DQ2 四つ葉の勇者~人間に戻った王女に1勇が降臨しました~ (みえん)
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読まなくても大丈夫です。


 

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<登場人物紹介>

 

ロル(ローラント)>ローレシアの王子。中肉中背。気さくで明るい健康優良児。剣技においては天才的な片鱗を見せる。

 

カイン(カインフォード)>サマルトリアの王子。王に子ができなかったため、王子選出会を経て王太子となる。剣も魔法も使える魔法戦士。

 

アイリン>ムーンブルクの王女。神子姫として名高い。

 

シア>アイリンの腹心の侍女であり、生まれはルプガナの商家。王子二人とは仲良し。

 

レオンハルト>ローレシア初代国王。開拓王でありかつてのラダトームの勇者。享年93。アイリンの呼びかけに応じ現世に降り立つ。

 

 

ラヴェル>ラダトームの第一王子。ロト三国とは交流がある。エルフの魔女の血を継いでいるため、魔力が高い。

 

リオ>神官の一族。額に神鳥ラーミアを象った文様がある。

 

ラヴァリエ三世>ラダトームの現国王。なぜか武器屋に引きこもっている。

 

チェリ姫>サマルトリアの選出王女。

 

勇者ロト>かつてアレフガルドを大魔王から救った伝説の女勇者。ロトゆかりの街に銅像が建てられている。

 

 

アレア>妖精族の姫(の一部)。こちらの世界で、勇者の子孫を守り続けている。

 

師匠(ミラ)>エルフの魔女(純血種)。元は呪われたエルフであったため、異常に長生きしている。レオンの魔法の師。

 

 

 

【第4話時点でのステータス】

 

 名前 髪色 瞳色 年齢 物理攻撃 / 攻撃魔法 補助魔法 特殊技能

 

 ロル 黒 濃い青 16 剣A槍B / 魔力なし

 カイン 金 明るい青 16 剣C槍B / D C

 シア 紫 赤 16 杖C / C C

 アイリン 金 真紅 杖A / A C 神子

 レオン 黒 黒 93 剣SS槍Sその他全A / 全魔法A 闘気 妖精の加護

 

 

【神聖王国ムーンブルク】

宗教都市として栄えています。ミトラ神を奉る大聖堂や神殿があります。元々ハーゴン神殿にはミトラの大神殿があり、かつてはムーンブルクから祈りを捧げていました。ムーンブルク陥落により、ミトラの祭壇は破壊されています。

代々、王族の姫は神子として予知や予言を行っていました。百年ほど前、ロトの子孫王女をムーンブルクの王子妃に迎えてから、ローレシア、サマルトリアと姉妹国になりました。

アイリンは幼少の頃、神子力が強すぎて、魔力のほうが表出しなかったため、魔法が使えないと勘違いされていました。

 

【神と種族】

精霊神ルビスはミトラの従属神にあたりますが、ロト三国では民に人気が高く、長く愛されています。

宗教は基本的に自由なのですが、それぞれの種族により、崇拝する神が違う傾向があるようです。エルフ族は主に妖精神。

人間は太陽神、夢神、など。物語に出てくるシド神は邪神の仲間とされ、聖職者の間では「破壊神」と呼ばれています。

 

 

【五つの紋章】

勇者ロトの活躍した時代には、オーブという神器がありました。その力をそれぞれの紋章に封じ、今の時代に持ち越されています。

小さなアクセサリーサイズで持ち運びができますが、ロトの子孫で血の濃い者にしか使用できないようです。(過去に精霊との契約があったため)炎はローレシア、水はサマルトリア、月はムーンブルク、星はラダトーム、命は、ロトの子孫が信用していた者へと渡ったようです。

 

 

【古代四神塔】

ナジミ、シャンパーニ、ガルナ、アープの塔のこのことを指します。

過去、ロトの勇者が大魔王との決戦する以前に、地殻変動で異世界から逆さまに落ちてきたものです。(落ちてきたものが、そのままこちらの世界に刺さっています)

異世界(ミッドガルド)の物質が数多く残っていますが、「それが何なのか」を解析できる者はごく限られます。レオンハルトは、まだ若い頃に、師匠のミラから異世界の知識を教えられてます。

 

 

 

 



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1 ローレシア初代国王さま 降臨する

「お前ら遅いんだよ。餓死するかと思ったじゃねーか」

 

 春の女神がそろそろの頃合とばかりに、厳格な冬将軍の頭を、ぽんと飛び越えた辺りである。

 言うなれば、薫風に舞う花弁だ。その到来をいち早く告げる、愛らしい小鳥のさえずりにも似た。

 それほどに、目の前の彼らにとっては、待ち焦がれた声だったのだ……ただし。

 

「ん。寒いな。そこの犬っぽい女、さっさと服を寄越さんか」

「あの。アイリン王女ですよ……ね?」

 

 仄かに残る、ラーの鏡の残光を凝視する。

 確かに、つい先ほど、犬からヒトへと、魂と相成りする真実の姿へと、姫は変化を遂げたはずだった。

 なのに。

 応えはなく、一瞥の仕草もなく。

 薄い膜を貼ったように瞳に憂いをのせ、虚空を見つめているばかり。 

 

 ……光景だけなら、美しい。

 漂っていた精霊たちが、春の芽に柔らかな息吹をのせるように。

 高く、遠く、彼方から、いっせいに光を集め、丹念に織りあげられた美の空間に、衣を纏わない閉月羞花な少女が佇んでいる。

 

「聞こえなかったのか? 飯と服だ。そこの青と緑は、速やかに名を名乗りやがれ」

 なんとも、不釣合いな全裸のガニ股を、惜しげもなく披露したかの乙女は、ことさら不機嫌な顔で、人差し指を他人に突き付けた。

 

「うああああああ────っ!」

 

 ローレシア王子、ローラントの絶叫が響き渡る。

 初めて恋心の砕け散る音を聞いた──と、隣で同じように硬直していたサマルトリアの王子カインが、気の毒そうに頭を振った。

 案の定、ローラントは両膝をついて眼を白黒させている。

 さながら無理やり引っこ抜かれたマンドラゴラのように、二たび、三たびの奇声を発しながら、それでも目線だけは未練がましくアイリンを追うあたりは、健気というか哀れというか。

 おそらく王子の体内には、どこぞの出来損ないの吟遊詩人が奏でる、呪いの音楽が鳴っているだろう。胃の腑から酸が滲み出るような、苦く辛い旋律だ。

 

「姫様ぁっ! これを!」

 そこへ、凍った空気をものともせずに、果敢に破りに入った少女が一人。

 シアである。

 紫の長い髪を揺らし飛び込む彼女は、もともとはルプガナ商家の娘であったが、経緯を経て、王女アイリンの侍女職を担っていた。

 当然、お役目大事とばかりに、任務を遂行する。

 これ以上、姫君の高貴な裸体を晒すわけにはいかない──。肌身離さず持ち歩いていた白の外套(マント)を翻し、ひたすら走る。

 しかし悲しいかな、相手が悪すぎた。

 アイリンの姿をしたかの者は、すばやく腕を伸ばし、器用に外套だけを引き抜き、もう片方の利き手で、シアのこめかみを捉えた。

 親指と中指がシアの頭をまるっと挟み、同時に強烈な握力によって締められる。腕の長さには差があり、そもそも視界を掌でさえぎられていては、満足な抵抗もできやしない。彼女は、獲られた仔兎のように、どうにも動けなくなった。

 

 「綺麗だ……」

 完璧なアイアンクロウ。淀むことなく決まった手の形、位置。そして押さえた肌の色合いからわかる絶妙な力加減。こんな綺麗なアイアンクロウは素人にはできまい──とサマルトリアの王子、カインはほぅと嘆息する。

 こやつ、できる。

 できるぞ。只者じゃない。

 姿形はどう見ても、可憐でたおやかなアイリンの姿。

 陽の光を写しとったような金の髪に、絹に光沢を織り込んだような白い肌。羞恥を覚えたばかりの少女のように、頬は薄紅を伴い、珠艶の唇はツンと愛らしく上を向いている。

 加えて庇護欲をかき立てられる、丸みのある輪郭……であるというのに、瞳に宿した眼光の鋭さは、どうだ。

 夏の夕暮れに赤々と煌く残照のように、鮮烈で強い。

 

「……お、おい、シア死ぬだろ。いいのか」

 程なく復活したローラント王子が、ツッコミ役よろしくとばかりに、カインの肩をがしりと掴んだ。ダメージが深いのだろう、手の甲がぷるぷると震えている。

「あれ? ロルにしては復活が早いね」

「お前も少しは動じろよ……。恋人なんだろ? いちお」

「一応とかやめて。だからさぁ、お約束ってあるでしょ。可愛い声で、『カイン様、助けてー』って、言われたいんだけど」

「や、無理だ。時間切れだろ。落ちるぞ」

 視線をやると、すでに木偶人形のように脱力したシアがぶら下がっている。

「残念」と呟いたカインは、すばやく彼女を引っぺがし抱きかかえ、目の前の王女もどきと対峙した。

 孔雀石色の瞳が、軽く歪む。

 

「……コレの魔力のせいかなぁ?」

 苦々しく、手に持った鏡を揺らした。

「『ラーの鏡』、だよな。毒沼におちてた」

 翡翠の縁取りと、アレキサンドライトの宝玉が六芒星を画いた鏡を、ロルが覗き込む。

「やっぱり、パッチ物だったんだね、この鏡……。常識的にさ、こんな伝説にも残るような宝物が、ただの毒沼に落ちているわけなどなかったんだよ。あー損した」

 もう宝探しなどしない。

 たとえ、今後、貴重な財宝が落ちているという噂を耳にしても、毒沼だけはあり得ない──と、カインは心に深く刻み込む。

「となると、目の前に現れたアレは、魔物か邪霊の類かな」

「うん、アイリンの魂が弱ってるところを、まんまととり憑いたんだろ」

 邪教を崇拝するハーゴンの軍勢には、悪魔神官なるものが多数目撃されている。魂を好き勝手に操る奴らにとって、幻惑や憑依はお手の物。大方、仰々しく化けているのだろう。

 ロルも同じ考えのようだった。ロトの紋が入った銅の剣を片手に間合いを取る。

 

 ところが。

 そんな動きを知ってかしらでか、アイリンもどきは大きく息を吸った。

 

「おい、青と緑。変な誤解してんじゃねーぞ。王女が呼んだんだよ。俺のことをな」

「はぁ?」と青と緑と赤の三人が、同時に首を右に曲げた。

 

 

 

 構えを解くには至らないが、ロルが幾分、むっとした顔で反論する。

「……嘘だ! アイリンが助けを呼ぶんだったら、俺たち以外にいるわけないだろ!」と、威勢よく発した声に、アイリンもどきが涼やかに台詞を被せた。

「ムーンブルクはミトラの王国だろ? 加えて血筋は、神官の家系。しかも、こいつは神子だ。だったら、俺の魂を呼んだとしてもおかしくない。──実際、聞こえたしな。『ロト様、どうかお助けください』って、声が」

「そんな話、聞いたことないけれど?」

 不信感丸出しでカインが訊くと、面倒くさいと言わんばかりの舌打ちが返った。

 

「そりゃ、知らんだろうよ。元来ムーンブルクは独立した宗教国家だ。それがロトの王族と結婚して、姉妹国になったんだからな。いくら親族だからって、おいそれと国の機密までばらすわけねーだろ。俺だってはじめて知ったわ」

「じゃあ、お前は、アイリンが召喚したってこと?」

 信じていいのかよ? と語尾に猜疑を付けたまま、ロルが問う。

 初めてアイリンは、ロルをしっかりと見据えた。

「……可能性の問題だ。それに、正確には、召喚じゃない」

「まぁ、そうかな。アイリンの姿でその口調はいただけないけど」

 再度、チッと舌打ちが入る。

「ごちゃごちゃうるせえよ」と、拳で地が叩かれた。苛立ちが増したのだろう。ますますガラが悪い。放っておけば、岩の上で胡坐でもかきそうな勢いだ。

「俺だって、突然呼び出されたクチなんだからな。もともとロトの血筋は神龍と神鳥の血が交じり合ったもの。それに古来からのムーンブルクの神子力が加わったのが、今の王女だろう。いわばサラブレット神子だ」

 文句あんなら、その凄腕の王女に直接言いやがれ。といったところで、三人の猜疑は終着点についた。

 

 じゃあ。

 じゃあ、ならば、貴方は。

 若干、震えて。

 背後から、躊躇いがちではあるが、ソプラノトーンの声色で、シアが口を開く。

 

「貴方は……ロト様なの? あの像の──」

 言いつつ、街の中央付近を指差す。

 ロトのゆかりの城や街には、必ずロトを模した銅像が在る。過去、ラダトーム国王が、ロトへの感謝を忘れないためにローレシアへ贈ったのが最初で、あとは自然に広まったらしい。

 もちろん、ここムーンペタも、例外ではない。

 ロト姉妹国の街として、広場に像がひとつ、噴水を背にして建っていた。

 

『勇者ロト』

 右手は天へと高く掲げられ、左手には光の玉を模した宝玉を持っている。

 顔の造形までは、細かく施されてはいない。

 しかし、背には大剣を背負い、額のサークレットには、魔力の高低を示す宝玉が、最高位の金色に輝いている。

 かつて、大魔王と戦い、アレフガルドに光を取り戻した、かの英雄。

 その姿はか弱く、年端もいかない少女だが、類まれな剣の腕と強大な魔力で、世を平和に導いたという──。

 

「マジかよ! アイリンすげえな!」

「ロト様呼んじゃったら、ハーゴン倒すの余裕だよね」

「さすが私の姫様! やったーやったーすごーい!」

 

 刹那、優美なカーブを描いて、回し蹴りの三連打が入った。

 リズム的には、タン、タ、タン、のシンコペーション、音階的にも完璧だ。

 青緑赤は半円状に地に倒れ、それぞれ激突した部分を痛そうに抑え込む。特に一番近くにいたロルは、胸にまともに喰らい、仰向けになって呻いた。

 そこへアイリンの影が、不穏に落ちる。

「よく聞け、愚孫ども。いや……孫じゃねぇか、まぁいいや」

 バキボキバキと、王女の指の節が鳴った。

「まず、俺が女だと思うか?」

 柔らかで凄みのある口調に、三者一様、同じタイミングで首を横に振った。──怖い。

 身のこなしは歴戦の猛者、荒ぶる戦士といったところだが、それにも増して、アイリンが怖い。

 額に青筋が出るほどの憤怒を表した王女の顔は、これまでに見たことはない。美人の迫力に押されて、三人は十姉妹のように肩を寄せ合い、只々縮こまる。

「言っておくが、俺はロトの血筋の中では一番出来がいいんだ。いやむしろ、ロトなんぞよりはるかに有能だ。あんな戦闘狂と一緒にするんじゃねーよ。こちとら戦いばかりじゃねぇぞ、国まで作ったんだぞ。世界を平和にしてからのほうが、愚民相手によっぽど大変だったわクソが」

「……お、おう」

 

 愚痴?

 と首を傾げつつ、腰を押さえたロルが、曖昧に相槌を打つ。

「国を、興した……?」

 怪訝な表情で、カインが続ける。やがて思い当たったとばかりに、目を見開いた。

「まさか。まさか、まさか……貴方は!」

 クイ、と親指で自分を示し、口の端を歪め――、

「ローレシア初代国王、レオンハルト……?」

 言い当てられ、彼の者は横柄に胸を張る。

 十六歳にしては貫禄のあるふっくらとした丸みを、最大限に発揮した元アイリン王女の胸に、一瞬釘付けになったロルが、とっさに自分で自分をぶん殴った。

 

「あべしっ!」

 他人から見れば、意味不明なこの行為を、カインは瞬時に察した。が、眼を閉じて見ないふりをしたのは、そこそこの友情の表明である。

 それはさておき。

 無視を決め込み、カインは首を無理やりレオンへと捻じ曲げた。

「レオン様、どうしてあなひゃ……っ」

「カイン様が噛んだ……!? 珍し……」

「緑よ、人を指差すな。俺を敬え。伏して崇拝しろ。お前らもだ、青と犬」

 つい先ほどまで、アイリンこそが、他者に向けて人差しを突き付けていなかっただろうか。そこはたいした問題ではないらしい。

 ようやく自分の正体を理解したという安堵からか、アイリン──もとい、ローレシア初代国王は、にっこりと魅惑的な笑みを浮かべたのだった。

 

 

    +++

 

 

 

 

 不死鳥(フェニツクス)の月の宵には、幻が見えることがあるという。

 アレフガルドの大地の精霊が、月の波動と共鳴する季。

 最も近くなる周期には、ちょうどこんな満月の夜、人はいろいろな現象に合間見える。それはロト三国だけに見える現象ではなく、無論、ロトの血筋の眼を持つ者だけでもなく。

 

「俺さ、あんたの残した『王家規範』、っていう本でさ、どうしても嫌なことがあんだよなー」

「なんだ?」

 

 ──とりあえず、ここ野外だし、日も暮れたし、場所的にもなんだから。

 酒場に腰を落ち着けて、軽食でもつまみながら話しようよ? いやまてよ、その前にアイリン用の服だよ。さすがにそれはないわ、ってことで、パンツはいてから、いや間違えた、服屋行ってからだよね。

 と、一連のTPOをわきまえて、ペタの街で買い物を済ませた後──。

 

 ロルが唐突に、何の脈絡もなく、こいつ空気読まないだろと判断されがちな会話の切り出し方を、臆面もなく披露しはじめたのは、夕刻時のことであった。

「ほらさ、第二章あたりに書いてあっただろ。風呂に入る前に、石鹸をつける。それで、まず、ちんこを洗ってから、その手で顔を洗わなければならないってやつ。俺さ、今まで我慢してやってきたけど、いいかげんやめたいんだよ、それ」

 真摯な顔で、ロルはレオンを覗き込んだ。

 傍らで聞いていたシアは、紅くなった顔を両の手で覆い、カインはあんぐりと口を開けた。

 

「ロル、それ今まで守ってたの? 僕なんか、あまりにも馬鹿らしいからって、読むのやめたのに」

「なにぃ、カイン、お前さては裏切り者だな? 俺、くじけそうになったとき、お前も同じ思いをしてるからって、耐えてきたんだぞ!」

「うん。ロルがバ可愛くてよかった。嫌いじゃないよ」

「俺は忠実にロトの教えを守ったんだ! なあ、ご先祖、俺って偉いよな?」

 

「にゃーん」

「は?」

 

 聞いているのかいないのか。はたまたどうでもいいことなので、流したいのか。後者だとすばやく判断したロルは、「ちっ」とふてくされて、ジュースに口を付けた。

 

 早速運ばれてきた様々な料理を前に、レオンは満足げな微笑を浮かべる。

 虫でも狩ってるのかと思われるような素早さで、弧を画きながらフォークを刺す様は、わりと猟奇的だ。

 豚ひき肉とハルハル菜を炒めた具材を、ほかほかの麦皮で巻き、味のついた煮茄子でさらに巻いた料理は大好物である。加えて、ピール豆の瓶詰めとミル酒でつけた羊肉は相性がいい。人によってソースをかけるのも有りだが、レオンはチーズ派だ。

 一気に頬張ると、口に豊満な香りと肉汁が充満していく。

 至福のときだ。

 うっとりと見惚れるほどに柔和な笑みを柳眉にのせ、アイリンもどきは艶美な唇を動かす。

 一息ついて満足したのか、葡萄酒を口にしながら質問に答えた。

 

「ああ、それな。冗談で書いたやつだからな。俺の息子が反抗期だった時に、密かに書き上げて、先祖代々の言い伝えだと無理やり守らせたんだ。ちょっとした嫌がらせだから気にすんな」

 

「うああああああ!」

 今にも殴り掛からんと突撃したロルを、レオンは長い足でひっかけて地に転ばせる。

「ふー。うめぇ。食いもんだけは美味くなったよなぁ。まぁ、想定内だけどよ。ローレシアの土壌があまりよくなかったから港町にした傍ら、サマルトリアを開拓しておいて正解だった。やっぱ農耕は土で決まるわな」

 左の親指で口の端をぬぐう。

 すっかり上機嫌と思いきや、

「──……と、確認に入るぞ。そこ座れ」

 急に真顔になる。食前に、メモ書きした羊皮紙を、レオンはもう一方の手ですくい上げた。

 

「ローラント・L・アレア・ローレシア。十六歳。やりたい放題の一人っ子、父母健在。元気だけはある魔力のない能無しだが、剣技は自信がある……と、ホントか? どう見ても両手剣は無理だろう、その体格じゃ。あと頭、悪そう」

 目を細めつつ、言う。

 いささか、偏見の入った(悪意も含まれている気がしてならない)認識に、先ほど正直に自己紹介を終えたロルが不満そうに見上げた。

「ちょ、そこまで言うことないだろ。人として、容姿についての悪口はよくない!」

 頭のほうは認めるんだな。

 そう悟ったカインとシアであったが、口を挟む余裕などはない。この状況においてまだ、整理が追い付かない。

 

 初代国王、レオンハルト。

 敵か味方かとうだけの判別なら、どちらかといえば敵ではなさそうなのだが、いまひとつ味方と言える決め手もなかった。油断はできないけれど、疑問が尽きない。といった状態である。

 レオンは、ロルに応えることはない。まるで宣告書を読むかのごとく、淡々と、先を続けた。

 

「あー、次な。カインフォード・L・ティオ・サマルトリア。十七歳。現王に子ができない為、数多のロトの子孫たちから選出された第一王子。剣もダメ、魔法も中途半端、体力なさ過ぎのよわーい魔法戦士」

「ねぇ、ご先祖って、友達いた? 確か初代国王ってさ、九十歳越えで生きてたんだよね? まさかと思うけど、死ぬまでその社会性だったの?」

 カインの問いにもやはり、応えることはなく、アイリンの唇からは冷酷な響きが紡がれる。

「よし、把握した。ところで、そこの雌犬はもう帰れ。侍女らしく、どこかの町で王女が蘇るのを待つんだな」

 最後にシアを視線に捉えた。

 それはすなわち、彼女は旅に同行させないという意図を示したものだった。

 

 急にうろたえ出したのはシアである。

 これまで数年──十三歳の頃から、アイリン姫に仕えてきたのだ。

 城が焼け落ちる際、身代わりをかってでても、姫はそれを許さなかった。それどころか、自分だけ隠し通路から無事に逃げてしまった。加えて、犬となった姫にもどうすることもできず……なんという不忠義者であったかと思う。

 二人の王子が来てくれてからは、心強くはいられたけれど、まだ肝心なことは何一つできていない。こんなことでは姫に顔向けができない。

「そんな……レオン様。お願いです、連れて行ってください」

 シアが悲愴感漂う、か細い声で告げた。助け舟とばかりにカインも口添えに入る。

「ちょっと待ってよ、ご先祖。シアは僕たちに必要なんだよ。アイリンのためにも、彼女がいないと」

「この犬が」

 といささか語調を強めつつ、フォークでシアを指し、レオンは続けた。

「戦闘で役に立つのか? 有能であれば話は別だが。特技でもあんのか」

「それは、」とシアが口ごもる。

 たかだか十六歳の小娘だ。できることなどは限られている。

「戦いはできなくても、彼女は料理も作ってくれるし、服も繕ってくれるし、路銀も調達してくれるし……ああ、シア、誤解しないで。別にしなくてもいいからね、居てくれるだけで」

 ん? と一呼吸分の間が空いた。

 レオンが眉を片方だけ上げて、食事の手を止める。

「ちょっとまて、路銀ってなんだ。お前ら、王子だろ? 父王からたんまり援助を受けてるんだろ?」

「ううん」

 王子二人は同時に首を振る。

 

 ローレシア国王・アレフ九世・四十五歳、サマルトリア国王・リンド・八世・五十二歳。

 共に心身壮健で聡明であるが、国政には超が付くほど真面目に取り組む。いわば、民にとっての賢王である。

 しかし、身内にとっては、融通の利かない王でもあった。

「うちの父さん、国の財政が厳しいから、自分で何とかしろっていうし」

「僕は援助を断ったよ。だって、途中で死んでも、代わりの王子要るしねぇ。こんなことなら、王子選出の試合のときに、わざと負けときゃよかった」

 貧乏クジ引いちゃったよ、とカインはぼやく。

 傍らでロルが、ごそごそと腰から鞘に収まった剣を取り出した。

「でもさ、そんなに悲惨でもねーんだわ。このロトの紋章の入った銅の剣を見せるとさ、町の人たちがわりと協力してくれるんだ。ただで宿屋に泊めてくれたり、食事をくれたりさ」

 レオンの眉がピクリと動く。

「ゆとりか」

「そうそう、たまに新しい武器なんかもくれちゃったりね? 余ってるからって」

「王子様か、この野郎」

「だから。シアも大事な協力者なんだよ。アイリンの友達だし、それに、船だって用意してくれるって」

「はぁ? 船だと──?」

 いよいよレオンは刮眼し、声を荒げた。

 

 ローレシア建国からおよそ三百三十年。その間、産業革命でもない限り、物価が劇的に変わるとも思えない。多少豊かになったとは予想できても、船自体、ポンと買える代物ではないはずだった。

 その疑問を解消するかのように、カインは話を続ける。

「シアは、大商人の娘さんなんだ。ルプガナのね」

 隣で、シアは心得たように頷く。

「──はい、以前、街で魔物に襲われていたところを姫に助けてもらったのです。それ以降、姫様の侍女として、おそばに仕えてまいりました。……ですから、」

 連れて行ってくださいませ。もう一度、懇願する。

「却下。情を理由にする奴は信用できない」

 レオンが処す。しかし、二人は目配せをしつつ、すばやく援護に回った。

「そうそう、特技といえばさ。シアは、アイリンそっくりにも変装できるんだよ。かなりの技術でね」

「俺も、最初見たとき区別つかなかったなー。二年前の建国祭でさぁ、あんときはアイリンが体調不良で動けなかったところを、変装したシアが、式典に出席したんだよな」

「うん。もう双子のようだよね」

 ふぅ、とレオンから吐息が漏れた。

「ますます怪しいじゃねーか。このバカ王子どもが」

 食事はすっかり平らげてしまったらしい。今は食後のエールを、数杯同時に頼み、話を聞く側になった折に豪快に飲み干している。

 視線をシアへと移した。

「おい金づる……いや犬女、お前、金持ちなんだな?」

 シアがぱっと顔を上げた。

「はい。お金を持っているのは、私ではなく商会ですが」

「今の商人たちは、ロト一族に好意的か?」

「ええと、他はわかりませんが、うちは。……家訓のようなものなんです。有事の際、ロト様の子孫の方々には協力しなさいって、初代からの教えみたいで」

 へーえ、と隣から息が漏れた。

 ロルやカインにとってもそこは初耳な部分である。協力的なのはありがたいことだが、一介の商会がなんで? という疑問までは解消できない。

「……いいだろう。敵だろうが何だろうが、金は正義だ。利用してやる。足手まといにならないようについてこい」

 左右から肩をたたかれる。シアが理由を問う前に、王子二人は決定事項を覆す余地を無くさんがため、即座に湧いた。

「よかったね、シア!」

「また道中、美味い飯が食えるな!」

「え、ええ」

 ホッと息をついた。

 

 

 

 

 

「で、どっちがムーンブルクの王女と懇意なんだ?」

 

 ここからが本題だ、と言わんばかりに、レオンは口調を強めた。

 傍らで、ブフォッと、ロルがはしたなくオレンジジュースを吹く。

 柑橘系の甘い香りが鼻の先を掠め、服に点々と斑模様が出来上がっていく。その染みを見ながら、「洗濯」の二文字が浮かんでいるだろうシアを、カインは横目で見つめた。

「もう、ロル様ったら。だからナフキンを付けてくださいって言ってるのに」

「ジュースだけなのに、付けたら恥ずかしいだろ!」

 

 王族に対する不敬なんぞなんのその。

 即座にコップの水でハンカチを濡らし、ロルの服についたジュースの染みを抜き取りにかかっている。ついでに、顔に着いた飛沫もぬぐい始めている──何だよちくしょう、羨ましいぞと思ったのは秘密にして、

『姉弟。あれは疑似的姉弟』

 という単語を強く思い浮かべつつ、カインはレオンに尋ねた。

「それを聞いて、どうするの?」

 傍らではすでに、ロルが火の如く顔を赤らめそっぽを向いている。

 口は閉じてても感情は隠せない、一本気な性格が見て取れるような反応に、レオンはにやりと、あまり教育的によろしくなさそうな、中年親父の笑みを浮かべた。

「もちろん、寝る。一回で孕むといいがなー」

「はい──?」

 

 鎮座。ザラキを唱えるブリザードの如く。

 三人ともあまりの威力に凍結する。

 そういえば、古の呪文の中には姿を鋼鉄に変える魔法があったなぁと、カインが遠まわしに思考を放棄しかけたときであった。

 

「うあああああ──!」

 さすが、身に危険が迫ったときは、野性の本能がいち早く発揮されるのか。

 ローレシアの誇る、青色の直系王子が、音を立てて立ち上がり、「何をする気だ貴様アイリンはまだ清らかな乙女だしそもそも婚約すらまだ」「ラリホー」

 省略。勝敗は一瞬で決した。

 口論すら同じ土俵にあがることなく、レオンは子孫を伸していた。

 魔法耐性のない王子は即座に首が垂れ、バランスを失う。

 そのまま前のめりに突っ伏す──と思いきや、対峙したレオンが、まるで関節技を決めるが如く、腕と腰をがっちりと押さえ、横抱きにする。

 

「うーん、芸術十点、技術十点、速度十点。見事、動きに無駄がない……!」

 拍手(かしわで)三度、カインは素直に感心の意を表した。

 身体はアイリンのもので、力もそのはずなのに。

 彼女の細腕は、名だたる格闘家が施したように要所な関節を抑えている。これでは、たとえロルが眠ってなくてもいけたかもしれない。

「カイン様、採点する余裕があるなら、助けてあげてほしいんですが」

「隙がないんだよ。採点くらいしかできないんだ」

「そんな」

 酒場の注目を集める中、とりわけ家族や男女のカップルが多い時分、であったのにもかかわらず、レオンの声はよく通る。

「なんだよ。お前らとっくに、『添い伏しの儀』は済んでいるんだろ? たいしたことないだろ、女の躰(からだ)ぐらい」

「それとこれとは話が違うよ。やめたげて。この状態じゃほぼ強姦罪だし、攻め犯しておいて、責任取らないって鬼畜でしょ」

 対するカインも、滑舌は良い。

 隣のテーブルからは、ナイフとフォークが床に落ちる音がした。運悪く、幼子を抱える家族だったため、「なんだこいつら」という非難の視線が注がれる。

「想い合っているんだ。時間もない。喰ってもかまわんだろう」

「よくない。強姦、ダメ、ゼッタイ。僕も全力でロルを守るからね? 二人が可哀想だ」

 

 ざわざわざわ。

 酒場の雰囲気が変わっていく。見た目は美男美女のカップル、カインとアイリンのほほえましい痴話ゲンカと思いきや、言ってる内容は、一人の少年をめぐっての言い争いだ。

 ウェイトレスの女の子が、胡乱な瞳で観察をし始める。

 どこぞの母親が、子供の両耳をそっと塞ぐ。

 我関せず。俗世間は放っておけと言わんばかりに、レオンは身バレ上等の口論を続行する。

「可哀想? お前ら、十六にもなって子孫を残していないことが怠慢だとは教わらなかったのか? それともアレか。非生産的な嗜好か。あるいは不能か」

「いろいろあったんだよ。ローレシアではなかなか第一子が生まれなかったし、サマルトリアなんて直系の子供ができなかったんだ。それに、こういうのは当人の気持ちってものが、さぁ」

 

「ふおおおおおおああ!」

 勇者の子孫の意地で、ようやく眠りの呪文をはらったロルが、脇下でじたばたと暴れ出した。

「ち。ラリホー」

「ぐ、ぐう……」

 呻きながらも、強烈な睡魔に、またもや負ける。

「心配すんな。ちゃんと女用の身体にはしておく」

「そういう問題でも……シア!」

 はいっ、と返事を目線で示し、先ほどからゆっくりとレオンの背後に移動していたシアが、死角からロルをつかみ出そうと飛びついた。

「おらよ」

 ひょいとかわしたレオンは、空いている腕のほうでシアを掴み、わざとカインのほうへと放った。遠心力よろしく、勢いづいたシアは分銅と化し、カインもろとも倒れこむ。

 その隙にレオンは酒場の外へ出る。

 夜風の心地よさに一瞬、口元を歪め、淡白に告げた。

「じゃ、翌朝ここで待ち合わせな。俺はラダトームの宿屋に行ってくる」

 もちろん、食べた分の勘定を支払うことはなく――。

 

 さて、ロルである。

 再び、彼が目覚めたときは、天井には、闇のカーテンと星屑で埋まっていた。

 ──ああ、これやばいやつだ。助けがこないやつだ……!

 と、持ち前の勘で悟ったときには、時すでに遅し。

 自分を抱え込んだ主の唱えたルーラが、辺りを包み込む。

 宙に浮いた不確かな足元が、ロルの恐怖感をますます煽り、思わず地上へと両腕を伸ばした。

 

「いやだああああああ! やられるうううう、カイン──たすけろおお──かい──ん──!」

 

 絶叫は、流星のように闇へと熔けてゆく。

 ムーンペタから北西へ。光は二、三のきらめきを残し、空に半円の弧を描いていった。

 

 

 カインとシアが街へ出たときには、すでに諦めの境地に入っていた。

「ううっ、姫様……意識がないうちにロル様を抱いてしまわれるなんて、可哀想です」

「言い方おかしいよ? うーん、でもこれはどうしようもないなー。僕、アイリンの気持ちまでは知らないけど、一応、両想いなんだよね?」

 二人が慌てて追った矢先、酒場の主人に勘定を求められ、もたもたと支払いを済ませた後のことである。

 軌跡すら見えないタイミングで、夜空を見上げ、今はいないロルに同情を寄せる。

「そうだと思いますけど……姫様、いつもロル様の話をされていましたし……」

「確定じゃんか」

「そうでしょうか?」

 シアは首を振る。

「カイン様のことだって同じくらいには。まさかの大どんでん返しで、さわやか愛されキャラのロル様よりも、色々こじらせちゃった感満載のカイン様を、ってことも……」

「なにそれ!? そんな風に思ってるの? 君、僕の彼女だよね? 」

「はぁ。まぁ、一応」──と、目線を逸らす。

「一応とかやめてホント……」

 

 何か大きな鉄杭で殴られたような衝撃を受けたカインが、無理やり気持ちを切り替えようと深呼吸を全力で繰り返す。

 ムーンペタの街は、まだまだ復興途中である。

 襲撃の置き土産とばかりに、魔法をひとつ、ふたつ。空を駆ける魔物に、無造作に落とされた辺りの街角は、人の目から見れば十分に痛々しい痕跡を残していた。

 夜の静寂が濃くなる街の隅っこでは、暗い場所から順に、松明がぽつりぽつりと灯され、往来を行く人々に標を作っている。

 そんな中、中央広場には、サマルトリアから来た物資の荷が所狭しと積み上げられたままだった。

 ロトの銅像の傍ら、その荷を積極的に解いて、整理しようとする者も今はいない。皆、昼間は、なんとか気持ちを上げようと笑顔でいても、街の復興は思うように進まず、身体は疲れているのだ。

 

「ねぇ、シア」

 松明の前で、カインは切り出した。

「仕方ないからさ、僕らもどこかで夕食にしようよ。どこの店がいい? ペタやリリザも悪くないけど。最近は南の漁が潤っていて、海産物がすごく美味しいって聞いたんだ。サマルトリアなら、贔屓にしている店があるから──」

「いえ、私、まだ商会支部での仕事が残っているので、失礼します。では」

 即答。意識的に拒否したとも思えるような、素早さでシアは翻す。

 背後に揺れた紫の髪は、あっという間に闇に紛れ、見えなくなった。

「……なんなのさ」

 これで、通算十二回目だ。

 過去、想いを告げて、付き合いを承諾されたのはいいとして。それから食事、散歩、買い物、全ての誘いを断られている。

 三人でいるときは普通なのに、二人になると急によそよそしくなるのは、逃げる理由でもあるからなのか。

「ロルはモテるんだけどね、僕はね……」

 つい、口にしてしまってはっとする。

 そういえば、自分は誰からも求められたことはないなぁ──と。ぼんやりと嫌な気持ちが浮いてきて、それだけで、何かすごく自分が劣ってるように感じてしまう。

 自分は何者なのか。王族であることを除けば、レオンの言うように、ただの弱い魔法戦士でしかない。

「やっぱり、王子なんかになるんじゃなかったなぁ……」

 呟きは、松明のともし火に吸い込まれた。

 心なしか目頭も熱いけれど、それは目の前にある炎のせいなのだろう。

 ロルのことを思い、次にアイリンのこと、それからレオンのことを思った。

 

「あれ……?」

 ふと、レオンが奇妙なことを言っていたのが、気にかかる。

 今更だけど、やっぱり変だ。思わず口に出して、自問する。

「……『時間がない』、って何……?」

 

 沈思黙考。いつもの癖で、喉の奥で唸る。

 結局、夜の食事はどうでもよくなり、そのまま宿屋へと直行したのだった。

 

 



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2 勇者の夢、時わたる

  二 勇者の夢、時わたる

 

 王女アイリンは夢を視ていた。

 それは、自分の体内にある魂が、自然と自分を媒体にして見せたものであり、視力で見たものではなかった。

 いざ触れてみると、過去の思い出を掬い取ったように、鮮明に意識として流れ込む。

 金の髪は漆黒の髪へ。

 日に焼けた肌は、炎に照られているように、いつもピリピリと痛く、無骨な手の甲は小さな棘が埋まっていた。

 血は血へ、肉は肉へ、溶けるように置換を繰り返し、アイリンはその男のものとなり、男はアイリンの一部となった。

 

 陽が消えた、静寂の大地の冷たさを覚えている。

 暗転し、景色が歪んだ。

 

   +

 

 手は虚空を掴むばかり。

 何をも手に入れることはなく、確かなものは見つからず、底なしの沼に身が沈む。

 野心があった。──平和への。

 渇望があった。──未来への。

 己の力で、己の生きる場所を選び、掌中の珠の如く、安寧を手中にできると思っていた。

 

『ですが王。私は、自分の生きる場所は、自分で見つけたいのです。今は、私の治めるべき大地が──大陸がある。そこへ私は、妻とともに』

 

 ──若かった。

 浅はかなその心は、新大陸へと渡ったのちに、つけいる隙を与えた。

 世界は、自分が思っていたよりも強大で、深く、不条理を含んでいた。

 大切なものへの思慕は、簡単に憎しみへと変わる。

 耐えきれず、赦せずに、素直に憎悪となって、他者への破滅を引き起こした。

 すべてを壊して──見ろ、今世の勇者の力を。数多の光の精霊に祝福されし力を。

 お前らが引き起こしたことだ。お前たちの富への執着と、現世での利益が不幸を呼んだのだ、と喚き、粛清といいつつ押さえつけた。

 

 得られたものは何一つなかった。

 あがき続けた掌の血は、とうとう泥と混ざりあい、異臭を放つ。

 毒を孕んだ沼は、いつまでもこの身を沈め続け、息の根を幾度も、幾度も止めた。

 

   +++

 

 

 翌日の朝は、ぼんやりと薄暗かった。

 春の空は晴れていても、夏に比べるとペールグリーンのような靄がかかっている。塊となって吹く風の密度は濃く、様々な植物の香りを含んでいる。

 そこかしこにある草花の朝露は、やがて往来を急ぐ人の気配によって雫となり、消えてゆく。

 

 ラダトーム城下町。

 時計台の下にあるロトの銅像前では、早朝からカインが待っていた。

 商人たちが行きかう朝の搬入時間はとうに過ぎ、シアが「遅れてごめんなさい」と殊勝に頭を下げるかたわら。

 ようやく大樹に隠れた、見知った背中を見つけることができたのは、買い物客が賑わい始めた頃である。

 

「ロル? もう来てたんだ?」

 おはよう、と声をかけること数秒。大樹にもたれかかるようにして腰を下ろしたロルの背は、ピクリとも動かない。

 待っている間に寝てしまったのか。

 ところが正面にまわると、意外にもロルは目を見開いて、春の空を見上げている。

 

「ロル……?」

「……したたるホワイトスライム、さん……」

「はい?」

 

 カインが首をかしげる。彼は目の焦点が合っておらず、様子をうかがう目の前の自分に、つらつらと囁いた。

「……ふうわふわの、柔らかみとあたたかみの、アレ……。いやぁ、さがしましたよ。……そうです。俺です」

「ロル様、失礼を」

 様子を見ていたシアが、頬をペチペチと叩く。最初は軽かった音が、やがて、張りのある乾いた音へと変化していく。

「何を……何をしたんですか! 姫様にいい」

 半泣き状態となったシアに、見かねたカインが手を止めさせた。

「落ち着いてシア、ロルは悪くない。たぶん」

 とは言っても、ロルは叩かれたことなど、虫ほどにも気にしていないようで、やはり夢見がちな瞳で空を仰いだままなのだった。

「……おんなのこ……ってさ、……ただ寝てるだけじゃないんだ……」

「くわしく」

 カインが身を乗り出して、正面を位置を確保する。同時に、背後から外套を強く引っ張られ、普段よりもやや低い声で「カイン様?」と凄みのある呼びかけが降りた。

「いや、冗談だよ? 興味なんかないよ?」

 胡乱な目をしたシアに、微笑を返した。

 

「よー。お前ら、来たな」

 ふらふらとした足取りで、往来を歩いてくる美少女がいた。

 顔が赤い。そして目つきがトロンとしている。酒瓶を片手に、のっしのっしと肩で歩く美少女なぞ、誰が求めているんだろう、とカインは密かに世界に物申す。

「レオン様……姫様の御姿でそれはちょっと」

 侍女らしい小言が、シアの口から漏れた。

「うるせー。酒ぐらい飲ませやがれ。大体、元はといえば、こいつが俺を呼んだせいだろ?」

 無視すればいいのに。つぶやき程度の小言にも律儀に返答するあたり、しっかり酔っている。

 シアを見据え、手の甲でぴたぴたと頬を叩くあたりも、堂に入ったチンピラぶりであった。

「おかげで、寝つきも寝覚めもわりーわボケ。体力回復どころか、寝ている間も悪夢満載で、嫌がらせとしか思えねー」

 カインが身体ごと間に割って入った。

「はいはい。絡むのやめてよね。ところでさ、ロルが使い物にならないよ。どうしてくれるの?」

「最初から使えねぇだろ。問題なし」

「そんな、ひどい」

「ほんと、ひどい」

「ひどくねーよ。てめーらでそいつ引きずって来い。やることあんだからよ」

 

 ──やることって?

