冨岡義勇英雄伝:再編集 (白華虚)
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第一章 義勇の立志編
プロローグ


活動報告にてお知らせした通り、冨岡義勇英雄伝をリメイクした作品です。

旧作品とはストーリー、登場人物などに大きな変化が生じますのでご注意ください。


 ――鬼。鬼と言えば、色々あるものだ。

 

 酒呑童子や茨木童子などのような妖怪としての鬼。

 赤い肌や青い肌に角、巨人のような数m級の身長と巨躯を持ち、虎柄の腰巻きを巻いている御伽噺に出てくる鬼。

 西洋において、強力な化け物だとか伝説だとかの例でよく挙げられる吸血鬼。

 怒った時にやたらと怖い人や鬼畜なことばかり突きつけてくるような人を例えて言う鬼。

 

 この通り、一言で鬼と言っても様々だ。

 

 この世界にも鬼が存在した。ただし、その鬼は例に挙げたどれにも当てはまらない。強いて言うなら、その生態が吸血鬼に類似しているが。

 

 ――()。それは、平安時代頃から大正時代まで夜を支配してきた()()()()。平安時代頃に生きていた虚弱体質の男がとある善良な医師の処方した薬によって変貌したことで誕生した鬼――鬼舞辻無惨を始祖とする化け物。

 

 人間を遥かに凌駕する怪力や身体能力を持ち、ある一人の人間が首魁である無惨の血を取り込むことで同族を増やしていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、頭部や四肢を失っても再生が出来る。

 元が人間である為か、人間に近い見た目の者もいる。しかし、場合によっては腕が数十本絡まった山のような巨躯を手にしたり、ある程度の共有意識を残しながらも三体に分裂して別個の意志を持たせたり、身体から鼓を生やしたり等……異形の化け物に変化を遂げる者もいる。

 主食である人間を多く喰らって力をつけた者は、血鬼術と呼ばれる異能を使うことがある。

 

 彼らは何千年もの間、人々に悪夢を見せ続けてきた。鬼のことを知らない者も多かったとは言え、それを知っている者には確かな恐怖を与えた。

 そんな化け物達に怯えながら、人々は一人残らず喰い尽くされるのを待つしかなかったのか……?

 

 ――否。断じてそうではない。闇ある所に光あり。世界の平和を脅かす魔王が居たとしたら、必ずや勇者の資格がある者が生を授かってその討伐に向かうかのように、鬼を滅することを志した人間達の集まる組織があった。

 

 その名を鬼殺隊。平安時代後期頃に端を発し、1000年以上存在し続けた政府非公認の組織。鬼を滅する力を持つ剣士にその剣士達を支える者達が集まって構成されており、その組織が最後に存在していた大正時代時点では、その構成人数は数百名を超えていた。

 

 しかし、彼らもまた人間。人間を遥かに逸脱する力を持つ鬼の手で瞬く間に命を奪われてしまう。炎、水、風、雷、そして岩。これらの名を冠した流派の剣術を扱って鬼を倒そうにも足りなかった。単に剣術を極めただけでは彼らに敵いはしなかった。巨大な困難の壁に打ちのめされかけていた剣士達であったが……。とある男の存在によって、ベルリンの壁が崩壊したかのように困難という壁が打ち砕かれることとなる。

 

 男の名は、継国縁壱。彼の兄をして「神の寵愛を一身に受けた者」だとか「この世の理の外側にいる」と言わしめ、鬼の首魁であった無惨をして「出鱈目な御伽噺」だとか「本当の化け物」だとか言わしめた歴代で史上最強かつ至上の才能を持つの剣士。

 

 彼は後に始まりの呼吸と言われる"日の呼吸"の使い手であり、生まれた頃から鬼と渡り合えるような逸脱した身体能力を持ち合わせていた。彼もまた愛する者を鬼の手で殺されて鬼殺隊に入隊した男なのだが、彼の入隊によって鬼殺隊の運命は大きく変わった。

 

 縁壱が自身の扱う"日の呼吸"を各流派を極めた剣士達の適正に合うようにと呼吸法を変えて、自身の扱う呼吸を剣技に上乗せする技術を教えたのだ。この技術こそが、著しく増強させた心肺で一度に大量の酸素を血中に取り込むことで血管や筋肉を強化・熱化させて瞬間的に身体能力を爆発的に増加させる特殊な呼吸法――後の世で"全集中の呼吸"と呼ばれるようになった技術である。

 

 これを得たことで著しく増加した身体能力を発揮し、剣士達は鬼と渡り合えるようになった。それでも鬼の脅威は大きく、彼らは何度も命を奪われ、打ちのめされ続けた。しかし、代々鬼殺隊の当主である家系、産屋敷家を筆頭として彼らは後の世代に技術と志を繋ぎ、何度も立ち上がり続けた。

 

 そうして戦いを続けること数百年。時は大正時代……。

 

 鬼殺隊の隊士達は、多くの犠牲を出しながらも遂に無惨を討ち取った。彼らの手で鬼は完全に滅ぼされたのだ。鬼を滅することを大きな目的とした鬼殺隊は解散し、悪夢の夜は終わりを告げた。鬼殺隊に所属していた剣士達で、最後の戦いを生き残った者達もようやく普通の生活に戻ることが出来た。

 

 これは、そんな鬼殺隊を支える最高階級の剣士である"柱"。その一端として長年活躍し、生きる中で姉と親友を。最後の戦いで右腕を失いながらも最後まで生き抜いた、水の呼吸を扱った剣士――冨岡義勇の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――暖かい。幸せな夢の中にいるようだ)

 

 彼は光が当たっていることを感じ取る程に触覚が優れている訳ではない。しかし、春の木漏れ日のように暖かな光が自分に降り注いでいることを不思議と感じ取りながら彼は幸せな微睡(まどろ)みから目を覚ます。

 

 開かれた目。それは、凪いだ水面のように深い青色だ。じっと見つめれば見つめる程、彼の瞳の中に海がそのままあるのではないかと思ってしまうくらいに深みがあった。長々と見つめているとその海の中に吸い込まれてしまいそうである。そして、その瞳には水面に反射した春の陽光のような暖かい光が宿っていた。

 

 体をゆっくりと起こす彼の髪は、首あたりまでの長さの黒髪。服装は、水色の着物に白いシャツと灰色の袴。所謂(いわゆる)、書生服だ。彼もまた地方から高等学校や大学に通う為に上京して他家に下宿しながら勉学に励む青年の一人なのだろうか。

 

 いや、そうではない。彼は書生に在らず。この男性にしては白い肌に、眉目秀麗な整った顔立ちの青年こそが冨岡義勇。かつて、水柱として活躍し、仲間達と共に無惨を討ち取った男。

 その顔はまさに美男子のそれだ。美男子であった偉人として取り上げられることの多い森蘭丸が本当に美男子であったのなら……彼のような顔立ちをしていたのかもしれない。

 

「……どこだ、ここは……」

 

 眠りから覚め、少しずつ頭が冴えてきた義勇は辺りを見回しながら困惑する。

 

 辺りに広がっているのは、小さくも可憐な青い花弁をつけた花だった。それが春の木漏れ日のような暖かな陽光に照らされ、大量に咲き誇っている。吹き抜ける風もまた、優しく暖かい。季節は春だろうか?

 

(いや、待て……。そもそも俺は死んだのではなかったか?ならば、ここは死後の世界なのか?)

 

 義勇は困惑する中で自分の状況を思い出し、顎に手を当てながら振り返ることにした。

 

 今の義勇の年齢は25歳。妻を(めと)り、既に子供もいる。しかし、()()()()()()()()()。病気だった訳ではない。例の無惨との戦いで致命傷を負った訳でもない。右腕を失った時点で十分重症ではあるのだが、命に至りはしなかった。ならば、死んでしまった理由とは何か。

 

 ――"痣"を発現したことによる代償である。ここにおける"痣"とは、体の一部を強打したりして内出血することによって出来る黒かったり、青かったりする痕ではない。全集中の呼吸を一定以上極めた上に、心拍数が二百を超える、体温が三十九度以上になるという二つの条件を満たすことで体のどこかに発現する、紋様のようなものだ。――義勇の場合は左頬の広範囲を覆うような形で出現し、その形は流れ渦巻く水のようであった――

 

 因みにだが、件の天才剣士である縁壱の場合は生まれつき額の左側から側頭部にかけて発現しており、悪を焼き尽くすが如く燃え盛る陽炎のような形を成していたようだ。そして、彼の場合は例外として"痣"が発現していたにも関わらず、80歳を超えても生きていたらしい。

 

 では、何故"痣"の発現によって25歳で死ぬことになってしまうのか。また、縁壱が"痣"の代償で死ぬことがなかったのか。実の所、その理由は定かではない。

 

 科学的根拠から説明しようとすると、人生における最大心拍数――拍動が最も速くなった場合の限界的な心拍数――は、一般的に成人では「220−年齢数」程度だと言われる。つまり、200を超えるくらいの心拍数に耐えられるのは20歳までということになる。それ故、20歳を超すと"痣"を発現した際の心拍数に耐えられずに負担が増えていき、25歳で死を遂げてしまうから……ということになるであろうか。

 

 何も根拠のない仮説から説明するとすれば、"痣"自体が縁壱の類稀なる才能によって発現出来る、神から賜ったかのような力であるから……だろうか。それが他者に発現した結果、鬼並みの身体能力を手にすることが出来るも、寿命を前借りして大きな代償を払うこととなっている訳である。

 

 "痣"はある種、体の機能が極限段階に達している証。生まれつきそれを発現していた縁壱は、極限段階に達した身体によって何らかの方法で心拍数を調節していたということもあるのかもしれない。――最も、本人はそんなこと意識しておらず、無意識に行っていた可能性もあるかもしれないが――

 

 いずれにせよこれらは仮説に過ぎず、誰一人として"痣"による死の原因は分からない。もしかすると、"痣"の第一人者である縁壱にしか分からないかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 その"痣"の代償で寿命の歳を迎えた義勇は穏やかに息を引き取った。最期の瞬間まで生まれてからまだ5年も経たない子供を抱えて看取ってくれた妻や自分の弟弟子に彼の妻、その弟弟子の妹、更には弟弟子であったその少年の鬼殺隊における同期の少年達に剣技を教えてくれた己の師。

 

 姉や友を失い、天涯孤独と言っても過言ではなかった自分がこんなに多くの人達に看取ってもらえたのは幸せなことだと彼は改めて思った。

 それに、残った余生も穏やか且つ幸せだった。鬼殺隊の"柱"として修羅場を潜り抜けてきた分、道端に転がる石ころのように投げ捨ててしまった本来味わうべき幸せを全て拾い尽くせた。

 

 そんな穏やかな死を迎えたはずの自分が、青く小さな花弁を持った花が咲き誇る野原に寝転がっていた訳だ。自分は御伽噺の中に吸い込まれてしまったのではないか、と疑いながらも義勇は立ち上がる。

 

 ――こうして寝転がっていても仕方ない。

 

 特にやることもないので、散歩がてら辺りを見て回ることにした。

 

 歩き回ってみて分かったのは、花が地平線の彼方まで広がっていたこと。どこを見渡しても花ばかり。自分の視線の先全てが、その花で埋め尽くされているのだ。まさに、花の海の上に立っているようである。

 

(……しかし、何だろうな。この花の名は)

 

 ふとしゃがみ込み、その花弁を指の上に乗せるようにして優しく触りながら、義勇は花の名前に興味を持った。鬼殺隊士であった頃は、来る日も来る日も鬼との戦いであったし、強くなること以外に必要なもの――ただし、食事や睡眠などのような生きることに必要なものは除く――を切り捨ててきた義勇はその名前を知らないし、知る由もない。

 

 こんなことなら、禰豆子――義勇の弟弟子であった少年の妹の名である。少年の故郷では美人だとの評判が絶えず、艶やかな黒髪に、兄であるその少年のように山から登る朝日を彷彿とさせる赤い瞳を持っていた――や、カナヲ――弟弟子であった少年の妻となった少女の名である。かつて義勇に度々ちょっかいをかけてきた"柱"の一端であった少女の義理の妹で、サイドテールの髪型に紫色の瞳をしていた。彼女がつけていた、"柱"の一端であった少女の形見である髪飾りを見て、義勇は幾度もその少女を思い出したのをよく覚えている――に色々と聞いておけば良かったな、とほんの少しだけ後悔した義勇であった。

 

 そうして立ち上がりながら、ふと義勇は思う。この花々は一体どこまで広がっているんだ、と。そして、この花畑の果てを知りたいという子供のような冒険心溢れた欲を抱いた。7回に渡る航海の中で多くの冒険を体感したシンドバッドも、こんな新鮮な気持ちを毎度ながら抱いていたのだろうか。

 

 その溢れてきた欲に駆られ、義勇はただ歩いた。(まだ確信してはいないが)死後の世界だからなのか、いくら歩いても疲れなかったし、飽きなかった。雲一つなく広がる青空に、自分を包み込む優しい陽光。視野を広げることで見つけた藤の花が広がる樹海。何もかもが美しく、極楽浄土のようだった。

 

 義勇は、宗教などの胡散臭いものを信じる質の人間ではない。しかし今、宗教を信仰し、極楽浄土があると信じて疑わなかった昔の人々の不思議さを思い知り、盲目的に信仰するのは良くないが、良識を持った範囲でなら信じてもいいのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

 ――歩き始めてから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。義勇は、青い羽を持つ妖艶な蝶が辺りを飛び回る場所で見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 

 後頭部に着用した大きな紫色の蝶の髪飾り。その髪飾りでまとめた、毛先が紫色に染まっている黒髪は荒れが一つもなく、艶やかで美しいと言う他ない。橙色の生地に赤、黄、黒。様々な紅葉の(あつら)えられた着物。生きていた時と格好は違えど、見間違えるはずもない。彼女が振り返れば、きっと「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の三拍子が揃った美しい顔立ちが露わになることだろう。

 

 彼女もまた、しゃがみ込んで辺りに咲いている青い花を愛でているのだろうか。その蝶の化身であるかのような彼女の様子に、義勇は唖然としながらも見惚れていた。

 

「――あら」

 

 先に振り返ったのは、彼女の方だった。義勇の気配に気がついて振り返ったのだろう。戦いは全て終わったというのに、"柱"にまで上り詰めることで身につけた気配察知能力は衰えていないらしい。

 義勇の予想通りに、とある少年に顔だけで食っていけると評された端正で美しい顔立ちが露わになった。

 

「――胡蝶」

 

 義勇が彼女の名前を口に出すと、少女は凡ゆる憎しみの消え去った、数百万円もの価値がありそうな宝珠のように美しい紫色の瞳を向けながら微笑んで答えた。

 

「はい、胡蝶しのぶですよ。お久しぶりですね、冨岡さん」

 

 彼女こそ、"柱"の一端である"蟲柱"として活躍した少女。カナヲの義理の姉で、"柱"の中でも最も義勇と関わりのあった少女。胡蝶しのぶだ。

 

 ここが死の世界であることは確信したものの、目の前に彼女がいることが信じられない義勇は、唖然として目をパチクリさせていた。

 

 クスリと笑った後に義勇に声を掛けたしのぶは、ほんの少しムッとした表情をしながら義勇の体を指で突いた。

 

「ちょっと冨岡さん?何をぼーっとしてるんですか。折角の再会なんですよ?何か一言返してくれたっていいんじゃないですか?相変わらず愛想がないですねえ。そんなだから嫌われるんですよ」

 

 ――何度聞いた言葉だったろう。「そんなだから嫌われるんですよ」……。彼女の口から幾度となく聞いたものだ。

 

 義勇は彼女に指で突かれ、そう言われながらハッとする。

 

(何か一言……か)

 

 「返事してくださいよ、冨岡さ〜ん。無視は悲しいじゃないですか、お馬鹿」なんて言いながら上目遣いで自分を見つめるしのぶを他所に、義勇は数秒考える。そして思いついた言葉が……これだった。

 

「胡蝶、()()()()()()()。打ちのめされながらもお前は立派にやり遂げた。俺はお前を尊敬する。それと……()()()()()。俺達が無惨を討ち取れたのもお前がいてくれたからだ。本当にありがとう」

 

 口下手な彼なりに精一杯考えた労りの言葉。しのぶの小さく、形も美しいその手を優しく包み込むようにして握りながら、義勇は目尻を下げ、美少年に相応しい微笑みを浮かべながら答えた。

 

 そんな彼に対し、しのぶはぎょっとしながら目を見開いて固まった後に、先程の義勇のように何度も目をパチクリさせる。

 

(……何か間違っただろうか)

 

 彼女の反応を見て微かに不安になり始める義勇であったが、何一つ心配する必要はなかった。

 

「そこは普通……久しぶり、とかでしょう……。出会って早々何なんですか。ちゃんと見てくれてたなら事前に言ってくださいよ。何も伝えずに急にそういうこと言うから嫌われるんです……!……わ、私はそういうところ、好きですけど……」

 

 しのぶは目を逸らし、微かに頬を染めながら言う。

 

 何故頬を染めるのか。よく分からなかった義勇ではあったが、自分の言葉が彼女のお眼鏡にかなったようで一安心した。

 

 その後、ハッとしながら手を離すようにしのぶに促され、義勇はその手を離した。

 

(……なんて小さい手だ。それにすべすべしていた……)

 

 しのぶの手の感触に浸る義勇を他所に、しのぶは揶揄(からか)うような笑みを浮かべる。

 

「それにしても冨岡さん。貴方、お礼なんて言えたんですね。びっくりしました」

 

 そう言いながら向けたニヤニヤとした笑みは、義勇の反応を楽しもうとしているかのような笑顔がある。なんとも彼女らしいと言えば彼女らしい物言いだ。

 

 しかし、そんな言い方はしなくたっていいじゃないか。そう思いながら、義勇は眉を(ひそ)めてムッとする。しかし、それも一瞬のこと。このやりとりの何もかもが懐かしく、その直後、義勇は失笑してしまった。

 

「ふふ……済まん。どうにも懐かしくてな」

 

 眉を微かに下げ、申し訳なさそうに笑う義勇を見ながら、しのぶは彼が幸せな余生を送ったことを実感する。あの掴み所のない、鉄仮面のような冷たい無表情ばかり浮かべ、好物の鮭大根を前にした時以外は決して笑わなかった彼がここまで笑えるようになるとは誰が予想したであろうか。

 

「胡蝶、聞いてほしい」

 

「何ですか?」

 

 余る程、しのぶに語りたいことが多くあったのだろう。今までの彼とは思えないくらいの饒舌さを発揮し、義勇は次々と話をした。

 

 禰豆子が無事に人間に戻れたこと。

 

 自分の弟弟子で、禰豆子の兄でもある炭治郎――赤が入り混じった髪と禰豆子のように山から登る朝日を彷彿とさせる紅い瞳を持つ少年だ。非常に心優しく、生真面目で快活。石頭で頑固な面や天然で他人の地雷を踏み抜くような面があるものの、義勇には彼のおかげで心を救われた過去がある――とカナヲが結ばれたこと。後には子供も残したこと。

 

 実弥――不死川実弥。"風柱"として肩を並べて戦った同志で、義勇と途中で体を欠損して鬼殺隊の本職を引退した元"音柱"であった男を除くと"柱"の中で唯一の生き残り。傷だらけなその容姿や無造作な白髪は変わりないものの、血走っていた目はなりを潜め、穏やかになった。因みにだが、トラウマを吹っ切れない故に"柱"としての勤務態度がよろしくなかった義勇を嫌っていたこともある――と無事に仲良くなれたこと。

 自分を愛してくれる人が出来たこと。自分に子供までも出来たこと。

 

 しのぶもまた、慈愛に満ちた女神のような心の底からの笑顔を浮かべて彼の話を受け止めた。無惨を討ち取った後のことを語り尽くそうにも語り尽くせないと言わんばかりの勢いで話し続ける義勇を見て、世の中が平和になったことを実感するしのぶではあったが……自分ばかり話しているのは、あまりにもずる過ぎないだろうか。

 

 痺れを切らしたしのぶは、力に任せて義勇を思い切り押し倒した。

 

 咄嗟のことで反応出来ず素直に押し倒された義勇ではあったが、残った左腕でしっかりとしのぶを受け止めてから倒れた為、彼女は無事である。

 

「こ、胡蝶?」

 

 困惑しながら尋ねる義勇に、しのぶは彼の残してきた妻や子供の話を振った。

 

「ねえ、冨岡さん。奥様やお子さんが出来て幸せでしたか?」

 

「……それは勿論だ。強いて言うなら、二人を残したまま死んでしまったことを微かに後悔しているが。せめて、子供が立派になるまで見届けたかった」

 

 愛おしそうに笑みを浮かべる義勇。しのぶは、そんな寵愛に満ちた笑みを向けられたであろう女性を()()()()()()()

 

 そして彼女は決心する。

 

(来世があるなんて保証もないですし、伝えたいことはちゃんと伝えましょう)

 

 秘めてきた想いを義勇に伝えることを。

 

「冨岡さん。私、貴方のことが好きでした」

 

「……どういう好きだ」

 

()()()()()、です」

 

 微かに目を見開いた義勇を一瞥し、しのぶは彼の胸に擦り寄りながら続ける。

 

「冨岡さん。来世があったら、今度は私が貴方の隣に居たいです。貴方を幸せにしたいです。一緒に幸せを掴みたいです」

 

 自分達は死んでいるはずなのに心臓の鼓動がある。自分自身の心臓はバクバクと高鳴っているし、義勇の心臓は変わらずトクントクンと安定した鼓動を刻んでいた。とは言え、彼の心音を聞いて安心する時点で自分がどれだけ義勇のことが好きなのかを実感してしまう。

 

「冨岡さん、絶対に私のことを見つけてくださいね。そして、さっきの愛に満ちた笑みを今度は私に向けてください。ずうっと待ってますから」

 

 嫉妬がない訳ではない。だが、伝えられたから十分だ。

 

 彼女の言葉に対し、義勇はどんな好きであったとしてもしのぶに好かれていた事実が変わらないことを知り、嬉しそうに笑みを浮かべる。そして、彼女の眼前に小指を立てて差し出した。

 

「……約束する。しのぶ、俺は来世のお前を必ず見つけよう。待っていてくれ。そして、今度は絶対に一緒になろう」

 

「……!はい!」

 

 しのぶも子供のように無邪気な満面の笑みで返し、二人は指切りを交わしたのであった。

 

 その後、しのぶに「貴方に会いたがっている人がいる」と連れられた先で、義勇は姉の蔦子に親友の錆兎、病死した両親と再会する。

 

 彼らとも思い出を語る中で、知らず知らずの間に義勇は意識を閉ざしていたようである。最後に覚えているのは――

 

「今度は姉として、貴方が立派になったところを生きて見届けたいわ。絶対一人にさせないからね」

 

 と願いと誓いを述べる姉の言葉と……。

 

「……義勇さん、大好きです。私のこと、忘れないでくださいね」

 

 と愛の告白を告げるしのぶの声だ。

 

 

 

 

 

 

 さて。余談にはなるのだが、義勇としのぶのいた空間に咲き誇っていた小さくも可憐な青い花の名は、勿忘草(わすれなぐさ)という。

 

 その花言葉は――私を忘れないで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……この世に神が居るとしたら、俺は声を大にして言おうと思う。どうしてこうなった、と。

 

 ピピピ、ピピピ……という一定のリズムの機械音に促されて眠りから目覚め、目を開けた俺の視界には今や見慣れた空間が目に入る。

 

 木製で何段も引き出しがあり、スタンドライト付きの学習机。シンプルな白い壁紙。近くの棚に置かれた、母手作りの狐のパッチワークを誂えた青い肩掛け鞄。壁にはハンガーに掛けられた、紅いリボン付きの藍色のブレザーとパンツがある。因みにだが、ブレザーとは言っても小学生や中学生の着る物ではない。()()()()だ。

 

 ……どうやら俺は、輪廻転生というものを果たしたらしい。それも前世の記憶を持ったまま。

 

 蔦子姉さんや錆兎、父さん、母さんと再会して話をしていた俺は知らず知らずのうちに意識を閉ざしてしまったらしい。最後に覚えているのは、姉さんとしのぶの言葉だけだ。

 そして、次に目を開けたときには今世の父と母の顔が目の前にあり……赤ん坊に逆戻りだったという訳だ。

 

 いや、別に記憶を残されたことは恨めしく思ってはいないんだ。しのぶを早く見つけられるだろうしな?そこは構わん。だが、生まれた瞬間から記憶が残ったままでなくても良くないか……?生まれた瞬間から残ったままだと、色々と苦労するんだ。主に純粋な赤ん坊や幼子のフリをする際にな。

 

 物静かな子なのだと解釈するのなら自然かもしれない。だが、俺は話す時は話すが話さない時は話さないし、基本的に口数は少ないんだ。2歳児は言葉の発達が著しい故に「言葉の爆発期」とも言われる。端的に言うなら、それだけ活発に話す時期だという訳だな。

 

 そんな子供が口数が少なく、物静かだったら……どうだ?流石に誰しもが何かあったんじゃないかと心配になるだろう?今世の父と母や姉さんにそんな心配はかけたくなかった為、そこは必死に頑張った。

 

 基本的に1人でいる時は前世通りに振る舞うが、家族や他人の前では基本的に年相応の振る舞いをしている。

 

 ……これがまた辛いんだ。精神年齢は25だぞ?そんな大の大人が子供のフリをするんだ。二十歳を超えた大人が、親に子供のように甘えて恥を晒すようなもの。恥ずかしいに決まっている。しかし、羞恥心に負ける訳にはいかないから頑張って羞恥心を凪ぎ、恥に耐えながらここまでやってきたんだ。

 

 さて。そんな俺が誕生してから、既に3年が経過している。伸びをしながら愛用のベッドから出るが……とにかく寒い。肌に針を突き刺すかのような寒さだ。季節は冬だし、当然だろうがな。

 部屋に暖房機器がない訳ではないが、寝ている間もそれを使っていては空気が乾燥して喉を痛める。それを防ぐ為に、寝る前には必ず暖房機器を切っているんだ。喉の健康は大事だぞ。一度喉を痛めると、食事を呑み込む時にも痛みが伴うからな。美味しい食事も存分に楽しめなくなる。

 

 一先ず、暖房を入れることを決めてそのリモコンを探すことにする。リモコンを探す為に部屋を見渡している時に、ふと枕元の目覚まし時計が目に入った。

 

 俺の使う目覚まし時計は、電子掲示板のようにして緑色に光る数字で現在の時刻を表示しているんだが……それだけじゃなく、ついでがてら曜日と日付まで表示してくれる。そこに表示された時刻は丁度朝の6時。曜日は土曜日で、日付は……2月8日。

 

 ――2()()8()()

 

「……誕生日か」

 

 そうだ、2月8日は俺の誕生日だ。これで、この世に生を受けてから4年が経過した訳だな。おめでとう、俺。

 

 誕生日だというのを自覚するのと同時に、思わず口元が緩む。今世は俺の誕生日を祝ってくれる家族がいる。血の繋がった家族が。

 

 勿論、前世も全く誕生日を祝われなかった訳じゃない。父と母は病死するまでの間の俺の誕生日を全力で祝ってくれたし、蔦子姉さんもそうだった。蔦子姉さんを失って、鬼殺隊に入隊する為の鍛錬を始めてからは鱗滝さんに錆兎が祝ってくれた。

 

 そうだ……。鱗滝さんは、錆兎を失ってから心を失った俺にも毎年毎年手紙を送って、俺の誕生日を祝ってくださったな。無論、それは俺が"痣"の寿命で死ぬまでずっと変わらなかった。

 鱗滝さんだけじゃない。

 

 俺の妹弟子であった真菰も、俺の誕生日を知ってからは手紙を送りつけてきたか。まあ……己に必要なもの以外を捨て置いた俺は、返事を書くことはなかったのだが。そして、俺は鬼殺隊に入隊した彼女を見ていない。……理由は察した。最終選別の中で戦死したんだろう。後悔しても遅いが、もっと構ってやるべきだったと何度も思った。因みにだが、彼女も錆兎を殺した鬼に殺されたのだと言う。炭治郎がそう教えてくれた。

 

 "柱"になってからは"柱"の皆。それに、お館様が祝ってくださったな。正直、戦いに明け暮れて心を捨てたあの頃は誕生日なんてどうでも良かった。でも、祝ってもらえたその時だけは捨てたはずの心がいつも戻ってきたのを覚えている。

 

 ああ……誕生日の時は、不死川や伊黒も愚痴を言いながらも俺に多少なりとも関わってくれたのだったか。俺の誕生日は、決まって"柱"が全員で俺の好物、鮭大根の素材を持って集まり、俺に秘密で鮭大根を作ってくれていた。店の鮭大根も好きだったが、皆が心を込めて作ってくれたそれは、抜群に美味だったな。最早あの頃が懐かしい。

 

 そして、無惨を討ち滅ぼした後には炭治郎達も誕生日を祝ってくれて……。

 

 誕生日を祝ってもらえるのが嬉しいのは誰が相手だろうが変わりない。だが、血の繋がった家族に祝ってもらえるのは喜びが一入なんだ。

 

「あっ、義勇。起きてたのね!おはよう!」

 

 誕生日を祝ってもらった時の思い出に浸っていると、部屋のドアがそっと開かれ、蔦子姉さんが顔を覗かせる。

 

「おはよう、姉さん」

 

 年相応っぽく振る舞いながら姉さんに挨拶を返すと、満足そうに微笑んだ。

 それにしても、三つ編みの黒髪に後頭部につけた薄桃色のリボン、それと空のように澄んだ青い瞳。前世の姉さんをそっくりそのまま幼児化したような見た目だ。あまりにもそっくりすぎる、と何度思ったことか。

 

 直後、姉さんはハッとしたような顔をしながら駆け寄って、俺を優しく包み込むように抱きしめた。取り敢えずは、俺も姉さんの暖かみを感じながら便乗して抱きしめ返すことに。

 

「義勇、お誕生日おめでとう。また貴方の誕生日を祝ってあげられて、姉さんは嬉しいわ」

 

 顔は見えないが、満面の笑みなんだろう。姉さんは凄く嬉しそうだ。だから、俺も自然と嬉しくなる。

 

「そうだ、義勇。もう義勇は4歳よね。"個性"が発現しているかもしれないし、今日は病院に行くって。さ、準備して!朝ご飯も出来てるから」

 

「分かった。すぐ行くね」

 

 その後、再び何かを思い出したかのような姉さんに肩を叩いて促され、俺は着替えを始めた。

 

 "個性"……か。正直、俺には何のことだか分からない。もしかすると、時折異質な人々を見かける理由はそれなのだろうか。

 実は、この世界の人々はかつて鬼共の使っていた異能、"血鬼術"を彷彿とさせるような力を扱う者が多いのだ。例えば、炎を吐いたり、空を飛んだり、腕を鋭い金属の刃に変えたりだとか。

 そもそも、この世界のこともよく分からない。(ヴィラン)だとか呼ばれる犯罪者が存在するし、ヒーローと呼ばれる彼らを取り締まる存在がいるし。……警察では不十分なのだろうか。それとも、(ヴィラン)というのは鬼のように何か特別な存在なのだろうか。

 

 この世界には、まだまだ分からないことが多い。しかし、やることは確かだ。この世界で生き抜き、しのぶを見つけること。それだけだ。

 

 しのぶ……。お前がどんなに遅く生まれようと、俺より早く生まれていようと関係ない。必ず見つけ出すから、待っていてくれ……!




繰り返すようですが、鬼滅要素が強すぎる、キャラが多すぎて伏線回収的なものが出来ない、ストーリーが混乱し始めた……等の理由で作者自身が色々と整理しきれなくなり、リメイクを決断致しました。

これまで旧作品をご愛読いただいた方、応援してくださっていた方、申し訳ございません。そしてこれからもリメイク版を応援するという方々はよろしくお願いします。

今後はこちらの方を楽しんでいただければと思います!


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第一話 ヒーローの形

 ……母が泣いている。いつもしっかり者で、慈愛に溢れた人で、俺達の前では徹底して強き人を貫いていた母が。

 

 「私のせいだ」と自責の念を募らせ、俺に許しを乞うように泣いている。父に縋りつきながら泣いている。泣き続ける彼女の背中はただただ悲しい。

 

 側にいる蔦子姉さんも悲しげな顔をしている。

 

 この際、隠したって何の意味もない。はっきり言ってしまおう。俺は病院にて受けた個性診断で無個性だと診断された。医者によると、俺は"個性"とやらのない人間の体の作りをしているらしい。

 確か……足の小指に関節があるかないかで"個性"持ちか無個性かを判断出来るという話だった。それで、俺は小指の関節が二つあって無個性の人間の型なんだと。人間が猿に近い祖先から進化していった時のように、使わない部位を取り除いていくという訳だな。

 

 そして、父も母も姉さんも。皆がそれを悲しんだ。

 

 ――けど、俺にはよく分からない。無情な言い方になるかもしれないが、彼らの悲しむ理由がよく分からない。俺が病気であった訳ではあるまいし。"個性"が無くて何が悪いんだろうか?

 何故そう思うのか。俺にとっては()()()()()()()()()だ。正直確信は持てないが、もし"個性"を例の"血鬼術"を彷彿とさせる異能だとすれば、彼らは鬼のようなもの。俺からしたら不気味で仕方ない。それを人々に与えて世界征服を企むような輩でもいるのではないかという懐疑心が溢れて止まない。

 

 言ってしまえば、俺と元からこの世界で生きる人々とでは"個性"に対する認識も認知度も違うのだ。

 

 2歳頃からか。俺は、世間のことを知るよりも家族や将来出来るであろう友、仲間……それと、これから会うことになるであろうしのぶを守れるように、強くなることを優先した。

 

 それで暇さえあれば、父さんが幼い頃や学生時代に読んでいたらしい、歳によって最適な体の鍛え方を記した本をこっそり取り出して読んだり――精神年齢は25歳の大人である為、理解は十分に出来た――、積極的に運動して体力づくりをしたり、水の呼吸の型を舞って正しい型の振るい方を模索したり――サッカーを繰り返し練習すれば、ボールを勢いよく蹴る方法や上手くシュートを入れる方法、ドリブルを巧みにやる方法などが体に染み付いて無駄なく出来るようになる。それと同じで、幼い頃から繰り返し型を振るっておけば、将来はその精度が上がるのではないかと考えた――、父さんの持っている木刀を借りては振るって、日々鍛錬を積んできた。

 日々の食事もしっかり取り、夜はぐっすりと寝て疲れを取る。そんな生活を繰り返していた為、テレビニュースとやらを見る機会もなく、俺は世間に疎い自覚がある。

 

 特集番組の類で"個性"の解説も行っているのかもしれないが……結局見ていないので分からないことが多い。

 

 前世の記憶を持つ俺と元からここに生まれた人間とでは明らかに事情が違う。それで、俺は素直に父に尋ねた。

 

「……父さん。"個性"が無いことで何か不便なことがあるの?"個性"が無くったって同じ人間。普通に生きられる」

 

 疑問をそのまま口に出すと、父は俺の方を振り向いて考える素振りを見せた。

 

 そして、俺が世間に疎い所があるのも当然だとでも思ったのだろうか。蔦子姉さんに母のことを頼むと、自分の部屋に俺を招いた。

 

「そうだな……。義勇、まずはお前に"個性"のことを教えておこう。僕の知る限りのことだけど」

 

 机を挟んで向かい合うように座った父が話を切り出した。……背中まで伸ばした無造作な髪を首の辺りでまとめる。瞳は光の差さない深海のような青。白い肌に場合によっては女性かと勘違いされそうな整った顔。別に自分の顔が良いとかいう自覚がある訳ではないが、前世の自分とそっくりな姿だ。ほんの少しだけ奇妙な気分になる。

 

 取り敢えず、それは置いておくとして……。まず、"個性"とはこの世界にいる総人口の八割が持った特異体質だそうだ。体質とは言え、俺が感じていた通りに異能として扱われていた時期もあったらしい。異能が目覚めたとある少年が迫害を受けていた時、彼の母親が異能のことを「これはこの子の"個性"です」と主張したのをきっかけにそう呼ばれるようになった……という逸話もあるんだとか。

 

 そして、その"個性"は大きく三つの型に分けられる。

 まず、自分の意思で能力を発動でき、その種類の多さから系統ごとに更に分割がされるという発動型。

 次に、通常の人間の肉体から自分の意思でどのような形であれ、肉体を変化させる変形型。

 最後に、生まれた時から常時"個性"が発動している異形型。

 因みにそれらの三系統のうち、二系統以上の特徴を持つ複合型もあるらしい。

 

 それで、父の"個性"は"凪"。自分の肉体から凡ゆる事象を鎮静させる無のエネルギーを発生させる。エネルギー自体は許容量とかは無く、無制限に出せるようだ。これによって炎や攻撃の威力を弱めたり、痛みを抑えたり、精神を鎮めたり出来る。姉さんもまた、父さんの"凪"が遺伝している。一方で、母は俺と同じ無個性だ。

 

 ついででしかないだろうが、母は小学生の頃からそれを理由に揶揄(からか)いやいじめを受けており、父はそれを庇い続けた。それが何年も続いているうちに自然と恋をし、中学生時代にお付き合いを始めて今の仲になったのだという話も聞いた。

 

 父は「鎮静ヒーロー・凪」として活動しているのだが……言われてみれば、ヒーロー活動している時に落下する瓦礫の速度をゼロにしたり、突進してくる(ヴィラン)の動きを止めたりと色々やっていたように思う。成る程、それも"個性"のおかげだったという訳か。

 

 "個性"は、後天的に授かった異能ではなく、先天的に授かった体質。後学の為に覚えておこう。――余談ではあるが、"個性"によってヒーロー向きやら(ヴィラン)向きやらを勝手に決めつけるような愚かな輩もいるらしい。父もそれを嘆いていた――

 

 では、本題だ。別に"個性"があっても不便ではないようだ。ただし、"個性"がなければヒーローにはなれないと言っても過言ではない、と父は言った。前例がないんだろう。……そもそも、俺にはヒーローが何なのかすら理解し切れていないのだが。

 

 一先ず、そう告げた父を真っ直ぐに射抜きながら、俺はヒーローをこう仮定した。「父のように他人を命懸けで救ける職業」だと。

 

 そう仮定した上で……俺は父の考えているであろうことを否定した。

 

「父さん、()()()()()()()()()()()()()()()()。父さんみたいに沢山の人を救けたい訳じゃないんだ。俺が強くなろうとするのは、家族や友達……。身近にあるものを守りたいからだ。父さんみたいに利他的なことは考えてない」

 

 俺の答えを聞いた父は、意外そうな顔をした。

 

 ……当然だ。この世界においては、見ている限りだと警察は(ヴィラン)と戦う訳じゃない。かつての俺達、鬼殺隊のように(ヴィラン)を取り締まる専門家的な意味でヒーローが存在しているからな。――とは言え、逮捕した後の処置は警察や裁判所が行うようだが――

 何が言いたいのかというと、ヒーローを目指すこと以外に強くなる為の理由がないってことだ。

 

 そもそも。ヒーローとは……俺のように、前世で人を喰らう化け物に変化したとは言え、元々人間である鬼を情け無用で平然と殺せるような輩が務められるような職業じゃないように思う。

 

 ここまで来ると、家族が悲しんだ理由がなんとなく分かった。"個性"がなくば、ヒーローになれないと言っても過言ではない社会。それ故、無個性であるせいで俺の夢が潰れてしまったと考えたのだろう。母さんが自分のことを責めるのも分かる気はするが、そんな必要はない。俺が無個性として生まれたのは母さんや父さんのせいじゃないし、俺は無個性として生まれたことを恨んじゃいない。新たな力に振り回される必要がないから安心して暮らせるし、良かったとさえ思ってる。

 

「だから、悲しまないでほしい」

 

 俺は父を安心させられるような微笑みを浮かべながら、再び父を真っ直ぐに射抜いて言った。

 

「……そうか。うん、ありがとう。少しだけ気が楽になったよ」

 

 父もまた、微笑みを返して言う。

 

 そして俺は、ふと思い立った。人々を救ける職業……ヒーローの由来とはなんなんだ、と。

 

「ん?どうした、義勇」

 

 微かに目を見開いて固まった俺を見て、父は尋ねた。

 

 思い立ったことを行動に移す為、俺は父に頼む。

 

「父さん、()()()()()()()()()

 

「…………えっ、辞書?いいけど……」

 

 年相応とは思えない俺の頼みに対し、父は唖然としながら、どこかはっきりとしない返事を返すのだった。

 

 ……困惑させてごめん、父さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名前。人の名前にも、物の名前にも、ある現象の名前にも……。全ての名前には由来があるものだ。勿論、ヒーローにも。

 俺の知る限り、大正時代には「ヒーロー」なんて単語は存在しない。俺の知らない言葉がこの世界にはあるのかもしれないと思い、辞書を借りて調べている最中という訳だ。

 

 因みに、好奇心で俺の名前に使われている「義勇」の意味を調べてみたのだが、これには二つの意味があった。

 一つは、忠義。若しくは正義と勇気。

 もう一つは、正義の心から発する勇気。若しくは自らすすんで公共の為に力を尽くすこと……だそうだ。

 

 俺の名前に込められた意味。口下手な自分なりに考えてみるとすれば……。

 「忠義や正義の心から発する勇気を持ち、すすんで社会の為に力を尽くせるような子になってほしい」……だろうか?もし、そうだとしたら明らかに予想がついてしまうな。両親は俺が生まれた時から俺が立派なヒーローになれるよう祈っていたんだって。

 

 閑話休題。その後に本当に調べたいことを調べてみた訳だが……無事に見つかった。

 ヒーローとは、この世界における「()()」としてのものと、元来存在していた「()()()()()」で意味が分かれているようだった。

 

 「職業」としてのヒーロー。これは、"個性"を利用して人々を救ける職業だ。職業である以上、当然経済活動や競争は起きる。実際、ヒーローの活躍度を示したランキングだとかもあるし、収入も入ってくるようだし。同時に、高い職業倫理を持って匿名の人々を救ける救済者でもある。

 俺の仮定は大体合っていたようだ。逆に言えば、父が在るべきヒーローの姿を俺に見せてくれているという事実にもなる。なんだか誇らしい気分になった。まるで、前世において他人に自分の妻の容姿を褒められた時のように。

 

 そして、「一つの単語」としてのヒーロー。恐らくは、これが「職業」であるヒーローの名前の由来だと思われる。意味としては、英雄、神話や物語の主人公のことを指すらしい。彼らの多くは並みの人を超える力・技術・知識を持って、それらを用いることで一般社会に有益とされる行為を行う。()()()とも言い換えられる訳だ。端的に言えば、空想の存在。

 

 "個性"……なんともまあ便利で恐ろしい力だ。こんな力を持てば、それを邪な方向に使う輩が現れることも容易く予想出来る。人間は欲深い生き物だとよく言われるしな。――欲が全くない人間などいない。大事なのは、それを如何に抑制したり、良いことに昇華させるかだ――

 そんな輩が溢れ返って社会は混乱。そんな中にいずれはヒーローと呼ばれるようになる者の元祖が現れたのだろう。混乱した社会の中で治安の為に力を振るい続けて他人を救けたその行為は確かに「英雄」だと言えるかもしれないな。そうして、空想の存在が現実になった。

 

 しかし……意味を知ってから、疑問に思う。ヒーローとは、何を以ってヒーローと定義づけるのだろうか……?

