swordian saga second (佐谷莢)
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プロローグ——目覚めて突然に~人生とは戦いの連続である

古都ダリルシェイド~旧ジルクリスト邸。
身も心も荷物も無事。
けれども、ここがどこだか、何がどうなっているのか、わからないまま。
引き続き「強くてニューゲーム状態」で、新たな物語は始まります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずフィオレが覚えたのは違和感だった。

 

「……?」

 

 普通に息ができる。

 体自体は気だるく重くとも、何かに圧し掛かられている感じはない。

 痛みこそあるものの、ここまではっきりした感覚があることこそ、違和感だった。

 ゆっくりと眼を開けば、失っていたはずの視界は見慣れぬ風景を映している。

 大災害に見舞われた街だろうか。

 周囲一帯に広がるのは、廃墟じみた建物が連なる集落だった。

 どんな災害に見舞われたのやら、目に付く建物のほとんどが薄汚れ、朽ちかけている。

 湿った地面に刻まれている足跡や、遠くにいくつか天幕があることから、まったくの無人ではなさそうだ。

 自分がそんな街の片隅、まるで身柄を隠されているかのように廃墟の隙間にいることを知って、フィオレはゆっくりと身を起こした。

 

「……」

 

 死んだと思ったのが生きていて、しかも見慣れない場所にいる。

 まさかこんな経験を二度もするとは思っていなかったが、自力で動けるのは初めてだ。

 何から何まで状況は以前と酷似していたが、今回は「フィリア」に助けてもらえないだろう。

 けして軽い負傷とは言えないが、それでもフィオレは動けるのだ。

 見下ろせば、最後の記憶と同じ姿がある。手鏡を取り出して確認するも、汚れやら血糊やら、負傷まで記憶の通りだ。

 

「……うえっ」

 

 あの後海水に浸かったのだろうか、被服が生乾きだった。血糊や体臭も関係しているだろうが、かなり臭う。

 すぐ傍に転がっていた荷袋から、香水瓶を取り出した。

 自分の鼻すら曲がりそうな悪臭を誤魔化し中身を確認するが、なくなっているものも増えているものもない。ないものといえば、スタンに託した紫電くらいか。寝ている間に追剥にあったわけではなさそうだ。

 それがわかったところで、ここにいても仕方ない。まずは清潔な水場を求めて、フィオレは移動を始めた。

 廃墟ばかりの建物が並んでいようと、人の営みがあるなら井戸のような、真水の給水所があるはずだ。

 たとえ有料であっても、懐とて記憶が途切れる以前のままだ。

 ダリルシェイドにあった噴水など、理想的なのだがと往来を歩く。

 すると、行く手に対して妙に見覚えのある噴水があった。

 廃墟じみた街並み同様、稼動もしていなければ妙に古臭い。そのため新鮮な清水こそ望めないが、地面の湿り具合からして一雨降ったのだろう。噴水のくぼみには透明な雨水がたゆたっている。

 さっそく手拭いを取り出し、水を浸して顔を拭く。人目がないことをいいことに眼帯を外し、首元を緩めてかなり無防備な状態で可能な限り体を清めた。

 実にさっぱりした気分になったところで、左手の甲にあるレンズを水に浸す。

 

「命よ、健やかであれ。安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──

 

 低く奏でられた旋律は譜陣を展開し、淡い輝きがフィオレを包み込んだ。

 ところが。

 

「……駄目か」

 

 打ち身や擦り傷、そして放置すればフィオレの生存を再び危うくさせていたであろう左胸の穴こそ消えたものの、腕の傷だけが塞がらない。

 怪我が多すぎて塞ぎきれないというのもあるが、今はこれ以上この肉体に治癒の力を働かせることができない、ということか。

 絶え間ない鈍痛に眉をしかめ、ボレロとパレオを外して巻きつけ、可能な限り血止めをする。

 治せない以上、これ以上の失血は食い止めたい。

 天を仰げば、やはり空に浮かんでいるのは太陽や雲だけだ。その太陽は今や、一直線に傾いている最中だった。

 だが、このままでいいはずがない。

 とにかく何があったのか、ここはどこなのか。それを知るべく、フィオレはシルフィスティアに問いかけた。

 が。

 

「!?」

 

 屋外である限り、風は大気と共に常に存在している。

 それだけに、語りかければすぐ反応を示したシルフィスティアからは、何の応答もなかった。

 ただ、一陣の風が通り抜けていくばかりである。

 その場に固まったまま、無意識に原因を究明しようとして……思いついた説がひとつ。

 

 フィオレが死亡も同然の状態になったため、これまで結んできた守護者たちとの契約が自動的に破棄された。

 だからもう、シルフィスティアとは愚か、他の守護者たちとも力を借りるどころか意志疎通もできない。

 だが、死亡をもって契約が破棄されるならフィオレはあのまま、海の藻屑と化しているはずだ。

 運よく海岸に打ち上げられていたならまだしも、潮騒も潮の香りもない陸地にいきなり移動しているはずがない。

 無理やり理由をつけるなら、守護者以外の何者かが介入した、といったところか。

 だが、そんな存在がはたして存在するものか。存在したところで、フィオレを助ける理由など……

 持ちうる情報が圧倒的に不足している。

 ただここで頭を抱えて唸っていても意味がないと気づいたフィオレが、大きく息を吐いたとき。

 

「!かっこ

 

 背筋に奇妙なものが走った。

 襟元を緩めて首筋をさらしているから、ではない。

 吹きつける生温かい風のようなこの嫌な感覚の正体──実にはっきりした敵意、殺意だ。

 それまで噴水のへりに腰かけていた体を立たせて、咄嗟に腰へ伸びる手を矯正して懐へ添える。そこに懐刀があるのは確認済みだ。

 今の今まで、変わらず周囲に人気はない。

 さりげなく眼帯を巻きつけて警戒を続けたフィオレは、見回したこの街並みが妙にダリルシェイドに似ている事に気付いた。

 偶然か、それとも……

 変わらぬ廃墟の連なる景色が一部、妙に歪んでいる。

 眼の錯覚とも思えたこの現象は、徐々に肥大化した。

 ひずみの先に発生したのは、闇色の放電をまとう漆黒の球体である。

 球体はやがて薄れ、代わりに現れたのは一人の大男だった。

 風になびく寒色の蓬髪、筋骨隆々とした大柄な体躯。戦士の手本であるかのような、精悍な印象。

 その手には、どう見ても樹を切り倒す用途ではない物々しい斧が握られている。

 彫りの深い顔立ちには一切の緩みなく、その瞳は間違いようもなくフィオレを映していた。否……睨んでいる、と称するが正しい目つきである。

 剋目してその出現を見つめていたフィオレは、男の誰何を口にした。

 

「何奴……」

「──神の眼の騒乱期、隻眼の歌姫と謳われし泡沫(うたかた)の英雄、フィオレシア・ネフィリムだな?」

「いいえ違います」

 

 まるで岩同士をこするような、実に重厚な声の問いに。フィオレは断固として否定した。

 確かに隻眼の歌姫と呼ばれたことはあった。

 公式文書には何度も、名乗ったものとはちょっぴり異なる単語を署名した。こちらは故意でなく、純粋に間違えただけだが。

 だが、英雄と名のつく二つ名など存在しなかったはずだ。

 自分に関する噂に頓着しなかったフィオレだが、それだけは断言できる。

 

「それで、あなたはどこのどちら様ですか」

「我が名はバルバトス・ゲーティア。英雄を狩る者だ」

「……そうですか」

 

 英雄を狩る者ってなんぞ。

 巨漢が自ら名乗った二つ名にあえて触れず、そのまま核心を促した。

 突っ込みを入れたところで、取り合ってもらえないような気がする。

 

「私に一体、何の用事で?」

「唯一ソーディアンを持たず、神の眼を砕いたでもない者が英雄か……笑わせる」

「え」

 

 神の眼が、砕かれた? 

 だから、守護者達との契約は無効と化し、接触できなくなった──

 いやそもそも。もうフィオレが、生を受けた世界へ帰還することは……

 不可能と、なったのか? 

 

「偉業を成したでもなく英雄と呼ばれし貴様に、呼吸する資格などないわっ!」

 

 困惑と動揺にただ立ち尽くすフィオレへ、巨漢──バルバトスが戦斧を振りかぶり、迫る。

 その迫力と殺意を前に正気を取り戻したフィオレは、懐の短刀を手に取った。

 当たれば真っ二つは避けられないだろう、大上段の一撃を見極め脇へと流す。

 必殺の一撃をかわされたことにか、バルバトスは驚愕の表情を浮かべた。

 間髪入れず側面に回り込み、膝裏を踏むようにして蹴る。

 

「てやっ」

「ぬう!?」

 

 バシャーンッ! 

 

 盛大な水音を立てて噴水へ飛び込む巨漢に背を向け、フィオレは一目散に逃走を試みた。

 早々にしばき倒せる相手ではないことだけは明らかだ。それに、ここが一応街中であることを忘れてはいけない。

 角を曲がり、走る最中に短刀を仕舞う。

 まずはこの街から出ようと、大通りを目指した。この辺りが街の中心部なのか、わずかだが人の姿が見受けられたからだ。

 人の目さえあれば、あの男も無茶できまいと思ったのだが。

 

「むわてぇぇい!」

 

 どうやら意味はないようだ。

 ずぶぬれ、怒髪天をついて疾走する巨漢に、道行く人々は当然注目している。

 こうなれば、仕方ない。

 

「きゃあぁぁッ──!」

 

 高音の悲鳴を上げつつ、走るのはやめない。

 人目があるからこそ効果のある技だが、悲鳴用の腹式呼吸も全力疾走も、今のフィオレには正直つらい。

 人々の注目を様々な意味で集めつつ、ダリルシェイドであれば高級住宅街の区画であった場所を目指す。

 途中、少しでも目立たぬようにと荷袋からキャスケットを取り出して深くかぶるも、格好が格好なせいかまるで効果がない。

 幸い足の速さは勝っているようだが、あの体格だ。持久力は半端なく高いだろう。

 少量とはいえ常の失血があるせいなのか、体力がどんどん減っていく。このままでは、確実に追いつかれる。

 万事休す、と苦し紛れに周囲を見やった際、とある建物が眼に入った。

 あれは──

 

「女性を追い回す、巨大な斧を持った変質者が現れたとの通報だ。行くぞ!」

 

 切れた息を整えていると、その建物から同じような制服を身にまとう人々が現れる。

 こちらに向かってくるのを見て、フィオレは咄嗟に姿を隠した。

 

「隊長! 前方に斧を所持した怪しい人物がおります!」

「まて、まずは話を聞こうではないか」

 

 警邏隊か何かなのか。あっという間に武装した制服姿に囲まれ、バルバトスの姿が見えなくなる。

 それをいいことに、フィオレは彼らが出てきた建物への侵入を果たした。

 アタモニ神団の象徴が掲げられた建物は教会のような内装だったが、どうも彼ら警邏隊の詰め所か何かとして使われているらしい。

 外観からして破損していなかった建物内に人の気配はなく、フィオレはそのまま歩みを続けた。

 内装や備品は大幅に変わっているが、間違いない。

 ここは、ダリルシェイド高級住宅地区に存在したジルクリスト邸だ。

 つまり先ほどまでフィオレが走っていたのは、ダリルシェイドということになる。

 セインガルド王都として栄華を極めていたダリルシェイドがいつの間にか荒廃していたこと。そして、神の眼が砕かれたというあの男の言葉。

 これらがフィオレの中で整合されたのは、直後のことだった。

 ともあれ、考えるのは生きてさえいればいつでもできる。まずは、あのわけのわからない追手を完全に振り切ることだ。

 再び外に出れば、捕捉される危険性が高い。が、現在地がジルクリスト邸なら話は別だ。

 偶然知った地下室の隠し扉。そこに繋がる地下水道の整備用通路を使えば、人知れずダリルシェイドから脱出できる。

 そう目論んで地下室へと降りたフィオレだったが──そこでとある書物を一心不乱に読んでいた。

 資料室として使っていたのか、地下室には大量の書物が保管されているのを見つけたのである。

 興味本位で眼をやったのだが、そこに記載されていた史実の羅列を眼にして、次から次へと書物を眼にすることになっていた。

 やがて、大体の資料に目を通し。知った史実を前にして、フィオレはただ息をつくしかできなかった。

 

「……こんなことって」

 

 神の眼がグレバムの手に渡り、ソーディアンマスター達の手によって奪還されたこと。

 しかしその直後、ヒューゴ・ジルクリストとその配下リオン・マグナスの手によって再び奪われたこと。

 その結果と、最終的にどうなったのかを。

 その詳細こそ、記述者の独断と偏見に溢れているため参考に値しないが。

 本の内容から逆算して二十年近くの時が経過していることを知り、フィオレは呆然となった。

 このダリルシェイドが荒廃した理由もわかったが、わかったからといってできることなど一切ない。

 今は精々、自分が置かれている状況を更に詳しく知ることくらいか。

 気を取り直して立ち上がろうとして。

 耳に届いた異音に、フィオレは思わず物陰に隠れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 









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第一戦——遭遇、そして黒歴史~誰だ隻眼の歌姫とか言い出した奴は!

 古都ダリルシェイド旧ジルクリスト邸~ダリルシェイド地下水路。
 ここで本来の主人公とその仲間達と出会います。
 カイル・デュナミス、ロニ・デュナミス。そして、ジューダス。
 ジューダスの綴りはjudas、旧約聖書にも登場する裏切り者と名高いユダと同じ綴り。
 この名前はストーリー上、カイルが名を名乗ろうとしない「彼」の呼び名としてつけたものですが、何故カイルはこの名を出したのか。
 それは、このTales of Destiny2のシナリオライターさんのみぞ知る。
 ……どんなに考察してもさっぱりわからんのです。誰かおしえてくれなさい(笑)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見回りならばやり過ごせばいいだけだが、それにしてはどうも様子がおかしい。

 異音の正体は、フィオレの視線の先にある分厚い扉の向こうからだった。

 ここと同じく、貯蔵庫か何かだとばかり思っていたが、どうも違うらしい。

 だからといって、確かめる気にもなれない。そのまま静観していると、異音が唐突に変化を示した。

 鋭い鞘走りが聞こえたかと思うと、分厚い木製の扉が寸断された木端と化す。

 どうでもいいが、この音で人を呼んだりしないだろうか。

 

「……す……すげえ……」

「何をぐずぐずしている。行くぞ」

 

 フィオレの心配を余所に、扉の向こうから現れたのは人。

 複数の、いずれも性別は男性に類するもののようだった。

 武器がどうとか抜かしている辺り、武装解除でもされていたのだろうか。どうも話の内容から察するに脱獄者であるらしい。

 なら、如何にして扉を破ったのだろうか。

 転がっている木片の断片を見る限り、刃物を用いたとしか思えないのだが……

 

「武器を持っていてすぐにでも脱出できたのに、どうして逃げなかったんだよ?」

「すぐにでも脱出できるから、急いだりしなかったんだ。そんなこともわからないのか」

 

 彼らの内一人、とても聞き覚えのある声の持ち主は妙に挑戦的……というか、ひどい皮肉屋だった。

 ロニ、と呼ばれた若者が食ってかかろうとするのを、カイル、なる少年になだめられている。

 ロニとカイルは元から顔見知り、仲間であるようだがジューダスと呼ばれた男──あだ名か何か知らないが、随分な名である──とは、知り合ったばかりらしい。

 そんなことはどうでもいいとして、とにかくさっさと立ち去ってくれないかと願っていたフィオレは、ぎくりと肩を震わせた。

 

「よし。じゃあ、脱出だ!」

「待て。……そこに潜んでいるのは誰だ、姿を見せろ」

 

 ジューダスの誰何に、他二人から驚いたような気配が伝わってくる。

 それはフィオレとて同じだ。これでも、気配はできる限り隠していた。

 ただ、絶え間なく流れる血潮の匂いだけは隠し切れていないが……

 ともかく、相手の声は確信に満ちている。誤魔化しは逆効果だろう。

 吐息をついて、フィオレも声を放った。

 

「──扉を力尽くで破り、それでいて武装を取り返し、あまつさえ脱出しようとする。あなた達こそ、何者ですか」

 

 けして広くはない地下室に響く、第四の声。

 姿もなく発せられたそれに、再び誰何の声が上がった。

 

「だ、誰だ!?」

「ま、まさか、オバケじゃないだろうな!?」

 

 カイル、ロニと呼ばれた二人──後者の声が震えているような気がするのは気のせいか。

 慌てふためく二人を余所に、抜刀していたジューダスは音を立てて剣を納めている。

 

「その言いぐさ、この詰め所の人間ではないらしいな」

「じゃ、じゃあやっぱり幽霊……!」

「この詰め所の人間なら、明らかに脱獄している僕たちにそんな言葉を寄越すわけがないだろう。だが、隣の倉庫が閉められている以上脱獄者でもなさそうだな」

 

 詰め所ということは、やはりここは先ほど見かけた警邏隊の詰め所なのか。

 脱獄という単語が出てきた以上、彼らは犯罪者か何かかということになる。

 つまり。関わるとロクなことがないということか。

 

「ご名答。変な人に追われていたので、少々避難を」

 

 敵意がなくなったところで、フィオレの緊張もなくなる。

 再び姿を現すよう促されるものの、早々応じるような軽率な真似はしない。

 

「それで、脱出してくださらないのですか? 何分こっそり入ってきたものでして、騒ぎを起こしてくださるなら大歓迎ですが」

「僕達をダシにしようとしても無駄だ。脱出こそすれ、騒ぎは起こさない」

 

 その言葉に、フィオレは正直がっかりした。

 それならばもう、彼らと会話を交わす意味もない。誰かが地下へ降りてくる前に、さっさと行動を移すべきだ。

 

「袖の下でも渡すのですか? ともあれそれなら、もうあなた方に用事はない」

 

 それにこれ以上休んでいても、失血は止まらないのだ。これ以上気力が失せる前に、フィオレはその場に立ち上がった。

 唐突に現れた人影に驚いたのだろうか。一際背の高い影がびくっ、と震えた。

 短く刈った銀髪を立てるように整えた、長身の青年である。

 柄の長い槍斧をその手に携えており、真面目にしていれば少々見られる顔なのだが漂う雰囲気がそこはかとなく軽い。

 

「き、君は……?」

 

 青年の傍に立ち、つぶらな瞳をまん丸にしてフィオレを凝視しているのはどこかで見たような髪と瞳の少年だった。

 声音からして彼がカイル、か。

 ツンツンと跳ねた金髪に、澄んだ空色の瞳は無邪気さと好奇心を内包している。別人であることは明らかでありながら、誰かさんを思い出さずにはいられない。

 最後に視認した一人は、いささか変わった扮装をしていた。

 ほっそりとした体躯を上下闇色の装束に包み、触ってみたくなるほど滑らかな光沢を備えたマントをたなびかせる姿だけなら、変わった扮装とは呼べない。

 ただ、首からその上。金髪の少年と同じく、妙に見覚えのあるその顔は、大型爬虫類の頭蓋骨を模した仮面で覆われていた。

 年の頃は金髪の少年とそう変わらないだろう。

 頭部防御用と称するには、明らかに穴だらけの仮面の奥はなかなかすっきりした顔立ちなのだが。白骨仮面が異常な雰囲気を醸し出していた。

 ただし、フィオレは彼らを一瞥しただけですぐに興味を失くしている。

 彼らの内二人に見覚えがあろうと、フィオレの現状は変わらない。

 よもや追いつかれることもないだろうが、それでも逃げるにこしたことはないのだ。

 

「な、なんだ。人間かよ……」

 

 青年──声音からしてロニのボヤきか。それを無視して地下室の隅へと移動する。

 決定的な瞬間こそ視損ねたが、ここに隠し通路のようなものがあるのは間違いないのだ。

 そこへ。

 

「何をやっているんだ」

「そちらこそ。脱出しないので?」

 

 まずは怪しげな仕掛けがないかと探る。

 大っぴらに明かりが灯せないためはっきりとしないが、よくよく見ると壁の一部に細工があった。

 色が微妙に違うこともさながら、叩いてみて明らかに音が違う。向こう側に空間があるのだ。

 

「僕は今、お前が撫で回している壁に用事があるんだが」

「ねえ君! ここに何かあるの?」

「隠し通路みたいなものがあるようです。下水道か何かではないかと」

 

 仕掛けを探る片手間、金髪の少年の問いに答える。

 すると、突如として鞘走りが聞こえ、真後ろに剣呑な気配が漂った。

 

「ジューダス!?」

「……何故それを知っている」

 

 この反応。どうも、この仮面の少年は元から通路の存在を知っていたらしい。

 それこそ何故、と問いかけたいところだが……警戒している状態で声を押し殺すクセまで彼と酷似しているため、問い詰める気になれない。

 くるり、とフィオレが振り向いた先。

 そこにあったのは冴え冴えとした白刃と、警戒心もあらわに片手剣を突き出す仮面の少年だった。

 

「……ここの壁だけ様子が異なり、叩いた時の音も違う。そして壁の向こうから水の音がする。以上のことから推測したまでです」

 

 納得したなら剣を納めろと言い放ち、再び壁と向かい合う。

 ふと、色の違う壁の脇に人差し指と親指で作った円サイズの穴があることに気付いた。

 もしやこの奥にスイッチが、と指を押し込むも、何もない。何か細長い棒のようなものがないかと周囲を見やって。

 

「そういえば、ソーサラーリングはレンズと引き換えに熱と衝撃を発生させるんでしたっけ」

 

 取り出したソーサラーリングの照準を親指と人差し指で固定し、穴に押しつけて放つ。

 明らかな手応えと共に、色違いの扉は音もなくフィオレの目前に道を示した。

 

「すごい、本当に隠し通路があったよ!?  うわあ~、ドキドキしてきた!」

「お静かに。騒ぐなら私がいなくなってからにしてください」

 

 妙に興奮気味の少年を黙らせ、通路に身を投じる。すぐ先は梯子が取り付けられており、暗黒の世界が広がっていた。

 さてそれでは降りようかと、身を沈めかけたところで。

 

「ねえ、待ってよ君……わぁっ!?」

「──前方不注意です。見えないなら、慎重に進みましょうね」

 

 勢い余って水路へ転がり落ちそうになった少年の腕を掴み、どうにか飛び込みは止める。

 水音で人を呼んでも馬鹿らしい。

 梯子があるからそれで降りて来いと指示、フィオレはさっさと梯子に足をかけた。

 遅ればせながら、彼の仲間の声が飛ぶ。

 

「おいカイル、無事か!?」

「ああ! 入ってすぐのところに梯子があるんだ、気をつけて!」

 

 そんな梯子を下りた先に広がるのは、すでに下水道として機能していない清らかな水がたゆたう水路、その両脇に続く整備用の道だった。

 暗闇に眼を慣れさせる最中、あの日シルフィスティアを通じて見た光景を必死になって思い出す。

 

「うわ、まっくら……」

「この水路を辿っていけば、地上に辿りつけるはずだ」

「ホントにこの先が出口なのか? 何にも見えねえじゃねえか」

「慌てるな。そこの燭台に……」

 

 どうも、彼らもまた地下水路を使って脱出する気らしい。

 話し振りからしてあの仮面の少年が道を知っているようだし、放っておいても白骨死体に化けることはないだろう。

 最大限夜目を活用し、道順を思い出しつつ歩みを再開する。

 と、そこへ。

 

「あ! ねえ、待ってってば……「おい、そこの女。止まれ」

 

 断ったら断ったで面倒なことになりそうだ。

 首をねじって真後ろを見やる。古臭い燭台に明かりを灯し、より姿がはっきりした三人の姿がそこにあった。

 

「何か御用ですか」

「偶然見つけた口ぶりの割に、さっさと進み始めたが。道はわかるのか」

「──どこに通じているのか存じ上げませんが、風の吹いてくる方向は出口に繋がっているのでは、と愚考します」

 

 再び仮面の少年を黙らせるも、今度は金髪の少年が口を出してきた。

 仮面の少年と違って、その口調には何の裏も感じられない。

 

「えっと、結局目指すところは一緒なんだよね? だったら一緒に行こうよ。一人より二人、二人より四人ってよく言うだろ?」

 

 ──旅は大勢の方が楽しい、か。

 確か会ったばかりのマリーが酒かっくらいながら、そんなことを言っていた気がする。

 

「同道の申し入れでしたら、特にお断りする理由はありません。ですが、こちらは先ほど告げた事情で先を急いでいます。では、お先に」

 

 断る理由こそないが、こんなところでちんたら問答していられるほどフィオレに心の余裕はない。

 郷愁に囚われることなく、つっけんどんに受け答え、足を進める。

 しかし少年は、嬉しそうに駆け寄ってきたかと思うと手を差し出してこうのたまった。

 

「じゃあ、ヨロシク! オレ、カイルっていうんだ。あっちの背が高いのはロニで、仮面被ってるのがジューダス!」

「……では、私のことはフィオレ、とお呼びください」

 

 もうひとつの名を使おうかと一瞬考え、あれは他人の名だと考え直して握手に応じる。

 しかし、ここで思わぬ一言を聞かされた。

 

「フィオレ……?」

「フィオレ、ねえ。やっぱ多いな、その名前」

 

 ジューダスが何か呟いたような気がしたが、ロニの言葉が妙にひっかかる。

 

「やっぱり、とは?」

「いやほら、知ってるだろ? 泡沫の英雄、隻眼の歌姫のことだよ。あの人の名にちなんだ女の多いこと多いこと……まあ、あやかりたい気持ちがわからんわけじゃないけどな。むしろ、あやかりたいよな」

 

 図らずもあの巨漢が口にしていた単語が、この青年のみならず世間的に通じる単語であることを知ってしまい、フィオレは憂鬱になった。

 

「そうですか」

「ロニ、フィオレシアのファンだもんねー。実際に会ったことがあるんだっけ?」

「おうとも。あの人は噴水のふちに腰かけて、きらきら光る蝶と無邪気に戯れていた……あの女神の如き美しさと言ったら」

 

 バシャーンッ! 

 

 唐突に水音が響き、ロニのうっとりとした口上を遮る。

 彼らの視線の先では、濡れ鼠になったフィオレが帽子を押さえながら整備用通路へ這い上がっている真っ最中だった。

 

「おいおい、俺の話に聞き入りすぎて足でも踏み外したのか?」

「……その解釈で結構ですよ」

 

 ぶすくれた態度を隠そうともせず、ずぶ濡れになった服の裾、彼らに背を向けていることをいいことに帽子の水気も払っておく。

 体を張って聞きたくもない言葉から逃れたことを彼が悟ったはずもなかろうが、早足で進むだけというのは退屈だったのだろう。

 沈黙がいくらも続かないうち、カイルが口を開いた。

 

「えっと、急いでるんだっけ? 変な奴に追われてるとか何とか……」

「それ、なんかやらかして警邏隊に追われてるとかいうオチじゃねーだろうな?」

「警邏隊の人間には見えませんでした。でも、その警邏隊に捕まり拘束されていた人間に、ならず者呼ばわりされる謂れはありません」

 

 先ほどの話を切られてご立腹なのか、警戒しているのか。

 つっかかるようなロニの言葉にフィオレは淡々と返した。

 彼らが何をしたのか知らないが、脱獄がどうこう言っていた時点で警邏隊の拘束を受けたのは間違いない。

 詰め所に不法侵入したフィオレが言えることではもちろんないのだが、現在気が急いているため、そんな思考には至らない。

 しかし、そんなフィオレの態度に好感を覚えるわけがなく。

 ロニは盛大な舌打ちを打って、こそこそとカイルに話しかけていた。

 

「んだよ、おい。ブアイソな奴だな……」

「あれ、珍しいね。ロニが女の子に興味示さないなんて」

「俺は女なら何でもいいわけじゃないんだよ! あんな暗がりに隠れて幽霊に見間違えそうな陰気な女、頼まれたってごめんだっての」

 

 ……とりあえず、この青年のお眼鏡にかなわなかったことを喜ぶべきか。

 好き勝手を抜かす彼らに取りあうことなく、だからといって放置する気にもなれず。

 

「大変光栄なことでございます」

 

 この一言で彼を黙らせ、水に濡らした手を掲げて風の吹く方角を探る。

 これまで幾度か分岐を選択して進んでいるが、ジューダスが何も言い出さない辺り問題はないのだろう。

 まるでクモの巣上を歩いているかのように複雑な道を進み。

 フィオレを先頭にやがて一同が辿りついたのは、整備用通路の出入り口であろう重たそうな扉だった。

 しかし、その扉を前にフィオレは足を止めてしまっている。

 その視線の先にあるものとは。

 

「なんだこれ……クモの巣?」

「ばっかお前、クモの巣があんなギトギトの油まみれっぽく変色するかよ」

「レンズを呑んで突然変異起こしたクモならありそうですけどね」

「……これを手で取り払うのは不可能だな」

 

 扉の手前付近は、未知なる物質ですっかり覆われてしまっている。

 クモの糸を何千億倍にもして、特殊な薬品で変色させればこんな風になるかもしれない。

 

「ちょっくらどいてみな」

 

 斧槍を振り上げたロニが行く手を阻む綱に刃を叩きつけるも、粘性が高いのか音も立てず弾かれた。

 切れないなら燃やす、あるいは溶かせないかとソーサラーリングの照準を合わせる。

 しかし、リングから放たれた熱線は小さな穴を空けただけだ。穴が塞がることはなくとも、針の穴と称してもおかしくない代物である。

 

「残念。可燃性ではありませんでしたか」

「熱に弱いとわかっただけで十分だ。何か燃えるものを長時間押し当てていれば……」

 

 何か燃えるもの。その言葉に、フィオレはおもむろにジューダスを見つめた。

 

「……なんだ」

「そのマント、よく燃えそうだなぁと思って」

 

 途端、彼は己の背中を守るようにしながらじりじりと後退していく。

 こちらを罵倒する台詞こそないが、その反応はやはり彼を彷彿とさせた。

 

「そんなことを言うなら、お前の帽子も燃料のうちだ」

「私は先ほど水路に転げ落ちておりますので。従って帽子も湿っています」

 

 与太を言い合うのはこの辺でいいかと。フィオレは荷袋から小型のボトルを取り出すと、中身をまんべんなく振りかけた。

 じわじわと、異臭が地下水道内に蔓延する。

 

「……フィオレ、それ何?」

「アルコールです。あいにく余計な油の持ち合わせがなくて」

 

 酒と聞いて興味を示すロニに、中身を一滴彼の手の甲に垂らす。軽く匂いを嗅いだ彼は、まともに顔をしかめた。

 

「すっげぇ強いな……お前こんなの飲むのか?」

「気付けに使えますから」

 

 十分距離を取った上で、再びソーサラーリングを作動させる。

 瞬間。

 扉周辺を覆っていた毒々しい色の綱は、いともあっさり炎上した。

 その勢いたるや、フィオレの後ろに下がったカイルやロニすら声を上げたほどである。

 

「うわあ!」

「おい、大丈夫かよこれ。火事になったりしないだろうな……」

「ここが地下水道であることをお忘れですか」

 

 その点に関してはぬかりない。地下水道のような、水が豊富な場所でなければこんな無茶はしない。

 追われている、という焦りがあったとしてもだ。

 やがて焼け落ちた網が次々と水路へ落ち、問題なく鎮火されている。少し息苦しいが、扉を開ければまったく問題はないだろう。

 その光景を見ながら、フィオレは小さく肩をすくめた。

 

「やれやれ。こんなことをしてるほど、私は暇じゃないのに」

「フィオレ?」

「御三方、敵襲です。備えてください」

 

 唐突にそれを告げられ、戸惑う二人を放っておいて。フィオレはスペルタクルズを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二戦——地下水道での戦い~君は、もしかして

 スペクタクルズとは、戦闘中に使用すると敵の詳細なパラメータを調べ上げて、モンスター図鑑に記載するアイテムのことです。(ゲーム内処理)
 売値は10、買値は40。近年のテイルズではアイテム無しで敵の詳細情報を知ることができるので、過去の遺物でもありんす。
 ここでなんとなんと、早くもジューダスの正体が、判明するようですよ? (フィオレだけにね!)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それまでほぼ平坦だった水路に、奇妙な波紋が生じる。

 小さな波紋はあっという間に肥大化し、やがて盛大に水を割って現れたのは、水竜にも見紛う大蛇だった。

 

「蛇の化け物……!」

「水棲生物ヴァサーゴ。河川などに生息し、分泌物で巣作りをする。また捕食用の罠にも用いられ、これを破る方法として加熱以外の有効策は見つかっていない……」

「そんな豆知識はいいから弱点教えてくれよ!」

「ヴァサーゴの外殻は非常に硬質で、鎧としても重宝されていた。そんなわけで、外殻の隙間を狙ってください」

 

 見やれば、ヴァサーゴなる大蛇の外殻は一枚岩ではない。

 俊敏さを失わないためなのか、関節のような継ぎ目があり、その内側には筋繊維を思しき生体組織が覗いている。

 そうこうしている間に、巣を完膚なきまでに破壊されたヴァサーゴは怒気すら感じられる咆哮を放った。

 体に比べて細く長大な尾がくねり、水面を叩いて水飛沫が発生する。

 視界を遮って逃げるつもり、ではなさそうだ。

 

「うわっぷ!」

「来ますよ、前方要注意!」

 

 水飛沫の煙幕を切り裂いて、巨体が迫りくる。

 余裕で、あるいは辛くも逃れた一同は半壊した整備用通路から離れて後退する形となった。

 その間に幾度かカイルやロニが攻撃を仕掛けるも、キンコンと刃が弾かれる音が響くのみである。

 

「足場は悪い、でかいくせにすばしっこい、殴っただけじゃ効かねえ……散々だな」

「外殻を殴っただけじゃ、そりゃ効かないでしょう。それに、そこまで素早いですか?」

 

 この場合正しいのは、「巨体の割には動きが滑らか」であって、愚痴るほどの俊敏さは感じられない。

 しかし、フィオレの発言はけして冷静でなかった彼の激情を招いた。

 

「ああ!? ンなこと言うならテメーが戦ってこい! 言っとくが前で戦うのと後ろで見てるのとじゃ全然違……!「わかりました。まずはこちらへ」

 

 胸倉を掴まれ凄まれるも、フィオレは動じていない。連れの激昂に慌てふためくカイルを促し、ロニの手首をひねって立ち位置を動かす。

 その頃、一人交戦を続けていたジューダスめがけてヴァサーゴは、大量の水流を吐き出していた。

 ヴァサーゴの喉が膨らんだ時点で何らかの意図を感じたジューダスはいち早く逃れているも、水流はそれまで三人がいた通路を直撃している。

 水流が失せた後、圧力に耐えかねたか、石造りの通路はべっこりとへこんでいた。人の身で受ければ、溺死の前に圧死していただろう。

 それを見たロニの手が緩み、フィオレはようやく胸元の手を払いのけた。

 

「下がっていてください。とばっちりで怪我をなさらないように」

 

 他のことに気を取られている人間は、何かと御しやすい。

 彼らに背を向け、コンタミネーションを発動。乾いた血の色を有する魔剣を取り出した。

 刀身は斧の形をした刃を背中合わせにしたような形状で、どのような鞘にも収まりがたい。

 強いて言うなら、フィオレ自身が鞘になるか。

 

「そ、そんなのどこに持ってたの!?」

 

 驚くカイルの突っ込みは無視、いさかいを余所に戦っていたジューダスの隣に並ぶ。

 先ほどの片手剣だけではなく、もう片手に小剣を構える彼はちらりとフィオレを見やっただけで、言及してくることはなかった。

 その代わり。

 

「……何を遊んでいるんだ」

「お詫びにすぐ、終わらせて差し上げますよ」

 

 彼の健闘を称える以前に、フィオレの都合のために。

 長い首を大仰に振って、真水の塊じみたものを吐き出すヴァサーゴから間合いを取る。

 真水どころか水ですらない、ねばっとした何かが水路へ落ちた瞬間。

 フィオレは魔剣を振り上げた。

 

「魔神剣!」

 

 振りかぶったその先に垂直の衝撃波が発生し、一直線にヴァサーゴへと迫る。

 その大きさゆえに速度は通常のものよりも遅いが、レンズを呑んだ大蛇にそれを避けるという発想はなかったようだ。

 以前までの攻撃と同じく、外殻で衝撃波はあえなく散らされる──と思われた矢先。

 奇妙な音を立てて、衝撃波はヴァサーゴの胴体を半ばまで切り裂いた。

 

「なっ!?」

「あなたに恨みはありません。せめて安らかに逝け」

 

 あっという間に水路が真紅に染まり、ついでに負傷した二の腕にも痛みが走る。

 負担が軽い初級の技でこれでは、通常剣技の行使すらままならないだろう。

 そんな中、ジューダスの驚愕を置き去りにフィオレは振りかぶった大剣をヴァサーゴの頭部へ叩きつけた。

 

「虎牙破斬!」

 

 断末魔も何もなく、大蛇は水路の底へと沈没する。それを確認して、フィオレは魔剣を水路に浸した。

 妙にねとつく血糊を払おうと悪戦苦闘していた矢先。

 

「すっげえーっ!」

 

 歓声が上がった。

 何事かと見やった先に、唖然としている兄貴分を押しのけてやってくるカイルの姿がある。

 燭台の仄かな明かりに、輝く瞳はキラキラと効果音すら放っていた。

 

「あんなでっかい蛇を一撃で倒しちゃうなんて、フィオレってすっごく強いんだね! その剣ってどこに持ってたの? ひょっとして伝説の魔剣か何か?」

「一撃で倒してはいません。すんなり倒せたのはジューダスのサポートあってこそです。タネも仕掛けもある手品で隠し持っていただけですので、特殊な逸話はありません」

 

 正確には、普通の剣でないだろうことは知っていても、どんな逸話があるのかは知らない。

 冷静に受け答えたにも関わらず、興奮してまくし立てるカイルの対応に困り、ロニを見やる。

 弟分を取られた気分にでもなっているのだろうか。彼の機嫌は急降下しているように見えた。そもそもジューダスに頼ろうとは思わないし、自分でどうにかしなければならないらしい。

 

「あの、カイル。私は先を急いでおりまして……」

「──追われてる、とか言ってたな。そんなに強いなら、なんで力づくで追っ払ったりしないんだよ」

 

 気を取り直してくれたのは嬉しいが、そんな重箱の隅をつつくようなことを聞いてくれなくてもいいような気がする。

 つっかかるように尋ねてくるロニに、フィオレは軽く肩をすくめて見せた。

 

「一筋縄でいくような相手じゃないと判断したからです。どこの誰かもわからないし、何より街中で刃物を振り回すわけにはいきません」

「ふーん……ま、一理あるか。おいカイル、落ちつけよ。まずはここから出ようぜ」

 

 一応納得したのか、鉄さび臭い空間から出たいだけか。彼はカイルを促して、鉄製の扉と向かい直った。

 鍵がかかっているとか、錆びて開かないとか、そういうことはなかったらしい。扉はロニによってあっさり開かれ、涼風が水道内に流れ込んでくる。

 

「もうすっかり夕方だな。おいフィオレ、俺が押さえておくからさっさと出ろ。レディファーストってことでな」

「……いえ、お構いなく。お先にどうぞ」

 

 口調こそ変わっていないが、妙に声音が上ずっているように見える。

 そう感じて不審に思ったのはロニだけではなかったらしく、カイルもジューダスも彼女を見やっていた。

 フィオレはといえば、魔剣を携えたまま。これまで歩いてきた方向を見つめて動こうとしない。

 

「どうしたのフィオレ、先を急いでたんじゃ……」

「……事情が変わりました。下手に移動するよりは、ここで待ち構えた方がよさそうです」

 

 彼らに背を向けたまま、フィオレは魔剣を構え臨戦態勢となった。しかし、何かが現れるような気配はない。

 それでも。フィオレは臨戦態勢のまま、断固として足を動かそうとしなかった。

 

「追手とやらか?」

「はい。さようなら、ジューダス。お世話になりました」

「勝手にさよならするんじゃない。こっちは少し聞きたいことがあるんだ」

 

 ちら、と視線を寄せれば、双剣を携えた彼が隣にいる。

 何を言っても聞く耳を持たないような。そんな予感がしつつも、フィオレは言葉を連ねざるを得なかった。

 

「……立ち去ってください」

「断る。お前に命令される謂れはない」

 

 それ以上彼と問答を重ねる気も起きず、振り返って未だ扉付近に立つ二人組を見る。

 彼らもまた、立ち去る気もフィオレの言うことを聞く気もなさそうだ。

 

「……死にたいなら、どうぞそこにいてください」

「それで脅してるつもりかよ。いっくらお前が気に食わなかろうと強かろうと、女盾にして逃げられるかっつの」

「そうだよフィオレ! オレ達も手伝うから、ストーカーなんて返り討ちに……」

「わかりました。逃げます」

 

 くるり、と踵を返し、未だにロニが開いていた扉から外へと出る。

 暗闇に慣れた眼に夕日が眩く映るものの、それはすぐに地平線の向こうへと落ち込んだ。

 整備用通路入り口は筒のような通路に続いており、通り抜けたその先は海岸に繋がっている。それを確認して、フィオレはくるりと振り返った。

 

「おいおい、いきなりどうし」

 

 残念ながら、すでにおしゃべりに興じている暇はない。

 これまで通ってきた地下水道の彼方から、整備用通路を駆ける足音が聞こえてきている。そのため急遽、戦術を変更せざるをえなくなったのだ。

 少しでも交戦を遅らせて、彼らを巻き添えにしない方向に。

 

「──見つけたぞ。ウロチョロと逃げ回りおって。今度こそそっ首、叩き落と「どっせい!」

 

 三人とも扉から出ていることを確認し、扉を蹴り閉めることで言葉を黙殺し。

 足元を流れる水流に左手を浸し、フィオレは譜術を発動させた。

 

「そなたが涙を流すとき群がりし愚者は、白に染め上げられし世界の果てを知る……セルキーネス・インブレイズエンド」

 

 発生した譜陣が展開し、冷気が発生したかと思うと鉄製の巨大な扉が氷塊によって開閉不可能となる。

 しかし、これでも十分だとは思わないフィオレは吹きぬける風に左手をゆだね、更なる詠唱を開始していた。

 その最中のこと。

 

「ぶるあああっ!」

 

 ビシリ、と音を立てて扉を閉じ込めた氷塊にヒビが生じる。氷塊が衝撃に耐えかね砕け散ったその瞬間、鉄製の扉は内側からへしゃげた。

 二度目の衝撃に、扉自体より蝶つがいが耐えられなかったらしく、地下水道と外界を隔てる分厚い扉が吹き飛ぶ。

 

「うわぁっ!」

「のわっ!」

 

 警告を発する間もなく、扉の近くに立って事の成行きを見つめていたカイル、そしてロニが余波を受けて吹き飛ばされた。そのまま動かない辺り、心配するべきなのだが今はその余裕がない。

 如何にして逃げるか、あるいは撃退を目論むか。

 とにかくこれ以上の巻き添えを出さないためにも、フィオレは詠唱を中断して部外者の排除を優先した。

 

「ジューダス、逃げてください。下手に関わると死にますよ」

「……構わない。今の生は本来、ありえないことだからな」

 

 突如としてわけのわからない言葉を吐かれ、フィオレは困惑して彼を見た。

 ジューダスはフィオレの視線などものともせず、双剣を納めたかと思うとマントによって覆われた背中に手をやっている。

 そして取り出されたのは──曲刀(カトラス)の刃に細剣(レイピア)の柄を合わせたような、宝剣と称しても差し支えない優美な剣だった。刀身の付け根に丸い飾りが張り付いている。

 

「あっ!?」

「あれから十八年の時が経過して、世の中には新たな技術が浸透している。怪しまれたくないなら、平静を装うべきだ」

 

 今度こそ驚愕の声を漏らしたフィオレに剣を押し付け、ジューダスはくるりと背中を向けた。

 あの特徴的な剣の持ち主にして、フィオレの現状を知っているかのような物言い……

 似てる似てるとは思っていたが、まさか。

 吹き飛ばされた扉が発生させた土埃の向こうから現れたのは、うねる寒色の蓬髪に戦斧を抱えた巨漢だった。

 とうとうフィオレの姿を視認し、厳格な瞳に昏い悦びが宿る。

 しかし、フィオレの前に立ちはだかる仮面の少年を一瞥し、彼は小さく鼻を鳴らした。

 バルバトスと名乗っていたか。当然、その仮面に何らかのリアクションを示すかと思いきや、彼が口にしたのはただひとつの要求である。

 

「──どけ、小僧。ひねり潰されたいか」

「奴の言い分を呑んだ貴様が、何故ここにいる。何故彼女を狙う」

「しれたこと。俺は英雄と呼ばれる輩を、守護者共の手先を潰すだけよ!」

 

 それを邪魔する者もだ、と一方的に宣言し。戦いは唐突に幕を開けた。

 何故あの男が守護者の存在どころか、フィオレと守護者との関係まで──いや、それを考えることは後でもできる。

 彼が双剣を用いて足止めをしてくれている間に、フィオレは先ほど押し付けられた剣を見下ろした。

 

『シャルティエ、ですか』

『……うん』

 

 言葉少なく、脳裏に思念が言葉となりて響く。

 渡されたこれに、シャルティエの人格が宿っているのならば。

 

『彼は、リオンなのですか』

『……そう、だよ。坊ちゃん本人』

 

 海底洞窟にて、スタンとの一騎討ちに敗れ。そのまま没したと資料にあったリオン・マグナスが、相棒シャルティエと共にここに居る。

 事実は小説よりも奇なりとは、よくいったものだ。

 ともあれ、いつまでもこのままではいけない。

 

『あの、フィオレ。……怒ってないの?』

『その辺は、後でじっくりお話しましょうか』

 

 おしゃべりはここまでだ。鞘に納められたシャルティエをたばさみ、魔剣を仕舞う。

 その頃ジューダスは、けして引けを取ることなく堂々とバルバトスと交戦していた。

 積極的に攻撃を仕掛けることなく、振り回される斧の軌道を読み、回避し、合間を縫うように双剣による連撃を仕掛けている。

 バルバトスがジューダスを無視してフィオレへと向かうなら容赦なく攻撃を、そうでなければほぼ回避に徹するという、理想的な足止めだった。

 が、この方法は相手にフラストレーションを与え、溜め込ませてしまうという最大の欠点がある。

 事実、バルバトスは目に見えて苛立っていた。

 攻撃を仕掛け、ジューダスから気を逸らすか──いや、それよりは。

 

『シャルティエ、伝えてください。とっておきを使いますので、そのまま足止めをお願いします』

『坊ちゃん、フィオレからの伝言です』

 

 フィオレとて、できることならこの手で叩きのめして目的と理由を吐かせたい。しかしこの身のこなしを見るに、それができるほど簡単な相手ではなかった。

 加えてこの体調では、剣技をもって撃退する前にこっちがやられる。体術に関しては絶望的、残るは譜術しかない。

 問題は発動直後、意識を残しておけるかどうかだが。迷っていたところでジューダスの負担が増えるだけ。

 フィオレを背に一歩たりとも退かない彼を、バルバトスは鼻で嘲笑った。

 

「騎士気取りか。それとも、因縁はかくも貴様を縛るのか?」

「……」

 

 まるでリオン・マグナスがスタン・エルロンに何を言ったのかを、知っているかのような風情である。

 挑発に乗ることなく沈黙を貫き、ただただ双剣を振るう彼の後ろで。フィオレは悠々と譜陣を編んだ。

 

「天光満つるところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり。天の風琴は奏者たる我を欲し……」

 

 剣戟を聞きながら詠唱を手早く済ませるも、フィオレの視界はいともあっさり歪んだ。

 わざと患部に触れ、激痛で正気を手繰り寄せるも、睡魔に似た感覚がフィオレの意識を蝕んでいく。

 とはいえ、最早フィオレ自身にも止められるものではない。

 今のフィオレにできることといえば精々、完成しかけた術式に味方識別を組み込む程度だ。

 

「……生じて、滅ぼさん。響け、終焉の音……!」

 

 いかに化け物じみた身体能力の持ち主でも、譜術の標的にされた以上逃れる術はない。

 反射的に飛び退ったジューダスの眼前で、バルバトスが白光に飲み込まれる。

 断末魔すらかき消した轟音に鼓膜がやられると覚悟するも、耳に直撃するはずだった轟音は何故か、遠くで雷鳴が響く程度にしか感じられなかった。

 それに違和感を覚えた直後、彼にまとわりついていた光の膜がはがれ、宙に融けて消える。

 回復した視界に映るのは、黒焦げになって倒れ伏すバルバトス。

 燐光を失いつつある譜陣を中心に立ち尽くしたフィオレだ。

 沈黙は、訪れない。

 

「ぐ、うぅ……!」

 

 すぐに呻きを上げて、バルバトスは起き上がった。

 

「あれを受けて、まだ動けるのか……」

 

 思わずジューダスが呟くも、フィオレに一切の動揺はない。どれだけ威力の高い譜術を行使しても、こうなることは予想済みだった。

 とはいえ、無傷とは程遠い。

 体の至る箇所に重度の火傷を負い、そして四肢の末端などは一部炭化が見て取れる。どう見ても、戦える状態ではない。

 帽子で隠れてはいるが、フィオレはまんじりともせずその様を見つめていた。

 息を荒げたバルバトスはといえば……甚大な被害を受けたのに関わらず、歪んだ含み笑いを浮かべている。

 

「……なるほど。隻眼の歌姫が起こした奇跡、それが英雄と呼ばれる由縁か」

「……」

「彼奴らの加護によって浅ましくも命を繋ぎとめた貴様を、俺は絶対に逃さん。必ずやその命、貰い受ける。精々逃げ惑うがいい。ククク……」

 

 まるで泡が弾けたが如く、唐突にバルバトスの周囲を暗黒が漂う。

 そのまま巨体は闇に飲み込まれ、登場と同様空間を歪ませて消えた。

 とりあえずわかったことは──フィオレが持つ最大級の術を持ってしても仕留められる相手ではないこと、そしてフィオレの現存は守護者の仕業であるということ。

 ならば、やるべきはひとつ。

 

「フィオレ!?」

 

 前のめりにばったり倒れ、旅立つ意識を引き留める気力もないまま誓う。

 守護者達の聖域に乗り込み、直接問いただすまでだ。

 現在地から一番近いのは、風を司る守護者シルフィスティアの……

 

『フィオレ、大丈夫!?』

「……脈は安定している。呼吸も正常、寝ているだけだ。まったく、人騒がせな……」

「いってぇー……」

「ったく、一体何が……って、おい、ジューダス! 何やってんだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三戦——十八年ぶりの再会~超色っぽい。人妻の色気は伊達じゃない

 戦い疲れて日が暮れて。
 本来ジューダスは、地下水道を抜けるとさくさくどっかへ行ってしまうのですが。
 フィオレがぶっ倒れたので、拾ってくれたもようです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 びくっ、と体が一度、震える。

 至極不安定な体勢を強いられており、慌てて姿勢を固定するべく手に触れたものへしがみつく。

 よくよく見てみればそれは漆黒の背中で、ふわふわのマントの向こう側には細い背中と硬質な棒状がくくりつけられていた。

 

「……起きたのか?」

「!」

 

 リオン!? 

 口から滑り出そうになるその名をどうにか押し留める。

 ジューダスの前にはそれぞれロニとカイルが先行しており、状況は掴み切れなかった。

 

「……えっと、ここは……?」

「クレスタ近郊だ」

「えっ!?」

 

 大慌てでジューダスの背中から飛び降り、周囲を見回す。強張っていた身体を急に動かしたことで痛みが走るものの、それどころではない。

 太陽は落ち切り、世界の天井は星々に覆われている。

 深夜につき詳細は不明だが、星の位置で現在地がダリルシェイド近辺でないことだけはわかった。

 

「く、クレスタって……」

「俺たちの家があるところさ」

 

 客員剣士時代でもあまり行った覚えはないが、小規模だが平和でのどかな街だった気がする。

 カイルたちはともかくとして、どうして推定リオンがそんなところへ行こうとしているのかがわからない。

 しかしそれを尋ねるよりも先に、カイルが口を開いた。

 

「デュナミス孤児院ってところなんだけど、そこで俺の母さんが院長をやっててさ」

「聞いて驚け、フィオレ? こいつのお母様こそ、かつて世界に空を取り戻した四英雄、ルーティ・カトレットその人なんだぜ」

「……!」

 

 声こそ抑えたものの、鋭く息を呑んでしまったことは隠せない。

 カイルをまじまじ見つめると、彼は不思議そうに首を傾げた。

 

「どしたの、フィオレ? オレの顔になんかついてる?」

「……眉毛と目玉と瞼と鼻と口がついてますね」

「はっは~ん。さてはお前、言葉も出せないくらい驚いたんだろ? まあ気持ちは察するぜ」

 

 確かに驚いた。否定できないくらい驚いた。

 しかし、彼の想像する驚きとはまったく別種のものだ。

 あのルーティが現在、最低でも一人の母親をやっている。その事実に、フィオレは固まらざるをえなかった。

 

「え……と。時にカイル、あなたのお父様は……」

「ご想像通り、四英雄がリーダー、スタン・エルロンさ!」

 

 このどこかで見たことあるような少年はスタンの血を引いている。だからあんな、既視感を覚えたのだ。

 納得して、フィオレは好奇心のままに質問を続けた。

 

「つまり、カイルのご両親はあの二人……の、英雄なのですね。お父様は、御息災で?」

「父さんは、オレが小さい頃旅に出たらしくて……今どうしてるかは、わかんないや」

 

 音信不通? 消息がわからない? 

 あの、おつむはゆるいが年相応の礼儀正しさと、溢れんばかりの思いやりを持っていたスタンが? 

 

 彼の言いぐさからして、一度たりとも便りはないようだ。

 時の流れにさらされたものは変化を余儀なくされている。

 それをよく知るフィオレでも、気になるものは気になった。

 時間はスタンすらも変えてしまったのか、はたまた旅先で不幸に見舞われたか。

 ……第三の可能性であることを祈る。

 喧嘩別れした挙句、ルーティがまだ真実を告げていないだけかもしれない。それはそれで嫌だが。

 

「すみません、立ち入ったことを」

「ううん、いいんだ。気にしないで」

 

 訪れた沈黙を、いち早く破ったのはフィオレ自身だった。

 そういえば、と話題を切り換える形で誰ともなしに尋ねる。

 

「何でクレスタに? カイルやロニはわかりますが、ジューダスや私まで……」

「あー、実はだなフィオレ。こいつは気絶してるお前をテゴメにしようと」

 

 テゴメ=手篭め。

 人を力ずくで押さえ付けたりして自由を奪うこと。

 女性を力づくで犯し弄ぶこと。要は、強姦のこと。

 

「だから、誤解だ! 誰がこんな女に手を出すか!」

 

 そんなことはわかりきっている。しかし、ロニは何の事実を基にそんなことを言い出したのか。

 真っ赤になって否定するジューダスから話を聞くに、彼はダリルシェイド近辺にて倒れたフィオレを保護してくれようとしたらしい。

 しかし、それをロニが大反対したそうな。

 

「……意外に紳士ですね。私がどんな目に遭おうと、あなたの知ったことではないでしょうに」

「俺を何だと思ってるんだよお前は。女が危うい目に遭っているってのに、助けようとしない奴は男じゃねえ!」

「ご高説ありがとうございます。彼の名誉のために明言しますが、一応知り合いです。仮面被ってるし名乗りもしないから人違いかと思って、初対面を装っていましたが」

 

 しかし、それまで何を言われても動じなかったジューダスが狼狽しまくり、それが逆に怪しいと言い切られ。彼は身の潔白を証明するがため、クレスタへの同道を選択した。

 それがここに至るまでの過程だという。

 

「それで、今からでもダリルシェイドに戻るか? 戻るなら護衛を引き受けてもいい」

「お前、まだあきらめてないのかよ」

「貴様は黙ってろ。……どうする」

 

 フィオレに尋ねる形ではあるが、そう言う彼が一番戻りたそうだ。

 あれから十八年が経過した今であっても、ルーティのいるクレスタに近寄りたくないという心情は理解できるのだが。

 しばしの沈黙の後、フィオレは小さくかぶりを振った。

 

「いえ……私はクレスタで宿を取ることにします。夜間の長時間移動は危険ですし、今日は……疲れました」

 

 それは確かに肉体的なものを伴ってはいるが、今現在置かれている状況が把握できないことによる精神的なものが大きかった。

 この、預言(スコア)のない世界に放り出された時もそうだったが、あの時は早急に対処するべき問題もなく、心穏やかな環境を与えられていた。おかげで心を落ち着けて自分を、置かれている状況を見つめ直す期間があった。

 が、今はそれがないどころか、正体不明の男に追われているという、早急に解決を迫られる問題があるのだ。

 とはいえ、一度にやれることには限度がある。地道に取り組んでいくしかない。

 ある程度予想していたのか、ジューダスはただ閉口している。

 

「無理して付き合わなくてもいいですよ」

「……いや。気にしなくていい」

 

 彼がそう言うのならば、甘えさせてもらう。

 ジューダスとの話はついた。今度は、彼ら二人だ。

 小さく息をついて、フィオレはカイル、ロニの名を呼んだ。

 

「それよりか、お二人にはご迷惑をおかけました。謝罪させてください」

 

 深く頭を下げるフィオレに、二人は慌てて首を横に振っている。

 本当に意外だ。

 カイルはともかく、フィオレのことを快く思っていなかったロニは文句をたらたら抜かすと思っていたのだが。

 

「そんなこと! それにオレ達、結局君のこと護れなかったし……」

「でもそのせいで、あなた方が遅くなったことを責められるのも心苦しい。ルーティ……院長さんにも、一言謝らせてください」

 

 ジューダスに咎めるような視線を寄越されても、フィオレは相手にしなかった。

 十八年という月日を経たルーティに興味があったこともある。できればスタンにも会いたかったが、叶わないなら仕方ない。

 

「そいつは嬉しいな。なんせルーティさんのビンタは強烈だから……」

 

 成人男性の言葉とは思えない一言だが、彼女による教育の結果なら、あまりにも、らしい。

 十八年前の騒乱が関係しているのか。あるいは今が夜中だからか。

 記憶の薄いクレスタは、まったく違う街に……否、村に見えた。

 石畳が地面になり、傍に流れる小川から引き入れた水路が流れ、小さな畑が点在している。実に牧歌的に見えるのは、「ド田舎」と称されるリーネ村出身のスタンがいたことを思わせた。

 実際に彼がここに滞在したのは、どのくらいかもわからないが……

 

「そこの宿屋の傍にある階段を上って……」

 

 カイルらの先導を経て大きな橋を渡った先に、件の孤児院がある。

 そこいらの民家と比較して大規模ではあるが、それゆえに劣化の激しい建物だった。

 中の灯火が、窓を通じて光を洩らす。

 帰らぬ息子たちの身を案じてか、それとも怒りのあまりにか、とにかく起きていることは確実だろう。

 凄まじい倹約家だった彼女が、十八年で贅沢を覚えたとは思いたくない。

 

「ルーティさん、まだ起きてるみたいだな……」

 

 十五年前はさぞ新しかっただろう扉を叩く。

 返事が聞こえたと同時に、フィオレは扉を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうにいたのは、いきなり開いた扉か、あるいは奇妙な訪問者にか。いぶかしげな表情をたたえる黒髪の女性──ルーティ・カトレットの姿だった。

 当時の激しい露出はなりをひそめ、白い布をパレオのように腰に巻きつけている。

 あれから十八年経っているはずだから、彼女はすでに三十路であるはずなのだがそんな気配は微塵にもない。

 以前よりずっと大人びた面立ちをしているものの、間違いなく彼女はルーティだった。

 そんな当たり前のことを脳裏で考えながらも、フィオレはその場で帽子を取り、一礼した。

 背後で、ジューダスが息を鋭く呑む音が聞こえる。

 

「こんばんは、ルーティ……さん」

 

 お初にお目にかかります、とは言えない。

 彼女とは、初対面ではないのだから。

 

「突然の訪問をお許しください。実はお宅のロニとカイルのこと、なのですが……」

 

 フィオレの顔を見て、大きくつり上がり気味の目を見開く。背後の彼らを示して、硬直していたルーティがやっと一度、目を瞬かせた。

 

「え、あ、あの子達が、何か?」

「彼らは、私が暴漢に襲われているところを助けてくださったのです。結果として帰宅が遅くなってしまったことをお詫びさせてください。大切な息子さん達を厄介事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「ああ、そうだったの……わかったわ。今回はまあ、人助けってことで、許してあげる」

 

 それまで腹立たしさと困惑が入り混じっていたルーティの顔に、笑みが宿る。

 それを見て、ほぅっと安心したようなため息が背後から聞こえてきた。きっと、ロニとカイルだろう。

 場が和んだことを確認して、フィオレは帽子を深く、被り直した。

 

「夜分遅く、恐れ入りました。あなたがどうか、ご健勝でありますよう……」

「今から宿を取るの? 泊まっていけばいいのに」

「これ以上のご迷惑はかけられません。それでは」

「あ」

 

 呑気なカイルの一言を却下し、背を向ける。ルーティが何か言ったような気がしたが、扉はあっさりと閉められた。

 正確に言うなら、閉めたのはフィオレではない。

 扉のすぐ傍に待機していたジューダスが、立ち止まりかけていたフィオレの手を引いて素早く閉めたのだ。

 その眼は鋭く、明らかな非難を示している。

 

「どういうつもりだ。ルーティに素顔を見せるなど……「それは私の台詞です。どういうつもりで……いいえ。どういうつもりだったのですか」

 

 途端、ジューダスは二の句を失った。

 顔を見せたのは、そうしなければ暴漢に襲われた、などと言ったところで信じてもらえなかったかもしれないということ。

 そして、帽子を取らないとは礼儀知らずだと彼女の機嫌を損ねる危険性があったからしたまでのことである。

 それ以外の意図は一切ない。それに。

 

「もう二度と、お会いすることもないでしょうしね」

「……」

 

 とにかく、人の家の庭先で話し込むのは危険だ。ジューダスに手招きして、フィオレは孤児院からそっと離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四戦——約束を果たす刻~彼らは相も変わらず

 ルーティを思い切り驚かせて、二人きりで宿に泊まり。
 通算で同衾を二回もしているため、もう同じ部屋でお泊りくらいじゃ動じません。
 そも、そんな色気のある話になるわけもなく。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどクレスタ内を通る際、カイルから教えてもらった宿の扉を叩く。

 しばらくして顔を出したのは、格好こそ普通だが、寝る気満々といった風情の漂う女将らしき女性だった。

 

「あら、お客さん?」

「ええ。二人なんですけど、お部屋はありますか?」

 

 幸い部屋はあるらしく、彼女は笑顔で扉を開放してくれた。

 小さなロビーに通され、カウンターにて帳簿をめくる。

 幾つかの鍵がかけられているボードを見やって、女将は二人に向き直った。

 

「ところでシングルふたつとツインひとつ、どっちにしますか?」

「どっちがいいですか? 金銭的にはどちらも問題ありませんが」

 

 一呼吸おいて彼に話を振ったのは、もちろん意図があってのことだ。

 シングルならば、当然話し合いの拒否と受け取る。ツインなら、こちらも腹をくくる。

 彼の性格からして即座に「シングル」と返されてもまったくおかしくはなかったが、フィオレはそれでも一向に構わない。要はジューダスに語る気が、あるいは聞き出す気があるかどうかの問題だ。

 しばしの逡巡を経て、彼はポツリと呟いた。

 

「………………ツイン」

 

 なるほど。そっちがその気なら、こっちもその気になるべきか。

 ジューダスは仮面の奥の素顔を赤く染めながら、ツインの鍵を受け取った。

 

「ダブルの方がよかったかしら?」

「……黙れ」

 

 含み笑いを隠さない女将に背を向け、彼はずんずん部屋へと向かってしまった。

 いつでも発てるよう先払いをして、フィオレもその後を追う。

 静まり返った部屋が居並ぶ中、扉を押し開け入室を果たした。

 二つ並ぶ寝台のひとつに荷を下ろし、帽子も外す。部屋の明かりをつけて彼を見やれば、ジューダスは未だ部屋の扉を開けた状態で固まっていた。

 

「こうしたほうが落ち着きますか」

 

 眼帯を取り出して片目を覆い、寝台へ腰を下ろす。それでも動かない彼に、フィオレは小さく囁きかけた。

 

「まずは仮面を外したらいかがです? ……リオン」

 

 促され、おずおずともうひとつの寝台に腰かける。かと思うと、彼はまずマントを外した。

 背中にくくりつけていたシャルティエを傍らに置き、更に大型爬虫類の頭骨と思しき仮面を外す。

 柔らかな猫毛の黒髪に、切れ長の紫闇の瞳。最期の記憶と変わらない、幼げで、少女に見紛う整った顔立ち。

 それを確認して、フィオレはふぅっとため息をついた。

 

「やっぱりリオンなんですか。それに、シャルティエも。なんだって脱獄囚と行動を共にしていたんです?」

「……別に理由なんかない。単なる成行きだ」

 

 この態度。進んで詳細を話す気はないらしい。一体何のために相部屋にしたのやら。

 彼にとってどれだけの時が流れたのかは知らないが、まったく変わっていないリオン・マグナス相手にフィオレは言葉を続けた。

 

「何故あなたが、あれから二十年近く経過したであろうこの場所にいるのか。説明できますか?」

「……ここはあれから、十八年経った世界だ。お前こそ、なんで屋敷の地下にいた」

「それはお話ししたでしょう。変な人……バルバトスと名乗っていたあの男に追われていたから逃げ込んだんですよ、成行きで」

「場所の話じゃない。どうして、ここに」

「生憎検討しかついてません。それで、私の質問に答える気はありますか?」

 

 途端に言葉を詰まらせたジューダスだったが、何が何でも黙秘を貫く様子もない。

 が、それはほんの一瞬のこと。

 眼が合ったと思った瞬間には、まるでそっぽを向くように視線を脇へ流してしまっている。

 この時点ではっきりしているのは、彼自身何も知らないわけではないということ。

 フィオレの再襲撃を予告したあの男と面識があるだろうということ。

 

 聞きだしたいことなど山ほどあるが、それを無理に聞き出そうとは思っていない。

 

 事実を話してくれない可能性もさながら、逆にフィオレの事情を問い詰められても困るのだ。

 最も、聡明な彼のこと。あの男が守護者云々を口にした辺りで、検討をつけているだろうが。

 沈黙のみで無為に時を過ごすもなんだ、と。黙するジューダスを前に、まずは彼が現在ここに居る事情を探る。

 

「……海底洞窟で、濁流に呑まれたことは覚えていますか」

「……」

 

 当たり前だが、あの状況での生存は至難の業だ。

 奇跡レベルの偶然や人知を超えた存在との接触がない限り、生き残るはあり得ぬ事象だろう。

 

 スタン達は前者、フィオレは後者。

 ソーディアンマスターというだけだったリオンに考えられるのは前者だが、彼の風体からしておよそ年を取っている気配がない。

 確かに特殊な状況下に放り込まれたり、あるいは個の体質によって中身はおろか見目においても驚くほど年を取らないは存在する。残念なことに、フィオレが非常にわかりやすい事例なのだが、それでも時を経た分だけ当時とは変質した何かがあるはずだ。

 眼前の彼には、それすら見受けられない。ならばフィオレと同様、後者のケースを予想するべきなのだ。

 おそらくは守護者以外の、人知を超えた何者かが彼の時に干渉し、その身を蘇生させた。

 これこそ荒唐無稽にして当てずっぽうだが、荒唐無稽な事象など、すでにこの身に発生しているのだ。フィオレには、「そんな馬鹿な」と一笑に付す資格さえない。

 

「──バルバトスとか名乗っていたあの男を、あなたは知っているのですか」

「……」

 

 実に強烈なインパクトを持った、あの襲撃者とのやりとりを思い出す。

「奴の言い分を呑んだ」と抜かしていた辺り、彼らの背後に何者かがいることは確定だ。となると、あの男もジューダスと同じ立場ではないかと考えられる。

 無論、同じ立場が蘇生されたこととは限らないが。少なくともあちらは「奴」の指示には従っているようだ。

 となると、その「奴」は守護者でないことははっきりしている。更に守護者達とは、対立する位置にいるのかもしれない。

 

 バルバトス・ゲーティアと名乗った、斧使いの巨漢。

 そういえば、天地戦争に関する資料の中に、イメージ通りの登場人物がいたような。

 その名こそわからないが、確かソーディアンが考案されるよりも以前。一人の裏切り者によって、地上軍がひっくり返るような大騒動が発生したらしい。

 詳細こそまったく覚えていないが、その裏切り者の描写が、あの男と酷似していたような……

 かつてジルクリスト邸の文献を閲覧した際の記憶だが、あのように接収されているとなると、もちろん文献の類も徴収されているだろう。

 となれば、移送先はきっと知識の塔。

 ストレイライズ神殿や、かの塔が未だ健在なら、そして一般人の入場も認められているならば探すのもありかと、いつの間にやらあの男の正体探しに思考を使っていて、ふと気付く。

 向かい合わせで寝台に腰かけるジューダスは、貝のように口を閉ざしていることを。

 かなり時間を与えたつもりだが、ここまでためらうならこれ以上待っても同じだろうと、フィオレは折れることに決めた。

 それよりか、話すことはあるのだから。

 

「──言いたくないなら結構です。気にならないと言ったら嘘になりますが、どうしても今知る必要があるわけでもありませんし」

「……」

 

 言葉こそないが、ジューダスは明らかに安堵している様子だった。

 手荷物を引き寄せ、手の平サイズの小箱を取り出す。それをそのまま渡そうとして、ふとある記憶が脳裏をよぎった。

 牢屋の格子越しに、同じようなものを差し出されたあの時──

 

「ところで、私がリオンと交わした約束は覚えておいでですか」

「約束……?」

「ええ。珍しくリオンがおねだりをしたとき、つい言ってしまったんですよ。リオンが私に勝ったら、ご褒美に譲渡する、とね」

 

 眼を見開くジューダスにかざしてみせたもの。それは、わずかに石竹色がかった銀環だった。

 三日月型の台座を満月にせんとはめ込まれた緋い石が仄かな明かりに反射する。

 銀環に視線をはりつけるジューダスにそれを渡そうとして。彼は、はっと我に返ったように手を引いた。

 

「要らないんですか?」

「……確かにそれがあれば、シャルと言葉を交わすのに不自由はしないだろう。だが……あんな勝利で」

 

 ほしくないわけではなさそうだが、勝負の内容に文句があるというのだろうか。勝者のくせに贅沢な輩である。

 小さく息をついて、フィオレは言葉を連ねた。

 

「あなたが納得できなくても、発生した事実は歪められない。私を嘘つきにしないでください」

 

 ジューダスの手を取り、無理やり握らせる。

 これで彼が窓の外にでも放り出すようならば回収、その後は自分の管理でいいだろうと思っていたが……流石にそれはない。

 これで、彼に対する用事は済んだ。もう彼と顔を合わせている理由は、フィオレにはない。

 後は二の腕の手当てを済ませて、休息を取るべきか。

 

「リ……ジューダスは、私に何か用事はありますか? ないようなら、私はもう眠りますが」

「……何故だ」

 

 荷を探り、救急セットを取り出して。押し殺すようなその呟きに、フィオレは顔を上げた。

 仮面を取り払うことで浮き彫りになった表情には困惑が、切れ長の瞳は強い不安で揺れている。

 

「僕はお前を殺そうとしたんだぞ……! 事実、お前はそれで死にかけた! それなのに、どうして呑気に話なんかできる!? どうして冷静でいられるんだ……?」

「私にとって、死におけるあらゆる事柄は、実に身近なものだから、でしょうね」

 

 考えてみれば、彼にとってフィオレは、自分の都合だけで手に掛けようとした後ろめたい存在だ。

 何事もなかったように接しろというのは、齢十六の少年に酷なことだろう。

 ただフィオレとしても、そんなことを引っ張り出されてぐちゃぐちゃ抜かされ、一方的に罪の意識を覚えられても対応に困る。

 

「み、身近なことだと?」

「私は常に死と隣り合わせで立っているんです。私がこれまでに、どれだけの命を奪ってきたと思っているんですか。誰に殺されたところで、どんな死に方をしたって、恨み言抜かす資格はありませんよ。それに、あなたは私が突きつけた望みを見事叶えただけではありませんか」

 

 本来、成就された瞬間断ち切られるべき間柄だったのだ。

 それが果たされた後、偶然再会したところでそれを禍根としても、行きつく先は泥の沼だ。

 そんなところへわざわざ足を進めたくなどない。共倒れになることがわかっているなら、尚更。

 

「私があなたを怨みに思うこともなければ、あなたが私に対して何か思う必要もない。ところでジューダス、これからどうなさるおつもりで?」

「……どうする、とは」

「私はこれから色々とすることがあります。どうして私がここにいるのか、あの男は何者なのか。その上で、私がこれからどのように動き、何を行うべきなのかを探っていくことになるでしょう」

 

 肉体も精神も、ついでに持ち物まで共に在るということは、必ず何らかの理由があるはずなのだ。

 それを突き止めないことには、この先安穏と生きていくことなどできないだろう。

 

『……フィオレって、すごいね』

 

 そんな折、呟くような声音が脳裏を掠める。

 見やれば、それまで黙っていたシャルティエがコアクリスタルのシャッターを覗かせていた。

 

「何がですか?」

『だって、話からして気づいてからそんなに経ってないんでしょ? それなのにもう、先のこと考えて行動に移そうとしてる。目覚めて事情知って途方に暮れて、現状知るために放浪に出たはいいけど昔を懐かしみ、接収された屋敷に潜り込んでウジウジしてた坊ちゃんとは大違「シャル!」

 

 顔を真っ赤にして愛剣に詰め寄るその姿は、格好を除いて全く変わらない。思わず浮かんだ笑みを隠そうとして。

 ──ポツン。

 口元を隠した手が、湿る。

 雨漏りかと天井を見上げて、視界がぼやけていることに気付いた。頬を、目元をなぞった指先は濡れ、雨音のようなものもしない。

 年くって更に涙もろくなったか、彼らに──知り合いに再会できた安堵に起因してか。

 とにかく、いつのまにか零していた涙を拭い取り、ジューダスを見やる。

 彼がフィオレの涙に気付いたか定かでないが、妙に神妙な顔をしていた。

 

「先ほど述べたように、私は明日にでもクレスタを発ちます。成り行きでここまで来たようなことをおっしゃっていましたが、今後はどうされるおつもりで?」

「──それを聞いてどうする」

「どうもしません。答える気がないなら、話はここまでです」

 

 こんな風に受け答えるということは、そもそも干渉を嫌がっているのだろう。

 だんだん面倒くさくなってきたことも併せて、フィオレは早々床につくことにした。

 彼に背を向けて二の腕の包帯を取りかえ、シーツの中に潜りこむ。

 眼を閉ざして明日からの算段を立てる中、まどろみはすぐに訪れた。

 そんな中、意識をくすぐるような会話が聞こえる。

 

『あーあ、よかったんですか? ──って言わなくて』

「……仕方がないだろうが。疲れたと言っていたし、言う前に──」

『どうするのかは聞かれたんだから、その時申し出れば──坊ちゃんてホント……』

「うるさいぞシャル。そのことは──」

 

 この後、ジューダスが何を言ったのかはわからない。

 先ほど寝台に転がったかと思いきや、ふと窓の外を見やれば陽が差し込み、普段通りの生活を始める住民の姿も見受けられる。

 隣の寝台で寝入るジューダスと枕元の仮面、そして立てかけられたソーディアン・シャルティエに背を向けて。フィオレは身につけているものすべてを取り払った。

 そこかしこに穴が空き、ぼろぼろになった客員剣士の制服用にあつらえた被服を荷袋の奥底に押し込める。

 

 当初はいらない荷物が増えたと辟易していたのだが。人生とは、やはり何があるのかわからない。

 

 荷袋の肥やしとなりかけていた普段着──裾のフリルも愛らしいアシンメトリのワンピースに、アンティークレースがふんだんにあしらわれた丈が長めのカーディガンを着込んだ上で、外套を羽織った。

 こんな防御力のさがった格好で長旅はしたくないが、背に腹は変えられない。そして、武器も間に合わせでいいから手に入れておくべきだろう。

 いつあの男に襲われるかもわからないから、荷物を手放して外出などできそうにない。

 縁があればまた逢うこともあるだろうと、フィオレはそのまま宿を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五戦——念話の先生、水先案内人。これでやっと、二人は対等に

 クレスタ。
 薄情にも宿にジューダスを置き去りにして、散策なう。
 望んだ事柄ではなかったとはいえ、二人は師弟でした。師弟であるならばどうしたって、上下関係は存在します。
 しかし、それも過去の話。
 長い時を経て、ようやく同じ目線となれました。(物理的にはフィオレの方が上)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに対価は支払っているにつき、連れの姿がなくとも宿から出るのに問題はなかった。部屋の鍵は置いてきたので、ジューダスが宿を引き払う時に提出してくれるだろう。

 十八年前のクレスタならば、客員剣士の仕事で来たことがある。

 しかし、片手で数えるに事足りるため、詳細は一切覚えていない。

 よしんば知っていたところで、十八年という時の経過はひとつの街を変貌させるに十分すぎる。

 あのダリルシェイドがあれほど荒廃していたのだから、この街が劇的な変化……街ではなく村に見えるとしても、特に不思議はない。

 雑貨店や衣料品を取り扱うような店舗を探しがてら、フィオレはのんびりと散策をしていた。

 いつ襲撃があってもおかしくない身だが、これだけ呑気に、ただ歩いて回るのは新鮮である。

 風力を利用し、すぐ傍の小川から水を汲みとって街の中心に水路を形成している噴水。その噴水がある高台には橋が渡され、その先は昨夜向かったデュナミス孤児院に続いている。

 クレスタ全体の狭さだけは記憶通りで、いくらも歩かないうちにフィオレは街の入り口へ到達していた。

 すぐ傍には物見台があり、頂上には釣鐘のようなものがぶらさがっている。もしもの時は、あの鐘の音が街中に響くのだろう。

 物見台のすぐ足もと。大輪の花々が咲き誇るそこには、新鮮な果物が供えられた石碑が埋まるように存在していた。

 

【クレスタの復興と世界の平和を記念して──ウッドロウ・ケルヴィン寄贈】

 

 つまり、クレスタは一度街としての機能が破壊され、世界は滅亡の危機に直面したのだろう。

 何があったのかは知らないし、どのように解決したのかもわからないが……遅ればせながらお疲れ様というところか。

 ともあれこのまま出てしまうわけにもいかず、くるりと踵を返す。

 水路に渡されていた板切れの橋を渡って尚を歩いていると、用水路の水流で回る水車小屋の付近に目当ての建物があった。

 扉を押して中に入れば、からころと、取り付けられていた木製の鈴が素朴な旋律を奏でる。

 正面は日用品や衣料品店の並ぶ雑貨店、右手には刀剣や鎧の居並ぶ区画があった。ただ、ざっと見るにどちらも品揃えは薄い。

 クレスタの位置は中央大陸の端、フィッツガルドで言うリーネとそう変わらない位置だ。

 当然人の行き来は非常に少なく、地元の人々にとってはこれで十分なのだろう。

 まずは旅装を整えようかと、衣料品の区画を見やるも、そこには先客がいた。

 

「ねえロニ、早く行こうよ!」

「まあ待てってカイル、旅支度はきっちり済ますもんだ。まずは野宿しても風邪引かないよう、あと雨をしのぐこともできるマントをだな……」

 

 旅装には必要不可欠であろうマントを手に取り、じっくりと吟味しているのはロニ。そんな彼の傍らでせかすは、カイルだった。

 野宿がどうこう言っているということは、旅にでも出るのだろうか。

 まさか昨夜のことで勘当されたとか、あの雰囲気からしてそれはないと思いたいが……

 ともあれ、すでに外套を備えているフィオレには要らないものだ。

 特に声をかけるでもなく被服を見て回り……被服の新調はあきらめることにした。

 女性ものは論外、男性ものもフィオレの体格に合うものがなかったためである。

 かろうじて条件に合うのは男女兼用農作業用のツナギだが、これで旅はできない。

 せめて足技が気兼ねなく使えるようにと厚手のタイツを購入して装着し、雑貨を見て回る。

 昨日の手当てで手持ちがなくなった包帯、綿紗(ガーゼ)などを補充し、そろそろなくなりつつある香水を選ぶ。

 更に、フィオレは変装用としてとあるものの購入を悩んでいた。

 現在フィオレは、キャスケットで目元を隠すことで目立つ眼を──取り越し苦労かもしれないが、十八年前に実在したこの顔を隠している。

 しかし、所詮帽子。何かの弾みで取れてしまう危険性は限りなく高い。

 そこで片目だけを隠す眼帯に変わる、新たなアイテムを手にしようとした矢先のこと。

 

「あれ、ひょっとしてフィオレ?」

 

 特定の人間にしか名乗っていないその名を呼ばれ、フィオレは手を引っ込めた。

 落ち着きのない金髪に、くりっとした空色の瞳。

 フィオレと同じように買い物用の編み籠を手にした少年は、カイル・デュナミスその人である。

 

「こんにちは、カイル。お使いですか?」

「違うよ。これからオレ達、旅に出るんだ。だから旅支度をね」

 

 オレ達ということは、あのロニも一緒なのか。

 それを尋ねれば、彼は未だマント選びに余念がないらしい。

 何でも撥水性に優れているが値段は張るものか、普通のもので価格も手頃。どちらかを決めかねているようだ。

 

「オレはどっちでもいいって言ってるのに。早くしないとあの子、どんどん先に行っちゃうよ」

「……?」

 

 突拍子もなく彼の口から零れたその単語に、フィオレは小さく首を傾げた。

 何のことなのかさっぱりわからない。その雰囲気を感じたらしいカイルが、聞いてもいないのに事情の説明を始めている。

 

「実はさ、昨日の昼クレスタの近くにあるラグナ遺跡に行ってきたんだ。そこで──」

 

 見つけた巨大レンズの中から、女の子が現れた。

 彼女は英雄を探しているらしく、彼は迷わず立候補したのだという。

 結果として彼は少女に認められなかったらしいが、どうもカイルはあきらめていないらしい。

 実に大雑把な説明には全然脈絡がない。そもそも巨大なレンズから女の子が出てきたとは、どういうことなのか。

 とりあえず、フィオレは無難な質問をしておくことにした。

 

「カイルは、英雄になりたいのですか?」

「うん! なりたい、っていうか、なる! 父さんや母さんのような英雄に!」

 

 おそらくは、彼の長年の……否、幼年期から持ち続けている夢なのだろう。

 カイルの目は実に純粋で、ひたすら輝いているように見えた。

 偉大すぎる両親を持つ子供は、時として過大な劣等感を抱えることがあるのだという。

 しかしこの少年は少しも屈折した様子がなく、純粋に「両親のようになりたい」と願っているようだ。

 こうして少年期、惜しげもなく夢を語って。現実を知った時、少年は大人になるのだろう。

 ──と、フィオレは踏んでいるのだが。

 どうも彼の話を聞くと、妙な方向に向かっているような気がしてならない。

 

「違うって言われはしたけど、オレは「今はまだ」違うっていう意味だと思う。考えてみれば父さんだって、生まれたときから英雄ってわけじゃなかったんだし」

「……」

 

 突っ込みどころが山ほどあって、どれから突っ込めばいいのか、全然わからない。

 レンズの中から現れたという少女の正体はさておいて、彼女から英雄認定されたところで何がどうなるわけでもないことを教えるべきか、放置するべきか。

 

(……触れない方が、いいかな)

 

 もしかしたら英雄云々以外に何かあったのかもしれないし、余計な口は挟まないことにする。

 フィオレにスタンやルーティとのかつての関わりがなければ、彼とはわずかな同道を共にしただけという仲だ。何を言ったところで、彼とて聞く耳を持たないだろう。

 とにかく彼としては少女を追いたいようだが、さりとてロニを置いていくつもりはないようだ。

 事前にまとめたらしいリストを手に、保存食やらグミやらを手に取っている。

 

「ところでジューダスは?」

「別行動中です」

 

 フィオレが散策している間に、太陽はすっかり昇り切っていた。

 彼の寝起きはそう悪くなかったし、ルーティに見つかることを良しとしないだろうから、もうクレスタから離れている頃だろうか。

 そんなことを考えていると、再びカイルから声がかかった。

 

「フィオレ達って、どこに行こうとしてるの?」

「……特にこれといっては。目的に応じて、様々な箇所を回ることになると思います」

 

 そのものズバリ、地名を答えそうになって思いとどまる。昨晩ジューダスに言われたことを思い出したのだ。

 神の眼が発端となり発生したという騒動で、ダリルシェイドがあれだけ変貌していたのだ。村一つ消えていたっておかしくはない。

 ちらりと走らせた視線の先、壁に張られた世界地図を見つける。

 それを一心不乱に見つめて、フィオレは同じ質問をカイルに放った。

 

「そういうカイル達はどちらに?」

「アイグレッテだよ」

 

 さっそく知らない地名を聞かされ、世界地図をじっくりと見る。

 アイグレッテなる単語は、かつてストレイライズの森が鬱蒼と生い茂っていた辺りに記名されていた。

 

「その……あなたが探す女の子が、そこに向かったという確信がおありで?」

「まあね! その子、「英雄を探してる」って言ってたから。今会える英雄っていったら、父さんと母さん、英雄王ウッドロウ王に、ストレイライズ大神殿のフィリアさんだろ?」

「今会えるも何も、人々の記憶に新しいのはその四人でしょう。他に誰かいらっしゃるので?」

「そんなの決まってるよ。四英雄とは別格の、泡沫(うたかた)の英雄フィオレシア。でも、あの人とはもう会えないだろ?」

 

 誰だろう、泡沫(うたかた)の英雄フィオレシアって。確かに、最終的に海底に没して、泡のように命は潰えてしまったが。

 閉口せざるをえないフィオレを余所に、カイルは話を続けている。

 

「父さんはどこにいるかわかんないし、あの子が母さんに会いに来た様子もない。残るはフィリアさんとウッドロウ王だけど、この二人に会うなら必ずアイグレッテに立ち寄るだろ?」

「そりゃまたどうして」

「どうしてって……フィリアさんはアイグレッテにある大神殿にいるし、ウッドロウ王が治めるファンダリアに行くにはアイグレッテ港からじゃないと行けないからだよ。どっちにしたってアイグレッテに立ち寄らなきゃいけないってロニが言ってたんだ。でもアイグレッテには沢山人がいるらしくてさ。できればアイグレッテ手前で追いつきたいんだけど……」

 

 あれじゃあなあ、と彼はマントがかけられたハンガーラック付近から動かない兄貴分を眺めた。

 と、そこで。

 

「ぃよぉーし、決めた! こいつを二丁頼む。包装はなしで」

 

 ようやく彼の中で決着がついたらしい。

 ガルドと引き換えにマント二丁を手に入れ、ロニは意気揚々と弟分へと歩み寄ってくる。

 当然、フィオレの存在に気付いた彼は目をしばたかせた。

 

「お? あんたは……」

「昨晩はお世話になりました。院長さんのご機嫌はいかがでしたか?」

「ルーティさんなら、なんか元気がなかったな。あんたらが行ってから何も聞かれることはなかったし、今日も心ここにあらずって感じで……カイルが旅に出る話をしたら、元に戻ったけどな」

 

 彼らのためという名目上、十八年後のルーティに一目会いたいという望みはやはり、代償として彼女を惑わせてしまったか。

 一刻も早く彼女の記憶が風化することを祈る。

 そしてフィオレもまた、早くここを発つ必要があるようだ。

 

「そういや、あの仮面の兄ちゃんはどうした? あの皮肉っぷりに愛想でも尽かしたか?」

「ああ、彼なら……」

 

 別行動中か、その通りと答えるべきか悩んだ瞬間。激しい勢いを伴って、扉が開いた。

 木製の鈴はまるで嵐の最中に放り込まれでもしたかのように、ガラゴロ鳴っている。

 扉を蹴り開けて息を荒げていたのは、骨に似た質感の仮面に黒を基調とした衣装の少年だった。

 

「……そこに、いるみたいですね」

「ここにいたのか……探した」

「それは見ればわかります。私に用事で?」

「その通りだ」

 

 何やら剣呑な目を向けてくるジューダス、そして何事かと成り行きを見守る店員、並びにカイルらを含めた買い物客。

 どんな内容かは定かでないが、ここで立ち話をするという選択肢はない。

 

「場所を変えましょうか。──それではね、カイル、ロニ。旅の無事を祈ります」

 

 籠の中身を店員に見せ、迷惑料ということで、品物代とは別に千ガルド札を置いて店を出る。

 荒げた息を整えるジューダスを引き連れ、やってきたのは散策中に見かけた喫茶店だった。

 それほど長い話ではないのか、明らかに戸惑っている彼が何かを言う前に店内に入る。

 メニューをざっと見て、フィオレはそれをジューダスへと差し出した。

 

「オムライスとレモンタルト。ジューダスは?」

「……ホットチーズサンドとプリンパフェ」

 

 注文を待つ間、フィオレは羊皮紙と筆記用具を取り出している。

 羽ペンの先端をインク壺にひたし、一筆書きで羊皮紙に書きつけ始めた。

 

「それで、話とは?」

「……なんでいちいち喫茶店になんか入る必要があるんだ」

「朝餉がまだなんです。それで?」

「どうして勝手に宿を出た」

 

 一筆書きを終えて、再びペン先をインク壺にひたす。

 雑貨店で見た世界地図を思い出しながら、フィオレは返事をした。

 

「私に用事があり、あなたに対する用事は済んだからです。私の今後はお伝えしたのですから、承知だろうと思っていましたが」

「目が覚めたら隣の寝台が空などと、普通は想像しないぞ」

「そうかもしれませんね」

 

 手早く描き切った羊皮紙を広げ、全体を見直す。

 興味本位で覗きこんだジューダスは、それを見てぽつりと呟いた。

 

「……世界地図か?」

「ご名答。雑貨店にあったものをできるだけ写してみたんですが、大分変わりましたね」

 

 第一大陸──今は中央大陸と称されていたか。幾つかの村が消え、ファンダリアからジェノスとサイリルの文字がない。

 カルバレイスからはジャンクランドが消え、ホープタウンなる集落が誕生している。

 フィッツガルドに見た感じ変化はないが、この分だと何かが変わっているだろう。

 アクアヴェイルに至っては、島国密集地域にその名が記載されているだけだ。

 

「ジョニーが統一をどうたらこうたらおっしゃっていましたが、これは実現したということなのでしょうか?」

「……セインガルドという国がなくなって、国交正常化こそ不可能になったがな。複数に分かれていた領土が消え、統一は果たされたぞ」

 

 意外な返答を耳にして、フィオレは初めてジューダスの顔を直視した。

 

「知ってるんですか?」

「僕はお前と違って、大分前からこの世界にいることを自覚している。これまで、ただ漫然と過ごしていたわけじゃない」

 

 確かに、彼はフィオレの知らない技術やこの世界の常識に博学とすら取れる知識を備えていた。

 現状を知るために放浪に出たというのは、伊達ではないらしい。

 ならば──

 

「ねえジューダス。さしあたっての目的がないのなら──」

 

 同行を誘う旨を告げようとして、ふと我に返る。

 今、何を言おうとしたのだろう。

 たかだか剣術を教えていた、かつての上司であるというだけの少年に、何を甘えたことを言おうとした? 

 おまけに今は、正体不明の人間に追われている──否、狙われている身だ。

 彼が知り合いかもしれないが、おそらく深い関係ではない。危険に巻き込んでしまうだけ。

 加えてジューダスは、フィオレに勝手な負い目を持っている。内心でどう思っていようと、望まれれば彼が頷いてしまう危険性は高い。

 危ないところだった。

 

「何だ」

「いえ……何でもありません。それで「お待ちどう様!」

 

 折よく注文の品が運ばれ、フィオレはものも言わずに羊皮紙や筆記用具を片づけた。

 実際腹が減っていたにつき、あっという間にオムライスを片づける。

 彼を同行に誘おうとしたのは、空腹による思考力の低下だと思いたい。

 同じく黙々と料理を手につけた彼が一段落したところを見計らって、フィオレは尋ねた。

 

「それで、ジューダスの話とは?」

「気が動転していて聞き損ねていたが、真実とはなんだ」

 

 それを聞いて。フィオレは眼前に運ばれてきたレモンタルトに手をつけるのをやめた。

 サービスの紅茶を一口飲み、言うべきことをまとめてから口を開く。

 

「あなたが到底信じそうにもない与太話です。私があなたの立場でも、早々信じない」

「……僕達の身には、すでにありえない事象が発生している。今さら何を聞かされたところで、頭から否定はしない」

「それが、マリアンのことに関してでも、ですか」

 

 彼が今も想っているであろう女性の名を出され、ジューダスはしばし沈黙した。

 しかし、彼の中でどのような結論が出たのか。

 

「──かまわない。話せ」

「彼女は人質ではありませんでした。あの計画における賛同者にして、人間であるかどうかも疑わしい」

 

 紡がれた言葉を聞き、ジューダスがテーブルの下で固く拳を握りしめているのがわかる。

 大声で否定したい。そんな気持ちをひた隠して、彼は震える声で根拠を尋ねてきた。

 それに対して、あの時起こった出来事を話す。

 きっと半狂乱になって否定するだろうと予測された彼は、歯を食いしばってテーブルに爪を立てた。

 

「僕は……一体、何のために」

「たとえ騙されていなかったとしても、あなたのしたことは変わらない。そもそもそれは、悔やむことなのですか?」

 

 騙されてさえいなければ、ヒューゴの望む行動を取らなかったなら悔やむ気持ちは十分理解できる。

 だが、どちらにしても行動が変わらなかったら意味がない。

 多分「騙されたこと」自体を悔やんでいるのだろうが……

 

「恋は盲目……とでも言いますか。焦っていたんですね」

「何?」

「マリアンの生存を懇願するくらいなら、ついでに世界を救えばよかったのに」

 

 神の眼を用いて世界規模での災厄を企んだヒューゴを斬れば、すべては丸く収まっただろうに。

 そうしなかったのはすでに人質を取られていたからか、あるいはヒューゴに対して親子の情が残っていたか……いずれにしても褒められたものではない。

 

「ともかく真実とは、本物なのか影武者なのか知りませんが、あの場にいたマリアンは人質でなく賛同者であった、ということです。他に何か質問は?」

「さっきは何を言いかけていた」

 

 とにもかくにも過去は過去。そうとでも割り切ったのだろうか、思いのほか彼の突っ込みは鋭かった。

 さてどのようにごまかそうかと、レモンタルトを見下ろして。皿の上からレモンタルトがかっさらわれた。

 それを眼で追えば、カトラリーに入っていた予備のフォークにレモンタルトを突き刺したジューダスの姿がある。

 

「お前がそうやって視線をそらすのは、何かを考えている時、だな」

「人のお菓子を取り上げるなんてお行儀が悪いですよ」

「はぐらかすな。質問に答えろ」

 

 実に腹の立つ物言いだが、彼を知る者にとってどれだけ真剣なのかがよくわかる態度の表れでもある。

 言うだけなら構わないかなと、フィオレは手持無沙汰に紅茶を一口すすった。

 

「ただいま絶賛世間知らず中の私が、この世界で常識を覚えるまでナビゲートをお願いしようかな、と思ってたんですよ」

 

 かちん、と固まったジューダスからレモンタルトを取り返し、美味しくたいらげる。

 まだほのかに温かい紅茶で口をゆすぎ、口の中をさっぱりさせたところで口元を拭った。

 

「言いかけてやめたのは、何も語らないあなたにも都合というものがあるだろうと判断してのことです。そろそろここを発ちます。長居しすぎてばったりルー……彼女と会っても困る」

「僕は別にかまわない。今すぐ何かを成さなければならないこともない」

 

 フィオレの言葉を聞き、案の定彼は即断で肯定を示している。

 ありがたい話だが、文字通り受け取ってしまうわけにもいかない。

 

「無理しなくていいですよ。あなたが私に悪感情を抱いていたことくらい知っています」

「別に無理なんかしてない。人の好意も素直に受け取れないのか」

「……あのリオンからの好意なんて、受け取ることも畏れ多いですよ」

 

 投げやりに答え、その態度がジューダスの機嫌を損ねるも特に言い繕うことはしなかった。

 ヒューゴ氏という雇用主が存在せず、客員剣士という身分から解放されている現在、フィオレとリオンの間柄は元師弟というものだけだ。

 それすらも強制に等しいものであることもさながら、もう彼におべっかを使う気はない。その意味もない。

 

「それともジューダス。私と共に旅することをお望みですか」

「ああ。その通りだ」

 

 大人ぶっていてもまだ純情な少年のこと。言葉を詰まらせるかと思いきや。彼はフィオレの問いをあっさりと肯定した。

 これにはフィオレも驚愕し、その真意を尋ねにかかる。

 

「その心は?」

「べ、別に……勘違いするなよ。僕は借りを返して、恩に着せるだけなんだからな」

 

 借りを返して恩に着せる。

 奇妙な言い回しだったが、そういった意図があるなら何も勘ぐらずに済む、か。

 仮面の奥の素顔を鮮やかに色づかせながらも、彼は言葉を連ねた。

 

「それに、その……これだ」

 

 拳を突き出してきたから何かと思えば、その指には石竹色がかった銀環がはめられている。

 これがどうかしたかと尋ねると、彼は口の中でもごもご言いつつ、そのまま黙りこんでしまった。

 

『坊ちゃん! 別に恥ずかしがることなんかないでしょう、ちゃんと言わなきゃ!』

「……ひょっとして、チャネリング──念話の使い方のことですか?」

「その通りだ。僕はもともとシャルの声は聞こえる。だから、その、念話の仕方をだな……」

 

 なるほど。通りで即断即決を示したかと思えば、こういった意図があったか。

 納得して、フィオレはひとつ頷いた。

 

「わかりました。私は同道を求め、あなたはその報酬として念話の扱い方を学ぶと」

「そういうことだ。それで、クレスタを出ると言っていたが、どこへ向かうつもりなんだ?」

「アルメイダとハーメンツの間にあった山脈に行くつもりだったのですが、何だか地形が変わってるみたいですね」

 

 かつてストレイライズ神殿の膝元であったアルメイダ、そして国境の町ジェノスへ向かうにあたり中継地点でもあったハーメンツは消え、現在地図上では「ハーメンツヴァレー」なる地名があるのみだ。

 

「その辺りは、十八年前に空中都市の一部が墜落した影響で大幅に地形が変わっている。結果として周囲の村々は消滅し、残骸は巨大な谷を作り上げた」

「く、空中都市?」

 

 聞いたこともない単語だったが、つい最近見かけた記憶はある。

 確か旧ジルクリスト邸地下室の資料に、そんな単語があったような。

 そろそろ出立しようということで会計を済ませ、そのままクレスタを出る。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六戦——二人きりではない旅路


 クレスタ~ハーメンツヴァレー。
 二人+一本の旅、始めました。
 しかし、何事もなく、というわけには行かない模様です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道すがら空中都市の詳細を尋ねれば、彼は抑揚のない口調で機械的に語ってくれた。

 

「……あの後。ヒューゴは神の眼を用いて、当時海中に眠っていた空中都市を空へ引き上げた。初めに神の眼を持ち逃げしたグレバムが各地を回っていたのは、ヒューゴにそそのかされて各大陸を巡り、神の眼によって起動を促していたんだ」

「天地戦争時代、お空に浮かんでいたという都市群のことですか。太陽の光を得るための施設を掘り出すとは、天上王気分ですね」

「ヒューゴの目的はまさに同じものだ。あいつは天上王と同じく、空中に第二の大地を創ろうとしていた」

 

 当時は自然で肥沃な大地が広がっているというのに、一体何を考えていたのだろうか。

 それを尋ねたところでジューダスには答えられまい。

 

「ベルクラントを使って、ヒューゴは着々と空に自らの世界を作り始めた。スタン達はそれを阻止しようとしたが、天上の世界の完成を許してしまったらしい」

「ということは、一度この地上から太陽を取られてしまったんですか。それでどうにかしたから、彼らは英雄と呼ばれている……そんなところでしょうかね」

「ああ。最終的にスタン達は天上の世界、そして神の眼の破壊にも成功した。持ち得るソーディアンすべてと引き換えに」

 

 天地戦争時代には不可能だったこと……しかも、少なくともシャルティエを欠かしているにも関わらず、成功させたのか。

 どのような経緯があったのかは知らないが、並大抵のことではなかっただろう。

 

「さっき、地面が広範囲にえぐれているところを歩いただろう」

「ありましたね、見渡す限りの広範囲でしたが、ひょっとして」

「空中都市や天上世界の残骸が降り注いだ跡だ。あれらが世界中にある、と考えていい。あれでもまだ軽い方で、それでも未だに草木は生えてない」

「なるほど。被害がひどかったハーメンツ付近は、文字通り大きな爪痕を残したということですか……」

 

 そのまま道中、フィオレは実に様々な事柄をジューダスから学んだ。

 オベロン社は騒乱によって当然のように倒産し、レンズ加工技術は廃れた。現在では、残されたレンズ製品に名が記されているだけだと言う。

 

「何となく受け取ってしまったけど、今じゃすっごいレアものなんですね。このソーサラーリング」

「そういうことになる」

 

 そして驚いたことに、レンズの加工技術が失われていながら現在は、ソーディアンマスターでなくとも晶術の使用が可能であるらしい。

 もともとソーディアンマスターであるジューダスも、その技術に沿ってシャルティエのコアクリスタル──通常のレンズとは比べ物にならない高密度エネルギーを含有したレンズを用いて、確認されている晶術の使用が可能になっているのだという。

 

「すごいじゃないですか」

「……奇跡と称される手品を使いこなした人間に言われても、厭味にしか聞こえないな」

「あなたのことじゃなくて、現代の技術のことですよ」

 

 レンズから含有エネルギーを引き出すこと自体なら、フィオレにもできる。これからは大っぴらに使えるということか。

 ただ何万回の使用に耐えるという高エネルギー含有レンズはないため、手持ちのレンズを消費していくことになるだろうが、問題はない。

 オベロン社がないためレンズを換金することはできないだろうし、道中は変わらずレンズによって凶暴化した動植物が発生することはわかっている。そうそう尽きることはないだろう。

 レンズによって凶暴化した動植物──魔物や怪物と称されるモノ達を前に、現代技術の結晶と言っても過言ではなかろう晶術の披露をリクエストする。

 そこで、疑問が発生した。

 

「ところで、シャルティエの含有エネルギーは地属性と闇属性だったはずですよね。どのようにして風属性、光属性の術をお使いで?」

「これだ」

 

 そう言って彼が示したのは、帯剣の柄頭に取り付けられた球体の飾りである。

 小型ではあるものの、そう簡単に使いきれるわけではない高エネルギー含有レンズだ。

 

「よく見つけましたね。そうそう手には入らないでしょう」

「……神殿から拝借した」

 

 どういうことなのかを詳しく聞き出しにかかる。

 すると現在、オベロン社総帥の引き起こした災厄が元でレンズを危険視する風潮が高まり、現在ではアタモニ神団が全大陸におけるレンズの回収・管理を行っているのだという。

 

「……フィリアが陣頭指揮を取っているのですか?」

「違うが、何故そんな嫌そうに聞くんだ」

「安心しました。彼女がそんな愚かなことに手を出したと、思いたくなかったのでね」

 

 先の騒乱の当事者なら、神の眼のみならずレンズを一か所に集めればロクなことが起こらないことくらい、わかっているはず。

 同じ神団に所属する者として是非制止してほしかったが、問題はそこではない。

 

「で、レンズを集めているはずの神団から、珍しいであろう含有エネルギー豊富なレンズをいかにしてせしめたのです? 袖の下ですか」

「……疑似晶術が確立されていることを知って、最初はそうしようとした。だが、今はエルレインがいるせいで賄賂に応じる輩が少ない。そこで」

「そこで?」

「比較的警備の薄いダリルシェイドの神殿──ヒューゴの屋敷に忍び込んで、適当なのを身繕った」

 

 どうやらそれが、あの二人と行動を共にした発端であるらしい。

 正直窃盗行為は感心できないが、過去食べるために身売り以外の何にでも着手したフィオレには責める資格もない。

 

「エルレインというのは、レンズの管理者のことですか?」

「似たようなものだ。実際は大司祭長──アタモニ神団の長だがな」

「へえ、長ね。私はてっきり英雄に祭り上げられているフィリアに押しつけられたかと思っていましたが……流石にそれはありませんでしたか」

「別にフィリアの代理というわけではない。何年か前にふらりと現れ、あっという間に今の地位に収まった」

 

 ……ジューダス、というか、リオンにしてはやけに饒舌である。

 違和感を覚えるも、興味がないわけではないので先を促した。

 彼自身、興味をあおるように話した自覚があるのか、その話し方によどみはない。

 

「ずいぶんあっさり収まりましたね。何か理由でも?」

「特殊な力……晶術に似て非なる奇跡を操って見せたからだ。具体的には、回復晶術を遥かに上回る力を操る」

「へえ……晶力を増幅させる特殊なレンズをお持ちなのでは? あるいは信仰を集めるためのペテンとか」

 

 フィオレとてかつて、他者から「奇跡」と称された力を振るった。

 だが、フィオレ自身それを奇跡などとは一切思っていないし、そもそもタネだって仕掛けだって理論だってある。

 とりあえず、何かしらレンズを隠し持っている可能性はあるだろう。大司祭長などと仰々しい名で呼ばれる人間が、裸同然でいるわけがない。

 それを面白おかしく口に出すと、彼は呆れたように繰り返した。

 

「仮にそうだったとしても、常識では考えられないほどの威力なんだ。これまで何百人もの人間が、実際に救われているという」

「救われている、ねえ。まあ実物見るまで何とも言えませんが……いや。ひょっとしてこれは、実物が目の前にいる、というパターンですか」

 

 さらり、と。さりげなく呟いたフィオレの一言に、ジューダスは目に見えて動揺した。

 わかりやすい反応である。

 

「……ど、どういう意味だ」

「奇跡とか、そういったものをまともに信じそうにもないあなたがそこまでおっしゃるということは、そのエルレインとかいう方はあなたに奇跡を示したのではないかと思いまして。そう、例えばあなたをシャルティエと共に蘇生させたとか」

 

 ここで初めて、フィオレはちらり、とジューダスを見やった。

 帽子で隠れているにつきその動きは知られていないだろうが、彼はまるで狼狽を隠すように黙りこんでいる。

 

『あーあ。しゃべり過ぎたみたいですね、坊ちゃん』

「シャル……」

『だから言ったじゃないですか。隠し事しても多分長続きしないって。情報が揃ってない時はさておき、フィオレの洞察力って半端じゃないんですから……』

「別に構いませんよ。隠し事だろうと企みだろうと。私に害を成すものだと判断すれば全力で潰しにかかりますし、そうでなくても勝手に推察していくだけです。隠したいなら、反応しないほうがいいですよ」

 

 これでわかったことはジューダス、そしておそらくはバルバトスと名乗った巨漢をこの世界に解き放ったのは十中八九エルレインという輩であること。

 そのエルレインが、限りなく人間から遠い存在である可能性だ。

 もしかしたら時渡りの能力を持ち、奇跡と呼ばれるだけの力を操ることができる人間、なのかもしれないが。果たしてそれは人間なのかどうなのか。

 その理屈が理解できないというだけかもしれないし、確認してみなければ何とも言えない。

 仏頂面のジューダスはそれ以降エルレインに関する話題を嫌がり、更にダリルシェイドで休んでいくことを拒んだ。そのため、ダリルシェイドには近寄ることすらやめておく。

 

「で、念話のことなんですけど。残念ながら『これこれこういうことをすれば使える』という話はできません」

「何故だ?」

「十八年前であれば、ソーディアンマスターでもない人間に晶術を教えろと言われているようなものです。感覚的な要素が多すぎて、教えられることがほんの僅かなんですよ」

 

 フィオレとて誰かに教わってできるようになったわけでもない。

 結局は、自分なりの解釈と努力、ついでに素質がものを言う。

 そんなこんなで、一本を含めた二人はこれといった障害もなく、ハーメンツヴァレーへと辿りついた。

 

「クレスタで言った通り、ハーメンツヴァレーは強風の吹き荒れる危険な谷だ。現在では大吊橋がかけられている」

「アイグレッテ、というストレイライズ神殿……大神殿の膝元に聖都と呼ばれる街があるんでしたっけ。そんなに大きな街なら、目指す人間全員に登山家並みの体力と技術を要求するのは酷ですね」

 

 現に今、大吊橋へと向かう二人の周囲には様々な人々が行き交っている。

 旅の商人から巡礼か何か、旅慣れているようには見えない子供連れの家族、二頭立ての馬車までも見受けられた。

 

「それにしても、妙に立ち止まっている人間が多いですね」

「確かに。何かあったのかもしれないな」

 

 元々フィオレの目的は、アルメイダとハーメンツの間にあった山脈付近の聖域である。

 しかし現在、どうも空中都市の残骸の直撃を受けて大規模な地殻変動でもあったのか、記憶にある山脈は影も形もない。

 早くも計画頓挫か、と内心頭を抱えながらも道なりに進んで、二人は足を止めた。

 周囲には二人と同じように足を止めている人々が大勢いる。

 そのまま同行者と相談を始める者、踵を返し始める者と種々様々だ。

 

「……ないですね、橋」

「ああ」

 

 視線の先には吊り橋を支えていたと思しき支柱が立っており、その先には何もない。

 人垣をすり抜けて真下を見下ろすも残骸らしいものは見えず、対岸で困惑する人々が確認できる程度だ。

 

「おい、なんで橋がなくなっているんだ。商売あがったりだ」

「大吊橋が架けられたのは十年以上も前のことだ。ならば、老朽化していてもおかしくはないか……」

「この橋を架けたのはアタモニ神団だろう。整備を怠るからこんなことに」

 

 聞こえてくるのは、様々な好き勝手。

 現代は、平穏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七戦——いきなり英雄認定~そもそもアナタだーれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえてくる様々な好き勝手から、現代の平穏さを感じながら支柱に眼をやる。

 そこではすでに、奇抜な仮面が人の視線を無意味に集める少年が、支柱に手をやって検分していた。

 

「何かわかりましたか?」

「少なくとも老朽化ではなさそうだ」

 

 彼が示す支柱には、吊り橋を固定するための部位がある。

 残された金具自体に、錆びが浮いていたり、長期の使用による金属疲労は発生していない。

 金具の先、橋の一部だった荒縄が鋭利な切り口を見せていた。

 

「人為的なものだろうが、鉄線が編み込まれた縄の切断など並大抵のことではないぞ」

「人がしでかしたことだとしても、残骸が見当たらないということは両側から切断したことになりますね。橋を落とすだけなら、片方から落とせばいいだけの話なのに」

 

 念には念を入れてか、あるいは他に理由……狙いがあってのことか。最終的にこの大陸から出る必要のあるフィオレには災難な話である。

 検分を終えたジューダスに、迂回路を探しての通行を提案しようとして。

 

「あのですね、ジューダス……」

「何か聞こえないか」

 

 そんな唐突な一言に、フィオレとしては思ったままを返すしかない。

 

「……谷底の方から、風の吹く音が」

「それじゃない。まるでソーディアンに話しかけられているような、音でない声が……」

『僕には何も聞こえませんけど』

 

 フィオレにも、それらしいのは今のシャルティエの声しかない。

 だが、彼の言う声に心当たりはあった。

 

「何を言っているのかわかりますか?」

「それはわからない。だが、音ではなく言葉だと思う」

 

 無言のままジューダスを連れて、橋の支柱から離れる。

 絶壁沿いを進み、人気がなくなったところでフィオレは振り返った。

 

「ちょっと指環を外してみてください」

 

 クレスタでのあの夜以降、念話訓練もあって彼は銀環を自らの指に着けっぱなしだった。

 フィオレの指導を基に、折を見てシャルティエとの意思疎通に挑戦しているが、どこまで結果が上がっているのかは知らない。

 外したその状態でも声が聞こえるかを尋ね、それが否であることを確かめ。

 フィオレの中で一つの結論が出た。

 

「多分、あなたが聞いたのはシルフィスティアの声だと思います」

「シルフィス……?」

「風の守護者が名乗った名です。現在私は彼らと意志を交わすことが出来なくて不思議に思っていたのですが、どうもトラブルが発生してるみたいですね」

 

 声が何を話しているのかわからない以上、それはただの推測でしかない。

 ただ、これまで指環をつけていたにも関わらず、今聞こえたということ、この辺りに強風が吹き荒れる……風の影響が非常に強いことを考えると、可能性は高い。

 

「風の守護者の声だというなら、何故お前に聞こえない」

「さあねー。もう私に協力する気が、ないのかもしれませんね」

 

 いぶかしげに尋ねるジューダスには悪いが、確実なことは何もわからない。

 とにかく、道は定まった。

 

「私はこれから谷に下りて、対岸へ移動しようと思います。ジューダスはどうしますか?」

「谷をだと!? ここから降りて、よじ登るのか」

「はい。もともと私の目的は彼らと接触することです。あなたがそれらしい声を聞いたということは、この辺りにいると思われます」

 

 おもむろに絶壁へ立ち、下を見下ろす。

 幸いなことに谷底まで岩や樹木が張り出ており、足場には事欠かない。

 突風、そして生息するであろう魔物に襲われれば危ういが、一応対策は立ててあった。

 

「結構危険ですんで、無理に付き合わなくてもいいですよ。ただ、その場合はここでお別れですが」

「途中で突風にあおられたり、登攀中魔物に襲われたらどうするつもりなんだ」

「突風はタイミングを計るしかないでしょう。魔物の襲撃は、デモンズランスをも凌いだ結界を張りましょうか」

 

 そして、登攀に挑戦する前に試したいことがある。

 深呼吸のち、意識を集中させ。フィオレはしっかりとチャネリングを発動させた。

 

『シルフィスティア。私達を風で包んでください』

 

 返事こそ得られないが、それまで好き勝手に吹き荒れていた風がまとまり、ふわりとフィオレの周囲を取り巻く。

 それは瞬く間に四散してしまうものの、例えば足を滑らせたところでクッションは用意してもらえるだろう。

 そして、これではっきりした。フィオレと守護者達との契約は、断たれていない。

 何かのトラブルで意志を通じ合わせること、併せて力を借りることが一時的にできなくなっているだけだ。

 ここは風の力が強く働いているから、多少は頼みを聞いてもらえるようだが……

 ジューダスの同行を確認し、降りやすそうなポイントを探していく。そこへ。

 

「おい。あれを使えば降りやすくなるんじゃないか?」

 

 ハーメンツヴァレーの登攀に挑戦すると決めた時点で、風にあおられやすいマントを荷袋に押し込んでいたジューダスが一点を指す。

 彼が指していたのは崖のあちこちに打ち込まれた楔で、目立つように取りつけられた飾りがひらひらと揺れていた。

 よくよく見てみればそれは眼で追えないほどの奈落まで続いている。誰かが登攀を試みた跡だろう。

 

「戦士よ勇壮たれ。鼓舞するは、勇ましき魂の選び手」

 ♪ Va Rey Ze Toe Nu Toe Luo Toe Qlor──

 

 途中で楔がないならまだしも、この先が魔物の巣窟に通じていないことを祈る。

 それは口にしないまま【第三音素譜歌】戦乙女の聖歌(バルキリーズ・ホーリーソング)を奏で、わずかではあるものの体を保護することに成功した。

 

「……奇跡は健在か」

「さ、行きましょうか」

 

 楔に足をかけ、きちんと自分の体重を支えてくれるということを確かめ、リズミカルに降りていく。

 あまり慎重に降りていく──ぐずぐずしていたらすぐ体力が底につくだろうとの判断だ。

 こんな本格的な登攀など子供の頃一度しただけで、命綱なしというのも初めてである。自信のない筋力の耐久性を考えての突貫だ。

 だから先に行くが、くれぐれも自分のペースは守って。焦って足を滑らせるならまだしも、落石だけは勘弁してくれ、とジューダスには事前に告げてある。

 大概が楔、時折木々や岸壁に足をかけ、大きく張り出た岩に腰を降ろしジューダスにも休憩を促しながら、何とかシルフィスティアに頼ることなく谷底へと降り立つ。

 普段使わない筋肉の酷使に、二人して滝汗を流しながらもフィオレは周囲を見回した。

 

「風が気持ちいいですね」

「……そうだな。登攀中に吹かれた時は、どうなる事かと思ったが」

 

 空中都市の残骸だろうか、明らかに違和感のある建築物の欠片がそこかしこに転がっている。

 同時に登攀に失敗した旅業者の末路か、布切れに包まれた白骨死体や持ち主不明の荷物やらが点々と見受けられた。

 これまでの行程、魔物に襲われては結界を発動させ、ジューダスの詠唱時間を稼ぎ撃退するという手法を繰り返していたために予想できなかったわけではないが……無惨なものだ。

 

『ねえ、坊ちゃん。そこらの荷袋漁ったら、ロープの一本も手に入らないでしょうか』

「……お前は僕に、死人の荷物を漁れというのか」

『だって、二人して命綱もなしに崖下りなんて危険すぎますよ!』

 

 ジューダスが突如独り言を呟く珍風景。

 これをさらしているということは、訓練の方はあまりうまくいっていないのだろうか。

 シャルティエの気持ちがわからないわけでもないが、死人の荷物を漁るどころか使えなど、普通の感覚で言うなら死者に対する冒涜でしかない。

 彼は、正確には彼の人格の持ち主は元軍人だから、気が弱そうな発言が多くても合理的な考え方が身についているのだろうが……

 

「二人とも、お静かに。誰かいます」

 

 シャルティエのお小言に憮然としていたジューダスが、真面目な顔で周囲の気配を探るのを制して、フィオレは前方を指差した。

 一際大きな空中都市の残骸、そのすぐ傍に人影が三つほど見受けられる。

 しかしそれ以外ははっきりしない。

 ジューダスを伴って慎重に進む内、詳細ははっきりしてきた。

 

 四方に跳ねている金髪の少年と、灰色がかった銀髪を逆立てた青年──カイルとロニ。

 彼らが対峙するのは、一人の少女だった。

 

 うなじがのぞく短めの髪は瑞々しい枝色で、トンボ玉のような髪飾りが揺れている。つぶらな瞳は髪と同じ色で、遠目から見ても至極愛らしい。

 華奢で小柄な体は淡い桜色の、フリル飾りもさりげないネグリジェのようなワンピースに包まれている。むき出しの鎖骨には今まさに、レンズのペンダントが装着された。

 何かやりとりをしているようだが──少年たちの様子はともかくとして、少女の表情はおよそ知り合いと接するものではない。

 何かしらの言葉を交わし、少女が少年たちにおずおずと頭を下げる。

 それに対して金髪の少年は頭をかきながらも、何かを告げるも少女はちら、と首元のペンダントに目をやってかぶりを振った。

 

「……やっぱり、違う」

「え、何?」

「拾ってくれたことには、お礼を言います」

 

 彼らが話す最中にも、フィオレはすたすたと彼らに近寄っている。

 会話はどんどん、フィオレの耳にも届き始めていた。

 少女の声は声質の可憐さとは裏腹に、感情味がない。

 冷たいというよりは焦っているような。そんな感じすら取れる。

 

「でも……もうわたしには関わらないで。それじゃ」

「こんにちは、カイル、ロニ」

 

 少女が踵を返したところで、フィオレはずんずんと彼らに歩み寄った。

 聞きとれた会話の内容からして、彼らは少女の落し物を偶然拾い、届けたらしい。が、二人は少女のたいおうがお気に召さなかったようだ。

 カイルはともかくとして、ロニなど途中からマトモに顔をしかめている。

 見も知らぬ少女だが、知っている人間が無駄な暴力を振るう姿を見たいわけではない。

 荒事を看過するものなんだと、少女が踵を返した瞬間姿を見せたのだが。

 その直後覚えた疼きに、フィオレは軽く眉をしかめた。

 

「……お前、空気の読み方くらい覚えたほうがいいぞ」

「フィオレ、だよね。ジューダスも! 二人も谷を降りてきたの?」

 

 呆れるジューダス、再会を純粋に喜ぶカイル、そしておそらくは二人の接近に気付けなかったことを不覚と思っているだろう、苦い顔をしているロニ。

 少女に対する不満を一時的に忘れたであろう二人を現実に引き戻したのは、他ならぬ少女本人だった。

 

「……見つけた……」

 

 呆然としたような少女の呟きが、一同の視線を集める。

 すでに去ったとばかり思われた少女の視線はただ一人、いぶかしげに自分の左手を見るフィオレに注がれていた。

 

「見つけた、わたしの英雄!」

「えぇっ!?」

 

 いきなり英雄扱いされ、驚愕するフィオレを少女は気遣う様子はない。

 まるで子犬のように駆け寄り、歓喜と不安に揺れる瞳を向けてくる。

 

「突然こんなことを言い出してごめんなさい。だけど、わたしには時間がないんです。教えてください、どうすればこの世界の人たちを……」

「ま、待った待った」

 

 矢継ぎ早にまくし立て、何かを尋ねようとする少女をとりあえず押し留めた。

 カイルの話では、彼女は英雄を探していた。

 その目的がこの質問であったとしたら、答えるはおろか聞くこともできない。

 フィオレは彼女の、どころか、そもそも英雄ですらないのだから。

 

「その前に。何故あなたは私を英雄と呼ぶのですか? この世界において英雄と呼ばれる人物といえば、十八年前に神の眼を破壊し、世界に空を取り戻した人物達に他ならないのでは? もともとはセインガルド兵士志望だったカイルの父スタン・エルロン。悪名高く、やんちゃなレンズハンターだったルーティ・カトレット。アタモニ神団司祭にして神の眼の封印を実際に解いたとされるフィリア・フィリス。神の眼関連の事件により当時のファンダリア国王にして実の父を失ったウッドロウ・ケルヴィン。違いますか?」

 

 真剣に少女を諭しにかかるそこに。

 何故かロニの横槍が入った。

 

「おいおい、フィオレ。肝心な人を忘れてるぜ」

「え? ……ああ、ルーティ・カトレットの親友にして戦友、ファンダリアでの事件にて戦線を離脱したマリー・エージェント」

「違う!」

「えー……フィッツガルド闘技場覇者、己の肉体こそ最大の武器と豪語するマイティ・コングマン」

「違うって!」

「……アクアヴェイル公国シデン領領主が三男坊、やんごとなき生まれでありながら道化を演じていたジョニー・シデン」

「ちっがーう!」

「あ、わかりました。か弱き少女の身でありながら常にウッドロウ・ケルヴィンに付き従っていた、弓匠と呼ばれし人物の孫娘、チェルシー・トーンですね」

「お前それだけ詳しいのになんであの人だけ外すんだよ! 絶対わざとだろそれ!」

「……あなたがおっしゃりたい人物が誰なのか、一応検討はつきますけれども。英雄、ですか?」

「ったりまえだろうが! あの人が……フィオレシア・ネフィリム様がいなけりゃ、スタンさんは裏切り者リオンと共に海の藻屑になってたって話じゃねえか。そしてスタンさんは、仲間の死を乗り越えて英雄と呼ばれるようになった。世界を救った四英雄として数えられてはいないものの、あの人も英雄の一柱として数えるべきだって主張する奴は結構いるんだぜ」

 

 誰だそれは。

 とりあえず、フィオレはそれだけ思った。

 

「ロニはフィオレシアのファンだもんねー。実際に会ったこともあるって、オレ何回も聞かされてるんだぜ」

「まあな。まったく、せっかくその名にちなんでるんだから、無視しなくても……」

「そんな与太話はさておいてですね。私は彼らのような偉業を成し遂げたわけではありません。何をもって私を英雄と呼ぶのですか?」

「それは……」

 

 少女が言い淀んだ、そのときを狙ってなのかもしれない。

 不意に吹き荒れた一陣の風が、フィオレがしっかり被っていたはずのキャスケットをあっさりと吹き飛ばした。

 

「あっ!」

 

 実に絶妙なタイミングにいぶかりながら、それでも助かったという思いを抱えつつ風にさらわれたキャスケットを追う。

 素顔がどうとか、もちろん気にしていない。

 

「あの馬鹿! まったく世話のやける……!」

「待って、わたしの英雄!」

「あ、君!」

「おい、カイル! 足元危ねえぞ!」

 

 その背中にどんどん人が続いたのは、フィオレの預かり知らぬことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八戦——攫われたキャスケットを追って~久しぶり、シルフィスティア

 ハーメンツヴァレー内。
 前作にて神の眼と対峙した際、度々話しかけてきた「彼女」の正体が明らかに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風に舞い上げられたキャスケットは、まるで操られでもしているかのようになかなか地面へ落ちてこなかった。

 決して見失うほどでも、追うのをあきらめるほど遠くへ吹き飛ばされたわけでもない。

 だからこそ、フィオレは怒りを込めてチャネリングを起動した。

 

『シルフィスティア、あなたの仕業なのでしょう!? ふざけてないで、姿を現しなさい!』

 

 しかし返事はなく、キャスケットは手の届かない中空にふんわりと舞っている。

 今はキャスケットで目元を覆っているため、わざわざ狭い視界を更に狭くすることもないだろうと、眼帯もしていない。

 誰に見られたところでいきなり正体がばれることもなかろうが、妙に焦る思いを抱えてキャスケットを追う。

 その内、中空のキャスケットはどんどん高度を下げ、ついには岩山の乱立する付近へと落ちた。

 それを確認し、フィオレの全力疾走に唯一ついてきたジューダスに手ぶりで行き先を示し、検討をつけて入り組んだ岩山に入り込む。

 誰かの手によって運ばれるようにキャスケットが行きついた先は、岩山に埋まるように存在する遺跡じみた東屋だった。

 東屋といえど、その空間はノイシュタットの闘技場ばりに広い。

 空中都市落下の衝撃が原因だろう。あちこちが見る影もなく破壊されているが、唯一中央の石碑が無傷で残っている。

 

「……ここは……」

『よかった。来て、くれた』

 

 キャスケットを拾い上げ、唐突に声を聞く。

 脳裏に響くような音なき声にして、この声には聞き覚えがあった。

 

『シルフィスティア、ですね。ご無沙汰とご挨拶するべきですか? どうして今の今まで……』

『気をつけて、フィオレ! ボクも話さなきゃいけないことが山ほどあるけど、それどころじゃない!』

 

 シルフィスティアの悲鳴じみた警告の後に、広大な東屋が震動する。

 まさか崩れるのかと身構えた、その時。

 

「おい。守護者とやらとおしゃべりしている場合じゃないぞ」

 

 仮面をかぶったその時から、太刀筋でリオンと知られないためなのか。出会ってから今に至るまで双剣を手にしたジューダスが姿を見せた。

 双剣といえども、片や細身の剣、片や短剣という特異な……少なくともそういった剣技の使い手をフィオレは知らない。

 前に心得はあるのかと尋ねたが完全に我流であるらしく、これまで得た剣技を一切捨てているため、はっきり言って稚拙で、たどたどしい。

 それでも道中、問題なく戦闘をこなしてきたのは、やはり生来の素質にあるのだろう。

 ジューダスの言葉に一瞬思考し、フィオレは合点がいったように手を打った。

 

「そうか。それをつけてるから、聴くことができるんですね。で、何がありました」

「自分の眼で確かめろ」

 

 促され、東屋から外を覗く。

 未だ、時折激しい震動に襲われる東屋を攻撃しているのは、見上げるほどに巨大な竜の姿だった。

 硬殻に覆われた翼が動くたび強風を引き起こし、東屋を震動させている。

 更に周囲の岩石が強風によって吹き飛ばされ、東屋の屋根を直撃しているのが現状だ。

 

『シルフィスティア……明らかにあなたの聖域狙いですが、あんなのに一体何を』

『何もしてないよ! っていうか、今狙われているのはフィオレだから!』

 

 やけにきっぱり言い切るあたり、守護者は現状を把握していると見た。

 そこで詳細を尋ねるも、彼女は語ってくれない。

 

『悠長にお話ししてる場合じゃないよ。早くどうにかしなきゃ、また圧死……あっ』

『……死因についてなら自覚してます。やっぱり私を十八年前の世界から現代に蘇生させたのは、あなたたちの仕業なんですね』

 

 相変わらず震動が響く中、シルフィスティアの沈黙を答えとして受け取る。

 限界まで彼女への追及を緩める気はなかった。少なくとも、この問題に対して妥協する気は一切ない。

 

『一体どういうつもりなんですか。いきなり右も左もわからない世界に放り込んでおいて、あまつさえ知らんぷりなんて! 比較的すぐジューダスに……事情が同じ人間に出会えたからよかったものの』

『フィオレ、お願い。落ち着いて、冷静になって、ボクの話を聞いて。それには理由がある。きちんと説明するから。だからまず、安全の確保を……』

 

 まるで幼児に噛んで言い含めるかのような物言いをされて、フィオレは自分がどれだけ怒り狂っているように見えているのかを把握した。

 元から冷静のつもりだったからこそチャネリングを使っているのだから、チャネリングを使っているからこそ感情も色濃く伝わるのだろう。

 それを証明するかのように、フィオレはとある指摘を口にした。

 

『あなたの本体はここにあり、ここに聖域が存在するのです。あなたはあんなチンケなドラゴンに、自らの聖域の破壊を許すので?』

 

 自由奔放な風を統括する守護者にしては何とも情けない話である。

 そもそもここが聖域だとわかっているからこそ、フィオレは安心してシルフィスティアに話しかけているのだが。

 

『チンケって、風の眷族の中では最強種なんだけど……』

『風の守護者たるあなたが、どうして従える眷族に攻撃を許すのです』

『だ……だって』

『でももだってもありません。それとも何か? 私を蘇生するのに力を使い過ぎて、自らを守ることも叶わないのですか?』

『うーん……結構ニアピン。フィオレって本当、勘がいいよね』

 

 思わぬ肯定に、思わず返す言葉が出てこない。

 まるで畳みかけるように、シルフィスティアの告白が続いた。

 

『実は今、僕達守護者と敵対する勢力があるんだよ。彼らに対抗する手段として、僕たちはフィオレを選んだ。でもフィオレの蘇生に力を使いすぎちゃったみたいでさ。彼らが本格的に活動を開始する時期はわかったから、それまでに回復しようってそれぞれ司る自然の管理を眷族に任せて、ボクらは眠りについた……んだけど』

『だ、だけど?』

『完全に力を取り戻す前に、眷族たちがたぶらかされちゃったみたいで。僕達本体の宿る依代呑まれて、吸収されちゃった』

 

 実にあっけらかんと経緯を語るシルフィスティアに、開いた口が塞がらない。

 それはいくらなんでも情けなさすぎないか、それだけ敵対勢力の実力は守護者に匹敵しているのか。

 

『その……他の守護者達も、同様に?』

『わからないよ。こんな状態じゃ皆と連絡とれないし、フィオレの声は聞こえてもこっちからの言葉は届かないし……ここまで来てくれて本当によかった。ここいらならボクの聖域だから、まだ力が及ぶんだよ』

 

 それに関してはジューダスに感謝しなければならない。

 彼の言葉さえなければ、フィオレはあっさり迂回路を探していた。

 そこで発生した問題を、彼女に尋ねようとして。

 

『それでね、フィオレ。落ち着いてくれたところで、そろそろどうにかしてくれると嬉しいかなって……』

『……助けた暁には、山程質問に答えてもらいますからね』

 

 震動は相変わらず、断続的に聖域を揺るがす。ジューダスへ視線をやれば、彼は納得済みという顔で頷いた。

 

「あの怪物を倒せばいいんだな?」

「そうなんですけど、ジューダス。手を出さないで頂けますか?」

 

 クレスタではジューダスの出現により買い損ね、彼が嫌がったがためにダリルシェイドには寄ってすらいない。

 そのため、現在のフィオレには自衛手段はあっても積極的に攻撃する手段はなく、道中の交戦は大抵ジューダスに任せていた。

 フィオレがしていたことと言えば自衛、あるいはシャルティエを借りての援護である。

 

「シャルを貸せばいいのか」

「いえ。殺されそうになったら助けてください」

 

 紫電が手元にない今、専らフィオレを悩ませるのは交戦技術の衰えである。

 薄ぼんやりとしか正体のわからないあの男とは、再び(まみ)えることになるだろう。

 その時までに確実に撃退する術を用意しておかなければならない。今度は、意識を失わずに済む策を。

 紫電のような武器を手に入れるのが最も近道だが、あんな業物早々お目にはかかれないだろう。

 ならば、手持ちの武器でどうにかするよりほかならない。

 

「ここで待機していてくださいな。では」

 

 呼びとめるジューダスの声を無視、東屋から外へ出てコンタミネーションを発動させる。

 あんな硬そうな外殻のドラゴン、シャルティエのように「斬る」ことに特化した剣では多少手間取るだろう。

 フィオレにとってけして軽くはないこの魔剣の重さを利用し、「殴る」あるいは「叩きつける」、そして「断ち切る」必要がある。

 ともあれ、一人東屋から出てきたフィオレを、シルフィスティアの眷族とやらである飛竜は見逃さなかった。

 

『依代を呑みこまれたって、体内にいるんですよね? なら腹をかっさばいて取りだします。何か異論は?』

『その必要はないよ。レンズ呑まされて凶暴になってるだけだから、普通に倒せばそれで十分』

 

 ……どうでもいいが、留守を任せるまでに信用していたであろう自分の下僕(しもべ)にたいしてクールなものである。

 それをつついて得た内容に、フィオレは頷かざるをえなかった。

 

『負けたらそれまで、実体がなくなるだけだよ。僕達にはそもそも、命と呼ばれるものはない』

 

 四方八方から吹き荒れる風の直撃を受けないよう、半身になってどうにか接近していく。

 すでにフィオレの存在に気付いている飛竜は唸りを上げて、巨大な翼を無茶苦茶に振り回した。

 途端乱気流が発生し、それまで風で削られていた岸壁や、自生する僅かな草木が激しく揺れる。

 

「天空を踊りし雨の友よ。我が敵をその眼で見据え、紫電の槌を振り下ろさん……」

 

 当然近付くこともままならない。

 が……この豊富な風の気配を前に、攻撃方法が思いつかないわけもなく。

 

「インディグネイト・ヴォルテックス!」

 濃厚な第三音素(サードフォニム)をレンズに蓄え、譜術を発動させる。

 発生した雷乱舞は飛竜を包みこみ、その巨体をなぶった。

 外殻のせいで黒焦げにこそできないが、代わりに一時的な麻痺が発生したらしい。

 巨体は羽ばたきをやめて地面に降り立った。

 倒れこむことこそないが、半開きの口から煙を漏らす程度で動こうとしない。

 

「弧月閃っ、白虎宵閃牙! 虎牙破斬、虎牙連斬!」

 

 月の幻影を二度──否、四度斬りつけ、虎が獲物を噛み砕くが如く上下に幾度も斬り上げ、斬り下げた。

 

「崩襲脚、飛燕瞬連斬っ!」

 

 その衝撃で地面に叩きつけられた頭を、跳躍した上で踏み潰し、更に後ろへ回り込んで、空を駆け上がるように蹴りを含めた連撃を打ち込んでいく。

 動けなくなったところで容赦ない連続攻撃を受け、飛竜は再び動けるようになる前に力なく倒れ伏した。

 細かな痙攣がやみ、見開いていた眼から光が消える。

 次の瞬間巨体は消え失せ、残ったのは拳大のレンズと小さなピンバッジだった。

 

『ありがとー、フィオレ。助かったー』

『どういたしまして。それで依代とは、このレンズのことですか?』

『ううん。それはボクの眷族が取りこんでいたもの。ボクはこっち』

 

 告げるなり、ピンバッジを彩る輝石が煌めく。

 レンズではない透明な輝石は、どことなくフリーズダイヤに似ていた。

 

『じゃ、約束通り。まずはボクの聖域に』

 

 とにかく、風の眷族を惑わせ、豊富な第三音素(サードフォニム)を蓄えたレンズを回収しピンバッジを拾い上げる。

 ずきずきと痛む腕をかばいつつ東屋の中から様子を見ていたジューダスに事情を話し、石碑のくぼみにピンバッジを奉納した。

 直後、光が零れたかと思うとシルフィスティアの姿が現れる。

 金の髪をふたつにくくる、愛らしい少女の姿に変わりはない。

 

「これが……風の守護者!?」

『えらくちまっこいんですね。僕はもっと、仰々しい姿だとばかり』

『ボクがどんな姿だって別にいいでしょ。まあ、改めて……ありがと、フィオレ。おかげで助かったよ』

 

 言葉にこそ出さないが、礼の言葉など心底どーでもいい。

 今フィオレが切実にほしいのは情報。ただそれに尽きる。

 

『早速ですが、まず尋ねたいのはこれです。……神の眼は今、どうなっていますか?』

『言いにくいけど、とっくに破壊されたよ。十八年前、あなたの仲間たちによって』

 

 ──足元の地面が急に消え失せ、自分の体が際限なく落ちていく。そんな気がした。

 薄々わかっていたことだが、守護者の口からはっきり言われるとやはり違う。

 感情をそのまま彼女にぶつけることを自制できたのは、一重にジューダスとシャルティエがこの場にいたからだ。

 

「……では、もう。私には、あなた方と契約を結ぶ意味は、なくなりました」

 

 明かされた事実を前に、今度こそチャネリングを使う理性もなく肉声が零れる。

 震える声がそのまま契約破棄を告げようとして、割り込まれた。

 

『フィオレ、落ち着いて。ボクの話を聞いて。神の眼がなくとも、あなたの望みを叶える手段はある』

 

 うつむきがちだった顔がパッと上がり、キャスケットの奥の眼がシルフィスティアを必死に見つめる。

 どういうことなのか、詳細を尋ねようとして。

 フィオレはシルフィスティアの視線があらぬ方向へ向いているのに気がついた。

 

『ところでね、フィオレ。さっきの話から察するに、彼の事情は知っているんだよね』

 

 シルフィスティアが視線で指すのは、先ほどから会話に入ることもままならず居心地悪そうにしているジューダスである。

 彼女の問いを肯定するには、情報が足りない。

 

『私が知っているのは、彼が私と同じ経緯でここにいる、ということだけです。それ以外は知りません』

『──そっか。ならここからは、内緒話したいな』

 

 確かにフィオレとて、あまり他者に聞いていてほしい内容ではない。

 ジューダスに近寄り、おもむろに指環を奪って懐に放り込む。

 彼からの抗議は無視して、フィオレはシルフィスティアの言葉に耳を傾けた。

 

『薄々気づいてると思うけど、彼は敵対勢力に属する者だよ。僕達が君を蘇生させたように、あちらも人を蘇らせた……敵意は感じられないけど、何か目的があるのかもしれない。間者かもしれないし』

『だとしたら、私があなたの元に来ることはなかったと思います。私が今ここに居るのは、ジューダスの言葉があってこそ』

 

 驚くシルフィスティアに経緯を伝え、そしてフィオレは更なる質問を口にした。

 もしかしたら彼は知らぬ間に泳がされているのかもしれないが、守護者達と敵対勢力の対立など今はどうでもいい。

 

『それで。神の眼なしに私の望みを叶えるとは、どういうことですか?』

『……それを話すにはまず、ボクらの望みを知ってもらわないといけない気がする』

 

 そういえば、最初に接触した守護者──シルフィスティアは言っていた。

 歪む運命にある世界を、なんたらかんたら。

 

『もともとボクらは、ボクらの見守る世界がある存在によって歪められることを知っていた。フィオレが神の眼と呼ぶ存在──「アタモニ」の持つ未来視によってね』

『ア、アタモニって……』

『人の言葉で「唯一神」って意味なんでしょ。表舞台から神の眼──彼女を隠すために生まれた神様らしいじゃん。それに、ずぅっと昔隕石と共に訪れた彼女はそう呼ぶにふさわしい力を持っていた。ボクらと敵対するのではなく、共生を選んだしね』

 

 以前アイルツ司教が、神の眼をアタモニのご神体だと言っていたが、まさか本当だったとは。

 フィオレの戸惑いを余所に、シルフィスティアの話は続いた。

 

『その、ある存在こそがボクらと敵対──というか、あっちが一方的に嫌ってるんだけど──対立する勢力のリーダーだよ。ボクらとしては彼らの目的を邪魔する理由こそないけど、その手段はとても看過できるものじゃなかったから』

『その目的に、手段って』

『目的は、全人類の絶対幸福。手段はそれを、自らの手で行うということ。強大な存在が人と深く関わることを良しとしないボクらはその事態を危惧し、回避するために代行者を選定した。この世界と関わりを持たず、アタモニが選んだ「未来視を可能とする人間」──フィオレを。最も君は、彼女の思惑に反して一度たりとも使ってくれなかったけど』

 

 これまで謎だった事柄が、どんどん明らかになっていく。

 興奮せざるをえない内心を静めるためにも、フィオレは今一度内容を整理した。

 まずこの世界に招かれた理由が、将来起こりえる事態を防ぐことだった。

 未来視──預言(スコア)を詠めるなら、「アタモニ」や守護者達の考えに同調してくれると思ったのだろう。

 

『ボクらが回避したかったこの事態は、これから大体十年後に起こることなんだ。そもそもの発端が十八年前に起こったことだから、本当はそこから何とかしてほしかったけど……まさか彼らの真似して、時を渡るわけにもいかないし』

『時を渡る!?』

『うん。彼らが持つ力は本当に、人間で言う「神様」に近いよ。時空転移、蘇生、不治の病を癒す奇跡まで何でもござれって感じ。今もその力をフルに使って、この時代にも干渉してる』

 

 話を聞けば聞くほど、ジューダスを蘇らせたと思しきエルレインの存在と合致する。

 明らかとなった事柄をひとつひとつ整合させながら、質問するべき内容を厳選する。

 興味本位で色々尋ねたら、頭がパンクするだろう。

 

『その……回避したい事態の発現から十年前に私が放り込まれたということは、今からそれの妨害工作をしろ、ということですか?』

『それもあるけど、先に皆の……他の守護者達の安否を確認してほしい。さっきから連絡してるけど全然反応がないから、多分ボクと同じような状態になってるんじゃないかなあ』

 

 彼ら専用の道はどうなったと尋ねても、管理している守護者「アーステッパー」が音信不通につき状況はさっぱりわからないとのこと。

 流石に渋い顔を隠せないフィオレに、シルフィスティアは機嫌を取るかのようなフォローをした。

 

『ま、まあ皆腐っても守護者だし、フィオレにどうにかできないことはないよ! それにこれからは、ボクもついていくからさ!』

『え?』

 

 以前は動けないようなことを言っていたのに、これはどういう風の吹きまわしなのか。

 風だけに、まさか彼女の気まぐれということもあるまい。

 それを尋ねれば、彼女は肩をすくめて見せた。

 

『動けないっていうのは、聖域がきちんと機能していた時の話。もう大分破壊されて、この谷でも風は勝手に吹き荒れてるし、この場所に居座り続けていても大した意味はないんだよ』

『ついていくって、どうやって』

『それは簡単。フィオレがそれを身につけてくれればいいんだよ』

 

 シルフィスティアはびし、と己の依代──ピンバッジを指差している。

 全力でお断りしたい心持ちだったが、彼女の言葉にそれはあきらめた。

 

『ちなみにね。ここに置いて行かれたら、ボクはまた同じ目に遭うと思う。もう眷族をたぶらかされることはないだろうけど、まだ完全に力を取り戻したわけじゃないから。変なの寄越されたら、抵抗できないと思う』

『……これを、身につければいいんですね』

『うん! よろしくー!』

 

 シルフィスティアの姿がかき消え、石碑に奉納されていたピンバッジが光る。

 材質不明、蝶の土台にフリーズダイヤに似た輝石がはめこまれたバッジを外したキャスケットに取りつけた。

 

『これでいいんですか?』

『うん。ほとんど寝てると思うけど、求められれば力を貸すから!』

 

 言われなくてもそうするつもりである。

 ともかく、大体の事情はわかった。無作為に守護者の聖域を探していたことを考えると気楽なものである。

 一息ついて、フィオレは唐突にジューダスのことを思い出した。

 彼はまるでむくれたように東屋の入り口へ顔を向けている。

 

「ジューダス。拗ねてないで私の話を聞いてください」

「別に拗ねてなんかない。それで、守護者との内緒話とやらは済んだのか」

 

 それなりに長い時間話していたせいか、彼は取り出していたシャルティエを再び漆黒の布に包んで背中に収めていた。

 懐に放り込んでいたせいで生温かい指環を返し、当たり障りのない報告をする。

 

「私の目的は果たされました。次はファンダリア……いえ、知識の塔へ行きます」

「なら、アイグレッテだな。知識の塔に果たして一般人が入れるかはわからんが……」

 

 アイグレッテとやらへ行くには、このハーメンツヴァレーを超える必要があるのだという。

 降りるだけでも大変だったあの絶壁を、今度は登れというのか。

 目的が果たせた以上、一ミリたりとも努力をする気がないフィオレは早速シルフィスティアの力を借りることにした。

 東屋を出で、来た道を戻り、対岸へ続く壁のような崖の前に立つ。

 そして自分たちを運んでもらおうと頼もうとして。

 

『あのさ、フィオレ』

 

 緩やかにして小さな羽ばたきを耳にして、振り返った。

 真後ろに対空していたのは、手のひらに乗るほど小さな飛竜である。

 敵意があるようには見えないし、あったとしても両手で叩き殺せるほど儚い。

 

『何か御用ですか』

『そのコね、君がさっきぼっこぼこにしたボクの眷族。我を忘れていたとはいえ、悪いのは自分だから謝りたいって』

 

 まるでその言葉を肯定するように、小さな飛竜は、くぁ、と鳴いた。

 表情こそわからないが、つぶらな翠の瞳は愛らしい。

 

『それでね。お詫びといってはなんだけど、さっきのレンズを使わせてくれれば目的地まで運ぶって。また凶暴化なんてさせないよ。今度はボクが、きっちり手綱を取るから』

 

 ちら、とジューダスを見やり、彼に文句がないことを確かめて。

 フィオレは回収したレンズを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※アタモニ=唯一神、という作中の記述は創作です。アタモニという名称は、キャラクターデザインのいのまた先生のアナグラム。でも、そんなに見当違いでもないと思っています。


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第九戦——ストレイライズ今昔~聖都と聖女

 アイグレッテ到達。
 また同室になってる……しかし最早、まったくこれっぽっちもキニシナイ二人。色気のかけらもありゃしない。
 そんなことはさておき、作中では「輝きの聖女」と称されるエルレイン。
 ちらっとお目見えです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬く間に巨竜へと姿を変えた飛竜の背に揺られ、あっという間にハーメンツヴァレーを後にする。

 人気のない海岸に降ろしてもらい、眼前のアイグレッテ、その奥にそびえるストレイライズ神殿を前に、フィオレは気になっていたことを尋ねた。

 

「ジューダス、その……三半規管に異変は?」

「別に酔ってない。変な気は回すな」

「わかりました。ところで今、知識の塔に一般人は入れないのですか?」

「……長が違う人間になったからな。階級ひとつ取っても、大司教や司教という地位は消えた。ストレイライズ大神殿も十八年前の騒乱をきっかけに大規模な改築がなされている。大神殿の敷地内にある知識の塔へ、信者でもない人間が立ち入れない可能性が高い」

 

 この後、フィオレは彼の推測が正しかったことを知る。

 聖都と称されるアイグレッテは、クレスタやダリルシェイドとはうって変わって賑やかな街だった。

 決して歴史ある街とはいえないのに、それだけ神殿に訪れる人々が多いということなのか。

 

「元は壊滅したハーメンツ、アルメイダの住民がストレイライズ神殿を頼って、その保護に困った神殿が集落の作成を許可したのが発端だ。都市として機能しなくなったダリルシェイドから流れてきた人々も集い、更に他国の人間も押し寄せ……最終的にこうなった」

「その割にはごちゃごちゃしていませんね」

「神殿が管理しているからな。元は神殿の土地だった森を開いて更地にし、これまでにも区画整理が行われているだろう」

 

 つまるところ、この街のどこかでフィオレは倒れていたことになるのか。

 ハーメンツヴァレーからおよそ一日──驚異的な早さでアイグレッテに到達した二人は、さっそく知識の塔へ入れないかを試みた。だが。

 

「信者であったとしても、一般人は礼拝の日以外入れないぞ」

「神殿に入れずとも、知識の塔で探したい文献があるのですが」

「知識の塔は神殿の敷地内にある。同じことだ。最も、顔を隠すような輩を通すわけにはいかんが」

 

 考えてみれば尤もな話である。

 見切りをつけて、フィオレはあっさりと改装工事中らしいストレイライズ大神殿へ通じる大扉から離れた。

 広場を抜けて、港に通じるという道の手前に休憩所があるのを見て立ち寄る。

 話すだけなら道端に立ち止まればいいものの、行き交う人が多すぎて立ち話も迷惑になってしまいそうだから人ごみは怖い。

 

「予想通り入ることはかなわなかったが、どうする? あの程度の連中なら、お布施と称してレンズをちらつかせればあるいは……」

「……いえ、それは最終手段にしましょう。どの道顔はさらせません。しばらくはこの街に留まりたいと思います。私はあなたのようにこの世界について詳しくありませんから、とりあえずは世界の情勢について認識していこうかと」

 

 そして、ジューダスやあのバルバトスとかいう巨漢を蘇らせたという「エルレイン」についての情報もほしい。

 守護者達が眠っていたとはいえ、彼らの力を封じた「敵対勢力」のことは把握してしかるべきだ。

 目的が決まれば、行動もすぐ決まる。

 巡礼者や観光客向けにだろう、無数に建つ宿屋をいくつも回り、ようやくツインの部屋を三日ほど確保することに成功した。

 残念ながら宿としては一人でも多くの客を入れたいため、こちらの要望を通すには倍ほどの追加料金が発生するのだ。

 

「……ぼったくりもいいところだ」

「出そうと思えば出せますけど、節約はするにこしたことはありませんからね」

 

 オベロン社がなくなってしまったために、レンズを換金する手段──恒常的に路銀を得る手段がなくなった。

 神殿に寄付すれば優先的に「奇跡」が施されるらしいが、今のところフィオレが望む奇跡は「生まれ故郷に帰る」こと。施せるとも思っていないし、仮に可能だったとしても、守護者達との約束を今更反故することはできない。

 最後にジルクリスト邸に寄った際、スノーフリアで失った巨額の路銀を補充しようと「隻眼の歌姫」に贈られた大量の宝飾品を持ち出している。換金すれば金銭的に困ることはない。

 色々あって疲れたから休む、というジューダスと別れて、フィオレは早速街へと繰り出した。

 昼間の内に大通りはもちろんのこと、路地もくまなく歩き回り。時に怪しげな露天の居並ぶ裏通り、更には施しを受けられない巡礼者の果てであろう人々がたむろするその場所を通り抜けて、街の地理をくまなく知る。

 やがて陽が落ち、グランドバザールと呼ばれる区画の店が順々に店じまいを始める頃。適当な居酒屋などを巡る予定だったフィオレは、見事にその予定を潰された。

 流石聖都と呼ばれるだけであるのか、アイグレッテには夜遊びをするような歓楽街がない。

 フィオレが初めてこの街に訪れたせい、というのもあるだろうが、それでもたったの三軒しか見つけることができなかった。

 出来ることはしておこうと、店内に入ってみるも、酒類の品揃えは街の規模と比較してひどい。

 お上りさんの風情を漂わせて尋ねれば、アイグレッテは治安を乱す要素を毛嫌いする風習があるのだという。

 酒を飲んで犯罪や暴力事件を犯した輩に酒類を提供した店はあっという間に潰され、今では店主が把握しているだけでも五軒ほどしか営業が許可されていないらしい。

 

「だから、ウチはお客さんでも出すのは三杯だけって決まってるんだ。ボトルも、自宅で悪酔いされても困るから販売してない」

 

 人もまばらな店内、カウンターを陣取って適当に注文していたフィオレは、その一言で次の店に移るきっかけができた。

 所在が分かった三軒、更に店主から聞き出した他二軒を回ってみるも結果は変わらず。

 どこも廃業を恐れて、店側から「節度ある飲酒量」を設定しているらしい。

 通りで、度数の低い混酒(カクテル)ばかり扱っているわけだ。

 

「お客さん、もう呑んでるね? 悪いけど、一杯しか出せないよ」

 

 これを皮切りに、アイグレッテに関する光と影の部分が見え始めた。そして、「輝きの聖女」と呼ばれるエルレインの存在も。

 ストレイライズ大神殿の膝元、ダリルシェイドに代わる旧セインガルド地方最大の都市。

 主都と呼んでも違和感なきその在り様は、栄華を極めていると称していいだろう。

 人々の交流は活発で、訪れる巡礼者たちによって地元の人々の生活は潤う。

 その巡礼者を送迎するシステムも神殿によって完備されているようだし、人々に信仰心があるせいで誰かが裕福になり過ぎるということもない。

 お布施によって富んだ神殿は、民間では着手しがたいサービス──巡礼者の送迎や聖都の教育、福祉などを行うことで還元している。

 まさに金は天下の回りもの、実に見事で、綺麗な経済がここには存在する。

 が、その恩恵が弱者に向けられることはない。

 くるくると順調に回る水車に何かを投げ込もうものなら途端に弾かれてしまうように、赤貧にあえぐ者達はただ放置されている。

 どれだけ敬虔な信者でも、見返りを期待する浅はかな「なんちゃって」信者でも、出すものさえ出せば神殿の扱いは同じ。

 というか、払えば払うほど厚遇されるシステムらしいのだ。

 神聖な神殿とはいえ、運営するは所詮人の子。

 弱者に救いの手を差し伸べないのは如何なものかと思っても、その姿勢にフィオレ個人からの文句はない。

 けして、正しい行い──本来神殿が行うべき事柄ではないとは思うが。

 そして、守護者の言う敵対勢力側に属するであろうエルレイン。

 彼女はジューダスが言っていた通り現在のアタモニ神団の長にして「輝きの聖女」と呼ばれている。

 人々の前で奇跡を発現し、信者獲得に一役も二役も買っているらしい。

 住民たちが彼女を賛美するその姿勢は実に熱狂的で、アタモニというかエルレイン本人が崇め奉られているような気がしてならない。

 彼女が起こす奇跡を大がかりな詐欺ではないか、と疑う旅人が数人いた気がするが、ほとんどは称賛するばかりだった。

 ジューダスが言っていた通り、実際に不治の病を癒してもらった人間もまた多くアイグレッテに移住しており、財産のほとんどを神殿に納めて慎ましい生活を送っているのだという。

 よもやそういった人々があのような浮浪者になっていくのではないかと調べてみたが、最低限の衣食住は神殿によって管理されているようだ。

 結局は、生来の不運でも人生の落後者でも、何も寄越さない弱者に施しは授けられないということか。

 権利を主張する前に義務を果たせ。その時初めて、権利を主張する資格が発生する。

 国に属する国民の場合は納税で、神殿が国として機能するここアイグレッテでは、お布施こそが義務となるのだろう。

 だからこそ、文句を言う権利などフィオレにはないのだが……あのフィリアがいる神団とは思えない世知辛さだ。

 神殿の在り方に対して関わりを持つことなく、グレバムが事件を起こす以前のように引きこもり……もとい、研究と祈りを捧げる日々を送っているだけなのかもしれないが。

 このように、アイグレッテという街に対して独自の解釈を深めていく最中の、知識の塔へ潜入できないかと調査は続けている。

 一応こっそりと神殿の敷地内に入り込む手段は見つけた。

 が、見張りの衛兵に巡回の衛兵というコンボではそうそう無茶はできない。

 たかだか文献調査に人殺しなど割に合わないし、フィリアと顔を合わせようものならそれこそ眼にも充てられない。

 例えば安息日だとか、衛兵を総動員するような事態が起これば話は別なのだが……

 などと思っていた矢先。その都合のよい出来事が発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある日の午後。

 酒類同様、争いを呼ぶ武具の種類も少ないこの街で、裏通りの怪しげな露天で新たな武器を求めるか、あるいはもう少し我慢するか。

 散策もせず部屋で物思いにふけっていたその時のこと。

 ふと窓の外が騒がしくなった。見やれば、眼下の広場に大勢の人々が集まりつつある。

 二人が取った宿は、アイグレッテ門前町と呼ばれる区画だ。中央に広場を、その奥にストレイライズ大神殿に通じる大扉が据えられている。

 当初は路銀節約のため最低ランクの宿を取ろうとしたところ、すでに満室だとのこと。

 そのため、広場を前にした高級ホテル、しかも見晴らしのいい上階のツインをあてがわれてしまったのだ。

 一体何が始まるのかと、観音開きの窓を開いて文字通り高見の見物を始める。

 窓を開いたその時、どよめく人々のざわめきが室内へとなだれ込み、シャルティエの手入れをしていたジューダスが顔をしかめた。

 

「……野次馬か。物好きだな」

「さっきから見てると、神団の騎士やら衛兵やらが出張ってきているんですよね。これはひょっとして、ひょっとすると……」

 

 フィオレが見つけた抜け道の先に佇む見張りも巡回の衛兵も、この騒ぎに駆り出されているかもしれない。

 興味津々で広場を見下ろすフィオレに何を思ったか、ジューダスはシャルティエを机に置いたかと思うと窓辺までやってきた。

 

「確かに、神殿の人間が出張ってきているな。これはおそらく奇跡の行使だろう」

「奇跡って、輝きの聖女のアレですか。信者ゲット大作戦」

「後は、詐欺ではないかと疑う連中を黙らせるため、そして十分な寄付を収めた不治の病を抱えた連中が一定数に達した時だな。おそらくはあの一団が、今回の患者たちだ」

 

 袖口から桃色のフリルがのぞくという、実に個性的な意匠が悪目立ちする腕が彼方を指す。

 少年の指の先には車椅子に座った少年に付き添う母親、白い杖を携えた老人に付き添う家族など、どこかしら不自由を抱えた人々が期待と不安を抱えた表情を浮かべて待機していた。

 やがてフィオレの予想とは反して、人々の待ち望んだ姿はアイグレッテ・グランドバザール方面から現れた。

 てっきり神殿の鐘をカランコロンと鳴らし、さながら生き神のように大扉の向こうから仰々しく現れるかと思っていたのだが。

 姿恰好も仰々しくはあるがそこまで華美なものでもないし、供も護衛らしい二人の騎士しか連れていない。どこかに出かけていたのだろうか。

 ざわめきがまるで、漣のように引いていく。

 群衆の眼前に姿を現したのは、想像以上に若く美しい女性だった。

 まるで稀代の名工が精魂こめて彫り上げた彫刻に、本当に魂を吹き込んだような印象である。

 鼻筋の通った顔立ちに切れ長の瞳。薄い栗色の髪は三つ編みにして腰の位置まで下がっており、洗うのにかなりの労力が必要と見た。

 引きずらざるを得ない、ぞろりとした裾の長い特殊な神官服に、透かし飾りも繊細な丈の長い帽子が揺れる。

 人々の前に進み出た聖女は厳かに何かを呟いた。

 

『この街の人々に、偉大なる神アタモニの祝福があらんことを……!』

 

 シルフィスティアの耳を借りれば、実に物静かな声音が脳裏に響く。

 途端、掲げた聖女の右手に輝きが灯り、それは収束したかと思うと圧力に耐えかねたように散った。

 光は患者一団を祝福するかのように降り注ぎ、そこかしこで歓声が上がる。

 

「おお、不思議じゃ! 三十年来見えんかったワシの眼に光が……!」

「わぁ~い、お母さん! ほらっ、ボク歩ける、歩けるよっ!」

 

 白い杖を捨て家族と抱き合う老人、おもむろに立ち上がってその場に跳ねてみせる車椅子の少年。

 他にも、担架に寝かされていた男性がむっくりと起き上がる、顔面に包帯を巻いていた女性がおもむろに顔をさらし、手鏡でまじまじと自分の顔を見る、など喜びの声は絶えない。

 

「どうだ? 奇跡を目の当たりにしての、感想は」

「アトワイトの上級晶術と一体何がどう違うのか、説明がほしいですね」

 

 残念ながら、フィオレにとって今しがたの奇跡は、奇跡の内に入らなかった。

 何故なら彼女が行使したのは「失われた機能の復活」であって、無から有を生み出す奇跡ではない。

 常人には十分奇跡かもしれないが、今のが奇跡などとちゃんちゃらおかしい。

 シルフィスティアの力を使って間近からその姿を観察すれば首元に一風変わったレンズがのぞいているし、晶力が働いた感覚もあった。

 威力が桁違いに増幅されている晶術と何が違うのか、理解に苦しむ。

 ともあれ、神殿の偉い人間、それもトップがこうして往来に姿を現しているのだ。警備も今なら、手薄である可能性が高い。

 

「ジューダス。ちょっと出かけてきますね」

「どこへ行く気だ」

「今なら知識の塔へ潜入できそうな気がしますので、この隙にこっそりと。フィリアには見つからないよう、心がけますから」

 

 奇跡の行使も終わり、今や輝きの聖女は患者達一人一人に声をかけている。

 ぐずぐずしていたら彼女は神殿へ戻ってしまい、また警備は厳重なものへと戻るだろう。

 そこへ。

 

「待て、僕も行く」

 

 シャルティエを厚手の布に包み背中に負ったジューダスが、剣帯だけを身に付けて同行を申し出た。

 何が目的で、なのかを尋ねてみる。

 

「あの神殿内にどうやって侵入するのか、興味がある」

 

 どうやら単なる興味本位らしいが、邪魔さえしなければどうでもいい。

 人が密集している広場を避け、大通りを抜け、アイグレッテ・グランドバザールの区画へ移動する。

 

「ちくしょー、俺も行きたかったのに……店長め!」

 

 などと抜かしている店番のいる衣料品店や、不用心にも空っぽになっている露店をすり抜けて、徐々に元から人気のない区画へと向かう。

 フィオレが向かっているのは、通称倉庫街と呼ばれる店舗用の倉庫がずらりと並んだ区画だ。

 ただ倉庫が漫然と並んでいるわけではない。すぐ傍に船着き場があり、港から仕入れた荷を海と川を使ってここへ直接運ぶことができるのである。

 

『なんか、神殿から遠ざかっていく気がするけど』

『距離的にはね。この辺り、十八年前はストレイライズの森が広がっていたでしょう。私はここで発見されたから、何か手がかりみたいなものはないかと神殿にいた頃は大分歩き回ったんですよ』

 

 その時に、ストレイライズ神殿へと通じる遺跡を発見したのだと、フィオレはその入り口を示した。

 船着き場のすぐ傍、小高い丘の根元をえぐるような穴が開いている。

 慣れた様子で歩みを進めたフィオレは、入ってすぐの燭台にソーサラーリングで明かりを灯した。

 

「階段になっています。足を踏み外さないように」

 

 そこは石造りの通路で、奥からひんやりとした空気が流れてくる。

 フィオレの先導で通路を道なりに進む内、二人は文字の彫られた石板が床一面に敷き詰められた、だだっ広い空間に出た。

 これまでいくつもの十字路に直面しても、眼前に階段が現れても無視してまっすぐ進んできたフィオレの足が止まる。

 

「どうやら、先客がいらっしゃるようで。この道を使って、誰かが神殿に入り込んだみたいですね」

『何でまた?』

 

 シャルティエの質問に、フィオレは腕を上げて対岸を指した。

 石板が敷かれていない対岸の先には通路があるものの、淡く輝く壁が存在している。

 

「私がここへ初めて訪れた時と同じ状態になっています。一度あの封印を解いて先へ進んだら、また封印が復活していましたから」

 

 ため息をついて石板を一瞥したかと思うと、フィオレはおもむろに一枚の石板の上に立った。

 その瞬間石板は白く発光し、それを確かめて次々と石板の上を移動していく。

 

「他の石板は踏まないでくださいね」

 

 その言葉に従うジューダスと共に、対岸まで到達する。

 封印の前へ立つと、淡い輝きを放つ壁はとある単語を浮かべて音もなく消滅した。

 

「Destiny……?」

「古代語でしたっけ。『運命』には逆らえないなんて、なかなか洒落が効いてますね」

 

 どことなく自嘲的な響きを残して、なおもフィオレは足を進める。

 進んだ先は巨大なレンズを模したレプリカと、地上へ通じるだろう階段があった。

 

「ここを人が通ると、この模造品が反応してあの封印が復活するんです。こちら側から戻れば、自動的に解けますが」

 

 言った傍からフィオレが通り抜け、レプリカレンズがきらりと光る。おそらくこれで、再封印が施されたのだろう。

 一顧だにせず階段を上がったフィオレだったが、身を沈めて辺りをうかがうようにしている。

 

「いつもならあの辺りに見張りがいるのですが……いません、ね」

 

 二人が出たのは神殿内部の端──蔦が這い苔に覆われた遺跡の一部が名残を残す一角である。

 神殿関係者、あるいは見学者が入り込めないようにだろう。わざわざ段差を作り人一人がようやく通り抜けられる出入り口に誰の姿もなかった。

 それどころか、周囲一帯を見回しても人っ子一人いない。

 やはりエルレインが出張っているからだろうと決めつけて、フィオレは堂々と歩き始めた。

 

「ここは大聖堂だな。通常は高位の神官しか立ち入ることが許されない場所だが……」

「知識の塔はどこです?」

「……噴水脇の建物だ」

 

 無駄知識を披露するジューダスの言葉をぶった切り、すっかり改築されて面影もない知識の塔へ足を踏み入れる。

 本当に幸いなことに施錠はされておらず、司書による本棚ごとの分類も変わらず、やはり人の気配はない。

 これなら目的の文献もすぐに見つかるかと思いきや。

 

「……ない」

 

 天地戦争関連の本を探すも、何故かその本棚の冊量が圧倒的に少なく、残されていた資料にはマイナーな特殊部隊の存在や地上軍の旗艦として使用されていたラディスロウなる輸送艦のことなど、興味深いが今のフィオレにはどうでもいい内容の書物ばかりである。

 他の本棚に紛れているのかと探すも、神の眼を巡る騒乱において二人の黒幕のことやら、「神の眼を巡る騒乱の真実」と題された小説やら、やはりどうでもいいものばかりだ。

 そのおかげであのヒューゴ氏が神の眼を手に入れて何をしたのか、具体的なことはわかったが最早過去の話。知ったところで意味はない。

 それにしても、天地戦争時代の資料や十八年前の騒乱に関する資料が少なすぎる。

 確かに十八年前の騒乱の発端はここの大司祭にあり、いくら知識の塔でも禁忌扱いなのかもしれないが、それでは天地戦争に関する資料の少なさが説明できない……

 しかしフィオレの疑問は、地理に関する書物を手に取っていたジューダスによって綺麗に晴れた。

 

「天地戦争と神の眼を巡る騒乱に関連した資料なら、ハイデルベルグへ移送された」

「!?」

 

 ジューダスを見やれば、彼は手にした書物を書架に戻して腕を組んだ。

 仮面のせいで分かりづらいが若干、半眼になっているような気がする。

 

「現在ハイデルベルグには『英雄門』と呼ばれる資料館があり、十八年前の騒乱に関する記念館を兼ねている。知識の塔で保管されていた資料、並びにヒューゴの屋敷から接収されていた資料もな。初めに目的を言ってくれれば、無駄足を踏むこともなかったんだが」

「……そうですね。お詫びに、何故それをご存じなのかは聞かないことにします」

 

 実に壮大な寄り道だった気がするが、結果的に「エルレイン」のことはわかったのだ。その情報を手に入れるための対価だと思えば、けして無駄足ではない。

 ハイデルベルグというか、ファンダリアへ行く用事はもともとあったからいいとして。

 問題は土地を訪れる順序。現在どのような航路が存在するのかまだ調べていないため、それがわからないことには予定が立てられない。

 

「アイグレッテへ戻りましょうか。目的の資料がない以上、長居は無用です」

 

 踵を返して、知識の塔を後にする。

 来た道をそのまま戻ろうと、大聖堂付近へ差し掛かった時のこと。

 

「!?」

 

 その違和感は、唐突に視界へ飛び込んできた。

 入るときは固く閉ざされていたはずの聖堂が、大きく開け放たれている。

 それだけなら、エルレイン及び多数の神殿関係者が戻ってきたのかと急いで遺跡に戻っていた。

 だが、それだけではなく。開け放たれた聖堂からは実に不快な──しかし嗅ぎ慣れた匂いが漂ってきたのだ。

 更に剣戟やらくぐもった悲鳴、晶力の働きまで感知できる。明らかな異常事態だ。

 神聖な神殿内で騒ぎが起きているというのに、誰一人として駆け付けるどころか姿を現さない辺りが、更なる異常さを醸し出している。

 何を感じ取ったか、珍しくジューダスが率先して大聖堂へと駆けつけた。その後に続くように、フィオレもまた大聖堂へ走る。

 だだっ広い空間、礼拝の日は信者がずらりと並ぶであろう質素な木製の長椅子、司祭が立ち説法を説く祭壇。

 色硝子(ステンドグラス)がはめ込まれた窓と、これだけ揃っていても講堂独特の荘厳な空気は微塵にも存在しない。

 あるのは鉄錆び臭い空気と、眼前の惨状だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十戦——聖堂と聖戦~久しぶりのあなたは、似合わぬ色をまとっていた

 ストレイライズ大神殿、聖堂内にて乱闘。
 フィリアのことで完全に頭へ血が上っています。

※私事ですが、初プレイ時。
 アナゴさんのあまりの強さに、負けイベントかと思って戦闘放棄しました。
 そのまま流れでゲームオーバーになってしまった時の気持ちを、私は生涯忘れることはないでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリルシェイドでフィオレに襲撃をかけてきたあの巨漢──バルバトスが、満身創痍で倒れ伏した金髪の少年に戦斧を振り上げている。

 少し離れたところで銀髪の青年が同じような状態におり、更に戦線から離れたところには数日前に見たような少女が蒼白な顔で座り込んでいた。

 その少女が抱きかかえるようにしている、倒れた神官服姿がある。

 見覚えがありすぎるその特徴的な容姿を眼にして、フィオレはその他すべてを意識から外した。

 春に芽を出す、若葉色の髪。ふたつのおさげをまとめるは、珊瑚の赤い髪飾り。

 おびただしい出血によって自身を、神官服を、そして聖堂の絨毯までも染めているその人物が、彼女であることを認めたくなくて。

 フィオレは戦線を突っ切るように移動した。

 

「ぐぁっ! き、貴様は……!!」

「な、フィオレ!?」

 

 ジューダスが何かをしたのだろう。バルバトスはいつの間にか戦斧を取り落としている。

 そのバルバトスと少年の間をすり抜けるようにして、フィオレは少女が座り込むそこへ駆け寄った。

 

「あ、あなたは……!」

「……フィリア? ねえ、フィリア、なの?」

 

 少女に一切構うことなく、へたり込むようにその場に座り込み、顔を覗き込む。

 顔つきこそ幼さが抜け落ち、あの頃よりずっと女性らしい体つきになっているが……愛らしい丸眼鏡に左右の三つ編み、それを留める珊瑚玉の髪飾りは、間違えようがない。

 

「フィリア……」

 

 肩口から胸にかけて致命傷を負い。紙のように顔色は白く、今にも息絶えそうなこの女性がフィリア・フィリスであることを認識して。

 フィオレはゆらっ、と立ち上がった。

 くるりと踵を返した先には、最早カイルやロニ、ジューダスにすら気を払わないバルバトスが立っている。

 その姿を認め、携える戦斧に大量の血痕が付着しているのを認め。

 何の言葉もなく、フィオレは巨漢に迫った。

 

「馬鹿者、頭を冷やせ! 死ぬ気──「うるせぇ! このクソ野郎がっ、ぶっ殺してやるっ!」

 

 妙に勘に触るジューダスを黙らせ、瞬時に魔剣を取り出したフィオレは勢いのまま斬りつけている。

 そんな荒い太刀筋を、バルバトスは受けるまでもなく回避した。

 大剣が床を穿つ、その瞬間を狙って戦斧が唸る。

 が、鋭い斬り込みを回避したフィオレは立ち位置を変えて魔剣を構えなおした。

 

「その血の上った頭で、よくぞかわしたな」

「抜かせぇ!」

 

 頭に蛆でも湧いているのだろうか。こんな一撃、ナメクジでもかわせる。

 舐めるのも大概にしろ。いや、舐めてくれたほうがこっちは助かる。

 浮かんでくる罵倒を口に出す余裕もなく、フィオレは魔剣を振るった。

 鋭い攻撃など何も望めない、実に荒くて野太い一撃。

 故に、あちらの戦斧とも互角にやりあえる。

 

「らぁっ!」

「軽いな、こんな攻撃……なっ!?」

 

 渾身の一撃を軽くいなしかけたバルバトスの目が、急激な丸みを帯びた。

 

 きもちわるいきみがわるいこんなものみたくないでもめをはなすのはきけん──

 

 気味が悪いと内心で唾を吐き、力任せに振り回したと見せかけた一撃を切り返し、しつこく巨漢の体を狙う。

 巨大な体、巨大な武器には似合わぬ繊細さでバルバトスは防御に徹した。

 鉄壁とも称すべき頑健さだが……いかんせん正直すぎる。

 流れ、勢いに任せて攻め立てる最中。見出した一瞬の隙を逃さず、フィオレはあっさりと魔剣を投げ捨てた。

 

「武器を捨てるとは……勝負を投げたか、馬鹿め!」

 

 ……人を馬鹿呼ばわりした奴こそが馬鹿だと思う。

 魔剣が床を転がり、派手な音を立てる前にコンタミネーションが発動。その姿が音素と元素に分解され、フィオレの中へと回帰する。

 すっかり魔剣の存在に気を取られていたバルバトスは、突き立てられた懐刀をあっけなく受け入れていた。

 

「ぬがぁっ!」

「死ね、さっさと死ね、速やかに死ね! 死んでフィリアに詫びろ、屑がっ!」

 

 懐刀──刃すらも黒く塗られた短刀のおかげで、鋼のような肉体という印象が綺麗に払拭出来た。

 分厚い胸板にそのまま大穴を空けてやろうと、更に刃をこじ入れようとして。

 ──背筋を駆け抜けた悪寒に従い、短刀を置き去りに距離を取る。

 

「驚いた」

 

 それはフィオレの方だった。

 何故なら、浅黒い肌の巨漢は、何の痛痒を覚えていなかったからだ。

 短刀をあっさりと引き抜いて投げ捨てる厳めしいその面は、まじまじとフィオレを見つめている。

 

「……俺の体にこれだけ深く剣を打ち込んだのは、貴様で二人目だ」

 

 それを聞き、フィオレは怒りに駆られていながらもこの男を本気で哀れに思った。

 よほど格下、雑魚としか交戦したことがないのだろうか。

 が、その哀れさも男が言葉を発する内に沸々とした怒りへと転換される。

 

「嬉しいぞ……久しく忘れていた。この血の沸き立つ感触……」

 

 嬉しい? 一体何が? 斬られたことに対してならとんだマゾ野郎だ。

 血の、沸き立つ感触? フィリアを傷つけてこの肉だるまは、何を笑っているのだろう。

 帽子で隠されたフィオレの表情などもちろん知らない巨漢は、誰の目からしても歓喜を意味する表情を浮かべて、のうのうと吼えた。

 

「俺はこの感触を手に入れるために、貴様のような敵と巡り合うがために蘇った! さあ戦え、この俺を失望させるな!」

「ごちゃごちゃと、うざってぇんだよ! 望み通り八つ裂きにしてやる!」

 

 ぶっ飛んだ発想を披露した男を、そしてその発想をむざむざ聞いてしまった自分にハラワタが煮えくりかえるような感覚を覚えて、再び魔剣を握る。

 その手品じみた様を見て、バルバトスはただ愉快そうに笑った。

 

「面白い、面白いぞ小娘「獅子戦吼!」

 

 フィリアを傷つけて何をゲタゲタ笑っているのか。

 なりふり構わず突っ込み、戦斧の間合いどころか眼と鼻の距離まで踏み込んで技を放つ。

 初動こそ遅いが、高笑いを上げていたバルバトスに回避する術はなく。

 長椅子をなぎ倒し、成す術なく吹き飛ばされた体躯へ容赦ない追撃が放たれた。

 

「轟破炎武槍!」

「ジェノサイドブレイバー!」

 

 真紅の剣気が巨漢に襲いかかるも、残念なことに戦斧は手放されていない。

 長椅子を踏みつぶす勢いで体勢を立て直し、戦斧を振るって高質量の闘気を迸らせる。

 真っ向からの打ち合い、しかしそれは唐突に終止符を迎えた。

 交戦の長期化を嫌ったフィオレが身を沈め、剣気の射出を停止させたことにより、闘気はむなしく背後の壁へと流れていく。

 

「ぬう!?」

「零式・龍虎滅牙斬!」

 

 再び間合いを詰めたフィオレが、かき集めた第二音素(セカンドフォニム)を持ってして譜陣を展開させる。

 バルバトスを中心として発光したそれは、龍と虎の顎を模した衝撃波を発生させた。

 長椅子の残骸と共に打ち上げられたバルバトスだったが、追撃は仕掛けない。

 一見無防備に吹き飛ばされたものの、空中で体勢を整えたのをフィオレはしっかり認めていた。

 怒りに任せて剣技を使ったせいで、未だ癒えない負傷は二の腕に明らかな負担を強いている。無理を重ねれば、被害をこうむるのはフィオレの腕だ。

 その代わりといってはなんだが。

 

「ぐわっ!」

 

 棒手裏剣をいくつもばら撒き、ささやかな嫌がらせを忘れない。

 乱れ飛び、数本同時に投擲されたせいで精度を欠いた棒手裏剣は、ほとんどが弾き落とされている。

 ただし、追撃に次ぐ追撃で集中力を欠かしたか、ただ一本だけはその太い腕に引っ掻いたような傷を残していた。

 それを忌々しげに見るバルバトスはといえば、あからさまな笑みを消している。

 内心で溜飲が下がったのは、戦いを愉しむかのような態度がなくなったことに起因しているのか。

 あるいは──笑む余裕も消すほどの脅威と認められたことで、フィオレの心の奥底にあるくだらない自尊心が満たされたか。

 ……最後の可能性は考えたくなかった。

 

「ふっ、猪口才な」

「くっそうざってぇ屑……んんっ。なかなかしぶとうございますね。八つ裂きではなく、なぶり殺しがお好みですか」

 

 むかっ腹の立つ笑みを消したこと、明らかな負傷を与えたことで、フィオレの理性は取り戻されつつあった。

 怒りは普段にない力を発揮することも多々あるが、それでも血に上った頭では単調な攻撃しかできない。

 戦いにおいて戦術、戦略は必須と考えるフィオレに、それは明らかな戦力低下を意味する。故に、あまり歓迎できる事態ではない。

 だからこそ、波打つ感情を抑えて冷静さを取り戻そうとしていたのだが。

 修復中の理性は、バルバトスの一言で木端微塵に砕かれた。

 

「……お気に入りを壊されて、ご立腹か」

「! 誰が壊れただって、訂正しろよこの塵屑(ゴミクズ)が!」

 

 挑発なのかそうでないのかもわからないその言葉に、戦術も戦略もなく勢いだけで躍りかかる。

 罠にかかった獲物を前に猟師が浮かべるような、会心の笑みを浮かべてバルバトスはずい、と前へ出た。

 その足元には、それまで壊れた長椅子に隠れていた円陣が不気味に浮かび上がっている。

 

「罠だ、突っ込むな!」

 

 たとえ制動が可能だったとしても、今のフィオレには到底届かない。

 大股で踏み込み、フィオレの扱う譜陣とは似て非なる円陣を片足が踏む。

 立ち入った者を遍く状態異常へ導く円陣から、フィオレに毒が感染する──はずだった。

 

「っ!」

 

 まるで怒りにとって跳ね返したかのように、フィオレは何事もなく魔剣を振るう。

 フィオレの体には、毒も薬も効果を示さない。

 致死量の毒物ならまだしも、体力を徐々に削るような毒が通じないことを知っているのは、当人だけだった。

 

「な、馬鹿なっ!」

「往生しやがれ、ゲス野郎ぉっ!」

 

 初めて、本当に初めて焦りをあらわにしたバルバトスに禍々しい刃が迫る。

 肩口から胸にかけて、ちょうどフィリアが負った個所と同じところに、魔剣はめり込んだ。

 吐き出された命の水はどこまでも(あか)く。この男にもフィリアと同じ血の色が流れていることを、フィオレは心底嫌悪した。

 傷の深さは相当なはずなのに、バルバトスは一切戦意を失っていない。

 

「フフ、ハハハッ! 褒めてやろう小娘、一度ならず二度までも、この俺に刃を突き立てたことを!」

「……おふざけはここまでです! カイル、やっちゃえ!」

 

 天然か故意か、沸き立つ苛立ちこそ完全には消えない。

 しかし、交戦の最中ジューダスにグミを食わされ、戦線復帰したカイルが好機をうかがっていることは知っていた。

 一体どんな理屈なのか、大穴があいたはずの胸板を更に傷つけられ、高笑いを放った巨漢が完全にフィオレに気を取られているのを見て取り、合図したのである。

 そして彼は、この好機を逃さなかった。

 

「でやああぁっ!」

「くらえ、デルタレイっ!」

 

 斬りつけられ、ぐらりと体勢が崩れたところでロニより放電を伴う光球──疑似晶術デルタレイが飛来する。

 フィオレとの交戦により、蓄積したダメージもあってなのか。やっとその巨体が完全に動きを止めた。

 

「や、やった……」

「とどめっ!」

 

 息も荒く小さく呟いたカイルなぞ眼もくれず、フィオレは逆手に持った魔剣の切っ先をバルバトスの頭部めがけて突き立てた。

 しかし。

 鋭い音を立てて、大剣が絨毯を引き裂き床を穿つ。が、肝心のバルバトスは脳髄を撒き散らしていない。

 驚くほど俊敏に動いたバルバトスは、低い笑声を放ちながらも発生した闇に身を委ねていた。

 

「……ククク。我が飢えを満たす輩が、この世界にまだいようとはな……」

 

 ──最早バルバトスに戦意はなく、わざわざ殺す意味もない。

 いちいち長ったらしい巨漢の捨て台詞を聞くまでもなく、フィオレは魔剣を収めるなり、フィリアの元へと駆け付けた。

 

「あ……」

「失礼」

 

 未だ少女が抱きかかえるフィリアに手を伸ばす。

 首筋の脈を探し、呼吸を確かめて、フィオレは聖堂内にたゆたう水の流れに手を突っ込んだ。

 

「命よ健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey……

 

 小さく、本当に声量を絞って譜歌を発動させる。

 譜歌は譜陣を展開させ、立ち入った者に等しい癒しの輝きを与えた。

 

「な、なんだ!?」

「傷が治ってく……?」

 

 バルバトスとの交戦によるものだろう。

 息も絶え絶えだった二人から生傷が失せ、フィリアの傷もまた塞がっていく。

 ただし意識は戻らぬまま、致命傷に等しい裂傷が完全に癒えることはなかった。ともすれば傷口は再び開き、大出血を引き起こすだろう。

 そうなれば、彼女は今度こそ出血過多で命を落とす。

 

「困りましたね。これではここに放置するわけにもいきませんし、かといってここに留まっていたらいずれ発見されて不審者扱いされるのが関の山ですし……」

「だったらフィリアさんの私室に行こう。とにかく安静にさせにゃなんねえだろ」

「でも、今動かしたら傷に触ります」

 

 しかし、この場合ロニの案が一番建設的だ。

 傷口を固定し、細心の注意を払って移送するべきかとフィオレが迷っていたその時。

 それまで身動きひとつしなかった少女が、口を開いた。

 

「待って。これだけ状態が安定しているなら……」

 

 か細い首元に下がるレンズペンダントを手に取り、祈りを捧げるかのように瞳を閉ざす。

 その様子にカイルがぽぅっと魅入っているのを横目に見ていると、ぼんやりとレンズが発光した。

 輝きはまるで周囲から集められていくかのように徐々に大きさと、光の強さが増していく。

 それが一定を超えたその時、圧力に耐えかねたかのように光が弾けた。

 まるで、エルレインが使った奇跡の再現である。

 一度四散したと思われた光はフィリアに降り注ぎ、彼女を覆い尽くした。そして──フィオレの、患部にも。

 光はやがて、唐突に消え失せる。

 フィオレの譜歌で塞ぐのがやっとだったあの裂傷をなだらかな白い肌に変え、顔色も元に戻したフィリアの姿がそこにあった。

 

「!?」

「……ロニ。フィ……彼女の私室はどこでしょうか?」

 

 痛みの消えた腕をさすって驚愕を抑え込み、フィオレはするべきことを優先させた。

 以前アタモニ神団騎士であったというロニに案内を頼み、フィリアの私室へと移動する。

 天蓋つきの寝台に彼女が横たえられたのを確かめて、フィオレは念話を使った。

 

『彼女が意識を取り戻したら、すぐにここから離れましょう。ちょっと野暮用を済ませてきます』

 

 制止する声を無視して、人気のない神殿を我がもの顔で移動する。

 神殿にも知識の塔にも大聖堂にも人がいない今、どうしてもしておきたいことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十一戦——新たなる舞台へ~ぐずぐずしてたら不法侵入者扱いだ。別に間違っていないのがミソ

 ストレイライズ大神殿~アイグレッテ港。
 ジューダスとお別れかと思ったら、そんなことは無い模様です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知識の塔へと立ち入り、先ほどジューダスが立っていた地理に関する書物が収められた書架へと赴く。そこで一冊──騒乱後、世界中の地理がどのように変異したのか記された書物を、背中へ押し込んだ。

 間違っても窃盗ではない。ただ借りていくだけだ。いつ返すかは、未定だが。

 ふと外を見やれば、エルレインによる街頭パフォーマンスは終わったようだ。彼女を中心に、神殿関係者と思しき一団が大神殿へ続く参道を歩いている。

 早いところ撤収しなければ、待っているのは面倒ごと。

 大急ぎでフィリアの私室へと戻り、扉を僅かに開いて中の様子を伺う。

 誰かに何かを語りかけるフィリアの声は至極穏やかで、あの外傷における影響は一切感じられない。

 

『只今戻りましたが、ジューダス。いますか?』

「遅いぞ。一体何をしていた」

 

 ほっと胸を撫で下ろすのもそこそこ、不機嫌な声音がフィリアの声に割り込んで、耳朶に侵入してくる。

 妙に近いその声に視線を巡らせれば、彼は扉のすぐ傍で壁に背を預けていた。

 仮面をしているとはいえ、彼女の前に堂々居られるとは。なかなか肝が太くなったものだ。

 ……と、思ったのだが。

 

「いつこちらに気をやるか、気が気じゃなかったぞ。おまけにうっすら意識があったのか、開口一番にお前の歌のことを聞いてくるし……」

「普通に考えれば、あれから十八年も経っているのでしょう? 同じ顔が現れたところで、他人の空似と考えるのが関の山でしょうに」

 

 ひそひそと会話を交わすうち、カイル達の方も何やかやと話がまとまっていく。

 カイル曰く、レンズから出てきた女の子にしてフィオレを英雄呼ばわりした少女「リアラ」はカイル達を仲間にすることにしたらしい。

 大方フィリアが焚きつけたのだろう、ほぼ一方的にリアラの仲間になると宣言したカイル。

 話運びについていけなかったロニが厭味ったらしく──しかし冗談めかして「仲間」であることを強調し、そんなやりとりにリアラは声を上げて笑っている。

 ようやく年相応の笑顔を見せた少女に和むこともなく、自分の注目が集まることを避けたのだろう。

 頃合いを見て、ジューダスはするりと室外へ出てきた。

 

「そうそう。神団関係者が続々と戻りつつあります。見咎められる前にずらかりましょう」

「同感だ」

「あれっ、ジューダス? ちょっと待──」

 

 室内から聞こえる少年の制止に耳を貸さず、ジューダスはさっさと来た道を戻っていく。

 背中に仕込んだ書物を落とさないよう細心の注意を払っていたフィオレだったが、その足は遺跡を出た倉庫街で止まった。

 

「待ってよ、二人とも!」

 

 全速力で駆けてきたのだろう。肩で息をするカイルに突進されかねない勢いで追いつかれ、フィオレはその場に立ち止まった。

 万が一にでも書物を落として破損するわけにはいかないのだ。

 借り物ということもそうだし、ジューダスに見つかったらどんなお小言、皮肉を抜かされることか。

 

「さっさと行っちゃうなんてひどいよ! 助けてもらったお礼も、まだ言ってないのにさ」

「礼などいらん。偶然通りかかったから気まぐれに助けた、それだけだ」

 

 行動を共にしていた、というよりは彼が行動する理由を作ったフィオレからすれば、そのまんますぎる解答だ。

 だが、傍から聞くとかなり無理がある。

 その証拠に、カイルはジューダスに駆け寄るなり首を振って否定した。

 

「どうやったらあんなとこに偶然通りかかれるのさ! 助けに来てくれたに決まってるよ」

「……そう思いたかったら勝手にしろ。じゃあな」

 

 そこはフィオレに釈明させればいいものを、彼は誤解するしかない一言を堂々放った。

 おそらく無駄な時間を取られたくないというのが本音だろうが、つくづく誤解されるのが好きな御仁である。まさか、そう誤解することを狙って言ったわけでもなかろうが。

 しかし、その明らかな別離の一言をはいそうですか、とカイルが受け入れるわけもなく。

 

「待ってったら! ジューダスはどうして、オレたちのことを助けてくれるの?」

「お前たちを見ていると、危なっかしくてイライラするからだ」

「それじゃあさ、ジューダスも一緒に来ればいいんだよ!」

 

 追ってきた時点で予想できていたが、どうも彼はジューダスを仲間に引き入れる魂胆があるらしい。

 この間に、関係ないフィオレにはとっとと先を急ぐという選択肢もなくはないが、あまりに不義理かな、ということでやめておく。

 そういえばスタンも、置かれた立場と性格から大分邪見にされていたはずだが。それでも数少ない男性陣ということで、距離を縮めようと奮闘していた。

 彼の息子である由縁か、はたまたルーティの実弟であるジューダスに、わずかな近親感を無意識に感じ取ったのか。

 カイルのことは何となくしか知らないが、両方違っていることを祈る。

 とにもかくにも、ジューダスの返答で今後のことはすべて決まると言っていいだろう。

 

「なに?」

「遠くでジーッと見てるから、イライラするんだよ。近くにいれば、そんなこともないし。それにフィリアさんだって言ってたじゃん。リアラには仲間が必要だって。だから、ジューダスも……ジューダス?」

「……やめておけ。僕を仲間にすると、ロクでもないことになるぞ」

 

 まるっきり見当違いなカイルの言葉を黙って聞いていたかと思うと、彼はふいっ、と顔をそむけた。

 一見拒絶しているように見えるが、ジューダスの意思は明らかになっていない。

 どちらかといえば過去のトラウマ──「仲間を裏切った」ことに対して同じことをしてしまう、それを恐れて自ら身を引いているように見える。

 そんな事情などもちろん知らないカイルは、無邪気に聞き返した。

 

「ロクでもないことって?」

 

 そこで一瞬、ジューダスから困ったような視線が送られてくる。

 まさか過去の所業を話せと促しているわけではなかろうが、助け舟を切望している印象はあった。

 

『茶々しか言いませんよ。あなたがどうすることを望んでいるのか、わからないのですから』

「……話す必要はない」

 

 静観の意思を伝えれば、彼は実に苦し紛れにそう答えた。

 意味深な一言で疑問を持たせた以上、説明責任が発生したのは気のせいだろうか。

 

「ロクでもないこと、ねえ……おいフィオレ、お前そーゆー目にあったことはあるのか?」

「──そうですねー。心当たりはあります」

 

 行き詰まりがちな会話の最中、ジューダスを仲間にすること自体に異論はないのか。

 ロニにそれを尋ねられ、フィオレは正直に答えた。

 それに対して、ロニはもちろんそれの詳細を尋ねに来る。

 気のせいか、ジューダスの表情に影がかかっている気がした。

 

「おいおい、マジかよ」

「ジューダスと一緒に歩くと目立つんですよね、仮面が。注目の的で影口叩かれるわ、因縁つけられるわ。金がほしいなら物乞いでもすればいいのに」

 

 リオンならまだしも、「ジューダス」と行動を共にしてこうむった「ロクでもないこと」などこれ以外にはない。

 実際のところ、無意味に目立つことを厭うフィオレには大変「ロクでもないこと」なのだが。

 それを聞いたロニは目を点にして、カイルに至っては大口開けて笑い飛ばしている。

 

「あははっ、なーんだ! ロクでもないって、そんなのへっちゃらだよ。英雄たるもの、向かう困難は全部切り抜けなきゃね!」

「おい、そういうことでは……「決まり、決まり! よろしくね、ジューダス!」

「それではね、ジューダス。色々お世話になりました」

 

 ほぼなし崩しにジューダスが彼ら一行に加わることが決定する。ただし、多分強制的ではない。

 何故なら。

 

「別に嫌ではないのでしょう? 誘われた時もきっぱり拒絶はしなかったのだし。さしあたって用事がなかったのなら、ただ私にくっついて漫然と時を過ごすよりはずっと有意義だと思いますよ」

「フィオレ……」

「えーっ!? フィオレは一緒に来てくれないの?」

 

 ジューダスとはセットだという解釈だったのだろう。

 フィオレとて彼らの行く先に興味がないわけではないが、好奇心だけでそれを優先させるには許されない事情があった。

 

「すみませんカイル。私には目的がありまして、これまでジューダスには付き合わせていただけなんです」

「目的って?」

「行かなきゃならない場所があるんです。あなた方がどこへ向かうのかは知りませんが、方向が同じでないと同行はできません」

 

 そこでふと、思い出したかのようにカイルはリアラを見やった。

 

「そういえばリアラ。これからどこへ行くのか、あてはあるの?」

「ひとつだけあるわ。まだ会ってない英雄……ハイデルベルグのウッドロウ王よ」

「四英雄のひとり、英雄王ウッドロウ王か。確かに、スタンさんと並んで最も英雄と呼ぶにふさわしい人だな」

「とするとファンダリア……ハイデルベルグか。お前確か、英雄門に用事があるとか言ってたな」

 

 早々に旅路への同行を認めたジューダスが、わざとらしくフィオレの目的の一部を呟く。

 残念なことに、彼らはそれを聞き逃しはしなかった。

 ただ、フィオレにとって同行を快しとしない懸案は、それだけではない。

 

「英雄門て、ハイデルベルグに設立された記念館のことだよな? 少し前に知識の塔から、ごっそり資料が運び出された……」

「そうなの? それなら、方向は同じだよね」

「それと。私と行動を共にすれば、必ず危険にさらされます。それでも構わないのなら」

 

 ジューダスの抽象的な忠告とは違う、明らかな警告がさらりと告げられる。

 まず反応したのはロニだった。

 

「どういうこったよ、そりゃ」

「私はあの、バルバトスとかいう男に追われているんです」

 

 あの男のこともそうだが、もし偶然にも彼らを守護者達の探索に巻き込んでしまったとしたら。

 シルフィスティアの時のように、たぶらかされたそれぞれの眷族に襲われる危険がある。それに無断で巻き込んでしまうのも、心苦しかった。

 巨漢の名を出され、交戦時の記憶が蘇ったのだろう。三者の表情が、一様に引き締まる。

 

「そういや、そんな感じのことを言ってたな。一体何が……いや。そもそもあの男は何モンだ?」

「それは私も知りたい。私には、どうしてあれにつけ狙われているかもわからないのですから」

「──それは、あなたが英雄だから、ではないのですか?」

 

 沈みがちだった空気を切り裂いたのは、ペンダントトップに手を添えるリアラだった。

 それを聞くなりカイルの顔色が変わるも、少女は一切気が付いていない。

 

「何故そう思うのですか?」

「あの男はフィリアさんに、英雄という存在に強く執着していました。カイルの言葉にも強く反応していたから、間違いないと思います。あなたは以前、英雄ではないと言ったけれどあの男と対等に……いいえ、もう少しで勝つところだった。だから……」

「あなたはどのような戦いをも制する者こそが英雄だと思うのですか? 少なくとも、私はそれだけしか能がない人間を英雄などとは思わない」

 

 殊のほか冷たくなってしまった言葉に、リアラは軽く身をすくませた。

 先ほどの怒りが収まっていない影響かと、急いで取りつくろう。

 

「まあ、あの男が力こそ全て、という単純極まりない考えを持つならば、そうなのかもしれませんね。話が逸れてしまいましたが、それでも構わないのですか?」

「俺はカイルの意見を尊重する。ジューダスは別に構わねえよな、今まで一緒にいたんだから。リアラは……」

「わたしは、仲間になってほしいと思います。困難を招くのは多分、私も同じだから」

 

 ここで、フィオレは初めて少女の首元に下がったペンダントをまじまじと見た。

 赤いリボンによって留められた、風変わりなレンズをトップにしたペンダント。

 どこかで見たことがあるような気がすると思ったら、エルレインが司祭服の下につけていたものと酷似していた。

 単なる偶然か、あるいはそこに何か事実が隠されているのか。

 それを勘ぐるよりも早く、カイルの言葉によって思考は散らされた。

 

「それこそ望むところさ! 言ったろ、英雄は困難を恐れないって。それに、オレが英雄になったらあいつは嫌でもオレを倒しに来るよ。同じことさ!」

 

 先ほど殺されかけていた人間の台詞とは思えないお気楽さである。

 一体どんな育て方をしたのやらと考えて、すぐにやめた。

 子供という生き物は、親の背中を見て育つものらしいから。

 

「なら、決まりですね。ここからファンダリアへ行くには……」

「東にあるアイグレッテ港で定期船を使って、スノーフリア港だな」

「船旅かあ……」

 

 そうと決まれば、速やかに行動を起こす必要がある。

 なにせ、神殿で発生した騒ぎの痕跡に関して一切の事後処理をしていないのだ。フィリアに期待はできないし、下手をすれば港を封鎖される恐れがあった。

 旅支度を整え、各自確保していた宿を引き払う。

 未だ神殿の異変を知らず、奇跡の余韻に浸る平和で呑気な街から出立した。

 海岸線沿いの彼方に認識できる港を目指して歩く。

 それまで男性陣の会話を聞いてはその漫才じみたやりとりに笑みを零し、時折物思いにふけるかのように海岸の漣を見やっていたリアラが不意にフィオレへ話しかけてきた。

 

「あの……フィオレ、さん。ちょっと聞きた、お聞きしたいんです、けど」

「とりあえず敬語を無理に使う理由を私がお聞きしたいものです。特別理由がないなら、話しやすい形でどうぞ」

「え!? あ……あのね。フィオレって、フィリアさんと知り合い、なの?」

 

 言い直したことについては追及しないで、フィオレは即答した。

 とはいえ、周囲に気を配ることは忘れていない。

 

「ええ。とはいえど、彼女が私のことを覚えているかどうかはわかりませんが」

「でも、フィリアさんはフィオレの歌を聴いたことがあったみたいよ。なんだかすごく、さみしそうにしてた」

「……大変光栄なことです」

 

 そこでぶっつりと、会話は途切れた。

 それをどうにか繋げようとしたのか、リアラは数瞬を置いて再び口を開いている。

 

「えっと……フィリアさんとはどうやって知り合ったの? やっぱり、悩みを聞いてもらったとか?」

「知り合ったというか、私は彼女に命を救ってもらったことがあるんです」

 

 嘘は言っていない。それどころか、これはまぎれもない事実である。

 驚愕をあらわにするリアラ、そしてなんとなく聞き耳を立てていただろう男性陣の反応を十分楽しんで、フィオレは初めてリアラを見やった。

 小柄な少女の目線は、ジューダスよりも低い位置にある。

 

「フィリアが傷つけられて、私がバルバトスを口汚く罵ったから、不思議に思ったのでしょう?」

「う、うん……」

「お見苦しいところを見せてしまいましたね。怒りで我をなくすなんて、久々でした。でも私にとってフィリアは、それだけ大事な人なんです」

 

 だから早々、あのような状態にはならないと誓ってみせて。

 フィオレはそれとなく先行するジューダスへと歩み寄った。

 

「相変わらず、誤魔化すのが上手いな」

「あなたが不器用すぎるだけです。ところで、定期船のことなんですけど……」

 

 アイグレッテで調達した世界地図を手に、航路についてジューダスと長話を始めたフィオレを、リアラはじっと見つめている。

 そのたおやかな指先はペンダントトップのレンズに触れており、あれ以来彼女に対してレンズが反応を示していない。

 リアラのレンズは、フィオレが左手の甲に宿したレンズに反応した。

 初の接触でそれに気付いたフィオレが、二度とそうならないよう己のレンズが宿す未知なるエネルギーの気配を抑え込んでいることに、少女は気づいていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて半日ほどの行程を経て、一同はアイグレッテ港へ到着した。

 倉庫街に船着き場があったせいか、荷の上げ下ろしのような作業はなく、魚の水揚げも時期ではないのか今は行われていない。

 代わりに、巡礼の行き帰りであろう人々の姿が多く見られた。

 

「ウッドロウ王って、どんな人なんだろう!?」

 

 初めての船旅と言っていたが、浮かれているのだろうか。

 はしゃぐカイルが急にそんなことを言い出した。彼は彼で、英雄王と呼ばれる人間に会えるのを楽しみにしているのだろう。

 反対に、リアラの表情は実に深刻で、不安の色が濃い。

 

「ま、英雄王と呼ばれるほどの方だ。ただ者じゃないのは確かだな」

「今度こそ、本物の英雄だといいのだけれど……」

 

 まるでフィリアが本物でないような言いぐさである。彼女が英雄か否かは、フィオレにも答えかねるが。

 英雄を切望する少女にカイルが複雑そうな表情を浮かべるも、次なるジューダスの一言でその影は消えた。

 

「会えばわかることだ。それより、チケットを買わなくていいのか?」

「あ、すっかり忘れてた! 早いとこ、買いに行こうぜ」

 

 本来ならアイグレッテの定期船紹介所で予約、あるいは巡礼を決めた時点で往復チケットを手に入れるものらしい。

 いきなりスノーフリア行きの船の前、乗船客を整理していた船員にチケットをくれと言ったカイル並びに一同は、非常に居心地の悪い思いを味わった。

 船員は船長を呼び、船長は何とも渋い顔で帳面をめくっている。

 

「このアルジャーノン号にも、一応船室の空きがないことはないが……」

「本当!? じゃあそれを……」

「ただ、最高級のロイヤルスイートルームだよ。定員は四名だけど、乗船料を人数分払うなら売らないこともない」

 

 またこのパターンか、とうんざりしながらも、一応値段を尋ねる。

 それを聞き、すでに交渉役をフィオレとジューダスに委ねていたカイルが大声を張り上げた。

 

「ごっ、5000ガルド!?」

「おいおい、ぼったくりにも程があんだろ」

「本来はスノーフリアで契約書を交わして、往復の費用が一人2000ガルドなんだ。これでも片道分なんだよ」

 

 途方に暮れたような顔で自分の財布の中を覗こうとするカイルをさておき、フィオレはひょいと片手を突き出した。

 親指をわずかにずらせば、人差し指との間に挟まったガルド札がずらりと並ぶ。

 

「!?」

「カイル、その程度の額でガタガタ抜かさない。お金で解決なんてあまり好みませんが、これから正規の手続きをするのも手間ですから。立て替えておきますので、後で返してください」

 

 すかさず1000ガルドを押し付けてきたジューダスからは徴収し、度肝を抜かれたらしい船長からチケットを受け取って、船員に船室の所在を尋ねた。

 船長の気が変わらない内に一同を引き連れて移動する。

 急遽手配した船室は、最高級と言っていただけのグレードはあった。

 

「ひ、広~い……」

「浴室、居間、化粧室に寝室……高いだけはありますね」

 

 船室とは思えないほど広々とした空間を見て回り、フィオレは感嘆の吐息をついた。

 使用頻度が極めて少ないのか、使いこまれた感じはなくどの調度品も新品に近い。

 現に今、腰を下ろすソファなどクッションがまったく潰れておらず、ともすれば弾かれてしまいそうなほどの弾力が残っている。

 

「わたし、こんな豪華なお部屋、初めて……」

「もう二度とないと思いますから、堪能してください。あなたにとってはのんびりもしていられないでしょうけど、後は船任せ、ひたすら時間を潰すだけですから」

「うん!」

 

 荷物を置いたリアラは、さっそくソファに乗り込んでぽよん、と弾かれている。

 カイルなどは歓声すら上げて部屋中を見て回っているし、この時ばかりは兄貴分も一緒になってはしゃいでいた。

 

「ねえロニ、このお風呂動物の顔からお湯が出るよ!」

「お! この部屋ルームサービスあるのか! やっぱ高い部屋は違うな!」

 

 ジューダスはといえば、「ガキ共め」と呟きつつ、一人掛けのソファをちゃっかり占拠している。

 とりあえずは数日間、広いが個人のプライベートは無きに等しい室内で共同生活を強いられるのだ。

 決めるべきことは決めてしまおうと、フィオレは全員を居間に集めた。

 

「寝床のことですが、寝室は二つあってもダブルベッドがひとつずつなんですよ。必ず誰かがソファで寝なければならないのですが、カイルとロニはダブルベッドでいいですよね」

「あ? ああ。かまわねえが……」

「で、ジューダス。正規の金額を支払っているあなたには悪いのですが、私としてはリアラに寝室を譲りたいんですけど」

「僕に異論はない」

「では決定。寝室のひとつはカイルとロニ、もうひとつはリアラが使い、私とジューダスは長椅子を使うと」

 

 幸い長椅子は二つ、もし使えなかったとしても絨毯の毛足は長い。地面の上に比べれば十分な寝床だった。

 次に部屋の使い方について話し合おうとして、ロニの言葉に邪魔される。

 

「おいおい、いいのか? てっきり船賃立て替えた分、ソファ使えって言ってくるかと思ったのに」

「貸しについてはその内、頼みのひとつも聞いていただきます。だから気にしないでください」

「でも……」

「私は他人と寝床を共にしたくありません。かといってリアラと交代したら、彼女がジューダスと同じ部屋になってしまうので」

 

 何も起こりはしないと思うが、火のないところに煙は立たぬ。

 李下に冠を正さずという言葉があるように、事故が起こりやすい環境を作るのはよくないことだ。これが一番いい配置のはずである。

 しかし、異論を唱えたのはロニだけではなかった。

 

「だったら、わたしがソファで寝るからジューダスと一緒にダブルベッド使えば」

「風邪引くでしょうから却下です。それと、男女の同衾はしかるべき関係になってからですよ」

「同感だ」

 

 フィオレにとっては当然の結論であるし、ジューダスも短く同意を示している。

 ところが、カイルを除いた二人は驚愕をあらわとした。明らかに戸惑った様子である。

 

「え? しかるべき関係って、二人とも恋人同士じゃ……」

 

 リアラの他意なき一言に、ジューダスは目をむいて過剰反応を示した。

 仮面の奥の顔は、わかりにくいがかなり赤い。

 

「だ! 誰がこんな女なんかと、こ、こ、恋人になんかっ」

「そうですよリアラ。ジューダスの理想はかなり高いんですから。それに私にだって、選ぶ権利というものがあります」

 

 とりあえず、妙にテンションを上げてしまったジューダスに落ち着くよう促して。フィオレは部屋に完備されたティーセットを手に取った。

 持参したミントティーを淹れ、人数分淹れてから一口すする。

 

「大方、宿で相部屋だったからそう思ったのでしょう。連れだしツインなんだから構わないだろう、と宿側からゴリ押しされたんです。私とジューダスの関係は協力者、あるいは戦友以外の何物でもありません。だから、同じ部屋で眠れてもダブルベッドは使えないんです」

 

 淡々とした説明を重ねるも、ジューダスの過剰反応のせいだろう。

 二人とも心から納得したようには全然見えない。

 ジューダスの取り乱しっぷりが珍しかったのか、二人してちらちら彼を見やっては思いだしたように納得した素振りを示している。

 

「あ、ああそうだ。船内では各々、自由行動でいいよな?」

「それは構いませんが、鍵が四つしかないんです。鍵を持たない人は締め出しをくうかもしれませんが」

「そうか? んじゃ、俺が辞退しておくよ。今夜は戻らねーかもしれねーから。そいじゃ」

 

 出港の合図である汽笛の音を聞きつけて、ロニがいそいそと室外へと赴く。

 それにカイルが目的を尋ねると、彼はもったいぶりつつも答えた。

 

「カイル。お前はまだ知らないだろうから教えといてやる。旅というものは、人を開放的な気分にさせるものだ」

「うんうん」

「行きずりの恋人たち、ただ一度の逢瀬……」

 

 何となく先が読めてきたにつき、フィオレはおもむろにリアラの耳を塞いだ。

 彼女は慌てているものの、外す気はない。

 同じく彼が何を言わんとしているのかわかったらしいジューダスがジト目で見やる先、ロニの熱い口上は止まらなかった。

 

「だが、次がないからこそ恋の炎は激しく燃え上がるんだ! わかるか?」

「……つまりロニは、ナンパをしに行くんだね」

 

 いつものことなのか、カイルはカイルで冷静だ。

 だが、すっかりその気になっているロニはさっぱり気づいていない。

 

「そんな顔すんなよ。それに開放的な気分にさせるってのはあながち間違ってないと思うぜ」

 

 ここでロニはカイルに歩み寄り、何事かを囁いた。

 一体何を吹き込まれたやら、カイルは妙に焦ったような声音になっている。

 

「おっ、オレは別にそんなんじゃ!」

「ま、お前にはお前のやり方があるか。んじゃな!」

 

 レッツナンパとばかり、意気揚々と部屋から出ていくロニの背中を見送って。ジューダスもまた立ち上がった。

 

「……まったく。ところかまわず、騒がしいヤツだ」

「あれ? ジューダスも行っちゃうの?」

「一人で考え事がしたい。ついてくるなよ」

 

 フィオレが机上に並べていた、凝った装飾つきの鍵を手に取り、マントを翻して出ていく。

 その声音には苛立ちじみたものがにじんでいて。それが船酔いの初期症状なのか単にまだ先ほどの名残があるのか、とにかくフィオレはやっとリアラの耳を開放した。

 

「私も、ちょっと船内を見てきます。それではね」

 

 鍵を取り、何故か顔を赤くしたカイル、素直に見送ってくれるリアラに背を向けて船内散策へと赴く。

 絶えず揺れる床、耳をすませばちゃぷんちゃぷんと船体に波が当たる音が聞こえてきた。

 久々のような、そうでもないような。

 海上を旅する船の調べを聴きながら、フィオレはまず甲板を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十二戦——英雄を探す≠守護者を探す旅

 船上、船旅なう。
 海上ときたら、何かしら起こるのは、主人公であるが故でしょうか。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び込みで船に乗ること、三日目。

 航路上ではそろそろデビルズ・リーフなる怪物騒ぎが発生した辺り──カルバレイス近辺の海になる。

 つまり、フィオレのとってはアクアリムスを捜索する絶好のポイントだ。とはいえ、身一つで飛び込むわけにはいかない。そのため。

 

 

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze

 

 Va Rey Ze Toe, Nu Toe Luo Toe Qlor

 Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey

 

 Va Nu Va Rey, Va Nu Va Ze Rey

 Qlor Luo Qlor Nu Toe Rey Qlor Luo Ze Rey Va

 

 Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──

 

 

 初めてアクアリムスと接触を持ち、彼ら守護者を覚醒させるという大譜歌を奏でる。

 毎日これだけを歌えばきっと怪しまれるだろうが、楽器を携え甲板のヘリに腰かけ、足元に空の行李を設置すれば、小銭目当てのさもしい吟遊詩人もどきの出来上がりである。

 大譜歌はもともと喉の調整に使っていたもので、その後で本格的な演奏を行えば怪しむ者は皆無だ。

 決まった時間帯に行うわけでもないのに、狭く娯楽のない船内だからだろう。おひねりは日が経つにつれ増える一方だ。

 ちなみに仲間たちも周知の上で、様々なコメントが寄せられている。

 カイルやリアラなどからは歌唱を耳にして感動した、すごいと素直な称賛をもらっているものの、ジューダスからは「さもしい真似はやめろ」とばっさり切り捨てられている。

 ロニなどは楽器をどこに持っていたのか、尤もな疑問を抱いた後に「ま、フィオレシアさんには及ばねえな」などと厭味を吐かれた。

 おかげでフィオレは腕が落ちたのだろうか、と純粋に悩んでいる。

 どうもロニは「隻眼の歌姫」が奏でた歌曲をいくつか知っているらしく、彼女以外の人間がそれを歌うことを忌まわしく思っているようなのだ。

 彼が大譜歌のことを知らなくて本当によかったと思っている。

 初日、珍しくリクエストに応えて「隻眼の歌姫」が奏でた歌曲を演じた際、ナンパを中断してまで怒鳴りこんできた彼の形相はなかなか忘れられない。

 幸い事の成り行きを知って怒りを抑えてくれはしたが、くどくどとお説教を垂れてきた。

 

「あのな。お前が何しようがそりゃ勝手なんだが、フィオレシアさんの歌を勝手に使うな。名曲なのはわかるが、勝手に歌われたらあの人が悲しむ」

 

 多分どころか、そんなことは絶対にないと断言すら出来る。しかし、ロニといさかいを起こしたいわけではないので、素直に従っておいた。

 ジューダスがこっそり笑っていたようだが、フィオレとて他人事ならやはり笑っていただろう。

 何かと「隻眼の歌姫」を出し、比較してくるロニをうざいと思いつつ、本日も金稼ぎを兼ねた気分転換をしようと大譜歌を謡い終えて。

 ふと感じた不穏な空気に、フィオレは何となく舳先を見やった。

 

『アクアリムスの、気配がする──』

 

 ぼんやりとしたシルフィスティアの呟き直後、客船に唐突な震動が発生する。

 咄嗟に手すりにしがみついたものの、甲板にいた乗船客は転倒者が多発していた。

 彼らが船員の助けを借りて船内へ移動する最中、舳先からよく通る船員の銅鑼声が響く。

 

「主だぁっ! デビルズ・リーフの主だぁっ!」

「ヒィィィィ! お、おた、お助けぇ!! オイラ、まだ死にたくねえよぉ!」

「ガタガタ抜かすな! とにかく、船長に伝えてこい! ──それと、見張りの人数を増やせ! 船体に傷がないか調べろ、急げ!」

 

 船員が慌ただしく動き始める中、フィオレは楽器(シストル)を収めて移動を始めた。

 混乱と、まず船の心配をしている船員の間を縫って舳先へ近寄る。

 主の正体が何なのか、気になったというのもある。

 しかし、フィオレが今最も気にしているのは、先ほど聞こえたシルフィスティアの呟きだった。

 まるで寝ぼけているような朧な声だったが、寝言でないことは確実である。

 デビルズ・リーフの主とやらは、舳先から九時の方向にその姿を見せた。

 その姿は硬殻に覆われた蛇にも似ており、ヴァサーゴを彷彿とさせないでもないが形状はまるで違う。

 眼鼻のようなものが見当たらず、触手じみた体の先端に口と思しき器官があるだけだ。

 ヴァサーゴと同じく硬殻がつぎはぎで蛇のような動きを見せるものの、あからさまに柔らかな組織が露出するということはない。

 ならば──

 美味しくもないだろうに、それまで船体にかじりついていた三つ叉の首が、甲板のフィオレに気づいて鎌首をもたげる。

 かまわず、フィオレは降り注ぐ陽光へ手を差し伸べた。

 

「遥か彼方の空へ我、招くは楽園を彩りし栄光。我が敵を葬り去れ、荒ぶる神の粛清を受けよ──アースガルズ・レイ!」

 

 直視を許さぬ極光がデビルズ・リーフの主に迫り、超高熱の光が外殻も体組織もへだてなく灼いていく。

 光が散った後に残るは、黒焦げになった三つ叉の首が甲板に転がるだけだった。

 原形を留めている辺りに、流石主とまで呼ばれる魔物、といったところか。

 そこに。

 

「お待たせ、フィオレ! ……って、あれ?」

「お待ち申し上げておりました。でもちょっと遅かったですね」

 

 騒ぎを聞いて駆けつけた四人が甲板へ現れるも、海の主がまるで干からびたミミズのように転がっているのを見て驚くなり、武器を収めるなり反応は様々だ。

 中でもリアラは、目を輝かせてフィオレに駆け寄っている。

 

「フィオレ、これ一人で倒したの?」

「海の主とか呼ばれている割に、あっけなかったですね」

 

 ペンダントへ手をやっている彼女が、フィオレが英雄でないか確認しているわけではないことを祈る。

 ロニはといえば、取り越し苦労であったというように首を振った。

 

「やれやれ、人騒がせだな。こっちは船員に『海の主に襲われて助かった船は一隻もない』とか抜かすから、沈没覚悟だったってのによ」

「襲われて助かった船がないにも関わらず、そんな逸話が伝わっているというのは不思議な話だがな」

「……?」

 

 ジューダスの言うことに全面同意であるが、今のフィオレはそれどころではない。

 突如として自らの視界をさらわれたフィオレは、返事のないシルフィスティアの意思に従わざるをえなかった。

 風の視界は目まぐるしく船内を駆け巡る。

 慌ただしく動く船員をすり抜け、風は船底の船倉へと辿りついた。

 様々な積み荷が押し込まれていたであろうそこは水浸しとなり、木箱は破壊されていたりひっくり返っていたりとひどい有様だ。ただ、今はそれどころではない。

 船倉が水浸しということは、船底に穴が空いているのだ。

 どんなに小さな穴でも、そこから沈没の危険性は発生する。

 アクアリムスとの接触が不可能な今、大海原に投げ出されて生存、生還は不可能に近い。

 

「おい、何をぼんやりして……」

「船底へ行きましょう。騙されたかもしれません」

 

 唐突に駆けだしたフィオレが船内へ到達するよりも早く、アルジャーノン号は真下から突き上げられるような衝撃に襲われた。

 丁度船内から飛び出した船員が、甲板で指示を出していた副船長に半泣きで報告する。

 

「大変です! 船底に、海の主が!!」

「何だと……!」

 

 今しがた海の主が黒焦げにされたのを確かに見た副船長が唸るようにしながら、甲板に転がる魔物を見やった。

 が、次の瞬間黒焦げのソレは海中へと引きずられ、甲板から姿を消す。

 

「まさか、今のは単なる陽動で本体は船を沈めようとしてやがるのか!?」

 

 前言撤回、流石は海の主。頑丈なだけではなく知恵も働くときた。あるいは人の味をせしめて、より効率的に人を食う術を見つけてしまったのか。

 何にせよ、とっとと現場へ向かうべきだとフィオレは素早く船内へ移動した。

 先ほど見せられた光景通りに進み、階段を飛び降りるように下っていく。

 乗客侵入禁止の綱を飛び越した先、船員が集まっているエリアを見つけた。

 彼らは、一際巨大な階段の周りで何やら大騒ぎしている。その中には、乗船時に交渉した船長の姿もあった。

 

「少々よろしいですか?」

「この下に! 船倉に、船倉が、主に! 船倉が、主に、船倉が! あわわわ!」

 

 とんでもないテンパりようだが、何が言いたいのかはわかった。

 全速力で甲板から船底付近で移動してきたフィオレの後を追い、四人が追い付いてくる。

 

「フィ、フィオレ、って。やっぱり、足がすごく、速いのね……」

「お客さん、危険です! 船室へ避難「この下が船底で、海の主とやらがいるようです。行きましょう」

 

 思い出したように退避勧告、否警告を発してくる船員に止められない内に階段を駆け下りる。

 一息で下り立った先は海水で満たされ、すでに足首まで水没している。

 が、今は浸水に驚いている場合ではない。散乱した貨物の下限に、巨大な海蛇の頭が垣間見えたからだ。

 他一同も船倉の惨状に驚き、リアラなどは露骨に驚愕と嫌悪を示している。

 

「な、なんなの、これ!?」

「くそっ、こっちが本体か! まんまと一杯くわされたぜ!」

 

 人の匂いに気付いたのだろう、残った尾と共に海の主が頭部をこちらへ向ける。

 その巨体は完全に船底を貫通しており、倒せばレンズだけでなく船底に大穴が空くであろう今、ただの退治も撃退もためらわれた。

 

「このままじゃ、船がもたねえ! けど奴を倒しても穴から海水が……」

「考えているヒマはない……来るぞ!」

 

 スペクタルズによって、この魔物の正体は海の主ことフォルネウスだと判明する。

 頭と見せかけて敵の警戒を煽るという尾をちらつかせ、巨大な頭部は鎌首をもたげた。

 中央にひとつ、左右にふたつある眼球がぎらりと光る。

 そこへ唐突に、細長い何かが突き立った。

 フィオレの棒手裏剣は、フォルネウスも巨体からして人で言う針サイズだ。とはいえ、眼球に針が刺さったら重症である。

 驚きか痛みか、多分両方の理由でのけぞるフォルネウスの頭部へ更に棒手裏剣が飛来する。

 狙い違わず全ての眼球を潰す最中、彼らとてただ眺めていたわけではない。

 

「雷神招!」

「牙連蒼破刃!」

 

 雷の気配まとう斧槍でフォルネウスの巨大な頭部をロニが打ち据え、入れ替わるようにカイルがそこを切り刻む。

 その脇でジューダスが尾をあしらい、リアラの合図で前衛三人は一斉に飛びのいた。

 

「いきます、バーンストライク!」

 

 虚空に発生した巨大な火炎の塊が次々とフォルネウスに襲いかかり、海の主はぬめる皮膚を焦げつかせて咆哮した。

 巨大な頭部がまるでハンマーのように叩きつけてくるも、眼球が潰れているせいで一同に害はない。

 が、別の意味で危険だった。

 

「うわっ、やめろ! 穴が空いちまうじゃねえか!」

「早くとどめを刺さないと……」

 

 とはいえ、狂ったように頭部をところかまわず叩きつけるフォルネウスに近寄るのは危険だ。しかし放っておけば、更に沈没の危機が高まる。

 仕方なく、フィオレは無事な木箱の上によじ登るとレンズを手に取った。

 道中、魔物との交戦で手に入れた、何の変哲もないレンズである。

 威力は低いだろうが、これだけ弱っているなら大丈夫だろう。

 

「皆、水に濡れない場所に退避してください。巻き込まれても知りませんよ」

「一体何をしようって……」

 

 階段の上に逃げ延びたロニのぼやきなど聞かず、フィオレは一同が海水に浸かっていないのを確かめて詠唱を始めた。

 

「天光満つるところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり」

「目をつぶって耳を塞げ!」

「出でよ神の雷──インデグネイション!」

 

 咄嗟に放たれたジューダスの警告に一同が従うも、発生した落雷は塞いだ鼓膜に轟音を届け、閉ざした瞼の向こうに閃光を灼きつけた。

 後に残ったのは、もはや原形を残さず丸太のような炭になったフォルネウス、かろうじて残る巨体からにじみ出る海水である。

 

「ただのレンズから、あんな晶力が引き出せるなんて……」

「まずいぞ! もう沈みかけてる!」

 

 呆然と呟きを零すリアラの声をかき消す勢いで、ロニは眼をむいている。

 その大穴の規模を前に、カイルは上階で声をかけた船員並みに慌てていた。

 

「ど、どうしよう!? えっと、水、水をかき出さないと……」

「バカ! そんなことしてもおっつかねえよ! とにかく、船室に残ってる人間を全員、甲板まで連れてくんだ!」

 

 弟分をどやしつけて階段を駆け上がるロニに、カイルも続く。

 瞬く間に船底の床へ溢れる海水に手をかざし、一人詠唱を続けるフィオレには、階段に佇む二人の会話が聞こえてきた。

 

「ど、どうすれば……」

「……何故、力を使わない?」

「えっ!?」

 

 意味深なジューダスの唐突な一言は、リアラだけではなくフィオレをも驚かせた。

 元々口数の少ない彼が、一見接点のなさそうな少女に話しかけたことだけではない。

 レンズから現れたこと、英雄を必要とする詳細を尋ねても貝のように口を閉ざしてしまうリアラのことを、知っているかのようなジューダスの口ぶりに驚いたのだ。

 彼もまた、隠し事をしているのだと確信する。

 

「お前の力なら、ここにいる人間を救うことができるはずだ」

「そんな……ムリよ! 今のわたしの力じゃ……」

 

 対してリアラは、激しくかぶりを振って否定している。

 ただしその否定は、彼の物言い全てに対して、ではない。「今のわたしの力」と言い切るあたり、相応する力を保有しているかのような。

 尚も言い募ろうとしたリアラだったが、上階からの足音にはっ、と口をつぐんだ。

 

「何してるんだよ、三人とも……!」

「……白に染め上げられし、世界の果てを知る。セルキーネス・インブレイスエンド」

 

 丁度詠唱が終わり、第四音素(フォースフォニム)──水の元素が集って氷柱をかたどる。

 巨大な氷塊はフォルネウスであった物体の上に飛来したかと思うと、そこを中心に海水を凍りつかせた。

 一時的に浸水は収まるものの、崩れてしまった船のバランスは元に戻らない。

 このままの状態を維持できたとしても、おそらく氷の重みで船は沈むだろう。

 