 ここラダトームで、旅に必要な用事があっただろうか。

 物資の調達は別として、せいぜいが王様に謁見して、旅の報告と、協力を仰ぐことぐらいだ。

 今は、ルプガナの商人を頼って、船を融通してもらうことのほうが必要に思えたし、事実、アイリンを元の姿に戻すまではそのルートを考えていた。

 ところがアイリンは──アイリンの姿をしたレオンは、王城へ行くかと思いきや、踵を返している。門番と短い会話を交わし、あっさりと街中へと戻る素振りを見せたのだった。

「王城へはいかないの?」

 どうにかこうにか二本足で歩けるようになったロルを引いて、レオンの後をついてゆく。

「門前払いだ。王は忙しいとかなんとか言ってやがったが──どうも怪しいな」

「怪しい? いったい何が」

 わけのわからないまま、レオンについていく。酔っ払いの癖に、歩く速度はそこそこ速い。シアなどは、小走りでついてくる状態だ。

「武器屋だ。そこに隠し部屋がある。王城から地下通路で繋がってるからな」

「えうぇ……」

 そんなのバラしちゃっていいのかな──とカインは思う。

 

 ラダトーム王、ラヴァリエ三世とはさほど面識があるわけでもない。

 数年前の「ロト祭」の式典において、形式的な挨拶を交わしただけの間柄だ。

 義理の父王曰く、

『温厚な人柄で、明朗かつ優しい──ただし、政治手腕は別として』、

 というのが、そのままそっくり彼への印象になっている。

 歩き途中、カインはロルを振り返り、肩を掴んで揺さぶった。

「ロル、そろそろ現実に戻って。これから、ラダトーム王に会うかも」

 調教師よろしく、カインは自分のポケットから、強烈な香りの気つけ水を取り出す。ロルの瞳の焦点が、徐々に中央に集まり、やがて。

「くっさ!」

 香りから顔を逸らした。

「おはよう、ロル。目が覚めた?」

 笑顔のカインに対し、ロルは冴えない表情で応える。

「覚めたくなかった……」

「だろうね」

「あと、夢の中でアイリンと話したような気がする」

 へぇ、どんな? と聞いたところで、ロルは首を振った。覚えていない、ということらしい。

 それから程なくして、

「アイリンに謝らなくちゃなー……」

 と、申し訳なさそうに言うのだった。

 

    +

 

「ハァ? 寝言いってんじゃねーよ」

 つい先ほどまでは、ここまで機嫌が悪くはなかった。ただの柄の悪い酔っ払い程度で済んでいたはずだった。

 だけど、今は。

 始まりは、武器屋のドア付近で警護をしている人たちへの強襲からだった。

 王がいるなら、と身分を明かして入る気だったカインは、一瞬でその考えを改める。

 そんな、「どこぞの盗賊の一団か、人間に化けた魔物の襲来か?」と思われるほど礼を欠いた侵入劇だったのだ。

 当て身一突き、手刀一閃。民間人を装った兵士を、瞬く間に気絶させる。

 そのあと、ずかずかと中へ入り、部屋の主と思しき人物の台詞を聞いた後。

 ローレシアの初代国王は、社会の迷惑者から、手のつけられない悪鬼へとランクアップすることとなった。

「ああ、あ、あう、美女なのに、こわい……っ」

 対峙するは、白髪の幾分混じった、初老の王・ラヴァリエ三世である。

 気の毒な老人は、ふっくらとした白い指を胸の前で合わせ、ぷるぷると肩を震わせた。

 なるほど。人の良さそうな、王だ。

 初老とはいえ、顔立ちは整っている。白と金で整えられた服の趣味も、重厚で色の濃い調度品のセンスも悪くはない。

 何が悪いかといえば、レオンが部屋に押し通った際に、「美女歓迎!」と叫んで抱きついたあたりだ。

 あれでまず、怒りを買った。

 

「この野郎。何か事情があると思って話を聞いてりゃー……、ただの怠慢じゃねーか! てめぇ、王だろ? 無職と紙一重の立場で甘えてんじゃねーよ!」

 放っておけば、蹴りを入れそうな上下の配置に、ロルとシアは入り口付近で固まる。しかし、止めるタイミングもみつからない。なるべくなら、全てなかったことにしたい。

 これ、国際問題じゃ? と眉を寄せるカインも、腕組みをしつつ止めに入る気配は見せなかった。

 王も、負けじと反論するからだ。

「む、無職じゃないもん! わしは呪いを解く勉強をしてるんだもん! だから王様業はお休みしてるんだもんっ!」

 さすが、王といったところか。震えながらも、声は上擦っていない。

 憤怒すさまじい美女を前にしても、とりあえずの、臨戦態勢には入っている。

 そうか。確かラダトーム王家は、魔法が巧みであったな、とカインは思い出す。

「てめぇ……聞こえのいい言い訳でごまかすんじゃねーよ。だったら、なんで政治を放棄してんだよ……研究なら城でもできんだろがっ! 民間から税金を搾り取って悠々自適とか、最高かよクッソ!」

「うらやましいんかい」

 聞こえないのを承知で、カインがツッコミを入れる。

「し、城のことは王子に任せてある! それに、わしには向いてないのだ……。なぜ、王になったかもわからん。魔物だって怖いし、魔法もさほど強くはないし、ひ、人付き合いだって苦手なのだ。外交もパーティも、き、嫌いなんだ。だからこうして……」

「ほーう。そう言えば、国民が許してくれると思ってんのか?」

「そ、それは、だから倅が」

「てめぇの国で、民が飢えて死んでも、魔物にやられても、お前には関係ないってか?」

「う……」

「ざけんな。それで済むなら王政やってんじゃねぇよ。今すぐ城に帰れ、できねーなら民に詫びてから自害しろ」

 

 いよいよ、王の胸倉を掴んだ。

 形のいい拳が、あわや王の頬にヒットするという直前であった。いや、その前に、それぞれは駆け出していた。

 ロルは、レオン(体はアイリンなのだが)の腰にタックルを。

 カインは、ラダトームの王の顔の前に、自分の顔を。

 シアは、腕を抑えに。

「邪魔すんな、お前ら!」

 

 激昂した。

 なおも力は混在し、固まった体勢のまま。

 覇気轟く王女の紅い瞳に、皆が皆、気圧されそうになるも、均衡を破るようにロルが口を開いた。

「やめろよ、かわいそうだろ」

 落ち着いた声だった。

 それは、人間同士の、上の立場から下の立場の者への、「あえて見せる」慈悲は含んでいない。

 そこに花があれば、踏まぬようにと避けるような。弱い者を守る──河を流れる水のように自然な、計算された思惑とは関係なしに、ロルは言う。

「向き不向きってあるじゃん。俺だって、魔法使えない」

 レオンを抑える腕を、ロルは解かない。

 続いてカインが。

「そうそう。精神論でやればできるっておかしいよ。自分の力は自分が一番よくわかってるんだし」

 最後にシアが。

「王様が全部一人で抱え込まなくてもいいじゃないですか。そのために臣下がいるんです」

 ほぅ……と、レオンの身体から力が抜けた。

 腰についたロルをはじき、腕を振り上げ、ラダトーム王から距離をとる。

 重々しく口を開き、挑発するかのように問いかけた。

「てめぇら、責任もってその台詞を言うのか?」

「まぁ、これに関してはね」

 ロルとカインが頷く。

「じゃあ、この国が王のせいで滅んでも、優しく手を差し伸べてやるんだな? 自国も共倒れになる覚悟でやるってことか」

「滅ばないよ。今の時代、王が有能である必要はない。政治は体制でほぼ決まるんだ。トップが頼りなくても、意見の言える臣下が役職であればなんとかなる。貴方のローレシアは、その点、初代からしっかり構築されていた。だから続いたんでしょう」

 カインの言葉に、レオンの頬がピクリと歪んだ。

 その傍ら、

「何……? それじゃ、おぬしらは」

 

 ラヴァリエ三世が、皆をぐるりと見回し、まじまじと顔を凝視する。

 静寂は続かなかった。

 レオンが早々に皆を振り払い、正面の壁を殴り、本棚の裏に隠された通路を暴き出す。

「何で知ってんの!?」というラダトーム王の叫びを無視し、無言で歩みを進めた。

 目を合わせぬまま。背中から言葉を放つ。

「……お前らとはここまでだ。 ここからは俺一人で行く。ハーゴンも、俺が倒す」

 通路に半身を入れた。

「ちょ、それもないだろ! 身体がアイリンなんだ、放って置けるわけないだろー!?」

 ロルが持ち前の瞬発力で、レオンのローブを掴む。

 それが気に障ったらしい。くるりと振り返ったレオンは、額に青筋を浮かべ、酔っ払いの赤ら顔も手伝って、般若のような表情となった。

「おまえら、なぁ……っ!」

 ロルを突き飛ばす勢いで、部屋に戻る。

「元から足手まといなんだ、いらねーんだよ、このクソガキが!」

 はっきりいって邪魔だ。消えろ、と怒涛の勢いで床を蹴る。

「ちょっと意見が合わないだけじゃんか! 短気すぎ! 魚食えよ!」

 ロルも負けてはいない。なんたってアイリンの身体のことだ。引くわけにはいかなかった。

 

「はぁ? ちょっとどころじゃねー! お前ら仮にも王族なら、なぜ政治放棄を許せる? てめえらの親父だって怒るとこだろが!」

「知るかーっ! 父さんは父さん、俺は俺。大体、父さんとはバナナの味の好みだって、違うんだ! 俺は新鮮なのがいいんだ。でも父さんは腐りがけが至高だって言う。理解できない、一生わかりあえない、でもいいんだ!」

「うん、僕もおおむね同意だね。親だからって期待しちゃだめでしょ。それに内政干渉すると後がめんどいし。よそはよそ! うちはうち!」

「あと、短気はよくない! 早死にする!」

「てめぇらは説教係かよバーカ! 田舎の肥溜めに落とすぞゴルァ!」

「残念でした──! 今の時代はもう上下水道が整備されてまーす! 危険な肥溜めは、全撤去済みなのでした──!」

「ならばベギラマの海で溺れ死ね!」

「街中で攻撃魔法は厳罰でーす! なんでもかんでも先祖だからって許されないぞー!」

 もはや一触即発。

 そのまま殴り合いの泥仕合となる勢いだった。

 

「暴力反対!」

「えらそう!」

「上からレオン様!」

「アイリンから出てけー!」

「この……クソガキャ──────!」

 

 本当に。

 そこで本当に、炎の精霊が揺れる気配がしたのである。

 もし、レオンに何も起こらなければ、紅蓮の炎舞うベギラマは発動していたのかもしれない。

 しかし。

「らりっほ」

 小さく唱えた、ラヴァリエ三世の慎ましやかな呪文によって、その場は事なきを終えた。

 あっけなく酔っ払いの美少女は、意識を飛ばして倒れこむ。

 寸前、他ならぬラダトーム王によって、その身を支えられたのだった。

 

 

「……おぬしらがロトの子孫だったとはのう。まあ、この美少女が初代の王というのは、にわかには信じがたいが」

 真実なのだろうな、

 と、ラヴァリエ三世は、外見に似つかわしい柔和な思考を示した。

「どうも、すみません。うちの先祖が」

「なぁに。いいさ。……ところで、王が訪ねてきたわけだが」

 そうだった。

 なぜラダトームに来たのか。そしてラヴァリエ三世に会ったのか。

 まだその目的を聞かないまま、三人はついてきたのだ。

「おそらく、紋章を求めてきたのだろうよ」

「紋章?」

「左様。ロト三国にもあるはずだろう。わが国には代々、星の紋章なるものが受け継がれている。なんでも古来のオーブの力を宿したものだと伝え聞いてはいるが、詳しいことは知らぬ」

「……ハーゴンを倒すために、必要だったのかな?」

 首肯した。

「そう考えるのが自然だろうなぁ。無論、ロトの子孫には協力したいところではあるが……今、星の紋章は、地下の祭壇には置いていない。我が息子が持っておる」

「ならば」

「いや、不在なのだ。王子はおそらく大灯台にいる。あそこには星読みの一族がいる。その啓示を受けるまでは、返ってこれんのだ」

「星読みがいるんだ……」

 そのような話はついぞ聞いたことがないと、カインは感心したように言った。

 古今東西、星読みは主役ではないものの、歴史が変わる折には必ず裏に潜んでいる。ぜひともルーツを探りたいが、旅の途中では、そこまでの余裕はない。

「悪いが船を用意させるから、おぬしらが直に会いにいってはくれぬか。なに、わしからは書状をしたためよう」

「はぁ、それはありがたいのですが」

 と、ちらりと眠っているレオンを見る。察したのか、ラヴァリエ三世は、こうも付け加えた。

「すぐではない。船の準備には二日ほどかかろう。そなたたちには、城の中に部屋を用意させよう。その初代を抱えて、わしについてまいれ」

 

 ラヴァリエ三世は、兵士の一人を起こし、言伝する。

 ロルはレオンを抱え、他の二人も城へと続く隠し通路の中へ足を踏み入れるのだった。

 



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3 王子たちのモヤモヤP

 ラダドーム城でのもてなしは快適だったよ。

 ただね、急だったせいか、二部屋しか用意できなかったらしくてね。シアを誰かと相部屋にするわけにもいかないから、ロルと僕とレオンは一緒。

 レオンは一番大きな天蓋つきのベッドを占領し、僕たちは普通のベッドを使用することにした。

 普通っていっても、もちろん二人くらいは余裕で寝れる。さすがに伝統ある城なだけあって、調度品も細やかに整備されたアンティークが多い。

 ……僕は好みだけどね。

 もし、アイリンが本来のアイリンだったら、話題のひとつとして盛り上がったかもしれないけど。

 今、同じ部屋にいるのは、おやつのバナナを頬張る猿っぽい人と、大の字で寝てる酔っ払いのおっさんだ。

 

 なんだかなー。

 男所帯が嫌ってわけでもないんだけどさ。潤いがほしいな。

 

 確かに、身奇麗にはなったよ。着のみ着のままで旅を続けてきて、ようやく湯殿にもありつけたし、お城の侍女が動きやすい服も貸してくれた。でも、そういう潤いじゃなくて。

 気晴らしに、城内の散策にでもでかけようかな。

 王が好きに歩いていいって言ってくれたし。

 どうせなら、シアも誘おう──そう思って、隣の部屋のドアを叩いたんだよ。

 

「カイン様? どうぞ」

 返事を待って開けると、中ではシアが地図とにらめっこしていた。

 こう、両手で地図を掲げててね、陽の光を背に当てて、透かして、よく見えるように。

 ……うっわ、可愛い。

 なにかな、この可愛さ。

 目も鼻も口も、流れるような紫の髪も、小さな手も身体も、ぜんぶ可愛い。

 アンティークに囲まれたせいなのか、借りている服のせいなのか、陽の光のせいなのかわからないけど、今すぐ駆け寄って、ぎゅってして、ほっぺたを舐めたいレベル。

 初対面だったら、間違いなくひざまずいて、自ら名乗って、連絡先をきいてる。……初対面じゃなくてよかった。

 ついでに、欲を言えば、髪も触って、感触を楽しみながらナデナデしたい。

 睫にも、手の甲にも、足先にもキスしてみたい。

 ──そんなことをしたら、嫌がられるけどね。たぶん。いや、十中八九。

 まだ手すら繋いだことないんだから。触れる機会だって、あまり無いよ。

 おかしいなぁ、僕の彼女なのに。

 せめて。

 だから、せめて、今の光景を絵画に収めて、いつでも持ち歩けたら、どんなに幸せだろうって思うんだ。

 

「どうかしました?」

「どうもしないよ。ちょっと狂っただけ。──で、地図見てたの?」

 

 さりげなく隣の位置まで近づくと、洗いたての髪の香りがふわりと広がった。

「ええ。大灯台の位置を調べてました。内海を通って……わりと距離ありますよね」

「そうだね。船酔いは大丈夫?」

「慣れてますから」

 微笑みつつ。少しだけ、彼女が身体を遠ざけるのが気にかかる。

 近づきすぎたかな。それとも、自分はうまくやってるつもりでも、相手にはモロバレなんだろうか。

 ──なんか、がっついてる? とか。

「ねぇ、シア」

「な、なんでしょうか」

 地図を下げて、向き直るついでに距離をとった。

 わずかに瞳に警戒心が浮かぶ。そんな状況にも、もう慣れつつある。

 慣れながら、心臓から血は噴出しているけど。

「前に言ってた、アイリンの占いのこと覚えてる? 僕ね、前世もその前にも、君と出会っていて、いつも同じように君に振られてるんだって」

「それは」といって、口ごもったあたり、きちんと覚えてるようだった。

 確か、一年前くらいだ。

 アイリンは、神聖ムーンブルク王国が誇る神子姫でもある。もっともそれを知ったのは、だいぶあとのことだけど。

 その彼女に、相性を占ってもらった結果、言われたのだから、信じないというほうが難しい。

 神子としての力は、自分なんかより、侍女として仕えていたシアのほうが、よほどよく知っているだろう。

「三度目の奇跡を、僕は信じていいのかな」

 おもむろに、切り出した。

 もちろん、むやみに触ったりしない。

 本当は手ぐらい握りたいけど、密室だし、怖がらせるのは本意じゃない。

 シアは、うつむいたままだった。目も合わせないし、やっぱり困った顔をしている。

 そういえば、付き合いの承諾を取ったときも、同じ顔だったっけ。

 もしかして、嫌われてるんじゃ?

 そんな思いを無理やり消しつつ、棒立ちした。

 ──今回もはぐらかされるかな、と半分諦めるほどに時を刻んだあと、シアは少しだけ、目を上に向けてくれた。

 

「あの……、私、あなたに言えないことが……」

 ん?

 意外なことを言われ、僕の思考は急回転した。

 言えないこと? それ何? 障害であるんなら、今後なんとかして──。

「おーい! レオン起きたから、来いってさー!」

 けたたましく、重厚な扉が開かれた。

 僕は──初めてこのとき、殺意というものを心、かつ身体で理解したよ。

 よりによって、大事であるはずの仲間を、爽やかに速やかに、ザキりたいと思ったんだ。

 蘇生呪文ザオリクを覚えてなくてもかまわないと、凶暴な嵐が僕の心を占拠し、猛り、轟き、唸り、狂い咲いた。

「……殺すぞおんどりゃあ」

「めんどりゃー? あっはは、寒いギャグだなー、カイン。こっち来いよ!」

「さ、先に行ってますね、カイン様」

 シアがそそくさと出て行った。

 今生の僕も、どうやら、運は悪いらしい。

 

 +++

 

 

「ちっくしょう、また嫌な夢見た……おい犬侍女、水! 水差しごとだ!」

 

 ベッドの上で胡坐をかいたアイリン。

 片手で後頭部をガシガシと掻くアイリン。

 大きなあくびをして、ストレッチをし始めた。

 ……それでも綺麗に見えるんだよなぁ。

 惚れた弱みかぁ、って思うこともあるけど、深く考えないことにした。

 だって、あれはアイリンじゃないんだ。

 中身は、ローレシア初代国王、レオンハルトなんだ。

 俺はレオンって呼んでる。いつまでも「ご先祖」って呼ぶのも変だし。

 シアに手伝ってもらって着替えを済ませると、レオンがいつものように命令口調で言った。

「船の準備ができるまで軽く時間がある。よって、ロトの墓に行くぞ、用意しろ」

「供養する心なんか、あったの?」

「死にてぇのか? クソガキが。あるわけないだろう」

「ですよねー」

 カインがつっこんだ。

 なんつーか、カインはすごいよな。こんな怒鳴ってばかりの奴と、よく会話できるなって思う。

 俺も、嫌いとまではいわねーけどさ、どうも苦手なんだよな。上から抑えつける奴って。

 父さんですら、儀礼的な場所以外では、こんな高圧的な態度はとらないし。

 ところで、こいつ、昨日のこと覚えてないのかよ。

 酔っ払いなっがら「お前らとはここまでだ」とか言ってたけど。……まぁ、忘れてくれたほうが都合はいいから、黙っとくか。

「正確には、墓に用があるんじゃねーよ。そこにロトの剣がありそうだから探しにいくだけだ」

「ロトの剣!? ほんとにあんのかよ!?」

 一瞬で、俺の心は奪われる。

 ロトの剣。大魔王を倒したという伝説の剣。オルハルコンで精製された、世界にひとつだけの勇者の剣。

 本当にあるのなら、装備してみたい。

 どんな剣でもいい。ぜったい、使いこなしてみせる──。

 はやる心を抑えつつ、俺は早速話しにのった。

「じゃあ、すぐ行こうぜ! シア、弁当つくって!」

 シアの弁当は美味い。ポットで入れる茶も美味い。焼いた菓子も美味い。

 さすがはアイリンの侍女だなって思う。ぶっちゃけ、茶と菓子はなくてもいい。

 弁当とバナナがあれば、俺はどこまででも旅ができる。

「じゃあ、準備する間、代わりに皆さんでお洗濯お願いしますね」

 こういうところも、さすがに侍女だ。

 ほやほやしてる外見にそぐわず、芯はしっかりしている。王子の俺にも、ぴしゃりと言うところは言う。

 そっちのほうが付き合いやすいから、それでいいんだけど。

 ──まぁ、細かいことは気にしない。どっちみち、俺とアイリンが結婚して、カインとシアがくっつくなら、立場、同じだもんな。

 

「正午には出るからな。お前らやっとけよ」

「お洗濯しない人には、お弁当はあげません!」

 レオンが絶句した。うわ、ちょっといい気分だ。

「僕たちの分はあげないからね」

 ナイス援護だ、カイン。

 レオンは、チッと舌打ちして、のそのそとベッドから降りた。

「洗濯場に案内しろ。タライと洗濯板もってこい」

 意外にも、やる気だった。

 

 城の洗濯場は、半野外にあった。

 屋根だけついていて、あとは柱。すぐに裏庭に干せるようになっている南向きの場所だ。

 普通、日当たりのいい場所は、王族たちの東屋とかバラ園になってることが多いのに、ここの国は違うんだなと、変なところで感心する。

 いや、もしかしたら、今の王様がちょっと変わってるのかもしれない。

 なんたって、武器屋で一人、呪いの研究してるしな。

「おい、なんだその洗い方は!」

 いざ、洗濯を始めてみると、レオンはうるさい。うるさいけど、超優秀だった。

 洗濯用具なんか、俺は知らない。家政に知識のあるカインですら、レオンのする手順の多さに驚いている。

「いきなり水につけるなアホが。まずブラッシング。それから裏返して、埃を落とせ。次に部分洗いだ。湯を沸かして、ぬるま湯を作れ」

 中略。

「安易にパンパンするな! 台の上に寝かして伸ばしてからだ……なんだその目は。俺はなんでもできんだよ!」

 後略。

「……ひょっとして、弁当も作れるの?」

 気になって聞いてみた。

 料理は美味そうに食うけれど、まさか作るほうもできるのか、と。

「愚問だな。俺はローレシアの海で、まず塩から作ったんだ。美味い塩が作れるまで、数十年かかった。畑の作物も同様だ。一定区間に同じものを植えて、味がよくなる土壌だけを残し、さらに優れた種を保存して取捨選択していったんだからな? 要は、」

 一息ついた。それでも手は動いている。

「てめえらの食う小麦や芋が美味いと思うなら、先人に感謝しろってことだ。国民たちの長年の模索と研究の結果だ。敬え」

 

 ……本当に、たまに。

 たまにだけど、こいつの言うことが突き刺さることがあるんだよな。

 城にいたときは、誰一人としてこんなこと、俺に言う奴いなかったんだ。

 ──だからって、好きになるほどでもないけれど。

 

 結局、うるさいまでに指示を受けて、俺たちの洗濯は終了した。

 そそっと軽く皺を伸ばして、干す。

 ずっと中腰だったから、立ち上がったときに背中の筋がビン、と張った。

 驚いた。人の身体ってこうなのか。

 だったら、城で働いている侍女たちは、大変だ。

 

「皆さん、終わりました?」

 同じように城の厨房を借りたシアが、呼びにきてくれた。

 弁当がもう出来上がったらしい。

「おーし。馬借りて来い。最低二頭だ」

「徒歩で行くんじゃないの?」

 近距離だと聞いていたのに、レオンは馬をわざわざ借りるつもりらしい。

 カインの質問に、

「ちんたら歩くのは性に合わん。俺はな、襲ってくる魔物を馬上から殺るほうが慣れてんだよ。ランス持ってこい」

 などと、物騒な台詞を放つ。

 おそらく、風のように魔物を斬り倒していくスタイルだ。

 ──それも、見てみてもいいか、と思う。

 問題なのは、王の伝で馬を二頭、借りた後であった。

 

「俺……アイリンに乗せられるのは、ゼッタイ嫌だからな!」

 馬上にのる組み合わせとしては、すでに決まっている。そこは異を唱える気はない。

 カインだって、自分以外の人間が、シアを乗せるのは嫌だろう。

 問題は俺だ。

 アイリンの姿をしたレオンには、前に乗せられるのも後ろに乗せられるのも、嫌でしかない。断固、男として拒否をしたい。

 形だけでも、自分がアイリンを乗せるようでなければ、後の沽券にかかわる。

「てめぇ、今更、面子とか沽券とかこだわってんじゃねーだろーな」

「う……」

 言い当てられて、後ずさりした。

「またラリホー喰らわされたいか。それが嫌なら、みぞおちに一発だ。選びやがれ」

 

 実際には、選ぶ時間などなかった。

 やはりレオンは短気であり、人の話など聞かない。

 突如、強烈な眠気が襲い、俺は意識を失った。

 あとあと、分かったことだけど。

 俺はレオンの背にくくり付けられて、移動したらしい。

 城から長いロープを一本借りてきて、レオンがそれで、人一人を背に載せられるような形状のものを、編んだり結んだりして作ったらしい。

 カイン曰く「オンブ紐」というもので、実際は布で作るんだとか。

 目も見張るような速さで作ってた、って言うから、俺は恥ずかしい一方で、感心もしたんだ。

 どんだけ、器用なんだよって、さ。

 



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4 ロトの墓に添う花は

「結界が生きてて、入り口はあるのに入れない」

「……ってことは、墓荒らしにもあってないし、魔物もいない」

「でも、どうやって入るんだろねー?」

 

 ラダトームから北西にあるロトの墓。

 ぽっかりと口をあけた黒い穴の正面で、三人はちらりとレオンを見た。レオンも三人と同様、入り口から押し出されるような不思議な力に、掌を当てて感触を確かめている。

「トヘロス」

 突如、パリッと小さな雷のような音がして、大気に伝線していく。微量の摩擦音とともに四人の姿が聖なるオーラに包まれた。

「来い」

 レオンはロルの首根っこを掴み引き寄せる。そして間髪入れず、入り口から黒い穴へと強引に投げ入れた。

「うおおおおおっ!?」

 初めてムーンペタで出会ってから諸々、どう考えてもアイリンの腕力ではできない件があるあたり、仕組みが不可解と思うカインであったが。

 何か秘訣でもあるのだろう。力の出所を聞くのは、後回しにすることにして、

「ろ、ロルー! 大丈夫?」

 今は、素直に友の身を案じることにした。

「ばかやろーう! 死んだらどーすんだよっ」

 抗議の声が反響する。よかった。受け身はとっただろう。これなら怪我はない。

「基本の対処が遅い。この程度の不意打ちで死んだら、末代まで笑ってやるわ」

「俺が末代なんだよ、今んとこ!」

「よーし、罠はなかった。行くぞお前ら」

 一応、投げる獲物の選択はしたらしい。カインとシアはあとに続いて階段を下りる。

 

   +

 

「不思議なもんだな……。デカかったガライの墓は埋もれたってのに、こっちは綺麗に残ってやがる」

 独り言のように呟く彼の表情からは、何も読み取れなかった。

 ただ、レオンが、『レミーラ』という謎の呪文を唱えると、洞窟内は昼間のように明るくなった。

「キレイな御影石ですね……傷も無いし、欠けたところもありません」

 シアが不思議そうに壁を触る。

 不思議というより、不気味だ。

 まるで、昨日完成したばかりの壁のように、石は磨かれ、光沢を放っている。整然とした石の並びと、仄かな光の間には、一切の悠久の時間の流れはない。

 人工的な静謐。

 そんな言葉がカインの思考に掠る。

 

(……ここだけ止まっているみたいだ、何もかも)

 思いつつ、なんとなく寂しいような気がして、ロルを見る。

(こんなこといったら、笑われるかな)

 後ろにいるシアを気にしながら、ロルを覗き込むと、意外にも彼は静かだ。

 感想のひとつでも言いそうなものなのに。

 あるいは、腹が減ったと訴える頃合だというのに。どこぞの神殿の巫女のように、瞳は澄み、聴覚を研ぎ澄ましている。

 頬の筋肉も、平たいままであった。

 

 歩いていくと、地下二階の行き止まりに、それはあった。

 石碑に、数名の名が連ねてあるのは、勇者本人ばかりではなく、勇者の家族も一緒に眠っているからか。もちろん、掠れていて文字は見えないが、何かが彫られたあとだというのは、わかった。

「見ろよ。宝箱が置いてある」

「お供え物かもしれませんよね、そっとしておいてあげま……」「おりゃ!」

 シアが途中まで言ったあたりで、レオンが宝箱の鍵の部分を槍の柄で殴打した。破壊音が反響する中、宝箱は、力なく開き、古の空気をやんわりと吐き出す。

 それから、折りたたまれた手紙のようなものを取り出して、一瞥すると、明らかに嫌そうな表情を作った。

「……チッ」

 はずれだ、とレオンの全身が言っている。どうやら、お気に召すようなものではなかったらしい。ここに、ロトの剣はない。

 しかしそれはそれ。他の三人にとっては、気になる対象である。

「なんか書いてあるの?」

 ロルが横から覗き込んだ。

 しかし、残念ながらロルに読める文章ではない。字そのものは見知ったのがあるものの、文体がまるで理解できないのだ。

「なぁ、レオン。読んでくれよ。勇者ロトの残した文書なんだろ?」

「百ゴールド」

「金かよ。まぁ、いいかそんくらい」

 銀貨を一枚取り出し、指ではじく。三人とも、レオンの持つ文書に興味津々といった風情で、周りを取り囲んだ。

「百ゴールド、返さんからな」

「いいから、早く!」

 レオンはわざと抑揚のないしゃべり方で告げる。

「『お宝が入ってると思った? ざんねん! ミシャちゃんの思い出の品でしたー!』」

「は?」

「え?」

「……以上だ。最後に、ロトの本名らしき名前がサインしてある」

 えー。

 それだけ?

 不満そうにわめく三人を余所に、レオンは手紙を箱に戻し、用済みだといわんばかりに、宝箱を投げ置いた。が、それを超人的な動きで捕らえたロルが、コレ幸いにと宝箱の中身を漁り出す。

 何か面白いものはないか、と中をまさぐり、中から取り出したるや、個体は二つ。

 右手には、サークレットらしきもの。

 こちらは額の中央部分まですでに腐食し、冠のかたちを成していない。はめ込まれた宝玉に光はなく、安いガラス玉のように鈍く風景を映し出している。ロルが少し力を加えれば、簡単に崩れ落ちそうだった。

「女性のものにしてはちょっとごついよね。大きいし」

 勇者の私物にしては変だよね? とカインが首をかしげる。

 左手には長方形の石版らしきもの。元は粘土板だったのだろう、今はすっかり渇いていてコチコチだった。

 何やら文字が刻まれており、裏面には小さな手形がエンボス加工のように突き出している。

「串で書いたような文字ですね。ロト様の直筆でしょうか」

 シアが凝視する。目を逸らさないまま、「十億ゴールド……いえ、百……」と言ってるあたりは、商人として当たり前なのか。

「こっちの手形も不思議だよね。普通なら、粘土の上から押すような形にするから、へこんでるのが普通なのに」

 どういうわけか、赤ちゃんのように小さな手形は、表面に突き出た形になっているのだ。

「これも一応、文字なんだろ? レオン読んでくれよ」

 と、ロルがサークレットを箱へ戻し、開いた右手で、自ら百ゴールドを差し出したあたりで。

「おとうさん、だいすき」

 

 は? と別次元からの声を聴いたように、三人は固まった。

 しかし、紛れもなく声の主はそこにいる。レオンが言ったのだ。

 遠目から、石版の文字が見えていたらしい。

 やや顔をしかめたレオンが、「そう書いてある」、と低い声で告げる。反射的に首を逆方向へよじり、背を向けた。

「……勇者ロトも、人の子か」

 レオンが、独り言のように呟く。

 やがて、ロルが透かし見をするかのように石板を高く掲げると、青い光の粒がパラパラと落ちて、床を照らす。

 ひとつひとつの細かな粒は、ふわりと宙に浮いたり沈んだりを繰り返したのち、地面に落ち着いた。

「……普通の、女の子だったんだね」

「そうだな、俺たちと変わんなさそう」

「ロト様、可愛いです」

 どんなところで産まれ、どんな育ち方をしたのか、自分たちには知る由も無い。

 しかし、版の下手くそな文字は、確かに存在する。

 今、ここにいる自分たちと同じ、何も変わらないのだ、という強烈な主張を残している。

 ロルはため息をついた。

 それは、傍から見てもわかるような、安堵の息であった。先ほどまでの、張り詰めた頬ではない。今は、瞳がゆるやかに凪いで、口元が丸い。

「ロトの剣はなかったけどさ、まぁ、よかったんじゃん?」

 カインも同じ表情で応えた。頭の片隅で、レオンが百ゴールドを受け取ることもなく、悪態をつくこともないことをやや疑問に感じたが、来て良かったという思いで満たされる。

「その石版、持って行くのですか?」

 シアが、レオンが荷物袋に入れるのを見て、意外そうに問う。

「妙な魔力を感じる。ラダトームの王にでも調べさせる」

 あとは戻しておけ、と静かな声で言うのだった。

 

 さて。

 墓から出れば、弁当タイムである。

 馬にくくりつけておいた荷を解く。あらかじめ周囲には、聖水を振りまいておいた。

 緑の原に爽やかな風。空は、おあつらえ向きに晴天。

 野外で食を堪能するには、なかなかのシチュエーションである。

 セッティングには、シアの所属するピアスバルマーク製の新商品、『水に流せるキャンプセット』が、使用された。

「このテーブルも、イスも、かまども、パラソルも紙でできてるんですよ。こちらの特徴は、炎では燃えず……なんと! 水につけると熔けるんです。後片付けが楽ですねー。便利ですねー。今なら特別に、火付け装置の『着火魔んじゅう』をお付けして、二つセットで三九八〇ゴールド!」

「買う、買う、買っちゃう。シア、一緒にキャンプしようね」

「まいどでーす。今後もどうぞごひいきにー」

 どういう手法で折りたたまれたのかわからない、ただの紙が、シアの手によって瞬く間に立体となる。

「どれも要らねぇだろ。どうかしてんのか」

「レオン様。お言葉ですが、キャンプをするのは屈強な戦士ばかりではありません。女性や子供もいます。これならきっと、奥様やお子様たちも喜びますよ?」

「──さっさと弁当出せ。洗濯した分は食うからな」

「麦酒ありますけど?」

「……気が利くじゃねぇか」

 

 ロルは弁当を食べ始めている。

 カインが感激の瞳で「いただきます」を言ったかたわら、「いただいています」と声を上げた。

 すでに中身は空に近い。コンロにつけたお茶用のお湯が、まだ沸いていない状態であるというのに。

「かー、うめぇ。とび羽魚のから揚げうめぇ! 黒茄子とハス輪と甘瓜の肉づめと、超薄切りパンのギーゴ卵サンド巻きうめぇ! ロレーヌの実とウェルハーブのサラダ、ガライの名物、墓茸と林檎の蜜醤油ガレットうめぇ! 全部うめえ、おかわりおなしゃーっす!」

 どうぞ、と予備の弁当箱が出される。

 隣で、レオンも無言で食べているあたり、文句は無いのだろう。

 次第に、弁当の中身は消え、やがて食後の雑談へと移行していく。

 

「レオンさ。アイリンの身体なのに、よく食うよな」

「仕方ないだろう。こいつの神子力にも養分が必要なんだからな」

 ──はい?

 何やらわからないことを言われた。

 ロルもそう思ったのだろう、それ以上つっこまずに、次の質問にきりかえる。

「えっとさ。そもそもさ、何で紋章を集めなくちゃならないんだっけ?」

 こっちのほうが、彼にしては核心をついている。

 いや、ロルだからこそ、なのか。本能で、紋章にある何らかの力を感じ取ってるのかもしれない。

 実際、紋章といわれても、カインにとっては代々国に受け継がれてきた宝物、くらいの認識しかないのである。

 ローレシアでも、おそらくそうなんだろう。

 今まで旅を続けてきて、ロルの口から紋章の話が出たことはなかった。

「紋章は、五つある」

 食事を終え、「流せるキャンプセット」付属の紙シートに寝転んだレオンが答えた。大の字で寝ているが、姿はアイリンである。風によって、めくれあがるアイリンのローブの裾は、いろいろと心臓に悪い。

 それはともかく。

「以前俺がな……魔法使いとともに、古の魔法を紋章に封じたんだ。それを五つに割り、それぞれ信頼のおける地へ預けた」

「古の魔法って」

 いきなり深い話になった。カインは聴覚に神経を集中させる。

「まぁ、色々ある。お前ら、千年前に起こった精霊の変革については知っているか?」

 それについては、座学で履修済みだ。

 というか、王子でなくたって、街の子供たちなら皆、習うレベルの話だ。

「うん、大魔王の残した邪精霊が、大地からかつての精霊たちを死滅させていったってやつでしょう? そのせいで、人間たちは、それまで使えていた魔法が使えなくなったんだ」

 いろいろあったよね。

 名前だけは憶えてるんだけど……と、カインが呪文の名称を羅列する。

 

 メラゾーマ、マヒャド、ギガディン。

 アストロン、レムオル、シャナク。

 ボミオス……と指折り数える。

 

「そうだ。だが、異世界から落ちてきた古代四神塔の影響もあって、俺の時代では、まだ古の呪文を使える者がいたんだ。それが俺の魔法の師匠でもある──」

「へー。レオンが誰かに教えを乞うなんてなー」

「何が言いたい」

 茶化しているように見えても、ロルにはたぶん、その意図は無い。レオンはまだそこらへんがわかっていない。

 ややこしい方向へといかないように、カインが話を繋げる。

「で、紋章に魔法を封じたんでしょ? これからの戦いに有利だから探せってこと?」

 頷いた。

「紋章には魔法だけでなく、オーブの力も込められている。……といっても、お前らにゃわからんか。まぁ、とにかく未熟なお前らを、どうにか補ってくれる便利アイテムだと思っておけばいい。──で、その場所だが」

「ローレシア、サマルトリア、ムーンブルクに在るだろう?」との、レオンの問いかけに、三人は気まずそうに首を振った。

 まずは、カインが。

「サマルトリアにあった水の紋章さ、数年前に盗賊に盗まれたらしいんだよね。なんか式典の最中に飾っておいたら、いつのまにかもぬけの殻になってたみたいで」

 レオンの頬がひくり、と鳴った。

 続いてロルが。

「あーそうそう。サマルトリアが紋章、盗まれちゃったからさ、うちの父さんも用心して、炎の祠に置きにいっちゃったんだよな。だから今、国には置いてないんだなー」

 最後にシアが。

「あ、あの。ムーンブルクの月の紋章は、おそらく、その……すでに」

「瓦礫の下か。探索しがいがある……なんて言うと思ったか? この平和ボケゆとりバカが! お前ら、一体、揃いも揃って何やってんだ!」

「そんなこと言われましても」

「レオン、怒ってばっかりで疲れない? 一日一回は怒鳴るよね」

「寿命縮まるよ? あ、長生きしたか。不思議だなー」

「黙れ!」

 足を振り子にして、上体を起こす。

「すぐに出発するぞ、まずはラダトームの王子から星の紋章だ。急げ」

 言った矢先であった。

 不穏な気配に、ロルもカインも咄嗟に立ち上がる。……これは、魔物の気配だ。

「聖水の効果、切れちゃったんだね。シア、下がってて。レオンは左を頼む」

 武器を構える。

 鉄の槍の示す先に、いつのまにかオークが同じ切っ先を向けて、複数、此方をのぞいていた。

「──加勢? ならば金よこせ。一匹につき五百だ」

「高すぎるよ!」

「さっきキャンプセット買ってた奴が何を言うか」

 そんなやりとりが終わらないうちに、オークの集団が襲い掛かる。いち早く反応したロルが銅の剣を抜き、オークの懐に切り込んだ。

(まず足を狙う──!)

 図体のでかい敵には基本の戦い方である。槍は懐に入られれば弱い、定石ともいえる動きに、一閃の手ごたえを感じたロルであった。が。

 もう一匹のオークが、すぐ後ろにいたのだ。二重の戦闘体勢で、後ろにいる魔物は体ひとつぶん遠い。槍の範囲であった。

「しまっ……」

 もう遅い、オークの持つ鉄の槍による「さみだれ突き」がロルの身体に降り注ぐ。

 避けること三度。かすること四度。絶妙な反射神経でロルは避けるが、体勢を崩したところに前衛であったオークが槍を振り下ろす。

 しかし、ロルは自らそのオークに体当たりした。より近距離で攻撃を受けることになり、はじかれて地面をゴロゴロと転がる。だが、転がり途中で癒しの光が身体を包み、止まる頃には全快する。

 カインのホイミだ。

 離れたオークたちの周りに風の刃が起こる。シアのバギだとわかるが、小さな傷をいくらつくっても、屈強なオークに致命傷とはならない。

 ローレシアやムーンブルクの大陸で会う敵よりも強い。

 それがわかるまで、時は要しなかった。不利を悟り、じりじりと三人は後退する。

 そこへ、レオンの怒号が飛んだ。

「てめぇら、何怠けてんだ、本気でやれクソが! やらんとケツに火ィつけっぞ!」

 檄を飛ばしたのかと思いきや。

 どうやら、オークたちの背後に回って、槍で煽っている。

 なぜか、様子を見ていた他のオークたちに文句を言っている。

「どっちの味方だよ!」

 当然、そんな不満はレオンには届かず、彼は依然としてオークたちを叱りとばす。

「俺はどうしたらいいんだ」と、困惑顔でオロオロしていたオークの尻を情け容赦なく蹴り、強引に鉄の槍を奪い取り、「さみだれ突きはこうだろうが!」と、実践つきで教え始めた。

 憐れ、実践例の餌食となったオークは、幾たびも尻を残酷に突かれ、血の雨を降らし、ほどなく昇天する。

 鉄の槍だけがレオンに残り、返り血の花が、彼の白いローブにてんてんと花咲いた。

 鬼神のごときかの勢いに、オークたちは戦慄する。

『ヤバイ』

 こいつ、ヤベェわ。

 それがレオンという男への率直な感想である。──魔物であるからこそ、そう本能で理解するのに、時間はかからなかった。

 オークたちは恐々としてレオンに背を向け、本来の敵であるはずの三人に正面を向ける。さぁ、反撃だ、俺たちの戦いはこれからだ、と──。

「ザラキ!」

 十分に、詠唱に時を費やしたカインの死の呪文が、オークたちを襲った。二匹ほど死の世界に誘われ、ばだばだと地面に倒れる。残り一匹が逃げるかどうかの野生の判断をしたあたりで、すかさず背後から炎が飛んだ。

「この俺より下がったら消し炭な」

 冷酷なレオンの声がオークに届く。もう行くしかない。がけっぷち俺、逃げるほうが怖いと理解したオークが鉄の槍を振り回し、ロルに突進した。

「うっしゃ──あ!」

 もはや隙だらけであるオークに、ロルは落ち着いて一撃を加えた。しかし銅剣では殺傷力が低い。

 同時に狙ったようにカインのギラが接触部にとんだ。

 煌々と燃え上がる炎に、オークは我を見失った。

 もはやこれまで、とばかりに、レオンのいる背後ではなく、ロルたちをすり抜けた前方へと逃げる。

「あ、待て!」

 待たない。ロルの追撃もはかなく、背に傷を受けたオークは、瞬く間に逃げ去った。

 戦闘は終わった。

 なんとか大丈夫だったねーと、安堵した三人に、この上なく不機嫌そうな声が降る。

「おい青猿」

 レオンがゆっくりと歩いてくる。

 な、なんだよ、と身構えつつ返事をすると、やはり表情も苦そうにレオンは続けた。

「へったくそ」

 むっ、と口をへの字にするが、言い返せない。確かに、巧い戦闘ではなかったことは、ロルにもわかる。

 レオンは、カインにも視線を流した。

「トウモロコシの呪文も、まだまだだな。詠唱に時間がかかりすぎだ」

「僕、穀物なの!? ロルは哺乳類なのに!」 

「まだ緑って呼ばれたほうがましだよ!」と抗議すると、レオンが真顔で答える。

「じゃあ、旗にでもなってろ。鉄の槍に法衣を干せ。いい目印になる」

 そんな、ひどい。「僕は褒められて伸びるタイプなのに……と、意気消沈した。

「犬侍女は。基礎から魔法をやるんだな。素質はある」

「は、はぁ」

 答えるシアであったが、そもそも強くなること自体、旅の目的から、ずれている。

 素質があっても、嬉しくはない。興味はない。

 どう反応してよいのか、わからなくて、とりあえず使用済みのキャンプセットをしまおうと、踵を返す。

 レオンは、厳しい表情を崩さずに呟いた。

「だいぶ、薄くなったな」

「髪の毛? 遺伝的には大丈夫なんだけど?」

「血だよ、バーカ」

 ロルの答えに一度目を閉じるが、やがて腕組みをしつつ、王子二人を見据えた。

「……このままだと、本当にお前たちが末代になるな。後の時代には、ロトの血筋は先細りだ。やがて──」

 その先の、言葉を濁した。

 

 一人、思索に入ったようで、瞳の焦点も今は定まらない。やがて、レオンの顔からは厳しさはなくなり、代わりに自嘲のような笑みが浮かんだ。

「そのときはお前も年老いて……生きてはいまい、か。化石野郎が」

 レオンのまわりの大気がゆらりと揺れた。

 本人は無意識なのか、闘気が集っている。同じく、戦闘を伴にするロルには、その気勢が肌でわかる。しかし、言っている内容まではわからない。

 やがて、おだやかな風がひとしきり皆を包み、つむじを巻いて消えると、彼は眉間に深くしわを寄せ、三人を見つめた。

 いつもの、苛立ちを含んだ、睨むような目つきではなかった。

 

 

 



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5 海のローレシア、花のサマルトリア

 きらきら。白い泡の飛沫たちが、あたりいちめんの青に絵を画いていく。

 初夏の強い日差しを受けて、ウミネコが影を落とす。

 ニャアと鳴く声は瞬く間に後ろへと去り、後に残るのは、思いがけないほどに怖い顔の印象だ。

 

 金に縁どられた船首の女性は、疲れを知らない。

 最新性能の輝きを笑みにのせて、豪快に海を割ってゆく。

 ラダトームから南、大灯台までの道のりは、およそ三千八百ミロ。

 ロトの墓までは、せいぜい千ミロの距離であったから、その倍以上だ。

 足の速い小型の船でも、日数にして四日かかる。補給を考えれば、六日。往復だと二週間ほどの旅となる。

 

「カイン、おはよ! 試合しようぜ!」

「ごめん、無理」

 

 えー。

 ロルが不服そうに片手のバナナを食いちぎる。

 ラダトーム王のはからいで、水や食糧、屈強な船員まで貸してもらえたのはいいとして、問題はロルが、海の陽を照り返すほどの熱さを持っていたことであった。

 熱いというより、暑苦しい。

 ロトの墓付近でのオークとの戦いにおいて、自ら不名誉を悟ったのか、船の看板の上でも訓練に余念がない。

 初めのうちは、剣試合に付き合っていたカインも、ここ数日は船酔いと暑さにやられて、相手にはできなくなっている。

 

「よっしゃ、レオン。相手しろよ!」

「俺は眠いんだよ。一人でやってろ」

 

 甲板のデッキチェアから、速やかに回答が入る。

 木綿の袖なしシャツに足首がゆったりと開いているパンツ。腰布もゆるやかに締め、片手には冷水。さぁ、これから惰眠をむさぼるぞ、という気まんまんのレオンが、応じるはずもない。

 対して、ロルは半裸。身に着けたものは麻の短パンと、ラダトームで入手した鋼の剣だけ。すでに浅黒い引き締まった身体には、艶出しのニスのように汗が浮いている。

「金なら出す!」

「いいだろう。十分、百ゴールドな」

 毎日、こんな似たようなやりとりがあって、ようやく、ロルはレオンと対峙する。

 

(よく続くなぁ……)

 海の色をそのまま映し込んだような瞳をしたロルを、カインは遠目から観察する。

 さすがに潮風にも、船にも慣れているロルにとっては、船旅など大地の上と変わらないのだろう。むしろ、活き活きしているように見える。

 それにひきかえ、自分は。

「ご気分が、すぐれないのですか?」

 甲板のイスの背後から、声が飛んだ。

 振り向くと、シアが大きめの肩布を手に、立っている。そういえば、風が冷たいような気がしていたなぁと、己の体調不良を今さらながらに思い出した。

「うん、船酔いはだいぶよくなったよ、ありがとう」

 ふわりと肩に布がかけられる。

「あら、その子……」

 イスの縁に行儀よく止まっている鳥を、シアは見つめた。

「僕の可愛がってる鷹だよ。たまにこうして、サマルトリアに手紙を届けてくれるんだ。もっともただの近況報告だけど……妹がね、やらないと、うるさいから」

 言いつつ、さきほど書き終えた手紙を小さく丸め、鷹の足についたホルダーに入れる。

 

 そろそろ、サマルトリアは春を通り越して初夏に入っただろうか。

 くだんの花が咲き乱れ、麦が育ち、雨が降る。女神(イシュタル)の月は、大地のすみずみまでが潤い、満たされる季節だ。

「妹さん?」

「ああ、シアは会ったことがなかったっけ」

 旅に出てから、遠くなりつつある祖国の──自分にとっては、新しいほうの家族を思い浮かべる。

「チュチェリアーナって名前なんだけど、僕はチェリって呼んでる。もっとも、彼女も選出王女だから、直接の血の繋がりは無いけどね」

「仲がよろしいんですね。手紙でやりとりするなんて」

「ううん、どうかな? 普段からわがまま言うし、命令口調だし。僕の傍には来るけど、いつも睨むように見るし、この手紙だって強制だよ」

「……鈍感?」

「何が?」

「いえ、なんでもありません。ところで、この鷹さん、とっても賢そうですね。羽根もすごく綺麗……」

 シアは鷹に目を向けた。

 鳥が好きなのか、こちらの話のほうが興味深そうだ。瞳の輝きが違う。

 さわってもいいかとの質問に二つ返事で答え、愛おしそうに羽根を撫でる彼女を、他でもない自分が、傍から見つめる。

 言えない。

 この鷹の名前が、「シア」だなんて。

 ──思いつつ、カインは「どうか彼女が鷹の名前を聞きませんように」と、話の方向を変えた。

 

「えっと。鳥が好きなの? よくウミネコも目で追ってるし。シアなら、小鳥とか似合いそうだよね。インコとかスズメとか。あ、オウムやカナリアもいいなぁ」

「いえ、この子のほうが好きですよ。大きくて力強くて……憧れるんです。鷹とか、隼とか」

「じゃ、フクロウなんかも好きだよね? 森の賢者って言うし」

 たやすく同意を得られると思って聞いた質問だったけれど──。

 シアは、急に笑顔を消し、唇をきゅっと結んだ。

「いえ、フクロウは……嫌いです」

 

 にゃあ。

 ウミネコが鳴いた。

 妙な空気が流れる。

 

 ――怒った? なんで? 

