王子から婚約破棄されて王都追放された悪役令嬢がショックでしおらしくなってて可愛い (松風呂)
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第一話 さよなら王都


性格悪い女の子が好き。



 俺は今、故郷に向けた馬車に乗りながら、遠くなっていく王都を見ていた。

 

 隣にはヘドロみたいな性格の元令嬢のメアリーがいる。彼女は悔しさと悲しさが混じりあった表情をしながら俯いて肩を震わせていた。アイスブルーの瞳には涙も溜まっており、膝に乗せた拳を固く握りしめている。

 

 以前は黄金みたいに無駄にキラキラ輝いてた金髪も、最近は手入れがおざなりなのか、どうもくすんで見える。ハーフアップに結んだ長髪も後ろの赤いリボンが曲がっていて、服装も上下共に質素なのを着ているからか、一ヶ月前に比べると彼女からは覇気を感じない。

 

 いくら性格クソオブクソであっても女の子に隣で泣かれるとばつが悪いというか心苦しいというか、メアリーは見た目だけは良いので余計にそう思ってしまう。

 

 いやいや俺、騙されてはいけませんよ。いくら黙って泣いていれば超絶美少女だとしても、この女がしでかしてきたことを思い出せば、その泣き顔を見て溜飲がさがるってもんですよ。

 

 因果応報だとか、悪が栄えたためし無しとはよく言ったもので、先月、メアリーは自身の悪業が、おもっくそバレた。しかもそれがこの国の第二王子であり、許嫁であったチャールズ王子殿下にバレたのだ。

 

 それが原因で王子との婚約は破棄となり、メアリーの父であるルドルフ公爵閣下も大激怒で彼女を勘当、今まで不満が溜まっていた生徒達からは仕返しや罵詈雑言を浴びせられ、学院はもちろん退学、王都からも追放、などとこの一カ月で矢継ぎ早に天国から地獄へ急転直下したのがお隣のメアリー公爵令嬢()である。

 

 まぁ自業自得なのだけれど隣にいるメアリーの様子をみると哀れというか同情の気持ちも少しくらいは湧いてくる。

 

 正直こいつ関連で一番苦労したのは俺であり、一番嫌がらせを受けたのも俺である。ので、俺も復讐とか制裁とか考えなかったと言えば嘘になるが、水に落ちた犬を棒で叩くようなことはしたくなかった。こいつに忠誠心なんてものはこれっぽちも無いのだが、我関せずと放り出せなくなるほどには10年という歳月は長く重かった。

 

「よければ、使うか?」

 

 俺は心臓の鼓動が滅茶苦茶早くなるのを感じた。

 

 それはハンカチを差し出したことに対するキザな台詞に羞恥心が芽生えたとか、メアリーに対する恋心を自覚したとかそんなことは微塵も無く、恥ずかしながら俺は今まで畏怖と嫌悪の対象としてきたメアリーに敬語を使わずに話しかけるということに対して極度に緊張したのである。

 

 ちなみに手は震えている。

 

「……ありがと」

 

 下手したらキレられると思ってたのに普通に受け取りやがった。というか10年以上一緒にいたはずなのに、こいつから感謝の言葉なんて初めて聞いたぞ。

 

「なんか、久しぶりにあんたに話しかけられた気がするわ」

「……そうでしたっけ?」

「あんたが一カ月くらい前に私を裏切ってから、ほとんど会話してなかったでしょ」

「いや、あのときは……お嬢さ……いや、メアリーを裏切ったつもりは。言い訳はしませんけど」

「というかさっきから話し方違くない? あと呼び捨てだし」

「失礼しました。メアリーはこの度、公爵令嬢では無くなりましたので、敬語もなるべく止めて、お嬢様呼びも改めさせて頂きました」

 

 とはいえ急には敬語も中途半端に抜けきれない。10年間の使用人歴は染みついているようだ。

 

「……そうよね、私もう貴族じゃないのよね」

 

 あ、やばい、ちょっと意地悪な言い方した自覚はあったんだけど、そんな目に見えて気落ちされると俺が悪い奴みたいじゃないか。

 

 いやここだけ切り取ったらそうかもしれないけどさ、御者さんもあーあー泣かせた……みたいな目で見てくるし。俺は人一倍周りの目を気にしちゃう小市民なんだぞ。

 

「……ルドルフ様もお灸を据えるつもりで一時的にこのような処置をしたのではないでしょうか」

「気休めはやめて、お父様は一度決めた事は絶対に覆さないわ」

 

 だろうなぁ。あの人は実の娘だろうがなんだろうが、国の為にならないと思ったら平気で切り捨てる人だ。

 

 愛国心のメーターが振り切れてんだよなぁ……その少しでも家族の為に向けてればこんなことにはなってないように思うのだが、あくまで小市民の主観だけども。

 

 会話が止まり気まずい空気が流れている俺たち二人を、馬車は無情にも止まることなく運んでゆく。

 

 徐々に増えていく山や畑を眺めながら、こんな事になってしまった決定的な事件である先日の出来事を、俺は思い出していた。

 

 




当分は毎日更新予定、全部で24〜25話くらい


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第二話 因果応報やな

今北産業
悪行がバレた
公爵令嬢が
王子から婚約破棄


 一か月前。

 

「メアリー・フォン・サマリー公爵令嬢。この一年間で、その人となりをよく理解できた。悪いが貴殿との婚約は破棄させてもらう!」

 

「な、なんですってええええ!!」

 

 王都アメス学園は、ユグドラシル王国の中央に位置する国内最大の教育機関であり、大陸中の貴族子女が通っている我が学び舎である。貴族は貴族科として三年間通う義務があり、内容は知らんが色々学ぶらしい。ちなみに俺の様な、貴族に同行する使用人は、商業科に通うことになっている。

 

 本日は、入学式から二ヶ月が経過し、新入生歓迎の立食パーティが学園で行われていたが、生徒会長にして王国の第二王子であるチャールズ殿下の突然の告白に、喧騒としていた会場は、一人を除き静まり返った。

 

 そしてその一人とは、ヒステリー気味に叫んでいる我が主様、メアリー公爵令嬢である。

 

「で、殿下ったら人が悪いですわ。そのような冗談をこんな場で仰るなんて……」

 

「これは冗談では無い。確かに祝いの場では相応しくは無いことだったかもしれん。だが、敢えてこの場で言うことが必要であると判断した」

 

「な、どういうことですの!?」

 

 横目でチラと見たメアリーの顔はまさに怒り心頭であり、顔は真っ赤で青筋が浮かび、微妙に歯ぎしりもしている。おまけに怒りが収まらないのか、横に立っている俺の背中に左のジャブを数発打ってくる。ちなみに右手の扇で隠しているので周りの貴族から見えない位置取りで行われている。

 

「まずはこれを見て貰おう」

 

 そう言ってチャールズ殿下の取り巻きからメアリーに渡されたのは数十枚の紙の束であったが、内容を軽く見たメアリーの顔色は真っ青になった。

 

「これらはこの一年間、生徒会に届けられた嘆願書だ。いや、被害届と言い換えても良いな、なぜなら内容は全てメアリー公爵令嬢によって貶められた生徒たちの嘆きの声だからだ! 貴殿としては、自身の悪行が発覚しないように隠ぺい工作や恐喝をしていたつもりだろうが、お天道様は全て見ているのだ!」

 

 殿下の言い回しは芝居がかっていて、正義は我にありと言わんばかりの演説であったが、書かれている内容を見る限り思い当たる節しかなかったので、どう甘く見積もっても悪いのはメアリー及び従者の俺であることが分かった。ちなみに紙の束については、テメーが持ってろとばかりにメアリーに押しつけられた。

 

「ぐ、ぐぬぬ」

 

 メアリーはおよそ令嬢らしからぬ苦悶の嗚咽を漏らしていた。周りの貴族達の雰囲気も王子を応援している様に見えるし、まさしく針のむしろというやつだ。こんな悪感情をそこかしこから向けられて平静を保てる人間はそうはいないと思う。

 

 そんな中、彼女の選んだ行動はヒールのつま先で俺を小突くことであった。これはストレス発散のさっきの左ジャブとは違うと使用人歴10年以上の俺にはすぐに理解が出来た。

 

 おそらく突然の苦境に、どうこの場を上手く切り抜けるかを思案したが、解決策が何も浮かばなかったのだろう。これは助け舟をよこせ! フォローをしろ! あわよくば状況をひっくり返せ! という彼女なりの合図である。無茶を言うな、言ってはいないけど。

 

 今度は俺が思案する番であった。今回の件は自業自得であり、言い分も向こうが正しい様に思う。誰が好きこのんで性格クソオブクソな令嬢と婚約なんてしたいものか。しかもチャールズ殿下と言えば引く手数多な上、学園にはローズガーデンとか呼ばれている何人かの婚約者予備軍がいる。皆美人な上性格も家柄も良いときているので実に羨ましい、どなたかうちの令嬢と交換してほしいぐらいである。

 

 まぁそれは今は置いておこう、現実に俺はメアリーに仕えていて、サマリー家から金貰っている時点で選択肢なんて実質一つだ。すなわち主が困ってたら、相手が王子だろうがなんだろうが、従者は助けに行かなくてはならないのである。

 

「恐れながら申し上げます。チャールズ王子殿下、発言の許可を頂けないでしょうか」

「ふむ貴殿の名は?」

「商業科2年のアルベルト・クロワッサンと申します。こちらにおわすサマリー公爵令嬢の使用人でございます」

「この学園にいる者はみな平等に只の一生徒だ。私自身、只の生徒会長としてこの場に立っているつもりだ。そのような堅苦しい物言いは不要だ。そちら側にも言い分があるのは理解している。なんでも言ってくれ」

 

 そう言ってくれるとは思っていた。チャールズ殿下が貴賎無しで他者と接するおおらかな人柄なのは有名な話である。

 

「ありがとうございます。こちらの言い分は二つあります。まず一つ目にこの嘆願書ですが、これらはあくまで各個人の主張です。たとえ何十枚あろうとも、実際にメアリー様が相手を貶めたという証拠にはなりません。次に二つ目、仮に実際にこちら側に非があったとしても、大多数の生徒が集まるこのような場での一方的な糾弾は、メアリー様を吊るし上げようとする悪意があるとしか思えません。本来なら然るべき場で関係者のみを集めて審議する必要があったはずです。それを、このような仕打ちはあまりに越権行為が過ぎると思います。王家には、ルドルフ公爵閣下から直々に抗議の手紙が送られることでしょう」

 

 チャールズ殿下はふむもっともな指摘だと頷き、メアリーは俺の後ろでそうですわそうですわと喚いている。

 

 突然だが、俺は結構本の虫で、特にミステリーをこよなく愛す。だからかは知らないがこの状況には既視感を覚え、冷や汗がでてきた。

ミステリー小説の大詰めのシーンで、探偵からの追求に対し、追いつめられた犯人は証拠出せ証拠! 証拠も無いのに人を犯人呼ばわりか! などと探偵に喚き散らす。それを受けた探偵は決め顔で言うんだ。

 

「証拠ならある!」

 

 チャールズ殿下は待ってましたとばかりに言った。俺はあちゃーって手で顔を覆いたくなったが、周りの目もあるので我慢した。

 

 殿下の取り巻きからこちらに手渡されたのはいくつかの書類だ。見なくても分かるがこれが証拠なのだろうし、あの自信満々な様子からして内容も正確なんだろう。軽く目を通して見てみても、相変わらず思い当たる節しかない。

 

 例えば、ちょっと肩がぶつかった男子生徒Aを階段から蹴り飛ばして怪我をさせた上に、文句を言うAに対して公爵家の威光で脅したと書かれているが、まぎれも無い事実である。その後怪我をしたAへ謝罪の見舞い及び治療等の手続きをしたのは俺だからよく覚えている。証拠としては目撃者が複数人挙げられていた。十分な証拠であり、言い逃れなど出来ようはずも無い。

 

 数が一番多いのはメアリーの水魔法の被害にあった生徒達だった。水魔法を使って遠距離から相手を水浸しにするのはメアリーの十八番の嫌がらせであり、中々犯行はバレ難いと個人的には思っていたので、どうやって証拠を掴んだのか少し興味があった。なのでそこの部分を読んでみたら、どうやら魔法使用後は魔力の残滓とかいうのを見れば誰がやったのかは一目瞭然らしい。平民は魔法使えないからそこまで知らなんだ。

 

「見て貰えれば分かるが、全て確たる証拠だ。それと、あえてこの場で糾弾した理由だが、嘆願書を書いた生徒以外にも、被害を受けている者は大勢いるとこちらは考えている。そういった者達は公爵家の持っている権力を恐れて泣き寝入りをしていただろうが、私がこの場で宣言しよう! そのような不正はこの私の前では起こり得ない。被害に遭った生徒は是非とも私に相談して欲しい! 事実を明らかにした上で然るべき処罰と謝罪を受けて貰うことを約束しよう」

 

 その言葉に周りの貴族達は喜びを露わにしている。

 

 成程、メアリーが今まで好き勝手出来た大部分は公爵家の後ろ盾が大きい。だが、より権力が強い王家がここまで言えば確かにメアリーに逆らえなかった貴族達も今後は反抗することが出来るだろう。

 

「この場では口にすることも憚れるような悪辣の所業を、少なくとも一人の新入生が貴殿から受けた事は既に把握している。彼女の名誉の為に、あえて家名までは言わないが、彼女が許そうとも私は許せん。その為、多少の悪意があったのも否定しない。それがあえてこの場にて婚約破棄を告げた理由である!」

 

 そう言って、チラと王子は会場の端を見た。本人は意図してなかったのかもしれないが、その視線の先にいたのは一人の女子生徒。

 

 入学してからこの2ヶ月間で話題に事欠かなかった、辺境の男爵令嬢にして、王子の思い人と噂されるクリスティーヌ・フォン・クーケンバーグ男爵令嬢である。

 

 肩ほどで切り揃えられている亜麻色の髪は、普段と違い結われており、青を基調としたドレスに包まれてなお女性らしい起伏が見てとれ、肩口からは白い肌が見える。愛らしい顔つきで見た目だけ見れば間違いなく美少女に分類される令嬢だ。だが微妙に残念だったのが、彼女がこちらの騒ぎなど対岸の火事とばかりに立食のローストビーフを一心不乱に食していたからだろう。

 

 王子の視線の先を捉えたのは俺だけではなく、他の貴族も同様だったようで次第に彼女に注目が集まっていった。

 

 当の本人は、何故周りから視線を集めているのか分からなかったようで「ごめんなさいついローストビーフ一人で食べすぎました」と顔を赤くして見当はずれな謝罪をしていたが、騒ぎに気付いた彼女の親友が失礼しまーすと言い残して、彼女を会場の外へ引っ張って行った。

 

 とまぁそんなこともあったが、その後俺とメアリーは王子とその取り巻きに連れられて別室に移動させられ、今後のことについて聞かされた。

 

 最初は「王子はあの野蛮人に騙されているのです!」とか「今なら許すから発言を撤回してください!」等と言っていたメアリーだったが、王子からの「今回の事は全て、ルドルフ公爵閣下からも承認は得ている」の一言に放心したように黙ってしまった。

 

 王子が提示した今回のことについての処罰の要点をまとめると以下の二つであった。

 ・メアリーと王子の婚約は完全に破棄とする。

 ・被害に遭った貴族への誠意を込めた謝罪と、必要なら賠償や慰謝料の支払いをする。

 

 最悪、領地の取り上げや逮捕になるかもなんてビビっていたが、あくまで学園内でのことなのでそこまではしないとのことらしい。

 

 正直俺はホッとした。上司の失敗は部下の失敗、令嬢の失敗は使用人の失敗である。あまり公爵家の名前に傷がついてはルドルフ公爵だけでなく、今まで仕えてきた先祖代々に申し訳が立たないところであったので、この程度で済んでよかったと、このときの俺は貴族社会というものを実に甘く見ていた。

 

 メアリーはしくしくと泣いているが、当然演技であり、悲しみの純度は0%の嘘泣きである。

 

 騒いでも事態は好転しないと分かり同情を誘う手段に出たのだろうが、どうせなら他の貴族がいる時にやればいいものをと思わなくはない。

 

 王子達も怒ってはいるが、根が善人なのか、あまり泣いている女性を責めたてるのに乗り気ではないようだった。紳士だね。顔を見るかぎり盛大に反省はしてほしいとは思ってそうではある。

 

 まぁ温情な措置を頂けたわけだし、今後は今までの行いを反省して、迷惑かけた人達に謝って、新しい恋でも探せば万事解決である。

 

 無論、そんなふうにめでたしめでたしとはならない。何故なら我が主様の性格はクソオブクソ、自分の行いは全て正当化して棚に上げて、反省なんて感情は一片たりともない。彼女の中に渦巻いているのは怒りと憎しみのみである。

 

 恥をかかせた王子は許さないし、諸悪の根源であるあの野蛮人も絶対に許さないわ。お父様に頼んで復讐してやる!! そんなふうに彼女の心は透けて見えるようだった。

 

 それは俺が使用人歴10年以上だったことに加え、彼女が俺の背中に左ジャブを何発も打ってきていることからも明らかである。



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第三話 ブチギレ公爵

評価、お気に入り、感想ありがとうございます。



 王子から婚約破棄されてから二日後、俺とメアリーは、彼女の父であるルドルフ公爵に呼び出されていた。

 

 王都の執務室には俺とメアリー、そしてルドルフ公爵がいる。はたして俺はこの場に必要なのかな。

 

「メアリー、第二王子から婚約を破棄されたようだな」

「お父様! 王子ったら酷いんですのよ! 男爵令嬢に誑かされたと思ったら、邪魔になった私に謂れの無い罪をかぶせてきたのです!」

「……謂れの無い罪か、成程反省の色もなさそうだな」

 

 ルドルフ公爵の漏らした一言を俺は聞き逃さなかったが、興奮して喚き立てているメアリーには聞こえなかったらしく、チャールズ殿下とクリスティーヌ男爵令嬢の悪口をさも自身が被害者の様に叫んでいた。あの……メアリーさん、これ以上恥の上塗りはしない方がいいと俺は思いますけど。

 

「私という完璧な婚約者がいるのに、こんなの浮気ですわよ浮気! 然るべき抗議をして下さいお父様!」

「結論から言うが、メアリー、お前は勘当だ。サマリー公爵家及び王都からは出て行ってもらう」

「「えっ」」

 

 恥ずかしい、声に出てた上にメアリーと被った。いやいや、そんなことより勘当? てか王都から出てけって本気か? 

 

「お、お父様ったら人が悪いですわ。そのような冗談をこんな場で仰るなんて……」

 

 一昨日も似たような台詞を聞いたような気がする。

 

「知っての通り、私は実力主義だ。たった一つの役目もこなせない次女なぞ、サマリー家には不要だ」

「えっ、そんな……嘘、お父様? 嘘ですわよね。嘘と言って下さいませお父様……」

 

 メアリーは先ほどまでの態度とは一変し、涙を浮かべながら縋るようにルドルフ公爵に許しを乞うていた。

 

 彼女が重度のファザコンであるのはサマリー家の使用人界隈では周知の事実であるので、今回は嘘泣きではなく多分本気で悲しんでいる。

 

「残り一カ月は学園に通ってもよい。夏季休業に入ったと同時にお前は自主退学ということに既にしておいたので、必要なことはその間に済ませておくんだな」

「そんなの嫌ですわ……! お父様! 申し訳ございませんお父様! きちんと反省するので許して下さいませ!」

 

 メアリーの必死の謝罪も、ルドルフ公爵は話は終わったとばかりに完全に無視している。

 

「アルベルト、今までこんな愚図な娘によく仕えてくれたな。今後のことについては決まり次第追って連絡させてもらうが、お前に関してはサマリー領本家の方で引き続き使用人として働いてもらうつもりだ」

 

 俺、どうやらお咎め無しっぽい。はー良かったー。冷静を装っていたが、ここに呼ばれた時点で心臓はバクバクだったので、ホッとしすぎて涙でそう。

 

「承知いたしましたルドルフ公爵閣下」

「承知いたしましたじゃないでしょ! あんたもなんか言いなさいよ!」

 

 余裕が無くなって言葉遣いが素に戻っているぞメアリー。

 

「話は以上だ。呼び出しておいて悪いがすぐに退室してもらおうか、これでも忙しい身なのでな」

「お父様、どうしてですの? お父様は私を愛しているでしょ? それなのにどうしてこんな酷いことするの?」

 

 メアリーのその言葉にルドルフ公爵は首を傾げていた。何を言っているのか分からないといった表情だ。

 

「愛していたからこそ今までお前を育ててきたであろう。最高級の環境を与え、望んだこともなるべく叶えてきたのはお前が私の娘だからだ。それなのにことごとく期待を裏切り、あまつさえ婚約破棄などと、最低限の役目の一つも果たせないお前は世界一の親不孝者だよ」

 

 俺はその言葉を聞いてようやく気づいた。常に表情を変えない為分からなかったが、ルドルフ公爵は多分滅茶苦茶キレている。

 

「サマリー家も含む貴族の本質とは王家を支え民の為、ひいては国の為に身を粉にして働くことだ。必要な知識と教養を身につけた後は王から授けられた領地の繁栄に従事していくことになる。それが適わないお前のような無能でもせいぜい第二王子の婚約者くらいは務まると思っていたが、実に残念だよメアリー」

 

 ルドルフ公爵のとどめとばかりの言葉には失望と怒気が混じっており、絶望の表情を浮かべていたメアリーもついには泣き崩れてしまった。

 

 流石の俺もこんな彼女は初めて見るし、その姿は目を背けてしまうくらいにはあまりに痛々しいが、そんな彼女にルドルフ公爵は容赦なく最後の言葉を放った。

 

「少しはアイリスを見習って欲しかったものだ」

 

 その言葉は静かにこぼれ出るように出た為、せめて泣いているメアリーには聞こえなければいいと思ったが、しっかり聞いてしまったようで、最早悲鳴に近い声が執務室に響いている。

 

 ちなみにアイリスとはメアリーの3つ年上の姉だ。彼女とメアリーの関係はちょっと複雑である。

 

「アルベルト、そのうるさいのを連れていけ。先ほども言ったが今後の事は追って連絡する」

「承知いたしました」

「嫌い……みんな嫌い……! 大嫌い!」

 

 こうして俺は泣いているメアリーを立たせて宥めつつその場を後にしたのであった。

 

 

 

 その後の一ヶ月についてはあまり思い出したくは無い。メアリーにとって地獄となる一カ月耐久悪意マシマシ学園編の始まりであった。

 

 そして、つい自分の感情を抑えられなかったことに今でも羞恥心が芽生えてしまうくらい凄く後悔しているのだが、貴族の一人を殴っちまったせいで俺もめでたく学園を退学することになっちまった。主従揃って退学とかある意味俺は忠義者だと思うんだ。え、そんなこと誰も思わない? そんなぁ……。

 

 しかし、後悔する出来事というのは続くもので、行き場の無くなったメアリーの身元引受人にクロワッサン家が立候補し、他の貴族を押しのけ見事にその座を勝ち取ってしまった。

 

 それらの顛末については酒の席とかで10年後くらいに笑い話として誰かに話せたらいいと思っているが、もの凄く恥ずかしいのでもしかしたら墓の中まで持ってくかもしれない。

 

 そんなことをつらつら思い出してたら、結構な時間が経っていた。俺の故郷であるハーケン村まではあと一時間といったところか。

 

 今頃王都の方は夏季休業に浮かれている学生だらけなのだろうか。いやいや案外今の俺達みたく、帰省目的で馬車移動中の貴族も多そうではある。

 

「あんた、なんで私の身元引受人になったの?」

 

 先刻振りにメアリーから話しかけられた。あれから特に会話は無かったが、王都が恋しいのか、定期的にすすり泣いていた。会話が出来るくらいには持ち直したのだろう。いいことだ。

 

 そして質問の答えだが、俺自身よくわからない。同情してしまったというのが一番近い気もするが、自尊心の高い彼女の性格を考えるにこの場での最適解ではないように思えた。

 

「自分自身でもよくわかりませんが、俺がそうしたいと思ったからです」

 

 お茶を濁しておくとしよう。

 

 思いの外その返答は彼女の気を良くしたようで、「何それ変なの」と言ってにじり寄ってきた。いや距離が近いよ離れてくれ。

 

「メアリーこそ、なんでうちを希望したんだよ。他の貴族からも打診結構来てたんだろ」

 

 まぁだいたいは親と子ほども歳の離れた貴族からだ。あまり考えたくはないが、見た目だけは一流であるメアリーの身体目当ての貴族は結構多かった。ルドルフ公爵が本気になれば有無を言わさず嫁がせることも出来たであろうが、そうしなかったのは最後の親ごころだと俺は思いたい。

 

 俺が質問するとメアリーはクスッと笑った。うわめっちゃ可愛い。男性が女性の笑顔には弱いとはよく聞くが、先人達の言うことは正しかったらしい。

 

「私も分からないけど、こうしたいと思ったの」

 

 そう言うと俺の右腕を抱きしめて顔をうずめてきた。誰だこいつは。

 

 おれはこんらんした。

 

 まさか何かのハニートラップかと思い周囲を見渡したが、馬車と従者と草原くらいしかないのでその線は薄そうだ。

 

 あの、とりあえず服に涙と鼻水ついちゃうしばっちいので離れて貰っていいですか。と漏らしたら、メアリーのアッパーを顎に食らった。

 

 滅茶苦茶痛かったので、どうやら夢でも無いみたいですね。




本作品はコレジャナイ展開マシマシです。(予防線)


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第四話 お家に帰ってきた


サブタイに話数入れました。


 残りの道中も特に事故などは無く、無事にハーケン村に着くことが出来た。御者さんに御礼を言って俺はメアリーと一緒にクロワッサン家を目指して歩き始めた。

 

 ハーケン村は王都から離れてはいるが、人口は三千人くらいで結構栄えてる俺の故郷である。前回帰ったのが兄貴の結婚式の時だったから約2年ぶり、久しぶりの帰郷だ。クロワッサン家は実家とは別に商店街でパン屋を営んでいて、兄貴が後を継いで4代目だから結構な老舗として村ではそこそこ知られている。

 

 何故田舎のパン屋のせがれが大貴族の使用人になってたのかというと、クロワッサン家は先祖がサマリー公爵家に命を救われたとかで、恩返しの為に代々一人は使用人として働くように家訓としているのだ。

 

 俺は次男坊だったので7歳の時におやじに手を引かれ、サマリー領にあるでっかいお屋敷に連れてかれた。年齢の割には達観してた当時の俺は現状をすぐ受け入れ、クロワッサン家の代表として相応しい使用人になるぞと心に決めたものだ。懐かしいね。

 

「いつまで歩かせんのよ! いい加減にしてよね!」

 

 まーた癇癪が始まってしまった……。

 

「メアリーさん、あと10分くらいだから頑張って歩いていただけませんかねぇ」

「疲れた疲れた疲れたー! もう一歩も歩けないー!」

 

 どうもさっきの俺の失言から機嫌が悪くなったように思う。一瞬笑顔にときめいてしまった俺の純情を返してほしいくらいのいつも通りのメアリーだ。俯いて泣いているよりは、こうして癇癪起こしてる方がメアリーらしいっちゃらしいのでちょっと安心している自分がいて、その思考に恐怖した。

 

「おんぶしなさい」

「いや自分荷物持ってんすけど……」

 

 ほとんどの荷物は先に実家に送っておいたが、万が一のことを考えて多少の手荷物は持ってるし、普通に人一人背負って歩きたくない。

 

 とはいえ、彼女が大声で喚くので道行く人の目線がさっきから痛い。しょうがない実家まであと数百メートルくらいだし泣き寝入りするしかないか。

 

「よっこらしょ」

「ふふん。口答えしてないで最初からそうすればいいのよ」

 

 こうしてまさしく名実ともにお荷物と化したメアリーを背負いながら整備された道を歩く俺だったが、年頃の女性を背負う行為に潜む危険性を考えていなかった。

 

「なんかあんた顔赤くない?」

「もう夏ですから暑いんですよ」

 

 最初に言いわけをしておくと、幼少期の頃は、勉強が嫌で屋敷から抜け出して領地内の森で寝ているメアリーを背負って、部屋まで運んだものだ。初めて会ったのは7歳の頃で、当時から周りに迷惑ばっかかけてる女の子だった。メアリーを背負うのは10年ぶりくらいだが、昔はしょっちゅうしてたので抵抗感がそこまで無かったんだ。

 

 話を戻すが、彼女を背負ったことで女性特有の柔らかい膨らみが服越しに当たってるんですよね。あの頃の、涎たらしてぐーすか寝てた女の子もいつの間にか立派に成長して、しっかり女性になっているのだと生命の神秘を背中で感じとりました。

 

 おまけに俺のうなじにあたってる吐息がなま暖かくて、嫌でもメアリーを一人の女性として意識してしまう。本人に言ったらいやらしいとか言いながらまたアッパー食らいそうなので黙って歩く。

 

「やっぱり自分で歩きませんか?」

「嫌よ楽だもん」

 

 

 

 

 実家の前には筋肉質な男性とふくよかな女性が手を振っていた。何を隠そう彼らこそ俺の親父のオイシーとお袋のチョコである。メアリーを降ろして2年振りの親子対面を果たした。

 

「久し振りだな我が愛しの息子よ。そしてメアリー殿、遠路はるばるよくいらっしゃいました。アルベルトの父オイシーです」

「ほんと無駄に遠かったわ足が棒になっちゃったわよ」

「あらあら、それは申し訳ないです。どうぞ、うちの中に入って下さい」

「邪魔するわ」

 

 お袋に促されて家の中に入る二人を見ながら、俺は親父にこっそりと話しかけた。

 

「兄貴と義姉さんは今日もパン屋?」

「ああ、メアリー殿のことは話しといたから仕事が終わったらあいさつに来ると言っていた」

「なるほど、真面目な話がしたかったから兄貴達がいないのは好都合だ」

 

 王都にいた頃に親父達には手紙を出した。クロワッサン家としてメアリーの身元引受人になる許可を貰いたかったから、現状を相当オブラートに包んで書いた上で、だ。お人よしが服着て歩いているような頭お花畑な二人なら同情心を煽れば許可は貰えると踏んでいたが、返事が"許可する。パパとママより"だけだったのは心底驚いた。

 

 つまり今回の件について両親は概要でしか知らないので、直接話したいと思っていた。

 

「むふふ、真面目な話か」

「なんだよ気持ち悪い笑いして」

「いやなに、若いころを思い出すなぁと思ってさ」

「は?」

「父さんも、お前くらいの歳にはな、母さんと一緒に盗んだ馬車で駆けだした青春の夜があったもんさ」

 

 なんか勘違いしてないかこの親父。急いで手紙一枚の文章だけで伝えたから齟齬が発生しててもおかしくない。

 

 ちなみに手紙の内容は、仕えてたメアリーが婚約者の王子に捨てられた上に、サマリー家からも追い出されて路頭に迷うからクロワッサン家で養子として引き取ってくれ。あと貴族殴ったから俺も退学になったんで帰省します。みたいな文面で送ったように思う。

 

「むふふ、それでアルベルト、チューくらいはしたのか?」

「ちょっと待て、なんか勘違いしてるぞ親父」

「なにっ!? 身分の差を乗り越えて二人で駆け落ちしてきたんじゃないのか!?」

「俺が書いた手紙の文章力が至らぬばかりに済まんが、そんなロマンス小説みたいな色のある話じゃないぞ。後で二人にはきちんと話すよ」

「なーんでぇつまらん」

 

 頭がお花畑に加えて中身はピンク色に染まっている気もするが、2年振りに会った親父は人柄が変わっていないようで安心した。相も変わらずただの陽気なおっさんだ。

 

 

 

 リビングにはソファーで茶菓子を食べてるメアリーとその横に座る俺、対面には俺の両親がいる。

 

「改めまして、オイシー・クロワッサンです。昔はパン屋をやってましたが、今は畑仕事をしながら妻と二人で生活しております」

「妻のチョコ・クロワッサンです。この度はうちの息子をどうぞよろしくお願い致します」

「メアリー・フォン・サマリーよ。いえ、もう家名はないから只のメアリーだけど、あの……今後ともよろしくお願いするわ」

 

 やはりこの一カ月のめまぐるしい環境の変化により、おそらく心境にも大きく変化があったのだろう。メアリーは平民である俺の両親に頭を下げた。

 

 そのやりとりは、なんてことない只のあいさつだったが、俺は人知れず感極まっていた。

 

 お袋が未だ俺とメアリーの関係を勘違いしていることが少し気になったが、そんなことよりも俺は、貴族主義と虚栄心が服着て歩いているようだったメアリーの成長が見てとれたことが非常に嬉しかったのだ。

 

「親父、お袋、急にこんなことになってかなり心配かけたと思うし、迷惑かけて本当に申し訳ない。今後ももしかしたら迷惑かけるかもしれないけど、彼女としばらく一緒に暮らすことをどうか許してほしい。正直に言うけど、メアリーは我儘で横暴で偉そうな性格だけど、最近だいぶマシになったんだ。せめてちゃんと自立できるようになるまではどうかお願いします……!」

 

 俺はそう言って頭を下げた。

 

 犬や猫を飼うのとは訳が違う。ほとんど会ったことも無い他人と一緒にこれから住むことになるんだ。おまけに元貴族の令嬢と平民の元パン屋じゃ、文化の違いなんてものは下手したら異国の人間より大きいかもしれない。

 

 それでも息子である俺の気持ちを汲んでくれた二人には申し訳ない気持ち以上に感謝の念が堪えない。

 

「気にするな。親ってのは子供に迷惑かけられるのが一番嬉しいもんさ。さぁ今日は新しい家族が増えた歓迎パーティーやるぞ!!」

「ふふ、メアリーちゃんも今日からうちの子になるんだからこれからはどんどん迷惑かけてね。私ね娘と買い物とかずっと夢で嬉しくてね……」

「本当に、ありがとう親父……! お袋……!」

 

 俺は優しい両親を持てて本当に良かったよ。と思っていたら、右にいるメアリーから左フックが飛んできた。

 

「誰が我儘で横暴で偉そうな性格だって!? 調子に乗って!」

 

 訂正します。我儘で横暴で偉そうな性格の上に怒ると口より先に手が出るんだこいつは。

 

 愛する息子が目の前で暴力を振るわれているのに、微笑ましい顔で見ているだけの両親の愛に少し疑問が生じたが、なんとなくメアリーはこの家に馴染めるような気がしたし、思ったよりなんとかなりそうな予感がした。

 

 それはただの希望的観測かもしれないが、不思議と俺はそう思った。きっと俺の両親に受け入れられた時の彼女の口元がニヤついてて嬉しそうだったからそう思ったのかもしれない。 

 



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第五話 クロワッサン家歓迎会

 

 

 両親へのあいさつを無事に終えた後、夕食をとる運びとなった。メアリーの歓迎会も兼ねているとのことでかなり豪勢だ。

 

「うふふ、お母さん腕によりをかけて作っちゃったわ」

 

 食卓には新鮮な魚介類をふんだんに使ったパエリアや、畑で採れた旬の野菜のサラダ、後はパスタにワインにコーンスープに七面鳥など、貴族の食事にもひけをとらない色鮮やかな料理が多く並んでいた。

 

「メアリーちゃん! どうぞこちらを引いて下され!」

 

 親父が渡したのはくす玉の紐だ。おっかなびっくりなメアリーが引っ張るとくす玉は割れて"祝 歓迎メアリー殿! パパ&ママより"という垂れ幕が下りてきた。引いたメアリーは嬉しそうだ。

 

「それでは皆さん席についてグラスを持ってくれ、息子よ乾杯の前に一言!」

 

 えっメアリーの歓迎会なのに俺が言うの? とは思ったが、このアルベルトそんな無茶ぶりにもきちんと答えますよ。立ち上がってグラスを持つ。

 

「えーおっほん、この度はこのような素晴らしい会を開いていただきまして──」

「長すぎ! では、かんぱーい!!」

「「かんぱーい!!」」

 

 俺の挨拶は親父の乾杯の声にかき消された。女性陣二人も既にワインを飲んでいる。おう、学生の飲み会みたいなノリやめろや。

 

「あ、このワイン美味しいわ」

「むふふ、メアリーちゃんお目が高い。それはうちのブドウ畑から作ってるんだよ」

「へー、平民ってワインを自給自足してるのね」

「ちなみにパエリアもサラダもパスタもスープも七面鳥もうちで採れた材料から作ったものなのよ」

「夕食ほとんど全部じゃないの」

「そう! 産地直送だからどこよりも美味いんですようちの食事はね」

「その言い方じゃ材料だけの味みたいじゃない。私の料理の腕も一流だから美味しいのよ」

「はっはっは、確かにそうだな。こりゃ失礼!」

「え? 平民って食事はシェフが作るわけじゃないの?」

 

 そんな微妙にずれた会話が繰り広げられながらも、和気あいあいとした雰囲気で食事と時間は進んでいった。そんな中俺は久々のおふくろの味に舌鼓を打ちながら、夢中でナイフとフォークを動かしていた。パエリアのエビうっま。 

 