 

 本来ならば、ヒーローとは救世主。救世主には悪も正義もないのではないだろうか。

 

 例えば、家族を守る為に犯罪に手を染めた男がいるとする。家庭を養うお金が必要だとか、自分の背後に隠れる更なる凶悪犯の手から家族を救うだとかの理由で。そうしたら、世間から見て「悪」に値する。でも、彼の家族からすれば救世主であるかもしれない。

 そんな視点から考えれば、無惨だってそうかもしれない。鬼は日光や日輪刀による頸の切断以外では死なない。不死身な上に病気にもならない。不治の病にかかった者からすれば、自分を不死にしてくれた無惨は救世主であるに違いないだろう。――とは言え、奴は鬼になるメリット・デメリットも話さずに(話さずして当然だが)他人の思いを平然と利用する外道。奴を討ち滅ぼしたことには何の後悔もない。はっきり言うが、二度とこの世に現れないでほしいと思う――

 (ヴィラン)にも同じことが言えるのではないだろうか。初めは純粋な悪事に手を染めていたが、"個性"をきっかけに捨てられた子供を見つけ、その子供の為に更に手を汚すような(ヴィラン)もいるかもしれない。そうしたら、その(ヴィラン)は子供にとって立派なヒーローなんだ。

 

 それだけじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()で、ヒーローには誰だってなれる……と、俺は思う。

 

 いじめられている子供がいるとしよう。その子供を庇って、いじめっ子達を撃退したまた別の子供がいるとする。そうしたら……いじめられている子にとって、いじめっ子達を撃退した子は立派なヒーローだと言えると思わないか?

 孤独でいる子に手を差し伸べて、「一緒に遊ぼう」と誘った子も孤独な子にとってのヒーローになるに違いない。

 単純な話をしてしまえば、警察だってそうだ。日々街の平和を守って、どんな小さな事件にも関わって平和を思いやる。その姿勢は立派なヒーローのそれじゃないか。

 家庭を守る父親は他の家族にとってのヒーローだし、彼らの子は自分達の疲れを吹き飛ばしてくれる可愛げのあるヒーロー。

 

 ……挙げだしたらキリがない。

 

 つまり、俺は何が言いたいのか。

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これ一つだけだ。

 

 人それぞれに価値観があるから、善と悪が定められるのも仕方ない。人の中に暗黙の了解として共通の価値観もあるから、ヒーローと(ヴィラン)とで垣根が出来るのも分からなくはない。

 

 だが……職業としてヒーローが定められてしまったから、父が言ったような無個性はヒーローになれないと言った風潮が生まれるのではないか。"個性"によって、人の生き方を勝手に定めるような馬鹿な輩が生まれるのではないか。

 

 結局、本当のヒーローを突き詰めていくと誰かにとっての英雄的な行動をした人全てになるのだろう。だからこそ、ダークヒーロー、アンチヒーロー、スーパーヒーローのように「ヒーロー」と一言で言っても複数の定義がある。

 

 ならば俺は……。

 

「――家族や友にとって……いや、それだけじゃないな。()()()()()()()()()()()()()()()()になろう。職業としてのヒーローじゃなく、本当のヒーロー。……それが俺の目指すものだ」

 

 目指すものが決まった。"個性"のことだけじゃなく、解決したことが多い。とても心地良く、心が晴れたようだ。

 歴史上には数多の学者や哲学者が存在する訳だが、彼らは何か一つの問題が解決する度にこんな気持ちになっていたのかもしれないな。

 

 ふと思い立つ。母は大丈夫なのだろうかと。俺はヒーローのことだけじゃなく、その他諸々をメモした紙を学習机の端に貼り付け、自分の部屋を出た。

 

 父に辞書を返した後、リビングに戻ってみると……母は依然泣いていた。姉さんがずっと彼女を慰めながらその背中を撫でていた。

 

 俺の気配にでも気がついたのか、姉さんが振り向く。

 俺に任せてほしい、という意味を込めて頷くと姉さんは申し訳なさそうな顔をしながら母の側を離れた。

 

 二人きりにしてくれたのはありがたい。口下手な俺なりに、母に伝えよう。俺の目指すものを。

 

「……母さん。自分を責めないで」

 

 俺の声に、母は体育座りの姿勢で膝に埋めていた顔を上げた。……涙でぐしゃぐしゃの顔だった。頬には涙が伝った跡があり、目は充血していた。その目には、幼子のような不安が宿っている。

 

 母の涙を拭ってやりながら俺は続けた。

 

「あのね、母さん。俺がここまで強くなろうとしてきたのは、父さんのようなヒーローになる為じゃないんだよ。母さんや姉さん、父さん……。家族や友達を守りたいから。()()()()()()()()()()()()()()になりたいからだ」

 

「俺、思うんだ。ヒーローの形は一つじゃないって。力や資格なんて必ずしも必要じゃない。誰かにとってのヒーローなら、その人は十分なヒーローだ。やり方は違っても、誰だってヒーローになれる。今の父さんはヒーローって仕事に就いてる。でも、母さんにとって、父さんはずっと前からヒーローだったんじゃない?」

 

 涙を拭われながら、母は言葉なくも頷いた。

 

「……そういうことだよ。俺は仕事としてのヒーローに拘らない。俺が目指すのは本当のヒーロー。力も資格もなくったって、誰かの小さな救けになれる人だ。だから、俺の努力次第でどうにでもなる。俺の夢は絶対に潰れない。潰させない。だから、悲しまないで。俺は大丈夫だ」

 

 俺は違和感のないくらいに口角を上げ、目尻を下げて微笑みながら言い切る。

 

 すると、母も空色の瞳をした垂れ目に安堵を浮かべながら、儚げ美人とも言うべき微笑みを浮かべて俺を抱きしめた。

 

「義勇……。義勇は強い子ね……。私のせいで夢が潰れたんじゃないって分かって、安心した。ありがとうね、義勇。貴方は……私のヒーローだよ。本当のね」

 

 母の胸に抱き寄せられた俺が顔を上げてみると、母は再び泣いていた。でも、今度は嬉し泣きだ。

 嬉し泣きだって分かって、俺も物凄く嬉しくなって母を抱きしめ返した。

 

 その後、母は見事に元気を取り戻し、「義勇の誕生日なんだし、今日は鮭大根ね!」と張り切った様子で買い物に出かけた。

 

 彼女を見送った後。"個性"の診断に行ったことでもう一つの収穫があったことを思い出し、俺は青いのシャツの右袖を捲った。

 

 露わになった右腕。その一の腕と二の腕の境目辺りには……()()()()()()()()()()()()()()()()が巻き付いていた。(とぐろ)を巻く蛇……いや、龍のようにして。

 

「"痣"……。何故発現しているんだ……」

 

 その青い紋様は俺にも馴染みがある。前世、俺の左頬に出ていたらしい"痣"そのものだ。

 

 "痣"には発現条件があったはず。全集中の呼吸を一定以上極める、心拍数が二百を超える、体温が三十九度以上になるの三つだ。

 

 そのうち満たしているのは体温だけ。父や母曰く、俺には生まれつき"痣"があったらしい。それで常に体温が高かった為、熱があるのでないか、風邪をひいているのではないかと度々慌てたらしい。とは言え、俺自身には何も異状がないので心配しないよう心がけていたそうだが。

 

 ……非常に申し訳なくなってきた。迷惑かけてごめん、父さん、母さん。

 

 "痣"が発現した者は、身体能力が飛躍的に上がると共に怪我の治りも恐ろしいくらいに早くなる。

 考えてみれば、擦り傷などは鬼さながらの勢いで回復していたな。それに、今世はどれだけ運動しても疲れない。何日でも、ぶっ通しで走れてしまうのではないかと思う程だ。それらも"痣"の影響なのだろう。

 

 因みにだが、"痣"は断じて"個性"ではない。事実、俺の体は寸分の疑いもなく無個性の人間の型だからな。それに……何と言ったか。確か"抹消"という"個性"を消せる"個性"を持つプロヒーローの方に協力を仰いで、その方がいつもやる要領で俺の"個性"を消そうとしたが、"痣"は消えなかったし、体温もそのままだった。それが何よりの証拠だろう。

 それと、寿命が縮む心配もない。理由は知らない。だが、医者によれば心拍数は平常な数値に収まっているらしく、早死にするようなことはないだろうとのことだった。

 

 そうやって生まれつき"痣"があった例は、これまでにもほんの僅かだけならばあるらしく、俺のような体質は"痣者"という名前で登録されているらしい。因みにだが先程話したプロヒーローの方には、"痣者"のことと俺の体の型が無個性の人間の型であることを承知いただいた上で協力を仰いだようだ。……異世界だというのに、俺の生きていた時と同じような現象が起きるのか。いや、もしかすると…………。

 

「――まだ確信は持てないな」

 

 数秒考えた後に呟く。

 

 何にせよ、俺が生まれつき"痣"を発現させ、前世の記憶を持って生まれたのには何か意味があるのかもしれない。

 

 俺は今よりも強くなることを誓いながら、"痣"を覆うようにして右腕を握ったのだった。



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第二話 無個性だからって気にしない

 2日後の月曜日。義勇が幼稚園に向かうと、既に彼が4歳の誕生日を迎えたことを知っている幼稚園の友達は、一斉に彼に詰め寄った。

 

 皆が皆、彼の"個性"が気になって仕方ないらしい。この年頃の子供達は非常に好奇心旺盛。世の中の凡ゆることが気になり、興味を持つ時期なのでこうなるのも当然のことである。

 子供達のみならず、義勇に詰め寄る子供達を諌める先生達も気になっている様子であった。

 

 ――それだけに収まらず、義勇の容姿の良さから浮かぶ、「この人ならばかっこいい"個性"を持つに違いない」という独断と偏見もあるかもしれないが――

 

 そんな彼らに対し、義勇は素直に無個性だと答えた。

 

 すると……。

 

「ええっ?ぎゆう君、むこせーなの?かわいそう!」

 

「"こせい"がないんだって。おもしれー!」

 

「ぎゆう君だけなかまはずれだ!」

 

 子供達の多くが義勇の境遇を笑った。その中には、ごく僅かだが彼に憐れみの目を向ける子供達もいる。彼らは心の底から義勇を可哀想だと思っているだろう。しかし、笑いながらそれを言った子供達は、可哀想だなんて微塵も思っていないのが分かる。

 

 まるで、知っていて当然のことを知らないのを理由に馬鹿にするかのようだ。例えば、箸の握り方や挨拶の仕方だとか。

 

(()()()())

 

 くすくすと笑ってはヒソヒソと話し合う子供達を見ながら、動揺も悔しさも何もない、凪いだ水面のような瞳で義勇は思った。

 

 "個性"を世界総人口の八割が持つようになった。……だから何なのだ。別に"個性"を持つことが義務じゃあるまいし、特殊な能力を持つか持たないか。違いはそこだけで、根本は同じ人間。笑う必要などないはずだ。

 これでは、無個性の人間は障がい者も同然だ。

 

 他人より優れた力を持てば、見せつけたくなる。だからこそ何らかの形でそれを振るう。

 そして、無意識下で自分より優れていない者を見下す。悲しいことだが、感情を持つ以上は避けられない。人間とはそういう生き物だ。

 

 それを何かをきっかけにして気づけるか否か。大事なのはそこである。

 

 「気にすることないわよ、義勇君」と慰めるように義勇の頭を撫でる幼稚園の先生。彼女の暖かみを感じながらも、義勇の瞳は依然凪いでいる。

 

 自分達の言葉になんの反応も示さないのが余程つまらなかったのだろうか。

 

「おい、なにかいえよ!」

 

 義勇を嘲笑っていた子供のうちの一人、ウルフヘアーに獣のような鋭い瞳を持つ少年がずんずんと歩み出てきて、義勇の肩を小突く。

 

 自分の肩を小突いてきた少年を、凪いだ瞳のまま射抜く義勇。

 

 彼は淡々と言った。

 

「無個性で何が悪いの?笑ったり馬鹿にする意味がどこにあるの?無個性の人達だって、皆と同じ人間じゃないか。それに、俺にとっては()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その場にいた全員が口を半開きにし、唖然として義勇の言葉を聞いた。彼の子供とは思えない冷静な反論と、二割ほどしかいないはずの無個性の人間を当たり前だと言う義勇の異端さ。その両方が原因だろう。

 

 勿論、彼が無個性であることを気にしないのは、彼が"個性"が存在しない世界を生きた故だ。

 

 余談だが、義勇の肩を小突いた少年はヒーローになることを夢見ている。しかし、ガキ大将やいじめっ子の気質があり、これまでもヒーローとしては考えられないような"個性"を持つ子供達を揶揄(からか)ってはいじめていた。しかも、なんとまあ卑劣なことにも先生の目が一切ない場合に限って。要するに、普段は猫をかぶっている訳だ。自分がそういうことをしている場面を見た子供達については脅し、先生に言いつけることが出来ないようにしていた。

 だからこそ、自分をものともしない態度を取る義勇が気に入らなかった。

 

「むこせーのくせになまいき言いやがって!"こせい"なんてもっているのがとうぜんだぞ!思い知らせてやる!むこせいは、"こせい"をもつやつの前じゃ、何もできないってことをな!」

 

 そして、彼はたった今……その本性を表した。顔や手があっという間に体毛に覆われ、口が左右に大きく裂ける。鼻は尖り、牙は肉を引きちぎれる程に鋭く。その爪もまた、肉を抉り取れるように鋭利になる。体格も一回り程大きくなったように見える。

 自分の"個性"である、"狼"を発動させたのだ。

 

「おい、お前ら!やっちまうぞ!」

 

 狼少年の呼びかけに応え、更に二人の少年が歩み出てくる。

 

 一人は、その長い髪を後頭部でまとめて一つ結びにした少年。まとめた部分の髪は、何故だか龍の尾を思わせる。ニコニコと浮かべた笑みは偽りの仮面のようでどこか不気味だ。しかし、彼が目を開いた瞬間、その笑みはこれから弱者を痛ぶれることによる狂喜に満ち溢れたものへと変化した。

 同時に、人のものであったはずの右手が瞬く間に龍のそれに入れ替わっていく。"龍爪"。それが彼の"個性"だ。

 

 もう一人は、女性のようにサラサラとした金髪ショートヘアーの少年。彼が人差し指を立てると、その先に蛍の放つ光程の小さな光球が灯る。

 この少年の"個性"は、指先のそれを光線として発射する"レーザー"である。

 

 因みに、3人には共通点がある。それは……"()()"()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「!?ちょっと3人とも、やめて!義勇君は無個性なのよ!?それに、ここでは"個性"を使わないって約束したでしょう?」

 

 保育園の先生も3人を制止しようと声を上げるが、彼らはそんな声が耳にすら入っていないかのように義勇へと歩み寄っていく。耳に入っていないというより、わざと無視しているのだろうが。

 

 何より、無個性を痛ぶることをヒーローらしいことだと勘違いしている。

 それが、義勇にはなんとも腹立たしい。

 

 彼らの他にも義勇の態度が気に入らなかった子供達がいるらしく、その子供達は義勇に歩み寄るいじめっ子達を応援し始めた。

 

「ははは!おい、ぎゆう!お前のみかたはいないってよ!よーし、まかせとけ。なまいきなむこせー野郎は、俺たちがぶっとばすからな!」

 

 観客の歓声を浴びているボクシング選手のように狼少年は拳を掲げる。

 

「義勇君、逃げて!私がなんとかするから!」

 

 子供を守るのもまた大人の義務。幼稚園の先生が義勇を庇うようにして3人の前に立ち塞がるも、やはり止まらない。彼女を傷つけてでも義勇を痛い目に遭わせたいらしい。

 

(とんだマセガキ共だ)

 

 先生に気付かれないほどに小さく、義勇はため息を()く。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 4歳の子供だというのに、ここまで精神が拗れるとは……人間が持たざる力を持った影響は相当らしい。

 

「せんせー、そこをどいてくれよ!俺はぎゆうに現実を分からせたいだけなんだ!」

 

「どく気がないなら、ケガするのは先生だよ」

 

「退かないわ……!ヒーローを目指す貴方達に誰かを傷つけさせる訳にはいかないもの!」

 

「どく気がないのはよくわかったよ、先生。よし、やっちゃおう!」

 

「おう!」

 

 彼らの将来を思って立ち塞がる先生も3人の少年の前では単なる障害物にしか過ぎず、彼らはなんの躊躇もなく"個性"を使っての攻撃を開始する。

 

 金髪の少年は闇の中を駆ける一筋の光のようにレーザーを指先から発射する。

 長い髪を一つ結びにした少年は、龍の手と化した右手を振りかぶる。

 狼少年は床を踏みしめ、狼の驚異的な脚力で一直線に突っ込む。

 

 彼らが行動を開始したのを見た瞬間、義勇もまた反射的に動いた。

 辺りを見回し、ふと目に入った椅子の元まで移動し、それを手にしたまま駆けて先生の前に立つと、椅子を盾にして金髪の少年が放ったレーザーを防ぐ。

 

 この場において自分達を止められる者は誰もいないと確信していた故か、3人は唖然として動きを乱した。

 

 前世、人ならざる者と命のやり取りを交わしてきた義勇がその隙を見逃すはずはない。

 

 一撃目。地面を踏みしめて、狼が塵も同然に見える程の脚力でレーザーを放った少年に近づき、その首に手刀を叩き込む。

 

 二撃目。レーザーを放った少年を床に寝かした後、音も立てることなく龍の爪を振るう少年の背後に立ち、彼の首筋に両側から両手の手刀を叩き込む。

 

 そして、三撃目。狼少年の目の前に立ち、鳩尾に拳を叩き込む……ことなく、寸止めにする。

 

 三撃目を終えるまでのその時間――たった1秒。"痣"によって増加した身体能力。その片鱗を義勇は見せつけた。

 

 "個性"の発動によって生物としての本能が増したのだろうか。唯一、気絶させられることのなかった狼少年は息を荒くして、その瞳を揺るがせていた。義勇から同い年の子供とは思えない気迫と威圧感を感じ取ったのだ。

 

「くぅ〜ん……」

 

 狼のはずなのに、犬のような情けない声を上げて狼少年は尻尾を巻いて逃走した。そして、終いにはロッカーの影に隠れてしまった。

 

「公のルール一つさえ守れん輩がヒーロー志望を名乗るな。腹立たしい」

 

 ヒーローらしさを勘違いした彼らに対する怒り。それを眼光を放たんばかりの鋭い瞳に宿しながら、義勇は拳を鳴らして言う。彼は、怒りのあまりに年相応の振る舞いを忘れていた。

 

 4歳の子供とは思えない義勇の姿に、室内は静まり返るも……その次の瞬間。

 

「ぎ、ぎゆう君……かっこいい!」

 

「凄え!かんぜんにヒーローだったよな!」

 

 戦いというレベルには満たない光景ながらも子供達の興奮を掻き立てるには十分だったらしい。呆然と見守っていた子供達は、目をキラキラと輝かせるようにして笑顔を浮かべると義勇の元に猪のような勢いで押し寄せて、口々に彼を持て囃した。

 

「せんせいを守ったの、かっこよかったよね〜!」

 

「かわいそうだなんて言ってごめんなさい、ぎゆうくん」

 

「ごめんな、なかまはずれとか言って!ぎゆうは悪いやつじゃないもんな!」

 

「う、うん……。謝ってくれたなら、それでいいよ」

 

 詰め寄ってきた子供達に戸惑うような笑みを返す義勇。

 

 子供の単純さというか、純粋さというか。それに驚かざるを得なかった。

 あるヒーローに憧れていたとしても、それよりも強かったり、かっこいいヒーローが現れると子供の好みはより良い方に移りゆく。それを義勇は目の前で体感した。

 

(しかし……裏を返せば、心が綺麗だということか。彼らにはこのままでいてほしいな)

 

 姿は子供でも精神年齢は立派な大人。一人の大人として、義勇は彼らが純粋さを忘れないことを祈った。

 

「あ……。ごめんなさい、先生。椅子、壊しちゃいました……」

 

「えっ?あっ、い、いいのよ。先生を守ってくれてありがとう、義勇君」

 

 その後、子供達の輪から解放された義勇は、先生にレーザーを防いだことで椅子を壊してしまったことを謝罪するのだが……それを壊したことを気にせずに感謝の笑みを向ける先生にとっては、椅子を壊されたことが霞む程に義勇の優れた思考力や体術の方が気掛かりだった。

 

(義勇君のお父さんは「鎮静ヒーロー・凪」だったわね……。きっと英才教育を施されてるのね。彼の行動にも納得がいくわ)

 

 とは言え、彼に前世の記憶があるといった考えが一般人に思いつく訳もなく。義勇の優れた思考力や体術は、現役プロヒーローである彼の父親のおかげなのだと彼女は結論付けた。

 

 

 

 

 

 

 義勇の幼稚園生活は少し異端だ。

 

 どういう点で異端なのか。それは、やはり()()()()()()()という点である。

 

 何しろ義勇は、幼稚園での自由時間……そのほとんどを鍛錬に使うからだ。――ただし、皆と一緒に何かやらねばならない時はそちらを優先するし、昼食や昼寝もしっかり摂る――友達に「遊ぼう」と誘われればその輪の中に入るが、自分からは決して誘うことはしない。

 体に筋肉をつけるというにはまだ早すぎるので、その鍛錬は運動神経を磨くのと体力づくりをするためのものだ。無論、その鍛錬は彼が本物のヒーローになるための将来全てに繋がるものである。

 ――運動神経のいい人は、端的に言えば「自分の体を思うまま自在に操れる人」のこと。運動神経がいいか悪いかは、それをやる上で必要な動きを如何に練習して、脳の神経回路をどれだけ沢山作ったのかで決まる。つまりは、後天的な環境の違いで決まる訳だ。幼い頃から外遊びで様々な動きを経験し、複数のスポーツを楽しむことで動きのバリエーションを蓄えておくことは、凡ゆる運動の基礎となる「神経回路」を育むことに繋がる――

 

 具体的な例を挙げれば、遊具をアスレチックのように利用して動き回ったり、木の枝を木刀代わりに使って水の呼吸の型を舞ったりというような鍛錬を行っていた。

 

 そんな義勇の生活は、ヒーローという職業を目指す中学生や高校生並みのストイックなものにしか見えない。自分が無個性であることが判明してからは、その鍛錬のストイックさは更に増していった。

 日々鍛錬に励む彼を見た幼稚園の子供達は、彼の夢をなんとなく把握した――とは言え、彼らが義勇の目指すものを職業としてのヒーローだと思っているうちは把握し切れているとは言えないのだが――のか、極力邪魔になるようなことは避けていたし、少年達は彼に労りの言葉を掛けたり、尊敬の目を向けるようになった。一方で少女達は、水やら甘いお菓子やら塩飴やら……差し入れを持っていくようになった。

 

 もしかすると、彼女達の中には義勇に心惹かれている子もいたかもしれない。しかし、悲しきかな。義勇は、死後の世界でしのぶと出会い、約束を交わしてから彼女を必ず見つけ出して愛することを決めており、彼女に一途な男だ。故にその恋が叶うことはない。

 とは言え、夢にひたむきな彼の邪魔になってはいけないと思ったのか、仮にそういった子がいたとしても誰一人想いを告げることはなかったのだが。

 

 義勇の生活がそうして異端さを増していく中、彼の生活に本物のヒーローを目指す少年らしさも加わっていく。

 

 義勇の無個性が幼稚園の子供達に知れ渡ったあの日以来。義勇によって一蹴されたいじめっ子達は、義勇の強さを思い知ったのか、はたまた彼に恐れをなしたのかは定かではないが……彼らはいじめや揶揄(からか)いの対象を、世間に(ヴィラン)向けだとか言われたり、ヒーローに相応しくない地味な"個性"を持つ子供達へと戻した。

 

 彼らは今まで通りに先生から隠れて陰湿な行為を続けていたが、その本性を知った義勇が少年達を見逃すはずがなかった。

 

 毎度のことながら、義勇は彼らの間に割って入って理不尽な目に遭う子供達を庇い続けた。

 

 実力行使は最終手段。大抵いじめっ子達を退けたのは、義勇の放った言葉の刃である。

 

「お前達はヒーローになりたいんじゃなかったのか?こんな風に他人をいじめるような真似をする奴らがヒーローになれると思うなよ。考えてもみろ。お前達の憧れるヒーローが(ヴィラン)を相手にして、そいつをいじめるような真似をするか?しないだろう。

そんな行為を続けていれば、いずれ馬鹿にされるのはお前達の方だ」

 

 言葉の刃と言っても、正論という名のそれである。

 

 単に言っても分からないなら、彼らの憧れるヒーロー……具体的な理想像を提示してやればいい。それによって、理想像と自分の違いを明確に認識することになる。無論、それが悪い方向に効果を(もたら)すこともあるのだが、少年達の場合はこうでもしないと止まらない。

 

 言葉が一番の凶器になり得るとはよく言ったものであり、義勇の言葉は少年達の心に深く刻み付けられる。

 無個性の人間にヒーローになれないと遠回しに言われたのが余程悔しかったのか、彼らは感情に身を任せて、義勇に"個性"を使った攻撃を仕掛けてくる。

 

 しかし、結果は分かりきっている。義勇が一撃も彼らの攻撃を喰らうことなく彼らを容易く一蹴してしまうのだ。

 ――そんな日々を繰り返しているうちに、少年達は義勇を「兄貴」と呼び、慕うようになった――

 

 彼らを撃退して終わりではない。いじめられた子供達のケアも忘れずに行う。

 

 口下手な彼なりに子供達を励まし、時間をくれるようにお願いすると帰宅してから世間的な目線における"個性"のいい使い方を調べたり、自分なりに考察したりして子供達に教えることを繰り返した。

 世間から(ヴィラン)向けだとかヒーローに向かないと言われるような子供達にとっては、義勇が自分にとってのヒーローとなったのは言うまでもないだろう。

 

 結論から言うと、義勇の行動は無事に功を奏した。義勇の通う幼稚園からは、徐々に"個性"云々による差別が撲滅されたのだ。幾分かヒーローを夢見る者達として相応しい振る舞いが行えるようになった子供達を見て、義勇はホッとしていた。そして、自分がこれからも彼らにとっての良い目標である為により励まねばと意気込んだ。

 

 そして。義勇の影響が及んだのは、何も子供達だけではない。子供達を送り迎えする親にも言えたことだ。

 

 ある日、こんなことがあった。

 

「冨岡さん、貴方のところのお子さん……無個性なんですってね。可哀想に……。あら?そういえば、冨岡さんご自身も無個性だったかしら?無個性の人から無個性の子が産まれるなんて。義勇君が旦那さんの"個性"を受け継いでいればねえ。義勇君も貴方のことを恨んでいるに違いないわ。

それに反して、私の息子は"レーザー"なんていう"個性"を受け継いで……なんて優秀なのかしら!」

 

 そんな無情な言葉が義勇の母に向けられたのは、その日の帰り。迎えが来た時であった。

 

 義勇の母に向かって無情な言葉を投げた女性は、触り心地の良さそうなサラサラとした金髪ショートヘアーであり、目は水色。まるで西洋人であるかのような美しさであった。因みにだが彼女は……(くだん)のいじめっ子軍団の一人である、サラサラとした金髪ショートヘアーのレーザー少年の母親である。

 

 この頃には、レーザー少年は改心して義勇のことを「兄貴」と慕うようになっていたので、母親の振る舞いに対して複雑というか、恥ずかしいというか……。なんとも表現のし難い顔をしていた。

 

 なんと(たち)の悪い母親だろう。その振る舞いは、まるで子供。自分の得意なゲームでそのゲームをプレイした経験のない相手をボコボコにしてふんぞり返っているかのようだ。

 

 義勇は、その振る舞いを見ながらレーザー少年のいじめっ子気質はこの母親が原因だと確信した。

 

 チラリと母を一瞥してみれば、申し訳なさに満ち溢れた顔をしていた。義勇の視線に気が付いた彼女は心配をかけさせまいとしたのか、彼に笑顔を向けた。しかし、その笑顔にはどこか疲れが見える。彼女としてもあのような言い方をされたくないのだろう。

 

 息子がそんな母親の顔を見て、見過ごすような真似をする訳がない。

 

「無個性だからって何が悪いのでしょうか。俺の母を馬鹿にしないでいただきたい」

 

「え?」

 

 突然ながら義勇は口を挟む。子供である且つ義勇自身に口を挟まれるとは予想だにしなかったのか、レーザー少年の母親は呆けた声を上げて口を半開きにした。

 唖然とした彼女をよそに、義勇の口撃は続く。

 

「貴方が子供の前でそのような態度を取るから、お子さんが他人の"個性"を馬鹿にするような真似をしていたのではないかと。他人と関わりのない頃の子供にとっての一番の手本は親です。当然、生きる為の指標として子は親の言動を真似する。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のですよ」

 

 どこが口下手なんだとツッコまれること間違いなしな口撃を続ける義勇は、レーザー少年の両肩に手を置きながら、怒りを覆い隠す仮面としての役割を果たす貼り付けの笑みを浮かべた。

 

「……ああ、ご安心ください。この子の行動は、俺が責任を持って矯正しました。残るは貴方だけ。そのままでは、お子さんが将来ヒーローになった時に蔑まれますよ。『このヒーローの親は性根が腐っている』って。貴方自身とお子さんの将来の為。是非ともやめていただきたい」

 

 義勇の口から放たれる最後の一撃は、見事にレーザー少年の母親にとどめを刺した。心臓にまで深く刃が突き立つように、彼女の脳裏に深く義勇の言葉が刻み付けられる。

 

 子供は純粋。だからこそ、彼らが悪意なしに放った言葉は誰にとっても――特に大人には、一番ダメージが大きい。

 例を出すなら、実年齢はまだまだ若いのに、見た目や雰囲気のせいで小さい子供に「おじさん」若しくは「おばさん」呼ばわりされた時とか、大人に相応しくないみっともない行為をしていて、子供から「恥ずかしい」や「子供っぽい」といった言葉を言われた時とか。

 

 義勇の笑顔の仮面の下に隠された鬼神のような怒りを感じ取ったのか、レーザー少年の母親は顔を引き攣らせたまま肩を跳ねさせる。

 

「あっ、えーっと……し、失礼します!おほほほ……」

 

 彼女は非常に気まずそうに上品な笑い声を上げながら、レーザー少年を抱えてそそくさと去っていった。

 

 一方で、当のレーザー少年と義勇はというと……二人で笑顔を浮かべ、サムズアップを交わしている。

 

 レーザー少年を見送った後、義勇は自分の母へと笑顔を向ける。

 「大丈夫だよ、俺が守る」と言わんばかりの優しい笑みのおかげで、義勇の母は自分の中にあった自責の念や嘲笑われる日々によって生まれた疲れが消え去っていくのを感じた。

 

「ありがとう、義勇」

 

「父さんがいない時は、俺が母さんを守るように任されてるから」

 

 息子の成長に感極まったのか、母は半開きになった口を両手で覆いながらも目を輝かせ、義勇を抱きしめた。人前ゆえに恥ずかしさもあるものの、義勇の方も素直に彼女を抱きしめ返す。

 

 暖かい親子のやり取りを前にして、保育士達は自分の胸もまた暖かくなっていくのを感じると共に義勇の大人びた対応や精神力に感心せざるを得なかった。

 

 そんな日々が続くこと数ヶ月。義勇に転機が訪れる。



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第三話 今世の親友は女の子

 俺が無個性だと判明してから、四ヶ月と数日が経過した。

 今や季節は6月。5月5日頃から梅雨入りまでの期間が初夏に相当する訳だが、今がまさにそうだろう。昼くらいになると陽光から伝わる暑さが少し鬱陶しく感じてきてしまう。雨の時期も増えてきているし、梅雨入りも近いのだろうな。

 雨の時は雨の時で湿気が多く、心地の良くないじめじめした空気感があるのであまり好きではない。

 

 それに、雨の時だと室内でしか過ごせないのでな。やれることが限られる。いつも体力づくりの為に遊具をアスレチック代わりとしてパルクール(もど)きをやっている訳だが、雨に濡れる中でそれをやっては健康を損なう。

 その分は、元から設けられている大きな体育館代わりのホールで幼稚園の子供達とやる鬼ごっこ辺りで補う他ない。――俺が鬼にいる時には大きなハンデが設けられる為、丁度いい。例えば制限時間30秒とか、俺が捕まえる人数を制限するだとか。何度も本当は無個性ではないんじゃないかと疑われはしたが、その度に体質の影響だと返している――

 後は……それが無い日には、代わりに柔軟運動を行っている。自分の思うがままに体を動かし、より良いコンディションを引き出すには柔軟性も重要だ。それに、余計な怪我をしなくて済むようにもなるからな。

 因みに柔らかさはどれくらいかと言うと……。開脚した状態で床に腕をつけられるくらいだ。

 

 閑話休題。俺が無個性だと判明してからというものの、友達は逆に増えたように思う。

 

 俺の無個性が判明する以前から、保育園の先生方に隠れて(ヴィラン)向けだとかヒーローに向かないと言われがちな"個性"を持った子供達をいじめていたマセガキ軍団は、揃いも揃って俺を「兄貴」と慕うようになった。他の男の子達からも尊敬の目を向けられているような……気がする。――俺自身、自分に慕われるような器はないと思っているのは内緒だ。嬉しくない訳ではないのだがな――

 

 彼らにいじめられている際に庇った子供達ともアドバイスを通して仲良くなったし、更に言えば……最近では、女の子達が鍛錬をする俺に差し入れをくれるようになった。

 

 飴だったり、水だったり……色々な。夏が近づいている今のタイミングだと汗をかいて水分を消耗するし、水は特にありがたい。

 それと塩分も。だから、たまに塩飴なんかを持ってきてくれる心優しい子もいるのは感謝してもしきれない。

 熱中症を防ぐには、水分・塩分……両方の補給を欠かさないように心がけるのが大切だ。スポーツドリンクや経口補水液を飲むとお手軽だが、水やお茶に食塩を少量溶かして飲むのもいいという話も聞いたことがある。

 

 それはそうと……。考えてみれば、俺は皆に与えられてばかりだ。与えられてばかりではいけない。差し入れをくれる彼女達に対して、俺なりに何か返せればいいのだが……どうすればいいのだろう?俺はその辺には疎い自覚がある。姉さんや母さんに聞いてみるのが一番か。

 

 さて。余談はここまでにして、本題に入ろう。

 

 俺達、鬼殺隊の剣士……その中でも"柱"級の強力な剣士になれば、気配で鬼の存在や強さを感知・判別出来るのだが、それは人間においても例外じゃない。

 ――そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 

「……?」

 

 木の枝を木刀代わりにして水の呼吸の型を舞っている最中、俺は何者かの気配を感じ取った。おまけに俺へと向けられた視線も感じる。

 

 水の呼吸の型を順番に舞う中で、参ノ型の流流舞いの構えに入った時に、丁度何者かの気配を感じた俺は動きを止め、蛞蝓のようにして頬を伝う汗を拭った。

 

 気配を感じた方向を振り向けば誰もいない。しかし、気配はある。誰かがそこに居るのは確かなんだ。

 

「誰かいるのか?」

 

 俺が気配を感じた方向に向けて声をかけると……。

 

「なんで分かったの!?」

 

 鈴を転がしたかのような、何とも聞き心地が良く可愛らしい声が聞こえた。恐らくは女の子のものだと思われるが……やはりそこに姿はない。

 

 姿が無いながらも聞こえてきた声に俺が驚愕していると、彼女は「ちょっと待ってて!」という声と共にいそいそと服を着始めた。

 

 ……その中には、どう見ても下着らしきものもある訳で。誰かに言われずとも分かる。彼女は全裸で、何一つも身に纏っていなかったらしい……。

 多分、姿を隠せる類の"個性"の持ち主なのだろうが……姿が見えないとは言え、男の前で堂々と着替えるのは如何なものか……。

 

 男のいる前で平然と着替え始める彼女を見て、俺は唖然として肩を跳ねさせると同時に、顔が熱りを持つ感覚を覚えながら反射的に顔を彼女から逸らした。

 

 赤くした顔を逸らしたところから察したのだろう。

 

「あーっ!きがえてるところ、ちょっと見たでしょ!エッチ!」

 

 女の子(正確にはそう思われる声)は、俺に向けて揶揄(からか)うような物言いをしてくる。

 

「っ、ごめん……そんなつもりはなかった……」

 

 そんな彼女の物言いに、顔を赤くしたままながらも素直に謝って振り向く俺。

 

 振り向いたその瞬間……御伽噺に出てくる姫君のような美しい顔立ちの少女が目に入った。

 その艶やかな黒いロングヘアーは、まるでかぐや姫。顔立ちは、現実的に例えるなら世界三大美女の一人として謳われる楊貴妃。――彼女が楊貴妃の輪廻転生した姿だとか言われても何の違和感もない――俺に最も馴染みのある例えをするなら、しのぶの妖艶な美しさに甘露寺の純粋な可愛らしさを足して2で割った感じだろうか。

 垂れ目と吊り目の中間くらいの目には空色の瞳が宿る。今の天気は晴れ。雲一つない晴天。それが彼女の瞳の中に鏡写しになっているようだった。

 

「ふふ、いいよいいよ。けっきょくは見られてないし。おこってないよ!じょうだん!」

 

 美人の顔立ちながらも白い歯を見せて笑う彼女には、天真爛漫さを感じさせるギャップがある。

 

 彼女は、葉隠透と名乗った。"個性"は"透明化"。光の屈折率を操ることで透明になれるらしい。要は、光の屈折率を操ることが本命ということだな。互いに自己紹介し合った後、葉隠は俺が幼稚園に通っている時に毎日体を動かす理由を尋ねてきた。

 

 それに対し、俺は家族や友達……。身近なものを守る為だと答えた。

 

 俺の答えに対して葉隠がこう思うのも当然なことで――

 

「ぎゆう君は、ヒーローになりたいの?」

 

 小首を傾げ、空色の瞳をこちらに向けながら彼女は訊いた。

 

 俺は首を振る。

 

「俺は、葉隠の思うようなヒーローになりたい訳じゃない。俺がなりたいのは、家族や友達……身近なものにとっての()()()()()()()。讃えられる必要もない。目立って他人を救ける必要もない。俺は、誰かにとっての本当の救いとなれればいい」

 

 彼女の隣に腰を下ろしながら自分にとってのヒーロー像を話して彼女の方を振り仰ぐ。

 

 すると、彼女は空色のくりくりとした瞳を何度も瞬きしていた。

 

 ……4歳の子供には難しい話だろうな。結局、最初にこの話をした母もれっきとした大人だからこそ、俺の理想を理解出来た訳で。今の彼女にはまだ十分な理解力はないだろう。……もしや俺は、失礼なことを考えているのか?