 

 チラ見するが、怒りの気配は無い。じっと静かに、感情を抑えているような様子に、何かあったのかと不安になってしまう。

 遠くから、ロルとレオンの剣戟が、ウミネコの鳴き声と混じる。

 キン、と剣をはじかれた音が、手首を打たれて剣を落とされた衝撃が、すぐ傍で聞こえた気がした。

「……まだやんのか。もう面倒だから、五分で百ゴールドな」

「は! 前よりかはマシになっただろ?」

「うぬぼれんな」

 不機嫌なレオンの声と、威勢のいいロルの声。

 いつも通りだった。

 ここまでは。

 しかし、突如として襲った……自分の中を空っぽにしていくような不穏な風を感じたのは、これが初めてだったように思う。

 ぐらりと上半身が揺れる。目の前の色がモノクロへと変わり、視界が闇へと転じる。

「カイン様……?」

 何かに支えられた気がして、カインは息を吐いた。

 気分が悪い。ひたすら吐き気がするが、今、吐いたら血や内臓、その他もろもろまで出てしまいそうな勢いだ。

「っ……船酔いが、きたみたいだ……このまま、寝せ、て」

 うっすらと抜けていく意識の中、シアがロルを呼ぶ声を聞いた。

 鷹が翼を広げる。

 カインの様子を見届けるかのように、そのまま空高く舞い上がり、故郷の方向へと消えていった。

 

 

 +++

 

 

 船旅六日目の早朝である。

 大灯台に着いた一行は、各々の装備のチェックをして、塔の探索に入った。

 船の上で動けなくなったカインは、翌日になると嘘みたいにすっきりと治り、いったい昨日の不調はなんだったのかという、自問に達する。

 船酔いではない。

 そんな生易しいものではない。

 体の細胞すべてが、侵され、腐っていくようなあの感触──。

(心配させちゃうから、黙っとこうかな)

 結局、仲間には告げなかった。

 現に、今はこうして、何事も無かったかのように動けるのだから、と。

 

 

 灯台の中は、昼間だというのに薄暗い。

 紫がかった壁に、ようやく光が差してきた最上階だったが、それでも日中にしては暗かった。

 それもそのはず、この階には奥側の中央に天球儀が置かれている。さらに、その上には、星雲をまとったような黒いドーム型の魔法陣が、いくつも重なり合って浮かんでいた。

「星読みかな?」

 ラダトームの王が、そんなことを言っていた。

 なるほど、確かにそれらしき人物がいる。黒に金模様のフードをかぶっていて顔は見えないが、どうやら少女のようだ。

 もう一人は、身なりのいい少年。瞳に宿る敵意を隠しもせずに、こちらへと向けている。

 彼は、光の剣を利き手に持ち、静かに、よく通る声で告げた。

「会うのは数年ぶりか……。私を覚えているか、王子たちよ」

「ラヴェル王子」

 

 ラヴェル・トゥラ・N・ラダトーム。ラダトーム国の第一王子である。

 さらさらの金糸髪に、燃えるようなカッハーの瞳。

 エルフの血が入ってると言われる彼は、男にしては華奢な体型で肌も白い。独特に尖った耳は、普通の人の倍の聴覚を持つと聞いている。

 ならば、自分たちが大灯台に入ったあたりから、物音は聞こえていたのだろう。待ち構えていた気配があった。

「そりゃ、覚えているさ。建国祭で会ってるもんな。にして

もお前、すげー他人行儀だよな? 昔はよく俺とよく遊んでくれたじゃん」

 ロルは、くったくのない笑みを向ける。が。

「子供時代はすでに終わっている。ローラント王子は、まだ子供のようだ」

 ふ、と笑った。

「……昔のよしみとやらは厄介だな。こうして敵対すると、剣を向けるのはいささか、心が痛む」

「敵じゃねーよ? 星の紋章もらいにきただけじゃん」

 

 ラヴェルは笑みを消した。

「言うまでも無いが、私はラダトーム王太子の任を預かっている。貴公ら……ロトの子孫たちがここへくるのは、すでに星読みで承知していた。だが、」

 すぐ傍のかがり火がボッと跳ね上がり、王子の頬の半分が赤く照らされる。

 王子は光の剣を握りなおし、刀身をやや前方へと向けた。

「帰っていただこう。たとえそなたたちでも、星の紋章を渡す気はない」

「失礼。なぜですか、ラヴェル王子。あなたも、世界の平和を願う国の王子であるはず。僕たちは紋章の力を借りて、ハーゴンを討伐しようと……」

 カインの言葉半ばにして、ラヴェルはそれに被せた。

「紋章を持てば、世界を救えるとでも? 失礼だが、貴公はまだ世界の状況を知らないようだ。教祖ハーゴンの崇拝する神の教えは、すでに大陸各国にゆきわたり、魅入られた人々が増え続けている。それを、邪教だから止めろと、確固たる証拠を持って諭す力が、今の貴公らにあると?」

 

「それは……」

 ロルもカインも口ごもった。

 民人たちの心を動かすには、まずは信用されなくては難しい。ローレシアやサマルトリアならいざ知らず、遠い異国の地では、どうか──。

「……ムーンブルクの無様な滅亡を見ただろう。どの国よりもミトラ信仰が強かったあの王国で、高位の神官たちによる法力防壁はまったく役に立たなかった。神子との誉れ高かった王女もなすすべなく殺され、後に残ったのは腐敗した焦土と、家族を失ったムーンブルクゆかりの者たち。

 ……見たまえ、ここにいる星読み術者は、ムーンブルクに家族がいた。彼女に対して、そなたたちは、何か言い訳ができるのか?」

 星読み術者は、まだ身体に凹凸の無い、若い女の子のようだった。顔は見えないが、すらりとした華奢な足が、わずかに震えている。

 

 シアは羞恥のあまり、うつむいた。

 のこのことやってきたロトの子孫たちを、それについてきた自分を、あの子は今、どんな思いで見ているのだろう。

 もしかして、裏切られたとさえ、思っているんじゃないか。

 そのムーンブルクで、唯一無事に生き残った人間が自分なのだ。……とてもそんなことを告げる勇気はない。

「信用できない。ロトの血は民を守らなかった。それが現実だ。……もう血筋などに、価値も力もない。もし、未だにそんな思い上がりを持っているのなら、今ここで──私が、貴公らを粛清せねばなるまい」

 

 シン、とつめたい空気が圧力を増した。

 ロルも、カインもシアも、気の利いた台詞が出るはずもない。

 王子に正論を吐かれ、目の前には被害者がいる。

 直接の責任がないなどと、どうして言えようか。

 ……ところが。

「悪いが、持ってるぜー。思い上がりならたんまりとな。……まったく血統主義って便利だよなぁ。何の苦労もしなくても、民は言うこと聞くし。失敗したらしたで、なんでか許されるし、それによ、」

「ちょっと、何言うの!」

 慌てて、カインがレオンを止める。

 とんでもない。これでは火に油だ。よりによってアイリンの姿で……と思って振り返ると、どこで調達したのかレオンはツバの大きな帽子を深くかぶり、顔を隠している。

 一方で、ここぞとばかりに声量が十二分だ。

「なるほど……そういう考えなら、話は早い。どうしてもというのなら、我が身を倒してから言うのだな!」

「ちょ! 話聞いて!」

 カインの制止も徒労に終わる。

 ロルが瞬時に危険を察知し、すらりと剣を抜いた。青銀色の剣身は、無機質な大灯台の紫壁を映し出し、魔法陣の光をわずかに反射させる。

「強いぜそいつは。俺の師匠の子孫だからな」

 煽ってるのか、警告してるのか、楽しんでいるのか。

 レオンは初めからこうするつもりだったらしい。今更、諫めてももう遅い、相手は臨戦態勢だ。

 剣で向かうには距離がある。

 ロルとカインが互いに目配せをするのと同時だった。二手に分かれ、走る王子たち。その隙間を縫うように駆け出したシアの首根っこをつまんで引き寄せる者がいた。

「きゃ……っ!」

 ぐいと背後に引っ張られる。なにごとかと顔を上げると、そこにはレオンがいて、遠方を見据えていた。

「お前は、出るな。あいつらが負けるまでここにいろ」

「そんな……!」

 アイリンの体とは思えないような強い腕の力が、シアの動きを封じる。

 改めて前方を振り向くと、今まさにラヴェル王子の掌から、呪文が繰り出されようとしていた。

 



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6 精霊紋のゆくえ

 ひとつ、ふたつみっつよっつ。

 夜空に瞬く一等星のように、ラヴェル王子の意に従って光が点滅する。

 やがてその光は意志を持ち、天球型の伽藍に添う婉曲した骨のように、二人をめがけて突き刺さる。

 

 吐く息が白い。一瞬にして肌が凍り、視界が遮断される。

 巨大な氷の刃が浮いたと思ったのは錯覚だったのか、針で刺したように床が砕け散るのを見るまでは、そう思い込んでいた。

 凍気を収縮した魔法。そんなもの、シアは知らない。けれど、確かに存在したのかと目を疑い、気を確かに保つのが精一杯だった。

 

「古の魔法──マヒャドか」

 

 カインが負傷し流血した右足を押さえながら、呟いた。

 咄嗟に炎の呪文で幕を張ったのは、ほぼ勘であった。それでも身体へのダメージは大きい。自身をホイミするが、到底傷の深さのほうが治癒力を上回っている。

 ロルは。

 反射神経だけで、氷の刃を避けたのか。服はずたずたに破れていたが、致命傷は負っていない。しかし、こちらを見る余裕はなさそうだ。次の一手が、すでに放たれている。

 僅かに聞こえる詠唱の音は聞き覚えがなかったが、収縮する精霊配列はなんとなくわからないでもない。これは、炎の呪文だ。ただし、自分の使うものよりも、威力がでかい。

 ベギラゴン──そう、ラヴェル王子の唇が、動いたような気がする。

 轟音くすぶる魔法陣の中、カインは鉄の槍を杖代わりにして、思いきり床を蹴った。

 背中のすぐ傍を炎の竜が舞い、後髪を焼いた。チリチリと焦げる異臭が鼻を突く。だが止まってはいけないと、本能が警句を告げる。

 このままでは、いずれやられる。

 せめてスクルトをかけたいが、先ほどの氷の呪文の凍気で喉がおかしい。

 

「──ロル様……カイン様……っ! 放して、レオン様っ!」

 せめてベホイミを──。

 シアはガタガタと震える細指を、杖に無理やりまとわりつかせて握る。

 喉を抑えつつ、なんとか詠唱の最初の一言を口にした途端、背後から掌で口を塞がれた。

 最中、燃え踊る竜のわき腹を、ロルは剣で一刀していた。これには、ラヴェル王子も「ほう」と、素直に感心し、魔法よりも早く走るロルの動きを注視する。

(ロトの一族は、たまに常人外れの能力を持った者が生まれるというが……)

 魔法を使えないからと軽んじていたのか。

 幼い頃に会ったローレシアの王子とは、明らかに違う。段違いの成長ぶりを、心ひそかに賞賛する。

「ならば、これはどうだ?」

 紅蓮の炎が渦を巻く中、ラヴェル王子は異なる種類の魔法を詠唱する。人なら誰でも恐れる……死の世界へといざなう強力な魔法。ザキ。

 古の魔法ではないが、錬度の高い冥界の恐音を聞いて、どこまで耐えられるか。

 

「うっ、るせえええええ────っ!」

 

 吼えながら、ロルは拡散させる魔法の核を、炎の呪文を払ったときよりも正確に突いた。

(……勘もいい。運もいい。おそらくこの手の精神攻撃は、効かない人間だ。ならば──、)

 ラヴェルは両手の掌を合わせ、一点に魔力を集中する。

 ちらりと動けなくなったカインを見定め、魔法の範囲に入るように、ロルを捉えた。

「これで終わりだ」

 空気が擦れる音がする。

 摩擦がありすぎて、ギギギ、キィンという騒音が耳をつんざき、ロルとカインの頬を切り刻んだ。

 熱が、気が、魔力がひとつの場所に密集し、やがて反動をつけて拡散する。爆発──イオナズン。

 それまで床を刺した氷も、壁を唸っていた炎の竜も、静かに威力を譲り、消えてゆく。

 

 風景が真白になった。

 やがて。

 残ったのは、崩れた壁と床と、王子が二人。

 全身に傷と火傷を負い、埋まった瓦礫の傍からは溢れんばかりに血が流れている。

 もう動けやしない、判断するには十分な状態だった。

「あ……」

 シアは力の弱まった腕をどかし、くるりと背を向けた。たまらず、目の前の、レオンの──アイリンの身体を叩く。

「どうして……!? あなたの大切な子孫じゃないの? どうして……!」

 レオンは無言で、シアを放し、倒れた王子たちの傍へと寄った。

「おい。聞こえてるか、青猿と緑亀」

 二人の返答は無い。

 だが、様子を見て意識はあると踏んだのか、レオンはそのまま続けた。

「これでわかっただろう。お前たちの力が。……もう、やめたらどうだ。世界なんぞほっといて、国を捨てて、己のために残りの生を楽しんだらどうなんだ。そもそも、なぜ戦う」

 答えはない。

 瓦礫の中をよろけながらついてきたシアが、喉を抑えながら傍に寄った。

「ロル様……カイン様……」

 杖を掲げて、回復魔法を唱える。しかしやはり、喉の奥がカァッと熱く、震えて、なかなかうまく詠唱ができない。

 ならば、と歯で腕を噛む。じんわりと歯形の血が染み出したところで、シアの呼吸が整った。

 べホイミが放たれる。

 今度は、レオンは止めなかった。

 

 

(──どうして? レオン様、どうして?)

 

 塞がれた口のせいで、息が苦しかった。

 姫様とは思えないほどの、腕の力も。この冷たい仕打ちも。

 凍気で肌が凍ったと思えば、目の前を炎の竜が舞う。

 竜に焼かれ、引きちぎられ、翻弄される二人の王子を目から離せないのに、震える足は動いてくれない。

 久しぶりに見た恐怖。

 炎が幾重にも折られ、赤黒さを増していく光景は、記憶にまだ新しい。

 あのときも、こんなだった。

 ムーンブルクが、襲撃を受けた日。異臭を伴う炎が、私たちを取り巻いたあの時──。

 

 

『……姫様! このまま私が姫さまに成りすましますっ……どうか例の隠し扉からお逃げください──!』

 

 ようやく中庭で姫の姿を見つけ、転がるようにすがりついた。

 朝にお着せした姫の白いドレスは、あちこちが破け、黒い煤がついている。パールをあしらった光沢のある布地に、波のような金糸のレース模様の重ね。

 いつか、ローレシアの王子に見て欲しいわと、麗らかに語っていたのはいつだったか。

 姫は、有事であることを忘れたかのように、優美に口元をほころばせる。

『……ダメよ、シア。私は王女なのだから、最後までここを守る責任があるの』

 この惨状の中、取り乱しもしない、涙一つも見せないアイリン姫は、まるで小さな子供をいなすように答える。

『いいえ! 姫様はムーンブルクの最後の希望です。だからどうかー』

 力ずくでも、という思いがあったのだろうか。私は姫に抱きついて、わかってくださいと懇願した。けれど、姫はやはり動かず、かわりにそっと私を抱きしめる。

『最後の希望は、私ではないわ。……ずっと傍にいて欲しかったけど、こうなってしまっては、もう仕方がないわね』

『え……?』

 そこで、私たちは白いローブをまとった魔物に、見つかったのだ。

 魔物ではなく、高い知性を持った魔人。

 神官の格好をした、人のようで人ではないその男の名は、ハーゴンと名乗り、その配下である魔物たちが一斉に、攻撃魔法を放った。

 

『──王女が双子だったという報告は受けてないが……』

 

 黒く隈取りをした、漆黒の瞳に、姫様と姫様の姿をしていた私が対峙する。

 攻撃呪文は、皆を容赦なく襲い、その竜巻の中心に、私たちはいた。

 気丈にも姫様はハーゴンを見据えていたけれど、私は、背後で傷を負って倒れていく人々が、呪文の炎に巻かれる人々が、気になって仕方なかった。

 血の臭い。人の肉が、焼け焦げる臭い。

 昨日は微笑んで挨拶をしてくれた兵士長の、悲鳴。

 礼拝の前には必ず、よい香りのする聖水を用意していた神官様は、回復呪文を唱える声が枯れていた。

 侍女仲間たちは、とうに瓦礫の下敷きになり、中庭の園丁は、育てた花とともに炎に包まれている。薔薇をどうぞ、と姫様のための大切な一輪をくれた、皺のある笑顔が──ゆがんでいく。

 

 魔物が人を。

 強いものが弱いものを、蹂躙する様とはこんなものか。

 神を信仰し、文明を築き、培われてきた社会は、異種族の欲望によって滅ぼされるほど小さなものだったのか。

 ああ、もうどうでもいいことだ。

 私もすぐに、物言わぬ血の肉塊になるんだ。あんなふうに、なす術もなく。

 でも姫様──姫様だけは、お守りしなくてはいけないのに。どうしよう。

 涙はとっくに蒸発し、頭の意識までが、ぼぅ、と夢のかなたへ追いやられていく。

 

『まぁいい。王女には神子の力がある。我が魔力によって、ただの人間のほうは、畜生に身を落としてやろう』

 聞いたことのない呪文とおぞましく炎に映える魔法陣を、ただ、私は見ていた。

 そのとき。

『……シア、私はあえて犬になるわ。その前に、神子の力である人の魂を呼ぶから、あなたはその光にまぎれて隠し扉に入りなさい 』

 ──ムーンペタで会いましょう。そして、ラーの鏡で、蘇らせて。

 あの人の、魂を』

 

 

「姫様……っ」

 すぐ後ろに、アイリンがいる。確かに、あのときは姫だったのに、今は別人だ。

 姫様が呼んだ人なら、と信じていた。

 自分たちを、必ず、助けてくれると思っていた。なのに。

 腕の拘束が解かれ、はじけるように転がった。よろよろと我ながら情けない足取りで、二人の下へ向かう。べホイミをかけ続け、反応の無い様子に、不安と焦燥が増したときだった。

「……うるせぇ。子孫だから戦ってんじゃねーぞ……」

 ロルの、千切れた青い服の隙間から、浅黒の肌がゆっくりと浮上した。

「ほんとだよ……いい年して人の生き方にケチつけるなんて……ナンセンスも甚だしい……」

「カイン様……っ」

 瓦礫を分けて立ち上がった二人に、思わず微笑を向ける。しかし。

 ラヴェルは剣身を再度掲げた。剣の中央に小さな魔法陣が浮かんでいるのを見ると、どうやらあれが発動体らしい。

「ローラント。それに、カインフォード。まだ、やるのか? 先ほどの攻防で私との力の差は理解しただろう」

 ラヴェルの言葉に、いち早く反応したのはシアであった。

「ラヴェル様! どうしてロトの子孫を憎むのですか? あなたの敵はこの方たちではなく、ハーゴンでしょう。ならばどうか、力をお貸しください!」

 はじめてラヴェルがシアに視線を向けた。カッハーの眼光に、特に感情は宿らない。

 前に垂れた髪をかきあげつつ、整った三角形の唇から、流れるように言葉を滑らせた。

「娘よ、では聞くが──。国を滅ぼされた民がもし、生きていたとする。その後、素直にハーゴンだけを憎むと思うのか?」

「……え?」

「悪いのはハーゴンだからと……自国を守りきれなかった王族に、恨みや憎しみを向けないほど、民は清らかで強い精神を持っているのか?」

「う……」

「綺麗ごとだな。お前が口を挟むことではない。下がれ」

 畳み掛ける。うなだれて声を失ったシアの前方から、ロルのよく通る声が飛んだ。

「こらー! シアいじめんな! 男として情けねーぞっ!」

「同感だね。そもそもまだ、僕たち諦めてないし」

「ほう?」と首を掲げつつ、まるで面白い寸劇でも見るように瞳の奥を光らせた。

「ならば、私も本気でやろう。……星の紋章の力を解放する」

 ラヴェルの手の中で、紫光の煌きが増した。

 詠唱を必要としない魔法は、まるで神の力のようにも思える。シアがはっと顔を上げた瞬間、ラヴェル王子は王子ではなく──。

「ドラゴン……?」

 カインが孔雀石色の目を細める。

 奥の天球儀の傍に、紫色の鱗の竜が翼を広げていた。それが、ラヴェルだと確認するまもなく、彼の口からは巨大な火球が投げ込まれた。

 

「避けられまい」

 竜の姿となったラヴェルは、メラゾーマ級の炎を螺旋状に吐きながら、王子たちの動きを見た。

 このままいけば、王子二人を火の玉が直撃し、大きな傷を負うだろう。

 左右にはまだ扇形に瓦礫が道を塞いでいる。瓦礫の外に出れば、彼らの仲間に当たる。横には飛びにくいはずだ。

 追い詰めたと思った。

 一直線にわざと走らせ、そこへ再度、巨大な炎の珠を打ち込む。ベギラマとは配列が異なる最高錬度の炎は、たかが鋼の剣で裂けるではない。確実に、やった、と思ったのだ。

 

 ところが。

 奇妙なことが起こった。

 己の放った火の玉が、ロルの背後から襲ってくる。──おかしい。相手は古の魔法は使えないはずだ。ならば、向こうにもドラゴンがいるとでも? まさか、そんなはずはない。自分は確かに、王子に向かって火の玉を放ったはず。

「……とらえた!」

 青銀の鋼の切っ先が、頭上に飛び込んだ。いつのまに。

 通常では考えられないスピードで、ロルが突進した。錯覚で、火球の中から不意に飛び出したように見えた王子に、虚を突かれ防御が遅れた。

 そのまま王子は剣を振り下ろす。炎とともに体重をかけた一撃を、ラヴェルの腹に叩き込む。

 

「うぉらあああああ──っ!」

 

 硬質の音が響き、鱗の上で火の粉を散らした。ドラゴンの皮膚は硬い。これでは致命傷にはならない。余裕で、腹上のロルを払おうとしたとき、他でもないロルの背を蹴って、高く飛んだ者がいた。

(カインフォードか……っ!)

 ここで、 躊躇なく飛び込んでくるとは。相手の力量はともかく、ドラゴンにもひるまない精神力までは計算できていなかったことに気付く。

 鉄の槍が、ドラゴンの左目を狙って迫った。

 咄嗟にカイン諸共に翼の角で払い、槍先が眼球をかすめる。左目に強烈な痛みと血流を感じ、ラヴェルは激しく身体をゆすった。

 バランスを崩したロルが、ドラゴンの羽に撃たれ、壁に身を強打する。一方、高い位置で翼の角で払われたカインは、大灯台の壁縁にあたり、一拍を置いたあと、摩擦が及ばず空へと投げ出される。風が、彼の身をさらった。

 

「カイン様──っ!」

 回復呪文を唱えようと、壁際に寄っていたシアが、咄嗟に瓦礫を利用して灯台の縁を飛び越え、追うように身を投げた。

「待てっ!」

 飛び降りた瞬間にそんな声が届いたが、遅い。

 追いつけば、捕らえられれば、あとはキメラの翼で瞬時移動ができる。

 衝撃で気を失っているカインは外界に身を任せるだけ──ならば。

「なんだ、あいつは……」

 レオンも被っていた帽子を取り、大灯台から階下を見据えた。

 ルーラの残光が、僅かに残る。二人の気配がないことをみると、移動は無事に済んだのだろう。しかし、重要なのはそんなことではない。

「マホカンタとピオリムとバイキルトを、ほぼ同時にかけやがった」

 紅の瞳が、細く歪んだ。

 

 

 

 +

 

 

 

 ほどなくしてラヴェルは竜の姿から人の姿に戻っていた。

 ロルは気を失ったまま、うつぶせに倒れこんでいる。

 素顔を表出したアイリンが、腕組みをしたまま天球儀のあるラヴェルのいるほうへと進んでいくと、やがてその姿に気づいた彼は、動揺を隠せずに言い放った。

 

「アイリン王女……!? まさか、生きて」

 とっさに、王子としての居住まいを正す。

 豊かに波打つ金の髪と、鮮やかな真紅の瞳は、まぎれもなくムーンブルクの神子、唯一無二の王女である。

 幻影かといっとき活目すれば、いよいよ鮮烈な空気は増すばかり。姫の持つ気高く清廉なオーラは、衣装の印象ごときで変わるものではない。だが。

「ちげーよ。まぁ、生きてるけどな」

 王女に似つかわしくない言動に、パチンと何かがはじけた。

「……なんてことだ。心を魔物に攫われたのか。姫にしてはこの上なく下品な物言い、まったくもって嘆かわしい。ならば、仕方がない。私がこの剣で、姫を象った怪しき幻影を打ち払うのみ……!」

 そういって掲げた光の剣を、正面にいたレオンは自らの手で下ろす。

「アホ。お前、思考が極端すぎだろ。まぁ、今回はそれでよかったが」

「ア、ホ……?」

「ちと耳貸せ。話しておきたいことがある」

「姫、その前にアホとは誰のことなのか。ここには私とあなたとローラント、それに星読みの彼女しかいない。ご説明願おう」

「お前だよ。ラダトームの家系で、こういうのも珍しいわ。いったい誰に似たんだか」

 

 指でちょいと、方向を指し、レオンは天球儀から距離をとるように促した。

 ロルはまだ、床に突っ伏したまま、意識を戻していない。幸い、大きな怪我はしていないようだと踏んで、傍の座りよさげな瓦礫に腰掛ける。

 レオンは、己の素性を簡潔に話した。

 

「……なるほど。そうだったのですか」

「信じるのか」

 一転して、敬語になったラヴェルに、妙な胡散臭さを感じ、レオンは目を向けた。

「父上が信じているのでしょう。ならば私も信じざるを得ない。それに、あなたからは大きな魔力も感じる。何より──ラダトーム王と私にしか知りえない事を、先ほどから語っている」

「命の紋章を持つ者についてか」

「ええ、普通の研究者なら、あれがグリーンオーブの力を宿していることや、秘められた古の魔法のことなどは知っているでしょう。が……ストロス一族とのつながりまでは、わからない。現に私の父でもつきとめるまでに、幾年の歳月を要した」

「なぜ、ラダトーム王は呪いを調べている? 国政を放り出してまで、やる価値があるのか」

「それは、」

 口ごもった。

 いっとき、逡巡したかのように目を泳がせるが、ラヴェルの判断は早い。

「……我が国の第二王子が敵側に呪いを受けているから、と言って、信じていただけるだろうか?」

 

 一呼吸。

 やがて、チッと舌打ちをしつつ、レオンは頭をかく。

「それで合点がいった。まさか、そこもか」

「失礼ながら、ローレシア大公。姫の姿で、その振る舞いはやめていただきたく……。ついでに、両の足を閉じてもらえないだろうか。さすがに、私の心も萎えていくばかりで、何か大事なものが崩れるような気が」

 という、ラヴェルの声は耳に入っていないようだ。

「気にすんな。で、命の紋章のありかは?」

 適当に小言を聞き流す所作をしつつ、レオンが訊いた。

「……すでに我が国の魔法隊が、ロンダルキアに捜索に出て、回収済みです。今は私が城の奥深くに保管していますが、持っているだけでは、弟王子の呪いは解けません。ロトの子孫の……しかも、濃い血筋の者でないと、こちらはただの骨董品でしかないようです」

 ラヴェルは自身の持つ星の紋章を見せた。

「ドラゴラム、だな。星の紋章の魔法は」

 王子は頷く。

「ええ。既存の竜化魔法も私には唱えられますが、紋章の力を使えば、なお効果時間が長い」

「ならば交換条件だ。いずれ紋章とその人材を揃えたら、お前の弟の呪いは解いてやる。その代わり、俺たちを乗せて、炎の祠に飛ぶ。どうだ」

「太陽の紋章ですか。その利があるなら、考え直しもしますが……ひとつ訊いておきたい。それは果たして貴方の意志なのか」

「どういうことだ」と聞く手間は要らなかった。

 すなわち、ラヴェルはそこに王女アイリンの意志があるのかどうかを聞いているのだ。

 その質問も、レオンには想定内だ。

「半分だな。アイリンの意志でもある。しかし、今の人格は俺であるため、基本的に思考のベースは俺だ」

「では、紋章をすべて集めて、皆でハーゴンに対抗しようと?」

 レオンは即座に首を振る。

「それができればな」

 だが無理だ、と自嘲的な微笑を処す。

 無理なのだ。そんな簡単な話ではない──と、この王子にいったところで、理解できるだろうか。

 瓦礫の向こう、まだ気絶したまま、うつぶせに寝ているロルを、無表情で見つめる。

 竜の翼で叩かれれば、それなりの傷を受けるはずなのに、ロルは寸でのところで交わし、致命傷は負っていない。

 戦闘のセンスはいい。しかし、それを磨いて輝かせるためには、時間が要る。

 目線をラヴェルに戻した。

「……お前も見ただろう、こいつらは弱い。小物の敵なら倒せても、その先は死ぬ。今回、お前に打ちのめされたことで、それがわかっただろうよ」

「しかし、伸びしろはある。貴方が自ら鍛えれば、」

 片手をあげ、その先を遮った。

 わかってない。と、はばかりなく伝えるのもためらわれて、結局レオンは無言で押し黙る。

 訝しげに眉を寄せるラヴェルを前に、幾分、強い口調で答えた。

「こいつらとは、紋章を集めて、ルビスの守りを得るまでだ」

「その先は?」

「俺一人でやる」

「……死なせたくないのですね。貴方の血を継いだ者たちを」

「どうかな。もしそうでも、そっちは、俺の意志じゃない。アイリンだ」

 レオンは立ち上がり、瓦礫をまたいでロルの傍へと寄った。

 足のつま先でわき腹をつつき、覚醒を促す。やがて蹴りの強さは増し、それでも起きないところで、ロルの尻を踏んづけるやり方に移行した。

 

 アイリンの靴、薔薇のカメオが付いた踵のヒールの高さは、人差し指ほど。

 ぐいぐいとめり込む尻の感触を、そこそこ楽しんだと思える頃合に、ロルは反応を見せた。

「起きた!」

 ばっ、と飛び上がった彼は、すぐに周囲を見回し警戒する。

 とうに戦闘の終わった状態を感じ、感触の残る尻をまさぐった。

 見ないように首をそむけながらも、片目でこっちを伺っている様子のラヴェルと、相変わらずのレオンに、ロルは「なんだよ」と呟く。

「ローラント、尻、じゃない……かんしょ、いや、カインフォードと連絡が取れるか? 私が飛ばしてしまったが、生きてはいるだろう。それから、話しておきたいこともある」

「ラヴェル、ちゃんと目を見て話せよ……どーなってんだ、一体」

「とにかく、協力してもいい。気が変わった」

「ホントか? ならいいや。カインとシアが無事なら、リリザの町だな。万が一、道中ではぐれた場合は、そこの宿屋で会うことにしてあるんだ」

 



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7 月影さやかに露ひそむ

 ルプガナの町は、空が青い。

 水色ではなく、真っ青なのだ。

 そこへ白壁のこじんまりとした四角い建物が、密集して建てられ、景観を形作っている。

 建物の西から東へ、橋渡しをするような洗濯物の羅列も、その鮮やかな色合いも、この街の特徴だ。

 内海に面したルプガナは、ラダトームとの距離が近いことから、いち早く栄えた港町である。

 商人たちがこぞって海を往来し、商いを繰り返して文化を成熟させてきたこの地は、小さいながらも貿易の拠点であり、世界中の商会が集う場所でもあった。

 そんな中、シアの実家は北地区の高級住宅街の高台にある。

 

 シアは、ピアスバルマーク──世界では十本の指に入る大きい商会──の、一人娘であり、跡継ぎでもあった。

 祖父の代で大きく成長したものの、父親の代のときに母親が早世したため、兄弟はいない。

 

(まだ熱が下がらない……)

 

 白い壁の客間で、天蓋付きベッドに臥したカインの様子を見る。

(やっぱり、ラヴェル王子との戦いが負担だったのかしら……こんなに、熱を出すなんて)

 あのとき。

 大灯台から落ちる最中、キメラの翼を無我夢中で飛ばし、たどり着いたのがここ、ルプガナだった。

 てっきり、ラダトームに戻るかと思ったが、無意識に故郷を思い浮かべたのだろう。

 いっそ、このほうが自分の勝手がきいて好都合ではあったが、ロルたちに連絡を取るのが難しくなってしまった。

 コンコン、と強めのノックがなる。

 看病を手伝ってくれるメイドが来たのかと思いきや、ドアを開けると見知った顔があった。

 上顎を下げ、急に警戒を強める。

 

「よ。お前が男を囲ってるって聞いてさ。やるねーお嬢様」

「違います」

 

 カインの身分を知ったら、とてもそんなことは言えないだろう。不敬罪でつかまるのはこちらのほうだわ、と内心思いつつ、探られるのを警戒して、目の前の男を睨んだ。

「何の用なの、ラゴス。あなたは輸送の担当でしょう?」

 いやぁ、とラゴスは笑みを崩さずに言い返す。

「今回は、別件でな。新しい情報が入った」

「……危ない仕事?」

「デルコンダルで野暮用さ。けっこう大きな仕事だし、お前にも関係あるぜ」

「どういうこと?」

 わざと、後に話を引っ張るような言い方で、ラゴスはシアの興味を引いてゆく。

 その隙に、奥に寝ている男を観察する。鋭い青銀の目は、獲物を捕らえるかのようにギラギラと光っていた。

 

 一方で熱に浮かされていたカインも、扉の開く気配で目が覚めた。

 シアがいる。

 場所も、時間もわからないが、シアがいるということは安全な場所なのだろう、と重い頭で考える。

 しかし、訪問者である男の声の調子は、だいぶ気安い。

 となれば、ガンガンと響く頭痛があっても、血流が洪水のようでも、なんとか意地で聞き取らねばなるまい。

(知り合い? まさか、恋人じゃないよな……)

 起き上がって問い正したいが、すべての力が抜け切った状態で、何ができるというのか。せめて、とばかりに、と重い瞼だけを動かすが、意識が波のように攫われていく。

 何か話をしているようだ──せめてもの意地で、瞳だけを動かした。

「そろそろ、お前の家族の話、聞きたくない?」

「何か知ってるの!?」

 反応に気をよくしたラゴスは、片腕をシアの首に巻いた。

「やめて。気安く触らないでといってるでしょう」

 パシンと皮膚をはじく渇いた音。

 次いで、舌打ちと男の苦笑いが続く。

「しゃーねーな。じゃあ特別に少しだけ、教えてやるよ」

 ラゴスは気を取り直したように、懐から何かを取り出し、それをシアに見せた。

 青い光。宝玉ともいえそうなその輝きは、シアの顔をいっそう青白く変化させる。

「いいだろ。由緒正しき骨董品ってやつだな。ま、この水の紋章がある限り、王は俺をないがしろにはしねーよ。問題はこれをどう使うかだ」

「それ……あなたが持ってたの」

 

 水の紋章。

 反射的にカインを見ようとして、慌てて首を固定させた。

「耳貸せよ」

 耳朶に耳が吹きかかる。

 シアが嫌々ながらも耳を差し出すと、ひょいとつまみ、何かを話し出した。

「この紋章によく似た……緑のほうの紋章をデルコンダルに持っていくとよ……お前の欲しいもんがもらえるってよ。上からの伝達でね、とうとう交換条件にまでこぎつけた」

「……ほんと?」

「お前相手に、嘘言わねーよ。ほんとほんと。どうだよ、いい情報だろ? この上、何かくれるってんなら、もう少し協力してやってもいいぜぇ?」

「いいわ。何が欲しいの」

「商会の地位をもらっとこーか。ほんとはお前と結婚すれば、転がり込んでくるから話が早いんだけどな」

「地位ね。わかった。お父様が無事に帰ってきたら、推挙してあげる」

「つれないねー。俺、わりと盗賊も商人もできる有能な男なのに」

「……ラゴス。もうこんな仕事やめましょうよ。あなたは盗賊より、商人のほうが向いてるわ」

「無理だな。たくさんの舎弟がいる。仲間ほっとけねーよ」

 言い残し、消えてゆく。

 会話中は、散々しつこい様子を見せるくせに、去り際だけはいつも風のようだ。

 

「シア……」

「は、はい」

 呼ばれた。と思って近づくと、どうやらうわごとのようだった。

 瞼はきつく閉じられ、先ほど取り替えた氷のうは、もう温かくなってしまっている。

 新しいものと取り替えてから、体の向きも替え、背中にクッションを詰め込んだ。少しでも熱が下がることを祈って、顔の汗を拭く。

(船の上で体調を崩したときは、一日で治ったみたいだけど……)

 そんな病気は、聞いたことがない。

 午前中、ここへ来てもらった町の僧侶たちも、首を捻るばかりだ。その中で一人だけは、「呪いではないか」と言っていたけれど、それならそれで一体、何の呪いなのか。

 窓から、薄い潮の香りを含んだ風が流れ込んでくる。

 見慣れた光景を、目に映しながら、ラゴスの言葉を、ひとつひとつなぞり始めた。

(デルコンダル……宝探し……水の紋章)

 もしやと思っては、それを打ち消す。

 普段の彼の行動から、いくつかの出来事を予測はできても、決め手はない。

(自分で調べたほうが早いかも……あるいは──を、裏切ることになるかもしれないけれど……)

 二、三のため息を繰り返した後、シアは部屋にあるテーブルの中からキメラの翼を取り出した。

 そして、カインの傍へもう一度寄り、耳元で囁く。

「カイン様」

 何の反応もなく。相変わらず苦しそうな息を繰り返すカインに、シアは続けた。

「カイン様、ここでお別れかもしれません……ごめんなさい……」

 

 聞こえていても、そうでなくても。かまわなかった。

 そっと。

 頬に唇を寄せる。

 熱い肌につられて、自分にもそれが移ったように思えた。

「好きになってくれて、ありがとう。……本当は、いろいろ誘ってくれて、嬉しかった、です」

 さらさらと、シアの紫の髪が寝台にこぼれ落ちる。

 僅かな時間。

 頭を乗せ、彼の呼吸を間近で聴いた。

 無意識に、胸に下げたペンダントを服の上から手繰り寄せる。

 掌に包むと、月の模様の画かれたそれは、まばゆいばかりに黄の光を放っていた。

 

 

 +

 

 

 宿場町リリザ。

 例によって例の如く、一日ですっかり回復したカインが、翌日の朝にリリザに飛んだあとである。

 

「あれ……、シアは?」

 宿屋の一室を借りた三人に向かって、カインが問うと、ロルとラヴェルが首を振る。

 レオンはどこに、と目をやると、二つのベッドのうちひとつが人型に盛り上がっている。ゆるやかに上下に起伏しているあたり、まだ寝ているのだろう。

「そのうち来るさ。宿屋の主人に伝言を残していこーぜ」

「そうだな。申し訳ないが、乗せるのは三人が限度だ」と、自身の背を示しながら言うラヴェル王子に、カインは戸惑い顔を向ける。

 おかしいな。何も言わないでいなくなるなんて。

 ──昨日の看病のお礼をしようと、せっかく街で花と菓子を買ってきたのに。菓子は好物だと言っていたものだし、ピュアスノーリリィとコーラルマリーの花の組み合わせは、彼女によく似合う……少しはにかむような、照れた顔が見たかったのに。

 なんて言っても、仕方がないから、こっそりとその荷物を隠しながら、部屋に入る。

「じゃあ、メンバーも揃ったし、行程を確認しよう」

 テーブルにあった紅茶──まわりにジャムの瓶が調合薬のように所狭しと並んでいる──を、飲み終えたラヴェルが、居住まいをただし、司会役よろしくとばかりに話を切り出した。

 

「まず、私がルーラで皆をペルポイまで運ぶ。その後、紋章の力で竜になり、皆にはそれぞれロープを繋いで乗ってもらう。全員乗ったのを確認したら、フバーハを発動、飛翔して炎の祠まで飛ぶ」

「時間、どんくらい飛ぶんだ?」

「竜の翼なら五時間といったところだが、途中の島で休憩をとる。その後、炎の祠でローラントが太陽の紋章を入手したら、カインフォードのルーラでリリザへ戻る。以上だ」

「おし、質問!」

 ロルが勢いよく手を上げる。

「ローラント。バナナはおやつに入らない。そして弁当とおやつは禁止だ。私の背で物を食すな」

「俺の質問は終わった」

「ハイ、僕もいいかな」

 すっかりラヴェルに対して敬語が無くなったカインが、おもむろに片手をあげる。

 部屋のベッド、まだ寝た体勢のままでいるレオンをちらりと見る。身じろぎが細かくなったから、起きたのだろうか。

「夕べはここに泊まったんだよね? 三人とも」

「うん」

「なんで二人とも寝不足な眼をしてるの? レオンもああだし……開いてる部屋が足りなかったの?」

 部屋にベッドは二つ。そして、片方の開いたベッドには寝具が二人分、積み上げられていた。

 いやさ、とロルが愚痴をこぼすように答える。

「俺は床で寝たんだ。それは慣れてるからいーんだけど。アイリンが、さ……」

「待て、ローラント。姫に罪は無い。すべて中の人間がだな……」

 歯切れの悪い二人に、何かを察したカインがレオンの寝ているベッドの傍まで歩く。

 リリザの地方紙を顔にかぶせて寝るのは、どこからどうみても、おっさんの行動なのだが、これだけで二人が寝不足になるとは考えにくい。

「もしかして」と呟きと同時に、毛布をひっぺがしたことで謎が判明した。

 

『アイリン、全裸祭り開催中』

 

 そんな言葉が、ろくでもない不協和音とともにカインの頭をすり抜けた。

 その場に崩れ落ち、膝をつきながらもなんとかレオンに説教を試みる──が、のれんに腕押し、ぬかに釘。

「ああん?」と気だるげに寝返りを打ったレオンは、悪びれもせずそのまま言い放った。

「あの犬侍女がいないのが悪い。服がない。かゆい」

 と。平静にで反論するに至る。

 これでは、二人が寝不足なのは仕方がない。

「ほんと、年頃の男相手に配慮がないったら……レオン、お願いだから、アイリンの身体にもう少し気を使ってよ。彼女、まだ十六歳なんだよ? 嫁入り前だよ?」

「私からもお願いする、ローレシア大公。それに、アイリン姫は……肖像画で見た貴方の妃にもよく似ている。なおさら、慎まれたほうがよいかと」

「マジかよ、最低だなレオン」

 ぎゃんぎゃんと喚きたてる三人を前に、レオンは「うるせえ」と一喝しながら起き上がる。

 銀粉のような朝の光を肢体に受けながら、ほどよく実った美巨乳を露にし、正面にいたロルの胸倉を掴んだ。

「文句なら俺を呼んだアイリンに言え。それにな、俺は九十三歳なんだよ。今更、女だとか男だとか、気にしてられっかクソが。なんなら──性転換魔術でもするか? 付いてるほうがいいんだな? よーし、望みをかなえてやろう」

「やめろ、それだけはやめろおおぉ!」

「やめてください、精神が崩壊する……っ!」

 ロルとラヴェルの、絶叫に近い悲鳴があがった。

 

 

 +++

 

 

 炎の祠では、ロルが太陽の紋章を回収した。

 手の中の紋章は、炎のような赤い光を宿している。ロル自身もそれを持つと、力が全身にみなぎり、普段では感じられない精霊の動きが、体内を駆け巡るのがわかる。

「これが魔力ってやつなのかな」

 ぽつりといった最中、紋章に込められし古の呪文を、ロルは肌で感じとった。

 カインが隣に立って、紋章を覗き込む。

「魔力とは違うかな。魔法は、精霊の三次元配列を施して使うものだから、今、ロルが見えてるのは精霊の軌跡だと思うよ」

「そーなのか」

 過去、一度たりとも見えたことのない精霊が、まわりを取り巻いているのが不思議に思えた。そういえば、アイリンは精霊のほかにも色々見えているって聞いたことがあるけれど、こんなんで、目が疲れないんだろうか。

 二、三度まばたきを施し、大気中のなにか青白いものを捉える。螺旋の尾を引いて、絵を画いているようだった。

「どう、使えそう?」

 カインに問われるまでもない。

 見えなくても直感で分かる。これらの数多あふれる雷の精霊たちは、この紋章から流れる力に、従ってくれるのだろう。

「うん……すげーな」

 ロルはぽつりと呟いた。

 ライディン──それが太陽の紋章に秘められし呪文だった。

 

 

