞けばそう見えないこともない。触っている感じもだいたいそんな感じだ。

 

「言われてみれば美味しそうにも見えてきたよ」

 

「やめろ。お前さんも」

 

 私と同じく目をきらきらさせるココアさんを見、続いて私の手から頭を下げて逃れるティッピー。すごい。チノの台詞のアフレコは勿論、ウサギの動きも中々に人間味がある。そう喋っているのだと自然に思ってしまうほどのクオリティーだ。チノは動物番組のナレーションとかしたら人気が出そうだなぁ。容姿も可愛らしいし、ふりふりの衣装着たりして――いかん。またジッと凝視してしまった。

 

「ティッピー、こっちに」

 

 チノが避難したティッピーを抱え、頭に乗せる。どうやらチノの家で飼っているペットみたいだ。私には抵抗したティッピーが嫌がる様子一つもなく、彼女の頭に座っている。いたいけな少女の頭の上に毛玉が――文章にすると中々シュールなのだが、ただ見ている分には自然だ。おかしいとは思うのだけれど、チノにティッピーはよく似合っている。彼女自身、小動物的な可愛らしさがあるからだろうか。流石にウサギと同じカテゴリとは言わないけど。

 

「美味しそ――可愛い子だね、ティッピー」

 

「こやつ……ココア以上に身の危険を感じる」

 

 ティッピーが身震いしつつ呟く。実際彼ではなくチノが呟いているのだけど、ややこしいのでそう思うことに。

 

「モフモフ対象から捕食対象か。ティッピーも大変だな」

 

 リゼは苦笑する。その口調は冗談を口にするような軽さである。勿論、私も本気で食べようとは思ってない。けどティッピーからは本気で怯えられているようで、ちらちらと警戒するように見られていた。彼も小動物。敵が多くて、警戒することが多いのだろう。こんなチビをつかまえて捕食云々などと、普通は感じないことである。などと動物相手に語っても無駄なため、私はティッピーを見やり微笑む。

 でも本当、ティッピーはわたがしにしか見えない。それか、ふさふさしたクッションとか。よし、ティッピーのことはこれからクッションと思うことにしよう。……ウサギなんだけどね。

 

「私ってそんなにティッピーに危険視されてたの?」

 

 ちょっとの間を空け、ココアが首を傾げる。ティッピーの言葉――チノのアフレコが気にかかったらしい。ティッピーから、腹話術をしているチノへと視線が向く。話の流れ的にココアがモフモフをしていたということか。モフモフの単語から予想できるのは、撫でたり触ったり触れたりして楽しむということ。羨ましい……ティッピーが。

 

「私にとってもそうです」

 

「危険というか、危なっかしいよな」

 

「初めて知った新事実……っ」

 

 真顔で語る面々にわなわなと震えるココア。ここの喫茶店もなかなか綺麗なやりとりをするものだ。コント的な意味で。

 

「普段を省みればすぐ分かるじゃろ」

 

 そしてティッピーの追撃に再度撃沈。カウンターテーブルに額を当てて、沈黙した。

 

「ココアちゃん大丈夫?」

 

「うん……サヤちゃんだけだよ。私の心配してくれるの」

 

「平然と食べて飲んでたけどな」

 

 私の声に顔を上げたココアが、リゼの言葉に硬直する。ココアの見つめる先、私の前に置かれた皿には半分ほど食べ進められたフレンチトーストが。つまりは、ココアの心配をしながらも食べて、コーヒーを飲んでいたと。

 

「漫才みたいで面白かったからついテレビ感覚で」

 

「これ、今さっきよりショックだよ!?」

 

 涙目でココアが叫ぶ。

 いや、だって見ていて安心感というかお約束感があって、それほど心配になれなかったし……。シャロや千夜とのやりとりみたいな感じだ。長年の付き合いみたいな、互いの信頼を感じられた。

 

「仲良しなのが見てて分かったから。だからかな」

 

「え? そうかな?」

 

「ころっと変わるな」

 

 パッと泣き顔から笑顔に表情を変えるココアへ、リゼのつっこみが。

 

「仲良しだって。チノちゃん、リゼちゃん、ティッピー」

 

 が、そんなこと気にせずココアは屈託のない笑顔を三人に向ける。

 

「まぁ……そうですね」

 

「だな。仲良しだ」

 

「ワシも入っとるのか」

 

 うん、やっぱりこの喫茶店の人達は仲良しだ。頷き合う三人、それと戸惑う一匹を見つつ、私はまたトーストを一口。

 決して落ち着いた雰囲気ではないけれど、こうして楽しくリラックスできる中で食事をするのもまた一興。来てよかった。

 

「……ふぅ。ごちそうさま」

 

 少ししてトーストもコーヒーも完食。幸せな気分で手を合わせ、食後の挨拶を。空になった皿とカップをココアはすぐさま回収する。

 

「ここは私がっ! 妹達にいいところを見せないと」

 

「達ってなんですか」

 

 チノが淡々と指摘するが、ココアはすぐさまお店の奥へと消えていった。食器や足の慌ただしい音が遠ざかっていく。……大丈夫だろうか。子供を見守るようなハラハラする気持ちで、私は店の奥を見ようと背をぴんと伸ばす。が、よくは見えなかった。

 

「大丈夫だ、サヤ。ココアもそれほどドジってわけじゃない」

 

 私の近くに立つリゼが察したようで、私に笑顔を見せつつ言う。それほどってことは――

 

「つまりそれなりにドジなんだね」

 

「否定しない」

 

「散々な言われようじゃの。事実だが」

 

 間を空けず即座に返答するリゼ。それにティッピーが哀れむように呟いた。

 ふむ。それなのにどうして彼女らはこう、平然としていられるのだろうか。手伝ってあげた方がいいのでは。

 

「今はまだ静かなので多分大丈夫でしょう」

 

「問題起こしたらすぐわかるからな、ココアは」

 

 まるで警報つきの洗濯機みたいな扱いである。が、納得した。さっきカゴ壊したときは大騒ぎしてたし。

 

「わああああ! 洗剤が! 泡が!」

 

 ……実際すぐ分かったし。

 おそらく厨房であろう場所から響いてくるココアの慌てた声。しかし洗剤で泡が、って当たり前のことのように聞こえるけれど、何をしたらトラブルになるのだろうか。

 

「行ってきますね」

 

「ああ、頼む」

 

 嘆息するチノはゆっくりと歩いていく。リゼが苦笑しながらその背中を見送った。なんだかんだ言いながら二人の横顔は楽しげで、見ていて微笑ましい。ココアも好かれているということか。まぁあんな子が嫌われるところを想像するところが難しい。