「さ、寒っ!」

「これで少しはましなはず。さ、私達も避難しましょう」

 

 促して、今度こそ彼らを上階へ移動させる。

 しかし当のフィオレはそれに続かず、凍りついたフォルネウスを見た。

 シルフィスティアに言われるまでもなく、アクアリムスの気配を感じる。

 だがあくまでそれだけで、左手の甲のレンズに反応はなく、アクアリムスの声も聞こえない。

 たまりかねて、フィオレはとうとう声を出した。

 

「アクアリムス、いるんでしょう!? 私に力を貸してください、このままじゃ今度はドザエモンに……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十三戦——少女の祈りは奇跡の呼び水となりて、海原の大決戦を制す

 大穴が空いた船の上。
 船長ではあるまいし、沈みゆく船と心中するわけにはいきません。どっかの船長はイの一番に避難したようですが。
 しかしここは大海原のど真ん中。どんなに頑張っても、犠牲者無しとはいきません。
 しかも、よくわからん怪物の強襲×2というオマケつき。
 そんな絶望的な状況の中で。奇跡の光が、降臨します。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その切羽詰る想いに応えるかのように、アクアリムスの声が、フィオレの脳裏に響いた。

 

『ごめんなさい、フィオレ。この魔物に依代を取りこまれ、手も足も出なかったのです』

 

 唐突にフォルネウスの姿が消え失せ、珍しい完全球体のレンズと瑠璃色の光球が出現する。

 海水の浸入を阻む氷上に転がったレンズを拾うと、光球からは蒼穹の長髪を優雅にたなびかせた女性の姿が現れた。

 

『良かった、無事だったのですね』

『ご心配をおかけしました。つきましては私も、シルフィスティアと同じくあなたの供となりましょう』

『あの海の主というのは、あなたの眷族なのですか?』

『いいえ。私は眷族をたぶらかされたのでなく。古来よりこの海域に生息していたこの魔物をけしかけられたのです。レンズによって力を付与され、凶暴化したフォルネウスに対する術を、私の眷族は持ち合わせていませんでした』

 

 アクアリムスの姿が失せ、光球は依代に吸い込まれる。そして手のひらに収まったのは、水滴を模した輝石を中央に抱くチョーカーだった。

 幅広の布を首に巻き、急いで一同に追いつく。

 幸いなことに彼らは「自分はこの船と運命を共に」がどうたら言い張る船長を、どうにか外へ出そうと奮闘している。

 今の今までフィオレが船倉にいたことを気づいていなかった。

 

「私、船室を回ってきますね。逃げ遅れがいないかを確認します」

「あ、それならわたしも……」

 

 船員たちとカイルらの熱い語らいについていけなかったのか、あるいは意味深な一言を突きつけたジューダスから離れたかったのか。

 ジューダスに一言告げてその場を離れようとしたフィオレに、リアラがくっついてきた。

 船倉から上階へ、順々に船室を巡り残っている乗客がいないかを確かめて、二人もまた甲板を目指す。

 途中、泣き叫ぶ幼女とその場に座り込んで神に祈りを捧げる母親を見つけ、リアラが幼女に「あの、泣きやんで?」と直球で頼む珍妙な光景を見ることになったものの、そんなんで泣きやめるかと突っ込み先を急ぐ。

 甲板へ辿りつく頃、すでにそこには男性陣、そして甲板を埋め尽くすほどに集まった乗客らが、不安そうに佇んでいた。

 どこかで子供が泣いているのか、勘に触る泣き声が船のきしみの合間に聞こえてくる。

 

「とりあえず甲板に集めたが……これから、いったいどうする!?」

「ねえ、岸まで泳げないかな!?」

 

 焦るロニにカイルがどうにか提案を出すも、周囲にもちろん陸影などはない。

 仮に見えていたとしても、カイルらならともかく一般人の体力では、あっという間に海の藻屑だ。

 

「救命ボートがあの大きさでは、ほとんど助からないだろうな」

「くそっ! 完全に手詰まりかよ!」

 

 ジューダスの視線の先を見て、ロニが声を荒げた。

 リアラはといえば、特に考えもないらしくうつむいて沈黙したままだ。

 万策尽きたとわかっていても、カイルはあきらめていなかった。

 

「あきらめちゃダメだ! 何とかして、皆を助ける方法を考えようよ!」

「とは言っても……」

「とりあえず全力を尽くしてみましょうか。どうせこのままでは、全滅必至ですし」

 

 ──怪しまれたくない、詮索されたくない、目立ちたくない。

 そんな我儘は、人の命に代えられない。

 呼吸を整え、己を中心に譜陣を展開させる。

 丁度ジューダスがリアラを見て何か言おうとしていたところ、うつむいていた少女はパッと顔を輝かせて、フィオレを見た。

 

「何か考えがあるのね!?」

「策があるのか?」

「策と呼べるほど頭は使っていません。ほとんど、力技です」

 

 フィオレが左手をかざした先には、第四音素(フィフスフォニム)──水の元素も豊富な海が広がっている。

 レンズを介して取り入れる元素は、増加するごとに譜陣を明滅させた。

 

「どうするの?」

「平らな氷塊を海に浮かべて、救命舟代わりにする。単純でしょう?」

 

 いかにシルフィスティアの力を使っても、以前彼女は小型の射出カプセルすら持ち上げられないと言ったのだ。こんな巨大な客船を持ち上げることなど夢のまた夢。

 ただしアクアリムスの力を借りられる今、そのくらいのことならできる。そう、断言できた。

 

「ん、んなムチャクチャな……」

「無茶苦茶ですよね。でも、他に何か方法が?」

 

 絶句するロニを尻目に、第一陣を作ろうと集中する。

 人が多数乗れるほどに頑丈で、平たい氷塊を作ろうとしたその時。

 アクアリムスの警告を聞いて、フィオレはあっさり集中を解いた。

 

「どうした?」

「──状況が変わりました」

 

 いち早く異変を感じ取ったジューダスの顔すら見ずに、フィオレは一度消した譜陣を再び展開した。

 今回展開された譜陣はフィオレの周囲に留まらず、船を覆うほどに膨れ上がる。

 

「なんだ!?」

 

 不意に船が大きく揺れたかと思うと、それまでゆるやかだった沈下が一気に加速した。

 急速に近づく海面に、パニックを起こす暇がない。

 しかし、どれだけ海面が近付いてきても海水は甲板に押し寄せてこなかった。

 海面が甲板と平衡になっても、平衡を通り過ぎて海中に入っても、海水は甲板へ──船の中へは、入ってこない。

 気づけば、アルジャーノン号は海中へと潜り込んでいた。

 沈んでいくそばから海中の様子が眺められるその様はただただ物珍しく、状況がさっぱりわからない一同としては呆然とするしかない。

 やがて海底へと到達したらしく、アルジャーノン号の沈没、もとい下降は止まった。

 あまりに奇怪さに、そして眼前に広がる静かな海中に誰もが沈黙せざるを得ない中。

 

「……凍りつけ」

 

 唐突に船の周囲が凍りつき、厚い氷の壁が出来上がる。

 初めて大きく息をついたフィオレに、まず食ってかかったのはロニだった。

 

「な、何がどうなったんだ!?」

「簡単にご説明申し上げると、海面を降下させて、周囲の海水を凍らせました。これで船がこれ以上沈むことはありません」

 

 確かにその通りだが、船が無事でもこれでは移動ができない。

 起こった物事に対し理解の範疇にあったロニがそれを問い詰めようとして、ジューダスに割り込まれた。

 

「……状況が、こうしなければならないものに変わったんだな?」

「そういうことです」

「こうしなければならない状況って……」

 

 どんなんだ、と尋ねるロニに、フィオレは気軽な調子で舳先を指した。

 途端、甲板からどよめきや悲鳴が発生する。慌てて振り向いたロニの視線の先にあったものとは。

 

「嘘だろ……あんなぶっとい雷の直撃受けて、生きてたのかよ!?」

「ありゃ新手ですよ」

 

 船に向かってひたすら突進し、氷壁に阻まれているのはデビルズ・リーフ、ならびに海の主ことフォルネウスの姿がであった。

 氷壁の向こう側は海中につき、海水があるはずなのにそれを感じさせない軽やかさでフォルネウスはひたすら突進を繰り返している。

 譜陣の中心から微動だにせず、フィオレはただ結界の維持に努めている。

 

「どういうことなんだ……」

「どうもこうも、海の主は一体ではなかったのでしょう。仲間の死を知って報復に来たのか、あるいは血の匂いを嗅ぎつけて興奮しているのか……ともかく、どうしたものでしょうか」

 

 当然、言いだしっぺがこの有様では氷舟など作れない。

 いくらシャルティエのコアクリスタルがあろうと、この客船を不可侵の聖域(フォースフィールド・サンクチュアリ)で包みこむのは無理だ。

 だから水精の力を借りた結界を展開した上で、分厚い氷壁を張ったわけだが。

 

「このまま耐えるしかねえのか……」

「それなら、私の精神力が尽きた時点で全てが終わります。結界は消え、海面は上昇し、船は沈没するかフォルネウスの食餌になるか。こうなってしまった以上、私にできるのは倒れるまで結界を維持し続けることくらいです」

 

 いくら分厚くても、所詮は氷。

 しかも海水につき塩分という名の不純物が混ざっているため、真水製の氷より脆い。

 フォルネウスの巨体で何度も体当たりなど受ければいつかは砕ける。現に結界の向こう側で、氷に亀裂が入っていく音がするのだ。

 

「こうなったら……フィオレ、結界を解いてフォルネウスを倒そう! 今すぐあいつを倒して、それから氷の舟を作れば……!」

「周りにこれだけ一般人がいるのに、さっきみたいな派手な交戦はできません。今言ったように船が狙われたら一貫の終わりです。それに」

「まだなんかあるのかよ?」

「フォルネウス二体を、同時に倒すおつもりで?」

 

 船の後方を指し、フィオレは軽く歯を食いしばった。

 譜陣が明滅し、砕けかけていた氷壁が再び凍っていく。しかし、前方と後方から同時の突進を受けて、氷壁はあっさりと砕け散った。

 フォルネウスの巨大な口が客船に迫るも、最後の砦である結界がそれを遮る。

 

「……あんまり、長持ちしそうにありません」

 

 結界に侵入を拒まれたフォルネウスが、当然のように結界への攻撃を始めた。

 尾を叩きつける、体当たりをぶちかます、頭突きを繰り返すと、その衝撃は凄まじい。

 それまであらゆる衝撃を呑みこんでいた結界が、まるで悲鳴を上げるかのように少しずつ、震動を船へ伝えていく。

 無論その衝撃は結界の起動者であるフィオレにも反動を与えており、どれだけロニがわめいても返事をする余裕がない。

 

「おい、聞いてんのか、この……」

 

 身じろぎせず、口元を引き締めて沈黙を貫くフィオレに焦りからか、ロニが掴みかかる。

 途端、集中が乱れたことを体現するかのように結界の一部がぐにゃっ、と歪んだ。

 それを見て、カイルが大慌てで兄貴分を止めにかかる。

 

「落ちつけよロニ! フィオレに当たったって、どうしようもないだろ!」

 

 事実にして悪意なきその一言に、傲慢にも傷つきながら欠いてしまった集中を整える。

 生まれてしまった結界のゆがみを修正する最中、事態を静観していたジューダスが静かに口を開いた。

 

「全員が助かる方法が、ひとつだけある」

「えっ!? ほ、ホントに!?」

「……力を使え、リアラ」

 

 今にも抱きつかんばかりに迫るカイルを冷静に捌いて、ジューダスは沈黙を守り続ける少女へ目を向けた。

 槍を向けられたリアラだが、驚きはあってもそれに対する強い否定はない。

 

「……わたしが」

 

 まさかフォルネウス同士が示し合わせているわけでもなかろうが、結界に加えられる衝撃が徐々に高まっている気がする。

 自覚こそないが、内心の焦りが集中を乱したのか。

 加えられた衝撃を吸収しきれず、客船は大きく揺らいだ。

 

「……何かするつもりなら、お早めに。でないと、何にもできなくなりますよ……!」

 

 ごりごりと、まるで削られていくかのように気力が消耗していく。

 薄れてきた意識の向こうで、カイルらや乗客の悲鳴が聞こえてきた。

 それを聞いてか、あるいは別の要因か。少女は覚悟を決めたようだ。

 

「リアラ……!?」

「おねがい……飛んで!!」

 

 カイルの言葉なぞ聞く余裕もない様子で、リアラはペンダント──首から提げたレンズを握りしめた。

 彼女の言葉に応えるように、レンズは淡い光を孕み始める。

 唐突な既視感はおそらく、フィリアの負傷を完全に癒して見せた時だろう。

 他にもまだあるような気はしたが、結界の維持と事の成り行きを見ていたフィオレに、それ以上思考する余地はなかった。

 ペンダントに宿った光は、除々にその輝きを増していく。

 次から次へと起こる奇怪な現象を前に、ロニはわけもわからずリアラを焚きつけたジューダスに目を向けた。

 

「おい、リアラはいったい、何をするつもりだ!?」

「船を浮かせるつもりなんだ。だが……これだけのものを動かすんだ。今のリアラにできるかどうか……」

 

 ──まるで、も何もない。

 ジューダスの発言は、今この極限状態においても聞き逃せないものだった。

 もちろん普通の人間にできることではない。

 フィオレには「守護者の力を借りる」というタネがあるが、リアラの様子を見る限り、彼女は独力でそれを成そうとしている。

 

「……くっ!」

 

 現に今、ペンダントに宿った光はほんのわずかずつ、船を包もうと散らばりつつある。

 第三音素(サードフォニム)──風に属する元素こそ感じるものの、守護者の力が働いた感覚はない。

 それともこれは、フィオレの感覚が鈍っているだけなのか──

 

『ううん、そんなことない。ボクはその子に、力を貸していない』

 

 そんな疑念も、当のシルフィスティアの一言で消滅する。

 やはりこの力は、リアラ本人が独力で起こしているのだ。ちょうどアイグレッテの人々を熱狂させていた、現アタモニ神団長のように。

 ふとエルレインの存在を思い出して、何かが引っかかる。

 引っかかるが、それ以上何かに気を取られている暇もなかった。

 なぜなら。

 

「……ああっ!」

 

 まるで力の放出に耐えかねたように、リアラは膝をついてしまった。

 途端輝きは薄れ、船を包み込もうとしていた光も消えていく。

 具体的に何をどうする気なのか知らないが、彼女が扱おうとしているのが第三音素(サードフォニム)であるならば。

 

「落ち着いて、リアラ。大きく息を吸って、吐いて」

「フィオレ……」

 

 先ほど手に入れたばかりの、完全球体のレンズ──フォルネウスに力を付与していたであろう瑠璃色のレンズを譜陣の中心に置き、結界の維持を代替わりさせて彼女の傍へ行く。

 レンズペンダントを握るその手は、極度の緊張によるものか、冷え切っていた。

 緊張は手の冷えだけではなく、彼女の精神をも蝕んでいる。

 

「やっぱり無理よ。船を浮かせて、海の主を振り切るくらい早く進ませるなんて……!」

「大丈夫。海の主はこっちで何とかしますから、あなたは船を浮かせるだけでいい」

 

 べそをかきかねない少女の泣き言にやんわりと、まずは達成してほしい事柄を告げる。

 やせ我慢でもなんでもない。船の浮遊が可能だというなら、それさえ行ってくれれば突破口は見いだせる。

 

「でも……!」

「──リアラ。私はあなたのことをよく知らないから、『あなたならできる』なんて無責任なことは言わない。でも」

 

 つぶらな瞳を潤ませる少女の手を取り、自らの熱を伝えるように包みこむ。

 誰かを慰めたり勇気付けたりするのが苦手なフィオレではあったが、こと事実を告げることに関しては自信があった。

 

「あなたが一人で頑張らなくていい。一人で背負わなくていいように、あなたには『仲間』がいるんです」

「!」

 

 リアラの手に温もりが宿ったことを確信して、フィオレはもうひとつ完全球体のレンズを取りだした。

 シルフィスティアと再会した際に手に入れた、彼女の眷族に力を与えた大量の第三音素(サードフォニム)が宿るレンズ。

 リアラの手を掴んだまま、左手の甲のレンズを介して力を注ぎこむ。

 

 それに伴い、ペンダントは強く発光した。まるでフィオレが、彼女と初めて出会った時のように。

 

 つぶらな瞳が驚愕に見開かれるも、状況を思い出したようだ。リアラはぐっと表情を引き締めて、意識を集中させた。

 それまでとはうってかわって強い輝きを灯したレンズから、溢れた光が迸る。

 頃合いを見計らい、フィオレはリアラの傍を離れてそれまで結界を維持していたレンズを回収した。

 結界が消え、海面が急激に上昇する。

 船底に穴が空いている影響でずぶりと沈みかけるも、リアラの力が働いたため、すぐに体勢を立て直した。

 残る問題は、それまで船にかじりつかんと迫っていたフォルネウスだ。

 海面下で激突し海の主と呼ばれる者同士、頂上決戦でもするなり、愛情が芽生えてくれたりしてくれないかとこっそり目論んでいたのだが……そう上手くはいかないようだ。

 ふよふよと、進行方向へ前進を始めた客船──エモノを逃すまいと、すぐに追跡してきた。

 進行速度は人の早足程度、すぐに追いつかれるだろうが……息を荒げて甲板に座り込んでしまった少女の努力を無に帰すつもりはない。

 

「上出来です。後は任せてください、リアラ!」

 

 高らかに少女を称賛し、視線をフォルネウスへとやる。

 左手を大海へ突き出し、第四音素(フォースフォニム)をかき集め。

 

「そなたが涙を流すとき群がりし愚者は、白に染め上げられし世界の果てを知る。セルキーネス・インブレイスエンド!」

 

 フォルネウス本体ではなく、二匹の進行方向──船の後方に氷塊を落とす。

 障害物発生により動きが鈍ったところで、船全体を覆う第三音素(サードフォニム)に手を差し伸べた。

 

「天空を踊りし雨の友よ。我が敵をその眼で見据え、紫電の槌を振り下ろさん……インディグネイト・ヴォルテックス!」

 

 神の雷よりは数段劣るが、発動は段違いに速い雷乱舞をほぼ駄目押しで放つ。

 トドメこそさせないだろうが、海水は殊更電気を通しやすい。船を壊せば食糧が調達できると学習しているフォルネウスが、これで懲りてくれることを祈る。

 ともあれ、危険は去った。

 

「すげぇ……マジで助かっちまった……!」

「すごいよ、リアラ、フィオレ……!」

 

 心底安心したのだろう。ロニは気が抜けてしまったかのように空笑いし、カイルはあのキラキラした瞳で二人を見ている。が、当人達はそれどころではない。

 

「ありがとう、リアラ。皆が助かったのは、あなたのおかげです」

「……そんなこと……フィオレ、だって」

 

 心から安堵した表情を浮かべて、リアラはぐらりと突っ伏しかけた。

 それを受け止めて、ねぎらうように背中を叩く。

 

「お疲れ様でした。お休みなさい」

「駄目よ、そんなことしたら、船が……」

「大丈夫。あなただけに活躍はさせませんよ」

 

 それを聞いて、緊張が途切れてしまったのだろう。リアラはそのまま、フィオレの胸の中で寝息を立て始めた。

 うらやましい限りだが、真似はできない。

 

「リアラ?」

「お静かに。部屋に戻りましょう、手を貸してください」

 

 何事かと覗き込むカイルにリアラを渡して、ほとんど気力だけで立ち上がる。

 ゆらゆらする意識のまま、船室の扉を開けたと思ったその直後。

 ふと、誰かに触られた気がして無意識に捕まえる。

 

「うをわあぁっ!」

 

 素っ頓狂な声が上がったかと思うと、犯人がロニであることが判明した。

 それと同時に、いきなり状況が変わっていることを知る。

 

「……私、何でリアラの隣で寝てるんです?」

 

 ここ数日で見慣れたスイートルームの内装に、背中はふかふかの寝台。

 隣ではリアラが寝息を立てており、眼前には手をひっこめたロニと心配そうに少女を見守るカイル、そして呆れたようにロニを見るジューダスだ。

 

「だから言っただろう。不用意に触れば目を覚ますと」

「や、違う! 断じて違うぞ! 俺は単に、帽子を被ったまま横になるのは寝苦しいんじゃないかと思ってだな」

 

 船室に入った直後意識を飛ばして、すぐここに寝かされたはいいが。ロニが興味本位か述べた理由か、帽子を外そうとした。そんなところだろうか。

 小さく息をついて何となくキャスケットに手をやり、フィオレはジューダスを見やった。

 

「あれからどれだけ経ちました?」

「お前が気絶したのはついさっきだ。僕らはこれから船長と話をしてくるが、どうする?」

「行ってらっしゃい。私はもう少し、寝ておきます」

 

 フィオレが所持していた鍵をロニに渡し、彼らを見送って寝慣れたソファに横たわる。

 けだるく感じていた体が、ふかふかのソファに預けられた瞬間。

 まるで奈落の底へ落ちていくかのように、すとん、と意識が落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十四戦——船旅一旦終了のお知らせ~英雄の故郷へと

 アルジャーノン号終了のお知らせではありません。念のため。
 ファンダリアへ向かうことを考えればえらい寄り道ですが、こうでもしなければフィッツガルド地方になんて立ち寄らなかったでしょうね。
 そんなこんなで、考えてみれば前作、一度たりとも訪れなかったリーネ村、及びリリス・エルロンとエンカウント。
 ついでにジューダスと喧嘩したようです。相手の気持ちを考えない言動に腹が立ったなら、仕方ないね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「静かに入ったほうがいいよね? フィオレ、起きちゃうだろうし……」

「そうだな。ようし、今度こそあの帽子を外して……!」

「くだらないことを考えるのはやめろ。半殺し……いや、七割くらい殺されるぞ」

 

 次に気付いたのは、抜き足差し足で部屋に戻った三人の気配を感知してのことだった。

 大慌てで起き上がり、居住まいを正す。口の端から零れかけていたよだれを拭い、悠然とソファへ腰かけた。

 

「おかえりなさい。これからどうなることになりました?」

「まだ寝ていてもかまわないが……」

「そうだよ、疲れてるでしょ?」

 

 そうは言われても、すでにフィオレの眠気は吹き飛んでいる。

 ひと眠りしたから気力は充実しているし、力を使い慣れていないリアラとは違うのだ。いつまでも休んではいられない。

 

「お気遣いは結構ですよ。それで、どういう風に誤魔化してきたんです?」

 

 現在においてフィオレの懸案事項はこれだった。まさかジューダスが全て事実を話したとは思えない。

 内包晶力が比較的高いとされる完全球体のレンズを使っていたフィオレはともかく、リアラは振るったのはまさに「奇跡」の力なのだ。

 きっと詳細について根掘り葉掘り詰問されただろうと思っていたフィオレは、次なる一言を聞いて目を瞬かせた。

 

「別にこれといった説明もしてないし、尋ねられてもいない」

「え?」

「聞いてよ、フィオレ。オレたち『聖女を守る英雄諸君』なんて言われちゃってさ♪」

 

 先程から妙にカイルが浮かれているのは、このためか。

 そのままカイルが感情のまま、説明した事柄をまとめると次の通りになる。

 一行は「幾多の船を沈めてきた恐怖の象徴」フォルネウスをほんの数名で倒したこと、更に沈没の危機を「アタモニ神団の長エルレインをも超える」奇跡の力で救った。

 その事実を指して「聖女を守る英雄諸君」と認定されたらしい。

 全力でにやけて英雄と称えられたことを強く主張するカイルに、ジューダスの厳しい声が飛んだ。

 

「浮かれるなと言っているだろう。お前一人の力じゃない上に、リアラはまだ目覚めていないんだ」

「まあまあ。カイルにしてみれば、夢が叶ったようなものでしょう? 嬉しく思うのは当然だと思います」

 

 かねてより英雄が何たらかんたら公言していたカイルにしてみれば、自らの行いで英雄と呼ばれるのは本望だろう。

 ジューダスは渋い顔をしているが、フィオレとて単に彼を擁護しているわけではない。

 

「えっへへ。まあそれほどでも……」

「むしろ、ここからが正念場です。船と命を失わずに済んだ船長や乗客から英雄と呼ばれるだけで満足してしまうか。はたまた、世界中の人々から英雄と認められるスタン・エルロンやウッドロウ・ケルヴィンのようになることを目指すか。まあ私は、どちらも同じ英雄だと思いますけど」

 

 それを聞き、カイルは締まらないにやけ顔を真顔へと変えた。

 

「もちろん、父さん達を目指すさ! 今は夢に向かって一歩前進した、ってことに喜んでたんだよ。まだ夢は叶ってない!」

 

 彼がヘラヘラしていることが気に食わないなら、こう言えばいいだけなのに。ただ強めにいさめることしかできないのは、人に接する不慣れさ故か。

 ジューダスの辛口に対して眉をひそめていたロニが機嫌を直し、ジューダスはバツの悪そうな表情を浮かべている。

 何となしに漂っていた微妙な空気が払拭されたことを確認して、フィオレは話を先に進めた。

 

「英雄と称えられたことはわかりました。それで、これからどうなります? このままスノーフリアを目指すのは、更にリアラの負担を増やすような気がするのですが」

 

 無論現在も、船は空中を泳いでいるわけだが。

 どうもこの力はリアラの体から、あるいはレンズペンダントから直接作用しているらしく、フィオレからは何の干渉もできない。

 彼女が昏睡状態に陥っているのは、現在も船を動かし続けているからではないか、とすら思えた。

 通常術式は術者の意志によって起動する。術者の意志がなくなれば、術式も停止するのが常だ。

 儀式などを経て術者の意志がなくなっても作動し続けるよう仕向けることは可能だが、今しがた彼女が発動させたものにそんな下準備をする暇はなかった。

 従ってこれは術式ではない。考えてみれば詠唱も何もなかったし、やはりエルレインが行使した奇跡、に分類されるのだろう。

 

「それなんだけどね。この近くにリーネ、って村があるから、そこでリアラを休ませたらどうか、って」

「村で彼女を休ませて、その間船はどうなさるので? リーネ村付近に停泊するんですか?」

「んと、どうせこのままじゃスノーフリアに行くことも、アイグレッテに戻ることもできないらしいんだ。ノイシュタットで本格的に修理するから、リアラにはまずリーネで休んでもらう。で、オレたちには陸路でノイシュタットまで来てくれれば、待ってるからって」

 

 確かに、一行のスイートルームは実に居心地が良かったが、それでも常に足元がおぼつかない船上で静養しろ、と言っても難しいだろう。

 今も船を動かしていることが負担となっているとしたら、船から離した方がいいに決まってる。

 

「彼女がいつ目を覚ますかわからないし、この船には他にも乗客がいるのに。どれだけ待つつもりなのでしょうね」

「その辺りは、他の乗客にも話が通っているらしい。どうしても先を急ぐなら、ノイシュタットで出る他の定期船のチケットを提供するそうだ」

 

 つまり、このアルジャーノン号だけはリアラ及び一行の到着を待ち続けてくれるということか。

 ジューダスの説明を聞いて小さく頷いたフィオレは、おもむろに船窓を開けた。

 潮風がなだれ込み、風も波も関係ない船の速度がよくわかる。

 

「……ちなみに、リアラなしでどうやってリーネ付近に停泊するんです?」

「僕も気になったから尋ねてみた。船長はどうも、お前に期待しているような言いぐさだったが」

 

 やっぱりそう来るのか。

 一連の流れからすれば、どう考えたってそうなるのが自然だ。事が事だけに、責任は取るべきか。

 力の作用に直接関係している、あのレンズペンダントをどうにかすれば何とかなるとは思うのだが。

 ため息と共に立ち上がり、男性陣に一言告げてリアラの眠る寝室に入る。相変わらず、彼女は眠ったままだ。

 なだらかな鎖骨の中心、レンズペンダントに手を伸ばす。

 どうもこの船を取り巻く力はこのペンダントから放たれており、力の出所はリアラ自身にあるようだ。

 華奢な首元からペンダントを外し、航行が異常をきたす前に新芽色のレンズから晶力をあてがう。

 幸いなことに、船を包み込む風の力はそのままフィオレの管理下に置かれた。

 シルフィスティアに視界を借り、現在地がどこなのかを把握してからリーネ村近辺の浜辺へ船を進ませようとして──フィオレは速やかにフィリアからもらった地図帳を開いた。

 考えてみれば第三大陸フィッツガルドなぞ、片手で数えられる程度しか行ったことがない。

 無論リーネという村も行ったことはないが、何故か聞き覚えがあったために十八年前の地図帳を開いてみたのである。

 かくして、リーネ村は存在した。フィッツガルド大陸最北端に位置する、かなり交通の便が悪そうな──

 

「……ここって、そういえば」

 

 聞き覚えがあるはずだ。フィッツガルドのリーネ村といえば、彼の出身地なのだから。

 カイルがそれを知っているのかどうかはわからないが……あの様子では多分知らないだろう。現地に着いて事実を知って、また何やかやと騒ぐに違いない。

 少年が英雄という存在を知って行くたびに、いつ事実に直面してしまうのか。

 関係ないはずなのに、何故かハラハラしてしまう自分がいる。

 スタンが英雄になったのは世界の危機を救ったから──逆に言えば、世界に危機が訪れたからだ。

 今しがた一行が英雄呼ばわりされたのも、この船が沈没の危機に瀕したから。

 危機が訪れ、それを食い止めたから感謝されているのだ。

 極論を言ってしまえば、英雄とは平和と真逆の出来事が発生しない限り現れず、生まれない。平穏な世の中には必要ないのだ。

 あの無邪気な少年がこの矛盾に気づいてしまったその時、彼はどうするのだろうか。 

 彼のことを思うならこれを指摘するべきなのだが、フィオレにはそんな義務も権利も、ついでに勇気もなかった。

 忘れてはいけない。フィオレが彼らと行くのはファンダリア──ハイデルベルクまでのこと。

 成り行きで行動を共にしているだけであって、フィオレは彼らの仲間ではないから。

 優先するべきことがあるのだから、錯覚を起こしている場合ではない。

 今から十八年前の時のように、また私情と混同することになるだろうと予想がついていても。

 そうやって再確認をするしか、自分を戒める方法はなかった。

 

『微調整を手伝っていただけますか? 私一人では荷が重いので……シルフィスティア?』

『手伝うのはいいけど、今は聖域がないからこっちの力も無尽蔵じゃないよ。フィオレにもかなり負担かけると思う』

 

 彼女の言葉に偽りはなく、リーネ村近辺の接岸は困難を極めた。

 所有者でない者が扱っているせいかどうかは知らないが、リアラのレンズは信じられないほど精神力の消費が激しく、それに伴う消耗が集中を乱していく。

 幸いシルフィスティアのおかげで大事には至らなかったものの、もし一人で事を成そうとしていたらアルジャーノン号は砂浜をえぐり、防砂林を突き破って帆布を派手に引き裂いていたことだろう。

 

「おお、見事だ! 流石は英「さて、我々は船を降ります。ノイシュタットでお会いしましょう」

 

 ひと眠りして充実させた気力が、眠る前と同程度までに擦り減っているのがわかる。

 完全球体のレンズを用いてフィオレ自身の消耗を抑えたつもりが、レンズを使っていなければフィオレも昏倒していたことだろう。

 少女がとんでもない晶力を発生させていたことを改めて実感しつつ、船室にて荷作りに勤しむ。

 

「忘れ物はなし……と。おい、リアラはお前がおぶってけ」

 

 一足早く荷作りを終えたロニが、確認をしながらもカイルにそうけしかける。

 彼としては幼い印象を受けるからか他の理由か、リアラに興味はないらしい。どちらかといえば面白がって弟分とくっつけようとしているフシがある。

 しかしこれも遺伝か、カイルにあまり意味は伝わっていない。

 よしんば伝わったところで、思春期一歩手前の少年には刺激が強いのだろう。オーバーリアクションで恥じらうだけだ。

 そして今回も、目覚めぬリアラを気にかけていたせいか。少年は真面目な顔で兄貴分に返した。

 

「え? いいの、ロニ? 女の子をおぶるなんてロニ、好きそうなのに」

「あのなあ……」

 

 通常ならばロニはくってかかる、あるいは真意を伝えるなどしていただろう。

 しかしそれどころでもないと思ったのか。ロニは首を振って話題を変えた。

 

「それよりカイル、リーネって名前に聞き覚えないか?」

「これから向かう村でしょ? それがどうか……」

 

 ここで。きょとんとしていた少年は、リアラが眠っていることも忘れたように声を上げた。

 この反応。やはり気付いていなかったようだ。

 

「あーっ! もしかして!?」

「そう。お前の親父、スタンさんの生まれ故郷だ。遠回りする羽目になっちまったけど、ま、災い転じてってやつだ」

 

 おそらくリーネという村名が出された時点でロニはピンと来ていたのだろう。

 ジューダスは会話に参加することなく黙々と荷作りをしているが、聞き耳を立てているのはよくわかった。

 

「スタンさんの妹……確か、リリスさんだったか? 頼んでリアラを休ませてもらおうぜ」

 

 このように話すということは、少なくともロニには「怒らせると飯抜き」という兵糧攻めを慣行するスタン妹と面識があるようだ。

 いくら弟分の叔母とはいえ、見も知らぬ女性の家に上がり込み、リアラのためとはいえ寝台を占拠するという暴挙をこれから行うとは思いたくない。

 安堵するべきことに、やはりロニ、そしてカイルはリリス・エルロンと多少の親交があった。

 雰囲気からして牧歌的、ごく穏やかな人々ばかりで、時間すらのんびり流れていきそうな村、リーネ。

 何の警戒心もなく声をかけてきた村人に、スタンの生家エルロン家を尋ねれば、背負われたリアラを見て訳ありだとでも思ったか。村人はすんなり教えてくれた。

 

「リリスちゃんの家なら、ブランコがある家さ。ちなみにお医者なら、宿の隣にあるからね?」

 

 田舎特有の親切さに助けられつつ、つつがなく目的の家を発見する。

 

「こんにちはー!」

「あら、いらっしゃい!」

 

 呼び鈴を鳴らして現れた女性は、実にカイルとよく似た……正確にはスタンとほぼ同じ特徴を持つ、きわめてチャーミングな女性だった。

 まずカイルとの再会を、来訪を喜び。そして彼が背負うリアラに気付き、「まずはその子を休ませないと」と自分が使っているであろう寝台を提供したのである。

 そしてカイルとロニを除いた二人が短い自己紹介を済ませ、カイルがここへ来訪するにいたって経緯を説明した。

 

「……っていうわけで、オレたち、ここに来たってワケ」

「そう……大変だったわね、カイル。それに、皆さんも」

 

 小さく頷き、これまでの苦労をねぎらうリリスは包容力のある女性そのもので、とてもスタンの話に出てくるおっかない妹とは思えない。

 十八年の時は人を大きく変えるのに十分な年月だろうが、ともかくロニはリリスに対して首を振って見せた。

 

「いや、俺たちはどーってことないです、それより急に押しかけちゃって、リリスさんのほうが大変かなって」

「この村にも宿屋はあるんですよね。何ならリアラだけ預かってもらって、ちゃんと部屋を確保しましょうか」

 

 ロニはそうかもしれないが、先ほど船を動かしたフィオレは正直疲れていた。もうひと眠りしたいくらい疲弊している。

 否。ロニとて、沈没寸前の船に乗っていたのだがら、疲れていないわけがないだろうが……

 しかしリリスは、軽くかぶりを振って見せた。

 

「ああ、いいのよ。ここは見ての通り、何もない村でしょ? たまにこれくらいのハプニングがあるくらいで、ちょうどいいのよ」

 

 実に朗らかな笑みを浮かべたリリスだったが、それでもカイルの顔を見て思い出したのだろうか。

 ふっと視線をそらして、遠くを見るような仕草をした。

 

「まあ、兄さんはそれに耐えきれなくって、ここを出てっちゃったんだけどね」

「リリス叔母さん、ひとつ聞いてもいいかな。その……父さんのことなんだけど」

 

 リリス自身からスタンのことを切りだされたためだろうか。

 それまで自重していた──それでも妙にそわそわしていたカイルが、ついに口を開く。

 もちろんそのことに気付いていた彼女は、スタンと同じ空色の瞳を細めて悪戯っぽく笑った。

 

「わかってるわ。小さい頃どんなだったか、知りたいんでしょ? ──そう、とにかく寝ぼすけさんだったわ。兄さんを起こすのはあたしだったから、毎日そりゃもう大変だったの」

 

 いわく、大声で叫んでも毛布を取り上げても、頬をつねっても起きなかったらしい。

 神の眼を追う旅の最中でも、確かにスタンの寝起きは最悪だった。

 ルーティがどれだけがなりたてても、フィリアの懸命な呼びかけにもさっぱり反応しなかったのだから。

 最終的には我慢の限界に達したリオンが額冠(ティアラ)から電撃を発生させる、アトワイトの力を借りて生成した氷を首筋や脇の下にあてがう、あるいは足の裏や脇の下をくすぐるという嫌がらせじみた方法でどうにか彼の覚醒を促した記憶がある。

 ところが、リリスは流石彼の妹か。対処法を習得していたらしい。

 

「で、最後にはフライパンを持ちだして、おたまで乱れ打ちするの。『秘技、死者の目覚め!!』ってね」

「…………」

 

 そんな手があったのか。

 身に覚えでもあるのか、カイルはただ言葉を失っている。

 ロニは露骨に笑いをこらえているし、ジューダスは表にこそ出していないが、きっと思うことがあるに違いない。

 

「あとは、至って普通の子供だった。夢なんかも意外にちっちゃくて、お城の兵士になりたい、なんて言ってたっけ」

「えっ!? 英雄になりたいとは、言ってなかったの!?」

「ううん、ぜ~んぜん。本人が言うには、いつの間にか世界の危機を救っていたんですって」

 

 意外なことに、フィオレも知る「スタンのささやかな夢」を聞きつけて、カイルは驚愕していた。

 てっきりルーティから聞かされているものと思っていたが、やはり彼女も母。息子が抱く父親への憧れを、無下にしたくなかったのだろうか。

 そこはかとないショックに襲われた甥の様子に気づくことなく、彼女は昔を懐かしむように無邪気な笑みを零している。

 

「ふふっ、『いつのまにか』よ? きっと世の中の人が聞いたらがっかりするでしょうね」

 

 多分がっかりしているのは目の前にいるカイルもそうだ。

 スタンが持っていたという腕の痣を誇りに思い、見えない父の背中を追う少年にとって「父親と違う」ことはどれだけ大きな衝撃か。

 

「でも、私は兄さんらしくていいと思うけどね」

「そっか、そうだったんだ……」

 

 リリスがそう思うのは当たり前だ。

 スタン・エルロンは彼女にとって「世界を救った大英雄」ではなく「自分の兄」で「かけがえのない家族」であるのだから。

 その人に近しい分だけ、その人がその人らしくあることを喜ばない人間はいない。

 ただそれで、カイルにとって父であるスタンがどれだけ遠い存在なのか。

 手に取るようにわかってしまったことが、少々悲しい。

 

「せっかくだから、村のみんなにも色々聞いてきたらどう? きっと面白い話が聞けるはずよ」

「でも、リアラが……」

「その子のことなら、心配しないで。私がちゃんと看ててあげるから。さ、いってらっしゃい!」

 

 どうもこれは全員に向けられたものであるらしく、一同はもれなくエルロン宅から追い出しをくらった。

 気を取り直して村人へ聞き込みを始めるカイルやロニだったが、別にスタンの過去などどうでもいいフィオレには、どうしようもない。

 本来ならのんびり散策でもするところ、体調がそれを許してくれなかった。

 軽い風邪を引いたようなけだるさを少しでも緩和させるため、エルロン宅の庭先で揺れていたブランコに腰かける。

 瞬間、尻の下で、ばきっ、と嫌な音が……したらどうしようかと思ったが、幸いそんなことにはならなかった。

 フィオレを乗せてもブランコはきしみもせず、ただ静かに揺れている。

 

「珍しいな。お前がふらふら出歩かないなんて」

「人を夢遊病患者みたいに言わないでください。私からすれば、あなたが風変わりな被りものしてるほうが珍しいんですよ」

 

 見やればすぐそこに、白い仮面の黒づくめ姿が佇んでいた。

 やはり彼も、スタンの過去などどうでもいいらしい。

 仮面のことを揶揄されて、むかっ腹が立ったらしいジューダスに畳みかけるように、フィオレは言葉を続けた。

 

「前々から気になっていましたが、その仮面はどこで手に入れたんです?」

「……どうでもいいだろ、そんなこと」

「それもそうですね」

 

 会話終了。遠くから放牧されている羊の鳴き声や、子供達の遊びはしゃぐ声が聞こえる。

 素直に答えないジューダスが悪いのか、突っ込んで聞こうとしないフィオレが悪いのか。

 そもそもどちらが悪いとかそういうことなのかすら、誰にもわからない。

 ただ質問されることをジューダスが拒んでいるなら、素直に立ち去るはずだ。

 カイルもロニもリアラもいない今、絶好の機会であることに間違いはない。

 

「これも気になっていましたが、その名は何のおつもりで?」

「カイルがつけたものだ。多分、意味なんてわかってないだろ」

 

 意外な事実だった。

 てっきり彼が、自らしたことを皮肉ってその意味を持つ単語を名乗るようになったのかと思っていたが。

 

「──話したくなければ、構わないのですが」

 

 好奇心によるその質問で、表にこそ出さないがそこはかとなく傷ついたであろう彼にフィオレは容赦なく質問を重ねた。

 逃げ道は提示したのだ。

 ヒューゴ氏という雇い主がいなくなった時点で彼とは対等な位置にいるフィオレが、これ以上譲歩する必要はない。

 

「リアラのこと、どのようにして知ったのですか?」

「──お前、いつからそんな詮索好きになった?」

 

 帰ってきたのは答えではなく、冷たい声音による質問の返しだった。

 しかし、これで彼が会話をする気があることだけは知る。答えたくないのなら、黙秘を貫くはずだ。クレスタでの、あの晩のように。

 

「残念ながら、好奇心で聞いているわけではありません。必要に迫られているから聞いたのです」

「この仮面のことも、この名の由来も、か?」

「それはもちろん好奇心です。現に、どうでもいいだろうと言ったあなたに同意したでしょう」

 

 フィオレにしてみればこの会話こそどうでもいいのだが、ひと欠片の可能性がある限り見逃すわけにはいかない。足りな過ぎる情報は少しでも欲しかった。

 リアラのことでも、ましてやジューダスのことでもない。

 エルレインという存在を強く押し出し、その裏で全人類の幸福を願っている存在を少しでも理解するため。

 相手を知ることこそが、速やかな攻略に繋がる。そう信じて疑わないフィオレは、そのためだけにリアラの正体を探っていた。

 エルレインがしていたものとよく似たレンズペンダント。

 エルレインが起こしたものと同じ、否、実によく似た奇跡。

 これだけならあのレンズペンダントに力の正体が、と勘繰れるのだが、ジューダスがリアラの力のことを知っていたとなると話は別だ。

 彼はエルレインに蘇生されていると思しき人物なのだから。

 もしリアラが、エルレイン属する敵対勢力に所属している身なれば。

 ジューダスだけではなく、彼女とも敵対しなければならないかもしれないのだ。

 あるいはリアラの仲間と明言したカイルとも、彼の兄貴分であるロニとも。

 見知った者と刃を交えるかもしれないと妄想するよりも、今フィオレにはするべきことがあった。

 

「リアラの力のことを知っていたら、どうだっていうんだ」

「その力が何なのか、正体を知りたいのです。知っているなら是非教えてください」

「……何故僕がそれを知っているのかは、聞かないのか」

「知る必要はないし、興味もありませんから。それを聞いたところで、お答え頂けるので?」

 

 彼が詮索を嫌う傾向にあることくらい、嫌というほど知っている。

 自分に関すること以外ならば答えてくれるだろうと踏んでの、質問だった。

 すでにジューダスの声音から険は抜けている。

 そのものズバリは教えてくれなくとも、何かヒントが手に入るだろうと踏んだのだが。

 

「──答える義理はない! そんなに知りたければ、本人から聞くんだな」

 

 彼は急に声を荒げたかと思うと、マントを翻してフィオレに背を向けた。

 ジューダスにしては珍しく、足を踏み鳴らすようにして歩き、やがて民家の影に消える。

 小柄な黒い背中が見えなくなったところで、フィオレは大きく息をついた。

 これまでの言動を思い返してみるも、彼がいきなり言葉を荒げた理由が思いつかない。

 怒らせる要因ならあるし、実際彼が発した言葉の中でその怒りを、苛立ちを声に出している。

 問題はそれが爆発した原因だが──どんなに考えてみても、思考回路がジューダスと同一でない以上、フィオレにわかることなど一切なかった。

 のんびりと、時間は流れていく。

 

 

 

 

 それからしばし。

 そのままブランコを占拠して、うとうとしていたフィオレはふと、カイルとロニが連れ立って歩く姿を見つけた。

 途中で捕獲されたか、ジューダスの姿もあり、足がこちらに向かっている辺り情報収集は済んだのだろう。

 立ち上がったところでエルロン宅の扉が鳴り、リリスが姿を現した。大きな編み籠を持っている辺り、洗濯物を取り込むのだろうか。

 

「あ、お帰りなさい。どうだった? 皆の話を聞いて、少しは兄さんのこと、わかった?」

「う~ん……オレのイメージと大分違うってことはわかったよ」

 

 喧嘩もすれば悪戯もし、ドジをすれば落ち込む。

 これでカイルと変わらないのは、むしろ彼にとって誇るところかもしれない。何せ、彼は父と同じ道を歩いているということなのだから。

 しかし彼はそうは思わなかったらしく、ただただ微妙な顔をしている。

 そんなカイルに、リリスは籠を持ち直して微笑みかけた。

 

「昔ルーティさんに聞いたんだけど、あなたも英雄を目指してるんですってね。あの兄さんにできたんですもの、あなたも立派な英雄になれるわ。頑張ってね、カイル」

 

 その言葉にこそ力強く頷いて見せるものの、どことなくカイルは腑に落ちない顔をしている。

 他意があってのことなのか、彼女は洗濯物をてきぱき取りこみながら尋ねた。

 

「今日はもう疲れたでしょう? ここに泊まっていきなさいな」

「う、うん……」

「じゃあ、すぐに寝床を用意しないとね」

 

 久しぶりに洗ってよかったわ、と言わんばかりに、彼女は真っ白なシーツを次から次へと取りこんでいる。

 それをカイルらと手伝いつつも、フィオレはリリスに、そしてカイルに話しかけた。

 

「リリスさんの好意は大変嬉しく思いますが、私はやっぱり宿を取ろうかと」

「あら、どうして? 床に寝るのが嫌ならソファがあるし、何なら私と一緒にベッドでも」

「そうだよ、フィオレ。ソファならオレかロニが譲るよ?」

 

 リリスと寝るくらいなら、リアラの寝床にお邪魔する。案外飛び起きてくれるかもしれない。

 どうしていきなり寝台の話になるのかわからないが……作業を続けながらフィオレは声をひそめた。

 

「ジューダスと喧嘩しました。一晩離れて、互いに頭を冷やした方がいいかと」

「えっ!? フィオレ、ジューダスとケンカしたの!?」

 

 カイルの声が大き過ぎて、シーツを畳むロニにも畳んだシーツを運ぶジューダスにも聞こえたと思うが……突っ込むのはやめておく。

 別に知られて困ることではない。

 

「ええ、そうです。そんなに驚くことですか?」

「だって二人とも、いつも仲良さそうなのに。喧嘩とかするんだ」

 

 傍から見たらそうなのかもしれないが、多分気のせいだ。

 彼は珍しいものでも見たかのように、二人を交互に見た。

 

「何があったの?」

「──私が不用意な質問をして、その件について触れられたくなかったジューダスが怒った。そんなところです」

 

 ひどく抽象的な言い方になってしまったが、それでも話したことをそのまま伝えることはできない。

 今はただリアラの回復を待つ彼に余計なことを吹き込んで、彼女に対し色眼鏡をかけさせたくなかった。

 しばしの沈黙を経て、カイルはこくりと首を傾げている。

 

「……よくわかんないけど、それってフィオレが悪いってこと?」

「原因を作ったのはそうだし、怒らせるに至ったのも私に否があるでしょうね」

「な、なんでそこまでわかってて謝らないのさ! あ、謝っても許してもらえなかったとか?」

 

 確かに、自分に否があるとわかっている以上、この場合フィオレが一言謝ればこの話はまとまるだろう。

 彼がリオンであったなら──ヒューゴ氏という雇い主の子息なら、フィオレはその場で即座に謝っていた。

 だが、彼がジューダスである以上わきまえるべき礼儀がある。

 

「いえ、謝っていません。彼にものを尋ねたこと自体、悪いことをしたと私は思っていないんです」

「へ?」

「私は確かに彼を怒らせましたが、その事に対して悪かった、とは思いません。私は質問をしただけなのですから」

「え、えーと。じゃあ、フィオレは質問に答えなかったジューダスが悪いと思ってるの?」

 

 もちろんそんなことはない。フィオレは黙って首を横に振って見せた。

 ジューダスを怒らせたことはわかっていても、謝る気がない。

 正確には、謝罪の意志なく謝るのは上っ面を取りつくろうだけだ。そんなことをしてもジューダスは許さないだろう、だから。

 

「ジューダスは聞かれて嫌なこと聞いたから怒ってて、フィオレはそのことわかってるけど悪いことしたとは思ってなくて……?」

「ね。わけがわからないでしょう? 私も一晩距離を置いて、頭を冷やそうかと思って」

 

 シーツを含む洗濯ものの取りこみを終え、「それではまた明日」とエルロン宅から離れる。

 何の未練もなく、さくさく歩み去るその背中を見送って、カイルはくるりと振り向いた。

 視線の先には、呆れたように額に手を当てるジューダスがいる。

 

「……嫌がらせか」

「ねえ、ジューダス。フィオレと何があったのさ?」

「別に喧嘩なんかしてない。少し声を荒げただけだ。あいつが、くだらないこと聞くから……」

 

 本人にその気があるかどうかわからないが、「僕は悪くない」と全力で訴えている気がしてならない。

 事情のわからないカイル、そしてロニとしてはただ困惑するしかない。それはリリスとて同様だ。

 その空気を居心地悪く思ったのか、ジューダスは咳払いをした。

 

「──とにかく、喧嘩というのはあいつの一方的な誤解だ。明日あいつの頭が冷えた頃それを伝えるから、お前らが気にすることじゃない」

「……ジューダスがそう言うなら、いいけど。結局何話してたの?」

「答える必要はない。それで、知りたいことはわかったのか?」

 

 聞き込みに同行しなかったジューダスがそれを尋ねれば、カイルは自分なりにまとめた「スタン」という人間の見解を話している。

 物語に描かれるような「英雄」だとばかり思っていたスタンが、身近な存在であることに気付いた。

 そのことはカイルにとって、更に英雄になれる可能性を見出したにすぎない。

 少年の興味を、彼女がよく使う手で見事そらしたこと。

 リアラの力について聞かれた時、まったく自身に興味がないのだと言われているようで声を荒げてしまったこと。

 それでも、以前はよくやっていた上っ面の謝罪をやめてくれたこと。

 あれだけ毛嫌いし、敬遠していたはずの人間が驚くほどに自分の中に浸透していることを今更のように思い返して、ジューダスは盛大なため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十五戦——田舎の朝は早い~さわやかな朝、居心地の悪い時間

 あれから一晩、リーネ村からお早い出発。リアラの回復が早くて何よりです。
 ──自分も信じて、相手も信じる。非常に難しいことです。
「信じるのは自分だけにしとけ。信じたい人を信じて、裏切られたら自分の見る目のなさを呪え」
 かつてフィオレと名乗る前、彼女は自分の教え子へこのように説いているのですが。
 フィオレにはスタンの言葉が、どのように響いたのでしょうね? 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝のこと。フィオレは、彼方から聞こえてくる銅鑼に似た音で目を覚ました。

 まるで手鍋とお玉杓子──蛙の幼生ではない料理器具を打ち鳴らしたかのような、騒音である。

 エルロン宅から出てすぐに宿を取り、そのまま寝台に倒れ込んだというのに。窓の外ではお天道様はすっかり顔を出している。

 むっくりと起き上がったところで扉が叩かれ、応対に出られる格好ではなかったにつき、フィオレは声を張り上げた。

 

「どちら様ですか」

「お早うございます、お客様。リアラさんと仰る方がおいでですが」

 

 ──思ったよりも早く回復したようで何よりだ。

 壁にかけられていたバスローブに袖を通し、おざなりにタオルを被る。

 現れたリアラの顔色は、昏睡状態と比べ物にならないくらい血色が良くなっていた。

 

「お早うございます、リアラ。体調は如何ですか?」

「もう大丈夫、ありがとう。あのね、リリスさんがフィオレも一緒に朝ご飯を食べないかって」

「大変嬉しいお誘いですが、恥ずかしながら起き抜けでして。身支度を済ませてから参りますので、リアラは先に戻っていていいですよ」

 

 昨日脱ぎ散らかした衣服をかき集めて、少女には先に戻るよう告げる。ならば外で待つと、リアラは部屋から出ていった。

 彼女が出ていったのを確認して、軽く湯浴みをしてから身支度を整え、宿を出る。

 件のリアラはといえば、宿から出てすぐ先、用水路に通じる池のほとりで佇んでいた。

 その隣には、帰らぬ彼女を探しに来たのか。普段のツンツン頭に寝ぐせまで加えたカイルの姿があった。

 リアラの回復を純粋に喜ぶカイルは、当然のように話題を昨日のことへ移行させている。

 言葉少なに相槌を打つリアラとは対照的に、カイルはいつにも増して興奮しており、二人が持つ似たようなペンダントに着目した。

 

「……あっ! もしかしてそのペンダント、なんかすごい力があるの? それがあったら、オレも奇跡が起こせる!?」

「それは……」

「な~んてね! そんなハズないよな。君のペンダント、拾ったことがあったけどあの時は別に何も起こらなかったし」

 

 核心を突かれたからなのか、リアラは言い澱んでいるものの、カイルはそのまま自己完結してしまっている。

 秘密を抱える人間にとって、これほどありがたい話相手もいないだろう。

 ともかくあれは、純粋にリアラの力なのだと。そう再認識して「すごい」と褒めるカイルに対し、リアラは照れるでも増長するでもなく、ただ否定した。

 

「すごくなんかない。わたしの力なんて、まだまだよ。フィオレの方が、すごいわ」

「リアラ……?」

「船底にいたフォルネウスに早く気付いて対処できたのは、フィオレが甲板の陽動を倒していてくれたからだわ。フォルネウスを倒した後、急拵えだけど穴を氷で塞いでいたし、脱出方法だって現実的な方法を思いついた」

 

 ふわりと風が通り過ぎ、リアラの髪や腰辺りをまとめるリボンをたなびかせ、水面を揺らす。

 初めて出会った時のように感情を押し殺したかのような少女は、頬にかかった髪をかきあげた。

 

「新手のフォルネウスから船を守ってくれたのもフィオレ、船を無事陸の近くまで運んだのもフィオレ……わたしはただ、船を浮かべただけ。それだって、今回はたまたま上手くいっただけだわ。また同じことができるか、って言われたら……」

 

 彼女の独白に、妬み嫉みは感じられない。リアラはただ事実を言い、自分の力不足を嘆いているだけだ。

 そんな後ろ向きな告白を聞かされ、カイルが彼女にかけた言葉とは。

 

「──自分と相手を信じろ。そうしたら、最後はきっと上手くいく」

「えっ?」

「ロニが教えてくれたんだ。父さんの言葉なんだって」

 

 唐突にこんなことを言い出す辺り、昨夜スタンのことを知ったことでロニが話したのだろうか。でなければ父にして英雄の格言を、彼が常日頃から振りかざさないわけがない。

 そのままカイルは、ここリーネ村がスタン・エルロンの故郷であることを踏まえて言葉を続けた。

 スタンの人となりを人々から聞き込み、彼が特別な人間でも何でもなかったこと。

 むしろ行いは寝ぼすけも含めて、カイルに似たりよったりであったこと。

 ならば自分にも十分可能性が、と思った矢先。先ほどの一言に通じるらしい。

 

「けど……ロニが教えてくれたんだ。さっきの言葉」

「自分と相手を、信じ続ける……」

「それって、すごく大変なことだって、オレにも何となくわかる。でも、父さんはそれができた。だから英雄になれたんだ」

 

 ──何かが。何かが、大幅に違っている気がする。

 確かにスタンは底抜けのお人よしで、田舎出身──それまで人間の醜い面を知らずに済んでいたからこそ、人を疑うことを知らなかった。

 ルーティから常日頃馬鹿にされていたように、純真無垢な幼い子供のように人を信じた。

 スタンが歩んだ道の行程を、フィオレはほんの一部しか知らないから、頭から否定することはできない。

 長きにわたる旅を終えて、彼がそう思ったのならばそうなのだろうと、その意志を尊重するべきではあるだろうが。

 ただ、スタンの血を引いていてもカイルはスタンではない。

 彼だからこそ通じる理屈を実践して、果たして彼が何を知るやら。

 

「だから……オレもやってみる! 自分とみんなを……リアラを信じる!」

「カイル……」

「またできるかわからない、って言ってたけど……おれはできると思う。リアラなら必ずできるって、信じてる!」

 

 だからリアラも信じてみろと、焚きつけて。リアラは僅かな躊躇を経て、力強く頷いた。

 そろそろ声をかけてもいいかなと、物陰から姿を現しかけて、やめる。

 まだカイルの話は続いていたからだ。

 

「……ここだけの話、フィオレのことが苦手なんだ。苦手っていうか、うらやましいっていうか……初めて君と会った時「英雄だ」ってあっさり言わせちゃったくらい強いし、この間稽古をつけてってお願いしたら、ボコボコにされたんだよ」

「そうなの?」

「うん。ジューダスが審判やって、オレがこの剣でフィオレがこのくらいの短剣だったんだけど、全然歯が立たなくて」

 

 彼が言っているのはおそらく、船が出て二、三日経ってからの話だろう。

 暇を持て余したと思われるカイルが軽い気持ちで挑んできたのだろうと、こちらも暇潰しのつもりで剣を交えたのだが……正直、ひどいものだった。

 我流なのはいいとして、剣を扱う基本さえも押さえていないのだから。

 これはあくまでフィオレの見解だが、剣をがむしゃらに振り回せば何とかなる、という意識すら感じられた。

 武器を振り回したいなら、鎖付きの鉄球でも振り回していればいいと思う。

 

「やっぱりフィオレはすごいのね。この間、甲板でジューダスと戦ってるから何事かと思ったけど、運動不足解消だ、なんて言ってたもの」

 

 だんだん会話が聞くに堪えないものと化してきたにつき、フィオレはやぶれかぶれで二人の間に突撃した。

 

「リアラ、お待たせしました。カイル、お早うございます」

「あっ! お、お早うフィオレ」

 

 それまでフィオレに関することを話していたせいか、カイルの挙動は怪しい。

 それを利用して、フィオレはまぜっ返すことにした。

 

「……ひょっとして、お邪魔でしたか?」

「そ、そんなことないよ。そうだ二人とも、みんな待ってるから早く行こう?」

 

 こまめに整備されていない、あるいは古いからくり人形を動かすかの如く、彼は気持ちリアラから離れるように歩き始めた。

 そのままカイルの後に続いてエルロン宅の扉をくぐり、気を取り直したらしいカイルは玄関口で大声を張り上げている。

 

「さ、朝飯食ったらすぐ出発だ! リリスおばさ~ん、ごはん!」

 

 フィオレの感覚からすれば、他人の家で手伝いもせず食糧要求など、とんでもない暴挙なのだが……彼としては他人ではなし、これが普通なのだろう。

 やってきたリリスは、呆れたように一息ついた。

 

「ごはんになると元気になるのも、兄さんと同じなのね」

「お早うございます、リリスさん。お言葉に甘えさせていただきます」

 

 遅ればせながら挨拶を口にしたフィオレを認めて、彼女はにっこりと微笑んだ。

 

「お早う。もう用意はできてますよ。冷めないうちに食べてね」

 

 そのままダイニングへ案内されて、そこでロニとジューダスを発見する。

 フィオレが入ってきたのを見て、ロニはちらりとジューダスを見やった。彼は相変わらず、仮面の奥の素顔を動かさない。

 

「お早うございます、ロニ。ジューダ「僕は怒ってなんかいない。お前が勝手に勘違いしただけだからな。この話はそれで終わりだ」

 

 フィオレの言葉を遮り、ジューダスはぶっきらぼうにそれを告げて席に着く。そのまましばらく彼を見つめていたが、やがて。

 

「……そ、ですね。そういうことにしておきましょうか」

「しておくも何も、事実だ」

 

 固まりかけていた場の雰囲気が、あっという間に和らいでいく。

「喧嘩」の件にはこれでカタがついたと、ロニは大仰に肩をすくめてみせた。

 

「やめようぜ、お前ら。人んちでケンカなんて」

「そうですよジューダス。思わせぶりな態度とるから、見事誤解してしまったではありませんか。罰として卵焼きをひとつ、私に献上すること」

「──何が何でも僕に否を押し付けるつもりか」

「いーえ、とんでもない。大声出すだけで誤解を与えないように、もう少し感情表現を豊かにしてみるとか」

 

 ぶすくれてはいるものの、ジューダスのしかめっ面は消えている。

 仮面で隠れて判然としないが、眉間のシワもなくなっているだろう。

 一同のやりとりに笑顔を浮かべているリリスより提供された朝餉を終え。旅支度を整えたカイルは、リリスに向き直った。

 

「リリスおばさん、いろいろありがとう! ごはん、美味しかったよ!」

「もう行っちゃうの? ゆっくりしていけばいいのに」

 

 彼女の言葉は嬉しいが、一同とて今はゆるりと休んでいられない。

 ノイシュタットではアルジャーノン号が待っているし、個々の目的もあるのだから。

 カイルはあくまで、笑顔で別れを告げた。

 

「またいつか、必ず来るよ。今度は、父さんと母さんも連れて!」

 

 一瞬、それまで寂しげではあるものの活発だった彼女の笑顔が固まった。

 意表を突かれたような、驚きを宿した瞳がロニへと向かう。

 彼がどんな顔をしているのかフィオレにはわからない、が。それはカイルに気づかれない一瞬のこと。

 

「──そうね、その日を楽しみにしているわ。あっ、そうだ。出発の前に……」

 

 リリスはきびすを返して立ち去ったかと思うと、一本の剣と手下げタイプの籠を持ってきた。

 

「はい、これを持っていって。兄さんも使ってた英雄御用達の品よ。それと、差し入れ!」

「父さんの!?」

 

 英雄スタンが常に携えていたのは、ソーディアン・ディムロスだったはずだが……彼が帰郷した際愛用していたものだろうか。しかしそれにしては使い込まれた感じはなく、かなり真新しく感じられる。世界が平和であった証かもしれない。

 編み籠の中には保存食が詰められており、安定的な金銭調達手段のない一行には嬉しい心遣いである。

 

「フィオレ、オレこれからこっち使うから、オレのお下がり要らない!?」

「……遠慮しておきます。私には少し重たいですし」

 

 一応持ってみるものの、彼が扱うはスタンダートな剣だ。使えるといえば使えるが、常時腰に差しておきたいものではなかった。

 前衛はカイル・ロニが務めてくれているのだし、すぐに必要なものではない。

 しかしカイルとしては、これまで頼ってきた愛剣を手放すのは不満であるらしく、唇を尖らせている。

 

「フィオレ、結構我が侭なんだね」

「そう言われたのは初めてです。でも、自分の命を預ける武器はこだわりたいので」

 

 そんなやりとりを微笑みつつ見守っていたリリスだったが、この騒動はカイルが持っていた剣をロニが持ち歩くということで決着がつく。

 玄関まで見送りに来た彼女は、最後まで柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「元気でね、カイル。また遊びに来て頂戴。いつでも、大歓迎よ」

「また来るよ、絶対! リリスおばさんも、元気で!!」

 

 彼女と同じく見送りに来た白兎「ポテちゃん」を撫で、一同を出たところで訪れた時と同様に頭を下げる。

 

「お世話になりました。御馳走にまでなって、何のお礼もできないのは恐縮ですが……」

「いいんですよ、そんなの! 今度はフィオレさんも、泊まりに来てくださいね!」

 

 快く送り出され、新鮮な気持ちに浸っていたフィオレは外を眺めてふと我に返った。

 リーネ村を出て目指すノイシュタットの方角を見やる。

 地図を参考にするなら、フィッツガルド大陸はなだらかな丘陵地帯で、道なりに進めばノイシュタットに辿りつけるはずだ。

 だが、この一面に広がる白い煙幕は何か。

 

「うっわー……一面真っ白! 何あれ?」

「なるほど、これが白雲の尾根か」

「……はくうんの、おね?」

 

 ジューダスは事前にリサーチ済みであるらしく、小さく鼻を鳴らしている。

 この分なら、首を傾げるリアラや白霧に包まれる平原をキラキラした目で見つめるカイル達に、蘊蓄を語るだろうと思われたその時。

 

「この辺り一帯は十八年前、ベルクラントの攻撃で地形ががらりと変わっちまってな。地形が変われば気候も変わる。ここではこんな濃霧が覆うようになった。年がら年中真っ白なこの地域を、人はいつしか白雲の尾根と呼ぶようになったのさ」

 

 実に意外な注釈を入れた人間に、注目が集まる。

 ジューダスの視線すらも独占するは、斧槍を肩へ担ぐようにしたロニだった。

 カイルやリアラなどは、素直に称賛している。

 

「へえーっ!」

「すごーい、ロニって博識なのね」

「いや何、神殿にいた頃司書のおねーさんが美人でさあ。何とかお近づきになりたくて、必死こいて丸暗記したのがこんなところで役に立つとはな!」

 

 などと、実に好感の持てる快活な笑みを浮かべて見せた。

 こんな素直なところは、割とフィオレは好感を持っているのだが。

 実に不純な動機で仕入れられ、披露された知識に罪はない。ただ、これで何かを思わない人間は皆無だった。

 

「カイル。ノイシュタットは南東の方角にある。幸いコンパスは使えるし、地図も仕入れたがはぐれると厄介だ。慎重に進むぞ」

「うん、わかった。さあ、ノイシュタットへ出発だ!」

 

 主にリアラやジューダスから冷たい視線を投げかけられ、ロニが何事かを喚いている。

 そんな彼を見やって、フィオレはおもむろにコンタミネーションを発動させた。

 

「ロニ!」

「……あ? 何だよ」

「命が惜しければ動かないことです」

 

 言いながら、笹の葉型の手裏剣を彼へ投擲する。

 幸いなことに彼は、フィオレの言い分に従ってくれた。

 

「へ? ……どわっ!?」

「ボーッとしていては命取りですよ。これからは視界の悪い霧の中を進むのですから」

 

 悠然とロニの傍を通り過ぎ、見事目標を貫いた笹の葉型手裏剣を回収する。

 ストーアウォームという蛇によく似た魔物のレンズを拾って、フィオレは踵を返した。

 

「ロニ、フィオレ! ジューダスが言った傍から離れちゃ駄目だよ」

「すみませんね、カイル。ところでルートはもうお決まりで?」

 

 特に何も考えず進もうとしていたらしいカイルが、勢いよく首を横に振っている。

 フィオレは彼が持つ地図を取り上げると、その場で広げた。

 フィオレが持っていた地図帳とは天と地ほども差がある、白雲の尾根のみの略図が広がっている。

 

「えーと、あちらが南。ですから地図の向きはこうですね」

 

 結果として、カイルが見ていたのは逆さの地図であったことが判明した。

 地形が変化した結果なのか。ノイシュタットまでの道のりは、ガタガタになった丘陵を進んでいかなければいけないようだった。

 

「視界がこれで、道が定まっていないと来ましたか。リーネって実は、陸の孤島だったんですね」

「難儀しそうだが、坑道に潜るよりはマシだろう。交易隊や英雄の故郷を一度訪れようとする旅人の行方が知れなくなると有名なんだ」

 

 驚いたことに地図の読み方をよく知らないとほざきだしたカイル、そして己の知識を増やそうと真剣に話を聴くリアラを交えてジューダスと共に地図の読み方をレクチャーしていく。

 

「だったらこっちの道を行ったほうが早いんじゃ……」

「馬鹿者。そこはいくつもの線が描かれているだろう。地面が何段階かに分かれて隆起しているから、山のようになっていると仮定するべきだ」

 

 あーだのこーだの言いながら、基本警戒はロニに任せて白雲の尾根を進んでいく。

 気温によるものか季節によるものか、あるいはもともとか。とにかく白霧はフィオレが恐れていたほどの密度はなかった。

 ただ、霧の中を進むというのは霧雨の中を歩くも同じで、進んでいるうちにいつの間にか体が濡れている。

 日が落ちる前までに坑道のある場所を目指し、夜は坑道の入り口に幕を張って霧をやり過ごす。時折坑道の奥から這い出てくる魔物と派手な乱戦を繰り広げ。

 基本的に投擲武器を使って戦うフィオレは、この頃後衛に徹していた。

 面子が面子であるため、あまり気が抜けない行程を進むこと二日。

 すでに日が落ち、橋を越えて少し行った先に坑道があるから、とただでさえ視界に難のある道を急いでいた矢先のこと。

 歩く度ギシギシと音を立てる、古びた橋を渡る最中でカイルがふと大声を上げた。

 

「あ、見てよ! あんなところに山小屋がある!」

 

 確かに彼が指差す先、こぢんまりとした木製の小屋が建っているように見える。近寄ると人の気配が一切しない一軒の小屋が確かにあった。

 試しに戸を開いてみるも、鍵はかかっていない。

 

「ちょうどいいじゃねえか。わざわざ土臭い坑道に泊まらにゃならん理由があるわけでもなし、ここで休もうぜ」

「でも、もし誰かのお家だったら」

「大丈夫。それはなさそうです」

 

 ロニの提案にリアラが心配そうに顔を曇らせるも、フィオレは率先して中に足を踏み入れた。

 内部は思った以上に広く、土間と板敷で区分けされていた。

 靴を脱いで板敷へ上がり、置いてあるものを物色する。

 

「やっぱり。白雲の尾根を旅する人々が休めるよう設置された小屋ですね。保存食とか、古いけど寝具とか……囲炉裏もあるから、今夜は温かいものが食べられそうです」

「おっ、それはありがたいねえ。何か作ってくれるか?」

「はいはいはい! オレ、マーボーカレー食べたい!」

「材料ないからムリです。ま、適当にあったまるようなものを作りますから」

 

 男衆に水汲みを言いつけ、フィオレはリアラと共に下拵えにかかった。

 材料は限られているから、献立を考えるまでもない。

 

「リアラ、そこに置いてある大鍋の埃を払ってくれますか?」

「これ?」

「ええ。後で洗いますけど、軽く叩いて底が抜けないか確かめてほしいんです」

 

 必要材料の選別、水が届けられたことで調理用、洗浄用の水を要求して作業に取り掛かる。

 リリスからもらった食用茸に野菜各種、干し飯の材料にしてくれともらった生米、保存食の中にあった干し茸を戻し研いだ米と食べやすい大きさにカットした茸を炊き合わせる。

 その間に、やはりリリスからもらった昆布で出汁を取り、味噌を溶き、あった食糧を適当に放り込んで炊き込みご飯と入れ替えるように火にかける。

 そして、出来上がったのは。

 

「さて、お待たせしましたね。毒自体も毒になりそうなものも入っていませんから、どうぞ」

「なんか引っかかる言い方だな……何作ったかくらい言えよ」

「色どり茸の炊き込みご飯と、ありあわせミソ・スープです。ではお先に」

 

 全員分を取り分けて、フィオレが食べ始めたのをみて安全と判断したのかジューダスが、温かな湯気の漂う久々の食事らしい食事にカイルがぱくりと一口食べてみる。

 ジューダスはただ黙々と口に運んでいるが、彼は食べ終わるよりも一言叫んだ。

 

「う、うまい!」

「取るに足らない間に合わせですが、口に合ったのなら幸いです」

「うん、オレ初めて食べたけどすごく美味しい! 特にこの、ご飯が焦げたところとか!」

 

 時折味噌汁に手を伸ばして凄まじい勢いでかっこむカイルの食いっぷりを見てロニが、リアラもさじを手に取る。

 

「お前器用だな。飯はともかく、汁までそれで飲む気かよ」

「具材摘まむだけで直接飲むに決まっているでしょうが」

 

 唯一箸を使うフィオレにロニが目をつけたものの、特にクレームはない。味に関しては彼らもまた控え目に驚きを示して、黙々と食べ進めていた。

 

「あー、美味しかった! おかわり!」

「早食いは胃に優しくない上に、駄目です。米粒がひとつでも残っているなら完食とは認めません」

 

 フィオレは涼しい顔で自分の、そしてジューダスの分をよそっている。

 カイルのおかわりがよそわれる頃には、ロニ、リアラも同様におかわりを要求しており、二つの鍋は無事空っぽになった。

 

「あ~……うまかった~……ごちそうさま~」

「食べ終わってすぐ寝ると、牛になりますよ」

 

 久々に思う存分腹を満たした、ということもあってだろう。

 実に幸せそうな顔でごろりと寝そべるカイルに苦笑しながらも、使った調理器具を手早く洗って水気を切り、残り火で乾かす。

 小屋にあった調理器具を元の場所へ、もともと携帯していたものをさっさと荷袋へ押し込めるフィオレを見て、ロニは抜かした。

 

「しかし、なんか意外だな。フィオレって結構家庭的なんだな」

「お褒めの言葉として受け取っておきましょう」

「褒める以外の何があるんだよ。家庭的な女って結構ポイント高いんだぜ?」

 

 荷作りを終えて、板敷へ続く階段に腰を下ろす。

 料理などしたのは久々だ。神の眼を追う旅において、料理好きな上玄人級の腕前を持っていたマリーが喜々として担当していたためである。包丁を手に鍋の取っ手を握ったのもかなり懐かしい。一番最近の記憶は……何かのきっかけでフィリアと、菓子作りをした程度か。

 道中の疲れか、久々の調理が引き起こしたものか。口に手を当てて大きく深呼吸したフィオレを見て、ジューダスが言った。

 

「眠たかったら各自仮眠を取れ。見張りは僕がやる」

「いいの? ジューダスだって、疲れてるんじゃ」

「代わってほしくなったら起こす。それまで、体を休めておけ」

 

 ぶっきらぼうだが、リアラの質問に返すその言葉は若干の柔らかさがある。そろそろ、角の立たない言い方を心得てきたか。

 ジューダスの言葉に甘え、あまり清潔とは言えない寝具に各自、外套を敷くなど対応策を取って就寝する。

 清潔でなかろうと、すえた臭いがしようと、いかにぺたんこであろうと寝具は寝具である。このところゴツゴツした地面で、けして充分ではない睡眠を取っていた一同にとっては天と地ほども差があり、故意に起こされない限りは惰眠を貪ることになるはずだった。

 ところが。

 

「……どうした?」

 

 深夜。物音を聞いて階段に座っていたジューダスは後ろを振り向いた。

 掛け布を取り、むっくりと起き上がる。それは就寝時、帽子は外してもアイマスクは外さないフィオレであった。

 悪夢を見たとか、そういった様子はない。きょろきょろと、無数の細かな覗き穴が開いているアイマスク越しに寝入る一同を見やり、おもむろにアイマスクを取った。

 

「……あのですね、ジューダス」

「なんだ。別にまだ見張りは代わらずとも……」

「それはよかった。ちょっと行ってきますから、皆を外へ出さないようにしてください」

 

 突然外の徘徊を宣言され、ついていけないジューダスを余所に軽く身支度を整える。

 一体何事だと問い詰めようとするジューダスを制し、フィオレはチャネリングを使った。

 

『バルバトスが近くにいるみたいです。ここに乗り込まれても厄介ですから、どうにか撃退してきます』

『倒すんじゃなく、撃退? なんで?』

『私の独力であの男を仕留めるのは難しいからです。致命傷浴びせれば、また姿を消すのではないかと』

 

 シャルティエにそう答えて、武装となるものだけを身につけていく。

 しかし、あのバルバトスと再戦すると聞いてジューダスは立ち上がった。

 

「待て、あいつと戦うなら僕も──」

『ただ、必ずここを巻き込まずに戦えるかどうかわかりませんから。ジューダスには待機してもらって、いざという時は皆を連れて避難してほしいんです』

 

 声量が上がりがちなジューダスを抑え、フィオレはそのまま小屋を出た。

 これで不安要素はなくなった。後は、フィリアを害したあの男の鼻っ柱を叩き折るだけ。

 仕留めることすら難しい相手にそんなことができるのか。一切保証がなくとも、最善の方法は他にない。

 白雲の尾根の真っただ中、月の光をも微妙に歪める霧の中。それは身を隠すでもなく、ただ佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十六戦——五番目の月が輝く。闇に月満ちる時、魔の囁きが耳を侵す

 バルバトスとの再戦に、山小屋修羅場パート(カイルは両方除け者)
 仲がいいんだか悪いんだか、この一行忙しいなあ。息つく暇もありゃしない。
 フィオレに至っては、彼らのことを仲間(時期限定)だと思っているし。完全に傍観者気分です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小屋から離れた、小川のほとり。

 寒色の蓬髪を夜風にたなびかせた巨漢は、まるで待ち合わせでもしていたかのようにただ立っている。

 フィオレの姿などとうに捕捉しているだろうに、何の反応もない。

 このまま、何も見なかったことにして小屋に戻ってしまいたかったが──彼らを巻き込む危険性が高いとして、そのまま小川へと近づく。

 視認できるこの位置から譜術で狙い撃ちも、バルバトスに小屋への接近を許すだけだろう。

 互いの表情がわかり、互いの声が届くこの距離までフィオレがやってきた時のこと。

 

「──まずは褒めてやろう。この俺に臆さず、ただ一人でやってきたことを」

「あなたこそ、称賛に値します。丸腰の神官を殺し損ね、余裕綽々で敵前逃亡などという恥をさらして堂々姿を見せたこと。恥ずかしくないんですか?」

 

 三人──否、不意討ちしたジューダスも入れて四人か。とにかく多勢に無勢をしのぎ切ったという事実を盾にしているのか。

 フィオレの挑発に、バルバトスは小揺るぎもしなかった。

 

「己の手に余るとわかった以上、俺から平静を奪うため(さえず)るか。姑息な女だ」

「私は事実を告げただけなのですが、挑発と思い込みましたか。格好つけたところであなたの無様な姿は、私の記憶からは消えません」

 

 とはいえ、狙いが読まれている以上何をしても無駄だろう。

 それまで火に油を注ごうとしていたフィオレは、考えていた言の葉を全て削除した。

 

「とまあ、ご挨拶はこの辺でよろしいでしょう。何が目的なのか、お聞かせ願えますか?」

「貴様への用など、ただひとつしかない。泡沫の英雄と呼ばれし貴様を討つ。それだけよ」

「──本当に、それだけですか?」

 

 携えていた戦斧を振りかざし、今にも仕掛けてこようとするバルバトスを前に、フィオレはただそれを尋ねた。

 彫りが深く、フィオレを射殺さんばかりに睨む鋭い瞳が僅かに揺れる。

 

「……何?」

「私を殺す。ただそれだけが目的なら、私に己の存在を気付かせることなく小屋へ強襲をかければよかった。そうすれば私も、あなたが気に入らないだろう英雄を志すあの少年も一網打尽にできたのに。それをしなかった理由が何かあるのか、と尋ねています」

 

 これがただの気まぐれなら、それでいい。

 ただ、一見何も考えていなさそうなこの猛獣のような男が、何か特殊なものを抱えているとしたら、それを知ることで、更なる事実に踏み込めるのではないかと思ったのである。

 かくして、バルバトスの反応は意外なものだった。

 

「フン。守護者共の入れ知恵か」

「いいえ、純粋な私の疑問です。まさかまともな反応が返ってくるとはね。狂犬よろしく襲いかかってくると思っていたのに」

「まあいい。──問うぞ。貴様が守護者共にかしずく理由はなんだ。力か? 奴らの力を振るい、それを己の力と錯覚し、優越感に浸っているのか?」

「……それも、あるのかもしれませんが。主な理由でないことは確かです」

 

 実に唐突な問いだが、これほど的外れな予想も珍しい。フィオレは一応首を横に振った。

 

「私が彼らに従うは唯ひとつ。望みを叶えてもらうためです」

「……望み、だと?」

「在るべき場所へ、還りたい。私の力では絶対に叶わない望みです」

 

 途切れた記憶を、再び繋げようなどとは思っていない。それでも、見知らぬこの世界に骨を埋めようなどとは思わない。

 一度は力及ばず、そうなるところだったがそこを守護者に救われたのだ。

 こうなったら何が何でも、彼らの望みを叶える義務がフィオレにはある。

 それを聞いて、バルバトスは振り上げていた斧を下ろした。戦意を失くした──わけでは、ない。

 

「……そうか。ならば俺は、何が何でも貴様を殺さねばなるまい」

「私が、英雄と呼ばれる存在だからですか?」

「守護者共の望みはもとより──守護者共に、貴様の望みを叶えさせるわけにはゆかん!」

 

 戦斧が再び振り上げられ、漂う霧を切り裂いた。

 最早声は届かぬだろうが、フィオレに不満があるわけではない。

 バルバトスの狙いこそわからないが、あの巨漢がフィリアを傷つけた。

 それに加えて、フィオレの行く道を妨害する──本物の敵であることは認識したから。

 現在固定武器を持たないフィオレが取り出したるは、普段はコンタミネーション──物質同士を音素と元素に分離させることで体内に収めている、乾いた血液の色を有する不気味な剣だった。

 刀身は斧刃を背中合わせにしたような形状で、それ自体が呪いを孕んでいるかのように、見る者に対して畏れ慄かせる光を放っている。

 しかしそれは、この男には通じない。

 傍目からはいきなり現れた魔剣でも、バルバトスがこれを目にするのは二度目。

 

「ぶるあぁあっ!」

 

 迫る戦斧の刃が、魔剣と激突する。

 激しい火花を散らしながら力任せの一撃を凌いだフィオレはそのまま間合いを詰め込んだ。

 

「虎牙破斬!」

「ぬるいわ!」

 

 虎の顎を模した斬撃はあえなく防がれる。

 ただ、フィオレとてそのまま相手に通じるとは思っていない。バルバトスの次なる一撃に備え、気を張る。

 

「縮こまってんじゃねえ!」

 

 気の弱い者ならそれだけで殺せそうな、殺気を孕むドスの効いた声音と共に、防備体勢のフィオレを袈裟がけに斬りつける。

 防衛しきって安心しているところで掴みかかってくるから気が抜けない。

 幸い接近されたところで無意識に距離を取ったから何とかなったものの、フィオレが異性恐怖症を克服していたら捕まっていたことだろう。

 

「ちぃ!」

「集え、氷精……」

 

 すぐ脇の小川から第四音素(フォースフォニム)──水の元素を招き、魔剣に宿らせ周囲の霧を凍らせていく。

 

「絶衝氷牙陣!」

 

 瞬く間に出来上がった氷塊が地面へ叩きつけられることではぜ割れ、鋭利な欠片はバルバトスへ襲いかかった。

 都合のいいことに、漂う霧は飛来する氷のつぶてにまとわりつき肥大化させている。

 元々回避の難しいこれを、バルバトスが防御しきれるわけもなく。

 

「……くっ、下らん手品を……!」

「大変ですね。くだらない手品で、いとも簡単に翻弄されて」

 

 斧で払い損ねたのだろう。まるで硝子板に突っ込んだかのように、バルバトスの全身には細かな傷が刻まれている。

 その隙に巨漢の背後へ回り込んだフィオレは、そのまま真後ろから魔剣を振り上げた。

 卑怯でも姑息でも、勝手にわめけばいい。敵のそしりは妬みであり称賛である。

 あまつさえ素手の女性神官に斧を振り下ろしたような男に罵られたところで、フィオレには痛くもかゆくもなかった。

 だが。

 

「俺の背後に──立つんじゃねえ!」

「!」

 

 何かトラウマでもあるのか、バルバトスは凄まじい反応速度で蹴打を放ってきた。

 とっさに防御しようにも、振りかぶっていた魔剣はもちろん使えない。手放して両手での防御に回る。

 当然、丸太のように太い足の一撃を、体格は圧倒的に不利なフィオレに耐えられるはずもなく。そのまま吹き飛ばされ、フィオレは成す術なく小川へ転落した。

 派手な水音が耳元で聞こえて、一瞬にして上も下もわからなくなる。

 打たれた衝撃で勝手に出ていく空気を押し留め、フィオレは即座に守護者へと呼びかけた。

 

『アクアリムス、私を水面まで持ち上げてください! シルフィスティア、水面の私を陸へ戻して!』

『かしこまりました』

『了解っ!』

 

 ぐるんっ、と視界が反転し、見る間に水面へ浮上する。

 勢いよく息を吐くことで必要な空気を取り入れ、シルフィスティアのおかげで軽い体で小川から這い上がった。

 斧が降ってくることを予想して前転するものの、それらしい気配が一切ない。びしょ濡れの髪から雫が滴り落ちるのを払い、立ち上がる。

 それでも、対峙するバルバトスからは何の反応もなかった。

 守護者の力を使ったとはいえ、地面に一瞬でも這いつくばっていれば斧を振り下ろすなり踏みつけるなり、起こすべき行動はいくらでもあったのに。

 いぶかしがり、動向を見やる。

 川から上がって、初めてバルバトスの顔を見たフィオレは。

 

「──え?」

 

 思わず、そんな言葉を洩らしていた。

 否、フィオレでなくとも彼の敵であれば、誰であれそう呟いていたであろう。

 バルバトスの表情に奇妙なものがあったわけではない。あくまで、表情には。

 だが、彼にしてみれば敵を睨み据えているであろうその片方の瞳から。ほんの一筋、雫が零れていたから。

 

「何を間抜けな面をさらして……「鬼の目にも(なみだ)とは、洒落が効き過ぎだと」

 

 指摘され、初めて気づいたらしい。

 ほんの一瞬目元をこすったバルバトスは、音高く舌打ちしたかと思うと構えていた斧を下ろした。

 

「──興醒めだな」

「自分で勝手に泣いたくせに興醒めって」

「まぁいい。泡沫の英雄の素顔を確認したことを、満足しておこう」

 

 最早フィオレの言葉など一切聞かず。戦斧を携えた巨漢は、空間を歪ませ発生した闇に身を投じた。

 残ったのは、背後で流れる水の音のみ。

 フィオレとて一応撃退に成功したのだから喜ぶべきではあるものの、どうも腑に落ちなかった。

 息を大きく吐いて、夜空を仰ぐ。これならもうひと眠りはできそうだと、魔剣を仕舞ってふと気付いた。

 泡沫の英雄とは、フィオレを指す言葉だ。その素顔を見たことで満足……

 ひゅう、と風が吹き、びしょ濡れの体を、髪を冷やす。それでフィオレは唐突に気づいた。

 川へ落ちた時、キャスケットをそのまま手放したことに。

 

「しっ、シルフィスティア! 私のキャスケットはどこに……あ、いえ、アクアリムス!?」

『落ち着いてください、フィオレ。あなたの帽子なら只今川下りの真っ最中……』

「わーっ!」

『ですが今、シルフィスティアが回収したようです。しばしお待ちを』

 

 チャネリングを使うことも忘れて慌てるフィオレに、アクアリムスの静かな声が響く。

 キャスケットが返ってくるとわかって冷静になったフィオレは、まず小川へ飛び込むのを思いとどまった。

 濡れた衣服をどうにかしようと、レンズを取り出す。熱風を発生させ、服を着たまま乾かそうと試みることしばし。

 風に乗せられふよふよと、キャスケットが戻ってきた頃、服はどうにかなった。

 手入れこそすれ、伐採する機会のなかった髪は生乾きだが、ジューダスと見張りを交代すればいいかと決めつけて。フィオレは小屋へ戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。フィオレがバルバトスとやりあっている間に、何があったのやら。

 時間帯にしては妙に騒がしい気がする小屋に耳を張りつけ、会話に耳を傾ける。

 

「……そうやってカイルを甘やかしている限り、あいつは成長しない」

「てめぇ……何様のつもりだ! 俺はな、お前なんかよりずっとカイルのことを……!」

 

 会話をしているのはジューダスと……ロニ。

 疑われても構わないとばかり、とにかく実直で煙に巻いたり誤魔化したりすることが実に下手くそなジューダス。

 そして目的も素性も知れないジューダス、ついでにフィオレを時折疑いの目で見やっていたロニ。

 いつ弾けてもおかしくなかった火中の栗が、ついに弾けたか。さて、被害を蒙るのは誰なのか。

 

『何ですか、この修羅場。ジューダスとロニがカイルを巡って、ケンカ?』

 

 なんて気持ちの悪い、と内心で呟けば、一人おろおろしているシャルティエが状況を説明してくれた。

 

『僕と坊ちゃんが久しぶりに話してたらロニに気付かれて、そっからカイル馬鹿のロニはカイルに手を出すなと啖呵切って、それを坊ちゃんが過保護だって指摘したらロニが逆切れして──!』

 

 発端はさておき、何となく事情はわかった。

 それにしても、みんな寝ているとはいえシャルティエとおしゃべりを始めるなど、警戒心の強いジューダスにしては珍しいミスである。ロニに気づかれたということは、念話も使わなかったということだ。

 そうこうしている間にリアラが目を覚ましたらしい。寝しなに怒気のこもった罵声など聞かされてはたまったものではないだろう。

 誤魔化すロニにリアラが追及を始めるも、カイルの声が何ら聞こえないということは多分、寝ているのだろう。ここまで来ると、一種の才能である。

 ただ事ではない空気を察しつつも、リアラの追及は続く。

 

「なんでもねえって言ってるだろ!」

 

 たまりかねたロニがとうとう彼女にまで怒鳴りつけ、気まずい沈黙が漂った。その時。

 

「リアラ~」

 

 妙に間延びしたカイルの声──おそらく寝言だろう。

 それを聞いた一同は、騒動を仕切り直すことなくうやむやのまま、ロニが見張りを代わることで終わらせている。

 解決こそしていないが、今徹底的にいじくる必要もないとでも思ったのだろう。

 こんな中途半端は、実は最も良くないケースなのだが──部外者が口を出すことでもない。

 リアラがロニにしつこい追及を謝り、再び小屋に沈黙が訪れたところで。

 

「其の荒ぶる心に、安らかな深淵を」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 周囲の闇に左手をかざし、大量の第一音素(ファーストフォニム)で強力な譜歌を奏でる。

 これで多少心の中がもやもやしていても、強烈な睡魔は全てを呑みこむだろう。

 ごとん、と変な音が響き、寝息が四つに増えたことを確認して。フィオレは足を忍ばせるのでもなく、すたすたと小屋の中へ入った。

 カイルは相変わらず爆睡、リアラも完璧に寝入り、せっかく敷いた寝具を使わず部屋の隅で壁に背を預けたジューダスも、その状態のまま熟睡している。

 ジューダスと見張りを代わったロニはといえば、階段のところで腰を降ろしていたらしい。大柄な図体が、階段を占領するように大の字になって眠っていた。

 とりあえずカイルの掛け布を直し、寝具の使用を拒否したジューダスに彼のマントを巻きつける。

 それから、階段での寝心地が悪いらしくうんうん唸るロニの鼻をつまんだ。

 

「ロニ、起きなさい。ロニ」

「……んが? ふ、んごっ!」

 

 鼻をつままれ、豚の鳴き声に似た音を出したロニが目を開く。

 ロニの寝床から掛け布代わりの外装を取って寄越すと、無意識にそれを手繰り寄せて彼は大きく伸びをした。

 

「器用な寝相ですね。どうすれば寝返りだけで、そこに移動できるんです?」

「あー……あ? 違げぇよ、ジューダスと見張り代わったんだ。だからここに」

「そうですか。見張りなら寝ないでくださいよ」

 

 彼が状況を思い出したところで、フィオレは自分の寝床にキャスケットを放った。

 掛け布として使っていた外套を体に巻きつけ、小鍋に飲料用の水を汲んで囲炉裏にかける。

 

「ず、随分長い用足しだったな」

「水浴びしてたんです。誰かさん達が盛大に仲間割れしてるから」

 

 びく、とロニの体が目に見えて固まる。それに気付かぬふりをして、フィオレは火種を軽くかき混ぜた。

 やがて湯が沸き、手持ちの湯呑みに湯を適量注ぐ。ガーゼに包んだ茶葉を放り込み、軽く動かした。

 すがすがしいミントの香りが漂う頃、ロニの硬直はどうにか解かれている。

 

「し、知ってたのか……」

「はい」

 

 何となくロニは、詳細を聞かれることを怯えているようだが、もちろん尋ねる気はない。

 湯のみのひとつをロニに渡し、フィオレは土間にあった切り株型の椅子に腰かけた。

 

「ミントティー?」

「ええ。眠気が取れますよ」

 

 一口すすり、入水したことで冷えていた体を温める。

 黙って茶をすすっていたロニだったが、沈黙に耐えきれなくなったのか、ちら、とフィオレを見やった。

 

「ん、あれ? 帽子を被ってない……?」

「髪が湿っているんです。当たり前でしょう」

 

 朧な月明かり、屋外ならともかくとして、まして霧に包まれた地域にして小屋の中──人の顔を見るなど難しい。

 先ほどリアラが目覚めた際に明かりを灯していたようだが、現在室内にある光源は囲炉裏の火種だ。それを背にしているのだから、見えるわけがない。

 これ以上ロニの興味をそちらへ持っていかないためにも、フィオレは言葉を紡いだ。

 

「ジューダスと言い争っていた様子ですが、私は少し驚きました」

「……あ、あいつが俺と言い争ったことがか? まあ、あのむっつりにしちゃ珍しくムキに……」

「他人の行いにホイホイ口出ししたことが、ですよ。本来厄介事は避ける性格ですからね」

 

 言い争ったこと自体に言及しないものの、フィオレとて思うことはあるのだ。

 ロニの眠気覚ましを兼ねて、言の葉を紡ぐ。

 

「あなたが怒りだすことなんか想像できないわけがないのに、それをしたということは。彼はよほど、あなた方のことが気に入っているのでしょうね」

「気に入ってるって……ジューダスがか?」

「他に誰がいるのです。でなければ、あなたの不興を買うのを承知で行動なんか起こさない」

 

 カイルの寝言でうやむやになってしまったこの出来事を、彼が考え直すきっかけになればいい。

 あの時は感情的になって何も考えられなかっただろうが、これでジューダスの真意について何も考えないほど、ロニは愚かでないはずだ。

 予想通り口を閉ざして何かを考えるロニの黙考を邪魔するように、フィオレは再び口を開いた。

 

「大切な人を助けたい、力になりたいという考え方について屈折した捉え方をしているのかもしれませんね」

「……どーゆー意味だ?」

「大切な人が困難を前に、立ち尽くしている。その時手助けをするか、あえて放っておくか。ロニならどうします」

 

 思った通り、彼は即座に前者を選択した。そもそも後者のような考えが及ばないのだろう。

 彼はただ、しきりに首を傾げている。

 

「大切な奴が困っていたら、助けるのが普通だろ?」

「……残念ながら、その考え方こそが全てではありません。例えば……そうですね」

 

 ちら、と大口を開いて寝入りカイルに目をやり、陳腐過ぎる──それゆえに単純なたとえを取りだした。

 

「私とカイルが真剣勝負をしていて、カイルが不利な状況だったとしましょう。私に勝てなくて困るカイルを、あなたは助けるのですか?」

「そ、それは……」

「剣の勝負であれ、カードの勝負であれ。横槍入れられたらカイルは怒るでしょう。『自分の勝負だから』と」

 

 現に航海中、フィオレは暇潰しにジューダスと興じていたチェス勝負において興味を持ったカイルに、ルールを教える傍ら幾度か勝利を重ねている。

 大人げないとジューダスには言われたが、フィオレがカイルの立場なら手を抜かれてまで勝ちたくない。

 それはカイルとて同意見であったらしく、ロニが助言を入れようとしても「自分で考えるから」と手助けを拒否している。

 

「私もね。大切な人が困っていたら、すぐに手助けをするものだと思っていました。悩んでいたら助言を、困っていたら助力を。その人が危機に瀕すれば、命をかけて守ればいいと」

「フィオレ……?」

「でも、ある日ふと思ったんです。危機に瀕した時、私が体を張って護ればいい。でもその後、私が死んだらその人はどうなるんだろうと」

 

 ロニの考え方は、フィオレがかつて盲目的に信じていた「生きている理由」でもある。

 従者としてただ、その人の盾であればいいと思っていた。

 だが、自らの抱える病が進行し、行きつく先の結果を受け入れようと必死にあがいていた時。

 ふと、残された人のことを考えた。

 

「ジューダスが目に留めて何かを言うくらい、あなたがカイルのことを大切に思っているのは知っています。そうやって生きた結果、ある日突然あなたがいなくなったら、彼はどうなりますか?」

 

 今でも、彼がどうしているだろうと考えるだけで苦しくなる。

 もう二度と、元の立場として接触できなくとも、思うだけなら自由だ。

 もしも、フィオレが──スィンが、行きつく先から目をそらし続けていたら。

 この胸の苦しさは、計り知れない後悔であったはずだ。

 

「──たとえ大切な人だって、他人である以上必ずしも傍に居続けることができるわけじゃない。手助けすることが悪いわけではないけれど、その人を本当に想っているなら自立を促すことも必要なんだって。それに気付いてしまった時、自分は要らないんだって落ち込みましたが」

 

 はたしてこれが、ジューダスの言いたいことであったかどうかはわからない。

 ただ、これ以外のことであるのなら、フィオレの理解の範囲外だ。

 よもやあのジューダスが、単なる私情でこんなことを言い出すとも思っていないが。

 

「……ジューダスも、俺にそう言いたかったってことなのか?」

「さあ。私はジューダスじゃないし、彼があなたに何を言ったのか知らないから、何とも言えませんけど」

 

 言うだけ言って、最後にオチをつけたフィオレに、ロニはがっくりと脱力していた。

 フィオレが無駄な自分語りをしていたせいもあるのか、多分与えられた情報を整理しきれていないのだろう。

 

「でもね、ジューダスは面白半分に嘘を言いません。厄介事は嫌い、わずらわしいことを好まない。進んでトラブルを起こすような人間ではないです。その彼が、あなたから怒りを買うことを承知の上で進言した。必ずや何らかの意図があるはずです。ほんの少しでいい、その意図を考えてみてくれませんか?」

 

 長話ですっかり冷めてしまったミントティーを飲み干し、生乾きだった髪が乾いていることを確かめて。

 フィオレは一方的に話を切るように、ごろりと横になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十七戦——いい加減固定武器を持て~人生とはやはり戦いの連続である

 戦いに修羅場。
 それらを乗り越えて、inノイシュタット。
 ここに至るまで接近戦用の武器を持たなかったフィオレですが、紫電が手に入るかも、ということでひと頑張り。


 なお。徒労に終わる模様(ネタバレ)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝のこと。夜中の寝言は演技でないことを確認し、一行は山小屋を発った。

 一応決着はついたからなのか、本当に何も知らないカイルの手前、一同の態度は以前のものと変わらない。昨夜のことを切り出す者もいない。

 あるいは、それまでの関係が崩壊することを恐れているだけか……

 そんな中、蚯蚓(みみず)を摘まんでリアラに悲鳴を上げさせていたカイルに「むやみに騒ぐと魔物が寄ってくる」とそれを取り上げたフィオレは唐突に困った。

 

「ねえ、そういえばさ。ノイシュタットってどんなところなんだろ?」

「……四英雄が協力者の一人、闘技場チャンピオンであるマイティ・コングマン所縁の地ですね。フィッツガルド最大の都市にして、隣接された港では交易も盛んとか」

 

 今が十八年前ならまだしも、ついこの間この地に召喚されたフィオレに答えられるのはこの程度だ。

 この返答では抽象的な上、ノイシュタットという街自体の説明にはなっていない。

 

「ふーん? で、ノイシュタットは……」

「産業が発展した豊かな街だ。昔は貧富の差が激しかったが、十八年前の騒乱がきっかけで改革が断行され、改善されている」

 

 突っ込みを入れられそうになり、素直に知らないことを白状しようと思った矢先。ジューダスの言葉に、カイルの興味はそちらへ移った。

 リアラの視線もそちらへ行き、チャネリングで礼を述べておく。

 

「へーっ! ジューダス、詳しいんだね」

「昔。ノイシュタットに知り合いがいた。……それだけだ」

 

 そういえば、彼はイレーヌと多少の親交があった。

 ダリルシェイドの地下にて資料を読んだ限りでは、神の眼を奪取したヒューゴ・ジルクリストにオベロン社幹部もグルだったとあるから、支部長のイレーヌもおそらくは加担したのだろう。

 そのこと自体をどうこう言う気はないが、ジューダスの言う改革によって貧富の差が完全に消えたのに、あれだけ街の惨状を憂いていた彼女が現状を見られないのは、寂しいことなのかもしれない。

 そんな感傷に気をやって、昨晩フィオレが外出中に起こった出来事を尋ねにくるジューダスを適当にやり過ごし。

 白雲の尾根と呼ばれる由縁の霧が薄れてきた頃、目指すノイシュタットが前方に現れた。季節が季節だからか、桜は咲いていない。

 しかし、ひとたび「ノイシュタット」と綴られたアーチをくぐると、まるでそれを補うように花壇など緑豊かな街並みが目に入った。

 

「やっとノイシュタットについた~!」

「でもなんか、賑やかだな。いつもこうなのか?」

 

 さあ港へ向かおうとしたところで、妙に活気づいている街の様子に戸惑う。

 人の多さならアイグレッテですでに体験しているだろうが、彼らが戸惑っているのは単に人の多さだけではない。

 右を向けば全身を頑健な鎧に包む騎士と見紛ういで立ちの男性。

 左を向けば、肌も露わな軽鎧に身を包み颯爽と歩く美女。

 その美女に鼻の下を伸ばして見とれるロニは置いといて、妙に街は汗臭かった。港が隣接しているので潮風のせいかもしれないが。

 

「闘技場があるからかしら?」

「皆気合入ってるなー。ねえ、オレ達も出てみない? あの海の主を倒したんだから、イイ線いけるんじゃないかな」

「出場料の無駄だ。せめて、フィオレから一本取れるようになってからにしろ」

「私はジューダスからでも問題ないと思っています」

 

 どの道カイルは、二人から一本取ったことがないため同じことだ。

 それでも見学だけでも、とせがむカイルにロニが負け、興味がなかったわけではないフィオレ、リアラが続く。

 結果として全員で闘技場へ赴くことになり、一同は大通りを横切った。

 

「ここの闘技場、十八年前の騒乱で唯一焼け残ったらしいですね」

 

 闘技場へ赴く人々は多く、通行人の会話を聞いてどうでもいい情報を手に入れる。

 同じことをしていたのか元々知っていたのか、ジューダスもそれに頷いた。

 

「とはいえ、大分改修はされているらしいがな」

「あっ、見えてきた!」

 

 はしゃぐカイルをロニが抑えて、人々の行き交う道をはぐれぬよう注意を払いながら入り口付近まで赴く。

 これより先は入場券を購入する、もしくは出場手続きを取らなくてはならない。

 

「確か、闘技場チャンピオンだったマイティ・コングマンも父さんの仲間になったんだよね。少しの間だけだったけど」

「フィリアさんにちょっかいを出したコングマンにフィオレシアさんが庇って、それでケンカになったらしいな。それにスタンさんが割って入って、男同士素手での殴り合いになったんだっけか」

「拳を交えてこそ通じる、男の友情かぁ……」

 

 どうもこの辺りは微妙に歪んでいた。路上でのいさかい、公園での一瞬即発が混ざっているような気がしてならない。

 とはいえ、口を挟むことの程ではない。フィオレは手持無沙汰に、大通りでもらったチラシを見やった。

 

「闘いを見世物にする風潮は、今も昔も大人気ですか」

 

 出る側は最強の称号と栄誉、そして賞金を求め、観る側は血沸き肉踊る興奮を求める。古来から存在するとはいえ、まったくよく出来た商売だと思う。

 今日も今日とて催しはあるらしく、これから予選の応募が行われるらしい。

 本選が行われるのは午後で観客が見たがるのは本選であることから、周囲を歩くは屈強にして腕に覚えがありそうな武装集団だ。

 適当にチラシを斜め読みしていたフィオレだったが、とある一点に目を留めた。

 

「さあ、見学はこれくらいでいいだろう。そろそろ港へ……」

「あの、ちょっといいですか?」

 

 ジューダスが港へ行くことを示唆したところで、フィオレが待ったをかける。

 なんだ、と言いたげな彼の目を見て、彼女は言った。

 

「ハイデルベルグまでご一緒する予定でしたが、やっぱりここでお別れしましょう」

「え!?」

「今までありがとうございました。割と楽しかったです」

 

 驚きを隠さぬ面々に、さらりと別れの言葉を告げて。フィオレは身を翻して闘技場へと向かった。

 その背中が人ごみにまぎれるより早く。

 

「ま、待ってよフィオレ!」

 

 理由も何もわからないままの、一方的な別離に納得しなかったカイルが追い、一同がそれに続く。

 幸いフィオレはその声を聞き入れ、闘技場手前にて立ち止まった。

 

「何か?」

「何かじゃないよ。何でいきなり……」

「これなんですけど」

 

 カイルが言わんとすることを察したフィオレが、携えていたチラシを掲げる。

 フィオレの指が示すのは、優勝賞金及び副賞の欄だった。

 

「賞金は10000ガルド。副賞は……紫電? 紫電って」

「その昔、隻眼の歌姫が愛用していた異国風の剣の銘だな。もともとアクアヴェイルのものだったのが、何でこんなところに」

「ね、気になるでしょう? どういうことなのか確かめたくて」

 

 最期の記憶において、紫電は確かにスタンに渡した。言伝を頼んで彼は拒否を示していたが、あのスタンが一方的とはいえ約束を違えるとは思えない。

 が、受け取った側がはたしてスタンによる返還を受け入れたかどうか。

 所有する家の三男坊は血に汚れた紫電を激しく嫌悪していたし、仮とはいえ持ち主が死んだと聞かされたことで気持ち悪く思わないこともないだろう。

 結果、未練のなくなった紫電を彼らは手放した。その可能性は十分にある。

 無論偽物である可能性がないわけではないが、もし本物ならば手に入れない道理はない。

 俄然やる気を見せるフィオレだったが、ロニは実にしぶい顔をしていた。

 

「フィオレシアさんの名をパクったばかりか、武器まで……お前、実はフィオレシアさんのファンだろ」

「人の名前にケチをつけるばかりか、おかしな疑いまでかけないでください。とにかく私は出場してまいりますので、先を急ぐリアラ達とはここでお別れです」

「待って、フィオレ。そういうことなら、わたしも応援するわ!」

 

 唐突なる少女の宣言に、カイルはおろかジューダスすらも困惑の顔を隠さない。

 カイルが確認をするも、彼女に迷いはなかった。

 

「い、いいのリアラ?」

「もともとフィオレが船賃を出してくれなかったら、あんなに早く船には乗れなかったわ。アルジャーノン号の船長には申し訳ないけれど」

 

 言いだしっぺにして船を救った張本人である「聖女」がいなければ、船は出してもらえないだろう。

 そんなジューダスの見立てもあり、一同は芋づる式にノイシュタットへ留まることを決定した。

 

「じゃあ、オレとロニとジューダスも大会に出るってことでいいね? 晶術禁止の規則じゃ、リアラは無理だから……」

「待った待った、三人とも手持ちはあるんですか? 出場登録するだけで2000ガルドかかるんですが」

「僕は初めから出るなんて言ってないぞ」

 

 結果、晶術による後方支援を旨とするリアラは不参加、カイルはロニからいくばくか借りて参加、持ち合わせこそあるもののジューダスは不参加と表明した。

 

「おいジューダス、何で出ねぇんだよ。フィオレに恩着せるチャンスじゃねえか」

「変な下心があるならお前が出ろ。衆人環視の前であいつと競う気はない」

 

 やがて登録に行った二人が、二桁の番号を刻まれた札を手に戻ってくる。

 何でも、これから予選が始まるらしくすぐに移動するとのこと。

 フィオレが80、カイルが81だ。

 

「ってまさか二人とも、予選で激突しねえよなあ?」

「えっとね。奇数は白ブロック、偶数は黒ブロックで予選して、それぞれ二人まで絞るらしいんだ。だからオレとフィオレが予選で戦うことは絶対なし!」

 

 何故カイルが胸を張るのかよくわからないが、とにかくそういうことだ。

 同時に、これより一同は本選まで別行動を強いられることになる。両ブロックは、それぞれ別の棟で取り行われるのだ。

 そのため。

 

「じゃあ本選で会おうね、フィオレ。またあとでね、ジューダス!」

 

 白ブロックへ行くカイルにはロニ、リアラ。黒ブロックへ赴くフィオレにはジューダスがつき、合流場所を決めて別行動へ至る。

 予選開始前に、選手たちへ刃の潰された試合用の剣やそれぞれ安全加工のなされた武具が支給され、各々の予選は開催された。

 

「たああっ!」

 

 アルジャーノン号の甲板にて行ったフィオレやジューダスとの修練の成果か、カイルは順調に勝ち進んでいる。

 時折不注意で負った打撲やかすり傷を他の参加者同様、ロニやリアラに癒してもらいながら、カイルは流れる汗を手拭いで拭き取った。

 

「フィオレ、大丈夫かな? ロニにもリアラにも、こっちに来てもらっちゃって」

「私は怪我なんてしません、なんて大見得切ってたんだ。大丈夫だろ。俺達がいないことをいいことに、ジューダスといちゃついてたりしてな」

「誰といちゃつくだと?」

 

 会話の最中に聞くはずもない声が響く。

 飛びあがったロニが見たのは、相も変わらず表情の読めないジューダスだった。

 最も、表情が読めないのはフィオレも同じだが。

 

「僕は気にしないが、あいつの前でそういうことは言うなよ。女が機嫌を損ねると総じて面倒だが、あいつは更に厄介だからな」

「な、なんだ。フィオレはいないのか。まだ試合中か?」

「もう終わった。あいつなら本選勝ち上がりの手続きに行ってる」

「良かった、フィオレは勝ち上がったのね! でも、黒ブロックの予選は随分早く終わったのね」

 

 試合時間こそ限られているが、勝ち上がるにつれ、どの試合も時間を目いっぱい使うようになる。そのため白ブロックでは只今準決勝が進められている最中だった。

 現在カイルは勝ち上がっており、この後に決勝を控えている。

 

「誰かさんが体力と時間と手間を惜しんで大暴れしたからな。棄権を申し出る奴が続出して、大幅に時間が削れたんだ」

 

 実のところ、ロニにもリアラにも──回復手が要らないと言ったのは初めからこれを狙っていたからだとジューダスは思っている。

 少々暴走して相手を痛めつけたら、癒し手に責任が回るのではないかとフィオレは危惧していたようなのだ。

 ジューダスは特に親しく話しかけてくることもないし、仲間だと思われなくて丁度いいと思っていたフシがある。

 

「……その誰かさんって、もしかしなくても」

「更に黒ブロックには、十八年前向かう者敵なしだった『ノイシュタットの英雄』が参加していてな。大会出場者はそいつの弟子も多く、やはり棄権が多発した」

「それって、ひょっとして」

 

 カイルがとある人物の名を口にしようとして、出番がやってくる。結局カイルは決勝でも危なげなく勝ち上がり、本選への出場権を得た。

 本選は予選と同じくトーナメント式。登録順に関わらずランダムでトーナメントの配置が決定されるのだという。

 

「じゃあ、いきなりフィオレとカイルが戦うことになっちゃうのかもしれないのね……」

「たとえそうなったとしても、互いにベストを尽くすまで。そうでしょう、カイル?」

 

 合流場所にて、じゃがバターを齧る面々の前に屋台で買ってきたらしいバーガーを齧りながら、フィオレが現れる。

 本選が始まる午後が近付くにつれ、入場者が増えていく中、まるで祭りが始まるかのようにいくつもの屋台が出店していた。

 

「もちろんだよ! そういえばフィオレ、黒ブロックにあのノイシュタットチャンピオンがいるんだって?」

「ええ。黒ブロックからの出場者は私とマイティ・コングマン。そちらは?」

「もちろん、このオレ、カイル・デュナミスと……えーと」

 

 どうやら彼は自分が出ることに集中し過ぎたらしい。困ったように視線を向けられ、彼はやれやれと肩をすくめた。

 

「もう一人はなんと若い女の子だぜ? 金髪に軽鎧の、結構かわいい子だったな」

「して、お名前は?」

「…………こ、細かいことは気にすんなって。本選にゃたった四人しか出ねえんだ。すぐにわかるだろ……」

 

 珍しくロニもリサーチしていないときた。特徴がわかっただけマシだと思うことにする。

 やがて時を告げる銅鑼が鳴り、カイルとフィオレは闘技場へ、他三人は観客席へと移動する。

 闘技場から見上げる観客席は臨場感をあおるためか、そこまで高い位置になく観客の顔がひとつひとつ判別できた。

 ロニ達は入り口付近に固まって観戦しており、カイルはしきりに手を振っている。

 

『さあ皆さん、お待たせいたしました。只今より予選をくぐり抜けし、精鋭達による力と技の祭典を開催いたします!』

 

 メンテナンスがなっていないのか、単に古いだけか。妙にノイズの激しい拡声器によって開催宣言がかかる。

 司会によって大会の意味、観客を盛り上げる口調で選手たちの特徴がつらつらと語られた。

 それにより、他二名の選手がマイティ・コングマン、そしてうら若い少女であることが判明する。

 ただ、現在カイルと待機している付近にそれらしい人影はない。選手が勝手に出ていかないようにか、運営委員がいるだけだ。

 

『それでは、厳正なるクジにより導かれし準決勝へと参りましょう。第一試合は──赤コーナーより、金髪トンガリ頭はまるであの英雄! 果たして実力は如何に! エントリーナンバー81、カイル・デュナミス!』

「オレ!?」

 

 赤コーナーということは、どこか違う区画に二人の選手は待機しているのだろう。運営委員に注意され、慌てて出ていくカイルの背を見送る。

 さて、カイルの相手は元チャンプか、あるいはうら若き少女か。どちらにしても闘いにくそうな相手ではある。

 

『続いて青コーナー……その戦い、まさに一撃必殺! 触れる者は皆倒す、実力は見ての通り、果たしてその正体は!? ──エントリーナンバー80番、ブリュンヒルド!』

 

 どっちでもなかった。

 スポットライトに照らされるも、もちろん誰も出てこない。困惑する運営委員に事情を話し、フィオレはそのまま赤コーナーから出て行った。

 

「あ、あれ、フィオレ?」

「大会側のミスでしょう。さ、お互いベストを尽くしましょうか」

 

 ざわざわと、ざわめく観客席に対し司会が今初めて知ったであろうミスを謝罪する。

 そのすまなさそうな謝罪も束の間、テンションはすぐ元に戻った。

 

『予選中、何のポリシーか、向かう敵は全て一撃で下しましたブリュンヒルド選手! 果たしてそれは、この準決勝においても……?』

「体力温存のためです。悪く思わないでください」

 

 緊張から、ごくりと喉を鳴らすカイルは通常サイズの剣を、対するフィオレは身長ほどもある棍だ。

 懐に飛び込まれたらそこまでだが、それ以外は何の心配もいらない。むしろ、この武器だからこそ一撃必殺がたやすいのだ。

 試合開始のコングが鳴る。同時に、先手必勝とばかりカイルは突貫してきた。

 

「でやあぁっ!」

「──」

 

 振りかぶり、大上段からの攻撃を受けるまでもなく脇へ流す。

 剣先が流れたその瞬間、下段に構えていた先端を勢いよく跳ねあげた。

 

 ガンッ! 

 

「……!」

 

 棍の先端は見事、カイルの顎を強打している。

 ぐら、と崩れた足元をさりげなく払うと、彼はそのまま仰向けにぶっ倒れた。

 そして大の字になり、ぴくりとも動かない。

 

「カイル!」

 

 観客席から聞き慣れた声が聞こえるも、これは試合だ。

 審判によるテンカウントにより決着がついたところで、フィオレは戦棍を足元に転がした。

 

『強い! まったくお話にならない! たった一撃で試合を終わらせ、決勝へ進んだのはブリュンヒルドだ! 正直見ていて全然面白くないぞ!』

「カイル、生きてますか?」

「う、う~ん?」

 

 ぺんぺん、と頬を叩けば、彼はもぞもぞと起き上がりにかかった。

 救護室からだろうか、担架がやってくるかと思われたが、カイルが立ち上がり、首を鳴らし始めたのを見てだろう。出動した救護隊は踵を返していた。

 

「フィオレ、ホントに当て身が上手いよね」

「色々役に立つんですよ。痴漢とか暴漢とか、面倒くさい相手は特に」

 

 とにかく準決勝初戦は早々に終了し、司会はどうにか場を盛り上げようと必死になっている。

 あっけなく着いた勝敗。そして試合後すぐ身を起こしたカイルを見れば人々は八百長を疑うだろう。

 わかってはいるが、フィオレは客に楽しんでもらうため見世物になっているわけではない。相手に、如何にして後腐れなく勝つかだ。更に掲げられた副賞につられてここにいるのだから、全力を振り絞って何が悪いかという話である。

 運営委員から一応頭を打ったカイルは救護室で看てもらうようにと告げられ、それに付き添う。

 カイルと親しげに話していることから八百長でも疑ったのか、救護員から無遠慮な視線を送られるものの、それはすぐになくなった。

 何故なら。

 

「カイル! おいカイル、無事か!」

 

 ロニを先頭にリアラ、ジューダスが救護室へと駆けこんできたからである。

 中でもロニはひどく血相を変えていたが、打った後頭部が少し膨れているだけで大事はない、と本人から告げられ、ホッと胸を撫で下ろしていた。

 

「や~、焦ったぜぇ。ただでさえお気楽バカに拍車がかかったりしたら、ルーティさんにどう説明したもんかと」

「どーゆう意味だよ!」

 

 冗談を口にするロニにふざけて殴りかかるも、ふとカイルは真剣な目でフィオレを見やった。

 彼が思うことは、何となく予想がつく。

 

「でも口惜しいなあ。フィオレがどう仕掛けてくるのか何となくわかってたのに、オレとにかく先手取らなくちゃって……」

「発想は悪くありません。でも、あなたの先制攻撃は妙に力んでいます。だから大振りで見切りやすい。まず先手を取りたいなら、飛びかかるように攻撃する癖を直した方がいいのではないかと」

「じゃあ、フィオレみたいに後手で反撃狙ったほうがいいの?」

「私の真似をしても最善とは限りません。あなたがいいと思うやり方を推奨します」

 

 フィオレの場合、相手が与しやすい格下にして数が多すぎる場合と、どうしても機先を制したい相手でない限りまず先に手は出さない。相手をとっくり観察し、より速やかに片づけるためだ。

 寝台から身を起こして氷嚢を後頭部に当てるカイルと戦術談義を繰り広げていると。

 

「……決着がついたようだな」

 

 派手な銅鑼の鳴り響く音で、ジューダスが準決勝終了に気がつく。

 どうせ決戦相手は元ノイシュタットチャンピオンのコングマンだろうと高をくくり、悠々救護室から出ようとして──驚いた。

 

「道を開けて!」

 

 冷やしすぎで頭がキンキンする、と訴えるカイル及び一同と共に救護室を出た直後、担送車が凄まじい勢いで救護室へと吸い込まれていく。

 担送車に乗せられていたのは、一瞬しか見ていないもののあの巨体、間違いない。

 御年57程度だったか、現在は引退したはずの元チャンピオン、マイティ・コングマンだった。

 

「ね、ねえ、今のって……」

「信じがたいことですが、ロニの言っていた女の子が元チャンピオンをノックアウトした御様子で」

 

 闘技場を見やるも、今は整備中でそれらしい人影はない。

 図らずも、戦い方どころか容姿も知れない相手と決勝を迎える羽目になってしまったが。

 

「だ、大丈夫なの? あんな大きな人、しかも元ノイシュタットチャンピオンの男の人を救護室送りにするなんて……」

「なるようになるでしょう。もし負けたところで、それは私の責任です」

 

 むしろ、決勝戦でコングマンと対峙せずに済んだことを感謝した方がいいかもしれない。

 彼と顔を合わせて話したのはほんの僅かな間、彼の時間の中でも一瞬のことだ。それでも、用心するに越したことはないのだから。

 

「それじゃ、いってきますね」

「フィオレ、頑張って!」

 

 リアラの応援に片手を上げて。フィオレは選手用通路へと足を向けた。

 運営委員に誘導されて、準決勝の時と同じ場所で待機する。

 

『まさかまさか。一体誰がこんな数奇な組み合わせを想像したか!?』

 

 大会側の演出だろう。一瞬にして照明が落とされた闘技場内に一人、スポットライトによって司会の姿が浮き上がる。

 まるでじわりとにじむように、別のスポットライトがフィオレの眼前を照らし出した。

 

『大会ニューフェイス、戦棍を華麗に操り、歯向かう者はたとえ知り合いでも容赦なし! 裏を返せばそれだけしかわからない謎の人、エントリーナンバー80、ブリュンヒルド! 赤コーナーより入場です!』

 

 委員によって促され、一歩前へ足を踏み出す。帽子のおかげで眩しくはないが、フィオレの登場によって発生したのは。

 

『ひっこめ八百長ヤローッ!』

『帽子を取れ! 顔を隠して戦うな!』

 

 盛大なる野次とブーイングの洗礼である。物が飛んでこないだけマシだろう。

 そういったものに一切取りあうことなく、司会は灯ったスポットライトの先を示した。

 

『青コーナー、やはり大会ニューフェイス! 小さな体に巨大な剣、しかしその腕は確かなもの。それは先ほど証明済みだ! 元とはいえチャンピオンをも下した少女、エントリーナンバー17、リムル選手の入場です!』

 

 ブーイングが瞬く間に消え失せ、盛大な拍手と歓声に包まれて現れたのはロニが言っていた通り少女だった。

 年の頃はカイルと変わらないだろう。戦いの邪魔にならないようにか、無理やり後ろでくくっているのは柔らかそうな金髪だ。

 凛々しい軽鎧に身を包み、優しげな印象を受ける面立ちは緊張か作っているのか、妙に強張っているように見えた。

 

『泣いても笑ってもこれが最後の決勝戦。どちらか勝利を収めた方にのみ、賞金副賞、そして闘技場チャンピオンという栄光が送られるわけですが……』

『八百長ヤローにそんなものは渡せねえぞ!』

『はいそこ、野次を入れない。ここでお二人に意気込みなどお聞きしたく思います。いかがでしょう、リムルさん?』

 

 司会の男から小型の拡声器を向けられ、少女は強張った顔のまま呟くように言った。

 その瞳は、妙に冷めているようにも見える。

 

『──名声にもお金にも興味ないわ。私は強い人と戦えれば、それでいいのよ』

 

 若年に似合わぬ、実に渋いコメントだが、少女はそれ以上何も言おうとしない。押し殺しているのか、元々希薄なのか、感情が薄い瞳でフィオレを見つめるのみだ。

 値踏みをしているのか、はたまた。

 

『え……え~、実にストイックなリムル選手のコメントでした!』

 

 今回の司会は大変である。決勝戦に残った選手両方が、変わり種なのだから。

 もちろんフィオレとて、司会が求めるような普通のコメントはできない。

 

『さて、赤コーナーのブリュンヒルド選手。何か一言』

『私を八百長呼ばわりした方、謝ってください。あなたは私と戦った全員を遍く侮辱した。私ではなく、彼らに謝れ。以上です』

 

 その一言で、上がりかけた野次やブーイングが一瞬にして沈化する。

 顔を隠して戦うなと、チキンだとか抜かすのは別にいいが、八百長などと抜かされても対戦者達に失礼だ。

 最も、番号しか呼ばれていない予選でぶつかった連中など、フィオレとて全然覚えていないのだが。

 

『い……意外にも静かでよく通る、女性の声です! もしやこの闘技場において、初の女性対決となるのでしょうか!?』

「そういうことになるのでしょうね」

 

 フィオレの言葉を聞いていた少女は眉ひとつ動かさないが、観客はそれなりに盛り上がっている。

 グダグダ一歩手前の演出を乗り越えて、どうにか決勝の舞台は整った。

 フィオレの得物は引き続き身長ほどの戦棍だが、少女が携えるは大振りの長剣だ。少女が小柄というのもあるが、剣の種類としても通常の剣より長くて分厚い。

 なるほど。これを使いこなすなら、年を食ったことも関係して、あの筋肉だるまを打ち倒すことも可能だろう。

 

『さあ、まさか決勝戦まで一撃で終わることはないでしょう。あるいはそのまさかが起こるのか、はたまた……』

「私は、一撃で倒されたりしないわ」

「じわじわいたぶられるのが好きだなんて、変わってますね」

 

 これまでフィオレが、努めて一撃で試合を終わらせていたのは、もちろん時間も体力も手間も惜しんでのこと。

 ついでに、見世物の戦いで余計な苦しみや痛みを味わってほしくなかったから、というのがある。

 しかし少女──リムルはそれを聞いて、眦を吊り上げた。

 

「そんなわけないでしょ! ふざけるのもいい加減にしなさい」

「失礼な。私がいつふざけたって言うんです。言いがかりも大概にしてください」

 

 感情がないように見えたのは気のせいかと思えるほどに、少女の様子が一変する。

 自分で叫んでからふと我に返ったのか、リムルはフィオレの軽口に取りあわず、咳払いをしてから試合用の剣をかまえた。

 

「さあ、来なさい! 私は、あなたが下してきた雑魚とは違うわよ!」

「……あなたにも、私と戦ってきた人達に謝っていただく必要がありますね」

 

 戦ってすらいない他人を捕まえて雑魚呼ばわりするとは、ロクな人間じゃない。その例が、彼女の眼の前に立っている。

 そして、そんな風に軽々しく他者をけなす人間ほど雑魚だったりするのだが……残念なことにこれは該当しなかったらしい。

 

「来ないなら、こちらからっ!」

 

 挑発に乗らないフィオレに痺れを切らしたか、少女は業を煮やして突っ込んできた。

 これまでの戦法を繰り返すなら攻撃を空振らせ、その隙に当て身の一発でも入れてやるのだが。

 

『おおっと! ブリュンヒルド選手、防御に徹しております! 一撃で卒倒させる隙を探っているのでしょうか!?』

 

 別に一撃で片をつけようなどと考えていないが、それでも反撃を入れる暇がないのは確かである。

 正確に言うなら、無理に入れようとすると加減ができない、と言ったところか。

 司会の茶々はさておいて、フィオレは受け身のまま唐突に戦棍を薙いだ。

 鈍い音がして、リムルの剣先があらぬ方向へ流れる。が、少女はフィオレの企みを見抜いたようだ。

 

「させるもんですか!」

 

 流れた剣先を意図的に真下へ下ろし、今度は彼女が防御に回る。

 薙いだ戦棍の突端が少女のこめかみに迫るも、大剣はそれを阻んだ。

 これだけ自在に体のサイズに見合わない、しかも試合用だから何の細工もないだろう剣を操れるのは、大したものだと素直に思う。

 

『リムル選手、小柄さを生かして大剣を盾にしました! ブリュンヒルド選手の苦渋が見えるようです。一撃必殺、破れたり!』

 

 大歓声の中、何故か勝ち誇ったように司会は実況を続けている。実況がリムル寄りなのは別にいいが、審判だけは公平にしてほしい。

 当のリムルといえば、不敵な笑みを浮かべて剣を構えなおした。

 

「さあ、あなたの一撃必殺は破ったわ。カウンターしかできないわけではないのでしょう?」

「……わかりました。リクエストに応えましょう」

 

 彼女の、発展途上中の実力に敬意を表して。

 それまで両手で握っていた戦棍を片手に持ち替え、僅かに身を沈める。

 何か来ると感じてか、リムルが構え直す頃にはすでに、フィオレは地を蹴っていた。

 突進と共に放つ突きを払われ、手首を返して逆袈裟の払いを見舞う。

 棒術使いとの戦い方を知っているのか知らないのか、少女はどうにかその一打の軌道を逸らした。が、逸らした先から大上段の一撃がリムルを襲う。

 

「くっ!」

『一撃必殺を破られてご立腹か、ブリュンヒルド選手! 目にも止まらぬ連続攻撃にリムル選手、何とか喰らいついているぞ!』

 

 大剣をかざしてどうにか防御したのはいいものの、戦棍が止まっていることに安心しているのか、隙だらけだ。一瞬のことだが、逃すつもりはない。

 大剣を押し切るのは早々にあきらめ、間合いを取らんと足を動かす。

 リムルが追ってこないことを確認して、退きかけた足を前方へ踏み出させた。

 

「えっ!?」

 

 間合いを取って一息つくと思いこんでいたのだろう。大剣を構えることも忘れてリムルは呆けている。それでも彼女は、横合いから来た一打を耐えた。

 ただ、棒術の真価はその間合いの長さではなく、棒を回転させることによって可能となる連打攻撃にある。

 一撃防いで安心しても、二打三打、その道の達人ならどちらかが倒されるまで止まることはない。

 棒術を「扱うことができる」程度のフィオレでは最高でも一呼吸につき四打ほどしか打てない。が、今はそれで充分だった。

 回転運動による連撃をまともに受け、少女は悲鳴を上げる間もなく倒れ伏した。

 

『クリティカルヒット~! ブリュンヒルド選手の猛攻に耐えていたリムル選手、一瞬の隙を突かれたか! ここは頑張って、是が非にも、立ち上がっていただきたい! 頑張れ、リムル選手! 負けるな、リムル選手~!』

 

 そんなことよりさっさとカウントを取っていただきたい。

 闘技場規則において、倒れた相手への攻撃は反則行為だ。

 そのためこの間、フィオレはただぼんやりしていることしかできない。これが実戦なら、当の昔に勝負はついている。

 司会がやっと、高らかにカウントを数え始めたその時。地に伏していた少女は大剣を手に立ち上がった。

 攻撃を当てただけ、それも加減した上で軽鎧を狙ったのだから当たり前といえば当たり前かもしれない。

 本質こそ根本から異なるものの、少女の強さは出会った頃のリオンに匹敵していた。

 天性の素質を持ちながら、フィオレよりも経験がない故に扱いやすい。自分の強さを自覚しているからこそ取れる不遜な態度も、ここから起因するものなのだろう。

 だからこそ。強さと共に育ってしまった過剰なまでの矜持は、フィオレの振る舞いをけして許さないだろう。

 無様に地面へ転がされたことと、意図的な軽鎧のみへの攻撃を。

 

「ふざけるんじゃないわ、真面目にやりなさいよ!」

「私は大真面目です。これは殺し合いでなくて試合なんですよ」

 

 備えた実力が災いし、フィオレの手抜きは見事相手に気付かれてしまった。

 相手を殺してしまえば、規則上フィオレの反則負けである。開き直るしかない。

 言外に手加減して何が悪い、と言われたことに気付いたのだろう。リムルがぎりりっ、と歯を食いしばる。直後。

 

「やああっ!」

 

 雄々しい雄たけびと共に突貫、大剣に見合わぬ鋭い連続攻撃を仕掛けるも、フィオレは淡々と捌いた。

 キレはいいし、それなりに速いがあくまで大剣にしては、という話。

 捌くこと自体難しくないし、このままなら彼女の体力が尽きるだけだ。

 

『リムル選手の豪快な攻めをブリュンヒルド選手、実に落ち着いて払っています! 大剣は一度たりとも、その体に届かない! あっ、惜しい、あとちょっと!』

「雷よ、奔れっ! 雷破斬っ!」

 

 とうとう痺れを切らしたか、リムルは力任せに大剣を叩きつけてきた。

 雷気をまとっているのを見るに、まともに受ければこちらの手が痺れ、戦棍を取り落とすだろう。

 それを直感し、フィオレは大剣の軌道に合わせて戦棍を固定した。

 大剣は勢いも威力も殺されることなく、そのすべてを地面へぶつけることになる。

 

「え……!」

 

 大剣の切っ先が地面を穿ち、闘技場の地面に大穴が開いた瞬間。

 

 バシッ! 

 

 戦棍は、少女の横っ面を張り飛ばした。地面を転がりながら、それでも剣を手放さないのは天晴れなのかもしれない。

 専業戦士なら、当たり前のことなのだが。

 

『リムル選手、再びダウンです! カウントを取ります!』

 

 先程カウントが遅れたことを開催者側が考慮したのか、すでに新しく投入された審判が大仰な手振りでカウントを取っている。

 リムルは倒されたその時から意識があり、先ほどと同じように大剣を引き寄せて立とうとしていた。が。

 

『リムル選手、どうした!? なかなか立ち上がれないぞ!』

 

 大剣を手に立つどころか、大剣を杖代わりに上半身を起こすのが精一杯でどうしても立てない。

 こめかみを押さえて何度も頭を振っているのを見る限り、脳震盪が発生しているのだろう。たとえ立てたところで、多分平衡が保てない。

 どちらにしても、試合続行は不可能だ。

 本人もそれが痛いほどわかっているらしく、眉を歪めて射殺さんばかりにフィオレを睨んでいる。

 その視線を、フィオレは見下ろすようにして真正面から受け止めていた。

 そうしている間にも、時間は過ぎ。

 

「……ナイン、テン!」

 

 審判のカウントが時を告げた瞬間、それまで力を振り絞り立とうと強張っていたリムルの膝から力が抜けた。

 一拍遅れて、司会の声が響き渡る。

 

『試合終了~!』

 

 司会がフィオレの腕を取って掲げようとするのから逃れ、勝手にカイル達のいる観客席へ手を振った。

 逃げられた司会はといえば、少々もたつく素振りを見せてから高らかに宣言している。

 

『テンカウント経過! リムル選手、試合続行不可能につき、ブリュンヒルド選手の優勝が決定しました!』

 

 割れんばかりの歓声が、闘技場全体に響く。勝利が宣言されたその瞬間、フィオレは踵を返して闘技場から去った。

 立ち上がれないリムルのためか、救護隊が今度こそ駆け付けている。

 本来は健闘を称えて握手なり抱擁なり交わすものなのだろうが、あの様子では多分無理だ。

 馬鹿にしているのか、情けをかけるなとか、主に昔リオンが喚いたような罵詈雑言が浴びせられかねない。

 確かにフィオレが逆の立場なら、試合後に心配してもらうなどお断りだ。みじめにも限度というものがある。

 だからこそノータッチで背を向けた。

 このまま立ち去ることができれば、どんなにいいことか……

 しかし、フィオレの目的がそれを許してくれない。

 

「この後、授賞式及び副賞の贈呈です。このまま控室に戻ってお待ちください」

 

 試合直前に待機していた控室にて、否応なしに拘束される。

 別に監視がついているわけではないが、知り合いということで控室への立ち入りが認められたカイル達がいるのだ。あんまり変わらない。

 

「フィオレ、何か元気ないね。どうしたの?」

 

 せっかく優勝したのに、と言うリアラに目を向けて、フィオレは小さく息を吐いた。

 憂えているのは確かだ。だが、別にリムルという少女に関することではない。

 

「優勝できたことは大変喜ばしいのですが、気になることがありまして」

「気になること?」

「はい。この後、ノイシュタットチャンピオンの称号と副賞の贈呈があるのですが、副賞の入っている箱が妙に小さいような気がしたんです」

 

 先程手洗いに立った時。授賞式の準備をしている闘技場をちらと覗いた。

 称号授与のメダルも副賞もすでに用意されていたのだが、それを見て一抹の不安に襲われたのである。

 できれば偽物であってほしくないところだが、どうなることやら……

 

「そーいやぁよ。三位決定戦とかねえの?」

「チャンピオンにこそ価値があると考えられているここでは、三位を決めたところで意味はないだろう」

 

 どのみち、予選を通過し準決勝にて敗れたマイティ・コングマンは未だ伏せっているらしいから不可能だろう。

 そんなこんなで時間は過ぎて。フィオレは再び、闘技場舞台に立っていた。

 闘技場から貸与された武具はすでに返還しており、完全に素手である。

 何となく、決勝戦でやりあったリムルという少女を探す傍ら、司会のつらつらと語られる前口上は続いていた。

 決勝戦時よりは少ない観客の中に件の少女は見当たらないため、そろそろ真面目に話を聞こうかと思った矢先。

 

『それでは、今大会における優勝者、ブリュンヒルドさんに今一度大きな拍手を!』

 

 拍手に包まれる中、大会運営委員のお偉いさんから称号授与のメダルと賞金入りの袋が手渡される。

 これはいい。これはいいから、現在フィオレの位置から隠されてしまっている紫電を……

 

『続きまして、副賞の贈呈です』

 

 来た。司会の見やる方角から、副賞を運ぶ女性が静々と歩み寄ってくる。

 その女性が携えるモノの大きさ、形を見て──フィオレは思わずその場にしゃがみこんでしまった。

 

『どっ、どうなさいました!?』

「……あのー、副賞って紫電ですよね?」

 

 女性が携えているのは、どう見ても長刀の類ではない。何せ女性は、長方形の盆に副賞を乗せているのだ。フィオレの望む紫電であるはずがない。

 ただ、ここで何を言おうと副賞が変化することだけはありえないだろう。アレが何故紫電なる表記をなされていたのか、それを尋ねるべくフィオレは立ち上がった。

 表彰者である開催者は、実に不思議そうに目を瞬かせる。

 

「無論紫電だとも。あの隻眼の歌姫、泡沫の英雄が愛刀『紫電』をモチーフに作られた包丁のセットだ。あまりによく似たその刃の特徴を指して、通称『紫電』と……」

 

 包丁。

 通りで、妙にゴツい革製のケースに収められていると思ったら。

 

「……」

 

 無言でふてくされるフィオレをやや不気味に思ったのだろう。開催者はやや及び腰で包丁セットを差し出してきた。

 すっかり目論みを外されたフィオレは、この包丁セットをどうしたものだろうと受け取り──目をしばたかせる。

 革製ケースの装丁からして五つ、しかも内容は菜切り、出刃、牛刀、柳刃、刺身包丁というラインナップ。それにも関わらず、総重量はかなり軽い。

 紫電をモチーフしているとか言っていたが、まさか。

 居ても立ってもいられず、フィオレはその場で革ケースから刺身包丁を取り出した。

 懐かしい幻想的な淡紫、しっとりとした刃の輝きが眼前にて煌めく。

 

『ブリュンヒルド選手、喜びのあまりでしょうか? 紫電シリーズの開封をしてしまっています……あの、確かめなくとも本物です。そういうことはセレモニーが終わってから』

「これ、提供はどこです?」

 

 刃を舐めまわすように見つめるフィオレは、司会者は怖々と話しかけてくる。

 フィオレの目から見てもまさしく「平和利用されている紫電」をケースに収めて、司会者に尋ねた。

 

『へ? それはもちろん、あのハイデルベルグに本店を構える『ソウル&ソード』の店主にして鍛冶師、ウィンターズ氏の手がけたものですが』

 

 ハイデルベルグの『ソウル&ソード』ウィンターズ。不本意だった目的地に本物の目的が出来たことはいいことだ。

 体調を崩したかのようにしゃがみこんだかと思えば、副賞を悪戯に手にとって眺めまわす。

 そんなフィオレの奇行をけして歓迎しなかっただろう司会者は、フィオレに優勝した感想を求めることなく粛々と大会終了宣言を発した。

 控室に戻り、荷を回収し。事前に打ち合わせていた待ち合わせ場所にて彼らと合流する。

 その頃、暮れなずむ夕日は水平線に潜り込んでいる真っ最中だった。

 

「まさか紫電が、単なる包丁セットだったなんてな。ま、人生こんなもんだ。気を落とすなよ」

 

 ささやかなロニの慰めに頷きつつ、連れ立って闘技場を出る。

 これから港へ行ったところで夜間の航行は無理だろうと、適当な宿で一夜を過ごした。

 一日無駄にしてしまったと、宿のバーでやけ酒をあおるフィオレの隣には、呆れ顔のジューダスが座っている。

 

「おい。飲みすぎるなよ」

「大丈夫です。節度は守ります。だから何も注文しないで居座るのはやめましょう。マスターが睨んでますよ」

「それで十八杯目だろう。お前が僕の分まで呑んでいるから何も問題はない」

『フィオレ、やっぱりアクアヴェイルまで取りに行くから、ここでさよなら、なんて言わないでよ?』

「言いません。でもここに無いということは、紫電はジョニーのところなんですかねえ?」

「僕が知るものか」

 

 徒労に終わった一日の、夜が更ける。

 

 

 

 

 

 

 

 




※フィオレの称号『うわばみでザル』は称号『うわばみでザルどころか底なしのワク』にランクアップしました。


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第十八戦——英雄ご一行様のお通りだ~壮大なる寄り道、再び

 なんとか本筋に戻ってきたものの、なんと船の修理はまだ終わっておらず。
 怪しげな男(=商人)の誘いにホイホイのっかって、そんなわけでカイルたちはあばら家へやってきたのである。
 ……まさかこんなことになろうとは。誰もが予想していなかった出来事が発生します。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日のこと。

 気を取り直し、今度こそ船を出してもらおうと港へ赴いて、一同は驚愕せざるをえなかった。

 何故ならば。

 

「船の修理が終わってない?」

「すいません。思いのほか損傷がひどくて……」

 

 何でも竜骨と呼ばれる、船において大変重要な部位の損傷が著しく、修理にあたった船大工が船自体を変えた方が早いと抜かし、船長が激怒。

 すったもんだの挙句、船の取り替えではなく修理が着工されたようだが、まだまだ終わる目処は立っていないという。

 

「この船には聖女が乗ったんだろ? だったら、奇跡で船を直してもらえばいいじゃないか」

「そもそも船が怪物に襲われる前に、聖女様が……」

 

 そんな会話が聞こえたらしい。リアラの顔色がさっと変わる。

 見やればそれは、一同と同じく船の出港を心待ちにして集まった乗客たちから発せられていた。

 港のそこいらで、アルジャーノン号の船員たちが苦情処理に駆り出されていた。

 

「船の修理が終わるまでこちらの宿で……」

「いえ、結構です。それでは」

 

 特別宿泊券を差し出す船員の申し出を断り、一同を促してその場に離れた。

 予想通り、今夜の宿を確保しようとしていたロニから苦情が入る。

 

「おい、何でせっかくのタダ券フイにすんだよ」

「本当に考えなしか、貴様。あの宿には船の乗客が多数出入りしているんだぞ。連中がリアラやフィオレの姿を見つけて無理難題を抜かしたらどうする」

「ジューダスのおっしゃる通りです。少なくとも、私にはあの船の修理はできません」

「わたしも、ちょっと無理……」

 

 正確に言うなら、破壊されたモノを元の形に戻す術はある。が、それは破片が全て揃っていればの話だ。

 壊れた個所にぴったりはまる欠片がひとつでも足りなければ、物体はそこから崩壊するだろう。

 

「にしたって、どうするよカイル? この調子じゃ、いつ船が出るかわかったもんじゃないぜ」

「だが、ハイデルベルグは海路で行くより方法がない。ひたすら待つしかないだろう」

「う~ん……ただ待ってるだけってのも退屈だし、どうしよっか?」

 

 ともかく移動しようというジューダスの案を採用し、港を出る。大通りを歩き、適当な会話に花を咲かせた。

 

「拠点を確保して、各々自由行動でいいんじゃねえの?」

「それは構いませんが、美人局(つつもたせ)には遭わないでくださいね」

「いっそのこと、毎日闘技場に通って修行ってのはどう?」

「リアラだけ除け者にするのはどうかと思います。必ず優勝できるのなら、路銀稼ぎということで有効だとは思いますが」

 

 路銀稼ぎを目的とするならいっそ皆で働くというのも手だが、期間がはっきりしない以上、雇い主の迷惑だ。

 フィオレの提案はジューダスにばっさり切られ、リアラがおずおずと自分は闘技場観戦だけでも構わない、と言いだした矢先。

 

「すいません、御歓談の最中よろしいですか? その若年で見事、本選出場を果たしたカイルさんとお見受けしますが」

 

 一行に声をかけてきたのは、恰幅のいい中年の男性だった。

 商人が取引相手にするような揉み手をしつつ、軽く中腰になっている。

 

「え、何? オレのこと、知ってるの?」

「もちろんですとも。カイルさんの勇猛果敢な戦いぶりときたら! ワタクシ、年甲斐もなく興奮してしまいまして」

 

 興味津々に受け答えたカイル相手に、中年男性は無理のあるヨイショを連発している。

 流石に前向きお気楽思考のカイルも、これには苦笑いするかと思われたが。

 

「そ、そう? へへへ……いやあ、参ったなあ! 英雄としてのカンロクみたいなものがこう、自然に出ちゃう、って感じ?」

 

 あっさりおだてに乗った。

 男性は一瞬キョトンとしながらも、カイルにそれを悟らせない勢いで言葉を重ねている。

 

「おお、感じます、感じますとも! いかにもといった、勇ましい顔つきをしていらっしゃる!」

 

 ますます浮かれるカイル、突然の事態に成り行きを見守るしかないリアラ、額を押さえてため息をつくロニ、呆れるしかないジューダス。

 男性はといえば一同の視線などものともせず、カイルをターゲットにしぼったまま、本題と思われる話を取り出した。

 

「ところで、その英雄様方に折り入ってお願いがあるのですが……聞いてはいただけませんでしょうか?」

「オーケーオーケー! 何でも言ってよ、英雄カイル様がひょひょいっと……もが」

 

 やっぱりそう来たか。

 相手を褒めて持ち上げて、いい気分にさせたところで目的を達成するとは、わかりやすい手口である。

 カイル本人だけならまだしも、一同に関わる話なら放ってはおけないと。フィオレはカイルの口を物理的に塞いだ。

 

「内容によります。まずお話を聞かせていただけますか?」

「それでしたら──こんなところでも何ですので。よろしければワタクシ共のあばら家へ御足労願えませんでしょうか?」

 

 肯定の方向で即答したがるカイルをロニに渡して、そのあばら家とやらの住所を聞き出し、男性を立ち去らせる。

 ようやく解放されたカイルは、予想通り口を尖らせた。

 

「何するんだよー。困っている人がいたら助けるのが英雄ってもんだろ?」

「あなたは英雄を、お人よしか無節操か何かと勘違いなさっているようですね」

 

 困っている人間を全て助けたら英雄になれる。こんなことを言い出したのは、アルジャーノン号の一件があったからだろうか。

 確かに世間において英雄とされているソーディアンマスター達は、神の眼を破壊することで世界を危機から救い、結果として全世界の人々を助けたことになるが。

 そんなカイルの態度に、ロニはおそるおそると言った様子で弟分に尋ねた。

 

「……おい、カイル。まさかさっきの話、受けるつもりじゃないだろうな?」

「もちろん引き受けるさ! 困ってる人が英雄を待ちわびてるんだからさ!」

 

 意気揚々と、先ほど聞き出した住所を道行く人に聞いて回るカイルを見送って、ロニは盛大なため息をついた。

 少し前なら体を張って止めただろうに、それをしないのは山小屋での出来事が起因しているのか、あるいは本気で呆れたのか。

 

「あのバカ、すっかりその気になってやがる。どうすんだよ、アレ?」

「断ったところですることもなし、暇つぶしには丁度いいのでは?」

 

 幸いなことに、話を受けるとは言っていない。内容の如何によってはカイルも考え直すかもしれない。

 とりあえず今のカイルを止めるのは不可能でなくても骨が折れるだろう。

 その見解だけは一同共通であるらしく、住所先を突き止めたカイルに引っ張られるような形で、あばら家とやらへ移動する。

 そして実際に辿りついたのは──

 

「ここ……なの、カイル?」

「さっきの人はここだって言ってたけど」

 

 あばら家などとはとんでもない。これがあばら家なら、デュナミス孤児院など犬小屋か兎小屋だ。しかし。

 

「ここは……」

「知ってるの、ジューダス?」

「いや……なんでもない」

 

 妙に見覚えがあるような、と思ってフィオレが首を傾げていると、ジューダスの小さな呟きがカイルに聞き咎められている。

 場所がノイシュタットで、ジューダスにも見覚えがある豪邸となると、ひとつしかない。

 ともかく尋ねればわかるだろうと、呼び鈴を鳴らす。

 少しして扉を開いたのは、先程の男性ではなく、桃色を基調としたエプロンドレスをまとう女性だった。

 どうでもいいが、妙にスカートの丈が短い。

 

「どちら様でしょうか?」

「え、ええーっと「先程声をかけられた一団が来た、と、この家の主にお伝えください」

 

 ひとつ頷いて、メイド姿が消える。

 待つことしばし、次に現れたのはメイドではなく、先程の男性だった。

 

「おお、お待ちしておりました! ささ、どうぞこちらへ」

 

 もともとなのか演技なのか、妙に胡散臭い印象の商人に案内され、一同は応接室と思わしき部屋へ通された。

 部屋の中央に熊か何かの毛皮が床に敷かれ、四方の壁にそって高価な硝子ケースに収められたコレクションと思しき品々がこれみよがしに飾られている。

 丈の低いテーブルと革張りの長椅子を急遽持ち込んだ、単なるコレクションルームなのかもしれない。

 

「まあ、まずは楽にしてください」

「はい、みんなストップ。ロニ、ちょっと借りますね」

 

 高級感あふれる長椅子に腰かけようとする仲間達を制して、フィオレはロニから奪った斧槍(ハルバード)の石突をソファへ突き刺した。

 ぷちぷちっ、と音がして、クッションに仕込まれていた針が顔を出す。

 それを繰り返しては回収し、最終的に両手の指で数えきれない針を丈の低いテーブルにばらまいた。

 

「お遊びにしても、少々度が過ぎていると思いますが?」

「こ、これは失礼を……ですが、この程度の罠も見抜けぬ方々であれば、依頼は取り下げようと思いまして」

 

 その返答に、肩をすくめてロニに斧槍を返す。

 これには流石のカイルも絶句しており、斧槍(ハルバード)を返されたことで我に返ったロニが無愛想に尋ねた。

 

「……で、俺達に頼みたいことってなんだ?」

「実はですな。以前この街にはオベロン社という大企業の支部がありまして……」

 

 どんな突飛な依頼かと思えば、案外普通の切り出し方である。

 先だっての騒乱でオベロン社は消滅し、支部の金庫に収められていた宝が消えた。

 

「先の騒乱にはここの支部長も関わっておられたのでしょう? その際、持ち出されてしまったのでは?」

「ところが、です。ワタクシが調べたところによりますと、その宝はこの街の近くの廃坑に眠っているようなのですよ」

 

 ……何を頼みたいのかはわかった。だが、この説明には非常にひっかかる物言いがある。

 そもそもこの男は、何故オベロン社ノイシュタット支部の金庫に宝とやらがあることを知っているのか。

 それをフィオレが尋ねるよりも早く。

 

「……貴様、どこから嗅ぎつけた?」

 

 先程の罠を見て、元々機嫌がよくなかったのだろう。ジューダスは、更に機嫌を悪くしたように男を睨めつけた。

 仮面の奥の瞳は、いつも以上に鋭い。

 

「彼女の遺言状にしか記されていないことを、貴様が何故知っている?」

「イ、イレーヌ様の遺言状のことなど、私どもは露とも存じ上げません! すべて偶然、知ったことでして……」

「……なるほど、そういうことで」

 

 ジューダスの追及に、彼はそのまま事実を教えてくれた。

 かまかけか、フィオレの知らない事実をジューダスが知っているかどうかさておいて。

 彼はそれこそ偶然か故意にか、イレーヌ・レンブラントの遺言状を手に入れた。それだけで、全て納得がいく。

 それでもジューダスにはまだ納得がいかないことでもあるのか、追及を続けている。

 

「おかしいな。僕は彼女と言っただけだ。イレーヌなどとは一言も言っていない」

「そ、それは……」

「おいおい、ジューダス。何つっかかってんだよ! おっさん、怯えてるだろうが」

 

 そろそろ、珍しく能動的なジューダスに対し、比較的常識のあるロニが仲裁に入る。

 確かにあの仮面で夜中にでも迫られたら怯えもするだろうが、この場合は多分違う。

 それはジューダスも承知だったらしく。

 

「怯えている? 図星を突かれて慌てているだけだろうが」

「──仲間の非礼を詫びましょう」

 

 とはいえ、そろそろ止めるべきだろう。

 収拾のつかない事態になる前に、フィオレはそれまで男性に因縁をつけていたジューダスを下がらせた。

 

「経緯はおいといて、あなたはオベロン社支部に保管されていた宝とやらが欲しい。しかし自力で取りにいけないから、私達に代理を頼みたい。そういうことでよろしいでしょうか?」

「……は、はあ。そうですが」

「報酬は?」

「お、お礼ならばいくらでも。ただ、宝の破損があった場合は……」

 

 何も支払うことはできない、と。それはまあ、常識の範囲内だ。フィオレ自身には何の文句もない。

 ちら、とカイルを見やれば、その意味を察してだろう。彼はどん、と己の胸を叩いた。

 

「よし、わかった! 待っててよ、おじさん。オレ達が必ず持って帰ってくるから」

「そうそう。金庫に入っているサイズということで持ち帰りを宣言いたしましたが、持ち運びが困難な場合は調査報告と簡略地図をお持ちしますので。つきましては詳細な報酬ですが……」

 

 本来なら闘技場の優勝金額より吊り上げるところ、ジューダスの態度によって気分が害されただろう、ということで優勝金額と同等を提示する。つまりは10000ガルド。

 目をむいて驚く男を前に、フィオレは大仰なため息をついてみせた。

 

「私達五人を雇うのでしょう? いくらでも、と言ってたのに、一人につき2000ガルドすら払えないのですか」

「し、しかしワタクシにも生活というものがありまして……」

「そうだよ、フィオレ。おじさんかわいそうじゃんか!」

「こんなでっかい家に住んどいて、何が生活なんだよ」

 

 すったもんだの話し合いの末、一人1000ガルド、それから彼のコレクションのひとつ、ということで交渉がまとまる。

 それらはすべて後金ということにして、一同はようやくあばら家を後にした。

 

「廃坑は街の西、南の海岸線に沿って白雲の尾根の中を進めばすぐに見つかるとか言ってたな。またあの霧ン中を歩くのか」

「あの中で迷うと面倒だからな……勝手な行動は取らないで、固まって行動するんだ」

 

 ボヤくロニの気持ちはよくわかるが、引き受けてしまったものはしょうがない。

 白雲の尾根を進んできた際の注意をジューダスが繰り返せば、そこにカイルが大きく頷いた。

 

「みんな、ジューダスの言う通りにしよう! ウロチョロしてはぐれたりしたら、大変だしね!」

「僕はお前に言ってるんだ」

 

 再び白雲の尾根に入るということで、入念な下準備は欠かせない。買い出し等を済ませて、一同は再びフィッツガルド内陸部へと旅立った。

 その最中にも、宝探しに胸を躍らせるカイルを中心とする会話は絶えない。

 

「おい待てよカイル! お前歩くの速すぎ! そんなに飛ばしてたら、宝を見つける前にバテちまうぞ!」

「だって、話聞く限り誰が管理してるわけでもないんだろ? じゃあいつ誰が勝手に入り込むかもわからないじゃないか。誰かに先を越される前に、宝を見つけないと!」

「静かになるなら、私は大歓迎です」

 

 宝探し、という普段はなかなかあり得ないシチュエーションにだろうか。

 鼻歌すら歌い出すカイルに対して、リアラはどこか不安そうだった。

 

「廃坑っていうと、やっぱり人なんていないのよね……」

「そりゃそうさ。ま、オバケならいるかもしれないけど」

 

 至極明るく、冗談交じりに受け答えるカイルの台詞に過剰反応したのはロニだった。

 その声は、誰がどう聞いたところで震えている。

 

「バ、バカ言ってんじゃねえ。オ、オバ、オバケなんてこの世にいるわけ……ねえじゃねえか!」

「なぁに、ロニ。オバケが怖いの?」

 

 いつにないロニの反応に、リアラが面白がって揶揄している。

 パーティ内唯一の成人男性、常にカイルといるため兄貴風を吹かす彼がここまで怯えていることが新鮮なのだろう。

 彼はもちろん反論していた。

 

「こここ、怖くなんかねえよ! ……ただ、いたら……なんていうか、その……ここ、困ると思ってよ……」

「それを怖いというんだ」

 

 言い逃れる彼だが、ジューダスにさっくりトドメを刺され、可哀想なくらいへこんでいる。

 フィオレやジューダスがすでに一度死んだ身──生身を持つ幽霊に近いことを知ったら、どうなることか。

 

「ちなみに、ロニの言うオバケとはいわゆる足がなくて透明な精神体ですか? それとも……」

「だーっ、言うな! 聞きたくもねえ、オバケ全般が嫌なんだよ!」

 

 耳を抑えてイヤイヤをするように首を振るロニは、確かに新鮮だった。

 これまで、いわゆる幽霊の類を怖がる人間を知らないわけではない。ただ、思いだせるのは同性の怯える姿ばかり。男性でここまであけっぴろげに何かを嫌がる姿といえば……

 そういえば一人いた。誰あろう、かつて仕えていた主は、女性恐怖症だ。

 当時の自分にとっては慣れ過ぎて珍しくも何ともなかった姿が、眼前で再現されている。そのことで閉口し、周囲を警戒することに専念していると。

 見通しの悪い視界の先に、件の廃坑が見えてきた。

 

「──あれ、ですね」

「ああ。あれだな」

「えっ、どこどこ!?」

 

 視線をさまよわせるカイルを無視して、ジューダスは彼方に見える山のふもとへ眼差しを送っている。

 ノイシュタットから西、海岸線に沿って進んだ先にそそりたつ山の根元。

 日差しがあまりにも少ないため、生い茂る木々もないそこに、入り口を木枠で固定された廃坑はポッカリと口を開けていた。

 何がきっかけだったのだろうか、ふとここでロニがいらないことを思い出した。

 

「そーいやあよ。遺言状がどうのこうの、あのおっさんとやりあってたけどよ。ジューダス、何か知ってるのか?」

「……何のことだ?」

「トボけんなって。遺言状に記されていることとか、名前のことも……何か知ってるんだろ?」

 

 確かに。知っていなければそんなこと、なかなか言えることではない。

 ジューダスがどのようにして言い逃れるのか興味はあった。が、今は仲間割れをしていられるほど安全な状況ではない。

 不本意だが、横やりを入れることにした。

 

「ロニは、ノイシュタットにあったオベロン社支部の支部長の氏名を御存じで?」

「あ? 確か……イレーヌ・レンブラントだっけか?」

「オベロン社の支部にあった金庫の中身を一番よく御存じだったのは、もちろん支部長でしょうね。それがどこにあるかなんて、それこそ遺言状みたいなものがないと始まらないでしょう。私でもこのくらいのことは推測できます。カマかけただけじゃないんですか?」

 

 それならそう言えば済む話なのに、そうしなかったということは、何か知っていると考えるのがフィオレの中の常識だ。

 しかし、ロニを含む彼らはそうではなかったらしい。

 

「な、なるほど……」

 

 好都合だからそれはいいとして、フィオレは話題を展開させた。

 

「そんなことよりか、依頼人がそれを頑なに隠したことの方が気になります。オベロン社幹部イレーヌ・レンブラントの遺言に宝のヒントがあったから探してくれって、そう素直に告げれば済むはずなのに」

「うーん……」

「変に隠したがったから、ジューダスも気になって詮索したんでしょう? でなければ、普段消極的なジューダスが気乗りもしてない宝探しに深入りする理由がありません」

 

 フィオレの口車によって、ロニはすっかり納得してしまっている。

 ジューダスは一度たりとも肯定していないのだが、積極的に取りつくろうのが下手な彼は無視を決め込んでいる。

 ……否。

 

『フィオレに助けられちゃいましたね』

『……うるさい』

 

 この頃、度重なる訓練の成果が出てきたのか、ジューダスはシャルティエとのチャネリングを可能としつつあった。

 それでも、ひとつの単純な単語を紡ぐのが精いっぱいのようだが。

 

『何も話すなとは言いませんが、取り繕うことくらいしてください。私が同行している以上、仲間割れはごめんです』

 

 これを聞いて以降、舌打ちせんばかりに不機嫌になったジューダスはさておいて、一同は廃坑内へと足を踏み入れた。

 坑道内に光源はなく、唯一の出入り口からも周囲が霧で覆われているにつき、弱々しい光しか差し込んでこない。

 夜目を最大限効かせたフィオレが壁をくり抜いて作った燭台に新たな蝋燭を立てると、ぼんやりとだが坑道内の様子が明らかとなった。

 

「ふ、雰囲気あるな……」

 

 崩落を防ぐためだろう。きっちりとレンガ造りになっている入り口付近は時の経過を経てか、あるいは住みついた魔物がしたことか。ところどころが朽ち、むき出しの地面が覗いている。

 資材置き場も兼ねていたらしくそこいらに木箱が転がっているものの、その木箱自体が腐っているのを見ると、触る気にはなれない。

 壁の燭台ひとつでは埒が明かないと、フィオレが光源を準備する最中のこと。

 

「人気のない廃坑って、不気味だよなぁ。何か、出そうな感じがする……」

「いいかみんな、よ~く聞けよ。もしオバケとか見つけたら、まず俺に言うんだ」

 

 カイルの呟きに、ロニが真剣な口調でそんなことの通達を始めた。

 先程オバケを全力で怖がっていた彼と、同一人物とは思えぬ凛々しさだ。

 

「えっ? ロニがやっつけてくれるの?」

「いや、逃げる。一番最初に逃げたいだけだ」

 

 大真面目な顔で何を言い出すのかと思えば。

 レンズ補充型のカンテラを掲げ、フィオレは我関せずと周囲を見回した。燭台よりよほどしっかりとした光が一同を、そして廃坑の出入り口兼資材置き場を明るく照らす。

 そこで突如として、リアラの甲高い悲鳴が上がった。

 

「今、そこに、人影が!」

「え……」

「どどどど、どうしたリアラ? オバケでもいたのか? そうなのか? 何があったのか言ってくれ!」

 

 廃墟を不法占拠した輩か、あるいは廃坑に住みつく人型の魔物か。

 身構えたフィオレの緊張を木端微塵にしてくれたのは、慌てふためくロニの醜態だった。

 本当に、大の男とは思えぬ取り乱しっぷりである。案外トラウマがあったりするのかもしれない。

 

「あ~やっぱり言うな! でもオバケだったら逃げなきゃな~、いやオバケなんかいないんだ! いないハズなんだ……!」

「二人とも落ちつけ!」

 

 取り乱すを飛び越えて恐慌状態に陥ったロニ、彼の見事な混乱っぷりを目の当たりにしておろおろするリアラを一喝したのはジューダスだった。

 ちなみにカイルは、物珍しげに周囲を見て回っている。

 

「リアラ、お前が見たのはカイルの影だ。いきなり光源が出来たからな」

「……え?」

 

 リアラもロニも、単純なカラクリを前に目をひとつ瞬かせた。

 そしていち早く普段の調子を取り戻したのは、人生経験が彼女よりは長いロニである。

 

「そ、そうだ、ジュ、ジューダスの言う通りだ! オバケなんか、いるはずないじゃないかリアラ! ま、まったく人騒がせだな~!」

 

 ただし、その声は裏返るほどに震えているが。

 

「あっ、ロニ、ずるい! わたし、オバケだなんて言ってないわ!」

 

 まったくもってその通りだ。見えない敵と戦うロニに、ジューダスもどこか冷ややかな視線を寄越している。

 そんな騒動とは無縁だったカイルはといえば、資材置き場の探索に飽きたらしい。空気も読まずに、こんな話題を投下してきた。

 

「ねえ、そういえば宝物って何だと思う? やっぱり伝説の剣とかなのかなあ?」

「ソーディアンみたいなモンか? そんなのつまんねーよ」

 

 仮にも世界を救った立役者に対して凄まじい侮辱のように聞こえるのは気のせいか。

 当のシャルティエは聞き流しているようだが、ディムロス辺りが聞いたらさぞやおかんむりに違いない。

 ただ、ロニの言う「つまらない」には別の意味があったようだ。

 

「もっとこう……そうだな。誰も見たことのないような、ものすご~い宝がいいって……」

「例えば?」

「……たとえば……美女。そう、優しくて気立てが良くて物腰柔らかで上品な美女とか……」

 

 ──なるほど。自分が欲しいもの=宝という思考であることはわかった。

 その発想に、リアラもまた便乗している。

 

「それってロニの欲しいものじゃない。だったら、わたしは英雄がいいな!」

「なんだよ、リアラ~。英雄ならもうここにいるじゃん」

 

 拗ねるカイル、フィオレをちらちら見ているため、それに気付かないリアラ。

 なし崩しに話題が転換されそうになったところで、長話にうんざりしたらしいジューダスの突っ込みが入った。

 

「お前たちの思考は理解できんな。人間が宝箱に入っているわけないだろう」

 

 否、ボケだった。

 

「……とりあえず、彼らが言っているのは自分の欲しいものであって、ここに隠されている宝の話ではないと思うのですが」

「そうよ、ジューダスったら。冗談に決まってるじゃない。ねえ、ロニ?」

「え? ……冗談なの?」

 

 本気だったらしい人はさておいて。

 リアラから英雄扱いされずむくれていたカイルが、気を取り直したようだ。

 

「でさ、ジューダスとフィオレは何だと思う? 宝って」

「さあな……」

「隠された宝のことですか? それとも、宝に対する私の認識のことですか?」

 

 解答する気零のジューダスに対し、フィオレは一瞬の沈黙を挟んで逆に質問した。

 それまでの話題が話題だっただけに、どちらなのかまぎらわしい。

 

「んー、両方! フィオレだったら何が欲しい? 自分が気にいる武器とか……」

「大切な人の笑顔。私にとっては何物にも代えがたい宝です」

「──!」

 

 思わぬ沈黙、更にロニなどは「ふ、深い……!」などと口走っている。

 それを無視して、フィオレは続けた。

 

「で、ここに隠された宝の予想ですが。金庫に入っていたらしいということは、それほど大きくないと思います。それで、レンズを掘り当てたこの廃坑にあってもおかしくないもの、と言ったら限られてくるような気がするんですよ」

「ふんふん」

「エネルギー含有率が異常に高いレンズとか、この廃坑で見つけたものと錯覚させるような原石や、金銀財宝とか。でなければ……実はこの廃坑は金脈で、宝というのはここの権利書とか」

「……夢がないなあ……」

 

 無難な答えにカイルは不満そうだが、ただの予想にケチをつけられてもどうしようもない。

 そもそも今回、依頼内容に関して不備な点があり過ぎた。

 

「ところでカイル。この辺り、それらしいモノとかありました? まさか入ってすぐの場所にはないだろう、と思わせる作戦かもしれませんので」

「うーん……それらしいものは、何も。そっちの部屋が休憩所か何かみたいで行き止まりだし、あっちは土砂で塞がっちゃってるし」

「土砂?」

 

 当時から十八年の時を経ている場所なら、多少老朽化していたところでおかしいことはない。

 それでも一応見てみようとカイルの指差す先、確かにこんもりと砂礫の入り混じる土饅頭が通路を塞いでいた。

 

「……中に何も入っていないといいのですが」

「中にって、まさかこんなかにお宝が……」

「ああ、なるほど。そういう考えもアリですね」

 

 頑丈な宝箱を設置し、故意に土砂で埋め立て落盤を装う。できないことではないだろう。ただし、ひとつ間違えば坑道全部を埋め立てかねないが。

 一人で勝手に納得するフィオレに、どういうことなのかとロニがつっかかる。

 その問いに、フィオレは実に淡々と語ってみせた。

 

「こんなにも大量の土砂、人の手ではなかなか除去できないでしょう。発破なんか使ったら埋もれた人間を爆殺するどころか、坑道全体を埋めてしまう危険がある。結果として、生き埋めになった坑夫が今もこの中に……」

「おいおいおい、マジかよ!」

「私はそう思ったけど、ロニのような考え方もある、ということです」

 

 ともあれ、まず探索できる場所を全て回るほうが建設的だ。苦労して土砂を取り除いた先が単なる行き止まりだったら、時間と労力の無駄遣いである。

 光源はフィオレの持つカンテラたったひとつ。固まって奥へと進み、思い出したように光源に対して襲いかかってくる魔物を蹴散らし。

 一同が見つけたのは、見たこともないような大型の機械だった。

 

「これ……何?」

「これはレンズ起動型エンジンと言って、レンズからエネルギーを引き出し動力に変える機械だ」

 

 まさか即座に答えが出てくるとは思わなかったのだろう。

 質問したリアラも、大型の機械へ興味津々に手を伸ばしていたカイルも、どこかで見たことがあるような気がしていたフィオレも解答者を見やる。

 

「これを作動させれば、坑道内の設備を再び動かすことができる」

「……具体的には、削岩機が動かせるとかでしょうか」

「そこいらの壁にランタンが設置されているだろう。あれに明かりをつけるとかな」

 

 何故そんなことを知っているのか。

 これまでにも腑に落ちない言動をそこかしこで覗かせていたジューダスだったが、これは決定的だった。

 戸惑う一同になど目もくれず、彼は「レンズ起動型エンジン」なるものに手を伸ばしている。

 

「……坑道内に光源ができるのはよいことですが、どうやって起動を促すので? 高密度エネルギーを保有したレンズを取り付けるとかですか?」

「それでも構わないだろうが、このタンクにレンズを入れるだけで事足りるだろう。数は……200もあれば十分だ」

 

 大型機械を一通り眺めまわし、彼は一同に背を向けたまま硝子製のタンクを指先で叩いた。

 その枚数を耳にして、ロニが目を剥いている。

 

「200って……レンズ200枚!? そんなに必要なのかよ!」

「文句を言っても仕方ない。ランタンひとつで探索なんか限度があるだろう」

 

 ジューダスの言うことはいちいち最もだ。

 レンズを発掘していた坑道だけに探せばまとまったレンズがあるだろうとの見解で、一同は坑道の奥へと向かうことになった。

 すでに資材置き場から差し込む弱々しい光が届かないほど、坑道奥深くまで入り込んでいる。光源は、変わらずフィオレの手にするレンズ補充式のランタンのみだ。

 松明や普通のカンテラよりはましとはいえ、人工的な光のなんとちっぽけなことか。

 物音といえば、一同の足音か、何かが動きまわる音だけだ。

 

「ま……真っ暗だな……」

「安心してください。明るかったら、幽霊の姿も丸見えです。暗いからこそ見なくてすむものだってあります」

「馬鹿をからかって遊ぶのはやめろ、騒がしい」

 

 時折見かける使いかけの燭台に火を灯すも、包み込むような闇の中、焼け石に水、という形容がふさわしかった。

 進んでいく最中、光に反射して煌めくレンズを回収していくも、200枚には程遠い。

 こうなったら手持ちのレンズを足しにするべきかと、フィオレが真剣に検討を始めたその時。

 

「なかなか見つかんないな~。気分転換に歌でも歌う?」

「いいわね、それ! わたし、フィオレの歌が聞きたいな」

 

 歌で思い出したが、ここにフィッツガルドには契約どころかその存在すら見つけていない大地の守護者、アーステッパーがいたはずだ。

 一同の隙を見て試さなければと常々思っていたのだが……結局、なんだかんだと機会を見いだせていない。

 今ここで試すのも手かと、アカペラで歌唱を試みる。まさかこんな場所で反応などないとは思うが、念のため。

 

「Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze……♪」

 

 静かでのんびりとした、悪く言えば暗い曲調が、坑道の内部に響いて揺れる。

 言葉としての意味を大体の人間は解さない大譜歌に、リクエストしたリアラ本人が少々戸惑ったような顔をしているが、知ったことではなかった。

 

「Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey……♪」

 

 やがて歌詞を紡ぎ終え、余韻が融けるように消えていく。

 直後、ランタンの光が消えた。

 

「うわっ!」

「おわ、どした? ランタンの故障か?」

 

 突如として闇に包まれ、一同の足が止まる。しかし、先行していたフィオレからの返事はない。

 しん、と静まり返った闇の奥から時折ザザザッ、と何かが蠢く音が聞こえてくるばかりだ。

 

「フィオレ? どうかした?」

「おい、冗談だよな? 俺らをからかってるだけだよな?」

 

 仲間たちの呼びかけに答えることなく、またフィオレが歩いていたはずの空間から何の物音もしない。

 引き返すことも先に進むこともできず、ただ時が過ぎていく中で。我慢の限界に達したのは、この少女だった。

 

「ねえ、どうしたのフィオレ!? どこにいるの!?」

「待て、それ以上進むな!」

 

 その場を駆け出しかけたリアラを、ジューダスが物理的に止める。

 突如として人が消えた。それだけならいくらでも可能性を見いだせるが、消えたのがフィオレでは話が別である。

 

「いきなり人間がいなくなったんだ。落とし穴のような罠があったのかもしれない」

「なら、早く助けなきゃ……」

「仮に落とし穴だったとしても、返事も聞こえないような深さでは縄のようなものがなければ救助は無理だ。それに場所が特定できないのでは、まったくの徒労に終わる」

 

 まず優先するべきは彼女の探索でも救出でもなく、光源の確保だ。そうでなければ一同の足元すらおぼつかない。

 それを告げて、手元が見える程度まで戻ることを提案するジューダスに一同は従わざるを得なかった。

 

「でも! 落とし穴じゃなくて、怪物にさらわれたとかだったらどうするのさ! 早く助けに行かなきゃ……」

「あいつを、有無を言わさず連れて行けるような怪物にかなうとでも思うのか? どっちにしたって視界がきかなければどうにもならん」

 

 口論をしている時間すら惜しいと、彼はさっさと来た道を戻りにかかっている。

 これ以上の分散は避けるべきだとロニも言い、一同は総出で逆戻りを始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






※これを読む皆さんの宝は、何ですか? 
 ちなみに私は、「これまでの人生」が該当します。これが無かったら私はここにいないので。
 これからの人生が宝になるかどうかは、まだわかりませぬ。
 ひょっとしたら、何よりも壮大な、粗大ごみ(=黒歴史)になるかもですよ? 


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第十九戦——廃坑の深奥にて、邂逅~なんて人騒がせな真似を

 引き続き、ノイシュタット廃坑。
 そんなわけで、いきなり行方不明の原因はアーステッパーによる聖域への強制召喚が原因でしたとさ。
 どっとはらい。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、突如として姿を消したフィオレはといえば。

 

『来た』『来たよ』『やっと来た』

『遅かったねえ』『遅かったよねえ』

『でもいいよね。来たんだから』『そうだよね』

『ようこそ、来訪者。我らの(やしろ)へ』

 

 子供の囁きにも似た声が、鼓膜ではなく脳裏へ寄せては返す。周囲を見回しかけ、妙に視界がブレたような気がした。

 フィオレがランタンのスイッチを切ったのは、その直後のことである。

 大地の守護者アーステッパーに導かれてのことなのか。左手甲の疼きは消え、フィオレの視界は見事なまでに一変していた。

 まず、光がある。

 通常廃坑に太陽光が差し込むことなどありえず、当然植物の類もない。清涼な清水など夢のまた夢。

 しかしフィオレが現在立っている場所は、それら全てが存在し調和する空間だった。

 天井付近から光が差し、瑞々しい緑はおろか花さえ咲いている箇所がある。周囲にたゆたうは湧水と思われる清水で、眼前には苔むした岩石がでんと置かれていた。

 土臭くカビ臭い坑道内に置いてお目にかかれない光景にフィオレが魅入っていると。

 

『アーステッパー! 無事だったのですね』

『見たところ封印されてたような感じしないし。どうして今まで音信不通だったのさ』

 

 現在フィオレと同道を共にしている守護者らが、姿を現さぬまま尋ねにかかる。

 その問いに、彼らはまるでささめくように答えた。

 

『無事?』『封印?』『そういえば連絡できないね』

『来訪者が来なかったから』『解放されずにずっと眠りっぱなしだったから』

『──そういえばフィオレ、アーステッパー達と契約してないや。だから、あいつらに目をつけられなかったってこと……?』

『ちょっと前、大地はボロボロにされた』『吸い上げられたり落とされたり』『こっちのことで手いっぱいだったから』

『大地が殺されそうだったから』『大地が死んだら、誰も生きられない』『今も大地は傷ついたまま』

 

 ──つまり、フィオレが契約してようとしてなかろうと、アーステッパーにはアーステッパーの用事があり、フィオレの蘇生には絡んでいないらしい。

 と、いうことはだ。

 

『なら、私に同行する意味はありませんね。聖域が無事なのだから、契約だけしてこの地を守っていてくだされば』

『ううん、行く』『除け者なんてやだ』『我らアーステッパー、大地と共に在りし者』

 

 秋に実る小麦の穂のような麦藁色が数えきれないほど灯ったかと思うと、まるでポップコーンが弾けたようにアーステッパーはその姿を現した。

 否、アーステッパー達と言うべきか。

 

「こ……これが、アーステッパー……!」

『はい。彼らの一人一人が、アーステッパーなる守護者を形成しています』

 

 通りでいくつも声が重なって聞こえたと思ったら、当たり前だ。数えきれない麦藁色全てが、アーステッパーだというのだから。

 二股の帽子を被った、靴職人の小人じみた容姿。その容姿に見合う小ささを補うように、アーステッパーは無数に存在していた。

 

『来訪者……』『フィオレ、だっけ』『そうそう、そんな名前』

『彼女に選定されし者』『聞きたいことは何?』『誰が答えよう?』

『大変ありがたいのですが、質問は保留でもよろしいですか? 契約を済ませてしまいたいのです』

 

 聞きたいことはいくらでもある。しかし確実に答えてもらえるのは一度だけ。質問内容をよく考えたいが、今はその時間がない。

 何せ、仲間たちとの行動中にいきなり召喚──姿を消してしまったのだ。

 早いところ戻らなければ、還らぬ人認定をされ置いてけぼりの憂き目に遭うだろう。

 それはそれで構わないような気がしないでもない。しかし、その案を採用してしまうほど、彼らのことがどうでもいいわけではなかった。

 

『保留?』『後回し?』『別にいいよね』

『別にいいよ』『ならば我らと契約を──』

 

 掌サイズの小人たちが、我も我もと小指より小さな腕を差し出してくる。

 左手でそれに触れるようにしながら、フィオレは誓いを口にした。

 

「汝らの意に沿う。汝らの願いがため、我にその加護を。我に力が貸し与えられんことを。願わくば契約が、無事に果たされんことを」

『その心ある限り』『その意志の限り』

『我らは汝と共に行く』『我らは汝の友となる』

『豊穣の大地は』『気高き母なる地は』『汝を柔らかな抱擁にて包むだろう……』

 

 小人達が一斉にその姿を麦藁色の光に変え、一点に吸い込まれる。その一点はフィオレの左手に収束し、その光を散らした。

 光が散った後に残るのは、蔦が巻きつく意匠のバングルである。フォレストエメラルドに似た輝石が、中央にはめこまれていた。

 ふっ、と遠くなる意識の中、バングルを腕にゆっくりと目を瞬かせる。

 湿った土の匂い、清々しい光に慣れた目では到底見通せない、闇。

 再びあの坑道内に戻されるものと思っていたフィオレは、きょとんと周囲を見回した。

 霧の漂う山脈の真っただ中とは信じがたい、降り注ぐ日光。可愛らしい花さえ咲かす足元の草むら、日光と共にそれらを育んできただろう豊潤な湧水。

 ただしそこに苔むした巨大な岩石はなく、目を向ければ少し行った先に人工的な通路がある。

 そのちょうど反対側に湧水に囲まれた小さな孤島に何かがあった。

 片手で持ちあげられるほど小さな円筒形のケースと、実に綺麗な切断面を見せる長方形の石板。それに彫られた、たどたどしい文字の羅列。

 石板の文字を眺め、繊細な硝子製と思われる筒状のそれを見やって。

 フィオレはそれに触れることなく、その場を去った。

 人工的な通路を通り、続いていた小部屋の階段を降りればすぐそばには運搬用と思しき水路。眼前には巨大な土饅頭がそそり立っている。

 この水路が本当に運搬用のものなら、坑道のどこかに繋がっているはずだ。

 フィオレは迷いなく水路に身を投じた。

 荷袋が耐水布であるにつき心配はないものの、水路は思った以上に深い。辟易して泳ぐうち、数人が走っているような、そんな音が聞こえた。

 すぐ様水路のヘリに張り付き、ランタンを掲げる。

 掲げた光の先、壁の燭台でぼんやりと照らし出されたのは、ほの白い骨と思しきものだった。

 

「っ!」

「なんだ?」

 

 ランタンを消し、速やかに水中に逃れる。

 水路のヘリを蹴ってその場を離れ、漂っていると。それまでフィオレのいた水路の縁辺りで、足音が止まった。

 

「どしたのジューダス、立ち止まって」

「今、この辺りで光が見えたような気がしたんだが……」

 

 その会話を聞いて、フィオレは迷わず水音を立てながら近寄った。当然、突然の水音に誰かさんが怯えている。

 

「ねえ、今の水音……」

「気、気のせいだろ? 気のせいだと言ってくれ! あ~でも俺の耳にも聞こえるしな~よし、魔物だ! 魔物に決まって」

「二人とも、私です。怖がってないで手を貸してください」

 

 水中にいながらランタンを灯せるのは、今はなきオベロン社製レンズ補充式の賜物である。

 腕を伸ばして水路の足場にランタンを置き、濡れて重たい体を持ち上げにかかった。

 

「ふぃ、フィオレか?」

「はい。お久しぶりですね、ロニ」

「あいつの声を真似してるんじゃねーだろーな……」

 

 怖々差し伸べられたロニの手を容赦なく掴んで脱出する。

 ここ最近はどうも水難の日が続くと被服から水気を追いだしていると、その間にジューダス達もやってきた。

 足元に置かれたランタンを取り、濡れ鼠のフィオレを一目見るなり呟く。

 

「……怪我はなさそうだな。何があった?」

「見ればわかるでしょう。水路に落ちたんですよ」

「──水音もなければ、あの付近、水の気配もなかったんだが」

 

 いぶかしげなジューダスの追及を適当にいなし、水路を泳ぐ最中見つけたものを掲げてみせた。

 

「何枚あるのかわかりませんが、これをあの……レンズ式動力エンジンとやらにつっこめば光源が確保できる気がするんです」

「まて、あのテの機械はああ見えて繊細だ。一枚二枚ならいざ知らず、あまりレンズを詰め込みすぎてオーバーロードしても困る」

「それにフィオレ、ずぶぬれじゃない。服を乾かさないと風邪引いちゃうわ」

 

 繊細な機械が、果たして十八年もほっとかれて動くものだろうかと思うし、濡れた体で動き回ったところで平気な程度には鍛えてある。

 それに。

 

「いいですよ、別に。風邪引いたって、宝を見つけたその後は嫌でも船の上なんですから、寝込んだところで旅に支障は」

「駄目! ねえ、どこかに火を起こせるようなところはないかしら」

「そういえば。入ってすぐのところの小部屋に暖炉があったよ」

 

 リアラの猛反対に否を唱える者は誰一人としておらず、一同はそのまま出入り口付近までの撤退を余儀なくされた。

 カイルの先導によって辿りついた小部屋には古びた丸テーブルやら切り株型の椅子、奥には暖炉が設置され、坑夫達用の休憩所であったことを思わせる。

 暖炉の脇にあった薪こそ使い物にならないが、幸いなことに炭は無事だ。幾つか暖炉に放り込み。ソーサラーリングで着火する。

 ほんのりと明るくなった部屋の中で、リアラはフィオレから預かっていたレンズ入りの袋をテーブルの上に置いた。

 

「じゃあフィオレが体拭いてる間に、私達はレンズを数えましょう? 足りなかったら、また探さなくちゃいけないし」

「リアラ、あなたは私に男性陣の前で裸になれと仰せですか」

「大丈夫よ。皆暖炉を背中に座るから」

 

 有無を言わさぬ、何が大丈夫なのかちっともわからない理屈を一方的に並べた少女は男衆と一緒にレンズを数え始めた。

 あの内気な少女が、ここまで活発になったのも珍しい。

 一応言うことは聞いておこうかと、フィオレもまた彼らに背を向けた。

 水気は払ったとはいえ、ずしりと重たい着衣を脱いで垂れる雫をしぼり、ばさばさと振る。

 暖炉付近に立てかけられたツルハシに引っかけたりしながら、とりあえずびちゃびちゃの下着だけは替えた。大量の雫を吸って肌に張り付くサラシを取り、新たな布を巻く。

 湿った髪を解放し、外気に当てることで少しでも乾かそうとしていた時のこと。

 

「そういえばフィオレ、替えの服とかある?」

「……あるといえば、ありますが」

 

 レンズを数えながらのカイルの質問に、フィオレは正直ためらいながら答えた。

 ないことはないが、十八年前を生きていた人間を知るロニの前で同じ格好は……よもや正体こそばれないだろうが、似た被服の着用によるファンの物真似だろうと指摘される危険性がある。

 正直不愉快だ。

 

「じゃあ着たら、すぐ出発できる?」

「できればこちらの服が乾くまで待っていただけませんか? 濡れた服を持ち歩きたくないんです」

「それもそっか。じゃあオレ、その間探検してよっかな……」

 

 いきなり何を言い出すのかと思えば、レンズ数えに飽きてのことのようだ。

 ふと彼らの手元を見やって、フィオレはおそるおそる尋ねた。

 

「カイル、レンズ何枚ありました?」

「え? んと、これで32枚目」

「ロニは?」

「これで48だ」

「リアラとジューダスは?」

「51枚だけど……」

「87枚だ」

 

 数字を聞いただけで、レンズ二百枚を超えていることは明らかである。

 レンズ袋にはまだ十分すぎるほどの膨らみが残っていた。これなら、多少使ったところで支障はないだろう。

 そう確信して、フィオレはレンズ袋から十枚のレンズを取り出した。

 バルバトス戦後も服を乾かすのに使った熱風。必要なだけの熱量を発生させるのは、それだけの晶力が必要なのである。

 たとえずぶぬれになろうと、これだけは外せない手甲付きの左手にレンズを持ち、件の熱風を発生させようとして集中する。

 ──ところが。

 左手の甲のレンズから、やけに高密度の晶力を感じる。

 本来普通レンズの一枚に宿る晶力は微々たるもので、だからこそ複数のレンズからそれぞれに宿るエネルギーを取り出し、収束させたのだが。

 違和感を覚えるものの、せっかく取り出したエネルギーを無駄に散らすわけにはいかない。

 そのまま熱風を発生させて。予想外の結果を前に、立ち尽くすしかなかった。

 ほんの一瞬、被服の水気を払い湿気を残す程度に吹かせた熱風が、とんでもない高熱を伴って吹き荒れる。

 密閉空間ではなかったにつき、フィオレにも仲間達にも被害がなかった。が。

 

「なんだ今のは!?」

「熱い風がなんか、ぶわーって……!」

 

 異変に気付かれないわけもなく、すわ襲撃かと剣を手に取る人間もいる。

 そんな中、裸も同然だったフィオレは大慌てで外套を引っ被り、うずくまった。

 覗かせた隙間から、誰がやってくるのかがわかる。

 黒地に水色の炎の刺繍が躍る足……ジューダスだ。

 

「お前か」

「……ちょっと、熱風を発生させようとして。失敗したみたいです」

 

 正確には、操ろうとした力と実際に発生した力の差異があまりにもかけ離れていて、フィオレがびっくりしただけだ。

 暴走じみたことも起こった現象に不備があったわけでもない。だが、こうでも言わない限り彼らは納得しないだろう。

 事実、ロニなどは大仰なため息をついている。

 

「はあ? なんだよそりゃ、はた迷惑な……」

「熱風って、バーンストライクを使うなら私に言ってくれれば」

 

 訂正を求める気にもなれないリアラの言葉を聞き流し、一同にそっぽを向くよう告げる。

 内三人は素直に指示に従ったものの、眼前に立つ細い足だけが微動だにしない。

 

「ジューダスのスケベ。そんなに私の裸が見たいんですか」

「……お前、何か隠してないか? お前が晶力の扱いをしくじるなんて、明日は槍でも降る……」

「隠し事はお互い様です。その話は後にして、さっさと私に背を向けなさい」

 

 しかし何を言っても、彼は動こうとしなかった。「はぐらかすな、質問に答えろ」の一点張りである。

 いい加減痺れを切らしたフィオレは、ふと己の指に鎮座する銀環に目をやった。

 そこで、ささやかな悪戯の敢行──並びに久しぶりに使うあの感覚を思い出す。

 精神と精神を繋ぐ、髪の太さにも等しい糸。本来は相手の糸に絡めるだけでいいそれを手繰り寄せ、幾重もの糸を生成させる。

 それを相手のフォンスロット──と思われる箇所に這わせて、フィオレは小さく息を吐いた。

 そのまま、まるで人形を操るように。相手の五感等感覚から始まり、やがて筋肉繊維のひとつひとつを掌握していく。

 相手はチャネリングを可能とするたった一人、ジューダスだ。

 

「!?」

 

 異変に気づいても、もう遅い。

 全身はおろか、すでに声帯すらフィオレの管理下にある今、彼に出来ることなどチャネリングを用いての抗議くらいだ。

 

『……なにを……』

『以前チャネリングが何なのか、シャルティエを介してお伝えしたはずです。これこそが、チャネリングの真髄』

 

 とはいえ、他人の全身支配はかなり疲れる。

 散らばってしまった衣服をかき集め、手早く格好を整えたフィオレは何食わぬ顔でジューダスを解放した。

 

「終わったか?」

「ええ。もう結構です」

 

 両の瞼を強制的に閉ざされたジューダスからは不満げに睨まれ、驚かされたことをねちねち口にするロニをいなしつつレンズを抱えて坑道を行く。

 正確に二百枚数えたレンズをざらざらと放り込めば、側のモニタが点滅し、突如として周囲は明るくなった。

 

「これで宝が探せるね」

「よし、これからあの坑道の奥を探索するぞ。もし罠のようなものがあっても、これで回避が……」

「盛り上がっているところ、少々よろしいですか?」

 

 さっそく探索を続けようとする彼らを制止し、モニタを覗きこむ。

 興味本位で適当に動かしてみて、わかったこと。

 このエンジンが設置されたフロアの階下には、発破に使われていたと思しき炸薬の類が保管されているようなのだ。

 

「ここのすぐ近くの階段を下ると、発破があるみたいなんですよ。これを使ってあの土饅頭を吹き飛ばしてみたいのですが」

「えー? でも、まず回れる場所から回った方が……フィオレがどんな罠にひっかかったのかも興味あるし」

「あの罠があるから、私はあっちに行きたくないんですよ。他にどんなものがあるかもわかりませんし」

 

 アーステッパーによる召喚を誤魔化すため、フィオレは「罠か事故か知らないが、歩いていたらいきなり水路に落ちた」と苦しい言い訳をしている。

 実際のところ、あの坑道付近の水路などなかった。この視界が利く中向かわれたら、ちゃちい嘘など一瞬で崩壊する。

 一応そうなった時どうするのか、考えてはいるが。そうならないに越したことはない。

 

「まあ、あちらを探したいなら止めません。視界に不自由がなくなった以上、まとまって行動する必要もありませんし……でも、先に私が宝を見つけても怒らないでくださいね?」

 

 決して強固に反対はせず、自分さえ行かなければいいという姿勢を見せる。そして、一滴の挑発を忘れずに。

 これだけで、カイルは想像以上の食い付きを見せた。

 

「あっ、それ困る! じゃああの土砂を先にどかしてみるよ。でも何もなかったら、坑道の奥に行くからね」

「当然です。その時になって四の五の言いませんよ」

 

 階段を降り、それまで見つけたものよりずっと強固な扉を見つける。

 かかっていた錠は錆びてボロボロになっており、鍵開けを試すまでもなく破壊できた。破壊できたというより、カイルが弄ったら取れたと称すが正しい。

 

「うわ、取れた!」

「好都合です」

 

 本来の意味で鉄錆び臭い錠前をお手玉するカイルを尻目に、室内へ入り込む。

 山積みされた木箱、その中に入っている炸薬を手にとって状態を確認した。

 

「……あまりいい保存状態じゃないが、使い物にはなるだろう」

「わかるんですか?」

「袋に湿気はないし、乾燥材も詰まっているからな。効きは弱かろうが、問題ないはずだ」

 

 一箱もあれば十分すぎるだろうと、未開封の木箱を総出で運ぶ。

 階段脇に手押し車があったからよかったものの、そうでなければリアラやフィオレがへたばっていたことだろう。木箱にはそれなりの重量があり、人力で運ぶのは難しかった。

 件の土饅頭に木箱を据え、十分な距離を取る。

 

「ところで、着火は……」

「私がやりますよ」

 

 フレイムドライブ、なる小型の火球をぶつける晶術──スタンの扱ったファイアボールとどう違うのか、フィオレにはいまいち理解できない──を放たんとするカイルを制して、レンズを二枚ほど取り出した。

 一枚はソーサラーリング用、そしてもう一枚は──発生するであろう轟音によって誘発しかねない二次災害を防ぐようだ。

 先程のこともあり、不安がないわけではない。しかし、先程の出来事にたいしてなら、すでに原因を特定していた。

 当初、一枚のレンズからごく小規模の放電や炎を発生させるので精いっぱいだったのが、ここ最近は実用に耐えうる譜術の発動すら可能となっている。

 きっかけとなっているのは、守護者達との契約だ。正確には彼らと接触する度に手の甲のレンズがうずく。このことが関係してなのか、レンズを介して取り出せる晶力が明らかに増加していた。

 今しがた、アーステッパーの契約を終えてからの出来事を考えれば、もう間違いない。

 レンズ一枚で、土饅頭を炸薬ごと大気の結界に閉じ込める。そしてソーサラーリングの照準を定め、熱線を放った。

 おそらく当時も、熱線と衝撃を同時に放つソーサラーリングを使用していたのだろう。木箱はあっさり破壊され、熱線は炸薬に着火した。

 

 ドンッ! 