「ところでどうだ、アルベルトよ。お前ももう17歳だこっちの方はどうだこっちの方は?」

 

 そういって親父は小指を立てる。だいぶ酔ってやがる。絡み方が非常にめんどくさい。ちなみに俺には浮いた話の一つもありません。

 

「あはは! こんな暗い奴に女なんているわけないじゃない! ……え? いないよね?」

「うふふ、アルベルトは顔だけ見ればパパに似て結構かっこいいからねぇ。……で、どうなの? 王都に残してきた恋人や婚約者はいるの?」

 

 やはり女性は恋だの愛だのといった話が好きなのか、話題に食いついてくる。メアリーはどこか不安そうだしお袋は目がキラキラしている。答えはどうなんだと圧が凄い。しかし俺にもプライドがあるので、いませんからのやっぱりなみたいな流れになるのはごめんこうむりたい。

 

 とりあえず、ワイングラスを揺らめかせながら遠い目をしておくか。気分としては失った恋人に思いを馳せる残された男だ。

 

「なによその目は!? どっちよ!? ムカつくこいつ!」

「うーんこれはなにもなさそうねぇ……」

 

 やはり歳とると鋭くなるのかお袋はため息を吐きながら憐みの目で見てくる。やめろそんな目で息子を見るな。

 

「そ、そんなことより、兄貴がそろそろ来るんじゃないか?」

「あ! 話題そらした!」

 

 噂をすればなんとやらで玄関から物音が鳴った後、おじゃましまーすと陽気な声が聞こえてどたどたと廊下から音が聞こえた。

 

「ちょりーす!!」

 

 露出の多い服から見える浅黒く日焼けした肌、額にはサングラス、髪は金色、見るからにやんちゃしてそうな青年が現れた。俺の6歳年上の兄であるミハエル・クロワッサンである。

 

「お、アル久しぶり! てことは、君がメアリーちゃん? ガチきゃわたんじゃん! 俺の名前はミハエル! 見ての通りアゲアゲのパリピな上にイケメンだけど、弟の女に手を出す奴じゃないから安心してね。てか嫁一筋のマジ一途だしね。今日は仕事あったけど、とりまちゃんと挨拶しとかNIGHTって思って馳せ参上しましたFoooo!!」

 

「な、なんて???」

 

 メアリーは、急に現れたテンションがおかしい兄貴に珍しく困惑の表情をしていた。

 

「兄貴、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。今日は義姉さんは?」

「ミハエル今日は食べてくのか?」

「残念ながら家出る時に息子がグズっちゃってねー。今日は俺一人だけ参戦した感じよね。そんなわけで悪いけど俺もあいさつだけですぐ帰るんで! メアリーちゃんこれからはシクヨロ」

「し、しくよろ?」

「ほんじゃ! 来て早々だけど帰るわ! また今度正装的な服で改めて来るんで! GOOD NIGHT! ぅわ七面鳥うっま。美味」

 

 兄貴はテーブルに合った七面鳥の足を取ってかぶりつくと、さっさと帰ってしまった。相変わらず嵐のような人だ。

 

「平民の文化、中々奥が深いじゃない」

「いまのはちょっと特殊なタイプだからな」

 

 あれが平民のスタンダードと覚えられては困るのでメアリーにはきちんと指摘しておいた。

 

 そんなこんなで時間は過ぎていき、デザートを食べて宴もたけなわといったところで歓迎パーティは終了した。

 

 

 

 夜、メアリーに呼ばれて彼女の部屋に来た。元々は既に亡くなった祖父と祖母が昔住んでいた部屋だ。寮制度だった学園の部屋に比べれば広いので、あてがわれたメアリーもとくに文句は言わなかった。

 

 彼女はパジャマ姿で俺を出迎えるとベッドに腰掛けた。湯浴みはお袋と一緒に済ませておりいつも結んでいる黄金色の髪はストレートになっている。

 

「で、なんの用だ? こんな夜に部屋へ男を呼び出すのは感心しないですぜ」

「これからのことを話すわ」

「これからのこと?」

「私はいつまでも平民でいる気はないの」

「ほう」

「必殺の策があるのよ。あんたのとこでずっと厄介になるわけにもいかないし、夏季休業の最終日に全てをかけるわ」

 

 夏季休業の最終日、ということは。

 

「王都仮面舞踏会に参加するつもりですか?」

「その通りよ」

 

 王都仮面舞踏会とは、その名の通り、年に一度王都で開かれる大規模な仮面舞踏会だ。参加資格はユグドラシル王国の全国民であるが、会場の広さを考慮しているので一応選考がある。教養やダンスが一定のレベルに達していない者は入れないのである。その為、実質貴族しか参加者はいないのだ。

 

「作戦は簡単よ。舞踏会に出て、ハンサムで優しくて家柄も良い貴族の子息を私の美貌で虜にしてやるの。最低でも伯爵家の男がいいわね。今回は後から難癖付けられて破棄なんてされないようにその場で書面にでも残して婚約するわ。そしたら私も伯爵夫人よ。完璧な作戦でしょ」

「そもそも王都から追放されてるので参加出来ないのでは?」

「一日くらいなんとかなるでしょ。マスクしたら私だって分かんないわよきっと」

「マスクしてたら美貌で虜に出来ないのでは?」

「会場でずっと着けてるわけじゃないし、仮に着けてても私は可愛いから大丈夫よ」

 

 なんとまぁ見通しの甘い計画だが、あまりにも自信満々に言うので否定ばっかりして出鼻をくじくのは悪い気がした。

 

「そうですか、頑張って下さい。陰ながら応援してます」

「それでね。実は参加するのはペアを組んでないと駄目なのよ。だから、あんたも一緒に──」

「申し訳ないんですけど丁重にお断りさせて頂きます」

 

 ダンスなんて習ったことも無ければ踊ったことも無い。エスコートは誰か他の人に頼んでくれ。

 

 また癇癪でも起こすのかと身構えていたが、予想を裏切り彼女は俺の手を握って頼み込んできた。

 

「お願い! あんたしか頼める人はいないの! なんでもするからお願い!」

 

 いやなんでもて、金なし愛想無し家の力無しの今の彼女に出来ることなぞタカが知れている。年頃の女性が深夜の部屋に二人っきりのシチュエーションで、柔い肌を紅に染め、男の手を握って上目遣いでなんでもする……。わざとやってるなら大した悪女である。不覚にも一瞬脳内がピンク色に染まりそうになってしまった。俺も親父のことは言えないな。あの親にしてこの息子ありといったところか。

 

「…………駄目?」

「分かったよ。ダンス教えてくれよな」

 

 我ながら女の子に頼まれると弱いなぁ。メアリーでこれだもん。いずれまともな美女に騙されてツボ買わされるよ絶対。

 

「ありがとう! アル!」

 

 そう言ってパッと笑ったメアリーに抱きつかれた。可愛いし良い匂いだし柔っこい。うーむDV夫のたまの優しさにときめいちゃう都合のいい嫁みたいだな俺は。

 

「ただ、明日から俺は職探しに行かなきゃならんもんで、ダンスの練習は帰ったらな」

「分かったわ。でも安心して、あんたが無能でどこも働き手が無かったら侯爵夫人となった私がきちんと雇ってあげるから」

 

 一言余計である。

 

「そりゃどーも」

 

 あまり期待はしてないけどな。

 

「明日からがっつり練習よ」

「代わりと言ってはなんだけど、いずれ貴族に戻れたとして、それでもしばらくメアリーは平民なんだからこっちのルールにはなるべく従ってくれよ」

 

 これから一緒に暮らしていく以上は令嬢時代と違ってワガママし放題というわけにはいかない。

 

「もちろん分かってるわ。しばらくは色々教えなさいよ」

「ああ、俺のことは先生と呼んでもかまわないぞ」

「生意気ー!」

 

 その後も何度かお互いに軽口を交わし、俺は部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 俺は2年ぶりである自分の部屋のベッドの上で職業案内の資料を読んでいた。思い返せばある意味親に敷いて貰ったレールを歩んできた俺は、自分のやりたいことというのも特に思い浮かばず、使用人の次は何をしたらいいのかいまいち分からなかった。暗中模索というやつだ。

 

 でも、まぁなんとかなるか。そんなふうに楽観的に考えることが出来るのは、穴だらけだった例の完璧な作戦を語る彼女は思いがけず俺に元気を与えてくれたのだろう。

 

 俺は近くのテーブルに資料を乗せ、とっとと寝ることにした。

 

 そんなこんなで彼女にとってのクロワッサン家一日目の夜は更けていったのだった。



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第六話 アルベルトの就活



誤字報告助かります。ありがとうございます!


 村の配達員が牛乳を自宅の受け箱に入れる音で目が覚めた。

 

 2階から降りてリビングへ向かう。既にお袋は起きていてテーブルにはパンやウインナー等の簡単な朝食があった。

 

 俺は、おそらく兄貴のパン屋で作ったであろう食パンに苺ジャムをのせて食べた。蝉の声をBGMに聞きながらコーヒーをすする。

 

 朝食を終えて、朝刊を読みながらソファーでくつろぐ。どっかの国では大魔王が復活したり、世界一を決める武道大会が開かれたり、不老不死の薬が出来たりと大変なニュースがそこかしこに起きているらしいが、ユグドラシル王国は今日も平和そのものらしく特にこれといった記事は書かれていなかった。

 

 朝刊を読み終える頃には既に親父も起きて朝食を食べ終えており、腰に手を当てて牛乳を飲んでいた。平和な平日の朝である。

 

 今日の俺の予定は一言で言えば就職活動で、とりあえず3つ程職場を見て回るつもりだ。その間メアリーは親父とお袋の畑仕事を一緒に手伝うことになっている。若干不安ではあるが、二人ともいきなりハードな仕事を割り当てたりはしないだろうし、社会経験として労働の大切さを学んでもらおうと思っている。

 

「アルベルト、そろそろメアリーちゃんも起こしてきなさい」

「女性の寝室に入るのは緊張するのでお袋が行って下さい」

「じゃあ今後緊張しないように練習してきなさい。食器片付けたいから早くね」

「……しゃーない」

 

 お袋に言われメアリーの部屋へ行く。令嬢時代、彼女の身の回りの世話は侍女が行っていて、俺の役割は警護寄りだったので朝に起こしに行ったことはあまり記憶にない。ノックをするが、返事が無いので入室する。

 

 ベッドの上には未だ眠り姫のメアリーがいた。寝相が悪いのか、部屋が暑かったのか、毛布はベッドから落ちてるしパジャマのボタンも上の方が外れていて豊満な胸の谷間が見えている。扇情的な姿なせいで男としてはずっと見ていたい気もするが、相手が寝ていることもあって罪悪感が湧いてくるのでとっとと起こすことにした。ベッドの横に立って声をかける。

 

「朝ですよー起きて下さいー」

「うーん……疲れてるのあと少しだけ」

「朝食片付かないんで起きて下さーい」

「Zzz」

「ほら起きないと一時間目の講義遅刻しますよー」

「……それはまずいわね。起きるかぁ……。ふぁーあ、あれ? なんであんた居るの?」

 

 あくびをしながら未だ寝惚け気味の彼女を起こすことに成功した。

 

「おはよう、ちなみに学園は退学になってたので講義は無いです。朝食だから下降りてきな」

「あー、そういえばそうだったわね。分かったわ身支度しなきゃね」

 

 意外と素直なメアリーにホッと一安心。用は済んだので部屋から出ていこうと思ったら呼び止められた。

 

「ちょっと待ってよ。私の身支度って誰がするの?」

「え?」

「今までは侍女がやってたのよ。服も着替えなきゃだし、髪も纏めなきゃいけないし……」

「平民は自分の身支度は自分でするんですよ」

「嘘でしょ!? なんて面倒な生き方をしてるの平民って!?」

 

 メアリーは驚いているが、俺から言わせれば服の着替えや髪型ごときの為に人員を割いている貴族の方がよっぽどめんどくさい生き方してるような気がするけどな。

 

「まぁそんなわけなんで、初めての上手に着替え出来るかなチャレンジ頑張って下さい」

「ちょ、せめて髪はやってよ! いいでしょ? この美術品みたいな金髪に触れるわよ? 嬉しくない?」

「全然嬉しくない、じゃそういうことで」

 

 再度部屋から出ていこうと思ったら、起きたメアリーに腕を抱きしめられた。

 

「お願いアル! ね?」

 

 最近彼女からのスキンシップが急に激しくなったと思う。これを恋愛感情からくるものだと誤解してはいけない。だいたい彼女がこういうことするときは俺に何か頼みごとをするときなのだと、この短期間で理解しつつある。男心の弱いところを把握しやがったなこの女め。

 

 だけどもお互いの距離感が近くなったのも事実であるし、以前の彼女ならこんな媚びたような行動は絶対しなかった。本当の家族から見放されてしまい、縋るものが俺くらいしかいないのでこの行動もしょうがないのかもしれない。今までの悪行は彼方へ、また俺は彼女を甘やかしてしまうのだろうか。

 

「しょうがないなぁ、今日だけだからな?」

 

 ま、晴れて彼女もクロワッサン家の一員になった訳だし、義理の兄として、手のかかる妹を甘やかしてしまうのもまたしょうがないことだと自分を納得させた。

 

 

 

 俺は、ベッドに座っている彼女の後ろ髪をくしで丁寧にとかしていった。自分で言うだけあって、とかす度にサラサラと揺れる金髪は確かに美術品みたいだ。

 

「どうですか?」

「中々うまいじゃない。誰か他の女にやってたの?」

「初めてやったよこんなこと」

 

 くし捌きはなんとか上手くやれたようだが、いつもの彼女の髪型みたく結ぶのは無理だ。お袋を呼んできても良いが、朝の主婦は色々忙しないだろうし、今後は自分でやってもらうことも考えて、普段とは違う髪型にしてやろう。

 

「いつもと違うわよ」

 

 手鏡を持って確認する彼女は不満げである。

 

「ポニーテールってやつです。貴族では一般では無いかもしれないですが、こっちじゃ髪の長い女性は大体この髪型ですよ」

 

 嘘では無い。働くにしろ専業主婦にしろ、昔からハーケン村の髪の長い女性は大体一つに纏めている。何かしらの作業の際に邪魔になることも多いし、身支度に時間をかけられない人も多いからだろう。あくまで想像だが。

 

「うーん、まぁ元が可愛いから問題ないかしらね」

 

 そんな自信過剰な台詞を吐いたメアリーは下の階に下りて、両親と挨拶を交わした後、元気に朝食を食べ始めた。

 

 俺はなんか朝から疲れたな。と思いながらメアリーのことは両親に任せて当初の予定通り出かけることにした。

 

 

 

 まず俺が行ったのはいわゆる冒険者ギルドと呼ばれている"酒場ガルーダ"という店だ。近年冒険者になる人は後を絶たないらしく、右に倣えで俺も来たわけだ。資格無し学無しでも働き次第では高収入が得られるらしい。ほんとかなぁ? 

 

 店内に入ると朝っぱらから麦酒をあおっている筋骨隆々な男たちがちらほら居る。彼らが冒険者なのだろうか、もしかしたら俺の先輩になるかもしれない。

 

 受付の女性に声をかけると、ギルドの説明をしてくれた。ようは定期的に来るクエストと呼ばれる仕事をこなしていけば給金が貰えるシステム、つまり完全に出来高100%の歩合制で基本給は無く、保障も無ければ年金も無い、おまけに入会には金貨1枚が手続き費用として必要になると……うーむかなりリスキーな仕事だな。コツコツ地味な仕事を細々と長くやりたい俺には合わない仕事な気がする。

 

 そんな風に思っていると、一人の大男に肩を組まれた。身長は2メートルほど、筋肉質で肌は浅黒く人を嘲るような笑みを浮かべている。

 

「くっくっく、華奢な身体だなお兄ちゃん、ここは俺らみたいな腕自慢の男が来るとこだぜ? 来るとこ間違えてんじゃねえか?」

「いや、仰る通りです。どうやら自分には合ってなさそうなので失礼しますね」

「えっ? お、おう」

 

 冒険者になったら自宅に帰れる頻度も少なくなるだろうし、年齢が上がるにつれ身体の自由もきかなくなりそうだ。この大男の言うようにどう考えても俺の適正に合った職業とは思えない。

 

 俺は受付の女性に御礼を言った後、酒場ガルーダを後にした。

 

 大男は俺が簡単に身を引いたことが逆に珍しいのか、終始ぽかんとした表情をしていた。

 

 

 

 

 次に着いたのは村一番の鍛冶屋と名高い"ガンコイッテツのお店"だ。店に入ると眼光が鋭い御年配の方が受付をしていた。

 

「おめぇがアルベルトか? わしの名はガンコ・イッテツ鍛冶職人だ」

「はい。本日は職場を見せて頂けるとのことで参りました」

「来い」

 

 店の奥には立派な鍛冶場があった。そこらに鉄や機具がありまさに職人の仕事場といった感じだ。

 

「仕事は簡単だ。わしが剣や鎧を作っている間、来た客の対応をするだけ、簡単だろ?」

「成程」

 

 てっきり俺も鍛冶仕事をするのかと思ったが、確かに一流の鍛冶職人になるには20年の修行がいるというし、そんな技術は無い俺にはありがたい話だ。

 

「仕事内容は分かりました。それで、失礼ですがお給金の方は?」

「これをやる」

 

 そう言ってイッテツさんは剣を一本持ってきた。え、まさかの現物支給? 

 

「龍殺しの魔剣、ギガドラゴンキラーソードと名付けた」

「あのー、貨幣で頂けたりは?」

「わしは宵越しの銭は持たねえ主義なんでな」

「あ、あはは」

 

 イッテツさんには申し訳ないが、丁重にお断りした後ガンコイッテツの店を後にした。

 

 

 

「仕事探しってのも中々難しいものだなぁ」

 

 昼食の時間だったので、俺は休憩も兼ねてカフェでベーコンレタスサンドを食べながらコーヒーをしばいていた。

 

 屋外のテーブルで、道行く人を眺めながら人知れず弱音を吐く。午後はあと一つ職場へ行くつもりだが、相手は画家の方らしいので、芸術に疎い俺には行く前から自分に合ってないように思えた。

 

「お前、もしかしてアルベルトか?」

「……え?」

 

 不意に後ろの席から声をかけられた。振り向いてみると同い年くらいの男が派手目な女性と同席しながらにやけ顔で俺を見ていた。

 

「僕だよアルベルト。トウシンさ」

「あ、トウシンか久しぶりだな」

「ふんっそのヘラヘラした作り笑い、兄貴に似て相変わらず癪にさわるねぇ」

「2年ぶりなのにいきなり喧嘩腰だな」

 

 トウシン・サンジェルマンはハーケン村一番の商家の次男坊であり歳は俺の一つ下だ。くせ毛が酷く緑がかった黒髪なので、ウネウネしているわかめのような髪型は幼少期によく周りからからかわれていた。常に人を見下しがちな態度はどっかの元令嬢を彷彿とさせるが、大きな違いは俺に対する嫌悪感が言葉からもにじみ出ているところだろう。

 

 俺が嫌われている原因は主に二つある。まず、こいつの初恋だったナナさんは今や俺の義姉であるナナ・クロワッサンだ。真面目で誰にでも優しかった聖母のようなナナさんが、座右の銘は適当とノリで生きてそうな俺の兄貴と結婚したことに未だ納得がいっていないのだろう。

 

 今では子供にも恵まれて、円満な夫婦関係だと弟の目からは思うが、こいつの目からは最愛の人を奪った憎い一族がクロワッサン家だと映っているのだろう。

 

 もう一つの理由は、公爵家の使用人になった俺への単純な嫉妬だ。俺自身はそうは思わないのだが、サマリー公爵家の使用人になることは結構なほまれらしい。

 

 正直どちらの理由も俺個人が何かやったわけではないので、憎まれても筋違いである。今までは短い期間に村で会うだけだったので適当に流していたが、今後ずっと住んでいくのを考えると付き合いを考えなくてはならない。

 

「ちょっと待てよ。さっきお前仕事探しがどうこう言ってなかったか?」

 

 げっ俺の独り言が聞こえてたか。

 

「なんだなんだアルベルト~。お前もしかして仕事クビになったのか? やっぱそうなるよなぁ」

 

 思いっきり馬鹿にしたような口調で言いやがって、あほ貴族を一撃でノしてやった俺の黄金の右を見せてやろうか? 

 

「おっと紹介が遅れてすまないねぇ、彼女は僕のガールフレンドのスザンヌさ。スザンヌあいさつを」

「ふふ、トウシンの彼女のスザンヌよ」

「はぁどうも」

「おっとあまり近づきすぎるなよスザンヌ、こいつの一族は人の恋人に横恋慕ばっかするからなスザンヌも惚れられちゃうぜ?」

 

 一緒に座っていた派手目の女性は彼女だったのか。おそらく美人な部類に入るのだろうが、なまじ朝に王国内でもトップクラスの顔面偏差値のメアリーを見てきたからか、どうも化粧濃すぎやし香水臭すぎやろという感想しか抱けないのが男として枯れている気がする。

 

「くくく、それにしても落ちぶれたもんだなぁアルベルトも、やっぱり周りに神童とか言われて調子に乗っちゃった感じかい?」

 

 え、俺そんな風に言われてたのかよ。初耳だもっと褒めてもいいんだぞ。

 

「ま、そんなとこだ。お前もデートの途中みたいだし、俺も午後から予定があるんだ。悪いけどここらで失礼するよ」

 

 まだコーヒーは残っていたけども、俺は席を立った。自分の伝票を持ってクールに去ろうとしたが、その返答が気に入らなかったのかトウシンは声を張り上げてきた。

 

「はんっそうやってクールぶってればいいさ! たいしたことも出来ない奴のくせに大物ぶりやがって!」

 

 後ろで喚く声が聞こえたが、気にせずにカウンターへ行き会計を済ませてたらいつの間にか俺の隣にメアリーが立っていてギョッとした。

 

「え? 何で居るの?」

「何ではこっちの台詞よ。見てたわよ。何で言い返さないのよ」

「いや、畑仕事は?」

「ちょっとこっち来なさい!」

 

 腕を組まれた俺はメアリーに路地裏に連れて行かれたのだった。

 





甘々ザッハトルテ好きな読者様には平身低頭でお詫び。パイナップル入り酢豚の提供しがちな本作品。


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第七話 メアリーの平民生活二日目

 

 

 目が覚めると見慣れない白い天井が目の前に広がっていた。

 

 あくびを抑えながら、ベッドから起きると、私の元従者のアルベルト・クロワッサンが近くに立っていた。

 

「なんであんたいるの?」

 

 その質問に対する彼の返答を聞いて、自分が学園を退学となったことや、生活が一変したことを思い出す。

 

「あー、そういえばそうだったわね。分かったわ身支度しなきゃね」

 

 身支度なんていつもは起こしに来た侍女に任せるんだけど、彼が言うには平民は基本自分でやるらしい。本当に自分でやるのかと私はちょっと半信半疑だった。

 

 ただ、他の奴が言うなら信じないところなのだけれど、彼がそう言うならそういうもんなのかと自分を納得させることは出来た。……のだけれども、納得したからといっても自分でやって上手くいく未来は全く見えないのよね。

 

 こういった平民の謎文化はたびたび私を困らせる。でもこういうときは彼に頼めばだいたいなんとかなることを私はこの短期間で理解しているのだ。

 

「お願いアル! ね?」

 

 彼の腕をぎゅっと抱きしめてお願いすると、しばらくしてから彼の十八番である「しょうがないなぁ」が口から出た。いや~チョロいわ~。

 

 淑女としては異性に抱きつくなんて凄くはしたない行為だと思うのだけど、まぁアルとは10年以上の付き合いだし、手のかかる弟みたいなものだしね。きっとセーフでしょう。

 

 それに一時的とはいえ私もクロワッサン家にはお世話になるわけだし、私は義理の姉になるわけよね。うん弟にならいくら抱きついてもセーフね。と誰に言いわけするでもなく再度自分を納得させた。決して彼に異性として魅力を感じて抱きついているわけではない。ほんとほんと。

 

 

 

 髪をとかす彼の手は思ったより丁寧で、お互い特にしゃべることも無かったのだけれど、この二人きりの静かな空間は落ち着いててなんか良いなと感じた。よし、今日だけとか言ってたけどどうにか明日もやらせよう。

 

 彼は髪を結うことが出来なかったのか、王都の女騎士がしているような髪型にされてちょっと不満だったけど、あまり困らせるのも義姉として大人げないかと思って我慢した。

 

「チョコさん、オイシーさんおはよう」

「おはようメアリーちゃんよく寝れたかい?」

「うん。特に問題無かったわ。むしろ寮の部屋より広くて快適だったわよ」

「それはよかったわ」

 

 二人と朝の挨拶を交わして朝食を食べた。意外なことにクロワッサン家の食事はとても美味しい。てっきり平民の食事なんて質素で口に合わないイメージがあったのだけれど、公爵家の料理にもひけをとらないくらい美味しくて、これは素直に嬉しい誤算だった。

 

 

 

 その後は二人と畑仕事の手伝いをすることになった。

 

 これまでの私だったらどうして貴族の自分がそんなことしなくてはならないのかと、アルの顔面に右ストレートを打ってもおかしくなかったけど、平民たるものあくせく働かなくてはいけないことはちゃんと理解しているわ。うん我ながら成長したものだと口元が緩んでしまうわね。ふふふ。

 

 手にはカゴとハサミを持って、トマトとかナスとか野菜の収穫が私の記念すべき初仕事とのことで、チョコさんの指示を聞きながら作業を開始した。

 

 勤労意欲は全開だったのだけれど、思ったより地味な作業の連続にやる気はどんどん下がっていった。

 

 なにせ暑い、チョコさんから帽子を被せて貰ったけど真夏の昼間で風も吹いてないのでじりじりと太陽が照らしつけ、熱が体中の水分を奪っていくのだ。

 

 おまけにハサミで切る時に、裏返した葉っぱのとこに芋虫がこんにちわ! って出てきたりする。最初見たときは叫んでしまった。私は触れる虫はちょうちょだけなのである。

 

 休憩込みで体感1時間以上は働いた。もう限界である。早急にこの拷問から逃げなくてはならない。だが、遠くで別の作業をしている二人には、昨日会ったばかりでも既に恩義を感じており、あまり文句は言いたくないし、仕事を放り投げる責任感のない人間だとは思われたくなかった。

 

 というか私がこんなに苦労しているのにアルのやつは何してるのだろうか。

 

 仕事探しと言ってはいたが、一ヶ月後には私の使用人にしてやると昨夜に言ったのだから、別に職を探す必要は無いはずだ。

 

 それに、公爵家からある程度給金は出ていたはずだ。王都に居た頃も特に金を使っている様子では無かったし、実家もお金に窮している雰囲気ではなかった。そうなると結構貯めこんでいるはずなので、やっぱり急いで職を探す必要なんてどこにもない。

 

 さてはあいつどっかで地元の女とでも会ってデートとかしてるんではないだろうか。

 

 これは早急に調査せねばなるまい。決して嫉妬でも仕事が嫌になったわけでもない。ほんとほんと。

 

 大義名分を得た私は、二人に書置きを残し、余所行きの服に着替えた後、商店街の方へと歩いていった。

 

 

 

 10分程歩いただろうか、疲れたのでカフェにでも入ろうかと思ったときに、屋外テーブルのとこに探していた顔が見えた。アルだ。

 

 気づかれない程度の距離で様子を見たが、どうやら変なカップルに馬鹿にされているように見えた。

 

 てっきり鉄拳で返すのかと期待して見ていたら、特に何も言わずに席を立ってしまった。

 

 その一連の流れを見た私は、何故かものすっごく不快な気分になった。なので、私をこんな気持ちにした元凶である彼に、声をかけようと近づいた。

 

「え? 何で居るの?」

「何ではこっちの台詞よ。見てたわよ。何で言い返さないのよ」

「いや、畑仕事は?」

「ちょっとこっち来なさい!」

 

 近くの路地裏にひっぱって行った。この情けない義弟の男らしさを鍛えてやろうとありがたい説教でもしようと思ったのだ。

 

「あんたねぇ何言われたんだか知らないけど、馬鹿にされたんなら怒らなきゃだめよ! あんなこれ見よがしに金持ちアピールした格好の奴、どうせ本人じゃなくて親が偉いだけなのに威張ってるタイプよ」

「それはブーメランでは?」

「まぁあんたが事なかれ主義のお人よしってのはこの一カ月身にしみて味わったから、一宿一飯の恩ここで返してやるわ」

「いやメアリーさん。特に何か酷いこと言われたわけじゃないんで別に大丈夫ですよ。あのほんとお気持ちだけで……」

 

 私は精神を集中させ、20メートルくらい離れているカフェの屋外テーブルの方に手をかざした。最近魔法を使ってないから体内の魔力は潤沢みたいね。

 

 アルが飲み残してたコーヒーを空気中の水分と合わせて直径20センチくらいの黒い水球にしたあと、今も談笑している先ほどのカップルの頭上に浮かせる。

 

「ちょ、メアリー、やめ──」

 

 浮かべた水球を男の方の頭に叩きつけた。

 

 ぱしゃああん! と水の弾ける音が聞こえた。

 

「うわわっ!? なんだなんだーっ!?」

「きゃっ!? なになに!?」

 

 遠くからでも目に見えて動揺している二人、直撃を食らった男は言わずもがな、近くにいた女も急な異常に混乱している。

 

 何が起こったのかも分からないまま慌てふためく二人の姿はまさしく間抜けで滑稽だった。

 

「あはははははっ! アル! 見てよあれ! 癖っ毛だったのに濡れてめっちゃストレートになってる! あはははっお腹痛い!」

 

 ひとしきり笑った後、彼が無言なことに気づき、振り向くといつも以上の仏頂顔で私を見ていた。

 

「なによ。その顔やめなさいよ」

「きちんと止めれなかった俺も悪かった」

「は? どういうことよ」

「でもなんというか、あれだな、結局人ってあんま変われないもんだよな」

 

 そう言って頭をかいた彼の目は、まるで最後に会った時のお父様のようだった。その目には怒りや悲しみ以上に失望の色を浮かべていた。

 

「メアリー、何でここにいるかは知らないけど、一旦家帰れよ。お袋とか心配してんじゃないか?」

「なによその言い方、私に御礼でも言うのが先なんじゃないの?」

 

 その返事も無く、彼は私を無視しながらカフェの方へと足を進めた。

 

「ちょ、どこ行く気よ?」

「二人に謝ってくるだけだ。少しは気にしてほしいが、お前は気にしないで家に帰れ」

 

 そう言って小走りで行ってしまった。残された私はまるで心臓が締め付けられるような痛みを感じて、その場から動くことが出来なかった。

 



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第八話 混沌カフェ

 

 

 メアリーが水魔法を使って誰かを困らせる。それは学園に通っていた時は、言ってしまえばよくある光景だった。

 

 俺も商業科の講義が多少あった為、四六時中メアリーと一緒にいたわけではない。だからメアリーの悪行を全て見てきたとは言わないが、彼女の使用人を勤めるということは、必然そういった場面を多く目にするということだ。

 

 遠距離からの、誰かも分からぬ相手からの突然の水魔法による空襲は、犯人が分からない点も含めて陰湿な嫌がらせだった。

 

 やられた方は慌てふためいて、最後には寮に帰って着替えることになる。講義がある者は濡れ鼠になりながらも教諭に説明しなくてはならない。大雨の日でもないのに歩いていたら水が降ってきたなんて言うのは恥ずかしいのか、或いは犯人に気付いた上でなのか、被害者達は学園の噴水に落ちてしまった等と適当な言いわけをする。

 

 男女差別をするわけではないが、男子生徒に比べて、貴族の令嬢達は見るからに狼狽し、突然の悪意にショックが隠しきれない様子だった。泣いていた子も何人も見てしまい、胸糞悪い光景見せやがってとメアリーを心の中で罵ったものだ。

 

 犯人が誰か気づいていた者も多かっただろうに、王子が言うまでは公爵家の威光が怖くて誰も追求することは出来なかった。

 

 かくいう俺も心の中で彼女の悪口を言うだけで、何かを変えるために動いたことはあまり記憶に無い。

 

 彼女はクソオブクソだったが、使用人は陰に徹するべきだなんて自分に言い訳をして、見て見ぬふりばかりしていた俺も最低のクソ野郎だった。

 

 だから、あのコーヒーが混じった黒い水球を見たとき、当時の胸糞悪い記憶が脳裏をよぎった。

 

 ぱしゃああん! と水の弾ける音が聞こえた。

 

「あはははははっ! アル! 見てよあれ! 癖っ毛だったのに濡れてめっちゃストレートになってる! あはははっお腹痛い!」

 

 横目には、下品に笑う絶世の美女、遠くには困り顔で慌てる被害者。もう見たくはないと思っていたが、一カ月前までは何度も見た光景がそこに広がっていた。

 

 彼女はこの一カ月の苦難で性格が改善されて、ほんの少しはしおらしくなったと思っていた。というかそう思いたかった。

 

 結論を言えば、そんなことは無かったということだ。大丈夫大丈夫、思考は冷静でクリアで状態異常無しである。怒りも悲しみもないし失望もしない。最初から彼女の性格がクソオブクソなのは分かっていたことである。

 

 今やるべきなのは、とりあえずトウシンには謝罪くらいしとくか、嫌な奴だが流石に可哀相だ。

 

 俺はメアリーに家に帰るよう促すと、小走りでカフェの方へと向かった。

 

 

 

 

「だからさぁ! 謝罪しろよ謝罪! お前んとこのコーヒーが急に降ってきたんだからよぉ!? お前が犯人なんだろが!」

「お客様、そう言われましてもっ……!」

「トウシン、もういいわよ……一旦家に帰って着替えましょう?」

 

 カフェに戻ると、濡れ鼠というより濡れワカメとなったトウシンが店員に詰め寄っていた。他に怒りをぶつける先が居なかったのだろう。

 

「ああん? なんだよアルベルト! 僕はいま機嫌が悪いんだよ何しに戻ってきやがったんだ? この職無し野郎がよぉ!?」

 

 開口一番で罵ってきやがる。職無しは事実だから言葉のナイフがグサグサ心に刺さる。止めてくれ。

 

「本当にすまんっ! お前が今そんなになってるのは、俺が近くの建物の上からコーヒーをこぼしたんだ。申し訳ない!」

 

 そういって二人に頭を下げた。魔法の件はややこしくなるので伏せた。

 

 よく考えれば俺の発言は嘘だとすぐ分かるが、トウシンは怒りの矛先を向ける相手が見つかって愉快そうな笑みを浮かべた。

 

「なんだ、お前だったのかアルベルト、薄汚い犯人はよぉ? 店員に濡れ衣着せるなんて、お前はほんと汚い奴だよなぁ?」

「ふふ、濡れ衣着ているのはトウシンだけどね」

「スザンヌ、ちょっと黙れ!」 

 

 店員を勝手に犯人扱いしたのはお前だろというツッコミは火に油なのでもちろん口には出さない。

 

「で? どうしてくれるわけ? 僕の一張羅をこんなにしちゃってさぁ?」

「本当にすまない。なんなら俺の家に来てくれないか? すぐ洗濯させて貰うしシャワーも貸すよ。あとこれよかったら使ってくれ」

 

 そう言ってハンカチを渡そうとするが、その手はトウシンに音が鳴るくらい思いっきり叩かれた。

 

「はっ! 馬鹿なこと言うなよ! なんで僕がお前の汚ない家に行かなきゃいけないんだ? おいそこのお前! タオルくらいすぐ持ってこい! 気が利かねえ店だな!」

 

 横暴な態度で店員に命令するトウシン、こいつ普通に最低だな。謝るのが馬鹿らしくなってきたぞ。ちなみにうちの家は内外共に綺麗である。失礼な奴め。

 

「じゃ、どうすれば許してくれるんだ?」

「偉そうに質問するなよ。お前が出来るのは頭を下げることだけだ。ほらもっと下げろよ」

「……分かった」

 

 再度下げた頭の上からぼちゃぼちゃと液体をかけられた。おそらくトウシンが飲んでいたコーヒーだろう。夏でよかったわアイスコーヒーじゃなかったら火傷しているところだ。

 

「くくく、良いヘアースタイルだなアルベルト? 薄汚い面もずいぶんきれいになったんじゃないか?」

「水も滴る良い男なものでな」

 

 髪はコーヒーで濡れた上にべとついているし、服も濡れてしまったので俺も一旦家に帰んなきゃならなくなった。実に面倒臭い。

 

 まぁこれでおあいこってやつだ。異国のハンムラビ法典にも目には目、歯には歯って書いてあるし、いい落としどこってことでもう行っていいっすかね。

 

「悪かったなトウシン、彼女さんもデートの邪魔してすみませんでしたね。じゃ、俺はお前の言う汚い家に帰るよ」

「何勝手に帰ろうとしてんだ? まだ僕への謝罪は終わって無いだろうがよぉ!? 今度は土下座をしろよ土下座!」

「えートウシンもういいじゃんー」

 

 トウシンがまた喚きだした。彼女さんも呆れ気味だ。

 

 すぐ癇癪起こして周りを困らせるあたり、やっぱこいつはメアリーと本質が似ている気がする。つまり性格が悪いし相手にするのも面倒臭い奴ってことだ。

 

 場は混沌としてきたし、俺はこいつの横柄な態度に段々辟易してきたので、もうダッシュで帰ろうと思った。

 

 別に土下座なんて減るもんじゃないしいくらしても特に気にしないが、こいつをさらに増長させてもしょうがないので、この場の最適解は三十六計逃げるにしかずってやつだ。

 

 そんな風に考え始めた時、俺の後ろから誰かが力なく服を引っ張ってきた。

 

 振り向くとメアリーがいた。ええっ? なんで帰ってないの? 

