転生中世英国貴族は救いを望む(仮題) (これこん)
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プロローグ

これの元になったやつは消しました。申し訳ございません。
詳しく知りたい人は活動報告にあるのでどうぞ。



『────すまない、少し良いかそこの青年』

 

十五世紀も折り返しを迎えてしばらく経ったその年の春、あの人は私の前に現れた。

ヴェロッキオの工房にあった木に寄りかかってぼうっとしていた昼過ぎにいきなり背後から声をかけられたのだ。知らない人から声をかけられる身にもなってほしい。

 

後ろを振り向くと、そこには一人の男の姿。

元々黒かったのであろう髪はその悉くが白くなっており、顔には皺が入っている。年は見た感じ六十半ばを過ぎたくらいだと推測した。

服は簡素だけどもそれなりに上等なもので、穏やかそうな雰囲気を纏っている男だ。

だとしてもいきなり見知らぬ男が現れれば警戒する人の方が多いと思うが、私は二つ返事で肯定の言葉を返した。

警戒よりも未知への好奇心が勝ったのだ。それに、この男は面白そうだという一種の直感が働いたのも記憶している。

 

まずは私が名を名乗った。

 

──私の名はレオナルドだ、と

 

その時彼の目が驚いたように見開かれていたのが印象的だった。もっとも、知り合いに同名がいるのかな程度にしか当時は考えていなかったが。

続いて彼が胸に手を当てて名乗る。その仕草は単純だが何処か気品に溢れる、上品な動きだった。

画家達はこれだけで絵を一枚描けるのではないかと思えるほどの。

 

彼がこの村に訪れた理由はここらの土地を詳しく知るためなのだそうな。なんでも各地を巡って見聞したことを書に記しているらしい。

高名な芸術家ヴェロッキオの工房とはどんなものなのかを見るために寄ったのだと彼は言っていた。その時一番初めに見つけたのが私だったから、私に声をかけたんだって。

各地を旅という言葉に私は反応した。そして言う。詳しく教えてくれ、と。

 

彼はここら一帯の地理を教えることを対価として要求した。もちろん二つ返事で了承すると、彼はこれまでの旅の物語を語り出した───

 

 

彼の祖国であり現在内戦中のイングランドを発って数年、一頭の馬とそれに積んだ荷と共に旅をしてきた彼の話は大変面白かった。

とにかく話が上手い。気づけば工房中の人間が集まり、耳を傾けていた光景は今でも覚えている。

 

滞在した街で楽器の演奏や、自らが調合した薬を売ることで日銭を稼ぎながらここまで進んできたということを聞き、その腕前を披露してみろと言ったのは誰だったろうか。

彼は皆の前で荷からおろした小型のハープを用いた演奏をし、その後火傷や切り傷によく効くという軟膏を販売したのも覚えている。

 

その後約束通り私と話を聴いた工房の人間数人で周囲の地理を彼に教えて、彼は私たちの工房での作品作りを見学した。

彼に演奏以外の芸術の心得もあったことを知った私達が休憩時間に一緒に絵を描いたり彫刻をしたこともあったっけ。

 

そんなこんなで数日経ち、彼と名残惜しくも別れの日────とはならなかった。

というのも工房の師匠が彼の知識量を買い、弟子達への顧問を頼んで彼の数ヶ月の滞在延長が決まったからだ。

 

彼は近くの村の壊れた教会の設計図を驚くべき速度で書き上げたり、豊富な歴史の知識を持っていたり、神学にも精通していた。私は自分のことを天才だと思っていたし、彼がただの長く生きた老人だったならここまで肩入れする事は無かっただろう。

 

そこから、私が人生において忘れることのない日々が始まった。

 

彼を例えるなら、知識の宝庫だと言えよう。

毎日その時の私ですら知らないことを山程教えてもらったし、何より説明が分かりやすい。

 

ある日彼の積荷にあった香辛料を使った料理を師匠に隠れて弟子達にだけこっそりと作ってくれ、一緒に食べたことがあった。交易において金銀と同等の価値を持つというそれらを口に入れると意識して、若い私は思わず口に運ぶ手が震えたものさ。

 

そして私の想像していなかった未来の話もしてくれた。

人間はいつか空を鉄の塊で飛ぶということ、世界の裏側の情報までをも逐一知れるということ、そして月に降り立つだろうということ。

それらは私の夢を広げてくれた。

 

まぁそれから紆余曲折あって、遂に別れの時が来ましたよと。

彼はボヘミア辺りまで進んだら祖国へ帰る予定らしい。長い旅だ。

 

共に過ごす最後の日の夜、近くの村の教会で祈っていた彼に尋ねた。何故若くはない身で危険を冒して旅をするのか、と。

すると彼は言った。

 

『…私はもう充分生きた。もう残された時間は少ないだろう。だから死に場所を求めている…とでも言うべきか。それ以上の理由は無い』

 

死を意識した人間はこう考えるのが一般的なのだろうか。まだ若かった私は彼の考えていることはよく分からなかった。

そして別れ際、彼は私に告げる。

 

『レオナルド・ダ・ヴィンチ、君は人より優秀だ。天才とも言えよう。だから、その才を決して無駄にするな』

 

私は近い内に死ぬだろうから君達の活躍を見届けられないのが残念だ、とも言っていた。

そうして、彼は私の前から消えていった───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その後私は街に出て、更に成長して、自他共に認める天才になりましたとさ」

 

そう言って話を切り上げるのは、さながら名高い絵画を切り取ったかのような美しさをもつ黒髪の絶世の美女。

彼女の名はレオナルド・ダ・ヴィンチ。“万能の天才”として知られる英雄だ。

そして彼女は中身は男で、理想の美である生前の作品──モナ・リザの姿を再現したという中々の変人でもある。生前の知人達がこの事実を知ればどんな者でも多少なりとも驚くことだろう。

 

ここは人理継続保障機関フィニス・カルデア。見渡す限りの白い世界に囲まれたこの施設の一室で、レオナルドの他に二名の男女がいる。

 

「へえ、それが君が友と仰ぐ“西の賢者”か。レオナルド、君はいつ彼がかの人物だと気づいたんだ?」

 

この優しそうな雰囲気を纏う長身細身の男はロマニ・アーキマン。

カルデアにおける医療班のトップであり、レオナルドとは長年に渡る仕事仲間で互いに信頼は厚い。

 

「それは街に出た時だね。彼の熱心なファンが友人にいてね、彼の肖像画を見せてもらったんだが…それはそれはそっくりだったからだよ。彼の絵を描いたのもそのくらいの時期さ」

 

あれは驚いたな、と笑うレオナルド。そして懐から数枚の紙を取り出す。

 

「あの…ダ・ヴィンチさん、これは一体?」

 

そう言ったのは桃色の髪の毛の少女。彼女の名はマシュ・キリエライト。この施設でデザイナーベイビーとして誕生した過去をもつ少女だ。

そして二人の同僚でもある。

 

「ああ…これは彼の描いたスケッチだよ。これを見てくれ」

「…?」

 

マシュとロマニが手に取り、そこに書かれているものを見る。一枚を除き全て風景画だった。

民家や森の様子が大変写実的に描かれている。残る一枚は一人の少年の絵であり、かなりの美形だ。

 

「も、もしかしてですけどこれって…」

 

マシュが尋ねる。ロマニとマシュは先程のレオナルドの会話からこの人物が誰なのか、おおよその予想ができていた。

 

「そう!これは若き日の私なのだ!どうだい、なかなかの美少年だろう?」

 

目の前にいるモナ・リザの容姿をもつレオナルド・ダ・ヴィンチの美しさはもちろんのこと、絵の中の男としてのレオナルドも並外れた美しさを持っていた。

初めて見る同僚の生前の姿に、マシュは興味津々といった様子だ。

 

「私のお気に入りだ。なにせ彼の直筆だからね」

「レオナルド、随分彼に思い入れがあるようじゃないか。そんなに彼と再会したいのかい?」

「…彼は優れた学者であり、統治者であり、医者であり、信徒だった。カルデアに来てくれれば大いに助かるだろう。マシュともロマニとも気が合うと思うよ。…まあ再会したいのは山々だからいずれは、ね」

 

ちらりとレオナルドがマシュの方を見ると彼女は一冊の分厚い本を抱えている。

この本はレオナルドがマシュにプレゼントしたものであり、現在話題の渦中にいる人物が記したものだ。

 

「マシュ、その本を読み終わったんだって?どうだった?」

「とても面白かったです!レオナルドさん、貴重な物なのにくださってありがとうございました!」

「そうかそうか。それは良かった」

「この本の著者である西の賢者こと───「…こんな所で何しているのかしら?あなた達?」

 

突如扉が開き一人の女性が姿を現した。

銀髪を後ろで結った年若い女性だ。街を歩けば多くの男が振り返るであろう整った容姿をしているのだが、怒っているのが目に見えてわかる。背後からは般若が現れそうだ。

 

「げえっ!マリー、どうしてここがわかったんだ!?」

 

彼女の名はオルガマリー・アニムスフィア。人理継続保障機関フィニス・カルデアの現所長である人間だ。

 

「そんなことはどうでも良い!部下を持つ身だということをもっと自覚しなさい!」

 

オルガマリーによる説教が始まった。

彼女にまず目をつけられたロマニが助けてくれ、という意思を孕んだ目でレオナルドとマシュの方を向くと─────

 

 

────そこには既に二人の姿は無かった。

 

「ああっ!逃げられてる…」

「だいたいあなたはね──!───!────!」

 

数時間後、げっそりとしたロマニが職員によって発見されたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは物語が始まる少し前の、ちょっとした一幕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

燃え盛る炎が街を包んでいる。

少し前まで栄え数多の生命を見守っていたであろう街は現在見るも無惨な光景が広がっており、住人の姿は何処にもない。

あちこちに武器を持った骸骨が徘徊しているその光景は見る者の目を疑わせることだろう。

 

ここは2004年の日本。

地方都市“冬木”なのだが、このような光景は本来起こってはいなかった。この町では度々ガス会社の事故(・・・・・・・)で爆発が起きるのだが、かつての“大火災”であってもここまでの惨事ではない。

 

それもその筈。

これは正常な時間軸から切り離されたもしもの世界───“特異点F”なのだから。

 

2004年、この町で“聖杯戦争”なる儀式が行われた。

“マスター”となった魔術師達が“サーヴァント”なる古今東西の英雄を自身の使い魔として召喚し7組に分かれて殺し合う。そして最後まで生き残った者は万能の願望機“聖杯”を手に入れることができる、というものだ。

しかし当然のことながらこの特異点では実際の戦争で起こったような過程も結果も存在せず、サーヴァントと契約を結んだマスターすら失ってしまっている。

 

そんなどこかかで狂ってしまった冬木の町の一角で、3人の女性の姿があった───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───召喚陣が作動する

 

神秘的な光が円を描くように回り、中央に集まる。

すると光の輝きはより一層強くなり、そして弾けた。土煙が舞い視界を遮る。

 

「こ、これは成功…した、の?」

 

恐る恐ると言った様子で隣にいるマシュに尋ねる、赤毛の爛漫そうな印象を抱かせる少女がいた。

彼女の名は藤丸立香。先程発生したカルデアの爆発事故の難を逃れた者であり、事実上の人類最後のマスターである。

そんな彼女は土煙の中から歩みを進める人影を確かにその目で捉えた。その人物はカツカツと音を立てながら近づき姿を現す。

 

黒を基調とした衣服に身を包んだ黒髪の男性だ。

死の香りが漂うこの街には不釣り合いな、穏やかそうな雰囲気を纏っている。

 

過去の英雄を召喚するということで怖い人とか来たらどうしよう、と考えていた立香であったが、自身が召喚したサーヴァントの様子を見て一安心した。

少なくとも罵詈雑言を浴びせてきそうな人物ではない。

第一印象は優しそうな人だな、といった具合だ。

 

その時召喚されたサーヴァントが口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────召喚に応じ参上した。貴女が私のマスターか」

 

 

 

その声は外見と同じく穏やかさを含んでいながらも芯の通ったものであり、突如レイシフトをすることとなり乱れていた立香の心を幾らか安心させた。

 

 

 

 

 

 




全10話くらいを予定しています。一応最終話まで書いてあるので毎日投稿する予定です。

それでは見て下さった方々、ありがとうございました。


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第一話

この小説は作者の貧弱な歴史知識を用いて書かれているため、時代的におかしい点があるかもしれません。予めご了承ください。



心地よい風の吹く春のある日。石造の屋敷の一室に数人の男の姿がある。

この部屋には所狭しと本やら書類やらが置かれており、およそ八畳ほどと推測される間取りも相まって大変窮屈そうな印象だ。

窓は一つあり、そこからは青々とした森などの自然物に加え倉庫や畑、民家など人工物も見える。

 

部屋の中央には大の大人が2人ほど寝そべられる大きさの机があり、男たちはその机を囲んで各々の仕事をしていた。

その内容は税の記帳書、農作物の状況、野盗の出没報告など様々だ。

 

その中で一人、明らかに年若いと思われる男がいる。黒髪の青年だ。

この青年は三十代から四十代あたりの大人達に混じっていることからかやけに目立つが、その仕事ぶりは周囲と比較しても遜色ない。流れるように業務をこなしている。

 

彼らの間に流れるのは沈黙。

これは決して互いの仲が悪いというとかそういう問題ではなく、ただ単に仕事に集中する人間がこの部屋に集まったからに過ぎない。

とはいえ、現在の部屋の雰囲気が良いとは決して言えないが。かなり空気は重い。

彼らの顔を見てみれば皆が無表情で取り組んでいる。もしこの部屋に歳が片手で足りるような子供が踏み入れば、雰囲気にのまれ泣き出してしまうのではないだろうか。

 

彼らが仕事を開始したのは朝のまだ早い時間帯だった。そして今はすでに昼前。その間休憩を何度か挟んだとはいえ、そろそろ気力的には疲労しているだろう。

そんな時青年が口を開いた。

 

「───そろそろ良い頃合いだろう。皆、ご苦労だった」

 

どうやらこれで終わりらしい。各々は手を止め、荷物を片付け始める。

先程の発言から、この青年がこの部屋の中で一番上の立場らしい。

 

次々と退席する男達からのお疲れ様でした、という類の言葉に返答しながらその背中を見送る青年。

最後の一人が出て行くのを確認し、椅子に座りながら体を伸ばす。そして自分の担当した書類やらを片付けたら席を立ち部屋から出る。

最後に部屋の鍵を閉めたら石造の廊下をカツカツ、と音を立てながら歩く。

重い雰囲気から解放されたからか、その顔は何処か柔らかい表情になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然だが…私は中世に転生した元日本人であり現在はイングランドで貴族をしている、と言われたらどうだろうか?

私の前世は日本の可もなく不可もなしといった大学生であり、気づいたら中世イングランドにいたのだ。しかも百年戦争期の。

 

いや、確かに私はこの国で生まれ育った人間であるため『気づいたら中世イングランドにいた』という表現は正しくないか。『なんの前触れも無く前世の記憶を思い出した』に訂正しよう。

まぁ、どちらでも大差はないが。

 

そんなこんなで記憶を思い出した訳だが、中世世界を楽しもうとはどう転んでもならなかった。そうであったらどんなに良かったことか。

まず国内が大分不安定だ。

後の世で“百年戦争”と呼ばれる断続的な争いの最中だということは既に述べたが、その他にも数十年前に猛威を振るった黒死病に、度々国内で起こる反乱…そして歴史が変わらなければの話だが、数十年後には王権争いの内戦である“薔薇戦争”も起こる予定というお先真っ暗な状況である。

 

百年戦争はフランス内で行われているので私たちの領土が害されることは無いが、問題は将来起こる予定の内戦だ。

私の記憶が正しければだが、あれは30年ほど続いたドロドロの内戦だったはずだ。間違いなく領内に損害が出るだろう。もしかしたら家族が死ぬかもしれない。

 

そして衛生観念が最悪である。かつて産業革命期のロンドンの衛生状況は最悪だったと聞いたことがあったが、この時代の衛生も大概だ。

古代から進歩していないのでは無いだろうか。それくらい凄まじい。

母が私を出産した際に立ち会ったという産婆の着ていた服に血やら何やらの液体の汚れが蓄積されたままだったと知った時は思わず変な声が出てしまったものだ。生きていて本当に良かった。

 

さらに治安がすこぶる悪い。

野盗、傭兵かぶれなどが多すぎるため時々私兵を率いて討伐に行かねば領民の平和が脅かされるほどには悪い。

 

食料問題も芳しくない。

この時代は作物の品種改良も農作技術も発展途上であるため、異常気象一発で飢える民が大量に出てしまう。

 

…つまり病で死ぬか、野盗に襲われて死ぬか、栄養失調で死ぬか、偶に宗教関係で死ぬかのどれかが主な死因だ。天寿を全うできる者などどれほどいるのだろうか?

聞くところによれば私たちの領土は大分マシらしいのだが、それでも十分魔境であることに変わりはない。

 

山ほど抱えている問題に加え近い将来確定している更なる混乱から生き残るためにはどうしたら良いのだろうか、と考えるのだが、やるべきことは決まっている。

私に出来ることは現領主である父と生まれつき病弱な嫡男の兄をできる限り支え、最悪の結果を防ぐことに己の全てを捧げることのみだ。

 

一時期薔薇戦争は起きないのでは、歴史は変わるのでは、との考えを持ったこともあったがどうやらその考えは甘かったらしい。

今でこそまだ均衡を保ってはいるが、もしも大陸における戦況がひっくり返りでもしたらどうだろうか?ましてや、もし敗れでもしたら?

その際は不満を溜め込んだ貴族が反旗を翻し、戦火がブリテン島を包むだろう。

 

現在の国王ヘンリー陛下は確かに優秀だ。

大陸におけるフランスに対する優位を築いたし、まだ若いことからも彼がいる間は大丈夫だろうな、という感じはする。

しかし何が起こるのか分からないのもまた人生。残念なことに私はここら辺の歴史は良く知らないので予測が出来ないのが悔やまれる。

 

なので現状できうる限りの準備をしておく必要があるのだ。

 

───そういう経緯を経て、私は現在教育漬けの日々を送っている。

 

朝起きたら乗馬に剣術指南、偶に走り込み。

その後軽く食事を摂ったら勉強を始める。神学に礼節や優雅な振る舞いの練習、兵法など様々なことをしていたが、最近は父に認められ始めたのかそれなりに仕事に参加できるようになってきている。

 

結果、一人称が『俺』から『私』に変わったりした等ちょっとした変化はあったもののおかげで随分と体力や教養が身についた。

 

以前『何故こんなに頑張るのですか?』と聞かれたことがあったが、そんなの決まっている。

 

────生き残りたいから、だ。それもみんなでこの乱世を。

 

一応働かないで生きてゆくというのも可能だろう。事実、私の家はそれができる程裕福だ。

今の時代はちょっとしたことでも死に繋がるため、活発に活動するということは道半ばで斃れる可能性が増すことも意味する。

 

しかしながら『金持ちなだけの怠け者』というレッテルを貼られてしまうのは私にとっても、家にとっても良いものでは決してない。私のためにも、守りたい大切な家族のためにもならないのだ。

 

よって私はその選択肢はないものとして扱った。やはり自分の未来は自分の手で掴むのが良いだろう。

 

 

 

───さて、私が前世の記憶を得てもう10年以上が経過した。

 

三子の魂百までというべきだろうか。

何度か試みたものの、結局私は前世からの倫理観や価値観を捨てることはできなかった。

殺人や略奪は勿論のこと、異端だとか悪魔やらの過激な宗教まわりも余り好ましくない。仕方ないことだと割り切っているものの、やはり少なくない嫌悪感を持ってしまうのだ。

 

一方で、もう長くなった中世の暮らしにより気づけば私は従順な教徒の一人になっていた。

やはり心の拠り所があるだけで人は心が安定するものだ。己の身をもって体感した。

 

前世を思い出して現状に絶望した日も、初めて目の前で人が死ぬのを見た日も、予想以上に辛い訓練と勉強から逃げ出したいと思った日も毎日教会に通っていたのだが、気づいたら立派な信仰心が芽生えていた。少なくとも熱心な信者の友が多数生まれた程には。

 

勿論異端を見つけたら殺意が芽生えるほどの狂信者になるつもりは毛頭ないので安心して欲しい。

 

さて、話は変わる。

私の任されている仕事に関してだが、こちらの方は予想に反して順調だ。

税の領収書の確認をしたり領内に異常があれば駆けつけるといったことが現在の主な業務だが、大分要領を掴んできた。

領民との信頼関係も徐々に築けている。私の評判は『気さくな領主の息子』といったところだろうか?