 

 結界が働いているため、そこまで激しくもない衝撃が鉱山を揺るがす。

 上手いこと土饅頭を除去した先に、フィオレが通った階段が続いていた。

 

「階段だ……」

「行ってみましょう」

 

 躊躇なく階段に足をかけ、そのまま小部屋へと赴く。小部屋側から無理やり破ったような空洞があり、その先は土がむき出しの通路に続いていた。

 当然、明かりも途絶えているのだが……その行く先は妙に明るい。

 

「なんか……それっぽくなってきたね! この先に何かあるのかな!?」

「行ってみればわかるでしょう」

 

 ぐっ、と拳を握り締めるカイルはさておき、さくさくと足を進める。

 そして辿りついた先、潤いとは程遠い坑道内部を歩きまわっていたせいか、光景を目にしたリアラの呟きには感嘆が伴っていた。

 

「キレイ……!」

「岩の切れ目から、光が差し込んでいるのか。なるほど、通りで明るいわけだ」

 

 物珍しげに周囲を見回そうとするカイルの肩を叩き、無言で湧水に囲まれた孤島を差した。

 幸いカイルの視力はいい方で、フィオレが指したのが何なのかも、彼は理解している。

 喜び勇んで駆け寄ったカイルだが、硝子ケースの中に入ったモノを目にして不思議そうに首を傾げた。

 

「これが……宝なの?」

 

 高価な硝子ケース、それも特殊な機械が取りつけられている筒の中にあったのは、何の変哲もない鉱石だった。

 ふとした注意で落としたら、その辺の石コロと区別がつかなくなるほど、何の特殊性もない。

 

「一体、何なんだろ?」

「……この鉱山だけで採掘できる特殊な鉱石だそうです。それに入っているのは状態を安定させるためでしょうか」

「特殊な鉱石? それじゃただの石っころなの?」

「あなたにとってはね。でも……」

 

 カイルの持つケースに気付いてか、他の面々も孤島へやってくる。

 体重で沈んだりしないかハラハラしている間に、ジューダスが説明役を買って出た。

 

『口を挟むな、知ったかぶってろ、だって』

「……お前たち、ベルクラントは知ってるな」

「ああ、知ってるさ。天空都市ダイクロフトにあったっていう、兵器のことだろ?」

 

 ジューダスによるシャルティエの忠告を感受し、口は慎んでおく。

 ロニの答えに以前読んだ資料の内容を反復していると、会話はそのまま進んでいった。

 

「地殻にエネルギーをブチ込んで破壊するっていうとんでもねえシロモノさ」

「その石は、ベルクラントに使われていたレンズの力を増幅させる石だ」

「え!?」

 

 ──つまり、間接的にだがこの石のせいで、アーステッパーは大忙しになったわけか。

 世界を滅ぼしかけた兵器の一部となりえる石っころを見つめて、一同は戦々恐々としている。

 

「それじゃあ、これさえあれば……」

「そうだ。理論上はもう一度、ベルクラントを作れる。街ひとつを軽く吹き飛ばせるような兵器が、また作れてしまうんだ」

「現実には無理でしょう。この石をどうやって使えばいいのか、わかる人はいないのですから」

 

 そもそもベルクラントが作られたのは千年前のこと。

 十八年前よりも技術力が高く、空中都市はおろかソーディアンすら作られた時代の話である。ベルクラントがもう一度作れる、などとここまでくれば夢物語だ。

 しかし、十八年前の騒乱に巻き込まれ、ベルクラントの脅威を肌で知る人間にとっては面白い話ではない。

 この中で唯一、上記に該当するロニは露骨に眉を歪ませていた。

 

「うへぇ、お宝ってこんな物騒なもんなのかよ」

「別に物騒ってことはないでしょう。ベルクラントの設計図だっていうならともかく、これ単体なら」

 

 もちろん、ロニにとってそれは納得できる話ではない。彼は不機嫌そうに鼻を鳴らしてフィオレを見やった。

 

「お前ジューダスの話聞いてなかったのかよ。ベルクラントが作れるんだぞ!?」

「この石が可能とするのは、レンズの力を増幅させることだけでしょう。武器と同じく、生かすも殺すも持ち主次第だと思います」

「ベルクラント完成させちまうような石に、他に何ができるってんだよ」

「──その台詞、そちらの石板を読んでからもう一度言っていただきましょうか」

 

 どうもロニは、激情に駆られると声を荒げたりなど逆切れの傾向が顕著だ。

 そのことを再確認して議論を終了させるべく、フィオレは切り出された石板を示した。

 今さら気付いたかのように、ロニもそれに目をやる。

 

「何だってんだよ。どれどれ……」

 

 彼が目にし、読み上げ始めたもの。

 それは、今はなきオベロン社ノイシュタット支部長、イレーヌ・レンブラントによる手製の遺言だった。

 

 

 

《この鉱山にある鉱石を使えば、レンズの力を大いに高めることができます。

 そうすれば生産力が増大し、すべての人々が豊かな暮らしを送れるようになるでしょう。

 鉱石はノイシュタットの貧富の差をなくせる、奇跡の石となるのです。

 この奇跡の石は、光との化学反応によってのみ作られるもののようです。

 偶然光が差し込むように光が連なっていて、偶然この場所に石があった……

 これはきっと、神様からの贈り物なのでしょう。

 ですから、この場所を壊さぬよう大切に守っていってください。

 この場所を守ることがそのまま、ノイシュタットの人達を守ることになるのですから》

 

 

 

「これを読む、未来の誰かへ。オベロン社ノイシュタット支部長、イレーヌ・レンブラントより……」

 

 石板は発注したもの、あるいはこの鉱山の不要な岩石を切りだしたものなのだろうが。このたどたどしい筆跡は、手製とみて間違いないだろう。

 これだけの長文を慣れない彫刻刀で彫ったことを考えると、彼女のしたことはさておきすごいと思う。

 この遺言の意味を理解してだろう。ロニは納得したように頷いた。

 

「なるほどねえ、確かに鉱石は兵器だけじゃない、工場や船にも使えるもんな。俺達はその事に頭が回らなかった。これじゃ兵器を作った奴らと同じ……」

「初めから兵器のことしか考えられなかったのはあなただけでしょう。私は違います」

「ぐ、お前だってこれ読んでなきゃ、そうでもなかっただろが!」

 

 フィオレの茶々にロニが憎まれ口を叩くも、理解してもらえたなら何よりだ。

 珍しくジューダスがフォローを入れるように独白した。

 

「オベロン社も同じさ、そしてイレーヌもな……彼女達は道を誤った。理想の実現を急ぐあまり、即効性を求めて劇薬を選んだ」

「神の眼の騒乱の話か? そうだな……こんな風に考えられる人が、一体何で……」

「けれど……イレーヌさんの想いはウソじゃなかったと思う」

 

 あれから十八年という年月が過ぎ、真相を知る者など絶えて等しいだろう。

 それでも残ったこの場所がこんなにも綺麗なのだからと、リアラは言葉を続けた。

 

「ノイシュタットに住む人達のことを考えて鉱石を掘っていた。そしてこの場所が荒らされ、鉱石が取れなくならないようメッセージを残してくれていた……だから、ここはこんなにもキレイなのよ。まるで……宝物みたいに」

「宝物……か。案外、こっちが本当の宝なのかもしれないな」

 

 ロニの言葉、実は大いにその可能性がある。

 実際のところ金庫の中に硝子ケース入りの石だけを残せばそれで済んだのだろうが、これひとつで終わらないようあえて手がかりを残し、わざわざ目立つ土饅頭で隠した可能性は十分にあった。

 ただ、リアラもロニもそんなつもりで言ったわけではない。それだけは確実である。

 

「そうだね! きっとそうだよ!」

「本当の、宝……」

 

 素直に同調、肯定するカイルとは正反対に、ジューダスは鼻で笑ってみせた。

 ただ、その笑みに嫌みはない。

 

「……ふっ。安っぽい台詞だな」

「へっ! うーるせえよ……」

「……だが安っぽいのもたまにはいい」

 

 木漏れ日のような温かい日差しに、白く小さな花を抱く草むら、こんこんとわき出す清水。

 鉱山の中とは思えない別世界の風景を堪能し、唐突にロニが声を上げた。

 

「さあーて! 本当の宝も見られたことだし、街に戻るとしますか」

「うん!」

 

 ──とりあえず、フィオレとしては嘘がばれなくてよかった、と喜ぶべきだろう。

 階段を降りていく面々を見送り、小部屋とレンガで舗装されていない通路の境目を見やる。

 爆破してしまったせいで、目隠しの土饅頭はもうない。ならば新たな目隠しを作らなければ。

 

『アーステッパー。ここ、塞いでもらえますか』

『いいよ』『構わないよ』『ここは我らの聖域にも通じるからね』

 

 左手の甲に向日葵のような色が宿り、通路に向かって溢れた光が散らばった。光は瞬く間に土壁を形成し、周囲とそう変わらないレンガの壁を作り上げる。

 出来上がったその壁を叩いてみると、その分厚さは他の壁と遜色ない。

 

「フィオレー?」

「またいなくなっちまったのか!?」

「今行きます!」

 

 本物の小部屋と化したこの空間を見られても、面倒極まりない。

 階段を駆け降りた先では、返事を聞いて安心したのだろう一同が雑談を交わしていた。

 

「イレーヌさんかあ……口先だけじゃなくて、心から『ノイシュタットの民を救いたい』って想いが伝わってきた。きっと美しい心の持ち主だったんだろうなあ……」

 

 いつにないロニの発言に、ジューダスを含めた一同が驚きをあらわにしている。

 それに気づかぬロニではなく、気が抜けたように一同を見やっていた。

 

「俺、感動しちまったよ……あん? 何だよ皆、驚いたような顔して。俺の顔に何かついてるか?」

「……いや」

 

 誰ひとりとして咄嗟に答えられない中、小さく息をついたジューダスが一同の心境を代弁した。

 

「女性の外見ではなく、内面を見るという概念がお前にあるのを知って驚いているだけだ」

「ったく失礼な奴だな。こう見えても俺は美しいものには弱いんだぞ!」

 

 憤慨するロニを前に、三人のコンボが発動する。

 その条件で彼が反応するものといえば、これしかない。

 

「美女とか……」

「美女とか……」

「美女とかにな」

「何だよ皆……」

 

 何か弁解しようとして、言葉が見つからなかったか。あるいはあきらめたのか。

 彼は途中で言葉を切ったかと思うと、半ばやけくそ気味に自らの本音をさらけだした。

 

「ああ、そうだよ、その通りだよ! 「イレーヌさんてきっと美人なんだろーなー」とか考えたよ! ケっ、悪かったな、チキショウ!」

 

 それでこそ、ロニがロニである由縁である。

 幸いジューダスがぽろっと彼女の外見について語るようなこともなく、フィオレは安心して彼らに追いついた。

 

「ねえ、カイル。その石、貸してもらえますか?」

「え? いいけど……」

 

 たとえ石コロ同然であっても、一応は依頼された宝。そんなわけで後生大事に抱えていたカイルから石コロ、もとい宝を借りてレンズを手に取る。

 筒状のケースにレンズを添え、左手に携えた。ベルクラントを形成していた、レンズ──晶力増幅の力を持った石ならば。

 

「フィオレ、何するの?」

「ちょっとした実験です。晶力を増幅させるというなら、多分……」

 

 以前から、フィオレは折りを見てチャネリング訓練の見返りにジューダスから疑似晶術──現代における晶術の扱い方を習っていた。

 上級に近づけば近づくほど感覚的な素養が要求されるらしいが、初歩である下級晶術ならばカイルすら扱っている。フィオレにできない理屈はないというのが彼の言だ。

 例えがヒド過ぎる、というのはさておき。

 確かに、ジューダスのたどたどしい教え方でも、フィオレには何となく理解できた。

 理解が何となくだからか、今一歩使用までは届いていない。どうにか「ストーンザッパー」なる初歩晶術を何とか発動させているに過ぎない。具体的に挙げれば、発生する幾つかの石弾をたったひとつしか生成できないことか。

 

「……手品も奇跡も操る人間が、疑似とはいえ何故晶術を使えない?」

「相性が悪いんでしょう」」

 

 一因としてはフィオレの、好奇心の域をでないやる気不足、そして守護者達と契約している身だからだろう、とフィオレは考えている。

 アクアリムスはレンズを不純物だと言いきっていた。おそらくレンズより発生する晶力と彼らの力の拠り所は一線を画している。

 だというのにフィオレの手の甲に張り付いているのがレンズだというのはお笑い草だが、フィオレの召喚者自体がレンズなのだからしょうがない。それに、形はレンズであろうと行えることはまったく違うのだ。もしかしたらレンズの形をしているだけで、中身は別物なのかもしれない。

 ともあれ、今回のこれはほとんどフィオレの好奇心によるものだ。

 

「つぶては空を舞い、やがて母なる大地へと還る……」

 

 降りてきた階段目がけて、ストーンザッパーを放つ。

 以前は小さな石コロひとつがころん、と転がっただけでロニに指差して笑われたことのある晶術だったが。

 

 ごどっ。めりっ。

 

 幾つか発生するはずの石弾はたったひとつ、今回もまた宙を舞わない。

 しかし今回ロニは指差して笑うことはなく、口を開けて唖然としていた。

 以前と今回の違い。それは、発生したつぶての大きさにある。

 拳ほどだったつぶては晶力増幅の石の影響なのか、ロニより巨大な岩石となって階段上部にめりこんだからである。

 完全な球体につきその質量も半端なく、下手に触れば真下へ転がり落ちてくるような、そんな危うささえもあった。

 

「……まさか輝きの聖女……アタモニ神団の長って、この石を持ってませんよね」

 

 しげしげと発動した晶術の結果を見て、カイルに筒を返す。その一言にはっ、と我に返ったロニは、薄気味悪そうに筒を見やった。

 正確には、筒の中で力なく転がる石コロそっくりの鉱石を。

 

「とんでもねー威力だな……試したのがカイルだったらと思うと、ゾッとするぜ」

「なんだジューダス、使い方簡単じゃん! オレもちょっとやってみる!」

 

 見せつけられたとんでもない威力を目にして、好奇心に駆られたカイルが自分もやってみたいと言い出す。

 総出で反対、せめて外に出てから試せということになり、一同はカイルに引っ張られるようにして鉱山を後にした。

 白雲の尾根に出たところで、自分のレンズと筒を密着させた状態で晶術を放つ。

 大惨事と紙一重の出来事を予想して海岸で、フレイムドライブを使わせたわけだが。

 

「あ……あれ?」

「あんま変わったようには見えないな」

 

 火球が三つほど、海に目がけて飛び込んだだけで何か変わった様子は見られない。

 そんなはずは、とカイルがストーンザッパーを使ったのを見て、フィオレがぽつりと呟いた。

 

「拳大の石つぶてが、赤ん坊の頭くらいになってますね」

 

 念のため砂浜に転がったつぶてを確認すれば、確かに多少の肥大が見て取れる。おそらくフレイムドライブも同じように、多少威力が増しているのだろう。

 それを推測すれば、カイルは面白いくらいに膨れた。

 

「え~、なんでフィオレの時よりちっちゃいのさ!」

「一度使ったから、増幅機能が衰えてるとか……?」

 

 リアラの指摘に、再びフィオレが砂浜に向かってストーンザッパーを放つ。画して再び、ロニより巨大な完全球体の岩石が転がった。

 おそらく先ほどのものと、寸分変わらないだろう。

 

「普通に使えますが」

「え~……」

 

 憮然とするカイルが、今度はリアラに使用を薦めている。

 それを見て、事の成り行きを見ていたジューダスがぽつりと呟いた。

 

「その辺にしておけ。いくらやってもフィオレ以上の威力は見込めん」

「ジューダス?」

「素養の差……いや、経験の差とでもいうべきか。カイル、レンズから一度に引き出せる晶力は鍛錬次第で増幅させられることは知っているだろう」

 

 つい最近疑似晶術について知ったフィオレには全く分からない話である。黙って事の成り行きを見つめるより他ない。

 突然そんなことを言われても、彼らにとってそれは常識でしかないようだ。誰一人として戸惑う者はいない。

 

「そうだけど、それがどうかした?」

「おそらくこの石は、術者によって引き出された晶力を更に増幅している。もともと引き出された晶力の少ないお前では、あの程度の増幅しかされないということだ」

「──でも、そうだとするとフィオレの例が説明できないわ。十分な晶力が引き出されているはずなのに、どうしてちゃんと使えないのかしら」

 

 リアラの意見は最もだ。しかし、ジューダスは一言で切って捨てた。

 

「相性が悪いか、引き出される晶力があまりに膨大すぎて晶術が正常に発動しないのか……そんなところだろう」

 

 ともかくこれで実験は終わりだと、ジューダスはフィオレが手にしていた筒を取り上げた。

 ついでにジロリ、と表情が判然としないフィオレを睨む。

 

「……欲しいとか抜かすなよ」

「対バルバトス用の切り札なら欲しいと思っていましたが……一応、依頼ですしね」

 

 手に入れるとしたらきちんと対価を払う、と宣言し、ノイシュタットに向けてようやく帰還することになる。

 実力が違う、ときっぱり言われたカイルは長いことくすぶっていたようだが、幸いなことに八つ当たりじみたことはなかった。

 ロニのあの性格ではきっと感化されているだろう……とひやひやしていたのが、肩すかしを食った気分だ。

 ただし。

 

「ねえフィオレ、ちょっと稽古つけてよ。剣の稽古!」

「──せめて依頼を済ませてからにしろ」

 

 事あるごとに修練をせがむのは辟易したが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十戦——再び船旅へ~修羅場・THE・Part.2

 ロニはタスクフォース、ジューダスはタリスマン、カイルはフォースリング、リアラはフェアリィリング。
 がめつい依頼人には「してやったり、切り札ゲットー♪」と、喜んでいたのも束の間。
 船上にて、再び修羅場。フィオレは継続して傍観者。
 はじけたはずの火中の栗は、まだまだ残っているようですよ? 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで霧を抜け、再びノイシュタットに戻り依頼人の自宅へと赴く。

 玄関の扉を叩くよりも早く、三人は窓際の会話を聞いてしまった。

 

「……オベロン社跡地のこの屋敷を買い取ったら、金庫に遺言状が入っておってな」

 

 見やれば来客だろうか、件の依頼人が誰かに対して話をしていた。

 会話を耳にして立ち止まったのはカイルとリアラを抜かす三人だ。二人は気づかず先に進んでしまっている。

 今回の場合において、特にカイルには幸いだったかもしれない。ジューダス辺りに言わせれば、いい薬だと言いそうだが。

 

「それにしてもあのバカども、ちょっとおだてたら飛んで行きおった。ヤツらが途中で野垂れ死んだところで、こっちの被害は一ガルドもない。我ながら上手くやったものだ」

「相変わらず商売上手でいらっしゃる。あやかりたいものですなあ。ほっほっほっ……」

 

 やがて通り過ぎたのか、窓辺から二人の姿がなくなる。

 きっちり聞いていたのだろうロニは、剣呑な表情で盛大に舌打ちしていた。

 

「チッ! あいつら、好き勝手言いやがって……!」

「気にするな。約束通り宝は持ち帰ってきたんだ。さっさと報酬を手に入れて、終わらせるぞ」

「三人とも、どうかした?」

 

 玄関に立ち、呼び鈴を鳴らしたリアラに呼ばれて三人もまた玄関に立った。

 ほどなくして現れたメイドが、一同の顔ぶれを確認するなり「少々お待ちください」とすぐに顔を引っ込める。

 そして彼女に案内され通されたのは、以前と同じコレクションルームなのか応接室なのかよくわからない部屋だった。

 一応罠の有無を確認し、やっと依頼人と向き直る。

 

「おお、お待ちしておりました! お怪我などされていないかと、そればかり心配で……!」

「ケッ、ウソこけ!」

 

 先程の会話をきっちり聞いてしまっているロニは小声で毒づくも、彼は一切取り合おうとしていない。

 依頼人はあくまでカイルに向かって話をしている。

 

「ところで、お約束の品は、持ち帰っていただけましたかな?」

「ああ、もちろんさ! はい、これ!」

 

 意気揚々、朗らかにカイルが差し出したそれを思わず受け取り。商人はしげしげと筒状のケースの中身を見つめた。

 

「……これが、本当に宝なのですか?」

「これしか、それらしいものはなかったぜ?」

 

 カイルが得た情報をそのまま話してしまうかと思われたが、彼は彼なりに思うことがあったのだろう。特に何も話そうとせず、ロニが当たり障りのない返答をしている。

 次なる依頼人の一言はといえば、ひとつしかない。

 

「……あの、これは一体何なんでしょうか?」

「遺言状の中身を知らない私達が、どうして知っていると思うのですか?」

「俺達はただ、宝を持ってこいと言われただけなんでねえ」

 

 こんな輩のために嘘をつくことすら億劫だ。嘘ではない言葉を並べて煙に巻いておく。

 隣のジューダスが、笑みに似た呼気を吐くのがわかった。

 

「そ、それはそうですが……」

「さ、約束のモノは持ってきたんだ。報酬をいただきたいんだが?」

「し、しかし、何なのかもわからないものでは、宝とは呼べないのではないかと……」

「何をおっしゃるのです。そもそも宝の詳細を教えてくださらなかったのは、そちらでしょう」

 

 ごにょごにょと言い逃れる依頼人に対して、ついにこの人が口を開いた。

 ただ単に、進まない話にイライラしただけかもしれないが。

 

「……この期に及んで、まだ何か持ってこいと言うのか?」

 

 見かけは未だ少年のものでありながら、乗り越えてきた修羅場は相当なもの。そして薄気味悪い白骨のような仮面付きの視線で凄まれ、依頼人は目に見えて震えあがった。

 あるいは腰の剣を抜かれること──本格的に機嫌を損ねられては、まずいと思ったのかもしれない。

 

「ヒッ! なな、何でもありません! 少々、お待ちを……!」

 

 慌てて立ち上がり、部屋の隅に置かれていた金庫から封筒を取り出してカイルに渡した。

 その場で確認を取れば確かに、封筒の中には1000ガルド札が五枚入っている。

 

「やったあ!」

「あとはモノ……一人1000ガルドで済ませる代わりに、あなたのコレクションをいただけるのでしたね」

 

 汗の止まらない商人に追い打ちをかけるように、約束を思い出す。

 一応念のため、書かせた契約書を互いが持っているために言い逃れはできない。

 

「一人につき1000ガルドとコレクションひとつですから、全部で五つ、何かいただけるのですね。皆、何がいいですか?」

「な!? お待ちください、ワタクシのコレクションをひとつと言う約束のはず……」

「一人につき1000ガルド、そしてコレクションのひとつと契約書には明記されています。だからそんな書き方でいいのかと確認したのに」

 

 ちなみにこの話は、あらかじめ一同に通達してある。要らなければ辞退すればいいとは言ってあるが、これもある意味お宝発掘だ。

 先程の会話を聞いた他二人はもちろんのこと、無邪気なカイルやそれに引っ張られるような形でリアラまでもが選んでいる。

 

「んじゃ、俺はこの戦神の紋章にすっかな」

「僕はこの護符にしておく」

「じゃあオレ、戦神の指環にしよ! リアラはどれにする?」

「え、えっと。じゃあ私は、この妖精の指環に……」

 

 次々と各自、欲しいものを挙げる面々に依頼人は汗どころか半泣きで、更にヤケクソで一同に報酬を渡していた。

 一通り彼のコレクションを眺めたところで、カイルの質問が飛んでくる。

 

「フィオレは何にするの?」

「私は……このコレクションを見ただけで、おなかいっぱい」

 

 成金が集めていかにも喜びそうなものしかなかった。これが素直な感想である。

 武器のようなものが並んでいたら迷いはなかったが、趣味でないのか違う場所にあるのか、ここにはない。

 

「強いて言うならその石コ……もとい私達が取ってきた鉱石でしょうか。でも私だけ報酬を受け取らないのも何ですね。ではこちらの──」

「お、お待ちください。そういうことでしたらこちらをどうぞ、お持ちください」

 

 これ以上コレクションに穴を空けられてはたまらない、という気持ちで頭がいっぱいなのだろう。

 依頼人は惜しげもなく、それまでテーブルに放置されていた「宝」を取り上げ押し付けてきた。

 願ったりかなったりというか、思うつぼというか。

 

「では遠慮なく」

「んじゃ、そういうことで」

 

 各々戦利品、そして暖かくなった懐にホクホク笑顔でさわやかに邸宅を後にする。

 しばらく普通に通りを歩いていた一同だったが、やがてカイルが我慢しきれなくなったようで噴き出した。

 

「あはははっ! ねえ、見た? あの顔!」

「報酬渡す時だろ? 苦虫何匹噛んでるのか、わからなかったな」

 

 カイルはカイルで無邪気に笑っているし、ロニはすっかり溜飲を下げている。

 思わしげに手元の指環を見つめていたリアラだったが、ふとぽつりと呟いた。

 

「これで、よかったのよね。多分……」

「お前たちにしては上出来だ。ただ、困った奴がいるがな」

「私のことなら、これは正当な対価として手に入れただけです」

 

 ジューダスの視線の先には、手に入れた鉱石を筒に保管したまま、無造作に持ち歩くフィオレだ。

 まんまと思惑にのってくれたが、ある日ふと正気に返らないことを祈る。どのみち、フィッツガルドにもう用事はないが。

 

「間違ってもベルクラントなんか作るなよ」

「工学系は無知同然です。ご安心を」

「さて、これで暇も潰せたことだし、港に行ってみるとすっか!」

 

 ロニの提案に頷くまでもない。一同は道中買い出しに立ち寄ったりしながらも、港に足を向けた。

 道中鉱石を荷袋に仕舞いこんだフィオレだったが、ジューダスの嫌みは止まらない。

 

「まったく……相変わらず屁理屈をこねるのが上手い奴だな」

「言葉の魔術師と恐れて称えてくださってもいいですよ」

「あながち間違っていないから、余計にタチが悪い」

 

 それは光栄なことである。それこそ、今のは単なる言葉遊びのつもりだが。

 呆れてものも言えないジューダスを見て、ふとロニが彼に話しかけた。

 

「なあ、ジューダス。本当に俺たちについてきていいのか?」

「……どういう意味だ」

「フィオレのことだよ。あいつ、ハイデルベルグで用事があるから、俺達と一緒にいるのはそこまでだって言いきってたじゃねえか」

 

 言外にフィオレと離れることになってもいいのかと尋ねられ。彼は小さく鼻を鳴らした。

 精神状態がリオンであるならば。間違いなく余計な世話だの何だの言って会話を強制的に終わらせていただろうが。

 

「僕のことは気にするなといっただろう。お前達と一緒に行動するのは見ていて飽きないからな」

 

 きちんと受け答えている辺りに、内面の成長が感じ取れた。

 顔も赤くなっていないし、変に動揺することもない。恋人同士と尋ねられ、挙動不審になったのが夢のような冷静さである。

 しかし、ロニの追及は終わらなかった。

 案外、彼をからかってやろうという目論みに起因して起こされた行動だったのかもしれない。

 

「ふ~ん。要するに、俺たちが好きで好きでたまらないってことだろ? フィオレのことよりも」

「まあ、そうかもしれないな」

 

 この一言で、おそらく彼もロニの目論みを見破ったのだろう。狼狽すれば思うつぼだとわかっていてか、彼は冷静だった。

 珍しく口元が緩んでおり、仮面の奥の表情もまったく強張っていない。

 

「計画性がなくて無鉄砲、考えなしで頭の悪い直情バカと一緒なんて、何が起こるか予測もつかなくて愉快だと言えなくもない」

「……何一つとしてホメられてねえ気がするのは、俺の気のせいか?」

 

 多分それが正解である。

 からかおうとした側が僅かにムッとしたのを見逃さず、ジューダスは追撃を放った。

 

「ふふっ。そういうニブくてからかいがいがあるところも、なかなか捨てがたい」

「てンめえ! ガキのくせに好き放題言いやがって!」

 

 嫌みのつもりが真正面から投げ返されて、ロニの額に青筋が浮かぶ。

 脈絡のない罵りにいい加減ジューダスも慣れてきたらしく、彼は唐突に、かつわざとらしく彼方を見やった。

 

「お……あんなところに絶世の美女が」

「なに!? どこだ? どこだ? はやく教えろぉっ!!」

「いいように、手の上で踊らされてる……」

 

 ロニの場合は弱点が明らかであるにつき、実に扱いやすいのだろう。

 じゃれあう二人にカイルがぽつりと呟くも、ロニの耳には入っていない。人ゴミにまぎれたようだ、とほらを吹くジューダス、追いかけようとするロニを押し留め。

 一行はどうにか無事に港へ行くことができた。

 船着き場の奥まった場所に停泊しているアルジャーノン号のところには、件の船長が仁王立ちしている。

 その姿を見て、まずカイルが話しかけた。

 

「やあ、船長さん!」

「おお、若き英雄諸君! どうだね、陸の暮らしはつらかったろう?」

 

 船乗りにおける前口上だか何だか知らないが、とにかく修理は終わったらしい。

 最後の乗客たちであるカイル達を乗せ、アルジャーノン号は大海原へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び、寝ても醒めても足元が揺れる生活の幕開けである。

 スイートルームにつきそれなりに快適ではあるのだが、これまでの船旅とは大きく変わった点が一つだけある。

 それは。

 

「オレ、強くなりたいんだよ。やっぱり英雄を目指すからには、まずは最強でなくちゃ!」

 

 あくまで真剣に訴えるカイルの、剣術指南。フィオレは船上での暇潰しを、ほとんどそれで過ごすようになっていた。

 とはいえ、教えてほしいのではなく稽古に付き合ってほしい、とのことであるにつき指南はしてない。精々カイルのスタミナが切れるまで体を動かすのに付き合っているまでだ。

 ジューダスは億劫がっているが、運動不足になりがちな船上ではいい運動だとフィオレは思っている。ジューダスと行う剣舞ほどカイルとの稽古は体を動かさないので、彼のスタミナが切れるまで付き合っていられるのだが。

 ノイシュタットを発って数日後の昼下がりも、カイルは飽きることなく剣を握っていた。

 

「でやああっ!」

「せいっ」

 

 真剣で思い切り斬りかかってくるカイルに、フィオレは甲板掃除用のモップでそれを捌く。

 下手をすれば備品であるモップを壊してしまうため、その辺りはフィオレの修練と言っても過言ではないだろう。

 

「散葉じ──「剣技は使わんで下さいと言ったでしょうが」

 

 理由としては、剣技の類は周囲に被害を与える危険性が高いから、だ。

 普通にフィオレへ剣を振るってくるならまだどうとでもなるが、例えば闘気の塊を向けられたら条件反射的に避ける。散らすことも不可能ではないが、労力が発生するからだ。

 つい昨日も、彼が放った蒼破刃で積んであった木箱を大破させた記憶がある。幸い木箱はカラで、船員も笑って許してくれたが。

 繰り出された斬撃から後退して、攻撃そのものを避ける。

 受けることから逃れたフィオレに、カイルは流れる汗を拭いながら口を尖らせた。

 

「いーじゃん。これはちゃんとフィオレに向けてるし……」

「私が何でもかんでも受け流せると思ったら大間違いです」

 

 ──これは稽古に付き合うフィオレが悪いのか。どうもカイルは、剣を振るうことに興奮して手加減を、寸止めを忘れる癖がある。

 もともと寸止めが上手いわけでもないが、それでもするのとしないのとでは大違いだ。どれだけ攻撃を向けても、一向に通さずのらりくらりとかわすフィオレにイラついて冷静さを失った結果だと思われる。

 一度フィオレが大怪我でもすれば直るかもしれないが、体を張ってまで彼の癖を矯正するのはためらった。

 技術こそ低いが、それだけにカイルの剣は勢いがある。軽い気持ちでわざと受け、取り返しのつかないことになったら目にも当てられない。

 仕切り直しとばかり構えるカイルを見やり、フィオレもモップを持ち直して……ふと、聞き覚えのある声を聞いた。

 ちら、と見やった先の光景。それに認めて、フィオレはカイルの名を呼んだ。

 

「え、何?」

「あれ……ロニとジューダスですよね」

 

 見やる先は舳先、どういった事情なのか、ロニはナンパではなくジューダスを話し相手にしている。

 フィオレが知っているだけでも、幾度か女性の方から声をかけられている彼にやっかんでいる──にしては妙に緊迫した雰囲気だった。それは、周囲の野次馬の表情が教えてくれている。

 

「どうしたんだろ……オレ、ちょっと行ってくる!」

 

 走り出すカイルに続き、フィオレもまた件の舳先へ赴く。

 そこで彼らのやり取りを聞き、仲間割れに近い騒動の概要を知ったフィオレは、踵を返した。

 詳細は知りたいし、介入したいのも山々だ。だが……それがジューダスの正体に関することなら、話は別である。

 ジューダスがどこの誰で実年齢はいくつなのかも、フィオレは知っている。故に幾度かそのことでもめそうになった時も、ついつい口を挟んで有耶無耶にしてきた。

 今回も、あの場で飛び出せばそれは可能だっただろう。しかしこうして口を出すことが果たして彼のためになるのかといえば……答えは否。甘やかすことにはならなくても、これは過保護の部類に入るだろう。彼の言動によって発生した騒動は、彼が収めてしかるべきなのだ。

 これまではフィオレも彼らの傍にいたから、そういった空気になることを懸念してあれこれ手を回した。

 そのことをジューダスがどう思っていたのかはわからないが、とにかく今回のこれは関わるべきではない。

 この先フィオレは、彼らと同道を共にする気はないのだから。

 船室に戻る気にもなれず、ふらふら歩いている内に展望台付近の甲板へ辿りつく。

 関わるべきではないと頭では分かっているのだが、気になる心は抑えておけるものではない。

 甲板の縁に体を預け、気持ちを紛らわそうと楽器を取り出そうとして。どこからともかく足音が聞こえてきたかと思うと、フィオレはすくみあがった。

 

「探したよ、ジューダス! もう、突然いなくなっちゃうんだもん」

 

 声の主よりも言葉自体よりも。まずどこからと声が聞こえてきたのだろうと周囲を見回し、シルフィスティアの視界も借りて。

 それが足元──船の側面に設置されている独立した甲板で交わされたものだと知った。

 何があったのか、ジューダスはカイルに背を向けており、息を切らしたカイルが彼に何やかやと話しかけている。

 騒動の詳細を知らないフィオレが聞いても正直ちんぷんかんぷんだったが──概要はへそを曲げたジューダスをカイルが説得にきた、というところか。

 何も知らない人間を何故信用できるのか、と尋ねるジューダスに、好きだからこそ信じることができるのだと、ジューダスが何者だろうと一切気にしないとカイルは告げている。

 

 それは、彼にとって──世間で言う「裏切り者」リオン・マグナスである彼にとって、どれほどの救いになる言葉か。

 

 裏切り者でも正体を隠すことに固執しているでもないフィオレにはわからないが、ジューダスにとっては福音にも近い言葉だったはずだ。

 まさか自分の正体を告白するでもないだろうが、何かを言おうとしたジューダスに気付かず、カイルは言いたいことだけを言って去った。

 

『……いい子、ですね』

 

 思わずチャネリングで話しかければ、階下の彼が慌てているような、そんな気配が伝わってくる。

 

『……どこ、だ?』

『わざわざ追いかけてきて引き留めてくれるなんて。性格もそうですが、彼の血を感じずにはいられない』

 

 ジューダスの現在地から、フィオレの姿を見るのは不可能だ。

 たまにはカイルの真似でもしてみようかと、フィオレはそのまま言葉を連ねた。

 

『何があったのかは知りませんが、いいのですか? 彼の心遣いを無碍にして』

『……関係、ない』

『そんなことは百も承知ですよ。問題は、あなたの心』

『……どこにいる』

 

 これ以上この場にいたら、その内捕捉されるのが関の山である。フィオレは速やかに甲板を離れて、船室へと戻った。

 そこにはすでに、戻ってきた三人が何事か話している。あまり表情の晴れない二人に、カイルが何かを告げていた。

 おそらくはジューダスのことだろう。

 

「フィオレ、どこ行ってたの?」

「ちょっと展望台に。それで、何があったんですか?」

 

 いけしゃあしゃあと事情を尋ねてみれば、カイルが口を開くよりも早く、リアラが近寄ってきた。

 

「あっ……あのね、フィオレ。その……ジューダスがどういう人かって、知ってる?」

「無愛想不器用年中仏頂面、辛口の皮肉屋で、とってもひねくれてますね」

 

 どういう人なのか、などと聞かれて思いつくのはこの程度だ。彼女としては多分、正体を知りたくて婉曲的表現を用いのだろうが。

 

「そんなのリアラだって十分ご存じでしょうに。いきなり何を?」

「え、えっと……」

「そうか、フィオレに聞くって手があったな。なあ、あいつがいくつか知ってるか?」

「……それを聞くということは、ジューダスに尋ねて、はねつけられでもしましたか」

 

 正体がどうのこうの言っていたが、年齢のこととどう繋がってくるのか、さっぱりわからない。

 ぎくっ、と口に出すロニはさておいて、再びカイルに向き直り事情を聞く。

 たどたどしく語られる騒動の内容と、先程のカイルの話を整合させて、フィオレはようやく合点がいった。

 

「なるほど、琴線に触れてしまいましたか。人が隠していること暴こうなんて、あんまり趣味がいいとは言えませんね」

「お、俺はただ年を聞いただけ……!」

「ジューダスが自分のことを話したがらないのはいつものことでしょう。とはいえ、気持ちがわからないわけでもありませんし、今回はジューダスの過剰防衛ですかね」

 

 その場に居合わせたわけではないにつき断定はできないが。

 あまり納得しているようには見えないロニに、フィオレは言葉を続けた。

 

「ちょっかい出したら思い切りひっかかれたのが不満なのはわかります。でもロニだって、誰かに何かを隠して生きていませんか?」

「そ、そりゃあ、まあ……」

「この問いに否定できる人間はいないと思います。その理由を、相手に当てはめれば納得はできるでしょう? ね、リアラ」

 

 いきなり自分の名を呼ばれて、少女はびくっ、と体を震わせている。

 まるで小動物のようなその反応に、フィオレは苦笑を隠せなかった。

 

「……と、いうのが私の意見です。それで、今後はどうなさるおつもりで?」

「ジューダス次第だよ。これから先も一緒に旅をしていいって言うなら、構わないよねって二人に話してたところ」

「なるほど、ロニに大人になれと。それは難しいですね……」

「どーゆー意味だ!」

 

 殊更沈痛に呟いたせいか、冗談とわかっていながらもロニがくってかかってくる。それをいなして戯れていても、夕餉の時間になっても。

 ジューダスが船室に戻ってくることはなかった。

 

「ジューダス、どうしたんだろ。もう戻ってこないつもりなのかな……」

「彼のことを信じているのではなかったのですか? 信じているのなら、そろそろ休みなさい」

 

 すでに「子供は寝る時間」を通り越してしまっている。

 心底不安そうに帰ってくるまで待つ、とぐずるカイルをロニに任せて、フィオレは船内で手に入れてきた蒸留酒を嗜んでいた。

 酒好きと呼ばれる人間は二種類いる。純粋に酒の味を好む人間と、酒精のもたらす酔いを好む人間だ。

 フィオレは前者だが、彼はどちらなのか。

 

「……よう」

「水割り、お湯割り、ロックにストレート。どれがいいですか?」

 

 まずは蒸留酒をひと舐め、軽く眉をしかめたロニが水割りを指す。新たなグラスに水差しをテーブルに用意して、フィオレは再び長椅子に腰かけた。

 ロニがそれなりの酒飲みだと知ったのは、つい最近のこと。

 航海初日、ふと思い立ってアルジャーノン号のバーへ赴いた際。ナンパに失敗して大酒を飲み、バーテンダーに絡みまくるロニを発見したことから始まる。

 あまりにタチが悪かったので仲裁に入り、潰れるまで呑ませてご相伴に預かった。

 その際も迷惑をかけたということで、備蓄されていたものの中で一番上等、高値の酒を購入したのだが。匂いでも嗅ぎつけてきたのだろうか。

 多分眠れない、と言う理由で起き上がってきたのだろうが。

 

「ジューダスは、戻ってきてないんだな」

「身投げしたということだけはありませんから、ご安心を」

 

 自分のグラスに瓶を傾け、ロニのグラスにもその口を向ける。たっぷり注がれた蒸留酒を見て、ロニは水差しを傾けた。

 

「……お前、こんなに強い酒がぶ飲みしたら内臓イカレるぞ」

「酒に別腸あり、とはよく言ったものです」

「よく舌がもつよな……」

「薄めて飲んで美味しいですか?」

 

 ぽつぽつと、途切れがちな会話を重ねてグラスを傾ける。

 そろそろ処分したほうがいい干し肉をかじっていると、早くもほろ酔いのロニが口を開いた。

 

「なあ、ジューダスって酒飲めるのか?」

「なんでまた」

「や、こんだけ戻ってこねーってことは、バーで時間でも潰してんのかと思ってよ……」

 

 くいーっ、とグラスを空けたかと思うと、再びおかわりを注ぎにかかる。

 水割りとはいえ、そんなハイペースで呑んだがどうなるかわかっているだろうにするということは、わざとなのかもしれない。

 

「私の記憶の限りでは、あまり好きではない様子でしたが」

「ってーことは、呑んだことはあるのか。いやでも、ある程度年くってりゃ酒なんて……」

 

 水と混ざってゆらゆら揺れる蒸留酒をジーッと見つめつつ、ブツブツ呟く。見ていて気持ちのいいものではないが、絡んでくるよりずっとマシである。

 悪酔いしていたバーにおいてはジューダスとの関係や、フィオレ自身の正体までねちっこく尋ねられたものだ。

 相手は酔っ払いにつき、何一つとして真面目に答えていないが。

 

「つまみねーのか、つまみ」

「悪くなりかけた干し肉でもしゃぶってなさい」

「ルームサービスあんだから、頼めよ」

「夜間は営業停止です」

 

 どんどんどうでもいい会話になりつつも、夜は更けていく。

 ペースを変えず水割りばかり飲んでいた彼が徐々に酩酊の気配を見せ、そろそろ部屋へ帰さないと潰れると判断した頃。

 唐突に扉が開いたかと思うと、暗がりから白骨に似た仮面姿が現れた。

 

「……まだ起きていたのか」

「よぉーぅ、ジューダス! 遅かったなあ!」

 

 フィオレが何かを言う前に、完膚なきまでに酔ったロニがふら、とソファから立ち上がる。

 千鳥足で彼に歩み寄ったかと思うと、その腕がジューダスの肩に巻きついた。

 

「……おい」

「まーまーま、んな顔すんなって。お前も呑もうぜぇ~」

 

 面食らい半分、呆れ半分のジューダスを強引に自分の隣に座らせ、執拗にグラスを持たせようとする。

 決して受け取らないようにしているが、いつまで続くのやら。

 

「お前、酒臭いぞ!」

「ったり前だろ~が! 水飲んで酒臭くなったらヘンだが、俺は酒飲んで酒臭えんだ。正常だろが」

 

 まったくもって正論だった。ジューダスには色んな意味で返す言葉がない。

 酔っ払い特有の奇行か、あるいは狙っていたことなのか。ロニはどうしてもジューダスと酒を酌み交わしたいようだった。

 

「俺の酒が呑めねえってのか~?」

「当たり前だ、こいつと呑んだくれていろ!」

「しゃあねえな~、よっと」

 

 ひっく、と軽くしゃくりあげ、グラスの中身をぐいっとあおる。が、口の中の酒を飲み下さず、そのままジューダスに急接近し──

 その意図に気づいた彼は、大急ぎで避難を始めた。

 そんなジューダスの様子に、ロニは口の中を呑み下してから高笑いを上げている。

 

「だっせぇ~! いくら俺でも野郎相手に口移しなんかするかよ、マジ逃げしてやんの~!」

 

 指差して笑い転げるロニに対し、ジューダスはふつふつとこみあげてきたらしい怒気をみなぎらせている。

 ──面白い余興だが、そろそろ止めるべきか。

 

「ロニ、私はそろそろ寝ます。あなたもお休みなさい」

「あ? ああそっか、ジューダスも戻ってきたしな。んじゃな、仲良くやれよ~」

 

 グラスもカラになったこと、そしてジューダスをしこたまからかって、すっきりしたこともあってだろう。

 ロニは何事もなかったかのように踵を返し、カイルの眠る寝室へと入って行った。

 唐突に訪れた静けさの中、フィオレが片づけをする音だけが大きく響く。

 

「さて、あなたはどうしますか? 荷物を取りに来ただけなのか、それとも」

「──寝る」

 

 この一言で、フィオレも詳細な事情を知っていると踏んだのだろう。何を話すでもなく、彼は自分のマントに包まってごろりと横になった。

 それでいい。この問題に関して語るべきは、今眠りについている彼らなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十一戦——巡る旅路に思いを馳せて~石詰めたのはだぁれ?

 inファンダリア。
 そんなこんなで、船旅は終了。お疲れ様でした。
 久々なのかそうでないのかよくわからない、雪国編突入なのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──翌朝。太陽が姿を見せる頃に目を覚ましたフィオレは、甲板へ出ていた。

 船員たちの話では本日昼頃ファンダリア入り──スノーフリアへ入港するらしく、準備をしておいてほしいとのこと。

 間近に迫るファンダリア大陸を見て、そういえばクレスタ、並びにアイグレッテとファンダリアは地続きであったことを思い出す。

 かつては、ジェノスを経由して徒歩移動も難しくはなかったのに。

 ファンダリアへ行くには船を使うしかないとカイルは言っていた。地殻変動でも起こったのだろうが、一体何がどうなっているのやら。

 操舵室付近に掲示されていた世界地図でも見に行こうかとして、足を止める。

 年中雪が絶えることのないファンダリアに近づいてきたせいか、空は青いのに白いものがヒラヒラと中空を舞い始めたのだ。

 そして急激に変化しつつある気候に、防寒具を出しておこうと船室へ戻って。

 

「──いや。僕も大人げなかった」

 

 起きだしてきた三人とジューダスの間で、話し合いがあったのだろう。

 どのような内容かはわからないが、あのジューダスからそんな殊勝な言葉が発せられるとは。

 これには三人も驚いたようで、ただただ言葉を失っている……が。

 

「実際の年齢はともかくとして、精神年齢は僕の方が高い。子供であるお前と同じレベルで話すなんて、大人である僕のすべきことではなかったな。反省している」

 

 ジューダスは、やはりジューダスだった。

 当初こそキョトンとしていたロニだったが、後半になってその意味を理解したロニはワナワナと拳を震わせた。

 

「な、んな、なんだよそりゃあ! それじゃ、俺がガキってことか!」

「そう言ったつもりだが、わからなかったか? 僕の言い方もまだまだのようだ」

 

 ……フィオレの常識からすれば、大人はそんなこと言わない。言わないが、これは彼独特の嫌みだろうということで解釈する。

 そのやりとりを始終見ていて、緊張が解けてしまったのだろう。カイルが吹き出したのをきっかけに、二人は無邪気に笑っている。

 

「笑うな二人とも! こんにゃろう……好き放題言いやがって……」

「──ご安心を、ロニ。大人は自分のことを大人だと、主張はしません」

 

 怒りで顔を真っ赤にしているロニに囁いて、この場は抑え。フィオレは船窓を指した。

 

「昼頃、スノーフリアに着くそうです。風の具合によっては予定が早まるらしいので、準備しておきましょうか」

「そうか、わかった。お前ら、はしゃぐのは支度を整えてからにしろ。グズグズしてると置いてくぞ」

 

 気づけば青かった空は灰色の雲に覆われ、粉程度だった雪が綿ほどの大きさとなり、気温計が見る間に降下していく。

 少し前ファンダリアで購入していた防寒具を着込むフィオレもジューダスも問題ないものの、持ち合わせのない他三人、特にリアラは見ているだけで寒い。

 一応フィオレの持ち合わせである外套を羽織らせているが、それでも冷風に耐えかねてか、体を震わせている。

 

「ハイデルベルグに行く前に、あなた方の防寒具を用立てましょうか」

「さ、賛成……ヘックション!」

 

 先程からくしゃみ連発、いつの間にか鼻の下に氷柱をこさえたカイルにハンカチを渡して、防寒具を扱う店舗を探す。

 幸い旅人向けの防寒具を扱う雑貨店をすぐ見つけることができた。

 

「さて旅の方、何になさいますか? お勧めはこちら、あの英雄王も着用した毛皮のマントですが……」

「あ、それ知ってる! 四英雄が神の眼を追ってハイデルベルグに来た時、氷の大河ってところを抜けるため手に入れたんだよね」

 

 カイルの言葉に、店主は大きく頷いている。

 フィオレにとってそこまで昔のことではなく、当時はルーティの高度な交渉術の余波を受けて、思いもよらない大ダメージを懐に受けた。

 一同の手前平気な顔こそしていたが、これは是が非にでもハイデルベルグで旅を終わらせなければならないと戦々恐々としていたのは、懐かしくもなんともない。

 歴史的にはほんの小さな出来事でも、一部の人々にはきっちり伝わっているらしく。

 

「そうそう。ちょっとしたトラブルで全員のマントが買えなかったから、フィオレシアさんが自分は要らないって辞退したんだ。仲間想いだよなあ」

「ちょっとしたトラブルって?」

「それが、ルーティさん教えてくれないんだよ。あんまりいい思い出じゃなかったんだろうな」

 

 そりゃそうだろうが……こういう小さなことから、大げさな伝説が出来上がって行くのだろう。

 自分の恥部を晒したくないのはわかるが、辞退したのはリオンも同じ。事実はちゃんと伝えていただきたい。

 当時毛皮のマントは一子相伝の職人技、更に元となる毛皮を調達できる猟師が少なかったため、扱っている店舗が極端に少なかった。が、今はそうでもないらしく、更に種類も豊富である。

 しかしカイルは、十八年前に扱われていた地味なものを選んでいた。

 

「なあ、フィオレシアさんが選んだっていう防寒具はねーのか?」

「こちらの店頭サンプルがそうですが、男性の方には着用できませんね」

「そっかー、残念だなー。ちなみに俺は彼女に会ったことが……」

 

 ロニが店主を語っている間、足元まである毛皮のコートを選んだリアラから外套を返してもらう。

 素早く羽織るも、当時ルーティが選んだと言われているものと同じ意匠のコートを着込んだリアラから指摘されてしまった。

 

「あら? そういえばフィオレの防寒具って、泡沫の英雄と同じなのね」

「……機能性重視の結果です」

 

 同じも同じ、当時毛皮のマントの代用品として選んだものなのだから当たり前だ。幸いロニの耳には届かなかったようだが、聞かれていたら何を言われていたことか。

 ともかく三人が防寒具を揃えて店を出た時、雲の隙間から垣間見える太陽は頂点を過ぎていた。

 少し遅めの昼食を摂りながら今後の予定を話し合っていたところ。ふと、話題が逸れた。

 

「さっきのお店でも言っていたけど、ロニは泡沫の英雄にあったことがあるのよね。どんな人だったの?」

「そりゃもう、身も心も美しい、それこそ女神さまのような人さ!」

 

 ──また始まった。

 これまで、話の折りに触れて「隻眼の歌姫」の素晴らしさをとくとくと語ってきたロニだったが、これは特に話が長くなりそうである。

 まるで我がことのように語るロニの話に耐えられるか自信のなかったフィオレは、それまでちびちびすすっていたボルシチを一息で平らげた。

 

「ちょっとその辺ブラついてきますー」

 

 喜々として話し始めるロニをさておき、いつ戻るとも告げぬまま、フィオレは宿に併設されている食堂から出て行った。

 残された仲間たちとしては、いつにない当惑を覚えてその背を見送るしかない。

 

「……わたし、何か悪いこと言ったかしら」

「気にすんなよ、いつものことじゃねえか。あいつの行動が唐突なのはよ」

 

 確かに、ノイシュタットの闘技場に出ると言い出したのも、廃工場で消えたのも唐突だった。が、今回のこれは明らかに原因がある。

 それをリアラが口に出そうとする前に、察していたロニが言葉を続けた。

 

「原因もわかってるぜ。あいつ、フィオレシアさんに嫉妬してるんだよ。名前も武器も真似てるが、あの人自身の話になると不機嫌になるもんなあ」

「嫉妬、なのかしら。嫌いなだけなんじゃ」

「だったら名前はともかく、武器を真似ようとはしねえよ。まあ、あの人のことを良く思っていないことだけは確かだ。あるいは俺に気があって、フィオレシアさんにべた惚れな俺に腹立ててるだけかもな!」

 

 でなけりゃ美人に嫉妬してるだけとか、など憶測だけで好き勝手を抜かすロニに、ジューダスもまたこの場を離れておけばよかったと後悔している。

 知らない人間から何を言われても仕方がないし、それが裏切り者であるリオン・マグナスのことであるならばそれも必然だと彼は承知していた。

 しかし、それがフィオレのことになると承服しかねる。

 泡沫の英雄を称える内容でも、実際のフィオレを悪しざまに言われても、腹に据えかねるから不思議だ。

 まあ、それこそ彼らに何一つ気取られていない証である。少々のことは聞き流すべきだと、波打つ感情を鎮めにかかったその時。

 思わぬ一言を聞きつけて、ジューダスはどうにか動揺をこらえた。

 

「それはないよ。フィオレ、あんなにキレーな顔してるんだから」

 

 発言主はカイルであり、しかもかなりあっさりと──まるで当たり前のように抜かしている。

 その言葉を受けて、もちろんロニは反応した。

 

「キレーな顔って、だったらなんで隠してんだよ? 自信がないとか正視に耐えないとか言ってるし、第一隠したいから隠してるに決まってんじゃねえか」

「それは知らないけど、ロニに気があるってこともないと思うな。だったらもうちょっと、何かアピールしてると思う」

「ちょ、ちょっと待って。カイル、フィオレの顔を見たことがあるの?」

 

 尋ねようとしていた事柄をリアラが口にしたため、ジューダスはとっさに事の成り行きを見守っている。

 カイルはあっさりと、首を縦に振った。

 

「ほら、ハーメンツヴァレーでさ。フィオレの帽子が飛んでった時、ちらっとだけど見えたんだ。もうよく覚えてないけど、すっごい美人だった。オレ、ちょっとどきどきしちゃったよ」

「すっごい、ねえ……ルーティさんとどっちが綺麗だったよ」

「オレはフィオレだと思うけど」

 

 覚えていない、というのは本当であるらしく、カイルの返答は曖昧だらけだ。

 それでも放置しておけばまた彼の記憶の中でフィオレの素顔が思い起こされてしまう。それは歓迎できることではない。

 どうにか話題を変えようとして、それが実に自然な形で成されることになる。

 

「只今戻りました。大分盛り上がっていたようですね」

 

 話に夢中であったせいか、誰一人としてフィオレの接近に気付いていなかった。

 驚きにのけぞるロニなど一切構わず、フィオレはあくまで一同を見回している。

 

「お、おかえり。早かったね」

「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、これからのことでお話があります。よろしいですか?」

 

 誰一人として否を唱えない。それを確認して、フィオレは椅子に腰かけた。

 

「ハイデルベルグへ行く方法ですが、商隊の依頼を取ってきました。一人一日500ガルド、食事つきで幌付きのそりに乗せていただけるそうです」

「それ、道中の護衛ってやつじゃねーか。何勝手に引き受けてんだよ」

 

 それまでの会話も関係してか、ロニの物言いはあまり穏やかではない。それに気づかぬフィオレでもなく、目深に被っている帽子が僅かに揺れた。

 いぶかしげな声音が、ロニ並びに全員へと問いかける。

 

「いつになくケンカ腰ですね、何かありました?」

「お前が「気にするな。いつものことだ」

 

 ロニが何かを言う前に、ジューダスが素早くそれを遮った。何を感じ取ったのか、フィオレはあっさりと引きさがっている。

 

「それもそうですね。私は移動手段として丁度好さそうな依頼があったから引き受けてきただけです。協力しろとは言いませんよ。嫌ならここでお別れと言うだけ」

「だからってなあ、仲間に何の相談もなく……」

「ぼやぼやしてたら取られてしまいますからね。少なくとも私は、雪国野宿なんて面倒くさいことはしたくありません」

 

 淡々としたフィオレの物言いに、惑いはない。

 虫の居所が悪いロニが何かを言い出さないうちに、ジューダスが口を開いた。

 

「しかし、武器も持たないそのなりでよく引き受けられたな」

「これを見せたら是非にとね」

 

 彼女が掲げたのは、ノイシュタット闘技場においてチャンピオンに贈られるゴールドメダルである。

 これを所持する人間ならば確かに、なりがどんなものであろうとその実力を証明できるというものだ。

 

「護衛はいくら増えても構わないとおっしゃっていただけました。よろしければ一仕事、いたしませんか?」

「うん、そうだね。オレはいいと思うな」

「わたしも。さっきのお買い物で、お財布が軽くなっちゃったし」

 

 ジューダスは小さく頷き、ロニも否は唱えない。フィオレはうっすらと、口元に微笑をたたえた。

 

「決まりですね。もう少ししたら出立するそうですから、お食事をどうぞ」

 

 一同の食事が済むのを待って合流場所へと赴き、そのままスノーフリアを後にする。

 道中、幾度となく魔物に襲われるものの問題になることはなく、むしろ騒動は馬を休ませる休憩中に発生した。

 

「ねえ、せっかく雪国に来たんだから雪合戦しようよ!」

 

 休憩中ということで警戒こそしていたが、あまりに緊張感のない空気に飽きたらしいカイルがそんな提案をしたのである。

 同じく緊張感のないロニ──こちらはフィオレの取ってきた仕事につき、真面目にしようとする気がない──が悪のりし、リアラを巻き込んでの雪合戦が開催された。

 そこまでは、微笑ましくて結構なことだったのだが。

 

「まったく……依頼の最中だというのに、何を遊んでるんだ、お前らは」

 

 黙って護衛に専念していればよかったのに、ジューダスがわざわざ口を出したのである。彼としては、彼らが遊んでいるのを純粋に咎めるだけのつもりだったようだが。

 流れ弾か、狙われてか。飛来した雪玉をマントで払い落し、残骸を見やった彼はおもむろに抜刀したのである。

 

「誰だ、今石を入れてた奴は!」

 

 それは確かにルール違反だが、剣を抜くのはいかがなものか。

 蜘蛛の子を散らすように逃げる三人、怒り心頭で追いかけ回すジューダス。それまで勇猛果敢に闘っていた彼らの無邪気っぷりに、目を丸くして見ている行商隊の人々。

 

「すいませんね。もうすぐ終わると思いますので」

 

 とにかく雪国が初めてだという彼らにはしゃぐなというのは難しい。

 そのため、仕事だけはきっちりと済ませつつ珍騒動にはそれなりのフォローを入れて、三日が経過した頃。

 一同を伴った行商隊は、王都ハイデルベルグへと辿りついた。

 

「いやあ、一時はどうなるかと思ったけど、助かったよ。やっぱりノイシュタットチャンピオンの称号は伊達じゃないね」

「毎度あり」

 

 報酬の7500ガルドを受け取り、うち1500ガルドを取ってカイルに渡す。

 

「適当に配分してください。私はここから、別行動です」

 

 そこへ。

 カイルに渡した7500ガルドは、リアラによってかっさらわれた。

 

「リアラ?」

「ちょっと待って、カイル。私達、まだ船の切符代をフィオレに払ってないわ!」

「あーっ、言っちまった。黙ってりゃこのまま踏み倒せたのに……!」

 

 ロニの、本気なのかふざけているのかよくわからない一言はスルーして、リアラはきっちり3000ガルドを引き抜いて渡してくる。

 正直フィオレも忘れていたことだが、払ってくれるものならと素直に受け取った。

 

「そりゃ残念でしたね。金の切れ目は縁の切れ目とも言いますが」

「ロニはどうか知らないけど、私はフィオレと縁を切りたいわけじゃないわ!」

「じゃあ、フィオレにお金返さない方が一緒にいてくれるってこと?」

 

 素晴らしい曲解である。

 そんな理由で踏み倒されても困ると、フィオレは訂正を入れた。

 

「そうではなくて。お金があるときはちやほやしてくれても、なくなったら冷たくされてしまうもの。そんなことに関係なく傍にいてくれる人は貴重だから大事にしろ、という格言です」

「……つまり?」

「自分の用事を優先して去っていく薄情な人間は、相応の対応で良いんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十二戦——囲まれたるは本の山々~それじゃあ、みんな元気でね~

 inハイデルベルク、念願だった武器発注後、英雄門に入り浸り。
 ここでフィオレはパーティから離脱します。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶には新しいハイデルベルグだったが、そこはほとんどフィオレが知らない街だった。

 しぃん、と静まり返り、グレバム軍の蹂躙に遭っていたあの街は今、厚着をした人々が行き交う城下町──本来の姿を取り戻している。

 フィオレ達のいる大通りから正面に進んだ先、あのハイデルベルグ城がその荘厳な姿を変えることなく、そびえていた。

 とはいえ、十八年の時の経過で細部が薄汚れている気がするが、元からかもしれない。

 

「フィオレ……本当に行っちゃうの?」

「闘技場の時もそうするべきでしたが、私の個人的な用事に、皆を付き合わせるわけにもいきませんから。英雄王とお会いするのでしょう?」

 

 財布に計4500ガルドを押し込み、懐へ戻す。名残惜しげなリアラに微笑みかけ、そのまま別れを告げようとして。

 

「フィオレの用事って?」

「えーと、まず武器の発注、それから英雄門で資料探しですね」

 

 以前、変に目的を隠して無駄足を踏んだ記憶から、正直に今後の予定を話しておく。

 武器の発注はともかく、後者はフィオレにもどれだけかかるかわからない。待たせるのは気が引けるし、飽きっぽいカイルに耐えられるかどうか。

 

「それだけ?」

「ハイデルベルグですることはね」

 

 確かにすることはシンプルで、わざわざ別行動を宣言するからには、よほど忙しいとでも思っていたのだろうか。

 苦笑を交えて伝えれば、カイルから思わぬ発言が飛び出した。

 

「なあんだ、ならそれが終わったあと合流したっていいじゃん。まさか置いてある本、ぜーんぶ読むってわけじゃないんでしょ?」

「目的の資料が見つからなければ、最終的にはそうなるかと」

 

 しれっ、と言い切ったフィオレに、カイルが音を立てて固まっている。

 英雄門とやらがどの程度の規模なのかわからないが、資料館という名目上本棚が三つ四つの規模ではないだろう。

 手伝えなどと言う気もないが、頼まれても困るとでも思ったのだろうか。それ以降カイルが何かしらを言うことはなかった。

 その代わり、と言ってはなんだが。

 

「その目的の資料が見つかった後は?」

「……そうですね。ジェノス……いえ、ハイデルベルグの近くにある……ええと、そう、知人を訪ねて、その後は……アクアヴェイルがカルバレイスでしょうか」

 

 何しに行くのかと聞かれ、流石にその先は誤魔化す。資料によって判明した事柄如何によっては、予定もまた変わるだろう。

 楽しかった旅行気分から気持ちを切り替えようとしていたフィオレだったが、それはある一言で霧散させられた。

 

「つまり、まだハイデルベルグにはいるんだろ。せっかくだから英雄王にも一緒に会ってかねえか?」

 

 ……確かに記念にはなるかもしれないが、それはためらわれる。

 その後も何やかやと引きとめられ、結局フィオレは一同に別れを告げることなく件の武器防具屋──ソウル&ソードを訪ねることになった。

 

「お城へ行く前に、街を見て歩くのもいいと思うの。あの英雄が治める街がどんなところなのか、見たいから」

「……私は構いませんが、もう皆とは別れたつもりで行動しますからね?」

 

 現在一行は、リアラの目的である「英雄探し」を旅の目的としている。ウッドロウが彼女の求める英雄なら、旅はここで終いだ。

 それを名残惜しく思ったのかもしれないし、単に彼女が見聞を広めたいと思ったのかもしれないが、どちらでも構うことはない。

 これから先、フィオレは一同がいないものとして行動する。その姿勢が保てれば、それでいい。

 行き交う人々に道を尋ねて、あっさりと件の店を見つける。

 何でもソウル&ソードの店主ウィンターズなる人物はその道では有名であるらしく、彼への依頼を携えて訪ねる商人も多いとか。

 

「フィオレ、武器の発注に行くんだよね? そんな有名な人に、大丈夫なの?」

「他国の一般人が一国の王に目通りを叶えるよりは簡単かと」

 

 そのことを含めて、彼に関する情報ならアルジャーノン号に乗船していた商人たちから情報を仕入れてある。フィオレにとっては今更な話だ。

 降雪によって扉が塞がれないよう、ある程度段差の設けられた入り口をくぐって来店する。

 そこかしこに並ぶ武器・防具に気を取られるカイル達を置いて、フィオレは一直線にカウンターへ足を運んだ。

 笑顔全開の店員に店主ウィンターズ氏を出すよう要求。用事の程は本人に直接言うようにする。

 単なる武器の発注と伝えただけでは、門前払いされる危険性が高い。

 

「御取次いたします。少々お待ちください」

 

 それまで店内を回っていた店員にカウンターを任せて、女性店員が席を立つ。

 丁度暇をしていたのか、ウィンターズと名乗る店主はすぐに姿を現した。

 その道で有名、と言われるからにはそれなりの壮年かと思いきや、拍子抜けするほどに若い。ロニが十年ほど年を食えば、こんな感じになるだろうか。

 彼はちらり、とフィオレを見やってから口を開いた。

 

「私がウィンターズだ。見たところ旅業者とお見受けするが」

「初めまして、フィオレと申します。これはあなたが製作されたものだとお聞きしました」

 

 おもむろに特殊な革ケース……紫電シリーズと呼ばれる包丁セットを取り出し、確認する。

 確かに自分が作ったものだ、と彼が頷いたところで。

 

「何か不手際でも?」

「いいえ、この包丁自体には何の文句もありません。これを作成されたあなたに是非とも、紫電をモチーフにした武器を用立てていただきたいのです」

 

 別にこの紫電に似た意匠、そして軽さだけで求めたわけではない。その切れ味は食材にて確認済みである。

 用事が武器の発注だと知り、店主は想像通りのリアクションを取った。

 

「すまないが、オーダーメイドは受けないことにしているんだ」

「どれだけの期間、報酬を提示されても、ですか?」

「期間や報酬の問題じゃない、素材の問題だ。あんたのように紫電のレプリカを造ってほしいと言う依頼人も多い。私もあの泡沫の英雄が振るった武器を再現したいと思ったさ。だが、実際は伝承にあるような紫電の質感、そして軽さを似せるので精一杯……武器としての耐久性に欠けるため、なくなく包丁として加工せざるをえなかった」

 

 なるほど、あんな包丁を作るだけあって紫電に対し興味がないわけではない。残るは素材の問題か。それならば一応、事前の調査で聞き及んでいる。

 フィオレはおもむろにポケットからとある物質を取り出すと、片手で弄び始めた。

 

「私はこの包丁の刃をそのまま、刀に仕上げてほしいのですが……ままならないものですね」

 

 もちろん、相対するウィンターズ氏にこの行動が奇妙に映らないはずもなく。彼がフィオレの持つ物に目を向けたのは、必然のことだった。

 ──この、フィオレが持つ鉱石の正体が文献通りで、ウィンターズ氏についての調査に間違いがないのなら。

 

「まあ、素人の私には理解しかねることですか。今日のところは出直して……」

「ず、ずいぶんあっさり引き下がるんだな。あんた、多少なりとも私のことを調べたんだろう?」

 

 フィオレが手に持つ物に目を止めて以降、そわそわが止まらないウィンターズ氏を目の当たりにして内心で笑みが浮かぶ。

 だが、ここで妥協などしない。相手は仕事どころか客すら選り好みするような職人だ。下手に出る気はない。

 

「何のことでしょうか? ともかく、時間を取らせてしまいましたね」

「今更誤魔化さなくてもいい。その手に持つのは……ベルセリウム、だろう?」

 

 その名を出されて、一貫して空っとぼけていたフィオレは弄んでいた物質をカウンターに置いた。

 蒼く柔らかな質感を持つ鉱石らしきもの。フィオレの感覚では少し前、実際は十八年前に国家を挙げてのドラゴン退治で得たものだ。

 涼しげな見た目とは裏腹に温かな手触りで、それなりに気に入っていたフィオレだが。有害なものだったら困ると、当時調べた記憶がある。

 それが幸いにも、ウィンターズ氏が切望するものであると判明したわけだが。

 

「幻の鉱石と呼ばれ、強大な力を秘めた未知の石……俺がこれを探していると知って、調達したのか」

「いえ、私が偶然所持していただけです。これ以上の量を手に入れる見込みはありません」

 

 それを聞いて、ウィンターズ氏は僅かに失望の吐息をついている。

 それでも、この小さなベルセリウムに興味がないわけではないらしく、触れてもいいかと許可を求めてきた。

 許可を得たとなるや、薄手の手袋を装着し拡大鏡まで持ち出して鑑定を開始する。

 

「……かなり純度が高いな。質も良く、保存状態も良好……本当に偶然手に入れたものなのか?」

 

 保存状態が良好などと、手に入れて何年も経っているわけではないから、当たり前だ。

 

「ええ、偶然です。では、そろそろお暇しますので」

 

 片手を伸ばして速やかな返還を求める。何食わぬフィオレの様子に、ウィンターズ氏は苦笑して両手を挙げた。

 片手にベルセリウム、片手に拡大鏡の万歳はなかなか笑えるポーズである。

 

「わかった、発注を引き受けよう。報酬はこのベルセリウムで十分だ。これにはそれだけの価値がある」

「話が早くて助かります。私が望むのは紫電という刀の性能ですので、それ以外はお好きにどうぞ」

 

 そして後日、フィオレは己の台詞を大いに後悔することになるのだが……それはまだ先の話。

 ベルセリウムを手にしたところで、創作意欲が沸いたとか何とかほざき、ウィンターズ氏はスキップしながら店の奥へと引っ込んでしまった。契約書も何も書かずに。

 

「ちょっと、ウィンターズさん?」

「フィ、フィオレ!」

「すみません、お客さん。珍しい鉱石手に入れたんで舞い上がっちゃってるみたいです。私からちゃんと言い聞かせておきますので、お手数ですが明日あたりまたお越しいただけますか?」

 

 契約も何もないにつき、よもや持ち逃げの可能性も疑うの、店員の仲裁を経てカウンターを乗り越えようとするのはやめる。

 店員の名と顔をきっちり覚えて、フィオレは今度こそ店を後にした。

 降り積もった雪をザクザク踏んで進んだ先には、巨大な門がある。正確には、門の形をした建物か。

 

「街の中にまた門が……」

「これが英雄門だ。この門を隔て、城側が旧市街、外側が新市街と呼ばれている。旧市街は以前の街並みをそのまま保存され、十八年前の騒乱時、崩壊したジェノスとサイリルの住民が集って形成されたのが外側の新市街だな。ある意味ふたつあるこの街を繋ぐ英雄門は新たなハイデルベルグを象徴する記念碑的な建物だ」

「それにちなんで、記念館件資料館として十八年前の騒乱や、天地戦争の資料が納められているんだな」

 

 幸いなことに、英雄門へ入るのに入場料などは必要としなかった。

 門の左右にある階段は開放されているが、雪国特有の二重扉が設置されており、冷たい外気が内部へ侵入することはない。

 

「英雄門へようこそ。どちらの入り口からも自由に入れますよ」

 

 守衛を兼ねた、モコモコの防寒着をまとう職員に区画を根掘り葉掘り尋ねる。

 右側の入り口から上がった先は十八年前の騒乱を扱った記念館、左側の入り口から上がった先は天地戦争にまつわる資料を展示しているのだという。

 最上階は、そのふたつに関連する書物を管理する図書館になっているのだとか。

 

「以前、知識の塔から書物が運び込まれたと思うのですが、それらは全て最上階に?」

「ええ。十八年前の騒乱や天地戦争、更にはそれらに関連する書物の類はすべて最上階の書庫に収まっています」

 

 守衛に礼を言って。階段を上っていく。

 上った先は十八年前の騒乱にまつわる記念館だったが、フィオレに用事はない。

 スタン達の肖像画が飾られた区画、ソーディアンレプリカや神の眼のレプリカが飾られた区画を素通りして、階段へ直行する。

 

「フィオレ、見てかないの?」

「だって、用事がありません」

「心にゆとりがねえなあ。にしてもルーティさん、やっぱ美人だなあ……」

 

 入って目につく一角には、英雄たちの当時の肖像が飾られている。絵師の腕のせいか、皆そこはかとなく凛々しい。

 個人的に、アクアヴェイルから出なかったはずのジョニーの顔をどうやって描いたのか気になる。

 

「……泡沫の英雄がいないのね」

「ここに描かれているのは、騒乱が終わって直後の肖像画だからなあ。どんな人だったのかってのなら、ここにあるけどな」

 

 何が書かれているのかなど、知りたくもない。

 意図的に目を逸らし、意匠だけはそっくりなソーディアンレプリカに張り付くレンズがただの硝子玉であることを確認して階段を上ろうとして。

 フィオレの耳にこんな会話が飛び込んできた。

 

「お前さん達、泡沫の英雄の肖像画ならハイデルベルグ城にあるよ。当時隻眼の歌姫のファンだった見習い画家が描いた似顔絵を、ウッドロウ様が買い取って謁見の間に飾ったんだ」

「でも、謁見の間になんて普通の人は入れないんじゃ……」

「そんなことはないよ。ハイデルベルグの住民だろうと他国の旅人だろうと、望めば陛下はお会いなさる。私も一度お会いしたが、立派な王様だったよ。ファンダリアの誇りさ」

 

 ──やりきれない思い、心苦しい記憶が胸の奥を焦がす。

 それから逃れるように階段を上ったフィオレは、大量の書物が納められた書架へ歩んだ。

 一冊を手に取り、ぱらぱらとめくる。そこに記載されているのはオベロン社の歴史についてであり、フィオレが望む文献ではない。

 いくつも並べられた本棚を見て回り、天地戦争に関する書籍が大体六架程度であることを知る。

 その中には、ジルクリスト邸で見た記憶がある書物も混ざっていた。これならばすぐに見つけ出せそうだと、さっそく書物を開いた矢先。

 

「フィオレー! どこー?」

「バカ、ここは私語禁止だ。でかい声出すなって」

 

 階段を駆け上る音がして、資料館内に大きな声が響き渡る。

 そう広くもないのだからすぐに見つかるだろうと高をくくって、書物を次々と手にしていると。

 

「フィオレ見っけ! あのさ──って、何やってるの?」

「目的の文献探しです」

 

 カイルがそう尋ねたのも、無理はない。

 フィオレは書物を手に取ったかと思うと、パラパラパラ、と親指のみを使って高速で頁をめくり、再び本棚へ戻すという作業を繰り返している。

 片時も本から視線を外していないとはいえ、これでは満足に内容など確認できるはずもない。

 機械的な作業を前にしてカイルが戸惑っている間に、他一同も二人の元へ集ってくる。

 未だかつて見たことがない読書スタイルにロニもリアラも二の句が告げられない中、ジューダスは呆れたような吐息を零した。

 

「……お前、それは文献が痛むからあれほどやめろと言ったのに」

「見逃してください、ジューダス。時間節約のためです」

 

 その間にも、本棚の最上段が全て読破される。二段目の真ん中まで終わった頃、ジューダスは小さくカイルをつついた。

 

「今のことを言うんじゃないのか」

「あ、そうだ。あのね、フィオレ」

「はい」

 

 返事こそあるが、繰り返される行動は一欠片ほどの変化もない。

 戸惑って口を閉ざそうとするカイルだったが、ジューダスは無視をするよう告げた。

 

「返事があるということは聞こえてはいるんだ。気遣っていたら何も言えないぞ」

「そ、そうだね。さっき職員のおじさんが教えてくれたんだけど、ウッドロウ王って誰とでも会ってくれるらしいんだ」

「ふむ」

 

 返事なのか書物の内容に対してか、よくわからない答えと共に再び書架へ手が伸びる。

 よどみないその仕草にめげることなく、カイルは言葉を続けた。

 

「でも、今日は遅いから。オレ達これから母さん推薦の宿屋に行って明日、陛下に謁見しようと思う。だから……」

「ああ、もうそんな時間なんですね。では皆、お元気で」

 

 二段目、最後の書物を棚に戻して大きく伸びをする。

 再三、リアラによる「これからどうするの」という質問に、フィオレは首を鳴らして答えた。

 

「閉館ギリギリまで粘ることにします。元気でね、リアラ。あなたの英雄が見つかることをお祈りしています。あなた方の旅路に幸がありますように」

 

 何か腑に落ちない顔をして立ち去る彼らに手を振って、見送る。

 彼らの姿がなくなったところで、フィオレは三段目の書物を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十三戦——魔法少女も流行り廃り~もちろんそんな年じゃない

 ハイデルベルク市街~王城。フィオレは再びパーティ入りし……てません。
 フィオレはここで、ようやく装備ページの武器欄が埋まりました。
 あのとき手に入れた鉱石が、よもやこんな形で武器と化すとは。
 当時を振り返ると、これも運命? とふざけたことを考える自分がいたりいなかったり、ラジバ(ry


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「閉門ですよー」

 

 この声がかかるまで、どうにかこうにか、本棚半分を読み切って英雄門を後にする。

 リアラには到底我慢できそうにもない場末の宿で一晩過ごし、開門直後からフィオレは英雄門最上階の書庫に入り浸っていた。

 この頃、速読で大まかな内容を確かめていた幾冊か、目当ての文献を確保していた。

 それでも一応全てに目を通しておこうと読書を続け、現在に至る。

 数少ない天地戦争に関する記述は大体が創作や推察に類するものだったが、ほんの僅か当時の記録を遺した古い資料を見つけることに成功した。

 それはソーディアンが考案される以前にして、天上軍地上軍が血を血で洗う戦いを頻発させていた最中の話。

 ジルクリスト邸にあったものも合わせて読み込んだ今、未曾有の大事件もバルバトス・ゲーティアなる男の正体も掴むことはできた。

 彼が何をし、その最期がどんなものだったのか。従って英雄を敵視する理由も、判明した。ただしこれが生かせるかどうかは、今後の展開にかかってくるだろう。

 そして、あの男が本当に、かの人物なのかもわからない、と。

 何となく無駄な時間を食ったような気がしないでもないが、ともあれ目的は達成されたと正午、英雄門を後にする。

 その足でフィオレが向かったのは、件の武器防具屋──ソウル&ソードだ。

 カイル達がいない以上、これからは自分一人で身を守らなければならない。となれば武器は必須であり、ウィンターズ氏に発注した武器が出来上がるまで、フィオレはこのハイデルベルグから出る気はなかった。

 従って、どの程度の期間を要するかと尋ねようとしたのだが──

 

「おお! いーところに来てくれた!」

 

 件の店舗に足を踏み入れた途端、そんな声がかかってそちらを見やる。

 そんな歓喜の声を上げたのは、クマの浮いた目元でありながらその瞳を爛々と輝かせたウィンターズ氏本人だった。

 店の奥からふらふら姿を現した彼は、どういうことか服装が昨日のままだ。千鳥足にも程がある足取りで近寄ってくる辺り、睡眠を取っていないのではないかと思われる。

 

「こんにちは。昨日の話の続きをしに──」

「ちょっとこれを持ってみてくれ」

 

 大真面目な顔で突きつけられたのは、長い柄が緩やかな弧を描く一風変わった箒である。

 これがどうかしたのかと尋ねかけ、受け取ったフィオレは言葉をなくした。

 

「!?」

「注文が紫電という刀の性能だったんで、見た目に少し遊びを加えてみた。テーマは意外性だ」

 

 おそるおそる、石突の部分を握って抜いてみる。継ぎ目など一切見受けられなかった柄の一部に切れ込みが生まれて、するりと動く。

 箒の柄の中から現れたのは、しっとりとした刃の煌めきだった。

 幻想的な淡い紫、濡れているかのような仕上がり。

 箒の柄が曲がっているのも、当たり前だ。刀の刀身は緩やかな弧を描いているから。

 

「いやー、久々に思った以上のものが作れた。ベルセリウムの賜物だ。俺もあんたも運がいい!」

 

 ──どうも、製作にベルセリウムが使われているらしく返品は利かないらしい。

 機嫌良く鼻歌を奏でる店主を前に、フィオレは刀の検分を始めていた。

 刀の全長は通常の刀と同じ程度、柄が少し長めだがこれくらいなら問題はない。刃の仕上がりは感嘆ものだ。流石はウィンターズ氏と称賛するべきか。

 よくよく見てみると、箒の部位も竹や棕櫚の毛ではなく金属製の細い糸だ。針金にしては柔軟性に優れ、しゃらしゃらと涼しげな音を奏でる。

 こんなものでぶん殴られた日には、顔にひっかき傷どころか失明しかねない。

 

「あのー、これの材質は……」

「気にするな。玉鋼に少しベルセリウムを混ぜただけだ。それと、その仕込杖の銘なんだが」

 

 よくよく見れば、刀身に製作者の名は彫られておらず、また銘のようなものもない。ウィンターズ氏いわく、銘はまだ決まっていないとのこと。

 丁度いいところ、とはこの事を指すらしい。

 

「これだけいいものを作っちまうと、なかなかいい銘が決められなくてな。一緒に考えてくれ。使い手となるあんたなら、きっとしっくりくるものを考えつくはずだ」

「……では、紫電から一文字頂きまして閃電というのは」

「あー、それもいいな。俺は隻眼の歌姫から隻影、泡沫の英雄から朧月、なんてのも考えたんだが」

 

 候補ができているならさっさとつけてしまえばいいのに。どうも決めかねてそんなことを言い出したらしい。

 個人的に黒歴史にもあたる隻眼の歌姫を彷彿とさせるのは嫌だし、後者はなかなか風流だがそんな儚く散った史実にちなんでは、すこぶる縁起が悪い。

 頭ごなしに否定するのも何かと、フィオレは新案を提出した。

 

「……なら、紫電から一文字、発祥の地にちなんで紫水。いかがでしょう」

 

 紫電の紫、アクアヴェイルから想起される豊潤な水。この特徴的な淡紫を無視してほしくなかったフィオレの、ささやかな望みが込められている。

 幸いなことに、ウィンターズ氏の反応はまずまずだった。

 

「紫水……か。うん、明鏡止水を彷彿とさせるいい銘だ。それでいこう」

 

 これから銘を彫ると言い出したウィンターズ氏に仕込杖──紫水を渡そうとして。

 店内に激震が走った。

 

「な、なんだ!?」

 

 渡しかけた紫水を握りしめて店外へ飛び出す。

 見やれば街の中も今しがたの震動によって混乱しており、外へ避難した住民達の目は一様に城へと向けられていた。

 彼らの瞳に映っているものとは。

 

「……飛行竜?」

「うわっ、なんだあのドラゴンは? 尖塔に張り付いてやがる……うおっ」

 

 ハイデルベルグ城の真横にある、尖塔に舞い降りたドラゴンが城下に響けと言わんばかりの咆哮を上げ、皆一様に耳を塞がざるをえなくなる。

 鬨の声ともとれるそれは振動を発生させ、城の窓という窓が砕け散った。

 それ以降、飛行竜自体が何をするでもないのだが──

 

『シルフィスティア、視界を貸してください!』

『了解!』

 

 上空を漂う視界が、瓦礫の散乱する尖塔の根元付近へと移動する。

 飛行竜の出現は尖塔破壊に留まることなく、その内部から様々な魔物がなだれ込むように城への侵入を進めていた。

 骸骨剣士あり、中身のない動く鎧あり、空中浮遊する巨大鉱石あり……人間らしい生き物と言えば、突然の襲撃に戸惑いながら対応する城の兵士達ばかり。

 と、思いきや。ひとつふたつと、おそらく人間と思われる影を発見する。

 ひとつは猫科の肉食獣を連れた剣士風。アクアヴェイル産、片刃にして反りのある剣を持ち、軽鎧に猫科の肉食獣を模したと思われる面を被っている。

 そしてもう一人の姿には、残念ながら覚えがあった。

 妙に禍々しく見える巨大戦斧、筋骨隆々の体躯にうねる寒色の髪──バルバトス・ゲーティア。

 飛行竜がどこに保管されていたのか、あるいは引っ張り出されてきたのか。何を思ってハイデルベルグ城を襲ったのか。

 直前に何があったのかもわからないフィオレには、ただこれだけのことしかわからなかった。

 ウッドロウが、狙われている。

 フィリアの時は単独での暗殺だったというのに、今回これだけの手勢を引き連れて戦争さながらに現れたのは何の意味が。

 必ずや何らかの意図があることは明白だが、それを突き詰めて考えるのはやめた。

 シルフィスティアの視界に映る彼らは、城の兵士をちぎっては投げちぎっては投げ、と戦いとすら呼べない交戦を経てどこかを目指している。

 フィリアと違い、己の剣技と弓技を持つウッドロウがそうそう殺されることはなかろうが、相手はあのバルバトス。あれから十八年の年月が経過しているし、当然現役ではないだろう彼の身にはおそらく余る。

 身辺警護の兵士達がいるに決まっているだろうが、この惨状では生きていられるかどうか。

 

『ありがとう!』

「おい、あんた!」

 

 シルフィスティアに礼を言い、フィオレは大通りへ飛び出した。試し斬りもしていない紫水を抱えて、城門まで一気に駆け抜ける。

 飛行竜襲撃を目の当たりにして避難したのか、大通りに人の姿はない。

 城門のすぐ近くにある警邏隊の詰め所も、門を護る兵士も。尖塔へ駆けつけているのか、とにかく人の気配はなかった。

 反射的に不用心だと思って、まさかこうすることで王城の護りを手薄にすることを考えたのではないかと、勘繰りつつも足を進める。

 過去一度だけ侵入し、仲間達と共に進撃したハイデルベルグ城は改築されているのか、あまり覚えがなかった。

 それでも謁見の間の位置は変わらないだろうと、一直線に廊下を駆けて。

 進んだ先にて、フィオレは一日ぶりの再会を果たした。

 

「フィオレ!?」

「新手……か」

 

 荘厳な大広間、防衛に従事したであろう兵士達のほとんどが、血まみれになって倒れている。

 傷つき、端へ避難している彼らを尻目に、カイルら四人は猫科の肉食獣を模した面を被る剣士と対峙していた。

 体格からして男だと思われる剣士の傍に寄り添うは白い毛皮の猫科肉食獣……特徴からして白豹か何かの魔物と思われる。

 剣士はちら、とフィオレに視線をやるも、一見武器らしい武器を持っていないためか、すぐカイルらへ視線を戻した。

 反対に白豹か何からしい四足動物はフィオレに対して警戒し続けている。緑に光彩の入った瞳は、どこまでも険しい。

 

「どうしてフィオレがここに……」

「連れの男の姿がありませんね。ウッドロウ……王のところですか」

 

 カイルの疑問はとりあえず無視、獅噛らしい面の男に向かってそれを尋ねる。

 何の意図があってか、あるいは性格の問題か。剣士はすんなり口を開いた。

 

「そうだと答えれば、汝は何とする」

「かの王の元へ急ぐだけです。肯定するならばより性急に」

 

 よもやカイル達には目もくれず、まるで主を護らんとする白豹の唸りに一層敵意が増加する。

 獣の分際で見上げた根性だが、それが敵となればすることなどひとつだけ。

 試し斬りどころか一度しか抜かれていない、紫水の初陣だった。

 

「フィオレ、と呼ばれていたな。泡沫の英雄の名か……我が名はサブノック、己が信念に命を賭する騎士なり!」

「騎士を名乗るならまず主を護りやがれ……じゃない、何でもないです。そうですか、それでは」

 

 バルバトスが謁見の間に向かったのだとしたら、こんなやり取りをしている間にもウッドロウが危険だ。

 会話を放棄して速やかに足を動かす。

 それを見て、だろう。それまで尾を逆立てて威嚇を続けていた白豹が、その体をたわめるようにしたかと思うと、牙をむき出して跳びかかってきた。

 

「オセ!?」

「躾がなってませんね」

 

 紫水を一閃、突進自体は軽く体を半身に構え回避する。

 オセと呼ばれた白豹がしなやかに床へ着地したその瞬間。ほんの僅かな衝撃、重力の掛かり方によって。白豹の首はごろんと床を転がった。

 

「な!?」

「では」

 

 首を失い、四肢を投げ出して痙攣を繰り返す白豹の骸に注目が集まっているのをいいことに、さくさく大広間を通過しようとする。

 が、流石にそこまで腑抜けではなかったらしい。

 フィオレが背を向けたその瞬間、サブノックは音高く抜刀したかと思うと、気合も高らかに斬りかかってきたのだ。

 

「心眼・無の太刀……!」

「ペットの仇討ですか?」

 

 とりあえず、不意をつくなら静かにした方がいいと思う。

 おそらく何かの剣技を行使したと思われる男の刀をいなして、距離を取る。

 

「我が剣技を軽々いなすとは、相当な使い手と見た」

「ああそうですか、そこをどきなさい。私の要求はそれだけです」

「フィオレ、急がないと! こいつら、ウッドロウさんを狙ってるんだ!」

 

 ──陛下、ではなくてさん付けときたか。事の成り行きを見守る兵士たちに咎めるような風情がない辺り、謁見で何かあったのか。

 それどころではないからかもしれないが、とにかく早目に駆け付けた方がよさそうだ。

 カイルに小さく頷いて、抜き身の紫水を鞘に収める。

 

「何のつもり……」

「こんな雑魚に皆で足止めされるのは業腹です。先に行きますね」

 

 くるりと紫水を回して、穂先──ブラシの先端を相手に向ける。着色され、金属とは思えないしなり具合から単なる箒型の仕込杖だと思ったのだろう。

 サブノックと名乗る自称騎士は憤慨を隠さない。

 

「おのれ愚弄するか、抜け! 我が信念と……」

「またお会いしましょう」

 

 すでにフィオレはサブノックを完全に無視している。激昂し、鋭く斬り込んでくるサブノックの勢いを利用して、フィオレはそのまま顔面を突いた。

 面をつけているためか、箒ではたかれた程度、気にもかけないつもりらしく防御らしい防御はない。

 そして彼は、地獄を見る。

 

「っ、ぎゃあっ!」

 

 針金の束とはいえ、勢いがあればあるほど剣山に顔から突っ込んだようなものだ。

 獅噛の面から露出した顔面を抑えて悶絶するサブノックの横を悠々すり抜けて大広間を突破する。

 全力疾走でもないのに彼らがついてこないということは、サブノックとやらがすぐ正気を取り戻したということだろう。

 今回に限っては幸いだったかもしれない。この先には、おそらくあのバルバトスがいるのだから。

 謁見の間へ行かせまいと立ち塞がったのだろう。死屍累々と横たわる兵士達の屍を踏み越えて回廊を駆け抜ける。

 かすかな記憶を手繰り寄せ、辿りついた謁見の間。駆けあがった階段の先に見えたのは、玉座ではなかった。

 

「……まったく、失望させてくれる」

 

 階段を昇った先、数段高い位置にあるはずの玉座は、巨漢の背中によって隠されてしまっている。

 侵入者にして恐れ多くも王を狙う刺客に対し、数十名の兵が集ったのだろう。

 謁見の間は、そんな彼らが成す術もなく蹴散らされ、木端のように砕かれた跡がある。

 むせかえるような血臭の中、ただ一人立つ巨漢は、戦斧を振るって血糊を払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十四戦——王城にて惨劇~荘厳だった玉座は、緋にまみれて

 ファンダリア城、玉座にて惨劇再び。
 ウッドロウのお父さん、イザーク・ケルヴィン王は現代より十八年前に発生した「神の眼を巡る騒乱」において王城を攻め込まれ、命を落としています。
 それを知っているのは、当時の騒乱に関わったほんの一握り。他者が知る由はありません。
 ウッドロウの惨状を見て、思わず口走ってしまった模様ですが、はてさて。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が英雄か。所詮、ソーディアンがなければ己の命すら護れん紛い物ではないか」

 

 くるり、と巨漢が振りかえる。その拍子に、フィオレは玉座の足元にうずくまる人物がいるのを認めた。

 壮年の男性、に見える。やや青みがかった白銀の髪、印象的な同じ色の髭。過ごした年月のためか、あるいは王としての責務に日々体を酷使しているのか。

 まるで肉を削いだかのように頬がこけているものの、けして貧相な印象はない。むしろ精悍さが増し、堂々たる王としての貫録がそこはかとなく漂う。

 単純に評するならば渋いおじさま、だ。こんな状況でさえなければ、フィオレは彼に見とれていたかもしれない。

 が、現在違う意味でフィオレの眼は彼に釘付けだった。

 すでにその身を害されたか、まとう豪奢なローブはドス黒い血に染まっている。携えていた剣は半ばから折れ、しかし血塗れの手はそれを離そうとしない。

 切れ長の、薄青の瞳は瞼の奥に仕舞われ、ぴくりとも身動きをしない──息をしているかも、わからない。

 

「まあ、極上の美酒を招くきっかけにはなったか」

「ウッドロウっ!」

 

 巨漢が立ち塞がる光景すらも無視して、玉座へと駆け上がる。

 当然のように邪魔をされるも、水平に振るわれた戦斧をかいくぐるようにして避けたフィオレは、そのまま玉座へ到達した。

 

「しっかりしてください! いくらお父様を尊敬していたとはいえ、死に方まで真似なくても!」

 

 耳元で金切り声を上げられたせいか、ウッドロウは整った眉を歪ませている。かすかながら呼吸もあり、生命の鼓動は確かに感じられた。

 絶命していないことに胸を撫で下ろすも、このままでは時間の問題だろう。

 玉座にもたれかかっていた体を無我夢中で抱え、走る怖気や浮かぶ鳥肌をどうにか無視して楽な姿勢を取らせる。

 止血もしたかったが、それは彼に襲いかかった人物が許してくれなかった。

 

「ぶるああぁっ!」

 

 気合一閃。襲いかかる戦斧の軌道を見切り、すれすれで回避に成功する。

 耳元で大気が切り裂かれる、不気味な音をかき消すようにフィオレもまた抜刀した。

 現れた幻想的な淡紫を眼に、バルバトスはつい、と目を細めている。

 

「……麗しいが、貧弱だ。そんなものに惑わされる俺ではないぞ」

 

 貧弱とはご挨拶である。文句は一戦交えてからにしろと、怒鳴ってやりたくなった。

 とことん失望させて相手のやる気を殺ぐのも手。しかし、ウッドロウを瀕死の憂き目にさらしたことによる怒りは、フィオレの理性を確実に弱らせていた。

 後に自己嫌悪に陥ることがわかりきっていても、思わずにはいられない。

 

 ──願わくばこの男に、ウッドロウの痛みを。

 

 魔剣とは比べ物にすらできない紫水の軽さに物を言わせ、俊敏さに特化した突きを見舞う。

 一撃目こそ余裕で受けていたバルバトスだが、二撃、三撃と連なるにつれ焦りのようなものが見え始めた。

 確かに、魔剣に比べて紫水による一撃はひどく軽い。だが、その軽い一撃とて急所に入れば十分すぎる脅威だ。

 人体における急所など、相手が人で、人の構造さえしていればいくらでもある。

 それらを狙われれば防御、あるいは回避せざるを得ないし、それらが目にも止まらぬ素早さで続けばどうなることか。

 繰り出す側と同じ反応速度を持っていなければ、対応はどんどん遅れていく。

 これまでの攻撃全てを防がれていても──否、防がれてこそ。フィオレが企む一手には威力が見込めるのだ。

 

「小賢し──」

「秋沙雨!」

 

 ただ刀を振るっていたのが一転、無数の乱れ突きがバルバトスを襲う。惜しくも戦斧によって防がれてしまうも、これでは終わらない。

 くるりと翻った紫水は、これがまともな初陣とは思えないほどしっくりと、フィオレの手に馴染んでいた。

 

「斬光──蝉時雨ッ!」

 

 更なる乱れ突きに加えて、影分身のように発生する剣気の連打を見舞う。

 あまりの手数の多さに防御し損ね、回避もままならない連打がピタリとやんだかと思うと、膨れ上がった剣気の塊が巨体を吹っ飛ばした。

 巨体はその辺の絵画を滅茶苦茶にするが、別に狙ってしたことではない。

 

「何に惑わされるって? どのような意味であれ、その貧弱な剣に吹き飛ばされたあなたでは、どちらにしても同じことです」

 

 聞いているのかどうかもわからないが、とりあえず嫌みで鬱憤晴らしをしておく。

 乱れ突きにつき急所など狙いもしないことから、与えた負傷そのものは軽微であるはずだ。

 だが、いうなれば準備運動──一応初陣である紫水を気遣ったものである。

 相手もそれがわかっているらしく、立ち上がったバルバトスは含み笑いと共に歩み寄ってきた。

 

「ククク……これだ。戦いはやはりこうでなくてはな。さあ、歯をくいしばれ!」

 

 それまで敵意しかなかったバルバトスから、明らかな殺意が発せられる。

 口元には歪んだ笑み、残忍さすら感じられる瞳には昏い悦びさえ浮かんでいた。

 これから繰り広げられるであろう戦いをまるで目の前に広げられた御馳走であるかのように、唇をぺろりと湿らせている。

 

「さあ……俺の乾きを癒してみせろ、小娘っ!」

 

 うるせー。ばーか。しねっ。

 

 口には出さない。非常に子供じみていることと、この男と必要以上に言葉を交わす意味はない。

 床を踏み抜く勢いで駆ける巨漢を相手取り、フィオレは下がった溜飲もあって冷静に対処した。

 これまで魔剣を使うことで可能だった大味で粗野な戦法を封印し、大振りな戦斧の攻撃を見切り、かわしていく。

 隙間を縫うように繰り出される刺突は鋭く、発生した真空によって微々たる──本当に微々たる損傷を与えていた。

 どんなに小さな傷であれ、人としての痛覚を備えるなら気にならないわけがない。その際生じる隙を起因に仕掛けようという魂胆だった。

 本当なら早目に勝負を終わらせてウッドロウの治療を優先させるべきであることはわかっている。しかし、この巨漢を相手に早期決着を焦るのは自殺行為に等しい。

 ──後々を考えるなら、多少無理をしても撃退を促す形で刃を交えるべきだったかもしれない。

 やがて大広間を占拠していたあの自称騎士を退けたのだろう。カイルを先頭とする一同が謁見の間へ到着した。

 未だフィオレは玉座の足元に横たわるウッドロウをかばっているため迂闊には動けず、足音を聞きつけたバルバトスはちら、と入り口を見やっている。

 

「……オマケどもが勢揃いか」

「お前がウッドロウさんを……くそっ、許さないぞ、絶対!」

 

 謁見の間の惨状を、そして玉座の様子を目にしてだろう。

 ギリッ、と歯を食いしばったカイルが抜刀する。彼の怒りなど気にも留めず、バルバトスは小さく鼻を鳴らした。

 

「無粋な……生憎俺は忙しい。貴様の相手をするほどに、暇を持て余しているわけではない」

「お前の都合なんか知るもんか!」

 

 まったくもって正論である。カイルの反論が癇に障ったのか、バルバトスがじろりと彼を睨んだ、瞬間。フィオレは初めてその場を離れた。

 それまでウッドロウをかばうべく足を一切動かさなかったが、こうなると色々仕掛けられることが増える。

 

「リアラ! ウッドロウ……陛下の治療を! まだ呼吸はあります!」

「ぬぅっ!」

 

 そのまま接敵、一撃を加えてすぐ離れる。優先させるべきはウッドロウの治癒であり、バルバトスの討伐でも撃退でもない。

 こうなった以上は戦線から離さねばと、玉座から距離を取る。

 目論み通りそのまま追ってきたバルバトスを、このまま謁見の間から出した方がいいかと考え──フィオレは息を呑んだ。

 バルバトスの目はフィオレを追っている。それをいいことに、カイルが横合いからの攻撃を仕掛けようとしていた。

 あわよくば、聖堂での戦いを再現せんと狙ったのだろうが……残念なことに、それが通じるような相手ではない。

 

「この戦いを汚すか、恥を知れ小僧!」

 

 バルバトスは難なくカイルの目論みに気付き、戦斧を一閃させている。

 今にも斬りかかろうとしている少年にあの一撃は防げない。

 彼は防具らしい防具もつけておらず、よしんば着けていたとして鎧を着込んだ兵士をも蹴散らした一撃なのだ。果たして生身の体が耐えられるかどうか──

 そんなことを無意識に考えながら、フィオレは迅速に行動した。

 紫水を振るい、押し倒す勢いでカイルに抱きつく。

 勢いがあり過ぎて本当に押し倒すような形になってしまうものの、気遣う余裕はない。

 

「……馬鹿な」

 

 もみあうような形でカイルと共に床へ倒れ込んだフィオレを見て、バルバトスは驚愕を覚えたのだろう。

 何が起こったのか、判別こそつくが認めがたいと言わんばかりに首を振った。

 

「信じられん……そんなガキ一匹を生かすため自らを盾にするなどと、愚かもいいところだ」

 

 とっさに身をひねったため、何とか内臓は守った。背骨も、折れるまでには至らない。

 しかし、半ばまでめり込んだ戦斧の、肉厚の刃は背中を直接焼かれているような感覚を生じさせている。

 感覚を確かめないようにしながら、紫水を掴んでバルバトスと対峙する。

 足まで伝う液体の感触、一気に増した血臭、そして患部を見たカイルの驚愕の声も全て知らないことにする。

 

「あ……あ……!」

「ひっ……人を馬鹿だの、愚かだの言う前に、己を、顧みなさい……!」

 

 ごろんと転がる戦斧に片足で蹴りを入れつつ、まだ気づいていないらしいバルバトスにそれを通告した。

 不思議に思わないものなのか。常に手にする武器が、今だけ己の手から離れていることを。

 不思議に思わなかったのだろうか。それまで鎧ごと破壊していた一撃が、生身の女の体を寸断せず、めり込んだ程度で済んでいるのかを。

 直視して、バルバトスは目を見開いている。

 それまで戦斧を握っていた手がない。手首から先は絶えることなく、命の雫がたらたらと垂れ流れている。

 手首から先は、転がった戦斧の柄を未だしっかと握りしめていた。

 ──気付かぬ内に手首を寸断されていたのである。これでちょっとは、慌ててくれるかと思っていたのだが。

 

「ハッ、なるほど! 肉を切らせて骨を断つのか、本当に愉しませてくれる……! やはり極上の美酒を一息で飲み干そうなど、愚の骨頂だったな!」

 

 ──ああ、もどかしい。

 今自由に体が動くなら、そっ首叩き落としてやるところなのに。

 背中に灼熱を背負ったフィオレにできることなど、攻撃されぬよう言葉を使うこと、意識を失わぬよう虚勢を張ることくらいだった。

 

「……意味が、わかりません」

「戦場にて咲く稀有な花は愛でるものか……摘み取るには惜しすぎる」

 

 駄目だ。もう人の話を聞いていない。

 今渾身の力を振り絞ればなんとかなるかもしれないと、つっぱるような感覚の腕を持ち上げ紫水を構える。

 しかし、残念なことにバルバトスは悠然と敵前逃亡を始めていた。

 

「今日の俺は、紳士的だ。その女に免じて退いてやる。この俺と戦いたくば、まずは足手まといとならぬことだ。ククク……ハーッハッハッハッ!」

 

 ついでとばかり、カイルを傷つけていくことを忘れない。

 呆然と、傷ついたフィオレを見つめるカイルを高らかに嘲笑し、巨漢は生じた闇の球体へその身を躍らせた。

 後に残るのは血にまみれた戦斧と、その柄をしっかり握る手。

 バルバトスの気配が完全になくなったことを確認して、フィオレは全身に及ぶ緊張が綻びていくのを感じた。

 それに伴い、背中の灼熱感が激痛へと移行していく。

 

「ぐ、うぅ……!」

 

 耐えがたい痛みにフィオレがその場にうずくまると、呆けていたカイルが慌てて駆け寄ってきた。

 

「フィ、フィオレ……!」

「……お元気そうですね」

 

 鞘に収めた紫水を抱き寄せるようにしながら、体を縮こませて激痛に耐える。

 久々に味わった気の遠くなるような痛みだが、カイルをかばったことに加え体をひねって被害を最小限に食い止めたにつき、死に直結するものではない。

 代償として、とんでもなく痛いが。

 苦しい息の中でカイルが無傷であることを知り、フィオレはホッと息をついた。

 

「よかった」

「よ……よかったじゃないよ! オレをかばってこんな大怪我したのに!」

「そうですよ? だからあなたが無事で、ホッとしてる」

 

 それが目的でかばったのに怪我などされたら、それこそ意味がない。

 駆け寄ってきたリアラにウッドロウの治癒を優先するよう頼む。

 この程度ならば譜歌で十分癒せるだろうと、以前作成していたアクアサファイアもどきを取り出そうとして。

 

「……あいつの手を斬り落とすくらいだったら。なんでバルバトスがオレに気を取られている時を狙わなかったのさ」

 

 ──以前は退けたことを素直に喜んでいたのに、今回のひきずりようは足手まといよばわりにあるのか。

 カイルの顔は口惜しさと、それでいて察しがたい感情に溢れている。

 

「バルバトスの首とあなたの命では、割に合いません」

「フィオレはオレが殺されるって思ったのかよ! フィオレだって大怪我したけど生きてるじゃんか、オレだって……」

「私はそうは思わなかった。そういうことです」

 

 バルバトスの一撃に対し、カイルはまさに無防備だった。

 おそらく聖堂での戦いを再現しようとしていただけ、標的にされて防御、あるいは回避など対処の気配は感じられなかったのだ。

 だからこそ、相手の隙を最大限生かせる方法を取った。

 回復不可能な負傷によって撤退を促し、尚且つカイルを護る。代償としてフィオレは相応の負傷を受けたわけだが、この程度なら予想範囲内だ。

 それを指摘されて、カイルは唇を真一文字に結び、ギリ、と奥歯を鳴らしている。

 少年の心中は計り知れなかったものの、フィオレにできるのはこの謝罪だけだった。

 

「──ごめんなさい。私が、弱くて」

 

 己にもっと確かな腕があれば、ウッドロウを護り切ることができたはずだ。

 バルバトスがウッドロウやフィリアに襲いかかる前に始末することは、可能だったはずである。

 何より──フィオレの行動如何によっては、カイルはあの男の存在を知らずに済んだはずなのに。

 

「今、なんて」

 

 他の誰よりも己の弱さを自覚するフィオレの謝罪を聞いた途端。カイルの顔色が、まるで炎を灯したように紅潮した。

 何を言ったのか繰り返そうとしたフィオレを遮り、憤然と立ち上がる。

 

「フィオレなんか大っ嫌いだ! バルバトスとやりあえるくらい強いのに、何でそんなこと言うんだよ! あ、足手まといのオレに対する厭味なら──!」

 

 叶うなら今一度。彼の頬に一撃入れてやりたい。

 けだるい体を理由にそれをせず、立ちあがった彼を見上げて。フィオレは淡々と言葉を返した。

 

「私が申し訳ないと思うのは、あんな最低な奴すら下せない私の未熟さです。あいつの判断がどうとか、そういう問題じゃない」

「っ!」

 

 気が、遠くなる。

 命の雫を失い過ぎたか、薄れゆく意識を追いながら。フィオレは大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイルの激昂などものともせず、フィオレは淡々と彼に何事かを呟いて脱力してしまう。

 駆け寄ったジューダスが容態を確かめ、回復晶術の使い手を呼ぼうとしたその時。

 

「フィリアさんに続いて、ウッドロウさんまで……」

 

 ウッドロウ王へ駆け寄ったロニに呼ばれているにも関わらず、リアラはただ呆然とその光景を見つめていた。

 血みどろの人間を間近で見て怯えているとか、そういう様子ではない。

 

「……! まさかこれは全部、あの人の仕業なの……!?」

「だとしたら何だというのかしら? リアラ……」

 

 聞き取りにくい少女の呟きに答えたのは、聞きなれない女性の声だった。

 誰何の声が上がるよりも早く、異変は謁見の間の片隅にて生じる。

 バルバトスのそれとは真逆にして対照的な白光の球体が発生したかと思うと、その中から人影が現れた。

 ぞろりと裾を引く特徴的な神官服、透かし飾りも美しい丈の長い帽子、稀代の彫刻家が彫り上げたが如き完璧な容姿……それゆえ人の温かみが感じられない美女。

 現れたエルレインは音もなく床へ降り立ったかと思うと、ついと玉座を見やった。

 

「なるほど、実に彼らしい。どんな英雄でも容赦はないということか……あの時素直にレンズを渡していれば、こんなことにはならなかったものを」

 

 何故ここにエルレインがいるのか、その仕組みは唯一人を除いてわからない。

 ただその発言は、何よりも雄弁な事実を一行に示していた。

 

「エルレイン! あなたは間違っているわ! こんなやり方で、人々を救えはしない!」

 

 思わぬ事態にただ見守るしかない一同を尻目に、リアラが彼女の行いを糾弾するも、エルレインのたった一言でリアラは言葉を詰まらせた。

 やりとりからして荒唐無稽なものを感じるが、やはりそれどころではない。

 戸惑うカイルに事の成り行きを見守るジューダス、行動を起こせないフィオレ。この面子の中で事情の欠片を把握したらしいロニが、おもむろに槍斧をかまえた。

 

「わからねえことだらけだが、あの女が黒幕だってことは確かだ。覚悟しろエルレイン!」

 

 悠然とその場に佇み、ロニの怒気など一切反応せず、エルレインはあらぬ方向を見やっている。怒り心頭のロニがそれに気遣うわけもなく、一見無防備なエルレインへと迫った、その時。

 どこからともなく人影が現れたかと思うと、影はロニの眼前に立ち塞がった。

 葡萄酒色の髪を後ろへ撫でつけた、神団騎士のいでたち。

 

「エルレイン様には指一本触れさせん」

 

 司祭長たる彼女直属の護衛らしき男は、いとも簡単にロニを吹き飛ばした。

 ぐったりしているフィオレを無言でカイルに押し付けたジューダスが双剣をふるうも、他ならぬエルレインが軽く腕を薙いだだけで弾かれてしまう。

 幸い二人とも軽傷だが、実力差は明らかだった。早々、仕掛けることはできない。

 そんな中、まるで動じていないエルレインはあくまでリアラを見つめていた。

 

「人々の救いは神の願い。それを邪魔するものは誰であれ、容赦はしない」

「いやっ、やめて! わたしはまだ、ここで果たすべき使命が……!」

 

 己の首元に手をやるエルレインに、リアラの懇願を聞き入れる素振りはない。

 直後、その高い襟元から何かが発光した。それに合わせ、まるで共鳴しているかのようにリアラのペンダントも輝き始める。

 

「未だ何も見いだせぬ者にここにいる意味はない……帰るがよい。弱き者よ」

 

 絹を引き裂くような少女の悲鳴が空しく木霊する。

 エルレインの出現を巻き戻すかのような光景──リアラの姿は眩い白光に包みこまれた。

 直感、あるいはバルバトスやエルレインの出没で悟ったのだろう。カイルは彼女の名を呼び、躊躇なく光の中へ飛び込んだ。

 心なしか、光が縮小していく。

 

「カイル! リアラ!」

「追うぞ!」

 

 フィオレを抱えたジューダスの一喝に、答えるまでもなく。二人もまた、目のくらむような光に向かって走り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十五戦——初めて(?)の時間旅行~ここはどこぞ?

 フランブレイブの聖域~inホープタウン。
 エルレインによるリアラ強制送還に巻き込まれるというか巻き込まれにいった形で、現代より十年後の世界へ。
 ロニとジューダスと再会。そしてここで、久々の新キャラ。というか以降パーティ入りするメインキャラクター。
 後にロニをリア充に変える、ナナリー姐さんの登場です! 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、気付く。

 足元は、周囲に溶岩がたゆたう孤島だった。何となく、見たことがあるような風景なのは気のせいか。

 これまでの記憶がないわけではなかった。年中常冬、雪のない景色の方が珍しいファンダリアにいたはずなのだが。

 どうにかこうにか、無様だったがバルバトスを撃退した後の、朧な記憶を穿り返す。

 エルレインが現れ、リアラと意味深な会話を交わした後、少女を何処かに転移させた。させまいとカイルが飛び込み、確かジューダスに連れられてフィオレもまた光の中へ飛び込んだ。

 あの力の作用が一切わからないので推測するしかないが、リアラ一人を何処だかに帰そうとして何人も巻き込んだから、予定外の事態に座標が狂って……今フィオレは一人なのではないかと、適当に考えるしかない。

 まずは、現在位置確認なのだが。

 

『シルフィスティア、視界を貸して……』

『フィオレ。ここ、フランブレイブの聖域だよ』

 

 さらりと投げかけられたシルフィスティアの返事に、妙な覚えの正体を知る。

 まだフィオレが何も知らず、ただ守護者と契約をするために行動していた頃。適当な口実を作ってカルバレイスへ訪れた際招かれた、彼の聖域だ。

 

『聖域?』『フランブレイブの?』『姿がないよ?』『あいつに、封印されちゃった?』

 

 シルフィスティアの言葉に反応したように、アーステッパー達の囁きが脳裏を木霊する。

 それまで契約をしていなかったため、状況をよく知らないようなことを言っていた彼らだが、契約を交わしたことでフィオレを介して他の守護者との接触が可能となったようだ。

 それにしても。

 

『アーステッパー。あいつって、シルフィスティアやアクアリムスを……』

『それは聞きたいこと?』『それなら答えるけど……』

『もちろん、ボクの眷族をたぶらかして、アクアリムスの依代を魔物の体内に封印した敵対勢力のことだよ!』

 

 話は最後まで聞いてほしいと思う。シルフィスティアから得たい情報を得て、小さく息を吐く。

 それにしても、今回招かれたせいでないからか、聖域は静かだった。

 たぶらかされたフランブレイブの眷族が襲ってくるわけでも、いきなり溶岩が津波のようになって襲いかかってくるでもない。

 その代わりとして、移動もできない。フィオレが立つのは溶岩の海の孤島で、見渡す限りドロドロのマグマが煮えたぎっている。普通の水、海水ならともかく、足を踏み入れた瞬間死ねる。

 とはいえ、ここでこうして突っ立っていても何も始まらないのだ。アーステッパーに足場でも作ってもらおうかと考えたその時。

 

『フィオレ。フランブレイブの気配がします』

 

 普段から口数の少ない、湖面のように物静かなアクアリムスの声が聞こえる。

 発生源を尋ね、それを聞いたフィオレは仰天してしまった。

 

「み、水の中! 炎を司る守護者が!?」

『正確には彼の依代が、水中に在るようなので。少々、失礼しますね』

 

 チョーカーに下がった涙滴型の輝石が光ったかと思うと、アクアリムスの姿が現れる。

 人間でも凄まじく感じる熱気に水の守護者たる彼女には途方もない暑さなのか、驚いたことに彼女は滝汗をかいていた。

 

『大丈夫なんですか?』

『依代がフィオレと共にあるから、少しくらいは平気です。けれどもフランブレイブは苦しんでいる。それこそ、発狂してしまいかねないほどに』

 

 命というものがなくても、いやないからこそ。人を凌駕する高い知性を持つ守護者が狂うことは稀にあるらしい。

 そんなことになれば未曾有の大災害を招くだろうと聞かされ、フィオレは戦慄した。

 

『火山が活性化して、ここら一帯が火の海になるとか……』

『それどころか、世界中に存在する炎が守護者の制御を離れて暴走すると思う。火は燃えることが本質だから、それが止まらなくなるんじゃないかな』

 

 そんなことになったら、人類は確実に滅びの一途を辿ることになるだろう。たとえ未曾有の大災害から生き残ったとしても、火を使わずして人が生きていけるとは到底思えない。

 フランブレイブが発狂する、その恐ろしさを想像している間にもアクアリムスは彼の依代を探していた。

 以前は見なかった聖域の石碑へ手をかざし、瞑想しているように見える。

 

『ああやって、フランブレイブの気配を探してる』『アクアリムスとフランブレイブもまた、真逆の存在だから』

『……居所が、判明しました』

 

 小さく呟くなり、彼女はその姿を唐突に消した。

 正確には瑠璃色の球体へ戻り、暑さから逃れるようにチョーカーへその身を投じている。

 

『お疲れ様です。フランブレイブは、何処に?』

『冷たい清水……海水ではなく、湧水の中に投じられているようです。場所はこの大陸内部に存在する、小さな集落』

 

 チェリクは港町で大陸内部ではないし、カルビオラは聖地と呼ばれる場所であって集落ではないらしい。残るのは──ホープタウン、だけ。

 十八年前の騒乱後に出来た集落らしいが、とにかく速やかに向かう必要があった。

 

『それで、ここから出るには一体どうすれば……』

『それは簡単。フィオレが起きればいいんだよ!』

 

 唐突にシルフィスティアから奇妙なことを告げられ、フィオレが瞬きをしたその時。

 いつの間にか、見たこともない場所で横になっていた。

 硬くゴツゴツとした、申し訳程度に麻布のようなものが敷かれた寝台だろうか。岩から切り出したものらしく、ひんやりしていて気持ちがいい。

 ……考えてみれば、あんな風に守護者達が自発的に話しかけてくることなど、過去一度としてなかった。

 皆大概眠っていて、フィオレが話しかけたその時に返事を寄越す程度なのだから、何かが変だと思うべきだったのに。

 まるで何日も寝たきりだったように、体が強張っている。

 倒れているところを保護されたのか、負傷した背中には包帯が巻かれ、民間療法的な手当てがなされていた。

 ただ──それでも傷は塞がっていないのだろう。少し動いただけでじわりと染みるような感覚があり、被服をあまり着たくない。フィオレは傍にあった荷袋から薄手の外套を取りだした。

 枕元のキャスケット、立てかけられていた紫水を手にとって、光が差し込む出口へよろめくように歩み寄る。

 そこに広がっていたのは、小規模集落と思われる情景だった。

 フィオレが寝かされていた場所と同じような、岩をくり抜きあるいは組んで作ったような家屋に、照りつける日差し。足元は石畳であるものの、この殺人的な日差しは間違いなくカルバレイスの気候だ。まず状況を知るために、外へ出る。

 見張りもなければ拘束もない、こののどかな雰囲気からして、保護されたのは間違いないようだ。

 あまり外部と交流はないのか、ジロジロと無遠慮な視線を感じる。旅人との交流があまりない辺境の地、潮騒が聞こえない辺り内陸に位置する──

 この集落のどこかに、フランブレイブが閉じ込められているのかもしれない。

 とりあえずはこの集落を一望してみようと、高台を目指してささやかな坂道を登る。

 途中澄んだ清水をたたえた井戸を見つけたが、井戸の中に生身の人間が飛び込もうものなら、殺されても文句は言えない。

 と、そこへ。

 

「怪物め、観念しろ!」

「卑怯だぞ、正々堂々戦え!」

 

 子供と思しき数人の息巻く声が聞こえて、脇の洞穴を覗きこむ。怪物というか魔物というか、それにしてもそれらしい気配はないからだ。

 そしてフィオレは、ひんやりした洞穴の中子供達と戯れる二つの背中を見つけた。

 この気候でも十分快適に過ごせそうな、軽装備のたくましい背中。

 闇色の外衣に覆われ、時として背負われた棒状の何かが垣間見える華奢な背中──

 

『え、フィオレ!?』

 

 判然としない視界で認めたのか、シャルティエの驚愕が脳裏に響く。

 直後、それまで背を向けていたジューダスが首をひねりそうな勢いで振り返った。

 一際白く見える竜の頭骨を模した仮面、この気候ではさぞ蒸れるだろう重装備の出で立ち……シャルティエのこともさながら、間違いなく本人である。

 

「ご無沙汰しています、ジューダス。元気そうで何より」

「この近辺にいたのか、探したぞ」

 

 と、言われても。

 そもそも、同じ集落内にいたことを彼らは知らなかったのだろうか。

 そうこうしている内に、自分一人が子供達の標的になっていることに気付いたロニが駆け寄ってきた。

 

「こぉらジューダス、俺一人に押し付けんな……って、その帽子に箒。フィオレか?」

「ええ。ところで、何でこんなところでチャイルドシッターをしていらっしゃるので?」

「まあ、ちょっくら訳ありでな。ところでお前、カイル達を知らねえか?」

 

 カイル達、ということは、リアラもここにはいないのか。

 フィオレは首を横に振って見せた。

 

「そっか……にしても、あんな大怪我でよく「そもそも、私は今さっき目が覚めたところなんです。二人がそんな反応だということは、私を保護して治療してくださったのはあなたたちではないんですね」

 

 ジューダスだけならともかく、ロニがいるなら治療は晶術を用いているだろう。もとよりその可能性は低いと思っていたが、ならば一体誰が。

 フィオレの言葉を聞き、いぶかしげに眉を歪めたジューダスがおもむろに洞穴から出た。

 何をしていたのかは知らないが、子供達のブーイングを聞かなくてもよろしいのか。

 

「おい。どこから出てきたのかわかるか?」

 

 洞穴の前が高台であるにつき、集落全体が一望できる。

 緑豊かなオアシスに目を惹かれながらも、フィオレは自分が出てきたと思しき民家を指した。

 

「あそこですね。あの赤い天幕の」

「あそこって……ナナリーの家じゃねえか。何であいつ、俺達に隠して……」

 

 どうやら彼らも知る人間、というか知り合った人間の自宅らしいが、ロニもジューダスもそのまま話し合いを始めてしまい、聞き出せそうにない。

 少し見ないうちに大分仲良くなったという印象の二人を追って、ぞろぞろ出てきた子供達に話しかける。

 

「何やってんだよ、ロニもジューダスも!」

「怪物役が逃げちゃったら何にもなんないじゃんか」

「真面目にやんないと、晩メシ抜きだぞー!」

 

 一体何をして遊んでいたのやら。怪物役ということは、化け物退治ごっこか何かか。

 見慣れぬ人間の登場に子供達……少年達は戸惑いを見せたものの、彼らの知り合いだと知るや否やその気後れはあっけなく消えた。

 

「やった! 怪物役がもう一人増えた!」

「……チャンバラじゃ駄目ですか?」

「ダメ! だってこれ、訓練だもん。その内オレ達も大人と一緒に狩りに行かなきゃいけないんだからさ」

 

 ただ遊んでいるのではなくて、本番の狩りに備えて予行演習ときたか。色々突っ込みどころは満載だが、とりあえず。

 

「あの二人は今忙しいそうなので、私が相手です。彼らと話したければ、私の屍を越えていきなさい」

 

 ちょうど、信じられないほど体が鈍っていたところだ。複数人数いたところで、相手は子供。負傷もちょうどいいハンデである。

 傷に触らない程度に体を軽く動かし、鞘入りの紫水をくるりと回して石突を下へ向けた。間違って穂先で殴ろうものなら、親に怒鳴りこまれること間違いない。

 当初こそ戸惑っていた少年達だが、これも訓練になると思ってだろう。剣に見立てた木の棒を手に手に、殺到してきた。

 

「くらえー!」

「嫌です」

 

 振り回された木の棒を捌いて、そのまま手首に一撃入れる。

 肉も皮も薄い子供の手首だ。握力を奪うのは簡単だった。

 

「いだっ!?」

 

 かろん、と音を立てて、木の棒を取り落とす。

 それを皮切りに他の少年達が、いっちょまえに波状攻撃を仕掛けてくるも、実に単調なそれに苦戦はありえない。

 中には利き手と逆の手で棒を握る、あるいは素手で突貫してくる気骨のある少年も居はしたが、棒を持っていれば結果は同じ。体当たりはすっ転ばせるだけで済む。

 

「くっ!? このねーちゃん強えー……いや、にーちゃん?」

「ナナリーねえちゃんとどっちが強いかな?」

「怯むなー! 一斉にかかれー!」

 

 ──子供達との遊びは戦い、することは単調で、しかし手加減は忘れてはいけない。怪我をさせるなどもっての他だから、これはこれで疲れる相手である。

 と、話しこんでいる彼らを尻目に生意気盛りの少年達と戯れていた最中。

 

「あんた達、ちょっと待った! ストーップ!」

 

 威勢のいい女性の声が響くと同時に、子供達の動きが停止した。

 彼らが一様に目を向ける先は、フィオレも上ってきた緩やかな坂である。

 すわ保護者の登場かと、構えていた紫水を下ろして子供達と距離を取ったフィオレは、ひとつ瞬いた。

 燃えるような赤毛を左右で結い、カルバレイスの気候に合わせてか、刺激的な薄着の女性である。女性といっても、まとう雰囲気からして少女と女性の狭間程度か。

 リアラの様相も極端な薄着だと思うが、こちらは締まるところが締まったメリハリの効いた体であるため、挑発的といってもいい。

 それでいて下品からは程遠く、健康的で勝気な印象があった。少々きつい印象を与えがちな猫のような眼も、目尻が垂れ気味のフィオレにはうらやましい。

 どことなくルーティを思い出す女性は、一人の少女に連れられ、大急ぎで坂を駆け上がってきた。

 それにしても、少女がフィオレを指して何事か女性に告げているのは気のせいか。

 まさか、見慣れない不審者を見つけたということで、手近な大人を連れてきたとか──

 やってきた女性は少女の言うことにひとつ頷くと、つかつかとフィオレに歩み寄ってきた。

 しかし、その前に。

 

「ナナリー! お前、こいつがいるの隠してただろ!?」

 

 女性の登場に気付いたロニが、ジューダスが駆け寄って行った。

 ナナリーとは、先程民家を指した際に呟いていた名だ。ということは、彼女がフィオレを保護して治療まで──

 

「フィオレのことは前もって話したはずだ。どうして隠していた?」

「隠してたことは謝るけど……今はそれどころじゃないよ! あんたらの話は後!」

 

 ジューダスに痛いところを突かれた女性……ナナリーはバツの悪そうな顔を見せてから力尽くで彼らをどかした。

 よくよく見るとその腕は、女性らしいものでありながら某弓使いの王女と同じ特徴を備えている。

 王女であったものの一流の弓使いでもあった彼女は、鍛えるほどに立派になっていく二の腕を女性としては恥じており、それを隠すような服装を好んで身につけていた。

 ナナリーもまた二の腕まですっぽり隠すような革手袋を身につけており、脱いだら凄いのかもしれない。

 彼女は再びつかつかとフィオレへ歩み寄ると、突然肩に手を置いてきた。

 背中……左の肩甲骨が、じくりと痛む。

 帽子の下の歪んだ表情をまじまじと見て、ナナリーは口を開いた。

 

「やっぱり、目が覚めたんだね!? でも駄目じゃないか、ふらふら出歩いたりしちゃ!」

「……えっと」

「あんた、あんなとんでもない大怪我してたんだから──さ、帰って家で包帯取り替えるよ!」

 

 がし、と右手を掴まれたかと思うと、予想以上の握力でぐいぐい引っ張られる。

 怪我のこともあり、少々息の上がっていたフィオレはとりあえず逆らわないことにした。

 ただ、とりあえずこれだけは。

 

「えーと、ナナリーさん?」

「ナナリーでいいよ。ところで──」

「私、フィオレといいます。危ういところを助けていただき、ありがとうございました」

 

 何かを言いかけるナナリーを制して、まずは助けてもらったらしいということでお礼を言う。改めてフィオレを見やったナナリーに、更に言葉を重ねた。

 

「ロニとジューダスとは知り合いです。彼らの話からして、私のことを隠していたようですが……何かあったんですか?」

「知り合い……じゃあその怪我は、ロニにやられたもんじゃないんだね」

 

 なんでいきなりそうなるのか。首を傾げるフィオレに、ナナリーは彼らがいないことを確かめて耳打ちしてきた。

 

「あんたを見つけた時、そうやって顔は隠してるしひどい怪我だし、誰かに追われてるのかなって思ったんだよ」

 

 その推測は断じて間違いではない。が、次なる彼女の言葉を聞いて、思わず脱力してしまった。

 

「数日後、ロニとジューダスがここを尋ねてきたんだよ。『ここはどこだ』とか『エルレインに飛ばされた』とか奇妙なことは抜かすは、ロニが持ってるのは槍斧(ハルバード)だろ? あたしはてっきり、あいつにやられたもんかと思いこんじゃって……」

 

 更に彼らは人を捜していて、その中には保護したフィオレの特徴もあった。

 しかし、ナナリーはフィオレの身を案じ、フィオレ自身が目を覚ますまで隠しておこうと決意してくれたらしい。

 

「確かにこの傷は斧使いにつけられたものですが、ロニではありません。でも、心配してくださってありがとうございます」

 

 そのまま連れ立って歩くようにしながら、それとなく情報を得ようとして──徒労に終わる。

 何故なら彼女はすでにロニやジューダスから今に至るまでの経緯を聞いており、半信半疑でそれをフィオレに確認してきたのだから。

 

「……っていうことらしいんだけど、本当なのかい?」

「お疑いになる気持ちは察しますが……否定すると嘘になってしまいます」

 

 驚愕を隠さないナナリーと共に彼女の家へ邪魔し、ナナリーの指示に従って包帯を解く。

 その最中、彼女はまじまじとフィオレの顔──キャスケットに隠されたそこを見つめた。

 

「悪いとは思ったけど、あんたの顔は見たよ。何で仲間にまで隠してるのか、聞いてもいいかい?」

「──ロニもジューダスもうるさいからです」

 

 他にも理由など探せばいくらでもあるが、単純に挙げればこの一言に尽きる。

 抽象的なその一言に、ナナリーはフィオレの患部にツンと臭う軟膏を塗りながら吹き出した。

 

「あの二人がうるさいって……綺麗な顔だから、ちょっかい出してくるってことかい?」

「ロニはそうかもしれませんね。ジューダスは……わずらわしく思うでしょう」

 

 至極適当に話しながら、軟膏を塗り終えて手を拭くナナリーに、姿見のようなものはないかと尋ねる。

 使用許可をもらって、フィオレは包帯を巻く前に姿見の前に腰を降ろした。

 

「包帯なら、あたしが──」

「いえ。包帯で抑えるには少し大きすぎますから、仮留めをしておこうかと」

 

 あまり医療関係に明るくないのか、不思議そうにしているナナリーをさておいてフィオレは針を取りだした。

 針の先を火で炙って滅菌消毒し、糸──肉体に癒着しないよう特殊な加工の施された糸を通して、おもむろに患部に突き刺す。

 

「な!」

「仮留めというか、仮縫いですね。包帯を巻くのはもう少し待っていただけますか?」

 

 鏡を使い、柄の長い特殊な針でピンセットを使っているものの、背中の仮縫いなど限度というものがある。更に麻酔を使っていないためよく手元が滑り、ガタガタな縫い目になってしまったが仕方ない。

 あのオアシスに行くまでの我慢だ。

 滝汗の額を拭ってナナリーに手伝ってもらいながら、包帯を巻き直す。

 更に新しい晒で患部を固定していると、訪問客が訪れた。

 子供達をどうにか出し抜いてきたであろう、ロニとジューダス。

 どうやら二人のことは忘れていたらしく、ヤバ、と小さく呟いた彼女にフィオレは小さく囁いた。

 

「私が誤魔化します。適当に合わせてください」

「え……」

「子供達の相手はよろしいので?」

 

 中身が少なくなり軽くなった救急箱をナナリーに手渡し、何食わぬ顔で外套を羽織って、扉代わりの垂れ幕から顔を出す二人を出迎える。

 あれから時間をかけてやってきたということは、おそらく子供達の妨害にあっていたのだろうが。

 

「ああ、今あいつら釣りに行ってるからな。問題は……」

「そのことですが、どうも私が彼女にそれを頼んだらしいんですよ」

 

 今度こそ事の真相を探りに来たのだろう。そんな二人にさっくり切り出せば、彼らは困惑をあらわにした。

 おそらくナナリーもそうだが、顔に出していないことを祈る。

 

「お前が? 先程目を覚ましたばかりだと」

「私も覚えていませんが、彼女は私にそう頼まれたらしいんです」

 

 彼女に連れられ、事情を知った時から練っていた捏造を、さも事実であるかのように語る。

 とはいえ、もしフィオレが起き上がれもしない状態で目を覚ましていたら、それを頼んでいたことだろう。

 

「こんな有様でバルバトスに襲われても困ると思ったのではないでしょうか」

「……何故推測なんだ」

「私だって覚えていないからです。とにかく自分は追われているからかくまってほしい、みたいなことを口走ったんでしょう。違いますか、ナナリー?」

「えっ? うーん、まあ……そんな感じ、だったかな」

 

 彼女が至極素直な人間であることはわかった。

 二人がとりあえず納得したところで、置き去りだった荷物に手を伸ばす。

 

「さて、大変お世話をおかけしました。何のお礼もできませんが、せめて居候は出て……」

「あーっ、ちょっと待った。ロニとジューダスも、上がって!」

 

 ひとまずロニとジューダスが確保している拠点に身を寄せようとして、ナナリーに止められる。

 一体何事かと話を聞いて、フィオレはおうむ返しに呟いた。

 

「アイグレッテに?」

「ああ。言いにくいけど、あんたの治療で包帯やら薬草やら大分使っちまったからね。ここホープタウンに行商はこないし、チェリクにも多分ないだろうから、あたしはこれからアイグレッテに行くんだよ」

「あの、買ってきましょうか? 買い出しリストさえいただければ、お使いくらいは。もとは私が使い込んだ代物ですし……」

 

 いたたまれなさに挙手をして、あえなく却下される。何でも、程度こそ違うが三人とも怪我人につき、お使いはおろか、お供も結構だと。

 二人の怪我とは、エルレインらにやられたものだろうか。

 それでもうら若い女性の一人旅はいかがなものか、と苦言を呈して。

 

「こいつはうら若い女性なんてタマじゃねえよ。どっちかってーと目をつけた怪物が哀れ……のぎゃっ!?」

「何か言ったかい、ロニ~?」

 

 あれよあれよと言う間にナナリーの腕がロニの体に絡まり、関節を砕かんばかりに締め上げる。

 その素早さ、巧みさにフィオレは呆気に取られるしかなかったが、ジューダスはまったく動じていなかった。

 

「この村へやってきて、この馬鹿は情報収集と称し、発情期の猿が如くナンパを始めてな。あまりの暴挙にナナリーが割って入って、以来こんな調子なんだ」

「あだだだ! 痛ててて! 肩がもげる、怪我に響く~!」

「フン! まったく、だらしないねえ。フィオレを見習いな!」

 

 怪我のことを出されてか、ナナリーはあっけなく技を解いている。床に突っ伏し、悶絶するロニなどおかまいなしで、彼女は話の続きを再開した。

 

「治療のお礼なら、静養を兼ねてあたしの家の留守を預かってほしいんだ。ある物勝手に使ってくれていいからさ」

「そんなのお安いご用ですが……」

「よし決まり! じゃああたしはこれから旅支度をするけど、あんたらはどうする?」

 

 これからバタバタするが、自分の家で積もる話をしてくれても構わないし、村を見て回ってもらいたいというのもあるらしい。

 一瞬の間を置いて、後者を選択したフィオレは一旦ナナリー宅を辞した。

 見て回るといっても、狭い集落だ。岩山の連なる地形を利用した民家や猫の額ほどの畑など、見るものはかなり少ない。

 先導を二人に任せて、フィオレはこれまでの説明を二人に頼んだ。

 

「……斬られて、その後のことは覚えているか?」

「うろ覚えですが、あのエルレインというアタモニ神団の長が現れましたね。それで意味深なことを呟いて、リアラを……」

「奇跡の力でリアラを飛ばそうとしたところに、僕達も割り込んだ。そのせいか何か知らないが、気が付いたらここカルバレイスにいたんだ」

 

 砂漠のど真ん中で立ち往生していたところを、ナナリーに助けられたのだとか。

 当時エルレインとそのお付きによって負傷していた二人は、普通の旅人だと思われて助けられたらしい。

 しかし、雪国からいきなり猛暑の地に転移させられ、格好に違和感が発生しないわけがない。その辺りに話が及んだ際、彼女に全てを話したのだという。

 

「ジューダス……それはあまりに軽率」

「僕はお前みたいに口が立つわけじゃないんだ。下手に嘘をつくよりはいいだろう」

 

 確かにそうかもしれないが、下手をすればナナリーから精神異常者扱いを受けたかもしれないというのに、肝の据わった御仁である。あるいは、そうされることの危険性を感じなかったか。

 ともかく、ナナリーに全てを話した経緯はわかった。

 

「それと……気づいていないだろうから言っておくが、ここはあれから十年後に当たる世界だ」

「──そうですか」

 

 フィオレにしてみれば、ついこの間十八年後の世界に飛ばされたばかりだ。そのまた十年後に飛ばされたところで、あまり差はない。

 とはいえあれから十年後というのは、様々な変化が予想される。

 

「ということは、もうウッドロウ陛下は崩御されているのでしょうか」

「な!?」

「あの国、陛下以外の王族はおられましたか? となると、今のファンダリアは……」

「やめろ!」

 

 フィオレの不吉な想像を断ち切ったのは、怒気すらうかがえるロニの声だった。漂わせる雰囲気たるや、フィオレすらも威圧している。

 

「……ンなこたあ、置いとけ。それよか今は、カイル達だ。この辺は散々捜し回ったから、おそらくこの大陸にはいない。となると……」

「今ジューダスが十年後だ、と言ったのは、ナナリーに話を聞いてでしょう。カイルやリアラが、それを知っていると思いますか?」

 

 何かの弾みでそれを知ることはあるかもしれないが、通常の日常会話においてはあまり期待できないだろう。

 エルレインと意味深な会話をしていたリアラなら……と勘繰れないこともないが。

 それに今二人が、共に行動しているかどうかもわからないのだ。

 

「まず仲間……ロニやジューダスを捜して、手近にいないんだとわかったら、次に思い出されるはウッドロウ王のことでしょう。同じ時代だと思っているなら、ハイデルベルグへ向かおうとするのではないかと」

「そ、そうか。リアラならともかく、カイルは……」

「今、ファンダリアがどうなっているのかわかりますか?」

 

 残念ながら、二人ともそれはわからないらしい。

 当然のようにナナリーに聞いてみようと提案するロニに、フィオレは頷かなかった。

 

「それでもいいのですが、まずは彼女の恩に報いましょう。本当はもう少しお話を聞きたいところですが、旅支度の邪魔はできませんし」

 

 となれば、この村にいながら出来ることを考えるまでだ。ナナリーが戻ってきたその後、おそらくこの村を出立することができるだろうから。

 今何ができるのか。それを話しながら歩く内、三人は緑豊かなオアシスへと辿りついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十六戦——危うしフランブレイブ~いちゃこらすんな、お前ら


 引き続きホープタウン。
 フランブレイブとブレイブの救出劇+ジューダスと寸劇。
 お話に緩急つけたかったのですが、結局何がしたかったのかよくわからん回になっていますね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高台で見た通り、小さいが砂漠の内陸部であることを忘れそうなオアシスの泉の淵に、先程の子供達が手に手に釣り竿を持って腰かけている。

 

「ここがホープタウンの生命線、オアシスだ。ここを荒らすと村の連中が怖……」

 

 ロニの話のほとんどを聞き流し、子供たちが釣りに夢中になっている泉を覗きこむ。

 見やればその規模は湖と呼べるほどで、透明度は高いが底が見えない。

 アクアリムスの探査によれば、泉のどこかにフランブレイブの依代が放り込まれているかもしれないのだ。

 早く助けなければ、発狂してしまう危険性が……

 

「あ、ロニにジューダスだ」

「駄目だぞ、二人とも余所者なんだから。ここで魚釣っちゃ……」

 

 子供達が二人に気を取られている間に、アクアリムスに頼んで水中の探査を行う。

 シルフィスティアのように何かを探すことは長けていないものの、水中の不純物を感知することだけは一瞬で行えたらしい。

 

『フランブレイブの気配がします。詳細な場所は……』

「あっ、何かかかった!」

 

 一人の少年が手応えを告げ、慎重に引き上げる。

 ふと引き上げられたものに目を向けて、アクアリムスが一言呟き、フィオレは唖然としてしまった。

 

『あれです。あの依代に、フランブレイブが』

 

 少年が引き揚げたもの。それは、赤銅色のチェーンブレスレットで炎を模しているハイランドルビーに似た輝石が中央に据えられている。

 

『……私が回収しなければいけませんか? 契約が途切れているわけでもないし、これで発狂の危険もなくなりましたし』

 

 契約者だからといって全ての守護者の依代を手にしなければならない理由はないだろう。

 それでもとりあえず一応は、フランブレイブの安否を確認しようとして。

 

「なにこれ?」

「さあ……」

「宝石みたいなのがついてる! ねえ、高く売れるかな?」

 

 針に引っ掛かるブレスレットを手に取り、子供達は手に入れた依代の扱いを検討している。

 このままフランブレイブが人の経済に埋もれていくのもありかもしれないなあ、と思った矢先。

 

『……冗談ではない……』

 

 地の底から響くような念話が聞こえたかと思うと、少年の一人が持つブレスレットが突然、発火した。

 

「わあっ!?」

 

 もちろんこれで驚かない子供はいない。ブレスレットは勢いよく泉へ投下される。

 多分売り飛ばされることに対して怒りを覚えたフランブレイブがつい感情を発露させてしまったのだろうが……結果は見えているというのにそれはどうかと思う。あるいは発狂寸前で、抑えがきかなかったのか。

 更にブレスレットを手にしていた帽子の少年は、投げ捨てた弾みで足を滑らせたのだろう。身投げするように泉へ入水していた。

 

「ブレイブ!」

「あいつ、泳げないのに──」

 

 その頃、すでにフィオレは外套を脱ぎ棄てて泉にその身を投げている。どれだけ深いのか目算はついていたため、慎重にはならない。

 ゆらゆら揺れながら沈むブレスレットを追って水中で捕まえ、水を飲んで早々意識を失ったブレイブとかいう少年をついでに回収、浮上する。

 患部の激痛をこらえて、少年を陸へ押し出した。張り付く前髪をわざと放置して、そのまま帽子を被る。

 ぴくりとも動かないブレイブ少年の体を後ろから抱え込み、みぞおちに拳を押し込んだ。

 

「……ゲホ! ゴホッ!」

 

 幸い飲んだ水の量はそう多くなく、ブレイブと呼ばれた少年はすぐに呼吸を再開した。

 しかし、これで安心してはいけない。

 

「ジューダス、ホープタウンにお医者さんは?」

「いない。ここでは民間療法が主流だ」

「呼吸が戻ったなら大丈夫じゃねえか?」

 

 ロニは楽観的だが、肺に水が入ると肺炎を引き起こしやすい。まだ意識も戻っていないから、安心するには早すぎる。

 仰向けにして気道を確保し、呼吸が安定したところで事の成り行きを見守る少年達を見やった。

 

「この子のお家は御存じですか」

「う、うん」

「でも、ブレイブんちの父ちゃんも母ちゃんも出稼ぎに行ってるから……」

 

 家に連れて行っても休ませるしかできない、か。

 とりあえず濡れた服を取りかえて風邪を引かせないよう、運搬をロニに任せて移動を始める。そこへ。

 

「ブレイブが泉に落ちただって!?」

 

 彼が水に落ちるや否や、人を呼んでこようと機転を利かせた子供がいたのだろう。子供たちの監督はナナリーの役目なのか、あるいは頼まれていてのことか。

 再び現れた彼女に、フィオレはロニを伴って歩み寄った。

 

「救助はしました。呼吸は戻りましたので大事はありませんが、意識が戻りません。風邪を引かせないよう安静にさせたいのですが」

「そ、そうかい、わかった! こっちだよ」

 

 ナナリーの案内で迅速にブレイブ宅ではなく長屋に連れて行かれる。

 出稼ぎに出ている親の子供達なのか、幼い少年少女達が何事かと見守る中、ナナリーは手近な中年女性を捕まえた。

 

「おばちゃん、タオルとブレイブの服出して! 溺れたらしくて……」

 

 この気候では風邪を引く方が不思議かもしれないが、びしょ濡れの状態で安静などできるはずもない。

 そして、風邪と無縁の気候だけにロクな抗体もないだろう。そこから肺炎など引き起こしたら、死亡率が一気に跳ね上がる。

 なんやかやと手を出す最中、長屋に入ってきた中年女性が顔をしかめてフィオレを見た。

 

「ちょいと、そこの帽子の人。びしょ濡れで上がらないで頂戴。掃除が大変じゃないのさ」

「な!」

「ひどいよ、カミーユおばちゃん! このねーちゃんはブレイブを助けてくれたのに!」

 

 そういえば、アクアリムスの助けなしに泉に飛び込んだのを思い出す。雫は今もぽたぽた垂れて、これは確かに掃除が大変だ。

 

「ああ、それは失礼しました。ではナナリー、その子をお願いします。ロニもジューダスも手伝ってあげてください」

 

 きびすを返して、さっさと長屋から出ていく。

 道すがら髪やら服やらの水気を払い、ナナリー宅に足を踏み入れる。

 そこかしこに置かれた旅支度に水気が及ばないよう注意しながら、フィオレはてきぱきと服を替えた。

 ──備えさえあれば憂いなし。こんな時のために、従者時代の被服を残しておいてよかった。

 折りを見て繕い、どこからどう見ても違和感はない被服に袖を通して濡れた服を張られていた洗濯紐に吊るす。

 それから誰もやってこないことを確かめて、フィオレはポケットに入っていたものを取りだした。

 

『……フランブレイブ、大丈夫ですか?』

『大丈夫なものか。気が狂うかと思った』

 

 ブレスレットに取りつけられた輝石が輝き、赤と橙が混ざったような光が浮き上がる。

 状況が状況につき実体化はしないでくれと頼めば、フランブレイブはいらいらしたように答えた。

 

『いいだろう。こちらもそこまで力を持て余しているわけではない』

『フランブレイブも、聖域は無事なんですよね。戻りますか? お望みならまた聖域へ……』

『……契約者よ。そなた、何故アーステッパーが同行を申し入れたかわからぬのか?』

 

 確かに、アーステッパーも聖域が無事であったにもかかわらず、依代を手にするよう望んだ。あれには何か、理由があったのだろうか。

 何とはなしに想像はつくものの、フィオレはわからないフリを決め込んだ。

 

『ええ。想像もつきません』

『……そなたが二度と間違いを犯さぬよう、我らが総出で監視をすることになったのだ! わかったら──』

 

 プツッ。

 

 フランブレイブの怒声が脳裏にて響き渡るよりも前に、身につけていた指環を引き抜く。

 残念なことに完全に声が聞こえなくなったわけではないが、それでもかなり声は遠ざかった。

 フランブレイブの依代を床に置き、アーステッパーの依代も外して同じ場所へ置く。アクアリムスの依代、そしてキャスケットに取りつけていたシルフィスティアの依代も外した。

 装飾品の形をした依代を適当な巾着に放り込み、荷物の奥底に閉じ込めて。フィオレは小さく息をついた。

 ──発狂寸前までに追い詰められたフランブレイブの機嫌が悪かったのはわかっている。

 人が人と争う原因でもある、ほんの小さな言葉のアヤだったのかもしれない。それでも、だとしても。

 許しがたい彼の言葉に、渦巻く怒りを抑え込もうとして。

 

「──フィオレ、僕だ」

 

 いつの間にか、天幕の外に人が来ていたことを知らされ、ハッと息を呑む。

 それに気付いてだろう、不思議そうにしながらもジューダスは言葉を続けた。

 

「ブレイブ──あの少年のことはカタがついた。入ってもいいか?」

「どうぞ」

 

 深呼吸をして、気持ちを切り替える。てっきりロニやナナリーも一緒かと思いきや、彼は一人だった。

 そういえば、とどうでもいいことに気付く。口に出したところでどうにもならないと、ジューダスに話を促した。

 

「目を覚ましたんですか?」

「ああ。今はナナリーとロニが介抱している。あのまま残っていたら子守を押し付けられるのが関の山だからな」

 

 つまり逃げてきたのか。

 今も昔も「子供は苦手だ」と言っていた彼らしく、あっけらかんとそれを認めている。

 変なところで素直になったことが妙におかしくて、小さく肩を震わせていると。

 

「それで──怪我の具合はどうなんだ。包帯を替えたばかりなのに、あんな無茶をして」

「命に別条はありません」

「見せてみろ。包帯も取り替えたほうが「大丈夫ですって。カホゴなのはロニだけでいいですよ」

 

 水気を拭うだけ拭った患部を軽くさする。死ぬほど痛かったが、それで死ぬほど柔な体ではない。

 そういえば、とフィオレはおもむろに自分の荷を手に取った。羊皮紙に筆記用具を取り出し、直接床に座り込む。

 

「なんだ?」

「アイグレッテへ行くついでに、カイル達を見かけたら声をかけてもらおうかと。でも、特徴だけじゃなんですから」

 

 記憶の中の二人をそのまま羊皮紙に映していく。

 羽ペンを滑らせるようにして描いた二人の似せ姿に、ジューダスは小さく唸った。

 一応二人の表情は素──無表情ではなく、彼らを知らない他人が見てもわかりやすいようよく浮かべる表情を描いている。

 

「いかがですか? それなりに似ているでしょう」

『それなりも何も……謙遜も過ぎると厭味だよ』

 

 シャルティエの念話なら、指環なしでも聞こえる。そのことを思い出して、フィオレは指環の感触を再確認するのはやめた。

 二枚の羊皮紙のインクが乾いたのを確かめて、くるくると丸める。

 

「上手いこと見つけてくださるのを祈ります。特にリアラ。彼女がいないと、多分にっちもさっちもいかないでしょうし……」

「ところで、謁見の間でカイルが何か怒っていたようだが……あれは何だったんだ」

 

 そういえばそんなこともあったかなと、朧な記憶を掘り起こす。

 幸いか不運か、あのやり取り自体はきちんと記憶に残っていた。

 

「……要らないことを言って、カイルに嫌われてしまったみたいです」

「要らないこと?」

「どうしてかばったのか、その理由と。バルバトスを仕留められなかったことの謝罪です」

 

 彼とてやり取り自体は聞いていたはずだ。

 フィオレにとって良い思い出とは言えない記憶をそんな概要で伝えると、その心境を悟ったのだろう。ジューダスは鼻で笑った。

 

「実力不足でかばわれ、逆切れか。ガキにも程がある」

「ジューダス?」

「あのトリ頭のことだ。三歩も歩けば忘れるだろう。くだらんことに気を取られて、ウジウジ悩むなよ」

 

 明確な悪意のようなものはない。むしろ、カイルを知る人間ならそのくらいは言うだろう、だが……その言葉に奇妙な自重が孕んでいるのは気のせいか。

 本人は自覚していないらしく、黙して己を見やるフィオレを不思議そうに見返すだけだ。

 ただ、これだけは確実だろう。

 

「……慰めの言葉として受け取っておきます。なんだか奇妙な感じですが」

「なに?」

「口を開けば毒舌しか吐かなかったあなたの言葉とは思えません。正直凄まじい違和感を覚えています」

 

 フィオレとしては正直な思いの吐露だが、彼には遠回しな皮肉に聞こえたのだろう。瞬く間に機嫌を急降下させた彼は、仮面の上からでもわかるブスくれた表情を浮かべて黙りこんだ。

 最も、勘に障っただけで態度を急変させるこの悪癖を改善するのは、まだ先のことだろうが。

 床に座り込んだままムスッ、と顔をしかめ、座り込んでいる彼の前に立ちあがる。

 傷に障らないよう伸びをすると、彼は唐突に口を開いた。

 

「その格好……」

「予備の服がないので、急遽引っ張り出しました。よくよく見てみると、あなたのそれと酷似していますね」

 

 闇色に対して漆黒、細部こそ異なるが、パッと見た感じは似たような印象を覚えるだろう。

 それを聞いてか、フィオレの格好をじっくりと見てか。彼はそのままの体勢でとんでもない要求を口にした。

 

「……脱げ」

『坊ちゃん、なんて大胆な!』

「お約束のボケはさておいてですね。一応理由を聞いておきましょうか」

「あいつらになんてからかわれるか、わかったもんじゃない」

 

 普段珍妙な仮面を被っていることで散々からかわれれているのだから、今更気にしなくてもいいだろうに。やはりマリアンのことを考えると、フィオレとそういう仲であると勘繰られるのはうしろめたいのか。

 などと考えていたところで、外から騒がしい二人組の声が聞こえてくる。

 フィオレとほぼ同時にロニとナナリーの帰宅を悟ったジューダスは、強硬手段に出た。

 

「ちょっと、何をするんです」

「うるさい、大人しくしてろ」

 

 自分の背に手をやり、シャルティエを覆っていたマントを外してそれをフィオレに投げつける。

 視界を塞がれたフィオレがそれを難なく取り払うも、彼は無理やりそれを羽織らせにかかった。

 

「すぐに済む。じっとしてるんだ」

「嫌ですって。やめてください、暑苦しい」

 

 マントで包もうとしてくるジューダス、ひたすら拒否するフィオレ。

 ふと、人んちで何やっているんだろうと我に返ったフィオレが、まるで闘牛士のようにマントを構えるジューダスにそれまで洗濯紐に下がっていた衣服を投げつけた。

 

「!?」

 

 その間──ジューダスの視界が塞がっている間に手持ちの薄い外套を羽織る。

 これで文句はなかろうと、ジューダスの仮面に引っ掛かる濡れた衣服を回収して、玄関に呼びかけた。

 

「お騒がせしました。もう大丈夫ですよ」

 

 呼びかけに応じて、おずおずと二人が姿を見せる。

 会話だけ聞けば十分痴話喧嘩に聞こえたのだろう。二人とも何だか顔が赤いし、余所余所しい。

 ロニあたりは面白がってからかってくるかと思いきや、触れてこないところを見ると実は奥手なのかもしれない。

 

「あの少年はもう大丈夫ですか?」

「ああ。時々思い出したように水を吐くからまだ安静だけど、意識も戻ったし。もう大丈夫だと思う……ええっと。お、お邪魔だったかい?」

「とんでもない」

 

 ジューダスの顔は見ない方向で、フィオレは先程丸めた羊皮紙をナナリーに見せた。

 その二人を見かけたら、出来れば接触を図ってほしい旨を伝える。すると彼女は、ロニと一緒になってまじまじと羊皮紙を見つめて言った。

 

「……参考までに、ロニかジューダスの似顔絵も描いてみてほしいんだけど」

「わかりました」

 

 似顔絵がどの程度似ているのか、計りかねてだろう。そんなナナリーのリクエストに、フィオレは二つ返事で応じた。

 カイル達のように詳細は書き込まず、しゃっしゃっと描いた走り書きをナナリーに手渡す。彼女はそれを見るなり、プッと吹き出した。

 

「うん、わかった。あんたがすごく、絵が上手いんだってことはわかった」

「どれどれ?」

 

 くすくすと、軽い笑みを零しながら頷くナナリーの手元をロニが覗きこむ。しかし彼女は素早く羊皮紙を折り畳んでしまった。

 

「これ、もらっちゃってもいいかい?」

「かまいませんよ」

 

 ロニかジューダス、というリクエストを受けて、フィオレは二人が言い合いをしている図を描いている。

 面白がって懐に仕舞ったのを見るに、彼女も幾度かこの現場に立ち会ったことがあると予想させた。

 

「積極的に捜してくれとは言いません。見かけたら私達のことを話して、できれば連れてきてほしいんです」

「ああ、わかったよ。じゃあその間にフィオレは家の留守番、ロニとジューダスはあの子達の世話、お願いね!」

 

 微妙な顔して返事もない二人はさておき、ナナリーの出立に際して荷作りの手伝いをする。

 その最中、それとなくファンダリアのことを尋ねるもそういった雪国があると知っているだけでそれ以上のことを彼女は知らなかった。

 この時代においては、すでにウッドロウも過去の人なのかもしれない。

 

「ナナリーねぇちゃん、行ってらっしゃーい!」

「おみやげ買ってきてねー!」

 

 夕暮れ時の過ごしやすい、僅かな時間帯に出立したナナリーを子供達と見送る。

 ジューダス達は現在、出稼ぎで親と離れて暮らしている子供達同様長屋で寝泊まりし、炊き出しで日々の糧を得ているのだという。

 ご相伴に預からないかという誘いを丁重に断って、フィオレはその足でオアシスに向かった。

 日が沈み切り、暗闇に包まれるオアシスの泉へ、人がいないことを確かめて身を沈める。

 

「命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey……

 

 久々にきちんと体を洗い、ついでに負傷をなかったことにした。皮膚が突っ張るような感覚も、痛覚も、ありとあらゆる違和感が消えさる。

 冷え込む気温、冷たい清水。小さく息をついてフィオレは半日振りにチャネリング補助の指環を身に付けた。

 それまで遠かった守護者の声が、はっきりと脳裏に響き渡る。

 

『フィオレ、いきなりどうしたの? 依代を全部外して接触拒否なんて──』

『シルフィスティアの言う通りだ。一体何を考えている!』

 

 風精の戸惑う声、炎精の怒声。

 あのまま会話を続けていたらまず間違いなく我を忘れて感情的になっていただろうが、すでにあの怒りは納めてある。今なんと罵られようと、冷静に受け流せる自信があった。

 フィオレは彼らの願いを叶えるべく行動し、そのために力を貸してもらう。代わりに彼らは、フィオレの望みを叶える。

 彼らとの関係は、それ以上でも以下でもない。

 それを改めて再確認して、フィオレは事務的に謝った。

 

『こちらの都合でわずらわせてごめんなさい』

『それはいいんだけど、フランと話してて何かあったんでしょ? 寝てたからよくわかんないけど……』

『大したことではありませんから』

 

 追及に余念がないシルフィスティアを適当にいなし、フランブレイブのお説教には耳を貸さずに清めた髪から水気を払う。

 一体何日寝ていたのやら、面白いくらい剥がれていく垢を落として泉から上がろうとして。

 

 ──ガサッ

 

「!」

 

 急な物音を耳が拾い、反射的に周囲を伺う。

 紫水を引き寄せ、十分警戒しながらも素早く身支度を整えた。

 湿った髪をまとめてキャスケットを目深にかぶり、まともに移動できるようになって。

 相手が魔物以外である可能性を思いついたフィオレは、声をかけることにした。

 

「──人語を解するなら答えなさい。どちら様ですか?」

 

 返事は、ない。

 大急ぎで服をまとったにつき、体が冷えていたフィオレはさっさとカタをつけることにした。

 

「では、人語を解さぬ魔物か何かであると解釈し、排除します。ホープタウンが襲われたりなんかしたら目にも当てられない──」

「ま、待って!」

 

 フィオレが紫水を握りしめたところで、耐えかねたように一組の男女が姿を現した。

 旅装束でもなく、軽装であるということはホープタウンの住民なのか。

 手を繋いで現れたところを見ると、ロニが憧れる何たらの逢瀬、という奴らしい。

 

「……人騒がせな。では、ごゆっくり」

 

 いくら小規模な村とはいえ、いや小規模な村だからこそ年頃の男女がいればそういうことにもなるだろう。

 そういえば昼、初めてこの村へやってきたロニがこりもせずナナリーの女友達にちょっかいかけた、というエピソードを思い出しつつ。

 フィオレは今度こそ帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十七戦——再びの襲撃~二度あることは三度ある

 ホープタウンなう。
 守護者の眷属に襲われるの、これで通算三回目だけどね(一度目シルフィスティア、今回のはフランブレイブとアーステッパーのダブルで)
 ゲーム中のホープタウンにオアシスらしいところはありませんが、あっても不思議じゃないよね(適当)


 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 誰もいない共用井戸で顔を洗っていたフィオレは、ふと人の気配に気づいて顔に手拭いを押し付けたまま、そちらを見やった。

 

「あまり意味がないぞ。お前の場合、目を隠さないと」

「……それもそうですね」

 

 同じく、人のいない早朝を狙ってやってきたジューダスが顔を洗っている間に、キャスケットを目深に被る。

 手早く事を済ませたジューダスが言うに、ロニはまだ眠っているらしい。

 

「ナナリーの家にある食材は痛む前に片づけてほしいらしいので、朝餉は二人と御一緒しようかと思いましたが。無理そうですね」

「何なら僕が、相伴に預かってもいいが」

「ロニだけ除け者は気分が悪いでしょう。それより、少し稽古をつけてくださいますか?」

 

 寝たきり生活ですっかり固まった筋肉は、少々動いた程度でどうにかなるものではない。

 常に武装を解かない彼の出で立ちを見て何となく誘ってみると、珍しく彼は二つ返事で了承した。

 

「いいだろう。ガキのままごとにもうんざりしていたところだ」

「……お手柔らかにお願いしますね」

 

 寸止めを常としているせいか、実戦では双剣を扱うジューダスだが、フィオレとの稽古では片手剣としてしか使おうとしない。

 どんな風に戦おうと僕の勝手だ、というのがジューダスの持論だ。もしかしたら慣れない剣技ではフィオレの相手にならないと思っていたのかもしれない。

 今、一時的に腕が鈍っているであろうフィオレ相手に、彼は双剣を抜いて見せたのだから。

 稽古とはいえ、互いに真剣になるため鞘は払う。先に仕掛けてきたのは、ジューダスだった。

 

「双連撃!」

 

 左右非対称の双剣が翻り、互い違いの刺突・斬撃が迫る。幾度か見た剣技につき軌道を追って緩やかに流すと、返す刀でそのまま反撃に出た。

 切上げから始まる刺突に切り替え、弾かれるのを見越してその位置から足を狙う。

 手加減こそしているが、受け損じれば真空を殺しきれず被服がずたずたになるだろう。

 初めから最後まで真剣に対処していたジューダスだったが、ふとあらぬ方向を見やったかと思うと、構えていた双剣を下ろしてしまった。

 理由はわからないがそれに倣い、構えを解いて彼が示す先を見やれば。

 

「コラお前ら! 朝っぱらから何やってやがるんだ!」

 

 長屋のある方角から斧槍(ハルバード)を引っ掴んで現れたのは、起き抜けらしく普段は逆立てた髪がぺったり寝ているロニだった。

 全速力で駆け寄ってきたかと思うと、二人の間に滑り込む。

 

「あなたこそ、朝っぱらから何をぷりぷりしていらっしゃるので?」

「あのな、そりゃこっちの台詞だっつーの。お前ら、いきなりケンカなんか始めるなよな!」

 

 彼にとって仲間内で真剣を交えるのはケンカの内なのか。どちらかといえば殺し合いだと思う。

 聞けば起きだしてきた子供達が二人の剣舞を見つけて勘違い、ロニに告げたらしい。それを真に受けた彼がすっ飛んできたのだという。

 

「それはお騒がせしてしまいましたね。もうひと眠りいかがです?」

「もう目ぇ覚めたっての。そうそう、昨日のことであいつら、お前に用事があるらしいぜ」

 

 ロニが顔を洗ったところで、連れ立って長屋へ赴く。

 ひょいと覗きこむと、中では中年女性に交じって子供たちが炊事の手伝いに励んでいた。

 フィオレが戸口から顔を覗かせた時点で、おそらくキャスケットに覚えがあったのだろう。子供たちがわらわらと寄ってくる。その中には、フィオレが救助した少年もいた。

 

「あ、昨日のねーちゃん!」

「……確か、ブレイブと呼ばれていましたか。回復したようで何よりです」

「昨日はありがとな、助けてくれて。ねーちゃんも一緒に食べようぜ!」

 

 どうやらそのために、総出で手伝いに出たらしい。ナナリー宅の戸締りはしてあるからいいかなと、フィオレは快諾した。

 

「では、お言葉に甘えて」

「じゃあこっちこっち」

 

 子供達に連れられ、奥にある広間へ案内される。

 すでにほとんど出来上がっているらしく、そこには床に直接並べられた朝食と食事が始まるのを待つ長屋の住人達が揃っていた。

 年寄りから中年男女からナナリーとそう変わらない年齢の男女から、年齢差はばらばらだ。

 

「ここでは、床に直接座って食べるらしいんだ」

 

 考えてみれば、カルバレイス地方にて現地の文化に触れるのは割とこれが初めてかもしれない。

 すでに慣れたようでひょいひょいと料理をまたいで適当に座るロニを見習い、皿に足をひっかけないよう慎重に移動してジューダスの隣に座る。

 その隣に次々と子供達が座って行き、やがて炊事をしていた中年女性達が現れて朝餉と相成った。

 

「その卵焼き、わたしが作ったんだよ!」

「そのパンこねたのオレ!」

 

 ここでは楽しく食べるのが原則であるらしく、子供も大人もマナーを守るという概念が薄かった。

 ある子供などかなり汚くがっついているが、誰も注意しようとしない。

 食べ盛りの子供達は次々とおかわりを口にし、いちいち自分の傍にあるパン籠に群がるのがわずらわしくなったフィオレはついにトングを手に取った。

 

「あ」

「配るから並びなさい。埃が舞うでしょう」

 

 ふたつもみっつも取る子供が発生したせいで騒いでいた子供たちがどうにか収まり、一応順番を待って一列に並ぶ。

 この時すでに必要な分だけ食べ終えていたフィオレは、暇を持て余すように子供達の世話を焼いていた。

 

「がっついて食べるとむせますよ」

「おなかのところにパンくずが」

「お茶のおかわり、要ります?」

 

 おかずを取った、取らないで騒ぎだした子供同士を隔離して、それまでフィオレが座っていた場所に一人を移動させる。

 そうこうしている内に朝餉は終わり、食後の片づけを手伝ってからフィオレは長屋を出た。

 朝餉を提供してくれた子供達と女性達に礼を言ってからナナリー宅へ戻ろうとして、襟首を掴まれる。

 

「……何か御用でしょうか、ロニ」

「これからガキ共のお守……もとい、狩りの訓練をやるんだ。お前も来るよな? な?」

 

 笑みこそ浮かんでいるが、目が笑ってない。「俺達仲間だろ?」と言いたげなロニの視線に耐えかねて、少年達や二人についていく。

 ところが、辿りついた先の洞穴で意外な展開が待ち受けていた。

 

「ロニとジューダスが怪物役で、ねーちゃんがさらわれたお姫様役な!」

「「は?」」

「だってそのねーちゃん、ケガしてんだろ?」

「ナナリーねぇちゃんが言ってたよ。だから、怪物役はナシ!」

 

 子供達が言うに、フィオレの役割は洞窟の奥に座っていればいい、とのこと。

 それならいなくたって全く問題はないだろう、と早々ナナリー宅へ戻ろうとしたところで、何と子供達からブーイングが来た。

 

「それは駄目! オレ達が怪物に勝って助けだしたら、「助けてくれてありがとう、チュッv」ってやってくれなきゃ!」

「あと、帽子を取ってオレ達にハグするの!」

 

 ……小さくても男ということか、どこからか変な知識を仕入れたのか……キャスケットを取れと言う辺り、心当たりはひとつだ。

 

「ロニ……子供に何ということを教えるのです」

「なっ、ななな、何の事だかさーっぱりわかんねえなー」

 

 まさかジューダスがそんなことを言うわけがないだろうし、反応からしてやっぱり彼が黒なのだろう。

 となれば、囚われのお姫様が言うことなどひとつだ。

 

「ハムカッテハイケマセンワタシノコトハイイカラニゲテ」

「すげェ、棒読み……」

「行くぞ! 力を合わせて怪物をやっつけるんだー!」

 

 普段はお姫様役などいなかっただろうから、この後することは同じだろう。

 少年達による狩り訓練という名のお遊びをぼけっと眺めて、暇を持て余しううん、と伸びをした。

 

「熱っ!」

 

 何の前ぶれもなく左手の甲に熱を覚え、悲鳴が抑えられない。

 幸い彼らは己の戦いに集中しているため気付かれていないが、この痛みに近い熱さは何だと首を傾げかけて。

 いつになく焦ったような、フランブレイブの声を聞いた。

 

『警戒しろ、フィオレンシア! 我が眷族が、そちらへ向かっている!』

『警戒って、あなたの眷族なのに、制御できないんですか?』

『それが出来れば警戒など促すものか!』

 

 情けないことを堂々言わないほしい。

 手袋の下で普段乳白色のレンズが灼熱の色に染まっていることを確認し、すっくと立ち上がる。

 狭い洞窟の中、乱戦を繰り広げる彼らに気取られぬよう外へと出た。今のところ、ホープタウン内に異常はない。それは結構なことだが、この後何が起こるのやら。

 ──と、そこへ。

 

「おい、どうした」

 

 如何なる手段を使ったのか、そもそも気取られぬよう気を配ったはずなのだが。

 まるで洞穴内から闇を引き連れてきたかのように、見た目がかなり暑いジューダスが姿を現した。

 

「……よく気付きましたね」

「あんなでかい声でわめかれて、気づけない奴があるか」

 

 何のことか測りかねて、彼に渡した物の存在を思い出す。

 うっかり守護者と言葉も交わせないと肝に命じ、当然のように詳細を尋ねてくるジューダスに何と言ったものかと迷う。何故なら、フィオレ自身どういうことなのかわかりかねているからだ。

 フランブレイブに話を聞こうにも、ジューダスの聞いている前で妙なことを口走られても困る。具体的には敵対勢力のこととか。

 そこへ。

 

「こらぁっ! 二人揃ってエスケープすんなっ、駆け落ちでもする気か!」

 

 またもや子供達の相手を押し付けられたロニが、二人を追って洞穴から飛び出してきた。それを追って、少年達もわらわらとやってくる。

 再び子供達からブーイングを浴びせられるも、ジューダスは至極冷静に切り返した。

 

「さらった姫が逃げ出したなら、怪物としては追うのが当たり前だろう」

「そ、そうだよな。ほらフィオレ、戻れって……おーい!」

 

 大変申し訳ないが、そんなままごとには付き合っていられない事態が発生している。

 二人が子供達の苦情処理に追われている間に、フィオレはシルフィスティアの視界を借りてフランブレイブの眷属とやらの姿を捜していた。

 よくよく考えてみれば、ホープタウン付近に来ていないというなら好都合だ。この村が巻き込まれる前に、処理してしまわなければ。

 彼女の視界によって、かつても力試しの名目で戦ったフランブレイブの眷属がホープタウンの外れ、オアシス付近にいることがわかる。

 炎を司る守護者の眷属が村の生命線であるオアシスに足を踏み入れたら大変なことになると、フィオレは放たれた矢のようにその場を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高台を駆け下り、村を横断して昨夜訪れたばかりのオアシスに辿りつく。

 村に残る大人の大多数は狩りに出て、残った女性達は村の家事仕事とかでオアシスには誰もいない。

 ──否。オアシスの外れ、どこまでも広がる砂漠の彼方。砂嵐の向こうから、巨体が姿を現した。

 真紅の鱗に覆われた、直立するトカゲにも似ている。現地の生物でも、ましてや単なる魔物でもない。

 鱗のひとつひとつには燃え盛る火炎が宿っており、彼方を闊歩しているのは明白ながらその姿は巨大の一言に尽きる。

 

『レンズによって正気を失い、凶暴化しているのでしょうか』

『然り。サラマンダーが我が依代を持ち逃げ、あの泉に投げ込まなければとっくに呑みこまれていた』

 

 確かに、炎の守護者ですら発狂しかねない水中など眷属なら近づくことも、気配さえも探れないだろうが……思い切ったことをしたものだ。

 水中から引きだされたことで居場所を嗅ぎつけ、今この状況にある。そんなところか。

 

『なら、例の如く倒してレンズを奪えば……』

『フィオレ』『足元』『気をつけて!』

 

 オアシスに来る前に勝負をつけようと陽光へ左手を差し出したところで。口々に囁きかけるアーステッパーの声を聞く。

 直後足元に覚えた違和感はフィオレを咄嗟に駆け出させ、それまで立っていた場所からはボコボコと何かが飛び出した。

 溶岩だったらどうしようと心配し、そうでないことに安堵して首を傾げる。

 

「あれは……」

『この気配』『あいつだ』『いないと思ったら』

 

 大地を押しのけて現れたのは、うねうね蠢く根っこに見える。

 根っこに見えるだけで地中に潜っていた触手か何かだと思ったのは、フィオレの考え過ぎらしい。

 

『我らが眷属の仕業』『ここは大地の影響も強いから』『この分だと、あいつも……』

 

 ──まさか、唯一無事だと思っていたアーステッパーの僕もレンズによって正気をなくしていて。この状況で、これ幸いと襲いかかってくるというのか。

 それをアーステッパーに尋ねる最中にも、木の根によるフィオレを狙った攻撃が繰り返される。

 たまらず、フィオレは紫水を抜いた。

 

『シルフィスティア、紫水の鞘に宿ってください!』

『了解!』

 

 フィオレが示した鞘──箒部位に風が取り巻き、一瞬にして中空へさらわれる。

 根がどこまでも追ってこないのを確かめて、フィオレは紫水にぶら下がったまま砂漠の彼方を見た。

 二兎追うものは一兎も得ず。まずはフランブレイブの眷属を倒すべく、掴んでいた箒に腰かけたフィオレは、降り注ぐ直射日光に左手をかざした。

 

「遥か彼方の空へ我、招くは楽園を彩りし栄光。我が敵を葬り去れ、荒ぶる神の粛清を受けよ! 【アースガルズ・レイ】!」

 

 時に命をも奪う熱を孕んだ日差しから豊富な第六音素(シックスフォニム)──光の元素が集い、フォルネウスの尾を一撃で片づけた極光が巨体に放たれる。

 この一撃だけでどうにかなると思えないが、フィオレは急遽標的を地面へと切り替えた。

 姿を現さぬアーステッパーの眷属だが、フィオレだけを狙うという発想はないらしい。

 

「なんだこりゃあ!?」

 

 姿を消したフィオレを捜してだろう。子供達を伴い現れたロニとジューダスが、大地を割ってうねる木の根を発見してしまったのだ。

 本物の怪物に固まる子供達をかばい、二人は奮闘しているが……大人の腕ほどもある木の根はいくら斬り落とされても無限に生えそろう。二人の不意を突かれるのも、時間の問題だ。

 すぐ傍に泉があるのだが、不用意に近づいて木の根に泉が壊されても困る。怪我を癒すのに使わなくてよかったと、フィオレは懐からアクアサファイアもどきを取り出した。

 

「そなたが涙を流すとき群がりし愚者は、白に染め上げられし世界の果てを知る。【セルキーネス・インブレイズエンド】」

 

 味方識別済みの古代秘譜術を起動、氷塊を放って地表に暴れる根ごと大地を凍てつかせる。これで新たな根は封じたし、露出している根も彼らに襲いかかることはないはずだ。

 今後、環境が激変したせいでオアシスが枯れてしまう危険性は非常に高かったが……目の前の命には代えられない。

 子供達をかばう二人が無事なことを確かめて、視線をフランブレイブの眷属へ戻す。

 超高熱の光に飲み込まれたにも関わらず、竜族の形をした焔の眷属は尚も健在だった。

 強いて違いを上げるなら、鱗に宿っていた炎がほとんど消えているくらいだが……それでもあの鱗にどれほどの熱量が込められているかを、フィオレは知っている。

 

『どうした、代行者よ。我が眷族を見事下した気概はどこに……『状況が違い過ぎます。私は周囲に被害を出したくないんです』

 

 確かに、以前。

 フランブレイブの従える僕と相対した際、フィオレはあれこれ策を弄さず、単純な方法──シンプルに勝負を決めた。

 竜族という種族においても最強に位置する彼らが抱える最大の弱点──逆鱗を狙ったという内容だが、一度試してみてよくわかったことがある。

 最大の危機は最大の好機にして、逆も然り。その弱点を狙うことは諸刃の刃でもあったのだ。

 上手く逆鱗を貫けば、その時点で勝負は決まる。しかし、中途半端に傷つけたが最後、彼の眷属は怒りと激痛で暴れ狂うだろう。

 以前は力試しということ、そしてフランブレイブの聖域の中だったにつき周囲を破壊しつくしても困ることはなかった。そのためフィオレは眷属の逆鱗のみを狙い、時に煤だらけになって幾度か失敗した挙句に勝利を収めた。

 ただ、今回は違う。しくじって逆鱗を下手に傷つけようものならオアシスは炎上し、彼らへの巻き添えは回避しようがない。

 フランブレイブの制御下にあったあの眷属すら、その怒りは凄まじかったのだ。凶暴化している今、あれ以上の怒りなど拝みたくもない。

 必ず一撃で仕留めなければならない──! 

 近寄ることすら許されない、高熱を宿す鱗の炎は消した。古代秘譜術によって相殺を促した状態につき、しばらく再生はされない。

 逆鱗のある場所は覚えている。今も変わらず燃え盛る、トカゲで例えれば喉の下の辺りだ。

 箒を操り、地面すれすれの低空飛行でフランブレイブの眷属へと近づいて、その間にひとつかみの砂を確保。

 自らの間合いに入り込んできたフィオレを迎撃せんとする眷属の顔面目がけて砂を散らす。

 

『──ッ!』

 

 視界が奪われたことで悲鳴を上げてのけぞった、そこを狙い。ただ一点、炎を宿した鱗に紫水の刃を突き立てた。

 鱗が割れる、硬い感触。確かな手応えを覚えて、速やかに距離を取る。

 ──幸いなことに、逆鱗の位置が変わったとか、ツメが甘かったとか、そういったことはなかった。

 

『見事だ、フィオレンシア。我が眷族の暴走を止めたこと、称賛に値する』

『光栄です』

 

 断末魔にも似た咆哮を放つ眷属が、まるで融けてしまったかのようにその姿を消す。

 その場に残ったものといえば、灼熱の色を宿す完全球体のレンズで、眷属の姿はどこにもなかった。

 とにかくこちらはカタがついたと、レンズを回収して箒に飛び乗る。

 オアシス付近の空気は冷たく、根も凍ったままで状況は何ら変わらないように思えた。ロニ達の様子も、無事なままだ。

 

『アーステッパー。眷属の様子はいかがですか? 撤退したとか、どこにいるかとか』

『撤退はしてない』『降りないほうがいい』『フィオレをまだ、探している』

 

 標的であるフィオレ……というか、アーステッパーの依代が感知できず、攻撃手段の根が封じられたことで様子をうかがっているのだろうか。

 もし本体が地中に埋まっているのなら、引きずり出す必要がある。となると、ロニ達を避難させなければならない。

 下手に大地に近づけばアーステッパーの眷属に勘付かれる危険性があるにつき、フィオレはチャネリングを起動させた。

 

『ジューダス、速やかにそこから離れて。ロニや子供達を村へ避難させてほしいんです』

『……どこに……』

『早めにお願いします。手遅れになる前に』

 

 フィオレの所在を捜すジューダスに、再三避難を促す。

 まさか自分達の頭上にいるとは思わなかったのだろう。やがて彼はロニに一声かけ、子供たちと共に村へと戻っていった。

 彼らの姿がなくなかったことに安心して、オアシスに漂う冷気を消しにかかる。数瞬もしない内に、反応はあった。

 オアシスから冷気が消えたことで、氷に縛られていた根っこが地中へ戻っていく。さてどのように引きずり出したものかと、思案していると。

 

『フィオレ』『大地に立って』『我らが制御を試みるよ』

 

 ──フランブレイブの聖域に立って以降、彼らがよく話しかけてくるのは気のせいか。

 しかし、大地の守護者の協力を受け入れない手はない。要求に応じて地面に降りたてば、依代から幾多の輝きが溢れて零れた。

 

『いい気になるな』『我らはここにいる』『正気を取り戻せ』『力に溺れるな──』

 

 口調こそ一切変わらないものの、そこはかとなく真剣味を帯びたアーステッパー達の声が囁きとなって脳裏に響く。

 先程のような攻撃もないが、かといって投降するような反応もない。沈黙が周囲を支配したと思った、次の瞬間。

 

『説得成功』『お灸を据えてやったから』『あとは、制裁の一撃を──』

 

 ごごっ、と足元が震えたかと思うと、ぼこりと土が膨らんだ。

 まるで中途半端に潜った土竜の移動跡であるかのように、膨らんだ土の跡は砂漠へと向かっていく。

 それを追ってオアシスを出た辺り、さらさらの砂地が移動跡を失くした辺りで、それは姿を現した。

 ──大きさとしては、ひと抱えほど。

 土避けにか、全身は短い毛に覆われており、手が体長の半分ほどもある。退化しているのか隠れているのか、目にあたる器官は見当たらず、鼻がかなり突出している。

 まさに土竜をそのまま大きくさせたようなその姿は、おそらくアーステッパーの仕業だろう。地表に叩き出されて、ぶるぶる震えている。

 その姿に、良心がとがめるような気はしたが──まだその身にレンズを抱えているであろうと予想、その首に紫水を突き立てた。

 たとえすでに無害な存在だったとしても、彼らに命という概念がないことはシルフィスティアから聞き及んでいる。

 

『キュッ!』

 

 まるでイルカが鳴くような音がして、ポンッとアーステッパーの眷属がかき消える。

 後に残るのは、向日葵色の完全球体レンズだけだ。

 

『助かりました。ありがとう、アーステッパー』

『いやなに』『あれくらい』『我らが眷属の面倒を見るのは当たり前』

『……これも、代行者に課せられし試練。甘やかすな、アーステッパー』

『手に負えないからって何にもしないでなすりつけるのはどうかと思うよ、フラン』

『シルフとて、抵抗むなしく一時は眷属に吸収されたハラだろう!』

『落ち着きなさい、ケンカしないの』

『だってリム、フランはいっつもこうだよ? たまにはガッツーンと言わないと』

 

 ……守護者同士、親睦を深めるのは結構なことなのだが。そーゆーじゃれあいを自分の念話経由でする必要もないだろうと、レンズを拾い上げて一息つく。

 乱雑に飛び出た木の根によって地面は凸凹、凍った影響もあって荒れ果てたオアシス。

 とりあえずこれは、アーステッパーに頼んで修復してもらわなければ。

 雑談に花を咲かせる守護者達に声をかけるべく、フィオレは再びチャネリングを使った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十八戦——お帰りナナリー~カイルとリアラは、無事で何より


 ここでようやく、本来の主人公+ヒロインが戻ってきます。
 残るバーティメンバーはあと一人いるのですが、まだまだまだ先の話ですね。
 それまで続けられると良いのですが、予定は未定です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランブレイブの眷属と、アーステッパーの眷属からレンズを徴収して数日後のこと。

 畑の水やりを手伝い終えたフィオレは、普段通り少年達の狩りの予行演習をしている二人の元へと向かった。

 

「二人とも、お時間よろしいですか?」

「おしきたァ! 今日はどっちからだ?」

「僕から行こう」

 

 この数日間、村で何がしか手伝いをした後、二人と実戦さながらの修練を日課としている。

 こういった狭い集落内では、余所者とはいえ協力的な態度を取っていないと生きていくのが難しい。場合によっては、三人を助けたナナリーに白い目が向けられてしまう。

 だからロニもジューダスも渋々子供達の相手をしているし、フィオレもあまり目立たないように行動しているのだから。

 怪我人ということで怪物役を免除されているフィオレだが、真実を知るジューダスからの視線が痛い。そこで定期的に彼らの鬱憤を晴らすため、わざと彼らの演習中に乱入するようにしているのだ。

 基本村からの外出を許されていないフィオレにもいい運動になるし、二人にとっても気分転換になる。ついでに、子供達にしても他人の修練風景を見るのはけして悪いことではない。

 子供達自身をさておいても、この修練はロニ、ジューダスにとって確実に良い影響をもたらしていた。

 ジューダスはともかく、孤児院暮らしで子供達の面倒を見るのにそれなりに手慣れているロニは、子供たちから馬鹿にされがち、下に見られがちだった。

 しかし、フィオレとの修練に付き合わせた結果、「なかなかやるじゃん」と一目置かれるようになったのである。

 

「いや~、ホントあれは助かった。サンキュな、フィオレ!」

 

 これまでカイルのこともあってか、ロニからあまりいい印象をもたれていなかったが、ここ数日でそれなりに打ち解けてくれた。

 それは同じ境遇に置かれたジューダスに対しても同じらしく、日々怪物役として同じように子供達から扱われていることから、仲間達でも芽生えたのかもしれない。

 攻守を断続的に切り替える剣舞を一通り済ませ、ジューダスはロニと交代し、フィオレは紫水を鞘へしまう。

 ベルセリウムをカタにほぼ無理やり作ってもらった代物だったが、抜けば刀、納めれば長柄武器になるというのは大変お手頃だった。

 一目見た時はフザけたものを作ってくれたと内心頭を抱えていたが、こんなところで役に立っているのは先見の明なのか、それともただの偶然か。

 普段槍斧(ハルバード)で戦うロニは、元神団騎士らしく槍術──ひいては正当な杖術の心得があるらしく、その技量はフィオレより上だ。最も実戦で使用したことは皆無らしいが。

 子供達も観戦する中、一通りの型を終えて無事仕合を終わらせた二人が、礼を交わす。

 それが終了の合図であることを知っている子供達は、感嘆の吐息をつきながら一斉に拍手した。

 

「カッコよかった~!」

「オレずっと剣がいいと思ってたけど、ロニみたいな武器もいいよな!」

「でもさ~、なんで二人ともこっちは真剣なのに、怪物役は不真面目なの?」

 

 めったに寄せられない称賛の嵐に、ロニは鼻高々となっていたが、その言葉でギクリと肩を震わせる。

 食材を購入、あるいはナナリー宅の備蓄を用いて自炊するフィオレとは違い、ジューダスもロニも子供達同様長屋にて待機している女性達による食事提供を受けている。

 どうした仕組みか知らないが、こうでもしないと真面目にならないからか。少年達は事あるごとに飯抜きを連呼し、二人を怪物役にして遊んでいるようなのだ。

 

「決まっているだろう。忘れたのか、お前達。投げやりにフィオレと仕合をしたロニが、危うく高台から蹴落とされるところを」

「フィオレねーちゃん、マジ強えーからな。ロニとジューダス、二人がかりでも勝てねーんじゃねーの?」

 

 少年の一人、ジャスティスといったか。

 にひひ、と冗談交じりだが非常に腹立たしい物言いでそんなことを抜かしているが、流石にそれは難しいだろう。無理に勝負をつけようとするなら、どちらも殺してしまいかねない。

 まともに取り合うことはせず、フィオレはただ滝汗を拭った。

 そこで。

 

「隙あり!」

 

 こそこそと後ろに回り込んでいた少年が、僅かに浮いたフィオレの帽子を取り上げんと飛びついてきた。

 修練後とあって全員で座っていたにつき、回避こそ難しい。しかし。

 

「はい残念」

 

 伸びてきた両手を捕まえてくい、とひねる。悶絶する少年の腕を解放してやれば、彼は痛そうに両腕を抱えて距離を取った。

 

「ブレイブの負け~」

「これでフィオレねーちゃんの八連勝だな」

 

 ロニに何を吹きこまれたのやら、フィオレが救出したあの少年はここのところフィオレの素顔を暴くことに余念がない。

 少年はぷう、を頬を膨らませながらもフィオレの隣に座り込んだ。

 

「くっそぉ、背中にも目がついてるのかよ!?」

「奇襲なら足音くらい忍ばせなさい」

 

 本気で強襲するならそのくらいはしてほしいところである。あるいは誰かと手を組んで、フィオレの気を引くとか。

 実際それで不意を突かれて、フィオレは子供相手に不覚をとったことがあった。

 

「背中が駄目なら前から、とりゃっ!」

 

 どういった理屈なのかよくわからないが、わけのわからない独自理論を展開して別の少年が真正面から手を伸ばしてくる。

 上体をのけぞりつつ、さりげなく突き出した紫水の柄で足を払ってやると、少年は至極当然のように足を取られた。

 

「おっと」

 

 顔面強打で鼻血を出されても厄介である。

 のけぞらせた上体を戻して胸で少年の顔を受け止めると、肩を掴んで自分の足で立たせた。

 

「足元不注意です。無駄な怪我をしたくなければもっと注意を──」

 

 しつこい注意喚起を促そうとして、ふと少年を見る。

 どこかに打ち付けたわけでもないのに、彼は顔を紅潮させていた。顔の前で手を振っても反応がない辺り、重症である。

 気付けに一発平手を入れようとして、その少年の周囲を比較的年齢の高い少年達、そして何故かロニが取り囲んだ。

 

「なあ、どーだった?」

「……(やー)らかかった。やっぱあのねーちゃん、男じゃないよ」

「だってよ、ロニ!」

 

 素顔を暴こうとするに飽き足らず、性別まで疑ってきたか。多少打ち解けてきたと思ったらすることがそれとは、非常に素直な御仁である。

 首を巡らせてロニを見やれば、「バカ! そんなでかい声で言う奴があるか!」と自分こそでかい声で抜かし、フィオレの視線に気づいた彼はしどろもどろと言い訳を始めた。

 

「は、はは。まあそんなムキになるなよ。ジューダスみてーに細っこい野郎もいれば、ナナリーみてえな怪力ガサツ女だっているんだ。ちょっくら確認をだな……」

「ロニ! 誰が怪力ガサツ女だってぇ!」

 

 突如として鋭い声が飛び、うひゃっ、とロニが軽く肩を縮こませる。

 見やれば日差し避けと思しき外套を羽織ったナナリーが肩を怒らせ、大股で歩み寄ってくるのが確認できた。

 その後ろを、やはり薄手の外套を着込んだ二人がついてくる。

 慌てふためくロニと怒り心頭のナナリーがじゃれ合っている間に、立ち上がったフィオレは二人に駆け寄った。

 

「ひょっとして、カイルとリアラですか?」

「うん。久しぶり、フィオレ」

 

 被っていたフードを落とした二人は、ハイデルベルグ城を最後に行方知れずとなっていたカイル、そしてリアラだった。

 砂漠を横断してきたのか、少々日焼けしている以外に何ら変わったところはない。

 やがてナナリーのお仕置きから解放されたロニは、カイルの姿に気がつくなり一目散に駆けてきた。

 

「無事だったかぁ! 二人とも心配させやがって!!」

 

 ロニの熱烈な抱擁で二人が目を白黒させている間に、ナナリーに近寄る。

 それこそ鬼のような怒りを見せていた彼女は、感動の再会をそれなりに温かい目で見守っていた。

 

「ありがとうございます、ナナリー。二人を見つけてくださって」

「礼には及ばないよ。二人とも運よくアイグレッテにいたし、あんたの似顔絵もわかりやすかったし」

 

 それにしたってナナリーには世話になりっぱなしである。荷解きの手伝いを申請しかけて、カイルらの言葉が耳に入った。

 

「それはこっちの台詞だよ! オレ達だって三人を捜して、タイヘンだったんだから!」

「でも、無事でよかったわ。フィオレも大怪我してたのに、元気そうだし」

 

 リアラの言葉に、カイルははっとしたように口を噤んでいる。ジューダスはああ言っていたが、なかなか忘れられるものでもないだろう。

 そこへ休憩は終了だとばかり少年達は狩りの予行演習を始めようと口を開く。誰が何を話しているかわからない状況で、ナナリーは手を叩いた。

 

「はいはい、いっぺんにしゃべらないの!」

 

 鶴の一声で少年達は口を閉ざし、ナナリーの仲介を経てロニもジューダスもお役御免と相成る。

 その際放たれたナナリーの一言に、ロニは目の色を変えて抗議した。

 

「ロニとジューダス、晩メシ抜き! おばちゃん達にそう伝えといて」

「なっ、なんだよそりゃあ……」

「カン違いしないの! 今日は、あたしがごちそうしてあげるよ」

 

 快活な笑みを浮かべ、ナナリーは言う。

 美女から夕餉の誘い、しかも手作り確定だと言うのに、ロニは何とも微妙な表情を浮かべていた。

 

「……人間の食えるものが出てくりゃいいけどな」

 

 もしや、某弓使いの王女同様彼女も料理下手なのか。

 しかしこの発言に根拠は皆無であるらしく、彼はすぐに態度を改めた。

 

「……ホントに晩飯ヌキでもいいんだよ、ロニ?」

「いえっ、よろこんで食べさせていただきます」

 

 調子のいいロニにひと睨みくれつつも、彼女は承知したように頷いた。

 

「決まりだね。じゃあちょっと時間を潰してておくれよ。積もる話もあるだろうし」

 

 自分は少し行くところがあると言い残し、ナナリーは高台を降りていった。

 その背中を見て、それまでお茶らけていたロニの顔色が変わり、何とも切なげなものへと変わる。

 それに気づかぬ弟分ではない。

 

「ロニ、どうかしたの?」

「あ、いや……あいつも、マメだなと思ってよ」

 

 どういうことなのかと尋ね返したカイルに、何でもないと返し、二人に村の中を見せるかのようにゆっくりと歩き出す。

 彼曰く子守から解放されたジューダスに同じことを尋ねれば、彼は小さく息をついた。

 

「そうか、お前は知らなかったんだったな。村の中を回る際、多分あそこにも行くだろう。その時話す」

 

 今は彼らについていこうと、先に行ってしまった三人の後を追う。

 空気を変えるためなのか、二人きりの旅の最中、ヘンなことをされなかったかと、いきなりロニが尋ね出した。

 リアラに対するそんなセクハラじみた質問を、カイルが全力で否定している。

 確かにカイルはリアラに対して多少意識をしていたようだが……直球で尋ねるのはいかがなものか。

 

「……カイル、お前それでも男か?」

「全部自分を基準に考えるなって!」

「あのジューダスでさえ、夜な夜なフィオレの名を呼んでは幸せそうに微笑んでいるというのに……」

「デタラメを抜かすな!」

 

 それが正真正銘デタラメであればいいのだが。フィオレはロニを追いまわしかねないジューダスの袖を引いた。

 声をかければ、凄まじい勢いで否定が返ってくる。

 

「ジューダス」

「違うからな! 口から出まかせだ、僕は絶対そんなこと……!」

「そんなことは百も承知です。子供の軽口を本気にするなんて、大人げないですよ」

 

 フィオレの名なら別にいい。しかし、これがマリアンの名になると大幅に異なる。

 彼がリオン・マグナスの悲劇を一から十まで知っているとは思わないが、何がきっかけで正体が割れないとも限らない。

 一時期それでロニといさかいを起こしたくらいなのだから、気を緩めないほうがいいとこっそり忠告を囁く。

 幸いなことに、ジューダスはすぐさまクールダウンしてくれた。

 

「ああ、その通りだな。ついムキになってしまった」

「落ち着いた様子で何よりです」

 

 何故かロニから不憫そうな視線が送られていることには気づかず、ふとジューダスはあらぬ方向を見やった。

 いつの間にか、一同は村外れのオアシス付近にいる。小さな泉の傍ら、ささやかな墓標の前に片膝をつくナナリーの姿があった。

 

「あれ、ナナリー?」

「あのお墓って……」

「ナナリーの、弟の墓だそうだ」

 

 彼女の行くところ、とはここのことだったのか。ジューダスもロニも、フィオレよりか彼女と付き合いは長い。

 このことはすでに知っていたらしく、ロニはまた切なげな表情を浮かべている。

 

「旅から帰ってきたり、何か嬉しいことがあったらいつも、ああやって報告するんだよ」

「そうなんだ……」

 

 ──死者に対して思うことは人それぞれで、その付き合い方もまた人それぞれだ。

 ナナリーの行いに対し、己の過去を想起しながらも、フィオレはそれを見守った。

 やがて、その報告が済んだのだろう。名残惜しげに墓標に背を向けたナナリーは、一同の姿を見るなりてくてくと歩み寄ってきた。

 

「あぁ、ごめんね。ここに来るとつい長くなっちまってね」

「弟さんの……お墓だって聞いたけど」

 

 そう尋ねるリアラの声音は、至極不思議そうなものが含まれている。

 死亡理由が聞きたいわけではなかろうが、何を持ってそんな声音なのか。

 それに答えるナナリーの声音も、かなりさばさばしたものだった。

 

「あぁ、そうだよ。あたしがちっちゃい頃病気で死んじまってね」

「治せなかったの?」

「……治せなかったから、そこにお墓があるような気がします」

 

 フィオレの茶々に怒りもせず、確かにその通りだとナナリーは苦笑している。

 しかしその苦笑も、墓に目をやってからは綺麗に消し飛んだ。

 

「……方法が、なかったわけじゃないんだ。フォルトゥナ神団に頼めば、奇跡の力で治してもらえたと思う」

「後で教える。黙って聞いてろ」

 

 聞き慣れない言葉を耳にして、オウム返しに尋ねようとしたフィオレをジューダスがすんでのところで止める。

 そのため、ナナリーの話は無事続いた。

 

「でも、あたしもルーもそれを選ばなかったんだよ」

「どうして? フォルトゥナ神の力を使えば、どんなことだって……」

「でもその代わりに、一生をアイグレッテで暮さなきゃいけない」

 

 ──何が何やら、フィオレにはさっぱりわからないが。ただひとつ確実なことが判った。

 フィオレには聞いたことのないような神の名を、まるで既存の神のように話すリアラは、間違いなくこの世界のことを知っている。

 人から、あるいはナナリーから仕入れた知識なのか。それとも元々持っていたものなのか、それはわからないが。

 

「安全で清潔だけど……生きてるって実感が、わかない場所でね」

「それは……」

「だから、あたしはルーと一緒にここへ来たんだ」

 

 十年前までアタモニ神団が深く関わっていたアイグレッテは、今やフォルトゥナ神団とやらの巣窟にでもなっているのだろうか。

 当時はレンズを寄進すれば施された奇跡が、今は信者にならないと賜れなくて。

 安全で清潔でも、生きている実感がわかないというのは……自由がない、という解釈でいいのか。

 その口ぶりからしてフォルトゥナ神団肯定派のリアラ、弟の……大切な人の命を引き換えにしても、フォルトゥナ神団を否定するナナリー。

 意見が分かれてしまったところで徹底的に議論を交わさないのは、リアラの性格によるものか。あるいは双方話し合って理解しようという意志がないせいか。

 沈黙を招いてしまったその場の雰囲気をガラリと変えたのは、ロニだった。

 

「あ~あ。なんかノド乾いたな。なあ、こないだのお茶、まだあるか?」

「あれの残りなら、ナナリーの家に置いてありますが」

 

 ロニが言っているのはおそらく、オアシスに自生していた天然の茶葉をジューダスが見つけ、フィオレが乾燥させたものを午後のお茶にと皆に振る舞ったものだろう。

 カルバレイス産の茶はミルクをたっぷり使うものらしい、というジューダスの意見というか聞きかじりを無視して──ミルクが手に入らなかったため──淹れた茶は大変さっぱりしており、ロニからは大変好評だったのを覚えている。

 

「じゃ、メシ前に一服しようぜ。おいナナリー、お前んちの台所借りるぞ」

「はいはい」

 

 さくさく歩き始めたロニの足取りは軽いというより速く、素早く続いたナナリー以外の一同はほとんど置き去りにされている。

 話題を変えようとして急に行動を起こした。それに気付いたジューダスが呆れたようにそれを口にしているものの、リアラはハッと気づいたように彼らの背中を目で追っている。

 

「行きましょうか。置いていかれます」

 

 そんなリアラの背中を軽く叩き、少女の様子を気遣うカイルにも声をかけ。フィオレもまた、歩き出したジューダスに続こうとして。

 

「あの……フィオレ。こないだは、ゴメン」

 

 カイルから謝罪を聞かされて、フィオレは足を止めて振り向いた。

 彼は実にバツが悪そうな顔をしながらも、その目はしっかりフィオレを見つめている。

 

「フィオレはオレをかばってくれたのに、オレ、あんなこと言っちゃって……」

「──カイル。あなたの発言に私は怒っていないし、それが間違っているとも思いません」

 

 気にしていない。その一言で返すのが一番だとわかっていても、正直に自分の気持ちを伝えたかった。

 はずみでもなんでも、カイルは自分の気持ちをぶつけてきた。それがどんな内容であれ、ぶつけ返すのが礼儀だ。

 左の頬をぶたれたら、左の頬を殴り返すべきである。

 

「あなたの素直さは私も大変評価していますが、あの時は失望を覚えました。もう二度とあんなことにならないよう、お互い精進しましょう?」

「──うん」

 

 差し出したフィオレの拳に、カイルは軽く自分の拳をぶつけた。

 彼らと共にオアシスを抜け、村の中を歩きながら先程までロニと話していた彼らと軽く会話を交わす。

 

「フィオレ、怪我の具合はどう? 調子がよくないようなら、わたしが……」

「あんなの、出血がひどいだけのかすり傷ですよ。もう跡形もありません」

 

 酷い嘘だが、実際もう傷はない。リアラの申し出を拒否、ナナリー宅へ至る。

 夕飯作りを始めたナナリーの隣で茶を淹れたフィオレが合流する頃、本格的な近況報告が始まった。

 

「んじゃ、まずはお互いが何をしていたかを報告するか。どうせ、話したいことが山ほどあんだろ?」

 

 とはいえど、ロニ達から語られるのはナナリーに助けられた経緯と、如何に子守が大変だったか、だ。

 締めくくりとしてオアシスの出来事に話が及び、フィオレはとってつけたように話に割り込んだ。

 

「そういや数日前、ヘンなことがあったんだよなあ。オアシスでさ……」

「──ねえリアラ、フォルトゥナ神団て何ですか? 奇跡がどうのこうの言っていたということは、エルレインも無関係ではありませんよね。もしかして、この十年間でエルレインが神格化でもされましたか?」

 

 普通の方法では治せないような病を、奇跡の名の下に完治させる。

 それはエルレインがアイグレッテにて披露していたものと同じ類のものだ。

 もともとあの時代でもアタモニを押しのけて崇拝者は数多くいたと思うが、それが高じてとうとう神格化されたか。

 リアラに尋ねるのは、けしてカイルが抜けているから、だけではない。奇跡を操ったのは彼女も同じ、リアラは無関係ではないと考えているからだ。

 ただ、アタモニ神団の長であった人物が神格として祭り上げられたとしたら、本来のアタモニ神信者……フィリア達が黙っていないはずだが。

 

「──この時代には新たな神『フォルトゥナ』が存在している。フォルトゥナ神団とは、フォルトゥナと人々を繋ぐ連中のこと……在り方としてはアタモニ神団とそう変わらない」

 

 ナナリーから聞いていないのか、と尋ねるカイルを尻目に、ジューダスがとうとう教えてくれた。

 にわかには信じがたい話だが、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。

 世界を構成する自然を司りし守護者──精霊の立ち位置にいる彼らすら認める神を知っている以上、納得せざるを得ない。

 少なくとも、神という存在に関しては。

 

「……そーですか。で、今アイグレッテは、そのフォルトゥナ神団の信者しか住めない街になっていらっしゃるので?」

「それなんだけどさあ……」

 

 つい数日前アイグレッテ付近にて気が付き、実際にアイグレッテを、そこで生活する人々を見てきたというカイルの話を聞く。

 語られたのは、信じがたくも未来的とも言えるのかそうでもないのか、とにかくトンデモエピソードばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※フィオレもまた、母が逝去したその場所で、虚空に向かって彼女に話しかけたことがあります。墓所ではなかったので、変な目で見られていたのはご愛嬌。


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第二十九戦——主よ、天にも地にもあなたに並ぶ神はありません

 ナナリーのお家で夕餉を摂りつつ、これまでのことと、これからのことと。
 あとは、神様談義。
 神様が全ての人間を救わないのは、神様も万能じゃない、でいいですかね? 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フォルトゥナ神が現れて以降、人々は提供される平和を享受し、ただ無為に日々暮らしているという。

 象徴的な出来事として、二人は出産式なるものに立ち会ったそうだ。

 

「しゅ、衆人環視の中でお産するんですか?」

「うん、すごかったよ! パーッと光ったら赤ちゃんがいるなんて、手品かと思った!」

 

 赤面した自分が心底アホらしい。帽子によって誰ひとりそんなことはわからなかった中、彼の話は続く。

 自分達の子供が生まれたというのに、無感動な両親。

 赤ん坊を一度たりとも両親に抱かせることなく、淡々とアルファベットと数字を組み合わせた名称をつけた司祭。

 フォルトゥナ神の力を借りた代償か何か知らないが、赤子は三年間神団が面倒を見、それから両親に引き渡されるそうだ。

 

「出産自体は無痛で、産後の病気の心配もない。初期保育は専門の人がやってくれるから。親に負担がかかることもないわ。人格、身体共に何の問題もない子供が育つの……」

「──家畜扱いかよ、けった糞悪(クソワリ)ィ」

「えっ!?」

 

 猫が逃げたフィオレの呟きは思いのほか大きな声だったらしく、リアラはぎょっとしたようにフィオレを見つめている。

 他の面々も同じく唖然としているのを知って、フィオレはしれっと取り繕った。

 

「失礼、つい本音が。それにしても、神様がいるせいか、大分箱庭らしい世界になっていますね」

「う~ん……それがわからないんだよなあ」

「わからないって……何が?」

 

 一通り話し終えたカイルが、自分の語った内容を反芻するように首を傾げる。

 何のことなのかを尋ねるリアラに、彼は額に手をやったまま答えた。

 いわく、神は万能の存在にして全てをお見通しであるはずなのに、赤ん坊を両親から引き離し、名前ではなく数字で呼ばせる理由がわからないのだという。

 個人的にそんなもの、理解できなくていい気がするものの、リアラは繰り返すように語った。

 

「そのほうが、みんな幸せになれるから、やっているんじゃ……」

「確かに幸せかもしれないけどさ……オレはイヤだな。そんなことする神様なら、オレ、いらないよ」

「神様が……いらない!?」

 

 さらりと語られたことなのだが、もともとリアラはこの次元の住人であるらしい。

 そのために少女は顔色を変えている。驚天動地ともいうべきか、神が存在する以上神とその代理人たるフォルトゥナ神団が人々を治めるのが当たり前。

 リアラがこんな認識の持ち主であれば、こういった反応を示すだろう。

 対してカイルは、ようやく己の意見がまとまったと言わんばかりだ。リアラの反応にも気付いていない。

 

「うん! だったら、ホープタウンでナナリーみたいに暮らすほうが、ずっといいな」

「あたしもカイルと同じ考えだよ」

 

 車座になって絨毯の敷かれた床に座る一同が見やれば、そこには大きな鳥の丸焼きを乗せた大皿と、椀を六つ乗せたトレーを運ぶナナリーの姿がある。

 手際よくそれを並べ、生野菜を盛ったボウルをでんと置き、最後に焼き立てのパンが詰まったバスケットを大皿の隣に据えたナナリーはつけていたエプロンを外しにかかった。

 

「さて……まだ話は終わっていないと思うけど、冷めない内に食べちゃってよ」

「じゃ、いっただっきまーす!」

 

 ナナリー宅へ向かう頃から腹ペコだと公言していたカイルが、配られたカトラリーを用いてさっそくメインの切り取りにかかる。

 いい音を立てて切り取られた鳥の丸焼きがカイルの口の中へ収まった途端。彼はもごもご咀嚼しつつ感動を口にした。

 

「う、うまい! これ、ホントにみんなナナリーが作ったの?」

 

 空腹は最高の調味料とはよくいったものである。しかし、それを差し引いてもナナリーの手製料理は美味だった。南国の料理らしく香辛料の効いた味付けが、また食欲を誘う。

 生野菜は採れたてを思わせる新鮮さで、各々に配られたスープは鳥がらベースで出汁を取ったのか、いくつもの旨味が凝縮していた。

 カイルの大絶賛を聞いたナナリーはといえば、満更でもなさそうな笑みを浮かべている。

 

「当たり前じゃないか。これでも料理は得意なんだよ」

「ま、人間誰でもひとつくらいは取り柄があるもんさ」

「へえ。ならロニの取り得は?」

 

 などと抜かしてナナリーのこめかみを引きつらせたのは、カイルに負けず劣らず食欲旺盛なロニだ。食べる前は散々けなしていたくせに、料理自体への評価はかなり高いらしく一切の文句がない。

 その代わりか何なのか知らないが、こんな憎まれ口を叩いているのだろうか。

 ここで怒ったナナリーがロニに関節技(サブミッション)を仕掛けても──床へ直に料理が置かれているのに、暴れられて埃が入っても嫌だったフィオレは、純粋に覚えた疑問を彼にぶつけた。

 

「あ?」

「だから、取り柄。ナナリーはしっかり者で姉御肌で、優しくて料理上手という素晴らしい取り柄をお持ちですが、ロニの取り柄ってなんでしょうか?」

 

 己の取り柄は何かと尋ねられて、即答できる人間は珍しい。

 腕を組んで真剣に考え込んでしまったロニにナナリーの溜飲が下がったのを見届けて、フィオレはスープをすすった。

 

「うん、美味しい。ナナリーはいいお嫁さんに──いや、いいお母さんになれますね」

「あはは、そうかい? 確かに村の子供達をおしめも取れない頃から面倒見てるから、子育ては苦労しないかもね」

 

 ──なるほど。見た目はこうなのに、妙に所帯じみている印象はそこに起因しているのか。

 口が裂けても本人には言えない感想を心の中で呟く最中、ふと我に返ったらしいロニが会話に割り込んできた。

 

「んじゃフィオレ、お前の取り柄ってなんだよ」

「お酒に強いことですね」

 

 取り柄というか特技というか造られた体質というか。どれだけ呑んでも呑まれたことはない。

 即答されてロニが答えに窮するかと思いきや、彼はにやっと笑ってフィオレの眼前にそれを突き出した。

 どこに持っていたのやら、一升瓶に相当する巨大な徳利である。

 

「……アクアヴェイルのお酒ですか?」

「いんや、毎晩毎晩酒場で飲んだくれてるおっさん達からもらったんだよ。まあ、まず飲んでみろや」

 

 この容器自体は出稼ぎに出ている酒好きからの土産らしいが、まったく使っていないのを拝借してきたらしい。

 持参のタンブラーを出せば、中身がなみなみと注がれる。ロニはひたすら、にやにや笑いを隠していた。

 

「ちょ、ちょっとロニ。これって……」

「ほれほれ、飲んでみろって」

 

 漂う香りで正体に気付いたナナリーの口を塞ぎ、再度飲むようロニは促してくる。お言葉に甘えて杯を空けたフィオレは、小さく息をついた。

 

「一体何かと思えば、メスカルでしたか。それとも、テキーラですか?」

「おま、し、知ってたのか? いや、つーか、わかるのか……」

「竜舌蘭から作られる蒸留酒でしょう? 一部の竜舌蘭から作られたものはテキーラと呼ばれるそうですが、流石にそこまではわかりません」

 

 客員剣士見習い時代、ヒューゴ氏の晩酌に付き合って得た知識である。ちなみにテキーラと名のつく酒も頂いた。

 その際飲んだテキーラは深い琥珀色──二年以上熟成されたものだが、これにはほとんど色はない。作られて間もない、地酒なのだろう。

 ほとんど一息で飲み干したにも関わらず、けろりとした様子で水さえ飲もうとしない。

 そんなフィオレにロニはげっそりとした表情を浮かべている。

 

「マジかよ……よく咳きこまずに飲めるな」

「ホ、ホントに大丈夫なのかい? 村一番の酒豪のコグおじさんだって、メスカルの一気飲みなんてできないのに」

 

 チェリクにいたコグなのか、それとも別人か。にしてもコグは今、おじさんなのか。

 フィオレに最も縁ある時代から数えて二十八年経過していれば、幼い少年もおじさんにはなるか。

 おろおろするナナリーはさておいて、フィオレは何気なさを装いスープを飲み干した。

 意地の悪いロニへの意趣返しの、ツケである。酔いこそしないが絶え間なく通ったアルコールは食道に優しくない。

 

「いや! あんなに強い酒なんだから絶対平気なフリをしてるだけだ! 帽子の下は真っ赤で、すぐべろんべろんに酔っ払うはず」

「寝言はさておき、スープのおかわりとかありますか? これ本当に美味しいです。レシピをご教授いただきたいくらい」

「ホントホント、鳥の丸焼きもそうだけどこのスープ最高だよ! ね、リアラ?」

 

 しかしリアラの返事はない。スープの椀を両手で包むように持ち、物憂げな瞳をただその水面に映している。

 それまで料理に夢中になり、ロニの持つメスカルに興味を示していたカイルだが、意中の少女の様子がおかしいことには気づいたらしい。

 

「……リアラ?」

「え? な、なに?」

 

 二度の呼びかけ、それも不審さを色濃く宿したそれにリアラはやっと反応を示した。

 どうもやりとりを一切聞いていなかったらしく、そう返すのが精一杯の様子である。

 実際、食事にもほとんど手をつけていない。

 

「あんまり、食べてないね。口に合わなかったかい?」

「あ、そんなことないわ……うん、おいしいよ!」

 

 その言葉に偽りのようなものは感じられなくても、とってつけた感がひしひしと感じられる。事実、ナナリーも違和感を拭えていないようだ。

 

「なら、いいんだけど……」

「お疲れ、ですか? 慣れない砂漠横断をしてきたなら、疲労で食欲がなくても不思議ではありませんが」

「ううん、そうじゃないの。本当に大丈夫だから……」

 

 ──肉体的な疲労でないなら、精神的なものか。

 思い当たる節といえば先程……存在する神を否定されて、彼女はひどくショックを受けていた。それがまったくの無関係とは思えない。

 彼女の様子に不思議なものが感じられるようになったのは、あの辺り。

 この事から推測できるのは。

 

「リアラ、フォルトゥナ信者なのですか?」

「!?」

 

 ──彼女がスープの椀を持っていなくてよかった。もし持ち続けていたら、きっと零してワンピースを汚していただろう。

 つぶらな瞳を見開き、体を大きく震わせてしまうほどに。リアラは動揺をあらわとしていた。

 

「え、なっ、どうして?」

「さっき、カイルにフォルトゥナ神を思い切り否定されて沈んでいたでしょう。信じているものを頭ごなしに否定されたら、誰だって悲しくなります」

 

 リアラから是か否かを問いただす気は毛頭ない。何故ならこの反応だけで、答えを聞いたようなものだから。

 顔をわずかに俯かせたリアラが、手持無沙汰に胸元のレンズに触れる。それから、彼女はぐっと顔を上げた。

 

「ねぇフィオレ。フォルトゥナ神団は、間違っているのかしら?」

「……さあ。神団が何を目指しているのか、わからないことには何とも……」

「フォルトゥナは全人類の幸福を願い、神団はフォルトゥナの意に沿って皆が幸せでいられるように行動しているの。出産式が行われ、保育に神団が介入することで赤ちゃんやお母さんが病気で死ぬことはなくなったし、神団の管理があるから飢えて苦しむ人も、騙されて悲しむ人もいない。アイグレッテでは皆が平等に、毎日を平穏に暮らしているわ。幸せに暮らすことは、いけないことなの?」

 

 ──信者か何か、どころではない。

 リアラが滔々と語るこれは、ほとんどそのフォルトゥナが掲げるであろう大義だ。

 ともあれ、火を付けた責任はある。フィオレは熟考の末、真剣に返答することにした。

 

「ええと、幸福……人々の幸せ、ですか。神様らしくてステキな目標ですね」

「……そう、でしょう?」

「人は自由を求めながら不自由に甘んじ、そして無意識にそれを求める生き物です。カイルは否定していましたが、神団がそうすることで幸せを感じている人がいるなら、神団の行いは正しいと言えるでしょう」

 

 その言葉に、リアラは明らかにホッとしたような表情を浮かべている。

 その隣のカイルはどことなく不満そうだが、果たしてこの先どうなる事やら。

 

「現存する人類全てを幸福にすることは基本的には不可能です。そして、赤ん坊の教育に関与したり、数字の認識番号をつけているのは幸せ云々と明らかに関係ありません。従って、私は間違っていると思いますね」

 

 無論のこと。リアラはそれに大反発した。

 

「どうして!?」

「現時点で存在する人間の幸せを願うなら、信者であろうがなかろうが無条件でその願いを叶えるべきです。信者でない者に何もしない以上……言うまでもないことでしょう。それともフォルトゥナは、信者以外を人間だと思っていないのでしょうか?」

 

 これはフォルトゥナ神のみならず、宗教というものに関してフィオレ個人が抱く疑問だ。

 信じる者は救われるとよくいったものだが、その神に本当に力があるなら善人も悪人も信者もそうでない者にも、恩恵を与えればいい。

 そうすれば信者なんか勝手に増えていくだろうに、神様は総じて心が狭いのかとすら思う。

 もし本当に神というものがいて、人の幸せを願い、信仰を必要としているのならば、だが。

 

「名前とは名ばかりの管理番号つけて教育に介入して、神団が信者を管理しやすくするためでしかないように思えます。人格や身体に問題のない子供にすることも、同様です。名前なら同姓同名だったり、似たような名前で間違ったりするかもしれませんが、番号ならそのリスクを失くします。人格や身体に何の問題もなければ、その子供が神団に厄介事を持ち込むなんてこともなくなる。けれど施された教育は生きているから、いつまでも従順、もとい敬虔な信者のまま……その子がまた子を設ければ神団の都合のいい信者をどんどん量産できる。今の話だけを参考にした場合、私はこのように考えたので」

 

 そう締めくくれば、リアラはぐうの音もでない様子で言葉を失くしている。

 人は本質を突かれて怒りだす生き物だ。リアラもまたその例に洩れず、ほとんど泣きだしそうになりながらどうにか反論をひねりだした。

 

「な、なら、フィオレだったらどうするの!? もし人類全てを幸福に導かなければならないとしても、「そんなのムリ」って結論を出して、あきらめるだけなの!?」

 

 これは──火に油を注いでしまったのだろうか。あるいは彼女が何者なのか、核心に近づいているのか。

 それにしてもこの話。どこかで聞いたような……

 どんどん馬脚を出しているような気がしないでもないリアラを見つめて、フィオレは腕を組んだ。

 

「そりゃ私にはそんな大層な使命はないし、全人類を幸福にするなんて大それたこと、できませんからね。それをする義務もない」

「……!」

「ただ、その質問が「私が神様ならどうするのか」という意味なら──この世に現存する人類全てを抹殺して新しい人類を作ります。誕生したその瞬間から崇めてくれる人類なら、誰も神に逆らわない。太陽が昇ること、空気があることと同じくらい、神に祈ることを当たり前としてくれるでしょう」

 

 この乱暴な物言いには驚いたようで、リアラはおろか黙って話を聞いていた一同すら眼を見張っている。

 

「い、今いる人類を皆殺し……!?」

「そんなに驚かないでください、あくまで仮定の話です。我ながら陳腐だと思いますけど」

 

 そう言ってしめくくったつもりだったのだが、リアラはまだ納得していなかった。

 

「ど、どうして人類全てなの!? だったら信者だけを残した方が」

「信者とて人、信仰の深さにはバラつきがあるものです。それに、自分達以外の人間を抹殺した神なんか、普通の感覚なら信じられなくなるものですよ」

 

 それでも信じてしまう者は大概狂信者と呼ばれるのだが……もうこの辺りにしておくべきだろう。

 ちらりとあらぬ方向を見やれば、すでに食事を終えたジューダスが茶をすすっている。

 

「だけど……!「さて、リアラが元気になったところで、そろそろ本題に入りましょうか」

「やっとか。待ちくたびれた」

「本題?」

 

 そう言ってジューダスに促せば、カイルが不思議そうに首を傾げた。

 その呑気な様子にイラッとしたようだが、表には出さないことにしたらしい。

 

「決まっている。過去……つまり、僕達がいた時代に戻る方法だ。リアラ、何か方策はあるのか?」

「あ……うん。そのことなんだけど……」

 

 遅れていた食事を摂りつつ、トーンダウンした少女が語ったのは、十年前に移動した際ラグナ遺跡という場所に眠っていたレンズを破壊……消費して現れたことだった。

 時空の移動はそれだけ晶力の消費が激しく、現時点で行えることではない、とのこと。

 

「つまりだ。過去に帰れることは帰れるが、レンズの力が足りないってわけだな?」

 

 フィオレが淹れた茶をすすりつつ尋ねるロニに、リアラはこっくりと頷いてみせた。

 

「私ひとりならともかく、みんなと一緒に過去へ行くには……ねえフィオレ」

 

 唐突に、何の脈絡もなく声をかけられたフィオレは、次の瞬間どきりと胸をつかれた。

 

「その……変わったレンズを持ってない? 普通の怪物が落とすようなのじゃなくて、すごく強大な力を秘めたレンズ」

 

 以前フォルネウス退治の際、フィオレは明らかに特殊なレンズを使っていた。

 隠していても何にもならない。むしろ使えるものはどんどん使った方がいいだろうと、荷物からそれらを取り出す。

 新緑色の第三音素(サードフォニム)、風の属性が秘められたレンズ。瑠璃色の、第四音素(フォースフォニム)、水の属性を宿したレン。そしてカルバレイスで手に入れた第二音素(セカンドフォニム)、土の属性と第五音素(フィフスフォニム)、火の属性を抱えた、計四つの完全球体レンズだ。

 

「これのことでしょうか?」

 

 ずらずらと並べたレンズは、ソーディアンの人格が宿されたものと同じく一種の属性のみ宿った代物だ。

 それを聞きつけたカイルがソーディアン複製の可能性を尋ねるも、ロニに一蹴されている。

 

「もしかして、このレンズを使えばソーディアンが作れたり……」

「バカ、ありゃハロルド博士の最高傑作だ。今の技術で作れるわきゃねーだろ」

 

 ソーディアンを作成するならまず、レンズに……無機物に人格投射という荒唐無稽な難題をこなさなければならない。確認するまでもなく不可能だ。

 そんな彼らとは裏腹に、リアラは真剣な目でレンズを見つめている。

 しかし、ふっと視線を落としたかと思うと小さくため息をついた。

 

「ダメだわ。もしかしたらと思ったけど、難しいみたい」

 

 ホッとしたような残念なような。とにかく並べたレンズを回収していると、片づけを終えたらしいナナリーが戻ってきた。

 どんな話になっているのか説明を求められ、詳細を話す。とはいえど、フィオレが語ったのは「過去に戻るためには強大な力を秘めたレンズが必要だ」というとだけだが。

 とにかくそれを聞いて、彼女は合点がいったように頷いた。

 

「だったら、あたしに心当たりがあるよ。この先にあるカルビオラって聖地に、巨大なレンズがあるって話を聞いたことがあるんだ」

「カルビオラっていやあ、たしかアタモニ神団があったはずだな」

 

 確かにその通りだが、ストレイライズ神殿という総本山がフォルトゥナ神団に乗っ取られているのだ。

 そもそも地元の人々から異教の神として毛嫌いされていたのに、未だに信仰されているとは思えない。

 

「あんたの知っているカルビオラとは多分違うよ。昔はそれなりに栄えていたらしいけど、今は神様を守る神官たちがいるだけさ」

「……あのう、それって街として機能していますか? それと神様って……」

「街じゃないよ。一般人もいないし、聖地って言ったろ。砂漠のど真ん中に神殿があるのさ。いるのはもちろんフォルトゥナだよ。アタモニなんて、最近は全然聞かないね」

 

 フィリアが耳にしたらさぞや嘆くであろう一言を、彼女はしれっと口にしている。

 認識されているだけでまだマシなのだろうが、ナナリーの話は続いた。

 

「それにね、隻眼の歌姫って知ってるかい? 二十八年前、四英雄達のリーダー的存在で、今は泡沫の英雄って呼ばれている人なんだけど」

 

 リーダー、だったのか。そう伝わっているということは、そう伝えた奴がいるはずだが。戦犯はどこのどいつだ。

 

「おお、知ってるぜ。なんせ俺は、彼女と会って話もしたことがあるんだからな!」

 

 途端に黙りこむフィオレに替わり、ロニが嬉々として会話に加わる。一瞬ナナリーが沈黙したかと思うと、すぐに気を取り直した。

 

「ああ、そっか。あんたにとっては十八年前の話なんだよね。このホープタウンは元々ジャンクランドの住人達が作った。隻眼の歌姫がジャンクランドに訪れて何をしたのか、知っているかい?」

「へっ、簡単過ぎて欠伸が出らぁな。臨月間近の妊婦がいるってんで、出産を手伝っ……っておい、まさか」

 

 言いかけて、何かを気付いたロニを絶句している。その期待を裏切らず、ナナリーは大きく頷いた。

 

「そう、この村には隻眼の歌姫の手で取り上げられた人がいるんだよ! だけど、アタモニ神は彼女を助けてくれなかった。それどころか自分のところに召してしまったって話じゃないか」

 

 そんな身勝手な神を誰が崇め奉るのかと、その点においてはフォルトゥナより最悪だと、彼女は締めくくっている。

 もしも本当に、そんな認識なのだとしたら。アタモニがあっさり忘れ去られることも至極真っ当なことだ。

 最も、アタモニと呼ばれるあの御神体はそんなこと、まったく気にしないだろうが……

 

「そうだったのか……こいつは抜かったぜ。おいナナリー、その人ってどこの誰なんだ!?」

「残念、出稼ぎに出ていて今は会えないよ。それに生まれたての赤ん坊にどんな人だったのか、聞いたって覚えているわけないじゃないか」

 

 隻眼の歌姫ゆかりの話を聞いてロニが意気込むものの、ナナリーによって暴走は食い止められている。

 意気消沈したロニだったが、彼はすぐに気を取り直した。

 

「にしても、なんか不思議な話だな。この世界に本物の神様がいるなんてよ」

「あんた達が来たのは、確か十年前なんだよね? ちょうどそのくらいの時に神様が降臨したって話なんだけどねえ」

「オレ達がいた頃は、そんな話噂にも出なかったけどなあ……」

 

 カイルもロニも首を傾げているが、その事実から推測できるのはひとつしかない。

 この一同が十年後に飛ばされた直後、フォルトゥナ神とやらの降臨が果たされたということだ。

 それに前後して起こった、衝動的な出来事といえば。

 

「……ハイデルベルグ城を襲撃して、得られるものって何でしょうか」

 

 唐突な呟きにナナリーは首を傾げているものの、事情を知るメンバーには通じている。

 それでもその一言に、戸惑いはなくもなかったが。

 

「いきなりどしたよ。酔ったのか?」

「十年くらい前に降臨したにもかかわらず、私達はその存在を知らない。神の力によって奇跡がどうたらなんて、十中八九エルレインが関係していると思います。キーワードはハイデルベルグ襲撃ですが、そもそもウッドロウ王の命を狙って彼女に何の得があったのでしょうか」

 

 バルバトスが英雄の命を狙っていたことに関係しているのかいないのか、その辺りもややこしい。

 ロニからもらった地酒のメスカルを片手にフィオレが唸っていると、ふと思い出したようにカイルが口を開いた。

 

「そういえばさ、アタモニ神団もエルレインも、レンズを集めてたよね。ウッドロウさんのところに沢山のレンズがあったけど、あれが関係してるのかな」

 

 それを耳にして。フィオレは思わず声を張り上げた。

 

「大量のレンズが、ハイデルベルグ城に!? なんで」

「ファンダリアで見つかったレンズは、ウッドロウさんが管理しているの。玉座の後ろの部屋に、沢山のレンズが積み上げられているのを見たわ」

 

 どこが賢王だとんだ莫迦じゃねえか。

 一箇所に集めるのもそうだが、よりによって玉座の後ろを保管場所にするなどと。

 せめて禁足地作って封印でもしとけよ、何考えてんだあの顔黒元王子。

 

「……襲撃を受けたのはそれが原因で、奪った大量のレンズを元に大奇跡……神を降臨してみせたとか、ありませんよね」

 

 ウッドロウに関してなら、思うことなどいくらでもある。それを抑えて呟くも、否定意見が聞けることはなかった。

 返ってきたのは聞きたくもない肯定である。

 

「可能性は十分にある」

「可能性どころか、まんまな気がするけどな」

 

 そんな中、黙して話を聞いていたナナリーが口元に手を当てて小さく呟くのが聞こえた。

 

「エルレイン、ねえ……」

「ナナリー、知っていることがあるなら是非教えてください。その名を耳にしたことがおありで?」

「あ、いやね。二人の聖女の片方が、そんな名前だったなーって」

 

 二人の聖女。それを聞き、フィオレはエルレインが奇跡を起こす聖女と呼ばれていることを思い出した。

 それを説明し、その上で二人の聖女とは何なのかを尋ねれば、何故か彼女はしどろもどろと言葉を選んでいる。

 

「せ、聖女というか、フォルトゥナ神の御使いというか……ともかく、この二人は神の代理者だって、フォルトゥナ神から直々の達しがあったって話だよ」

「代理者ということは巫女……フォルトゥナ神の意志を伝えたりする役目の女性でしょうか」

 

 そんなのがいるなら神の存在などいくらでもでっちあげられそうな気がする。

 しかしナナリーまでもがその存在を認めているのだがら、何かあるのかもしれない。

 暑さには強いはずのナナリーが、気温が低い現在に滝汗をかいている。それが唯一、気になることだったが。

 

「なっ、なんだい?」

「──ナナリーは私達の恩人です。私達をだましたところで得はないはずですし、疑うようなことはしないよう努力しようかと」

「!」

 

 言い返そうとして、しかし何の言葉も出てこないナナリーをさておき、フィオレはリアラを見やった。心なしかその顔は蒼ざめ、細い肩は細かく揺れている。

 ──二人の聖女と聞いた時点で、もちろんフィオレはエルレインの対極に位置する少女を思い浮かべていた。

 もう一人の聖女の名はリアラと言わないのかと、言いそうになる己を抑える。

 人々を救うことに執心、同じレンズペンダントを所持、同じ類の奇跡。これらを偶然で片づけるには無理があり過ぎる。

 彼女自身隠していたことのようだし、これ以上触れてほしくもなさそうだから、口には出さないが。

 

「どうかしたの、リアラ?」

「う、ううん、何でもないの。過去に戻るためにも、カルビオラに向かった方がいいかなって」

「わかった。じゃあ、カルビオラへ行ってみよう!」

 

 キーパーソンであるリアラのお墨付きをもらい、カルビオラへ向かうことが決定する。

 しかし、一応確認しておくべき事項があった。

 

「ところでナナリー。カルビオラへは通常の方法で向かえますか? 聖地ともなると、神団の人間にしか行き来できないよう通常ルートは封鎖されているとか」

「大正解。だから、普通じゃない道を使うしかないよ」

 

 自分で言っておいてなんだが、正解してほしくなかった。二十八年前に使ったルートが使えないとなると、どこをどう行ったものか。

 まずはカルバレイス地方の詳細な地図を手に入れるべきかと議論を交わしかけて、ナナリーの一言により中断した。

 

「なんだったら、あたしが案内するけど」

 

 心当たりがあるのかと尋ねれば、地元民だけあって大まかな検討はつくらしい。

 実際に現地へ訪れたことこそないが、幼い頃聖地を垣間見ることができる位置まで行ったことがあるのだとか。

 

「よろしいのですか? 長旅でお疲れでしょうに」

「それはカイルやリアラだって同じだよ。乗りかかった何とやらって奴さ」

 

 ナナリーの申し出をありがたく受け入れ、ルートの説明は明日へと持ちこされる。

 話し合いが長引いたせいか夜はすっかり更けており、これ以上は明日に響くということで解散と相成った。

 

「リアラは家に泊まりなよ。カイルはロニ達のところでいいだろ?」

「うん。それじゃ、おやすみ!」

 

 月明かりが男性陣をぼんやりと照らす。いい月だねえ、と満月を見上げたナナリーは、何故か兎を彷彿とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十戦——いざ出立、目指すは過去~まずはカルビオラへ

 ホープタウン出立。ジャンクランドを経由して、トラッシュマウンテンへ。
 ジューダスがなんか積極的に見える不思議。念話の練習成果披露するつもりだっただけなのに。
 でも結局うまくいきませんでしたとさ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、夕暮れのこと。旅支度を整えた一同は、ホープタウンを発った。

 本当は早朝に出る予定だったのだが、例によってカイルがどうしても起きなかったためである。

 リリスが行ったように「死者の目覚め」をロニが行使しようとするも、手鍋とお玉を打ち鳴らすなど近所迷惑だと。疲れているんだろう、眠らせておいてやれなど。長屋を管理する女性達からやいのやいの言われたため、急遽間に合わせだった旅支度を万全にすることになったのである。

 鼻ちょうちんを提げたカイルが、暑さのあまり起きだしてきたのは正午のこと。

 日中で一番日差しのきつい時間帯目前に出発などできない。必然的に出立は、夕暮れ時となった。

 

「でさ、ナナリー。カルビオラへはどうやって行けばいいの?」

「昨夜も言ったけど、ちゃんとした道は使えないからね。あの山──トラッシュマウンテンの向こうに、聖地カルビオラがあるんだけど」

 

 彼女が指すのは、まるで砂漠を二分するかのようにそそりたつ岩山だ。登攀で超えるのは骨だろう。

 ナナリーも、そんな気は一切ないようだ。

 

「あそこのふもとにはもともと、ジャンクランドっていう村があったんだ。今は廃村になっちまってるけど、あそこで暮らしていた人達はトラッシュマウンテンから掘り出した、天地戦争時代の遺物をカルビオラの商人に売って生活していたらしいんだよ。その時に使っていた通路が、カルビオラに通じてるはずさ」

「……トラッシュマウンテンって、天上人達のゴミ捨て場なんだろ。そんなところ通るのか……」

 

 気が進まないとロニはぼやくが、他に道がないならどうしようもない。レンズ式ランタンで先を見据えつつ、一行は先を急いだ。

 気温が落ち切り、吐く息も白くなりがちな道程。一同がまず目にしたのは、朽ちかけた家屋の乱立する廃村だった。

 

「ここが元ジャンクランドだよ。一旦ここで休憩しようか。無理に進んでも、いいことないし」

 

 夜露を凌げそうな家屋を物色、安全のため固まって休息を取る。

 持ち前の防寒具で身を包み、玄関付近で見張りをしていたフィオレは、耳にした物音で振り返った。

 

「──まだ交代の時間ではありませんよ」

「知っている」

 

 持ち前のマントに包まり、壁に背を預けて休んでいたジューダスが首やら肩やら鳴らしている。

 一同が寝静まっている中で、彼は立ち上がったかと思うとフィオレの隣に腰を降ろした。

 

「いつ倒壊するかもわからなくて不安なのは察しますが」

「違う、黙れ。連中が目を覚ます」

 

 にべもなくそれを言われて、口を噤む。何の内緒話かと思えば、彼はだんまりを貫くままで何を囁くでもない。

 他の面々に気遣ったのは、評価するべきなのだろうが。

 そのまま、ゆっくりと時間が流れていく。本当に彼は隣に座っているだけで、何も語ろうとしないし、何をしようともしない。

 そろそろ何のつもりか尋ねるべきか、あるいはこっそり仮眠を取ってやろうか。そんなことを考え出した矢先。

 

「……おい、何で黙っている」

 

 唐突に口にした彼の一言は、フィオレの不意を突くのに成功した。

 おそらく、そんな意図はなかったのだろうが。

 

「人に黙れと言っておきながら、あなたは何をおっしゃるのですか」

「──聞いていなかったのか?」

『……もしかして、念話を使っていたんですか?』

 

 念話でそれを尋ねれば、彼はこっくりと頷いている。

 妙に可愛く見えるのは仮面のせいか、あるいはフィオレの頭のネジが飛んでいるせいなのか。

 

『大変申し訳ありませんが、何も聞こえませんでした。もう一度……いえ、何か一言呟いてください』

『……本当か』

 

 ザリザリザリ、とまるで砂利を噛むような雑音と共に、ジューダスの困惑に満ちた言葉が聞こえる。

 あれからあんまり進歩していないことを知って、フィオレはジューダスの手を取った。

 

「なっ!」

「お静かに。皆起きてしまいますよ」

 

 反射的に振りほどこうとするその手が硬直し、易々と彼の指に収まる銀環に触れる。

 フィオレとて、拙いチャネリングで他者に不快感を与えた経験があるのだから、調整は必要不可欠だ。ただ、それを告げたところで彼に通じるかと言えば正直難しい。

 そこで、補助となっているこの銀環で多少マシにならないかと試してみたのだが。

 

『ジューダス』

『……なんだ……』

 

 雑音は消えたが、若干音がこもっているような調子で聞き取りづらい。他人の感覚につき四苦八苦しながらも、会話を続けた。

 

『前にも似たようなことがありましたね』

『……?』

『白雲の尾根であなたが見張りをしていて、私が起き上がってきて……』

『!? バルバトスが、近くにいるのか?』

『いえ、そういうわけではなくて』

 

 今初めて、ジューダスの流暢な念話を聞いた。多分これでいいだろうと、彼の手を解放する。ところが。

 

『……』

『大丈夫、バルバトスが付近にいるわけではありません』

『……驚……』

 

 どうしたことなのか。あんなにはっきり聞こえた彼の言葉が、また聞き取りづらく、途切れ途切れのものに戻ってしまっている。

 やはり本人が調整しないといけないのか、あるいは彼に触れていたことに何か関わりがあるのか。

 再度細かな調整を行おうとして、フィオレはふとジューダスの様子に気づいた。

 常に仮面を身に着けているその顔が、小さくしかめられていることに。

 

「頭痛ですか」

「平気だ。……よくある、ことだから」

 

 それは念話を行う上でのことなのかを尋ねれば、彼は首だけで肯定を示した。

 慣れていない人間が、念話を行うことで異常をきたすのは当然のことだ。本来人間の器官ではありえない事象を起こしているのだから。

 

「苦痛を感じるくらいなら、それは外した方がいいです。預かりますよ?」

「余計なお世話だ。僕にかまうな」

 

 伸ばした手はぺし、と払われた。

 こんな憎まれ口が出てくるくらいなら、無理のない範囲で自分なりに研鑽を積むだろうと思っていいだろう。

 了承を示して、フィオレはそれまで考えていた「これから先のこと」に気をやっていた。

 これからどうするのか、という先の話ではない。カルビオラに着いた時のこと、目と鼻の先の話である。

 ナナリーはカルビオラのことを聖地と呼び、神様を守る神官達がいる、と言っていたくらいだ。降臨した神とやらがおわすのだろう。

 聞いた話を統合した限りでは、フォルトゥナという神様は、守護者達を一方的に嫌うという敵対勢力である危険性が非常に高い。

 あちらからしてみれば、フィオレは守護者達の手先だ。利害関係が一致しているだけ、などと言ったところでどうにもなりはしないだろう。

 カルビオラに一歩足を踏み入れた途端、激しい拒絶反応を起こされ、抗う間もなく消されなければいいのだが。あるいは交渉可能となったその時のことを考えて、対策を練っておいたほうがいいのか。

 神様とやらが具体的にどんな力を持っているのか、今の内にナナリーやリアラから聞き出しておいたほうがいいのでは。

 ともかく、どんなことになっても迅速な対応が出来るよう、起こり得る事態を想定し対策を練っても損はないだろう。

 そんなことをつらつらと考えながら、紫水の手入れをしていると。

 

「……そんなことをしなくても」

「ん?」

 

 不意にジューダスの肉声が聞こえて隣を見やる。そういえばさっき、ジューダスが起きだして隣に座ったことを、今更思い出した。

 彼はただ、じぃっと立てつけの悪い扉を睨みつけている。

 

「誰もお前なんか襲わない」

「……どのような思考を経てその言葉に至ったのか。頭開いて調べたいものです」

 

 手入れとは名ばかり、眺めているだけで手を動かさなかったのが原因なのか。それにしてもあのウブなネンネが進歩したものだ。

 大人になったとは微塵にも思わない。意味のない下ネタはアホなエロガキが連呼するものと相場が決まっている。

 改めて、刃零れがないかを確認し丁寧に磨く。道中何度も魔物と交戦を重ね、血飛沫やら体液やらにまみれた紫水は、月明かりに照らされて己が発光しているかのように見えた。

 

 結局それ以降、ジューダスとは何のやりとりもなく時間通りに見張りを交代して、フィオレは睡眠を取った。ホープタウンで見繕った保存食を齧り、旧ジャンクランドを後にする。

 ゴミ山といえど山、現在地であるふもとは岩山の日陰となっており快適だ。

 しかしそれを上回る劣悪な環境が、気温に関する快適さを打ち消すどころか塗り替えている。

 

「うわっ、ゴミの山だ!」

 

 外観は、カイルの発した通り。山のふもとはガラクタとも鉄くずとも見れる何らかの残骸が、足の踏み場もないほどに散乱している。

 

「天地戦争時代に、天上軍が廃棄物の投棄場所にしていたところだからね。本当なら通りたくはないんだけど、カルビオラへ抜ける道はここしかないんだよ」

「おいおい、こんなゴミ山を通るのかよ……」

 

 再びロニがボヤくも、言っているだけなら始まらない。足元に十分気を配りつつ進み始めた一同だったが、すぐに異変が勃発した。

 不意に彼が手をかけた場所ががらりと崩れたかと思うと、ロニは何やらぶつくさ呟き始めたのである。

 

「ああ……何かイ~イ臭いがするなぁ……頭がフラフラして、すげぇいい気分……」

「このバカ! 毒ガスを吸ったね!?」

 

 足元が危うくなり、あらぬ方向へ行きかけるロニの異常を察知したナナリーがその背中目がけてパナシーアボトルの中身をぶちまげる。

 彼が正気に戻ったのはパナシーアボトルの効果か、びしょ濡れになったからなのかは、判別つけがたい。

 

「ここはただのゴミ山じゃないんだから、気をつけな!」

「ナナリー、今毒ガスって……」

 

 そんな話は初耳である。フィオレは迷わず、手巾でリアラの鼻と口を覆った。

 空になったパナシーアボトルを仕舞うナナリーは、至って呑気なものである。

 

「ああ、そういえば言ってなかったね。トラッシュマウンテンに堆積して腐ったゴミから変な毒ガスが出るようになって、火山が近くにあるから硫黄の匂いが混ざって漂ってるんだよ。だからホープタウンの人達はジャンクランドから離れたのさ。通り抜けるだけなら大丈夫だけど、定期的に吸うと命に関わるからね」

 

 つまり、この近辺はゴミだらけで異臭が漂うだけでなく、有毒ガスすら発生しているというのか。聞きしに勝る悪条件である。

 更にナナリーの話によれば、ロニは偶然ガスの噴出口に近寄ってしまっただけで、漂っているものなら何ともない、とのこと。

 しかし、そう言われて安心できるものではない。現にリアラなど、毒ガスと聞きつけて白い顔を更に白くしている。

 とっさに足元から第二音素(セカンドフォニム)──地の元素を拝借しようとして、ここがトラッシュマウンテン──天上人達が捨てたゴミによって出来上がった山であることを思い出す。

 付近一帯が純粋な土でない危険性は非常に高かった。

 そのため。

 

「ジューダス、ちょっと」

「なんだ」

 

 彼の背に触れ、シャルティエから第二音素(セカンドフォニム)を得る。

 十分な音素(フォニム)が左手のレンズに溜まったことを確認し、ジューダスを除く一行が先に行ったことを確認して。

 

「母なる抱擁に覚えるは安寧──」

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze──

 

 大地の底に吹き溜まる瘴気すらも分解した譜歌が、漂う有毒ガスを大気へ戻していく。

 間欠泉のように吹き出すというガスがこれで完璧に消えたわけではない。しかし、多少はマシとなるだろう。

 

「今のは……」

「さ、行きましょう」

 

 普段は結界として働くそれが、周囲の異臭を薄めたことに気付いたのだろう。何かを尋ねかけるジューダスを引きつれて、フィオレもまた一同の背を追った。

 

「よかった。奥の方はもっとひどくなってるわけじゃないのね」

「どっちにしても、さっさと切り抜けましょう。さっさと」

 

 ちらりと見やれば、違う箇所からも視認できるほど毒々しい紫色の靄が発生している。すぐに大気に融けてしまっており、すぐここも毒ガスに汚染された空気へ逆戻りだろう。

 過去瘴気蝕害(インテルナルオーガン)なる病で命を落としかけたフィオレが、見ていて気持ちのいい光景ではない。

 道らしい道など発見することもなく、ナナリーの案内で通路へと至る。

 

「子供の頃、肝試しみたいな感覚でここまで来たことはあるんだ。だけどこの先は、入ったら帰ってこれないって噂でね……」

「な、なんだよいきなり! 通る奴を襲うオバケでもいるってのか……」

「この先はあたしにもわかんないってこと。興味本位で入り込んで、鼻水垂らして帰ってきた奴がいるくらいだから迷路みたいになってることはないと思うけど……」

 

 ならばナナリーの道案内はこれ以上意味を成さない。一応戻ってくれてもいいとの打診をし、最後まで送るとの返事が寄越される。

 それに頷いて、フィオレは前へ出た。

 

「ちょっと偵察してきます。魔物の巣になっていたら、洒落になりません」

「魔物……怪物の巣!?」

「こんなに暗くてジメジメしているんです。あり得ない話じゃない」

 

 退路確保のため、一同は入り口にいてほしいと告げ。フィオレは一人、崩れかけた階段を降りた。

 レンズ式のランタンを掲げ、石造りの通路に触れて第二音素(セカンドフォニム)をかき集める。

 思った通り、坑道内にはあの異臭が立ち込めていた。

 今のフィオレには異臭以外、何も気にする必要がない。それでも過去の苦しみを想起するこの気体を体内に入れたくなくて、再度譜歌を奏でた。

 本来フィオレの得意とする低音の調べは、声量と声域の関係もあってただ坑道に響くと思われたが。

 

「聞こえる……」

「え、何が?」

 

 疲れたから、という理由をわざわざ述べて、階段に腰掛けたリアラがぽつりと一言呟いた。その隣を陣取り、何やかやと話しかけていた少年は首を傾げるしかない。

 それまでほとんどカイルの話を聞いていなかった少女は、唐突に彼を見た。

 

「フィオレの歌よ。よく歌う前に、喉慣らしって言って歌ってる、あの歌」

「あの、何言ってるのかよくわかんない歌? なんで中で……」

「言い出したはいいけど、心細くなって歌ってるんじゃねえの?」

 

 ロニがそんな茶々を入れるものの、リアラは一切取りあっていない。むしろ思わしげな表情を浮かべて、彼女は二人を見やった。

 

「この歌、さっきも聞いたような気がするの。二人は聴かなかった?」

「いや、オレは別に……」

「ジューダスと一緒に、なかなか来ねえなあとは思ってたけどな」

 

 それを聞くなり、リアラはナナリーと言葉を交わしていたジューダスへと歩み寄った。

 彼はナナリーの言葉に対し、実に素っ気なく応じている。

 

「……でもそれじゃ、人生が楽しくないだろ?」

「人生を楽しむ資格など、僕にはない……」

「何言ってんのさ。あんなに綺麗な彼女がいるクセに、贅沢抜かすんじゃないよ」

 

 ナナリーがそれを口にした瞬間。彼は口にしていた水筒の中身を盛大にまき散らした。

 もともと鋭い眼光が矢のようにナナリーを射抜くも、彼女は平然としている。

 

「あいつの顔をどこで……いや。お前は一体、誰のことを言っているんだ」

「フィオレのことに決まってるだろ? 素顔のことなら、あの子を見つけたその時さ。あたしの家で痴話喧嘩してたし、夕べも見張りを手伝ってたじゃないか。まあ、ロニみたいな奴がいるから理由はわかるけどね」

 

 その言葉で、ジューダスは今更ながら彼女がフィオレを匿っていたことを思い出した。しかし、それは現状に何の意味も成さない。

 不名誉な誤解を解くべく、ジューダスは力説した。

 

「ナナリー。今から言うことは照れ隠しでもなんでもない事実だ。僕はあの女と間違ってもそんな関係なんかじゃ──」

「ねえジューダス。ちょっといい?」

 

 水筒を握り潰さんばかりのジューダスが、少女の呼びかけにくるりと振り返る。

 話こそ聞いていたようだが、茶々を入れてくる様子はない。

 

「……なんだ」

「さっきフィオレ、歌ってなかった? ジューダスと一緒にいたって聞いたの」

「何故そんなことを聞く」

 

 正直に答えたものかと一瞬迷い、まずははぐらかす。リアラの告げる内容を聞いたジューダスは、ふと真面目な顔になって水筒を腰に提げた。

 

「ああ、歌っていたな。喉慣らしと称して口ずさんでいた、アレを」

「やっぱり……あの歌、何か不思議な力があるのかもしれないわ」

 

 確信に満ちたその言葉に、ジューダスは何故だか己の動悸が早まるのを感じていた。

 フィオレの正体が暴かれたところで、己の正体発覚に通じる要素は少ない。

 海底洞窟にて共に命を散らした二人、ただそれだけだ。片や伝説扱いまでされている英雄、片や裏切り者なのだから知名度には天と地ほどの差がある。

 唯一の心配要素は、フィオレが己の正体を知っている。それだけだ。

 もしかすれば、自分の正体が暴かれたことでヤケになったフィオレが腹いせにバラす。

 全く想像がつかない上に、そもそもあのしたたかなフィオレが、早々自分の正体を見破られるわけが……

 

「あの歌って?」

「ナナリーは聞いたことなかったか? あいつ、時々フィオレシアさんのことを意識したよーな歌を歌うんだけどよ……」

「泡沫の英雄が行使した、余韻の奇跡のことかい? 歌っているだけにしか見えないし、聞こえないのに怪我を癒したり、人を眠らせたりするっていう」

 

 そのまま一同の話題がフィオレ自身のことへ及ぶ前に。

 不意に坑道内が騒がしくなったかと思うと、金切り声が聞こえた。

 

「総員退避!」

 

 だんだんっ、と階段を踏み抜く勢いで駆け上がるフィオレが、そのまま坑道入り口付近にたむろっていた一同を散らして入り口に向き直る。

 直後、薄暗い坑道からぬぅっ、と姿を現したのは、上半身と両腕のみを備えた魔物だった。

 如何なる構造なのか、野太い両腕は上半身から分離しており、その背後には巨大なひとつ目の蝙蝠の羽をはやした魔物を二体、引きつれている。

 その姿を一目見て、ナナリーは警戒を叫んだ。

 

「ヘルタスケルターとギャザーじゃないか!」

「知ってんのか?」

「馬鹿力の持ち主と、瞬間移動が出来る怪物だよ! 厄介な組み合わせさ……」

「──連れてきた責任は取ります。ご安心を」

 

 弓を取り出すナナリーに一声かけ、フィオレは抜き身の紫水を担ぎあげるようにしてかまえた。

 この技に関して、特にこれといった縛りはない。従って、はち合わせたその瞬間に使ってもよかったのだが。

 

「轟破炎武槍!」

 

 収束した真紅の剣気がフィオレの動作に応じて射出され、今まさに地上へ出ようとしていたヘルタスケルターを再び坑道内へ押し込んだ。

 石造りとはいえ、大分長い間放置されていた坑道だ。下手に乱戦を繰り広げて大事に至っても事だと、自重した結果である。

 大変残念なことに、あの魔物に足はなかった。従って、階段を転がり落ちたようなダメージは望めない。

 

「気を抜くな!」

「まったくです」

 

 剣気が放たれた瞬間、姿を消したギャザーを振り返り様仕留める。持ち得る特殊能力を身の安全にしか使用しないような単細胞の怪物の思考など、見抜くことは容易かった。

 刃にまとわりつく体液を払い、その間に取り出された笹の葉手裏剣があらぬ方向へ投擲される。

 ──リアラに向かって。

 

「きゃっ……!」

「伏せて!」

 

 突然のことで反応できないリアラを、カイルがとっさに促すことで事なきを得る。

 一方、リアラのはるか頭上を通過した笹の葉型の手裏剣は、不意に出現したギャザーの眼玉に突き立つことでその運動を停止した。

 痛みか驚きか、羽を動かすことを忘れてボヨンと地面を跳ねるギャザーを、カイルの剣が襲いかかる。

 

「まあ、こんなのが相手じゃ撤退もやむなし……」

「ナナリー、あれが現れたら足止めお願いします」

 

 巨大にして唯一の目玉を貫かれてもまだもがくギャザーはカイルに任せて、ナナリーに声をかけておく。

 彼女が弓を構えている間に、そろそろと体を起こすリアラに近寄った。

 

「あの魔物が現れたら、晶術で一気に片付けてしまいましょう」

「わ、わかったわ。弱点属性は……」

「地水火風。ここは一番影響の少なそうな、風で行きましょう」

 

 現在、フィオレの持ち得る譜術に純粋な風属性を持ち得る攻撃手段はない。あくまで第三音素(サードフォニム)を用いたもので、譜歌にしても支援用の代物だ。

 だから、というわけでもないが。これまでこっそり練習してきた晶術を試みようと企んでいた。

 もし不発だったところで、リアラと協力すれば仕留め損なうこともなかろうという考えである。

 

「我が元へ集え、風の獣。その牙を持て、我が敵を切り刻め」

「風精の息吹はかまいたちとなりて、彼の者を切り裂く……」

 

 虚空からではなく、わざわざ第三音素(サードフォニム)が詰まったレンズを手に詠唱を始める。

 すでに前方では姿を現したヘルタスケルターにナナリーが矢を射るものの、突き立つことなく散らされている。

 

「行きます、スラストファング!」

「ウィンドスラッシュ!」

 

 吹き荒れる真空の刃がヘルタスケルターを取り巻き、硬質なその表面をずたずたに切り裂く。

 僅かに遅れて放たれた風は、とどめとばかりヘルタスケルターの頭部を吹き飛ばした。

 

「え!?」

「フィオレ、今の……ウィンドスラッシュじゃないよ?」

「どっちかってーと、ウィンドストラッシュって感じだな」

 

 見事勝利を収めたものの、カイルとロニに突っ込まれてぐうの音も出ない。

 彼の言う通り、今のはとてもウィンドスラッシュと呼ばない。風の形をかまいたちにできず、圧縮して鈍器で殴りつけたような形にしてしまった。

 

「──ままならないものですねえ」

「何ならオレ、教えてあげよっか? その代わり、フィオレはオレに剣技を教えるってことで……」

「私の技が知りたきゃ盗みなさい」

 

 最近になって、カイルは剣の稽古だけでなくフィオレの扱う剣技に興味を示すようになっていた。

 同じ剣の使い手でも、ジューダスのようにもう一本剣を握るよりは、種は違えど一振りの剣を操るフィオレの技の方が扱いやすいと考えたのだろう。

 しかし、自分と同じ技を教えるつもりなどフィオレにはさらさらなかった。その必要があるならまだしも、自分のコピーなど作りたいとは思わない。

 どんな意図の元に弟子という存在ができたとしても、フィオレの願いは唯ひとつ──己を超えてほしい。そのためには、自分の写しではなく弟子自身に自ら技を体得してもらいたいというのが本音である。間違っても出し惜しみをしているわけでも、一子相伝の技とするまでに己の技を過大評価してもいない。所詮は確実に傷つけ、殺す技だ。

 それに、フィオレの技は極めて汎用性の高い──似たような剣技が存在し、改良の余地が加えられるものが多い。その気になれば、いくらでも真似られる代物なのだ。

 とはいえ……苦労して覚えさせられたものはともかく、フィオレ自身が試行錯誤して編み出したものは違うと思いたいものだが。

 

「フィオレのケチ! さてはオレに強くなられると困るから……!」

「聞こえない、何も聞こえない。さて、参りましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十一戦——行く道は平坦ならずとも難もなく~修羅場フラグ

 トラッシュマウンテン攻略中。
 道中障害もなんとなく協力しながら、基本的にはさくさくと進んでいきます。
 ゲームプレイ時にも思ったことですが、あの辺りの地形は一体どうなっているのでしょう? (ファンタジーに突っ込み禁止)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイルの寝言を聞き流し、偵察してきたばかりの坑道を降りていく。

 漂っていた毒ガスは除去済みだが、この坑道内にもガスの噴出口があるのだろう。うっすらと、あの異臭が感じられた。

 

「んで、ここを抜けると何処に出るんだ? カルビオラか?」

「いえ、どうもそんな単純な作りではないようです」

 

 フィオレとて、この短時間で坑道を踏破したわけではない。シルフィスティアに視界を借りて、全容を把握している。

 もともと崩れた時のことを想定していたのか、坑道はいくつもの分かれ道が存在した。

 内いくつかは倉庫を兼ねていたのか、小さな小部屋のように行き止まりになっている。

 坑道の階段を下ってすぐ、十字路へ至る。何のためらいもなくまっすぐ進み、変形したT字路を右へ、ふたつある階段の内ひとつを選んで昇っていく。

 ここまでくれば、シルフィスティアの視界を借りて見た光景を思い出さずとも、吹き下りてくる風が答えを教えてくれた。

 時折、人の気配を感知して物陰から襲いかかってくる魔物を退けては進み。通路の先、そこは階段こそあるものの行き止まりだった。

 

「行き止まりじゃねえか」

「隙間から光が差し込んでいて、空気がよどんでいる風情もない。瓦礫で蓋されているだけだと思います」

 

 レンズ式ランタンと紫水を壁際に置く。リアラとナナリーに周囲の警戒を頼んで階段を昇り、瓦礫に手をかけた。

 全力で垂直に持ち上げれば、瓦礫がわずかに浮いてそよ風が頬を撫でる。僅かな隙間から見えたのが外の光景であることを確認して、フィオレは力を抜いた。

 

「うん、外に繋がっています。ちょっと「コラ男共! ぽけっと見てないで手伝いな!」

 

 手をさすりながら振り返れば、それまで様子を伺っていたらしい男性陣がナナリーのお叱りを受けている。

 警戒は引き続きリアラが担当しているが、彼らは総じて不服そうだった。

 

「だって、フィオレのことだからドカーンと瓦礫を吹き飛ばしちゃうんじゃないかと思って」

「まったくだ。一人ですたすた先に行ったからには当然考えがあるもんだと」

 

 一応外の様子を確認してから、そうしようかなと思っていたのだが。ここは素直に甘えておくことにする。

 

「下がってろ」

 

 ジューダスに促され、フィオレは素直に階段下へ移動した。

 掛け声を合図に、三人がそれぞれ力を込める。同時に、ズズッ、と岩と岩のこすれる音が響き、そこからまぎれもない陽光が降り注いだ。

 

「出口だ……」

「もう少しだ、せーの!」

 

 再びロニが掛け声をかけた直後、出口を塞いでいた一枚岩がスライドされ、人一人通れるほどの隙間が出来る。

 吹きこむ涼風は、汗だくの三人にとってさぞや心地よいものだろう。

 

「お疲れ様です」

「まったくだぜ。あー、背中痛てー」

 

 フィオレから斧槍(ハルバード)を受け取って、ロニは軽く肩を回している。

 一同を伴って階段を昇り切れば、そこはトラッシュマウンテンの中腹だった。遥か下界に旧ジャンクランドが広がり、一同が通った道も視認できる。

 通路から先は山肌へ添うように足場が組まれており、道が続いていた。

 

「大丈夫ですかねえ……」

「フィオレ、高いところが苦手なの?」

「この場合、高所ではなく足場が怖いですね。どれだけ放置されていたのか知らないから、余計に」

 

 足元に転がる瓦礫の欠片を手に取り、前方へ放り投げる。拳大の欠片が組まれた通路に転がるかと思いきや。

 

 ドン、ボコッ! 