 

「サヤは最近この街に来たのか?」

 

 リゼと二人きり。彼女は私の視線に気づくとこちらを見て微笑んだ。

 

「うん。甘兎の手伝いのために昨日から」

 

「甘兎か。なるほど。通りで二人と知り合いなわけだ」

 

 彼女もまた、甘兎、千夜のことを知っているのだろう。表情の明るさが増す。

 

「ココアちゃんもチノちゃんも今日たまたまお店に来てね。友達になったんだ」

 

「ということは千夜のところに下宿か。千夜も喜んでるだろうな」

 

 喜んでる……のかなぁ。ココアが言うには喜んでるらしいけど。彼女と昔会ったのはたった数日間のこと。そんな人物と再会できて嬉しいと思うものなのだろうか。

 

「相方募集してたからな」

 

「あの人は何を目指してるんだろう……」

 

 私としては勘弁願いたい。

 

「散々な目に遭ったよぅ……」

 

「こっちの台詞です」

 

 少しして、二人とティッピーが戻ってくる。何があったのかは分からないけれどすごくお疲れな様子であった。

 

「おかえり。何したんだ? ココア」

 

「泡が流し台をオーバーして溢れていました」

 

 ど、どういうことをしたら、そんな惨状に……。驚く私とリゼの視線がココアに向く。すると肩を落としていた彼女は何故か照れたように笑った。そういう意味で驚いているのではない。

 

「えへへ、はしゃぎすぎちゃった」

 

「そろそろ面接の季節かもしれませんね」

 

「どういう季節!? 解雇!?」

 

 ゆるい雰囲気を放っていたココアが、解雇の気配にペコペコと頭を下げて平謝りする。ふむ、やはり安定感がある。

 

「……さて、そろそろ私は帰ろうかな」

 

 このままだとずるずるとこのお店にいてしまいそうな予感がし、私は席から床に立つ。すると謝っていたココアが何事もなかったかのように私を見て、残念そうな顔をした。

 

「もう帰っちゃうの? いいんだよ? お客さんいないからいても」

 

「おい」

「こらココア」

 

 リゼとティッピーからすぐさまつっこみが入る。

 

「あはは……そうもいかないから。お互いお仕事ないときは遊べるから、いつでも呼んで」

 

「……そうだね。これから千夜ちゃんのお家にいるんだし、いつでも会えるよね」

 

 今度はにっこりと笑うココア。天真爛漫な子だ。

 

「リゼちゃんも、チノちゃんも、ティッピーも遠慮なくね。もう友達だから」

 

「はい。今度遊びに行きます」

 

「私も。サヤには興味がある」

 

「ワシはこの店に来ればいつでも会えるぞ」

 

 それぞれ、私を歓迎するような言葉を返してくれる。よかった。嫌われたりはしてないみたい。社交辞令とかかもしれないけどひとまず安心。

 

「ありがとう。それじゃ、会計お願い」

 

 レジの前に向かう。会計にはチノがやって来て、慣れた手つきでレジの操作を行った。テンポの良い操作音が鳴り、チャリーンとどこか懐かしい音が。

 

「ええと、お会計は……800円ですね」

 

「うん。はい、どうぞ」

 

 とりあえず千円札で。おつりを受け取り、今度こそ帰るべく私はドアへ身体を向ける。

 

「――あ、サヤさん」

 

 すると意外にもチノに呼び止められた。なんだろう。まさか彼女も寂しいだとか、そんなことを私に言っちゃったり。嬉しさを抑え、私は後ろを振り返る。レジの前に立ったチノは、おずおずと言った。

 

「サヤさん、大人ですよね。ラビットハウスは夜、バーをしていますので、よかったらそちらにも」

 

 宣伝かぁー……。いや、でもいいこと聞けたかも。私も年頃。お酒にはそれなりに興味がある年齢だ。もしかしたらバーをしているときも可愛い女の子が出迎えてくれて、美味しいものを飲んだり食べたり――あれ? 完全に脳内の想像がキャバクラだ。私っていつの間にこんな女性らしからぬ思考を身に付けたのだろうか。

 

「うん! 行かせてもらうよ!」

 

 ひょっとしたらチノちゃんの母親さんがいたりして。そんな期待を抱き、元気よく頷く私。宣伝がうまくいったからか、チノはホッとしたように息を吐いた。ティッピーも心なしか彼女を褒めているように見える。

 

「よかったです。サヤさんのご来店お待ちしてます」

 

「私も今度行ける時を楽しみにしてるよ」

 

 ココアより小さいのにしっかりしている。私は頷いて、カウンターの方へと顔を向ける。ココアもリゼも私に笑顔で手をひらひらと振っていた。この我が家のような安心感……すごく幸せな気分。

 

「じゃ、また今度。美味しいコーヒーを飲みに来るよ」

 

 こちらも手を振り返し、今度こそお店から出て行く。

 ラビットハウス……想像以上にいいお店であった。足取り軽く私は甘兎庵へと向かう。そろそろ辺りが暗くなってきた。もう家に帰る時間だ。

 

「『家』、かぁ……」

 

 自分が自然と考えたことに、私はフッと笑った。

 甘兎庵に、ラビットハウス。安心できる自分の第一第二の家がこの街にある。引っ越ししてたった一日でこんな恵まれた環境にいられることは、幸せなことなのだろう。

 何もしていないのに。やはり人生とは何があるか分からない。

 こんな幸運が起こったのだ。せめてこれからは、胸を張ってみんなに会えるよう生活しないと。

 今からなら、頑張れるような気がする。

 

「よーしっ!」

 

 充電期間はおしまいだ。これからは私は私の幸せのために頑張ろう。

 

「見ていてよ。お母さん、お父さん!」

 

 私はこの街で立派になってみせる!