 

 固まったままで瞬きを繰り返す彼女がどうにも可笑しく、俺は失笑しながら笑みを向けた。

 

「まだ葉隠には難しいか」

 

「しょうじき、よくわかんなかった!」

 

 悪びれもなく答える彼女。その素振りから、彼女が心の綺麗な少女であることが(うかが)えた。

 

 しかし。

 

「でもね、かくごがちがうのはよくわかった!」

 

 直後に彼女は美少女に相応しい微笑みを浮かべ、俺にペットボトル入りの水を手渡してきた。

 

 俺が葉隠からペットボトルを受け取り、口に流し込む一方。彼女は立ち上がった。

 

 立ち上がる彼女に視線を向けながら流し込んだ水は、微かな塩の風味がある。どうやら食塩を混ぜた水らしい。

 

「だからこそね、ぎゆう君。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思うの!」

 

 俺が口に流し込んだ水を飲み込むのを待ってから、葉隠は俺に顔を近づけてそう言った。それも俺の進路を提案する進路指導の教師さながらの様子で。

 

 俺が微かに目を見開いて固まる一方で、彼女は続けた。

 

「ともだちやかぞくをまもりたい……。ヒーローになるには、りっぱなりゆうだよ!それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そしたらさ、ぎゆう君みたいにかっこいいヒーローがふえると思うの!」

 

 目の前に広がる空。それを包み込もうとするかのように腕を広げて彼女は言う。

 

「……かっこいいのか、俺は」

 

 ふと俺は呟いた。

 

「うん、かっこいいよ!ぎゆう君がいじめられている子をたすけてること、知ってるもん。だれかのためにつよくなろうとしてるのも、今知った!だれかのためにつよくなるって考え方ね、そうかんたんにできることじゃないと思う!」

 

 呟きに対して、葉隠は可憐に咲き誇る桜のような笑みを浮かべて答えた。そして、ペットボトルを持っていない、俺のもう片方の手を両手で握ってきた。

 

「ぎゆう君、一緒にヒーローになろう!わたしもね、ヒーローになりたいの!見えないところにいる人をたすけるヒーローに!」

 

 「(ヴィラン)をとりしまることもかぞくやともだちをまもることにつながるよ!それに、無個性でヒーローになれたら、無個性の人のきぼうにもなれる!」と付け加える彼女の目は、希望に満ち溢れていて眩しかった。

 

 (ヴィラン)を取り締まることで家族や友達を守る……。無個性の俺が職業のヒーローになって、無個性の人々の希望に……。そうか、そんな考え方もあったのか。

 

 葉隠の発想力に感心した後、俺はペットボトルの水をもう一口流し込んでから立ち上がった。

 

()()()()()()()()()……か。そうだな。本当のヒーローを目指すなら、必要なことか」

 

「それじゃあ……!」

 

 俺の言わんとすることを察したのか、葉隠は年相応に目を輝かせた。

 

「ああ、共に目指そう。ヒーローを」

 

「うん!」

 

 俺と葉隠は笑顔で握手を交わす。それと同時に、俺達の間に金属繊維で出来たかのような固く切れない絆が結ばれたような……気がした。

 

「そうだ、ぎゆう君。葉隠なんてよそよそしいよびかたじゃなくて、透ってよんで!」

 

「!分かった、透」

 

「それでよし!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは、透も体力づくりの特訓に参加するようになった。

 

 ある時は鬼ごっこ、ある時はサッカー、ある時はアスレチックやパルクール感覚で遊具遊び。動ける時に動いて体力づくりを繰り返した。

 

 無論だが、透には"痣"を発現した状態の俺についていける程の身体能力はない。だから、俺の方が彼女の方に合わせるようにしている。

 一人で黙々ときついことをこなすのはあまりにもハード過ぎる。俺は慣れているからいいが、並みの人間がこなすのは無理と断言出来る。しかし、一人では無理だと思うことでも、友達と一緒ならば乗り越えられる気がするものだ。マラソンの時、友達に「一緒に走ろう」と誘うのは、そういった気持ちからもくるのかもしれないな。――そういう時に限って、誘った相手が途中から自分を置いていくというのもあるあるである――

 

 それでもなお、透にとって俺の行う体力づくりがハードであることに変わりはないだろうに……。彼女は必死になって俺に着いてきた。弱音を吐こうが、折れることは決してなかった。透がどれだけ本気でヒーローを目指す気であるのか。それがよく伝わる日々だった。

 

 彼女が俺と共に行う体力づくりに慣れてきたところで、休日には彼女を連れてアスレチックにも出向くようになった。――アスレチックとは言え、子供用のそれである――

 

 アスレチックに通うようになって1週間程が経過した頃。計五つあるアスレチックのうちの一つを終えたところで、肩で息をしながら透が尋ねてきた。

 

「ぎ、義勇君、速いねえ……。本当に無個性なの?」

 

 すっかり5歳の誕生日を迎えた影響で、ほんの少しだけ幼さが抜け始めた喋り方をする透。

 幼稚園児としての時間の終わりが近いことを自覚しながらも、俺は正真正銘の無個性だと答えた。

 

「何度も言っているけど、俺の身体能力は体質の――主に、右腕にある"痣"の影響だ。俺の体質は"痣者"と名付けられた体質らしくてな。生まれつき模様は違えど、これと同じような効果のある紋様を持っている者がそう定義されるって。俺の体の構造はちゃんと無個性の人のそれだし、"()()"()()()()"()()"()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、"()"()()()()()()()。だから、"個性"とはまた違った体質だよ」

 

 そして、右腕に龍のようにして巻きつく"痣"を見せながら説明を加えた。

 「分かりやすく言うなら、寒がりとか暑がりとかいうタイプの体質と同じ」と例えを出すと、透も納得した様子で握り拳で掌をポンと叩く。

 

「成る程!特殊と言えば特殊だけど、"個性"とはまた違う訳か!でも、そっか……体質かあ。無個性でそんなに動けるのが羨ましいなあ……。私、"透明化"無しだと無個性同然だもん。義勇君みたいに動けるようになりたいな……」

 

 透は息を整えてから感心すると同時に、心底羨ましそうに言った。

 

 強くなる為の……他人を救ける為の力を渇望する透を見た俺は、彼女にいつかは"全集中の呼吸"を教えてあげたいと思った。

 

「……無個性が"個性"持ちや俺と同じくらい動けるようになる(すべ)。あるにはある」

 

「ほんと!?」

 

 俺が独り言のようにして言うと透は期待に満ちた目を向けて、その目を輝かせる。

 

 その術とは、"全集中の呼吸"のことだ。しかし、俺は痛い程に分かっている。それを会得するまでに歩む道の辛さが。血反吐を吐く程の鍛錬が必要になるということが。

 

 だから、俺は今一度手を差し伸べながら尋ねた。

 

「透。(すべ)を会得するまでには、血反吐を吐く程の……今以上にきつい鍛錬が必要になるぞ。その(すべ)の為ならば、俺は余計に手を抜けない。俺がスパルタ気質なのは透がよく分かっているはず。……それでも、やる気はあるか?望みは変わらないか?変わらないのなら、俺の手を取ってくれ」

 

 俺の問いに対し数秒間、透は何度も瞬きをした。

 

 とは言え、結論を出すまでには長い時間を要さなかったらしい。

 

「上等だよ」

 

 透は白い歯を見せながらニカッと笑って、左手で俺の差し出した右手を握った。

 出会った頃から変わらない天真爛漫な笑顔。それを浮かべたまま、彼女は言う。

 

「ここに来るまでにハードな道は辿ってきてるもん!やり遂げてみせるよ!」

 

「……ごめん」

 

 ……やはり、俺の鍛錬はきついのだろう。彼女の本気とも冗談ともつかない言い方になんだか申し訳なくなり、俺は謝った。

 

 謝る俺を目にすると、透は慌てたようにして手をブンブンと振りながら「自分で選んだ道だから気にしてない」と言う。

 

 本人がそう言うのならまだいいんだが……今度からはもう少し気にかけてやらないとな……。

 

「さてと……行こっか、義勇君!次のアスレチック!いつまでも休んでられないし、これからもっとハードになるなら今のうちに体力つけとかないと!」

 

「……ああ、そうだな」

 

 額の汗を拭いながら、透は笑みを浮かべた。真夏の日差しのような眩しい笑みを。

 

 本当に日差しに照らされているような気がして、日差しを遮るようにして額に手を添えた俺は、彼女に促されて次のアスレチックの元へと移動を開始した。透の心の強さは尊敬すべき点。俺も見習わなければ。

 

 "全集中の呼吸"……。今世は一度たりとも扱っていないんだが、俺の中には「自分なら使える」という確信がある。扱っていたのは前世のことだというのに。これこそ、体が覚えているというやつなんだろうか。

 

 何にせよ透にこれを教えるのなら、俺自身が使えるようになっておかねば示しがつかない。

 

 時間はまだまだある。教えるべき時が来るまで、俺自身も鍛え上げよう。そして、きちんと使えるようになっておかないとな。更に言えば、透の適正が水の呼吸以外の流派にある可能性も無きにしも非ず。教えられることなら、水の呼吸以外も教えるべきなんだろうが……俺に出来るんだろうか……?

 

 この世に"全集中の呼吸"の資料があるのなら話は別だが、ある訳がない……しな。

 

 とは言え、為せばなるとも言う。水の呼吸を教えれば、透もそこから我流の呼吸を生み出すかもしれない。

 

 気は早いかもしれんが、透の将来が楽しみだな。




最初に会う原作キャラ、親友枠の女の子も葉隠ちゃんに変更となりました!葉隠ちゃんと義勇さんとの絡み、これから楽しみにしていただければと思います。

では、また次回!


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第四話 真実判明

 更に季節が流れた。俺は5歳の誕生日を無事に迎えることができ、順調に幼稚園児の終わりの時期に近づいていた。

 

 俺より誕生日が先である透に至っては、もう6歳だ。6歳ということは、幼稚園で言うと年長組。卒園もそう遠くない。

 

 今の季節は冬。俺が6歳になるのも後二ヶ月程後のことで、それ程長い時間もない。時の流れとは早いものだな。

 

 透も体力づくりを始めたばかりの頃に比べたら途轍もない程に体力が増えた。俺の通う幼稚園では、"個性"を抜きにすれば身体能力は俺の次。何にせよ、同い年の子供達に比べたら頭一つ抜けているのは間違いない。――因みに"個性"ありにした場合は、俺の次に身体能力が優れているのはいじめっ子達の筆頭であった狼少年だ――

 単に体力づくりをするだけではなく。"個性"に頼らずとも強くなることを目指して、色々と武術を習うようにもなった。俺は、水の呼吸の型を体術にも落とし込めるようにボクシングやら空手やら……総合的にやっている。そして、透は合気道。

 

 武術の類は習っておいて損はない。''個性"が全く通じない(ヴィラン)を相手にした場合の戦う術はそれしか残らない訳だからな。戦う術は多少なりとも身に付けておくべきだ。……まあ、"個性"を過信してそれが通じない相手に対しては、すぐに逃げ腰になる愚かなヒーローも多い訳だが。

 

 それらに加えて、俺の場合は肺の増強にも努めるようになった。

 家には、かつて俺が鍛錬を積んだ狭霧山の仕掛けを意識したような障害物やら何やらを置いてもらっているし、呼吸筋を鍛える特殊なマスクを装着したまま運動したりもするし、ペットボトルを使ってお手軽に肺活量の増加を狙ったりもしている。

 ……後、何故だか家に代々伝わるとかいう、瓢箪を使っての鍛錬もやっている。見覚えしかない字で記されたメモ曰く、「これを息を吹き込むだけで破裂させられるのが理想」とのことだ。

 

 その瓢箪を見つけた日から、仮説が生まれた。その仮説は……この"個性"蔓延(はびこ)る社会と俺が生きた世界は全く同じ世界であるということ。

 

 そして、結論から言おう。その仮説は寸分の(たが)いもなく合っていた。……まあ、そのことが意外な形で判明するのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「水の呼吸・弐ノ型、水車」

 

 寒空の下、積もらない程に細かな雪がちらつく中で俺は水の呼吸の型を舞っていた。

 

 何本もの木を模した登り棒の役割も兼ねるポールや、縄に結びつけて己の筋力で、てこのようにして持ち上げる岩、2m程の長さで家の塀くらいの幅の縄。狭霧山での仕掛けをイメージしたような道具の置かれた庭の中で、寒さに負けずに鍛錬を続けていたその時。

 

「義勇〜!寒い中お疲れ様。少し体を暖めたら?」

 

 何度も聞き慣れた、物腰の柔らかさと愛らしさが滲み出た声に振り向くと……薄緑色が基調の長袖のニットと空色のロングスカートに身を包んだ蔦子姉さんの姿が目に入った。彼女の手の中には、白いカップが収められている。そのカップから出ている湯気がその中に注がれているであろう飲み物の温かさを顕著に示していた。

 

「ありがとう、姉さん」

 

 受け取ったカップの中に注がれていたのはココアだった。前世では全く馴染みのない飲み物だが、今世は多少なりとも馴染みがある。

 

 何度か息を吹かして飲みやすい温度に冷ました後に、茶道でお茶を飲む時のようにして一口流し込む。

 

 すると、口の中に優しい甘みと幸せな温もりが広がった。本来のココアは、もう少しビターで大人な味がするはずなのだが……。甘いのは、牛乳が混ぜられている影響だろう。

 

 血流に乗っているかのようにして、体全体――その隅々にまで広がる温もりに浸っていた時だった。

 

「義勇は頑張り屋さんね」

 

「!母さん」

 

 俺を覗き込むようにして現れた母に声をかけられた。視線を上げて振り返ると、ベージュのカーディガンに黒いジーパン姿の母が目に入った。

 

「そんな義勇にプレゼントあげる。これ、使って!」

 

 女神のような慈悲深い笑みを浮かべた母に手渡されたのは、古い書物だった。古いとは言っても、見た目が太古の書物のようにしてボロボロな訳ではない。保存状態は比較的良かったらしく、最近執筆されたものではないのかと疑う程だ。

 

 そして、その表紙を見た瞬間。心臓がまろび出そうになった。

 見つけてはいけないものを見つけた訳ではない。ただ、心臓がまろび出そうになったのは別の意味の驚きがあったからだ。――何故、この書物がここにあるのかという驚きが。

 

 表紙に刻まれた書物のタイトル。その名は……「()()()()」。著者は、()()()()……。つまり、俺自身だった。

 

 忘れる訳がない。この書物は、俺が後世に水の呼吸のことを残そうと考えると同時に、鬼や鬼殺隊のことを子孫達に語り継いでいこうと考えて著したものなんだ。

 

 前世の死に際、妻に「書物を後世にまで遺していってほしい。子供が大きくなったら、鬼や鬼殺隊のことを伝えてくれ」と最期の頼みを伝えた訳だが……どうやら、彼女はやり遂げてくれたようだ。

 

「この本……どこにあったの?」

 

 興味津々な様子で本を覗き込む蔦子姉さんに「姉さんが先に読んでいいよ」と伝えた後で、俺は平然を装って白い息で訊いた。

 

 母は、こちらの心が更に暖かくなりそうな微笑みを浮かべて言った。

 

「この本はね……ずっと勇斗さんが大切にしてきた本なの」

 

 曰く、「水柱ノ書」は父が他の誰にも盗み見されないようにと本棚にしまい、大切にしてきたのだそうだ。しまっている場所も父本人しか知らない。

 恐らくは、父さんが前世の俺と血の繋がった子孫なのだろう。

 

 父も母も書物には一通り目を通しているらしく、鬼、鬼殺隊、水の呼吸……その全てを認知しているとのこと。

 

 では、何故(なにゆえ)に「水柱ノ書」を俺にプレゼントすると母が言ったのか。理由としては、俺が水の呼吸の型を舞っている場面に遭遇したからだそうだ。それを見た父は、もしかしたら俺が偶然にも書物を見つけ出して、わざわざ見つからないようにとそれを読みにきているのではないかと考えたらしい。

 それで、今のうちから書物の内容を理解出来るのなら才能は十分にあると見込んで、父は俺に「水柱ノ書」を引き渡すことを決めた……という経緯だった。

 

 しかし、いくら書物に残っているとは言えども鬼や鬼殺隊のことをここまで信じてくれるというのも珍しい。事実、大正時代における鬼と鬼殺隊の認知度はそれ程高くなかった。強いて言うなら、知っていたのはご高齢の方だったり、一部の警察だったり。他は御伽噺や噂話程度にしか捉えていなかった。

 

 俺だって幽霊みたいな胡散臭い類の話を信じるかと言われれば頷けはしないし……そういうことだ。鬼の存在を知らない、信じないというのも無理はない。

 

「母さんは信じてるの?鬼のこと」

 

 その珍しさもあって、俺は再びココアを口にした後に白い息で尋ねた。

 

 母は、間髪入れずに答えた。

 

「勿論。私も勇斗さんも信じてるよ」

 

 俺の隣に腰掛け、姉さんと一緒になって書物に目を通しながら母は続ける。

 

「義勇。言葉にはね、不思議な力が宿るの。あっ、勿論例外もあるのよ?でもね……『自分なら出来る』って言い聞かせ続けたらいつの間にか出来るようになってたり、『好き』って言い続けたら本当に好きになってたり、『ありがとう』って言ったら言った方も言われた方もあったかい気持ちになるの」

 

「不思議な力……」

 

「そう、不思議な力。言った言葉だけじゃないよ。書いた文章も同じ。それで……義勇と同じ名前の、勇斗さんのご先祖様がお書きになった書物にも力が宿ってる気がするの。一語一句漏らすことなく私達に伝えようとした意志を感じて、ここに記されたことは嘘じゃないんだって……確信にも似た予感がしたのよね」

 

 「そんな風に感じさせてくれる文章が出鱈目な訳がないわ」と付け加えて、母は書物のページをめくっていく。

 

 母が言っていた不思議な力というのは、言霊のことだろう。言葉に宿る霊的な力。霊的な力と言えば曖昧な感じがするが……ある意味、言葉によって現実を形成するのが言霊なのかもしれない。無論、科学的証拠のようなものは明確にはない訳だが。

 

 ある程度書物に目を通し終わったのか、それを閉じた母は再び俺に「水柱ノ書」を手渡しながら悲しげな笑みを浮かべた。

 

「私や勇斗さんには、呼吸を扱える程の才能がなかった。使おうとはしたんだけれどね」

 

 自嘲するように肩をすくめる母を、俺も蔦子姉さんも胸のどこかがチクリと痛むような感覚を覚えながら静かに見守る。

 

 だが、その直後。母は明るい笑みに早変わりして俺の頭を撫でた。

 

「でもね、なんだか義勇ならやれる気がするの。親としての勘なのかな?……どうか、私達の分まで頑張ってね」

 

 母に抱きしめられながら、俺は確信した。俺が励み、夢へと一歩ずつであれど近づいていく。そのことが母にとっての救いなのだと。

 

 俺は、彼女の期待に応える為にも今以上に鍛錬することを誓った。

 

 同時に、これから自分の書いた書物に目を通さなければならないということにほんの少し気恥ずかしさを覚えた。

 

 ……そして。俺には、蔦子姉さんが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を浮かべたことは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あった……!」

 

 「水柱ノ書」を母にプレゼントされてから数日後。

 

 俺は、何千、何万冊もの本が開架されている国立図書館の棚の一角で六割の驚きと四割の喜びを覚えていた。どの棚を見回っても、隙間なくぎっしりと本が並んでいる。背表紙は色とりどりであり、見ていてなんだか楽しかった。探すのは大変であったが、宝物を探すような気分でなんともやりがいがあった。

 前者は、本当にこの本があったのかという驚き。後者は、自身の考察が当たっていたことによる喜びだ。本当にあるのかも分からない噂程度の秘宝を探して海を渡る海賊達は、その秘宝を見つけた時にはこんな気持ちになること間違いなしだろう。

 

 早速、目と鼻の先にある本を三冊取り出した。その本のタイトルは、「忘れ去られしもの」。これらはタイトルが共通していて、更に内容が細分化されている。一つは「鬼殺隊編」、もう一つは「鬼編」、更にもう一つは「"全集中の呼吸"編」。

 

 著者は、産屋敷輝利哉様。つまりは……俺達が長年尊敬してきたお館様こと産屋敷耀哉様のご子息様だ。そして、「"全集中の呼吸"編」に至っては、著者は、あの元"音柱"である宇髄だった。

 

 輝利哉様のお考えや宇髄の考えも恐らくは俺と同じ。鬼や鬼殺隊、そして、その剣士達が受け継いできた技術を後世に伝えようというところだろう。

 

 俺も鬼達には二度と現れてほしくないとは思うが、いつ何が起こるのか分からないのが世の常。もしもの為に知識だけでも(のこ)しておけば、後から対策が立てられる。何せ、"個性"という特異体質が発現するに伴って科学技術も著しく発達しているんだ。擬似的な太陽を作り上げるといったような芸当は不可能ではあるまい。

 

 何にせよ、"全集中の呼吸"に関する書物も残っていたことは感謝しかない。

 

 ――これで、透に水の呼吸以外の流派も教えられる。

 

 そう意気込んだ俺はその三冊以外に暇潰し用の本を二冊手にし、計五冊の本を借りて家に持ち帰ると早速それを読み進めた。

 

 

 

 

 

 

 そういった書物が残っている時点で察しはついていたが……。ここは、俺が生きていた大正時代の遥か先の未来の日本であることが分かった。大雑把に数字で表すとすれば、大正時代は400年くらい前だ。人間の技術の進歩は凄まじいな。

 

 少なくとも、俺達が無惨を討ち取ってから今の時代になるまで、一度も鬼が復活するようなことはなかったらしい。そこは一安心と言うべきか。

 

 ただし、鬼の存在が再び御伽噺となりつつあるのは間違いない。もしかすると、鬼の存在を信じているのは俺の家族以外居ないかもしれない。――蔦子姉さんも、あの書物を読んでから一切疑うことなく鬼の存在を信じていた――

 可能性があるとしたら、炭治郎達が残した子孫達になるが……果たしてどうなんだろうか。縁起の悪いことを言えば、この時代にまで彼らの血筋が続いているとは限らないし、今世の俺が彼らと縁があるとも限らない。

 

 何より、一番怖いのは鬼が出たとしても自分の"個性"で倒せるだとか思っている馬鹿な輩がいないかどうかだ。

 

 正直、鬼達に通用する"個性"があるとしたら、日光を発生させてそれを浴びせるだとか、紫外線を直に照射する"個性"……。そのくらいしか思いつかない。もしも、未だこの世に日輪刀の素材である猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石が存在するのならば、物を創り出す"個性"や腕を金属に変えたりする"個性"なんかも通じるのかもしれないが……。次の問題は、それがこの世に存在するのかになりそうだ。

 

 今はどうなのか分からない。だが、「忘れ去られしもの」の他に借りた本の中には日本や世界の歴史に関する本もあり、それを読んだ限りは……日本は金属類の資材を手に入れることにおいて、海外からの輸入に頼っていた時代もあったようだ。その頃には、日本国内で採れるエネルギー源等の金属は全くなかったらしい。つまり、それらの入手に関しては、他国からの輸入が頼みの綱な訳だ。

 

 そんな状況下で、日輪刀の素材になる猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石が残っている可能性というのはゼロに等しいだろう。猩々緋砂鉄や鉱石の分子構造だとかを把握する技術は大正時代当時はなかったろうしな……。それが分かっていれば、今の技術力で再現も出来るのかもしれないが……。

 

 閑話休題。要するに、だ。鬼が復活した場合、再び悪夢の夜がやってくることはほぼ間違いないということになる。はっきり言うが、俺一人で復活した鬼共を滅ぼすというのは不可能だ。俺にはそこまでの才がない。

 

 ただただ……鬼の存在を信じて、真剣に今ある自分の力が通用するのかを考える人々が多くいること、ヒーローの中に鬼が本当に存在したことを信じる人がいること、鬼という生き物は断じて"個性"の影響を受けたものではないのだということを本当に理解してくれる人がいることを願う他ない。

 

 ……もし、現代の日本でNo.1ヒーローだと謳われるオールマイトが俺の願うような人であったら心強いこと限りないんだが……。

 

 ――駄目だ。考えすぎるのはやめよう。

 

 本を読み進めていく中で、次々と湧き上がってくる靄のような不安。それを手で払って掻き消すかのようにして、俺はかぶりを振った。

 

 それはそうと、鬼に関する書物を読んでいく中で新たなことが分かった。無惨が鬼になった原因は、医者に投与された薬。そして、そこには青色の彼岸花が使われていたとか。――書物の中では、呼び方はほぼそのままだが、青い彼岸花と呼ばれていた――

 

 それが人体に及ぼす影響というのは不明であるものの、その花こそが無惨を鬼へと進化させた鍵なのではないかと輝利哉様はお考えになったようだ。

 俺達も知らない情報。恐らくは、ご先祖様の記録を輝利哉様直々にお調べになったのだろうな。

 

 鬼や世界の状況は分かったが、青い彼岸花はどうなったのだろうか……?

 

 ふと湧き上がったそんな疑問に、俺は衝動的に動いた。

 

 母からパソコンを使う許可を得た後、早速青い彼岸花について検索をかける。

 

 すると、これまた驚きの事実が判明した。

 

 何十、何百年くらい前の話にはなるのだが……。ある植物学者が、研究中に現存していた青い彼岸花を全て枯らしてしまったらしい。それを発見した際、研究の為にその場に咲いていたものを全て採取したようなので、事実上だと青い彼岸花はこの世に存在しないことになる。

 

 青い彼岸花は、一年に二日()しくは三日、日中だけに花を咲かせるという生態をしているとのことだ。そんな珍しい花であれば、人の手の届かない場所や気付かれない場所に存在し続けているという説も否定は出来ないだろう。

 

 もしもこの花が残っていたら?仮説通りにこの花が鬼に進化する為の鍵なのだとしたら?それが、(ヴィラン)などと呼ばれる犯罪者達がいるこの世に残っていたとしたら?

 

 ――鬼の復活。これは免れない。

 

 もしもの事態が起こる可能性がゼロでないのなら、結局のところ安心は出来ないんだ。

 

 今以上に鍛錬を積み、前世を超えなければと改めて思った。

 

 焦りは判断力を鈍らせる。焦りは厳禁だが、もしものことを見据えておくのは悪いことではない。

 

「よし……もう一仕事だ」

 

 自分の知りたいことを知った後は、透の為にも"全集中の呼吸"についてまとめなければ。

 

 再び鉢巻を締めるような思いを胸に、俺は疲労回復用のチョコレートを(かじ)って部屋に戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「義勇〜?部屋にいるの?」

 

 いつの間にやら窓から西日が差して、義勇の部屋の前に立つ蔦子の顔を朱色に照らしている。

 

 昼頃から図書館で借りてきた本を読んでは調べ物をしたりと、義勇が受験生さながらの勢いで彼なりの学習をしていたことを蔦子は知っていた。

 

 義勇が部屋に戻ってから、既に数時間が経過している。長い時間、部屋に籠って顔を見せないとなると流石に心配になるものであり、彼女は義勇の部屋を訪ねて彼の様子を見にきたのだった。

 

 3回、義勇の部屋をノックしてみるも反応がない。

 

(……義勇に何かあったんじゃ……)

 

 頭の芯が痺れるかのような思いになりながらノブに手をかけ、そっとドアを開けてみると……。

 

「あら、寝ちゃってる……」

 

 学習机に腕を乗せ、顔を伏せたままで静かに寝息を立てる義勇の姿が目に入った。

 

 自分の想像していたような事態にはなっていなかったことを知ると、蔦子はホッとした。気が抜けると同時に力まで抜けて、思わず彼女はその場に崩れ落ちてしまう。

 

(もう……こんなに気持ちよさそうに寝ちゃって。お昼からずっと調べ物してたものね。きっと疲れちゃったんだわ)

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やっぱり義勇には自分がついてあげなきゃ、と言わんばかりに胸を張ると、蔦子は義勇のベッドから掛け布団を持ってきて、彼にかけてあげた。

 

 その際に、チラリと義勇が寝ている場所の側に置かれたノートが目に入った。ノートの表紙には、「透へ」と、簡潔にそれを渡すであろう相手の名前だけが書かれている。

 

(透……。ああ、休みの日に一緒にアスレチックに行ったりしてる葉隠ちゃんのことね)

 

 同性の子供達以上に仲のいい少女、葉隠透のことが即座に思い当たった蔦子はいたずらっぽく笑うと、そのノートをパラパラとめくった。

 

 蔦子とて一人の乙女だ。それに、彼女は義勇より6歳年上の少女であり――誕生日云々(うんぬん)の関係で言えば、義勇が6歳を迎えていない今は7歳年上になるが――、現在は12歳。恋愛などに興味を持ち始める年頃である。

 

 自分の弟が最も親しくしてくれている少女に一冊のノートを渡そうとしている。もしかしたら、何か特別なことも書かれているかもしれないと考えた。

 

 微かに期待しながらノートに一通り目を通す蔦子は――

 

「わあ……」

 

 思わず感嘆の声を上げていた。

 

 自分の期待していたようなことは一切書かれていなかったものの、これは感嘆せざるを得ないであろう。

 

 そのノートには、端から端まで几帳面な字で"全集中の呼吸"についてのことがまとめられていた。それを会得するまでの道や、各流派のことなど……。

 

 よくよく見てみると、一部には一度文章を書いた後、消したと思われる跡が残っていた。

 きっと、義勇なりに何度も試行錯誤したのであろう。その結果か、ノートにまとめてあることは"全集中の呼吸"についてほとんど知らない蔦子でも十分に理解が出来た。

 

 消した跡だけでなく、義勇の右手の側面は舞い上がった炭を浴びたかのようにして黒鉛で汚れていた。それも彼が試行錯誤した証拠であると言える。

 

 夢に向かって邁進するのは相変わらずだが、友達の夢の為にも世話を焼ける弟のことを蔦子は誇らしく思った。

 

 満足気に笑顔を浮かべた蔦子は、義勇の耳元にまで顔を近づけると囁いた。

 

「義勇、一人で無理しちゃ駄目よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私に出来ることは少ないかもしれないけど、私は私に出来ることで義勇の力になりたいから」

 

 聞こえなくともいい。いや、聞こえないからこそ蔦子は囁いた。夢に邁進する今の義勇に対し、自分のことで悩んでほしくないから。

 

 囁いた後に、蔦子は暖かさに満ちた母のような微笑みを浮かべて義勇の頭を撫でる。

 

「さてと……義勇がこんなに頑張ってるんだし、ご飯持ってきてあげなきゃね!今日は義勇の好きな鮭大根だし。疲れた体はしっかり休ませてあげないと!」

 

 その後、蔦子は姉らしい世話を焼く為に再び張り切って部屋を出ると、おぼんに出来立ての鮭大根を注いだお椀と彼女が自力で握った、二つの暖かいおにぎりを盛りつけた皿を乗せて義勇の部屋まで運んだ。それらにラップを被せて保温出来るようにした上でメッセージを書いた紙を添えて、義勇を起こさないようにそっと部屋を出た。

 

 ――その心に、これからも義勇を見守り続けることを固く誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!夕方か……」

 

 ふと目を覚ました俺は、瞼を擦りながら体を起こして周りを見回した。窓から差す朱色の陽光。そこから、今の時間は夕方なのだと察した。

 

 どうやら、透に渡す"全集中の呼吸"のノートのまとめを終えた後に少し休もうとしたら、結局は寝てしまったらしい。

 

 伸びをしながら視線を下に移すと、おぼんが机に乗せてあった。そのおぼんの上には、お椀に注がれた鮭大根と皿に乗せられた二つのおにぎりが置かれている。更には、四つに折り曲げられた小さな紙もそこにあった。俺がいつも使っている箸もある。

 

 一番気になった小さな紙に手を伸ばし、それを開いてみると……。そこに書いてあったのは、蔦子姉さんからのメッセージだった。

 「義勇、お疲れ様!今日は義勇の好きな鮭大根よ。美味しいご飯を食べて、ちゃんと体を休めてね♪」という愛しかないメッセージと共に、漫画タッチで描かれた姉さんの可愛らしい自画像があった。

 

「……『P.S. おにぎりは私の手作りよ♪』……か。ありがとう、姉さん」

 

 わざわざ俺の為に手作りのおにぎりまで用意してくれたとは、本当にありがたい。俺は思わず頬を緩めながら感謝した。

 

 用意された皿やお椀にかけられたラップを取ると……白い湯気が上がる。

 

 微笑む程度に緩んでいた頬が更に緩む。それを自覚しながらも、息を吹きかけてある程度冷ましてから鮭大根の汁を口にした。

 

 こんこんと浮く和風の出汁や味噌がよくきいていて非常に美味い。

 

 同時に、優しい温もりと旨味が口の中に広がっていくのが分かった。

 

「ふふ……温かいな……」

 

 体が軽くなり、空に舞い上がってしまいそうな感覚を覚える。

 歳がいくつであろうと、好物は人に安らぎを(もたら)してくれるようだ。変わらずにな。

 

 俺は心が安らぐのを感じながら、夕飯をじっくりと味わった。

 

「……しかし、母さんの作る鮭大根は美味しいな……。今度作り方を聞いておくか。作れるようになって損はないしな。…………()()()()()()()()()()()()()()()()



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第五話 無情な悲劇

「義勇……蔦子……。生きてね……」

 

 肩口から心臓にまで到達してしまった傷。そこから心臓の鼓動に合わせて、ドクドクと泉で湧き続ける水のようにして血を流す母。

 

 彼女の着ている白いTシャツがみるみる内に鮮血に染まり、深紅に染まった部分の面積を広げていく。血が流れれば流れる程に母の顔からは血の気が引いていき、死に瀕する母を嘲笑うかのように彼女の足元には血溜まりが出来て、広がっていく。そして、いつしか彼女は血溜まりの中に倒れ込んだ。

 

 その後ろには母を斬った狂喜に満ちた笑みを浮かべる、イタチのような姿をしているが、両腕が鎌に変化した男が立っている。

 

「お母さん!?お母さん!しっかりして、お母さん!やだよ!死んじゃ駄目!お母さん!!」

 

 涙を次から次へと溢れさせて泣き叫ぶ蔦子姉さんと、母が斬られた瞬間、顔に彼女から噴き出た血を浴びて呆然とする俺。

 

 ――俺達が生きることを願った言葉が、母の最後の言葉だった。程なくして母は事切れてしまった。

 

「お母さん……!お母さん……!いやああああああああっ!!!

 

 母の亡骸の元に駆け寄り、それを抱えて泣き叫ぶ姉さん。

 

 そんな俺達の元に地面を揺らしながら着地し、歩み寄ってくる男がいた。

 

 金髪の男。身長は2mを超え、肉体は筋骨隆々。彼の着ている赤いタンクトップは、ボディービルダーのような逞しい肉体をより際立てていた。

 しかし、攻撃的な笑みと殺意の宿った三白眼は、彼が単なる一般人やヒーローでないことを証明している。

 

 何層もの筋繊維のようなもので覆われた腕は、丸太ほどの太さに変貌していて……右手でヒーローの戦闘服(コスチューム)姿である父の首を鷲掴みにしていた。

 

「ッ、父さん!」

 

 あちこちから血を流し、血だらけの父を見た俺は呆然とした状態から即座に立ち直り、叫んだ。

 

 俺の声が届いても、父は小さく呻くのみ。筋骨隆々の(ヴィラン)らしき男は、口の端を吊り上げて攻撃的な笑みをより深めた。父の両目が開かれることはない。恐らくは……潰されたんだろう。あの(ヴィラン)の攻撃によって。

 

 首を鷲掴みにされたことでろくに声も出せないはずだが、父は声を絞り出した。

 

「逃、げ、ろ……義勇……!蔦子のことは……頼ん、だ……ぞ……」

 

 父が、暗に「自分はここで死ぬ」と言っているのは察しがつく。そうじゃなきゃ、俺に蔦子姉さんを託すようなことはしない。父には蔦子姉さんを守り抜ける程の実力が十分にあるから。

 

 ――別に読唇術(どくしんじゅつ)の心得がある訳でもない。だが、父がその直後に聞こえない程の声で最期の言葉を呟いたことが分かった。

 

「凛……。すぐ、そっちに行くから、な……」

 

 残酷。それでも、愛に溢れた言葉だった。父の耳にも、蔦子姉さんの悲鳴がしっかりと届いてしまったんだろう。目は見えていないだろうが、父は全てを察していた。

 

「そうかそうか、坊主。そこに倒れているのはお前のママか」

 

 ここにきて、一言も口を挟むことのなかった男が口を開き、その表情からは考えられないくらいに穏やかに言った。

 

「んで、俺が鷲掴みにしてるこいつがパパと。はっはっは!信頼されてんなあ、坊主!それにしっかり聞いたぜ!随分と美しい夫婦愛じゃねえか!なあ、凪!!」

 

 愉快そうに笑う男は少しずつ父の首を鷲掴みにする手に力を込めていく。

 

「!やめろ!」

 

 前世、多くの同僚の死に触れてきた俺だからこそ、目の前にいる男が父に対して何をしようとしているのか察しがついた。

 

「!?お父さん……!?お父さんを離してください!」

 

 俺の反射的に上げた叫びに気がついた姉さんも顔を上げ、止まることなく涙の溢れる目で血だらけの父を見た。

 

 俺達の反応を見た筋骨隆々の男は、何やら名案を思いついたかのようにして笑う。

 

「坊主、嬢ちゃん。いいことを教えてやるぜ。(ヴィラン)がなんで(ヴィラン)なんて呼ばれ方されてるか、知ってるか?」

 

 相手が何を言いたいのか意図を図りかねる俺達は、訝しげに男の様子を(うかが)った。

 

 男は、生徒達に授業を教える学校の教師を気取って続ける。

 

「残酷だからだ。卑劣だからだ。そして、無慈悲だからだ。何が言いたいかって?」

 

「やめろとか離せって言われて素直に従ってくれる(ヴィラン)は、いないってことさ!」

 

 そこからは早かった。

 

 何かがへし折れるような音がして、父の体から一気に力が抜けた。

 

 そして、男が手を離すと、ドシャッと音を立てながら父は重力に従って地面に落下した。

 

「お父さん!」

 

 蔦子姉さんが慌てて駆け寄り、父の体を起こそうとするも……父の首は据わっておらず、男は残酷な事実を突きつけた。

 

「無駄だ、嬢ちゃん。嬢ちゃんのパパはもう死んじまった。俺が首の骨をへし折ってやったからな」

 

「う、嘘……。嘘、つかないで……」

 

 信じたくない、と姉さんは首を振りながら、男の言葉を拒絶する。

 

 男は、俺を指差しながら姉さんの拒絶を更に否定した。

 

「いいや、嘘じゃないぜ。見てみな、嬢ちゃん。弟君はテメェらのパパが死んだのを察してるようだぜ?」

 

 涙を流しながら、呆然とこちらを見る姉さんと目が合った。

 

「義勇……」

 

 名前を一言呼ばれた訳だが、姉さんが聞いているのが分かった。本当に父は死んでしまったのか、と。

 

 ……姉さん自身もきっと判ってる。隠したところで意味はないし、俺は今、父の死を誤魔化して姉さんを励ませるような顔をしていないだろう。

 

 だから、唇を噛み締めながらそっと顔を逸らすことしか出来なかった。

 

「な?」

 

 俺の言ったことは正解だったろ、と確認するように男は言う。

 

「そんなっ……。お父さん……!お父さん……!うあああぁぁぁっ…………!」

 

 顔を両手で覆って、姉さんは泣きじゃくった。声にならない声を上げて。

 

 ――いつだって人生は残酷だ。無情だ。現実というものは、まるで神であるかのようにして試練を与えてくる。

 

 だが、それを与える瞬間が何故今なんだ。

 

 俺達は…………ただ、幸せな時間を過ごしていただけだというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し振り返ろう。俺は無事に7歳の誕生日を迎え、7年目の夏が到来した。俺の体力づくりも順調に進んでおり、体が覚えていたおかげもあってか……"全集中の呼吸"も扱えるようになっていた。とは言え、肺の鍛錬が足りず、"常中"には未だ至っていないが。

 

 その日は休日。父もヒーローとしての仕事が休みだったから、家族全員で出かけることになった。

 

 出かけた先はというと、俺達の暮らす場所からだいぶ離れたテーマパークだった。話によればそのテーマパークは、日本で有数の広さに人気度、有名度を誇るらしい。娯楽関係にも疎い俺は詳しいことは知らないが……通称で夢の国と呼ばれたりするんだとか。

 

 実際に行ってみれば、城だとか洋風な街並みに並んだ店だとか、有名なキャラクター達のいる世界に入り込めるアトラクションだったり……まさに、通称通りの空間が広がっていた。

 

 俺自身も精神年齢にそぐわない程についつい楽しんでしまったものだ。

 

 家族皆でアトラクションを楽しみ、時には写真を撮ったりもして一気に思い出が増えた。家族と過ごせる当たり前であれど幸せな時間。これからもそんな時間を過ごせると信じていた矢先。突如、悲劇が訪れた。

 

「はは……テーマパークってのはいいなァ!人がこんなにも、虫のようにうじゃうじゃいやがる!」

 

 テーマパークの中に堂々と入ってきた、明らかに殺意に満ちた集団。そのリーダーらしき、(くだん)の金髪をした筋骨隆々の男が興奮して言った。

 

 見た目もそうだが、言動が怪しさ満載の彼らを遊園地の警備員の方々が逃すはずもない。

 集団が警備員の方々によって連れられていく様子を訝しげに(うかが)っていた俺達だったが……悲劇を避けるには、ここで逃げておくべきだったのかもしれない。

 

「おいおい、人のことを見た目や言動で決めつけてんじゃねえよ。ただ単に見た目が怖えだけで中身がいい奴だったり、口が悪いだけで人の集まる場所を楽しいと思うような奴だったらどうするんだよ?もしそうだったら、あんたは謝罪しなきゃなんねえよなァ!」

 

 酔った人間が突然声を張り上げるかのようにして、警備員に連れられながら男が言う。

 

 警備員の方々も男の意図を図りかねるようにして彼の顔を見た。その次の瞬間――

 

「まあ、()()()()()()()()()()()()。でも残念だったな。たかが警備員じゃ、俺らを止めらんねえぜ!