 

 欠片は床に転がったと同時に床を貫き、奈落へ転がり落ちていった。

 その様子をまじまじと見ていたフィオレが、小さく頷く。

 

「やっぱり所々腐ってるようですね。落ちたら命まで落としそうですから、慎重に行きましょう」

 

 紫水の石突で足場を叩きつつ、フィオレは静々と足を進め始めた。

 数少ないフィオレの弱点を見出そうとしていた少年も、これには神妙な面持ちで後から続く。

 山頂方面から襲いかかってくる、鳥獣系の魔物をいなしつつ進んでいくと、視界の先に石造りの小屋じみた建物が見えてきた。

 が、その手前はずっと昔に一度足場が崩れてしまったらしい。崩落の跡はそのまま、応急処置としてなのか、にわか拵えの梯子が渡されている。

 吊り橋や縄梯子を渡したものよりは遥かにマシだが、梯子を渡したものにつき当然足元が危うい。危険なことはもちろん、一時的に分断されるという厄介つき。

 

「とりあえず、私から」

 

 手すりも何もない即席の橋に足をかけ、ゆっくりと体重を移動させる。それだけなのにみしみしと厭味な悲鳴を聴かせる橋に辟易して、フィオレはあっさり後退した。

 

「ちなみにお前、体重は?」

「……あなたよりは軽い。リアラよりは重い。ジューダスとどっこいではないかと」

 

 きちんと計ったのが遥か以前につき、はっきりしたことは答えられない。若干何かを感じないでもないロニの質問を流して、フィオレはリアラを、ナナリーを見やった。

 

「お二人なら渡れるかもしれません。試してみますか?」

「わ、わたしはちょっと……」

「それに、渡れたところであんたらが通れないんじゃ、分断させられるだけだろ?」

 

 リアラはしょうがないとして、ナナリーの意見は最もだ。しかし、フィオレとて単純にそんなことを言ったのではない。

 

「二人のどちらかだけでもあちらに行ってくださるなら、これを渡すという手があります」

 

 フィオレが取り出したのは、麻でよられた荒縄だった。ホープタウンにて足止め中、村の留守を預かる女性達の手伝いをした際に拝借してきた代物である。

 そういうことなら、とナナリーが麻縄の先端を持って橋に足をかけるも、一歩たりとも進まず戻ってきた。

 

「駄目ですか」

「ああ。無事なのは見かけだけですっかり腐っちまってるよ。小動物が走ったって崩れるさね」

「本当かぁ? 案外、リアラだったら普通に渡れたりするんじゃ」

「あなたは怖がる女の子に無理やり渡らせる気ですか。違う手段を考えましょうよ」

 

 言外に体重の話を持ち出され、沸点の低いナナリーが噛みつく前に彼を黙らせる。

 ケンカの火種に容赦なく水をぶっかけながらも、フィオレは考えを巡らせていた。

 氷の橋を作る、という手段も考えたが、多分自重で半ばから折れる。この梯子を凍らせて橋を補強する手段も思いついたが、凍りついた橋はもともと危うい足元を更に危うくする。氷の大河での出来事を思い出せば、唯一建設的な案でもためらわざるをえなかった。

 

「……手品は使わないのか」

「使わずして何とかならないかと考えているんです。彼らから積極的に疑われようとは思わない」

 

 彼の抜かす手品は、守護者に力を借りた代物だ。

 緊急性があるならともかく、便利だからといって頻繁に呼び出されてはたまったものではないだろう。フランブレイブのように拗ねられても困るというのがフィオレの本音だ。

 あの温厚なシルフィスティアに限って、とか思ってはいけない。フィオレの思い通りになるほど、世界は都合よく動かない。

 せめて木の一本でも生えていればまだやりようがあったのだが……こんなゴミ山の中腹にそんなものを期待しても、どうしようもなかった。

 ひょいと視線を巡らせて、渡されている梯子の長さを目測で計る。

 梯子に手をかけ、持ち上げたくらいでは壊れないと確かめて。フィオレは梯子を取り外しにかかった。

 

「?」

「ちょっとね」

 

 梯子の長さと持ってきた麻縄の長さを比べて、縄の方が遥かに長いことを確認する。

 そして、フィオレはくるりと己の腰に、縄を巻きつけた。

 

「駄目もとで、走り幅跳びしてみます」

 

 麻縄をすぐ傍の丸い木枠に縛りつけ。フィオレは来た道を戻り始めた。

 

「フィオレ、危ないわ!」

「まずいと思ったら助けてくださいねー」

 

 縄が届くぎりぎりまで戻り、くるりと振り向く。これは縄の長さと梯子の長さを比較するためでもあるのだが……幸いなことに、足りそうだ。

 

『シルフィスティア。よろしければ、追い風お願いできませんか?』

『そんなまどろっこしいことしなくても、ボクに任せてくれれば……』

 

 なんかぶつぶつ言っているが、フィオレの真意は理解しているらしくそれ以上の文句はない。

 自分の歩幅と走れる距離、更に踏切点と着地点を一瞬想起してから、フィオレは走り出した。

 無論のこと、あっという間に踏切点が近付いてくる。

 あと三歩。あと二歩。あと一歩。

 踏切点と見定めた地点を踏み抜く勢いで、体を上へ、前へと押し出し──

 フィオレが着地しようとしたのは、何もない虚空だった。

 そのまま落ちるわけにもいかない。梯子がひっかけられていた足場へ腕を伸ばして、必死にへばりつく。

 この衝撃でこの足場が崩れたりした日には、命綱を引っ張ってもらわないとならないのだが……どうやらその心配は杞憂で済んだらしい。

 よじ登って一息つく前に、向こう側で胸を撫で下ろしている一同を横目に、もともと足場を形成していた木枠に己の命綱を縛りつける。

 麻縄がピンと張り、緩みがなくなれば手すりの出来上がりだ。

 その強度と張力を確認し、縄に足の裏を乗せる。

 僅かにバランスを崩しながらどうにか一同の元へ戻ると、いきなり罵声を浴びせられた。

 

「この馬鹿者! 普通に落っこちてどうする!」

「すいませんねえ。命綱が引っ張られたような気がしたのは気のせいですか?」

 

 よじ登って一息つくよりも前に、確かに見たのだ。木枠にくくりつけた麻縄の一部を握るジューダスを。

 この一言で彼を黙らせて、フィオレは再び梯子を架けた。

 その衝撃で朽ちて落ちそうな梯子に水筒の中身をふりまき、レンズから冷気を発生させ、濡れた梯子にまとわりつかせる。

 これならば、濡れた個所しか凍らない。従って、滑らず補強された橋の完成だ。

 後は、試用テストのみ。

 安全対策に張った縄を常に掴んだ状態で、橋を渡りにかかる。途中で足踏み、飛んだり跳ねたりで強度を試すものの、リアラやナナリー、カイルの悲鳴が聞こえるだけで橋の悲鳴は聞こえない。

 

「これならロニ以外は大丈夫でしょう。渡ってみてください」

「う、うん」

「一応一人ずつ。とりあえずリアラ、こっち来てみてくれますか」

 

 まずは体重が一番軽そうなリアラを招いて、フィオレもまた橋を渡る。

 しかしリアラが橋の半ばまで差し掛かった辺りで彼女は引き返し、結局フィオレはリアラを渡らせてから戻ってきた。

 

「……ロニが渡れるよう検証でもしてたのか?」

「ご名答。でも、あの橋では少々難しいですね」

 

 そのままナナリー、ジューダス、カイルの順に渡らせる。

 最後にロニが渡る段階になって、フィオレは注意を加えた。

 

「あなたがこれに体重をかけた瞬間、崩れていくと思うので走り抜けてください。全力で」

「……マジか?」

「これ以上橋を補強したら自重で崩壊してしまいますので、さあどうぞ」

 

 ここが砂漠のど真ん中であることを忘れてはいけない。この辺りはそうきつくも感じないが、直射日光は容赦なく橋の氷を溶かしつつある。

 それにロニも気づいたらしく、彼はひとつ舌打ちをして助走した。

 

「ぅおおおっ!」

 

 けして余計なぜい肉がついているわけではないが、彼は長身だ。

 骨と皮ばかりの細身でない以上、鍛えているということもあって追随する筋肉はどうしても体重を増加させる。

 当然踏みしめる力も強く、彼が駆けると同時に橋は脆くも崩れていった。

 それほど長い距離ではない──フィオレが走り幅跳びを辛くも成功させた程度であったことが幸いである。ロニは無事、対岸へ辿りついた。

 両膝をついて肩で息をしているのは、全力疾走の副作用だろう。

 その頃フィオレは、悠々と手すり代わりに張った縄の上を歩いて移動していた。

 

「お疲れ様」

「すごいわ、フィオレって綱渡りもできるの!?」

 

 返事をする気力もないロニに労いをかけていると、リアラが妙に目を輝かせながら駆けよってきた。

 まるで、初めて軽業を見た子供のようだ。

 

「──大昔に少しね。勘を取り戻せばこんなものですよ」

 

 リアラの感激に触発されたか、自分も挑戦すると言い出したカイルにそんな暇はないとジューダスが一喝し。下がりつつある日を背に石造りの小屋らしい建物に侵入する。

 鍵のかかっていない扉を開ければ、内部に生物の気配も何もなかった。ただ、まるで迷路のように仕切られている。それほど広くもないし、仕切りも複雑でもないため突破は簡単だった。

 頑張って勘ぐれば倉庫のように見えなくもない建物を踏破すれば、出口なのか引き戸式の扉がある。

 おそらくここは、旧ジャンクランドの人々がカルビオラの商人に取引を持ちかけるために使っていた倉庫兼中継地点なのだろう。

 ならばここからカルビオラも眺められるかも、と扉を開く。付近に魔物の気配がないかを確認し、引き戸を開いて。

 フィオレは無言で扉を閉めた。

 

「どうかしたのか?」

「いいえ、どうもしませんよ。ただ」

 

 ジューダスの問いに、フィオレは首を横に振っている。言いながら扉の前を譲り、彼女は背負っていた荷を降ろした。

 

「ちょっと、拍子抜けしただけです」

 

 いぶかしがるジューダスが扉を開いた先。それは、山の中腹付近から臨めるカルビオラではなく、広がる一面の砂漠地帯だった。

 そびえる岩山の影から、事前に聞いていた神殿と思しき建物がポツンと建っている。フィオレの知る、大都市カルビオラの姿は影も形もない。

 これにはジューダスも驚いたらしく、彼は先程まで歩いてきた道を振り返った。

 

「先程まで、山を登っていたはずだが」

「旧ジャンクランドへ行った時、大砂丘を下りましたよね。そこから特に上ることなくトラッシュマウンテンのふもとに到達して、そこから通路を使ったから……あるいは多少、地殻変動したのかもしれません」

 

 このまま進めば、夜にはカルビオラに辿りつけるだろう。

 しかし、ここに至るまでに大分疲弊したロニ、そして疲労を自己申告したリアラの訴えを聞いて、本日はここで休息を取ることになった。

 

「日が落ちてからのほうが侵入しやすいと思うが」

「確かにね。でも、二人の体調を考えず突っ走ってもいいことはありませんよ。特にリアラには、体調万全でいてもらわないと」

 

 紫水に付属した箒で室内の埃を外へ出しつつ、彼方のカルビオラを見やる。

 道中リアラは、妙に足取りが重かったような気がした。アイグレッテからホープタウンへ移動した際の疲れが残っているかもしれない。男のカイルや、女性であっても鍛えているナナリーと違って少女の体格は華奢なのだ。そもそもの体力にかなり差があるのだろう。

 あるいは何か、カルビオラへ赴くと不都合なことでもあるのか……

 埃をあらかた排除し、箒に付着したそれらを専用の櫛で丁寧に梳いて形を整えていると、仕切りの向こうから何やらやりとりが聞こえてきた。

 

「……俺は女なら誰でも口説くわけじゃねえ。ちゃんと厳正な審査を重ねてだなあ……」

「じゃあ、あたしはその審査とやらを通過しなかったってわけだね。へええ……」

「ナ、ナナリーさん。どうしてそんなに指をポキポキ鳴らしていらっしゃるのでございます?」

 

 カイルに対してなのか、居丈高に何やら高説をのたまうロニの声が突如として変化する。

 これまで──現在地たる十年後の未来へ訪れるまでは、聞いたこともないような声。

 

「ま、待て! 何なら審査をやり直してもいい! いや、今からやり直す! だから関節をキメるのは……!」

 

 ナナリーの言葉は一切ない。しかし、その後響いた悲鳴は一切合財を物語っていた。

 静かになった頃、悠々と入り口付近へと戻ればのびたロニと、頬を膨らませてそっぽを向くナナリーの姿がある。

 

「まったく、元気な奴らだ」

「元気っていうか、懲りないっていうか……」

「まるで好きな女の子をいじめてしまう、小さな男の子ですね」

 

 ナナリーと共に旅をするのはこれが初めての筈だが、それまで村に身を寄せ、世話になっていた者として彼女との関係は出来上がっているのだろう。

 道中も妙に夫婦漫才じみたやりとりが頻発したものだが、大概はロニの軽口をまともに受け取ったナナリーが関節技を炸裂させ、制裁を加えるという形が大半だ。

 今の様で道中のやりとりを思い出し呟けば、のびていたはずのロニがバネで弾かれたように立ち上がった。

 

「どーゆー意味だそりゃ!?」

「どうもこうも。幼い男の子は好きな女の子に対するアプローチの仕方を知らないから、ちょっかいかけて気を引いているように見えたんですよ。最もあなたは小さな男の子ではありませんし、アプローチだって知っているでしょうから、違うと思いますけど」

「……」

「それよりもロニ。少々そこで横になっていただけますか」

 

 一言も返せないロニが、いぶかしげにしながらもそれに従う。重ねた手の甲に顎を載せるよう指示してから、フィオレは彼の腰にまたがった。

 

「んな!?」

「いかがわしいことはしません。ご安心を」

 

 驚愕にだろう、身じろぐ彼に一言告げて、背中に触れる。

 筋骨隆々……ではないが、ジューダスのように中性的な肉付きから程遠い。デコボコとした成人男性の背中だ。

 

「──特にどこかの筋を痛めているとか、そういうことはなさそうですね」

 

 追憶から目をそらすように筋繊維に沿って触診する。その過程で少々硬い場所を見つけて、フィオレは手首を軽く回した。

 

「わ、判るのか?」

「多少はね。少し凝っているところがあるようですから、ほぐしましょうか。息吐いて、力を抜いて」

 

 フィオレが行うのは自己流の按摩であるからして、正当な知識のもとに行うことではない。

 そのため、ジューダスや年若く筋肉の柔らかい人間には効果を発揮しても、彼のような鍛え上げられた筋肉の持ち主に通じるかどうか。

 そんなことを考えながら、全力按摩を始めたのだが。

 

「おふぅっ」

「……」

「うおおぉ、はーっ……」

 

 特に文句もないようなので、よしとする。

 強張っていた筋肉がほぐれたことを確認して、立ち上がる。それを終了の合図と知ったロニが、不服そうに鼻を鳴らした。

 

「もう終わりかよ。もう少し……」

「腕が疲れました。また今度にしてください」

 

 彼が体を強張らせていたのは初めだけ、それ以降はいい感じに脱力していてくれたのだが、それでも成人男性の筋肉は硬かった。

 最初から最後まで一瞬たりとも気を抜けず、指の先まで全力で力を込めていたから疲れるのも早い。

 結局揉み治療を施したのは肩、背中、腰で終わってしまったが、ふとその手で己の肩に触れる。

 柔らかくて薄っぺらい、脂肪も多少張り付いた二の腕、小さくて細く、貧相な肩。

 当たり前だが全然違う、フィオレにはどうしたって手に入らないものだ。その持ち主は、ブー垂れながらも体を起こして軽く肩を回していた。

 

「すげえな、かなり体が軽くなったぜ。ありがとな」

「どういたしまして。体に異常がなくて何よりですよ」

「いーなー。ねえフィオレ、オレは?」

「……ちょっと横になって見てくれますか?」

 

 一応カイルの体にも触ってみる。しかし、これといった凝りは見つからない。

 

「異常なし。どこもかしこも、痛いどころか疲れてるところなんてないでしょう」

「え~……」

「強いて言うなら、ここですか」

 

 おもむろにカイルの頭部を両手で掴み、頭皮マッサージを始める。それなりに好評だったためロニからも注文されるも、適当に断った。

 先程から、妙にジューダスの視線がちくちくし始めたからである。

 

「……ジューダス、言いたいことがおありならどうぞ」

「別に」

 

 何を怒っているのか知らないが、その原因すら教えてくれないのでは探りようがない。

 別にこれまで彼以外の人間に按摩を施したことがないわけではないのだ。神の眼を追う旅においては、仲間達にも施していたくらいなのだから。

 確かに、彼がジューダスと名乗るようになり、一同と行動を共にするようになってからは、一度たりともしていない。彼がリクエストすることも、フィオレがしようとも思わなかったからだ。

 意図して彼にしなかったわけでも、彼の頼みを拒否したわけでもない。それなのに一方的に不機嫌になるというのは、下手にかまってはいけない事例か。

 

『坊ちゃん、これは言わないとわかんないですよ。フィオレが他の……』

『黙れ! それ……ぬか……』

 

 相変わらず聞き取りづらい念話だが、彼らの間で通じているなら何よりだ。

 ジューダスの相手はシャルティエに任せて、フィオレは夕餉の準備をするナナリーに近寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十二戦——時が凍る。口にした言葉は取り消せない~三度目の修羅場


 カルビオラに到着。
 二度あることは三度ある。修羅場はもう、おなかいっぱいなんですが。
 まだまだ彼らを困難が取り巻く模様です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日が昇る手前の瞬間。一同はすでに砂漠の細かな砂を踏みしめていた。

 一同の中には自分の足で歩くカイルの姿もある。例によって起きなかった彼を、手鍋とお玉を打ち合わせる音で強制的に起こしたのだ。

 カイルの伯母であるリリスが対スタン用に考案し、現在はカイルの母ルーティに継承されているという秘技。その名も死者の目覚めというらしい。

 ロニいわくコツがあるらしく、彼の死者の目覚めではカイルを完全に覚醒させるのは難しいらしい。現にカイルは、眠い目をこすり欠伸を噛み殺しながら歩いている。

 

「けどさ、本当にもらっちゃっていいのかい?」

「助けていただいたお礼と、道案内の報酬を提示していませんでしたから。そんなものでよければどうぞ」

 

 ナナリーが再三確認をしているのは、ハイデルベルクに本店を構えるソウル&ソード店主ウィンターズ氏の手がけた紫電シリーズだ。

 昨晩夕餉作りの手伝いに取り出したところ、ナナリーが目を輝かせて指摘したことから始まる。

 何でも、入手困難な材料から作られているため生産数が少なく、現在確認できるのはノイシュタット支店に非売品として飾られたものだけなのだという。

 確かに切れ味は異常なほどいいが、料理にそこまでの関心がないフィオレには、ちょっと贅沢な道具、という認識しかなかった。

 そこで、使ってみるかと全種類を取り出してみせたところ。彼女は子供のように歓声をあげて腕によりをかけた手料理をふるまってくれたというわけである。

 物の価値が判らない人間より、愛情を持って扱う人間のものである方がいいだろう。そういえばお礼もまだだったし、とフィオレはあっさり譲渡を彼女に申し入れた。

 

「でも、興味もないのによく全種類持ってたね。十年前じゃ普通にあるものなのかい?」

「まさか。ひょんなことで手に入っただけです」

 

 本物の紫電と勘違いして、これのために闘技場でひと頑張りしました、とはちょっと言えない。

 ひょんなこと、の内容は伏せたまま、彼方にそびえるカルビオラを目指す。遠目で見た通り、カルビオラは一変していた。

 建物は半球状、背後は溶岩が吹きだまり、火山と思しき黒い煙を絶えず吐き出す山が脇に控えている。

 半球状の神殿らしい建物は、お年寄りには非常に厳しい急階段によって随分高い位置に入り口が開いていた。

 様式の問題なのか、あるいは定期的に大人数が移動しているのか。見張りなどがいないことをいいことに、一同は大階段に足をかけた。

 

「これが、聖地カルビオラ……ずいぶん変な形してるね」

「ドーム状の建物とはな。さすが十年後だけあって、様子がまるで違う」

 

 ──そういえば、この世界で半球状の建物なぞあまり見たことがない。だからカイルは見慣れないこの建物を指して「変」と言ったのは判る気がする。

 ただし、外観だけではなくて違うことに関しても異常はあった。

 

「……なあ、妙じゃないか? さっきまであんなに暑かったのに、今はやけに涼しいぜ。それに見ろよ。ここには、砂粒どころかチリひとつ落ちてない」

「まるでここだけ、世界から切り離されてるみたいだね……」

 

 ナナリーの言い分は、言い得て妙だった。神の住まう聖地、ということで神聖化され、そんな雰囲気が漂っているのか。それとも……実際に結界のようなものでも張られているのか。

 シルフィスティアに頼んで内部の様子を探ろうとして。ジューダスの一言で取りやめた。

 

「……シッ! 誰か来るぞ!」

 

 確かに人の気配──それも一人や二人ではなく、大勢の人間が床を踏む音がする。

 こんなひらけた階段では身を隠す場所もなく、一同が一同階段を駆け下りようとしたところで。

 

「待って、こっち!」

 

 リアラが示したのは、整備用の足場だろうか。階段脇に張り出した台座だった。もしやと思って反対側を見やれば、同じような台座がある。

 五人とは逆に自分の見つけた足場へ降り立ったフィオレは、階段へ寄り添うようにしながらも再度シルフィスティアに語りかけた。

 が、しかし。

 

『シルフィスティア?』

 

 どれだけ呼びかけても、彼女からの応答はない。眠っているのか、それとも……甘えるな、という意志表示か。あるいは以前、接触拒否をした報いか。

 とにかく、彼女の視界を借りての内部探索はあきらめて、階段を降りゆく十何、何十人もの神官達がいなくなるのを待つ。

 どれだけの時が経過しただろう。足音も気配も感じられなくなったところで大階段を一望し、人影がないことを確認、一同が身を潜める台座へ歩み寄った。

 

「もう大丈夫ですよ」

「丁度礼拝が終わったようだな」

「今が好機だ。奴らが戻ってこないうちに、とっとと忍び込もうぜ」

 

 朝の礼拝が終わり、彼らがどこへ行ったのかはわからない。

 托鉢をするには付近に街がないと成り立たないし、そもそもあんな大人数で托鉢に行ったら、とんでもなく穏やかな食糧強奪になってしまう。

 意外に高低差のある台座から一同を引き上げ、警戒しつつ階段を昇りきる。

 扉も何もない、それでいて風が吹いても砂粒ひとつ侵入を許さない神殿へ無事侵入できたことに安堵して、フィオレはハタと気がついた。

 

「ナナリー、道案内ありがとうございます。ここから先は……」

「あたし一人が脱出するのは大変だから、引き返せって? もしレンズがなかったら困るだろ、一緒に探すよ」

「けど、こういう場合レンズが保管されているのは大抵、一番深い場所……」

「大丈夫大丈夫、これ以上はヤバそうだと思ったら、ちゃんと自分で言うからさ」

 

 どうにも楽観的なナナリーに、本人がそういうのだからいいだろうとロニにも意見され、その言葉の責任は本人に取ってもらうことにする。

 

「さ、とっととレンズを探してこんな時代からはおサラバだ」

「こんな時代で悪かったねぇ」

 

 警戒は絶やさぬまま、それでも入ってすぐに飾られているレンズを見つけてはしゃぎかけたカイルが、「これはイミテーションよ」とリアラから言いにくそうに事実を告げられてしょげている。そんな様子を見ながら呟いたロニの一言は、ナナリーの勘に障ったようだ。

 ロニはといえば、彼女の気が引けて嬉しいのだろう。心にもなさそうなことをうそぶいて、更に油を注ぎ始めた。

 

「こいつから逃げられるのが一番嬉しいかもな」

「なんだってぇ!?」

 

 言い争いがヒートアップする前に、ジューダスが小声で叱責することで沈静化する。

 彼らの言い争い自体はさておいて、ロニがこの世界を「こんな時代」と指し、ナナリーが過敏に反応したことは仕方ない気がする。

 カイルから聞いたアイグレッテの話もそうだろうが、何よりも神と名のつく者が存在し、人がソレに支配されていること。

 これすなわち、人が人と共生し、自由な選択肢のもと生きることを放棄している証だ。それはおそらく、人として在るべき形ではない。

 

 フィオレが生まれた世界もそうだった。

 それは神でこそなかったが、旧時代の遺物に振り回され、そのせいで人生を捻じ曲げられた人々をフィオレは何人も知っている。

 何かに支配され幸せになるなど、幻想だ。ひとくくりで断言などもちろんできないが、皆が皆そうはなれない。

 人が皆同様の存在でないように、人の感じる幸せも千差万別──同じモノではありえない。

 支配が管理に変わったところで同じこと。最も、それが間違っているとは思わない。

 誰かを幸せにしたくてそのように行動して、幸せに思う誰かがいるのなら間違っていることなどない。

 そのように行動して苦しんだ人間、悲しんだ人間、憤る人間がいるから、問題となり、間違っている要素となるのだ。

 神は全知全能にして全てを見通す存在である。正確にはそうであるべきだ。こんなことくらいわかっているはずだが、はてさて。

 

 入ってすぐ広がっていたのは、カイルが間違えたイミテーション巨大レンズを中央に抱くエントランスだった。左右には階段が下方へ伸び、吹き抜けとなったそこは予想に反して何もない。

 てっきりいくつもの扉で様々な場所へ通じていて、これは探索に骨を折ると辟易するものと思っていたが。

 ひとつしかない道──階段を降りて至るは、天使を象ったと思われる彫像に見守られた台座だった。左右の階段はここへ通じており、一見台座以外は何もない。

 

「……行き止まり?」

「ンな馬鹿な。じゃああの、大量の神官共はどこからわいて出たんだよ」

 

 一般的に品行方正が求められるであろう神団騎士であった人間の台詞とは思えないが、確かにその通りだ。

 台座に浮かんだレンズのような物体を調べるのはカイル達に任せて、フィオレは唯一周囲の壁とは異なる一面に触れた。

 思った通り、継ぎ目が他の壁と異なる。その部分が可動でもするのか、髪の毛一筋ほどの隙間が存在した。

 台座に浮かぶレンズを模したイミテーションが鍵である線が濃厚だ。早速そちらへ赴こうと、フィオレはくるりと振り返った。

 直後、ただの壁であったはずのそこに光が灯る。

 

「!」

 

 気づかぬ内に触れてしまい、罠を起動させてしまったかと身構えて、フィオレは拍子抜けした。

 てっきりビービー警報を鳴らして人を呼ぶかと思いきや、壁だったそこは下方へ収まり、フィオレに道を示したのである。

 

「……あれ?」

「どうかしたの、フィオレ? 早く行こうよ」

 

 首を傾げるフィオレを余所に、仲間達はさくさく壁の先へと進んでいる。

 早くレンズを見つけなければという思いに駆られているのか、ジューダスさえ如何にしてフィオレが扉を開いたのか、頓着していなかった。

 

「……?」

 

 不可思議な現象に首を傾げながら、仲間達に続こうとしてふと足を止める。

 見やればリアラが、足を動かさずジッとフィオレを見つめていた。その瞳には、まぎれもない疑念が宿っている。

 

「リアラ?」

「……フィオレ、今変わったレンズを持ってない?」

「私が今何か持っているように見えますか」

 

 即座に手のひらを見せるも、リアラの表情は一切動かなかった。それどころか、その眼差しは一層キツいものとなる。

 

「ねえ、フィオレ。何か隠してない?」

「──意図的なものからそうでないものも含めて、明かしていないことならいくらでも」

 

 肯定が聞けるとは思ってもいなかった。そんな顔で、リアラはフィオレを見つめている。

 突如として始まった二人のやりとりに、仲間達も足を止めていた。

 

「二人とも、早くレンズを探さなきゃ……「やっぱり持っていたのね、何か特殊なレンズを。どうしてあの時教えてくれなかったの」

「……その特殊なレンズとやらの存在が、この扉の開放に通じたと?」

「聞いているのはわたしよ。どうして答えてくれないの?」

「私の質問にも答えてくださると言うなら、考えましょう。全てを晒して人は生きていけない。私もあなたもそうであるはず」

 

 言外にリアラが様々な事柄を隠していることを突けば、少女はぐっと言葉に詰まった。すなわちそれは、フィオレの質問にも答える気はないということだ。

 その反応に、フィオレは小さく息を吐いた。

 

「行きましょうか。ここで突っ立っていても、時間の無駄です」

「……」

 

 フィオレが歩き出せば、少女も足を動かす音が聞こえる。

 扉の先は、一体どういった作りなのか。地下へ下ったはずなのに、透明な天井には青空が広がり、陽光が差している。まるで天へ捧げられているかのように、空の色をした卵型のレンズは花の萼にも似た物々しい台座で固定されていた。

 荘厳な様、その大きさたるや、一目見たカイルが感嘆の吐息を零すほどである。

 

「すげぇや、ラグナ遺跡で見たヤツと同じくらい大きいや!」

「どう、これで何とかなりそう?」

 

 つまりこれは、リアラが十年前の時代へ転移した際使われたレンズと同程度ということか。これだけ巨大なレンズでまさか足りないということもないだろうが……

 ナナリーの問いに、リアラは一応肯定を示して見せた。

 

「ええ、それよりも……いるのでしょう? 応えて、フォルトゥナ」

 

 少女が口にしたその名に、一同が反応を示すより早く。

 リアラが一歩、前を進み出ると同時に、掲げられていたレンズが光を帯び始めた。太陽光の反射ではなく、自ら輝きを放ち始めたのである。

 直視を許さぬほどに眩くはない、むしろ温もりすら感じ取れる光は、やがてぼんやりとした人の形を生み出した。

 まるでロニが苦手の幽霊の類であるかのように姿がはっきりしないせいか、有する色彩も過剰に淡い。

 カイルのものよりなお淡い金髪を後ろへ撫でつけ、女性の形をしたその体には神官服を多少ゆったりとさせたものをまとっている。これがフォルトゥナ神と呼ばれるものなら、多分こちらが原型だ。

 顔立ちは優しげでありながらまるで硝子の彫像を思わせるものがあるせいか、エルレインに酷似しているように思えた。

 光が結んだ幻は、たゆたっていた空から降りその足を地に着ける。閉ざされていた瞳が開き、幻なら出すことは叶わない声が言葉を紡いだ。

 

「よく来ましたね、我が聖女よ……」

 

 物静かにして、慈愛あふれるその声は幻でない証である。

 突如として現れた存在に、一同は各々の驚愕を示した。

 

「な、なんだ、こいつ!?」

「リアラ、たしかフォルトゥナって言ってたよね!?」

 

 リアラからの返事はない。が、少女がその名を呼び、それに応えて現れた者がいるのは目の前の事実だ。

 沈黙は元より、この事実こそが解答となるだろう。

 

「それじゃ、これが……」

「フォルトゥナだ……現存する、神……」

 

 ──つまり、目の前のこれが。守護者達を目の敵にするという、敵対勢力の親玉か。不思議なほど、目の前の存在に対して何も感じなかった。

 フィオレ自身はともかくとして、全身に身に着けた守護者達の宿る依代に目をつけそうなものだが。神と呼ばれる幻が意に介した様子はない。

 

「本物……なのか。本物の神様……!」

「ここに来た理由はわかっています。私の力で、あなたの願いを叶えましょう」

 

 幻──フォルトゥナは、明らかにリアラへ向けて話をしている。

 だが、何故だろう。焦燥のような、怖気のような、奇妙な感覚が走るのは。

 

「ですが、その前にひとつ。聞いておかなければなりません」

「……はい」

「エルレインはすでに、己がすべきことを見定めています」

 

 エルレインの名が出たところで、何か言いかけたカイルを、ジューダスが手で制している。

 全てを聞いてからにしろ、というニュアンスは伝わったらしく、彼は引き下がった。

 

「そしてそのために動き、多くの人々の信頼を得ています」

「……それは、そうかもしれません。でも……!」

「わかっています。あなたが、エルレインとは異なる道を歩んでいるということは」

 

 フォルトゥナは、それこそ聖母と称するにふさわしい笑みを向けている。

 見る者に安堵と温もりを感じさせるそれを見て。何故かフィオレは背筋がそそけ立つのを感じた。

 周囲の誰を見てもそんな反応はなく、ただフォルトゥナの存在、そして平然と言葉を交わすリアラに戸惑っているだけだ。

 誰ひとりとしてこの感覚がないのなら、気のせいだということにはならない。

 未知なる存在を前に恐怖しているのか。自問して、何となくだがそれが一番近い気はする。

 確かに敵意を向けられたら、どうしようもないのかもしれないが。そもそも相手は未知なる存在ではない。

 守護者を亡き者──ではなく無力化しようとした存在で、人類の絶対幸福を掲げる者。

 

「二人の聖女、二つの道……それはあなたとエルレインが私に与えた、運命です」

 

 もし相手が意に反する者を問答無用で抹殺すると言うなら、どうしようもなかった。

 だが、リアラと話すこの姿には知性も、思考も存在するように感じられる。聖女以外の人間と話ができないということもないだろう。

 それをこの後、カイルが証明してくれた。

 

「ですが、道は違えど想いは同じはず。リアラ、私達の目的ゆめゆめ忘れぬように」

「……はい」

「ま、待ってよリアラ!」

 

 話が一段落したと察したか、あるいはリアラの声を聞き我に返ったか。おそらく後者であろうカイルが、疑問をそのまま口にした。

 

「二人の聖女だの、人々を導けだの……一体、何のこと!?」

「それは……」

「二人の聖女は、私の代理者。人々を救いへと導く存在です」

 

 カイルの詰問に答えたのは、聖女との対話にくちばしを挟まれたにも関わらず、穏やかな口調のままのフォルトゥナだった。

 口ごもる聖女を助けようと思ったのか、己が庇護し幸福にすべき人間の疑問を晴らそうとしたのか。それは本人にしかわからない。

 

「神の……代理!?」

「人々の救いを求める想いが私を、そして二人の聖女を生み出したのです。一人はエルレイン、そしてもう一人は、そこにいるリアラ」

「!?」

 

 答えになっていない気がするが、語られた真実を耳にしてフィオレは刮目せざるをえなかった。

 フォルトゥナは、人々の救いを求める想いから生まれた。そして二人の聖女も同様だというのなら、それは彼女ら三人が同一の存在であるということになるのか? 

 生まれ方が同じだったというだけで、別個の存在だと思いたい。でなければフィオレは、リアラを殺さなくてはならないのかもしれないのだ。

 

「二人は違う道を歩み、それぞれ人々の救いの姿を、探し求める旅に出たのです」

「じゃ、じゃあよ! エルレインがやろうとしてることは……人々を救おうってことなのか!?」

「そんな……ウソだ!」

 

 リアラは聖女だった。その事実に困惑を深めたカイルが閉口しかけて、兄貴分の言葉で我に返る。

 おそらく彼の脳裏にあるのは、ハイデルベルグでの一件だろう。

 

「だってあいつは、ウッドロウさんをバルバトスに襲わせたり、レンズを奪ったりしてたじゃないか!」

「エルレインは、結果としてそれが人々の救いに繋がると思ったのでしょう」

「そんなの……間違ってる! だって、現にウッドロウさんは傷ついてるじゃないか!」

 

 エルレインの行いを挙げ連ねても、フォルトゥナは平然と聖女を擁護した。

 彼女としてみれば、最終的に誰も彼もが幸せになればいいと思っているのであり、その過程で誰が傷つこうが知ったことではないのだろう。

 それに気付いてか、「全人類の幸福」を目指すにあたっての矛盾をカイルはフォルトゥナに突きつけるも、神は淡々と言葉を返すだけだ。

 

「間違っている? ……なぜ、そう思うのですか? アイグレッテを見たのでしょう? 人々は安全で快適な街の中で、幸福に暮らしています」

「確かに、何も知らなければあれでも幸福かもしれないね。けどさ……親から子を奪うのが、幸福だったのかい? 生きてるって実感をなくしちまってるのに、本当に幸福なのかい?」

 

 ナナリーの意見は、おそらく根底から間違っている。

 なぜなら、何も知らないからこそ人は幸福でいられるのだから。生まれたての赤子が悩みや苦しみを持っているだろうか? 答えは否だ。

 幸せが人それぞれのものであることは彼らとて知っているはずだ。それでも、あまりに納得しがたい神の返答はカイルの感情を高ぶらせた。

 

「そうだ! やっぱり間違ってる! エルレインもフォルトゥナも、おかしいよ! リアラだってそう思うだろ? 言ってやれよ、あんなのは全然幸福じゃないって!」

 

 この分だと、カイルは気づいていないのだろう。少女があの時……エルレインを引き合いに出されて、何を言おうとしていたのかを。

 今もカイルの言葉に対して無反応な理由を。何となく、想像はついていた。

 それでも、これまで見知った少女からすれば。この沈黙も、後少し。

 

「どうしちゃったんだよ、リアラ! 何で黙ってるんだよ!」

「……たしだって……」

「え?」

「わたしだって、エルレインは間違っていると思うわ」

 

 ようやく聞けた、リアラの同意。しかしそれに伴うのは、今にも泣き出しかねない彼女の胸の内だった。

 これが偽らざるリアラの本音なのだろう。

 

「でもエルレインには力がある! あの人のおかげで、幸せだと感じている人達もいる! ……けど、わたしには何の力もない! 英雄だっていない。誰一人幸せにしていないし、どうやれば幸せにできるのかも、わからないもの……」

 

 もう一人の聖女への劣等感と、目的を果たせない焦燥と……これは一同に、というかカイルに、聖女であることが知られてしまったショックがあるのかもしれない。

 どう考えても通常の精神状態から程遠いリアラに、カイルの言葉は逆効果だった。

 

「そんな……そんなことない! だってリアラは、すごい力を……!」

「やめて! 何もわからないくせに、無責任なこと言わないでよ!」

 

 カイルにしてみれば、彼にとっての事実をただ口にしているだけだ。しかし、今の彼女には何を言っても通じるはずはなかった。

 彼は人間、彼女は聖女。リアラにとって大いなる力の所持は当たり前で、下手な慰めなんか聞かないとヒスを起こしているのだから。

 それでも無理やりリアラを納得させたかった彼は、最も聞きたくなかったであろう言葉を引きだしてしまった。

 いや──この場合、売り言葉に買い言葉という要素が大きいが。

 

「わからないって……オレは!」

「あなたには何もわからないわ! 使命を負うことの重さも、本当に力がどんなものかも!」

「そんなことない!」

「わからないわ! だってカイルは、聖女でも……英雄でも、ないじゃない!」

 

 ──時が凍る。口にした言葉は、取り消せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十三戦——激突! 女神様との闘い~神のくせに逆ギレすんな~

 リアラとカイルの修羅場中、ラスボスとの初接触は、終始闘いに準じるものでした。
 口論も、物理的な方も。
 展開的にはちょっとした小競り合いですが、流石神様、命がけ。
 早すぎるよ! という突っ込みにはめげませぬ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 効果はバツグンだ。彼女の言葉は事実以外の何物でもない。

 しかし、たとえ事実でも言っていいことと悪いことがある。

 絶句したカイルからぷいっと顔を背け、リアラは再びフォルトゥナと向かいあった。

 

「……フォルトゥナ。わたしたちを、十年前の時代に送って」

「いいでしょう。ですが……」

 

 ここで、フォルトゥナの視線が初めてリアラから外れる。

 気づいていなかったわけではないし、見逃す気もないらしい、と。

 

「リアラ。あなたはその者の正体を存じ、それを承知で行動を共にしているのですか?」

「え……?」

「知らないと思いますよ。何も話していませんから。それで、可愛い聖女の望みを叶えてあげないのですか?」

 

 多分、黙っていればフォルトゥナはよどみなくフィオレの正体を告げるだろう。守護者達のことはともかく、フィオレ自身のことに話が及んだら事だ。

 それに。

 

「──聖女の望みは叶えます。ですが、彼らに与するあなたに神の恩恵はあやかれない」

 

 これから行うつもりの、フィオレとのやりとりにおいてフォルトゥナがヘソを曲げたら大変だと思ったのだが……それにしても声のトーンが変わり過ぎた。

 すでに面立ちから慈愛は消え、端正であるが故に冷たく感じられるものへと切り替わっている。

 唐突に始まったやり取りを前に、修羅場を目の当たりにした一同、そして今しがた派手に決裂した二人も当惑した。

 

「フィオレ、あんたフォルトゥナのこと知ってたのかい!?」

「名を聞いたのはあなたのお家で。顔を見たのは、今しがたのこと」

 

 ただし、存在そのものはかなり前から知っていた。その答えは「いいえ」ではない。

 驚くリアラの隣、フォルトゥナと対話するために少女同様前へ出る。無論のこと、これは打算と下心を伴うものだ。

 仲間を巻きこまぬため、もしもの時は……リアラを盾にするつもりで。

 

「私の聖女から離れなさい。彼らにかしずく穢れた亡者よ」

「……ヒドい言い様。ケンカ売ってるんですか?」

「先に敵対を示したはそちら。絶対的な、それこそ神に等しき力を持ちながら苦しむ人々を放置した。人が生きていく上での試練と称し、何もしようとせずただ見守るだけ。そのように考える者達との共生など、できるはずもない」

 

 彼女は、人々が苦しみから救われたいという思いから生まれた、いわば新参の神だろう。

 生まれた理由がそれでは、守護者達の考えなど理解できるはずもない。守護者達が新参の神の、一方通行的な考えに賛同することが出来なかった結果がアレなのか。

 うまく話し合いが成立するといいのだが……

 

「……あなたは人を、生まれてから死ぬまで一切変化することのない生きているだけの肉塊と勘違いしていませんか?」

「何を言い出すのかと思えば。そんなわけがありません」

「ええ。人は生まれてから体がある程度大きくなる生き物です。何故そうなるのかは、ご存じで?」

 

 相手に自分の認識を知ってもらいたい。その上で相手と理解しあい、どうにか穏便に事を収めたい。

 そんな目論みのもと、フィオレは言葉を選んで慎重に対話を試みた。

 

「人がそのような作りである生物だからです。生まれた瞬間からこの姿の私たちとは違う」

「……ええ。人は生きている限り成長する生き物です。でもそれは体に限ってのことじゃない」

 

 言葉を選びながら、殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。

 願わくばこの神が、人の言葉を聞き入れ、理解してくれることを祈って。

 

「知能や人を人たらしめる、人しか持たないとされる心。これら精神は、生きているだけでは成長しません。生きている上で遭遇する、様々な経験が精神の成長を促す要素となるのです」

「……何が、言いたいのです?」

「私にはあなたが、人の精神の成長を阻んでいるようにしか見えません」

 

 多分、現在のアイグレッテという街に対して感じた違和感の正体はこれだ。人々は神に頼ることで知能を、心の成長を止めてしまった。

 個人的なことだが、それが悪いことだとは思わない。それもひとつの、幸せの形には違いない。

 

「弱い人間は多いから、少しでも楽な方へと考えて、結果としてあなたが生まれたのかもしれない。そしてあなたを奉り、頼って生きていくことを決めたのも人が選んだことだから、私にとやかく言う筋合いがないのは知っています」

「……」

「でも、ここにいる全員の髪色や顔の作りが違うように、人の考え方も種々様々なのです。人類の絶対幸福を願うのならまず、存在する全ての人々が持つ幸せの形を……生きる様を知るべきではないのですか。全ての人々を箱庭に収めて同じように扱うのではなくて、あなたを否定する人々の幸せも、考えることはできませんか?」

「ただ人を放置する彼ら側の者が、何を言って」

「言ったでしょう、弱い人間は多い。強大な存在が手を差し伸べれば、そのまま離さず依存する者も多い。それはこの時代の人々が証明している。手を差し伸べたままでは人は精神の成長を忘れ、人間としての種が衰退していく。その先に待つのが何なのかは知りませんが、それが星としての在り方に果たしてふさわしいものなのか。そうでなかったら、守護……彼らはあなたに賛同していたはずです」

「……それらを私に告げて、何を望むと言うのです」

「生まれた理由に固執しないでください。あなたにとって人はか弱く儚い存在でも、あなたの庇護なしに生きていけないわけじゃない。あなたを生み出した人々の可能性を信じて、見守っていてあげてほしいんです。彼らの力でどうにもならない時、少しだけ力を貸してあげる程度で」

 

 フィオレが言葉を結び、フォルトゥナも沈黙する。

 水を打ったような静けさを、すっかり変質した声音が切り裂いた。

 

「聞きましたか、リアラ。これは彼らの代理者の策略です。何一つはっきりしていない、あやふやな言葉で私さえ言いくるめようとする」

 

 全否定、更に聞き流された。

 フィオレとしては苦心に細心を重ねて言葉を選んだつもりだったが。理解してもらえなかったのが残念だ。

 フォルトゥナがこうだとすると、リアラもおそらく同意するだろう。神も聖女も敵に回して、守護者達の声も今は聞こえない。

 失望を覚えた矢先、まずどうやって生き延びようか、それだけを考えて。隣からリアラの声が聞こえた。

 

「フォルトゥナ、何を言っているの? フィオレはあなたを言いくるめようとなんて、してないわ」

 

 希望という名の蝋燭が、一瞬にして灯る。そんな気がして、彼女を見やった。

 リアラはそれすらも不思議そうに、フィオレを見返している。

 

「どうしたの?」

「……フォルトゥナはあれを否定して聞き流したのに、あなたがそう言うとは思わなかったんです」

「だってフィオレは、フォルトゥナがどう間違っているのか、その上でどう改善するべきか言っただけでしょう? 違うの?」

「いいえ、確かにその通り。その通り、なんですけど……」

 

 一番理解してほしい相手に聞き流されたら意味がない。

 そして、同意を求めたはずのリアラにこんな反応を返されたフォルトゥナはといえば。

 

「ああ、リアラ。私の聖女。純真なばかりに、こんな下らぬ言葉遊びに騙されて……」

 

 怒っていないのは何よりだが、どこがどう言葉遊びなのかを説明してほしい。

 真剣に大真面目に、尚且つ怒らせないように、言葉を選びに選んで対話を求めたフィオレの立つ瀬がない。

 とはいえ──神が、守護者の手先とはいえ人間の言うことに耳を貸すだろうかという疑問がなかったわけではないのだ。論破を目論むでもなく、全否定される危険性を欠片も想像していなかったわけではない。

 しかしこれで、対話による解決は絶望的となった。

 言いくるめようとだの、言葉遊びだの、一応聞いてはいるようだから何故そう思うのか。それを尋ねることで対話だけでも成立させようかとしたところで。

 

「──やはり、野放しにはできません」

 

 それまでリアラに向けていたものとも、フィオレに向けたものとも違う声音。

 優しげで静かなものでありながら、決定的に異なるその声に、フィオレは少女の手を引いて後退した。

 直後、フォルトゥナの胸元に輝きが灯る。かと思うとそれは炎弾と化して、二人が立っていた床へ激突した。

 床を焦がす程度ではあるものの、直撃したら火傷では済まされない。

 

「フォルトゥナ……!?」

「何をするのです、リアラに当たるところだったではありませんか!」

「──私は何も間違っていない」

 

 フォルトゥナの声音は変わらない。優しく、静かなまま。が、その面に浮かべているのは聖母の如き笑みではない。

 敵を前にし、見下すような──冷たい瞳。

 

「人々を幸福に導くのが、私の宿命。その私を拒否した守護者達には重罪を。そして──身の程をわきまえぬ穢れた亡者に、裁きの鉄槌を」

 

 ぼんやりとしたフォルトゥナからではなく、飾られたレンズから途方もない晶力の高ぶりが感じられる。

 やっぱり怒らせてしまったか。神様ならもうちょっと寛容でいてくれと内心で焦りつつ、フィオレは一同に集うよう声を上げた。

 

「なんだなんだ。神のくせに、正論突きつけられて逆切れかよ!」

「ごめんなさい、皆。文句は生き延びたら受け付けます」

『すみませんね、シャルティエ』

 

 さりげなくジューダスを引き寄せ、第二音素(セカンドフォニム)、大地の属性を限界まで引き出す。念話でシャルティエに詫びて、集中した。

 

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze──

 

「フォルトゥナ、一体何を……」

「絶対的な力の差を、思い知るのです──インディグネイト・ジャッジメント!」

 

 半球型の結界が展開すると同時に、見たこともない円陣がフィオレを中心に床一杯に敷かれていく。

 円陣は二重三重にも広がったかと思うと、幾つもの雷光が煌めいた。

 

「うわあ!」

 

 轟音が木霊するも、それだけで一切の衝撃も負傷もない。代わり、結界が耐えかねたように弾けて譜陣も消滅する。

 

「耐えきったか……?」

 

 そんなわけない。

 信じたいその可能性をかなぐり捨てて、フィオレは再度譜歌を奏でた。

 譜陣が展開しきると同時に、飛来した何かが完成しかけた結界に突き刺さる。

 それは、ロニの全長をも凌駕する大剣だった。大剣はじりじりと結界内へ侵入を果たさんとするも、真下のフィオレを穿つより早く消滅する。

 保険に第二音素(セカンドフォニム)のレンズを握りしめていてよかった。敷かれていた円陣は消え、全身からドッと汗が浮かぶ。

 

「インディグネイト・ジャッジメント……神の鉄槌を、防いだ……!」

「あくまで、抗うか。己の犯した罪を認め、その贖罪として、偽りの命を捧げるのです!」

 

 リアラの驚愕を余所に、見下すような冷たい瞳に、明らかな怒りの色が宿る。神様にも感情があるとは意外だと胸の内で呟きながら、フィオレはフォルトゥナを見やった。

 降臨した際よりもその姿はぼやけ、色彩も一段と薄い。力を行使したせいか、冷静さを失い姿を保とうとしていないのか……前者であることが望ましいが。

 だが、あの様子を見るに立ち尽くしたまま恨みごとを連ねるに終わらないだろう。それは、彼女の頭上にあるレンズが証明している。

 もう一度、結界を張るか。いや、先程の鉄槌とやらに結界は耐えきることができなかった。今度も重ねがけで凌げるかは甚だ疑問である。

 

 ──楽観視はしない、今度は、己一人の被害に留まらないのだ。突き飛ばしただけでは誰も助からない。

 

 今まで考案したことはあっても、試したことはなかった。それでも、これしか方法がないと思わせるほどに晶力は高まっていく。

 対峙する相手が神だからなのか、それとも放たれようとしている力に恐怖しているのか。リアラなどは一点を見つめて、ぺたんと座りこんでしまっている。

 それに気付いて、フィオレは少女の隣に座りこんだ。

 

「リアラ。大丈夫ですか、リアラ」

 

 呼びかけた反応こそ示すも、リアラの目は一点を見つめたままだ。

 思い切ってその小さな肩を掴み、自分に向き直させる。それでやっと、焦点を失っていた彼女の目に光が宿った。

 

「フィオレ」

「呆けている場合ではありません。あなたに頼みがあるのです」

「……今の内に、時空転移を……?」

 

 呟くような声で確認するリアラに対して、フィオレは大仰に首を横へ振った。

 それが最善なのだろうが、フィオレが望むは別にある。

 

「時空転移ではなく、あのレンズから晶力がなくなる前に皆を安全なところへ避難させてください」

「……え?」

「今時代を移動したら、もともとこの時代の人間であるナナリーが置き去りにされてしまいます。助かりたいのは山々ですが、恩人を見捨てたくはありません」

 

 この時点で、フィオレは時空転移がどのようにして発生する代物なのかを理解していない。

 ましてや、状況が状況だ。深く考えるようなこともなく、フィオレはまくしたてた。

 

「今この状況に陥ったは私に原因がありますから、私を囮にしてくれてもいい。関係ない皆なら見逃してくれるはずです。聖女として愛でられるあなたも」

「!」

「だから皆を……」

 

 お願いします、と続けようとして。

 おどろおどろしく響いたその声を耳に、フィオレは立ち上がった。

 

「穢れた手で聖女に触るな──薄汚い、罪人が!」

「化けの皮が剥がれましたね」

 

 そう。フィオレがこれから行うべきは、リアラが力を使うまで彼らを護ること。

 自身が生き延びる方法は、皆がいなくなってから考える。

 

「奏でられし音素よ、紡がれし元素よ──」

「これ以上は時間の無駄です。消え去りなさい」

「穢れた魂を浄化し、万象への帰属を赦さん……」

 

 今はもう体内にしか存在しない第七音素(セブンスフォニム)をかき集め、足元に譜陣を、手のひらに仄かな光を灯す。

 

「ラスト・ヴァニッシャー」

「ディスラプトーム!」

 

 上下からの圧力を感知したフィオレは展開した譜陣に光を押し付けた。

 従来、一方向へと放たれていた万象を音素と元素へ還すその光が、加えられた圧力のみに向けられる。

 触れればどのようになるか。想像するだに恐ろしい圧力が、生まれる傍から消えていく。

 ただし、発生した衝撃は消しきれず一同を包んだ譜陣の外へと漏れ、床や壁はおろか透明な天井をも砕き、崩壊させた。

 

「馬鹿な……」

 

 力が弱まる気配もなく、唐突に圧力がかき消える。

 それに合わせてディスラプトームの行使をやめたフィオレは、改めてフォルトゥナを見た。

 正直、幸運な事態である。あのまま第七音素(セブンスフォニム)を放出し続けていたら、やがて肉体を構成する音素(フォニム)と元素のバランスが崩れて、あの術の被弾より前に消滅していた。

 一方、今ので完膚無きまでにフィオレを消そうとしていたのだろう。神らしからぬ驚愕の表情をフォルトゥナは浮かべていた。

 

「神の、この力が。退けられた……!?」

「言ったはずですよ。人間は、生きている限り成長し続ける。あなたにとっては非常に脆い存在でも、時としてこんな奇跡を起こすことがある」

 

 無論、フィオレにとっては奇跡でも何でもない必然の行動だ。しかし、奇跡が彼らの専売特許ではないと知らしめるにはちょうどいいだろう。

 幸い、まだ体は動く。とはいえあんな不透明な物体に攻撃する気はない。そんな素振りを見せて、火に油を注ぐつもりもない。

 挑発すれば何とかなる相手ではない以上、事態が激変するまでひたすら凌ぐしかなかった。

 驚愕の表情を浮かべながらも、フォルトゥナはその姿をいっそう透明化させている。

 まさか力を使い果たして消滅する、なんてことにはならないだろう。本腰入れて防御したとはいえ、たかだか二つの術の行使で消え失せなどしたら、お粗末すぎる。

 さて次は何を仕掛けてくるやら、と身構えたその時。

 別方向から晶力の高まりを感じて、フィオレは思わず振り返った。

 視線の先には、敢然と立ち上がったリアラが首にかけたレンズペンダントを手に瞳を閉ざしている。これで皆の無事は保障されたかと胸を撫で下ろしかけて、フィオレは固まった。

 リアラの放つ光は、フィオレにも及んでいたから。

 

「リアラ……!? 」

「フォルトゥナ。わたしは、フィオレの言葉が間違いだなんて思わない」

 

 光はどんどん膨らみ、直視を許さぬほど強くなっていく。その最中にも、リアラはフォルトゥナを真正面から見つめていた。

 フォルトゥナが何かを言うような素振りを見せる。しかし、それを聞きとるよりも早く。

 リアラのレンズから放たれる光が一同を飲みこみ、かつて見た白光が視界を塗り潰していく──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十四戦——ナナリー、初めての時空移動~漂う気まずい空気

 カルビオラ~ハイデルベルグ。
 神様にめっされることもなく、どうにか戻って参りました、過去に。
 しかしながら、何事もなかったかのようにはいかずに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひんやりとした大気が頬に触れて、眼を開く。

 辺りを覆う一面の雪、見たことのある町の風景はここがファンダリアのハイデルベルグであることを証明していた。

 倒れていた体を起こせば、そこかしこに仲間達の姿が散らばっている。

 金髪はカイル、銀髪はロニ。変な白骨仮面の隙間からのぞく漆黒の髪はジューダス、瑞々しい枝色の髪はリアラで、二つにくくった緋色の髪が……

 

「!?」

 

 他の誰に構うことなく彼女の元へ駆け寄り、その体を起こす。

 どれだけ倒れていたのかわからないが、彼女は酷暑の地に住んでいた人間だ。いきなりショック死はなかろうが、それでも放置しておくという選択肢はない。

 抱き起こして意識を取り戻させ、とりあえず予備の外套でカルバレイス仕様の服に包まれた体を覆う。

 その間にロニがむっくりと体を起こすのが見えた。ナナリーが倒れていたのは彼の真後ろにあたるため、ロニが彼女に気付いた様子はない。

 

「ここは……ハイデルベルグか?」

「そのようだな。どうやら戻ってきたらしい。僕達の時代に」

 

 ロニと同じように起き上がったジューダスは、黒い衣装に張り付いた雪を払っている。

 同様にカイルやリアラも立ち上がっているが、二人の間には重苦しい空気が漂っていた。

 一見向かい合っているように見えるが、互いに目を合わせようとしない。

 

「ふぅ、やれやれだぜ。まったく大変だったなぁ、カイル」

「……」

 

 それがわかっていないのか、わかっていてやっているのか。ロニはわざとらしくカイルへ話しかけるも、彼から反応はない。

 その様子を見てか、リアラは小さくうなだれた。

 

「……ま、まぁともかくだ。無事十年前に戻ってきたんだ。それはめでたいことだよな、な?」

 

 どうにかこうにか、漂う険悪な空気を払おうと彼は奮闘している。

 しかしそれは誰一人として通じず、空しく風が吹いていくだけだ。

 おそらくその様子を見かねてだろう。それまでしきりに体をさすっていた彼女が、ロニへ話しかけた。

 

「……あんたねえ、もうちょっと空気ってもんを読みなさいよ」

「うるせぇ! おまえ、用がすんだんならとっとと帰って……」

 

 自分でも自覚しているのか、あるいは条件反射か。ナナリーの突っ込みにロニは必要以上に声を荒げている。

 が、すぐにその姿を見て目を丸くさせた。

 

「って、ちょっと待て! どうしてお前、ここにいるんだ!?」

「どうしても何も、光に巻き込まれて気づいたらここにいたんだからさ」

 

 外套の前をかきあわせ、そんなこと言われても困るとばかり全力でぶんむくれている。

 その様子を見て、リアラはペンダントを手に取ると彼女へ歩み寄ろうとした。

 

「ごめんなさい、ナナリー! 今すぐに、あなただけ未来に……」

「ストップ! あたしも、あんたたちについていくことにするよ」

 

 歩みかける少女を制して、ナナリーは驚くべき発言をしてみせた。

 驚くロニなど歯牙にもかけず、彼女の述べた言い分はこうだ。

 

「エルレインは、勝手に歴史を変えて自分の都合のいいようにしようとしてるんだろ? ならあたしはそれを止めてみせる! あいつの好き勝手にはさせないよ!」

「だが、それは結局歴史を変えるということになるぞ」

 

 一応止めようとしているのか、ただ客観的に物を言っているだけなのか。まず反対の意を示したのはジューダスだった。

 しかし、多分無駄だろう。古今東西、この手のタイプは己が決めたことをそう安々翻すものではない。

 

「それにだ。この時代の人間ではないおまえがここにいるだけで、歴史は変わってしまっているんだぞ」

「それを言うなら、あたしたちの時代にあんたたちがいたのもマズイんじゃないのかい?」

 

 畳みかけたつもりが、逆に言い返されている。言葉の詰まったジューダスに代わり、ロニが詰まりつつも肯定を示した。

 

「そりゃまあ、そうだが……」

「なら、お互い様ってことだね。今さら言ったって、始まらないよ」

 

 理屈の上でなら、返す言葉はない。変えることがまだ可能な未来に対して、ここが変えてしまったら取り返しのつかない過去である、ということ以外は。

 理詰めで言い負かす、あるいは別の方法で彼女を未来へ帰すことはできる。

 今回それを積極的に行う意志がなかったフィオレは、ジューダスの視線に軽くかぶりを振ってみせた。

 

「というわけで、あたしはあんたたちについていくよ! もう、決めたからね!」

「……どうする、カイル? お前が決めろ」

 

 説得はあきらめたらしいジューダスが、一応パーティリーダーであるカイルに最終判断を仰ぐ。

 特に逡巡らしいものもなく、彼はひとつ頷いた。

 

「わかった。ナナリーがそう言うなら、オレはいいよ」

「じゃ、決まりぃ!」

「……まったく、うるさいのがついてきちまったぜ……」

 

 何やらぶつくさ呟くロニにすすっ、と近寄って。フィオレはひっそり囁いた。

 

「ロニ」

「あ?」

「口元、にやけてますよ」

 

 一言それを告げた瞬間。彼はパッと口元を抑えて骨が外れるほど首を横に振った。

 一応隠しているようだが、浅黒い肌は驚くほど赤くなっている。

 

「ン、んーなわけねえだろうが! 変なこと言うなよな!」

「わかりますよ。ナナリーのご飯は美味しいから」

 

 初めてみた初々しいロニに盛大な肩すかしを食わせて、フィオレはくるりと一同に向き直った。

 ナナリー加入が確定したところで、話を元に戻す必要がある。

 

「さて、それでは早急に国王陛下を見舞いましょう」

「あの後、ハイデルベルグがどうなったのかを確かめんことにはな」

 

 ハイデルベルグ襲撃に関してナナリーに詳細を説明しながら、王城を目指す。城門はフィオレが通った際と同じく、門番どころか人の気配がない。

 そのままずんずん進んでいくと、やがて死屍累々と兵士達が倒れているのが見えてきた。

 ただ、放置しているわけではない。まだ動ける兵士や城付きの侍女、城下から駆り出された医者などがそこかしこを走り回っている。

 当然一同の侵入も見咎められたが。一体どんなからくりなのか、カイルの顔を知る兵士が一声上げただけで何故かすんなり通り抜けられた。

 

「……?」

「ここの連中は、カイルがスタンの息子であることを知っている。後は……想像に任せる」

 

 詳細はわからないが、ウッドロウが戦友の息子たる彼に特別扱いでもしたのだろうか。親の七光り的なものに対する感想はさておいて、面倒がないことを喜んでおく。

 通された先、謁見の間にて、負傷したウッドロウは、最後に見た姿と同じく玉座の足元に横たわっていた。

 召集された街医者が何人も集い、必死の治療を敢行している。しかし遠目から見ても容態は深刻で、いつ息を引き取っても不思議ではなかった。

 

「大丈夫ですか、ウッドロウさん!」

「申し訳ありませんが、別室にてお待ちを……「リアラ。お願いできますか」

「……ええ」

 

 結局、カイルとは一度も言葉を交わさなかったリアラが、フィオレの求めに小さく頷く。そのまま少女を見送ろうとして、フィオレは小さく首を傾げた。

 まるでエスコートを求める令嬢のように、リアラが手を差し伸べてきたから。

 

「手を繋いでほしいの」

 

 突然の申し出に、首を傾げながらも応じる。何事かと見やる医師達を尻目に、玉座へ歩み寄ったリアラはレンズペンダントを手に取った。

 僅かな集中の後、ペンダントに輝きが宿る。以前よりも遥かに早い力の収束にフィオレが驚く最中、光は零れてウッドロウの全身を覆った。

 直視もためらう患部が、見る間に塞がっていく。土気色だった顔色に生気が帯び、完治とはいかずとも生命の危機を脱したことは誰の目にも明らかだった。

 

「すごいではありませんか、リアラ……!」

「……フィオレのおかげなのよ?」

 

 彼女の言いように奇妙なものを感じるも、まずウッドロウに目を覚ましてほしい。

 そして、そろそろフィオレ自身に限界が訪れかけている。リアラと共に玉座を離れて、フィオレは一同にも背を向けた。

 

「所用を思い出しました。この場を離れますので、後で話を聞かせてください」

「?」

「命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 

 取り出した瑠璃色のレンズから、第四音素(フィフスフォニム)──水の元素を集める。

 対象のウッドロウに譜陣が敷かれたことを確認して、フィオレはゆっくりと歩き始めた。

 

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──

 

 譜陣より立ち上る癒しの輝きが、ウッドロウを包み込む。それよりも早く──透明な調べが謁見の間に響いたその時。

 閉ざされていたその目は、唐突に見開かれた。

 

「陛下!」

 

 そのままがばりと体を起こしたウッドロウに、街医者達が奇跡だと刮目し、臣下達は目を潤ませて彼の元へ殺到する。

 ウッドロウの無事よりも一同はフィオレの行方を気にかけていたが、すでに当人の姿はどこにもなかった。

 

「今のは……」

「あいつのことは後だ。それより」

「レンズは、無事か? あれを奪われることだけは……!」

 

 負傷こそ完全に癒えたものの、失った血液や体力はそうもいかない。

 ふらつく体を叱咤して自ら確認せんとするウッドロウにかけられた家臣の言葉は、実に意外なものだった。

 

「ご安心ください、陛下。エルレインは何もせず逃げ帰っていきました」

「なんだって?」

 

 更に兵士の言い分によれば、レンズの保管庫へは誰も近づけていないという。

 その言葉に、殊更いぶかしがるのはジューダスだった。

 

「王が倒れれば民衆は混乱し、神団の連中が付け入るスキもできる。今回はその絶好の機会だったはずだ。だがそれをしなかった……なぜエルレインは、ウッドロウにトドメを刺さなかったんだ?」

 

 剣呑なその言葉を聞いて、兵士の幾人かが目の色を変えている。

 内々の会話を聞いていなかったらしいウッドロウが尚も確認しようとするのを見て、カイルが駆け寄った。

 

「ウッドロウさん、オレ達が今すぐ見てきます!」

 

 王から鍵を受け取り、彼が玉座へ腰を降ろしたのを確かめてレンズが保管されている倉庫の扉を開く。

 ──しかし。以前見た際、高く積み上げられていたレンズの山は、一枚たりとも存在しなかった。

 

「そんな……!」

「ウッドロウへの襲撃はおとり。連中の本当の目的は、レンズだったんだ」

「けどよ、あんだけのレンズを一体どうやって……」

「……エルレインなら」

 

 空っぽの保管庫の中に、静かな少女の声音が響く。一同の視線を一点に集めたのは、声音の持ち主であるリアラだった。

 

「エルレインの力なら、物質転送くらいわけないわ。人間すら、未来へ送れるんですもの」

「……これではっきりしたな。フィオレが言っていた通り、エルレインはこれからフォルトゥナ神を降臨させる腹積もりだ」

 

 そこへ、一同が戻ってこないことを不思議に思ったのだろう。兵士数名が保管庫へ確認にやってくる。

 そこで初めてレンズがないことに気付いた兵士らは慌てて城の中へ散っていき、謁見の間には彼らが取り残された。

 再び玉座の元へ集う時。玉座のウッドロウは、思わしげな表情を浮かべていた。

 

「……あの様子では、やはり……」

「……はい」

「なんて……ザマだ! 侵入を許し……あげくレンズまで……!」

 

 臣下がいないことなどおそらく関係ないだろう。嘆きをあらわにするウッドロウを前に、カイルが身を乗り出した。

 

「ウッドロウさん! オレ達が、何とか……!」

「……これは、ハイデルベルグとアタモニ神団間に起きた政治的な問題だ」

 

 だからカイル達は関係ない、という話に及ぶかと思われたが、話の方向性としてはどちらでもない。

 

「君の申し出はありがたいが……明日、改めて話がしたい」

 

 するべきことは明らかなのに、何故明日まで待たなければならないのか。

 くってかかろうとするカイルをいさめたのは、ジューダスだった。

 

「言っただろう、政治的な問題だと。アタモニ神団の長であり信仰の対象ですらある聖女を状況証拠だけで盗人扱いしてみろ。アタモニ神団はおろか、信者全員を敵に回しかねん」

「そういうことだ。これかたファンダリア王国として今後どのように対応するのかを検討する。会議の結果が出るまで、城に滞在してもらいたい」

 

 聞こえはいいが、内情を知るカイル達を国外へ出さまいとするようにも受け取れる。

 納得したカイルは頷くも、ジューダスはそうしようとしなかった。

 

「ハイデルベルグ内を出歩くことくらいは、許可してもらえるんだろうな」

「お、おいジューダス……」

「何か用事でもあるのかね?」

 

 たとえ国王相手でも一切態度を変えない彼をロニがいさめようとするも、ウッドロウは気にしていなかった。

 案外、傲岸不遜なその態度が誰かを彷彿とさせて、新鮮だったのかもしれない。

 

「仲間が別行動中なんだ。そいつを呼ぶことくらいは構わないだろう」

「仲間……?」

「え、ええ。さっきちょっと用事があると言って席を外してしまって……」

「それは先程、聞き慣れぬ調べを口ずさんだ女性のことかね」

 

 にわかに、ウッドロウの口調に真剣なものが帯びていく。それに気付いてか、ジューダスもまたその声音に慎重なものが混ざりつつあった。

 

「……だったらどうだと言うんだ」

「仲間の召集ならば、こちらが承ろう。名と特徴さえ教えてもらえれば、探させるが」

「たかだか仲間一人のために手勢を割いてもらう必要はない。僕に外出許可が下りればいい話だ」

「お前まさかそんなこと言って、公園かどっかでフィオレといちゃつく気じゃ」

「ほう、仲間の名はフィオレ君というのか。奇遇だな。私にもかつて、その名を名乗る仲間がいた」

 

 ロニの茶々にジューダスが言い返すより早く、ウッドロウがそれを呟く。一瞬でも現状を忘れ、懐かしそうに目を細めるウッドロウにロニが反応した。

 

「隻眼の歌姫──フィオレシアさんのことですね!」

「……ああ。残念ながらもう、似せ描きですら彼女の姿を見ることは叶わないが……」

 

 ウッドロウの視線の先には、かつて絵画だったものが何かをぶつけられでもしたかのように破壊されてしまっている。

 英雄王より初めてその事実を聞かされたロニが好奇心に耐えられず問えば、彼は快くその人柄を思い出した。

 

「文武両道、品行方正にして楽才溢るる……たおやかな外見に反して剣の腕も立ち、非常に気丈な人だった」

「完璧な……英雄だったんですね」

「そうだな。もし彼女が生きていたら、君の求める英雄だったかもしれない」

 

 憧れる隻眼の歌姫が自分のイメージ通りだと知り、ロニは声を上げないばかりに高揚している。

 リアラのさりげない失言にも笑顔で応じて、ウッドロウの話は続いた。

 

「彼女の出身は不明とされていたが、一時は我が父との父子関係も囁かれていた。何しろフィオレ君は、父や私に酷似した雪色の髪の持ち主だったからね」

 

 それを聞き、ナナリーがぴくりと反応する。それを瞬時に見咎めたジューダスに睨まれ、彼女は開きかけた口を閉ざした。

 一方、ロニやウッドロウはそんなやりとりに気付いていない。

 

「本人が否定したんですよね。初めは記憶喪失だったけど、少しずつ思い出せているからって……」

「それを聞いて胸を撫で下ろしたものだよ。恋した相手が肉親などと、これ以上の悪夢はない」

 

 話の流れに合わせてさらりと言い切られたその言葉に。ロニは笑顔のまま「へ?」と零し、リアラはつぶらな瞳を大きく見開いた。

 それはカイルも同じことで、かなり聞きにくいことをずばりと聞いてしまっている。

 

「え、じゃあ。ウッドロウさんが失恋した相手って、まさか」

「そう。十八年も前のことだから断言できるが……私は彼女に指環を贈ろうとして、断られたことがある」

 

 一国の王にふさわしい堂々とした告白に、一同は驚きもあらわに声まで上がる始末だ。

 興味本位で根掘り葉掘り尋ねかけたロニをいさめたのは、すっかり不機嫌になったジューダスである。

 

「──国王陛下の古傷をほじくり返す前に、互いにやることがあるはずだ」

「んじゃあお前、フィオレを探してこいよ。こんな話、滅多に聞けねえぜ」

「ゴメン、ジューダス。あたしもちょっと聞きたい……」

 

 英雄の語り部にして、泡沫の英雄に関することなのだ。カイルもリアラも言い分は違えど、同じような理由で留まりたがっている。

 深い深いため息をついて、ジューダスは謁見の間を、ハイデルベルク城を後にした。その足で向かったのは、王城付近にあるハイデルベルグ記念公園である。

 立ち去る直前、ジューダスとシャルティエにのみ通じる念話で、彼女は自分の行く先を告げていた。

 復興記念としてウッドロウ自ら設計したとされる記念公園だが、今は閑散としている。すぐ近くに飛行竜が激突した時計塔があるのだ。数日もすれば復興作業と野次馬で活気づくだろうが、今は騒ぎの直後。時計塔の崩壊を、そのとばっちりを怖れて人気はない。

 真っ白な公園内、たったひとつの足跡が展望台へ向かう形跡がある。それを追って歩けば、やがてジューダスは人影を視界に収めた。

 展望台に設置されたベンチに腰かけ、くったりと体を預けた女の姿──フィオレを。

 様子がおかしいことにいぶかりながら、足音を隠さずザクザクと近寄っていく。やがてベンチへ、手を伸ばせば容易に触れられる位置まで到達しても、フィオレは一切反応を示さなかった。

 

「おい、こんなところで寝るな。風邪を引く」

 

 防寒具こそまとっているが、気温は雪国の標準値だ。屋外で眠りにつこうものなら、風邪を通り越して命の危険性すらある。

 

「……どうなりました?」

「ウッドロウは全快したが、城に蓄えられていたレンズは全て強奪されていた。ハイデルベルクとして今後、どのような対策を取るのか協議が終わるまで僕らは城に足止めだ」

 

 ぶつ切り過ぎて抽象的過ぎる情報に、フィオレは困惑する素振りも見せず淡々と説明を求めた。

 それに応じながらも、自分が出てくる寸前に交わされていた会話の内容を語るべきか語らぬべきか、彼は迷っていた。

 今後のことを思うなら迷わず語り、対策を取らせるべきだ。ウッドロウに彼女の正体が知られれば、芋づる式に己の正体も危うくなるのだから。

 しかし対策と言えど、何があるだろうか? すでに彼女は顔を隠している。

 それを取らないのはいつものことで、もし好奇心に駆られてウッドロウが帽子を取れと命じてきたら。

 

「ところでジューダス」

 

 何と切り出すべきかと悩む彼に、フィオレはまるで体をほぐすようにあちこちを動かしながら切り出してきた。

 

「……なんだ」

「状況はわかりました。ウッドロウは、隻眼の歌姫について何か仰っていましたか?」

「ああ。あの歌を聴かせたせいで、お前への恋心が蘇ったのかもしれないな」

 

 投げやりにそれを言って、自分が出てきた際の会話内容を大まかに話す。黙ってそれを聞いていたフィオレだったが、言葉が切れたところで大きく息を吐き出した。

 

「……大変危険ですね。対抗策を取りましょうか」

「とはいえ、お前はすでに顔を隠しているだろう。その帽子を取れと言われたら……」

「そう言われても問題ないようにするのが対抗策です」

 

 言って、フィオレは帽子を外している。手鏡と、そして荷袋の奥底をひっかきまわすようにして取り出されたのは、錠剤を保管しておくものに見える小箱だ。

 それらをベンチへ置き、座りこむ。一体何を始めるのかと見守るジューダスの目は、いつしかまん丸となった。

 

「……初めから、それを使えば」

「奥の手はいくつ用意したって困るものではありません」

 

 少しでもかつての印象を薄れさせるためなのか、まとめていた髪を三つ編みに編んでいく。それを帽子の中に押し込み、深く被る。

 これでいいだろうと言わんばかりに、フィオレはジューダスを促して城門を目指した。

 騒ぎが一段落し、飛行竜もなくなっているからなのか。城門には幾多のハイデルベルク住民が集っていた。

 彼らの侵入を許さぬようにか、姿の見えなかった門番が常駐している。

 

「一体何があったんだ!」

「ウッドロウ様は無事なのか?」

「後日、正式な発表がなされる! 陛下のことならば、案ずることなかれ!」

 

 同じような質問に門番が声を張り上げて応じているものの、それで納得できれば誰も来やしないだろう。

 当然フィオレ達が城へ入ろうとするのも阻止された。

 

「お前達、王城に何用か! 顔を隠して、怪しい奴らめ!」

「……入っちゃダメらしいですよ。出直しましょうか?」

「後でいちゃもんをつけられても困る。最低限の連絡はしておこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十五戦——修羅場の後始末~その先に、強い絆が結ばれると信じて

 ファンダリア王城、豪華客室で一泊。
 カイルの尻は派手にひっぱたいたものの、流石にリアラの尻を叩くわけにはいかずに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人とも、好き好んで城に近づきたいわけではない。

 これ幸いと、カイル達宛てに文をしたためようかと検討したところ、その案は完膚なきまでに破壊された。

 

「いたいた、二人とも!」

 

 城の中からぞろぞろやってきた一同が、二人を呼ぶ。驚く門番そっちのけで、カイルはふう、と胸を撫で下ろした。

 

「よかった、ジューダス。フィオレを見つけてきたんだね」

「何が起こったのか、これからどうするのかはジューダスから聞きました。でも顔隠していて怪しいから入れないらし「わー! わー! か、カイルさん達のお知り合いだったんですねっ! これは失礼を……」

 

 どうやらカイルのことを知っていたらしい。これで知らなかったら面白いことになったのだが、そそくさと道をあける門番の手のひらの返しっぷりに苦笑しながら合流しようとして。

 フィオレはジューダスと共に、進みかけた道をあけた。

 

「フィオレ?」

「カイル、後ろ!」

 

 指摘通り振り向いた彼が、驚愕をあらわにして同じように道を譲る。

 彼らがやってきた道を歩むは、すでに気力体力共に回復させたらしいウッドロウだった。

 

「こ、国王陛下! ご自愛くださ……」

「おお、ウッドロウ様じゃ!」

「良かった、ご無事だったのですね!」

 

 事情を知る門番の声は、人々の歓声にかき消される。

 そのまま城の外へと出た彼は、住民達の一人一人を見回した。たったそれだけで、彼らの声はピタリと止まる。

 

「……すまない、皆。心配をかけた。私ならば、この通りだ」

 

 ズタズタになり、血まみれだった姿は着替えて隠し、この台詞。嘘は言っていないが、民を安心させるには充分だった。

 安堵の吐息がそこかしこから聞こえる中、ウッドロウの口上は続いた。

 

「此度の出来事に関しては、後日改めて公表させてもらう。今は、城を襲った怪物が街に入り込んでいる危険性があるのだ。各々厳重に注意し、家族に被害が及ばぬよう警戒を怠らないでほしい」

 

 集まった民達を鎮めるだけでなく、街中の安全確認をさせるためだったのか。彼の後ろから兵士達が続々と街へ出動していく。

 ウッドロウの無事に安堵し、兵士の出動を目の当たりにして不安を抱えた人々は、ぱらぱらと散っていった。

 その手腕にこっそり拍手していると、目立つような真似をするなとばかりジューダスに睨まれる。

 しかし、時すでに遅く。

 

「──お褒め頂き光栄だよ」

 

 苦笑じみた笑みを浮かべて、ウッドロウは城門に張り付くようにして立つフィオレを見つめている。

 十八年の時を重ねても、気さくな人柄はあまり変わっていないようだ。一国を代表し、治める者として様々な闇を見てきただろうに。

 無言で一礼するフィオレに対して、彼は門番達や出動する兵士を尻目に歩み寄ってきた。

 

「互いに初見ではなかろうが、自己紹介は必要かな?」

「御冗談を。あなたのことを知らない人間なんて、この国には存在しないでしょう」

 

 この場で自己紹介させるなど、ただでさえ王城関係者からの目が痛いのに自殺行為だ。そこでふと、彼の言葉がひっかかった。

 

「……初見では、ない? 国王陛下とお言葉を交えたのは、これが初めてのはずですが」

「言葉は、ね。だが、命の恩人を忘れるような恩知らずになった覚えはない」

 

 バルバトスと対峙した際の話か、それともつい先程の話か。

 瀕死のウッドロウが譜歌のことを知るよしもないだろうと解釈し、フィオレは話を続けた。

 

「──謁見の間にて、刃を抜いた無礼をお詫びいたしましょう」

「無礼などと、とんでもない。君が駆けつけてくれなければ、私は父と同じ最期を遂げていた」

 

 どうしよう。狙ってやっているとしたらすごい腹芸だ。

 血まみれでぐったりしている彼を見て気が動転してしまったとはいえ、やはりあんなことを口走ったのは失敗だったか。

 このままでは深い話に発展するのも時間の問題。対等ではない、明らかに目上の人間に対して如何にしてのらくら質問をかわしたものか。もう「記憶喪失である」という言い訳はできない。

 

「国王陛下、お体に触ります。どうかご自愛なさってください」

「ありがとう。こんなところではなんだ、君達も中へ……」

 

 これから展開されるであろう質疑応答を予測する、その時間稼ぎのために吐いたフィオレの一言に、ウッドロウはにこやかな笑顔で応じてくれた。

 王族としてではなく、紳士として最低限身に着けている作法としてか、それとも狙ってやったのか。彼は対峙していたフィオレの肩を抱くようにして城内へと誘おうとする。

 その大きな手が肩に触れた瞬間。それまで構築していた質疑応答のシミュレーションは、音を立てて崩壊した。

 

「──ひ、ぃっ!」

 

 声にならない、それでも明らかに悲鳴の類に及ぶ音を発してすくみあがる。考えてみればあれから、十八年の時が経過しているのだ。以前とは比べ物にならない異性の気配を感じ取ったフィオレの体は、耐える意志すら発生しなかった。

 それが拒絶を示すものだと、気づかぬウッドロウではない。

 予想外だっただろう反応に驚き、パッとその手を遠ざけた。

 

「……どうか、したのかね?」

「……たっ、大変失礼を働きました。私、その……男性に触れるのが苦手で」

「はああ?」

 

 奇声をあげるロニ、ジューダスを含む一同の視線は気にしない。高貴な手に触れられて驚いた、というのは上げてしまった声音からして無理なものがある。態度だけなら驚いた、で言い訳が通るかもしれないが、これでは少々難があった。

 後から考えれば、嘘を言っておけばウッドロウからの印象が悪くなり、気まずいという理由で接触せずとも済んだかもしれない。

 しかし、後の祭りである。

 

「男に触るのが苦手ってお前、今まで平気な顔してたじゃんか」

「ロニ、フィオレの平気な顔とか見たことあるの?」

「ひょっとして、ずっと我慢してたの?」

 

 やいやい言い始めた仲間達の言葉を無視できず、ウッドロウの傍を離れて彼らの元へ歩む。

 何故か身構えるロニに手を伸ばし、ぺた、と触れて見せた。

 

「なんだ、やっぱり平気……」

「あなた達はね」

 

 男として認識していないことは伏せておく。それだけで、彼らは都合のいい勘違いをしてくれた。

 

「ま、まあそうか、そうだよな。でなきゃジューダスといちゃぐふ」

「こいつのたわごとは置いといてだ。お前と違って忙しい国王陛下を煩わせるんじゃない」

 

 流れるように放たれた肘打ちとジューダスの一言により、どうにか一同解散の方向へと話が動く。

 ウッドロウは重臣が集ったということで会議、一同は城にて待機。

 彼に素顔を見せることなくやり過ごせたことに安堵しながら、カイル達はすでに通されたという客間へ連れられる。

 

「しっかしまあ、すごいよ。いきなりお偉くなった気分だ」

 

 カイル達の宿に、と案内された部屋は、本来国賓にあてがわれる客室だった。豪奢にして、寝そべればどっしりとした羽毛に包まれる寝台はおろか、調度品など下手に扱えば即壊れてしまいそうな危うさ──繊細さがある。

 一同が提供されたのは、複数の寝台が常備された客室二部屋だ。一応、これからのことを話し合うためとの名目上、漢部屋に集まったところで何故か夕餉が始まった。

 漢部屋には華部屋にない長テーブルが運び込まれていたため、話し合うに最適と思われたのだが。妙に部屋のインテリアと合わないと思ったらそういうことだったらしい。

 実際に国賓であったならば大広間にて食事会に招かれるのだろうが、今は会議で使用中なのだろう。

 しかし、そんなことは一切感じさせないほどに提供された夕餉は豪華だった。

 ロニやナナリーなどはしきりに感心を示して食欲旺盛だが、カイルやリアラは反比例してまったく進んでいない。次から次へと起こる出来事に忘却しがちだったが、二人はあの売り言葉に買い言葉を交わしているのだ。

 この分ではリアラが謝罪したとかカイルが歩み寄ったとか、そういったことはないのだろう。

 対極の雰囲気を醸し出す彼らをさておき、ジューダスは無感動にマイペースだ。そもそも何かに感動することが少ない彼だから、それは仕方ない。

 ──弾けていない火中の栗が、まだいくつも転がっている。それはわかっていたことだが、さてどうしたものか。このまま有耶無耶にするという手段はあるが、それで火中の栗は弾けきらないだろう。下手につつくことで、フィオレ自身に関する栗まで弾けそうな勢いだ。

 三種の空気漂う、一見騒がしく終わった夕餉が終わる。全ての皿が下げられ、食後のお茶が出てきたまではよかった。しかし。

 

「うっひゃー、すげえなコレ」

「……何をお考えなのでしょう、あの王様」

 

 食後のお茶と共に出されたのは、山盛りの氷と上品な水差し、山盛りの果物とアルコール各種である。

 蒸留酒を中心に種々様々なリキュールがずらりと並べられ、カクテルに必要な道具が用意されたワゴンにどっさり積まれていた。

 食事を終えても、未だ話し合いはなされていない。食事中は給仕の人間が、現在はバーテンダーに扮したシェフが待機しているため、内々の会話ははばかられた。

 そして今、フィオレは様々なカクテルを作ってはテーブルに並べている。それに食いついたのがロニだ。

 

「なんだよ、コレ。単なるウォッカじゃねーか」

「傍に塩とレモンがあるでしょう。塩を口に入れ、レモンを齧ってからウォッカを飲んでみてください」

 

 ロニにレモン・ドロップを飲ませてから、ある材料で作れるだけ作っていく。

 それを見て苦笑を浮かべつつ、バーテンダーが一礼して退室したのを見て、フィオレは手を止めた。

 

「追い払うためとはいえ、一体何種類作ってるんだ」

「ルシアン、ホワイト・スパイダー、ポロネーズ、ボルガ・ボートマン、ブラッディメアリー、ビッグ・アップル、スクリュードライバー、ソルティ・ドッグ、バラライカ、カミカゼ……レモン・ドロップ。これ以上は処理が難しいですね」

「これ美味しい! 作り方教えとくれよ」

「そこにあるものテキトーに混ぜればできますよ」

 

 興味を示さずお茶を飲むお子様二人組、呆れるジューダスはさておいてロニやナナリーと共に片づけを始める。

 作り始めていた当初から手をつけていたロニ、カクテルの存在を初めて知ったかのように興味津々のナナリー。夕餉と同じくして三層の空気が形成されつつあるところを、ぶち壊したのはロニだった。

 

「しっかしまあ、あれだな。時間旅行から帰ってみりゃあレンズはなし。よくもまあ、こう難問ばかり続くもんだ」

 

 どうも沈みがちな空気を嫌ったのか、カクテル片手にぶつくさ呟いている。

 酔っ払いの戯言と同様に誰もが聞き流していたが、次なる一言で導火線に火がついた。

 

「波乱万丈とはこのことだな。リアラと出会ってからこっち、退屈するヒマもありゃしない」

 

 その言葉にリアラがピタリ、と動きを止めたかと思うと小さくうなだれている。

 その少女の反応にいち早く気付いたナナリーがロニに駆け寄るなりその後ろ頭をはたくも、出てしまった言葉は止められない。

 丁度、リアラがカイルを否定したように。

 

「いてぇっ! 何しやがんだ、この……!」

「バカ! ちったあ考えてもの言いな!」

 

 ナナリーの視線が動いたことで、ロニはようやくリアラの様子に気づいたようだ。酔いなどいっぺんに吹き飛んだ面持ちで弁解するも、後の祭りとはこのことである。

 

「あ、いや違うんだよ。リアラが来たから迷惑してるとか、そういうんじゃなくて……」

「じゃあ何なの!?」

「退屈しなくて、いいよなってのが言いたくて……な、なあカイル!」

 

 ナナリーの剣幕、リアラの沈黙から逃れんと苦し紛れにカイルへ話を振る。

 しかし、料理はおろかフィオレが作ったカクテルにすら興味を示さなかったカイルが、この時ばかりは聞き耳を立てていたわけでもなく。

 

「……」

 

 たっぷりの沈黙の後、再度ロニから声をかけられ。カイルはようやっと反応を見せた。

 

「……え? 何? ゴメン、聞いてなかった」

「──ごちそうさま」

 

 耐えきれなくなったようにリアラが席を立ち、一拍遅れてナナリーが後を追う。

 バタン、と扉が閉じられた後、なんとも気まずい空気が残された。

 

「……お前はいかないのか」

「ナナリーにお任せします。私は誰かをなぐさめたり、勇気付けたりするのが苦手なので」

 

 くい、と自分で作ったカクテルの杯を空ける。その調子で全てのグラスを空にしたフィオレは、運び込まれたワゴンにそれらを片づけ始めた。

 ふう、と一息ついてから、ひょいとカイルを見やる。

 

「でも、何もしないというのもアレですしね。やれるだけのことはしておきましょうかー……女の子の涙は嫌ですが、野郎のヘタレ面なら平気ですし」

「!?」

「カイル。いつまでもヘソ曲げてないで、いい加減現実を見据えたらいかがです」

 

 ここでフィオレは、正面からカイルを名指しして挑発した。こちらは聞いていたようで、彼の肩がぴくりと震える。

 なぐさめたり勇気付けたりはできなくても、事実を指摘することくらいならできる。このくらいなら、誰だって。

 

「オ、オレは別にヘソを曲げてなんか」

「曲げているではありませんか。帰ってきてから……いや、リアラに英雄でないと否定されてから、ずっと。彼女に本当のことを言われて、どこまで深く傷つけば済むんです?」

 

 突如として始まったやり取りに、ロニはおろかジューダスすらも戸惑っているようだった。まさかフィオレが、カイルに直接苦言を呈すなど思っていなかったらしい。

 心の琴線に触れられたら、どんなにくだらないことでも人は感情を乱す。それは悪いことではなく、むしろ人として正常なことだ。

 問題は、それで発生したストレスをどこにぶつけるか、あるいは抱え込むか。後者の場合、抱え込めば誰も傷つかずに済むのだが……その実、抱え込んだそれは針を生やした球体のように己を傷つける。

 彼に傷ついてほしくなければ、無理やりにでも取り上げるしかない。悪く思われても嫌われても、一切構わないからできることだが。

 少なくともフィオレは、それを信じていた。

 

「本当のことって……オレは!」

「英雄じゃないでしょうが」

 

 ここへきてとうとう感情を取り戻したかのように声を荒げたカイルに、フィオレは容赦なく事実を突きつける。

 一瞬にして顔に血液を集めたカイルは、怒りかあるいは当時を思い出してか反応はない。それをいいことに、フィオレは更に言い募った。

 

「本当のこと言われてヘソ曲げて、挙句彼女を無視するなんて器が小さいにも限度というものがあります。そんなに彼女から幻滅されたいんですか」

「……そんなことっ、フィオレにはカンケーないだろ!」

「もちろん。二人の関係そのものはね。しかし行動を共にする者としては迷惑千万です。戻ってきて以降、どれだけ微妙な空気が我々を包んでいたと思っているんです」

 

 いかにカイルが鈍感でも、気付かなかったとは言わせない。

 思わずたじろぐカイルに、フィオレはなんの遠慮もなくずいずいと踏むこむ。

 感情にとらわれることなく、ただ彼が抱えているものを奪うがため。

 

「そ、それは……」

「おい、フィオレ。いくらなんでも言い過ぎ……」

「この空気を払おうと自発的に道化を演じ、あえなく自爆した人がまたかばおうとしてる。あなたはそれに甘えて、現実から逃げるのですね」

 

 くちばしを挟もうとしたロニを追い払うのではなく、逆に彼をあげつらねて罵る。

 ──この方法は、即効性があったようだ。

 

「に、逃げてなんか……」

「どの口でそんなことを言うのですか。私の言葉に何一つ反応しないで、ロニに助けてもらって……幼いし拙いと思っていましたが、やっぱり子供ですね。今からでも家に帰った方がいいんじゃないですか?」

 

 ただ単に英雄でないことを突きつけても、カイルは怒らないだろう。何せそれを言うフィオレに、カイルは一度たりとも勝ったことがないのだから、へこませてしまうだけだと。

 悪いとは思ったが、ロニを利用させてもらった。彼なら、カイルが悪しざまに言われていたら必ず助け舟を出すとふんで。

 そこを突き、事実だけれども言われて怒りそうなことをほぼ思いつきで並べれば。

 

「……っ」

 

 彼は言葉をなくし、珍しく怒気をにじませた瞳でフィオレを睨んだ。

 それを見て、思わず口元に笑みが浮かぶ。これでもう、余計な言葉を並べ立てる必要はない。

 

「ふっ」

「何が可笑しいのさ!」

「元気が出たようで何よりでございます。さて、ちょっと組手でも「上等だ!」

 

 言い終わるか終らないかの辺りを狙い、素手のカイルが殴りかかってくる。交差した腕で拳打を止めたフィオレが、そのまま裏拳をカイルに放った。

 それを頬で受けたカイルが無理やり突っ込んでこようとするのを、足を払って転ばせる。

 見事に顔から転倒するも、真下はふかふかの絨毯が敷かれている。彼の鼻が潰れることはない。

 即座に飛び起きるカイルの手を踏もうとして、逆にその足を取られた。

 

「でぇいっ!」

「!」

 

 這いつくばったその状態からフィオレを転ばせようとして、耐えたフィオレがその脳天に肘を打ちこむ。

 脳天に直下、突き刺さった鈍痛にカイルの手が緩んだところで振りほどき、距離を取った。

 実戦なら顔面に蹴りでもくれてやるところだが、これは組手。そこまでして勝利せねばならない戦いではない。

 

「くそぉっ!」

「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」

 

 せせら笑うような笑みを故意に浮かべて、本当に手を鳴らし扉を開く。一瞬の間も置かずカイルが後を追い、二人はそのまま廊下へ出た。

 何故かいる使用人が慌てふためいているものの、組手には邪魔なワゴンを押し付ければそそくさと退散していく。

 双方武器はなく、素手のまま組手──否、取っ組み合いは続く。一見、単なるケンカのように見えるだろうが、カイルはさておきフィオレは冷静だった。

 打ち出される拳打、蹴打を受け、あるいは流し、攻撃を繰り出すも決定打は与えない。

 体格も体力も筋力も、何より性別の違う二人がここまで互角なのは、実力と経験のハンデがあるからだ。そうでなければ、とうの昔に決着がついていたことだろう。

 とはいえ、いつか限界はくる。単なる体力だけの勝負においては圧倒的に不利なフィオレが先にその兆候を見せた。

 カイルの手刀を難なく打ち払い、逆に拳打を放ったフィオレだがその拳を捕まえられる。ほんの一瞬でもがっちり組み合うことを嫌ったフィオレは、突き飛ばすと同時に自らも床を蹴って距離を取った。

 好機とばかり、カイルが距離を詰める。その突進に対して半身になってやり過ごそうとしたフィオレは、直後襲いかかる鈍痛にもんどりうった。

 

「うわっ、たっ」

 

 どさり、と音がして真横を見れば、汗だくのカイルが息を荒げて共倒れしている。受け身を取り損ねて痛む体をさすりつつ起き上がれば、鈍痛の原因が判明した。

 細いが、ガッチリと締まったカイルの二の腕。それがフィオレの首へ引っかけられていたのである。

 ろくすっぽ体術を知らない少年が、心得のある自分を倒した。この度、組手を彼が動けなくなるまで続ける予定だったフィオレにしてみれば、嬉しい誤算というべきだろう。

 素直にそう思えないのは、とうとう一発喰らってしまったという事実にあるが。

 

「は、初めてフィオレに当てた……」

「馬乗りになって首でも絞めていれば、文句なしの一本でしたがね」

 

 少年の感慨をぶち壊してやれば、彼は頬を膨らませてフィオレを睨んだ。

 しかしその目に険はなく、表情を苦笑いに変えてまた倒れ伏している。

 

「カイル、あなたは英雄ではない」

「……うん」

「でも、確実に成長している。それは今、あなたが英雄でないことと同じくらい、確かな事実です」

「……うん!」

 

 口で言っても納得したかは怪しいが、組手を通して伝わったのなら問題はない。手段として少々荒っぽかったが、大した怪我もなく事が運んだなら万々歳だ。

 ちら、と漢部屋を見やれば事の成り行きを見守っていた目が隙間から覗いている。後は彼に任せればいいかと、フィオレは立ち上がった。

 

「私も戻ります。明日、風邪を引いて謁見の間で洟を垂らさないでくださいね」

「しないよ! ……えっと、ありが「罵倒されてお礼言うなんて、変わってますね」

「そんなんじゃないよ。今の悪口だって、オレが成長してるって教えようとして、わざと言ったんだろ?」

「それに気づけたことも、あなたの成長の証です。ではお休みなさい、カイル」

 

 一度たりとも振り向かず、フィオレはそのまま女性陣用にとあてがわれた客室へ立ち去っている。

 ──これで、カイルは大丈夫だ。問題は、リアラの方である。

 男性は理屈でものを考え、女性は感情でものを考える傾向が高い。それは口に出してしまう確立にも比例していて、結果リアラはカイルを傷つけてしまった。

 更に彼女は、聖女としての使命とやらに心を縛られてしまっている。多感な少女であることに加え、そのことを考えるとカイルより遥かに厄介な相手といえよう。

 控え目なノックをしてから、扉をそっと開く。部屋の中では、三つの内二つの寝台が膨らみ、それぞれ寝息を発していた。

 果たして彼女達の間でどのような会話が交わされたのか、わからないのが残念だ。だが、眠れているならそれでいいことにする。

 昼間は砂漠を渡って汗だくに、先程はカイルと取っ組み合いで大分汗をかいた。このまま寝台に寝転んでぐっすり眠ってしまいたいところ、部屋に備え付けられた浴室に入り込む。

 ──そして、フィオレが戻ってきた時のこと。

 もそもそと衣擦れが聞こえたかと思うと、寝台に横たわっていたひとつの影がむくりと起き上がった。

 特徴的なツインテールをほどき、それまで眠っていたはずの……ナナリー。

 

「フィオレ?」

「起こしてしまいましたか」

「いや、あんたが来るまで起きてるつもりだったけど、布団にくるまってたらいつの間にか寝ちまったみたいだ」

 

 眠っているリアラを起こさないよう小声で言葉を交わし、フィオレはナナリーの寝台に腰かけた。

 キシッ、と二人分の体重を咎めるように寝台が鳴る。ナナリーの灯したランプが、ちらちらと揺れた。

 

「──久々に見たから、誰かと思っちゃった」

 

 厚手のバスローブに防寒用のガウンを羽織るフィオレは、もちろん顔を隠していない。髪の色は元に戻してあるものの、いざというときのため両目は紫紺のままにしてある。

 でなければこんなに落ち着いて、彼女と対面していない。

 

「起きてるつもりだったというのは、何か話でも?」

「その、ちょっと聞きたくてね」

 

 聞きたいことが、ということはおそらく、カイルとリアラの話ではない。何となく想像はつくものの、フィオレは話を促した。

 

「あんたってさ、もしかして……泡沫の英雄の血縁とかじゃないかい?」

「──また、突拍子もない質問ですね」

 

 一体ウッドロウは在りし日を思い出して、何を彼らに話したのやら。

 ジューダスはフィオレを探すため中座したとかで全ての話を知らないと言っていたが、彼女の様子からして色々吹き込まれた様子。

 

「だってさ、あんたのその髪。この街の雪と同じ色だろ?」

「外的要因がない限り、雪は大体この色です」

「そういうことじゃなくて。泡沫の英雄もそんな色の髪だって知ってさ、ひょっとしたら、って思ったんだけど」

「血縁、ねえ……」

 

 素直に答えるなら、答えは応だ。フィオレは泡沫の英雄──隻眼の歌姫張本人で、血の繋がりどころか同じ血の持ち主である。

 どうせ事実を知られる予定もなし、フィオレはあっさり答えておくことにした。

 

「ロニに漏らさないでくださいね。確かに私はせき……泡沫の英雄所縁の人間です」

「そっか。だから彼女が愛した歌なんかも詳しかったってわけだね。ね、あの歌ってどんな……」

「──誠に申し訳ないのですが、それを話していたら夜が明けてしまいます。ところでナナリー」

 

 惜しげもなく興味を示すナナリーを抑えて、フィオレはコホン、と咳をした。

 ここから先は、ナナリー以外の人間に聞かれるわけにはいかない。

 

「リアラのことなのですが、何かお話しましたか?」

「──うん、まあね。すごく落ち込んでたよ。もう終わっちゃったんだって、言い方はアレだけど悲劇のヒロインかと思った」

 

 彼女の耳元でごにょごにょ囁けば、ナナリーも心得顔で同じように返してくる。

 何が終わったのかを尋ねれば、カイルと自らの関係だそうだ。

 だからナナリーは、己の経験を持ちだして語ったそうだ。ケンカとは、本気で相手のことを判りたい、自分のことをわかってほしいからこそすることだと。

 

「……確かに。どうでもいい相手に費やす労力などありませんね」

「そうさ。だから二人の関係は始まったばかりなんだよ。うわべだけの付き合いから、一歩踏み出したところへさ」

 

 聖女の使命はさておいて、カイルとのことを語ったというのなら、それでいい。

 二人の会話に立ち会っていないフィオレにはそれを聞いたリアラの反応まではわからないが、ナナリーは最善を尽くしてくれたと思う。そんなわけで、真面目な話はここで終わらせることにした。

 

「──そうですね。二人はケンカばっかりしていますね。とっくに一歩、踏み出してますもんねえ」

 

 浮かぶ笑みは抑えこまずに茶化せば、ナナリーはその髪と顔色を同じにして慌てだした。

 

「な、ななな、何言ってんだい! あたしとあのアホは別に、そんなんじゃ」

「お静かに。まあ、私の知る限り彼もなかなかいい男だと思いますよ。女好きを公言しているなら、尻に敷くくらいがちょうどいい」

「だ、だから誰がロニなんかと! フィオレこそ、ジューダスとはどうなんだい?」

 

 リアラが目を覚ますと、その声量を注意して。フィオレは思ったことをそのまま言った。

 

「どうしてジューダスの話になるんです?」

「とぼけるんじゃないよ。あいつも必死になって否定してたけど、あんたと一緒にいる時のジューダスは、すごく安らいだ顔をしてるじゃないか」

「安らいだ顔……?」

 

 あんな仮面では、確かに表情は筒抜けだろうが。未だかつてフィオレは、ジューダスの安らいだ顔など見たことがない。

 敢えて言うなら、マリアンとお茶をしていた際のリオンが、そんな表情だったかもしれないが。

 それをさておくとしても、聞き逃せないことがあった。

 

「必死に否定とは、ジューダスにそれを聞いたのですか?」

「ああ、言ったよ。顔真っ赤にして言い張っちゃって、可愛いもんじゃ……」

 

 かわいそうに。

 本人が望んでいなくとも、フィオレはこの時本気でそう思った。

 

「顔を赤くしたのは、おそらく怒りの表れですね。ジューダスは理想もプライドも高いから、私とそういった関係を勘繰られてさぞや屈辱的な気分になったでしょう」

 

 そもそもそんな事実はないのだから、彼は否定するしかないだろうと締めくくる。すると、ナナリーは実に不思議な表情を浮かべていた。

 戸惑っているようにも見えるし、妙なものを見るような表情にも見える。

 

「それ、本気で言ってるのかい?」

「当たり前です。ナナリーだって、ロニと恋人同士なのかと尋ねられたら否定するでしょう?」

「そりゃ……あのさフィオレ。ジューダスのこと、どう思ってるんだい?」

「変な仮面被った黒づくめ。根性ひんまがったひねくれ屋」

 

 大人ぶりたがる子供の典型、容姿と性格反比例とまだまだ思うことは多々あれど、そこで口を止める。

 話を聞くナナリーの目が、どんどん沈んでいくようにも見えたのだ。

 

「どうかしましたか?」

「う、ううん、なんでもない。そっか、あたしの勘違いなんだ、ジューダスにも謝らないと」

「二度とそういうことを言わなければ気にしないと思います。でも、お好きにどうぞ」

 

 的外れな色恋沙汰に気をかけるよりも、彼は彼で考えることがあるだろう。

 途切れた会話をそのまま、フィオレは就寝する旨を彼女に伝えて唯一空いていた寝台へと歩み寄った。

 何が起こるかわからないからと、着替えて有事に備えていたことが役立つのは、これよりほんの少し先の未来である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぬくぬくにしてふかふかの羽根布団にくるまり、夢も見ずに寝入っていたはずが。気づけばフィオレは、虚空を見つめていた。

 ふと見やった扉付近で、淡い桃色の何かが動く。直後扉は音もなく閉まり、フィオレはむっくりと起き上がった。

 他二つの寝台を見やれば、二つあったはずの膨らみがひとつに減っている。緋色の髪が見えるということは、すなわち。

 扉は洗面所でも浴室でも、外へ通じるバルコニーでもない。唐突に出て行った少女に不安を覚えて、フィオレは走り書きを残すと紫水を掴んで外へ出た。

 走り書きを残し、あまつさえ書き直したがために少女の姿はどこにもない。

 

『シルフィスティア。あなたの視界を貸してください』

『いーよー』

 

 彼女もまた休眠していたのか、間延びした声と共に目蓋の裏へ光景が投射された。

 その場にいながら城中を探し、少女の姿を見つけてただちに追跡する。

 リアラは……どこか悲壮な決意をにじませた少女が歩む先は、城門を目指しているものと思われた。

 そこかしこで徘徊する歩哨、それもあんな騒ぎがあったせいか無駄に多い兵士達の目をかいくぐり、どうにかリアラを発見する。

 少女もまたたどたどしく歩哨の目をかいくぐっているものの、夜中ということもあって城の門は閉められていた。

 それを見て城門から外へ出るのをあきらめたらしいリアラが向かったのは、飛行竜が突っ込んできた時計塔だった。

 被害者全員の遺体回収すら終わっていないらしく、そこかしこに布がかけられたそこは古戦場を思い起こさせる空気が漂っている。

 当のリアラといえば、多くの兵士が息を引き取ったであろうその場所になんら臆することなく、淡々と階段を下り瓦礫を渡って外へ出ようとしていた。

 ──彼女が何をしようとしているのか。それを知りたかったが、こんな瓦礫を渡ろうものなら必ず気付かれてしまうだろう。

 

「こんばんは、リアラ」

「……っ!」

 

 瓦礫を渡り終えたリアラに声をかけ、自身もまた瓦礫を踏んで渡り始める。

 気配を消し、足音を押し殺し、おまけに距離もそれなりに取っていた。それ故に気付けなかったらしいリアラは、それこそ息が止まりそうな勢いで驚いている。

 

「息が詰まるような気分はわかりますけど、真夜中に出歩くなんて感心しませんね」

「ど、どうしてフィオレがこんなところに……」

「そりゃこっちの台詞ですよ。外の空気が吸いたいならバルコニーで済ませてください」

 

 足を動かす度に音を立てる瓦礫の山を越えて少女に近寄ろうとすれば、その細い肩が大きく震えるのがわかった。

 それはけして、気温だけのせいではない。リアラの浮かべる表情が、それを語っている。

 

「……何もしやしませんよ。あなたがエルレインと似たような存在であることは、元から承知していました」

「──答えて、フィオレ。あなたは、何者なの?」

「フォルトゥナとのやりとりに関して白状するなら……リアラ。星の守護者って何のことかご存じで?」

 

 警戒を崩さぬリアラを前に、守護者と自身の関係を洗いざらい話す。

 フォルトゥナが敵視する彼らのことは知っていたらしいリアラの顔が青ざめていくのを見て、フィオレはかける言葉が見つからなかった。

 そもそも、リアラの正体がわかっていて、フォルトゥナとの話し合いが不成立だった時点で、彼女に関してはノータッチであるべきだったのだが。

 そうしなかったのは、リアラが必ずしもフォルトゥナと同じ考えでないことを知ったからか。あるいはリアラの正体を知っても、彼女を仲間として大切に思い始めているのだろうか。

 

「さて、私は質問に答えました。こんな夜中にあなた一人、何をなさるおつもりだったので?」

「……フィオレは。フィオレは、守護者達と契約していて、何か使命は持っていないの?」

「使命、ですか。強いて言うなら、彼らの望みを叶えることですね」

 

 うつむきがちになって質問に答えてくれないリアラに内心でため息をつきながら、一応素直に答えておく。

 それを聞いたリアラは、そろそろと顔を上げた。

 

「守護者達の、望みって?」

「フォルトゥナが……あなた達が人類へ干渉することを、やめること。あなたにとっては、人類を幸福へ導くなと、言っていることになりますね」

 

 突き詰めれば、そういうことだ。

 フォルトゥナは人類の幸福を願い、守護者らはその願いはともかく手段を厭うている。そしてフォルトゥナらは、反発する守護者らを敵視、封じてしまったというのが現状だ。

 更にフィオレは、フォルトゥナとの話し合いを失敗させている。話を聞いてくれないあちらが悪いとフィオレは信じているが、果たしてリアラはどうだろうか。

 フォルトゥナと対峙した際のように冷静か、あるいは逆上して本性を現すか。

 対するリアラは、予想より斜め上の発言をした。

 

「……守護者達の望みが、私達による人への干渉をやめさせることなら……お願いフィオレ、手伝って!」

「手伝う?」

「わたしは、これからエルレインを止めに行く。わたしは誰ひとり幸せにしていないし、英雄もいないけれどエルレインのやり方だけは間違っていると思うの!」

 

 リアラが救いの道を見いだせなければ、自動的にエルレインの方法が選ばれてしまう。それだけは避けなければと考え、彼女を思いとどまらせると、そういうことらしい。

 

「そのエルレインという聖女は、あなたが何かを訴えたところで考えを改めるとでも?」

「……思わない。けど……けど、だからこのまま放っておくなんてできないわ!」

 

 エルレインが大量のレンズとやらを手に入れたことで、大奇跡──神を降臨させようとしていることが、少女の気をはやらせているのだろう。

 神が降臨したその瞬間、エルレインの方法が選ばれるのだとしたら、それも仕方ないことなのだが。

 

「だから、たった一人でエルレインのところへ行こうとしていたんですか? 皆に何一つ告げずに」

「……誰もわたしの心配なんかしないわ。カイルにあんなひどいことを言ってしまったし、皆わたしが聖女だってことを知ったもの。だから……」

 

 言葉を紡ごうとして、感情が追い付いていないのか。少女は今にも泣き崩れそうな面持ちで、フィオレに抱きついた。

 すがりつくその手が、血の気を失くすまでに握りしめられている。

 

「おねがい、わたしと一緒に来て。ロニが言ったことは正しいわ。もう皆に迷惑はかけられない」

「リアラ、あなたはとんでもない思い違いをしています。カイルにしたってみんなにしたって、そんなの今更……」

「もう時間がないの! フィオレだって、フォルトゥナに降臨されたら困るでしょう!?」

 

 キッ、と上げられた顔には焦燥が、つぶらな瞳には涙がにじんでいる。

 そして何より、少女の鎖骨に鎮座したレンズペンダントに光が灯ったのを見て、フィオレは慌てた。

 

「落ち着いて、リアラ。皆を置いていくどころか、何の連絡もなしに消えるなんて……」

「いいの! 皆関係ないんだから! わたしには……あなたがいてくれれば、それでいいの!」

 

 レンズペンダントから放たれる光が、急激に強く増幅されていく。

 二人の姿が光に包まれ、光が収まった頃。すでにそこには、何者も存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






※リアラとフィオレはパーティ離脱しました。


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第三十六戦——転移はハプニングの味~悩め少年。そして少女は反省しろ

 ファンダリアとアイグレッテ。
 絶賛別行動中。ファンダリアに残された皆はもちろん大騒ぎ。
 フィオレはフィオレで、命の恩人の部屋に押し込みかけて睡眠強盗なうで心の中だけ修羅場中。
 そして、リアラは。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝のこと。漢部屋には眠りこけるカイル、すでに身支度を整えたジューダス、伸びをするロニの姿があった。

 

「ん~、もう朝か。ついさっき、寝たと思ったんだが……」

 

 そこへ、乱暴なノックと共に鍵のかかっていない扉を押し開ける音がする。

 それは緋色のツインテールに、フィオレから借りた外套を羽織るナナリーの姿だった。

 

「よぉ、ナナリー。……二人はまだ寝てるのか?」

「いなくなっちまった……」

「なに?」

 

 押し殺すようなその声音に、ジューダスが尋ね返す。それには答えず、ナナリーはカイルの眠る寝台へ駆け寄った。

 

「カイル! 起きなよ、カイル!」

「……ふあ? ああ、おはよ……」

「ほら、ボケッとしない! 急いで起きな!」

 

 カイルの寝起きは最悪だと知っていながら、彼を起こしにかかるナナリーの剣幕は尋常と程遠い。

 その様子にロニが再び事情を尋ねれば、ナナリーはようやく問題そのものを語った。

 

「二人が、リアラとフィオレがいないんだよ!」

 

 リアラがいない。それは何よりも強力な目ざましになったらしく、カイルはがばりと起き上がった。

 ジューダスが更なる詳細を尋ねれば、彼女は落ち着きを取り戻さないまま事実を語ろうとしている。

 

「あたしが起きたら、もういなかったんだよ! ずっと探したんだけど……」

「お、おい、落ちつけよ。どっか散歩に行ってるだけかもしれないだろ? 特にフィオレなんて気まぐれなところがあるから、荷物一式持ち歩いてたって不思議は」

「違うんだよ! そうじゃなくって……」

 

 ここでナナリーは、ようやく自分の持っていた羊皮紙の存在を思い出したらしい。それを突き出せば、横合いからジューダスがそれを取り上げた。

 

「あいつの字だな。『リアラがいないので探してきます』……」

「ここに書いてある時間にリアラがいなくなって、フィオレが探しに出たってことか。でもまだいないってことは……」

 

 そこで再び、部屋の扉が叩かれる。

 誰もが一瞬「お騒がせしました」と現れるフィオレと、連れられたリアラの姿を想像したものの。残念ながら現れたのは武装した兵士の姿だった。

 

「失礼します。陛下よりお話があると、至急謁見の間までご足労願います」

「──わかりました。すぐに参りますと、ウッドロウさ……陛下にお伝えください」

 

 誰ひとりとして返答しないのを、仕方なくロニが進み出て返事を寄越す。そうすることで兵士を立ち去らせたあと、ナナリーはロニにくってかかった。

 

「ちょっと、ロニ! 放っとくってのかい!?」

「そんなわけねーだろうが。先にウッドロウさんのところに行ってるだけかもしれないし、探すにしても事情を話して手を借りる方が早い」

 

 前者の可能性は限りなく低いものの、後者はどうにか納得し、一同は謁見の間へと急いだ。

 城内は襲撃の痕の修復に全力が注がれており、カイル達はその邪魔とならないよう通路を通り抜けた。

 謁見の間へ続く階段を登れば、幾分顔色の良くなったウッドロウが玉座に座り、十数人の騎士が控えている。

 四人が玉座を前に整列したところで、ウッドロウは玉座から立ちあがった。

 

「すまないな、わざわざ呼びたてて。例のレンズの件だが……」

「あの、その前に……」

「馬鹿カイル、こういうときは……」

「──陛下。実は今朝方より、仲間の行方が知れないのです」

 

 単刀直入に聞こうとするカイル、それを止めるロニ。二人を押しのけて用件を切り出したのは、ジューダスだった。

 これまで何ら変わりなかった口調の変貌に、一同の誰もが驚愕を現している。

 

「行方が知れない?」

「一人はリアラ、一人はフィオレ。すでに仲間の一人が捜索に出ましたが、手がかりは深夜二人が部屋を出たということだけ」

 

 だから探索に人手を貸してほしい、と彼が願い出ようとしたところで。

 ウッドロウの言葉に遮られた。

 

「ふむ……誰か、二人の姿らしきものを見たと報告を受けた者はいないか」

「──陛下。私の部下に、それらしき人物を見たとの報告をした者がおります。その者を呼び立ててもよろしいでしょうか?」

 

 ウッドロウの許可を得て、発言をした騎士の従者が脱兎の勢いで謁見の間から去っていく。すぐに戻ってきた従者が連れてきたのは、入って日の浅いと思われる兵士だった。

 

「あの、隊長。私に何か……」

「昨晩の見回りで見かけたという、人影の話をもう一度話してくれ」

「は、はあ……あの、単なる見間違えかもしれませんが……」

 

 兵士が語ったのは、崩れた時計塔の見回りをした際見かけたという二つの人影の話である。

 曲者かと思いきやどうも奇妙な印象を持ち、そのまま観察していたらしい。

 

「一人は淡い桃色のワンピース姿の少女、もう一人は帽子を深く被り箒を手にした細身の姿で、言い合いをしていたようなのです」

「言い合い?」

「何分、離れた場所で忍んでいたため詳細はわかりませんが、少女が何やら興奮していて、帽子の方がそれをなだめていたようなのですが……」

 

 特徴を聞く限りは二人の特徴と合致している。

 最終的にどうなったのかを尋ねれば、兵士は変にしどろもどろになって報告した。

 

「……その……少女は結局落ち着きを取り戻さぬまま、帽子の方に抱きついたかと思うと……発光を確認しました」

「まさか、そのまま姿が消えたのか?」

「はい。光がなくなったかと思えば二人の姿は忽然としてなく、夢でも見たのかと思い詳しい報告はしなかったのですが……」

「わかった。ありがとう」

 

 国王陛下直々に声をかけられ、見ていて恥ずかしくなるくらい舞い上がる兵士をその上司が退出させている。

 不可思議な話に騎士たちが報告した兵士の頭を疑うより早く、ウッドロウは考え込む一同に声をかけた。

 

「このような証言があったが、どう思うね」

「それって……」

「あの女にしては信じられん失態だが、間違いないだろう。リアラを止め損ねたどころか、転移に巻き込まれたな」

 

 イラつきを隠そうともせず、最悪だと吐き捨てるジューダスに驚きながらも、ロニが話の続きを促した。

 

「巻き込まれたっつーか、リアラが巻き込んだっつーか……無謀すぎるぜ。多分アイグレッテだよな? 周り中敵だらけじゃねえか」

「以前フィオレは、逆上したフォルトゥナの攻撃を凌いで見せた。もしかしたらそれをアテにしているのかもしれんが……」

「それにしたって、限度ってもんがあるだろ! 早いとこ行かないと……カイル!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──カルビオラでの記憶が蘇り、即答できずにいたカイルが悩む頃。

 目を覚ましたフィオレは、己の居場所に気付いてめまいを起こしていた。

 

「なんで、フィリアの部屋に」

 

 リアラの姿も、部屋の主の姿もない。内装は以前、フィリアを担ぎこんだ際にちらりと見たそのまま。

 騒ぎを起こしたのはついこの間だというのに、ため息をつきかけたフィオレは次の瞬間、息を呑んだ。

 唐突にガチャリと扉が開いたかと思うと、聖典を抱えた女司祭が入ってきたのである。正確には戻ってきた、か。

 新緑色のおさげに珊瑚の髪留め、丸眼鏡をかけた女性神官──間違いなくフィリアだ。

 無論のこと、彼女は床に座り込んでいたフィオレを見て目を丸くしている。その唇が言葉を発するより早く、フィオレはフィリアに飛びかかった。

 

「きゃ──んぐ」

「お静かに」

 

 なんでこんな居直り強盗みたいな真似を、と心中で運の悪さを嘆きつつ、フィリアの口を塞いで羽交い絞めにする。

 当然暴れる彼女の首を絞めて失神させることがどうしてもできず、フィオレは後頭部で部屋の明かりを落とした。

 

「!?」

「──その荒ぶる心に、安らかな深淵を」

 

 発生した闇から第一音素(ファーストフォニム)を集め、譜歌を使う。抱え込んだフィリアの体が脱力し、健やかな寝息が聞こえる頃照明の電源を入れた。

 寝入る彼女を以前と同じように寝台へ寝かせ、一息つく。

 今回はキャスケットをかぶっていたから、顔は見られていない。更に眠らせたことから、夢か何かと勘違いしてくれることを全力で祈る。

 目を覚ます前にさっさと移動しようとして、フィオレは立ち止まった。

 まずはリアラとの合流だが、当てどなく探すなどどれだけ時間がかかることやら。

 それに、この姿で神殿内をうろつけば、すぐに見とがめられる危険性が高かった。

 効率よく少女を探す方法──シルフィスティアに力を借りることと、そして。

 

「Rey Ze Luo Qlor Toe Nu Va Rey。望むのは、あなたの姿」

 

 体内の第七音素(セブンスフォニム)を練り上げ、自身を包み纏う。

 春に芽を出す若葉色の髪、女性らしいふっくらとした体つき、愛らしい丸眼鏡の似合う顔が今は真剣な顔つきで姿見をのぞきこんでいる。

 ──やはり、今のフィリアの姿を借りることはできない様子である。鏡の中にいるのは、フィオレが良く知る十八年前のフィリアの姿だ。自身よりはましだろう。

 ふたつの三つ編みを作って、変装用の眼鏡をかけてそそくさとフィリアの部屋を出る。

 

「三界を流浪せし旅人よ、流転を好む天空の支配者よ。汝の眼を耳を借り受けん」

 

 現在フィオレは、十八年前のフィリアの体をそのまま模写しているため、念話は使えないし守護者達に力も借りにくい。フィオレ固有の譜術が使えるのは、ひとえにフィリアがクレメンテのソーディアンマスターとして研鑽を積んだからに他ならない。

 リアラの姿は、以前バルバトスと交戦した大聖堂で見つけることができた。

 すでに単身エルレインと接触してしまったのか、その姿は青くぼんやりとした結界に閉じ込められている。

 危害こそ加えられていない様子だが、放置しておいていいわけがない。

 誰かに見咎められる内にと素早く聖堂へ移動し、扉を開こうとするも、ガチャリと阻まれる。鍵がかけられているようだ。

 

「あの、フィリア司祭。如何なされましたか?」

 

 神官だろうか、通りがかったらしい青年の声が後ろからかけられる。

 十八年前のフィリアの顔を見て何か思われても困ると、フィオレは扉に手をかけたまま応対した。

 

「聖堂へ入りたいのですが、開かないのです」

「今はエルレイン様が祈りを捧げておいでです。司祭は先程礼拝を終えられたのでは……」

「落し物をしてしまって、探したかったのですけれど。それなら仕方ありませんわね」

 

 わたくしはここで待つことにします、という言葉に対し、ありがたいことに青年はあっさり信じてくれた。

 無論、有言実行はありえない。青年の姿が廊下の向こうへ消えたところで扉の前に膝をつき、鍵開けを敢行する。

 ──フィリアが重度の不器用でなくてよかった。

 幸い扉の構造は複雑でなく、難なく扉は開いている。

 

「誰!?」

「──お静かに」

 

 フィリアがさっき礼拝したということは、リアラはついさっき囚われたということか。

 そんなことを考えながら、薄暗い聖堂に入り込み、そっと扉を閉める。

 エルレインが礼拝をしていると言った割に、聖堂内にはリアラだけしかいないように見えた。

 暗がりが多いだけに何が潜んでいるかもしれないが、慣れない姿の借姿形成中はあまり勘が働かない。そこまで気は配れなかった。

 ともかくそのまま──借姿形成は解かず、紫水は手にしたままゆっくりと閉じ込められているリアラに近づいていく。

 

「……フィリア、さん?」

「お尋ねしたいのはわたくしの方です。どうしてリアラさんがここに……閉じ込められているのですか?」

 

 紫水を手にしているのは見えているだろうに、リアラから放たれた言葉をあえて否定しないことにした。

 暗いことに警戒している素振りを見せ、ゆっくりと少女へ歩み寄る。

 少女を囚われの身にしているのは、近づいたところで正体がわかるわけでもない、青い光の膜のような、ドーム状の結界だ。

 何か、解除のヒントはないかときょろきょろ見回していた、その時。

 

「……よい、ガープ。眠らせろ」

 

 眼前のリアラから妙に低い女の声が発せられ、ぎょっとして少女を見やる。

 見たこともない冷たい瞳を認めた直後、横合いからの冷たい風にフィオレは思わず飛び退った。

 刃物が宙を斬る。そんな音がして、暗がりから現れたのは葡萄酒色の髪を後ろへ撫でつけた神団騎士と思しき男だった。何処かで見たと思ったら、ハイデルベルグ城謁見の間でロニを吹き飛ばした男である。

 今の奇襲でフィオレ扮するフィリアを仕留めたと思いこんでいたのか、幸いなことに追撃はなかった。

 

「何っ……!」

「曲者!」

 

 この言葉、本来は自身に向けられるべき言葉なのだが正当防衛ということにしておこう。

 ひょっとしたらフィリアと面識があったかもしれないこの男に、暗がりで誰だかわからなかったという言い訳を考えつつ鞘入りの紫水を振り回す。

 

「馬鹿な、フィリア・フィリスといえば四英雄の中でも最弱。ソーディアンを手にして初めて参戦したような者に、私の奇襲を察知できるわけが……!」

「ブツクサと、何を失礼な! 隙ありですわ!」

 

 振り回したと見せかけた紫水で急所めがけて刺突を見舞う。

 避けたせいで体勢が大きく崩れたところ、こめかみを狙い一撃入れてやれば、ガープはばったりと倒れ伏した。

 くるりとリアラを見やれば、彼女は結界などなかったかのようにずいと足を動かしている。

 少女の華奢な体が結界より外へ出た瞬間。淡い桃色のワンピースはぞろりとした裾、たっぷりとした袖の神官服へ、その他さまざまなものがエルレインのものへとなり変わる。

 一見、それに驚いた風を示していると。

 

「あなたは、フィリア司祭ではありませんね」

 

 おそらく初めて対峙するエルレインは、至極冷ややかにそれを言った。

 その目は、芝居を打つフィオレを嘲笑っているように見える。

 

「不思議なことをおっしゃるのですね。では、何者とお思いですの?」

「……我らとは相容れぬ者。星の守護者に遣われし、偽りの命を抱く者」

 

 正体までお見通しらしい。そもそも、閉じ込められたリアラに彼女が扮している時から誘われている可能性を考えていなかったわけではないが。

 とはいえ、それならぐだぐだ言い逃れても時間の無駄だろう。

 

「──ご承知なら、お話は早いですわ。リアラさんは、どこですか?」

「フィ……フィオレ、なの?」

 

 エルレインの視線がつい、と動く。その先の暗がりにいたのは、祭壇付近に佇む、やはり結界に閉じ込められた少女だ。

 まだ演技は必要だ。もし増援を呼ばれても多勢に無勢とならないように。神殿内にしてアタモニ神団の長という、彼女の立場を有利に使われないために。

 三つ編みをほどいて眼鏡をしまう。このまま戦闘へ移行する危険性は低くない。

 

「リアラ、無事ですか?」

「え、ええ……あの、本当にフィオレなの?」

「──これでわかっただろう。これが、守護者を騙る者達の手先だ。何一つとして確かなものはなく、それでいてもっともらしいことを並べ立てる。この者に頼ろうとも、救いの道はない」

 

 彼女達、フォルトゥナとエルレインの間で何らかの伝達がされたのか。まともに会って会話したのはこれが初めてだというのに、えらいけなされようである。

 元々フォルトゥナから何か吹き込まれていたのか、あるいは──

 

『こいつだ』

 

 不意に聞こえた脳裏の声は、シルフィスティアのものだった。

 緊迫したような、押し殺すような声音はまるで、聞かれることを恐れるように囁く。

 

『ボクの眷属をたぶらかしたのは』

『私の聖域を海の主に襲わせたのも』

『我が眷族を惑わせたのも──』

 

 シルフィスティアだけではない。これまで被害に遭ったと思われる守護者二柱も、戦慄したように囁いた。

 てっきりフォルトゥナの仕業とばかり思っていたが、守護者達無力化計画はエルレインが行っていたことだったのか。

 考えてみれば、フォルトゥナが降臨したのはこれから十年後のことである。今存在しないはずの彼女に、そんな器用な真似ができるはずもない。守護者をいじめている暇があるなら、人々の救済に精を出すはずだ。

 ──ああ。精を出した結果エルレイン、そしてリアラが創造されて今日に至るのかもしれない。

 

「リアラ……目を覚ませ。お前はこの者にたぶらかされているのだ。この者は今も、お前を欺いている」

「確かに私は、全てを彼女に明かしていない。黙っていることも沢山あります。けれど……それとこれとは別種の問題であるはずです」

 

 リアラが身動きを封じられているのは、看過できない。しかし冷静に考えて、エルレインが悪戯にリアラを傷つける理由はないのだ。あえて見ないことにして、フィオレはあくまでエルレインと向き合っていた。

 それまでリアラを見つめていた切れ長の瞳が、ちらりとフィオレを──フィリアの扮装を解かないその姿を見やる。

 

「そのような詭弁に誤魔化される私ではない」

「人は全てをさらして生きていけるほど強くない。私もその範疇に入ります」

 

 フォルトゥナと違って、話は耳に入れていたらしい。それを聞いて、エルレインの口元は三日月を描いた。

 それはフォルトゥナが、リアラに向けて浮かべた聖母の如き笑みに似ていて、まったく別種のもの。

 どうしようもない愚者に相対しているかのような、蔑みと嘲りを混ぜたものだった。

 

「……人、だと? 偽りの生にしがみつく罪深き亡者が、世迷い事を」

「私を人じゃないと抜かしますか。ではなんだと、輝きの聖女様はおっしゃるので?」

「守護者共は、我らのような強大な力を持つ存在が人と深く関わることに苦渋を示した。ならば、彼らに代行者として選定された貴様は、なんだ?」

 

 ──そう、来たか。

 一言も返せないフィオレに、エルレインの口上は続いた。まるで、追い詰めるかのようにねっとりとした物言いである。

 

「彼らと意志を交わし、聖域に招かれ、その身に依代すら宿す。守護者のことは抜きにしても、貴様自身本来人には扱えぬ異能をはらんでいるではないか」

『惑わされないで、フィオレ! ボク達が君と接触したのは、彼女が君を招いたのはそんな理由じゃ……』

「人の形はしていても、その本質はあまりにも遠い。お前は自らがどのように製造されたのか、知っているのか? そのようなモノが、自らは人であるなどと……あまりにもおこがましい。そのようなモノに、神の愛が賜われるものか」

 

 ──最後のソレだけは心底どうでもいいが、やたらめったら心の琴線に触れるものがあるのは何故だろう。

 シルフィスティアの言葉が途切れたのは、エルレインが何かをしたのか、それとも続く言葉がなかったのか。

 

「なかなか効果的な精神攻撃ですが、まずあなたには人がなんたるかをご教授いただく必要がありますね」

「何?」

「では、自分は人だと言い張る亡霊を諭していただきましょう。人間とは何なのか。何を持っていれば、どのような存在であれば人なのか。亡霊は何をもっていないから人ではないのかを」

 

 フィオレの想像通り、エルレインは何一つ答えようとしなかった。

 当然だ。この答えは、考える頭があればあるだけ無限に存在する。それでいて、導き出された答えに正解も不正解もない。

 

「答えられませんか。人類を絶対幸福に導く神の遣いのくせに、人の本質なんか何も知らないんですね」

「──人とは。神によって救われるべき、儚く、哀れで、愛おしい存在だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「それは神様から見た人という存在でしょう。人間は神のお人形じゃありません。私の見解は、心を持ち、感情を持ち、思考する生物です。血肉製の体を動かし、呼吸することで心臓を動かし、食することで機能を維持している。何より、判断することができる生物です。だから私は自分が人だと断定しているんです。あなたにどうこう言われたところで、揺るがない」

 

 一応素直に聞いていたらしいエルレインの柳眉が歪む。しかしそれに関しては特に反論もないらしく、言葉はない。

 フォルトゥナの時と同じことにならなければいいがと、内心懸念していたフィオレは小さく息をついた。

 

「話が逸れましたね。私の要求はひとつです。リアラを返してください」

「そうはいかぬ。これ以上聖女を毒されてなるものか」

「二人は違う道を歩んでいるのでしょう。それはフォルトゥナも言っていたはず。リアラを軟禁して、あなたに何の意味があるのです」

「軽々しく神の名を口にするな、亡者の分際で!」

 

 それまで昏倒していたガープがいきなり立ち上がり、ロニに振るった長刀を叩きつけてくる。

 エルレインとの対話にそこまで集中していなかったため、どうにか反応したフィオレは一撃を凌いだ。

 この言いぐさ、事情に通じていたことはおろか、狸寝入りしていたことは確実だろう。

 

「死んだフリですか。騎士の名が泣いていますよ」

「当の昔に生を終えた亡者にどうあざけられようと、負け犬の遠吠えにしか聞こえんな」

「祭司長を護る者が、ただ話しているだけの相手に斬りかかるなんて不敬にもほどがあります。まるで彼女が言い負かされそうなところを誤魔化しているようではありませんか」

「わ、私は神の名を呼び捨てる不敬者に粛清を……」

「それはそれ、これはこれ。さあアタモニ神団の長様、お答えをお聞かせください」

 

 さあこれで横やりは入らなくなった。入ったとすればエルレインに対して面子が立たない。エルレインが命じても、十分対応は可能だ。

 いきなり話を振られても、エルレインは小揺るぎもしなかった。

 

「知れたこと。これより、フォルトゥナ降臨の儀を取り行う。完全な神が降臨すればその瞬間私達の役目も終わる。私はそれに、リアラを立ち合わせようとしただけ」

 

 ──フォルトゥナは、カルビオラに降臨したのではなかっただろうか。

 少し前まで滞在していた十年後を思い返して、はたと気づく。

 エルレインによるフォルトゥナ降臨には、明らかな矛盾がある。いうなれば、それは子が母を生むようなもの、フォルトゥナによって生まれたエルレインが彼女を降臨させるというのはおかしな話なのだ。

 

「フィオレ、エルレインを止めて! エルレインは、ハイデルベルグから奪ったレンズを使って完全なフォルトゥナを降臨させようとしているの!」

「……完全な、フォルトゥナ?」

 

 なるほど。フォルトゥナは放っておいてもその内現れるが、そのフォルトゥナが完全な力をもってして神と在れるよう小細工をするつもりなのか。

 それこそ、守護者達が恐れていた事態だ。

 

「あなたを斬れば話は早いでしょうが……」

「! エルレイン様には、指一本触れさせぬ!」

「まずは忠犬が相手ですか」

 

 フォルトゥナに言ったことを繰り返す気は毛頭なく、あちらもフィオレを穢れた亡者と見下している以上、素直な話し合いは望めない。それでも一応、フィオレは宣言した。

 

「彼女の意志に基づき、リアラは返してもらいます。ついでにフォルトゥナの降臨は断固阻止。さあ、二人で力を合わせてかかってきなさい」

「貴様のような亡霊風情、エルレイン様のお手を煩わせるまでもない。この剣のサビに……!」

「できるもんならやってみなさい」

 

 初めから今に至るまでピリピリしていたガープが、抜刀を見てその殺意を膨らませる。

 しかし、抜刀と見せかけてブン投げられた紫水を叩き落としている間に、彼はあっさりフィオレの接近を許していた。

 

「くっ!」

「まー、無理でしょうけど」

 

 紫水の鞘、箒部位にて顔面を殴られ、両手が顔を覆う。長刀は取り落としたばかり、隙だらけの体を遠慮なくしばいて、彼は今度こそ失神した。

 沈黙した神団騎士を顧みず、トドメを刺す暇も惜しんでエルレインを見据える。自分の護衛が無力化されたにも頓着せず、彼女は虚空へ両腕を差し上げていた。

 ガープとやりあうフィオレに何もしてこなかったということは、有言実行──フォルトゥナの降臨だろうか。

 そうはいかないと紫水を回収したフィオレがエルレインへと迫る。

 果たして聖女に刃による物理攻撃が効くのか甚だ疑わしいが、リアラだって包丁で指を切ったことがあるのだ。

 とにかくその集中を断つべく、紫水を振り上げた、矢先のこと。

 

「──その身をもって思い知れ」

 

 直後。フィオレの目の前は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十七戦——判明! 不思議なレンズの正体は~戦闘不能≠死亡

 アイグレッテ。エルレインと交戦なう……だったのですが。
 見事エルレインの奸計にひっかかり、あえなく戦闘不能。かっこ死んでません。
 前作であるswordian sagaにおいて、フィオレの直接の死因は「圧死」なので、再現されるとやっぱり意識がスッ飛んでしまった模様です。
 意識があったところで、交戦可能であったかどうかは定かでありません。たぶんむり。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィオレ!」

 

 大聖堂内に、少女の悲鳴が木霊する。

 リアラの視線の先に、その名の主はいない。はめこまれた色硝子から差し込む光に反射してきらきら光る大量のレンズが、山となり鎮座するのみだ。

 ガープを退けたフィオレがエルレインに迫ったその時、頭上から降り注いだレンズの山に飲みこまれて今に至る。

 返事は、ない。レンズの量は以前、ハイデルベルグで見た山よりもなお高く積まれている。これまでアタモニ神殿に寄進されているものも含まれているのだろう。

 その量たるや、下敷きにされた人間が圧死しても決して不思議ではなかった。

 返事はおろか反応すらもないことに絶望するリアラを余所に、エルレインはどこか恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「リアラ。見るがいい、このレンズを……このレンズの数こそが、人々の幸せを願う想いの現れ。そして私の、人々を救いたいという愛の証」

「……フィオレに、手をかけて。何が愛の証なの、愛の証で命を奪うなんておかしな話だわ!」

「案ずるな、リアラ。あの者の命は潰えていない」

 

 え、と呟く少女の眼前で、エルレインは自らのレンズペンダントをレンズの山へと翳した。

 ペンダントが輝くと同時に、差しこむ光に乱反射していたレンズの山の中で、一際強く輝く存在を見出す。

 その光は以前、リアラも見たことがあった。

 

「これは……」

「そう。お前も知っていたのでしょう? この者の振りかざす力の根源を、このような亡霊には過ぎた力を」

 

 リアラが初めてフィオレと接触した時、リアラに英雄と呼ばせた力を感知させた輝き。それまでフィオレが意識的に抑えていたものが、レンズ圧迫による失神で解けたものと思われる。

 察しの良い自らの片割れにか、見出した力に対してか。エルレインは微笑みを浮かべて、レンズに埋まるそれを取り出した。

 

「──え」

 

 エルレインが掴んで持ち上げたもの。それは、常日頃から手袋を外さないフィオレの、左手だった。だらんと力の抜けたそれに、抵抗の意志はない。

 リアラの見ている前で、エルレインは淡々と手袋をはぎ取っている。その下から現れたのは、包帯でぐるぐる巻きに包まれた手の甲だ。

 それすらも取り払われ、その甲に張り付いたものを見て。エルレインの笑みは深まった。

 

「……これだ。フフ……これがあれば、救いを求める思念は更に増幅される!」

「思念が増幅される……? フィオレが持っていたレンズのことを言っているの?」

 

 リアラの位置からでは、エルレインの背が邪魔で床に落ちた手袋や包帯しか見えていない。

 少女の呟きを耳にして、エルレインはゆったりと振り向いた。その手に、レンズペンダントを携えて。

 

「私達がフォルトゥナより授かりしこのペンダントが、何をモチーフに作られたものか。それは知っているでしょう?」

「……神の瞳、でしょう。千年に一度、神の眼と呼ばれたレンズが生成するという特殊レンズ。正史においてその姿が認められたことはないから、伝説として扱われているけれど」

「そう。それが今私の手にあり、完全なるフォルトゥナをこの地に招く……皮肉なものだ。我らと敵対せし守護者共の手先が、神の降臨に一役買うとはな」

 

 言葉を失うリアラが見たもの。それは、エルレインが片時も離さず掴むフィオレの手──その手の甲に張り付いた乳白色のレンズだった。

 乳白色のレンズが、陽光を受けてきらりと明滅する。

 

「フォルトゥナが完全な形で降臨すれば、その瞬間私達の役目も終わる。でも、悲しむことは何もない。そのときこそ、すべての人々が神の愛に満たされた瞬間なのだから」

 

 ハイデルベルグのレンズを得て、フィオレの有するレンズを手中に収め。

 実にうまく、思い通りに運んだこの事態をまるで慈しむように、エルレインはリアラへと語りかけた。

 

「神の愛に満たされた世界……苦痛や悩みなどとは無縁の、完全なる世界。これこそが、救いの在るべき姿……」

「フィオレ……フィオレ、大丈夫なの? しっかりして、フィオレ!」

 

 とにもかくにも、フィオレの無事を願い自分を閉じ込める結界を叩く少女を、エルレインは不思議そうに見つめている。

 話を聞いていないこと自体に何も感じていないようだが、仲間の身を案じるリアラが理解できなかったようだ。

 

「……おかしな話だ。神の御使いであるお前が、誰かにすがるとは。お前が求めているのは、共に歩み助けてくれる英雄か? それとも……」

 

 英雄と聞いて、何故かリアラの脳裏には四方に跳ねた金髪の少年のことが浮かんでいた。

 持ち得る力のほとんどがフィオレよりも劣る、ただ英雄に憧れ、自分もそうなるだろうと夢想する凡庸な少年を。

 

「わからない……その先には悲劇しか待っていないというのに、それでもなお求めるというのか?」

 

 悲劇ならばすでに訪れた。一時の感情で彼を傷つけて、謝ることもせずに仲間達もろとも置き去りにしてきた。

 それを思いとどまらせようとしたフィオレを巻き込み、窮地の彼女を助けることもできず、今少女は一人閉じ込められている。

 言葉もなくただ唇を噛むリアラを慰めるように、エルレインは言葉をかけた。

 

「案ずるな、リアラ。お前の果たせなかった願いは、神が果たしてくれる。お前の苦しみもまた、全て消え去る……」

 

 エルレインの言うリアラの望みとは、きっと人々の幸福を指しているのだろう。

 残念なことに、今のリアラが──仲間達と接し、カイルと共に過ごした時間を経て形成された少女の心は、まったく別の望みを持っていた。

 叶うはずもないと、とうにあきらめていながら、それでも尚捨てられない願い。それは──

 

「時は満ちれり!」

 

 フィオレの左手を握りしめたまま、厳かにエルレインが呟く、それまで山と積まれていたレンズは四方へ散り、聖堂内を漂い始めた。

 きらきらと輝くレンズが躍る夢のような光景だったが、それに見とれることなくリアラは床を凝視していた。

 レンズが散った後、ピクリとも動かず四肢を投げ出して転がるフィオレの姿を。

 意識が途切れた際、借姿形成も解けたため、雪色の髪に覆われてその表情はわからない。

 宙に舞うレンズを恍惚と見つめたまま、エルレインはフィオレの体を子供でも抱き上げるかのように引き寄せている。一切の抵抗がないその様子を見るに、意識がないのは明らかだった。

 フィオレの左手──その甲に張り付いたレンズを手に彼女が念を込めれば、宙に舞うレンズから晶力が引き寄せられていく。

 

「大いなる神の御魂をここに! そして、人々に永遠の幸福を──」

「リアラっ!!」

 

 扉が荒々しく蹴り開けられ、カイルを先頭に四人の仲間達が聖堂へなだれ込んできた。

 対するエルレインは特に驚いた様子もなく、淡々と呟いている。

 

「……彼もまた、お前と同じように悲劇を求めるというわけか。なんと、愚かしい……」

 

 集めた晶力をフィオレの左手、神の瞳に宿して、エルレインは侵入者達に向き直った。

 引き寄せていたフィオレの体を自分にもたれかけるようにしながら──さながら盾でもかざすように。

 

「あきらめろ。お前達の努力は無駄に終わる」

「そんなこと言われて、ハイそうですかとあきらめる奴がいるもんかい!」

「フィオレを離せ。でなければ、その女もろとも斬る!」

 

 珍しく語気の荒いジューダスの言葉に、驚愕したのはロニだった。

 緊張しないことはいいことだが、その発言には誰もがあきれている。

 

「ってぇことは、あれがフィオレなのか? 確かに、髪の色はウッドロウさんそっくりだな……」

「何を今さら言ってるんだい。まさかあんた、知らなかったの?」

「そんなことはどうでもいい。締まらん奴だな」

「二人は返してもらうぞ、エルレイン!」

 

 緊迫した空気が瓦解しかねない掛け合いに頓着せず、エルレインはただ静かな声で宣告した。

 ただしその声音は、尋常ではない怒りが込められている。

 

「……全ての人々の幸福を無視しても、あくまで逆らうというのか。ならば……容赦しない!」

 

 まるで虚空から取り出されたかのように、いつの間にかエルレインの手には光を凝縮して生成されたかのような天秤剣(ダブルセイバー)がある。

 槍というよりは、両刃にして幅広の剣を柄のところで接続し、持ち手を中央にした大剣か。石突がないため、振りまわされたらこの上もなく厄介な武器である。

 リアラは近接攻撃を苦手としているが、エルレインのこれをコケ脅しと舐めていい理由はどこにもない。

 ならば──

 

「いつまで寝ている気だ、この間抜け! さっさとそいつから離れろ、巻き添えになりたいのか!」

 

 フィオレならば、すでに間合いの中の上、目覚めた直後でも攻撃に転じることができるだろう。そう当てこみジューダスが怒鳴るも、フィオレはぴくりとも反応しなかった。

 

「そいつに何をした?」

「最期の記憶を再現した。亡霊とはいえど元は人。脆いものだ」

 

 それを聞き、ジューダスの顔色が変わる。彼以外の誰ひとりとして意味は通じなかったものの、それを気にかけるような余裕はなかった。

 双剣を手に射殺さんばかり睨む彼に、エルレインはただ微笑みかける。

 

「貴様……!」

「案ずるな。完全なる神の創る世界に、苦痛や悩みは存在しない。それは亡霊の苦痛であろうと、同じこと。神は受け入れ、その魂ごと浄化……」

「お断りです」

 

 エルレインの笑みが、凍る。

 突如として自分の足で立ったフィオレが、手にした懐刀を聖女の脳天へ突き立てたのだ。

 頭蓋骨の継ぎ目を狙ったそれは見事、丈の長い帽子を切り裂き、半ばまで刺さっている。

 

「いかがですか、脳髄を潰される気分は」

 

 瞳を見開き、口を半開きにして硬直するエルレインの目を覗きこむようにして、フィオレは黒く塗られた短刀をねじ入れた。

 ごりごりっ、と刃が骨を削り内部へ突き進む。

 

「懐かしい悪夢を見せてくれたお礼です。おかげでためらいが消えました」

 

 よろり、と足元を危うくさせたエルレインから突き放すように短刀を引き抜き、その胸倉を掴んだ。

 黒刃に滴る様々な液体を払い、とどめを刺さんとして。

 

「愚……かな……」

 

 脳天に明らかな致命傷があるというのに、エルレインはまだ息絶えていなかった。

 それどころか顔中を真っ赤に染め、がしりとフィオレを取り押さえる。

 見た目はたおやかな女性の細腕そのものだ。だが、まるで筋力の全てを酷使しているかのように万力のような力がフィオレの腕を締め上げ、思わず懐刀を取り落とす。

 

「まぁ、いい……次の手は、打って……」

 

 エルレインのペンダントが輝く。まるで燃え尽きる蝋燭の煌めきであるかのように発光はあっという間に膨れ上がり──フィオレと、中空に舞っていたレンズを呑みこんだ。

 輝きは瞬く間に収束し、後に残ったのは紫水と、抜き身の短刀だけだ。

 

「フィオレ!?」

「エルレイン! フィオレをどこへ……!?」

 

 転移の光と見切ったジューダスがエルレインに詰め寄ろうとするも、すでに彼女の姿はぼやけて消えていた。

 寸断されて落ちた帽子も、飛び散った命の雫も、杳としてしれない。

 エルレインの姿が消えたところで、リアラを閉じ込めていた結界が消失する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十八戦——飛行竜撃墜大作戦~決死の大脱出劇(誇大広告有)

 別に作戦立ててねーし、そもそも決死じゃねーし。
 そんなわけで、エルレインによって飛行竜の積荷にされてしまったフィオレは脱出を試み、ここでようやくパーティ合流します。しかしまた離脱します。
 リアラを止められず、敵に不意を突かれてやりたい放題されて、ここのところいいとこ無しですね。
 ジューダスが不機嫌なのも仕方ありません。
 そんなわけなので、本来あるべきグラシャラボラス戦は、一発ハデに決めちまいましょう(笑)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイルが少女の救出に駆け出す頃、フィオレは必死になって視界を取り戻そうとしていた。

 エルレインによる転移の光を間近に見てしまったがため、眼が眩んでしまったのである。

 幸いなことに、フィオレが視界を取り戻すまで何も起こることはなかった。

 それは、よかったのだが。

 

「ここは……」

 

 見回してすぐに気付く。ストレイライズ大神殿内ではない。

 薄暗い室内、よどんだ空気、硬質にして無骨な造りの壁や床……

 シルフィスティアの力を借り、現在地を把握する。普段ならすぐに実行していたその選択をせずに、フィオレはよろよろと歩き始めた。

 大量の物質を体に乗せられたせいか、妙に体の節々が痛い。更に気分も悪い。それでもフィオレは足を動かしていた。

 エルレインとの会話によって抱いてしまった守護者達への不信感、彼らと念話を交わすことによって発生する脳の負担を回避するためだけではない。

 この場所には覚えがあった、そう遠くない昔、スタンと二度目の再開を果たし、偽りでしかなかった凱旋に使った、天地戦争の遺品──

 見たことにある扉を引けば、大量の風がなだれこんでくる。まとわりつくそれらを払うようにして足を踏み出せば、そこは屋外だった。

 管制室へと続く、屋外の一本道──飛行竜の船首付近。

 眼下を見下ろせば、景色がどんどん流れていく。緑広がる肥沃の大地は、あっという間に大海原へと姿を変えた。

 風を押しのけるようにして飛ぶ飛行竜がどこへ行こうとしているのか探ろうと、管制室へ入る。

 かつて大勢の船員が命を断たれたそこは無人で、いくつかのモニターや計器が並ぶばかりだ。

 リオンと違い、フィオレに飛行竜に関する知識はない。故に自動操縦を解除することなどは一切できないが、それでも設定された目的地を探ることはできた。

 飛行竜が辿りつくであろう、その場所とは。

 

「カルビオラ……」

 

 十年後において聖地と呼ばれる場所で、同じことをしようとしているのか。

 飛行竜内部の監視カメラの内、いくつかを動かせば倉庫の一角にこれでもかとレンズが詰め込まれている。レンズと共に神の瞳を持つフィオレを転送したのだ。間違いないだろう。

 レンズと共に倉庫に積みこまれなくてよかった。下手を打てば、フィオレは再びレンズに押し潰されることで意識を奪われ、二度と目覚めることはなかっただろう。

 未だ恐怖の記憶が残る脳裏からそれを追いだして、善後策を検討する。

 グズグズしていたら飛行竜はあっという間にカルビオラへ到着してしまうだろう。自動操縦を解除できない、レンズの持ち出しも不可となると……選択肢はふたつ。

 レンズの所在を特定し、飛行竜より投棄するか。あるいは飛行竜ごと、海中へ叩き落とすか。

 もう一度管制室の機能を使い、レンズが積まれた倉庫を確認する。倉庫の位置が最下層なら、床を破壊してレンズを一気に投棄するという案が採用されたのだが……そう都合よくはいかないようだ。

 と、なれば選べるのもひとつ。飛行竜もろともレンズを海中へ落とす……飛行竜ルミナ=ドラコニスを墜落させる。

 そうと決まれば、動力室を探して飛行竜が駆動する力の源を探る必要があった。操縦室を破壊して制御不能となり、きりもみ垂直落下してくれるならそうするが、こんなにも巨大な物体で半分は生きているのだ。動力室が存在すると思われた。

 計器に何度もエラーメッセージを突きつけられつつ、どうにか動力室……コア・レンズなるものが安置された部屋があることを突き止めた。これを破壊すれば、動力そのものがなくなるはずだから、理屈上飛行竜は墜落する。

 ……本当は、もう一つ手はある。それは、レンズそのものを消してしまうことだ。レンズだけを音素と元素に還してやれば、さしものエルレインも元に戻す術は知らないだろう。

 しかし、実行すればフィオレは必ず消耗する。そこを、この飛行竜に搭乗しているだろう敵方に狙われたらひとたまりもない。まだコア・レンズを素直に破壊したほうが勝算はある。

 軍事機密ということで、一度たりとも足を踏み入れたことのない機関部を目指し歩いていると。

 

『あの、フィオレ……』

 

 珍しくシルフィスティアが自ら話しかけてきた。どこかおどおどしたような声音が珍しくて、足を止める。

 

『何か?』

『気休めとかじゃないからね? 君は間違いなく人間だよ。だってボク達は人を介してしか人々の営みに関われないんだから。フィオレは強大すぎる力を持っても理性的に……』

『それは、私がもっともよく知っていることです。なぐさめてくれてありがとう』

 

 偽らざる本心を告げたつもりが、どう感じたのだろう。シルフィスティアはそのまま黙りこくってしまった。

 言い方を淡々とさせ過ぎたせいで皮肉に受け取られてしまったのか。そう取られてしまった可能性を確認しようとして、フィオレはその考えを放棄した。

 前方より、人が移動する音──軽快に床を蹴る足音が聞こえる。それも複数人分。

 手元には、紫水も懐刀もない。今こそ、奥の手の出番だ。

 コンタミネーションを起動させ魔剣を取り出し、それを携えてゆっくりと足を踏み出す。

 気配を消し、足音を忍ばせ、呼吸を殺し。擦り足でじわじわと間合いを詰めてかかる。

 カンカンカン……と聞こえる足音がどんどん大きくなっていく。距離が縮まっている証拠だ。

 曲がり角手前、剣の刃が及ぶ位置に到達して立ち止まる。まだフィオレの存在に気付いていない相手が飛び出してきたところで仕留める寸法だ。

 そういえば、このやり方で危うくスタンをなます切りにするところだった。そんな過去を思い出しながら、小さく呼気を吐く。

 聞こえる足音はただ急ぐばかりで、警戒も何もない。

 相手の一部が視認出来たと同時に、魔剣を振り抜き──

 

「カイル、止まれ!」

「え? うわあっ!」

 

 既視感が、眼前を走馬灯のように横切っていく。

 黄金色の蓬髪は記憶のものよりボリュームダウンしているが、それは些細なこと。驚く空色の瞳は、震えるほどに酷似していた。

 ただし、それは束の間の夢。

 剣を振り回した、その音で気づかれたのだろう。彼の姿は曲がり角の向こうへ、引きずり込まれるように消える。

 入れ替わるようにして現れたのは、人型でありながら頭部がトカゲの白骨じみた生き物だった。 

 反射的に剣を突き立てそうになって、どうにか思いとどまる。

 頭部が白骨に見えたのは、大型爬虫類の頭部を模した白い仮面を被っていたからだ。

 そんな奇天烈な人間は、一人しかいない。

 

「ジューダス?」

 

 双剣を振りかざし臨戦態勢だったその体が、僅かに揺れる。

 声を聞き名を呼ばれ、姿を確認しても。彼は武器を収めようとしなかった。

 確かに、フィオレとて計りかねている。ジューダスにしてもカイルにしても、彼らは一体どうやってこの飛行する竜に乗り込んだのだろうか。

 とりあえず、眼前の彼が本人であることを確かめるべく、フィオレは剣を体内へ収めた。

 

「……フィオレか?」

『本人ならこれが聞こえるはず。シャルティエも、いますね?』

 

 念話を用いて話しかけたところ、即座に真偽は確定した。ふうっ、と息を吐き出す音が聞こえる。

 

「念話を使い、禍々しい剣を一瞬で消した……そんな奇天烈な真似をするのは、一人しかいない」

『よかった、無事だったんだね。フィオレ!』

 

 耳元で囁きかけられたら背筋が震えるほどに、外見を反して落ち着いた声と、軽い優男風の声。間違いなく彼らだ。

 再会の挨拶も何もなく、彼は淡々と現在の状況を伝えてきた。

 

「僕らは今、ウッドロウよりレンズ奪還の任を与えられている。そのため、古代の飛空艇を使って飛行竜を追ってきた。お前の救出に来たわけじゃ「蛇足は結構です。レンズがどこにあるかは存じておりますが、総出で運び出すなんて言わないでくださいよ。グズグズしていたら、飛行竜がカルビオラへ到着してしまう」

 

 それに関して先程、船首へ赴いたことを報告する。飛行竜の自動操縦にロックがかけられていたことを告げれば、彼は小さく歯噛みした。

 

「あちらも、バカではないということか」

「何を今さら。例えあなたにロックの解除が可能だとしても、それなりの時間を要すると推測します」

「……」

「だから、飛行竜ごとレンズを海へ沈めましょう。奪還の任、と言っていましたが、封印に有効策があるわけでもなし、神の眼と同じことになってごらんなさい。私は嫌ですよ、あんな厄介事はもうこりごり」

 

 それを提案すれば、彼は長々と息を吐いてくるりと背を向けた。

 自らがやってきたであろう、機関部へ。

 

「いいだろう。そうとわかった以上、お前の提案以上の上策があるとも思えない。……戻るぞ」

「フィオレ!」

 

 彼と共に曲がり角を通過した瞬間。フィオレは小柄な少女の突進を受けた。

 顔を上げた少女の瞳は、浮かべた涙が今にも零れそうになっている。

 

「無事でよかった……本当にごめんなさい! わたしがハイデルベルグを飛び出したりしなければ、こんなことには」

「──私の立場なら、いつかはエルレインと対峙しなければならなかった。それよりもリアラ」

 

 少女の耳元に口を寄せて、ひっそりと囁く。内容を聞いた瞬間、リアラはがばっと身を離した。

 

「そそそ、そんなことないわ! カイルとなんて、何も……!」

「悩みが全部吹っ飛んだような顔して何言ってるんですか。まあ、詳しい話はナナリー達から聞くとして、元気になったならそれでいいです」

「あ、気づいたかい? リアラねえ、カイルと……「ナナリー!」

 

 何やら語りだしたナナリー、頬を染めたリアラが大急ぎでその口を塞ぎにかかり、カイルはゆでダコのように真っ赤になっており、ロニはその横でひたすらにやにやしていた。

 ジューダスは、この緊急時に、と言いたげに呆れている。その口が叱咤を吐くよりも前に、フィオレは大仰に手を叩いた。

 浮ついた空気を一新するように。

 

「さ、続きは後でやりましょう。話は聞いていましたよね、急ぎましょうか」

「仕切るな。リアラの説得に失敗した挙句、囚われの身になったくせに。どれだけこっちが迷惑したと思っている」

 

 そのまま一同を促して動力室を目指そうとしたところで、珍しくジューダスがフィオレの失態を上げ連ねる。

 それを引き起こした張本人が何か言おうとするのを、フィオレは止めた。

 

「──そうですね。わずらわせたこと、迷惑をかけたことは事実です。謝罪しましょう」

「謝罪の一言で片付くことか」

「片付けます。取り返しのつくことですからね」

 

 妙に機嫌の悪いジューダスを、その一言で黙らせて。フィオレは管制室で見たマップを思い出しつつ機関部を進んだ。

 飛行竜は限りなく生き物に近い機械だと聞いている。そのため、機関部は居住エリアと程遠く、生体組織を彷彿とさせる作りを垣間見ることができた。

 

「それにしても、高速移動中の飛行竜によく乗り込めましたね」

「イクシフォスラーの最高速度で追いついて、碇を飛行竜の背中にぶっ刺したんだ。切り離すのも取り外すことも早々できねーから、帰りの心配はしなくていいぜ」

 

 聞き慣れない名詞は古代の飛空艇とやらのことだろう。飛行竜の動力を落とした後はまた脱出ポッドを使おうかと考えていたのだが、そうとわかれば気楽なものだ。

 迷いない足取りで進むフィオレに、疑問を投げかけたカイルを前述の理由で納得させて。特にこれといった障害もなく、一同は動力室へと辿りついた。

 部屋の正面には、飛行竜の動力源たるコア・レンズが取り付けられている。ピクリとも動いていないが、大小様々な管に繋がれているあたりは心臓を思わせた。

 しかし、ここへきて一同の行く手を塞ぐように、コア・レンズを護るように。動力室には一人の男が立っていた。

 葡萄酒色の髪を後ろへ撫でつけた、神団騎士の出で立ち。

 大聖堂にて失神していたはずだが、いつのまにやら復活したのだろう。

 こうなると、トドメを刺さなかったのだが悔やまれる。

 

「来たか。崇高なる理念を理解できぬ、哀れなる者達よ」

「はいはい、勝手に哀れんでてよ。けど……レンズは使わせないよ!」

 

 まことに見当違いな一言を、ナナリーがばっさり片づける。

 重ねるようにジューダスが降伏勧告を行うも、彼は取り合おうとしなかった。

 

「リアラさま……本当に、よろしいのか?」

「天光満つるところに……」

 

 ガープの眼が少女を映し、その視線から護るようにカイルが剣を握る。しかしガープも、そしてリアラにも動揺はなかった。

 

「神の救いを拒絶する者達と行動すること。あまつさえ神にたてつく亡霊を味方に引き入れるなど……とても聖女のすることは思えません」

「……わたしの求めていた英雄は、カイルだった。だから例えどんな結果になって彼と共に歩むわ。そして、彼が信じる仲間達を……フィオレを信じる。そう、決めたの」

「リアラ……」

「……運命を告げる審判の銅鑼より その響きもて万象を揺るがす」

 

 経緯はまったくわからないが、そういうことになったようだ。

 これから先フィオレは英雄と疑われることなく、カイルも英雄として認められ、リアラは己の英雄を見出した。いいことづくめだ。

 対するガープは、失望したように息を吐いた。

 

「……あなたはエルレイン様とは違い過ぎる。そんなことで救いをもたらせはしない」

「ベラベラしゃべるのは勝手だがな。そろそろどかねえと痛い目見るぜ」

「あくまで飛行竜を止めるつもりか。ならば……!」

 

 ガープと一同の間、床に描かれていた転送陣と思しき円陣から何かが姿を現す。

 それは、まるでばらばらにした複数種々のぬいぐるみを適当に縫いつけたような魔物だった。

 頭部は硬質な皮膚を持つ怪物、翼と前足は猛禽類のもの、下半身は多分獅子。これで尻尾が蛇なら完璧である。

 

「お前達の相手は、このグラシャラボラスで充分……」

「こなた天光満つるところより、かなた黄泉の門開くところに生じて滅ぼさん。響け、終末の音──」

 

 発動を促すその言葉は、発生した雷撃によってかき消された。

 虚空より生じた極太の雷はコア・レンズを、そして詠唱中に発生した敵を遍く包みこんでいる。

 視界を灼きつくす閃光が、耳をつんざく轟音が動力室を貫いた。

 そして白光が消え去る頃。そこには黒炭のグラシャラボラスと、電磁を帯び完膚なきまでに破壊されたコア・レンズを含む周辺の機材が散らばっていた。

 

「や……やったのか?」

「あのガープとかいうのには逃げられました。でも、これで飛行竜も墜ちます。退避しましょう」

「なんでそう言い切れるんだよ。考えたかねーが、あの消し炭に混じってるかもしれねえじゃねえか」

 

 食い下がるロニを見やって、フィオレは少々ためらいながらも理由を話した。

 

「……人間の髪は焦げると、それはそれは嫌な匂いを発します。それがないんです」

「な……なんでそんなこと知ってるんだよ」

「経験があるからですよ」

 

 絶句するロニをさておいて、フィオレはジューダスを見やった。

 

「どこを目指せばいいですか?」

「甲板だ。そこにイクシフォスターがある」

 

 フィオレを押しのけるようにして先を急ぐジューダスの後を追う。動力室を出で、正面の転送装置へ殺到するも、作動する気配はない。

 

「コア・レンズから晶力が供給されていないから、手動の扉でないと開かないと思います」

「……そっ、そんなことはわかっている!」

「動かないの!? じゃあどーやって脱出するのさ!」

 

 とりあえず、彼らに任せきりはいけないということがわかった。

 緊急事態ということで、今度こそシルフィスティアの力を借りることにする。

 

『シルフィスティア。あなたの目を貸してください』

『う、うん!』

 

 風の視界によって周囲の状況を把握したフィオレは、くるりときびすを返した。

 近道はいくつもあったが、いずれも晶力の供給が途絶えたことで制御不可、あるいは緊急用の隔壁が降りてしまっている。

 全て手動となると、居住エリアを抜けるしかない。

 

「ついてきてください」

 

 反論するヒマなどないことを、周囲から響く不吉な音で察したらしい。

 彼らがついてきていることを確認しながら、船首付近の通路を経て居住エリア──船員の部屋やら厨房やらを通過していく。

 

「へえ、飛行竜って広いんだね……」

「こっちです」

 

 様々な機器が不気味な悲鳴を上げていることを除けば、がらんと静まり返った船内を駆け抜け、一行はようやく甲板へと到達した。

 彼らよりイクシフォスラー、と呼ばれていた飛空艇は思いのほか小型で、ロニの話の通り打ちこんだアンカーによって飛行竜に張り付いている。

 吹き荒れる風の中、どうにか避難すれば飛空艇内の床には紫水と懐刀が所在なく転がっていた。

 

「回収してくれたんですか、ありがと」

「これで貸し借りはなしだ。いいな」

 

 引き寄せる暇もあらばこそ、さっさと席につけと怒鳴られて粛々と従う。

 直後、ジューダスが打ち込んだアンカーを切り離したのだろうか。がくんと機体が揺れて、じりじり降下していたのが止まる。

 窓から外界を見やれば、飛行竜は頭からきりもみ垂直落下後に、海中へ吸い込まれていった。

 それを見届けたロニが、大仰なまでに胸を撫で下ろしている。

 

「ヒュー! 間一髪ってところだったな」

「でも、結局レンズは取り返せなかったね……」

 

 ウッドロウから奪還、と言われたからには取り戻しておきたかったのだろう。彼は名残惜しげに盛大な水柱の飛沫を見ていた。

 

「他に方法がなかったんだ。仕方あるまい」

「そうだよ。皆無事で、フィオレとも合流できたんだ。レンズだって処分した。いいことづくめじゃないか」

 

 前向きなナナリーの意見に大方が同意し、さてハイデルベルグに戻ろうとジューダスが機首を旋回する。

 それが悪かったわけでもないだろうが、状況が一変したのはこの瞬間のことだ。

 旋回した先、一瞬見えた海面にポツンとした黒い点が生じる。飛行竜の最期かと、もう一度落ちゆくアレから脱出することになろうとはと、感慨深くそれを見つめる。

 しかし、黒点が瞬く間に肥大したのを見て、感慨は吹き飛んだ。

 

「ジューダス、出力を上げて!」

「!?」

「何か言うなら海面を見てからに!」

 

 ジューダスの陣取る操縦席に駆け寄り、ハンドルをしっかり握らせて出力操作のレバーを思い切り傾ける。

 急に速度を上げたせいで体にとんでもない負荷がかかるも、誰一人として文句はなかった。

 海面を見やるまでもなく、巨大化した黒点は飛空艇を追う……否、世界を呑みこみながら際限なく膨れ上がっていたからである。

 出力全開により一度は逃れたと思われるも、肥大化は飛空艇の推進力を遥かに上回っていた。

 

「駄目だ、間に合わねえ……!」

 

 迫る闇が、ぱっくりと口を開いたかのように。漆黒の球体内部に、尋常でない光があったのを見た。

 そんな、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十九戦——開かれし新世界の扉~ついに、ついに、秘密バレ


 in改変世界。合流したり離脱したり、妙にせわしない今日この頃。
 前作swordian sagaでは最期まで隠し通した機密事項が、とうとう流出してしまいます。
 隠し事ってムツカシイね。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、眼が開く。

 聞こえてくる潮騒に不信感を抱き、それまで何があったのかを思い出し。慌てて跳ね起きて、フィオレは困惑した。

 周囲はひらけた海岸が広がっている。どこぞの孤島でない証拠に、対岸やら見回す限り緑が広がっていた。

 人の気配もなければ、人がいた形跡もない。イクシフォスラーもなければ、一同の姿さえもない。

 あるのはフィオレ自身と付属する荷物、広がる原野、そして……見たこともない、巨大なドーム。

 

『シルフィスティア。視界を、貸してほしいのですが』

『……やられた……』

 

 望みが叶わない代わりなのか何なのか。シルフィスティアの独りごちる言葉が聞こえた。

 そして、他の守護者達の声も。

 

『あれで防いだと思ったのに。まさか、墜落中の飛行竜に転移して、レンズを使うなんて……!』

『このままでは埒が明かないと思ったのでしょうね。時空を転移し、過去を歪め、このような世界を……!』

『我らは聖域を離れ、他の守護者が封じられていることをいいことに、なんという暴挙を……!』

 

 ──どうやら、そういうことらしい。

 様変わりしているが、ここは十八年後の世界のままで。お空に浮かぶ建造物も、巨大なドームもエルレインが過去何かしたとか、おそらくそんなところだ。

 そこへ。

 

『シルフ』『代行者が』『フィオレが呼んでいる』

『えっ……あ! ご、ごめん。気付かなかった』

『情報提供ありがとうございます。あれが最善だと思っていたのですが、どうやら間違えたようですね』

 

 きっとフランブレイブあたりがご立腹だと思っていたが、意外にも彼は冷静だった。それは他の守護者達も同じことである。

 

『いいえ、あなたは最善を尽くしてくれました。そうですね、フラン?』

『念押しされずとも、そなたを責める気はない。むしろ聖女の片割れを味方につけていたことは幸いだった。そうでなければ、完全に歴史改変に巻き込まれていただろう』

 

 再度シルフィスティアに協力を要請し、まずは安全な場所──てっとり早く紫水に宿ってもらい、宙に留まった状態で風の視界を借りる。

 ざっと周囲を確認した結果として、他の面々が付近にいないことがわかった。それどころか、人っ子一人いない。

 彼らは彼らで何が起こったのかをそれなりに推理するだろう。しかしおそらく、圧倒的に情報が足りない。

 となれば、手近な建造物に立ち寄って情報収集を始めるだろう。

 なら、あんなに巨大なドームが目につかないわけがない。別の大陸にいるのなら話は別だが、とにかく落ち着ける場所へ行きたかった。

 何故なら。

 

「くっ!」

 

 半人半鳥の魔物に、甲殻類と思われる有翼系の魔物が紫水に腰かけるフィオレに目をつけ始めたからである。

 そのままシルフィスティアに頼んで、フィオレは広大な土地に囲まれるドームへ近づいた。

 幸い周囲が分厚い壁で形成されているせいか、魔物を警戒して見張りが立っているとか、そういうことはなかった。

 ドームの出入り口を探し、それらしい箇所を見つけて紫水から降り、近寄る。

 機械の合成音声に「不法侵入者捕捉」とか言われたらどうしたものかと思っていたが、特に何もない。

 ドーム内と外界を隔てる扉には取っ手も鍵穴もなく、ただ扉の中央より少し上方に真円が描かれている。

 触れても突起があるわけでもなく、魔物が落としたレンズをかざしても何も起こらない。

 

「……まさか、ね」

 

 手袋は取られてしまったため、巻きつけておいた包帯をはがしてかざしてみる。すると、扉はぷしゅん、と気の抜けた音がして開いた。

 信じられないような思いに駆られながらも足を踏み出せば、そこはもうドーム内部──街の中、だった。

 何かの施設だろうとは思っていたが、集落だったとは。

 まさか人間の形までは変わっていないだろうと思いつつ道行く人々を見て──仰天した。

 基本的な形に何ら変化はない。服装はかなり似たり寄ったりだが、これくらいは想定の内だ。

 だが、問題はその顔。正確には額。

 男も女も、子供も老人も。等しくその額には、丸くて平べったい何かを張りつけている。

 先程通過した扉を思い出し、愕然とした。

 この街──否、この世界の人間は、額にレンズを張りつけられて管理されているのか。 

 そして今、フィオレは悪戯に警戒されないよう帽子を外している。額にレンズをつけていないことは、丸わかりだ。

 それは人の注目を浴び、通りすがりの中年男性に声をかけられたのはすぐ後のことだった。

 

「あ、あんた外から来たのかい!? レンズは!? 大丈夫なのかい?」

「……こ、これのことですか?」

 

 まさか、他人に隠匿し続けたコレをわざわざ見せることになるとは。

 左手の甲に張りついたソレを見せれば、彼は途端に安堵の表情を浮かべた。

 

「あ、ああ、なんだ。持っているじゃないか、命のレンズ!」

「……命の、レンズ?」

「そうだよ、このレンズがあるから我々は生きていけるんじゃないか!」

「ひょっとして嬢ちゃん、別の街の人間か? 紅蓮都市ヴァンジェロか、黄昏都市レアルタか……」

「他の街じゃ、レンズをつける場所が違うのかい?」

 

 他の街からの人間がやってくることは少ないようで、物珍しさからか。人──主に男性がぞろぞろ寄ってくる。

 面倒くさくなったフィオレは、適当に作り話をして切り抜けることにした。

 

「北の……雪国の方から来ました。外は危険でいっぱいだから、もしもの時は体を盾にレンズを護ろうとこの位置に」

「おお! レアルタからかい、長かったろう」

「立派な心がけだ。でも、一体どうして君みたいな子が一人でここまで」

「仲間とはぐれてしまって。何か知りませんか?」

 

 敢えて似せ書きなどは書かず、口頭で特徴を上げ連ねる。しかし、そんな集団は見ていないそうだ。

 礼を言ってその場を離れたフィオレがまず行ったのは、帽子を深く被って左手に包帯を巻くことだった。

 これなら額は帽子で見えない。服装が目立つかもしれないが、些細なことだ。

 それから、街の中をぐるりと回ってどのような構造なのかを調べにかかる。正確にはどのような施設が存在し、物質流通が行われているか、だが……

 

「……まさか、ガルドが消えているとは」

 

 誰も商売を行っていなかった。ありとあらゆる物質は配給式で、あれが欲しいこれが欲しいと口頭で告げれば、専用の機械からそれが吐き出される。

 女性二人が連れだって配給機を利用しているのを見たが、それだけだった。てっきり額のレンズに個人の情報が登録されていて、それで住民認証でもしているのかと思ったのだが、そんなことはないらしい。

 配給機付近に誰もいなくなったところで、試しに「リンゴ」と呟いてみたところ、真っ赤な物体が転がってきたのだ。形も味も何の変哲もないリンゴそのもので、服、帽子、手袋、短剣と次々挙げてみる。

 結果として服帽子手袋は問題なく手に入ったものの、短剣だけは認識されなかったようだ。争いに繋がるものがない、というのが非常にエルレインを彷彿とさせる。

 それでいて包丁は出てくるのだから、お笑い草もいいところである。

 とりあえず必要ないものは返却口に放り込み、当てもなくふらふら出歩いた。

 すっ転んだ子供を抱えた母親が、レンズ治療器なる機械の中に入り込む。出てきた子供の擦りむいた膝が元通りになるのを見、交わされる会話から彼らに固有名詞が存在せず、長ったらしい認識番号で呼び合っているなど、奇抜さに溢れた街の特徴を観察していると。

 

「あ、あんたら外から来たのかい!?」

 

 先程聞いたばかりの声に誘われて見やれば、出入り口付近でまったりしていた中年男性がおろおろとしている。

 現在フィオレが佇むには中二階──散策していたところ転送装置を見つけて乗り込んだら転送されたのだ。一階に相当する入り口付近を見下ろして見つけたのは、間違いなくカイル達一行だった。

 誰ひとりとして欠けていないのは、喜ばしいことである。

 

「大丈夫か!? レンズはどうしたんだ?」

「……あんたこそ、なんで頭にレンズなんか張りつけてるんだ?」

 

 まるで我がことのように慌てふためく男性に、ロニは彼を一目見てそんな疑問を発した。

 尋ね返されて、男性は愕然としている。

 

「なんだって……ああ! 外気に触れたせいで頭がやられちまったのか! こりゃあ、大変だ……」

「何言ってんだよ! オレ達は別に……!」

「……どうやら、そうらしい。何も、思いだせないんだ」

 

 頭がやられている、の一言に猛抗議しかけるカイルを押しのけて、その言葉を肯定したのはなんとジューダスだった。

 常に態度を改めない彼にしては珍しく、搦め手で情報を得ようとしているのだろう。

 

「ジューダス!?」

「──」

 

 素早く囁かれたその言葉でカイルが黙り、彼は再び男性と向き直った。

 何というか……あの頭が固くて鼻っ柱が高くて、対人能力において人一倍低能だった少年とは思えない。

 ──人は、成長する。エルレインはその機会を奪い、人を停滞させている。

 

「すまないが、教えてもらえないか? レンズのこと、この街のこと」

「ああ、わかった。困った時は、お互い様だからな」

 

 そして彼らは、実にスムーズに情報を手に入れることができた。

 この街が、蒼天都市ヴァンジェロという名だということ。

 男性の額に張り付いているものは命のレンズなるもので、このレンズがあるから人は生きることが出来るのだと言う。

 

「慈悲深きエルレイン様は、我々に希望の光を与えてくださったんだ」

「エルレインが……!」

 

 その名を聞いて、カイルが思わず声を上げるも、男性はにこにこしているだけだ。エルレインの名を呼び捨てにされても怒らなかったのは幸いだが、この心底から浮かぶ笑みはどこか妙なものを感じざるを得ない。

 

「ああ、エルレイン様のことは覚えているんだね。よかった……何せエルレイン様は」

 

 彼らにドームと、生きるための力を与えた重要な存在らしい。

 信じられない、と言った様子で首を振るナナリーに頓着せず、彼は更なる情報を提供してくれた。

 

「あんたたち、とりあえずフォルトゥナ神団の方達に話をしてみなよ」

「フォルトゥナ神団?」

「ああ、フォルトゥナ神団てのはエルレイン様を支える人達の集まりのことさ。と、そういえば……」

 

 ここで男性は一旦言葉を切り、一同の顔をじっくりと眺め始めた。そして唐突に、手のひらを打ち合わせる。

 

「あんたら、ひょっとして仲間の一人とはぐれていたりしないか?」

「! どうしてそれを」

「いやね。ほんの少し前、あんたらみたくドームに入ってきた女の子がいたんだよ。白い髪に箒を持った、綺麗な子がさ」

「……そいつは、帽子を被っていなかったのか」

 

 いぶかしみ、それでも知り得る特徴を聞いて困惑する仲間達を尻目に、ジューダスは淡々と男性に質問を重ねている。

 これ以上の高見の見物は無理だと、フィオレは来た道をとって返した。転送装置を使って一階へ戻り、出入り口付近を目指す。

 幸いなことに彼らは、男性と別れてからその辺をたむろっていた。

 

「……あ!」

「こんにちは。思ったより早く合流できて、ホッとしています」

 

 ひらひらと手を振りながら近寄れば、姿恰好で判別したカイルに捕捉される。

 直前の会話が関連しているのか、一同の表情は冴えない。

 そこに。

 

「……お前、今度はどこをほっつき歩いてた?」

 

 声音もさることながら、その表情はかなり機嫌が悪いと思われる。その理由を推測し、フィオレは態度を変えることなく口を開いた。

 

「不可抗力です。私は出来る範囲であなた達を探したけど、見つけられなかった。それより、この世界のことなんですけど」

「誤魔化すな。あの時、イクシフォスラーの中ですぐ傍にいたのに、転移したその瞬間にはぐれるわけがないだろう。お前がふらふら出歩いたに決まってる」

 

 珍しく、彼は根拠もなしに頭からフィオレが勝手な行動を取ったと決めつけている。

 逆効果かもしれないと思いながらも、不本意な思いこみをフィオレは真っ向から否定した。

 

「誤解です。私が気がついたのはここからすぐ近くの海岸付近で、すぐ周囲を探したけどあなた達の姿はなかった。ジューダスこそ、一体どこにいたんですか?」

「どこにいたかだと? 白々しい「待って、ジューダス」

 

 そのまま言葉を、おそらくフィオレを糾弾する内容を口にしようとしたジューダスを、リアラが止めた。

 そして、彼女が言ったのは。

 

「ちょっと聞きたいんだけど。フィオレはどうやってこの街に入ったの?」

「丸いくぼみにレンズをかざしたら、扉が開いたんです」

 

 とっさにそう口走って、フィオレは内心首を傾げた。彼らはいかにして、あの扉を開いたのだろうか。

 

「普通のレンズでも反応したってことか?」

「おっかしいなあ、オレが試した時には何にもならなかったよ? リアラのレンズはエルレインが持ってるのと同じだから反応したんじゃ……」

 

 一同は怪訝な表情を浮かべて戸惑いを隠さない。

 なるほど、彼らにはその手があったのか。これは失敗、失言だった。

 

「フィオレ。そのレンズ、見せてくれない?」

 

 リアラにそう乞われて。フィオレは観念したように、持ち上げた左手の包帯を外した。

 一同のめが、一様に丸くなる。ジューダスの、切れ長の瞳さえも。

 まず第一声を発したのは、期待を裏切らないことに定評のあるこの人だった。

 

「どうやってくっつけてるの!?」

「詳しいことはリアラの方が知っていると思います。気づいたらくっついていた。そうとしか説明できません」

 

 興味本位で触ろうとするカイルの手をさりげなく払う。

 そして、以前リアラに語った守護者との関係を洗いざらい話した。

 

「いかがでしょう、リアラ。私だけがはぐれていたことと、関係あるでしょうか」

「多分、その神の瞳が原因だと思う。晶力の増幅、エネルギーの変換。それだけじゃない、様々な力を秘めていると言われているから……」

 

 唖然とする一同はさておいて、リアラからはそんな返答が聞けた。

 はぐれた原因がフィオレの彷徨でないと証明できれば、それでいい。

 

「相互干渉、過干渉の類ですかね? なんにせよ、これからは注意が必要ですか」

 

 左手に包帯を巻きつけながらも、フィオレは務めて淡々と言葉を重ねた。

 明かされた事実から、より早く彼らに意識をそらせようと狙って。

 

「あなた方も多少気付いているかと思いますが、エルレインが何かをしたようですね。その結果として、この街や額にレンズを張りつけた人間が存在するようです」

「……そのようだな。お前、空中に浮いているのが何なのかはわかるか?」

「さあ」

 

 気を取り直したらしいジューダスにそれを問われ、フィオレは首を横に振った。

 この反応からするに、彼は正体を知っているらしい。

 

「ダイクロフト、それにベルクラントだ。名前だけは聞いたことがあるだろう」

「……空中都市を統括していた施設と、大規模地核破砕兵器? 十八年前、四英雄が破壊……いえ、その前に天地戦争を経て海底に沈められていた遺物ですか」

 

 それが健在で、更にこんなドーム状に集落が存在するとなると、考えられることはひとつ。

 未来の世を知る誰かが、過去を捻じ曲げて大規模な変革──改悪をもたらした。

 

「あれがそうなんですか。初めて見ました」

「何を呑気な……これがどんな事態なのか、わかっているのか!?」

「エルレインの干渉によって、世界の在りようが大きく変わってしまった。その一言に尽きます」

 

 彼が何をどういらついているのか知らないが、断言できるのはそれだけだ。

 更に突き詰めるなら、推測できることはいくらでもある。

 

「このドーム、建てられてからずいぶん経っておいでですね。百年二百年どころじゃない。ダイクロフトとベルクラントが空にあったのは、四英雄が活躍した十八年前と天地戦争の只中だった千年前。となると、歪められたのは天地戦争の結果あたりですか」

 

 多少投げやりな推測でも、彼は満足したらしい。ジューダスから苦情はなかった。

 ただ、彼の沈黙と引き換えに違う人間が発言する。

 

「天地戦争の結果って、まさか天上側を勝たせたのか!? でもよ、だったら地上が無事なワケが……」

「天地戦争の最中においても、天上人は地上の物資をアテにしていたという文献があります。人工の大地では生産活動が成り立たなかったのでしょう。けれど天上人は地上を大切にはしなかった。トラッシュマウンテンという土地がそれを証明しています」

「尚更おかしいよ! だったら今頃、世界中があんな風になってるはずじゃないか」

 

 ロニとナナリーの反論に、道行く人が何事かと視線を寄越す。

 落ち着くようにと手振りで示して、フィオレは言葉を続けた。

 

「そこでエルレインが登場して、奇跡の力で大地を癒し、人々に生きる力と称してレンズを与えていたら? そうやって考えたら、全部説明がつきます」

 

 ただしこれは、守護者達の会話、人々の様子、そして建物の具合から察したフィオレ自身の想像入り混じる推測の域を出ない。きっと詳細は異なることが多々あれど、フィオレにとってはどうでもいいことだった。

 大切なのは今の世界の現状を知ることではなく、ましてエルレインと対決することでもない。歪められた世界を早急に修正することだ。その過程として現状を知り、エルレインと対峙することも必要にはなるだろうが。

 ただ、フィオレにとってはそうでも、彼らにとってはそうでもない。

 自らの置かれた状況を知ることは大変重要だから、敢えて口には出さないが。

 

「確かに筋が通っているが、それは確かなことなんだろうな?」

「まさか。確かなことはエルレインが関与しているということだけ」

「──守護者は教えてくれないの?」

「情報の提供は契約の内に含まれていないそうです」

 

 とにかく、彼らは彼らで街の様子が見たいらしい。それについて反対の意志がなかったフィオレは、案内を買って出ることにした。

 

「ところで、体がだるいとか怪我をしたとか、そういうのはありますか?」

「え? オレさっき、転んで頭打ったからタンコブできてるけど」

 

 何でも、ダイクロフトが宙に浮いているのを眺めて歩いていたらすっ転んだのだという。あまりの間抜けさに呆れて、誰も治癒しなかったんだとか。

 そういうことならばと、フィオレは一同を率いてレンズ治療器がしつらえられた施設へとやってきた。

 

「ここがどうかしたの?」

「あの黒い台のところに立ってみてください」

 

 自動式の扉から内部へ入り、カイルにそう促す。好奇心いっぱいでその言葉に従ったカイルは、装置から照射される光を浴びて歓声を上げた。

 

「すごい、たんこぶが消えた!」

「何!?」

 

 戻ってきたカイルの後頭部をロニがまさぐるも、その言葉が事実であることは彼の表情が物語っている。

 ──レンズ治療器とやらは、人間の肉体でさえあれば治療可能なのか。あるいは、改変以前と改変以後の人間の肉体は同一なのか……とりあえず効果があったのは驚くべきことだ。

 

「さっき、転んで膝すりむいた子供がここへ入っていくのを見たんですよ。ここでの医療は、これを使うのが一般的みたいですね」

 

 感心する一同を連れて、今度は配給機を見せる。

 非常食やらなんやら、細々としたものを無料であることをいいことに補充しまくるロニやナナリーを微笑ましく眺めていると。

 

「……顔を貸せ。話がある」

 

 変な仮面を被った黒づくめが、そう囁いて配給施設から出ていく。使い方は教えたし、大事には至るまいとフィオレもその後に続いた。

 このドームを巨大な建物とするなら、エントランスに位置する広場。配給施設を出てすぐそこにある長椅子に、彼は腰かけていた。

 被る仮面のせいで道行く人々からちらちら見られているものの、頓着した様子はない。憂いを帯びた瞳は、いつの間にか手にしていた黒布の包みを見やっている。

 彼の隣に腰を降ろせば、彼は無言で黒布の包みを押し付けてきた。

 

『シャルティエ?』

『ぴんぽーん! フィオレとおしゃべりするの、久々だね』

『……シャル』

 

 そのまま何かを話し始めようとするシャルティエに対し、釘を刺すようなジューダスの低い声が響く。どんな修練を繰り返したのやら、かなり流暢だ。

 人の体であれば首をすくめただろう彼は、早速本題を突きつけてきた。

 

『坊ちゃんとフィオレに伝えておきたいことが』

『伝えておきたいこと?』

『うん。この街の名前、ヴァンジェロってね。天地戦争時代にもあった街の名前なんだ』

 

 ──そうか。シャルティエの人格は、天地戦争時代を生きた生身の人間だったもの。その知識を蓄えていたとして、不思議ではない。

 となると、確認したいことがあった。

 

『シャルティエ、紅蓮都市スペランツァ、黄昏都市レアルタに覚えはありますか?』

『……! うん! それも、天地戦争時代にあった都市の名前だよ!』

『……お前、それを……どこで……』

『この街の人間に、それとなく聞き出しましてね。となると、やはり天地戦争から改変された可能性が濃厚ですか』

 

 ここでジューダスは唐突に黒布に包まれた棒状──シャルティエを背中に仕舞った。

 彼の背に負われたところで、会話自体は可能だが。

 

「情報が足りないな。お前の予想が間違っているとも思わないが、思いこみほど危険なことはない」

「もう少し情報を集めますか?」

「いや、他に街があるというなら、移動して新たな情報を得るべきだろう。あまり長く滞在して、フォルトゥナ神団とやらに目をつけられても困る」

 

 尤もな意見である。エルレインとの直接対決を望むなら、フォルトゥナ神団に捕まった方が早そうだが、彼はそれを望まないだろう。

 フィオレとて、過去の修正を行うのに必ずしもエルレインとの対峙が必要なわけではない。

 

「一理ありますね。一通り回りましたけど、資料を蓄えたような施設はありませんでしたし。準備が出来次第移動を始めましょうか」

 

 短く打ち合わせを済ませ、カイル達が出てくるのを待つ。

 その間、遅いと言ってしびれをきらしたジューダスが彼らをせかしに配給施設へ入っていく背中を眺めていると。

 真横でギシ、と長椅子が鳴る。

 そう大きくもない長椅子、見知らぬ他人の隣に座るとはそんなに疲れているのだろうか、と何気なく真横を見た。

 

「!」

 

 そして、硬直を余儀なくされる。

 居たのは、見上げるほどの巨漢、それも見たことのある男だったからだ。

 軽く波打つ寒色の髪、日焼けた浅黒い肌、こちらを見下ろす冷ややかな瞳──よく似た別人さんではない。

 腕を組むその両腕は健在だが、何故か常に携えているはずの戦斧が見当たらなかった。

 見る者に威圧感を与える巨躯は毛布を思わせる外套に包まれており、格好が判然としない。あるいはこの中に、戦斧か武器が隠されているのか。

 とにかく大慌てで距離を取れば、バルバトスはその様を鼻で笑った。

 

「──たるんでいるな」

 

 事実だが、挑発のつもりなのか、会話を望んでいるのか。あるいは、本気で馬鹿にしているのか。

 いずれにしても敵対宣言、そして殺そうとした相手に向けるものではないと思うのだが……

 

「取り巻き共に全てを知られたくなければ、ついてこい」

 

 そう言って、彼はぬぅっと立ち上がったかと思うとスタスタ歩き始めた。

 戦っている以外、まともに動いているところを見るのは初めてかもしれない。

 ──などと、そんなことはどうでもいい。彼らに全てを知られたくなければ……多分知られないほうがいいのだろうが、不本意な別行動で顰蹙を買ったばかりなのだ。

 誤解は解けたとはいえ、今この場を離れるとなると、今度こそ怒りを爆発させてしまうかもしれない。

 隠し事を白日の元にさらされること、ジューダスの小言。天秤にかけようとして、パチンという音を聞く。

 

「そして、奴らを解放したくばな」

 

 見やれば、歩み去りかけたバルバトスが挙げた腕を降ろしている。

 直後、ドンドンッと配給所の扉が内側から乱暴に叩かれた。

 

「あ、あれ?」

「開かない……閉じ込められたのか!?」

「一時的に晶力の供給を断った。手間を取らせるな」

 

 背後の扉から聞こえる声は徐々に激しさを増し、そこに神官服をまとった人間達が何事かと近寄っていく。

 こうなった以上、彼らを人質に取られたも同じ。フィオレはきびすを返して巨漢の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十戦——思いも寄らぬ事実の発覚~ここへきて次から次へと

 蒼天都市ヴァンジェロを経て、密林へ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先を行くバルバトスは、何の迷いもなくドームから外へ出てしまう。街中で騒ぎを起こすなと、言われているのかもしれない。

 荒涼とした風景の広がる原野、蒼天都市ヴァンジェロと相対するように。出てきたフィオレを迎えるように、彼は立っていた。

 外套をおもむろに捨て、やはり隠し持っていた戦斧を振りかざし、ぎらつかせる。

 それを見て、フィオレは油断なく紫水を構えた。

 

「ご用件は……と、聞くだけ野暮ですか」

「貴様も先刻承知の通り……いくぞ」

 

 ピリピリとした殺気が、まるでそよ風のようにまんべんなく吹きつけてくる。

 瞬く間に間合いを詰めたバルバトスから身を捩じらせるようにしてフィオレは逃れた。

 斧刃が地面へ盛大に突き刺さる。その瞬間、フィオレは抜刀した。

 

「ぬぅんっ!」

 

 淡紫の刃が、浅黒い肌に食らいつかんと牙をむく。そうはさせじと、バルバトスは乱暴に斧をひき抜いた。

 勢いで散らばる大地の欠片が、フィオレに向かって飛来する。

 帽子のおかげで視界が潰れる心配はない、しかしそれでも集中力は半減し、振り抜いた刃も乱れる。

 結果として易々かわされてしまうも、相手があの巨漢ならそれもやむなし。無理をして攻め込むことをせず、フィオレは即座に間合いを取った。

 心底軽蔑する、出会った瞬間斬りかかったところで文句を言われる筋合いのない敵だとしても、けして雑魚ではない。絶対侮ってはいけない。

 少なくとも体格など条件的には不利な相手なのだから、深追いは敗因の元だ。

 常に冷静に、交戦しなければ……

 

「どうした、英雄共を血祭りに上げてきた俺が憎くないのか!」

 

 答えが応であろうと、挑発にも乗ってはいけない。はやりそうになる心に制動をかけ、冷静に捌き、隙を探して攻撃に転じる。

 決定打がつかないまま、時間だけが悪戯に過ぎていく──かと思われたが。

 

「隻眼の歌姫」

 

 唐突に、バルバトスからの攻撃がやむ。

 すわ大技かと身構えて、フィオレは肩すかしをくった。

 

「貴様、まさか別世界から己が身は召喚されたなどと、本気で信じているわけではあるまいな?」

 

 何をトチ狂ったのか、バルバトスは対話を試みてきたからだ。

 まさか勝機が見いだせないから搦め手を試しているのか。あるいは戦いを仕掛けてきたのは挨拶代わりで、本当の目的はこれだったのか。

 とゆーか、そもそもなんでそんなことを知っているのだろう。

 真意を測りかね、黙りこくるフィオレを前にバルバトスは答えをせかした。

 

「どうなのだ!」

「……一体何のこと……と、とぼけても意味はなさそうですね。そうでなければ、私はここにいません」

「了解も了承もなく、ただ招かれた貴様にしてみればそうだろう。だが考えてもみろ。次元も時の流れも、生き物の在り様までもが根本的に異なる世界間において、人一人がまるまる転送など守護者の力をもってすれば可能だと?」

「……で、その心は?」

「貴様が別世界より転送されてきたのは、その人格と記憶のみだ。それらを神の瞳に投射され、用意された肉体に寄生しているに過ぎん。その証拠として、貴様の最期の記憶はなんだ? 己の血にまみれた記憶しかあるまい」

 

 なんかすごい話になってきた。

 別世界間において物質転送が可能なのか否か。常々疑問に思っていたフィオレとしては興味深い話なのだが……所詮は珍説だ。

 

「そんなばかな話がありますか。いくら別世界とはいえ、ここまで身体的特徴が同じ人間なんか」

「その体が、本当に貴様のものと言いきれるか? 覚えのある傷、患っていた疾患は今もその体に刻まれているのか? 答えは否だろう」

 

 ──ここへ至るまでに、フィオレは違和感を覚えていた。

 何故にこの男はここまで、こちらの事情に首を突っ込んでくるのだろう。エルレインに敵の情報として無理やり聞かされ、この事実を明かして動揺させろと入れ知恵されたのかもしれない。

 しかしバルバトスは、どう考えても奸計を尽くすタイプではなくて、力づくで全部薙ぎ倒す派だろう。なかなか仕留められないから、有効な手段だとでも思ったのだろうか。

 

「仮に、この体がこの世界に属するものだったとして。あなたに何の関係があるというのです」

「──その体は、俺の妹のものだ」

「はぁ!?」

 

 明かされた衝撃事実を耳に、頭が真っ白になる。白くなった脳裏を疑問が埋めていく最中にも、バルバトスの言葉は続いた。

 

「雪色の髪に緋色と藍色の瞳。加えて心臓が右にある女など、そうそういてたまるか」

 

 バルバトスには、過去一度しか素顔を見せたことがない。加えて心臓の位置まで知っているとなると、これはもう疑いの余地が挟めなかった。

 

「似てない。ぜんっぜん似てない」

「貴様は血脈の連なりだけが兄弟だとでも思っているのか? 取り巻きにも似たような輩がいるだろう」

 

 なんだ義兄弟か。

 だがしかし、疑問が消えたわけでもなければ納得したわけでもない。

 

「……この体が、あなたの妹の肉体だとしたら。彼女の人格や記憶はどうしたのです。まさか守護者に封じられているだけで、私が死ねば本人に戻るとでも?」

「察しがいいではないか。自分に協力し、貴様の死骸を持ってくれば封印は解くとあの女は言っていた。妹を取り戻すためにも、貴様には死んでもらう」

 

 それを聞いて、フィオレは迷うことなく帽子を捨てた。そのまま、素顔をさらす。

 これまで攻撃に迷いがなかったのは、多少死体が損壊してもエルレインが修復すると当てこんでのことだろう。しかしフィオレは、抜き身の紫水を構えたままバルバトスに歩み寄った。

 相手は、こちらを傷つけられないわけではない。しかし、そこまで執心する妹を、真正面から斬れるかどうか。

 例え可能でも、少なからずためらいは生まれるはずだ。

 

「な、何を……」

「あなたが私をつけ狙う真の理由が判明したところで、私のすべきことは変わらない」

 

 ──この許し難い男にも様々な事情があることはわかった。しかし、事情があれば何をしても許されるわけではない。

 家族のためを思う心に同情しないでもないが、そんなことをしたら最後。神の瞳が張り付く左手を切断されるだけだろう。

 紫水の間合いに入ったその瞬間、猛然と斬りかかる。先程とは完全に立場が入れ替わり、隙あらばフィオレはバルバトスを仕留めんと、バルバトスはそれを凌いでいる。ただし、明らかに攻勢へ転じようとする積極さはなかった。

 それでも、戦局が左右されるほどのものではない。

 新たな一手として、一端距離を取ったフィオレは左の手を大地にかざした。

 果たして、瘴気を蓄えていないだろうこの地でも可能なことかどうか……

 

「生きとし生けるもの全ての母よ。そなたの宿せし穢れは誰の罪や? 我は彼の者に償いを命じる!」

「させん!」

 

 大地に帯びる何らかの力を感知したのか、攻めあぐねていたバルバトスが突貫する。

 振りかぶった戦斧が煌めき、振り下ろされそうになったところで。

 

「インテルナル・グラヴィトン!」

 

 本来ならかりそめの大地に封じられている瘴気──毒ガスを発生させるのだが、大地が割れるそばから発生するのは禍々しい紫煙ではない。

 煙によく似た真っ白な気体。そして周囲が一気に蒸し暑くなった気がする。となると、これは……

 

「ぐわっ!」

 

 白煙に触れた瞬間、バルバトスは戦斧を取り落とさん勢いでそれから逃れにかかった。

 交戦の際に破れ、露出した腕がみるみる内に赤く腫れあがっていくのを見るに、超高熱の蒸気か何かだろう。

 

「おのれぇ……!」

「仲間を人質同然に扱っておきながら、自分の思い通りにならないとそれですか。厄介な兄を持ったものですね、彼女も」

 

 バルバトスに対する攻略の糸口を見つけたことだし、仲間が囚われの身になっている以上情け容赦は不要だ。あちらとしては動揺させる腹積もりだったとしても、それをフィオレが見抜いている以上通用しない。

 こうなると、今バルバトスは心理戦において圧倒的に不利だ。

 今度こそ決着をつけるべきかと、紫水を握り直して。

 

『……退け、バルバトス』

 

 唐突に、低い女の声音が脳裏に響く。同時に、巨漢の背後から球体状の闇が現れた。

 

「舐めるな! 俺がこんな小娘に、負けるとでも思って……!」

『事実を明かしてもまるで動じず、それどころか逆手に取る。氷水が全身に流れているかのような亡霊に、これ以上時間は取れません』

「ならば今、一瞬で片をつけて」

 

 球体状の闇が音もなく膨張し、バルバトスをばくりと呑みこんで消える。

 ともあれ引いたらしいことを確認して、フィオレはきびすを返しヴァンジェロへ戻った。

 配給所付近では、扉が開かないことに立ち往生する住民と、右往左往する神官の姿がある。

 

「失礼」

「あ、あんたはさっきの……」

 

 バルバトスは一時的に晶力の供給を断ったと言っていた。ならば、その供給が正常に働けば動くはずである。

 帽子を被りレンズを取り出し、今も内側から叩かれる扉に左手を当てる。

 握ったレンズから晶力を取り出し。左手の甲を介して晶力そのものを押し当てる──

 直後、扉は音を立てて開いた。

 

「大丈夫ですか、皆……」

「うりゃあっ!」

 

 パァンッ! 

 

 ──どうも、閉じ込められていたことで鬱憤が溜まっていたらしい。

 扉を開いたフィオレが中に足を踏み入れかけた瞬間、いきなり肉厚の刃が降ってきた。

 真っ二つにされないよう白羽取りし、改めて前を見れば面食らった風情のロニが立っている。

 

「……お元気そうでなによりですが、私にケンカを売っているんですか?」

「あ、ああ。悪い」

 

 眼前の斧刃をどけてもらい、一息つく。閉じ込められたこと以外、彼らに被害はないようだ。

 

「災難でしたね」

「一体何だったんだ、今のは……」

「トラブルか何かでしょう。この仕組みも、完全ではないようです」

 

 人為的要素てんこ盛りだが、あながち間違ってはいないはずだ。この世界が絶対幸福の世界ならすでにフォルトゥナが降臨し、リアラもエルレインも役目を終えているはずなのだから。

 本当に一時的に停止されていたのか、あるいはすでに供給を正常化させたのか。扉の開閉に滞りはなかった。

 すでにジューダスがこれから先のことを伝えていたらしい。配給所を出で、そのまま都市を出ようとして。

 

「……あの!」

 

 振り向いた先には、都市の住民と思われる青年が立っていた。

 それも一人ではない。代表なのか何なのか知らないが、声をかけた青年を押しのけるように二人の青年が立っている。

 

「ん、何? オレ達に何か用?」

「キミじゃないんだ。そっちの……帽子を被った女の子に頼みが」

 

 仮面を被った女の子、だったら腹を抱えて笑うところだが、自分のことでは笑えない。

 フィオレはレンズを額に張り付けている、同じような服装の青年に歩み寄った。

 

「何か御用ですか?」

「頼みというのはほかでもない。俺の子供を産んでほしいんだ!」

「嫌だ」

 

 直球ストレートにして浪漫のカケラもないプロポーズを、フィオレは一言で拒絶した。

 これには仲間達も驚いたらしく誰もが唖然としている。

 

「フィオレ、その……知り合い?」

「まさか」

 

 記憶を探っても、このヴァンジェロ内で言葉を交わした人間達との接触に眼前の青年はいない。

 強いていうなら、ジョニーに似ている気がしないでもないが。それは髪色とその質だけの話。あんな色男ではない。

 

「じゃ、じゃあ僕の……!」

「いや、オレの子供を産んでくれよ!」

「断る」

 

 何とも図々しくある意味度肝を抜かされるプロポーズを却下し、フィオレはさくさくその場を後にした。

 二の句の告げない仲間達と共に出ようとして、何人もの手によって妨害される。

 

「ま、待ちなよ。ドームの外は危ないんだ。それはここへやってきたキミならよく知ってるだろ?」

「それがどうかしましたか」

「だからさ、俺の子供を産んでこのヴァンジェロに住もうよ。こんなに綺麗な子を見たのは生まれて初めてなんだ」

 

 判断基準が顔だけで、即嫁候補ときた。

 ふざけるのも大概にしろとくってかかるも、青年はひたすら不思議そうな顔をしている。

 

「美人であればあるほど、優秀な遺伝子の持ち主じゃないか。見た目で決めるのは当たり前のことだろ?」

 

 ……一理ある。しかし、頷くことはできない。

 さてどうしたものかなと思案して、ふと妙案が浮かぶ。

 ドームの外が危険だと主張する彼ら相手なら、実力行使どころか言いくるめる必要性もないだろう。

 折衷案を伝えようとして、フィオレは後ろからぐいと引っ張られた。

 そのままフィオレをかばうように立つ漆黒の背中の後ろから、ひょいと顔を出して見せる。

 

「生憎だが「では、私を捕まえて抱きしめて、『もう離さない!』と叫んだ方に対してなら、お付き合いを検討してあげないことも……」

 

 ない、と言いかけて。早速伸ばされた腕を回避する。

 そのままジューダスを盾にして青年の集団から逃れたフィオレは、その足でドームの外へと飛び出した。

 くるりと振り返って待つものの、やはり青年達はドームの外どころか、扉の近くに寄りたがらない。

 このまま仲間達と共に出ていけば丸く収まると、悠々しているのもつかの間。何故か怒気をそこはかとなく放つジューダスがずんずんやってくる。

 その後に続いて仲間達がやってくるから問題もないのだが、ジューダスの雰囲気がやけにフィオレを不安にさせた。

 のしのしと、大股で近寄るジューダスは眼前までやってきても止まる気配がない。やはり、都合よく前に立ったからといって盾にしたことを怒っているのだろうか。

 そんな内心のもと、伸びてきた手から反射的に逃れれば、彼は珍しく柳眉を逆立てて怒鳴った。

 

「逃げるな!」

「逃げるに決まっています」

 

 まるで、ホープタウンで怪物役をしていたロニのように、両手を広げ指先を曲げて迫ってくる。

 まさか先程の言葉を本気にしているわけではなかろうが、その様子は接近を許したくない程度には不気味だった。何せ彼は、それらしく見える仮面を被っているから。

 これなら剣を携えていてくれたほうがましである。

 迫るジューダス、逃げるフィオレ。しかしこの寸劇は、のんびりやってきた仲間達によって終止符が打たれた。

 

「おーい、いつまで遊んでるんだよ」

「ジューダス、子供ほしいの?」

 

 カイルによる無邪気な一言で我に返ったのか、矛先を彼に変えている。

 対して、女性陣の目はなんだか冷たかった。

 

「フィオレ、あれはないよ……」

「何故ですか。嫌ですよ、見ず知らずの男の子供産むなんて」

「そっちじゃないわ。その……だったら、ジューダスに捕まってあげればよかったのに」

 

 そんなことを抜かすジューダスなど見たくないし、ジューダスとてそんなことはしたくなかったはずだ。

 そう主張すればその通りと頷くジューダスを見てか、それ以降のコメントはなかった。

 そんな馬鹿をやりつつ、進んでいく。地図がないため、シルフィスティアの力を度々借りつつ一番近い都市を目指した先。一行の眼前に難関が立ちはだかった。

 

「おいおいおい……何だ、この密林は!」

「確かに、こりゃあすごいね。ここまで凄いジャングルはあたしも初めてだよ」

 

 彼らが言う通り、一歩足を踏み入れてわかったのは道がないということ。湿度が異常に高いということだ。

 濃密な木々の匂いが漂う仲、人の気配が皆無であることに対して様々な生き物の息吹が感じられる。

 

「こんなところを通るのか? 他に道はないのかよ」

「ここを突っ切らないと、そびえる山脈に沿ってぐるっと回りこまないといけません。かなりの時間を要しますが、それでもよろしければ」

「却下だな。ここを進むぞ」

 

 ロニのため息を尻目に、シルフィスティアの視界を借りて上空から密林全体を見通す。大まかな地形から確実に、最も短いルートで密林を抜けられるよう方向を探って進む。

 密林は、滅多にお目にかかれないほど人の手が加えられていなかった。未踏の地と呼んでも差し支えないだろう。

 それは、この世界において都市同士の交流が皆無に近いことを示している。狭いコミュニティの中で血を交え続けることは、滅亡へ一直線に駆けていくことと同義なのだが……エルレインはその事を知っているのかどうか。

 

「あ~、暑い! ムシムシする! 服がはりついて気持ち悪い!」

 

 普段、暑いだの寒いだの不平不満を零すことが少ないカイルが、大声でそんなことを叫んでいる。

 心なしか、普段の跳ねた金髪が大人しくなっているようにも見えなくない。

 

「カルバレイスも暑かったけど、ここは気持ちが悪いね。ぬるま湯に浸かってるみたいな感じだよ」

 

 暑さに慣れているはずのナナリーすらもこうだ。密林に入ってから口を開かないリアラなど、不平を口にする余裕すらない有様である。

 かく言うフィオレも、この蒸し暑さには閉口していた。

 特にフィオレは常に帽子を被っているのだ。頭はゆだるような熱気を孕んでおり、滂沱の汗に髪が湿り気を帯びている。

 脱げるものは脱いで暑さ対策はしているものの、つらいものはつらい。

 それはジューダスとて同じらしく、彼もまたマントを外し襟をくつろげ、出来得る限りの対策を取っていた。

 いくら木々が生い茂っていても、これだけの暑さだ。熱中症やら脱水症状やら、魔物に奇襲をかけられるよりも厄介な危険がある。

 その危険性に気付き、以降一同の状態を気遣いながら進む内。

 

「……池?」

「つーか、沼っぽいな。こりゃ」

 

 一同の眼前に広がるは、湖ほどの大きさもなく、泉のように澄んだ印象のない大きな水たまりだった。

 ただし水中にて水棲植物が大繁殖しているのか、至るところに藻が浮かび何が潜んでいるかもはっきりしない。

 保存食の干し肉を投げ込み、何の反応もないことを確かめて。

 

『アクアリムス。この池の中に、獰猛な魔物などはいますか?』

『獰猛かどうかはわかりませんが、魔物はいないようです。レンズの気配は感じられません』

 

 その言葉に安心して、行く手を阻む池の表面を凍らせてもらう。

 ぱきぱきと音を立てて凍っていく池に、もちろん一同は驚愕をあらわとした。

 

「な、なんだ?」

「私の仕業ですからお気になさらず。これで向こう岸まで渡りましょう」

 

 紫水で氷の強度を確かめて、リアラの手を取り氷上に足を踏み入れる。

 ──ファンダリアでの、氷の大河での経験が役に立った。

 いきなり氷の上に乗せられてあたふたするリアラをひっぱり、向こう岸へと辿りつく。

 同じく氷上を滑ってやってきたジューダス、おっかなびっくりだが、持ち合わせた平衡感覚をフルに使ってどうにか渡ってきたナナリーを認めて再び対岸へと戻る。

 ナナリーと同じように見よう見まねで氷上を渡ろうとして、派手に転ぶカイルとロニを連れて向こう岸へつく頃、張られた氷は術の解除により解凍された。

 

「……もう少し綺麗な水なら、行水でもしていきたいところですが」

「いいね、それ! 皆でちょっと汗流していこうよ!」

 

 広がる水溜まりに振り返ってぽつりと呟けば、カイルが瞳を輝かせて同意した。

 よほど、この暑さと汗で張りついた服がお気に召さないらしい。

 

「まあ、その辺の藻をちょいと除ければ入れはするだろうが……」

「では男性陣、お先にどうぞ。私達は見張りをしています」

 

 少女二人に目配せして、池から背を向ける。

 気温もそこそこ高く、さっぱりしたいというのは誰もが同意見であったらしい。あのジューダスさえも「そんな暇はない」に類似する発言はなかった。

 

「うっひょー、気持ちいいー!」

「おいジューダス、お前も体洗っとけよ。汗臭い男は敬遠されるんだぜ?」

「……ほっとけ」

 

 以下、一名を除く男衆が行水してはしゃぐ様が続く。解凍したとはいえ、氷水はさぞ冷たいと思われた。

 

「ふー、気持ちよかった! リアラ達も水浴びしてきなよ!」

 

 やがて、心底さっぱりした様子で男性陣が帰還する。その矢先カイルに声をかけられ、女性陣は顔を見合わせた。

 男であるカイルすら不快に思ったのだ。彼女らが不快に思わないわけがない、のだが。

 

「そうしたいけど、そこに万年発情期がいるからねえ……」

 

 呟くナナリーの視線の先には、言わずとしれた女好きが憤慨していた。

 

「誰が万年発情期だ! 俺は年上のお姉さまが好みなんであって、特に誰かさんみたいな洗濯板なんか、頼まれての見るかっつーの!」

「なんだってぇ!?」

「では、ロニの言うことを信じて行水しましょうかね。お先に~」

 

 カイルとジューダスに背中を向けさせ、ナナリーがロニにかなり複雑な関節技を仕掛けている間に被服を脱ぐ。

 瞬く間に全裸になったフィオレは、さっさとその身を池へ投じた。

 水面近くは藻が取り払われて比較的視界は良好だが、そこそこ深い水底の付近になるとまったく無意味だ。先程カイル達が騒いだせいか、魚など生き物は一切見当たらない。

 火照ったからだが適度に冷えたところで、弾みをつけて浮上する。

 あれから一体何があったのやら。陸では背中を向けたカイルとジューダスがぶっ倒れたロニの介抱をしており、水辺ではタオルを巻きつけた少女二人が水と戯れている。

 ざんばらになった髪をそのまま、用意しておいた手拭いで水分を拭っていると。

 視線を感じて、フィオレは手拭いを頭から被ったまま此方を見た。

 

「どうかしましたか、リアラ?」

「え、えっと、あの……フィオレって、胸が大っきいのね。ちょっとびっくりしちゃって」

 

 無邪気な少女の爆弾発言に、フィオレは思い切り吹き出した。その言葉に未だ伏したロニがぴくりと反応し、それに気付いたナナリーが睨みをくれている。

 

「重たくないの?」

「……普段は布を巻きつけて抑えていますから」

 

 なんとなく、男性陣が耳を澄ましているように見えるのは気のせいか。

 ともかく、早々に服を着る。晒しを巻きつけがてらレンズを使って熱風を発生させ、髪を乾かした。

 潜った当初ほど快適ではないが、それでもさっぱりしたことに間違いない。

 

「さて、それじゃ行こうか」

 

 どうもナナリーによって絞め落とされていたらしいロニに活を入れ、行軍を再開する。

 池を越え、生い茂る草をかき分け切り開き、道を作って進む先。唐突に視界が開けたかと思うと、どこかで見たような原野が広がっていた。

 

「抜けたか!」

「これでジメジメとはお別れだね。くぅ~、風が気持ちいい~」

 

 密林の只中、なかなか吹かなかった風は一同の間をすり抜けては去っていく。

 まるで再会を喜ぶように戯れていく風の先を、フィオレはジッと注視していた。

 

「あれが……紅蓮都市とやらでしょうか」

「なんでわかるんだ?」

「外壁の色が何となく赤っぽいでしょう。蒼天都市は外壁が青っぽかった」

 

 密林を抜けた喜びをかき消すように、視線の先にはドームがしつらえられている。

 誰ともなしに足を動かし始め、リアラのレンズをかざして入った先は。

 

「ここも、ドームに覆われた街かあ……」

 

 遠目からわかっていたことだが、改めて入るとまた感覚も違う。

 硝子のような物質を天蓋とし、外壁を隙間なくぴっちりと囲われた都市はどこか息苦しく感じられた。

 レンガのような赤を基調とする街並み、同じような格好の人々。彼らを見回して、ジューダスは小さく鼻を鳴らした。

 

「まるで箱庭だな。同じ形をしていて、その中だけで世界が完結している」

「作り物の街……か」

 

 ──もともと世界というのは箱庭じみたもので、作り物も何も街は初めから作られるものだ。

 それが小さな形に縮小され、且つとある存在が一方的に用意したことを知っているからこんな風に言っているのだろうが。

 

「うん、でも……」

 

 一同が静かに戸惑い、そしてわずかずつ憤りを抱えていく最中。

 リアラの視線は、彼方の光景に魅入られていた。その先には無邪気に戯れる子供達や、それを見守り微笑む大人達がいる。

 

「みんな、とても穏やかな顔をしているね」

「作り物の街に、作り物の幸せ……まさにここは箱庭だな」

「……そう、ね」

 

 ジューダスは世も末だと言いたげに吐き捨てているものの、リアラは柔らかく肯定するだけで視線は外れない。

 そんな少女の様子に、カイルが物言いたげな顔をしているものの、フィオレは気づかぬ素振りで言った。

 

「さて、情報を集めましょうか。どんなに小さなことでもいいから、手がかりのようなものをね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 ・バルバトスに妹がいた。なお、血は繋がらない模様。
 ・ジューダスは子供好きだった(?)そうじゃなきゃ欲しがらないよね。
 ・フィオレは着痩せするタイプだった。

 ……あんまり、思いも寄らぬものではありませんね。


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第四十一戦——時は早く過ぎる。光る星は消える~幸せの形って?