 リリザに帰る。

 相変わらずの湿気を含んだ曇り空の下。元の宿に戻ろうとすると、建物の前では、ラダトーム王家からの従者が待っていた。

 ラヴェル王子を見るや否や、駆け寄ってきて事を告げる。ひそひそ声ではあったが、王子の表情ががらりと変わり、何かが起きたことは明白であった。

 ラヴェル王子が従者に指示を出し、彼が少し距離をとったところで。

 

「すまないが、一度、国に帰らねばならないようだ」

 踵を返した王子が三人に告げる。

「何かあったの?」

 カインが聞くと、ラヴェルは視線を横に流した。まだ事態を把握し切れていないような、困惑顔である。

「……どうも、私がラダトーム城から、無断で命の紋章を持ち出したことが、問題になっているらしい」

「王子なのに、持ち出しちゃいけないんだ?」

「いや、宝物庫の出入りはたとえ王族でも、王の許可が必要になる。……が、問題はそこではない。知ってのとおり、私は大灯台からは、貴公たちと行動をともにしている。なのに、私が犯人と断定されている。さて、どう解釈すればいい?」

「うーん」と、ロルが唸る。

「もしかして……立場的にヤバイ状況なの? 裁判とかくる?」

「議会で貴族院からの指摘は受けるだろう。身の潔白は訴えるが……口述だけでどこまで信じてもらえるか」

「ちょっと待て」

 頭のひとつ向こうから、新たな反応が返った。

「どういうことだ、それは」

 男口調の女声に、不穏が宿っている。ラヴェルは軽く一揖し、目線の片隅で従者を見つめた。

「聞いての通りですよ、大公。私が命の紋章を持ち去ったと、疑いをかけられているようなのです」

「──やられたか」

 レオンは頭をかいた。

「やられた……?」

 そこでカインもはっとする。

「もしかして、紋章、盗まれた? ラダトームも?」

 

 まだ整理が追いつかないロルを両方向から挟み、カインとラヴェルが顔を見合わせた。原因や手段は抜きにして、事実だけを重ねれば、それが一番しっくりくる。

「そういうことになるね。ただ、状況からすると、誰かが、ラヴェル王子そっくりに変装して、堂々と盗んでった……て、ことになるのかな」

「じゃあ、犯人は盗賊?」

 いや、とラヴェルが遮る。

「ラダトームの宝物庫には魔力感知術がかけられている。たとえそっくりに変装ができたとしても、私の魔力まで真似をするのは難しいはずだ」

「へぇ……すごいんだな、ラダトーム」

「となると、限られてくるよね。ラヴェル王子と同等の魔力ともなると──えーと、いるの? そんな人間」

 そこで、レオンが何かに思い当たったように、顔を上げた。

「おい緑亀。あの犬侍女はどこへいった?」

 その酷い言い方にも慣れたカインが、ある程度の訂正を含んで答える。

「僕の彼女の、世界一可愛いシアなら、ルプガナで別れたままだよ。リリザに来るのはわかってると思うんだけど……さすがに遅いから心配してるとこ」

「ルプガナが本拠地か。名は?」

「おい、レオン。まさか」

「うん、ルプガナの大きな屋敷に住んでいるよ。――って、まさか、名前も覚えてなかったの?」

 いよいよカインが、不満そうに眉を寄せるが、レオンはそれ以上に険しい表情となる。

「フルネームだ」

「『シア・ピアス・バルマーク』だけど……」

 片足で、たまたま傍にあった樽を蹴る。店の主人がいたら、怒られるところだ。しかし、それでもレオンは苛立ちを抑えず、いつもの舌打ちに加えてぎろりとカインを睨みつけた。

「それを、早く言え!」

「聞かなかったじゃん」

 ロルがつっこんだ。

「なんでなの。シアがどーかしたわけ?」

 くるりと首をむけ、レオンはラヴェル王子を見据えた。

「紋章を持ち出した犯人は、そいつだ」

 ラヴェル王子の綺麗な片眉があがる。シアという名に覚えはないが、大灯台で会った娘ということならわかる。

 あのとき、灯台からカインが落ちたことは、ラヴェルにとっても計算外だった。しかし、あの娘はすぐに追った。普通の町娘に、はたしてそんな胆力があるかと問えば、頷くのは難しい。

「お前ら、ロトの墓の中にあった手紙を覚えているか」

「うん、まぁ、そんなのもあったよね」

 手紙と、手形の付いた石版。それから壊れたサークレット。

 その中で、石版だけは魔力が込められているからって、持ち帰ったはずだった。

「でも手紙はレオンが読んでくれたじゃない。僕らには読めない文字だったから」

「大事なのは、名だ。あの場では読まなかったが、最後にロトの本名が書かれていた。──『ミシャイラ・スー・バルマーク』、と」

 

 え……。

 三者三様、奇妙な顔つきでレオンを見る。

 よくある名ではない。大体、ロトの勇者の本名は、世間に出回ってるわけではない。名誉姓名とされ、子孫以外の者が新たに申請することは、現代の国教会では、却下される。すなわち、ロトという名の者や、ミシャイラ、という名の人間は、存在はしないのだ。

 つまり、その姓を持つということは──。

 

「……あの女、ロトの子孫か」

「マジで!?」

「……どこかで枝分かれした家系ってこと?」

 ロルが驚き、カインは慎重に問う。

 ラヴェルに至っては、腕組みをしながら成り行きを見守っている。レオンは言葉を継いだ。

「いや、もうひとつの直系だろう。ミシャイラと同じ姓を持つものは、俺の親族にはいない……」

「うそだろ──……」

 

 半ば呆然と、ロルが呟く。

 肯定も否定も含んではいないが、これまで思い込んでいたことがひっくり返ったような気がして、整理が追い付かない。

「嘘じゃねえ。だが、歴史ってのは、後の時代になって都合よく改変されるもんだ。どこでどうねじれたかまでは、俺たちにはわからんし、知る必要も無い。だが──」

 一旦、言葉を区切る。

「だが?」

「あいつは月の紋章の力を使って、ラヴェルになりすまし、命の紋章を持ち去ったんだ。──月の紋章の力は、モシャスだ。姿かたちをよく知った人物へと変えられる。戦闘能力も、魔力もそのままに」

「そうか……だから、あんなにアイリンそっくりになれたんだ……」

 変装だと思ってたけど、魔法だったのかーと、変なところで感心するロルに、レオンは幾分、戸惑いを含んだ口調で呟いた。

「なぜあいつが命の紋章を……いや、こっちを裏切ったことは違いない、か……? とりあえずお前ら、見つけ次第、捕らえとけ」

「いやいやいや!」

 そこでカインが割って入る。

「捕らえる、って何? 見つけて、どーすんの?」

 声に焦りが生じている。なにやら不穏なことを言い始めたレオンに、正面から対峙した。

「目的を吐かせる。自分の意志かどうかも。今の時代、血筋だけで信用はできないし、当然だろう」

「信じられない……そんな。だって、シアだよ?」

 なおも食ってかかる。しかし、そんなカインに、レオンは非難の目を向けた。

「お前もアホか? 仮にも王族やってんなら、近づいてくる女に警戒しなくてどーすんだ。見事に騙されやがって……王家規範、もう一度読め」

「王家規範はお断りするよ! でも……でもさ。シアは。僕の、好きな子なんだ。アイリンにも大事にされてるし、名前は、ローレシアのシアだって、以前嬉しそうに話してて。それから、よく動くし働くし、僕の好きな食べ物も用意してくれるし、笑顔が特にさ、ふわふわぽよぽよーで、可愛くてもう、」

「殴っていいんだな? 血反吐でしゃべれなくなるまで」

 見かねて、ロルが間に入る。

「カイン、なんか事情があったんだろ。信じようぜ。それにさ、レオンは口で言ってたって、たぶんシアを痛めつけたりしない。──なんだかんだで戦闘中はかばってたじゃん」

「かばってねーよ」

 隣では、今にも崩れ落ちそうなカインが、ロルの肩にしがみついている。そんなカインの背を、ロルは片手でぽんぽん、と叩いた。

「それに、アイリンもだけど、シアだってムーンブルクの再建には大事な存在だろ? きっと俺たちの元に帰ってくるって」

 それには、レオンが妙な反応を示した。

 予想もしていなかった、とばかりに眼を見開き、ロルを見る。

「おい……再建だと? お前、本気でそんなこと考えてんのか?」

 レオンの所作に、いつもと違う空気を感じながら、ロルは平然と答える。

「そりゃそうだろ。アイリンの故郷だし、ムーンブルクはミトラの宗教王国でもある。歴史もあるし、地理的価値もある。今は、ハーゴンを倒すことで頭がいっぱいだけど、いずれ必要だろ?」

 レオンの瞳に影が落ちる。

 やがて焦点が合わなくなり、一瞬だけ眼を閉じた。

「……とんだ妄想野郎だ。国を甘く見るな」

「はん?」

「ラヴェルの言ったことすら理解できないんなら、お前に王になる資格は無い。悪政をするまえに、いっそローレシア諸共滅べ」

「ああん!?」

 

 空気が一気に鋭く尖る。間違ったことは言っていない──そう確信しているロルが、滅べとまで言われて、黙っているはずが無い。

「なんだよ、わかんねーよ! 資格って何だよ、悪政なんかするかよ! 大体さぁ、俺のほうがレオンより人の話聞くぞ!?」

「わからないのなら、お前はただの勇者だ。せいぜい悪を倒して英雄になればいい。気持ちよかろう、皆から尊敬され、崇められ、欲しいものは大概手に入る。だが、政ごとには手を出すな」

「それはあんただろ! 勇者の力が強かったあんたの時代なら、さぞかしやりたい放題だっただろうが! どーせ、そうやって気に入らないものは切り捨てて、恨みをわんさか買って、それでも権力で抑えつけたんだろー!」

 

 レオンの喉が鳴った。

 しかしそうとは気づかれないほどの短い間であった。

 一瞬にして、表情をそぎ落としたレオンが、静かに答える。

「……そうだな。お前よりはうまく騙した」

 空気がピリピリとした熱を孕んで、固まる。ロルはロルでまだ言い足りないと身を乗り出した体勢でいたのだが──それより先は言葉が出なかった。

(なんだ、今の顔)

 睨んだまま、自分でもどうすればいいか、わからなくて動けなくなる。

 それを知ってかしらでか、レオンは早々に顎を上げて、踵を返した。

「話はここまでだ。とりあえず行くぞ。紋章を得るまではつきあってもらう」

「──ほら、二人とも」

 幾分、年長者であるラヴェル王子が、ロルとカインの背を叩く。

 それから、思い出したように、「服!」と言って、部屋を出ようとする全裸のレオンを止めたのだった。

 

 



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8 四つ葉の姫君

 煌々とした月明かりがラダトーム城の西を照らしている。

 夕方にざっと降った雨は、瑞々しい春の若芽を濡らし、つかの間、涼しげな冷気をもたらした。

 

 カーン、と、夕刻を知らせる真鍮の鐘が鳴る最中。

 事情を知ったラヴェル王子が、王に会い、一通りの話をすると、現国王ラヴァリエ三世はあっさりとそれを信じた。

 

 ――確かに、昨日、王子は自分に会いに来た。

 だが、どうも変だった。

 弟王子の容態を、誰よりもよく知ってるはずなのに、なぜか自分に確認するし、召使いたちの顔も覚えていない。

 本人は、ロトの子孫たちとの戦闘で疲れたせい──と言ってはいたが。

 いささか「ラヴェル王子にしては」、融通が利きすぎるところがあったのだと告げる。

「だってさぁ。おやつに甘いものばかり食べても咎められないんだもんよ……」

 そう言った、ラヴァリエ三世の背中は、寂しそうに見える。

 そのあと、好きなだけお気に入りの猫たちと戯れていても、いさめなかった。それが、そもそもおかしかったのだ──と語った。

 

 ラヴェル以外は皆、無言で返した。微妙な空気が流れたが、そこは他国の人間が関与するところではない。

 ただ、カインは、これまでのラダトーム王に対する評価をこっそりと変えた。

 仮にこれが自分の父であれば──己より才ある子を、素直に認め、顔を立てて……なおかつ、心が離れないよう、上手に甘えることができるだろうか。

 相性と言ってしまえば、それまでかもしれないけれど。

 選出王子としての親子でしかない自分にとっては、かなり巧妙で、気持ちのいい計算高さのようにも思えるのだ。

(僕には、無理かもしれないな)

 サマルトリアで過ごした期間は短い。

 父とも母とも、妹とも、どうせ仮の家族なんだからと、どこか上辺だけで済ませてきた節があった。本当の息子のように接してくれる国王や王妃には申し訳ないと思いつつ、どこか一歩、踏み込めない。

 

 結局、ラヴェル王子の審議会は一ヶ月延長とされることとなった。ただし、紋章を取り返すための猶予期間でもあるので、王子は早急に行方を知らねばならない。

「星読みに訊くのが一番早いだろうな」

 そう判断したラヴェル王子は、単身、大灯台へと向かうと告げる。すぐに出立したいところだが、夜も更けた。再度竜化するのにも体力がいるとのことから、仮眠休憩を挟むため、自室へと退出する。

 一方、ロルたち一行は、王のはからいでラダトーム城で宿泊することになった。

 シアが抜けて、三人。

 ロルとカインと、アイリンの姿をしたレオン。

 ……のはずであったが、カインは「シアを探してくる」と告げ、各国の商会を渡り歩くべく、準備もそこそこに出立する。

 朝までには帰るつもりらしい。

 仕方なく、ロルはレオンと同室の部屋で、ベッドに潜る。

 

 ──月の光がやけにまぶしい。

 いつもなら明るいだけでは絶対に目覚めないロルであったが、妙に意識が冴えた。

 虫の知らせというか。野生の勘というか。

 とにかく、アイリンの寝息が、いつもとは深さが違うような気がしたのだった。窓の外で妙にざわめく、風の声に引き寄せられるように、そっと起き上がった。

 

 月明かりに照らされ、瞼を閉じたアイリンは、女神のように神々しい。

 神子姫なのだから、あながち間違いでもないかと苦笑する。

 白磁のように整った白い頬をひと撫でして──それで、満足して戻ろうと思ったのだ。しかし。

「……助けてあげて」

 紛れもない、か細いアイリンの声に、ロルはぎょっとして振り返る。

 レオンが。いや、レオンはこんな喋り方ではない。声色は同じこそすれ、太さが違う。息の出し方が違う。当然、口調も。

「アイリン……!?」 

 まさか、もしや。

 もう一度、アイリンの頬を触ると、それに呼応するかのように真紅の瞳が開かれた。

「ロル……?」

 彼女の瞳に、自分の姿が濃く映る。幾日振りだろう。

 久しぶりに会えた喜びに震えもするが、この幸運がいつまで続くのだろうという不安が、同時に芽生える。

 だって、触れたら、消えてしまいそうだ。──いや、声をかけたら消えるのではないか。淡い夢の中の出来事のように。

 そしてまたすぐに、あの男が、アイリンを支配するのではないか。

「ロル」

 意思に反して固まってしまったロルに、急に闇の中から二本の細い腕生まれ、絡みつく。

 一瞬、魔物かと警戒した。触れられて、嬉しいのは、魔物の暗示にかかっているからだ、とも。

 

「……会いたかった……」

 すぐそばに彼女の吐息を感じて、ロルの金縛りが一気に融解した。アイリンの上半身の重みが移動し、柔らかい曲線の肢体が、ふわりとしなだれかかる。

 肌は冷たいが、身体を重ねた部分から温かさが沁み出した。彼女の持つ、小さな熱をこれ以上、逃すまいとして、思わず抱きしめる──が、それ以上に、アイリンは腕に力を込めた。

 二度と離れまいとする番(つが)いの磁石のように。

 ぴったりと体の隙間を埋め、震える鳥の親子たちのように。

「……ごめん。怖かっただろ」

 何が。

 と問うまでもない。

 アイリンの双眸が湿気を孕む。それを見せまいとして胸に顔をうずめた。

「……怖かった……ロル、みんな、私が……、」

「もう、いいよ」

 その先はいい、と、そっと頭を撫でた。

 

 普段は少年のようなのに、こんなときのロルの掌は誰よりも大きいことを、アイリンはよく知っていた。

 自分のより高い体温は心地よく、無駄なく引き締まった体躯は、青年のそれよりも少し小さい。──そこが好きだった。

 見た目に反して低めの声は深く、「もう大丈夫だからな」と、アイリンの頭に振り注ぐ。ついでとばかりに髪にキスをされる仕草も、つい懐かしくて見上げると、今度は深い深い大海のような瞳の色が、自分のすべてを包み込んでくれる。

 そんなことを、幾度、繰り返しただろうか。

 遠く、平和だった頃の、幸せに包まれていた日々を辿るように、アイリンはロルの背の筋肉の継ぎ目を、丁寧に指でなぞった。

 

「あのさ……。ひとつ、謝らないといけないんだ。その、俺、アイリンと」

「初夜のこと?」

 アイリンがロルを。

 正面から大きな瞳でじっと見つめる。子供がなにかを観察するときの、少し首をかしげてみるそれによく似ていた。

 不意に出た言葉を、さも当然のように受け止める彼女に、動揺したのはロルのほうだった。目を逸らす。それから、悔しそうに吐き出した。

「うん、ごめん。煽られて……気がついたら、理性がふっとんでて」

「そんなこと、気にしてたの?」

「そりゃあ」

 気にするだろう。あんな形で、本人の意志も確認しないままで。

 漠然と想定していた、心の準備とか、愛の言葉とか。あるだろう。ましてやアイリンは、女の子じゃないか。

「別にいいの。あれは──」

「あれは?」

 聞き返した瞬間、アイリンが腕を縮めた。

 きらきらと際限なく煌く月光の髪の中心に、先ほどまでのあどけない瞳はなかった。

 綺麗な形の唇が、ロルの吐息を奪い、押し付けられ、吸われ、擦れた部分から新たな熱を生み出していく。

 潤んだ部分から甘い息が転がり、呻きともいえないような快楽の響きが、唇の端から漏れ出でた。

 理性の一端が崩れ、体内の琴線が喜びに疼く。やがて、酸欠の魚のように荒々しい呼吸となり、お互いがお互いの枷を外すように、意識を流れに乗せて、愛撫を始めていた。

 

「ちょ。まっ……、アイリン……神子姫だろ」

 自分のものとは思えない、低い声がロルの口角から漏れる。

「……いけない? 初めてじゃないわ。それに、最初のときも、ちゃんと私だった……」

 そう答えた彼女の口元の、意識的に見せたとしか思えない、薔薇のような紅い舌がを唇の中に見た瞬間、ロルはたまらず吸い付いた。

 ──二度目だ。

 アイリンを、知らないわけではない。

 焔のように暗闇で立ち上る真紅の瞳も、花の香りにも例えられない芳醇な香りも、本来のアイリンのものでしかない。

 心までもが好きな子の姿なら、ここで止まることなんかできない。

 触れ合わせて熟れた唇の隙間から、甘さを含んだ舌が絡み合った。

 歯肉を掻き分け、奥へ奥へと蹂躙する。やがてアイリンの唾液をなくしてしまうほど吸った後で、腕の中にあった体が、急速に弛緩した。

 

「……もっと、して。ロル。私、もう、姫じゃない……から」

 声色が変わった。

 いつものアイリンよりも、少し幼さが残る甘い声。

 ああ、心が裸になっているのか、と、決してこれが初めてではない状態のアイリンをみて、ロルは思う。

 その日の、神子姫としての役割を終えたとき、彼女は決まってこのような雰囲気を纏うのだ。

 どこかに魂をとばしたような、自分の見えないものを見ているような。

 

 ロルは体を反転させた。白い波のような皺を作る寝台に、アイリンの身体を抱えながらもそっと横たえると、もう片方の腕で頬を撫でた。

「レオンはね、私のためにしてくれたの……あれは」

「どういうこと?」

 無意識に顔をしかめたのは、アイリンの口からレオンの名が出たせいだと思う。

 指が頬から首をつたい、その下の丘陵に掌を被せた。

 そういえば、最初の夜は何もかも、無我夢中だった。女を知らないわけではないはずなのに、理性も意識も飛んだ。溺れ込むように柔肌を屠り、自身が獣になったようなことしか覚えていなくて、アイリンの様子なんて、記憶に留めていない。

 でも今は。

 見つめる先の瞳に、確かに、自分の顔が映る。

 

(本当は、他の男の名前なんか、聞きたくないけどさ)

 アイリンの身に着けた寝着は、布地が薄くやわらかい。重ねた生地の間から指を滑り込ませると、紅色に熔けた先端が、もどかしげに震えている。やがて、高く甘い声が肢体から鳴りはじめた。

 

 

 どれほど、眠っただろう。

 月の位置はいつの間にか雲に覆われ、闇の中、時間の感覚がなくなっていた。

 ロル、と名を呼ばれたような気がして、意識を浮上させる。

「ロル……抱いて。足りない、の」

「足りない?」

 確かに果てたはずなのに。と、幾分軽くなった体を起こし、温かく柔らかな熱を手放した。

 組み敷いたまま、彼女を見つめると、瞳に涙をいっぱいためて、溢れた分が、こめかみへと幾重にも流れている。

 よくなかったのか──などと、考えたくもない不名誉が頭をちらつくが、様子からしてそれもおかしいと思い直した。

「アイリン?」

髪を撫でようと手を伸ばすと、「違う、違うの」と拒否するように首を振った。

先ほどまでの情事の痕が、アイリンの躰のそこかしこに赤く残っている。

力が入らないのか、起きようとしても、そのままくにゃりとしなだれて床に戻ってしまう。ロルはアイリンの身を起こさせ、重心を自分へと落とさせた。

「言ったのに……もっと、ひどくしてって。壊れて、欠片になって……小さくなりたかった」

──ああ。

確かにそんなことを聞いたかもしれない。でも、流していた。

できるはずもないことだった。

 何に怯えているのか。何が怖いのか。──神子が人になることなら、到底罪とは思えないし、それ以外の理由は思い当たらない。

「しない」

「こんなに、お願いしてるのに?」

「うん、ダメ」

にこりと笑うロルの瞳の奥に、揺るぎない意志を感じたのか。アイリンはそのまま黙った。

どこか諦めたような風体に、彼女の躰から生気が抜けていく。

「アイリン」

わきの下へ掌を滑り込ませる。唇を彼女へと押し付け、舌を攫う。滑らかな肌と、甘い舌。どちらの感触も変わらないはずなのに、温度だけが、先ほどとは違う。――冷たい。

「傍にいるよ。アイリンが、そう望むなら」

 答えはなかった。

 糸の切れた人形のように力を失った彼女は、しばらく、何かに魅入られているように瞳を動かした。

 

「なぁ、アイリン、シアってさ。敵なの?」

「……シア……?」

 そろそろ眠気もお限界にきたのか、頭をこくりとさせたアイリンに、あえてロルは尋ねた。

 すっかり忘れていたが、シアの行方を、アイリンならわかるのかもしれない。だったら、彼女が眠る前に、聞いておきたかった。

「ああ、シア。アイリンの大事な友達」

 ロルは彼女の、さらさらと流れる金の髪を指で梳く。

 頭を撫でるように優しく手を乗せると、アイリンは気持ち良さそうに頭を掲げ、子供のように柔らかく微笑んだ。

「あのこ、は、私のはんぶん、なの」

「ん?」

「……遠い昔……に、ひとつだったわたし、の魂が……たまたま、わかれたの」

 意外な答えではあった。

 アイリンの身に毛布をかけ、すっぽりと包む。自分はまだ裸だが、体内は余韻を残し、まだまだ熱気を宿している。

「なんで?」

「わからない……でも。よかったの、これで。愛する人に会いたくて、だから……時を超えてき……」

 表情が泣きそうに歪んだのを見て取って、ロルは慌てて話題を変えた。

 どうやら今の処は、触れてはいけない部分らしい。

「ごめん、忘れていい」と耳元で呟くと、アイリンは安堵の表情を浮かべ、もとの笑顔に戻るのだった。

 

「あとさ。俺、なんか間違ってると思う?」

「まちが、ってる……?」

 とろんとした瞳を向けて、アイリンは返事をした。しかし返事といえるほどの、はっきりとしたものではない。ただ、言葉を繰り返し、真似をするだけのそれと一緒だった。

 ロルはそうとは気づかずに、若干視線をずらして頭をかく。

「王になる資格が無いって言われたんだ。……わかんねーよ、俺、誰にも言われたことないのに、どうして」

「ん、ロル……好き……」

 眼を閉じ、いよいよ眠りに入るアイリンの気配を察した。

 もう止めることはできなかった。時間切れなのだろう。そして、おそらく次に会うアイリンは、このアイリンではない。

 仕方なく、ロルは起こしていた上体を寝かし、枕元に沈み込んだ。

「うん。俺も、好き」

 耳朶に触れ、囁いた。

 

 窓からの光は仄かな明かりを伴っていた。もう夜明けが近い。

 月は白さを帯び、空に溶けていく。やがて赤々と燃える太陽に、その身を隠して密かに力を蓄える。

 アイリンのようだ、と思った。

 すぐさま寝息をたてはじめた彼女を隣に、ロルも少しの眠りに落ちるのだった。

 

 



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9 喪色の桜の咲く大地

 ──ローラ、あそこに城を建てよう。

 

 あら、すごい。そんなこともできるの?

 

 ──俺は何でもできるんだよ。

 城を建てることも。

 魔物を倒すことも。

 国を潤すことも。

 

 お前を、幸せにすることも。

 

   +++

 

「ハルトー、ハルト、どこ?」

 

 妻(ローラ)が呼んでいる。

 

 歩幅の狭い、軽い足音が近づいてくる。

 今朝は霧が深かった。

 これまでに散々と見てきた黒い霧ではなく、降り始めたばかりの淡い初雪のように、白い朝だった。

 この大陸に来てから、幾日が経っただろう。

 

 すっかり馴染んだ小さな小屋のような家も、だいぶ彼女好みの装飾品が増えてきた。とりわけ、壁に飾った織物のタペストリーは、今世紀最大の出来と豪語していただけあって、紐の端から端までが輝きを誇っている。

 

 夢の最後まで意識の中にあったのは、アレフガルドにあった大きな虹だ。

 五色に分かつ久遠の虹。千切れるようにかなたへと飛ぶ紫雲の群れ。

 いつもそれは、遠くのほうで渦を巻き、訪問者を試している。

 今は遠い故郷──竜の翼は今も天を舞っているだろうか。

 

「ハルト、いた!」

「……ローラ?」

 

 思いまぶだを片方だけ上げて、ドアのほうを見た。

 亜麻色の髪をゆるく縛り、白い前がけを駆けた妻がいる。こんなことを言えば、同性の友人にバカにされるのだろう。それも承知だけれど、やはり、妻は舞い降りた精霊のように美しかった。

 昔は花の香りがしたが、今は陽の光を編みこんだような、パンの香りがする。煮込んだアプリコットのジャムの甘さを、もう舌が覚えてしまっている。

 

「どうしたの? ぼぅっとして」

「あ──……。なんか妙に長い夢を見てた気がするよ、頭がぐらぐらする」

「あらー」

 

 ガリガリと、自身で後頭部をかいた手が、やんわりと退けられる。ローラは自身の膝を、床と俺の頭の間に滑り込ませ、バランスよく落ち着かせた。

「よしよし、疲れてたんだね」

 ひんやりとした細い指が額に降りた。まるで猫の背を撫でるように、額から頭皮へ感触が降りていく。

 目を閉じた。

「しばらく休んだほうがいいんじゃないかな。だいぶ食べ物も増えてきたし、暮らすのには困らないもの」

「そうもいかないさ」

 

 心地よい、瞼の裏の闇に浮かんでくるのは、この大地のこと。

 ここ、ラダトームの北東にある広い大陸に、名はついておらず、ただ北の大陸と呼んでいる。

 先の戦いの影響で、邪霊の気配は未だに強く、それに巻き込まれていた民たちの意識も、残念ながらそれほど高くはない。

 ラダトームはまだ良い。

 なんだかんだで、中央集権国家であるから、国王が指示を出せば役人も民も方向性を失うことはない。

 しかし、この大地は。

 放っておいたら、黒い空気に覆われるか、あるいは、他の大陸国に飲み込まれるだろう。

 

「せっかく平和になったと思ったのにね……こっちには妖精たちがついているのに、それでも危険?」

 ローラの掌が、額の中央で止まった。覗き込んでいる気配を感じて、こちらも眼を開ける。するとローラの瞳に、平凡な黒髪黒目の男が映る。

「こないだ、師匠に頼んで視察してきてもらったんだ。すげえ金とられたけど」

「ミラさん、相変わらずだね……それで?」

「ベラヌール、ムーンブルク、デルコンダル……どの列強が気づいてもアウトだな。もし軍が動けば、ここは搾取されるだけ。特にデルコンダルの王は好戦的だし、海洋を完全に支配している。加えてあの国は、脅威の食料自給率九十パーだ。やばいだろ?」

「そんなことがありうるの?」

 頭の中で、ラダトームのそれと比較をしたらしい。

 驚きとともに、元王女としての顔が覗いた。

「あるんだなー。デルコンダルは川の氾濫で、質のいい肥沃土が毎年供給されるんだ。やっぱ、食料がある国は強いんだよ。そんな国に支配されてみろよ」

「どうなるの?」

「予想に過ぎないけど、普通にいって奴隷国だな。貧困に苦しみつつ、出したくも無い兵役に家族を送り出し、単純作業を行うだけの毎日になる。ここの、アレアが作ってくれたまやかしも、いつまで持つかわかんねぇ……」

「うーん」

 一度、唸ったあと、ローラは「うーん、うーん」と、同じトーンでそれを繰り返した。やがて良いことを思いついたとばかりに、ハルトの頬を両の手で挟み込む。

「そんな奴ら、勇者の力でやっつけちゃえ。ハルトは強いぞー。世界一なんだぞーう」

 多少の笑いが混じった。ぐにぐにと頬を揺らしながら、ローラはハルトに微笑みかける。

 魔物ならいざ知らず、仮にも「勇者」が人間相手に、そんなことできるはずがない──とわかっている上で。

「過激だなー、ラダトームの姫は」

「勇者の妻だよ? 姫じゃないよ」

 

 ローラは頬から手を放し、代わりに彼の掌をとった。先の旅のときより、色が濃く、節くれが強くなった手は、思ったよりも大きい。

「……ハルトの手、あったかいね」

「あー、みなぎってきた感じがする。これは……あれだな。世界の平和のために、って例の厄介な血が騒ぎ出したな」

「厄介なんだ?」

「厄介だよなぁ。頼んでもいねーのに、妖精は見えるし、竜と会話もできる。元々は俺、一人でいいから家族が欲しかっただけなのに、国を創るとか王になるとか、いつそんな高望みをしたっけ? って思うよ」

「……ハルトは、皆の希望なんだよ。他のロトの子孫たちは……」

 

 声のトーンが落ちた。

「そうだな。こんなこといっちゃ、あいつらに悪いよな。……よし、頑張るか。手に入れたリリ鉱石の研究も完成間近だし、ついでに発掘した黒石炭も、使用法を振り分けないとな」

「そっかそっか。よし、がんばちゃおう、世界の平和と──愛のために」

「愛も必要?」

「愛がなくちゃ、この子は産まれないんだよ」

 ふふ、と笑いながら、ローラは自身の丸い腹をさすった。

 

 窓からは湿った風が入り込んできていた。

 これから霧が晴れるのだろう、陽の光も輝きを増し、大地を照らし始めている。

 ちょうど、頭の奥にあったぼんやりとした霞が晴れていくように。

 少し南に下ったところにある、白い砂浜とそれを包み込むような雄大な青い海を頭に浮かべた。

 ふと思った。

 

 ああ、この大陸の名は、妻の名にちなんだものがいい。

 新たな命を産み出すことのできる、豊穣に恵まれた母なる大地であったほうがいい。

 自分ではなく。いつでも民が、守られていると感じられるようなものがいい。

 

「ローレシア」

「え?」

「この大陸の名前、ローレシアにする……いい?」

 

 意図を解したのだろう、妻の表情がいっそう柔らかく、大輪の花のように綻んだ。

 

 



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10 夢あとの血

 

 時刻を知らせる真鍮の鐘はすでに九回。

 明け方と同時に帰ってきたカインもようやく眠い目を擦りながら、鐘の音で目を覚ます──と思いきや、鐘ではない。

 竜の翼で帰ってきたラヴェル王子が、なかなか起きようとしないカインを、無理やり「ザメハ」で起こしたことによる目覚めであった。

 

(なんか……変な朝だなぁ)

 

 まだ重い瞼をこすりながら、カインは頭を振った。

 朝はよくしゃべるロルは、今日に限ってぼーっとしている。

 ラヴェル王子は王子で、ただでさえ少ない目尻の鋭角をさらに絞って、話を切り出したい様子で、皆が揃うのを待っている。

 腕組みした部分と足のつま先が小刻みに揺れているのは、イライラしているからなのだろう。

 仕方なくカインは、部屋の反対側にあるベッドに向かった。

 

 アイリンの姿をしたレオンが、布団を深くかぶって眠っている。

 少なくとも、睡眠時間は十分なはずなのに、なかなか起きないのは何故なのだろう。上から手を添えて揺さぶった。

「朝だよー、起きて、レオン」

 ゆさゆさ。ゆっさゆさ。

 何度か揺り動かすと、透明な膜が張られたような、色素の薄い赤瞳がぱちりと開いた。

 右へ左へと、虚空をさまよったのち、やっと自分と目が合うと、彼は──アイリンの姿のレオンは、にこりと微笑んだ。

「……ああ、起こしにきてくれたのか、フィーロ。今日は父さんが寝坊したな」

「……はい?」

 訊いたこともない穏やかな声に、カインは思わず身をすくませる。

 フィーロ? 父さん? 誰?

「起きてて大丈夫なのか? 今日は調子がいいんだな」

 いよいよ、一歩下がる。ひくり、と喉が鳴った。

 様子を遠巻きに見ているはずのロルも、ラヴェルも、今だけは自分と似たような表情をしていることだろう。

 アイリン、ではない。

 かといって、レオンとも違う。

 寝ぼけているのか。それとも、アイリンがまた別の人間を? ──いや、それはない。

 何が起こったのかわからないまま、とにかく激しく揺さぶった。

 

「ちょっと! しっかりしてレオン。僕だよ、レ、オ、ン!」

 ぎゅっと、目尻に皺ができるほどきつく両目が閉じられた。

 やがて再び開いた瞳に、先ほどの柔和さはなかった。真紅の瞳が赤々と、燃えるように煌き、いつもの、刺すような眼光が戻っている。

 勢いよく身体が自身の筋肉によって引き上げられ、カインの顔に影を作った。

「邪魔だ、どけ」

 片手で押しのけられる。避けるのを待たずに通ろうとするあたりは、いつものレオンだ。

 ただひとつ、違うところと言えば、今回は全裸ではない。乱れてはいるが服は着ている。もっとも、目に毒なのは違いない──一枚の薄布なのだが

「なんなんだよ……」

 先ほどの印象が強すぎて、動機が早まっている。なんのことはない、ただ寝ぼけていただけなのだろう。

「カイン、話を始めるってよ」

 こっちこいよ、と手招きをするロルに頷き、寝室と繋がっている続きの間へと歩いた。

 

 

 

 

「星読みの少女が言うには、命と月の紋章は、デルコンダルにあるそうだ。送ってやるのは可能だが、どうする?」

 淡々と告げるラヴェル王子に対し、ロルは「もちろん頼む」と即答した。

 カインは一瞬、口ごもり、レオンは渋い表情をする。

 もっともレオンが朗らかな時など、食事以外では見たことがないのだが。通常の渋いよりも、より苦い、といった程度だということは察した。

「あのさ」と、遠慮がちに切り出したのはカインである。

「疑うわけじゃないけれど……その、星読みの彼女は、ロトの子孫に恨みを持ってるはずじゃあ? なのに、どうして協力してくれるの?」

「疑ってるじゃないか」

 あっさりとカインの気遣いを切り落とし、ラヴェルが答える。

「まぁ、出自にかかわることだ。そちらの使命も彼女にはある故、嘘を言うことはない。信用していい」

「なら、いいんだけどさ」

 その傍ら、レオンが独り言のように呟く。

「またデルコンダルか……いつも邪魔しやがる」

「いつも?」

「また?」

 ロルとカインが顔を見合わせる。

 つっこみたい気持ちを抑えつつ、返答は期待できないとふんだカインがいち早く、呟きを拾った。

「面倒でもなんでも、シアを助けに行くのは変わらないよね?」

「違う。月の紋章と命の紋章を手に入れるために行くんだ」

 そっぽを向いたままでレオンが答えた。

「……あ!」

 今、気づいた。と言わんばかりにカインは口元を抑える。しかし、もう遅い、気づいてしまった。

 よくよく考えたら、このパーティ、チームとしての機能は無いではないか。

 もっとも、アイリンにレオンが降臨したときからおかしな流れではあったが、あのときはまだシアがいた。シアも自分も、周りに気を配るほうだし、協調性もあるほうだ。

 しかし、悲しいかな、この三人──。

 誰もが誰も、わが道を行くタイプで聞く耳を持たない。うち二人は自尊心がかなり高い。そして、人の話を聞かない。

 この中に一人、笹舟のような弱い自分が大海にぽつりと浮いている状態で、どうやって沈まないでいられよう。無理だ。

「またそんなこといって。どうしてレオンは仲間を信用しないんだよ。おかしいだろ、それ」

「仲間、か」

「なんだよ。否定しようって言うのか?」

 若干、睨んでいるように見えなくもない。

 いつもより、剣呑な空気を出したロルが、レオンと対峙していた。

「俺にも仲間がいた時期がある。それ自体は否定はすまい。だがな、」

「だが?」

 ……ああ、もう始まっている。

 当然のことながら、ラヴェル王子は仲裁はしない。黙って終わるのを待っていて、終わらないときに「いいかげんにしろ」と諌めるタイプだ。

「ちょっと、二人とも」──と、カインが間に割って入ったときだった。

「では聞くが。今現在、ロトの血が入っている者が、世界に何人いる? 緑、貴様はサマルトリアの王子選出戦で、候補は他に何人いたんだ。言ってみろ」

「はぁ?」

 思わぬところから、話がこちらへと向いた。

 とりあえず、とカインは過去を思い出しながら、指を折る。

「十五歳から二十五歳までの、ロトの血を引く独身男子で、かつ自国出身者っていう規定だったなぁ。トーナメント戦で僕は四回戦ったから……予選含めて、五十人くらいいたかな」

「それみろ。もう世界中に何百人と散らばっているんだ。それでどうして、ロトの血筋というだけで、信用できる? その何百人の子孫は、皆、善人だと言い切れるか?」

「善人かどうかじゃないだろ! 仲間を信用できるかどうかの話だろ!」

 

 結局、話がループしている。

「……ね、二人ともさぁ。その辺は個人の自由ってことで、意識を統一しなくても……」

「何だよ、カイン。シアは仲間じゃないってのかよ!」

「シアは絶対正義だけどね、今はそういう話じゃなくてさ」

 無理にまとめて、話を進めようとした矢先であった。

 窓の辺りで奇妙な音が鳴った。

 バサリバサリ、と羽を使い、わざと知らせているようにも聞こえる。鳥だ。いや、鷹だった。

「……シア!」

「は?」

「あ、ごめん、僕の鷹だよ。シアって名前なんだ」

 近づくと、羽根をもどかしそうに動かす。片方が重いようでアピールするかのように、カインに訴える。

「血……?」

「怪我?」

「いや、この子の血じゃ無いみたいだ。洗ってあげないと」

「その前に、手紙読んでみろよ。急ぎの用事かもしれない」

 頷いた。言われるまま、カインは足のホルダーから丸めてある紙を取り出す。陽に当てて文字を確認すると、彼には珍しく眉間に皺がよった。

 

『お兄ちゃん、助けて』

 

 手紙にはその一文。最後に署名がある。

 隣からひょいと覗き込んだロルが、カインの肩に腕をのっけた。

「サマルトリアのチェリ姫じゃないか。何かあったのか」

「……たいしたことないさ、きっと。いつもこんなことして遊ぶ子だから。僕の反応を見て面白がっているんだ」

 ほっといていいよ、と手紙をゴミ箱に入れる。鷹についた血を洗い流すため、洗面室へと足を向けたとき、おい、とロルが止めた。

「妹だろ?」

「血は繋がってない。ロトの子孫ではあるけど、善人とは限らない」

「お前、さっきと言ったことが……いや、ある意味ブレてないか。いいやもう。それより、今回こそ、本当に、助けを必要としてんのかもしれねーぞ? いいのか?」

「側近に優秀なのがいるから、大丈夫じゃない?」

「だったらわざわざ鷹を使ってまで、手紙よこさないだろ」

 うつむいて、ちらりと横を見た。これはカインの癖だ。何か含みがあるときの。どうやら事態はわりと深刻だ。

 ロルは肩から手を下ろし、代わりにその手で背をぽんと叩いた。

「とにかく、カインは戻れよ。デルコンダルには、後で合流すればいい。人間のシアは、俺が取り戻してきてやるよ」

「……頼む、ロル」

「話はまとまったかい?」

 ラヴェルが待ちくたびれたと言わんばかりに横柄に椅子に腰掛け、肘でで頬杖をついていた。

「ルーラで行きたいところだけど、今、デルコンダルは式典を行っている最中とかで、城門を閉鎖中だ。侵入するなら隙をうかがって私が飛ぶほうがいい。よって、これより二度三度の窺見をかねて、ローレシアで待機したいと思う……邪魔してもいいか、ローラント」

「もちろん、かまわないさ」

 ラヴェルはレオンにも目を向けた。

「貴方も来るのがよろしいでしょう。今のローレシアと、ローレシアの現国王を見たいとは思いませんか」

 レオンの眼(まなこ)が、ゆるりと動いた。

 

 

 



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11 選出兄妹

 魔物の気が濃い。

 城門の入り口付近、ルーラで降り立ったカインが、いつもとは違う故郷の空気を感じとる。

 この辺りの魔物は、どちらかといえば凶暴ではない部類に入る。人が怖いのか、街や城には近づかないことのほうが多いのに、今日はまったくの逆である。

 

(これは……城を中心に取り囲まれている?)