何はともあれ嫌われないのならばそれが良い。最期が農民の反乱でした、では死んでも死にきれない。是非とも彼らとは良い関係を続けていきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

────最後に一つ

 

私の今世の名はオーバ・アリックスという。

とある貴族の次男だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

とある日の昼下がり。

私が家に出入りしている若い騎士と剣の打ち合いをしていた時、突如訪問者が現れた。

やってきたのは見覚えのある、屋敷の使用人の一人である。

 

 

「────失礼致します。当主様があなた様の事をお呼びです」

「父上が?私に何の用だと言っていた?」

「…そこまではお聞きしておりません。ただ、急ぎの用であることは確かです」

 

突然の出来事に全容が掴めていないが、急ぎの用だというのならすぐに行かねば。

鍛錬はまだ途中で不完全燃焼だが、この際仕方ない。

 

「…そうか、承知した」

 

服装を整え、駆け足で屋敷に戻る。

しかし、一体私に何の用なのだろうか?最近の領内は比較的安定していたはずなので一刻を争う事態はないはずだが、果たして。

 

 

 

 

 

 

屋敷に戻り父の執務室の前まで来た。

右手でドアを3回ノックし中に入るとそこには椅子に座る父の姿が。

 

「────来たか」

「それで、話とは何でしょうか?」

 

父と向かい合う。心なしか元気がなさそうに見えるのは今回の件と関係しているのだろうか。

まぁ、父の様子を見て大体理解した。どうやら面倒ごとに巻き込まれるようだ。

 

「それで話というのはだな…大陸の援軍に来いという王家からの命令が来て、お前を行かせることになった」

 

なるほど、話の全容が見えてきた。

兵を率いて大陸に渡れという命令を無視することはできないが、かと言って父は領地経営の要でありそれなりの歳。近頃は日常生活に関わる不調も多くなっているため長旅は体に障る。

体の弱い兄はもしものことがあれば家の存続に関わる。家臣だけに行かせるのでも良いが当主の一族が出ないのは何かと不都合である、ということで私なのだろう。

この時代の平均寿命を考えれば十代の私でももう立派な大人だ。このくらいの歳で兵を率いる人間などごまんといる。

父は負い目を多少感じているらしいが、仕方のないことだ。そもそも私は何でもするつもりでいるので問題ない。

 

「…分かりました、父上。役目を果たせるかは分かりませぬが全霊をかけて受けましょう」

「…そうか、すまぬな」

「お気になさらず。父上」

 

さて、出兵ということは少なからず死ぬ可能性があるわけだが、流石に大陸のイングランド勢力は我々を激戦区に送るような切羽詰まった状態ではないだろう。

…もしそうだったら本格的に死を覚悟するが果たしてどうなのか。少なくとも今現在は劣勢であるという情報は入ってきていない。

 

「ところで父上。私が兵を率いるのであれば、詳細を教えて欲しいのですが…」

「あぁ分かった。とりあえずそこに座れ」

 

そう言って父が指さしたのは一つの椅子。

私はそこに座ると、父とこれからの日程や連れて行く兵数について話し合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の話から分かったが、今回の出兵には思った以上の兵力が割かれるらしい。これは上からの命令なのか、父の王家に恩を売るという意思の現れなのかは定かでないが私の立場は人質みたいなものだろう。

私の家はそれなりに力を持っているし兵もいる。国王不在の本国で反乱を起こされたら無傷ではすまないと考えているのだろうか。

こうして援軍に兵を割かせることで力を削ぎ、実子である私を反乱させないよう人質として手の届くところに置くのが目的か。

 

いずれにせよ海を渡りフランスに行けば帰ってくるのは何年後になるのだろう?

あと数年でこの戦争が終わるとは到底思えないし、もしかしたら帰ってくる頃にはおじさんと呼ばれる歳になっているかもしれない。それか既に死んでいるか。

 

すぐに人が死ぬこの時代で私が死を身近に感じるのはもっと後だと思っていたが、案外早くその時が来た。

とりあえず私が願うのはいずれ再会するその時には今と同じように、生きた状態で話せることのみだ。

 

「────父上、生きて再びお会いしましょうぞ」

 

私の声が部屋の中にやけに響いたように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

あれから三ヶ月後、私は大陸のイングランド勢力の都市の一つに到着した。

連れてきた兵力はおよそ七百。私たちの領内のみならず、周辺から集めてきた傭兵達が半数以上を占める。

賃金はしっかり払っているし、略奪、殺戮は一発で処刑という取り決めをしたので罪なき人々には刃を向けない…はずだ。

 

これを決めた際、『流石に厳しすぎないか?』という意見があったのだが、私からしてみれば戦闘力を持たない人々に手を出した時点でもうアウトである。『略奪は士気の維持に不可欠だ』とも言われたが、賃金はブリテンで多めに払っているため許さない。そしてこれからもきちんと払う予定だ。

 

それでも不満を滲ませていた連中とは一対一で話し合い説得した。全員と話し終えるのに数日かかってしまったが、規律のためなら安いものである。

 

『軍隊持ってきておいて何言ってんだ』とフランス人からは非難が飛んできそうだが、私とてお人好しなだけでこの時代を生き残れるとは微塵も思っていない。手を汚す覚悟もしている。

 

だが、一方的な蹂躙には肯定できない。それをしてしまえば人としての致命的な何かが終わってしまうと確信できる。

まぁ、一言で片付けてしまえば私の下らない意地になるのだが、それくらいの理性を保っても別に良いだろう。

 

 

 

 

 

 

そしてまた一月経った。現在フランス領を行軍中だ。

ここまでで数十程の規模の集団とは戦闘を行なったが、大規模な軍隊は見たことない。運が良いだけか、果たして。

 

私は兵法を一通り学んでいるし、技量も一兵士として申し分ない程度だとは自覚している。10年以上血反吐を吐いて訓練したのに人並み以下だったら自身の不甲斐なさに絶望していたことだろう。

そして救いを求めて神に祈る時間が増えるだろうな、と予想できる。

 

大陸に出てくる前家族にはもし私が死んでも気にしないでくれ、と言っておいた。

戦場に身を置いてただで帰れると思うほど能天気ではない。私達はこれから人を殺すのだ。部下も、敵も。

 

…気づいたら空模様が悪くなり始めている。近いうちに雨が降り始めるだろう。

予定よりも早めに野営の準備をするか、と考え口を開き部下に伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想以上に雨が強い。やはり判断は正しかったようだ、と轟々と音を鳴らしながら大粒の雨が地面を打ちつける光景を見ながらそう考える。

当然のことながら視界がすこぶる悪い。雨音以外はほとんど聞こえない。こんな時に奇襲を仕掛けられたらひとたまりも無いだろう。

 

念のため兵を密集させ不測の事態に備えさせておいた。一人一人の練度は高いためそうそう壊滅はしないと信じたいが果たしてそうなったらどうなることやら。

とりあえず何事もないように神に祈っておいた。信仰というのは気持ちを落ち着かせるのに本当に便利だ。

 

────しかしながら悪い予感というものはよく当たるようで、その時はすぐにやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────指揮権は今から君のものだ!だが私は死なん!必ず戻ってくる!」

 

1人の部下にそう叫ぶ。雨音で声が届くか不安だったが、彼の反応を見る限り聴こえているようでひとまずよかった。

それだけ確認したらすぐさま馬を走らせ追いかけてくる者たちから距離をとる。

歩兵だけならよかったが、馬に乗っている者もしばしば見受けられたため撒くのはそれなりに骨が折れた。

 

私達を襲った集団の正体は脱走兵か、野盗かそこら辺だろう。認識した限りでは数十ほどの規模。

フランス貴族の率いる軍隊の数ではなかった。もしくは軍の斥候か別動隊か。

 

雨で視界が悪かったのと、兵を密集させていたことで私たちの数が少ないと踏んだから奇襲を行ったのだろう。

しかしながら数は圧倒的に私たちの方が上。当初は圧されたものの反撃に出るまでそう時間はかからなかった。

 

…振り返りはここまでにして、まずは生き残ることを考えなければ。

馬を駆けさせながら右脇腹に片手を当てる。

 

(…かなり痛いな、この傷は)

 

先程の戦闘で一発攻撃を受けた。そして生まれたのはこの傷口だ。

すぐに命に関わる、という訳では無さそうだがこのまま何もしなければ失血で死ぬだろう。傷口を焼いて塞ぎたいが天気はこの大雨だ。火など起こせない。

 

どこかに農村か、雨に当たらない洞窟でもあれば───

 

そんなことを考えながら、どれほどの時間を走っただろうか。

認知できる範囲が大変狭いこの状況では方向感覚がおかしくなり、現在地が分からなくなる。少なくとも十数キロは走ったような感覚だ。

その時、いきなりふわっとした浮遊感に襲われた。

 

(───っ⁉︎)

 

一瞬混乱するも、これが何なのかすぐに理解した。

 

落下したのだ。恐らく崖だろう。踏み外してしまったのか。

やってしまったと気づくももう遅い。体を襲う幾つもの衝撃に悶絶し、馬の断末魔を聴いた。

 

「がっ…‼︎」

 

もう自分にできることはない。死なないように心の中で祈る。

少し経ったら、衝撃はぴたりと止まった。

 

(なんとか…生きてはいる、のか…?)

 

目を開けると、ぼんやりと光が見える。

集落があるのだろうか。全身の痛みを堪えながら足を引き摺るようにして光に向かって歩き出す。

 

(ああ…頭がぼうっとしてきた…)

 

血を失いすぎたのだろう。まずい。そろそろ傷を焼かなければ本当に死ぬ。

光のもとまで歩くと、やはりそこには農村があった。私が着ていた服はもう脱ぎ捨てているから、軍の関係者だとは分からないだろう。村人達には遭難者とでも言おうか。

 

ふらふらとしながら一つの家の前まで歩くと、扉を叩く。

暫くしたら一人の男性が出てきた。

 

「…夜中に突然すまない。火を貸してもらえないだろうか?」

 

男性が私をギョッとした目で見た。

その目からは恐怖の感情が読み取れ、なんだか震えている。

 

…あぁ、私としたことがうっかりしていた。

土砂降りの中血だらけの男が訪ねてきたら誰でも怖いだろう、と今更気づいた。やはり頭が働いていないのか。

この人には悪いことをしたな。

 

「……すまない……怪しいものでは無い…の…だ」

 

そこまで口にしたところで私の視界はかすみ、体に力が入らなくなる。

 

そのまま前方に倒れ込み私は気を失った。

 

 

 

 




見てくださりありがとうございました。


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第二話

誤字報告、評価、ブクマ登録して下さった方々、本当にありがとうございます。
こんな作品でも楽しんで頂けたのであれば幸いです。


私が窮屈さを感じながら己の体を見渡すと、そこには縄で縛られている私の体がある。全く動けない。

 

あの後傷を家主に焼いてもらい止血して一命を取り留めたのだが、流石に見知らぬ不審者を野放しにして置くことはしないらしい。まぁ、完全に原因は私にあるので当たり前である。

現在村長と村の大人達で私をどうするかの話し合いをしているらしい。これまでの経緯はこんなものか。

 

そして私は現在この村で最初に会った男性の家にいるのだが、有難いことに暇ではない。

その理由は私の体を襲う激痛と、縛られて動けない私の前にいる───

 

「おい、お前この村に来た時血だらけだったんだろ?よく生きてたな!」

「ねぇ、あなたの持ち物にあったこのお菓子貰って良い?」

「じゃあ俺はこの高そうな靴がいい!」

「僕はこの剣!」

 

────十数人の少年少女だ。

 

彼らにとっては外からの人間が珍しいらしく、この村の子供達が多く集まってきていた。激痛の方は身体の骨が折れているのだろう。呼吸する度に痛みが走る。

 

そして私の荷物を漁ってはコロコロと変えるその表情が面白い。

…それと同時に、私は彼らの父親を軍を率いて殺すのかもしれないと考えてしまい、なんとも言えない気持ちになる。

 

「…剣は危ないから駄目だ。だが…そっちの袋にあるものなら別に良い」

 

そう言うと子供達は袋に殺到し、誰がどれを貰うのだという話し合いを始めだした。やはり平和だ。

私の荷物袋にはちょっとした菓子だったり、娯楽品のみなのであげたって構わない。

下らぬしがらみの無い理想郷は此処に有ったか。

 

「───あの、この十字架貰っても良い?」

 

声をかけられた方を見ると、そこには天真爛漫な印象を抱かせる金髪の少女がいた。

この子の印象は信心深い子、といったところだ。事実ロザリオを欲しがっている。

名前は確か────

 

 

「────あぁ、良いぞ。ジャネット」

「本当⁉︎ありがとう!」

 

それとこれは先程知ったことなのだが、この村はドンレミという名の村らしい。

そして先程の少女ジャネットの家はこの村の中心的存在であり、家名は“ダルク”なのだとか。

 

私の記憶が正しければ、イングランドが百年戦争に敗れた原因の一つに神託を受けた“聖女”ジャンヌ・ダルクの活躍があったはずだ。

そして“ジャンヌ”は洗礼名であり、本名が“ジャネット”であるということも聞いたことがある。彼女の出身は“ドンレミ村”。

 

…このジャネットなる少女がかの聖女とは別人だと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

私がこの村にたどり着いて四ヶ月以上が経つ。

私はあれから数日かけて村の者に危害を加えることはないと判断され、晴れて縄を解かれた。殺されるような事態に陥らなかったのは本当に良かったと思う。

あの後私と子供達の間には一つの友情のようなものが芽生えており、彼らは大人達に私は無害だと説いて回ってくれていたということを知った。本当に感謝してもしきれない。

 

私の傷は思ったよりも深刻で、腹の傷はもちろんのこと身体中の骨も折れていたことが判明。青紫に変色した患部を見て恩人である男性は『どうしたその傷!』と叫んでいた。

結局痛み無しに歩けるようになるまで四ヶ月もかかってしまったが仕方ない。

 

もし私が無傷ですぐに動けたのならば軍に合流するために四ヶ月前にこの村を出て行っただろうが、当時は激痛でそれどころではなかった。

そんなこんなで時間は過ぎて行き、私の軍の行方は全く判らなくなってしまったため今もこの村にいる。

フランスは広い。そんな広大な土地をひたすらしらみ潰しに探すことは不可能と言って良い。なので機会が訪れるまでこの村で素性を隠し生活することにした。

この時代の情報網はかなり貧弱だ。軍隊や栄えている地域ならば例外であるが、この土地のような田舎では一生生まれの村から出ない人間も少なくない。

毎日私の軍の情報を集めようとしてはいるものの限界はあるのだ。

 

私は現在、私の傷を焼いてくれた命の恩人の家に泊めてもらっているのだが、その対価として彼の畑で働いている。

彼は30を越えた男性で、現在一人暮らしだ。かつては妻と二人の息子がいたらしいが、今はいない。

…このことを詮索するのは野暮というものだろう。

 

そして現在は日課である祈りを捧げるため、教会に向かっている途中である。

昼前に畑仕事を終え今はもうやることは無いので祈る時間はたっぷりある。教会の扉を開くと、そこには先客がいた。

 

「…ジャネットか。熱心だな」

「あっ!やっぱりここにきたんだ」

 

彼女とは教会でよく会う。その度に話しているので分かったのだが、やはり彼女の信心深さはかなりのものだ。『神のために殉ずる』くらいは余裕で言い出しそうな程と言えば分かるだろうか。

そして私があげたロザリオはお気に入りのようで、ピカピカに磨かれて首に掛けられている。

 

「そのロザリオ、大事にしてくれているようで何よりだ」

「うん、姉さんと一緒に磨いたんだ」

 

姉さん…カトリーヌさんのことだろうか。仲睦まじい姉妹なようで何よりである。

 

そんな世話話をしながら設置されている長椅子に座り、手を組んで祈り始めるとジャネットも同様に祈り始めた。

教会の中には心地の良い沈黙が流れ、無心で祈ることができる。やはり信仰というものは良いものだ。

 

 

 

 

祈り終わった後、再びジャネットと会話をする。というのも、今私には聞きたいことがあるのだ。

 

「ジャネット、君は今幾つだ?」

 

私の記憶ではジャンヌ・ダルクが啓示を受けたのは12か13だったはず。もし彼女が後の聖女であり、その年齢を越していれば既に啓示を受けている可能性がある。

歴史が正しければジャンヌ・ダルクは確実にイングランド軍を追い詰めるのだろう。だから前もって殺そう、とはならないが、説得して戦場に出てくるのを防ぐくらいは考えなければいけない。

しかし、本当に神の声など聞こえるのか、と疑っている自分がいる。いくらこの時代でもそんな事はあり得ないだろうと。

 

「今14歳だよ」

「…そうか、ではもう一つ質問しよう。最近何か不思議なことが起きてはいないか?例えば変な声が聞こえた、とか」

 

既にジャネットは14歳らしいので啓示とやらを受けている可能性はあるが、果たして。

 

「えっ⁉︎そんなことないよ!」

 

強い口調でそう答えるジャネットであるが、すごく汗をかいているのは気のせいだろうか。いや、気のせいなどでは断じて無い。

この反応を私は知っている。領内で税をちょろまかした者を問い詰めている時と全く一緒だ。

 

「…どうやら汗をかいているようだが、どうした?」

「いや、あの…暑いの!すごく!」

 

彼女が思いっきり焦っているのが分かる。そして用事を思い出した、と言って足早に去っていったジャネット。

教会には再び沈黙が流れている。

 

…どうやら限りなく黒に近いようだ。

彼女には本当に“神の声”が聞こえているというのだろうか?

ブリテンにいた時、ジャンヌ・ダルクは精神疾患であったのではないか、というかなり失礼な仮定を立てたりしていたのだが、彼女の様子を見る限りそんな様子はしていない。

これから詳しく確かめていく必要がありそうだ。

 

それに、ジャネットは村の皆から愛されている少女だということもこの二ヶ月で分かった。

戦場に身を置き、悲惨な最期を遂げて良い人間では決してないということも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

さて、私がドンレミ村にたどり着いてもう半年が経った。

早く部下の元に戻らなくてはいけないことは分かっているのだが、肝心の彼らの場所はさっぱりだし、このまま徒歩で村を出て行っても途中で野盗などに遭遇した際に逃げ切れるとは限らない。

欲を言えば足として馬を購入したいのだが、馬は高価である。この村に部下の軍が訪れでもしたらその必要は無いが、その望みは低いだろう。

なのでもし可能ならば金を貯め馬を買い、近くに私の軍が来るなどの機が来たらこの村から出ることが当面の目標だ。

 

この半年村人達とは良い関係を築くことが出来ている。

男衆とは肩を組みながら酒を飲むこともしばしばあり、毎日優雅さを求められていた実家ではできなかったことであるため中々に楽しい。

女性達には洒落た刺繍を教えたりしていたら親睦を深めることができた。

 

朝早く起きて神に祈り、畑に向かう。仕事を終えたらまた祈り、その後馬の購入資金を集めるために別の仕事をする。そして余った時間は村人と交流するか、更に働くかして過ごすという生活だ。

 

片田舎の農村ということもあり、のどかな時間が過ぎていく。

この村も例外なく度々戦火に晒されているらしいが、村人達は日々を精一杯生きようとしておりその姿は美しさまで感じる。

 

そんな村で私は歩いていた。

昼前に仕事を終えてしまい特にやることがないため、助けが必要な人はいないか現在見てまわっている。

いつもならばすぐに畑仕事やら何やらの助っ人としてきてくれ、という人がいるのだが今日は皆それなりに余裕があるのか声をかけられることはない。

 

ならば警備の手伝いでもしようか、と思ったその時

 

────この村にも戦争の魔の手が迫ってきた。

 

「敵襲だ!女子供は逃げろぉ‼︎」

 

そんな野太い声が村に響く。

周囲の子供達は親に手を引かれて村の奥に避難しているのだが、そんな中で一人の少女が村の入り口に向かって走っているのが見えた。

金髪を揺らしながら走っているその少女は───

 

「ジャネット!止まれ!」

 

────私のよく知る、信心深い少女だった。

 

彼女の手を掴み、足を止めさせる。

何故こんな時に村の外に向かっているのか。すぐに皆と共に避難しろ、と言うと目を潤ませていることに気づいた。

 

「姉さんが…外にまだ姉さんが…」

 

あぁ、そう言うことか。家族なら心配でたまらないのは当然だ。

 

「…私が行くから君は戻りなさい」

 

そう言い、近くにいた大人を呼びジャネットを連れて行かせる。

もしこのまま彼女を外に行かせればジャンヌ・ダルクの活躍でイングランドの優位が覆える未来は無くなるだろう。

だが、そこまでの鬼畜に私はなれていないし、なりたいとも思わない。

 

腰に吊るした剣は十分研いである。

今から来るのが同じイングランド人だとしても関係ない。罪なき村を襲うような連中である時点で私が剣を向ける理由になり得る。

 

私は村の外に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野に斃れている男達の死骸を見ながら、私は剣を振り血を飛ばしてから鞘に収める。彼らの中に生者はもういない。

私は村の自警団に参加し、剣を振るった。斬った中には見知った顔はいなかったので、私の軍ではなかったことのみは確認できた。

 

ドンレミ村の住人には怪我人こそ出たものの、死人は一人も出なかったらしい。大変喜ばしい事実である。

戦闘に参加した何人かの男と話しながら村の中に戻ると、入り口近くで少女の泣き声が聴こえてきた。

 

そちらを向くと、ジャネットと姉のカトリーヌさんが抱き合って泣いている。

互いの無事に喜び合う彼女らの姿は大変心にくるものがあり、それを見ている大人達の何人かは泣いているほどだ。

 

あの後イングランド兵の手にかかる前になんとか助け出すことができたのは幸運だった。

 

村の中は戦いに出た男達の無事を祝う声で溢れており、ちょっとした祭りのような雰囲気さえ感じられる。

そんな村の中を私は歩き、恩人の家への帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、おかえり」

 