 紅蓮都市スペランツァを経て、黄昏都市レアルタへ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──無駄足を踏んだな」

「この世界の地図を得て、物資補給もできた。魔物の襲撃に怯えることなく眠れ、この街の現状を知ることができた。私はそうは思いません」

 

 総出で街を調べた結果。紅蓮都市スペランツァから得られたのは、立体地図による各都市の大まかな配置だけだった。

 各都市の名称はフィオレが聞き出したものと同じ三種のみ、しかしそれらは現代世界における中央大陸にしかない。つまり、中央大陸しか人々には認識されていない。

 他の大陸にも人がいる、あるいは何らかの施設があるのかもしれない。しかし少なくとも都市に住む人々は知らないようだ。

 

「この地図の都市以外に街はないのかって? 外へ出る必要がないんだ、そんなことは気にしなくていいだろう」

 

 聞きこみの際、成人男性の返答が蘇る。

 大の大人がいかにも面倒くさそうに発した一言は、知らないことを聞かれて誤魔化すためのものではなかった。

 心底そう思っていて、何故そんなことを聞いてくるのか。不思議にすら思っている印象が伝わってきた。

 

「せめて、そんなことを知ったらバチが当たる、とかの方が納得できるのですが……」

「何が納得できるの?」

 

 呟きに興味を持ったらしいリアラに、男性の発言をそのまま繰り返す。

 この発言より示されるモノ。それは、実に興味深いものだった。

 

「この世界の人々が、人間として退化しているようにしか思えないんです」

「退化……?」

「人が人たらしめているのは脳の作り。感情を覚え、物を考えることが可能であることに起因します。感情はさておき、物を考えることをすれば当然疑問を抱え、それを解決しようとするものですが……少なくとも、この世界の人々にそういったモノは見られない」

 

 それだけ長い間、エルレインの柔らかな支配下においてぬくぬくと過ごしてきた証なのだろうが……ここまで人はだらだらできるものなのか。

 そして、話を聞いていたらしいナナリーがふう、とため息をついた。

 

「確かに、退化というか人形みたいだよ。誰に聞いても『エルレイン様は素晴らしい』『エルレイン様万歳』同じことしか言わないし」

「んじゃ、ここにいる連中は箱庭の中の人形ってわけか。ゾッとしねえなあ」

 

 言い得て妙である。だが、何となくしっくりこないのも事実だ。

 下手に興味を持ってしまったら際限がないと、敢えて皆に付き合う素振りを取っていたが……どうせ時間ならあるのだ。

 こうなったら徹底的に考えてみようと、フィオレはリアラを見やった。

 

「ところでリアラ。この世界は絶対幸福に満たされた、完全な世界だと思いますか?」

「え!?」

 

 話は聞いていただろうに、リアラは虚をつかれたように絶句してしまった。

 少女の反応にいぶかりながら、一応言葉は繋げておく。

 

「エルレインの目的は、人々が幸福になった世界を創ることですよね。それが達成されたのなら、フォルトゥナが現れていてもおかしくないはず。この世界でフォルトゥナが存在しているかどうかはわかりますか?」

「あ、そ、そういうことね。えっと……今のところフォルトゥナの力を感じたことはないわ。人々の絶対幸福が達成されたのなら、必ずフォルトゥナは現れているはずだから……多分まだ、降臨していないと思う」

「つまり、エルレインにとってもこの世界はまだ不完全なんですね」

 

 まさか、ここにカイル達=幸せでない人間がいるから達成していないとか、そういうことでもないだろうが。

 もしそうだとすれば、必ず彼女はこちらを狙ってくるはずだ。何せこっちには、敵と定めたフィオレがいるのだから。

 今のところその予兆は──あった。バルバトスの襲撃は、すなわちそういうことなのだろう。

 これ以上時間が取れない云々言っていた気がする。つまりこれは、邪魔者を排除するよりエルレインにとって重要な企みがあるのだろう。

 フィオレが一人、思考を巡らせている最中。走り書きによって作成された世界地図を眺めて、カイルが呟いた。

 

「ハイデルベルグとおんなじ場所にある街、レアルタか……行ったら、ウッドロウさんがいたりは」

「それはないだろうな。だが、何らかの手がかりは掴めるかもしれん」

 

 ここが現代からどれだけ遠い世界であるかを承知の上でありながら、少年は夢想を口にしている。ジューダスによって完膚なきませに破壊されているが、あまり真に受けた感はない。

 即席で作った地図を頼りに、スペランツァからレアルタを目指す。元の世界の地名を借りるならハーメンツヴァレーからハイデルベルグを目指すようなものだ。

 現代においては大規模な地殻変動により徒歩による行き来は不可能だが、その地殻変動がなかったのだろう。まるでハーメンツから目指すかのように、通行は可能だった。

 少ない緑にポツポツと白が混じり始め、徐々に気温が下がっていく。

 

「こんなことなら、外套売るんじゃなかった……」

「フィオレ、前の外套貸してくれない?」

「いいですよ。ナナリーはこれを羽織ってくださいね」

「おい、僕のマントを勝手に貸すな!」

「あなたには自前の防寒具があるんだからいいでしょう。ケチケチしてると背が縮みますよ」

 

 リアラには以前貸した体をすっぽり包み込む外套、ナナリーにはジューダスのマントを剥がして渡す。どちらもあまり厚手のものではないが、あるとないとでは大違いだ。

 

「どういう理屈なんだ」

「ケチとは怪事(けじ)、不吉なことを意味する単語が訛ったものです。あなたにとってそれ以上背が縮むのは不吉なことでしょ?」

「単なるこじつけじゃないか!」

「まだありますよ。ケチの意味は時代の流れによって粗末で貧弱なさま、いやしいことを指すようになりました。心が不健全な状態ですね。心が不健康なら体だって健康は保てません。直結して所謂栄養不足となり、体は生命活動を維持するために肉や骨を削っていく。そうなればおのずと身長も縮みます」

「そうなの? ケチって怖いなあ。オレも英雄としてケチらないようにしよーっと」

「いや、英雄は関係ないんじゃねえか?」

「まったくだ。それらしい事柄に根拠っぽいことを肉付けして、さも事実であるかのように話すのはやめろ。馬鹿が踊らされるだろう」

「ま、可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論ですからね。あなたには通じませんか」

 

 フィオレはケープとパレオを持っているし、ジューダスには前述の通り防寒具がある。嬉々としてそれらを羽織る女性陣を尻目に、カイルとロニはそのままだ。

 

「い~な~、リアラ達……」

「女の子が体を冷やすとよくありませんからね。前衛のお二人は魔物が出たら体が温まるでしょうし……何ならリアラ達と手繋いで歩いてみますか?」

「「ええっ!」」

「ほら、あったかくなったでしょう?」

 

 一様に顔を朱に染める男女を促して、先を進む。

 セインガルドからファンダリア領へと渡る際には国境の町ジェノスがいい中継地点としてあったのだが、今や名残もない。もともとなかった、が正しいのだが、かつての街を知る者としては不便で寂しい限りだ。

 やがて行く先が完全な雪原と化す。ちらちら踊る雪の欠片の先に、目的地はそびえていた。

 

「ここもドームの形なんだな」

「でも変だなあ。ずっと雪が降ってるのに、全然積もってないなんて」

 

 各々首を傾げながら、都市内へ一歩足を踏み入れる。

 その先に広がっていたのは、蒼天都市や紅蓮都市と同じく変わり映えしない光景だった。

 誰もが変わらぬ、穏やかな微笑みを称えてそれ以外の表情の者がいない。ドームに覆われているために寒さもなければ雪かきの必要もなく、人々は変わらぬ日々を過ごしている。

 けして環境が整っているわけではないが、それでも自らの力で生きようと活気に満ちていた、ハイデルベルグとはかけ離れた光景がそこにあった。

 

「どの街も、まるで見分けがつかねえな。確かにここのドームも中は過ごしやすいし、生きてくには何の問題もねえけどよ」

 

 それまで着ていた防寒具を脱ぐ仲間達を余所に、周囲を見回すロニの表情は複雑そうだ。

 先程まで震えていたのが解消されたのだから、その気持ちは理解に値する。

 

「何を言っているんです、ロニ。各都市象徴する色合いが異なるという特色があるではありませんか」

「そりゃそうだが、こうも変化がないと……正直気が滅入ってくるな」

「似たような街でもたらされる、似たような幸せか……」

「幸せなんて、千差万別のはずなのにね」

 

 仲間達も浮かべる、世界に対する疑問符にカイルは我が意を得たりと頷いた。

 彼の目に、微笑む人々を見つめるリアラが映っていたかどうかは謎である。

 

「そうだよね。やっぱおかしいよ、ここは」

「世界がなぜこうなってしまったか……この街にそれを知る、手がかりがあればいいのだがな」

「こうしてても始まらない。行こう、みんな!」

 

 意気揚々と、カイルは一同を引きつれて移動を始めている。それに続かず物思いにふけるリアラ、途中で足を止めたフィオレ。

 リアラのめには今もなお、人々の姿に向けられている。

 

「……でも、このドームがどこも同じなら、この世界の人達は皆が幸せってことよね……」

 

 フィオレがいることに気付いていないのか、リアラはどこか夢見るような表情で独りごちていた。

 飛行竜から緊急脱出のち、この世界に放り込まれ、各都市を見聞きして。ただ違和感を覚えて否定する仲間達ではあったが、リアラだけは複雑そうに、時としてまぶしそうに人々の在り方を見つめている。

 理由は何となく想像がついた。リアラは聖女で人々を幸福に導く使命──目的を持って生まれた。いくら英雄を見つけ、従って歩むと決めたとはいえ、実際眼前で人々は幸福に包まれているのだ。その光景を、信じると決めた英雄や仲間達は受け入れず、否定している。

 少女の心中が千々に乱れていることは、容易に想像できた。

 

「それなら、わたしの役目も、もう……」

「──それを思うのは、すべてが終わってからでも遅くはないと思います」

「!?」

 

 驚き、うつむきがちだったリアラがパッと顔を上げる。聞かれていると思わなかったと書いてある顔から視線をそらして、フィオレは促した。

 

「行きましょう。置いていかれます」

 

 カイルがちらちらこちらを見ているが、障害物の少ない広場。見失うことはないだろう。

 一同からは絶対に会話が聞かれない距離であることをいいことに、フィオレは口を開いた。

 今まで彼らに……自分の意志が正しいと信じて疑わないその心を汚さないために秘めてきたこの意見。おそらくリアラの葛藤を解消させることくらいはできるはずだ。

 

「夢のような、世界ですね」

「……?」

「誰ひとりとして生まれてきたことを後悔しないですむ。望まぬ殺生を強いられることなく、戦争というものも存在しない世界なんて、描かれた理想郷のよう」

 

 あえて世界を肯定する事柄──それでもフィオレの常識からすれば奇跡と称しても過言ではないこの世界の特徴を並べれば、リアラは肩を震わせて立ち止まった。

 フィオレの目線より下の瞳は、まるで探るような光を灯している。

 

「……本当に、そう思ってるの? 皆この世界は間違ってる、って言ってるのに」

「そりゃ皆は、元の世界がどんなものかを知っていますから。違和感を訴えて『エルレインめ許せないー』になるのは自然なことでしょう」

 

 おそらく自覚していないし、自覚していても嫌だが……彼らは無意識のうちに嫉妬している。世界を歪にしてしまったエルレインだけではなく、平和ボケして呑気に緩んだ笑みを浮かべるこの世界の人々をも否定するのは、少なからずその要因があるのだ。

 世界がどのような状態であれ、歪めてしまったエルレインは許されない。フィオレの認識としては、それでしかない。

 

「リアラはいかがでしょう? この世界に対して」

「わ、わたしは……「二人とも!」

 

 一同が傍にいないこと、頭ごなしに世界を否定しないフィオレに少女が胸の内を語りかけるも、片方の要素が消えてしまったらどうしようもない。

 それまで聞き込みをしていた一同は、立ち止まった二人を見かねてなのかぱらぱらと戻ってきていた。

 中でもカイルは険しい目、明らかに頬を膨らませていることから、何かトラブルがあったことを予感させる。

 

「予想していたことだが……やっぱ、城なんてないよな」

「ここがハイデルベルグでない以上、城もそこに住むウッドロウも存在しないということだ」

「私は少し安心しました。レンズを額に張り付けて、『エルレイン様は素晴らしい』ってにこにこしながら祈りを捧げるウッドロウ……国王陛下なんて見たくありませんよ」

 

 フィオレの軽口に失笑が漂うも、カイルだけは表情が動かない。

 何かあったのかと尋ねれば、ナナリーが頬を掻きながらあったことを話してくれた。

 

「城がなくても、ウッドロウさんがいないなんて思いたくなかったみたいでさ。聞きこみをしたんだ。そうしたら……」

「英雄王、のくだりでバルバトスの名が出てきてな。この世界では、バルバトスが英雄として認識されているようだ」

 

 それでむくれているというわけか。

 今の彼も一応英雄であるはずだが、カイルは癇癪を起こしたように声を荒げている。

 

「あんな奴が英雄だなんて……一体どういうこと!?」

「──なるほど。英雄になれなかったから、あれだけ英雄を憎んでいたのかもしれませんね。でなければ、自身がそう呼ばれることを許すはずもない」

 

 推測を立てて勝手に一人で納得するフィオレに、カイルは溜飲を下げられずにいる。

 同調してくれると思っていたのなら、お門違いだ。

 

「そういう問題じゃ……!」

「あの男が許しがたい存在であることは承知の上ですからね。その怒りはそのままとっておいて、下僕に英雄という不遜な称号を与えたエルレインにぶつければいい。まず目先の問題を解決しなければ」

 

 一応納得はしたらしいカイルをよそに、手がかりのようなものがあったのかどうかを尋ねれば、ロニが軽く首肯した。

 

「一応、歴史を調べられる施設があるらしいんだ。ただ、場所がな」

「誰も使わなくなったとかで、わからないらしいんだよ」

 

 ナナリーは鼻で笑い飛ばしているが、フィオレのとってはその事実すらも重要な情報だ。

 それを聞いたリアラの意見は、それとなく先程の会話を引きずっていた。

 

「でもそれは、この世界が本当に平和だった証なのかもしれない……」

「退化もここに極まれり、ですね。となれば、探索あるのみですか」

 

 ドーム内には特に危険もないだろう、ということで個別行動を提案するも、何故か却下を受ける。

 ジューダスいわく、理由は明白らしい。

 

「天然バカにナンパ魔、女子供。トドメにふらっといなくなるような奴を野放しにできるか」

「ジューダス……私と喧嘩したいなら素直に言いなさい。喜んで買わせていただきます」

「まあ、アレだな。仮面ストーカーが言うことじゃないぞ」

「誰がストーカーだ!」

「仮面は否定しないのね……」

「ついこないだ、フィオレを追いかけ回してたのは、どちらさんだっけね」

 

 すったもんだの挙句、三人一組で行動することに決定する。誰が提案したとは言わないが、その案が通った瞬間。カイルは矢継ぎ早に人選を宣言した。

 

「じゃあオレとロニ、それからフィオレ。そっちはジューダスがリーダーで、ナナリーとリアラで!」

「え?」

「俺は構わねえが……頭脳担当を二人に分けたってところか?」

 

 ロニの言葉はわからなくもない。カイルが率先してリアラとの別行動を求めたのが気になる。

 確かに、結構的を射た人選な気はするが。

 

「ロニとナナリーは別だから揉め事は起こらない。ロニとジューダスは分かれているからやっぱり揉め事は起こらない。頭脳担当とかいう私とジューダスは分かれている……最も、私は傍観者希望ですが」

「しっかり当事者のくせに何をのたまっているんだ」

「そういうこと! じゃあ三人とも、後でね!」

 

 どっちが先に見つけるか競争だ、と言わんばかりに駆け出していく。それを、ロニと共に追いかけた。

 近くの階段を一気に駆け上がった先の、上階にて。初めて訪れた場所だからか、きょろきょろ周囲を見回すカイルがいた。

 

「どういう風の吹き回しですか?」

「え? ここ、風なんて吹いてないじゃん」

「バカ、例えに決まってんだろ。リアラと別行動したがるなんて、お前らしくもねー」

 

 ロニの物言いに同意するフィオレを見て、カイルは歩み出しかけていた足を止めた。

 その表情は、いつになく真剣なものである。

 

「あのさ。最近のリアラ……どう思う?」

「──道がふたつあって、どっちに行こうか悩んでいるような面持ちですね」

 

 彼は彼なりに少女の葛藤……とまではいかなくても、ある種の変化に気づいていたようだ。

 これまで気づいた素振りを一切見せていなかっただけに、フィオレは自分が感じていることをそのまま伝えた。

 

「悩んでる……何かに迷ってる、ってことなのかな? ナナリーに同じこと相談した時は、そう言ってたんだけど」

「何かに対して、悩み迷っているというわけではないと思います。彼女はもう決めているんでしょう?」

「決めてるって……」

「飛行竜で言っていたではありませんか。あなたを英雄と定め、共に同じ道を歩むと」

 

 詳細こそ聞いていないが、結果としてそういうことになったのだろう。

 ただ、決めた矢先に広がっていた世界を見て、揺れているのだろうという推測はできた。

 

「これまでこの世界を見てきて、いかがでしたか?」

「冒険者もいないし、レンズ着けてるのが普通でエルレインに感謝するのが当たり前。ドームから出るなんてもってのほか。とんでもねー世界としか思えねえが……」

「そうだよ、絶対おかしいよこんな世界! バルバトスも英雄扱いされてるし……」

「それはあなた達の価値観による一方的な意見です。誰もが、リアラが同じように思うとは限りません」

 

 というか、そんな風に見ていたらあんな憂い顔を浮かべるわけがない。

 価値観の違いを説明するのも面倒くさく、フィオレは世界の定義を縮めることにした。

 

「言い換えます。この世界の人達、どんな顔をしていましたか?」

「皆ニコニコして、同じ顔っていうか……」

「誰も嘆いていなかったし、悩んでいなかったし、悲しんでもいなかったでしょう? 悩みや苦しみがなくて、誰もが平等で幸せな世界だった」

 

 それは二人の聖女に定められた、人類絶対幸福が形となった光景。聖女であるリアラが理想の形として脳裏に描いていただろう世界だ。

 信じる英雄とその仲間達の意見とはいえ、否定することにどれだけ葛藤を覚えているやら。

 

「……道中、リアラが頻繁に幸せそうとか言ってたのは、それか」

「そんな! じゃあリアラは、世界がこのままでいいって思ってるの!?」

「さあ。それは本人しか知りませんよ」

 

 一応、これはフィオレから見たリアラの内心であって、推測の域を出ないことを伝えておく。

 でなければ再会した瞬間、くってかかりそうな勢いだ。

 

「でもオレ、もうそうだとしか思えないよ」

「なら、安心させてあげなさい。方法は自分で考えること。聖女に対する英雄の責務ですよ」

 

 立ち止まって本格的に考え込んでしまったカイルを促し、本来の目的を敢行する。

 頭を抱えて真剣に悩むカイルの邪魔をするのも気が引けて、フィオレはロニを促すとカイルに声をかけた。

 

「あっちの方、探してみますね。あのオブジェのところで合流しましょう」

「あ、うん」

 

 階段を登った先、広場をぐるりと回りこむような形で移動していく。壁をコンコン叩きながら、どこか空洞がないかと探すも怪しい場所は特にない。

 同じように石畳も目で追ってはいるが、元々住民が使えるような施設だったのだ。あからさまに隠すようなところにはなかろうと、考えを改める。

 そうこうしている間にオブジェのある場所が見えてきて、ふとフィオレは目を眇めた。

 オブジェは、階段上部に据えられている。蒼天都市と紅蓮都市、どちらも同じようなオブジェが都市の中心に据えられていたが、いずれも平地でこのような台座の上にはなかった。

 都市の作りの違いだけかもしれないが、オブジェの台座になっている下部は妙に緑が多い。人が立ち入らなくなったことを物語っているかのように。

 

「やっと怪しい場所発見ですね」

「よし、まずは茂みの中を探そう!」

 

 一番近くの茂みに潜り込むカイルに倣って、違う茂みに近寄る。植物が生える箇所は論外として、主に茂みに隠れている辺りをかき分けるも、それらしいものはない。

 一応台座の根元に当たる壁を叩いてみると……明らかに空洞がある。

 ここに扉はないかもしれないが、この台座を形成する下部に何かがあることは明白だ。

 とりあえずぐるっと回ってこようかと立ち上がり……まさかと思いながら壁に左手を当ててみる。

 ──何も起こらない。

 それでも思うところはあり、左手に触れたまま茂みから出る。ちょうど、カイルが茂みを出て違う茂みへ行こうとしていた。ロニは反対側にある茂みを探っているようだ。

 壁に左手を触れさせたまま移動し、先程までカイルがいた茂みに入る。

 その瞬間、茂みに隠れていた壁から違和感を覚えた。茂みをかき分け、見やれば壁の一部が明滅している。

 正確には隠れていた亀裂が明滅しており、直後音を立てて壁の一部がスライドした。

 ちらりと覗いたその中は薄暗く、長年閉めきられていた開かずの間独特の空気が感じられる。

 

「見つけた」

 

 いったんその場を離れてカイルとロニを呼びにやり、再び茂みの中に入り込む。

 扉は何事もなかったかのように壁の一部となりすましていたものの、左手で触れれば問題なく道を開けた。

 

「ここ、オレさっき調べたのに……」

「結果的に見つかったのですから、細かいことは気にしない」

 

 一歩足を踏み入れれば、人の体温を感知してか明かりが灯る。大仰に驚く二人をさておいて、フィオレは階段沿いに設置されている本棚から一冊書物を取り出した。

 が、開くことなく元に戻したかと思うと、そのまま階段を降りていく。

 

「どした?」

「……書物は全滅のようです。一体どれだけ放置されていたのやら」

 

 その一言に興味を持ったカイルが早速一冊手に取るも、軽く首を傾げた。

 一見分厚い書物だが、やけに軽い。適当に開いて、カイルは目を見張った。

 

「どれどれ、何が……って、ひでえなこれ。虫食いだらけで読めたもんじゃねーぞ」

 

 ロニの言う通りで、どの頁にしても虫食いにつき穴だらけ。かろうじて書物としての形を保っている有様だ。この状態での解読は不可能である。

 一方フィオレは、本棚を無視して最下層まで降りていた。

 これだけ本棚が並んでいるのだから石板はないだろうと思っていたが、自動的に開く扉に自動点灯など、技術は街の構造と変わらない。ならばスペランツァで見たような、立体の地図ならぬ立体の資料はないかと探って。

 

「──カイル、ロニ。ジューダス達を連れてきていただけますか」

「何かあったの?」

「スペランツァで見た譜業……もとい、立体地図を映していた機材みたいなものがありました。動かせるようにしておきますので」

 

 ジューダス達のことは彼らに一任し、見るのは二度目の機材に近寄る。

 あの時は都合よくボタンがあったから良かったものの、今回そんな便利なものはない。ごちゃごちゃした制御盤らしいものを見つけていじっている内に、人の気配が近づいてきた。

 

「ここが、そうなのね」

「本棚には触るなよ。虫食いだらけで読めたもんじゃないからな」

 

 見上げれば、合流したらしい一同が階段を下りつつある。

 彼らに機材の後ろに立つよう指示をして。フィオレは内蔵されていた映像資料を再生した。

 

「ん、これは?」

「見ればわかります」

 

 再生した瞬間、明かりが落とされ扉も閉まって暗闇が訪れる。

 一同がそれに動揺するよりも早く、映写機が映像の投影を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 何のために生まれて、何をして生きるのか。
 答えられないなんて、そんなのはいやだ! 

 某パンのゴーレムのOP歌詞一部なのですが、カイルが言いそうな気がしてなりません。
 でも、これを答えられるのは。この世界でどれだけいらっしゃるのでしょうかねえ。


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第四十二戦——概念的認識齟齬事案発生~リアラ、どうしちゃったの?

 引き続きレアルタ。映像資料の確認と、こもごも。
 生物学上における認識の差異という奴ですかね(適当)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〔世界はかつて、ふたつに分かれていました……〕

 

 映し出されたのは傘のような形のダイクロフト、その傘の柄の位置に取り付けられた剣状のベルクラントだ。

 天上人が住む天上世界と、天上人によって支配されていた地上人の住まう地上。

 天上人の圧政に耐えかねた地上人が反旗を翻す──まだ冒頭なのに、すでにおかしな部分が発生している。

 世界が隕石の落下により、太陽の光が得られなくなったがために天空都市が考案され、試用期間として天空へ移った人々が勝手に天上人と名乗り始めたのではなかったのか。

 

 〔これが、後に天地戦争と呼ばれる人類史上最大にして最悪の戦争でした……〕

 

 次に映し出されたのは、そのダイクロフトめがけて上昇する飛行物体である。

 イクシフォスラーと違い、妙にずんぐりとした機体だ。元々飛行艇として作られたわけではないことが推測できる。

 

 〔地上人はダイクロフトに対抗するべく、空中戦艦ラディスロウを建造……〕

 

 ラディスロウ。クレメンテが封印されていた場所にして、海底に沈められていた天地戦争の、負の遺産。

 外観を見たことはなかったが、あんな形だったのだろうか。

 地上人は総攻撃を仕掛けるも、ベルクラントの膨大な光──晶力を変換したものが、剣状の先端に込められていく。

 それが膨張し、放たれると同時に上昇中だったラディスロウが。

 光に、貫かれた。

 

「!」

 

 攻撃を受けたラディスロウは爆発炎上し、空中でばらばらに四散した。

 それを象徴的出来事であるかのように、無機質なナレーションが天地戦争の終わりを──天上人の勝利で終結し、戦争こそ終わったものの、大地はどうしようもないほど荒廃していたことを映像は伝えている。

 焼けた森林、削られた山脈、干上がった河川。人々は自分の住処を失い、地上の物資を支えに成り立っていた天上世界にも影響を及ぼしたそうな。

 もはや人に残されたのは、滅亡へ向かって進む一直線の道のみと、誰もが絶望に囚われたその時だったらしい。

 救いの手が、人々に差し伸べられたのは。

 映し出されたのは、粗末な衣装に身を包む無数の人々だ。

 人々が取り巻くその中心には、非常に見覚えのあるシルエットが光り輝いていた。

 

 〔神は、一人の救世主を地上に遣わしました。その名はエルレイン〕

 

 予想通りの名である。

 エルレインは人々に、荒廃しきった地上でも暮らせるよう、特別な力を込めたレンズを与えたらしい。映像を見る限り彼女のシルエットからほとばしった光を人々が両手を広げて受け入れ、人々のシルエットの頭部がぼんやりと光るようになっている。

 そして人々は生きる希望を見出し、自らの行いを悔い、救いを授けてくれた神に深く感謝するようになったらしい。

 ドームの全容と、取り巻く荒廃した大地を映して、映像はこう締めくくられた。

 

 〔忘れてはなりません。我々が今生きているのは、神の救いがあればこそなのです。そして、繰り返してはならないのです。人間自らの手による、あやまちを……〕

 

 映像は静かに薄れ、やがて何も写さなくなった。それと同時にぼんやりと明かりが灯り、音を立てて扉が開く。

 それでも、一同を包む沈黙は守られ続けたままだ。

 どれだけの衝撃が一同にもたらされたか、その表情が物語っている。

 初めに我に返ったのは、やはり彼だった。

 

「……これでハッキリしたな。やはり歴史は変えられたんだ。エルレインの手によって」

 

 まるで夢から覚めたように、一同の視線がジューダスに向かう。

 それは彼女と同じ存在であるリアラでさえも、例外ではない。

 

「天地戦争の勝者を入れ替え、己が望む世界……人々が神を称え、崇める世界を作り上げた」

「なあ、ジューダス。ずっと思ってたんだけどよ……この世界ができたってことは、俺達がいた世界は……」

 

 おそらく、立体地図を見た際知っている街がひとつもないと知ったその時だろう。ロニが言わんとしていることを察し、ジューダスは重々しく頷いた。

 

「残念だが、お前が思っている通りだ。歪められた歴史のベクトルの上に、僕達の世界は存在しない……」

 

 現代どころか、十年後、十八年前の世界すらも。その現実を直視して、ロニは憤りを吐き捨てた。

 その様子に触発されたように、ナナリーも口を開く。

 

「なんてえこった……!」

「ようやくはっきりしたね。この世界のからくりってヤツがさ……けどね。はいそうですか、って全てを受け入れられるほど、あたしは人間ができていないんだよ!」

「オレだってそうさ! この世界を作ったエルレインを、絶対に許せない!」

 

 度肝を抜かれたその後に、各々の感情が目覚めていく。

 その中で、全てを知ってもその心の中から世界の現状が刻まれているであろう少女が、ポツリと呟いた。

 

「でも……この世界の人は、みんな幸せそう」

「えっ?」

 

 呆気に取られるカイルになど気にもせず、リアラはそれまで胸の内に仕舞っていただろう疑問を投げかけた。

 世界を否定する、己の英雄に向かって。

 

「ねえ、カイル。この世界は、本当に間違っているのかな?」

 

 確かに歪んだ方法で作られたかもしれないが、それでも結果として人々は幸せに暮らしている。フォルトゥナがいないということは、一応実現していないことはわかっているだろうに。

 リアラはまるで夢見るような面持ちで、言葉を続けた。

 

「もし間違っていないんだとしたら、わたしの役目も終わって、カイルと二人で……」

「リアラ!」

 

 その先の、甘い幻想を断ち切られ。

 リアラはまどろみから叩き起こされたように、つぶらな瞳を瞬かせた。

 

「どうしちゃったんだよ、リアラ! リアラは、このままでいいっていうのか!?」

「それは……」

 

 態度からして明らかにイエスなのだが、カイルの剣幕を見て正直に言うほど、少女は愚直ではなかった。

 カイルはそれすら気づかず、それこそ愚直に己の気持ちを吐露している。

 

「オレはイヤだ! だってここには、誰もいないじゃないか! 父さんも母さんも、フィリアさんもウッドロウさんも……誰もいない!」

 

 いないのは、当たり前だ。元から存在しなかったのだから。この場に居るカイル達ですら、リアラの力で歴史改変から偶然逃れたに過ぎない。

 一同がこの世界を肯定してしまえば、そのまま消えるしかないのだ。

 

「このままみんなが消えるなんて、オレは……イヤだ!」

「消える……」

 

 かつての世界において、思い入れる人間が一同以上に存在しないだろう彼女は、戸惑うしかない。

 それを見越したように、ジューダスが重ねた。

 

「人が消えるということは、その人間が積み上げてきた歴史もまた、消えるということだ。人の歴史を否定し、存在する世界……少なくとも、僕は許せない!」

「ジューダス……」

 

 普段、何に対しても斜に構えていた彼の熱弁に、リアラはおろか一同も驚いたように注目している。

 これならリアラも説得されるだろうと踏んでいたのだが、甘かった。

 

「……フィオレは?」

 

 少女の視線はいつのまにか、傍観していたフィオレに向けられていた。

 一呼吸置いて、釘は刺しておく。

 

「私は、あなたの意見に賛同しません」

「わかってるわ。でも、聞きたいの。あなたは、どうするべきだと思うの?」

 

 話すこと自体はまったく構わないが、注意しなければならないことがあった。

 息をついて、一同を見やる。

 

「自分の意見は大切に、人の意見に流されないでくださいね? この後どうするべきなのか、私の中では決定しているのだから」

「……どーゆー意味だ?」

「この世界に対して、しがらみ抜きで言わせてもらえば。素晴らしい世界だと思います」

 

 一転して世界を肯定するフィオレに、一同は驚愕を隠さない。

 無視して、フィオレは言葉を続けた。

 

「その理由としてはリアラ、あなたが語った全てに起因します。だから、リアラが一瞬でもこの世界を受け入れてもいいんじゃないかと思ったことも理解できる。人を幸福にすることが生まれてきた理由である聖女には、この世界が間違いだなんて思わないでしょう。事実エルレインも、そう思ってこの世界を創り上げたのでしょうし?」

 

 彼女もまた、世界はこうあるべきとしてこの現実が存在する。

 カイル達の言い分がわからないはずもなかろうが、迷っているリアラはフィオレの意見を求めたと解釈していた。

 ならば、応えるのが礼儀だ。

 

「両親が生きていて、兄弟が生きていて、愛する人と添い遂げることができたらどんなに幸せなことか……何一つ変わらない日々がどれだけ貴重で儚くて、愛おしいものかわかるから、この世界の完全否定は難しい」

「じゃ……じゃあフィオレは、世界がこのままでもいいって言うのか!?」

「人の話は最後まで聞くものですよ、カイル」

 

 まるで裏切られたかのような面持ちを浮かべ、迫るカイルを軽く流す。

 落ち着かせるための一言は、狙った以上の効果をもたらした。

 

「家族全員で共に暮らしていく。一度たりともそのような幻想を抱いたことがない、とは言わせません」

「そ、それは……」

「されど、エルレインがしたことは看過できるものではありません」

 

 彼女がしたのは、家族の住む家屋に放火して全焼させ、途方に暮れさせてから住処を提供したようなものである。自分に恩を着せる形で、更には生活費まで定期的に与えているようなものだ。

 何かに頼り続けて──この場合は依存してまともに生きられる人間などいた試しはない。依存対象が消えてしまったら、この世界の人々はそれこそ滅びるしかないのだ。

 

「なるほど、わかりやすい」

「そして私には、守護者達の願いを叶えるという責任があります。彼らが求めるはあるがままの世界。とてもこの状態が、当てはまるとは思えない」

 

 宣言通り、リアラの考えとは同調しないフィオレの意見を、少女は静かに聴いていた。

 しかしここにきて、おずおずとだが質問をしている。

 

「じゃあフィオレは、守護者の願いを叶えるためにこの世界を否定するのね?」

「それだけではない、とだけは言わせていただきましょう。それにね、夢は覚めるから夢なのです。ここは確かに理想郷かもしれないけれど、いつまでも寝ていては体に毒でしょう? 彼らを、起こしてあげるべきだと思いますよ」

 

 リアラにだけ通じるその例えを使えば、少女はまるで憑き物が落ちたように、ひとつ頷いた。

 心なしかその顔は、どこか晴れやかに見える。

 

「ごめんなさい、みんな。ヘンなこと、言っちゃって……」

「……わかってくれたら、いいんだ」

 

 正反対に、カイルの表情はどこか沈んでいる。鎮静剤が効きすぎたかと、フィオレはおもむろにその頭を撫ぜた。

 始終落ち着かない硬質な髪だが、こうして触ると驚くほど誰かさんを思い起こさせる。

 ルーティの遺伝子はどこへ行ってしまったやら。

 

「フィオレ?」

「私に言い負かされているようでは、エルレインの手のひらで転がされてしまいますよ。それで、我々は何をするべきなんでしょう?」

 

 手を引っ込めて促せば、カイルははっとしたように一同を見回し、拳を握って見せた。

 

「やろう、皆! オレ達の世界を、取り戻すんだ!」

「あぁ! エルレインに、俺達の意地ってもんを見せてやろうぜ!」

 

 俄然志気が上がる一方で、ふとナナリーが首を傾げた。

 肝心要の、具体的な方法はどうするのかと。

 

「単純な話だ。エルレインが捻じ曲げた歴史を、元に戻せばいい。そのための力は、リアラ……お前が持っている」

「時間移動……ね」

 

 交わされた会話を耳に、カイルは合点がいったように指を鳴らした。

 ようやく話がその方向へ向かったと、フィオレとしては満足な限りだ。

 

「……そっか! 天地戦争の時代に行って、エルレインがしたことを元に戻せばいいんだ!」

「正確には、地上軍に勝利をもたらすこと、ですね」

「さっそく行こう、リアラ! オレ達を、その時代へ連れてってくれ!」

「それはムリだな」

 

 少々興奮気味のカイルがリアラにそれを乞うも、ジューダスが却下している。

 気勢を殺がれて猛抗議するカイルを、リアラの申し訳なさそうな声音が彼を落ち着かせた。

 

「みんなを過去に連れていけるだけの力が、わたしにはないの……レンズがあれば、いいのだけど……」

「それに関しては、俺にいい案がある」

 

 珍しく、自信満々に挙手をしたロニの目は何故かフィオレに向けられている。

 嫌な予感を覚えつつも、仲間達に促されて彼はのたまった。

 

「フィオレが持ってるレンズ、神の瞳とか呼ばれる特殊なレンズなんだろ? だったら、俺達を過去へ連れて行くくらいわけな「ダメよ!」

 

 彼らがすっかりその気になる前に、このレンズ自体に特殊な力はないことを説明しようとして、金切り声がそれを遮る。

 声の主は、血相を変えたリアラだった。

 

「……リアラ?」

「確かに、神の瞳は特殊なレンズで様々な力を秘めていると言われているわ。けど神の瞳自体には何の力もないの。元となる力を変換して、様々な効力を捻出しているに過ぎない」

「!?」

 

 知っていたことではあるが、正体を知る者から放たれるとその重みは格別だ。

 それにしても、元の力というのは。

 

「リアラ、元の力ってまさか……」

「保有者が所持する生命エネルギー……命そのものよ」

 

 衝撃が、一同を包み込む。

 それまで、保有するエネルギーが何もないことを知っていて、常に他の要素からエネルギーを搾取していたフィオレにはただ頷くことしかできないが。

 

「そうですよねえ。私一人の寿命じゃ、この人数の時間移動なんて。ムリムリ」

「そういう問題じゃなくて……!」

 

 高だか人間一人の、それも二十七年ばかり使った後で残った寿命をエネルギー換算してもロクなものは残らないだろう。

 抗議じみたリアラの声をかき消して、その声は聞こえた。

 

 〔地上に住む人々よ……扉を開け、外へおいでなさい。そして、神の恵みをその身に……〕

 

「あの声は……エルレイン!」

「外へ行ってみよう!」

 

 噂をすれば何とやら。まさかの本人降臨かと、慌てふためいて外へ出る。

 その姿こそないが、いつの間にかオブジェの周囲に人々が集まり。一様に天を仰いでいた。

 空に何かあるのかと同じところへ目をやれば、彼方で何かが光っている。肉眼で注視するも限度があり、フィオレは風の守護者へ語りかけた。

 

『シルフィスティア。あなたの眷属の視界を貸してください』

『いいよ。ボク自身は無理でも、それくらいならお安いご用』

 

 まぶたの裏に投影したのは、発光源──ダイクロフト下部から伸びるベルクラントだ。剣状の刀身に光が帯び、切っ先へ光が溜め込まれていく。

 やがて収束した光は、下方へまっすぐ放たれた。あの映像と同じ光景だが、今回は何を破壊することもなく光のすべては真下に施設へ注がれている。

 その施設にて、受け止めたれた光は三方向へ分裂したかと思うと、一直線にドームへと吸い込まれていった。

 

「……いない……?」

「上だ、カイル!」

 

 その声で我に返り、自分の視界を取り戻せば。

 オブジェを中心に雪のような光が降り注ぎ、人々はそれらを一心に、自らのレンズで受け止められていた。

 

「今のは、一体……!?」

「おそらく、ダイクロフトからああやって人々のレンズに力を与えているんだ」

「空から見下ろして力を与える……へっ! 神様気取りかよ」

 

 そうこうしている間に、光はフィオレの元へもやってきた。神の瞳に反応したのか、「敬虔な者達に」とか抜かしていた割には節操がない。

 そのひとひらを、面白半分に受け止め──

 フィオレは全てのハードルをクリアした。

 

「……ああ、なんだ。そういうこと」

「フィオレ?」

「ダイクロフトには神の眼があります。それを使って、過去へ飛びましょう」

 

 唐突なるフィオレの提案に、一同は様々な意味で色めきたった。

 

「って、何でそんなことがわかるんだよ!」

「今の光で、フィオレが壊れた……?」

「待て、考えてもみろ。神の眼は天地戦争時代に封印されたわけでもなければ、神の眼の騒乱で破壊されたわけでもない。従って、エルレインが放置しておくわけがない!」

 

 フィオレが端折った説明をジューダスがし、その話はいきなり現実的なものとなった。

 小さく頷いたフィオレは、ふと思い出したように捕捉している。

 

「この光、とんでもない晶力が込められています。これを定期的に配れるのは、あのレンズくらいしかないでしょう」

「とんでもないって……どのくらいさ」

「それくらい」

 

 フィオレが示したのは、自らの真横に転がる巨大レンズだった。

 その大きさたるや、ゆうに一メートルを数える。これには一同も面食らうしかない。

 

「ど、どこから生えてきたんだ、それ!」

「今しがた、私が光を受け取ったのは見たでしょう。再結晶化させたんです」

 

 あの光の一欠片に、これだけの晶力が詰まっているのだ。神の眼でも使わなければ、まかなえるものではない。

 しかし、彼らの驚愕はフィオレが思っているより、ちょっぴりズレていた。

 

「てか、そんなことできるんだな。その、神の瞳ってやつは……」

「でなければこんなレンズ、早々転がっていないでしょう」

 

 ぺし、とレンズを叩いてリアラに目を向ける。

 少女は目を白黒させていたものの、声をかけられハッと我に返った。

 

「いかがでしょう、リアラ。これでは足りませんか?」

「う、ううん、そんなことない。これだけあれば移動だけなら充分……でも、ダイクロフトへは……」

 

 詳しく聞けば、消費エネルギー以外の問題があるのだという。

 なんでも、リアラ自身ダイクロフトがどんな場所かを知らないから、どこに転移することになるのか未知数になってしまうらしい。

 

「文献によれば、ダイクロフトも空中都市のひとつでえげつねえ広さだもんな。居場所も特定しないままホイホイ飛んで、俺達が神の眼探して駆けずり回っている間に罠でも仕掛けられたら、たまったもんじゃねえか……」

「神の眼がある場所へ、と念じての転移はムリですか? エルレインの居場所でも構いませんが」

「……エルレインの? あの人から聞き出すのは、すごく難しいと思うけど」

 

 確かに、リアラの言う通りだ。しかし、フィオレが狙うのはそこまで蛮勇に頼るものではない。

 

「それでもかまいませんが、飛行竜の動力室でガープとかいう、エルレインの配下が待ち伏せしていたことを思い出してください。まさかあのエルレインが待ち伏せているとは思えませんが、この世界を維持するために必要不可欠であるものは、自分の手元に確保していると思うんですよ」

「つまり、神の眼を使おうとすればエルレインとの対峙が必須か……」

 

 沈鬱そうにするジューダスが呟くも、ナナリーはやる気満々で拳と掌を打ち合わせた。

 直情的な彼女のこと。この状況にフラストレーションが溜まっているのだろう。

 

「上等じゃないか。ついでにエルレインの鼻っ柱も折っていこうよ! 一発殴らないと収まりそうもないよ!」

「そうだよね! リアラ、どうかな?」

 

 同調するカイルが俄然やる気になってリアラの顔を覗きこむも、少女の表情は芳しくない。

 不安に思う気持ちが、わからないわけでもないが……

 

「できることはできるけど、やっぱり危険だと思うの」

 

 こう言われてはぐうの音もでない。ならば、不安を解消するべきか。

 

「ダイクロフト、神の眼がある場所がどのような場所なのかわかれば。転移は可能なんですよね」

「ええ。どんな場所なのか具体的にわかれば、それは」

「わかりました。調べてみます」

 

 もう少し、自力で行く術がないか調べてみるべきだとは思ったが、あんな天空の彼方へ人単体の力で登るのは難しかろう。たとえ梯子がかけられていたとしても、体力的に不可能なのは明らかだ。

 バルバトスが現れた時点で、エルレインも一同のことは承知だろう。それでもかの聖女に頼んでダイクロフトまで赴くなど、愚の骨頂だ。彼女がそれを許す理由などないのだから。

 

「調べるって、一体どうやって……」

『シルフィスティア。ダイクロフト内部を見せてください』

『神の眼を探すんじゃないの? それなら探させ……』

『探し物くらい自分でします。内部を把握しておくことも、無駄ではありません』

 

 ただ、ダイクロフト内部全てを脳裏に流されたら、血管がはち切れるだろう。何もない壁に映像を投射してもらう。

 傘状の、都市というよりは要塞を思わせるダイクロフト全体が浮かび上がる。

 と同時に、ダイクロフトにおいて風が通る場所全てが投射され、仲間達の戦く声がかすかに聞こえた。

 

「な、なんだこれ!?」

「風の守護者に協力を要請し、風の視界を借りたんだろう」

 

 当のフィオレは映し出される光景全てに目を通すのが精いっぱいで相手をする余裕がない。

 カイルやロニ、ナナリーも映し出される映像を注視してみるものの、何十ものコマ割された光景が目まぐるしく変化していく様が負担になったのだろう。

 いくばくもしないうちに目頭を押さえて顔を背けている。

 

「頭痛くなってきた……」

「ホントだよ。ねえフィオレ、こんなもんガン見して大丈夫なのかい?」

「……見つけた」

 

 呟きと共に、細かく分けられていた映像のひとつひとつが消えていく。代わりに現れたのは大きな映像──一同の誰の身の丈よりも巨大な、大型レンズだった。

 完全な球状ではなく、ハニカム構造を球の形として終結させたそれは、大広間にポツンと鎮座している。

 

「エルレインはいないようですね。好機といえば好機ですが」

「そうね……これだけしっかり見せてもらえれば大丈夫。行きましょう!」

 

 一同を見回したリアラが、レンズペンダントに手を添える。フィオレが再結晶化させたレンズが呼応するように輝いたかと思うと、光景は一変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十三戦——度重なる秘密バレ~今度はジューダスも一緒に正体バレ

 inダイクロフト(改変世界版)
 ダイクロフトへ乗り込み、年寄りの冷や水を回避して合流に走ったはいいものの。
 なんか紆余曲折あったようで、そこから先は、夢の世界。
 夢は夢でも、悪夢の世界に放り込まれたらたまったものではありませんね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しまった……」

 

 確かに、黄昏都市レアルタとは様子が一変している。シルフィスティア達の視界を借りて見たダイクロフト内部だ。

 しかし神の眼はおろか、仲間達の姿すらもない。

 

「神の眼の干渉のこと、忘れてた」

 

 以前アイグレッテへ飛んだ時も、この歪な現代世界へ飛ばされた時もそうだったが、どうもリアラの力を用いて移動した際は離ればなれとなるのが必然であるらしい。

 十年後の世界から現代へ戻った時に支障がなかったことから、時空転移は問題なくて空間転移にのみ問題がありそうなものだが……

 幸いなことに、ダイクロフト内部を視た際の記憶は僅かだが、ある。

 早いところ一行と合流せんとして。

 

「……星の守護者より遣わされし亡者か」

「どちら様ですか」

 

 まるで瞬間移動でもしたかのように、行く手を阻むよう立ち塞がる影があった。

 印象は厳格な老爺、といった風情か。神官服らしい衣装をまとい、聖杖と思しき杖を携えている。

 

「我が名は、ダンタリオン。エルレイン様の理想に賛同する者」

「自己紹介どうも。私のことはご存じの様子だから省きますね。たとえお年寄りだろうと女子供でも敵に情けはかけません。心安らかに寿命を迎えたくば、そこをどきなさい」

「そうはいかぬ。エルレイン様のおわす聖堂へ、汚らしい亡者を近づけてなるものか!」

 

 汚らしいだの汚らわしいだの。いちいち失礼な連中である。自覚はしていても、他人から言われると地味に傷つくものだ。ただ、わざわざエルレインのいる場所を教えてくれたから、そこは感謝だ。

 ともかく、まともに交戦などしていたら相手の思うつぼである。

 

「ゆくぞ、シャイニングスピ……!」

「轟破炎武槍!」

 

 抜刀した紫水を肩の辺りで担ぐように構え、練り上げた真紅の剣気を打ち出す。

 本来放出し続けるその技を放った直後、フィオレは剣気の後を追うように駆けた。

 

「効かぬわ!」

 

 迫る単発の剣気を、詠唱を中断したダンタリオンは果敢にも聖杖で打ち払いにかかる。

 亀の甲より年の功らしく、見事ないなしようだが、特に傷つくことではなかった。一応形式として練り上げたものの、一瞬で構成した代物に何も見込んではいない。

 

「見たか、これが信仰の力……!」

 

 フィオレが彼の横をすり抜けて数秒、ようやくダンタリオンは標的が自分の後方へ走り去ったことに気付いたようだ。

 何か言いながら追ってきているようだが、相手はいわゆるご老体。現在全速力で駆けるフィオレに、早々追いつけはしないだろう。

 思い浮かべた道筋通りに通路を駆け、やがて見上げるほどの巨大な扉前に至る。どうやって破ったものかと考えて、その必要がなくなった。

 上部に取り付けられていたレンズらしいものが光ったかと思うと、閉じた瞳を思わせる意匠が覚醒するかのように開いたのである。

 

 限りなく罠臭いが──虎穴に入らずんば何も得ず。

 

 迷わずそのまま飛び込んだ先、まるでストレイライズ神殿へ飛ばされたかのような感覚に陥った。

 祭壇もお祈り用の長椅子もないが、とにかく雰囲気が似ている。入ってまっすぐ、奥には神の眼が据えられ、その手前にはまるで玉座に至るかのような段差がしつらえられていた。ここが聖堂なのだろう。

 壇上にはエルレインが佇み、更に彼女を取り囲むように五人の仲間達が対峙している。誰一人として欠けていないのは何よりだ。

 ただ、彼らを取り巻く空気がおかしい。

 扉が開いた際、それなりに騒音がしたのに誰も反応しなかった。

 そして──仲間達はエルレインから完璧に目をそらし、一点を注視していた。

 仮面を手に持ち、素顔をあらわとしたジューダスを。

 経緯がさっぱりわからないが、ここにきてさっくり正体がバラされたか。

 エルレインはといえば、奉られた神の眼に向き直り、右の手を掲げている。

 

「させない!」

 

 何をしようとしたのかもわからないが、直感に従い次元斬を発動させる。

 その場で振るった紫水は当然空振るも、何かを感じ取ったらしいエルレインはその場を離れた。

 一拍遅れて起動した視認不可の刃は、玉座を模した壇上にざっくりと爪痕を刻む。

 

「鼻で笑ってくだされば、楽にして差し上げたものを」

「遅かったな。お前の協力者達は仲違いを始めたぞ。可愛い教え子を、守ってはやらんのか?」

「色々せっぱつまってるんですねえ、初めは歯牙にもかけてくださらなかったというのに」

 

 この調子では、フィオレの正体もバラされかねない。

 さっさと転移を促したいところだが、ちらりと見やったリアラまでもが、かなり動揺している。

 これは、エルレインを直接叩くしかない。

 

「……おしえ、ご?」

「誰のことですかそれは。私の教え子なら、とっくの昔に巣立っています。少なくとも、私の助けなんか必要ない」

 

 誰かの呟きをかき消すように、無理やり会話を潰す。

 しかし、何か策略があってか。紫水を抜いたフィオレの挙動を気にするでもなく、エルレインは言葉を投げかけた。

 

「夢のような世界だと、言っていたな」 

「盗み聞きですか。聖女……いや、救世主様はイイご趣味をしていらっしゃる」

「人としてあるべき幸福をこの者達でなく、亡霊のお前が理解を示すとはな。守護者共の眼も、あながち節穴ではないようだ」

「あなたの目的は、人類の幸福でしょう? 困りましたね。幸せでない人間がそこに三人もいる。彼らを幸せにしない限りは、目的は達成されない」

 

 一応彼らに話してあるとはいえ、守護者関連の話はそのまま正体への話題にシフトする危険性がある。

 ただでさえ混乱している一同を、これ以上ドツボに落とすのは不都合だ。

 

「夢は覚めるから夢なのだと言ったな。ならば醒めない夢は、何なのだろうな?」

「醒めない夢……? やけになるのはおよしなさい。人類を昏睡状態にしても、神への信仰は集まらない」

 

 夢から醒めないということは、意識がない状態──肉体が無事であってもそれは、昏睡の状態を意味する。

 それは時として脳死、精神の死すら誘発するのだ。

 ただ、この口ぶり。もしも一同を含めて、本当に「醒めない夢」を永遠に見せられることになろうものなら……対抗する術はなきに等しい。

 

「現実では不可能なことも、夢の中では何もかもが思い通りになる。痛みも苦しみも感じることはない。消してしまいたいほどのつらい過去も、抹消できる……なるほど。救われたいと願いながらも救いを拒否する、我が侭な人間の望みを叶えるにはちょうどいい」

「本末転倒……いや、手抜きにもほどがあります。思い通りにならない世界を捻じ曲げるに飽き足らず、今度は全人類を死んだも同然にする気ですか」

「お前にはない、と言うのか? 消してしまいたいほどの、つらい記憶が」

「いくらでもあります。しかし、それらがひとつでも欠けてしまったら今の私はいません」

 

 とはいえ、いくらフィオレが拒絶してもエルレインは歯牙にもかけないだろう。彼女が救うことを目指すは人類であり、亡者と呼び捨ててはばからないフィオレは対象の外だ。

 今こそ全力を上げて抗議をするなり一発殴るなりしてほしいのだが、悲しいかな一同は暴かれた真実を前に硬直してしまっている。今はただ、黙ってフィオレとエルレインのやりとりを見守っているだけだ。

 あくまで反論するフィオレを見下すようにしながら、エルレインはくるりと神の眼を見た。

 

「──待ちましたよ、ダンタリオン。さあ、亡霊を片づけなさい」

 

 そんな気配はなかったのに、まさか追いついたのかと後方を見て愕然とする。

 開かれた扉の付近には誰もいない。はったりだった。

 

「神よ! 大いなる御魂をここに!」

 

 最後に残るは、張り上げたエルレインの声。暗黒に包まれた意識に五体の感覚はなく、ただ閉じることも許されない眼に光景が灼きついていく。

 クレスタにてリアラと再会するまで、幼少の記憶に身を委ねていたカイル。

 そのカイルと共に過ごすも、幻想が破られたことで吹き出した悪夢に苦悩したロニ。

 豊かなホープタウン、生きている弟。完全に夢の世界に心を奪われていながら、それでも真実を見据えたナナリー。

 そして──

 

「……またか。悪夢はいつも、ここから始まるな。シャル」

 

 岩肌がむき出しになった、湿った空気のこもる洞窟。ジューダス──否、リオン・マグナスは戦っていた。

 放たれた魔神の槍は、生じた半球状の結界に触れて消滅する。

 シャルティエの刀身と対峙するは、幻想的な淡紫を宿した異国風の剣。

 追手を始末せんとするリオン・マグナスと戦うは……雪色の髪に、藍色の隻眼をのぞかせる、女性。

 

「あれは……!」

「裏切ったリオン・マグナスを単身追ったフィオレシアさんが、追いついたところなのか!?」

 

 声が、聞き慣れた声が聞こえた。見やれば夢の世界から仲間達をすくい上げてきたリアラが、そこにいる。

 同じようにジューダスを救いにやってきて、彼の意識を目の当たりにしているのか。

 

「そんな、なんで……!」

「この後、スタンさん達が追いついて、確かフィオレシアさんがスタンさんをかばって──」

「そんなこと言ってるんじゃないよ! どうしてフィオレが、リオン・マグナスと闘っているのさ!?」

「……そうだよ。あれはフィオレ、だよね?」

 

 ナナリーはフィオレの素顔を知っている。一度だけではあるが、フィオレの素顔を垣間見たカイルも、同じ反応だった。

 そしてロニのそれは、儚くもこの後幻想だと知らされるだろう。

 

「お前こそ何言ってるんだよ! フィオレって……」

「間違いないよ。所縁の人間だって言ってたけどさ、ホントに似てるだけなのかい……?」

「……まさか、これがジューダスの、幸せの記憶だというの……?」

 

 そうこうしている間に、決着はついた。地面に転がったリオンに追撃をしかけたフィオレが、凍りつく。

 自らに刺さった小剣を、両手で握るリオンに紫電を振るい。

 二人は共に血だまりへ倒れた。

 

「……ど、どーゆーこった?」

 

 混乱するロニに答えるかのように、リオンの首元が発光する。慌てて飛び起きたリオンは、倒れたフィオレを呆けたように見つめていた。

 直後、じわりと風景が歪む。

 次の瞬間、傷だらけで座り込んでいたリオンの目は、ただ一点を見つめていた。

 追いついた四英雄の一人、スタンに紫電を押し付けるフィオレを。

 

「──元気でね」

 

 弱々しく突き飛ばされた二人がたたらを踏むより早く、フィオレの姿をあっという間に土砂が覆っていく。

 それを皮切りに、ダムが決壊したような勢いで海水がなだれ込み……いつしか、傷つき倒れていたのはリオンではなくジューダスだった。

 その傍らには、宙を舞い彼を見下すエルレインがいる。

 

「……愚かな……何故お前は、なおも傷つこうとする?」

 

 ジューダスは動かない。よもや気絶しているわけでもなかろうが、反応はない。

 

「憎んでいたのだろう? 恨んでいたのだろう? 己の自信、誇り……心までも奪った亡霊を」

「……」

「お前が望みさえすれば、亡霊は消える。過去の恥部も消滅し、心もまた解き放たれる。抱える悩みも苦しみも、失せる……否、もとより存在しない」

 

 再度問いかけるエルレインに、ジューダスはようやく口を開いた。

 ただ、負傷が激しいのか見動きをする気配がない。

 

「……なぜ? ……フッ、そんなことを望んでも、現実のあいつは消えない。しょせんは……夢だと、がっかりするだけだ」

「醒めることのなきこの夢で、現実はカヤの外。失望することなど、何もない。全てはお前の望むがまま」

「夢の中でも……あいつが消えたら……」

「恥をかかされたこと、奪われた誇りも、偽りの愛にほだされた心も、また消える。お前は歩むべきであった道に戻るのだ」

 

 エルレインの声音は、まるで何かを誘っているかのようだった。

 不思議な話である。神の使いが、人を堕落させんと囁いているだから。

 

「……歩むべきであった道など、存在しない。あったとしても、それを歩いた先にいるのは、僕ではない」

 

 ググッ、と全身に力を込めて、ジューダスが上体を起こした。

 大型爬虫類の頭骨を模した仮面の眼窩からのぞく目が、初めてエルレインを睨む。

 

「僕がここにいるのは、あいつがいたから、あいつを知ったからだ。あいつの存在を抹消して、夢になど浸れるものか」

「だから、現実を象徴するこの記憶を繰り返すというのか? 贖罪にもならぬ、自己満足を」

「都合の良い夢を見せられるくらいなら、あいつと殺し合いでもしていた方が何倍もマシだ……!」

「ならば続け、繰り返すがいい。永遠の悪夢を……!」

 

 その瞬間、まるで呪縛が解けたかのように彼らの元へとカイルは駆けた。続く仲間達の姿に、エルレインは驚いたかのように息を呑んでいる。

 リアラを除く一同が各々夢の世界を捨ててきたことにか、それとも。

 

「これ以上、好き勝手にはさせないぞ!」

「わからない……何故、お前達はその男をかばいだてする? 私利私欲のため師を斬り、仲間を捨てた裏切り者を」

「あたし達はただ、仲間を助けるだけさ。ジューダスっていう、大切な仲間をね!」

 

 まるで罪状でもつきつけるかのようにエルレインは再び仲違いを画策しようとするも、一同には通じない。

 しかし尚も、エルレインはあきらめていなかった。

 

「その男はおまえたちをまたいつ裏切るかわからないのだぞ? すべてを知りあった今でも尚、そのような者を……」

「知ってるとか、知らないとか、関係ない! オレは、ジューダスを信じてる!」

 

 今までも、そしてこれからも。

 啖呵を切ったカイルは、ジューダスへと近づき肩を貸す。

 

「行こう、ジューダス! フィオレを助けて、俺たちの世界へ戻るんだ!」

「──無駄だ」

 

 カイルの視線を受け、リアラが頷いたその時。

 未だ滞空するエルレインは、地の底から響くような声を出した。

 

「あの者の抱く闇は、夜の帳より尚昏く、海の底よりも深い。奴の意識に立ち入ったところで、引きずり込まれるが関の山……」

 

 エルレインの言葉を最後まで聞くことなく、リアラの首元が輝き一同が包み込まれる。

 光が消えたその時。一同は一様に目を瞬かせることになった。

 

「あれ? ここって……」

「海底洞窟だな。さっきと同じ場所に見えるが」

「同じ場所かもしれんが、少なくとも僕の意識の中じゃないぞ」

 

 ジューダスが目を覚ました以上、それだけは確かなことだ。

 今のところ、何がどうなっているわけでもなければ、フィオレの姿もない。

 

「ねえ、ジューダス。さっき、あんたと闘う隻眼の歌姫を見たけど、まさか……」

「──フィオレンシア・ネビリム。それがあいつの本名だ」

「ネビリム? じゃあ、フィオレシアさんとは……」

「フィオレシア・ネフィリムとは、あいつの作成した書類から判明したフルネームだな。記憶喪失で一から勉強したとか何とかで、あいつは文字の読み書きが少々拙い。スペルミスした書類が運悪く発見されてしまったんだろう」

 

 開かされた事実により、衝撃に揺らぐロニへ追撃をかけるかのように。

 光景は一瞬にして変化した。

 

「デモンズランス!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

 

 先程繰り返されたばかりの戦いが、寸分違わず繰り返される。

 飛燕連脚を仕掛けたリオンを、大技で転ばせたフィオレが追撃を試み、そして胸を貫かれ。

 血だまりが広がるその場に、ぼんやりと。エルレインが姿を現した。

 

「……お前も、夢を見るくらいならば。苦しみ抜いたありのままを見つめるというのか?」

「だれのことを言っているの」

 

 エルレインが声をかけたその瞬間、光景が歪んで消える。洞窟も誰も彼もが消え去り、辺りはただ暗闇が残された。

 否。暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がる人の姿がある。

 雪色の髪、幼い顔立ち。幼少時のフィオレだと思われる少女は、恨めしそうにエルレインを見上げていた。

 

「その扮装は、いつまでも若く美しくありたいというお前の願望か? 浅ましい……」

「おこらせようとしてるの? それならむだだから、あきらめてほしいかな」

 

 舌ったらずの口調からは信じられないほど、冷静に少女は言葉を紡ぐ。

 暗闇はゆっくりと、ストレイライズ大神殿の聖堂へと移行した。

 

「このような場所を投影したところで、お前の穢れが浄化されるわけもない」

「ボクのけがれ……それがこれまでのボクのおこないなのだとしたら、なおさら、じょうかなんか望まない。それが消されてしまったら、今ここにボクはいない」

 

 聖堂が徐々に薄れ始め、草木の生い茂る渓谷が広がり始めた。

 足元には小さな白い花が群生し、警戒に身を固くしたロニが小川に片足を入れかけて慌ててその場を飛びのく。

 

「ボクは、すべてを受け入れる。受け入れて、前へすすむ。じゃましないで」

 

 ひらひらと、蝶が舞う。透かし模様にも似た壮麗な羽を瞬かせ、蒼い燐光を纏い踊るように飛行するそれを眺めて、少女は言った。

 

「……戯言を。胸に手を当てて己の行いを顧みよ。そのような大言を吐ける身か」

「これのどこが大言なのか、はなはだぎもんだけど……そんなことはどうでもいいや」

 

 蝶から目をそらした少女が、初めて正面からエルレインを見据える。帽子も眼帯もない、丸みを帯びたその双眸は、緋色と藍色。左右の色が異なっていた。

 すぐ傍らに一同がいる。しかし、少女はそれに気付かない。

 

「さあ、ここからだして。ボクをゆめでとらえても、あなたには何のいみもないはず」

「お前さえいなければ、リアラは惑わされることなくその使命を全うしていただろう。ジューダスと名乗る少年は、どうだ? 彼の人生を歪めたという自覚はあるのか」

「……」

 

 エルレインの問いに対し、幼いフィオレは首を傾げた。

 その面持ちは、困惑に類するものである。

 

「……ボクがいなくても、リアラはすでにカイルと出会っていた。ジューダス……リオンだって、同じ。大切な人のため、なにがあっても全力をつくしていたはず。ボクのこととはかんけいないよ」

「あくまで、己は傍観者だと言い張るつもりか」

「それ以外のなにがあるの?」

 

 ここで、少女の眉が不快そうに歪む。

 唇を尖らせ、呆れたようにエルレインを見やった。

 

「自分がりかいできないからって、ボクのせいにされても、こまる」

「そのようなことは……「人をすくうだけならいいんだけどね。それで結局人をないがしろにしてたら、いみないんだよ。ホントにわかってるの?」

 

 ここが意識、精神の強く作用する世界だからなのか。フィオレの言動は普段以上に辛辣だった。幼い姿であることも、言葉の効果を強めている。

 これにはエルレインも何かしら思ったらしく、彼女は初めて声を荒げた。

 

「幾多の罪を犯した亡霊風情が、わきまえよ!」

「ヤだよ。わきまえて、どうなるの? それがわからないあなたでもないのに」

 

 怯える様子も何もなく、しれっと流す。

 のれんに腕押す感覚でもあったのだろうか。エルレインは、ひとつ大きく息をついた。

 

「……何故だ」

「?」

「それだけ悲惨な過去を持つお前が、償いようもない罪をただ背負うお前が、何故救いを望まない?」

 

 フィオレの表情に変化はない。ただ、それまでまっすぐエルレインを見つめていたのが、ふいっと顔を逸らしている。

 

「……かってに昔見て、かってにあわれんでる。ほんと、イイ趣味、イイ性格……」

「母に会いたかったのではなかったのか? 愛する者との和解を、そして篭女として、小鳥をその手に抱きたくは……」

「……黙れ!」

 

 愛らしい少女の声音とは相反して、叩きつけるような殺気が、周囲をどす黒く塗り固めていく。

 塗り潰された周囲の景色が、瞬く間に切り替わっていく。

 風の遊ぶ渓谷から、一面銀世界へ。

 雪国の何所ともおぼつかない景色の真っただ中に、違和感は存在した。

 

「いくら会いたいと願ったって……死んでいる人にはもう会えない。言葉のひとつも、聞けない」

 

 立ち上る白い炎。通常の火とは明らかに異なる炎によって、一軒家が燃えていた。

 場面は突如として切り替わる。残っていたのは、目をそむけたくなるような人の残骸。

 

「これは……フィオレの記憶、なのか?」

「十中八九、そうだけれど……こんなのって」

 

 ただ、雪上にそれが転がっていたのは一瞬のこと。銀世界もまた消え失せ、再び映し出されたのは対峙する男女の姿だった。

 一同の目にも見覚えのない荒野、見慣れぬ黒の装束に緋色の刀身を抱える異国風の剣を携えたフィオレが佇んでいる。

 相対するは、白を基調とした軍服に身を包み、大剣を下げた長身の男──ただし、逆光のせいで風貌はわからない。

 

「妥協って言葉を何よりも嫌った生真面目バカが、和解なんてするわけない」

 

 荒野が港に、港が洞窟に、洞窟が未知の世界へと目まぐるしく切り替わる。背景がどれだけ変わろうと、二人が武器を持たずして対峙しない時はなかった。

 たった一度、熱烈に抱き合う二人の姿が垣間見えるも、それは儚く消えてしまう。

 最後に一同が見たのは……おびただしい血の海に沈む、フィオレの姿だった。

 雪色の髪はまだらな緋色に染まり、重たげに開いた瞳には何も映っていない。そして、細身の体にしては不気味に見えるほど。その下腹は異常に肥大していた。

 

「十月十日どころか、やっと半年を超えた子達が、外で生きられるわけもない」

 

 血の海に沈んでいたその姿が、消える。まるで白昼夢を見たかのように、顔色を悪くしたフィオレが立っていた。

 一同の見慣れた背格好のフィオレが、何かを拭うように目元をこする。

 

「罪人でも亡霊とでも、勝手にそしればいい。私には何の悔いもない!」

 

 言いきったその言葉に、エルレインを真っ向から見据えるその眼に迷いはなく。

 それでも、エルレインを絶句させるには至らなかった。

 

「……悔いの残らぬ人生を送ったというのに、守護者共はお前を揺り起こした。安らかに眠るお前の魂を、自分達の都合だけで現世へ放り出した。彼らが憎くないのか、恨めしく思わないのか?」

「──彼らがいたから、私はかけがえのない仲間達に出会えた。初めて、私を越えた弟子を見つけた。この幸せをくれた彼らを、否定しない」

 

 初めて口に出された、フィオレの幸せ。気圧されたようにエルレインが絶句したその瞬間、リアラのペンダントが光った。

 

「……そこに、いたんですね」

 

 見やればフィオレが、輝く自らの手の甲を見て、微笑みを浮かべている。

 切れ長だが垂れ気味の眼が浮かべるそれは、まるで少女のようなあどけなさがあった。

 神の瞳を共鳴させ、リアラの位置だけは大体掴んだらしいフィオレが落ちていた帽子を拾い上げる。

 

「長らく、お待たせしました。眼を覚ましましょう」

 

 定まらない視線のまま。エルレインなど眼中にないような態度で一同へと歩み寄る。とある一定の距離を、エルレインから取った瞬間。

 二人の有するレンズから光が迸り、誰もの視界が真白に染まる。

 光が消えた直後に広がるは、卵型の棺がずらりと並ぶあの空間だった。

 しかし、今も宙に浮かぶエルレインと対峙するのはリアラだけではない。

 少女を護るようにカイルが、その隣にロニが。少し離れてナナリーが、フィオレの隣にはジューダスがいる。エルレインは黙して、一同を見下ろすばかりだ。

 

「克服してきたぜ。忌まわしい過去とやらをな」

 

 斧槍を構え、挑戦的に言葉を投げかけるロニにも、一同にも向けて。エルレインは口を開いた。

 

「わからない……何故、自ら苦しい道を選ぶ? 神の力でまどろんでいれば、あらゆる望みが叶うというのに」

「そんなので叶った望みに、何の価値があるってんだい?」

 

 一番に噛みついたのは、ナナリーだ。

 その剣幕はエルレインに対してではなく、都合の良い夢に満足してしまった自分に対する怒りが起因しているように見える。

 

「価値なんかありゃしないよ! 自分の手で掴んでこそ、価値があるものさ!」

「いつも正しい道が選べない以上、誰にだってつらい過去や悲しい思い出はある」

 

 畳みかけるように続けたのはジューダスだ。夢の中で最大のトラウマを見つめていた彼の言葉は、特に重みがある。

 

「でも、取り返しようもない過ちも数えきれないほどの後悔も、そのすべてが僕達の生きた証なんだ。それを否定することは誰にもできない……いや、させはしない!」

「お前達はそうかもしれん。だが……彼らは違う」

 

 切羽詰まったように、進退極まったエルレインは今も棺に収まる人々を示した。

 外側から様子は伺えないものの、皆望む夢を見て安らかに眠っているのだろう。

 

「人々はみな苦しみからの解放を望んだ。自らの欲望が叶えられることを望んだのだ」

「いいえ。人々はただ、忘れているだけよ」

 

 おそらくこれは歴然たる事実なのだろうが、リアラはそれをきっぱり否定している。

 人々のその想いがフォルトゥナを生み出し、二人の聖女が生まれたことを。知らないわけでもないだろうが……

 

「いつわりの幸福の無意味さを。そして、歴史という人の営みの中にこそ、本当の幸福があることを」

「だから、オレ達はお前に奪われた歴史を取り返す!」

 

 大地も水も、炎も風も感じられないこの世界で、守護者達の歓喜する声がはっきりと聞こえた。

 エルレインに聞こえたわけでもないだろうが、彼女は苛立たしげに一同を見下ろしている。

 

「無駄なあがきはよすがいい。お前達がどう思うと、何ひとつ変えられない」

「人々の想いから生まれたあなたの台詞とは思えませんね。人の想いに限界はありません。天地戦争の結果を変えることも、不可能じゃない」

 

 フィオレの言葉を受け、カイルは決意に満ちた瞳をリアラへと向けた。

 すべてを承知したように、リアラは微笑み、頷いている。

 

「リアラ、行こう! オレ達の歴史を、取り戻しに!」

「ええ!」

 

 リアラのペンダントが輝くと同時に、神の眼が呼応するように瞬いた。

 溢れる光がフロア中に広がり、一同を優しく包み込む──

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十四戦——ふぁーすとこんたくと~未知との遭遇

 やってきました、天地戦争時代in地上軍基地。
 ここでやっと、満を辞して、正真正銘、最後のパーティメンバー。
 天衣無縫、傍若無人。笑った子も泣き出すマッドサイエンティストのご登場です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷やりとした外気が、頬を撫でる。背中の重みと重たい目蓋に眉をしかめながら眼を開けると、そこは雪の降り積もる屋外だった。

 雪原ではなく、人の気配がする集落のようだが……眼に映る建物は急ごしらえのものに見える。

 うつ伏せになっているため、腹が非常に寒いこの状況をどうにかしようとフィオレは立ち上がろうとした。

 しかし、背中が重くて難しい。

 一体何が、と首を動かして、フィオレは思わず呟いた。

 

「……ロニ?」

 

 まるで重なり合うように、フィオレの背中に覆いかぶさっていたのは銀の短髪の持ち主──ロニだ。

 フィオレを軽く見下ろすほどの上背に、恵まれた筋力の持ち主ならば、この加重も納得できる。

 しかしこれでは、立ち上がるどころか起き上がれない。

 

「ロニ、ロニ起きて──「あんたってヤツはっ、どこまでハレンチなんだい!」

 

 頭上で聞き慣れた声が、まるで雷のように鼓膜を直撃する。同時にぐったりと投げ出されていた体が蹴飛ばされ、彼は悲鳴を上げて飛び起きた。

 

「っ痛ぇ!? 何しやがんだこの……!」

「何寝とぼけてんだい、フィオレを押し倒したくせに!」

 

 わめく二人は元気そうだからとりあえず放置、三人の姿を探す。幸いにも彼らは、今まさに起き上がろうとしているところだった。

 荷物を探り、リアラに外套を渡す。

 

「あ、ありがとう……」

「ここが、千年前の世界、天地戦争時代か……何か、見たことあるな」

「当然だ。ここはイクシフォスラーが封印されていた軍の駐屯地。地上軍の拠点だ」

「それって、ハイデルベルグの近くにあったあの?」

 

 話し振りからして、リアラとフィオレがアイグレッテへ飛んだ際、イクシフォスラーを手に入れるために訪れたらしい。

 未だに言い合いを続けるナナリーにジューダスから剥がしたマントを渡して、フィオレもまたケープを羽織った。

 とりあえず休戦したのか、一段落したのか。マントに包まるナナリーが誰となしに尋ねた。

 

「さて、着いたはいいけどこれからどうする?」

「まずは情報を集めなくてはな。エルレインが、どうやって天地戦争の勝敗をひっくり返すつもりなのか……」

「それについては、いくつか推測が」

 

 情報を集めること自体に不満はないが、彼には想像もつかない一言だったのだろう。

 不信感も露わに尋ね返したのはロニだ。

 

「推測? どーやって……いえ、どんな内容なんですか?」

「……レアルタの映像投射機で、ラディスロウがベルクラントの直撃を受けていたでしょう。史実にもラディスロウでダイクロフトに直接乗り込んだとありますから、あれさえ防いでしまえばいいのでは」

 

 単純にして豪快な解決策に、ジューダスさえ言葉を失っている。

 しかし、それは一瞬のこと。彼は頭痛でも引き起こしたかのように頭へ手をやった。

 

「簡単に言ってくれるが、具体的な案はあるか」

「浮揚艇の機動力を上げるよう製作者に提案する。もしくはベルクラントの一撃に耐えうる障壁を作らせる。でなければ、ベルクラント自体を最終決戦で使われないよう目論む」

 

 確かに具体的な策ではある。しかし、どれも実現するには一筋縄ではいかない。

 更に要素としては不安なものが残っていた。

 

「一番警戒するべきは、バルバトスによる要人暗殺ですね。ソーディアンチームの誰か、もしくはハロルド博士がお亡くなりになられたら、間違いなく歴史は変わります」

「ってことは、オレ達地上軍に入ったほうがよくない? ラディスロウ改造も、要人警護も、その方がやりやすいって! どう?」

「確かにそうだけど、早々軍人になんてなれるもんなのかねえ?」

 

 言われてみればそうだと、カイルは首を傾げている。

 文献によれば地上軍は常に人不足、物不足だったらしいから、望んで実力を見せれば引く手数多だろうが……

 どうも、カイルの言葉の端から欲望がにじみ出ているような気がしてならない。ジューダスが黙っているのも、同じ理由だろう。

 

「まあ、ここはジューダスの言う通り情報収集から始めていきましょうか。考えてみれば戦況がどうなっているのかも知りたいところです」

「ねえ、ここって軍の駐屯地でしょう? わたし達、こんな恰好でうろうろしていたらその、怪しまれないかしら……」

「う~ん……」

 

 ふと、リアラが訴えた不安にナナリーは熟考の末、同意を示している。

 難民を装えば保護くらいしてもらえるだろうとタカをくくっていたフィオレの考えは、甘いようだ。

 

「言われてみれば、確かに。どう見てもあたし達、軍人には見えないだろうしねえ」

「もし、もしもだぜ? 怪しまれちゃったりしたら……俺たち、どうなるんだ?」

 

 ロニの不安を解消、否煽ったのはジューダスだ。

 本人は真面目に答えているだけなのだろうが、真顔でありえる可能性を紡ぐからタチが悪い。

 

「即逮捕、拘束されるだろうな。天上軍のスパイにでも間違えられれば、軍事裁判にかけられてそのまま処刑……なんてこともありえる」

「おいおい、脅かすなよ……」

「そうですよジューダス。この駐屯地が避難民の保護区も兼ねていたことは知っているでしょう? 歩いているだけでは怪しまれませんよ」

 

 それを聞き、ロニの顔が輝いた。しかしその安堵を聞いて、フィオレは腑に落ちない。

 

「ホントですか!?」

「私の知る限りではね。ところでそれは、新手の嫌がらせか何かですか?」

 

 フィオレが尋ねるのはもちろん、ロニの挙動不審についてだ。

 とってつけたような敬語、余所余所しくなった態度、ついでに挙動不審。どれをとっても立派な嫌がらせだ。

 しかしロニは、首が千切れる勢いで否定した。

 

「ち、違うって! そんなんじゃなくてその……隻眼の歌姫、泡沫の英雄なんだろ?」

「……そう呼ばれていたことは認めましょう。泡沫の英雄の方は知りませんが」

「だからさ……その、ホラ。礼儀正しい元神団騎士の俺としては敬意っつーもんを」

 

 なんとなく意味は察したものの、正直いい気分はしない。

 放っておくのもひとつの手だが、この際だからはっきりさせようと、フィオレはロニに向き直った。

 

「かしこまる必要はありませんよ。私はフィオレンシア・ネビリムです。フィオレシア・ネフィリムなんて人は知らない」

「いやそれは、スペルミスなんじゃ……」

「あなたが憧れている人は、私に関する言い伝えが美化された麗々しい偶像なのです。私のことじゃない」

 

 ピッ、と立てた指の先に小さな譜陣が発生し、音素(フォニム)の集まる気配と共にそれはある形を組み上げていく。

 ゆらゆらと陽炎のように、音素(フォニム)は一匹の蝶を生み出した。

 

「こ、これは……」

「人違いではなさそうですが。会っていきなり『光る蝶と戯れていた』とか抜かすから、思わず足を滑らせてしまったではありませんか」

「あ……」

 

 鉛色の空を悠然と舞う蝶が、フィオレに呼ばれて降下する。

 蒼く透き通るような羽の蝶はフィオレの指先にしがみつき──開かれた手のひらが蝶を捕らえて、容赦なく握りつぶした。

 

「あっ!」

「まさかあの小っちゃい男の子が、ジューダスはおろか私より大きくなってしまうとはね」

 

 ぱ、と蝶を握りつぶしたはずの手が開き、思わしげに顎へ寄せられる。

 しかしロニにはとてつもない衝撃だったようで、ぱくぱくと口が開閉していた。

 

「お、俺のこと、覚えて……!」

「私にしてみればちょっと昔のことですが、あなたには十八年も前のことでしょう? むしろあなたの記憶力にびっくりですよ」

 

 余計なことをしてしまったかもしれない。すっかり感激しているロニを見て、フィオレは他人事のように考えていた。

 別人ではないが、逸話とあまりに違うだろうとアピールしようとして、彼の郷愁の念を掻きたててしまった模様である。

 さてどうしようかな、と首を巡らせて。

 

「待ちなさ~~い!」

 

 甲高い少女の声が響いたかと思うと、一同の間をすり抜けていく何かが現れた。

 人型といえば人型、そうでないといえばそうでない、譜業人形のような物体がちょろちょろと走りまわる。

 

「こらぁっ! あんたのマスターはこの私なのよっ! 言うこと聞きなさい!」

 

 足はなく、常に浮遊しているくせに……いや、だからなのか。楕円に手を生やしたようなソレはすばしこい。

 そして、それを追うのは甲高い声の持ち主に見合う、背の低い少女だった。

 濃い桃色の髪を好き勝手に跳ねさせ、姿恰好も少々個性的だ。

 いわゆる女の子らしいお洒落に興味がないのかと思いきや、幼い顔立ちにはしっかりと化粧が施されている。

 

「ちょっと試作パーツを組み込んだくらいで暴走するなんて! こらぁ~~!」

 

 わざわざこうなった過程を説明してくれた辺り、巻き込まれる……いや、多分彼女はこちらを巻き込む気だ。

 でなければ、譜業人形のようなソレが一同の周りをぐるぐる回るように追いこんだりしない。

 厄介事に巻き込まれるのを防ぐべく、一同を連れて避難──今が平常時なら、そうしていた。

 しかしここは千年前の世界、天地戦争真っただ中の時代なのだ。右も左もわからないのにこの状況、味方は作っておいたほうがいいに決まっている。

 特に、地上軍と関わりがありそうなものに関しては。

 

「止まれっていうのがわからないの、このポンコツが! スクラップにしてジャンク箱行きよ!」

 

 一体どの単語に反応したのやら。それまでマスターとやらから逃げ回っていたソレが停止し、くるりと回れ右をする。

 一応視覚の器官があるのか、自分の作品に見つめられて少女はたじろいだ。

 

「な、何よ……」

 

 じりじり、と間合いをつめられ、少女が同じだけ距離を取る。そのまま捕まえればいいのに、逆に迫られて少女は逃げた。

 

「こらああ~! 私は、あんたのマスターだって言ってるでしょうが!」

 

 言っていることは同じだが、こちらは相手に対する威嚇要素が強い。

 すっかり立場の逆転してしまった鬼ごっこの最中に、勇気を出したらしいリアラが話しかけるも、そんな余裕はないらしい。

 そうこうしている内に、進退極まったらしい少女は手近な盾に隠れてしまった。

 事態をボーッと眺めていた、カイルの後ろに。

 

「うわっ!」

「ちょ、ちょっとあんた! 何隠れてんだよ!」

 

 ロニの苦情などものともせず、少女はそのまま距離を取っている。その距離、戦闘になっても巻き込まれない程度か。

 更に少女は、使えるものは何でも使えとばかり、とんでもない頼みを口にした。

 

「ちょっと、あんた達! あれチャッチャと片づけちゃって!」

「……もしかしてそれは、俺達に言ってるのか?」

「他の誰に言ってるように聞こえる?」

「俺達は関係ないだろうが!」

 

 ロニは必死に無関係を主張しているが、どうも暴走しているようなあちらにそんなことは関係ない。

 自称マスターと言葉を交わす人間達が、その視覚器官にどう映るか。答えはひとつだ。

 

「どうやら、あいつは僕達も敵とみなしたようだな」

「冷静に言ってる場合か!」

 

 そうこうしている間に、HRX-2型、という型版の機械は一同に襲いかかってきた。

 どうも、あんなふざけた形でありながら戦闘兵器であるらしく、鉄の腕を振り回すわ晶術は放つわ、危険極まりない。

 

「フィオレ! 何ボーッとして」

「時の狭間にて揺蕩(たゆと)うものよ、奏でし調べに祝福を」

 ♪ Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──

 

 体内の第七音素(セブンスフォニム)を取り出し、静なる時縛り(タイムストップ・バインド)を奏でる。

 無機物の時を止める譜歌は問題なく、HRX-2型をその場に凍結させた。

 

「これが……これが、余韻の奇跡か! すげえ、本当に歌で「気を抜かないで。まだ終わってません」

 

 これまで幾度か違うものは使ったはずなのに、色眼鏡は恐ろしい。色眼鏡を叩き割るためにも、大興奮のロニを冷たく叱咤する。

 状況もそうだが、片眉を跳ねあげたこの少女の前で不用意なことを口走らないでいただきたい。

 

「終わってないの?」

「一時的に動きを止めただけです。すぐ動き出しますよ」

 

 驚く一同に注意喚起、すぐさま距離を取らせる。その間にフィオレは、ナナリーに声をかけていた。

 

「あなたのお古、借りますよ。それと、あの兵器を氷漬けにしてほしいのですが」

「氷漬け? 壊すんじゃないのかい?」

「壊せなんて、一言も言われていませんよ」

 

 フィオレの予測では、この兵器は間違いなく地上軍に属するものだ。つまり地上軍の備品。

 人材も物資も不足しがちの軍の持ち物を不用意に破損させようものなら、そんな仕打ちが待っているのやら。

 

「じゃあいくよ。扇氷閃!」

「エンブレスブルー!」

 

 凍気をまとう矢が弧を描き、HRX-2型に氷を付随させ、直後降り注いだ冷気の矢が周囲を固めていく。

 やがて時縛りの効果が消える頃、ソレは氷塊の檻に閉じ込められていた。

 

「ふう、ビックリしたあ!」

「まったく、いきなりこんなことに巻き込まれるとは……」

 

 フィオレとしてはまだ気を抜かないでほしいのだが、どの道彼らにしてほしいことはもうない。まったりしてもらうことにする。

 それまで遠くで事の成り行きを見守っていた少女に話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十五戦——せかんどこんたくと~あなたって実は、ひょっとして

 地上軍基地内でのわちゃくちゃの続き。
 ハロルド・ベルセリオスに関しては、皆さんご承知の通り。オリDとD2において、性別を始めとする何もかもが違います。
 共通事項は、独立不羈にして寝た子も騒ぎ出す天才科学者様ということだけ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「試作パーツとやらはすぐに取り外せるものなのですか?」

「足の部位に取り付けられている緑色のパーツ。あれがそうよ」

 

 当たり前のようにスパナとドライバーを渡してくる辺り、自分で外す気はないらしい。

 一方カイル達は、氷塊に囚われながらも暴れ出したHRX-2型に度肝を抜かれていた。

 

「うわ!」

「全身が凍りついてるのに、なんで……!」

「ここは雪国ですよ? 寒冷地仕様でない理由がありません」

 

 暴れるたびにヒビが入るものの、晶術レパートリーに炎に類するものがないのか、使用する気配はない。

 それだけを確かめて、フィオレはHRX-2型の前に立った。

 

「危ないよ!」

「雷を迸れ。『ライトニング』」

 

 レンズ一枚の消費でひっぱたくように一撃入れ、渡された工具でパーツの取り外しにかかる。

 偏執的と呼んでも差し支えなかった、かつての主の趣味に付き合っていたのが、こんなところで役に立つとは。

 HRX-2型を閉じ込める氷の一部を溶かし、思いの他がっちり組まれた試作パーツを完全に切り離す。

 その瞬間、暴れていた兵器はウソのように停止した。

 

「おおーっ!」

「こちらはお返しします。片づけて、と言っていましたが、正気に戻ったようですので。問題ありませんよね?」

 

 少女の手に工具、パーツを渡していく。それまでつぶらな瞳で光景を見つめていた少女は、その視線をフィオレへと釘付けた。

 もちろんフィオレは、今も帽子を深く被っている。多少の身長差があっても、素顔が覗ける角度ではない。

 

「何か?」

「……へええ。不用意にブッ壊したら軍法会議にかけてやろうと思ったのに。未来から来ただけはあるわね」

「「!?」」

 

 いきなり、そのズバリを言われたのだ。誰であれ、この不意討ちには驚くしかない。

 しかし、彼の発言はどう考えても不用意だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 何も言わないのに、どうして……」

「あら、当たってた? イチバン可能性のないものを言ってみたんだけど」

 

 狼狽をあらわにするカイルに、少女はあっけらかんと真相をブチまげている。

 間違っていたところで気にしない性格なのか、あるいは言葉とは裏腹に何か確信があったのか。

 とりあえずジューダスは、前者だと判断したようだ。

 

「カマをかけた、というわけか。まんまと乗せられたな」

「そ、それにしたってだ。なんで未来から来たとか、思いついたんだよ?」

 

 ロニの反応はしごく真っ当なものだ。これだけぶっ飛んだ予想、よほど頭がお花畑でない限りそうそう出てこない。

 しかし、少女の返答はあっさりとばっさりしていた。

 

「根拠は、時空間の歪みから生ずる大気の成分の変化からあくびの仕方まで三十六通りあるけど──ま、イッチバン大きかったのは「カン」ね」

「……勘」

「ほら、女の勘はカオス理論をも超えるって、よく言うじゃない」

 

 多分、女の勘は理屈抜きで的中することが多々ある、と言いたいのだろうが……とりあえずカオス理論が何なのかを知る人間は少数だろう。

 現に、誰ともなく集まった一同はひそひそと囁きあっていた。

 

「ね、ねえ、「かおすりろん」ってなに?」

「さあ……?」

 

 それにしても、物資がことごとく不足していたという地上軍にしては小奇麗な金属である。天上軍の戦闘兵器を流用しているのかもしれない。

 仲間達を余所に返却のため、HRX-2型を包む氷塊を溶かしていると。

 

「……を、奪いなさい」

 

 直後、それまで停止していた兵器がいきなり稼働した。

 

「!」

 

 太い鉄腕が旋回し、フィオレの首をもぎ取る勢いで迫る。

 咄嗟に身を沈めて回避するも、振り回された腕の風圧で帽子を持っていかれた。

 

「獅子戦吼!」

 

 獅子の顔を象った闘気が放たれるも、HRX-2型の巨体を吹き飛ばすには至らない。超重量の持ち主に、この技は本来の特性を生かしきることはできないからだ。

 ただ、体勢を崩すことには成功した。一時的にとはいえ動きを止めたところで、少女の元へと駆け寄る。

 不思議そうにフィオレを見る少女の背後へと回り、フィオレは自分の口元を隠した。

 

【そこで直立不動よ、動いちゃダメ。待機してなさい】

 

 先程聞いたばかりの少女の声真似は、どうやら効果があったようだ。

 少女の声に、その発信源には少女の姿。主人認識機能の精度は口元まで確認するものではなかったらしく、HRX-2型は素直に停止している。

 成り行きを見ていた一同はといえば、囁きは耳にしていないようだ。

 

「また暴走かよ!」

「あの、もう解体しちゃったほうがいいんじゃ……」

「二度あることは三度あるというしな」

 

 口々に彼らはそう提案するも、少女に聞いている素振りはない。

 何故なら彼女はもはや、HRX-2型のことなどおかまいなしにフィオレを見つめていたからだ。

 睨んでいるのとは少し違うが、表情が真摯であるが故にある種の必死さすら汲み取れる。

 どうもその目を見つめ返す勇気が出ず、フィオレは何気なく少女から離れて帽子を拾い上げた。

 

『突然ですが、シャルティエ。彼女に見覚えはありませんか? 軍の工学系統にこんな感じの兵士見習いがいたとか……』

『み、見習いなんてとんでもない! だって彼女は……!』

「……フィオリオ?」

 

 少女の声が、シャルティエの声を途切れさせる。

 それまで、戦用兵器を逃がしたペット同然に追いかけまわしていた様子からは想像もつかないほど、その声はか細かった。

 しかし、それは白昼夢かとすら思える一瞬のこと。

 

「……んなわきゃないわよね。あの子は、もういないんだから」

 

 あっけらかんと呟かれた一言に一同が目を白黒させているものの、当人はお構いなしだ。

 ただ、フィオレには何となく事情がうかがえた。

 改変された現代で明らかになった、バルバトスの事情。あの男もまた地上軍の人間だったというから、その身内が地上軍に身を寄せていたとしてもおかしくはない。

 その辺りのことはきっちりと問いただしたいところだが、今それを尋ねるのはためらわれた。

 一同がバルバトスに同情を覚えることを危惧したわけでもなければ、少女が見せた寂しげな表情がためらわせたわけでもない。

 

「ねえ、あんた変わった眼をしてるわね。今の超常現象と何か関係してるのかしら」

「超常現象?」

「トボけないの。私のHRX-2型、動きを完全に停止させたでしょ。あ、未来からやってきたのも、あんたの仕業だったりするの?」

 

 つぶらな瞳をきらきら輝かせて、少女は思うままに質問を重ね始めたからだ。

 質問というか、生じた疑問を口に出して自分の中で整理し、独自の見解を並べ立てているだけであるため、答えを強要されないどころか口すら挟めないのだが。

 とにかく、いつまでも彼女の好きにはさせてあげられない。

 一人で話して考え込む少女に、フィオレは気を取り直して話しかけた。

 

「私の……ねぇ。ということは、あの兵器はあなたの作品なのですか?」

「まあね。正確には天上軍がけしかけてきたのを捕まえさせて改造したんだけど」

 

 一応こちらの話は聞いてくれるようだ。

 捕まえさせた、ということは彼女が自力で捕らえたわけではない様子。

 物資が不足がちな地上軍のこと、戦闘兵器を何かに流用させるのは大して珍しいことではないのかもしれないが、倒したものを回収したリサイクル品ではなく、捕まえさせたというところが気になる。

 軍服も着ていないことから見習いか何かとばかり思っていたが……考えてみれば彼女は化粧という贅沢を許されているのだ。実は結構偉いのかもしれない。

 

「……一般人にそんなことができるとは思えん。軍の関係者……機械を扱っているということは、ハロルド博士の助手に近い人物か?」

「ハロルド博士って、ソーディアンとかイクシフォスラーの」

 

 製作者にして、軍師カーレルの双子の弟。文献にはそうあった。

 しかし世の中には例外という言葉があり、絶対はことごとく事象を裏切るようにできているものだ。

 故にフィオレは、こんな質問を彼女にぶつけてみた。

 

「ハロルド博士……ハロルド・ベルセリオスという方をご存じですか」

「知ってるわよ」

「もしできるのなら会わせてほしい。話がしたいんだ」

 

 そこはかとなく、やりとりを見守っていたのだろう。彼女の肯定に、ジューダスが横やりを入れてきた。

 彼の頼みに対して、少女はこともなげに承諾している。

 

「話がしたいの? そんなの、お安いご用よ」

「ホント? じゃあ、博士のところに案内してよ!」

 

 嬉々として頼み込むカイルに、しかし彼女は首を横に振った。その必要はないから、ここで話せというのだ。

 これには納得できず、ロニが反発した。

 

「お、おいおい。話が違うじゃねーか。俺たちは、ハロルド博士に話があってだな……」

「だから、ここで話せばいいじゃない! わっかんないやつねえ」

 

 発生した矛盾に、ロニは尚も言い募ろうとする。それを制して、フィオレは苦笑交じりに尋ねた。

 

「初めまして。私、フィオレンシア・ネビリムと申します。あなたのお名前は?」

「ハロルド。ハロルド・ベルセリオスよ」

 

 今初めて開かされた少女の名──ハロルドの自己紹介に、誰もが唖然としている。

 かく言うフィオレとて、文献で記されていた内容と現実のギャップに驚きはしたが……そのまま表に出してしまうほどではない。

 しかし、そのギャップは受け入れられなかったようで。ジューダスは頭から否定している。

 

「下らない冗談はよせ。お前がハロルド博士なわけが……」

「あんたの背中にあるの、シャルティエでしょ?」

 

 ジューダスの懐疑的な言葉は、どこからどうみても少女にしか見えないハロルドの一言で絶句させられた。

 スカートの中身ではあるまいし、ちらりと垣間見ることなど不可能である。確かに彼のマントはフィオレが剥がしたが、現在も黒布に包まれているのだから。

 思い当たるフシは……ひとつだ。先ほどの会話、正確にはシャルティエの発言を聞かれていたのだろう。

 ぺらぺらと、シャルティエの作りから使用晶術の詳細まで並べ立てる製作者相手に、ジューダスすら呆然としかけていた。

 

「そこまで詳細なデータを……」

「把握していて当然よ。設計者なんだから」

「と、いうことは。ソーディアンはすでに製作済みなのですか?」

 

 これ以上シャルティエに話題を集中させていると、どこでその存在が彼女に知れたのか明るみに出る恐れがある。

 フィオレの質問に、ハロルドは何故か首を否定の形に振った。

 

「まだ開発途中よ。八割方できてるけど、実装には至ってないわね」

 

 つまりこれから完成させるところか。時空間の歪むうんぬん言っていたが、案外こっちの要素が高いのかもしれない。

 しかし、これでも納得できない人間はいた。

 

「で、でもよぉ! ハロルド博士は男だろうが!」

「あ、やっぱりそういうことになってるんだ!」

 

 不用意とも取れるロニの発言に、ハロルドはこちらが困るような反応をした。

 なんというか、妙に嬉しげで楽しげだ。

 

「いや~男の名前にしとけばみ~んなカン違いすると思ったのよねえ。案の定、みんなまんまとダマされてるってワケね! グフ、グフフフッ!」

 

 まるで悪戯を成功させた子供である。事実、感情としてみればそのようなものなのだろうが……

 ところがそこで、ハロルドは笑うのをやめたかと思うとフィオレを見やった。

 

「でもそれにしては、あんたはあっさり私をハロルドだと受け入れたわね。何か根拠でも?」

「──現在の仲間達より学びました。伝説はあくまで伝説であると」

 

 特にロニからは、一昔前好き勝手した反動として何が語り継がれてしまうのかをつくづく痛感した。まるっきりの嘘はないものの、いかに誇張・誇大な表現で歪められてしまうのかを。

 それをわかっているから、提示された事実をすんなり受け入れられた。そんなところだろうか。

 ふうん、と納得したのかそうでないのか、軽く鼻を鳴らしたハロルドに、リアラがおずおずと尋ねた。

 

「じゃ、じゃあ、あなたは本当にハロルド博士……」

「ああ、ハロルドでいいわよ。「博士」って言葉の響きが硬すぎて、かわいくないし」

「かわいくないって……」

 

 天才が変人とはよくいったものだ。常識にとらわれてしまえば、その才能を発揮することはできないのだから。

 ハロルドはハロルドで、なかなか強烈な個性の持ち主であるらしい。でなければこんな発言はないだろう。

 

「さて、じゃ行きましょうか」

「ちょ、ちょっと待って。行くってどこに……」

「皆にあんた達を紹介するわ。私の部下にってことでね」

 

 そうすればラディスロウ──地上軍内部でも自由に行動ができるだろうというのが、彼女の見解だ。

 こちらとしては願ったりかなったりなのだが、この気安さは何なのか。

 彼女は得体が知れない人間が軍内部に入り込むことに危機意識がないのだろうか。

 

「……それと、これはマジメな話。あんた達がこの時代に来た理由は、絶対ナイショにしておいてね」

 

 口も挟めぬ勢いで決定事項が並べられる中、ようやく一同に発言権が与えられた。

 これは当然のことと、カイルは元気よく肯定している。

 ところが。

 

「うん、わかった! ハロルド以外の人間には絶対に言わないよ!」

「違う違う! 私にもナイショにしておくの!」

 

 本人による否定と強い希望に、カイルはおろか一同も首を傾げている。

 どうも協力者になってくれそうな人間にすら話さない。こちらにとって不都合はないものの、ハロルドはそれでいいのかと。

 

「こんな面白い問題があるのに、答えをいきなり聞いちゃったら、つまらないじゃない!」

 

 推理小説において、いきなり解答編を読む人間はいないということなのだろうか。

 自分が考えている最中は答えを絶対に言うなと、そう念を押して。

 彼女はHRX-2型を率いて、とっとと歩きだした。

 

「……行きましょうか。こちらとしては、渡りに船です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十六戦——久しぶりだけど、初めまして~剣を使ってお話し合いを

 基地の中からラディスロウの中へ。
 かつて軍人だったフィオレも、このおおらかさには大分吃驚。
 それはそれとして、スタンのソーディアンだったディムロス・オリジナルとの腕試し。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポカーンと、見送ろうとしている一同を促し、フィオレは一人ハロルドに近寄った。

 HRX-2型がぎょろりと振り向くも、ハロルドによって行動を制している。

 

「そーそ、フィオレだっけ? あんた、ここであんまり帽子を取らないようにね。説明は必要かしら?」

「大変興味深いのですが、またの機会にお願いします。私達のことを紹介するにあたって、設定を詰めておきたいのですが」

 

 一同が距離を開けて歩いていることをいいことに、大まかに考えておいた考えを話す。

 下手をすれば未来に関わることを教えてしまうため、言葉を選んで慎重に話せば、ハロルドはふんふんと頷いた。

 

「オッケーわかった。説明を求められたらそう話しとくわ。で、連中は細かいことを知らないのね?」

「教えてもいいのですが、少々厄介な問題ですので……」

「ま、スジも通ってるしいいんじゃない? 問題は知らない連中が多すぎるってことだけど、些細なことだわ。私も考える手間が省けたし──」

 

 そうこうしている間に一同が追いつき、本部に向かう最中なんやかやと談笑が続く。

 その談笑でハロルドの人となりを理解、珍しく言い負かされそうになっているジューダスを眺めている内、ふと思い立った。

 

「そういえばハロルド。軍部における兵士の人事権は、どなたの担当で?」

「人事? 確かディムロスの奴じゃなかったかしら」

「ディムロスって、ディムロス・ティンバー中将のことですか?」

 

 ソーディアンに投射された人格しか知らないが、人となりはほぼ同じはずだ。

 実直だし生真面目で熱血漢、それゆえに頑固な一面を覗かせていた彼が生身を持っている。

 千年の時を経て性格が変わってしまったとかなら、他のソーディアンに指摘されるだろう。確かシャルティエがそうだったはず。

 しかしディムロスに限ってそんなことはなかったはずだから、つまり──

 

「フィオレ、知ってるの?」

「知ってるも何も。あなたのお父様が所持していたソーディアンの、人格の持ち主ですよ」

 

 要するに、ソーディアン・ディムロスのオリジナルだ。

 その事実に気付いて大興奮するカイルをロニに押し付けて、ひたすら不思議そうにしているハロルドに尋ねてみる。

 

「何が気になるのよ?」

「いきなり見ず知らずの私達を部下にするなんて、通りますか?」

「モメるのは確実だけど、気にしなくていいわ。無理やりねじこむから」

 

 自分がいなければ様々な計画がおじゃんになるから、心配せずとも要求は呑ませるとのこと。

 その物言いに極度の不安を覚えたフィオレは、とある策を彼女に提示した。

 モメて収拾がつかない状況に陥りそうになったら、腕試しを申し出てみてくれ、と。

 

「いいけど……あんた、ディムロスと決闘することになっても構わないっての?」

「決闘を申し込むつもりはありません。私が真に恐れているのは、リアラやナナリーが試しの場に立たされることです。そうなった場合も一応、考えてはありますが」

 

 兎にも角にも、行ってみなければわからないと。地上軍拠点における本部、ラディスロウへと赴いた。

 艦体の大半が雪に埋もれ、風変わりな建物にしか見えないラディスロウ内部へ一歩、足を踏み入れる。

 左右に見張りの兵士がいるとはいえ、厚手の布を垂らしただけの粗末な扉をくぐってフィオレは正直に驚いた。フィオレだけでなく、一同も反応は同じである。

 何故ならばその先は、長大なテーブルと壇上が据えられた大部屋に繋がっていたからだ。

 そして無人でなく、テーブル周囲に四人、壇上に一人の男性が顔を突き合わせている。

 皆一様にこちらを注視しているものの、見張りが止めなかったのが悪いのか、ラディスロウの造りに文句を言うべきだと、フィオレはこっそりそう思った。

 ハロルドといえば、注目を集めたことなど頓着せず。くるりと一同に向き直っている。

 

「ここが作戦会議室よ。ちょうど全員揃ってるみたいね」

 

 ハロルドいわく、壇上に立つ「偉そうなの」がリトラー総司令官、テーブルの順番でディムロス・ティンバー中将、ピエール・ド・シャルティエ少佐、イクティノス・マイナード少将、そして「兄貴」ことカーレル・ベルセリオス中将だという。

 最も彼女は階級やらファミリーネームやらは綺麗に略してしまっている。他の一同は各々の知識で捕捉するしかない。

 そこで。刺々しい声が飛来した。

 

「なんだハロルド? 会議中だぞ、あとにしろ」

 

 フィオレの常識から言わせてもらえば、軍事会議中に闖入しただけで不審者扱いされて斬り捨てられても文句は言えないというのに。ただ注意するだけという事態に驚きだ。

 大らかなのか、それだけハロルドが重要な存在なのか。多分、後者が該当する。

 飄々とした彼女を諭すのは、腰まで届く青髪に神格服にも似た軍服のディムロスだった。

 声を聞くのは初めてではないが、この声が直接鼓膜を揺さぶるのは不思議な感じしかしない。

 不機嫌そうに眉を歪ませるディムロスなどものともせず、ハロルドは本題を突きつけた。

 

「すぐ済むからちょっと待って。私の新しい部下よ、みんなよろしくね」

 

 いぶかしげな視線がそこかしこから飛んでくる中、自己紹介をしろとせっつかれ。並んでいる順に名を告げていくことにする。

 

「えっと、カイル・デュナミスです」

「同じく、ロニ・デュナミスだ」

「リアラと申します」

「ジューダスと名乗っている」

「ナナリー・フレッチさ」

「フィオレとお呼びください。よろしくお願いします」

 

 頭を下げたり会釈をしたり、何もしなかったりと様々だが、特に違いはなかっただろう。

 自己紹介し挨拶を終えても、ディムロス含め彼らの表情は曇ったままなのだから。

 

「新しい部下……? 誰の許可を得たんだ?」

「しかも、一般人の子供を? 何を考えているのです、ハロルド」

 

 主に一同を歓迎していないのは二人、ディムロスとイクティノスだ。

 他三人はこと反対もしていないが賛成の声もなく、事態の成り行きを見守っている様子。

 ほんの僅かではあったものの、イクティノスの声にも覚えはあった。

 薄い茶髪、長さはリアラほどか。その容姿は思った以上に線の細い優男である。情報将校にしてディムロスとは真逆に性格らしいが、意見が合う辺り眉つばなのだろうか。

 その二人に対して、ハロルドは問題ないとするかのように連れていたHRX-2型を招いた。

 

「私のHRX-2型を倒した、と言えば、納得してくれるでしょ?」

「ソレを、ですか? 見たところあまり傷は……」

「そうよ、すごいでしょ? ほとんど無傷で取り押さえちゃったんだから」

 

 イクティノスとディムロスに挟まれた金髪の青年──シャルティエに、ハロルドはフフン、と胸を張って見せた。

 ──シャルティエは、こんな顔をしていたのか。

 イクティノスとは違う意味での優男、こっちは化粧をして格好さえ整えてしまえば、女性として通じるだろう美形だ。

 しかし、居並ぶ一同に対して階級も低いせいか、その発言は重要視されなかった。

 

「しかし、一般人は一般人、子供は子供だ。認めるわけにはいかないな」

「ちょ、ちょっと待ってください! 子供子供って……」

「君は黙っていたまえ!」

 

 ディムロスの発言にとうとうカイルが口を開くも、一喝されて二の句を失くしている。

 しかし、ハロルドはどこ吹く風という姿勢を崩さない。

 

「ともかくそういうことだから、この子達は工兵隊に所属させるわ。工兵隊の人事権は、部隊長である私にあるはずよね?」

「認められん。全兵士の人事権は中将である私が握っている」

 

 かぶりを振って、ディムロスはハロルドの要求を却下した。

 これは彼女も想定済みなはずで、さてどのように言いくるめていくのやらと思いきや。

 

「あっそ。なら、私はこれから別行動を取るから。作戦も勝手にやってもらうことになるけど、それでもいいのね?」

 

 ド直球、脅迫をいただきました。

 これにはディムロスも不意を突かれたような面持ちになっている。

 

「おい、ハロルド! お前それは」

「言っておくけど、私は本気よ。我が工兵隊は常に人不足なのに、新しい人材もディムロスの許可が下りないとダメ? 冗談じゃないわ」

 

 ハロルドとは対照的に昏い赤の髪、長身、似ているにはかろうじて瞳の色というカーレルが妹の暴言を改めさせようとして失敗していた。

 彼女は身軽に兄の腕を逃れたのち、フィオレの後ろへ逃げ込んでいる。

 

「ディムロスの奴、思った以上に頭カチコチね。さぁて、どうしようかしら」

「どうしようかしらじゃありませんよ。発言許可を願います。よろしいですね、ハロルド」

「いいわよ。お手並み拝見ってね」

 

 肯定するハロルドをそのまま、困るカーレルもそのまま一歩前へ出る。

 カイルは黙らせられてしまったが、フィオレのその気はない。じろりと視線を受けて、フィオレは口を開いた。

 

「ハロルドの発言は脇に置いておくとして。認められないその理由をお聞かせください。一般人だから、子供だからという理由でしたら反論させていただきます」

「反論だと?」

「実力のほどはハロルドより証明していただけたと思います。早くこの戦争を終わらせたい、その思いは誰であれ同じであるはず。何故差別をなさるのですか?」

 

 ディムロスは石頭の持ち主かもしれないが、それゆえに真面目な性格であるはずだ。一方的な主張ではなく真摯に思いを訴えれば、多少は態度を軟化させるはず。

 ……どうでもいいが、背後に立つハロルドの視線が痛い。ないがしろにするなという意味だろうか。

 さておき、フィオレの目論み通り。彼は少なくとも高圧的に怒鳴りつけはしなかった。

 

「別に差別など……」

「戦闘技術を持ち、且つこの戦争を速やかに終結させたいと願っているのに、あなたは協力すらさせてくれない。こうして言葉を交わしていても、時間は無為に消費される。何かお有りなのでしょう? 私達の登用を認められない、決定的な理由が」

 

 などと形式的に尋ねてみるが、何が原因かなど見当はついている。

 しかしここは、ディムロスに言わせなければ話が進まない。数瞬の沈黙に耐えかねて、彼はじろりと一同を睥睨した。

 

「……ハロルドの証言を疑うわけではないが、実際HRX-2型にほとんど傷はついていない。君達がコレを倒したという確たる証拠がない以上、ハロルドの部下と認めるわけには」

「あらそう。じゃああんた、自分で試してみなさいよ。フィオレ、構わないわよね」

「あなたのお望みとあらば」

 

 ──そこから先は、ハロルドの独壇場だった。

 例の腕試しをするよう要求。そんな時間はないと突っぱねるディムロスを再び脅し、なんと彼の上司を味方につけてしまったのである。

 

「そこまでだ。ディムロス中将の意見は最もだが、君は登用を突っぱねた責任を取りたまえ」

「さっすが司令、話がわかる!」

「ハロルド! 総司令に向かってなんて口を……!」

 

 軽口が軍師をハラハラさせているものの、リトラーは全く気にしていない。

 この程度の言葉にいちいち構っていたら、精神が保たない気がする。

 

「会議は一時中断だ。シャルティエ少佐、演習場の人払いを頼む」

「は、はい!」

 

 シャルティエ少佐が脱兎の勢いで駆けだした直後、「さて行こうか」とリトラーは壇上を降り始めた。

 それを見たイクティノス少将がひっくり返るような声音を上げている。

 

「総司令、見学されるのですか?」

「うむ。どうせディムロス中将がいなければ会議は再開できないのだ。問題ないだろう」

 

 言い分はもっともだが、腰の軽い御仁である。ちょっと楽しそうなのは気のせいだろうか。

 

「ディムロス中将のことはハロルドから聞き及んでいると思う。最近は運動不足のようだから、手柔らかに頼む」

「──事故を招かぬよう、認めてくださるよう、努めたいと思います」

 

 居並ぶ面々の視線を一礼で返し、フィオレはハロルド率いる仲間達と共に移動を始めた。

 会議室にあるもう一方の扉から、ラディスロウ内部を移動する。その最中、カイルはスネたような呟きを洩らした。

 

「いいなあ、フィオレ。あのソーディアン・ディムロスのオリジナルに腕試しなんて……」

「私はかまいませんよ、交代しても。彼に傷ひとつつけることなく認められる自信があるなら」

「傷ひとつって、どういうことだい? 要は勝ちゃいいんだろ?」

 

 確かにそうかもしれないが、今回の場合それはナシだ。豪快なナナリーの意見を、ジューダスがばっさり切った。

 

「相手は突撃兵と名高い中将だ。下手に怪我をさせて、今後に影響なんぞ出してみろ。僕達とて、常に歴史を変えてしまう可能性が……」

「その前にフィオレ、ディムロスさんを認めさせるって……大丈夫なの?」

「例え駄目でも、私がどうにかするからいいわよ。さぁーって、データ収集データ収集♪」

 

 どちらかというと、フィオレは鼻歌奏でてあちこちに寄ってはHRX-2型に変な機材を担がせるハロルドが不安だった。一体何に使用するのだろう。

 そうこうしている間に、ラディスロウ内にある演習場へと案内される。

 

「ここが演習場よ。普段は兵士がごちゃごちゃいるけど、今は人払いしてあるからね。思い切り戦っちゃっていいわよ」

「遅いぞハロルド。何を道草くっているんだ」

 

 すでに到着していたディムロスがいらいらと怒鳴るも、彼女はまったく意に解さなかった。ごめんごめん、と軽く声をかけて、鼻歌を歌いながら演習場の隅でてきぱきと機材を組んでいる。

 そんな彼女の姿に数人がため息をついているものの、もう少し頑張ってほしいところだ。少なくとも戦争が終わるまでは。

 だだっ広い、という程ではないが、確かに演習場にはそれなりの広さがあった。兵士が訓練を行うにあたっては充分な広さでも、ハロルドの戦闘兵器試運転には若干の不安が残る程度には。

 鎧の類は着けておらず、先程までなかった剣帯を巻いて佇むディムロスは、明らかに不機嫌だった。運動不足とか言っていたが、まがりなりにも中将。後に天上王ミクトランを下す人間なのだ。

 フィオレが本気で挑んでも──殺す気で立ち合っても、やり過ぎということはないだろう。

 紫水を仲間達に預けて、軽く体をほぐす。

 整理運動で適度に体を温めた後に、二人の様子を眺めていたリトラーが、不意にディムロスへ話しかけた。

 

「中将。君はしなくていいのかね」

「必要ありません」

 

 余裕綽々である。兵士がいないとはいえ中将の矜持か、それとも面倒くさいだけか。

 フィオレにとっては舐められた分だけ好都合だが、防御だけは失敗しないでほしい。

 

「フィオレ、武器は?」

「演習用のを借ります」

 

 演習場だけあって、壁際には木剣や先を丸めた槍など、種々多様な武具が並んでいる。

 その頃、機材の準備を整えたらしいハロルドがてくてくとやってきた。

 

「先に言っておこう。顔を隠した人間の登用なぞ何があろうと認められな「そんなら、ディムロスがフィオレの帽子を落としたら決着ね。それまでに認めるかどうか判断して頂戴」

 

 どちらかが参ったと言えば終了、特に反則事項はなし。危険行為は自粛。フィオレはとにかく認められることに集中すること。勝敗は特につけないと、ハロルドによって事項が挙げられていく。

 

「あ、審判は兄貴がやってね。私は忙しいから」

 

 一方的にそれを告げると、小走りに機材の元へ戻っていってしまう。

 誰一人として反論する者がいないのは、ハロルドがハロルドであるが所以か。

 

「では、よろしくお願いします」

 

 とりあえずという感覚で適当な木剣を取り、ディムロスに一礼する。彼は鼻を鳴らしただけで微動だにしない。

 しかし、この不機嫌具合を差し引いても大らかで人を食ったような、いわゆるフィオレの知るディムロスの人物像は浮かんでこない。

 この場にアトワイトがいないことと何か関係があるのか──

 それを考えてふと、フィオレはあの会議室における違和感に気付いてしまった。

 あの部屋にクレメンテがいない──最高幹部であるラヴィル・クレメンテの姿がどこにもなかったこと。

 考えれば考えた分だけ、可能性は存在する。この世界に未だエルレインの手が及んでいないことを祈るしかなかった。

 一方で、審判を押し付けられたカーレルは妹の趣味に付き合うつもりはない様子。彼女の様子に気を配るでもなく、ため息交じりに片手を上げたかと思うと、そのまま宣言した。

 

「二人とも、構わないね。では、はじめ」

 

 予想通り、ディムロスから仕掛けてくる気配はない。それを利用して、フィオレは軽くステップを踏んだ。

 相手からは間合いを取る形となる。

 

「認めて頂くことが目的である以上、中将殿にはいくつかアピールしていこうかと思います」

 

 とはいえ、全てアピールしている時間はない。ここは交戦技術に特化し、不機嫌な相手を刺激しないよう手早く済ませるべきか。

 ディムロスの所作に注意しながら、フィオレは一息で間合いを詰めた。

 

「!」

「ひとつ。私は、勝つためにどのような手段も選びません」

 

 刺突と見せかけ、木剣を薙ぐ。迎撃せんとするディムロスの動きに合わせて、そのまま木剣を投げ捨てた。

 武器を取り落としたら負け、と言われていたら使えない手段だが、今回は有効である。

 思いもよらない行動に、だろう。ディムロスの視線は流れたまま、フィオレからは外れている。

 その隙に、フィオレは木製の短剣で彼の脇腹を軽く突いた。もし本物であれば、ここで何もかもが終わっていたことだろう。

 

「ふたつ。私は素手での戦いを心得ています」

 

 振るわれた斬撃を回避し、間合いを格闘可能な範囲へと詰めていく。技術はともかくとして体格差から通じるわけがないと思われたが、意表を突くなら充分だ。

 牽制目的と思われる斬撃、幅広の剣の面を払って真横へ流す。懐へ蹴打を入れては離れ、横合いから掌底を打ち込んだ。

 当然ながらきちんと手心を加えている。あくまでアピールなのだから、ダメージを入れる必要はない。

 反撃の刺突を白羽取りで受け、すぐさま解放。再び間合いを取る。

 

「みっつ。大抵の武器でしたら、扱えます。槍でも弓でも、振り回してみせましょう」

 

 先程放り投げた木剣を回収、切っ先をディムロスへと向ける。彼は黙考のち、何も答えぬままに手招きをひとつした。

 剣の腕を所望と判断し、一直線にディムロスへと迫る。

 彼の得物が幅広の両手剣に対し、フィオレは片手剣を模した木剣だ。下手を打たずとも正面からやりあえば木剣は寸断される。片手剣の良さを生かし、手数で攻めるに越したことはない。

 それでも、一撃入れるのは少し戸惑ってしまうが……

 

「どうした。威勢はよくとも、当てねば意味はないぞ」

 

 それを見抜かれたか否か、片手剣をいなしながらもディムロスが指摘してくる。声音から険が取れているようだが、何かあったのだろうか。

 とはいえ、機嫌が直っているならば何よりだ。フィオレは遠慮なく身を沈め、彼の脛を木剣で突いた。

 

「いっ……!」

「大丈夫ですか?」

 

 危険行為は自粛とあったが、まさか向こう脛をつついたくらいで抵触はしないだろう。

 ディムロスは憮然とした顔をしているが、痛みに耐えているように見えなくもない。

 

「嘘は、言っていないようだが。ならば他の武器の扱いも見せてもらおうか」

 

 首肯して木剣を返還し、今度は槍を取りだす。

 本来穂先がついている場所には、穂先相当の重りと丸めた布が取りつけられていた。

 くるりと回して重さを確かめ、ディムロスと相対し小脇に手挟む。

 

「参ります」

 

 今度は無理に押し込む必要などはない。槍の間合いではあるが両手剣の間合いから遥か外より悠然と仕掛けた。

 無論相手もそれは承知のことで、ほんの僅かな大振り攻撃を見切り、あっさり懐へと潜り込んでくる。迫るディムロスとその得物から紙一重で逃れて、フィオレはその場でゆっくりと回転した。

 引き戻した槍の中央を持っていたため、やり過ごしたディムロスの後頭部に本来の穂先部位がこつんと当たる。

 それには気付いているようだが、ディムロスの追撃はやまない。

 槍を寸断せんとする斬撃から逃れるように一歩下がれば、もちろん彼も追いすがる。

 その瞬間、フィオレは下がりかけていた足を前へと踏み出した。

 

「!」

 

 槍を片手に持ち替え、石突を跳ね上げると見せかけて上段より打ち据える。下から上から、続く打ち払いの連続攻撃に彼はたまらず後退した。

 

「……今のは、槍ではなく棍の扱いだな」

「槍は接近されれば一貫の終わりですので、棍術に切り替えさせていただきました」

 

 次は大剣を使ってみてくれと促され。フィオレが首肯しかけた、その時のこと。

 

「やり直しを要求するわ!」

 

 もはや腕試しとは思えない和やかな空気の中、ハロルドの甲高い苦情が響く。

 見やれば、彼女は己の髪をイラついたようにかき混ぜて、機材をなにやら弄っていた。

 

「何ボーッとしてんの、ホラ仕切り直して! 兄貴が変なタイミングで始めるから、全然上手く撮れなかったじゃない!」

「……撮る?」

 

 ディムロスに一言断ってハロルドの元へと寄れば、何を言うでもなく彼女はそれを見せてくれた。

 それはレアルタにて見た投影機と同じく、小さな画面の中で先程の光景が繰り返されている。

 しかし、初めに映っているのは床。それから剣を交える二人が映るものの、立ち位置も何もかもが目まぐるしく動き回るため、画面が追いついていない。フレームアウト、インを幾度も繰り返している。

 

 なにコレどゆこと。

 

 絶句してそれに見入るフィオレに、ハロルドはこっそり囁いてきた。

 

「もう心配ないみたいだけど、あんまり時間かけてほしくないわ。バシッと決められない?」

「それは中将が決めることで私にはどうにも……これは後で全部消してくださいね」

 

 ハロルドのデータ収集に興味を持ったらしい一同に、特にジューダスにこのことは任せるとして、フィオレは再びディムロスと対峙した。

 その手に木製の大剣を携えて。

 

「扱えるかね?」

「大言を吐いた直後ですので。格好つけさせてくださいな」

 

 木製とはいえ、大剣は重量という点で扱いかねる。が、持ち上げられないほどでなければ何とかならないことはなかった。

 構えることが出来ないので剣ではなくて鈍器のように扱うことになるが。

 

「はっ!」

 

 気合一閃、重さに任せた一撃を遠慮なく見舞う。

 このサイズの木剣なら、鋼の両手剣とぶつかったところで寸断はされない。それどころか、相手の得物を破壊できるかもしれないという利点があった。

 もっとも、彼は切りかかられた時点でさっさと回避に専念しているが。

 目標から逃げられた大剣は無論寸止めなどできず、床に直撃する。その瞬間に、ディムロスは攻勢に転じていた。

 ──どうやら、運動不足というのは本当のことのようだ。

 中将という立場でありながら率先して敵陣へ切りこむという男の攻撃は確かに凄まじかった。

 力強い攻撃、的確な狙い、キレのある動き。

 しかし、その所作ひとつひとつはフィオレにとって非常に親和性が高く、従って見切るのがたやすかった。

 不慣れな大剣でなかったら、勝負をつけることも容易なほどに。

 親和性は、他でもない。スタンとの組手における剣戟、あれに酷似していた。

 彼の上位変換というか、スタンの闘い方をより洗練させ癖をなくしたら、こんな感じになるだろう。

 郷愁に似た想い、そしてドス黒い感情が胸裏をよぎる。

 ロニの悪夢だっただろうか、スタンは、あの男に──

 

「ちょっとちょっと、何やってるのよ。本気でやんなさい!」

「申し訳ありませんが、私が本気を出すのは相手の命を頂く場合に限ります」

 

 ハロルドの野次で我に返る。フィオレにとって本気とは、出そうと思ってなかなか出せるものではない。

 相手の殺気に触れて己が生存本能を引きだされるとき。あるいは自身の感情が高ぶって殺傷するべきとの欲望に負けたとき。

 ただし、本気と真剣は違うものとフィオレは解釈している。今に至るまで、フィオレは真剣に交戦していたつもりだ。

 ハロルドは外野だからわからないだろうが、ディムロスには通じているものと確信している。その証拠に、彼からその手の野次はない。

 見ようによっては、捌くのに集中しきっているようにも見えるが、それはないだろう。

 振り上げるにも振り下ろすにも予備動作がかかる剣戟に苦戦など、雑兵ならともかく彼ではありえない。

 

「はぁっ!」

 

 大剣による打ち込みを強引に払いのけ、剣先がえぐるような鋭さをもってフィオレに迫る。

 ここいらが潮時かと、フィオレは迎撃するでもなく回避に専念した。

 

「隙あり!」

 

 剣先が翻ったかと思うと、えぐるような突きが軌道を逸れ逆袈裟の形に変化して迫る。

 上体を逸らして剣先からは逃れるものの、キャスケットのツバがひっかかり高々と飛ばされてしまった。

 

「ばか、何やっ「落としたら終了でしたっけ」

 

 ならばまだ終わりではない。帽子は宙にあるのだから。

 くるくると回転しながら空中遊泳を終えたキャスケットの落下点を見出し、その位置へ移動。

 少しでも立ち回りをすれば意味はないが、それでもその場でディムロスを迎え撃つ。

 そのつもりでいて、ディムロスを見て。フィオレは眼を瞬かせた。

 端正な顔立ちを彩る切れ長の瞳が、これ以上ないくらい見開かれている。

 追撃を仕掛けようとしていたらしい腕がだらんと弛緩し、その手は両手剣を取り落としかねない状態だ。

 驚きと困惑がないまぜになった──まるで幽霊でも見たかのような顔つきだった。

 ちょうどその時、ぽすんと音をたててキャスケットが脳天に落下する。

 それを片手で直した時、まるで呪縛が解かれたかのようにディムロスが怒鳴った。

 

「ハロルド、どういうことだ! 説明しろ!」

「説明? してもいいけど、まずはこっちを終わらせないと。ほらフィオレチャンスよ! やっちゃいなさい!」

 

 うろたえるディムロス、すっとぼけるハロルド、板挟みのフィオレ、ついていけない一同。

 しかしこの件に関してはあっという間に決着がついた。

 

「……彼らを地上軍の正式な兵士として登用を認める。これで満足か」

「満足も満足、だ~い満足よ。データも採れた、人員も増やせた。こんなことなら帽子禁止のほうが早かっ「ハロルド!」

 

 彼女を途切れさせたのは、ディムロスではなくフィオレの、非難をにじませた声だ。

 いぶかしげにしている彼女の視線を受け、我に返ってコホンと咳をする。

 

「説明責任を果たしてください。我々も同行するべきですか?」

「いらないわ。私がサクッと説明しとくから、ラディスロウの見学でもしてて。終わったら呼ぶから」

 

 ハロルドを先頭に上層陣がぞろぞろと移動を始め、入れ替わるように軍服を着た兵士達が彼らに敬礼を送った後に続々と演習場へ入っていく。

 邪魔になるから出よう、と一同を促して出たところで、先程見たばかりの顔を見た。

 

「シャルティエ、少佐?」

「名前覚えてくれたんだ。感激だなあ」

 

 覚えていたというか、もともと知っていたというか。そんな裏事情など露知らず、ピエール・ド・シャルティエ少佐は柔らかくはにかんだ。

 何の用かと思えば、ハロルドからの伝言だという。

 

「会議さえなければ僕が案内してあげたいけど、そうもいかないから、これ。ラディスロウ内で見とがめられたら、提示しろってさ」

 

 渡されたのは先程までハロルドが携えていた杖──ワンドに類する手首から肘程度の長さの代物だ。

 先端には月をモチーフにしたプレートと拳サイズのレンズがあしらわれている。

 

「これを見せて、工兵隊の人間だって言えば大丈夫だから。じゃ、また後でね!」

 

 そう言い残し、彼はパタパタと足早に駆け去った。

 彼女がレンズを所持しているということは、もうすぐ晶術が体系化されるのだろうか。

 あるいはソーディアンに付随する晶術を、自らを実験台に作ろうとしているのか。

 どちらにせよ好都合なことである。彼女の下ならば、晶術実験の被験者だと言い訳できるのだから。

 

「せっかくだから見て回りましょうか。ここでじっとしていても……カイル?」

「ねえフィオレ、さっきの何だったの?」

「そうだよ、ディムロスさんだけじゃない。あのシャルティエって人以外、フィオレの顔見たら固まっちゃって……」

 

 先程はディムロスの顔しか見ていなかったが、他の……シャルティエ以外の人々も反応していたらしい。

 フィオレとしては、地上分上層部が軒並みこの顔に覚えがあることに驚きだ。珍しい瞳だから印象に残っているのだろうか。

 

『シャルティエは何か……知りませんよね。さっきも一人だけ反応していなかったようですから』

『……えーとね、フィオレ。この時の僕は知らないんだけど、かつてこの地上軍には君と同じ眼──「魔眼」を持つ人間がいたんだ』

「「!?」」

 

 驚いたような顔でシャルティエを見やったのはジューダス、そしてカイルだった。

 最もカイルはシャルティエの声を初めて聞いたような面持ちで、周囲をきょろきょろと見回している。

 

「な、何、今の声!?」

「声?」

「別に何も聞こえなかったけどな……」

 

 どうやらカイル以外にソーディアンの声は聞こえないようで、反応は薄い。カイルをフォローするように、ジューダスはマントの下から黒布の包みを取り出した。

 

「なるほど、カイルにも聞こえるんですね」

「お前が今聞いたのはソーディアンの声だ。それでシャル、魔眼を持った人間とはどういうことだ」

 

 人目があるにつき包みは解いていないものの、ジューダスはそのまま話しかけてしまっている。

 おそらくはカイルのためだろうが、何のために指環を渡したのかわからない光景だ。

 

『そのままです。所属は衛生兵──アトワイトの部下でしたね。そしてソーディアンチームに選ばれた適性者でもありました。彼女は、僕の前任者だったんです』

「……それは、彼女がいなくなったから、ソーディアンチームにあなたがいるということですか?」

『そうなる。もともとアトワイトが得意とする回復・支援系の晶術は本来彼女が担当するはずだったんだよ。彼女は衛生兵で戦えないから、その分支援に徹すれば皆戦いに集中できるって』

 

 シャルティエは、彼女がいなくなった原因を話さぬままに自分が抜擢されたことを語った。

 アトワイトが水属性を含む回復・支援系を担当することになり、シャルティエは新たな属性の晶術を担当することになったのだという。

 しかしここで疑問が残る。

 

『それ、大分効率悪くないですか? 元々アトワイトはクレメンテの主治医だから、ソーディアンチームに随行することになったのでしょう?』

『アトワイトの適性が予想以上に高かったんだよ。これなら回復は他の人間に任せて、晶術での援護を期待できるくらい』

 

 当時、「魔眼の持ち主」かシャルティエか。ソーディアンチームにするのはどちらかと日々議論が繰り広げられた中、アトワイトによる強い推薦と衛生兵としての実績によって彼女に決定したそうな。

 

『アトワイトに支援が任せられた理由は、彼女より僕は剣が使えたからって言ってたな。まぁ、僕が知ったのは戦争が終わってからだから、今はまだ何も知らないんだけどね』

「それでシャル。何故魔眼の持ち主は地上軍から去った? 衛生兵だったんだろう、戦いに巻き込まれたか……」

『──処刑された、という話です。身内に軍人がいたんですが、そいつが天上側に裏切って。最高機密漏えいはなんとか食い止めたけれど、死傷者は甚大、残された遺族の感情を考慮し、責任はその血縁に及ぶことになった……と』

 

 その裏切った人間が、あのバルバトスということなのか。

 概要こそ知っていたものの、当事者の話を聞くとまた生々しい。

 

「つまるところ、私の眼は見忘れぬものだから皆さん戸惑っていらっしゃったと、そういうことみたいですね」

 

 知らないのか話したくないのか、シャルティエの話からバルバトスの名は出なかった。

 出来れば皆には知らずにいてほしいが、それは今後の展開による。

 シャルティエの声を聞けない面々のために、語られた内容をしどろもどろ話すカイルにジューダスが捕捉を入れ、ようやく経緯が一同にも伝わる。

 

「身内の裏切りで家族が、それもソーディアンチームに選ばれるような人が処刑か……やるせねえなあ」

「普通に考えたらとんでもない話だよ。でも家族を殺された連中からすれば、誰かのせいにしなきゃ気が済まなかったんだろうね」

 

 なんとなくしんみりとした空気のまま、一同はラディスロウ内部の見学を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十七戦——とある軍人の公開処刑記録~新兵にこんなもん見せんな

 ラディスロウ内、色々。
 どんな組織内でも、偉い人にいきなり連れてこられて、我が物顔でのし歩かれたらいい気分にゃなれませんよね。
 それが、その道のエキスパートだというならともかく、そうじゃないなら尚更。いぢわるのひとつもしたくなるのでしょう。たぶん。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、幾度となく見慣れない一同の徘徊は見咎められるも、ハロルドの杖は何と言うか、最強だった。

 それを見せた瞬間大概の人間が怯み、見学中の一同に様々なことを教えてくれる。

 

「ラディスロウは戦艦じゃなくて輸送艦なんだよ。だから、火砲や武装の類は一切ないんだ」

「あっち食堂、そっちが兵卒用の仮眠室だよ。あ、奥の扉が手洗いな」

 

 情報通信科、工学科、衛生科など区域までは入れなかったものの、救護室など主だった施設の把握はすませた。

 もう悪戯にうろつくのはやめて、作戦会議室付近で待機していようと移動しかけた、その矢先。

 

「おおい新入り達! 機材保管室は知ってるか?」

 

 先程不審者を見る目で一同に声をかけ、ハロルドの杖を見てそそくさと去った軍服の男性が廊下を走りながら再び現れた。

 確か、ハーセル伍長とか呼ばれていたか。

 

「先程お見かけしましたが、歩哨の方に見学を断られました」

「せっかくだから見せてやるよ。ついてきな」

 

 仕事しろ、と言いかけて新入りが言うことでないかと従っておく。

 彼の手招くまま入った先には、何に使うかもわからない機材がところ狭しと並んでいた。

 とはいえ、ここは演習場へ赴く際ハロルドが寄り道した場所。特に目新しくはない。

 しかしハーセル伍長は一同に何か見せたいものがあったらしく、奥の方まで入り込んで何やら探している。

 

「ふう、あったあった」

「何がですか?」

 

 彼が持ち出してきたのは、一見して何に使うかわからない機材だ。その機材を床に下ろしたかと思うと、その場で設置を始めた。

 

「こいつは投射機といってだな。ある種の記憶媒体に収められた映像を投影させることができる」

「記録媒体……?」

「情報を記録、保存しておくことのできる装置のことですね。私達に何かお見せくださるので?」

「──ベルセリオス博士の杖を持ってるくらいだ。工兵隊に所属するんだろ? 上司がどんな人間なのか、教えてやろうと思ってな」

 

 ということは、彼女にとって都合の悪い映像記録か。

 実験を失敗させて研究室を全壊したとか、戦闘兵器を暴走させて死傷者を出したとか、試作のロケットエンジンで飛行実験をしたら空中大爆発が発生したとか、ろくでもないものだろうとは想像ついた。

 ハーセル伍長によって照明が落とされ、真っ暗になった機材保管室において、映像が投射される。そこまでは、レアルタで見たものと同じだ。

 ナレーションは入っておらず、おそらくは携帯可能な記録装置で誰かが撮影しているのだろう。

 写された光景は、地上軍拠点の景色やラディスロウの片鱗が垣間見える広場だ。位置からして、ラディスロウの裏手かどこかか。

 広場中央には一本の柱が立っている。それを遠巻きに見守るように、あるいは敬遠するように人だかりがあった。

 

「……公開処刑か何かですか?」

「しょ、処刑!?」

「見物人がいて、それらしきモノを遠巻きに眺めているな。銃刑か火刑か……絞首ではなさそうだが」

 

 淡々と映像の正体を推測するフィオレとジューダス、処刑と聞いていい顔はできない他四人。

 彼らの反応を見て、ハーセル伍長は無精ひげの伸びた顎を軽くかいた。

 

「へえ、単なる一般人あがりじゃないのな。そう、これはとある軍人を公開処刑した際の記録だ。処刑されたのはフィオリオ・ゲーティア。罪状は縁座だ」

「縁座?」

「身内の犯した罪を、親族にも償わせることです。大抵は謀反や反逆者の家族に適応されると聞きますが」

 

 誰もが先程の話を思い出して戦慄する中、映像内ではちゃくちゃくと事が進んでいた。

 それまで一般人しかいなかった広場に、軍服姿がちらほらと現れ始め、幹部達も続々と姿を現し始める。

 やがて人々のどよめきが聞こえてきたかと思うと、映像は手押し車を押すハロルドの姿が映し出された。

 それまで柱に藁束を積み上げていた兵士が、きょとんとそれを眺めている。

 手押し車からは二本ほど、棒きれのようなものがはみ出していた。

 映像が徐々に拡大され、撮影者自身のものらしい呻きが響く。

 はみ出ていたもの、それは軍靴に包まれた二本の脚だった。手押し車の中には、軍服を着た人間が無造作に積み込まれていたのである。

 

〔ハロルド君、これは……〕

〔火刑は変更、生き埋めにしましょ。どうせ死ぬんだからって色々試したら、ちょっとヤバいことになっちゃって。自分じゃ動けないし、下手に触って何かに感染しても嫌でしょ? 生き埋めならこのまま穴の中に放り込むだけだし〕

 

 リトラー総司令の一言に、ハロルドは普段と何ら変わらない様子でけろりと告げる。

 民衆はざわざわと落ち着かない中、急遽兵士達による穴掘りが始まった。

 雪がかきわけられ、湿った土が掘り返される。人一人が這いあがれないほどの穴が完成したそのとき、ハロルドは。

 手押し車を、蹴倒した。

 結構な音を立てて、一輪の手押し車は傾き積み込まれていた人間が放り出される。

 脱力しきった軍服姿が、無防備に奈落の底を転がった。即座に掘り返されたばかりの土がかかるも、その顔は隠し切れていない。

 

「!」

 

 見開かれ、虚空を見つめる色違いの瞳。端正な顔立ちは硬直しきっており、土をかけられても反応がなかった。

 どんどん放り込まれる土によって姿は覆われていく。最後の最期まで、軍人は抵抗どころか身動きひとつしなかった。

 

〔反逆者バルバトス・ゲーティアの縁者フィオリオ・ゲーティアは処刑された。この場の皆が、その証人じゃ。あのような惨事が二度と起こらぬよう、悲劇が繰り返されぬよう、上層部はこの事例に関して緘口令を敷くものとする……〕

「ばっ、バルバトスだってぇ!?」

「あら、知ってるの?」

 

 これまでいなかったはずの声を耳にして、一同は揃って背後を振り向いている。

 映像がクレメンテによる悲痛なコメントで締められているのを確認して振り向けば、機材保管室の扉が開け放たれ、機材と共に佇むハロルドがいた。

 

「ハロルド……」

「クレメンテじーさんの言葉を聞いていなかったの、伍長? あの事変に関しては口外が禁じられてるハズだけど」

「誤解してもらっちゃ困る。オレはこういった機材もあるんだと新入りに教えていただけだ。あの事変に関しては何も話していない」

 

 白々しいハーセル伍長の言葉を「あっそ」の一言で流し、ハロルドは投射機を指した。

 何が上映されていたかは察しているだろうに、これといって表情に変化はない。

 

「これ、借りるから。あんた達運ぶの手伝って」

「で、でもハロルド……」

「あんた達の聞きたいことなんてわかりきってるから。だから早く動く」

「わかりました。ではまず、こちらをお返ししますね」

 

 シャルティエ少佐から通じて渡された杖を返し、映像を投射する際ハーセル伍長が触れていた辺りに手を伸ばす。

 小さな突起を押し込むと、傍のスリットから何やら平たいモノが射出された。

 直径六センチ、魔物などが落とすものと変わらないレンズに見える。

 

「これに、あの映像が保存されていたのですか?」

「普通のレンズと変わらないものだけど、ある機材を使うと映像資料の保存が可能になるの。興味があるなら後で原理を教えたげる」

 

 とりあえずレンズの保管者と思しきハーセル伍長に返そうとして、ハロルドにひったくられた。

 当然文句をつけようとした伍長に、ハロルドは冷ややかな視線を向けている。

 

「にしても悪趣味ね。人んとこの新兵に死刑記録を見せるなんて。誰の処刑を見せたのか気になるから借りてくわ。それじゃ」

 

 瞬く間に機材をまとめたハロルドが撮影機一式をロニに押し付けてとっとと立ち去る。

 慌てて一同がそれを追うのを確認して、彼女は迷いなくレンズ工学科の区域に足を踏み入れた。

 いくつもの扉を過ぎ、突きあたりの扉の前にハロルドが立てば、会議室の扉と同じく自動的に扉が開かれる。

 奥まった場所といえば聞こえはいいが、不測の事態が起こっても被害が少ないよう閑散とした場所なのかもしれない。

 

「ここが、私の研究室よ」

 

 部屋を兼ねているのか研究室を兼ねているのか、研究には到底関係ないような私物がところ狭しと溢れていた。

 そもそも、彼女に研究と趣味の境があるのかどうか。

 

「ほら、突っ立ってないで入った入った」

 

 妙に少女趣味な寝台を見やっていたところで部屋の主にせかされて入室する。

 全員が入ったところで、扉は自動的に閉まった。

 総勢七人が入っても、特に狭いとは感じない。私室兼ラボにするから広い部屋をぶんどったのか、あるいはもともと二部屋だったのをぶち抜いたのか。

 

「その機材は隅に置いてね。それであんたら、何を見せられたわけ?」

「え、ええと……「とある軍人の公開処刑記録です。火刑に処せられるはずが、あなたの一言で生き埋めに変更されていました」

 

 言い淀むカイルを尻目に、フィオレはさらりと言い放った。

 ハロルドがつぶらな瞳でまじまじと見つめてくるものの、たじろぐフィオレではない。

 

「なんか聞きたいこととか、ないわけ?」

「あの死刑囚、もう死んでましたね。縁座なんでしょう? 恨みを買っているなら木端微塵にするとか、ばらばらにするとか、派手にすればしただけ遺族は納まったでしょうに」

 

 何故そうしなかったのかを尋ねれば、ハロルドは頭痛でも引き起こしたかのように頭を抱えた。

 彼女に関わる人間のほとんどがそうしているだろうに、彼女自身がそれをするとはなかなか新鮮だ。

 

「あんた、私のこと鬼畜か何かと勘違いしてない?」

「違うのですか、泣く子も黙る天才科学者様。様々な実験で大勢を犠牲にしている割に、親しい間柄の人間は別物なのですね」

 

 これはフィオレの偏見なのだろうが、科学者という生き物は基本合理的な思考の持ち主だ。興味を持った対象に、恐れるどころか遠慮など覚えない。

 

「──なんですって?」

「死刑囚と個人的な付き合いがあったでしょう。虹彩異色症……魔眼を持つ人間の構造に、興味を覚えぬあなたではないはず」

 

 ソーディアンの適性者だったということは、ハロルドとの関連がなかったわけがない。

 この時代であろうと、この眼は珍しいはずだ。純粋な好奇心を覚えたハロルドが彼女に近づき、そこから個人的な繋がりができた。

 決して無理のある推測ではない。

 その証拠として、ハロルドは不意に視線を下げたかと思うと、大きなため息をついた。

 

「──全ッ然、似てない。私のフィオリオはもっと可愛げがあって、考えの至らない、見た目も中身ももっと女の子らしかった」

「そうですか、私は一切が異なる他人です。共通点が見出せなくてがっかりされても」

「そうよねえ、あんた未来人だし。まあ、失礼したわ」

 

 意外なほどあっさりと自分の非を認めて。ハロルドは勢いよく寝台に腰を下ろした。

 小柄な上細い体型につき、クッションから軽く空気が漏れただけでスプリングの悲鳴のひの字もない。

 

「そーそ。ところであんた達、バルバトスを知ってるの?」

「知ってるも何も……!」

「根深い因縁、それも敵対的なものがある。未来の事情の一切を伏せるなら言えるのはそれだけだ」

 

 ジューダスによる、大まかにもほどがあるその説明でも、ハロルドは納得したように頷いた。

 未来の事柄について一切隠匿するよう言ったのは彼女だ。意外に思うまでもなく当然のことである。

 

「ふぅん……先に言っとくけど、あいつはもう死んでるわよ」

「え?」

「地上軍の兵士だったんだけど、何をトチ狂ったのか天上側に寝返ったの。地上軍の最高機密を手土産にね」

 

 彼女の話は、先程シャルティエに語られた内容と一致した。

 言葉をなくして聞きいる一同に、やがてとどめの一言が下される。

 

「何とか食い止めようとして、天上軍そっちのけで大きな戦いがあったのよ。共同墓地に隙間がなくなるくらいのね。そんなんだったから本人を処刑しても遺族がぜーんぜん納得してくれなくてね。行き場のない感情の矛先があの子に向いて、結果としてあーいうことになったわ」

「でも、それってまさか」

「フィオリオ・ゲーティアはバルバトスの妹よ。血は繋がってないけどね」

 

 思いのほか早々に明かされた事実に、一同が戸惑っている。その中で、フィオレはただ一人納得していた。

 

「死んだ人間にして、最悪の裏切り者の妹ですか。それは忘れられませんね」

「ついでに、この天才科学者様のお気に入り、よ。あの子の血縁か親戚の子孫か何か知らないけど、誇りに思いなさい」

 

 ごめん、それむり。

 

 内心でそれを呟き、フィオレはただ小さく息を吐き出した。

 

「人を人とも思わない伝説を数多く残したあなたに、そうまで言わせる人間がいたとはね」

「伝聞ってのはえてして歪むようにできてんの。知らないわけじゃないでしょ?」

 

 いちいちごもっともな話である。

 フィオレが納得の意を示したことで一同の総意と判断したのか。ハロルドは気を取り直したように話を進めようとした。

 

「そうそ。で、今後のことだけど」

「ま、待った! 何か立て続けに色々わかって、混乱してきたんだけど……」

「バルバトスの正体は、地上軍の兵士でした。彼には血のつながらない妹がいたそうですが、彼女は私にそっくりだったそうです。まとめると、こうでしょうか」

 

 慌てるカイルにフィオレが淡々と判明した事実を要約する。

 それまで何も知らなかった一同が戸惑うのは仕方のないことだが、フィオレにとっては文献と聞かされた話の真偽を確かめたに過ぎない。

 しかし、それが逆にいけなかったようだ。

 

「……バルバトスのことは置いといてだ。お前はなんでそう冷静でいられる」

 

 フィオレの態度に疑問を抱いたらしいジューダスが、矛先を向けてきた。

 いつからこんな詮索好きになったんだろうと脳裏をかすめるも、声には出さない。あの毒舌はなかなか、心に刺さるものがあったから。

 

「テンパって事実が覆るものなら、いくらでも慌ててみせましょう」

「そういう話をしているんじゃない。どうせお前のことだ。英雄門あたりでバルバトスの正体を調べたんだろう」

 

 普段のことだが、ジューダスの記憶力には脱帽するしかない。

 だが、それだけ昔のことを覚えていられるなら、このくらいのことも察してほしかった。

 

「どうして……」

「教えてどうにかなるものではなかったでしょう。この情報を共有しても、何も意味が見出せなかったから、です」

 

 聡明の部類に明らかに入っていながら、時折当たり前のことを尋ねるジューダスがいまいち理解できない。

 そうして彼を、一同を黙らせたところでハロルドに話を振った。

 

「して、今後とは?」

「ああ、それなんだけど……ちょっと厄介なことになりそうなのよねえ」

 

 憂鬱そうに眉根を寄せるハロルドに詳細を尋ねれば、詳しいことは会議室で話されるという。

 その時点で嫌な予感を覚えつつも、彼女の後について移動を始めた。

 

「ところで、あなたは何も聞かずともよろしいので?」

「そうね……バルバトスの特徴を言ってみてくれる?」

 

 地上軍兵士であったバルバトスと、一同と因縁浅からぬバルバトスが同一人物であるかを疑問に思ったのだろうか。

 フィオレが挙げたバルバトスの特徴を聞いて、彼女はふむふむと頷いた。

 

「同姓同名の別人ではなさそうね。じゃあ次、あんたの眼は生まれつきなの? 薬の副作用とか、まさか義眼てことはないわよね?」

「私が知り得る限りでは生まれつきですね。そういう意味では、双親からの贈り物でしょうか」

 

 などと雑談を交わしてラディスロウ内を歩き、作戦会議室前へと辿りついた。

 ノックもなしにハロルドが先頭で入室すれば、初めて足を踏み入れた際と同じく地上軍の幹部達が揃っている。しかし、やはりクレメンテやアトワイトらしい人間はいない。

 

「召集はすんだわ。ディムロス、作戦の説明をしてもらえる?」

「いいだろう。お前が中継すると内容が微妙に歪むからな」

「ディムロス中将。この際だから人の話はちゃんと聞け、と言ってやってくれ」

 

 交わされるやりとりに緊張感は皆無だが、冗談めいた空気もまた存在しない。

 日頃のハロルドが軍内においても特別な存在であることがよくわかる。

 

「本作戦の目的はふたつある。ひとつは我が軍に投降の意を示したベルクラント開発チームの救出だ。そして」

「あの……ベルクラントって何ですあ痛テ!」

「ダイクロフトにある兵器のことです。上官のお話に横やりを入れてはいけません」

 

 カイルは軍則など知らないから致し方のないことだが、今のディムロスは気難しい上官のようなものだ。機嫌を損ねるような真似は控えたい。

 

「失礼いたしました、中将閣下。お話を続けてください」

「……そしてもうひとつ。すでにその任にあたり、敵将ミクトランの策に落ちた同志二人の救出にある」

 

 同志二人──クレメンテとアトワイトか! 

 そして一同へ課せられた任務というのは、ダイクロフトまでの移動手段確保だという。

 

「もう目星はついてるから、あとは人手がいるだけ」

「人手って……あたしたちは機械なんかいじれないよ?」

「そ? 約一名、私の前でHRX-2型の試作パーツ、取り外してみせたじゃない」

「……こんな規格外な奴と一緒にするんじゃない」

「できませんてそんなこと」

 

 フィオレとて、妙に不格好な部位を手早く取り除いただけだ。移動手段となるであろう飛行艇の設計など、できるわけもない。

 それを訴えれば、ハロルドは気安くひらひらと手を振った。

 

「ああ、大丈夫。やることはただのゴミ漁りだかんね」

「ゴミ……漁り?」

「ここから東方にある物資保管所に行って、使える部分を回収するのよ」

 

 かつてベルクラントの射程に入り、その余波を受けたがため現在は無人になっている物資保管所に赴き、ハロルドが必要と判断する部品を漁ってくる。

 普段ならばハロルドの兄であるカーレル軍師が、あるいはその部下が彼女の護衛につくところ。荷物持ち要因も兼ねて一同がその任に当たるとか。

 

「それと、フィオレ。あんたは工兵隊所属だけど、今回の任務中は兄貴に貸し出すから。私がいない間は兄貴の指示に従ってね」

「──了解いたしました、隊長殿」

「ええっ!?」

 

 さらりと言い渡されたハロルドの一言に、フィオレはただ頷いた。代わりに驚いたのは一同である。

 これまで行動を共にしてきた一同にしてみれば、青天の霹靂といったところか。

 

「……護衛に荷物要員だったら、人手は多い方がいいだろう。それに、何でそいつなんだ」

「ジューダス、知らないわけではないでしょう。軍人の世界では、上官に死ねと言われたら「自分の任務を全うします」って返さなきゃいけないくらい」

「で、お前はそのまま死ぬのか?」

「まっさかぁ。そんなクズは後ろから脳天フッ飛ばして「流れ弾が運悪く」で済ませます」

 

 呆れるジューダスと完全に引いている一同は置いといて、やり取りを見守るハロルドと向かい合った。

 表向き、ハロルドの表情にこれといったものは浮かんでいない。

 

「厄介というのは、このことで?」

「まぁね。あんたが一番ゴネると思ってたんだけど、これは予想外だわ」

「私でなく、違う誰かならば何としてでも阻止していました。上司のおっしゃることに理由も聞かずケチはつけませんよ」

 

 そして何事もなかったかのようにその理由を尋ねれば、天才と呼ばれるほどに賢い上司はすんなりと理由を教えてくれた。

 理由がなくばケチをつける、という言外の意味に気付いたか。はたまた妙にピリピリして気難しい印象を与えた誰かさんとは違うだけか。

 

「今回の作戦にあたっては移動手段と、ダイクロフトの内部図面が必要なのよ。いきなり飛び込んで、しらみつぶしに探してたら全滅するしかないからね」

「内部図面……天上軍の捕虜は、現在どれだけ生きておいでで?」

「……十三人。今朝方、二名ほど舌を噛んだと報告が入っている」

 

 地上軍に余計な物資はないから、期待はしていなかったが、まさかここまでとは。

 一瞬絶句してしまったフィオレの袖を、ちょいちょいと引く者がいた。

 

「カイル?」

「あのさフィオレ。ダイクロフトの図面を作るのに、なんで捕虜の話になるの?」

「なんでって……ベルクラントを開発した人間が現在囚われの身である以上、内部の図面を作ろうとするなら実際にそこにいた連中から聞き出すしかないでしょう。開発当時の資料が残っているなら復元するのも手ですが、あんまり期待はできません」

 

 そんな資料が敵方にあるのなら、多少でも改造するのが人の知恵だ。

 とはいえ、全ての兵士がダイクロフトにいたわけでもなし、構造を覚えている者は皆無に近いだろう。

 よしんばいたところで、それを正直に吐く捕虜は更に少ないはずだ。

 内輪でそのことを説明していると、壇上からリトラー司令の呟きが聞こえた。

 

「察しが早いな。ディムロス中将と渡りあい、軍事に関する知識も備えている……か」

「まあ、つまるところ兄貴のところで雑用でもしてて頂戴ってこと。いっくら兄貴でも、女の子に捕虜の尋問手伝えなんて言わないっしょ?」

「ハロルド。そこは女の子ではなく、新兵と言うべきだと思います」

 

 そもそもフィオレは女の子ではない。立派な成人である。

 とにかく話はわかった。行ってこいと一同を送り出そうとして。ジューダスがいつまでも渋い表情を浮かべていることに気付いた。

 

「大丈夫ですよ、ジューダス。別行動に当たって不安を抱えているのは私も同じです」

「大丈夫な要素が一切ないことはこの際置いておくぞ。──不測の事態が起こったらどうする」

 

 彼が言わんとすることはわかる。

 エルレインがこれから起こすであろう詳細もわからない以上、今この直後にも時空転移する必要に駆られるかもしれないのだ。

 その時フィオレが別行動をしていれば置き去りは必至、それだけで歴史はこの上もなく歪んでいくだろう。

 ところが。

 

「だぁーいじょーぶよ! フィオレなら兄貴にちゃんと護らせるから! あ、寄ってくる虫なら自分で払えるからいいわよね?」

 

 この手の話は好む傾向にあるのか、ハロルドのつぶらな瞳はきらきら輝いている。

 事情を知らない人間ならば仕方がないだろうが、何故か。

 

「そうだよね。ジューダス、フィオレがリアラと一緒にいなくなった時もなりふり構ってなかったし」

「な、ナナリー!」

「まあ気持ちはわかるぜ。四六時中一緒にいたいもんだよな。ましてやあんな美人……不安になるよなあ!」

「今そういう話はしていないだろうが、愚か者!」

 

 ハロルドに便乗し、普段の仕返しなのか。悪ノリしてはやし立てる一同にジューダスが右往左往している。

 かなり面白い光景なのだが、地上軍の幹部達の目があることを考慮するべきか。

 

「ま、そのことに関する異議は後でジューダスからたっぷり聞いてください」

「少しはお前も反論しろ! いつもこうして僕ばかり……!」

「たとえ月と太陽が消えたとしても、天地(アメツチ)がひっくり返ろうとも、あり得ない。そんなことはお互い良くご存知でしょう。あなたはもう少し、取り合わぬということを学んだ方がいいですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四十八戦——お絵かき落書き資料作成~全部、エルレインのせいだ。

 しれっとパーティ離脱して、引き続きラディスロウ。
 一同にハロルド……じゃなくてごみ漁りという重労働を押し付けて、カーレルのお手伝い。
 こちらも非常に気苦労のかかる雑用でしたが、フィオレは小器用なんでなんとかしてくれるでしょう。
 ちなみにハーセルさんは徹頭徹尾オリジナルキャラクターです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも騒がしい一同をラディスロウ外まで見送って、フィオレはくるりと幹部達に向き直った。

 敬称すらつけられることを良く思っていないハロルドの下では気楽にやっていいのだろうが、双子の兄とはいえカーレルに対してはダメだろう。

 

「仲間達がお騒がせしました。改めて、フィオレとお呼びください。数日間ではありますが、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ。じゃあ早速だけど、手伝ってほしいことがあるんだ。では司令、失礼します」

 

 カーレルと共に作戦会議室を後にし、連れ立って歩く。連れていかれた先は、情報部の奥まった部屋だった。

 

「さっきも言ってたけど、ダイクロフト内部図面は主に捕虜の尋問によって得た情報から作成される。開発当時の資料復元もさせているけど、あくまで参考かな」

 

 演習場やハロルドの研究室とは異なり、カーレルが扉横の装置──テンキーを押し込み、幾つかの数字が表示されるとロックが外れる音がして上下に扉が開いた。

 

「! カーレル中将、御苦労様です」

 

 小休憩中だったのだろうか。それまで椅子の背もたれに体を預け、脱力していた軍人が素早く居住まいを正して敬礼している。その風体は──

 

「あ。先程の」

「御苦労。作業に戻ってくれ──知ってるのかい?」

「ラディスロウ見学中、貴重な資料をお見せ頂きまして」

 

 ハーセル伍長、だった。カーレルを前にしてか、彼は真面目な顔での敬礼を崩さない。

 改めて、作業に戻るよう彼から通告され、ハーセル伍長はきびきびとそこへ向かう。

 並ぶ椅子に縛りつけられ、ぐったりと頭を垂れた囚人数名……天上軍の捕虜達。

 舌を噛まないようにか細い鎖を噛まされ、まとう軍服はよれよれになっている。衛生面においても恵まれていないのだろう、すえたような匂いがした。

 二目と見れない顔になっていたり、糞尿にまみれていないだけマシなのかもしれないが……

 

「とまあ、こんな感じなんだ。皆精神的に限界が来てるから、なりふり構っていられない」

 

 カーレルの説明が、右から左へ流れていく。

 一通り、彼らが如何にしてダイクロフトの内部図面を作成しているかを語ったカーレルは小さく息を吐いた。

 

「ハロルドはああ言っていたけど、私は誰であろうと使える人材は積極的に使いたいと思っている。緊急とまではいかないが、必要不可欠な作業だしね。どうする?」

「大丈夫です、やれます。ところで、これは照明のスイッチですか?」

「あ、ああ、そうだ。押したらここの照明が全て落とされてしまうから、みだりに押さないようにね」

 

 フィオレの承諾を得てなんとなくホッとしているようにも見えるカーレルは、ハーセルを手招いた。

 捕虜の一人に向かって尋問をしていた伍長は、彼の言葉に反応してすっ飛んでくる。

 

「ハロルドのところから人材を借りてきた。新兵のフィオレ君だ。とりあえず指導はなし、好きにやらせてあげてくれ」

「ハロルド博士の……了解しました!」

 

 どうも彼女の悪名は様々なところで轟いているらしい。伍長はおろか、他兵士も気合の入った様子で敬礼をしていた。

 そしてカーレルも、大きく頷いている。

 

「そう、ハロルドだ。何かケチがついたら君が新薬の実験台になると思ってくれていい」

「アイ、サー! 肝に銘じます!」

 

 自分は事務作業があるから公務室にいると言い残して。カーレルはそのまま部屋を出て行った。

 それを見送り、改めて自己紹介しようとして。フィオレは帽子の奥にある眼を丸くした。

 何故なら。

 

「ふぅ~、焦ったぜぇ」

 

 カーレルへの敬礼を直立不動で行っていた伍長は、その場にぺたんと座りこんでしまったからだ。

 それだけではない。

 

「いや、まったく。ノックもなしに開けるのはカンベンしてほしいっす」

「ホントホント。肝が縮んだよ」

 

 作成班メンバーであろう五人、いずれもトウが立った男達は作業の手をあっさりと止めて、ぞろぞろ奥のテーブルへと移動していく。

 それまで彼らが囲んでいたテーブル、現在彼らが着こうとしているテーブルを見て、己の眼が半眼になっていくのを感じた。

 全てが作業用だろうに、散らばる紙束は真っ白。

 そして奥のテーブルにはカードやらチップやら、そしてリキュールボトル……アルコールの類がごちゃごちゃと置かれている。

 地上軍とて聖者の集まりでも善人の集まりでもない。こと戦争に限っては、どちらが正義でもないのと同じように、どちらの側にも汚らしい膿は存在する。それだけは確実だ。

 しかしまさか、非常に重要なはずのここに膿が溜まっていようとは。

 

「よぉ、嬢ちゃん。俺らの姿に幻滅でもしたか? でもな、これが現実なんだ」

「試しにやってみろよ、尋問。ぜ~んぜん吐かねえ、作業は進まねえ、こりゃダメだってわかるからよ」

 

 人員なんか寄越されても意味ねえっての、と愚痴りながらボトルを煽り、カードを配ってにらめっこを始めている。

 こりゃダメだ、と確かに思った。ただし、この作業班が、だ。

 確かにハロルド達は数日戻らないと言っていたし、戻ってきたところで肝心要の飛行艇を作る時間などもあり、更にハロルド達が取らなければいけない休息時間なども考えればまだ時間的に余裕はある。

 しかし、内部図面などどれだけ早く出来上がったところで誰も困りはしない。むしろ、早く出来るに越したことはない。ダイクロフト移動中にいちいち図面を見ながら移動などできるはずもないのだから。

 幸い、ハロルドの部下であることをカーレルが強調してくれたおかげで、彼らがフィオレに余計なちょっかいを出してくることもなさそうだ。

 ──彼だけは、別だが。

 

「まさか、あの××科学者に直属の部下とはな。自殺志願者かよ?」

「変わった方である、ということは否定しませんが、我らが隊長に随分な言いぐさで」

 

 ハロルドの杖を見ただけでそそくさと去って行ったのに、この挑戦的な物言い。彼女にどんな因縁があるのやら。

 顔をしかめてきびすを返した伍長だが、彼にはまだ用事がある。

 

「待ってください。ダイクロフト開発当時の資料はどこですか?」

 

 部屋の隅々を見回しても、真白の紙束はあってもそれらしいものはない。参考程度とは言っていたが、彼らが復元作業を並行しているはずなのだが。

 彼は非常に億劫そうに、その所在を教えてくれた。

 

「ああ? それなら資料保管室だ。開発当時の資料なんざ、役に立つわけねえじゃないか」

 

 役に立たないのはお前らである。

 最早フィオレのことなど顧みず奥のテーブルについてしまったハーセルはほっといて、フィオレはちらりと捕虜達を見やった。

 長時間の拘束もさながら、長きにわたる捕虜生活で疲労しているのだろう。全員が男性であるにつき、髪が白くなっていたり極端に薄くなっていたり。

 精も根も尽き果てたといった様子で、こちらの動きなど意に介していない。

 それをいいことに、小型のテーブルを捕虜の眼前に移動させ、テーブルを挟んで相対するように座る。

 資料はまず後回し。カーレルの入室方法を鑑みれば、この部屋を一度出たらそれきりだと思われた。

 あの伍長に頭を下げて聞き出すのも癪で、捕虜を格納するこの場所の鍵数字を新兵にホイホイ教えてほしくもない。

 転がる羽ペンを手にとって、シルフィスティアに語りかけた。

 

『シルフィスティア、視界を貸してください。ダイクロフトを見たいです』

『はいはーい』

 

 朗らかなる了承と共に、眼前のまっさらな紙の平面が大空へと切り替わる。

 ほんの少しだけ久々に見る、綿のような雲に眩い太陽、澄みきった空。

 視界を巡らせれば、巨大な剣状の兵器ベルクラントを地上へと突きつけるダイクロフトが、何の支えもなく浮遊していた。

 外観は巨大過ぎる、悪趣味な傘状のダイクロフトをまずは視界にあるそのまま紙に写す。

 一度視界を切り替え、出来栄えを確かめて新たに紙を手にした。

 地上軍の人々が果たしてこの形を知っているかもわからない。しかし、これから内部を直接見て略図を描かねばならない作業を考えると、全体像は必要だった。

 今すぐダイクロフトが輪切りにでもなれば話は違うが、風の視界を通じて視れるのは空気が通っている場所、存在し得る景色だけだ。

 となれば、視れる場所をしらみつぶしに視ていくしかない。

 そのコンセプトのもと、ダイクロフト内部を探索するも……ため息しか出てこなかった。

 如何なる方法で造り上げたのやら、内部は尋常とは言い難いほどに広大で、ラディスロウなんかとは水たまりと湖ほどに差がある。

 そして細かい区域に分けられたその構造は複雑怪奇の一言に尽きた。

 これは捕虜に尋問がどうとかいう以前に、内部の詳細など各々が担当していた区画が答えられればいいほうである。そして彼らの担当区画が繋がっているとは限らない。

 従って、ダイクロフトの全容解明など現時点ではとても不可能だ。開発当時の資料も、よしんば復元したところで確実性が薄い。

 ならば、歴史が改変される以前の彼らは如何にしてこの作戦を成功させたのだろうか。

 それを考えてふと、フィオレはとある疑問を抱いた。

 そもそも正史にこんな──ミクトランを討つ以外の目的でダイクロフトに乗り込む事件などあっただろうか。

 作戦はどうもディムロスの陣頭指揮下で行われる様子だが、どれだけ記憶を掘り起こしてもディムロス・ティンバーの足跡にそんなもの……「肝計により囚われた同志二人、そしてベルクラント開発チームを救出した」というようなものはなかったように思う。

 無論、文献の記述漏れあるいはフィオレの調査不手際を否定はできない。しかし、エルレインの関与を疑えば違う推測もできるのだ。

 本当は一度で成功した作戦が、エルレインの手によってすでに捻じ曲げられている。

 この事件は、そもそもあり得なかったことなのではないのかと。

 そこまで考えが及んで、いつの間にか落としてしまった羽ペンを手に取る。

 どれだけ考えていても答えが出ないのでは、不毛以外なんでもない。

 今から少し昔に行ってそこから修正しようにも、今の状況でできるはずもないのだから。

 眼には眼を、葉には歯を。不確定要素には不確定要素を。

 とにかく今は、できることをするしかないと。フィオレは再び、広大なダイクロフト内部へ視界を投じた。

 どこから手をつけるべきか悩むところ、カーレルの言葉を思い起こす。

 

「一番重要なのは、ダイクロフト内にある格納庫だ。そこに脱出用ポッドがあるんだが、帰還にはそれを使うんだよ」

 

 つまり、これから製作されるハロルドの飛行艇は片道しか使えない、ということか。

 脱出できたとして、ベルクラントに狙われたらひとたまりもない。あるいは逃げおおせたところで着陸した位置を知られたら同じこと。狙い撃たれ、ジ・エンドである。

 ならばダイクロフトへ乗り込み、一同を無事格納庫へ移送するとしても制御室は落とさなければならないだろう。

 力を入れるべきは格納庫と制御室を結ぶルートだ。それだけははっきりわかるよう、略図の作成にかかる。

 そこで問題となるのは、今作戦の要となる救出対象の居所だ。

 フィオレにとって彼らを探すのは簡単なことだが、それは露骨に描いてしまったら最悪、天上軍のスパイだと思われかねない。かねない、が……

 どうせこの略図は彼らの作成物ということにするし、捕虜から「怪しいところを尋ねていくつかそれらしい場所を特定した」ことにすればいいか。

 長時間同じような作業継続による疲労もあって、出来上がった略図の出来栄えは本当にひどいものだった。

 これを清書してからカーレルに提出すればいいのだが、これ以上この場所で作業を行うのは厳しい要素がある。

 何故なら、カード賭博を興じていた彼らの内一人が、フィオレの挙動を気にしてちらちらこちらを伺うようにしているのだ。

 ここで彼らに「出来ました」と渡して清書させるのも手ではあるが、まだ開発当時の資料は手つかずなのだ。しかし、そうこうしている内に相手が動いた。

 

「よう、何か一心不乱に描いていたみたいだが」

 

 仲間に促された様子で、離席したハーセルが歩み寄ってくる。

 吐く息は酒臭く、足取りはどこかふらつきがちだ。どこからどう見ても、立派な酔っ払いである。

 書類ではなくフィオレに伸ばされた手を嫌悪して回避すれば、彼は空を切った手をテーブルにつき、作成されたダイクロフト略図資料をまじまじと見つめた。

 そして──放たれたのが、爆笑である。

 

「なんだこりゃ、落書きか?」

 

 そう言って指したのが、ダイクロフトの全体像を記したものならばその言動も致しかたない。

 しかし彼が乱暴に取り上げたのは、全体像含む資料すべてであった。

 確かにひどい出来ではあるが、落書きと勘違いするほどにひどく見えるのか。そのままぐしゃりと握りつぶし、音を立てて破り始める。

 

「こんなモン描くくらいなら、こっちきて酌でも……」

 

 彼らを少しでも利用しようと考えたこと自体が間違いだった。

 なんだなんだとやってくる他兵士とハーセル伍長の挙動に気をつけて、扉横にある正方形の突起を押し込んだ。

 突如として、部屋内の照明が全て落とされる。

 

「!?」

「其の荒ぶる心に、安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 第一音素譜歌「夢魔の子守唄」が響く頃。幾つもの寝息やらいびきが、合奏となって響き渡った。

 再び照明をつけ、散らばった資料を回収。幸いにして修復不可能なまでの破損状況ではない。紙束と筆記用具を拝借して退室し、その足で資料保管室とやらを探す。

 資料保管室に歩哨はおらず、鍵もかかっていなかった。

 

「ダイクロフト開発資料……」

 

 誰が管理者なのか、資料庫は非常に整然としている。ダイクロフトに関する資料群の中、それは潜んでいた。

 作成班メンバーは参考にあたわずとしていたのは本当のようで、封書の形になっているそれに開封の形跡はない。迷うことなく封を開いて中身を確認する。

 どれだけの時が経過しているのだろうか。記されたインクのほとんどは薄れ、うすぼんやりとした輪郭しかわからない。しかし、解読ができないほどではなかった。

 先程作成したものと比較するべきなのだろうが、ところどころが破れているそれとこの場で見比べるのは骨が折れた。

 ──仕方ない。

 軍則違反かもしれないという危惧を頭に留めて、フィオレはダイクロフト開発当時の資料を資料庫より持ち出した。

 向かった先は、食堂である。時間が時間であるがため、食堂は閑散としていた。

 フィオレにとっては好都合、居並ぶ長机のひとつを占領してまずは破かれた資料の復元を目指す。

 中には破かれず握りつぶされた名残でシワになっているだけのものもあるが、大半はそうでない。

 ダイクロフト全体像だけはそのまま放置し、復元した一枚をその場で違う紙に書き写す。

 無論出来栄えはそうとう乱雑になっているが、丁寧に書き写そうものなら相当な時間を要するだろう。その間に、眠らせた彼らに復活されても都合は悪い。

 大急ぎで原本復元・新規複写を行い、開発当時の資料との照らし合わせ。それから清書を行わんとフィオレが作業に没頭していたその最中。

 

「……これは」

 

 集中しすぎたせいで、他者の接近に気付けなかった模様である。見やれば正面に、一人の将校が立っていた。

 薄茶色の髪、眉目秀麗な面持ちだが、今は僅かに眉を歪めている──イクティノス・マイナード少将。

 彼を前にして、フィオレは内心で冷や汗をかいていた。

 ソーディアンチームにおいて、イクティノスは性格傾向がいまいちわかりにくい部類に入る。ソーディアン・イクティノスとの関わりがほとんどなかったため、だ。

 従って文献による人物考察をアテにするしかないのだが、その内容がなんともはや。

 常に冷静で論理的思考を得意とすることに加え、高い知性と鋭い洞察力の持ち主。科学者としても評価は高く、彼が考案・確立させた技術は多数存在する。

 ──文献だけで解釈するならば。なんて鼻もちならない男だろうと、フィオレは思っていた。容姿はさておいて、その特徴はかつての知り合いを想起したためである。

 かつての知り合い、かつての仲間。そして……母を『事故で』殺した男を。

 更にその考察を裏読みすれば、杓子定規で理屈っぽい、偏屈な思考の持ち主ではないかと推測できる。

 その彼が、何故時間はずれの食堂に訪れたのか。疑問は消えないが気づいてしまった以上、無視すれば後が面倒か。

 

「──お疲れ様です、マイナード少将。遅めのお昼ですか?」

「そんなところだ。ところでこれは」

「ベルセリオス軍師のところで雑用です」

 

 作業の手を止めて、堂々とそれを言いきる。ハロルドから言い渡されたのはその内容だ。

 カーレルから頼まれた内容をそのまま抜かすようなことはしない。

 彼はまじまじと手元の資料を見つめた上で、ちらりとフィオレを見やった。

 

「これはダイクロフトの図面か? 完成していたのか……」

「いいえ。完成しておりません」

 

 これもまた事実である。開発当時の資料との照らし合わせ、及び清書がまだなのだから。

 しれっと言い切る彼女に取り合うことなく、イクティノスは破かれた原本を見比べている。

 

「しかし、何故ここで作業を? 作成班には一室与えていたはずだが」

「こちらを完成直後、皆さんお休みになられまして」

 

 嘘は言ってない。彼らは未だ眠っている。

 更に、念のため開発当時の資料と照らし合わせること、その上で清書作業を行おうとしたが、不注意で原本を破損したため休息の邪魔をしないためにも場所を変えたこと。

 事実ではないが明らかな虚偽でもないこれまでの経緯を語れば、彼はひとつ頷いた。

 

「事情はわかった。だが、食堂での作業は看過できない。カーレルに言って、作業場所を確保するといい」

「──かしこまりました」

 

 お叱りを受けなかっただけ僥倖とするべきか。集中を乱されてあまりいい気はしないが、違う幹部に見つかっていたらまた違う結果だったかもしれないと、前向きに考える。

 手早く資料をまとめて、イクティノスに一礼のち。フィオレはカーレルの執務室を探しに出た。

 歩哨の兵士に場所を尋ね、ノックをしてから入ろうとして。自動で開く扉であるが故に、ノックは拒否されてしまった。

 

「おや、どうかしたのかい?」

「……ご報告申し上げます。ダイクロフト「もう二、三歩部屋に入ってきてくれないかい? でないと、報告内容が外に漏れてしまうよ」

 

 気まずく腕を引き戻すフィオレに対し、カーレルは自分の作業の手を止めてフィオレを手招いた。

 その手に従い足を動かせば、背後で扉の閉まる音がする。

 

「ダイクロフト内部の見取り図が、ひとまず完成しました」

「……! 早いな、ちょっと見せてくれ」

 

 ひとまず、という単語に引っ掛かったようで。カーレルは渡された資料を順々に確認し始めた。

 じっくりと、細部まで吟味するように注がれる視線が一瞬フィオレを見たかと思うと、彼は顔を上げた。

 

「……うん。正直、予想外の出来だ。ひとまず、というのは?」

「ご覧になってわかる通り、出来自体は雑です。今作戦において重要視された格納庫、制御室の位置はともかくその他の、例えば救出対象が囚われている場所が曖昧です。幾つか目星はつけましたが、それでは不完全……」

「救出対象については心配しなくていいよ。クレメンテ候とアトワイトに取りつけた発信機がまだ生きてるからね。でも……そうだな、出来は少し雑だ。私には何の不自由もないけど、発信機の位置を照らし合わせる時イクティノスが文句を言うかもしれない」

 

 用意周到というか、ここからダイクロフトまでまさに天と地ほども差があるというのに、反応があるとは驚きだ。ハロルドの発明品だろうか。

 

「それで、清書と複写……作戦に参加される方々の分を作りたいのですが、これを作成した時点で皆さん昏倒してしまわれて。あの場で作業を続けて休息の妨げになっても嫌なので報告に参りました」

 

 食堂でのやりとりを馬鹿正直に話すほど、フィオレは素直ではない。

 イクティノスにも話した嘘ではない報告を交えて、自分の部屋を見回すカーレルの次なる言葉を待つ。

 

「私の部屋では手狭だし、食堂も談話室も使うのは言語道断……そうだな。会議室を使わせてもらおうか」

「会議室?」

「そう、作戦会議室。あそこなら広くてやりやすいからね」

 

 そうと決まれば善は急げとばかり、カーレルは右手に資料を、左手にフィオレの手を取ってスタスタ歩き始めた。

 どうでもいいが、作戦会議室とは会議を行うための部屋ではなかろうか。

 それ以前に、こんなにもあっさり手を取られたことをフィオレは内心で驚愕していた。

 優男云々の前に学者肌の印象が強いカーレルでも、やはりソーディアンチームの一人。それなりの達人であることに間違いない。

 そうこうしている間に、作戦会議室前に辿りつき、カーレルは扉横の壁を軽快に叩いた後入室を果たした。

 どうやら入室の礼儀を取るには、センサーに反応しないようああするのがいいようだ。

 二人の目がカーレルと、お手手をつないでいるフィオレに注いでいる。

 

「……カーレル?」

「ディムロス、まずは朗報だ。ダイクロフト内部の見取り図がとりあえず完成した」

「何!?」

 

 驚く、あるいは喜色を浮かべるディムロスへカーレルが資料を手渡している。

 そこでやっとカーレルの手が離れて、フィオレはこっそり息をついた。

 羊皮紙の一枚一枚を見入るディムロスは時折小さく頷いており、再び顔を上げた時も喜色は衰えていない。

 

「内容的にはまったく申し分はない。とりあえず、とは?」

 

 フィオレが話した内容ほぼそのままを、カーレルは語った。そして本題を告げるに至る。

 

「そんなわけで、清書と複写作業をここでやらせてもらうよ。ハロルドが戻るまで会議は無いし、構いませんよね。司令」

「私は一向に構わない。作成班には休息を取ってもらってくれ」

「その点はご心配なく」

 

 事実が多少異なるとはいえ、それでいいのか。地上軍きっての天才軍師。

 自分にも見せてほしいというリトラーにディムロスが資料を渡している間、カーレルは会議室の隅に積まれていた木箱に手をかけていた。

 彼は木箱の中から、筆記用具の類を取り出している。

 

「羊皮紙はこのくらいでいいかな。インクとペン先は……」

「あの、ベルセリオス中将。ありがとうございました。後はこちらで処理しておきます」

「いやいや、私も手伝うよ。一応部外者で、新兵の君に一任するわけにはいかないからね」

 

 そういえばその通り、尤もな話だ。

 それにしたって事務手続きが残っていたのだから、部下を呼んでくればいいだろうとフィオレは思うのだが、それは上官に対して言うことではない。

 リトラーが資料に目を通している間、準備を終えると。

 

「私はイクティノス用に清書をするから、君は複写を進めてくれ。多少汚くなってもいいけど、くれぐれも精確にね」

「はい」

「では、よろしく頼む」

 

 リトラーの手によって資料がテーブルの上に置かれる。そちらはカーレルに譲り、フィオレは破かれてしまった原本を取り出した。

 

「おや、それは?」

「……そちらは、こちらを元に私が複写したものです。こちらが原本。不幸な事故で破れてしまって」

 

 きちんと写しましたよ、と主張するように、破れた紙片を合わせて並べていく。

 腑に落ちないような顔をしていたカーレルだが、すぐフィオレの向かいに座ろうと移動していった。

 再びディムロスとリトラーが何やら言葉を交わし始める。内容を聞くに、定時報告の類のようだ。

 それを聞きながらぼんやりと、しかし丁寧に一枚目を仕上げると。

 

「ああ、やっぱりね」

 

 一枚目を脇へ置き、二枚目の製作に取り掛かろうとして。一枚目をひょいと取り上げた人間がいた。

 それまでは向かいに座っていたカーレルである。

 

「……何が、でしょうか?」

「この資料の作成者は君だね? しかも、作成班はほとんど、いや一切関与していないと見た」

 

 否定しようもない事実である。

 筆跡が違って見えるように手を加え、原本から複写したものも乱雑さで筆跡は誤魔化したつもりだ。

 今しがた描いたものはかなり丁寧に写したというのに、何を根拠に言っているのだろうか。

 

「──どうしてそのように思われるのです?」

「普通、複数の人間が描いたものってペンの使い方がバラバラだから、出来たものもパッと見……印象と言ったほうがいいかな。統一性が欠片もなかったりする」

 

 しかし、この資料は破られたものもそうでないものもペン先の筆圧が同じだから、同一人物が描いたものだとわかるという。

 そんなことは一目見た時からわかっていたが、作成者を特定したのはフィオレが描いているのを観察したからだそうだ。

 

「あんまり資料を見てなかったし、描き方に迷いがなかったからね。同じものを何回も描くと、どうしても機械的になってしまうから仕方がないけど」

「作業班の皆さんが作成したものを、私が手柄を独り占めしようと画策した。とは思わないのですか?」

「君を作業室へ連れて行った時に確認したけど、作業らしいことをしていなかったからね。奥のテーブルにはカードが散らばっていたし、伍長は少し酒臭かった。ズルい人間は初めから自分の手柄だと主張するし、そんなことは決して言わないよ」

 

 ただ彼としては、今作業班の人間がどうしているのかが気になるという。

 いわく、一人で見取り図を完成させたフィオレを見逃すとは思えないと。

 

「そんなに盛り上がっていたのかな?」

「いいえ。皆さん今はぐっすりお休みですよ。休息中です、間違いなく」

「その言い方だと、酔って潰れたのか君の実力行使なのか、よくわからないな」

 

 真偽はどうでもいいらしく、彼はそれ以上追及してこなかった。

 カーレルの呟きによれば、作業班の人々はハロルドが帰ってきたら身柄を差しだされるらしい。表向きフィオレを借りた礼らしいが、その実は彼のみぞ知る。

 

「部下が迷惑をかけたね。何かお詫びしようか」

「お詫びはいいのでひとつお願いが。彼らが何を言っても取り合わないでほしいのです。きっと適当並べるでしょうから」

「それは当然だよ。彼らの言い分を鵜呑みにしないから、安心してくれ」

 

 フィオレの心配を余所に、他にはないのかと問われ。熟考した末に提示したフィオレの願いは次なるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






※この時代に紙があるのかって? 時代背景を考えればこの時代(天地戦争時代)以前はありました。現在では間違いなく生産できないでしょうが、前時代の代物を大事に使っているという設定で。


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第四十九戦——天空より放たれるは~守護者達よ、やっておしまい!笑

 継続してラディスロウ内。
 雑用に終わりが見えたものの、それどころではない事案発生。しかしどうにかします。
 ただ、シャルティエの魔の手(笑)が迫ってきたようで。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうひとつペンください」

「? それくらいはお安い御用だが……」

 

 ペン先が潰れてしまったわけでもないのに、何に使うのだろうかと。カーレルは首を傾げて動向を見守っている。

 そして次の瞬間、ハロルドの木の実型の目とは正反対な切れ長の目が丸くなった。

 両手にペンを持ったフィオレが、並べた二枚の羊皮紙へ同時に描き始めたのを見て。

 一枚目の丁寧さとは比べるべくもないが、それでも同時に違う図面を写すなどそうそうできることではない。

 

「君も、両手利きなのか……」

「驚くところはそこなのか、カーレル」

 

 速度が極端に落ちたわけでもなく、むしろ丁寧に書くより早い。作業効率は単純に二倍になり、あっという間に二枚目、三枚目の複写が済んだ。

 ダイクロフト見取り図が八枚の羊皮紙で構成されていることを考えると完成まで程遠いが、それでも驚異的な速度であることに変わりはない。

 

「ところでベルセリオス中将」

「あ、ああ、なんだい?」

「全部で何部必要でしょうか。原本はとりあえず省くとして」

 

 作戦においてどれだけの人員が投入されるのかわからないが、指揮官レベルの人間には必須だろう。

 それを尋ねて寄越された返事に、今度はフィオレが驚いた。

 

「最低限必要なのは五部だね。今回の作戦は少数精鋭を旨としている、参加メンバーはディムロス、イクティノス、シャルティエ、ハロルド、そして私なんだ。最もハロルドは君達を護衛に連れて行くだろうから、必要に応じて増えるものと思ってくれていい」

「うち一部はベルセリオス中将が作成してくださるとして、私達は二部程度で充分でしょうから……」

 

 残りは六部。技術面のみを鑑みれば、信じがたいほど簡単な作業だ。

 しかしカーレルが言っていたように、実に単調で機械的な作業だけに、途中で嫌気が指すだろう。

 

「まあ、気長にやろう。それと私のことはカーレルでいいよ」

「かしこまりました、カーレル中将」

「……まあ、いいか」

 

 ここがカーレルの公務室だったら、普通に応じていたかもしれない。

 しかしすぐそこに、ディムロスとリトラーがいるのだ。リトラーはともかく、上下関係に殊更厳しそうなディムロスを前に気安い口は叩きにくい。

 たまには両手でお絵かきもいい頭の体操になるかと、そのまま一部を描き上げる。

 軽く伸びをして首を鳴らし、つい出てきた欠伸を噛み殺した。

 

「少し休憩するかい?」

「え、でも……」

「資料を作成してから休憩も何もなかっただろう? 考えてみれば君はディムロスとも手合わせしているんだ。このままでは効率も落ちるだろうから、一息入れておいで」

 

 あんなもの実戦に比べればおままごとみたいなものだったが、慣れない作業で疲弊しているのは確か。

 カーレルの言葉に従い、フィオレはラディスロウ外へと出ようとした。

 その時。

 

「……?」

 

 奇妙な感覚を覚えたと同時に、ラディスロウ内に響く無機質な音が発生した。

 聞く者の緊張を招き不安を掻き立てるその雰囲気からして、間違いなく警告音の類である。

 表情を厳しく張り詰めさせたリトラーが壇上の脇にある通信機械に触れようとして、ノックもなく扉が開いた。

 そこには、一人の兵士が息を荒げて立っている。

 

「どうした?」

「か、管制室より報告します……! ベルクラントが、活動を始めました! エネルギー充填作業に入っています!」

「何だって……!」

「何とかして座標を……!」

「ベルクラントの照準位置は!?」

 

 にわかに緊迫する作戦会議室にて、フィオレはこっそりシルフィスティアの視界を借りた。

 いつか見た──改変された現代において見た際と同じく、地上へ突きつけられた剣状兵器全体に淡い光が帯びていく。

 全体の光が徐々に剣先へと集まり、やがて蓄えられた晶力がベルクラント本来の破壊力をもって地上へ放たれるのだろう。

 正史上で起こった出来事なら、ラディスロウ及び地上軍拠点は無事であるはずだ。

 しかしあの光が、現在どこにいるともしれない仲間達、あるいは神の瞳を狙っているものだとしたら。

 たとえ狙いがわかったとしても、どうにかなるものではない。

 そんなことはわかっているだろうに、ベルクラントの照準を特定しようと奮闘する幹部達を尻目に、会議室から──ラディスロウから出ていく。

 鉛色の空しか見えない外では、まだ何も知らされていないのだろう。何ひとつとして変わった様子はない。

 ラディスロウを出たフィオレは、その足でラディスロウの裏手へ回った。

 見張りの人間もいなければ、何があるというわけでもない。あの公開処刑記録を見ていなければ、海に面した単なる雪原だ。

 過去何人が処刑されたのか知らないが、それでもかつて人が埋められたこの場所を忌避するのは当たり前なのかもしれない。

 そして今、フィオレにとっては好都合だ。

 これから盛大な悪あがきを試みるのだから。

 

「……星に宿りし守護者達よ。我が前に集え」

 

 フィオレの求めに応じるかのように、異世界の扉が開くように。四つの譜陣が雪の敷かれた地面に浮かぶ。

 

 ひとつから、実りの秋を象徴する小麦の穂の色が。

 ひとつから、わだかまるような、それでいて澄んだ瑠璃の色が。

 ひとつから、噴火を連想する紅蓮と溶岩の色が。

 ひとつから、土から顔を出したばかりの新芽にも似た、鮮やかな緑の色が。

 

 それぞれ光球となって、フィオレの周囲を取り巻いた。

 

「ベルクラントの一撃を、どうにかしてやり過ごしたいのです。協力してください」

『いいよ』『大地を護れる』『お安いご用ではないけど』

『それがあなたの望みなら……』

『我らは尽力を尽くすのみ』

『協力は惜しまないよ。でも具体的な方法とか、考えてる?』

 

 確かに、ただ逸らしたいと願ったところでベルクラントが停止してくれるわけでもなければ、地表以外のどこかを狙ってくれるわけでもない。

 そこまで細かい策はなく、フィオレは漠然とした考えをただ告げた。

 

「ベルクラントの一撃は、つまるところ膨大な晶力の塊だと思っています。だから、同等のエネルギーを真っ向から打ち上げれば散らせるんじゃないかと」

『じゃあフランだけ大した戦力じゃないね』

『大地も海原も風もあるけど』『むしろ雪があるから力出せないね』

『ではフランブレイブ、敵方の動向を見守っていてください。私達はそれぞれ、属性の力を高めます』

『聞いての通りだ、代行者よ。我らの力を汝に与えよう。時が満ちた時、属性の力を束ね、放つがいい』

 

 想像はしていたが、やはりフィオレ自身が砲台とならなければいけないようだ。

 明るい麦藁色、落ち着いた瑠璃色、初々しい若葉の色がひとところに揃い、停止する。

 燃え盛る朱金の色のみが、まるで見張りをするようにふわりと高度を上げた。

 その様子を、フィオレとてただ眺めていたわけではない。

 

「Va Rey Ze Toe Nu Toe Luo Toe Qlor……♪」

 

【第三音素譜歌】戦乙女の聖歌(バルキリーズ・ホーリーソング)で砲台となる自身を強化、更に雪原であることをいいことに身体強化の譜陣を描いて中央に佇む。

 本来体に刻まれて最高の効力を発揮するものだが、気持ちを落ち着けるのに作業自体は効果があった。

 

『フランブレイブ、まだかな?』

『晶力の圧縮率が際限なく上昇している。そろそろ頃合いだろう』

 

 ベルクラントによるエネルギー放出がどの程度で、一秒間につきどれだけの速度を進むかもわからないため何も言えないが、それでも放たれてから迎撃するのは下策だろう。

 フィオレが狙っているのはエネルギーをぶつけての相殺、万が一にも地上に影響を出すわけにはいかない。

 

『では、フィオレ。精製したエネルギーを差し上げます。それぞれ属性の異なる力ですので、取り扱いには注意を』

『大丈夫』『人の中でなら、うまく融合するはず』

 

 こんなときだからなのか、人だと言われて変にホッとする。

 アーステッパー達から、アクアリムスから、シルフィスティアからそれぞれ凝縮した音素(フォニム)をもらい、神の瞳を使って蓄積させた。

 とはいえ神の瞳にエネルギーを宿しておけるのはわずかな間。ぐずぐずはしていられない。

 

『フィオレ、早く!』

 

 ベルクラントを視認で観察していたらしいシルフィスティアの警告を聞いた直後。

 丁度フランブレイブからも少量の第五音素(フィフスフォニム)、炎属性の塊をもらっていたフィオレは、闇雲に紫水を虚空へ掲げた。

 

「荘厳なる意志、静かなる意志、灼熱と業火の意志、舞い降りし疾風の御子。我が手に集いしは星の意志。森羅万象の名のもとに、薙ぎ払え!」

 

 紫水の先端に光の譜陣が浮かび上がり、四つのそれが組まれて巨大なひとつの陣と化す。

 円陣の中央より射出された星の意志は、凄まじい反動と引き換えに天へ昇っていった。

 その反動たるや、踏ん張っていたはずのフィオレを地面へ叩きつけるほどである。敷かれた雪が非常に冷たい。

 

「冷た痛い……シルフィスティア、状況は?」

『凄いことになってる。見てみなよ』

 

 どこか楽しげにシルフィスティアが見せてくれたのは、一直線に降り注ぐベルクラントの一撃とフィオレを媒介に放った星の意志だ。

 あっという間に衝突した両者だが、どちらもまったく引けはとっていない。

 どちらが押し切ることも、軌道を逸らすこともなく天上と地上の狭間でせめぎあっている。

 もし打ち負け、下手に軌道を変えてしまった時のことを考えて第二弾の用意をするべきかと悩み、しかしそれは杞憂に終わった。

 激しくぶつかり合っていたエネルギー同士はやがて収縮、どちらからともなく消滅したためである。

 今まさに空中の攻防戦が終わったことを知らしめるかのように、消滅しかかったエネルギーが眩い光を発した。

 直視を避けるため間一髪で自分の視界を取り戻すも、空の彼方で鈍色の雲が一様に発光している。

 まるで薄い雲の向こうに太陽があるかのような輝きだが、ほんの一瞬のこと。

 空は再び、憂鬱な色に戻っていった。

 

『……成功したようですね。ありがとう、皆』

『フィオレもよく頑張ったよ。お疲れ様』

 

 守護者達を代表するようなシルフィスティアの労いを聞きながら、ひっそりとラディスロウの影から拠点の様子を伺う。

 何があったのか、そもそもベルクラントが撃たれたことさえも知らない兵士及び避難民たちがポカンと空を仰いでいる隙を縫ってラディスロウの中へと戻った。

 

「一体どうしたんですか? 空が一瞬輝いて、また収まったようですが」

「……状況を報告しろ」

『ベルクラントの活動、及び発射が確認された後、正体不明のエネルギーが射出されました。結果として迎撃、相殺に成功しています……』

 

 一息入れようとラディスロウ外へ出て、異変に気付き戻ってきた体裁を装う。

 その声で、硬直していた作戦会議室内の空気が動き出した。

 リトラーの重々しい声音に、応対する管制室の通信相手もまた戸惑ったように集まった情報を報告している。

 気づけばこの場にはイクティノスもやってきており、再び地上軍の幹部達が額を寄せあって難しい顔をしていた。

 

「正体不明のエネルギー? 射出位置は」

「現在割り出し中です、マイナード少将。地上から放たれたものであることに間違いは無いのですが」

「正体不明か。怪しいものなら、まずハロルドの関与を疑うところなんだが」

「今頃は物資保管所だろう。ありあわせの部品を使ってその場で兵器を作り、ベルクラントの迎撃に使った……ありそうだから困るな」

 

 なんやかやと今しがたの現象の解明にかかる彼らを押しのけて、複写作業に戻る勇気は無い。

 話し合いが済むまで待機していようと、壁際に寄ったその時。

 ぱさりと音を立てて、ラディスロウの入り口である会議室と外界を隔てる布が動く。

 顔を覗かせ入ってきたのは、細い髪の金髪に柔和な面立ちの、シャルティエであった。

 

「失礼します。リトラー司令、よろしいでしょうか」

「おお、シャルティエ少佐。結果を教えてくれ」

 

 いぶかしげにしているのがほとんどの面々であることから、彼らも伺い知らぬことのようだ。

 そして明かされたやりとりの正体は、流石地上軍の総司令だと舌を巻かざるをえない内容だった。

 

「ベルクラントが活動を始めた時点で拠点から出ようとした人間はいません。正門はおろか、他方からも脱走者及び侵入者も零だそうです。そもそも外の兵士達はベルクラントが活動を始めたことも知らず、謎の発光の時点でようやく「何かあったこと」に気付いたそうで」

「ふむ……避難民にまぎれたスパイの密告で場所が割れたかと思えば違うようだな。特に騒ぎが起きていないということは、混乱に乗じて侵入しようとした輩もいない、と」

 

 あの混乱状態の中、そこまで考えてシャルティエを使いに出したのか。

 フィオレでさえ、まずはベルクラントをどうにかしようとしか考えられなかったというのに。

 フィオレが内心でひたすら感心していた最中のこと。シャルティエの、どちらかというと丸みを帯びている瞳がちら、とフィオレを見やった。

 

「……ただ、発光直後。フィオレさんがラディスロウへ入っていくのを僕が見かけました。入り口の兵士達は空を眺めていたから、知らないと思いますけど」

「ああ、それなら……」

 

 騒ぎの前後のやりとりから、カーレルが潔白を証明してくれる。

 事情を聞いてシャルティエが軽く頷いた後で、カーレルはフィオレに向き直った。

 

「さて、先程の件でちょっと話し合わなくてはいけなくなってしまった。すまないが、私の部屋で作業を続けてほしい」

 

 手早く必要なものをまとめて、差し出す。それを受け取り、承諾の意を示した。

 

「わかりました。よろしければ、清書も仕上げましょうか」

「複写が終わって手隙になったらね。それが終わったら報告へ来てくれ」

 

 そのまま会議の邪魔にならぬよう足早に作戦会議室を後にしようとして、その足に何かが当たる。

 ちらと視線を落とせば、それはペンダントに見えた。

 赤い染色の革ひもに蓋つきのペンダントトップ……ロケットか。フィオレが所持していたものとは明らかに異なった意匠である。

 

「これはどなたの落し物ですか?」

 

 革ひもに手を伸ばし、ひょいと持ち上げかざして見せる。

 ロケット自体は壊れているのか開きっぱなしだが、不用意には覗かない。

 中身を無断で見られることがどれほど嫌なことなのかは、わかっているつもりだ。

 かくして、所持者はいた。

 

「……私のだ。ありがとう」

 

 近寄るイクティノスにそのまま渡そうとして、ふとその目つきに違和感を覚える。

 妙にこちらを熱心に見詰めているというか、フィオレよりも長身であるにも関わらず帽子の下を覗きこもうとしているというか。

 何にせよ、詮索をあまり歓迎できないフィオレが親しくなれるわけもない。

 受け取ろうとする手にロケットを載せて、フィオレは早々に退室した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音を立てて扉が閉まり、数秒後。

 フィオレが完全に立ち去ったことを確認して、イクティノスは開いたままのロケットペンダントを閉ざした。

 

「落としたのに拾わなかったのは、そういうことか」

「中を見るかと思いましたが、礼儀正しいですね。ハロルドから事情は聞いていないようです。あの態度を作っているのだとしたら、大したものですが」

 

 肩をすくめるイクティノス、さもありなんと頷くリトラー。

 二人のやりとりに首を傾げたのは、シャルティエただ一人だった。

 

「どういうことですか?」

「そうか。シャルティエは知らないんだな。彼女、フィオレくんは……」

「カーレル。人のプライベートを無断で語らないでください」

「それもそうだね。話していいかい?」

「駄目です。余計なことを知って態度に出されても困ります」

 

 あっさり断られ、あっさり引き下がったカーレルがすまん、とシャルティエに頭を下げる。しかし、それで納得する彼ではない。

 

「そうやって隠されると、更に気になります……」

「気にしなければいいだろう」

 

 その通りではあるが、それが悲しきかな人としての性だ。

 それでも階級としては上位に立つイクティノスに詰め寄る気はないらしく、シャルティエはリトラーに小さく会釈をした。

 

「それでは、失礼します」

「シャルティエ少佐、これからベルクラント稼働の対策会議を開くが……」

「それに関して調べたいことがあるので、すみませんが欠席します。はっきりしたことが分かり次第、報告しますので」

 

 首をひねる一同を尻目にシャルティエは、足早に作戦会議室を後にしている。

 彼が向かった先、それはカーレルの執務室兼私室だった。

 

「失礼するよ」

 

 声をかけて入った先、そこには中央のデスクを使って作業に没頭するフィオレの姿があった。

 格好は私服、やってきた当初のまま。顔も髪も大きなキャスケット帽に覆われてしまっている。

 しかしシャルティエにはあの端正な顔立ちが大真面目に、色違いの特殊な瞳が資料とにらめっこしている様子がありありと浮かんでいた。

 突然の訪問者に対し、フィオレは作業の手を止めて立ちあがっている。

 目上に対するその礼儀正しさが、シャルティエの好感度を上げていることを彼女は知らない。

 

「カーレル中将なら、ご存じの通り作戦会議室ですが……相部屋なんですか?」

「いや、違うよ」

 

 では何の用事なのだろうかと、フィオレは気持ち首を傾げている。

 彼の言伝を受けて備品を取りに来たとか、フィオレへの伝言か何か。しかしシャルティエは何を話すでもなく周囲の様子を探っているように見える。

 ともかく作業に戻ろうとしたフィオレがペンを手に取ったところで、シャルティエは唐突に切り出した。

 

「あのさ、さっきの話。本当のところは?」

 

 手に取ったばかりのペンが、彼女の手をすり抜けて転がる。

 その動揺は明らかに質問に対するものだ。しかしフィオレとて、それをあっさり認めるわけにはいかない。

 

「本当のところ?」

「一息つこうとしてラディスロウから出て、空の異変に気付いて戻ってきたんだよね」

 

 シャルティエの言に一切否定するべき点はない。

 首肯するフィオレに対し、彼は人懐こそうな、だからこそ何らかの裏を勘繰りたくなる笑みを浮かべている。

 

「ラディスロウを出ていく時、警報が鳴ってなかった?」

「鳴っていましたね」

「鳴っていたことを知っていたのに、君は何もしなかったってこと?」

 

 なるほど、そうきたか。

 シャルティエが何をどこまで知っていて、何を目的としているのかはわからないが。

 彼はフィオレがどのように答えようと何かしら追い詰める方向へ話を持っていくように仕向けるだろう。

 シャルティエの話術がどれほどのものかは知らないが、この手の話をまともに付き合っていたらいくら時間が合っても足りない。

 相手は少佐階級の持ち主だが、今フィオレが任されているのは中将に軍師を兼ねた人物からの仕事だ。優先順位は比べるべくもない。

 

「……何も……いいえ。ラディスロウの外へ出ましたね。何があったのかを確かめるために」

 

 言いながら、再びデスクについて複写を再開する。

 シャルティエはかすかにムッとした様子だが、取り合わない。

 この時点で、目指す着地点ははっきりしている。彼が何を知っていて、何を目的としているのかを、如何にして聞き出すか。

 とはいえ、フィオレ自身にやましいことはない。

 強いて言うならラディスロウ裏手でのことは隠しておきたいが、それは地上軍から疑われてまで隠すことではないのだ。

 この場合は、前者だけでも達成されるのが最低ラインか。

 

「ラディスロウの中で何かあったとは思わなかったの?」

「中で何かあったのだとしたら、その場所へ駆けつけるべきなのでしょうか? 対処を知るならばまだしも、つい先程軍入りした新入りにできることは、せめて避難することだったと愚考します」

 

 シャルティエによる尋問に付き合いながら、さりげなくフィオレも相手の情報を聞き出そうとして。

 次なる一言に、フィオレの目論みは完全に潰された。

 

「……じゃあ、僕が見たことをそのまま総司令達に話しても構わないよね。君達の身柄を保証しているのはハロルド博士だから、彼女になんやかんや聞くことになると思うけど」

 

 おそらくはフィオレが、シャルティエの望む言葉を意図的に避けたから、であろう。

 堂々巡りを予感させる話の流れを力づくで軌道修正した形になる。

 ハロルドを引き合いに出したのは、彼女を煩わせて貸しを作るのは誰でも嫌がるだろうという思惑のもとか。

 ハロルドの機嫌など心底……とまではいかないが、そこまで重要視するものではない。

 しかし、シャルティエが何を知っているのかが判らない以上あることないこと告げ口されて天上軍のスパイとか何とか、疑われるのだけは避けたい。

 

「……何が、お望みですか?」

「あはは、そんな怖い声出さないでよ。ちょっと手伝ってほしいことがあるだけさ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十戦——英雄様一行≠天才科学者様の帰還~彼女は何でもお見通し

 地上軍基地、ラディスロウにて。ここで一同が戻ってきます。
 まさかフィオレが地上軍の軍人コスプレしているとは夢にも思わなかったでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上軍拠点より、物質保管所は大体一日程度の距離がある。

 滞りなくハロルドが望んだ「ガラクタ」を抱えて、一同が帰還したのは四日後のことだった。

 

「じゃあ私はさっそくマシンの製作に取り掛かるから。リトラー司令への報告、よろしくぅ!」

 

 まるで面倒事を一同へ押し付けるように、部品を抱えて意気揚々と格納庫へ向かったハロルドの小さな背中を見送り。

 言い知れない不安を抱えて、とにかく報告をしようとラディスロウへと向かう。

 雪が敷きつめられ、ありあわせの木材等で造られた建物が居並ぶ拠点を歩く内、唐突にロニが巨大なため息をついた。

 

「ボロボロの物質保管所から帰ってきた先は、野郎ばっかの基地……なんかこう、潤いがねえよなぁ」

「うるおい?」

 

 こんなに雪が豊富で湿気は有り余っているのに、とカイルは首を傾げている。

 そのそっけない言葉に、彼は拳を作って力説を始めた。

 

「ここが戦場だってことはわかってる。だが……いや、だからこそ必要なモノってのがあるだろ?」

「必要なもの……?」

 

 当たり前だがカイルにはピンとこない。ジューダスはただただ呆れているだけだ。

 業を煮やしたロニがそのものズバリを言おうとして、半眼になった少女を前にしてどもった。

 

「そう、それは……!」

「それはなんだい?」

「いやだからその……ナ、ナナリーさん? どうして指をポキポキ鳴らしていらっしゃるのですか?」

「いやなに。あんたに足りないのは、マッサージなんじゃないかと思ってね!」

「待てナナリー! お前のそれは、マッサージじゃなくてただの関節技……!」

 

 以下、ロニの野太い悲鳴で終わる。

 無論のこと、ここは無人の荒野ではなく兵卒や士官、避難民の集う地上軍拠点である。盛大な痴話ゲンカは注目の的だった。

 

「痛ってー……」

「あんまりアホなこと抜かすと、今度はハチの巣にするよ!」

「へえへえ、わぁーったよ……おっ」

 

 極められた関節をさすりさすり、ロニの目が彼方へ吸い寄せられる。

 今度は何かと見やった矢先、ジューダスの目が丸くなった。

 

「おおっ、潤いがいた! やっぱいいよなあ、美人はいるだけで目の保養だ」

 

 道端にて、兵卒とやりとりを交わす一人の女性がいる。

 未踏の雪原に似た色合いの髪が和えかな風で揺れていた。

 紫紺を基調とする貫頭衣に、軍服の意匠を反映させた外套を羽織っている。カイル達も幾度か見かけた、女性衛生兵の制服だ。

 しかしその腰には、明らかにとってつけた剣帯に短剣が下げられている。左右のそれはけしてバランスを取るためではないだろう。

 

「あんた、言ったそばからアホなことを……「おっ、こっち見た!」

 

 ナナリーの苦言をものともせず、ロニは興奮気味に、しかし格好つけて髪をかきあげている。

 騒ぎを耳にしたか、あるいは違う理由か。ロニが目を付けた衛生兵と思しき女性は、兵卒との話を切り上げて一同を見やった。

 端正な、それでいてあどけない印象の美人だ。切れ長でありながら垂れ気味の眼は愛らしく、美人特有の近寄りがたさがない。

 そして、正面から見たその制服は機動性を重視していないのか雪国にしては露出が多かった。際立つのはその胸元で、サイズが合っていないのか豊かな胸の膨らみが覗いている。

 次の瞬間、女性はおもむろに一同へと駆け寄ってきた。

 

「な、なんでこっちに?」

「あちゃー、やっちまったな。こりゃ責任を取って俺がお相手を」

 

 鼻の下を伸ばしまくるロニをナナリーがどついている間にも、衛生兵は一同の元へと辿りついた。

 その左手が持ち上がったかと思うと、こめかみの横で手刀が作られる。

 

「お疲れ様です。首尾はいかがでしょうか?」

 

 まるで親しい間柄であったかのようにそれを尋ねられ、一同はもちろん動揺した。彼らにとって非常に聞き慣れた声に、ジューダスだけが眉を歪めている。

 

「しゅ、しゅび?」

「え、えっと。オレ達が何してきたか、知ってるの……?」

「勿論。ハロルドのお手伝いでしょう? そういえば、彼女がいませんが」

「あいつなら格納庫へ行った。それでお前、その格好はなんなんだ」

 

 戸惑う面々を尻目に、一歩前へ出たジューダスが不躾にそれを尋ねる。

 彼の態度が変わらないのはいつものことだが、その物言いは見知らぬ他人ではなく完全に知り合いに対するものだ。そして相手も、慣れた様子で鼻白む気配もない。

 

「これですか。あなた方がいない間にちょっとありましてね」

「おいジューダス、知り合いなのかよ!? てめえいつの間に……いや、そんなことより紹介を」

「……だそうだ。自己紹介してやれ」

 

 ジューダスにそれを言われるより早く、女性はきょとんと瞳を瞬いた。その一瞬を経て、口元からああ、と言葉が漏れる。

 

「考えてみれば私、皆とこうして顔を合わせるのは久々ですね。改めて、フィオレンシア・ネビリムです」

 

 胸に手を当て、片手は貫頭衣の裾をつまんで優雅な会釈をする。

 たっぷり時間が過ぎ去った後、一同は再び注目を集めていた。

 

「「ええええっ!」」

「……他の連中は仕方ないとしてナナリー、お前は見たことがあるんじゃなかったのか」

「だ、だってっ、めが……」

 

 衛生兵姿の美人──フィオレの眼の色は、双方ともに菫の色。これまで彼女が一度たりとも言葉を発さなかったのは、それに起因しているのだろう。

 しかしただ一度、彼女の変装を見たジューダスだけはすぐにわかったというわけだ。

 わずらわしそうなジューダスの視線を受け、フィオレは苦笑を浮かべて目元に手をやっている。

 

「ちょっとした変装ですよ。この眼は何かと人目を引くので」

 

 小道具で誤魔化された瞳の色が、あらわになる。滅多に見られぬ人体の神秘に一同が魅入るもそこそこ、フィオレは取り出した眼帯で緋色の眼を覆ってしまった。

 あ、と誰のものとも知れない声が零れる。

 

「ということは、飛空艇は製作中なのですね。で、皆はリトラー司令へご報告でしょうか」

「そういうことになる。お前は……確かカーレルの指揮下にいるんだったな」

「──ええ。雑務をちょこちょこと……丁度一段落したところです。御一緒しましょうか」

 

 ロニが見惚れた美人がフィオレであるとわかり、動揺していた一同もこの頃には落ち着きを取り戻していた。

 バツが悪そうにしているロニを尻目に、一同は物資保管所で起こったことを中心とする近況報告などをしている。

 

「大変だったんだよー。物資保管所、何か知らないけど毒ガスまみれでさぁ」

「ハロルドいわく、科学物質が漏れて有毒ガスを発生させているとか。あの時ほど、お前を置いてくるんじゃなかったと思ったことは無かったな」

 

 確かに、フィオレはトラッシュマウンテンを巣食っていた毒性ガスを一時的にとはいえ中和した実績がある。物資保管所においても、同じことが期待されただろう。

 

「それにしても大丈夫なのかい? 確かハロルドから帽子取るなって言われてたんじゃ……」

「私も取りたくなかったのですが、こちらでも色々ありましてね」

「いやでも、こっちのほうがいいって。どうして隠すんだよ?」

 

 言葉少なに会話を打ち止めるフィオレに、気を取り直したらしいロニが会話を繋げる。

 しかしその内容は、あまりにも間の抜けたものだった。

 

「ロニったら、何言ってるの? フィオレが顔を隠しているのは、ジューダスと同じ理由じゃない」

「あ、ああ、そうだっけ……」

「それなんですよね。この時代で知ってる人なんていないから安心して取れると思ったけど……まさか同じ顔がいたなんて」

 

 ポツリと呟かれたその言葉を尋ね返すよりも早く、フィオレはラディスロウの垂れ幕をくぐってゆく。

 続くようにして入室すれば、作戦会議室にはリトラー、カーレルがいた。

 

「失礼します。皆、報告先にどうぞ」

 

 そう言って、フィオレは二人に敬礼をしてから壁際へ待機している。

 その言葉に甘えたカイルが一歩前へ踏み出すと、敬礼に軽く頷いていたリトラーは彼に目を向けた。

 

「おお、君たちか。首尾はどうだったかね?」

「必要な材料は揃いました。今ハロルドが組み立て作業に取り掛かったところです」

 

 カイルの報告に、リトラーは満足そうに頷いている。ハロルドの仕事が終わるまで待機しているように、という彼の指示に、一同は小さく息をついた。

 経験がないわけではないが、それでも慣れない雪中行軍はつらかったのだろう。

 

「仮眠室の場所は知っているかな?」

「リトラー総司令。私がお借りした部屋を使ってもかまいませんよね」

「そうだな、少々手狭だが、それでもいいのなら……ではフィオレ君、君の報告も頼む」

 

 一同の案内はそれを終えてからにしてくれと促されて。フィオレは小さく頷いたかと思うと、改めて背筋を伸ばした。

 

「避難民たちの統計ですが──」

 

 現在地上軍拠点で保護されている避難民の内訳を、彼らが置かれている現状をすらすらと並べていく。

 手にした書類に一度たりとも視線をやらない限り、違う報告のものなのか。

 

「彼らの要望を是非にとのことで、まとめておきました。激しい自己主張が十割を占めています。提出はしますが、怖いもの見たさなら燃やして埋めるのが吉かと」

「……うむ。心遣いありがとう」

「以上で報告は終了です。カーレル中将、軍の備品横流しの件ですが……」

 

 まとめるなら、その任務についている兵士達に怪しい動きは無かった。

 おそらく部外者のフィオレがいくら見張ったところで現行犯は突き止められないと、実際の売買現場を先に突き止めたという。

 

「聞き込み中、配給品の存在を理由に品物を売ってもらえないと嘆く女性がいました。育ちざかりの子供達が、配給だけでは足りないと言って泣くそうなのです。その話を聞いた難民の一人が、女性を連れて裏路地へ入って行きました」

 

 そこでフィオレは、横流しされた軍の備品を金銭で取引する闇商人を見つけた。

 リヤカーに横流し品を溜め込み、引き換えに金銭を要求していた初老の男。顔は隠していなかったが、似せ書き等は作成しなかったそうだ。

 

「横流しの実態について調査せよとのことでしたので」

「……そうか」

「軍の備品をちょろまかした軍人崩れが、避難民に物資を売りつけていました。販売部が扱うものと同等の価格で、誰とも問わずに」

 

 フィオレは未だに書類を抱えているが、それを彼に渡す気配はない。

 極めて淡々と報告こそしているが、言わんとすることはきっとカーレルも察していることだろう。

 

「実を言うと、補給・販売課は私の管轄外なんだけど……」

「早いところ戦争、終わらせたいですね」

 

 以上で報告は終了と締めくくり。一同を件の部屋に連れて行こうとして、リアラの一言がフィオレの足を止めた。

 

「フィオレ、その書類は?」

「シャルティエ少佐へ提出するものです」

 

 カーレルの指揮下にいるフィオレが、リトラー司令や彼からの任務を請け負っているのはわかる。

 しかし、どうしてシャルティエに報告するようなことがあるのかと、一同が首をひねる傍らカーレルが労いを口にした。

 

「いや、その必要はないよ。それは私が渡しておこう。皆と一緒に君も休んでくれ」

「わかりました。では、この報告を済ませたら休養を取らせていただきます」

 

 カーレルの伸ばした腕から軽く逃れるようにしながら、フィオレは一同を促して会議室から出ていこうとした。

 しかしそれは、難しい顔をした彼の苦言によって中止を余儀なくされる。

 

「そんなことをしたら、また雑事を押し付けられるよ。このところシャルティエが他の課から補佐を請け負ってるみたいだけど、八割方君がこなしているだろう?」

「……否定はしません」

「君にとっては様々な仕事に関われ、且つ器用にこなしてるからあまり苦にはなっていないみたいだけど。シャルティエがやっているのは単なる手柄の横取りだ。ほとんど睡眠を取っていないだろう?」

 

 よく見れば、あらわになったフィオレの目元には隈が浮かんでいる。何となく気だるげに見えたのは、それに起因しているのだろう。

 

「部下の手柄は上司の手柄。昔からある大変有名な言葉です。でも、私が関わっているとよくお気づきで」

「手当たり次第回ってるみたいで、私のところにも報告書が回ってくるんだ。大体が君の字、でなければ字体が違うだけで書き方が同じなんだよ。気付かないほうがどうかしてる」

 

 手柄が全部上司のものになっている。このこと自体は気にすることではない。歴史にフィオレのことを僅かにでも残すわけにはいかないのだ。

 だったら、シャルティエが一時的にでも有能な人でした、という記述が残る方がマシというものである。

 フィオレが気にしていないなら口を挟むまいとでも思っていたのか。カーレルはこの件について何も言ってこなかった。ここ数日の間は。

 

「あえて何も言わなかったけど、これから大事な作戦が控えているんだ。体調を万全にしてくれなきゃ、こっちが困る。ハロルドから君を預かっているのは、私なんだから」

「それは重々承知しています。お言葉ですが、一度請け負った以上報告まで済ませておくべきかと」

 

 ここにきて、いいから休めという要求は凄まじかった。なだめてすかすような物言いは癖なのか、相手がフィオレだからなのか。あるいはハロルドが戻ってきたからか。

 しかし、どれだけ注意されても中途半端はよくないと抗戦すれば、彼は一瞬の沈黙を挟んで嘆息した。

 

「……まあ、そうだね。私もそう思う」

 

 まるで何かあきらめたかのように言い置き、踵を返す。

 彼が向かったのは、部屋の隅に設置されている通信機器だった。

 

〔シャルティエ少佐、ピエール・ド・シャルティエ少佐! 至急、作戦会議室に来られたし!〕

 

 何と彼は、艦内放送を使って彼を呼び出しにかかったのである。

 普段、幹部職でありながら横柄さは微塵もなかった彼の行動に驚くも、カーレルはあっけらかんとしていた。

 

「カ、カーレル中将?」

「ん? 用事があるから呼び出して、何が悪いんだい?」

 

 それは、彼本人にも用事が出来たから言っているのか。しかしそれにしても唐突過ぎる。

 どうでもいいが、仮にシャルティエが艦内にいなかったらどうするつもりなのやら。

 そこへ。

 

「失礼します。カーレル中将、何か?」

「ああ、ちょっとね。フィオレ君、お先にどうぞ」

 

 存外早く現れた彼は、そこで初めてカイル達と共に佇むフィオレを見やった。

 その目が明らかに、自分より目下を見る──見下したような目つきになっている。

 

「困るな。報告書は部屋まで持ってきてほしかったのに」

「──すみません」

 

 一体この数日で何があったのか。シャルティエがフィオレに接する態度は、明らかに一変していた。

 馴れ馴れしいというか横柄というか、良くも悪くも近しい人間としての態度である。

 それをけして歓迎していないことを示すように、フィオレの顔立ちから表情が消えた。

 恭しく報告書を差し出すも、補足の報告すら行おうとしない。

 それを気にした様子もなく、シャルティエはその場で書類に目を通し、ぞんざいに頷いた。

 

「うん、ありがとう。じゃあ次は「ハロルドが帰還した、とのことです。指揮権を彼女に戻していただこうと思いまして」

 

 シャルティエの眉が、はっきり歪む。

 自分の口上が遮られたことか、フィオレが口にした内容か。

 おそらくは両方だ。

 

「……ふーん。あのこと、話していい?」

「それは困ります」

「わかった。じゃあ指示じゃなくて、これはお願い。聞くか聞かないかは君に任せるよ」

 

 シャルティエがフィオレの弱みを握り、正式な指揮下でもないのにこき使っている。そんな裏事情がはっきり浮き彫りになった。

 言葉に詰まるというより、呆れて閉口、気持ち仏頂面になっているフィオレをちらちら見ながら、シャルティエが言葉を続けようとして。

 

「話というのはそれなんだ、少佐。あのこと、とは一体何なんだい?」

 

 カーレルの言葉が、それを遮った。

 聞きにくいことをすぱりと尋ねるカーレルに、シャルティエもフィオレも凍りつくもすぐに平静を取り戻している。

 

「彼女のプライベートに関することです。それは言えません」

 

 このシャルティエの返答に対し、カーレルが何かを言うよりも早く。

 小さく息をついたフィオレが、その言葉を否定した。

 

「……いいえ、大したことではありません。報告してくださってかまいませんよ、少佐」

 

 あまりおおっぴらにしたいことではないが、それでも今の発言ではどのようにも誤解される。

 彼にしてみれば、触れにくいことを強調するための方便だろう。しかしこれでは、天上軍のスパイや天上側に家族がいるなど、都合が悪すぎる解釈に取られてしまいがちだ。

 加えて、この場にはリトラーという総司令がいるのだ。そんな風に疑われたら、せっかく軍内で動けるようになったのが仇になる。

 一同に害が及ぶよりも早く、これ以上傷を広げないようにしなければ。

 その見事な手の平の返しっぷりに、逆にシャルティエが慌てていた。

 

「へっ!?」

「ところで皆。外出中にベルクラントが活動していたことをご存じですか?」

 

 その問いに、彼らは驚きをあらわにして首を横に振った。

 詳しく話を聞けば、空に異常があったことは知っているものの、何が起こったのかは把握していないという。

 たった一人を除いて。

 

「ハロルドがよ、変な機械弄って一人で納得してたな。何があったんだって聞いても『帰ってからフィオレに聞けばいい』の一点張りで……」

「私に、ですか。流石天才、何もかもお見通しなんですね……」

 

 すんなりフィオレの名を出したということは、同じ特徴を持つフィオリオも守護者と何らかの関わりがあったのかもしれない。

 彼女が承知の上ならば、隠すこともなかろうと。フィオレ自ら事の詳細を語ろうとして。

 

「たっだいまーっ!」

 

 ぶわさっ、と垂れ布を大仰にかき上げる音と共に、小柄な人影が飛び込んできた。

 濃い桃色の、寝起きを彷彿とさせるくせっ毛。華奢で小柄な、それでいて特徴的な出で立ち。

 少女めいた高い声の持ち主は、勿論ハロルド・ベルセリオスその人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※衛生兵の軍服は、アトワイトが着用しているものを参考にしています。衛生兵長の彼女が割と肌色多いから、あれが正規の着方であると信じて。


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第五十一戦——人も夢も儚いもの、ナイトメアだけは消えることもなく


 ラディスロウ内。仲間達が戻ってきて、シャルティエ(オリジナル)の魔の手から逃れきって、緊張が解けてしまったのでしょう。
 久々にジューダスとシャルティエ(ソーディアン)との三人きりですが……
 日頃他人を寝かせまくっている弊害ですかね(てきとう)


 

 

 

 

 

 

「ハロルド!?」

「あら兄貴。早速だけどフィオレ返して。色々と聞かなきゃいけないことが……」

 

 つぶらなその瞳が作戦会議室を巡り、やがてフィオレの姿を認める。

 軍服姿に、帽子がない。眼帯は……おそらく関係ないだろう。

 彼女は数秒ほど動きを停止させたかと思うと、目の色を変えてフィオレへと迫った。

 

「正直に答えなさい! あんたにその格好をしろと言ったのは、誰!?」

「え~と……」

 

 態度を豹変させたハロルドの視線から逃れるように、フィオレの視線が流れていく。

 視線の先にいるのは、展開についていけずおろおろしているシャルティエだ。

 様々な仕事を任された際、軍服でなければ差し支える状況も多々あったがために支給されたものである。現在は帽子すらも、彼の管理下にあった。

 

「……シャルティエ、あんたなわけ?」

「は、ハロルドさん。何をそんなに怒って……」

「あんたにも話したでしょーが! この子は、自分にそっくりな人間がいると聞いてここへやってきたって! 何でよりによってフィオリオのコスプレなのよ、着やせしてるところまであの子そっくりだし……で、あんた帽子は?」

「顔を隠すなんて不敬だ、と少佐に没収されました」

 

 まるで見計らったかのような追い討ちに、ハロルドはそれこそ般若のような気迫をまとわせてシャルティエを睨んでいる。

 ──これで、最早彼がフィオレに絡んでくることもなかろう。

 今にも杖を振り上げて晶術をブッ放しそうな彼女の気を引くため、フィオレは口を開いた。

 シャルティエに下手な怪我をさせて、今後に影響を出すわけにはいかない。

 

「おかえりなさいませ、ハロルド。ところで、私に聞きたいこととは?」

「……あんたってさ。精霊が見えたり話ができたりすんの?」

 

 フィオレの問いに、ここへ来た理由を思い出したのだろう。気迫を唐突に消したハロルドは、声を潜ませるでもなくそう聞いた。

 彼らを精霊と呼ぶべきか否かを知らないフィオレには、こう答えるしかない。

 

「守護者……精霊結晶との意思疎通ならば」

「なるほど。じゃあちょっと前にベルクラントを迎撃したのは、あんたを通じてそいつらがやった、ってことでいいかしら」

 

 やはり彼女、フィオリオもまた彼らと意志を交わしていたのか。それが判明したのは、次なる彼らの会話を聞いてのことである。

 

「どういうことかね」

「司令も、フィオリオが変わった子だったことは知ってるでしょ。いっぺん精霊の助けを借りて、ベルクラントの攻撃を跳ね返して、空中都市の一部を落っことしたことがあったじゃない」

 

 それを聞くだに、あっちの方が実力はあったようだ。あるいは全ての守護者と契約、またはそれに準じるものがあったのか。

 その話に対し、大いに驚いたのは一同と、そして。

 

「そ、そんなことができるなら、どうして判った時点で総攻撃を仕掛けなかったんですか!」

「精霊達の望みはどちらかの勝利でも、戦争の早期終結でもない。これ以上地表を破壊されたくなかったから迎撃しただけで、それ以外に力を貸してくれないらしいわよ。あんたも同意見でしょ?」

「そうですね。少なくとも、天上側への総攻撃は手伝ってくれないと思います」

 

 ついでに、シャルティエが握っていた弱みがラディスロウの裏手にて迎撃を行っていたことだとさらりと明かしておく。

 その告白に、ハロルドは瞳を輝かせた。

 

「あらっ、やっぱりそうなのね。ベルクラントが起動したと思ったら、地上軍拠点付近で高密度の混合エネルギー射出を算出したの。地水風が均等で、炎だけが少なめだったけど」

 

 変な機械とやらでそこまで見通されていたとは。天才の名は、伊達ではない。

 それ以上の追及は避けて、フィオレは話の主導権を手繰り寄せた。

 

「それでハロルド、作戦に使用する飛行艇はいかがです?」

「ああ、後は設計通りに組めばできるわよ。明日完成は確実。私は最終調整をしなきゃいけないから、ちょっと仮眠を取ろうと思ってね」

 

 作戦はハロルド本人も参加するから、組み立てから最終調整まで手掛けるのは不可能だということだろう。

 行軍の疲労を示すかのように、彼女は大きく伸びをした。

 

「カイル達も休んでね。フィオレ、あんたまだ何か仕事、残してる?」

「いえ、今しがた請け負ったものは全て終わらせました」

「ん、上出来。あんたも休んで、その隈を取っておきなさい。格好も元に戻してくれると嬉しいわ」

 

 じゃあね~ん、とハロルドが会議室から出ていく。まるで嵐が去った後かのような安堵感にも似た雰囲気の中で、フィオレは小さく息を吐いた。

 

「それでは隊長の命に従い、私達も休養を頂きます。失礼しました」

 

 ベルクラント迎撃の件で何かを言われない内に、今度こそ会議室を後にする。

 フィオレに貸与されたのは、作戦会議室を出てすぐ近くにある、士官用の部屋だった。

 シャルティエによって種々様々な仕事を請け負っていた際、報告書を書く場所がないとシャルティエに相談したところ。自分のデスクを使えばいいと言い放ったシャルティエを押しのけて「この部屋を自由に使っていい」とイクティノスが鍵をくれたのである。

 

「しかし、よくこんな部屋ひとつもらえたな。使い走りの成果か?」

「……ここは、フィオリオ・ゲーティアとその兄が使っていた部屋なのだそうです。誰も使おうとしないから、自分が管理していたのだと少将は言っていました」

 

 部屋の両脇に寝台が置かれ、私物を管理するスペースが設置されている。中央には二人が同時に作業できるようなデスクがあるのだが、それだけだ。

 外套を脱いで椅子に引っかけたフィオレの呟きに、一同がぎょっとして部屋を見渡した。

 

「そ、それって、バルバトスが使ってた部屋……!?」

「そういうことでしょうか。ちなみに、私物の類は撤去されてました」

 

 収納されていた衝立を取り出して部屋の隅に設置、その向こう側へと姿を消す。しばらく布ずれの音が響き、やがて普段の格好に戻ったフィオレが出てきた。

 ただ、帽子を被っていないため違和感は消えない。

 片手間に束ねていた髪をまとめ直したフィオレは、気の進まない面持ちで扉へ向く。

 

「さて、私はシャルティエ少佐から帽子を返してもらいに行ってきます。皆は先に休んでいてください」

「あ、ああ。わかったよ」

 

 戸惑う一同に素知らぬふりで、フィオレは部屋を後にした。

 向かった先は、シャルティエとイクティノスの相部屋である。先程カーレルに呼び出されていた彼だが、もう戻っているだろうとの目測で訪ねてみたのだが。

 

「失礼します」

「……ああ。君か」

 

 残念なことに、部屋の中にいたのはイクティノスのみであった。

 訊けば、シャルティエはカーレルに呼び出されて以降戻ってきていないらしい。

 

「そうですか。ハロルドの手前帽子を返してもらおうと思ったのですが……まずは少佐を探してみます」

「ハロルド達が戻ったのか。首尾は?」

「明日にも移動手段が確保できるとのことです」

 

 これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと退室しかける。

 そして、何故か呼び止められた。

 

「何か?」

「シャルティエのデスクにある、一番下の引き出しを開けてみてくれ」

 

 見やれば、彼の目はデスク上の機材、液晶画面に張りつけられている。必要な資料があるから、出してほしいということだろうか。

 他人の机の引き出しを開けるなどという行為は本来恥ずべきことと教えられているフィオレだが、頼まれごと、仕事ならば致し方ない。

 イクティノスの言葉に従い、一段目や二段目よりはるかに容量のある三段目の引き出しを開ける。

 