 

「ごめんなさい」

 

 開口一番悪口のどっかの濡れワカメと違って、うちの義妹は開口一番俺に謝罪をした。

 

 おずおずとした態度はどうやら演技ではなさそうだ。

 

 トウシン達が目に入っていないのか、彼女のアイスブルーの瞳は俺だけをしっかり見つめている。

 

「ごめんなさい。もうしないわ」

 

 繰り返される彼女からの謝罪。言葉は少なかったが、反省の意は見てとれた。もしかしたら俺がボソッと言った皮肉を気にしたのかもしれない。

 

「だからその、えっと……許してくれる?」

 

 本来なら許しを得るべき対象は俺なんかではなく、被害者のトウシンだが、あのワカメは謝罪する価値も無い奴だったので気にしないことにした。

 

「こっちも嫌な言い方して悪かったな。メアリーはきちんと成長して良い方向に変わったよ。ずっと隣で見てきた俺が保証する」

 

 俺はそう言って笑いかけた。対外的にいつも使用してる作り笑いではなく本心からの笑みだ。彼女の成長を感じ取るたびにどうも不意に心が喜んでしまう。兄貴も弟である俺の成長を見た時同じ気持ちだったのだろうか。

 

「それは私もそう思う」

「調子に乗るんじゃない」

 

 さっきまで泣きそうな顔してたのに、手放しで褒めるとすぐこれである。

 

「今度からは魔法は控えろよ。あれ普通に平民は使えないから要らん混乱を招くぞ」

「もうしないってば、てかあんたなんか頭とか濡れてるわよ」

「あー、そうだった。一旦家帰らないとな……」

「じゃ、一緒に帰るわよ!」

 

 そう言って笑顔で腕を組んで引っ張ってくる。表情がころころ変わる奴だなぁ。

 

「いやちょっと待てや! まだ話は終わってないだろうがよぉ!」

 

 うるさく叫ぶトウシン。そういやこいつも居たんだった。

 

「誰よあんたうるさいわねぇ」

「僕の名前はトウシン! この村一番の商家であるサンジェルマン家の次男だ!」

 

 あとお前が水球をぶち当てたのはそいつだから忘れるな。

 

「そこのアルベルトが僕に醜く嫉妬して、コーヒーをかけてきたんだ! 全くクロワッサン家は全員最低だよ! 土下座するまでぜってぇ許さないからな!?」

「クロワッサン家を馬鹿にするな!」

「げぶふぉっ!」

 

 口汚く罵る濡れワカメの腹にメアリーの正拳突きが決まった。ワカメも彼女さんも突然の暴力に驚いている。俺は慣れっこだから普段通り。

 

「くひゅーくひゅー……。この僕に、暴力など……許さないぞ絶対に許さないぞ……復讐してやるからな」

「さ、うるさい口は黙らせたし帰るわよ」

 

 うずくまって恨みの言葉を吐く濡れワカメなんて路傍の石だとばかりに気にするそぶりも見せず、再度俺の腕を組むメアリー。ちなみに満面の笑みである。ま、いいか。

 

「ほら、だーっしゅ!」

「あまり急ぐと転ぶぞメアリー」

 

 こうして、腕を組みながら俺達は一緒に街中を駆けだした。トウシンから逃げ出したとも言う。

 

 女性とそんなことをするのは何気に初めてだったので、結構走りにくいなと思った。

 

 走りながら俺は、怒ったらすぐ手を出す彼女の悪癖を今更ながら改めさせようと心に誓った。

 

 でも、昔と違って今の彼女は俺や俺の家族に対して怒ってくれたのだと、さっきようやく気付くことが出来た。

 

 方法はともかく唯我独尊で自己愛の塊だった彼女のそういった行動が素直に嬉しいと思う。

 

「アイスでも買って帰るか?」

「ん? なによ急に」

「いや、なんでもないよ」

 

 帰って着替えたら、また就職活動を頑張らないとな。

 



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第九話 俺は潤滑油



土日は昼頃更新予定です。


 自宅に戻った俺はお袋にメアリーを引き渡した後、風呂に手早く入って身支度を整えた。

 

 どうやらメアリーは脱走兵だったらしく、仕事を放り出して遊びに行った事に対してお袋に説教されていた。

 

 必死に言いわけばかりしているメアリーを尻目に俺は再度就活へと出かけた。

 

 

 

 画家の家というのは大豪邸か、もしくは他とはセンスが異なる奇抜な家を想像していたが、着いた先はどこにでもある普通の一軒家だった。

 

 ノックをすると、入っていいよーなどと声が聞こえたので、その言葉に従った。

 

 玄関から廊下へ、廊下の先にある部屋へと進む。

 

 扉を開けると全てが白い部屋がそこにはあった。壁や天井だけでなくテーブルやイスなどの家具まで白かった。夏なのにまるで真冬の銀世界に迷い込んだようだ。

 

 真っ白い部屋には大きなキャンバスの前で筆を動かす黒い服を着た黒髪の女性がいた。ベレー帽を被り、真剣な表情で絵を描いている。

 

 年齢は20歳くらいだろうか? 幼い顔つきだったので、顔だけなら今年23歳の義姉さんよりは若そうだが、彼女の凛とした仕草一つ一つが彼女の人生の厚みを感じさせ、童顔な30歳と言われても納得できるような大人の雰囲気がそこにはあった。

 

 彼女はこちらを一瞥もせずにひたすら姿勢よくキャンバスに向かい合っていた為、俺からは声をかけ辛く、しばしドアの前で立ち往生した。

 

 足元を見ると使い捨てられた絵の具や筆がそこかしこに乱雑に落ちていた。なんとなく想像していた画家のイメージそのままでちょっと笑いそうになった。

 

「なにか可笑しなことでもあったかい?」

 

 声をかけられた。そこまで大きな声では無かったが、防音では無いのか、白い部屋には鈴の音のような声が響いた。

 

「外目では普通の一軒家でしたが、中に入ったら想像していた以上に画家のお部屋だったので驚きました」

「ふふっ、そうかもしれないね。ここはもとは只の民家だったんだ。それを私が安く引き取ってね。内装だけ私好みに変えたんだ」

 

 白銀の世界の中で唯一異色の存在である女性は、筆を置くと立ちあがり俺の前に立った。

 

「やぁやぁ、よく来てくれたね。私の名前はフローラ、見ての通り絵を描くのが好きでねつい夢中になってしまうんだよ」

 

 自らをフローラと名乗った女性は、薄くだが友好的な笑みを浮かべながら握手を求めてきたので、それに応じた。

 

「アルベルト・クロワッサンと申します。本日は職場を見せて頂けるとのことで伺ったんですけど」

「うん。実はちょっと困っていてね。優秀な人を探していたんだよ。きっと君なら大丈夫そうだ」

「えーと、ありがとうございます? ちなみにどんなお仕事なんでしょうか?」

「仕事の話の前にちょっと休憩をしてもいいかな? 紅茶を淹れよう。砂糖とミルクはいるかな?」

「ああ、大丈夫ですよお構いなく」

 

 この時点で俺は少し嫌な予感がしていた。彼女の持つ独特の空気がそう思わせるのだろうか。

 

 鍛冶屋の時と同じく、給金は絵で支払うなんて言ってきてもおかしくなさそうだった。

 

 

 

 紅茶を飲みながら彼女は話し始めた。ちなみにテーブルを挟んで対面に座る俺も、淹れて貰ったのを飲んでいる。

 

「小さい時から絵を描くのが好きでね。趣味が高じて筆一本で食っていけるようになった。それ自体は喜ばしいことだったけど、どうにも有名になりすぎてしまったみたいだ。自分で言うのもおかしいけど、そんなつもりは無かったから色々と煩わしいことが増えてしまったわけさ」

「なるほど」

 

 分かるような分からないような話だ。ちなみに芸術に精通していない俺はフローラなんて画家は聞き覚えがない。というか他の画家も知らない。

 

「ずっと王都で暮らしてきたし王宮で専属で描いていたこともあったんだけど、ちょっと疲れてしまってね。幸い懐には余裕があったから、穏やかな場所でゆっくり絵を描きたいと考えて、こっちに引っ越してきたんだ」

「確かにこの村は言っちゃなんですけど田舎ですからね。結構いるみたいですよ王都から引っ越してくる人」

 

 まぁ王都からわざわざこの村へ引っ越してくる人は老人が多いけどな。なにかと忙しない王都より、緑豊かな土地で余生を穏やかに過ごしたいって人は多い。

 

 多分、自称有名になりすぎて疲れたフローラさんや、追い出されたメアリーは相当レアケースだと思う。

 

「仕事というのは、ようは雑務や給仕だね。この汚い部屋を見て貰えば分かる通り、どうも私は生活能力が極めて低いみたいなんだ。つい絵に夢中になると食事もとらないことがしょっちゅうある。だからご飯を作ったりゴミ出ししたり掃除したり、そういうのが一つ目の仕事」

「分かりました。他には何をすれば?」

「あとは、絵の依頼が結構くる。権力を笠にかけてくる貴族は全部お断りなんだけど、中には真摯に頼み込んでくる人もいるからそれを選別しといてほしい。これが二つ目の仕事。三つ目はファンレターが毎日のように届くから私の代わりに返事を書いてくれると嬉しいかな。お願いしたいのは主にこの三つだね」

 

 聞いてるだけなら今までで一番、俺の性格に合ってそうな仕事だった。

 

「ファンレターの返事ってのは、俺が考えて書くんですか? 正直文章には自信が無いんですけど……」

「いや、代筆はしてもらうけど内容は私が考えるよ。絵を描いている間、口は動かせるからね。私の絵が好きと言って手紙まで出してくれる人に不義理は働きたくないしね」

「ありがとうございます。仕事の内容はよく分かりました。ところで聞き辛いんですが給金の方はどのくらいでしょうか?」

「言い値で支払う。なんて言えたらカッコいいのだけれどね。まぁ大体このくらいかな」

 

 そう言ってフローラさんから提示された額は、俺の想定より多く、魅力的な額だった。

 

「じっくり考えてから決めて欲しいと言いたいけれど、出来れば早い方が好ましいかな。基本いつでもここにいるから、働く気が起きたら知らせてほしい」

「分かりました。少し考えさせて下さい。明日また来ます」

「うん。良い返事を期待してるよ」

 

 お互いのカップは既に空だった。俺は彼女に御礼を言った後、部屋から退出した。

 

 家の外に出て振り返ると、さっきまで見た光景がまるで白昼夢だったかのように、独特の世界を構築していた彼女の家は、いくつも並んでいる民家の中の一つに戻った。

 

 理知的で聡明そうな人柄だったし理不尽なことは言われなさそうだ。仕事内容も特に難しい印象は受けなかった。給金も十分な額だった。

 

 良い条件なのに、二つ返事でその場での了承が出来なかったのはやはり彼女のミステリアスな雰囲気が俺にどこか気後れさせたのだろうなと分析する。

 

 いつの間にか、午後の光はいくらか薄れて、周りには夕暮れの気配が混じり始めた。

 

 俺は時間が経つのは早いなぁと思いつつ、ゆっくりと帰路についた。

 

 

 

 ただいまーと言いながら家に帰ると、まるで留守の間主の帰りを待ちわびた大型犬のようにどたどたと走ってきたメアリーが飛びついてきた。

 

 なんだなんだ。

 

「あんたねぇ!? 帰ってくるのが遅いのよ! 私がチョコさんに怒られてる間も助けてくれないし! 許さないからね!」

 

 帰宅したら美少女に正面から抱きつかれて愛の抱擁かと一瞬勘違いした俺を誰が責められよう。

 

 実は俺はトウシンのことがあった後、怒るとすぐに手が出る彼女の暴力は禁止した。

 

 パンチやキックが禁止されたと解釈したメアリーの出した答えがこれという訳だ。

 

 すなわち締め技、これは愛の抱擁ではない。ベアハッグである。地方によっては鯖折りとも言う。

 

 いったい彼女のどこにこんな腕力があったのか、背骨から肋骨にかけてミシミシと音が鳴り、続けて痛みがくる。

 

「ちょ、ギブギブギブ!!」

 

 というか、打撃技を禁止したわけでは無くて、人に危害を加えることを止めなはれと注意したつもりだったが、伝わらないものである。

 

 部屋から顔を半分くらい出して、あら~ラブラブーとか声を出しながら顔を赤くしている両親が目に入って、単純にムカついた。

 



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第十話 浴衣美少女と夏祭り

 

 メアリーが家に来てから二週間が経った。

 

 未だに俺の気苦労は絶えないが、特に大きな問題も無く平和な日々が続いている。

 

 朝起きて、朝食を食べ新聞を読み終える。メアリーを起こした後、彼女の髪を手早くとかして家を出る。

 

 新たな職場となったフローラさんの家に行き、炊事洗濯掃除その他雑務を行う。

 

 手紙で来る絵の依頼内容を検分し、フローラさんの指示を仰ぎながら仕分けしていく。

 

 彼女のファンレターを朗読し、その返事を文章に代筆する。

 

 夕方になる頃には彼女の分の食事を作り、自宅に帰る。

 

 自宅で夕食を食べた後はメアリーのダンスレッスンを受け、お互い汗だくになる頃にはレッスンは終了し、その後各自風呂を浴び、部屋に帰って就寝する。

 

 そんな日々がルーティーンとなりつつあった。

 

 俺が仕事している間、メアリーは畑仕事や読書をして過ごしているそうだ。お袋指導のもと最近料理やお菓子作りにも挑戦しているらしい。

 

 両親曰く最近は畑仕事にもだいぶ慣れてきたらしく、指示したことは素直に吸収するので教え子としては優秀らしい。

 

 彼女は元々器用ではあるし、どうも両親の言うことはきちんと聞くようなので平民生活も順調といったところだ。

 

 それから、兄貴と義姉さんが甥を連れて一度挨拶に来た。

 

 兄貴は相変わらずの調子だったのでメアリーも再度混乱していたけど、義姉さんが注意したことで多少は真面目に自己紹介をし直した。

 

 その為、お互い無事に顔合わせも済ませることが出来た。メアリーは義甥に義叔母さんと呼ばれたことに引きつった笑みを浮かべていたが、流石に2歳の子に乱暴するようなことはしなかった。

 

 そんな、特にこれといった事件も無い穏やかで平凡な日常が過ぎていった。

 

 

 

 

「それじゃ、フローラさん俺そろそろ帰ります」

「おっと、もうそんな時間か。毎日のようにこき使ってすまないね。疲れていないかい?」

「大丈夫です。それが仕事ですし全然平気ですよ。お疲れ様でした」

「ふむ。聞いた話だと今日はこの村の祭りごとがあるらしい。君も親しい人と一緒に行ってはどうだい? ちょっと待っててくれ」

 

 フローラさんはそう言って、白いタンスをごそごそと漁ると祭りの出店のチケットを何枚か取り出して俺に渡した。

 

「知り合いから貰ったチケットだけれど、私はどうも人が多い所というのが苦手でね。良かったら有効活用してくれると嬉しいかな」

「俺も行くかどうか分からないですよ?」

「それならそれでもいいさ。どうせ他に渡せそうな人も思い浮かばないしね」

 

 本日行われる花火大会の存在は認知していた。しかし誰から誘われるわけでもなかった為、現状行く予定は無いのだが、年長者の厚意を無下にしたくも無かったので、ありがたく受け取ることにした。

 

「ありがとうございます。もし行くなら使わせてもらいますよ」

「うん。それじゃ今日もお疲れ様」

 

 

 

 いつも通り家に帰ると、そこにはいつも通りの格好をしていないメアリーと両親がいた。

 

「どうも平民の奇抜な服は動き辛いわね。コルセット着けなくていい分ドレスよりはマシだけど」

「あらあらメアリーちゃんの普段の可愛さと合わさって優雅で上品で雅で素敵だわぁ」

「うむ、まるで水の妖精、いや女神だな」

 

 リビングには、ところどころ紫陽花の模様が施された藍色の浴衣を身に纏ったメアリーが紅い帯をお袋に締められていた。

 

「あら、アルベルト帰ってたのね」

「喜べ息子よ。今日のお前には、この優美なる姫をお守りする騎士の称号を授けよう」

 

 そう言った両親に押し出されるような形でメアリーと正面から顔を見交わす。

 

 普段の長い髪はいったいどこにその質量を隠したのか、肩ぐらいまでの長さで一つに纏められていて、赤い簪が後ろに見える。

 

 薄らとだがメイクもしているのか、自分では慣れてきていると思っていたはずだった彼女の天使の様な美貌をまじまじと見詰めてしまった。

 

 煌く黄金の髪と長いまつ毛、溢れ出る品の良さ、浴衣の上からでも分かる完璧なボディライン、透き通るような白い肌、なのに頬は若干紅く染まっている。まるで絵画からこっそり抜け出して来たかのような美の化身、そんな彼女に笑いかけられて、ドキドキしっぱなしだった心臓の鼓動がひと際跳ねた。

 

「そんなジロジロ見られると流石に恥ずかしいのだけれど? それで感想は?」

「えーと、凄く可愛いです」

「似合ってる?」

「似合ってます」

「よかった」

 

 浴衣というのは王都では見る機会の無い服装だ。元々は東洋の国の民族衣装の様なものらしいが、何故かハーケン村の祭りではよく着られることが多い。

 

「よし! じゃちゃっちゃとあんたも着替えてきなさい!」

「いやいや俺まだ祭りに行くとは言ってないぞ」

「なに馬鹿なこと言ってんの! メアリーちゃんに一人で行かせるわけないでしょ! 40秒で支度しな!」

「はい」

 

 素直に言うことを聞いたのは、親の命令だからであって、決してメアリーと祭りに行くのが楽しみになってきたからではない。

 

 

 

 メアリーを連れて歩いていくと、食べ物の匂いと共に縁日の明かりが見えてきた。あちこちで橙色した提灯のぼやけた灯りがうす暗闇に浮かびあがっている。

 

 浴衣を着た村の子供や老人と幾人もすれ違う。がやがやとした雰囲気は普段なら煩わしいと感じるが、何処か懐かしくもあり、柄にもなく気分の高揚を感じる。

 

「ところで今日って何の祭りなの?」

「うーん。ハーケン村夏祭りとしか知らんな」

「普通名前あるでしょ。王国生誕祭とか精霊降臨祭とか」

「こっちの人は祭りの理由まで気にして無いと思うけど」

「祭り事一つとっても相変わらず訳わかんないわね平民って」

「楽しければいいんだよ。祭りなんて」

「ほんと、考えるだけ徒労ね。気にしないで楽しむことにするわ」

 

 そんな会話を二人でしながら出店をいくつか回る。

 

「なによこれタコ焼きってまさかあの海の悪魔と言われてるオクトパスのこと!?」

「王都では一般的では無いけどこっちじゃ普通に食べるぞ」

「無理無理無理! あんなの食べ物にするなんてどうかしてるわよ」

「そうか? まぁ無理に食えとは言わんし、折角の無料チケットだし俺が全部食べるよ」

「信じられない。あり得ないわよ。だってデビルフィッシュよ?」

「お、あのおっちゃん中々いい腕してるぜ。あっつ、熱いけど美味い」

「ごくり……」

「ん? やっぱ一個いるか?」

「ど、どうしてもっていうなら一個くらいなら食べても良いわよ。あーん」

 

 ちょっと怖がってるのか、目を瞑りながら口を開けているメアリー、まるで餌を待っている雛鳥のようだ。俺はタコ焼きの一つを吐息で冷ますとそれを口へ放り込んだ。

 

「っ!? あふっ、あふいじゃない! 何よこれ!」

「いや、熱いって言ったじゃん。それでお味はどうですか?」

 

 メアリーは熱さに悪戦苦闘しながら、そのうちタコ焼きを咀嚼して飲み込んだ。

 

「熱くてよく味が分かんなかったから残りは全部私が食べるわ」

「お気に召したようでなによりだよ」

 

 

 

「なにあれ、きんぎょ掬いだって、平民はきんぎょも食べるの?」

「あれは食用じゃなくて、きんぎょを鑑賞したり育てるのを楽しむ人がやるもんだ。俺らには必要なし」

「ふーん。なんか残念。水魔法使えば10匹でも20匹でも掬えそうなもんだけど」

「魔法禁止」

「分かってるわよ」

 

 

「射的だって、あんた得意?」

「狩りとかやったこと無いから俺はあんま得意じゃないな」

「じゃ、勝負ね。私が勝ったらあんた私の奴隷だから」

「いつも奴隷みたいなもんなんすけど」

「いつもは義弟として可愛がってるだけでしょ。ほんと失礼なやつね」

「何言ってんだ。俺が義兄でお前が義妹だろ?」

「は? 馬鹿言わないで、あんたが下で私が上なのは地球が丸いくらい当たり前のことでしょ」

「は? やんのか?」

「は? ぶちのめすぞ」

 

 こうして射的勝負が始まった。結果から言うと俺は負けた。こいつ絶対ばれないように魔法使ったと思うんだよ。クマの人形を抱きしめながら横ではしゃいでいるメアリーを見てそう思う。俺は残念賞で貰った水風船を弾ませながらため息をついた。

 

 

「うーんこのブルーハワイって味、どういう由来なのかしら、食べてみても全然分からないわ」

「元々はそういう名前の酒が由来らしいぞ、よく知らんが」

 

 かき氷を食べながら二人で歩いていると遠くの人混みの中に見知った顔が見えた。トウシンだ。

 

 彼女さんと一緒に連れ添って歩いている。あのカフェでの一件以来会っていないが、もし顔を合わせたらまたろくでもないことになるのは目に見えていた。

 

 危機回避能力の高い俺は、メアリーと一緒に、目に入った近くのお面屋の出店へ足を進めた。

 

「お面を被ろう」

「何よ藪から棒に、義弟」

「これを言うのはものすごく抵抗があるが、お前は超がつくほどの美少女だ。さっきから歩くたびにすれ違う男全員がお前を見てくるぐらいには」

「そりゃそうでしょ。本来ならこんな村に私みたいな絶世の美少女が居るわけないし」

「目立ちすぎるのはあまり好ましくないしこれで中和しよう」

 

 そう言ってウサギの面を渡す。

 

「ったく、しょうがないわね」

「すまんな。けっこう皆着けてるしこれも平民文化だと思ってくれ」

 

 俺も彼女と同様にスズメのお面を被る。

 

「ちょっと視界悪いわね」

「確かに思ったより見辛いけど、もう出店も大体回ったからあとはどっかで最後の花火見るくらいだろ。そんな歩かんぞ」

 

 人も増えてきたし、はぐれないように彼女の手を取って歩く。

 

 さっきまでと違って、道行く人もお面かぶった男女二人にそこまで注目を浴びせなかった。

 

 焼きそばを二人分購入した後、花火を見る為の特等席へと彼女を連れていく為、舗装がきちんとされていない雑木林の坂道を歩く。

 

「どこ行くのよ。花火もう始まるんじゃないの?」

「雑木林の上の方に確かベンチが有るんだよ。子供の頃の記憶だけど、まず人もいないし花火見るにはもってこいの場所だったと思う」

 

 記憶の通りに歩いていけば、案の定少し坂を上った先には開けた場所があった。無人の空間の中、木で作られたベンチが二つぽつんと置かれていた。

 

「誰もいないようで良かったよ。座って焼きそばでも食おうぜ」

「また珍妙な食べ物が出てきた……」

 

 二人でお面を外して、ソースのたっぷりかかった麺をフォークで絡め取りパクつく。微妙に安物っぽい食材を濃い味で誤魔化している感じが絶妙にチープで美味かった。

 

 食べながら花火開始まで待っていると、後ろの方からきゃいきゃいとした声が聞こえてきた。誰か来たな。

 

「誰か来たみたいね」

「別に俺らの専用席ってわけじゃないしな。隣のベンチに座るだろ」

 

 この場所は俺の知ってる花火観賞の穴場だが、気づく奴は気づく。そのくらいの場所だ。

 

 やってきた二人は俺らの存在をちらっと確認すると隣のベンチに座って話し始めた。どうやら声から察するに女の子二人組みらしい。

 

「いやー久しぶりの祭りだけど美味しい物いっぱいだったね」

「それにしてもクリスは食べ過ぎ、太るよ」

「そんなこと無いよ。イカ焼きと焼きそばとリンゴ飴と綿飴とタコ焼きとケバブとかき氷とチョコバナナくらいだもんまだまだイケるよ」

「いや、十分なんだけど」

「ほらほらそんなことよりもうすぐ花火はじまるよ」

 

 やがて、どこからかひゅるるると間の抜けた音が聞こえた後、夜空には鮮やかな色の巨大な花火が咲いた。

 

 それを言ったのは誰だったのか、綺麗やら凄い等の感嘆の声が聞こえる。ひょっとしたら気づかず俺が言ったのかもしれないし、この場にいる全員が口に出していたのかもしれない。

 

 次々と、絶えることなく花火は上がった。爆音は振動となり、俺の身体に空気の衝撃波が当たるがそれすら心地よかった。

 

 そんな中、ふと隣のベンチを見るとそこに座っていた女性と思いがけず目が合った。さらに、夜のうす暗い闇の中をも照らし続ける花火の光がお互いの存在が誰であるかを互いに認識させてしまった。

 

「嘘だろ? なんでここに……」

 

 呟きが漏れる。俺の危機回避能力が今のこの状況に警鐘を鳴らしていた。

 

「なんでここに、アル様が……」

 

 隣のベンチに座って花火を見ていた女性の一人は、メアリーの恋仇にして、因縁の相手であるクリスティーヌ男爵令嬢だった。

 

 奥に座っているもう一人の女性は俺らに気づいていないのか、たーまやー! などと声に出している。

 

 俺の右に座っているメアリーも笑いながら花火を楽しんでいた。

 

 何故彼女がここにいるのか? 俺の疑問に答えは出ないまま、今夜最後の花火はひと際大きな爆音を鳴らした後夜空一面に咲いて残照を煌かせながら消えていった。

 



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第十一話 クリスは可憐、アウラは世話焼き、メアリーは最悪

評価、お気に入り登録。ありがとうございます。


 クーケンバーグ男爵と夫人の元に生まれた一人娘はクリスティーヌと名付けられ、両親から無償の愛をこれでもかとたっぷり注がれて育てられた。

 

 幼いころから活発だったクリスはよく屋敷から抜け出すと、市井の子供達に混ざっては日が暮れるまで、泥だらけになりながら遊んだ。男爵らはそのことにも当然気づいていたが、本人が毎日笑顔で過ごしていればそれで良いと考えて黙認していた。

 

 良く言えば元気いっぱい、悪く言えば男勝りな性格に育ったクリスであったが、そんな彼女に転機が訪れたのは8歳の頃だった。

 

 父に連れられて行った社交界のパーティーの際、後の親友であるアウラ・フォン・ライシュタット侯爵令嬢との出会いが彼女を少しづつ変えていった。

 

 クリスとアウラは初対面から直ぐに仲良くなった。他者との距離間が近く、どんな人でも寛容に受け入れるクリスと、大人しいが面倒見は良いアウラの性格は互いに似ていないのにやたらと馬が合った。

 

 二人は最初は子供らしく楽しい談笑をしていたが、やがてそれは主婦同士の井戸端会議の様な愚痴のこぼし合いへとシフトしていった。

 

 そしてつらつらとクリスから出た言葉の数々にアウラは戦慄が走った。

 

 曰く、ドレスは社交界の際に親に無理やり着させられる。普段は専ら短パン半そでを着て毎日野原を走り回っている。

 曰く、髪なんて動き辛いから短くしていたい。なんなら丸刈りでも良いけど親が許してくれない。

 曰く、女の子を苛めてた奴を拳で分からせただけなのに、親に怒られてしまい未だその件は納得していない。等とアウラの一般的な貴族子女の価値観からしたら信じられない言葉がわんさか出てくる。

 

 アウラは、見た目だけなら天使のように愛らしい友人が、貴族云々の前に花も恥じらう乙女として大きくズレているのを理解した。

 

 最早ズレているのを通り越して、生まれてくる性別間違えたんじゃないかと思うような男らしい性格は、なんとか矯正せねばなるまいと、お節介にもアウラはその日決心したのだった。

 

 その後も、領地が近いこともあり二人の交流は続いた。アウラの献身にも近い奮闘により、見事クリスは女の子らしさを少しずつ学びとり、外を歩く際にようやくスカートを穿くようになった。彼女らが10歳の頃である。クリスの両親はハンカチを片手に泣きながら喜んだ。

 

 二次性徴を終える頃にはクリスも立派に女の子らしくなっていた。色気より食い気な彼女は初恋すらまだだが、髪も伸ばして身体も女性らしく育ち、服装もまともになったので、少なくとも見た目だけはどこに出しても恥ずかしくない貴族の令嬢だった。

 

 15歳になり、彼女らは貴族の義務として王都にあるアメス学園へ通うこととなった。

 

 大勢の新入生の中でも、愛らしくも整った顔をしているクリスの可愛さは特に人目を引いた。男子学生がクリスを見て頬を染めるたび、この子は自分が育てたと内心アウラは誇らしげだった。

 

 だがメッキというのは直ぐ剥がれるもので、段々とクリスの本性はばれていった。

 

 なにせ講義中に隠れてパンを食べるわ、目蓋に黒ペンで目を描いて居眠りするわ、カブトムシを捕まえてはしゃいでるわと、彼女本来の大雑把で適当な野性味あふれる性分は他の貴族の生徒達から奇異の目で見られていった。

 

 それでも男女問わず大多数の生徒が彼女を嫌わなかったのは、その人柄が分かりやすく善人だったからであろう。

 

 困ってる人がいれば気さくに声をかけて助ける優しい子。いつも笑顔で楽しそうな子。能天気で間抜けで変わってるけど害は無い奴。それが周りから見た彼女の正当な評価である。

 

 しかし、どこにでも物好きは居るもので、そんな彼女に恋をしてしまった男子生徒がいた。それこそがユグドラシル王国第二王子である三年生のチャールズである。

 

 きっかけは些細なことで、クリス本人からしてみれば記憶にも残っていないような一つの親切が、結果的にチャールズの心を射止めた。チャールズはクリスと会話をしたいが為に何度も一年生の教室を訪れ、その度に周りの生徒達からは二人は身分違いの恋人だと噂されていった。

 

 そんな状況になって、良い顔をしないのはチャールズの婚約者であったメアリー公爵令嬢である。

 

 メアリーは早急にクリスの事を調べると、取るに足らない辺境の男爵令嬢の一人と結論付け、彼女に対する嫌がらせを行い始めた。

 

 私物が無くなったり、机に落書きがしてあったり、遠くから水浸しにされたりと、使い古されたような嫌がらせを受けるクリスだったが、ちょっと困ったなくらいの感覚でしかなかった。幼少期はこえ溜めに落としたり落とされたり、毒蛇を投げたり投げられたり、殴り合ったり蹴り合ったりとアグレッシブな環境を生きてきた彼女は精神的に逞しかった。

 

 加えて、親切な誰かが、自分のことをフォローしていることにクリスは気づいていた。私物や落書きはいつの間にか元に戻されているし、水浸しになったあと分かりやすい所にタオルが置かれてたりする。クリスは犯人よりそっちの人の方に興味を持っていた。

 

 そして、入学から二ヶ月が経ち、新入生歓迎の立食パーティで学園を騒がせる事件が起こった。

 

 言わずと知れたメアリー婚約破棄事件である。立食のローストビーフしか目に入っていなかったクリスは、アウラに手を引かれて会場を後にするまでその大騒ぎに気づきもしなかった。

 

 アウラは事の次第をクリスに説明した後、メアリーと従者であるアルベルトから逆恨みされる可能性があるから注意するよう進言した。クリスは、一連の嫌がらせの犯人が誰か分かってのどに刺さった小骨が取れたようにスッキリしたと返答した。そこに危機感は皆無である。

 

 実際アウラもそこまで心配はして無かった。メアリーの悪い噂は良く耳にするが、まさか王子からこんだけ言われてクリスに害をなすようなことはしないだろうと思っていた。まさかそんな性格悪い奴はいないだろうとも思っていた。まさかねー。

 

 そのまさかである。

 

 メアリーの性格の悪さは常識人であるアウラの想定の範疇外であった。

 

 事件から三日後、メアリーの胸中にはクリスへの怒りと憎しみが渦巻いていた。彼女は、父親であるルドルフから勘当させられたことも、全てクリスのせいだと責任転嫁することでなんとか崩壊気味な精神の安定を図っていたのである。

 

 残り一カ月で学園を去る前にクリスに是が非でも深い傷を負わせねばなるまいと、メアリーは復讐に燃えていたし囚われてもいた。

 

 金にモノを言わせたメアリーは、屈強な男数人でクリスを襲わせるように計画した。暴力的な意味合いだけではなく、女性としての尊厳を踏みにじり穢し尽くすという意味も含まれている。これも使い古されたような最低の手段であったが、仮に成功していたならば、メンタルお化けのクリスといえども心的外傷と男性恐怖症によりその精神は病んでしまったであろう。

 

 計画の当日、クリスは学園の校舎裏に手紙で呼び出された。

 

 死角の位置から覆面をした屈強な男達数人に取り囲まれたクリスは、必死の抵抗も空しくすぐに地面に押さえつけられ無力化させられた。

 

 皮肉なことに、クリスはそこで初めて自分が非力な女の子であることを自覚することになった。

 

 制服のリボンを乱暴に引きちぎられ、とうとう下賤な男の手が彼女の柔肌に触れようとした際、彼女にとっての救世主が息を切らして現れた。アルベルトである。

 

 普段はメアリーのやることに苦言を呈すことはあれど、事態が大ごとにならないようにフォローするくらいしか行動しなかったアルベルトであったが、この状況は彼の持つ良識と照らし合わせた結果、流石に見て見ぬ振りが出来なかったのである。

 

 突然現れたアルベルトに男達は多少困惑したが、直ぐに嘲るような笑みを浮かべた。人払いは済ませてある。標準的な身体付きの、見るからに平民の男子学生一人が何をしたところで計画に支障は無いと考え、再度嫌がる少女に劣情を持って手を伸ばした男の一人は、アルベルトが放った飛び膝蹴りの一撃の元に沈められた。

 

 言葉は不要とばかりにアルベルトは暴れまわった。その身のこなしは獅子のように荒々しく、鷹のように俊敏で、男達は訳も分からぬまま気絶させられていった。

 

 意識がまだ残っている何人かの男達は地面に倒れ伏して呻いているが、凄惨な現場というほどではなかった。せいぜい覆面の下で鼻血を出している者がいるくらいである。

 

 アルベルトは、怖い思いをさせて済まなかったと、今も震えているクリスに謝ると、お姫様だっこで少女を抱えながら寮の前まで足早に運んだ。

 

 自責の念と謝意でいっぱいのアルベルトとは裏腹に、クリスは謝恩と慕情の視線を彼に向けていた。まるでロマンス小説の有りがちな展開のように、危ないところを助けられたクリスは彼に一目惚れしていた。彼の腕っ節が強かったことも彼女に芽生えた乙女心をくすぐった。

 

 クリスを寮まで送り届けた後、彼に待っていたのはいつも以上のメアリーの癇癪だった。計画がアルベルトに潰されたことを彼女は知って怒り狂った。いくらか弁明したが聞き届けては貰えず、結局裏切り者だとか謀反者だとかの誹りを受けた。

 

 この件は主従間に溝以上の確執を作った。メアリーからすれば彼は主人の意に背いた裏切り者であるし、アルベルトからすれば未遂とはいえ人道に反した行いをするクソな主人である。

 

 その後、アルベルトが貴族を殴り飛ばす別の事件が起きるまで、二人の主従は冷戦状態であった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「あら、久しぶりね野蛮人さん、こんなとこで会うなんて思っても見なかったわ」

「サマリー公爵令嬢……様」

 

 花火が終わった後、色々と確執がある二人は対峙していた。偉そうにふんぞり返ってるのはメアリーで、困惑気味なのはクリスティーヌ男爵令嬢だ。

 

 それぞれの横には従者のように控えている俺と、彼女の友人と思しき女性がいた。

 

 メアリーは会話のマウントを取りたいのか精一杯威厳を出そうとしているが、浴衣姿な上に熊の人形抱えてて口元には焼きそばの青のりがついてるものだからまるで出せて無かった。

 

「ま、いいわあなたなんかに構っても仕方が無いし、花火はもう終わったもの。帰りましょう? アル」

「え? あ、はい。そうですね。それがいいですね。帰りましょう」

 

 彼女の発言に俺は動揺した。復讐に盲進してた彼女の気狂いっぷりを見てきた俺としては、この場で怒りに任せて掴みかかることくらいはすると思っていたからだ。

 

 言葉は多少嫌味っぽいが、とりあえず何事もなく帰れるならそれに越したことはないので、俺も彼女の言葉に賛同した。

 

 こんな地雷原一秒だって居たくない。ささ帰りましょうメアリーさん。俺は彼女を連れてとっとと退散しようとした。が、呼び止められた。

 

「待って下さい!」

 

 場にクリスティーヌ男爵令嬢の声が轟く。メアリーは不愉快そうに、何よ? と聞き返した。

 

「あのあの、アルベルト様!」

 

 え、俺っすか? なんだろう。思い当たるのは一か月前にメアリーが起こした婦女暴行事件(一応未遂)だが、恨み事は言われ慣れてる俺も何を言われるか想像もつかなかった。

 

「な、なんでしょう?」

「あの時はありがとうございました! 私ずっと御礼を言いたくて!」

「ああ、いえいえ全然、そんな必要ないですよ。本当に、全くもって」

 

 本心で思った。貴族である彼女が平民の俺に頭を下げる必要なんて無い。だってあの件はほとんどマッチポンプだもの。こちらから謝る必要はあれど御礼を言われる云われは無かった。

 

「そう言われるのも分かってました。それでもずっとお会いしたかったので、今日は偶然とはいえ、会えて嬉しかったです」

「貴族様にそう言って頂けて恐悦至極です」

「あの、また今度ゆっくりお話出来ませんか?」

「エッ?」

 

 そう言って顔を紅く染めた彼女は自身の亜麻色の髪をいじりながら上目遣いでこちらを見上げている。小動物のような愛らしい顔つきは思わず抱きしめたくなるほど可憐だった。

 

「何よ、あんたこいつに気があるの?」

 

 そう言ってメアリーは意地悪そうに笑った。聞かれた本人はさらに顔を紅くして俯いてしまった。

 

 ええっ!? この反応、マジッすか!? この不肖アルベルトにも遂に春の訪れですか!? 