恩人の家に入ると、何やら野菜を煮込んだような匂いが鼻をくすぐる。どうやら夕餉の準備ができているようだ。今日は疲れたのでありがたい。

 

鍋から碗にに食事をよそう彼を横目に私は剣の血脂を拭き取るなど細かいことを片付けていく。

ちなみに私は居候の身ということで、様々なことを私と彼で日替わりでしているのだが、料理もその内の一つである。

 

碗によそわれたものは色々な野菜と少しの麦を煮込んだ粥のような料理であり、味付けなどは適当だ。

いわゆる男の料理というものはどこの国も同じなようで、見た目はあまり良くはない。ちなみに私も同じようなものであると言っておこう。

 

椅子に座ると、食べる前に手を組み祈りを捧げる。これも私の習慣だ。

食事を食べ始めると、恩人は家の奥から酒を持ってきた。彼とはこうしてたまに飲む仲でもあるので、なんら不思議ではない。

 

彼は二人分の酒を杯に注ぐと片方を私に手渡しした。

ありがとう、と礼を言い一口飲むと鼻にツンとした刺激が伝わる。安い火酒だがこれはこれで酔うのにはちょうど良く、味もそれなりに良い。

 

食事と酒を交互に口に口に運んでいると、彼はふと口を開けた。

 

「───なぁ、お前カトリーヌちゃんのこと助けたんだってな」

 

確かに私は彼女を助けた。なので先程の問いに対して頷くことで答える。

 

「イングランドの野郎共のところに一人で突っ込んだんだろ?警備の奴らが言ってたよ」

 

あれは今思い返すと無謀だったと思わなくもないが、あの時私が時間をかけてしまっていたら彼女は兵士達の手にかかっていた。ならばいち早く向かうのは当たり前だ。

姉があの兵士達に汚されたとなれば私の友人の笑顔も曇ることだろう。そんな結果は好ましくない。

 

「お前は凄いよ。俺にお前みたいな力があればあの時は…」

 

饒舌になりつつ恩人の顔を見ると、大分赤くなっている。酒を口に運ぶ頻度も上がっているようだ。

これ以上は明日に響くだろう。そろそろ止めさせるか。

 

「おい、そろそろ止めた方が───」

「…別に良いだろう。今日ぐらい。それよりお前は見たか?あの姉妹の笑顔を?」

 

いきなり悲しみを含んだような声色になった恩人は私の目を見て訴えてくる。

彼の発言は止まらない。

 

「俺には十にも満たない子供がいた!幼馴染の妻も!」

 

その声の強さに思わず怯んでしまう。大分酒が回ってきたらしい。その目には涙が潤んでいて、悲痛な表情を浮かべている。

 

「だが5年前に死んだ!殺したのはイングランド人だ!俺は何も出来ずに、ただ逃げることしかっ‼︎」

 

その言葉は家族を喪ったことへの悲しみか。はたまた私達イングランド人への恨みか。

私はその剣幕に飲まれ言葉を発することが‘出来ない。

 

「俺たちが何をしたっ⁉︎恨まれるようなことをしたのか⁉︎あいつらは悪魔だ‼︎人間じゃない‼︎!」

「───…そうか」

 

そのまま泣き崩れる恩人。

私が無言で彼の背中をさすってしばらくすると彼は落ち着きを取り戻し、こちらを向く。

 

「…すまない。取り乱した」

 

そう言ってゆっくりと寝室に向かって歩く恩人。今日はもう寝る、と言い残して家の奥へ彼は姿を消した。

部屋に流れる静寂。私は無言のまま食卓を片付けると何をするでもなく、椅子に腰掛ける。

 

同居人の過去に、戦争の犠牲となった人々の話。

その事実を改めて認識し心の中に浮かんだのはかつてこの村を襲ったイングランド人達への怒りもあるが、それだけでは無い。

フランスの農村で偽名を使い上っ面を貼り付けて生活し、あくまで彼らにとって“良い人”で在ろうとする私自身へのなんとも言えない負の感情。

 

私がブリテンから大陸に渡ったのは軍を指揮し、イングランドに加勢するためだ。

だが私は孤立してしまい、命からがらこの村に助けられた。そして過ごすこともう半年。もうすっかり村人達と打ち解けて、友と呼べる者も少なくはない。

 

今はまだ帰還できる目処は立っていないがいずれは軍を指揮しフランスの軍と戦う人間である。

もしかしたら友と呼び合う者をこの手で殺すことになるかもしれない。

 

まるで詐欺師だ。いや、もっとタチは悪いだろう。

分かっていた筈なのに、いざその時になればこのザマだ。

 

(このままでは駄目だな…外の風にでも当たるか…)

 

一旦心を落ち着かせるため、外に出ようと扉を開ける。

今はもう冬になろうかという季節であり、夜という時間帯も相まってなかなかに寒い。

 

空は星と月がとても綺麗で、絵に描いたらさぞ映えることだろう。あとで描いてみようか。

 

誰も外に出ていない村の中を、私は一人歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ジャンヌ・ダルクの家族であるカトリーヌさんには姉説と妹説があるそうですね。
私は参考資料として映画『ジャンヌ・ダルク』を視聴した人間ですので、この作品では姉ということにしました。

見て下さってありがとうございました。


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第三話

お気に入りが結構増えてて嬉しいです


夜の村を歩いて暫く。私がたどり着いたのは村の教会だ。特筆すべき点は特に無く、どこにでもあるという印象を受ける教会。

昼間は祈る人々で溢れているこの教会もこの時間には誰もいない────筈なのだが、何やら中から灯りが見える。

こんな夜中に誰だ、と思いつつ足を踏み入れるとそこには友人である少女がいた。

 

「…ジャネットか。こんな時間に何故いる」

「───えっ⁉︎…あなたこそ何でこんな所にいるの?」

 

驚いたような顔でこちらを見るジャネット。まぁ、そうなるのも当然だろう。

もう既に一部の人間を除いて村人達は夢の中であり真夜中に教会を訪れる者がいるなど想定していなかったのは当たり前だ。

彼女の様子を見るにここで祈っていた最中なのだろう。

 

「少し、個人的に思う事があってな。祈りを捧げれば少しは楽になると思ったんだ」

 

私は自分の醜さと近い未来の自分を直視できなくなったためここに立ち寄った。いや、逃げ込んだといった方が正しいか?

 

今度は私がジャネットに尋ねる。何故こんなところにいるのだ、と。

 

「別に大したことじゃないよ。一つは、姉さんをはじめとした村の人達の無事を感謝するため。もう一つは───」

 

そこまで言ったところで少女は口を止める。知られたくないこと、もしくは言うのか悩んでいることがあるのだろうか。

そして私には、そのことに心当たりがある。

あくまでこれは恐らくだが、この少女がそう遠くない未来に運命として背負うこととなる───

 

「────神の声、とやらか?」

「…うん。誰かにずっと話すかどうか迷っていたんだけど…話、聞いてくれる?」

「私なんかにずっと迷っていた話をして良いのか?もっと適した者は他にもいるだろう」

「大丈夫だよ。あなたって口堅そうだし、姉さんを助けてくれた恩人だしね」

 

そう言って長椅子に腰掛ける少女。

ジャネットは私に、彼女の身に起きた摩訶不思議な体験の内容を語り出した。

12歳の時突如として“聖人”らが彼女の前に姿を現し、王太子シャルルを王位に就かせろ、という言葉を授けたこと。

そんな彼らの姿はこの世のものとは思えないほど美しかったということ。

 

それはそれは煌々とした表情で語る少女の表情はまるで家族の自慢話をするような、そういった誇らしさみたいなものを含んでいた。

彼女にとってそれは他とは比べものにならないほど素晴らしいものなのだろう。

 

「…やっぱり、おかしいと思う?神様の声を聴いたなんて」

 

私がどう答えるのか不安そうに見てくるジャネット。

そんな彼女に私は応える。

 

「別におかしいとは思わない。世界には、分からないことの方が多いからな」

 

はっきりと言ってしまえば嘘かその時寝ぼけていたのでは、と思ってしまっている。

だが私自身前世の記憶を持つという俄かには信じられない体験をしているからこそ彼女のが幻聴だとは言い切れない。

事実私の記憶している歴史で彼女は“神の声”を聴きフランス軍を率いたと伝えられている。

 

ここでもし『そんなことはありえない』と言い切ってしまえば彼女が戦場に出る未来がなくなるのかもしれない。

そうした場合、この戦争の結果はどうなるのだろうか?このままイングランドが優位なまま進むのか、ジャンヌ・ダルクの替わりとなる人間が現れて結局フランスの形勢が逆転するのか。

どちらにせよ歴史が変わればイングランドの敗れる可能性は低くなるだろうとは予想できる。現在フランスは確実に滅亡へ向かっているのだから。

 

「しかし、王太子の戴冠などという偉業が果たせる可能性は大変低い。そんなもの夢のまた夢だ」

 

 

戦争とは古来より男による命の取り合いであり、中には例外として男勝りの女性もいるにはいるが大変少ない。それがこの時代の常識でありこの後数百年に渡ってもそういうものである。

猪のような立派な体格を持つならばまだしも目の前にいるような華奢な少女では仲間の兵士の信頼すら勝ち取れないだろう。それこそ、何か特別な力か才能が無い限り。

そして何より私は彼女に戦場に出て欲しくないと思っている。戦場に出るということは即ち人を殺すということ。

このジャネットという少女は当然今まで殺人などしたことは無く、戦場に行くとなれば家族や村人達も黙っていないだろう。

 

だが、私には彼女に『行くな』とも『君ならやれる』とも言えない。何故なら私はフランスの敵であり、彼女の不思議な体験に口を挟む権利など無いのだから。だから私はジャネットに最後の意見を言う。

 

「私から言えることはもう無い。神の声よりも大切なのは君がどうしたいかだ」

「…うん。やっぱりそうだよね。考えを聞かせてくれてありがとう」

 

そう言って笑うジャネットだがその眼に見られる志のようなものは少しも揺らいでいない。

彼女は頑固なため予想はしていたが、どうやら神の声に従うという気持ちがありそれは揺るがないらしい。

このままいけば戦場に出ることになるのかもしれないがもう私に言えることはないだろう。

 

いくら彼女を死なせたくないからと言っても私は所詮彼女と友人というだけの部外者であり、彼女の決めた人生に文句をつける権利などない。

あとは彼女とその家族との問題だ。

 

「それじゃあ…次は私の番ね。夜中に教会に来るほどの悩みって何?私も聞いてもらったんだから、相談に乗るよ?」

 

そう言ったジャネットを見ながら、もし私がイングランドの者だと知られたらどうなるのだろうと考える。

当然村にもいられなくなるし、彼女にとっては自身の姉に手を出さんとした兵士達と同じ国の人間だ。まともに話せる日など二度と来ないだろう。

それは嫌だなと思いながら答えた。

 

「…自分の醜さに気づいてしまった、というべきだろうか?」

「えー、どうして?醜いところなんか無いじゃん。働き者で、神様にも毎日祈っているのに?」

 

私は彼女に、行動や周りからの評価についてでは無くもっと内面的なことでであると伝えた。

 

「…私にはあなたが考えているような難しいことは分からないけれど、別におかしいところはないと思うよ」

 

だって、と彼女は続いて言う。

 

「あなたは姉さんを助けてくれたじゃん。あなたが本当に悪い人なら、中身がどうとかじゃなくて動こうともしないと思うよ?」

 

それにジャネットや村の人たちは私に助けられているのだからジャネットからしてみれば私は何と言おうと悪人ではない、と。

最後にとびきりの笑顔で『難しいこと考えないで、これからもあなたの正しいと思うことをし続ければ良いんじゃない?』と言い切って締めた。

 

その言い分が清々しくて、思わず笑ってしまった。この少女の言葉には謎の説得力がある。

言葉の一つ一つが心の中にするりと入っていくような今までにない感覚。

 

────あぁ、確かにこの少女は特別だ。

 

あくまで私が今この瞬間『何となくそう思った』というだけではあるが、この少女はどこか人とは違う不思議な人間だ。

これがどこにでもいる田舎娘であれば歴史に名を残すことはないだろう。だが、この少女ならば───

 

「…?どうしたの?」

「…いや、すまない。考え事をしていた」

 

本当にこれから歴史に名を残すのかもしれない。その時にはどうか戦場で会いませんように。

 

「…ジャネット。ありがとう」

「どういたしまして」

 

おかげで胸にあったしこりが取れたような、何だかそんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

もうすぐ春になろうかという季節であるのにも関わらず雪が降っている。あれから情報収集に励んでいるものの結果は芳しくない。

それなりに積もっているため外に出ようという考えはとてもじゃないが持てないので、私は恩人の家の中で暇つぶしに刺繍をしていた。

 

馬というのは大変高価でありちょっとやそっとの金額では手にすることは不可能だ。この村にもほんの数頭いるがそれを盗むということはしたくない。というか私には出来ない。

農民が馬を買うのにどれだけ苦労すると思っている。それを考えてしまえば手なんて伸びる訳がない。

 

そういうことで馬を買うだけの金を貯めている最中なのだがその手段が大変少ないのが困りどころだ。

農作物を売るにしても売りすぎては食べる分が無くなってしまうし、第一に私の畑ではないのでほとんど儲けが出ない。

なので刺繍や薬の調合、祭りでの演奏など思いつく限りを毎日コツコツやりようやく半分ほどだ。

 

私の軍の統制が全く取れていないのであれば何かやらかす前に馬を盗んででも早急に戻る必要があるが、幸い私の部下は皆優秀であるためそのような蛮行はせずとも良かった。指揮を任せた男は私が片手で足りる歳の頃から仕えてくれ、10年以上共に鍛錬を積んだ仲であるため信頼を置いている。

傭兵中心とはいえ比較的…いや、だいぶ規律は取れているだろう。

 

以前部下の一人が『我らの軍はブリテンで最も高潔である!』と酒の席で言っていたが、実際その通りなのではないだろうか。

規範を定め、それに準じなければ処罰が下される。

正規の軍隊でさえも略奪に走ることのあるこの時代、そこまで律されている軍はそこまで多くない。

 

イングランドにいた時にはもう数年分の給与はまとめて支払っており、大陸に着いてからも定期的に報酬は支払われるはずなのでもう暫くは無秩序になることはないだろう。そう信じたい。

苦労をかけている部下達には申し訳なく思うが、士官としての技量は十分な彼らならば問題ないという信頼を置いている。

 

 

それと、ジャネットの言葉を受けて私は自分のことをもう一度見直してみた。

まず、軍を率いフランス軍と戦うことについては私がイングランドの貴族であるため仕方ない。そしてフランスの農村で自らを偽り住人達と良い関係を築いている現状についても私と彼らは友であり互いに害は出ていないのだから別に良いではないか、と割り切って考えることができた。

 

もしかしたら戦場にてジャネットや村の男と戦うことになるのかもしれないが、それはこの世界で生き残るために仕方のないことだ。

彼らの国を想う気持ちは本物だがそれは私も同様である。祖国を愛し民を大切に思っている。その気持ちに偽りはない。

 

仕方ない。本当に仕方のないだけなのだ。

 

この村でそれなりに長い間生活し、住人達とは親しくなった。この村での生活にも慣れた。このままこの村でのんびりと過ごすのは悪くはないと思っている自分がいるのも事実。

だがそれでは駄目なのだ。私には父より承った使命がある。家族や領民を理不尽から守りたいという夢がある。

そのためには彼らを裏切る必要があるのだ。

 

以前までの私ならば罪悪感に打ちひしがれていたかもしれないが今は違う。

“私の正しいと思うこと”は祖国、家族、そして領地に暮らす民のために戦うことだ。ジャネットには申し訳ないが、この想いは彼女の言葉でより一層強くなった。

 

まだ十代半ばの少女に背中を押されたと言えば貴族としての尊厳もクソもないが、私はハナよりそんなものは持ち合わせていない。

 

そんな数ヶ月前のことに思いを巡らせていると部屋の扉が開き同居人の恩人が部屋に入ってくる。

彼は寒さに身体を震わせながら身体に付着した雪をはたいていた。

そんな彼の背後からは十名ほどの見知った顔が現れる。皆私がこの村で親しくなった者たちであり友と呼び合う仲だ。様々な年齢の者がいる。

 

「こんな天気だから、皆お前の話でも聞きたいって言ってな。連れてきたんだ」

「そうか」

 

私は度々彼らに様々な物語を語る。

騎士の戦いやロマンスといったありふれた話から、以前家にいた時書物で見た過去の英雄達の冒険譚。それらは大変人気があり、友人達は興味津々といった様子で耳を傾けてくれるのが大変嬉しい。

 

私は実家にいた際貴族として様々な特技を身につけた。生き残るためには、それらは時に武器になり得る。

演奏や語り部としての技術もその中の一つだ。これらを習っていた日は、友──それもフランス人の友人達に披露する日が来るとは夢にも思わなかった。

やはり人生何が起こるか分からない。

 

こんな狭い部屋に十人も人間がいれば大変窮屈であり息苦しさを感じるのだが外が大変寒い今日みたいな日ではこれくらいが丁度良いかもしれない。そう考えていると再度扉が開く。

 

入ってきたのは見知った友人の一人である、金髪の少女。

 

「まだ話始まってない?」

「まだだ」

「本当?急いできて良かった!」

 

そう言った少女は息を切らしており、ここまで走ってきたことが窺える。確かここと彼女の家はそれなりに離れていたはずなので疲れるのも無理もないだろう。

 

「こんな寒い中、無理して来なくても良いだろうに」

「だってあなたの話面白いんだもん!こんな天気じゃ外でできることも無いしね」

 

そう言って笑う少女。その笑顔は大変眩しい。

ここまで楽しみにしてもらっているとこちらとしても冥利に尽きる。俄然やる気が出るものだ。

 

「…集まったようなので始めよう。今日の物語は────」

 

そう言って聴衆の顔を見渡してみると、皆が笑顔だ。

その表情に戦争の最中だという悲壮さは無い。皆、前を向いて今を生きているのだろう。

 

願わくばこの人達が理不尽に虐げられないように、と内心神に祈る。

 

それと同時に、この村を出たらもう私は彼らと会うことはないだろう。ならばこの時間くらい仮面を貼り付けて接しても許してくれ、と心の中で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある春の暖かかった日の夕方、私は一人の友人と教会で別れ帰路についた。

その友人とは一年と少し前にこの村に来た若い男の人で、熱心な信者ということもあり私と大変話の合う人のことだ。

 

この村に来る前は街で商人の元で弟子として働いていたらしく、教養があり立ち振舞いには何処か上品さを感じる気さくな人。

そして姉さんの命を助けてくれた恩人でもあり、私の神の声が聞こえたという話を信じてくれた人でもある。

 

いくら友達だとしても笑われたり信じてもらえないのではないかと思っていたけど、どうしても誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。

そこであの人に話したのだけど、眉唾だと一蹴せず目を見て話を聞いてくれたことが嬉しかった。

 

あの後も度々不思議な声は聞こえており、その度に授けられた言葉の中から知らない人名や単語を教えて貰っている。

その際に簡単な文字の読み方だったり書き方も教えてもらったおかげで少しはできるようになった。

勉強はあまりしたくなかったけど、『聖書が読めるようになるんだぞ?』というあの人の言葉でやる気は一転、十分だ。

 

今日も教会で祈っていたら案の定あの人も来て、一緒に話したりしたらこんな時間になってしまった。

急いで家に帰らないとお父さんに怒られるので小走りでいると、ふと違和感を感じる。そしてこの感覚は─────

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議な力に引っ張られるようにして森の中を進んでいると開けた場所に出る。

この不思議な感覚は今までにも幾度となく体感したものであり私が彼らと話すことの出来る直前に現れるものだ。

 

切り株に腰を下ろし彼らが現れるのを待っているとその時はやってきた。

 

光と共に現れたのは“美しい”としか表現できない三人の人達。私は十二歳の時に初めて彼らと会い、今も度々私の前に現れては少しの時間話をする。

 

王太子を戴冠させろ、だとかイングランドを叩き潰せ、といった話を私にしてくる彼ら。

私も目の前で姉さんを喪うところだったし、彼らから戦争で苦しむ人達の話を聴かされているのでフランスを守るためにこの身を捧げるのだ、と決意している。

 

今回もそんなことを私に言ってくるのだと思っていたのだが今回は違った。

 

────少女、この村に住み着いたあの男の正体を知っているか?

 

そう言われ混乱する。

あの男とは私の友人のことを言っているのだろう。いきなりあの人の正体だとか言われて驚いてしまった。

 

────あの男は、お前達が憎むイングランド人だ。

 

その後あの人の本名から出自、この村に来た経緯を私に言い聞かせる彼ら。一年以上一緒の村で暮らしていたのに全く気づかなかったその事実にただただ驚く。

 

────別に手を下せと言っているのでは無い。害が無い間は別に良いのだが、出てからでは遅いだろう。

 

その後、彼らはいつもの様に私に知識などの様々なことを教えてくれた。いつもならありがたく聴いているのだが今はそれどころではない。

彼らが消えた後もあの人の正体を知ったことで混乱し頭が真っ白になって、その場に座り込んでいると足音が聞こえる。段々とそれは近づいてきて────

 

「…こんな所で何をしている」

「あっ…」

 

現れたのは先程まで話題の渦中にいた男の人。

心配そうな顔をしてこちらに近づいてくる。上を見ればもう月が出ていることから、大分時間が経っているのだろう。

 

「君が帰って来ないとダルクさんが言っていてな。村の男衆で探していた。…それで、何があった?」

「…うん、大丈夫。寝ていただけだよ」

「いや、しかし…」

 

心配そうに顔を覗き込んでいる彼。そんなに心配されるなんて、今の私はどんな顔をしているのだろうか?