「あ」

 

 するとそこに資料らしいものはなく、一冊の分厚い本と見慣れたキャスケットが収まっていた。

 イクティノスを見やれば、彼は席についたままフィオレの挙動を見守っている。

 

「それを探していたんだろう。持っていくといい」

「でも……」

「シャルティエには私から伝えておく。彼の不機嫌よりはハロルドの機嫌を優先してほしい」

 

 まったくもってその通りである。

 イクティノスの言葉に頷いたフィオレが帽子を取り、シルフィスティアの依代が付随していることを確認してすっぽりと被った。

 

「ありがとうございました、少将。それでは失礼します」

「……ああ」

 

 液晶画面に見入ったままのイクティノスに頭を下げて、退室する。

 とはいえ、この移動中にシャルティエとはち合わせたら面倒なことこの上ない。急いで部屋に戻ろうとして、今まさに退室してきたジューダスを見つけた。

 

「……上手く取り戻せたんだな」

「こっそりと、ですがね。どうかしましたか?」

「入ればわかる」

 

 何かあったから出てきたのだろうに、それは冷たい。センサーにひっかからないよう扉の付近で聞き耳を立てれば、とある男女の会話が何となく聞きとれた。

 

「なんか、みんないなくなっちゃ……」

「……カイル。さっきのこと……」

 

 ──お取り込み中、か。

 もちろんこの状態で部屋に戻る勇気などなく、フィオレはすごすごと扉から離れた。

 

「ロニとナナリーは?」

「外の空気を吸ってくる、と言っていたな」

「そうですか」

 

 二人はそのまま仮眠室で休むのかな、と考えつつ、足を動かし始める。

 彼から特に異論がないことを確かめ、チャネリングを起動させた。

 

『しかし、シャルティエ。あなたもなかなか良い性格ですね』

『……うう』

『ソーディアンチームとはいえ、聖人の集まりでないことだけはわかっていましたが、まさかここまでとは』

『し、仕方ないでしょ! 若気の至りってよく言うでしょ、それに手柄の横取りは僕じゃなくて過去の僕……!』

『あなたの過去と今の人柄が知れて、大変参考になりました。私がされたことに対して、自分のことじゃないから関係ないと、そうおっしゃりたいわけで?』

『……ご、ゴメンナサイ……』

「その辺にしてやってくれ」

 

 そんなやりとりの間も、フィオレの足は進んでいく。ここ数日でラディスロウ内部を把握したのか、その足取りに迷いは無い。

 ジューダスの仲裁を取りあった様子はないが、フィオレは軽く微笑んだ。

 

「まあ、都合はよかったですよ。眠ると夢に見るから」

「……?」

 

 声音が、突如として下がる。ともすれば聞き流してしまいそうな違和感を、ジューダスもシャルティエも感じ取っていた。

 

『ゆ、夢?』

「お前が、夢のことを気にするなんて珍しいな。予知夢か?」

「いいえ、それはありえませんよ。なにしろ、スタンの最期なのですから」

 

 さらりと放たされたその一言で、フィオレの歩みが加速する。

 それまでそこいらを巡回していた兵士の姿が見えなくなってきたのと同時に、明らかな立ち入り禁止区域へと踏み込んだ。

 

『フィオレ……』

「やめろシャル。今は刺激するな」

 

 数少ない機会ではあったが、それでも彼は平静でない彼女の取り扱いを心得ていた。すなわち、嵐が通り過ぎるのを待つこと。

 本来ならば放っておくところ、目を離して何かしでかしても困ると、聞いてもいないシャルティエに言い張って。彼はただフィオレの後を追った。

 辿りついた先は、ラディスロウ最下層より尚下方の収納区画である。

 木箱が乱立する中、一部を動かして隠された扉を開いた彼女は、その身をするりと滑り込ませた。

 籠城される前にと扉をこじ開けたその先に、淡い光が視界をちらつく。辿りついたその先を見て、ジューダスは目を丸くした。

 地下に埋まっているはずのラディスロウ最下層で何が光っているのかと思えば。そこには一面に広がる水中の光景が広がっている。

 

「天地戦争初期、ラディスロウはベルクラントの砲撃を受け、一度は湖に沈んだそうです」

 

 時折横切る魚群、一瞬たりとも留まらぬ水の乱舞に見入ったまま、フィオレは呟くように告げた。

 ここが目的地であったらしく、膝を抱えて座りこんでいる。

 

「ですが破損は少なく、そもそも完全に沈んでいたわけでもないらしく。地上軍の改修を経て現在の形となるわけですが、今もまだ大半の部分が湖に沈んだまま。ここは、輸送艦であった頃の……観測室か、何かですかね」

 

 声の調子もまたすっかり落ち着いており、言葉をかけても問題ないと判断はできるが。その様子は、明らかに元気が無かった。

 身じろぎもせず正面を見つめるフィオレに、まずは雑談から始める。

 

「……まるで水の中、だな」

「怖いなら戻ることをお勧めします。私は頭が冷えるまで、こうしているから」

「誰もそんなことは言っていないだろうが」

 

 仮面を外し、その隣に何気なさを装って座る。その挙動で、フィオレは初めてジューダスの顔を見た。

 

「立ち去りませんか。機嫌が悪くなった女は面倒だと、公言していたあなたはどこに?」

「……僕を怒らせようとしているなら無駄だからやめるんだな。お前の手口なら、嫌というほど知っている」

「知っていたところで、あなたの沸点が低いことは変わらない」

 

 それでも、何が何でも彼をここから追い出そうと思っていないのか。フィオレは抱えていた膝を離して、仰向けに寝転んだ。

 その拍子に帽子が外れて、ころりと床を転がる。

 

「──スタンの最期を。あなたはご存じでしたか?」

「いいや。カイル達から聞くまでは知らなかった」

 

 唐突な、しかし想像はできたその問いに、ジューダスはかぶりを振った。

 彼とて初めから知っていたわけではない。しかし、エルレインによって夢に囚われた際、一同の身に何が起こっていたのか情報を共有した際それは聞き及んでいる、と。

 しかし。

 

「ただ……」

「ただ?」

「バルバトスの挙動から、おそらくはと予想はつけていた。あのスタンが好き好んで音信不通にはならないだろうと」

 

 フィオレとて、カイルから話を聞いて違和感を覚えていたはずだ。それなのに、時が流れて一同と過ごすうち、いつしかその事柄は記憶の彼方に置いてきてしまっていた。

 その理由は。

 

「……そう、ですよね。十分想定できることだった。そう思いたくなかったから、ですかね」

「お前がそう思うのなら、そうなんだろう」

 

 返事は無い。フィオレはただ、中空を見つめるのみだ。

 形こそ問答だが、間違いなく彼女は自分に言い聞かせるべく対話を続けている。

 

「大分スタンの死に囚われているな」

「自分でも驚いていますよ。他人の生死に、ここまで執着する自分がいたとはね」

 

 そんなことは百も承知であったようで、フィオレはあっさりとそれを認めた。

 ジューダスとしては現実を突きつけるつもりで言ったのだが、拍子抜けの返事である。

 そんな彼の内心など気にした風もなく、彼女は独白を続けた。

 

「大勢を殺してここへやってきた以上、大切な人の死だけを厭う資格などないことはわかっています。アレの存在が許し難いのも今更で、このことを知ってもすることは変わらない」

 

 それでも。頭では理解していても、心は納得していないのだ。

 少なからずそうであると、己の状態を結論付けている。

 心底困った様子で、彼女は嘆息した。

 

「ほんと、困りました」

「眠れないことがか」

「殺すだけじゃ足りない」

 

 八つ裂きにして粉微塵にして灰にしても。

 皮を剥いで肉を削いで骨をバラバラにして踏みにじろうとも。

 おそらくこの気持ちが収まることはないだろうと、腸が煮えくりかえってしかたがないとも、フィオレは零した。

 何の前振りもなく殺伐とした想いを吐露され、ジューダスは固まっている。

 そんな主に代わり、シャルティエは己の気持ちを隠すことなくごく自然に尋ねた。

 

『……怒り心頭なんだね。スタンのこと、そんなに好きだったの?』

「好き? 愛していたかという意味なら、否定します。そんな感情を覚えたことはない」

 

 そう。誰に誓うわけもないが、彼のことを男性として見たことはない。

 英雄と称えられた仲間達の中でも唯一殺されているから──しかも、子供を人質に取られて彼に成す術はなかった。義憤に駆られるのは当然でもある。

 けれど。

 

「特別な色眼鏡がかかっているのかもしれません」

『色眼鏡?』

「自分でも信じがたいことですが、私はスタンに憧れに近い感情を持っていました」

 

 世間を知らない田舎者。育ちがそうであったが故に惜しげもなく理想を口にし、それに向かってがむしゃらに駆けていく背中に。フィオレは常に憧憬を覚えていたと思う。

 現実を知らぬ言動に呆れても、時にとばっちりを受けても。常にその姿勢を崩さなかった彼に対し、眩しさを感じずにはいられなかった。

 まるで、太陽のようだと。

 後ろ暗い過去を持ち、隠し事を常とし、日陰の道を歩み続けてきたフィオレには直視ができなくて──妬ましくて。

 その一方で、どうか理想を体現してほしいと勝手に願い続けてきた自分もいる。己には到底できないそれを、叶えて欲しいとでも思っていたのだろうか。

 それが潰えてしまったから、彼の可能性を潰されてしまったから、ここまで囚われているのだろうか。

 ジューダスやシャルティエとの対話を通じて、底知れない悲哀と憤怒の正体を探ろうとしていたフィオレは、ふと我に返った。

 すっかりふてくされたシャルティエの念話によって。

 

『何? つまりは、私の太陽を奪ったあの男が許せないとか、そういうことなの?』

 

 ニュアンスがそこはかとなく変質させられた気がする。

 それをそのまま伝えても、彼の誤解が解けることはなかった。

 あるいは、それは誤解ではないのかもしれない。

 

『もう……あのねえ、スタンはカイルのお父さんなんだよ。ルーティの旦那さんなの!』

「そんなことは百も承知です」

『ああもう。スタンのことが好きで好きでしょーがないことはわかったよ! それで、坊ちゃんに何をしてほしいのさ?』

 

 ──いつからそんな話になったのだろうか。

 そもそもこの話の流れを遡り、ジューダスに弱音を零してしまったことから起因することを思い出す。

 頭を冷やそうとこの場へやってきて、ついてきた彼らに想いを吐露して。そこにいたことを良いことに、ついつい感情を思うままにぶつけてしまったように思う。

 それでもジューダスが付き合いかねて立ち去らなかったのは、それを勘繰ってのことなのだろうか。

 気を使わせてしまったかと、そのことだけを申し訳なく思いながら。己が心の奥底で彼に望んでいるだろう事柄を告白した。

 

「……ええと。私があれを目にして我を忘れてしまったら、ぶん殴ってでも目を覚まさせてください」

 

 バルバトスがスタンの仇である。この事実を知って筆舌しがたい悲憤を覚えてしまった以上、再びあの狼藉者とまみえて冷静に対処ができるのかどうか。

 そうあるよう努力はするし、何より平静失くしてまともに交戦などできはしない。

 だが、感情は時に理性をあっさり組伏せる。感情の高ぶりを必ずしも抑え込める自信のないフィオレは、己の暴走を抑えるようにと、ジューダスに依頼した。

 対する少年は、鼻を鳴らして了承の意を示している。

 

「ふん、いいだろう。常日頃の恨みを晴らす格好の機会だ」

「あなたぶん殴るという単語しか聞いてなかったでしょう」

 

 彼なりに元気づけてくれているのか、あるいは本気か。

 常日頃の恨みが何を指すものなのか、心当たりがあり過ぎて特定できないのも難だった。

 ここは前向きに前者だということにしておく。

 気が抜けたのか、ここのところ忌避していた睡魔がまとわりついた。

 噛み殺せない欠伸が漏れて、てのひらで口元を覆う。

 

「仮眠室、行きましょうか。今なら眠れる気がします」

 

 緩慢な動作で起き上がり、立ち上がろうとして。ジューダスに阻まれた。

 とろんと緩んだ色違いの瞳が、少年を映す。

 

「どうかしましたか?」

「……眠れる時に、寝ておいたほうがいい。今移動すれば目が冴えるぞ」

 

 瞼が重くなったようで、瞬きでそれに耐えながら、フィオレは逡巡を示した。

 

「でも」

「適当な時間で起こす。それから、移動すればいい」

 

 睡魔を振り払うように首を振りながら、それでも立ち上がろうとする。ジューダスが物理的に阻止にかかると、彼女は腕を少し引いただけで素直にそれに従った。

 そのまま、少年の胸の中へと倒れ込む。

 

「……!」

「──ごめん」

 

 思わず呑んだ息の音に気付いたのか。埋めていた胸から顔を上げ、腕をつっぱるようにして身を離す。もそもそと体勢を変えて、フィオレはごろんと床に寝そべった。

 程なくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 しばらくそれに聞き入って、おそるおそる息をついた。その時のことである。

 健やかだった寝息は、苦しげな呼吸に変わった。

 

「!?」

「ぅ……く……」

 

 安眠を取ろうと丸くなりかけていた体が、身じろぎを始める。助けを求めるようにぴんと伸びた手が、無意識だろう。床をひっかき始めた。

 慌ててその手を取り上げ、保護する。その瞬間、思わずジューダスはびくりと震えた。

 その手が、思いの他。柔らかく頼りない、女性の手であったから。

 

「ゃ……」

 

 いやいやをするように頭を振り、逃れようと緩慢ながら暴れる。解放すれば同じことを繰り返すことが容易に予測できた。

 それを留めようと無言で奮闘するも、この手の経験は一切ない彼に適切な対処法など知る由もない。

 最終的にジューダスはフィオレを包み込むように抑えていた。言葉として意味を成さないかすかな呻きを洩らしながらもがくも、熟睡しているためだろう。容易く抑え込めた。

 

「だ、め……やめて……逃げて、お願い……」

 

 夢が佳境へと入ったのか、不意にはっきりと悲痛な声で嘆願を呟く。無理にでも目覚めさせるべきか、睡眠中の夢に対するあらゆる知識を掘り起こした結果。

 

「──大丈夫だ」

 

 もがく体を強く抱きしめて、耳元で囁く。

 通常忘れるようになっているはずの夢を覚えているということは、その夢は当人が強く感情を動かされた内容である可能性が高い。

 感情が動くことによって「これは重要な情報である」と脳が反応し、記憶媒体に記録されてしまう。そして覚醒直後、夢の内容を無意識に反芻してしまい「目覚めた状態で考えた記憶」として朧だったはずの夢の内容が登録されてしまうのだとか。

 ならばその夢の内容を、違う記憶で上塗りしてしまえばいい。

 果たしてこれが有用なものなのか、そんなことすら考えずにジューダスは呼びかけ続けた。

 びくりと、腕の中の体が震える。不意に持ち上がった顔が戸惑いも露わに彼を見つめるも、少年は強引に自分の胸へ押し付けた。

 

「大丈夫だ。何も心配することはない」

「──」

 

 震えていた体が、不意に落ち着きを取り戻す。強張っていた痩躯から力が抜けたかと思うと、再び寝息が聞こえ始めた。

 そっと視線を落とす。彼の胸の中でフィオレは穏やかな眠りについていた。

 

『正解……か?』

『正解も正解、花丸です坊ちゃん。きっとフィオレも、坊ちゃんを見直しますよ』

『……覚えていられても、困る』

 

 心安らかに見える眠りを妨げぬようにか、囁くような風情でシャルティエが応じる。しかし彼は、ゆっくりと身を離そうとした主を前に我を忘れたようだ。

 

『あっ、駄目ですよ坊ちゃん! そのまま添い寝してあげなきゃ……!』

『馬鹿者!』

「……んぅ」

 

 どちらが原因やら、フィオレは敏感に反応していた。柳眉が歪み、騒音から逃れるようにごろりと寝がえりを打つ。結果としてジューダスから距離を置いた形になるが、安眠中の彼女が気にした様子はない。

 その安穏たる様を見て、思わず己の口元を抑えたジューダスは再び息をついた。

 

「……まったく、手のかかる奴だ」

 

 決して聞きつけられぬよう囁くように独りごち、マントをはずして彼女に提供する。

 意図的に距離を空けて、自らも横になった。

 悪夢に苛まれていた彼女を落ちつけたとあって、緊張と焦燥から解放された意識がまた、深淵へと導かれていく──

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十二戦——再びおるすいばん~瑞夢はどんなにあがいてもフラグ。


 ラディスロウ内のどこか。
 フィオレは相変わらず辛口で辛辣です。夢の中の逢瀬で頭の中が色ボケてるからどうしようもない。
 ダイクロフトへの強襲には、まさかのおいてけぼり、なのですが。
 それどころではない事態が、待ち受けています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝のこと。

 目覚めたフィオレはぼんやりと、己が見た夢に浸っていた。

 

「えへへ」

 

 彼が夢の中に現れたのは、随分と久しいことである。

 かつて人目を忍んで睦みあっていた記憶が思い起こされただけなのだが、非常に鮮明でリアリティ溢れるものだった。

 まだ体には抱きしめられ、頭を撫でてもらった感覚が残っている。

 ふとそこで、彼女は自身に掛けられたマントの存在に気付いた。

 起こすに起こせなかったのだろうか。ジューダスもまた一晩をここで過ごしたようで、眠りについたままだ。

 うっすらと罪悪感を覚えながら、それでも夢の余韻を未練がましく手繰り寄せる。

 ジューダスにマントを返して、ぼんやりと宙に視線を漂わせていると。

 

『……あのー。おはよう、フィオレ』

『はい。おはようございます』

 

 そうこうしている間に、シャルティエが目を覚ましたようだ。

 そのまま主を起こしにかかると思われたが、彼はおずおずと話しかけてきた。

 

『ねえ、聞いていい? 何にやけてるのさ』

『幸せな夢を見たのですよ』

 

 シャルティエが起きた以上、ジューダスがいつ目を覚ましても不思議ではない。

 緩む口元を引き締めるべく顔全体の筋肉を揉みほぐすようにしていると、夢の内容についてシャルティエが突っ込んできた。

 

『夢って、君悪夢に悩んでなかったっけ? よほどいい夢だったんだね』

『ええ。ニヤニヤするくらいにはね』

『どんな夢? 坊ちゃんは出てきた?』

『ジューダスが出てきたら、いい夢じゃありませんよ』

 

 その一言で、聞き出す気満々だったシャルティエの勢いが萎む。

 以降何を訊ねるでもなく完全に口を噤んでしまったが、彼の気の浮き沈みが激しいのは今に始まったことではない。

 彼に代わってジューダスを起こしにかかり、立ち入り禁止の区域から、そしてラディスロウからも出た。

 

「ほとんど埋まっていますけど、ダイクロフトへ大量の兵士を送り込むなんてこの艦にしか不可能でしょうね」

「……そういうことをでかい声で言うな」

 

 雪と氷の入り混じる湖の冷水で顔を洗い、その足でラディスロウから少し離れた格納庫へ向かう。

 天上から少しでも目をつけられる要素を減らすため、だろう。格納庫は地下施設の一部にあった。

 防空壕のような作りをした、頼りない垂れ幕をくぐって階段を降りていく。

 一体どのようにしてこれだけの空間を作りあげたのか。地下とは思えないほど広大な空間の中、奥まった場所にそれはあった。

 果たしてこれに飛行が可能なのか、首を傾げざるをえない、不格好なフォルムをしている。

 少し離れた場所には、これぞ飛空艇と思わせる機体が転がっているものの、中身はすかすかだ。物資不足の現在、これを戦争中に完成させるのは難しいのだろう。

 そして、ハロルドはというと。

 

「飛べ~飛べ~ロケット~♪ 燃料吹き出し、火を上げて~♪」

 

 非常に独特な音程で自らを鼓舞、周囲のモチベーションを激しく削りながら手元を動かしていた。

 

「お早うございます、ハロルド」

「ん、お早う? もうそんな時間なのね」

 

 これだけで、彼女がどれだけ作業を続けていたのかがよくわかる。

 早朝どころか、深夜から作業に取り掛かっていたのだろう。

 

「首尾はいかがですか?」

「愚問ね。最終調整オールオッケーよん。今すぐにでも出立可能だわ」

 

 でもその前に作戦の確認をするから行くわよ、と、ハロルドに促され、ラディスロウへと向かう。

 しかし彼女はまだ誰もいない作戦会議室を抜けて、食堂へと向かってしまった。

 

「腹が減っては戦はできぬ、って誰が言った言葉だったかしら?」

「その格言がこの時代に存在していたことに驚いています」

 

 一兵卒だろうが将校だろうが平等に配給されたそれは、薄っぺらい塩漬けの肉とバサバサになった硬いパンである。この時代へ至るまでの道中、ナナリーの手料理を始めとし、食べ物には比較的恵まれていた二人は感想を避けて機械的に口へ運ぶも、ハロルドはどこかうきうきした様子でパクついていた。

 外見における幼さは戦時中による栄養不足が反映しているのかもしれないと思っていたが、彼女の様子が良好なのは喜ばしいことである。

 

「さあて、それじゃ作戦会議室に……」

「ところでハロルド。カイル達はいいんですか?」

 

 意気揚々とフィオレの腕を掴んで歩き出すハロルドにそれを訊ねる。

 それを口にした瞬間、ハロルドの雰囲気が一変した。

 

「……そうね」

「ハロルド?」

「私は先に作戦室へ行ってるから。早めに連れてきて」

 

 フィオレの腕をするりと離し、彼女はすたすた歩き去った。

 小さな背中が妙に寂しげだったのは、気のせいだろうか。

 

「……私、変なこと言いました?」

「さあな。とにかく行くぞ」

 

 ほとんど徹夜でテンションがおかしなことになっているのかもしれない。

 その態度を何となく気に掛けながらも、ジューダスと共に彼らを起こしにかかる。

 いつ戻ってきたのやら。部屋の床にはロニとカイルが、ひとつの寝台でリアラとナナリーが眠っている。もうひとつ寝台はあるものの、特注サイズにつきバルバトスが使っていたものと思しき代物だったせいか、使用をためらった模様だ。

 

「朝ですよー」

 

 三人は軽く呼びかけ、ぬくぬくの毛布をはぎ取ることで問題なく目は覚ました。やはり難敵は、天然寝坊助の血を色濃く受け継いだカイルに他ならない。

 つねろうがひっぱたこうが蹴飛ばそうが毛布を奪おうが、一向に効果はなかった。

 

「リアラ。こうなったら王子様ならぬお姫様のキスで起こしてあげてください」

「え、ええっ!」

「嫌ですか。じゃあ定番通り王子様のチュウで……ジューダス」

「あほか!」

「ならもう兄貴の接吻でいいでしょう。ロニ!」

「し、しょーがねーな。カイルのためだ。いくぞ!」

「フィオレ、冗談はよしな。馬鹿が本気にするだろ!」

 

 すったもんだの騒ぎの末、一同の朝食を取りに行きがてら氷柱を取りに行き、あてがう作戦に出る。

 スタンの目も覚ましたこの方法は、無事通用した。

 

「……うわっ、冷たっ!」

 

 結果として彼はどうにか目を覚ましたものの、随分時間を使ってしまった。

 一同をせかして作戦会議室へと赴く。一歩足を踏み入れた瞬間、しなる鞭のような怒声が響いた。

 

「遅いわよ! 早めに、って言ったでしょ!」

「ご、ごめ、ハロルド……」

「申し訳ありません、隊長。カイル・デュナミス、ロニ・デュナミス、ナナリー・フレッチ、リアラ、ジューダス、フィオレ。只今参上しました」

 

 しどろもどろと謝ろうとするカイルを押しのけて、頭を垂れて謝罪報告をする。

 ハロルドは鼻を鳴らして一同を自分の後ろへ並ばせるも、それ以上の苦言はなかった。

 

「人員もそろったところで、作戦の最終確認を行う。始めてくれ、ディムロス」

「はい。本作戦は──」

 

 リトラーに促され、ディムロスが語ったのは作戦の概要、そして詳細だった。

 ハロルドの飛行艇によって、救出対象の地区にある格納庫へ強制着陸──ダイクロフトへ盛大に侵入するらしい。それから二手にわかれてそれぞれの任務を遂行するというもの。

 ディムロス率いる未来のソーディアンチームはベルクラント開発チーム及びクレメンテ、アトワイト両氏の救出。ハロルド率いる工兵隊は主に敵の撹乱を担当するそうだ。

 具体的には未来のソーディアンチームの支援──この地区を統括する制御室を乗っ取り他地区から切り離し、更にはダイクロフトの全機能停止が求められるそうな。

 

「ダイクロフトがマヒしているスキをついて合流、脱出ポッドでラディスロウへ帰還する」

「あの……ハロルドさんのマシンは、帰りは使えないんですか?」

 

 作戦の説明がひと段落したところで、シャルティエ少佐が最もな質問を繰り出した。

 それでなくても敵方の脱出ポッドを奪って帰還に利用するなど、不安要素盛り沢山だろう。

 しかし、ハロルドはあっけらかんと肯定してみせた。

 

「ああ、強襲用にってことだったから、片道しか想定してないのよ。それに脱出ポッド奪えば、今開発中の飛空艇にいくらか部品を流用できるかもだし」

 

 何故だろう。片道用に設定した理由の大半が、後者に集中しているような気がするのは。

 物資不足も燃料不足もあって往復に耐えられないことは、十分予想できるのだが。

 更に、この問題もあった。

 

「帰りにも使うとなれば、敵に破壊されないよう守備人員を割かなくてはいけなくなる。少数精鋭で突入するこの作戦で、これ以上の兵力分散は愚行だろう」

「そういうことだ。諸君らに配った図面にもあるように──」

 

 すでにテーブルに広げられていた図面から、格納庫の場所、救出対象たる彼らが囚われているであろう区画、更に制御室の場所が強調されている。

 制御室へ向かうルートを指し、ディムロスはハロルドを見やった。

 

「こちらはハロルド、お前の管轄だ。護衛の人員は……」

「もちろん、カイル達よ。かまわないでしょ?」

「了解した……以上だ。質問は?」

 

 ほんの一瞬、沈黙が会議室を包み込む。一同を見回して口を開こうとしたディムロスが、不意に一点を凝視した。

 その先に、片手を上げたリトラーがいる。

 

「司令?」

「ハロルド君。フィオレ君を待機させるわけにはいかないか?」

 

 リトラーによる提案に、彼女はきょとんと瞳を瞬かせて彼を見上げた。

 実にいぶかしげな声が、会議室に響く。

 

「……ただでさえ少ないのに、更に減らせってこと?」

「不足に思う気持ちはわかるが、現状を考えてくれ。少数精鋭であるが故に、この作戦が始まれば拠点はもぬけのカラになる」

「大丈夫よ。総司令がいれば敵なんていないでしょ」

 

 ケロッとした顔で、ハロルドがそこはかとない拒否を告げる。しかしそこで引き下がる司令でもなかった。

 

「そういうことではないんだ」

「不安ならディムロスとかイクティノスとかの副官を貸してもらえばいいじゃない! 何ならシャルティエ、あんた残ってもいいわよ。不安なんでしょ」

「いや、ハロルドさん……」

「この数日間の出来事をカーレルから聞いているだろう」

「こき使われてたから休ませろっての? フィオレが総司令にそんなこと頼むとは思えないわ。頼んだところで却下よ! 直属上司をすっ飛ばすなんていい度胸してるじゃない」

「そのようなことはないが、それだけではない。君も承知であるはずだ」

「だからって、留守番ばっかりじゃフィオレが可哀そうよ。あんたも、待機は飽きたでしょ?」

 

 言い募るハロルド、火の粉を払うシャルティエ、食い下がるリトラー。とうとうハロルドはフィオレへ話を振ってきた。

 何を期待したのかは知らないが、フィオレとしては軍人としてあるべき言葉しか発する気は無い。

 

「……ハロルド。私個人の意見よりかは、大将の意見に従ってしかるべきです」

「!?」

「あなたの護衛ならもう一人抜いてもいいくらいですし、私が地上に残るべきとするご意見は、明確な理由に基づくものでしょう」

 

 曲がりなりにも彼らと道中を共にして、それに気付かないほどの能天気ではないはず。

 フィオレを残さなければならない理由として、ダイクロフトに強襲を受けた天上側が報復にベルクラントを起動させるかもしれない。その照準が地上軍拠点であろうがなかろうが、危険性がある以上は対抗策がほしいのだろう。

 その辺りについて反論はないものの、ハロルドはとんでもないことを言ってのけた。

 

「じゃああんたは、私がダイクロフトでおっ死んでも後悔しないでよね」

「しません。あなたは必ず、皆と共にご帰還を果たされます」

 

 きっぱりと断言され、ハロルドは返す言葉をなくしたかのようにふてくされている。

 沈黙を経て、彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。

 

「……あー、もう。フィオレ、あんたには地上にいてもらうわ。ただし待機じゃないわよ。人員を遊ばせとく余裕なんかないんだからね!」

「「「!?」」」

 

 ハロルドが自分の意見を曲げた。そのことに未来のソーディアンマスター達が戦慄するものの、彼女は鼻にもひっかけていない。

 

「兄貴のところからもらった人員が五名ほど、行方知れずになっているの。基地からの脱走が確認されているから、脱走兵として適切に扱ってちょうだい。足として私の雪上走行試作機を貸してあげるから、テストをお願いね。その結果を報告書にまとめること」

 

 脱走兵の潜伏場所やら試作機の扱い方については研究室に書類がある、とまで告げ。ハロルドはおもむろにリトラーを見やった。

 

「それが終わったら、ラディスロウまで帰還。リトラー総司令の指示に従うこと。これでいいでしょ?」

「うむ。柔軟な判断を感謝する」

「けど、これ以上は減らさないからね」

「……やはり、無理ですか」

 

 内心が思わず零れたようで、ハロルドに聞きつけられる。彼女は実に面白いものでも見つけたような顔で「ジューダスに残ってほしいのか」と尋ねてくるも、否定はしない。

 絶えず胸がしめつけられるような、息苦しい感覚。虫の知らせじみた胸騒ぎを覚えるのは、これが初めてではない。

 これまでこの感覚が起こって何もなかったこと──特にフィオレの身が無事だったことは一度としてないのだから。

 とはいえ、こんな不幸の知らせをこれより作戦行動に入る彼らに言うべきではなかった。

 

「あら、素直ね。そういう話じゃないの?」

「ハロルド風に言うなら、女の勘というやつです。でもまあ、あなたの無事が最優先ですから」

 

 己の身に何か起こるという予感があるからこそ、ハロルドともソーディアンチームとも離れておきたいと考える。危険から遠ざけるという観点なら、やはり仲間達の誰であれ残ってもらうわけにはいかない。

 

「……なによ、意味深ねえ」

「私はなんにも言ってませんよ?」

 

 話し合いが無事まとまったところで、再びディムロスが一同を見回した。

 

「今回の作戦は必ず成功させなくてはならない。何があってもだ。よろしく頼むぞ、みんな!」

「会議はこれまでだ。各員、格納庫にて集合せよ。健闘を期待している」

 

 席についていた一同が一様に出て聞くのを、ハロルドは立ち止まって眺めている。

 上官を置いて移動するわけにもいかず立ち往生していると、やがてリトラーまでもが格納庫へ行ってしまった。

 そこで一息、ハロルドがため息をついている。

 

「……ディムロスの奴。兄さんの言う通り、ホントに余裕ないみたいね」

「え? でもディムロスさん、すごく堂々としてたけど……」

「いつもの言葉が出てないのよ」

 

 彼の人となりを知らない人間からすれば、軍人としてあるべき姿しか見えなかった。

 しかしハロルドはそのことで、彼の焦りが気にかかるようだ。

 

「いつもの言葉?」

「そ。あいつは作戦前に必ず部下にこう言うのよ。「生きて帰ってこい」って」

「へえ……部下思いのいい人じゃないか」

 

 ナナリーの言葉に同意を示しつつも、ハロルドはやれやれと言わんばかりに肩をすくめている。彼女なりにディムロスのことを憂えているのだろう。

 

「でも今日は言わなかった。他人のことが目に入らないなんて、らしくないわ」

「そうだったのか……」

 

 さて格納庫に向かおうかと、一同もまたラディスロウを出る。作戦会議室へ行くと決まった時点で装備等は整えたため、問題は無い。

 携帯していたダイクロフトの見取り図をジューダスに手渡していると、ハロルドが話しかけてきた。

 

「済んだことは仕方ないからフィオレ、脱走兵の処理と試作機の試運転、よろしくね」

「かしこまりました。ところでハロルド、あの飛行艇はどうやって飛ぶんです? 羽根がないし、垂直に飛ぶにしても形状に疑問だらけですが」

「飛ぶというより跳ぶからね。ま、あんたは発射を外側から見られるんだし、せいぜい唖然とするがいいわ」

 

 その物言いに一同の誰もが不安を感じずにはいられない。ハロルド本人も搭乗するのだから死ぬほどの目には合わないだろうが、この不安は見事的中することとなる。

 一同を見送った直後のこと。

 本来ありえない軌道を描いてダイクロフトに到達するどころか、天に召されそうな勢いで空へ吸い込まれていく飛行艇を。

 確かに飛ぶというより跳んでいった飛行艇にフィオレが合掌して見送るのは、ほんの僅かな先の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十三戦——お空の上での大波乱中、地上は~死人は墓の下で寝とれ

 地上軍拠点付近とラディスロウ内外。未曾有の大災害にして厄災のご降臨。ここからしばらく、鬱展開(ネタバレ)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロルドより預かった雪上走行試作機を操り、地上軍拠点へと帰還を目指す。

 未来のソーディアンチーム及び一同がダイクロフトへ征ってから、丸一昼夜が過ぎた。フィオレはといえば、ハロルドの指令に則り脱走兵に適切な対処をとって試作機の試運転を行っている。

 詳細は知らないが、カーレルからハロルドへ提供された彼らはダイクロフト内部図面作成班──つまり、怠慢で酒を飲みカードで遊んでいた連中だと思われる。ハロルドの新薬の実験台になるならいっそ……と思いきってしまった彼らに同情は覚えない。身から出た錆びというものだ。

 脱走兵への適切な対処とは、問答無用の処刑を意味する。それにしても、証拠として両手の親指を持ち帰るためだけに切断しなければならないのは、気の重い作業だった。

 首を持ち帰れと言われるよりは、大分ましだったが……

 さておき。脱走兵との交戦よりもフィオレが心配していたのは試作機とやらのテストだった。

 件のHRX-2型のように暴走したらどうしよう、と内心冷や汗をかいていたものの、自動操縦機能も通常運転もまったく問題はない。

 箱型の本体は入ってしまえば氷点下にもなる外気は気にならない。トランクに積み込まれていた二人乗りが限度の原動機付き橇も操縦方法は難しくもなんともなく、風を切る速さは何とも爽快だった。

 一通り動作を確認して、ついでにこっそりソルブライトを探して事情を話した上で依代を受け取り。

 自動操縦状態で報告書を仕上げて、出来上がりを確認する。脱走兵の遺品は共同墓地に収めてあり、顛末も報告書として用意済みだ。

 ハロルド専用倉庫に試作機を戻し、したためた報告書を提出するべくハロルドの研究室兼私室に立ち寄る。

 さて、ハロルドから言いつけられた仕事は終わった。

 リトラーに指示を仰ぐべく、作戦会議室を目指していると。

 

「!」

 

 つい先日聞いたばかりの警告音が、突如としてラディスロウ内を揺さぶった。またベルクラントが使用されようとしているのだろうか。

 ダイクロフトに彼らが強襲したから拠点の居場所が割れてしまったとは非常に考えにくいが、ありえないとも限らない。

 一気に慌ただしくなったラディスロウ内、行き交う兵卒の間を縫うようにして作戦会議室へ乗り込めば、司令部周辺の人々が右往左往していた。

 総司令たるリトラーその人はその中心で指示を、片手間に無線らしい機材を使ってやり取りを続けている。

 

「一体何が?」

「侵入者が確認された。一名だが、とんでもない手練れで手がつけられないらしい」

「陽動の可能性も高い。周辺の警戒も怠らぬよう──」

「しかし対処は!? このままではラディスロウへの侵入をも許してしまう!」

「兵卒は避難民の警護及び拠点周辺の警戒にあたらせろ。士官は侵入者の対応に当たれ。衛生兵は士官の後方支援を」

 

 現在フィオレは、リトラーより求められて支給された女性衛生兵の軍服をまとっている。侵入者対応にあたっても問題はないだろう。

 忙しそうなリトラーに敢えて指示をもらうでもなく、フィオレはラディスロウから出た。

 一体どこから侵入者したのか。集結した士官達はラディスロウ裏手にて防戦中だった。

 それにしても、たった一人で地上軍拠点に殴りこむとは。一体どんな命知らずかと、士官達の出撃する先を見やり──硬直を余儀なくされる。

 交戦にあたり発生していた鬨の声が、断末魔へと切り替わった。足元の雪を己の血で染め、敗走する士官の背中に極厚の斧刃が迫る。

 殴るように切りつけられ伏した士官を足裏に敷いて、寒色の長髪をなびかせた巨漢は勝ち誇ったように呵々大笑していた。

 何か言っているようだが、それはここからでは聞こえない。

 

 ──冷静に、冷静に! 

 

 あの卑劣漢を遠くから目にしただけで、腹の底が煮えくり返る感覚がある。まともに交戦なぞすれば、どうなるかは想像に難くない。

 天地戦争の立役者の大部分を担うソーディアンチーム、及びハロルド博士は不在だ。彼らを狙ってのことなら、拠点に現れた意味は無い。大いに笑ってやればいい。

 ただ狙いが、残るリトラー総司令、そしてラディスロウ艦体そのものだとしたら。あるいは、フィオレの知らない重要な何か、誰か。

 いずれにしても接触は避けられないだろう。最低でも死者、拠点に属する施設に被害を出してはならない。

 冷静であろうとする意志、それと己がすべきことを見出して、深呼吸をして。フィオレは戦場へ繰り出した。

 

「え、衛生兵! 何をつっ立っている、早く負傷者を──」

「命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey

 

 左の手を雪で埋まった地面へ押し付け、集めた第四音素(フォースフォニム)、水の元素を譜歌へ昇華させる。彼ら各々の怪我具合はわからないが、これで命は拾えたはず。

 避難を始めた彼らが退いてゆくのを見計らって、フィオレは帽子を深くかぶり直した。

 誰のものかも今はわからない、落ちていた盾と小型の戦鎚を手にして巨漢の元へゆっくりと歩み寄る。

 譜歌によって背中の傷が癒え、快復した士官がその足裏から逃れ、戦略的撤退を果たした。

 どんな心境で見逃したのか知らないが、重畳である。これで誰も、巻き込むことはない。

 

「──」

 

 侵入者……バルバトス・ゲーティアが何かを言っている。

 しかしフィオレには、彼が何を言っているのか理解することはできなかった。

 帽子を深くかぶり直したがためのその顔を、表情を見ていない。発する言葉すらも理解することを拒絶したフィオレの耳には届かないのに。

 怒りが、憎しみが、恨みが、体から沸騰して溢れていきそうになる。姿を確認して声を認識しただけで、悪夢が横切った。

 何の反応を返さないフィオレに何を思ったか、携えていた戦斧が振りかざされる。

 断頭台の刃が如く迫る厚刃に対して、フィオレは小型の戦鎚を振るった。

 金属同士が激突する調べを残して、斧刃は動きを止める。フィオレにかすりもせずに、地面へ深々と潜り込んで。

 

「──!」

 

 この斧が、彼を奪ったのだろうか。ふとそれを考えついただけで、息が苦しい。

 何もかもをめちゃくちゃに壊したい衝動と、冷静であれと唱える理性もまた、フィオレの中で激突していた。

 しかし追いすがらず、攻勢に転ずることもなく。フィオレはその場にとどまった。

 使いなれぬ戦鎚で攻撃するとなればその間合いの短さから、相手に激突する勢いで接近しなければ攻撃は届かないだろう。今も異性恐怖症を患うフィオレに、それをする勇気は無い。

 その恐怖が、暴走しようとする感情をせき止めて、理性に味方する。

 不満があったのか疑問でもあったのか。バルバトスが何らかの言葉を発しているのはわかるのだが、未だ理解はできない。

 再び、戦斧が空を切り裂く音がする。今度はすくい上げるような一撃を戦鎚で弾くも、追撃の蹴打が迫った。

 携えていた盾を体に密着させる形で構え、迫る巨大な足に盾を接触面とする体当たりを敢行する。

 全身を揺るがす衝撃が走るも、足一本に対して人一人分の全身。加えて、自分から当たりに行ったことで威力は多少なりとも殺されていた。

 

「獅子戦吼」

 

 耐えきったところで軸足に獅子の面を象った闘気を放てば、巨漢はあっけなく遠ざかる。

 追撃をしようか迷って、ふとその所作に気付いた。

 先程フィオレを蹴りつけるべく出された足には短剣が突き刺さっており、それを引き抜いている。

 獅子戦吼を使うに当たって確かに戦鎚を手放したが、左右の腰の双剣を抜いた覚えはない。しかし現実として、左の腰の剣は鞘のみ残されている。

 まったくの無意識下で攻撃したことがないわけではなかったが、こんなにも追い詰められていない状況ではおそらく初めてだった。

 フィオレの気持ちを、殺気を抑えこめずに洩れてしまった結果なのかもしれないが。

 やがて短剣を投げ捨てたバルバトスは立ち上がったかと思うと、忌々しげに何かを叫んだ。

 

「──!」

「雷よ、迸れ」

 

 雪を蹴散らして接敵を試みるバルバトスを一条の雷で牽制し、息をつく。

 死傷者も施設に対する被害も出さないことは重要だが、いつまでもこの卑劣漢と一進一退ですらない攻防を繰り広げるわけにはいかない。

 それがわかっていて、まるで時間を稼ぐかのように戦う理由。それは、一同並びに未来のソーディアンチームの帰還を待っていることにあった。

 彼らがいるなら、間違いなく撃退はできる。相手方が引き際を間違えれば殺害に至るだろうが、それはそれで問題ないはずだ。もっとも、あの聖女がいる限りありえないことだろうが。

 牽制されて激昂でもしたのか、何やら喚きながら振り回される戦斧を、体術を淡々と捌く。バルバトスから晶力の高まりを感知したところで、初めてフィオレは動いた。

 

「──!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧──」

 

 雪の下にて凍る大地から第二音素(セカンドフォニム)、土の元素を呼び、譜陣から発生したドーム状の結界が煌めいてフィオレを覆う。

 迫る炎塊はひとひらの雪より儚く、結界に触れて次々と消滅した。

 晶術は無効化され、接近戦では戦法が防衛に特化しているために一撃たりとも浴びせられない。

 反撃は最小限、呼びかけに対する反応は零。

 この事実は、着実にバルバトスを焦らせていた。同時に、フィオレには今の状況を積極的に変える気がないということも伝わっている。

 それを意味するのは、時間稼ぎであるということも。

 

「……!」

 

 非常に苛ついた様子で何かを叫んだ後、バルバトスの隣に突如として円球状の闇が出現する。

 敵前逃亡をするならば安堵するところ、どうやら違うようだ。

 笑みを深くしたバルバトスが黒球より取り出したもの。それは人間の女性だった。

 菫より淡い色の髪はさらりとして長く、ベレーに似た帽子をかぶっている。白を基調とする軍服はフィオレのまとう女性衛生兵のものと酷似していた。か細い手首で光るブレスレットが、装飾品所持が許されない一般兵卒でないことを示している。

 大人しく捕まっているあたり失神しているのだろうが、一体どこで捕まえてきたのだろう。

 後ろから抱え込まれ、太い腕が細い首に回り顔が上がる。遠巻きに見ていた士官達からどよめきが走った。

 いきなり人が虚空から現れた、ことだけではないようだ。

 

「衛生兵長……!?」

 

 外野の言葉を聞きつけて、理解して。フィオレは弾かれたように爆笑していた。

 静まり返ったラディスロウ裏手にて、場違いな笑い声が響いて消える。

 

「人質! 人質かあ、ははっ、馬鹿のひとつ覚えってやつか!」

 

 息も絶え絶えになりながら、フィオレは腹を抱えるようにして荒く息つぎをしていた。

 その挙動で帽子が落ちてしまうが、気にしている様子はない。

 被っていた猫が逃げ、悪夢が鮮やかに蘇り、どす黒い怒りと昏い感情が理性の支配下から逃れた。

 これには面食らったようでバルバトスも狼狽しているかのように見える。しかし、フィオレにとってそんなことはもうどうでもよかった。

 部屋に置いてきた紫水が今、非常に恋しい。まずあの邪魔な『生きた盾』を取り上げなくては。

 

「──」

「聞こえねーな! この期に及んで、ぐちゃぐちゃ抜かしてんじゃねーよ!!」

 

 女性とはいえ、人一人を抱えるバルバトスに素早く動けるはずもなく、あっさり接敵は許される。

 彼女ごと斬りつけると見せかけて、双剣の片割れはその足を地面へ縫いつけた。転がっていた短剣を手に身を低くしたまま背後へ回り込む。

 

「人質は使わねえのか、ええ!?」

 

 女性には当たらぬよう背中を斬りつけ、旗でも立てるかのように肩へ突き刺す。

 目論み通り、女性を拘束する腕は緩んだ。その隙を逃さず、盾を顔面へ投げつけ怯ませたところで野太い腕を棒手裏剣で引っ掻き、拘束をこじ開けて。

 衛生兵長と呼ばれていた女性を奪還し、巨体を蹴りつけるようにして間合いを取った。

 口汚い罵声を聞かされても、頬に血飛沫が張り付いても、目覚める気配はない。再び盾として使われないのであれば、もう彼女に用事は無かった。

 冷たい雪の布団効果における覚醒を期待して、その場に捨て置く。同時に、足の短剣を無事な腕で引き抜きにかかるバルバトスに、猛然と迫った。

 

「くらえっ!」

 

 ──軍属として行動する際において、紫水は見目がふざけているために携帯を見咎められている。軍服を支給されてから万一のためにと、拠点のあちこちで暗器の類を収拾していた。

 物資の少ない拠点のこと、手に入ったのは古戦場で拾ってきたものが大半で非常に古びていたが、手入れの末に使えそうなものだけを外套に仕込んである。

 引きちぎるように取り出されたのは、投擲用ナイフ三振り。

 それらを投げつけられ、バルバトスはあっさりと戦斧で薙ぎ払っている。

 

「っ!」

 

 それはフィオレにとって、想定済みの反応。薙ぎ払われたその瞬間、時間に差をつけて投擲されたそれは狙い違わずバルバトスの額ではぜ割れた。

 形こそリキュールボトルの瓶だが、漂う匂いで中身が違うことを強く主張している。

 馥郁たる、しかし鼻腔の奥をツンと刺激するこの香りは。

 

「!?」

「苦しめ! 泣いて喚いて、這いずり回って死ね!」

 

 ソーサラーリング起動のち、現代から持ち込んだ純度の高いアルコールは速やかに化学反応を見せた。

 すなわち、着火を。

 

「!」

 

 業炎をまとう人間松明が、完成する。

 髪、皮膚、肉の焦げる匂い。巨体は雪の上を転がるも、浴びせられたアルコールが起因し、なかなか火は消えない。

 

 ……こんな奴に。こんな奴なんかに、スタンは──!

 

 血の上る頭が、更なる燃料投下を命じる。雪上でもがく人間松明を足蹴にしてアルコール入りのリキュールボトルを叩き割れば、炎は更に燃え上がった。

 これだけじゃ、すまさない。

 発生した炎の気配、第五音素(フィフスフォニム)を手の甲のレンズ「神の瞳」に宿す。

 

「炎帝に仕えし汝の吐息はたぎる溶岩の灼熱を越え、かくて全てを滅ぼさん!」

 

 のたうち回るその姿を嫌々視界に入れて、フィオレは容赦なく追撃を放った。

 展開した譜陣が巨体を囲い込む。地面から吹き出した灼熱は対象を蒸し焼き、発生した火焔の柱が渦となって断末魔をかき消した。

 通常の人間ならば灰も残さない代物だが、果たしてあの巨漢は如何なる状態か。

 譜陣より漏れ出た熱風が、周囲の雪を余すことなく水へ、あるいは大気へと姿を変える。

 薄い霧が晴れ、その向こうの人影を認めて。その場にいる誰もが戦慄していた。

 まったくの、無傷。バルバトスの現在の状況は、傍目から見てそれだった。それはおそらく本人にとってもそうだろう。

 何故なら。

 

「──」

 

 野太い腕が被服を探って放り出したもの。それは、砕けた鉱石の残骸だった。

 持ち主が死に瀕した際、それまでの負傷を一手に引き受けて砕け散る奇跡の石──リバースドール。

 それを見てフィオレは、唇を歪な形へ歪めている。

 笑みの形へと。

 今しがたのやり方はもう通じないだろうが、まだ生きているのだ。まだ戦える、憎しみをぶつけられる。もう一度、殺せる。

 殺せなかったことを厭う気持ちはある。それ以上に、まだまだ収まる気配のない感情のやりどころを見出して。フィオレは何を告げるでもなく、隠し持っていた小剣を取り出した。

 そこへ。

 

「フィオレ君、下がりたまえ! 一斉掃射!」

 

 リトラーの声を聞き──正確には久々に人の声を解して、ハッと我に返る。

 何を考えていたのだろう。

 状況は振り出しですらない。如何にフィオレが無傷とはいえ疲労はあり、衛生兵長と呼ばれた女性が背後にいる。

 人質に使ってきたということは、軍内であれ歴史においてであれ、重要な人物である可能性が高い。

 フィオレがこの男とやりあっている間に仕込んだのだろう。リトラーの指揮のもと、周囲にずらりと配置された弓兵が引き絞っていた矢を放った。

 今はここから離れるべきだ。流れ矢が彼女に被弾しないうちに。

 飛び交う矢雨をいなすバルバトスから眼を背けて、未だ身動きひとつしない女性に駆け寄る。

 この時、嫌悪感に逆らってでも眼を離すべきではなかった。それを、彼女はしばし後悔することになる。

 

「っ」

 

 呼吸が正常であることを確かめ、女性を担ぎ上げたフィオレが戦線より戦略的撤退を図る。

 しかし次の瞬間、突如として現れた闇の球状が二人をまとめて包み込んだ。

 

「なっ!?」

「くくく……この俺をコケにした礼を返そう、じっくりとな!」

 

 ねとりとした、生理的に怖気の走る声を否応なしに聞かされて嫌悪に顔が歪む。

 迫る腕に小剣を突き出すも、その感覚も意識も、闇に呑みこまれた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 バルちゃん大暴れにして大快挙──フィオレ誘拐に成功した模様です。
 しかし、フィオレの誘拐というか連れ去りは過去リアラ、エルレイン、そして各守護者が成し遂げていることなのでそんなに凄いことではない……はず。
 連れ去られた二人の運命や、如何に。

 


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第五十四戦——空より帰還後の追い討ち~行方不明者が更に増えました

 ラディスロウ。一同は戻ってきましたが、当然フィオレの姿はありません。
 彼らは記録装置越しに、ことの顛末を知ることになります。
 攫われたフィオレがどんな目に遭っているのかは……次回。まあまあ胸糞の悪い展開ですが、乗り越えていただきましょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に発生、沈静化した侵入者騒ぎより半日後。ダイクロフトより、未来のソーディアンチームとハロルド率いる工兵隊は無事の帰還を果たした。

 救助対象だったアトワイト・エックス。たった一人を除いて。

 

「……以上で、今回の作戦の結果報告を終わらせていただきます」

「開発チームを無事救出できたことで、作戦は成功したと言っていいだろう。諸君、ご苦労だった」

 

 重苦しいディムロスの報告に、リトラーは僅かな沈黙を挟んで労いを口にしている。

 次に彼が発したのは、彼らが留守中に起こった騒動のことだった。

 

「各副官より報告を受けるとは思うが、諸君らの留守中、この地上軍拠点で侵入者を許す事態となった」

「あらら、司令の心配が現実になっちゃった、ってワケね。フィオレはちゃんと働いてくれた?」

「……結果として、死者は零。負傷者は両手が埋まる程度で済んでいる」

 

 負傷者が出る事態、そして死者が出てもおかしくなかったようなその物言いに、彼女は驚いている。ハロルドとしては、捕捉云々におけるフィオレの貢献を聞きたかったようだ。

 

「じゃあ、事態を未然に防げなかったってことでお仕置きね。フィオレは、例の空き部屋かしら」

「……なお、囚われたアトワイトについてだが、彼女の捜索を行うかどうかは上層部で会議にかけて決めたいと思う」

「そんな……!」

 

 急な話題転換に、ハロルドは首を傾げているものの、一同はそれどころではない。

 カイルが直情的にアトワイトの救出を訴えるがため、ハロルドは再び彼を止めるのに意識をやった。

 

「もー、あんたの意見はみんな知ってるってば。ここは、こーいう説明が得意そうなフィオレに頼みましょ」

「だけど……」

「今ここにフィオレがいないってことは、あの子はこの事を知らないのよ? ちゃんと教えてあげて、意見を聞きましょうよ」

 

 ハロルドに促され、カイルはしぶしぶ会議室を後にした。それに一同もまた続く。

 

「つってもハロルド、フィオレも同意見だと思うぜ? 何せ俺達は未来を知って「やほー。フィオレ、ただいまー。例の件はどうなったかし……ら?」

 

 何の合図もなく部屋に入り込んだハロルドだったが、不思議そうにきょろりと室内を見回した。

 誰ひとりとしていない。

 部屋の片隅には、フィオレの荷袋が所在なげに置かれているだけだ。

 

「いないわね、どこ行っちゃったのかしら? 上司の無事な帰還にお出迎えもしないで」

「リトラーさんからの任務でまだ帰ってきてない、とか」

「だったら司令が教えてくれるでしょ。しょうがないわね、ちょっとあんた達探してきて……」

 

 その言葉に従い、各々部屋を後にしかけた。

 しかし直後、それを命じた本人から鋭い制止を受ける。

 

「ちょい待ち!」

「ん? なんだよ」

 

 訝しがったロニが振り返った先。そこには何を思ったか、荷袋が置かれた辺りへつかつかと歩むハロルドがいる。

 

「……フィオレ、あんまり帽子とか好きじゃないのかしら? 私の目を盗んで外すくらい」

「好きかどうかは知らんが、目立つことは好まない性格だ。ここに同じ顔があった以上、好んで外すことは無いと思うぞ」

「そう……」

 

 言いながら振り返るハロルドの手には、一同にとってもなじみ深いキャスケット帽が握られている。更にジューダスの目には、取り付けられた風の守護者の依代を確認することができた。

 

「あと、あの子は武器を持ち歩くのも億劫がるの?」

「そんなわけあるか。まさかそれまで……」

 

 言いながらハロルドに歩み寄ったジューダスは、彼女が指す方角を見て固まった。

 箒に偽装した紫水が、きちんと立てかけられているのを見て。

 手を伸ばして引き抜けば、紛うことなき淡紫の鋼が姿を現した。

 

「……!」

「ど、どういうこと? なんで……」

 

 動揺する一同を尻目に、ジューダスは置かれていた荷袋を取り上げた。

 音を立てて、その下にまとめて置かれていた大小の刃物が散乱する。

 これらが示すのが何なのか。それを睨みつけるほど真剣に見詰めていたハロルドは、くるりときびすを返した。

 

「ハロルド?」

「作戦会議室に戻るわ。フィオレの行方が知りたければ、ついてらっしゃい」

 

 そんなことを言われては是非もなく。ハロルドの言葉に促されて、来た道を逆戻りする。

 先程通ったばかりの扉をくぐれば、すでに幹部達の姿はなく。リトラーの姿だけが、壇上にあった。

 

「総司令」

「……君達か」

「用件はわかってるでしょ? 説明してもらえるわよね」

 

 刺々しいその態度は、事実を知っていながら何も言わなかった彼に対する不信の表れだろう。

 そんなことは百も承知なのか、リトラーは咎めることなく一枚のレンズを取り出した。

 ごくごく普通の、通常サイズのレンズだが……

 

「まずはこれを見てほしい」

 

 そう言って、彼は自ら映写機を起動させた。

 会議室にもともと設置されているそれは、すでに引き出されていたスクリーンに映像を投射する。

 ぼんやりと浮かび上がったのは、地上軍拠点にあるひとつの風景だった。

 

「ここは……」

「ラディスロウの裏手ね。あんたらも見たことあるっしょ?」

 

 とはいえ、一同が見たのは公開処刑の舞台となったそこだ。今回映っているのは、まったく別の光景である。

 兵装をまとわぬ、巨大な斧を手にした男がとある一点を掘り返していた。

 そこを兵士に見咎めたれ、大声で威嚇された男は何故か大暴れを始めるわけだが……まるで実力が違う。

 多少なりとも訓練を受けたはずの兵士をちぎっては投げ、まるで象が鼠を蹴散らしているかのようである。あっという間に男の周囲は、傷つき倒れた兵士だらけになっている。

 そこで、男の詳細が明らかになった。

 

「……バルバトス!?」

「知っているのかね?」

「この子達、なんとあいつに会ったことがあるらしいのよ。どうやら同一人物らしいわね」

 

 筋骨隆々とした巨体、浅黒い肌、特徴的な彫りの深い顔立ち。まぎれもない本人だ。

 当に死亡しているはずの人間であることがわかっていながら呟いてしまったカイルの失言はハロルドがカバーしつつ、映像は続く。

 足元に転がる兵士を踏みつけに、高笑いするバルバトスの表情が変わった。

 突如周囲に光の円陣が張られたかと思うと、倒れていた兵士達が起き上がり避難を始めたのである。

 彼らが退いて後、ゆっくりと画面端から姿を現す者がいた。

 キャスケット帽を深くかぶり、誰かが落とした盾と戦鎚を拾い上げて歩みを進める女性衛生兵姿──おそらくはフィオレ。

 

「取り巻き共の姿はなし、か。おあつらえ向きだが、得物はどうした?」

 

 バルバトスが揶揄するものの、フィオレの反応は無い。顔が隠れているためにどんな表情をしているかもわからない。そして、隙を見て仕掛けようとする素振りも見せない。

 そんな彼女を不審に思ったか知らないが、バルバトスは戦斧を振り上げた。

 次の瞬間、画像が乱れる。フィオレの手元がブレたかと思うと、次の瞬間には対峙するフィオレとバルバトスの姿があった。

 巨漢は驚愕を浮かべており、戦斧はフィオレの真横の地面に潜りこんでいる。彼女はただ、突っ立っているだけのように見えた。

 

「な、何だ?」

「わざと外した、わけじゃないよね……」

「おそらく、戦鎚で軌道を逸らしたんだろう。変なところで器用な奴だからな」

 

 カウンターを狙うには十分すぎる間合いだが、フィオレにそれらしい挙動はない。

 そうこうしている間に、再びバルバトスは戦斧を振り抜いた。

 

「この俺を前に考え事とは、いい度胸だ!」

 

 停止していた彼女の時間が動き出す。戦斧をやり過ごし、追撃の蹴打を盾で防ぎ。今度こそ反撃を繰り出した。

 戦鎚を取り落としたかと思われたその手はいつの間に腰に差した双剣のかたわれを握っている。映像では追いきれないほどの速さで盾と接触した足に突き立てた。

 

「──獅子戦吼」

 

 気合も何もない、非常に低く硬い声音がバルバトスをあっさりと吹き飛ばした。

 追撃の好機であることは誰の目にも明らかなことである。しかし、彼女は遠ざかった巨漢をただ眺めているだけのように見えた。

 

「フィオレ、一体どうしちゃったんだ?」

「深追いしないように……? それにしたって、不自然だわ」

 

 やがて思い出しでもしたように非常に緩慢な動作で戦鎚が拾い上げられる。時同じくして、双剣を足元へ叩きつけたバルバトスが忌々しげに叫んだ。

 

「何を企んでいる、小娘!」

 

 フィオレの返事は、一条の雷である。並みの兵士ならば直撃で昏倒させる威力のそれを受け、バルバトスは怒号を発していた。

 

「どこを見ている、馬鹿にしているのか!」

 

 憤然とフィオレに迫るも、臆した様子はない。それまでと変わらぬ調子で戦斧をあしらうも、巨漢が足を止めたところでフィオレもまた間合いを取った。

 

「破滅のバーンストライク!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧」

 

 定められた呼吸、定められた発声。普段一同が聞くそれとは似て非なる歌声がドーム型の結界を形成した。

 いくつもの炎を帯びた岩石は、ハニカム構造状の外側に触れて霧散していく。

 

「歌詞を詠唱に使うなんて、楽しい術ねえ。確かにそのくらいの余裕はほしいけど」

「……いや、あいつにそんな余裕はない」

 

 映像の中では何事もなかったかのようにフィオレが交戦に応じている。しかしジューダスだけが、彼女の異変に気付いていた。

 

「何でよ。教練のお手本かってくらい完璧な防衛戦に見えるけど」

「得物を見てわかるように、あいつはもともとあんな闘い方をする奴じゃない」

「それが? 相手に合わせて闘ってるんじゃないの?」

「確かにそうとも考えられるが……」

 

 フィオレの小器用さを鑑みるに、それは可能で今映像の中では実践しているように見える。

 しかし、その先は? 

 バルバトスとフィオレの体力を比べれば、先に尽きるのはどちらなのかは考えるだに愚かしい。それがわからないフィオレでもないはずなのに……

 やがて映像内にて、変わらぬ状況に苛立ったバルバトスが動きを止めた。

 血走った目でフィオレを睨みつけるも、当の本人がたじろいだ様子はない。

 

「どいつもこいつもつまらん戦いをしおって……! これを見てもまだ腑抜けていられるか!」

 

 状況が一変する。

 バルバトスが、発生した闇色の球体より引きずり出した一人の女性によって。

 

「アトワイトさん……なんてこった」

「まさか……まさか、フィオレ……」

 

 最悪の結果が、一同の脳裏によぎる。

 彼女を人質に取られ、なす術のなくなったはずのフィオレは。

 

「あっははは!」

 

 画面の中で大笑いをしていた。

 あっけにとられる一同と同じくして、その態度は勝利を確信していただろうバルバトスをも凍らせている。

 

「人質! 人質かあ。ははっ、馬鹿のひとつ覚えってやつか!」

 

 心底愉快そうに、あまつさえ挑発に近い言動を放った。

 息も絶え絶えに腹を抱えた仕草で、帽子が落ちる。

 そこで初めてフィオレの表情が露わになるのだが──確かにそれは、笑みに類するものだった。

 口元は歯列がむき出しに近い状態で口角が上がっている。そして眼を、おぞましくなるほどギラギラさせていた。光や輝きとはほど遠い、憤怒と憎悪で濁り切った瞳。

 そして、人質などいないかのような態度でバルバトスに接近を試みる。

 

「ま、待て! この女は……!」

「聞こえねーな! この期に及んで、ぐちゃぐちゃ抜かしてんじゃねーよ!!」

 

 珍しく慌てているらしいバルバトスを口汚い一喝で黙らせ、彼女もろとも斬らんと双剣の片割れが翻り──

 

「やめろ馬鹿者!」

「……わかっちゃいると思うけど。何言ったって無駄よ?」

 

 大幅な軌道修正がなされて、後ずさりしかけた足を穿つ。

 素早く背後へ回り込んだフィオレの手には、いつの間にかバルバトスの足元に落ちていた双剣の片割れがあった。

 

「人質は使わねえのか、ええ!?」

 

 これまで一同が聞いたこともないような罵声を放ちながら背中を斬りつけ、返す刀で肩口に突き立てる。

 その拍子に女性──アトワイトを拘束する腕が緩んだようだ。その好機を逃さず、フィオレはいつの間にか手にしていた棒状の刃物で腕の皮をひっかくように斬り裂いた。

 アトワイトの顔に血飛沫が散る。と、同時にフィオレは彼女を抱えるようにして、バルバトスから間合いを取った。

 

「よ、よかった……」

「焦ったぜぇ。けどよジューダス、フィオレはアトワイトさんのこと、知らねえんじゃ……」

「十中八九、人質がアトワイトだとは知らないだろうな。わかっていてこんなぞんざいには扱わないはずだ」

 

 画面の中のフィオレは、ひとしきり彼女を眺めまわした上で雪上に転がしている。

 彼女を跨いで前へ出で、外套に手を突っ込んだかと思うと腕を大きく振りかぶった。

 小さな刃物がバルバトスへ飛来する。

 

「くらえ!」

「こんなもの!」

 

 まるで蠅でも払うかのように刃物は叩き落とされたが、その瞬間リキュールボトルの瓶らしいものがバルバトスの額に被弾した。

 中身が違うものであることは、巨漢の呟きが語っている。

 

「酒だと……!?」

「苦しめ! 泣いて喚いて這いずり回って死ね!」

 

 怨嗟の声が悲痛なまでに響いて、あっという間にバルバトスは炎上した。巨大な人間松明が七転八倒してのたうち回る。

 

「きゃっ!」

「あらー、エグいことするわねえ。フィオリオの仇討のつもりなのかしら?」

 

 訝しい顔を崩さないリトラーへのフォローなのか、ハロルドが呟く。幸いにして彼はその呟きを聞き逃すことはなかった。

 

「彼女にフィオリオくんのことを話したのか?」

「話したわ。だってあの子は、それ目的で私の部下になったんですもの」

 

 正確にはそういう設定だったはずだ。

 リキュールボトルを叩きつけ、更なる炎を呼んだフィオレは露骨に嫌そうな顔をしながらも追撃を放っている。

 一同ですら詳細がわからないものを、総司令が不思議に思わないわけもなく。

 

「これは……一体」

「私が今考案中の晶術に似てるけど、レンズを持ってないわねえ。さっきの雷撃と同じく、守護者の力を借りたものかしら」

「……その解釈で問題ない」

 

 一同に冷や汗をかかせながら淡々と、画面の中の出来事は進む。

 業炎の渦がバルバトスを覆い、余波らしき熱波で周囲の雪が霧へと姿を変える。

 霧が晴れた頃には、さぞかし凄惨な光景が広がっているかと思われた矢先に、ゆらりと蠢く人影が透けて見えた。

 

「……うそっ」

「あんなもんくらって無傷なのかよ!」

「いや、よく見ろ」

 

 火傷どころか傷ひとつないバルバトスが取り出したのは、砕けた鉱石の残骸である。

 それを見て、ジューダスは忌々しげに眉を歪めた。

 

「リバースドールか。厄介なものを」

「何、それ?」

「所持者の負傷を担う代わり、粉々になる奇跡の石よ。所持者が死に至りかけて、初めて効果を発揮すると言われているわ」

「誰なのよ。そんな貴重なものをあいつに持たせたのは」

 

 ようやくこの戦いに終止符が打たれるかと思いきや、形勢逆転もいいところである。落胆も隠せないであろうフィオレはといえば。

 

「……」

 

 無言のままに薄笑みを浮かべて、軍靴に仕込まれていたらしい小剣を引き抜いた。

 

「それで、何でこの子は笑っていられるのよ?」

「僕が知るものか。考えられるのは、相当歪んだ思考状態だということくらい……」

 

 そこへ、リトラーの号令が響く。と、同時にフィオレの顔つきが一変した。

 澱んでいた眼に光が灯り、顔つきからあらゆる険が落ちている。

 周囲を一瞥し、バルバトスを標的と定めたずらりと居並ぶ弓兵を認めてフィオレは後退した。そのままアトワイトに駆け寄り、脈や呼吸を確かめた上で抱き上げる。

 そこへ。

 

「逃がすかっ!」

 

 矢雨を浴びるバルバトスが、闇の球状に呑まれて消える。直後、戦線より離脱しかけた二人もまた闇に引きずり込まれた。

 ──映像は、そこで終わっている。記憶容量が限界に達したためだと、リトラーは語った。

 

「残されたのは、フィオレ君の持ち物だけだった。色々疑問はつきないが、二人の行方は杳としてしれない」

 

 

 

 

 

 

 



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第五十五戦——闇との契りが混沌へ導く。呪縛が絡みつく絶望の淵へ

 引き続きラディスロウ。
 バルバトスからの贈り物は、惨劇を彷彿とさせるものでした。
 捜すのか、捜さないのか。すったもんだの挙句に、現れた守護者が望んだものとは。


 

 

 

 

 

 

 

 

 音を立てて、投影機のスリットからレンズが吐き出される。

 ほとんど同時にぺたんと音を立てて、ハロルドはその場に座り込んだ。

 

「は、ハロルド!?」

「……総司令。私はまた、壊れたあの子の目を見なきゃいけないの?」

「ハロルド君、フィオレ君はフィオリオ君ではない。彼女の実力は知っているだろう。早々簡単には……」

「簡単には殺されなくても、息してりゃいいってもんじゃないわ! 何もされないわけないじゃない……状況は、絶望的だわ」

 

 蒼ざめたその顔が俯いたかと思うと、よろ、と立ち上がる。

 ハロルドはそのまま、何の挨拶もなくふらふらと作戦会議室から出て行こうとした。

 そこへ。

 

「失礼します、総司令……うわっ!」

 

 出て行こうとするハロルド、入ろうとしたカーレルがぶつかりそうになって、彼は妹を抱きとめた。

 まるで反応がないハロルドにカーレルが注意しようとして、その顔色を見た途端に言葉を詰まらせている。

 

「ハロルド君、あの場で黙っていたのは……」

「わかってるわよ。私の研究が最終段階に入った今、変に動揺されて支障が出たら困るでしょ。お気遣いどーも!」

「ハロルド、司令に向かって……」

「兄貴は黙って。何か勘違いしてるみたいだけど司令、私は一度たりともあの子をフィオリオと重ねたことはないわ! フィオリオは、私があの穴へ放り込んだんだから!」

 

 半ば喚くように言い捨て、ハロルドは今度こそ作戦会議室を飛び出した。

 押しのけられたカーレルは、やりとりを初めから聞いていたわけでもなかろうにどこか痛ましげな表情を浮かべている。

 

「ハロルド!?」

「追いかけよう!」

 

 事情こそよくわからずとも、放っておいていいわけがない。ラディスロウの出入り口ではなく、内部へ向かう扉から勢いよく飛び出したハロルドを追い、一同は走った。

 ラディスロウ内を巡回していた兵士によれば、肩を怒らせ大股で私室のある方向へ向かったという。

 かつて彼女の許可を得て入った区画へ向かえば、研究室を兼ねた私室の扉はもちろん閉ざされていた。

 ノックをして声をかけるも、反応はない。

 とうとう痺れを切らしたジューダスが扉の前に立った。

 

「ハロルド。入るぞ」

 

 センサーが反応し、扉はあっけなく開く。どうやら施錠の類はされていなかったようだ。

 おっかなびっくり踏み入れば、部屋の主は奥の丸っこい寝台の上にいた。

 寝ているわけでもなければ、突っ伏しているわけでもない。

 総司令に嫌みを連打し、実の兄を押しのけて飛び出した天才科学者は、寝台に寝転がって一心不乱に何かを読んでいる。

 

「ハロルド……」

「ちょい待ち。もうすぐ終わるから」

 

 おずおずとしたリアラの問いかけに、ハロルドはあっけらかんと書類から目を離すことなく応対している。

 ほどなくして、ハロルドはむっくりと起き上がった。

 一同を見やるその目に、先程までの険はない。

 

「にしてもあんたら、落ち着いてるわね。仲間が攫われたってのに」

「攫われたのがフィオレだからな。あいつなら、バルバトスを出し抜いて自力で戻るくらいはやってのける。多少様子がおかしかったことに、不安材料はあるが」

 

 他の一同とて、細部は違えど似たような意見だった。

 単純な実力においても、頭の回転も有する知識も、一同の誰よりも優れていると。

 それを聞いて、ハロルドは心なしか目を細めた。

 

「……カイル。だけどアトワイトは助けに行くべきだっていうの?」

「当たり前だろ! フィオレと違ってアトワイトさんは戦えないんだから、それに……」

「アトワイトはソーディアンチームに抜擢された一人、多少なりとも交戦経験があるから、あんたの理屈で言えば救助の必要はないわ。自力で何とかしてもらって、帰還を待てばいい。あんた言ってることがチグハグよ。落ち着きなさい」

「だけど、フィオレとアトワイトさんは……」

「くどい。他人には仲間を助けに行けって言うのに、自分の仲間にそうしない人間の言うことなんか誰が聞くの。まあ、あんたがフィオレのことを仲間だなんて思っていないなら、話は別だけど」

 

 意見の矛盾を諭されて、カイルがぐっと言葉に詰まる。

 そこへ、珍しくジューダスの助け舟がやってきた。

 

「それは、お前があいつのことをよく知らんからだ。あんな奴のことなんか、心配するだけ時間の無駄──」

「同じことだわ。私がフィオレのことを知らないと同時に、あんた達はアトワイトのことを知らない。更に言うなら、あんたはフィオレのことをどれだけ知ってるっていうの?」

 

 しかし、助け舟はあえなく渦潮に巻き込まれた。

 話題がそらされたことにも気付かず、ジューダスはむきになって言い返している。

 

「どんな事態にも、涼しい顔で対応してみせる。こっちがどんなに心配しても、それに対し何も思おうとしない。心配するだけ、助けようとするだけこっちの徒労に終わる」

「ふーん。それはそれは、嫌みな奴ねえ。まあそれはそれとしてね」

 

 敢えて何か言うことはせず、ハロルドは再び話題を変えた。

 ここで何か言ったところで、自分の預かり知らぬ間柄の偏見──激しく曲がった信頼は拭えるものではないから。

 

「フィオレはどうして、バルバトスに怒っていたのかしら? 様子が変だったのも確かみたいだし、思い当たることはない?」

 

 リトラーにはフィオリオの死に関することだろうと誤魔化したものの、真実を知るハロルドに事情はわからない。

 それは一同としても同じことで、唯一ジューダスがカイルを横目に見ながら答えた。

 

「……おそらくは、スタンの死が原因だ」

「え……?」

「過去、ハロルドにとっては遠い未来に、フィオレと親交のあった人間達がバルバトスに傷つけられ、内一人が死亡している。僕らがダイクロフトへ赴く以前にも、そのことで苦悩していたようだ」

 

 スタンの死が、フィオレの平静を奪っていた。そのことに、少なからず関わっていたロニが絶句している間に。

 ハロルドはぴこぴこと指を振っている。

 

「あのさ、そんな不安定な状態で普段通りにできると思う? 実際様子は変だったでしょ」

「それは……」

「更にバルバトスは、アトワイトを人質にできる。狙ったかどうか知らないけど、突飛な行動で驚かせることで不意をついた。あの手はもう使えない」

 

 彼女はどうするのだろうかという質問に対し、ジューダスはどこまでも食い下がる。

 その様子を見て、ハロルドはやれやれと肩をすくめた。

 

「もういいわ。攫われたのは私の部下でフィオレなら、実験データを取り損ねたとか適当にゴネて捜索隊を組ませられるかと思ったけど……」

〔ティンバー中将、ベルセリオス博士。至急作戦会議室まで来られたし!〕

 

 ハロルドが言い終えるよりも早く、そんな艦内放送が響く。

 声の主はリトラーのようだが、かなり切羽詰まっているような声音だった。

 

「どうしたのかしらね、あんなに慌てて。ま、行ってみましょうか」

 

 三度(みたび)、ハロルドに促され作戦会議室へと赴く。

 そこにはリトラー、カーレル、そしてひと抱えの革袋を手にした兵卒がいた。何故か総じて顔色を悪くしており、ディムロスの姿はまだない。

 

「君達か。すまないが、ディムロスが来るまで待っていてくれ」

「えらい切羽詰まってるけど、何かあったの? しかも、私とディムロスって」

「実は……」

「失礼します、総司令。何か御用でしょうか」

 

 誰よりも顔色を悪くした兵士が口を滑らせるよりも早く、ディムロスが会議室へ入室する。

 リトラーは壇上から降りてきたかと思うと、兵卒を招き寄せた。

 

「巡回中の兵士が、駐屯地正門前にて発見したそうだ。確認してほしい」

 

 そう言って、彼は革袋を開けさせた。リトラーが取り出したものを見て、ディムロスが、ハロルドが目を見張る。

 

「これ、アトワイトのブレスレットじゃない。血染めって、趣味が悪いわねえ……」

「そして、この手紙が添えられていた」

 

 掲げられたそれにはただ一言、「スパイラルケイブにて待つ」とだけある。

 その綴られた文字は、赤黒い染料で不気味にかすれていた。

 血液を指につけて羊皮紙に滑らせれば、同じものができるだろう。

 ディムロスによりブレスレットがアトワイトのものであるとはっきりしたところで、リトラーはブレスレットごと革袋をハロルドへ差しだした。

 

「革袋の中身を解析してほしい。ブレスレットに付着したものも、だ」

「総司令、その中には何が……」

「知らない方が幸せよ、ディムロス」

 

 受け取って早々中を覗きこみ、眉を歪ませたハロルドがさっさと会議室を立ち去る。

 それを一同が追うも、ジューダスが抜きんでて彼女の前に立ちふさがった。

 顔を上げたハロルドの顔は青い。

 

「見ない方がいいわ」

「想像はついている。確認したいことがあるんだ」

 

 いつになく熱心なジューダスの熱意に押されて、ハロルドはしぶしぶ皮袋を手渡した。

 迷いなくそれを開くも、中身は彼の想像を絶していたのだろう。ジューダスの動きが停止した。

 

「どれどれ……」

 

 その隙をついて、好奇心に駆られたロニが横から覗きこむ。

 挙動に気付いてジューダスが咄嗟に口を閉めるも、時すでに遅く。

 

「うっぎゃああ!?」

 

 彼は悲鳴を上げてのけぞった。

 

「んな、何だこりゃあ!」

「だから言ったのに。アホねえ」

 

 ほんの一瞬しか見ていないと言うのに、ロニの顔色が見る間に青ざめていく。もはや皮袋すら見たがらない彼の反応にナナリーは面白がって揶揄するものの、それはいつになく真剣なロニの警告にかき消された。

 

「なんだい、だらしな「お前ら、絶対見るなよ! しばらく夢に出るぞ!」

「ほんとに、何が入ってたの……?」

 

 人間、止められるとやりたくなるものだ。

 その心理を知っていて、だろう。ハロルドはあっさりとそれが何であるかを明かしにかかった。

 

「知りたいなら教えてあげる。血塗れの──」

「ハロルド。これはおそらく、フィオレの左手だったものだ」

 

 言いかけて、ジューダスの断言を聞き眉をひそめている。

 根拠はあるのだろうが、それをここで確かめるわけにはいかない。

 

「こんなところじゃなんだわ。あんたらの部屋、行きましょうか」

 

 本格的な解析はできないが、話を聞くだけなら彼らに……正確にはフィオレに貸し与えられた部屋で十分だ。更に作戦会議室からも近い。

 滞りなく移動した一同は、まず中央のデスクに皮袋を置いたジューダスの発言に注目した。

 

「で、何を根拠に?」

「……入っていた指の一本に、これがあった」

 

 彼が取り出したのは、血染めになった銀環だった。三日月を満月にせんとする台座には、蒼い輝石がはめ込まれている。

 

「あいつが常に左の手につけていたものだ。他にも確認してみたが、間違いない」

「ふうん。ブレスレットについてるものはあれから付着したもののようだし、質量からして手首ひとつだけみたいだし……アトワイトは多分無事、かな」

 

 さらりと言い放たれた一言に、皮袋の中身を見ていない一同はぎょっとして彼女を見た。対してハロルドは軽いノリで手を振っている。

 

「言っとくけど、切断されてるだけじゃないから。綺麗なままの手首がころん、って入ってると思ったら大間違いだかんね」

 

 まったくもって、何の救いにもなっていない。

 分厚い皮袋を不気味そうに見ながら、ナナリーはくってかかった。

 

「何をそんな、悠長に……!」

「二人がさらわれた時点で、いつ二人の生首が送りつけられてもおかしくなかったわ。あんたら、危機管理がなっちゃいないわね」

「しかし、人質とは無傷だから価値があるものだろう! バルバトスも軍人なら、そんな初歩的なことは」

「じゃ、あいつにとってアトワイトだけが人質だったんでしょ。フィオレには用事があったんじゃない? これが送りつけたのはあんたらを牽制してるのか挑発してるのかわからないけど……こんなことになった以上、もう死んでいたっておかしかないわ」

 

 さらりと言い切られたその一言に、戦慄が走る。ほんの少し前ならまさか、と思われた未来が、今はひどく現実味があった。

 皮袋から洩れた、新鮮な血潮の匂いがそうさせたのかもしれない。

 

「大変だ……! 早く助けに行こう! リトラーさんにそれが何なのか話せば、きっと」

「それはどうかしらね。いくらフィオレが精霊の助けを借りてベルクラント迎撃ができても、身分は一兵卒の新兵。衛生兵長にしてソーディアンチームに抜擢されているアトワイトでさえ捜索許可が下りないのに」

「でもよ、今フィオレは左手がないんだろ? 早く手当てしてやらにゃ、命に関わる。それにこっちは仲間っつーか身内みたいなもん……そうだ!」

 

 ごにょごにょと何かを言いかけたロニが、唐突にジューダスを見た。

 普段の茶化すような雰囲気は無く、いたって大真面目な表情である。

 

「ジューダス、フィオレは恋人だから助けに行くって言い張ってみるのはどうだ? 仲間よりは効果あるかもしんねえ。お前が嫌だってんなら、俺が言う」

「無駄ね。嘘が見抜かれるとか、そういう問題でもないわ。ディムロスだって、過去を遡ればイクティノスだって、恋人じゃなくて軍の規律を選んでる。あんたらも見習えと、諭されるだけでしょうね」

 

 ディムロス、そしてイクティノスまでもが同じことをしている。途端に訳がわからなくなった一同に、ハロルドは驚くべき種明かしをした。

 

「アトワイトはね、ディムロスの恋人なの。あんたたちが見た公開処刑のフィオリオも、イクティノスの恋人だった。どういうことなのかは、理解できるわよね?」

「理解って……二人して恋人を切り捨てたってことか!? 信じらんねえ……」

「わたし……わたし、わかる気がする」

 

 ロニは理解不能だと頭を抱えている側で、リアラはぽつりと呟いた。

 当然カイルは驚いているものの、少女はあまり頓着していない。

 

「それが正しいわけ、ないと思うけど。課せられた責任を果たすために、大きな目で物事を見なければならないとしたら……」

「フィオリオというフィオレそっくりの軍人は、地上軍と民間人の仲違いを防ぐため見捨てられた。そして今回も、アトワイトひとりの命と引き換えに地上軍全兵士のことを優先する、ということか」

「そんなところね。一度そうと決めたからには、それを貫く義務がある。それが人の上に立つ者としての責任なの。まあ私は、結構好き勝手してるけど……」

 

 ここでハロルドは言葉を切ったかと思うと、とある一点を見つめた。

 視線の先には、先程から微動だにしないジューダスがいる。

 

「あんた、どうかした?」

「……そこにいるな。契約者をほったらかして、何をしている」

『仕方ないでしょ。聖域が失われて、代行者は証を失った。そんな状態じゃ、僕らにできることは限られる』

 

 虚空に向かって呟くジューダスを一同が気味悪がるより早く、その声音は一同の脳裏に響いた。

 フィオレの持ち物が置かれた辺りから光が生まれたかと思うと、新芽色の光球がふよふよと漂いつつ一同の前に……ジューダスの眼前に現れた。

 

「な、なんだ!?」

「オバケか!?」

『失礼だなあ。確かに実体はないけど』

 

 ため息まじりの呟きと共に、光が弾ける。

 金の髪をふたつにくくり、支脈の透ける薄い羽根を生やした少女が現れた。

 

「……!?」

『我が名はシルフィスティア。この星の風を司るもの。君と言葉を交わすのは、これが二回目だね』

「……僕に何か用か」

 

 ハロルドすらも目を見張るこの事態に、ジューダスは努めて淡々と用件を尋ねた。

 対してシルフィスティアは、首肯で意志表示をしている。

 

『その皮袋と、今あなたが忍ばせたものを返して』

「……フィオレは今、どうしている」

 

 皮袋はおろか、懐に忍ばせたものを取り出す素振りも見せずにジューダスは一方的な質問をつきつけた。

 実力行使はする気がないようで、シルフィスティアは肩をすくめている。

 

『だからね』

 

 ん、とばかりに、少女の姿をかたどった守護者は手を伸ばした。

 ジューダスへと。

 

『神の瞳、返して。それを使ってフィオレを捜すから』

「あいつの位置を把握していないのか?」

『風が、ボクの眷属が行き交う場所ならすぐわかるけど、違うみたいだから。軍則だからって、僕達の依代を全部置いていなくなられちゃ特定もできないし』

 

 しかしジューダスが、素直にそれを差しだすことはなかった。

 神の瞳を渡せば、守護者が以降他者の介入を許すかどうか。最悪、神の瞳を持ち逃げして単身フィオレの元へ行かれるかもしれない。

 ここは親切を装うべく、ジューダスは懐へ手をやりながら一同を見回した。

 

「人を介して力を振るうと言っていたな。この中で晶力を扱うなら、リアラが適任か?」

『お断りだよ!』

 

 言うだに、激しい拒否である。ジューダスから神の瞳を手渡されそうになったリアラは、硬直を余儀なくされた。

 

『フィオレの協力者だからなるべく干渉しないようにしてきたけど、キミにだけは使われたくない! あの下僕を使役しているのは、僕らに喧嘩を売ってきたのはそっちじゃないか! キミ本人に恨みはないけど、その力で手助けなんかされたくない!』

「わがままな……致し方ない」

『あの下僕と同じ復活者に使われるなんてヤダ!』

 

 却下の一途を辿る。悠長なことを抜かしている場合か、とくってかかるも。風の守護者はそれだけの理由ではないと語った。

 

『代行者でない人間に僕らの力は扱い難い。あっという間に消耗するよ? 抜け殻になってもいいの?』

「ああもう、守護者のくせにがたがたうるさいわねえ」

 

 脅すように言い放たれた言葉だったが、彼女にだけは一切の効果がなかった。

 ジューダスが取り出した神の瞳を包んでいたハンカチごと奪い、帽子を持つことで依代をも手にしている。レンズの凹面に血糊が張り付いていることは承知だろうに、彼女は眉ひとつ動かさなかった。

 

「あの子を捜す前に、答えなさい」

『そんな義理は……』

「あんたが……守護者が、契約者の危機で自発的に動いてるってことは、契約者より助けを求められれば、無論のこと応じるのよね」

『そりゃ、もちろん』

「じゃあなんでフィオリオは助けてくれなかったのよっ!」

 

 語気を荒げて詰め寄るハロルドを前に、シルフィスティアは飄々としたものだった。

 まるで我儘を言って駄々をこねる子供を前にした母親のような、人間じみた冷静さすら感じる。

 

『──彼女はすべてを受け入れたから。悪夢も、自分の残された道も、等しくね』

「嘘よ、あの子は間違いなく気が触れていたわ! 自分が殺されると知ってあんなに泣き喚いたのに……助けを求めないわけない、壊れた精神だってあんたらの力なら」

『……その様子だと、本当のことがわかるまで手伝ってくれそうにないね』

「どういう意味よ!」

 

 次なる彼女の言葉を聞いて、ハロルドは絶句した。

 表情から反応から、その衝撃は計りしれない。

 

『あれね、演技なんだ。衛生兵だから、おかしくなった人間の挙動は知ってたんだよ。残される人達のことを思いやって、さ』

「……?」

『君だって少なからず思ったはずだよ。おかしくなったフリで奇行を繰り返した彼女に、矯正のしようがなかったその醜態に、せめて楽にしてあげよう。それが彼女のためだって』

「!?」

 

 経緯がまったくわからないなりに、一同は見守るしかない。

 ハロルドは珍しくうろたえながらも、必死に言葉を絞り出した。

 

「そんな、だって……!」

『彼女、どんな人間だった? 彼女が正気だったらさー、君や他の人間達はどうしてた? 何より彼女はさ、死にたくない、助けてって、君に言った?』

 

 ハロルドは、完全に俯いてしまっている。

 風の守護者を名乗る少女はひとつ息をついてから手にしているものを手放すよう促すも、ハロルドは従わなかった。

 

「……うっさいわね、早くあの子を捜しなさい!」

 

 その言葉にこそ応えなかったが、シルフィスティアは早くもその姿を薄れさせる。

 代わり、守護者の背後には彼女の視界と思わせる映像が浮かび上がった。

 地上軍拠点周辺と思われる映像、その場所から一同にはどこかもわからない廃墟の隅々まで。雪だらけの景色が延々続いたかと思えば、ぽつりと現れた雑木林に突貫し上から下へ。

 人の常識では考えられない速度で様々な場所を巡っても、それらしき姿はない。

 それでも確実に力を使っているのだろう。力の提供者であるハロルドは玉のような汗を浮かべている。

 

「スパイラルケイブ、という場所はわかるか」

『んー……アース、変わって』

『わかった』『探してみる』『まずは存在する洞窟を……』

 

 荷袋の中から、麦藁色を宿した光が浮かび上がる。

 その瞬間、ハロルドの体がぐらりと傾いだ。

 

「ハロルド!?」

「……消耗がハンパないわ、これ。フィオレもフィオリオも、よくこんなの平気で使えるわね」

 

 それでも彼女は、それらから手を離そうとしなかった。

 それを憂えたのかあるいは他の理由か、漂う光がリアラの元へと向かう。

 

『もう一人の聖女』『我らの使役を』『このままでは彼女が抜け殻になる』

「えっ? いいの」

『気にしない』『我慢する』『すべてはフィオレのため』

 

 ためらうリアラを急かして、フィオレの荷袋を開けさせる。

 赤い巾着の中から蔦が巻き付く意匠の、中央に輝石がはめ込まれたバングルをリアラに持たせたかと思うと、大地を司る守護者アーステッパーは探索を始めた。

 

『スパイラルケイブ』『螺旋を描く洞窟』『──見つけた!』

 

 シルフィスティアによって壁へ投影された映像が途端に漆黒を映す。しかしそれは一瞬のこと。漆黒は鈍色の岩肌へと成り代わった。

 鍾乳洞と思しき石旬が連なり、天然の洞窟と思われる空間が広がっている。

 

『シルフ』『あと任せた』『あまり無茶をしては──』

『わかってる! フィオレ、どこだろ』

 

 アーステッパーが探し当てたのはあくまで場所のみ。見当たるのは住みついた魔物の姿ばかりだ。ハロルドの持つ神の瞳をリアラに持つよう指示して、探索が再開された。

 シルフィスティアの力が働き、めまぐるしく視界が切り替わっていく。やがて洞窟の最奥部と思われる場所で、ついに人影を見つけた。

 

「いたわ。けど……」

『──いい子にしていたようだな』

『……私の手を、どこへやってしまったのです。まさかエルレインに差し上げてしまったのですか』

 

 シルフィスティアとアーステッパーの力を持ってして発見したフィオレは、一人ではなかった。

 一体何があったのか。

 軍服に身を包んだフィオレは、満身創痍だった。

 被服のあちこちが意図的に引き裂かれ、透き通るような肌が覗いている。その様相は被服本来の意味を果たしているとは言い難かった。

 穴だらけにされたタイツから白桃を思わせる太腿がはみだし、力なく投げ出された足には生々しい傷がいくつも刻まれている。

 脱走を阻止せんとしてか、違う理由か。

 その傷をつけたと思われる男は、フィオレの眼前に仁王立ちしていた。

 

『……まだあの小娘の意識が居座っているのか。元凶は除いたというのに!』

 

 地の底から響く怨嗟にも似た、恐ろしく不機嫌な声音が漂う。

 それも束の間。まるで絞り出すかのような声を発していたバルバトスは怒りを発露するかのようにがなりたてた。

 

『出ていけ、妹の体からァッ! 俺のフィオリオを返せッ!』

『……知らねえっつーの、シスコン野郎。質問に答えやがれ』

『それ以上妹の顔で、妹の声で! 汚らしい言葉を吐くなぁっ!』

『喚くな、うるっせぇな。寝言なら夢でも見ながらにしろよ』

 

 鬼気迫るバルバトスにまるで動じることもなく、フィオレはどこか投げやりに応じていた。

 億劫そうに起き上がろうと壁についた手が震えていることを、一体何人気付いたことか。

 言葉もなく振り下ろされた斧は、それまでフィオレが寄りかかっていた壁を破砕して、その粉塵を漂わせた。

 一撃を辛くも逃れたフィオレは、ちらりと一同に、その場にいないはずの彼らに視線を寄越す。しかしそれは一瞬のこと、眼帯を奪われたのか色違いが露わになった瞳は、バルバトスへと向けられた。

 誰もが注視した左の手は──外套の裾が絞られ、詳細はわからない。

 しかしあるべき場所には何もなさそうなこと、黒ずんだ血潮の色に染まるその場所を見れば、一目瞭然だった。

 

『遊びは終いだ。一気に片をつけてやる!』

 

 生まれたての小鹿が必死で立ち上がるかのように、膝が砕けては持ち直す。

 刻まれた生傷から鮮血が滴り落ち、フィオレの足元はたちまちぬかるんだ。

 その手にはいつの間にか、禍々しい魔剣を手にしている。

 

『業炎斬!』

 

 上段から振り下ろされた斧の一撃を紙一重で回避するも、散った炎が生傷を炙る。かまわず反撃を見舞いかけたフィオレの瞳が、苦痛に揺らいだ。

 下からすくい上げるような拳打を、もろに受けて。

 

『斬空剣!』

 

 完全に宙を泳いだ体に、生み出された旋風がまとわりつく。細かな鎌鼬が外套を、その肌を容赦なく引き裂いた。

 

『裂砕断!』

 

 大地をも砕く勢いで斧を叩きつけられ、フィオレはかろうじてこれを受けた。しかしその衝撃を受け流すことはできず、その場に叩きつけられている。

 

『……そのなりで、我が奥義三連殺を凌ぐか』

 

 フィオレを痛めつけたことで溜飲が下がったのか。息こそ荒げているものの、先程の激情は完全になりを潜めている。

 一方、倒れたフィオレは自らの血だまりに身を浸し、ぴくりとも動かない。

 このまま死亡してもおかしくはない衰弱ぶりに、バルバトスが同情を覚えるわけもなく。

 

『やっと大人しくなったか……てこずらせおって』

 

 片足で蹴りつけ、動かないことを確かめて。闇色の球体が現れた、その瞬間。

 

『……ぐ!?』

 

 バルバトスの顔が、痛みに歪む。彼が見下ろした先、フィオレに押し当てていた足に特殊な刃物が突き刺さっていた。

 敢然と上がった顔が、これをどけろと言わんばかりに、睨み据える。

 自らの勝利を確信していただろうバルバトスの沸点は、存外低かった。

 

『このっ!』

 

 特殊な刃物──笹の葉を象った手裏剣を引き抜き、再び突き刺そうとしたフィオレに、巨大な足裏が迫る。

 馬鹿正直に蹴打を受けるでもなく、どうにかその片足を捕まえたフィオレは流れるような動作でそれをひねった。

 

『ぬっ!?』

 

 バランスを崩したバルバトスが、それ以上の負傷を防ぐためにか、素直に尻もちをつく。

 獲物を引き倒した肉食獣の如き勢いでバルバトスに飛び乗ったフィオレだったが、そこまでだった。

 

『図に乗るんじゃねえ!』

 

 悲しきかな体格の差、あっけなく上下が入れ替わる。バルバトスの全体重を受けてフィオレは苦しげに息を吐くも、その眼は冷めきっていた。

 恐怖も屈辱も、苦痛さえもない。あるのは、自分にのしかかる男への蔑みだけだ。

 フィオレの身動きを封じたバルバトスが、その首を掴みあげる。

 

『誇りがあるなら、勝者に従うが礼儀だ! この期に及んで抗うか、見苦しい!』

 

 気道を狭められ苦しげに喘ぐフィオレに怒鳴りつけるも、効果はない。

 逆にその眼は、その眼だけが言葉を聞きつけて凍てついていく。

 眼は口ほどに物を言い、その視線を受けて怯んだようにバルバトスは声を荒げた。

 

『……その眼を、やめろ! フィオリオの眼で……潰されたいか!』

『……何が誇りか』

 

 何かの弾みで緩んだか、腕を払われたバルバトスがびくりと巨体を震わせる。

 首をさすりながら、フィオレは吐き捨てるように呟いた。

 

『人質を使って得た勝利にそんなもんはどこにもない。一端の勝者を気取るな、下衆』

『負け惜しみを……まだ躾が足りんようだな』

 

 返す言葉はないらしい。ぎり、と歯を食いしばったバルバトスが、その柔肌を蹂躙せんと外套に手をかける。

 その瞬間、フィオレは口元に薄笑みを浮かべていた。

 

『ぐあっ……!』

『汚い手で触るな。下劣が伝染る』

 

 首をさすっていた手がいつのまにか手裏剣を持ち、その手をひっかく。

 ほんの僅かに怯んだその瞬間、フィオレはその野太い首に手裏剣を突き立てた。

 

『消えろ、屑。できればそのまま死ね』

 

 頸動脈を狙ったのか、勢いよく迸る鮮血がフィオレに浴びせられる。それを抑えるようにしながら、バルバトスは言葉もなく闇色の球体に呑みこまれて消えた。

 

『っ……』

 

 あの、他を圧倒する気配が完全に失せたのだろう。安堵の吐息をついて、フィオレはゆっくりと起き上がった。 

 浴びた血潮を袖で拭い、細かく震える手が外套の前を掻き合わせ、無言で周囲を見回す。

 その唇を動かさないまま、フィオレは声なき声を放っていた。

 

『……シルフィスティア? どうして、ここに』

『君の仲間達の力を借りた。すぐ助けに行ってもらうから……』

『……!』

 

 やはり先程の交戦中に勘付いたのだろう。シルフィスティアがいることを前提に念話を用いた様子である。

 シルフィスティアの返答を耳にして、絶句するも束の間。気を取り直したようにまくしたてた。

 

『アトワイトもここにいます。今のところ彼女には何もしていないようですが、あの様子ではいつ手を出すかわかりません。早急に、救助を願います。あと! 契約者でない人間があなたの力を用いて何かあったら、私はあなたを許さない!』

 

 明らかな消耗も隠さず、敢然と告げるフィオレの言葉を最後に、洞窟の光景が消えていく。そこには再び、何の変哲もない壁に戻った。

 

「……おい」

『フィオレのいた場所のすぐ近くに、アトワイト・エックスもいる。確かに伝えたからね』

 

 叱られたことによる弊害か。ぶっきらぼうな声だけを残して、シルフィスティアの気配が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十六戦——アトワイトだけは、無事。それは確かに、喜べること。

 ラディスロウ~スパイラルケイブ。
 割と結構色んなものを失っているものの、命までも落とさせるわけにはいきません。
 二人の救出劇や、如何に。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで白昼夢を見たような感覚、そしてその余韻に一同が沈黙していた矢先のこと。

 

「ハロルド。先程の皮袋の中身は……」

「あーっ、うっさいわねえ。入るわよ!」

 

 プシュンと音を立てて、扉が開閉する。

 一同の注目を浴びたのは、いつの間にか部屋を後にしていたハロルドと、ディムロスだった。

 

「ハロルド。いつの間に……」

「細かいことをねちねちうっさい。あんなもの見せられて、平気でいられるわけないじゃない」

 

 ぶすっとしたハロルドの顔色は、かなり悪い。

 皮袋の中身……正確にはブレスレットが気になっているだろうディムロスを無視して、ハロルドは一同に書類を渡した。

 

「まあ、とりあえず。はいこれ」

「何これ?」

「スパイラルケイブへの地図と、雪上走行車θちゃんの操縦マニュアル。事態は一刻を争うんだから、使ってもらうわよ。フィオレはこれ見て運転できたんだから、できなかったらあんたらフィオレ以下よ!」

 

 わかってやっているのだろうが、その激励にあまり効果は無い。約一名を除くなら。

 

「ハロルド、スパイラルケイブに行くつもりか! アトワイトの捜索は……」

「この子達をあそこに派遣するの。地上軍が勝利するため、どうしても必要な要素を取ってこいと命じただけ! なんか文句ある?」

 

 詭弁だと食い下がるディムロスと口論を繰り広げつつ、ハロルドはさっさと行けとばかりに手を振っている。

 もはや是非もない。書類を引っ掴んだジューダスを筆頭に、一同は言葉もなく部屋を飛び出した。

 

「待ちたまえ!」

「皮袋の中身だけどね。ぐちゃぐちゃになった人間の手首が入っていたわ」

 

 追いかけようとしたディムロスの動きが止まる。

 経緯を──もちろんいくつかの真実を抜いて構成されたハロルドの話を聞き、切れ長の瞳はこれ以上ないくらい見開かれた。

 

「嘘だと思うなら中身を確かめて、司令に確認するといいわ。フィオレのことだけは、確かな事実だから」

「……」

「さて、それはそれとしてね。新兵器のテストをしたいから、ちょっと付き合ってもらうわよ」

 

 こと新兵器に……ソーディアンに関することで、中将といえども彼に拒否権はない。

 生気のない蒼ざめた顔をしながらも、ハロルドはにんまりと笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上軍拠点よりスパイラルケイブへは徒歩で五日、強行軍で通常三日ほどの距離だ。

 しかし一同はその距離を、ハロルド製雪上走行車両θによって半日ほどで到達している。

 

「ジューダス。ハロルドはあんなことを言ってたけど……」

「……僕は絶対あんな奴以下じゃない」

 

 倉庫を目指して歩く最中も操縦マニュアルを読みこみ、ぶつくさ呟いていたジューダスが何の迷いもなく運転席へと乗り込む。

 一同もまた、後部座席へ乗り込んだその時のこと。

 

「おい」

 

 声と共に何かが運転席から投げ込まれた。

 柄が緩やかな弧を描く一風変わった箒に、使い古された、しかし丁寧な修繕の痕がある耐水布製の荷袋──

 

「これってフィオレの……持ってきたのかい?」

「あいつに楽をさせるつもりはない。むざむざ捕まるような馬鹿でもな」

 

 残されていた映像を見る限りどうしようもなかったように見えるが、ジューダスはそんな毒を吐いた。彼とてそれがわかっていなかったわけではない。

 それが本音でないことを示すように、そしてもうひとつの理由で、彼はそのまま口を閉ざしてしまった。

 雪上車θが起動される。

 初めて運転するのだから仕方がないものの、搭乗者にとっての乗り心地は最悪の一言に尽きた。

 

「なんか、前にもこんなことがあったような……」

「忘れちまったのかよ。リアラとフィオレがアイグレッテに行っちまった時、説明もそこそこにイクシフォスラーに飛び乗って……」

「なんでこんなこと知ってるのかとか、どーでもよくなったのもあの頃からだね。あれだけフィオレのこと想ってるんだから、悪い奴なわけないって……」

 

 そんなことがあったのかとリアラが驚くものの、ジューダスからの反応はない。ちらりと運転席を見やれば、彼はマニュアルを握りしめ、必死になって操縦桿を操っていた。

 そして彼は、唐突に車両を止めたかと思うと、運転席から降りていく。

 

「ジューダス?」

「行くぞ。ぐずぐずするな」

 

 言いながら後部座席の扉を開き、フィオレの持ち物をむんずと掴んでさっさと歩み去る。

 彼が向かう先には、山脈の根元にぽっかりと口を開けた洞窟があった。その名に相応しく、大雑把だが緩やかな螺旋を描くように洞窟内を下る。

 不思議なことに下へ進めば進むほど、洞窟内は仄明るくなっていった。

 発光する苔は存在する。しかしあれは光を反射させる細胞を持っているからであって、光がない場所でその現象は起こらない。

 

「……水、いや波の音がするね」

「こんな地下深く?」

「鍾乳洞だからな。海と繋がっていてもおかしくない」

 

 これ以上は必要ないと、ジューダスはフィオレの荷袋から勝手に拝借したらしいレンズ補充式のランタンを押し込んだ。

 洞窟内は、静かだった。このような場所は魔物の巣窟と相場が決まっているのに、まるで気配がしない。

 これよりバルバトスとの交戦は避けられないだろう一同にとっては好都合ではあったものの、一切魔物と遭遇しないのはやはり不気味だった。

 やがてナナリーの言う通り他一同の耳にも潮騒が聞こえ始め、足場の下は海水と思われる水たまりがそこかしこで見え始める。

 

「フィオレがいたところに水なんかあったっけ?」

「干潮だったのかもしれないわ。あれから半日は経っているし……」

「カイル」

 

 普段からそうなのに、更に口数の少なくなってしまったジューダスが突然口を開いた。

 潮が満ちているのか、これより下層へ下る道は水没している。その、下層へ至る道の手前。多少開けた空間に。

 ダイクロフトにて攫われた、アトワイト・エックスが囚われていた。

 捕縛されているのか座りこんで身動きをせず、あらぬ方向を見つめている。

 フィオレの姿も、バルバトスの姿もない。だが、彼女から情報を得られることだけは間違いなかった。

 

「アトワイトさん!」

 

 彼女を救出するべく、一同が駆けつける。

 その声と足音に気付いてだろう。アトワイトはくるりと振り返った。

 整った顔立ちが驚愕に染まり、その喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 

「ダメっ、来ないで!!」

 

 一同に対して、あらん限りの制止を。

 

「えっ……!?」

 

 その叫びに足を鈍らせたのが悪かったのか。そもそも駆け出したのが悪かったのか。突如として周囲より色濃い闇が発生する。

 あれよあれよという間に、一同は薄闇に包み込まれた。

 よくよく見れば足元の地面は見たこともない文様が描かれ、不規則に明滅している。

 

「これは、魔法障壁!」

 

 驚くリアラにそれが何なのか、尋ねる余裕はない。しかし、薄闇のベールにしか見えないそれに触れればどうなるのか……試そうとする者はいなかった。

 直後、アトワイトが座りこむそのすぐそばに、絶望の権化が発生する。

 

「ディムロスめ、臆したか……まあいい。貴様らが網にかかったのなら、それはそれで楽しめる」

「バルバトス……貴様っ!」

「フィオレ! このドスケベ、フィオレを離しな!」

 

 現れたバルバトスは、まるで荷物のようにフィオレを抱えていた。身をよじって逃げようとしているものの、まるで子供扱いである。

 

「ああ。言い忘れていたが、その魔法障壁に触れるとタダではすまんぞ」

「くそっ! みんな、障壁から離れろ!」

 

 ジューダスの指示に誰もが従うものの、障壁はじりじりと捕らえた獲物を追い詰めていく。

 バルバトスはといえば、暴れるフィオレを抱きすくめるようにして、悠然とその光景を見せつけている。

 

「みな、まとめて殺してやる。それなら寂しくないだろう?」

「……」

 

 じり、と更に障壁が狭まる。誰かがバランスを崩せば、一様に共倒れするほどの危うさだ。

 

「もう逃げ場はない。目の前で仲間が殺される気分はどうだ?」

「……」

「貴様のせいだ。こいつらも、さぞや貴様を怨むだろう」

 

 ゆっくりと、本当にゆっくりと障壁は縮んでいく。バルバトスは嬲るように、フィオレへ囁きかけた。

 ただその声量は囁きからは程遠く、一同は顔色を変えている。

 

「やめろ! 何を抜かすつもりだ、貴様っ!」

「今ならまだ間に合う。この俺に従え、絶対服従を誓え。首を縦に振れば連中の命だけは助けてやろう」

 

 その際フィオレが、バルバトスでもなければアトワイトでもなく、一同すら見ずに明後日の方向を見ていたことに関係しているのか。

 フィオレの返事は、これだった。

 

「ぬ、がっ!」

 

 いつの間に握ったのか、そもそも何処に隠し持っていたのか。

 首に巻きつく腕へ棒手裏剣を突き立て、怯んだ隙に振りほどこうとして。

 

「このっ!」

 

 無事な腕が、がしりとフィオレの首を掴む。吊るされながら抵抗する素振りを見せたからか。

 バルバトスは軽々とフィオレを投げ捨てた。

 

「っ!」

「フィオレ!」

 

 幸か不幸か、その先に岸壁も鍾乳石もなく、フィオレはそのまま足場の階下──水没したそこへ、落下した。

 盛大な水柱が発生する。

 

「ち……ぬかったわ。まあいい。後は貴様らの肉片でも見せてやれば」

「はあああっ!」

 

 憎らしげに階下を見やったバルバトスが、閉じ込められた一同に視線を向けた瞬間。

 裂帛の気合と共に放たれた火球を、バルバトスはかろうじて避けた。

 

「今のは……晶術!?」

「ってことは……」

「私じゃーないわよ?」

 

 未だ障壁に閉じ込められた一同の元へ、ハロルドが駆けつける。

 携えた杖であっちあっち、と指す先にいたのは──

 

「貴様の相手は私ではなかったのか、バルバトス!!」

 

 法衣に似た意匠の軍服、ぴんと背筋の伸びた長身、青空よりも濃く、海の色より僅かに薄い長髪をたなびかせたその姿は本人だ。

 その姿を認めたアトワイトはといえば、ただただ驚いている。この様子からして、心底から彼は来ないと思っていたのだろう。

 

「ディムロス……中将!?」

「ディムロス……!」

 

 そしてバルバトスは、歪んだ笑みを浮かべていた。

 ハロルドがその場にいることも、彼が携える新兵器の実験台にされることも、まるで意に介していない。

 

「新兵器の味、その身で確かめるがいい!」

「ソーディアンか……面白い。腑抜けにはちょうどいいハンデだ!」

 

 戦斧が、幅広の剣が交錯し、火花を散らす。

 しかし晶術を使いこなすバルバトスと、晶術の使用こそが真髄とさえ言えるソーディアンを持ったディムロスの戦いが、鋼同士の交錯のみに終わるわけもなく。

 

「フィアフルフレア!」

「破滅のグランヴァニッシュ!」

 

 火焔が飛び、足場は爆裂するがどちらも決定打とはならない。二人の実力は拮抗している。

 バルバトスがディムロスに気を取られている間に、ハロルドは一同のそばを離れて足場の縁へと立った。

 

「ハロルド……!?」

「ちょっと待ってなさいって。フィオレ! もうちょっと頑張って!」

 

 聞き慣れた詠唱──治癒晶術のそれが高らかに響き、先程拾っていた紫水を投げる。

 帽子がくくりつけられたそれを水面のフィオレが手にしたことを確認して、ハロルドは一同の元へと戻ってきた。

 

「さて、じゃあ次はこの魔法障壁とやらを……」

「ソルブライト! 歪な闇をかき消せ!」

 

 差しこむ日の光とは明らかに異なる光球が階下より飛来する。直視を拒絶する眩い輝きは、一同を捕らえていた薄闇のベールをあっさりかき消した。

 直後、フィオレが箒に擬態したままの紫水の上に立って、一同と同じ足場へと復帰する。

 

「……元気、そうね」

 

 ハロルドの声を気にした様子もなく、フィオレは戦いの場へと眼を向けた。

 

「バルバトス、覚悟!」

「さっきはよくもやってくれたね! 倍返しにしてやるよ!」

 

 リアラとハロルドはアトワイトの元へと向かい、残りの面々はディムロスと合流する。

 二人の戦いはほぼ均衡を保っていた。しかし彼らの加勢によって、均衡は一気に破られるだろう。

 だからこそ、フィオレは動かなかったのだろうか。

 

「さっきはあんな姑息な罠を使ったんだ。今更一対多数が卑怯とは言わねえよな?」

「ふっ……そうだな。一対多数ならば……な!」

 

 ごしゃっ、と音を立てて、天井より何かが落下したような音が響く。

 そこへ。

 

「!」

「あんたら動かなくていいわ。任せたわよ、フィオレ」

 

 アトワイトの縄をほどいていたリアラ、そしてハロルドとアトワイト当人だけが、一同の背後での出来事を注視していた。

 

「あれって……」

「見たことない型だけど、ゴーレムみたいねえ。防衛機能高そうだから、無闇に攻撃すると自爆しちゃうかも」

 

 ハロルドの見解を聞いていたのかどうなのか。すでに抜かれた紫水の切っ先はゴーレムの核を貫いている。

 直後、ゴーレムは発光を伴う大爆発を引き起こした。

 チカチカと兆候があったためか、そんなものに巻き込まれるフィオレではなく。

 

「か、回避したの? あんな近距離で!? 私はてっきり運動音痴だとばかり……」

「一応言っとくけど、あの子フィオリオじゃないからね? そんなわけでフィオレは無事。アテが外れちゃったわね、バルバトス」

 

 隠しておいたゴーレムを使って、まだ企みがあったのだろう。

 揶揄するハロルドにかまう様子もなく、バルバトスは鋭い舌打ちをした。

 

「またも、邪魔立てが入るか……!」

 

 再び偽りの闇がわだかまる。漆黒の放電を伴うそれは、バルバトスを呑みこんで消えた。

 ハロルド達が一行の元へと戻り、入れ替わるようにディムロスがアトワイトの元へと走る。

 二人の再会に水を差さぬよう背を向けた一同は、フィオレの元へと向かった。

 

「よかったわ、フィオレ。思ったより元気そう……で……」

 

 一番に駆け寄ったリアラが、その半ばで足を止める。

 困っているような、なんと返事をしたものか悩んでいるように見えたから、だけではない。

 

「……あなた、本当にフィオレ?」

 

 返事は無い。彼女は、無言で己の両手を突き出した。

 その手は紫水を、両手で握っている。

 

「「「!?」」」

「やっぱり、なんかあるのね。でもそれ聞く前に」

 

 絶句する一同に対して、フィオレは彼方へ視線をやっていた。その先にはやり取りを経て固く抱き合う二人がいる。

 心得たように頷いたハロルドが、おもむろに二人へと歩み寄った。

 

「お~い、ディムロス! いちゃつくのはいいんだけど、先にソーディアン返して」

 

 その声で我に返ったのか、二人は弾かれたようにパッと離れている。

 どんな痴話ゲンカがあったのやら、ディムロスの片頬は僅かに腫れていた。

 

「いちゃついてなど……」

「もう、ハロルドったら」

「はいはい。わかったわかった」

 

 頬の腫れとは別に、心持顔が赤らんだディムロスよりハロルドが一振りの剣──おそらくはソーディアン・ディムロスの雛型を受け取る。

 まだ何も装飾が施されていない、ただ刀身の根元に張りつけられたレンズに損傷がないかを確認しつつ、ハロルドは二人の顔を交互に見た。

 

「二人とも、まずはラディスロウに戻って。まだやることがあるっしょ?」

「そうだな……まだやるべきことが残っているからな」

 

 今後のことを思ってなのか、ディムロスもアトワイトも表情が引き締まる。

 しかしそれは、続くハロルドの台詞によって儚く崩れた。

 

「ああ、定員オーバーだから二人は私達が来る時使ったプチθ使って。原動機付きの橇だから。アトワイト、しっかりディムロスに抱きついたほうがいいわよ」

「ハロルド!」

「あら、私は初めて搭乗するアトワイトに注意しただけよ? ひっくり返ってスカートめくれちゃったら、ディムロスが我慢できない……」

「……行くぞ、アトワイト」

 

 反論したらしたで遊ばれるだけと悟ったディムロスが、彼女を連れてさっさと立ち去ろうとする。ところが。

 

「待って、ハロルド。あの子は……フィオリオにそっくりなあの子は」

「フィオレのことを言ってんなら、ディムロスが知ってるから。教えたげて」

「そうじゃなくて……」

「ま、その辺りに関しては後で話しましょ。まずは皆に顔見せてきなさいよ。ホラホラ」

 

 押し出すような形で、二人は共に帰路につく。その間、フィオレだけは体ごとそっぽを向いてしまい、二人の姿を視界に収めようとしなかった。

 二人がその場から去り、ハロルドが戻ってきて、ようやく振り返る。

 その口が開いたかと思うと、少し遅れて声が聞こえた。

 

「一石二鳥、ですね。二人は去り、尚且つ二人きり」

「……まあ、あの二人もこれから大変でしょうしね。たまにはいいでしょ」

 

 そんなことよりも、と言わんばかりのハロルドに、フィオレは応じるどころかそっぽを向いた。

 迷いのない足取りで、先程自ら這いあがった足場の縁へ歩み寄る。

 

「……あんた、左手無事だったの?」

 

 小石でも踏んづけたのかよろけてジューダスにぶつかり、軽く謝罪を告げて足場の縁へとしゃがみこむ。

 

「だったら、どんなによかったことか」

 

 一同に背を向けたまま、フィオレはおもむろにレンズを取り出した。人差し指と親指に挟まれた、乳白色が沈殿しているそれを見て、ジューダスが懐をまさぐり真相を知る。

 ぶつかったその時、神の瞳と指環を、包んでいた布ごとすられた。

 実に手際が鮮やかなスリを罵るよりも前に、フィオレは何のためらいもなく身を投げた。

 

「あっ!」

「フィオレ!」

 

 派手な水音は──聞こえない。

 突然の奇行に仰天した一同が駆け寄るよりも早く、フィオレは姿を現した。

 シルフィスティアの支配下にある紫水に身を預け、ポタポタと雫の滴る軍服だったものを身にまとい。

 

「……その様子。無事とは言い難いわね」

「それに関しては見ての通りですよ」

 

 この場に到着したハロルドがイの一番に放った治癒晶術により、致命的な負傷は癒えている。

 しかし、まとっていた軍服がかろうじて肌を隠している辺り、何があったのかは明白だった。

 フィオレの両足が地に着いたその瞬間、膝が砕けてその場に座りこむ。

 

「フィオレ!」

「膝のお皿が割れているだけです。大したことじゃ、ありませんよ」

 

 その様相に慌てて駆けより、体を支えてくれるリアラに対してフィオレは困ったように微笑んだ。最早何も言わず、レンズペンダントを手にして集中する少女によって生々しい傷が癒えていく。

 ただし──失われたその部位が再生することは、なかった。

 時折ひんやりとした風が吹く中、リアラが雫のような汗を浮かべはじめたことに気付いて、フィオレが制止する。

 

「リアラ。もう平気です。大分楽になりました」

「駄目よ。まだ腕が治っていないもの」

 

 真剣な表情でだらんと垂れた袖を見つめ、少女はレンズペンダントを介して力を注いでいく。しかしその努力空しく、何の変化も訪れない。

 

「リアラ」

「……わたしだって、聖女ですもの。あの人より未熟だって、私、今まで沢山フィオレに助けられてきたわ。だから、今度は私が……!」

 

 不意に体勢が崩されたことでリアラの集中が乱され、治癒する手が止まる。

 膝立ちになったフィオレが、自分と同じように座っていた少女を抱きしめたのだ。

 

「もう充分です、その気持ちだけで。わかっています、自分の体のことだから」

 

 ぴくりとも動かない左腕の代わり、無事な右腕がリアラの髪を撫ぜる。

 ぎゅう、とそのまましがみつく少女が、自らの無力を嘆いて謝罪するのを、フィオレはその都度頷いては宥めた。

 

「……ごめんなさい……わたし、何もできなくて……」

「コラコラ! 泣きたいのはフィオレでしょ、何であんたが泣きだすのよ!」

 

 つぶらな瞳から真珠のような涙が、大気に触れるよりも早くフィオレの肩口に染み込む。

 切なく陰鬱な空気をブチ壊したのは、ハロルドだった。

 

「いいではありませんか。リアラは私の代わりに泣いてくれているんですから」

「はあ? 他人のリアラがなんであんたの感情を代替わりできるのよ」

「私にはもう、この事に関して流す涙も恨みごとのひとつも、吐き出す元気はありません」

 

 おそらくわざとだろうハロルドの発言で、リアラの涙は早々に止まっている。

 少女と身を離したフィオレは、それまで自分の足に巻きつけていた赤黒い包帯──元は軍服だったと思われるそれを、漆黒の短刀でざっくりと断ち切っていた。

 無傷にしてしなやかな、無駄な脂肪など一切ついていない足を見てフィオレは快活に笑う。

 

「ほら、綺麗に治りました。これは少なくともあなたのおかげです」

「フィオレ……」

「さて、お次はこちらをどうにかしないと」

 

 ちら、とフィオレが見やったのは、己の腕。

 そのまま袖をまくり上げようとして、フィオレはぴたりと停止した。

 袖の中に収まった腕のそこかしこに触れ、放心したように俯く。

 

「どうした?」

「ええと、いえ、別にどうも」

「どうもしないわけがないだろう。とにかく見せてみろ」

「あっ!」

 

 慌てたように振り回した腕を、逆にジューダスが捕まえた。

 その瞬間。

 ぬちゃ、と嫌な音を立てて、ジューダスの手が泥を掴んだような感触を残す。

 反射的に離したその場所は、手形の変な染みが残された。

 

「……!」

「洗ってきてください」

「そ、そんなもの、僕は気にしていな……!」

「それ、私の荷袋ですよね。左のポケットに確か貰い物の石鹸があったはず。腐敗臭は染み付くとしつこいんですよ」

 

 荷袋を取り上げられ、やたらいい香りのする石鹸を押し付けられたジューダスはしぶしぶ水辺へ歩み去る。

 荷袋を地面へ置き、包帯やらアルコール入りのボトルを取り出すフィオレに、ハロルドが近寄った。

 

「……腐敗、してるわけ?」

「治癒晶術に一切反応しないので、多分。きちんと確認するのはこれが初めてだから、確かなことは何とも」

「私なら大丈夫だから見せて。あんたらはあっちを向いてなさい。卒倒したかったら話は別だけど」

 

 常人ならば持ち歩くことはおろか手に入りもしないだろうメスを取り出し、フィオレの許可を得て腕に張り付いている袖だけを切り裂いていく。

 直後鋭く息を呑み、即座に鼻をつまんだ辺りハロルドの正直さがうかがえた。

 

「……あんた、こんなもんぶら下げてよくゴーレム瞬殺できたわね」

「正直な反応ありがとう。バルバトスに比べれば楽な相手でした」

「じゃあきっぱり言うわ。切断するっきゃないわよ、これ」

「覚悟はできています。ただ、腕を……」

 

 ぼそぼそと交わされる内容は聞きとれない。しかし、事態が深刻なものであることは誰もが悟っていた。

 やがて、手を洗って待機していたジューダスがハロルドに呼ばれる。何事かと歩み寄ったジューダスは、直後度肝を抜かれた。

 先程までディムロスが持っていたソーディアンの試作品を持たされて。

 

「今、なんて」

「フィオレの腕を斬り落とすの。肘から先ね。私に剣の心得はないし、フィオレも片手じゃ難しいわ」

「……!」

「嫌ならカイルかロニに頼むわよ。二人が嫌だと言うなら、私がやる。とんでもなく汚い切り口になるでしょうけど……このままじゃ腕を失くすどころの騒ぎじゃないもの」

 

 確かに、肉が腐って今にも滴り落ちそうな腕をいつまでもくっつけておくわけにはいかない。歯ぎしりすらしながら、ジューダスは試作品を持ち上げた。

 二の腕を縛って圧迫したフィオレが、彼に背を向けたまま腕を水平に突き出す。

 彼は渾身の力で刃を振り下ろした。

 

「──お疲れ様」

 

 すでに感覚が死んでいたのか。呻き声ひとつ上げず、吹き出す鮮血を他人事のように見つめて、フィオレは淡々と処置していく。

 そして、右肩に荷袋を担ぐと立ち上がった。言葉もなく投げつけられたジューダスのマントを受け取り、しばしの逡巡を経て羽織っている。

 

「こんなところまで御足労様でした。私が下手を打ったばかりに煩わせて、ごめんなさい」

「──ふん、まったく……「今回ばっかりは不可抗力ってやつさ。こっちも色々あったし、まずは拠点に戻ろうじゃないか!」

 

 何かを言いかけたジューダスの脇に肘を入れ、彼を押しのけたナナリーがさらりと流す。

 思わず暴力女め、と呟いた発言を、ロニはもちろん聞き逃さなかった。

 

「おおっ、久しぶりに意見があったな、ジューダス。どうだ? ここらでひとつ、暴力反対同盟でも……」

「あんたらがデリカシーのない態度をやめてくれれば、あたしも実力行使なんてしなくて済むんだけどねえ!」

 

 やはりもちろん、彼の失言を聞き逃さないナナリーが鉄拳制裁を下さんと追いかけ回す。

 すでに日常茶飯事となっていたその光景に、苦笑を浮かべかけたフィオレはふと、自分の足元を見た。

 ──歩き出しかけて数歩もいかない内に、歩みが偏っている。左腕が少なくなった分、平衡感覚が狂っているのだろうか。

 それに気付いたカイルの言葉を聞いて、フィオレは思わず眉を歪めた。

 

「フィオレ、大丈夫? オレ、オンブしよっか?」

「……お気持ちだけありがたく頂きましょう」

 

 格好が云々の問題ではない。どのような経緯であれ、左手……否、左腕を失ったのはフィオレ自身の責任なのだ。

 失った部位の再生が望めない以上、この体に一刻も早く慣れなければいけない。

 そうでなければ、心優しい仲間達によって何もできなくなるだろう。

 フィオレ自身の望みを叶えることも、守護者達との約束を果たすことも。

 

「遠慮しなくていいのに……オレ、頼りない?」

「そんなことをしたらあなたの聖女を悲しませるでしょう」

 

 カイルの申し出と、そんなことはないというリアラの反論を流して、紫水で壁との距離を測りながらまっすぐ歩く練習から始める。

 しかしそんなことをしていたら、どうしても歩みが遅くなるのが自明の理で。

 誰もそのことを指摘しない。フィオレとて逆の立場なら同じことをしただろう。わかっていても思うことはやめられない。

 やがてフィオレよりも早く限界に達したらしいジューダスが、舌打ちを打ってくるりと振り返る。

 

「遅い! 僕が運んでやるから、その長物を誰かに預けろ」

「……その。あなたが運ぶというのは、私のことですか?」

「他に何がある。リハビリならもう少し安全な場所でやれ」

 

 大変ごもっともな意見だが、ジューダスに運んでもらうのはカイル以上に抵抗があった。

 気恥かしいとか格好がつかないとか、ましてや彼に借りを作りたくないとか、そんな問題ではない。

 

「今はちょっと──」

「うだうだ言い逃れするな、足手まといだ。こんな時くらい強がるんじゃない」

 

 もとよりフィオレの否応など問題としていなかったジューダスが、まずは紫水を取り上げようと手を伸ばす。

 当然離そうとしないフィオレの指を物理的に剥がそうとして。

 

「っ!」

 

 ジューダスの手が触れる瞬間、フィオレは毒虫でも払うかのようにその手を振り払った。

 あまつさえ、まるで間合いを取るように縮んだ距離を空けている。

 

「な──」

「外で待っています。ごゆっくりどうぞ」

 

 抗議しかけたジューダスに羽織っていたマントを投げつけるように返し。フィオレは紫水に腰かけたかと思うと、そのまま飛び去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が悪いことなど、もちろんわかっている。今までにない勢いの拒絶も、半ば逆切れに近い形でその場から逃亡したことも。

 ただあの瞬間も今も、ジューダスには謝ることはできない。理由を語れば間違いなく理解はしてもらえる。引き換えに彼らは気分を悪くして、これからもフィオレに気を遣い続けるのだ。

 それは、受け入れられない。

 救うことを諦めたから、せめて護りたいのに。

 高みを目指しても目指しても、届かない。まだ足りない。もう到達することは、叶わないのだろうか。

 

「……あしでまとい、かあ」

 

 枯れ果てたはずの泉から、塩辛いひと雫が縁を越えて、風にさらわれて散った。

 

 

 

 

 



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第五十七戦——大事なものは、手のひらから零れて~火中の栗は爆ぜた

 スパイラルケイブ~地上軍拠点。
 手のひらからぽろぽろ零れたものを拾っては落として。
 どうにかこうにか命だけは拾って、その分傷を深くしながらも帰還。
 時間は待ってはくれません。着々と、事態は前へと進んでいきます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突な激情を表に出したフィオレが、言葉だけは淡々と放ち、疾風と共に消える。

 残されたのは一陣の風と投げ返されたマントを手に呆然としているように見えるジューダス。やりとりを見守っていた一同だった。

 

「……」

「あーあ、ついにやっちまったか」

 

 誰もが絶句する中、ポツリと呟いたのはロニだ。ジューダスから殺人的な視線が向けられるも、それに怯んだ様子はない。

 

「……何の事だ」

「とうとう怒らせちまった、ってことだ。しかも本格的に。だがよ、ありゃどうかと思うぜ」

 

 ロニいわく、どれだけ親しかろうと言っていい言葉とそうでないものがある、とのこと。

 

「足手まとい、って言ったろ」

「……事実だ。そんなこともわからない奴じゃない」

「そーいう問題じゃねえよ。ただでさえ、いつ言われても嫌な言葉なのに、片手失くしたばっかの奴に言うことか?」

 

 フィオレがそれを言われて気にしないわけがないだろうに、ああもきっぱり言われては怒るしかないだろうと、彼はしめくくった。

 足手まといと言われて、フィオレの様子は激変した、とも。

 

「まあだから、とにかく謝っとけ。甘えてほしいんなら素直にそう言えよ。まどろっこしい奴だなあ」

「だからといって、頼れなんぞ言われてあいつが素直に従うわけないだろう」

「そこはほれ、手八丁口八丁……お前が上手く丸め込まれそうだな」

 

 こと話術に関して、フィオレに勝つ自信は無い。精神的にも参っているだろう今なら劣等感を刺激すればあるいは……とジューダスは独りごちた。

 結果として、見事誤爆してしまったわけだが。

 

「そうだよなあ。こんな時くらい全力で寄りかかってほしいよな。いっつも世話になってんだから……」

「じゃ、オレ達もフィオレに追いつこう!」

 

 下ると上るでは、当然労力が違う。

 一同が再び銀世界を見たのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 雪のちらつく平原、灰色の空と海、佇む雪上走行車θと、そして。

 

「お早いお着きで」

 

 フィオレの、姿。

 一同の到着を待っている間に着替えたのか、軍服ではなくなっている。

 ただしその左袖はひらひらと所在なく揺れて、腕が短くなっていることをまざまざと示していた。

 

「……どうやって着替えたんだ」

「四苦八苦しながらに決まっています」

 

 腰かけていた荷台から立ち上がり、身軽に降りてくる。

 紫水に頼らず普通に歩み寄ってくる辺り、平衡感覚の異常はもうないらしい。

 

「ほらジューダス、早めに「ジューダス、さっきはごめんなさい。咄嗟とはいえ、手荒でした」

 

 ジューダスが促されている間に、フィオレがさらりと頭を下げた。

 先程手を振り払ったその時のことを話しているようだ。

 

「……別に、気にしていない。僕も言い過ぎた」

 

 それに乗じて暴言の謝罪をした。そのこと自体は、なんら問題ない。

 問題は──フィオレの認識にあった。

 

「言い過ぎた? 何のことでしょう」

「だから、足手まといと言っただろう。あれを言い過ぎたと……」

 

 多少視線をそらして、詳細を語る少年を前に。

 フィオレは何故か、食い下がった。その眼は遠くを眺めるような眼をしていながら、深くかぶった帽子のせいで誰も気づかない。

 

「なんで、謝るんですか?」

 

 フィオレはそう尋ねた。

 その眼は間違いなくジューダスを映しておきながら、彼の姿を捉えていない。

 

「歩くのが遅いから、あなたはそう思ったんでしょう?」

「そうじゃない。あれは……」

「足手まといでしょ?」

 

 不意にフィオレの声音にドスが帯びる。地の底に蠢く亡者を思わせる声が、聞く者の恐慌を煽った。

 足手まといという言葉をまず口にしたのはジューダスなのだが。

 彼はすでにこの単語を出したことを後悔し始めていた。

 

「そう思わなければ、その言葉は出てこない。私を哀れんでいるんですか? 片腕を失くした、私を」

「な、何を勝手なことを……」

「否定しないんですね」

 

 胸がむかむかする、と吐き捨てるように言って、ぷいと背中を向ける。

 明らかに様子がおかしいことに気付いていながら、ジューダスは眼先の誤解を解くことに全力を注いだ。

 

「違うと言っているだろうが、人の話を聞け! 何を根拠におかしな思いこみを──」

「ねえジューダス。私の傷をえぐるのは楽しいですか? 私を哀れむのは嬉しいですか? さぞや良い気分でしょうね。私はあなたにしたことを忘れていませんから、あなただって忘れていないのでしょう。察して余りあるものがあります。痛めつけたし傷つけもしました。全部必要なことだったけど、そんなことあなたには関係、ない……」

 

 それを悟った彼が何も言えなくなったことをいいことに、フィオレはまくしたてた。

 怒涛のように放たれたそれは、どうも途中から我に返ったらしい。声が尻すぼみになったかと思うと、完全に言葉が途切れる。

 

「……」

「……お、落ち着いたか?」

「はい」

「そ、それならいい。何ならもう少しくらい、喚いてくれても構わないぞ」

「……いえ。遠慮しておきます……」

 

 一同の前で我を忘れたのが本気で恥ずかしかったのか、珍しく耳まで真っ赤にして恥じらっている。

 これだけで終わっていたら、単なる笑い話で済んだのだが。

 

「──しばらくフィオレの挙動には気を付けた方がいいわね」

 

 不意にハロルドがそんな話を持ちかけてきたのは、帰路のこと。なかなか赤みが引かず、定員オーバーもあって頭を冷やしがてら荷台で待機すると言い出し。

 フィオレがいない間に、運転席のハロルドはそう切り出した。

 

「どういうこと?」

「見ればわかるでしょ? 精神的に不安定になっていることくらい」

 

 普段物静かなことに加え、第三者的な目で物事を見る傾向にあるフィオレにしては珍しい暴走だった。しかしこれまでに、同じようなことがなかったわけではない。

 それを話しても、ハロルドの主張は翻らなかった。

 

「その前にもあった暴走って、あのおかしな勘違いもそうなの? 妄想一歩手前の思いこみ」

「……いや。なかったと思うが」

「アレが前にもあったなら、そういう奇行によって発散出来てるってことでいいかもしれない。違うなら、今までと同じ、じゃ片づけらんないわよ」

 

 モニターに映る雪原を見つめて、操縦桿を軽やかに操る。

 雪に隠れていた岩の隆起を回避したことによって、機体はかくんと揺れた。

 

「人間てね、強いストレスにさらされると持ち得る余裕をすり減らして、本性にむき出しにしがちなもんなの。怒り狂う、泣いて喚く、簡単に言うとキレるってことなんだけど」

「今のフィオレはその……キレやすくなってる、ってことかい?」

「まあね。少々のストレスを無視してきた分蓄積して爆発したのか、今回のストレスは断トツだったのか……」

 

 どちらにせよ、許容範囲を越えたことに変わりは無い。

 少なくとも片手を失くしたことはとんでもない事態なのだから、それで何事もなかったように振る舞えたらそれはそれで異常だと、ハロルドは語った。

 

「そうそ、声を荒げたと思ったらいきなり元に戻ったわよね。あれもヤバい傾向だわ。ストレスを解消し切らないで自己完結しちゃってるから、結果としてストレスが溜まっちゃうのよね。今まで似たようなことがあって、その都度こうだったなら、今回のあれは蓄積型なのかもしれないわ」

 

 となると、これは根深い問題だ。ハロルドは片手を顎にやって、両手で運転してくれとリアラに注意されていた。

 

「そ、そうなの?」

「これまで蓄積したものが噴出したなら、今まで自分にストレスを与えたものに対しても攻撃対象になりがちなの。精神疾患を患って、それまで敬愛してたはずの上司を罵倒しまくる部下とかもいるし」

 

 覚えがあるなら言動に注意しろと、主にジューダスを見やりながら全員に言われ。彼はもちろん不機嫌になった。

 

「……それは遠回しに僕に言っているのか」

「むしろあんたが筆頭よ。過去何があったのか知らないけど、日頃の言動を観察する限り、態度雑過ぎ。でも腫れもの扱いも駄目よ、今だけでいいから優しくしてやんなさい」

 

 そんなことをしたところで気味悪がられるのが関の山だと言い張れば、なら必要以上に接するなと言われる始末。

 ブスッとしたジューダスが反論を諦めて黙りこんだ後に。ふとナナリーが呟いた。

 

「……ねえ、ハロルド。フィオレは本当に大丈夫なのかな」

「大丈夫かって、とりあえず命に別条はないわ。処置自体は適切だっ「そうじゃなくてさ。何日もってわけじゃないけど、あのバルバトスにさらわれて、顔付き合わせてたんだ……腕が失くなっただけ、なのかな」

 

 おそるおそる、という表現が正しい遠回しな彼女の物言いに、ハロルドは珍しく沈黙を挟んだ。

 再び発せられた声からは、茶化すような空気は消えている。

 

「……バルバトスの過去から邪推するなら、はっきり言って黒よ。あいつは義理とはいえ、妹に手を出したことがある」

「それって、フィオレそっくりの……」

「ことの真偽自体は、アトワイトから聞けばはっきりすると思う。でも、私は積極的に知りたいと思わない。あの子が──フィオレから相談を受けてから、初めて知る権利を得ると思ってるわ」

 

 ただ、これは付き合いが圧倒的に短い自分だからこそ考えるものであり、一同には当てはまらないかもしれない。

 それを前提に、ハロルドはナナリーに尋ねた。

 

「どう? 口が裂けても自分から話すタイプじゃないから、無理にでも聞き出したほうがいいのかしら」

「それは……」

「意味がないだろうな。隠し事は徹底するタチだ。言い逃れるか露骨に話題転換するか……行きつく先は丸無視だな」

 

 詳細こそ知らないが、彼とフィオレの付き合いが他の誰より長いことは聞いている。ジューダスの断言を聞いて、ハロルドはふむ、と頷いた。

 

「じゃ、この事に関してはフィオレから切り出されない限り触れない方向で」

「えっと……オレ、まだよくわかんないんだけど」

「スパイラルケイブで何があったのか、フィオレに聞くなってことよ」

 

 話そのものが理解できていないカイルには、ハロルドがさらりと流す。そんなこんなで時は過ぎ、一同は地上軍拠点へ帰還した。

 拠点の入り口を迂回してハロルド専用倉庫に納車する際、一人の兵士がおっかなびっくり駆けてくる。

 

「お疲れ様です!」

「ん? 何か用?」

「リトラー総司令がお呼びです。至急作戦会議室へ出頭願います」

「何よ出頭って。まるで私が悪いことしたみたいじゃない」

「……と、とにかく早急に願います!」

 

 炸裂するハロルド節に戸惑いながら、伝令の兵士はそそくさと立ち去った。

 そんな兵士には目もくれず、一番に雪上走行車を降りたハロルドが「あ」と呟く。

 

「着いたぞ、フィオレ。多少は落ち着いたか……」

 

 後部座席から降りたジューダスもまた荷台を見やり、同様に凍りついた。

 それもそのはず、荷台には人の姿どころか、人のいた痕跡さえない。

 

「あっちゃー、まずったわね。やっぱり目を離したのは失敗だったかしら」

「ど、どういうこと? 何でフィオレがいないの?」

「故意が事故か……移動中に騒ぎはなかったはずだから、何か思うことがあって」

 

 予想もしなかった事態に、一同がああだのこうだの言っている間に。一陣の風が吹き抜けた。

 風はそのまま通り過ぎることなく、両足をブレーキにそのまま踏みとどまる。

 

「──どうにか追いつけました」

 

 ひらりと箒型の仕込み杖から降り、両足を地に着けたのは。

 

「フィオレ!」

「お前、今度はどこに行っていた! いきなりいなくなって、無神経にも程が「はい。あんたはちょっと黙っていましょうね」

「着いたと思ったらいなくて、びっくりしたよ。一体どうしたの?」

 

 いつもと変わらず難癖をつけ始めるジューダス、牽制を始めるハロルドとそれを手伝うロニナナリー。

 それを視界の端で見ながら、フィオレはカイルの質問に答えた。

 フィオレいわく、荷台で寝ていたら急に体が宙を舞ったらしい。走行車が何かに乗り上げたか何かで平衡をなくして転がり落ちたようだと。

 

「そういえば、何回か岩に乗り上げちゃったわねえ」

 

 幌はあっても柵のない荷台では、たとえ起きていても振り落とされていただろう。

 ゴメンゴメン、と軽く謝るハロルドに、フィオレは。

 

「気にしてません。が、ひとつお願いを聞いてもらっていいですか?」

「それは内容によるわね。今は作戦会議室に呼ばれているから、まずそっちを片づけましょ」

 

 召集に応じようとハロルドに促され、一同はラディスロウへ向かった。

 専用倉庫はハロルドの私室に通じているが、秘密通路につきおいそれと使ってほしくないらしい。そのため、遠回りの正面出入り口を目指すことになる。

 

「ハロルドが呼ばれたのって……やっぱ、ディムロスさんのことだよな?」

「へ? なんで?」

「ディムロスは上層部の最終決定を待たずしてアトワイトの救出に向かったんだ。処罰は免れないだろう」

 

 ジューダスの見解を聞き、ロニの言葉に首を傾げていたカイルの顔色が変わった。

 そんなことになろうとは、露ほどにも思っていなかった模様だ。

 

「な、なんで!? それじゃオレ達だって同罪じゃん、なんでディムロスさんだけ──」

「ああ、ちゃんと根回ししてあるわよ? あんたらはソーディアン完成のために特殊素材の採掘に行ったら偶然現場に出くわした。私はディムロスに新兵器のテストをさせてたらあいつがいきなりトチ狂って暴走、捜索してたらスパイラルケイブにいたってことになるから」

 

 なぜディムロス一人に罪を被せるようなことをしたのかと問えば、これはディムロスが望んだことだからだそうだ。

 どういうことなのかと問い詰めるカイル達に対し、ハロルドは一目をはばかるようにしながらも話を続けた。

 

「私がそそのかしたことにしよう、って提案したのよ? 私なら手八丁口八丁で切り抜けるもの。でもディムロスは、元はといえば自分の失態が招いたことだから、って譲らなかった。自分がバルバトスを仕留めていれば、アトワイトもフィオレも攫われることはなかった。だから……」

「気持ちは察しないでもありませんが、事実は消えません。それでハリツケにでも処せられたら、衛生兵長を無傷で助けた意味がないではありませんか」

 

 ハロルドの言葉を遮ったのは、それまで黙って一同について歩いていたフィオレだった。

 その苦言を否定することなく、ハロルドはあっさりと頷いている。

 

「嘘がつけない性格って、厄介ねえ」

「……あなたがそう言うなら、なるようになるのでしょうか」

 

 含みを持たせたその言い方に、その真意を尋ねようとして。ジューダスはハロルドに押しのけられた。

 

「まあ、そういうことになるかしら。さ、足を動かして」

 

 答えは作戦会議室にあるとばかり、ラディスロウの出入り口をくぐる。

 そこには未来のソーディアンマスター達に軍師カーレル、最高司令官リトラーが勢揃いしていた。

 

「ただいま戻りました。お待たせしてしまい、恐縮です」

 

 ハロルドが当然のように自分の定位置へ移動してしまったがため、フィオレが粛々と頭を下げる。

 それに軽く頷き、一同が末席に落ち着いたところでリトラーは初めて口を開いた。

 

「ハロルド君達も戻ったところで、始めるとしよう」

 

 揃った面々の了承を得て、彼はディムロスを見やった。

 リトラーは極めて淡々と、此度の騒動について言及している。

 

「ディムロス・ティンバー中将、君から申告があった話、再度確認するが本当かね?」

「はい、間違いありません」

 

 いわく、ディムロスはハロルドに乞われた新兵器の実験中に『勝手な判断』でアトワイトを救出したというのだ。

 何か、大切な項目がポロポロと零れている気がする。

 しかしディムロスは、自分が取った行動が上層部の決定を無視したもので、許されるものではないと自己批判するだけ。詳細は明らかにしなかった。

 

「待ってくださぶはっ!」

 

 多分ディムロスの擁護だろう、カイルが何か発言しかけて阻止される。

 横に立っていたフィオレが、スカーフで顔面をはたいたのだ。

 

「失礼しました。続けてください」

 

 発言権のない人間が下手に口を聞いたら最悪叩きだされると釘を刺して、フィオレはスカーフを仕舞った。

 幸いにしてリトラーは、何事もなかったかのようにハロルドに事実関係を確認している。

 とはいえ尋ねられたのは、ディムロスの話に関する相違の有無だ。

 それに対して、彼女はきっぱりはっきり相違ない、と答えた。

 そしてリトラーより、ディムロスに言い渡された処分内容は……

 

「作戦行動中の独断専行、及び上層部の指示無視は厳罰に値する。よって中将に、『ダイクロフト突入作戦』の前線指揮官を命ずる」

 

 居並ぶ人々の反応はといえば、皆どこか涼しい顔をしている。

 例外はアトワイトと。

 

「……は? ど、どういうことですか、司令!」

「前線指揮官と言えば、もっとも殉職の可能性が高い役職だ。十分厳罰に当たると判断した」

 

 ディムロスの困惑に対し、リトラーは大真面目な顔で対応している。

 中将の言を信じるならば、それはすでに決定事項であったらしい。しかしクレメンテやカーレルの連携じみた発言によって、それは口約束ということにされた。

 駄目押しとばかりリトラーの言葉が続く。まるで台本でも用意されていたかのような、スムーズな流れだった。

 

「あきらめたまえ、ディムロス君。すでに処分は決定済みだ」

「司令……」

「君なりの責任の取り方もわかる。だが、君を失いたくないという者達の気持ちも、察してやれ」

 

 直属の上司からの言葉、そしてアトワイトの視線が身に染みたのだろう。深い沈黙の後に彼は、力強く承諾を口にした。

 

「ダイクロフト突入作戦、前線指揮官の任、謹んでお受けします」

 

 その言葉を、彼の目を見て大きく頷く。

 どこかしらほっとした空気が流れたのも束の間、リトラーは続けた。

 

「さて、前線指揮官も決まったことだし、そろそろ突入作戦を発令したいところなんだが……」

「あー。あと一週間……いえ三日ほしいわね。このまま調整すれば仕上がることは仕上がるけど、せっかく実戦データが手に入ったんですもの。それを是非反映させたいわ」

 

 どうしても急ぐならこのまま完成させると言ったハロルドに、それなら仕方ないとその場は解散の運びになる。

 もちろんのこと、リトラーは一言加えるのを忘れていなかった。

 

「しかし、急いでくれ。君も承知の通り、この拠点の位置はおそらく天上側に把握されている」

 

 これまで戦々恐々としてきたが、何も起こらないのが逆に不気味なのだろう。実際に拠点の位置を知っているのはバルバトスのみであるはずだが、少し前にベルクラントが放たれたのもまた事実。

 ハイハイと軽く受け流したハロルドが一同──主にフィオレを連れて作戦会議室から出て行こうとして。

 

「ま、待って、ハロルド!」

 

 彼女の足を止めさせたのは、アトワイトの声だった。

 いくらハロルドでも、この場で他の隊の長を無視することはできないようだ。

 フィオレの腕を掴んだまま、ハロルドはくるりと彼女に向き直った。

 

「──あんたの言いたいことはわかってるわ。けど、その必要はないわよ。フィオレにはこのまま、治癒晶術体系化の被験者になってもらうから」

 

 詳しいことはわからないが、体の一部を失うほどの大怪我を負って、何事もなかったように戦場へ復帰する兵士はいないだろう。

 そのため、そんな負傷者達を収容しておく病棟に移送するしないの話だと思われたが。

 

「体系化って、あなた九割方出来上がっているって……」

「残り一割、臨床例が圧倒的に不足しているの。協力者を募ろうとしたとき、故障者病棟に入ろうとしたら出入り禁止にしてくれたじゃない」

 

 それは多分、ハロルドの日頃の行いによるものだと思う。被験者云々はおそらくハロルドの出まかせだから、結果万々歳ではあるが。

 

「医務室で怪我人捕まえようとしたら、人体実験は余所でやれ、ってつまみだされるし。もうこうなったら自分の部下で我慢するしかないじゃない。何の文句があるの?」

 

 あまり口達者な方ではないのか、アトワイトは返す言葉を失くしてしまっている。

 じゃあそういうことだから~、と言い捨て、ハロルドはとっとと退室しかけていた。

 

「あなたは……フィオレさん、は、それでいいの!?」

「衛生兵長のお心遣い、感謝いたします。ですが今更ですので、私のことはどうぞ捨て置いてください。では」

 

 追いすがる声に振り返り、強引に引っ張るハロルドの手に逆らって頭を下げる。

 瞬く間に青ざめたアトワイトから目をそらし、フィオレは逆にハロルドの手を引いて退室した。

 続いて出た一同のめを気にするでもなく、まるで何事もなかったかのように振る舞っている。

 

「ハロルド。義手を所望します」

「義手? いいわよ、丁度心当たりが──」

 

 その心当たりの詳細を語りかけ、言葉が途切れる。

 フィオレより眼前へ掲げられた紙切れを、食い入るように見つめて。

 

「お願いとはこのことです。各施設の立ち入りを許可してくだされば、こちらで勝手に」

「何言ってんの、却下よ却下! こんなに面白そうなもの造るのに、私を除け者にする気!?」

 

 狂喜乱舞にふさわしい大盛り上がりようで、掲げられていた羊皮紙を手に取ろうとするも、その手は宙を泳いだ。

 咄嗟に手を引き戻したフィオレによって。

 

「除け者も何も、これからソーディアンのことで忙しい方が何を仰るのです」

「それなら気にしなくてもいいわ。もともとデータは反映させるつもりだったから、調整と同時進行で行うよう手筈は整ってる。時間が欲しい、って言ったのはあんたの問題に集中したかったからなの」

 

 あっさりけろりと、ハロルドは言いきった。ソーディアン関連でやらなければならないことなど、マスター候補達を召集しての調整作業くらいだと豪語する。

 しかしその作業は、とある問題が発生するために突入作戦ギリギリまで実行は出来ない、とのこと。

 

「早めに調整を済ませて、ソーディアンに慣れてもらったほうがいいんじゃ……」

「各マスター達の精神衛生上の問題があってね。とはいえ、完成しました、はい実戦ってわけにもいかないのよねえ。実験台がほしいのよ。実験台」

 

 フィオレの望みを叶えるのは、単なる親切心ではない。

 人の悪い笑み──それこそマッドサイエンティストチックな微笑を浮かべるハロルドに、誰もが一歩引いた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五十八戦——ソーディアン誕生の瞬間~その裏で、ベルクラント退散


 物資保管所なう。
 滞りなくソーディアンは誕生し、歴史には無かったベルクラント乱発も制して。
 フィオレもどうにか、戦線復帰のメドがたったようです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソーディアンの総仕上げと称し、ハロルドがフィオレを連れて物資保管所へ出向いてきっかり三日後のこと。

 カイル達一同はソーディアンマスターを伴い、物資保管所へと召喚された。

 

「ディムロスさん達の護衛……ですか?」

「ハロルドくんのマシンを使って丁重に送迎するように、とのことだ。これよりソーディアンの最終調整を行うため、万が一でも体調を崩されたら困るらしい」

 

 一応護衛も兼ねているのだろうが、六人乗りの雪上走行車に喧嘩を売ってくる魔物は少ない。事実上送迎のみの任務である。

 自動運転モードでもうすぐソーディアンマスター達を車内、残りのメンバーは荷台という明らかに定員オーバーの大所帯で移動、到着の際。

 

「よーし。揃ったわね、皆の衆!」

 

 物資保管所より出迎えたのは、ハロルド一人だった。

 そのまま、奥にある大扉の中へ向かうようにとマスター候補者達に指示を出し、一同に向き直る。

 

「……フィオレは?」

「奥で待機。アトワイトと顔合わせない方がいいでしょうってことで」

 

 少なくともソーディアンが完成するまで会わせるつもりはないという。

 ソーディアン完成にマスターの精神状態がどう反映するか未知数ではあるが、できるだけ通常の状態が望ましいとのこと。

 

「で、この後オレ達はどうすればいいの?」

「せっかくこの時代に来たんだから、見たいでしょ?」

「見たいって……もしかして!」

 

 これから行われることを考えれば、そんなものはひとつしかない。

 喜色に瞳を輝かせたカイルに、ハロルドは頷いてみせた。

 

「ソーディアン誕生の瞬間よ。どうせあんた達には後で司令への報告を頼むんだし」

 

 そうと決まればついてらっしゃいと、ハロルドは率先して物資保管所の扉を開けた。

 以前一同がこの地へ訪れた際、化学物質が洩れたとかで施設内には毒ガスが蔓延していたはずだ。

 それを思い出し、用心しいしい進んだ先は。

 

「……あれ?」

 

 施設へ一歩入った矢先、カイルは拍子抜けしたように呟いた。

 あの鼻につき気分の悪くなる、目に痛い悪臭がしない。それどころか、そこかしこに散らかっていた廃材の山が跡形もなく消えている。

 それに何より、その廃材の陰に潜んでいた魔物の気配がない。

 

「なんか、ずいぶんスッキリしたな」

「あのねえ、ここにはベルクラント開発チームも出入りしてんのよ? あのまんまにしといたら、連中が真っ先にやられちゃうわ」

 

 以前より大幅に歩きやすくなった室内を抜け、施設の一番奥に据えられたソーディアン専用の研究室を目指す。

 廃材の片づけやら、魔物の駆除などは軍人起用で何とかなるかもしれない。しかしたったひとつ、どうにもならないはずのことがあった。

 それは。

 

「毒ガスの排除などどうやってやったんだ」

「ここの大掃除のことなら、フィオレが一枚噛んでるわ。それで通じるでしょ」

 

 未来のソーディアンマスター達を先に進ませているにつき、ハロルドはあっけらかんと答えた。

 彼らの最終的なメディカルチェック──身体検査が終わるまではすることもないと、足取りものんびりしたものである。

 

「……そうか。お前の言うことを聞く程度には落ち着いているんだな」

「そりゃ、私は義手を作ってあげた恩人だもの。大抵の頼みごとは聞いてくれたわよ」

 

 普段の様子はと聞けば、至って平常であるとのこと。

 

「たまに空き時間ができると、弦楽器弄ってるわよ。あんなものどこに持ってたのかしら」

「楽器? あれは両手がないと弾けないはずだが、片手で使っているのか?」

「あの子が考案、私が作成した義手は通電義手といって、装備者の意志で作動可能な代物なの」

 

 ハロルドいわく、単純に体を動かすだけで常に脳が命令を出している。その命令が神経を通る際に電気的刺激が発生するらしい。それによって筋肉は収縮──要するに動く、ということだ。

 つまるところ筋肉は調整された電流で操作可能。これを実現させたのが、通電義手なるものらしい。

 

「未来から来ただけはあるわね。私が怪我人用に研究していたものと同等の造りだもの。あんた達の時代にはこんな感じのがゴロゴロあるんでしょ?」

「へっ!?」

「フィオレが元々いたのは、十八年前の世界だよな? その頃にはあったってことか……?」

 

 きょとん、と瞬きをするハロルドを置き去りに、未来人達が円陣を組んでヒソヒソと言葉を交わす。

 未来のことに関して必要以上に知ろうとしないハロルドは、肩をすくめて傍観を決め込んだ。

 

「いや、考案されたことはあるが、実現化はしなかったはずだ。重量に衛生、外見に整備、そもそも用意するのに莫大な費用がかかったから」

 

 そもそも通電義手などという言葉さえなかったと、ジューダスは語った。

 それにしても迂闊なことをしたかもしれない。

 この技術を目にしたハロルドが良かれと思って転用し、歴史を狂わせることになるかもしれないのに──

 

「ま、どこから持ち出した技術かなんてどうでもいいわ。どうせ私は、私が発案した技術しか使わない」

 

 フィオレに言われて設計図も燃やしてしまったし、そもそもの構造は自分が構築したものとそう変わらないものだと言って一同を安心させる。

 ハロルドとしては、同じことを何度も言われてご立腹のようだ。

 

「フィオレにもさんざん言われたのよ? 技術転用絶対ダメ、って。ちょっとは信用しなさいよね」

 

 ただ、人体の稼働における滑らかさはあちらが勝っていたかな、と呟いて、一同をおちょくるのは御愛嬌か隠れた本音か。

 やがて物資保管所最奥へと至る。開け放たれた先は、それまでの道のりとは大幅に雰囲気が異なっていた。

 機密性の高い部屋の一角は巨大な装置で牛耳られ、各場所にはそれぞれの研究者達が待機している。

 すでに身体検査を終えたらしいディムロス達もまた、研究者達の誘導によって待機していた。

 

「特に問題はないわね? んじゃ、ちゃっちゃと終わらせますか」

 

 カイル達にはその辺にいるよう言い捨てて、ハロルドが装置の中心部──制御盤の前に立つ。

 鼻歌すら歌い出しそうな勢いで操作盤を軽やかに叩いたかと思うと、彼女は未来のソーディアンマスター達に「回れ右」を命じた。

 瞬間、装置が起動したかと思うと彼らと相対するかのように筒状のケースが現れる。

 細いコードに絡まるように直立しているのは、各形状も大小も異なる剣──ソーディアンだ。

 ジューダスにとって、あるいは英雄門に入った面々としてはいずれも覚えのある形だが、一振りだけそれがない形の剣がある。

 他のソーディアンのように鋼の煌めきが一切ない、魔物の爪牙を連想させる刀身にむき出しのコアクリスタルを抱えた大剣──ソーディアン・ベルセリオス。

 見ればその剣の前にだけ誰も立っておらず、使い手であるカーレルは実験を見守るように立っていた。

 

「さーて、それじゃ始めるわよ。これからソーディアンの最終調整であるコアクリスタルへの投射を始めるわ。何が起こっても、そのプレートから出ちゃダメよ!」

 

 よくよく見れば、彼らの立ち位置には床とは明らかに異なる紋様のプレートが設置されている。そこを通じて、コアクリスタルに人格の投射を行うということか。

 仕組みも何もわからない一同としては、そう解釈するより他はなかった。

 一方、その間にも何やら制御盤を触っていたハロルドが大急ぎで例のプレート──誰もいなかったソーディアン・ベルセリオスの前に立つ。

 くるりと振り返ったハロルドは、おそらく一同に向けてだろう。挑戦的な笑みを浮かべて言い放った。

 

「いい? あんたら、しっかり目に焼きつけなさいよ。この、歴史的瞬間を!」

 

 くるりとハロルドが、ソーディアン・ベルセリオスに向き直った瞬間。

 施設の全電力を注いだかのように、眩い明滅が誰もの視界を奪い去った。

 各ソーディアンの収まるケースが発光し、それに伴ってマスター達の足元も明滅を繰り返す。

 状況を正確に把握しているのは、おそらく当事者達のみ。

 やがて明滅は止み、発光していたケースも元の明るさを取り戻した。それが終了の合図なのか、制御盤の前に戻ったハロルドがカーレルを手招きソーディアンの前に立たせる。

 

「さあ皆。手に取ってみて頂戴」

 

 絡まるように繋がれていたコードが回収され、音もなくケースが開く。指示通り、ソーディアンを掴んだディムロスは、刮目したように眼を瞬かせた。

 

「……驚いたな。試作品より遥かに使いやすくなっている」

「これは……本当に剣なのか? 持っている感覚さえない、まるで自分の手の一部のようだ」

 

 ディムロスとは違い、初めてソーディアンを手にするイクティノスはどこか呆然としたようにソーディアンを見つめている。もう一人の自分ともいえるコアクリスタルがある故なのかもしれない。

 次々と手に取ったマスター達も、感嘆を隠せない様子だった。

 

「握っただけで、凄さがわかります。この剣さえあれば、誰にも負ける気がしません」

 

 視線がディムロスやイクティノスに向かっている辺り、何を考えているのやら。

 天地戦争を終局へと導く兵器を手にしたマスター達の感動に水を差すように、ハロルドはちっちっと指を振ってみせた。

 

「この程度で驚かれちゃ困るわ。ソーディアンにはもっと凄い力があるんだから」

「凄い力……?」

 

 呟くカーレルに、ソーディアン貸与を申し入れ。ハロルドはふらりとその切っ先を、部屋の隅に押しやられた廃材──球状のタンクに向けた。

 何をするのか悟った一同が付近の研究者達を避難させた、と同時に。

 

「ハァッ!」

 

 詠唱も何もなく、ハロルドがソーディアンを掲げる。一瞬にして収束した晶力はその姿を雷と変え、迸った晶力がタンクに直撃した。

 結果として、タンクどころか周囲の廃材は黒焦げの炭クズとなり果てている。当然、原型を留めていない。

 その様子を見て、ハロルドは「あちゃあ」と舌を出した。

 

「やりすぎちゃったかな」

「い、今のは……!?」

 

 ハロルドが行使するそれを見たことがなかったのか、ディムロスを除くマスター達は一様に眼を白黒させている。

 その様子を面白そうに、あるいは満足そうに見やるハロルドはカーレルにソーディアンを返した。

 

「ディムロスは知ってると思うけど、この剣を持つ者は晶術という特殊な力が使えるのよ」

 

 それぞれの晶術の特性、その扱い方等、理屈を語るハロルドを見てカーレルは吐息を零した。感嘆、に類する。

 

「まったく、お前は天才だよ。我が妹ながら、時々そら恐ろしくなる……」

「あらっ、今頃気づいたの? まったく、兄貴ってアホね」

 

 普段通りのやりとりに空気が一瞬ゆるむも、それは唐突に消えた。

 気を取り直したように手を打ったハロルドによって。

 

「さて! 興奮冷めやらぬところ悪いけど早速訓練開始よ! 一日、いえ半日で使いこなせるようになってもらうからね!」

 

 さあいらっしゃいとばかり、ハロルドはてきぱきと後処理を研究者達に指示して、扉を開いた。

 ディムロスがリトラーへの報告を頼もうとして、それを却下される。

 

「待った待った、ソーディアンの動作確認が先よ。カイル達にはそれを確認してもらってから、報告を頼むわ」

「でも、それなら今ハロルドが……」

「確認できたのはベルセリオスだけ、しかも使用したのはマスターじゃない私。全員起動可能かを試さなきゃダメよ。もし不具合が生じていたら、それの修正に時間をもらわなくちゃ」

 

 ただ完成しただけで戦局をひっくり返すベルクラントのような兵器とは違うのだ。何が何でも半日で使いこなしてもらうため、それだけははっきりさせたいとのこと。

 

「なるほど。リトラーに半日でと伝える以上、どんな不確定要素を挟んで嘘にするわけにはいかないか」

「当たり前でしょー、そんなことしたら「天才」の名折れよー。せっかく稀代の名軍師から天才って褒めてもらったのにー」

 

 わざとらしく語尾を伸ばして茶化すハロルドが、階段を上る。一階と同じく荒廃していたはずの二階は、面影もないほどに片付いていた。

 そもそも壁があった場所に壁がない。

 

「ここはソーディアンのためにしつらえた特殊訓練場よ。まず皆には晶術を使えるようになってもらうわけだけど……」

「あの、ハロルドさん。これは何ですか?」

 

 シャルティエが指すのは、部屋の片隅に立っている白銀の全身鎧だった。

 ごちゃごちゃと訓練用の機材と思しき装置が転がっている中、凛と立つその姿が目に入ったのだろう。

 

「それ? ミクトラン戦を想定した自動組手人形のブリュンヒルドよ。晶術が普通に使えるようになったら戦ってもらうから」

「動くんですか?」

「もちろん。ブリュンヒルド、準備運動よ」

 

 妙にもたついたような動きで全身鎧が動き出す。屈伸や前屈、果たして全身鎧に必要なのか疑わしい柔軟運動を一通りこなして、全身鎧は腰の剣を取ると素振りを始めた。

 

「やけに滑らかな動きですね……」

「お褒めの言葉として受け取っておくわ。で、ディムロスはもう実戦で晶術が使えるから、ブリュンヒルドと遊んでて」

「何「自動戦闘モード、オン。目標、ソーディアン・ディムロス!」

 

 ハロルドの声に反応するようになっているのか、全身鎧──ブリュンヒルドは素振りをやめた。

 きりきりきり、と音を立てて、その体がディムロスに向く。

 

「準備運動要らないんでしょ? 絶対壊れないから、思い切りやって。一本取るか取られたら小休止モードに入るから」

 

 ハロルドの言葉が終わると同時に、ディムロスの抗議よりも早くブリュンヒルドは襲いかかった。

 腰の剣──細剣の形だが、刀身はよくしなる針金で殺傷力は無いそれを振り回す。

 型も何もないが、その勢いは直撃すればミミズ腫れができるだろう。それを捌こうとして、ディムロスは固まった。

 

「ぐっ!」

 

 細剣に気を取られた瞬間、放たれた下段蹴りで体勢を崩されて。

 咄嗟に耐えたはずが弁慶の泣き所を狙われ、じぃん、と痺れる。気づいた時にはすでに遅く、ブリュンヒルドは彼の利き手に一撃見舞っていた。

 手首をまともに打たれて、成す術なく取り落とす。

 あくまで狙いはソーディアンだけらしく、ブリュンヒルドはディムロスに背を向けて待機位置とやらへ戻ってしまった。

 何故か直立ではなく、体育座りをしている。

 

「もう終わったの? どれどれ……」

 

 それまでディムロスを除いたマスター達に晶術の仕組みを語っていたハロルドがやってきて、はたき落とされたソーディアンの様子を調べた。

 問題ないと判断してなのか、今度はディムロスの容態を調べにかかる。

 

「脛の打撲に手首のミミズ腫れね。アトワイト、回復晶術をかけてみて。まずは時間がかかってもいいから、確実に直してね。後遺症残さないでよ」

 

 慌てて駆け寄ったアトワイトにそう指示して、ハロルドは晶術の指導に戻ってくる。

 とはいえどすでに座学はすでに終わっているらしく、彼女は各々に発動を促してカイル達に歩み寄った。

 

「待たせるわね。もうすぐ一仕事してもらうから」

「ねえハロルド。なんでソーディアン・ベルセリオスだけ人格がハロルドで使い手がカーレルさんなの?」

「そりゃ私だって初めは兄貴の人格を予定してたわよ。ある日ふと、双子の場合だったら精神同調率はどうなるのかしらと思って試してみたら……」

 

 結果、カーレル自身の人格よりハロルドの人格を用いた方がより高い性能が望めるという見解が算出されている。

 本来軍師であり、体を張った軍人ありきの仕事に慣れていない彼がこの度前線に駆り出されたのは、そんな理由もあってのことだとハロルドは語った。

 

「実際、身内の欲目を抜いて上達してるの兄貴だし。ほら今、使ってみせた」

 

 見やればカーレルは虚空より一条の雷を発生させ、的の巻き藁を炎上させている。それをハロルドが消火する傍らでクレメンテが的を黒焦げにしていた。

 その隣ではイクティノスが見事巻き藁を切り刻んでおり、アトワイトはなんとかディムロスの負傷を癒したようだ。

 

「うん、皆やればできるじゃない。シャルティエはどうよ?」

「う~ん……」

 

 彼の的のみ、何の疵もない。疵こそないが……未だに晶術が発動できないわけではないようだ。

 その証拠に。

 

「やあ!」

 

 気合一閃、シャルティエが晶力を解放したその時に小さな玩具のトンカチが出現した。それは的に命中し、床に転がるより早く消滅している。

 ぱちぱちぱち、と寂しいが確かに拍手が聞こえた。

 

「うん、全員発動可能ね。じゃあカイル達……」

「ま、待った! あれそうなの、今のが晶術!?」

「ええ、立派に晶術よ。ねえジューダス?」

 

 同意を求められたジューダスは何ら動じることなくこっくりと頷いてみせた。そのままリトラーにソーディアン完成との伝言命令を承り、一同を率いて訓練場を後にする。

 

「ねえジューダス。シャルティエさんが使ったアレって……」

「ピコハンだ。ソーディアン・シャルティエにプログラムされた晶術で、被弾対象に失神を促す。まさかあんな風に生まれたものとはな」

 

 もう一人のソーディアンマスターがここまではっきり断言、かつ懐かしそうにしているのだから間違いない。

 ソーディアン完成は大変喜ばしいことだが、気になることがあった。

 

「ねえ、結局フィオレはどこにいるのかしら?」

「アトワイトさんの前だったから、結局何も聞けなかったけど……」

 

 ハロルドの話を信じれば、彼女はフィオレを突入作戦を何としても起用すると言っている。その時に会うことはできるだろうが──

 

「なんか、不安になってきたな。大丈夫なのか、フィオレの奴」

「あいつはお前が憧れた英雄だ。理想と現実のギャップに落胆する気持ちがわからんでもないが」

「いや、そういうことじゃなくてよ。義手を作る引き換えに変な薬の実験台になって、ハロルドの言うことハイハイ聞いちまう奴隷にされてやしないか……」

 

 ありそうだから困る。

 よからぬ想像が一同の脳裏をよぎった、その時のこと。

 

「わっ!?」

「な、何だあ!?」

 

 耳をつんざく警告音が施設全体に響き渡る。

 只今出口を目指していた一同の前を、職員やた警備兵やらが慌ただしく行き交った。

 

〔全職員に告ぐわ。今の警告音について目下調査中よ。だから速やかに作業に戻って頂戴。工兵隊諸君もよ。無駄口叩いてるヒマがあったら足を動かしなさい。ほら、行った行った!〕

 

 まるで見ているかのようなハロルドの声が、警告音に負けじと響く。

 その放送に押されるようにして、極寒の冷気漂う表へと出た矢先。

 

「あ……」

「言い忘れてたけど、θは使わないでね。私達が基地へ戻るのに使うから」

 

 いつの間に移動したのか。そこにはハロルドが立っていた。

 しかし彼女は一行に対し、そっぽを向いている。

 ハロルドの視界を占領してやまないのは、三日前ハロルドと共に一同の前から姿を消したフィオレの姿だった。

 この寒空の下、奇妙なほどの薄着──体に張り付くボディースーツ姿であること、失われた腕どころか左肩まですっぽりと覆う部位鎧(ガントレット)を装着している以外に、変わったところはない。

 

「フィオレ!?」

「ご無沙汰しております」

 

 白銀の部位鎧を重たげもなく着けたフィオレが、それだけを言って天を仰いだ。

 その彼女を中心に、光で描かれた奇妙な紋様の円──譜陣がいくつも浮かび上がる。

 

「何……?」

「……なるほど、そういうことか。それで、今の警告音は」

 

 不安そうにペンダントを手にしたリアラをカイルに任せて、ジューダスは彼女に詰め寄ろうとした。

 それを、ハロルドによって遮られる。

 

「大したことじゃないわ。ベルクラントが活動始めたんで、センサーがそれを感知したのよ」

 

 大規模地表粉砕吸引装置「ベルクラント」が放たれようとしている。

 十分大事だと喚くロニを心底うるさそうに扱いながら、ハロルドは虚空を見つめるフィオレを見やった。

 計五つの譜陣から様々な色をたたえた光球が生まれ、フィオレはそれらと触れあうようにしながらぽつぽつと何かを語りかけている。

 

「あれって……」

「前にも言ったじゃない。といっても、実際に見るのは初めてだけど」

 

 以前ハロルドが一同を伴い、初任務──物資保管所へと向かった際。空が異常に明るくなってまた元に戻った際のことを思い出させる。

 

「確かに、そんなことがあったな……」

「あれはフィオレが守護者達に働きかけてベルクラントを迎撃したと言っていたな。まさか……」

「そのまさかよ」

 

 これから同じ事をするのだと聞かされ。一同は自然とフィオレの挙動に注目した。

 五色の光球──明るい麦藁色、落ち着いた瑠璃色、燃え盛る朱金色、初々しい新緑の他に眩い太陽の放つ光そのものがひとところに集い、フィオレはそれらに手をかざしている。

 何らかの力が働いて力場が発生しており、瞳が軽く閉ざされてその心情は伺えない。

 それも束の間、朱金の色がその場を離れたかと思うと、まるで見張りでもするかのように上空を漂った。それに太陽の発するものに近い光が続く。

 やがてフィオレは閉ざしていた眼を開けたかと思うと、左の腕を高々と掲げた。

 

「マジか……あのベルクラントを迎撃するなんて」

「マジじゃないと、私らみんな木端微塵よ」

 

 如何なる仕組みか、義手の甲がスライドしたかと思うと、その下から丸い飾りがのぞいた。

 おそらくは、神の瞳。

 

「荘厳なる意志、静かなる意志、灼熱と業火の意志、舞い降りし疾風の御子、至高の意志。集いし星の意志よ、森羅万象の名の元に、薙ぎ払え!」

 

 掲げた腕の先端に光の譜陣が浮かび上がり、五つのそれがひとつの巨大な陣を成す。

 直後放たれた光は、フィオレを地面に叩きつけて、鉛色の空へと呑みこまれていった。砲台となった施術者本人はすぐさま上体を起こし、空を見上げている。

 十数秒のタイムラグを挟んで、数日前と同じ現象が発生した。ベルクラントのエネルギーと星の意志が互いを削り、相殺と同時に眩い輝きを放つ。

 それは鉛色の雲が異常な光に透かされることで、誰の視界を奪うでもなく唐突に失せた。

 

「……がとう、みんな」

『お大事に、ね』

 

 肩で息をしながら立ち上がるフィオレの安否を確認するように、五色の光球が消え失せる。

 それを見送った彼女は、足早にその場を立ち去ろうとしていた。

 

「お、おい……」

「──ソーディアンマスター達が来ます。また後日」

 

 彼らと、正確にはアトワイトと顔を合わせる気がないのだろう。

 何かを言いかけたロニにそれだけを告げて、フィオレは身軽に修復されていない二階の穴から施設内に戻ってしまった。

 一同の通った正規ルートを使ってだろう。フィオレの言った通り、ソーディアンマスター達が現れた。

 

「ハロルド。今の一体何だったんだ?」

「今調べたらセンサーの誤作動だったみたい。騒がせたわね」

 

 さあ特訓だ、伝令だとそれぞれを急かして、ハロルドもまた施設内に戻っていく。

 間近で見た守護者の力に、完成したソーディアンの事にと興奮せずにはいられないカイルを筆頭に、無事地上軍拠点へと帰還した。

 

 

 

 

 

 

 






※作中の通電義手は、実在する「筋電義手」「電動義手」「動力義手」の性能をハロルドフィルターに通したものです。
 本来ここまで廃スペックなものではないのですが、ハロルドならなんとかしてくれる。まちがいなく。


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第五十九戦——天地戦争、最終決戦直前~自動人形は人間でしたとさ。

 ラディスロウ。
 戦争中に四肢一部欠損なんてしたら、普通は戦場復帰できませんわな。
 物理的に心理的に、しかしそれを超えるのがファンタジーのお仕事哉。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リトラーさん! ソーディアンが完成しました!」

 

 ラディスロウに入るや否や、帰還報告も何もかもすっ飛ばしてカイルはそれのみを告げている。

 幸いなことにリトラーは、苛ついているディムロスよりも頭は硬くなかった。

 

「そうか、ソーディアンが……」

 

 部下の手前、口調は静かなものだが内にある興奮は隠していない。それまでとりかかっていた作業全てを中断して、身近にいた伝令兵に指令を下している。

 

「よし、工作班に伝達。ラディスロウ浮上の準備を急がせろ」

「では司令、ついに……!」

「ソーディアンチームが戻り次第、ダイクロフトへの総攻撃をかける。二交代制で兵たちに休息をとらせろ」

 

 これから存分に振るうであろう鞭に対してなのか、酒を出してもかまわないと飴をちらつかせている。あるいは、最終決戦に向けての兵たちへの労いか。

 伝達を言付けられた兵士は、後者の意味と解釈したのか。若干嬉しそうに、そして俊敏にラディスロウを後にした。

 そしてカイル達にも休息が与えられ、一同が集められたのはあくる朝のことである。

 

「──そうそう。突入作戦にフィオレも連れて行くつもりだけど」

 

 帰還したハロルドが呼んでいる。そう連絡を受けて、カイル達が作戦会議室へ赴いた際。

 すでに集合しているらしいソーディアンチーム、リトラー、そしてハロルドの会話が聞こえてきた。

 

「別に構わないわよね?」

「フィオレ君を……それは彼女の希望なのかね」

「傷痍軍人を? ほんの少し前に片腕を失った者を、戦場に引きずり出す気ですか」

 

 眉をしかめるリトラー、真正直に己の意見を口にするイクティノス。

 彼らの反応にあまりとらわれることなく、ハロルドは話をディムロスに振った。

 

「そう。ディムロスは?」

「お前が決めたのなら……と言いたいところだが、カイル君達では不足か? 負傷した彼女を加えれば、それだけ彼らに負担がかかるぞ」

「──つまり、総司令も前線指揮官殿も反対なのね」

 

 黙して語らないアトワイトをちらちら見る限り、語られない理由がありそうだ。

 ともあれ、自らの要求をやんわりとはいえ却下されたというのに、ハロルドはさして反論を唱えなかった。当然のことながら、こうなることを予想し、受け止めているようにも見える。

 我儘を言っては頭痛のタネを蒔いてきたハロルドの、殊勝ともとれる態度に何を思ったのか。

 シャルティエがふと、発言した。

 

「何もフィオレ……さんを連れて行かなくても、その自動人形を連れていけばいいじゃないですか」

「確かに。何せ、我らの誰と戦ってもひけを取らん相手だったからの」

「それとも、何か問題でもあるのか?」

 

 フィオレを、怪我人を連れていくよりずっと戦力になるだろうと、実際に剣を交えたマスター達が次々とその案を押していく。

 それを聞き、ハロルドはわざとらしく繰り返した。

 

「ブリュンヒルドを連れてきたのは、確かにそのことの許可をもらうためよ。じゃあ突入作戦にはこの子を連れていくわ。いいのよね?」

 

 ハロルド製の自動人形となればそこらの兵士よりは頑丈だろうし、壊れたところで人命には代えられない。これにはリトラーもディムロスも反対しなかった。

 が、しかし。

 了承を得られた途端、ハロルドは満面の笑みを浮かべている。

 

「そう。それじゃ、もう外していいわよ、フィオレ」

「!?」

 

 その場の誰もの注目を集めつつ、白銀の全身鎧は命令もなしに動き始めた。

 だらんと下がっていた両腕がゆらりと蠢いたかと思うと、己の頭をわし掴む。ガチャンと音を立てて、ブリュンヒルドの頭部──兜が外れた。

 艶やかにして豊かな長髪が、さらりと外気にさらされる。

 その髪の色は、広がる雪原に等しい雪の色で。

 

「フィ、フィオレくん……!」

「いささか卑怯なやり方だと思いましたが、先程の反対を想定し、一芝居打たせて頂きました」

 

 置いてけぼりはもう御免ですよ、と嘯きながら、眼帯の緩みを直す。

 唖然とする一同を睥睨して、ハロルドは呆れかえった。

 

「っていうか、誰も本気で気づかなかったわけ? 強さもそうだけどあんな滑らかな動き、機械にできるわけないっしょ」

「いや、ハロルドさんならあるいは……」

「あら、あんたそう思うの。戦争終わったら頑張ってみようかしら。手伝ってくれるのよね?」

 

 戦争が終わったら、戦闘用自動人形なんて需要ないと思う。あと、無闇に(フラグ)立てないでほしい。

 小さく息をつき、おもむろに会議室の出入り口──ラディスロウ内部に通じる側を見やる。

 すなわち、カイルらのいる側を。

 

「これから最終作戦に関する説明が行われるそうです。中へどうぞ」

 

 彼らの立ち聞きなどお見通しだ、とばかり言い放つ。

 指摘されて黙っているわけにもいかず、気まずく入室するカイル達の姿を認め、リトラーは気を取り直したように小さく咳払いをした。

 

「これで揃ったな。君達も席についてくれ」

 

 以前座った末席へフィオレが移動したのを見て、カイル達も動く。

 それを確認したリトラーが、改めて一同を見回した。

 

「諸君、本日1300(ヒトサンマルマル)をもって、我が軍は敵本拠地ダイクロフトに対し総攻撃をかける」

 

 ソーディアンチームを機軸とし、敵陣を突破、最終的に敵将ミクトランを討つ。カイル達工兵隊はハロルドの護衛をしつつ、敵の撹乱に当たれとのこと。

 どさくさに紛れて中央制御室を占拠し、ダイクロフト及びベルクラントの機能停止が最重要にしてハロルドの任務だという。

 

「前回の作戦のこともあり、敵も警戒を強めているはずだ。困難を伴うが、君達ならできると信じているぞ、カイルくん」

「はい! 任せてください!」

 

 小気味よいカイルの返答に頷き、ディムロスもまた一同を、ソーディアンチームとカイル達を見回した。

 その眼に、いつか見た余裕のなさは欠片もない。

 

「私から、ひとつだけ言っておくことがある。死力を尽くすことと、死ぬことは別だ。必ず生きて帰ってきてくれ!」

 

 ──それに応える、各々の発する声はこんなにも力強いのに。何と虚しく聞こえることか。

 これにて幹部会議は終わる。残るは全兵士への通達だが、こちらは作戦開始直前に行われるそうだ。

 

「もうすぐダイクロフトに突っ込むから、今の内に心の準備を済ませてね」

 

 この度ダイクロフトへは、兵士を大量に詰め込んだラディスロウで強襲する。

 長らく半沈没状態にあったこの輸送艦が動かない、あるいは不具合を起こしたら洒落にならないと、工作班の最高責任者であるハロルドは足早に機関部へ向かって行った。

 

「時間になったらそういう放送が入るから、どこか掴むなりして身体を固定すること。不測の事態でつまんない怪我しないようにね」

 

 適当に待機していろ、と言われ。迷うことなく割り当てられた私室へ戻るフィオレに、一同もまた続く。

 艦内はこれまでにない緊張感にみなぎり、行き交うどの兵士からも緊張と興奮が漂ってきた。

 

「つ、ついに最終決戦なんだね……!」

「何を今更」

 

 その気配に当てられたのか、らしくもない緊張でカチカチになっているカイルが冷たくあしらわれてかくっ、と肩を落としている。

 フィオレはその様子を微笑ましげに見やりながも、特徴的な金属音を奏でながら荷袋を漁っていた。

 

「……なあ、そのガントレットの中……カラ、だよな? どうやって動かしてるんだ?」

「ちょっと……!」

「カラではありませんよ。ちゃんと義手が入っています」

 

 無神経にもとれるロニの発言をナナリーが責めかけて、フィオレに制止される。

 はっきりと笑みを浮かべることで大丈夫だ、と意志表示したフィオレは、やがて着替えと思しき布の塊を抱えて衝立の中へ入っていった。

 

「それにしても驚いたなあ。まさかあのブリュン何とかが全身鎧着たフィオレだったなんて」

「教えてなかったんですか。余計なことは言ってしまうのに、意外です」

 

 金属がこすれ、派手な音が響いたかと思うと小さな布ずれの音が響く。

 やがて衝立を開けて姿を見せたフィオレだが、その両手には様々な金属塊──鎧の各部位を手にしていた。

 彼女はそれらを、使われていない寝台の下へ押し込もうとしている。

 

「な、何もそんなところに押し込まなくても」

「これからラディスロウが動くんですよ? 下手に放置しておいたら大惨事」

 

 単なる飛行でも重力は働くのに、ダイクロフトへの強襲が優雅で静かなわけがない。

 寝台の下へこれでもかと言わんばかりに押し込み、いい仕事をしたと言わんばかりにフィオレは額の汗を拭っている。

 

「……余計なこととは、何の事だ」

「ソーディアンチームの誰かに、不幸が訪れることですよ。文献を読みこまない限り知ることはない史実なのに、集まった皆の顔はどこか暗かったのでね」

 

 大方あなたがバラしたのだろうとしめくくるフィオレ、否定できないジューダス。

 責めるような調子ではないものの、彼は居心地悪そうに釈明した。

 

「話さなければならないことだろう。この中の誰かが、彼を救ってしまったら」

「その場に居合わせないよう誘導して、自分も知らなかったふりをすればいい話。変なところで正直なのは、あなたのいいところでもありますが」

 

 この様子では、フィオレも事前に知識としてカーレルの死を知っていた様子である。嘆息して衝立を畳んだフィオレは、くるりと一同に振り返った。

 その左手は、一見鋼鉄製の小手で覆われているように見える。ただし、被服の袖口から本物の腕のようににゅっ、と生えて、布製の手甲に覆われていた。

 

「それでは、皆でハロルドから恨まれますか」

「そいつが義手か! 確か、筋肉義手とかなんとか……」

 

 人の話は聞きましょうよ、とボヤいたフィオレが、袖を持ち上げてその全容を見せる。

 繋ぎ目はなく、切断した肘の辺りをすっぽりと覆うような構造になっていた。カモフラージュは一切なく、甲冑の腕部位をそのまま腕に移植させたかのような武骨さだ。

 しかし、中に本物の腕が入っているのではと思わせるほど、実に滑らかに動く。

 

「どうやって動かしてるの?」

「原動力はレンズです。で、これが役に立ちました」

 

 そう言ってフィオレが取りだしたのは、どこかで見たことがある硝子製の筒だった。

 以前は中で転がっていたものが、今は影も形もない。

 

「それ、ベルクラントを作るのに使ったっていう……!」

「レンズから引き出した晶力を何倍にも高められるので、重宝してますよ」

 

 平和的利用でしょう? とジューダスに微笑んで見せる。

 本来の身体機能にあるような「無意識の命令」はできないが、それでも原動力を気にせず済むため大変助かっているらしい。

 

「へええ……」

「それはそうと、皆に頼みがあるのですが」

「頼み?」

「ダイクロフトでバルバトスと事を構えることになったら、一切手出ししないでほしいんです」

 

 一切合財手を出さないとは、すなわち一対一の戦いを切望しているということだろう。

 当然のことながら、一同は反対した。

 

「そりゃ……大分ムチャっつうか……」

「駄目だよ、危ないよ!」

「あれに負けてとうとうイカれたか。そんなことをして、一体何になる」

 

 否定しか口にしない各々、ジューダスなどは痛烈な悪口雑言を叩いてナナリーが手を上げ、悠々かわされている。

 そんな反応を逐一見て、一同が落ち着いたところでフィオレが口を開いた。

 

「予想通りの反応をありがとうございます。ですが、このまま皆と力を合わせてあの男を袋叩きにするわけにはいかないのです」

「……リベンジしたい、ってことかい? だったら尚のこと」

「あの男は勝利のために、どんな手段も厭うことはしませんでした。だからこそ私は筋を通したい」

 

 そう言い切るのは、フィオレが清濁併せのむことを許容しているから、だという。

 どれだけ高尚な信念があろうと、負けたら全てを失い、そして終わるのだ。フィオレはそれを知っている。

 そんな輩は、そのように考える輩は、正攻法で戦って初めて意味があるのだと。

 

「私は負けてはいないけど、勝ってもいません。今度こそ勝ちたいのです。そして願わくば、この腕の仇を」

 

 フィオレは一度、バルバトスの腕を切断している。同じ目に遭わせないのは、もしかしたら仕返しをしたのかもしれないことを考えてのことだった。

 紫水を抱きしめるようにしながら力説するフィオレに、説得不可能と見たカイルが二の句を告げようとして。

 

〔これより最終作戦を開始する──ラディスロウ、発進!〕

 

 雑音の入り混じる、しかし力強さだけははっきりと伝わる声が、艦内に響き渡る。

 ズズズ、と地響きにも似た振動がやまない中、フィオレはジューダスの背中──シャルティエのコアクリスタルに手をかざして譜歌を謡っていた。

 

「母なる抱擁に覚えるは安寧──」

♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze──

 

 イクシフォスラーに、あるいはダイクロフトへ一方通行突撃艇に搭乗経験がある一同の知る圧力が唐突に失せる。

 私室の備品が右から左へ上から下へ、かつてない大運動会を開催している辺り、通常なら立っていることもままならなかっただろう。

 時折一同にも襲いかかる備品は、不可侵の聖域により完全に阻まれていた。

 

「うわ、危ねえっ……」

「あっ。まずい」

 

 このままならば、何とか無事に乗り切れるだろう。一同にそんな安心感をもたらした矢先。

 台詞に反して妙に緊張感のない呟きが、逆に彼らに恐怖をもたらした。

 

「えっ?」

「おい、何がどうなった? 何がまずいんだ?」

「それはですねえ、まずこちらへどうぞ」

 

 実に自然に結界を解いたフィオレが、激しい震動にも関わらず私室の外へ出て行く。

 それにどうにか続いた一同を確認して、フィオレがまず扉を閉めた、その矢先。

 

〔……っ!〕

 

 砂を噛むような雑音がひどくて聞こえない放送直後に、それまでとは比にならない震動が一同を襲う。

 もんどりうって床へ叩きつけられる直前、再び譜歌が唱えられ事なきを得る。

 

「……おっかないの」

 

 どこまでも呑気なフィオレの呟きが、何故かはっきりと聞こえる。

 それが薄れる頃、耳に痛い轟音がなくなり、再度展開された結界が解かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十戦——いざ進めやダイクロフト~今度は皆と一緒にね

 強襲ダイクロフト。
 ゲーム中は一度目も二度目も、ダイクロフトは強襲されて全然防衛できていませんでした。
 空中に漂っている要塞では、防御が突破されると脆いもんですねえ。
 それはさておき、フィオレはやられたリベンジを果たすようですよ? 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一歩間違ったら全員、あの世行きだったわよ」

 

 促されて向かった先の、作戦会議室にて。

 辿りついた一同が何とか作動した扉をくぐった矢先に聞いたのは、呆れ果てたようなハロルドの言葉だった。

 

「どうしたの、ハロルド?」

「総司令ったら、ベルクラントがかすったのを幸いとそのままラディスロウでダイクロフトに突貫しちゃったのよ。ホント、ムチャするんだから」

 

 不満をぶちまげるハロルドを見て、カーレルがやれやれと首を振る。

 今度ばかりは、妹をいさめるつもりがないらしい。

 

「ハロルドを呆れさせた男か。ぞっとしませんな、司令」

「私の墓にはそう刻んでもらおう」

 

 すました顔でしれっと言ってのける彼は、やはり大物だった。それの実現が何十年か先であることを切に願う。

 次の瞬間には突入成功を宣言し、ソーディアンチームの出撃を命じた。更には格納庫に待機させていた兵士達を、惜しげもなく投入する。

 

「あんたたち、怪我はないわね? フィオレも……義手は大丈夫、と。んじゃ、行っくわよー!」

 

 ハロルドに先導され、一同はソーディアンチームについてラディスロウから飛び出した。

 何しろ、ダイクロフトの外壁を派手にブチ抜いて侵入したのである。辺り一帯はすでに整備用と思われる自立型の兵器に取り囲まれていた。

 地上軍の兵士達からすれば、これらも魔物の内に入るらしい。しかし、それらに怯んでいるようではミクトランとの対峙など、夢のまた夢。

 

「では、さっそく新兵器の実戦投入といきましょう!」

 

 カーレルの言葉を皮切りに、ソーディアンチームによる晶術乱れ撃ちが始まった。

 突然の大炎上から始まり、嵐が荒れ狂い、虚空から岩石が飛来して、更には隕石が降り注ぐ。

 とどめとばかり放たれた、もとい発生した高重力天体──ブラックホールによって、敵陣は総崩れとなった。

 その威力たるや、スタン達が扱っていたものとは桁が四つは違う。晶術に特化していたフィリアさえ、隕石など召喚したことはなかった。

 極めつけは、間違いなく上級晶術の類だろうに誰一人として消耗しておらず、本来の持ち主が使えばここまで違うのかと戦慄させるほどである。

 

「よし、道は開けた。先へ進むぞ、みんな!」

 

 アトワイトの治癒晶術によって、兵士達の負傷は軒並み癒える。それを待って意気揚々と、ディムロスは己のソーディアンを高々と掲げた。

 その一騎当千たるや、兵士達の志気は向上し、地上軍は一丸となって突き進む。

 道中彼らの活躍は目覚ましく、千年後存在する文献に記されていたのは絵空事でも誇張でもないことがよくわかった。

 やがて中央制御室へ行く道とミクトランがふんぞり返る玉座の間への道の分岐が見えてくる。

 

「手筈通り、ここで二手に分かれる。頼んだぞ、ハロルド」

「工兵隊諸君、妹をよろしく頼む」

 

 ディムロスに続き、他のソーディアンマスター達が続く。最後に一言を残して、カーレルもまた背を向けた。

 

「ここまでは順調ね。変なトラブルもなし、シミュレート通り。こうも上手く行きすぎると、後が怖いもんだけど……」

 

 彼に何を告げるでもなく、ハロルドは呑気に試算を思い起こしている。

 その姿に思い余ってか、いつになくそわそわしていたカイルが、ついに声を上げてしまった。

 

「待って、ハロルド! ハロルドはディムロスさん達を追いかけて。今なら、まだ間に合うから!」

「カイル!」

 

 唐突な提案に目をぱちくりさせるハロルド、当然ながら彼を諌めるジューダス。それでも彼は、自分の意見を曲げなかった。

 

「わかってる! わかってるけど……やっぱりダメだよ! このまま黙ってるなんて、オレ……!」

 

 ──天才とすら呼ばれる彼女のこと。カイルの言葉が何を示すのか、詳細を聞かずとも察してしまったのだろう。

 様々な可能性が去来する脳裏の処理に追われてか、黙して目立った反応がない。

 

「……」

 

 それを逡巡の類と思ったのか。カイルは促すかのように彼女の名を呼んだ。

 

「ハロルド!」

「あんた、アホね」

 

 しかしそれによってハロルドが発したのは、カイルへの侮辱──もとい、彼女の常套句だった。

 思いもよらない一言にカイルが目を白黒させるも、あろうことか彼女は諭しにかかった。

 

「あんたたちの目的は、歴史の修正でしょ? それなのに、歴史をひっくり返すようなことしちゃダメじゃない」

「でも、ハロルドきっと悲しむよ!」

 

 何がどうなるのか話さないのは、彼なりの自制心のあらわれか。その中途半端さが不安を煽らないでもないだろうに、彼女は冷静に淡々と意見を語る。

 これが彼女の本音であるか否かは、本人のみぞ知る。

 

「私に歴史を変えろっていうの? 自分がイヤな未来を回避するために。じょーだん! そんなことしたら例の神様と同じレベルじゃない」

 

 どうやらハロルドは、すでに一同の目的を理解しており、且つエルレインのこともご存じであるらしい。

 知らないことは不安に繋がるが、ある意味幸運なことでもある。普通は知らなかったことを恐怖して知ってしまい、絶望したり知ったことを後悔したりするのだが……

 

「ハロルド……」

「私は未来を知りたいとは思わないし、たとえ知ったとしても行動を変えたりしない。今やるべきことをやるだけ。そうやって、人間ってのは手探りで歴史を作ってきたのよ」

 

 彼女は自らも自称するように、普通に枠には収まらなかった。

 常人では考えもつかないような持論を、この短時間で構築、展開している。

 だからね、と彼女は結論を述べた。

 

「私だけインチキする気はさらさらないわ。わかった?」

 

 事情を知らないからだろうか、僅かな強がりも含めて、よくぞそこまで言い切ったと思う。

 となれば、彼女に言えるのはこれに尽きた。

 

「でも……」

「ハロルド。これから先、錯乱だけはしないでください。冷静でいろとは言わない。でもあなたがその言葉を忘れた瞬間に、全てが終わる」

 

 まだ何か言おうとしているカイルを押しのけて、フィオレは淡々とそう告げた。

 それから何を連想したのか、あるいは意図的にそうしなかったのか。ハロルドはただ首肯しただけである。

 

「フィオレ……!」

「ハロルドの覚悟を土足で踏みにじる気ですか。これ以上ぐだぐだ抜かすならその口縫いつけますよ」

「わかってる奴はわかってるわね。とにかくそういうことだから。改めて、レッツ……」

 

 気を取り直したハロルドが先へ進もうとした矢先。

 足元を揺るがす地響きがこだました。

 

「な、何!?」

「ベルクラントの発射音ね、予想通りの展開、まったく芸がないわねえ」

 

 ハロルドは呆れ顔だが、常人の感覚としてはそれどころではない。

 ベルクラントの攻撃を無力化できる唯一の人材は今、一同の目の前にいるのだから。

 

「まさか、ベルクラントによる無差別攻撃か!?」

「急がないと……皆、制御室に行くぞ!」

 

 だからさっきからそう言ってるのに、とぶつくさ呟くハロルドを連れて中央制御室を目指す。

 確かにあれから多少だが、時間を取った。

 そのタイムロスを少しでも補う手段は、移動方法の短縮化しかない。

 つまるところ、一同はハロルドを先頭にカイルとロニがその両脇を固めて、慌ただしく駆け出した。

 

「そこをどけえ!」

 

 行く手を阻む整備用兵器のみならず、おっとり刀で駆け付けた天上側の兵士まで勢いで薙ぎ倒す。

 張り倒しただけでとどめも捕縛もありゃしないが、ハロルド曰く特に問題はないという。

 

「あー、そゆのは後発隊の仕事だから。適材適所ってね」

 

 ついでに、我らが工兵隊に任されたのは陽動を意味する撹乱だ。派手にすればしただけ敵の手勢は割け、本命のソーディアンチームがミクトランのもとへ辿りつきやすくなる。

 戦闘不能状態となった兵士達からは続々と救援要請が出されている辺り、役目は十分果たしているといえよう。

 

「しっかし……ちょっとこれ、飛ばし過ぎ……」

「ロニ、ハロルドを担いで下がれ。フィオレ、前に出るぞ」

「了解」

 

 途中から息の上がり始めたハロルドをロニの背中に乗せて、彼を前衛から下げる。

 その代わり、カイルの両脇にはフィオレとジューダスが立った。

 勢いこそ欠けるが、このスリートップに隙はない。

 

「次の角を右! しばらく道なり、突きあたりを右、それから階段を降りて!」

 

 ハロルドのナビゲートに従い、混乱しがちなカイルを引いて怒涛のような進撃が続く。

 同じような作りの通路を抜けて、辿りついたその先の昇降機へ飛び乗った。

 

「ここまで……あんたらすごいわね! 試算の半分も、時間使ってないわよ!」

「……そう、ハロルド。この話はしてませんでした」

 

 小型端末機を手に珍しく本気で驚いたらしい彼女に、バルバトスに関する事柄を告げる。

 走りづめで体力の尽きたリアラをカイルに担がせ、これまで制圧の勢いを緩めなかったのはこれかと、ハロルドは独りごちた。

 

「──どうせ、私はやることがあるから、どのみち参戦はできないけど。あんまり時間がかかるようなら、それは承諾しかねるわよ?」

「かまいません。あくまで状況が許せば、の話です。そちらの都合に支障があるようなら、そっちを優先させてください」

「いい心がけね。さて……そろそろかしら」

 

 昇降機によって上昇した先、ダイクロフト中心部。制御室へ通じる扉の前にて。

 別ルートから攻め込んだと思われる地上軍兵士と天上軍兵士が揉み合っていた。

 不意討ちを免れたは幸いだが、これではどさくさにまぎれて制御室に入り込む余地もない。

 

「全員、武器を捨てて投降しろ!」

 

 カイルやロニが果敢に降伏勧告を行うも、誰一人として聞いていられる状況でないことは明白だ。

 これでは埒が明かないと、フィオレは手近な暗がりに神の瞳を仕込んだ義手を差し出した。

 

「聞いてんのか、こら──」

「その荒ぶる心に、安らかな深淵を」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 武器が舞い、鎧が踊る汗臭い戦いの調べに、第一音素譜歌の旋律が加わる。

 誰も彼もが夢魔の囁きに身を委ねる中、地上軍の兵士は起こして天上軍兵士の捕縛を行わせた。

 

「便利ねー、その手品。今度寝しなにお願い」

「夢見が悪くても知りませんよ」

 

 そんなこんなで、つつがなく制圧そのものは完了する。

 その場にいた天上側の指揮官から解除コードを聞き出し、無事制御室への道も開けた。

 

「じゃあ、こないだと同じく私はダイクロフトの機能停止に専念するから。あんた達はその間、護衛と警戒を……」

「ええ、わかりました。だから少々お待ちを」

 

 さくさく制御室に入ろうとしたハロルドを制して、フィオレがするりと入室する。

 直後、誰もが膨れ上がる晶力の高まりを感じた。

 

「破滅のグランヴァニッシュ!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧──」

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze──

 

 床が引き裂け発生した土塊の爆裂がフィオレに襲いかかるもあっさりと散らされ、破壊された扉だけが残る。

 地属性上級晶術──グランヴァニッシュの余韻が消える頃、術者と思しき男がいた。

 携える戦斧に鮮血の残滓がある辺り、ミクトランによってここに配属されていたわけではないのだろう。

 

「バルバトス……」

「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」

 

 誰を待っていたのか知らないが、バルバトスの双眸が一同を睥睨する。

 その酷薄な目がふと、ハロルドに止まった。

 

「貴様がここにいるということは、事実は話せなかったようだな」

「……何ですって?」

 

 この男も、何らかの手段で史実を知ったのか。

 止める間もなく、バルバトスは愉快そうにそれを話してしまった。

 

「貴様の兄は、ミクトランと刺し違えて死ぬ。これが、今の段階での史実だ」

 

 鋭く、ハロルドは息を呑んだ。

 すわ敵発見かと握っていた杖が揺らぎ、今にも取り落としそうになっている。

 手に取るようにわかる彼女の心をそそのかすように、バルバトスは続けた。

 

「だが、今すぐ向かえば十分間に合う。歴史を変えることができる。さあ、あがいてみせろ、歴史を変えてやるとな」

「バルバトス、貴様……!」

「──遺言は、それでいいですね」

 

 バルバトスの高笑いを遮り、カイルの憤りさえも遮り。フィオレはハロルドの肩に触れた。

 彼女はそれすら気づかないほど動揺しており、小さな肩の震えは止まらない。

 

「ハロルド」

 

 囁くでも呟くでもなく、ましてや怒鳴るでもなく呼びかければ、彼女はハッと我に返ってフィオレを見た。

 フィオレの言葉に気遣いはない。腫れものに触るような響きもない。

 

「手筈通り、お願いします。お互い早めに、済ませましょう」

 

 ただそれだけに狂気を退け、迷いを断ち切る、心地よい響きをもたらした。

 鞘に収まったままの紫水を手に、一人バルバトスに近づいていく。それを、バルバトスとて無視していたわけではない。

 

「……不格好な腕だな」

「トカゲじゃなるまいし、生えてくるわけないでしょう。あなたの腕は生えたかもしれませんが、生憎私は違う生き物でして」

 

 義手を装着したことで、僅かだが左腕全体が肥大しているようにも見える。

 それを揶揄されても、フィオレはまったく動揺しなかった。

 

「待ちくたびれた、ね。とうとうカイルを殺すおつもりで?」

「慧眼だな。貴様と関わったことで、地を這う虫けらと変わらんガキがどれほどのものになったか……実に愉しみだ」

 

 舌なめずりすらして見せる辺り、バルバトスの目から見ても彼はそれなりの実力をつけた、ということか。

 勝手な男の挙動を憤るように、フィオレは鼻を鳴らした。

 

「ではその前に、撒いた種をどうにかしていただきましょうか。そうでなければ、彼と刃を交わすことはできない」

「ふん、いいだろう。貴様は最高だったぞ。戦士としても女としても、殺すことをためらうほどにな」

 

 その一言を聞いた瞬間。

 まるでその発言そのものを斬るように、フィオレは音高く抜刀した。

 

「──このクズが。せいぜい後悔しやがれ」

 

 地声からは想像もつかない、地の底から響くような怨嗟が呪いのように放たれる。

 そのまま、フィオレは弾かれたように切りかかった。

 

「欲望に負けたことも、これまでの己の行いも!」

「何とでも吼えたてろ。怒り狂った貴様など、可愛げこそあれ脅威にはならん」

 

 斬撃に見せかけた刺突を回避し、更なる追撃から逃れることで巨体が遮っていた制御室の機材が露わになる。

 一瞬ではあるが、それを見て目配せをしたフィオレの挙動を見て、ジューダスはハロルドを見た。

 

「私、ダイクロフトの機能を停止させるわ。あんたらは護衛してね」

 

 ぶっきらぼうに言い放ったハロルドが、つかつかと機材に向かって歩み出す。

 戦いに一同を巻き込まないようにか。フィオレは武器同士の激突を主として戦っている。

 それは、ハロルドが制御盤に触れても同じことだった。

 譜歌も譜術も、剣技すらも使わないままバルバトスとひたすら剣戟を重ねている。

 淡々と剣を振るうフィオレを見て、バルバトスは隠しもしない嘲笑を放った。

 

「貴様の魂胆はわかりきっているぞ。下手に暴れて制御室を破損なぞさせたら、たまったものではないなあ?」

「その気があるなら脅すまでもないでしょうに」

 

 おそらく心理戦に持ち込むつもりなのだろう。バルバトスの挑発を、フィオレはさらりと受け流している。

 もちろんのこと、バルバトスは鼻白んだ。

 

「何?」

「何じゃありません。やるならおやりなさい。ほらほら、早く」

 

 ひらひらと手を振って促すも、勿論バルバトスはそうしない。

 そんなことはフィオレどころか、一同すらもわかりきっていることだった。

 

「もちろん、詠唱なんか始めたら遠慮なく蜂の巣にして差し上げますが」

「……っ!」

 

 稚拙なはったりを鼻で笑いながら、フィオレは紫水を振るった。ことごとく防がれた挙句反撃の風圧が帽子を吹っ飛ばすも、果敢に斬り込んでいく。

 決定打のない剣戟の応酬は、地道且つ体力の削り合いでしかない。従って、いくら口で勝とうとフィオレには圧倒的に不利であるはずだった。

 しかし、未だ互いに決定打を放たず仕合にも似た戦いが続くのは。

 

「くっ!」

 

 幾度として好機に恵まれ、決定打を放たんとするバルバトスの手が再度止まる。

 帽子は床に転がり、眼帯は元よりなく、絶えず敵対者を睨むフィオレの眼を直視して。

 

「やめろ、こざかしい! ブチ殺されたいか!」

 

 後退するバルバトスを追うように間合いを詰め、その腕にひっかいたような傷を残す。

 しかし、追い討ちはない。下手に深追いして捕まっては危険だと、わかりきっているからだ。

 単純な腕力も、体格に左右される体力も持久力も、更には頑丈さすらも劣るフィオレがそれら全てを上回る相手を下すには、小細工を弄するより他は無い。

 それさえも捨て、真っ向から打ち勝つには初めからこうするよりなかった。

 ちまちまと傷を入れ、その蓄積と相手の隙を狙う。そして──

 

「おかしなことを仰るのですね。私を殺そうとしていないのですか?」

 

 仕掛けられた戦いには応じる。単純な剣戟であれ、心理戦であれ、売られた喧嘩は買う。

 フィオレの認識する真っ向勝負とは、正々堂々のみならずその要素も含まれていた。

 

「それともまだ、妹君のことを諦めていないとでも?」

「しれたこと! 貴様に理解などできるわけもなかろうが……」

「理解とは、義理とはいえ妹君を愛していたことですか?」

 

 音を立てて、室内の空気が凍りつく。

 フィオレはフィオリオに関して、バルバトスの血脈のない妹にしてシャルティエの前任者であることしか知らないはずだ。

 今、それを知っているということは。

 

「あんなに情熱的にその名を囁いていたというのに。何を驚いていらっしゃるので?」

「……こ、の、恥知らずが! 俺の妹の顔で、何をしゃあしゃあと抜かす!」

「妹君といいアトワイトといい、他人の恋人にしかときめかない変態が何を仰るのです」

 

 変態とまで罵られ怒髪天をつくバルバトス、比例して冷静に切り返すフィオレ。

 最早勝敗は明らかなこの心理戦を、一方的に片づけたのはやはりフィオレであった。

 

「普通は手に入らない、人のものばかり欲しがるその心理は確かに理解の外ですが……あ」

「!」

「ハロルド。作業の進行度はいかがでしょう。時間は大丈夫ですか?」

 

 ふと思い出したかのように、彼らに振り返ったフィオレは完全にバルバトスの存在を無視していた。

 コケにされた挙句のそれがどれだけの屈辱か、対象の余裕と機嫌の具合による。

 少なくとも今のバルバトスは、余裕が有り余っているわけでも、上機嫌というわけでもなかった。

 

「貴様っ!」

「──そろそろ、予定時間に達するわ」

 

 戦いを見守る傍ら、作業を並行していたハロルドがぽつりと呟く。それにしっかと頷いて、フィオレはバルバトスと対峙した。

 

「もろとも吹き飛ばしてくれるわ! ジェノサイドブレイ「轟破炎武槍!」

 

 双方より射出型の衝撃波が、真っ向から対立する。かつては膠着を嫌ったフィオレが放棄したこの勝負、互いの状態が良好であればやはり軍配はバルバトスに上がっただろう。

 しかしながら現在、両者の状態は対等から程遠かった。

 

「ぬっ……ぐっ……」

 

 刃を交えた剣戟の際、バルバトスは軽傷ではあるが利き腕に幾筋もの裂傷を負っている。

 対してフィオレは消耗こそあるが無傷。この差は一見小さくても、当事者にとっては大きかった。

 しかし。

 

「流石に……勝てないか」

 

 どちらが押し切るでもなく、質の違う衝撃波が相殺され、再び対峙する。

 これを皮切りに、周囲を巻き込む大乱戦が展開されると誰もが思った、その時。

 

「ぐああっ!」

 

 突如として、バルバトスの絶叫が木霊する。

 何が起こったのかと注視すれば、その鍛え抜かれた腹筋から、緋色の粘液にまみれた何かが顔を覗かせていた。

 そしてバルバトスの背後には、いつの間にか誰かが佇んでいる。

 その正体を確認するよりも早く、バルバトスを貫いたそれも人影も、融けるように消えてしまった。

 瞬間、それまで棒立ちだったフィオレが顔を上げたかと思うと、紫水を振り上げ猛然と襲いかかる。

 腹部に致命傷を負い、呆然とするバルバトスを容赦なく吹き飛ばし。フィオレは紫水をその喉元に突きつけた。

 ──いつしか、地上軍によって天上軍の陥落を知らせる無線が飛び交う。

 

「これだけは使いたくなかったのに。あーあ。つまんない勝ちを拾いました」

「い、一体何が……」

「さあ、お別れの時間です。何もわからぬまま、手に掛けてきた者達と同じ無念を抱えて逝きなさい」

 

 紫水の切っ先がそのまま、太い首を貫かんと躊躇なく迫る。

 淡紫の刃が、因縁の戦いに幕を下ろす、はずが。

 

「つまらん……」

 

 内臓の失血が逆流したのか、血を吐き出しながらバルバトスは迫る紫水を掴んで止めた。

 慌てて間合いを取ったフィオレにも、その拍子に斬られた手にも、腹の傷すら頓着せずゆらりと立ち上がる。

 いつしかその傍らには、漆黒の球体が漂っていた。

 

「この時代ではダメだ……もっと……もっと、ふさわしい場所を!」

「待てッ、どこへ行く、バルバトス!」

 

 あの負傷で喋るどころか動くとは、とんでもない胆力である。

 下手に近づいて転移に巻き込まれてはたまらないと制止されたカイルを見て、バルバトスは凄絶としか言えない笑みを浮かべた。

 

「時を越えた先……神の眼の前で、待っているぞ……!」

 

 低い笑声が響く中、巨体が球体に委ねられる。おびただしい出血を残して、バルバトスは消え失せた。

 

「……仕留め損ないました。撃退で勘弁して下さい」

「上出来だわ。制御装置に破損はなし、時間的にもまずまずよ」

 

 紫水を鞘に納め、帽子を拾い上げるフィオレに誰よりも早く、ハロルドは労いをかけている。

 作業は終わったのかと尋ねれば、彼女は自信たっぷりに頷いた。

 いつもと、変わらぬ調子で。

 

「ロックをかけといたわ。ダイクロフトの機能も完全休止」

「……お疲れ様です」

「あんたもね。さあーて、これから本当は後発隊の手伝いなんだけど……今からなら行ってもいいかしら? ミクトランのいる、玉座の間へ」

 

 もはや是非もない。一同は言葉もなく頷き、再び駆け抜けた。

 ──地上軍の健闘によるものだろうか。玉座の間へ至る道のりに、これといった障害はなかった。

 しかし一同を取り巻く空気はどんよりと重く、誰もがそれを察して口を開かない。否、約一名それどころではない人がいた。

 

「フィオレ」

 

 その約一名であるハロルドから投げるように渡されたもの。それは、彼女愛用の杖──晶術の発動体だった。

 

「預かれと?」

「私に錯乱されると困るんでしょ? やっぱり未来なんか知るもんじゃないわね。ロクなことがありゃしない」

 

 その昔、世界の行く末を知ってそれを広めてしまった人間には、耳の痛いコメントである。

 あえて返事をしないまま、一同はソーディアンマスター達の辿った足取りを追って玉座の間へと到達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十一戦——歴史は史実を忠実になぞる~様々な痛みも苦悩も伴って

 ダイクロフト・玉座。
 ここでエルレインがひょいっと現れてミクトランに加勢したら、面白いことになっていたのに。
 いや。そんなことは考えてはいけないのでしょう、たぶん。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──カーレル・ベルセリオスは健在である。彼は唯一人、ミクトランと対峙していた。

 他のソーディアンマスター達は満身創痍で、その一騎打ちを成す術もなく見守っている。誰一人、アトワイトですら晶術を使わない辺り、すでに晶力は尽きているのだろう。

 そして一同は、再び歴史的瞬間を目の当たりにした。

 長きに渡る天地戦争の、決着の瞬間を。

 

「ミクトラン、覚悟ッ!!」

 

 すっかり息の上がったカーレルがソーディアンを携え、捨て身に近い特攻を仕掛ける。

 それまでの戦いで蓄積された消耗の賜物だろう。回避の気配こそあったものの、足をふらつかせたミクトランは刃を受けた衝撃で、身体を甲虫のように丸めた。

 しかし。

 

「私とて、天上の王と呼ばれた男……ムダ死には、しないっ!」

「カーレル、逃げろ!」

 

 かろうじて即死を免れたミクトランは、身体を貫かれながらも己の剣を振り下ろした。

 ディムロスの警告空しく、肩から胸にかけて深々と刃が埋まる。

 ソーディアンを手放せば助かっただろうが、それでは仕切り直し。仲間達も限界を迎えている今、この機を逃せばもう後がないと判断したカーレルの、極限の選択なのだろう。

 我が身を引き換えに、天上王を討つと。

 

「離しは……離しは、しない!」

 

 身体を斬り裂こうとする凶刃に目もくれず、カーレルはソーディアンを両手に握りしめた。

 血塗れの口元が小さく動き、剥き出しのコアクリスタルが煌めく。

 ソーディアンの刀身が埋まっているからできる芸当なのか。晶術は、ミクトランの体内にて発動した。

 そうだとわかったのは、何の前触れもなく天上王の胴体が内側から音を立てて崩壊したためである。

 内臓のみならず、今度こそ心臓を潰された人間に生き延びる術はなかった。

 

「うぐあああぁぁーッ!!」

 

 残されたのは身を振り絞るような断末魔と、たっぷりと血を啜ったソーディアン・ベルセリオス。そして。

 

「兄さんっ! しっかりして、兄さんっ!」

 

 ミクトランの最期をその目にしかと焼きつけたカーレルが、吐血と共に崩れ落ちる。

 たまらず飛び出したハロルドの呼びかけに、カーレルはうっすらと目を開けた。

 

「ハロルド……ハハ、ヘンだな、幻聴か……? いつもなら……兄貴って……」

「しゃべっちゃダメ、傷口が広がる!」

 

 ハロルドの手が無意識に何かを探してさまよい、ハッとしたようにカーレルへすがりつく。

 おびただしい失血は、小さな手だけでは止められない。

 

「……どうした、ハロルド? なに……泣いてんだ? また……だれかに……いじめられた……か?」

 

 ふらっ、と持ち上がった手が、ハロルドの頬を撫ぜようとしてなのか。壮絶に空を切る。

 慌ててその手を取ったハロルドに、カーレルは定まらない瞳で微笑みかけた。

 

「あんし……ん……しろ……にいちゃんが、まもって……」

「しゃべっちゃ、ダメだってばっ!!」

「にいちゃ……は……いつ……も……おま……え……いっ……しょ……だ……」

 

 かくん、と。その手が目に見えて、脱力する。

 その手を抱きしめるようにしていたハロルドならば尚更、それに気づかぬはずもない。

 

「兄さん……?」

 

 兄の手を両手で握りしめ、爪すら食い込ませながらハロルドは叫んだ。

 痛いよ、と彼が言うことを、再び言葉を発することを期待するように。

 

「兄さん! 目を覚まして、兄さんッ!!」

「ハロルド……カーレルは、もう……」

 

 あまりの痛々しさにディムロスがそれをやめさせようとするも、ハロルドに力なく払われる。

 そんなことはわかりきっていると、けれども認めたくないと、想いを零すように。

 

「兄さん、兄さんっ! わあああっ!!」

 

 堰を切ったように泣きじゃくるハロルドに看取られ、穏やかな微笑みを湛えたまま。カーレル・ベルセリオスは永遠の眠りについた。

 天上王は倒れ、戦争は終わる。しかし、当事者達の心に喜びは微塵もない。

 やり切れない思いだけが去来する、このひと時。

 天地戦争に、勝利者はいない。

 

 



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第六十二戦——天地戦争の終結~「さようなら」はもうしばらく先に

 地上軍基地周辺。
 とうとうパーティ面子が出揃いました。
 この作品どころかシリーズ屈指の「天才(天災)」を加えて、一同は十八年後のダイクロフトへ。
 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「栄えある地上軍の兵士諸君! 永きに渡って繰り広げられた戦いに今日、ついに終止符が打たれた」

 

 リトラーの朗々とした声が、拠点内に響き渡る。

 

「非情なる暴君、ミクトランは死んだ。恐怖と憎悪の象徴だったダイクロフトも、彼の死と共に永遠に消滅したのだ。我々は決して忘れてはならない。カーレル・ベルセリオスを始めとする数多の英霊の命の輝きを。そして心に刻まねばならない。この勝利こそが、新たな明日をひらく最初の一歩であるということを」

 

 後の世に稀代の名演説と謳われたメルクリウス・リトラーの終戦宣言を、一同は少し離れた場所で聞いていた。

 拠点の広場には、ソーディアンマスター達を始めとする兵士達が整列し、総司令の言葉を神妙な顔で清聴している。

 本来、バルバトスのことで片がついた後は、余計な干渉をしないようどさくさに紛れて神の眼の力を使い、時空転移を試みようと伝達はしてあった。しかし、カーレルの死後、粛々と撤収作業に準じたハロルドにそれを言い出すことができず、また彼女を放っていくこともためらわれて、現在に至る。

 今後の予定を告げることができなかったのは誰もが同じ。故に、誰もそのことに文句はなかった。

 ただ、未だにもやもやしている人が一人。

 

「なあ、ロニ……あれで、本当によかったのかな?」

 

 今に至っても割り切ることのできないらしいカイルが、兄貴分を相手に思いの丈を吐露する。

 そこへ、終戦宣言が終わったのに姿を消していたハロルドが、何やら大荷物を担いでやってきた。

 

「バルバトスの言ったように、すぐにミクトランのところに向かっていれば、もしかしたら……」

「あんた、アホね。あのサルの言う通りなんて、どうかしてるわ」

 

 神妙な顔で語る「もしもの話」を聞きつけたらしく、彼女は一言のもとに彼をこき下ろしている。

 足元の雪を必要以上に踏みしめてやってきたハロルドは、すっかり元通りに見えた。

 担いでいた袋を無造作に置いて、人差し指を左右に振って見せる。

 

「言ったでしょ? 未来を知る者が、自分の都合だけで歴史を変えちゃいけないって」

「それはわかってるよ。でも……」

 

 頭ではわかっていても、心が納得しない。本来他人であるカイルではなく、ハロルドがそう感じて然るべきなのだが、カイルがそうしているせいか、ハロルドは冷静だった。

 否、すでに受け入れた後なのかもしれない。

 

「兄貴は兄貴なりに一生懸命生きてきた。その結果だもの。だから悔いの残らない、幸せな人生だったと思うわ」

「たとえ死が決まっていたとしても、精いっぱい生きて、幸せを掴む……」

 

 言い募ろうとするカイルに対して、ハロルドはひょいと視線をそらしている。

 そのカイルの横ではリアラがひどく真剣にそれを呟いており、なんとなしに沈黙が漂った。

 

「……な~んか、しんみりしちゃったわね。というわけで、この話はここまで!」

 

 その空気を嫌って、ハロルドが殊更明るく話題転換を提唱する。そして好奇心によるものか、一同の今後を尋ねてきた。

 

「で、あんたたちこれからどうすんの?」

「え? えっと──」

「バルバトスを追います。個人的にはもう関わりたくありませんが、放っておいても害にしかなりません」

 

 神の眼の前、というのは十中八九、現代より十八年前──争乱中のダイクロフトのことだろう。神の眼が歴史の表舞台に立ったのは、この時代を除いて他にない。

 

「世界の命運を決する場で、自らの命運をも決する……奴の考えそうなことだ」

 

 うんざりした顔でぼやくジューダスの言葉を聞いて、リアラがあ、と口元に手をやった。

 

「でもレンズが……時間移動をするには、レンズが足りないわ」

「そんなわけです。ハロルド、こっそり神の眼の管理場所を教えていただきたいのですが」

 

 大真面目に尋ねるフィオレを見て、本気だということがわかったのだろうか。ハロルドは半眼で肩をすくめると、足元の袋を持ち上げた。

 

「あんた、営倉にブチこまれたいの? そんなことだろうと思ってね」

 

 よいしょ、と取り出されたのは、つい先日獅子奮迅の大活躍を見せた六振りのソーディアンだった。

 フィオレは、これまで一度たりともまじまじ見たことがないソーディアン、ベルセリオスに眼を吸い寄せられている。

 

「ハロルド、これって……!」

「ソーディアンはレンズ技術の粋を集めたものなのよ。エネルギーだってハンパじゃないわ」

 

 流石にひとつだけでは難しかろうが、それが六つもあれば十分だろうと。

 捕まる覚悟で神の眼を探さなければならないか、と不安げだったナナリーが顔を輝かせた。

 

「なるほどね! よかったじゃんか、レンズを探す手間が省けて」

「それじゃハロルド、いろいろありが……」

 

 そうと決まれば早速行こうと、カイルがハロルドに別れを告げようとした、その時のこと。

 それまで地面に広げていたソーディアンをまとめて持ち上げた彼女は、満面の笑みを浮かべてこう言った。

 

「さあ、未来に向かってレッツゴー!」

 

 ──よくよく見れば彼女は簡単な旅装に身をまとっており、傍らには荷袋らしきものがある。解散して、すぐに姿を現さなかった理由はこれか。

 

「……おい、何してんだ?」

「前にも言ったはずよ? 私の頭脳が神をも超えること、証明してみせるって」

 

 ロニの質問に、ハロルドは忘れちゃったの? と言わんばかりに首を傾げている。フィオレにとっては初耳だが、誰も何も言わない辺り覚えがあるようだ。

 

「まさか……ついてくるつもりか?」

「いやなら、ソーディアンは使わせないわよ」

 

 ジューダスにすら、いやジューダスだからなのか。ふふん、と笑ってこれ見よがしにソーディアンを見せびらかすハロルドを説得する猛者はいない。あきらめたように、ロニはカイルへ話を振った。

 長年の付き合いにこれまでのことから、答えはわかりきっていたようだが。

 

「……はあ、どうする? カイル」

「いいじゃん! ハロルドがいっしょのほうが、もっと楽しいだろうしさ!」

 

 楽しいというか、エキサイティングというかスリリングというか。

 まあ、何かあったら同道を許可した彼の責任ということで落ち着くだろう。それに。

 

「そういうわけだから、よろしく!」

 

 案外、兄を亡くした寂しさから、彼を思い出させる環境から身を遠ざけたかったのかもしれない。

 新たな、というには実に気心知れた彼女の参戦を受け入れて、リアラによる時代転移は敢行された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 どうでもいい話ですが、この辺よくわからないですよねー。
 レンズは使用したら消費される=消える。ソーディアンのコアクリスタル消えちゃうかもだけど大丈夫なんかいな? と。
 まあハロルドが何とかしてくれるでしょう。きっと。


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第六十三戦——最後の大事件、その前に~オールドラントへれっつらごー

 十八年前のダイクロフト・神の眼の間というか、玉座? 
 本来ならここで、バルバトスとの因縁の決着がつくはずなんですが。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──真っ白になった眼の前が、再び色を取り戻す。

 見覚えこそないが、何となくミクトランのいた玉座によく似た雰囲気の空間に、人非ざる者が意志を発する気配がした。

 

『この世界の今は、我らが守る。だが、この世界の行く末はお前達が決めるんだ』

 

「ここって、ダイクロフトよね。未来にもダイクロフトが存在してるの?」

「違う。天地戦争より千年後、神の眼を巡る事件が発生したんだ」

 

 意識を取り戻した各々が状況を確認し、とりわけハロルドはまず彼女が知る由もない背景説明を求めている。

 それをジューダスに任せて気配がする場所を探せば、目についた階段の向こうに巨大なレンズを見つけることができた。

 斜め読みだが、一応は把握している神の眼を巡る騒乱の結末を思い出す。

 死闘の末に勝利の女神は、ソーディアンマスター達に微笑んだ。が、ミクトランは最期の力を振り絞って神の眼を暴走させ、ダイクロフト及び地上を覆っていた外殻の欠片が地上へ雨あられと降り注いだのだという。

 このままでは本当に道連れにされてしまうと、スタン達は神の眼にソーディアンを刺し──接続し、コアクリスタルを同調させることで自爆を誘発させたとか。

 今がちょうど今生の別れなのか。察すると同時に、フィオレは階段を上っていた。最上階の手前で身を屈め、様子を(うかが)った先にいたのは、すでに三本のソーディアンが突き刺さった神の眼と、その眼前に立つスタン、その彼を見守る仲間達である。

 その手にはソーディアン・ディムロスが握られ、空色の瞳は切なげに相棒を見つめていた。

 

『いい世界にしてくれよ。お前達にならばできる!』

「ああ……」

『さらばだ、スタン!』

 

 覚悟を決めたようにひとつ頷いたスタンの手によって、ディムロスの刀身が神の眼に埋め込まれる。

 その手が柄を離し、二歩、三歩と下がったところで彼らを見つめるマスター達を、ソーディアン達は容赦なく叱りつけた。

 

『何をぼやぼやしておる!』

『あまり長くはもちませんよ』

『私たちがやろうとしている事を、無駄にしないで!』

『早く逃げるんだ』

「みんな……ごめん!」

 

 振り切るように背を向けて、四人が駆け去っていく。

 

「父さん……」

 

 すぐ近くでそんな呟きが聞こえて、振り返れば後を追ってきたらしい一同が身を隠すように待機していた。

 誰ともなしに、四本のソーディアンが突き刺さった神の眼の前へ移動する。

 文献の通りなら、スタン達が脱出するタイムロスを経て神の眼が自爆……つまり、単純に考えても大爆発を起こすわけだが、怖くないのだろうか。とはいえ、フィオレもそれが怖いならとっくに避難している。

 問題なのは、待つと言ったくせに姿どころか気配もないバルバトスのことだ。

 

「バルバトスの奴がいねえなあ、どういうこった?」

「仲間割れとか、オレ達に恐れをなしたとか……」

 

 前者はともかく後者はありえない。僅かな距離とはいえ、ここで一人潜んでいる間に強襲をかけられても困ると、フィオレが彼らと合流しようとした矢先。

 じわり、と何かがにじむように空間の一部が歪む。肥大化したひずみより闇色の放電をまとった漆黒の球体が発生した。

 

「バルバトス!」

「ようやっと到着か。それにしても、何を縮こまっている? よもや俺に恐れをなしたわけでもあるまい」

 

 ダイクロフトでの負傷を完全に癒したバルバトスが、握る戦斧の背で肩を叩くようにしている。

 その視線の先には、階段にて身を起こしたフィオレがゆっくりと歩み寄ってくるところだった。

 帽子を心持深く被ったフィオレだが、警戒を隠さず紫水を握りしめている。

 

「……単純な罠はもう通用しないから、とうとう総力戦をお考えですか」

「何?」

「下僕の圧倒的な存在感を隠れ蓑にしても無駄です。そこでせせこましく不意討ちを企むのですか、気高き聖女様」

「……相も変わらず、口の減らぬ亡霊だ」

 

 気配だけだった存在が声を発し、最もその声の主を知るだろうリアラが身体を震わせた。

 時折放電現象を起こす神の眼の真上に発光体が出現したかと思うと、それが人の形を成す。

 

「私は高慢ちきな神様の使いっぱしり──もとい偉大なる神の御使いに最大限の敬意を払っているだけです。何かご不満でも?」

 

 本音も建て前も垂れ流す低俗な挑発の相手をする気はないらしく、エルレインは尊大にフィオレを見下ろした。

 フィオレから完全無視をされたバルバトスだが、そのことについて頓着している様子はない。

 それどころか、彼は憎々しげに聖女を見上げて声を荒げた。

 

「貴様、何の用だ。これ以上俺の邪魔をするんじゃねえ!」

「──天地戦争にて、鬱憤を晴らしたのではなかったのか? お前の目的はリアラの英雄だろう。彼らに用はない」

 

 つまり、エルレインはフィオレに用事があるということか。

 もはやバルバトスなど眼中になく、臨戦態勢を整えるフィオレを見て、エルレインはにっこりと微笑んだ。

 

「?」

 

 蔑むでも、もちろん慈しみでもない。例えて言うなら、長年の悩みが今解決したような、何かから解放されての喜色を含んだ笑みだった。

 

「そなたの望みを叶えよう。あるべき場所へ、還るがいい」

 

 エルレインが口にしたのは、フィオレを罵るでもなく、また晶術の詠唱ですらない、そんな一言である。

 その場に居合わせた大多数がその言葉の意味を理解していないまま、彼らへのフォローも忘れてフィオレはそのまま返した。

 

「何をおっしゃっているのか、理解していますか?」

「何も争う必要などなかったのだ。無理やり連れてこられた上、帰還を盾に従うことを強要されたのだから、私がその望みを叶えればいい。史上最大級のレンズがここに現存する今、大奇跡──星を超えての送還を成してみせよう」

 

 これは──エルレインがフィオレを守護者との代行者ではなく、フィオレンシア・ネビリム一個人の望みを探って彼女なりに出した解決策なのか。

 今すぐ、元いた世界へ還る。

 とんでもなく甘い誘惑に駆られて、正常な判断をしたくなくなったフィオレの周囲を、雑音が飛び交った。

 

「ど、どういうことなんだい? 連れてこられたとか、あるべき場所に還るとか……」

「星を超えての送還て、また壮大な話ねえ」

「フィオレ、どういうことだ? 一体、何の話をしている!?」

 

 掴みかからんばかりのジューダスから身をかわし、ただエルレインから目を離さない。

 これでとうとう彼らも真実を知ってしまうのかという憂いと、エルレインを前にしての警戒。それらがない交ぜになっている今、フィオレに仲間達のことを気遣う余裕はなかった。

 そして。

 

『ど、どうしよう!? ねえどうしよう、みんな!』

『とうとう、その手段を提示してきましたか……』

『代行者よ、惑わされないでくれ!』

『でも、惑わしてなんかないよ』『あいつ、多分本当にやるよ』『今なら可能だもんね』

『これは……どうしたものか……』

 

 凄まじい勢いでわめく守護者達の相手をするヒマも。

 

「永久の眠りよりそなたを叩き起こし、当然のように使役する彼奴らに嫌々かしずくことはない。願ったり叶ったりだろう?」

「私は……彼らを、否定しません。あなたの打算だらけの施しなど、願い下げです」

 

 制御不可能であるはずの神の眼が、一際強く輝く。

 呼応するように輝くエルレインのペンダントを見ながら、フィオレはじりじりと後退した。

 

「あくまで抗うというのなら、私は障害となる者を平和的に排除するまで……」

 

 予兆も何もあったものではない、急激な発光に視界が潰される。

 十分に取ったつもりの距離に何の意味もなく、輝きがフィオレを拘束した。

 

「フィオレ!」

「──!」

 

 来ないでくれと、叫んだつもりの言葉は大気を震わせることもせず、何もかもが光に吸い込まれる。

 五感はおろか、あらゆる感覚の全てが暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 エルレイン、とうとうフィオレを「クーリングオフできるやろ。返品しちゃるわ(意訳)」と抜かしました。
 エルレインはフィオレがいなくなれば嬉しい、フィオレはかえることができるなら嬉しい。なんというwin-win。
 フィオレとしては、人情抜きの理屈だけで考えれば、受け入れるより他ないのですが。
 そんなわけで物語は終盤ですが。フィオレどころか、一同も巻き込まれる形で。
 オールドラント(テイルズオブジアビスの世界)へ強制移動。
 次回より、テイルズオブデスティニー2とテイルズオブジアビス、クロスオーバー回突入でございます! 
(テイルズオブジアビス知らん人すまんのう!)