 

 男は右腕に筋繊維のようなものを纏わせ、丸太のように太くなった腕で側にいた警備員の方を殴りつけた。

 

 殴りつけられた警備員の方は、車に衝突されたかのように勢いよく吹き飛ばされて電柱に激突。頭から血を流し、体を痙攣させていた。

 

 残念だが……彼は即死だったろう。

 

 男の行動に合わせ、周囲にいた数人の人間も行動を開始。腕を蛇に変化させて噛みつかせたり、指先から無数の針を発射したり、鋭い鎌で斬りつけたり……。行動は様々だが、共通して警備員の方々の命を奪った。

 

 言うまでもない。彼らの正体は(ヴィラン)だったのだ。

 

「な、何あれ!?」

 

(ヴィラン)だ!(ヴィラン)が侵入してきたんだ!逃げろ!誰か、ヒーローに通報を!」

 

 俺達の周囲にいる人々は非常事態を認識すると、次々と釣られるようにして散り散りと逃げ始めた。

 

 一斉に人々が逃げ始めたのなら混乱すること間違いなし。まずは、この場の混乱を収める必要がある。

 

 それを心得ている父の行動は早かった。

 

 右腕に装着している腕時計。見た目は腕時計だし、その機能もあるが、父のそれは一味違った。

 父の腕時計は、ヒーローとしての戦闘服(コスチューム)を保管するケースの役割も果たす。父の右手の人差し指の静脈を認識することで父の体に自動で戦闘服(コスチューム)が纏われるようになっているんだ。

 

 ベースは黒い生地のミリタリージャケット。その中に映える、腕に刻まれた色鮮やかな水色のライン。動きやすい材質で、黒い生地の長ズボン。そして、龍の顎を模したマスク。ヒーローとして活動をする時の父の姿だ。

 

 更に。力の入れ方によっては折れたりすることなく、ビルや車をも叩き斬れる程の強度を持つ木刀を右手に握りしめ、一気に肺に空気を取り込んだ父は叫んだ。

 

「鎮静ヒーロー・凪!ここに参上!皆さん、(ヴィラン)は僕が相手をします!奴らが侵入した方向から真反対へ向かってください!!!」

 

 父はランキングの上位には立てないヒーローであるとは言えど、実力だけで言えば上位並み。戦闘服(コスチューム)を纏った父の姿を目にした人々は、先程までのパニック状態から一変。一気に落ち着いて歓声を上げ始めた。

 

「凪だ!凪が来てくれたぞ!」

 

「近くにいる人達って、家族なんじゃないのか?まさか、休暇中だっていうのに俺達の為に……!?」

 

「ありがとう、凪!さあ逃げましょう!」

 

 口々にお礼や激励の言葉を投げかけながら、人々は逃げていく。

 

 多くの人々の命を救けることを優先出来る父の姿は何とも頼もしく、誇らしい。

 

 父の背中に偉大さと誇らしさを覚えていた俺の方を振り向き、父は言う。

 

「義勇、二人のことは任せたぞ。大切な人の命を守れてこそ男だ。父さんの代わりにお姉ちゃんと母さんを守ってあげるんだぞ。……出来るな?」

 

「任せて」

 

 俺は託された。姉さんと母の命を守ることを。余計な言葉は要らない。俺の目から全てを感じ取ってくれたのか、父も頷きを返して(ヴィラン)達の元へと真っ直ぐに向かっていった。

 

「……母さん、姉さん。行こう。父さんなら大丈夫だ」

 

「……そうね」

 

 そして、俺達は父に背中を向け、振り向くことなく避難する人々と同じ方向へと走った。

 

 

 

 

 

 

 無事に逃れられた……。誰もがそう思ったはずだ。だが、油断大敵とはよく言ったものだ。人々は忘れていたんだ。今、幸せな時間を過ごせるはずの場所が悲劇の戦場であることを。

 

「!見えた」

 

 走り続けて何分、何十分が経過したことだろう。先程、(ヴィラン)の集団が侵入してきた入場口とは真反対の方向にある出口が見えてきた。

 

 既にその外に出て戦場を脱出した人もいるし、あと少しで脱出出来るという人もいる。スムーズな避難が出来るように出口で人々を誘導するスタッフの方を見て、姉さんや母も安心していたことだろう。

 

 しかし、その刹那。

 

 ――鋭く、且つ速く。()()()()()()()()()()が俺達の(そば)を通り過ぎていった。

 

 少し遅れて、その風に気が付いた瞬間。

 

「きゃあああっ!?」

 

「な、何が起きて……!?ぐぶっ!?」

 

「あ、貴方!?しっかりして、貴方!」

 

「おかあさん!おきてよ、おかあさん!」

 

 様々な阿鼻叫喚の声が俺達の耳に届く。声の届いた方向を振り向けば、広がっていたのは凄惨な光景。

 

 俺達の周囲にいた人々が、次々と体の何処かから血を噴き出させて倒れていく。

 

 ある人は足を切りつけられたようであった。またある人は腕を切り落とされ、ある人は子供を庇って背中を深く切りつけられ、またある人は首を……!

 

 鬼と戦った末、ある体の部位を欠損させて生き絶えた鬼殺隊士の姿を何度も見たことがあった俺は、己の心臓の鼓動が早くなって戦慄を感じただけであったが……。

 

「ううっ……」

 

「!姉さん!」

 

 こんな凄惨な光景を見慣れていない蔦子姉さんは、吐き気を催したようで口元を押さえながら膝から地面に崩れ落ちてしまった。それは母も同じことで、これまで培ってきた精神力でなんとか持ち堪えているようだが顔色が悪かった。

 

「……母さん、姉さんをお願い」

 

「え、ええ」

 

 姉さんのことを母に任せ、俺は再び目の前の光景に目を向けた。

 

 原因は分かりきっている。俺達の(そば)を通り過ぎた、風を纏った何かだ。

 

 現に母や姉さん、周辺の人々、スタッフの方々や警備員の方々以外の気配がこの周囲を高速で移動していた。

 

 常人からすれば目に見えない速度で移動していると思われるだろうが、俺にとってはそうではない。その気配の移動速度は、十二鬼月に等しい実力を持つ野良の鬼にも満たないのだから。

 "個性"という超能力に等しい体質を持てど、人間の域を出られない訳だ。

 

 気配の動き方から奴の行先を予測。そして、その動きを目で追っていく中――

 

 ――そこだ。

 

 遂に、俺の目は風を纏って移動する何かの正体を捉えた。

 

 その姿はまさに異形。人間であるに違いないはずだが、白い体毛を持つイタチのような姿をしていた。しかし、その両腕や尾の先は鋭利な鎌に変化していた。人を殺せる、若しくは傷つけられる喜びに満ちた顔をしている(ヴィラン)の姿を見ていて、鎌鼬(かまいたち)という単語が浮かんできた。

 ……何らかの方法で父から逃れてきたのだろう。父に何かあったのではないかと不安が過ぎった。

 

 直後、イタチのような姿の(ヴィラン)は動きを止めた。鮮血のついた鎌を満足そうに見ながら舌舐めずりし、暗殺者さながらの様子でその血を舐めとっていく。押し寄せた吐き気を解放してしまうことで幾分か調子を取り戻したらしい蔦子姉さんと彼女の背中をさすっていた母もその行動を呆然と見ていた。

 

 そんな狂ったような行動をする(ヴィラン)を見つめていた俺達の視線に気が付いたのだろう。血を舐めとるのを中断し、嬉しそうに笑った。

 

「こんなところに無傷の獲物が三人もいやがった。その内の二人は女。しかも、子供も二人。こいつは……いい恐怖の顔が見れて、心地良い悲鳴が聞けそうだな!」

 

 口の端を吊り上げて狂喜の笑みを浮かべたイタチ姿の(ヴィラン)は地面を蹴り、鋭い風を纏ってこちらに向かって肉迫してきた。

 

 俺は既にその速度を見切っている。姉さんと母を守る為に前に出ようとしたが……出来なかった。

 何故なら。俺が行動に出る前に、母が俺と姉さんを庇うように抱きしめたからだ。当然だ。これが親としての立派な行動なのだから。親なら誰だってこうする。

 

「うっ!?」

 

「「母さん!!!」」

 

 だが、そのせいで母は足を鋭い鎌で切られてしまった。しかも切られた場所は両足の腱。深く切りつけられたせいもあってか、母は立つことさえも不可能な状態になってしまった。

 

 額に滲み、蛞蝓のようにゆっくりと垂れてくる脂汗。それを見た俺と姉さんは同時に声を張り上げる。

 

「ヒャハハハ!これで動けねえよな!?楽しませてもらうぜ!」

 

 一度過ぎ去った風が、進路を変えて再び襲い来る。

 

 次に切りつけられる位置を本能的に察したのだろうか。母は抱きしめた俺達を解放し、思い切り突き飛ばした。

 

「ううっ!?」

 

 突き飛ばされる中で、母の脇腹から背中にかけてが大きく切りつけられたのが見えた。

 

「母さん……!やめて!一緒に逃げよう!」

 

「駄目だ、姉さん!」

 

 母が傷ついていく姿が耐えられず、蔦子姉さんは俺の制止の声も耳に入らないままに涙で瞳を潤ませ、母に駆け寄った。

 

 当然ながら、俺も姉さんの後を追う。

 

「私のことはいいから……二人だけでも逃げて……!」

 

「やだ……!お母さんを見捨てるなんて、出来ないよ……!」

 

 俺達を逃がそうとする母と、母も連れて逃げたい姉さん。俺としては両方の望みを実現したい。

 

 だが、現実は非情。俺の理想は呆気なく崩れ去る。

 

「ッ、姉さんッ!!!!!」

 

 幽霊のようにして、音も立てずにゆらりと姉さんの背後に佇むイタチ姿の(ヴィラン)を目にした俺は、迫真の叫びを上げた。

 

 姉さんが慌てて振り向いた時には、既に(ヴィラン)が振り(かざ)した鎌を振り下ろし始めているところだった。

 

 地面を踏み込んで跳躍する勢いで飛び込もうと間に合わない!ならば、確実に間に合わせる方法は……っ!

 

 ――これだ!

 

「届け……っ!」

 

 気合の一投。俺は、即座に道端に転がっていた小石を野球ボールを投げるようにして全力で投げた。投げた軌道としてはストレートが一番近い。

 

 咄嗟に"全集中の呼吸"で強化した身体能力を上乗せして放った小石は、砲弾のような勢いでイタチ姿の(ヴィラン)の眉間に一直線に突き進み、姉さんに鎌が到達するよりも前にそこを撃ち抜いた。

 

「あぐっ!?」

 

 注意の外から炸裂した不意打ちは、奴を退け反らせた。奴の眉間が切れ、鮮血が垂れる。猛烈な痛みが残っているであろう眉間を鎌から元に戻った手で押さえ、その掌には血が付く。

 

 眉間を押さえてのたうち回った後、奴は恐る恐る掌を見た。そして、3秒程硬直した後に鬼のような憤怒に満ちた表情に変わった。

 

「この、クソガキィィィ……!殺せると確信した瞬間に邪魔しやがって!いいぜ、お前から先に殺してやろうじゃねェか!!!」

 

 顔中に青筋を浮かべながら、イタチ姿の(ヴィラン)が肉迫してくる。先程までのスピードとは比べ物にならない。怒りもまた人に膨大な力を与えるというのは本当らしい。

 

 奴との距離が詰まる。残り約1mで両腕を鎌に変えてきた。

 

 残り約30cm。鎌を先にへし折ることを決め、俺は構えを取った。

 

 残り約10cm。()()()()()()()()()()()()が聞こえ、俺の視界に影が出来る。

 

 残り約5cm。咄嗟に顔を上げる。涙で瞳を潤ませながら、慈愛の女神のように微笑む母が目に入った。

 

 残り約3cm。「駄目だ!退いてくれ、母さん!」と言いかけるよりも前に、母が言った。

 

 

 

 

 

 

「……愛してるよ、義勇」

 

 

 

 

 

 

 ――と。

 

 ――残り0cm。母の肩口から心臓部にかけてを、奴の鎌が深く切りつけた。

 

 壊れた間欠泉のように血が噴き出す。噴き出した血が俺の顔に浴びせられる。

 

「母……さん……!」

 

 なんとか絞り出した声は震える。鎌が静かに引き抜かれると同時に、母は口から血を吐いた。

 

 ――死とは、時に人間の隠された力を引き出す。生き残る為に必要な力を引き出す為に、掛けていた鍵を取り外すんだ。鍵を掛けているのは、普段は必要としない力だから。

 

 母の場合は、その力は俺の死を想像したことで引き出されたんだろう。

 

 分かってる。全部分かってる。俺の耳には前世から聞き慣れた、()()()()()()()()()が聞こえた。あれは、水の呼吸の型を繰り出す際の呼吸音。

 

 ……奇跡を起こしたんだ。本来は呼吸を扱える程の才能は無かった母だったが、引き出された力は彼女に呼吸を扱う才能を与えた。

 

 確かにそれは奇跡かもしれない。だが、俺達にとっては間違いなく――残酷でしかない奇跡だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そうだ。そして、母は最期の言葉を俺達に告げ、程なくして死んでしまったのだ。

 更にたった今、父も死んだ。

 

 父の亡骸を抱え、胸元に顔を埋めるようにして泣きじゃくる蔦子姉さんを庇うようにして、俺は立つ。

 

 母を死なせてしまった己の未熟に対する怒りが小さな炎となって宿りつつある中、俺は何よりも疑問に思うことがある。

 

 父が負けたことだ。父はトップヒーロー達からも一目置かれ、尊敬される程の実力の持ち主だったのだ。相手の(ヴィラン)は、気配から考えれば父のそれよりも未熟で弱い。

 負けたことには何か理由がある。何かがあったとしか思えない。

 

「――何があったんだ、父さん」

 

 唇を噛み締めながら訊いても、父は答えてくれない。

 

 生きる気力の失せた、虚な目を俺達に向けるだけだ……。



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第六話 マスキュラー

 少し時間を遡ろう。

 

 ――冨岡勇斗。前世の義勇にそっくりな姿をした、今世の彼の父親である。また、現役のプロヒーローで「鎮静ヒーロー・凪」として日々活動している。

 

 普段はどこかほんわかとした天然というような印象がある美青年だが、ヒーローとして活動する時にはクールに徹して普段の彼からは想像も出来ない程の覇気を発する。そのギャップもまた、彼がプロヒーローとして人気を博する理由だ。

 

 過去一年間の事件解決数、社会貢献度、国民の支持率などを集計することでランキングとして順序付けて発表する番付、ヒーロービルボードチャートJPにおける順位は、大抵40位から50位以内とそこそこのもの。――とは言え、ヒーロー飽和社会と言われてごまんとヒーローの溢れる今の社会で言えば、十分上位にいるのだが――

 

 しかし。繰り返すようではあるが、「鎮静ヒーロー・凪」は単純な実力面ではトップヒーロー達から一目置かれる程なのだ。無論、"真のヒーロー"足り得る者達からは、彼がヒーロー活動に賭ける熱意も評価されている。

 どのようなヒーローから一目置かれているのかという例を挙げるとするなら、不動のNo.1ヒーローであるオールマイトや、勇斗より10歳年下ながらもトップ10以内に上り詰めつつあるベストジーニスト、必ずや20位以内にランキング入りを果たす11歳年下のギャングオルカ、山岳救助などを得意としてメキメキ実力を伸ばし、キャリアを積みつつあるヒーローチーム、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの面々といったヒーロー達である。勿論だが、彼を尊敬するヒーロー達はそれだけに留まらない。市民だってそうだ。

 

 言わば、彼は縁の下の力持ち。オールマイトがいるから大丈夫だなんて考える愚かなヒーロー達もいる中、彼は決して安心することなく常に己を高め続けている。そんな真面目な人物でもある。彼が居なければ、今のヒーロー社会はもっと酷い有様になっていた……かもしれない。

 

 そんな彼が今回の事件を引き起こした(ヴィラン)に負けるような道理はない。しかし、それは相手が正々堂々と向かってきた場合の話。あくまで(ヴィラン)は、卑劣且つ非道なやり方で野望を成すことを好むのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マスキュラー、ここからは僕が相手だ」

 

「おおっ!誰かと思えば、凪じゃねえか!会いたかったぜ!」

 

「会いたいと思うのはお前だけだ」

 

 勇斗は超硬質の木刀を構えながら、相手を穿ち抜かんと狙いを定める狙撃手のような鋭い瞳で赤いタンクトップを着て筋骨隆々な肉体を見せつけている金髪の(ヴィラン)……更に言えば、(ヴィラン)の集団のリーダー格の男を睨みつける。

 

 相手の筋骨隆々な男は、睨みつけられようが怯みもしない。その言葉通り、勇斗に出会えて嬉しいと言わんばかりに狂喜の笑みを浮かべた。

 

 このボディービルダーのように(たくま)しい肉体を見せつけ、常に攻撃的な笑みを浮かべるこの男はれっきとした(ヴィラン)だ。しかも、勇斗とはそれなりに因縁がある。その行方を追い続けて三年。邂逅した回数は100回を軽く超えている。かつては無名の(ヴィラン)でしか無かったこの男にも、ヒーローネームのようにして(ヴィラン)ネームがついた。

 

 (ヴィラン)ネーム、マスキュラー――通称、"血狂いマスキュラー"。指名手配中の凶悪犯であり、その人格は残忍且つ凶悪。"個性"である"筋肉増強"を用いて他人を嗜虐的に嬲り殺すことに快楽を見出すという危険人物で、典型的なシリアルキラーだ。その人格故か、最近ではテーマパークや動物園など沢山の人が集まる場所に出没することが多い。

 

 そんな遊園地などのような場所に堂々と出没すれば、呆気なく捕まるはずではないのかと誰もが思うはず。だが、この男は一味違った。生まれながらにして強力な"個性"に恵まれたのだ。

 

 マスキュラーの"個性"、"筋肉増強"は自らの筋繊維を増幅したり、体の内外に纏うことで筋力を増強するブースト系の"個性"だ。単に筋力が増加するだけでは留まらない。大量の筋肉で体外を覆えば強固な肉壁を形成することも出来る。

 

 これぞ、まさに攻防一体の強個性。更に言えば彼の殺意に応じて増強の効果はみるみる増していく。彼の殺意と同じように、その効果は限界を知らない。

 

 このような強個性に恵まれたマスキュラーは、これまで己を取り締まる為にやってきたヒーロー達を(ことごと)く嬲り殺してきたのだ。そんな中で、凪は淡々と己を迎え撃ってきた。これまでに何度も。

 そして、その実力に圧されて、マスキュラーは何度も逃走を余儀なくされている。ヒーロー達を嬲り殺しにしてきた彼からすれば、唯一の強敵。言わば好敵手のようなもの。いつの間にか、彼は凪と戦うことに楽しみを覚えていた。

 

 だから、こうして凪と対面する日を楽しみにしていたし、会えたことが嬉しい。マスキュラーは、ヒーローに憧れた幼い子供のような興奮した気分になっていた。

 

「そろそろ終わらせよう。因縁と悪夢を。お前はここで捕らえる」

 

「やれるもんならやってみやがれェェェ!!!」

 

 因縁の対決が幕を開ける。まず、マスキュラーは小手調べとばかりに、そばにいた下っ端の(ヴィラン)達を全て勇斗に向けてけしかけた。

 

「先手必勝、遠距離攻撃だ!」

 

 勇斗の間合いの外から攻撃出来る(ヴィラン)達が先手を仕掛ける。

 

 一人は腕を猛毒を持つ蛇に変化させて伸ばし、もう一人は指先から無数の針を発射した。

 

 勇斗は動じない。蛇よりも遥かに上の速度で迫る針の軌道を正確に読み、木刀を振るって一つ残らずはたき落とした。

 

 更に迫り来る蛇の首を片手で鷲掴みにすると蛇の首を絞める勢いでそこを両手で握り、ハンマー投げの選手のように己の足を軸にして回転していく。

 

 そして、ダイナミックスイングの要領で遠心力をつけ、腕を蛇に変化させる"個性"を持つ(ヴィラン)を大胆に投げ飛ばした。

 

 投げ飛ばされた(ヴィラン)は、目を回しながら針を発射した(ヴィラン)の元へと一直線に吹き飛んでいく。

 

 空中を吹き飛んでいく彼に、体勢を立て直す術は無かった。

 

 既に追撃の為に発射されていた針をその体に受けながら、腕を蛇に変化させる(ヴィラン)は針を発射する(ヴィラン)と激突。次々と衝撃が伝わって連鎖的に倒れていくドミノのように二人して地面に倒れた。

 

「お、おいっ!退け!」

 

「煩え!好きでやってるんじゃねえんだぞ!」

 

 地面に倒れた(ヴィラン)達は、子供のように口だけを動かして口論を繰り広げる。終いには互いにもみ合うようにして喧嘩を始めた。

 

 敵対する相手がすぐ側にいる中で大々的に隙を見せるとは、なんと愚かなことだろうか。戦闘の心得を何も分かっていない。今が戦国時代なら、あのようにして作戦のことで揉め合っている内に、敵軍によって一気に攻め落とされてしまうことだろう。

 

 勇斗は彼らの隙を見逃さない。彼らが揉め合っている内に、その寸前にまで肉迫。

 

 そして、やっとのことで立ち上がった彼らの脳天に――

 

「ふっ!」

 

 鋭く爆発させるように息を吐き出しながら超硬質の木刀を振り下ろし、叩きつけた。

 

 その木刀は、ビルや車でさえも叩き斬れる程の強度を持つ。例えるのなら、タングステンで出来た鋼鉄の棒を脳天に叩きつけられたようなもの。脳震盪を起こして気絶するのは当然だ。流血しないだけマシである。

 

 呆気なく気絶した二人の(ヴィラン)。白目をむいて泡を吹いている彼らを見た、龍に似た神経質な黄色い瞳を持つ黒髪の(ヴィラン)は一瞬怯むも、その直後に顔を龍のそれに変化させて炎を吐き出してきた。

 

 炎を防ぐために、勇斗は"凪"を使用して無のエネルギーを放出する。そして、それを強固であれど、薄く透明な長方形の障壁に変化させて、炎を防いだ。

 

 炎を防がれたことに相手が戸惑っている間に、勇斗は障壁に掌底打ちを叩き込む。彼の放った掌底打ちの衝撃に乗せられ、障壁は一直線に龍の顔をした(ヴィラン)の元へと突き進んでいく。

 

「へぶっ!?」

 

 壁に勢いよく投げつけられ、形を崩したスライムのようにしてぶつかってきた障壁にへばりつく(ヴィラン)

 

 家の窓に張り付いたヤモリのような間抜けな格好をしたままで吹き飛んでいき、彼はテーマパークの広大な通路の脇にある木に激突して気を失った。

 

 更に、顔を龍のそれに変化させた(ヴィラン)の敵討ちと言わんばかりに霧のように揺らめく白い髪をした(ヴィラン)が立ちはだかる。

 

 その敵は、体を霧状に変化させて霧散した。その次の瞬間、霧が実体化して子供程の背丈に縮んだ姿で彼が再び姿を現す。その数は30を優に超えていた。

 

『いくぞォォォ!!!!!』

 

 30人に増加した(ヴィラン)達は、敵陣に攻め込む武将のような猛々しい雄叫びを上げて一斉に勇斗目掛けて飛びかかる。

 

 勇斗の姿は一瞬の内に彼らの群れに覆い隠されて見えなくなり、彼は数の暴力に打ちのめされた――かに思われたが。

 

「おおおぉぉぉっ!!!」

 

『ぎゃあっ!?』

 

 次の瞬間に発せられたのは、勇斗の猛々しい叫び。同時に分身達が次々と吹き飛ばされて消えていく。

 超硬質の木刀による乱打。それによって、勇斗は数の暴力を退けたのだ。

 

 分身が消えることで、自然と本体が残る。本体が元の大きさに戻った瞬間。その鳩尾に振るわれるのは、超硬質の木刀。

 野球ボールを打つ際に振われるバットのような勢いで迫る木刀は霧に変化する(ヴィラン)を見事に捉え、野球ボールさながらの勢いで吹き飛ばした。

 

 鳩尾に木刀の殴打を喰らった(ヴィラン)は、肺の中の空気を悉く吐き出させられるとゴロゴロと地面を転がって、こちらもまた呆気なく気絶した。

 

「グルルルルルル……!ガオオォォォォ!!!」

 

 いつの間に変化したのだろうか。虎の姿をした(ヴィラン)が、その顔を憤怒に歪ませて猛然と迫り来る。

 突進しながら、その鋭い牙を勇斗に見せつけていた。その腕を、足を、肉を……全てを喰い千切らんばかりに。

 

 クールという名の仮面を被り、動揺を映さない勇斗の瞳が虎の姿をした(ヴィラン)を射抜く。

 

 鋭い眼光を発するかのような瞳は、虎の姿をした(ヴィラン)に己が捕食される側に置かれたかのように錯覚させた。虎……即ち、捕食者であるのは自分の方だというのに。

 

 その錯覚が、(ヴィラン)の突進の勢いを弱めた。結果、勇斗の繰り出したボディーブローがその土手っ腹を捉えることとなる。

 腹を強打されて穴の空いた風船のように抜けていく肺の中の空気と、噴火が近づくにあたって押しあがってくるマグマのように口から溢れ出す涎。勇斗のボディーブローによって、(ヴィラン)は完全に動きを止めた。

 

 そして、体勢を低くした状態でその懐に潜り込んだ勇斗は、体の可動範囲をフルに活用して強烈なアッパーを繰り出す。

 アッパーの炸裂した場所は、虎の姿をした(ヴィラン)の顎。人間の急所の一つを見事に打ち抜いた。

 

 体は虎であれど、元は人間。急所は同じであり、空中に浮き上がりながら脳震盪を起こして気絶した。何度か体を地面に打ち付けてから気絶する(ヴィラン)を確認すると、勇斗の目線は次の標的へと移る。

 

 目線の先には、ボキボキと拳を鳴らしながら期待と殺意に満ちた笑みを浮かべるマスキュラーの姿がある。下っ端がやられようが、知ったことではないらしい。そういった振る舞いもまた、彼が単なる小物の(ヴィラン)ではないことを顕著に表している。

 これからお前を自慢の拳で殴りつけると言わんばかりに両肩をぐるぐると回してほぐすと、彼は深く腰を落とした。

 

「まあ、そうこなくちゃ面白くねェよな……!いくぜ、凪!」

 

「今度こそ……血ィ見せろやァァァァァ!!!!!」

 

 猪どころではない。時速60kmの自動車並みの勢いでマスキュラーは突進してくる。足に筋繊維を纏わせることで筋力を増した状態の突進は、凄まじい威力を発揮する。衝突されてしまえば骨折すること間違いなしだろう。

 

 両手の薬指と小指を折り曲げて掌につけ、それ以外の指は立てたままで手根同士を合わせるという如何にも不思議な構えを取った勇斗は、"凪"を使用して無のエネルギーを発生させる。そして、車のコーティングを行うようにしてマスキュラーの周囲に無のエネルギーを纏わせた。

 

「ん?何をしてるってんだ……ッ!?」

 

 特にダメージもない為、マスキュラーは平然と笑っていた。しかし、その三秒後には目を見開くこととなる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。目の前に行く手を遮る巨大な壁がある訳でもないし、向かい風が強く吹きつけている訳でもない。それなのに速度が低下していき、最後には停止した。

 

「っぐぅぅぅっ……!何なんだ、こいつはよォ!」

 

 空中を泳ぐかのように、マスキュラーは必死に手足をバタつかせる。無論、これは勇斗がマスキュラーの周囲に纏わせた無のエネルギーによる影響である。エネルギーが、増加した足の筋力や地面を蹴った際に生まれた力……。その全てを鎮静化して打ち消したのだ。

 因みにだが、纏わせたエネルギーは勇斗本人が打撃を叩き込むなどして直接干渉するまで消え去ることはない。マスキュラーがどれだけ抵抗しようが無駄なのだ。

 

 空中でバタつく滑稽な姿となったマスキュラーに向けて、勇斗は必殺の一撃を叩き込む。

 

「波濤打ち・(みだれ)

 

 自分の意識を凪ぎ、擬似的な無意識状態になることで脊髄反射に身を任せた無数の乱打を繰り出す。嵐の中の海で激しく巻き起こる波を彷彿とさせる威力と勢い。「波濤」の名がついているのはそれが理由だ。

 

「あぶぎゃあっ!?」

 

 無意識下で行われる動きこそが最も速度を発揮する。これまでも何とか勇斗と渡り合ってきたレベルの実力しかないマスキュラーが、無意識下における勇斗の攻撃を見切れる訳がなかった。

 

 顔や体のあちこちに痣や赤く腫れた部分の出来たマスキュラーは、超硬質の木刀による乱打の痛みを打ち消すようにして、駄々をこねる子供のように地面をゴロゴロとのたうち回る。

 

 しかし、その痛みが痛みであったのはたった数秒のこと。時間が過ぎれば、それは対峙する相手の強さの証明へと変化する。更に、その強さの証明はマスキュラーの中で喜びと相手を殺すという行動のやりがいへと昇華する。

 

 だからこそ――マスキュラーは、口の端を吊り上げて笑っていた。白い歯を見せて、殺意に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「……狂っているな」

 

 勇斗の頬を一滴の冷や汗が伝う。無意識のうちにそんな呟きが口から溢れ出た。油断もなく、再び木刀を構える中……勇斗の視界にコソコソとこの場から逃げ出そうとする(ヴィラン)の姿が目に入った。

 

 その姿は、端的に言えば白いイタチ。しかし、その尻尾の先には鋭く大きな鎌がある。

 

(逃がすか!)

 

 自分の後ろにたった一人であろうと(ヴィラン)を通す訳にはいかない。白いイタチ姿の(ヴィラン)を追いかけようとする勇斗であったが――そうは問屋が卸さなかった。

 

「おい、待てよ!そうはいかねえぞ!凪、お前の相手はこの俺だからなァ!!!」

 

 勇斗が直接干渉したことで、マスキュラーの体に纏われていたエネルギーが消滅した。結果、マスキュラーは満足に体を動かせるようになった。

 

 満足に攻撃を叩き込めず、不完全燃焼状態であった彼は更に奮起する。足の筋力を増加させることで再び勇斗に向けて肉迫。

 

 勇斗は、先程と同じようにエネルギーを纏わせようと構えを取るが……出来なかった。

 

 何故ならば、彼が構えを取ると同時にマスキュラーがもう一度地面を踏み込み、更に筋力を増加させて砲弾のように突っ込んできたからだ。

 

 エネルギーを纏わせられる?それならば、纏わせられるよりも速く相手の元に辿り着けばいい。……マスキュラーが出した結論は単純だった。

 

 更にマスキュラーは考える。こっそりと隠しておいたもう一人の下っ端……即ち、白いイタチ姿の(ヴィラン)。彼を逃がしたいのなら、時間を稼げばいい。稼ぐ為に、自分の対処に時間をかけさせればいい。

 

 それならば――

 

「こうするのが、最適だってもんだろうよォォォ!!!」

 

 体外に解き放たれる何本もの筋繊維。それは一つにまとまって腕に纏わりつく。その動きは、まるで生きた蛇のよう。今までマスキュラーの体内に収められていた筋肉が遂に体外に解き放たれ、外の景色を久しぶりに見た囚人達のように狂喜乱舞しているようだと勇斗には思えた。

 

 まとまった筋繊維は徐々に上半身の全体にも纏われていき、強固な筋肉の鎧を形成した。兵器を取り付けたサイボーグの腕のような禍々しさを漂わせる筋繊維の鎧を纏った腕は、速度と勢いを落とすことなく、勇斗へ向けて一直線に振り抜かれる。

 

 赤いタンクトップを引きちぎる程に膨れ上がった上半身と、見た目がそのままの下半身はアンバランスという他ない。それでも、スピードを一切落とすことなくはち切れんばかりに膨らんだ腕を振り抜くとは……何とも恐ろしい体幹の持ち主である。

 

「くそっ……!」

 

 これ程に膨らんだ腕が自動車以上の速度でぶつかってくることを考えるだけで悪寒がする。勇斗は、己が手足を本来そうあるべきでない方向へと向けて地面に転がっている光景を容易く想像してしまった。

 

 だから、死に物狂いでマスキュラーの拳を(かわ)す。それだけのことに集中して、他のことは一切考えない状態に身を置かざるを得ない。

 

 連続でマスキュラーが振り抜く拳。勇斗がそれを(かわ)す隙に、白いイタチ姿の(ヴィラン)は一陣の風を纏ってその場から逃走した。

 

 ――()()()()()姿()()(ヴィラン)。逃走した彼が、ここから何をするのかは……察しがつくことだろう。だが、それは一旦置いておくこととする。

 

 閑話休題。(ヴィラン)が己の後ろへと逃れてしまった以上、マスキュラーの対処に時間を掛ける訳にはいかなくなった。

 

「やるしかあるまい……」

 

 ならば、本気を出してマスキュラーを潰す他ない。自分は多くの命を背負っているのだから。

 

「形質変換ッ……!凪ノ太刀!!!

 

 己の肉体から放たれる無のエネルギー。それを刀の形に変化させることで、勇斗は間合いと太刀筋が自在に変化する、不可視の刀を形成した。超硬質の木刀と、"凪"によって発生するエネルギーによって作り出した不可視の刀。これらを使用した二刀流こそ、「鎮静ヒーロー・凪」の本領発揮なのだ。

 

 筋力増加によって身体能力を増したマスキュラーに対抗する為にも、それを増加する術のない勇斗は足元から無のエネルギーを放出しながら高速移動することで代用する。

 

 そうして繰り広げられるのは……テーマパークの広大な通路を存分に使用した乱戦。

 

 通路を縦横無尽に移動しながら交わされる拳の乱打と、木刀と不可視の刀を交えた乱打。それらがぶつかり合う度に何とも聞き心地の良い、木を殴りつけた甲高い音が通路いっぱいに鳴り響く。

 

 距離を詰めて拳と木刀とを押し付け合い、距離を離した瞬間、勇斗が不可視の刀を振るい、マスキュラーが筋繊維の鎧でそれを防ぐ。そして、また距離を詰めて激突する。

 

 幾度も交わされる衝突の中でも、多少なりとも頭は使えど力で押し切らんとするマスキュラーとは反対に、勇斗は真正面から殴り合いながらも小細工を仕掛けていく。

 

(筋力が……増加しねェ!?)

 

 殴り合いをしている中、マスキュラーはこれ以上筋力が増加しないことに気がついた。基本、彼の筋力は無制限に増加する。それを抑える方法を探り出せていない彼自身が困る程には。しかし、何故か今の筋力が限界らしいのだ。

 これもまた勇斗の策略の一つ。彼は、無のエネルギーで形成した刀を度々直接突き刺したり、木刀で突きを繰り出したりしている。

 

 さて、これは本当に単なる突きなのだろうか?答えは否。単なる突きではなく、策略を仕込んだ上での突きである。木刀を通して、若しくは無のエネルギーで形成した刀を突き刺すことによって、勇斗は"凪"で発生するエネルギーをマスキュラーの体内に流しているのだ。

 

 結果、マスキュラーの体内には無のエネルギーが蓄積し、筋力を増加する効果が極限まで鎮静化されて、これ以上は増加しないという事態に陥った。

 

 体内を見透かすことが出来たりでもしない限り、体内に流し込んだエネルギーのことを察知されることはない。そこを利用した立派な策略である。

 

 それに、勇斗の発生させられるエネルギーの量には限界がない。デメリット無しで無制限にエネルギーを放出することが出来るのだ。度々ヒーローの特集番組で、「鎮静ヒーロー・凪」の"個性"が「類稀なる強個性」だと紹介される理由はそこにある。

 

 筋力が増加しない事実を知ったマスキュラーは焦る。当然だ、知らぬ間に自分の図り知れない何かをやられたのだから。

 一方、勇斗も自分が何をしたのかを相手に教えはしない。わざわざ、敵対する相手に自分の持つ能力や限界を教えたりするだろうか。いや、誰もしない。そうすることで焦りを誘うのもまた勇斗の戦略。

 

 マスキュラーは、勇斗の掌の上で踊らされていた。

 

「てぇりゃあぁぁっ!」

 

 両手の刀を振るい、勇斗は畳み掛ける。

 

「うぐぉぉぉ!?」

 

 押し寄せる津波のような勢いで叩き込まれる両刀を交差させた腕で防ぎながら、マスキュラーは敗北の予感を覚えていた。

 

 彼自身も強くなった。それは事実なのだが、勇斗は更にその上をいっていた。このままでは、自分は刑務所行き。他人を殺す快楽を味わえなくなる。

 

(何か手はないか……!?凪を殺せる手は……!)

 

 攻撃を防ぎながらもマスキュラーは辺りを見回す。危険な時だからこそ、焦らずに視野を広く持たねばならない。自動車を運転する時と同じように。

 

 そうして辺りを見回していると、一人で辺りを彷徨う少女を見つけた。三つ編みの少女。歳は5歳くらい。もしや、迷子なのだろうか。

 

「見つけた……!」

 

 これぞ、千載一遇のチャンス。皮肉にも今まさに、マスキュラーは窮地に活路を見出した。

 

「うおおおおおおおおおおっ!!!!!あの嬢ちゃんを殺してやるぜェ!!!」

 

 殺す標的を宣言し、マスキュラーは勇斗にストレートを叩き込んで彼を突き放した。距離が空いた隙に幼い少女に向けて肉迫する。

 

「ッ、まずい!」

 

 地面を滑るように後退させられながら、勇斗はマスキュラーの移動する先を見た。散ってはならない幼き命を守る為、勇斗もまた足から放出するエネルギー量を増加して全速力で飛び出す。

 

 幼き命を守る為にも、勇斗はマスキュラーの体内に流し込んだ無のエネルギーと、不可視の刀を形成していたエネルギーをも集めて木刀に纏わせ、全てを凪ぐ巨大な太刀を形成。そして、マスキュラーよりも先に少女の元に到達し、その背中を守るように立ち塞がった。

 

 立ち塞がる勇斗を見たマスキュラーは、嬉しそうに笑う。その瞳は自分の仕組んだ通りに事が進んだ嬉しさに満ち溢れていた。

 

「立派なヒーロー、凪さんよォ!お前ならそうしてくれると思ったぜ!!!子供を守る為に精々潰れちまいなァァァァァ!!!!!

 

 マスキュラーの筋力が最大になり、今の限界まで筋繊維が纏われる。巨大な丸太の如く膨れ上がった両腕。それを勇斗目掛けて勢いよく振り下ろした。

 

「はああああああああああああっ!!!!!」

 

 勇斗もまた、渾身の雄叫びを上げて全てを凪ぐ太刀を振るう。

 

 凄絶な力と力の衝突。それは風圧を巻き起こし、少女の体を少しだけ吹き飛ばした。

 

「きゃっ!?」

 

 突然巻き起こった風圧に驚いた少女は地面を転がり、かぶりを振った後に風圧が押し寄せた方向を見る。

 

「な、凪……!?わたしをたすけてくれたの!?」

 

 ピンク色のリボンをつけた茶色い熊のぬいぐるみを抱えながら、驚いた少女が声を上げる。

 

 今は、一刻も早く彼女を非難させることが第一。

 

「僕のことはいい……!君は行くんだ!お父さんとお母さんが君のことを待っているはずだ……!(ヴィラン)を君の元に向かわせることだけは絶対にしない……!!!信じてくれ!」

 

 腕に青筋を浮かべ、木刀を両手で支えながら必死の形相の勇斗が言う。

 

 少女としては、そんな表情をした「鎮静ヒーロー・凪」を見たことがない。泣きそうな顔になりながらも、彼女は凪の勝利を信じて振り返らずに駆け出していった。

 

「ははは!いいなァ、いいな!それでこそ殺し甲斐があるぜ!」

 

「っぐっ……!」

 

 ――結果から言おう。勇斗は隕石の如く迫る筋繊維の壁に対し、少女の背中が見えなくなるまで持ち堪えた。()()()()()、壁を退けることが可能だったかもしれない。だが……マスキュラーの非道なやり方に加勢するかのように、何とも無情な現実が彼に叩きつけられる。

 

「いやああああああああっ!!!」

 

「ッ、蔦子……!?」

 

 テーマパーク中に轟き渡る、蔦子の悲痛な叫び。

 

 もしや、自分の娘に何かあったのではないか……?