 

 しかも貴族の子女とか逆玉じゃないですか。こんな可愛い少女に何の脈絡も無く惚れられるとかどこのロマンス小説だよ。いやーモテる男は困っちまうぜ。

 

「でも残念ね。悪いけどこいつは私のモノだから、あんたは隣の友達に失恋を慰めて貰いでもしなさい」

 

 メアリーはそう言って、見せつけるように俺にしな垂れかかってきた。引き離そうとしたら睨まれた。女の子怖い。

 

「なっ……! アルベルト様は人です! 物扱いは止めてください! それにいくら従者だからって別にあなたのモノってわけじゃ──」

「今一緒に住んでるから、私達」

「ななっ!?」

「昨日も激しい夜だったわ。二人っきりで手と手を取り合って、気づけば汗だくになっちゃったもの」

「ななななっ!?」

 

 メアリーの言うことに嘘は無かった。親同伴で、とか、ダンスの特訓で、とか言葉は足りていないが。

 

 嘘でしょ……? と言いながら、クリスティーヌ男爵令嬢は眩暈を起したようにふらふらしている。彼女の友人に支えられてなんとか立っていた。

 

 修羅場と言うにはどこか生暖かい弛緩した空気が場を漂い始めた。俺の目からだとそう見えるだけかもしれないが。

 

 今なら、俺の為に争わないで! とかボケたら面白いかもしれない。いや慣れないことはしないでおこう。

 

 狼狽している彼女の姿を見て、若干気を良くした様子のメアリーだが、次の言葉を聞いて表情が凍りついた。

 

「さっきから随分偉そうですけど、貴族に対する言葉遣いが、なって無いんじゃないですか? 平民のメアリー先輩?」

 

 そう発言したのは先ほどまでは沈黙を貫いていた、クリスティーヌ男爵令嬢の友人のアウラ・フォン・ライシュタット侯爵令嬢だった。

 

 彼女の言葉にはメアリーに対する敵意と彼女自身の怒気が含まれていた。

 

 もう俺は帰りたかった。

 



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第十二話 少し大人になった


評価やお気に入りが急に増えて驚きました。
なろうの方でもブクマ&評価してくれたであろう読者の方も多く、非常に嬉しいです。モチベ列車に石炭がどんどん入ります。
お気に入り、評価、誤字報告、感想ありがとうございます。


「ええと、アウラどういうこと? 平民のって?」

「言ったとおりだよクリス、この人はもう公爵令嬢でも貴族でも無い。学園も退学になって今は只の平民ってこと!」

「ぐ、ぐぬぬ」

 

 蒼い髪をたなびかせているアウラ伯爵令嬢の言葉を聞いて、メアリーは悔しそうに嗚咽を漏らしている。その青ざめた顔には痛いところを突かれたとしっかり書いてあった。

 

 さっきまでは俺の前でふんぞり返って偉そうにしてた癖に、今はこそこそと俺の背後に隠れ出した。やめろ俺を盾にするな。

 

「……アル、なんでこいつ私が退学になったこととか知ってるのよ」

「……俺が知るわけ無いだろう。貴族の間では案外有名なんじゃないのか?」

 

 メアリーが俺の耳元でぼそぼそ囁くように聞いてくるが、正直俺にも分からない。彼女が公爵家を勘当されたことはクロワッサン家以外では、ルドルフ公爵と関係が深い一部の好色貴族と学園長くらいしかまだ知らないはずだ。

 

 学園が夏季休業に入る直前まではメアリーも一応通っていたし、少なくとも現時点で、学園の生徒には彼女の落ちぶれっぷりを知るすべは無いはずだ。どこでアウラ伯爵令嬢がこのことを知ったのかは皆目見当もつかない。

 

「さっきまで偉そうにしてたのに、平民だってことがバレたら急におとなしくなりましたね」

「あの、すみませんが……ライシュタット伯爵令嬢様は、何故メアリーが平民だということを知っておられるのでしょうか?」

「私の叔父が学園長なので、たまたま知っただけですよ。公爵家から除名されたことまでは聞きましたけど、その後どうしてるかまでは知りませんでした。まさかこんなとこで会うと思ってなかったのはこっちも一緒です」

 

 そういうことか、学園長繋がりだったのね、成程合点がいきました。

 

「それからアルベルト先輩はそんな畏まらなくて良いですよ。私は誰かさんみたく親の権力をチラつかせて偉そうにするのとか好きじゃないですし、私の事もアウラで結構です」

「学園内でも無いのに伯爵令嬢様を相手に呼び捨ては流石に良くないと思うのですけど」

「はいはい! 私の事もクリスって呼び捨てにして下さい! 私もアル先輩って呼んでも良いですか? というか絶対呼びます! アルせ~んぱい!」

「ええと、じゃあせめて、さん付けで呼ばせて貰います」

 

 さっきまで意気消沈してたのに、めっちゃクリスさんぐいぐい来るんですけど。でも可愛いからアルベルト的には許しちゃう。

 

「それにしてもちょっと自分に都合悪くなったら直ぐに男性の後ろに隠れるなんて、相変わらず姑息というかなんというか……卑怯な人」

 

 アウラさんは再度メアリーに苦言を呈している。彼女に対する敵意を隠そうともしていない。

 

 なにせ友達であろうクリスさんに散々嫌がらせしてきた諸悪の根源が目の前に居るのだ。メアリーに対して怒りが湧くのも当然であるし、その怒りと敵意は事情を知る俺からしても正当なものだ。いまやメアリーは身内だが、過去の悪行を思えば弁護の余地が無い。

 

「さっき、一緒に住んでるとお聞きしましたけどほんとにそうなんですか?」

「そ、そうよ! こいつがどうしてもって言うから──」

「私は、あなたじゃなくてアルベルト先輩に聞いてるんです」

 

 アウラさんの質問にすかさず答えようとしたメアリーだったが、氷のように冷たい彼女の言葉にピシャリと黙らされていた。この子迫力があるなぁと思いながら、俺が答えた。

 

「そういうことになりますね。クロワッサン家として彼女の身元を引受たので俺の両親との4人で暮らしてます。一応関係としては義理の姉弟です」

 

 変に誤解されてもしょうがないので、正直に言った。クリスさんはホッとしたように胸をなでおろしている。とても可愛い。

 

「なんだ。どっかの変態貴族に嫁いでるか修道院で尼でもやってるかと期待してたんですけど、お優しいアルベルト先輩が引き取っちゃったんですね。王子から婚約破棄されてまだそんなに経って無いのに従者に色目をつかうとか尻の軽い人ですね」

 

 お優しいの部分に妙な含みを感じた。あれ? アウラさんもしかして、俺にも怒りの矛先向いてませんか? 

 

「……期待してたって、この女性格悪いわね! というか引き取ったって何よ! 私は動物かってーの! 色目なんて使ってないし! アル! なんか言い返しなさい!」

 

 メアリーは相変わらず俺の背後に隠れながら彼女らに聞こえない声量でぶつくさ文句言ってる。正面から自分で文句言うのが怖いんだろうが、勿論無視した。

 

「散々クリスや皆に嫌がらせしておいて、反省もしないで普通に暮らしてるなんて、そんなの納得できるわけ無い!」

「……別にあんたの納得なんて必要無いわよって言いなさい! アル!」

 

 俺を中継地点にして少女達は怒りを露わにしている。女の子同士の諍いに男の俺がどうにか出来る訳無い。早々に匙を投げた俺は救いを求めるようにクリスさんに目線を向けたが、彼女は珍しい物でも見るかのようにアウラさんのことをまじまじと見ていた。誰か助けて。

 

「謝って下さいよ。誠心誠意。クリスに対して。そのくらいは出来るんじゃないですか?」

「あ、アウラ? 私もうそんなに気にして無いっていうか……」

「私が気にしてるの! 私はクリスを傷つけようとしたこの人がどうしても許せない!」

 

 感情が昂ったのか、アウラさんは声を張り上げた。その琥珀色の瞳には少し涙も見えた。その涙は俺の罪悪感を呼び起こした。

 

 メアリーは知らんが、俺には彼女たちへの負い目があった。メアリーの暴走を止められなかったこと、それで傷つけられた人達を見て見ぬふりしてきたこと。どれも苦い記憶だ。学園にいた頃の彼女には明確に罪が在り、一緒にいた俺も似たようなものだった。

 

 完全なる被害者であるクリスさんには今も申し訳ない気持ちになるし、アウラさんの言うとおり誠心誠意の謝罪はするべきだと思う。

 

「メアリー」

 

 俺は彼女の名を呼び、彼女らと正面から向き合えるように身体を少し横にずらした。

 

 謝れと命令もしない。謝ってくれと懇願もしない。ただ、以前よりほんのちょっぴり性格が改善された彼女の良心が、きっと謝罪という選択をするであろうと信じていた。

 

 時間は巻き戻らない。起こした罪は消えないし、謝罪や反省をしたからといって全てが許されたりはしない。だけれどもそれは、謝罪も反省もしなくていいという理由にはならない。

 

 おずおずと前に進み出た彼女は、クリスさんの正面に立つと、ため息を一つ漏らした後、深く頭を下げた。

 

「確かに、あなたにしたことは申し訳なかったし。それについては謝罪するわ。でも私も婚約者を取られて冷静じゃ無かったというか、つい暴走しちゃっただけというか、あのときは精神的に不安定だったというか……」

「それで謝ってるつもりですか?」

「ぐぎぎ」

 

 頭を下げたまでは良かったのに、延々と言い訳を呟いているメアリーの横からアウラさんの駄目出しみたいな言葉が出る。だが傲慢不遜で被害者意識の強いメアリーが頭を下げるとは思っていなかったのか、その語気は先ほどよりも少し弱かった。

 

「本当にごめんなさい。私が愚かだったわ。もうあんな風にあなたを貶めたりしないわ……多分」

「多分?」

「……絶対しません」

 

 半ば言わされている様にも見えなくはないが、兎にも角にもメアリーは確執あったクリスさんに謝罪した。アウラさんもその様子を見て溜飲が多少下がったのか、怒りのボルテージも同時に一段階下がったように見える。

 

 あとはクリスさんが彼女の謝罪を受け入れるかどうかだが、今までのメアリーの所業を振り返ると普通はその望みは薄いのだけれど、クリスさんは先ほどからあまり気にして無い素振りを見せていたので案外許してくれそうではある。あれだけのことをされたのに一体彼女のメンタルはどれだけ強靭なのだろうか。

 

「分かりました今までのことは許します。まぁそんなことはどうでもいいんですけど、さっき言ってましたけど二人はその、しちゃってるんですか? セッ……じゃなくて、交……、いやえーと、愛の営みってやつを?」

 

 メアリーの一世一代の謝罪をあっけらかんと受け入れるとクリスさんはそんな疑問を恥ずかしそうに口に出した。いやそれダンスの練習してただけなんです。

 

「……そんなこと? ……どうでもいい?」

 

 あ、ヤバい。多分葛藤の末になけなしの良心と勇気を振り絞って頭を下げたであろうメアリーは、クリスさんに適当に流されたことがかなり不満だったらしく、頭を下げた状態のまま怒りでプルプルと壊れた人形のように震えている。

 

 多分、クリスさんも悪意は無くて素なんだろうけど、それが余計にメアリーの癪に障るのだろう。このままだと折角良い感じにまとまりそうだったのに癇癪持ちメアリーのせいでまた台無しになりそうだ。

 

 なんというかそもそも相性が悪いんだなこの二人は、善と悪は決して交わらないというやつだ。

 

「いや、そんな事実は無いです。夜中にダンスの練習して汗だくになったってだけですよ」

 

 すかさず二人の間に割って入り、事実を述べた。下手に二人が喋ると余計こじれそうだ。

 

「あ、なんだそっかぁ、やだ私ったら勘違いしちゃって、ダンスレッスンのことだったんですね」

「アルベルト先輩の女性慣れしていない対応を見れば直ぐに嘘だと気づく。クリスはむっつり」

「な! そんなことは、あるけど! 好きな人の前でそういうこと言うのやめてよ!」

「クリスさん、むっつりなのは否定しないんですか? というか好きな人って……」

「ああ! ちが、そう言うんじゃなくて! ただアル先輩は私のこと助けてくれたし白馬の王子様というか凄くカッコ良かったし憧れというかそういうあれなんです! 今度デートして下さい!」

「クリス、テンパり過ぎ」

 

 これもう完全に俺のこと好きじゃない? どうしよう。凄く嬉しい。休みの日にデートして遊んで親睦を深めてからお互いの誕生日にプレゼントとか送って喜びあったりペアルックで同じ服とか着て町を練り歩いたりとかしたい。

 

 そんな妄想を俺が幻視していると、先ほどから放置していたメアリーが幽鬼のようにふらりふらりとしながら不意に俺の胸ぐらを摑んだ。

 

 ヤバい、女の子二人と和気あいあいとし過ぎたからか、これはまた理不尽な右ストレートが放たれる。暴力は禁止したはずだぞやめろ。と一秒にも満たない刹那の時間の中で俺の思考はフル回転していたが、次の彼女の行為により頭の中は真っ白になった。

 

 俺の顔を近くに引き寄せた彼女はあろうことか俺の唇に自分の唇を合わせてきた。

 

 今までの人生で一番の至近距離で彼女の顔を見る。目を瞑っており、彼女の長いまつ毛が俺の顔にくすぐったくも当たっている。

 

 接吻、キス、ちゅー、たしか求愛行動の一つだったはずだが、突然の事態に何も考えられない。

 

「……んっ、…………ふぅ」

 

 艶めかしい声が彼女から聞こえる。たっぷり数秒間俺のファーストキスを貪るように奪ったメアリーは、してやったりという風に二人の少女を見た。

 

 アウラさんは突如目の前で行われた痴態に顔を紅くさせている。

 

 クリスさんは嘘だあああ! と叫びながらどこかへ走って行ってしまった。アウラさんは舌打ちを俺達にした後、走り去った彼女を追いかけていった。

 

 二人の少女が消えて、この場には俺とメアリーだけが残されていた。

 

「な、にしてくるんだよ」

 

 俺はようやくそれだけ言うことが出来た。当然の疑問なのに、口から出るのはだいぶ遅かった。先ほどまでは良くも悪くも賑わっていたこの場所も今や俺ら二人っきりだ。どちらかが何も言葉を発しなければ静寂が場を支配していた。

 

「ちょっとカッとなってやっちゃった。言っとくけど勘違いはやめてね。キスくらいたいしたことじゃないから」

「なんだよ、それ」

 

 俺は蹲ってちょっとめそめそし出した。情けなくも悔しいことに女性経験が全く無い俺は不意のキスに全く抵抗する気が起きなかった。

 

 メアリーがこれ見よがしに彼女達の前でやったのは、クリスさんが俺に好意を持った様子を見たから。それ以外考えられない。

 

 こいつがやったことは普通に最悪なのに、ちょっと喜んでしまってる俺がいるのは男の悲しいサガだ。自己嫌悪に陥ってるのに、気づいたら俺は自分の唇を指でなぞりながら彼女を見ていた。浴衣姿の絶世の美少女、彼女にキスされた。一体今俺はどんな顔をしているのか鏡で見てみたいものだ。羞恥心で真っ赤なのか、情けなくもだらしない顔をしているのか、どちらにせよ最悪だけどな。

 

 俺達は特に会話も無いまま実家に向かって歩き始めた。何をしゃべっていいのかも分からない。

 

 これからどんな顔して彼女と暮らせばいいのかも分からない。たいしたことじゃないと言っていたが、気にしないのは無理だろう。

 

「なんか喋りなさいよ。まだ恥ずかしがってるの?」

「無理、せめて明日まで待ってくれ、それまでに平常時の状態に戻す」

 

 ちなみにファーストキスは若干ソースの味がした。

 



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第十三話 ドキドキ恋愛相談

 やまない雨が無いように、明けない夜もまた無い。昨夜のメアリーの暴挙に対する脳内ワニワニパニックを未だ処理できていないというのにもう朝が来てしまった。

 

 昨夜は途中まで確かに祭りを楽しんでいたのに、家に着く頃には打って変わって気が重くなってしまった。

 

 いっそこのまま布団から出なくて良いならどれほど素晴らしいだろうか。しかし残念。今日もフローラさん家への出勤日なのさっ。

 

 もし昨日のことが夢ならば、この後メアリーに会っても通常運転で接する自信はあるのだけれど、あの生々しい唇の感触は現実としか考えられない。

 

 ……柔らかかったな。

 

 嗚呼、煩悩に支配されてしまう。果たしてアルベルト・クロワッサンという男はキス一つでここまで心がかき乱されるような人間だっただろうか。

 

 幼少期は使用人の間で"修行僧"だとか不名誉なあだ名で呼ばれてるくらい何事にも動じない人間だったはずなのだ。俺は。

 

 俺はあの頃と変わってしまったのだろうか? ま、数年も経てば人の性格も変わるか。それに俺も今や17歳でギリ思春期だしな。心が多少乱れるのはしょうがない。にんげんだもの。

 

 実際、昨夜から自室の布団の上で一人、暴れるミミズのようにのたうち回ってる俺はまさに絵に描いたような思春期の少年っぷりだ。

 

 今のこの有様を昔の同僚に見られたら、遂にアルベルト君も心を手に入れることが出来たんだね。とかコメントされそうだ。俺はオズの魔法使いのブリキ男かよ! 

 

「さー! 起きるぞー! 朝だ! こんなとこに居られるか! 俺は起きる!」

 

 心の中でセルフツッコミを入れた後、自らを鼓舞して俺は布団からはい出た。

 

 鏡を見ると、いつもの通りの仏頂顔をしたイケメンの男がいる。おはよう今日もハンサムだね、と鏡に住んでる男に挨拶した。

 

 昨日はお祭りを回って楽しんだ。その後ちょっとごたごたしたけど、それだけのことだ。

 

 窓を開ければ相変わらず空は青いし、蝉は鳴いてるし、鳥は飛んでる。世界はいつも通りの色をして回っている。見える景色は昨日と何も変わっていないし、それを見ている俺だって、昨日と何も変わっていないはずだ。

 

 その後、いつも通りの朝のルーティーンを済ませた後、俺はメアリーの部屋に向かった。

 

「おはよう。もう起きてるんだな」

「おはよ」

 

 部屋に入るとパジャマ姿のメアリーがいた。その姿を見て内心動揺する。彼女の部屋なんだから居るのは当たり前なんだよ。何故俺は動揺するのか。

 

 挨拶を済ませてから、いつの間にか毎朝の日課へと昇華されてしまった、彼女の髪のブラッシングを行う。

 

 何度見ても綺麗な黄金色の髪を梳いている間も彼女の様子は普段通りだった。少なくとも俺にはそう見えた。

 

 やはり彼女にとっては、自らが言うように昨日のことはあまり深い意味は無かったのだろう。

 

 クリスさんが気に食わなかったから、彼女を悲しませる為に、俺にキスした。つまるところはそういうことで、それ以下でも以上でも無いわけだ。

 

「昨日のことなんだけどさぁ」

「どれのことよ」

「いや、俺にキスしたじゃん。しかも二人の目の前で、それ以外無いだろ」

「ああ、そ、そのことね。あったわねそんなことも」

 

 ……なんか、微妙にとぼけてる様子がにじみ出てるよな? 流石に厚顔無恥のメアリーと言えども一晩経って冷静になると、自分の行動について思う所があったのだろうか。

 

 ここで、誰にでもああいうことしてんのか? とか、本当は俺のことが好きなんだろ? とか発言する奴は、メアリー検定に合格できません。

 

 そんな不用意な発言をする奴はすかさず彼女の拳によって黙らされることでしょう。

 

 勿論、伊達に専属使用人を10年以上やってない俺は、きちんと最適解を導き出せます。なんて世の中の役に立たない特技だ。

 

「今度からキスする前に味の濃い物食べない方がいいぞ。された方は直前に何食べたか分かるからな?」

 

 ……無言で頬を引っ叩かれました。まだ髪型を結んでないのに部屋から追い出されました。残念ですがメアリー検定不合格です。

 

 乙女心が分かんない。分かんない。分かんない。

 

 俺は頭を抱えた。あーあーもうしーらね。職場に行ってきまーす。

 

 

 

 

 

「どうしたんだい、珍しく悩んでいるね。アル君」

「そう見えますか? フローラさん」

 

 私情を職場に持ち込むなんて、折角働かせて貰ってるのに良くないな。気持ちをちゃんと引き締めないと。

 

「仕事もいつも通り完璧にこなしてくれているし、表情も特に変化は無いけど、なんとなくね。そう思ったんだ」

「やっぱり画家さんの観察眼は流石ですね。普段通りにしてたつもりなんですけど」

「画家としての、と言うよりは女の勘ってやつかな。一応こんなのでも生物学上は女なのでね」

「一応も何も、誰から見てもフローラさんは魅力的な女性ですよ」

 

 この相変わらず掴み所が無い人はどこか謙遜が過ぎるきらいがある。何故か自己評価がやたらと低いのだ。

 

「お世辞でも君にそう言って貰えると、素直に嬉しいよ」

「いや、お世辞じゃないですって」

 

 実際彼女は美人だ。西洋人形の様な美しさを持つメアリーや、妖精の様に愛らしいクリスさんとは違い、まるで彼女自身が一枚の絵のような、周囲の風景と隔絶されている圧倒的存在感が綺麗だと感じる。

 

 すらりと長い手足や雪のように白い肌はどこか儚げな印象を与えるのに、矛盾したような妖艶な美が醸し出ている。

 

「話が少しズレてしまったね。困った事があるなら気軽に話してくれていいよ。申し訳ないことに解決できるかは分からないけど、助力は惜しまないよ」

「ありがとうございます。フローラさん。………………聞いてくれますか?」

 

 俺の思春期特有の、顔を覆いたくなるような恥ずかしい話を相談するかどうかは悩んだ。

 

 だが、自分で考えても分からないことがあった時は、他人に聞くのが最善である。これ、社会の常識ね。聞くは一時の恥だけど聞かぬは一生の恥になるとは言い得て妙である。

 

「何から話せばいいのやら、実は昨日のお祭りに同い年くらいの女の子と一緒に行きまして」

「なるほど、色恋の悩みだね」

「えっ!? そうなのかな? ……そうなのかも?」

「いいね。実は持病持ちで、なんて語り口で来られたらどうしようかと思ったよ。男女で祭りの日に逢い引き、少し妬けてしまうくらいだ」

「……真面目に聞いてます?」

「勿論。大真面目さ」

 

 少し疑わしいが、彼女は俺の様な小僧とは違い、酸いも甘いも噛み分けて立派に自立している一人の女性だ。年齢は未だ知らないが少なくとも俺より年上である女性のアドバイスは、五里霧中な今の状況下では是非とも欲しい。

 

「そこで、その子にキスされたんですよ。でもちょっと状況が特殊でして、どうも俺に好意的な別の子に魅せつけたくてキスした……みたいな」

「ふむ。モテモテだね。アル君」

「茶化さないで下さいよ。それで、そのキスした子との距離感を測りかねてるというか、俺自身どうしたいのかも良く分からなくて」

 

 うーん。自分で言うと凄い恥ずかしいぞこれ。カウンセリングのような羞恥プレイを味わってる気分だ。

 

「ふふっ。少し安心したよ」

「何がですか?」

「君は少し大人び過ぎていたからね。きちんと歳相応の可愛いところが見れたことに、かな」

「隠居した爺みたいな性格してるとよく言われてきましたけど、これでも17歳ですよ」

「きっと君は自分に自信が持てない人間なんだろうね。私と似ている」

「……似てますかね? 誰にでも当てはまりそうなこと言ってませんか?」

「そうかもしれないね」

 

 本当に掴み所が無い人だな。悩み相談をしているつもりなのに、会話の中で俺という人間を観察して推し量っているような気がする。

 

「君は分析力に優れているのだと思う。答えにたどり着くことより、客観的に物事を見て自分を安心させたいんだろうね。自分の立ち位置を確認したいという欲求があるのかな。仕事を完璧にこなそうとする姿勢も、自分という人間の価値を確立させようと無意識的に考えてるんだと思うよ」

 

 まるで全てお見通しとでも言うようにつらつらと彼女は語った。

 

「それは決して悪い事じゃない。誰だって自らを客観的に見て、感情を理性で抑えて生きている。だけど、君はそれが少し強すぎる。そうなった原因は分からないけど、自分の感情を完全に押し殺して理性的に行動し過ぎている。だけどそれはある意味人として欠陥しているとも言えるね」

「俺の自己分析を代わりにお願いしたつもりはないんですけど」

「いやいや。これは非常に大事なことさ。特に色恋の悩みには、こころが深く関わってくる問題だからね。しかも、君は自己評価が低いせいで他人からの好意を素直に受け止めることが出来ていない。もう少し自分を好きになってみたらどうかな」

「もうやめましょう。フローラさんの話を聞いてると余計に迷走しそうです」

「そうかな。本人が言うならしょうがないね。出過ぎた真似をしてしまって済まなかったね」

「いえ、こちらこそ、話を聞いて貰っただけでもありがたかったですよ」

 

 

 

 

 その日の仕事を終えて帰る時、フローラさんから別れ際にアドバイスを貰った。

 

「アル君が今対面している問題は直ぐ解決すると思うよ。月並みな言葉だけれど、自分の気持ちに正直に向き合うことが大切だよ」

「本当に月並みな言葉じゃないですか」

「先人達は偉大だからね。青春、とても良いね。若い頃を思い出すよ」

「まだフローラさんは若いでしょう。ちなみにいくつなんですか」

「あ、もう一つ月並みなアドバイスすると女性の歳は聞いちゃ駄目だよ。デリカシーデリカシー」

 

 ち、さらっと聞けばイケるかと思ったのに、謎は深まるばかりだぜ。

 

 

 

 

 帰りの道中を歩いていると、草むらから飛び出してきた野生の美少女とエンカウントした。

 

「や、やあアル先輩、こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「クリスさん! あ、どうも昨日ぶりです」

 

 ぺこりと頭を下げて挨拶する。そこそこ大きい村なんだけどなんで今会うかなぁ。アウラさんが居ないのは唯一の救いか。

 

 うーん。正確にはキスしたとこ見られて彼女が走り去った時ぶりだから、これまた何話せばいいのか分からんぞ。逆に誰か分かる人いる? もし居たら教えて。

 

「すみません。こんな待ち伏せみたいなことして、ただどうしてももう一度お会いしたくて」

「今さっき奇遇って言ってたような……?」

「あ! そう、たまたま、たまたま会いました!」

 

 もしかして、昨日の今日で俺の職場と家間の道と退勤時間調べられてるの? 怖っ! 貴族の情報収集力が凄いってだけだよね? 彼女個人で調べられてたらちょっと怖いし重いよ? 

 

「それで、そのぅ……お二人は既に交際されてるんですか!?」

「あはは、全く無いです。あいつにとって俺は玩具か何かですよ」

「でも、キスしてましたよね?」

「大したことじゃ無いらしいですよ。あいつ曰く」

「おっしゃ!」

 

 そう言ってガッツポーズをとるクリスさん。男爵令嬢としてはどうかと思うけど、感情のまま真っ直ぐに生きている彼女は俺にはまぶしく見える。

 

「明日、おしごとお休みですよね!?」

「な、なんで知ってるんですか?」

「たまたまです! たまたま!」

 

 それは流石に無理があるだろ。

 

「それで、デートしませんか? 私お弁当作りますよ! じゃんじゃん好きな物とか入れちゃいますよ! アル先輩は何が好きですか!?」

「わーぐいぐい来るー」

「……ごめんなさい。こういう女の子嫌いですか?」

「何を馬鹿な。男なら誰でもあなたみたいな女性にお誘いを受けて嬉しくないわけありません」

「ほわー、カッコいい……」

「ちなみに好きなものは飲み物はコーヒー、茸ならエリンギ、野菜ならピーマン、魚なら鮭、肉なら鳥肉ですかね」

「分かりました! 私3つ以上のこと覚えられないので、手のひらにちゃんと書いときますね!」

「健忘症ですか?」

「違います! 好きな人が出来るとその人のことで頭いっぱいになっちゃうだけです! 強いていうならこれは恋の病です!」

「面と向かって言われると恥ずかしいのですが」

「ななっ、アル先輩とは言ってないですよ!? 好きな人がいるとは確かに言いましたけど!」

 

 それは流石に無理があるだろ。(二回目)

 

「明日お昼前に家まで迎えに来ますね! お弁当楽しみにしててくださいね! 私は飯美味い系ヒロインなので! それじゃまた明日!」

「あ、はいじゃあまた明日、良ければ送って行きましょうか?」

「え!? 嬉しい! けど、大丈夫ですよ! すぐそこなんで、さよならー!」

 

 そう言い残して、すったかたーっとクリスさんは走り去っていった。というかやっぱり実家も知られてるのか。怖っ。

 

 デート、……デートか。な、何故だ!? ふ、震えてやがる……。まさか俺は、ビビってるのか!? 

 

 しかし明日とはまた急だな。お出かけ用のコーディネートしなきゃねっ! 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「折角なら送って貰えば良かったのに」

「うわっ!? アウラ見てたの!? いつから!?」

「や、やあアル先輩! から」

「最初からやんけ! 声くらいかけてくれれば良かったのに……」

「二人の逢瀬を邪魔するのもどうかと思って、良かったね。昨日のことはもう大丈夫?」

「う、うん。キスのことは、あのときは動揺したけど、もう平気。それに今はアル先輩が誰と付き合っても、最後に私の横にいてくれればいいかなって思ってる」

「一途と言えばいいのか重いと言えばいいのか分からないけど、親友の私は応援してる」

「うん。ありがとうねアウラ。はぁーそれにしてもアル先輩かっこよかったー仕事帰りだからかちょっと疲れてる顔も魅力的だったしそれでいて私へのフォローも忘れずにいるところとか紳士的で素敵だしお弁当に入れる物って意味で好きな物を聞いたら真っ先に飲み物が出てきちゃうところが天然で可愛いしいつか好きな物を聞いた時にクリスって言ってくれたらいいなぁそしたら私もアル先輩が好きですって返してお互いはにかみながら笑い合えたらきっと幸せだと思うんだよねうちはあんまり身分の差とか気にしないからお父様達も許してくれると思うしなんならアル先輩を使用人として雇うのもアリだよねそしたら執事服着て貰って毎朝起こしに来てくれたりとかお休みのキスしてもらったりとかしてもらえるかなアウラはどう思う?」

「ひえっ」

 



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幕間 あるべると君ななさい

 

 悪人を先天的悪と後天的悪の二種類に分類するならば、メアリー・フォン・サマリーは典型的な後天的悪人である。

 

 メアリーは愛や情とは縁遠い環境で幼少期を過ごした。

 

 公爵家という圧倒的権力を持っていた彼女の周りには、取り巻きのような人間こそいても、真実の友は一人としていなかった。

 

 また、生まれて直ぐに母親を病気で亡くした為、彼女に愛を注げる家族は父親であるルドルフと姉のアイリスの二人だけだった。

 

 しかし、父親のルドルフの関心は常に、不出来な妹では無く圧倒的に優秀な姉に向いており、姉のアイリスの関心もまた別のことに向いていた。

 

 誰からも愛されず、何をしても叱られず、周りに信頼出来る人間も居ない。

 

 そんな幼少期を過ごしていたメアリーは、つまるところ常に愛に飢えていたのである。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「アルベルト、お前が使用人として働き始めて早一カ月だ。何故ここに呼ばれたか、検討はついているか?」

「申し訳ございません。思い至りません。何か不備があったのでしょうか」

 

 サマリー領にある公爵家本家屋敷の執務室にはまだ年端もいかない少年と、固定式のイスに座りながら書類作業をしている少女がいた。

 

「仕事自体は問題ない。だが、職務態度に問題があるな。他の使用人からお前が何て呼ばれているか知っているか?」

「他の方からは修行僧、もしくは能面などと呼ばれていることは確認致しました」

「気づいているなら直せ。表情の変化も乏しく、何をしても動じないのは長所ではなく短所だ」

 

 黄金色の髪が特徴的な少女、10歳にして領主代行を勤めるアイリスの言葉にアルベルトは肩を落とした。彼自身、自分の悪癖は理解していた。なにせそれは彼が公爵家で働くことになった理由の一つでもあるからだ。直せることなら今すぐにでも直したかった。

 

「お前はその歳で悟りでも開くつもりか? ただ頬の筋肉を歪ませるだけのことが出来ない理由でもあるなら簡潔に話せ」

「いつからか、気づいたら出来なくなってました。申し訳ありません。明日までには直します」

「甘えるな、今すぐ笑え。領主代行命令だ」

 

 アイリスに命令と言われてしまっては、アルベルトに逆らうことは出来ない。彼は意を決したように、精一杯の作り笑いを浮かべた。鏡で確認するまでも無くその笑顔は酷く歪んでいることが彼にも分かった。

 

「現状は良く分かった。物理的に不可能な訳では無いな」

「解雇でしょうか?」

「このくらいで一々使用人を解雇にしてたら今頃うちの領内は失業者だらけだよ」

 

 アイリスはそう言うと手元にあった最後の書類に公爵家の判を押した。

 

「明日からお前は愚妹の専属使用人だ。執事長と侍女長には私から話をしておく。職務異動だ。これ許可証。受け取れ」

「メアリー様の、専属使用人ですか?」

 

 アルベルトは唐突な展開を不思議に思いながら許可証を受け取った。彼も遠目でしか見た事は無いが、アイリスの3つ下の妹のメアリーは姉に負けず劣らずの美少女で使用人の間でもその美貌は評判だった。しかし、愛らしい見た目とは裏腹に性格は我儘で高飛車で最悪だとも評判だった。

 

「まずは様子見で今日から一カ月、あのじゃじゃ馬に誠心誠意尽くせ。匙を投げたくなったら言いに来い」

「分かりました。粉骨砕身の思いで仕えさせて頂きます」

「うむ、任せたぞ。来月この件についてまた面談する。次回から敬語はいらんぞ、無駄に肩がこる。……さて私はそろそろお昼寝の時間だ。休憩、休憩」

 

 

 

 

「平民が私に専属で仕える? ふざけないで! 家訓だかなんだか知らないけど、ここは王国にこの貴族ありと言われたサマリー家よ。身の程を知りなさい、解雇よ。今すぐ出て行って!」

 

 メアリーとの初の邂逅の際、アルベルトは早速彼女の癇癪を受けた。実年齢以上に精神年齢が幼いメアリーにとっては合理よりも彼女の感情が何より優先されるのである。

 

 貴族至上主義の彼女にとって、平民の、ましてや男が自分の専属使用人になることなぞ、いくら姉の許可があろうとも到底許容できない事だった。

 

 アルベルトは噂以上のメアリーの人柄を直接見て、前途多難そうな未来に辟易しそうになった。その後も紆余曲折はあったものの、一応二人は主従の関係となった。

 

 アルベルトの予期した通り、今までの労働環境に比べ、彼にとっては過酷な日々が始まりを告げた。

 

 メアリーが癇癪を起したら宥めたり、感情の機微を素早く察知して事前策をとったり、屋敷を勝手に抜け出したメアリーを探し、見つけ、背負い、運んだり、彼女のいたずらの被害にあった使用人達へのフォローをしたりと、アルベルトは日々奔走した。