 ……方向性はまったく決まってないけど。

 

 

 

 ○

 

 

 

「サヤちゃん、ちょっといいかしら?」

 

 その晩、千夜が私の部屋にやって来た。

 窓を開き、窓枠に手をかけつつ外を眺めていた私は、思ってもみない来訪者に首を傾げる。時間はちょうど昨日彼女が寝た時刻くらい。てっきりもう寝たものだと思っていたけど、何の用だろうか。ゆっくりと振り向いて、私は千夜の姿を見る。

 寝巻き姿の彼女はいたって普通の薄いワンピース状の服を身に付けており、いつものようににこやかな笑みを浮かべていた。健全なのだけど……彼女がこの服を着ていると、妙にいかがわしく見えてしまう。スタイルいいし、白くて綺麗な脚が見えてるし。

 

「いいけど、どうしたの?」

 

「お話したくて」

 

 私が答えると、千夜は部屋の中に。私の隣へ立ち、私と同じように窓枠へ手を乗せる。

 

「夜風がいいわね」

 

「うん。気持ちいいよね」

 

 揃って夜空を眺める私達。

 昔親戚の集まりで会って、話しただけの私達。そんな私と千夜が今、この街で再会した。どれくらいの確率で起こることなのだろう。懐かしむように考える私。その隣で、千夜は不意にもらす。

 

「私、サヤちゃんに会えて嬉しかった。いえ、今でも嬉しいわ」

 

 他人伝えに聞いたこと。それを本人の口から聞き、私は顔が赤くなるのを自分でも感じた。自分に会えて嬉しいなどと聞くのは、思ったよりも恥ずかしいものだ。千夜がどんな顔をしているのか気になったが、そちらを見ることもできない。私は辛うじて一言返す。

 

「そうなの?」

 

「ええ。可愛い妹に会えるのは、誰でも嬉しいわ」

 

「そんなこと言ってここに来るってことになるまで忘れてたり」

 

「ずっと、忘れなかったわ」

 

 冗談を口にすると、千夜はすぐに否定した。私は少し驚いて、千夜の横顔をちらりと見る。すると彼女は既に私のことを見ており、楽しげに笑っていた。千夜は私のことをまっすぐ見つめ、ゆっくり語る。

 

「私より歳上なのに、私の妹になって遊んでくれた優しい人。私ね、小さい頃からサヤちゃんに憧れてたのよ」

 

「ええっ? 初耳だけど」

 

 全然会わないし……初耳なのは当然といえば当然なんだけど、そんなこと初めて聞いた。おばあちゃんなんで言ってくれないのかな。

 

「誰にも言わなかったから。だからこのことは秘密ね」

 

 自分の口に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりに千夜は言う。

 

「うん……そんなこと自分から話すのは恥ずかしいし」

 

「ふふ、そうね。なら安心」

 

 いたずらっぽく笑って、千夜は再び窓の外へ視線を向ける。

 

「……この街はどう?」

 

「いい街だと思うよ。みんな優しくて、柔らかくて、のほほんとした……そんな感じ」

 

「そう。嬉しいわ。私の好きな街を、サヤちゃんも好きになってくれて」

 

 言葉通り嬉しそうにする千夜。暗い夜空を眺めながら彼女は眩しい笑顔を浮かべる。その横顔に、私は安心感を覚えた。

 私よりもはるかにお姉さんっぽい人が、私に憧れていた。嬉しいけれど、まだ信じられない。私なんてチビでお子様で、精神年齢的にもとても大人なんて言えるレベルじゃないのに。本当と思えない――けど、彼女が嬉しいと思ってくれたのはおそらく事実。それだけは無条件で信じてもいいと思うのだ。

 

「お姉ちゃんは、私にとっての女神様みたいだね」

 

 そこまで考え、私は自分の思ったことを口にした。彼女に出会ったからこそ、私は今ここにいる。だからこれからに希望を持てる。千夜は私にとっての女神様。そう考えればおそろしいほどしっくりきた。

 

「女神様は……サヤちゃんよ。私、サヤちゃんに会えて本当に嬉しかったんだから」

 

「そっか。……それは、嬉しいかな」

 

 お互いにお互いのことをそんなふうに思える。それはきっと素晴らしいことだと思うのだ。

 千夜と私、互いに視線を合わせて微笑み合う。何年も経ったのに、千夜の姿は変わったのに、彼女とはあの日のまま接することができる。そんな気がした。

 

『これからよろしくね』

 

 同時に、私と千夜は口にする。そして互いに笑い合った。

 あの日と変わらず、仲良く、姉妹として。千夜と話す。

 ココアじゃないけど、本当、だらだらに感謝――である。

 

 

 






























 導入部終了です。ここからが本編。ヒロインの青山さん、及び大人陣営が本領を発揮するストーリーです。


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二話:あなたのそばに
(1)


 

 

 

 ラビットハウスにバータイムなるものがある。

 それを聞いてから、私は必死に働いた(当社比較120パーセント)。珍妙なメニューを読み解き、今では自然と長い名前が何を示しているのか自然に理解できるようにも。掃除もほどほどで、あんこが拐われる回数も目に見えて減った。

 まだまだ未熟だけれど、甘兎の従業員といっても過言ではないだろう。

 全てはぐーたらと呼ばれないため。そして、青山さんと仲良くなるため。

 彼女の番号が書かれた紙は今でもしっかり保存してある。最早家宝にする勢いで、自室のミニ金庫に鍵付きで保存だ。ちなみに鍵は金庫の横にある。金庫は簡単に持ち運びできるものだし、最早自分でも何がしたいのかは分からない。多分、テンションが上がっていたのだろう。大の大人が何をしているのだろうと我ながら呆れてしまう。

 ――が、それほどに青山さんとの約束は重要なイベントであった。重要だと自負している。

 なにせ、二人きりの食事だ。

 ここでアピールすることができれば、仲良くなったり、あわよくばその先の関係に進めたり……。期待は止まない。互いに大人だろうし。

 まぁそんなこんなで、重要イベントを前に下準備に精を出していたわけだ。資金も順調に溜まりつつある。消費する機会なんて、ラビットハウスか甘兎のスーツを味わう時くらいだし、家賃だって食事だってタダ。携帯を持っているわけでもないし、本当、実家ぐらしというか、居候だということを有り難く思う。お陰で少し豪遊してもまだまだ余裕がある程度にはお金が溜まった。

 ――そして、日曜の夜。

 

「時は来た」

 

 私は再びラビットハウスの前に立っていた。

 見慣れたラビットハウス。しかし時刻がいつもと違い、街の雰囲気が変わると、お店もまたいつもと違うように見えた。日中は灯りをつけずとも明るい店内だが、夜はそうもいかない。ほんのりとした優しい灯りが店内に灯っており、窓から見える景色は落ち着いた喫茶店から、お洒落なバーへと変貌を遂げていた。お客さんもそれなりに入っているように思える。喫茶店のときより多いかもしれない。

 ふむ……まず見た目は問題なしだね。意中の人と行くのには申し分ない雰囲気だ。

 外観を観察し、私は頷く。お店の前で仁王立ちしていたため、周囲の視線が痛かったけど、気にしない。今日は来るべき日のために視察へやって来たのだ。気を抜くことはできない。