帰った時皆に心配をかけないように表情を直さなくては。両掌で顔を叩く。ジンジンとして痛いがこれで大丈夫だろう。

彼に顔を向け心配させないように笑いかける。

 

「ねっ、大丈夫でしょ?」

「…本当なんだな?」

「もちろん!」

 

そう言って、私の家に向かって二人で歩く。

道中、私は彼に質問する。流石に『あなたはイングランド人なの?』と聞く勇気は無いが。

 

「あなたは…私達に何か隠し事とか…してる?」

 

そうだ、と答えるはずは無いのに何と返答がくるのかドキドキしてしまう。

無い、と平気な顔で言われるのも嘘をつかれているということだから嫌だなとは思うが。

 

「別にそんなもの、誰にでもあるだろう。無いことが美徳とされてはいるが…あったとしても別に悪くないと私は思う」

「…そっか」

 

そう言って再び歩き始める私達。少し経った時思い立ったように口を開いた彼。

何だろう、と思って耳を傾ける。

 

「君が無事だったのは良かったことだがいなくなった原因が寝ていた、というのは…ダルクさんから怒られるのではないか?」

 

時間的に夕飯も食わせてもらえるかどうか分からないぞ、と言う彼。

その言葉にさあっと顔の血が引くのが分かる。怒られるのはまだ良いが夕飯が食べられないのならば話は別。

私はもうお腹ぺこぺこだ。食べなければ、ぐっすり眠ることも出来ない。

 

「…言い訳を!言い訳を一緒に考えて!お願い!」

 

その言葉に苦笑いする彼。

そんなやり取りをして少し経ち家までたどり着いた。それじゃあ、と言って家に帰る彼に手を振りありがとうと言うと入り口の扉に手にかける。

 

そんな時、ふと思った。

あの人がイングランドの人だと知った時大変ショックを受けはしたものの別に嫌いにはならなかった。

先程までのやり取りは何らいつもと変わらないものである。そんな事実を改めて認識し嬉しくなった。

 

これからも変わらず友達でいられるのかな、と。

そんなことを考えながら家に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、お父さんからたくさん叱られたことは言うまでも無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




実際のところ啓示ってどんな感じなのでしょうかね?

見て下さってありがとうございました


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第四話

なんかこの小説が日間ランキングに載ってました。読んでくれて感謝です。


「───クリスマスの日に演奏、だと?」

「うん。みんなの前でお願いできないかなって」

 

一年の終わりがすぐそこまで見えてきたその日、私はジャネットからクリスマスに村の皆の前で曲の演奏をしてほしい、と言われた。

クリスマスといえばキリスト教徒にとっては重要な日。私もブリテンにいた時は城下が賑わうので楽しみにしていたものだ。

まだいくらか調子の良かった兄の手をひいて、様々な出店に足を運んだ日のことが思い出せる。今頃あの人はどうしているだろうか。

 

そんな特別な日はこの村も例外では無く、去年のクリスマスでは老若男女様々な人達が笑顔になっていた。

そんなクリスマスに私が曲を披露する、と。私は度々友の前で演奏しているが、それは酒の席や悪天候の日に余興、及び時間潰しにしているに過ぎず村人全員の前でやるなどということは当然していない。

 

「しかし…なぜ私が?」

「だって凄く上手じゃん。皆も同じ様に言ってたよ」

 

私がお父さんに教えたんだ、と笑うジャネット。なるほど、私が演奏することになったのはこの子が原因か。

私としてはクリスマスは教会に入り浸って祈る予定だったのだが、そういう理由なら仕方あるまい。

 

「…そう言うことならば。期待に添えるかは分からないが、やってみよう」

「本当?やった!楽しみにしておくね!」

「言っておくが、期待はするなよ」

 

お父さんに言ってくる、と言い家の方向に向かい走っていくジャネット。

そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、私も恩人の家に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恩人の家に帰るや否や私は家主に先程のことを話したのだが、彼は何やら嬉しそうな顔で倉庫から一つの箱を取り出し私の前に持ってきた。

木で作られたどこか高級感を漂わせる箱だ。彼が蓋を開けるとそこには一着の服がある。

 

「…これは?」

 

その服はかなり高価なものだと予想できる一着で、少なくとも彼が着ているところは見たことない。

彼のものであることは分かるがそれ以外はさっぱりだ。

 

「これはな、俺の昔のものだ。まだ家族がいた時には行事の時とかに着ていたんだぞ」

 

もう着る機会は無いがな、と言って笑う彼。

そしてこの服は彼が妻と結ばれた際にお祝いとして贈られたものなのだとか。

 

私の体に服を合わせながら彼は言う。

 

「サイズは…丁度良いな。どうだ、中々良い品だろう?」

「それでこれを、どうするつもりだ」

「クリスマスの日、これを貸してやる。少しは洒落た服装にした方が良いだろう」

 

私がこの村に来た時には剣と少しの荷物しか持っていなかったので当然行事の際に着る服など持っていない。なのでこの提案は嬉しいのだが…

 

「…良いのか?大切なものなのだろう」

 

彼の話によるとこれは家族との思い出の詰まった大切な品。それを私のようなよそ者に貸してしまって良いのだろうか。

私は彼に確認する。

 

「良いんだよ。何年も使われていなかったんだ。俺はもう着る予定は無いしな」

「そう言うことならば…ありがたく使わせて頂こう」

 

こういった形での善意は、嬉しいものだ。

この村に来たときは服装を正して人前に出るなど想像していなかったな、と考える。

 

「ありがとう。すまないが、こんな言葉しか思い当たらない」

「良いんだよ。それよりも、服装を整えたら…次は分かるよな?」

「…?」

「髪型だよ、髪型!おーい、ジャネットちゃん。あとは任せたぞ!」

 

そう言って窓に向けて声を出す恩人。すると扉が勢いよく開き友人の少女が入ってくる。

 

「任せておじさん!」

「…おい。どういうことだ」

 

ジャネットの後ろを見てみれば背後には他の友人らも数名いる。これから何が起こるのかを楽しみにしていそうな顔で笑っていた。

なるほど、彼らと恩人は繋がっていたらしい。

 

「あなたはいっつも仕事ばかりしているから、たまには息抜きしないとダメだよ!」

 

だからクリスマスの日のお洒落は私に任せて、と言うジャネット。

その手には整髪料だろうか。木製の容器を持っている。他の友人たちの手にも櫛やら何やらがあり、同様に私に近づいてきた。

 

予想外のことだったが、友人が私のために何かをしてくれると言うのはこんなにも嬉しいことだっただろうか。

私は彼らにもありがとう、と言う。

 

「どういたしまして!」

 

そう言って微笑むジャネット。その笑顔はやはり眩しい。

 

────こう言うのも悪くないな

 

そう思い私は彼らに身を任せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後恩人の家には私の髪の毛を見て笑う、ジャネットをはじめとした友の笑い声が響いていた。

私は頬をひきつかせながら彼らに質問する。

 

「おい…もしかしてだが、遊んで無いよな?ジャネット」

「そんなことしていないよ!」

 

そう言うジャネットだがすぐに後ろを振り向いて吹き出すような仕草をし、体を震わせている。

その時、友人の一人がニヤニヤしながら私に手鏡を渡してきた。それを覗き込むと

 

「……」

 

私の髪型は一本の針葉樹の様な、そんな形になっていた。

そんな私の様子を見て皆は更に笑う。私がブリテンにいた頃は、毎日が優雅さを求められる中での生活だったため友とのこのような馬鹿騒ぎに憧れていたことをふと思い出した。

そんなことを思い出しながら目の前の友数人を見る。

皆笑顔で、この時間を楽しんでいる彼らを見ていると何だか私もおかしくなってきた。そして私もつられて笑う。

 

───こういうのも、悪くない

 

こんなに笑ったのは、いつぶりだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、クリスマスの演奏は大盛況だった、とだけ言っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスも過ぎ数ヶ月が経った。

冬から春に移ろい生物たちが活動を始める季節。そんなある日、私はとある情報を手に入れる事になる。

 

───脱走兵に襲われた村を助けたイングランド人の軍がある、と

 

その一軍は抵抗する力の無い村を襲う兵を蹴散らし、その無防備な村を目の前にしても略奪する素ぶりを全く見せなかった、とも。その軍は紫色で、一角獣が描かれた旗を掲げていたらしい。

 

そして当然イングランドの軍から抗議が出るのだが、その際こう言ったらしい。『これは我らが主人の御意志だ』と。

 

その情報を行商人から得た私は確信した。間違いなく私の軍だと。

 

一角獣を描いた紫の旗は私の家以外記憶になく、抵抗する力のない村を前に何もしないなど私の軍しかあり得ない。私はその行商人からその一団の位置を聞いた。

場所は、かなり離れてはいるが無理な距離ではない。急いで村を出て馬を駆けさせれば彼らが移動していたとしても何とか間に合うだろう。

 

この村で滞在した二年間のお礼として配るために、行商人から幾らかの商品を買った。そしてそれとは別に金を包んで渡した後耳打ちをして、私と話を合わせろとも伝えた。

 

彼は何やら怯えた顔で了承している。どうやら千載一遇の機を前にして無意識に表情が強張ってしまっていたようだ。

彼には悪いことをしたと思うが、話を合わせたことが広まるのは困る。ならばこれくらいで良いかもしれない。

 

その後すぐに家に戻り荷物をまとめる。同居人の恩人には明日にでも村を出ると伝えた。

彼は急な事に驚いていたが、『先程の商人から教えて貰い、戦争で行方知らずだった両親の居場所が分かった』と伝えたら納得したようだ。

命の恩人にまで嘘をついた事には流石に心が痛んだが、今に始まった事ではない。心の中ですまない、と言い顔には出さぬよう気を張った。嘘はバレないだろう。

 

その後も村の友人や知り合いに急なことだが村を出る旨を伝え回った。

見送りにちょっとした酒の席でも用意するか、と言ってくれた友がいたが、生憎急いでいるためそんな時間はない。気持ちだけ受け取る、と返して断った。

 

そんなこんなで村における全ての用事が片付いた時には、もう月が出ていた。

思ったより時間がかかったがこれで明日には出発できるだろう。

 

そうやって一息ついた日の夜。

同居人の恩人と最後に酒を一杯だけ飲み交わし、彼は私に『死ぬなよ』と言い残し寝た。

 

そんな彼を家に残し私はドンレミの村を歩き回る。

私がこの村に運良くたどり着いて約2年。この村が無ければ私は死んでいた訳であるため恩人をはじめとした住人たちには感謝している。そして、この村での生活は素晴らしいものであった。

 

多くの友が出来て、かけがえの無い日々を彼らと過ごした。

私はこれから彼らと会うことはないだろう。悲しいが、私はもとよりこの村に紛れ込んだ異物でしかない。私がいなくとも何ら問題はないのだ。

 

ただ、願わくば彼らと戦場で遭遇しないことを祈る。友を手にかけるのは、出来ることならばしたくない。

 

そんな想いを抱きながら歩いていた私がたどり着いたのはいつもの教会だ。住人たちの生活に固く結びついた教会。

扉を開き中に入らんとする。私が何とか部下の元に辿り着くことができるように、と祈る目的もあるが第一はこの村の住人が理不尽に脅かされることのありませんように、と。

それと、あの信心深い少女にも幸せな未来がありますように、とも祈ろうか。

 

私が中に入ると何やら灯りが見える。蝋燭の火のような小さく弱い光だ。

以前にもこんな事があったなと思いながら進んで行くと、灯りの主は私の足音に気づきこちらを振り向く。

 

美しい金髪の、天真爛漫な少女がいた。

 

「───ジャネット。こんな時間に、何している?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何時ものように私と彼女は教会の長椅子に座りかなりの時間会話をした。内容はいつも私達がしているのと大差ない、何でもないようなものだ。

そんな時間も終わり、私が別れを告げ家に戻ろうとした時。

 

「…あなたはさ、私達に隠していることがあるんだよね?」

「…?まぁ、そんなもの幾らでもあるが」

 

質問の意図が分からずにいると、ジャネットは続けて口を開く。

その目には幾らかの不安や、恐怖の感情が読み取れる。

 

 

 

 

 

「私達のこと、どう思っているの?─────オーバ・アリックスさん」

「…‼︎」

 

ジャネットの口から出たのは、私の本名。この村の住人には誰一人として知らせていなかった、私の名で呼ばれたことに衝撃を受けた。

酒に酔って滑らせたか、と一瞬思うも、その辺りには特に気を張り気をつけていたのでそれは無いと自分で否定し首を振る。

 

ならば、思いつくのはただ一つ。俄には信じられないが、あり得るとすればそれのみ。

ジャネットという少女────いや、後の世まで聖女として語り継がれる少女の持つという力。

 

「…それは“神の声”とやらに教えられた、のか?」

「うん…」

 

彼女は更に私の出自からこの村に辿り着いた経緯まで、全てを私の記憶と寸分狂いなく言ってのけた。まるで何者かに監視されていたのではないか、と思うほどの正確さだ。

これには、私もジャネットが神の声とやらを聴いたのだと信じる他ない。

 

しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。

 

「何故、私にそのことを告げた?君は知っているのだろう。私が軍を率いる人間だと」

 

討ち果たすべき敵にそのようなことを教えてもいいのか、と。

その問いに彼女は笑って答えた。

 

「だって、あなたはイングランドの人だけど悪い人じゃないんだもん」

 

あなたの秘密を知っちゃったから代わりに私も教えてあげる、と言い彼女はまた笑った。

 

「私ね…フランスのために戦いたいんだ」

「…私は他人の決めたことにケチをつける性分では無いがこれだけは言わせてくれ。決してロクな結末にはならんぞ」

「…うん。分かってる」

 

どうやら、ジャネットは私の知っている歴史と同じ道を歩むことに決めたらしい。

この娘の意志の強さは相当だ。おそらく彼女の家族でさえも、止めることは叶わないだろう。

 

「あなたは前に、私の姉さんを身を挺して守ってくれたでしょ?他にも沢山みんなの為に動いてくれた。私も困っている人に手を差し伸べられる、そんな人になりたいんだ!」

 

そう言うジャネットの顔は凛々しく、決意に溢れた表情をしている。

それは十代の少女に不釣り合いなほどの美しさをも孕んでいた。その姿は正に一人の英雄。

 

「あなたはこれから私達と戦うんでしょ?もしかしたら私があなたを殺すかもしれないし、殺されるかもしれない。だけど、約束してくれる?お互いがどうなっても恨みっこ無しって」

 

私ね、あなたと仲悪くなりたくないの、とジャネットは言った。

 

「…了解した。私と君、お互いに国を想う気持ちは変わらない。これだけは確かだ」

「うん!ありがとう!」

 

そう言ってジャネットは右手を前に出す。そして小指のみをピン、と伸ばした。

私が以前彼女に教えたゆびきりげんまん。教えたは良いものの別に機会はないと思っていたが、こんなところで使う事になるとは。

私も右手の小指を伸ばし互いの指を絡める。

 

ジャネットが約束の一句を詠み始めるのを見ながら考える。

昔は約束を破ったら一万回殴って針を千本呑ますなど正気の沙汰ではないと思っていたが、あながち不可能ではないのがこの時代だ。

もしかしたら大変な約束をしてしまったのでないか、と思うもその時には既にジャネットの詠み上げは終わっていた。

 

「───指切ったっ!これで約束だね!」

「…ああ」

「もし…平和になったら、また一緒に話そうよ!」

 

その時は皆でお弁当を持って遠くまで旅をしたい、と彼女は言って笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから十数日後、私は部下の元に戻る事になる。

 

『ご帰還をお待ちしておりました、オーバ様。無事な様で何よりです』

『苦労をかけたな。軍から離れていた事についてはこれから私が身を削る故、許してくれるとありがたい』

『勿論でありますとも!期待しておりまするぞ!』

 

 

懐かしい部下との、こんな会話もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回出てきた“紫色で、一角獣が描かれた旗”は作者がM&Bで使っているやつです。
私にはこういうデザインのセンスは無いのでそのまま使いました。


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第五話

日曜日なので二回目の投稿です。
お気に入り、評価、誤字報告、感想を下さった方々、ありがとうございます。大変励みになるので。


部下の元に戻ってからの日々は大変忙しいものであった。

何しろ二年間も音沙汰無しだったのだ。まずは兵卒との信頼関係を一から築かなければならない。

一人一人、出来る限り多くの者と面と向かって会話し私について来てもらう旨を伝えたのだが幸いそのことに異議を唱える者はおらず軋轢は生まれなかったので良かった。

 

そこからはこの二年での戦果や損害など様々な事を正しく認識したのと同時に“フランス人の村を助けた”という情報の真偽を確かめたところ、『間違いありません』だそうだ。確かに私がいた時はそういったことをしたことはあったが、まさか2年経っても変わっていなかったというのは流石に驚かされる。

 

そんなこんなで慌ただしく時間は過ぎていった。

時にフランス軍と戦い、敵味方関係なく生き残った者には治療を施す。他のイングランド軍の援軍に向かったり、我が家と繋がった街のギルドなどから定期的に戦費を受け取る日々。

 

戦場では弓に弩、投石器に大砲から地獄への招待状が毎秒の様に届けれれる。それらをくぐり抜けたら白兵戦だ。

男達の血と汗とどこから出たのかよく分からない液体によって戦場は満たされる。吐き気を催すような死の匂いが漂うその場所に、私は部下を突っ込ませるのだ。

もう天国には行けない。そんなのは分かってはいるが、まだ助かる者は命を繋げてやりたい。この人達にも家族友人がいてもしかしたら恋人が待っているのかもしれないから。

 

私も戦場では何人殺したか覚えていない。

一騎打ちを申し込んできた年若い騎士の首を刎ねたこともあれば、劣勢に立たされている友軍を助けるため先頭に立ち仲間の士気を上げたこともあった。

 

傷ついている者を見つけ治療を施そうとしたらそれは演技だったということがあり、その時は彼の刃が私に届く前に斬り捨てたか。眼に濃い憎悪の浮かぶ私と同じくらいの歳の男だ。

彼は死に際ひたすらに一人の女性の名前を呼んでおり、その声色には女性に対しての愛おしさが感じられた。恋人か家族だろう。

 

ところで私はありがたいことに兵達から慕われている。

ある者は『給料を約束通り払い、まともな飯も毎日支給されるから』と言い、またある者は『私に忠誠を誓っているので慕うのは当たり前だ』と言った。

中には『敵の命をも救うその酔狂が面白いから』という者もいた。

 

 

 

 

 

 

 

私が再び指揮を取り始めてから暦が一つ廻った時。私は新たな戦場に身を置き、そして勝利した。

幾つかの軍隊が集まったそれなりに大規模なものであり多くの血が流れた戦だ。そんな戦場跡を私は歩く。死者の弔いと生者を見つけるために。

 

積み重なった死体の中からその男は這いながら現れた。

家紋の入った鎧を纏った騎士だと思われる風貌の男は血を多く失った後であり既に瀕死だ。

私がその者のもとへ歩くと部下がいつでも剣を抜ける体勢で私の周りを固めた。以前瀕死の兵士が刃を向けて来た後に怒られたことを思い出す。

 

「───そこに誰か…いるのか?」

 

よく見てみれば両目が潰れている。私はそんな彼の隣で膝をつき水を飲ませた。

 

「…こんな死に損ないにすまない…見ての通り俺はもう長くはないが……名を教えてくれないか」

「私の名はオーバ・アリックス。先程まで君らと戦っていた者だが…悪いようにはしない。なので安心してくれるとありがたい」

 

私が名乗ると彼は驚いたような顔をした後笑った。

 

「なるほど…あの酔狂は噂通りだったか。最期にあなたの様な人に出会えたことを主に感謝しまする」

 

残された時間に話をしてくれないか、と言って来た彼。私はそれに了承し地面に腰を据える。

そこからの話は彼の昔話に、彼の身の上話などであった。時間はあっという間に過ぎ、次第に彼の息は荒く不規則になる。

 

「…もし戦争など無ければ…友人になっていたかも…しれませんね。…貴方とは気が合いそうだ…」

 

彼とはついさっき会ったばかりであるのに私達はまるで数年来の友のようであった。口を開けば敵兵への憎悪が溢れ出す戦場においてそれは久しぶりの、フランス人との会話。

それと同時に思い出すのは同じくフランス人のドンレミの村で出来た友人達。彼らは元気だろうか。

 

「最期に一つ…オルレアンにて…聖女が現れた…彼女は…フランスの希望だ…我らに…栄光を……」

 

そこまで喋ったところで男は果てた。苦渋に満ちた表情の死体が殆どの戦場では珍しい安らかな死に顔だ。

私は彼の開いたままの瞼に手をやりそれを閉ざす。

 

「名も知らぬ勇ましき騎士よ、安らかに眠れ。…主よ、彼の旅路に祝福を」

 