 

 そんな風に身を粉にして尽くしたからか、アルベルトにとって怒涛の一カ月が過ぎる頃には、彼はメアリーの信頼を十二分に勝ち取っていた。

 

 

 

 

「この一カ月、何故私がお前を愚妹の専属にしたか、思う理由を言ってみろ。変に繕わず、正直にな」

「誰もやりたがらない過酷な労働環境に一番立場の低い自分が飛ばされた?」

「悲観的過ぎるだろ。何故そう穿ってしか物事を考えられんのだ。はい、再検討」

「彼女の苛烈すぎる性格を矯正する為、ですか?」

 

 その回答を聞いて、相変わらず机に溜まった大量の書類を片付けていたアイリスは手を止めた。

 

「当たらずとも遠からずだな。だが、私が矯正したかったのはどちらかと言うとお前だよ」

「私ですか?」

「答え合わせをするなら、理性的過ぎるお前と本能のまま生きる愚妹、真逆の二人だからこそ互いに学ぶ物は有ると思って専属にした」

「お陰様で刺激的な日々を過ごせましたよ」

「皮肉を飛ばせるようになったか。成長したな。表情も多彩になったし、もう不名誉なあだ名で呼ばれることも無くなるだろう」

 

 事実として、メアリーに苦労をかけられてる様子を皆に見られたアルベルトは、以前までのように気味の悪い無愛想な子供ではなく、妹の我儘に悪戦苦闘する苦労人のお兄ちゃんのように周りの目には映っていた。

 

「多分困り顔とか引き攣った顔とか絶望した顔とかしか表情のレパートリー増えてないんですけど」 

「十分だ。喜怒哀楽のうちの一つを学べたじゃないか、引き続き愚妹の元で学べよ。アレは良くも悪くも直情的だ。常に笑って泣いて怒ってと、見てる分には飽きないのだがな……」

「もしかして専属使用人は継続なんですか?」

「当たり前だろ。最早愚妹の相手はお前しか務まらん。今やカルガモの親子のようにどこに行くにもお前にくっ付いてるじゃないか。アルー! アルー! ってしょっちゅう呼んでるし、多分アレの初恋相手はお前だぞ。役得だな」

「適当なことを……」

 

 その時、執務室のドアは突然開け放たれた。ドタドタと部屋に入ってきたのはメアリーだった。

 

「アル! こんなとこに居た! 今日は一緒に本を読むって言ったでしょ!」

 

 そう言ってメアリーはアルベルトの腕を引いて退出しようとするが、アイリスとの面談中であったのでアルベルトは困った顔をした。

 

「ああ、話は済んだ。メアリー、もう連れてっていいぞ」

 

 そう言ってアイリスは手をひらひらとさせるが、それをメアリーは憎々しげに睨んだ。

 

「アルは私の専属使用人なんだから、お姉様じゃなくて常に私を優先しなさい」

「勿論ですよお嬢様」

 

 仮に否定していたらまた面倒なことになると予想したアルベルトは、アイリスの前だったが、メアリーの言うことにすぐさま肯定した。

 

「ふふん。それで良いのよ」

 

 そう言って勝ち誇るように姉を見ているメアリーを見て、アイリスはため息をついた。内心、何でこんな性格に育っちゃったのかなぁという思いだった。

 

 そのまま退出しようとした二人を見送りながら、アイリスはアルベルトに言った。

 

「あとアルベルト、自分で気づいて無いだろうが、メアリーの前だとお前はちゃんと笑えてるぞ」

 

 その言葉が聞こえたかどうかはアイリスに分からない。返事が無かったから聞こえなかったのかもしれない。

 

 まぁどちらでもいいかとアイリスは執務室の扉を閉め、再度、溜まっている書類を片付けるべく机に向かうのだった。

 



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第十四話 デート前日の緊張は半端ない

 

 アルベルトがクリスからデートの約束を取り付けられている頃、所変わって王都にあるルドルフ公爵の執務室では、銀髪の紳士、ルドルフと、風光明媚な金髪の女性、アイリスが正面から対峙していた。アイリスの眼光は鋭く、実の父に対する視線には非難が込められていた。

 

「で、何の用で来た? 王妃様?」

「惚けるな。親父殿、メアリーを公爵家から追い出したらしいな。それと、私はまだ王子妃だ。間違えるな」

「その件か、ことさら広めたつもりは無いのだが、人の口に戸は立てられんらしい」

 

 アイリスは言葉に精一杯の怒気を込めた上で発言をしたが、ルドルフは全く気にしていない素振りでわざとらしく肩を竦めた。

 

「それで、愚妹はどこへやった? 時間の無駄だからさっさと教えろ」

「それを聞いて王子妃様はどうする気だ? そしてその言葉遣いはどうにかならんのか、せめて父上と呼べ」

「親父殿のことだから修道院や教会ということはあるまい。何処かの木端貴族に無理やり嫁がせたのなら、即引っぺがして連れ帰らせる」

 

 アイリスは本気だった。一昨年自分が卒業した後、入れ替わりで入学したメアリーが、学園でも相変わらず愚行を繰り広げていたことは少なからず聞いてはいたが、それをふまえても、血のつながった妹が不幸になるのを傍観することは彼女に出来なかった。

 

「お前は昔から他者に甘いのだけが欠点だな。上に立つ者として無駄な情は切り捨てた方が良いと忠言しよう。今回の件はアレの自業自得だ」

「あなたは考え方が古いな。私は自身の甘さを誇りに思っているし、今までに切り捨てた方が良いと思った情など一つも無い」

「理想論を語れるのは若いうちだけだ。もう成人したのだからいい加減現実を見るんだな。小娘」

「老いたから妥協を覚えただけだろ。老害が。いいからとっとと吐け」

 

 アイリスは怒ってもいたが、同時に焦っていた。彼女の想像の中で、メアリーは今頃泣き叫びながらどこかの脂ぎった貴族にその肢体を弄ばれているか、路上に捨てられた犬のように当ても無く彷徨っているかのどちらかだったからだ。

 

「……アルベルトが引き取りたいと言ってな。今までの溜めこんでた給金と退職金を吐き出してな」

「アルベルトが? あいつは平民だぞ? 親父殿がそれを了承したのか?」

「そうだ」

 

 それを聞いたアイリスは、彼女の中で今にも破裂しそうだった怒りで造られた風船が、しゅるるるとしぼんでいったような、振り上げた拳の持って行きどころを失くしたような、まさに肩すかしの気分を味わいながらも、心底ホッとしていた。

 

「それなら問題無いだろう。あの変人なら愚妹にも無下なことはしまい。全く人騒がせな」

 

 アイリスの安堵したような声には先ほどまでの怒気は含まれておらず、今までの張りつめた空気はその場から消え去っていた。

 

「どうかな。アルベルトも男だ。今頃アレも嘆きながら姉の助けを求めているかもしれんぞ。私にはもう関係ないがな」

「親子そろって面倒な性格しおって、まともなのは私だけだな公爵家は。では失礼する。父上が実はツンデレだと知れて良かったよ」

 

 その端正な顔をほころばせながら、話は済んだとばかりにアイリスは踵を返して執務室を後にした。

 

 足取りは軽く、執務室へ来た時に比べ機嫌は良さそうだった。

 

 彼女は馬車の手配を早々に済ませると、ハーケン村に向けて出発した。

 

 妹とその従者に久々に会う為だけに、王子妃がわざわざ地方の村へ出向くのは異質な光景では有るが、誰も指摘する者は居なかった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「ふんふんふーん♪ ふんふんふーん♪ って! ちょっと!」

「あ、悪いミスった」

 

 明日の初デートのことは気がかりだが、俺は毎晩の決まりであるメアリーとのダンス特訓をしていた。昨夜は祭りの件もあって流石に休みにしたので一日空けてはいるが、この練習はほぼ毎日行われている。

 

 あくまでメアリーから習った俺の理解の範疇内だが、社交ダンスとは音楽に合わせて男女が手を取り合いながら前後左右に足運びをする踊りだ。

 

 練習の際の音楽は毎回メアリーが鼻歌のように口ずさみながら、その歌に合わせて二人で足運びを行う。

 

「なんか今日は身が入ってないように思うのだけど?」

「実はお前のせいでもあるぞ」

「はぁ? 人のせいにしないでよ」

 

 この前、初めて彼女から手ほどきを受けた日、社交ダンスの練習は思ったより恥ずかしかった。貴族の踊りとは優雅でお洒落なイメージだったのだが、端的に言って、煩悩まみれの俺には刺激が強すぎた。

 

 まずパートナーである異性の距離が近いどころか密着する。お互いの両手は繋がれて目の前には麗しの少女の顔が有る上に、彼女の豊満な胸部装甲が俺の胸辺りと接触する訳だ。普段真面目に踊ってらっしゃる貴族の皆さんには本当に申し訳ないですけど、こちとら思春期、踊れば踊るほど凄いよこしまな気持ちが湧いてきました。

 

 おまけに汗だくになったメアリーの紅潮した顔とか、息切れしながら漏れる吐息の声とか、汗で顔に張り付いた髪の毛とか、正直言ってその姿は性的過ぎた。

 

 それでも鋼の心を持って、今まで彼女には気取られずに平常心で練習はしてきたつもりだったが、今日は心を乱された。

 

 いつもの機能性重視の平民の野暮ったい服装と違い、暑いからだろうか、今晩の彼女の服装は胸元が開いた白いワンピースだった。

 

 女性にしては身長が高いメアリーだが、それでも男と女、そこそこ身長に差がある為、ちょうど下に目を向けると彼女の白い肌がまぶしく見えてしまうのである。それが気になって練習に集中できんかった。

 

「いや言い訳してすまん。これは俺の問題だな」

「全く、しっかりしてよね。……今日はこのくらいにしとくわ」

 

 そう言って俺達は繋いでいた手をどちらともなく離した。

 

「昨日のキスのことなら何度も言うけど気にしなくていいわ」

「ああ、もうあまり気にしてないよ」

「嘘つき、今日全然集中できて無かった癖に」

 

 その件ではなく、お前の服装が薄着過ぎて集中できなかったと、今後の為にも正直に伝えた方が良いのだろうか。

 

 いや、でも本番はドレスで踊ることを考えたら露出具合は恐らく今日と大差ないな。となるとやっぱり問題なのは俺の方か。慣れるしかないな。

 

「キス一つでうろたえ過ぎなのよ。いくら私が可愛いからって、女慣れしてない証拠よね。なんならもう一回してあげよっか? 勿論練習だけど、あんたはそれでも嬉しいんでしょ」

 

 馬鹿にするように、あるいは誘惑するようにそう言って、彼女は自分の唇を人差し指でなぞりながら上目遣いで俺を見た。

 

 この女、完全に俺のことを嘗めていやがる。俺がそんな誘惑に乗るとでも思っているのか。

 

 あれ、でも今誰も見て無いし、メアリーは可愛いし、これ俺が下手に出たらもう一回キス出来るの? いや待て早まっちゃ駄目だ。いくら多少改善されたとはいえこいつの性格が最悪なのを思い出せ。これは俺を貶める為の策謀の一つ。そう考えるのが正しいし、古今東西美女の誘惑に釣られた男達の末路はろくなことにならないのは歴史書を紐解けば明らかなのである。

 

 ならば俺のすることはただ一つ、立場の違いというのを分からせてやるのも元従者の務めか。

 

 俺はメアリーの肩の上を包み込むように手を置いて真剣な表情で彼女を見つめた。

 

「ちょ、アル……ほ、本気なの?」

 

 男の怖さというものを甘く見ているメアリーを多少ビビらせてやろうかと思ったのだが、見るからに焦って動揺してる姿を見るとそんな気も薄らいでいってしまった。

 

「確かに俺は女慣れして無いし、正直今回はかなり動揺した。けど、淑女なら自分を安売りする様な真似は止めろよ。貴族社会はどうか知らないけど、愛情表現っていうのは、こっちでは本当に好きになった人にだけする行為だ」

 

 出来るだけ真面目な顔をしながら、諭すように言った。少なくとも俺は、男心を弄びたいとか、誰かに魅せつけたいとか、そう言った理由で男女がキスすることは良くないと思った。この発言に自信は無い、もしかしたら俺は古い人間なのかも。

 

 実際、見合いとか家柄とかで婚約者が決まったりする貴族の恋愛観と俺の考えはかけ離れているものかもしれない。

 

「ふん、偉そうに言うのね。嬉しそうだったくせに」

「確かに嬉しかった。実は初めてだったしな。だけどそれとこれとは別問題で、うちの家では魔法と暴力に加えて不純異性交遊とそれに準ずる行為は禁止します」

「ふーんやっぱ嬉しかったんだ。ま、別に良いわよ。さっきのはあんたをからかっただけで、元々私の唇はそんな安くないから」

 

 真摯に訴えたからか、俺の古い恋愛観が受け入れて貰えたかは分からないが、とりあえず要望は通ったみたいです。

 

「あと、初めてじゃないでしょ。子供の時によく私とその、シてたじゃない」

「え? いや全く記憶に無いけど、誰かと間違えて無い?」

「……あ、そっか。そうね誰かと間違えたかも」

 

 その歯切れの悪い返答に多少モヤモヤとしたものは残ったが、本日のダンス特訓も終了したので、俺達二人は家の中へと帰って行った。

 

 

 

 

 深夜、仕事や運動で疲れているはずなのにどうにも寝付きが悪かった。

 

 考えられる理由としては、明日行われる記念すべき第一回女の子とのデートに思考が引きずられていた。

 

 女性経験の無さをメアリーにからかわれたが、改めて思い返すと本当に灰色の青春時代を今まで過ごしてきたように思う。

 

 公爵家本家の頃も、学園時代もあの性悪に振り回されてばかりだったし、異性の友人もいたような気はするが、同い年の女の子に常にこうべを垂れている情けない姿を見られた後はいつの間にか疎遠になっていった。

 

 そんな昔のことを思い出して、眠気を誘っていたのだが、部屋の扉を叩くノックの音で、うつらうつらしていた意識が覚醒してしまった。

 

「……夜中何時だと思ってんだよ」

 

 ボソっと文句を言いながら扉を開けると、そこに居たのはやはり迷惑千万と言えばこの人というか、案の定メアリーだった。

 

 星の絵柄が入ったピンクのパジャマを着て、両手に抱えるように以前射的で取った熊のぬいぐるみを抱きしめている。

 

「で、なんの用ですか?」

「……一緒に寝て」

「ほわぁ!?」

 

 深夜なのについ大きな声を出してしまった、はしたない。いやはしたないのは目の前のこいつだ。

 

 子供の頃ならまだしも、お互い今いくつだと思ってやがる。今日注意したばかりなのに、もうクロワッサン家の公序良俗に違反してくるとは、中々ふてぇ奴である。

 

 扉を閉めて追い返そうかと思ったら、この寝苦しい暑さの中だというのに、メアリーの身体が震えているのに気づいてしまった。

 

「……怖い夢でも見たのか?」

 

 その問いかけに、メアリーはこくんと無言で頷いた。

 

「お袋呼んでこようか? 流石に男女で一緒に寝るのはマズいだろ」

「……アルがいい。別に変なことしないからお願い」

「いや、それはお前はしないかもだけどさ」

「あんた変なことする気なの?」

「しないけどさ……」

「じゃあ良いでしょ?」

 

 どれだけ怖い夢だったのだろうか。最近は素直に言うことを聞くようになっていたメアリーだったが、今回は折れること無く強引に部屋に入ってきた。

 

 俺の布団に素早く入った彼女は手招きしながら隣に来るよう促してきた。 

 

 本当、17歳の女の子としてどうなんだろう。慎みが無いよね。全く、しょうがないなぁ。

 

 こうしてガワだけは美少女なメアリーと添い寝で一晩過ごすことになった。

 

「……退学になる前、学園にいた頃の夢を見たの」

 

 夏用の薄い毛布に包まれながら、メアリーがぽつぽつ話し出した。

 

 正直もう夜も遅いんで、とっとと寝て欲しかったし、他人が見た夢の話とか興味は全く無かったから勘弁して欲しかった。

 

 それにしても学園時代か、最後に学園に通ってたのは2週間くらい前の話だが、遠い昔のことのようだ。

 

 王子から婚約破棄された後、公爵家からの仕返しが無いと分かるや直ぐに、メアリーは貴族生徒達からの悪意を一身に受けた。

 

 卵とかトマト投げつけられたり、バケツの水をかけられたり、机に花瓶が置いてあったり、これまたありがちな嫌がらせを不特定多数から受け、誰にも助けを求めなかった彼女は段々と擦りきれていくようだった。

 

 被害者からの報復ならまだしも、むしろ今まで関わってこなかったような奴等が面白がりながら正義面して嫌がらせを行っていたのだから貴族ってやっぱ性格歪んでるんじゃねえかとつくづく思う。何故かメアリーが抵抗もろくにしなかった為、嫌がらせは段々エスカレートしていった。

 

 いき過ぎた正義が膨れ過ぎた結果、メアリーは数人の男子生徒から襲われそうになった。確かアクズとかいう名前の子爵のお坊ちゃんが首謀者だったが、偶然にもクリスさんの時と似た様な状況になっていたのは皮肉がきいていた。

 

「手、握っても良い?」

「お好きにどーぞ」

 

 その返答を聞いて、彼女の手の指が俺の手に絡まるのを感じた。

 

 俺は紳士だからね。彼女が泣いてたらハンカチくらい貸すし、震えてる時は手くらい貸すよ。

 

「やっぱり、アルの手握ってると安心する」

「それは良かったから早く寝ような?」

 

 話しかけるなとまで言うと怒られそうだったので、口には出さなかった。

 

 代わりに出たのはひと際大きな欠伸だ。段々と良い感じの睡魔が襲ってきた。

 

 明日のデートの事はなるべく考えないように、俺は深い眠りの海へと沈んでいった。





(´・ω・`)くりすちゃんとのデートはまだ?


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第十五話 自覚

 

 やってしまった。

 

 今日はついチョコさんとオイシーさんに言われて、村の夏祭りにてアルと一緒に遊んだ。そこまでは良い。

 

「うがあああああ!!!」

 

 襲い来る羞恥心と幸福感を打ち消すように、自室にて獣の咆哮。

 

 よりにもよって義理の弟相手に、しっかりと、ねっとりと、唇を奪われて、いや奪ってしまった。

 

「なんであんなことしたのよ! バカバカ、アホ令嬢!」

 

 今更後悔しても既に後の祭り。夏祭りだけに。私は自室の布団の上で、暴れるミミズのようにのたうち回った。

 

 ひとしきり身体を動かしたことで私は徐々に冷静さを取り戻した。

 

 今日から同居人となった友達に声をかける。

 

「クマミちゃん。私はこれから先どうすればいいの?」

 

 身長は50センチくらい、茶色い毛とつぶらな瞳をもった熊のぬいぐるみ。特徴的なのは胸にしている赤いリボン。それがクマミちゃんだ。

 

「自分の気持ちに正直に向き合うクマ。大丈夫今のメアリーちゃんなら出来るクマ(裏声)」

 

 クマミちゃんは難しい事を簡単に言ってのけた。それが出来れば苦労しないのよ。

 

 明日からどんな顔でアルと会えば良いのだろうか。そもそもさっきまでの私ってちゃんと普段通りの冷静美少女として繕えてた? 

 

 あーあ、何であいつとキスなんてしちゃったかなー……。

 

「何でキスしたかなんて、自分が一番分かってる癖にクマ(裏声)」

 

 クマミちゃんの鋭い指摘にため息が出る。理由なんて一つしか無い、まさに短慮。あのムカつく女に対する当てつけだ。それだけの理由でしか無い。

 

「またまた、すっとぼけちゃって、ほんとしょうがないクマ(裏声)」

 

 ……分かってる。それもきっと言い訳だってことは。

 

 以前婚約者だった王子とだって唇を重ねた事なんて無かった。あの女と王子がどれだけ仲良くしていても、そんなことはしなかった。

 

 つまりそれは、そういうことだ。

 

 そういうことになってしまう。

 

「やっぱり、私ってアルのこと好きみたいね」

 

 その言葉を口に出した時、行き場を見失ってた胸の中の感情の濁流は澄み渡る水面のように変わっていった。

 

 いつから彼に恋愛感情を抱いていたかはもう分からない。きっと見ないように、隠すように、気づかぬように蓋をして生きてきた。

 

 いつも一緒にいてくれる。私を肯定してくれる。困ったら助けてくれる。私が本当に欲しかったものを彼が与えてくれたことに気づいてはならなかった。

 

 何故なら私は公爵家の娘で、彼は只の使用人だった。安い小説じゃあるまいし、今時身分違いの恋なんて実際には起こり得ない。

 

 貴族として生まれたからには、親によって決められた相手と添い遂げる。私の場合はそれが顔も人柄も身分も良い第二王子なのだから恵まれていた方だ。

 

 そのことに不満を持ったことは勿論無い。それは貴族として当たり前のことであったし、婚約者ならきっと私を、世界で一番に愛してくれると思っていたからだ。

 

 それなのに。そう思うのが貴族としてあるべき姿だと思っていたのに。

 

「クマクマクマー(裏声)」

 

 彼女の両手を持って、ダンスをするように横にふりふりと揺らす。

 

「クマミちゃん。私、平民になっちゃったのよ」 

 

 貴族と公爵家の肩書に頼れない生活にももう慣れてしまった。

 

 昔の私だったらきっと未だに受け入れられなかっただろうけど、今の私は考え方が成長したと自覚している。

 

 平民の生活は忙しい。以前の私のように優雅さも知的さも娯楽も無い日々を送っている。

 

 チョコさんは畑作業中によく叱るし、オイシーさんは下品なことを言うし、アルは以前に比べて私の扱いが雑になった。

 

 だけど、そんな生活も最近では悪くないと感じている。ほんと成長したものだ。

 

「話したらスッキリしちゃった。ありがとねクマミちゃん。なんとかなるでしょ」

 

 明日アルに会ったら、まず平常心をこころがけて、その後のことはその時考えましょ。そう結論付け、私はクマミちゃんを抱きながら一緒に毛布を被って、寝る準備をした。

 

 それにしてもさっきのアルは珍しく動揺していた。亡くなったお母様譲りの美貌を受け継いだ私のキスなんだから、もっと激しく取り乱してもいいような気がするが、それでも満更でも無さそうだった。あいつが私のことを好きなのは今までの行いから確定的に明らかであるし、やっぱこれって完全に両想いよね。

 

 そう考えると顔が熱くなってきた。

 

 思えば、想い合った男女が一つ屋根の下だ。今真向かいの部屋に居るであろうアルが気の迷いで夜ばいにきたらどうしよう。

 

 キスしたんだからその先も良いだろと考えた彼が部屋に来たら、私はきちんと拒めるだろうか。

 

 口ではいやいや言いながら身体は素直になりそうで怖い。待て待て、ロマンス小説の読み過ぎだ。そんな展開無い。

 

 変なこと考えてたら顔以外も熱くなってきた。不味い、煩悩退散。私は淑女私は淑女。

 

 寝る。寝るしかない。クマミちゃんお休み。

 

 

 

 朝、いつも通り髪を梳かしに来たあいつは、動揺を隠しきれない私に比べていつも通りの顔をしててムカついた。

 

 おまけに相変わらず乙女心の分からない発言が出たのでつい手が出てしまった。

 

 こんなデリカシーの無い奴のことが本当に好きなのか私は。自信無くなってきた。

 

 

 

 でも夜のダンスレッスンでは明らかに心ここにあらずという様子で、私のことを意識してるのが丸分かりで、やはり朝のは演技だったのかと、気がついてしまったら内心笑うしかなかった。やっぱりそうよね。ふふん気分が良い。

 

 しかし結局私はこいつとどうなりたいのだろうか。悩んでいてもどうも答えが出ない。異性との適切な付き合い方がいまいち分からないので、とりあえず今まで通り本能に従ってみることにした。もっかいキスしたい。

 

 遠まわしに誘ったつもりだったのだが、いざその時となると心の準備が完了して無くてちょっと焦った。もしかして異性に慣れて無いのは私も同じではと今更ながら気づいてしまった。

 

 知りたくなかった自分の新しい面を知ってしまった。なんてことだ。そんな風に頭を抱えていると、彼が真剣な顔で私になんか見当外れなことを言っていた。

 

 愛情表現は本当に好きな人にだけする行為、ねぇ……。

 

 さてはこいつ、自分が私のことを大好きだという自覚が無いな? 

 

 成程、確かに今までの公爵令嬢だった私は高嶺の花で雲上人だもの。遠くから愛でることは出来ても、いざ手が届く距離に来たら自分の気持ちに素直に気づけないわけか。合点がいったわ。

 

 仕方あるまい。こうなっては気づかせるしか無い。今の私は不本意にも平民。さながら羽衣を取られて下界に降りてきた天女。

 

 いくら彼と私の釣り合いが取れて無くても、私はそんなこと気にしてないよと分かって貰わなくては。

 

 

 

 そんなわけで、深夜、彼と一緒の布団になんとか潜り込むことは成功したわけだ。

 

 今更、学園時代の最悪な夢なんて見てやるもんか。女心が分からないのを逆手にとってやった。深夜に異性の部屋に来て怖い夢見たなんてシラフで言うのは、小さい子だけだから。震えてるのも不安そうな顔も全て演技よ。

 

 シチュエーションは我ながら完璧だと思う。

 

 普段完璧な私が偶発的に見せちゃう弱気な顔に、二人っきりの布団の中、抱きしめて頭撫でてキスするまでは許してあげるわ。

 

 それ以上のことは流石に嫁入り前だから勿論駄目だけどね。ふふ、がっかりする顔は見ものね。

 

 ……しばらく手を繋いで待っても何も言ってこないので顔だけ横を向くと、すやすやとした寝顔が見えた。

 

「Zzz」

 

 普通この状況で寝れる? 嘘でしょ? 

 

 どうにか起こしてやろうかと思ったが、あまりにも幸せそうな顔で寝てるのを見て躊躇った。

 

 ま、一日仕事した後に私の特訓にも付き合わせたし、疲れてたのだろう。

 

 とりあえずほっぺに軽く口づけした後、私も寝ることにした。

 

 こんな菩薩の様な寛容さを持った女の子他に居ないわね。感謝しなさいよとぼやきながら、彼の腕を抱き枕にして寝た。

 

 

 

 

 目が覚めた時、既に隣には誰もいなかった。時計を見ると、朝と言うよりは昼くらいの時間、寝るのが遅かったせいで、こんな時間に起きてしまった自分を恥じる気持ちはあったが、何故誰も起こしに来てくれなかったのかと疑問に思った。

 

 鏡を見た時、髪はぼさぼさの状態であったのでまずアルにこれをなんとかして貰わねばと考えリビングへ向かった。

 

 そこには紅茶を飲みながら静かに座ってる、私と同じ黄金色の髪が特徴的な傾国の美女が居た。

 

「おはよう。久しいなメアリー」

「お、お姉様……何故ここに、他の皆は!?」

「まずは座れ、ちょうど紅茶を淹れたばかりだ。お前も飲め」

 

 そう言って私の姉であり今や第一王子の結婚相手、すなわち王子妃であるアイリスお姉様は、紅茶が置かれているテーブルを指でトンっと叩いて着席を促してきた。

 

 私は昔からこの女が嫌いだった。偉そうな態度も鼻についたし、お父様の期待と信頼を一手に引き受けていた彼女を恨んでもいた。

 

 だが、昔ならいざ知らず今や彼女はこの国の王子妃だ。少しでも無礼な態度を取ればただでは済まないだろう。嫌悪感を必死に隠したまま、私は彼女の対面の席へと腰を下ろした。

 

「まず、家の者達は皆用事で出かけたぞ。夫妻は会って挨拶したが、アルベルトは知らん。出なおそうかと思ったが、夫人の方からここで待ってて良いと言われたのでお言葉に甘えることにした」

「それはそれは、起きるのが遅くて申し訳ありませんでしたわねぇ」

「気にするな。アポも無く休日にいきなり来たのはこっちだ。あと敬語はいらんぞ」

 

 そう言うと彼女はくいっと手に持ったカップを傾けて紅茶を飲んだ。クロワッサン家はコーヒーを飲む人の方が多いせいで、家の棚には安い茶葉しか無かったはずだが、王子妃の口に合うのだろうか。

 

「何しに来たのよ」

「可愛い妹の様子を見に来た。大急ぎで駆けつける程度には心配だったが、元気そうで何より」

「別にそこまで心配でも無かった癖に……、わざわざこんな田舎まで来るなんて偉くなった癖に暇なのね」

「真に優秀な者は仕事を溜め無いものさ。ところでメアリー、アルベルトのことだがな」

「何よ」

 

 そう言って、折角淹れて貰った紅茶を飲む。相変わらずムカつくくらい美味い。何故淹れた者の技量でここまで味が変わるのか不思議だ。

 

「もう子作りは終えたか?」

「ぶ────っ!!」

 

 口に含んだ紅茶を盛大に吹き出した。流石に正面に居る姉にはかけることは無かったが醜態を晒してしまった。

 

「その様子じゃキスもまだだな。やれやれだ」

「失礼な、キスくらいしてるわよ!」

「小さい頃のはカウントに含めんぞ。全くお前は昔からアルベルトが寝てるのを見計らってちゅっちゅしてたけどな。あれ逆だったら犯罪だぞ」

「何で知ってんのよ! 最低! そんな下世話な話をしに来たのなら帰ってよ!」

 

 この女はいつもそうだ。訳知り顔で、上から私を見下しからかって、それでいて八方美人だから周りからは褒めちぎられている。おかげで比べられる私はいつも貧乏くじを引いてきた。何をやっても姉というものさしを置いて皆が私を見てきた。大好きだったお父様さえも。

 

 それがどれだけ苦痛だったのか、彼女はまるで分かっていない。その無神経さもまた私を苛立たせるのだ。

 

「下世話というがな、大事なことだ。単刀直入に言うが、メアリー、貴族に戻りたいか?」

「なっ!?」

 

 姉から出た突拍子も無い言葉に私は言葉を詰まらせた。

 

 持っていたカップをソーサーに置いた彼女は探るような目で私を見た。

 

 テーブルには私の飲みかけのカップと彼女の空のカップが置かれていた。

 




誤字修正、評価、感想ありがとうございます。日々作者の励みになってます。多かった指摘は活動報告にて少し触れました。


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第十六話 コカトリスは探せばいるレベル 前編


キリ悪い為分割の前後編


 

 早朝、一日の始まりは朝からだ。俺は至極当たり前のことを考えながら目を覚ました。

 

 睡眠時間が少なかったからか、それとも大蛇に締めつけられる悪夢を見たからか、寝起きの気分はあまり良くなかった。

 

 それでも俺は今日なるべく早く起きる必要があった。何故なら昨夜メアリーと添い寝をするという突然の謎ミッションが発生したからだ。

 

 何かやましいことがあった訳ではないが、同衾したことについて親バレは出来れば避けたいし、男の子の朝の生理現象を同じ歳の女の子に見られたら絶対に気まずくなる。その為、俺は誰よりも早く起きる必要があったのだ。

 

 危機回避能力が高くてすまんな。余計なハプニングは御免なのだよ。

 

 ところで俺の身体の上に乗ってる柔らかい物体は毛布じゃないよね。完全にメアリーです。寝相が悪いからか、俺の上に覆い被さるようにくっつき虫となった彼女はすやすやと気持ち良さそうに寝ていた。

 

 俺が変な夢見たのこいつのせいだろ。

 

 文句を言ってやりたい気持ちはあるが、彼女の自重により、俺の身体に押しつけられている豊かな胸の感触をどうにかしないと俺の理性のダムも決壊しそうだったので、とりあえずメアリーを身体から引きはがして横に寝かせた。

 

 顔を見ると、開いた口から涎を垂らしながら幸せそうに寝ている。本来なら起こして彼女の部屋に帰って貰おうと思っていたのだが、その幸せそうな顔を見ていたらそれも躊躇われた。

 

 学園時代の悪夢を見たと言っていたし、平気そうに見えて平民生活の心労も溜まってたのかもしれない。

 

 にしても改めて見ても整った顔してんな。黙って寝ていると表情から普段の険もとれていて、まさに天使の様な悪魔の寝顔といったところだ。

 

 やっぱり起こすのはやめとくかと、優しい俺は彼女に毛布をかけて、着替えた後に部屋から出ていった。

 

 

 

 

 デートってしたことあるかい? 残念ながら俺は無い。だがそれは昨日までの俺であって今日からの俺は一味違う。

 

 服装は悩んだ末、結局面白みも無いシャツとパンツ姿という、普段通りのラフな感じに落ち着いた。なんとなく上にジャケットは着たかったが、暑いのでやめておいた。行く前にそわそわしちゃうのもデートの醍醐味なのかもとまた一つ賢くなった気がする。

 

 親父達には、昼くらいに知り合いが家に来てそのまま出かけることを告げた。彼らも同じくらいには村の用事でしばらく出るらしい。メアリーの予定は知らんが、最近はだいぶこっちでの生活も慣れてきてるので、部屋で読書でもするだろう。彼女はまだ起きてこない。そろそろ起こそうかと思ったら、今日は休日だし畑仕事も無いので好きなだけ休ませてあげようとお袋に言われたので、素直に従った。

 

 そうこうしてるうちに来客が来た。出迎えた俺をドアの前で待っていたのはクリスさんだった。

 

 黒い線の入った白のストライプシャツタイプのワンピースを着て、右手にはランチボックスを持っている彼女はニコニコとした邪気の無い表情で俺を見上げていた。

 

 可愛い。爽やかで涼しそうな格好は季節感も相まって元気はつらつといった風の彼女に似合っていた。まだ知りあって間も無いが、彼女から醸し出される癒しの波動は俺みたいな捻くれ者には効く。なんというか眩しくて直視し辛い。何言ってるか分からない? 俺も分からない。

 

 お互い軽い挨拶を交わした後、俺達は連れ立って歩き始めた。

 

 デート開始である。ワクワクが止めらんねぇぜ……! 