 

「よし、突入」

 

 バーと言えば、お酒。お酒といえば、お一人様でもそれほど寂しくはないはず。意気込んで私は突撃。ドアを丁寧に開いて、入店。閉める。

 バーらしいシックな音楽。雰囲気のある照明。そしてカウンターにはなんか渋い男性が。時間によってこれほど姿を変えるのかと、感心してしまうほど完璧なバーであった。私の勝手な、創作物で得たような妄想が実現したみたいな、昼のラビットハウスもそうなのだけれど、どこか幻想的に思える内装である。

 

「いらっしゃいませ。お客さま、お好きな席にどうぞ」

 

 店内を好奇心のまま見回す私。するとカウンターの男性が声をかけてきた。外見通り渋い声だ。妙に落ち着くような、優しさを持っている。男性らしい高い身長。鍛えているのだろうか。がたいはいいのだが、服の下から窺える身体のラインはよく引き締まっている。渋い、掘りのある顔、威圧感のある身長や体格ながら、目つきは優しく、穏やかな雰囲気が特徴的であった。顎のヒゲが素敵である。

 中々美形というか、こういう人のことをイケメンだとか言うのだろう。声も合わさって魅力的に思える。――などと、冷静に分析している辺り、私は一般的な女性の視点を失ってしまっているのだと痛感する。青山さんや千夜、ココア達を見た時の高鳴りと言ったら……彼を見た時とは比較にならない。

 彼は容姿も服装もバーテンダーと言えば、な姿をしている。かっこいい――のだが、彼の近く、カウンターに座るティッピーの存在がバーテンダーさんのダンディさをかなり和らげていた。わりかしシュールである。

 

「あ、はい」

 

 たっぷり観察すること数秒。バーテンダーさんが怪訝そうな顔をしたのが目に入り、私は我に帰る。そして首を縦に振り、店の中を進む。目指すはカウンター。多分、彼はチノの家族だろう。年齢から察するに父親か。大人として、普段親しくしてもらっている子供の保護者には挨拶しておかねば。こういう地道な心がけが普段の生活を変えるのだ。――などと、普段は考えもしないことを思う。青山さん、ココアらが関わっているときの私は、結構常識人だなと自分でも感じる。

 

「じゃあここで」

 

 遠慮無く彼の前に座る。すると、バーテンダーさんが優しい口調で語りかける。

 

「あの……。今はバータイムで、お嬢さんのような方は」

 

 彼の言わんとしていることはすぐ分かった。

 なるほど。入り口に立つ私を怪しそうに見たのは、そういう理由か。安心する反面、微妙にショックである。

 

「大人。です」

 

 苦笑し、私はポケットから免許証を取り出す。するとバーテンダーさんは慌てて頭を下げた。何度目かなこのやり取り。

 

「も、申し訳ありません」

 

「ぷくく……」

 

 謝るバーテンダーさんの横で、笑い声のような鳴き声を上げるティッピー。バーテンダーさんは彼の頭を軽く指で弾いた。心なしかイラッとしたような顔つきである。

 

「いえ、気にしてません。えと、私はサヤという者ですが……あなたはチノさんのご家族ですか?」

 

 年齢のことは日常茶飯事。それほど気にしていない。なので、話題を早く変えようと私は尋ねる。こっちの方がお互いのためにいいだろう。

 

「はい。チノの父親のタカヒロです。娘のお知り合いですか?」

 

 バーテンダーさん、タカヒロはホッとしたように息を吐き、笑顔を見せる。やはり父親。それにしても美形だ。チノがあれほど可愛かったのも納得である。

 

「はい。チノちゃんとは友達で。この一週間は毎日会ってますね」

 

「売上への貢献では一、二を争うな」

 

 と、ティッピー。彼は身体を一度揺らし、暢気な口調で言った。――んん!?

 

「あれ? 喋ってます? ティッピー」

 

 チノがいないのにどうやって。どんな仕組みで!? まさかチノが天の声的な感じで、この時間帯にもティッピーの腹話術を担当してたり――あり得ないよね。

 

「私の腹話術です」

 

 またもやティッピーの頭を小突き、平然と答えるタカヒロ。どう見てもティッピーが話していたのだが――流石は親子ということか。練度が娘とは違う。チノが自然な腹話術ならば、彼のそれはティッピーが話しているようにしか思えなかった。これが年の功というものか……改めて月日というものの恐ろしさを知った。

 

「そうですか……すごいですね。勉強したいくらい」

 

 是非とも私も一芸として身に付けてみたいものだ。

 感心して呟く私の前。二人はこそこそと顔を近づけて話す。

 

「大丈夫じゃ、サヤは単純というか、純粋だからな」

 

「いや、そういう問題じゃねえだろう親父……」

 

 思い切り聞こえていたが、流石は腹話術の天才。その場で即興で、ティッピーと一人二役で会話をこなすなど私には到底できなそうもない。

 

「な? キラキラした目じゃ」

 

「……話に聞いていたサヤさん、そのものだな」

 

 二人の視線が私を捉える。二人共微妙に呆れた口調なのは気のせいだろうか。

 

「私のことを聞いていたんですか?」

 

「は、はい。娘や、ココアくんから」

 

 聞こえていたとは思ってもいなかった――演技をしたのだろう。しゃきっと背筋を伸ばしてタカヒロは答える。

 そっか。チノやココアが父親に私の話を……ふふ、すごく嬉しい。

 

「大人なのに、気兼ねなく接することができると言っておったな」

 

 にやける私へティッピーが告げる。大人なのに気兼ねなく……果たしてそれはいいことなのか、悪いことなのか。いや、いいことだよね。私は本当に友達になれているということだ。うん、ポジティブに受け取ろう。

 

 

 



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(2)

 

 

 

「というわけでタカヒロさん。私今日は挨拶しに来たんです。初めまして。大人同士仲良くしましょう」

 

 席に座った私はカウンターに身体を乗り出して手を差し出す。小さい私が大人同士と言う違和感は強いようで、タカヒロは苦笑していた。が、しっかり手は握ってくれる。

 

「はい。チノとココアくんともども、よろしくお願いします」

 

「ワシもな」

 

 にっこりと、営業スマイルとはまた違うナイスな笑顔を見せるタカヒロ。私とタカヒロの手の横で跳ねるティッピー。これで一人――そして改めて一匹とも友達だ。ふふふ……嬉しい。大学出てから、全然友達いなかったし……。