私は部下の数名と協力し彼の鎧を脱がせた。そして私は彼の遺体を抱き抱え拠点に一度戻る道を進む。彼を埋葬し弔うためだ。

その道中私は思考を巡らせる。

オルレアンに現れた聖女───それは恐らく、ジャンヌ・ダルクだろう。

 

村で共に過ごしたあの少女はやはり戦場にて生きる道を選んだか。

私は願う。戦場にて対峙しないことを、そして若き少女の生きる未来に救いがあらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────その少女は、確かに英雄であった

 

“神の声”とやらに従い、その身を戦場に置いた一人の少女。

王太子の変装を見破り戦の結果を予言し的中してみせた彼女は兵を率い、多くの戦場を駆け回った。

 

身の危険を顧みず前線に出て兵を鼓舞するその姿は彼女の元来もつ美しさも相まって多くの男を魅了した。

崩壊寸前の国に突如現れた希望の光。

当初は彼女を非難し見下していた者たちも彼女の啓示によってもたらされた勝利の数々によって次第に信頼を寄せる様になった。

 

騎士でさえも悶絶するような傷を負ってもなお、戦場に立ち続ける少女の姿はフランス兵を勇気づけ高揚させる。その波はフランスを巻き込みながら大きくなり、ついには負け続きだったフランス軍を勝利させるまでになった。

 

彼女は常人離れしたその軍事能力と戦果で忘れられがちだがまだ十代の少女である。

指揮官としてのジャンヌは確かに優秀で兵から畏敬の念を集めていたがその中には戦場に身を置くことになった彼女の人生を憂い、一人の少女としての未来を願っていた者もいた。

 

イングランドとの戦争で命を削るよりも生まれた村に戻り彼女の人生を歩んで欲しい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イングランド軍から解放した街でジャンヌ・ダルクとその仲間は英気を養っていた。城壁に囲まれたその街は別段珍しいものはなかったが兵を休ませるのには十分である。

そんな街の一角に佇む教会には一人の少女の姿があった。彼女こそがジャンヌ・ダルク。人々の暮らしと祖国のためその身を捧げた少女。

 

両手を組み跪いて祈るその姿は大変美しく一枚の絵画を切り取ったようでもあった。

暫くの後、彼女は教会を出て街を歩いた。

そこまで規模の大きな街ではないがそこには確かに人々の暮らしがある。彼女が思い出すのは故郷の村とそこに住む人々。

最近は彼らの姿を見れてはいないが、度々送られてくる手紙で近況を知ることは出来ていた。

 

農民の娘が文字の読み書きが出来るということはやはり珍しいようで、部下に驚かれていたことを彼女は思い出す。

 

さて、そんな最新の手紙には彼女の姉が結婚し子を授かったとの内容が書かれていた。それと同時に彼女の命を救った男にもし会ったら礼を言っておいてくれ、ともある。

その男の正体を知っているジャンヌからしてみればそれは当分の間、もしくは一生無理だと分かるのだが、もしこの戦争が終わり彼も自分も無事であったならば教えてあげよう、と思った。

 

 

(…姉さんが遂に。喜ばしいことです。主よ、姉さんと産まれてくる子供に祝福を)

 

そう心の中で祈りながら再び歩き出した少し後、彼女は対面から歩いてくる一人の男をその目で捉えた。黒髪長身の色男。彼女の戦友であるその男の名はジル・ド・レ。

彼はジャンヌの姿を捉えるや否や小走りで近づいてくる。

 

「ジャンヌ、こんな所にいるとは…祈りの帰りですかな?」

「ええ、私はやはりあの場所が落ち着くのです。ジル、私に何か入り用で?」

「いえ。今のところは何も」

 

そうですか、と言って彼らは街を歩く。ジャンヌはジルのことを軍師として信頼しているし、ジルに至ってはジャンヌを崇めるような視線で見ている。

 

ふと、ジルが口を開く。

 

「こんな話を知っていますか、ジャンヌ。敵味方問わず負傷者を癒やし死者を弔うイングランド人の軍隊がいる、と」

 

さらには略奪をされそうになった村を守った、とも。

その言葉にジャンヌは反応した。

戦場において敵兵は殺すべき者というのが常識であり、わざわざ負傷者の治療をするなどおかしいと思われるのが世の常。

そして農村は軍隊にとって格好の獲物でもある。彼女の故郷の村のように襲われることは珍しくない。

詳細を知りたいと思った彼女はジルに尋ねる。

 

「その部隊の指揮官の名は何というのですか?」

 

その言葉にジルは少しの間考えるような仕草をした後、口を開いた。

 

 

「確か名は──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ジャンヌ、どうしました?その顔」

「…いえ、何でもありません」

「なら良いのですが…」

 

そう言って笑い、歩き進むジャンヌをジルは付いていく。

ジャンヌにとって先程聞いた男の名は彼女の知り合いであり、少なくない年月を同じ村で過ごした仲でもある。

男が軍を率いる身であることは啓示によって知っていたが男が指揮する軍隊がどんなものであるのかは定かでは無かった。

 

そんな中知った男の活動。平和になったらまた会おうと男と約束した日のことは今でも鮮明に覚えている。

 

(そうですか…あの人も頑張っているのですね)

 

 

ジャンヌ・ダルクはその身をフランスという国に捧げた。そこに暮らす人々の生活を守るために。

 

彼女が戦場を駆けることで兵士は勇気づけられ勇気を胸にイングランドとの戦いに身を投じる。

救った街や村の人々の笑顔は彼女が戦場に立ち続ける意味となり、いつしか義務になった。

 

それはまだ十代の少女には重すぎる十字架。常人であれば押し潰されていたことだろう。

だが彼女はそれでも立ち続ける。そんな彼女の姿は男達にとってどう映ったことか。

 

いつしか彼女の周りには志を共にする仲間ができ、数々の戦場で勝利を収めた。

 

 

「……これからもよろしくお願いしますね、ジル。フランスのために頑張りましょう!」

 

 

 

笑顔でそう言うジャンヌ。

彼女はこれからも血で濡れた道を進み続ける。先の見えない暗闇のその行く末に光があると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、悲しいかな。静かに、しかし確実に破滅の日は近づいてきていた。

そのことを彼女はまだ知らない。

 

 

 




読んで下さりありがとうございます。
多分あと3、4話で終わりです。


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第六話

思ったよりブクマが伸びていて嬉しいです。
感想、お気に入り、誤字報告、評価ありがとうございます。励みになります。


その日の戦場は、どこかいつもと違う雰囲気に包まれていた。

イングランド勢力は最近、勢いに乗ったフランス軍に押されており、負け戦も多い。

 

そんな中でのこの戦い。フランス軍と矛を交えたのは私たちの軍をはじめとする、いくつかの部隊が集まった集団だ。

 

朝から降り続けた雨で何か不吉なものを感じながらも戦いは進み、私たちは勝利した。

退却する敵軍を見て、部下達からは歓声が上がる。浮足立った敵軍を叩きのめしたことは彼らにとって気持ちの良いものであっただろう。

そんな戦勝の余韻に浸る間も無く、私は十数名の部下と共に戦場跡を歩く。

 

そこで見たのは、傷で動けない敵兵数名をリンチする友軍の兵士。

これは私の軍以外ではありふれたものであり、敗者を勝者が痛ぶるというのは遥か昔から続く戦争における常識だ。

 

私はそんな彼らに近づき口を開く。

 

「……何をしている?そこの兵士は確かに敵であったが、今は戦意のない捕虜だ。今直ぐ中止したまえ」

 

その言葉に彼らからは抗議の声が上がる。我々は勝者なのだから別に良いだろう、といった旨の声だ。

 

「そもそも、君らの部隊は現在私の指揮下にある。それは知っているだろう?その際に言ったはずだ。私たちの規律に従ってもらう、と」

 

この時代の価値観で正しいのは私でなく、彼らであろう。それは間違いない。

だが、それを容認できるかとなれば話は別だ。

 

「これでも反抗すると言うのなら私としても処罰を考えなければならない。どうする?」

 

そう言うと彼らは渋々私から離れていく。私を異常者を見るような目で見ていたが、これももう慣れた。

私は敵兵に近づき声をかける。

彼らは装備を何も着けていなく、体中に痛ましい傷跡が。

 

 

「私の指揮下の兵がすまなかった。治療を行う故、もう安心して欲しい」

 

膝をつき目線を彼らに合わせると、彼らは私に向けて様々な感情を持っていることが分かった。

怒り、憎悪、不信感、嫌悪感…いずれにせよ、良い気持ちにはならないが彼らの反応は当然のものだ。

 

その内の一人の手をとり、立ち上がらせようとした時。

 

「触るな、悪魔め‼︎貴様らイングランド人が俺の家族にしたことが許されると思うなよ‼︎!」

 

そう言うと、彼はその場に転がっていた石を手に取り私に飛びかかる。こうなって仕舞えば、もう仕方ない。

私は腰から剣を引き抜き、一閃。彼の首はその場に転がった。

殺したくはないがこういう人間は治療場でも暴れるだろうし、こうするしかない。

 

部下の引いてきた荷車に彼の死体を丁寧に運ぶと、私は残りの敵兵達に問う。

 

「…もし君たちが生きたいのならば、私に従ってもらう」

 

彼らの中から反対する者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヶ月経ち、私が拠点にしている街で自軍の損害など、諸々の詳細を確認していた時だ。

斥候に出している者に渡した鳩が帰ってきた。私は数十名の斥候を各地に放っており、毎日情報がかなりの量入ってくる。

戦場において情報は金にも勝る宝だ。

勝てないような戦力の大軍とばったり対峙してしまえばその時点で私の人生が終了する可能性が跳ね上がる。そんな最期は死にきれない。

 

鳩の足に括り付けられた手紙を読むとそこには簡潔な一文が。

 

 

 

 

 

────“コンピエーニュにてジャンヌ・ダルクが捕らえられた”

 

手紙にはそう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンヌ・ダルク───もといジャネットが捕まった。

やったのはブルゴーニュの軍らしく、ほどなくして彼女の身柄はイングランドに引き渡され現在ルーアンの街に幽閉されている。

 

フランス王のシャルルは要求された身代金を払うつもりは無かったらしい。

だとするならば、彼女はこのまま裁判にかけられ私の知っている歴史と同じ道を辿るだろう。

 

異端審問。

 

この時代の宗教がらみの裁判は大変厄介であり、彼女の判決を覆すことはおそらく不可能だ。流石に私も、そこまで現状把握できないほど阿呆ではない。

彼女の身柄は現在、ピエール・コーション氏の手にあるという。その他にも百名以上の聖職者達がこの街に集まることが予想される。

 

一人の農民の娘には、大袈裟過ぎるほどの規模の裁判だ。

それ程まで彼女はイングランドにとって目の上のタンコブなのだろう。

 

(まぁ…それもそうか。彼女の存在は大きくなり過ぎた)

 

良い方向にも、悪い方向にも。

 

彼女は“神の声”を聴いた。その結果フランス軍は連戦連勝。あのオルレアンでさえ解放された。

ここまで短期間で結果を出されればいくら農民の娘であろうと、実際に神託を受けたと信じる者は多くなる。そうなれば焦るのはイングランドの有力者達。

 

『フランスの小娘には声を届けたのに、なぜ我々には無い?』

 

平等を謳う宗教で、こんなことはあってはならないのだ。そして、その理由などはいくらでも生まれてくる。

 

フランス人を殺し過ぎたから。

信仰を蔑ろにした者が多かったから。

イングランドが、神から愛されていないから。

 

もしそんなことが民衆の間で広まれば、有力者達の足元はいとも容易く崩れ去るだろう。

このまま彼女に率いられたフランス軍が勝ち続ければ、そんな未来は妄想でなくなる。

 

そしてフランス王が身代金を払わないのも、民衆から慕われている彼女が国に牙を剥くことを恐れているか、それとも払えない程の理由が別にあるのか。

私が聞いた限りの評判だとそこまで血も涙もない人物だとは思わないが、実際に会ったことは無いのでなんとも言えない。

 

 

さて、私はジャネットが捕まったと聞くや否やルーアンの街に移動し兵を入城させた。私がこの街に来た理由は二つある。一つは、幽閉されているジャネットの扱いをまともなものにするため。

もう一つは───あわよくば彼女を脱出させるため。但し、これが叶う可能性は低いが。

 

私の軍は大陸に来て数年経ち、幾つもの戦場を超えてきた。その中で得た支援や報酬の中から部下へ定期的に給料を払い、非常用の備蓄に回したその残り。

決して少ないとは言えないその金額と、貴族である実家の地位、そして大陸で築いた有力者達との繋がりを惜しげもなく利用し、私は彼女の裁判に関わる内の一人に食い込んだ。

 

少なくとも綺麗な方法では無い。

金を掴ませ、それでも首を縦に振らない者には自分や協力者達の身分をひけらかして説得した。やり方は、正に悪徳領主のそれである。

 

 

そうして私が要求したのはジャネットの身の回りの世話をする者を私が選ぶことと、彼女の弁護に私が出るということだった。

中々首を縦に振らない彼らを、ルーアンの教会に予算の殆どを寄付することで黙らせ今に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は彼女が監禁されている塔の中を進む。

人を雇い中を掃除させたので異臭や汚れは今の所目立っていない。

途中すれ違うのは、この街で教会に従ずる女性達。彼女達もジャネットの身の回りの世話と、警備のために私が雇った。

当初の予定通り、見張りに男など置いた日にはどんな結末になるかは目に見えている。

 

暫く進むと、一つの牢の前で私は止まる。見張りの者を下がらせ中に入るとそこには懐かしい顔があった。

彼女も私に気づいたようで近寄ってくる。

 

私の記憶にあるよりも大人びた、金髪の少女。

 

「…久しぶりだな。ジャネット」

 

彼女を見てみると、服も汚れていないし頬も痩けていない。

どうやら食事も摂っているし、身なりも清潔にしてもらっているらしい。その事実にひとまず安心した。

 

ニ年ぶりの彼女の姿はドンレミの村にいた時よりも美しさに磨きがかかり、雰囲気は大人びている。眼は燻んだ、戦場で幾度となく見てきた兵士のものではなく、かつての希望に満ちた輝きは変わっていない。

 

「こんな形での再会は望んでいなかったが……元気なようでひとまず安心したよ」

「ふふっ、久しぶりですね。二年ぶりに会ったんです。色々話しましょうよ!」

 

囚われの身だというのにその元気さは記憶と変わらない。気になるところがあるとすれば、私に対しての敬語か。

 

「ジャネット、敬語なんて良い。以前のように話そう」

「それもそうだね…ずっとこの喋り方だったから癖ついちゃった」

「そうか。やっぱり…その喋り方の方がずっと良い」

 

 

 

そこから私たちは時間の許す限り話に花を咲かせた。戦友の話題から日々の楽しみまで様々なことを話すジャネットを見て私は、ドンレミの村にいた時の彼女を重ねる。

 

戦場に勝利をもたらす聖女の話はイングランド軍の中でも話題になり、そして恐れられた。

 

嬉々とした表情で楽しそうに話をする彼女だが、今まで逃げ出したくなるようなことは何度もあっただろう。何故ならば、戦場に明るい話題など殆どないのだから。

しかし、彼女は今もこうして目の輝きが失われることなく笑えている。

 

「───本当に強いのだな、君は」

 

私は彼女の強さが羨ましい。幾度もの死線をくぐり抜けてなお曇ることの無いその心が。

それと同時に強く思う。この少女を死なせたくないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから私は彼女の弁護の為に資料を集め、裁判の関係者との繋がりを作るために奔走した。

毎日ほんの少しだけ寝て、それ以外の時間は裁判の準備に徹する日々。

 

────この裁判の結果はもう決まったようなものだ

 

全ては無駄なことだと。そう言ってくる者も多い。

そんなこともちろん知っている。

 

だが、近いうちに異端と決定され、火で炙られて死ぬ少女を見殺しにできるほど私は狂えていない。

彼女はフランスに希望を灯したのと同時に私にも光を示してくれた。顔も知らない誰かの為に迷う事なく人生を捧げるその酔狂。

この狂った世界で彼女の存在は私にとって何にも勝る輝きだ。

 

 

『フランスとイングランドは敵国だ。なぜそこまであの娘を救おうとする』と。そう私に言った騎士がいた。それがどうした。

 

『ジャンヌ・ダルクは異端だ。死んで当たり前だろう』と。そう言った聖職者がいた。それがどうした。

 

『この裁判に首を突っ込みすぎると、君まで裁判にかけられるぞ』と。そう言った友がいた。それがどうした。

 

 

私は彼女を救いたい。

ジャネットという一人の少女に、戦場以外の場所で笑って生きて欲しいから────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしその後の裁判でジャンヌ・ダルクの処刑が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はジャネットの幽閉されている塔に赴き、彼女と話していた。

今夜は彼女が過ごす最後の夜。明日、ジャネットは火刑に処される。裁判で彼女の判決が少しでもマシになるために努力はした。努力はしたが、それだけだった。

 

彼女の末路は変わらない。人々を救った聖女は異端とされ、その身を火で炙られる。

だというのに、彼女はそれを受け止めた。

 

「私のためにありがとう。…だけどね、もう良いの。沢山の人の笑顔を守れた、それだけで十分だよ」

 

そう言って笑う彼女を見る度に、私は救えなかった罪悪感で胸がいっぱいになる。

 

「気にしないで。あなたと過ごした日々は楽しかったよ!だからあの時みたいに笑ってくれないと私も悲しくなっちゃう」

 

────あぁ、私はまた命を取りこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャネット、すまない…私の力では不十分だった。本当にすまな───」

 

謝罪の言葉を紡ぐ私の口をジャネットは抑え、それ以上声を出させないようにした。

 

「…あの日のこと忘れちゃったの?どっちが斃れても恨みっこ無し、って」

「しかし……」

「私は恨んでいないよ。あなたも、イングランドも」

 

そう言った彼女は一度目を伏せ、暫くしてから私を再度向く。その目には今まで映っていなかった悲しみと、決意のようなものを含んでいる。

 

「…言えなかったら後悔するだろうし、今言うね。これは忘れてくれたって構わないよ。私はあの村にいた時から───」

 

その言葉を今すぐ止めさせたかった。それを最後まで聞いて仕舞えば、何かが変わってしまうと確信できる。

しかし体が、そして口が動かない。

やめてくれ、と心の中で叫ぶも当然聞こえる筈もない。彼女の口は動き続ける。

 

 

 

 

 

 

「───あなたを愛しています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、言えた!どう、驚いたでしょ?私だっていつまでも子供のままじゃないんだよ?」

 

やり切ったような顔でそう言うジャネット。頬は少し赤くなっているのが見てとれる。

 

「あ…さっきも言ったけど、忘れてくれて大丈夫だからね!あなたはこの後も生きるんだし」

 

私に笑いかける少女の姿は大変美しく、輝いて見えた。

そんな彼女に私はやっとのことで一つの言葉を絞り出す。

 

「忘れる訳…無いだろう…」

「本当に?それなら…嬉しいな」

 

嬉しそうにしている彼女を見ながら、私の頭の中は真っ白になっていた。ただただ感じるのは混乱という言葉でも言い表せない様な、まとわりつく虚無感と不快感。

最後の最後で自分の中の、何か大切な事に気づいてしまったことを私は後悔した。

 

それから先の記憶は継ぎ接ぎで、全てを思い出す事は出来ない。

 

 

気づけば、空には見事な朝日が昇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャネットの足元に火が纏わり付き、彼女の顔には苦痛が浮かぶ。

そんな中彼女は私を見て微笑んだ。

 

さほど時間は掛からずに胴体にまで火が回る。

苦痛の表情は険しくなったが、微笑みは止めていない。彼女は私の目を目を見ながら口を動かした。

 

───『大丈夫だよ』

 

私には彼女がそう言っているように思えた。

 

そして程なくして炎はジャネットの全身を包み込み、広場には人間の肉と脂の焼ける異臭が漂う。十分過ぎるほど焼かれた少女の遺体は黒焦げで、生前の面影は無い。

 

執行人の兵士はジャネットが生き絶えたのを確認した後、再び遺体を炎に投じる。

結局、私の知る少女は真っ黒な炭に変わっていた。

 

彼女の燃え滓はこの後、川に流されて処理されるのだとか。

 

私は彼女の命が果てるまでの全てをこの目で見た。何も考えず、何も言わず。

広場が兵によって片付けられ、観衆は散っていく。彼女がここで死んだという事実は既に私たちの記憶と、記録書に書かれた文字のみにしか残っていない。

 

もう、ジャネットは死んだ。

 

そのことを改めて認識した瞬間、私の中の何かがピキリ、と音を立てて割れたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

あの異端裁判の日から四年。私は大陸に残り、兵を率いて戦場を駆け回った。

あの日から時の流れが恐ろしく早い。

 

あれから、戦争の流れは完全にフランス側に傾いた。

 

そんな中でも私の軍は負け戦が少なく、大量に部下を失う事態にはなっていないのは幸いか。

それと、私の軍の名はフランスにもイングランドにも知れ渡ったらしい。

戦場で負傷した者に敵味方問わず治療をすることが広まったからだとか。

 

そんな事があり、戦に明け暮れる日々であったが、そんな時間も終わりを迎える。

実家からの手紙が届き内容を見てみれば父上が病で倒れ、兄が当主の座に就いたというものだった。

そして私をイングランドへ帰還させ、兄の補佐をしてほしいとのこと。

 