 

 勇斗は、目の前の出来事から注意を逸らしてしまった。

 

「!神様は俺に味方してくれたようだな!これで終わりだ!潰れちまえ、凪!そして血を見せてくれ!骨が砕ける音を聞かせてくれよなァァァァァ!!!!!」

 

「しまっ……!」

 

 勇斗の注意が自分から逸れたのをいいことに、マスキュラーは限界を突破した。勇斗の防御を完全に押し切る、大質量の筋繊維の壁を彼に向けて押し付けた。

 

「ぐっ……!?がふっ……!」

 

 額が切れ、垂れた鮮血が彼の視界を真っ赤に染める。

 

 腹部に命中した筋繊維の塊が肋骨をへし折る。

 

 また別の塊が顔面に迫り、両目を潰してしまう。

 

 手足の骨をへし折らんばかりに壁が押し付けられ、嫌な音が耳に届く。

 

 終いには内臓までも傷つけられ、噴き出した温泉のようにして大量の血を吐いた。

 

 実際には、数分とない時間だったかもしれない。だが、勇斗には何時間にも感じられる拷問のようだった。

 

 覆い被さっていた筋繊維が全て退く。

 

「はは、こりゃいい」

 

 筋繊維が退いた先で露わになった勇斗の姿を見たマスキュラーは、彼の元に歩み寄ってその首を鷲掴みにしながら、自分の制作していた作品が完成した芸術家のように満足そうに笑った。

 

 男性にしては白く、美しかった肌は(ことごと)く鮮血に染まり、戦闘服(コスチューム)にはシミのように赤い血が滲んでいる。手足はあり得ない方向に折れ曲がっていて完全に脱力している。そして、その目は……もう二度と開かれない。

 

(凛……守れなくて、ごめん……)

 

 先程の蔦子の悲鳴と、夫婦として共に過ごしてきた上での勘で全てを察した。愛する人を、一番大切な人を守り切れず死なせてしまったのだと分かってしまった。

 

(義勇、蔦子……。父さんは、ここまでだ……)

 

 自分の死が近いことも察した。愛する子供達の顔が脳裏に浮かぶ。どうしようもない愛おしさを覚えると共に、二人の成長を見届けられない悔しさに襲われた。

 

 真っ黒な視界。光一つ差さない混沌の世界。勇斗は、己の行く手には死という名の絶望しか待っていないことを痛感させられた。

 

 

 

 

 

 

 ――「鎮静ヒーロー・凪」。彼にとって、最初で最後の敗北であった……。



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第七話 強き姉

「お父さん……お母さん……。ううっ……なんで……。なんで……私達のお父さんとお母さんが……」

 

 俺の後ろで父の亡骸を抱えた姉さんが嗚咽を漏らしながら涙を流し、項垂れている。

 

 姉さんの嗚咽が聞こえる度に痛みが走った気がした。言うなれば、心臓を鋭い一矢で射抜かれたかのような。

 

 その感覚の原因は色々思い当たる。父と母を亡くした悲しみ。母を目の前で死なせ、こうして姉さんを泣かせていることによる後悔。父との約束を果たせなかった悔しさ。己の未熟さに対する怒り……。

 

 だが、悲劇に打ちひしがれる暇などない。今度は俺が蔦子姉さんを守る番なのだから。これ以上、家族を失う悲劇を繰り返させる訳にはいかない。それは俺に限った話じゃない。俺の後ろにいる人々においても同じことだ。

 

「あーあー……呆気なく終わっちまったな、おい。まあ、そこいらのヒーローに比べちゃ、お前らのパパは頑張ってくれたぜ」

 

 筋繊維に包まれた腕が見れば見るほど異質である筋骨隆々の男がつまらないといった様子で首を鳴らし、俺の前に立ち塞がる。

 

 「呆気ない」だとか、「頑張ってくれた」だとか……。言われなくとも分かる。

 

 この男にとっての他人との命のやり取りは、ただのゲームでしかないのだ。そして、相手を殺して命を奪うことはある種の報酬。その報酬を得ることに快楽を見出す。

 

 こいつはそんな男なのだと察しがついた。

 

 こいつにとって、母などの一般人の命は道中でエンカウントするモブ同然。父の、「鎮静ヒーロー・凪」の命は中ボス程度でしかないのだろう。そして、彼らから刈り取った命は経験値。

 

 他人の命を自分の前に立ち塞がる障害のようなものだと考えているのを察した瞬間、はらわたが煮えくり返りそうになった。

 

 凪いだ水面のように静めている心が、風に揺られて波立つ時のように荒れ始めるのが自分で分かった。

 

 鉄の仮面を被って怒りを覆い隠すように、俺は平然を装った表情で奴の殺意に満ちた三白眼を射抜く。

 

 俺の表情を見た男は、楽しげに口の端を吊り上げて笑った。

 

「坊主、お前は肝が据わってるな。俺を見て泣き喚きも震えもしねえし、そもそも怖がる素振りすら見せねえ。つか、何を考えてるのかすらよく分かんねえな!」

 

「よく言われる」

 

「ははははは!口答えまでしちまうか。自分の腹の内を見せねェところは凪にそっくりだな」

 

 奴は拳を鳴らす。これでこそ殺し甲斐があると言わんばかりに。俺を殺す光景でも想像して楽しんでいるのか、その表情は依然攻撃的な笑みであった。

 

「……何故……?」

 

「あ?」

 

 姉さんが小さく呟く。その声が耳に入った男は、首を鳴らそうとしたところで動きを止めた。

 

「何故、他人の命をゲーム感覚で踏み(にじ)ることが出来るのですか……?何故、他人の命を奪って楽しさを感じるのですか?大切な何かを奪われた人や残された人の気持ちを考えたことがないのですか?」

 

「姉さん……」

 

 涙を流しながらも堅牢な岩のように揺らぐことのない強い意志を宿した目で、蔦子姉さんははっきりと言い切った。

 

 ふと視線を下ろせば、姉さんが震える右腕を左手で押さえるのが目に入った。

 

 ……当然だ。まともにあの男の殺気に(さら)されているのだから、恐怖を感じるのも無理はない。それでも姉さんは奴に対して、はっきりと物申した。

 

 思い返せば、前世も……鬼から俺を守った時もそうだった。俺に笑顔を向けていたとは言え、その声は震えていた。涙も、後悔や嬉しさのそれなんかとは違う。恐怖からきたそれだった。

 

 昔からそうだった。姉さんは、俺を守る為に強い姉で在り続けた。本当に強い人だ……。

 

 強かであれど、本当は耐え難い恐怖を隠そうとする姉さんの右手に、俺は自分の左手を絡めた。姉さんのことは俺が守るから大丈夫。隠さなくたって大丈夫。そんな意味を込めて。

 

 ハッとしたようにこちらを見た姉さんと目が合う。彼女の恐怖がほんの少しでも和らぐようにと微笑んだ。

 

 俺達のやり取りを見た男は、大層愉快そうに高笑いした。

 

「ははははは!!!美しい姉弟愛だな!親が親なら子も子。凪と同じように、揃って根性が据わってやがるぜ。頼もしい弟を持ったな、嬢ちゃん。んで、なんで他人の命を奪って楽しめるか……だっけか」

 

 男は左手を肩に添え、右腕をぐるぐると回しながら一言。

 

「んなもん、()()()()()()()()()()()()()()に決まってんだろ」

 

 口の端を吊り上げて不敵に笑い、獲物を喰い千切ろうとする獣のようにして白い歯を見せつけながら放った一言は、鋭い刃となって俺の中の何かを断ち切った。

 

「自分が心から望んでやりてえことだから楽しめるのさ。お前らだってそうだろ?勉強とかマラソンとか苦しいことはやる気が出ないし、楽しくもねえ。でも、やりてえことは自分にとって楽しくて仕方がねえもんだ。それが、俺にとっては殺すことってだけさ!殺されるって分かった時の、恐怖に引き攣った顔……。皮膚が切れて流れる血……。骨が折れたり砕ける音……!本当にたまらねェんだよな!」

 

 空気が凍りつく。人を殺すことの魅力を嬉々として語る奴の姿は、まさに狂人。

 ぐっと押し寄せてくる吐き気のようにして、黒い衝動が体の奥底から湧き上がってくるのが分かった。

 

 落ち着け。俺は水面……凪いだ水面だ。

 

 そう己に言い聞かせながら、俺は右手を握りしめた。血が滲む程に強く……ただただ強く。

 

 男は両腕を前後に動かして体をほぐしながら続けた。

 

「因みにだが、俺のことを恨むだなんて的外れなことはやめてくれよ?俺だって、凪にボコボコにされた手下共のことは恨んでねェんだからよ」

 

「だってさ……そうじゃねェか。なんで自分が望んでやったことに対して勝手に文句つけられて、恨まれなきゃならねェんだよ。自分のやりてえことには口出しされたくねェだろ?お前らもよ。そういうことだ」

 

「……何が言いたい?」

 

 冷静沈着という名の仮面を被ったまま、俺は鋭い瞳で()き咎めた。

 

 奴は数秒間瞬きをして動きを止めた。しかし、その直後。再びニヤリと白い歯を見せて笑いながら言う。

 

「言わせないでくれよ、坊主。察してんだろ?俺らは人殺し、お前らのパパやママは自分達の子供であれ、他人であれ……他の誰かを守る。互いにやりたいことをやった結果だ。俺は何も悪くねえ。悪いのは、実力も無しにそれをやってのけようとしたお前らのパパとママさ!」

 

「そんな訳があるか……!ふざけたことを抜かすな!」

 

 湧き上がってきた黒い衝動が俺の中で爆発すると同時に、反射的に反論していた。目をひん剥くばかりに見開いて。

 

「なんて幼稚な考え……。そうやって自分を正当化して、人々を殺すことを楽しんできたのですね……!嫌気が刺します!」

 

 姉さんも怒っていた。涙を流しながらも眉と目を吊り上げ、凛とした態度で。

 前世、何かをやらかした幼い俺を咎める時のような怒りではない。義憤に近い、気高く強い彼女だからこそ表れる怒りだった。

 

 普段穏やかな姉さんだが、たまにこういうことがある。

 

 例えば、前世だったら、同年代の女性にやたらと絡む相手を追い払う時とか、幼い子供を物のように扱う輩を叱る時とか。今世だったら……母を無個性故に揶揄(からか)っていたクラスメートを叱る時とか、誰かをいじめる男子を追い払う時とか。穏やかとは言えど、簡単に言えば、姉さんは委員長気質を持ち合わせている。それ故に恨みを抱いた輩に絡まれることも多かった。

 前世は自分でどうしようも出来ない時に悔しい思いばかりしていたんだっけ。だが、今世はそんな輩は全て俺が返り討ちにしている。自分の命と引き換えにしてでも姉さんを守りたいから。

 

 閑話休題。そんな怒りを露わにする姉さんを久しぶりに目の前で見た。

 

 ……考えてみてくれ。彼女と同い年の子供が殺人鬼同然の人間を相手にして、これ程はっきりと物申せると思うか?恐らく、多くの人が思わないはず。本当に……姉さんは変わらず強い人だ。

 

 怒りによって発せられる気迫――恐らくは、主に俺から発せられるそれであろう――を感じた男は、肩を跳ねさせながら俺達を(なだ)めるように笑顔を浮かべて言った。

 

「落ち着け落ち着け!まァ、『恨むな』なんて言っても無理あるよな。俺の持論に反論しちまうくらいの強い心を持ったお前らに朗報だ」

 

 朗報だなんて言葉を口にするシリアルキラーを、俺達は訝しげに睨む。

 

 攻撃的な笑みを浮かべたまま、奴はぐるりと辺りを見回して言った。

 

「お前ら、どうせ父親の影響で二人揃ってヒーロー志望なんだろ?なら、自分の命で沢山の人を救けられれば万々歳だよな!?喜べ!お前らどっちか一人の命と引き換えに、妥協して市民達は殺さないで撤退してやるよ!他の奴らは見逃してやる!なあ、嬉しいだろ!?」

 

 押し付けられた、常識とは言えない奴の考え方にそんな訳があるかと反射的に返そうとしたが……。

 

「きゃっ!?」

 

 恐怖に満ちた小さな悲鳴が俺達の耳に届く。俺は反論することも忘れ、声のした方に振り向いた。

 

「選択の余地はねェぜ、ガキ共。お前らが選択することを放棄して逃げ出そうとした瞬間、この女の首をぶった切る」

 

 声の聞こえた先にあったのは、腕を鋭い鎌に変化させた白いイタチ姿の(ヴィラン)によって人質に取られた女性の姿だった。

 鋭い鎌を首筋に当てがわれた彼女の瞳は潤み、目尻には水晶玉のように透き通った一滴の涙が溜まっていた。

 

 関係のない他人に手を出したのも許せないことだが、何より許せないのは――

 

「わ、私のことはいいの……!誰か、この子だけでも救けて……!」

 

 震えながら声を上げる女性の腕には幼き命……玉のように小さく、ほんの少しでも力を込めたら潰してしまうのではないかと心配になる程の可愛らしさのある赤ん坊が抱えられていた。

 

 そうだ。何より許せないのは――赤ん坊を抱えた彼女を選んだことだ。

 

 親を失った子の気持ちは、前世からよく知ってる。今世は知ったばかり。死因は違えど、親を失った先にあるのは大きな絶望。視界全てを覆い尽くさんとする闇だ。

 

 言葉は話せず、理解力もまだまだ成熟していないが、本能で危機を察したのだろうか。赤ん坊がくぐもった泣き声を上げ始めた。

 

 母親である女性を死なせてしまえば、あの子は暗い顔しか見せなくなるだろう。他人だなんて関係ない。そんなことになるのだけは……絶対に嫌だ。

 

「さあどうする?選べ。俺はどっちでもいいぜ?約束はちゃんと守ってやるからな!」

 

 相手に選択の余地を無くした上で極限の選択を迫るとは、まさに殺人鬼らしい振る舞いだ。

 

 それに、奴は今約束を守ると言ったな。

 

 だが、分かっているぞ。――それらには、()()()()()()()()と。

 

 別に言葉に嘘偽りがある訳ではない。ただし、男が見逃してやると言っている「他の奴ら」には、俺達のうちで残った方は含まれていない。つまり。奴は、俺も姉さんもどちらにせよ殺す気なのだ。そもそも、この殺人鬼が人を殺すことを妥協するとも思えない。

 

 それを察した以上、黙っていられる訳がない。これ以上、俺の家族や人々を死なせてなるものか……!今は俺達が壁となれているからいいものの、壁として立ちはだかる者がいなければ、奴はここにいる人々全員を殺すかもしれない。

 

 (ヴィラン)と戦うには――正確には(ヴィラン)を相手に"個性"を使うにはだが――資格が要ることは分かってる。そうする資格があるのはヒーローだけだというのは分かってる。だが……待てるはずない。無情な(ヴィラン)はヒーローを待ってくれやしない。俺がここで足掻かねば、人々にとっての救世主にならねば……!

 

「俺が――」

 

 身代わりとなって死んでやる、と名乗り出ようとした。だが……。

 

「私にしてください」

 

 俺が出る前に、姉さんが俺の前に立ち塞がりながら名乗り出た。

 

「殺したいのなら、私にしてください。弟だけは絶対に死なせない……!」

 

 蔦子姉さんは、体の震えを無理矢理止めるようにして拳を握りながら続ける。

 

「私が死んだとしても、義勇はここにいる人達を必ず救けてくれる。この子は絶対に折れない……!後から来るであろうヒーロー達も、絶対に人々を救けて勝ってくれる!微力な私が彼らの糧になれるのならば、本望です!」

 

 はっきりと言い切った。言い切った頃には、姉さんの震えは止まっていた。

 

「駄目だ、姉さん……!待ってくれ、姉さん!俺が――っ」

 

 姉さんを説得しようとした途端、姉さんに抱きしめられた。その瞬間、察してしまった。蔦子姉さんは……もう俺の為に死ぬ覚悟を決めてしまっているのだと。

 

「や、やめてくれ……姉さん……!姉さんまで死んでしまったら……!」

 

 絞り出すように言葉を紡ぎながら顔を上げると、涙を流しながら儚げな微笑みを浮かべた姉さんが目に入った。

 

 ……前世、俺を庇う為に押し入れに閉じ込めた、あの瞬間と全く同じ顔だ。「姉さんは大丈夫だから」と。「絶対にここを動いちゃ駄目よ」と俺に言い聞かせるあの時と同じだ。春を終えて、(ことごと)く散り始める桜を思わせるような儚い笑顔。

 

 そうだ……。さっき、俺を庇って死んでしまった母もこんな風に慈悲深い女神のようではあれど、儚さを感じさせる笑みを浮かべていた……。強き女性とは、誰しもが死を覚悟した瞬間にこのように儚い笑みを浮かべるのだろうか……?

 

 姉さんは、俺を愛おしげに撫でる。これが最期になってしまうから、と自分自身に言い聞かせるようにして。

 

「義勇……強く生きてね……。そして、気負わないで。自分を責めないで……。私は、貴方のお姉ちゃん。弟の身代わりになって当たり前なの。だから、自分の心を痛め付ける必要なんかないの……」

 

「私の思い、お父さんの思い、お母さんの思い……。全部、義勇に預けるわ。義勇なら繋いでくれる。…………だって、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――昔からずっと。

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は全てを察した。そして、とうに枯れたはずの涙が溢れ、俺の頬を伝った。

 

 姉さんは、敢えて詳しいことを言わなかった。

 

「義勇、もっと強くなるのよ。義勇なら本当のヒーローになれる。絶対に。私が言うんだもの。絶対なれるわ」

 

「最後まで見守ってあげられなくて、ちゃんとしたお姉ちゃんでいられなくて……ごめんね」

 

 涙を流しながら満面の笑みを浮かべた姉さんは、俺を手離し……力強い足取りで殺人鬼である男の元へと近づいていく。

 

 「待ってくれ、姉さん」と、もう一度声を張り上げて止めようとするも声が出なかった。

 

 鼓動が速く刻まれ、喉が異常な程に渇く。不思議と息が詰まる。そんな状況に陥り、体も動かなかった。

 

 自分の方へ拒絶の姿勢を見せずに近づく蔦子姉さんを見た男は、不敵に笑みを浮かべた。疑うことなく自分に近づく感謝と彼女を殺せることに対する期待からくるものだろうか。

 

 奴の目の前に立つと、姉さんは再び俺の方を振り向いた。

 

「義勇……元気でね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、体から膨大な活力が湧き上がってきた。身体中が燃えるように熱を帯び、右腕に封じていた龍の如き膨大な力が、左頬に転移して全身に行き渡るような……不思議な感覚がした。

 

 ふと、この体で負荷をかけずに"全集中の呼吸"を行う方法が理解でき、風が逆巻くような音を響かせながら肺にありったけの空気を取り込み、脚に集めた。

 

 ――これまで、何の為に鍛錬を積んできた!?他の誰かにとっての本当のヒーローになる為だろう!これ以上家族を死なせて……胸を張って、ヒーローを名乗れるものか!生殺与奪の権を他人に握らせるな!!!今、俺が止めねば誰が止める!?後から駆けつけるヒーローに全てを任せるな!俺が……俺が姉さんを救けるんだ!

 

 己に言い聞かせながら脚に集めた空気を爆発させる。俺は、同時に地面を蹴って殺人鬼たる男に向けて肉薄した。

 

 そして、紡ぐは前世から馴染みのある水の呼吸の型の名。

 

「水の呼吸・肆ノ型――」

 

――打ち潮――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やっぱ、子供ってのはいいな!純粋で単純で……人を疑うことを知らねェ!)

 

 マスキュラーは、内心でほくそ笑んでいた。自分の方へと近づいてくる蔦子の真っ直ぐさと純粋さに感謝しながら。

 

 人間の性格――その根っこの部分を形作るのも、神の役目なのだろうか。もしもそうであれば、この男は神にも感謝せねばなるまい。

 

 実の所……いや、分かりきったことであるが、マスキュラーには約束を守る気もないし、人殺しを妥協する気もない。

 

 まずは、凪にとって命よりも大切だったであろう子供達で、自分の提案に素直に乗ってきた方を殺す。後からもう片方も殺してしまうことを告げながら。その次は、残ったもう片方を殺す。そして、最後の仕上げで、テーマパーク内にいる人間を全て殺す。

 これこそがマスキュラーの企みであった。

 

 「他の奴らは見逃してやるとは言ったが、嬢ちゃんの弟君は見逃してやるなんて言ってないぜ?」だなどと、何とも幼稚に聞こえる残酷な言葉を投げかけながら、この男は蔦子を嬲り殺すのであろう。

 

 自分の企み通りに事が運んでいることと、これから蔦子を殺せるであろうことに対する喜びと期待でマスキュラーの頬は緩みきっていた。笑みを隠そうにも隠せなかった。きっと今の自分は、狂気を感じさせるような笑みを浮かべているだろうと彼は思う。

 

 遂に蔦子がマスキュラーの目の前に立ち、義勇へと最期の言葉を送った。

 

「義勇……元気でね」

 

 目の前の少女が愛する弟の方を振り向いているうちに、マスキュラーは筋繊維を纏わせた丸太のような太さの腕を振るい、拳を叩きつけようとした。

 

 同時に子供達にとって残酷な言葉を告げようと口を開きかけた――その瞬間だった。

 

(あ?)

 

 マスキュラーの殺意に満ちた笑みが崩れ去って、口を半開きにした何とも滑稽な顔に変化した。その視界に、自分の目の前にまで肉迫した義勇の姿が目に入る。彼と義勇との距離は約10m。7歳の子供である義勇が、この数秒と経たない間で自分の元にまで到達出来るはずがなかった。

 

 想定外のことが起こると、人間は誰しも混乱する。それは、シリアルキラーのこの男でも同じことだった。

 

 マスキュラーが混乱して動きを止めている隙に、義勇は技の名を紡ぐ。

 

「水の呼吸・肆ノ型――打ち潮」

 

 放たれるは、淀みない動きで繋がれた乱打。義勇の放つ鬼神の如き気迫。それが、強風が吹きつけたことで海面に激しく打ち付ける無数の波となって顕現し、可視化される。

 

「ゴフッ!?」

 

 文字通りの光景を目にしながら、乱打で頬を穿たれたマスキュラーは吹き飛ぶ。義勇の繰り出した型は、マスキュラーの2m越えの巨躯を見事に吹き飛ばしたのだ。

 

 地面を転がるマスキュラー。頬を強烈に殴りつけられたことで思わず溢れた涎を拭い、口の中が切れたことで溜まった血を地面に吐き捨てながら体を起こし、現在の状況を把握しようとする。

 

 その瞬間。マスキュラーは、背筋が凍る感覚を覚えた。まるで、殺人鬼である自分が別の殺人鬼に殺される瞬間に立たされたかのようだった。

 

 視線の先には、静かな怒りをその目に宿し、威風堂々と佇む義勇の姿がある。その立ち姿の堂々さは、歴戦の剣士そのものであった。

 

(な、何だ!?坊主の左頬にある紋様は!?)

 

 義勇の顔に浴びせられた血は、彼が流した涙で洗い流されていた。それによって、左頬には流れ渦巻く水のような紋様……"痣"が露わになっている。彼が半袖のシャツを着ている故、右腕の"痣"も目に見える。しかし、そこにあるはずの"痣"はなくなっていた。もしかすると、左頬のそれは右腕のものが転移した結果かもしれない。

 

 蔦子は、自分を遥かに上回る巨躯を持つ男を吹き飛ばした弟を呆然と見る。

 

「ぎ、義勇……?」

 

 普段の様子からは想像も出来ない程の、鬼神の如き気迫を放つ弟の名を困惑しながら呼んだ。

 

「蔦子姉さんは……俺が守る」

 

 気迫を放てど、そう宣言しながら構える義勇に蔦子は――前世の面影を見た。



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第八話 冨岡義勇:オリジン

 身体中に広がる熱と膨大な活力。それを感じながらも、義勇はただ感謝していた。

 

 こうして、今世において実戦の中で"全集中の呼吸"を使うのは今日が初めてだった。それなのに、何故だか自分の体に一切負担を強いることのない呼吸の仕方が把握出来た。元々は剣技である水の呼吸の型を、ぶっつけ本番で体術の中に落とし込めた。

 

 転生の際に神が新たな才を与えてくれたのかもしれない。

 

(……ありがとうございます)

 

 そんな可能性を見出しながら、義勇は本当にいるのだとしたら、神に言葉が届くようにと祈り、内心で感謝を述べた。そして、今この瞬間に初めて前世で地獄のような経験をしていて良かったと思えた。

 

「くそ……あと少しで殺せたってのに、邪魔しやがって……!まあいいか。何にせよ、俺は約束を守ろうとしたってのに、お前らは約束を破った!坊主、お前の不必要な行動のせいであの女が死ぬぞ!おい、やれ!」

 

 マスキュラーは自分のことを棚に上げ、白いイタチ姿の(ヴィラン)に命じた。

 

 白いイタチ姿の(ヴィラン)は、コクリと頷きながら腕の鋭い鎌を振り上げた。その鎌の刃の部分が、陽光を受けて妖しく輝く。その様子は首筋に鎌を添えられていた女性の命を刈り取る妖刀のようだ。

 

「ッ、やめて!」

 

 (ヴィラン)の行動を制止すべく叫ぶ蔦子と覚悟を決めて目を閉じる人質の女性。

 

「血を見せろ、悲鳴を聞かせろ!あのガキ共を殺せなかった分までなァッ!!!」

 

 どうやら、白いイタチ姿の(ヴィラン)も不完全燃焼だったらしい。女性を殺すことへの期待の笑みを浮かべたその顔は、狂喜に歪んでいた。

 

 ――義勇が動く。当たり前だが、自分の前で命が散るのを見逃すはずがない。前世でも自分が間に合わなかったせいで家族を失ったり、笑顔を無くした人々がいた。義勇の弟弟子であった炭治郎とて、その一人だ。

 

 そんな人々を一人でも減らしたい。それこそが義勇の願い。人々の笑顔を守るのもまた、ヒーローの責務だ。

 

 女性の首筋に鎌が到達するよりも前に、夜を駆ける狼の如く、眼光を発する勢いで肉迫した義勇。義勇の移動速度は常人では絶対に認識不可能だ。常人からすれば、彼が突然消えて目の前に現れたようにしか見えない。

 

 同じ現象が白いイタチ姿の(ヴィラン)の視界でも起こった。

 

 彼が口を半開きにして唖然としている間に、義勇は鋭く手刀を振り抜いた。鳴り響くのは鈍い金属音。

 

「なっ……!?」

 

 白いイタチ姿の(ヴィラン)は、金属音でハッとすると砕かれた両手の鎌を忙しなく見る。義勇の手刀が、彼の鎌を打ち砕いたのだ。

 

 義勇から視線を外している間にも、当の義勇本人は次の行動に移っていた。

 

 次に繰り出す技は、数ある水の呼吸の技の中でも最速とされる突き――

 

「水の呼吸・漆ノ型、雫波紋突き」

 

 義勇の発する気迫は新たな光景を幻視させた。

 

 静かな揺らぎない水面。そこに滴り落ちる一滴の雫。滴り落ちた雫により、水面には波紋が広がった。

 

「――カハッ!?」

 

 その光景を幻視した時には、義勇の攻撃は既に白いイタチ姿の(ヴィラン)の鳩尾へ到達していた。というのも、水面に滴り落ちる一滴の雫のように見えたのは、気迫を発しながら迫る義勇の繰り出した正拳突きそのものであったのだ。  

 もはや常人が目視も出来ない速度で繰り出し、波紋の中心を狙うように突き刺す……。それが水の呼吸の漆ノ型だ。

 

 波紋が広がるのは、水面に衝撃が伝わったということ。それと同じようにして、突きの威力は命中した部位に浸透する。

 

 鳩尾を殴りつけられたことで横隔膜の動きが一瞬止まり、呼吸困難に陥る。白いイタチ姿の(ヴィラン)は吹き飛んで地面を転がった後に倒れ込むと、胸部を押さえながらその場をのたうち回った。

 

 7歳の子供が、れっきとした大人の(ヴィラン)を容易く一蹴した。その事実は辺りに沈黙を(もたら)した。

 

「……怪我はないですか?」

 

 沈黙を破ったのは、人質にされていた女性を気にかける義勇の声。

 

「だ、大丈夫よ……。ありがとう」

 

 女性は呆気に取られながらも義勇に差し伸べられた手を取って、ゆっくりと立ち上がった。

 

 ふと視線を下ろせば、危険が去ったのを本能的に感じ取ってか、笑顔を浮かべて義勇に手を伸ばそうとする赤ん坊の姿が目に入る。

 

(この子の命を、笑顔を守れて良かった)

 

 小さな命を守れたことにホッとして義勇も微笑む。微笑みを浮かべたまま小指をその小さな掌に添えてやると、頼りなさげながらも小指を握ってくる。前世で子供を授かった時を思い出して、何とも表し難い愛おしさが彼の胸の中に溢れ返った。

 

「……姉さん、二人を頼んだ」

 

「わ、分かったわ……」

 

 赤ん坊の頭を優しく撫でてやった後に微笑みを蔦子に向け、義勇は赤ん坊とその母親のことを蔦子に任せた。

 

「義勇……!貴方のことは止めないわ。でも、ちゃんと戻ってくるのよ……!」

 

 蔦子は、祈るように義勇の右手を両手で優しく包む。彼女の祈りを受け止め、義勇は頷きながら答える。

 

「うん、絶対に戻ってくる。姉さん達のところには誰一人として通さないよ。俺が居るからには、姉さんのことは守るから」

 

 その微笑みは、蔦子や義勇の母である凛とは対照的に力強い命の輝きに満ちている。蕾である花が、春を迎えて花開く瞬間のようだ。

 

「……約束ね」

 

 蔦子も微笑み返し、互いに指切りをする。

 

「行ってくれ」

 

 その後の言葉はたった一言であれど、蔦子は全てを汲み取って、女性と赤ん坊を連れて出口の方へと走っていった。

 

「ゲホッ、ゲホッ……!くそっ、逃がすか……!」

 

 呼吸困難から立ち直ったらしい白いイタチ姿の(ヴィラン)が、咳き込んで地面に唾を吐き捨てる。そして、定めた獲物を捕らえる準備をする為に身を低くして待ち受ける豹のように力を込めると、地面を蹴って蔦子達に向けて飛び出した。

 

 しかし、飛び出した瞬間。再び彼の視界に義勇が立ち塞がる。

 

「!?テメェッ、いつの間に!?」

 

 目の前にいる少年が先程までいた場所から瞬間移動したようにしか見えず、対峙する(ヴィラン)は目を見開きながら困惑。咄嗟に尻尾の鎌を振るおうとするも、それを振るう為に体勢を変える間に義勇の回し蹴りが脇腹に命中した。

 

「ゴファッ!?」

 

 回し蹴りを受けた白いイタチ姿の(ヴィラン)は、体をくの字に折り曲げながら吹き飛び、勢いを落とすことなく車輪のようにゴロゴロと地面を転がっていく。そのまま、転がった先にある柵に強く頭を打ち付けて気絶してしまった。

 

(おいおい……!いくら下っ端と言えど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()レベルの奴だぞ!?それをヒーローでもないガキがぶっ倒すだと!?どうなってやがる!?)

 

 困惑しているのは、マスキュラーも同じことだった。ここに引き連れてきた(ヴィラン)達は、下っ端であれどろくな実力もないヒーロー達が相手ならば容易く殺せる程の実力があるはずだった。

 

 彼らが凪に敵わなかったのは道理だが……アマチュアのヒーローにすら敵わないはずの子供に一蹴されてしまった。

 

 訳が分からなかった。自分が殴られて吹き飛ばされるわ、残った下っ端も一蹴されるわ……。自分のプランが崩れ去ったマスキュラーは、苛立ちを覚えた。

 

「ご大層なことだなァ、おい……!年端もいかねえってのにヒーロー気取りか!?」

 

 殺せるはずのターゲットを逃し、味わえるはずの快楽が先延ばしになったことによる怒りをその顔に浮かべ、狂戦士(バーサーカー)の如くマスキュラーが迫る。

 

 憤怒に染まったその表情は、飢餓状態にある鬼を思わせた。

 

 筋力が増加した足で踏み込んだことによって陥没した地面が、彼の増大した筋力の恐ろしさを物語っている。

 

 義勇は、砲弾のように猛然と迫るマスキュラーにも恐れることなく立ち向かう。

 

 己の視界から消え去ったのだと彼に錯覚させる程の速度で、義勇は駆ける。そして、1秒と経たずにマスキュラーの懐に辿り着いた。

 

 マスキュラーからすれば、義勇が文字通り消えたように見える。だからこそ、彼は目を見開きながら辺りを忙しなく見回した。

 どこから攻撃が来てもいいように備えるべく、地に足をつけようとしたが……それは叶わなかった。

 

「ぐはっ!?」

 

 地面を一蹴りし、横っ跳びになるような形で突進した結果、無防備な状態にあったマスキュラーの腹部に義勇の放った乱打が炸裂したのだ。彼が着地するよりも前に。

 

 海岸沿いにある無数の岩に打ちつける波のように激しく、荒々しい乱打。実際に波が体に打ちつけられたかのような痛みを覚えたマスキュラーは、肺の中の空気と涎を吐かされた。

 

(見えなかった……!この坊主が移動するところも、攻撃するところも、()()()!)

 

 マスキュラーは動揺を覚えた。これまで、多くのヒーローを嬲り殺してきたシリアルキラーとしての矜持が、山のように堅牢でぐらつくことさえもなかった矜持が、一気に崩れ去っていく予感がした。

 

 目の前にいる子供は、既に凪の実力を超えているのではないかという疑念さえ抱く。しかし、それを認めることはマスキュラーの大人としての意地と(ヴィラン)としての誇りが許さなかった。

 

「調子に乗ってんじゃねェぞ、クソガキィィィ!!!!!」

 

 上半身に纏われるは筋肉の鎧。腕に取り付けられるは筋肉の兵器。筋肉の化け物というに相応しい膨れ上がった上半身と両腕を持ったマスキュラーは、激昂を乗せて次々と力任せに拳を振り抜いた。

 

 しかし。速さが劣る上に体格の差もある為か、義勇に攻撃が一切当たらない。

 

 最低限のサイドステップで義勇は攻撃を躱すのみならず、激昂を乗せて迫る剛腕に軽く手を添えてはそれを払うことで攻撃を受け流していく。

 

 その結果――

 

「うおっ!?な、何だ!?バランスがっ……!?」

 

 攻撃が受け流される度に、マスキュラーは少しずつ体勢を崩していった。

 その巨体と腕は重りも同然。攻撃を受け流されて、力を逃がされた彼にとっては(あだ)にしかならない。

 

 彼がその場でよろけ、踏鞴(たたら)を踏むようになったところで……義勇は素早くその足を払った。

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 

(水の呼吸・参ノ型――)

 

「流流舞いっ!」

 

 川の激しい水流をその身に纏い、己が水流そのものであるかのように流れる足運びでマスキュラーの周囲を移動しながら、その顔を、腹を、腕を何度も殴りつける。

 

 かつては、この型で十二鬼月……更に言えば上弦の鬼の一端、上弦の参であった猗窩座と高速移動を繰り広げながら打ち合い、無惨の攻撃を掻い潜ったこともある。マスキュラーが義勇の動きを見切れるはずがなかった。

 

「ゴブェッ……!」

 

 何度も殴りつけられたことで顔中に痣やたんこぶが出来て、ボロ雑巾のような何とも無残な姿となったマスキュラーは地面に倒れ込んだ。

 

 人体には、必ずどこかに脆い部分がある。義勇の殴打はそこを確実に捉えていた。それ故にマスキュラーの受けたダメージは大きい。

 

「ヒュウウウゥゥゥッ……!」

 

 水の呼吸独特の、風が逆巻く音を思わせる呼吸音を発して構える義勇。その姿はマスキュラーにとって、自分の住処を(けが)されたことで怒りに燃える水神のように思えた。

 

 身の毛がよだつ感覚がし、体の芯が凍りつく。冷や汗が滝のように溢れ出して頬を伝う。瞳が恐怖で揺らぐ。マスキュラーは、生まれて初めての恐怖を体感していた。

 

 余談であるが、義勇の水の呼吸の型を舞う鍛錬はここに来て功を奏していた。彼の体には、型を振るうことにおける「()()()()()」が染み付いていた。そして、その際に彼の体は動きを覚えるのに呼応して無意識のうちに「()()()()()」の仕方を覚えていたのだ。それが出来たのは、彼の体が"全集中の呼吸"のやり方を覚えていたおかげもあるかもしれない。

 

 その結果、今の義勇は水が逆らうことなく流れゆくのと同じように、呼吸することと同じようにごく自然と型を振るうことが出来ている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが(もたら)すのは、その場における不要な思考の削ぎ落とし。その果てに彼の頭は透明になっていき……視界は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼が立っているのは未だその領域の入り口でしかない。されど、着実に高みに至りつつある。

 

 ――もう、マスキュラーには勝ち目がない。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

(あ、あり得ねえ……!なんで、ヒーローでもねえガキに俺が恐怖を……!?)

 

 恐怖を感じている事実。それが未だに受け入れられない。肩で荒い息をしながら、そんなはずはない、と自分が恐怖を感じていることを必死に否定した瞬間。

 

「うぎゃあっ!?」

 

 疾風怒濤。風のように速く、激浪のように激しく飛び出した義勇のドロップキックがマスキュラーの顔面に炸裂した。

 

 何かが折れる音。これまで、彼が嬲り殺してきた他人から聞いていたはずの音が自分から聞こえてきたではないか。猛烈な痛みに顔を手で押さえた時、自分の鼻がへし折れているのが分かった。

 

 恐る恐る手を離し、掌に目を落としてみると血が付いていた。……何も言われずとも分かる。マスキュラー自身の鼻血だ。

 

「ひいっ!?」

 

 悠然と歩みを進める義勇に対し、マスキュラーは後退りした。義勇が前進すれどマスキュラーの方が後退する為、その距離が縮まることはない。

 

 マスキュラーの心臓が高鳴る。しかし、それは他人を殺せる興奮によるものではなく、義勇に対する恐怖と緊張によるものであった。

 

 義勇の足音一つすらも、彼にとっては猛獣の唸り声。義勇が一歩踏み出した瞬間、マスキュラーは肩を跳ねさせた。彼の恐怖に呼応して、筋繊維も巣に逃げ帰る蛇のように体に収められてしまった。

 

「く、来るな!来るなァァァ!!」

 

 義勇に恐れをなしたマスキュラーが背中を見せて逃げ出した瞬間。

 

「そこの小さなリスナー、ちょっと退()いてな!」

 

 何ともハイテンションな声の持ち主から、義勇はその場を退()くように促された。

 

「YEAHHHHHHHHHッ!!!!!」

 

 義勇が声の聞こえた方を確認しながら、その場から咄嗟に退いたのを確認すると――大砲から砲弾が発射された瞬間の轟音も可愛いものだと思える程の音量を放つ、ロックンローラーが腹の底から出していそうなハイトーンボイスが放たれる。……単なる大声と言うのは相応しくない。それは、もはや音の衝撃波である。

 

 義勇はその場から退いたおかげで被害はなかったものの、逃げ出そうとした瞬間にあったマスキュラーは耳を塞ぐ暇もなく、諸に音の衝撃波を喰らってしまった。

 

「うがぁぁぁぁぁ!?」

 

(なんて声量だ……!)

 

 耳を押さえながら地面に蹲って悶絶するマスキュラーと依然ビリビリと震える大気から、義勇は音の衝撃波を放った者の声量に舌を巻いていた。

 

「今日も喉の調子は絶好調だな。つか、リスナーからの通報でいざ駆けつけてみたら、なんかとんでもねえことになってんだけど……?」

 

 そんなことを呟きながらやってきた男は、トサカのように天高く逆立った金髪をしていた。

 更に特徴的なのは、鈍い金色のレンズが付いたサングラスに、ヘッドホンと首元のスピーカー。

 耳元にまであるピンと立てられた襟付きのジャケットと黒い長ズボン。彼の服装全てが人気のあるDJを思わせる格好だった。

 

 (ヴィラン)であるマスキュラーを真っ先に攻撃した辺り、彼はヒーローなのだろう。

 

「……もしかしてよ、あの(ヴィラン)をボッコボコにしたのって……You?」

 

 戸惑いながら、DJのような格好の男は義勇に尋ねる。

 

 義勇は、後からお叱りを受けるであろうことを承知した上で屈託なく頷いた。

 

「Wow……。マジかよ……!……凪さん、どんな英才教育施してんの……!?

 

 たった今、顔を引き攣らせた彼から父のヒーロー名が出てきた。これで、DJのような格好の男がヒーローであることは間違いないと証明された。

 

(え、援軍のヒーローが来やがった!)

 

 めまいが起きたようにして頭がぐわんぐわんと揺れる感覚を覚えたマスキュラーはやっとのことで立ち上がると、産まれたての子鹿のように震える足でフラつきながらこの場を去ろうと試みる。

 

 普段の彼ならば、きっと恐れずに立ち向かうことだろう。新たな標的が現れたことに興奮しながら。

 しかし、今回は違う。今の彼は義勇との対峙を経て心がへし折れてしまっていた。このままでは刑務所行きになることを確信してしまっていた。逃げることさえ出来れば、これからも他人を殺せるチャンスはあるはずだ。

 

 マスキュラーとて、リスクを背負った状態で確実性のない選択肢を取る程の馬鹿ではない。言われるまでもなく、確実性のある選択肢を取る。

 

 この場から何としても逃げ出したい。そんな一握りの願いを胸に、必死に距離を取ろうとするが……。守るべき市民を恐怖に陥れる存在をヒーローが野に放っておく道理などない。DJのような格好の男と共に現場に駆けつけた、もう一人のヒーローが動いた。

 

「マイク、まだ仕事は終わっちゃいないぞ。事情聴取は後からでいい。気を緩めるな」

 

 DJのような格好の男をマイクと呼んだ男が、忍者の如く駆ける。闇に溶け込むかのような全身真っ黒の服に、首元にはマフラーのようにして長い包帯にも見える何かを巻き付けていた。

 金色のゴーグルの下から放たれる紅い眼光が、狩猟者の如くマスキュラーに狙いを定め、射抜く。

 

 その男の服装と、逆立つ無造作に伸ばされた黒髪、他の男性と比べると幾分か手入れの施されていないように思える髭。義勇には、彼のような見た目をした男をどこかで見た覚えがあった。

 

 もう一人の男は、地面を駆けながら首元に巻きつけた包帯のようなものをマスキュラーに向けて振り放った。

 

(っくそっ、なんでだ!?"個性"が使えねえ!?)