 手を離し、席に座り直す私。その間も私の顔はにやけっぱなしだった。さて。

 

「よっし、これでお互いタメ口だね。タカヒロさん、今日のおすすめは?」

 

「いきなりですね……」

 

 気さくに、まるで常連のようにいきなり尋ねる私。タカヒロは呆れたようにため息を吐きつつ、私の前にメニューを置いた。娘から話を聞いていたからか、そのリアクションはある程度私の行動を想定していたみたいだった。普通なら面食らうのに。

 

「今日のおすすめは、きのことベーコンのクリームパスタです」

 

 ふむ。タカヒロはタメ口を使う気がないみたいだ。まぁお客さんとお店側だし、その対応は納得だ。気さくな会話はプライベートで期待しておくとしよう。

 それにしてもクリームパスタか……それもきのこの。千夜に頼んで夕食を抜いてきた甲斐があった。名前を聞くだけでも美味しそうだ。

 

「じゃあ、それとお酒を何か一つ。酔えて、飲みやすいもので。カクテルとか憧れるかも」

 

「かしこまりました」

 

 丁寧に頭を下げて、タカヒロは厨房へと消えていく。カウンターにはティッピーのみが残った。

 静かな店内の中、音楽と食器の音、人々の談笑の声が聞こえる。賑やかなはずなのだが、これもこれで落ち着く雰囲気であった。昼の雰囲気も好きだけど、この空気も中々だ。店内を見回し、私は笑顔を浮かべた。そして、カウンターの上に視線を向ける。

 

「二人きりになったね……ティッピー」

 

 白くてもこもこした魅力的な生き物……ティッピー。彼に遠慮無く触れることができる。私はそれを物凄く喜んでいるのだが、彼はそうでもないみたいだ。私の言っていることが分かっているのか、反応するように身体が揺れる。野生の勘というやつだろうか。逃げるべきか否か悩んでいるようだ。

 

「うへへ……」

 

 が、私がにやけつつ笑みをこぼすと、ティッピーはいよいよ身の危険を感じたのか、後ろに小さく跳ねた。そんなに嫌がらなくても、取って食ったりしないのに。ただ撫でて撫でて撫でまくるだけで――あ、これ嫌がられるの当たり前か。

 

「お嬢さん。隣、座ってもいいか?」

 

 どうティッピーとコミュニケーションをとろうか考えていると、不意に隣から声がかかる。突然のことに驚き、そちらを見てみると――なんだか、現実味のない人物がいた。すらりとした長身の男性だ。年齢はタカヒロくらいだろうか。身長もまたそれくらいで、ヒゲがあるのもまた同じだ。が、第一印象はタカヒロと大きく異なる。男性にしては長い流れるような黒髪、そして黒い眼帯、隠れていない目はどこか野性味のある言い様のない『凄み』があり、ワイルドな印象を受けた。

 身のこなしも微妙に常人と異なる気がする。

 まさか私に話かける人物が――ましてや男性などいるとは思えず、私は自分の後ろを見る。が、私の後ろには誰もいない。っていうか、カウンター席には誰もいないのだ。話しかけるなら私しかいない。……いや、でもあり得ない。この状態で、私の隣に座ろうとするなんて、ナンパなんじゃ。信じられない思いで私は彼へと再び顔を向けた。

 まるで親友に数年ぶりにでも会ったような気さくな笑みで、彼は私を見ている。私としては誰だお前みたいな気持ちなんだけど。

 いきなり私に馴れ馴れしくされた千夜やリゼ、タカヒロもこんな気持ちだったのだろうか。今一度、私の対応を改めなくては。

 

「は、はい……どうぞ」

 

「ありがとう。失礼する」

 

 椅子に座る男性。彼が動くと高級そうな香りがふわりとし、優雅な動きで着席する彼はまるでどこぞの王様のように思えた。彼は絶妙な間を空け、ちらりと私のことを見た。何気ない仕草に気品というか、隠しきれないなにかが見え隠れする。危険な男……とは、多分、この人のようなことを言うのだろう。大学時代の友人などは、キャーキャー言っていたかもしれない。

 

「サヤさん……だな?」

 

「そそそそ、そうですけどっ?」

 

 私しかいないカウンターでわざわざ隣に。それだけで混乱しそうなのに、初対面の筈の男性に私の名前を言い当てられた。わけの分からない展開が続き、私は盛大に狼狽える。

 

「緊張しなくていい。私は君と仲良くなりに来ただけだ」

 

 そんな私のことを見て微笑し、彼は言った。

 私と仲良くなりに……?

 混乱していた頭は徐々に落ち着きを取り戻し、私はある一つの結論を導き出した。わざわざ私の隣に。そして私の名前を知っていた。さらには私と仲良くなりたいと言ってきた――これはつまり、

 

「ナンパ?」

 

 私を口説きに来たということか。ロリコンか。私は合法なのだが、それがなおさら犯罪的になることを知らんのか。

 緊張していた私だが、目の前の男への疑念に思考がはっきりしてくる。いい男ふうな容姿をしていながら、ロリコンとは。まったく、人は外見によらないものだ。

 

「――なんぱ?」

 

 が、私の考えは間違っていたようだ。呟きを聞いた男性は首を傾げる。ナンパという言葉を私が口にしたことに疑問を抱いた――と言うよりは、『ナンパ』という言葉に疑問を抱いたような口調なのがすごく気になる。まるでナンパを知らないような口ぶりであった。

 

「見知らぬ女性をいきなり口説くことだ」

 

 なんて言うべきか悩んでいると、そこへタカヒロが戻ってきた。彼は皿を片手に男性を見やり、呆れたような口調で言う。どうやら知り合いらしい。

 

「――口説っ!? す、すまない、そんなつもりはなかった」

 

 男性が狼狽える。それまでのキザな感じの様子など欠片もない必死さで、彼は頭をぺこぺこと下げた。なんなのだろう、この人。まさかとは思ったけど、ナンパの意味を知らなかった、とか? え? あり得ない、よね。そしてナンパのつもりもなかったのに、あんな思わせぶりな登場とか台詞とか、表情とかしていたの? ……お、恐ろしい。

 

「お待たせしました。きのことベーコンのクリームパスタです。お飲み物は少々お待ちください」

 

 ことりと、私の前にお皿を置くタカヒロ。更に乗っているのは名前の通り、きのことベーコンの入ったパスタ。舞茸やしめじ、マッシュルームときのこ盛り沢山で、その他にはアスパラやベーコンが入っており、それらを白く染めるクリームソースがたっぷりと。私の好みをそのまま集めてぶっこんだようなパスタだ。素晴らしい。続けてフォークが置かれると、私は早速それを手に取り、いただきますと挨拶。一口、まずはパスタだけ食べる。