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第六十四戦——懐かしき大地への帰還~こんな形は望まなかったけれど


(不本意な形で)やってきました・オールドラント。
 舞台はテイルズオブジアビス第二部でマルクトが演習やってた場所、ケセドニアとセントビナーの中間、イスパニア半島──タタル渓谷周辺ですね。
 本来はここでフリングス少将が瀕死の重体に陥り、命を落としてしまうのですが、もちろんフィオレはそんなこと知りません。
 無意識に預言(スコア)を歪めています。知っていたところで結果は変わらない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩しい。

 眼をくらませた光はとっくに失せている。それはわかっているのに、眩しくて眼が開けられない。

 一度は全てが遠ざかった様々な感覚が、意識に呼ばれて徐々に戻ってくる。

 まず取り戻したのは、聴覚だった。

 

「起きろ! ここで何をしている!」

 

 激しい詰問、金属同士のこすれる音。

 ただならぬ気配に全ての感覚が眼を覚まし、同時にフィオレ自身も紫水を握りしめて飛び起きる。直後向けられたのは。いくつもの煌めく刃だった。

 回復の遅い視界をこすりこすり状況を確認すれば、フィオレは倒れた仲間達の中心にいる。誰一人、欠員はいない。

 彼らもろともフィオレを取り囲み、剣を突き出すは青を基調とした軍服に身を包む兵士達だった。それほど突出した特徴があるわけではないのだが、フィオレには見覚えがある。

 何故なら、似たような意匠の軍服を一時期着用した記憶があるから。

 

「貴様ら、何者だ! ここら一帯は……!」

 

 示威行為なのだろうか。必要以上の声量で恫喝する兵士を余所に、空を見上げれば。

 雲ひとつない、澄んだ青空。そこにはくっきりと、譜石帯が浮かんでいた。

 

「おい、聞いているのか!」

「何の騒ぎだ?」

 

 怒声で目を覚ましたのか、カイル達が身じろぎ起き上がろうとしている。

 眼前の兵士達か仲間達か、どっちの相手も厄介だなあと辟易しかけたところで、騒ぎを聞きつけたらしい別の兵士が駆けつけた。

 否、単なる一兵卒ではない。

 まとう軍服は色調こそ青を基調とするものだが、位の高さを示すようにその色は深い。かつ、兜を外したその顔は、見覚えがあるどころか言葉すら交わした人物のものだった。

 

「将軍、不審者です。どこぞの軍の密偵やもしれません。至急拘束して尋問を……!」

「演習のため一帯は封鎖済みです。装備も、単なる一般人のものとは思えません」

 

 口々にフィオレ達の怪しさを訴える部下達を抑えて、彼は一同を見回している。

 フィオレはといえば、目覚める前からわけのわからない仲間達に気をやるでもなく、ただ彼方を見やっていた。

 

「落ち着け。君達は──」

「フリングス少将」

 

 改めて事情を聞き出そうとしてなのか、話しかけられたその場からフィオレは話の腰を折った。もちろん事情をそのまま話すわけにはいかないが、理由はそれだけではない。

 当然、名乗るどころか部下から名を呼ばれたわけでもないアスラン・フリングス少将はいぶかしんだ。

 

「……私を知っているのか……?」

「今、マルクトはどこと戦争していらっしゃるので?」

 

 フィオレが指差すその先、広がる草原の彼方から雲霞の如き大群が迫りくる。

 一瞬これも演習の一環かと思いもしたが、それを見てフリングス将軍は慌てふためいた。

 

「なんだ、あの大群は!」

「キムラスカの軍旗を掲げているようですね。平和条約はどうなったんですか」

「馬鹿な、あれから何事も起こらなかったはず……」

 

 無意識に帽子をかぶり直し、くるりと仲間達に振り返る。

 状況を詰問しようとしていることは承知しているが、それはもう少し我慢してもらうことにした。

 

「話は後です。皆自衛の準備を。ぼやぼやしていたら、死にます」

「へ?」

「さあ、立って立って」

 

 事情が飲み込めず、ひたすら周囲を見回すカイルを筆頭に武器を持たせる。

 正直フィオレ自身、状況などさっぱりわからない。が、ここで生死に関わる事態を起こさせるわけにはいかなかった。

 フィオレが把握しているだけでも事態は十分ややこしいことになっている。これ以上の厄介は御免蒙るのだ。

 一同を取り囲んでいた兵士達は、フリングスの命令により最前線の斥候に走っている。あからさまに武器を手に取ったところで、見咎めるような余裕が彼にあるわけでもない。

 その直後のこと。

 遠目から雲霞とマルクト兵が接触したと思われる地点にて小規模な爆発が発生した。

 

「なっ!?」

「──譜術、ではなさげですね。兵士もそうでないのも吹き飛んでます」

「フジュツ?」

「晶術に近いものという認識でお願いします」

 

 少々迷って、シルフィスティアではなくシルフに助力を乞う。無論直接力を借りるわけではない。

 螺旋状をしていた契約の証は最早失われているのだ。呼びかけたところで届かないか、無視されるのが関の山。

 そのため。

 

「三界を流浪する旅人よ……」

『あーっ、またそれ使った! あたしに直接借りればいいって言ってるのに!』

「!」

 

 声が、した。

 シルフィスティアのものでは断じてない、幼女が感情のまま、甲高く喚くような声──

 

『この馬鹿、ウンディーネの通達を忘れたか!』

『あ。そっか、そうだっけ。えへへ、今のなし……』

 

 叱りつけるヴォルトの言葉で我に返ったのか、シルフの声は尻すぼみに消えた。

 ウンディーネの通達。

 かなり気になるが、今追及するべきではない。

 

「三界を流浪する旅人よ。流転を好む天空の支配者よ。我、汝の目を耳を借り受けん」

 

 契約してから久しく使っていなかった、風の古代秘譜術を用いて戦場を一望する。

 ──その光景は、いつかアルビオールにて見たパダ平原の戦いと程遠かった。

 マルクト兵しかいない上、そもそも戦闘は行われていない。

 それまで演習に勤しんでいただろうマルクトの兵士達が、成す術なく吹き飛ばされている。否、兵士達だけではない。

 細かく注視すれば、ふらふらと頼りない足取りで歩み民間人のような風体の男が、当惑する兵士に迫った。

 素早さも何もない突進と、マルクト兵が危なげなく避けて男が転倒したその瞬間。

 

「!」

 

 男の体から閃光が放たれ、先程遠目で見た爆発が発生する。後に残るのはどちらの遺骸かもわからない、直視もためらう有様だ。

 そんな光景がそこかしこで展開される中、気づいたことがひとつ。

 マルクト兵以外の人間──雲霞を形成する襲撃側が、誰も彼もがずた袋のようなものを所持している。それは民間人であろうとキムラスカの軍服をまとう者だろうと変わらない。観察するに突進して兵士に激突するなり地面に倒れるなりして衝撃を与え、起爆を促しているようなのだ。

 つまりあの中身は、非常に繊細な譜業爆弾か何かかということになるだろう。

 雲霞と称する理由として、襲撃側の人員はざっと一個中隊クラスだ。この人数の自爆攻撃など、早々食い止められるものではない。

 見知らぬ人間を見捨てる覚悟を固めて、フィオレはくるりと一同を振りかえった。

 

「その内こちらにも襲いかかってくるものと思われます。彼らは爆発物を携帯していますので、くれぐれも接近を許さないように」

「え、ええと……」

「カイル、後ろ!」

 

 あれだけ爆発があったというのに、本当に人員だけは豊富らしい。最前線からかなり距離があったにも関わらず、魔の手はそこまで迫ってきていた。

 靴も履いていない老婆がふらふらと、カイルに迫る。リアラの警告で反射的に剣技を用い、老婆が吹き飛ばされた先で爆発が起こった。

 

「あ、危ねえ……てか、なんであんなバーさんが軍にいるんだよ!」

「まさか、洗脳された一般人じゃないだろうな」

 

 その危険性がないわけではないが、だからといって気遣う余裕はない。

 基本的に相手を吹き飛ばすようにして戦い、ナナリーなどは接近されるより早く相手を射殺している。一番効率的なのはリアラやハロルドによる範囲型晶術の連打だが、素養の問題だ。これは仕方ない。

 フィオレの忠告を聞き入れてくれたらしいフリングスも参戦こそしてくれたが、いかんせん数が数だ。多勢の無勢とはよく言ったもので、一同は除々に取り囲まれつつあった。

 

「どうするのさ、このままじゃ押し切られちまうよ!」

「この人達、様子がおかしいわ。話し合いなんて、とてもじゃないけど……」

「──策は、あるんだろうな?」

 

 一同以外に残るはフリングス少将と、彼の副官らしき人物。そして斥候を命じられて戻ってきた、たった一人。

 これが限界だろうと、フィオレは小さく息を吐いた。

 

「フリングス少将。救援要請は?」

「……一帯を封鎖していた兵達は全滅したらしい。セントビナーのマクガヴァン将軍に鳩を」

「左様ですか。セントビナーね……」

 

 周囲で生存しているのが一同だけになったのか。迫る人間爆弾が数を増していく。少なからず自爆によって共倒れも起こっているだろうに、どこから湧いてくるのやら。

 今は総出で接近を拒絶しているものの、その内捌き切れなくなる。そうでなくても、僅かずつ密集しつつあるのだ。

 虚ろな目をした数十人に取り囲まれるのも恐怖だというのに、爆弾付きだからたまらない。

 そんな状態になってからひとつでも起爆すれば他の爆弾に誘爆し、相乗効果でとんでもない威力に発展することとなるだろう。

 残念なことに、その懸念はすぐに実現することになってしまった。

 

「しまっ……!」

 

 斥候を命じられ、命からがら戻ってきた兵士が左右から体当たりを受けてしまった。咄嗟にロニが割り込み、事なきを得たもののもう誘爆は免れない。

 

「皆下がれ!」

 

 譜業爆弾が起動して、すぐ近くにいた人間爆弾を巻き込んで爆発する。

 限りない連鎖が始まる直前、フィオレは一同を集めて譜歌を使った。

 

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze……

 

 譜陣が敷かれ、神の鉄槌すら防いだ結界が構築される。久々に譜力を用いて紡いだ譜歌は、問題なくその効果を発揮した。

 一同はもちろんのこと、彼を、フリングスを殺すわけにはいかないのだ。

 彼は主であった人の従姉妹と、フィオレが知っているだけでも婚約を結んでいる。それが現在どうなっているのかわからないが、むざむざ死なすわけにはいかない。

 ハロルドが歴史を変えぬため、兄の死を看過した、当時のことを思い出す。それが間違いだとは思わないが、今は現在進行形の世界。しかも、フィオレが知る史実通り歩むのは、滅びへの道を歩むも同然のこと。

 預言(スコア)の先を知る自分がそれを回避するような行動を取るのは、卑怯なのかもしれない。が、ことこの事に関してなりふり構うつもりはない。

 ハロルドは賢者で、自分は愚者。それでいいとフィオレは思っている。

 

「どうする気だ。まさかこのまま耐えるのか?」

「頑張れば何とかならないでもありませんが、高いびき鼻ちょうちんの私を抱えてその辺うろつくのは嫌でしょう」

 

 そしてフィオレも、今はたとえ仲間達であっても男に触れたくなかった。

 土煙が漂い、周囲の状況は窺えず。聖域の性能も災いして、震動の類も感じられない。

 そんな中、ハロルドが懐から小型端末を引っ張り出したかと思うと、何らかの操作を始めた。

 

「フィオレ、周囲にそれらしい反応はないわ。どうするにしても、今なら結界を解いても大丈夫よ」

「……それで、他にどんな要素が検出できますか?」

「他? 何が知りたいのよ」

「振動数、いえ生体反応でお願いします」

「動作反応は感知しないけど……」

 

 人間爆弾の正体について、フィオレには心当たりがあった。反人道的な方法で作成された生体レプリカ──人間の模造品。

 レプリカは造り出された直後、赤子同然だ。歩き方すら知らない、もちろん自我など無きに等しい。教育次第ではああいった人間爆弾を大量に生産することも可能なのだ。とどのつまりは人造人間なのだが、第七音素(セブンスフォニム)製というだけで造りはほぼ人そのもの。生体反応を探れるならそれで十分だ。

 かくして結果は。

 

「……この私ともあろうものが、軽率すぎたわ」

「あなたはあなたで混乱していることにしましょうか」

 

 爪を噛むハロルドを慰めて、結界維持に努める。閃光はもう見えないが、土煙が収まらないのはそういうことなのだろう。

 そろそろ限界が見えてきた。出来ればこうなる前に自爆に次ぐ自爆で片付いてほしかったが、それは高望だったようだ。

 

「さて、この状況にも飽きました。いい加減突破しましょうか」

「どうやって?」

「今、私達はどうしようもないほど囲まれていますか?」

 

 ハロルドの返事は、幸いなことに否だった。

 それまでは人間そのものに潰される危険すら想定されたが、今一同を取り巻く人間爆弾はまばら。爆発も収まってこそいないが、除々に沈静化してきているようだった。

 

「では、障害を除去します。今から結界を解くので、詠唱時間を確保してください」

「詠唱? わたし達で力を合わせるの?」

「いいえ、私の、です」

 

 これから自分を護ってほしい、と。倒すのではなく足止めをして、爆弾を起動させないように、絶対に自分の死角に立つなと言い含めて、フィオレは結界を解いた。

 怒涛の勢いで近寄ることすら危険な人間爆弾が迫りくる。

 仲間達を、正確には彼らの生存本能を信じて、フィオレは詠唱を始めた。

 

「奏でられし音素よ、紡がれし元素よ。穢れた魂を浄化し、万象への帰属を許さん──」

 

 展開した譜陣が大きく膨れ上がり、彼らもろとも人間爆弾を包み込む。

 

「ディスラプトーム」

 

 フィオレが持ち得る最強にして最低の秘術が発動し、発生した眩さに各々から悲鳴が上がる中。辺り一帯から、他者の姿が失せた。

 残るのは、何があったのかと周りを見回す彼ら──味方識別(マーキング)の範囲にいたカイルらと、フリングス将軍他二名。

 

「何が起こったんだい。あんなにいた連中が、消えちまった……」

「その辺の事情を含めて、落ち着いたら今後をお話ししましょう。まずはこの危険地帯から脱出しなければ」

 

 いよいよもって訳のわからない一同、同じく二名。そして先程からじっと黙りこんでいるフリングス少将を引きつれて、フィオレは移動を始めた。

 目指すはケセドニアだ。

 救援の鳩を送ったのはセントビナーらしいが、徒歩で行くには遠すぎる。いつかの戦場横断を繰り返すのは、御免だった。

 状況にもよるがあの人間爆弾を振り切るためにローテルロー橋を落とさなければならないかもしれない。漆黒の翼と同じことをしなければならないなど、たまらなく不愉快だ。

 今の自分は従者スィンでも軍人シアでもないが、記憶はあるのだ。どうしようもない。

 自治区であるケセドニアならどちらの領土でもないため、国に属する人種だけで殺されることはないはず。

 我に返ったフリングス少将がフィオレ達の素性を調べるため、兵力にものを言わせて拘束することもできないはずだ。

 今がいつの何年で、どのような状況下なのかはっきりしたことはわからない。故にケセドニアが自治区ではなくどちらかの領土になっている可能性もあるだろう。

 ただ、キムラスカ領になっているなら、フリングス将軍は今頃非常に嫌がっているはずだ。マルクト領なら、救援要請をそちらに送っているはず。

 自治区のままなら非常時用に兵士が常駐しているはずだから、フリングス将軍の身柄はそちらにやればいい。

 自分の推測を信じて、フィオレは黙々と足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十五戦——流通拠点ケセドニア~砂漠の街はやはり暑かった

 inケセドニア。
 アスラン・フリングス少将の死亡フラグを見事にへし折って、皆に事情説明を。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行軍中、彷徨う人間爆弾を幾度も発見し、自爆される前に隠れて事なきを得てケセドニアへ至る。

 幸いにしてカイル達と共に「飛ばされた」場所はケセドニアからそう遠くなく、一日と経たず辿りついた。

 

「フリングス少将!?」

「何故ここに、一体何が……」

「あの爆音は何事ですか!?」

 

 非常時の場合にか、ケセドニアにもマルクトの兵士は少なからず待機しており、たった二人を引きつれて現れたフリングス将軍を目にして、彼らは困惑もあらわに駆けつけている。

 他人のフリであらかじめ軍人達より距離を取っていたフィオレは、彼らが兵士達に囲まれたのを見届けて、その場から即座に離脱した。

 

「はい、みんな行きますよ」

「え? ちょ、ちょっと!」

「あのフリングスって人に言わなくていいの?」

「大丈夫大丈夫」

 

 もちろん一同を率いてマルクト領から離れ、キムラスカ領に移っている。

 キムラスカ軍を装ったあの襲撃の件でしばらく忙しいだろうし、これでフリングス将軍が一同を捕らえて尋問するようなことはできない。もう彼と会うことも、とりあえずないと思う。

 残された課題は、一同の説明に尽きる。

 キムラスカ側の宿を取り、一同を召集したフィオレはまず、空を指差した。

 

「まず、突拍子もない話をします。ここは別の世界です」

「……は?」

「空をご覧になれば一目瞭然かと」

 

 無論、カイル達は信じていない様子だった。そんなバカなと一笑に伏す者すらいる。

 しかしハロルドは自作の小型端末に触れては沈黙を貫き、リアラはペンダントを手にしたまま否定はしない。ジューダスが何も言わずに天窓を開け放ち、同じく天を仰いだ面々は呆然としたように固まった。

 

「……ねえ、あれは何?」

「譜石帯と呼ばれているものです。見たことないでしょう?」

 

 無論のことながら、その問いを否定する者はいない。よもや冗談だと思っていたわけでもないだろうが、それでも彼らは混乱した。

 

「じゃ、じゃあどこだっていうんだよ。あの世か!?」

「ここへ至るまで異常な他人もそうでない他人も、この街の営みだって垣間見たでしょうに。あなたの知らない世界ですよ」

「ヒエッ」

 

 言い方がまずかったのか、ロニは落ち着く素振りを見せてくれない。それどころかカイルやナナリーを巻き込んで混乱は増す一方だ。

 

「ま、冗談は置いといて。一応オールドラントと呼ばれています。惑星の類ですね」

「わ、枠?」

「……世界の名としてご理解願います」

 

 ここまではいいかと確認して、もう一度同じことを繰り返すことになる。

 フィオレとて、初めて同じ状況に放り込まれたら混乱・困惑するだろう。今はただただ彼らに同情する。

 

「ここは皆が知る世界ではありません。まったく違う歴史を辿ってきた世界で、名をオールドラントといいます。エルレインによって飛ばされてしまったのでしょう」

 

 さらりと諸悪の根源を口頭に取り出せば、リアラがぴくりと反応した。ペンダントを握る手に力がこもる。

 

「やっぱり、あの人の仕業なの?」

「ええ、神の眼の力を用いて。やらかしてくれましたね」

 

 エルレイン、神の眼。

 聞き慣れた単語が出てきたことで、なのか。彼らはそれとなく落ち着いた。

 

「そうだよ……思いだした。エルレインの奴が、なんかおかしなこと言いだして……」

「そうだ、フィオレ! 望みを叶えるとか、連れてこられたとか……一体、何の事なのさ」

 

 ナナリーの追及に、フィオレは語るべき言葉を探して瞳を伏せた。

 混乱を避けるため関係ない事柄は伏せるべきなのか、まずは事の始まりから説明するべきなのか。

 今の今まで悩んでいたそれを、フィオレは一呼吸する内に決断していた。

 

「──事の始まりは、現代より十八年前。私が神殿で発見されるより前に遡ります」

 

 経緯がどうあれ、彼らを巻き込み、この世界の片鱗を見せたのだ。ならば最低でもこの事は話すべきだろう。他のことは必要が生じれば話せばいい。

 贖罪も、懺悔も必要もない。フィオレには許されて、楽になる資格などないのだから。

 

「お前、それは覚えていないと……」

「ジューダス……いえ、リオン。私は保護された神殿から記憶障害だろうと診断された身ですが、自分がそうだと思ったことはありません」

『ええぇっ!』

 

 その言葉が示すのは何なのか。それがわからないジューダスではない。驚愕を洩らすシャルティエは放置、一同に顔を向ける。

 わけがわからないであろう一同に、どういうことなのかを語ろうとして。ロニに制される。

 

「それなら聞いたことあるぜ。隻眼の歌姫は出自不明、本人にもわからなくて、気づいたら神殿に保護されていたって……」

「それ以前、私はこの世界にいました。もともと私は、この世界の人間なんです」

 

 知らない街、見慣れぬものが浮かぶ空、それらをなめらかに解説してみせるフィオレ。

 完全には受け入れてこそいないだろうが、頭から否定する者は誰もいなかった。

 

「あまり、動揺してないですね」

「ここへ来て以降、動揺どころか現地の人間にそつなく対応、かつ僕らの知らない単語を連発し地理すら把握しているお前を見ていれば想像できないことじゃない。現に僕らはこの世界にいるわけだからな」

「まあ、その一言に尽きるわね。ここの大気、私達のいた世界とかけ離れてるし」

 

 比較的まともなのはこの二人と、飛ばされた直後から何となく事情を察していたリアラ。

 残る面子は一見冷静だが、とんでもない事態を前に思考停止状態に陥っているようにも見える。

 

「それで、この世界のことについて話す気はある?」

「悩みどころです。別世界の住人であるあなた達が、果たしてそれを知る必要があるのか……」

 

 確かにフィオレはこの世界の住人でありながらカイル達──正確にはスタン達が活躍した時代の世界へ転送され、別世界の理を学んだ。

 だがそれは、あくまで求められてのこと。一応あの世界の守護者に認められてのことだ。今回のこれは十中八九エルレインの力業で、この世界を構成する彼らが認めたものとは思えない。

 

「……そこいらはあんたにも事情があるんでしょうけど、独力で調べる分には構わないっしょ? というか、止められる謂われはないわ」

「その辺りはご自由にどうぞ」

 

 あまり歓迎はできないが、果たして稀代の大天才はノーヒントでこちらの文字──フォニック語を解読できるのか。

 その前にこの世界から離脱し、彼らの世界へ戻ることが要求されるだろう。

 

「これは私の我儘でもありますが──元の世界へ戻るのに考えがないわけではありません。ひとまず、私に任せてもらえませんか」

「え?」

「って言われても、フィオレしかこの世界のこと知られてないし……」

 

 そうなるのが必然ではないかと言うリアラに対して、フィオレは率直な頼みを告げた。

 かなり無理な話だが、これがフィオレの本心である。

 

「では皆、一時的にどこかで待機していてください。後のことは基本的には私が処理しますので」

 

 単独行動を、申し出た。

 これには一同、かなり微妙な顔をしている。

 

「……お前がこの事態をどうにかするまで、僕らにここに残れと言っているのか? お前に全てを委ねて?」

「ここに留まれとは言いません。目的の場所へ赴く際には同行してもらい、付近の街に待機していてほしいんです。その方が支援してもらいやすい」

 

 実際には支援など、欠片も考えていない。ただその方が、不測の事態において対処しやすいだろう。移動効率は悪くなるが、ひとつの街でずっと待たせるよりは彼らを退屈させないはずだ。

 ──彼らの顔が、住民達から覚えられることも。

 

「それで必要に応じて、手を貸していただこうかと」

「……不慮の事故が発生した場合は?」

 

 この場合の事故とは、フィオレが下手を打って動けなくなる、あるいは命を落とした場合のことだろう。そんなことになった日には、一同に対するフォローなど出来るはずもない。

 

『その場合はあなたに連絡が参ります』

 

 チャネリングが発生し、ジューダスが仮面の奥で眉を歪ませる。無論これだけで納得させる気はない。

 

「事故を起こすつもりはございませんが、万が一に備えて保証は立てておこうかと思います。そのためにこれから行ってこようかと」

「どこに?」

 

 問われて、フィオレはもともと自分が持っていたオールドラント全域の地図を取り出した。

 今いるのはここだと、イスパニア半島とザオ砂漠を繋ぐ地点を示す。

 

「この街はケセドニア。ここから北東の方向にタタル渓谷という場所があります」

「渓谷?」

「第三音素集合体──認識としてはこの世界の守護者がおわす場所です。カイル達の世界へ赴くより前、私はこの世界を構成する彼らと接触を図ったことがありまして。少々お話してこようかと」

 

 フィオレが、否、死亡したスィンの意識があの世界に転送されたことは、彼らとけして無関係ではないはずだ。それは口を滑らせたシルフ、そして今手元にない螺旋の形をした契約の証が証明している。

 

「その保証を立てるためにタタル渓谷とやらに行って事故が起こったらどうする」

「尤もではありますが、そんなことを言い出したらキリがありません。私の危惧する危険は、あの場所でも起こり得るでしょうし……」

 

 考え込む仕草をしながら、フィオレは帽子を外した。その拍子、故意に依代にも触れる。

 

『シルフィスティア、力をお貸し願えませんか』

『これからそれの承認の行くんでしょ? 無理やり使えないことはないけど、間違いなく不興を買うことになるよ』

 

 確かにその通り、そして可能でさえあれば、それでいい。どうせそんな不測の事態が発生したその時、フィオレの命は失われている。

 フィオレは淡々と、帽子に取りつけた依代──羽を模したピンバッジを外してテーブルに置いた。

 

「私にもしものことがあれば、これから美少女が出てきて訃報を伝えてくれるでしょう……」

「ちょい待ち!」

 

 鋭く制止を口にしたのは、フィオレが地図を取り出した途端、食い入るように見つめて話をほとんど聞いていなかったハロルドだ。

 彼女はきっ、と顔を上げたかと思うと、地図のとある一点に指を突きつけた。

 

「この、地図上にある記号は何?」

「あ、それ、オレも気になった。この横に並んでるのとか、何なの?」

 

 彼らがそれぞれ示すのは、フォニック語の綴りである。それはこの世界の共通語だと話せば、彼女は予想通りの反応をした。

 

「なんですってぇ!? 文字……言語が違うのに、どうして話す言葉は同じなのよ?」

「……さあ」

「あんたの言葉だけならともかく、あの軍人もこの街ですれ違った人間も変わらなかったわね。ということは、文字表記だけが異なるってことよね?」

「……さあ」

「そうなると、声帯に付属する身体の造りもあんまり変わらないことになるわね。フィオレ自身変わっているとは思ったけど、異世界が云々じゃなくて個体差の範疇だったし……習慣も、そう変わらないことになるのかしら?」

 

 凄まじい勢いでぶつくさ呟き始めたハロルドは置いといて、フィオレは話を元に戻した。

 彼女に付き合っていたら、日が暮れてしまう。

 

「常識に関して、あちらの世界とそう変わりません。お金を払わず商品持ち逃げは犯罪、通貨はガルドです。ただこの世界にはレンズがありませんので、もちろんレンズ製品もありません」

「レンズが!? じゃあ晶術とかは……」

「似たような技術があるので、晶術を使ったところで奇異の視線はないでしょうが……」

「なんだ、そうなの? 見世物でもやれば路銀の足しになるかと思ったけど」

「極力騒ぎは起こさないでくださいね。街中での人斬りは問答無用で犯罪です」

 

 さらりとそのことを語れば、ロニが軽く苦笑する。

 彼が引っかかったのは、おそらく。

 

「おいおい。それじゃ街の外で人斬っても構わねえみたいじゃ……」

「その通りです。街の外での人斬りは、私怨と立証されない限り罪にはならない」

 

 大真面目な顔でそれを話すフィオレに、ロニは言葉をなくしている。

 ちなみに魔物や盗賊の類には賞金がかけられている場合があり、フィオレはこちらでかかる費用──主に滞在費などをそれで工面しようと考えている。

 所持金でまかなえないことはないが、消費するだけ消費してふと気づいたら一文無しでは目にも当てられない。

 たとえ元の世界に戻っても、もうレンズを換金するような手っ取り早い金策は取れないのだから。

 フィオレにとっては一応納得できる展開でも、一同にとってはそうもいかない。何らかの行動を促すよりはまずこの環境に慣れてもらおうと、ハロルドから地図を取り上げて男性陣を漢部屋へ戻す。

 ──そのままフィオレは、宿を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十六戦——まさかのまさかの、再会寸止め~それから、初めまして

 ケセドニア~タタル渓谷周辺~タタル渓谷。
 いくら懐かしくても、スィン死亡の事実は知らないだろうとしても、会うわけにはいきません。
 それでも、旧友の危機を見過ごすことなどできなくて。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 盛況な市場を巡り、被服を全て既製品に交換する。

 一見として旅業者とも、賞金稼ぎとも彷彿とさせるものだ。特徴があり過ぎる紫水は個人の特定を避けるため拠点に置き、新たにカタナを購入した。

 仕入れたひさしの長い帽子で顔──目元を隠し、日が落ちてきたところでタタル渓谷を目指す。

 予想通り、マルクト側の出入り口は兵士によって封鎖されていた。

 ──あんなことがあったのだから、これは仕方ない。やはり単独行動を宣言してよかった。

 

「異常ないか?」

「問題ありません!」

 

 巡回する兵士をやり過ごして塀をよじ登り、ケセドニアを後にする。

 ここから徒歩でタタル渓谷へ向かえば、それだけで夜を消費してしまうだろう。今はそれもやむなし。しかし今は、先に確認するべきことがあった。

 昼間の移動中、目をつけておいた場所へ赴く。暗くてさぞかしわかりにくいだろうとの懸念は、白々輝く月光が打ち消してくれた。

 一同とフリングス将軍、他二名を連れての行軍中、フィオレは哀れにも破壊された馬車を発見している。幌に描かれていたのはマルクトの国旗と同じものだった。おそらく、そのせいで標的になったのだろう。

 その残骸の中で、フィオレはもぞもぞと動く影を確認していた。その大きさからどう考えても人ではなく馬。辻馬車などを牽く小型のトカゲもどきと判断したため放置したが……まだこの場にいるだろうか。

 もしもいて、生きているのなら。うまいことタタル渓谷までの足にできないかとしようとの腹積もりだった。

 しばらくして、幌馬車の残骸が見つかる。あれから半日は経過しているというのに、その場所は最後に目にした光景となんら変わらなかった。

 もぞもぞと動く、幌馬車に体の一部を挟まれているらしい生物も。

 これだけ元気があるなら、挫いているだろう足を治癒すれば今夜中にタタル渓谷へ連れて行ってくれるに違いない。

 誰かの愛馬でないことを祈りつつ、打算だらけの下心のもと、フィオレは救助作業を開始した。

 

「動くな」

 

 聞き入れるとは到底思えない警告を無意識に発して、コンタミネーションで収められた魔剣を取り出す。

 不思議と動きが止まったのをいいことに馬車を寸断、除去できる程度の木片に変える。

 暴れ出して逃げられても困る。脅えているであろうトカゲもどき──馬を落ち着かせるべく、フィオレは巻きついていた幌を外した。

 

「……」

 

 中身を見て、開きかけた口を閉ざす。

 ──おかしい。

 あのトカゲもどきに、こんなふさふさしたたてがみがあっただろうか。

 月光の下、色合いがわからないたてがみをたくしあげ、敗れた幌を剥がしていく。木片も手当たり次第放り棄てて、あらわになったその姿は。

 

「これは……」

 

 額に鋭い角を備え、鬣同様たっぷりとした鳥獣の翼をその背に生やした、すらりとした四足生物。

 

「ユニ、セロス?」

 

 その姿はまさしくかの聖獣だが、フィオレの記憶より大分小さい。

 連想式に人ではない友人が脳裏をよぎるも、ユニセロスは挫いているだろう足を庇うようにうずくまり、細かく身を震わせるばかりだ。

 

「私の言葉、わかりますよね?」

『……』

 

 とりあえず相手が人と同程度の知能を持つユニセロスであることを考慮し、対話を試みる。しかし、眼前の聖なるものからは何の反応もない。

 これは厄介である。下手に交渉するのは諦めて、フィオレはユニセロスに手を伸ばした。

 まるでか弱い乙女のように身をすくませるユニセロスに頓着しないで、荒縄でぐるぐる巻きにまとめられていた翼を、体に足に絡みついた足枷と鎖を外す。

 

「命よ、健やかであれ。心安らかな癒しを、あるべき姿を」

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──

 

 奏でた譜歌で足を、よれよれになった翼を癒す。余程のことがなければ、これで動けるようになったはずだ。

 結果として、小さなユニセロスはおずおずと立ち上がった。調子を確かめるように蹄を鳴らし、身震いで翼を動かす。

 それを見て、フィオレは彼に背中を向けた。

 余計な時間……とまではいかないが、時間を消費したのは確か。早く、できれば朝になる前にタタル渓谷へ向かわなければと足を動かして。

 

『あ、の……ありがとう』

 

 あどけない少年の声を脳裏に聞き、足を止める。

 ちら、と見やった先には、ユニセロスが一歩も動かずフィオレを見つめていた。

 

『……早く、お行きなさい。不浄と接するのはつらいでしょう』

『でも、きれいな声。こんな人の声、聞いたことない』

 

 無垢で純粋で、それ故無知な少年の声色が妙に勘に触る。

 僅か前、穢されたばかりだからなのか。清浄を好む幻獣が、こんなにも疎ましく感じるなんて。

 

『私、タタル渓谷に行くところなんです。人は翼を持たないから、急ぐんですよ』

『ぼくも、帰らなきゃならない。ここがどこだかもわからないけど……』

 

 どうも人に捕まっていたらしい幼ユニセロスに帰れそうかと尋ねて、否との即答が返ってくる。この辺りでユニセロスが生息できそうな場所など、フィオレは一か所しか知らない。

 

『セレニアの花が群生する広場があって、第三音素集合体のおわす場所ですか?』

『……小さくて白い、きれいな花が沢山咲いてる場所なら』

 

 幾度か言葉を交わして、彼のねぐらがタタル渓谷であるらしいことが判明した。

 

『……案内してあげます。背中に乗せてください』

『いいよ。乗って』

 

 これは流石に拒むだろうと、嫌がらせ気味に放った言葉が躊躇なく受け入れられる。やっぱりいいやとは言い難く、フィオレは複雑な心境のままユニセロスの背に乗り込んだ。

 人より遥かに大きな体だが、明らかに幼生だ。人を乗せるだけならまだしも飛行は可能なのかと、不安を抱えながらその細い背中に正座する。

 

『人を乗せるのは、はじめて。しっかり、つかまって』

『だからってしっかり触ったら、あなたが苦しむでしょうに』

 

 現在、フィオレは顔以外の肌を一切露出していない。

 両手を厚手の革手袋で覆い、ゆったりとした男性もののローブで義手を隠し、下肢はカーゴパンツとブーツでがっちり固めてある。

 それでやっと、人ごみの中で不特定多数の異性に近づいても悲鳴を上げずに済んでいるわけだが……このユニセロスが案外平気そうにしているのは、そんな涙ぐましい努力の結果か。

 その後も正座について云々言われるも、子供の……何も知らない時分ならともかく、布越しとはいえ不浄の場所をユニセロスに押しつけたくなかった。

 ばさりと音を立てて、みるみる内に大地が遠のいていく。風が吹き荒れる空の中、普段より近い星と月明かりに頼り、方角を確かめてユニセロスを誘導した。

 降り立ったのは、セレニアの花が咲き乱れる高原のような場所だ。

 

『乗せてくれてありがとうございました。私はこれで……』

『あ、ニルダ!』

「!」

 

 人の話を聞けと怒るより早く、彼が口にしたその名にすくみあがる。

 フィオレと名乗る以前、まだガルディオス家に仕える従者であった頃。とある機会に既知であったユニセロスのニルダと再会した。その際、抱えていた疾患を理由に死ぬなと言われ、彼女から延命処置を施されている。

 結果として、定められた死の運命から逃れられなかった。そのことをニルダが知っているかどうかはわからない。しかし、知り合いとはいえ接触しない、鉢合わせでも極力誤魔化そうと決めていたフィオレに、この状況はきつい。

 無駄だとわかっていながら、反射的に近くの岩場に隠れ込む。

 僅かな時を経て、群生する草むらを踏む音が、チリチリと錆びた金属のこすれる音がした。

 気配を断ったまま、そっと向こう側の様子を窺う。

 幼いユニセロスと対峙しているのは、まぎれもなくニルダだった。成体の威風堂々たる姿にして、立派な鬣にはほつれた細い三つ編みがあり、その先端の古びた小さな鈴が月明かりに反射している。

 大小のユニセロスは、互いに駆け寄ったかと思うと思念を交わし始めた。

 

『探したわ、ヒスイ。一体どこへ行っていたの』

『ごめんなさい……』

 

 願わくば、さあ帰りましょうと立ち去ってはくれないものか。

 じりじりとした焦燥に駆られるフィオレを置き去りのまま、彼らのやりとりは続く。

 

『この辺りにも密猟者が出没するようになったのは知っているでしょう。危ないから遠出するなと……』

『眠くなってうとうとしてたら、どこかへ連れていかれそうになった。狭い箱に押し込められてじっとしてたら、大きな音が何度も聞こえた』

 

 人間の子供とは違い、ユニセロスに嘘をつくという概念はないらしい。幼ユニセロス──ヒスイはすらすらと、己の身に起こった出来事をニルダに語った。

 あの馬車は密猟グループのもので、ヒスイを拉致した後マルクト軍を装い、搬送中だったようだ。まさか演習のふりをしてマルクト軍がユニセロスを狩ろうとしたわけでもないだろう。

 あの訳のわからない襲撃は、ケセドニアに駐屯していた彼らには迷惑な話だったが、彼にとっては幸いだったということか。

 実はこの状況、フィオレにとってもはた迷惑なだったりするのだが。

 

『そうだったの……どうやって逃げ出してきたの?』

 

 いけない。

 このままでは、やがてヒスイはフィオレに助けられたくだりまで話してしまうだろう。止める手立てはないため、フィオレは全力でその場からの逃走を図った。

 気配を消すことも足音を忍ばせることもせず、初めてシルフと言葉を交わした場所へ行こうとして。

 

『誰!?』

 

 ニルダに気付かれた。

 そんなことは承知の上だ。あのまま潜んでいたところで気取られることは避けられない。かといって、翼を持つユニセロスと鬼ごっこしても勝負にはならないだろう。

 ならば。

 

『ヒスイとやら! 私は密猟者なんかじゃありませんからね!』

『えっと……』

『そのユニセロスに説明して下さい。立ち去るから勘弁して下さい。口封じは勘弁です、それじゃ!』

 

 ヒスイにニルダの足止めを頼む。効果はどれほどのものかもわからないが、やらないよりかはマシだった。

 坂道を駆け下り、幅の狭い小川を横断、月明かりに頼って以前ミュウ──聖獣チーグルの仔にして一行の和みメーカーだった彼が開いた隠し通路に滑り込む。

 とりあえず、ユニセロスの巨体に通行可能な隙間ではない。

 この奥には第三音素(サードフォニム)のフォンスロットが存在していた。それだけに、第三音素意識集合体であるシルフ、ならびにヴォルトと意志を交えやすいはず。

 適当にチャネリングの波長を変えていれば、彼らのやりとりが聞こえるような気がして。

 

『……ねえ、どーしよう。ヴォルト』

『どーしようじゃない。どうにかしろ。俺は知らないからな』

 

 本当に聞こえてきた。

 フィオレがこの場にいることは知っているだろうに、彼らは雑談をやめようとしない。おそらくは、意図的に無視しているのだろう。

 しかし、そんなことではぐらかされる気はない。

 

『初めまして、でしょうか。シルフ、ヴォルト』

 

 声を挙げることなく念話にて語りかければ、雑談がぴたりとやんだ。

 彼らが無視さえしていれば、フィオレにできることはない。従って、聞こえないふりを貫かれたらお手上げだったのだが……彼らはそこまで底意地が悪くなかった。

 

『え、えと、そうだね! はじめまして!』

 

 途端にヴォルトは口を噤み、戸惑うシルフの挨拶が聞こえる。無視されなかったことに安堵を覚えて、フィオレは詰問口調だった声音を改めた。

 

『私が風の古代秘譜術を使った時、声をかけてきたのはあなたですね?』

『え、うん、まあ……そう』

『ウンディーネの通達って何ですか』

 

 沈黙。

 詰問口調がなくなったことで、どこかホッとしたように、しかししどろもどろと言葉を重ねていたシルフが完全に言葉を失う。

 実際にこの単語を発したのはヴォルトだから、そちらに水を向けても良かったが……発する原因となったのはシルフだ。実際そのことを後ろめたく思っているようだから、それを利用させてもらう。

 

『ヴォルトが諌めたのを見るに、私と接触するな、ということですか? でも今、あなたは接触拒否をしていない。私に力を貸さないことだとしても、私はすでに第三音素(サードフォニム)に属する古代秘譜術を使っている……』

『通達の内容は他でもない。別の世界の自分達に干渉すんな、っつうことだ』

 

 つらつらと推測を語れば、それをうざったく感じたのだろうか。口を閉ざしてしまったシルフの代わりにヴォルトがあっさりと内情を語ってくれた。

 非常に助かることだが、その真意とは。

 

『どうやら、そちらの世界の俺は存在があやふやらしいな。シルフとレムの間で混同されている』

『……シルフィスティアなら留守番中です。シルフが私に話しかけたところで、接触には』

『自分以外の力を感じ取ったんじゃないか? それがはっきりしないことには間接的にだが関わったことになり、ウンディーネの怒りを買う。さて、質問はそれだけか』

 

 もちろん答えは否。駄目でもともと、聞き出せたら幸いとばかりフィオレは長年の疑問を口にした。

 

『……私、何故あの世界にいたんでしょうか。致命傷のはずでしたが』

『我らの契約者は確かに死亡した。契約が果たされなかったことを我らは嘆き、契約者がそのまま星へ還ることをよしとしなかった』

 

 今言葉を交わす相手が、かつての契約者であることを知っていて、だろう。ヴォルトは淡々と、これまでフィオレが欲した経緯を語った。

 

『そこで、求められたのさ。進退極まったあちらの管理者にとある派遣要請が。彼らは人を通じて世界に干渉するべきと──』

『契約を果たせずに散った契約者の、何を派遣したのですか? 肉体を蘇生して送りつけたのか、それとも』

『人格、記憶、保有能力……まあ、あんたを構成するすべてだな。それらを元素化し、世界を通じて転送した。肉体付きの転送は負担がかかるし、あの痛みまくった肉体がそれに耐えられるとは到底思えなかったからな。あちらの肉体も無傷じゃなかっただろうが、マシだったろう』

 

 やはりこの身体、あちらの世界の誰かのものだったのか。バルバトスが言っていた言葉を完全否定していたが、変なケチがついてしまった。早くハロルドに確認して否定要素を確かめなければ。

 無意識に下腹部を撫で擦っていた手を止めて、フィオレは話を続けた。

 

『……その。契約者の死亡した肉体が、どこにあるのかわかりませんか?』

『ん? ああ、途中から預言(スコア)を詠まなくなったから知らないのか』

 

 世界を縛りつけた挙句、あの状況へ誘導してしまった預言(スコア)の存在を疎んでいたフィオレは、預言(スコア)に携わることはよしとしても、求められるまでは活用を忌避していた。故に、ヴォルトの言葉は真実である。

 

『……どういうことですか』

『自分で確かめろ。目を背けていたことを責めはしないが、今あんたがここにいる理由とは関係ない』

 

 動揺は後でもゆっくりできる。感情を頭の隅に押しやったフィオレは、軽く顎に手をやった。

 

『今この世界に、私を含む異分子が存在していることは、ご存じですね』

『ああ。どうもそちらの世界、変な覇権争いをしているらしいな。よく知らんし、知りたいとも思わないが』

『私達はその、私の召喚を求めた代表者とは別の意志でこの世界に飛ばされてしまいました。お願いです、元の世界に戻るために、協力してください』

 

 いくら元契約者とはいえ、これは過ぎた願いだったのだろうか。それまで快活に質疑応答に応じてくれたヴォルトは、再び口を噤んだ。

 

『……俺にそれを即答する権利はない』

『意識集合体を代表しろとは言いません。第三音素集合体であるあなた方の承認が欲しいのです。私たち全員の異世界転送など、あなた方の力なくしてはできることではないはず。これから世界各地を回って……』

『正確には、始めに答えを出す権利、だな。我らとて意識集合体の一柱、契約者でもない者に軽はずみに協力を取りつけることはできない』

 

 ──流石に、その場の勢いに流されてはくれないか。

 出鼻を挫かれた形で、ヴォルトは更に絶望的な意見を出してくれた。

 

『それに今回、運よく俺に相当する存在がいなかったからこうして対話に応じているが……他の集合体はそうもいかないだろう。協力どころか、対話すら難しい』

『で、でも……』

『言いたいことはわかる。別世界の異分子に死なれたら、確かに困ることにはなるな。だが、好き好んでウンディーネを怒らせる奴もいないだろうよ。さて、俺が言わんとすることはなんだろうな』

 

 促されずとも、そこまで強調されれば自ずとわかる。

 しかしヴォルトの言葉が正しければ、それは八方塞がりとなるのだが。

 

『直接ウンディーネと交渉しろということですか? でも私は、彼女に相当するであろう存在と契約を交わしています。対話すら、望めないのでは……』

『セルシウスを知っているだろう。ウンディーネとセルシウスも、俺達と似たような間柄だ。あんたからセルシウスに相当する力も感じられない。試してみる価値はある』

 

 至極適切なアドバイスだとは思うが、体よく追い払われただけのような気がするのは気のせいか。

 ともかくこれからの目処は立ったのだ。フィオレがどんなに努力しても知りえない情報も得たことだし、そこは素直に礼を述べておく。

 

『ありがとうございました。助言に従い、かの地を訪問してみます』

『ただ、ウンディーネ以上に頭の固いセルシウスが果たして、あんたの言葉を聞こうとするかどうかだ。最悪、ガン無視であしらわれるかもしれん』

 

 そんなことを知らされても、現時点でフィオレにできることなどない。

 どうにか説得するしかないだろうと反発しかけて、フィオレは小さな呟きを聞いた。

 

『ちなみにね。今の契約者は、イフリートの近くをうろついてるから』

『……シルフ?』

 

 呼びかけに返事はない。

 今の契約者というのは、契約者没後、意識集合体との接触に成功し、契約の証を所持する誰かがいるということだろうか。

 しかし、事情を話して協力させるわけにはいかないだろう。まさか契約の証を奪って持っていけば対話に応じてくれるわけでも……

 

『──今の契約者はウンディーネのみならず、意識集合体全員から総スカンを食らっているからな。奪い取って献上すれば、話すきっかけくらいにはなるかもしれん』

 

 ……どういうことなのか、いまいち事情は呑み込めないが、視野には入れておこうと思う。

 ここでフィオレは、シルフに対して本来の目的を告げた。

 

『これから先、古代秘譜術を始めとし、あなたの力を間借りすることが多々あると思います。許してください』

『……まあ、こっちは拒否も妨害もできないし。好きにすれば?』

 

 囁きと同じ、どこか拗ねたような声音が脳裏に響いて消える。

 これでいつフィオレが死んでも、仲間達が待ちぼうけを食うことはない。フィオレはその場を立ち去ろうとした。

 

『あ、ちょっと待った!』

 

 そこをシルフに呼びとめられる。

 ヴォルトの苦言など、どこ吹く風といった様子だ。

 

『おい……』

『もう契約がどーとかいう話は済んだでしょ? ならここからは、あなた個人の話』

 

 第三意識集合体のシルフが、今は一個人のはずのフィオレに一体何の用なのか。

 内容そのものを聞いて、フィオレは困惑した。

 

『私達に属する者──聖なるものユニセロスと呼ばれる存在の個体と、あなたは面識があるよね』

『──ええ、まあ、一応、ついさっき』

『さっきから外で騒いでいる奴がいるのよね。ヒスイという個体を助けたらしい人間が私──シルフの領域に侵入したって。しかも騒いでいるのは、かつてあなたと交流のあったニルダ』

 

 自分の眷属なら個体識別は当たり前だろうが、その交友までの把握済みとは。これにはフィオレも驚いた。

 

『……私はあなたに喧嘩を売りに来たわけではありません。害はないから引き上げろ、とお伝えください』

『……れーせー、だね。あの時のように懐かしくて感動しない? 言葉を交わしたくないの?』

 

 思わず、フィオレはその場で念話を打ち切っていた。

 どこにいるとも知れない第三音素意識集合体を探して、彷徨った瞳の眦がつり上がるのも止められない。

 ニルダの友人であったスィンは、ヴォルトの証言もあって死んだとはっきりしているのだ。いくら記憶があっても、否記憶があるからこそ。ニルダを懐かしく思うなど、許されない。スィンのふりして言葉を交わすなど、もっての他だった。

 だが、それを訴えたところでおそらく何にもならない。意識集合体に感情の機微が理解できるかもわからないし、何より下手に逆らったらシルフとヴォルトの印象を悪くするだけだ。

 それはこれから先、協力を取り付けられないことにも通じるだろう。

 

『少なくとも、私があなたの眷属とお会いする必要性はありません。私は戻ります。それでは……』

『ニルダ!? どうしたの!?』

 

 突如としてシルフが声なき声を荒げる。ほんの数瞬後に、シルフは現状を説明してくれた。

 

『なんか、渓谷に変な人間が入り込んだみたい。ちょっと前に聞いたけど、ユニセロスって高値で買い取る人間がいるんだって? 多分それ目当てで……』

 

 ニルダ達が密猟者に襲われたのか!? 

 考えるよりも早く、身体が先に動いた。きびすを返して逆走し、周囲を窺いながらも外へ出る。

 付近には誰も、何もいないが……大地に刻まれた蹄大小と、複数と思われる人間の足跡がそこいらに散らばっていた。

 大声を上げて彼らを呼びたい衝動を抑え、まずは冷静になろうと呼吸を整える。

 もし不用意に叫んで彼らを捕らえた連中に聞きつけられた日には、自分をどんなに罵っても足りない。

 

「三界を流浪する旅人よ……」

 

 シルフィードサーチ・ロケーションでタタル渓谷中をしらみつぶしに探索しようとして……飛び込んできたその光景に、フィオレは弾かれたようにその場を駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十七戦——弱肉強食の世界~つまり強ければ、なんだっていいよね

 引き続きタタル渓谷。
 ユニセロスは幻と呼ばれた聖獣ですが分類:魔物なので、格好が怪しかろうが言動が不穏だろうが別に捕まえること自体は犯罪でもなんでもありません。
 むしろ、それを阻止しようと襲いかかったフィオレの方が犯罪者。
 しかしここはオールドラント。前述通り街の外での人斬りは、私怨が立証されない限り罪にはならない……(にたり)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白み始めた空の下。タタル渓谷を結ぶ場所に連結式の馬車が留められていた。

 四頭立ての、かなりの積載重量でも送迎可能な荷馬車と普通の幌馬車である。

 荷馬車を取り巻くは、数人の男達だ。いずれも怪しげな黒装束を身にまとい、小型のボウガンを背負っている。

 彼らは自分が怪しいと主張するかのように、巨大な台車をふたつ、総員で牽いていた。

 

「備えあれば憂いなしってよくいうなあ」

「まさか、幻の聖獣ユニセロスが二匹もいるなんてな」

 

 弾む声を隠さず、嬉々として黒装束の内一人が台車を馬車に横付けする。

 それまで布を被せられていた台車の中身が、ばさりと音を立てて露わとなった。

 戸板に車輪をつけたような、粗末な台車に載せられていたのは昏倒しているニルダとヒスイである。負傷はなく、見たところ息もあるが死んだように動かない。

 

「この麻酔すげえな。あんなちょっぴりでこの威力。今度ベヒモスにも試してみるか?」

「あいつなら、いざとなればラフレスの花粉をぶつけりゃ一発だし、試してみてもいいかもな」

「それよりもユニセロスだぜ。一匹だけでも十分だっつーに、つがいじゃないか、これ? うまくすれば()やしてがっぽがぽ……」

 

 台車からユニセロスを降ろし、捕縛した上で搬送用の荷馬車を移す。幻獣を捕獲した高揚感からか、誰もが軽口を叩き、緊張感がない。

 そんな空気を完膚無きまでに粉砕したのは、唯一会話に加わらなかった男だ。

 

「てめえら、口の前に手を動かせや! 別働隊はマルクト軍にやられてるんだぞ! もたもたしてねえでさっさと引き上げるんだ、急げ!」

 

 そう言い捨てて、酒焼けしたようなガラガラ声の男がさっさと幌馬車の中へ乗り込んでいく。

 御者らしき、唯一黒装束ではないごく普通の格好をした男が三人に軽く手を振って、幌馬車の中へ続いていった。

 

「……頭目(かしら)も神経質だなあ」

「近くにゃ軍どころか何もねえっつうのに、顔に似合わずマジメなんだから」

「ああ、まったくだ」

 

 なんだかんだ、ぶつぶつ文句を垂れながら作業を続けていた男達の手が、ふと止まる。

 風の音ではない。魔物の鳴き声でもない。

 明らかな人の声、それも歌声が彼らの耳朶を撫でたのだ。

 しっかりと仮眠をとったはずの意識がずるずると、深淵へ引きずられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バタンと音を立てて、低い呻きがいくつも上がった。それを最後に静かになってしまった外に気付いた、御者扮する男が幌の外へ顔を出す。

 

「おい、何が……」

 

 部下達の危機感のなさに辟易、ついでに愚痴を垂れ流していた頭目が横柄に問いかけた。

 しかし反応はない。御者役の男は、四つん這いの状態で顔を幌の外に出したまま、硬直している。

 話をしている様子も、聞きとれる音からしてない。無視されているという短絡的な判断を下した頭目は怒声を放ち、その無防備な尻を蹴るという暴挙に出た。

 ところが御者役の男は無礼を謝罪するどころか、悲鳴を上げることなく、ごろんと力なく転がっている。

 

「……?」

 

 こうなると高まるのは怒気ではなく、疑問だ。頭目は転がった拍子に戻ってきたその顔を覗きこんだ。

 首が千切れかけているでも、顔が削ぎ落されているでもない。ぐーがーと呑気ないびきを立てて、御者扮する男は眠っていた。

 その額に、特殊な矢羽を生やして。

 

「な!?」

 

 それはつい最近、彼らが賞金首となった魔物を捕獲する際使用するようになった、麻酔薬塗布済みの矢である。

 特殊な矢羽であるがため、どれほどの射手でも鏃は深く刺さらず、しかし麻酔が効く程度には刺さるという代物が部下の額から生えているのだ。言い争いをしている様子などもちろんない。そもそも同じ釜の飯を食った仲間を射ったことを許せるわけもなく、頭目は昏倒した男を押しのけて馬車から飛び降りた。

 

「おめえら! 何してやが」

 

 左右を見渡すも、彼の視線に部下達はいない。

 この時僅かながら視線を下げていれば、地面に倒れ込みぐっすり眠っている彼らの姿が確認できただろう。

 しかしその機会は、次の瞬間永遠に失われた。

 

 とんっ。

 

「!」

 

 寂しい頭頂部とは裏腹に、髪の役割がそれとなく果たされた後頭部に件の鏃が突き刺さる。

 前のめりに倒れた頭目の背後にて、奪ったボウガンを構えていたフィオレはぽい、とそれを捨てた。

 ──ユニセロスは、5000万ガルドもの報奨金がかけられた魔物だ。それを狩ろうとするならまだしも、生かして捕獲することは決して犯罪ではない。

 むしろ、この場合問答無用で襲いかかったフィオレが単なる通り魔になる。故に、さっくり命を頂くのは気が進まない。さりとて放置すれば、またユニセロスを狙いにくるだろう。

 どうしたものかと悩みつつ、フィオレは未だ戸板に載せられたままのユニセロスに近づいた。

 話によれば超強力な麻酔によって眠らされているらしい。ニルダと顔を合わせずに済むのは僥倖だが、このまま放っておくこともできない。

 そのため。フィオレは無事な方の手──右手を革手袋から取り出した。

 素手でヒスイの首を撫でようとして。

 

『!?』

 

 ヒスイは何の前触れもなく跳ね起き、フィオレと距離を取った。

 ユニセロスは不浄を毛嫌いする習性を持つ。忌避する不浄の気配に、本来敏感なのだろう。

 

『え? え?』

『お目覚めのようで何よりです。彼女が目覚めるまで、傍にいてあげてください』

 

 ニルダはヒスイが傍にいれば大丈夫だろう。蹄を鳴らしてうろたえるヒスイはさておいて、この連中をどうしようかと、フィオレは幌馬車に乗り込んだ。

 マルクト軍がうんたら言っていたが、別働隊が軍に襲撃されても仕方のないような、後ろめたいことをしていたのかもしれない。

 その根拠、あるいは彼らが犯罪者である証拠を探そうと、家捜しならぬ馬車荒らしをしようとして。

 

「あ」

 

 あっさり見つけたその証拠を手に、フィオレは彼らの梱包と搬送作業に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 



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第六十八戦——異世界で迎えた朝は~きちんと東から昇ってきますよ?

 ケセドニア。
 一方その頃、仲間達はといえば。
 ベーコンは素材肉の血抜きして塩漬けして塩抜きして燻製にしたものなので、ぶうさぎもベーコンになります。うん、問題ないね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 宵闇が徐々に追いやられ、新たな朝日が街並みを照らし出す。

 ケセドニア、キムラスカ側の宿にてたっぷりと休息をとったカイル達は、揃って朝食を摂っていた。

 

「別の世界なんていうから食べ物はどうかと思ったけど、意外と普通だな」

「フィオレも何も言ってなかったし、ガルドとか言葉以外にも共通点は多いのかもしれないわ」

「そうね。このベーコン、ちょっとクセが強いけど」

 

 カリカリのトースト、ベーコンエッグ載せ──ベーコンはぶうさぎ製──というモーニングセットを食べ終え、一息つく。

 宿の部屋はとりあえずということで三日間、前払いで借りてあるとフィオレは事前に説明していた。故に、チェックアウトを急ぐ必要はなく、一同は優雅に食事を摂れるわけなのだが。

 

「で、オレ達は何をしてればいいんだろ」

「待っていろと言ってたな。助けが必要な場合は言うから、それまでは騒ぎを起こさないよう待機だ」

 

 カイルの疑問に答えたのは、付け合わせのニンジンを皿の端に寄せているジューダスだ。朝から妙に機嫌の悪い彼は、実にぶっきらぼうにその質問に答えている。

 機嫌の悪さは低血圧だからでも、朝っぱらから嫌いな食べ物を見たからでもないだろう。

 

「じゃあ騒ぎさえ起こさなきゃ出かけてもいいんだよね?」

「きちんとここに戻ってくれるなら、いいわよ別に。もし迷子になったら終わりだけれどね。何せ私でさえ、まだこの宿の名前がわからないんだから」

 

 早々に朝食を済ませ、もともと寝癖だらけに見える髪をかき回したハロルドが、テーブルを睨んで唸る。

 彼女が憎々しげに見やるのは、宿の眼前の露天にて購入した世界地図だった。

 フィオレが所持していたものより簡素だが、今のところハロルドが知るフォニック語はケセドニアとタタル渓谷という単語のみ。辞書を購入したところで役に立たないどころか、今のハロルドにはどの本が辞書なのかもわからないのだ。

 従ってメニューも読めず、「一番上の。全員」とハロルドが機転を利かせたため、どうにかなった模様である。

 そこへ、興味本位にハロルドの地図を眺めていたナナリーが小さな呟きを洩らした。

 

「……そういえばあたし、この字をどこかで見たことあるような気がする」

「え?」

「確か……」

 

 彼女が取り出したのは、一枚の羊皮紙だ。

 広げた中に書かれていたのは、一同もよく知る文字である。

 

「……『リアラの姿がないので探してきます。0137……』」

「これ、前に二人がいなくなったときの落書き?」

「落書きじゃなくて書置き。で、ここのはじっこ」

 

 ナナリーが指し示すのは、羊皮紙の隅に走るミミズがのたくったような文字だ。その羊皮紙を手に取ったハロルドが目を細めて注視、やがてぽつりと呟いた。

 

「フォニック語、って言ってたかしら。確かにこの言語ね。かなり書体を崩した走り書きだけど」

 

 羊皮紙を手にしたまま、ハロルドは固まった身体をほぐすように伸びをした。

 椅子にのけぞって両足をテーブルに載せようとし、慌てて改める辺りかなり行儀が悪い。

 

「貴重な資料には間違いないんだけど、きちんとした活字じゃないと無理だわ。でもま、一応参考までに」

 

 地図に記載された活字と走り書きを見比べ、どうにか元と思われる文字を写す。

 羊皮紙をナナリーに返却しながらもメモと地図を見比べるあたり、何としてでも解読する気らしい。

 

「しかしまー、独特な言語ねえ。こんな言語使ってたくせに、よくフィオレは書類仕事なんかできたわねえ……」

「フィリア……あいつの第一発見者にして一時期保護していた神官に教わったそうだ。僕と知り合った頃には、辞書を読める程度にはなっていたな」

 

 当時、フィオレに対して一方的な対抗心を持っていた少年にとって、それが唯一優越感を持てることだった。

 読解はともかく筆記は苦手だと公言し、報告書の類に四苦八苦していた彼女を鼻で笑って、代筆等押し付けがましく恩を売りつけたことは彼の黒歴史としてきちんと記憶に残っている。

 そうすることでかろうじて自尊心を保っていた、という見方でも決して間違っていない。

 

『で、かわりにやってやったんだから足を揉めとか、お茶会する時に給仕しろとか、迫ったんですよね。懐かしいな~』

『……黙れ』

 

 幸いにしてカイルもハロルドも、シャルティエの呟きは聞いていないようだ。

 黙りこむハロルドに、このまま宿でのんべんだらりとしているのはヒマだと訴えるカイル。徐々に閑散としていく食堂内にていつまでも居座っていた彼らだったが、ふとリアラが声を上げた。

 

「ねえ、あれ……フィオレじゃない?」

 

 少女が示すのは、今ちょうど宿の扉をくぐりカウンターにて何事かやりとりを交わしている人影である。

 

「箒持ってないじゃん。帽子も違うし」

「でも、あの外套はフィオレが持っていたものよ。わたし貸してもらったことがあるもの」

 

 砂よけ、暑気避けと思われる薄手の外套はリアラのみならずジューダスも覚えがあった。

 そしてキャスケットは現在ジューダスの手元にあり、違うものを購入したところでさして不思議なことではない。

 そうこうしている内に、注目の人物はカウンターでのやりとりを済ませて、食堂のエリアへと足を踏み入れた。

 そしてそのまま、一同の陣取るテーブルへ歩み寄ってくる。

 

「フィオレ?」

「──おはようございます」

 

 見慣れぬ帽子を取ることなく、聞き慣れた声は朝の挨拶を呟くように彼女は言った。

 周囲が閑散としていることをいいことに、隣のテーブルから椅子を拝借して腰かける。

 

「よく眠れましたか?」

「う……うん」

「おかげさまで、たっぷり休ませてもらったわ」

 

 他一同も同じ意見であることを確認して、フィオレは注文を取りにきたウェイトレスにパンケーキとコーヒーを所望した。

 ウェイトレスが去ったことを確認して、再び口を開く。

 

「それなら、長旅も大丈夫そうですね」

「た、旅?」

「──移動する必要があるのか。ちなみに首尾はどうだった」

 

 上々、ではないが口にできないほどではない。フィオレは素直に結果を語った。

 

「一応協力を取りつけました。ただ、一筋縄ではいかないようで、守護者達の長と話をつける必要があります」

「そのための旅ってこと? その……守護者達の長と話すために」

「──そうですね。長と話すため、必要なものをとってこようかと」

 

 運ばれてきたパンケーキを口に運びつつ、これからの予定を語る。

 足が船であることを話すとジューダスが嫌そうな顔を浮かべたが、我慢してもらうしかない。

 

「これからチケットを調達してきます。正午の便がありますので、みんなは荷作りを……」

「残念ねえ。ちょっとこの街を歩いてみたかったんだけど」

 

 ハロルドがそんなことを零すも、それにそのまま応じるのははばかられた。

 国境を越えるなと言ったところで彼らには通じないだろうし、大体それを阻止するために大急ぎで帰ってきたのだ。

 とはいえ、それは口には出せない。

 

「港には早めに行きましょうか。あの辺りにも露店が並んでますから」

「やった♪」

 

 そうと決まれば、より早めの行動が求められる。ジューダスからキャスケット──シルフィスティアの依代を返してもらい、コーヒーを一息で飲み干した。

 それで眠気を振り払い、一同が荷作りをしている隙に宿を出で……その足で国境の向こう側、マルクト領に位置するケセドニアを練り歩く。

 一見して変わった様子もないが、よくよく観察すればマルクトの軍人の姿が頻繁に見れた。領事館の付近など顕著で、いくつもの馬車が慌ただしく出立していく。

 あの騒ぎから昨日で今日だから、それは仕方ない。やはり、早めに処理しておいてよかった。

 ──フィオレの手元には、あの密猟者達の身柄と引き換えに得た小切手がある。

 あの後。馬車を荒らすまでもなく、フィオレは彼らの指名手配書を手にしていた。生粋の賞金稼ぎでなかったのが幸いだ。最近ハンティングの楽しさに目覚めたしょぼいごろつきが、手配される程度に名が売れたのが嬉しかったのか何だか知らないが、自分の手配書を持ち歩くなど。どうしようもない小物臭が漂う。

 しかし手配書に記された金額は、小物臭がどうでもよくなるほどの金額ではあった。

 馬車ごと彼らを確保し、譜歌や麻酔が切れるより早く賞金稼ぎ協会へ突き出して小切手を得たのはいいが。問題はこれをどこで現金に替えるか、である。

 まさかフィオレの足跡を追う者などいないだろうが、ここで小切手をこのままチケットに変えるのは躊躇われた。

 そこで。

 

「──ほい。いらっしゃいでしゅ~」

 

 マルクトの領事館からすぐ近くある、寂れた店舗を訪ねる。

 ディンの店と呼ばれるこの場所は、単なる売買の場ではない。

 交易品と呼ばれる種々様々な素材を店主ディン介して職人達に提供、結果としてあらゆる品を提供することが可能でもある一風変わった商い屋なのだ。

 素材の取引にかこつけて様々な物品の取引にも応じるため、その筋の人々から明るい闇市場とも呼ばれている。

 

「むむ。素材の売却でしゅか、それとも」

「教団外衣と紋章」

 

 カウンターにある在庫表を一瞥、小切手を置く。

 店主の少年は小切手を手に取るなり、上目遣いでフィオレを見上げてきた。

 

「……手数料、たっぷりもらうけどいいでしゅか?」

「ぼったくりなら良くない。正規の手数料なら納得する。ちなみにそれは、賞金稼ぎ協会が発行したもの」

 

 首尾よくローレライ関係者に化けるための代物を手に入れ、釣銭40000ガルド余りの現金を得る。

 速やかにマルクト領からキムラスカ領に戻り港に行って連絡船のチケットを人数分購入した。

 後は、宿に戻って一同を連れ出し、出港時間まで港付近の市場を散策させればいい。

 昨日から一睡もしていない意識が、睡眠を求めて頭を締め付ける。

 まとわりつく睡魔をはねつけて、もうひと仕事するべくフィオレは宿へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十九戦——船の旅路とこれまでの道筋~今だけでいいから夢が見たい

 ケセドニアからダアトへ船移動。
 その間に、世界(オールドラント)が辿ったこれまでを垣間見る。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジューダス。あっちの露店でミントの茶葉を取り扱っていました」

「わかった」

 

 属する時代が戦争中につき、物資が足りなかったからだろうか。

 文字通り売るほどある品々を見て目を輝かせたハロルドがロニの財布をスッてまで買い物をしたがり、臨時収入があったフィオレがいくらか出すことによって収拾がついた午後。連絡船が無事出港して、今に至る。

 

「今度行くのはどんなところなの?」

「この世界唯一の宗教団体ローレライ教団の総本山を中心として成り立つダアト、という街です。近くに活火山があります」

「これは……ダアト、って読むのね」

 

 未だハロルドが持つ地図の一点を指し、船で一日くらいの距離であることを伝える。

 活火山と聞いて嫌な顔をしたのはナナリーだ。

 

「……噴火とか、しないよね」

「しませんよ。気候そのものならケセドニアより過ごしやすいはずです」

 

 何せケセドニアはザオ砂漠に面しているのだ。反対側はマルクト領のイスパニア半島に通じているとはいえ、一年の半分以上は殺人的日差しに悩まされている。

 今は季節的に気温もそう高くない時期だったから、あまり彼らも気にならなかったようだが……そういえば、あれからどれだけ経過しているのかを調べていなかった。無論、それに伴う世界情勢も未調査のままである。

 理由としては、知れば知っただけこの世界に未練を持ってしまうだろうと、わかっているからだ。

 今はフィオレとして、今の仲間達のことを第一に考えなければならない。彼らには何の落ち度もないし、それは当然のことだから。

 そのことだけを考えて、脇目をふりたくなかったから。

 まだ見ぬ目的地のことを聞きたがる彼らは、睡眠が欲しいことを理由にいなして、一人船室の寝台に潜り込む。

 手ぐすね引いていた睡魔が迎えにくるものの、その手を取る前にひとつ、やるべきことがあった。

 預言(スコア)の確認だ。

 ヴォルトから得た情報の内、彼が唯一言葉を濁したこと。

 死亡した契約者であるスィンが、どうなったのかを。

 多少の予想ならできる。現在スィンの肉体が世界の理に従い、星に還っているのなら、ヴォルトがそれを隠す必要などないのだ。

 その骸が世界を混沌に陥れた男の妻だった者として見せしめに辱められていたとしても、はたまた珍しい虹彩異色症の献体として研究室送りになっていたとしても、意識集合体がフィオレに気遣わなければならない理由はない。ありのままを語って、大いに衝撃を与えればいい。

 そうしなかったことと、意味ありげに言っていたが「ウンディーネのみならず意識集合体達から総スカンを食う者」が何故契約の証を手にしているのか。

 これらの事柄が、繋がるのだとしたら。

 忌避していたはずの感覚に不覚にも懐かしさを覚えながら、フィオレは寝台に突っ伏した。

 ぼんやりと、霞がかった光景がはっきりとした形を結んでいく。

 

「……そ、んな」

 

 どこからが夢で、どこからが預言(スコア)か。

 夢と現ともとれぬまどろみを引きずったまま、フィオレはぼんやりと目を開けた。

 予算の都合上、船室は男女に分けての一部屋ずつである。現在の時刻はわからないが、女性陣は余さず寝台の中にいた。

 ──今この時ほど、タイミングの良さに感謝したことはない。

 濡れていた頬を手の甲で拭い、しぱしぱする目を擦りそうになって我慢する。足音を忍ばせて船室を出で、手鏡を取り出せば両眼はこれ以上ないくらい赤くなっていた。

 このまま同じ色になってしまえば、何か変わるのだろうか。

 ありもしない空想に、目をそらすための夢想に心を委ねたまま、フィオレはふらふらと甲板に出た。

 夜明けは遠く、漆黒の海と空が船を包んでいる。

 その光景が、ひどく恨やましかった。これだけ単色に染められたら、何も気にしなくて済むだろうに。

 今は何においても皆を元の世界に戻さなくてはいけない。だからそのことだけを第一に考えなくてはいけないのに。

 詠みながら眠り、眠りながら詠んだ預言(スコア)ではあるが、内容は悲しいまでにくっきりと覚えている。

 死ぬまで、忘れられそうにない。

 最後の最期まで手放さなかった契約の証が、まさかこんな事態を引き起こすとは。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ヴァンとの交戦を経て、目の前が真っ赤になった後。ルーク達が最奥に到達し、ヴァンを下したようだ。

 かつてスィンが詠んだように、彼は地核へ落ちていったはず……が。

 何をトチ狂ったのか、彼はすでに息を引き取ったスィンと共に墜ちたようなのだ。

 

『……共に、ゆこう。今だけでいい。お前達と、いさせてくれ』

 

 最期に呟いたその言葉は、肉声を聞かずともフィオレは涙させる力を持っていた。

 それだけなら、無性に切なくなるだけで済んだのだが……むしろ問題はここから。

 地核へ落下したヴァンは、音素と元素に還りかけながら辞世の句代わりだろうか。大譜歌を構成する最後の一節……ユリアの譜歌を口にしたらしい。

 それは偶然にも、ユリアが紡いだ契約の言葉だった。

 契約の証をその身に所持、かつユリアに酷似した個体振動数の持ち主であるスィンの身体をその腕に抱いていたのだから、ローレライに勘違いするなと言うのは酷。

 引き寄せられたローレライの力により、二人の肉体は再構築された。

 しかし、一度世界の中心核へ墜ちた生身はそうそう這いあがれない。特にヴァンは、意識があったことをいいことに、ローレライをその身に取りこんでいる。

 命を拾い、新たな力を得ようとするからには、今度こそ預言(スコア)を覆そうとしているのだろう。そして自らが理想とする、預言(スコア)から解放された世界を目指す……人間すべてをレプリカに取り替えようと、するのだろう。

 ただ、人の身で意識集合体という存在を取り込むなど、どう考えても容易なことではない。現にまだ、世界中のどこを探してもその姿を見ることはできないが……それでも時が経てば、再び目的を遂行するために、彼は行動を起こすだろう。

 一方で、当の昔に魂と呼べるだろう要素を失くしていたスィンの身体は、再構築を経て現世に放り出されている。

 魂がないのだから単なる死体……もしくは昏睡状態であるべきであったのだが。

 先程ヴァンの姿と共に捜索した結果。スィンの姿をした生き物は存在し、活動をしていた。

 シルフが呟いた通り、ザレッホ火山の付近で何やら蠢いている。

 どうして動いているのか、何が目的なのかさっぱりわからないが、相手が元自分なら遠慮はしない。

 何を抜かそうが、何を抜かしても、何も抜かさなくても契約の証を奪い取る。

 新たな決意を胸に彼方を見やれば、夜明けの気配が白々と空を染めつつあった。

 あえてそれから目をそらし、身を翻して船室に戻る。

 今はまだ、あの漆黒の空と海のように、ひとつのことだけに集中していたかった。

 ありとあらゆる疑問、そして感情に蓋をするだけで、直視するだけの余裕も覚悟もないまま。道は再び交錯する。

 

 

 

 

 

 

 



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第七十戦——再会寸止めと、キエエアァァシャァベッタァァ!!!


 ダアト~ザレッホ火山。
 いきなりアビスの本編へ乱入、イオンがアニスによって誘拐され、瘴気が復活したところからのスタートです。
 ここで、本当は、イオンとのお別れだったのですが……


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海上の襲撃も、これといったトラブルも何もなく。一行は無事ダアト港に到着した。

 

「さて、これからどうしたらいいんだ?」

「見たところ、ここは単なる港みたいだけど」

「これから乗合馬車を使ってダアトまで行きます。着いたらまず宿まで案内するので、皆はそこを中心に待機。そこでとりあえず二日ほど……」

 

 これから、ということにかこつけて、動向を含む先のことを説明しようと目論む。後から文句をつけられても、先に説明したと言いくるめる寸法だ。

 しかし、ここで言葉は遮られた。

 

「ええー、またじっとしてなきゃいけないのかよ?」

 

 航海中、やることがないと言って手持無沙汰をアピールしていたカイルだった。

 騒ぎを起こすなと厳命したため船内での修練もままならず、ロニとチェスを興じていた模様だが……そういう問題ではないようだ。

 

「このままじゃ腕が錆びついちまうよ~」

「だよなあ。これじゃあナンパ師の腕は鈍るは、息も詰まるってもん……」

「ナンパは関係ないだろ!? いっそ永久禁止にしたいもんだね」

「大体お前ら、鈍ったり錆びたりするほどの腕があるのか?」

 

 ロニの言い分はさておき、カイルの言い分にも一理ある。このところ、といっても三日も経っていないが、交戦技術とは湯に等しい。常に鍛えていなければ、劣化はあっという間だ。

 

「徒歩で向かえないことはありませんが、半日がかりですよ。道中には巡礼者を狙う盗賊や魔物も出現しますし」

「望むところさ!」

 

 そして、腕が錆びつくのは何もカイルだけではない。フィオレにしてみても、十分な期間だったりする。

 こうして一同は乗合馬車を用いることなく、徒歩でダアトへ向かうことになった。

 七人もいれば乗合馬車ひとつ貸し切ることになるから、少なくない出費ではある。これはこれでよかったはずだ。

 

「それにしても、こっちにも怪物がいるんだね」

「レンズが存在しませんので、動植物の変異ではなく純粋な生物ですが」

「それは、是非とも調査してみたいわあ……♪」

 

 ハロルドがうずうずしながら手持ちのスペクタクルズを取り出そうとしている。

 何に利用されるかわかったものではないから、止めたいところだが。あえてフィオレは何も言わなかった。

 何故なら。

 

「出たわね、データ採取! ……って、何よこれ!」

 

 茂みからおもむろに飛び出してきた魔物と対峙し、嬉々としてかのアイテムを突きつけたハロルドが盛大に奇声を放った。

 それに気を取られた一同を尻目に、フィオレは淡々と魔物を屠っている。

 ハロルドの奇声の理由など、ひとつしかない。

 

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないわ! これを見なさい!」

 

 一番に駆け寄ったリアラに突きつけたもの。それは、先程遭遇した魔物に使ったスペクタクルズだった。

 取っ手付きレンズの中心に描かれた瞳の中には、きちんと魔物の情報が提示されている。

 が。

 

「読めない……ね」

「えーと、こっちの言葉だね」

「そういや、港の露天でまとめ買いしてたね」

「安くしとくよーっ、て言われてたな」

 

 そう。

 彼女が構えていたのは、買ったばかりのスペクタクルズだ。性能は同じでも、掲示される情報媒体が文字である以上、ハロルドには無用の長物である。

 

「なんで教えてくれなかったのよ!」

「聞かれませんでしたから」

 

 噴煙立ち上るザレッホ火山を横目に、小休止中ケセドニアで購入した教団の外衣を羽織る。

 シルフィスティアの依代を隠すように紋章をとりつけ、再び深く帽子をかぶった。

 

「……?」

「教団関係者に見せかける扮装です」

 

 これより、フィオレは一同をダアトの宿、拠点へ送った後に教会への潜入を考えていた。

 以前判明した譜陣を使って火山奥部へ入り込み、元自分──仮名スィンと接触する。

 そこから先は、まず相手の反応によるが……荒事になると思われる。仮名スィンが、フィオレと同じような気性と仮定すれば、上手く事が運ぶことはない。

 相対するその前から問題は山積みだが、必ずや成し遂げようと。揺るぎない決意を固めて、おざなりにだが整備された道を行く。

 第四石碑を過ぎて、あれに見えるはダアトの門……といったところで。

 喧騒が、発生していた。

 

「どうしたんだろ?」

「おかしいな。あの辺り、なんか薄暗いもやみたいなもんが……」

 

 それだけではない。ダアトの入り口を、似たような意匠の人間達が殺到している。

 個々の特徴はいざ知らず、その様相は一同に見覚えがあった。

 

「あれって、例の爆弾抱えた連中じゃない! まさかこの街を襲撃する気じゃないでしょうね?」

「荷を抱えているようには見えないが、人海戦術で封鎖しているように見えるな」

 

 見やれば、無理やり通ろうとした旅人らしき男性が、逆に突き飛ばされて尻餅をついている。

 その旅人に駆け寄る姿があった。

 

「……!」

 

 その姿を見た瞬間。鳥肌が立ち、鋭く息を呑む。心の臓をわし掴みにされたかのような、感覚に陥った。

 彼女の後に続いて姿を確認できた彼らを見て、フィオレは。ずれてもいないキャスケットを深くかぶり直した。

 

「フィオレ?」

 

 もちろんその奇行は一同も余すことなく視界に収めており、不思議そうにしているが構う余裕はない。

 しかしその声は間違いなく、フィオレを正気づかせた。

 ──もう、スィンはいない。

 大気を薄暗く染めている気体の正体は、おそらく瘴気。もし再び噴出してしまったのだとしたら、世界中どこにいても同じことだが、あの街で待機していろと言われても頷きかねるはずだ。

 ならば。

 

「ジューダス、これを」

 

 路銀入れを取り出し、彼に渡す。

 

「皆を率いて港に戻ってください。用事が済み次第連絡します」

「あの街での待機は……」

「あんな得体のしれない空気、吸いたかないでしょう。私もなるべく吸わないようにします」

 

 手持ちのヴェールを口に押し当て、一同に別れを告げてダアトへ赴いた。

 侵入者を寄せ付けまいとしてか、人間爆弾と同じ目をした人間達が立ち塞がる。

 押しのける必要も、紫水を抜く必要もない。

 フィオレは、病魔に──瘴気触害(インテルナルオーガン)に侵されていたスィンではないのだから。

 

「その荒ぶる心に、安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 第一譜歌の詠唱、夢魔の子守唄(ナイトメア・ララバイ)を謡い、居合わせた誰も彼もを卒倒させる。

 これもかなりの大技だが、それでも紫水を振り回すよりはずっとマシなはずだ。

 無差別にして威力は増大させたが、人数が人数につき、僅かな刺激ですぐに目を醒ますはず。通過する際、わざと彼らの耳元で足音を立てて走り去る。

 本音は約一名踏んづけてやりたいが、その瞬間足を掴まれたら、何もかもがパアである。

 瘴気が復活したことにより、街中はおろか教会内部まで混乱していた。その混乱っぷりたるや、教会指定の帽子を被らず、ヴェールで口元を覆ったフィオレが、教会奥に位置する旧資料室まで簡単に侵入できた程度である。

 この混乱ぶりは瘴気のことだけではないようだが、きちんと調べている暇はない。

 来る途中、礼拝堂へ通じる広間にて詠師トリトハイムがなんとかモースがうんたら、導師がどうたら、ザレッホ火山へ兵士を派遣するとか何とか騒いでいたから、勝手に推測しておく。

 何故か開いていた隠し扉を通って奥に設置された転移譜陣に足を乗せる。が……作動しない。

 よくよく見れば、譜陣に一条の傷跡がある。転移の譜陣同士は互いの状態を共有しているから、転移先の譜陣も同じ状態だろう。

 だからといってこれから転進してザレッホ火山のふもとへ行く時間も余裕もない。そこで。

 

「始まることも終わることも知らず、時空の狭間にて揺蕩うものよ。時の川をさかのぼることを許したまえ」

 

 その場で修復を行う。

 譜陣が問題なく働き、揺らめく光の向こうに人影を認めたその時。

 フィオレは戸惑うという選択とうろたえるという選択を捨てて、真後ろに倒れ込んだ。

 当然譜陣が描かれていた足場から落下するが、受け身を取って身を潜める。

 ──そういえばあの場には、彼らと共にはいなかったが。まさかここにいるとは。

 

「なんだ……? 譜陣は無効化したはず。確かめるのだ、アニス」

「……はい。モース様」

 

 朗々と秘預言(クローズドスコア)を唱えていた声がやみ、感情を押し殺したような返事と共に、足音が近づいてくる。

 今の内に第一譜歌を使おうかと思ったが、これはこれで好都合。

 譜陣の描かれた足場へ近寄る足音が、唐突に止む。

 

「作動するかを確かめるのだ」

 

 屈みこんで傷がついているかを確かめようとした少女に対し、膨れた腹の大詠師は命じた。

 ふわふわした黒髪をふたつに括った少女導師守護役(フォンマスターガーディアン)が、その言葉の通りに譜陣に足を乗せ、驚いた表情と共にその姿がかき消える。

 次の瞬間、足場によじ上ったフィオレはすかさず紫水を振るった。

 譜陣に亀裂が走り、立ち上る光が失せ、ただの紋様と化す。

 これで、アニス──何故かモースに付き従うあの少女の目を気にする必要はなかった。

 

「なんだ、貴様は! アニスの差し金か!? 両親の命をなんだと」

 

 喚く大詠師はいいとして、導師イオンをこのままにはしておけない。あの少年は、スィンフレデリカの死亡を知っているはず。

 そのため。

 

「その荒ぶる心に安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 譜歌を謡って大詠師を、導師イオンを眠らせる。

 ふう、と息をついた矢先。

 足音を隠しもせず現れたのは、鏡だった。

 

「……あんた」

 

 否、鏡は喋らない。

 姿を見せたのは、雪色の髪に緋色と藍という色違いの瞳、妙齢と称するには少々幼い面立ち──

 フィオレと同じ顔の人間だった。

 違う点はといえば、背中まであったはずの髪が短く整えられ、黒を基調とし赤のラインで縁取られた軍服姿──シア・ブリュンヒルドという偽名で、教団に所属していた際の格好だということくらいである。

 意外なことに彼女は、フィオレの姿を認めても取り乱しはしなかった。それどころか。

 

「……あたし、よね?」

 

 対話を、試みてきた。

 同じ顔、同じ声。しかし、異なる人間。

 かつてアッシュやルークが抱いた、否無理やり抱かされたであろう感覚に殴られたような衝撃を覚えているフィオレに、返答する余裕はない。

 

「何よ。何とか言いなさいよ」

「なんとか」

 

 ただ、おうむ返しするしかできない。

 眼前の彼女は、不満も露わに憤然と唇を尖らせた。

 吐き気がする。

 

「そういうことじゃないの! ここにいるってことは、何か用なんでしょ」

「──契約の、証を。回収に、参りました」

 

 真っ白な頭が、問われたことを回答したことでどうにか再起動を始める。

 そう。何故か活動しているかつての自分の肉体に、収められたままの契約の証を回収する。

 こんなにも早く接触できたことは重畳で、僥倖。のはず。

 返答を得て彼女は、訝しげに己の指を見やっている。

 

「契約の証ぃ? こんなものどうするのよ。あいつらもう何も、応えるどころか力も貸しちゃくれないのよ」

 

 ──なんとまあ。尊大で軽薄な上に生意気で、何様ですかと伺いたくなる態度である。

 これでは力なんか貸したくないだろうし、接触したくもなくなるだろう。ルークを見たアッシュは、こんな気分になったかもしれない。

 

「お答えする義理は「ないわけないじゃない。あんたがあたしなら、あたしはあんた。なんで記憶だけのあんたが歩いたりしゃべったりできるのか、さっぱりだけど……そんなのどうだっていいわ」

 

 その、まるで無教養な喋り方をやめてほしい。

 そんなフィオレの心情など露知らず、ずいずいと彼女は歩みを進める。

 高いびきをかく大詠師も、うずくまる導師にも目をくれず。

 その手がひょいと帽子を取り上げて、放り捨てた。

 今のフィオレにはそれを抗議する意識どころか、帽子を取りに行くことすらままならない。

 

「ねえ、何があったのよ? あんたが記憶全部持っていっちゃうから、あたしは何にもわからずじまい。目が醒めたら知らない丸メガネのおっさんが鼻水垂らして喚いているなんて、悪夢かと思ったのよ」

「それについては深く同情します」

「知り合い、なのよね? あのおっさん、あたしにべた惚れだし、一生懸命ご機嫌取りしてくるから傍にいてやってるけど。気になることしか話してくれないし、どういうことか聞いてもはぐらかされるし」

 

 どうでもいい。どうだっていい、はずだ。

 早いところ契約の証を外させて回収しなければ。

 でも、知りたい。あのことを、確かめるのは、とてもこわいけれど──

 

「ねえ、あの男って誰? あたしをドレイ扱いしてたとかいう、弟とやら。そいつに殺されたようなものとか、どういうことなの、事実?」

「──」

「うーん、あたしの顔だけど読めないわねえ。当たらずとも遠からず、って感じじゃない。事実だけど、それがすべてってわけじゃなさそうね」

「」

「ねえ、教えてよ。そしたら、あんたの望みも聞こうじゃない。早くしないと二人が起きるわよ。あんたにとっても面倒なことになるんじゃないの?」

 

 とてもよく知る声のはずが、聞き慣れない言葉遣いによって非常に遠く感じられる。

 また、それに伴って契約の証を見せびらかすその姿に、嫌悪を覚えた。

 

「……何が、知りたいと」

「何で死んだの?」

 

 それについてはフィオレ自身も、憶測でしかわからないのだが。正直に、答えてみた。

 

「死んだときのことなんか、覚えていません」

「何よ、何で死んだのか分からないっての? 目が醒めたとき割れるように頭が痛かったから、どこかにぶつけて忘れちゃったのかしら」

 

 頭が割れるように痛かったのは、仕方ない。

 実際はぜ割れたと思われるのだから。

 それならば直前の状況を提示しろと、彼女は迫った。

 

「直前……ヴァンと、対峙してましたね」

「誰?」

「ヴァン。ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ。私と……私達と、敵対していた者です」

「ウソね」

 

 あっさりと、彼女はフィオレの虚言を見切った。確かにそれだけではないが、嘘ではない。

 

「いいえ、嘘ではありません」

「ウソよ。敵を思い出して、なんでそんな顔するの」

 

 どんな顔をしていたのか知らないが、不思議に思われるような表情を浮かべていたことは確かなのだろう。

 それを見てまるで触発されたかのように。

 フィオレと同じ顔をした彼女は、歯ぎしりしたかと思うと掴みかかってきた。

 

「!」

「……思いだしたい」

 

 記憶を喪失した人間でも、言語を操るに支障がない例は数多く存在する。

 記憶はなくとも身体は覚えている、ということらしいが、これもその内なのか。

 思いのほか素早く、その手がフィオレの胸倉を捕まえた。

 

「ねえ、あたしの記憶返して。返しなさいよ!」

「……」

 

 どうやって、と口にするより早く、フィオレは懐刀を握りしめていた。

 目的は、彼女の指に絡みついた契約の証。その手はフィオレの眼前にあり、捕まえて指を斬り落とせば、回収は容易だ。

 ただ、ついこの間腕を失くしたばかりの身としては、言葉にし難い躊躇がある。

 いちいち相手を気遣っていたら、いくら命があっても足りない。

 いつになく纏わりついてくる躊躇いを振り払う最中にも、彼女は。

 

「目が覚めたら独りぼっち」

「!?」

「知ってる人は誰もいない、何をすればいいのかもわからない。敵も味方もわからない奴しか頼れないのはもうイヤ! ねえ、あたしの記憶返して……!」

「……ひとり? ひとり、だって?」

 

 掴みかかる手を外そうとして、なかなか外せない。

 それを不思議に思いながらも、追及は口をついて出てくる。

 

「な、何よ」

「ひとりってどういうこと? あの子達は?」

「はあ? わけ分かんない。あの子達って何のことよ。まさか子持ちだったの?」

 

 こんな台詞が出てくるということは。お腹にいたはずの二人は、もう──

 悲しみ、やりきれなさ、今更な話だが、彼らを護れなかった自分への嫌悪。

 それらによって膝をつきたくなって、唇をかみしめた。

 打ちひしがれるのは、どうしようもない後悔に苛まれるのは、寝てる最中でもできる。

 早いところ決断しなければ──

 

「何言ってるの、さっきから! こっちはあんたに全部記憶むしり取られてるんだから、説明しなさいよ!」

 

 胸倉を掴む手に力がこもる。

 その手にうっすらと光が帯びていることに気付いた。

 否。紙にインクが滲むように、和えかな光が刻まれた譜陣をなぞって、発光している。

 これは──

 

「強化譜陣……」

「ふうん、今のあんたにこれはないのね。いい加減口を割らないと、このまま火口に放り込むわよ」

 

 ディストに教えてもらったのか、本当に身体が覚えているのか。

 

「記憶がないくせに、使い方はわかるんですね」

「何となくわかるのよ。身体が覚えてるって奴ね……って、はぐらかさないでよ!」

 

 軽く胸倉を揺さぶられただけなのだが、筋力を強化しているのだろう。軽くだが、めまいがする。

 コンタミネーションこそ使えた身体だが、刻んだ譜陣の類が一切消失していたせいか。元から薄かった耐久力が更に低くなったことは自覚していた。

 これ以上揺さぶられたら、めまいを通り越して脳震盪を起こす。

 そう知覚して、フィオレはようやく覚悟を決めた。

 キュルキュル、と金属の音がする。

 

「何……?」

「お答えする義理は、やっぱりありません」

 

 胸倉を掴む手を、義手でがっちり捕まえる。最大出力を以てその手首を握りしめれば、彼女は悲鳴を上げて手を離した。

 しかしフィオレは離さない。メキメキッ、と骨の軋む音がする。

 

「いたっ、痛い! 離して!」

「契約の証を渡せ。拒否するならねじ切ってでも奪う」

 

 聞くなり、彼女は契約の証を取り外し、あらぬ方向へ放り投げた。

 易々手放された螺旋状の指環は、フィオレの背後へ転がる音がする。

 

「離して! 痛い! あれがほしかったんじゃなかったの!?」

「渡せと言ったのに捨てるなんて、顔の横についてるそれは飾りですか」

 

 血の巡りが悪くなって変色している手に、絶えず襲う痛みに喚きながら自由な片手が義手を殴るも、更に悲鳴を上げたのは彼女の方だった。

 

「何、この手……音機関? 気持ち悪い!」

「そっくりそのままお返しします。いい年こいた女が涙目で喚かないでください。気持ち悪い」

 

 ずきん、と胸が痛む。

 捨ててきたはずの良心か、散々言われて傷ついてきた言葉を吐いて、汚れてしまった気になっているのか。

 もう十分なくらい、心も身体も、穢れているというのに。

 考え事をしていたせいで、義手の制御が甘くなったようだ。

 緩んだ義手から逃れた彼女は、痛みに喘ぎながら負傷した腕を抱えて逃亡した。

 追いかけることはしない。追ったところで、彼女にもう用はない。

 放棄された契約の証を回収し、フィオレもまたこの場を離れるべく動いた。

 

 ──イオン連れ去りを目の当たりにしたルーク一行が、倒れたイオンを蹴り起こそうとするモースを発見したのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 

 

 



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第七十一戦——唐突なる金欠~前にも、こんなことがあったような

 ダアト港からケテルブルグへ。
 財布は他人様に預けるものではありませんね(適当)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 契約の証は手に入れた。

 いよいよセルシウスに、間接的にウンディーネと話をつけることができる。

 意気揚々とザレッホ火山より下山、ダアト港に戻ったフィオレを待ち受けていたのは、ずっしりとした落胆だった。

 その要因としては、返還された路銀入れにある。

 落胆とは反比例に、軽い。

 

「……私と別行動になってから、何カ月が経過しましたか」

「や、約二日といったところか……」

「じゃあなんでこんなに軽いんですか」

 

 落としたとか盗まれたとか、端的で信憑性に欠ける申告を省いて話を聞く限り、どうもぼったくりに遭ったらしい。

 しかし、それ自体は比較的少額だったようだ。

 

「たかだか5000ガルドの損失で、ここまで軽くはなりません」

「そ、そうなんだけどさ……」

 

 それでも無駄な出費をフィオレは怒るだろうと、一同は結論を出したらしい。

 そこで悲劇が発生したようだ。

 

「手っ取り早く稼ぐには賭けだ、ってことで──」

「その、港の端で賭け事をしていた人達がいたから、混ぜてもらったの。そうしたら」

 

 ボロ負けしたそうだ。これは単に運の問題ではなく、余所者から巻きあげてやれとばかりハメられたのではないかと思われるが、それは論点ではない。

 おそるおそる、路銀入れの中身を確認する。

 中の硬貨、紐でまとめられているガルド札をばらして数える内、フィオレは肩を落としていた。

 あぶく銭、身につかずとはこのことか。これで十分間に合うはずだった路銀が、非常に心もとなくなった。この分では、元の世界に戻る前に使い潰してしまうだろう。

 路銀入れの中身を見つめたまま、愕然と肩を落としてしまったフィオレを遠巻きに見つめ、カイル達は冷や汗をかきつつ密談をかわした。

 

「怒ってる……よね?」

「あれ、フィオレが用意した奴だもんな? それを半分以上使いこんだら、そりゃ……」

 

 密談を耳にしてなのか、うなだれていた肩がぴく、と動く。

 すぐさま顔を上げるも、その表情は帽子の奥に隠されており、読めない。

 

「──済んでしまったことはどうしようもありません」

 

 ただ、これからは気をつけてほしいと、まかり間違ってしでかした場合は変に繕おうとせず、事実を教えてほしいと伝えておく。

 懐が非常に痛いが、彼らとて悪気があってしたことではない。ハロルドすらも詳細を教えてくれないことも、何らかの事情があるのだろうと勘繰っておく。

 軽くなってしまった路銀入れのことは一旦置いて、フィオレはこれからの動向を話した。

 ここでの目的は済んだから、これから雪国へ向かうと語れば、カイルは意外そうに息をついている。

 

「ここにもあるんだね、雪国」

「ありますよ、雪国。路銀の都合により防寒服の新調はできません。現地調達になりますので、それまでは我慢してくださいね」

 

 このダアト港でも、ケテルブルク行きの直通便がある。そのため防寒具に取り扱う店舗はあるが、例によって値段は少々高め。現地であれば特別高いということはない。

 女性陣にはフィオレの予備とジューダスのマントを渡せばいいし、唯一あぶれてしまうハロルドも生まれが生まれだけあって平気だと自己申告してくれた。

 ジューダスは自前があるため問題なし。残るはカイルとロニだが、彼らには少々我慢してもらおう。

 路銀の少なさを意気揚々とした心持でカバーし、ケテルブルク行きのチケットを入手、再びの船旅と相成る。

 航海中のこと。珍しく地図を持たないハロルドがフィオレに声をかけてきた。

 

「フィオレ。ちょと顔貸して~」

「何か?」

「義手の整備。ここんとこバタバタしてたから、すっかり忘れてたわ」

 

 二人で船室にこもり、フィオレは義手を外して彼女に手渡す。

 万が一を考慮して、義手はわりかし簡単に外せるように設計してもらったのだ。

 外した通電義手を手に取り、ドライバーとスパナと六角レンチを手に解体を始めたハロルドは、ちらりとフィオレを見やった。

 

「なんっか、妙に小奇麗な気がするけど」

「時々手入れだけはしてましたから」

「そう。あれから使ってて何か変なことはない? どんな小さいことでもいいから」

 

 違和感を覚えない日は一日とてない。フィオレはできるだけ彼女の意に沿うよう、使用中の出来事を語った。

 油を差し忘れた日には非常に関節がぎこちなくなり、天気によっては接合部に鈍痛が帯びる。初めの内はかなり重たかったが、今はそれほどでもない。水気を帯びると漏電する。意図的に浴びせたことはないが、ザレッホ火山にて滝汗をかいた際、この現象が発生した。

 ひとつひとつ真剣に聞いていたハロルドは、ふむふむと頷いた。

 

「まあ、想定内ね。使用頻度の割には熱暴走も起こしてないみたいだし、良好な方かしら」

「そうですね。汗に反応してしまうのが困りものですが」

「完成を急いだから細かい加工してないのよね。今からでもしとく? 手持ちの薬品でできるだけのことはしとくわよ」

 

 その申し出に一も二もなく依頼する。これから先何が起こるか分からない以上、特に義手は万全にしとくべきだろう。

 通電義手を解体する傍ら、ハロルドはとある部品をつまみあげた。

 

「一番の問題は動力源よ。今はこれがあるからいいけど、晶力が尽きたらどうするの」

 

 彼女が示したもの。それは、シルフィスティアの眷属より徴収した完全球体のレンズである。義手は重たいが耐久性の問題により軽量化できず、更に煩わしい動力源──バッテリーの付随を嫌ったフィオレは、持ち物の有効利用を思いついたのだ。

 ベルクラントを構成していた物質の欠片──晶力増幅器とこのレンズを取りつけ、義手の動力源としている。

 今のところは。

 

「猛特訓で滑らかに動かせるようになったまではよかったけど、レンズにも寿命があるわ。増幅作用で使用晶力こそ微量だけど、今の調子で運用してたら確実に消滅するわよ」

「──そうなる前に、事態の解決を目指します」

 

 ハロルドの言うことは至極もっともだが、対策があるわけでもない。現時点で有効策があるとも思えないが、おいおい考えていくしかない。再び隻腕に戻ってしまえば、交戦はおろか日常生活も満足に送れないのだから。

 そのため。

 

「見学見学」

「まあ、好きにしてなさい」

 

 ついでとばかり、これまで見よう見まねで行っていた手入れ方法を教えてもらう。

 刀の手入れに使う丁子油に似たオイルを分解した部品のひとつひとつに塗り込み、羊皮紙の上に載せて乾燥を促す。

 この後、義手の関節部を除く外甲部位に蝋を塗り込み、元通り組んで完成らしい。が……オイルの臭いはけしてかぐわしくなく、同室のナナリー達はおろか隣室からも苦情が来るのは免れないだろう。

 そこで。

 

「ねえちょっと、臭いんだけど」

「そうそう。ハロルドにはお聞きしたいことが」

 

 香水の噴霧により、ハロルドから苦情がくるものの相手にしない。

 此度の船旅は大陸同士が近いこともあって、あっという間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十二戦——垣間見える懐かしい顔ぶれ~みんな元気そうでよかった


 ケテルブルクはロニール雪山へいざ。
 会ったら混乱させちゃうしね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダアト港を出発して、半日。空と海が灰色に染まり、ちらちらと白いものがちらつくようになってすぐ。

 一同を乗せた連絡船は、シルバーナ大陸ケテルブルク港に到達した。

 

「やっぱ、さみーなー……」

「雪上馬車をひとつ」

 

 予想通り、ジューダスを除く男性陣を考慮し、今度こそ馬車一台借りる。

 ダアトほどではないが距離もあることだし、ケテルブルクの雪は新雪でもない限り湿っていて重い。歩き方を知らなければ亀並みに遅くなるため、金欠でもガルドは惜しまない。

 雪上馬車にて揺られることしばし。一同は速やかにケテルブルクに到着した。

 

「思ったより賑やかね。明らかに住みにくい辺境でしょうに」

「ここは貴族の別荘地として人気がありましてね。ご覧のようにあまり寂れていないんですよ」

 

 貴族向けだが高級ホテルや賭博場、スパなどの施設が充実している。近くの山脈からはミスリルと言う特殊な金属が採掘でき、近海の荒波に揉まれて身の引き締まった鮮魚が水揚げされるなど、水産業も盛んなのだ。

 

「なるほど。土地自体に人気があって資源も豊富だから、これだけ開拓されているわけね」

「ね、フィオレ。あの銅像って……」

 

 そんな会話も交わしつつ、街の入り口付近にある宿へ一同を誘導する。

 本来ならここの名物であり、出すものさえ出せば一般人でも宿泊可のケテルブルクホテルに……と思っていたが、路銀があれではしょうがない。

 人数分の宿を取り、例の如く一同と別れたフィオレはまっすぐロニール雪山へと向かっていった。

 以前来た道と同じ、変わらぬ雪道を辿り、時折現れる魔物を斬り捨て、黙々と進んでいく。

 以前は雪崩で偶然発見を装った扉はぽっかりと開いており、その先へ進めば空気は一変した。

 凍りつくような気温はさほど変わらないが、魔物どころか命の気配を感じられない。

 螺旋を描く──契約の証を模したような通路を下り、山に抱かれる形で存在するパッセージリングを前にして、フィオレは深呼吸した。

 命の気配こそ感じられないが、ここへ至るまでに見張られているような感覚を覚えている。

 感情こそないが、それ故に無味乾燥な、片時も離されない強い視線を。

 凍てつく大気が肺の奥まで浸透し、ぴりぴりと痛む。

 これまで道中、交戦と緊張で高ぶり気味だった心を鎮めて、フィオレはとうとう呼びかけた。

 

『セルシウス。お応えいただけますか』

『……』

 

 返答こそないが、それまで一切の気配がなかった場から圧倒的な存在感が出現する。

 視界にこそ何もない。それはシルフやヴォルトとて同じ。違うのは、各々が持ち得る威圧感だろうか。

 

『ご無沙汰しております……と言うべきでしょうか』

『前置きはいい。ぬしの訪問の理由はわかっている』

 

 まずは契約の証を返還しようとして、遮られた。

 シルフやヴォルトの話から、まず本題に持ち込むのは苦労するだろうと思っていただけに、拍子抜けである。

 

『シルフ達から、聞いているのですか?』

『そんなことはどうでもいい。この対話はウンディーネも聞いておる。妾は彼女の名代としてぬしの呼びかけに応じたのじゃ』

『……ならば話は早い。我々は今、とある意志によって不本意ながらこの世界にいます。彼らを元の世界に帰すがため、あなた方に協力を要請します』

 

 戸惑う頭を無理やり切り替えて、そのものズバリを突きつける。

 果たしてセルシウス、ウンディーネは如何様に返答するのか。

 

『協力は、惜しまぬ。しかしそれにあたって、ぬしには条件をつける』

『条件とは、以前の契約の、成立ですか』

 

 これはある程度予想していたことだ。契約者がかつて契約を果たせぬまま死亡したことを嘆いたと、ヴォルトは言っていた。今、それを求められても何らおかしな話ではない。

 が。

 

『否。成してほしくないわけではないが、それを片手間に行えるほど易しきことではない』

「え?」

『ぬしに望むは……』

 

 おそらくはウンディーネの言でもあるその言葉を聞き、フィオレは愕然とした。

 その内容が以前の契約の成立に比べ、遥かな難関であることに由来する。

 

『……以上だ』

「……」

『泣き言も繰り言も、言い訳にも聞く耳は持たぬ。質問ならば受けつけよう』

「私に……死者を喰らえと仰るか」

 

 およそ質問とは遠い調子で、フィオレはぽつりと呟いた。独り言と判断したのか、セルシウスから返答はない。

 小さく息をついて、フィオレはのろのろと顔を上げた。

 

『彼女は今どこにいますか? その、触媒の位置とは……』

『おいおい話そう。まずはこの場を離れよ。ぬしを迷わせる者達が現れる。今ぬしに錯乱されると、仲間達は困るはずじゃぞ』

 

 それは、かつての仲間達のことなのか。

 彼らがここへ何の用事なのか。その疑問は集中に押し留め、フィオレは速やかに下山を始めた。

 ──一応、彼らの協力は取りつけたのだ。元に戻る方法も、確定とまではいかないが目処はついた。

 しかし、今回ばかりは喜べない。喜ぶわけにはいかない。

 聞かされた帰還方法を、脳裏で反芻し、ため息をつきそうになったその時。

 フィオレはおもむろに伏せると、耳を地面に押し付けた。

 死ぬほど冷たいが、そんなことに気を配っている場合ではない。

 厚く積もった雪に邪魔されてはっきりとはしないが、規則的な足音が聞こえる。

 地元の人間さえ滅多に近寄らないはずのロニール雪山に誰か……ミスリルの採掘場なら反対の方向だ。数年前の地質調査で、ここいらにミスリルの鉱脈がないことははっきりしている。

 では、何らかの理由を引っ提げてやってきた、かつての仲間達か。帽子で顔こそ隠しているが、会わない方がいいに決まってる。

 やり過ごそうと適当な物陰に潜むこと、少し。

 やってきたのは唯一人だった。

 冷風が弄ぶは、さらりとした真紅の髪。眉目が引き締まった面構えに、きりっとした碧玉の瞳。仮名スィンが纏っていたものに酷似した、漆黒の制服。

 その手には、剣ではないかと伺える長さの包みを抱えている。

 ──なるほど。確かに。彼の存在は、かつてスィンであったフィオレを惑わせる。

 できれば接触したくないし、気配も殺しているが、果たして今の彼にどこまで通用するものやら。

 案の定、彼はフィオレの前を通り過ぎる遥か手前でピタリと停止した。

 無言のまま、じろりと周囲を睥睨し……居場所の特定はできなかったようで、視線を定めないままぼそりと口に出す。

 

「……待ち伏せか」

「いいえ。やり過ごしです」

 

 だんまりを決め込んで思い過ごしかと思わせる手がないわけではない。しかしセルシウスの言葉によれば訪れるのは複数人。もたもた時間を消費すれば、事態は更なる混沌を招くことになる。

 ならばここで、アッシュをどうにか言いくるめた方がいい。

 

「やり過ごしだ?」

「ええ。できるだけ他人と接触したくないんですよ」

 

 当たり前だがいぶかしがるアッシュを刺激しないよう、言葉を選ぶ。

 幸い意図的に声を低くしているため、彼が何かに気付いた様子はない。

 

「採掘場は反対のはず。こんな辺鄙な場所に、何の用だ」

「そのままそっくりお返しします」

 

 フィオレに向けられるような疑問は、そのままアッシュに返せる。

 彼はお世辞にも、品がいいとはいえないような舌打ちをした。

 

「質問を質問で返すな」

「別に質問なんかしてません。あなたの事情に興味はない」

 

 この返答によって、彼の立腹は確実になるだろう。そうなれば経験上、アッシュは無言でこの場を去ると踏んだのだ。

 ところが。

 

「……セフィロトに何の用だ」

 

 あれから多少成長した証か。怒気こそ伺えるが、彼はそれを押し殺すような調子でそれを尋ねてきた。

 

「用事自体はありません。上からの命令ということでご理解いただければ」

 

 彼に虚言を吐かないと誓ったのはスィンであって、フィオレではない。

 とはいえ、嘘でなくても誤解させる意味では効果的でないかと思われる。

 すると、それを聞くなりアッシュは鼻で笑った。

 

「そいつは御苦労なこった。どこの上だか知らんが、ヴァンの剣はこんなところを探してもない」

「?」

「俺はセフィロトに行く。ノコノコついてきてみろ。地獄を見せてやる」

 

 これから下山するフィオレにしてみればどうぞどうぞという心境だが……ヴァンの剣とはまず、何のことか。

 それを尋ねるために追いかけたいような気もするが、目論み通り立ち去ってくれたのだから本来の目的を優先させる。

 アッシュと交わした会話内容を記憶より破棄、雪山ふもとで何やら言い争う一団には目もくれないまま。フィオレはケテルブルクに帰還した。

 

 

 

 

 

 

 



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第七十三戦——成すべきこと、成さねばならぬこと~できるかどうかは、悩んではいけない


 ケテルブルク内で。
 カジノに入り浸って、みんなに金を稼がせる算段をつける。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セルシウスが語った、一同の帰還方法。

 それは惑星譜術を転用し、転送陣を作れとのことだった。

 かつて意識集合体達が使った手段はこれだけの人数、ましてや生者に使えるものではないとのこと。

 はからずも、神の眼の力を使ったとはいえ、あっさりそれを成してみせたエルレインは途方もない力……それこそ神に等しい力の持ち主であることが証明されてしまったわけだが。

 そんな今更なことはさておいて、意識集合体の誰かに惑星譜術の何たるを知る者はいない。まったくの無知が、一から学べる資料も現存していない。従って、知る者から得るしかない。

 その方法は──

 

「コンタミネーション、か」

 

 惑星譜術の真髄を知る者がいる。その者を殺して音素(フォニム)を乖離させ、コンタミネーションを使って知識を吸収しろと。

 それだけでも気が滅入るというのに、同じ方法でまず仮名スィンの肉体を確保しろという。

 正確には固有振動数──ユリアと、契約者と同じ肉体情報が必要なのだと。

 今のフィオレには、惑星譜術の起動も真髄を知る者の殺害も無理、更に契約者としての資格もないそうだ。

 無論、フィオレとてその時点で反論した。素直に教えてもらうのは無理としても、手八丁口八丁でどうにか聞き出せばいい話ではないか、あなた方は命が失われることを忌避していたのではなかったのかと。

 そこで驚愕の事実を聞かされるわけだが……

 くるくると切り替わる様々な絵柄を前に、フィオレは追憶をやめた。

 まずは観察、絵柄がいくつあり、どの順で変化するのかを見極める。

 隣に座るふくよかな中年女性が怪訝な顔をしているが、気にしない。

 ──そう。ケテルブルクに戻ったフィオレは、現在賭博場のスロットマシンの前に座っていた。

 賭博におけるイカサマの方法なら、不本意ながら熟知している。ただしフィオレが知っているのは対人用で、こんな貴族用の遊技場でイカサマがバレた日にはあっという間にお尋ね者、賞金首だ。一応貴族風に変装しているが、それは歓迎できない。

 そこで、唯一イカサマの必要なく、且つ必勝方法のあるスロットを使うことにした。

 スロットは回転するリール、絵柄が描かれており、五列のそれらを合わせればいいだけ。従って持ち得る動体視力をフル活用すればどうにかならないことはない。

 この賭博場、貴族の道楽らしくガルドを直接賭けることは禁則とされている。そのため金儲けこそできないが、それでも所持金を増やせないわけではない。

 何万枚ものチップを集めて好事家が好みそうな物品と交換すれば、減った路銀を足すことも可能だ。

 ただ、何も考える必要がないこの単純作業。同じ動作を繰り返すため、どうしても先程の話を一時的にも忘れることはできなかった。

 ──惑星譜術の真髄を知るのは、数十年前に発生した譜術士連続殺傷事件の犯人で、人ではない。捕獲もその場での処刑も叶わなかったため、マルクト軍によりシルバーナ大陸の片隅に封印されている。

 その正体は、ゲルダ・ネビリムのレプリカ。

最初で最後の、譜術を用いて作成されたレプリカで、それ故通常のレプリカとは異なり、精神の均衡が保てない──気が触れている。そのため話し合い等は成立しない。被験者(オリジナル)の記憶が一部継承されている代わりに破壊衝動の塊で、更に一部能力が異常発達しているため、交戦は避けられないそうだ。

 つまりフィオレは、これから元スィンを、見てくれだけは母親そっくりなレプリカを殺さなければならない。考えるだけで憂鬱だった。

 幸いなのは、元スィンの居場所がまだ特定されていない、ということだ。どういった手段か知らないが、元スィンは様々な場所を行き来しているらしく、下手に追跡すれば堂々巡りになりかねないという。

 そのため、機が熟すれば教えるとのこと。このまま仲間達のところに戻っても移動できるわけもなく、その事情を話せるわけでもない。基本的には優しい彼らのこと、自分達が還るためにふたつの命が散ることを、少なからずよしとはしないだろう。他に方法はないのかなど言い出しかねない。

 彼らに黙っておくことは決定事項として、それよりもフィオレはこれからのことに悩んでいた。

 フィオレに求められているのは、二人の殺害だけではない。惑星譜術を行使するためには六つの触媒が必要で、それらの収集もしなければならないのだ。

 その探索行に、彼らを連れていくべきなのか。

 移動手段が船しかないため、彼らを飽きさせないようにするにはいいかもしれない。しかし、民間療法によって平然とした顔こそしているが、ジューダスの体質が改善されたわけではないのだ。

 それにいちいち彼らを街に連れて行き、宿に押し込めてから探索に出たとして。場合によっては押し込み強盗まがいをして早々に立ち去らなければならないかもしれないのに、その都度彼らを引き連れて移動するとなると、非常に足が遅くなってしまう。

 一応今は彼らを連れていくことを想定して路銀を稼いでいるのだが……

 筺体から吐きだされる大量のチップを専用の箱で受け止め、足の間に積んでいく。飲み物を配るバニーガールに申しつけて台車を借り、箱が十を超えた辺りで景品と交換、余ったチップで再びスロットに挑戦。

 それを幾度か繰り返し、意識集合体の名を冠した槍三振りと一振りの剣を手に入れたフィオレは、ようやく決心してカジノを出た。

 すでに陽は落ち切り、月光が雪を照らして夜のケテルブルクを彩っている。

 追憶を振り払い、帰り道の道具屋で戦利品を早々に売り払ったフィオレは、帰路についた。

 

「また? 今度はどこに行くの?」

 

 翌朝になってから再び移動するとの旨を告げれば、第一声がこれだった。

 どこか飽きにも似たカイルの声音だが、彼の心情を考えればそれも仕方ないか。

 不安を覚えられるよりかは、ずっとましである。

 

「キムラスカ王国の首都、バチカルです」

 

 あれからセルシウスによる連絡はない。そのため、惑星譜術の触媒を探そうと彼の地へ向かうことにしたのだ。

 惑星譜術そのものは概要しか知らないが、バチカルには忘れ去られた廃工場がある。かつて様々な音機関を研究し、製作していた場所なら何かしらヒントがあるかもしれない。

 それはというも、六つの触媒は尋常ならざる武具の形をしているらしいのだ。譜術のことならまずマルクトを当たるべきだが、まずバチカルへ向かう理由はこれだった。

 例によってハロルドの持つ地図の一点を示せば、その位置を見てジューダスが嘆息した。

 

「また、船か」

「ジューダスって船嫌いだっけ?」

「馬鹿、船じゃなくて海だろ。そこはサラッと流せ」

 

 うまい具合に勘違いされているようで何よりだが、どちらにしても彼には苦痛だろう。

 そこでフィオレは決心した内容を話した。

 

「そこでみんなにはしばらく働いてもらおうと思って」

「え?」

 

 しばらく働くということは、期間中その地に留まるということだ。そのことに勘付かれたかと一瞬焦るも、ジューダスすらその様子はない。

 

「えと……それってやっぱ、こないだの……」

「まるっきり無関係ではない。とお答えしておきましょう」

 

 実際、無関係ではない。賭博場で稼いだ分は、多少の補填にしかならなかった。

 大半の理由は、フィオレの都合だが。

 

「働くって何したら……あ、自分達で探したほうがいいのかしら」

 

 少々言いにくそうにしているリアラには首を横に振る。そのまま説明しようとして、カイルに割り込まれた。

 

「あそこの城下町には闘技場がありまして「闘技場があるんだ! じゃあそこで勝ち続ければ……!」

「いえ。確かに今のあなた達なら確実に勝ち抜けられます。しかし、一度だけならまだしも毎日そんなことをすれば、注目を集めるのは必至」

 

 ただし、それはあくまで挑戦者として、ならばだ。迎え撃つ側なら、それが当たり前である。

 

「注目集めて何が悪いんだよ」

「最終的には殿堂入りということで、出入り禁止の憂き目に遭います」

「つまるところ、闘技場で雇ってもらえってこと?」

「そういったシステムがありますので、交渉はしておきます」

 

 金に困った流れ者が、食い詰めて己の腕を売ることは何も珍しくない。

 ──借金取りが、無一文の人間を放り込んで給金を搾取しているという噂を耳にしたことはあるが、ある程度の秩序は保たれているはずだ。

 

「でも、晶術は使わない方がいいんじゃ」

「ええ。ですからリアラとハロルドは救護室つきにしてもらうつもりです。四人は専業戦士で」

 

 治癒術ならば、使用しても問題ないだろうというのがフィオレの見解である。

 一旦雇われれば寝所も食事も提供されるし、それに文句があるなら各自でどうにかすることも許されているから、何とかなるだろう。

 食い詰めた流れ者用に、給金は歩合制らしい。だからそこで手に入れたものは自由に使って、迎えに来るのを待ってほしいと締めくくれば、一同の大半は同意した。

 

「……そのまま骨を埋めるような真似はごめんだぞ」

「仰る通りでございます」

 

 現時点で彼らをいつ迎えにいくのかは決まっていない。少なくとも触媒を集めた後だが、惑星譜術を得るため向かうであろうシルバーナ大陸の片隅に連れていくべきか、あるいは帰還方法を確実なものにしてからがいいのか……それはこれからの展開による。

 向かう先のバチカルにて、再び道は交差する。フィオレの心を揺さぶる出来事は、刻一刻と近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十四戦——ドッペルゲンガー? それなら片方いなくならないとね


 キムラスカ首都バチカル、港にて。
 ここで本来の、アビスのシナリオとかち合います。
 ディストが怪しげな術でモースに第七音素(セブンスフォニム)流し込んだところから、ですね。(適当)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平和条約が結ばれてから、マルクトとキムラスカ間を通行するにあたってダアトもケセドニアも挟まずに済んだ。足の遅い船旅を余儀なくされるフィオレには好都合なことである。

 あと数時間でバチカル港が見えてくる頃、フィオレは契約の証に宿り同行してきたセルシウスと意志を交わしていた。

 

『……なるほど。ひとつは彼女が持っているんですね。ひとつは私がすでに持っていて、残るひとつはルグニカに……』

『そういうことになる。この場から探るは、それが精いっぱいじゃ』

『感謝します。ところで、何故私の肉体が意識を持って動いて回っているんですか』

 

 第一音素(ファーストフォニム)を僅かに司るセルシウスから触媒の大まかな在り処を聞き、嘆息をつきながらそれを尋ねる。

 ほとんど仮説は立っていたが、知っているものなら教えてほしかった。

 

『主、レプリカなる第七音素(セブンスフォニム)製の人形を知っておろう? 記憶が無かろうとも自意識とは芽生えるもの。もともと人であった肉体に自我が生まれても、不思議はなかろうて』

『まあ、そうですね』

 

 やはり彼女はもう一人のスィン──否、今はこちらが偽物みたいなものである。本物のスィン、と称するべきか。

 極めて利己的に彼女を殺して、その固有振動数をこの肉体に上書きする。できるできないは別として、そして成すべきことを成す。

 知らぬまま、知ろうとしないまま全力で目標を見据えて、突っ走ること。それが今、フィオレのできる仲間達への償いだ。

 元はといえば、結果が容易に伺える無茶な夢想をしたフィオレに非があるのだから。

 今はまだ装着できない契約の証を外装のポケットに収めると。

 

「フィオレ!」

 

 突如船室の扉が開け放たれた。

 そこに立っていたのは、甲板へ行っていたはずの少女二人である。

 

「何か?」

「もうすぐ港に着くんだけど、様子がおかしいの」

 

 時間的には確かにそうだが、魔物でも現れたのだろうか。

 しかし、それならリアラもナナリーもそのものズバリを言って、もう少し慌てているはずだが。

 とにかく彼女らに促され、甲板へ赴く。

 男性陣やハロルドはおろか、甲板は多数の乗客で賑わっていた。

 いつぞやのような、船が沈没するような危機的状況ではない。沈没しかねない脅威──魔物が現れたような形跡もない。

 

「どう思う?」

 

 甲板に彼らを集めた元凶。それは連絡船の入港を邪魔するような、停泊するいくつもの船舶だった。これ以上接近すれば接触の危険もあるため、連絡船はその場での停止を余儀なくされている。

 船の大きさこそ連絡船が上回っているものの、体当たりでどうにかなるほどの差ではなく、一般客を多く乗せているため荒事には持ち込めない。

 しかし、そんなことは問題ではない。

 問題は今、セルシウスによって語られている港の情景にあった。

 

「……非常事態、ですね。私が戻らなかったら下船時は私の荷物もお願いします。で、宿の場所なのですが」

 

 今回彼らを押し込めて……もとい、待機させようとしていたのは、闘技場付近の有名な宿である。

 行き先と外観を教えて、フィオレはくるりときびすを返した。

 進行方向とは真逆の甲板、人目につかない位置まで移動し、音を立てないよう足先から入水しようとして。

 

『妾が導いてやろう。ウンディーネを使役したようにせよ』

 

 その言葉にありがたく力を借り、身を投げるが音はしない。そのまま海中に呑みこまれるように、フィオレは入水した。

 結界に護られたまま、船をよけてそのまま港に近寄る。

 港自体に喧騒はない。代わりに、人が話し合うやりとりらしき言葉が聴こえてきた。

 水面下に待機し、何が起こっているのかを探ろうとして。

 

「!」

 

 水面に影が出来上がったかと思うと、巨大な風船じみたものが彼方へ飛来して去った。

 埠頭から離れた場所、通常積み荷の上げ降ろしを行う波止場から回り込んで様子を伺う。

 ──やりとりを交わしていたのは、ルーク一行とディストだった。

 どうも、盗み聞く限りあの風船じみた物体はモースであるらしい。

 この間見た時は人の形をしていたのに、一体何があったのか。

 

「人間が、あんな姿になっちまうのか……」

「素養のない人間が第七音素(セブンスフォニム)を取り込めば、いずれ拒絶反応が起こり、正気を失います」

 

 ガイは未だ彼方を見やり、ジェイドは批難をディストに向けている。モースを魔物化させたらしいディストは、至って涼しい顔だ。

 

「モースは導師の力を欲しがっていましたから、本望でしょう。ま、私は実験できれば誰でもよかったのですがね。では」

「……私達がここで、あなたを見逃すとでも?」

 

 さらりと去ろうとしたディストを、ジェイドの槍が威嚇する。

 そこへ。

 

「……な!」

 

 港を封鎖する船の一隻から、何か──無機質な譜業人形が飛び出し、ディストをかばうように降り立つ。

 また自作の音機関をけしかける気かと身構えた一同だったが、それからひらりと降りてきた姿を見て、刮目した。

 

「な……!」

 

 数々の船舶が蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 計画通りなのか。それには頓着せずに、しかしディストは慌てていた。

 

「し、シア! 何故ここに……! 何をしているのです、戻りなさい」

「……」

 

 ──シア、とは。かつてスィンが名乗っていた偽名だ。本名が判明してからも、ディストはスィンのことをそう呼んでいた。

 雪色の短い髪。ゲルダ・ネビリムを彷彿とさせるその髪が、潮風を受けてふわりとなびく。

 彼女がその言葉に反応した風情はない。

 まるで頭痛をこらえるかのように、こめかみを片手で揉むようにしながら、軽く眉をしかめながら、足取りは確かに一同へ歩み寄る。

 

「シア! 言ったでしょう、思い出さなくていいと! 思い出せば、苦しむのはあなたなのですよ!」

「……そうかもしれない。でも、それじゃあたしはいつまでも、前へ進めない」

「シア!」

「見覚えなんてないのに。初めて見たはずなのに。なんで?」

 

 なんでこんなに胸が苦しいの。

 彼女はそう、呟いた。

 最早ディストの言葉に耳を貸すことなく、その姿を目にして立ち尽くす一同の前に立ち止まる。

 衝撃を乗り越え、どうにか言葉を発したのは。

 

「スィン……やっぱり、生きてたのか……」

「……やっぱり、って? どういうこと?」

「フリングス少将から聞いたんだ。演習中、キムラスカの旗を掲げた集団に襲われたところに居合わせたって。顔は隠してたけどお前だと思う、命を助けられたって……」

「それ、あたしじゃないわ。多分アイツよ」

 

 聞き慣れぬ口調、今まで冗談でしか向けられたこともない、ざっくばらんなそれを聞いて、ガイは更なる衝撃に襲われた。

 そんな彼の心情を伺い知ることもなく、首を振って否定している。

 

「……アイツ?」

「心当たりがある、でいいわ」

 

 疑問符を浮かべるティアには視線も向けずにそう言いのけて、ひとつ息をつく。

 

「……スィン、ね。それがあたしの、アイツの名前」

 

 たじろぐガイを、再び色の違う眼に収めて。

 

「ご無沙汰しております、ご主人様」

「!?」

「って、アイツなら言うのかしら。顔が同じだから納得できないかもしれないけど、あたしはあなたの奴隷じゃない」

「ど、奴隷!?」

「……記憶がないことをいいことに、あの馬鹿があることないこと吹き込んだようですね」

「あなたなんでしょう? あたしの元ご主人様で、半分だけ弟。そこのいるバラのおっさんだけが言ってた情報だから、それがすべてとは思わないけど。でも、そんなことはどうでもいいの」

 

 発言したジェイドにちらり、と視線を寄せるも、意に介さない。

 シア──スィンはあくまで、ガイを見つめている。

 

「ど、どうでもいいって……」

「全部過去のことだもの。そりゃあたしだってさ、なんでそっちの眼鏡の軍人さんを見ただけで無性にムカつくのか。お腹出してる男の子見ただけで悲しいような腹立つような気分になるのか、不思議だけど」

 

 記憶はなくとも──否。一同を目にしたから、身体が覚えている感情がそのまま気持ちに反映されているのか。スィンはしれっと、己の抱く感情を告げた。

 それは間違いなく過去に起因したもの──彼女が間違いなくスィンである証拠で。ジェイドは表向き表情を動かさないが、ルークは酢を飲んだような顔をしている。

 そんなルークをとっくり眺めて、スィンは面白そうに唇を歪めた。

 

「心当たりあるんだ。ちょっと興味あるけど、それよりも聞きたいことがあるの」

「聞きたい、こと?」

「そ。知ってるかしら? あたしは──いいえ。スィンがどうして死んだのか」

 

 音を立てて空気が凍る。

 誰一人、何ひとつ物言えないこの状況に、しかしスィンは喜色を浮かべていた。

 

「知っているのね、その反応。全員無関係じゃないなんて、ラッキー」

「……そんなことを知って、どうするのですか」

「そんなこと、とはご挨拶ね。あたしにとっては大問題なの。あなたにとってはどうでもいいのかもしれないけど」

「……」

「知ってどうするのか、よね。とりあえずはどうもしない。あたしはただ知りたいだけなの。バラのおっさんは聞けば答えてくれるけど、すべてがすべて正確な事実じゃない。それくらいならわかるわ。言いぐさからして、どうもあたしが死んだその場にはいなかったみたいだから。やっぱり当事者に聞いた方がいいかなって」

 

 自分の最期を尋ねるのに、明るくハキハキと流暢に話す辺り、えらく軽いノリである。

 これで疑問が解けるとばかり上機嫌なスィンに、ナタリアが震える声をどうにか張った。

 

「か、過去のことはどうでもいいのに、自分の死亡理由は、知りたいと言うのですか」

「そうね。過去のこと、どうでもいいって思うから知りたいの。どうでもいいことのはずなのに、どうしてこんなに気になるのか。それを知ったら、あたしの中で何かが変わるはずだから」

 

 だから教えて頂戴と、再三繰り返す。

 一同は成す術なく、何となく視線をガイへと集めた。

 彼は未だ信じられないような目……幽霊を見るような目で、スィンを凝視している。

 

「……死んだ、理由」

「そう。なんで死んだの? やっぱり、ヴァンって奴に殺され「やめろっ!」

 

 どこまでも無邪気に尋ねるスィンに対し、ガイは耐えられなくなったように制止を怒鳴った。

 言葉を遮られたスィンは、気圧されたように一度、口を噤む。

 しかし、それは一瞬のこと。

 

「──言ったでしょ。あたしはあなたの奴隷じゃない。怒鳴ろうが命令しようが、言うことは聞かないし、聞けない」

「ち、違う! そんな、つもりじゃ……!」

「無意識なの? 尚更ヒドいわ。命令するのが当たり前だった、ってことよね。それ」

 

 眉をひそめて、ガイの行いをずけずけと批難する。

 青ざめるガイを見て気まずそうにしながらも、スィンは言葉を止めなかった。

 

「聞いてた通り、おかしな関係だったのね。ああ、あなただけのせいじゃないわよ。スィンも大概ひどい奴だわ。あなたのその態度に何も言わなかったんでしょ? 甘やかすことが楽しかったの?」

 

 くるりと後ろを向いてそれを尋ねる。

 その視線は物陰に潜むフィオレにしっかり向けられていて、心臓が早鐘のように鳴った。

 

「隠れても無駄よ。自分のことだもの、わからないわけないじゃない。こないだはよくもやってくれたわね」

 

 まだ手形が消えないと、どうしてくれるんだと袖をめくってまで喚く。

 ……どうしよう。無視か応じるか、それ以外ともなると──

 

「出てきなさいって言ってるでしょ! それとも何、気まずくて出てこれないの? あんたも何とか言ってやんなさいよ、かつてのご主人様にさ!」

「──」

 

 潜んでいたその場所から、帽子をかぶり直して姿を見せる。

 これで、顔だけは見えないはずだ。

 

「やっと出てきたわね。えっと……スィン!」

「人違いです」

 

 これは間違いない。スィンフレデリカはもう死んだ。

 正確には、その名前の持ち主は、生まれることもできなかった人物のものだが。

 

「え? でも今、そこのご主人様が……」

「ご主人様言うな。──どうでもいいなんて、嘘」

「!」

「本当は、気になって仕方ないんですよね。わからないことが怖くて仕方ない。私のことですから、わかりますよ?」

 

 何かをしていなければ、自分を、何もかもを見失いそうになる。

 かつて、それまで当たり前のようにあったすべてを喪い、喪失感に潰されそうになった時。

 ぼんやりしている場合かと祖父にどやされて、前を見据えるために常に何かをしていた。実際には何も出来なくても、何かをしようと努力した。

 異世界に放り出された際も、それから18年後の世界に放り込まれた時も。

 どうにかこうにか思考停止せず、立ち止まらずに済んだのは、間違いなく彼のおかげである。

 しかし眼前のスィンに、その記憶はない。記憶はなくとも身体は当時を覚えている。落ち着かなくて仕方ないはずだ。

 しかし、見栄っ張りであるが故に彼女はそれを認めない。

 

「う、そ、そんなこと、ないわよ。」

「嘘つく時、語尾の発音がおかしくなるのまで私のままなんですね。正直不愉快ですが」

 

 幼い頃、何かを隠そうとしてガイに嘘をついたことがある。幼い時分、それは彼にバレる程度には稚拙な嘘だったのだろう。「嘘をつくな」と一喝されて以降、できるだけ嘘はつかない──嘘ではないが本当でもない、そんな物言いを常とするよう、なるたけ嘘はつかないよう努力して、今に至る。

 自らの虚言を指摘され、スィンは逆上した。

 

「うるさいわね、横からやってきてゴチャゴチャと! あんただって知らないんでしょ、知りたくないの! 私達の──」

「死んだ理由なら、大体何となくですが察しています。答えたくない人に回答を迫るような恥知らずな真似はやめてください。見苦しい」

「なんですって!」

 

 最早彼らは眼中になく、肩を怒らせてつかつかと歩み寄ってくる。

 彼女、スィンはそのままフィオレの眼前に立ちはだかった。

 

「どういうことなのよ!」

「従属印が何なのかはわかりますか」

 

 ディストの傍にいても、その存在は知らされていないらしい。

 くってかかる勢いが消え、目に見えて彼女は困惑した。

 

「……何、それ」

「まあ要は、ご主人様の言うことを従僕に何が何でも聞かせる呪い、もとい手段なのですが……多分、死因はそれです」

 

 ちら、と視線を巡らせれば、スィンを回収しようとしてか、まごまごしているディストと、同じ声で対峙する二人をただただ見るしかない一同がいる。彼らが今すぐ何かをしようとする気配はない。

 

「前々から、言うこときかないと唐突な頭痛がしたんですよね。最終的には言いなりにならずとも、頭が痛いような気がする、で済んでいたのですが」

「じゃあ、どうして」

「最終的に、私はふたつ命令違反をしました。今までの命令違反が蓄積したのか、一度にふたつも背いたからか、定かではありませんが……従属印が爆ぜたんだと思います。少なくとも、殴られて頭の中身をぶちまけたわけじゃありません」

「あたしが気づいたとき、頭が割れるように痛かったのは、実際割れてたからってこと!?」

「さあ」

「なんてこと……つまるところ」

 

 ぐるんっ、と首を巡らせてスィンが、フィオレから目を離す。フィオレのものと寸分たがわぬ腕が持ち上がり、その人差し指がぴんと張った。

 

「あたしが死んだのは、結局のところあんたのせいってわけね!」

「違います。変な逆恨みをしないように」

 

 柳眉を逆立ててガイを指差すスィンの腕を掴んでやめさせる。

 以前を思い出したのか、嫌悪も露わに振り払われるも、それは頓着することではない。

 今フィオレが、気にしなくてはならないのは。

 

「私が死んだのは、私のせい。私を慮っての忠告だったのに、私は」

 

 感情だけが先走って、他のことが考えられなかった。結果として、命を落としてしまった。

 それを聞いても、スィンが納得する気配はない。

 

「何それ、わけわかんない!」

「わからなくて当然です。私はあなたじゃない、あなたは私じゃない」

「自分だけで納得してんじゃないわよ!」

 

 とうとう掴みかかってきたことをいいことに、逆にその腕を、襟を掴みあげる。

 これ以上、この場で醜態をさらすわけにはいかない。

 かつての主、かつての仲間達の前だからではなく、逃走したモースを捕らえんと召集されたバチカルの兵士達が集結しつつあるのだ。

 突然の事態に傍観するしかない彼らも、いつ我に返ることか。

 無力化を狙うなら、このまま引き倒して抑え込むのが常道。しかしフィオレは、彼女の固有振動数を今の身体に重ねなければならない。

 引き倒すに留まらず、掴んだ襟ぐりを地に叩きつける勢いで投げた結果。

 スィンの頭部は石畳に叩きつけられ、異音を発し、その髪は瞬く間に色を宿した。

 その体に流れていた、朱の色を。

 

「……え」

 

 呟きが誰のものであったか。それを察する余裕はない。

 ぐったりしてぴくりとも動かないスィン──異常を察したのか、無駄に長い手足を動かして、譜業人形が近づいてくる。

 その譜業目がけてスィンを突き飛ばせば、目論み通り譜業人形はその手で傷ついたスィンを支えた。

 その隙に巨体をよじ登り、操縦席らしい場所に滑り込む。

 操縦式の計器が並ぶ中、一か八かで踏んだペダルは、幸運にもここまで移動するのにも使われた推進力だった。

 譜業人形の巨躯が、華麗に宙を舞う。

 その手にしっかりスィンが握られていることを確認して、フィオレは操縦桿を握った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十五戦——苦しむよ、言う通り。それが生きるということだから

 バチカル港から旧バチカル港、更に廃工場へ。
 ここでの目的は果たした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──似たようなものならいざ知らず。この手の譜業操縦に不慣れなフィオレがどうにか降りた先。それは、今は使われていない旧バチカル港だった。

 とはいえ、そのまま降りることはできない。正確には、操縦の方法がわからない。

 わざと高度を上げて、まずは譜業人形の握力をなくさせる。そして、手動操作状態のまま倉庫の部屋に跳び移り、譜業人形を落下させた。

 落としたスィンの、真上に。

 生肉を地べたに落としたような音の後、轟音が響き、譜業人形がジャンクの山と化す。

 ──驚くべきことに、スィンにはまだ息があった。

 ジャンクの山から這う這うの体で這い出てきたかと思うと、そこでがくりと頭を垂れる。

 

「……」

「言い残すことはありますか」

 

 出血量、全身に及ぶ骨折具合からして、放っておいても乖離は発生するだろう。しかしそれを悠長に看取る余裕もない今、首筋に刀を添えて介錯を行いにかかった。

 顔を上げたスィンが、げ、と血を吐く。唇が、紅を差したかのように緋く染まった。

 

「……先に、楽になるから。苦しめ……!」

「わかりました。そうします」

 

 刃が、白い首に食い込んでいく。

 ブシュッ、と音を立てて、命の雫は青空を映した。

 ──直後は、よく覚えていない。

 気づけばフィオレは、ジャンクの山を前に座りこんでいた。

 辺りに血だまりこそ広がっているが、生き物の死骸らしいものはない。

 乖離した音素(フォニム)も元素も、全て吸収──同化したということなのだろうが。

 

『──これでいい。さあ、契約の証を』

 

 セルシウスの言葉に従い、ボンヤリした頭でのろのろとそれを取り出す。

 右の手に取った瞬間、証は輝きと共に中指へ巻きついた。

 

『今この時より、妾らは再び汝の手となり足となろう。ただし、訪問者らが異世界へ還るその瞬間、契約は果たされるものとする』

 

 訪問者。

 もう、この世界の人間じゃない。

 いいや、始めから。

 フィオレはここの人間ではないのに。

 

 何故か、胸にずきりとしたものが走る。それを無視して、了承を示して、早速バチカルの様子を窺った。

 シルフに頼んで上空から見下ろせば、バチカル港では連絡船が停泊していた。続々と乗船客が降りていく中、カイル達の姿も確認するが、このまま合流するわけにはいかない。

 ナタリアの指示なのか、旧バチカル港に向けて兵士が向かっているのが見えたからだ。

 その兵士を先導するように、ルークら一行が旧バチカル港へ通じる天空馬車を前に四苦八苦している。おそらく整備不良で動かないのを、直そうとしているのだろう。

 多少の時間は稼げるだろうが、いつかはこの現場へ辿りつくはず。

 妙に重たい身体を立たせて、ジャンクの山を後にしたフィオレは、かつて通り道にしたバチカルの廃工場へ訪れていた。

 今の内に廃工場からバチカルへの直通天空馬車を使えば、彼らとはち合わせずに事なきをえる。

 しかし、フィオレはそれをしないで廃工場内をうろうろと歩いていた。

 その理由、とは。

 

『……この先、だな』

 

 惑星譜術起動に必要な触媒のひとつが、ここにあると。

 ヴォルトに導かれ、フィオレはそれを手に入れるべく、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていたのだ。

 本来光属性──第六音素(シックスフォニム)を司るはレム。かの一柱ならばまだしも、セルシウスと同じように第六音素(シックスフォニム)を僅かながら司るヴォルトでは探索に手間取るのも致し方ないこと。

 ソルブライトに頼んだ方が早いのは重々承知。しかし、彼らは異世界での力の行使に難色を示していた。ヴォルトを押しのけてまで無理強いすることではない。

 ヴォルトの導きは、遠回りこそしたが正しく、やがてフィオレは古めかしい木箱と対面した。

 取りつけられた複数の錠前と地味に争うこと、しばし。

 蝶番もまた非常に古くなっているせいか。嫌な音を立てて開かれた木箱だが、収められていたのは時の流れを感じさせないひと張りの弓だった。

 天使の翼を模した純白の、ふさふさとした羽があしらわれているが一切の劣化はない。今しがた作り上げられたかのような、不思議な弓だった。

 

「これが、触媒……」

 

 美術品のような美しさもさることながら、妙にでかい。

 見たところ折りたたみ式でもなさそうだし、持ち運ぶ際は如何にして注目を避けるか、それを考えながら手を伸ばして。

 

『ダメだ、まだ触るな!』

「?」

 

 思いもよらない警告こそ理解したが、手は止まらず。

 右手が弓に触れた瞬間、貫かれるような衝撃が走った。

 

「!?」

 

 反射的に声が上がったはずだが、声にならなかったのか、耳が機能しなかったのか。

 状況が一切把握できない状態で、フィオレはただうずくまるしかできなかった。

 

『……やっちまったか』

『い、一体、何が』

『意識はあるようだな。だが、しばらくは動けないぞ』

 

 触媒に触れただけで行動不能になるとは、どんな理屈の罠なのか。

 ヴォルトいわく、現状フィオレの身体は非常に不安定な状態なのだという。

 

『契約者の肉体と同化したばかりだからな。元々の持ち主だったとはいえ、肉体は単なる他人のもの。魂という繋ぎがあったから成功したんだ。負担は大きい』

 

 事前に聞いていたことだが、スィンはその身に触媒を宿していた。

 その触媒に引き寄せられ、今まで木箱に納められていた触媒は音素と元素に分解され……ようするにコンタミネーション現象が発生したと。

 しかし、今のフィオレはすでに体組織の表皮にいくつか物質を宿している。先程の同化が関係して問題こそないが、肉体が過敏に反応したらしい。

 その説明が終わる頃、フィオレはどうにか身体を起こせるようになった。

 確かに箱の中には、弓をくるんでいた布切れしかない。

 

『……これからは、こんなことにはなりませんよね?』

『多分な』

 

 ここが人のいない廃工場でよかった。どこぞの宝物庫だったらと思うと、ぞっとする。

 

『バチカルにあるのは、弓の形をした触媒でしたね。残るは……』

 

 意識集合体の証言から推測して、すでに大まかな目処はつけてある。細かなことは現場で確かめればいい。

 上体こそ起こせても、足はまだ満足に動かず、体重すら支えられない。

 動かぬ身体を無理に叱咤することなく、フィオレはまんじりと流れる時に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十六戦——それじゃあ皆頑張ってね~カイル達は闘技場に就職した!

 引き続きバチカル。
 どうにか合流、そしてまた別行動へ。しばらくカイル達とはお別れ、寂しいスタンドプレイの幕開けです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく満足に動けるようになったのは、なんと朝日が昇る頃になってからである。

 彼らに宿を教えておいてよかった。

 とはいえ、早朝単独で動き回るのは挙動不審として兵士に目をつけられる恐れがある。日の当たる天空馬車で冷えた身体を暖めてから、バチカルへ戻った。

 一応、人前で致命傷になり得る暴力を働いた身である。できる限り変装をし、顔も隠していない。

 ただ、カイル達がこの変装を見てフィオレだと認識できるかも怪しいが……そこはフィオレから彼らを見つけて声をかけよう。

 行き交う人々にまぎれて、正確にはまぎれているつもりで宿を目指していると、目指す方向に人だかりが発生していた。

 当然興味のないフィオレは素通りを試みる。しかし。

 

「やめろってば! この人につっかかったって、しょうがないだろ!」

「そうだよジューダス、落ち着きな!」

 

 それはできないようだ。

 人だかりから離れようとしていた足の進路補正をして、注目の中心へ行こうと試みる。

 人の壁を割り入って進んだ先、カイル達一同と巡回していたらしい兵士二人組がいた。

 あのジューダスがトラブルを起こしたとは珍しい。事の成り行きを見守りたい気もするが、そうもいかない。

 事情を野次馬から尋ねる時間も惜しんで、フィオレは突貫した。

 

「え!?」

「わたくしの連れに、何か御用でしょうか」

 

 驚く一同は無視、彼らと兵士の間にするりと入りこむ。

 カイルらが驚くのも無理はない。現在フィオレは、借姿形成を使ってまったくの別人になりきっているのだから。

 それも、彼らにとって全く知らない人間ではない。

 

「な、なんだあんたは」

「彼らの引率ですわ。何か粗相を働きまして?」

 

 緩やかに波打つ新緑色の髪、菫色のつぶらな瞳。しゃなりとした物腰。

 被服こそ旅装束だが、フィオレはフィリアの姿を借りていた。

 ただし、フィオレがよく知るにはカイル達の時代より18年ほど若いフィリアである。三つ編みをほどいて眼鏡もつけていないため、大分印象は違うだろう。

 まずは事態を鎮めることから。

 兵士は第三者の飛び入りにしかめ面だが、それでも事の成り行きを教えてくれた。

 

「そこの仮面の男が、我々の聞きこみ調査に過剰反応を示したのだ」

「聞き込み?」

「港での騒ぎのことだ。モースの逃亡に手引きした女と、仲間割れを起こしたふりをしてまんまと逃げおおせた人物……」

 

 なるほど。そのように解釈されたか。

 ここでフィオレは、くるりとジューダスを見やった。

 彼もまた驚愕していた様子だが、誰より早く正気に戻ったようだ。

 

「それでどうして、憲兵の方にくってかかる必要が?」

「……特徴が……」

 

 フィオレそのものの特徴を聞いて、事件の詳細を聞き出そうとしたのだろうか。

 何にしても、騒ぎを維持するのはいいことではない。ジューダスをとっちめるのは後だ。

 

「その女性の特徴とは?」

 

 兵士の語るスィンの特徴に逐一頷いて、フィオレは深々と頭を下げた。

 今はただ、この騒ぎを鎮静化させることに精を出す。

 

「連れが失礼を働きました。件の女性はわたくし達も捜しておりまして」

「捜していただと……? 知り合いか」

「いいえ。お金を借りているのだそうです」

 

 あっけに取られているであろう仲間達に背を向けたまま、フィオレはこの短時間でどうにか構成したでっちあげを騙った。

 手配中の女性、スィンにはいくばくかの借金があり、貸与期間はとうに過ぎたのに、返済どころか音沙汰がなくなってしまったため、取りたてるよう依頼されているのだと。

 それを滔々と語り、用事があるからこれで、とその場を立ち去る。

 そのまま大通りを抜け、闘技場へ続く通りの片隅で立ち止まり。

 

「……何をしていらっしゃるんですか、あなたは」

「そのままそっくり返してやる。お前こそ一体何をしているんだ!」

 

 帽子を被って声を元に戻したことで、落ち着いたのかそうでないのか、ジューダスは言葉を荒げて詰め寄った。

 彼の問いは、やはり港での出来事を指しているのだろうか。

 

「どうにかこうにか、元の世界へ戻るべく奮闘中でございますが」

「そんなことを聞いてるんじゃない! とりあえず、その仮装の説明をしろ」

 

 ジューダスは知っているはずだが、先程から鳩が豆鉄砲を受けたような顔で、二人の後ろをついて回る他一同は、まだ事態が理解できていない様子だ。

 できることならスルーしてほしいが……そういうわけにはいかないだろう。

 

「フィオレ、なんだよね。フィリアさんそっくりだけど」

「でも、でもよ。大分若くないか? 髪降ろして眼鏡外したからって」

 

 フィオレが良く知るのは、彼らの時代から遡って十八年前のフィリアだ。それどころか、あの世界に転送されてから最もよく知る人間であるといっても過言ではない。

 この世界の人間に変装するのは必要に迫られた時だけと決めた以上、借姿形成を彼女に設定したのは自然なことだった。

 

「18年前の時代に転送されたその時から、私は死亡したも同然です。だからもう、元の顔で出歩くことはできません」

「フィリアってのが誰なのか知らないからどうでもいいけど、変装じゃなくて幻術の類かしら?」

「そんなところです」

 

 厳密にはもちろん違うが、ハロルド相手に詳細を説明していたら日が暮れる。

 そこで、ナナリーが非常に言いにくそうな調子で切り出してきた。

 

「……それでさ、フィオレ。あたし達、あんたらしき人が帽子を被った奴に殴り倒されてどっかに連れてった、みたいなことを聞かされたんだ」

「はい」

「トラブル起こしたジューダスにも非はあると思うけど、そんなの聞かされたら冷静じゃいられないよ。だから……」

「すいません。何も話せないです」

 

 婉曲的に求められた事情説明を、きっぱりと拒絶する。

 全てを語るのは容易い。しかし、一部を隠して矛盾なく語るのは至難の技であり、彼らを謀ることになる。

 彼らを騙してばれたその時、向けられる負の感情は恐れない。だが、それなら全てを隠して恨まれるもまた、同じこと。

 今いい顔ができるかそうでないか。その程度の違いなら、フィオレは後者を選んだ。

 もちろん彼らは鼻白んでいる。

 

「え……」

「これからしばらくはこの扮装で過ごします。惑わされることはないでしょう」

「そういう問題じゃない。何故貴様そっくりの女がいて、そいつに襲いかかる必要があるんだ!」

 

 ──どうして、そんなことになってしまったのか。

 

「そんなの私が聞きたいくらいですよ」

 

 一方的に話を終わらせて、周囲に目を配った。

 ジューダスの声量はかなり大きかったが、闘技場はバチカルの観光地でもあるため、周辺はそれなりに賑わっている。

 聞き耳を立てていたり、今の会話を聞きつけて目の色を変えた人間も見当たらない。

 尤も、見当たらないというだけですでに立ち去っている危険性も高いが。

 

「どういう意味──」

「街中で騒ぎは起こすなと言ったのに。まさかあなたが、それを真っ先に破るとはね」

 

 彼の不手際ではなかろうが、一度大量のガルドを無駄遣いしたという失態も見逃している以上、もう妥協はしない。

 その一言でジューダスはおろか、一同をも黙らせて。フィオレは闘技場へ乗り込んだ。

 一歩足を踏み入れた途端、仕合の真っ最中なのか熱気に満ち満ちた歓声が聞こえる。

 

「王都って言うだけあるな。規模がハンパねえ……」

「登録希望です。つきましては、見学も兼ねて頂きたいのですが」

 

 おのぼりさんっぷりを遺憾なく発揮する数名を置いて交渉を開始する。

 受付嬢から担当の黒服に交代してもらい、いくつかのやりとりを経たフィオレは唐突に一同を手招いた。

 

「これから闘技場を見学して、一般参加してもらいます」

「フィオレ、わたしたちは……」

「二人は治癒術士として登録します。まずは見学してからですね」

 

 黒服に全ての説明を丸投げ、彼らの後ろをついて歩く。フィオレとして、長くバチカルにいたが闘技場にはあまり親しみがない。

 無味乾燥な黒服の、事務的な説明が淡々と闘技場内の施設を紹介していく。

 ただしこれらは基本、挑戦者たる戦士達が利用するもので、闘技場に所属する人間が使うものではない。

 そんなオチがついたところで、一同は闘技場参加と相成った。

 

「私達は観客席にいますから」

 

 リアラとハロルドを連れ、先程見学したばかりの円形席へ赴く。

 闘技場の形はノイシュタットにあったような屋内型の、舞台を囲み見下ろすような形式だ。

 いつか見た同じような風景にリアラは落ち着いているが、ハロルドは忙しない。

 

「……殺し合いを見世物にして、こんだけ人が集まっちゃうわけね」

「人間は残酷な生き物ですから。でも、ここから道が拓ける人もいるんですよ」

「そうね。あんたと、私達の道が拓けることを祈っときましょうか。非科学的だけど」

 

 励まされてしまった。

 やがて、一同による団体戦への挑戦が始まる。

 フィオレの見立て通り、彼らはすいすいと勝ち進み。あっという間に、登録条件である勝ち抜き戦を制覇してしまった。

 

「さ、みんなのところに戻りましょう。あなた達の腕を見せないと」

 

 いくらすんなり勝ち進んでも、無傷ではない。

 医療室へ、と黒服が促すのを制し、彼らの擦り傷を少女と一見少女が治療するところを見せれば、彼は小さく頷いた。

 

「ふむ。団体用選手に治癒術士付きか」

「知識はゼロという認識でお願いします。実際彼女達は士官学校の出ではない」

 

 契約内容の詳細を語り、契約書そのものはフィオレが預かる。

 これから黒服による剣闘士規則や施設説明を行うということで、フィオレは席を辞することにした。

 

「では、私はこれにて」

 

 挨拶もそこそこ、そそくさとその場を立ち去る。

 きっと彼らは不思議に思い、あるいは腹を立てているだろうが仕方ない。

 ──フィオレは彼らを、借金を返済しきって無一文になった人間として、闘技場に売りつける形をとったから。

 実際には売っていないし、彼らの人権も保障されている。しかし、形式をそうとした以上、上っ面だけならともかく親しい様を見せてはまずいと。わざと素っ気なく振る舞ったつもりだ。

 これで捜査の手が道端で揉め事を起こした彼らに向いても、大事には至らない。闘技場に所属する剣闘士、及び職員は叩けば埃が出てくる身。

 隠し事がある以上、軍の介入を嫌がるはずである。

 もしも人身御供の意を込めてキムラスカ軍に差し出されたとしたら、全力を持って助けよう。たとえあの王女殿下を敵に回しても、一国と敵対することになっても、彼らの安全を優先することを誓った。

 とりあえずはまず、彼らの無事と活躍を祈って。

 フィオレは徒歩にて、バチカルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十七戦——水上の帝都はどこまでも青く~またあそこへ行くなんて

 マルクト首都、グランコクマ。
 宝物庫になくてがっかりしたのは、ひとえに、他の金品を物色して路銀補填できないかを考えたから……
 足がつくから、やらないでしょうが。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バチカルの港は先だっての騒動で早々に封鎖されてしまい、使うことができない。

 徒歩にてバチカルを後にし、イニスタ湿原を抜けてベルケンドの港からキムラスカ領を脱出したフィオレは、単身マルクトへやってきていた。

 フリングス将軍と出くわす可能性があるこの地へはあまり来たくなかったのだが、顔は変えてあるし、我儘を言ってもしょうがない。

 マルクトの首都、グランコクマの港にて。

 ヴォルトの話を聞いていたフィオレは、軽く頭を抱えた。

 

『触媒、宮殿の中ですか……』

『ああ』

 

 レムとの契約を交わしていない以上、光の屈折率を操って不可視になることはできない。

 フィオレにできるのは、条件付きで、あくまで見知った他人になることなのだ。宮殿を歩き回ってもおかしくない人物になら知っているが、それにしてもリスクが高すぎる。

 否、今は突入のことを考える必要はない。契約の証を装備できる今、かつてのスィンのように振る舞うことも可能なのだから。

 

『シルフ。あなたの目を貸してください』

『オッケェーイ!』

 

 妙にハイテンションなシルフは事態が事態なだけにスルー、風の視界を借りて宮殿を盗み見る。

 きっと、厳重な宝物庫みたいなところに管理された代物だろうと意気込んでいたフィオレは、脱力した。

 丁度、皇帝の私室の窓が開いていたのだが……

 

『床に放り出してある、あの剣がそうだ』

 

 一体何がどうなっているのか。

 小奇麗で広いが、ぶうさぎがのさばり、私物が転がる私室の床。無造作に転がっている剣がそうだというのだ。ロマンもへったくれもない上、ぶうさぎが近付いたら危ない。

 直刃と曲刃の境にあるような刀身に、片翼を模したような鍔、黄金の柄。

 バチカルで手に入れた弓型の触媒──聖弓ケルクアトール同様、こちらも見た目は美術品めいた宝剣である。

 しかし、皇帝の私室はある意味宝物庫より忍び込み難いかもしれない。

 一度風の視界を切り離し、港のベンチに腰かけたまま天を仰いだ。

 もう一度見たいと切望し、夢にまで見た光景が広がっている。けれどフィオレは、この空の下で没することも叶わない。

 これがきっと、生を受けたこの世界での最後の旅路。

 だから見飽きて、もういいと思えるまで、この光景を目蓋に焼きつけようとして。

 

「おいおい。年頃の娘さんが、なんてえカッコだよ」

 

 邪魔された。

 それまでベンチにのけぞるようにしていたのを、弾みをつけて起き上がる。

 両足で地面を踏みしめ、睨みつけた先には、水夫と思わしき三人が突っ立っていた。突然立ち上がったフィオレを前に、彼らは総じて怯んでいる。

 こんなところでは、おちおち考え事もできない。

 きびすを返してその場を離れたフィオレの足は、自然と宮殿前の広場に向かっていた。

 住民がそれぞれ憩いの場としてくつろぐ中、フィオレの眼はマルクト軍基地へ注がれている。

 ──宮殿の正面入り口から皇帝の私室へ向かうには、非常に困難を極めるだろう。

 しかしフィオレは、それらをパスできるルートを知っている。

 マルクト帝国軍第三師団師団長の執務室に皇帝自らが作ったあの通路なら、警備を気にせず楽に私室へ潜り込めるだろう。

 問題は、あの大佐の執務室までどのように到達するか。

 また、如何にしてあの皇帝と鉢合わせずに触媒を頂くか。

 そして顔を変えてあるとはいえ、恩人の顔を犯罪者にしたくない。するとなると……やはりこの方法を使うべきなのかと。

 宮殿前の広場を抜けて、フィオレは貴族達が居を構える高級住宅街へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日の時を経て、宮殿前の広場に立つ。

 しかし此度、フィオレの足は立ち止まることなくそのまま軍基地へ赴いた。

 軍基地の正門に立つも、兵士に見咎められることはない。それどころか敬礼され、すれ違い様一礼される。

 ──現在、フィオレはマルクト帝国軍、第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐の扮装をしていた。

 借姿形成は顔なり姿なりを模写できるが、服装までは変えられない。そのため、一晩かけてわざわざ彼の住居に侵入し、軍服と軍靴を拝借してきたのである。

 ただし。

 

「カーティス大佐! あの……「眼帯についてならノーコメントです」

 

 未だ、目の色が変えられないため、医療用の眼帯を装備。藍色のままの眼は隠してある。

 すれ違う兵士に何を尋ねられても、それで凌ぐ。

 きっと、中にはルーク達と行動を共にしている彼が何故単独で現れたのか。それを尋ねようとした兵士もいたはずだ。

 この姿を見られたその時から、迅速かつ急がず焦らない目的達成と逃亡が求められる。

 普段より長い足は当然ながら足幅もかなりあり、件の執務室は以前より早く見つかった。

 中に誰も──彼の副官すらもいないことを確認してから侵入、幸い鍵の外し方は知っている。息つく暇もなく、本の散らばる一角へ踏み入り、隠し通路へ身を投じた。

 大柄ではないが、長身のこの体ではさぞかし窮屈……かと思いきや、そうでもない。

 そういえば、件の皇帝は彼と同じような背丈だったようなと思いつつ、ゆっくりと通路を歩む。

 下手をしたら、ぶうさぎに騒がれて全ては台無しだ。

 そうして慎重に、皇帝の私室へ近寄り様子を窺った矢先。

 

「……?」

 

 気配がない。

 皇帝本人は執務の真っ最中のはずだが。彼の部屋は一昨日見たように、常にぶうさぎが放し飼いにされていて、何もいないということは……

 そろり、と部屋を覗いて、目を見張る。初めて侵入したときはあんなに群がってきた皇帝の愛玩動物達が、一匹たりともいない。

 散歩中か何か。いずれにせよ好都合だ。

 一気に身体を持ち上げ、床に転がる触媒を掴み再び隠し通路へ身を躍らせる。

 通路の両足がつく頃。借姿形成は解け、剣型の触媒は音素(フォニム)と元素に分解されて、その姿を消した。

 身体が動かなくなることも覚悟していたが、それはない。しかし身体に違和感がある。早く脱出して、休んだほうがいい。

 思わぬ幸運に感謝を捧げて、再びジェイドの扮装を纏ったフィオレは通路を駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十八戦——再会、ではなくて接触~お変わりない、ね。いいことだ、多分


 城塞都市セントビナーにて。
 くだらない茶番を起こしてしまった。
 ──茶番で、あるはずだから。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乗合馬車がグランコクマを離れて、ようやく一息つく。

 あれから迅速に軍基地を離れて、ジェイドの軍服と軍靴を返してきたフィオレは、そのまま乗合馬車に飛び乗った。

 例え後日発覚したとしても、フィオレを犯人にするのは限りなく難しい。今にしても、一見して何も持っていないのだから。

 ──もう少し、慎重に確実に事を成すことはできた。

 ぶうさぎの散歩の時間や皇帝の執務の大まかな時間帯を探ることも、軍基地内が手薄になるような出来事──演習などが予定されていないかなど、調べることは確かにできた、のだが。

 時間をできるだけ短縮したかった。その一言に尽きる。

 調査は確実に日を費やすことになり、それだけグランコクマの潜伏期間が延びてしまう。

 一同を待たせている以上、時間ならいくらでも短縮できるはずだ。そのために、あんなところに押し込んだようなものだから。

 そしてこのセントビナーでも、さくさく触媒を得たかったのだが……

 以前の騒動で建造物の大半が崩壊してしまい、今もまだ復興中の街中をぐるりと巡ってため息をつく。

 今しがた、セルシウスによって示された触媒の在り処。それは、マルクト軍基地を兼ねたマクガヴァン将軍の、邸宅だった。

 この建物も半壊を免れていないが、代表市民に選ばれている老マクガヴァンの自宅でもあるためか、すでに修復されている。

 触媒がセントビナーにあると聞いて、倒壊した倉庫などにあったら人目を忍ぶだけでいいのに、と思いを馳せたが、そう上手く事は運ばないようだ。

 ここに某宮殿のような便利な隠し通路はない。あったとしても知らない。

 まずは触媒の詳細な位置を探ろうと、フィオレはマルクト軍基地前の階段に腰掛けた。

 目蓋を降ろし、俯き加減になってシルフに協力を要請する。

 風に委ねられたフィオレの視界は、軍基地の空気孔からするりと内部へ移行した。

 空気の通う場所を一通り見て回り──どこにあるのか無事判明したところで、声が聴こえた。

 

「……あのー……」

 

 妙に申し訳なさそうな、消え入りそうな声。

 視界を移せば、まるで眠っているかのように階段の脇へもたれかかる自分がいる。

 その周囲を、数人が立ち止まっていた。

 その顔ぶれは。

 

『かつての仲間達か。さて、なんとする?』

『対応します』

 

 風に委ねていた視界を戻して、ゆっくりと身体を起こす。

 その気配を感じ取ったか、フィオレの周囲を取り巻いていた彼らは気持ち、後ずさった。

 ルーク、ティア、ガイ、ジェイド、アニス、ナタリア。

 浮かべている表情は各々違うものだが、誰一人として記憶に違わない。

 

「……何か?」

「あ……ええと……」

「いえ、うら若いお嬢さんがうずくまっているように見えたので、どうしたのかと」

 

 声をかけたらしいルークがうろたえるのを隠すように、ジェイドがずずいと前へ出てくる。

 この間、鏡で見たばかりだが。相変わらず胡散臭い笑顔だと、フィオレは思った。

 

「それはお騒がせしました。では」

「待ってくださいませ! わたくし達、怪しい者ではありませんのよ」

 

 そそくさとその場を去ろうとするフィオレを、ナタリアが呼び止める。

 ──彼らが単なる親切で道端の人間に声をかけたとしたら、呼び止める理由はない。何らかの用事があると見た。

 おそらくはバチカルでのことだろう。グランコクマのことなら、全力でとぼける腹積もりだった。

 

「あなた方の身元に興味はありません」

「あなたはそうでしょうが、少々お聞きしなければならないことがありましてね」

 

 マルクトの軍服を着ている人間にそう言われ、無視するのはまずい。特にこの男相手では、皇帝と懇意であることをいいことに、変な罪状を作りかねない。

 それにしても、カイル達と別れた後でよかった。

 

「では、何か?」

「数日前、バチカルの往来にてトラブルがありました。その仲裁にあなたが関与し、とある人間から借金を取り立てようとしていることを我々は知っています」

 

 バチカルのことで間違いない。

 その事実を再確認して、フィオレは鷹揚に頷いて見せた。

 

「そうですが、それが何か? 仲裁方法に文句がおありなら……」

「いえ、そのことではありません。あなたが借金を取り立てようとしている女性に、私達も用事がありまして」

「そうそう。だから知ってること、教えてほしいな?」

 

 それを聞いて、フィオレは意図的に笑みを浮かべた。

 そういうことなら、ここは演じきるのが最良の選択肢だ。

 

「マルクトの軍人さんが、どうしてバチカルの往来での出来事に精通していらっしゃるのか知りませんが。私の場合、必ずしも彼女自身と対面せずとも解決します。故に協力を求められても、応じる理由にはなりません」

「へ?」

「けれど、あなたは借金を取り立てようとしているのでしょう? ならまずは、彼女自身を見つけなければ……」

 

 首を傾げるティアに対して、フィオレはにっこり微笑んでみせた。

 これから彼女に語るのは、まぎれもない事実である。

 

「私が行うべきは借金の取り立て。極端な話、お金さえ払っていただければそれでいいんです」

「はあ?」

「現に、バチカルで彼女は死亡したかもしれないという情報を得ました。ですが本人が亡くなられたからといって、借金は消えません。それでは誰もが不幸になるばかり」

「まあ……」

 

 これまでそんな事態から程遠い人生を送ってきたであろう面々は呆れたような反応をし、ルークからはセコいと罵られる。

 しかし、一部の人々の反応は様々だ。

 

「まあ、間違った話ではありませんね。基本的には借りた側に非があることですし、仲介者ならそれくらいシビアでないと」

「そうだよ。借主が死んだからって借金踏み倒されたら、普通はたまったもんじゃないって」

 

 そんなわけで今は、彼女の家族や関係者を含めて捜索しているところだと、フィオレは語った。

 ただ、問答無用で取りたてるわけではない、とも。

 

「いくら本人が見つからないからと言って、関係者にいきなり借金返済を要求するような真似はしません。彼女の行き先に心当たりがある方がいるかもしれませんし、関係者への請求は最終手段です」

 

 例えば当人の死亡を確認した場合、関係者へ請求する。

 拒否された場合は正式に国へ訴え出て死亡した彼女を罪人とし、死者に鞭打つような真似をやめてほしければ借金分を補填してもらうべく交渉するのだと。

 そういった手段があると聞き、ルークは目を見開いて仲間達に振り返った。

 

「ホントかよ!」

「……さあ。アニスちゃんわかんなーい」

「わたくしも、そちら方面には疎くて……」

「なるほど。彼女がマルクト人であることは突き止めたのですね」

 

 ダアト、キムラスカの法が不透明な中、マルクトの法では適用されることが証明される。

 とはいえ、スィンはマルクト人でありキムラスカ王室の侍女を務め、ダアトで権威ある教会内にて一定の地位を持っていた。従ってどの国に訴えようと、法が適用されないことはない。

 ここで、フィオレは反撃に転ずることにした。

 

「そういえば、あなた方もそれはご存じなのですね。もしかして、彼女の関係者をご存知です?」

「あ、あのな! あんな話聞かされて、ホイホイ答えるとでも……!」

「いるのですね。少なくとも彼女は、天涯孤独ではない。情報提供ありがとうございます」

 

 ルークの過剰反応からしれっ、と礼を述べれば、本人ははっとしたように口を抑えて、周囲はその迂闊さに態度で呆れている。

 傍から見ていても、そのやりとりは非常に懐かしかった。

 

「雄弁は銀、沈黙は金ね……」

「どっちかと言うと言わぬが花、って奴だな」

「と、ところで。彼女の借金とはその、いかほどでして?」

 

 あれから数日間、時間があってよかった。

 このつまらない嘘をそこそこ練ることができたから。

 ナタリアの問いに対して、フィオレは手のひらを突き出した。

 

「五……五万ガルド、ってところか」

「いいえ、五十万。積もりに積もった利息を含めて、私の雇い主はこの金額を御所望です」

「!」

 

 王族二人は多少虚を突かれた程度だが、他の面子はそうもいかない。

 アニスは言わずもがな、ティアやガイもそうだが、ジェイドさえ驚きを隠さなかった。

 

「ご、五十万ガルド……一体何に使ったのかしら……」

「まさか、総長に貢いだとか?」

「あー、なあ。あんたは知らないか? 金の使い道」

 

 彼らは覚えていないかもしれないが、スィンには借金をしてもおかしくない事情があった。生き延びるために高価な薬を常飲しなければならなかったから。

 そして借金取りであるフィオレにも、通すべき筋がある。

 

「──彼女の関係者と、それほど深くはないようですね」

「へ?」

「とにかく私には、彼女と接触する術を持ちません。あなた方が知りたいことは、それだけですよね」

 

 借金取りに扮するフィオレの立場からすれば、まだ彼女の死亡を確認していない以上、迂闊なことは口にできない。借金の使い道はプライバシーに直結するから、尚更だ。

 

「では、私はこれで」

「あ、ちょっ……」

「まだ何か、聞きたいことでも?」

 

 返事がないことを確認し、ぺこりと頭を下げて踵を返す。

 マクガヴァン邸の下見は済んだことだし、彼らに尾け回されても厄介だ。先程見て回った街中をもう一周して宿へ戻り、夜になるまで潜んでいよう。

 そう決めて、足を踏み出そうとして。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 ガイに腕を掴まれて、たたらを踏む。

 これが右の腕であったら、彼が女性恐怖症を引き起こすか、悪化した異性恐怖症をフィオレが引き起こすか。どちらが早いか、どの道彼は手を離すものと思われたが。

 彼が掴んだのは左──義手だった。

 

「ん?」

 

 革手袋の上からならいざ知らず、ゆったりとしたローブの上からでは隠しようもない。

 急に真面目な顔つきになったかと思うと、ガイは無言で──しかし有無を言わさず、袖をまくった。

 

「きゃあっ!」

「え……!」

「何? 譜業でできた腕!?」

 

 意図して悲鳴を上げ、振り払おうとして気付く。

 今はフィリアに借姿形成──自らを形成する音素(フォニム)と元素を組み換え、他者になりきる秘術を使用している。

 従って普段フィオレが使うような体術は一切使えず、また、護身術の類も、知識はあるが身体はなめらかに動かない。つまり、見よう見まねでしか使えない。

 腕を握りしめたまま、ガイは露わになった義手をまじまじを見詰めて……奇声を放った。

 

「うおおおおっ、すげええっ!」

「が、ガイ!? どうし「義手だよな!? この外観で、めちゃくちゃ軽い! しかも、動かしてたよな、てことはお前の意志で動くのか? つまり譜業義手だよな! バッテリーが見当たらないが、服の中か? 何にせよこんな精巧な音機関、見たことない! なあ、頼む、外して見せてくれよ!」

「いっ、嫌です! いきなり何を言うんですか! 離してください!」

 

 穢れを知らぬ幼子の如き、碧眼をきらっきら輝かせたガイの懇願を、混乱する素振りも入れて断りにかかる。

 音機関、譜業──いわゆる精巧な機械仕掛けを目にすると、興奮して我を忘れるガイの悪癖を、フィオレとて忘れていたわけではない。

 しかし、見ず知らずのはずの他人に対してここまで強く、分別を忘れて迫ったことがかつてあっただろうか。少なくとも彼は、フィオレをスィンだと確信しているものと思われる。

 もちろん、こんなことを言われて「はい、どうぞ」と返せる人間は少ない。本物のフィリアならできるかもしれないが、彼らと極力関わりたくないフィオレでは無理な話だ。

 掴まれた腕から逃れるべくもがいて、脛に鈍痛が走った。

 

「いたっ!」

「ちょ、ちょっとガイ!」

 

 腕を捻られた瞬間、足払いをかけられたようで。受け身が取れず、無様に倒れ込んだところで背中にずしんと重みが生じた。

 フィオレが暴れないよう抑え込んだガイは、捻じり上げた腕全体を撫でまわしている。

 

「接続部位はどこだ? どこの辺りまで生身の腕があるんだ?」

 

 駄目だこれ、もう絶対目の色変わってる。

 それがわかっていても、痛みを訴えることは怠らない。ここは人のいない荒野のど真ん中ではなく、街中ど真ん中なのだ。

 実際、ろくに肉のついていない背中に押し付けられるガイの膝は痛かった。

 

「いたっ、痛い、いや、離してくださいっ」

 

 義手は確かに手早く取り外しができる。正確にはそうしてもらった。

 しかしそれは、ボタンひとつを押せば外れるような簡単な作りではないし、手順を無視して無理やり外そうとすれば、接続部位に激痛が走る。

 そもそも地面に抑え込まれ、肩が地についた状態では何もできず。

 絶えず走る痛みに抗い、どうにか動かした右手をついて、顔を上げる。

 甲高い悲鳴を聞きつけて、野次馬が集まりつつあった。

 

「……なあ、ガイ、平気なのか? 思いっきり触ってるけど……」

「珍しい音機関を前に我を忘れているというのもあるでしょうが……」

 

 周囲が見えていないのか、普段は比較的常識人であるガイの珍しいご乱心に頭が回っていないのか。女性陣は固まっているし、呑気なルークとジェイドの会話が憎い。

 ここがマルクトでなければ、あるいはジェイドがいなければ、ガイを暴漢に仕立ててやるところだが……

 そこへ。

 

「何をやっとる!」

 

 捻られた腕が解放され、唐突に圧力が消える。

 ずきずきと痛む肩を抱えつつ身体を起こすと、心配そうにこちらを覗きこむ好々爺が立っていた。

 セントビナーの代表市民、マクガヴァン老。

 ほんの僅かな時間だったが、スィンとの面識もある。

 

「お嬢さん、大丈夫かの?」

「……お気遣いなく」

 

 受け身が取れなかったせいであちこち痛いが、それどころではない。

 見やればガイは兵士二人に両脇を抱えられ、軍本部へひったてられている最中だった。

 

「真昼間から女性に襲いかかるとは、なんて破廉恥な!」

「女の敵め、きりきり歩け!」

「違うんだ! 俺は……!」

 

 何が違うのか是非説明してほしい。しかし、それを聞くのは非常に危険なことだろう。

 

「街中で婦女暴行など、不埒極まりない! 如何にカーティス大佐の連れであろうと、これは見逃せませんぞ!」

「そうですね、ええ。連行して……いや、止められなかった我々にも責任があります。行きましょう」

 

 遅れてやってきたマクガヴァン将軍──マクガヴァン老とは親子関係にある──に一喝を食らったジェイドを筆頭に、ぞろぞろと一行が軍本部へと連行されていく。

 それを見送って憤然と、マクガヴァン老は肩を怒らせた。

 

「まったく。ジェイド坊やは何をやっとるんじゃ」

 

 そんな呟きを零したマクガヴァンは、ここでフィオレに何があったのかを尋ねた。

 

「彼らが……」

 

 流れのまま事情を説明しかけて、口を噤む。ちらっとジェイドの背中を見て、言い直した。

 

「いえ。事情はあちらの軍人さんからどうぞ」

「どういうことじゃ?」

「得体のしれない私とマルクトの軍人さんでは、言い分を聞いて頂ける自信がありません。あなたは軍の関係者……あちらの軍人さんとは懇意なのでしょう」

「!」

「失礼します」

 

 騒ぎになって困るのは、こちらも同じ。事情を聞かれるために軍本部へ連行されるのも、歓迎できない。

 幸いにも、彼らはルーク達にかかりきり。傍にいるのはかつて軍属だったとはいえ、老人一人だ。どうしても撒けないことはない。

 幸い足は挫いておらず、痛む肩を抱えるようにしてその場を離れた。

 

「……ばっかみたい」

 

 自らが起こした茶番劇に辟易しながら、するべきことを再確認する。

 この情勢でマクガヴァン親子があの基地を空っぽにすることはないだろう。ならば、機を窺うだけ無駄だ。このまま夜を待って忍び込み、触媒を持ち逃げするより他はない。

 今はもう何もない、かつてソイルの木が立っていた場所を仰いで。

 こらえきれなかった涙が一粒、溢れて頬をつたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七十九戦——潜入! もうすでに沈んだはずの島へ~御用改めである!



 エンゲーブ~??? 

 ……アビス未プレイの人にはわけわからんよな、これ。いままでもそうだったけど。
 でも、フィオレと同じ感覚を共有できている、ということでひとつ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗闇の中、目を醒ます。

 あれから一日ほど経過して、フィオレはエンゲーブに一軒しかない宿で休息を取っていた。

 ──触媒は無事、回収してある。

 宵闇の帳が下りて、誰もが温かな寝台で身体を休めているであろう時刻。宿を引き払ったフィオレは持ち得る技術を駆使して、まるくと軍基地の裏口をこじ開けた。

 灯りが落とされた真っ暗な闇の中、昼に下調べした記憶と夜目を総動員して目的の部屋へ忍び入り……家宝とばかり飾られていたそれを握りしめて、そのままセントビナーから逃走したのである。

 暗かったためにはっきりと肉眼で見たわけではないが、昼に見た触媒は槍の形をしていた。ただ、第一音素(ファーストフォニム)を──闇の属性を司っているせいか、妙に禍々しく感じられたが。コンタミネーションによって強制的に身体へ収めた今、見かけをどうこう言ってもしょうがない。

 夜通し歩いてエンゲーブに辿りついたのが朝方。乗合馬車がやってくるまで一休みしようと思っていたのだが……完全に寝過ごした模様だ。

 宿の主人に尋ねても、馬車に乗るには明日の日中を待つより他はない。

 この村からケセドニアへ移動……できないことはないが、時間の浪費も体力の消耗も激しいだろう。

 遅い夕餉を取り、部屋に引きこもったフィオレは意識集合体の話を聞いていた。

 

『シャドウの力を宿した触媒は揃った、と……』

『ああ。残るはレムの力を宿した杖。それは今、海上を漂っている』

『……海上?』

 

 漂って……動いているということは、誰かが所有したまま、船で移動しているということか。

 そうなると穏便に手に入れるのが非常に難しくなるが、ヴォルトは否定してくれない。

 

『人が所持しているかはわからない。最悪、海に生息する魔物が所持しているというようにも考えられる。陸に上がれば、おそらく人間だが』

 

 今現在わかるのはそれだけだという。

 引き続き調査を頼んで、フィオレは再び寝台に寝そべった。

 このところきちんと眠っていなかったせいなのか。寝過ごすまでしたのに、あっという間に目蓋は重くなる。

 それから、どれだけ経ったのか。

 惰眠を貪るフィオレは、意識集合体の呼びかけに起こされた。

 

『……なんですか』

『妙だ。触媒が海上の一定航路から外れようとしない』

 

 ヴォルトが見張っていたところによると、触媒の反応は海上を漂い続けているどころか、とある一定のコースに沿って現在も移動中だというのだ。

 どこぞの貴族が優雅にクルージング中だったとしても、この時間まで一度たりとも停止しないのは異常。

 軍籍船舶の巡航にしても、教えてもらった航路は納得がいかなかった。

 

『……でもそんなの、私にどうやって捕まえろとおっしゃるのですか』

『これから半日後、航路に変更がなければこの大陸へ近づいてくる。その際視認してからでも対応策は考えられるだろう』

 

 触媒が関わるともなれば、無視はできない。荷支度をして、前払いしてある宿を早々に引き払った。

 ヴォルトに導かれて、ルグニカ平野の西端、ローテルロー橋の北を目指して進んでいく。

 白んでいた空が澄んだ青空を映しだし、そろそろ太陽が顔を出す頃。

 朝靄がけぶる海の向こうから、何かが音もなく姿を現した。

 

「こ、これは……!」

 

 例えなくても、それは島だった。人工的な建物、しかし人の営みが一切感じられないそれはまさしく廃墟の乱立であり、物哀しい空気が漂ってくる。

 しかしそれはほんの僅かな間。島は再び霧の中へ姿を消そうとしていた。

 

『ヴォルト。間違いなく、触媒はあそこにあるんですよね?』

『ああ』

 

 ならば、手立てはひとつ。

 鞘付きの紫水を手に、これまで自重していた一言を放つ。

 

『シルフ。これに宿ってください』

『あいあいさー!』

 

 空飛ぶ箒と化した紫水に腰かけ、移動する島を追いかけた。

 その質量が災いしてか、そういう仕様なのか。幸いにして浮島の速度は、早くはなかった。

 瞬く間に追いついて、問題なく上陸する。

 見る影もなく印象は大分異なっていたが、フィオレはこの光景に見覚えがあった。

 かつて、ホド島──今は無きフィオレの故郷──の対岸に存在した、フェレス島。住みついた魔物の蹂躙や時の経過によって朽ち、荒れ果てていても建物にうっすらとだが、特徴的な建築様式が残っている。

 記憶こそないが、義祖父から書物を介して学んだそれらとも、光景は一致していた。

 

『……ヴォルト。触媒の位置は?』

『奥にある建物の一室だ』

 

 追憶に浸っても仕方ない。

 潮風が四方八方から吹き付ける中、フィオレは鍔広の帽子を取り出して被った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十戦——知らないけれど、懐かしい場所。もう二度と戻れずとも、思い出だけは消えないはず



 フェレス島探索。
 なんでここにあるねん! という突っ込みは無視します。
 ……だって、絶対無理だし。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェレス島は、ホド崩落の影響で発生した津波によって壊滅したはずだ。人がいない上に魔物が棲みついている現状を考えると、放棄されていることは間違いなかろう。

 が、そんな島が何故浮島になって海上をさ迷っているのか。もともとは浮島でもなんでもなかったはずだが。

 あえて気にしないようにしながら、フィオレはヴォルトに導かれて先を進んだ。

 件の建物は、かつて貴族のものであったかと思うほどに広大だった。

 鍵はかかっていないものの老朽化が著しく、歩くだけで埃が舞う。足跡をつけるのはあまり気が進まないが、分厚い埃は周辺に常駐する者がいない証だ。時折屋敷を徘徊していた魔物に出くわすも、てこずるほどではない。いなして進む。

 やがて辿りついたのは、どうしても開かない扉の前だった。

 鍵がかかっているわけではない。扉が歪んでいるのか、蝶番が錆びているのか。ドアノブは回るのに、扉は押しても引いても開かないという難関だった。

 最終手段として扉を破壊するという案がある。しかし、これだけ老朽化していると破壊したその瞬間、建物の倒壊という危険が待ち受けていた。

 考えつくことは試してみようと、フィオレは移動を始めた。

 

『どこへ行く?』

『押しても駄目なら引いてみろ、引いて駄目なら視点を変えるしかありません』

 

 廊下を歩き、階段を上っては下り、その部屋周囲上下をぐるぐる歩く。

 そして判明したことは、件の部屋は中二階で窓らしいものはなく、中に通じる階段もなさそうだということである。

 地を掘っても駄目なら天からと、フィオレは三階へ移動した。

 位置的に目的の部屋の上階と思われる部屋へ踏み入る。

 屋敷の主の部屋だったのだろうか、残された調度品は数あれど、見る影もない。

 触媒がこうなっていませんように、と願いつつ、フィオレはわざと足元を踏みしめながら室内を歩き回った。

 ──部屋の中心辺りから、みしみしと怪しい音がする。

 

「つぶては空を舞い、やがて母なる大地へと還る……ストーンザッパー」

 

 どんな不測の事態に陥ろうと、すぐ避難できるように扉を開けて、石つぶてを床へ転がす。

 晶力を増幅しなかったため、拳大の石弾ではあるが。腐りかけた床にその衝撃は耐えきれず。

 部屋の中心に直撃した石つぶては床をあっさりと貫通し、余波で床材を崩して道連れにしなから姿を消していく。

 これで道は拓けた。

 問題は、今の床材に触媒が埋もれていないかどうか、あるいは貫通した石弾の直撃を受けて破損していないか、だが……埋もれていたら掘り返せばいいし、まさかこんなことで破損はしないだろう。

 そう決めこみ、再びシルフに頼んで紫水に体重を預け、慎重に降下を試みる。

 部屋の中央には崩れた床材が散乱しているものの、触媒らしいものはない。

 上階より更にごちゃごちゃしている印象の室内、探索の末に見つけたのは、所在なく転がっていた細長いチェストだった。

 埃を被って非常にみすぼらしいが、急遽取りつけられた錠前だけが真新しい。ものの数分を待たずして、チェストの蓋が取り外される。

 チェストの中、上質の絹に包まれていたのは、一振りの杖だった。

 先端にユニセロスの角と翼を模した彫刻が施された美麗な杖だが……かなり使いこまれた印象がある。誰かの持ち物だったのかもしれない。

 ともあれ、これで全ての触媒が揃った。

 まずはこの浮島から脱出して、いよいよ惑星譜術を得るために……

 これから先のことに思いを馳せ、杖を手にしたその瞬間。

 

「!」

 

 知らない光景が、脳裏をかすめる。

 それは一瞬で終わらない。フィオレは咄嗟に、己の口を押さえた。

 

「……!」

 

 今見ているのは、埃まるけの床のはずなのに。見たことも覚えもない映像が、視界を塗り潰して形を紡ぐ。

 知らない人々、知らない音機関、知らない場所。送ってきた人生においてどこにもありえなかった光景が、ぶつ切りの寸劇を交えて、脳裏になだれ込んでどこかへ消える。

 唯一現実世界と通じる意識集合体達の声は聴こえるのに、遠かった。

 

『やはりか……』

『気をしかと持て! 記憶に引きずられるでない!』

 

 何かを予見していたのか、ヴォルトはため息交じりに呟き、セルシウスの喝だけが鼓膜を揺さぶる。

 聴こえはするのだが──視界を占領した光景は、フィオレの五感を握って離さない。

 永遠にも等しい時間が、ようやく終焉を迎える。

 それらがようやく途絶えた時、フィオレは思わず座りこんだ。

 意識集合体に聞かずともわかる。今のフラッシュバックは、過去幾度か体験した記憶があった。

 今のは、前世であったと思われるユリア・ジュエの記憶である。

 スィンであった頃、彼女に関する事柄に触れるたび、このようにして見たこともない記憶、あるいは知識が再生されている。

 しかし──久しぶりであったせいもあって、今のは非常に強烈だった。

 ユリアが持っていたであろう知識、それも今後生かせるであろうものが蘇ったのはいいが、ともすれば記憶に支配され、今やらなければならないことを綺麗に忘れてしまいかねない。

 それが、彼女がこのオールドラントを愛し憂いていた記憶だから、尚更。

 

『この触媒は、ユリアの持ち物だったのですね』

『……そうなる。だが、これが無ければ、かの秘術は……』

『わかっています』

 

 事前にこの触媒の正体を知っていても、誰かを連れてくる選択肢もなかったのだ。今更何か思ったところで、時間の無駄である。

 まずはこの島から脱出しなければならないが……

 

『シルフ。あなたの目を貸してください』

 

 現在、シルフィスティアの依代はジューダスに預けてある。彼はいつでもシルフィスティアを通してフィオレの様子を知ることができるし、シルフも気兼ねなくフィオレに力を貸してくれている。

 改めて契約者となったその時、ヴォルトと共にシルフの力を貸してもらえないかと願い出たフィオレの望みは今、このような形で叶えられていた。

 

『この島から出るんだよね? 陸地は遠いから、セルシウスに頼むといいよ』

『では、お願いします、セルシウス』

『契約者の望みのままに』

 

 この島の秘密には一切関与しないまま。フィオレはフェレス島を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十一戦——闘技場団体戦ぼっち出場~寂しくなんてないやい(棒)

 バチカル、闘技場。
 連れてこうか、どうしようか、悩みに悩んで……


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六つの触媒は揃った。これでようやく、惑星譜術を扱う資格が得られたようなものである。

 本来なら、惑星譜術の真髄を知る者が封印されているというシルバーナ大陸の最果ての地、とやらを探さなければならないところ、具体的な場所はセルシウスが把握しているという。

 だから後は、セルシウスの導きに従い、シルバーナ大陸へ向かえばいいものを。

 フィオレはバチカルへやってきていた。

 

「……は?」

「団体戦への参加を表明する、と言ったのです。登録手続きを」

「いや、しかし、見たところお一人……」

 

 闘技場規約に、団体戦への個人参加は違反に当たらないはずだが、闘技場側からすればいい迷惑、無謀もいいところだと言いたいのだろう。

 ここで押し問答しても始まらない。

 

「──連れが、後から参りますので」

 

 適当にでっち上げて、まんまとエントリーに成功する。個人戦だろうと団体戦だろうと、参加費が統一されているのはありがたかった。

 

「初回エントリーの方は例外なく初級からの挑戦となります」

 

 文句は無い。カイル達が起用されているのがどのクラスかわからないことだし、路銀稼ぎに制覇するのも悪くない。

 無論のこと。団体戦において、実質個人参加が目立たないわけもなく。

 

『割れんばかりの大声援と野次の波、闘技場は今や真冬のシルバーナ地方の荒波のようだ~!! 今から始まるのは、チームワークが物を言う、団体戦初級戦……なんですが』

 

 拡声器を手に観客を煽る司会者が、困ったように視線を寄越す。

 団体戦で一人しか選手が現れなかったら、困惑はするだろう。

 

「お気遣いなく。よくあることですので、始めてください」

『ん~……まあいいでしょう。危ないと思ったらすぐに棄権してくださいね。さあ気を取り直して小手調べ。一回戦目……れでぃ~ご~!!』

 

 現れたのは、剣士二人に軽装の短剣使い、そして後衛に譜術士というパーティである。

 数の上では不利だが、負ける気はしない。何せ戦いは、もう始まっているのだから。

 彼らが舞台に上がったその瞬間に突貫し、一息で距離を詰めた。

 剣を抜く暇も与えず、闘技場から借りた鉄棍で飛びかかり、無防備な首筋を容赦なく殴打する。

 そのまま返す刀で、真横に立っていた短剣使いの手首を狙った。

 

「痛ぇっ!」

 

 結果として、短剣を片方取り落とさせることに成功する。

 そのまま挑むと見せかけて、フィオレは後衛の譜術士を狙いにかかった。

 前衛を倒して悠々後衛を潰すのも魅力的だが、その間に譜術の一発も撃たれて被弾したら痛い。

 案の定、譜術士は前衛を盾に悠々と、詠唱を続けている。

 

「獅子戦吼!」

 

 それを吹き飛ばし、追い討ちで黙らせた後そのままその場所を飛びのいた。

 それまでフィオレがいた場所を、短刀が通過していく。

 残るは片手が痺れた短剣使いと、剣士。

 そのままフィオレは、一足飛びに接近した。

 

『強い、強すぎる! 私でさえ八百長ではないかと疑うほどに、一対多のハンデなどどこ吹く風。圧勝です!』

 

 団体戦だろうと個人戦だろうと、上級だろうと、要は三回勝ち抜けばその証が授与される。

 それら証は証を持つ者同士が互いに掛け金を出して挑み合うアンダーグラウンド戦への出場資格となるのだが、これは非合法。

 証を手に入れて名誉獲得がこの闘技場の醍醐味である。

 それらを抜きにしても、三回戦連続の勝ち抜きは容易くない。勝ち抜いた分、実力のある剣闘士が選出されるのだ。実力に問題がなかろうが、体力が尽きてしまえばそこで終わりである。

 団体戦であるから、その危険も倍増。仲間の一人でもスタミナが尽きればフォローに気をまわさねばならなくなり、そこから崩れていくことも珍しくはない。

 そんな事情がある中、フィオレはたった一人で団体戦を制覇した。

 三回戦において、その頑強さから最後まで立っていた重戦士を敢然と見下す。

 

『……この栄誉を称え、アナタには優勝賞金4万ガルド、次なる舞台、頂点の山脈、最高の頂き、団体戦上級の参加の権利を獲得っ! ですが、次からはちゃんと頭数を揃えて……』

「それはできかねます。何なら4万ガルド返すので、参加資格だけ下さい」

『へっ? あの、お仲間がいないのなら寄り合い所で募集をかければ』

「どこの馬の骨とも分からぬ輩に預ける背中はありません」

 

 フィオレとて、何もカイルらに会うためだけに闘技場に参加したのではない。厳しい戦いは避けられぬであろうこれからのため、少しでも極限状態に慣れておいたほうがいい。

 

『えー、確かにこのまま上級戦に申請をされるなら認められないこともないでしょう。となると、休息もなく再び連戦に……』

「それでいいです、これでお願いします。おつりは要りません」

 

 言うなりフィオレは、受け取ったばかりの賞金を司会者に押し付けて座りこんだ。

 大して消耗した覚えもないが、取れる休息は取る。格好つけた挙句、カイル達手前で倒れようものなら、笑い話にもならない。

 慌てて司会者が手続きに走る。それを見送り、フィオレはキャスケットを被り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十二戦——進め、戦え、斬れ、生きろ。それでこそ道は開かれる。

 バチカルの闘技場。
 連戦に次ぐ連戦、そしてカイル達との戦い。
 この先に待っているのは、きっと、もっと、苦しい戦い。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 程なくして戻ってきた司会者は、再び拡声器を手に取った。

 

『踏み越える屍の群れ、ここは闘技場という名の地獄の四丁目。本来仲間との絆が試される団体戦上級に挑むは、ここにおわす孤高の戦士! 君は生き延びることができちゃったりしますかっ!?』

 

 長々とした口上後に、一回戦開始が宣言される。

 初級戦こそまるで統率のとれていない、烏合の衆と称するにふさわしいパーティばかりで楽だったが……流石に上級戦ともなると、そうはいかなかった。

 

「ジン、レイ、左右から斬り込め! ロナは回り込むんだ!」

 

 リーダーと思しき譜術士が指示を飛ばし、三人の剣士達が正確にフィオレを狙いにかかる。

 このまま突っ立っていれば囲まれ、波状攻撃が来るのは目に見えている。囲まれる前に突破して、リーダーを叩くのが定石。

 しかし、こんな単純な譜陣では、相手もそれを承知のはず。きっと裏をかきにくる。

 だからこそフィオレは、三人の突撃を正面から迎え討った。

 回り込んで背中から攻撃してくるらしい女剣士と向かい合い、相手の体勢が整うよりも早く仕掛けて立ち位置を替える。左右から囲みにきた二人に対し、女剣士に背を向けさせた形だ。

 

「ちっ!」

 

 当初の予定は狂っただろうが、それでも仕掛けられないことはない。そう判断したらしい二人が目を合わせ、波状攻撃を試みた片方に対して、フィオレはそれまで剣戟を続けていた女剣士を突き飛ばした。

 

「きゃっ!」

「うわっ!」

 

 鉄棍の刺突で弾かれた女剣士の陰に隠れて、剣士風に接近する。仲間を支えようと剣を捨てた相手の脳天を殴りつけるのは、非常に楽なことだった。

 突然の事態に反応できない片割れの急所に一撃、慌てて起き上る女剣士へのトドメも忘れない。

 流れるように、しかし無理やり繋いだ連撃の後、フィオレは振り向き様術技を放っていた。

 

「轟破炎武槍!」

「ぎゃっ!」

 

 ただ一人、ノーマークだったリーダー格が、譜術を唱えていないわけがない。

 これで、確実に詠唱は途切れた。

 リーダー格が単なる譜術士ならトドメをさして終了だが、波状攻撃の定石を誘ってきただけに油断はできない。

 あえて踏みとどまり様子を窺えば、リーダー格はのろのろと起き上がった。

 

「いっててて……」

 

 後衛だけあって、寸前でかわされたものの、受け身も何も取れず痛みに呻いているようだが。それにしては痛がっている箇所が見当違いなのは気のせいか。

 痛がるリーダー格に、審判が降伏を尋ねる。それを遠目で見ていた矢先、背後から風を切る音がした。

 

「ちいっ!」

 

 掲げた鉄棍に鈍い衝撃が走り。掌にわずかな痺れを宿す。

 そこに立っていたのは、先程仕留めたとばかり思っていた剣士風の、片割れだった。

 

「やられたふりかよ!」

「みっともねえなあ!」

「うっせー! 団体戦一人で勝ち抜くようなバケモン、てめーらも相手してみやがれ!」

 

 不意討ちを許した以上、許されない道理はない。

 観戦客の野次に怒鳴り返すその姿を今度こそ昏倒させ、審判を押しのけて譜術士に迫る。

 振り下ろした鉄棍は、リーダー格の携える杖によって阻まれた。

 

「おいおい、こっちは譜術士なんだ。殴り合いは勘弁──」

 

 練達した譜術士ならば、接近戦は不得手。ある意味お約束だが、フィオレはどちらとも練達している人間を少なくとも二人知っている。練達の域に到達しないなら、それこそ何人も見知っているのだ。希少な人種ではない。

 

「手加減なしかよ。きっついなあ」

 

 ぶつぶつ言いながらどうにか捌いている辺り、加減する意味も何もあったものではなかった。

 それに世の中には、不利な時こそ余裕を持って心理戦を仕掛ける知恵というものが存在する。

 おそらくはこの男も、そういった戦術に長けているのだろう。

 しかし、それを許すはずもない。少し速度と威力を上げた鉄棍の連撃に対し、最早口を聞く余裕もないのか、後退を交えてどうにか凌いでいる。

 体力を十分削りきったと確信した時点で、フィオレは唐突に猛攻を止めた。

 

「へ……」

「虎牙破斬っ!」

 

 本来は虎の顎が得物を捕らえるかのように切り上げ、噛み砕くが如く斬り下ろす術技。しかし得物が鉄棍であるがため、顎を砕き脳天を打つ痛い結果に終わる。

 

『勝った~!! 勝ちました~!! しかし早くも中盤戦、更に敵は手ごわいぞ!』

 

 ──結果として、二戦目は初戦よりもあっさり終わらせることができた。

 相手は重戦士四人組という、これはまた時間のかかりそうな敵だったのだが。

 

「むう。やはり多数対一など道義に反する。我ら四人に勝ち抜いてみせよ!」

 

 何を思ったのか。彼らはそれぞれ一対一の勝負を申し込んできたのである。

 多数対一の利点は何と言っても袋叩きができることだというのに、それをあえて放棄するような馬鹿に費やす時間はない。

 望み通り一対一を四回繰り返し、現在に至る。

 

『ああ~この感動を言葉にできません~すばらし~』

 

 休息は、司会者の口上が続く間。それが終わる前に、フィオレはどうにか息を整えた。

 

『振り返れど屍、行く先も屍ばかり……されどもその足を止めることはない……』

 

 確かに、これまでフィオレが歩んできた道に、それらはいくらでも転がっている。だからこそ、足を止めることはなく。また止めることも許されない。

 

『何故ならその先にある未来のために、その手のひらに溢れんばかりの勇気を乗せて! さあ私達は、伝説をこの目にする! 泣いても笑っても最終戦! 決勝戦……れでぃ~ご~っ!』

 

 これで現れたのがカイル達でなかったら、即棄権するつもりだったが。幸いにして現れたのは、どこか戸惑った様子のカイル達だった。

 事前の聞きこみでは闘技場団体戦の真打、最終戦を務めているらしく、雰囲気に慣れていないということはなさそうだが……

 

「魔神剣!」

 

 珍しく突貫してこないカイルに、とりあえず仕掛けてみる。

 地を駆ける衝撃波はあっさりかわされるものの、応戦の気配はない。

 

「ど~した~!?」

「怖気づいたか!」

「さっさと戦え~!」

 

 このように野次られているにも関わらず、彼らはナナリーを中心とした陣形のまま、動こうとしなかった。

 相手が彼らでなければ、多少強引に突破しないでもないのだが、この状態で下手に飛び込めば袋叩きに遭うだけだ。

 今回の目的が逆境に慣れること──極限状態を思い出すことに次いで、とある試みもある。

 

 それは、彼らを、彼の地へ同行させるか否か、だ。

 

 あまり大した情報はないが、意識集合体に言葉を疑う気はない。

 むしろ自分の中で誇張に誇張を重ねて、裏切られた方が好都合だろう。

 それを踏まえて、帰ってこれるかも問題なのだ。

 戦いの舞台は極寒の地。気がつかない間に体温は低下し、相討ちや敗北はもちろんのこと、辛勝したところで動けなければ凍死確実。そうなった時の保険として、彼らを連れて行きたい。気がする。

 しかし、想定する死闘に彼らは無事でいられるのか。人質に、あるいは盾にされたら目にも当てられない。

 言い方は悪いが、この場で彼らの実力を測りたかった。

 リアラ、ハロルドは体力的な意味で審査対象にしない。四人が同行可能と判断した場合、後方で的にされない程度の援護、あるいは待機を期待したいと思う。

 彼らに知られたら激怒されても、見限られても仕方ないことだが、これもやむなし。如何なる時もこれを尋ねられたら、事実を話すつもりだった。

 それで誰かさんが何様のつもりだと憤ったとしても、むざむざ彼らを殺すような真似はできない。

 理解されなくていい。

 理解を求める必要もない。

 まずはこの地、異世界オールドラントより、彼らを平和的に旅立たせ、元いた世界へ還す。

 心優しい彼らのこと、一人を除けば挑戦者の正体がフィオレだと判明した時点でまず本気を出してくれなくなるだろう。

 そうするつもりはないが、そうなった場合も考えて見極めておく必要があった。

 だから早く、硬直状態を脱しなければ。

 時が立つにつれ野次がどんどんひどくなる中、フィオレはゆらりと歩を進めた。

 彼らに向かって一直線に、ではない。気持ち足を踏み出した程度、ほぼ真横に、である。

 一度どころか二度三度、それを続けて歩を進めた。

 彼らとしては敵に背中を向けるわけにはいかず、常に対面するよう動くしかない。

 やがてフィオレが舞台を一周し、二周目を繰り返そうとしたところ。

 膠着状態に我慢できなくなったのか、ナナリーが弦に指をかけた。

 試合用にと鏃を外したものだが、使い手の放つ本物と同程度の重さを備えた矢だ。当たれば負傷は免れない。

 しかしこの瞬間は、フィオレが待ち望んだ瞬間でもある。

 矢が放たれるその瞬間、フィオレは弾かれたように彼らの周囲を駆け始めた。

 

「──馬鹿者!」

 

 ジューダスの叱咤も時すでに遅く、フィオレは円を描くように彼女へ接近する。

 一か所にとどまり矢を放つ者がどんなに優れた射手であろうと、回り込むように円を描いて接近する相手は仕留められない。よしんば目を慣らして的の行く先を狙っても、その頃には間合いを詰められる距離である。

 ただしこの場合において、残念ながら必勝ではない。

 護衛が二人もいるのだから。

 

「仕方ない……応戦する!」

 

 ナナリーに接敵しようとして、三人がかりで阻まれる。

 蹴散らすのは簡単だ。しかし素直にそれをしたら、矢雨が降り注ぐ。

 ここは彼女の牽制にと、フィオレは彼らと踊ることにした。

 

「爆炎剣!」

 

 振り下ろされる刃と吹きあがる炎から逃れて、ロニの懐へ潜り込まんとする。

 難しいことだ。当然のように反撃された。

 

「霧氷翔!」

 

 強烈な冷気が大気を凍らせる。凍傷を負いかねない一撃から逃れて、ロニの背後を取ろうとし。更にひやりとしたものに襲われた。

 

「月閃光!」

 

 三日月を描くような剣閃、鋭い剣技ではあるがフィオレにとって非常に親しんだ剣筋だ。

 だからといって軽く流したのが、迂闊だった。

 

「……これではっきりした」

 

 小さく、しかしはっきりとジューダスが呟いたのだ。

 波状攻撃を企んでいるのか、がむしゃらに突撃するカイルの陰に隠れるようにしながら、ロニが機を窺っている。

 それに注意しながら、カイルの剣戟に付き合っていると。

 

「カイル!」

「扇氷閃!」

「牙連蒼破刃!」

 

 頭上から冷気をまとう数本の矢が降り注ぎ、カイルは下がり様一撃放っていく。

 それをいなすのは問題ない。が、前方は言わずもがな、後方はジューダスが待機しており、扇状に広がる矢雨に左右の逃げ道はない。

 必然的に足を止めて弾くのを余儀なくされる。そこを狙われないわけもなく。

 

「ぉおりゃあっ!」

 

 鉄棍が冷気を帯びて、それを握るフィオレの手も冷たく痺れる。

 動きが鈍った直後にロニの突貫を受け。

 

「ふっ!」

 

 フィオレは迷わず鉄棍を跳ねあげた。

 

「うっ!?」

 

 鉄棍自体の長さは、ロニの斧槍と同程度。力でかなうべくもないが、条件が同じである以上技巧を駆使すれば、どうにかできないことはない。

 跳ね上げた鉄棍で斧槍をひっかけ、ガードを抜いてそのままえぐるような突きを放つ。

 

「ぐへっ」

「ロニ!」

「馬鹿の心配をしている場合かっ!」

 

 言葉は悪いが、間違った判断ではない。現在フィオレは遅いフォローに走ったカイルに狙いを定めているのだから。

 とはいえ、すぐには実行できない。本来ならロニを仕留めた直後に走るところ、度重なる戦闘の疲労が足に現れ始めていた。

 今の状況を考えれば、好都合なことかもしれないが。

 乱れる呼吸を整える暇もなく、ジューダスの強襲を受けてとっさに迎撃する。

 知っている太刀筋だからこそ捌き切れるが、果たしてそうでなかったらどうなっていたことか。

 そんなことをぼんやり思っていると、足元から風切音が聞こえた。

 

「ジューダス、本当にいいのかい!?」

「誤射したところで決定打にはならん。集中力を削ぐんだ!」

 

 なんと、ナナリーは主に足元を狙って矢を射かけ始めたのである。

 確かにこれを含めて捌くのは難しいが、立ち位置によってはジューダスを盾にできる。それを目論みわざと隙を作って誘えば、彼はあっさり誘いに応じた。

 結果として矢は止まったが、これでナナリーが位置を変えずに手だけ止めたということは。

 

「てやあっ!」

 

 その場に伏せると同時に、カイルの突きが頭上を通過する。その際、頭に載せていた帽子が剣の風圧を受けて、地に転がった。

 

「あっ」

「……やはりか。何をしに来た」

 

 フィリアの扮装──髪の色と髪型を変えただけ──のフィオレに、剣を突きだす。

 カイルもナナリーも驚いているが、状況を忘れるほどのことでもないらしい。

 

「……まあ、ちょっと顔を見に。元気そうで何よりです」

 

 ばれてしまった以上は、隠してもしょうがない。転がった帽子は懐に回収、再び剣戟に応じる。

 

「首尾はどうなんだ」

「もうすぐ目的を果たせそうですよ」

 

 その前に、とんでもない試練に挑まなければならないが。もうすぐ決着がつくことだけは間違いないはずだ。

 

「中間報告か? 御苦労なことだ」

「あとは……路銀稼ぎですね」

 

 足腰に疲労が溜まっているせいで、キレのある返しができない。それがわかっているようで、ジューダスにはかなり余裕があった。

 

「路銀? そんなに遠いところなのか」

「これから、最果ての地へ行くんですよ。何でも、ケテルブルクに奥にあるロニール雪山を越えないといけない、みたいで……」

 

 疲れも手伝って、ぽつぽつ事情を語っていく。

 そこへ一同を連れていくか否かを試すために、今こうして戦っている。

 非常に単純な理由だが、最果て後へ行くことを告げて以降、フィオレは完全に口を閉ざしてしまった。

 ──もっと、自分に自信があれば。確かな強さがあれば。必ず帰ってくることを胸に誓って直行できたのに。それができずに、フィオレは今、仲間達に頼ろうとしている。

 その仲間達も、元をただせばフィオレが連れてきてしまったようなものなのに。

 思った以上に消耗しているのか、息は上がり、足元はすでにおぼつかない。

 話は終わりとみて好機と悟ったか。ジューダスが虚をついて攻め入ってきた。

 反対側から、カイルが同じように迫る。

 わざと足をもつれさせて倒れ、受け身を取ってその場から転がるように離脱する。

 素早く体勢を立て直し、二人を置き去りにフィオレが走りよるは、ナナリーの元だ。

 

「フィ……」

「其の荒らぶる心に、安らかな深淵を」

 

 咄嗟に距離を取ろうと弓を振りかざす手を捕らえて譜歌を謡えば、彼女はその場に崩れ落ちた。

 非常に危険な真似──ナナリーの安否ではなく、フィオレの正体が露見しかねない行為であることはわかっている。しかし、流石に彼女に手を上げるのはためらわれた。

 振り返れば、手を止められなかったらしい二人がようやくフィオレに狙いを定めている。

 ──やはり彼らを同行させることはできない。これだけ疲れ切ったフィオレ一人、仕留められないのであれば。

 答えは出た。彼らは連れ出すことなく、惑星譜術を得てから、迎えに来よう。

 そうと決まったら、やることはひとつ。

 すっかり上がってしまった息を深呼吸のひとつで整え、改めて鉄棍を構えた。

 早々に終わらせると決意しても、この二人と同時に相手且つ短期決戦は難しい。腕試しの総仕上げとして。叶う限りの戦略を組み立てるべく、フィオレは心を落ち着かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十三戦——振り向くな、迷わずに行くんだ~守るべき未来を信じて

 バチカルの闘技場。
 一緒に行かないことに決めたフィオレは、後ろ髪引かれる思いで逃亡し。
 一同は当然のように、戸惑う、と。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が、なりやまない。

 

『かんど~です!! もう、ちょ~かんど~です!! 今、ここに語られ称えられるべき伝説が生まれましたっ!!』

 

 確かに。出会った頃と比べて、感動的なまでに成長してくれた。

 ジューダスはもちろんのこと、カイルの成長は目覚ましい。

 だがそれでも、だからこそ。二人がかりであれ体力が尽きかけていても、負けるわけにはいかなかった。

 フィオレが己を負かせとハッパをかけるのは、手塩をかけて育てた弟子相手だけだから。

 仕事だから仕方ないのだが、何やらべらべらと勝者を褒め称える司会の声など、ちっとも耳に入らない。

 優勝賞金だけはきっちりと手にして、きびすを返す。

 借用した鉄棍を返却し、自分の荷を手にしたフィオレが闘技場から出ていこうとする前に。

 とある人物に、行く手を塞がれた。

 

「──ハロルド。みんなは」

「連中の治療なら、リアラに任せてあるわ。一体どうしちゃったのよ」

 

 仕事はどうしたと言いかけて、黙殺される。

 あの戦いで傍観していただけだろうに、何に気付いたというのだろうか。彼女は矢継ぎ早に質問を重ねた。

 

「そんなことよりあんた。これから何をするつもりなの?」

「何って、私の目的はひとつだけ。今更それを聞いてどうすると言うのですか」

「……そうよね。あんたはそれのために奮闘している。でも、今のは何なの?」

 

 本気で意味がわからない。

 その意を彼女に尋ねれば、ハロルドはびしっ、とフィオレに指を突きつけた。

 ──そういえば、帽子を被っていない。顔は変えていないのだ、隠さなければ。

 

「なんで、全部あきらめたような顔してるのよ。これから何をしようとしているわけ? それにあんたが、ただの報告であんな無茶するなんて」

 

 ハロルドの追及を最後まで聞くこともせずに。

 取り出した帽子を目深に被ったフィオレは、彼女を押しのけてその場を後にした。

 

「ちょっと!」

「──ジューダスが、詳細を知っています。必ず、戻ってきますから」

 

 などと言ったところで、ハロルドの性格ではこのまま尾行つけてきかねない。

 広げた地図を彼女の顔面に突き出し、完全に目をそらしてからきびすを返す。

 地図の一点に刻まれたしるしに一瞬目を奪われたハロルドは、人ごみに紛れたフィオレをあっさり見失ってしまった。

 

「……んもう」

 

 そうとなったからには、無駄な追跡はしない。慣れぬこの世界で、できることは限られている。

 きょろりと周囲に視線を巡らせて、ハロルドもまたきびすを返した。

 フィオレによって剣闘士となって以降、日々真面目に挑戦者を撃退──結果として黒星無しの戦績を評価され、現在一同は専用の個室を与えられている。

 その一室、漢部屋にハロルドを除く一同は待機していた。

 とはいえ、戦っていた四人はすでに回復している。

 ロニは鳩尾をえぐられ、倒れた際にたんこぶを作っただけで内臓損傷は無し、ナナリーなどただ眠っていただけ。

 カイルもジューダスも全身に及ぶ打撲や痣は失神するほどに酷いものだったが、骨に達するものはなく治癒晶術によって快癒している。

 ハロルドの帰還に気がついたリアラが口を開きかけるものの、彼女は首を横に振った。

 

「逃げられちゃったわ」

「そう……フィオレ、一体どうしちゃったのかしら。戦い終わったと思ったら、すごく思い詰めたような顔してたのに」

「必ず戻ってくるって言ってたけど。あの子は何をするつもりなの、ジューダス」

 

 意外そうな風情のジューダスに先程交わした内容を語り、残された地図を見せ。彼はため息交じりに、試合中交わした会話を話した。

 

「北の大陸の、最果てに行くと言っていたな。そのために路銀が必要で、僕らのことはちょっと顔を見に来ただけらしい」

「でも、それだけであんな顔するかい? あたし達見てホームシックになったわけじゃあるまいし……」

「僕が知るものか」

 

 こうして憶測を交わしていても、解決どころか事態の進展にもならない。

 それに気付くまでもなく、意味のない話し合いすら行わせなかったのはハロルドだった。

 

「選択するべきは二つに一つよ。今すぐフィオレを追うか、またフィオレが来るのを待つか。どっちがいい?」

「……なんで僕に言うんだ」

 

 一応ハロルドは全員を見回しているが、一同の視線はジューダスに集中している。

 かつてない視線の集中砲火を受けて、彼は居心地悪そうに座り直した。

 

「最適な答えが出せそうなのがあんただと認識された結果ね。ま、一番付き合いが長いとか、そんな理由でしょうけど」

『難しい問題ですね。僕個人としては、今すぐ追いかけるべきだと思っていますが』

 

 黙るジューダスをフォローするでもないだろうが、シャルティエがひそりと意見を出す。

 ジューダスと同程度に彼女を見知るシャルティエの意見を、ハロルドは聞き流さなかった。

 

「シャルティエは追うべきだと思うわけね。なんで?」

『心配だから。その一言につきます。あんな不安そうな顔初めて見ましたよ。今は彼女を信じる時ではなくて、支えるべきだと思います』

「それはお前の個人的な感情だろう。僕はそうは思わない」

 

 対するジューダスは、それを真っ向から否定している。幾度となく煮え湯を飲まされた過去を思えば、致し方ないことなのだろうが。

 

「確かに、あんな表情を見たことはないし、その覚えもない。ただ、あいつは隠し事を徹底する性質(タチ)だぞ。暴かれることを望んでいるとは思えん」

「じゃあ、放っておくってのかい?」

「支援が必要ならその旨伝えると言った奴を追いかけてどうするんだ。心配だから同行するとでもいうのか? 子供じゃあるまいし、それはあいつに対する侮辱だぞ」

 

 ジューダスが言っているのはまぎれもない正論である。一同の知るフィオレの性格、考え方としてもそぐわないものではない。

 短い付き合いでそれがわかっていても、ハロルドは不満顔だった。

 

「……」

「ハロルドは、追った方がいいと思ってる?」

「当たり前でしょ」

 

 尋ねるカイルに対して、ハロルドはきっぱりと言い切った。

 その顔には、不満がありありと浮かんでいる。

 

「根拠はあんまりないけどね。一番目に女の勘、二番目にフィオレの眼、三番目にあの挙動不審ってところかしら」

 

 それでも、行くべきでないとするならそれに従うとハロルドは言った。自らの直感とはいえ、根拠もなくそれを主張、押し通すようなことはしないと言う。

 追うべきか待つべきか。真っ二つに意見が分かれた二人と、はっきり意見を出しかねる四人。

 話が硬直しかけたその時のこと。

 空気を一変させたのは、部屋の扉を叩くノッカーの音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十四戦——……はじめまして。



 ロニール雪山、本来ならアルビオールがないと来れない場所へ。
 フィオレが単独で向かうことができたのは、セルシウスならびに意識集合体達が全力でサポートしてくれたおかげです。
 そんなわけで、テイルズオブジアビス最強と謳われる敵。
 ジェイド・カーティス、サフィール・ワイヨン・ネイス(ディスト)、ピオニー・ウパラ・マルクト九世の師、ゲルダ・ネビリムの生体レプリカ。
 この作品においては、フィオレの生みの母親にそっくりさん。
 レプリカネビリムのお目見えですの! 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるようにバチカルを出て、三日後のこと。

 フィオレはロニール山脈を越えて、シルバーナ大陸北西へ訪れていた。

 

「こんな時期にたった一人で!? お客さん、死ぬためにロニール雪山に行くんじゃないだろうね?」

「死ぬつもりなら装備なんて求めません、死なないための準備しに来たんです」

 

 ケテルブルクにて登山装備を買いこみ、店主と少し話をしたせいで足がついてしまったかもしれないが、この際どうでもいい。これまで用心に用心を重ねてきたが、今この精神状態では繕えるものも繕えない。

 とにかく必ず帰ること。それが例え敗走し、封印されているものを野放しにすることになっても。これまでの旅路を経て、フィオレはどうにかそれだけは決断していた。

 ロニール山脈を越えた先は、人が立ち入ることがごく稀の秘境である。到達しようにも命を落とした人間は数多い。道中珍しく好天が続いたため順調に目的地へ近付いているが、そうでなかったらフィオレも帰らぬ人になっていたかもしれない。

 

『さて、封印の場所は目前じゃ。心の準備はいいかえ?』

「いいえ」

『素直で結構なことじゃ。しかし、この場での棒立ちは自殺行為じゃぞ』

 

 セルシウスの言う通り、フィオレが立っているのは洞窟の入り口、封印間近である。

 内部は意外に広く、正確には眼前ではないのだが、フィオレの足はなかなか一歩を踏み出そうとしなかった。

 戦いが、待ち受けているのだ。どうなるのか見当がつくようでつかない、激戦が。

 実力的にも精神的にも、辛い戦いになるのは必至。今の状態で挑めば、とりあえず満遍なく冷えた身体で素直に戦えないだろう。まずは身体を温めなければ。

 そう自分に言い聞かせて、フィオレはどうにか足を進めた。

 広く感じた空洞だが、奥行きはそれほどもなく。ついに封印の地へ至る。

 ドーム状となった洞窟の最奥は、ほのかに明るかった。

 光源は天井ではなく、地表である。むき出しの岩肌に譜陣が描かれ、常に明滅を繰り返していた。

 見た限り実に不思議な構成で、もともと存在していた譜陣の上から更に新たな譜陣が描き足されたように見える。

 

『これは……』

『見たまま、じゃ。惑星譜術の礎たる譜陣の上から、封印をするために描き加えたのじゃよ』

 

 これ以上のことを知りたければ預言(スコア)を詠めと言われて、フィオレは好奇心を抑えた。

 譜陣によれば、指定の位置に光と闇の触媒を設置することで再起動するようである。

 ──それと同時に、封印が解ける、とも。

 封印解放と同時に惑星譜術を起動すれば、案外あっさり決着(ケリ)がつくのでは──起動方法がわからないから不可能だ。

 フィオレとて、本音は自力で惑星譜術のことを調べたかった。真髄を得るのは無理だろうが、さわりだけでも。

 もともと知識を持つ人物を殺して知識を吸収するなどという手段に抵抗はあったし、正直不確かでもある。知識の吸収自体は仕方ないとしても、自分の眼で文献を紐解き、再確認するような形を取りたかった。

 しかし、限られた時間でダアトへ赴いても成果は少なく。ネビリム宅が全焼した際、焼け残った資料などはマルクト軍が引き払ったとの情報をディストの私室で見つけたものの、それら資料に大した情報は無いとの見解に。その程度の情報のためにこれ以上時間は割けないと、断念したのだ。

 そのため、フィオレに惑星譜術の何たるかがまったくわからない。

 それなのに、応用して転送陣を組めなど無茶な話である。しかし、それしか手段がないなら、納得できなくても実行するしかない。途方に暮れて、意識集合体を頼ったのはフィオレだ。

 コンタミネーションを解除し、散らばる六つの触媒を譜陣の意味に従って並べる。

 譜陣の力が働き、置いたはずの武具が次々と滞空する中。最後のひとつ、魔剣を手にフィオレはひとつ、深呼吸した。

 冷えた空気で肺が痛むものの、外ほどではない。整理運動の効果で身体は温まっている。後は、肚を決めるだけ。

 片手に握りしめた紫水の感触を確かめながら、フィオレは魔剣をその場所へ置いた。

 重力から完全に背いた形で、剣が浮かび上がる。光と闇の触媒という供給を経て、譜陣はこれまでにない輝きを放った。

 

「!」

 

 地表の譜陣から新たな譜陣──解放を示す類のそれが岩の壁へ這うように形成され、音を立てて扉のように開いていく。

 接ぎ目のあるおかしな岩壁だと思ったら、これが封印だったのか。ここが最奥ではなくて、分厚い壁の向こうに、空間があるようだ。

 細く開いた岩扉の先に譜陣が延び、その向こうを仄白く照らす。

 飛びこむのは危険だ。この地形でできるのは、待ち受けることのみ。

 岩壁の奥が僅かに陰り、人型の何かがゆっくりと姿を見せる。

 

 ──雪色の髪に、緋色を宿した切れ長の、猫のような瞳。かつて所持していたロケットペンダントに収まっていた肖像画、そのものの細面。

 

 ゲルダ・ネビリム当人と同じであろうなよやかな肢体だが、その背には異形の翼が揺れており、よくよく見ると足を動かさず、滑るように移動している。

 とても封印されていたとは思えない、滑らかな動作で譜陣の真上に降り立った女性──レプリカネビリムは、フィオレに向かってにこりと微笑んだ。

 

「あなたが触媒を集めてくれたのね」

「……」

 

 これが、母の声。初めて聞く、母親と同じ声帯から、発せられる声。

 柔らかな印象を与える、通常の女声である。穏やかな様子と併せて、とても気が触れているようには見えない。

 

「おかげで、私に足りなかったレムとシャドウの音素(フォニム)が補給できたわ」

 

 まさかその、補給とやらをしたから、今は安定しているやも──

 会話に応じることなく、また警戒を解くことなく様子を窺っていたフィオレだったが、次なる言葉を耳にして思考が停止した。

 

「ありがとう──フィオレンシア」

 

「……え?」

 

 その言葉だけは、決して耳にすることがないと思っていたのに。

 

「な……んで」

「大きくなったのね。もっとも私が知っているのは、生まれて間もないあなただけれど」

 

 聞き違いじゃない。

 そのことに絶望しながら、フィオレは子供のように首を振った。

 

「そんなわけない! どうして、その名を……!」

 

 ネビリムの姓を持つこの名は、この世界において誰にも明かしていないのに。

 そもそも知った経緯が手紙、しかも読んだその直後に手紙は発火して消滅した。他に知るのは、今は亡き当人だけのはずなのに……! 