 

 

 

 

「アル先輩は今日どこか行きたいところとかありますか?」

 

 どこへ行くでも無く二人で歩いていると、そんな風に彼女から声をかけられた。

 

「今日はクリスさんに付き合いますよ」

 

 昨日の今日ということもあって俺には何のプランも無かった。いや、だってこっちが誘われたしさ。ごめんなさい。

 

「じゃ、まずは公園でお弁当でも食べませんか? 昨日言った通り作ってきました!」

「いいんですか? ありがとうございます」

 

 俺達は、雑談をしながら近くにあるハーケン村コクウ公園へと向かった。コクウ公園は木々に囲まれた村一番の公園だ。敷地面積はとにかく広い、ピクニックや運動をする者は多く利用しているし、たまにバザーなんかも開かれている。

 

「成程、クリスさんは今は村の宿屋の方に泊まってるんですね」

「そうです。アウラと一緒に馬車で自領へ帰省する途中だったんですけど、この村のお祭りに参加したくてつい泊まっちゃいました」

「しばらく滞在するんですか?」

「ほんとはお祭りを楽しんだら直ぐ帰る予定だったんですけど、アル先輩に会えたので当分ここに居たいなぁって……」

「え、親が心配するんじゃないですか?」

「大丈夫です。ちゃんと手紙出しといたんで!」

 

 クリスさんはそう言って親指をグッと立てて良い笑顔で言い放った。彼女がそう言うなら良いけど、貴族の御令嬢が護衛もつけずにそんな自由に行動出来るもんなの? 危なくない? 貴族って未だによく分からん。

 

「そう言えば私が昼前に宿屋を出た時なんか慌ただしかったです。詳しく聞いてないけど偉い人が泊まりに来たらしいですね」

「へー、こんな田舎の村に何の用でしょうね。行事なんてこの前の夏祭りくらいなもんですけど」

 

 珍しいが、偶にはそういうこともあるだろう。俺には関わりの無い話だから特に気にしなかった。

 

「ところで気になってたんですけど俺の家が知られてたのって何でですか?」

「あ、村の役所に行って登記簿で確認しました。クロワッサンって珍しい名字だからすぐ分かりましたよ」

「いや怖っ」

「……ごめんなさい、私重いですかね? 初めて男の人を好きになったから、よく分からなくて……」

「そんなこと無いですよ。男代表として言うと、女性は少し重いくらいの方が可愛いです」

 

 俺は顔をキリッとさせてそう言い切った。

 

「そうですか? 確かにちょっとぽっちゃりしてた方が男の人は良いってよく聞きますもんね!」

 

 それは体重的な意味の重いだから、ちょっと違うなぁと思ったが、あははうふふと俺達は笑いあった。

 

 そうやって他愛も無い会話をしていると、公園に着いていた。

 

 俺達は芝生の上に座りながら引き続き談笑した。いつの間にかお互いが気安くなり最初の頃の様な遠慮も無くなって、俺の勘違いで無ければ二人の距離は確実に縮んでいた。周りでは楽しそうに肩車している子供連れの親子や、遊んでいる子供たちが駆けまわっており、俺の目に映る世界は平和に包まれていた。

 

「それでは、お待ちかねのクリス特製弁当です!」

 

 そう言ってランチボックスから可愛らしい弁当が取りだされた。朝早起きして、宿屋のキッチンを借りて作ったらしい。

 

 なんとなく昼食はサンドイッチかと思っていたら、普通に美味しそうな野菜炒めや焼き鮭や鶏肉の照り焼きが入っていて、俺は唾を飲み込んだ。

 

「どうぞ、召し上がって下さい。……あ、でも無理して食べなくても良いですよ。私がさつだからあんまり美味しく無いかもしれないので……」

 

 さっきまで自信満々だったのに、急に弱気になっていじらしい乙女な感じ出してくるじゃないか。そんなこと言われて、じゃあ要りませんなんて言える男居るか? 仮に俺が菜食主義者だったとしても残さず全部食べるね。可愛い女の子ってそれだけでズルいわ。

 

「ありがとう。感謝して頂きます」

「わ、私も自分の食べます!」

 

 そして自称グルメな俺の舌を唸らせる程に、クリス特製弁当は美味かった。

 

 栄養のバランスもばっちりで俺の好きな物がいっぱい入ってる。どれもきちんと火が通ってるので、衛生面も問題なさそうだ。これだけ尽くされると逆に悪い気がしてくる。俺は気づけば泣きそうになっていた。美味いし優しさが染み入る。

 

 メアリーがお袋から料理を習い始めていた頃、よく味見もとい毒見をさせられた。あいつはお袋が見ていない隙をついては自分流のアレンジを加えるタイプの料理人だったので、不味い失敗作をよく出されて、食べないと理不尽に怒られた。

 

 今ではお袋のスパルタ指導のおかげで、レシピ通りに作ることの大切さを覚えて美味しく作れるが、それでも最初は酷かったものだ。カレーなのに甘かったりしてたもの。

 

「どうしましたか?」

「ああ、凄く美味しくて優しい味がしたから感じ入ってた」

「……そう言って貰えると嬉しいです」

 

 彼女は切なげに笑うとまた自分の料理を食べ始めた。

 

 

 

 食事が済み、片付けを終えるとこれからどうすっぺという話になった。

 

「うーん実は私、こういうふうに男性と遊ぶのって初めてでどうしたものやら」

「実は俺もなんですよ。恥ずかしながら、同世代の女の子と遊びに行ったことないっす」

「あは、一緒だ。でもメアリー先輩は?」

「あれは、まぁ連れ立って歩いたことはしょっちゅうだけど護衛って感じでしたし」

「そうですか。公爵家の御令嬢と使用人ですもんね」

「一緒にいるのはしょっちゅうだったけど、仕事上、しょうがなく、嫌々、とかもれなく付いてきますよ。今は成り行きで一緒に住んでますけどね」

 

 やれやれだぜ、という風でメアリーの近況についてのことを話した。クリスさんから聞いてきた話題だが、どことなく寂しそうな顔をしている。

 

 すいません。デート中に他の女の子の話をしてすみません。

 

 おまけにクリスさんに嫌がらせしてたあの性悪の話題をするとか、最低です。デリカシーが無いよね。

 

 なんとか話題を変えようとあたふたしていると、クリスさんから助け船が飛んできた。

 

「そう言えば、今日広場でコカトリスの解体ショーやってるらしいんで見に行きませんか?」

 

 話題が変わってくれるなら乗る気は満々だったのだが、思ったより凄いの来た。

 

 解体ショーとか、かなりメジャーなマグロのでさえ見た事無いよ。少なくとも初デートで嬉々として行くところでは無い。それくらいは俺にも分かる。

 

 だがしかし。

 

「行こう。解体ショー、そんな機会滅多に無いし、二人で良い思い出作ろう」

 

 そう言って俺は親指をグッと立てて良い笑顔で言い放った。

 

 それを受けた彼女は花が咲くような満面の笑みで答えてくれた。

 



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第十七話 コカトリスは探せばいるレベル 後編

 

「はい、長らくお待たせしましたね。それでは本日はですね。こちらのコカトリスの解体ショー、始めていきたいと思います。こちらのコカトリス、大体200㎏程なので、別段大きいという訳では無いんですけど、500人分くらいの食料にはなると思います!」

 

 俺とクリスさんは村の広場にある食料市場でコカトリスの解体ショーを見ていた。

 

 以前行ったギルドの近くにあることから、もしかしたら冒険者が狩猟した生き物をここで売っているのかもしれない。

 

「知っての通りコカトリスはしっぽは蛇肉、首から下は雄鳥で胴らへんはドラゴンの肉がとれます。残念ながら翼の部分は食べれないので、まずはここから切ってきましょう。はい! ご覧の通りです。倒した冒険者さんがね。火魔法や氷魔法なんて使ってないのでね。見ての通り生だから綺麗に切れました。まぁ魔法なんて使える方滅多にいないのでね。基本皆こんな風に解体していきます。はいお次は──」

 

 どこかで見たような浅黒い肌の大男が、説明口調で各部位の特徴や、味の違いなどを指摘しながら解体を進めていった。

 

 血抜きが既にされているのか、切られたコカトリスは特に血が噴き出したりといった事も無く、あまり料理に詳しく無い俺には仕組みが分からないが、想像していたよりグロテスクな印象は抱かなかった。

 

 むしろ使用人を勤めるより以前、小さい頃に通った教会での情操教育を思い出した。歳をとるごとにいつからか薄らいでいた、命を頂くという行為の重さや、他の命を糧として生きていくことの大切さを思い出せた気がする。

 

 俺達はこの後引き続きデートすることも考えると、生きていた頃とは別のものへと変化し分かれていくコカトリスを買うことは出来ないが、余すところ無く売れて食べられて欲しいと願った。

 

 いや、なんだこれ。

 

 デートってこういうのだっけ? こんな命の大切さを学ぶ道徳的な場だったっけ? 

 

「私、こういうの初めて見るんですけど、来て良かったって思います。私達は他の命の上に成り立ってるって改めてきちんと実感出来た気がします」

「確かに」

「私、今まで以上に出された食べ物は全部きちんと食べますね」

 

 貴族というと、暴飲暴食な割に無駄に食料を余らせては捨てるイメージがあったのだが、クリスさんは真逆のことを言い出した。

 

 彼女が来て良かったって言ってくれるならべつにいっか。

 

 そんな風に思いながら大男の剣捌きの技量を結構楽しんで見ていると、やがてショーは終わった。

 

「折角広場まで来たし、次は雑貨屋でも見ますか」 

「そうですね。アル先輩なんか欲しい物とかありますか? 私お金出しますよ」

「それは男の方の台詞だな」

「遠慮しなくて良いですよ! ただし! ペア物に限ります」

「じゃ、宝石店でも行きますか。一番高いの買ったる」

「ななっ!? ……そんなに今お小遣い持ってたかなぁ」

「冗談冗談」

 

 そんな風に軽口を交わしながら市場の雑貨屋巡りをした。お揃いのブレスレットとか買う機会は無きにしも非ずだったのだが、俺もクリスさんもあまり装飾品に心が引かれなかった為、なんとなく買うかという雰囲気にならなかった。

 

 やがて俺達は猫カフェに行きついていた。クリスさんは猫好きらしい。

 

「アル先輩は猫とか好きですか?」

「動物全般苦手です。猫は特に」

「え、ごめんなさい! 意外ですね。やめときますか?」

「嫌いってわけじゃないから大丈夫ですよ」

 

 そして俺達は、猫と戯れながらお茶を嗜むことが出来る、紳士淑女御用達の定番たる猫カフェの扉へと足を進めた。

 

 猫は苦手だ。可愛いけど気まぐれで我儘で何するか予測不可能なんだもの。物とか壊すし。

 

 店に入ってみると、大中小で色とりどりのよりどりみどりの猫達が、それぞれ気ままに過ごしていた。

 

 他のお客さん達は猫を撫でたり、餌をやったり、猫じゃらしで遊んだりと皆楽しそうだ。

 

「じゃ、ちょっと二人分お茶持ってきますね。アル先輩は座って待ってて下さい」

 

 了承して、木で出来たイスに座って待ってると、大量の猫達が寄ってきた。俺は餌を持ってるわけでも、またたび持ってるわけでもないんで、自分のおうちにお帰り。ほら、早く。ぎゃあああああ。

 

 俺は大量の猫に飛びかかられた。至る所を甘噛みされたり舐められたり肉球で踏まれまくった。もふもふと全身もみくちゃにされ、されるがままだ。

 

「ほわー。すっごいモテモテ」

 

 お茶を持ってきたクリスさんは、全身に猫がびっしりくっ付いてる俺の姿を見て、感嘆の声を出していた。俺はまるで、一つの皿にあるミルクを猫達皆で分けて飲むがごとく、大量の舌で顔をぺろぺろ舐められた。ざらざらする。

 

「どうも昔から不必要に動物に好かれる体質らしくて、困ってるんです」

「えーそうですか? 羨ましいですけどねぇ」

 

 よしよしと一匹の白い子猫を撫でてやると、にぃにぃと嬉しそうに鳴いて目を細めていた。他の猫達は順番待ちで列を作って並んでいる。

 

「私なんか昔から全然駄目ですよ。こんなに好きなのになぁ。にゃあにゃあ」

 

 そう言ってクリスさんは屈んで猫の高さまで目線を下げて撫でようとしたが、その猫に威嚇されていた。

 

「こっちの子とか人懐っこくてお勧めですよ」

 

 そう言って近くの黒い猫を渡したら。もしかして店員さんですかというツッコミを受けた。

 

 

 

 楽しい時間はすぐ過ぎるもので、あの後ケーキバイキングに行ってクリスさんの大食漢っぷりに驚いたりもしたが、いつの間にか空は茜色に染まり、そろそろデートも終了の時が近づいてきた。

 

「少し歩きませんか?」

 

 クリスさんのその言葉に従い、俺達は夕焼けの下、村にある名も無き湖の近くを歩いていた。

 

「クリスさん、今日は楽しかったです。最初は緊張しましたけど」

「私こそ、好きな人と一緒に過ごすのってこんなに嬉しいんだって、すっごく楽しかったです」

 

 好きな人か。彼女からの真っ直ぐな好意が伝わってくる。その思いが、気持ちが、心地良いと感じている。

 

「アル先輩は、私のことどう思いますか?」

「魅力的な女性で優しくて、個性的で可愛いです」

「でへへ……、っていや嬉しいけどそういうんじゃなくて、好きとかラブとかの方で……」

「まだ会ったばかりだから実はよく分からん」

 

 この場を誤魔化すような台詞だが、俺の本心だった。精一杯の気持ちを伝えてくれる彼女だからこそ、正直に今の自分の気持ちを伝えるのが誠実だと思った。

 

「いくら本音でも、卑怯ですよその言葉」

「ごめんなさい」

「でも、じゃあこれからお互いのこと知ってけば良いって話ですよね?」

「初デートで浮かれてて失念してたんですけど、第二王子が恋敵になりますよね? それはちょっと不味いかなぁ……」

「ちょ、本音で語り過ぎです! そもそも何度でも言いますけど、チャールズ先輩とは何にも無いですから!」

 

 ほんとかぁ? 少なくとも向こうはそうじゃないだろ。でなきゃメアリーも婚約破棄なんてされな、いやあの性格ならされるか。

 

「アル先輩だって、メアリー先輩のことが好きな癖に……」

「いや、それは無い」

「嘘ばっかり。おかげで私は泥棒猫の気分ですよ」

 

 ふてくされるようにクリスさんはそっぽを向いてしまった。いや本当にそんな気持ちは無いんだけどなぁ。いや実際どうだろう。うーむ……。

 

 駄目だ。わかんね。

 

「そろそろ帰りましょっか。宿まで送りますよ」

「あ、アル先輩髪の毛にゴミ付いてますよ。屈んでください! 取ってあげますから」

「もしかして、屈んだら不意打ちキスとかされませんよね?」

「あは、バレちゃった」

 

 なんかの小説で読んだ気がするから冗談で言ったのだが、マジだった。油断も隙も無いな、天使のようだったクリスさんが小悪魔に見えてきた。どちらにしても可愛いからアルベルト的にはおっけーです。

 

「でも、折角の初デート記念だし、やっぱりアル先輩からキスしてほしいなぁ」

 

 そう言って笑った彼女は、目を閉じてむいーっと口を突き出してきた。

 

 軽口のように言っているが、彼女の顔が耳まで真っ赤になっているのは、夕焼けのせいでそう見えるだけでは無いであろう。

 

 そんないじらしい姿を見ると、抱きしめてその唇に自分のそれを重ねたくなるが、一人の少女の顔が脳裏を掠めた。

 

 頭に浮かんだのは、黄金色の髪を持った一人の少女。俺の妄想の中くらいでは笑顔でいてほしいのだが、その表情は影が差していた。

 

 躊躇してる間に、キスチャンスの時間は終わったらしい。彼女は目を開けて、恥ずかしそうに笑った。

 

「やっぱ駄目かぁ。あはは」

「ごめんなさい」

「謝らないでくださいよ。アル先輩は初めて会ったときから謝ってばかりなんだから!」

 

 何事も無かったかのようにクリスさんは笑っていた。確かに彼女の言うとおり、謝ってばかりだな俺は。

 

「いやだな。なんか、しんみりしちゃった。それじゃ、お言葉に甘えて宿まで送って下さい。デートは家に帰るまでがデートですから!」

「お任せ下さい。もし悪漢が出たらバッタバッタカマキリとなぎ倒します」

「期待してますね」

 

 道中楽しく談笑しながら、彼女を無事に宿へと送り届けた。勿論送り狼などせずに、俺は真っすぐ家に帰った。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 家に帰った後、リビングへ行くと両親が二人揃って困った顔をしていた。

 

「どしたん?」

「あ、アルベルト一人か、実はメアリーちゃんがまだ帰ってきて無くてな」

「どっか出かけたのか?」

「パン屋の方におつかいに行って貰ったんだけど、もう2時間くらいになる」

「向こうで義姉さん達と談笑してんじゃないの?」

「それなら良いんだが、なんか思いつめた顔してたしな。俺はパン屋の方に行ってくるからお前もその辺探してきてくれ」

「私は家の方で待ってるわ。メアリーちゃんに何事も無ければ良いんだけど」

 

 なんか大げさに心配してんなぁと思ったが、妙な胸騒ぎがした俺は、彼女を探しに直ぐに家を飛び出した。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「おーいおいおいおいおいおい」

「よしよしクリス、辛かったね。初恋は実らないって言うし、あとその泣き方は直そっか」

「ひっく、まだフラれた訳じゃないもん」

「やっぱりメアリー先輩が邪魔だよね。安心してクリス、私がなんとかするよ」

「え? アウラ?」

「私のクリスを悲しませるなんてあの女絶対許さない許さない許さない許さない排除排除排除排除」

「ひえっ」

 



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第十八話 王子から婚約破棄されて(以下略)

 

 メアリーを探して3千里程走った。それは冗談としても、無駄に土地だけ広いハーケン村を走って探しまわった。

 

 空も暗くなって来た頃に、ようやく尋ね人を見つけることが出来た。

 

 夏祭りの際に花火を一緒に見た、雑木林に囲まれた丘の上にある木製ベンチにメアリーは座っていた。

 

 彼女は遠くを見るように独りでぼーっとしていた。しょうがない奴だ。

 

「ようやく見つけたぞ」

「……あ」

 

 皆に心配かけやがってとか、俺をこれだけ走らせやがってとか、叱りつけてやりたいが、とりあえず事故や事件に巻き込まれたって様子でも無さそうで本当に良かった。

 

 かなり走り疲れた俺はメアリーの隣に腰かけた。楽しかったデートの余韻ぶち壊しやがって。

 

「帰ろう、親父とお袋も心配してる」

「……帰りたくないわ」

「……家出か? 何か嫌なことあったのか?」

 

 顔を合わせるのは朝に寝顔を見た時以来だが、今までの間に何かあったのだろうか。親父とお袋が叱りつけたということもあの様子からは考え辛い。

 

「嫌なこと、いっぱいあったわ。うんざりするくらいね」

「例えば?」

「あんた、今日誰とどこで何してたのよ」

「いや、質問を質問で返すなよ」

「答えなさいよ」

 

 何で探しに来た俺の方が詰められてるのだろう。ともかくメアリーは虫の居所が悪そうだ。これで彼女と不仲のクリスさんと楽しくデートしてたなんて本当のこと言えませんよ。

 

「ちょっと男友達と遊びに行ってたんだよ」

「嘘つき。あの女と楽しそうにしてた癖に、パン屋行く途中で私見たんだから」

 

 しまった。トラップだった。見られてたんかーい。ルネッサンス。

 

「はい、すみません嘘つきました。確かにクリスさんと遊びに行ってました。けど休みの日に俺が何しててもメアリーには関係無いだろ」

 

 秘儀、手のひら返し&開き直り。そりゃ自分が嫌いな女と俺が仲良く遊んでたら嫌かもしれんけどさ。俺にもそのくらいの自由はあってしかるべきだよね。今は従者でも無くお互い対等だし、公爵家とか家柄も気にする必要無いし。

 

「……うぐぐ」

 

 俺が正論を言ったからか、メアリーは下を向いて押し黙った。と思ったらぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 

 ええっ……どんだけクリスさん嫌いなのん? 俺そんな悪いことしたかな。客観的に考えてもして無いと思うんだけど。

 

「ごめん。悪かったよ。だから泣くなって」

 

 まず謝って、次にハンカチを差し出したら、その手をべちんと叩かれて拒絶された。俺のハンカチいつもこんな目に合うな。

 

「優しくしないでよ! 私に構わないで!」

「無理言うな、目の前で泣かれて放っておけるか」

 

 本当に今日はどうしたんだこいつは、原因が分からない為、今までの癇癪より宥める難易度が高いぞ。

 

「……あんた、本当は私のことどう思ってるの? 答えてよ」

「好きだよ。そうじゃなかったら探しになんて来ないよ」

 

 俺はその問いに対して、間髪入れずに答えた。嫌いでは無いとか、多分好きだと思うとか、そんな曖昧で玉虫色の答えはまず期待されていないし、この場での最適解では絶対に無い。

 

「……本当?」

「ああ、今じゃ誰よりも大切に思ってる」

 

 本当にそう思ってるよ。昔ならともかくな。出来ることなら幸せになってほしいと思ってる。

 

「……信じられない。本当は私のことめんどくさい女と思ってるんでしょ」

「そんなこと思ってない」

 

 嘘です。本当はかなり思ってます。

 

「私のことが本当に好きなら証明してよ」

「証明?」

 

 抱き締めろとかなら望むところだぞ。力いっぱい抱擁してやる。バッチこい。

 

 メアリーは雑木林とは逆の方向を指差した。指し示したのは崖の方だ。落下防止用の杭の形した木製支柱が何本も刺さっている。遠くには民家の明かりが見える。

 

「そこから飛び降りて」

「嘘やん……」

 

 ここは山という訳では無く丘程の高さの場所だが、それでも崖からの斜面は緩やかでは無いし、落ちたらまず只では済まない。怪我で済めば恩の字というレベルだ。

 

「それくらいしてくれたら信じるわ、あんたの言葉。やってよ今すぐ」

 

 彼女の無茶苦茶な言い分は今に始まったことではないけど、いくらなんでもそれは……。

 

「本当に私のことが好きなら出来るでしょ? 出来ないの?」

 

 いつもなら一笑に付して拒否するところだが、強気な言葉を発しながら今も彼女は泣いていた。

 

 そんな顔はしないで欲しかったし、言葉だけでこの場を丸く上手く収めようとしたツケが回ってきたと思った。

 

「分かったよ。やるよ」

「……え?」

 

 俺は覚悟を決めた。崖から飛び降りる覚悟では無い。

 

 崖の方へゆっくり歩を進め、腰くらいまである落下防止用の木製支柱に手をかけた。

 

 結んであるロープを大股で飛び越えれば、下に落ちることになる。暗くてよく見えないが、木も生えてるし、落ちたら枝で全身切り傷だらけにはなるだろう。おまけに骨折くらいはしそうなくらいの高さはやはりある。

 

 男は度胸。今まで皆ありがとう。

 

 意を決して飛び越えようした時、後ろから抱きしめられた。

 

「……ごめんなさい、嘘、もうやめて」

「そうか」

 

 俺が決めた覚悟とはメアリーを信じる覚悟だ。昔と違って、今の彼女はいたずらに誰かを傷つけるようなことはしない。きっと止めに来てくれるだろうと信じて、それに賭けた。ずっと一緒だったから贔屓目でそう考えたが、もし間違ってたなら俺は素直に落ちようと思った。

 

 今の彼女はいつも以上に情緒不安定だ。何があったかは知らないが、見るからに感情がぐちゃぐちゃで発言はちぐはぐだ。

 

 背中のシャツが生暖かく湿っていくのが分かる。メアリーは鼻水と涙だらけの顔を押しつけ、泣きながら何度も俺に謝った。

 

 一歩間違えば自殺教唆だ。また彼女の悪女伝説に一つ悪行が刻まれてしまった……。

 

 身体を反転させて、泣いている彼女に向き合って、またベンチの方に座るよう促した。彼女は素直に聞いてくれた。

 

 ベンチに座りながら、未だ涙が止まらない様子の彼女に胸を貸しつつ、その頭をよしよしと撫でながら彼女が落ち着くのを待った。ぐずる赤ん坊を宥めるがごとく、たまに背中もさすってやる。

 

「……アル、ほんとに私のこと好き?」

「ああ、世界一好きだよ」

 

 しゃくりあげながら、鼻をすすりながら泣いている彼女を安心させる為、優しい言葉を吐いた。告白かな? 

 

「私は嫌い、大っ嫌い」

 

 そして一瞬でフラれた。だいぶショック。

 

「こんな自分が嫌い、めんどくさくて、嫉妬深くて、陰湿だし、姑息だし、暴力的で短慮だし、何より可愛くない……」

 

 意外だ。思ったより自分のことが見えているな。いつも自信満々な癖に、ほんとどうしたの今日は。

 

「今日お姉様が家に来て言われたの、貴族に戻らないかって、私が戻りたいならまともで優秀な貴族の子息と縁談させてやるって言われたの」

「えっアイリス様こんなとこまでわざわざ来たの?」

 

 そういうことか。あの偉そうで実際偉い人に、色々苦言を聞かされたんだろうな、だからこんな弱ってたのか。数少ないメアリーにずかずか言える人筆頭だもん。言葉結構キツいし、あの人も微妙に不器用なんだよな本人には言わないけど。

 

「私、断ったわ。今の暮らしも悪くないって思ってきたし、皆が優しいし、それにアルがいるし」

 

 あ、嬉しい。キュンとした。ふざけてるわけじゃなくてほんとに嬉しい。我慢させてるんじゃないかと思ってた平民生活をそう思ってくれてたことが何より嬉しい。報われた気持ちになって俺も泣きそうだ。

 

「でも、あの女とアルが一緒にいるとこを見て、気づいたの。本当は私がいない方が皆幸せなんじゃないかって」

「そんなこと無い」

「嘘よ、私が居なかったらアルだってあの子と気兼ねなく遊べるわよ。こんな邪魔な女、他に居ない……だから、縁談受けようかなって考え直してたの」

 

 折角少しずつ落ち着いてきたと思ったのに、メアリーはまた泣きだしてしまった。

 

「本当にごめんなさい。こんなめんどくさい女がアルのこと好きになって、本当、最悪」

 

 そう言ってさりげなく俺へ想いを伝え、すすり泣く彼女が、たまらなく愛おしく感じてしまった。普段とのギャップがあるからなおのことだ。

 

 言葉で伝えても伝わりきらないであろうこの気持ちを伝える為、俺は彼女の顔を上げさせ、抱きしめながらその唇を奪った。

 

「……んむっ、…………ん」

 

 お互いの唇同士の触れ合い。勇気を持って舌を絡めると、彼女もそれを受け入れてくれた。

 

 彼女がどう思ってるかは知らないが、俺に出来ることは精一杯の愛を持って、彼女に思い知らせることだけだ。

 

「……んちゅ……んん……」

 

 メアリーが居ないと寂しい、お袋や兄貴達だけでは無く、長く一緒にいた俺が一番寂しい。その想いをキスで伝えた。

 

 時間にしたらほんのわずかな時が過ぎ、俺はぷはっと唇を離した。彼女は名残惜しげに俺の口元を見ていた。涙は溜まっているが、その目線はいくらか熱っぽい。

 

「離れたくない、ずっと一緒に居たい」

「お、女の子の心が弱ってる時に、告白するなんて卑怯、最低」

「卑怯でも最低でも良いよ。お前の泣き顔はもう見たくない」

 

 メアリーの柔らかくも細い身体を抱きしめながら臭い台詞を吐くと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

 世界の何処かでおいおいと男泣きする声が聞こえたような気がするが、幻聴だろう。

 

 ともあれこれにて一件落着、愛を持って平和的解決。やはりラブ&ピース、愛が全てを解決する。

 

「じゃ、帰ろうか、皆心配してるだろうし」

「帰りたくない」

 

 そう言ってベンチから立たせようとしたが、メアリーに引きとめられた。今の"帰りたくない"は最初に言っていた帰りたくないとは意味合いが違って聞こえた。

 

 先ほどまでの悲壮感はどこへやら、蠱惑的な笑みを浮かべた彼女は俺の手を持つと自分の胸に押しつけた。

 

 むにゅう。勿論音は鳴らないし、彼女は中々のお餅をお持ちなので、無乳という意味でもない。ただ俺の左手の感触が脳内にそう伝えただけだ。

 

「アル、……好き」

「あ、あの? メアリーさん?」

「お姉様が言ってたの、今公爵家には領を統べる世継ぎが居ないって、お父様は後妻を取る気は無いし、お姉様は王族になったし」

「つ、つまり?」

「私が子供を作ったら、その子は公爵領を継げる可能性があるわよね」

 

 メアリーはそう言って、舌なめずりをしながら艶めかしく身体を密着させてくる。心なしかその目は何処か焦点が合ってないような気がする。

 

 呼吸もはぁはぁと粗くなってるし、茹でダコのように顔も真っ赤だ。もしかしてメアリーさん発情してません? 

 

「ちょ、待って、親父とかまだ探してるかもしれないし、早く帰ろう? なっ?」

「そんなこと言って、胸から手を離して無いくせに」

 

 しょうがないだろう! 俺だって男だ。この感触には抗えない、自分から揉んで無いだけまだ理性が残ってる。

 

「ちょ、ほんとに待って」

「待たない。私のこと好きなんでしょ。じゃあシましょ」

「何をとは敢えて聞かないけど、やめよう。こんな場所でなんて、淑女だろ?」

 

 さて、このままでは理性が不味いので、現在進行形で行われることは気にせず、別のことを考えよう。

 

 そうだな、トウシン・サンジェルマンは俺の一つ下の男の子だ。

 

 ハーケン村の小さい子供は毎日のように教会に行く。村に教育機関が無い為、神父やシスターが慈善事業で学校の真似ごとをしているのだ。

 

 両親共働きなんて家も多いので、働いてる間に子供達の面倒を見てくれる教会というのは実にありがたい存在なのだ。

 

 トウシンは他の子供達に、髪型や実家が金持ちなのをネタによくからかわれており、その度に助けに行ったのだが、俺に感謝するどころかむしろ気に入らないという態度だった。

 

 まぁそれも子供特有の、感情に素直になれないってやつだったらしく、たまにお礼だって言って菓子とかくれたりしたけどな。

 

 俺が7歳の頃、公爵家に行くと知ったら泣きながら見送りに来たし。あの頃は可愛げがあったんだけどなぁ。

 

 そんなことを考えていると現実世界では20分程度経っていたらしい。時間が過ぎるのは早い。

 

 俺はぐったりとしたメアリーを背負いながら、家に向かって歩いていた。

 

 とりあえず、嫁入り前の女の子を傷物にするような事態は避けられたと言っておこう。

 

 滅多に人が来ないとはいえ、外ではしたないことは出来ませんよ流石に。

 

 

 

 

 家に帰ると、親父もちょうど帰ってきたところで、俺達はお袋から手厚く出迎えられた。

 

 とりあえず、一件落着で問題が解決したことを両親に伝え、メアリーも心配かけてすまなかったと二人に謝った。

 

 俺とメアリーの距離が以前より近くなっているのを両親ともに気づいていただろうが、特に指摘することもせず、既に冷めてしまった夕食の用意をしてくれた。

 

 時計の針は進み、平和で幸せで温かい時間も過ぎていった。

 

 

 

 

 そして夜、その時は来た。

 

 俺の部屋には、いつものパジャマ姿ではなく、紫のネグリジュに身を包んだメアリーがいた。

 

 一緒に住んでいるせいで、どれだけ俺がヘタれても結局据え膳は用意されてしまうのである。ベッドに座りながら変な汗が出る、夏だからねしょうがないね。

 

「本当に後悔しないか?」

「うん。アルに私の全部、貰って欲しい」

 

 可愛いんだけど、なんか幼児退行してない? それはそれとして、俺ももう正直色々限界です。心臓がずっと滅茶苦茶跳ねてる。友達がいるなら今すぐ相談しに行きたいくらいに緊張してる。

 

 両親は一階で防音もヨシ! 明日も仕事は休みだからその点もヨシ! 

 

 こうして俺達は、二人でトランプした。嘘です。お互いの愛を確かめ合った、とでも言えば良いのだろうか。

 

 俺が初めてだったからか、彼女の身体が特別なのか、互いの相性が良かったからか。理由は分からないが、愛の炎はキャンプファイヤーだ。支離滅裂な言動は羞恥心から来てます。

 

「アル、好き」

「俺も好きだよ」

「私の方が好き」

「いや、俺の方が好きだから」

「は? ヤんのか?」

「は? 分からせんぞ?」

 

 こうしてバカップルの夜は更けていった。

 



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第十九話 ザッハトルテの日々

 

 朝起きると、隣には全裸の美少女が寝ていて、それを見下ろす俺も全裸だった。スケベな小説の導入かな。

 

 ちょっと青少年の教育にはあまり良いとは言えない絵面だ。外では雀がちゅんちゅんとうるさいくらいに鳴いている。お前ら毎朝そんな騒がしくないだろ、何で今朝に限ってそんなに自己主張するんだ。

 

 まさかメアリーと男女の関係になるとは正直想像して無かった。……実はちょっと状況に流されちゃった感は否めない。

 

 ともあれめでたくカップル成立。アル×メアであって、決してメア×アルじゃないからそこは注意してくれ。

 

 人生初の彼女か、浮かれるなぁ。とりあえず幸せを実感する為、俺は未だ隣で寝息を立てているメアリーの胸を揉んだ。

 

「……んんっ」

 

 彼女から寝苦しそうな声が漏れる。今までならこんなことしたら罪悪感で押しつぶされていただろうが、彼氏彼女の関係になったからには問題なし。

 

 こうなってしまったからには最早、結婚を視野に入れなくちゃならんよな。

 

 メアリーは親から勘当されているから、お父さん娘さんを俺に下さい、なんて言う手間省けて楽で良いわ。あれ絶対緊張するよ。

 

 あとは、村の役所行って戸籍いじらないと。ユグドラシル王国では近親での結婚は禁止だから、義姉とその弟の関係じゃちょっと良くない。血はつながって無いし、別に書類にちょいちょいって書けばすぐ終わるであろう作業だから特に問題無い。

 

 親父とお袋も問題無いだろう。俺がメアリーを連れて来た時、駆け落ちだと勘違いしてたくらいだし。

 

 金に関しては、貯蓄が出来るまでフローラさんのとこで働いて、そのうち一軒家でも買って、また転職してそこで暮らすか。

 

 あ、子供出来たら公爵領の跡継ぎの問題も出てくるって言ってたな。一度メアリーかアイリス様に詳しい事聞いてみないと……。

 

 そんな風に俺が勝手に人生設計を描いていると、やがてメアリーも目を覚ました。

 

「おはよう」

「あ、アル、おはよ」

 

 小さい欠伸をしながら寝ぼけ眼なメアリーと朝の挨拶を交わす。俺に胸を揉まれていることに気づいた彼女は顔を紅く染めた。

 

「アル……その、胸に手が……」

「え、なんだって?」

 

 悪いが俺は難聴なんだ。何を言っているか、聞き取れませんなぁ。

 

「もう、えっち。……気持ちいい?」

「うん」

「じゃ、もっと触ってていいよ。私の身体、全部アルのだから……」

 

 ちょっとメアリーさん昨日から可愛過ぎなんだよなぁ。いつもの調子なら、何してんのよこの変態! とか言って寝技かけてきてもおかしくないんだけど、こう借りてきた猫みたいな態度されると調子が狂うわ。このままだと俺の方から寝技かけちゃいそうだ。ド下ネタ。

 

「昨日言ってた世継ぎの件だけど、いや、寝起きにする話でもないか。とりあえず汗流してから朝食食べようぜ」

 

 俺は胸から手を離すと、その辺に落ちている下着を穿いて、家の中を歩ける最低限の格好をした。

 

「うん。……うう、なんか立てない、足がガクガクするわ」

「おいおい、大丈夫かよ」

 

 その後、俺は生まれたての小鹿みたいになってるメアリーを運んで、俺達は一緒に風呂に入った。朝っぱらから彼女の嬌声が風呂場で響く。ごめんな、夏とは言え水がちょっと冷たかったかな? (すっとぼけ)

 

 そして、バカップルは毎日いちゃいちゃした。めでたしめでたし。

 

 この後の一週間は光陰矢のごとく過ぎ去ったので、ダイジェスト回想でお送りしましょう。誰だお前は、って人が出てきたら多分それメアリーさんです。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 チョコ&オイシーの場合。

 

 両親は俺達が晴れて彼氏彼女の関係になったことを素直に喜んでくれた。

 

 今まで俺達がじゃれ合ってる所を見ている時のように、微笑ましそうに、温かい目で恋人の俺達を見守ってくれていた。

 

 しかし、付き合い始めてから三日くらい経つと、段々俺達を見る目が変わっていった。

 

「アル、これ愛をいっぱい込めて作ったの。食べてくれる?」

「いただきます」

「じゃ、あーんってして?」

「あーん……もぐもぐ、美味です」

「アルに喜んで貰えて良かった。……私にもしてくれる?」

「はい、あーん」

「あーん、もぐもぐ、うんアルが食べさせてくれたからすっごく美味しいよ」

「そりゃ良かった」

「……後で、私のことも食べて欲しいな」

 

 俺達が常にこんな感じだから、親父は段々荒んだ目で見てくるようになった。たまに舌打ちする。

 

 お袋はコーヒーをブラックで毎日飲むようになった。今までクロワッサン家紅茶派の民だったのにな。

 

 

「アル、大好き」

「俺も大好きだよ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 クリスティーヌ・フォン・クーケンバーグ男爵令嬢の場合。

 

「俺達、付き合うことになりました」

 

 メアリーと腕を組みながら、クリスさんにそう言うと、彼女は前から崩れ落ちて地面に四つん這いの姿勢となった。

 

 固く握った拳を何度も地面に叩きつけながら、畜生めーっ! と恨みの言葉が漏れている。

 

「今まで酷いことしてごめんなさいね。あなた、良い子だし可愛いから、きっと良い人見つかるわ。アル以上の人はいないだろうけど」

 

 多分メアリーなりに慰めてるつもりなんだろうけど、煽ってるようにしか聞こえない。ほんとはメアリーを連れて来たくは無かったのに、彼女は無理やり付いてきた。とりあえず、ちょっと静かにしてようね? 

 

「本当に、クリスさんには申し訳ない事をしました。謝ってどうにかなる訳では無いけれど、本当にすみません」

 

 そう言って頭を下げると、クリスさんは笑いながら立ちあがって、服の汚れをぱんぱんと叩いて落とした。

 

「謝る必要なんて無いです。二人の中に割って入ろうとしたのは私ですし、アル先輩が幸せなら、それが私の幸せです」

「クリスさん……」

 

 良い子過ぎるこの子、俺が今まで見てきた貴族の中で一番良い子だわ。ほんと、中途半端な態度とってごめんなさい。どうか貴方には幸せになってほしい。

 

「いや、アルの幸せは私の幸せでしょ。何言ってんのよ」

 

 それに比べて俺の彼女のこの有様よ。やっぱ無理やりにでも置いて来るべきだった。その言葉の刃は的確にクリスさんを貫いたらしく、彼女からぐへっと声がでた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「あはは、大丈夫ですよ。初恋は実らないって言うし、気にして無いですよほんと、大丈夫です!」

「まぁ私は実ったけどね初恋」

「ちょ、メアリーさんお願いだからほんと、一回黙って、本気で」

「うん。アルが言うなら静かにしてるね」

 

 俺達の様子を見て、悲しみより怒りが上回ってそうなクリスさんの顔にはピシッと青筋が浮かんでいた。表情は笑顔だけど。

 

「アル先輩、お隣の彼女さんに飽きたらすぐ教えてくださいね。どこにいても私が慰めに来ますから」

「いや、俺が言うことじゃないかもしれないけど、俺なんかのことはもう忘れて下さい」

「忘れられる訳、無いです。アル先輩の事、ずっと好きでいたいです。それくらいは、許してもらえませんか?」

 

 許すも何も、俺にそんな資格も権利も無かった。彼女の想いに俺が答えることが出来なくても、クリスさんの気持ちは彼女だけのもので、メアリーを選んだ俺が何を述べても彼女の傷口に塩を塗るだけだ。忘れて欲しいなんて言葉も、結局俺の罪悪感を減らしたいだけで、只の自己満足。本当に最低な男だな俺は。今この場に立ってようやくその事に気づくとは救いようが無い。

 

「あー! またなんか色々考えてるでしょ! もー、気にしなくて良いって言ってるじゃないですか!」

「謝るのは、無しですよね。ほんとクリスさんに何て言えばいいのか分からなくて……」

「じゃあ私を愛人にしてくれれば……いや、冗談ですよ。あはは、じゃあアル先輩がいつも使ってるハンカチ貰っていいですか?」

「え、別に良いですけど」

 

 唐突にハンカチ、いつも皆から邪険に扱われる俺の相棒を欲しがるなんて、物好きだな。と思いながら、素直に渡した。

 

「じゃ、これ貰ったし、お互い遺恨無し! ……ずっと宝物にしますね。悲しい時には、アル先輩だと思って涙拭いたりしちゃったりなんて」

 

 そう言って、彼女はまた笑いながら、俺達を祝福してくれた。涙どころか罵声一つ浴びせないんだから、歳は一つ下だけど、俺達なんかよりよっぽど大人で優しい人だ。……早まったかな? 