 湯気を出すあつあつのそれを躊躇うことなく口へ。とろとろとした食感の中に、パスタの感触がしっかりと残っている。クリームと聞いたときはもっと甘いような味を想像していたが、実際は違った。むしろチーズ感が強く、まるでグラタンのホワイトソースに味が近い。そこにきのこの風味、香り、そしてベーコンの旨味がこれまでかというように凝縮されており――パスタだけでも途方もない幸福感を得られた。口に入れても素直に食べることのできない温度なのがまたいい。たこ焼きしかり、焼き芋しかり、やはり食べ物はあつあつなくらいがちょうどいいと思うのだ。口に入れて熱いと冷まそうと悪戦苦闘し、そして飲み込み、ホッと一息つく。それが、食べているとい気持ちを強めてくれる。温かい気持ちになる。

 

「うう、美味しい……」

 

 ソースのせいだろう。パスタといえばさらっと食べられるボリュームのイメージなのだが、これは違った。麺だけでも満足感が強い。

 

「あのー……」

 

 あ、しまった。美味しそうな料理――いや、美味しい料理を前にすっかり男性の謝罪のことを忘れてしまっていた。私は一口分食べると、申し訳なさそうな声を出す男性の方へと振り向いた。

 

「気にしてないから大丈夫だよ。ちょっと驚いただけで」

 

 そしてまたパスタを一口。今度はきのこ類を三種加えて、麺を。ソースに感じられていたきのこの風味が口に広がり、心地良い食感がパスタに加わる。癖の強いきのこのにおいが、見事ソースによって中和されていた。感心しつつ、アスパラのみをソースによく絡めて口へ。シャキシャキとした歯ごたえにソースにも負けないみずみずしい味。しっかり塩ゆでしてあるらしく、後味も青臭くなくていい。この味付けならば、主役だけではない、きのこやベーコンのよき引き立て役となってくれるだろう。

 完璧……。完成された料理だ。これがそこらのレストランより少し安めのお値段で食べられるのだから、考えられない。嗚呼、

 

「私は今、すごく幸せ……っ!」

 

「全然話を聞いていないのう」

 

 ティッピーの声がした。その声に反応して隣を見れば、何故か男性がカウンターに顔を突っ伏していた。

 ……私、何か言ったかな? すっかり料理に意識を向けていて、何を喋ったのかも思い出せない。

 すごく失礼なことを言ったのかもしれない、と考えるものの、思い出せるのはパスタの幸せな味のみ。……気をつけないといけないね。うん。

 

 

 



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(3)

 

 

 

「あの……大丈夫? 私、何か失礼なこと言ったかな?」

 

 なんだか心配になり、声をかける私。すると男性はパッと顔を上げ、笑みを浮かべた。何事もなかったように見せたいのだろうか。はっはっはと笑って見せるものの、表情はひきつっていた。やはり私はなにか失礼なことをしたようだ。気をつけなくては。

 

「気にしないでくれ。私の勘違い――と思いたい」

 

 気さくな笑顔を浮かべつつ弱気なことを口にする男性。彼はそうして無理したように少々笑うと、タカヒロへと顔を向けた。

 

「このお嬢さんに、何かお酒でも。私の奢りだ」

 

 そして優雅にオーダー。指を鳴らす。キザな仕草だが、それがよく彼に似合っていた。容姿のせい、だけというわけでもない。彼の性格や口調が芝居がかったそれを自然なものへと昇華させていた。

 例えるなら、舞台役者みたいな。彼が舞台に立っていると錯覚させるような威厳があった。

 

「……あまり馴れ馴れしくすると奥さんが怒るぞ」

 

 タカヒロさん、これを了承……するのだけど、男性に助言を口にする。

 奥さん? 男性は結婚済みか。なおさら私に話しかけてきた理由が分からなくなってきた。彼は私になんの目的で話しかけてきたのだろうか。

 

「ワイフは関係ないだろう。マスターらしく大人しく用意しろ」

 

 親しそうに、シッシッと手を振り、タカヒロを追い払う仕草をする男性。なんて言うのだろうか……そう、彼ら二人のやり取りは中学生の友人のやり取りを思い出させる。互いに素直に物を言い、片方が煙たがり、ストレートに追い払う。両者とも素直で、乱暴といえば乱暴な言葉遣いなのだが見ていて微笑ましい。

 タカヒロが苦笑し、酒瓶を数個、何かのシロップのような瓶を何個か手元に置く。どうやら私の注文通りカクテルを作ってくれるらしい。これは期待だ。更には奢りだというのだから――楽しみだ。

 

「えと、いいんですか? ご馳走になって」

 

 楽しみではあるのだが、そこは大人。社交辞令ということもあるので、確認する。

 

「ああ。気にしないでくれ。娘が世話になっているお礼だ」

 

 フッと笑って、男性は肯定。娘? ココアちゃんは居候。チノちゃんの家庭はタカヒロが父親。となれば、リゼちゃん? そう考えて改めて見てみると……どこか面影がある。美形ながら浮世離れしたところとか。仕草が優雅で、けれども飾りげがない自然なところとか。あとは、なんか軍人っぽいところろか。

 

「娘?」

 

 とは思うものの、確証はない。私は真相を知るべく、首を傾げる。すると男性は胸ポケットからパスケースのような物を取り出した。名刺――と思ったのは一瞬のこと。パラッと開かれたそれはじゃばら状にテーブルの上に広がり、階段の上からドンドンと降りていくバネの玩具のごとく止まることなく果てなく展開してく。どうやら何かのファイルらしい。パタンパタンと止まることなく広がっていく透明のファイルに入っているのは、少女の写真。小さな赤ん坊の頃から、現在の姿まで。さながら少女――リゼの成長のスライドショーだ。彼女のこれまでの人生がそこはかとなく窺えた。

 

「ああ。私の可愛い愛娘――リゼだ」

 

 それを惜しみなく披露し、得意げな顔をする男性を見やり、私は確信する。

 こ、これは……親ばか。

 どこの家庭に、こんな、子供の成長目録みたいな巻物のような品物を携帯している父親がいるものか。気持ちは分かる。リゼのような綺麗で可愛い娘がいらた、私だって過保護になるかもしれない。でも、これは度が過ぎている。リゼが知ったら、その豊かすぎる腕力で殴打する筈だ。それかドン引き。