 

 ピリピリとした敵意を感じる。常時、街中に振りまいている聖水の効果がなくなれば、すぐにでも城門を破って侵入しそうな気配だ。

 一方、サマルトリア城内は静まり返っていた。

 いつもなら、行き交う貴族の話し声、せわしなく動く侍女の足音、近衛兵の見回りで、多少なりとも人影があるというのに。

 まだ陽は高い。静寂というより少々不気味な回廊を、カインは足早に横切る。

 

(チェリならおとなしく部屋にいるんだろうけど)

 

 普段なら、気位の高い姫気質の子だ。優雅に勉強でもしてればいいのだろうけれど、この妙な雰囲気の中、果たしてどうだろうか。

「助けて」と書かれた手紙も、あながち的外れでは無い気がする。退屈していた妹姫が戯れで起こした出来事であれば、多少は怒っても、すぐに許そうという心づもりでいた。

 ささやか程度にノックをして、妹姫の部屋のドアを開ける。

 瞬間、閃光の煌きがカインを襲う。寸でのところで避けられたのは、用心して、最初の一歩を大きく踏み込まなかったためだ。残熱を肌に感じつつ、素早く部屋の様子を伺った。

 

「ちっ……」

 およそ妹のものとは思えぬ、若い男の声が鳴る。

 奥には、ロープで縛られている妹姫がいた。そして、かすかに見覚えのある男が一人、チェリにナイフの刃先を向けて立っている。穏やかではない。

「なぜわかった?」

 ギラを避けたのがよほど気に入らなかったのだろう、男は薄い笑いを浮かべながら聞いてきた。カインは部屋に入りつつ、男と対峙する。

「……うちの妹はね、可愛らしく「お兄ちゃん」、なんて呼ばないんだよ。もちろん手紙でもね。いつも、「カイン」って、生意気に呼び捨てにしてるんだから」

 鷹のシアに運ばせた手紙が、ひらりとカインの手から離れる。その隙に、縛られているチェリ姫の顔を盗み見た。

 顔色は悪くない。衰弱の様子もないことを確認し、カインは視線を戻す。

 

「で、罠なんでしょ? ご丁寧に血までつけて、僕を呼んだのは何の用?」

「俺の顔を覚えているか?」

 特徴的な紅い前髪の巻き毛を揺らしつつ、男は言った。

「もちろんだよ、ランドール。ミトラ信仰が厚い神官のバスカの家系だったよね。君自身は……ええと、以前、この国の選出王子を決める試合で三十七位だったっけ。僕に一回戦で負けてた」

「わざと煽ってんな? 貴様、これを忘れんなよ」

 ナイフをチェリ姫の首元にあてる。反射的に、妹姫は目をきつく閉じた。

「……用件は」

 ランドールは口の端を歪めた。

「サマルトリア城内の静けさには気づいただろう? あれはな、流行り病のようなもんだ。王をはじめロトの子孫たちが皆、高熱を出して苦しんでいる。使用人や兵士のほとんどは、隔離か里帰りさ。よって、誰もいない」

「流行り病?」

 俄かには信じがたい。病が起きるのなら、何か事前に兆候があるはずだ。それに、どこぞの村から、というのではなく、発端が王宮から、というのが解せない。

 すると、フン、とランドールは鼻で嗤った。

「信じてねーな? まぁ、流行病というより、ロトの病と言ったほうがしっくりくるか。俺なんかは、血は薄いからあまり影響は受けない。まったくいい時代に当たったよなぁ」

「何が言いたい」

 ますます笑みを深くしたランドールは、さらに饒舌になった。

「ま、知らないだろうな。ロトの血の濃い者は、消えていくって話だよ。王や王妃なんかは二週間前からもう、床に伏している。お前も、その気配くらいはあっただろう──突然、頭が空になって、高熱を出してぶっ倒れる。どうだ」

「何のことかな。僕はこのとおり、ピンピンしてるんだけど」

「フン。まぁ、その強がりももう少しの間だ。ロトの子孫たちは、皆、これから倒れ、死んでいく運命にある。お前も、ここで死ぬんだ。そうしたら、俺が──」

「代わりに、サマルトリアの王子になるって?」

 ランドールは野心に燃える目でにやりと笑った。

「しばらくはな。だが、時が経てば王になる。だからお前を呼んだ。行方不明じゃ困るんだ。確実に死んでもらわないと」

「カイン、逃げて!」

 それまで大人しくしていたチェリが叫んだ。

「ランドールは本気よ。この人……既に、高熱で倒れた貴族の子息に毒を盛ったのよ……っ。あの選抜試合に出ていた上位者たちを、片っ端から消しているわ!」

 首元のナイフが肌に食い込む。

 チェリは顔をしかめながらも、頭上のランドールを眼で睨んだ。

「城門の外を囲んでいる魔物たちは、偶然かい?」

 カインが訊くと、ランドールは得意げに鼻を揺らした。傍に置いてあった銀色の竪琴を掲げる。

「いいだろう、これ。骨董屋から流れてきたいわくつきだ。弦をはじけば魔物がわんさか押し掛けてくる……おかげで他国からの救援は来ない。治癒をするはずの神官共も足止めだ。俺の邪魔はさせない」

「……お前一人の計画とも思えない。裏に誰がいる? 誰と手を組んだ?」

「さぁてな。お前には関係ないだろう? 俺はチェリ姫と結婚し、ゆくゆくはここの王になる。そして、新しい時代の幕開けだ」

「なにそれ痛い」

 

 痛いどころではない。

 気の毒になるほどの短絡的な思考に、カインはあやうく脱力しかけたが、逆にチェリ姫にとっては、聞き流せない台詞だったらしい。首から一筋の血を流しながらも、真っ赤になって震えはじめた。

「あああんたと結婚なんかしないわよ! 誰が! 三流貴族のバカ息子なんかと!」

「はぁ? お前の意思なんかどうでもいいさ。身分だよ、身分。ちくしょう俺だって、どうせ結婚するなら、あの美しいムーンブルクの姫のほうがよかったんだ。それをお前で妥協してやるって言うんだからな!」

「──で、どうするの。僕と戦うために呼んだの?」

 くだらない言い合いが始まりそうな雰囲気をあえて遮断し、カインが言った。

 ランドールは「まさか」、と嗤う。

「そんな無駄なことするわけないだろ? 俺はこのまま待てばいいんだ。ローレシアの王子以外は、どうせ動けなくなるんだから。……おっと、動くなよ。姫は殺さないが、傷をつけることぐらいはいつでもできるんだからな」

「ロル以外……?」

 そこだけ、違和感がある。

 一体、こいつは何を知っているというのか。

 確かに、ロルは強い。

 強いだけじゃない。彼は、天性の才もある。

 加えて、人を惹きつける何かを持っている──ことも、カインは幼少の折から感じている。

 だが、こいつが何に確証をもって、ロトの子孫のことを語っているのかは、よくわからない。

 

「つまんねーな。もっと焦ったらどうなんだ。命乞いして、今までの所業を謝れよ。だったら、楽に死なせてやらんこともないんだ」

「……本当に、色んな奴がいるよね。ロトの子孫っていっても、もう範囲が広すぎて、ひとくくりに対応できない。レオンの言ったとおりだ」

「は? 何オマエ、世間話でこの窮地を凌ぐつもりか? ああ、知ってるさ。選抜試合でも、お前は特別強かったわけじゃない、のらりくらりと時間稼ぎをして、俺に勝ったのも判定勝ちだ。けどな、俺も一回戦は、家の名誉もかかってたんだよ……ちくしょう。二百年続いたロトの名門、バスカ家を散々こけにしやがって! 俺はなぁ、おかげで親戚一同に白い目で見られたんだよ!」

 ランドールの表情が険しくなったのと裏腹に、カインは目を見開いた。「思い当たった」とでもいいたげに、顎に握った手を添える。

「そうか、バスカ家か。確か、ベラヌールの神官家系から枝分かれした……! ねぇ、ベラヌールの神官ってもしかして、ストロス一族のこと?」

「うるせぇ! だから何だってんだよ。お前、やっぱり俺のことバカにしてるな? そうだろう? バカにしてるんだろ!?」

「いや、してない。同じレベルで考えること自体避けたいから視野に入れてない。とりあえずちょっと待って」

「死ね!」

 ランドールはナイフを手にしたまま、もう片方の手で、杖を取った。

 魔法用の発動体にしては、彼の実力には見合わない、いささか高級すぎるものだった。家の宝物庫から出してきたんだろうか。古めかしい文様が、柄に刻まれ、微かに光を放っている。

「お前の持つ鉄の槍は、ここでは振り回せない。魔法を使えばチェリ姫にあたる。動けまい!」

 彼の意図が分かった。部屋の床にはうっすらと魔法陣が敷かれている。

 このまま魔法を発動し、火だるまにでもするつもりなのだろう。すぐにやらなかったのは、こちらの狼狽える様子でも一目見たかったからかもしれない。

「ああ──うん、気が変わった。いいよ、ここにはロルもシアもいないし」

 

 カインは懐の奥から、ひとつのペンダントを出した。

 淡い浅葱の宝玉が、カインの孔雀石色の瞳を映し出す。中央には金の模様が彫られており、薄暗い部屋の中で煌々と光を放った。

「僕も確か、一千年以上続いたティオ家の末裔だ。言っとくけど、魔法の家系は性格悪いよ? 基本、根暗だしねちっこいし、ついでにモテない」

「……水の紋章だと!? 確か、数年前に盗まれたはずじゃあ」

「盗ませたんだよ。精巧なレプリカをね。どうせ使える奴は限られている。どっかの不穏分子がこれを餌に泳いでくれればいいなって思ってたけど……まぁ、予想以上に当たりだった」

 カインは魔法力を解放する。

 水の紋章から粒子が舞い、やがて水滴になり、水柱と変化を遂げる。ものの数秒で、水の形を成した盾となり、カインの姿を隠した。

「はっ、そんな水、魔法陣の火で蒸発させてや、」

 ランドールが炎を発動させる。が。瞬間、カインの手にあった水盾が霧のように四散し、辺りに飛び散った。

 この刹那、チェリ姫からしてみれば、ランドールは、ただ立っていただけであった。決して、それ以上のことは何も起こらなかったのである……しかし。

 

 恐々とした悲鳴がこだました。

 部屋には水の粒子が舞い、男の声を徐々に奪った。ポタポタと、水滴が高い天井から落ちてくる。

 カインはチェリ姫にかけられていた縄を解き、解いた縄で無事にランドールを縛り上げる。そのあとで、牢へ運ぼうとした。しかし、他でもない妹姫に止められる。

「待って。それだと証拠が残るから、バシリスクに丸呑みさせましょうよ」

 その言葉が、かえって冷静さを引き戻す。

「……チェリ、普通の姫はバシリスクなんか知らないんだよ」

「──ええ、私はロトの姫よ。だからいいの。何分で溶けるか見てみたいわ」

 と、やけに落ち着いた声で言う妹姫は、すっかり平常時の表情に戻っている。

 なんだかんだで、心臓が強い。そして敵には容赦ない。十代とは思えないような冷たい瞳で、持ち上げられたランドールを一瞥する。

(こういうところ、似てるんだよな)

 似たもの同士、といえばそれまでだが、共に選出された身分で、性格が似るというのは何らかの意図でも働いているのか。

 やや鬱になりながら、ひとまずカインは、彼を床に転がした。

「とりあえず、彼はきちんと法で裁こう。それとチェリ、こいつが言ってた流行病のことについて教えてくれる?」

 妹姫は片眉をピクリと挙げる。

「ただの流行病じゃないことは確かね。私も、この美貌で王女に選ばれはしたけれど、ロトの血は家系的には薄いもの。うかつだったわ、こんなゲスな奴がうろついてたなんて」

 憎々しげに、ランドールの体に蹴りを入れた。

「チェリ……普通の姫は、人を蹴らないんだよ」

「いいのよ、こいつ、私よりアイリン様のほうが美しいって言ったんだもの。許せない。あらゆる恐怖と絶望を味わってから死ねばいいわ」

 それは真実だから仕方ないんじゃあ、と言いそうになるのをこらえて、カインは咳払いをした。

「じゃあさ、ロル以外は皆死ぬって、何?」

 知らない、わからない、と姫は首を横に振った。「それよりも」、とカインの腕をつかむ。

「ねぇ、カイン。私も連れて行って。ここじゃ、皆倒れてしまったし、食べ物はなくなったし、お気に入りのペットも死んじゃったから、つまんないわ」

 

 目を閉じる。

 この一連の事件を「つまんない」と言って立ち去ることのできる妹姫に──多少の同情心がわいた。

「王や王妃が心配じゃないの?」

 確認の為に訊くと、さほど予想と反しない答えが返る。

「別に? 形だけの家族じゃないの。私の本当の家族は、もう会えないわ。お金いっぱい貰っちゃったから、今さら戻れないし、待ってもいない。貴方もでしょ、カイン。貴方なら、この気持ちはわかるでしょ?」

「……わからなくもない。でもダメ」

「ダメでもいいわ、だったら貴方が傍にいてよ」

「無理。君はここにいて、王と王妃をお支えするんだ。僕も忙しいし、もう行くよ」

「……シアね? まだあの女、カインに付きまとってるの?」

 はぁ、と息をついた。見る見る険しくなってゆく妹の顔を観察する一方、勘の鋭さを密かに称賛する。

「僕が付きまとってるんだよ、シアは悪くない」

「あの子、嫌いよ。アイリン様の贔屓の侍女だからって、ロル王子やカインに取り入ったんでしょう? 計算高いし、卑怯だわ。そのうちバチが当たるんだから……」

「チェーリ」

 片目を瞑って、チェリ姫は口をつぐんだ。「何よ」と細い声で呟いてから、じっと耐えるように、カインを上目遣いで睨む。

 カインは、再度、息をついた。おもむろにチェリ姫の頭に手を置き、なだめるようにさする。

「わかった。ここから連れ出してやるよ。でも一人で観光はダメだよ、ローレシアに静養に行くっていう話にしよう。僕からロルに口添えしてあげるから」

 

 内心で苦笑いをした。こんな風に、嫉妬深いところも似ている。

 親しい人間にだけ、饒舌で素直なところも。

 似すぎているのだ、この妹姫とは。まるで本物の血を分けた近しい兄妹のように。

(……仕方ないよな、この子は、まだ)

 

 ──その先を、言いそうになってやめる。言えば、かなり陳腐で薄っぺらいものになるだろう。

 大切なものに、出会えてないだけ、などと。どの面下げて、自分が言えるだろうか。

「行くよ。こいつも連れてって、一時ローレシアの牢に放り込んでもらおう。それと、」

 この銀の竪琴も貰っておこうか、と竪琴を回収する。このまま弾かなければ、そのうち効力を失い、城外にいる魔物たちは自分の巣へ引き返すだろう。

 テラスへ出て、ルーラを唱える。

 二人を淡い光が包み込み、やがて美白の粒子に溶けていった。

 



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12 牢とデルコンダル

 シアが声をひそめてラリホーを唱えると、牢番は音もなく眠った。それから、やはり小声でアバカムを唱える。すると、鍵が意志を持ったように、カシャリと鳴り、やがて扉を開放する。

 静かに扉を元通りにすると、通路の闇にまぎれてそろそろと歩き出した。

 真夜中。

 城の地下のそのまた地下に、人目を避けるようにして牢がある。

 

(ラゴスの言ってたとおりだわ……)

 

 彼に協力してもらい、囚人のふりをして潜入したまではいい。

 しかし、目当ての人物は集団牢にはいなかった。だったら、こちらが動いて探し出すしかない。

(まさか、もうすでに処刑されているんじゃあ……)

 ラゴスの情報では、ミトラ教信者──特に神官は罪深いとされ、奥の地下牢に捕らえられ、処刑されているというものだった。その処刑の仕方も、見世物のショーのようにして、魔物に喰わせているという。それが本当だとしたら。

 

(悪趣味だわ……いつからこの国はこんな)

 

 変わってしまったのはいつ頃からだっただろう。

 前国王、イルク・パハーナムの頃は急速に近代化が進められ、人道的な支援も行うようになっていたのに。これでは前世紀まで退化したような印象だ。

 小さくラリホーを繰り返しながら、歩みを進め階段を下ると、明らかに様相の異なるドアが見えた。

 ノックをするが返事は無い。呪文を唱えて中を覗くと、松明の炎が四隅に掲げられている部屋の中央に、白い布をまとった人間が座り込んでいる。

 目を閉じ、胸の前で両手を合わせ、何かを呟いているようだった。

「誰だよ? 何か用か?」

 気配で察したのだろう、祈りの言葉を終えてその者が振り返る。シスターかと思ったのに、意外にぞんざいな言葉遣いであったことに、少し戸惑った

「……刺客、じゃあねーな。どのみち処刑される身だからよ、今更暗殺は無いだろーけど」

 緩やかな波をうつ髪をそのままに、艶のある声を転がした。シアは頭を下げた。

「はい。助けに来ました。あなたは……ストロス一族の方ですよね?」

 懐で閉じていた拳を、ぎゅっと握りしめる。ところが。

「いや、違うな。一介の、ミトラの聖職者だ。ベラヌールでいつものようにナンパ……勤めを果たしていたとこを、捕らえられて、このザマさ」

「ミトラの……神官?」

 怪訝に返した。

 確かに白のローブ姿はミトラの神官服にも見える。しかし、ラゴスの情報、そしてラダトームで王子のふりをして聞き出してきた情報を合わせると、それは少し異なる。

 シアは二度見、三度見を越えて、目の前の人物を凝視した。

「昨今のデルコンダルじゃあ、ミトラは邪教の使いになってるんだとよ。代わりに、シド神を崇めるシド教に改宗しろって言われんだけど……先祖代々の信仰を変えるわけにもいかねーし。だからこうして捕らえられてんだ」

「シド神……」

 神官ハーゴンが布教しているという邪教。

 一般の民にはそれが邪教などとはわからないだろう。シアの脳裏に、あの赤黒い夜が蘇る。

 

(ハーゴンなんて……ムーンブルクを滅ぼした張本人のくせに……)

 それを声高に叫んだとしても、世界中の人々が信じてくれるわけでもない。その現実が、ひたすら悔しい。

「リオ様」

 名を呼んだことで、神官の吐く息が緩やかに止まった。やはり、とシアは確信を持つ。この人物は、ストロス一族の継承者、リオなのだと。

「このローブに着替えて逃げてください。そしてお願いです。貴方様の力で、呪いを解いてください。この国の王はもちろん、ラダトームの末の王子も、呪いに苦しんでいるのです」

「呪い……?」

「シド神の力を借りて、ハーゴンがかけた呪いだと、私は推測しています。どうぞこちらを」

 シアは耳の後ろの大きめの髪飾りを外した。

 丸い飾り物のは入れ物になっており、中には命の紋章が入っている。取り出し、正面にいる相手に見せた。

「どういうことだ」

「ラダトームの王にあなたの正体を明かせば、きっと力になってくださいます」

 キメラの翼を懐から取り出し、紋章と一緒に差し出した。

「人違いだろ? それに俺はここを離れるわけにはいかねぇ。明日、俺を含めた囚人たちは、魔物の生贄になることになってる。もし、夜のうちに逃げれば、デルコンダルの王が怒り狂って、罪人はおろか兵士たちの責まで咎めて、殺っちまうだろうよ」

「……私の家族が、デルコンダルに囚われているのです。だから、初めは、この命の紋章と引き換えに、王に直談判をして、私の家族を返してもらおうとしました」

「家族か」

「はい。でも、それでは何の解決にもなりません。命の紋章を使える──ロトの子孫である貴方に、こちらを託して、呪いを解いてもらいたいのです。もちろん、ここの王も。」

「……デルコンダルの王も、呪いにかかってるって言いてえのか?」

「そう考えます。昔は善政をしていた王が、急変したのは呪いのせいかと。……さあ、私が身代わりに、貴方のふりをしてここにいます。闘技が始まる前、城から王は必ず姿を現すでしょう。貴方でなければ、呪いを解けません。どうか、早く」

 じれったいとばかりに、シアは胸のペンダントをもう片方の手で触った。

 少しの詠唱と、魔力の高ぶりを経て、まったく異なる姿に変わる。

 目の前にいる神官の姿とうりふたつになり、手に持っていた月の紋章は手の甲に痣となって収まった。

「ほう」とリオの口から息が漏れる。

「古の呪文、モシャスか……。なるほど、待っていた甲斐があった」

 声が一段、低くなった。

「シア・ピアス・バルマーク」

 吸い込んだ息を、ゆっくりと吐くように呟いた。それまで被っていた仮面を脱ぎ捨てるかのように、硬い笑みから、自然な微笑みに変わる。

「どうして、私の名を?」

「名前だけは、な。……ムーンブルク陥落の際、だいぶ捜索したが、これで合点がいった。紋章の力で、民に化けていたか」

「え、ええ。アイリン姫のご指示で」

 逆にシアが戸惑う図式となった。なぜ、この人が自分を探していたのかが、わからない。

「さすがは神子姫だ。無数の鳥の目にも気づいていたか」

「え?」

「ああ、いい。あんたは知らなくても。これもミトラの導きってやつか。待ってたよ」

 ……なんだか話が見えない。

 それに、急激に距離を詰められたような親近感。この変わりように、違和感しか覚えない。つい先ほどまで、牢から出ることも渋っていたはずなのに、名を出した途端、なぜ。

「なに、驚いた顔してんだよ。認めるよ、俺がストロス家の末裔──リオ・ハーフ・ストロスだってな。じゃ、よろしくなシア」

 

 目を細めた。

 そうだ、今は、些細なことを気にしていられる状態ではない。見張りに気付かれれば厄介だし、リオには呪いを解いてもらわねばならないのだ。

「……わかりました。時間がありませんので、途中までお送りします。見張りにラリホーをかけながら進みますから」

「不要だ」

「不要……?」

 シアが眉を寄せると、リオはシアの目の前でばさりとローブを脱いだ。

 幾重にも布が重ねられたそれは、体の線を巧みに隠していたようで、中からは均整の取れた彫像のような体が照らされて、浮かび上がる。

 シアは思わず悲鳴をあげ、とっさに横を向いた。

「なんだよ?」

「い、いえ、脱ぐとは思いませんでしたので」

「あー、なるほど」

 リオの年の頃は二十代中盤というところか。しかし、こんなに均整の取れた綺麗な上半身を、シアは見たことがない。

 商会で働く大人の男たちは、たいていはやせぎすで肉がついていないか──、腹がぽってりの大きな体躯なのだ。何も悪いことはしていないのに、なんとなく居心地が悪い。

「いい反応だなー。ある意味、喜ばしい、か」

 リオは長い髪を揺らし、にやりと魅惑的に笑った。

 どこか意味深に思えて、シアは表情を逆に強張らせる。敵ではないはずなのに。

 含みのある言い方が、自分を見透かしていそうで戸惑うのだ。

「けどよ、お嬢ちゃん。二つばかり、思い違いをしているよーだな」

「え?」

「まずひとつ。ラダトーム第二王子のそれは、ハーゴンの呪いではないんだ。したがって、俺が命の紋章では解くことは不可能。それから二つめ。こっちはガチでハーゴンに操られているデルコンダル王のことだけど……まぁ、前時代からの民族性の問題もあってよ。信じやすいというかバカというか、同調圧力の強い国民ってのは、いつの時代も律しやすいんだよ」

「あの……?」

 どうもひっかかる。

 

 呪いではない?

 律する?

 魔に操られて、あえてこんな悪趣味な見世物を?

 見上げて問うシアに対し、リオはそっとその肩に手を添えた。

 

「それはもちろん。──お前を、ここへ来させるためだけどな」

「は……私?」

「そ。デルコンダルの悪評を利用して、ルプガナにいるお前の家族をとらえたのも、盗賊ラゴスの梟で監視させ、お前を一人、ここへ来させたのも、実は計画通りだ」

「えっと……」

 脳裏に梟の群れが浮かぶ。あれは、ラゴスのとの情報伝達用ではなかったか。無数の梟は、やってくる数によって、意味合いが異なっていた。だって現に、暗号があったのだ。

「梟は、俺たちの象徴でな。諜報活動をするときはそっちを使うんだ。もちろん、フェイクも巧いぞ」

 気がつけば、リオに抱きしめられていた。

 ふわりとした布の感触ではなく、硬質な筋肉の感触が自分を包んでいる。慌てて離れようとすれば、力で押し戻される。すぐそばで眠りへと入る詠唱が鳴った。

(まずい……!)

 動けない。魔力が遮断され、力が吸い取られていく。全身に痺れが走り、感覚が鈍くなる。

「へー……なかなか魔力高いな。こんなオプションがあるから、選民思想も肥大すんだけどな。あの世のロトさまなら、天国で喜んでるかもしれねーな──ただ、」

 その時、シアの意識が飛んだ。

「少し、人を疑うことは覚えたほうがいいな。割合的には、純粋で、正義感の強い奴が多すぎだ」

 リオの光のない琥珀色の瞳が瞬いた。

 呼応するかのように、命の紋章もチラチラと光り、薄暗い闇を僅かに照らしていた。

 

 

   +++

 

 

「どういうことだ……?」

 ローレシア南海の上空。空を舞う竜から見下ろしたロルがつぶやいた。竜の目で見たラヴェルも、デルコンダルの状態に戸惑っているのか、降りようとはしない。

 街門、城門、城の周り、闘技場、すべて見回しても、結論はひとつだ。

「皆、動かないよな……?」

 人は見えても、動きはない。

 死んでいるのか眠っているのか。

 王家の情報伝達網に寄れば、現在デルコンダルは国内式典の最中のはずだ。そんな中、死んでいるなら大惨事だし、寝ているのならどうかしている。

 

 ところが。

「あ。街の中から出て行こうとしてる男がいる……動いてる!」

 視力なら四以上の数値を出しそうなロルが、街門の近くを指差した。心得たとばかりに、ラヴェルは翼をはためかせ、門の外へと降り立つ。

 早速ロルが男を捕まえ、問い正だすと、なんとも腑抜けた答えが返ってきた。

「はん? 知らねぇよ……? そもそも俺、なんでこんなところにいるんだか。確か、ベラヌール行ってよ。偉い神官の屋敷に忍び込んで、なんかいいもの見つけたーって思って……それから記憶がねぇんだ」

 男の名はラゴスという。

 悪びれもせず、自分は盗賊だと言い張り、自慢げに武勇伝を語った。

「いいもの?」

「あー、これこれ。水の紋章」

 サッと一同が気色ばむ。サマルトリアから盗まれているはずの紋章が、この男の手にあるということは──と、ロルは男の真正面に立った。

「どこの盗賊だよ。お前の素性は! 仲間は!」

「あれ、なんかねむい……」

 そこで、ラゴスは崩れ落ちるように、地面に横たわった。眠るというより、意識を奪われたといったほうが近い。

 まるで暗示にでも掛けられているような奇妙な動きに、ロルもそれ以上は手が出せない。

「なんなんだよ……」

 

「失礼、何か用でも?」

 突然、門の中から声がした。

 青銀色の髪をなびかせ、神官服を着ている。手には錫杖。紋はミトラである。

「あんたがやったの……? この街の人間、皆」

「まぁな。強力な眠りの呪文で眠らせてる。でなけりゃ、デルコンダル王の暴政で、犠牲者がごまんとでるところだった」

「たかが式典で?」

「あー。それよかさ。自分は神官のリオっていうんだけどよ。あんたたちは?」

 訊かれて、慌ててロルは自己紹介をする。だが素性を明かしても、男の態度は王族のそれに対するものに変わらなかった。

「なるほどね。俺は、ストロス一族の長の命で、数日前から潜伏してたんだ。すなわち、式典と称し、魔物にミトラ信者たちを処刑させるっていう、王の企てを阻止するために」

「なんと、そうであったのか」

 ラヴェルが居住まいを正す。その後、自らの名を名乗ったが、アイリンであるレオンは顔をフードで顔を隠したまま、沈黙した。

「ところで、ストロス一族とは、その」

 ラヴェルが切り出そうとするのを、ロルが遮る。

「待てよ。シアのほうが先だ。なぁ、月の紋章を持った女の子を見なかったか? 俺たちの仲間なんだけど」

 リオは、表情を崩さずに答えた。

「……その少女なら、会ったぜ。俺に命の紋章と月の紋章を授けてくれたよ。その後のことは、わかんねーな」

 ロルがぱっと顔を明るくした。

「なんだ。やっぱシア、いいことしてたんじゃん。一刻も早くこいつに紋章を届けて、呪いを解くよう依頼したんだろ? これで、ラヴェルの弟も治るし、良かったな!」

 ロルは目線をラヴェルへ動かす。が、当の本人は眉を寄せた。

「それはありがたいが……あの娘の目的が私たちと同じなら、なぜラダトームからわざわざ盗み出す必要があったのか? ひと言、申し出れば考慮したものを」

「そんなの本人に会って聞けばいいだろ。それより、早速ラダトームに行ってこいよ」

 ポン、と肩を叩かれ、ラヴェルは自分にとっての最優先事項を確認する。

「うむ、そうだな。神官殿にはぜひ、このまま城に来ていただきたい。私の弟が、ハーゴンの呪いにより苦しんでいる。幼い故、体力が持つかどうか……急を要する」

 幾分、好意的な顔で告げると、リオは目を閉じたまま静かに首を振った。

「申し訳ないが……俺の力では、紋章を持ってても、王子を助けることはできねえ」

「なぜ?」

 リオは、渋い顔で語る。

「ラダトームの幼いほうの王子殿下は、兄王子とは異母兄弟にあたるって聞いたことがあるんだが。同じようにロトの血は引いていても、兄のほうがエルフの血が濃いって」

 ラヴェルが首を傾げた。

「いかにもその通りだが。それが何か? 呪いを解くのに、支障でもあるのか?」

「相殺の度合いが違うんだよ。……ラダトームは知らないのか? ロト一族における──『血の集約』ってやつを」

 

 ロルの背後で、すぅっと息をのむ音が聞こえた。おそらくロルの耳にしか入らないほどの、小さな息だった。それに伴い、異様なまでの緊張した空気が流れ込んでくる。

 振り向こうとしたが、それすらも許さないような痛い雰囲気だ。たまらず、ロルは一歩踏み出す。

 一方、当のラヴェル王子は、特に意識を乱してはいなかった。

 何のことか、といった素振りで、リオの次の話を促している。

「すまないが、わかりかねる。ロト一族のことを知らないわけではないが、それでも限りがある。よければ、説明をしてもらいたい。今後、貴方がたのことも詳しく知る必要もありそうだ」

 あくまで友好的にラヴェルが告げると、リオは手を軽く挙げて、やんわりと退いた。

「話したいのは山々なんだが、今はデルコンダルの後始末が先でな。ベラヌールにいる一族の仲間たちが応援に来るまで、しばし待ってもらいたい」

「わかった。私たちもサマルトリアの王子を待っているところだ。そちらの意向に従おう」

 カインは、今サマルトリアに戻っているはずだ。

 どんなに早くても、ここにくるまで半日はかかるだろう。

「じゃ、皆でベラヌールへ来てもらった折に、話するってことで、いいか」

 終始穏やかに、しかし事務的なやりとりでもある会話が続く中、突然、背後から首根っこをつかまれ、ロルはのけぞった。

 体が柔らかいからいいものの、バランスが悪ければ転倒している。「なんだよ!」と仏頂面で、ロルは背後のアイリン──の中のレオンを見つめた。

「おい。奴に俺の素性は言うな」

 囁き声で、しかしはっきりと耳に届く。

「奴って、リオのことかよ?」

「そうだ。アイリンの生死についてもしゃべるな。それから話の流れで、犬の行方と目的を吐かせろ」

「注文が多いなぁ。吐かせろ、って言われても、そう簡単に……」

「まだある。ラヴェルがラダトームから持ってきた石板、お前が持っていろ」

 ああ、そういえばそんなのがあったな、と、ロトの墓で見つけた石板を思い浮かべる。

 確か、魔力が入ってるとかで、王に調査依頼を出していたものだったはずだ。何も聞いてはいないが、解明されたことでもあるのだろうか。

「なんで俺が?」

 ラヴェルかあんたが持ってたほうがいいんじゃ。

 聞く前に、答えが返った。

「石板は、妖精の力が加わっているらしい」

「妖精? 俺と関係あんのかよ」

「大ありだ。この時代、妖精アレアの加護があるのはおそらくお前だろう。俺は……だいぶ前に、見えなくなった」

「なにそれ。得なことでもあんの?」

 間があった。やがて、ロルの耳でなければ聞き取れないような、早口でレオンが呟いた。

「見えなければいいと思ったよ。何度もな。なんで俺だけが、と」

 



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13 星黄泉

 闇にくるまれていた。

 

 褥における暖かい闇ではなく、夜空の下のような爽やかさもない。

 一切光のない、海の水底のような、冷たい感触が自分を圧迫していた。

 ただひたすら、息苦しい。

 寒い。

 衣服はいつのまにか取り払われ、外気の冷たさに肌がぷつぷつと泡立っている。

 そこへ、針のような冷たい指の先が、試すように触れてゆく。首から脇へ、脇から胸へと降りてゆく。

 

 次第に力は強くなり、やがて撫でる掌に、支配するような圧を感じるようになった。

 ぞわぞわと鳥肌が広がってゆく。

 意識を手放したのは、いつ頃だっただろう。

 やがて指先は下腹部へと移動し、皮の薄い部分をまさぐり始めた。

 

(痛……っ)

 

 内側に強い痛みを感じ、腿を閉じようと試みた。しかし、筋肉は意志に反して思うようには動かせず、その間に指先は執拗に中をこじあけ、奥に押し入ってゆく。

「ん……っ」

 まだ誰も触れたことのない少女の部分──そこへ初めて侵入する異物に、息が詰まる気がした。

 やがて、先は向きを変え、柔らかい肉の面で表面をさすりはじめる。

 とろとろとした液が、自分の内部を流れていく。それに反応し、異物は溢れ出る蜜を得ようと貪欲に刺激を与えはじめ、律動を繰り返し始めた。

 

(嫌……!)

 

 蹂躙された熱い体の胸の辺りを、稲光のように鋭い痛みが走った。

 

(嫌……こんなの嫌……っ!)

 

 哀しくて、胸が締め付けられるようで。閉じた瞳から涙が流れた。

 こんな形で、されるなんて。

 

(誰……?相手は、誰!?)

 

 見知らぬ男だろうか。それとも? どちらにしても耐えがたい、酷い出来事だ。

 捕らえられて、こんな風に、躰を開かされるなんて。

 少女幻想のようなものだ、と、どこかで年配の女性が言っていたけれど、そうだと知ってても、嫌なものは嫌だった。

 つなぎとめる意識の中で、おぼろげに、ひとつの顔が浮かぶ。

 

(──……カイン様)

 

 孔雀石色をした優しい瞳が、何度も頭の中を行き来する。

 ──そっけなくしたから?

 ──お誘いを断ったから?

 あえて、気のない振りをした。はぐらかした。

 すぐ傍にいる美しい姫様と自分を比べて、勝手に落ち込んだりもしていた──数々の思い出が蘇る。

 ……だって、笑いかけてしまいそうだったんだもの、気を許したら。

 私には、目的があった。だから、いつでも離れられるように、途中で裏切ることすら考えて、あの人を見てた。

 どうせ、王子様の気まぐれでしょう?

 すぐ、飽きるだろうし。

 他にもいい人、きっと、いるよね?

 ──そんな思い上がった考えが、時が過ぎても尚、好きと言い続けてくれた彼を、すでに裏切っていたのだ。

 私を怖がらせないように、と、そっと寄り添うだけの、かの笑顔が、うっすらと歪んでは消えていく。

 これは、罰だ。

 ずっと。彼の心に応えなかった、自分への──。

 

「や……っ、カインさ、たすけ……」

 

 都合のいいことはわかっている。自分勝手だということも、

 でも、彼じゃなければ、嫌だった──会いたい、今すぐ。

 力の限りもがくと、肌に触れた気がした。

 ぱちりと音が出るような勢いで、ようやく瞼が開く。

 反射的に逃げようと身をよじる。しかし、両の手首は、頭上で固定され動かせない。ここで初めて──捕縛されていることに気付いた。

 あまりの酷い状況に、首を回して目を凝らす。

 

「気づいた?」

 急に飛び込んできた現実味を帯びた声に、シアは目を瞬かせた。

 若い、女の声。そして、今、自分を触っている冷たい指先は、その子のものだとわかった。

「な……女の子?」

 なんで、こんな。

 問いただす前に、体内に入った指をするりと抜かれる。微かな刺激に目を瞑った。

「よかった。あなた、まだ、穢れてない」

「……け、穢れ?」

「うん。今、試した。……生娘、じゃないと、いけない、言われた。から」

 半裸の、まだ幼く見える少女は、嬉しそうに笑う。よく見ると、額には奇妙な文様が刻まれている。

 寝台の下に置いてあった灯りが、逆さにそれを照らし出した。

(この文様……リオ様と同じ?)

 

「どういう、意味ですか?」

 少女は大きめの瞳をぐるりと上に回し、首を傾げた。

「ムーンブルクの、神子姫は、もうダメ。予定外の、大いなる、意志、働いた。すでに、男に穢された、から。無理」

「大いなる意志……?」

 穢されたというのは、つい最近のラダトームでの……?

「でも、代わり、見つけた。あなた、大事。逃がさない」

 

 少女は傍にあったナイフを取り、シアを縛っている布を切った。それから衣服を渡し、自分も脱いであったローブを着る。

 その姿に見覚えがあった。

 黒のローブに金の模様。白のロザリオに、手の甲に画かれている独特の入れ墨。

 かつて、灯台の上で会った。

「あなた……大灯台にいた星読みの子よね? なんでこんな」

 にこり、と少女は笑った。気づいてくれたのが嬉しいのか、思わずシアの顔を覗き込み、両手で頬を触った。

「私、名前、ラキ。……シア、あなたが大灯台、きた。びっくりした。でも、王子たち、じゃまだった。それから、あの女のような男も、じゃまだった」

 女のような男。

 レオンのことを言っているのか。もしそうなら、この少女は、目で視えるものだけを見ているのではないのだろう。

 アイリン姫とは少し違うけれど、神子に似た力も持っているのかもしれない。

「でもこうして、あなた、来た。嬉しくて震えた。ありがとう」

「ありがとうって……」

 お礼を言われるようなことなど、何一つしていない。

 シアは戸惑い、ラキの額に画かれた文様を見つめる。リオと同じ神の鳥を模した模様に、この少女の出自を推測する。

「ストロス一族、なの?」

「そう。私、ストロスの子。石の祭壇で、まじないを唱える。役目。それから──シアに、シド神、こうりんさせる。そして、世界に捧げる。平和、くる。よかった」

「な……っ!」

 シアは頬に触った手を振り払った。冗談ではない、神子でもない自分が、降臨の儀式などやれば――肉体はおろか、魂までも砕け散ってしまう。

「嫌よ。そんなこと、しないわ。ここから出して!」

 ラキは、振り払われた手の平をじっと見つめていた。黒々とした瞳を向け、懐から茶色の小瓶を取り出しつつ、シアを見る。

 先ほどとはうってかわり、まるで呪文のような、抑揚のない声で話し始めた。

「シア、ムーンブルクでひとり、卑怯だった。こっそり、逃げて生き残った……。私の両親は、死んじゃった。王を守って、炎がきて、肉がぶくぶくと泡立って、燃えた。私、骨を探して、食べた。……だから、かわりに、やってくれる、ね?」

 

 ぞわ、と全身の肌が泡立った。

 肩が、喉が次々に震え出し、シアの体温を一気に下げる。

 眼を見開いてラキを見つめる。

 ラキは慈しむような笑みで、呟いた。

「シアの運命。決まっていた。もうひとつのロトの血、世界のために使う。それでやっと、卑怯者からフツウ、になれる。皆、ナットクする。……なぜ、いやがる?」

 はっきりと感じた。

 この娘から出る感情は、強い使命感などではない。はっきりと、神子としての神託なのだ。だから迷いがない。

 動けない。

 抵抗ができない。

 拘束するものがなくても、既に自分は、檻に閉じ込められた弱い生き物でしかなかった。

 

 手に持った茶色の小瓶からは、変な香りが漂っていた。

 しなやかな動きでラキはシアの傍へと寄り、口を片手でこじ開ける。中に小瓶の液体を滑り込ませると、どろりとした感触がシアの口腔を占めた。

「神の水、飲んで」と顎をつかまれ、上へ掲げられた。喉をするりと液が抜けていく。

 ラキはにっこりと笑った。

 徐々に光を失っていくシアの瞳の前で、少女らしい艶々とした黒髪が、暗闇の中できらきらと光っていた。

 

   +++

 

 

 水の都ベラヌール。

 元々は小島を橋で繋いでいた諸島郡であったが、噴火による地盤隆起により、大陸と認定された過去がある。それから、栄えるようになって、約四百年。

 国家というにはまだ小さいが、都市としては大きく、現在はミトラ神殿を中心とした自治領となっている。

 その一角に、大聖堂がある。大聖堂のまわりには各国から修行者が集まり、日々精神を修養している。

 一般民のミトラの信者は、そのほとんどがムーンブルクを本拠地としていたのに対し、こちらはその神官や騎士たちの修行地であった。中でも、ストロス一族は神官家系に属し、代々ひっそりと血を継いできた一族である。

 大聖堂の裏手にある湖の向こう側には、森があった。

 森は小さな規模のものであったが、そこに隠れるようにして広い邸宅があることは、あまり知られていない。ストロス一族の屋敷であるそこへ、先に案内されたロル一行と、後から追ってきたカインが合流したのは、翌日の昼になってからであった。

 

「いやぁ……探しましたよ。ローレシアの王子殿」

 

 不穏な敬語を使いつつ、澱んだ瞳で挨拶をするカインに、ロルはおやつを食べる手を止めた。

 なにやら影を感じる。嫌な予感しかしない。

「ホント、びっくりしたよ。デルコンダルにいったら誰一人待ってないんだから。王にも会えないし、街の人は寝てたっていうし、ようやく事情を知った人に会えたと思ったらさぁ、」

 事後処理をしていた神官見習いが、もしやと思ってカインに声をかけたそうだ。

 声をかけられたところで、事情が明らかになるわけでもない。この屋敷でロルに会えるまでは、まったくわからないのだ。

 

「悪い。腹ヘリには勝てなかった。ところでさ、デルコンダルどうよ」

「君なら、その辺の草喰ってりゃ充分だよ。──見たところ、平民歩兵が多いね。顔色もいいし体格もある、軍は強いだろう。大陸全体は豊かだから向こうの籠城戦でも、こっちの兵糧が先に尽きる」

「攻めるんだったら、どっからやる?」

「内部分裂を図るか、重臣を裏切らせるかだね。無理そうなら、海底洞窟を密かに制圧した後で、乾季に北から。あの王様、豪胆だけど戦いに美学持ってるからね、ロルとは違ってね」

「つっかかるなー」

 口元に付いた果肉をぺろりと舐める。全く許されていないのを察知して、体の向きを変えた。

「シアは?」

「ああ、会えなかっ……わ、待て待て!」

 返事の途中で、胸倉を掴まれた。思わず、食べかけのドラゴンフルーツをテーブルに放り出し、口内にある残りを素早く咀嚼する。

「仕方ないだろ、本当にいなかったんだから!」

「星読みはデルコンダルに月と命の紋章があるって、言っていたはずだよね?」

「そこなんだけどさ」

 ロルは目を逸らす。籠に盛られたデザートの果実を、名残惜しそうに見つめながら苦い顔をした。

 

「……という話だってよ」

 リオ・ハーフ・ストロスが語ったことをそのまま述べる。もういいだろ? とドラゴンフルーツを食べ終え、密かに楽しみにしていた産地の名産、「勇敢メロン」に手を伸ばしたところで、同じテーブルに着いたカインがぽつりと言った。

「なんか、変じゃない?」

「何が? あ、皮、剥いてくれよ」

 果物ナイフの柄をカインへ向ける。自分はナイフの扱いは慣れていない。料理もできない。剣は使えるけど、こういう手作業はカインのほうが巧い。しかし、カインはパッとナイフを取り上げ、胡乱な瞳のまま卓上に戻した。

「月の紋章は、アイリンに繋がる大事な絆じゃないか。シアが手放すとは思えない」

「役目を終えたからじゃん? あるいは、命の紋章を持ってっちゃったから、後ろめたくてもう会えないとかさ」

「会えないて……僕らと縁を切ったってこと……?」

 カインの表情が変わる。

 あ。やばい。と、とっさに、失言であったことをロルは後悔する。

 横から流れてくる、より陰鬱な空気を感じ、そっと肩で自分を隠した。

 

(カインの機嫌が悪い時って、たいていシア絡みなんだよなぁ)

 昔はもっとクールな奴だったのに、とロルは渋面で言い直す。

「ま、急に仕事が入っただけかもしれないし。ほら、家出のようなもんじゃん? 思春期の女っていろいろあるんだろ? 生理とかつわりとか陣痛とか」

「……なんでロルがシアのそんなこと、知ってるのさ」

 

 ゆらり。

 腑抜けた幽霊のように、カインが目を合わせるが、その眼光は異常なほど鋭い。

「カイン、顔怖いぞ……誤解すんなよ? 俺にはアイリンがいるんだし」

 とうとう、ロルは立ち上がる。メロンを諦めざるを得ない、と判断するまで、二秒はかからなかった。

「二股かけてないよね? 君ら、仲良すぎるよね……たまーに思ってたけど、ほんと実の姉弟みたいにさぁ、酒場でも宿屋でも、これよみがしにいちゃいちゃと!」

「あーうん。そこは否定しない。シアは優しいし、胸でかいし顔は可愛い。あれが姉妹だったらいいなぁって思う」

「──ザラ……」

「待て。ちょい待て。ザラキと言いつつ、ベキラマ出してんじゃねーか。本気か。ロトの王子で同士討ちなんてシャレになんねーぞ、いいのか」

 言うまでもないが、自分に精神系の魔法は効かない。

 目下、カインがロルに放てる魔法で、一番強力なのがベギラマなのである。それでも、こんな至近距離で打たれたらたまらない。

「まぁ、落ち着けよ。ないから。俺とシアはないって。ほら、バナナ喰う?」

 なだめるつもりで言ったが、呆け顔でバナナを懐に入れたカインはどこか納得してなさそうだ。

「じゃあせめて、言質とっておきたいんだけど。ローレシアってさ、一夫一妻制だよね?」

「いや? そーでもないぜ。一夫多妻の前例はいくつかある」

 そういや、レオンは──と思い至ったあたりで、カインの声に引き戻された。

「ロルは、まさかアイリンを泣かせたりしないよね?」

 真摯に覗き込んでくるカインの瞳は鋭い。あまり見ることのない迫力に、ロルはぐっと息をつめた。

「アイリンは、いつも泣いてるよ」

「はぁ?」

 嘘つくわけにもいかないし、と、ありのままをカインに告げた。

「アイリンは、俺といるときは、たいていが泣き顔なんだよ。他では知らねーけど」

 カインの顔から剣呑さがすっと消えた。アイリンのことを考えたのだろうか──乗り出した身を元へ戻し、伺うように視線をよこす。

「……僕の前では、アイリンは理知的な姫だけどね。ロルは、アイリンと結婚するんだ?」

「だな。ムーンブルクはもう無くなってしまったし、神子姫でもないんなら、支障ないし。ハーゴン倒して、世界を平和にして、それからアイリンを幸せにする」

 まるで設計図でも組み立てるかのように、淡々と言ったあと、付け足しのように呟いた。

「大切な仲間だもんなー。だったら俺も大事にするさ」

「……まさかの受け身なの? 初耳だけど」

「そうでもないぜ? 俺、昔からアイリン好きだ。強いから」

「心が強いって意味……?」

「んや、戦闘が強いから。世界最強女子だから、俺は好き」

「はぁ……?」

 わからない。一方でロルだからと、妙に胸に落ちるものがあったのは確かだが、共感まではいかない。……理解しなくてもいい部分だけど。

 カインからは、気の抜けた声が届いた。

「──はやく、アイリンがそうなるといいね。今は、」

「今は、中身がレオンだしね」と、言うところで、カインの声は途切れた。背後からガチャリとドアが開き、当の本人が入ってきたからだった。

 

「何を騒いでいるのかと思えば」

 ノックの音にも気づかなかった。

 まず最初に入室してきたのはラヴェル王子であった。続いてフードを深く被ったレオンの姿も見える。

「ローレシアもサマルトリアも、のんきな国だな。……いや、誤解するな。誉めている。自由に恋愛ができる王族など、私の国では聞いたことがないからな」

 朱のサーコートを脱ぎながら、中央のテーブルに寄る。

 一方、レオンは顔を隠したままだ。暑くはないのだろうか。警戒心を露にしているせいで、空気がピリピリしている。

「どこいってたんだよ」

 ロルの質問を無視して、レオンは「そんなことより」と台詞を被せた。

「あのバカ犬はどこにいるんだ? どの国のどの町へ行っても気配が感じられん。まったく……逃げたのはお前らのせいだからな。飼うならちゃんとしつけとけ」

 不機嫌なのはいつものことだが、今回は言い回しも酷い。

 カインのこめかみがピクリと動き、空気のピリピリ感がさらに増す。

 最近のレオンは、輪をかけてイライラしているように見える。最初からこんなもんだったと思えば、そうかとも思えるが、少なくとも今までは、食事のときは嬉しそうに笑っていたのだ。特にロト国産素材の料理が美味かったりすると、とたんに機嫌がよくなったのに、今はそれすらもない。

「シアにだって、考えがあってのことだろ。やっきになって探さなくても」

「青猿。俺の言うことに口出すな、それから、緑。お前、犬侍女とどこまでいってんだ」

 

「ば!!!!」

 

 不意をつかれ、カインは思わず飛び退いた。

「なな、なんで! き、清い関係だよ! あまつゆの糸のようにさらさらだよ! 哀しくなるほど!」

「遅い。即やっとけ。保険だ」

「なにいってんのこの人!? バカなの!? ねぇ!」

「バカなのはお前らだ。……あいつの肉体がロトの血筋だとわかっていれば、逃がしはしなかったものを。──まぁいい、本題に入るから聞け」

 レオンはローブから一枚の葉を出して見せた。

「何だそれ?」

「世界樹の葉だ。今しがたペルポイの南からラヴェルに飛んでもらって、採ってきた。こいつはな、どんな病でも回復する。呪いによって弱った身体にも、そこそこ効くだろう」

「呪い? 呪いだったら命の紋章を持つリオに頼めば……あれは確か、『シャナク』っていう古の魔法が使えたんだよね」

 そこまで言って、カインは一旦区切る。

「……待てよ。僕の水の紋章と、リオの持つ命と月の紋章。ラヴェル王子の持つ星の紋章、ロルの持つ太陽の紋章……もう五つそろってるんだね?」

「そうだ。ストロスから紋章を受け取り、聖なる祠に持っていけ。そこで祈りを捧げれば、ルビスの加護が得られるだろう」

「加護って何さ? 急に力が強くなったりするのかよ」

 ロルが一歩前に身を乗り出す。加護と言われても、漠然としたものとしか捉えられない。

「そうじゃない」

「伝説の武器とか、すごい魔法がもらえるとか?」

「違う」

「じゃあさ、良いレオンと悪いレオンが二人出てきて、祠の精霊がどちらがあなたの仲間ですかって……」

「綺麗なレオン……」

 ロルとカインが顔を見合わせた。同時に何かイケナイ想像をした気がして、しかし無視するには興味がありすぎて、地味に笑いがこみ上げてくる。

 