 

「どうして知っているのか、ですって? 娘の名を考えたのは他ならぬ私。知らないわけがないわ」

「嘘だ! レプリカのあなたに、そんな……!」

 

 声を荒げて、言葉に詰まる。

 悠然と佇むレプリカは、通常の行程を経て作成されたものではない。死亡直前の人間から直接情報を採取し、譜術を用いて作成されているとディストの研究資料にあった。

 その推測を裏付けるように、ゲルダ・ネビリムのレプリカは悲しげに眉をひそめた。

 

「レプリカだなんて。記憶なら、あるのよ。あんなに痛かったことを、あなたの元気な産声を──忘れようがないわ」

「!!」

 

 ──悪夢、だった。

 確かに、封印されているのがレプリカ、それも誕生したてとそう変わらないなら大した情報など持っていないはずなのに、惑星譜術がどうこうなど、引っ掛かっていた事項ではある。

 混乱する感情とは裏腹に、フィオレはひとつ確信していた。

 目の前の彼女は、レプリカで間違いなさそうだと。

 

「さあ、お母さんにもっとよく顔を見せて」

 

 ひょいと伸ばされたしなやかな腕、白魚のような指先が帽子のひさしを摘まむ。

 言の葉を奏でる音に違和感を覚えて、その手から逃げようとしたこと。

 それが。フィオレの運命を大きく変えた。

 

 

 

 

 

 

 



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第八十五戦——……こんにちわ。



 時間軸は少し巻き戻り、バチカル。
 フィオレがそそくさと闘技場から出て行き、困惑しているところから、ですね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バチカル、闘技場内施設にて。

 支配人から呼び出しを受けたカイルらは、用事を聞いて仰天していた。

 

「王女様が話を聞きたいって……どういうこと?」

「少し前、元大詠師逃亡事件があっただろう? あの事件の関係者について君達に聞きたいことがあると、ナタリア殿下がね。心当たりはないのかい?」

 

 事件に関して、直接関わりがあることを疑われているわけではないらしい。この件に関して、一同は間違いなく関わりはない。

 ただその関係者については、一同もまったく心当たりがない、とは言い切れなかった。

 

「王族からの事情聴取ねえ……断ったら、さぞや面倒なことになるんでしょうね」

「否定はしない。どうしても嫌ならそう伝えるが、その後が恐ろしくてな……」

「話をするだけなら、構わないわよ。ただ、詳しいことは城で、とか、私達の誰か一人でも連れ出そうってんなら、その時点で何もかもお断り」

 

 勝手がわからないからなのか、非常に強気ともとれる発言である。

 そのことを咎めかけたロニだが、一言で黙殺された。

 

「話自体には応じるんですもの。そのくらいはいいでしょ?」

「……では、その旨伝えよう」

 

 支配人が席を立ち、しばらくして。条件が承諾されたものとして、王女殿下御一行が通される。

 ナタリアら一行、だ。

 

「お初にお目にかかりますわ。ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアです」

「ハロルド・ベルセリオスよ。基本的に聴取には私が応じるけど、紹介しておくわ」

「ちょ、ちょっとハロルド……」

「私達はあなたのとこの民じゃないから、恭しく振る舞う気はないわよ。不敬罪ってんなら改めて接してあげる。今うろたえたのはリアラね」

 

 ジューダスが肩をすくめ、ロニが額に手を当てて頭を振る中、マイペースに一同を紹介していく。

 返す形でナタリアもまた自らの供──ルーク達──を紹介したところで、本題を切り出したのはハロルドだった。

 

「で、何か聞きたいことがあるのよね。こないだの事件、えっと……」

「元大詠師逃亡事件の後、あなた方は往来で兵士と諍いを起こしましたね」

 

 ナタリアが確認の形でそれを問われて、ハロルドは軽く眉を跳ねあげた。

 一見平静だが、泳ぎ始めた視線が一同に不安を与えている。

 

「あ~……そのことなのね。厳密に言えばちょと違うけど、事実に変わりないわ。ひょっとして、しょっぴきに来たの?」

「違いますわ。報告ではその際に、あなた方の引率を名乗る女性が仲裁に入った、とあります」

 

 これも事実かと確かめられて、ハロルドは黙して首肯する。

 ナタリアらルーク一行が気づいているかどうか。ハロルドの目つきが、それまでのものと一転して真剣なものになっていることを。

 

「新緑色の髪、菫色の瞳に細身の女性と伺っていますが……あなた方のお知り合いなのですね?」

「知り合い、ね。まあ、肯定させてもらうわ。ちょっと前に知り合った程度だけど」

 

 彼女の言は、ハロルドに関して言えば、けっして偽りではない。否定しようとした面々も、ジューダスのアイコンタクトで抑えられる。

 今は、聴取に応じると言ったハロルドに任せようと。

 それまでの様子と一変、急に歯切れの悪くなった返答にも関わらず、ナタリアは手にした書類をぱらぱらとめくった。

 

「知り合いになられたばかりなのですね。その経緯は?」

「それを話すことはできないわ。こっちにもプライバシーってもんがあるのよ」

 

 歯切れが悪くなったと思ったら、つっぱねた。

 不遜な態度に続いて、協力的でないその姿勢に。むしろカイル達がはらはらと事の成り行きを見守っている。

 そこへ、初めてジューダスが口を開いた。

 

「なるほど、あいつのことが聴取内容か。この分だと、ついさっきまで闘技場にいたこともご存じだろう」

「ご明察ですわ。今回闘技場にて団体戦における単独制覇を成し遂げた、との知らせを耳にし、あなた方との接触を図った次第ですの」

 

 ハロルドよりは遥かに慇懃に、何故後を追わないのかとジューダスが尋ねる。

 そこで、ナタリアが初めて押し黙った。

 

「……」

「追跡は試みましたが、気取られてしまいましてね。尾行を担当した者達は、高いびきで発見されました。心当たりはお有りで?」

 

 書類を手にすることもなく、ナタリアの背後に立つ青い軍服の男──ジェイドが、眼鏡の位置を直しながら答えた。

 間違いなくフィオレの仕業である。ただそれを肯定してしまったら、知り合ったばかりだと言った先程の証言に、僅かだが矛盾が生じてしまう。

 それを回避するべく、とぼけようとしたハロルドだったが。

 

「高いびきねえ。睡眠薬でも盛ったのかしらぁ?」

「声が裏返っていますわよ」

 

 あっさり露呈した。

 軍人だったとはいえ、尋問はされるよりする側だった彼女の演技力は、高くなかった模様である。そんなことはない、と重ねて否定するのは、更に疑ってくれと駄目押ししているようなものだ。

 気まずく黙るハロルドに対して、カマをかけたジェイドはにこやかに語りかけた。

 

「まあ、あなた方と彼女の関係自体はさほど重要ではありません。私達が尋ねたいのは、彼女の「あいつの行き先に心当たりはないか? あんたらから聞きたいことは勿論あるんだが、あいつに直接話をつけたい」

 

 遅々として進まない話に、イラついたように切り出したのは。それまで事の次第を見守っていた金髪碧眼の男──ガイである。

 柔らかではあるが詰問の口調とは大幅に異なる、その真摯な態度にハロルドが詳細を尋ねる。

 

「どういうこと?」

「あいつは──」

 

 その内容を耳にして、カイル達は刮目せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 



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第八十六戦——……さよなら。

 ロニール雪山。
 戦闘、合流、二度目だけど、もう二度と会うこともない、「みんな」とのお別れ。
 それに伴って、長きに渡るオールドラント編も終了でございます。
 アビスを知らぬ皆様、ここまでのお付き合いありがとうございました。
 次回よりデスティニー2の世界へと戻りんす。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白魚の指先が帽子を摘まもうとして、フィオレが身を引いたことにより空を切る。

 突如として指が翻り、掌が突き出された。

 明らかに危険な光を宿したそれを。

 

「!」

 

 身を引いていたことが幸いして、起爆から辛くも逃れる。

 何を、と抗議するよりも早く眼にしたもの。

 それは、聖母のような微笑と似て異なる般若の眼差しだった。

 

「……避けちゃ、だめじゃない」

 

 思わず絶句するフィオレを見つめたまま、再びその手に光を宿す。

 

「私の血を引いた人間の音素(フォニム)なら、きっとよく馴染むわ」

「!?」

「フィオレンシア。私はね、不完全な失敗作なの。だからジェイドに廃棄──殺されそうになったわ」

 

 他者を害する危険な光。それを手に、そして瞳に宿したまま。レプリカネビリムは微笑みを浮かべたままだった。

 それがどこか寂しげに見えたのは、気のせいなのか都合のいい妄想なのか。

 

「だから、一緒にいきましょう? 痛いのは、ほんの少しの間だけ。ずっと、一緒にいられるのよ」

 

 彼女が封じられる原因となった、当初の事件。造られた己に足りない音素(フォニム)を得るがため、彼女は一個中隊に相当する譜術士を虐殺した。

 譜術によって作成されたレプリカは、一部の音素(フォニム)が欠落して、精神の均衡は保てない。

 ──フィオレを喰うことで、欠落している音素(フォニム)を補うつもりなのか。つまり、それは。

 

「目的は、同じだということですか」

「そう。あなたは惑星譜術を得るがため、私は完全な存在になるため。私達は、互いが必要なの」

 

 目的を知られている理由。フィオレにとってそれは至極どうでもいいことだったが、レプリカネビリムはさらりと語ってくれた。

 

「この日が来ることをずっと待ちわびていたわ。預言(スコア)を詠んだあの日から……ふふ、とても興味深い事例だけれど、それはどうでもいいのよ」

「重要なのは、どちらが残るか、ですか」

 

 いつ仕掛けられてもいいように、フィオレは警戒を隠さない。しかし、レプリカネビリムはゆらゆらと首を横に振った。

 

「……私が、転送陣を組んでもいいのよ」

「!」

「仲間達を、元いた世界へ返したいのでしょう? 星の質量を扱う譜術ですもの。確かに可能だわ。惑星譜術を完璧に理解する必要があるけれど」

 

 現時点で完全に惑星譜術を理解している彼女が転送陣を組むならば、理屈上は完璧なものが出来上がるだろう。

 その代償として、フィオレは彼女に殺されなければならないのだが。

 

「理解してみせます。私の目的は、彼らを帰すことだけではない。あなたに頼ることは、何もない」

「つれないわね。お母さん、悲しいわ」

 

 記憶があるだけ、顔が同じだけの偽物が何をのたまうか。

 今後を思うなら命乞いされないだけ、ましな態度である。しかし、その言葉は看過できなかった。

 

「騙りはやめてください」

「騙りだなんて。私は「子供を嬉々として殺そうとする親なんか、親じゃない。たとえ本当に、あなたがゲルダ・ネビリムだったとしても。母親面しないでください。図々しい」

 

 フィオレとて、母親と戦いに──殺しに来たわけではない。あくまで失われている惑星譜術を最も知る者として、相対しているのだ。

 それを聞いて、レプリカネビリムは笑みを零した。

 明らかな嘲笑を。

 

「あらっ、やっぱり親子ね、私達。あなたも殺しているじゃない。自分の都合で──」

 

 お腹の我が子を。

 

「っ!」

 

 それを耳で聞いて、意味を理解するより早く。

 我を忘れたフィオレは、獣のような雄叫びを上げて飛び込んでいた。

 紫水の銘は、紫電という刀を元につけられたものである。

 その名に恥じぬ勢いで突き出された刃だが、人非ざる肉を捕らえることはなかった。

 

「まあ、こわい。可愛い顔が台無しよ、フィオレンシア」

「うるせぇっ! 黙れよ、このっ──」

 

 くすくすと微笑みながら、レプリカネビリムは紫水の描く軌道から逃れている。

 久しく覚えなかった焦燥が、違う何かと共に胸をえぐった。それは果たして攻撃が通じないことに対する焦りなのか、それとも。

 雑念を払うように、時に前のめりになりながら、紫水でレプリカネビリムを追う。

 

「すごいわ、強いのね。フィオレンシア」

 

 しかし、返ってくるのは刃が肉を引き裂く感覚ではなく、身を引き裂くような悲鳴の調べでもなく、呑気な称賛ばかり。

 驚異的な身体能力を駆使して、完全に見切った様子でフィオレの猛攻を回避していたレプリカネビリムが、ふと己の腕を突き出した。

 すわ攻撃かと身を固くしたフィオレだったが、彼女はひらひらと腕を振るばかりである。

 紫水の刃から逃れ損ね、ほんの僅か切れた袖口を示すように。

 

「避けたと思ったのに、流石私の娘ね。もうすぐこの肌に、紙切れで切ったような傷ができるのかしら?」

「母親面するな、厚かましい!」

 

 普段の猫かぶりをかなぐり捨てて怒鳴り散らすも、レプリカネビリムは動じない。

 笑みを深めて、すい、と距離を取る。

 

「怒りっぽい子ね。あの日かしら」

 

 いくら頭に血が上っていても、飛び込むのは危険だと感覚は告げる。

 口車には乗らず、じりじりと間合いを詰めようとして。

 

「さあ、戯れはここまで。あなたは私の中へ還るの」

 

 たおやかな手が、今も浮遊する魔剣を掴む。

 

「……沢山殺してきたのね」

「!?」

「この触媒はね、所持者が奪った命を喰らって鋭さを増すのよ。だから」

 

 何の偶然なのか、剣と同じ名を冠したレプリカは剣と共に飛びかかってきた。

 

「すぐに終わるわ。苦しむ(いとま)もなく」

 

 軽やかに、しかし不似合いな剣を振り上げるその姿に、技巧も何もあったものではない。

 ただその単純な斬撃は、眼で追うのが精いっぱいで、身体がついていかず。

 

「!」

 

 ──受けることしか、できなかった。

 防御の際、フィオレはよほどのことがなければ向けられた力をあらぬ方向に流して捌く。

 まともに受けることは下策だからだ。難しくはないが、無駄な体力の消耗に繋がり、且つ反撃の好機を逃すことになる。

 これまで生きてきた中で、嫌というほどそれを繰り返してきたフィオレは、防御とはすなわち受け流し、反撃することに等しい。たゆまぬ修練が理屈を抜いて、条件反射的にそれが可能であっても。

 人の理を超越した存在を前に、培われた技術はあっけなく敗れた。

 振るわれた一撃は、フィオレが知るどんな一撃よりも疾く、重く。受け流しきれず、咄嗟の防御はあっさり突破された。

 紫水が破壊されるよりも早く自分から後方へ跳ぶも、打ち合った衝撃がそれを上回り。

 あっという間に岩壁へ激突、呼吸すらままならなくなる。めり込むのではと思うほど叩きつけられ、否が応でも悟った。

 

 まともに戦っては、勝てない。

 

 反射的に咳きこむも、どうにか頭を下げることだけは耐えた。

 レプリカネビリムの攻撃が、これだけにとどまるわけがない。

 

「──もう一度、生んであげる。本当の親子になりましょうよ」

 

 結構な距離を弾かれたというのに、レプリカネビリムは一度たりとも足を動かすことなく、フィオレの眼前へやってきた。

 その手に、グランコクマの王宮で見つけたあの宝剣を携えて。

 滑るように接近し、再び棒きれで殴るように振り下ろす。

 もう背後に逃げ場はない。振り上げたその瞬間真横へ跳び、転がるようにして距離を取る。

 岩壁に深々と突き刺さった──否、無理やり突き立てられた宝剣を放置し、レプリカネビリムは闇色の槍を手にした。

 また殴りかかってくるのかと身構えたところで、それが投擲される。慌てて回避した矢先に、閃光が眼前を横切った。

 

「そっちじゃないわ。こっちへいらっしゃい」

 

 一対の翼を模した弓を引き絞る先から、光が生まれていく。

 譜力を矢に変換できるのか、彼女がそうしているのか。

 流星群のように絶え間なく、しかしでたらめに放たれる光矢から逃れる内、ふとその手が止まった。

 

「フィオレンシア。わがままを言って、お母さんを困らせるのはやめて?」

「……この期に及んでも母親面ですか。誰も生んだことなんかないくせに。彼女と同じ面でも、私は怯まない」

「その割には私と対話してくれるのね。取るに足らない戯言だと、切り捨てられないからかしら」

 

 小うるさいから黙らせたいだけ、が本音だが……そうやって油断してくれるなら好都合というものだ。

 そう思い込むことにした。事実から目を背けることが、いつ何時も悪いこととは限らない。

 

「さっきの勢いはどうしたの? 何を企んでいるの、フィオレンシア?」

 

 先程受けた一撃で、頭に上った血はとっくに下がっている。

 最早惑わされることもない。しかし、彼女を下す決定打もない。

 このまま攻防を続けて、突破口を見いだせるか否か。油断すれば即死に繋がるも、一撃で逆転する手段がないわけではないが……

 

「激しき水塊よ、我が敵を蹴散らせ!」

 

 そうこうしている間に、痺れを切らしたらしいレプリカネビリムが、詠唱を終わらせた。

 泡に似た青の球体が弾けて、飛沫型の衝撃が四方に散る。巻き込まれないよう回避するフィオレを追って、レプリカネビリムは詠唱を重ねた。

 

「出でよ雷雲、鋭き刃となりて、我が敵を貫け!」

 

 譜陣が展開し、虚空より発生した雷刃が飛来する。限定範囲型であることをいいことにこれを回避したフィオレは、再びレプリカネビリムに接敵しかけて。

 

「シアリング・ソロゥ!」

 

 いつのまにか持っていた短杖で迎撃された。

 まったく見覚えがない。おそらくスィンが持っていた闇の触媒だと思われる。

 迫る炎塊と炎柱の火の粉を浴びるも、どうにか逃れたフィオレが見たもの。それは鬼気迫る面持ちでユニセロスの特徴を模した杖を振りかざすレプリカネビリムの姿だった。

 

「どうして答えてくれないの? どうして死んでくれないの!? お母さんはあなたを苦しめたくないのにっ!」

 

 激昂している。

 レプリカネビリムの様子がおかしいのは、承知の上。初めからこうでもおかしくはなかったのだ。

 フィオレが一言も発さなくなったことが起因しているのか、はたまた思うように事が運ばなくてご立腹なのか。どちらにせよ、彼女の機嫌を伺う必要はない。焦れば焦るほど、好都合だ。

 だが。

 

「ひれ伏しなさい!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

 

 展開した譜陣から重力場が発生し、あらゆるものを大地へ叩きつける。圧力に加えて降り注ぐ鍾乳石を張り巡らせた結界が無効化するも、レプリカネビリムは耳触りな高笑いを上げていた。

 

「これで終わりにしてあげる……!」

 

 その言葉は、けしてハッタリに類するものではない。

 対象を捉えることがなかった譜術の残滓。岩肌に散った各音素(フォニム)が抽出され、レプリカネビリムに集う。地水火風──そして、彼女が思う存分振り回した光と闇の触媒から散った譜力。

 全音素(フォニム)が集結し、ふわりと華奢に見える身体が宙を舞う。

 取り巻く音素(フォニム)の塊が、何の前触れもなく一斉に射出された。

 

「!?」

 

 消えかけていた結界を再構築し、衝撃に備える。

 最悪な事態──結界が一瞬たりとも耐えられずはぜ割れ、意識が吹っ飛びそのまま目覚めずゲームオーバー、という未来がちらりと脳裏を掠めたが、掠めただけだった。

 攻城兵器に匹敵するであろう音素(フォニム)の波状攻撃が、結界に激突する。幸いそれらを受けても結界が破壊されることはなかった。が……

 光が、未だ収まらない。

 レプリカネビリムを中心に、円を描くように踊っていた音素(フォニム)が、まるで花火のように虚空へ譜陣を描く。

 これ以上結界に頼れば、待ち受けるのは自滅。

 疲弊しきった結界を消したフィオレ目がけて、譜陣全体から眩い輝きが降り注がれる。

 

「エンド・オブ・フラグメント!」

 

 ──あれだけの高出力を放っておきながら、こちらが本番だったとは。

 直撃こそ免れたものの、その余波は凄まじく。気づけば手元に紫水はなく、レプリカネビリムがすぐそばに佇んでいた。

 

「……そう。まだ、生きているのね」

 

 懐の短刀を抜くより早く、胸倉を掴まれ身体が宙に浮く。

 見た限り、体つきからして筋肉量は少ないはずだが、レプリカネビリムは無表情だ。少なくとも無理をして、フィオレを腕一本で吊り上げているわけではないらしい。

 

「やっと捕まえたわ。もう抱っこもおんぶもしてあげられないけど」

「っ……!」

「さあ……ひとつになりましょう?」

 

 すぅっ、とレプリカネビリムの移動に伴い、未だ燐光を放つ譜陣の中央に連れてこられる。

 何をするつもりなのか知りたくもない上に、このままではまた意識が飛んでしまうだろう。

 そうなる前に逃げようともがきながら、レプリカネビリムの指を切り落とそうとして。

 

「あらあら、駄目よ」

 

 ぐしゃっ、と音がして、激痛が走る。

 意識に反して短刀を取り落とした右手に力が入らず、腕がだらりと垂れ下がった。フィオレには見ることも叶わないが、みるみる内に手首が腫れあがっていく。おそらく関節ごと握りつぶされたのだろう。

 激痛で、意識が朦朧とする。

 とにかく逃げなければ、という意志が働いたのだろう。義手の左手に必要以上の力がこもったようだ。

 

「ぎゃあっ!」

 

 でなければ、レプリカネビリムが悲鳴を上げてフィオレを放り出すはずもない。

 

「な、何をしたの……?」

 

 見やれば、フィオレを宙吊りにしていた手が真っ赤に腫れあがっている。無我夢中で逃げようとして、その手を握り潰したようだ。

 その証拠に、腕の接合部から異常な熱を感じる。このまま火傷するかと思われるほどに。

 

「やってくれるじゃない!」

 

 右腕は一部が砕けて、左腕はオーバーヒート寸前。

 これで一発逆転──近接攻撃による不意討ち、急所へ一撃入れることは到底不可能となった。

 それどころか、ある程度の所作を必要とする譜術も使用不可能となったに近い。

 よしんば可能であったところで、発動は非常に遅くなるだろうし、それでいて眼前には岩をも砕く怒り狂ったレプリカが一体。

 

 ──それにしても、劣化しているはずのレプリカでこれとは。オリジナルのゲルダ・ネビリムは、どれだけの猛者だったというのか。相当な問題児だったらしい少年期のジェイドが、素直に師事していたというのも頷ける。

 

 ただひとつの救いは、レプリカネビリムに治癒手段がないことか。使えるものなら、眉ひとつ動かすことなくとっくに使っているはず。

 しかし、優れた第七音素譜術士(セブンスフォニマー)であった彼女のレプリカに、治癒術が使えないというのだからおかしな話である。

 通常とは違う手段で作成されたレプリカだから色々勝手が違う、それはわかっていたが。

 こんなことを悠長に考えていられたのは、一重にレプリカネビリムの利き手が機能していないためだ。

 もしも現在彼女が絶好調なら、フィオレは最早笑うことも呼吸することも、考えることすらできない状態にされていただろう。

 

「ちょこまかと……!」

 

 片手で振り回される魔剣は確かに脅威だが、威力も速さも見事に半減している。いなしきれないことはない。

 ただし、条件はほぼ同じなのだ。優位性はフィオレが両利きだということ、隙を見て治癒術を行使できることだけで、このまま悪戯に時間を消費すれば、状況は一転するだろう。

 何も一発逆転、博打のような方法でなくていい。早く突破口を見出さなければ。

 炙られるような焦燥が去来するものの、焦ったところで名案は浮かばない。

 それがわかりきっているからこそ、焦燥を理性で制御しながら好機を待つ。

 

「フィオレンシア! 悪い子ね、お母さんの言うことを、聞きなさいっ!」

 

 ──ようやく、叱られることに慣れてきた。正確には、聞き流せるようになってきた。

 相手が、他者が狂乱することで己が冷静を保つことは容易い。あえて黙り、反応を押し込めることでレプリカネビリムを焦らせることはできたようだ。

 この調子で、どうにか流れを引き寄せて掌握できないかと試みた。

 

「……」

「私にそっくりなくせに、可愛げのない……父親の血かしら、それとも環境? 今度はもう離さない、だから……」

「死ね?」

 

 にっこりと微笑んで、フィオレはそう言った。

 硬直した好機に懐へ飛び込み、ようやく紫水の斬撃を浴びせる。

 このまま一息に勝負をつけるべく、更に踏み込もうとして。

 

「……おいたは、駄目よ」

 

 突き出した紫水ごと背中に腕を回され、万力の如き力がフィオレを拘束する。紫水は間違いなく彼女を貫いているはずだが、動じた気配はない。

 

「──母なる大地よ。その力、我に与えたまえ」

 

 死の抱擁から逃れるべくもがいたフィオレが見たもの。それは、二人の足元にて更なる輝きを放つ譜陣だった。

 

「天の(わざわい)、地の嘆き。現世のあらゆる咎を送らんがため、今断罪の剣が振り下ろされる」

 

 発動されようとしているのは、惑星譜術なのか。この位置から本来の──星の力を解放してフィオレにぶつけようものなら、彼女もまた巻き込まれる。

 だからといって何をしようとしているのか、さっぱりわからないが。とにかく受容する選択肢はない。

 

「星よ。生みだされし命を──」

「烈破掌!」

 

 身を捩り、レプリカネビリムの胸元にどうにか掌を押し付け、発動させる。闘気を圧縮させ、それの解放によって対象を突き飛ばす術技だ。今や右手でしか発動不可につき、反動で泣き出せるほど痛いが、致し方ない。

 思惑通り、拘束の手が緩む。紫水を確保したまま蹴飛ばすように離れれば、譜陣より溢れた光がレプリカネビリムを包み込んだ。

 惑星譜術は発動した模様だが、譜術は暴発でもしない限り術者を害さない。

 つまり彼女は元から、フィオレを殺すつもりで惑星譜術を使ったわけではないということになる。

 では一体、何のために……

 レプリカネビリムを包んだ光が消失する頃、フィオレは刮目せざるをえなかった。

 

「え……!」

「うふふ。頑張ったのに、残念だったわね」

 

 泰然と微笑むレプリカネビリムは、フィオレが砕いたはずの手を口元に添えていた。やせ我慢なのではないことは、腫れてすらいないその肌が証明している。

 それどころではない。ようやっと浴びせた一撃、胸から脇腹にかけての斬撃が綺麗さっぱり消えていた。

 紫水は未だ命の雫を滴らせているというのに。

 

「私も残念よ。あのまま術が発動すれば、あなたごと音素(フォニム)を取り込むことができたのに。仕切り直しね」

 

 何が仕切り直しか。

 ここに至るまでの交戦で疲労も負傷も重なったフィオレに対し、レプリカネビリムは……リセット状態は言い過ぎでも、苦労して与えた負傷を消されてしまったのだ。

 これはもう、なりふりかまわず、玉砕巻き添え覚悟で、後のことは後で考えるとして、戦わなければならないか。

 絶体絶命に近い状況、覚悟と肚を決めたその直後のこと。

 乱入者が現れた。

 

「待てっ!」

 

 どれだけの時が流れようと、忘れることはない声。

 制止の意味をもって放たれた言葉は、レプリカネビリムのみならず、フィオレの動きをも完全に縛りつけた。

 ばたばたと、数人の駆け寄る足音がする。

 そして、レプリカネビリムの、歓喜が混じる声──

 

「……ジェイド、ジェイドね? 昔はあんなに可愛らしかったのに、今はずいぶん怖いお顔をしているのね」

「なぜ、お前がここに……」

 

 フィオレを挟んで交わされるやりとりの、半分も耳に入ってこない。

 気配から、やりとりから、間違いなく背後にいるのはルーク一行だ。

 眼前に立つのがレプリカネビリムだけあって、主に聞こえてくるのはジェイドの声ばかりだが──

 振り向くことはおろか、動くことさえままならない。そんな厄介な呪縛を解いたのは、今の仲間達の声だった。

 

「フィオレ!」

「ハロルド、名前言っちゃダメなんじゃ……」

「お芝居はここまでよ、ようやく見つけたんだから!」

「……フィオレ? って、誰のこと言って……」

 

 どうして彼らが、ルーク達と共に現れたのか。そんな疑問を上回って生まれた意志。

 彼らにだけは、手出しさせない。

 

「ふふ……役者は揃っているようね」

 

 彼らの元へ駆け寄るよりも、やることがある。

 次なる言葉を、おそらくはフィオレに向けて放たれようとしていた言葉が形を成すより早く。

 フィオレは懐の閃光弾を地面へ叩きつけた。

 

「うわっ」

「きゃあっ」

 

 右腕は力を込めるだけで激痛が走り、左腕はかろうじて動く程度。

 望むのは短期決戦。幸いなことにレプリカネビリムの視界は塞がれている。

 それは眩んでいるのではなく、単にガードされていただけだったようだが、十分だ。

 顔を覆っていた両手が外れて、緋色の瞳がフィオレを睨む。しかしその瞳は、驚愕に見開かれた。

 それは無理もないことである。何せ、目を開けたら視界をフィオレが占領していたのだから。

 もちろん、顔だけは母と同じレプリカに抱きつこうとしたわけではない。

 まるで熱烈な抱擁を求めるかのようにレプリカネビリムの胸の中に飛び込んだフィオレは、バランスを崩して背中から倒れる彼女の腹に飛び乗り、押し倒した。

 その際異様な方向に曲がってしまった右腕はそのまま、左手を細い首にあてがう。

 

「なっ……!」

「状況が変わりました。さようなら、おかあさん……いいえ、レプリカネビリム」

 

 そのまま、喉笛を握りつぶさんとわし掴む。

 義手の握力は本来のフィオレを凌駕するのだが。レプリカネビリムの抵抗もあり、即死させることはできなかった。

 

「う、ぐ……ぐ……フィ……」

 

 あの怪力を宿す腕が、両手でもって義手を引き剥がしにかかる。

 そのまま力比べをしていれば、競り勝ったかもしれないのに。

 ほんの僅か、気道を確保した彼女は死に物狂いで叫んだ。

 

「たす、けっ……助けて、たすけて、ジェイドっ!」

 

 この瞬間、フィオレはわかりきっていた事柄をようやく、心の底から認める。

 ゲルダ・ネビリムは死んだ。とうの昔に。眼前の彼女はゲルダ・ネビリムのレプリカで、ジェイド・カーティス、否バルフォアの作品──子供、であることを。

 けっして、フィオレの母ではないことを。

 何を期待していたのだろうか。初めから、彼女を殺めるためだけにこの地へ訪れたのに。

 自分の馬鹿さ加減に辟易して、思いきれない弱さを嘆いて。フィオレは義手の最高出力を解放した。

 義手に抗っていた両手が、必死に息をしていたその首が。もろとも音を立てて砕け散る。

 

「ひっ」

 

 何の抵抗もなく、何の言葉もなく。生き延びるため多数の譜術士を殺害したレプリカネビリムは、あっけなく逝った。

 かろうじてフィオレが聞きとれた悲鳴じみた呼吸は、急激に絞められた気道から空気が追いだされただけだ。そうに決まってる。

 脱力した肢体を見下ろせば、どこか呆けたように見開かれ、光を失った瞳がフィオレを映す。

 それを見たくなくて、その目蓋を閉ざした。

 ただの偶然だろうが、まるでやっと息を引き取ったかのように、レプリカネビリムの遺体が光を発する。

 

「な、なんだ!?」

「普通に考えれば音素(フォニム)の乖離ですが、これは一体……」

 

 ジェイドの驚愕も、無理はない。

 乖離していく音素(フォニム)の粒子は次々と、フィオレにまとわりついて消えていくのだから。

 形は違えど、死者を喰らうこの行為。スィンの時はあまりの嫌悪に意識を飛ばしてしまったが、今度はそうもいかない。

 状況もそうだが、最早眼を逸らすことは許されない。

 仲間達のためとか、のっぴきならない状況だとか、こうなった経緯を考えるだけでも耐えがたい、自らが自らの為に犯した罪。

 すでにこの世界との別れは済ませたのだ。気がかりは、すぐ後ろに立っている。そうでなくても、以前の接触で壮健であることはわかっているのだ。

 こんな風に彼の、彼らのことを想うのは、見当違いで、そんな資格もないとわかっていても。

 スィンとレプリカネビリムを喰って得た知識。それらがもともと備えていたフィオレの知識と混ざり合い、解けて、融合していく。

 輝きがすっかり収まる頃。フィオレはゆらりと立ちあがった。

 レプリカネビリムを喰らった影響なのか、身体のあちこちに負った負傷は消え、右手を動かすことにも支障はない。

 更に。

 

「……集え」

 

 そこいらに散らばった光と闇の触媒が、コンタミネーション現象を起こして。フィオレの肉体を介して譜陣の配置に戻っていく。

 ──これで、いつ何時も惑星譜術の使用が可能になったわけだ。

 これならば、応用することも非常に容易いことだった。レプリカネビリムも本来の目的とは異なるだろう使い方──治癒術として用いていたことを考えると、彼女にとっても応用自体はそう難しいことではなかったのかもしれない。

 なぜ負傷した際、すぐに使わなかったのかは謎だが。知らなくても困りはしないだろう。

 それは現在、彼女の全てを吸収したフィオレも同じこと。

 

「長らくお待たせしました」

 

 仄かな燐光を放つ譜陣を見つめたまま、フィオレは呟くように言った。

 燐光が、徐々に消えていく。

 

「全部終わってから迎えに行くつもりでしたが、全員いるなら話は早い」

 

 見知らぬこの世界で別行動は取らないだろう、と思っての発言だった。

 幸い、否定の言葉はない。そこへ。

 

「ちょっと待て!」

 

 懐かしい声が、制止を促した。かつてなら問答無用で従っていた、主の声。

 

「どういうことなんだよ、なんでずっと隠れてた! 生きてたのにどうして、ディストなんかに協力……「知らない」

 

 スィンを喰った際、フィオレは得られるはずだった記憶を意図的に排除した。

 他人ならまだしも、自分が味わった見当違いな感情……おそらく自己憐憫に相当する感情など、知る必要はない。

 だから、わからない。

 フィオレの記憶、並びにルークら一行の記憶が正しければ、過去ガイの従者であった己がこのようなぞんざいな調子で返答したことはない。

 動揺が伝わってくるのは、そのためか。

 

「──! どういうことですの、まさかガイのことがわからないのですか!?」

「レプリカ、ってことはないよな。港にいた──を殺して、すり替わった、なんてことはないよな?」

「ありえないと言いきれないけど、あの時点で──はディストに従っていた。彼女を殺す理由にならないわ」

 

 先程から耳の調子がおかしい。

 とある単語だけが、どうしても聞きとれない。聴こえているのに、理解ができない。

 従者として親しみ、誇りさえ掲げていた名。その実、本当は他者につけられるはずだった名。

 もう二度とこの名で呼ばれたくないからか、あるいは。

 

「今しがた調伏したレプリカネビリムの件もあります。事情聴取のため「嫌なこった」

 

 やっとこさ、彼らを元の世界へ戻す算段がついたというのに。フィオレ自身の責任を果たす時が来たというのに。これ以上の厄介事は御免こうむる。

 最も、元の世界に戻ったところで非常に厄介な二人を相手取ることにはなるのだが……

 無論のこと。かの死霊使い(ネクロマンサー)は鼻白んだ様子だ。

 

「……数にもの言わせて無理やりひったてられることをお望みですか」

「そんなことさせない!」

 

 タタッ、と軽い足音がして、少女がフィオレの背後に立つ。

 遅れて複数の足音が、気配が、フィオレを護るように立った。

 

「何よあんたら、邪魔しないでよ!」

「ここまで連れてきてくれたことは感謝するわ。で、あんた達は目的のこの子を見つけた。お互い目的は果たしたんだし、次にどうするかなんて、こっちの勝手でしょ?」

 

 喚くアニスにハロルドはあくまで淡々と返している。それに仲間達が続いた。

 

「こいつを連れて行かれると、こっちも捜した意味がないんでな」

「そっちが力づくってんなら、こっちだって容赦しないよ!」

 

 けっして殺気だっているわけではないが、ナナリーが凄む。多分弓も構えているだろう、その雄々しい姿を見てロニはこう呟いた。

 

「おぉ~……っかねえ」

 

 すかさず、誰かの後頭部をはたくような音が洞窟内に響く。

 

「殴るよ!」

「殴ってから言うなよ!」

「殴る前に言ってもダメだろ……」

 

 それなりに広い洞窟内にこだまするほどの口論を始めてしまった二人を、遅ればせながらカイルが仲裁に入る。

 ルークら一行がそのやりとりに気を取られている間に、フィオレはリアラを招き寄せた。

 

「これから、カイル達の世界……飛ばされたあの瞬間に戻ります。手伝ってください」

 

 転送陣を組む、などと豪語したところで、可能なのはあの世界に戻ることだけだろう。どの時代、どの場所などの限定はできない。可能だとしても、何もかもを自分一人でこなす無茶を、仲間達を巻き込んで敢行するつもりはなかった。

 しかし、リアラなら。

 過去数度に渡って時空、あるいは空間転移を成功させたこの少女なら。時代や場所を絞ることができるはずだ。

 その旨伝えれば、リアラは少々緊張した面持ちで頷いた。

 

「やってみるわ」

 

 レンズペンダントを握り、レンズに代わってエネルギー源になるフィオレに手をかざして集中を始める。

 少女に後れを取るまいと、フィオレもまた惑星譜術の行使に入った。

 上書きされていた譜陣はすでに譜力を失っている。構成に使われた染料は残っているが、一部を踏み消したにつき大した障害ではない。

 フィオレを中心とし、正確な譜陣が展開する。

 

「何も知らないくせにしゃしゃり出てこないでよ! ──がいなくて、ガイがどれだけ苦しんだと思ってんの!」

 

 ──聴こえない、何も、聞かない。

 喰らうようにして得た知識を元に、異界への扉を拓くべくその力を拝借する。

 ──無論のこと。先程惑星譜術を得たフィオレが、応用して転送陣を組むなど、非常に無謀な行為であった。

 彼らの助力がなければ。

 

『惑うでないぞ。おんしの招かれし地は……』

『まさか、もう一度送ることになるとはな』

 

 助力を求めた意識集合体達の誘導に従い、闇の中くっきりと浮かぶ光に意識を焼きつける。

 直後、眩い輝きが辺り一帯を照らした。

 

「また目潰しかよ!」

 

 ルークが何か喚いているようだが、そんなわけがない。

 異界の扉が開いたことは、一目瞭然だった。

 

「やったようね。全員撤収……」

「逃がすかー!」

「うわっ、ぬいぐるみがでっかくなった!」

 

 それまでルーク一行の気を引いていた一同が、ハロルドの指示を受けて再び集う。

 それを蹴散らそうとしてなのか、アニスの勇ましい鬨の声が上がるも、それが叶うことはなかった。

 

『最後の餞別だよっ』

 

 突如として突風が吹き荒れ、巨大化したぬいぐるみ・トクナガがアニスごと吹き飛ばす。

 長い悲鳴を案じる暇もあらばこそ、ルーク達は成す術なく突風にさらわれていった。

 

「──!」

 

 かつての主が、何かを叫んでいる。

 その声に応える従者はもういない。

 主は彼女の死骸を確認したはずだ。 

 だから、けして、彼らにではなく。

 

『ありがとう、さようなら』

 

 再び力を貸してくれた意識集合体達に、どんな形であれ生を受けたこの世界に別れを告げて。

 視界は、再び塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十七戦——仇を取っても何も戻らない。大丈夫、ちゃんと知ってる


 帰ってきました、……デスティニー2の世界に。
 休憩する暇もなく、バルバトス・ゲーティアとの最終戦です。


 

 

 

 

 

 

 

 視界が、再び色を宿す。

 

「……愚かな」

 

 眩んだ眼があらゆる形を映しだしたその時。

 フィオレの眼前にはエルレインがいた。

 背後から周囲の状況を確認する仲間達の声が聞こえるが、今エルレインに背中を向ける勇気はない。

 

「私は、愚かでいいです」

「自分が何をしたのか、わかっているのか? あれほど切望していた願いを……」

「あえてあなたになすりつけてみましょうか。『あなたのせいだ』と」

 

 無関係な仲間達さえ巻き込まなければ、彼らを帰すという責任は発生しなかった。

 その場合フィオレは、あらゆる責任を無視して、元いた世界で好き勝手していたかもしれない。

 どうせ、全部「もしかしたら」の話だ。

 

「そういう意味では、お礼を言うべきですね。おかげで早く戻ってこれました。私が再び責任を放棄することもなく、過ちを犯さずに済んだ」

 

 おそらく、転移したその瞬間からこの場の時間はそう経過していないのだろう。

 でなければ、彼の行動に説明はつかない。

 

「で、今度は何を企んでおいでで?」

「……!」

 

 エルレインの視線が、フィオレを通り越した先を見る。

 

「フィオレ!」

 

 その挙動から、警告から反射的に身を伏せたフィオレは、後から胸を撫で下ろした。

 まるでエルレインにひれ伏したような形になりながらも、放たれた衝撃波が頭上を通り過ぎたからである。

 速やかにその場から逃れた矢先、床を踏み砕く勢いで、バルバトスはエルレインに迫った。

 

「貴様っ……! 今何をした! 俺との約束を、違えるつもりだったのかっ!」

「幾度となくしくじったのは誰ですか。最初の接触で首を刎ねれば、それですんだものを……」

 

 神の眼を前に口論する二人を視界に収めたまま、一同と合流する。

 片や輝きの聖女、片や英雄を狩る者。うまく同志討ちでもしてくれれば願ったり叶ったりだが、下手に「つぶしあえー」などと口を挟めば最悪の状況が待ち受けていることだろう。

 

「この際まとめて袋叩きにするってのはどうだ?」

「お前がどちらかを相手取り、時間を稼いでくれるなら可能かもしれないぞ」

「冗談言ってないで、今の内に神の眼を……」

 

 どうにかしないと、とカイルが続けようとして。

 その言葉に、バルバトスが反応してしまった。

 

「仕切り直しだ! この戦いに手を出すならば、貴様とて容赦は……!」

 

 言い終えるより早く、わずかに肩を落としたように見えるエルレインが姿を消す。

 呆れたか見捨てたか、どの道決裂に間違いないだろう。

 これで、バルバトスに集中することができる。しかし。

 

「……前衛、三人で足止めしてください」

「お前は高みの見物か?」

「なんとでも。そういうことになります」

 

 見た目に一切の負傷がなくとも、レプリカネビリムとの交戦後で惑星譜術を使った直後である。明らかな雑魚ならばともかく、バルバトス相手に虚勢を張っても仕方ない。

 カイル及びロニはバルバトスとの初戦において大敗手前だったそうだが、今の彼らならいきなり蹴散らされることはないだろう。

 三人がかりで足止めし、後方から遠距離攻撃を重ねれば少なからず疲弊させることができるはずだ。

 そうなれば、条件は同じ。たとえ交戦の末に誰が倒れても、その時はフィオレが前へ出よう。

 

「どうした、怖気づいたか!」

「ええその通りです。おーこわいこわい」

 

 せせら笑いつつ迫るバルバトスを牽制し、ナナリーと共に前衛達の後ろへ下がる。

 神の眼との距離はそう遠くない。暴走状態でもを拝借できるのは、過去実証済み。

 そして味方識別(マーキング)を敷いておけば、誰一人として巻き込むことはない。対象たるバルバトスを除いて。

 

「月閃光!」

「放墜鐘!」

「爆炎剣!」

「かゆいわっ!」

 

 三人がかりの攻撃をかゆい、で済ますのは恐れ入るが、流石にいなすだけで精いっぱいのようだ。

 その間に、後衛陣たる彼女達の準備は整っていた。

 如何に七人がかりとはいえ、相手はバルバトス。あらゆる可能性を考慮して討伐にあたるべきである。

 幾度となく刃を交えた者として、そして己の消耗も視野に入れて。

 フィオレもまた詠唱に入った。

 

「氷結は終焉、せめて刹那にて砕けよ!」

「「「インブレイスエンドッ!」」」

 

 詠唱は綺麗に重なり、飛来する氷塊もまた三倍となってバルバトスに迫る。

 すでに前衛達は下がり、決まれば致命傷も免れない。

 だが。

 

「術に頼るか、雑魚どもが……!」

 

 吐き捨てるように呟き、神の眼を一瞥したのみ。

 その態度が何を示すのか、一目瞭然の事態へと発展する。

 バルバトスに激突、押し潰した後に粉々に飛散するはずの氷塊は、中空に停止するや否やとある方向へ弾かれた。

 それぞれが放った、術者の元へ。

 

「これは……」

「きゃあぁっ!」

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze……

 

 準備していた結界で事なきを得るも、三人分の上級晶術の相殺は少々手こずった。

 消耗しているからそう感じるのか、跳ね返された際晶力が上乗せでもしたのか……

 どちらにしても、わかったことが二つほど。

 

「晶術自体は使えるけど、バルバトスには反射障壁がかけられているみたいね。神様からの加護なのか、神の眼のエネルギーを流用したのか……」

「じゃあ、リアラとハロルドは回復に専念して。あたしも行ってくる!」

「ご、誤射には気をつけてねー……」

 

 バルバトスに術が通じないと分かった以上、二人はそうするべきだろう。

 しかし、多数対一をバルバトスが想定していなかったわけがない。対策はたったこれだけなのか。

 

「……リアラ。ちょっと私を回復してくれませんか? ハロルド、術はまだ使わないでくださいね」

「フィオレ、怪我してるの? 早く言ってくれなきゃ……」

「いいから早く」

 

 今しがた床に投げ出されたロニを対象に治癒晶術をかけようとしたハロルドを制して、リアラに治療を求める。

 リアラの詠唱からフィオレに、治癒の力が働いた、次の瞬間。

 

「回復晶術だと? 軟弱すぎるわ!」

 

 その言葉と共に、神の眼に輝きが生じる。

 しかしそれは一瞬のこと。輝きが失せると同時に、リアラ中心の陣が敷かれ、闇が溢れだした。

 

「おっと!」

 

 とっさにリアラを連れて退避しなければ、フィオレも巻き込まれていたことだろう。

 バルバトス、そして交戦する彼らを油断なく見やりながらも、ハロルドは短杖を腰のベルトに差し込んだ。

 

「反射迎撃システムってところかしら。晶力に反応してるから、術系統は全滅みたいね」

「それならわたし、みんなにグミを配ってくるわ!」

 

 道具袋をひっ掴み、まずは腕に裂傷を負って一度下がったカイルに駆け寄っていく。ナチュラルにグミを口へ放り込む辺り、普段から「あーん」し慣れているのかもしれない。

 

「あのシステムを破れないか試したいけど……あんな状態じゃ近づくのは自殺行為かしら」

「とりあえず無茶はしないでくださいね。私はもう少し、試してみます」

 

 不可侵の聖域が問題なく発動したのは、自衛の術だからか晶力を用いないからか。

 前者と後者ではかなりの差がある。後者ならば遠距離攻撃を駆使してバルバトスを仕留められるかもしれないからだ。

 一連の迎撃を見た限り、狙われるのは術者のみ。術の対象者に影響はないと思われるため、前衛達と距離を保てば、へまをしても巻き込むことはない。

 対象にも被害が及ぶならば、是非バルバトスで試したいところなのだが。

 小型の情報端末を片手に唸るハロルドとも距離を取り、フィオレは支援の調べを奏でた。

 

「戦士よ勇壮たれ、鼓舞するは勇ましき魂の選び手──」

 ♪ Va Rey Ze Toe Nu Toe Luo Toe Qlor──

 

 神の眼の間に、戦乙女の聖歌が響き渡る。バルバトスが何がしか呟くこともなければ、フィオレに害が来ることもなかった。

 同じ支援系──他者を害するものではないからだろうが、何となくあの呟きも関係している気がしてきた。

 もともと神の眼に、晶術に対する反射迎撃システムがあっても、何ら不思議ではない。

 神の眼を破壊するべく開発されたソーディアンは、晶力を利用した術を扱うことに特化していた。神の眼の実質的な所持者だったミクトランが、一千年を経た再戦を想定し、返り討ちにするべくそんなプログラムを組んでいても、なんら不思議ではない。

 問題はそのシステムが晶力にのみ反応するものか、あるいは対象を害するあらゆる力に作用するのか。

 後者ならばフィオレも、疲労をおして肉弾戦に参加するべきなのだろうが、前者ならばそれはフィオレにしかできない仕事だ。

 前者か、後者か。それを確かめるべく、フィオレは詠唱を開始した。

 

「天空を踊りし雨の友よ。我が敵をその眼で見据え、紫電の槌を振り下ろさん……」

 

 通用するならばそれでよし。反射されても、限定範囲型につき、回避は可能だ。

 フィオレがしくじりさえしなければ。

 

「インディグネイト・ヴォルテックス!」

 

 礎こそは神の雷を模したものだが、直撃すればかゆいでは済まされない。

 しかし、この行動は思いの他、仲間達の混乱を煽ってしまった。

 

「フィオレ、危ない!」

「ちょっと、晶術は使うなって……」

「余所見とは、余裕だな!」

 

 リアラの警告に戦線復帰したカイルが反応してしまい、前衛達に焦りが伝染する。

 バルバトスがそんな気の緩みを見逃すはずもなく、戦線はあっという間に蹴散らされた。

 しかし。

 

「ぬわあぁっ!」

 

 前衛に構っていたからか、晶術を使用していないからか。

 インディグネイト・ヴォルテックスは無事発動し、バルバトスを捕らえた。

 その間に蹴散らされた前衛を回収し、気を引くから治癒を頼むと二人に言付ける。

 雷乱舞が収まる頃、フィオレはうずくまるバルバトスと対峙していた。

 

「下がれ、この莫迦!」

 

 後方からジューダスの罵声が背中を叩くが、部外者にはわからない事情もある。この男と成立させるべき会話は、これで最後だろう。

 

「……やっと休憩を終えたか」

「もうわかっていらっしゃるのでしょう」

 

 犬歯をむき出しにして笑いながら戦斧を杖に立ち上がる巨漢から一度たりとも眼を離さず、フィオレは続けた。

 

「私はあなたの妹ではない。この肉体に彼女の記憶も、人格もない」

「……」

「神の瞳はこの体から分離された。けれど、私は私のまま。とうの昔に気付いていたことでしょう」

 

 神の瞳にフィオレの記憶と人格が宿っていると言った張本人。その神の瞳を、張り付く手の甲ごと左腕を切断したのもバルバトス。

 だからこそ彼は、あの時妹の名を連呼した。残念ながら、フィオレがはっきり覚えているのはそれだけだ。発狂しかねない出来事から心を護るため、記憶が改ざんされたものと思われる。

 その声に応えなかったこととこれまでのことから、バルバトスはこの事実に気づいていたはずなのだが……

 

「騙されてこき使われた御気分はいかがですか?」

「……く、ふふっ。何を言い出すかと思えば……」

 

 空を切り裂き、戦斧が鼻先で停止する。殺気も何もない威嚇にフィオレが微動だにしない中で、仲間達が息を呑む、その音だけが聞こえた。

 

「騙されていたなどとは、ひどい誤解だ。貴様をかき抱いたあの瞬間から、そんなことはわかっていた。俺の妹が、この世界のどこにも、存在しないことは……!」

「つまり、あの直前までは騙されていたんですね。お可哀そうに、御愁傷様です。これまでの働きと引き換えに、彼女を取り戻そうとは思わないのですか?」

 

 仲間達の負傷は思いのほか深いようで、未だ治療は終わらない。

 戦って引きつけることができない以上、どんなに不愉快な話でも拒否は許されなかった。

 さもなくば、全滅コース一直線である。

 

「……あの神の使いを名乗る女に、その力はない」

「我が身に起こった奇跡を、今更全否定ですか」

 

 しかし確かに、不思議な話である。エルレインは確かにこの男を、ジューダスを蘇生させたのだ。

 ならばバルバトスと共に彼女を、フィオリオを復活させて手元に置き、それを餌にバルバトスを使役することも可能だったはず。

 様々な危険性が考慮されたからなのか、それをしなかった理由は。

 

「貴様が別人だとわかってから、あの女を問い詰めたとも。涼しい顔で言っていたぞ」

 

 長きに渡る神の瞳の寄生が肉体に馴染み、今更切り離したところで正気に戻るわけがない、と。

 肉体が無ければ蘇生は不可能、蘇生した二人の肉体は、各々が力尽きた際に回収したものだと。

 

「やはり、貴様の残骸が無ければ話にならんようだ」

 

 結局、そうなってしまうわけか。

 この事さえ誤魔化してしまえば、自動的にこの男はエルレインの敵になるだろうと画策したが。

 そうまで言及されてしまっては、もうどうしようもないだろう。

 瞬時に引かれた戦斧が、頭上に振りかざされる。

 対話での時間稼ぎも、そろそろ限界かと、フィオレもまた身構えた。

 

「最期まで、手駒であることを選びましたか」

「ふっ、恩義には相応の礼儀で返すのが、英雄としてあるべき姿だろう!」

 

 挑発にも応じない、と。

 もともと面倒くさい輩だったが、ここにきて更にランクアップしてしまったか。

 とにかく、今のフィオレのバルバトスを制する余力はない。

 精々攻撃を引きつけるのが、関の山だ。迫りくる戦斧から逃れ、ひたすら防御に徹する。

 そこで──フィオレは、一計を仕掛けた。

 戦斧が旋回し、回避した先を丸太のような足が追撃を見舞う。

 フィオレはそれを、避けなかった。

 

「ぁぐっ!」

 

 当然そのまま床に叩きつけられ、受け身を取らなかった身体に鈍痛が全身を襲う。

 この一連の出来事に怒り心頭となったのが、戦斧を振り上げたバルバトスだった。

 

「……あ?」

 

 バルバトスとて、足の追撃は避けられるために放ったものだろう。

 もちろんそれだけではなくて、避けたその先を戦斧で狙っていたようだが。

 

「貴様……! 何をふざけて「隙だらけだ」

 

 肉を引き裂く音が断続的に響き、野太い悲鳴が玉座にこだまする。

 ジューダスに率いられた男性陣は、それぞれの得物を巨漢に突き立てていた。

 バルバトスは慌てて彼らを振り払うが、後の祭り。奇しくもジューダスが狙った左腕が、その勢いでぶちりと千切れる。

 カイルは剣を足に、ロニの斧槍は背中をざっくりえぐり、ジューダスに至っては腕をもいでいる。

 致命傷に等しい負傷を負いながら、バルバトスは驚愕の視線をフィオレに送っていた。

 

「まさか……これを、狙って」

「引っ掛かってくださってありがとうございます。あなたならばきっとあれで怒り狂うと、隙だらけになってくれるんじゃないかなと思いました。やっぱり戦闘中に怒るのは危険ですね。教えてくれてありがとう」

 

 幾度となく対峙し、あれだけ倒すことに手こずった男が、血を吐いて膝をつく。見る間に血だまりが出来上がるのを見るに、最早戦闘どころか意識を保つのも危うい状態だ。

 それでも、巨漢は立ち上がった。

 この一言を耳にして。

 

「もうどこにも逃げ場はない。覚悟しろ、バルバトス!」

 

 自らの血溜まりに浸かりながら、バルバトスは身を震わせるようにして笑った。

 

「……覚悟しろ、だと!? 貴様のような小僧が、この俺を倒すだと!?」

 

 すでにフィオレはナナリーとリアラの手によって、戦線から離脱している。

 引導を渡すべく剣を向けたカイルだったが、死にかけて尚その気迫に、油断なく距離を取った。

 

「誰も、俺は倒せない! 倒せないのだあぁっ!」

 

 確かに、これまで幾度機会があっても屠れなかったのが事実。

 エルレインと袂を分かったように見えても、先程の様子ではバルバトスがそのように考えたとは思えない。

 

「フィオレ、動いちゃダメよ!」

 

 リアラによる安静を促す言葉を無視して、紫水を抱き片膝を立てる。

 そこへ。

 

「この大莫迦者! あんな状況で囮をやる奴があるか!」

 

 ジューダスに視界を遮られた。

 彼は彼で怒っているのだろう。こんな状況で怒鳴りつけるなど、冷静な人間ならしない。

 そうこうしている間にも、事態は進んでいた。

 一瞬、ジューダスに気をやっていたその間に、なのか。バルバトスは立ち位置を変えていた。

 如何なる原理があるのか、微かな放電を繰り返す神の眼の真上へ。

 

「バ、バルバトス……!?」

「カン違いするなよ、カイル。俺は、貴様らに倒されたのではない! 俺は、俺の手で死を選ぶ!」

 

 その言葉を聞いて。フィオレの中で、何かが弾け飛んだ。

 おそらくは様々な感情を抑えていた、理性。

 

「……勝手なことばっかり抜かしやがって、許すか!」

 

 紫水に飛び乗り宙を舞うフィオレの口から、流れるように奏でるように、譜歌が繰り出される。

 

「時の狭間にて揺蕩(たゆと)う者よ、奏でし調べに祝福を!」

 ♪ Rey Va Nu Qlor Toe Rey Rey──

 

 それは、バルバトスの動きを完全に封じるものだった。

 

「っ!?」

「自死なんざ認めるかよ、屑が。死を選ぶ? 残念だったな、てめぇは何も選べねぇよ!」

 

 第七の譜歌、静なる時縛りにて時を止めたのは、バルバトスの被服のみ。従って声が出せないわけでもなかろうが、その断末魔を聞くことはなかった。

 フィオレが持参した巨漢の得物は、丸太の如く太い首の根元に叩きつけられたから。

 

「スタンをえぐったのは、この辺り、か」

 

 血潮が盛大に吹き出し、フィオレの顔に、身体に降りかかる。

 やがて、譜歌の効果は唐突に失せた。

 中空に停止させられていたバルバトスの身体が投げ出され、まるで出血の勢いに押されるかのように神の眼と接触する。

 暴走寸前の神の眼。その表面から溢れる晶力の奔流に、ヒトの肉体が触れたらどうなるのか。

 天地戦争における最凶の裏切り者、バルバトス・ゲーティアの二度目の最期を、フィオレは刮目することなく見つめていた。

 巨体が神の眼に触れ、一瞬にして暴走した晶力に取り込まれる。塵どころか、蒸発に近いその最期を見届けて。フィオレは乗っていた紫水と共に床へ降り立った。

 

「フィオレ……」

「我ながら無駄なことをしました。これからは、気をつけます」

 

 これからが、もう無いことを祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十八戦——ばいばいみんな~またあおうね。かならず、もういちど

 引き続き、ダイクロフト神の眼の間。
 バルバトスを下した後の、お別れラッシュは続きます。


 

 

 

 

 

 

 

 おそるおそる、といった調子を隠さないナナリーと眼も合わせず、そう答えておく。

 沈黙が訪れかけたその刹那、促したのはロニだった。

 

「……ん、じゃあ。とっととずらかろうぜ。もうすぐ外殻が崩れちまうんだろ? 巻き込まれたらたまったもんじゃ……」

「ああ、それなら大丈夫よ」

 

 あっけらかんとロニの言葉──これから発生するはずの史実を否定したのはハロルドだった。

 例のシステムを解除しようとして解析したのか、その手には引き続き愛用の小型端末が握られている。

 

「神の眼のエネルギーが、ソーディアンを僅かに上回っている。本来ソーディアンは六本の力をもってして神の眼に対抗できるんですもの。四本じゃキビしいわー」

「な、何だよそれ! 今から足りないソーディアン持ってこいってか!?」

「あと一押しだから、一本で足りるわよ。たぶん」

「そういう問題かー!」

 

 漫才めいたやりとりはさておいて、カイルは珍しく真面目にどうするべきなのかを悩んでいる。そこへ。

 

『千年ぶりか……久しいな、カイル君』

 

 声なき声が、脳裏を響く。聞き覚えがあるその声音に、カイルははっ、と顔を上げた。

 彼の視線の先には、先程スタンが突き立てたソーディアン・ディムロスが刺さっている。

 

「ディムロス、さん?」

『残念だがハロルドの言う通りだ。我々だけでは力不足らしい』

 

 それで終わってしまったら、史実改変は免れない。何とかならないのかと焦りからくってかかるカイルを、制する者がいた。

 

「騒ぐな。見苦しいぞ、カイル」

「ジューダス……?」

「黙って見ていろ」

 

 普段はマントに覆われた背中から、黒布の包みを取り出す。

 そして彼は、そこからシャルティエを取り出した。

 

『やあ、待たせたねみんな。遅くなって申し訳ない』

 

 言葉に対して申し訳なさが全然ないが、彼なりにウィットを利かせたものと思われる。

 それが関係しているかどうかは知らないが、サプライズは成功した模様だった。

 

『おまえは……シャルティエ!?』

『ほ、こんな形で現れるとは。ひねくれ者のおまえさんらしいのう』

『現存しうる全てのソーディアンは揃った。これならば、きっと……!』

 

 神の眼はソーディアン達の制御化に置かれ、彼らの意のままとなる。

 彼ら自身と引き換えに。

 

「な、何がどうなってんだ……?」

「そっか、あんた達はソーディアンの声が聞こえないのよね。今ジューダスが持っているのはソーディアン・シャルティエなの。神の眼に接続すれば、ソーディアンの互換性により力が増幅され、神の眼を上回る」

 

 その結果が、史実に即するものだとしても。手放しで喜べるのは部外者だけだ。

 人格を持つ者は、人格を持つ者を犠牲にして喜べる感覚を持たない。まして親しい人間なら、尚更。

 

「そういえばハロルド、初めて会った時にシャルティエのこと言ってたね。ま、あんたのトリ頭じゃ覚えてらんなくてもムリないか」

「な、何をぅ! お前だって、何がそういえば、だよ。今思い出したんじゃねーか!」

 

 今日び、五歳児でもやらなさそうな口喧嘩はさておいて、シャルティエを握ったジューダスが神の眼と向き直る。

 その姿を見て、何を思ったのか。

 ディムロスは、残酷な質問をしていた。

 

『いいのか? 君は、シャルティエを失うことになるんだぞ』

「……この世界は、スタン達の手によって救われなければならない」

 

 それが、すでに描かれたはずの史実だから。

 歴史は改変ならざるものと、ジューダスは知っている。その認識とシャルティエを天秤に載せるまでもなく、判断を下していた。

 一度でも天秤にかければ、どちらに傾くのかはわかりきっていたから。

 

『ソーディアンと使い手は一心同体。それを、マスターの手で消さねばならんとは……』

『運命とは、かくも酷なものか』

 

 今しがた各々のマスターにそれをさせた彼らが言う台詞ではない。

 だからこそ、ディムロスもつい確認したのだろうが。

 その思いを察したのか、ジューダスはうなだれるようにシャルティエを見つめた。

 

「……許せ、シャル。僕は……」

『いいんですよ、坊ちゃん。僕らは永く生きすぎたんです。それに、正直言って坊ちゃんのお守りにも疲れましたし……ね』

「ちょうどいい。僕も、お前のお小言には付き合いきれないと思っていたところだ」

 

 疲れているのだと、フィオレはぼんやり自覚していた。

 史実において四本で事足りたはずのソーディアンが、今になって五本必要となっている。

 明らかにバルバトスが原因だろう。神の眼とて、初めからこのような状態であったわけではない。どこかに供給源があるはずだ。

 それを切り離せば、四本で事足りるのではないか。

 供給元から切り離したところで、エネルギーがなくなる保証はないのに。

 シャルティエだけは残せないかと、無意識に考えていたのだ。

 そんなことをしても、犠牲はなくならない。

 彼らとて、納得してる──否、彼らはこのために生まれてきたのに。

 

『フィオレ!』

 

 そんな後ろめたさからか、名を呼ばれただけで身が震える。ふと気付いたかのように、フィオレは彼らの元へ歩み寄った。

 

『今までありがとう。君と知り合えて、よかった。これからは坊ちゃんのこと、僕の代わりによろしく!』

 

 最期まで基本姿勢がブレない彼に、思わず苦笑が浮かぶ。

 その拍子に、保っていた仮面が剥がれて落ちたようだ。

 視界に映るシャルティエが、ぼやける。溢れた何かは頬を伝い、床へと滴った。

 ジューダスが息を呑んでぎょっとしているようだが、知ったことではない。

 

『……お断りです。私にジューダスのお守りなんて無理ですよ。面倒くさい』

『ちょっ……僕のために泣いてくれるんだ、って感激してたのに、返事はそれなの!?』

 

「ジューダスも私を守ってくださるなら、考えます。ま、茶番はさておいてですね」

 

 感情の高ぶりは軽口で静めて、おもむろにシャルティエの刀身をわし掴む。

 ほどなくして、ポタポタと赤い雫が床を打ち、透明な雫と混ざって滲んだ。

 

「ば、ばか、何を……!」

「握手くらい……お別れくらい、させてください」

 

 今ほどハロルドに、無意味な恨みごとを呟きたくなったことはない。

 何ゆえ彼女は兵器に人格を付与し、他者との交流を可能とさせたのかと。その必要性が理解できていても、尚、そうなのだから。疲れているとしか思えない。

 

『私もです。あなたと、あなた達と出会えてよかった。私が生きている限り、あなた達のことは忘れません。今まで……ありがとうございました』

 

 目蓋の中に残っていた雫が、はずみでボロリと落ちる。一層強くシャルティエを握りしめて、顔を上げた。

 シャルティエの苦しそうな声音が、響く。

 

『……僕は、君を傷つけたくなかったのに』

『なら、私の前からいなくならないで……不可能でしょう』

 

 乾かぬ眼を瞬かせ、視界をくっきりさせてから、微笑みかける。最後に見せる顔が泣き顔では、気まずいだけだ。

 滴る掌を止血しようと、布を探して。

 

『……坊ちゃん。許してください』

「?」

 

 不可思議な会話の後、不意に衝撃を受ける。

 よろけて踏ん張り、状況をよくよく確かめてみれば。

 フィオレは、シャルティエを持ったままのジューダスに、抱きしめられていた。

 

「う……」

 

 ぞわぁっ、と鳥肌が浮かび怖気が走るも、声を聞いて抵抗を忘れる。

 

『君のこと、ずっと好きだった……もっと前から、こうしたかった』

 

 シャルティエが、チャネリング現象を、発生させたのか。

 横目で見たジューダスは、哀れさを覚えるほどに赤くなっている。しかし普段なら、とっくの昔に罵声を放っているだろう口元は、ぱくぱくとうろたえるばかりだった。

 姿の見えないシャルティエを、目蓋の裏に浮かべて。

 フィオレはジューダスの背中に、腕を回した。

 

「!」

『──ありがとう、シャルティエ。私は……』

 

 途端。まるで振り払いでもするかのように解放される。

 プイ、とそっぽを向いたのはジューダスの意志のようで、当のシャルティエは必至に弁明していた。

 

『ごっ、ごめんね。こんなこと伝えたって迷惑なことはわかってる。でも……!』

『そんなことない。とても光栄です。でも……』

『ああっ、わかってる。その先言わないで! これでもう、想い残すことなくなったからさ!』

 

 想いが溢れて弾け飛んで、勢いで行動した挙句正気に戻った様子だ。

 シャルティエの想像とフィオレが口にしかけたことは、おそらく一致する。本人が聞きたくないなら、それでいいだろう。

 

『わかりました。それではね、シャルティエ』

『うん……そうそう、坊ちゃん』

「……まだ何かあるのか? 早くしろ、時間がない」

 

 ジューダスの声音がぶすくれているのは、仕方が無いことだろう。怒鳴りつけないだけマシである。

 ただそれも、ほんの僅かな間だけ。

 

『坊ちゃんと一緒にいて、確かに疲れはしましたけど……結構楽しかったですよ』

「……僕もだ。今まで……ありがとう」

『らしくないです、坊ちゃん』

「おまえもな、シャル」

 

 その間に、フィオレは少し離れたところで二人を見守る一同の元へ寄った。

 シャルティエが神の眼に捧げられたなら、ソーディアン達は一丸となって神の眼の力を用いて、外殻の破壊を実行する。

 その前に元の時代へ転移しなければ、ロニの言う通り崩壊に巻き込まれてしまうだろう。

 それを説明し、リアラが慌ててレンズペンダントを手に取った時。

 

「いくぞっ、シャルっ!!」

『はいっ!』

 

 ──別離の言葉がないのは、彼ら流なのか、それとも、これもまた彼らにとって新しい門出なのか。

 渾身の力もて振り上げられた細身の刃が、神の眼の表面を突き破る。

 示し合わせたようにソーディアンが同調を始め、神の眼が激しい明滅を繰り返し──

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十九戦——えらく長い旅路だった~時間こそ一切進んでいないけれど

 そして戻ってまいりました、現代に。
 ウッドロウに会うのは拒否して、フィオレはハロルドと、まったりデート(嘘)
 そんなわけでウッドロウの出番はなし。すまんの。


 

 

 

 

 

 

 

 おそらく彼らは外殻の破壊に成功し、後の人々は紡がれた歴史をそのまま辿ったのだろう。

 気づけば一同は、敷かれた雪と石畳を踏んでいた。

 ハイデルベルグの外れのようだが、王城や時計台の様子を見る限り歴史に……発生した出来事はこの時間まで正確になぞられたものと思われる。

 これも、時間移動を繰り返したリアラの実力が反映されているのだろうか。誰一人として欠けることもなければ、意識を失うことも今回はない。

 粉雪のちらつく中、小さく身体を震わせながらナナリーが呟いた。

 

「全部終わったのかな、これで」

「バルバトスも倒したことだし、そう思いたいところだがな」

 

 バルバトスが諸悪の根源でない以上、それはあり得ない。

 エルレインによるあらゆる人類救済計画をことごとく砕いてきたのは事実だが、それで彼女が諦めるいわれはない。

 

「……」

「とにかく、ウッドロウさんに会おう。持ち去られたレンズのこと、話しておかなくちゃ」

「そですね。じゃあ、いってらっしゃい」

 

 外套を取り出し、当たり前のようにジューダスからマントを剥ぎ、それぞれリアラとナナリーに渡しながらフィオレは言った。

 一同の視線が集中する。

 

「でも、リアラもフィオレも助けられたこと、報告しなくちゃ……」

「疲労困憊で寝くたばっている、とでもお伝えください」

 

 己を含めた生身の人間数名の星間転移は、リアラの、そして意識集合体達の助けを借りてもかなりの負担だった。

 状況が状況だったために表向き平然としていたが、緊張感が途切れた今は無性に眠い。

 

「なら私も待ってるわ。関係なさそうだし」

「ハロルドまで!」

「未来の統治者に──私が死んだ後の世界にあんまり興味はないの。見たところ割と地味な街だけど、未来は未来。見て回りたいし?」

 

 だからフィオレに案内頼むわ、と彼女は快活に微笑みかけてきた。

 この、小悪魔然とした彼女の機嫌を損ねない方がいいのは一同承知のことである。

 

「……そーゆーことらしいです」

 

 苦笑を浮かべて、帽子を被る。

 一通り回ったら城門にて待機、とジューダスから厳重に言い含められた後、フィオレはハロルドと共にハイデルベルクの街へと繰り出した。

 

「見て回るような観光物はほとんどありませんが……」

「ええ、資料館みたいなところがあるなら教えてほしいけど、それ以外は割とどーでもいいわ」

 

 いきなり前言を翻す。

 気が変わって千年前から現代に至るまでの推移が知りたくなったのかと尋ねれば、一応の肯定が返ってきた。

 

「もちろんそれに興味はあるわ。でも、あんた疲れてるでしょ?」

「……ええ、それが?」

「そんな人間引きずりまわしてぶっ倒れられても困るわ。今から待機場所で休んでもいいし、何ならあんただけ宿で休んでいてもいいけど」

 

 何がきっかけかわからないが、お見通しなら否定する意味もない。

 ハロルドの言葉に甘え、観光客用に町中に設置されているハイデルベルクの見取り図を見せる。

 後は中央の通り、英雄門に繋がるルートにて王城を目指した。

 

「この門の形をした建物は英雄門と呼ばれています。最上階に種々様々な書物が収められていて……」

「よーし、暇になったら読み倒すわ!」

 

 今から入りたいという雰囲気を漂わせながらも、ハロルドは大人しくフィオレの後をついて歩く。

 彼女が大人しいのをいいことに、中央通りに面した主な店のみを紹介して、二人は王城前に辿りついた。

 幸い門前に見張りはおらず、人通りもない。

 気がねなく、フィオレは階段に座り込んだ。

 

「……やっぱ、珍しく疲れてるのね。お尻が冷えるわよ」

「できることなら寝そべりたいです」

 

 今なら硬い石段の上でも雪をクッションに眠れそうだ。

 現に今も、腰を降ろしただけで目蓋が重くなっている。

 

「ハロルド、寝ていたら起こしてくださいね」

「ちょっと、言ってる傍から寝付くんじゃないわよ!」

 

 びくっ、と身体が震えてハロルドを見る。

 彼女は相変わらず、フィオレの眼前で仁王立ちしていた。

 

「え、寝てました?」

「完全に寝落ちしてたわよ。連中が戻ったら宿に連れてってあげるから、今は立ってなさい」

 

 雪の張り付く尻を払って、ゆっくり立ち上がる。

 やっと小休憩できると思った矢先のこれである。当然、目蓋は重いまま。

 立ったままうとうとしかけて、バランスを崩して我に返る、を繰り返す。

 レンズを余さず処分したことから、王城に宿泊する権利を得た彼らとの合流は遠かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとう』

 

 まどろみの中で聞いた声。意識だけが働く世界の中に漂いながら、フィオレもまた意志を発した。

 

『──何もしてませんよ』

『故郷を選ばず、戻ってきてくれたじゃないか』

『仲間達がいたことも差し引いても、あなたの判断は迅速だった』

 

 この場合、迅速か鈍速かなど関係ない気がしてならないが、感謝しているのならその気持ちを拒否する意味もないだろう。

 たとえフィオレの心が、かなり揺らいでいたとしても。

 

『──わかっている。汝が責任と本心の狭間に苦しんだことは』

『だから、ありがとう』『ボクらを選んでくれて』『誘惑を振り切ってくれて』

『そなたの尽力により、彼女達はほぼ打つ手をなくした。最強の手駒を失ったことも起因している』

 

 封印より解放され、依代という形でフィオレの元に集った精霊結晶……守護者達が次々と労いをかけてくる。

 くすぐったいような感覚を素直に嬉しく思う反面、どうしても勘繰ってしまうことがあった。

 それを言うためだけに、眠るフィオレの意識に語りかけているわけではなかろうと。

 

『……やっぱり、鋭いね』

『敵対勢力は、窮地に立たされている。このまま救済をもたらそうとしても、汝らに妨害されるといういたちごっこを繰り返すだけだからな』

 

 それはつまるところ、フィオレを含むカイル達の直接的な身の危険を警告しているのだろうか。

 だとしたら、安穏と惰眠を貪ってはいられない。

 

『それは……』

『契約者や復活者、もう一人の聖女を除けば、彼らは救うべき人間です』

『救うべき人間を滅ぼす。矛盾したこの思考に囚われたならば、それは彼らのみならず救うべき人間全てを対象とするだろう』

 

 カイル達は救うべき人間であるからして、直接攻撃はされない。あくまで、命は取られない。

 攻撃されるのだとしたら、それはカイル達だけでなく、救済の対象であった人類も……

 

『──うん。気づいてしまったみたいだ』

『救済が人類すべての望みでないのなら』『今存在する人類全てをも滅して』『救済を望みとする人々を生み出そうと──』

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十戦——息つく暇も無く、最後の大事件~これで終わりではない

 ハイデルベルグ王城内~地上軍拠点跡地。
 エンペラペーってなんぞ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急速に、彼らの声が遠くなる。覚醒が近付いているのもあるだろうが、それだけではない。

 意識だけの世界に干渉した何かがある。

 ぱっちりと開いた瞳が映したのは、豪奢な寝台の天蓋だ。

 しかし、現実世界においても明らかな異変が起こったことは、次の瞬間証明された。

 

「フィオレ、起きなさい!」

 

 ばぁんっ、と派手な音を立ててハロルドが客室の扉を蹴破って現れたからである。

 この時までに、フィオレは一同と合流してから今に至るまでの行程をどうにか思い出していた。

 といっても、王城で宿泊許可をもらった、と聞いてから客室で寝込んでいただけだが。

 

「呑気にぐうすか寝てる場合じゃないわよ!」

「……何が、ありました?」

「私の解析君二号改が、時間軸の歪みとエントロピーの異常なまでの増大を検出したの」

「……」

 

 えんとろぴー。聞いたことのない単語に対する疑問は、この際脇に除けておく。

 

「……時間軸の歪み……過去が弄くられて、現在が変質しているんですか?」

 

 現在に何らかの影響が発生したなら、そうあるべきだ。未来が変わることで変質が発生したなら、それは。

 

「惜しいわね。現在の変質は当たりだけど、歪められているのは過去じゃない」

 

 そこへ、ハロルドを追ってだろうか。ナナリーとジューダスが開け放たれた扉から姿を現した。

 

「やっと起きたのか」

 

 続いて、カイルとリアラを引き連れたロニが現れ、召集理由の説明を求める。どうやら、ハロルドに言われてロニに連れてこられただけらしい。

 二人で出歩いていたところ……デート中に。

 

「で、エンペラペーって、何?」

「エントロピーのことかしら。まあ、とにかく」

 

 先程フィオレが伝えた言葉を寸分違わず繰り返す。しかし、直前まで守護者達と意志を交わしていたフィオレと違い、彼らは首を傾げているのみだ。

 

「わかりやすく言うと、時間の流れがとってもヤバい状態になってるってこと」

「ヤ、ヤバい状態って?」

「ぶっちゃけた話、未来がなくなりかけているのよ」

 

 焦った調子も何もない、あっさり放たれた衝撃の事実に困惑を露わとしたのは彼女だ。

 

「未来がなくなるって……どういうことだい、それ!?」

「具体的なことまではわからないけど、未来からこの時代に対して何らかの干渉が行われているようね」

 

 現代において唯一、十年後という近い未来の出身であるナナリーには特に重要なことである。

 しかしハロルドの言は、それどころの騒ぎではないことを如実に示していた。

 

「その影響で本来あるはずの未来が失われようとしてるってわけ」

「それってエルレインが、今度はこの時代を変えようとしてるってことか?」

「だとしても、これまでのように生易しいものじゃないわ」

 

 過去エルレインが行った救済は、折りを見てハロルドに通達済みである。

 十分過激だと思っていたが、あれを指して生易しいとは。

 

「未来そのものを消してしまいかねない、恐ろしく大がかりなものよ。すでにそのきざしは出始めている。さっきも時空間のゆらぎを観測したわ。一瞬だけど、現代と未来が重なったみたい」

 

 先程の異変は、これを指すようだ。

 フィオレは単なる違和感しか覚えなかったが、彼らはその目で明確なビジョンを見た様子。

 

「カイル、さっきの……!」

「あ、ああ……」

「あんたたち、なんか心当たりでも?」

「……見たんだ。ハイデルベルクが、ゆがんで、消えかけるのを……」

 

 現代と未来が重なって見えたのがそれということは、つまるところエルレインが企むのは。

 

「世界の破滅、か……」

「世界の破滅って……どういうことだ、ハロルド?」

「だから、そのまんまよ。エルレインはこの世界を消そうとしてる。未来がなくなるのは当たり前だわ」

 

 守護者達の危惧が現実になったということか。おそらくは、現代と未来出身の彼らがいたばかりに。

 

「世界を消すだって……! どうして、そんなことを!?」

「さあ、理由まではね。こればっかりは本人に聞くしか、ないんじゃないの?」

 

 理由も、おそらくは救済を望む人々を創造するためだと思われるが、ハロルドの意見は的確である。悪戯に守護者達の推察を伝聞しても、混乱させるだけだろう。

 

「それしかなさそうだな。だが、エルレインは一体どこにいるのか……」

「ああ、それなら心配ないわ。時空間のパルスを辿っておいたから」

 

 パルスとは何か。それを尋ねたら、話が脱線しそうだ。

 

「今から約八万七千時間後、つまり十年後ね。そのあたりにいるわ」

「となると、次の問題は時間移動のためのレンズか。この城にあったのは、俺達が海に沈めちまったし……」

 

 たとえ回収したとしても、勝手に使うわけにはいかないだろう。

 エルレインはあのレンズを使って改変世界を創造したことを彼らは知らないし、ウッドロウとかなり親密になっているようだから仕方ないのかもしれないが。

 

「あんたたち、確かイクシフォスラー使ったのよね? なら、そのレンズを使えばいいじゃない。私の特別製だから、エネルギーもバッチリよ」

「だが、あれはどこに墜落したのかわからないんだ。地上ならいいが、時空間の歪みに巻き込まれていたりしたら……」

 

 ジューダスのため息をかき消すように、ハロルドは馬鹿にしたような勝ち誇ったような、いずれにしてもカンに触る笑声を放った。

 

「こんなこともあろうかと、自動帰還装置をつけておいたのよ~ん!」

「……インチキくせえな、おい」

 

 非常に胡散臭いと言いたげなロニだが、この生まれてくる時代を微妙に外していない天才に常識を説いても、時間の無駄だろう。

 嘘をついても、ハロルドには何の得もない。

 

「用意周到と言ってよね。とにかくオートパイロットが働いてもともとの保管されていた場所に戻っているはずよ」

「となると目指すのは、地上軍拠点跡地の格納庫ってワケか」

 

 そうと決まれば、事は急ぐもの。一同はウッドロウに暇を告げ、王城を辞した。

 

「なあ……フィオレ。ウッドロウさんに会っていかないのか?」

「ええ。会わせる顔がありませんので」

 

 彼に何か言われたのだろうか。不満げなロニをさらりと流して、フィオレはカイルに話を振った。

 

「地上軍拠点跡地までは如何程で?」

「あの時は急いでたから半日で着いたけど、一日くらいかかるんじゃないかな?」

 

 あの時、とはおそらくリアラとフィオレがアイグレッテへ予期せぬ突撃を敢行した際のことだろう。

 リアラが会話に加わらないのは、気まずいからかもしれない。

 

「非常食と食料と、アイテム補充……雑貨屋さんに寄って行きましょう。ハロルド、防寒着は要りませんか?」

「必要ないわ。私の服は寒暖調整機能付きだから」

 

 うらやましい限りである。それでなくても、太陽が差さず雪で覆われた大地で暮らしていたハロルドには、寒さに対して一定の慣れがあるのだろう。

 

「それ、もう一着作れない?」

「そうねえ……」

 

 ナナリーの気持ちはよくわかる。何故なら今、フィオレもまた極度の寒冷地に対して対策を立てる必要に迫られていたから。

 

「私、マフラーがほしいかもしれません」

「首に巻いているそれはなんだ」

「義手用です。接ぎ目が痛いような寒いような……霜焼けになっていませんか?」

 

 ハロルドに診てもらうも、特に何ともなっていないとのこと。

 

「神経が敏感になっているようね。千年前より寒くないからかしら? 防寒具は必須として、環境に慣れるまで軟膏を処方しておくから、つけときなさい」

「!」

 

 フィオレの身体には、毒も薬も効かない。生来の体質と幼少期の訓練によって、グミすら意味をなさないのだ。

 例外は致死性の猛毒か無茶なアルコール摂取だが、それもフィオレの身体はどうにかして排除しようと試みる。おそらくそれは、事情を知らないハロルド手製のものでも同じことだろう。

 毒の脅威がない以上、薬の恩恵が受けられないことはとうの昔に納得していることだが、さてどうしたものか。

 下手に事実を話せば珍しいサンプル扱いでハロルドを暴走させてしまう危険性がある。さりとて、軟膏の効果が認められなければ彼女は怪しむだろうし……

 いや。環境に慣れるまで擦り込めと言っていたから、実際に霜焼けになったら自分で治療して、早めに適応したということにしておこう。

 

「フィオレ?」

「ええ、わかりました。防寒具と、包帯も余分に用意しましょうか」

 

 補充を済ませて、ハイデルベルグを後にする。

 道中、野営の際にハロルドが何を思ったのか、ロニに一服盛るという事件が発生するもののパナシーアボトルで乗り切り、カイル達の先導によって地上軍拠点跡地へ至る。

 千年前の貴重な遺跡、ということでだろうか。そう広くもない跡地は有刺鉄線の柵で囲われ、唯一の出入り口はファンダリアの寒冷地仕様で固めた兵士達が詰めている。

 しかし、カイル達が一度訪れているせいなのか。彼らは警戒するどころか一礼して、一同の侵入を見守った。

 

「前来た時はめちゃくちゃカリカリしてたんだけどな」

「ウッドロウさんの勅命状を見せようとしても、何をする気だ! ってすごい剣幕だったんだよ」

「それはまた、災難でしたね……」

 

 当初、イクシフォスラーが収められていた格納庫には何重もの封印が施されていたらしい。

 跡地を隅々まで探索し、遠隔で施されていた封印を破った過程を聞かされながら、かつてはハロルドの巨大な作業場であった半地下の格納庫に至る。

 千年前の面影はほんの僅か、あちこちが老朽化し、渡された梯子を降りた先に。

 

「すげぇ……ホントに帰ってきてる」

「あったりまえでしょ! 誰が作ったと思ってんの?」

 

 まるで何事もなかったかのように、イクシフォスラーは鎮座していた。天井もある半地下に、一体どうやって収納されたのか。誰も気づかないまま、ハロルドが機体の下へ潜り込んでいく。

 

「ほい、とれた。小さいけど、これひとつあればペンダントの力を増幅できるはずよ」

 

 無造作に機体の下へ潜り込んだせいだろう。頬が煤けているハロルドの手には、ソーディアンのコアレンズと同等の大きさのレンズを手にしている。

 それを手渡されたリアラは、レンズを見つめて呟くように言った。

 

「じゃあ、みんな集まって……」

「リアラ、どうしたの?」

 

 いつになく沈みがちな少女の様子を気にして、英雄と認められた少年が気遣う。

 ちらりとカイルを見やったリアラは、一瞬の間を経て彼に向き直った。

 

「……カイル、お願いがあるの。これから、たとえ何が起こっても……エルレインを止めると、誓って」

「どうしたんだよ、リアラ。そんなの当たり前じゃ……」

「お願い、誓って」

 

 これは何かあると、勘繰らざるを得ないほどに、彼女は必死な表情を浮かべている。

 覚悟さえ決めたような瞳を見て、何も言えなくなったようで、少年は同意した。

 

「……わかった。誓うよ、リアラ。何があっても、エルレインを止めてみせる。必ず!」

 

 長い沈黙の後、リアラは言葉をかみしめるように頷き、小さく「うん」と呟いた。

 

「それじゃ、行くわ。未来へ……!」

 

 手にしたレンズ、首元に下がるレンズ両方から輝きが溢れる。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十一戦——いざ、敵さんのお膝元へと~それぞれの心境や、如何に

 十年後のストレイライズ大神殿~聖地カルビオラ奥へ。
 カイル達と目的が微妙に違うフィオレだけは、こっそり悶々としております。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目もくらむその光が失われた時、広がっていたのは。

 

「ここは……未来のアイグレッテ?」

 

 ふと気づけば、一同が集っていたのはストレイライズ大神殿の門前広場だった。

 何の行事が行われる気配もなく、往来は観光客や信者らしき人々が行き交い、談笑する姿が見受けられる。

 

「エルレインは大神殿か? なら、前に使った裏道で……」

「いえ、神殿にはいません」

 

 善は急げとばかり、すぐにでも神殿へ特攻しようと促すロニを止めたのは、他ならぬフィオレだった。

 帽子は被ったままにつき詳細は伺えないが、義手に仕込まれた神の瞳を右手で包み込むようにしている。

 

「ならどこに……」

「カルビオラですね。大分様子が変わっていますが」

 

 神殿にいないと分かった時点でエルレインに所縁ある地を中心に風の視界を借りて探索したところ、まるで導かれるかの如く彼女の姿を発見した。

 カルビオラ神殿に隠されていたであろう扉、地下へ通じる螺旋階段を降りた先にて佇むエルレインを。

 

「カルビオラか……」

「ってことは、船に乗るの!? 世界が危険だってのに、呑気に船旅なんか……!」

「短気は損気よ。焦ったっていいことないわ」

 

 はやるカイルをハロルドは押しとどめ、アイグレッテを後にする。

 ナナリーの時代におけるアイグレッテ港への道のりは初見だが、フィオレ達が知るものと大差なく、船の手配はナナリーが引き受けてくれた。

 

「飛び込みで乗れるのね……私達の時は大変だったのに」

「まあ、この船どっちかっていうとカルビオラへの巡礼者送迎と、チェリクへ信者勧誘に出た教団の人間を迎えに行くようなモンだから」

 

 ホープタウンへの勧誘は来ないのかと聞けば、彼女の村へはヒートリバーなる熱湯の河川を越えなければならないため、教団の人間がやってくることは滅多にないという。

 

「そうだ、思い出しちまった。またあのゴミ溜めを通らなきゃならねーのか……」

「聖地カルビオラへの正規ルートに巡礼者用の街道があるよ。何なら変装でもして通っちまえばいいさ」

「あ? 何言ってんだよお前。それじゃあ里帰りできねーじゃねーか」

 

 乗客の少ない船の中、他人がいないことをいいことに甲板でこれから先の事を話しあっていた矢先にふと話題が逸れる。

 この時代においてそれほど時間は経っていないだろうが、ナナリーにとっては久々の故郷であるはずだ。もともと彼女はカルビオラ神殿への案内だけのつもりだっただろうし、一同としてもその認識に相違はない。

 しかし、彼女はそんな心配は杞憂と、豪快に笑い飛ばした。

 

「何言ってんだい。今戻ったらチビ達に忘れ物でも取りに来たのか、って笑われるだけだよ」

「でもよ、お前……」

「帰るなら、エルレインを倒してからだよ。寄り道して世界が滅ぼされちまったら、笑えないって!」

 

 確かに、笑うどころか悔やむこともできなくなるかもしれない。

 その言葉に多少の空元気があることは気づいたが、ここでは気づかぬふりをする。

 

「なら、信者に扮するか? アイグレッテで揃えてくればよかったか……」

「日差し対策のフードとマントで何とかなるでしょう」

 

 街道といえど砂漠地帯もしばらく歩くのだから、違和感はないはずだ。

 チェリクに着いてからの動向、巡礼者達の街道とやらを通る選択、もし通れなかった場合はホープタウンを経由するルートで進むことを検討する。

 そこへ。

 

「いないと思ったら、皆ここにいたのかよ!」

 

 リアラと二人きりにしておいたカイルに発見され、話し合いは自然消滅と相成る。

 束の間の余暇、じゃれあう一同を──主にカイルを見守るリアラの顔は微笑んでいるものの、瞳はどこか沈んでいた。

 イクシフォスラーを前にして、誓わせた言葉を思い出す。一見カイルに決意を促しているように見せかけて、自分に言い聞かせているように少女はそれを肯定した。

 それはまるで、英雄の判断に従う聖女としての建て前を作るかのようで。

 

 ──これだけは確認しなければならない。

 

 少女の沈み具合とエルレインと同等の存在たる少女であること、フォルトゥナとの関連を鑑みるに、適当な思いこみと結論づけるのは非常に危険なことだった。

 エルレインを止めるがため、彼女を討伐したら。彼女らを生みだしたフォルトゥナが、消滅したら。この少女がどうなるのかを。

 尋ねて、確認しなければならない。フィオレが選ぶべきはすでに決まっていて、選択の余地はないのだから。リアラとエルレインが共倒れしてしまうなら、早急に離れるべきなのだと。

 世界は、存続させなければならない。世界と引き換えに彼女を殺さなければならないのだとしたら……覚悟と、割り切る時間が欲しい。

 しかし。

 チェリクに辿りついても、ストレイライズ大神殿に管理されている巡礼者の街道が何故か解放されていたため堂々通っている最中も、オアシスを経由して聖地カルビオラを間近にしても。

 とうとう、尋ねることはできなかった。

 デリケートな問題だから、と一同に……主にカイルに知られないように気を回した結果、リアラは彼の傍をほとんど離れなかったため、タイミングを逃したことが主な原因である。

 それだけではなく、フィオレの内面による原因もあったこともまた事実だが……とりあえず今は、それどころではなかった。

 

「最終決戦で死にそうな人は今のうちにデータ採らせてぇ☆」

「って、アホか! 縁起でもねえこと言うんじゃねえっ!」

 

 暑さにうだったか、元々か。ハロルドが突如抜かした戯言(たわごと)に彼らは三者三様の反応を返した。

 

「誰ひとり死にゃあしないよ。ね、カイル?」

「ああ、あったり前だろ!」

 

 ロニは突っ込み、ナナリーは苦笑、カイルはいつも通り。ジューダスはスルー。そして、リアラは。

 

「うん! ……絶対、みんなを死なせたりしないわ!」

 

 ……みんなを、ときたか。

 その様子に、道中覗かせていた不安定な調子はない。ここへ至るまで、フィオレがうだうだしている間に彼女は肚をくくったようだ。

 

「フィオレは~?」

「……死ぬのはもう御免で御座います」

「そっか~♪ じゃあ戦闘後でいいから、みんな一回ずつ解剖させてね」

 

 そしてこの話題は、一同の総拒否に終わったわけだが……ふと疑問が残る。

 カルビオラ神殿に人っこ一人いないこともそうだが、仮にエルレインを、ひいてはフォルトゥナをこの世界から排除したら、何が起こるのだろう。

 守護者達の望みは、世界をあるべき姿に導くこと。世界に深く干渉したがる彼女達が排除されれば、願いは叶ったことになるだろうが。そもそもこの願いは十八年前の世界において望まれたことだ。

 主にエルレインが行ってきた世界への過干渉の爪痕を残して、あるべき姿の世界とはしないだろう。ということは、彼女らがしてきたことは修正されるのだろうか。

 そんなことをつらつら考えながら、一同の後についてカルビオラ神殿に侵入する。一体なにがあったのか、内部に人の姿はない。

 そして、かつては道を閉ざしていた通路も、ぽっかりと口を開いていた。

 

「何があったのかしら」

「聞き込みをする時間も惜しんで突き進んできたからな。何があったかなど知ったところでどうにもならないだろうが」

 

 最奥だと思われた場所、フォルトゥナが降臨した空の見える広間。

 レンズが掲げられていた台座は空っぽ、その下に、件の通路は存在していた。

 

「レンズが、なくなってる……」

「いかにもって感じだね。きっとこの中にいるんだろうね、エルレインは」

「よし、それじゃあ……「待った」

 

 意気揚々と隠し通路に身を投じかけたカイルを制止する。

 当然のことながら気勢を削がれて、彼はぶーたれた。

 

「なんだよ。早く捜さないと……」

「気持ちは同じですが、私は反対です。どんな罠が仕掛けられているかもわからない敵陣に身ひとつで飛び込むなんて」

 

 いつどのような目的でこの地下施設ができたのか、フィオレには当然わからない。

 しかし、風の視界を介して見た施設内は、地盤沈下を恐れるほどに深く広く。もしフィオレが敵方なら、内部にいると見せかけておびき寄せ、十分進んだところでカルビオラ神殿を崩壊させる。唯一の出入り口を塞ぎ、リアラの最終手段さえ封じてしまえば、一同はいつか野垂れ死にするしかない。

 フィオレのこの発言は、一同に対し大きな波紋を招くことになる。

 

「ハロルドじゃあるまいし、何を我儘抜かしているんだ」

「あら、よかったわね。私も正直、のこのこ罠にかかりに行きたくないわ。行きたい奴だけ行けば?」

「……言いたいことはわかったが、じゃあどうすんだよ」

「そうだよ。まさかこのままほっとく気じゃないだろうね」

 

 ジューダスは皮肉り、真実はさておきハロルドが乗っかり。ロニもナナリーも当然渋い顔だ。

 フィオレは他の誰でもなく、リアラを見やった。

 

「リアラ。改変された世界でダイクロフトへ転移した時のことは覚えていますか?」

 

 戸惑いながらも頷く少女に歩み寄り、それをもう一度行ってほしいと乞う。この方法なら、仕掛けられた罠の全てを無視して、且つエルレインに奇襲をかけられる。

 しかしリアラは首を振った。

 

「でも、レンズがないわ。いくらフィオレに行き先がわかっていても……」

「神の瞳、でしたっけ。このレンズ自体にエネルギーはなくても、変換すれば捻出はできます」

 

 まだ左腕があった頃、改変世界にてリアラが言っていたことを思い出す。

 レンズの正体がはっきりするまではためらっていたが、あれから折りをみて何度か試みたのだ。

 問題はひとつしかないはずだ。

 

「そんなことしたらフィオレが……!」

「事態は急を要するはずです。私だって急いでいます。さあ早く」

 

 義手に仕込んだレンズが輝き、装甲から洩れている。後ろで何か言っている仲間達を無視して、仕込まれたレンズごと義手を突き出した。

 

「……!」

 

 同時に、アイグレッテで見たエルレインの居場所を、風の守護者の力を借りて投影する。

 彼女は玉座を模した台座の前に、まんじりともせず佇んでいた。

 何をしているのかは杳としてしれないが、中空に大量のレンズを遊ばせている辺り、何かしようとしているようにしか見えない。

 それを見て顔色を変えたリアラは、何も言わずにレンズペンダントを握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十二戦——世界か、少女か。選択を前に少年は~修羅場は終わらない


 カルビオラ最奥。
 おそらく最後の一人と思われるエルレイン取り巻きはさっくり下しても、話は素直に進まなくて。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まばゆい光。一変する景色。

 ──リアラの転移に対しておかしな干渉をしてしまう神の瞳も、エネルギー源となっている今ならば、干渉することはない。

 そのため、はぐれることもなく無事転移した先、玉座を模した台座へ通じる壇上に。エルレインは立ち尽くしていた。

 しかし、残念なことに居るのは彼女だけではない。

 一同の視線を遮るかのように、壇上への道を塞ぐように。

 葡萄酒色の髪を撫でつけた神官騎士が仁王立ちしていた。

 

「あのお方への崇高な理念を理解しようとせず、たてつき、邪魔をし、挙句の果てに害そうと企むとは……」

 

 開口一番、男の口から出たには、一同に対する断罪だった。

 

「天光満つるところに我はあり……」

「もはや、お前たちに救いは必要ない。エルレイン様が許しても、我が許しはしない」

 

 しかし、その審判に嘆き悲しむ者などいない。その言葉を挑発と受けたらしいロニが鼻で笑い飛ばした。

 

「へっ! てめえの救いなんざ、こっちから願い下げだ!」

「ジャマをするなら力づくでもどいてもらうぞ!」

「エルレイン様のお手をわずらわせることもない。我が今、ここで全てを終わらせて……!」

「……出でよ、神の雷。インディグネイション」

 

 突如として発生した極太の落雷がガープに直撃する。彼は成す術なくばったりと倒れ伏した。

 敵を前にして余裕たっぷり、べらべらくっちゃべっているからつい……というわけではない。

 

「あら、先越されちゃったわ」

「何の時間稼ぎなのか警戒したのですが、あっけないですね」

 

 ぴく、と倒れ伏した身体が動く。海の主すら黒焦げにした譜術だ。息も絶えたかと思われたが……輝きの聖女を盲信する神官戦士は、顔を上げて憎々しげにフィオレを睨んだ。

 所謂聖女の加護なのかもしれない。

 

「おのれ、卑怯者……守護者共の手先が……」

「卑怯で結構。エルレインの手先として、一瞬だけでも彼女の盾になれて本望でしょう。おやすみなさい」

 

 哀れとも何とも思わないが故に、苦しませる意味もない。介錯せんとして、ガープは発狂した。

 

「下賤がっ! エルレイン様の御名を、軽々しく口にするなっ!」

 

 怒りにつき動かされ、このままでは死ぬに死ねないのか。ガープは重度の火傷を負っているであろう体躯を無理やり起こした。

 

「エルレインさまっ! 我に力を! 無法なる者どもに、正義の鉄槌を下す力を!」

 

 偶然か必然か、己の盾になった者が傷つき伏していても、エルレインは微動だにしなかった。しかし何かをしたようだ。ガープの体に変化が起こる。

 無理に上体だけを起こしていた体が浮き上がり、紫煙に似た光が彼を包み込んだ。

 そして。

 

「おいおいなんかやべえぞ、あいつ!?」

 

 体の表面が皮膚とは明らかに違う繊維に変異していく。髪の色をそのまま取り入れたような。硬質の装甲が全身を覆い尽くした。

 

「うわ!? 変態しやがった!」

「変身っていうんじゃないの?」

「一緒だ一緒!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

 

 呑気な掛け合いは余所に、変態──変身は続く。

 硬質化した腕には鉤爪が、その背中には被膜状の翼が生えて展開する。

 その姿は神の騎士とはほど遠く、神話に登場する神々と対立した悪魔と称したほうがよっぽどしっくりきた。

 唖然とするような凄まじい変貌を前に、戦いの導火線を灯したのはハロルドである。

 

「……あーっ、もう! 私はねぇ、神と喧嘩しに来たのよっ! 雑魚は引っ込んでらっしゃい!」

 

 杖が振り上げられ、雷弾──デルタレイが放たれた。しかしガープは易々逃れて、顔だった場所をハロルドに向けている。

 

「ハロルド、下がって!」

 

 すぐさま彼女を後衛へ下げてカイルが突貫するも、ガープだったものは翼を広げて宙を舞った。

 カイルどころかロニが斧槍(ハルバード)を精いっぱい伸ばしても届かないような高度である。

 

「扇氷閃!」

 

 ナナリーが弓を引くも、羽ばたいているからなのか、それとも何らかの力が働いているからなのか。

 放たれた矢はガープに被弾するより早く、あえなく四方へ散らされた。

 

「羽ばたくことで真空が発生しているなら、近づくことで危険だぞ」

「だったら、晶術で撃ち落とせば」

「獅子戦吼!」

 

 ほんの一瞬、敵から目をそらしたカイルがジューダスもろとも吹き飛ばされる。飛行していたガープが突進してきたわけではない。

 

「フィオレ、何を……」

「伏せて!」

 

 本人も実行した警告と共に、ガープだったものの頭部がぎらりと輝く。

 次の瞬間には深紅の光が放たれ、二人がいた場所に直撃した。

 着弾、後に爆発。見るからに頑強な床を溶かすようにしてえぐった光線は更に二人に迫った。

 そこへ。

 

「プリズムフラッシャー!」

 

 ハロルドが放った光の槍が雨あられと降り注ぎ、ガープの気を逸らした。そこへリアラのバーンストライクが追撃し、浮遊状態に近かったガープを引きずり落とすことに成功する。

 

「くらえっ、割破爆走撃!」

 

 翼が動いていないことを確認したロニが万物を轢く勢いで迫るも、ガープは篭手のようになった腕で肉厚の刃を受け止めた。

 斧槍(ハルバード)と猛禽めいた鉤爪が鍔競り合う。ロニの猛攻を捌くことに集中してか、被膜状の翼は沈黙したままだ。

 そこへ、背後へ回り込んでいたフィオレが飛びかかった。

 ロニとの鍔競り合いを続けるまま、ガープが振り向く。頭部に輝きが灯っているのを見てとって、フィオレはその場から離脱した。

 ──これでもう、あの翼に迷うことはない。

 深紅の光が足元を穿つ。再び同時に迫るフィオレを追い払わんとしてか、ガープはロニを突き飛ばした。

 

「うぉっ!?」

「馬鹿、逃げろ! 切り刻まれるぞ!」

 

 とはいえど、今逃げたらガープの標的はロニへ向かう。肩すかしを受けてひっくり返ったロニにレーザーを放たれたら、それこそひとたまりもない。

 接敵を認め、ガープが翼を広げる。しかし、その異様な巨体が持ち上がることはなかった。

 

「!?」

 

 羽ばたけど、機能を果たさぬ理由。それは翼本体の切断を断念したフィオレが、被膜状の翼に秋沙雨を見舞ったことに由来する。

 結果無数の穴が穿かれていることを、今や聞き取りがたい言語のみを発する彼は気づいただろうか。

 

「猛き狂う竜の咆哮、(さかしま)の鱗を砕かれてもがけ! 屠竜逆鱗斬!」

 

 その隙に、紫水が硬質の鎧の関節を縫ってねじ込まれる。根元まで刃が突き抜けるが早いか逆袈裟に切り上げると同時に剣気が解放された。

 衝撃波による体内への攻撃なら、斧槍(ハルバード)の刃をも受け止める装甲は意味を成さない。

 内側から体を切り裂かれ、放ったレーザーのように赤い雫を撒き散らし。

 ガープは断末魔の叫びを上げて崩れ落ちた。

 最期の呟きにエルレインの御名があったかどうかはわからないが、人でなくなった代償なのか。屍が、風もないのにさらさらと崩壊していく。

 その様を見届けたカイルが何を思ったのか、定かでない。しかし彼は振りきるように目をそらし、壇上に佇むエルレインを睨んだ。

 

「そこまでだ!」

 

 己を守る最後の騎士が倒れたにも関わらず、彼女にまるで動揺はない。一同が辿りついた際も変わらず、玉座を模した台座と相対したまま。

 頭上には無数のレンズが浮遊している。

 反応が無いこともかまわず、カイルは追及を続けた。

 

「今度は何を考えてる! オレ達の時代をどうするつもりだ! 答えろ、エルレイン!」

「おまえたちか……だが、もはや時は過ぎた。すでに矢は放たれようとしている」

 

 流石に一同の存在は感知していたようで、エルレインはようやく言葉を発した。しかし、いつにも増して様子がおかしい。

 

「矢を放つ……? どういう意味だ!」

「千年前、星を射抜いた光の矢、その輝きを今再び……!」

 

 突然、エルレインの頭上に舞っていた無数のレンズが収束する。わずかな光しか放っていなかったレンズが共鳴するかのように光り輝き、一同を圧倒した。

 

「うおっ、こ、これは……」

「あいつ、一体何をするつもりなんだ!?」

 

 皆目見当もつかない。

 千年前とか光の矢とか、ヒントはある。しかし、それでフィオレに連想できるのはベルクラントくらいしかない。あるいはそれに対抗して放った惑星砲プラネットバースト──守護者達の力を用いたものだが、それが彼女に使えるとは思えない。使えたところで、あの砲撃でこの惑星に存在する何かを破壊できはしないだろう。

 

「千年前、光の矢……」

 

 そんな中、何かに勘付いたらしいのはかの天才だった。

 今更元の時代に帰れと言うなら、エルレインと手を組んで世界を滅ぼすと嘯いていたが、あの少ないキーワードであっさり答えを導き出した様子。

 

「……そっか、そういうことか。流石神の名を語るだけあったやることがハデじゃない」

「ひとりで納得してないで説明しろ、ハロルド!」

 

 ロニに促され、ハロルドが淡々と語ったこと。

 それは天地戦争の発端となった彗星の衝突を、エルレインが繰り返そうとしているという内容だった。

 人類の過半数が死に絶え、衝突の際に巻き上がった粉塵によって太陽の光が完全に遮られ、大地は荒れ果てて。

 更には悲惨な戦争を呼び、人々の心身を荒廃させた原因を再び引き起こすこと。

 

「世界を消すってのは、そういうことだったのか。でも、今になって、どうして……!?」

「お前達を救うためだ」

 

 ……彗星が衝突することを全世界の人間に通告して、フォルトゥナ神に救いを求めさせる気なのか。しかし、それはフィオレの大きな勘違いだった。

 

「お前達だけではない。この世界のすべてを救うために、すべてを破壊する」

「明らかに論理が破綻してるわね。救うために破壊する? そんなことはありえないわ」

 

 ハロルドは一笑で切り捨てているが、残念ながら元々論理が通じる相手ではない。

 しかし、エルレインは珍しく声を荒げた。

 

「私は間違ってなどいない!」

 

 まさか否定されて気分を害したわけでもなかろう。さりとて、この企みも阻まれるという焦りがあるわけでもあるまい。

 ただの感情の高ぶりなのか、それとも。

 

「完全な形で神が降臨すれば……全人類の絶対幸福を実現することができる。それを成すため、私は歴史を改変しようとした。だが、その試みはことごとく無に帰した……お前達の手によって!」

「……」

 

 とうとう一同を真っ向から批難し始めたエルレインを前に、リアラはただ沈黙していた。

 その心中に何があるのかはわからない。

 

「だからこそ、私は最後の手段を取るのだ。神のたまごともいえる、巨大彗星を地表へ落下させるという手段を。ふたつの天体が衝突する際に生じる凄まじいエネルギーをもってすれば、神の降臨が現実のものとなる。そう、完全な神の……!」

「待て、エルレイン!」

 

 まさか説得しようと、説得して止められると思っているわけでもなかろうが、カイルは話を続けていく。しかしこの時点で、フィオレは会話自体に興味を失くしていた。

 

「すべてを救うためにすべてを破壊する。そんなことが許されるなら……オレ達はなんだ! 神にとってオレ達人間は、いったい何なんだ!」

 

 この地を、星を、彗星が襲う。それを聞きつけた守護者達が、盛大に混乱を始めたからだ。

 

『なんてムチャする気なんだよ、こいつは!』

『神さえ降臨すれば、全ては解決すると思い込んでいるようですね』

『完全に思考が停止しているな……』

『大分前からそうだった』『最早言葉は通じない』『力尽くで止めるしかない』

『口惜しいが、我らではどうすることもできぬ……』

 

 そこは諦めないで、守護者らしく何とかする術を提示して頂きたいところなのだが、しかし。

 

「神によって救われるべき、儚く、哀れで、いとおしい存在。それ以上でもそれ以下でもない」

「ふざけるな! オレはずっと、この目で見てきた! 歴史を築いた人達の強さを! 人が生きた証として積み重ねられていく歴史を! それを消すなんてこと、誰にもさせはしない!」

 

 千年前の世界において、守護者達が存在していなかったわけがない。

 封印されていたわけでもないのに、止められなかったことだ。混乱もするだろう。

 

「案ずることはない。お前達がすべて死に絶えたとしても、完全神の降臨さえ果たされれば、新たなる人類を生み出すことができる。そして新たなる人類は、完全なる世界で完全なる幸福を手にすることができる。今こそ人類自身のためにすべてを振り出しに戻すべきなのだ」

 

 ……結局、そうなってしまうのか。

 守護者達の懸念は、的中してしまったようだ。

 こうなる前に止められなかったのかと一瞬脳裏をよぎるも、それを追求したところで事態は好転しない。ついでに、止められたとも思わない。

 

「歴史の破壊が人のためだと……!? 冗談じゃないっ!!」

「おろかな……まだわからないのか? 人は神の力によってのみすべての不幸から逃れ、絶対の幸福を手にすることができる。なぜそれを認めようとしない?」

「絶対の幸福なんて、この世にない!」

 

 平行線のまま、対話が続く。妥協点など一切なく、互いに歩み寄る意志も理由もない。まさしく無駄な時間が延々と流れた。

 終止符が打たれたのは、彼女の一言である。

 

「これ以上話しても、ムダのようだな」

 

 エルレインとして、これまで真っ向から対立してきたカイルを言いくるめる気はなかったようで。

 収束したレンズを見上げ、勝ち誇ったように微笑む。

 

「すでに矢は放たれようとしている。これを止めることは、お前達にはできはしない」

「できる! お前を倒して衝突を止めてみせる!」

 

 倒したら尚のこと止められない気がするのだが、放たれようとしていることが鍵なのか。エルレインの否定はない。ただ、否定すら無意味と考えているのかもしれない。

 

「今ここにいる私を倒したところで何の意味もない。私は神より生まれし者。何度でも生まれ変わり、完全なる世界を作り上げる」

「なら……神を殺す!」

 

 彗星を止める手段がそれしかないならと、彼は臆面もなくそう言い切った。

 エルレインが言う言葉が事実なら、対抗策はそれしかない。彗星の破壊は容易なことではないし、その手段は遠回りか問題の先送りでしかないのだから。

 しかし。

 

「そして、二度とお前が生まれないようにしてやる!」

「神を殺す……か。やはり真実は告げられなかったようだな、リアラ……」

「……真実!?」

 

 唐突に話しかけられたリアラは、沈黙したままだ。

 そこでリアラが出てくる理由は、やはりひとつしかないだろうか。

 

「ならば私が代わりに教えてやろう……リアラと私は……」

「やめて、エルレイン!」

 

 遮るように、耐えかねたようにリアラは金切り声を上げるも、遅かった。

 いや、エルレインがただ無視しただけだろう。

 

「リアラと私は、神だ……」

「リアラが……神!?」

「だから神を殺せば、私と共に……リアラも死ぬ」

 

 淡々とした宣告に、それまで堂々と人と歴史の在り方について説いてきたカイルは、初めて動揺を露わとした。

 他の面々の反応も似たようなものである。

 

「ウ、ウソだっ!! リアラが神だなんて……そんなことありえない!」

「だまされるなカイル! でたらめだ、でたらめに決まってる!」

 

 その反応を予想通りと言わんばかりに、エルレインは涼しい顔で言い放った。

 

「信じるかどうかはお前達の自由。だが、真実はひとつだ」

 

 カイルはあっさりエルレインに背を向け、他の一同もリアラに目をやっている。

 今の内に仕掛けてしまいたいものだが、下手に刺激して交戦に移行しても、彼らは戦えないだろう。

 

「ウソだよな、リアラ? 君が神だなんて!? エルレインがでまかせ言ってんだよな!? お願いだ、ウソだと言ってくれ!」

 

 懇願に近いその言葉に、少女はどれだけ頷いてしまいたかっただろうか。

 しかしリアラは、カイルの瞳を見つめて、静かにその言葉を否定した。

 

「いいえ……二人の聖女は神より生みだされしもの。言うなれば神の化身……神の存在が消滅する時、わたしとエルレインもまた……」

「……そ、そんな……!」

 

 混乱と衝撃と落胆と。いくつもの感情が、彼を、彼らを打ちのめす。

 その様子を見て、エルレインは静かに息をついた。

 

「そう、やはりお前たちに神は殺せはしない」

 

 エルレインの視界に、フィオレが映り込む。しかしこの時、フィオレはエルレインを視界に収めていても、彼女を見てはいなかった。

 来るべき時に備え、判明した事実を見つめ、行うべきことを受け入れる必要があったから。

 

「それがわかったのなら、帰るがいい。そして、裁きの時を迎える場所を自らの手で選べ。それがお前達に与えられた最後の幸福だ」

 

 エルレインの懐から光が生まれ、完全球体のレンズが床に転がる。

 これをもって裁きを迎える場所に転移しろということか。いつのまにか彼女の姿は色彩を失い、空中へ溶けるようにして消失した。

 カイルがそれに気付いたかは定かでない。彼はただ、リアラと対面したままうなだれるばかりだ。

 

「カイル……ごめんなさい。今まで、言えなくて」

 

 世界を救う英雄に対してか、愛する少年に対してか。待ち受ける過酷な運命を抱えたまま、少女は説いた。

 

「でもね、カイル。他に方法はないの。神を殺さないと、この世界は……」

「やめてくれ。今は何も聞きたくない」

「カイル……」

「わからないんだ。自分がこれからどうすればいいのか……わからない。なにもわからないんだ!」

 

 ……沈黙が降り積もる。誰も、何も言えない状況の中、フィオレはレンズを拾い上げた。

 それを、言葉もなくリアラに渡す。

 

「ここにいてもラチがあかない。とにかく、帰ろう……」

 

 ジューダスの言葉に促され、少女は無言で時空転移を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十三戦——まさかのまさかの、もの別れ~多分これが最後の修羅場



 カルビオラ最奥から、現代。地上軍拠点跡地へ。
 この後、本来は四英雄(スタン除く)のところへ向かうのですが。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光景に色彩が宿る。

 気づけば一同は、イクシフォスラーが鎮座する格納庫へと帰還していた。

 

「帰ってきたのはいいとして、問題はこれからどうするかだが……」

 

 面々の無事を確認しつつ、ロニが切り出す。

 しかし問われたカイルは一同に対しそっぽを向き、沈黙すばかりだ。

 世界を守ればリアラを失う。事実を知った衝撃は、誰より大きい。

 

「やれやれ……肝心のカイルがこの調子じゃな」

「ムリもないよ。落ち込まないほうがどうかしてるさ。あんな話を聞かされた後なんだから」

「カイル……」

 

 かける言葉が見つからないのか、リアラは力なく彼の名を呼ぶばかりだ。

 再び沈黙に突入するかと思われたが、それを振り払ったのは彼だった。

 

「しかしだからといって、このまま手をこまねいていても変わらない。エルレインは神のたまごを衝突させるつもりだ。何があろうともな」

 

 その言葉に、カイルがピクリと反応する。彼の言わんとすることを察してか、カイルは伏せていた顔を上げた。

 

「……ジューダス」

「カイル、お前がいくら悩んだところで事実は変えようがない」

 

 この世界の行く末と、リアラ。どちらを選ぶのかを、ジューダスは尋ねた。

 

「おい、てめぇ……!」

 

 残酷な選択の強要を耳にしてロニは激昂するが、次なるカイルの言葉を聞いて沈黙する。

 

「……どうすれば、いい?」

「カイル……」

「言ったはずだ。どうするかはお前が決めることだと。これは他の誰にも決められない。リアラの英雄となったおまえにしかできないことだ」

 

 その一言にピンと来たのか、突如としてカイルは思いつく。

 この世界を一度救った人々なら、どうしたらいいのかを知っているかもしれないと。

 

「なるほど、英雄の先輩たちにアドバイスをもらうってわけか。悪くないぜ、そのアイディア」

「いいね、行こう! ここでじっとしてたって、なんにもならないしさ」

 

 提案内容の是非はさておいて、ナナリーの一言に尽きる。一時的な逃避のように感じなくもないが、この場にてできることは少ない。

 

「なら、足はコイツを使えばいいわ」

 

 そう言って、ハロルドが示したのは、鎮座するイクシフォスラーである。

 先程レンズを使ってしまったのではないのかと問えば、外したのは迎撃用の予備エネルギーで、通常飛行機能に差し障りはないらしい。

 

「確かに、あちこち行くならコイツの方が便利だな」

「そーゆーこと! さ、乗って乗って!」

 

 ハロルドに促され、次々とイクシフォスラーに乗り込んでいく。それを見送る形で、フィオレは立ち尽くしていた。

 このまま本心を隠してついて行き、カイルが決定した時点で行動を定める。

 それが一番、都合がいい。カイルが世界を選べばそれでよし、リアラを選んだ時点で行動を起こせば、後腐れがない。エルレイン、そしてフォルトゥナを仕留めた後に憂鬱な仕事が待っている、と辟易しなくていい。

 しかし。連れ合ってイクシフォスラーへ乗り込まんとする二人を、フィオレは呼びとめた。

 

「二人とも。私はここで、お別れです」

「……え」

 

 正直、このことを彼に告げるのはためらわれた。非常に不安定になっているカイルがこれを聞いたなら、精神的に揺さぶられることは火を見るより明らかである。

 それでもフィオレの目的は変わらないし、黙って離脱するくらいなら何食わぬ顔で同道するべきだろう。それだけ冷酷であるべきだ。

 思いのほか、彼は動揺を露わとした。

 

「な、どういうつもり……」

「私に選択の余地はありません。フィリア達と会うこともできませんし……リアラを選んだ瞬間、彼女が死ぬところを見たくないでしょう」

 

 とある単語を耳にして、カイルの顔つきが変わる。同じく瞳を見開いたリアラを背にかばい、彼は躊躇なく剣を抜いた。

 

「カイル!?」

「……それは、フィオレが世界を選ぶ、ってこと?」

 

 いつまでも来ないことで様子を見に来たらしいロニが叫ぶ。それに解さず、カイルは油断なくリアラを下がらせようとした。

 

「その通りです。リアラのために、世界を捨てることはできません」

「それは、守護者たちのために……?」

 

 それを聞いてどうするというのだろう。

 リアラがその場にとどまったまま、それを問う。

 距離にして間合いの内だが、カイルが盾になっているため、仕留める前に逃げられるだろう。

 

「もちろんそれもあります。でもこれは私の意志。ディムロス達が存続を望み、スタン達が守ったこの世界を、壊されたくないです」

 

 守護者達のせいにはしないし、したくもない。

 したところで、同情なんかもらえない。もらいたくもない。

 

「守護者達の望みと、私自身の意志に基づき、あの二人は生かしておけません。必要ならばリアラ。あなたを斬ることも辞さな……!」

 

 鋭い剣戟を受けて、中断せざるを得なくなる。

 その先を聞くことは耐えかねたようで、警戒しきっていたカイルが詰め寄ったのだ。

 

「させないっ! そんなこと、絶対に!」

「……結論を出すのは、まだ早いですよ」

 

 力任せのそれを易々流して、周囲を見やる。

 会話を聞いて血相を変えた仲間達が、イクシフォスラーから降りつつあった。

 

「英雄達の話を聞くのでしょう? リアラの意見は? あなた自身の望みのまま突っ走るもまた一興ですが、待つのは悲劇だけですよ」

「うるさいっ!」

 

 怒りに支配されるまま、再び突っ込んでくるカイルを回避して、立ち尽くすリアラに迫る。

 今、この細い首を刎ねれば、全てが終わるだろう。何も悩むことはなくなる。

 エルレインがそんなことを繰り返していたな、とぼんやり思い出しながら、少女の背後に回りこみ、カイルに対しての盾にした。

 

「きゃ……!」

「リアラ!」

 

 絶望的なカイルの、悲鳴じみた叫びが耳に痛い。

 

「……護りたいなら、することがあるでしょう」

 

 先程ためらったことを少し惜しく思っても、最早後の祭り。

 回復晶術がある限り、少女の首を切断でもしなければ、この場での絶命はさせられない。この状態ではそれができない。

 フィオレの嘆息を知ってか知らずか、妙に落ち着いた少女の声音が格納庫に響いた。

 

「フィオレ」

「はい」

「どうしてカイルを挑発するの?」

 

 挑発した覚えはないが、リアラはそのように感じたようだ。

 フィオレの沈黙などお構いなしに、少女は続けた。

 

「あなたがその気なら、わたしなんてとっくに死んでるわ。ううん、いつ殺されても不思議じゃないって思ってた。フィオレの立場は知ってたし、あなたならけしてためらわないでしょう……」

「リアラ。先程も言ったように、私には選択の余地がありません」

 

 フィオレには守護者達との契約がある。元の世界に戻れなくなった今も、契約を破棄するつもりはないし、私情で世界を護りたいと思っているのだ。それでも真剣にリアラと天秤にかけてしまえば、どちらが傾くかはわからない。

 故に、天秤にはかけない。

 

「だから、カイルには是非選んでいただきたい。あなたか、世界か。そして、リアラがどちらを選ぶのかにも興味があります」

 

 少女とて、けして他人事ではないのだ。確かにリアラはカイルの決断を無条件で受け入れるだろうが、少年は少女が一言「死にたくない」と言えば、それに従わざるを得ないだろう。

 カイルの選択は、リアラの選択でもあるのだ。

 

「……わたしは、カイルに従うわ」

「どうとでも。納得できる結果だといいですね」

 

 彼がどちらを選ぼうとも、少女は必ず受け入れるだろう。ただしカイルは、私利私欲を優先させられるほどの暴君になれるだろうか。

 リアラと共に世界の黄昏を、心穏やかに受け入れることができるだろうか。

 少女を盾に取られて攻めあぐねるカイルの挙動を受けて、突きつけていた短刀を引く。

 目をむいて奪いにかかるカイルにリアラの背を押して、フィオレはくるりと踵を返した。

 そのまま一目散に、格納庫出口へ向かう。

 

「フィオレ! お前……っ!」

「あなたもカイルの判断に従うのでしょう? 私にはできない。それだけです」

 

 何かを言いかけるジューダスを一言で沈めるも、続くハロルドの罵声に首をすくめる。

 

「この私を敵に回すなんて、いい度胸だわ。覚悟はもちろんできてるわよね!」

 

 被服の下から数本のメスを取り出して吼える彼女から逃げるように、格納庫から飛び出す。

 そこへ。

 異音を聞いて振り返れば、格納庫天井が音を立てて開きつつあった。規模からして、イクシフォスラーがくぐれる程度のもの。

 迎撃装置の動力源を外したとは言っていたが、位置を捕捉されるのはまずい。

 フィオレは即座に、紫水に飛び乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※フィオレはパーティ離脱しました。


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第九十四戦——お別れと行く道と~終着点は同じでも、辿るのは別の道

 イクシフォスラー内と、スノーフリア、数日たってから、アクアヴェイル。
 もの別れしてからの、それぞれ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……逃げられたわ」

 

 イクシフォスラー内部、コクピット付近のモニタを見つめて、ハロルドはぽつりと呟いた。

 彼女の視線の先、モニタには何重もの輪が描かれており、点滅する白点が今まさにモニタの外へ出て行こうとしている。

 

「追えないのか?」

「できるわよ。ただ、本格的に抵抗された時が怖いわね。なんせあっちはベルクラントを迎撃できるんだから」

 

 イクシフォスラーの機体を案じてだろう。追跡をあきらめたハロルドはシートに背を預けて、足を投げ出した。

 

「まあ、いいわ。撃墜するより捕まえて解剖したほうが楽しいわよ。たぶん」

「そんな呑気な事を言ってる場合か」

 

 操縦席にてイクシフォスラーを安定させていたジューダスが立ち上がる。

 ホバー中の機体は、もちろん揺らがない。

 

「あの場で決着をつけられなかったのは痛いぞ」

「決着って、お前……」

「何を大袈裟な、と言いたそうだな、ロニ。お前、あいつを斬ることができるのか?」

 

 問われて、ロニが黙りこむ。これまで行動を共にし、時には助けられてきた彼女を敵に回せるのか。

 ──殺すことが、できるのか。

 

「でも、それは。フィオレにとっても同じことじゃないのかい?」

「だろうな。だからリアラはまだ生きている。あいつが決心をしていたら、あるいはカイルがリアラを選んでいたら……「やめてくれ!」

 

 先程からリアラの傍を離れようとしないカイルが叫ぶ。

 気まずい沈黙が漂う前に、ぴしゃりとそれを払ったのはハロルドだった。

 

「あんたがいくら叫んだところで、どうにもなりゃしないわ。あんたはまず、自分がどうするのかを決めなさい」

 

 沈黙するカイルを余所に、ハロルドはジューダスに話の続きを求めた。

 

「今度会ったら、あの子は敵かしら?」

「……カイルの選択による。ただ、仮にこちらが世界を選んだとして、それをあいつが信用するかどうか」

「罠と勘繰られたら、めんどくさいかもね」

 

 投げだしていた足を引っ込め、頬づえをつく。

 しばらく黙りこんで、ハロルドは一同を見回した。

 

「今後の方針がはっきりしない以上、私達にできるのはこの時代の英雄とやらに話を聞く、ってことでいいかしら」

「……フィオレのことはいいのかい?」

「対策は立てるべきだけど、おそらく奇襲はないわ。それを心配するのは、エルレインが、もしくはフォルトゥナが死んだ後でしょうね」

 

 迷うカイルを擁したまま、イクシフォスラーは灰色の空を飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、一同からの追跡を逃れたフィオレは汗だくでスノーフリアへ到着していた。

 

『フィオレ……よかったの?』

「──彼がリアラを選んだ瞬間、彼女を殺したら。私はカイルに八つ裂きにされないといけなくなりますからね」

 

 やってしまった、という意識はない。こうなることは必然だった。

 なんとなく予感はしていたのだ。早く、意識を切り替える必要がある。

 

『だけど……』

『やめなさい、シルフィ。これは本来、私達の責なのですよ』

『いつこうなってもおかしくはなかった。とはいえ……』

『でもー』『だけどー』

『そこまで、だ。お前たち、起こってしまったことを穿り返すでない』

 

 そして、もうひとつ。

 シデンの洞窟に封じられているであろう、ルナシャドウを解放する。

 スノーフリア船着き場にて旧シデン──現アクアヴェイル行きのチケットを入手、乗り込むことには成功した。

 エルレインの妨害は、入らないだろう。彼女は神のたまごと称した隕石をこの惑星へぶつけようとするのに忙しいはずだ。

 でなければ、とうの昔にフィオレのもとへ刺客がやってきていることだろう。

 現状は把握されているが、手駒がないだけでも結果は同じ。

 

『シルフィスティア。視界を貸してください』

『──うん』

 

 船室の中、シルフィスティアの視界を借りる。

 どんな地盤沈下があったのやら、シデン・モリュウ・トウケイの三領にて区分されていた彼の地は見事に統一されていた。

 これによりかつてのシデン領に属していたルナシャドウが眠る洞窟は、もちろん現存していない。アクアヴェイル入りを果たした後は、洞窟跡を探索することから始める必要がある。

 まずはそれに集中しようと、フィオレはそのまま目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アクアヴェイル入りを果たし、数日の探索行を経て。フィオレはルナシャドウとの再会を果たした。

 探索といえど、フィオレ自身は大したことをしていない。十八年前、すなわち地形が変異する前のシデン領海図を求め、それを参考にそれらしい場所を総当たりしただけだ。結果としてすでに崩れて沈みきっていたため、アクアリムスの力を借りて海中の洞窟跡を訪ねた。

 そのままルナシャドウとの接触に成功し、すんなり封印が解ければよかったのだが……

 エルレインが遣わしたと思しき水龍が、聖域の名残を示すその場所で悠然と佇んでいた。

 困ったことに水龍はフィオレを察知した瞬間襲いかかってきたのだが──どうにか退治に成功し、今に至る。

 水龍の体内に封じられていたらしいルナシャドウは、まるでたゆたうかのように水中をゆらゆら動いた。

 

『──感謝』

『これで、すべての守護者があなたの元に集いました』

 

 ようやっと聞こえたルナシャドウにかぶって、アクアリムスの声が聞こえる。

 これで一応は彼らとの約束を果たしたことになる。もちろん終わりではない、やっと始点に立ったようなものだ。

 

『お次は、神様とその使い退治か……』

 

 まさに神をも恐れぬ所行だが、それは彼女らを信仰する人々にとっての話。

 この世界が生まれたその時から寄り添う守護者達と反りが合わないどころか、それに高じて排除せんとしたのだから、文句を言われる筋合いはないだろう。

 問題は、この世界を破壊せんと目論むエルレインが今、どこにいるのか。

 それを探そうとして、まずは陸へ上がろうとする。

 

『アクアリムス、ありがとうございました。地上へ……』

『あなたさえよければ、これよりフォルトゥナ擁する彼女の潜伏するその場所へ、(いざな)います』

 

 一体どうやって。

 ただ、フィオレにその場所を(いざな)えるということは、彼らはその場所を知っているということか。

 

『……彼女達は、今どこに?』

『神のたまごー。カルバレイス大陸上空に浮かんでるからさ、フィオレだけじゃ近づくのも大変だと思う』

 

 シルフィスティアのあやふやな言葉ではわかりづらくはあるが、概要は伝わった。

 ただ。

 

『シルフィスティアの力は貸してもらえないのですか?』

『……神のたまごは、全方位に対して迎撃装置が展開されている。シルフィスティアの力だけでは、叩き落とされるぞ』

 

 フランブレイブの言が事実なら、守護者達の力を駆使しなければ神のたまごとやらへ乗り込むことはできない。

 彼らはどうするのだろう。

 そう考えて、首を振ってその思考は追い出した。

 

『では、お願いします。でも、その前に』

 

 これが最終の、決戦である。そう、あるべきだ。この軽装で行くのは自殺行為である。

 まずはアクアリムスに陸へ戻るよう、フィオレは求めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十五戦——邂逅~向かう道を違えて、行き着いた最後のこの場所で

 神のたまご内部。
 とうとうやってきました、ラストダンジョン。
 もの別れ後、一同は一人姿を消したフィオレとあいまみえます。


 

 

 

 

 

 

 英雄達の助言を得て、リアラと新たに心を通わせ。決心したカイルを擁する一行は神のたまごへ乗り込んだ。

 ハロルドが改造したイクシフォスラーによって半ば押し込みをかけた状態ではあるが、迎撃されるのだから強行突破より他に道はない。

 神のたまごの内部は不自然で、歪で、不安定の一言に尽きた。

 通路らしいものはないが、リアラが迷いない足取りで進む先を示す。

 エルレインと同じ聖女だからか、フォルトゥナと同じ性質を持つ神の化身であるからか……

 誰もが思い当たり、故に尋ねられない中、少女はぽつりと呟いた。

 

「フィオレ、いないわね」

「おいおい、フィオレにゃイクシフォスラーがねえんだぜ? いくら守護者がいても、そう簡単にこんなとこへ乗り込めないじゃ……」

「そんなはずないわ。だって今わたしは、フィオレの足跡を辿っているのよ」

 

 ロニの言葉に対し、華奢な首を大仰に振る。その後ろでハロルドは小型端末を取り出していた。

 

「なるほどね。正確には、あの子の持つ神の瞳の波動かしら? 確かにそれなら、私でも道しるべが見えるわね」

 

 リアラの言葉が正しければ、辿った先にフィオレがいるはず。

 緊張しいしい、それでも歩みを緩めない一行の行く先。唐突に探し人は姿を現した。

 

「あれは……!」

「んな!?」

 

 これまでの道のりとちっとも変わらない、強いて言うなら少々広くなった空間で。

 フィオレは誰かと交戦していた。

 

「ち、ちょっと待ちなよ。どういうことだい?」

「でやあぁっ!」

 

 ナナリーの戸惑いなど余所に、猛々しい雄叫びが上がる。

 気合と共に振り回されたは、盛大に空を切り裂いた。

 

「こンのっ!」

 

 長物を振り回すのは、一同の知る彼と寸分違わぬロニである。

 彼が今、必死に斬り伏せようと挑むのは、どこか冷めた目でロニを見返すフィオレだった。

 抜刀どころか特に構えてもいない。ただ、迫る斧槍(ハルバード)の勢いに恐れることなくかわしている。

 

「だああっ!」

「……」

 

 やがて一息つくように斧槍(ハルバード)は乱舞をやめ、フィオレもまたその場に停止した。

 滝汗をかいて膝をついたロニが、血走った目でフィオレを睨みつけた。

 

「余裕ぶっこきやがって……! 俺をいなすのなんざ、お茶の子さいさいだってか!」

「……」

「そうだよな! だってお前は、俺の憧れたフィオレシアさんだもんな! 俺が生まれる前から戦いに明け暮れていたお前に、勝てるわけないもんな!」

 

 休憩時間を稼いでいるつもりなのか、ロニはあらん限りの悪態をつく。

 もしかしたらフィオレを挑発せんとする策略だったのかもしれないが……当の本人が聞いている様子はない。

 視界からロニを外すことはしないが、絶えず周囲に気を配っている。

 その注意散漫な様子が彼に伝わるはずもなく。

 

「聞いてンのか、こら!」

「お前の言葉に傾ける耳はない」

 

 まるで冷や水を浴びせるように、フィオレは初めて口を開いた。

 今までにない、冷めた目と冷たい口調が激昂していたはずのロニを黙らせる。

 ──正体を隠す必要性が無いから、なのか。決戦に向けてあらゆるハンディを排除したのか。帽子も眼帯も、その面から取り外されていた。

 故によくわかる。如何に彼女が落ち着き払っているのかを。

 

「まるでロニみたいなことを言いますね。正確にはロニの立場での罵倒かな。ロニを騙りやがって、図々しい」

「お、俺が偽物だとでも抜かすのかよ」

「おお、認めましたか。潔いですね」

 

 そう言って、薄く微笑む。ただし色違いの瞳は、全く笑っていない。

 

「変身能力はお見事ですが、詰めが甘「いい加減にしろ!」

 

 突如として、何の前触れもなく。火花が散ったかと思うと、ロニの体が炎に巻かれた。

 

「っ……!」

「あ」

 

 悲鳴どころか、燃える暇もあらばこそ。塵すら残さずロニに化けた何かは、一瞬にして消滅した。

 その跡から、ちゃりんっ、と小さな音が残る。

 それは、魔物が絶命した際発生するレンズの音に酷似していた。

 音の正体がレンズであることを確認し、フィオレは安堵のものと思われるため息をついている。

 

「偽物でしたか。よかった」

「何を呑気な。彼らの巣窟で遊んでいる場合ではない。障害は速やかに排除するべきだ!」

 

 怒鳴りつけるは、敵の本拠地につき事象に対してあらゆる介入を許されたフランブレイブだ。彼のみならず、フィオレは守護者全員の介入を許している。

 

「私は一応、彼が本物で尚且つエルレイン辺りに操られている可能性を視野に入れて……」

「彼らは世界を選ばない。汝はその仮定のもと、行動しているのではなかったのか」

 

 それについて否定することはないらしく、フィオレの反論はない。

 わずかに表情を曇らせ、嘆息するばかりだ。

 

「もういいです。では先へ……」

「誰か来たよ!」

 

 辟易して話を投げ出したフィオレは、シルフィスティアの警告を聞いて弾かれたかのように、自らが歩んできた道を振り返った。

 とうとう追いついた一行を、その眼で認める。

 守護者達とのやりとりで他者の気配を失念し、咄嗟に反応できないフィオレ。

 守護者達の声が聞こえない上、ロニそっくりの青年が一瞬にして消されたことに意識が行き、やはり混乱する一同。

 その中で、まず我に返ったのは彼女であった。

 

「少なくとも、フィオレは本物みたいね」

「は、ハロルド? 何をいきなり……」

「罠、幻の類かと思ったけど、守護者の気配がするのよね。神の瞳もあるわけだし」

 

 神の瞳を所持した上、守護者とやりとりできるのはフィオレ本人を除いて他にいない。

 一方で、フィオレもまた正気に返っていた。

 

「……本物、ぽいですね。限りなく」

「どうしてそう思うの?」

 

 一同六人をまんべんなく観察し、呟く。それに疑念を抱くは、フィオレをかばうように姿を現したシルフィスティアだ。

 実体化しているため、幼子に似た声が誰もの耳にも届いている。

 

「汗とか、体臭とか、化粧の匂いとか。いわゆる人の匂いがするからですよ」

 

 ここへ至るまでの道のりは、けして短くも平坦でもない。人である以上、少なからず発汗の類は避けられないことだ。

 先程ロニが物理的に炎上しても冷静だった理由は、これに準ずる。彼は滝汗をかいていたが、至近距離でもその臭いは一切感知できなかった。

 

「ふうん、いいけどね。彼らに敵意があるかどうかが、一番重要だよ」

「あなたの言うとおりね、シルフィ」

 

 穏やかな女声が響き、シルフィスティアの隣に顕現する。

 なびく蒼の髪、白の衣に包まれたたおやかな姿。携えた大槍を優雅に構え、迎撃の姿勢を取る。

 

「彼らは敵でも、味方でもいい。あなたを害さない限り、あなたの行く手を阻まぬ限り」

 

 二人して実体化した辺り、戦いになっても遅れをとらんとしているのだろう。一度彼女らを制して、フィオレは一同に呼びかけた。

 

「あなた方が本物であるという前提のもと、お尋ねします。何をしにきたのですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十六戦——再会と衝突~覚悟を決めて、腹をくくって、前へと進む

 続・神のたまご内部。
 結果だけを見ればその必要もなかった対立が、和解の道を歩もうとしております。
 が、なかなかうまくはいかずに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話し合うにはあまりに遠い距離に、一同がなんとなしに歩みを進める。しかしその様子を見てフィオレは抜刀し、守護者両名も改めて身構えた。

 あるいはそれは、呼びかけに応じない姿勢に警戒した証なのかもしれない。

 

「何よ、あんたとあろう者が何及び腰になってんの? 笑っちゃうわね」

「何とでもどうぞ。私は脆弱な人間です、腕が千切れるくらいにはね。答えがないなら、敵対するものとみなします。あなた方の総攻撃は脅威だから」

 

 露骨な警戒の様をハロルドは嘲笑うも、フィオレは平静だった。

 挑発をものともしない態度にか、あるいは決別した際のことを思い出したのか。ムッとした風情を隠さないハロルドを押しとどめて、カイルはリアラを伴い前へ進み出た。

 進み出た先の足元に、剣を、杖を捨てて。

 

「……」

 

 その光景は、いつかの夢の中。カイルを人質に取られたスタンとルーティが取った行動に重なった。

 

「フィオレ。オレ達、あれからみんなに話を聞きに行ったよ。四英雄に……父さん以外の、フィオレとジューダスの仲間達だった人達に」

 

 二人の武装解除を見て、フィオレは一応構えを解いている。しかし抜刀はそのまま、二人からも後ろの彼らにも、余すことなく注意を払っていた。

 

「すごく、すごく悩んだ。なんとかならないのかって。リアラも世界も選べる方法がないか、考えたよ」

 

 仲間達に、かつての英雄達に、そしてカイルの母ルーティに……リアラに。

 誰彼構わず、自分が納得するまで何回でも。

 決別して以降の、彼らが辿った道の話を、フィオレは黙って聞いていた……ように思われたが。

 

「でもオレ……「ねぇ、カイル」

 

 あくまでやんわりと、カイルの語りに横槍を入れる。

 フィオレは彼と目を合わさぬまま、無表情で尋ねていた。

 

「時間稼ぎですか?」

「!」

「ご承知とは思いますが、エルレインは人々の救いという建前のもと、この世界を滅ぼすつもりです。そうなる前に、止めなくてはならない」

 

 言外に、のんびりお喋りは出来ないと。彼女はそう言った。

 現実の時間的にも、気持ちの余裕としても。

 

「……それに関しては、私も同意見よ」

 

 リアラの言葉を耳にして、器用に片眉を跳ね上げている。意外だという様子を隠すともせず、そのものずばりをつきつけた。

 

「カイル。あなたはリアラではなく、世界を選んだのですか?」

「考えたんだ。何が正しいのか。オレは何をするべきなのか。その上で、納得できる答えを。答えを出して……オレ達は、ここにいる」

 

 その言葉の意味を違わず汲んだようで、フィオレは嘆息しながら刃を収めた。

 左右に控えていた守護者達もまた、姿を消している。

 フィオレの命か、彼らの判断か。それは杳として知れない。

 

「あなたは間違いなく英雄ですね、カイル」

 

 彼は仲間──愛する人ではなく、世界を選んだ。二人の間にどのような会話がなされたのかはわからないが、迷いのようなものは見られない。

 脈絡のない言葉に困惑する彼を、その目を。眩しいものに対するかのように眇めながらも見やる。

 

「私が選べないからこそ、あなた方に選んでほしいなんて、建前だったようです」

 

 カイルにはリアラを選んで欲しかった。そうでなければ、胸中の落胆は説明できない。

 彼らと決別した意味がないからの落胆かもしれないが、決別の理由はカイルがリアラを選ぶ可能性を考慮したため。どちらであろうと、同じことだった。

 

「え?」

「私の身勝手な意見です。忘れてください」

 

 そのまま彼らに歩み寄り、剣を、杖を拾って手渡せば、二人は目を白黒させながらも受け取った。

 

「まさか、親子二代で英雄になってしまうなんてね。血は争えないというやつでしょうか」

 

 その様子を見て、もう大丈夫だと思ったのか。一同もまた、歩み寄りつつあった。

 

「……納得してくれたかい?」

「何をでしょう」

「俺らが敵じゃねえ、ってことだよ」

 

 おずおずとしたナナリーの、自分のそっくりさんが消されたショックから立ち直ったロニの言葉にひとつ頷く。

 それならば共に行こうと言うカイルの誘いを、フィオレは首を振ることで拒否を示した。

 

「……何故?」

「私はあなた方と決別しました。今更同じ道は歩めない」

 

 今の今まで無言で、ようやく言葉を放ったジューダスに対してでも、臆することなくしれっ、と言い放つ。

 別に構わない、気にしてないと二人が交互に言い募るも、フィオレの言は翻らなかった。

 

「私が構うし、気になる。敵対しないでくれるのは正直ありがたいことですが……」

「──何を企んでいる」

 

 不機嫌も露に、言葉の裏を探らんとするのはジューダスだ。

 ハロルドも、似たようなものである。

 

「まさか気まずいから、って理由だけで断ってるわけじゃないっしょ?」

「もちろん。今あなた方と共に行動するなら、確実に盾として扱いますよ」

 

 正確には一同ではなく、リアラを。

 単なる魔物の襲撃からではなく、罠──エルレインから仕掛けられたあらゆる事象に対して。

 合理性を優先するなら、何食わぬ顔で彼らを迎合してしかるべきだ。感情は、それをやんわりと拒否している。

 だからこそ、フィオレは口に出した。自分と共に行こうとすれば、割に合わないのはそちらだと。

 何ら悪びれもせずそれを言うフィオレには、彼らも呆れるしかない。

 

「あ、あんたねえ……」

「正直なのは結構なことだが、それで僕達が敵に回ると思わないのか」

「私はもともとその予定でした」

 

 エルレインらを排除した後は、リアラ。そのときは少女だけではなく、もちろんカイルだけでもなく、一同総員を相手取る覚悟もしていた。今敵対されても後でされても、同じことだ。

 それだけを言い捨てて、フィオレはくるりときびすを返した。そのまま歩みを進めていく。

 

「あ、おい……」

「リアラ。私はもう、腹を括りました。次は迷わない」

 

 何が理由であろうと、一同が敵に回るならまずリアラを狙う。言外だがそれを断言した彼女の傲慢さに、あるいは一同を鼻にもひっかけない情のなさに。

 

「このっ……!」

 

 拳を握り締め、ジューダスが駆け寄る。

 当然ながらフィオレはそれに気づいており、足を止めていた。

 振り返ったフィオレめがけて、ジューダスの拳が振り上げられ──

 

「!」

 

 止まる。

 迫るジューダスに何の動揺もなかったフィオレの表情を見て、ではない。

 拳が届く寸前、ジューダスとフィオレの間に割り込むように、精霊結晶が顕現していたからだ。

 金色の鎧、純白の翼。引き締まった双眸と揺るがぬ表情が、気高さと近寄りがたさを覚える──

 

「ソルブライト、シルフィスティア」

「ソラ、ずるい! ボクがやろうと思ったのに!」

「そなたの姿では受け止めきれず、代行者ともども殴られるが関の山であろう」

 

 飛べるとはいえ、少女の姿では庇いきれない。

 ソルブライトの長身を見上げて喚くシルフィをなだめて、光属性の精霊結晶はジューダスを見やった。

 

「そなたの感情は理解している。だが、どのような理由があろうと代行者に手出しは許さぬ。どうしても収まらぬなら私を殴れ」

 

 大真面目にそう言った。

 そうまで言われて、はい、そうですかとも返せずに。ジューダスは振り上げた拳をとうの昔に収めている。

 

「……瀕死に陥っても守護者に頼らなかった奴が、どういう風の吹き回しだ」

「あの時とは状況が違う。これより先の戦い、僅かにでも有利に事を運ぶがため。我らは尽力を惜しまない」

 

 先の戦いとはエルレイン、そしてフォルトゥナとの決戦だろう。

 ソルブライトとシルフィスティア、二柱の背中を見つめていたフィオレはふと、息をついた。

 

「シルフィスティア、ソルブライト。ありがとう、ちょっと休んでいてください」

 

 二柱の返事も聞かず、何らかの手を加えたのだろう。彼女らの姿が溶けるように消えていく。

 

「どうしたんだい?」

「──私は彼らにこそ、決戦で遺憾なく力を発揮してほしいのに。すっかり過保護になってしまって」

 

 おそらくは天地戦争での出来事に起因してのことだ。理由はわかりきっているからこそなのか、そう零して嘆息する。

 そして、フィオレは歩みを再開した。しかしそれは、一同を振り切るものではなく、ゆっくりと先へ進むことを促すものである。

 

「自業自得だろうが、やらかしたんだから……」

 

 どこか呆れたように零すジューダスだったが、続く言葉は即座に黙殺された。

 射殺すほどに鋭く、冷たいフィオレの視線を受けて。

 しかし、それは僅かな間のこと。ふいっと視線は逸らされ、再び彼女はジューダスに背を向けた。

 

「自業自得。それを否定できませんが、言われると腹が立つのは何故でしょうか」

「あ、あれかい? あんたに言われたくない、ってヤツ」

「かも、しれません。人は都合の悪い正論を突きつけられると逆上する性質がありますから」

 

 その性質に例外なく、フィオレも当てはまったということか。

 ただこの場合の正論は、今更何をどうしたところでどうにかなるものではなくて。

 

「だ、だがよ。あん時はもう、どうしようもなかったことじゃねえか」

「そうだよ。そんなに挙げつらうこたないだろ。そりゃ、取り返しのつかないことになっちまったかもしれないけど……」

「ええ、取り返しはつきません。起こったことは覆せない」

 

 声音が、変調する。明らかに機嫌を一変させたフィオレに声をかけたのは、変調を知りながら勇気を振り絞った少女だった。

 

「フィオレ、様子がおかしいわ。わたし達と別れてから、何があったの?」

「──何も」

 

 最後の一柱、ルナシェイドとの契約を交わし、諸々の準備を済ませてこの場へ乗り込んだ。起こした行動の概要はそれだけだ。

 後はただ、気づいただけ。

 そしてフィオレは、話題を無理やりすげ替えた。

 

「あなた方が、リアラが敵でないならば、最早思い残すこともない。全力で、彼女らと戦える」

「え?」

「私がいつ力尽きても、あなた方が引き継いでくれるでしょう。世界を存続させるという道を」

 

 その声音は、そら恐ろしくなるほど平静で。そうではないとわかりきっていながら、聞き返さずにはいられなかった。

 

「あ、あはは。冗談、だよね」

「いいえ。ご安心ください。全身全霊をもって、最悪でも相打ちに持ち込みますから」

 

 カイルの、空々しい笑いに挟まれた確認を真っ向から否定する。

 まるで始めからそのつもりだったかのような態度に、いち早く爆発したのは彼女だった。

 

「あんたねえ! もう死ぬのはごめんじゃなかったの! 死にたくないって言ってたくせに、何なのよその手のひらの返しっぷりは!」

「状況とは刻一刻と変化するものです。私はそれに対応しているだけ」

 

 ハロルドの激昂などものともせず、さらりと言い返す。このことについて問い詰めるは不毛と判断したらしい彼女は、攻め口を変えた。

 脅迫という形へ。

 

「どうせ死ぬつもりなら、それは不要でしょ。考えを改めないなら返して頂戴!」

「奇遇ですね。私も、こんな素晴らしいものを死出の旅路に付き合わせるのは酷だと思っていました」

 

 彼女が指し示すもの。それは、フィオレの左腕の代替となっていた義手だ。

 それを、反論どころか同意して、手早く外しにかかる。収納されていた神の瞳、レンズ増幅器、高密度エネルギーを備えた完全球体のレンズを回収して義手を返却すれば、ハロルドは力なくそれを受け取った。

 正確には同意を想定しておらず、茫然自失といった体である。

 義手がなくなった腕はもちろん再生などされていない。それでもフィオレは、何の痛痒も覚えていない様子だった。

 その姿を見て、荒々しい抜刀が響く。

 見やれば、苦渋を噛みしめているかのようなジューダスが、得物を手にしていた。

 

「敵対しないのではなかったのですか?」

「お前が死ぬつもりで奴らと戦うなら、話は別だ」

 

 しかし、彼一人が敵対してきたところで、フィオレには痛くも痒くもない。重要なのはリアラで、カイル。

 その決意は聞かせてもらったし、それが早々覆ることはないだろう。

 その意図に反応したかのように、姿を現した者がいた。

 全身が甲殻に包まれた巨体。かろうじて人型だが、人の姿からほど遠い。翼らしきものを展開して中空に漂う者──フランブレイブ。

 彼はフィオレを庇うかのように移動した後、腕とも翼ともつかない片方を振り上げた。

 

「たとえ復活者であろうと、人の身で我が炎に耐える術はない。本気であるならば、滅するのみ」

 

 重厚で、何処から発しているのかもわからない、かろうじて男声に属する声が降り注ぐ。

 気圧されるも、後には引けないジューダスを無理やり後ろに下がらせたのはカイルだった。

 

「そっちがその気なら、引かないさ! けど、違うんだろ? フィオレを傷つけたりはしないから、引いてくれ」

 

 少年の真摯な態度ではなく、フィオレが軽く頷いたのを見て。フランブレイブは言葉もなく姿を消した。

 フィオレに前言を撤回する気はない。彼らが何を言おうが、何をしようが、これからの行動に変更はないのだ。

 カイルが、発言を翻さない限りは。

 

「平行線ですね」

「オレが……ジューダスに同調するとしても?」

「あなたにそんなことはできませんよ。英雄カイル」

 

 動揺するでも嘲笑するでもなく、フィオレはそう断言した。

 揶揄の意図も、憐れみの意図も、その言葉からは感じられない。

 ──すれ違った道は、もう交差しない。離れることも近づくこともなく、隣り合って道は続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十七戦——終わりへの、終幕への序曲~その先に、何が待とうとも


 引き続き神のたまご。
 細かいことはいいから早よう仲直りしろと、誰もが思うところなのですが。
 溝は解消されぬまま。ラストバトルへ突入です! 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何を言われても揺るがぬフィオレを反応させたもの。それは、悲劇が約束された少女からのものだった。

 

「どうして……どうして、なの」

「……」

「私はあの人たちと同じだから、終わることは免れない。あなたは違うはず。死を覚悟してまでいる理由は」

「今や私は、守護者との約束を果たすためだけに存在しているからです。この戦いで首が落ちようが命を落とそうが、私は構わない」

 

 自分のことのくせに、ありえないほど他人事だった。まるで吐き捨てるかのように、緩やかに歩んでいたその足が速くなる。

 一同の視線から、逃げるかのように。

 

「おい、何を──」

「……まさか」

 

 押し殺した呟きは、ハロルドから紡がれたものだ。紅を差した、殊更女性を意識するその場所から、フィオレの最も聞きたくなかった質問が飛ぶ。

 

「月のものが来ない、なんて言わないわよね」

 

 ぴた、と先行く足が止まる。

 まるで張り付いてしまったかのように動かない足が、全てを語っていた。

 

「ねえ、月のものって何?」

「え、えっと」

「何って、そりゃお前せい「あんたはちょいと黙ってな!」

 

 カイルの無邪気な質問に、知識自体はあるようで。リアラは言いよどんでいる。

 思わず正直に答えそうになったロニがナナリーにぶっ飛ばされ、彼は悲鳴を上げながらもこっそり親指を立てていた。

 ジューダスはといえば、目を見開いて固まるばかりだ。

 背後で繰り広げられる漫才を無視して、ハロルドは続けている。

 

「……」

「それなら心配いらないわ。あんたの体がショックで調子狂ってるだけ。落ち着けばすぐ元に戻るわよ。あんたが危惧しているようなことは……」

「ありがとう、ハロルド。その、慰めて、くれて」

 

 皆まで言わせることなく、フィオレはまるで遮るように礼を言った。

 ただ、振り向くこともしない辺り、その言葉で安堵したようには到底思えない。

 

「やけっぱちになるんじゃないわ。大丈夫。そんなわけないんだから……」

「ハロルド、お願いです。そんな、まるで自分に言い聞かせるような言い方をしないでください。まさかあなたがそんなことするなんて、こっちが不安になります」

 

 これまで耳にしたこともないフィオレの懇願を聞き入れてか、ハロルドが気まずそうに口を噤む。

 そのまま一同に会話はなく、カイルも漂う雰囲気を感じ取ってか先程の話題を取り沙汰しない。

 

 そのまま、とうとう、一同は最奥へと到達した。

 

 その場所は、断崖になっているのか。道はぷつりと途切れて、これまでも利用してきた宙に浮く足場がまんじりと佇んでいる。

 断崖の、遥か先。仄かに光る長大なレンズを前に、誰かが立ち尽くしていた。

 神を降臨させると嘯いて、この世界に極大隕石を降らせんと企む聖女、神の使い──エルレイン。

 彼女の姿を認めて、戦慄する一同を尻目に。先導していたフィオレがくるりと、彼らと向き直った。

 あたかも、何事もなかったかのように。

 

「──では、いってらっしゃい。御武運を」

「え?」

「お前、今度は何を言い出すんだ」

 

 しれっとした顔で一同を送り出しにかかるフィオレだが、口から吐くのはまぎれもない正論だ。

 

「守護者の手先と認識されている私が同乗したら、まず間違いなく移動中に撃墜されます。エルレインと対峙して、気を引いてください。不意打ちで仕留めます」

「不意打ちか……いや、手段を選んでる場合じゃねえな」

「一撃で仕留める算段があるのか」

「上手くいけばね。できなかったその時は、加勢をお願いします」

 

 確かに、これまでエルレインはフィオレだけは明確な敵として対応していた。幾度と無く目論みをぶち壊され、そろそろ我慢の限界だろう。

 救うべき人間たる一同、並びに自らと同じ存在であるリアラを無視して襲いかかってこられた日には、全滅必至だ。狭い足場に乗っての移動滞空中、できることは少ない。

 

「……フィオレ、これ」

 

 フィオレを除いた一同が、足場に乗り込んでいく。その最中、ブスくれた表情を浮かべたハロルドが、不躾に義手を差し出した。

 

「可愛い顔が台無しですよ」

「あんたって、女のくせに女の機嫌を取るのがへったくそね。そんな世辞はどうでもいいから、さっさと受け取んなさい。重いのよ」

 

 更にずい、と機械の腕が突き出されるが、フィオレは受け取ろうとしなかった。

 

「……いえ、義手なら結構です」

「どうしてよ。あんた、その腕でどうやって戦う気!?」

「その腕を使うとなると、レンズとこの石ころ……増幅器を使わねばなりません。違うことに使いたいので、義手は使わないことにします」

 

 一体どういうことなのか。

 ハロルドを始めとする仲間達から口々に問われ、フィオレは口ごもりながらも己の目論見を語った。

 

「ベルクラントを押しのけてみせたことがあったでしょう。あれを使うつもりです」

「あれをエルレインにぶつけるってか! 確かに、ベルクラントとタメ張れるような代物くらったら、いくらエルレインでもひとたまりもねえだろうが……」

「それに、あれなら決して、あなた達に害を与えることはない……リアラを除いて」

 

 そして、フィオレ自身を除いて。

 晶術ではなく、守護者達の、ひいてはこの星のエネルギーを用いた術だ。命を受け育まれた彼らを害するものではない。ただ、跳ね返された時フィオレ自身は間違いなく負傷するだろうが……その辺りは考えないようにする。

 しかし。考えないようにするフィオレの意識とは裏腹に、ジューダスは容赦ない突っ込みを入れてくる。

 

「だが、あんな大技を使って支障はないのか? 仮にエルレインを撃破したところで、次は間違いなくフォルトゥナが降臨する。奴は、間違いなくお前だけは排除しにかかるだろう。対抗策はあるのか」

 

 ──いつかのことを思い出す。初めてフォルトゥナとまみえた、カルビオラであった小競り合い。

 ラストヴァニッシャーと言っていたか。天地より万象を揺るがし押し潰すあの術を使われたら、ディスラプトーム──万象を崩壊・消失へ導く術を使えばいい。もし消耗が激しくて使えなかったとしても、守護者達の力を駆使すればどうにかはなるだろう。

 代償として、フィオレの体から大量の音素(フォニム)が失われ、更に肉体を構成すると元素の均衡が崩れた瞬間、消滅するだろうが。

 ただ、それを素直に話せば最後。

 ジューダスやハロルドはわかってくれるかもしれないが、カイル達は間違いなく止めにくるだろう。

 この戦いに勝利すればリアラが死ぬ──少なからず敗北したエルレインやフォルトゥナと同じ運命を課せられるというのに。

 だからこそ。

 

「支障ねえ。無いと言えば嘘になりますが、それを恐れていたら何も出来ません。仮にフォルトゥナが私だけを排除に来たら、それは好機でしょう。あなた方は総がかりとなれるのですから」

 

 偽りこそ言わないが、多くは語らない。

 固めたはずの覚悟が緩んでしまうことを懼れてるように、フィオレは一同を送り出した。

 

「さあ、お先にどうぞ。お達者で」

 

 ゆるゆると足場は動き出し、彼らはエルレインの元へと移動していく。当のエルレインがそれに気づいたかは定かでないが、念には念を入れて。

 

『フィオレ。ボクの力で様子を探るのは……』

『エルレインに気取られたくありません。動くのは、皆が着いてからです』

 

 一同が、こちらに背を向けるエルレインに向かって駆けていく。

 それに、今気づいたかのようにエルレインが振り向いた。

 ──エルレインの気を一同にひきつけて、こそこそと。そんな後ろめたさを存分に味わいながら、フィオレは行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十八戦——最終決戦~泣こうが喚こうが、最後なのは変えられない




 神のたまご、エルレイン眼前へ。
 これが終わり(ラストバトル)ではないのですが。
 これまでとは異なり、少なくともフィオレだけは、力を使うたび極度に消耗していきます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エルレイン!」

 

 呼びかけに、エルレインは。まるで初めて気づいたかのように、振り向いた。

 表情はどこまでも静謐なまま。驚愕も疑問も、まるで存在していない……否。彼女はおそらく、それらを元から持ち合わせていない。

 

「なぜ、ここへ? お前達に神は殺せはしないのに……」

「見くびるんじゃないよ! もちろん、戦うためにここへ来たんだ。あたし達自身の意志で!」

 

 感情は無くとも、知性はある。そして彼女は、一同の事情も知っていた。

 

「……それがどのような結果をもたらすのか、わかっているというのに?」

 

 リアラがいること。エルレイン、並びにフォルトゥナの死はすなわちリアラの死。一同が、それを甘受できないことを。

 しかし、それは過去の話。事実を突きつけるエルレインに、カイルは重々しく返答した。

 

「覚悟は……できている」

 

 次に口を開いたのは、当のリアラ。

 

「エルレイン……わたし達は人々の救済という同じ使命を背負った存在……」

 

 出会った当初は、とにかく英雄を求めていた少女。リアラもまた、全てを救ってくれる神に変わる英雄を求めていただけだった。

 今は、違う。

 

「けれど、彼らと過ごした日々の中でわたしは知ったの。人は救いなど必要としないということを。はるか先にある幸せを信じて、苦しみや悲しみを乗り越えてゆける強さを持っているということを」

「お前は、何もわかっていない……」

 

 同じ神より生み出され、同じ使命を課せられても、歩んできた道のりがあまりにも違うせいか。エルレインがそれを理解することはなかった。

 

「人は、脆く儚い存在。自らの手で苦しみを生み出しながらそれを消すことすらできない。だからこそ、人は神によって守られ、神によって生かされ、そして、神によって救われるべきなのだ」

 

 リアラはカイルら一同と長い旅路を共にして、時に協力し、時にぶつかり、意見を別としながらも理解を深め合ってきた。

 では、エルレインが歩んだ道は? 

 彼女の側にいたのは、彼女の手によって蘇生されたかつての人間──遺恨を残したまま逝った者達と、彼女を、そして彼女の神を盲信する狂信者達。

 エルレインにとって彼らは等しく神によって救われるべき者達であり、理解するにあたう者ではなかったのだろう。あるいは、彼女を取り巻く人々も。彼女の言うこと全てに頷き崇めて奉るだけで、理解などしなかった、か。

 哀れ、だ。

 あれだけ大勢の人々に囲まれて、理解することもされることもなく、ただ利用し利用されるだけのエルレインが。

 エルレインなりに人々を見つめてきて、終始一貫変わることのなかった結論は。無論、彼らが認めることではなかった。

 

「へっ。冗談じゃねえ! 俺達が欲しいのはまやかしの幸せじゃない! たとえ小さくても、本物が欲しいんだ!」

「何が幸せで何が不幸せなのか、それを決めんのは私達でしょ! 神様なんか、お呼びじゃないっての!」

「確かに生きることは苦しいさ! でも、だからこそ、その中に幸せを見つけることができるんだ!」

「幸せとは誰かに与えられるものではない! 自らの手で掴んでこそ価値があるんだ!」

 

 口々に否定されても、エルレインがめげることはない。その感情も、おそらく持ち合わせていない。

 

「神の救いこそが真の救い。それがわからぬとは……」

 

 何より──エルレインは他者を上から見下ろすしかしない。見上げるのは彼女の創造者フォルトゥナのみ、人と同じ目線になることも、知らない。

 

「神はもうすぐ降臨する……そう、完全な形で。完全な救いを、人々にもたらす……」

 

 どれだけ間違っていると言われても、己が行いを妨害されても、エルレインにとって人は敵ではなく、救うべき対象。苦しみから救われたいという懇願は聞き入れても、個人の主張は聞き入れる対象ではない。

 

「それを邪魔するというのなら……私の手で、お前たちを神の元へ還してやろう。それが、私がお前達に与えられる唯一の救い……」

 

 個人の生死関係なく、人を救うこととは苦しみから解放すること、それだけと彼女は信じて。

 

「オレもみんなと同じ気持ちだ。だから、ここまで来られたんだ……!」

 

 未来永劫分かりあうこともない。

 天秤剣(ダブルセイバー)を手にしたエルレインを前に、カイルもまた抜剣した。

 

「オレ達は神の救いなんか必要としていない! もう迷ったりしない、オレ達の手で必ず、神を倒す!」

 

 返答を聞いてか聞かずか、エルレインが天秤剣(ダブルセイバー)を振りかぶった、次の瞬間。

 

「よく……言った……人の子」

 

 エルレインの周囲を突如として暗黒が覆い、光を纏っていた筈の姿が見る間に闇に呑まれていく。

 

「な、なんだ!?」

「ルナ、そのままだよ! よくもウチの子に、つまんないちょっかい出してくれたなっ!」

 

 実体化したシルフィスティアが溢れ出る感情そのまま、疾風を伴って突撃していく。勢いで生み出されたいくつもの風刃がエルレインを切り裂き、くぐもった悲鳴が上がった。

 

「これも必然です。代行者だけに、手を汚させはしない」

「我が眷属を弄んだ罪、万死に値する!」

「あいつ、(しもべ)を誑かした」「お返しだー」「やったれー!」

 

 極大の氷柱がエルレインを拘束する闇ごと穿ち、轟炎が立ち昇り、この空間に存在しないはずの岩塊が彼女へと降り注ぐ。

 

「なんだ……何が起こって「この星の守護者達、ね。自然界が存在しないこの場所で、地水火風の混合属性アタックなんて、そうできることじゃないわ」

 

 ロニを始め、困惑する一同を鎮めたのは例の端末を手にしたハロルドだった。

 それも束の間、彼女は端末を懐へしまい、彼女もまた杖を振りかざす。

 

「ハロルド!?」

「これはチャンスよ。このまま畳み掛けましょ!」

 

 フィオレの姿が見えないことは気になる。しかし、それは気にしたところで解決しない。

 

「守護者どもか……こんなもので」

 

 まるで巻きついたカーテンでも取り外すかのように、エルレインは片手で己を取り巻く闇を払った。

 ハロルドの言う地水火風混合アタックも、大して効いた風ではない。

 

「あんなもんブチかまされて、効いてないってのかい!?」

「あんなのただの牽制だよ」

「ここには地水火風すべて存在しませんから」

「全力を振るえば、代行者を廃人にしかねない」

 

 代行者とは、フィオレを指す言葉である。それに気づいたジューダスが、虚空に怒号を放った。

 

「おい、守護者ども! あいつはどこにいる、何故お前らが力を奮って、あいつに関係するんだ!?」

「……答える義理はない」

「蘇生の恩義を感じない薄情な復活者……これもまた人間の側面に過ぎません」

「でも、彼があいつに付いてたら、フィオレはもっと苦しんだよ」

「うーん」「でもなー」「どうしよっかー」

 

 問いに答えぬまま、口々に守護者達は言い募る。唯一、答えを発したのは。

 

「……我ら……現在……代行者……より、力を……拝借……」

 

 ルナシェイド、だった。彼はエルレインに振り払われたことに頓着しないまま、漆黒の全身鎧をまとう大柄な騎士姿へと変貌している。

 

「何故あいつを使う! 星の守護者だろう、自分達が力の源じゃないのか!」

「本来であれば、そうですが。この場所に限っては──彼女達の領域においては、そうではありません」

「かつての契約者の知己の言ったとおり。ここは地水火風が存在しない。あるのは光、光を生み出す陰──闇」

「つまるところ、フィオレがいないと存在できないんだよね。今の僕ら」

「代行者が宿した依り代だけが、我らを存続させている。振るう力の源もまた、同じ」

 

 ふわっ、と柔らかい風がジューダスの、それぞれ持ちうる晶術詠唱を続ける一同の頬を撫ぜる。

 彼らが目にしたのは、翼をもって飛翔するソルブライト、そして、彼女に抱えられ紫水の先端をエルレインに向ける、フィオレの姿だった。

 

「穢れ無き断罪の意志、荘厳なる意志、静かなる意志、灼熱と業火の意志、舞い降りし疾風の御子、至高の意志……」

 

 守護者達から、ではなく。先程エルレインを攻撃し、あえなく散らされた攻撃の残滓が、フィオレの術式に導かれ譜陣を紡いでいく。

 幾つもの譜陣が重なり、紫水の先端に発生した譜陣を完成させ──

 

「我が手に集いしは星の意志! あるべき姿を求めるがため、我らは汝を粛清する! 代行者のこの名のもとに、薙ぎ払えっ!」

 

 詠唱が終わるや否や、放たれた惑星砲(プラネットバースト)はエルレインを呑み込んだ。

 かつてベルクラント──大地の存続を危ぶむ光を真っ向から散らした光が、エルレインを、星の存続を危うくさせる存在と認識し、殲滅せんと強く輝く。

 彼女は消滅を自覚しただろうか。

 自らが消えることに恐怖しただろうか。

 消えゆく自分の最期を、呪っただろうか。

 

「私は……人々の……救済を……」

 

 全てが否たることを願い、そしてそれを確信する。

 エルレインが消滅する寸前、現れたフォルトゥナが倒れる彼女を受け止めたのを見て。

 そのままエルレインは、降臨させようとしたフォルトゥナの腕の中で、光の粒子と化して大気に融け消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九十九戦——惑星の管理者達と箱庭の創造主。彼らが相容れることはない

 エルレインを撃破した、その後は。
 いよいよ御大ご登場、過去一度こっきり登場したフォルトゥナとの対峙。
 フィオレは順調に×××していきます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「哀れな亡霊に操ってまで、私を拒絶しますか。星の守護者達」

 

 エルレインが残した光の粒子を自らの胸元に誘い、フォルトゥナが問う。

 相当消耗したのか、ソルブライトの腕から降りたフィオレは肩で息をしながらうずくまっており、交戦どころか会話できる状態ではない。

 対して口火を切ったのは、シルフィスティアだった。

 

「拒絶するに決まってるでしょ! じょーだんじゃないよ!」

 

 それを皮切りに、口々に。精霊結晶達は言い募った。

 

「あなたが、救いを望む人々の願いより生まれたことは知っています。それに固執するのは、それがあなたが生まれた理由だから。けれど私達は、それを享受できない」

「人類を救おうと画策し、その手段を人より拒絶され、それを繰り返した先がこの有様……星の破壊、歴史の改変、果ては人類の滅亡。とても受け入れられるものではない」

「ただただ人々の望みを叶えるのか?」「それは人を堕落へ導く」「少なくとも救うことはあたわない」

「救済……幸福……人は……恵みを受け続ければ……容易く……退化する」

「聞いての通り、汝のやり方は我々の方針にそぐわぬ。何より汝は、そこにいる人らに救済を、存在を否定された。望まれぬ神の行く先など、ひとつしかない」

 

 アクアリムス、フランブレイブ、アーステッパー、ルナシェイド、ソルブライト。

 満場一致でフォルトゥナの存在は認めない。

 しかしフォルトゥナがそれを受け入れることもなく。

 

「……それは、彼らに限ってのこと。私は人々の願いより生まれた存在! 否定などされてはいない!」

「必要ないと今し方はっきり言われたばかりというのに、頑なじゃの。星の管理者として星の営みの一部たる人類へのちょっかいはやはり看過できぬ。とはいえ」

 

 ここでソルブライトは、うずくまったフィオレを、そして臨戦態勢を崩さないカイル達をちらと見やった。

 

「代行者の消耗を鑑みて、我らは活動を停止する。エルレイン──汝の下僕が示した救いを敢行するならば、好きにせい」

「ソルブライト、でも!」

「今一度詫びよう、代行者。何があろうとも我らが敵を討て。如何に汝の命令であろうと、今は執行できない。遂行する前に、汝の命が尽き、我らはこの場にも存続できなくなるだろう。それだけではなく、これまでの反動で星における活動自体が困難となる。その危険を、我らは背負えない」

「……何?」

「……そうですか、わかり、ました」

 

 ようやく息を整えたフィオレが、ぐっと顔を上げる。

 その時、ジューダスは気づいてしまった。

 

「……?」

 

 未だ立ち上がる素振りも見せないフィオレの足。足首からその先が、消失しているのを。

 

「!」

 

 出血は見られず、そもそも今に至るまで彼女は被弾していない。それにも関わらず、あるはずのその場所には、光の粒子がわだかまるばかりで、存在を確認することができなかった。

 

「──エルレインが示した方法では、人々を救済できませんでした」

 

 一方で、フォルトゥナは。守護者達が消えたことを境に、ふわりと宙に漂っている。

 

「リアラ。我が聖女よ。あなたの答えを聞く、その前に」

 

 漂うその姿が、ゆらりと腕を上げた。立ち上がらぬフィオレへと、その目は向けられている。

 

「守護者達の拠り所たる亡霊に、我が聖女を滅したその裁きを。エルレインが差し伸べた救いの手を振り払った、その罪の重さを知りなさい!」

「させないわよ、ディバインセイバー!」

 

 フィオレが反応するよりも早く、それまでエルレインへ放たんと詠唱していたハロルドが動く。

 はなたれた光は、ハロルドの術によって相殺された。

 

「フィオレ、大丈夫!?」

「どうなってるんだい、この足! 一体何されたのさ」

 

 駆け寄ったリアラが回復術を唱えても意味はなく、フィオレはただナナリーに背負われている。

 

「これは……その」

「あーっ、後でいいよ! 先にこっちを何とかしないとね!」

 

 言いにくそうに口ごもるフィオレに追及するでもなく、ナナリーはリアラを伴ってその場を離脱した。そしてつつがなく、一同が合流する。

 

「ナナリー、降ろしてください。巻き込まれますよ」

「バカ言うんじゃないよ! フォルトゥナ、フィオレを攻撃するならあたしも巻き添え、ついでにあんたの大事な聖女もいっしょくただ! それでも構わないってのかい?」

 

 背中から降りようとするフィオレを無理矢理背負うナナリー、その前には二人を護るよう立つリアラ。ハロルドがその隣に立ち、三人を護るようにカイル、ロニ、ジューダスが居並ぶ。

 

「人々よ、我が聖女よ! その罪深き亡者から離れなさい……!」

「馬脚を出したわね。救いを拒むのが罪? そんな押しつけがましい救済はゴメンよ!」

 

 再三の救済拒否を受けて、我慢の限界なのか。フォルトゥナは声を荒げた。

 

「……何故です!? 何故救済を拒むのですか。私は人々より救済を望まれた存在、人々は救いを必要としている! それなのに……やはりこの歴史は破壊するべきです! エルレインが望んだように!」

 

 最早、一同はおろか、リアラの言葉をも聞かないつもりなのか。救うと言ったり滅ぼすと言ったり、忙しい神様である。

 それまで湖面のように静まりかえった澄まし顔から一転、神にあるまじき絶叫の後に。一同は違和感を覚えた。

 例えるならそれは、これまで幾度かお世話になった、自動的に作動する空中の足場。ただ今のこれは、圧倒的な重力を伴っていて。

 

「な、なんだ……!?」

「動いている……? まさか、地表に向かって!?」

 

 ここは神のたまご。エルレインが完全なるフォルトゥナを降臨せんと企み、今なおカルビオラ上空に佇んでいたはず。それが動いているということは。

 

「落下速度があがってる! このままだと、地上に激突するわ!」

「あんのやろう……! まじでこいつを地表にぶつける気だ!」

「フォルトゥナ!」

 

 ウサギの耳を生やした奇抜な端末装置を片手に珍しく焦るハロルド、激情も露わなロニ、非難の声を上げるリアラ。

 エルレインの消滅と同時に降臨した神は、毛ほども動じなかった。

 

「安心なさい。この歴史が幕を閉じても、すぐに次の歴史が産声を上げる。千年前、それ以前の歴史が終わり、あなた達の歴史が始まったように……」

 

 天地戦争が大きな転換期であったことはまぎれもない事実だが。それを歴史の繋ぎ目だという根拠は何もない。カイルは素直に反発していた。

 

「ふざけるな! 次の歴史なんて必要ない! オレ達の歴史は、まだ終わっちゃいない!」

「役割を終えた歴史に、存在する意味などありません。失敗作だったのです。そこにはわずかな価値すらない……」

 

 かつてフィオレがストレイライズ神殿でお世話になっていた頃。天地戦争以前の歴史がほぼ残っていないことを誰かが嘆いていたような気がする。残っていないものは調べようも学びようもなく、存在したかどうかもわからないものは確かにないも同然なのかもしれない。それでも、だとしても。

 失敗作などと、一言で切り捨てられるほどに。

 

「歴史はそんなに軽いもんじゃない! 一人一人が今を生きた、その積み重ねこそが、歴史なんだ! それを失敗の一言で、片づけられてたまるもんか!」

「消え去るのです! 古き人々よ! 悪しき歴史とともに!」

「オレ達の歴史を、消させはしない! 消えるのはお前だ──フォルトゥナ! 力を貸してくれ……みんな!」

 

 己を認めない世界を、受け入れられない気持ちは痛いほどにわかる。

 だからこそ、彼女を受け入れるわけにはいかない。

 認められないから世界を排除してしまったら、世界がいくつあっても足りないだろう。排除されるべきは、排除しなければならないのは、彼女だ。

 

「奏でられし音素よ。紡がれし元素よ。穢れた魂を浄化し、万象への帰属を赦さん──」

「消え去りなさい……ラストヴァニッシャー!」

「ディスラプトーム!」

 

 カルビオラの地下でも放たれた、天地を揺るがす衝撃が放たれる。

 ナナリーの背中でおぶわれながら、どうにかこうにか相殺するべく、対抗術を放ったフィオレだったが。

 

「!」

「フィオレ、本当に何をされたんだい!? なんで、なんで……足がなくなってきてるのさ!」

 

 万物を押しつぶさんと迫る衝撃波を消し去るのに忙しいフィオレは答えられない。それでもナナリーだけは、抱えていたはずのフィオレの足が、自分には触れなくなっていくのを文字通り手に取るように感じていた。

 やがて双方の術が効力をなくし、同時にフィオレはナナリーの背中から滑り落ちる。慌てて振り返ったナナリーが見たのは、形こそ視認できるものの、向こう側が透けて見えるほどに色が乏しく、その体から目に見えて実体が薄れていくフィオレだった。

 

「天光満つるところに我はあり、黄泉の門開くところに汝あり。天の風琴は奏者たる我を欲し、冥界の霊柩は贄たる汝を欲し……」

「フィオレ……!」

「運命を告げる審判の銅鑼より、その響きもて万象を揺るがす。其の衝撃は奏でる我を鼓舞し、凄惨なる旋律に汝は嘆き脅え、悠久の刻踊る紫電に我歓喜し 降り注ぐ裁きの雨は汝を撃つ」

 

 しかしその眼はフォルトゥナのみを映し、その口は詠唱を絶えず続けている。まるで、フォルトゥナしか見ていないかのように。

 リアラが回復晶術をかけるも、その状態異常は一向に回復する気配がない。

 

「どういうことなの……?」

「此方、天光満つるところより、彼方、黄泉の門開くところに生じて滅ぼさん。響け、終焉の音──」

「いい加減にしろ、この馬鹿!」

 

 何を尋ねられても詠唱を止めないフィオレに、ジューダスが掴みかかり──その手が空を切る。

 否、手は正確にフィオレの胸元にあるものの、何も掴むことはできなかった。

 

「……!?」

 

 もう、フィオレも。この世の者ではなくなってしまったのか。

 神のたまご内における守護者達の活動、行使する術の乱用によって体内の音素(フォニム)と元素のバランスが崩れ、肉体が消滅しかかっているとは知る由もない。

 見る間に透けていく己の手を、その向こうにいるフォルトゥナを見つめたまま、フィオレは持ちうる最大級の術を放っていた。

 

「インディグネイト・アポカリプス!」

 

 ──ぎりぎり、己が消滅しない術を。

 束ねられた終末をもたらす雷が、救われたいと願う人々の心から生まれた神を撃つ。

 

「ぁあああっ!」

 

 ──それでも、フォルトゥナは倒れない。

 消耗こそ見て取れるものの、実体を持たない神の肉体を炭化させることはかなわなかった。

 パチパチッ、と満遍なく浴びた雷の残滓をまといながら、その目は明らかな憎悪をたたえてフィオレを見ている。

 

「フィオレ! 大丈夫なの……?」

「──さて、みんな。今のでフォルトゥナは怒り心頭でしょう。私が気を引きますので、フォルトゥナにバックアタックを」

 

 問いそのものには答えずに。フィオレは透けが目立つ己の手を背中へやって、淡々と一同に指示を出した。

 

「そんなことしたらフィオレが……!」

「最終的にフォルトゥナをどうにかしてくだされば文句はありません。その前に何も言えなくなると思いますが」

「また囮をするつもりか、馬鹿を抜かすな! それに、その足でどうやって移動する気なんだ、僕はごめんだぞ」

「大丈夫、あなたには頼みません──全守護者に命ず。私の手となり、足となってください」

 

 活動を停止していた筈の守護者が、命令に応じたのか。フィオレが身につけていた依代から淡い光が零れて、フィオレの周囲を取り巻いていく。

 失っていた色が戻り、機能も取り戻されたのか。フィオレはすっくと立ち上がった。

 

「それではね」

 

 それが別れの言葉になるとは、誰が想像ついただろうか。

 

 紫水に腰掛けて、フィオレは独りフォルトゥナの背後へ回る。

 そのまま攻撃する素振りを感知したのか、フォルトゥナの敵意が膨れ上がった。

 

「亡者の分際で、我が聖女を惑わし、いたぶり、更には守護者の力をも我が物顔で扱うか! 神になろうとでも、企んでいるのか!」

 

 どのような形であれ、守護者の力を扱えるからといって、力さえあれば神になれるはずもないのに。

 いや、案外彼女は。力さえあれば神を名乗ってもいいと、思っているのかもしれない。

 

「神とは、個人の心におわすもの。時に各個人を見つめる鏡となり、時に行動の指針となり、ただ黙して個人を見守るもの。私では神になれませんよ」

「世迷いごとを……! 貴様が神を語るのか、では私は何だというのだ!」

「神を自称し、等しい力を持ち、また多数の個よりそう認識されているもの。それに転じて、森羅万象の頂点に立たんとするもの。実際にそれだけの力があるのに、それだけに飽きたらず、新たな歴史を紡ごうと──いえ、自分の存在を認められたいがために守護者を排除し、新たな歴史を求めてあがく、ひとりぼっちの可哀想な存在」

 

 出会った頃の、聖母のように厳かな顔立ちが懐かしい。場違いにそんな考えが浮かぶほどに、フォルトゥナの造りもののように綺麗な面相は、怒りに彩られていた。

 図星だというわけでもないだろうに、一体何に怒っているのやら。フィオレには、わからなかったが。本来人に、人に属する者しか持たないはずの感情が、何らかの形で彼女に芽生えたのだろう。

 

「……!」

「大分人に感化されましたか? 神とも名乗るものが、亡霊の戯れ言を真に受けるなんて。カルビオラでは私の意見を口車と切り捨てたくせに、今はきちんと受け止めて、理解してしまったんですね」

 

 返事は、一抱えもある炎塊である。己の手ではなく、フランブレイブが形成してくれた手でそれを払い落とし、フィオレはずいずいと歩み寄った。

 

「神のこの身を畏れぬか、わきまえよ亡者!」

「無理ですよ。あなたは私の神ではないから」

 

 迫るフィオレからまるで逃れるかのように、フォルトゥナは翼を広げ、空中へ己が身を浮かべている。

 フィオレに気を取られているフォルトゥナの背中を斬りつけんとしたロニが、盛大に舌打ちした。

 

「クソ、あれじゃ届かねえ……!」

「絶対的な力の差を思い知るのです……!」

 

 いつかカルビオラの地下で見た、神の雷を思い出す。あの時は防ぎきったと同時に逃げることができたから凌げたが、今度は無理だ。防ぎきったとして、追い討ちがくるのが関の山。せっかく一同から距離をとったのに、フォルトゥナへの攻撃のために再び集結しつつある。

 今の状況を考えれば、リアラをフォルトゥナが殺しかねないが、この場合はどうなるのだろうか。

 エルレインを殺しても、リアラに影響はなく、フォルトゥナは何事もなく現れた。おそらくこの三者に五感や状態の共有は存在しない。

 そうでなければ、とうの昔に。リアラを殺せと、守護者達は抜かしてきたかもしれない。

 

「唱えさせちゃだめ! 妨害しなきゃ──!」

「でも届かないよ! 矢も、翼の風圧ではじかれるし──」

「アーステッパー。彼女を、中空から引きずり落としてください」

 

 果たして神にトラクタービームが効くのか。詠唱時間短縮と、そんな危惧のもと、神の瞳を手に大地の守護者へ乞い願う。

 

『……わかったー』『できるかなー?』『やるだけやったるー』

 

 これまで、何をするにも、大概自分以外からエネルギーを搾取して、代替えに使ってきた。今や、頼る者は何もない。

 フィオレの生命エネルギー……命を糧に、アーステッパーはフォルトゥナへ、重圧をかけた。

 

「!」

 

 高らかに唱えられた詠唱が中断し、フォルトゥナの体が一同の足下へ叩きつけられる──ように、見えた。

 

「こざかしい! 亡霊に、古き歴史にすがるか、守護者ども! そんなことをしても、止められはしない!」

「!」

 

 地面へ叩きつけられるより早く、フォルトゥナはかろうじて体勢を整えている。詠唱も、かろうじてつながっているようだ。

 それを確認したフィオレは、完全球体のレンズを取り出した。幾度となく頼り、そろそろ晶力をなくすであろうレンズを。

 

「母なる抱擁に覚えるは安寧……」

「インディグネイト・ジャッジメント!」

 

 神の怒りともたとえられるだろう無数の雷が、そして束ねられた光の剣が、一同の頭上に飛来する。

 展開したハニカム状の結界が阻むも、その瞬間。フィオレが手にしていたレンズは、音もなく消えた。

 

「……」

 

 これでもう、後はなくなった。術を防ぎきるか、フィオレが先に消滅するか。

 しかし、先に消滅するのはどうにか避けたい。どうにか、フォルトゥナを仕留めるまでは……! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第百戦——終幕の時、時を告げる鐘が鳴る~ひと足お先にさようなら



 かみたま。
 クレイジーコメットから連なる連鎖晶術の何が凄いかって、これが秘奥義でも何でもないところ。
 フィオレはこれにて、退場となります。
 後はきっと、カイルが引き継いでくれる。それを信じて。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィオレ!」

「!」

 

 押しつけられたそれが、当たり前のように指先からすり抜ける。慌てて抱え込むようにすれば、それはハロルド愛用の杖だった。

 

「まだ消えるんじゃないわよ、手伝いなさい! 最低でも、あの神様をぶっちめるまではね!」

 

 壊れかけの結界が、ハロルドのレンズを介して晶力による補給がなされて、どうにか持ち直す。

 結界の維持に努めるフィオレの腕を引き、再び透けかけたその手を無理矢理掴んで。ハロルドは詠唱を始めていた。

 

「幾多の望みをその身に背負いて、夜空を駆ける帚星。されど想いは宙空を駆けて、結ばれることもなし! 失われし数多の意思よ、我が下へ来たれ……!」

 

 ──漆黒の空が、世界の天井を突き抜けた黒の空間が召喚される。彼方に光輝いていたはずの星々が次々と飛来し、雪崩のように神へと迫った。

 

「クレイジーコメット!」

 

 いつか、オリジナルのクレメンテがソーディアンを手にダイクロフトを強襲した際、放たれた彗星の雨がフォルトゥナに降り注ぐ。

 

「な……!」

「まだよ! 手筈通りに!」

「失われし数多の意思は眩かん無数の流星となりて、彼の者を撃つ。漆黒の空よ、煌めく星々よ、我が心を映したまえ!」

 

 フォルトゥナが流星群を浴びているそばから、フィオレもまた流星を重ねていた。

 いつか、いつだったか。ハロルドが「打倒神」の旗を掲げて考案していた、奥の手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すんごい強力な連鎖晶術、クレメンテあたりに見つかったら禁呪扱いの代物なんだけど、なかなか完全発動できないのよ。どうしても途中でバテちゃうのよね。せっかく、あの資料館から掘り出してきたのに」

「……英雄門の資料は持ち出しはもちろん、写本も禁止だったはずだが」

「神様倒すためよ。細かいことは言いっこなし! それに私、この時代の人間じゃないし」

 

 派手な紅を差した口元が、尖る。ぽってりとした唇はそれなりに蟲惑的だが、それに見とれる者は誰もいない。

 ウサギの耳を生やした小型端末ではなく、資料を書き写したものらしい紙の束をぺしぺしと弄ぶハロルドに、フィオレは言ったのだ。

 

「英雄門で見つけたんですか。じゃあ、ハロルドがバテたら私が繋げましょう。その間に何とか持ち直してください」

「あら、いいの? じゃあフィオレも一から習得して頂戴。はいこれ資料」

 

 紙の束をそのまま投げて寄越してくる。当然のようにばさばさと広がる貴重なはずの資料の一部を一瞥して、フィオレは苦笑した。

 

「繋げるところだけ教えてください。私はあなたみたいな天才じゃないから、全部習得は無理ですよ」

「楽しようったってダメよ。何事も下地、土台からって言うでしょ」

「別に楽をしようというわけでは」

「私に使えたんだからあんたにもできるって。死ぬ気でやれば、できないことなんてないっしょ!」

 

 当時、その場に居たのは二人だけではなく。当然のようにやりとりを聞いていた他一同はげんなりとしたり、あるいは苦笑したりと、様々だった。

 

「無茶苦茶だ……」

「そもそもハロルドも全部発動できないんじゃないのかい?」

「まだ、ね。この天才に不可能なんてないわ! その内できるようになるわよ。たぶん」

 

 めげずに資料をかき集め、ぐいぐいとフィオレに突きつける。

 ため息をついてそれを受け取ったフィオレは、そのままリアラへ手渡した。

 

「リアラの方がまだ可能性ありますって」

「わたしにもムリよ、こんな複雑な術式」

「じゃあオレが!」

「あんたにはムリ。サルにラプラスの悪魔がなんなのか理解させる方がまだ簡単だわ!」

「ら、らぷらすの悪魔って何? 新種の虫?」

「そんなわけないっしょ。せめて魔物にしときなさいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、ハロルドの指導むなしくフィオレはこの連鎖晶術を満足に扱えず、ハロルドも完璧な発動は今この時までできなかったのだが。

 

「トゥインクルスター!」

 

 神のその姿を覆わんばかりになだれ込む彗星が、弾けるように内包していた圧力を次々と解放する。

 反対に、フィオレは。

 

「……っ!」

 

 守護者の力を使っているにも関わらず、否、使っているせいでもあるのか。その姿が、より一層透明に近づいた。

 

「身体が……!」

「万象を映す鏡に手に、先々へさすらう我が旅に終焉は無し。されど煌くは蒼き大地!」

 

 召喚した漆黒の空に、ひび割れが生じる。そのまま崩壊すると思われた世界の狭間から再び流星群が現れ、フォルトゥナへ迫った。

 

「ミックスマスター!」

 

 ……あとひとつ。最後の晶術を重ねれば、連鎖晶術は完成する。しかし、当の術者は。

 

「……っ」

 

 ぜぇぜぇと息も絶え絶えに、ハロルドは膝をついた。

 反射的にその身体を支えようと手を伸ばすフィオレだったが、その手はハロルドの細い肩を掴めない──すり抜けてしまう。

 

「……」

 

 繋げて。

 大気を求めて忙しなく動く唇が、音にならない言葉を、形どる。

 フォルトゥナが倒れたかは定かではない。最早触れることも出来ないハロルドと、彼女の杖のレンズに寄り添って。フィオレは詠唱を開始した。

 

「蒼き大地に佇むは水精の后妃、恵みの雨を裁きに変えて、彼の者に粛清の慈悲を。そして、世界閉じるその場所へ、いざなえ!」

 

 生じたひび割れから、深い蒼の空間が溢れる。

 ほんの一瞬、たなびく髪と雄大な尾ひれをなびかせた人影が宙を泳ぐように横切ったかと思うと、針のように細い光が驟雨の如く降り注いだ。

 

「プリンセスオブマーメイド!」

 

 それに留まらない。

 深い蒼の空間が、急激に展開し、瞬く間にしぼんでいく。それに伴い、激しい衝撃と明滅が、フォルトゥナのみならず、一同を襲った。

 

「消えると……いうのかぁ……!」

 

 視界を定めることもままならない中、一同が聞いたのは。

 人々の願いより生まれ、他ならぬ人の手によって死んだ、神の断末魔だった。

 

 

 

 神であったものが、色を、形を喪い、光の粒子となって散っていく。

 まるで霧が晴れるかのように視界良好となった先に、エルレインが見つめていた長大なレンズがそびえていた。

 あれがおそらく、全ての根源にして、元凶。

 創造主たる神が喪われてもリアラが生きている理由であり、未だ神のたまごが、動き続けている原因。

 これを破壊しなければ、地上は、世界は喪われる。

 破壊しなければ、と思考は働くものの、身体は動かない。

 ちらと見やった先に、フィオレは。

 そこにあるはずの足が、手が、己自身が一切合財なくなっていることに気づいた。

 消滅したのか、眼が機能していないだけか、それはわからない。

 

「ハロルド」

 

 発した己の声を聞き取る耳を、もうフィオレは持っていない。

 それを自覚することも、もうできない。

 

「相討ち、です。後は、カイルにお任せします」

 

 今はただ、この声がきちんと空気を震わせていることを祈って。

 

「皆に、よろしく言っておいてください」

 

 神を討ったこと、連鎖晶術を今初めて完成させたことを自覚している最中であろうハロルドに、届くことを祈って。

 

「ありがとう、これを成し得たのはあなたのおかげです。さようなら──『ジューダス、先に行きます。今までありがとう、それじゃ……』

 

 感覚の全てが途絶える、それよりも前に、どうにか念話を用いた、その直後。

 ぷつりと途切れた意識が、再び繋がることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第百一戦——あいしあう二人に未来あれ~これが本当に、最後の修羅場



 かみたま。
 ある意味神殺しより辛く、内心の葛藤激しいラストバトル。
 さよならは、なし。またね、リアラ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──凍るような沈黙は、唐突に失せる。

 

「フィオレ!」

 

 神が死んだ。

 それを一同が自覚したと同時に、ハロルドが金切り声を上げたためである。

 

「待って、待ちなさいよ! まだ終わってない、相討ちなんかじゃないわ。だから……勝手にさよなら、するんじゃないわよっ!」

 

 涙すら滲むその声に、答える者はもういない。

 半泣きのハロルドは、袖から端末を出してはいじり、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながらも喚いている。

 

「もう……一体どうなってるの、晶術の使いすぎで人体消滅なんてありえないわ! 守護者の力を借りた代償? それだと守護者の力は晶術じゃないってことに「ハロルド」

 

 周囲大気の成分分析、ひいてはフィオレが消滅した理由を解明せんとするハロルドを制止したのは、ジューダスである。

 何よ! とハロルドが声を荒げるよりも早く。

 

「あいつはお前よりも遥かに身勝手な奴だから、言っても聞くわけがない。姿が見えないだけで、きっとその辺にいるだろう。それより」

 

 ジューダスは彼方を見やった。

 彼のみならず、ロニやナナリーが黙して見やるは。

 

「あれが……」

「そう。神であるフォルトゥナの核となるレンズ。そして……」

 

 あなたが砕かなくてはいけないもの。

 神の眼ではない、しかしそれに匹敵するだろう巨大レンズを示して、リアラはそう言った。

 

「……………………」

 

 カイルらしからぬ長い沈黙を経て、二人はどちらともなく足を踏み出した。

 そのまま、それまでエルレインが佇んでいたレンズの眼前へと至る。

 どんな造りになっているのか。そのレンズは二種で構成されていた。

 ひとつは長大、台座によって縦に固定され、宙に浮いているかのよう。もうひとつは埋め込まれているかのように平たく、床と接している。

 如何なる仕組みか。床のレンズは光を吸い上げ、台座のレンズへ晶力を供給しているようにも見えた。

 その幻想的ともいえる光景を前に感動するでもなく、カイルはただ瞳を瞬かせる。

 

「これを……これを砕けば全てが……」

 

 終わる。

 神による救済という名の滅亡が、リアラと過ごした日々が、全て。

 きゅ、と口元を引き締め、カイルは改めて柄を握りなおした。

 その様子を、リアラはただ黙して見つめている。

 

「っ」

 

 そんな少女を省みることもなく。カイルは剣を振り上げ、ひと思いに。

 振り下ろさなかった。

 

「カイル?」

「……できるわけないだろ」

 

 剣を振り上げたその姿勢のまま。少年は、迷いをそのまま言葉としていた。

 

「世界を救うためだからって、君を殺すようなこと……オレが……!」

 

 リアラではなく世界を選ぶ。そう決めたことであり、そうすると己の聖女に誓った英雄の身であろうと。

 十六歳の少年が好いた少女に手をかけるなど、土壇場で葛藤するしかなくて。

 

「この、オレが……!」

「カイル……」

 

 震えるカイルの背中に、リアラが身体を預けた。少女の温かなぬくもりが、震えを止める。

 しかしそれは、このぬくもりが永遠に喪われることも意味していて。

 まるで救いを求めるように、声を絞り出し、少女に(こいねが)う。

 

「お願いだ、リアラ。一言でいい、たったひとこと、消えたくないって言ってくれ……」

 

 ──そうすれば、彼は思い切れるだろうか。答えは否。彼は振り上げた剣を下ろせず、神のたまごは世界を壊す。

 二人は、世界の黄昏を、一同と共に迎えることになる。

 カイルとて、それがわかっていないわけではない。ただ、少女を喪いたくない。離れたくない。

 その気持ちを共有したいがために、少年は懇願した。

 

「頼む、消えたくない、と言ってくれ、リアラ……!」

「っ」

 

 頷きたい。頷き、従って、少しでも、彼の側にいたい。

 出会った頃にはほぼ存在しなかったであろう感情が、少女の胸を締め付ける。

 重ねるその言葉の端々には、ありありと恐怖が滲んでいて。彼の怯えを、リアラを喪う苦しみを、少女には癒せない。

 それでも、行わねばならない。そのために。

 

「……カイル。わたし、消えていくことは、怖くないの。わたしが怖いのは、このまま神の一部として消滅していくこと」

 

 このレンズが存在し続ければ、やがて神のたまごは地表を穿ち、世界を滅亡へ導く。

 その際間違いなく発生する人々の救いの声、そしてその祈りの力は、今しがた殺した神を復活させるに足るものだろう。

 一同だけが、現世界と共に無きものとされ、新たな世界、新たな時代、新たな人々が神によって創造される。

 リアラは神として再構築され、その際それまで持っていた記憶は消される……どころか、リアラという存在そのものも、聖女でありながら神に背いたものとして抹消されるものと思われた。

 

「でも、あなたがレンズを砕いてわたしを解放してくれれば、そうすれば、次に生まれた時は同じ人間として、あなたに巡り会えるかもしれない……だから」

 

 万感の想いを込めて。

 リアラは、聖女として。己の英雄の背を押した。

 

「カイル! レンズを砕いて!」

「──リアラっ!!」

 

 勢いよく振り下ろされた剣は、鋭さではなく鈍さをもって、核たるレンズに(ひび)を刻む。

 一条の罅は傷となり、連鎖し、瞬く間に神の、エルレインの、リアラの核であるレンズを砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かしゃん、と剣が床を転がる。

 脱力し、伴ってカイルの手から抜けて落ちた剣は甲高い文句を唱えたが、カイルは意に介さない。

 その足がふらつき、身体を支えておられずに、崩れ落ちる。うなだれ、膝が床に着いたと同時に、砕いたレンズの欠片、それに込められていた──核を形成していたであろう人々の思念が、溢れて渦を巻いた。

 思念は言の葉と、核を砕いた者への批難となって、打ちひしがれるカイルを襲う。

 

 なんとおそろしいことを

 世界を滅ぼした

 お前は滅びを選んだ

 神が失われた

 あなたは罪を犯したのよ

 一人の女の子すらも救えなくて何が英雄なの

 お兄ちゃんの馬鹿

 助けて

 消えたくない

 苦しい──

 

 何処の誰ともしれぬ老若男女の恨みつらみが、鼓膜を介さずカイルただ独りへと降りかかる。

 その中に、妙にはっきり聞こえる声が。絶望に沈むカイルへ問いかけた。

 

『つらいか、悲しいか?』

 

 カイルは返答しない。反応もない。

 彼を気遣うものではない、明らかな意図を宿したその声は、構わず続けた。

 

『神がいればこそ、人はその苦しみから救ってもらえるのだ。だがお前は、その神を殺した。もう二度と、お前たちに安らぎはない。愛と繁栄に満ちた明日は訪れないのだ』

 

 矢継ぎ早に、どこか早口で言い含めるように、あるいは洗脳するように。

 喪った悲しみにつけ込むかのような口撃だが、カイルは否定する。

 

「……違う……」

『神の導きを失ったお前たちに、未来はない』

「違う……」

『まだ間に合う。神に願え。神を求めよ。神こそがすべてを癒す』

 

 声の目的は、やはり神の再臨だった。

 明確な意図のもと神を否定し、その確固たる意志をもって神の核たるレンズを砕いたカイルが神を望めば、それだけ強い力、強い望みが神に加算される。それはすべからく神そのものの力に繋がり、エルレインが求めた完全な形の神となり得るだろう。

 

『大罪人であるお前の苦しみですら……それが、お前たち人間の願いであるはず』

 

 確かに、神・フォルトゥナは。苦しみから救われたいという人々の願いから生まれた。

 声の主が神であったものだとしたら、苦しむカイルもまたそれを望んでいるはずと、囁いているのだろう。

 世界の滅亡させようとした神を討った英雄を、堕落させようと。

 

「違う……!」

 

 再三の否定をもってしても、神の必要性を訴える声には文字通り聞く耳がない。

 エルレインなのか、フォルトゥナなのか。カイルにはわからないし、その区別をする必要もない。そもそも区別がつけられるほど分けられた存在かどうかも、知れない。

 彼にあるのは。

 

「この胸の痛みも苦しみも、オレのものだ。神にだって癒せない、癒されて、たまるもんか!」

 

 心を土足で踏み荒らされ、憤然と立ち上がる。

 カイルが顔を上げたその先に、砕いたはずの光──渦巻くレンズの欠片と思しき光が中空に漂っていた。

 その中にひとつ。一際大きな光が滞空している。

 

「だから、全てを委ねることのできる神なんて、いちゃいけないんだ。オレ達の未来は、お前に作ってもらうものじゃない。未来は、ここにある。ここから始まる!」

 

 甘言を、堕落を誘う言の葉を振り払うように。

 

「消えろ!」

 

 最早意志しか、抱える思いを訴えることしかできない光達が、カイルの強い拒絶を経て散っていく。

 そんな中、再び声が聞こえた。

 

『……そう。未来への時の糸は、人の手によって紡がれるもの』

 

 新たな光が浮かび上がる。

 それはカイルを責めるものではなく、また神の必要性を説くものでもなく、今しがた聞いたばかりの声──

 

『だからこそ、無限の可能性が生まれるの』

 

 光は寄りつき、まとまり、やがておぼろげな人の形を紡いでいく。

 それは、その姿は。

 

『カイル』

 

 紛れもなく、レンズと共に消滅したはずの少女だった。

 その姿は半ば透けて、どうにか輪郭が掴める程度で、詳細は知れない。しかし、その零れんばかりにつぶらな瞳にはまぎれもなき生者が宿す光があり、レンズを砕く以前となんら変わりなかった。

 

「リアラ!」

 

 カイルは駆け寄るも、どこか罪悪感に駆られた様子で伸ばした腕が躊躇する。あるいは、触れないと確かめることを、恐れるように。

 

「オレは……オレは」

 

 続く言葉が、途切れる。おぼろげなリアラの手が、カイルの唇へ伸ばされた。

 おそらく口にされる謝罪を、留めるかのように。

 

『だからわたし、信じてる。あなたが作る、未来を』

 

 しかしそれは。あくまで見た目の話。唇に触れているはずの指先の感覚はなく、また温もりも感じられない。

 リアラはもう、生者ではない。

 

『あなたと出会う未来を、信じて、いるから』

 

 それを改めて認識するカイルの心情を、少女が気づかぬはずもない。

 しかし、だからこそ。少女は言葉を連ねるだろう。

 愛する少年との別れが一時のものであると、信じて。

 二人が再会する未来を、信じて。

 

『だから……わたし……』

 

 想いが、溢れる。

 喪われたはずの肉体、すでに実体が無いはずの瞳が潤み、涙が零れ落ちる。

 

「リアラ!」

 

 たまらず、カイルは華奢な身体を抱きしめんと、腕を回した。しかしその手は何も掴めずに、少女の姿を貫いて、すり抜ける。

 構わずに、リアラは。己が唯一できること、意志を発することに終始した。

 

『ありがとう、カイル……あなたと出会えて、本当によかっ』

 

 意志を発することも、代償無しにはできないようで。

 リアラの虚像が消えて、残ったもの。それはレンズと思わしき小さな欠片だった。まるで晶力を使い切ってしまったかのように光は失せる。

 残ったそれをカイルが手で受けようとして、触れるより早く両手の間で消滅した。

 

「く……」

 

 その残滓を抱きしめるように、両手で握り合う。

 

「……リアラ……!」

 

 少年の涙無き哀哭が、響いて消える。

 その声に応える少女は、もういない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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最終戦——すべてはあるべきままに。綴られた歴史はここで、白紙となる

 続・かみたま。
 今回にて、カイルたちの大冒険は終幕となりんす。
 カイルとリアラ、そしてロニとナナリーのその後が知りたければ、『テイルズオブデスティニー2』クリアしてきてくださいませ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カイル……」

 

 ロニを始めとし、一同は動かぬ彼に呼びかける。

 ナナリー、ハロルド、ジューダス。

 呼びかけられて、たっぷり時間が空いて、カイルはようやっとその声に反応した。

 

「…………オ、オレ……」

 

 うなだれていた顔がのろのろと上がり、一同を見回す。

 彼がこの時、フィオレの姿がなくなっていることに気づいたか否かは定かでない。

 ただ、カイルが二の句を告げるより早く。

 

「こ、これは……!?」

 

 一同全員に、異変が発生した。

 仄かな光が各々の身体の表面に帯びて、周囲一帯もそれまでとは一転、暗幕を上げたかのような光が溢れて踊る。

 この異常事態をいち早く把握したのは、彼女以外にいなかった。

 

「時空間の歪みが激しくなってる……歴史の、修復作用ね」

 

 気を取り直したかのように端末を取り出し、いじっては訳知り顔で頷く。

 当然、それだけで事態を理解する者は少ない。

 

「……? どういうことなんだい!?」

「神が消滅したことによって、時の流れに関する、あらゆる干渉が排除されつつあるんだ。エルレインがおこなった、神の降臨も、バルバトスが企んだ、英雄の殺害も……そして、僕たちが今までしてきたこともすべてが、なかったことになる」

「もちろん、それに連動して、私たちの記憶も消える。今回の旅のことや、おたがいのことも忘れる。つまり……はじめから出会わなかったことになるのよ。私たちは──連鎖晶術のことは残念だけど、記憶していられないでしょうね」

 

 ナナリーの、言葉こそないがカイルとロニも浮かべる疑問は、ジューダスとハロルドの捕捉で解消される。

 これから起こるであろう大事を悟って、ロニは盛大にため息をついた。

 

「すべてはあるがままの姿にもどるってわけか……せっかくフィオレシアさんにまた会えたどころか、一緒に旅もできたのにな。覚えていることも、できないわけか……」

 

 惜しむべき別離がフィオレ、そしてリアラだけではなく、一同に等しく訪れるもの。

 ようやく目的を果たしたというのに、それが無に帰すことは、無邪気に喜べるものではない。

 しかし、訪れた沈黙はすぐに退場させられた。

 

「それでも……」

 

 退場させたのは、カイル。

 一同は一様に、彼を見やっている。

 

「それでも、絆は消えない」

 

 今しがた彼は、確かめたばかりなのだ。

 リアラと再び出会える未来を。その先、彼女と共に紡ぐことができると、信じる未来を。

 だから。

 

「みんなと一緒に旅して結ばれたこの絆が消えるなんてこと、絶対にない……オレは、そう信じる!」

「非科学的ねぇ……」

 

 一瞬の間も置かず、間髪いれずに茶々を入れたのはハロルドである。しかしそれは、頭ごなしに否定するものではなかった。

 

「でも、そういうのもわるくないかも。私も、このことをなかったことにはしたくないし、結局、人の想いを形にするのが科学の力なのかもしれないし……あ! これはこれで新しい研究テーマになりそうな予感!」

 

 覚えておけないというのに、新たな発想を生むことに余念がない。

 端末に情報を吹き込み、覚えさせておけないかとする前向きを通り越したその姿勢は、非常に彼女らしいととれるものだった。

 そんな中。ついにその時は、訪れた。

 

「あらら。どうやら、私が最初みたいね」

 

 ぼんやりとしていた光が、急にはっきりとしたものへ移行していく。その様子は、ゆっくりと光に飲み込まれていくように見えなくもない。

 

「ハロルド……!」

「ありがとね。おもしろい体験させてくれて。あんたたちみたいなのが未来にいるってわかっただけでもラッキーだったわ、ホント」

 

 そうして、ハロルドは。

 まるで当たり前のように、転がっていた箒型の仕込み杖──紫水を拾い上げた。

 それを咎めたのは、ジューダスである。

 

「おい、ハロルド! それは……」

「持っていけるわけないと思うけど。でも形見に貰っとくわ! あんたにはお揃いの指環があるんだから、文句なんか聞かないわよ。本当はそっちが欲しいくらいなんだから」

 

 これまで一度たりとも取り沙汰されることのなかった指環の存在を指差され、ジューダスはまるで取られることを恐れるかのように己の手元を隠している。

 その様を、指差してひとしきり笑った後に。

 彼女は大きく手を振った。

 

「じゃあね。さいなら……!」

 

 転送される瞬間を、当人には自覚できるようで。ハロルドが別離を告げた瞬間、その姿は光と同化して、消失した。

 千年前へ、天地戦争時代へ帰っていったのだろうか。彼女が抱きしめるようにして離さなかった紫水は、影も形も残っていない。

 

「まったく……」

「残念だったね、ジューダス」

 

 まんまとフィオレの愛刀を持ち逃げした。そのことにジューダスが、文句を言うより早く。

 

「次は、あたしみたいだね」

「ナナリー……!」

 

 ナナリーの足元が、周囲が、はっきりとした光に満ちていく。

 ハロルドとの別れを惜しむ間もない、度重なる別離に戸惑うカイルを。彼女はぴしりと叱咤した。

 

「情けない顔すんじゃないの。そんなんじゃ、孤児院の子達に笑われるよ。あんた、お兄ちゃんなんだろ? みんなのお手本になれるように、がんばりなよ。だれかさんみたいにね」

 

 カイルに話しかけながらも、ナナリーはちらっとロニを見やっている。

 それまでフィオレが居た場所を見つめていたロニが、それに気づくより早く。

 

「おい、ナナリー。それって、もしかして……」

「あたしたちは同じ時代に生きてる。だから、どこかでまためぐりあえるって信じてるから」

 

 ナナリーはふいっ、と顔をそらしてしまった。

 滲む涙を、なかったことにするかのように。

 十年後、という時間の差異はあれど、ハロルドとは違い同じ時代、同じ空の下にいるのだ。再会は叶う。少なくとも、カイルとリアラが再び出会うより、望みはある。

 カルバレイスと中央大陸。大陸を遮る大海に、互いの記憶の喪失に、そして十年の年の差に阻まれていたとしても。

 

「だから、さよならはいわないよ……また、会おうね! 約束だよ……!」

「お、おい、ナナリー!」

 

 猫のような瞳に涙はなく、どこまでも快活な笑顔を残して。彼女もまた、その姿を消していった。

 反射的に伸ばした腕を引き戻し、ロニは気まずげにその手で頬をかく。

 

「いっちまいやがった……」

 

 ハロルドは千年前。ナナリーは十年後……正確には今、この時代。出身となる時代に訪れたカイルらと出会い、行動を共にして、様々な時代、場所を行き来してきた。

 当然、彼女達はその時代へ、カイル達と出会う以前の時間へと戻っていったのだろう。

 では、彼は? 

 

「いよいよ、か……」

 

 それを、それが示す意味を、気づかぬはずもない。

 自らに帯びる光を前に、とうとう今この時まで仮面を外すことがなかった少年はしみじみと呟いた。

 

「ジューダス……おまえは、どこへ帰るんだ?」

「わからない……元々、ジューダスなる男はどの場所、どの時代にも存在しない。時空間の彼方をさまようか、リオン=マグナスとして消滅するか……」

 

 ロニの疑問に対して、現時点で想定しうる結果を無感動に羅列する。

 ただ帰っただけの彼女達とは違う。ある意味ではリアラと同じ最期を迎える、悲惨ともいえるべき顛末に、カイルは黙っていられなかった。

 

「そんな……! それでいいのか、ジューダス!? せめて、フィオレとまた再会できるよう、ジューダスも願おうよ!」

「まあ、フィオレシアさんも同じようなもんだしな。ひょっとしてひょっとすれば」

「そんなことは望まない。あいつに、僕の行き着くであろうところ……時空間の狭間をさまよってほしくなんかない」

 

 二人の他意なき示唆に対して、ジューダスは一瞬の沈黙もなく却下を唱えている。

 言ってから気がついたようで、ハッと口を押さえ、二人の視線から逃れるように彼は横を向いた。

 

「もとい、あんな身勝手な奴のことなんかどうでもいい。これは、ジューダスとして生きると決めたときから覚悟していたことだ。それに……お前たちと出会えた」

「フィオレシアさん……いや、フィオレとも再会できたしな」

「茶化すな。一度死んだ男が手にするには、大きすぎる幸せだ。それが手に入ったんだ。悔いはない」

「ジューダス……!」

 

 つまり彼は、このまま消滅を受け入れるということだ。ジューダスは横を向いたまま、軽く息をついた。

 握り締めた指が、フィオレから譲渡された指環に触れる。

 

「僕が助けるつもりだったが、実際は逆だったかもしれないな……ありがとう、ロニ、カイル」

 

 そのまま虚空を見上げても、何かがあるわけではない。神は死に、守護者達も、フィオレの消滅と同時に気配を完全に消している。

 構わずに、ジューダスは続けた。

 

「……お前のことだ。どうせ近くに居るんだろう? 最後の最後で、自分の都合だけを優先した身勝手な輩でも、一応礼は言っておく。お前がいなければ、この結末はありえなかった。僕はお前と違って礼節を知っているからな。お別れくらいは、きちんと言っておいてやろう」

「本当、素直じゃねえなあ」

「うるさい。お前は精々、ナナリーのことを覚えておくようにな」

 

 軽口を叩き合う最中も、光は強さを増していく。それは本人が、一番よくわかっていることで。

 

「ジューダス……」

「さらばだ……」

 

 黒ずくめ、竜の頭蓋を模した仮面を被ったその姿が、光と共に消失する。

 これで残ったのは、同じ場所、同じ時代に育った二人、であったが。

 

「なんだ、俺たちもか……」

「ロニ!」

 

 あくまでも別離は等しく訪れるようで、彼の兄貴分は光に包まれつつある。

 考えてみれば、この場所は二人にとって十年後の未来であったはず。歴史が修正される余波で元の時代へ転送され、その際これまでの記憶は消去されるのだろう。

 

「じゃ、消えちまう前に言っとくか」

 

 それに抗うでもなく、ロニはあくまで気楽に、弟分と向き直った。

 

「スタンさんが亡くなってから、俺はおまえを守る盾となることをずっと自分に課してきた。それは俺にとって誇りだったし、よろこびだったし、時には重荷に感じられることもあった」

 

 否、ロニにとってカイルは。おそらくもう目下の、庇護するべき弟分ではない。

 

「……けど、いつのまにかお前は盾としての俺を必要としなくなってた。守るべき存在を見つけ、お前自身が盾になったあの時から……」

 

 同じ、男として。守るべき人を定めた、ある意味彼を通り越して先輩になってしまったカイルに。

 しかし当の少年には、その意識はないようで、むしろ。

 

「でも、オレはリアラを守ってやれなかった。リアラの盾にはなれなかった……!」

「いや……」

 

 不手際ですらない、どうしようもなかった選択の結果を指して彼はただ悔やむ。

 そんなことをする必要はないのだと、ロニは首を振った。

 

「お前はリアラを守ったさ。あれが唯一、彼女を救う方法だった。そして……それができるのは、お前だけだったんだ、カイル……」

「……………………」

 

 先程の別れを思い出してか、言葉もないカイルを、ロニは労った。

 

「よく頑張ったな。やっぱ、お前はすげえよ。俺の自慢のダチだ」

「……オレも、ロニは……自慢の親友さ!」

「ありがとよ」

 

 互いの拳がぶつかり合い、ごちっ、と固い音を立てる。ニカッ、と白い歯を見せて快活に笑んだロニは、ひらりと手を振った。

 

「……じゃあ、またな。カイル」

 

 その姿は光に飲み込まれるように消えていく。

 レンズも、神も、守護者達も、仲間達の姿もなく、カイルだけがその場に佇んだ。

 

「ロニ、ジューダス、ナナリー、ハロルド、フィオレ……」

 

 仲間達の名を呟き、この場にいない彼らの顔を思い浮かべて、息を吐く。

 

「ありがとう、みんな……」

 

 彼らへの、限りない感謝を込めて。カイルは光に溢れる己を見下ろした。

 

「未来は、ここにある……ここから、はじまる……」

 

 これより、産声を上げるのだ。神による歴史編纂が行われない、あるがままの世界。

 守護者達の望んだ、人が未来を定める世界が。

 

「オレたちひとりひとりが、自分の力で、未来をつくりあげてゆくんだ……それが、どんなものかはわからないけど……けど、キミとの絆は……けっして、消えない……!」

 

 再び出会うべき少女を、その笑顔を、目蓋の裏に思い描いて。

 

「そうだろ……リアラ?」

 

 カイル・デュナミスもまた。溢れる光に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ここまでお読みいただき、お疲れ様でした。そして、ご愛読してる方もしてない方も、ありがとうございました! 

「swordian saga second」これにて閉幕と致します。

 

 

 

 

 

 本当は続編あるんですけど、モチベーション切れてしまったので終了とします。ごめんなさい。

 

 もしもお話の続きに興味ある方がいらっしゃいましたら、Pixivに途中まで掲載されております。「TALES」で検索して頂けると「swordian saga;Re」というシリーズの作品が出てくると思いますので、そちらへどうぞ。

 

 



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