 

 

 彼女と別れ、俺達は二人で歩きだした。さっきまでずっと黙っていたメアリーが口を開く。

 

「アル、私の事、あの子より好き?」

「勿論、誰よりも好きだよ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ミハエル兄貴とナナ義姉と甥のウマイの場合。

 

「あれ、アル君とメアリーちゃんようやく付き合ったの?」

「アルも遂に陽のキャの仲間入りか! 彼ぴっぴとして、しっかり愛を育んでいくんだぞ!」

「あうー」

 

 報告に行くと、兄貴と義姉さんから祝福の言葉を頂いた。いずれは彼らのような仲の良い理想の夫婦になりたいものだ。

 

 

「アル、子供は何人欲しい?」

「いっぱい」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 トウシン・サンジェルマンとスザンヌの場合。

 

「あ、お前ら! ここで会ったが百年目だ! 糞アルベルトと馬鹿女がよぉ!」

「えーほっといてデートの続きしようよー」

 

 ある日メアリーと村をデートしていると、同じくデートしていたトウシンとばったり会った。

 

「あ、トウシン久し振り」

「アルの知り合い?」

「何で忘れてんだよ! こっちはお前らの復讐を考えて毎晩毎晩なぁ……」

 

 怒りと憎しみに囚われているトウシンに肩を置いて、俺は優しく諭した。

 

「トウシン、復讐は何も生み出さない。この世で一番大切なのはな、愛だよ。他人を慈しむことだ」

「はぁ? 何とち狂ったこと言ってやがんだ? 遂に頭がパーになっちゃったのかぁ?」

「私も、かつて愚かだったから分かるわ。でもね、一時の感情に身を任せちゃ駄目なのよ? きっと貴方も後悔する時が来るわ」

「何言ってんのこの女、てかそもそも誰だよ。アルベルトとどういう関係だ?」

「俺の彼女、可愛いでしょ?」

「ウザっ! アルベルト、相変わらずウザいなお前、キモいんだよ!」

 

 全く、触れた者皆傷つけたくなる年頃か? 良くないよそういうの。トウシンが実はそんな悪い奴じゃないって、アル知ってるよ。

 

「トウシン、彼女さんと仲良くしろよ。ラブ&ピースだ。それじゃ、俺達はデートの続きがあるから」

「お前に言われるまでも無く仲良くするわ。なんだよ急に、調子狂うなぁ」

 

 トウシンからは祝福の言葉を貰えなかったが、いつか結婚式を開いたら呼んでやるから、その時に祝って貰おうと思って、その場を後にした。

 

 

「今日はどこいこっか?」

「アルと一緒ならどこでもいい……」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 アイリス王子妃の場合。

 

「それはめでたい。愚妹がそう決めたなら、私にとやかく言う権利は無いな」

 

 俺とアイリス様はクロワッサン家で二人で対峙していた。メアリーや両親には席をはずして貰っている。

 

「それで、公爵領の跡継ぎの件なんですけど」

「ああ、その件か、勿論勘当されたとはいえメアリーは正当なサマリー家の血が入ってるからな。子供が出来たらその可能性はある」

「ルドルフ様はそもそもどうお考えだったんですか?」

 

 俺達は紅茶を飲みながら落ち着いて話をしていた。国のトップと平民のお茶会、中々に珍しい光景だと思う。

 

「親父殿は、私に継いで欲しそうだったな。適当な貴族を婿養子にして私がサマリー領の為に尽くせば繁栄は約束されたようなものだったし、そう考えたからこそ、第一王子の婚約者候補としても私は末席だった」

「え? でも実際今は王子妃……」

「私自身が公爵領領主程度の器じゃないという自覚もあったし、この国を良い方向に進ませたいという思いが強かった。王子は私にぞっこんだったし、私もあいつのことは好ましく思っていた。当時生徒会長だった私によく尽くしてくれたものだ」

「スケールのデカい話で小市民の俺にはついていけません」

「話が逸れたが、現状ではまだ見ぬ私の第二子以降が公爵領後継者の筆頭だな。生まれた後は親父殿の養子という扱いで、王族との結婚には納得してもらった」

「成程、つまりアイリス様が、失礼ですけど子供が一人だった場合とかは」

「ま、その場合はお前らの子供が継ぐことになるだろうな。だから産まれたらきちんと報告しろよ」

 

 話には納得した。先の話だし、考えなくても良いという訳では無いが、すぐにどうこうなる話では無い。

 

「あと、これは祝い金だ。お前は公爵家に義を通すつもりで親父殿に渡したのだろうが、メアリーを引き取ってくれたことにこっちが感謝してるぐらいだ。だから受け取れ」

 

 そう言って、アイリス様は大量の金貨が入った袋をテーブルに置いた。

 

「くれるならありがたく貰っておきます」

「ああ、愚妹と幸せにな」

 

 そう言って、彼女は席を立った。不器用だが、彼女なりにメアリーの事は心配していたんだろうなと去っていく背中を見ながら俺は感じ取った。

 

 

「お姉様と話は終わった?」

「ああ、俺達の事、応援してくれてる風だったよ」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 フローラの場合。

 

 俺はいつも通り仕事をしている中、フローラさんに恋人が出来た事を報告した。彼女には以前に相談に乗って貰ったりもしたしね。

 

「良かったねアル君。恋人が出来た気分はどうだい?」

「いやぁ、最高っすね」

「それは良かった。けど一つ残念なお知らせがあってね」

「え? なんですか」

「実は、私に王都のアメス学園で美術講師として働くように連絡が来てね。興味があるので受けようと思ってる」

「え、じゃあ俺早くも無職……」

「来年の春からどうぞ、という話だから。まだ先の事だけれど、済まないが再就職先のことを考えて欲しい」

「分かりました。折角フローラさんとも仲良くなれたのに残念ですが、それならしょうがないですね」

「本当にすまないね。出来る限り支援はするからさ」

 

 こうして俺は、来年の春までに再就職先を探すことになった。ま、いいか。

 

 

「もう、アルったら、帰ってくるの遅いよ。仕事と私、どっちが大事なの?」

「メアリー」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 毎日が幸せで、不安な事は何も無く、隣には大好きな彼女が微笑んでくれている。そんな平和な日常。

 

 過去に多くの罪があった俺と彼女は、そのことを段々と風化させながら、そんな温かい日々を過ごしていった。

 

 俺自身、有頂天になってしまい、どこかボケていたと思う。

 

 夏祭りの夜、アウラさんの見せた怒りと憎しみの宿った目、そんなことはとうに忘れて、幸せを享受していたのだから。

 

 俺達の毎日は砂上の楼閣で、簡単に崩れ去るものだということを俺が知ることになるのは、メアリー宛てに一通の手紙が届いて、そこからわずか二日後の事だった。

 

 水面下で何が起こっているのか、彼女と布団の上で愛を囁き合っている今の俺にはまだ知る由も無い。

 

 

「この幸せがずっと続いて欲しい」

「ああ、俺もそう思う」



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死んだと思ったらそこは乙女ゲームの世界!?愛を知らない悪役令嬢を救う子爵家長男の転生無双 第一話 異世界転生

 

 最後に目にした光景は、暴走するトラックが僕に突っ込んで来る瞬間だった。

 

 

 気がつけば僕は10歳程度の少年の姿で、名前も生まれも世界も、全てが変わっていた。

 

 ずっと夢に見ていた、まごうことなき異世界転生。物語の主人公では無く、僕が選ばれた。いや、僕こそが主人公だ。

 

「アクズお坊ちゃん。どうかなさいましたか?」

「やったぞ……ふふ、やはり僕は特別な人間だった。僕は神様に選ばれたんだ……!」

「ぼ、坊ちゃん?」

 

 この世界が生前にやっていた乙女ゲームの世界だということには直ぐに気づけた。

 

 本来ならこの世界は、辺境の男爵令嬢であるクリスが主人公となり、攻略対象の男の誰かと恋仲になる、そんなどこにでもありふれている凡庸な乙女ゲームだ。

 

 キャラもストーリーも世界観も平凡なレベル、しかし一点だけ、僕にとっては何よりも価値があることがある。

 

「メアリー公爵令嬢、ようやく、君を救うことが出来るんだね……」

 

 ゲームでの立ち位置はいわゆる悪役令嬢、そんな彼女を画面越しに見た時、その美貌に一目で恋に落ちた。

 

 だが、いくら主人公の選択を変えて、何度彼女を救おうとしても、彼女の結末はいつも同じだった。

 

 "王子から婚約破棄されたメアリーは平民の従者に引き取られ、遠い地にてその余生を過ごしました"現れるのはそのテキストだけ。

 

 彼女は主人公に嫌がらせや暴行未遂を行ったことが原因で、どのルートでも王都から追放されて、従者と共に辺境の地に飛ばされてしまう。

 

 可哀相に、絶対的に貴族主義な彼女に平民としての生活が耐えられるはずが無いというのに、そんな酷い仕打ちをするなんて、本当に彼女の家族はくそったれだ。

 

 放任主義の父親と姉のせいで、彼女は歪んでしまった。ゲームの説明書にもそう書いてある。おそらく根は素直で可愛い、愛に飢えているだけの少女だと言うのにそんなのあんまりだ。

 

「僕がこの世界に選ばれた理由、誰よりも彼女を愛している僕が、彼女を救う為に来た。そういうことだよね? 神様」

 

 神様なんて会った事は無いが、この世界に転生した理由を、僕はすぐに理解した。

 

 現代知識と、ゲームをやったからこそ分かる未来予知。その二つを持って、僕は彼女を救ってみせる。

 

 

 

「父上、まだサマリー家との会食の場は持てないのですか?」

「何度も言うがな、アクズ、それは無理だ。うちは子爵、最低でも伯爵くらいの家柄じゃないとサマリー家にパイプを作るのは無理だ」

「それでもやらないと! 今この時にでもメアリー公爵令嬢は悲しんでいるかもしれないんです!」

「確かにあの器量の良さ、男の子として惚れる気持ちも分からんではないが、彼女は第二王子の許嫁だぞ? お前も貴族なら諦めろ」

「~~っ!! 父上の分からずや!!」

 

 全く、最悪だ。折角転生したのに、僕の周りの環境が悪過ぎて、何年経ってもメアリーにまともに会えない。せいぜいパーティの場で遠目に見るくらいしか出来ず、僕は日々焦燥感に駆られていた。第二王子の婚約者という設定上仕方無いが、ガードが固い。

 

 最善は、幼い頃の彼女に僕の愛を分かって貰うことだったが、それが出来ないのならば仕方無い。学園に通った後から彼女を救う方が簡単だ。

 

 大丈夫だ。既に種は蒔いてある。学園は平民と貴族が両方通える設定があった筈だ。その点を考慮して、僕に従う私兵は何人も用意するつもりだ。

 

「もう2年もすれば、楽しい学園編の始まりだ。タイトルをつけるなら、『真実の愛に気づいた悪役令嬢を守る異世界転生主人公の転生無双』ってところかな」

 

 僕は自室で一人悪い笑みを浮かべた。いけないいけない、主人公はこんな顔をしないよな。擬音をつけるならニヤリ、いやへらりだろうか。そういった笑いをしてしまった。女の子にみせるには少し怖いかもしれないな、でも僕カッコいい。

 

 

 

 そして学園編が始まった。メアリーは取り巻きの女子と使用人を従えて、毎日偉そうに学園に君臨していた。

 

 一度ガードが緩い時に、愛の告白をしに行った。少し馴れ馴れしいくらいが僕の愛に気づけて貰えると思って、その肩にふれたが、返事は上段蹴りだった。

 

 階段から落とされた僕はその後、彼女から脅された。もし大ごとにしたら公爵家の力でもってお前の家を潰すと。その言葉に僕は歓喜した。

 

 本物だ。本物の悪役令嬢だ。万が一、彼女に誰か普通のOLの魂でも憑依していたらどうしようかと思った。僕が愛したのは悪役令嬢の彼女で、どこの誰かも分からない元の世界の女では無いのだから。

 

 

 

「アクズ様、今後はどうなさいますか?」

「勿論、方針は変わらない、メアリー嬢の悪行は全て証拠として残しておけ、断罪イベントを早める為には必要だからな」

 

 僕は学園に潜り込ませた平民の部下達にそう命じた。肩書は僕の使用人となっているこいつらは僕に従順だ。

 

 僕の予想通りだった。第二王子の断罪イベントは本来なら冬のクリスマスパーティーに行われる筈だった。だが、僕が密かに証拠を集め、嘆願書として王子に伝えることで、そのイベントが発生したのは春の新入生歓迎パーティーだった。

 

 これで学園でのメアリーの権力は地に落ちた。既に彼女には取り巻きも居ない、クリスへの復讐に駆られ盲進している彼女に接触することは簡単だった。

 

 一人使用人が彼女のそばにいるみたいだが、所詮は平民のモブだ。どうという事は無い。

 

「メアリー公爵令嬢、少しお話があります」

「誰よあんた」

「アクズと申します。しがない子爵家の長男です。貴方様の復讐、どうか私めに任せてみませんか?」

「……いいわ。話だけでも聞いてやるわよ」

「それは良かったです」

 

 僕の事を忘れているのは気に食わなかったが、メアリーの本来の姿が愛に飢えている乙女な性格の女だと知っていれば、全てツンデレみたいなもので可愛いもんだ。僕はへらりと笑った。

 




御手数ですがアンケートは2/18次回更新迄の期間で一つ宜しくお願いします。


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第二十話 僕達結婚します

アンケート御協力頂き感謝です。需要無さそうなんでやめときます。もし血迷って書く日が来たら告知とか無しでサラッと上げるかも。他に投票してくれた方も過度な期待せずに、見つけたら読んで下さい。 ありがとうございました。



 

 メアリーの様子がおかしい。

 

 二人の交際が始まってから早2週間が過ぎ、性格が以前と真逆に変化した彼女は俺に毎日甘えまくった。最早彼女の俺に対する感情は、愛というより依存心では? と俺が危惧し始めていた頃、俺は彼女の異変に薄らと気づき始めた。

 

「…………はぁ」

 

 メアリーは物憂げに窓を見ながらため息をつくことが増えた。何か悩みでもあるかと聞いても、彼女は何も言わずに悲しい顔をして口を閉ざした。

 

 早くも倦怠期かと思ったが、そういう訳でもないらしく、むしろ彼女は今までより一層激しく俺を求めた。まるでやっと摑み取った幸せを逃さないように、ぎゅっと抱きしめる彼女の両腕は何か助けを求めているようだった。まさか不治の病にでもなってないよね? 

 

 俺がもう少し察しが悪い男だったのなら、その理由に気づけないまま、彼女の様子に目を背けて幸せな日々を過ごすことが出来たのだが、どうもつまらないことばかり気になってしまう性格の俺は、なんとなく思い当たることがあった。

 

 メアリーから話してくれると思って敢えて指摘はしなかったが、相も変わらず表情が暗い彼女を見て、俺から詰めようと思い直して彼女を部屋に呼んだ。

 

「二日前にお前宛てに手紙来てただろ。最近暗いのはあれが原因か?」

「……気づいてたの」

「メアリーがクロワッサン家にいることを知ってる奴は少ない。そんな中お前宛てに手紙が来て、それ以降毎日悲しい顔してたら誰でも気づく」

「そんな顔してたかしら」

「あからさま過ぎてツッコミ待ちかと思うくらいにはしてた。で、誰からの手紙で何が書いてあったんだ?」

 

 差出人の本命はルドルフ公爵、対抗はアイリス様、大穴で第二王子かな。ここ二日間の様子をふまえると、内容は今の生活を脅かす何かが書かれてた筈だ。

 

「私と結婚したいから迎えに来るって書いてあったわ。この生活も悪く無かったけど、もうそれも終わりみたいね……」

「誰からだよ。というか急に何言ってんだ。自己完結させるな」

「今まで本当に楽しかったわ。ありがとう」

「いや、だから──」

 

 その時、玄関のドアが壊れるんじゃないかと思うような乱暴なノックの音が一階から聞こえた。

 

 今は親父もお袋も出かけてるので、俺達が出るしかない。俺はメアリーに部屋で待ってるように言いつけて、ある意味空気を読んだタイミングで来た招かれざる客の応対をしに玄関のドアを開けた。

 

「悪いけど、新聞の勧誘はお断りなんで帰って貰っていいっすか?」

 

 ドアを開けた先にいた貴族のクソ野郎にそう言い放った。周りには武装した男達を何人か引きつれている。どう考えてもロクでもないことしに来たなと一目で分かる状況だ。もし荒事になった場合、無手の俺じゃ流石に無理。

 

「久し振りだな、平民のえーと……なんて言ったかな? モブキャラはこれだから困るよ。名前が覚えられない」

 

 俺の言葉に返答したのは、俺が退学になった原因とも言える、シュジナロ子爵家の長男であるアクズ・フォン・シュジナロだった。

 

 一言で言えば、メアリーにやたら執着してた貴族のクズ野郎。学園でクリスさんを襲ったのはこいつの部下で、メアリーを襲ったのもこいつと部下。ちなみに俺が殴り飛ばしたあほ貴族とはこいつのことだ。襲われてるメアリーを見てついカッとなって手が出ちまったせいで俺はめでたく退学となった。

 

「わざわざこんな田舎まで来てご苦労様です。で、俺に復讐でもしに来たんですか?」

 

 平民が貴族を殴ったとはいえ、向こうも婦女暴行未遂だ。お互いのことを大ごとにしない為、俺の退学ということであの件は双方水に流し、和解して後腐れ無いようにすると現当主である子爵閣下との約束だったが、反故にする気か。

 

「勘違いするな。僕もあの時のことは軽率だったと反省している。好感度が低い状態でエロシーンに至れないことは十分分かったさ。今日ここに来たのは麗しの姫君を迎えに来ただけだ」

「メアリーのことか、ここに居るって確信を持っているみたいだけど、誰に聞いたんだ?」

 

 こいつの発言は毎回意味不明だ。この狂人変態クソ貴族が。

 

「私ですよ」

 

 俺の質問に返答したのはアクズでは無かった。男達の影に隠れて見えなかったが、アウラ伯爵令嬢はひょこっと姿を出してそう言った。

 

「久しぶりですね先輩。夏祭りの日以来だから、2週間と少しか……。クリスをあれだけ泣かせて、メアリー先輩と恋仲になって過ごす日々は楽しかったですか?」

 

 アウラさんはそう言って、以前メアリーに対して向けていた嫌悪の目を、今度は俺に向けていた。……クリスさん、俺の前では常に笑顔でいてくれてたが、やはり陰では泣いていたのか。本当に中途半端にデートなんてして申し訳なかったと、その件については未だに罪悪感はある。だけど。

 

「どういうつもりですかアウラさん」

「愛のキューピッドですよ。アクズ先輩がメアリー先輩に気があるのはそこそこ有名でしたからね。彼女の行方をずっと探してたみたいでしたし、教えてあげただけですよ」

「何故そんなことを、メアリーに対する復讐ですか?」

「失礼な、クリスの為ですよ。この二人が結ばれたら、きっとアルベルト先輩も目を覚ましてクリスと気兼ねなく付き合えますよ。それってハッピーエンドじゃないですか?」

「馬鹿げてる。そんな単純な訳無いだろ」

 

 俺もアウラさんも、お互いが自分の意見を曲げないというような険悪な雰囲気が流れた時、その空気を打ち破ったのは意外にもアクズだった。

 

「まぁ二人とも落ち着きたまえ、僕がここに来たのはモブキャラと争う為じゃない。重要なのは確認と出迎えだ」

「確認?」

「うむ、すなわち悲劇にも公爵家から除されてしまったメアリー嬢の身柄と安否を確認し、必要なら僕が結婚という形で保護しようというわけだ」

「メアリーなら三食昼寝付きで毎日楽しくやってるよ。もう用事は済んだか?」

「発言に気をつけろよモブ、彼女が下賤な平民に囚われているか、それとも寄るべの無い彼女は保護されただけなのか、それを決めるのは僕だ」

 

 そのアクズの言葉を聞いて、武装していた周りの男達は武器を構えた。

 

「もし、前者だった場合、貴族として見て見ぬふりは出来んな。この家、周りの畑ごと燃やしてやろうか?」

「成程、そういう風にメアリーを脅したわけか、流石に腐り過ぎてて反吐が出そうだ」

 

 俺の言葉は強気だが、ハッキリ言って状況は絶望的だった。少なくとも狂人のアクズとこれ以上話してどうにかなる話では無い。

 

 そうなると、俺が会話をするべき相手は侯爵令嬢のアウラさんだ。少なくとも彼女は自分の為では無く、クリスさんの為に行動している分、アクズより良識的な人間だと思う。

 

「クリスさんがこんな状況を望むとは思えない」

「そんなこと知ってます。でもそんなあの子の優しさに甘えて、散々苦しめてきたじゃないですか。この状況は因果応報ってやつじゃないですか?」

「だからって、こんなことしたって不幸になる人間が増えるだけだろ。間違ってる」

「今は悲しいかもしれませんが、時間が解決してくれますよ。なんならクリスに慰めに来てあげるよう言っておきます」

 

 何を言っても、どう訴えても、俺の言葉はアウラさんには届かない。結局俺は何度もクリスさんを傷つけた最低男だもんな。

 

「あら、雁首揃えてぞろぞろと、大層なお出迎えね」

 

 いつの間にか二階から降りてきたのか、気づけばメアリーがいつもの調子で現れた。

 

「このアクズ、お迎えにあがりました。ずっと再会を夢見ていましたよ。メアリー殿、身分が変われど変わらぬその美貌、相変わらずお美しい」

「そう、どうでもいいわ。さっさと行きましょ。結婚するんでしょ?」

 

 喜びを隠せない様子のアクズと違って、メアリーの声は冷めきっていた。その言葉には、最早どうにもならないと諦めの感情が含まれていた。

 

 昔の彼女を知っている俺からしたら考えられないような行動、この事態に癇癪を起こして喚くでも、助けを求めるわけでも無く、ただ諦めて受け入れている。それはつまり、彼女が変わったからだ。俺や両親、もしかしたら兄貴達まで人質に取られてるようなこの状況で、彼女は自分を犠牲にしてこの場を収めるつもりなのだ。

 

 彼女が望むなら駆け落ちでもなんでもしてやるが、そんなことしたら俺達以外の家族がどうなるか分かったもんじゃない。だから俺は押し黙った。これ以上この場で俺に出来ることは無いと考えた。

 

 自らの感情に任せて暴れ回れたらどれだけ楽か。俺は湧きあがる怒りを理性で完全に押し殺した。

 

「久しぶりね、夏祭り以来?」

「思ったより反抗しないんですね。でも平民から次期子爵夫人になれる訳だし、そんなもんか」

 

 アウラさんは俺とメアリーが恋人同士だったことは知っている様子だった。そんな二人をこんな形で引き裂いて、良心は痛まないのだろうか。権力とか貴族とか、ハッキリ言ってもうウンザリだ。

 

「達者でな。元気に暮らせよメアリー」

「うん。今までありがとうね。アルベルト」

 

 簡単で、軽い挨拶。お互いが本心を飲みこんで、必死に繕った。

 

「おお、アルベルト君か、ようやく名前を思い出せたよ。メアリー嬢に今まで付き従った忠義の者よ。安心しろ、彼女は僕の海よりも深い愛で幸せにしてやるさ」

「どうも、今まで失礼な態度をとって申し訳ございませんでした」

「うむ、頼る先の無い彼女の身元引受人に今日までなってくれた事には感謝する。僕らの結婚式には呼んでやるから家族総出で来ると良い」

「結婚式はいつするつもりですか?」

「アウラ嬢の提案でね。明後日この村で盛大に行うつもりだ」

「分かりました。是非参加させて頂きます」

 

 言いたいことだけ言い残して、アクズ達は笑みを浮かべながらメアリーを連れて去って行った。

 

 アウラさんは俺に何か言いたそうに見えたが、結局何も言わずにメアリーと一緒の馬車に乗っていった。

 

 ドナドナドーナドーナドーナってか。

 

 タイムリミットは明後日までか、いくらなんでも早過ぎだ。遠くへ去っていく馬車を見ながら俺は家に入って準備を始めた。

 

 

 

「さて、行くか」

 

 親父達に書置きを残して俺は出かける準備を整えた。目指すは王都、先日村から去ったアイリス様かルドルフ公爵の二人しか、この状況を覆せそうな人が思い浮かばなかったからだ。本来なら一報入れてから行くのが筋だが、もたもたしてる暇は無かった。

 

 他力本願でカッコ悪いとは思うけど、現状他の打開案が浮かばない。

 

 メアリーのことはすっぱり諦めて次の恋を探す。そんな選択が出来るほど俺は大人でも諦めの良い男でも無いらしい。

 

 外に出ると、家の前にはクリスさんが立っていた。アウラさんの言うとおり俺を慰めにでも来てくれたのだろうか。というか滞在期間長いね。

 

「さっきアウラから事情は聞きました。いくらなんでもこんなの……っ!」

「酷い話ですよ。全く、本当にそう思います」

「私、アウラを説得してきます。こんな形で二人が引き裂かれるなんて、絶対おかしいですよ!」

「ありがとうございます。俺もこのままで終わらせたく無いです。また貴方の優しさに甘えてしまいますが、よろしくお願い致します」

 

 俺は頭を下げた。クリスさんは親指をグッと立てて、任せて下さいとばかりに笑った。

 

 クリスさんはそう言ってくれているが恐らくは無駄になるだろう。アウラさんはアクズを連れてきただけで、アクズとメアリーの結婚自体をどうにか出来るわけではない。とはいえ、もしもメアリーがこの家に戻ってくる可能性が少しでも上がるなら、俺はクリスさんの優しさに縋るしか道は無かった。

 

「それじゃ、俺はちょっと王都の方へ行ってきます」

「私も、実家に帰ったアウラを追いますね!」

 

 俺は誰かと違って王都から追放された訳じゃないからね。行くこと自体は全く問題ないよ。

 

 王都行きの馬車便に乗り遅れないように、俺は走ってその場を後にした。

 





多分次回更新は土曜。理由は伏せます。


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第二十一話 親父面談

言ってることブレブレ人間の糸色望で申し訳ないですが、頭のおかしいIF版R18投稿したので告知。前回の前書きはなんやねんと憤る方、ホモは嘘つき、作者はホモ、そういうことです。向こうの感想欄ホモ多いので注意。アンケはなるべく反映したつもり。あと今回キリ悪いので1日2話投稿予定です。


 

 王都に着いた俺は真っ先に王城へ向かい、どうにかアイリス様と謁見の場を作れないかと右往左往した。

 

 俺は彼女のフットワークが軽過ぎて麻痺していたが、結論としては一国のトップと会うのはそんな簡単な話では無く、せいぜいやれたことは門番の方に、移動中に書いたアイリス様宛の手紙を渡すくらいしか出来なかった。

 

 早くも可能性の一つが潰れたような気はしたが、ルドルフ公爵と会うべく公爵家の屋敷へと向かった。

 

 公爵領の本家ほどではないが、見るだけで圧を感じる立派な門構えをした豪勢な屋敷だ。ここに来るのはメアリーと一緒に呼ばれた日以来になる。

 

 最初は怪しげな視線を向けていた門番の方も、俺がクロワッサン家の者と分かると中に入れてくれて、ルドルフ公爵と会えるように使用人の方に口利きしてくれた。お勤め御苦労さまです。

 

 そんなわけで、俺は忙しい合間を縫って貰い、ルドルフ公爵の執務室で彼と対峙した。俺が美辞麗句を含めた挨拶を手短に済ませると、彼は口を開いた。

 

「久しいなアルベルト。シュジナロ子爵家の長男とメアリーが結婚するらしいな。子爵家から連絡は既に入ったので現状はおおよそ把握している」

「話が早くて助かります。どうか、お嬢様の結婚を取り止めさせて下さい」

「あの無能は最早サマリー家とは縁が切れている。どこの誰とでも好きにすればいい、アレの人生に今更口を挟もうとは思わんな」

 

 まるで近所の野良猫が子供を産んだくらいの、どうでもよさそうな話を聞く態度でルドルフ公爵はそう言った。

 

「……お嬢様は、以前までとは違います。今は思いやりもあって、他者を重んじる心を持ってます」

「ほう、それで?」

「彼女は、俺の家族を救う為、自らを犠牲にしてこの婚姻を受けるつもりです。アクズ……、子爵家の長男は人道に外れた性格の下種です。実際に学園時代にも、無理矢理に彼女を手籠にしようと画策しました」

「お前が退学になった一件か、それで?」

「それでって……、そんな男と、実の娘が一緒になるなんて親として憤る気持ちはありませんか?」

「全く無いな。二度言わせるな、好きにすれば良い。仮に結婚を取り止めにしてそのあとはどうする気だ?」

 

 暖簾に腕押しな状態のルドルフ様に、俺は紫色のカーペットの上に頭を擦りつけ、土下座して懇願した。

 

「お義父さん、娘さんを俺に下さい!」

 

 執務室に響くくらいの声量で叫んだ。これが物語なら、堅物な親父もやんわり許してくれそうな場面だが、現実のルドルフ公爵はそんなに甘くない。

 

 ルドルフ公爵からの視線を感じる。頭を下げているので様子を伺えないが、呆れるようなため息が一つ聞こえたので好印象というようでは無かった。

 

「アルベルト、正直落胆した。お前は合理的で優秀な使用人だったが、そんな風に感情に訴えることしか出来なくなったのか?」

「俺なら世継ぎの件も含めて、子爵家長男より都合が良いと思います……!」

「世継ぎの件、誰に聞いた? ああ、アイリスか……余計なことを」

 

 呆れた口調を隠しもせずに、ルドルフ公爵は言葉を紡いだ。

 

「アレは母親似で器量だけは良いからな、今回の縁談が流れたとして、これからも容姿だけ見て言いよる貴族は増えるだろう。その度にこんな風に頭を下げるつもりか?」

「そんなつもりは……」

「そもそも元使用人なだけで平民のお前より、子爵家とはいえ貴族の長男が劣っている箇所が見当たらんな。世継ぎの件も、産まれる前から公爵家に有利な条件を結べば良いだけの話だ」

 

 合理的で貴族的で、娘の幸せどうこうは度外視した物言い、久しぶりに会っても変わらないなこの人は。

 

「まさか、自分の方がアレを愛しているから、等とのたまう訳ではあるまい。言っておくが、元使用人であることを除けばお前は只の平民だ。本来はここで私と話すことも難しい存在で、お前ら二人は既に公爵家の庇護を離れている。他に私に言いたいことがあって来たんじゃないのか? 無いのなら話は終わりだ」

 

 かなり昔、アイリス様に尋ねたことがある。ルドルフ公爵は本当に娘を愛しているのかと。

 

 常に王都暮らしで宰相の仕事をこなすのは立派ではあると思うけど、年単位でしか公爵領に戻らずに娘に会わないのはどうなん? と、性格をこじらせてるメアリーを見て、彼女の専属使用人として思ったものだ。

 

 メアリーは自分が父親に愛されていると疑ってはいなかったし、常に俯瞰的に物事を見ているアイリス様なら分かるような気がして尋ねた。

 

 アイリス様曰く、滅茶苦茶分かり辛いけど、きちんと情や愛は持っているらしいとのことだ。自分がそういう風にしか育てられなかったから、娘にもそういう風にしか接することが出来ないんだろ、と簡単に言う彼女を見て、親に対しても偉そうに評価するんだなぁと感心したと同時に、それ本当かなぁ? と疑う気持ちはあった。

 

 あの時疑って正直すまんかった。なんだかんだ言ってメアリーのことは愛してるみたいで良かった。このツンデレお義父さんめ。

 

 そうでなければ、多分こんな風にヒントを送るような、俺を誘導するようなことは多分言わない。

 

「ではルドルフ公爵閣下、最後に一つお願いがあります」

 

 俺は用意していた2枚の紙を出した、ルドルフ公爵はそれを読んだ後、俺達は揃って調印した。

 

 

 

 屋敷を後にした俺は、王都にあるカフェでロイヤルミルクティーをしばいていた。ハーケン村行きの馬車便に乗るまでの時間つぶしだ。

 

「なんだ、泣きながら河原で石でも投げてるかと思ったら、存外平気そうだな」

 

 対面の席に、中々捕まえられなかった王子妃様が腰かけた。相変わらず護衛を連れていない。この国どうなってんの。

 

 この様子だと、アルベルト作の慈悲を乞うような内容の手紙はきちんと届けられたらしい。王城の方の門番さんもお勤め御苦労さまです。

 

「アイリス様、助けて下さい」

「その様子だと、既に親父殿に何か言って受け入れて貰えたんだろ。思惑通りという所か? ま、私はこの件には中立だ。腐っても王族、ヘタに肩入れ出来ん」

「……この前は応援してる風だったくせに」

「私は愚妹の意志を尊重する。嫁ぎたくない相手にだろうと本人に嫁ごうとする覚悟があるなら全く問題ない。愛など婚姻後に育めばいい、それが貴族だ」

「そういう貴族的な考え方、本気で理解できないです」

「当たり前だろ、お前は平民なのだから。それで、どうにかなりそうか?」

 

 その質問に対し、どうなるかは俺自身まだ分からないが、俺の答えは是しか無い。

 

「やるだけやってみます。メアリーの事、諦められないですから」

「そうか。ところで手紙に書いてあること本当か? あの貴族主義の愚妹が平民を救う為に自己犠牲の精神を持つなど未だ信じられん」

「成長はしたんでしょうけど、らしくないです」

「ああ、全くらしくない」

 

 緊迫感の無い世間話のような会話。アイリス様の助力はかなり期待していただけに、正直残念でしか無いが、ある意味俺を信頼してくれていると好意的に受け取ることにした。

 

「折角だ、私と一緒に結婚式に行くぞ。一応姉として招待はされているからな、馬車は用意してある」

「ありがとうございます。ご一緒させて頂きます」

 

 王都に来て一日も経たぬというのに、観光なんて微塵もしないで俺はとっととハーケン村へとんぼ帰りだ。アクズのせいだ全部。

 

 まさかこの時の俺は、移動中に馬車の後輪が壊れたことが原因で道中やたらと遅延して、結婚式に遅れることになるとは露ほど思っていなかった。

 



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第二十二話 逆転結婚式

 

 ハーケン村にある聖アルプス教会、普段は村の子供に教育を施したり、礼拝集会を行ったりをしているのが常だが、本来の仕事である婚姻の儀や葬儀なども勿論執り行う。

 

 本日ここでは貴族の男性と平民の女性による、身分違いの結婚式が行われる予定である。

 

 既に参列者席もほとんど埋まっており、時間も定刻となりつつある。

 

 ステンドグラスが輝きオルガンの音が鳴る中、本日の司式者であるサイバン神父長は新郎新婦両方の参列者席を見た。

 

 

 新婦側の席に座っているアルベルト以外のクロワッサン家の面々は複雑な顔をしていた。彼や彼女らは何故メアリーが急に心変わりをしたのか、アルベルトの置き手紙に詳細が書かれて無かったこともあって、具体的な理由はよく知らなかった。

 

 結婚式直前に全員が純白のウェディングドレス姿のメアリーに少しだけ会うことは出来たが、今までのお礼を言われるだけで具体的なことは何も聞かされ無かった。"ちょうど貴族に戻りたくなった時に縁談が来たから受けた。アルベルトとは別れた"それくらいの説明では、彼女のことを家族として見てた皆としては到底納得できなかったが、彼女の瞳には強い意志が宿っていた為、それ以上何も言えなかったのだ。

 

「お袋、アルベルトはまだ来てねーの?」

「王都に行くって書置きには書いて有ったけど……まだみたいね」

「舌打ちが出るくらい仲良かった二人なのに、なんでこんなことに……」

「あうあうー」

「ああ、ウマイも悲しそうな顔してる」

 