兄は生まれつき体が弱い。まだ若いが何かの拍子に逝ってしまうこともあり得る。なので私にも経験を積ませて、不足の事態に備えるのが目的だという。

 

そんな事があり、私は9年ぶりにブリテンへ帰ることになった。

 

 

 

 

 

 




見て下さりありがとうございました。


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第七話

この小説が日間一位になってました。ありがとうございます。

本編はこの話を入れてあと二話です。その後幕間みたいなのを数話予定。


九年ぶりに故郷のイングランドに戻った私は現在、領地の隅にある墓地にいた。

ここは我が家の始まりの場所。滅多に人の入り込まないこの森に、かつて地方豪族の一つに過ぎなかった先祖は住居を構えていたという。遠い昔の話だ。

 

そんな先祖代々の墓があるその場所で一番新しく綺麗な墓の前で跪き、手を組み旅立った父に向けて祈りを捧げる。

彼は病で斃れた。元々歳だったのでさほど驚きは無いが、身内の死というのはやはり辛い。

 

「───偉大なる我が父よ」

 

彼は私にこの世界での生き方を教えてくれた。

彼は私に父親として、愛情を注いでくれた。

そして私は、彼を一人の男として尊敬していた。

 

「───あなたは私の誇りです」

 

彼が時に厳しく、時に優しく私を育ててくれていなければ私は今頃フランスの地で死に絶えていただろう。そして彼の領主としての人生は民を愛し、愛されたものだった。

こんな世界だからこそそんな彼の生き方は尊く、私にとって美しかったのだ。

 

「───私は兄と手を取り合い、この地を守り抜きます」

 

彼は当主として“家を存続させる”という第一の仕事を、その人生を以てやり遂げた。幼少の頃より自分の人生を投げ捨て、文字通り全てを家族と領民に捧げた。

それは辛い道のりで、生半可な覚悟では成し遂げられなかっただろう。

 

「───ですから、ゆっくり休んで下さい。…今までありがとうございました」

 

私は手を解いて立ち上がり、体の前で十字を切った。

そしてその場から立ち去り、屋敷への道を戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこからの日々は家族と暮らす懐かしいものであると同時に、慌ただしくもあった。

生まれつき体の弱い兄はまだ若いものの、私がイングランドを出た時よりも容態が悪化しており、父ほどの歳までは生きられないだろうと予想できるほどだ。

そんな兄の補佐をしつつ、どうしても彼が床から起きられない日は私が代わりに政を行なった。

 

私が出て行ってからそれなりに年月は経ち、領内の状態は幾らか改善されているものの万全とは言い難い。

息をつく間もない慌ただしい日々であったが、そんな中にも幸福はある。

兄と彼の妻の間には男児が生まれた。健康的な赤子だ。

彼は将来家を継ぐことになるのだろう。

この家に生まれた以上父や先祖のように己の人生を民に捧げることになるのだろうが、そんな人生の中にも幸せがありますように、と願わずにはいられなかった。

 

 

そんな忙しい中にも幸せがある日々が終わったのは、私が領内に戻って二年が経過した時。

兄は病に体内から侵され、そして死んだ。彼が遺したのは多少問題の解決された領内と後継の赤子。

 

それから間も無く私は兄の後を継ぎ、当主の座についた。そして私は本格的に領内の改革に取り組むことになる。

 

人々が安心して暮らせるために私は働く。

不正に苦しむ者が生まれないために法を整え、治安を向上させた。

飢える者が生まれないために耕作地を広げ、作物の収穫量を増やすために試行錯誤した。

病が流行り、かつての悲劇が再発しないために衛生状態を改善した。

 

加えて、近いうちに起こる内戦から領内を守るために準備も進めていく。食糧、軍備、資金など多岐に渡るそれらを少しずつ蓄える。

 

私が当主になって一年経ち、二年経ち、三年経った。まだ領内の状態は全く十分ではない。

 

私が家を継いでからのこの三年間は殆ど休んでいないが、まだ全く足りないのだ。もっと私が努力し、働かなくてはならない。

部下からは『少しは休んだ方が良いのでは?』とも言われたが、そんな事をしている暇は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が当主になって十年経った。

毎年少しずつ、少しずつだが領内にも内戦を生き残れるだけの余裕が生まれるようになり、民への戦争被害を避けられる希望は生まれつつある。

兄の遺した甥も若くして死ぬ事なく無事この歳まで育った。賢く、そして優しい子だ。

この子は私の跡を継ぐ。

そのために教育を受けさせ、統治者に必要な知識を深めさせている。仕事に次ぐ仕事の日々でも、この子と交流する時間だけは毎日とっていた。

そのため関係は良好だ。この子との時間は楽しいし、私にとって癒しでもある。

 

死の間際に兄と交わした、この子を立派に育てあげるという約束。それを果たすために、私は日々この子と過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叔父上…まだ寝ないのですか?」

 

屋敷の者が皆寝静まった真夜中、私は自室で一人仕事をしていた。

蝋燭の灯りで机上を照らし、書類に筆を走らせる。皆と同じ時間に寝たのなど、もう何年前になるだろうか。

内戦の開始までもう時間は残されていない。そのため少しの時間すら惜しく、寝る時間を削り仕事に取り組んでいる。

そんな時、甥が自室を訪ねてきた。

 

「あぁ…もう少しだけするべき事があってな。お前こそどうしたのだ?こんな時間に」

 

しばしこの事について、様々な者から叱られる。『そんな生活をしていたら身体が壊れるぞ』と。

勿論そんなこと、百も承知だ。年々身体がボロボロになっていることは自分でも分かる。しかし、それは私が歩みを止める理由にはならない。

 

思い出すのは、かつてフランスで出会った少女と過ごした日々と、彼女の死に際。

 

彼女と過ごした日々は楽しかったし、充実していた。

記憶の中の少女の笑顔は眩しくて、希望に満ちている。あれほどの輝いた瞳の持ち主にはあれから会った事はない。

 

だからこそそんな少女の無惨な死に方は私の心を抉り、深い傷跡を残したのだろう。

あれ以来私の心にはどこか虚無感のようなものがあり、見える世界の色はどこかくすんでいるようだ。

 

私は大切な人を失うことがどうしようも無く怖く、動いていなければ落ち着かない。

 

「最近の叔父上は何処かおかしいです。まるで何かを恐れて逃げているような…仕事の鬼なのは昔から変わりませんが……」

 

 

────貴方には何が見えているのですか?

 

そう私に尋ねる甥。焦りは隠していたつもりなのだがな。身内の勘とも言うべきか、この子には気付かれていたらしい。

 

「───そう見えるか?」

「えぇ」

 

そう言って私を見るこの子の瞳には強い信念と、今は亡き兄の面影が感じられる。

 

(本当に…強い子に育ったな)

 

貴族家の跡取りという重圧に耐え、この子はこの歳まで育った。

同年代の子達よりも強い精神力を持っているこの子は才能溢れる若者だ。それは間違いない。少なくとも、私よりはずっと。

 

この子になら教えても良いだろう。

ブリテンを近い未来に襲う戦乱と、それに伴う我が家の消滅の可能性を。

 

私が甥にその事を話すとこの子は当初こそ驚いていたもののすぐに情報を整理し、瞳に理性を取り戻した。

本当に良く出来た子だ。私の甥でありながら感心してしまう。

 

ちなみに私は近い未来に起きる内戦の事を『あくまで私の予想だ』という注釈をつけても、信頼できる数名にしか話していない。

『未来を知っている』なんて口に出してしまえば、悪魔と契約している、と教会の連中から目を付けられかねないからだ。

そうでなくても軍備を進めていると王家に知られれば、反乱の意思があると見られるのは目に見えている。

 

「────そうですか、叔父上。そういう事でしたら多少の無理は目を瞑ります」

 

ですが、とこの子は付け足した。

 

「私にもその手伝いをさせて下さい。私も…貴方の見ている景色を見てみたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───数年後、イングランド勢力は大陸よりほぼ駆逐され、長く続いた戦争はフランスの勝利で終わった。

そしてその二年後、敗戦責任を巡りブリテンを二分する内戦が勃発する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

かつてフランスで見た惨劇がブリテンでも各地で起こった。

軍隊が村や街を襲いそこから全てを奪うことも珍しくは無い。文字通り全てだ。そこに暮らす人々の命も、貯め込まれた物資も。

 

各地の貴族達はブリテン島の中での争いということで自らの土地を守るため、夥しい数の兵を動員し血を血で洗う戦争に突入していった。

それは私の領内も例外でなく、兵を掻き集めて軍隊を組織する。その規模は、かつてフランスに率いて行った時の比ではない。

 

私の軍では規律を定め、略奪や殺戮は許さなかった。そうなれば当然不満が出るものであるが、給与を他よりも多く払い酒をふんだんに振る舞うことでその意見を黙らせる。

幸運なことに、私が当主になったこの二十年で領内は豊かになり戦費の蓄えは十分であるが、それはその事実を嗅ぎつけた他の軍から狙われるということでもあった。事実、多くの兵が私たちの領内を目指して攻めて来ている。

 

私にブリテン全土を統治して平和をもたらす程の力は無い。これは紛れもない事実だ。

だがそれでも、出来るだけ多くの人々の暮らしは守りたい。それが私の使命であり、義務であるのだから。

 

私は兵を率いて戦場に出る。そこでは数えきれない程の多くの男の命が散っていった。

見知った者も、知らない顔の者も関係無く死んでいく。

 

私は大陸で兵を指揮し、それなりに名が売れた。私が指揮すれば戦場では負け無しなのだ、という噂も広まった。

部下達は私に仕える事を“誇り”だと言い戦場に向かう。

領民達は私がいれば大丈夫だと、安心するように子供や友に言い聞かせていた。

 

 

 

 

とある所に私に忠誠を誓った若い騎士がいた。

私と彼は、彼が五つの時からの付き合いであり、妻を娶らなかった私にとって子のような存在だ。

彼の家は没落した騎士の家であり、家族の将来を憂いていた彼の父親を私の家で雇ったため、彼にとって私は“恩人”なのだとか。

そんな彼は強く、優しい男だった。

 

ある日の戦場で彼は『今までの恩を戦果で返す』と言い、有志を募って敵軍に突撃して行った。私は止めようとしたものの、それは叶わない。

結局彼は戦場で、頭を砕かれて朽ちている姿で発見された。

 

 

 

 

 

戦場ではありふれた話であるものの、それらは私の精神を削っていく。少しずつ、少しずつ。

踏み越えた戦場の数が十を越した時には私の心は完全に擦り減り、食事が喉を通らない日も珍しくは無かった。

大陸にいた頃より積み重なった、心への負荷が私の許容を超したのだろう。

 

だが、私は狂えなかった。どんなに悲惨な状況を目撃しても精神崩壊には至らない。

恐らく、幼少の頃より人の死に触れていたことで“慣れた”のだろう。それは有り難かったが、同時に私は自分を呪った。

 

狂えてしまえばどれほど楽であっただろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凄惨な戦争には似つかない、平穏な日々が私の領内の周りで珍しく続いていたある日。

私は屋敷で事務的な仕事に取り組んでいた。戦は無くとも、仕事は溜まる。

戦場に赴いていた期間が長かったせいでかなりの量が溜め込められているため一息つく暇もない。

 

最近、長時間の労働は体に障るようになって来ている。私はもう若くないのだ。

 

そんな中一つの知らせが届く。『行き場を失った人々が私たちの領内に避難をしたがっている』と。

 

私たちの領内は戦場で死んでいった部下達と、事前準備のおかげで今の所直接的な被害は出ていない。これは予想以上の成果だ。

だが他の土地もそうであるかといえばそうでは無い。

 

蹂躙の限りを尽くされた土地の話など幾らでも出てくるし、それに伴って難民も発生する。

彼らの末路は悲惨だ。男は傭兵になるか、自分で私兵集団を立ち上げるか。そして女は身体を売る。

そんな話をもう、飽きるほど聞いた。

 

 

先月、私達の領土から少し離れた土地が略奪の限りを尽くされたと報告が入った。

領主の軍は壊滅し、率いた本人とその家族は混乱の最中で殺された、とも。侵略者から守る者がいなくなったその土地の人々がどうなるかは、想像に容易い。

そして、その土地に住めなくなった人々が私たちの土地に逃げ込みたがっているという。

 

住処を破壊された彼らにとって、歩いたとしても運が良ければ何とかして辿り着ける距離にある私たちの土地は、希望の光に見えただろう。

しかし、問題はその数だ。話を聞き予想した限りでも数百かそこらでは済まないと分かった。確実にその数倍はいる。

 

私たちの領内に蓄えがあるとはいえ、急激に人口が増えれば支えきれずに数年で破綻するだろう。

彼ら全員を迎え入れるのは不可能だ。

 

────ならば、人数を制限するか

 

だが、その判断の基準はどう決める?そして、残された人々にはどう伝える?

もし家族が切り離されれば不満に持つ者が出るだろう。下手すれば実力行使に出られるかもしれない。

たとえ彼らの命を助けたとしても。人間とはそういう、理不尽なものなのだ。私は今まで生きてよく分かった。

 

どんなに考えても一番現実的なのは、彼らを見捨てる事ただ一つ。

そうすれば私たちの領内に損害は出ない。備蓄も食い潰さなくて済む。

私とてお人好しだけで生き残れるなど微塵も思っていない。もしそうだったのなら、私の部下は死ななかっただろう。

 

────彼らには悪いが、諦めてもらう

 

かなりの時間葛藤し、そう結論を出した。

私の決断で数え切れない程の人々が死ぬことになるのだが、そんな事は言っていられない現状だ。

とはいえ、無辜の人々を見殺しにすることは心にかなりくる。人間の命を切り捨てるのはやはり慣れない。

落ち着かせようと思い、私は仕事を中断して日課である教会での祈りに向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

護衛を連れ、私は城下を歩く。行き交う人々の顔には笑顔があった。これらを守ることが私の人生に与えられた意味であり、重くのしかかる十字架でもある。

 

そして、教会で主に祈りを捧げたその帰り。

道端で転んだ男児の手当をしてやる少女の姿を見た。

金髪を靡かせ、痛みに顔を歪ませた男児に微笑んで接するその少女は、私の遠い記憶にあるかつての聖女を思い出させる。

ドンレミの村にいた時、あの少女はあんな風に、転んだ歳下の子供達を助けていたことを思い出す。

 

その時ふと脳裏に浮かぶのは、私がドンレミの村で過ごした最後の夜。

 

『私はね、困っている人に手を差し伸べられる、そんな人になりたいんだ!』

 

その言葉を彼女は若く、未来のある命を以って実行した。

もし彼女が私であったのならば、迷うこと無く避難民の命を救う事を選び取るだろう。ジャネットという少女はそういう人間だ。

 

そして、いつかの教会で過ごした夜のことも。

 

『あなたが正しいと思う事をし続ければ良いと思うよ』

 

私の正しいと思うことは、家族や領内の民を守るというただ一点。

それだけを考えていたはずなのに、見ず知らずの人間のために危険を冒す事を心の中で考えてしまっている。

それは、小を切り捨て大を生かすのが使命の統治者として勿論失格だ。

だが、どうしても引っ掛かる。見捨てると決めたはずなのに、後ろ髪を引かれる様な感覚がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「───ジャネット。君が今の私を見たら、どう思うだろうな」

 

そう、小さく呟いた。

 

 

「……?何か言いましたか?」

「いや、何でもない」

 

 

そのまま、私たちは屋敷への道を歩き続ける。

 

────あぁ、私にはやはり命を見捨てることは出来ない

 

多くの者は、私のこれから成す事を愚かだと思うだろう。実際そうであるし、自分でもそう思っている。

だが私はこれから助けを求めてくる人々の命を助ける道を選ぶ。勿論私は元々暮らしている領民に生活苦を強いるつもりも毛頭ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、私は自室でとある書類を見る。それは数年前に大貴族“アニムスフィア家”から提案された、我が家の先祖代々の墓地の一帯を売り払ってはどうか、という内容のものだ。その対価として法外な額の値段が示されていた。

土地の値段としてはどうしても釣り合わない。

 

理由はその土地が彼らにとってもゆかりのある土地なので先祖を祀る施設を造りたいからだと言うが、それは嘘だと知っている。

アニムスフィアが貴族というのは表向きでしかなく、彼らの裏の顔は“魔術師”と呼ばれる連中だということを。

そしてあの場所の地下には特大の“霊脈”なるものが通っており、彼ら魔術師にとって喉から手が出るほど欲しいものであるということも。

 

私も長いこと貴族として仕事をしていれば手を出してはいけない“黒い事情”というものは把握している。

あの時は先祖代々の土地を手放すことを好ましく思っていなかったのと、とんでもなく胡散臭さを感じたので拒否したが、今は事情が変わった。

 

この書類に書かれている通りの金額が支払われれば、避難民を受け入れたとしても釣りは十分に来る。

そして多くの人々の命が救われるのだ。

そこには先祖の墓があり父も兄も眠っているが、私のやる事は決まった。

 

────もう死んだ人間達の誇りを取るか、今を生きている人間の人生を取るか

 

そんなもの決まっている。

私は筆をとり一枚の紙に文章を書き連ねた。魔術師───それも彼ら程ともなれば私の命など塵のように軽い。

これは出来ることならば取りたくなかった最後の手段だ。もし交渉で選択を誤れば待っているのは死のみだろう。危険な綱渡りだが、失敗は許されない。

 

「もし見ているのなら…見守っていてくれ、ジャネット」

 

部下の一人にそれを持たせ、アニムスフィアの領地まで届けさせる。

 

───これはなんて事のない取引だ

 

震える手を必死に押さえ、自分にそう言い聞かせた。

 

もし清い聖女がこの事を見れば『いけない事だ!』と言い出しそうだが、彼女は当然この場にはいない。

 

「さて、先方はどう出るか……」

 

そう言って私は窓から外を覗く。その日は見事な満月だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───助けて下さり、ありがとうございます!」

 

私に頭を下げ、泣きながらそう言う女性に私は微笑み、声をかける。

 

「…この程度、何てことはありません。貴女方が無事で本当に良かった」

 

彼女の腕の中では赤子が眠っており、すやすやと寝息を立てている。

 

この日、多くの人間の命が救われた。

私は、切れかけていた綱を渡りきった。

 

 

───そして、私の背負う十字架も一段と重くなる

 

 

 

人々の暮らしの為に、私に失敗は許されない。

 

また一つ、命の重さに耐えきれなかった私の心にひびが入った。そのことは、決して表に出してはいけない。

私は顔に微笑みを張り付けたまま、彼女の話を聴いた。

 

 




読んで下さりありがとうございました。


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第八話

本編の最終回です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

…タグ付いてるのに、最終回までクロス要素が殆ど無かった小説があるようですね。(すっとぼけ)


───時々、夢を見る

 

 

その夢の中で私は、草原の中を一人歩いている。

雄大な自然に囲まれながら、温かく心地の良い風に吹かれている夢だ。

 

暫く歩いていると目の前に一人の少女が現れる。

風に金髪を靡かせながら此方に向かって来るその少女は、とても良い笑顔をしている。

彼女は、私に向かって口を開いた。

 

『───────!』

 

但し、その声は私に届かないようだが。

その事に気付いたのか、悲しそうな表情をした彼女が私の手を引こうと手を伸ばした所で場の雰囲気が変わる。

 

 

───草木は悉くが炎に包まれ、その煙は空を覆い尽くす

 

 

気づけば少女の姿は何処にも無く、代わりに無数の男達が少し離れた所から私を見ている。

全身が金属の鎧で包まれた、騎士と思われる者もいれば、軽装備にその身を包んだ盗賊の様な風貌の男まで様々だ。

 

 

『────■■■■■■■!!!!!』

 

 

彼らが声にならない叫びを私に向けて放つ。

『何故お前が今まで生きているのだ』と。彼らはそう言っているように感じた。

 

その時、焦げるような臭いが辺りに立ちこめる。

理由はすぐに分かった。彼らの身体が炎に包まれているのだ。

 

それから間もなく、彼らはその身体を黒い炎に変えて私に突っ込んで来る。

 

その炎が私とぶつかるその瞬間────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────叔父上!?大丈夫ですか?」

 

私の顔を心配そうに覗き込む、甥が目の前にいた。

身体は寝汗でべたべたしており、気持ち悪い。

その他には頭痛と、喉の渇きも感じる。

 

「随分と魘されていた様子でしたので…何か体に障ることでも?」

「…問題無い。少し、変な夢を見ただけだ」

 

甥に向かって笑いながら答える。

枕元に置かれた水を一杯飲み、喉の渇きを潤す。

 

同時に頭の中に浮かべるのは、私が時々見るあの奇妙な夢。

 

────あれは私の末路かもしれない

 

そんなことを考えながら、私はベッドから起き上がる。

 

私の身体は何かが纏わり付いているのかと思う程、随分と重く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の齢が六十の半ばを迎えようとした時、私は甥に家督を譲った。

最近は昔のように集中力が続かないようになり、身体も満足に動かない。甥は私などよりも才能に溢れる男で、立派に育った。彼ならば領内を守り通してくれるだろう。

役目を果たした老いぼれはさっさと引退するのが正しい。

 