「どんなかな。良いレオンって」

「そうだな……きっと、正義感に溢れてて、善良で、慈愛に満ちた王様じゃん?」

 瞬間、足元に竜の尻尾のようなものが滑り込んできた。とっさに勘は働いたものの、よけきれるところまではいかない。コンパスで半円を画くように、そつなく足払いが入り、勢いでロルとカインは背後へふっとばされる。

 ところが──。

 一旦、バランスは崩したものの、二人は体勢を立て直し、見事持ちこたえたのであった。得意げにロルは胸を張り、鼻息を荒くする。

「へへーん。レオン、弱くなったんじゃね? 今のは反撃ができるくらいには余裕があったぜ!」

 続いてカインが。

「うん、スピードがなかった。僕でも見切れるくらい」

「おまえら……」

 そこまで言い、レオンは傍にあった椅子に勢いよく身体を預ける。

「大公?」

 ラヴェルがうつむいたレオンの顔を覗き込もうとすると、手で空を払われる。僅かに頬にさした赤が、目に留まった。

「失礼」と断りをいれ、アイリンの白い額を触る。すると。

「熱い。寝かせたほうがいい」

 ラヴェルが無表情で二人に振り向いた。ロルもカインも、あり得ない話を聞いたという風情で口をあんぐりと開ける。やがて、嘘だろ? なんか試してる? と口々に言い放った。

 

「騒ぐな……原因はわかっている。おい緑、来い」

 緑、と言われることにはすっかり慣れたカインは、素直に傍に寄った。別に、自分自身は何と呼ばれても、さほど目くじらを立てるほどではないのだ。

「お前も船の上で、同じ症状になったことがあるだろう。いいか、これから先、何度かコレが起きる。いつ倒れてもいいように、備えろ。飯は食え。水分も塩分も摂取だ。体力も魔力も、溜めておけ、いいな」

 そんなことを矢継ぎ早に言われても。

「なんでレオンがそれを……?」

 知ってるのさ。

 身に覚えがありすぎる事柄に、カインも表情が強張る。

 そういえば、サマルトリアでランドールから聞いた──「ロトの子孫の病い」には、アイリンも当てはまるのではないか。たとえ中身がレオンでも、肉体はアイリンだ。呪いというものが、身体に直接響く類のようなものであれば。

「……だから、時間が無いといったんだ。お前らが遅すぎんだよ、アホ」

 目を瞑り、天井を仰ぐ。

 事情を知らないロルは、何がなんだかわからないと棒立ちのまま、戸惑っている。そんな中、ラヴェル王子が口を開いた。

「──大公、貴方が何を隠していらっしゃるかは、私にはわかりませんが」

 前置きをしたうえで、ロルとカインに目をやった。

「何か重要な真実があるのなら、話したほうが良いかと思います。二人とも、幼く見えてもロトの子孫。それぞれ背負うものがある、一国の王子なのですから」

 

 一時、レオンの瞳に逡巡が走った。やがてつぶった瞼がぴくぴくと揺れ、再び見開いた眼光に決断が見て取れた。

 彼の額を、頬を、汗がつぅと滑り落ちていく。

 何か悪いものにでも憑りつかれたかのような急激な様子の変化に、重苦しい空気が積もってゆく。

「いいだろう……今がどういう状況かは話してやる。しかし場所が悪い。まずは紋章を手に入れ、ここを抜け出してから、だ」

 ラヴェルが頷く。

「別部屋を用意してもらいましょう。連れの女性が倒れたといえばいい。ローラント、大公を運んでくれ」

 普段なら絶対させない──たおやかな身体を支えるように、ロルがアイリンの肉体を抱きかかえた。

 多少の抵抗は覚悟していたロルだったが、意外にも、レオンはと荒い息を吐き、何かを呻いた後、そのまま意識を手放したのだった。

 

 

   +

 

 

 とんとん、ぱたん。とん、ぱたん。

 

 涼やかな織機の音が大理石の床に響く。

 陽の光を反射した、白く透明な糸は聖水を凝縮したような清浄な輝きを纏っている。

 ローレシアに代々伝えられてきた、銀の織機とはまた違った様相だったが、金のきらびやかな唐草模様のそれも、音の良さは変わらない。

 ストロスの屋敷で、食事に呼ばれた際にたまたま横切った部屋は、そんな織機の音が鳴っていた。

 

「そういえば、ローレシアのローラ様は、機織物の名人だったな」

 傍にいたラヴェル王子がロルに話しかけた。

 広い廊下には、三人以外の人影はない。屋敷は黄昏を迎えて薄暗く、壁にはオレンジの光が斜めに横切っている。ところどころいい匂いが混じってるところをみると、夕食を作っている最中なのだろう。

「よく知ってるなぁ。昔のローレシアの王族のことなんて」

 と、ロルは返したが、ラヴェル王子が知ってるのは当然であったとすぐ思い直す。

 もともと、ローレシアの初代王妃であったローラは、ラダトームの出身の姫なのである。

「虹の雫から零れ落ちるあまつゆを糸にして、さまざまなものを織り上げたんだってね。『稀代の織姫』って言われたそうだよ」

 僕も知ってる、とカインが加わる。

「そういや、ローラ様の肖像画の下に、織機が置いてあったなぁ。そういう意味だったのか」

 と、言うのは当代のローレシア王子である。

 あーあ、とカインもラヴェルも苦笑した。

「それくらい覚えてなくてどうするんだローラント。あまつゆの糸は、当時は今よりも精製法が限られていて、貴重だったそうだぞ。ローラ様の織られたタペストリーや水の羽衣などは、皆、国宝ではないのか?」

「……羽衣なんか残ってないぜ?」

 ロルは、織機の音が遠ざかるのを感じつつ、返事をした。

「え? 僕が読んだ歴史書では、ローレシアの宝物だって」

「ラダトームには、王女時代に自ら織られたというタペストリーがあるが……?」

「ないよ。ローラ様の遺品は、残ってない。何でか知らないけど」

 レオンの前では話せないけどさ──と、ロルは真顔で答える。

「なんで? 記録は残ってないの?」

「ローレシアの歴史書はローレシア暦十二年までなんだよ。その次の年からは消えている。十六年目からはまた記録が残ってるらしいけど、側近が書いたものらしくて、間のことは事実が箇条書きに羅列してあるだけなんだ」

「なんて書いてあったの?」

 そこへ、前方から別の声が飛んだ。

 

「歓談中? 結構なことだが、料理さめるぜ。こっちこいよ」

 どうやらいつまでたっても食堂に現れない自分たちを心配して迎えに来たらしい。

 デルコンダルで出会った神官、リオ・ハーフ・ストロスである。

 気だるげな雰囲気で、言葉遣いもぞんざいなくせに、こういった気遣いはわりと細かい。腐っても神官というところか、とカインは思う。

 どうも、とロル達三人は会釈をする。にこやかな顔で、「続きは食事をしながらな」と促され、断る理由はなかった。

 

 とんとん、ぱたん。とん、ぱたん。

 とんとん、ぱたん。とん、ぱたん。

 

 機織り機は止む気配がない。

 初めは屋敷で雇われた女たちが一斉に織っているのと思ったが、去り際に部屋を覗くと、織っているのは初老の男だった。

 朝黒の肌に頑固そうな皺。小柄な体からは想像もできないようなダイナミックな動作で、機織りを続ける。

(なんか……妙に)

 ロルは頬をかいた。

 初めて見る光景のはずなのに、目が離せない。 これを、初代の王妃がやっていたのかと思うと、そんなに変なことではないはずなのに、不思議な思いがこみ上げてくるのだった。

 

   +

 

 ベラヌールの湖水が、黄昏色に映える夕刻。

 別室でレオンが眠る一方、ロル、カイン、ラヴェルの三人は揃って晩餐となった。

「今、ラダトームのマイラ村から料理人が来ててさ。ちょっと珍しい料理を作るんだ」

 そんな紹介をされ、まじまじと食卓に並んだ料理を見つめる。

 やがて、満面の笑みで呼ばれた小太りの料理長が、テーブルの傍で恭しく頭を下げ、挨拶を述べた。

「では、ご説明いたします。えー、お造りには、ローレシア近海で獲れたマグロと一寸カンパチ。烏賊素麺。蒸し物は、アサリのムース風茶わん蒸し。焼き物に、ゴールドサワラの若草焼き……」

 料理人は、意外に饒舌らしい。一品目に対する説明を長々と語り、お薦めの食べ方まで細かく披露する。これが終われば、ご馳走と我慢して聞き終えると、即座に続きが始まった。

 

「ああ、ここから、ここからが大事なのでございます……! そしてこちらの台物には、ベラヌール諸島の名産、アモール牛の陶板焼きテリぺソースと、珍味といわれる突撃ウナギ湯葉巻き上げ、アーンド、茄子挟み揚げ。マーマン切り身昆布押し、マンゴー酢。壮絶・海の男ワインと勇敢メロン。ペルポイより取り寄せたばかりの香り物は、五点盛りでして……」

 そのあたりからは、もうロルもカインも聞いていない。いただきますの号令で強引に食事を始めた。

 目の色を変えて食べる成長期の二人をよそに、少しばかり年上のラヴェルとリオは上品に会話を重ねてゆく。

 

「じゃあ、リオ殿は、勇者ロトの血も受け継いでいるのだな」

 ラヴェルがワインの香りを誉めつつ、食事も終盤に差し掛かったあたりである。

 ロルはというと、あまり会話には参加しない。

 食べるのに夢中というのもあるが、こういう世間話は、それほど得意ではない。意見を聞かれたら答え、あとは相槌を打つ程度である。

 なんだかんだ言っても、ラヴェルは社交性は高い。カインも年齢にそぐわない程度の人慣れをしている。とどのつまり、この場で一番無口になるのはロルであった。

「ああ。俺らの祖先は神鳥族だったとも言われてるんだ。異世界で、神の鳥ラーミアを復活させた神子がいて。そののち、一族の誰かが勇者についてアレフガルドに降り立ち──今の歴史を作ってきたって話だな」

「なるほど。ラダトームと重なる部分があって興味深い」

 にこやかに会話する二人を挟んで、ロルはお酒ではなくジュースを飲み干す。

 そんな話より、剣とか格闘技とか、旅の話とか料理の話とか、あるいは美味しいものの話とか食べ物の話とかもっと有意義なものがあるだろうに、と思う。

 そんなロルの様子をみてとってか、ラヴェルが「ところで」と、おもむろに切り出した。

「貴公の持つ紋章を貸してほしいのだが。むろん、世界の平和の為に使うと約束する」

「ほう? この命の紋章に関係があんのか」

「紋章を持ち、祠に祈りを捧げると、ルビスの加護が得られると……」

 ああ。とリオは懐に下げていた月の紋章を取り出す。

「だったら、こっちは姉妹国のローレシアの王子に返さないとな。けどよ、これって、誰でも使えるもんなのか?」

「いや、ロトの子孫で、ごく一部の者と伝えられている」

「なるほど、差し詰め血の濃い奴らなら使えるってとこだな……なら、残念だ。あんなことさえ起こらなけりゃ、この紋章を使える姫が健在であっただろーに」

「ムーンブルクのことか?」

 ロルが訊いた。

 アイリンなら、いる。ちゃんと生きている。

 しかし、レオンに「正体はばらすな」と釘を刺されているため、それをリオに告げることはしなかった。

「だな。紋章に縁深い者がいれば、この月の紋章も存分に効力を発揮できただろうに」

 三人は顔を見合わせ、目で会話をした。

「ところで、リオは、月の紋章をもってきたシアって娘に会ってるんだよな? その娘じゃ無理なのか? 紋章を使うのは」

「さぁ……わからないな。彼女がロトの濃い血を所持しているという証拠もないし。ここに連れてきてもらえればわかるかもしれないけど、行方不明じゃあ、どうしようもない」

 ロルは視線を落とした。

 主要な土地はカインがすでに探した。なのに見つからないとは、一体どこへ行ってしまったのか。

 紋章のことだけなら、解決はしている。自分が祠で紋章を揃えて持ち、祈れば、ルビスの加護は得られるのだろう。しかし。

(なんで、アイリンのこと言っちゃダメなんだ? レオンがいることは伏せても、アイリンが生きてるって事くらい、同じロトの子孫のリオに言っても……)

 ちらりとラヴェルを見る。

 ラヴェルは即座に首を振った。「言うな」ということだと、すぐにわかった。

「シアのことなら、また僕が探すよ。……可哀想に、一人でしなくちゃいけない事情があったんだ」

「ああ。けどよ、カイン王子。貴方はしばらく動かないほうがいいと思うがな。万が一の時に備えて」

「万が一って」

「知らねぇか?」

 カインはロルを見る。ロルも同じように思い当たったらしい。

 もしかして、レオンの言っていたアレだろうか。すぐに思い浮かんだが、なぜこの人が知っている? という疑問のほうが大きかった。

「なぁ、あんたデルコンダルで奇妙な言葉を言ってたよな。『血の集約』とか。あれってなんだ? カインと関係あるのか?」

 無言で眼を細めた。

 一瞬、奇妙な間があったような気がして、ロルは押し黙る。隣のラヴェルは眉を微かに上げ、静かにリオを見つめた。

「話してもいいけどよ……辛くなるかもしれないぜ?」

「いや、私も貴方の口から聞いておきたい。話してもらえるか、神官殿」

「じゃあ、人払いだ」と、リオは召使に指示を出し、代わりのお茶を自ら注いだ。

 

 




続きます


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14 血の集約

 とんとん、ぱたん。とん、ぱたん。

 とんとん、ぱたん。とん、ぱたん。

 とん、ぱたん。

 とん、とん、ぱたん。

 

 織機は紡ぐ。

 糸と糸をかさねからめて。

 

 縦糸を滑り込ませて、ぱたん、とん。

 

 横糸の高さを変えて、ぱたん、とん。

 

 あまつゆの糸は、まるで川のせせらぎのように。

 海の飛沫のように。

 糸と糸を手繰り寄せ、引き合わせ、結びついていく。

 

 唄に合わせて時を紡ぐとき、ローラの亜麻色の髪が楽しげに揺れた。

 

『金銀の粉をまぶした、蝶の羽

 紡ぎ出すは時の風

 妖精の羽にみたまをのせて

 語らい紡げよ、かの更紗……』

 

 

   +++

 

 

「勇者ロトの伝説は、知ってるよな?」

 

 リオの話はそこから始まった。

 静寂に包まれた屋敷の食堂に、ロル、カイン、ラヴェルの三人が耳を集中させる。

 勇者ロトの伝説、誰もが知っていて当然、とばかりに皆は頷いた。

 かつて。

 大魔王がアレフガルドに君臨し、世界を闇へと染めた時代があった。それを勇者と数人の仲間たちが討ち取ったという。

 その後、世界には光が戻り、人々は魔物のいない平和な時代を過ごした。

「光の勇者は、類まれな神獣の合わせ血と、妖精の加護を持っていた。その力をもって大魔王を消滅させたって伝えられてる。……だが、正確には、消滅してなかったんだよ。大魔王は、こうも言っていたってさ」

 

『──光があれば闇もまたある』

 

 と。

 

「聞いたことがあるな」

「ああ。予言ととらえる者も少なからずいたようだ」

「それで、勇者ロトは何か対策をしたのか?」

 もちろん、と頷きつつ、リオは続けた。

「魔王の最期の言葉を、勇者は軽く流さなかった。

 実際、調べたところでは、大魔王の衣からは闇の瘴気が生まれ出で、魔に侵された邪精霊が発生していたらしい。

 その邪精霊たちは、もともといたアレフガルドの精霊たちを喰って、狂わせ、静かに数を増やしていった」

「精霊の質が変わったのか」

「ああ。それでも──勇者の力や妖精の加護が強かった時代は、まだよかったんだ。だが、時と共に変化は訪れるものだ。勇者の血は徐々に薄くなり、やがて邪精霊たちの力が増した。世界における精霊の力関係が逆転し始めたんだ」

 ロルとカインは顔をしかめた。

「血の薄さ」──それは今の時代の自分たちが一番、身近に感じているものでもあったからだ。

「邪精霊は魔を生み出し続けた。何をもって魔とするかはそれぞれ定義が違うだろーが、今は『人の世にとって、良くないもの』、と解釈してもらえれば結構だ。

 やがて、邪精霊の神を、魔王の残した闇の力で呼び出そうと、『魔』そのものが明確な意志を持ち始めたんだ。……それが、悲劇の始まりさ。

 再び、破邪の力を持つ『勇者の力』が必要になった。

 しかし、勇者の血は薄い。ならば、と、魔に対抗するような流れが、自然界に起きるわけだ。

 それは神がやったことであるかどうかはわからないが、俺ら神官たちは皆、『神の意志』と認識している。

 ──俺たちの先祖は、それを『血の集約』と名をつけたらしい。

 薄かった血がひとつに集まる。つまりは……」

「ロトの濃い血を持った人間が、出てくるってこと?」

 ロルが身を乗り出した。

「わからなくもないね。巨大な魔が生まれれば、それに対抗する光の勇者も生まれる……そういうことでしょ?」

 カインも同様、リオを食い入るように見つめた。

「ま。それだけのことならば、よかったんだがな……」

「何か問題があるのか」

 ラヴェルの問いに、リオは目を伏せた。

「強い勇者……その一人を誕生させるために、同じ時代の他のロトの子孫は、次々と亡くなっていったんだよ。まるで、命を吸い取られるようにな……何日か高熱を出し、ある日突然、眠るように逝く。容赦も慈悲もあったもんじゃねぇ」

 息を吸うための余白があった。

「な……」

「酷いな……」

「なんで死ぬんだよ?」

 それから、一様に、納得いかないと三人は気色ばむ。

 リオも、その反応は想定内とばかりに、静かに息を吐き、テーブルの上で両手を組んだ。

「酷いと思うか? そうだよな。俺も、そう思う。けどよ。

 それは──俺らロトの子孫である人間たちの言い分だろ。神にしてみれば、世界を――他の民たちを救うために講じた救済策に過ぎないのかもしれない。事実、他の子孫たちの命が天に召され、力を集約させた勇者は強くなった。

 強くなくては話にならん。民が全て、死んでしまう。世界が滅んじまうからな。

 俺らはそれを『神の加護』と解釈し、納得し、受け入れることにしたんだ──しかし」

「しかし?」

「当時のロトの子孫たちで血が濃かった者たちは、何も知ることなく、突然、命を奪われたはずだ。前例も無い。神が自ら地上に降りてきて、啓示を授けてくれるわけでもない。

 ただ、ロトの力を一番強く保有しているものだけを一人残し、あとは……」

 口をつぐんだ。

「ちょっとまって。それはロトの力が薄まれば、必ず起こるものなの? それに血が極端に薄かったりする者まで命を取られちゃうわけ?」

 カインが待ったをかけた。

 時代の流れで血が薄い時期など、これまでいくらでもあったはずだ。

 そのたびに、ロトの子孫が殺されていたのではたまらない。また、薄い血を持つ者すら死んでいたのでは、人口に影響が出過ぎるだろう。

 その懸念を、リオはあっさりと否定する。

「いや。ロトの力を保有しない程度の、薄い血の人間には影響はないようだ。それから、血の集約が起こるのは、魔が生じ、世界的な危機が訪れたときのみ。実際、それがおこったのは、歴史上でもたった二回──。すなわち、『竜王』が邪精霊に取り付かれ、あわや巨大な魔が出現しようとしたときと……もうひとつは、『邪神の影』が現れたときだな」

 

 竜王。

 口の中で一度繰り返す。

「竜王ってアレか。ロトの時代に異世界から共にやってきたっていう……」

「詳しいな。さすがローレシアの王子殿下だ」

 誉められて悪い気はしないが、いい気分でもない。曖昧に頷いてロルは黙った。

「しかし、血の集約が起こった原因までは知らなかった。詳しく聞きたい。いつの時代に起こった?」

 ラヴェルが問う。眼前のリオは失礼、と傍にあった紅茶を、一気に飲みほした。

 そういえば、喉が渇いているな、とカインは思ったが、喉を潤す所作も煩わしいほど、話の続きが聞きたかった。

 

「『第一次・血の集約』は、ラダトームがまだ孤立していた時代さ。そのとき、ロトの子孫で生き残ったのは、たったの二人。どちらも血の濃い少年だったと言われていた。

 一人は皆がよく知っている、初代ローレシアの国王となった勇者ハルト。もうひとりは、同じロトの子孫で、遠縁でもあったレオンという少年だったと伝えられている。

「レオン……?」

「ハルトって」

 ロルはその名に覚えがありすぎるくらいだった。カインも同様、眉を寄せる。

 つまり、「レオン」とは。

「……その後、勇者ハルトは、『狂った竜』──邪精霊に影響された竜王を鎮め、つかの間の平和が訪れる。ラダトームは大地を復活させ、ローレシアもまた大陸として隔絶された世界から解放された。……しかし、彼がローレシア国王になって数年、またもや、『第二次・血の集約』が起きてしまうんだ」

 そこまで聞けば、三人の思考の中ではいろいろと繋がる。しかし、それは、「はい、そうですか」と胸に収めるには重すぎるものだった。

「一人の人間が二回も……血の集約を味わったのか? 自分以外の親族は、皆死ぬという……」

 さすがに言葉が出ない。

 彼にも、ロトの子孫として誕生した折には、生まれの家族がいただろう。周りには、親族も、友も。長く生きれば、当然、生みの家族もいただろうに。

 つまり、それら全員──。

「仕方の無いことだな。あの時代、『ハルト』が一番強く、最後まで生き残ったロトの子孫だった。妖精アレアの加護を受けた……ただ一人の光の勇者だったんだよ。

 魔が大きくなれば、光も大きくならざるを得ない……悲劇的な要素を含んではいたものの、力の均衡という面では、ロトの時代と似た現象が起きたってわけだ」

 

 食堂に、静寂が漂った。

 ロルも、カインも、ラヴェルも、皆一様に、過去の人間を想う。

 ぐるぐると頭を回り、たとえ歴史のつながりを整理したとしても、感情として割り切れるものでもない。

 やがてロルがぼそりと呟いた。

「……第二次の血の集約のときは、一体、何が敵だったんだ?」

 一次のときが、『狂った竜』であるならば。

「『邪神の影』だな。元々は邪精霊が人にとり憑いたことから始まった……邪精霊は力を増し、当時、隆盛を誇っていた大国、デルコンダルの地で、次々に民を魔に染めていった。

 もちろん、時の国王、ローレシアのハルトは他国と結託し、こちらに対抗をしようとした。が、そのときのラダトームもまだ、第一次・血の集約のときの傷が癒えていなかったし、ムーンブルク神聖王国は中立を宣言し沈黙。ベラヌールとルプガナも邪精霊の影響で、魔物が活性化し、国内での混乱が多々あった。

 戦いの最中、不幸にも、ローラ王妃は命を失ったと云われている。やがて、魔が巨大化し、どうにもならなくなったあたりで、再び血の集約は起こり……ローレシア王はすべての子を失った」

「ちょっとまって。じゃあ僕たちは、どういう血筋なの? てっきりローレシア初代から続いているものだと思ってたけど」

 カインが疑問を呈した。

「続いてるぜ。過去のローレシアの側近でもあった、俺たち一族の祖先がな、記録に残している」

「リオは側近の子孫だったのか」

「まぁ、途中でロトの血も混じったようだけどな。当時はうるさい側近だったようで、だいぶローレシア王には疎まれていたようだ。日記に愚痴が書きつらねてあるわなぁ」

 苦笑しつつ、先を続けた。

「側近はともかくよ、当時の古代研究員たちはそれなりに優秀だったようでな。王の精子を抽出し、複数の女の腹に入れたと聞いている。そして運よく最初にできた子が、次代のローレシア国王を継いだんだ。それが現代まで繋がっているんだとさ」

 

「嘘だろ……」

「マジか……」

「ローラ妃の血ではなかったのか」

 ラヴェルも、二人同様に愕然とした。

 ラダトームでは、今でも、語り継がれているのに。

 勇者ハルトとラダトームのローラ姫が、魔物を退治し、世界を平和にした……そんな物語が、まるで、おとぎ話のように伝えられているのに。

 裏が、こんなに哀しいものだと知れば、真実を知った幼き子供たちは何を思うだろう。

 しかしラヴェルのショックも、ロルに比べれば、たいしたことの無いといえる程度であった。

 ロルは顔面蒼白である。血という血が、全身から抜け出たように、白く、そして硬い。こんな彼を見るのは、カインであっても初めてのことだ。

「レオンが……」

 吐き捨てるように言い、じっと一点を見据えた。

 カインも同様に動かない。テーブルの上で両手を組み、震えるくらいに強く握りこむ。指は深く肌に食い込み、先が白くなっていた。

「それで、第二次・血の集約が起きた原因である敵──『邪神の影』はどうなったのだ……?」

 幾分、呼吸を整えながらラヴェルは訊いた。それでも、普段の彼からすれば、異様にトーンの低い声だった。

「ローレシア国王が封印したらしいぜ。が、時すでに時遅く、彼の最後の子の命までは助からなかったようだ。そして国王の、肉体の損傷も酷かった。二度と剣が持てない身体になり、その後、国内の内乱などがあったときは、過去の勇者の残した神器や残った魔力で制圧し、永く統治したと云われている……。最期は、人知れない場所で、ひっそり亡くなったとか。遺品は残っているが、骨は一切、なしだ」

 目を閉じつつ、リオは首を横に振る。

 

 レオン。

 レオンが今、この場にいなくてよかった。

 もしかしたら彼は、避けていたのかもしれない。ストロス一族が、この歴史を知っていることすら、彼にとっては辛いことなのかもしれない。

「で、ここからが重要だ。……今の時代になって、邪神の影が復活した。人型をとり、ハーゴンって名乗ってるらしいな。そいつが復活したということは……ロトの子孫の血の薄さから考えて、第三次・血の集約が起きても、なんらおかしくはないってことだ」

 

 あ!

 ロルは思わず椅子から立ち上がる。

 待てよ。

 もしそうなら、そうなってしまうのなら。

 

『妖精アレアが加護する勇者だけが──』

『おそらく、お前だ』

 

「俺が……? 俺だけが生き残るのか?」

 呆然と辺りを見渡した。ロルのそんな様子に、カインも気づいたらしい。

 張りつめた表情で、テーブルの一点を見つめる。

「カインも、アイリンも、シアも……皆、俺のために死ぬ……?」

 瞬間、ふ、と目の前が暗くなるような気がした。言ったことを後悔する。冗談ではない。

「そういうことだな。ローレシアの王子。いずれ、魔が強大になればおそらく……ロル王子だけが邪神に対抗できる力を持つため、神の意志が──」

「やめろ!」

 なにいってんだ?

 そんなの、許さない。あってはならない。

「なんとかできないのか……!」

 歯の奥を噛みしめるかのように、ラヴェル王子も眼前を睨む。

 リオは後頭部をガリガリとかいた。

「俺たちだって、ロトの子孫には生きててもらいたいんだよ。それにストロスにだって、ロトの血の入った女や子もいる。守るべき命を、守りたいのは一緒だ。……だから、一計を講じた」

「いい策があるのか?」

 素早くロルは反応を示した。

「ああ。この方法だと、犠牲になるのはたった一人でいい。ロトの血を引くその者に、邪神をわざと降臨させ、完全に同化しないうちに肉体も魂も消滅させる――そうすることで、他を救う。これは、俺ら一族が儀式をもとにやる予定なので、そっちの手を煩わせる必要もない」

「たった一人か……儀式は完璧にできるのか?」

 ラヴェルが訊くと、リオは大きく頷いた。

「相手は神だぞ。都合よく消滅までさせられるのか?」

「消滅が難しいなら、封印に切り替えるさ。その場合、完全に消滅させるための研究に、また長い時間が必要になるが、少なくとも、現代の脅威は回避できる」

「ならば、やったほうがいいな。最善の方法となればよいが」

「違う!」

 ダンッと強くテーブルを叩く音が鳴った。

 ロルがしっかりと焦点を定めた瞳で、ラヴェルとリオを交互に見る。

「それをやった時点で、勇者じゃない。俺は……邪神には勝てない!」

「ロル王子。邪神には勝たなくていいんだぜ? あとは俺らの仕事だ。あんたは王子として世界の平和を考えてくれればいい。あ、ちなみにな、俺はすでに試したよ。だが、降臨の器にはなれなかった。……あれは、どうも清らかな神子レベルの肉体じゃなきゃダメらしくてな」

 ラヴェルも口添えした。

「ローラント。気持ちはわかるが、仕方が無いだろう。君は仲間が自分のせいで命を奪われることを望んでいないだろう? 邪神に勝つことよりもまず、犠牲を最小にすることを考えたほうがいい」

「じゃあ、誰が犠牲になるって言うんだよ! おかしいだろ、可哀想だろ?」

 ハァ、と荒い息が鳴る。

 リオは表情を変えず、あくまで冷静に諭した。

「……誰が犠牲になるかは、知らなくていいことだろ、王子。知ってしまえば情が移る」

「けど!」

「わかってくれ。平和を望む心は一緒なんだ。俺は、なるべくロトの子孫を生かしたい。血の集約がなくても、決して今の世が安定しているわけじゃない。ムーンブルクは滅び、ローレシアに王子は一人。サマルトリアには嫡子ができなかった。確実に、ハーゴンは自らの呪いで、こっちを追い詰めているんだ。ロト王国存続のために、俺たちに協力してほしい。王子、頼む」

 ロルは顔を背けた。

「カイン、どう思う?」

 カインは紅茶を飲んだ。すっかり冷めている。おかげで底に残った砂糖の甘さを、じっくりと舌で味わうはめになった。唇に艶を残し、おもむろに呟いた。

「僕ら、若いからねー。だいぶ、綺麗ごとに聞こえるんじゃないの? ロルの言葉って」

「お前、まさか」

 片手を挙げ、しゃべろうとしたロルを遮る。

「僕だって、間違ってると思うよ。たとえランドールのような奴が邪神の降臨先だったとしても。それでも犠牲にすることは、違うってね。……けどね、リオの言うことも、ラヴェル王子の言うこともわからないでもないかな。この世界、命は平等ではないし、より多くの命を救うのが、王族の役目でもある」

「まわりくどいだろ……どっちなんだよ」

「どっちでもないんだよ。でも、一度も邪神に立ち向かわずに、最初からその方法を取るのは、おかしいと思うんだ。

 僕は、勇者の子孫だ。特に、誇りにしてはいなかったけれど、その役目があるのなら、勇者としての選択をしたい。……たとえ一度でも、他人を犠牲にすることを考えてしまったら、僕はこの道を歩ける気がしないんだよ。きっとどこかでまた試された時に、気持ちが負けてしまう。──もう、二度と勝てない」

「……カイン!」

 ロルが己の拳を握り締める。

 一方、ラヴェルは明らかに不快感を顔に出した。

「王が綺麗なままで死ねるものか。手を血に染め、泥にまみれて道を歩く覚悟があってこそ、民を導けるというものだろう。大体、初代ローレシア公はそうやって国を作ってきたのではないのか? どうなんだローラント」

 二人一斉にロルを見る。

 ロルは、握りしめた拳を解き、立ったまま胸を張った。

「俺は、ローレシアの初代国王じゃない」

「だから?」

「降臨させずに、邪神を倒す」

「それが無理なら?」

「世界が滅ぶ」

「それでいいのか」

「いくない。だから──させない」

 

 絶句した。

 皆が皆、困惑しながら会話を辿る。カインまでも。

 ──今の問答、意味があっただろうか。

 しかし、問答にそもそも正しい結論はあったのかどうか。

 

「命の紋章を貸してくれないか、リオ。ルビスの加護を得てくる」

 手を差し出すロルに、リオは否とは言わなかった。自身の懐から命の紋章を取り出し、ロルに渡す。

「ありがと」とロルは受け取ると、リオに笑顔を向けた。

「……こっちの仲間に精霊の祠までルーラができる奴がいる。案内させよう」

「ラヴェルも行くか? 星の紋章を借りたいんだけど」

 ロルがラヴェルのほうに視線をやると、彼はちらりとリオのほうを見つめてから答えた。

「いや、紋章は預けるが、私は遠慮しよう。ルビスの加護を得たら、こちらへ戻ってくるな?」

「うん、すぐに」

「リオ殿。少し話がしたいがよろしいか」

「わかった、じゃ、この後にな」

 立ち上がり、礼をした。

「カインはどうする?」

「行きたいところだけど、アイリンを看ていないとね。ロル、がんばって」

 

 夜も更けた。

 明日の朝、一番で、ロルは精霊の祠へと飛ぶ手筈であった。

 が、その晩のうちに、カインにまた例の症状が起きたのであった。

 アイリン同様、ベッドに伏したまま動けなくなったカインは、今までの状態より、さらにひどく体を蝕まれることになった。

 寝ながらでも容赦なく吐き気は襲い、胃からは苦い汁が出る。高熱はおさまることがなく、寒気は骨まで響き、瞼は開かず、呼吸は困難なまま。

 

 血の集約──。

 熱にうかされるカインの脳裏に、その言葉が幾度も浮かんだ。

 



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15 遥かなるローレシア

『ハルト。君を死なせやしない。邪精霊が倒せないなら──まだ時を要するのなら、僕の命を使おう』

 

 最果ての海で、仰向けに流されて。

 水の冷たさもわからなくなっていく最中、「俺」は何を想っただろう。

 皆、俺を残して逝った。──違う、俺だけが残されたのだ。

 

 ローラ。

 ヨハン。マリア。フィーロ。

 師匠。かつて仲間だった者たち。

 そして、レオン。

 

「──やめろ。レオン、そんなことはしなくていい。

 お前が本物の──お前こそが、選ばれた勇者のはずだ」

 

『違う、ハルト。妖精は君を選んだ。……そして、ローラ姫が惹かれた理由も、君の中にきっとあるんだ』

 

「──よせ。独りにするな、俺を置いて」

 

『ハルト。信じているよ。次に出会えたら、また友になろう』

 

 レオン、すまない。

 俺は、生きるべきだったのかはわからない。

 今となっては、生を受けるべきではなかったとも思えるんだ。

 俺の代わりに、お前がここに在るべきだった、とも。

 

 それは逃げだろうか。すべてを否定すれば、楽になるだろうという、甘えた考えだろうか。

 残して逝く辛さを、俺は知らない。知らなくても、たとえ傲慢であっても、叫びたかった。

 終わりたい、と。

 

   +++

 

 ローレシア暦十三年。

 勇者ハルトがこの地に降り立ち、国王レオンハルトと名を改めてからは、八年余。

 青く澄んだ海の向こうに、魔力砲弾を左右それぞれ二十を積んだ軍船が、ローレシア南の海域を取り囲んだ。

 朝は濃かった霧が晴れ、とうとう妖精の幻術が破られ始めたのだと、時の魔法使いは語る。

 まだ国力が不十分である新大陸の若い当主は、始めは話し合いによる協議の場を設けるつもりであった。だが。

 昨夜のうちに打ち込まれた魔砲弾は、およそ十九。

 執拗な戦闘意欲を感じつつ、ローレシア初代国王──かつてアレフガルドの勇者と謳われた若者──レオンハルトは、自ら開発した『魔法盾』の陣によって、魔砲弾をすべて防ぐに至った。

 

「レオンハルト様。デルコンダルの軍船が動きを止めました」

 思えば、海戦の幕開けは、一枚の光る石版だったように思う。岸辺に流れ着いた石版を、町の子供が何かの宝と勘違いして大人に見せた。やがてそれは研究者の下へ送られ、洞窟内の室で解析を行うようになった頃。

 石版の光が突如として増し、空の果てまで貫いた。

 やがてその光をめがけて、あらゆる攻撃魔法が降らされ、ローレシアにおける幻術は破られてゆく。

「貴方の作った魔法盾がなければ、全滅していたかもね」

 国王の師でもある魔法使いのエルフは言う。リリ鉱石とアストロン魔法を融合させた物質のかけらを手に浮かべ、太陽の光で透かし見た。

 かつて異世界から落ちてきたという古代四神塔、とりわけ、「ガルナの塔」で発見した異世界の材質は、ここアレフガルドにも多大な影響を与えている。──もっとも、古に失われた魔法を知っている者がいたことが、一番の理由ではあるのだが――過去数十年、マホカンタの効力を持った魔法融合物質を生み出したのは、ローレシア内部の研究機関の功績でもあった。

 

「えらく、攻撃士気が高いな。それほどこの地が魅力に映ってるのか」

「でしょうね。近年、豊かなあの国では人口増加が著しいもの」

「今更だろ? 食料が不足するのは前々からわかっていたことじゃないか」

 エルフの魔女は、人差し指をゆっくりと振る。

「国家所有の森林資源が少ないのも問題よ。数年前、あの国は杉の乱伐で土壌流出を起こしたでしょう? 結果、港に浚渫不能なまでに土砂が堆積した。だったら新たに、豊かな土地や資源を、と思うのも無理ないわね」

「更にわからんわ。戦争ってのは、勝算があるから始めるもんだろ。ローレシアに諜報が入り込んでないとは考えにくいが」

 巻きあがる海風を察知し、エルフは金の髪をさらさらとかきあげた。首をくすぐる冷たさが心地よい。

「あんたがいけないのよ。人同士の争いごとに、勇者の力を使わないから──他国は軍隊の規模と兵の数、そして国力で計算する。普通に考えたら、ローレシアは弱小国でしょう。過去のラダトームでの英雄物語も、こちらでは眉唾モノだしね」

 

 ローレシアの軍は、人員が他国に比べて極端に少ない。

 耕作をする民を歩兵にしないばかりか、騎馬隊、戦車隊もない。最低限の小集団はあるものの、国の生産性が落ちるような巨大な軍組織を、国王が作らなかったためだ。

 かわりに、魔法を使える者が多く、一小隊の中に魔法使いが二人、僧侶が二人、盗賊技能を持った兵士が一人含まれ、あとは戦士で構成されている。

 一小隊は七、八人のパーティで構成され、行動することが多い。

 戦況により、パーティは本隊になったり、遊撃隊、奇兵隊になったりする。まるで冒険者のパーティのような配置ではあるが、これでも立派に機能は成していた。

 

「人間相手に戦いたくはない。どうしたらいい」

 二十九歳のローレシア国王は、大いに葛藤する。これが魔物相手なら──闘うのみ。魔王が相手なら、邪なる精霊たちが襲ってくるのなら、対処法は心得ている。のに。

 だがそんなもの思いも、砲撃が始まる前までのことであった。

 今や敵国の軍船は、ぐるりとローレシアの沿岸部を囲んでいる。

 対する自国の軍は、小隊ごとに散らばり、待機の状態だ。

「気づいてないのか? いくら砲撃しても魔法盾で防がれてると──」

「敵の動きから察するに、無理ね。だって、そもそもが、分散した邪精霊がデルコンダルの人間と同化してしまっているんだから……一度絡みついた魂は、奇跡でも起きなければ離せない。それに奴らは、ロトの力を宿す神人器を欲している。ただ倒すだけよりも難しいわよ」

 レオンハルトは短く息を吐き、遠方を睨んだ。

「ローレシアの西沿岸に比べて東の入り江は手薄にしておいた。そこをついて、城に向かうと補佐官なら考えるだろう。まずはそいつと王弟将軍を分離させて、片翼をもぐ」

 デルコンダル側の将軍は、時の王弟殿下である。

 血気盛んで、女好き。そんな情報を諜報から得てすぐに、ローレシア国王は女の協力者をひっそりと派遣していた。予想通りに事が運び、正面から海戦を挑んできたということは、そこそこ騙せたというところか。思慮深い国王や優秀な補佐官ならまだしも、奴ならば動きを読むのがたやすい。

「それから?」

「補佐官をとらえてメダパニをかけ、次に眠らせた状態で船ごと送り返せ。あとの兵は捕虜な。次に、レムオルで姿を消した魔法使いと敵に化けた弓兵を乗せ、向こうの船に火をつけさせる。その後は、ルーラで戻るよう、通達を出せ」

「あんたはなにするの?」

「本隊の後方にいる、輸送船を燃やしてくる。食料が無くなれば、退散するだろう」

「それだけでいいの? また準備ができたら攻めてくるじゃないの」

 エルフの魔女の言い方には、多少の咎めがあった。

「なら、殺せと? なんの罪もない他国の民を」

「罪がなくないでしょ。せっかくあんたが封印したモノを、あいつらは自らの欲望で開いた──。王にも民にも、罪はあるじゃない」

「……そんなの。一度、間違えただけだろ。それで歴史が終わるなら、人なんて何度も絶滅してる」

 言い返す国王の頭上から、今度は別の声がかかった。

「ハルト、ダメ。全部を救おうとしたら、今度はローレシアの民が死ぬ」

 鈴を転がすような、歌を歌うような響き。

 頭に直接話しかけてくるような小さなさえずりは、普通の人には見ることのできない、妖精から発した声であった。

「アレアか」

 ぱたぱたと青銀の羽を揺らしてレオンハルトの傍を飛び回る。清浄な蒼の瞳を持つ妖精は、少し不安げに問いかけた。

「もう、壁の幻術はもたない。これからはローレシアだけでなく、サマルトリアまで、人が入り込んでしまう。また争いがはじまる……」

「そーね。惜しいわ。私の造る『エルフの隠れ門』では範囲が狭すぎるし……。あと数年あれば、影の影響も消せるほどになってたでしょうに。これからは、あちこちに問題が出るわね」

 言いつつ、エルフの魔女は国王の腰にある剣を見つめた。

 ロトの剣。

 精霊ルビスの加護を受けたという、神の力を宿す神人器。

 伝説の書にも多く記され、今でも人々の間では研究が続けられている、勇者ロト所縁の装備品であった。

「その、ロトゆかりの装備もいけないのよ。伝説の力が大きくなってるからね。持っているだけで価値があるって、後世の人間が勘違いする」

 微妙な表情で言うと、国王も同じような考えなのか、僅かに頷いた。

「ああ。伝説は、伝説でしかない。ロトの装備は、魔王相手には必要なものであっても、人の世には要るものだとは思えない」

 玉(ギヨク)のように凄烈に光るオリハルコンを見つめながら、レオンハルトは息をついた。

 一国を左右するような力を、たったひとつの武具が──それを身にまとう者一人が所持していていいものか。

 剣の力、ロトの残した力は、今後の世界の為に、弱くなる必要があるのだ。

「今回の、邪神の影の影響を抑えたら、ロトの力は封印しよう。どこか人が訪れない、大地の奥深くに眠らせる」

 剣を見つめる。鞘から抜いた刀身に、鏡のように映る自分の顔があった。幾多の戦いを潜り抜けてきた戦友、否、仇敵を見るかのように、レオンハルトは目を細めた。

 

   +++

 

 にらみ合いが続くこと、数刻。

 またもや魔砲弾が飛んできたと思いきや。次に飛んできたのは、気の毒になるほど小さな、顔と身体を弾に沈めた「人」だった。

 彼方にいた軍船は再び動き出し、海上で輪を画くように横切っていく。

 先頭の船から六、次の船は七、三隻目は十二と数はバラバラだったが、とにかく飛んできたのは魔法ではなく、人間だったのである。

 ここで初めて、ローレシア側に戦慄が走る。

 今思えば、それは奴隷や罪を許されていない囚人だったのかもしれない。

「人」を魔法盾ではじくことはできない。

 次々とローレシアに振ってくる彼らは、皆が皆、大地に届くあたりで自らの身体を爆発させた。

「フバーハ!」

 ここでマホカンタではなく、フバーハを唱えたのは、エルフの魔女の長年の経験からであった。若干、空気が歪み、直弾を免れたが、魔法の範囲に入らなかった者たちからは悲鳴が飛んだ。

 紅い雨が降る。

 紅い雨には、なぜか緑の液体のようなものも入り混じり、暗闇の中で光るそれを調べようと近づき触ると、それだけで兵は悶絶した。

「なんだこの影は……呪術か? こんな兵器があるのか!?」

 無残に斑点を浮かべた身体を横にして、息も絶え絶えになった近衛兵が、レオンに伝えた。隣で見つめていたエルフの魔法使いは、顔面蒼白で呼吸を止める。こくり、と大きく喉が鳴った。

「……ほらね、やっぱあんたが甘かったわ。人間の怖さを、特に集団になったときの恐ろしさを、知らないからよ。──私も、忘れていた」

 冷たく言い放つエルフも、その手足は震えている。

 震えが一番激しい指先は、既に赤黒く変色し、斑を成していた。

「何の菌だ……っ、人の臓器や糞尿ではないな……魔力の感知もない。この影はまるで」

 レオンの額をいくつもの汗が伝った。同時に、過去に親友を死においやった景色が、ぼんやりと頭に浮かぶ。

(……まさか、邪精霊の、)

 飛んできたものの正体を見極める。怒りのために拳の間から血がにじんだ。

 許せない──。

 そんなものを、向けるなんて。

 妻の名を冠したこの地に。この国に。

「くそ……っ! 俺の大地を穢しやがって……」

 地を焼くわけにはいかない。しかし、それも許されなくなった。この影響は、しばらく消えない。

 ギリ、と歯ぎしりを施し、レオンハルトは焔のような凄烈な瞳を向けた。

「皆! 被弾したものに触るな!」

「ハルト。早く、民をサマルトリアに避難させなさい。水や動植物にも影響が出るかもしれない。人間だけをきっちり殺すものだとは限らないから、すぐに隔離を考えたほうがいいわ。感染してしまった人間は……キアリーではダメよ。古代四神塔へ行って、闇神の力を借りればまだ、なんとかな……」

「師匠……!」

 眼の焦点が微妙にあわなくなった。口の端から滴る血液に気づいて、レオンハルトは倒れこむエルフの身体を抱きとめた。

 光の四散とともに、エルフの女の躰が変化する。若く美しかった姿は消え、背の小さな、シワシワの老婆へと変わる。輝くようなブロンドの髪は、よれた白髪になって、全身を覆った。

「……っ、魔法が解けちゃったか。大した威力ね。……なんて顔してんのよ。あんたは大丈夫よ、妖精アレアの加護がある。感染はしないわ」

 首を振った。そんなことは問題じゃない。

「ここはいい。今すぐ皆を連れて古代神塔へ向かおう。ラダトームに助けを乞う」

「バカね。誰がローレシア城を守るのよ。まだ、あんたの子たちと、ローラちゃんが……」

 背を振り返った。うっすらと霧の中に見えるローレシア城は、未だその全てを明らかにしているわけではない。

 軍船の足は決して遅くはないが、ラダトームにルーラの往復ができるくらいには、時間はある。

「城の幻術は破られていない。あんたは育ての親だ。放っておけない」

「でも、あれはもう、」

 アレアが城を指して不安そうに言うが、レオンハルトはそれに被せるようにして後方へ叫んだ。

「撤退するぞ! 負傷したものを抱えてここへ集え! 急ぎガルナに運ぶ──伝令、行け!」

「ハルト、敵はどうするの?」

 アレアがそっと、耳元で囁いた。こちらが何もしなくても、砲弾は飛んでくる。軍船の歩みを止めない敵国は、いずれローレシアの大地に到達するだろう。

「全て、追い払う」

 彼方を見据えた。

 

   +++

[newpage]

「待って……それを返して!」

 

 ローレシア城の回廊を一人の女が駆けていく。

 白くほっそりした体に、淡い桜の色を重ねたサテンのドレス。年齢よりも幼く見える彼女であったが、国王の妻として数年、すでに二男一女の母でもあった。きらきらと波打つ亜麻色の髪が、風になびいてふわりと舞う。

 十重二十重に張り巡らせた回廊のガラスは、アレキサンドライトのように豊かな色彩を放ち、装飾を引き立たせている。

 仮に、よく道を知らない者が訪れれば、迷宮へと入り込んでしまったような錯覚をうけるだろう。

 一方で、内側の部屋からは、回廊が透けて見える部分があり、通り過ぎる者を観察できるようになっている。だが、この日は、人の気配がまったくなかった。

 息を切らして走る。

 本当は、部屋にいなくてはいけないことは、わかっている。

 でも、代えがたいものがあるのでは、仕方がない。

 王妃ローラは、先月仕上がったばかりの水の羽衣を──正確には、それをくわえた小さな犬を追いかけて、ひたすら走っていた。

 

 かの品は、百年に一度、虹の雫から落ちる、あまつゆを織り込んだもの。

 織り上げた更紗はあらゆる厄災から身を守り、精霊の加護を受けるのだという。

 どんなに貴重な鉱石も、金の粒よりも、異世界の調味料よりも、きっとあれにはかなわない。

 ――だから、織ったのだ。愛する子たちのため、少しずつ。

 それから、最愛の夫に、心を込めた一着の外套を。

 あれを纏えば、たとえ灼熱の魔法でも、ドラゴンの炎でも怖くはない、はず。

 

「おっどろいたな。ほんとに来たよ。こんな方法で」

「タイミングよく隠し門が無くなったからなぁ。幸運ってのは続くもんだ」

「え?」

 聞き覚えのない声が届いて、ローラは振り返る。いつも話す城の人たちの言葉遣いとは、微妙に違っていた。

(あら? こんな抜け道があったかしら?)