 

 蛇のように迫る包帯のようなものから逃れる為に"個性"を使おうとするも使えないことにマスキュラーは戸惑う。使えない理由はというと……包帯のような何かを振り放った男が、()()()()()()()"()()"()()()()からだ。

 

 マスキュラーはその事実に気づかないし、気づけもしない。DJのような格好の男も黒ずくめの男を巻き込まない位置に立ちながら、再び大気を震わせる程の音量がある声を放つ為に思い切り空気を吸った。

 

 捕らえられる。誰もがそう思ったはずだ。だが……想定していた通りにはならなかった。

 

 突如、マスキュラーの肉体を()()()()()()()()()が覆い尽くしたのだ。

 

「な、なんじゃこりゃ!?うおおッ!?」

 

 マスキュラー自身も何が何だか分かりきっていない様子であり、その靄が彼を完全に覆い尽くした次の瞬間には……彼は跡形もなく忽然と消えていた。

 

「What!?消えた!?どこに行ったんだ……!?どうする、イレイザー。追うか?」

 

 DJのような格好をした男が、黒ずくめの男をイレイザーと呼んで尋ねる。

 

 尋ねられた黒ずくめの男は、瞬きをしながらゴーグルを外して答える。逆立っていた髪が垂れ下がり、狩人のような雰囲気から気怠げな様子を感じさせる雰囲気に変化した。

 

「いや、居場所も分からずに追うのは合理的じゃない。あの黒い靄も何者かの"個性"かもしれないしな」

 

 答えた後に、黒ずくめの男は義勇の方を見た。

 

「……一応聞いとく。さっきの巨体の(ヴィラン)とそこで伸びてるイタチみたいな(ヴィラン)を相手したのは、お前か?」

 

 DJのような格好の男に尋ねられた時と同じように、義勇は屈託なく頷く。

 

 義勇が肯定したのを見た黒ずくめの男は、ため息を吐きながら空を仰ぎ、両目に一滴ずつ目薬を差した。……戦いの中で目を酷使したのだろうか。

 

「成る程な……。……家族は?」

 

 恐らく彼自身も察してはいることだろうが、男は義勇の目の前にしゃがんで訊いた。

 

「……父と母は、俺達を守って死にました。唯一生き残った姉が向こうに」

 

 何一つ隠さずにそう言った義勇の瞳と俯き気味にそう述べた姿からは、年端もいかない子供とは思えない哀愁が漂っていた。勿論、こんな哀愁漂う振る舞いをするのは、彼が精神年齢的に言えばれっきとした大人だからというのもある。

 

 だが、男達が精神年齢のことを考慮出来るはずもない。親の死はここまで子供を変化させてしまうのか、と彼らは大きなショックを受けた。

 

「義勇!義勇〜!」

 

「姉さ……っ!?」

 

 戦いが終わり、危険が去ったのを見越した蔦子は慌てて駆け寄ると義勇を抱きしめた。

 

「良かった……。義勇が無事で良かった……」

 

 擦り寄るようにして義勇の無事を喜ぶ蔦子は、家族としての愛情に溢れている。

 

 これからは家族水入らずの時間。他人が邪魔する道理などない。

 

 生き残ったことを喜び合う二人を見た黒ずくめの男は微かに頬を緩めて笑うと、荒っぽくではあるも義勇の頭を撫でた。

 

「生き残ったお姉さんのこと、大切にしてやれよ」

 

 相手側は覚えていないかもしれないが、黒ずくめの男の方は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼を個人的に気にかけているからこそ出てきた言葉だ。

 

 普段、気怠げで素っ気ないように見えながらも、周囲からは「なんだかんだ甘い」と言われる彼の性格が出た瞬間であった。

 

 長い付き合いで彼の性格を知っているからこそ、DJのような格好の男もファンキーさを残した微笑みを浮かべた。

 

「おい、イレイザー。あのボーイとは知り合いかい?」

 

「知り合いも何も少し話したろ……。覚えてないか?俺が、ある子供の"個性"の有無を確認する為に病院に呼び出された時。三年くらい前だ。その時に会った"痣者"の子」

 

「Wow!"痣者"たァ、これまた珍しいな!そうか、凪さんの息子は"痣者"なのか……。で、"個性"はどうだったんだ?」

 

「あの子の体の型が、そもそも無個性の人間のそれらしかったからな。病院としちゃ、あの子の"痣"が"個性"である場合を考慮して俺を呼んだんだろうが……結果として、"痣者"の体質で発現していた"痣"だったって訳だ」

 

「成る程な。体の型が無個性の人間でいる以上、"個性"は確定的にないと言っても過言じゃないもんな。"痣"も消えはしなかったが、異形型でもなかったと」

 

「そういうことだ」

 

 義勇は、嬉し涙を流して自分を抱きしめる蔦子を抱きしめ返しながら、会話を交わして事件の後処理に向かう二人のヒーローの背中を見送ったのであった。




ヴィジランテの方、全く読めていませんので最後に出てきたヒーロー達やその他諸々に矛盾が生じているかもしれません。もしもそうであった場合、この作品独自の設定と思ってくださいませ。


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第九話 イレイザーヘッド

指摘がありまして、説教辺りの部分を修正しました。……正直、自分の頭でやった結果、余計ややこしくなっただけな気もしますが……。

一先ずはご覧いただければと思います。おかしいところあったりしたら、教えてくだされば嬉しいです。


 悲劇を乗り越えた俺達は、現場に駆けつけたヒーロー達が事後処理を終えた後に念の為ということで病院へと送られた。

 

 目に見える怪我を考慮してではなく、心のダメージを考慮してのことだろう。

 

 ……当然だ。俺達は両親の死を目の当たりにしているのだから。人の死は、子供にとって――いや、子供に限った話ではないか。全ての人間にとって強烈に刻みつけられるものだ。人の死をきっかけにしてトラウマを覚えてしまったという人も少なくない。それは、子供にとって、より強烈に刻みつけられる。失った人が自分の身近であればある程に。

 

 それを把握した上で気を遣ってくれる大人達は皆、暖かい人ばかりだ。

 

 結論から言うと、大人達の備えは正しかった。医師の診断によれば……。今の所は何も問題ないようだが、蔦子姉さんが人の死や血に対してトラウマを抱えている可能性があるとのことだ。俗に言う、心的外傷後ストレス障害――通称、PTSDがこれから発症するかもしれないらしい。症状としては、発症の原因となった出来事の記憶が繰り返し(よみがえ)って、強烈な恐怖感や無力感などに支配される。フラッシュバックが起きて出来事を再体験しているような感覚に陥り、周囲の状況を認識出来なくなるなど……様々な形で表れるようだ。

 

 ……ここで一つ言っておく。姉さんがトラウマを抱えていたとしても、これは彼女の心が弱いという訳では決してない。そうなるのは無理もない話だ。あのヒーロー達と事後処理を行っていた警察の方が呟いていたのを聞いたんだが、今回現れた(ヴィラン)の集団が暴れ回った結果、死亡した人は10人、負傷した人は42人にも到達したのだそうだ。

 

 恐らくは、警察の方々も俺の対峙した筋肉の化け物とも言うべきシリアルキラーを長年追ってきたのだろう。

 「凪がいなければ、死亡した人はこの2()()()()になっていたかもしれない」という呟きも、俺は確かに聞いた。今回起きた悲劇は、もはやただの事件で済まされる話ではない。大が付くほどの虐殺事件なんだ。

 

 そんな虐殺事件を前にして、平然としていられる子供はそう居ないだろう。

 

 敢えて自虐的な言い方をするが、俺がおかしいんだ。子供ながら前世の記憶を憶えており、(ヴィラン)が生温い程の化け物と対峙してきた。……人の死に多く触れ過ぎた。慣れ過ぎた。それだけの話だ。だから、俺自身は何ともない。何の問題もない。

 俺が例外なだけであって、誰も姉さんを責めることなど出来ない。そもそも、そんなことは俺がさせない。

 

 閑話休題。もしもの時に備えて、俺達を診た医師は気分安定剤を処方した。俺に対し、「最低でも一ヶ月の間は、お姉さんの目に付く場所で側についていてあげなさい」とアドバイスをくれた。それと同時に「君自身も何かあったら遠慮なく教えてね」と俺のことを気にかけてくれた。

 申し訳ない……と思うよりも、医師の心遣いに感謝した。

 

 それはそうと。姉さんから聞いたんだが、戦いの最中には俺の右腕にあるはずの"痣"は左頬へと移動していたらしい。膨大な力が左頬へと転移し、全身に行き渡るかのような感覚がしたのはそれが理由なんだろう。右腕に腕輪のようにして巻き付いている時には、力を抑えているのかもしれないな。

 更に、昔聞いた話によれば、炭治郎の"痣"は時折形を変えていたらしい。言われてみれば、炭治郎が鬼になった時にもいつもとは形が変わっていたように思う。俺の場合は、位置が変わるのかもしれない。……これでも"個性"ではないのだから、不思議で仕方のない話だ。

 

 それともう一つ、気が付いたことがある。奴と戦闘している最中、一瞬だけ奴の肉体が透き通って見えた。筋肉、内臓、骨……。体を透かして、その全てを見ることが出来た。覚えている限りでは、頭が本当に透明になっていくかのような感覚がした後にそうなっていた。分かりやすく言えば、頭が自然と無駄なことを一切考えないような状態になりつつあった……と言ったところか。

 

 俺とて、空手のような型のある武術を習う者の端くれ。全く同じでなくとも、似たような経験をしたことはある。最初こそ型を覚えきれていない状況なのだから、一つ一つを丁寧に覚え、思い出し、考えながら行う。そんな状況下では当然上手くいかないし、どっと疲れが押し寄せるものだ。

 だが、何度も何度も動きを繰り返して「()()()()()」を頭に叩き込むことで体が動きを覚え、ごく自然と動けるようになる。

 そこから更に稽古を続けて精度を引き上げることで無駄な動きや力が削ぎ落とされ、疲れも溜まりにくくなる。考える必要が無くなったその状態でただ動きに集中していると、不思議なことに頭が真っ白になる現象が起きる。

 

 視界が透き通って見えるようになるのは、それと同じような行動の果てに辿り着く境地なのだろう。そうなった原因は、考え得る限りだと水の呼吸の型を定期的に舞っていたおかげと言ったところか……?

 

 前世、無惨との戦いの際に悲鳴嶼さんが「無惨の体を注視しろ!体が透けて見えないか!?」(意訳)といった(むね)の呼びかけをしていたのを覚えている。彼の狙いは、恐らくは俺の立ち入った境地を見せることであったのだろう。発言からして、悲鳴嶼さんはそこの境地に立ち入った経験があると思われる。俺は無惨の攻撃を受け流すことに集中していた為、それに応えることは出来なかったし、不死川も道を切り拓くのに必死だった。それに応えたのは伊黒のみ。――伊黒がそこに到達したかどうかは定かではないが――

 

 その境地に俺が踏み入れた原因が考え通りでなかったとしても、俺が水の呼吸の型を舞うことを思い付き、始めた際に考えていたことは何にせよ合っていたはずだ。これからも手を抜くことなく励もうと思う。

 

 

 

 

 

 

 戦いの中での気づきを思い出しながらも、病院での診断を終えた俺達は、続いて事情聴取の為に警察署へと連れられた。

 

 そして、警察署に着くなり、現場に駆けつけてきた二人のヒーローに両親の命の危機に間に合わなかったことを詫びられた。全身全霊を懸けて現場まで駆けつけてくれた二人を責めるというのはお門違い。それを俺も姉さんも分かっていた為、その場は何とか頭を上げてもらって事を次に進めることにしたが……。少なくとも、これが出来るということは彼らは金や名声目当てでヒーローをやっている訳ではないだろう。

 

 閑話休題。その後の事情聴取はそれぞれ別室で行われ、俺の事情聴取を担当した警部の方は塚内直正と名乗った。曰く、彼はかのNo.1ヒーロー……オールマイトの親友に当たるらしく、これまでも幾度となく(ヴィラン)の引き起こした事件やそれの捜索に関わってきたのだそうだ。軽い自己紹介を聞いた瞬間、塚内さんとは長い縁になりそうだと何となく思った。

 

 事情聴取自体は滞りなく進み、思ったよりも呆気なく終わった。……終わったのはいいんだが、室内の空気が少し重々しい。

 

 白塗りの壁に囲まれた中にポツンと置かれた、ヘッドライト付きの灰色の机に、俺と塚内さんが対面する形で置かれたパイプ椅子。こっちの気が滅入る程のシンプルな作りをした部屋。その中に居るのは、俺と塚内さんだけではない。現場に駆けつけた二人のプロヒーローもこの場にいる。そんな彼らに囲まれ、気分は罪状を事細かに暴かれている犯罪者だ。

 

 まあ……ここから何をするのかは、俺自身も予想がついてはいるのだが。

 

「……うん、事件の詳細はよく分かった。思い出すだけでも辛かったろうに、細かく説明してくれてありがとう。さて……事件の話題はここまでにして、だ。本題に移ろう。事件のことを聞くのも大事っちゃ大事なんだが、君の今後を思えば、こっちの方が大事だと思うんだ」

 

 朗らかに微笑みを浮かべた状態から一転。塚内さんは、真剣な面持ちになる。

 

 この顔は……子供を説教する時の顔だ。

 

「冨岡君。……()()()()()()()()()()()()()()()()、分かってるかな?」

 

「……はい」

 

 尋ねられてるのは、俺があの筋肉の化け物を相手に立ち向かったことについてだろう。……そうだ、俺は全部分かった上でやったんだ。だが、危険だからと引き下がれば多くの人の命が奪われていた。それも分かっていた。俺の守りたいものを奪われたくはなかった。だから、動いた。

 

「……分かってる上で動いたのか。なら、その上で聞かせてもらう。お前を突き動かしたものは……何だ?」

 

 駆けつけてきたヒーローの片方……どこか見覚えのある、見知らぬ他人から見れば小汚いという印象が第一に出てきそうな黒ずくめの男性の方が尋ねてくる。鋭く、俺を見定めんとする裁判官さながらの目で。

 

 俺は、その目に臆さず答えた。

 

「危険なのは分かっていました。人は、いつ何が原因で死ぬのか分からない。現に実力派のヒーローであった父も死んでしまった……。子供の俺が危険を冒す必要はなかった。プロの貴方方からすれば、そう思うかもしれません」

 

 プロヒーロー達が俺の考える通りの意見を持っていると仮定しよう。……その考えは正しい。その通りだと思う。

 

 俺だって、鬼と命のやり取りを繰り広げる中で一般人が首を突っ込もうとしていれば「逃げろ」と制するし、怪我してまともに動けない隊士がいれば待機するように"柱"の権限を使って命令を下す。今世におけるヒーローや、前世における鬼殺隊。これらのような特定の脅威を退ける為の専門職が存在するのは、一般の人々を危険に巻き込まないようにする為だ。

 

 俺が仮にプロヒーローであったのなら、同じように子供を説教するはずだ。

 

 そんなことを改めて考えながら、俺は続ける。

 

「でも、あの場にはヒーローが必要でした。職業としてのじゃない。()()()()()()……()()()()()()()()()()()が。プロヒーロー達を待っていれば、更に被害が拡大していました。誰かが救けなければ、更に多くの命が奪われていました。俺の姉も、この惨劇で心を痛めた。あれ以上に人々の命が脅かされるのは、笑顔が奪われるのだけは……絶対に嫌だったんです」

 

 述べた後で、黒ずくめのヒーローの目を見つめ返す。

 

 自分のしたことに後悔はないとは言え、でしゃばったことをしたのも事実。その後で俺は頭を下げて謝罪した。

 

 数秒間の沈黙が部屋を支配する。その沈黙を破ったのは、誰かのため息だった。

 

 それを合図に顔を上げてみると、微かに目を見開く塚内さんと金髪のヒーロー、やれやれと言わんばかりに額を押さえる黒ずくめのヒーローが目に入った。

 

「本当の意味のヒーロー……か。はは、子供にしちゃでっかく出たな!」

 

「ったく……。考えが達観しすぎだろう……」

 

「まあまあ、イレイザーヘッド。それだけ彼の父親である凪が冨岡君を立派に育て上げたって証拠じゃないか」

 

 金髪のヒーローは満足気に笑い、イレイザーヘッドと呼ばれた黒ずくめのヒーローはこれからが大変になりそうだ、と言わんばかりに天井を見上げ、塚内さんが彼を(たしな)めた。

 直後に、金髪のヒーローが「根性ある奴だと思わねえか?イレイザー」などと言いながらイレイザーヘッドを肘で小突いた。小突かれた本人はというと、絡まれること自体に気怠さを感じているようななんとも言えない表情をしていた。

 

 そして、彼のヒーロー名を聞いた時にやっと思い出した。イレイザーヘッドは……俺が4歳の時の個性診断で会ったヒーローだ。俺の"痣"が"個性"か否かを確かめる為に呼ばれ、"抹消"によって"個性"の消去を試みたあのヒーロー。成る程、どうりで彼に見覚えがあった訳だ。

 

 ウザ絡みではないのかと思う程に絡む金髪のヒーローと、彼から目を逸らして無視の姿勢を貫くイレイザーヘッドとを交互に見ていると……。

 

「冨岡君」

 

 こちらに向き直った塚内さんに声をかけられた。

 

 しばらく俺を咎めた時の顔をしていたかと思えば、すぐに微笑みを浮かべて続ける。

 

「君の行動は、危険だとか無茶だと言われても仕方がない。君は"痣者"である影響もあって、ごく普通の無個性の人とは違って多少なりとも戦える力があったかもしれない。でも、一般人だということには変わりないんだ」

 

「今回ばかりは何かしなければ殺されていた状況下にあったとは言えど、自ら危険に身を投じる行為は褒められるようなことじゃない。勿論、『抵抗するな』とか『見捨てろ』とは言わないけれどもね。とは言え、相手に対抗して攻撃するんじゃなくて自衛やお姉さんを守ることに徹する手もあったんじゃないかな?冨岡君ならそれが出来たんじゃないかと思うんだけれど……違うかい?」

 

 微笑みながらも塚内さんが尋ねる。実際はそんなことはないのだろうが何となく俺の本質を見抜かれている気がして、その問いには答えられなかった。

 

「一般人の君を危険な目に遭わせない為にも国家資格を取得して公に信頼されるプロヒーローがいるし、君が無茶な行動をすれば心配をする人がいる。それを分かっているから、僕はこうやって一人の大人として君を咎める。……そのことをくれぐれも忘れちゃいけないよ」

 

「……はい」

 

 「僕の親友のようにだけはなっちゃいけないぞ」と笑いながら言う塚内さんを見ながら、この人は子供の扱いと説教が何たるかをよく分かっている人だと思った。

 

 子供が悪いことをすれば、勿論叱るのも大事だ。ただし、ガミガミと叱ってばかりではひねくれて理解をしようとしない子供もたまにいる。それに、「説いて教える」と書いて説教だ。ガミガミと叱ることが説教ではない。教え導く為に言い聞かせることが説教だ。前者の方はただの叱咤でしかない。何でもかんでも叱れば、自然と説教になる訳ではない。そのことを塚内さんはよく分かっているのだろう。

 

「塚内さん、少し彼から時間を貰ってもよろしいですか?この子とは個人的に話したい」

 

 塚内さんが話し終えたのを見計らっていたようにイレイザーヘッドが言った。

 

「私としては構いませんが。……冨岡君、大丈夫かな?」

 

 塚内さんご自身は問題なしということで、確認を取ることもあって俺に視線を向けた。

 

 取り敢えず、俺自身も何も問題はないので屈託なく頷いておいた。

 

「……冨岡君の方も大丈夫なようです」

 

「ありがとうございます」

 

 時間に問題がないのを知ったイレイザーヘッドは、どこかホッとしたような雰囲気で頭を下げた。

 

 イレイザーヘッドの様子を見た金髪のヒーローは、どこか楽し気な笑みを浮かべている。言うなれば、大スクープを見つけた時のマスコミのような。

 

「イレイザー。そいつのこと、余程気に入ったみたいだな」

 

 金髪のヒーローが楽し気な笑みを浮かべたまま、イレイザーヘッドと一方的に肩を組もうとすると……。

 

「マイク。お前は昔から人の感情を勘繰るのが好きだったな。それで余計なことを口走って俺にボコられた回数を何回だと思ってる?……次に同じことをやってみろ。俺の捕縛布でお前の口を塞ぐぞ

 

 髪を逆立て、獲物を屠る狩人のような赤い眼光の走る鋭い瞳を向けたイレイザーヘッドが、威嚇するようにして金髪のヒーローの腕を鷲掴みにしながら言った。

 

「こ、こいつァ、シヴィー……!今度何か奢ってやるからそれで許してくれ……」

 

 お怒りな様子のイレイザーヘッドを見た彼は、合掌したまま顔を真っ青にし、そそくさと部屋から出ていく。

 

「あはは……程々にしてあげてくださいね、イレイザーヘッド。それじゃあ、一足お先に」

 

 塚内さんも、怒られるのだけは勘弁だと必死に謝罪する子供のような様子の彼を見送ると、苦笑しながら彼に続いて部屋を出ていった。

 

 ……まあ、何にせよだ。金髪のヒーローとイレイザーヘッドは仲が良いらしい。部屋を出て行く金髪の彼を見送りながらもため息を()くイレイザーヘッドからは、疲れは感じ取れるが心の底からの嫌悪感は感じられなかったから。

 

「……済まんな、俺の知り合いが。所謂(いわゆる)、腐れ縁ってやつでな」

 

 俺の反対側のパイプ椅子に腰掛けながらイレイザーヘッドは言う。大して気にしていない、と返しながら俺は言った。

 

「仲がよろしいのですね」

 

 イレイザーヘッドは、俺の言葉を聞くと目を見開きながら固まる。「どうしてそう思った」と尋ねられている。口で聞かれなくとも、彼の目で分かった。

 

「絡まれたことによる呆れや疲れは感じられますが……心の底からの嫌悪感は感じませんので。それに、戦闘中のコンビネーションを一眼見れば分かりますよ。互いに信頼し合っていると」

 

 俺は微かに笑いながら、先程思ったことと二人の戦闘を見ていて思ったことを述べた。

 

 それを聞いたイレイザーヘッドは、呆気に取られたように何度も瞬きして一言。

 

「……最近の子供は観察眼にも優れてるのか……」

 

 不思議な子供だ、と言わんばかりに頬をかくと、今度は彼の方が話を切り出した。

 

「俺のこと……覚えてるか?三年くらい前になるが」

 

「覚えてます。思い出したのは、貴方のヒーロー名を聞いてからですが」

 

「……そうか」

 

 どうやら、彼としても覚えられているかが気がかりだったらしい。覚えられているのが分かった後は淡白な返事を返していたものの、ほんの少しだけ嬉しそうだった。彼もまたヒーロー。ヒーロー名で覚えられているのは嬉しくない訳ではないのだろう。

 

「……改めて謝らせてくれ。お前の両親をむざむざと死なせてしまって済まなかった」

 

 数秒の沈黙が流れた後、イレイザーヘッドは再び頭を下げてきた。

 

 やはり、人の死とは他人の記憶に強烈に刻み付けられるものだ。一言一句から、彼の自分の無力さに対する嘆きと現場に間に合わなかった後悔が感じ取れた。

 

 ……この人は、イレイザーヘッドは……父のように"良いヒーロー"だ。

 

 そう確信しながら、俺も言葉を返す。

 

「……顔を上げてください。貴方方が現場まで必死に駆けつけてくださったのは判っています。確かに父は死にました。でも、それで間に合わなかったお二人を責めるのはお門違いですよ。人の命を救わんとしても、その手が届かなかった……。その苦しみや辛さは図り知れない。一番悔しいのがお二人なのは判ってます」

 

 ――それに、俺もそんな思いを何度もしてきましたから。

 

 「一番悔しいのがお二人なのは判ってます」の後に紡ごうとした言葉は、俺自身の内心だけに留めておいた。

 

 俺達は人間だ。全知全能の神ではない。体力や生きる年月に限界があるし、手の届く範囲にあるもの全てをその手で掴み取れる保証もない。

 

 前世、"水柱"であった俺とて、そんな思いを何度もしてきた。友を……錆兎を失った時も。真菰が最終選別で死んだのを察した時も。しのぶの姉、カナエが死んだのを知った時も。いざ駆けつけたは良いが、炭治郎の家族は禰豆子しか残らず、残った彼女も鬼に変えられたのだと知った時も。煉獄が死んだのを知った時も。お館様が己の身を顧みず無惨を攻撃した時も。しのぶが、時透が、不死川の弟が、悲鳴嶼さんが、甘露寺が、伊黒が……。多くの隊士達が無惨との戦いの中で死んだと知った時も。

 

 もはや数えきれない。下手をしたら、俺はイレイザーヘッドよりも人の死に触れてきたかもしれない。だから、彼の気持ちはよく分かる。

 

 イレイザーヘッドは、俺に促された通りに顔を上げると……笑った。

 

「そう言われると救われるが……ませてんな、お前」

 

「ええ、俺自身が一番自覚してます」

 

 彼の冗談とも本気ともつかない言い方に、俺も笑いながらそう返す。

 

 対する彼は、再び真剣な面持ちになった。

 

「まあ、繰り返すようだが……お前の行動は危険そのものだ。塚内さんの咎め方は公としてのやつだな。個人的に話せる場だからこそ、今度は一人のヒーローとして言わせてもらう」

 

 俺も、彼の雰囲気に自然と背筋を伸ばして姿勢を正しながら言葉の続きを待つ。

 

「誰かの命を救けたい。この場にいる人の笑顔を守りたい。その思いは正しい。発言からして、お前もヒーロー目指してんだろう。本当のヒーローって意味では行動も正しいかもしれんが……職業としてのヒーローからすれば、最善であれど正しくはない行動だ。だから、褒められないのさ。お前が思った通りの考え方がプロヒーローにない訳じゃない。だが、それは俺らプロヒーローが現場にいる場合の話になる。一般人の介入で事態が悪化するって可能性もある訳だからな」

 

 大方、俺の考えていたことは合っていたようだ。机上で組んでいた手を組み替えながらイレイザーヘッドは続ける。

 

「塚内さんも仰ってたが、俺らからも『じっと見てろ』とは言わねえよ。特に、今回みたいなプロヒーローがいない且つ抵抗しなきゃ死ぬって場面ならな。俺らプロヒーローがいるってんなら、『自分達に任せればよかった』と叱るだろうが。ヒーロー志望にとっちゃ、身内や他人の危機に瀕しても動くなって言う方が無茶だ。……ヒーロー目指す以上、それが誤りだとしても正しい行動なら押し通さなきゃいけない時もある。ただ、正しくない以上は褒められない。それだけでも覚えとけ。どうせやるんなら、正しいやり方でやって信頼を勝ち取れ」

 

「とは言え、だ」

 

 そう言うと、イレイザーヘッドは事後処理に向かった時のようにして荒っぽくも俺の頭を撫でてきた。

 

「お前が動いた責任は、もっと早く駆けつけられなかった俺達にもある。そこに関しては済まなかった。その一方で、お前が動いたおかげで助かった命がいくつもある。一個人のヒーローとしちゃ、感謝しなきゃいけない。俺達の代わりに多くの命を救けてくれてありがとうな。この恩は、亡くなったお前の父親の分まで人々を救けることで返そう」

 

 プロヒーローとしての立場上、こうして個人的に褒めてやることしか出来ないことを申し訳なさそうに謝罪する彼の目は……暖かかった。

 

 同時に、もう父や母からはこういった愛情を受けられはしないのだと痛感させられる。――涙は出なかった。だが、底無し沼のように深く、果てない喪失の痛みが心の奥深くを突いた。

 

 悲しみの感情ばかりではない。人々を救けた事に対する感謝を述べられた嬉しさもある。失った痛みを塗り替えるようにして活力が湧き上がってきた。

 

 この気持ちだけは絶対に忘れない。強くそう誓った。

 

「……相澤消太」

 

 その声に、俺は自分の手元に下ろしていた視線を上げた。

 

「俺の名前だ。日常の中でもヒーローネームで呼ぶのは合理的じゃない。長いしな。……だから、名前の方で好きに呼んでくれりゃ良いよ」

 

「……分かりました、相澤さん」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながらそう言う彼に、俺も微笑んで返すと、イレイザーヘッドこと相澤さんはそれで良いと言わんばかりに微笑んだ。

 

 その後、相澤さんとは軽く世間話をした。互いの好きなものだったり、ヒーローのことだったり、俺の父のことだったり。

 

 話を通して、互いに気軽に話が出来るくらいの仲にはなったものの、この時の俺は……相澤さんとも長い縁になるとは知る由もないし、思いもしなかった。



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第十話 オールマイト

 事情聴取を終えた後の帰りは、塚内さんに送ってもらうことになった。塚内さんご本人が警部であることもあって、当然ながら交通ルール遵守の安全運転。観光客や学生を送迎するバス並みと同じくらいに危なっかしさの無い運転だった。

 

 自動車なるものが生活の中でメジャーになるとは、大正時代に生きる人間の誰が考えたろうか。大正時代の時点でも自動車は存在したと言えばしたのだが、今のようには広まっていない。今の日本のことを知ろうと暇さえあれば歴史書に目を通すなんてこともやっていた為、その辺も少しは分かる。日本で最初に車を大量生産したのは三菱重工業だったはずだ。

 

 ……まあ、車の話は一先ず置いておこう。

 

 後ろへ後ろへと過ぎ去っていくビルや街灯にいくつもの店。車に揺られながら、それとなく風景を眺めていた時。ぐっと体を横へと傾けられるような感覚がして(わき)を見てみると、俺の着ている藍色のTシャツの袖口を握る蔦子姉さんの姿が目に入った。

 

 姉さんから、何か話があるのは明らかだった。

 

「……どうしたの?姉さん」

 

 どこか言いにくそうにしていた為、俺の方から話を切り出すことにした。

 

 俺を見つめ返す姉さんの顔は、どこか悲しげだった。

 

「……あのね、義勇。義勇が変わらず強いのは私も分かった。でも、貴方がヒーローになったら……あんなに凶暴な(ヴィラン)と戦わなきゃいけないんだって思ったら、怖くなっちゃったの。ねえ、義勇……。どうしても、ヒーローになりたいの……?」

 

 ヒーローになることを拒むのは、俺の夢への道を断つことになるのを理解しているのか……姉さんは、選択肢に迷っているようだった。俺の夢を応援するか、道を断ってでも俺の無事を取るか。その二つだろう。

 

 こうして帰りながら、また色々と考えた。相澤さんと話して考えた。

 

 俺は自分の考えを素直に述べる。

 

「姉さん。俺が目指すのは本当のヒーローだ。必ずしも、姉さんの言う職業のヒーローになる必要はないかもしれない。でも……俺は、今日多くの人の命を奪った(ヴィラン)のような脅威から人々の笑顔を守りたいんだ。それに、俺の思う本当のヒーローを誰かに知ってもらいたい。そう強く思ったんだ」

 

 相澤さんと話を交わす中で、ヒーローの話もしたのだが……。彼曰く、金や名声の為だけに活動するヒーローが増えてきているらしい。悲しいことだが、これも"ヒーロー"が職業になった故の影響なんだろうか。それらの目的の為に活動している結果、覚悟もない。熱意もない。No.1ヒーローのオールマイトや、彼を筆頭とするトップヒーローに社会を任せきり。彼らはそういった情けない人物ばかりらしい。相澤さんも、呆れ気味に社会の現状を嘆いていた。

 

 同時に、「お前がヒーローになってくれれば、社会は大きく変わるかもな」と期待を寄せてくれていた。

 

 そんな情けない現状を知ったからこそ、俺自身がヒーローとなって、指標とならねばならないと強く思った。俺の思う本当のヒーローを知ってもらわなければと思った。それに透とも約束したしな。

 

 (ヴィラン)と対峙する機会に背中を向けることで誰かの笑顔が奪われる。それも、もう懲り懲りだ。

 

「だから、今の俺には別の道を行く選択肢はないんだ。ごめん、姉さん。姉さんの気持ちも分かるけど……俺は自分を曲げたくない。代わりと言ってはなんだけど、約束するよ。姉さんを心配させないくらいに強くなるって」

 

 蔦子姉さんへ向けて微笑み、俺は言った。

 

 姉さんは、呆気に取られたように目を見開いて硬直するも、その後に観念したように微笑んだ。

 

「……もう決めたことなのね。分かったわ。義勇、約束よ。もうお姉ちゃんを心配させるようなことはしないこと。私には、もう義勇しか残っていないから……」

 

「うん……約束だ」

 

 二人で指切りを交わし、俺達は笑い合う。

 

 ゆびきりげんまんの歌に乗せて指切りをし、それを終えた途端。姉さんは、満足そうに年相応の花のような可愛らしい満面の笑みを浮かべると……ぎゅっと俺の手を握ってきた。

 

「義勇。たまには、お姉ちゃんに甘えてくれてもいいのよ?」

 

 姉さんが慈愛の女神のような優しい笑顔でそう言うが……感情を表すことにおいて、体は正直だ。その手の握り方は、絶対にこの手を離さないでね、弱いお姉ちゃんでごめんねと言わんばかりのものだった。

 

「……姉さんこそ。もっと俺を頼ってくれ。もう強がらなくたっていい。俺が姉さんを守るから」

 

 本心を察した俺は、微笑みを崩さずに手を握り返して言った。

 

「ふぇ……?え、えっと……な、なんのことかな?勘繰りすぎるのも良くないと思うな〜」

 

 姉さんは、肩を跳ねさせながら顔を逸らした。目線は、きっと自分のついた嘘がバレた時のようにして明後日の方向を向いているのだろう。

 

 だが、俺の耳が聞き逃すことはなかった。

 

「……ありがと、義勇」

 

 姉さんとしては俺に聞こえないように言ったつもりだったのだろうが、俺の耳は彼女の言葉をしっかりと捉えた。

 

 姉さんの俺に対する感謝の言葉を耳にして、姉さんのことは俺が守るんだ、と強く誓った。

 

 同時にふとルームミラーを見てみると……俺達の話を聞いていたからか、そっと微笑む塚内さんの姿が目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父と母を亡くしたあの事件から数日後。様々な手続きを終えてから、父と母の葬式が行われた。

 

 身内である俺と蔦子姉さんは勿論、親戚や近所の知り合い、小学校の友達やその両親が訪れた。しかも、それだけではない。

 

 俺は勿論、姉さんや父とも母とも全く関わりのなかった他人や、プロヒーローまで……多くの人が父と母の葬式に訪れた。葬式とは思えない規模だ。

 

 どうしてこうなったのかは察しが付く。父のヒーローとしての知名度の影響だろう。別に身内のみで葬式をやるとは言っていないから、こちらがどうこう言う義理はないのだが……。こうまで他人に来られるとなんだか複雑な気分になる。宝くじの一等を当てて大金持ちになった結果、知らない親戚が大量に増えたとかいう話を聞いたことがある。その時もこんな複雑というか奇妙というか……そんな気持ちになるのだろうか。

 

 だが、それと同時に、父がどれだけ多くの人に慕われていたヒーローだったのかを実感した。父と母を失った悲しみで出来た心の穴は、簡単に塞がるものではない。しかし、父が多くのヒーローに慕われていたことを知った喜びがほんの少しだけ悲しみをマシにしてくれたようには思う。

 

 火葬や細かい措置は後日になり、その日は式を終えたら解散することになった。

 

 式場を去っていく人々の背中を見るとはなしに見ていた俺は、たった一人、父と母の遺影の前にポツンと立った。

 会場自体は子供が何十人で遊び回ったとしても余りあるくらいの広さで、この世界に俺一人しかいないかのような感覚になった。そのすぐ側には二人の遺体を収めた棺があり、周囲は色とりどりの花で飾られている。さも彼らの冥福を祈るかのように。

 

 ……そういえば、前世死んだ後に見たあの風景も、こんな風に壮大な花畑が広がっていたな……。

 

 遺影に写された二人は微笑みを浮かべている。ほんの少し前まで、数日前まではこんな笑みを浮かべて幸せに過ごしていたというのに。父は人々を救って、彼らをこんな笑顔にしていたというのに。

 

 ――嗚呼(ああ)。人生とは、なんて理不尽なのだろうか。

 

 その理不尽さを思うと、止めどなく涙が溢れてきた。本来なら、父と母を亡くした悲しみで泣くべきなのに、俺はこういうことで涙が出てくる。

 俺の価値観は、普通の子供とは、普通の人間とは違うのだと思い知らされる。やはり、前世の経験は良くも悪くも俺を普通には生きられなくしたのだろう。

 

「父さん、母さん……。二人の繋いでくれた命、無駄にはしない。蔦子姉さんは、何があっても守る。二人の代わりに俺が守るよ。だから、安心して見守っていてくれ……」

 

 零れ落ちる涙も拭うことなく、拳を握った感覚がしばらく手に残ってしまう程に強く拳を握りしめ、黙祷を捧げた。

 

 ……黙祷を捧げて一分程が経過したろうか。肩を叩かれた感覚がして目を開き、振り仰ぐと――

 

「!相澤さんと……山田さん……?」

 

 喪服姿の相澤さんと山田さんの姿があった。黒一色に統一されたスーツとネクタイ。それと見た目の影響もあってか、普段の彼らとは印象が大きく違った。相澤さんは伸ばしていた髭を全部剃って、長く伸びた髪を首の辺りで一つにまとめているし、山田さんもヒーロー活動や日常でもつけているらしいサングラスを外していた。――因みに、山田さんは先日、相澤さんことイレイザーヘッドと共に駆けつけたもう一人のヒーロー。ヒーロー名は「ボイスヒーロー・プレゼントマイク」で、本名は山田ひざし……だそうだ。相澤さんが教えてくださった――

 

 どうやら涙が零れ出たままだったらしく、相澤さんは何も言わずにハンカチを貸してくださり、山田さんは相澤さんと俺を交互に見やっていた。それも、困惑するように。

 

 そして、俺が涙を拭ったのを見計らって、山田さんが尋ねてくる。

 

「なあ……ヒーローネームで呼ばれるのは分かるんだけどよ、なんで本名知ってんだ?てか、俺まで本名で呼ぶの?」

 

 何故に彼が困惑しているのかは分からないが、俺は素直に答えた。

 

「ヒーローネームも本名も相澤さんが教えてくださいました。今は人が集まっていますし、ヒーローネームで呼んで正体を知った人々に寄ってたかられるのもご迷惑かと思いまして……」

 

 その後に「本名で呼ぶのは駄目でしたか……?」と付け加えて尋ねる。山田さんの困惑したような態度から、本名は公開していないだとか何らかの理由で本名呼びはNGだったのかもしれないと思ったからだ。

 

「え"っ、いや、駄目じゃないけど……。普段、名前の方で呼ばれないから驚いちまってな」

 

 本名はNGだという訳ではなかったらしく、俺はホッとした。知らぬ間に他人の地雷を踏んで気まずくなるなんてことは懲り懲りだからな。

 

「おいおい、マイク。向こうが気を遣ってくれてるんだぞ。子供の気遣いを無駄にする気か?」

 

「ごめんて……。気ィ遣ってくれたんだよな。サンキューな」

 

 そんなことを言いつつ俺の頭を撫でる山田さんの後ろで、相澤さんは顔を背けて笑いを堪えるように震えていた。あの言い方は、揶揄(からか)う意味を込めてのものだろう。なんとも仲のよろしいことだ。

 

 俺も突然本名で呼んだことを詫びると、山田さんは「俺のこたァ、どうでもいいぜ」と話題を切り替えた。

 

「ごめんな、辛い思いさせて」

 

 その口から出てきたのは、謝罪の言葉だった。大方、山田さんは俺が涙を流した理由を父と母を失った悲しみによるものだと考えているのだろう。

 

「いえ……。確かに父と母が亡くなったことは悲しいし、辛いし、悔しいです。でも……俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺の言葉を聞いた山田さんは何度も瞬きをして硬直し、相澤さんはやっぱりそうか、と言わんばかりに俺を見つめていた。相澤さんは、俺が大人びている……もとい、ませていることをご存知なので、特に驚きはなかったろうな。

 

「……こういう言い方するのは、自分でもどうかとは思うんだけどよ……。ませてんのな……」

 

「自覚してます」

 

 苦笑しながら、再び俺の頭を撫でる山田さんに対し、俺は微笑みながらそう返す。

 

 すると、相澤さんが何かを思い出したかのようにして話を切り出した。

 

「そういえば……あの時はお前の気持ちを聞かず、憶測のままで話を進めてしまったな。改めて聞かせてくれ。……将来はヒーローになるつもりか?」

 

 ……そういえばそうだった。結果的に相澤さんの憶測は合っていたから、俺も何も言わなかったが……明言はしていなかったか。

 

 俺は迷うことなく返した。

 

「そのつもりです。俺がヒーローになることで、自分の思う本当のヒーローを多くの人に知ってもらいたいんです。友達とも約束しました。それに……今回のような悲劇を繰り返させる訳にはいかない。俺の知らぬ間に誰かの笑顔を奪われるのだけは嫌なんです」

 

 こちらに関しても、やはりか、と言わんばかりに相澤さんは微かな笑みを浮かべた。しかし、直後に俺の覚悟を試すかの如く狩人のような鋭い瞳をして問うた。

 

「……"痣者"。お前達の父親を殺した(ヴィラン)を容易く退ける強さ。この二つを鑑みたとしてもだ。お前が無個性であることには変わりない。多くの者が持っているものを持っていないのは、大きなハンデになるぞ。無個性のヒーローなんて前例もない。お前の行く先には途方もない試練が待ち受けているだろう。それでも……やる気か?」

 

 途方もない試練……か。確かにその通りだろう。無個性だからと俺の夢を受け入れない輩もこれから出てくるかもしれない。でも、既にそれよりも辛い地獄のような経験をしているんだ。……それに比べれば、どんなことも辛くないと思える。

 

 だから、俺は揺るがない。

 

「やってみせます」

 

「……そうか」

 

「とっくに覚悟は決まってるみたいだな」

 

 問いにも迷いなく返した俺を見たお二人は、嬉しそうに笑っていた。その雰囲気が一児の子の成長を喜ぶ親のように思えた。

 