この時代を考えれば私はもう十分長く生きた。私があとどれくらい生きていけるのかは定かでは無いが、もう長く無いことくらいは分かる。

残りの人生を若い世代の育成に充てようと思ったが、それは叶わなかった。

領主となった甥から『叔父上はもう十分働きました。せめて残りの人生は隠居して穏やかに過ごして下さい』と言われたからだ。

随分と体を酷使した自覚はあるものの、まさかここまで制限されるのは予想外だった。それと同時に心配をかけさせてしまったことを改めて認識し反省もした。

 

 

 

なので田舎に用意された別荘に移り住み、日々を過ごしていたのだがふと思いつく。

このまま日々を過ごしていたら死を待つのみ。なので家に貢献しようと思っても甥とその部下に止められる。

ならば旅に出るのはどうであろうか、と。

 

領内から出れば危険に溢れているため道中で斃れる可能性もあるが、どうせ老い先短い人生だ。ブリテンで死のうと、旅の途中で死のうと少しの誤差でしかないだろう。

人生の終わりを探す旅というのも悪くないかもしれない。

 

────あの少女の墓参りもしに行こうか

 

思い立ったが吉日、私は甥にその事を伝え領内を出発した。

彼はいきなりのことに驚いていたが私が彼に頼んだ初めての願いだということと、私の命が残りが短いということにも思うところはあったようで、『貴方が後悔しないのなら』と渋々ながらも了承してくれた。

護衛を付けると言って聞かなかったが断り、数日後に出発することに。

 

甥には私が帰って来なくても気にしないでくれと言ってある。随分と勝手な事を言い出したと我ながら自覚しているが、三十年当主として働いた老人の願いを聞いてくれたようで良かった。

 

 

 

 

 

 

 

そこからの日々は私にとって数十年ぶりの自由な時間が過ぎていく。

ブリテン島から海を渡り、四十年ぶりにフランスの地に降り立った。そこから馬に乗り様々な街や村で物資を補給しつつ、かつて私が二年間を過ごしたドンレミの村に向かう。

 

血に濡れた私の人生で、あの村での生活は大変美しく輝かしいものであった。あの村で男達と肩を組んで飲んだ酒の味や教会でかつての聖女と交流した日のことは今でも覚えている。

 

そんなこんなで大陸に渡ってから数ヶ月。私はドンレミの村に着いた。

四十年も経てば当たり前なのだが、村人達は殆どが知らない顔である。私は嵐の日に命を救ってくれた恩人の家を訪ねてみると家の裏には一つの墓が建っていた。

そこに彫られていた名はかつての恩人のもので、すでに故人であることを語っている。

 

恩人の家にはとある夫婦が住んでいた。私は彼らに墓の主の知り合いだったと言い、祈る許可を貰うと墓の前で跪き腕を組む。

 

「……久しぶりですね。あの日貴方に出会っていなければ、私は死んでいた事でしょう」

 

思い出すのは彼と過ごした日々。家族を喪いながらもこの村で一生懸命に生きていた一人の男は私に住む場所を提供してくれ、彼とは共に酒を酌み交わした仲だった。

 

「家族の元でどうか幸せに……安らかに眠れ」

 

彼は家族と再会できただろうか。死後の世界はどうなっているのか分からないが、戦争によって日常を狂わされた恩人に救いがあったことを祈らずにはいられない。

 

その後私は四十年前のこの村で交流があった人々の家を訪ねてみるも、その殆どが既に逝っていたことが判明する。現在まで生き残っていた者と言葉を交わしたり、彼らの墓を一つ一つ祈っているといつの間にか時刻は夕方になっていた。

私は最後に残った場所に歩みを進める。

かつての救国の聖女────ジャネットの墓に辿り着いた。

当然この場所に彼女の骨は無い。家族と村人達が墓石のみ用意したのだろう。質素であるがきちんと整備された、生前の彼女を表したような墓だ。

 

私は墓の前で祈ろうとする─────「………少し、宜しいですか?」

 

声をかけられ、振り返る。

 

そこにいたのは腰の丸まった白髪の老婆であり、顔には皺が刻まれているが目鼻は整っている、若い頃は美人だったと予想できる女性だった。そして私はこの女性に見覚えがある。

その容姿と雰囲気は聖女の面影があり、彼女が年老いたらこうなっていただろうな、と思わせる女性。

 

「────カトリーヌさん、ですか?」

「えぇ!覚えていて下さいましたか。本当に久しぶりですね!」

 

私と彼女はかつてそれなりに交流が有った。

ジャネットが私をダルク家に招待したことがあり、その時は一緒に食卓を囲んだ。牛が森に逃げた日は共に追いかけ回した日もあったか。

若き日の懐かしい日々だ。

 

「……互いに歳をとりましたね」

「えぇ。日々体が衰えるのが分かる…中々に辛いものですな」

「あら、貴方はまだ元気でしょう?一人でこの村に来る程ですから」

 

私がジャネットとルーアンの塔で語り合った時、カトリーヌさんに子供が産まれたと聞いた。元気な男の子だったそうだ。

 

「この子も喜んでいると思いますよ」

 

そう言ってカトリーヌさんは私の隣で跪き手を組む。私達はジャネットの墓の前で二人並び祈りを捧げた。

どれほど時間が経っただろう。時刻は夕方から夜に向かい、村は暗くなっていく。

 

「時間も時間ですし…そろそろ戻りましょう。ところで、今日の宿は決まっているのですか?」

「空き家を借りる許可をもらったので、そこで夜を明かそうと」

「もし良ければ私の家に泊まって行きませんか?久々の再会ですので色々と話したいですし」

 

予想外の提案に嬉しく思うも、家族の時間を邪魔してしまうのは忍びないと思い断ろうとしたその時。

 

「お婆ちゃん!こんな時間まで何してたの?」

 

現れたのは爛漫な印象を抱かせる金髪の少女。

お婆ちゃんと呼んだことから、この少女はカトリーヌさんの孫だろう。そして私は一瞬目を疑う。何故ならこの少女はあまりにも────

 

 

「───似ていますね」

「そうでしょう?強く優しい自慢の孫です」

 

かつての聖女にあまりにも似ていた。

もし知らなかったら、彼女の生まれ変わりだと言われても信じてしまうだろう。

 

「お婆ちゃん、この人誰?」

「前に話したことがあっただろう?昔私の命を助けてくれた人だよ」

 

そうカトリーヌさんが言うと少女は目を輝かせながら近づいてくる。どうやら以前に私のことを話したことがあったらしい。

 

「えっと、昔のお婆ちゃんの話とかしてくれませんか…?」

 

子供から直々に頼まれて断りづらくなってしまった。するとカトリーヌさんが口を開く。

 

「どうです?一晩くらい、遠慮しなくても問題ありませんよ」

「……では、お言葉に甘えまして」

 

胸に手を当て、礼をしながらそう言って、私達は彼女らの家に向かって歩き出す。道中カトリーヌさんの孫からは多くの質問が投げられたのでそれに答えた。

その夜は彼らの家族と交流し、とても楽しい時間を過ごした。

 

そして翌日、私が出発する前カトリーヌさんに呼び止められる。

 

「これをどうぞ…あの子が死ぬ前に渡してきたものです」

「……これは一体?」

「私にはさっぱり…ですがあの子が貴方に会ったら渡してくれ、と」

 

そう言って渡されたのは一枚の古ぼけた小さな紙。そこに書かれていたのは地図だろうか。此処から少し離れた土地の名と目印が記されている。

 

「そうですか…旅の途中で立ち寄ってみます」

「ありがとうございます。では…どうかお元気で。貴方の旅に祝福がありますよう」

「貴女もお元気で。泊めてくださりありがとうございました」

 

そうして彼女ら一家と別れ、ドンレミの村から出た。

カトリーヌさんから渡された地図の場所には何があるのだろうか。そう思いながら私は歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンレミの村を出発して数日後。私は地図に書かれた地に辿り着いた。そこはなんて事のない洞窟で、気味悪さから入ることは躊躇わられたが地図は明らかにこの中を示している。彼女が何を伝えたかったのかはこの先に進まなければ分かることは無いのだろう。

 

「老人になってもなお洞窟探検とは……予想していなかったな」

 

松明を用意し進んでいくと、さほど時間はかからず行き止まりに当たった。だが地図が示しているのはもっと先。

隠す通路でもあるのかと辺りを探索してみると、何かスイッチのようなものを見つけた。土埃を被った、人間ほどの大きさの石畳だ。

 

これを押せば道が出てくるからくりでもあるのだろうか。念のため洞窟の入り口からここに至るまでもう一往復して隅々まで調べたが怪しいものはこの石畳以外にはやはり無い。

 

ならば進むためにこれを押すしかないのだろうが、もし本当にからくりがあったとしても壊れていたら洞窟が崩壊するという結末もあり得る。

第一、そんなことがこの時代の技術力で有り得るのかという疑問も浮かんできた。

 

(洞窟がどうにかなっても…どうせ老い先短い人生だ。此処で死んだのならそれが天命なのだろう)

 

何も起きなければ、それはそれで酒の席での笑い話くらいにはなるかもしれない。あの少女の残したものがあるかもしれないのだ。確かめなければならない。

 

石畳を押すのはそれなりに力が要り、若い頃はともかく今の私にはそれなりに辛かった。

するとすぐに地中から腹に響く振動が生まれる。突然のことに驚いていると、洞窟の壁が割れ道が現れる。

 

(まさかこれ程までとは…とんでもない技術力だな)

 

私の領内は当たり前のこととして、ブリテン全土を探してもこれほどのからくりはあるのだろうか。

そして何より、この時代に合わない超技術にそれを用いられて隠されていた道。とんでもなく胡散臭い。

 

何はともあれこの先にジャネットの伝えたかったことがあるのだ。かくして道は示された。私はその道を辿って進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先で見つけたのは一本の黄金に輝く剣。私の携えている物とは纏う雰囲気からまるで違うその剣は恐らくとんでもない代物なのだろう。

高名な武具だとかその辺りには人並みよりも詳しいとは自負しているが、私程度では兎に角“凄い”という月並みな感想しか浮かんでこなかった。

もっと踏み込んだ人間ならば目玉が飛び出る程驚くのではないだろうか。

 

鞘から剣身を引き抜くと更に黄金の輝きは増した。驚くべきことに剣自体が煌々とした光を発しているのだ。

そして“思考を支配される”という今までに無い感覚。かつてアダムとイヴは“リンゴ”の誘惑によってそれを食し、エデンの園から追放されたというが、罪を犯したその気持ちが分かったような気がした。

何とか剣に鞘を被せた後私は地面に思わず転がる。

 

バクバクと音を立てながら暴れる私の心臓に、全身の毛穴から吹き出す汗。

 

光を浴びた後の体力の消耗が凄まじい。あのまま光を浴び続ければ私は直ぐに命を落としていただろう。

 

そして疑うまでも無くこれは危険な代物だと分かった。仕組みは全く分からないが、これは人間の本能に直接訴えかけているのだと、何となくそう感じるのだ。

 

───私には過ぎた品物だ

 

そう思いその場に放棄しようとしたが、何故か捨てようにも捨てられない。

何となく、私が持っておいた方が良いような気がしたのだ。

 

これは果たして私が剣の誘惑に負けてしまったのか、本当にそういう直感が働いたのかは私にすら分からない。

私は剣を持ったまま洞窟から出た後、それを布で何重にも巻き付け、そのまま旅を続けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後私は大陸を旅し続けた。その旅路では人間の素晴らしさに幾度となく出会ったし、その何倍もの人間の残酷さにも出会った。

賊に襲われている母娘を見つけた時、流行り病に侵され見捨てられた少年を付きっきりで看病した時。

 

死を受け入れ老体で剣を振り、手を握り励ましの言葉をかけ続けた。その際に幾度となく思った。『ここが私の死に場所だ』と。

未来がある人間のためならば命を捨てる事など惜しくはなかった。

 

事実賊に体を斬られ浅くない傷を負い、少年から感染した病にうなされたものの、私が死ぬことは無かった。まるで何かから護られているかのように。

 

結局、そのまま私の旅は続き多くの人間と交流した。

イタリアでは“レオナルド”と名乗る才能あふれる人間と出会い数十も歳の離れた友になった。彼の出身は“ヴィンチ”という村であるそうで、イタリア風の名乗り方をするのならば“レオナルド・ダ・ヴィンチ”。

私の記憶の隅にあった大天才と同じ名前であったし、男は若き身でありながら底無しの才能と確かな実力を備えていた。

 

彼はこの後の人生で大きな功績を残し、後世に名を残す男になるのだろう。

 

私がレオナルドの師匠に工房で顧問として雇われていたある日。

仕事が終わったレオナルドと他の弟子たちと共に食事を摂り、空を見上げるとそこには見事な満月があった。

そして私は彼らに遠い未来の話をする。人間は技術を以って月に降り立つのだ、と。

 

酒の席だったこともあり酒の肴程度になるかと思って話したのだが、レオナルドはそれに食いついた。

私にその手段を問い詰める彼の瞳は大変輝いており、未知を探究し実践しようとする若き男の才能と好奇心を羨ましく思った。私の肩を掴み前後に無理やり揺らされるのは酒が回っていたこともあり吐き気を催したので中々に辛かったが。

 

『月に降り立つ、か……もし実現したとしても君はもう逝っているだろうね』

 

私の栄光を見せられないのは残念だな、と。そう笑いながら言ってくるレオナルド。

 

『君は不思議な人間だ。工房には変わった人間が多いが…その中でさえも異物のような感じさえする。…もしかしてイングランド人とは皆そうなのかい?』

 

彼の言った“異物”という言葉に苦笑する。ジャネットと言いレオナルドと言い、選ばれた者には人間の正体を見破る能力が齎されるものなのだろうか。

 

『……異物か。あながちそれも間違いで無い』

 

何故か時代を飛び越えイングランドに生まれ、そして育ってきた。私の持つ価値観と真逆なこの世界に苦しみながらも生き延びこんな歳まで生きている。

 

『……レオナルド、頑張れよ。君は他人に無い才能に溢れている』

『当たり前だろう?私は天才だぞ?』

『それもそうだな…』

 

 

 

 

 

 

私はその後も旅を続け、時に死を感じながらも命が果てることは無かった。

結局私が死に場を探すためにブリテンを旅立って八年後、私は領地に帰ることになる。

 

死に場所を探すという当初の目的は何処へやら。

私は死ななかった。いや、死ねなかったと言った方が正しいか。

 

 

あぁ、偉大なる主よ。私の人生を見守って下さった慈悲深い主よ。

 

 

 

 

────貴方はこの老いぼれにこれ以上、何を求めるのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────戦争が終わった

 

ブリテンを二分した戦争は各地に凄惨な結果と傷跡を残し、そして終結した。この三十年で貴族は疲弊し力を大きく削がれることになる。そんな中新たな王家が生まれ、王朝が開かれた。

イングランドの新たな歴史が始まったのである。

 

この戦争で多くの人間が死んでいった。貴族も商人も農民も関係無く。皆に等しく死が訪れた。

純粋無垢な子供が、前途有望な若者が、余生を穏やかに過ごしたいと思っていた老人が、その全てに暴力という名の理不尽が襲いかかる。

 

それは私達の土地も例外では無く人間の欲の格好の餌食となった。それらから人々の暮らしを守るため男達に武器を取らせ、当主が率いて戦場に赴く。

結果を言えば、私達は大切なものを守り切った。

領内に敵兵の侵入は許さず、侵略者の刃で斃れる民衆は殆ど出なかった。各地の街や村も破壊されず、むしろ規模は開戦前よりも大きい。

これらは正に奇跡と言って良いだろう。人々の暮らしは守られ営みは続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

「───ようやく止んだか」

 

窓から外を覗きそう呟く。数日降り続けた雪は領内を白く染め上げそこに暮らす人々に自然の試練をもたらした。

もうすぐ死ぬと予想し旅に出たものの帰ってきた日から二十年以上が年経ち、現在私の齢は九十半ばを迎えようかとしている。

 

(まさかここまで生き残れるとは……予想だにしていなかったな)

 

若い頃からの友人は悉くが死に絶え、年下の部下でさえ見知ったものは大きく減った。

 

あれから私は甥とその部下から苦言を呈されない程度に若い世代の指導をしたり、後世に残せば役に立つであろう知識や情報を書物にまとめたりと老人にしてはだが、自分に出来る限り貢献したつもりだ。

領内は私が生まれた頃と比べて発展し、豊かになった。

 

若い世代の育成をしていることが何処からか漏れたのか、周囲の土地からも才能を持った若者が私の領地を訪れてきた。

どうやら私は他の土地でも名前が売れていたらしい。内戦において領地を守り抜き領内を発展させたからだとか。

 

そんな教え子達の成長を見守っていたこの二十年は楽しい時間であった。

ただし、当初はこんなに長生きするとは思ってもいなかったが。

 

ふと胸に熱さが込み上げてくるのを感じると、咳が出る。中々収まらなかったそれが止んだ時には、手にはべっとりと血がついていた。

 

「今度こそ、もう長くはないか…」

 

私は数年前から病に侵されており、今ではほぼ毎日床から起き上がれない程衰弱している。だがそんな中でも今日は幾らか調子が良かった。

 

部屋の扉がノックされる。その後入ってきたのは甥だった。

彼ももういい歳で、白髪と顔に刻まれた皺がそれを物語っている。

 

「どうやら今日の調子は良さそうですね、叔父上」

「あぁ…今日は良い。どうだ、久しぶりに散歩にでも出ないか?」

「ですが今日は寒いですし…また今度でもよろしいのでは?」

「歩ける日がもう一度来るとは限らないからな…死ぬまでにもう一度城下を見ておきたいのだ」

 

そう言うと甥は了承してくれ、その後私たちは十名の護衛と外出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは私服に変装し、城下の大通りを歩いていた。護衛達は剣を携えており不測の事態にも対応可能。死にかけの私はともかく甥に何かあれば一大事だ。

彼の息子は賢く、立派に成長し後継は問題無いが、いかんせんまだ経験が足りない。後数年は様々なことを学んだ方が良いだろう。

 

目の前を数名の子供達が駆けながら通り過ぎる。彼らの眼は希望に満ちており、甥にもあんな時期があったな、と思い昔を懐かしく思った。

 

歩きながら私は甥に尋ねる。

 

「…お前は自分の人生に後悔したことはあるか?」

 

貴族の家に生を受け、生まれながらにして数多の人間の命を背負うことを約束された人生。彼にのしかかる重圧は並大抵のものでは無かっただろう。

だが彼は泣き言を言わず私についてきて、私の後を継いだ。そして立派に民を護っている。

だがあんな風にはしゃぎ、笑い合う同世代の子供達を羨ましく思った日があったかもしれない。身につけた上品さなど投げ捨て友と酒を飲み、笑い合いたいと思う日もあったかもしれない。

 

「叔父上、私は自分の運命を呪ったことなどありませぬ。貴方との日々は楽しく、そして輝いていた」

 

笑いながらそう言う甥は更に言葉を紡ぐ。

 

「叔父上────貴方は私の誇りです」

「そうか…」

 

その後も歩きながら会話する私達。その時間はとても穏やかで楽しいものであった。しかし、速度はゆっくりであったが、死にかけの老人には些か過酷である。

大通りの一角にベンチがあるのを見つけ、私はそこに座った。

 

「すまないな…流石に歳には勝てない」

「いえ、お気になさらず。ゆっくりと休んで下さい」

 

ベンチに腰を落ち着けながら街を見渡し、考える。

私が生まれてから九十余年、領内はかつて無いほど発展した。優秀な若者の指導も果たせ、次の世代にも芽を残すことが出来た。

宗教的な思想に絡めて衛生概念など人々の暮らしに関わる部分を何とか改善するも、やはり宗教観というのは根強く、他の領地にまで広まらなかったのは残念だったが。

 

人々は私のことを敬意を込めて“賢者”と呼ぶのだと、若い部下から聞いたことがある。私ごときには過ぎた異名だ。

確かに領地を守り抜けたことは誇りに思うが、それは私について来てくれた部下の命を散らしたことで成せたものであり、一番の功績者は彼らである。

 

私が指揮した戦場では多くの男が死んだ。敵も味方も。

私は数え切れない程多くの人間の屍の上に今も立っている。その中には私に忠誠を誓った騎士もいれば、家族を守るために仕方なく武器を取った男もいた。

彼らは今でも偶に私の夢に現れては、私を地獄に引き摺り込まんとしている。私は死んだらその夢の通り地獄に堕ちるのだろう。

 

 

 

「少し…眠くなってきたな…」

 

瞼が重くなり、体に力が入らなくなる。もう体力は底をついたのだろう。

横を向いて甥と護衛達を見ると、彼らは街を眺めながら自然体で過ごしていた。甥ももう若くない。こういったゆっくりと過ぎていく時間は癒しなのだろう。

 

ならば、少しくらい寝てもいいだろう。私は睡魔に身を任せ、体から力を抜く。

 

 

 

 

視界が段々と狭くなり、完全に闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が目を覚ますと、そこは見渡す限りの野原の中だった。遠くには青々とした山も見える。先程までの寒さは無く、頬を撫でる風は温かくて心地よかった。

それは領内の辺境の様でもあったし、かつてのフランスの様でもあった。

 

その時、少し離れた場所に人影があることに気づく。それは風に金髪を靡かせた少女のように見えた。

歩きながら近づくと、その人は私に気づいたようで此方を向く。その時私と目があった。白いブラウスを風ではためかせるその人は私に向かって手を振ってくる。

 