 いつのまにか、城の敷地外へと出てしまっていたらしい。ハルトから聞いている、幻術が施されているという壁はなかっただろうか。一ヶ月前なら、確かにここにあったはずなのに。

 そう思ったのもつかの間、目の前から遠ざかる水の羽衣に、今一度待ったをかける。

「すみません、その子を捕まえてください」

 言われなくても、と。道の先にいた人間は犬を従え、水の羽衣を抜き取った。

 ああよかった。

 ほっとした面持ちでローラは近づく。羽衣を返してもらい、お礼を言ってすぐに城へと戻らないと。

 感謝の言葉を述べるべく、膝を折った瞬間に「それ」は飛んできた。

 ガン。頭を殴られた衝撃で、目の端から星が飛んだ。

 石のような、岩のようなものが、自分のこめかみのあたりにぶつかり、信じられないくらいの頭の揺れが自分を襲う。

 当然、そのあとには、自分を労わるような声が届くのだと思っていた。

『大丈夫ですか』

『お怪我はありませんか』

『すぐに治癒を』

 しかし、そんな台詞は一向に降ってこない。

 降ってこないばかりか、どういうことか、聞こえるのは笑い声だ。

 ジーンと気が遠くなって、血の気が引いていく。口の中も何かがじわじわと染み出して、変な味がする。

 ふらつく体を支えきれなくなって、とうとう、その場に座ってしまった。

 ぐらぐらした頭が、戻らないのだ。

(おかしいな……?)

 ぽたぽたと、赤い血が地面に落ちていく。こんなの、見たことはない。

 私はただ、羽衣を。

 

「おい、お前、話きいてんのかよ」

 話……? いつから……?

 痛む頭を押さえて、おそるおそる視線を上げると、知らない人が三人。旅装束の大柄な女性と、同じような格好をした小柄な男。それから、若いけれども眼光が鋭く、ひょろりと痩せた人。

「早く吐きな。勇者ロトの残した聖武具の在り処とやらを。あとは財宝の隠し場所だ」

 武具? 財宝? そんなもの、ない。聞いたこともない。

 もし、あったとしても。ハルトは国が大変な時に、後生大事にしまっておく人ではない。惜しげもなく、国のために使ってしまうだろう。

「言うことを聞かないと、城内の子どもたちにも、出てきてもらっちゃうことになるんだぜ?」

「早いとこ言えよ……って、なんかダメっぽいな。この女」

 瞬間、パシッと強い音が耳元で鳴った。

 頬を叩かれたらしい。衝撃に上半身を持っていかれる。

 ただでさえ、頭がぐらぐらしているのに、叩かれたらもう座位すら取れない。たまらず地面に倒れこむ──と思いきや、直前に髪をつかまれたらしく、首がガクンと持ち上がった。

 大柄の女が、顔を覗き込み、無理やり目を開けさせる。

 

「……綺麗な目してんね。あんた、苦労したこと無いでしょ。うちの父は、あんたの国が邪魔をしたせいで、魔薬が売れなくなったんだ。おかげで破産したんだけどね」

 大柄の女は、商人の娘らしかった。やがて、視界のはいる位置に、小さな瓶を掲げて見せる。

 そこへ、仲間らしき男から声がかかる。

「おい、殺すんじゃねーぞ。こいつは密かに国に持ち帰って、一生機織りさせるって命令なんだからよ」

「ちょっと顔にかけるだけさ。実験だよ、実験。うちの親父が開発したヤツでさ、魔菌弾ほどの威力はないから、せいぜい肌がおかしくなるくらいさ」

 そう言って、私に向き直った。

 危ない──逃げなきゃ。必死に身をよじる。痛いのを我慢して、抵抗する。しかし押さえつける女の力のほうが強くて、結局、自由になるのはほんの少し。

「チッ、動くんじゃないよ!」

 突然、目の前がカッと燃え上がった。ドラゴンのブレスを浴びたかのよう。一瞬で眼が見えなくなった。

 痛い……痛い!

 首も痛くて、顎もつかまれて。しゃべることもできない。

 ツン、と鼻に響く強烈な匂いがして、一気に気持ちが悪くなった。

「あーあ。どうするよ、これ。肌にかけるつもりだったのに、こいつが動いたせいで目にかかっちゃったよ」

「治療すりゃいいじゃねーか」

「いや、教会に出すと足がつく。こうなるともうダメだな。織り手は無理だろ」

「どーすんだよ、命令に逆らうのか?」

「最悪の場合、水の羽衣の回収だけでもいいって話だろ。それでいいじゃん、莫大な利益にはなるし」

「……じゃ、こいつ、どうする?」

 

 何か、相談する気配があった。

 もういい。放っておいて。

 城に帰る。帰れば……護衛のストロスさんが傷を治してくれる。そういえば、いつも傍にいてくれるのに、今日に限ってどこにいるのだろう。捜さなくては。

 手探りででも戻ろう、と思い、立ち上がったとき、腕を掴まれた。

「お妃様、いい処に連れてってやるよ」

 

 

 目が見えない。

 どこにいるのかわからない。

 そうだ。子どもたちは。

 守らなくちゃ。

 城に帰って、留守をしっかり守らなくちゃ。

 羽衣は、また織ればいい。

 ハルトなら、理由を話せば許してくれる。

 

 ……ここ、どこ? 

 どこに向かえば、子どもたちに会えるの?

 いくつかの階段を上った気がするのに。平べったい、硬い床を、だいぶ歩いた気がするのに。

 人の声が聞こえない。

 なぜ、私は耳をふさがれているのだろう。

 声もでない。いくら叫んでも、かすれたような息しか出ない。……どうして?

 

 だから。

 だから、わからなかったの。

 突然、地面がなくなったのが、わからなかった。

 

 消えたの。壁も。香りも。

 自分を支えるものが、何もかも。

 

 

 ハルト。

 

 

 ……怖い。

 

 

 

   +++

 

 

 

「王妃様は、ドラゴンの角の階上から落ちたようです」

 

 エプロンドレスのポケットには、あまつゆの糸。

 きらきらと陽の光を受けて輝くその糸が、道行く誰かの目に留まったらしい。

 身元がわかるまで、さほど時間を要しなかったのは、衣服に縫い付けられた国紋章のせいだ。

 白い衣に包まれ、ローレシアに戻ってきた妻は、驚くほど様変わりしていた。

 城では子供たちが待っているはずだった。

 急ぎ回廊を抜け、城の奥、中央の部屋へと入る。ところが、迎え出るはずの兵士の姿はなく、がらんとした城内からは、やがて子供のすすり泣く声が聞こえてきた。

(ヨハン、マリア)

 そうか、怖い思いをさせたのだから仕方ないか。

 戦える大人たちは前線にいってしまっていたし、わずかばかりいた侍女たちにも、伝令を通して避難させた。

 すぐに自分も戻り、まずは妻と子供たちを守りの厚いサマルトリアまで送ろうとして、それから……。

 

「ローラ……?」

 

 ドアを開けてから、間もない。

 彫像のように動かなくなった妻の姿があり、髪だけが風に揺れている。

 なぜ横たわっている……?

 傷跡は無い。身体に菌の斑点も無い。なのに、眠っているようだった。確かにここで、子供たちと待っている約束だった。

 絶対に、出ないと、約束したのに、なぜ。

「ローラ」

 子供が泣き叫びながら、自分の腕をぎゅっと掴んだ。

 やめろ。何の冗談だ。

 ヨハン、マリア。なぜ泣いている。フィーロ、なぜ横たわるローラの顔を、不思議そうに触っている?

「ロー……」

 頬に触れる。冷たい。

 氷の膜で覆われたような冷たさが、ひとつの答えを示した。

 

 突如、言い尽くせないほどの激しい痛みが体中を襲った。腕に肩に心臓に、棘のついた鞭で内臓を擦られるような感覚が自分を囲んだ。

 力という力が抜け、思考も意識も雲散していく。

 子供の声が遠く。

 ──はるか遠く、忘れかけた過去に、自分が感じ続けていた孤独が、ぶり返す。誰のものかわからない、悲鳴と泣き声が重なった。

 

『俺はどうして、戦ったんだ』

 

 違う。

 

『俺はなぜ、殺さなかったんだ』

 

 こうなる前に、敵を残らず、全て。

 城に近づいてくるもの、全て。

 そうすれば、守れた。守れたはずなんだ。

 

『どうして』

 

 どこか頭の隅のほうで、聞こえた。

 どうして、

 なぜ。

 

 

『──おやめください、我が王よ。あなたは勇者の血筋、聖なる国王でございましょう。どうかこのようなことは……』

「……アレアが見えなくなった。もう俺は勇者じゃない」

『妖精が?』

「何年かけてでも、妻の死に関わった奴らを引きずり出して殺してやる。誓ったからな。……ストロス、お前の任も解く。もうこの国には関わるな」

 

 そこから先は覚えていない。

 自分はどこへ行き。何をしたか。

 何を思ったか。

 

 手に、かつての勇者の剣を持ったのは、魔を倒すためではなかった。

 古の、紺碧の青い鎧をまとうことなど、二度とないと思っていた。

 過去、魔物に対して振るった力を──邪霊を竜を、封じた光の魔力を、ためらうことなく人に、使うことなど。

 いや、人ではなかったかもしれない。魔物でもない。この世に絶望という悪があれば、そう呼ばれるものだったのではないか。

 焼けるだけ焼いた。

 海を紅く染め、天を曇らせ、風を唸らせた。

 かつてミトラが持ち込んだ、正義とやらの力で、破壊するだけ、破壊した。

 敵だと思うものをすべて、すべて。

 対峙する他国も。歯向かう兵士たちも。一人残らず、ただ屠った。

 

 勇者の剣を持っていたが、その主は、もう勇者ではなかったのだろう。

 遠くで竜の咆哮が聞こえたような気がした。

 かつての敵か。地の底から自分を諌めているのか。

 

『──何をしている。勇者よ、敵を見誤ったか?』

 

 答えはなかった。

 意味も、義も、ない。それでかまわなかった。

 

 ──夜になり、星が瞬き始める時分だっただろうか。気を失って、大地に伏していたのは。

 黒い地に見えても、色は血の赤で埋め尽くされているのだろう。

 俺は口の端で笑った。

 ロトの剣は、鎧は、どこかへと置き忘れたのか、それとも自ら離れていったのか。

 決別でもしたかのように、消えていた。

 こんなに早く、崩れるものなのか。今まで積み上げてきたものが、一瞬で。

 

『……ハルト、風邪引くよ?』

 

 そんな声が聞こえてきた。

 このまま、野に落ち、終わりたかった。

 巨大な剣が、天から落ちて、自分を貫けばいいと思った。

   



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16 果てしなき旅

前回、間違えて16話目も入れてしまっていたようです;
失礼しました


   十六 果てしなき旅

 

 カインが熱を出したから、一人で精霊の祠に来たんだ。

 

 一人でなんて、ローレシアを旅立ったとき以来だよなぁ。

 途中でカインと会ってからは、ずっと誰かと一緒だったもんな。だからって、心細いとか思ったわけじゃないんだけど。

 

 それにしてもさ。

 すげーな、ここの祠。

 いくつ階段があるんだよ。周り一面海で。海の水で。圧倒されるくらいに視界が滝で囲まれてて。ただ水の音だけが、ごうごうと耳に響いている。

 まるでローレシアの荒い波だ。

 夏の嵐にくる、大海のうねりをすぐ傍で見ているみたいだ。

 で。

 ここの最下層で祈りをささげるんだってさ。

 五つの紋章を掲げて、「精霊ルビスよ、わが呼びかけに応えたまえ……」と、それから、何だっけ。

 カンペがあるからそれを読み上げればいいんだけど。

 とにかく、難しいことはないんだ。そのしきたり通りに、俺はやった。

 すると、空が光って。紋章も光って。

 どういうわけか、俺の持っていた例の石板まで光りはじめたんだ。

 さっきまで確かに床があったのに、俺は海に漂っている感覚に包まれる。

 引きこまれる──海の青に。

 

 そしたらさ。

 大きな渦の中にいる……って思ったらさ、石板の上に、小さな女の子がいたんだ。

 腕の半分くらいの大きさで。小さな羽をぱたぱた揺らせて。

 そして、鈴のような声で、言うんだ。

 

『また、会えたね。私のロト』

 

 ──って。

 蒼い瞳と、サークレットの青い宝玉がきらきらしていた。

 ロトじゃないよって言ったら、「うん、知ってる」って、返ってきた。

 

「君は誰?」

 訊いてみた。悪い奴じゃなさそうだけど、一応な。

 驚いたよ。本当に妖精なんだってさ。

 妖精アレア。

 なんでも、古代からいた妖精族の姫らしい。

 ただ、ここにいるアレアは、妖精の姫の一部で……分身のようなもので小さいんだって。

 古代から、魂を受け継いで、ロトの子孫を守り続けてるんだって。

 ありがたいけど、なんでだろう。

 

『ロル、ルビス様の守りを首にかけて』

 アレアが「ルビスの守り」とやらを差し出した。これ、もともとは五つの紋章だったものだから、首にかければ、紋章の力も使えるんだって。

 なるほどなー。確かに便利だ。とはいっても、俺は魔法適性が低いから、使えるのは太陽の紋章のやつだけみたい。

 じゃあ、カインもアイリンも心配だしってことで、そろそろ帰ろうとしたんだよ。

 そしたら、アレアが止めたんだ。

 

『ちょっと待って。あなたの心、曇ってる。話して』

 

 ……なんだそれ、って思うだろ?

 俺に曇った心なんてない。やることも決まっている、仲間もいる。

 いつも前向きだし腹はすくし、カインと違って思慮も浅い。アイリンのような繊細さもない。

 だから、大丈夫。って答えたんだ。でも。

 

『ううん、あなた、ちっとも素直じゃない。古の勇者たちも、ハルトも、私には心を見せてくれたよ。ロルは……すっごく深く深く、上手に隠してる』

「そんなことないって」

『ちゃんと見せて。でないと私、あなたを守れないの。……私やルビス様に言いたいことはない?』

「そりゃあ」

 

 ないこともない。

 レオンの話を聞いてから、どうしてだろうって思ってたことがあった。

 たったひとつ。

 くつがえせるものなら、そうしたいものが。

 

「……なんで、俺なの? 血の集約で生き残るのって」

 アレアは少し答えに迷ったようだった。うーん、と人差し指を口にあてて、頭をぐるぐると回す。

 ややあってから、息を軽く吸い込み、微笑んだ。

『一番、「希望」の力が強いから、かな? 皆が、いつのまにか失くしてしまって、人によっては必要がなくなって──それでも、強く強く惹かれるもの。勇気とか優しさとか、白くてあたたかい、綺麗なもの──を、ロルは持ってるからだよ』

「そんなの……」

 抽象的過ぎてよくわからない。けど、なんとなく伝わったから、俺は否定する。

「それは、違うよ」

『どうして? そう思うの?』

 間を置いた。

 この先を言うことは、少しの勇気がいる。

 でも今は、妖精のほかには誰もいない。

 アレアの、海の底のように深い青の瞳が、話してみなよ、と言っている気がしたんだ。

 

「皆、俺のことを海みたいっていうんだ。……あと、俺のこと好きって。アイリンも、カインも。身内も、城の人間も、街の人々まで」

 うん、と妖精は頷く。

「でも、それは俺が海のように、ただ何もしないからだ。ただ、いるだけだから。ほかの皆は、綺麗な魚で──俺からは、つかまえられない。受け入れることはできても、自分から何もしないから、好きでいてくれるんだと思うんだ。

 ……なんでかな。すぐそばにいるのに、掴めない。

 綺麗だなって思っても、俺は見るだけで触れない。

 そうしていつのまにか皆、手の届かないところまで行ってしまうんだ」

『ロル……それは、』

 ううん、と首を振った。

「俺は世界に愛されているっていうけれど、カインもアイリンも、俺を想ってくれる気持ちはあるんだろうけど、……なんかさ。すごく独りなんだ。

 ──思うよ。俺はこんなにたくさんの人に愛されて、じゃあ、誰を、何を、どれくらい、愛せばいいんだろう。それしかできないのなら、何でこの姿で生まれたんだろうって」

 

 天を見上げた。

 空は見えない。消えていく星も、朝焼けの朱も見えないことを知っていながら、それでも、天を仰いだ。

「アレアは過去を知ってるんだろ? じゃあさ、レオンも、その前の勇者も……その前の勇者も、こんな風に天を見上げたのかな。

 俺みたいに、上を見て、泣きたくなるようなこととか、あった?」

『ロル』

「それとも、未来へ向かって、ただただ邁進したかな。……勇者らしく。勇者だってこと、忘れないように」

『ロル……』

 

 ぽたぽた、と大粒の涙を流して、アレアは泣いていた。

 なんでだよ。

 なんでそっちが泣くんだよ。

 泣かすようなこと言ったっけ? ――とりあえず、ごめんな。やっぱ、勇者らしくないこと言ったから、がっかりしたんだろ?

 そう告げると。

 

『ううん、違うの。嬉しいの……』

 って、泣きながら笑うんだ。

「嬉しい? どうして?」

『ロルの中に、私の大好きな人が生きてるってわかったから。……ロル、やっぱりあなたは優しいよ。縛らない、自由にしてあげてるだけ。だから、ずっとさみしいの』

「それって、」

『──海はね。すべてのものを産み出してきたんだよ。私は知ってる。いつの時代も、どの過去も、勇者はみんな孤独だった。……マースは還ってこなかったし、ハルトは地上を愛しすぎた。でもロル、あなたは一番、孤独なのかもしれないね』

「誉めてないよな……それ?」

『誉めてるよ。孤独の力を、人はなかなか気づけない。誰かに優しくできる、癒してあげられる……その力の源を、あなたはとてもよく知ってるわ』

 

 いい子いい子。と。

 まるで子供を撫でるように、アレアは頭に掌を乗せた。

「ちぇ、やっぱ子ども扱いか。俺、きっと、勇者っぽくないんだろな。……レオンにも、王にふさわしくないって言われたし、正直、ヘコんだんだけどなぁ」

 ちょっと反抗すると、アレアは撫でる手をとめ、代わりに頬を包んだ。

『ハルトは、うん、言うかも。……でもロル、これだけは忘れないで。あなたは勇者じゃなくても、強い。ロトの子孫じゃなくても、きっとずっと、強いんだよ』

 

 よくわからなかった。

 妖精の姫は小さいのに、俺には見えないものまでわかるらしかった。

『この時代も、がんばろうね』

 アレアが言う。

 

 俺は、俺の時代を頑張るだけだ。

 大好きなこの世界を、人を、皆を、守るだけなんだ。

 



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17 アイリン覚醒

 牛頭神(ミノタウロス)の月から一角獣(ユニコーン)の月にかけての夜は短い。

 明け方、薄っすらと明るくなった朝焼けとともに、ロルはベラヌールに戻っていた。

 

 首には、ルビスの守り。

 そして、片手にはレオンから託された石板。

 荷物袋から取り出し、これを直で持つことには意味がある。精霊の祠で出会った、妖精アレアが石板を調べると言って、離れないからだ。

 さっそく仲間に報告しようと思ったが、二人の症状は未だ重いままだった。

 

「……だいぶ酷いな。カイン、おーい。眠れたかー?」

 

 ポンポン、と布団を叩く。酸欠の魚のような病人に対し、幾分、荒々しい呼びかけではあった。

 昨夜、リオの話のあと、レオンと同じように倒れたカインの症状は、数回目なこともあってか、以前よりも憔悴が激しいように見える。

 

 ロ、る……。

 と。力なく答えたかすれ声に、ロル本人は耳を傾け、返事をする。

「水飲めるか? アイリンにはさっき飲ませた」

 口から口で。

 中の人を考えると、ぞわりと鳥肌が立つような思いがするが、少なくとも姿がアイリンなのが救いだった。口移しで飲ませても、悪夢までは見ないで済む……と思いたい。問題はこの次だ。

 

「よし、カイン。目をつぶるんだ。飲ませてやるからな!」

 意を決して水を口に含み、顔を近づけたときだった。

 左頬に、拳がスローモーションで入る。

 意外に強い力で入る。

 弱々しい息づかいから想像を覆すような、一発が入る。

 圧力に負け、ロルは口に含んだ水を、噴水のように弧を画いて、ブーと吹き出した。

 

「元気かよ」

「……やったら、ころ、す……」

「お前が死にそうなんだろが! だから親切心でなぁ、こうして」

 カインは睨みつつ、僅かに首を振った。

 ここで水をもらわないのは、ただ単に、男としての意地である。

「なんか喰う? バナナあるけど」

「いら……ない。ロル、僕……」

 聞き取りにくくて、再度、耳を寄せる。声という声ではなく、息だけでしゃべっている状態だった。

「僕も……死ぬのかな。『血の集約』、で。ロル、そうなってしまったら、君は……」

 

 何言ってんだ、とばかりに上体を戻す。

「死なせやしない。ルビスの守りも取ってきた」

 だから、なんとか今回もがんばれよ──と伝える前に、カインは呟いた。

 僕が死んだら。

「君は……ひとりぼっちになるじゃないか。レオンのように。……そんな未来を君に残したくない。僕は、させない」

 

 カイン。

 ロルは名を呼んだ。小さな雷が起きたように、頬の奥がビリビリと震えた。

 隣には、同じようにアイリンが寝ている。蒼い顔色で、胸が苦しそうなのは変わらない。しかし、アイリンは、カインとは違って、呼びかけてもまったく起きる気配はない。脂汗を浮かせて息を荒くしているばかりだ。

「……そうだな。その前にハーゴンを倒しちまおう」

「うん」と、頷いた瞬間だった。アイリンの泣き声のような、悲鳴のような叫び声が部屋に響いたのは。

 

 様子がおかしい。

 瞳はぱちくりと大きく開かれ、目元からは大粒の涙が溢れ出している。

「アイリン?」

 ロルが傍へ近寄ると、アイリンの掌がロルを掴んだ。悪夢でも見たかのように上体が起き上がる。

 ばちりと、強く視線が絡み合い、ロルはつられるように目力を強めた。 

 

「……ロル! お願いロル、今すぐ私をムーンブルクに連れて行って……っ!」

 愕然とした。

 カインも耳にその声を留め、眼を動かした。アイリンはなおも続ける。

「夢の中で、レオンが教えてくれたの。あの子が……シアが、消えてしまうわ。私の身代わりになって。助けなくちゃ……でなければ、私は、誰一人として、ムーンブルクで守れなかったことになる……!」

「落ち着いて、アイリン。どういうこと?」

 不安を抑えるよう、ロルはアイリンの手をぎゅっと握った。

 アイリンは、一旦、空気を吸い込み、胸に手を抑えつつ語りはじめる。

「以前──。私の身に、邪神が降りるという夢見があったのよ。その晩、ムーンブルクが燃えた。私はそうさせまいとして、あの人の魂を呼んだの」

「ムーンブルクが落ちたときか」

 こくり、とアイリンは頷く。

「おかげで、私は邪神の傀儡にはならずに済んだ。……けど」

「まさか、シアが?」

 目を閉じた。

「なれるのよ……あの子にはきっと。私と同じ、ロトの血を持つシアには──。彼女に邪神を降ろして、同化させたのち、器であるシアを倒せば、邪神はいなくなる。そういう筋書きをストロスは描いたんだわ……!」

「うかつだった」と、ぎゅっと顔をしかめて話すアイリンに、ロルは言葉が見つからなかった。

 大丈夫、などど言えない。

 かといって、今すぐムーンブルクへ行こうにも、アイリンの体に負担がかかりすぎる。

 逡巡していると、けたたましくドアを叩く音が聞こえた。

 声が漏れたのだろうか、それにしても早すぎる時間だ。まさかメイドがくるとも思えないし、とドアにむけて返事をすると、ラヴェル王子が入ってきた。

「取り込み中、失礼する」

「聞いていたのか?」

「聞こえたんだ。アイリン王女、火急の件だ。この無礼は後に詫びよう。今の話──どこに非がある?」

「え?」

 ラヴェル王子の背後には、リオも控えていた。それから、兵士の姿もぞろぞろと見えている。

 不穏を感じて、ロルは眉を寄せた。

「なんだよ、これ?」

 問いには答えず、ラヴェルは淡々と続ける。

「もう一度、言う。国を想う王族なら、一人を犠牲にし、他の多くを救うことは正しいことだろう。そうは思いませんか、アイリン王女」

 ラヴェルの射抜くような視線に、アイリンも静かに瞳を受け止めた。

「そうね、貴方は王子だから、その判断は正しいわ……」

 ズキズキする頭を抑えながら、どうにか体の芯を支える。弱々しさは拭いきれないが、ラヴェル王子を前に、顔つきが従来の気高い姫のものへと変化した。

「でも、私はもう王女じゃないの。ただの、故郷のない、肉親もいない、ひとりの人間なの。自分が生きるために、大事な人を助けようとするのは、当たり前のことでしょう」

 対して、ラヴェルは短く息をつく。

「理解した。ならば、話を変えよう。悪いが、皆をムーンブルクにいかせるわけにはいかない。ストロス一族による降臨の儀式が終わるまで、ここにいてもらう」

 リオの目視の指示で、後ろに控えていた兵士たちがずらりと取り囲んだ。

 ロルはアイリンの背を支えながら、リオを見つめる。

 リオは、ラヴェルから話を聞いたのだろう。「どーも」と軽く片手を挙げ、アイリンを凝視した。

「リオ。シアにか? シアに邪神を降臨させて、そのあとどうするんだよ!」

「俺ら、ストロス一族の者が、斬るだろ。消滅すればそれでよし。無理ならその後、封印の儀を施し、邪神を彼女ごと閉じ込める。

 

 かつて──ローレシアのレオンという少年が、『第一次・血の集約』でやったようにな」

 アイリンがリオを睨む。

 一瞬、レオンのような眼差しに、ロルは目を奪われかけたが、「ロル、あれをとって」というアイリンの囁きも聞き逃しはしなかった。

「これが、俺らの考えた、平和への策だ……今は辛いだろうが、世界を守るために聞き分けろよ。王女様」

「嫌よ。私はシアを失いたくない」

 首を振る王女に、ラヴェル王子が台詞を重ねた。

「もう遅い。星読みの少女が──いや、ストロス一族の神子がすでに儀式に入っている。あちらには古のエルフの術で閉じた門があり、いかなる者も入れないようにしてある。それに、何よりも私が、終わるまでの間は、止めに行かせやしない」

「ロル」

 アイリンの示した指先の荷物から、ロルが素早く何かを取り出し、それを半分に引き裂いた。

「カイン、世界樹の葉だ、喰え!」

 

 跳躍でカインのベッドまで移動し、無理やり口に含ませる。同時にアイリンも、負けじと葉っぱを生で食べ始めた。

 世界樹の葉。

 それは、レオンがここへ来る前に取ってきたという万能薬である。全快は無理でも、多少は効き目はあるはずだと思い口に含む。すると、思いのほかすぅっと身体が軽くなった。

 ほどなくして、寝たままのカインも咀嚼を終える。

 瞳がぱっちりと開き、今までの体の重さが嘘のように消えていた。

「あ。いけるかも」

 ばっと起き上がったカインに、ラヴェルは警戒を露わにした。

「抵抗する気か? 私相手に」

 ロルもカインも、同時に頷く。

「決まってるだろ。ラヴェルでも……たとえ相手が、神だっつっても、戦うよ」

「ああ、それでムーンブルクに行く。シアを助ける。それでいいよな?」

 振り向くと、アイリンが静かに頷いた。

 

「……仕方がないな。もうこの際、正しさはどうでもいいだろう。シアという娘を助けたいのなら、私を倒してからだ。ローラント、カインフォード、二人一緒にこい。それでいいな?」

「冗談じゃない──。二対一でなんか戦えるか。ロル、僕がやる。シアが絡んでるんだ、譲らないよ」

 カインが立ち上がり、壁に立てかけてあった鉄の槍を取る。そこへロルが並び、「わかった」と答えた。

「待て待て、お前ら」

 リオが間に入る。止めるのかと思いきや。

「そういうことなら、俺も参戦しよう。それで二対二になる。正々堂々と未来をかけて勝負しようじゃないか。どうだ?」

 

 リオがゆったりとした仕草で、神官服を脱ぎ捨てる。神官にしては、筋肉のついた戦士の体をしていることから、そこそこの自信はあるのだろう。

「もちろん」とロルは頷く。しかし、カインは逆に黙した。

「よし、ついてこい。屋敷の裏に、更地がある。……と、アイリン王女はこちらで保護を兼ねて見張りを付けさせてもらうぞ。一時的に体を預かる」

「却下ぁ!」

 カインは叫んだ。すぐさま、アイリンのほうへ移動し、庇うように前に立った。

「アイリンはこっちに。大丈夫、勝負の手助けはさせないと約束する」

「……でも、派手に魔法使うんだぜ? 巻き込まれたら危ないだろ?」

「リオ。悪いけど、僕は『正々堂々』って言う奴を信用したことがないんだよ。貴方がここで戦闘に名乗り出るのは、戦力差を考えればおかしいことだ。──ってことは、別に目的がある。つまり……アイリンが城へ行ったら都合が悪いわけだ?」

「……ち。小娘よりは、世間ずれしてやがる」

 舌打ちし、リオは皮肉ったように笑った。

 

 

 

「ね。ロル、今から戦うんでしょ? あの人たちと」

「うん」と頷き、ふわふわと飛んでいるアレアを見た。すぐ前にはカインとアイリンが歩いている。そして自分らをはさんで、十歩ほどあとに見張りの兵士たちと続く。

 アレアは、カインの後頭部から囁くように話しかけた。

「こんにちは、カインフォード・ティオ。私の声が聞こえる?」

 振り返る。アイリンにしては、声が違う。

「……おかしいな、幻聴が聞こえる。いつ死ぬの僕」

 反応を見て、アレアがクスクスと笑いだした。

「まぁ、聞けよ。実はさ」

 

 ロルは間に入って、精霊の祠であったことを、簡単に説明した。

 半信半疑であるが、実際に声が聞こえ、会話も可能となると信じざるを得ない。

 アレア。

 腕半分程度の大きさの妖精は、ぱたぱたと羽を動かしながら、そう名乗る。

 

「ロルがね、加護を得たから、見えるようになったんだよ」

 台詞さえ、歌のような旋律だった。心地よい音楽のような羽のリズムは、凝視するカインの頭と、アイリンの傍をしばし行ったり来たりを繰り返した。

「この時代のロトっ子は皆、私の声が聞こえるのね……便利でよかった。ね?」

 同意を求められても。

 それに、ロトっ子ってなんだろう。自分たちのことだろうけど、言い方に違和感がありすぎる。

「まぁ、存在は信じるよ、アレア。会ったばかりでなんだけど、ちょっと頼みたいことがあるから耳貸して?」

 カインが声を潜めながら言った。耳を貸しても、大きさを考えれば傍に寄るのは頭である。言われたとおりにすると、カインが自分の背負い袋から何かを取り出した。

「これ、触れる? あとでまた袋の中に入れて、アイリンに渡しておくから」

 アレアが触れる。姿は見えずとも、感触はあったようだ。

「ええ。大丈夫よ。使えるわ」

「じゃ、戦闘が始まったらこれを使って。僕たちが撤退するまで」

「はい……?」

 その行為はわかるが、意図まではわからない。

「それから、ロル。僕にルビスの守りを貸して。考えがあるんだ」

 

 

「この辺でいいだろう」

 遥か前方にいたリオたちが立ち止まった。護衛の兵士たちを下がらせる。

 アイリンも距離をとり、カインが鉄の槍を片手に、一歩前に進んだところであった。

「やる前に、二つ質問をしておきたい」

 カインから、鋭い気迫が漏れる。空気が一気に緊張をはらんだ。

「デルコンダル王への呪いと、貴方たちのシアに対する仕打ちは繋がってるのか?」

 リオは戦闘用にひとつに束ねた豊かな髪を、横に振った。

「俺たちが暗示をかけたのは、ラゴスのみだな。あとは状況をそのまま利用した。こっちもこっちで、命の紋章がなくては、王にかけられたハーゴンの呪いは、どうしようもなかったんだ」

「では。ランドール・バスカを利用して、サマルトリア王家をのっとろうとしたのは、ストロスの画策か?」

 へぇ、とリオは意外そうに眼を開いた。

「あいつ、そんなことやってたのかよ。それは……そうだな。どっちとも言えない。俺らはバスカ家と取引をしただけだ。こっちは血の集約についての情報を与え、バスカからは現在のロトの子孫のリストを貰い受けた」

「なるほどね。よくわかったよ。僕が貴方がたを個人的には恨む理由は──シアのことだけだ」

 はー、とリオは息をついた。

「言っても無駄だろうがな。これから邪神の影響が、濃くなれば濃くなるほど、邪精霊も人間の心に巣食い、活発になっていく。いいのか。後悔しねーな?」

「しない」

「無論」

 ロルとカインが、同時に言い放った。

 それを皮切りに、戦闘が始まった。

 

 先に仕掛けたのは、年長組であるラヴェルとリオであった。

 ロルがするすると懐に入る。いざ剣を交わす、という間合いまできたとき、リオが手持ちの棍棒をロルめがけて投げつけてきた。当然ロルは避けるが、そこへ背後から妙な光が目に差し込む。

 ラヴェルが光の剣を掲げ、マヌーサを放っていたのだ。

 一方、口元は別の呪文を唱え、瞬く間に竜の姿になる。星の紋章を使わなくても、短時間なら竜になれるラヴェルの魔法である。これで、「防御に不安のある魔法使い」という弱点がなくなった。

 リオはリオで、棍棒を投げた後の詠唱が早い。立て続けに補助呪文、ピオリムとスクルトをかけ、すかさず本来の武器である剣を掲げた。

 ロルとリオ、鋼の剣と光の剣が交差する。

 

 その間、カインは待った。

 ラヴェルが次の魔法の詠唱に入っても、動こうとはせず、ただ待った。

(もうすぐだ、もうすぐ……)

 アイリンに託した、例のものから、微かに音が漏れ聴こえる。

 アレアは他の人間には見えない。だったら、見張りの兵士たちも、自分らの仕業とは思わないだろう。

 カインが先ほど取り出したもの。それは、『銀の竪琴』と呼ばれるものであった。

 サマルトリアでランドールから回収して以来、何となく持っていたが、今まで使う場所がなかったのだ。

 その竪琴は、ひとたび奏でれば、魔物を呼ぶという。

 そして、ここは野外である。

 街のはずれといってもいい場所で、これを奏でるとどうなるか──。

「あ、来たかな」

 やがて、地鳴りのような響きが、大地を揺らし始めた。

 魔物の群だった。

 この大陸を闊歩する魔物たち――すなわち、くさった死体やマドハンド、その他もろもろのはぐれ魔物たちが強烈な臭気をまとって、街をめがけてやってきたのである。

 ラヴェルの攻撃魔法、ベギラゴンが自分に降ってきたところで、カインは巧くタイミングを合わせた。

「水の紋章よ──レムオル!」

 ルビスの守りが光り、水滴が覆いかぶさるようにして、カインの姿が消えた。消える瞬間、天に向かってギラを単発、打つことも忘れない。それがロルに向けた合図であった。

 

 魔物は迫ってくる。

 姿はもう見えている。

 もちろん、戦闘中でも異変に気づかないほど、ラヴェル王子は愚鈍ではない。

「なんだ、こいつらは! 街を襲いに来たのか!?」

 リオが気付いてしまう前に、と、カインはロルのところまで走った。全力疾走だ。

 状況に気付いた二人が剣を引き、距離をとったところで、カインはロルを背後から掴み、再度レムオルを唱える。

「カイン、あれ、打ち合いしながらやってきたぞ!」

「シッ、しゃべらないで!」

 そのまま無言で、アイリンのところまで走る。

 ロルにしたように水の紋章の魔法を繰り返し、アイリンの姿が消えたところだった。気づかれないうちに素早くルーラを、と思ったところで、斜め上から巨大な炎の塊が降ってくる。

「さすが、気づくのが早いな!」

 カインが悔しそうに顔をしかめる傍ら、竜化したラヴェル王子が大きな咆哮とともに怒りを現した。

「カインフォード、貴様の仕業だな!? ……卑怯な!」

 竜は飛ぶ、いや、少なくともその翼で飛ぼうとしたのだった。魔物たちが街に到達する前に、この勝負の決着を付けなければ、と相手に今一度挑むつもりで、ラヴェルは大地を蹴ったのだった。

 ところが。

「あ」

 ちょうど、横から見ていたリオが一部始終を、視野に入れていた。

 竜が、ラヴェルが、見事にすっこけている。

 飛ぶ前の踏切でバランスを崩したらしい。憐れなほど、頭から摩擦がいった。

 

「よっしゃあ、バナナトラ──ップ!!」

 

 仕掛け人ロルが叫ぶ隣で、発案者のカインがガッツポーズをした。なんてことはない、ただのバナナの皮をいくつか巻き散らしただけのもので、トラップと言えるほどでもない。

 しかし、竜の巨体には些細なダメージとなり、刹那であれ、身体能力を奪う機会を得るだろう。

「じゃあ、悪いけど!」

 さわやかに笑って、カインはルーラを唱える。

 三人が光に包まれる。行き先は当然、ムーンブルクだ。

 

 

 

「……なぁ、ほんとにあれでよかったのか? 勝負」

 ロルが、やや呆けた顔で戦闘の跡を見守る。カインはしれっと答えた。

「ラヴェル王子とガチでやったら日が暮れるよ。戦わないで逃げるのが正解なんだ。魔物はあの二人がいるから大丈夫だろうし、いい具合に時間も稼げる」

 カインにしがみついたアイリンも、続けて言った。

「カイン、ありがとう……」

 

 アイリンにとっては、正当な手段だったらしい。荷袋の中からひょっこりアレアも飛び出して、「ロトっ子も変わったわねぇ」と、妙な感心を見せる。

「そりゃね、名誉より、シアのほうが大事だから」

「そうね。カイン、騎士道でシアの命は救えないもの。素晴らしいわ。ね? ロル」

「お、おう」

 

 三人を乗せた光は、ムーンブルクの城を前に、もう一度、瞬く。

 

 



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18 暁のムーンブルク

   

 

 ムーンブルク城は、朝方の霧に包まれていた。

 空はよどんだ濃灰色。草木も生えていないのに、湿気が多くて息苦しい。

 ルーラで降り立った三人は、灰褐色にけぶる城を見た瞬間、歩みを止めた。

 

「アイリン」

 

 中央に一歩踏み出たアイリンを、二人は気遣うように見守る。

 衝撃が大きすぎて、気絶するのではないか――たおやかな細い背中を見ると、そんな不安ばかりが募る。

「二人とも、気遣ってくれなくていいわ。ここで哀しみに浸っていたら、シアを助けられないもの」

 振り返り、笑顔を作った。

 痛々しい。

 しかし、ロルもカインも何も言わずに頷く。

 

 一番外側にあったはずの門は、すでに原型はない。

 ムーンブルクの城は、王の間まで四つの扉があったが、これでは壁すらもあるかどうか怪しい。目に入る瓦礫の山の向こうには、似たような風景ばかりが広がってるのだと思う。

 崩壊した壁を飛び越え、くぐり抜ける。と、そこで、妙な匂いが漂った。

「魔物か?」

「いや」とカインが首を振る。

 

 嫌な匂いではない。木々から漏れ出た白檀のような香りだ。

 旅の僧侶が焚きに来たのだろうか。どこか眠気を誘うような不思議な香りに、念のためカインは布を口元へ当てる。

 やがて奥へ入ると、一気に視界に朱が広がった。

 

「嘘だろ……」

 三人とも呆然と立ち尽くし、滑ってゆく炎の塊を凝視する。

 ムーンブルクが魔物の襲撃を受けたのは、二カ月以上も前の話だ。なのに、まだ炎が消えないなんて、ありえない話だった。少なくとも、自然の炎ではないことに恐怖と警戒心を抱きながら、歩きはじめる。

 炎が間近にせまったとき、不意にアイリンが振り返った。

 突如、チリチリと何かが焦げるような音がして、三人の前に網状に炎の軌跡が描かれた。

 速度はぬるい。しかし、赤黒い炎は、アイリンの姿を上空で捉えるとまっすぐに落ちてくる。寸でのところでロルが跳躍し、剣で炎を三つほど散らした。

「なんだ、これ」

 ロルが、剣を構えながら備える。

 この匂い。血肉が腐敗したようなそれは、魔物ではないのなら、何だというのだ。

「ロル、いいの。やめて」

「いいのって」

 やんわりと腕を掴まれ、剣の構えを解かれる。でもそれでは、アイリンが。

 

「……この炎はね、満たされない想いを抱えて、現世にとどまる命の火なの。ミトラ騎士団や城に仕えた人たちのものよ。他にもこの地には、人魂にもなれないでいる霊魂がたくさんきている……私はそれを受け入れる義務がある」

「――ないだろ。一片もない。国のことは、アイリンだけが悪いわけじゃない」

 言われて、アイリンは困り顔で微かに笑い、首を振った。

 そこへ次の赤黒い炎の塊がひゅうと現れ、アイリンと対峙する格好になった。火は、王女の顔を焼きそうなほどに近付き、蛇の舌の如くチロチロと紅炎を突き出している。

 三人を囲む風の摩擦音が、急激に強くなった。

 パリン、パリン。

 皿が連続で割れるような音だ。三人を中心に、見つけたと言わんばかりに取り囲む。

 

『――卑怯者め』

 

 摩擦音に紛れて、誰の声でもない、人の声とも思えない何かが、頭上に鳴り響く。

 ロルもカインもハッとする。が、ゆっくりと脇に差し出されたアイリンの片手によって、次なる動作を止めた。

 

『貴様……王女でありながら、逃げたのか。神子でありながら、王の亡骸も弔わず、力のない者たちを置き去りにしたのか』

 

 トーンの異なる声が続いた。

 これは、とロルがカインに目配せする。カインは黙って耳をそばだてた。

 

『なぜ、お前だけが生きている……。お前と、お前のお気に入りだけを助けて、俺たちは蚊帳の外か。俺たちの命に、順位を付けたのか』

 

『ハーゴン憎しは同じなれど、我らには見えるぞ。お前の浅ましき心――「ロトの王女」から解放されたお前の魂は、どこかで滅びを喜んだ……』

 

『嬉しかろう――神子姫でなければ、お前は自由だ。そのために、戦わなかった。最後の最後に、我らを裏切ったのだ』

 

『卑怯者め。未来永劫、ロトの血を呪うぞ――お前らに裏切られた我が命、我が一族、決して恨みを忘れまい……!』

 