「義勇。ここにいたのね」

 

「姉さん」

 

 俺を呼ぶ声に振り返れば、制作姿の蔦子姉さんがいた。俺より6歳年上の姉さんは、とっくに中学生。子供時代は既に終わりを告げており、制服姿はどことなく大人びた印象がある。

 

「弟君、強い心の持ち主だな。こいつァ姉ちゃんに似たのかな?」

 

「そんな、私なんか全然。本当頼もしい限りですよ」

 

 微笑みを浮かべて会話を交わす姉さんと山田さんをそれとなく見守っていると。

 

「……少年。君が凪の息子さんかな?」

 

 眩しく輝かんばかりの光を錯覚させるような強大な気配がすると同時に、心の底から安心感を覚えるような声が降りかかる。

 

 俺が咄嗟に振り返ると、そこにいたのは2mを軽く超える背丈を持つ男性だった。彼の着ている喪服はパツパツで、彼がどれだけ己の肉体を鍛えてきたのかが見てとれた。よくこの巨躯で喪服を着られたものだ、とある意味感心する。

 そして特徴的なのは、画風が違いすぎる顔にアルファベットのVを思わせる前髪。その顔に浮かぶのは、どんな時でも絶やされない笑顔。口角を上げて見せつけられた白い歯が、キラリと輝いた気がした。

 

 その男性の正体とは――

 

「オール……マイト……!?」

 

「YES!私が来た、ってね」

 

 言わずと知れたNo.1ヒーロー。人々が慕い、"平和の象徴"と謳われるヒーロー……オールマイトであった。

 

 俺とて、彼のことはテレビを通してでしか見たことがない。父は彼と会ったことがあるらしく、何時ぞやか「画風が違った」とか、「自然と体が強張った」と言っていたが……俺は今、それをこの身で体感していた。

 

 思わず息を呑む。恐らく、姉さんも同じような状況にあるだろうと思う。それほど長い時間言葉が出なかった訳ではなかったのだが、いつの間にやら1分が経過していそうな気さえした。

 

「因みに、こっちはサイドキックの……」

 

「サー・ナイトアイ。以後、お見知りおきを」

 

 オールマイトがサイドキックであるヒーローを紹介したところで、唖然とした状態から引きずり戻された。

 

 七三分けの黄色いメッシュが入った緑髪で、一般のビジネスマンと言った出で立ちのヒーロー……サー・ナイトアイが金縁の眼鏡のブリッジを指で押し上げながら丁寧に一礼しているのを見て、俺も咄嗟にお辞儀を返した。

 

「……ご丁寧にありがとうございます。俺は冨岡義勇と申します。お察しの通り、凪は俺達の父親です」

 

「と、冨岡蔦子です。わざわざ足をお運びいただけるなんて、光栄です……!きっと、父や母も喜んでいると思います。義勇は私の弟なんです」

 

 後から慌ててやってきた姉さんも、俺の隣に立って一礼した。

 

「はは、丁寧にありがとう。……うん、二人ともご両親の面影があるね。よく似ている。凪は立派なヒーローだった。私も彼の活躍はよく知っているよ。君達のお母さんだって強い人だった。亡くなったことを聞いた時は……驚いたよ」

 

 オールマイトはそこまで言うと、一息置いた。そして、真剣な面持ちになる。……オールマイトから笑顔が消えた。少なくとも、俺は初めて見る瞬間だった。

 

「義勇少年、蔦子少女。…………済まなかった!」

 

 次の瞬間。彼は、会場の床に座り込むと深々と頭を下げ、俺達に向けて土下座した。彼に続き、ナイトアイも同じように。

 

「オールマイト!?」

 

「な、何を……!?」

 

「オールマイトさんが土下座……!?」

 

 俺達は、またも唖然とした。山田さんと相澤さんも彼らの行動に驚愕して肩を跳ねさせる。まさしく、開いた口が塞がらないというやつだった。

 

 例えるならば、これは一般の会社員が社長とその秘書を土下座させているようなもの。あってはならない……と言うよりは、起こり得る確率はゼロに等しいと言えること。俺と姉さんは恐縮しまくった。葬式の後で静まり返っていた会場がほんの少しだけざわついている。

 

 このままでは注目を浴びかねない。

 

「オールマイト、ともかく――」

 

「私が君達の元に駆けつけられていれば、ご両親が死ぬことはなかった!大変申し訳ない!!!」

 

 俺はオールマイトに顔を上げるように促そうとしたが、それよりも前に彼が謝罪の言葉を述べた。

 

「私の手が届いていれば、きっと君達に辛い思いをさせることもなかったろう……!平和の象徴たる私が、何たる不覚……っ!」

 

 ――見ている方が辛かった。その謝罪は、彼の生き様を示しているようなものだ。

 

 改めて言うが、俺達は人間だ。体力に限界はあるし、己の手足が届く範囲にも限界がある。それでも、彼は……オールマイトは、全てに手を差し伸べようとしていた。無償の平和の為に、少しでも多くの人々を救ける為に己の身を犠牲にしている。彼は、恐らくはそんな男だ。

 

 隣で土下座をするナイトアイが、「貴方は何も悪くない」とさえ、内心で言っている気がした。確信はなく、何となくなのだが。

 

 土下座をしたまま悔しさを全面に出した謝罪を聞き兼ねたのか、山田さんや相澤さんが口を開いた。

 

「やめてくださいよ、オールマイトさん。あんたが自分を責める必要はないでしょうよ。それに、俺らも誰かを救けられなかったあんたを責めるなんて馬鹿なことしませんって。態度で十分分かりますよ」

 

「この子達の親の命が散ったことを悔み、己の無力を嘆くことが出来る姿勢は尊敬します。救けられるのなら全部救けたいって気概も。ですが、俺達は人間なんですよ。全知全能の神なんかじゃない。失敗もする。俺らなんて、何度も失敗してますよ。それすらもしないようにと必死に頑張る貴方は……凄すぎると思いますけどね」

 

「し、しかし……」

 

 二人の言葉に、オールマイトは言い淀んだ。それでも、私は私自身が許せないんだと言いたげに拳を握りしめている。

 

「……お二人とも、顔を上げてください」

 

 土下座の姿勢を貫くオールマイトとナイトアイを見兼ね、俺も地に膝をつけて正座した。

 

「一見すれば、厳しいと言いますか……現実的過ぎる言い方かもしれませんが、どうかご容赦ください。俺も相澤さんの仰る通りだと思っています。……人間には限界があります。その限界を突き破って更に先へと歩みを進める者はいますが、そう多くはありません。完璧な人間も同じです。オールマイト、貴方とて人間なのです。人々は貴方を神のように崇め、讃えますが……俺は、貴方のことを()()()()()()()()()()()()()と、そう思っています」

 

「貴方の場合、他人を心配させない為に失敗を隠しているだけ。貴方とて、若かりし頃は未熟で多くの失敗を積み重ねたと……そう思います。だからこそ、貴方は……いや、我々人間は、手を取り合うのではないのですか?限界があるからこそ、少しでも高い目標を持って足掻くのではないのですか?」

 

「義勇、少年……」

 

 オールマイトもナイトアイも、圧倒されているように見えた。

 

 ……無理もあるまい。7歳の子供の口から、こんな持論がツラツラと出てくるのだから。

 

 彼らに掛けてあげたい言葉を思いついた瞬間、俺は口下手であることを忘れていた。口下手な自分を捨て去っていた。

 

「限界があるのを知っているからこそ、俺達は貴方を尊敬するのです。常に笑顔で人々を救けてのける貴方を。周りにこう言う人がいないのならば、俺が何度だって言いましょう。――失敗したっていいんです。人を救けることに己の全てを捧げんとする貴方を知っているから、責めることなどしません。失敗しようが貴方を受け入れる人はきっといるでしょう。俺も姉さんもそうします。貴方は己の失敗を悔める。失敗した己を恥じることが出来る。それだけで立派ですよ」

 

 この世には、自分の失敗を他人のせいにしたり、失敗しようが全く反省せずにヘラヘラとしている輩がもいる。失敗した悔しさを覆い隠す為にヘラヘラとしているのなら、まだ良いかもしれない。だが、失敗を悔まないのはあまりにも愚かしい。勿論、悔みすぎも良くないが。

 

 彼らはそれが出来る。それが分かっただけで、俺はどうしようもなく嬉しい。もしかしたら、こういう考え方をするのは、俺が人の死に慣れ過ぎているからかもしれない。

 

「オールマイト、ナイトアイ。貴方方が、父と母の命が散ったことを悔み、遺族である俺達の悲しみを背負って先へ進もうとする……。そんなヒーローであることを知れただけで、俺にとっては救いなのです。それだけで十分です」

 

「救えなかったものと向き合い、その想いを背負おうとする。その気概を持つお二人に心からの感謝を申し上げます。……ありがとうございました」

 

 言いたいことを言い切った俺は、地に額が着く程に深々と頭を下げた。

 

 流れる、数秒の沈黙。それを破ったのは――周囲からの拍手であった。

 

 波のように沸き立つ音にそっと顔を上げてみると、周囲にいる誰も彼もが俺に向けて拍手を送っていた。

 

「……義勇少年。君は……本当に心の強い少年だな……」

 

 とても優しい声だった。心の底から安心したかのような。

 

「そう言ってくれると……我々も救われる。今回しくじった分は、今後の活動で返していくと約束しよう」

 

 続くナイトアイの声は、震えている。……泣いているのかもしれない。

 

「あんなにかっこいいこと言うなんて……。大きくなったね、義勇」

 

「おいおい、バッチリ決まったじゃねえか!凄えな!」

 

「……お前が俺達と同じ場所に来る日を楽しみにしているぞ」

 

 蔦子姉さんに、山田さんに相澤さん。拍手のみならず、彼らにまで褒められた。

 

 俺はどうにも気恥ずかしく、慣れないことをするものじゃないが、たまにはこういうのもいいかもしれないなと……はにかみながら微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

 これは余談なのだが……。その後、オールマイトが俺達の生活、主に金銭面においての支援を申し出てくれた。正直、助かるには助かるのだが……そこまで世話になる訳にもいかず、恐縮しまくった俺達はやんわりと断ろうとした。

 

 しかし、彼はこれだけでも良いから力になりたいんだと懇願し、再び土下座の構え。流石に平和の象徴に二度も土下座をさせる訳にはいかず、結局は俺達が折れて快く支援をお頼みしたのであった。

 

 ……数日後に、俺達に残された口座に莫大な金額が振り込まれていたのは言うまでもない。

 

 蔦子姉さんは、その金額を見て思わず気絶しそうになっていた。

 ……ん?俺か?実は、鬼殺隊でも給料が出ていたのだが、その中でも"柱"は自分の好きな分だけ給料を貰えていたんだ。昔の日本と今の日本では金の価値も違う。昔の金額を今の金額に置き換えるととんでもない金額になったりもするので、俺は大して驚くことはなかった。

 

 まあ、その一方でヒーローがあくまで職業でしかないことを強く実感させられたのだが……。



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第十一話 強く生きる

今回はいつもよりだいぶ短めです。


 あの悲劇が起きた日から、早くも1ヶ月が経過した。結論から言うと……。俺は、医者の勧め通りに1ヶ月の間はずっと蔦子姉さんの(そば)について生活していた。

 

 医師の懸念通り、事件から一週間を過ぎた辺りから、突如として恐怖に駆られたかのような顔をしていたり、寝ている時にうなされたり、パニック状態に陥ったり、無気力の状態になったりということが増えた。

 

 そんな状況下で学校に通うのは流石に厳しい為、俺の方から姉さんの通う中学校に連絡を入れて休学を届け出た。

 

 因みに、保護者の権限が必要な場面は、あの日以来両親の代理として後見人を引き受けてくださった方にお願いした。その方が何者なのか。それはまた近いうちに話そう。オールマイトの知り合いの方とだけは言っておくが。

 ――本来は、オールマイトが後見人も引き受けようとしたのだが、「事務や書類関係は苦手でしょう」とナイトアイに諭され、後見人の役目はその方に代わられることとなったようである――

 

 俺の方も姉さんの側を離れられない状況下にあった為、休学を届け出ることにした。

 

 俺の通う小学校の方も姉の通う中学校の方も、事情を聞くなり、あっさりと承諾してくれた。子供の心に寄り添えるような心優しく人情のある人は、良い教師だと言えるだろう。

 

 通えない間の授業で差が開くのもよろしくない為、休んでいる間の授業で使ったプリントや宿題を届けてもらえることとなった。姉さんも症状が治まってから、夏休みの期間に補習を受けられることになったようだ。

 

 この1ヶ月間の生活は大変極まりなかった。何せ、これまで父や母のやっていたことを全て自分達でやらなければならなくなったからだ。食事を作ることから、洗濯や風呂の掃除まで何もかも。

 姉さんと力を合わせ、支え合いながら生活を営んでいく日々だった。

 

 加え、姉さんに関しては精神面が不安定な状況である為、家事を行う際にはアドバイスに徹する。つまり、主にそれを行うのは俺だ。家事の経験がそれほど多くない為、当然ながら苦労した。

 

 とは言え、だ。家事の面においては一日の長である姉さんがいてくれた。経験者の言葉にはどれ程の徳があるのか。それを思い知らされた。

 

 前世は子供の頃に少し手伝っていた程度で、鬼が滅びて落ち着いてからは、片腕しかなかった故にあまり家事の手伝いに手を出せなかったし、今世も俺の思いを尊重してか、良くも悪くも家事の方は姉さんや母が支えてくれていた。調理の経験も幼稚園の実習で軽く(かじ)ったくらい且つ、時々母の手伝いをしていたくらいであった為、それなりに苦戦したのだが……。それでもやり遂げられているのは姉さんのおかげに違いない。

 

 勿論、大変なのは家事に限った話じゃない。今よりも強くなる為に鍛錬には更に力を入れたし、休学している期間で周りの皆から勉強面の遅れを取らないように個人的に勉強する必要もあった。学習と鍛錬の両立。いずれにせよやらなければならなかったことだ。苦労は買うてもせよと言うし、今のうちにこれを経験出来たのはきっと何かの役に立つだろう。

 

 そんな日々を過ごしているうちに目安としていた1ヶ月が経過。姉さんの気分もだいぶ安定してきたから、補習を受ける為に晴れて通学出来ることになった。今は夏休みの期間にある為、俺も夏休みが終わり次第学校生活に戻ることが出来る。宿題を届けてくれていた透の顔は度々見ていたが、それ以外の友達の顔はほとんど見れていない。皆も元気にしているだろうか……?今から会えるのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 さて。そうこうしているうちに、あっという間に夏休みが終わった。時間が過ぎ去るのは早いものだ……。時間が過ぎることが早く感じるのは、生活が充実していたということでもある。決して悪いことではない。

 

 そして、俺は今……自分のクラスの教室の目の前に立っている。ドアに手を掛けようとした時、心臓が高鳴って体が強張っているのが分かった。どうやら、俺は緊張しているらしい。気分は、まさに数年もの間会っていなかった友人と久々に会う時のそれだ。

 

 どこか人間らしい緊張を未だに感じられることにホッとしながらも深呼吸をして、朝の新鮮な空気を吸い込んでいると――

 

「兄貴、お久しぶりです!おはようございます!」

 

「!?狼牙か……。おはよう」

 

 真横から元気の良い挨拶の声が聞こえた。俺が声の方を振り向くと、元いじめっ子の狼少年がいた。

 ――今更だが、彼の名前は大神狼牙と言う。頭の片隅にでも置いてくれると嬉しい――

 

「それにしてもどうしたんですか、兄貴。こんなところで棒立ちして」

 

 側から見れば訳の分からない状況だったのだろう。狼牙が首を傾げて尋ねてくる。

 

 俺は、苦笑しながら言葉を返した。

 

「いや……皆の顔を久しぶりに見るものだから、緊張してしまってな」

 

 それを聞いた狼牙は、意外そうな顔をして笑った。

 

「はは、兄貴も緊張するんですね!でも、緊張するってことは、兄貴がそれだけ俺らと本気で向き合ってくれてる証拠ですよね。俺、嬉しいです」

 

 鋭い犬歯の生えた白い歯を見せつけながら、無邪気な笑顔を見せる。その笑顔にはもう、昔のいじめっ子だった頃の面影がない。彼のことを元いじめっ子だと紹介しても、誰一人信じないだろう。

 

「でも、緊張するのも分かりますよ。獣の本能と言いますか……神経質なところあるんですよ、俺。それで、そもそも人見知りでして。"個性"が発現してからは、人見知りなのを知られたくなくて踏ん反り返ってました」

 

 弱点を隠して、自分を少しでも強く見せる為に力を見せつけていたら、拗れに拗れていじめにまで発展したということらしい。子供がいじめを始める理由は、些細なことである場合も少なくない。彼の場合も元は些細なことであったようだ。元が純粋だったからこそ止められたのだと思う。

 

 彼が人見知りであることは、これまで知る由もなかった。これも、友達同士になれたからこそ知れたことだ。友達として築き上げた信頼関係とは偉大である。

 

「でも、大丈夫です!皆、義勇の兄貴のこと待ってるんで!」

 

「ろ、狼牙っ!?」

 

「皆ー!義勇の兄貴が戻ってきたぞー!!!」

 

 狼牙に引っ張られ、俺は教室に足を踏み入れた。彼が俺の存在をクラスメート達に知らしめると共に教室のドアを勢いよく開ける。ドアが開く音に反応して肩を跳ねさせたり、こちらを呆然と見たりで反応は様々だったが……。

 

『義勇君、おかえりーーー!!!』

 

「うおっ!?」

 

 猪さながらの勢いでこちらに向けて一斉に押し寄せてきたのは、誰しも同じことだった。

 

「会いたかったよ、義勇君!」

 

 因みにだが、一番先に飛びついてきたのは透である。

 

「会いたかったって……何度も会ったろう……?」

 

 飛びついてきた透を受け止めながら、俺は苦笑気味に言う。

 

「確かに何回も会ってたけどさ、いざ学校で顔を合わせた時の嬉しさは一入(ひとしお)なんだよ!」

 

 幼い頃から変わらない、白い歯を見せつけた天真爛漫な笑みの透はそう返した。

 

「……そういうものか」

 

「うん、そういうもの。それに、義勇君がおうちで頑張ってる間もサボらずに特訓し続けたの!その成果も見てほしかったし!」

 

「そうか……楽しみにしてる」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 何にせよ、俺が居ない間もクラスメート達は変わりなかったようで一安心した。

 

 その後、俺に密着したままやり取りを続ける透を羨ましがった女の子達が「私達にもやって!透ちゃんだけズルい!」とお願いしてきたのは言うまでもない。それと、俺を兄貴だと慕う3人以外の男子が嫉妬するような目を向けてきたことも。

 

 ……友達としてのスキンシップをすることの何が悪いんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 義勇が通常通りに学校に通えるようになってから、1ヶ月程が経過した。

 

 義勇は暇な時間を上手く使いながら、今まで以上に鍛錬に力を入れ、勉強と鍛錬の両立に努めた。一方で、蔦子も将来的のことを考えてより一層勉強に努めた。

 

 どんなに辛くとも二人で支え合う。そして、生き抜く。姉弟二人きりでの生活にも慣れてきて平凡な生活を送っていた彼らは今……。白いペンキで塗られた汚れ一つない壁と、青色に塗装された屋根が一際目立つ自分達の家にとある人物を招いていた。

 

「どうぞ」

 

「うん。わざわざありがとう、蔦子さん」

 

 そう礼を述べながら蔦子の差し出した緑茶を受け取り、喉に流し込む人物――いや、もはや生物と言った方が正しいのかもしれない――の見た目は、ネズミのようであった。しかし、ネズミにしては何回りも体が大きい。そのサイズ感からすれば、犬や子熊だとも言えるのかもしれない。

 

 何より特徴的なのは、そんな見た目でありながら人語を喋り、右目周辺に刃物で斬りつけられたかのような生々しい傷が残っていることだ。

 

 実は、彼はこの個性社会における例外。"個性"が発現した唯一無二の動物なのだ。発現した"個性"、"ハイスペック"によって人間以上の頭脳を持ち合わせている。まさに例外中の例外。

 

「それにしても、時間の流れの早さたるや……。僕が普通の動物のままだったら、絶対感じられないことだね。二人も無事に学校に通えるようになった訳だし、安心なのさ」

 

 彼は、緑茶を一口飲んでからフランクに話す。その顔に浮かんでいたのは、心からの安堵であった。

 

「根津さん、休学届の件はありがとうございました」

 

 頭を下げる義勇と蔦子に対し、根津は「いいってことさ」と笑った。

 

 このネズミなのか、犬なのか、それとも熊なのかよく分からない見た目をしている男、根津こそがオールマイトに変わって義勇と蔦子の後見人を引き受けた張本人なのである。

 

 彼はオールマイトとも長年の知り合いであり、雄英高校の校長でもあるのだ。オールマイトやナイトアイから義勇達の事情を聞いた彼は、二人が幼いながらも過酷な状況に身を置いていることを憐れみ、喜んで後見人を引き受けた。

 

 そして、今に至る訳だ。

 

「それにしても、根津さんがわざわざ私達の家にまでいらっしゃるなんて。今日はどんなご用件ですか?」

 

 これまでも根津が訪ねてくることはあったが、彼は雄英高校の校長。教職で多忙なこともあって、訪ねてくる回数はそれほど多くはない。そんな彼がわざわざ訪ねてくるのだから、相当重要な用事なのだろうと思い、蔦子は緊張気味に尋ねた。

 

「そうだったそうだった。大ごとではないから安心してほしいのさ!義勇君に頼み事をされててね。それで調べ物をしてきたんだけど……目星が付いたから教えにきたのさ」

 

「!本当ですか!?」

 

 手を叩きながら、用件を思い出したかのように言う根津と、その目に歓喜という名の光を灯して立ち上がる義勇。蔦子は、いつの間に!?と言いたげに両者を交互に見やっていた。

 

 根津は、嬉しさを微かながらも表に出している義勇を見て微笑ましそうにするとスマホを取り出した。対面する形で座る義勇と蔦子が見やすいようにそれを彼らの方に向けて机に置く。

 

――狭霧山。メディア露出が全く無かったと言っても過言じゃないヒーロー、鞍馬が管理下に置いている私有地の山なのさ。登山家だったり、肺を酷使する系統の"個性"の持ち主に使われる、高地トレーニングを行える地。とは言え、知名度が高い訳じゃないから秘境と似たような扱いをされているらしいね」

 

「それと……調べた限りだと、かつて鬼殺に関わった剣士達が"全集中の呼吸"を会得するまでの鍛錬にも使っていたそうだ。義勇君の言っていたご先祖様からの情報と山の情報。二つを統合させるとここが当てはまると思うんだけれど……。どうかな?」

 

 根津の問いに対する義勇の答えは決まっている。

 

 ――微笑みによる肯定だ。



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第十二話 訪問、狭霧山

 狭霧山。かつて、義勇が鬼殺隊の剣士となる為の鍛錬を積んだ山である。

 

 非常に標高が高く、山頂付近には霧が立ち込めている。その酸素の薄さは、沼のような異空間を作り出す鬼との戦いの際、炭治郎が鬼を討つ為にその中に足を踏み入れた結果……。「狭霧山の方がもっと空気が薄かった」と確信する程だ。これ程の空気の薄さならば、根津が高地トレーニングにおいて使われる地だと言うのも納得がいく。――因みに、高地トレーニングを行う施設は、1500mから3000mの標高でのトレーニングの効果があるらしい――

 

 そんな酸素の薄い山の山頂付近から麓にまで全力疾走したり、水が何たるかをその身で感じ取れと師に無茶振りを言われ、滝壺に思い切り飛び込んだり……。前世の鍛錬の日々を、義勇は昨日のことのように覚えている。

 

 義勇達の師である老人、鱗滝左近次。彼はその狭霧山の麓に住んでいた。如何なる時も修羅の如く強面の赤い天狗の面を付けていたことは、今でも忘れやしない。因みにだが、義勇でもその素顔を見たことは生涯を通じて一度もなかった。

 

 何故、義勇がそんな狭霧山の場所を調べることを根津に頼んだのか。

 

 第一の理由は、"全集中の呼吸"の鍛錬を本格的に積むにあたり、狭霧山の環境が最適だと彼自身が考えたからだ。

 

 "全集中の呼吸"における要は、著しく増強した心肺。それらによって、一度に大量の酸素を血中に取り込み、血管・筋肉を強化及び熱化させて身体能力を大幅に上昇させる。

 

 人間は生きていく上でも、活動する上でも酸素が必要不可欠だ。空気の薄い場所で活動して取り込んだ酸素を消費すれば、人体はそれだけ新たな酸素を求める。空気の薄い中から、より多くの酸素を取り込もうとする。それを可能にするように心肺も環境に適応して増強されていくものだ。

 

 そのような原理を鑑みれば、狭霧山ほど呼吸法の為の鍛錬に適した場所はそう多くはないだろう。

 

 そして、理由はもう一つある。もう一つの理由は、鱗滝に再会出来るかもしれないという淡い希望があるからである。前世、両親を病気で亡くした義勇からすれば、鱗滝は己の師でもあり、父親代わりでもあった。そんな恩人と再び巡り会えることを願うのは道理ではなかろうか。

 もはや、前世の記憶があるのかないのかはどちらだっていい。どのような形であれど恩人と再会出来ればそれでいい。義勇はそう考えた。

 

 狭霧山への道を行くバスに揺られながら、ふと疑問に思った義勇は尋ねた。

 

「根津さんは、鬼や鬼殺隊のことを信じておられるのですか?」

 

 尋ねられると、義勇と蔦子の間に人形のようにしてちょこんと座っていた根津は数秒考えた後に答えた。

 

「僕も、昔は御伽噺か何かだろうと考えたことがあったさ。でも、この世に残された鬼の証拠はあまりにも具体的過ぎる。それに、少し前の話になるけれど、ヒーロー公安委員会………簡単に言えば、ヒーローを管理する組織のようなものなのさ」

 

「そこに所属する方の中に()()()()()()()()()()()()()()がいらっしゃってね。その方に色々なお話を聞いたんだ」

 

 生物の本能的なもので感じ取ったのだろうか。「あの話は本当にあったことなんだろうね」と彼は思案顔で付け加える。

 

「成る程……」

 

 淡白な返事ではあったものの、義勇の抱いていた感情は明確な喜びと安心感だ。義勇とて、根津がどれだけ聡明な人物であるのかを知っている。彼のような人物が鬼のことを信じるのならば、心強いこと極まりない。

 

 同時に義勇は根津が話を聞いたとかいう人物について思考を巡らせた。

 

 ある程度の察しはつくが、恐らくは産屋敷一族の末裔であろう。親愛なるお館様こと、産屋敷耀哉。今世は彼の一族との縁があるのだろうかと考えながら、義勇はバスの窓を通して、晴れ渡る青空を目にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いた……!」

 

 付近のバス停を降りて、徒歩で約5分の所に俺達の目指す場所はあった。

 

 秋の上旬であるとは言えど、木々の葉は未だに青々と生い茂っている。今はそうでもないが、季節や時間帯によっては頂上付近に霧が立ち込めるだろう。

 

 狭霧山の様子は、前世から何も変わっていなかった。ふと、頭の中に「国破れて山河あり」の一節から始まる杜甫の漢文が浮かんできた。国が滅んだとしても、自然は悠久の存在。いつの時代も変わらず在り続ける。それをこの目で見て実感した瞬間だった。

 

「ここが狭霧山……。想像以上に大きい山なのね……」

 

 狭霧山を見上げ、その全貌を目に焼き付けながら姉さんが言う。因みにだが、姉さんは俺が前世で強さを身につけた土地を見てみたいとのことで俺に同行した。

 

「さてと。行こうか、二人とも」

 

 狭霧山を見るのもそこそこに、俺達を先導するように小さな歩幅で歩く根津さんに促されて、そこの麓へ向けて歩みを進めた。もう一つ言っておくと、根津さんは狭霧山の管理人である方と話を交わすついでに一目でも見ておきたい物があるらしく、同行することになった。勿論、俺達を二人だけで外出させる訳にもいかないという後見人としての理由もある。

 

 そして、麓辺りに来たところで木と瓦葺きの屋根で建築された素朴な小屋が見えた。あの場所こそ、管理人の方が住んでいる場所だろう。

 

 果たして、管理人はどういう方なのか。そして、その方は鱗滝さんの生まれ変わりにあたるのか、はたまた子孫なのか、それとも……全くの他人か。

 

 前者の二択のうちのどちらかであってくれれば嬉しいものだと思い、俺は一人息を呑む。

 

 それを他所に小屋の扉を根津さんが3回ノックすると……。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

 そんな老人の声が扉の向こうからすると共に扉が開けられた。

 

「ん?根津か。久しぶりだな」

 

「やあ、鱗滝君。こちらこそお久しぶりなのさ。突然訪ねてごめんね」

 

 その管理人の方と根津さんは知り合いらしいのだが、そちらに驚くことはなかった。俺の意識は、管理人の方に集中していたからだ。

 

 強面の赤い天狗の面に、白い雲模様と揺らめく水面を模した羽織。思わず息をするのすら忘れてしまう程に似ていた。他人の空似か、前者の二択か。詳細は分からないが……俺は、この方が鱗滝さんの生まれ変わりだと直感していた。

 

 面をつけているのだから、視線が分かるはずもない。だが、根津さんと話を交わす最中の彼と目が合ったような気がした。

 

「――して、今日は何の用件だ?」

 

 尋ねられた根津さんは、俺に目配せした後に話し始めた。

 

「この子……冨岡義勇君と言うんだけれどね。"痣者"としての体質を持っていて、無個性の子なんだ。だけど、かつてこの国にあった古い技術、"全集中の呼吸"を駆使してヒーローを目指している。本当のヒーローというものを多くの人に知ってもらう為に。人々の平和を脅かす(ヴィラン)から、彼らの笑顔を守る為に」

 

「……成る程。要するに、"全集中の呼吸"の鍛錬にここを使わせてやってほしいと……。そういうことか?」

 

「変わらず察しが早いね。そういうことなのさ」

 

 管理人の方は腕を組み、数秒間考える仕草をした。そして、強面の天狗の面の鼻面が俺の方に向く。

 

「義勇と言ったな。遅ればせながら、自己紹介といこう。儂は鱗滝左近次。ここ、狭霧山を管理している者だ。今一度問おう。義勇よ、"全集中の呼吸"……その各流派の剣技が鬼殺の為に使われていたことは知っているな?」

 

 鱗滝さんの目を真っ直ぐと見つめ返すつもりで俺は頷く。

 

「相手は鬼。その脅威から人々を守る為に振るわれていた剣技とは言え、元はと言えば鬼という生物を殺す為に創り出されたものだ。そんな剣技をお前は何の為に振るう?」

 

 答えは、とうの昔から決まっている。

 

「人々の笑顔を守り、彼らを救ける為です。人々を(おびや)かす(ヴィラン)を殺すのではなく、それに(おびや)かされる人々を救う為。力の価値は、それを振るう者の振るい方次第で決まると思っています。かつては鬼殺の為に振われた剣技を、俺は救世の為に振るいます」

 

 俺の返答を聞いた鱗滝さんが笑った気がした。

 

「そうか……。儂の問いに即答とは大したものだ。覚悟は既に決まっているようだな。良かろう。義勇、お前の大義を成す為に狭霧山で存分に鍛えなさい。それと……鍛錬の時以外にも、気軽に訪ねるといい。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言いながら俺の頭を撫でる鱗滝さんの声色は、喜びに溢れている。仮面の下の顔は穏やかな笑みなのだろうか。

 

「ありがとうございます、鱗滝さん」

 

 皺が寄った老人らしい手ではあれ、どことなく力強く暖かい。彼の懐かしい手の感覚に俺は微笑みながら返した。

 

「あの……早速使わせていただいてもよろしいですか?」

 

「ああ、勿論だ。善は急げとも言うしな。気をつけるんだぞ。罠に小刀があったりもするが、レプリカだから大怪我の心配はない」

 

「義勇ー!いってらっしゃい!」

 

 そして、やりとりを終えた俺は、鱗滝さんや姉さんに見送られながら山中に足を踏み入れ、山頂付近を目指して歩みを進めていった。

 

「……励むのだぞ、義勇」

 

 

 

 

 

 

 木々に囲まれ、人が通るにあたって不便のない程に丁度良く整えられた道を歩く。

 

 今は日光が良く照っている時間帯だ。その為、木々は盛んに光合成を行って二酸化炭素を取り込み、酸素を放出する。山の空気を美味しいと感じるのはそれが理由なんだろう。狭霧山もその例に違わない。

 

 山の新鮮な空気を堪能しながら、とうとう山頂付近に辿り着いた。明け方や冬程ではないだろうが、辺りには微かに霧が立ち込めている。視界も麓ほど明瞭でない。そして、ここから麓までの道に大量の罠が仕掛けられていることだろう。

 

 俺は、炭治郎や鱗滝さんのように優れた嗅覚がある訳ではない。己の目、耳、肌、直感。それらを最大限に駆使して避けていくしかない。

 

 懐かしいな……。鍛錬を始めたばかりの頃は、何度も落とし穴に落ちて錆兎に引き上げてもらったっけ。小刀や丸太が向かってきて肝を冷やしたこともあったか。

 

「よし……行くか」

 

 狭霧山の山頂付近の薄い空気を最大限に吸い込む。取り込んだ空気が体中を巡り、体の隅から隅までが熱を持っていく。

 

 それを自分自身で感じ取った瞬間――俺は、地面を蹴って一気に駆け出した……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……こんなに優しそうな顔だったんだ、鱗滝さん)

 

 そんなことを思いながら、蔦子は目の前で会話を交わす2人を交互に見ていた。

 

 茶飲みついでに話を交わす1人は、白いネズミなのか犬なのか、はたまた熊なのか。それとも、それ以外の何かかはっきりとしない見た目で、人間以上の頭脳を持つ小動物……根津である。

 

 もう1人は、白い雲模様と揺らめく水面を模した羽織を黒い和服の上から身につける老人……鱗滝。しかし、先程までの彼とは大きく異なる点が一つある。今の彼は、強面の赤い天狗の面を外しているのだ。

 

 程々に皺の刻まれた顔。微かに垂れ下がる眉と目尻。川のせせらぎのように澄んでおり、優しげな水色の瞳。短く整えられた白髪と髭が全くと言っていいほど生えていない影響もあってか、若々しい印象さえ抱く。

 

 蔦子としては、天狗の面のように彼自身も気難しさと厳しさのある顔をしていると想像していたのだが、そんなことはなかった。人は見かけによらないとはこのことか。

 

「根津よ、単に談笑しにきた訳じゃないんだろう」

 

 緑茶を一口啜った鱗滝がそう話を切り出す。

 

「流石は鱗滝君なのさ。その通り、少し別の用事があってね」

 

 その察しの良さを流石だと言わんばかりに根津が笑いながら言った。

 

「根津さんの言いたいこと……分かるんですか?」

 

 これも関わりが深い者同士、互いをよく理解出来ているからかなと考えながらも疑問に思った蔦子が控えめに尋ねた。

 

「長年の勘……と言いたいところだが、そう大層なものじゃない」

 

 彼女の問いに、鱗滝は苦笑しながら答えた。

 

「儂は"個性"の影響で鼻が良くてな。相手の感情を読み取ることも出来るんだ。根津の言わんとすることが分かるのは、そのおかげだ」

 

「鞍馬という天狗に因んだヒーローネームがありはするが……それも儂のトレードマークである天狗の面が由来だ。"個性"ではなくな」

 

「鼻が……!」

 

 蔦子は呆気に取られて目を見開いた。犬も拍子抜けする程の嗅覚だと素直に思った。

 

 鱗滝の"個性"は"嗅覚"。人の身でありながら獣並みの鋭敏なそれを持ち、生物や植物の匂いを嗅ぎ分けたり、相手の感情や人柄、言葉の虚実や攻撃の間合いを判断することが出来る。

 その性質から、戦闘は元より、ヒーロー本来の役割である奉仕活動にも役立つ。

 

「実はね、鱗滝君。僕の目の黒いうちに()()()()()()()()()()()()()()()のさ」

 

「成る程、日輪刀か。少し待っていろ。こちらに持ってこよう」

 

 根津の目的を聞いた鱗滝は、立ち上がって一時的に部屋を出た。

 

(日輪刀……。確か、鬼殺隊の剣士の方々が使っていた鬼を殺す為の刀よね?ちゃんと残ってるんだ……)

 

 鱗滝を見送りながら、蔦子は日輪刀のことを頭の中で思い出す。

 

 前世の義勇が書き記した「水柱ノ書」と義勇自身から聞いた話で日輪刀のことはある程度知ってはいるものの、実物を見るのは初めてのことだ。

 未知のものに対して好奇心を抱くのは当然のことであり、日輪刀の見た目を想像しながら彼女はわくわくしていた。形を成して残っている以上、それが大切に保管されていたことは想像に難くない。

 

「これが日輪刀だ。儂よりずっと前からここに住んでいた者が、かつて鬼殺隊に所属していたらしくてな。その時から代々受け継いできたんだ」

 

 日輪刀が別名で"色変わりの刀"と呼ばれており、持ち主ごとに色を変え、その色ごとに特性があることを付け加えて説明しながら、鱗滝はそれを手にして戻ってきた。

 黒い鞘に収められ、川辺の岩のように鈍い灰色の四隅が丸く欠けたかのような造形である鍔。それと、鍔よりも薄い灰色の柄が特徴的である刀。根津も蔦子も、自然とその刀に心惹かれた。

 

「……持ってみても、良いですか?」

 

 蔦子が緊張気味に尋ねる。重いから気をつけるようにと釘をさす鱗滝に許可を得て、いざそれを手にしてみると……。

 

(重い……!)