 クロワッサン家の面々は全員が暗い顔をしながらため息をついた。

 

 

 新郎側の席にはアウラとクリスが並んで座っていた。

 

 アウラは結婚式直前までの二日間、自領にてメアリーと共にいた。結婚式前にアクズに引き渡さないで実家の屋敷にメアリーを軟禁状態にした。アウラは恋人同士を引き裂いた原因である自分に対して、メアリーから恨みの言葉を聞きたかった。それを聞いて少しでも自分の罪悪感を減らしたかったのだが、諦めたようにしおらしくしている彼女を見て、むしろ行き場の無いやるせなさが大きくなった。

 

 クリスはアウラに対し説得したが、結局どうにもならなかった。子爵家と平民の結婚に割って入れるほど侯爵家の権力は大きくないし、そもそもアウラはそんなつもりも無い。

 

「クリス……私のこと、嫌いになった?」

 

 アウラは隣に座っているクリスに語りかけた。アウラは自分のしたことに対し、誰かに責めてほしかった。

 

「うーん、アウラのしたことは最悪だし陰湿だし性格悪いなぁと思うけど、私の為にしたことなら嫌いにはならないかな……」

 

 クリスは歯に衣着せぬ言い方で、アウラのことをばっさり切った。アウラの心臓に少しダメージが入った。

 

「多分、アウラが思うようなことにはならないと思うな。あの二人が紡いだ絆はそう簡単には切れないと私は信じてる」

「分かったようなこと言うんだね。もうどうしようもないよ」

「何か壁があっても二人で仲良くなんとかしちゃうの、私とアウラみたいじゃない?」

「……クリス」

 

 本当にどこまでも優しくて良い子だ。そんな彼女に対する想いが暴走してこんなことになってしまった。いくらメアリーがヘドロより汚い性格のゴミカス以下のクソオブクソな最低の悪女だとしても、もう少し後腐れの無いやり方はあったかもしれないと、アウラは自身の行いを後悔していた。

 

 

 トウシンは彼女のスザンヌと一緒に並んで座っていた。

 

 村一番の商家であるサンジェルマン家はアクズのシュジナロ子爵家と仕事面での繋がりがあった為、新郎側の参列者席に座ることになった。

 

「気にいらないねぇ……」

「何が?」

「あの馬鹿女だよ。気に入らないんだよ、まだあの時の復讐してないってのに貴族に嫁ぐとかさ……」

「トウシンそれまだ言ってたんだ……」

 

 

 フローラは若干落胆しながら新郎側の参列者席に座っていた。

 

 彼女はこの村にいる画家として、商家のサンジェルマン家に雇われた。愛し合う二人の幸せな姿とそれを笑顔で祝福する周りの皆を写実して欲しいと頼まれたのだ。

 

 教会の皆が幸せな笑顔を浮かべる様子を描けることを嬉々として引きうけたが、どうも想像していたものと違った事にがっかりしていた。

 

 泣いている者、俯いている者、怒りに燃える者、どちらかというと負の感情が多く見られる気がする。仕事を選べる立場にある彼女は、正直描く気が失せてきた。

 

 

 そんな色々な想いが会場内に交錯してる中、結婚式は始まった。

 

「静粛に。それでは、定刻となりましたので、結婚式を執り行いたいと思います。本日は私、神父長であるサイバンが司式者をさせて頂きます」

 

 サイバン神父長の言葉に、会場内は静かになった。それを確認し、一度頷いたサイバンは開式の辞や精霊書の朗読などといった、一般的な結婚式の儀を進めていく。

 

「それでは新郎の入場です」

 

 その言葉を聞いて、聖壇へと歩いて向かうのはアクズだ。彼は満面の笑みで進んでいった。

 

「続いては、新婦の入場です」

 

 その言葉の後、純白のウェディングドレスを身に纏ったメアリーは、子爵家現当主に腕を引かれながら、バージンロードをゆっくりと歩いていた。

 

 初めて新婦を見た参列者の面々はその美しさに小さくおおぅ……と感嘆の声を上げた。煌く黄金のような髪に加えその容姿の良さ、さらに完璧なボデイラインまで持つ彼女は、まさに精霊や女神といった人外の美しさがあった。高貴さと清純さを併せ持つその姿に、これから結婚する女性というのも忘れて多くの男性は目が釘づけになった。

 

 彼女は新郎の隣に並び立った。

 

「メアリー殿、いや今日からはメアリーと呼ぶよ……本当に綺麗だ」

「どうも」

 

 アクズは目の前にいる美少女がようやく次元を超えて自分の物になることに喜びを隠せなかった。

 

 不安要素も取り除き、これがゲームならまさしくハッピーエンドだと胸を躍らせた。

 

 新郎と新婦が二人揃った事で、精霊書を朗読するサイバン神父長による誓約の言葉が始まる。

 

「新郎、汝は健やかなる時も病める時も──……誓いますか?」

 

 彼は永遠の愛を誓い合う儀式を言葉にして二人に紡いでいく。

 

「誓います」

 

 アクズがそう答えた後、一度頷いたサイバン神父長は新婦にも同様のことを尋ねた。

 

「では新婦、汝は富める時も貧しき時も──……誓いますか?」

「誓います」

 

 新郎と新婦、両方の合意を聞き届け、サイバン神父長は再度頷いた。

 

「それでは、皆さん、お二人の上に精霊様の祝福があらんことを願いを込めて、祈りましょう。もし、この結婚に異議のある者は今申し出なさい」

 

 神父長としては、いつも通りのお決まりの言葉の一つ。この後数秒の祈りを会場の者達全員で行った後は再度精霊書の言葉を紡ぐだけだ。

 

 しかし、この言葉に反応して、バンッ! と前の木作りのイスを一度叩いた後、挙手をしながら大声を出す不届き者がいた。

 

「異議あり! 異議あり! 異議ありぃ!」

「ちょ、クリス!?」

 

 アウラには先ほど綺麗なことを言っていたが、クリスはこの結婚式に対して、かなりフラストレーションが溜まっていた。自分が泣く泣く、泣く泣く泣く泣く泣く泣く……くらいの想いでアル×メアの間に割って入らずに身を引いたと言うのに、横から急に出てきた変な男がメアリーと結婚するのは納得がいっていなかった。

 

 クリスが大好きだったアルベルトは、最終的にメアリーを選んだ。選ばれたメアリーがアルベルトを選ばずに他の変な男と結婚する。納得、出来る訳ないんだよなぁ。端的に言ってクリスはこの結婚式をぶち壊したかった。

 

「メアリー先輩! 本当に良いんですか!? このままで! そんな変な男! アル先輩より上な訳無いでしょ!」

 

 クリス、必死の慟哭。これに驚いたのは、言われたメアリーより周りにいた他の参列者及びサイバン神父長だ。

 

 教会内がざわめき、アクズも何故原作主人公が急に叫び始めたのか分からずに混乱した。メアリーは無言だ。果たして彼女にクリスの言葉は届いたのだろうか。

 

「なら僕も、異議ありだぁ!」

「ちょ、トウシン!?」

 

 混乱の最中、また一人前の木製イスを一度バンっと叩いてから大声で異議を唱える者がいた。

 

「そこの馬鹿女の復讐、ようやく思いついたぜ。貴族との結婚だとぉ……!? ふざけやがって、僕より偉くなるなんて絶対許さねえかんなぁ!?」

 

 家の関係とかそういった事を考えずにトウシンは立ちあがって言い放った。言った台詞だけで見るとまさに短慮とも言える行動。

 

 だが、彼の中にはアルベルトとメアリーが仲良さそうに歩いている様子を村で何度か見て、素直に祝福する気持ちが少なからずあり、別に二人の為とは言わないが、この結婚式は何故か気に食わなかったし滅茶苦茶にしてもいいかと突発的に思ってしまったのだ。

 

「おい! 馬鹿女! お前にはアルベルトくらいがちょうどいいだろ! 身の丈を考えろよこの馬鹿が!」

「トウシンのそういうとこ割と好き」

 

 一度出来た流れとは恐ろしい物で、更に異議を申し立てる者が出てきた。

 

「異議あり! 私まだ、メアリーちゃんと一緒に買い物に行ったり畑仕事に行ったりしたい!」

「異議ありぃ!! メアリーちゃんとアルベルトが居ないと! 折角買った高級耳栓が無駄になるだろ!」

「異議っしょ! メアリーちゃんとまだ一緒にクラブに行ってねぇし! それにやっぱアル×メアしか勝たん!! Fooooo!!!」

「いぎゃーり!」

「あ、ウマイが喋った」

「異議あり、やっぱりその新婦さんの表情が気になるな。この絵は私の描きたい物じゃないかな」

 

 最早会場は滅茶苦茶だ。アクズは必死の形相でそいつらをつまみだせ! と叫んでいるが、ここは非暴力地帯の教会内。

 

 衛兵はいないし、アクズの部下達は奴隷に近い平民だったのでここには参列していない。

 

「静粛に! 一度落ち着いて下さい皆さま!」

 

 サイバン神父長の響く声で、全員が多少落ち着いてざわめきも少なくなる。彼がその様子にホッと胸をなでおろすと、どこからか変な音が聞こえてきた。

 

 ぱからっぱからっぱからっ……! 

 

 馬が走るような音はどんどん近付いて来て、どがっしゃああああん!!! っと盛大な音を立てながら、突如現れた白馬とその騎乗者は教会の入り口を破壊した。

 

 その姿はまるで前田慶次の城門突破、まさに傾奇者の様な豪快さでその場にいた全員が口を開けて驚いた。

 

「その結婚、待ったぁ!!」

 

 馬車が壊れて一人だけ白馬に乗っては来たが、乗馬経験が無かった為、暴走を制御出来なかったアルベルトはそう叫んだ。



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第二十三話 しおらしい彼女は可愛くない

頭のおかしい小説書いてたら本編の方が遅れた。
許してヒヤシンス。


 

 前回までのあらすじ。

 

 馬車馬として働く3歳馬の雌馬オグリキャップは、アイリスの思わぬ采配によって新人騎手アルベルトを乗せながら、大地を駆けた。

 

 彼とならどこまででも走ることが出来る……っ! 徐々にスピードを上げる彼女に振り落とされないように、アルベルトは必死に手綱を握るが、暴走した彼女は全く止まること無く、教会の扉を破壊しその鳴き声を轟かせた。ひひーん。

 

 あらすじ終わり。

 

 

「何をしているんですか!? ここは神聖な教会で、今は婚姻の儀の真っ最中ですよ!?」

「扉を破壊したことは申し訳ないです。後で弁償はします!」

 

 俺は馬から降りて、サイバン神父長に謝った。怪我人が出なくて本当に良かった。物的被害だけならまだなんとかなるだろう。……なんとかならん? 駄目?

 

「何しに来た、平民のモブが……ただでさえ謎イベントが発生しているというのに……!」

「聞こえなかったか? この結婚式、ちょっと待って貰いたい!」

 

 アクズの質問に俺は再度叫んだ。正義は我に有りというような演説めいた堂々とした態度でだ。イメージするのはメアリーを婚約破棄した時の第二王子だ。

 

「この結婚式は不当だ。身分の違いを盾に、いたいけな少女が無理矢理に縁談を結ばされている! 花嫁の心はこの場には無い!」

 

 俺の発言に、会場内がざわめく。いけいけー! っと囃し立てるクリスさんの声が聞こえる。

 

「何を馬鹿なことを……メアリーの心は既に僕の物だ、貴族の結婚式にこんな真似して、どうなるか分かってるんだろうな?」

 

 アクズはそう言って、脅しのことを思い出させるようにメアリーを見た。彼女は俯いて、悲しい表情をしていた。

 

「アル……ごめんなさい、こうするしか、こうするしかないの……」

「……らしくねー」

「……は?」

 

 こいつはいつまで悲劇のヒロインムーブしているんだろう。ぶっちゃけ手紙の件で問い詰めた時くらいから、俺はメアリーにイライラしていた。一度決めたら頑固で周りが見えなくなる彼女だが、今までは自分の気持ちに素直だったからまだ可愛げがあった。今ではウザいだけだ。そういうのお前には似合わないから。

 

「らしくないって言ったんだ。昔のお前は、欲望に忠実で、周りのことなんか省みないで、馬鹿な子として馬鹿な事をしていた」

「……私は変わったの、昔と違って成長したの……」

「臆病になっただけだ。俺達のことが信じられずに、勝手に決めて、勝手に逃げて、失うことが怖かったんだろ。臆病者、弱虫」

「だ、だれが臆病者だってぇ……? ひ、人が下手に出てたらちょ……調子にのってぇっ……!」

「そんな風にしおらしくするなんて、お前には似合わない。悲劇のヒロインじゃなくて、お前は悪役の方が似合ってるのを自覚しろ」

「ぐっぐぎぎぎぎ……!」

 

 悔しそうに怒りの形相をする純白のドレス姿の花嫁から、歯ぎしりが聞こえる。調子出てきたな。

 

「あと彼女の中には新しい生命が宿っている。彼女とは散々愛し合った。勿論俺の子供だ!」

「そ、そんな馬鹿なことがあるかっ! 彼女が王都追放されてまだそんな経って無いぞ!」

「証明出来るのか? 俺と彼女は学園内でもずっと一緒だった。ほくろの位置でも教えてやろうか?」

 

 周りの驚く声が聞こえる。ハッタリだけど、俺が正義でアクズが悪という印象を抱かせることが出来れば十分だ。クリスさんは吐血しているけど、嘘なんですすみません。

 

「もう沢山だ! そんな世迷言を言う為に来たのならもういいだろ、誰かこの男をつまみだせ! ……お前覚えてろよ後でどうなるか楽しみにしてろ」

 

 アクズは周りに叫んだあと、俺らにしか聞こえない声量で最後にぼそっとそう言った。おそらくアクズの親族であろう何人かが、俺を教会から追い出そうと近寄って来る。俺は2枚の契約書を取りだした。

 

「メアリー、お前の保護者として言うが再教育だ。お前にはあくせく働いてもらう。身元引受人になった時にルドルフ公爵に渡した金額分くらいは返してもらうぞ」

 

 まぁ本当はそれアイリス様から返してもらったけどね。

 

「はぁ? あんた何言ってるの? また私に畑仕事でもさせたいの?」

「お前には、俺と一緒に公爵家の使用人になって貰う。クロワッサン家は代々サマリー家の忠臣の家系だ。お前はもうクロワッサン家の家族だからな、ルドルフ様も快く調印してくれた」

「はっ、何を馬鹿な事を……メアリーはもう僕のお嫁さんだぞ、そんなことさせるわけないだろ」

「いいや、するさ。使用人になるってことは公爵家の庇護を受けれるってことだ。そうなったらお前の脅しはもう効かない。それに彼女の子は公爵家の世継ぎとなる可能性がある」

「お父様が……私を……」

 

 サマリー公爵家は家族は置いといて身内には義理固い。子爵家の権力がどの程度か知らないが、当主でも無いアクズに出来る範囲はおそらく少ない。サマリー家を敵に回してまで強硬策をとれるとは思えない。

 

 虎の威を借りる狐ってそんなに悪いかなぁ。自分の出来る範囲で全力を尽くすって意味には捉えられない? 駄目?

 

「その契約書、彼女の同意が無いと履行されないんじゃないか? 僕と結婚したら貴族になれるんだぞ? 貴族主義の彼女がわざわざ平民に戻ろうとするわけないだろ、モブは設定を理解して無いから困るなぁ」

「同意する。私、使用人になる」

「……はぁあああ!!??」

 

 言質だが、メアリーの同意は取れた。周りの人達も二転三転する事態に慌てふためくだけで、成り行きを窺う方向に決めた人が多いみたいだ。

 

 彼女は被っていたヴェールをポイっと捨てると、俺に駆け寄ろうとしてきたが、アクズはその手を握って引き止めた。

 

「な、何言ってるんだよメアリー、変な冗談はやめろよ」

「あと、メアリーに一つ文句を言いたいんだけど、お前俺のことは散々サンドバックにしてきた癖に婚約者は殴らないのなんなの?」

「そうね」

 

 そう言って、メアリーは渾身の右ストレートをアクズの顔面に突き刺した。ゴスっと嫌な音がして、アクズは鼻血を出して尻もちをついた。

 

「いっだぁ……痛い、メアリー、いきなり何するんだよっ」

「私のこと本当に好きなら、受け止めて、私の気持ち」

「痛っ! やめっ……! 本当に……っ! 痛いよ止めてっ! い゛だぃ゛っ! や゛め゛っ……! お゛ぐっ……!」

 

 メアリーはアクズに馬乗りになると、ガスガスと顔面をタコ殴りにし始めた。鮮血が飛び散る、彼女の拳は返り血で赤く染まっていく。サイバン神父長が慌てて止めに入った。俺はちょっと引いたし、多分参列者の方々も引いた。

 

 メアリーはスッキリした顔をして、アクズを踏みながら立ちあがった後、俺に向かって走って来た。

 

「アーールゥーー♡」

 

 純白のウェディングドレスをところどころ返り血で真っ赤に染めた彼女は、ラブラブ光線を大量に出しながら俺に飛びついてきた。

 

 俺は勿論それを優しく抱き止め受け入れた。

 

「私、信じてた♡ アルがきっと助けに来てくれるって……」

 

 絶対嘘だゾ。調子いいこと言ってるけどお前だいぶ諦めの境地だっただろ。

 

 参列者の皆さんはスタンディングオベーションしながら口笛を吹いたり、野次を飛ばしてくる。新婦側の人達なら俺の家族とかいるし分からなくはないけど、新郎側の人達もノリで拍手してくれてるのは祝福されている気がして有りがたいね。

 

「アル、一つ、聞きたいの、本当に私のこと好き? 愛してくれてる?」

 

 そのメアリーの質問には、今更だが俺なりに答えを出してきたつもりだ。

 

「……俺は小さい頃、やたら性格が大人びていて苦手なことも無かったから、周りの子達に合わせるように常に自分を抑えて生きてきた。そんな風に過ごしてたからか、いつしか俺は周り全てがつまらなくてまともに笑えないような子供になってしまった」

 

 厨ニ病みたいなことを言っているが、事実として村の子供達のコミュニティ内で俺は異質だった。子供の中に一人大人が混じってるようなもんだ。空気は読める方だったから、場を壊すようなことは決してせずに、子供達に頼られるまま日々を過ごした。

 

「だから、親から公爵家の使用人の話を打診された時は、心機一転というか……そんな気持ちで勤めようと思った」

「で、私の事は愛してくれてる? はやくはやくっ」

 

 俺のつまらない自分語りを本当につまらなそうにしながら、メアリーは愛の言葉を急かしてくる。ぎりぎりウザ可愛い。

 

「きっと精神的にトラウマになってた部分があるんだろうな、でもメアリーと会って、いつしか俺は笑えるようになったし自分の気持ちに素直に向き合えるようになったと思う」

「つまり?」

「アニマルセラピーって知ってるか? 動物と触れ合うことで精神的な病を癒す治療法のことで、俺にとって多分お前は大型犬――」

 

 台詞の途中で、メアリーの全力アッパーが俺の顎に入った。

 

 大型犬のように思っていたけど、最近では一緒の日々を過ごすうちにそれが恋愛感情だと気づくことが出来たと改めて愛の告白しようと思ったのに……。そう思いながら俺は意識を失った。

 

 ああ、この感じ久し振りだ。全然嬉しくないけど、しおらしく無い彼女はやっぱり、彼女らしい。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 あの結婚式から2週間が経った。

 

 俺達二人は今、王都に来ていた。王都仮面舞踏会予選開始まで、もうすぐだ。

 

「あ、あんた、緊張してんの? 震えてるわよ」

「お、お前こそ、手汗凄いぞ」

「そもそも、何でこんなことしてるんだっけ?」

「折角毎日社交ダンスの練習したんだから、出なきゃ損って話になったからだろ」

 

 あれから俺達は、公爵家の使用人として従事することになった。アイリス様が王都の方で働いているから、入れ替わる様にルドルフ公爵は公爵領で働くことが増えた。ファザコンのメアリーはお父様お父様っとよく執務室に会いに行くが、公私を混同しないルドルフ公爵はいつも冷たくあしらっている。

 

「てか、あんたマスク持ってきた?」

「は? いやお前が持ってくるって話だっただろ?」

「はぁぁ? 持って来てないの? どうすんのよ! もうすぐ始まるわよ!」

「いや、俺に言うなよ。どっかから借りるか、なんか代わりのものないか? 顔隠れてればいいんだろ?」

 

 アクズは多くの平民を奴隷みたいに扱ってたことがバレて、アイリス様直々に断罪されたらしい。逆恨みされても困るので、どこで何やってるか知りたいのだが、王宮の地下室で脳みそとなった挙句、知識を吸い尽くされてるとか馬鹿みたいな噂話を聞いた。いったいどこで何やっているのやら。

 

「あ、バックの中に懐かしい物入ってた」

「いや、これはちょっと……」

 

 アウラさんはそこそこ罪の意識があったらしく、夏の間は自分探しの旅に出ると言っていた。あの後、俺には謝りに来たが、メアリーには相変わらず中指を立てていた。クリスさんはアウラさんに付いていくことにしたらしい。心配だからと言っていた。

 

 俺の家族は泣きながら良かった良かったと俺達を再度祝福してくれた。本当に心配かけて申し訳なかった。今後はまた公爵領で働くことも了承してくれた。

 

 フローラさんは今度俺達の結婚式の際は絵を描きたいから呼んでくれと言っていた。退職することを告げると、寿退社だね。と笑って送り出してくれた。

 

 トウシンは、この横恋慕野郎めっ! と俺のことをけなしていたが、彼なりに祝福してくれたんだと思う。

 

「よし、準備は出来たわね。審査員全員、私の踊りに感動させてやるわよ。 わかった?」

「全力で頑張る」

 

 そして俺達は、夏祭りで買ったウサギのお面とスズメのお面をつけながら、めちゃくちゃ社交ダンスした。

 

 勿論予選落ちした。

 

 お面のせいもあるだろうけど、恋人同士になってからダンスの特訓時間はほとんど愛の営みの時間に変わっていったし、まぁ実力が出たね。

 

 

 

「何で私達が予選落ちなのよ納得いかない」

「まぁまぁ」

「踊り足りない、ここなら音楽も聞こえるし、もう一回シャルゥィダンス?」

「えーしょうがないなぁ」

 

 そう言って、王城の近くの木陰で俺達は手を繋いだ。

 

「アル、もうこの手を離さないでね」

「いや、お前が勝手に離れていったんだろ。人のせいみたいに言うな」

 

 聞こえてくる音楽に合わせて、俺達は踊った。今頃城の方では王族や貴族の方々が優雅にダンスってることだろう。表舞台に立てない俺達はこうやって誰に知られること無く裏でひっそりと幸せを噛みしめられれば、それに越したことは無い。

 

「アル、私の事愛してる?」

「世界で一番愛してるよ。大好きだ。でも今度から暴力はやめてね」

 

 こうして俺達は色々あったが落ち着くところに落ち着いた。あー良かった良かった。ホッと一安心。

 

 そして、穏やかで平和な時間はどんどん過ぎ去っていく。俺達はたまに喧嘩もすることもあるけど、いつも仲良く元気です。

 

 

 二人仲良く幸せを噛み噛みしていると、二人は三人になり、三人は四人になりと……いつの間にか、気づいたら十数年の時が流れていた。

 

 





次回最終回です。


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最終話 王子から婚約破棄されて王都追放された令嬢が可愛い

 

 俺の名はアルベルト・クロワッサン、通称アル、四捨五入すれば30歳。サマリー公爵家の使用人だ。

 

 性格クソな元令嬢と田舎で一緒に暮らすことになったのはもう随分と昔の話で、今は嫁と子供達と共に公爵家の屋敷で仲良く暮らしている。

 

 季節は夏、今日から王都のアメス学園では夏季休業だ。愛しの我が娘と息子も公爵領に帰省しに戻ってくるので、パパとしては久しぶりの再会にウキウキのモンキッキーだ。親父ギャグはやめよう。

 

「アメリアちゃんとアル君、今日戻ってくるらしいですね。私にも王都のお土産とか無いかなぁ……なんて」

 

 そう発言したのは、亜麻色のロングヘアーを持つ端正な顔立ちの女性、俺と歳は一つしか違わないのに未だに成人くらいにしか見えない童顔な彼女の名前はクリスティーヌ。通称クリスさん。

 

 昔はアウラさんと一緒に冒険者として世界を回っていたが、5年前に公爵領の専属武術教師になった。今の時代はここ100年の中でも治世はすこぶる良いと専門家の話では専ら評判だが、警護の人達は勿論、使用人も最低限の武術的備えは覚えておいて損は無いからね。昔俺も習ったし。

 

 ちなみに彼女の言うアル君とは長男のアルフレッド・フォン・サマリーのことで、俺のことでは無い。

 

「アル君……本当に久しぶりに会える、学園でやっぱりモテてるのかなぁお父さんに似てカッコいいし女の子達も放っておかないよねそれに公爵家の跡取り筆頭だし性格も良くて私みたいなおばさんにもいつも笑いかけてくれるし買い物に行っても嫌な顔せずに荷物持ってくれて優しく手を繋いでくれたけどそういう紳士的なところ見せられたら同い年の女の子なら多分一瞬で恋に落ちちゃうと思うから安易に天然なところ発揮しないで欲しいと思うのは私の我儘なのかな……あ、アルベルトさんはどう思います?」

「ほえぇ……」

 

 俺は優雅に飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。ちなみに手は震えている。

 

 まだ未婚の彼女はどうも色々こじらせ気味だった。まさかとは思うけど、アルフレッドのこと狙ってないよね? どうも目が濁っているように見えてしまって怖い。昔のキラキラした目をしていた天真爛漫で元気っ子だった彼女はどこに行ってしまったのだろうか。年月は人を変える。恐ろしいことだ。

 

 親友のアウラさんは一緒に冒険してた人と数年前に結婚したというのに……、いや女性に対して婚期云々のことを考えるのは失礼だな。本人がそれに満足しているのだからそれが一番だ。

 

「アルこんな所にいたの!? しかもクリスと二人っきりで、浮気して無いでしょうね」

 

 突如部屋に入室してきたのは俺の奥さんことメアリー・クロワッサンだ。子供を5人も産んだのに未だにプロポーションが崩れてない彼女は、年齢が重なっても相変わらず美しさに磨きがかかっている。ただし、母親になったのに気性が昔と対して変わっていない。

 

「し、して無いですよっ……! そりゃ出来たら嬉しかったり……、いや嘘ですって目が怖いですよ!」

「浮気したら絶対に許さないから、ぜぇったいに許さないからね!?」

「浮気なんてしないよ。俺にはメアリーだけだ。愛してる」

「アルぅ♡ 私も好き好きっ♡ 疑ってごめんねっ♡」

「あーあー、コーヒー飲まなきゃやってられんわこんなん」

 

 いちゃつく使用人夫妻、それを荒んだ目で見るクリスさん。いつもの日常、そんな平和な公爵領の昼のひと時。

 

 そして、数分後屋敷に待ち人来たる。超絶可愛い母親似の我が愛娘のアメリアと、父親に似て真面目でしっかり者で苦労人気質のアルフレッドが帰って来た。

 

 

「パ~~パ~~っっ!! ただいまっっ!!」

「ぐふっ……娘の愛を受け止めるのは年々きつくなってくるぜっ!」

 

 全力で突進して腹にロケット頭突きをかましてくるアメリアを親の愛で受け止める。彼女が小さかった頃は俺も笑顔で受け止めきれていたが、最近では歯を食いしばって、顔も耐える表情に変わってしまった。

 

「父上、母上、クリス先生、ただいま戻りました。久しぶりの公爵領、なんか安心します」

「お帰りアルフレッド、元気そうで何よりだわ」

「アル君久しぶりー! お帰りー!」

「アルフレッドお帰り」

 

 他の子供達は今頃別室で家庭教師のお勉強タイムだけど、これで屋敷に家族が揃ったわけだ。嬉しいね。

 

 今晩は再会を祝して久し振りに家族水入らずで豪華な食事としゃれこむぜ。ひゃっほう。

 

「パパ、学園でのこといっぱい聞いてくれる?」

「どんどん話しなさい。パパは中退したからそういうの大歓迎」

「そうだなぁまず美術の時間がすっごい楽しい、絵を描くのって素敵よね。私才能あると思うの、フローラ先生も褒めてくれたよ」

 

 フローラさんはもう10年以上アメス学園で美術講師をしている。美人で評判らしいけどまだ未婚らしい。久しぶりに会っても容姿が昔と変わって無かったからもしかしたら人外なのかもしれない。未だに実年齢は知らない。

 

「えーと、アメリア? 先に話すことがあると思うんだけど……」

「ああ、そうだったそうだった」

 

 娘との楽しい会話の時間に息子から指摘が入る。なんだいなんだい。

 

 彼氏出来たとか言われたら吐血するけど、残念ながらアメリアはもう許嫁がいる。相手はこの国の王子、アイリス様の息子だから関係は従兄にあたる。分かってはいたが、半強制的に許嫁にさせられた。仕方ないとはいえ当時の俺は吐血した。

 

「実はね……ちょっと言い辛いんだけど……」

「どうしたどうした。パパになんでも言いなさい」

「王子から婚約破棄されて……」

 

 ……え?

 

「王都も追放だって言われたの、だからしばらくずっとこっちで暮らすね」

「な、な、何で?」

 

 驚きで声も出ない周りの皆、そして混乱する俺。

 

 ルドルフ義父さん、昔メアリーが王都追放された大元の原因は、愛を注がなかった貴方のせいだと思っていましたが、そういう訳ではないかもしれません。

 

 子供達は等しく愛してきたつもりだったが、歴史は繰り返すのだろうか。そんなところまで母親に似なくていいだろ。

 

「だって、王子がパパや私の事悪く言うんだもん。平民が父親だからって馬鹿にされたし……ついボコボコにしちゃった」

「ああ、それじゃしょうがないわね。やっぱりムカついたら殴らないと良くないわ。アメリアが正しい」

「だよねーー! そしたら王子権限だとか言って、そうなっちゃった」

 

 似た者親子が意気投合してるが、俺は頭を抱えたくなった。王子が勝手に言ってることならアイリス様に言えば、流石に撤回できるだろうが、でも向こうのけがの具合にもよるかな……。

 

「あのね、アメリア……俺の為に怒ってくれたのは嬉しいけど、やっぱり暴力は良くないよ?」

「ごめんなさいっパパ……! 怒らないでっ……!」

「いや、怒ってないけどさぁ……」

 

 俺の胸の中で泣きながら謝るアメリアをよしよしと撫でてやる。彼女はにへへっとだらしなく笑っていた。こいつ、さては嘘泣きだな……変なとこばかり母親に似おってからに。甘やかし過ぎたかなぁ、だって可愛くてしょうがなかったんだもの。あるべると。

 

「パパ……今日は久しぶりに一緒に寝てくれる?」

「はぁっ!? 駄目に決まってるでしょ! あんたいくつよ! 一人で寝なさい!」

「な、ママには言って無いでしょっ!? いくつだろうと親子で寝るのが駄目なわけないじゃん!」

「ちょ、二人とも落ち着いてっ!」

「……アル君は私と一緒に寝る?」

「え、クリス先生? あはは……冗談ですよね?」

 

 騒がしい、公爵家の午後、口喧嘩している嫁と娘を宥めつつ、俺は現実逃避するように柱時計の上を見上げた。

 

 そこにあるのは一枚の絵、俺とメアリーの結婚式の際、フローラさんが書いてくれた絵だ。

 

 

 アクズの件の後、しばらくして俺達はハーケン村で結婚式を挙げた。

 

 サイバンチョ、じゃなかったサイバン神父長はまた馬で突撃してくる輩が出ないかとびくびくしていたが、教会の扉も弁償して丈夫になったから、仮にそんな奴が来てももう壊れないと思います。

 

 異議の申し立ても無く、式は滞りなく進行し、俺達は皆に祝福されて晴れて夫婦となった。

 

 両親や兄貴夫妻は泣きながら喜んでくれたし、今でも盆と正月なんかは会いに行く。みんな変わらず元気そうだし、あのちっちゃかった甥のウマイもいまじゃ立派な青年だ。じきにパン屋を継ぐらしい。両親は孫の顔を見せに言ったら毎度喜んでくれたが、五人目の時はにやにやした目で見てきた。なんだよそんな目で息子を見るな。

 

 トウシンはなんだかんだで祝ってくれた。あのあとあいつの方も彼女さんとは上手くいって、俺は結婚式にも出た。厭味ったらしくてひねくれているけど、根は良い奴だと思うのでいつまでも夫婦仲良くな。

 

 一番驚いたのは、ルドルフ公爵が出席してくれたことだ。しかもバージンロードはメアリーと一緒に歩いてくれた。相変わらずのポーカーフェイスだったけど、義父さんなりに思う所があったのかもしれない。今でもメアリーには冷たい様に見えるが、俺は以前とは違ってそこに愛が無いとは思えない。

 

 アイリス様もクリスさんもアウラさんだって、過去に色々あった人達も皆笑って祝福してくれた。

 

 絵の中の皆は全員溢れんばかりの笑顔だ。本当に幸せそうで、この絵を見るだけで今でも当時を思い出して嬉しくなる。

 

 

「何にやにやしてんのよ、ちゃんと話聞いてた? で、どっちと寝るの? 私よね?」

「パパ、私だよね? ねっ?」

 

 美女二人に詰められる俺、俺の為に争うのはやめてっ!

 

「三人で一緒に、川の字で寝るってのはどう?」

 

 玉虫色の答え、ヘタしたら二人からまた暴力が飛んでくるのではないかと危惧したが、大丈夫だったらしい。

 

「まぁ、それで妥協しましょう」

「しょうがない、折れてあげましょう」

 

 偉そうにそう言って、美女二人は俺の腕を片方ずつ抱きしめた。なにこれ三角関係かな。

 

 そんな風に幸せで平和で平穏な日常は続いていく。子供達の将来は色々な意味で心配だが、きっとなんとかなるだろう。あのメアリーだってなんとかなったんだから、いつか彼らが結婚したら、またフローラさんに絵を描いて貰いたいものだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 今となっては遠い昔、公爵領の森の中で、メアリーは一人涙を流していた。

 

 今日は彼女の誕生日だったが、愛する父は今も王都で仕事をしていて、プレゼントすら届かない。忙しい姉は出張だとかで領内にはいなかった為、誰もメアリーを祝う家族がいなかった。

 

「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですか。家庭教師の先生が探しておられましたよ」

「うっ……」

 

 専属使用人であるアルベルトはようやくメアリーが見つけられたことにホッと一安心。彼女は着ているドレスの袖で急いで涙を拭った。いくら専属使用人といえども泣いている姿を見せるわけにはいかないと、彼女のプライドが必死に表情を繕う。

 

「分かったわよ、行きゃいいんでしょ、おんぶしなさい」

「……畏まりました」

 

 偉そうに言うメアリーに、もう慣れたもんだとアルベルトは彼女を背負って歩きだした。

 

 育ち盛りの筈なのに、相変わらず羽の様に軽い。ちゃんと飯食ってんのかとアルベルトは少し心配になった。

 

「あんた、他になんか言うこと無いの?」

「誕生日おめでとうございます。ささやかですが、プレゼントをお持ちしました」

「えっ、ほ、ほんとに?」

 

 アルベルトがプレゼントを渡すと、メアリーは彼の背中に乗りながら素早く封を解いて、その辺に包みをぽいっと捨てた。ちゃんとアルベルトは拾った。ゴミのポイ捨ては駄目、絶対。

 

 入っていたのは赤いリボン、アルベルトとしてはそれなりに高級品を選んだつもりだが、彼女のお眼鏡に叶うかは不安だった。もし捨てられたら来年の誕生日は忘れたふりをしようと決めていた。

 

「嬉しい、大切にする」

「えっ、……喜んで貰えて良かったです」

 

 思った以上に好感触、背負っているメアリーの顔は見えないが、なんかご機嫌っぽい。さっきまで悲しそうに泣いてたから良かった良かった。

 

「お父様もあの女も、私のことなんてどうでもいいんだわ。全然私に構ってくれないもの」

「お二人ともお忙しいだけで、お嬢様のことはきちんと愛しておられますよ」

 

 アルベルトは微妙に思ってないことを言った。優しい嘘、そうであって欲しいという願望。

 

「アルは、私とずっと一緒にいてくれる?」

「ずっと一緒にいますよ。お嬢様が大きくなっても、ちゃんと傍にいますよ」

「絶対よ、約束だから」

「畏まりました」

 

 そう言って、背負われた令嬢と背負う使用人の二人は屋敷までの道を歩いていく。

 

 

 それは幼い日のちっぽけな約束、大きくなって、夫婦となった二人が覚えているのかは分からない。

 

 だが、数十年経った今もメアリーの黄金色の髪には赤いリボンが結ばれている。

 

 

 END

 





今まで応援してくださった読者の皆様ありがとうございました。

次作があるならもっと頑張ります。

あと一応R18版IF小説も下に貼りますが、色々な意味で閲覧注意。

https://syosetu.org/novel/250762/


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