「待てよ!」

 ロルが怒りを含んだ瞳で、アイリンの前に立ちはだかった。しかし、なおもまだ、アイリンはロルの腕を抑え、首を強く振る。どことなく、脱力したような気だるい表情だった。

「……顔を知ってる人たちばかりよ。皆、あのときは、『姫様、お逃げください』と言ってくれたのよ。だから、いいの」

「いいわけない! アイリンがこんな、」

「ううん。どちらも本当の気持ちなのよ。私に逃げて、と言ってくれた彼らも。今、ここにいる彼らも。……誰にだって闇を持ってる。相反する気持ちを抱えている。あの人たちは死に、私は生きた。こうして立っている私を前に――生への執着に抗える人なんかいないわ」

 ロルは、口をつぐんだ。

 握り拳を隠さずに、体を脇へどかし、アイリンと炎との間をいつでも守れる間隔で、わずかに開けた。

 アイリンはすぅと小さく息を吸う。

 そして漂ういくつかの炎に向かって、澄んだ声を発した。

「私は……卑怯だったわ。きちんと向き合わずに、感情の行き場を、呼んだレオンに頼ってしまった。……私が弱かったの。弱いからいけなかったの。……ごめんなさい」

 低く、頭を垂れた。

「危ない!」

 謝ったからなのか、あるいは余計に許せない想いが増したのか、これ幸いと炎たちが凶暴に膨れ上がり、アイリンの躰を貫かんとばかりに急転直下した。

 やられる。動かなければ――と判断する前に、今度はカインが炎にベギラマを発した。

 螺旋を画いて炎が舞う。

 勢いは魔法のほうが強かったが、立ちはだかるカインを敵とみなしたのか、炎はカインの頭上で激しく旋回を始める。

 ロルはアイリンを左に抱えて隠し、炎に右肩を向けた。

 

「――アイリン」

 アイリンは、懐で涙ぐんでいた。静かに雫を抱き、虚空を見つめた。

「ロル、カイン。このまま好きにさせて。私は、未熟だったの。神子としても、王女としても。――それに、私、喜んだわ。その方たちの言う通り、これで、ロルと結ばれるって、心のどこかで喜んだ……!」

 ロルは腕に力をこめた。前方上空を見据えたまま、叫んだ。

「アイリンは悪くない! あと、よってたかってイジメられんの、おかしい! 弱くて何が悪い? だったら、俺たちがいる。俺たちがアイリンを守る!」

 ずっと、いる。傍に。

 ロルが繰り返す。

 それを挑発と受け取ったのか、赤黒い炎の塊は分裂を繰り返し、数を増やした。速度はまずますうなりを上げ、空中で踊るように火の粉を巻き散らす。

 

 来るか。

 連戦を覚悟しながら、ロルは剣を掲げた。

 そこへ。

 空気の間、一筋の清浄な光が差し込むが如く、場にそぐわない音楽が流れ込む。

 ロルは、「あ」と短く言葉を区切り、旋回する炎を睨みつつ、素早く気配を探った。

 居場所を把握する頃には、すでにひとつの詩が流れ出し、メロディを奏でていた。ロル達のまわりを取り囲むように、曲が鳴り、炎たちの間をすり抜けていく。

「なんだ……?」

「綺麗な旋律だね……」

 呆けたようにカインが目をこする。

 アイリンも泣いていたことを忘れ、心地よい曲に戸惑った。

 

(幻聴か? いや、違う)

 

 カインは考えを打ち消した。

「精霊の詩……?」

 アイリンが呟く。ロルとカインが振り返る。

「せいれいのうた? アイリン、どういうこと?」

「私も詳しくは知らないのだけど」と、前置きをした後で。

「精霊の言葉で歌う詩歌のことよ。精霊と心を交わした者だけが使えるって聞いたことがあるわ……でも、少なくとも人間の歴史でそんなことは」

 なかったはず、とアイリンは指に唇を押し当てた。

「でもさ、炎たちが消えていくよ。ほら、赤黒いものから、光に変わる」

 カインの指差した先には、まさにその光景が映し出されていた。

 取り巻いていた炎は、次々に光に変わり、川筋に沿ったようにやがて天へと昇っていく。

 荘厳な聖歌集の挿絵の様な光景に、カインもアイリンも、ただ感嘆の息をもらすばかりだ。

 

 曲が止んだ。

 浄化された光は、淡い蒼に変わりしばしその場にとどまって、最後の浮世を楽しんでいるかのように見えた。

「ふぅ。よかった。役に立てて」

 ロルの傍で、一仕事終えたぞう、と言わんばかりの声が響いた。

「やっぱりアレアだったか」

 ロルが肩のあたりに視線をやると、小さな笛を持った妖精がいる。名前でようやく気付いたらしい。カインが目線だけ、あたりをつけた。

「そういうことか。ありがとう、アレア」

 姿は見えなくても、声は聞こえる。

「どういたしまして。妖精の笛が役に立ってよかったわ」

 

 妖精の笛。妖精族に伝わるこの笛は、かつて、人間たちの間では、大きな魔物を眠らせるために使用されていたという。

 だが妖精たち自らが奏でると、親しい精霊たちが応え、自ら配列をつくって下界に影響を与える。

 アレアが施した曲は、死者を鎮めるための旋律ではあったが、同時に二フラムの魔力も放っていた。

「アイリン。念のため、これを渡しておくよ」

 カインは、ルビスの守りをアイリンの首にかけた。

「さっきみたいに襲われるのは、もう、無しだよ。今は生きよう。生きてる限りは、幸せになっていいと、僕は思う」

「カイン……」

 アイリンは顔を笑顔と哀しみの真ん中でくしゃりとさせ、うんと頷いた。

 

   +

 

 足早に先へと進む。二つ目の扉を越え、三つ目あたりの壁を視界に入れた辺りだった。

「……綺麗ね、炎」

 

 ぽつりと。

 カインは、アイリンの言葉に、息を震わせる。

 綺麗、と言われても、元が何かを知っている分、素直に頷けるはずもない。素早くロルに目をやるが、ロルはさして動じた様子はなく、静かにアイリンを見つめるばかりだった。

「みて、あそこ。子どもたちの魂かしらね、はしゃいで飛んで……まるで溶け落ちる星々のよう」

「そうね」と、妖精アレアが代わりに応える。

「人々が最期に命の灯を見せてくれてるのね」、とも。

「うーん、僕は苦手だな」

 カインがわざわざ相槌をうったのは、怖さ隠しのためだったかもしれない。

 こういうのはちょっと。

 魔物相手ならなんとかなるけれど、人の魂とか幽霊とかの話は、あまり得意分野ではなかった。ひょっとして僕は、人より臆病なのかなと疑問に思いつつ、カインは二の腕を自らの両手でさすり始める。

 やっぱり、なんとなく寒い。

 

「――負の感情ばかりで塗り固まった魂は赤黒いの。でもあれは違うわ。暖かくて優しい光だもの」

「そうね」

 もう一度、アイリンの台詞を受けて同じことをアレアは返した。

「ねぇ、アイリン」

 改めて名を呼ぶのに、意味はあるのだろうか。素直に「はい」と返すと、アレアは懐かしい者を見るように、目を細めた。

「赦されないことを、抱えていけばいいわ。これからもずっと」

 目を閉じた。アレアの言わんとしていることを理解し、アイリンも頷く。

「そうね」

 すると、さっきの涙がぶり返したのか、アイリンの頬からは、またもや、ぽたりぽたりと透明な雫が零れ落ちはじめる。

(こんなアイリンを初めて見た……)

 傍から見ていたカインは思う。

 確かに、ロルの言う通り、アイリンはよく泣くのかもしれない。

 気心の知れた、近い友人だと思っていたけれど。知らないことは、きっとまだ、いっぱいあるのかもしれない。もしかしたら、これから数年、数十年、知る部分のほうが、今までのよりずっと多いのかも。

 そんなカインの視線の中。アイリンは、ふわりと羽ばたく、白い鳥のように諸手を掲げた。

 

 炎は、神子に応えるように環を成し、火の翼を創る。環は数を増し、曼荼羅のようになったあたりで、一層、紅く青く煌いた。

 アイリンはとうとう足を止め、その場で崩れ落ちるように、泣いた。

 

「ごめんなさい……、急がなくちゃ……シアが、待っている、のに……っ!」

 咽びは益々大きく、涙はとめどなく流れ、顔は熟れた林檎のように赤くなった。

 一歩を進めるごとに。

 城内を見て、人々の魂に会うたびに。

 アイリンの中で、現実が大きくなったのだろう、哀しみの色が濃く、深く、重なっていく。

 この地に降り立ったばかりのときの毅然とした姿は、すでに無い。彼女は今、思い出と思慕に引きずられて、哀しみの波にさらされている。ここで大事に慈しまれ、それなりに幸せな時間を過ごしてきた、小さな姫だった。

「アイリン」

 ロルが、アイリンの肩をそっと抱く。その様子を、一歩離れたところから、カインが見つめる。

「ん、なにこれ」

 その呟きは誰にも、――もしかしたらアレアには聞こえたのかもしれないが――気づかれなかっただろう。

 カインは、自分までも、目に雫が溜まっているのを知った。

 信じられない。

 これまで、もらい泣きなんてしたことがなかったのに。

 そもそも、自分はそこまで優しい人間ではなかったはずだ。……嘘だ。こんな脆い心など、持った覚えはない。

 それでも、泣きじゃくりながら前へ歩こうとするアイリンを見て、目頭が熱い自分がいる。

 さすがにロルに見られるのは嫌だな、と思い、ぐいっと目元をぬぐう。

 

 ――綺麗だな、炎。

 ロルの囁く声が聞こえた。

 アイリンがロルに支えられ、歩き出している。

 顔を伏せ、肩を抱かれているアイリンと、先導するように先を見据えるロル。

(ああ、なるほどね……)

 以前、アイリンが語っていたことを思い出した。

 あれはロルのことを言っていたのだろう。そのときはわからなかったけど。

 

『――私はね、大海に沈んだひとつの炎なの。今も、昔も、海に抱かれているおかげで、私は大気に砕かれない。こうして、散り散りにならずに済んでいるのよ……』

 

 穏やかに、はにかむように笑っていた。

 大海に抱かれる炎。人を愛しむアイリンの瞳は、今までになく、綺麗な艶を得た紅玉のようだった。

 

   +

 

「――ん?」

 突然、アイリンが駆けだした。

 迷いなく走ったその先に、ひとつの大きな炎が浮いている。何事かと目を凝らす中、アイリンは、これまで泣いていたのも忘れたように跪く。それから、炎へと呼び掛けた。

「お父様……お父様、力を貸して! あの子を救える方法を……っ」

 お父様。

 アイリンがそう呼ぶのはこの世で一人だけだ。

「国王、ファン・L・ユーリィカ・ムーンブルク?」

 思わず名を口にしたが、間違いないだろう。

 炎は何も語ってはいないようだった。その代わり、先に見える四つ目の扉の上で、まるでアイリンに示す目印のように、炎を燃え上がらせた。

 一方ロルは、背にあった荷が、やたら熱を持っていることに気付き、袋を開いた。

「……石板が、光っている」

「なんだって?」

 カインがロルの傍まで寄ると、ロトの墓で見つけた石板が、かなりの熱量で光を纏っているのがわかった。

「あ、それ」

 アレアが、何かに気付いたような、口ぶりで指をさす。

 ロルがそれが何かを訊こうとしたとき、頭上から稲光の様な炎が飛んできたのだった。

 

 

「ま、魔物?」

 察知したロルが、避けて臨戦態勢をとる。

 紫の体躯にワイン色の翼、猿のような出で立ちをしたその魔物は、挨拶代わりにとベギラマを放ったらしい。

 ギギ、と人には出せないような唸りに振り返ると、紫気を纏った魔物が頭上から見下ろしていた。

「香り……妖精、うまそう、する……」

 何を言いたいのかはわかった。

「オマエ……みたこと、ある。ムーンブルクの、」

 アイリンの顔にさっと赤みが差した。

「ええ、覚えてるわ。ハーゴンと一緒にいた、」

 バズズ。

 アイリンが名を呼ぶのと同時に、頭上のバズズは死の呪文を紡いだ――ザラキ。

 

「――う、うああああ……っ!」

 耳にとんでもない圧力がかかる。手で塞いでも、脳に直接響く死への誘いは、全身が押しつぶされそうな負荷だった。

 急激に肉体を腐らせていくかのような気持ち悪さ。腹の底にぽっかりと黒い穴が開いたような錯覚を受け、肉体が己の苦しみを和らげようと、無意識に穴へ身を投じる。だが、そうしてしまえば、本当の死が訪れる――。

 カインもアイリンも、持ち前の魔法抵抗力で抗ってはいるが、意識を保つだけで精いっぱいだ。そんな中、ロルの異質な声が響いた。

 

「バズズって、胸でけえな――! マンドリル超えたんじゃね?」

 そこじゃない。

 それどころじゃないんだと、怒りをまじえた反論がカインの中で湧き上がる。

 死が自分を引きずりこもうとしているときに、ぱふぱふとか……いや、死ぬ前にぱふぱふは悪くはない。これが走馬灯ってものか。一度もぱふりを経験したことなく、一生を終える哀しみが、これまでの自身のふがいなさへの憤りが、瞬時にこみあげる。

 

「ああアァぁあ、結婚もしないで、死んでたまるかぁ――っ!」

 もうモテなくてもいい。ロルみたいに、愛されなくても。まだ好きな子と結ばれてもいないのに、ここで死ねるか死んでたまるか。

 カインは呪文を振り払い、同時に態勢を持ち直す。すぐ背後にいたアイリンの肩を掴み揺さぶって、至近距離で声高に叫んだ。が、そこへ間髪入れず、バズズが突入し、爪を振りかぶる。

「――カインっ!」

 動きを追っていたロルが、バズズの爪を捉えた。一方を剣で止めたが、もう一方は間に合わず、身体を割り込ませた。

 結果、バズズの左手の爪がロルの背に食い込む。アイリンを抱きしめていたカインはすぐさまベホイミを唱え、アイリンは自分の杖を強く握った。

 

『……あまねく精霊たちの声を聞く』

『あまねく神がみの知を織る』

『我が声は地と成り、我が肉は空となる』

『四散しむるは自然の秩序に背きもの』

 

 ――イオナズン。

 ありとあらゆる大気中の精霊たちを収縮させ、激しくぶつかり合わせて放つ、最大級の攻撃呪文。

 ロルとカインの向こう側に向けて、正確に放った。

 バズズの体が、イオナズンの光に溶ける。まともに喰らえば、ダメージは免れないだろう。しかし、紫の魔物に与えた損傷は、少しの焦げ目だけだったようだ。

「効かない!?」

 まさか、そんな。あれだけの近い距離で魔法を喰らっておきながら――。

 驚愕のカインに、次なる呪文が襲う。眠りの魔法、ラリホーだった。

「寝るのね……? カイン貴方、そこで寝てしまうのね……っ!?」

 専用愛武器、別名ただの鉄の槍で反撃に出るかと思いきや。

 もろくも地面に崩れ落ちたカインに、アイリンはそこそこ辛らつな感想を放つ。

「カインは精神系の魔法、弱いんだよなー」

 ぽつりと残して、ひとまずの距離をとった。バズズを追うロルである。

「カイン……やだ……守ってあげたくなるような人ね……」

 同様に、アイリンも変な姿勢で眠ったカインをそのまま放置し、ロルを追った。

 

「なぁ、あいつの弱点って何?」

 ロルが呟いた相手は、後方にいる仲間たちへではない。精霊の祠、ルビスの守りを得たときから、傍にいる小さきものへに向けられたものだった。

 実際には、もっと以前から傍にいたのかもしれないが、ロルには見えていなかった。それが加護を得た途端、急に姿が見え、声が聞こえるようになった――かの妖精、アレアである。

「うん? 邪精霊に守られているから、呪文は効きにくいだろうけど……それでも光の呪文は別だよ」

「ライディンは使えないんだ。紋章の力がなければ無理なんだろ?」

 紋章の力を秘めた「ルビスの守り」は今、アイリンに渡してある。言い換えれば、紋章に封じた古の魔法は全てアイリンが使えることになっている。が、それでもバズズに通用するかどうか。

「うーん。ラリホーとルカナンくらいなら、効きそうな気がする」

 首をひねりながら、耳元で囁くとロルは首だけを背後へ向けた。

「アイリン! ラリホーとルカナン頼む!」

 瞬時にアイリンは詠唱に入る。渾身の魔力を込め、ラリホーを放つとバズズは明らかに動きが鈍くなり、足をふらつかせた。間髪入れず、ルカナンの詠唱に移行する。

 さすがアイリンだ。心の中で称賛しながら、ロルはバズズへと剣を振り上げた。しかし、相手もそれを察し、いち早く己の翼で飛翔する。飛べば、人間は追ってこれない。しばらく空中を遊泳し、魔法の効き目がなくなったら反撃をすればいいのだ。

「くっそぉ!」

 何か、バズズのところまで身を寄せる方法はないか、とロルが思考を巡らせたときだった。

「星の紋章よ――ドラゴラム!」

 ルビスの守りが光を放ち、アイリンの姿を丸く包み込む。大灯台で見たときと同じ、ラヴェルの姿が竜のそれへと変わったように、アイリンも、爪と翼を持ったドラゴンへと変化を遂げた。

 ――ロル。

 語りかけられたような気がして、アイリンの進行とともにジャンプする。背の角を掴み、飛び乗ると翼の一振りで、バズズのもとまで飛んだ。

 

「――っ、しゃあああぁ……っ!!」

 ロルの剣がバズズに迫った。一閃が煌き、バズズの咆哮とともに血しぶきも舞った。バズスは片翼を斬られくるくると旋回しながら地に落ちる。それでも残ったほうの翼で頭を上に戻し、なんとか着地する。だが、ロルの動きのほうが迅速であった。

 着地を受け止められたロルは地面すれすれで飛び降り、常人離れした跳躍でバズズに切りかかる。着地のダメージもなんのその、ありえない素早い動きに、見ていたアイリンも一瞬、意識を奪われた。

 バズズは爪でロルの剣を受けたが、直後にしびれが走り、慌てて後方へと退い

た。容赦のないロルは、剣の振りを止めず後退するバズズを追い詰める。疲れが見えるどころか、ますます剣は軽く、跳躍は幅を増し、キレが鋭くなってゆく。

「カイン、起きて!」

 この隙に、とアイリンは竜化を解いて、カインのもとへと寄った。激しく揺さぶる。申し訳ないと思いつつ、頬、肩、腹、ついでとばかりに尾てい骨も叩く。

 やはり、寝ている。

 気持ちよいくらいに、爽やかに寝ている。口元は柔らかく微笑み、目元は涼やかで、起こすのが悪いくらいにすぅすぅと、快適な眠りに落ちている。が。

「ごめんなさい」

 とうとうアイリンは、カインの鼻をつまみ、余った手のほうで口を塞いだ。ぎゅっと力を入れると、段々とカインの顔が赤みをさしていく。

 苦しそうだ。でもまだ耐えている。頬は林檎のように真っ赤になる。いよいよ、苦悩極まる表情に汗がうっすらと差し始めたかと思うと、ぷはっと豪快に息を吐き出し、上半身を起こした。

 どくどくと心音が鳴る。

 

「おはよう、カイン。戦闘中よ」

「あ、うん、おは……」

 その時だった。アイリンの背後から、膨大な光量が降り注ぐ。反射的にカインはアイリンを抱き込み、地面へと伏せた。

 それが敵の極大爆発呪文・イオナズンであるとわかるのは、魔法が放たれたあとのことであった。熱風と爆音に、カインとアイリンは身を丸くして凌ぐ。

 ところがその中、ロルだけは、爆風の流れを読み、剣を構えたまま、敵の範囲に突入していた。

 

 ――魔法を放ったバズズにしてみれば、すべてを吹き飛ばす勢いでやったはずなのであった。このあとは、瓦礫もずべてふっとび、荒野が広がるばかりだと確信し、ニヤリと嗤ったあとだった。しかし。

 その予想は大きく外れることになる。突如、胸に激しい痛みが生じた。

 どういうわけか、鋼の剣が自身に――バズズの胸に、深く突き刺さっている。

 ギギギ、と呻き声を出すバズズは、ここで己を見失った。

 ――痛い、痛い。ひたすらに胸が熱く、呪文を唱えるはずの口も動かない。爪は空を裂くばかり、憎い敵を見定める眼は、己の血で濁っている。

 対峙したロル、その傍にいるアレアが小さな声で「あぶない」と呟いた。

 バズズは声なき声で、ほとんど無意識の中の本能で、最後の一撃を加えようと、詠唱を始めていた。

「メ……」

 アレアがはっきりと叫び声をあげた。

「いけない! 逃げて!」

 自己犠牲呪文がくる――と、ロルに告げる。

 だが、そこで逃げるロルではない。そんな危険があるなら、今ここで、早急に首を落とすのみだ。

「ダメよ、ロル、逃げて!!」

 詠唱の不穏さは、はるか後方にいるカインやアイリンにも届いていた。二人とも、魔法の知識があるゆえに、バズズの唱えようとする魔法が何なのか。それによる精霊たちの、動きがどういうものであるかを正確に感じとる。

「アイリン、離れるんだ! なるべく遠くへ――!」

 アイリンはとっさに判断した。バズズに呪文は効きにくかった。それに、自分の腕力で倒せる相手ではない。ならば。

 

 再び、ルビルの守りが光る。

 すると、アイリンは一人の青年の姿へと変化した。

 カインは一瞬凝視したものの、状況が読めなかった。突如、目の前に現れた男は、カインの持っていた鉄の槍を奪い、瞬く間に俊敏な動きで駆けていく。

 今まさに、ロルがバズズに覆いかぶさろうとしていたところで、男の声が響いた。

 

「どけ! ロル!!」

 輝くような十字の振りが、バズズの首を飛ばす。風圧で頬を切ったロルは、それに気づくこともできない程、槍の軌跡に目を奪われた。バズズの断末魔を聞きつつ、無言で一点を見据え、燐然と佇む黒髪の男を見上げる。

 

「あんた……」

「……ハルト!」

 

 アレアが、目の前の男の名前を呼んだ。

 

 ハルト――三百三十年前の勇者が在りし日の姿のままで、そこに居たのだった。

 

 

 

 



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19 季をこえて





 

 

 バズズの肉体が、黒影となり、天に向かって蒸発していく。

 戦闘の土埃もまだおさまらない中、ロルも、カインも、微動だにせず、ひたすら目の前の光景を見つめた。

 

「あ……」

 

 何か言葉を発そうとしても、思いつかない。言えない。ラーの鏡で、初めてレオンと会ったときだって、ここまで呆けることはなかった。

 男は身体を斜に屈め、自身の手を見つめている。身につけた黒の皮の手袋は、男の愛用のものらしかった。あちこちに擦り切れているが、馴染んだようにシワから肌が覗いている。

 ようやく状況が掴めたのか、男はガシガシと激しく頭をかいた。それから両目を瞑り、

「あ――」

 と、半ば投げやりに吼える。

「モシャスか……やりやがったな、アイリン」

 今までの柔和な女顔とは違う。舌打ちの似合う、剛毅な青年の顔で振り向いた。

「まあ、いいか。こうでもしなけりゃメガンテ喰らってたしな。ロル、カイン、先を急ぐぞ」

 

 いや、待て。

 待てよおい。待ちやがれ。

 名前を普通に呼んだことも、大いにツッコミを入れたい箇所ではあったが、その前に、あるだろう。

 ひと言。状況。説明。なんでもいいから、あるだろう。

 ロルもカインも、微動だにしない。できやしない。

 

 漆黒の鎧とロトの紋。両肩の飾り留めからは蘇芳色のマント。兜はないが、細部に施された装飾は細やかで、意匠の逸品であることが伺える。

 年の頃は、二十代後半から三十代といったところか。身の丈はロルの身長の約二十%増し、肌は浅黒く色づき、成熟した上腕二頭筋が程良く盛り上がっている。

 何より目立つのが、耳に掛けられた飾りであった。自己主張の大きい、月の環を模したようなそれは、この男にとっては違和感があるほど、繊細で優美だ。

 

「レオン……かよ?」

「他に誰がいるんだ。――ああ、お前らとは、一応、初対面か」

 アイリンとはよく夢で会ってたんだが、と、レオンは大したことでもないかのように告げる。

「……ハルト、私の声が聞こえる?」

「アレア?」

「そうよ……よかった。あのね、」

「いやいやいや、ちょっと待ったあ!」

 

 カインが強引に会話に割って入る。アレアには悪いけれど、こっちのほうを優先してほしい。とてもついていけない。

「あ、アイリンはどうしちゃったの!? 戻ってきたんじゃなかったの!? これから大事なところなのに!」

 必死に詰め寄るカインに、レオンは自身の手袋をはめ直しながら、静かに答えた。

「モシャスと同時に意識を手放したみたいだな。状況を見て、こっちに託したってことだろう。大体、あいつが俺を呼んでからは、これが基本形だ」

「や、納得できないよ。アイリンが、どうして……」

 あの向こうには、シアがいるのに。

「言うな。この場所はアイリンにとっては鬼門だ。神子力も尽きかけている。限界が近いんだろうよ」

「確かに急いだほうがいいかも、カイン。あれ」

 背後にいたロルがカインの肩を叩く。指を出して示した方向には、上空に紫の雲。そして前方にはムーンブルク王の炎が扉の前に浮いている。

 空は赤々と色を成し、黒い光が雷のように空間を裂いている。裂かれ方は自然の体ではなく、十字架を逆さにしたような、不吉な形であった。

 なんだか、今にでも邪神が降臨しそうな勢いだ。ごくりとカインは喉を鳴らした。

「お前らには見えないだろうが、人魂になっていない未熟な霊も多い。現世に執着のある者なら、襲ってくることも考えられる。気を付けろよ」

 それは、知っている。つい先ほど、アイリンも言ってたことだ。

 ただし、攻略法までは教えられていないのだが……。

 そうこうしているうちに、細かな身支度が終わったらしい。指をならし、首を回し、レオンは前方にある扉を睨む。

「よし。あれが最後の扉だな。あの向こうにシアがいる。行くぞ」

「シアって……」

 

 違和感。

 カインは急ぐことには同意しても、レオンの言動には引っかかりしかない。

 まさかと思うけど、本当は中身がアイリンのまま、アイリンがレオンの振りをしているだけなんじゃあ。

(だったら、さっきのバズズへの攻撃が……説明できないか)

 まとまらず、頭を振る。

 

「邪神降臨の儀式が始まってるわ……これからおそらく、ここにいる霊が全部、邪霊になる。精霊たちも皆、我を見失ってしまう。あの雲のせいで」

 アレアの懸念通り、紫と緑に換えられた濃いベールが、徐々に高度を下げていく。

 

 渦巻く雲が巨大な塊となり、火の玉らしきものが吸い込まれていく。とりまく黒の光は、生ある侵入者を拒むような禍々しさを醸し出していた。

 まるで宙に浮く山だ。あの中央までいくのには、どうしたらいいのだろう。

「早くしろ。まずはここの扉を越える」

 おし、と気合を入れて扉を開けにかかるのはロルであった。

 他は瓦礫の山なのに、ここだけ何も被害がないことが、むしろ不思議だった。

 まるで新しく作り替えたような。それでいて、何年も時を費やしたような印象も受ける。周りを見れば、明らかに浮いた風景だが、これがもし平時であれば、鏡ほどにも気づかないだろう。それほど、かつてのムーンブルクに酷似している一面なのだ。

 

「あ、開かない……?」

 そんなバカな、とカインも扉の開放に加わる。やはり、開かなかった。

「これは……魔法か?」

 横で壁をトントンと叩く。レオンが扉を開ける魔法を放とうとしたのだろう、息を吸い込んだあたりでアレアが待って、と呟いた。

「アバカムじゃないよ、これ。古代エルフがよく使ってい隠れ門の術だよ。ほら昔、ハルトの師匠さんがよく作ってたじゃない。あれは、これの簡易版だよ」

「だがあれは、エルフのみが出来るはずじゃ――」

 手をパタパタと揺らして、アレアは遮った。

「うん。この扉のほうは、ストロス一族がそのままエルフの術を伝承したものだと思う。でも、人間か創るときは、伝承する際に制約を設けたはずだから、必ず別のところに契約の鍵が存在するんだよ。昔は「魔法の鍵」って言ってたけど……心当たりはない? 合言葉だったり、アイテムだったり、踊りだったり」

「まさか……」

 レオンは扉の一部をさぐる。すると赤土が一部分崩れ落ち、青銅の版のようなものが現れた。

「……あ、これかな? 見て、中央に手形みたいなのがある。鍵じゃないかしら」

「手形!?」

 ロルが慌てて、背負い袋から石板を出した。

 ロトの墓で見つけたそれは、石板にしてはおかしな特徴がある。

「勇者ロトの、手」

 手のくぼみに石板を合わせ、はめ込む。ぴたりと合致した。

「よし!」

「よーし!」

「何も起きないな」

「え、うそ。ここまできて!」

「他にもなんかあるんじゃないの?」

「ロトの銅像で殴るとか? あるいは、レオンで殴るとか?」

「違う。石板の裏に書いてある文字が怪しいだろ、どうみても」

「書いてある言葉って、なんだっけ」

 

 ロルはいったん屈み、石板の裏に書かれている文字を読んだ。

 しかし、ロルは文字が読めなかった。慌てて石版をレオンに差し出す。

「レオン、読んで! ほら、金やる!」

「金で人を動かそうとするな!」

 ばきりと鈍い音とともにロルは殴られた。この理不尽さをどうしたらいいのだろう。カインに視線をやると、即座に目を逸らす。――うん、面倒くさいんだな。

「……おとうさん、大好き」

 レオンが棒読みで伝えると、ロルは石板を再度、扉にはめ、すぅと息を吸い込んだ。

 

「おとうさん、だいすきぃぃ――っ! 父上ぇ――っ、父上の育てたバナナ美味いよ――っ! 俺、なんでも食べるよ、だいすきだよ――っ!」

 続いてカインも。

「父上――、別に好きでもなかったけど、これから好きになれるかもしれません――! あ、あと、チェリが寂しがってるよ――っ! もっと気にかけてあげて!! ついでに、おとーさん、だいすきいいっ」

 一拍。

「……何も起きないね?」

 アレアの反応が重くて痛い。

「うーん、じゃあさ、『おとうさん』じゃなくて、自分の好きな人の名前を叫ぶとか、どう?」

「いいかもね。よし、それでいこう」

 特に指標があったわけではないが。安直に考えて、鍵となるものが「好意を表すこと」であれば、間違ってはいないはずだ。二人は石板の裏に手を添え、それぞれ渾身の想いで叫ぶ。

 

「アイリ――ン、大好きだ――っ! 今度、海の幸食い倒れツアーに行こうな――っ! それからカインも、父さんも、国のみんなも、もちろん好きだ――っ!」

「シ――ア―――~~~~っ!! 前々々世から、大好きだよ――――――っ! 旅が終わったら、デートしようね~~~~っ!」

 

 ぜえはぁ。

 迫りくる天の暗雲も、魔の脅威も、一歩足を留めそうな勢いで二人は叫ぶ。声の限りに想いを込めて、羞恥も忘れ、ひたすらに叫んだ。……が。

「何も起きないね?」

 もはや、アレアの言葉が刃のように痛い。稲光に打たれても、ここまで痛くはない。なんだろう、妖精ってもっと優しい存在のような気がするけど、認識が違ってたかな。

「ほんと、どうしたらいいんだよ……」

「僕にもわからないよ、ロル……」

 ――うん、知っているさ。普通なら、こんな愛を叫んだところで、何も変わらない。

 だって、自分は世界の中心にはいない。勇者の子孫、たかがそんなステイタスで、奇跡なんて呼び寄せられられない。世界はもっと大きなもので回ってるってことも。

 わけもなく疲労を感じて、門の前でたまらずカインは片膝をついた。

 ロルも、「なんでだよ!」と言いながら、扉をガンガンと叩き始めた。頬は紅く、苛立ちと焦りが二人の表情に色濃くなってゆく。

 

「……ハルト、もういいよね?」

 灰色の光景の中、アレアは透きとおるような綺麗な声で呟いた。二人が振り返る。

「これはねぇ、言葉に真実がないといけないんだよ。だから、今のままで叫んでもダメなの」

 見れば、アレアからは細かくて青く光る粒子が沁み出している。振り返ってみれば、何か術を施している途中だったらしい。ロル達が叫んでいる間、続けていたのだろう。

 螺旋を画いたその青の光は、やがて輪を成し、三人を強く取り巻いていく。

「アレア……知ってるならなんで、」

「つい、叫ばせたくなって」

 ふわっと笑い、羽からこぼれる銀砂で空中に何かを画いた。妖精の術だろうか。魔法陣の様な円環は、辺りの風景を全て飲み込んでゆく。

 青にけぶる景色の中、レオンが僅かに頷いたように見えた。

 

 

   +++

 

 

『ハルト……ハルト、私の声が聞こえる?』

 

 海の底に沈む途中で、そんな声が聞こえた。

 

 ――幻聴か。

 もうとっくに、お前の声は聞こえなくなったはずだった。

 このまま、眠るつもりでいる。もう……起すな。

 

『聞いて。ヨハンも、マリアも、フィーロも……肉体は死んでも、魂がまだかろうじて漂っている』

 

 そうだ。だから、俺にはここで生きる意味はない。

 逝かせてくれ、共に。

 

『この子たちは勇者の血が濃い……これから、時を越えて、魂を未来に届けにいくわ。うまくいけば、誰かの肉体に宿って、その時代を生きられる。……あなたはもう、私の加護を得られなくなるけれど……』

 

 やめろ。

 そんな馬鹿げたことをして何になる。

 大体、その子たちはもう。

 

『ええ。二回目の死の集約で死ぬ運命だった……。けれど、この子たち、魂がずっと天へ還らないでいるのよ。きっと、貴方をひとり、残しては逝けなくて』

 

 じゃあ、どうしろと?

 

 眠らせてやれ、ともいえない。

 かといって、生き還れ、とも言い難かった。

 たとえこいつらに、次の未来が約束されていても、幸福であるかはわからない。

 もし、また、こんな運命が繰り返されるのなら。

 

『貴方が拒んでも、この子たちは生きたがっている。まっすぐに生へ向かう魂を、私は止めることはできないわ』

 

「……後のローレシアを見るのか?」

 

 口をついて出た言葉は、諦めでも、希望でもなかった。

 ふと。

 思った覚えのないことが、無意識に滑り出たのだった。

 

『うん。きっと……きっと、見ると思う。ハルトの次の次の……もっと先の世代に』

 

 ……バカ野郎。

 どこまで俺を働かせる気なんだ。

 そんなこと言われたら、ここで死ねない。神にいいように使われても、騙されたように働いても、先細りの運命に翻弄されても、それでも――何を恨んでも憎んでも、結局、死ねないじゃないか。

 

 こいつらが、あとの時代の、ローレシアを生きるのなら。

 

 俺は、どんな手段でも、生き続けて。

 最期の最期まで、あの大地を。

 

 

   +++

 

 

「――あ」

 

 一瞬、長い夢を見たのかと思った。

 確かに海の底にいたのに、今。

 螺旋状の青い光に包まれながらも、地面にあるのはムーンブルクの荒廃した大地だ。

 

 カインはロルを見た。

 ロルも、視線に気づき、カインを見た。

 海の中で、果てしない夢を見た、いや、通り抜けたといっていい。まるで自分の一部だった魂の欠片が、ぴたりと内に収まったような、不思議な感覚を受けた。

 

 ロルは隣を見上げた

 黒い鎧をまとった長身の男がいる。じっと視線を送ると、むこうもこちらに気付いたらしい。無言のまま、自分を見据える。

 にこりともしないし、ムッとしているわけでもない。ただ。

「……と」

 口に出すのを一瞬、躊躇した。でもそれがかえって、己の中での真実味を増幅させる。

「……父さん……?」

 答えはない。

 やはり、こちらを見据えたまま。

 黒い瞳の奥に、自分が映る。目の前の男よりも、小さく青く、ぽかんと見つめている自分が。

 こんなことは、きっと、初めてではなかった。

 

「……知っていたのかよ? 最初から。俺たちがあんたの……」

 ハルト、と呼ばれていた男が、ゆっくりと口を開いた。

 レオンではない。少なくとも、これまで一緒にいたレオンという男は、そこには、もういなかった。

「……ムーンペタで」

「うん」

「食べた飯は、美味かったな」

「うん」

「あれのために、俺は呼ばれた。……これ以上ない、時間だった」

 

 天を仰ぎ、目を閉じた。

 今のレオンは――声が違う。

 少しかすれたような、低い声。

 知っていたレオンよりもずっと、穏やかでゆっくりで。

 

 覚えがあった。

 自分にはない、深く黒い瞳が、その奥で、「大事だぞ」と言い聞かせるようにまっすぐに自分を見る。どうしても聞かなければいけないときは、ちょうどあんな瞳をするのだ。

 十三歳のとき、自分が死んでいくという予感があった、あの夜。

 何度も、何度も、自分の体を繰り返し、さする手を……硬い皮膚の掌を、忘れるわけがない。

 生きたかった。

 父さんが、呼んでいたから。

 妹と弟が、となりで、泣き叫んでいたから。

 でも、俺は――。

 

 カインが隣に並んだ。同じような顔で、同じように男を見上げ、視線を交わす。

「なんで、もっと、早く……」

 言ってくれなかったの、と口の形が動く。

「無意味だろう。お前らがわからないのなら」

 

 そこで、ひときわ大きく雷光がはじけた。視界の色を奪い去るほどに、峻烈な黒の光に、皆は一斉に紫雲の塊のほうへ目を向ける。

 空間が縦に割れた。地上への通路といわんばかりに、筋道を造ったそれは、斑に光る闇で満たされていた。

 邪神が、とうとう目的を見定めたのかもしれない。あれが落ちてくれば、シアは。あの娘は。

 

「ロル、石板の言葉を」

 求められ、素直に従った。

 ガシャリと扉が音を立てる。石板の光は消え、代わりに覆っていた膜が消えていく。門はその形を大気に溶かし、瓦礫の風景と一致させる。

 生命体に反応したのか、途端に結界の中にあった紫の臭気や黒光が、こちらを取り込もうと手を伸ばしてきた。

 レオンは二人の肩に手を置いた。

 はっとしてロルもカインも見上げると、レオンは一瞬、手に力を籠め、それから二人の頭をくしゃりと撫でた。

 

「――お前らは、失くすなよ。俺を、運命を、今までの勇者を、越えていけ」

 そのぬくもりがまだ残っているうちに、ルビスの守りが光り、竜の姿になる。

「レオン、待っ……」

 瞬く間に、高く高く飛翔し、すぅと紫の雲の中へと姿を消した。

 黒光りがレオンを襲っているのだろう。やがて尾ひれを付けた塊になって、雲の隙間を飛翔するのが見えた。

 ロルの心臓に、一筋の清浄な空気が突き抜ける。それはカインも同じことで、竜の尾を追う瞳に、新たな輝きが浮く。

 そうだ――おそらくもう、そのときなのだ。

 

 竜は影の奥へと入っていた。中央部分の、わずかに紫の影が開けたところで、レオンは自身の姿を人へと戻した。

 下降した先に、一人の少女が捕らわれている。

 禍々しい邪神の祭壇に括り付けられ、周りには二重の魔法陣が張り巡らされている。

 

 少し離れた小さな魔法陣には、不思議な文様を体に画いた少女が、祈りを唱え、さらに向こう側には、剣と槍、弓を構えた兵士が待機していた。

(――あれか……!)

 上空から中央の魔法陣の中へとつっこむと、激しい抵抗が襲った。

 電撃が全身へといきわたり、皮膚が裂けた。体中に砲ができ、瞬く間に破裂する。

 あらゆる音は遮断され、聴力はなくなり、空気を押し込まれたような圧迫を受ける。それもかまわずに、捕らわれた少女に触れようとすると、指先から色が変色し、蝋のように溶けるのだった。

 痛くはない。

 生きているという感覚も怪しいものだが、少なくとも、痛くはないと思った。

 痛みとは、本当の痛みとは、こんなものではないのだ。

 剣で心臓をえぐられようと、千の針を突き刺されようと、長く長く、沈殿し腐敗してゆく、虚無の時間よりは――。

 とっさに左耳につけた耳飾りを触る。金の円環の中心が反応し、主を守るようにくるくると回り、微量ながらも七色の光を放ち始める。

 意識が痛みの僅か上を行った。軽い紙切れになったような体をどうにか保ちながら、レオンは少女にむかって吼える。

 

「シア……マリア!!」

 血液がぼとぼとと、大量に吸い込まれてゆく。

 魔法陣の結界抵抗によって、身体は浮いたまま、シアのすぐ傍で、レオンはなおも叫んだ。

「戻ってこい……! ――お前が、一番手のかかる奴だった……昔から、何をするにも怖がって、すぐ泣いて……! いいから……辛いことを無理に我慢するなと、何度も言っただろうが……っ!」

 

 掴んだ。紫色の髪を。

 それから、むき出しになった肩を。

 身体に変な文様が画いてあるのが気に障る。――自身の流れ出る血で、必死に消した。

「バカが……お前にタトゥなんぞ十年早い……っ!」

 シアの目から雫が落ちた。

 氷の彫像のようだった顔に、一筋の赤みが差す。レオンが触る肩から、パキパキと音を立てて封印が瓦解していく。

 次に放出し辺りを包んだのは、黒い光でもなく、紫の影でもなく、眩しい、豊潤な七色の光だった。

 

   +

 

 ロルもカインも必死に走った。

 空を飛ぶ手段はない。あの禍々しい雲の塊まではおよそ数ミロの少ない距離であったが、魔物化した霊や、もともと住み着いていた魔物が多く、いなしていくだけでも時間がかかる。

 夢中でひたすら走り、雲のふもとに着いた辺りで、突然、ぱぁとそれらが霧消した。

「えっ!?」

 敵かと思ったのだ。とっさに剣を構え攻撃に備える。カインも黒の光の行方に集中した。

 先に剣を降ろしたのはロルである。

 良すぎる視力で「ンッ」と前方を見据えると、見慣れた人間がいるではないか。

「――シア! レオン!」

 はっとして、カインも全速力で走りだす。

 

 影の隙間からゆっくりと、一人の男がシアを抱きかかえて歩いてくる。

「シア、大丈夫!? 意識は、身体は!」

 カインがシアの顔を確認してから、となりを見上げて、ぎょっとする。治癒魔法を施したあと、すぐに手を伸ばした。

「レオン、シアをもらうよ」

 そっと移すように抱える。そうしなくては、レオンが倒れてしまいそうに見えたからだ。

 しっとりとした白い身体を抱えると、震えているような吐息が耳をかすめる。意識はしっかりしているらしい。瞳の光は、いつもの彼女だった。しかし。

 

「カイン様……」

 か細すぎる声に、思わず耳を寄せる。安心したのか、目の端からいくつもの涙の筋が流れていた。

「あ、会いたかっ……」

「僕もだよ!!」

 言い終わらないうちに、ぎゅっと抱きしめる。それから彼女は、安堵したようにすぐ傍でカインに囁いた。

「……助けて、もらったの、私」

 うん。と、カインも鼻をすすった。

「動けなくて……もう、ダメだって思って……でも、ハルト父様、強かった……」

「うん……だって、僕らの父さんだもの」

 鼻を啜る。

「カイン、回復! もっと!」

 切羽詰まったロルの声が飛んだ。治癒魔法はしたのに、と、今一度振り向いた。

「レオンが、おかしい。回復効いてねえ」

 立ったままである。よくよく見れば、汚れだと思っていた部分が、黒く変色したえぐれた肌だ。慌てて、回復呪文を重ねるが、途中でレオンに手で制された。

「もういい」と、仕草が答えたような気がして、カインは顔を強張らせる。

 

 逝こうとしている。

 魔法で元に戻るかと思いきや、頭の端から色素が薄く溶け、代わりに元のアイリンの髪色がのぞいていた。

 アイリンの帰還を望まないはずはない――けれど。

 身体が大気に溶け始めている。それに気付いたロルが、とっさに服をつかんだ。

「なんでだよ……まだ、わかったばかりじゃないか。いくなよ、早すぎんだろ……!」

「そうだよ、まだ、ハーゴンも邪神も倒していない。それに、もう足手まといにはならないよ。昔の記憶があるし、なんだか記憶と一緒に、別の強い力が加わった気がするんだ……!」

 レオンは目を閉じている。

 こちらの声は、もう届いていないのかもしれなかった。

 

 シアを送り届けたときに、役目は終わった。

 それゆえ、元の処へ還ろうとしているのだろう。それもわかっていた。

 今にも倒れそうになるレオンを――アイリンを、ロルはがしりと掴む。

 呼びかけても、答えはない。

 代わりに、レオンだったはずの姿から、金の環の耳飾りがカシャリと地に落ちた。

 淡い、タンポポの綿毛のような粒子たちが、ますます小さくなって、天へと昇っていく。

 

 

『――ハルトってば。まだ早いよ、目を開けて』

 

 ぽぅとぼやけた夢の様な空間で、アレアの声だけが鮮明に響いた。

 先ほどの青い粒子が再び舞いあがる。今度は包むことなく、高いところへと消え、やがて、辺り一面に、流星のように降り注ぐ。

 

「あ」

 ロルが空を指差した。そこに、肖像画で見たことのある女性の姿があったからだ。

「そうか……霊が集まってるから……」

「迎えに、来たんだね」

 青く戻りつつある空に溶けた、亜麻色の髪の女性がいる。

 レオンの体の魔法が解け、半分以上がアイリンとなったあたりだった。少し離れたロルの頭上から、微かに人の声が響いた。

 

「ローラ」、と。

 ロルは目を凝らす。昼間なのに、降りゆく流星が、ひたすら眩しい。

 最後に、二人が優しく抱き合うところで、とうとう僅かにも見えなくなり、遠い空だけが広がった。

 隣では、アレアが笑顔で手を振っている。

 カインも、シアも、二人を見たのだろう。今は、互いに微笑みながら彼方を眺めている。

 

「……なぁ、アレア。レオンはどんな顔してた?」

 気になって訊いてみると。

「泣いてた」

 クスッと、笑いが返ってきた。

 

「泣くんだ……」

「うわー見てみてえ」

「あ、姫様が……」

「おかえり、アイリン」

「おかえり」

 

「……ただいま」

 ロルがアイリンの手を、両手で包んだ。

 アイリンは、澄んだ涙の膜を細め、柔らかく微笑んだのだった。

 

 

 

                                            四つ葉の勇者・完

 



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