「──!───!」

 

私に向かって何かを言っているのは分かったが、距離が遠いためよく聴こえない。

 

私はその人に向かって駆ける。私の身体は羽のように軽く、走っても痛みは無い。まるで若返ったような感覚は違和感でしか無かったが、そんな事を気にしてはいられない。

 

私がその人の元に辿り着くと、そこには懐かしい顔があった。

 

 

 

「───ジャネット」

 

私の前で炎に焼かれて人生の幕を下ろしたかつての聖女は笑顔で私に向く。その笑顔はとても眩しかった。

 

「久しぶり!もう、待ちくたびれたよ!」

 

一体私の何倍生きるの、と冗談まじりに言ってきた彼女を見て私も思わず微笑む。実に七十年ぶりのジャネットとの会話。かつての思い出が次々と蘇ってくる。

 

「突然のことで色々と聞きたいことはあるが…大方把握した」

 

私はあの場所で死んだのだろう。死期が近いことは分かりきっていたので驚きはしないが。

だとすれば此処は死後の世界か。

 

「───私について来てくれる?」

 

彼女は私の手を引くと走り出そうとする。その視線の先にはどこまでも続く草原が。私は彼女に身を任せ走り出す。

身体はやはり羽のように軽く、どんなに走っても疲れない。

暫くして彼女は止まった。そして私の方を振り向く。

 

「最期の日の事…覚えている?『忘れない』ってあなたが言ったこと」

「あぁ…ちゃんと覚えている」

 

そう言うとジャネットは改めて手を私に差し出し、笑った。

 

「ここで一緒にいっぱいお話しして、昔みたいに毎日一緒に祈ろうよ!」

 

その姿はかつての記憶と変わりなく、天真爛漫な笑顔の少女がそこにいた。

私はその手を取ろうとし────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────すまない、私はそちらに行けない」

 

私は今までに走ってきた方向を見るとそこには青々とした草原など無く、燃え盛る炎に包まれているのみだった。

若き日の私がフランスで殺した兵士達、そして私たちの領内に攻めてきた同じイングランド人の兵士達。

数百──いや数千の男達が私を睨み罵詈雑言を浴びせてくる。私がそちらに堕ちるのを今か今かと待っている。

 

「あそこにいる彼らは私が殺した男達だ。私は人生で数え切れない程の命を奪ってきた」

 

ジャネットは悲しそうな顔でこちらを見ていた。

 

「───君の所に行くために、私は自分の罪を償わなくてはならない」

「そう…」

 

ジャネットは私に近づいてきて、口を開いた。その声は震えているように感じる。

 

「手を血で濡らしたのはあなただけじゃないよ?生きていくためには仕方なかったんだよ?」

「…確かに私の行いは仕方なかったのかもしれないが、それでも彼らは私を許していない」

「…っ」

 

苦虫を噛み潰した様な表情をしたジャネットは一度目を閉じ、再び開けてから私に言う。

 

「…あなたの償いが終わってもう一度私と会ったら、また一緒にいられる?」

 

もしもそんな奇跡が起きるのならば、私は彼女に対等の立場で接することが出来るのだろうか。もしそうなったとしたら、悪く無いかもしれない。

 

「あぁ…必ず約束しよう」

「なら決まりだね!」

 

そう言うと彼女は小指を突き出した右手を私の前に出す。これはいつか私と彼女がやったゆびきりげんまんだろう。

私はジャネットと小指を絡め、彼女が詠唱し始めた。

 

 

 

 

「───指切ったっ!昔した『また話そうね』っていう約束は守ってくれたんだから、今回も守ってくれるよね!」

 

ジャネットは笑って言い切った。私たちはもう死んでいるのだから、再会できる可能性なんて普通は無いだろう。

だというのに、彼女の言ったことは本当に実現するかもしれないと思わせるのだからこの少女は凄い。彼女だからこそフランスの男達は命を賭けたのだろう。

 

気づけば、炎が私たちの足元まで迫ってきていた。この場に留まれば彼女まで飲み込まれてしまうだろう。

別れの時間はすぐそこだ。

 

「さぁ、もう行け。このままでは君まで堕ちるぞ。そうなってしまえば…私が申し訳なさで参ってしまう」

 

別れ際くらい笑っても良いだろう。私はジャネットに笑いかける。

すると彼女は私に近づいてくる。一歩、そして二歩進んだところで止まった。私達の距離は、もう少しで互いの身体が触れ合う程近い。

 

「…何をしている?早く行くんだ」

「もう…分かってないなぁ。こういう約束をする時何をするのか知らないの?」

 

勉強は何でも知っていたのにね、と笑う少女。その顔は輝かんばかりの笑みで満たされている。

 

私は昔、ジャネットがこういった顔をしたのを見たことがある。

 

 

 

 

 

『どう?驚いたでしょ?』

 

私が畑仕事を終わらせて家に帰ったら、入り口で待ち伏せていた彼女が私を驚かせてきた時。

 

 

 

 

『あははは!冷たくて気持ち良いね!』

 

ジャネットら村の子供達を連れ森の奥に釣りに行った時、私は彼女に悪戯で湖に落とされた。結局私たちは全員湖の中に入って遊び、夏の暑さを吹き飛ばしたのを覚えている。

 

 

 

 

他にも沢山あるが、とにかく言えることはジャネットは悪戯をし、私の反応を楽しんだ時に決まってあの笑顔をする。

つまり今から彼女は私に何かを──

 

 

───何か柔らかいものが唇に触れる

 

私がそれを何なのか把握したのは数秒後だった。

ジャネットは顔を赤らめ私を見ている。そして笑顔のままで口を開いた。

 

「またね!何十年───何百年経っても、待ってるから!」

「…そうか。───ありがとう」

 

彼女はどこまでも先に広がる野原に向かって走り出した。

その時ちらりと見えた横顔は泣いているようにも見えたが、もう確かめる術は無い。

 

───私の足に、そして下半身に黒い炎が絡み付く

 

数千の兵士達はその身を黒い炎に変え、私に殺到してくる。まるで生前の恨みを晴らすかのようにその勢いはどんどん増し、肌を、そして肉を焼かれる痛みが私を襲う。

それからすぐに炎は全身にまで及び、視界はそれによって包まれる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

体を焼かれる痛みはいつまでも続いた。声にならない絶叫を一体どれだけ叫び続けただろう。

 

もう分からない。

 

恐らく、私の償うべき罪はこの何千、いや何万倍でも足りないのだろう。もしかしたら永遠に続くのかもしれない。

 

 

 

だが不思議と絶望はしなかった。

 

それは何故か?

そんなもの、決まっている。

 

 

一人の少女が私を待っているのだから───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




以下、あとがきが少々長くなります。

【エデンの剣】…『アッティラ王の剣』『エクスカリバー』とも呼ばれ、チンギス・ハーンやジャンヌ・ダルクといった歴史上の人物の手に渡っていたと言われている古代文明の遺産。

『Fate世界とアサクリの世界観って似てるな』と思っていたら、まさかのジャンヌも所有者の一人だったと分かり、『これは書かねば』となりました。話の幅も広がりそう。

主人公の手にしたエデンの剣はセイバーやアルテラの宝具とは似ているけど別の物という、アサクリ世界とは違う独自設定もあったり。

ちなみに主人公にはこれを扱い切る程の力は無いので、もし宝具として登録されるのならば、使う度に体力がゴリゴリ削られる。

以上、長くなりましたがあとがきとさせて頂きます。
この作品を見て下さった方々、ありがとうございました。
あと少しだけ幕間みたいなのも書く予定です。


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幕間 その一

とりあえず幕間の一話目です。
主人公がブリテンに戻ってからの描写が少ないと思っていたので書きました。
勿論彼のおかげで助かった人々も沢山いて、それは知っているけれども現代日本人の心を持つ彼にとって人生で奪った命は重すぎた…みたいな雰囲気を感じて貰えれば幸いです。


───私の叔父上は立派な人だ。

 

書斎で筆を走らせながらそう考える。

頭の中で思い浮かべるのは、私が尊敬している一人の男であり、我が家の当主。

 

戦場で形勢が不利ならば危険を顧みず前線に出て兵を鼓舞し、勝利に導く。

寒波で作物が取れない年には当主自ら農村に赴き代表者達と話し合い、収穫が安定するまでの税率を設定し直す。

得た金は決して浪費せずに貯蓄に回すか、貧しい者の暮らしを改善するために使っている。

 

かつて私の父───つまり前当主が病で床に伏せていた時、叔父上は『この身全てを民に捧ぐ』と誓ったらしく、その言葉通りにあの人は生きている。趣味や娯楽といったものに興味を持っているところはほとんど見たことが無い。

強いて言えば以前、私と過ごすことが何よりの幸せだ、と言っていたか。

 

そんな叔父上は、この土地に暮らす人々から愛されている。

私は彼のそばにいることを幸せと思っているし、将来彼の跡を継ぐ事に対しては心配や不安もあるが、それ以上に楽しみでもある。何故ならば、尊敬してやまない叔父上の見ている景色を見る事が出来るのだから。

 

以前、叔父上に昔から仕えている人間が『あのお方は随分と変わった』と言っていたことをふと思い出す。

彼によると、昔の叔父上は今よりも表情豊かで気さくな人柄だったらしい。部下達との酒の席では肩を組みながら歌うことも偶にあった程だとか。

その話を聞いた時、私はその事を俄には信じられずにいた。

 

冷静沈着、基本無表情、仕事の鬼、弱音を吐かず弱みを決して見せない。微笑みを浮かべることは多々あるが、大口を開けて笑う姿などを見た日には、家の者全員が驚くこと間違い無しの堅物。

決して若いとは言えない年齢になった今でも剣の腕は高く、家に仕えている若い男達と打ち合ってもほぼ負けない。

 

他に挙げれば幾らでも出てくるが、私の知っている叔父上はそういう人間だ。そんな彼が酒の席で笑っている姿など、想像できないのも無理は無いだろう。

 

叔父上の昔を知る人間の話はまだ続く。

若い頃は剣の腕前をはじめとした特技の数々と性格の良さから淑女達の憧れの的だったらしい彼だが、妻を娶ることは終ぞなかった。

彼が当主の座に就いた際、そういう話が家臣達の間で出たらしいが彼が却下したことでその話は流れたらしい。

理由は、子ができてしまえば私との後継者争いが生まれる可能性があるからだそうだが、彼の昔からの部下によればそれは違うのだとか。

 

───『あのお方には愛している方がいらっしゃる』

 

彼は私にそう言った。もっとも、それは叔父上本人が認めたことではなく彼の考えだが。彼曰く、“男の勘”だそうだ。

 

勿論、これも俄には信じられない。私には、叔父上が女性に対して愛を囁く場面の想像が出来なかった。

もし本当にそんな女性がいるのならば、是非とも見てみたい。あの人の心を奪った者はどのような人物なのかと大変気になる。

 

(…あの人と腹を割って語り合える。そんな日が来るのならば───)

 

私の人生における最高の日になることは間違い無いだろう。その事を考えただけで自然と口角が上がり、仕事に対するやる気が湧いてくる。

 

まだまだあの人には程遠いが、いつか肩を並べられる日が来るのだろうか、と。

そんな事を考えながら、私は作業を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

ある日の夕方、私は叔父上が屋敷の裏にある山の中に歩いていくのを見た。彼は時々、あの山の中に一人で入る。

その先に何があるのかを、叔父上は誰にも言わない。

 

そんな、叔父上の謎の行動に私は以前から興味が湧いていたので、私はこっそりとついて行くことにした。

別に叔父上は『ついて来るな』とも『興味を持つな』とも言っていないのだから、と自分に言い聞かせながら私は進んだ。

 

深い森の中を私は進む。

森に入って暫く経つと、少し拓けた場所が現れた。そして、そこには一つの小さな十字架が建っている。

叔父上はその前に跪き、両手を組んだ。

 

(あれは…墓、か?)

 

気づかれないようにしていたため私と叔父上の距離はそれなりに離れており、よって細部まで見ることが出来ない。

なのでもう少し近づいてみるかと思い、一歩進んだその時。

 

───パキリ、と足元から高い音が鳴った。

 

枝を踏んでしまったのだと気づいた時には、叔父上の顔は此方を向いていた。目と目が合い、私たちの間には沈黙が流れる。

それを破ったのは、叔父上だった。

 

 

「……こんな所で何をしている?」

 

私が何と言おうか迷っていると、叔父上は口を開く。

いつも通りの、淡々とした声。

 

「…そんな所で立っていても仕方ないだろう。こちらへ来い」

 

私は言葉に従い、叔父上の元へ歩く。彼が跪いていた十字架はやはり誰かの墓だったようで、花束が一つ供えられていた。簡素という言葉の似合う、至ってありふれた墓。

私は叔父上に尋ねる。

 

「この墓は…誰のものなのですか?」

 

その言葉に、彼は答えない。聞こえなかったのかな、と思いもう一度口を開く。

 

「叔父上───「お前は、人を愛したことはあるか?」

 

最初、質問の意味が分からなかった。

だが、叔父上は私の目をしっかりと見ていて、表情はいつもの彼と同じく真剣そのものだ。

 

「えぇ、人並み程度には」

「…そうか」

 

そう言うと叔父上は、彼のすぐ横の地面をポンポンと掌で叩いた。一緒に私も祈れ、ということだろう。

私は叔父上の横まで進み、彼と同じ様に跪いて両手を組む。

辺りには静寂が流れ、時間がゆっくりと過ぎていった。その間、私と叔父上は何も喋らない。

 

暫く時間が経ち、ようやく叔父上が口を開く。

 

「付き合わせて悪かったな。では…帰るとするか」

 

立ち上がり帰路につこうとする叔父上であったが、私は彼の手を掴んで止めた。

叔父上が個人的に訪れている墓の主が誰なのか、どうしようも無く気になったからだ。

 

「…叔父上、この墓は誰のものなのですか?」

 

再びそう聞くと、叔父上は視線を少し離れた所にある切り株に向けた。そして、私に向かって一言。

 

「…少し、あそこに座って話していくか」

 

その言葉に私は頷き、私たちは歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───これは、私の昔話だ。私がフランスの地で兵を率いていた頃のな」

 

そんな叔父上の言葉で話は始まった。

叔父上は大陸に渡ってからの日々と、それから間も無くして仲間達とはぐれたということを語る。

 

このことは私も既に知っていた。彼は仲間達とはぐれてから二年間無事に生き延び軍に帰還する。ただし、その間の何があったのかは誰にも話さなかったが。

そんな謎に包まれていた日々の話を、私にした。

 

「…水桶をひっくり返した様な嵐の夜。私は命からがらフランス人の村に辿り着いた。そこの村人達に傷を癒やしてもらったことで、私は今も生きている」

 

淡々とした口調で紡がれていく彼の物語に、私は耳を傾ける。

その声色からは輝かしい思い出を嬉々として語る少年の様な、そんなものを感じ取ることが出来た。普段滅多に感情を表に出さない叔父上がそんな雰囲気を出していることに、私は思わず驚く。

 

「その村では親しい友ができ、私は毎日を心の底から楽しんでいた。…偶に現れる野盗の事さえ忘れてしまえば、本当に穏やかな時間が過ぎていったのだ」

 

そして、と叔父上は言葉を続ける。

 

「───私はその村で、一人の少女に出会った」

 

叔父上の表情がふっと軽くなり、その声は大変穏やかだった。

そんな叔父上の様子を見た時、私は確信する。叔父上に愛しい人がいるというのは本当の事だったのだと。それと同時に、この人をこんな表情にさせる少女を羨ましく思った。

叔父上の言葉は続く。

 

 

「その少女と過ごす日々は大変充実していたし、楽しかった。…それと同時に、彼女は私の恩人でもあったのだ。軍を率いる身である事を隠して暮らすことに罪悪感を感じ、参りかかっていた私の心は彼女のおかげで持ち直すことが出来た」

 

いつもの彼からは想像が出来ない程愛おしそうに話す叔父上に対して、私は遂に口を開く。

 

「…その女性は、叔父上にとって大切な人だったのですね」

「あぁ、確かにそうだ。…但し、私がそれを自覚したのはもっと後のことだがな」

 

どこか悲しみを孕んでいるように感じる声で話す叔父上を見ながら、私は今までの叔父上に対する考えを改めた。

私は今まで、叔父上は色恋沙汰などには興味を持たない類の人間だと思っていたのだが、その認識は誤りだったのだと。

目の前にいる男は、かつて確かに一人の女性を愛していた。

 

「…結局、私が想いに気づいたのは彼女の死に際だった。彼女は最期に私に告白をしたが、私から想いを伝えることは終ぞなかった」

 

そこまで言い終わった所で叔父上はふぅ、と一息つく。先程までの容易に感情が読み取れた顔はもう無く、いつも通りの無表情に戻っていた。

そして、私に向かって一言。

 

「あの墓は、その少女のものだ。勿論ここに骨は無いが…誰かが弔ってやらねば浮かばれない。何より、彼女のお陰で私は今も立ち続けられているのだから」

 

そう言って墓の方を見る叔父上に、私は声をかけることにした。

叔父上がフランスにいた時期は、もう二十年以上も昔になる。そんな気の遠くなる時間、彼は一人の女性を想い続けたのだ。

話の内容から、その女性が叔父上の心の支えになっていることは明白。女性は既に故人なので会えることは無いだろうが、死後の世界───いつか叔父上も向かうことになる天国での再会を願わずにはいられなかった。

 

「…きっと天国で再会できますよ。その時は、二人とも幸せになって欲しいものです」

 

そう、叔父上に言った。

私の叔父上は誰から見ても非の打ち所がない人格者で、従順な信徒だ。

我らの主も、そんな彼ならば迷うことなく天国に連れて行ってくれるだろうと確信しての発言。

 

私の声を聴いた叔父上は少し微笑み、そして───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────いや、私は天国には行けないだろう。私の行く末はただ一つ、地獄のみだ」

 

 

笑いながら、そう答えた。

その表情からは冗談など感じられないことから、本心からそう言っているのだと分かる。

私の心に浮かぶのは、『何故?』という疑問ただ一つ。

 

彼は当主の座に就いてから、文字通り全てを民に捧げてきた。

結果民衆は叔父上を敬い、そして愛している。彼に救われた人間は数え切れないほどいるのだ。

 

「…私はこの手を数え切れない程の男達の血で染め、そうして出来た死体の山の上に立っている。そんな私が天国に行くのは…申し訳無い」

 

当然私は抗議する。彼の人殺しは民を守るためのものであり、欲望に任せて殺人を愉しむ下衆どものそれとは断じて違うのだ。

そうであると言うのに、彼は今までに奪った命に対して罪悪感を持っている。その事実に、私はただただ驚くばかりだった。

 

「…確かに私たちの行いは民の命を救い、暮らしを守った。だが、未来ある数多の命を奪ったことも紛れもない事実。だから…私はそれが主のご意志であったとしても、天国には行かないつもりだ」

 

ただし、共に戦った仲間達やあの少女には天国でゆっくりと休む資格があると彼は言った。

結局、これは叔父上の気持ちの問題なのだろう。

無表情を少し崩して瞳に悲しそうな感情を浮かべる叔父上に、私は何も言えなかった。

叔父上がいつもの涼しげな顔の下にこの様な思いを抱いていた事を、誰が想像出来ただろうか。

 

「…叔父上は、罰せられることを望んでいるのですか?」

「あぁそうだ。…あの少女を助けられなかった時も、この手でフランス人を斬った時も、私はずっと誰かに裁いて欲しかった」

 

淡々とそう答える叔父上。

ふと上を見てみると、空は大分暗くなっている。

そろそろ帰らなくてはならないだろう。叔父上も同じ思いのようで、その腰を上げた。

 

「…さて。では帰るとするか、私たちの家に。長話をしてしまいすまなかったな」

 

そう言って微笑む叔父上に私はついて行き、屋敷への帰路につく。

その道中、叔父上は私に向かって口を開く。

 

「…私は裁かれることを望んでいると言ったが、自ら命を絶つような真似は決してしない故、安心してくれ。…それこそ、私に命を預けてくれた者たちへの冒涜に変わり無いからな」

 

私が再び空を見てみると、もう月が出始めていた。

 

今日思いがけなく知った、叔父上の心境。

私にとっての理想の一つであった彼も心を持つ一人の人間だったと知った事への安心と、今まで知らなかった彼の弱さを知ったことによる驚き。

その二つが、私の心の中にある。

 

 

「確か…明日は特に予定は無かったな。どうだ、部下を連れて釣りにでも行くか?」

 

久しぶりに家族らしいことでもするか、と。そう言って微笑みかける叔父上。

この人は私にとって、幼少の頃より育ててくれた恩人だ。私に生きる術を教えてくれたかけがえの無い師でもある。

もしも、私が立派になり彼の隣に立つことで、この人が罪の意識から少しでも救われるのならば───

 

 

 

「───えぇ、是非とも」

「そうか…では、楽しみにしておく」

 

 

私は叔父上を救いたい。そして、死後は天国に行かせてやりたい。

この人は、地獄に堕ちて良い人間では決して無いのだ。

そのためにまず、私はこの人を越える当主になるのだと、改めて目標を心の中で掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




見て下さりありがとうございました。


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