 よくもまぁ、本人からしたらホラー以外の何者でもない物を誇らしげに披露できるものだ。写真の焼きましを是非お願いしたい私がいるのだが、それは心の中にとどめておく。

 

「ということはあなたはリゼちゃんの父親?」

 

「うむ。名前は……いや、天々座(てでざ)と呼んでもらおうか」

 

 親しげなのはいけないらしいからな、と彼はまだナンパの件を気にしているのか、大真面目な表情で言う。彼がリゼの父親。イメージとしてはそれほど違ってはいない。ただしそれは容姿だけの話で、性格がここまで親ばかだとは思ってもみなかった。中々ユニークな方である。

 

「天々座――」

 

 彼の口にした、おそらくリゼの苗字であろう名前。おしゃれでかっこいい苗字だ。でも正直、言い難いのは否めない。ここは親しみやすいアダ名で――

 

「テテさんだね」

 

「おいっ」

 

 思い切りつっこまれた。真顔でずばっとツッコミを入れてくる点は、物凄くリゼと似ている。

 プッ、と酒の用意をしているタカヒロが小さく噴き出す。シェーカーらしきものを振りつつ、彼は砕けた口調で言った。

 

「いいじゃねぇか。テテ。可愛いな」

 

「やめろ。私はそんな柄じゃないだろう?」

 

「柄じゃないから面白――いいんじゃねぇか」

 

「今面白いと言いかけたな」

 

 ジト目で指摘するテテ(確定)。天々座なんて言い難い名前を定着させるわけにはいかない。私はここで押すことに。グッと手を握りしめる。

 

「面白くないよ。可愛いって絶対!」

 

「可愛いも面白いも勘弁だ!」

 

「じゃあテンテンで」

 

「テテでお願いする!」

 

 元気よくテテは叫んだ。なんて綺麗なツッコミ……これはボケ甲斐がある。

 

「テテ……かっこいいよね。リゼちゃんにも好かれるかも」

 

「そ、そうか? 悪くはないかもな……」

 

 あ、この人間違いなくリゼの父親ですわ。ツッコミを期待した私は、思わぬ言葉に痛感する。照れ屋というか、人の好意を素直に受け入れすぎるところとか。ワイルドな人がこう、分かりやすく照れる姿はちょっと可愛いかもしれない。

 

「こやつ結構単純じゃの」

 

「そうだな。けど親父には負けるな、多分」

 

「なんじゃとっ」

 

 そんな私達を前に、会話をする一人と二人。タカヒロは楽しげに笑って、グラスへと白い液体を注ぐ。綺麗な色だ。まるで雪のような、さらさらとした液体はよく見る逆三角形のグラスへと入っていく。最後にそこへシャーベット状の氷を一つ入れ、二杯のカクテルをタカヒロは私とテテの前に置いた。

 

「友人へ俺の奢りだ。ティッピーをモデルにしたカクテル……名前は『ホワイトラビット』」

 

 ホワイトラビット。カクテルの上で溶けようとしている白いシャーベット……お店の照明にきらきらと輝くそれは、写真に撮りたいくらい美しい。実物のティッピーより美しさ指数は大分高かったりするのだが、そこはまぁ、『モデル』。多少の脚色がついたと思うことにしよう。

 

「私の奢りとなっていたんだがな……。相変わらず、美味しいところをとる男だ」

 

「フッ。美味しいところをとったのは、酒を飲むお前たちだ。サヤさんにご馳走したいなら、また後で注文するといい」

 

「そうさせてもらおう。……礼を言う」

 

 お店の雰囲気に合った、シリアスなやり取りをする二人。かっこいい会話の後、テテはグラスを手に取り、カクテルを一口飲んだ。大人で、ワイルドで、かっこい彼にカクテルとバーテンダーはよく似合っていた。横から見ているのだが、さながら映画でも観ているような気分だ。

 

「うん。美味しいな。子供っぽい味だが――それもまたいい。優しい感じだ」

 

「ティッピーをイメージしたからな。親しみやすい味だろう」

 

 テテは首肯。ティッピーの頬がほんのりと赤くなった。ティッピーも割と単純らしい。ふふ、可愛い。

 パスタをまた一口食べていた私は、口の中のものがなくなったのを見計らい、口を開く。

 

「あ、ちなみにご馳走いつでも大歓迎だよ?」

 

「はは、それなら好きに頼むいい。今日は君にお願いをしに来たんだからな」

 

 お願い? 聞こえてきた単語に、不穏な雰囲気を感じとり首を傾げる私。

 ……まぁタカヒロの知り合いだし、リゼの父親だし、変なことは頼んでこないとは思うけど――

 

「実は……リゼのことを一日ごとに報告してほしいんだ」

 

 ――思うけど、そんなことなかった。

 大真面目な顔で言うテテさんに、私は若干引いた。

 

 

 



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(4)

 

 

 

「報告って?」

 

 なんとなく読めてきた私だが、一応訊いておく。テテは真面目な顔をして続けた。

 

「バイトや高校。今は娘の様子を部下にそれとなく見てもらうよう言っているのだが、どうにも彼らはやりすぎるようでな。そこで、リゼの友人である君に娘の様子見を依頼したい」

 

 ……全然知らなかった。

 え? ということは、私がラビットハウスにいるときも様子を見ていたってことだよね。私の名前も姿も知っているみたいだし。そう考えるとゾッとしなくもない。

 

「時々店外から気配を感じるからな。抑えてもらえると俺も助かる」

 

 そして私が気づかなかったそれを、タカヒロは気づいていたと。気配ってなんだ。何者だ。

 

「すまない。私はずっと見ている必要はないと言ったのだが」

 

「そうお前に言われても見るもんだ。それが部下だろう?」

 

「日本社会のマナーとかじゃな」

 

 よく聞く話だ。上司の話を真に受けて行動すれば気が利かないと怒られ、かといって話以上のことをすれば怒られる。で、どうすればいいのかと思えば自分で考えろなどと言われる。厄介な話である。

 

「でもそれなら、私じゃなくて他の人に頼んだら?」

 

 ココアとか、チノとか、アルバイトで接する時間が多い彼女らの方が適任だろうに。

 私はホワイトラビットを口にし、テテを見る。うん、ひんやりとしていて美味しい。味としては、あの白い棒アイスをもっと上品に、味を濃くしたような感じだろうか。確かに子供っぽい印象を受ける味だけども、美味しいと思えた。ほんのりと主張するアルコールの味が心地よい。

 パスタとの相性は中々。甘い味が喧嘩しがちだけども、ジュースをお供にご飯を食べていた少女時代を思い出す。悪くはない気分だ。

 

「大人として、というよりも、彼女らの青春に気をつかって、君を選ばせてもらった」

 

「青春……」

 

 まるで私の青春が終わったような――いや、終わってるな。とっくのとうに終わってる。

 

「あまり係ると気を遣わせて、交友関係にも影響が出る、と。そういう意味?」

 

 彼の言葉について考え、私は尋ねる。特にココアなど、リゼのことを報告してほしいなんて言えば意識するだろう。物凄く分かりやすいくらいに。そう考えれば、確かに彼女らの青春に大きな影響を与えることは否定できない。そして勿論のこと、リゼからも嫌われてしまうだろう。娘は親の過剰な干渉を嫌うものだ。

 

「うむ。高校時代は貴重な時間だ。無駄にしてほしくはない」

 

「それなら干渉しなければいいのに」

 

 頷くテテへ、ぼそりと呟く。そこは痛いところだったようで、彼は狼狽えた。見た目に反して感情をすぐ表情や様子に出す人だ。そこは素直に好感を持てる。

 

「だ、だが心配なのが親だろう? できれば、娘のことは詳しく知りたい」

 

「親、かぁ……」

 

 私の親のイメージ像は決して娘の心配をするような人物ではないんだけど、世間一般ではそうなのだろう。それになんといっても、リゼだ。リゼのような子が娘ならば、私だって心配になるだろう。あんなにも可愛くて、きりりとしてて、それでいて純粋な子を私は見たことがない。なにかよからぬものに騙されないか、四六時中心配になることだろう。

 

「そうだね。……まぁ、気が進まないけど」

 

「受けてくれれば、週一ここでごちそうしよう」

 

「受ける」

 

 渋々であるが受けようとしていた最中、聞こえてきた条件に私は即答する。少しの罪悪感はラビットハウスの美味しい料理とお酒に吹っ飛んだ。自分のことながら、現金な女性である。

 でもここの料理すごく美味しいし、お酒もいいし、雰囲気もいいし言うことなしで――週一でここで食事できるとなれば、言うことなしだ。

 

「よし、契約成立だ。よろしく、サヤ」

 

 ぱちんと指を鳴らし、上機嫌に笑うテテ。彼は私の肩に手を回して、親しげに言った。人懐っこい人だ。

 

「うん。これで友達、いや、ファミリーだね、私達」

 

「あぁ、そうだ。よろしく、ファミリー」

 

 ふふ。図らずもまた友達が……それも異性。感激だ。こんな経験、これまで全然なかったからなぁ。できて保護者みたいな異性だったし。

 

「……あまり俺の前で悪巧みはやめてくれねぇか?」

 

 笑い合う私達の前。タカヒロはため息混じりに言う。

 

「失礼だな。これは親として当然の心配だ。タカヒロ、お前も分かるだろう?」

 

「……分からなくはないな」

 

「お前も親ばかだからのう――ぅいたっ」

 

 グラスを磨いていたタカヒロが、ティッピーへデコピンする。軽そうなので、まぁ虐待には入らないだろう。

 

「ティッピーだってチノについては過保護だろ」

 

「否定できんな。ま、家族のことはいつでも誰でも心配ということじゃ」

 

 ティッピーの言葉を否定せず、むしろ頷く面々。娘のことをストーキングするような行為を肯定するとは、親とはおそろしいものだ。いや、そこまでさせる娘の可愛らしさがおそろしいのか。

 

「ま、何事もやりすぎるな、ということだ」

 

「そうだな。それは私も気をつけている」

 

 結局、娘を観察することは許容されたのだった。私が娘だったら怒りだしてるね。うん。

 

「タカヒロ、なにか酒の肴を頼もうか。それとワインだ」

 

 テテが笑顔を浮かべ、曖昧な注文をする。が、タカヒロは特に何も言わず首を縦に振った。

 

「かしこまりました。おまかせでいいな?」

 

「構わない。お前の腕は信用している」

 

 ううむ、やはり見ていてかっこいい。そしてテテはいつまで私の肩に手を回しているのだろうか。

 

「テテ、いい加減暑苦しい」

 

「私にアダ名をつけたんだ。これくらいいいいだろう? ファミリー」

 

「奥さんとか娘さんに言いつけるよ」

 

「ごめんなさい」

 

 ぱっと離れるテテ。奥さんやリゼに嫌われるのは相当嫌なようだ。さっきまでファミリーだとか言ってた人がごめんなさい、って。

 

「テテはなんだか、フレンドリーだね」

 

「そうか? ふむ、サヤが小さいから親しみやすいのかもしれない」

 

 テテがすっぱりと口にする。こうもはっきり言われると、ショックを受けることもないというか、清々しさすら感じてしまうから不思議だ。

 

「それってロリコン……」

 

「ろりこん?」

 

 またもや意味が通じていないようで、テテは首を傾げる。……この人は普段どんな生活を送っているのだろうか。ロリコンの意味も知らないなんて。

 

「なんでもないよ。でも、なんで小さいと親しみやすいのかな?」

 

「娘の小さい頃を思い出す。あの頃のリゼも可愛かった……」

 

 あぁ、そゆこと……。

 目を細めて懐かしむように語るテテを見て、私は苦笑する。この人の親ばかっぷりはタカヒロよりはるかにすごそうだ。それだけリゼが愛されていることにもなるし、微笑ましくはあるのだけれど――流石にレベルが違う。

 

「ま、親しみやすいのはいいことかな。さて。テテ、私にお酒ご馳走してくれるんだよね?」

 

 言っても仕方ないことだろうと結論。

 ホワイトラビットを飲み干し、私はテテへ問う。

 

「ああ。何が飲みたい?」

 

「じゃ、私もワインで。安くていいよ。味分からないから適当で」

 

「なら私と同じだな。タカヒロ、ワインもう一つ追加だ」

 

 厨房に声をかけるテテ。するとタカヒロは手だけを出してサムズアップ。了承という意味だろう。

 

「ワインって初めてだよ私」

 

「そうなのか? ということは……チューハイとかか?」

 

「そうだね。あとは……日本酒?」

 

 おばあちゃんと呑んだ時のことを思い返す。あの時の日本酒の味は中々忘れがたいものであった。

 

「渋いな。ワインも飲まずに日本酒とは」

 

「そういうものかな?」

 

 確かに日本酒は癖が強そうな印象だけども。

 

 

 



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