 

「刀って、こんなに重いんだ……」

 

 腕に重りをつけたかのような、ずっしりとした重みがあった。刀を使い慣れていないうちは、動くことすら一苦労だろうなと容易く想像でき、蔦子は息を呑んだ。

 

 刀は金属で作られるのだから、重いのは当然と言えば当然なのだが、単なる金属の重みだけではないように思えた。目の前の日輪刀には、それを作った人と扱った剣士達の平穏な日々への想いと憧れ。その重さも詰まっているように思えた。

 

「――折角だ、刀身も見せよう。貸しなさい」

 

 優しい声色で提案する鱗滝。蔦子から日輪刀を受け取ると、彼はその黒い鞘から慣れた手つきで刀を抜いた。

 

「おお……」

 

「綺麗……」

 

 刀身を見た根津と蔦子の口から、感嘆の声が漏れたのは同時だった。

 

 その刀身は、美しく透き通った水色。一切の濁りがない川の水を思わせる美しさだった。

 刃には錆も陰りも一切ない。刀の持ち主が、それを後世に受け継ぐ為に手入れを怠らなかった証拠だろう。

 

「青色の系統の刃は、水の呼吸に適正がある証拠だったかな?本当にいい色だよ……。こちらまで心が洗われるようだ」

 

 日輪刀の刃の中に吸い込まれるかのような勢いで、惚れ惚れとした様子で根津はそれを覗き込む。

 これほど綺麗な色ならば、使い手も相当のものだったろうと考えた。

 

 心が洗われ、日々の疲れやら葛藤やらが払拭された感覚になった根津は、一人立ち上がる。

 

「行くのか?」

 

「うん。教職というものは中々に忙しいのさ。まだまだ仕事があるし、僕は雄英高校の校長だ。如何なる時も子供達の未来の為に動かなくちゃいけない。延々と休む訳にはいかない」

 

 組んだ両手を腰の後ろ辺りに持っていきながら言う根津の目は、一人の大人として、プロヒーローとして、そして……教師としての責任感に溢れていた。

 

 鱗滝の並外れた嗅覚が、根津から発せられる申し訳なさに満ちた匂いを捉えた。彼の考えていることを察した鱗滝は、思いを汲み取って口を開く。

 

「義勇と蔦子のことは儂が見ておこう。安心して向かうといい」

 

 そこまで見抜かれるとは、流石の鼻だと言わんばかりに根津が笑う。

 

「そういうことなら……よろしく頼むね、鱗滝君。それじゃあ、蔦子さん。義勇君にもよろしくなのさ」

 

「は、はい!ありがとうございました!」

 

 手を振りながら背中を向けて去っていく根津に向けて、蔦子も一礼した後に手を振って彼を見送る。ネズミのように小さいはずの彼の背中が、彼女にはとても大きく見えた気がした。

 

 根津が去ったのを見越してか、鱗滝が蔦子に優しく呼びかける。

 

「蔦子。お前さえ良ければ、これまでの義勇の歩みを聞かせてくれんか?あの子は、自分を虐げて抱え込むところがあるからな……。儂も義勇がどうしているか気が気じゃなくてな」

 

 苦笑する彼を見た蔦子は思った。

 

(ああ……鱗滝さんも、()()()()なんだ)

 

 ……と。

 

「はい、喜んで!あの……昔の義勇のことも、沢山聞かせてもらってもいいですか?」

 

「ああ、良かろう」

 

 その日、素朴な小屋の中では、義勇が戻るその時まで二人の楽しげな談笑の声がこだましていたのであった。



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第十三話 変化

今回も短めです。


 鍛錬の為に狭霧山を訪ねるようになってから数ヶ月。俺は8歳になり、季節は冬となった。

 

 しんしんと雪が降り、存分に寒さ対策をしていても、足元からどうにも耐え難い冷気が襲ってくる。どうにかして体を動かしていないと凍りついてしまうのではないかとさえ思う。まあ、寒さのおかげで目は良く冴えるのだが。

 

 そして、俺は霧の立ち込める山の中で木刀を手にし、大岩の前に立っている。木刀を特に構えることなく、自然体のまま。側には、腕を組んだ鱗滝さんが静かに俺を見守っている。

 

 目の前の大岩に手を添え、それを見上げる。鎌倉にある大仏の頭なのではないかと思う程の大きさだ。小さな虫から見れば、この岩は俺達から見た富士山以上の大きさに見えるかもしれない。

 

 一先ず、進捗を説明しておこう。

 狭霧山で鍛錬を始めてからというものの、1ヶ月もしない間に"常中"を会得することが出来た。そこから3、4ヶ月を使って空気の薄い山中を全力疾走したり、小道具無しの腹筋や腕立て伏せなどを行ったりして体づくりと体力づくりに専念。"常中"で跳ね上げられる身体能力の上限を引き上げておこうと頑張った。

 そして、今から……反復動作の会得に移行するところだ。前世、"岩柱"であった悲鳴嶼さんの柱稽古でその会得を課せられた際には、岩を一町先まで押して運ぶ修業を通して会得した者が多いようだった。だが、今世はそういう訳にもいかない。そういう訳で、俺は木刀で岩を叩き斬る――正確には、叩き割ると言った方がいいのかもしれない――ことで代用する。ぶっちゃけて言えば、どういうものかさえ分かれば会得自体は難しくない。

 

 反復動作というのは、集中を極限まで高める為に予め決めておいた、ある一定の動作のことだ。全ての感覚を開く技の一種で、これによって心拍と体温を上昇させることも出来る。"痣"を発現させる上で必須の技術。無論、"痣"目的でなくとも十分に価値のある技術だ。

 

 閑話休題。いつしか炭治郎が言っていた。鱗滝さんに教えを乞うた剣士達の魂は狭霧山へと……大好きな彼の元に還るのだと。その魂が今も狭霧山にあるのだとすれば、錆兎や真菰も見守ってくれているのかもしれない。

 

「……見ていてくれ、二人とも」

 

 岩に手を添えたまま瞳を閉じて呟いた後、一歩下がって距離を取る。そして、ここから……反復動作だ。

 

 守りたかった父と母の笑顔と、これからもずっと守っていきたい姉さんの笑顔。それと、今世で未だ出会えていないと言えども必ず守り抜くと誓ったしのぶの笑顔。

 

 それから、もっと強くならなければと痛感したあの悲劇を……父と母を亡くした悲劇を思い出す。この流れで極限まで集中を高めて、木刀を振り上げる。

 

 高まった集中力により、俺の頭の中は自然と真っ白な状態に作り上げられる。瞬間、あの時のように一瞬だけ、視界に入るあらゆる物が透き通って見えた。

 

 そして、俺は呼吸をすることと同じように、ごく自然と振り上げた木刀を振り下ろす。

 

 ――刹那、ピシッと何かがひび割れるような音がした。果たして、ひび割れたのは俺の持つ木刀か、目の前の岩のどちらなのか。

 

 灰色の塊が真っ二つになって、桃太郎が中に収まっていた桃のように綺麗に割れる。ひび割れたのは、目の前にある岩の方だった。

 

「ふうっ……」

 

「まさか、本当に木刀で岩を叩き斬ってしまうとは……」

 

 俺が一息つき、白い息を吐き出すと同時に鱗滝さんが呟く。強面の天狗の面の下では、口をあんぐりと開けているに違いない。

 

「お前は本当に凄い子だ、義勇」

 

 そう言って俺を抱きしめる鱗滝さんが、とても嬉しそうだった。だから、そうして喜んでもらえることが俺も嬉しくて微笑んだ。

 

 まだまだこんなところじゃ止まれない。"常中"と反復動作を会得してからが本番だ。これからも強くならなければ……。

 

 一人意気込んだ俺は冬空を仰ぎ、この手の届く範囲にある守るべきもの全てを掴み取るかのようにして拳を握りしめたのだった。

 

「ならば、新たな境地に踏み入った祝いだ。今日の昼は、義勇の好物の鮭大根にするか」

 

「!ありがとうございます。……あの、俺も手伝ってよろしいですか?」

 

「勿論だ」

 

 鍛錬の後、寒い中で食べる鮭大根の暖かさと美味しさは骨身に染みた……。出汁の効いた汁に味がしっかり染み込んだ鮭と大根。その良さは語り尽くそうにも語り尽くせない。……自分の手で作ったのも、より美味しく感じる原因かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……透が変わった。それも、急激的に。

 

 最近の透は動きのキレが大幅に増した。武道の一種である合気道に通ずるのだから、ある程度格闘のセンスがあるのは納得がいくが――

 

「ふっ!はっ!でやあっ!!!」

 

 格闘のセンスがありますと言うだけでは説明出来ない程にキレが増している。

 

 ここ最近は(ヴィラン)との戦闘を見据えて二人で組手をやっているんだが、透の攻撃を受け流すことが増えてきた。

 

 こうして鞭のように風を切りながら迫る蹴りは、防いだとしても威力を殺しきれない。事実、腕を十字に交差させて受け止めたが、蹴りの威力がジンと体の芯まで浸透する。

 

 透が努力しているのは知っているが……この成長っぷりは、単に積み重ねてきた努力で発揮されるものではない。

 

 人間が成長する時。それは、極限状態に追い込まれて修羅場を経験したり、その修羅場をきっかけに途方もない努力を積んだ時だと俺は思う。

 テストでの例えが分かりやすいかもしれない。テストで赤点を取れば、誰しも次のテストでは赤点を取るまいと必死に努力をするだろう。

 

 彼女も恐らくはそのどちらかに当てはまる。いずれにせよ、彼女が修羅場を経験したのは違いなかった。

 

 それに、その組手の最中に瞬間的であれど"()()()()()()"()使()()()()()()と思われる。攻撃を繰り出す瞬間や、俺との距離を詰める為に地面を蹴る瞬間。これらのタイミングで彼女のスピードは大幅に増しているんだ。その際に、霞の呼吸に近しい呼吸音も聞こえたのをよく覚えている。

 

 俺の渡したノートが役立っていると分かったのは嬉しかったが、それよりも彼女の成長っぷりの方がやはり疑問だった。明らかに俺以外からもその使用法を教わったとしか言いようがない。それくらいの熟練度。

 

 透の変化はそれだけじゃない。普段は"透明化"を発動して素顔を隠すようになった。素顔を見せるにしても俺の前だけで、それ以外には絶対に素顔を見せることがなかった。

 

 あの天真爛漫な透が……容姿を褒められれば照れるような素振りを見せていた透が自ら姿を隠していた。それに、俺の前で見せる笑顔もほんの少し無理をしている気がする。

 

 憶測が確信に変わった。

 

 透の身に何かがあった。彼女に変化を及ぼすだけの大きな出来事があった。俺はそう悟った。

 

「……透」

 

「どうしたの?義勇君」

 

「何があった?」

 

「え……?」

 

 ある日、休む間もないと言わんばかりに特訓を続ける透に尋ねると、彼女は動きを止めて亀が歩くような速度で首を動かす。そして、呆然と俺の方を見た。

 

「組手をする際のお前の動きのキレの増し幅と言えばいいのか……?それが大きすぎるんだ。透がどれだけの努力をしたのかは把握している。だが、単に努力を積み重ねたことによる成長速度とは言えないと思う」

 

「……"全集中の呼吸"も、俺以外から教わったんじゃないか?」

 

 俺の言葉に対し、透はビクッと肩を跳ねさせた。その反応は言われたことが図星だった時のそれだ。そのまま、敵わないなと言わんばかりに笑みを浮かべると脱力して項垂れてしまった。

 

「っ、透……!?」

 

 何か気に触ることを言ってしまったのではないか。透の様子を(うかが)うために駆け寄ると……。

 

「!泣いてる……のか……?」

 

 しとしとと、涙が彼女の頬を伝っているのが目に入った。

 

 取り敢えず二人きりになれる場所に移動した方がいいと判断した俺は、透を連れて自分の部屋にやってきた。蔦子姉さんも買い物に出かけていて今は家にいない。ここなら落ち着いて話が出来るはずだ。

 

「透。俺の方から聞いておいてなんだが、どうしても言えないとか言いたくない話なら――」

 

「違うの……」

 

 透の隣に腰掛け、無理矢理話さなくとも良いという旨を伝えようとしたその時。涙を拭いながら、透が言葉を遮るようにして口を開いた。

 

「やっぱり義勇君は気付いてくれるんだって嬉しくなったのと、気付かれるんだってびっくりしちゃったの……。それで、気持ちがぐちゃぐちゃになって、溜め込んでたのが溢れてきちゃって……。ごめんね」

 

 何度拭えども止めどなく溢れる涙。涙で真っ赤に腫らした目のままで浮かべた笑顔は、陰りがあって疲れ切っていた。

 

「無理に笑わなくていい」

 

 俺が肩に手を添えながら言うと、透は消え入りそうな声で「ありがとう」と返した。

 

 気分が落ち着くようにと彼女の頭を撫でながら次の言葉を待つ。

 

「……義勇君には、ちゃんと話すよ。心の底から信頼してる友達だから」

 

 彼女は震える声で言う。自分を落ち着かせようと何度か深呼吸する透を見て、俺も息を呑んだ。気軽に言えないようなことを俺に話そうとしている。それはすぐに察しがついた。

 

 部屋の中の空気が張り詰め、静寂が流れる。緊張のせいか、心臓がドクン、ドクンと高鳴る。

 

 そして――

 

「あのね、義勇君。私も義勇君も同じ。……()()()()()()()()()()()()()()()()の……」

 

 雲を焼き、天を裂かんとする雷のような衝撃が俺の胸の奥深くを穿った……。



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第十四話 葉隠透:ディシジョン

 可愛いだとか、綺麗だとか。私は昔からそう言われてきた。

 自分で言うのは可笑しいかもしれないけれど、他の人よりも自分が可愛いっていうのは自覚していたように思う。その証拠として、私の周りには沢山の人が集まってきたから。

 

 集まってきた人達は口々に私の容姿を褒めて、決まって笑顔になった。そして、私はいつしか自分自身の容姿を誇りに思うようになっていた。私は、自分の姿で他の誰かを笑顔に出来るんだ!って。

 

 それで、元から好きで人助けをやっていた私はヒーローを志すようになった。ヒーローが手の届かないところにいる人……即ち、見えないところにいる人も自分の容姿で笑顔にして、救けられるんじゃないか。そう思ったんだ。

 

 今思うと我ながら不思議だよ。それほど思考力が優れてもいないレベルの歳だったのに、こんな風に考えられるなんてさ。人間はやれば出来るんだと感じさせられるよ。義勇君が大人びてるのは、何かを考えることを何回もやってきたからなのかもしれない。

 

 私の容姿と人柄の良さは、どちらも両親譲りだと思ってる。

 

 まずは人柄。お父さんもお母さんもヒーローって訳じゃなかったんだけれど、困っている人を見かけたらすぐに「大丈夫ですか?」とか、「手伝いましょうか?」って手を差し伸べ、自分のやれることをやって積極的に協力する人だった。要するに根っからのお人好しだったってこと。

 私自身、小さい頃から何回も言い聞かされたもん。「困ってる人に手を差し伸べるのは、ヒーローも一般人も関係ないんだよ」って。「困ってる人がいたら、優しく手を差し伸べてあげるんだよ」って。二人のおかげで今の私がある。感謝しなくっちゃ。

 

 次に容姿。お父さんは切れ長の目をしてて、まつ毛がバサバサに長かったの。髪型は綺麗に整えられたショートヘアーで、典型的な美男子。現代の光源氏とか言われてモテモテだったっけ。

 そして、お母さんは美人だった。ただただ美人。アニメから出てきたのかって聞きたくなるくらい美人!私と同じロングヘアーで、近所にかぐや姫がいるぞって騒がれてたなあ。学生の頃はモテてたから、数十人の男子に告白されることなんか当然だったんだって。

 

 その二つの要素が両親にも合わさった結果、お父さんとお母さんの周りにも沢山の人が集まってきた。それは二人が人気者で彼らに慕われている証拠なんだから、いいことかもしれない。でも……あの時に限ってはそれが仇になった。

 

 人を救けることが悲劇の始まりとなることもある。私は、そんな残酷な事実を知ってしまったの……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は記念すべき日で、幸福であるべき日でもあった。お父さんとお母さんの結婚記念日だったんだ。夫婦水入らずで過ごしてほしい日だったから、私は「夜くらいは二人きりで出かけたら?」って提案した。

 

 当然ながら、お父さんもお母さんも驚いた。まあ、子供が自分から留守番してる。家事は任せてって言ってるようなものだもん。そりゃあ驚くか!

 

「透……。ありがたいんだけれど、本当に一人で大丈夫?」

 

「一人で留守番なんだよ。大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ、任せといて!」

 

 困惑したような顔で心配してくる二人を安心させる為に、私は白い歯を見せながらニカッと笑う。

 

 すると、私を見た両親は揃って顔を見合わせ、「これも義勇君の影響かな」と笑っていた。

 

「よし、それなら……可愛い子には旅をさせよとも言うし、何事も経験だ。家のことは頼んだよ」

 

「透は毎日家事を手伝ってくれてるし、安心して任せられるわね!ともかく、火の扱いには気をつけるのよ?」

 

 ビッと人差し指を立てて私に念を押すお母さんの姿は、母親と言うよりもお姉ちゃんみたいだった。

 

 念押しに頷いた私を見て大丈夫だと思ったのか、二人は安心したような顔で頷いて笑顔で出かけていった。その笑顔がとても幸せそうで、私も嬉しかった。「いってらっしゃい!」って元気よく見送った。

 

 その時は予想だにしなかったし、出来なかった。その笑顔が、二人の最後の笑顔になるだなんて……。

 

 

 

 

 

 

 悲劇を知ったのは、その日の夜遅くのことだった。食器を洗って、お風呂に入って……。他にも沢山あったやるべきことをぜーんぶ終えてから、ゆっくりと寝ていた私なんだけれど、自分を責め立てるようにして鳴り響くインターホンの音で目を覚ました。

 

 脳が眠っていても音は聞こえる状態にあるのが事実だと分かったと同時に、眠気でトロンと落ちそうになる瞼を擦りながら枕元の時計に目を向ける。

 

 時計の針は2時30分を指していた。まだまだ夜遅い時間。一瞬、お父さんとお母さんが帰ってきたのかなとも思ったけれど……すぐに思い直した。

 だって、お父さんが家の鍵を持って出かけているんだもの。自分で鍵を持っているから、家の鍵は開けられる。インターホンを鳴らす意味はないと思った。

 

 私は不審に思った。インターホンの呼び出しには答えないでおこうって、そう思った。でも……なんだか「逃げるな」って言われてる気がして、私は義務感に駆られ、呼び出しに答えてしまったの。

 

「な、何かご用ですか?」

 

 震える声で尋ねる。私の家のインターホンはカメラ付き。だから、訪ねてきた相手の顔も分かるんだ。

 

 声が震えたのは……インターホンを通した先に恐ろしい光景が広がっていたから。

 

「こんばんは。俺の顔が見えてる?もしかして、答えてくれたのは……葉隠透ちゃんかな?きっと君も可愛いんだろうね……。()()()()()()()()()()()()()

 

 その先にいたのは、血を頭から被ったかのように頭頂部の髪が真っ赤に染まった男の人だった。それ以外の場所は白橡色。月の光に照らされて、その髪がキラキラと輝いているように見えた。一番特徴的なのは、神秘的な虹を宝石にして埋め込んだかのように綺麗な虹色の瞳。

 

 正直、その人の容姿は整っていたと思う。でも、病弱なのではないかと思う程に青白い肌が不気味で、人間の手らしきものを貪り喰らう彼の所業が彼の容姿の良さを忘れさせた。

 

「な、何をしてるんですか……?お母さんとも知り合いなんですか……?」

 

 現実が受け入れられず、震える声で尋ねる。

 

「んー?見ての通り。人間を喰ってるんだよ。もう手だけになっちゃったけれどね。いやあ……人間の女はいいなあ。栄養分がたっぷりだから、楽に強くなれる。それと、二つ目の質問の答えはYESだ」

 

 男は惚れ惚れとしたような表情を浮かべながら答え、骨の髄までしゃぶりつくしてやると言わんばかりに手を貪り続けていた。

 

 ぐちゃぐちゃと人肉が食いちぎられていくのを見る度に、体全体が男の顔を見ることすらも全力で拒否しているのが分かった。でも、体中が凍りついたように動かない。首すらも動かせない。真冬の海に放り投げられた時のように体がガクガクと震えて、隅々まで冷え切っていく。

 

 ――嫌だ……!見たくない!見たくない!見たくない!

 

 私は心の中で叫んだ。でも、目の前の光景から顔を背けることは出来なかった。運命っていうのは……とっても残酷で、私を逃がしてくれなかったんだもの。

 

「そうだ!透ちゃんにいいものを見せてあげよう!」

 

 男は、さも名案を思いついたかのような顔で言うとゴソゴソとジーンズのポケットを探って、スマホを取り出した。

 

 彼が見せつけたスマホの画面に映っていたのは……肩から大量の血を流して倒れるお父さんの姿と、あるはずの手足が無くなって、その傷口から大量の血がだらだらと流れているお母さんの姿だった。

 

「え……」

 

 言葉が出なかった。認めたくなかった。心のどこかで察してしまったけれど、お父さんとお母さんが死んでしまったなんて……認められる訳がなかった……!

 

「透ちゃーん!見てるかい?君の優しいお父さんとお母さんは死んじゃったよ。まあ死んじゃったも何も、()()()()()()()()()()んだけどさ」

 

「人を疑うことを知らないお人好しっていうのも可哀想だよね。俺を行く当てもない孤独な人間と思ってか、優しくした結果がこれなんだ。あ、因みに……今、俺が喰べてる手は君のお母さんのものだよ。お父さんだって、余すことなく喰べてあげたさ」

 

 同情も何もない一言が私の心に突き刺さる。

 

 ――何が可哀想だ。そんなこと、1ミリも思ってないくせに……!

 

 別に彼の感情が分かった訳でもないのに、不思議とそう確信していた。

 

「――何にせよ、透ちゃんのお父さんとお母さんのおかげでこの家まで来れたのさ。感謝してるよ!君と君のお母さんには、()()()()()()()()()()()しね。俺が喰ってやろうって心に決めてたんだ」

 

 呆然としている間に、男は話を進めていたみたいだった。

 

 目を付けられていた……。つまり、自分の容姿がこの人を引き寄せた……?

 そう考えずにはいられなかった。

 

 目の前が歪んでて、上手く見えない。私は泣いていたの。次から次に溢れ出す涙が頬を伝っていくのが分かった。

 

「悲しむことはないぜ、透ちゃん。俺に喰われてしまえばいいんだ。そうしたら、お父さんとお母さんにも会える。ほら、怖がらないでドアを開けておくれよ」

 

 男の言葉が、両親を失った悲しみを彼らが殺されたことと命を粗末に扱われていることへの怒りへと塗り替えていく。

 

 地獄の炎に体を焼かれているかのような感覚に襲われながらも手をグッと握って、私は声を荒げた。

 

「ふざけたこと言わないで!開ける訳ないでしょ!?人殺しの言うことになんか乗るもんか!私は生きるんだ!お父さんとお母さんの分まで……もう二度と顔を見せないで!私は、貴方を絶対に許さない!」

 

 自分では信じられない程の怒りに駆られた声が出た。もう一人になりたかった。気持ちの整理がつかず、ただ放っておいてほしかった。

 

 無理矢理に会話を打ち切った私がインターホンに背を向けた瞬間。

 

 バタンッ!と木製の何かが勢いよく倒れる音がした。ビクッと子猫みたいに肩を跳ねさせながら振り返って、耳を澄ますと……私のいる方へと足音が近づいてくるのが分かった。

 

 あの男に家のドアをこじ開けられたのかもしれない。命の危機が迫っていることを嫌でも察した。

 

「か、隠れなきゃ……!」

 

 私は咄嗟に隠れることを選んだ。自分のいるリビングへのドアに鍵をかけて、身を守るために包丁を手にしたままキッチンの陰に隠れた。

 

「酷いこと言った後は鍵をかけちゃったのかい?つれないなあ、透ちゃん。まあ……鍵をかけようが俺には関係ないんだ。だって、こじ開けられるし」

 

 リビングへのドア越しに男の声が聞こえたかと思うと、木の板に体を打ち付けたかのような衝撃音がして、次の瞬間には窓ガラスが音を立てながら粉々に割れた音がした。

 

 何が起こったのか分からないまま、私は息を殺してそっと顔を覗かせる。先程まであったドアはなく、ぽっかりとその形の穴が出来て通路が露わになっていた。そして、慌てて窓ガラスの方に視線を移せば、ドアが吹き飛んでそこにぶつかったせいで床にガラスの破片が大量に散らばっていた。

 

「……ドアを窓ガラスのところまで吹き飛ばしたの……!?」

 

 明らかに人間の範疇を超えた怪力にゾッとした。確かに男の言った通り、こじ開けるという行為に相応しい芸当。家に侵入した時も同じようにドアをこじ開けたんだと確信した。

 

 こんなところで死ねない。私は、夢半ばにすら立てていないんだから。

 

 死の予感を感じながらも必死に頭を回す。この状況から脱する術を探し続ける。

 

 その最中。

 

「あっ、透ちゃん見ーつけた!かくれんぼしてたのかな?楽しかったかい?」

 

「きゃっ!?」

 

 背後から声が聞こえて振り向いてみれば、私と目線が合う位置にまでしゃがみ込んで、悪びれもない笑顔を浮かべた(くだん)の男がいた。

 

 後ろに回り込まれたタイミングが全く分からず、私はゾッとしながら包丁を構えて後退りした。

 

「こ、来ないで!殺そうと思えば、貴方のことはいつでも殺せるんだから!」

 

 包丁の刃を相手に向け、出来る限りの殺意と憎しみを向ける。人間なら誰しも、自分から殺されることなんて望まないし、殺意を向けられたら怯むはず。

 

 でも、彼はそれをものともしなかった。包丁を手にして、獅子に狙われた兎のように虚勢を張る私を憐れむように見てきた。

 

「いけないぜ、透ちゃん。年端もいかない女の子が包丁を持って憎しみや殺意を向けるなんて。誰かに向けた憎しみや殺意は、いつか自分に返ってくるものだ」

 

「人間は感情を持って、過去に縋り付く。だから殺された相手が大切な人なら、殺した人を憎む。そして、大切な人を殺した奴を殺す。そして、殺した相手を大切だと思う人がその人を殺した人を……。負の連鎖が無限に続くんだ。だから、平穏に生きたいのなら誰かを憎んだりしちゃいけない」

 

 ――私の中の何かが切れた。両親が殺されたのは仕方がないと遠回しに教えるかのような言い方にカチンときた。

 

 私達には感情がある。喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで……。感情があるから、そりゃ誰かを憎むこともあるよ。ましてや、私はお父さんとお母さんを……大切な人達を殺されてるんだ。憎むな、なんて無理難題を言わないでほしい。

 

 何より――

 

「ムカつく」

 

「ん?」

 

「私から憎しみと殺意を向けられる発端になったあんたが、ヘラヘラと笑って私を諭すのが……一番ムカつくのよ!

 

 私は、身体中の血がグツグツと沸騰して煮えたぎる感覚を覚えながら、首を傾げる男に向けて怒りのままに包丁を持った腕を思い切り突き出した!

 

 普段とは比べ物にならないスピードが出た。正直、この時の私は冷静じゃなかった。後先考えずに男の腹に包丁を突き刺すことだけを考えてた。突き刺さると確信してた自分もいた。

 

 でも――

 

「わ〜!速い速い!でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 私が力一杯突き刺そうとした包丁は、男の指たった二本で止められた……。

 

「ッ!?っっ……!」

 

 人差し指と中指でぴったりと挟まれた包丁の刃は、何をやっても動かない。力一杯そこから引き抜こうとしても、1ミリも動かなかった。

 

 全体重をかけて包丁を引き抜こうとする私を見ながら、男は愉快そうに笑う。

 

「あはは、頑張るね〜!透ちゃん。君が考えた策も純粋な力も、どちらも俺には通じないって分かったろうに。うんうん……やはり、人間の素晴らしさは無駄なことをやり抜く愚かさにあるものだ」

 

 賞賛の皮を被った侮辱に、気が狂いそうだった。自分の体が高温の炎で炙られていると錯覚する程の強い怒りを覚えた。

 

「っあああああっ!!!」

 

 この男を殺したくて仕方がない。でも、私の力は全く通じない。……悔しかった。涙が次々に溢れてきた。体中の水分がなくなってしまうんじゃないかって思うくらいに沢山。

 

 涙を流しながら依然包丁を引き抜こうとする私を見て、男は鮮血に染まった鋭い犬歯を見せつけるように笑うと……パキンと音を立てながら()()()()()()()()()()

 

「え……」

 

 金属の刃が容易くへし折られた。男は顔一つ変えずに刃をへし折って、自慢げに私を見つめる。

 

「やっぱり、女の子が刃物を振り回すなんて良くないよね。折角の綺麗な肌に傷がついちゃうのは勿体ない。どうせ喰べるなら、無傷の状態が良いもんな」

 

 手元の武器が何一つ無くなった。煮えたぎっていたかのような血が、一気に冷え切っていく気がした。全身から力が抜けて、私はその場に膝から崩れ落ちてしまった。

 

「おやおや、あまりの力の差に絶望して腰が抜けちゃったのかな?可愛いねえ、透ちゃん。そういうか弱い女の子は好きだぜ。ほら、俺の腕の中においで」

 

「ひっ……!?た、救けて!誰かっ!誰か救けっ、んむっ!?」

 

 目の前にいる男の不気味さと気持ち悪さに体の底から不快感と恐怖が湧き上がってきた私は、必死に叫んで助けを呼ぼうとした。家には、私と彼以外に誰もいないって分かってたはずなのに。

 でも、その声に応えてくれる人はいない。男はとても用心深く、精一杯叫ぼうとする私の口をその青白い手で塞いだ。

 

「可哀想にね、透ちゃん。救けてって声を上げても、誰も駆けつけてくれない。そりゃ当然だ。この世には、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 口を塞がれたまま、私は目を見開いて絶句した。ヒーローは立派な仕事としてこの世に存在している。それなのに、本当のヒーローがいないと述べる彼の考えがよく分からなかった。

 

「おや、何か言いたげな顔だね。良いぜ、俺は優しいからな。話を聞いてあげよう」

 

 口を塞がれた状態から解放されたことでようやく普通に息が出来るようになった。一度深呼吸で自分を落ち着かせてから慎重に尋ねる。

 

「どうして……本当のヒーローはいないなんて言うの?ヒーローはちゃんといる。私達の周りには沢山のヒーローがいて、皆を救けてるよ!私のことも、きっとヒーローが救けてくれるもん!」

 

 私は強く訴えかけた。ヒーローのことを挙げれば、この人も考え直して立ち去ってくれるかもしれないって淡い期待を持って。

 

 私の言葉を聞くと、彼は数秒間硬直してからにっこりと笑った。

 

「今の時代に溢れ返ってるヒーロー達は()()()()()()()だろ?」

 

「え……?」

 

 そして、手元にあるへし折った包丁の刃を更に細かくしながら続けた。

 

「教えてあげるよ、透ちゃん。ヒーローってのは、英雄のことだ。英雄たらしめるヒーローなんて、この世にいない。英雄というのは自分からなろうとするものじゃないのさ。これは、()()()()()()()()()()()でしかないんだからね」

 

「最初からなろうと思って英雄になる者なんかいない。日々小さな善行を重ねて、いつしか大きな偉業を成し遂げる。自分の目的の為に理不尽を覆す。そんな人間達が英雄って呼ばれるのさ。本当の英雄なら、四六時中誰かの為に駆け回る。そんなことが人間に出来る訳ない」

 

 手持ち無沙汰にあやとりをするかのように包丁の刃を細かく折った後……。彼は、それを思い切り握り潰した。

 

「英雄……即ち、ヒーローってのは空想上の存在さ。人間達の妄想。そんな存在を妄想し続ける愚かで気の毒な人間を救済する。それが俺の目的だ!

そして、最後には誰よりも強大な存在になって欲しいものを手に入れるのさ」

 

 金属の粉になってサラサラと床に落ちていく包丁の刃だったものを窓から差し込む月の光に照らし、うっとりとしたような顔をしながら彼は言った。

 

「おっと、話しすぎちゃったね。お話もここまでにしようか。最後に一つだけ聞かせておくれ、透ちゃん。……()()()()()()()()()()()()()、知らないかい?」

 

 男は再び私の前まで来て、目線が合うようにしゃがみながら尋ねてきた。

 

 ――沈黙が流れる。時計の針が時を刻む音と割れた窓から吹き込む風の音だけが部屋に響く。

 その沈黙が嵐の前の静けさのようで、怖くなった。私は、かぶりを振りながら答える。

 

「し、知らない……っ」

 

 恐怖が私の声に現れた。恐怖を抱いていることを相手に伝えてしまった。

 

「そっかあ、残念!でも……」

 

 女の子の居場所が分からなかったものの、それを気にしてないという様子で笑った直後。男の口の端が吊り上がり、笑みが不敵かつ不気味なものに変わった。

 

「これで、安心して透ちゃんを喰べられる訳だ」

 

「ひっ!?いやあっ!」

 

 真正面から喰べると宣言された私は、即座に脱兎の如く逃げ出した。誰かが救けてくれることを心の底から強く願って……!

 

「救けてっ!!!誰かぁっ!!!救けてぇぇぇぇぇ!!!」

 

 玄関に向けて全力で走りながら、私は精一杯に声を上げた。声を上げたというか、もはや泣き叫んだのに近かったかな。

 

 私は、必死で走って逃げようとした。でも……。

 

「おっと、鬼ごっこかい?逃がさないぜ、透ちゃん」

 

 男は、チーターもびっくりなスピードであっという間に私の前に回り込んでしまった。

 

「残念。普通の人間のスピードじゃ、俺からは逃れられないんだ。諦めておくれ、悪くはしないからさ」

 

 私を安心させるつもりなのか、男がニコニコと笑いながら腕を振るってくる。

 

「っ!?」

 

 ――あっ、私……ここで死ぬんだ。

 

 私は悟って、覚悟を決めて目を閉じた。今までの日々が甦って、瞼の裏に映画のようにして目まぐるしく流れていく。

 

 これが……走馬灯なんだ。死の間際に新しい経験が出来て、なんだか嬉しくなった。

 

 お父さん、お母さん……。また、会いたかったな……。

 

 お父さんとお母さんの笑顔を見るのがあれで最後になったことを悔やんでいたその時だった。

 

「え?」

 

 男の呆けた声と、ゴトリと音を立てながら何かが落下した音が聞こえた。

 

「……?」

 

 疑問に思ってそっと目を開くと……男は自分の振るった腕を呆然と見つめているのが分かった。

 

 彼の視線に釣られてその先を見てみると、振るわれた腕の前腕が綺麗に無くなっていて、傷口から大量の血がドバドバと流れていたの。

 

 直後、更に生々しい音を立てながら男の腹部に大きな風穴が空く。

 

「ゴフッ……!?」

 

 男が血を吐いて膝から崩れ落ちる。普段から青白い顔が、血の気が引いて更にそうなっていく。

 

 崩れ落ちた男のその背後。そこには……私を襲った男よりも遥かに高身長の男の人がいた。

 ツーブロックの段差のある、黒い短髪をしていた。額には一直線に傷があって、瞳孔のない白眼だった。もしかしたら、あの人は目が見えなかったのかもしれない。でも……まるで目が見えているかのように私を襲った男の腹部に風穴を開けたであろう鉄球を繋ぐ鎖を自在に操って、手元に手繰り寄せていた。

 

「ゴウゴウゴウゴウン……!!!」

 

 一番特徴的なのは、その呼吸音。蒸気機関車が迫ってくる時の轟音を彷彿とさせるような……明らかに異端な音。男の人の雰囲気と筋骨隆々な体格も相まって、彼自身が屈強な仁王像にも思えた。

 

「まさか、元鬼殺隊の……!?ヤバいなあ、ここで殺される訳にはいかないや……!またね、透ちゃん!」

 

 腹部の風穴をすぐに埋めながら、私を襲った男が逃げ去っていく。

 

「……逃がさん」

 

 仁王像のように屈強な男の人は、憤怒の表情で逃げた男を追いかけていく。私からしたら、その人はこの場から消え去ったようにしか見えなかった。

 

「助かった……の……?」

 

 脅威が過ぎ去ったことで、私は腰が抜けちゃった。その場にぺたんと座り込むと同時にまたまた涙が溢れてきた。どれだけ時間が経っても、両親を失った悲しみは紛らわすことなんて出来なかったんだ。

 

「……怪我はないかい?」

 

 呆然と涙を流す私に、心に安らぎを与えてくれるような優しい声が降り注ぐ。

 

「その様子だと、ご両親の元には間に合わなかったようだね……。ごめんね、辛い思いをさせて」

 

 その言葉に顔を上げる。顔を上げた先にいたのは、藤色の綺麗な瞳をした、首辺りまでの長さのロングヘアーの男の子。慈悲に満ち溢れた仏のような笑みを浮かべていて、私とさほど歳も変わらないはずなのに父親のような暖かみに溢れた子だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それで、私は行き場を無くしちゃって……。その男の子の家族に引き取ってもらったの。どっちかと言えばお兄ちゃんって例えるべきなんだけど、お父さんみたいなの。その男の子って」

 

「呼吸のことは、私を救けてくれた男の人ともう一人、今話した男の子に仕えてる人に教えてもらった。……それと、私を襲った男が"個性"の影響で国から正式に殺してもいい(ヴィラン)だって指示が出てることも」

 

「それで、姿を隠してるのは……自分の容姿のせいで邪な心を持った人が近づかないようにって考えたからなんだ」

 

 透の経験は、あまりにも壮絶だった。二度三度と俺の体に雷のような衝撃が押し寄せてきた。

 

 多大なショックを受けた俺は、未だに無理をして笑顔を浮かべようとする透に問い詰める。

 

「透、何故何も言ってくれなかった……!?俺達は友達だろう……?相談してくれれば、話を聞くくらいは出来たはずだ」

 

 透の真正面にしゃがみ、肩に両手を添えて言う。すると、透の目から再び涙が溢れて頬を伝った。

 

「やっぱり、義勇君は優しいね……。自分の夢の為にも必死で真剣にやってるのに、他の誰かの為にも真剣になれるなんて。でも……真剣だからこそ、義勇君の邪魔になりたくなかったの」

 

 耐え難い葛藤があったのだろう。透は絞り出すように吐露した。

 俺の邪魔をしたくないという思いと、救けてほしいという思いで板挟みになっていたんだ。今日に至るまでずっと。

 

「邪魔になるだなんて……そんなことない。俺は、透の助けになりたいんだ。お前が救けてほしいと言うのなら、俺は手を差し伸べる」

 

 透の変化に気づくのが遅れた分、俺に出来るのはこうして彼女の心を解きほぐすことだ。俺は微笑みながら、透の手を包み込むように優しく握った。

 

「義勇君っ……」

 

 俺の言葉を受けて、透の目から更にブワッと涙が溢れ出す。そして、彼女は泣きじゃくりながら俺を抱きしめた。

 

「私ね……他の人のこと、信じられなくなっちゃったの。自分に近づく人達は邪な心の人ばっかりなんじゃないかって……。でも、私ね、義勇君のことはずっと信じてるから……!だから……これからも友達でいてね……」

 

 心からの願いだった。俺と友達であり続けたいという強い意志を感じ取れた。

 

 答えは決まっている。未だに信じてもらえていることに安心したところもある。だが……そうでなかったとしても、俺は透の友達であり続ける。絶対に。

 

「……当たり前だ」

 

 透を抱きしめ返しながら、俺は思う。

 

 透を救けたのは俺のかつての知り合いである可能性が高い。彼女を引き取った家族の一人で、彼女に優しく声をかけたという少年も。

 

 いずれにせよ、感謝せねばなるまい。そして、あわよくば……いつの日か直接会って礼を言わなければ。

 

 ――もう二度と透に、他の誰かに同じような思いはさせない。その為にももっと強く、大きくなりたい。

 

 俺を抱きしめて泣きじゃくる透の頭をそっと撫でながら、ただひたすらに強くそう願った。

 

 ……透を襲った(ヴィラン)が気になるな。国から殺しても構わない(ヴィラン)だと指示が出ている……?一体、どれほどの脅威だというんだ……。妙に嫌な予感がしてならない……!



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第十五話 平和の象徴

 その知らせが入ってきたのは突然のことだった。切羽詰まった様子の姉さんの口から、「オールマイトさんが重傷を負った」と伝えられた。

 

 平和の象徴と謳われるNo.1ヒーローの彼が重傷を負うだけの実力を持った(ヴィラン)がいることは、俺を戦慄させた。人間というのは明確な証拠がない話や自分にとって都合の悪い話を簡単には信じられないらしい。自分自身としては承知したつもりだった。しかし、そんなことが本当にあり得るのだろうか、と疑問が止まなかった。

 

 いずれにせよ、あの人は俺達の生活を支えてくれた恩人だ。駆けつけない道理などない。俺達は大急ぎでオールマイトが運ばれたという病院に向かった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前例が今までなかっただけだ!未来など私が変えてやる……!このままじゃ、()()()()になるんだよ!それは駄目なんだ!私は貴方の為になりたくてここにいるんだ、オールマイト!!!」

 

 オールマイトのいるであろう病室に向かう最中、感情に満ちた声が聞こえた。――オールマイトのいる病院と病室については、連絡をくださった根津さんに教えてもらった――

 

「この声……ナイトアイの……?」

 

 何があったんだ?予知?未来?何のことだ……?

 

 その声の主がナイトアイであることが分かると、色々な疑問が湧き起こってきた。

 

「……ごめん、姉さん。先に行く!」

 

「えっ、義勇!?ま、待っ――」

 

 蔦子姉さんに先に行くとだけ伝えると、俺は脇目も振らずに声の元へと急いだ。

 

 そして、向かった先には……患者用の衣服を着て、酷く消耗した様子の平和の象徴の小さな背中。それを見送る形で立つ根津さんにナイトアイ、それとオールマイトと同じように患者用の衣服を着た、ご老人の姿があった。

 

「私は世の中の為に……ここにいるべきじゃないんだ、ナイトアイ」

 

 壁に手をつきながらでようやく歩けるレベルまでにしか回復していない様子のオールマイトは、噛み締めるように……自分のことはどうでもいいといった様子でそう言った。

 

 その背中が遠ざかっていく中、耐え難いといった様子でナイトアイが叫んだ。

 

「このままいけば、貴方は(ヴィラン)と対峙し、言い表しようもない程に凄惨な死を迎える!!!」

 

 どうか止まってくれ、戻ってきてくれという強い願いに満ちた声だった。

 

 だが、オールマイトは――止まらなかった。世界平和という名の積み木を慎重に一つずつ積み上げていくかのように……床を踏みしめて歩いていってしまった。

 

「くっ……。どうしてだ……!どうして分かってくれないんだ、オールマイト……!貴方には生きてほしいのに……!」

 

 オールマイトを引き止められなかったことに絶望してか、ナイトアイは膝から崩れ落ちては項垂れる。

 

「ナイトアイ……」

 

 失意に満ちたその背中がとても小さく見え、俺は憐れむことしか出来なかった。

 

「!義勇君、来たのかい。……信じられなかったかもしれないが、見ての通りなのさ。オールマイトが重傷を負ったのは事実だよ」

 

 俺がふとナイトアイの名を呟いたことで、俺の存在に気がついた根津さんとご老人がこちらを振り向いた。

 

「……そのようですね」

 

 俺は固唾を呑みながら答える。と同時に尋ねた。

 

「失礼ですが、そちらのご老人は……?」

 

 根津さんより頭一つ分高いくらいの身長で、年相応の白髪に顎髭を生やした彼は、杖をつきながら一歩前に出て答えた。

 

「おう、名乗ってなかったな……。俺はグラントリノっつー名前でヒーローをやってる者だ。ま、名前と俊典――オールマイトの師匠だってことだけでも覚えておいてくれや」

 

 ご老人……グラントリノは、俺が予想だにしない人物だった。正体を知ってから慌てて頭を下げる俺に「楽にして良い」と言うと、長年の年月と共に刻まれた皺の中にある鋭い瞳で、俺を品定めするようにじっと見た。

 

「……ほう。小僧、冨岡義勇って名前だったな?俊典や鱗滝から聞いちゃいたが、いい目をしとる」

 

 顎髭を撫でながら白い歯を見せ、彼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「鱗滝さんとお知り合いなのですか?」

 

「ああ、同世代ってやつだ。彼奴とも、久しく直接会って話をしてないが……元気か?」

 

「ええ、鱗滝さんはご壮健ですよ。変わりなく」

 

「フ、そうかい。そいつァ良かった」

 

 そんな彼を見ながら軽く話を交わした後。根津さんは、ナイトアイの側に立ちながら俺に話を持ちかけた。

 

「義勇君。サイドキックのナイトアイを相手にしても、オールマイトは話を取り合ってくれなかった。恐らく、僕らを相手にしても同じだろう。でも、君を相手になら話を聞いてくれるかもしれない。子供の君が相手ならね」

 

 根津さんの微笑みに対して俺は力強く頷くと、彼らに軽く一礼してからオールマイトの元へと急いだ。

 

 果たして、あの人は俺一人の言葉で踏みとどまってくれるのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

「だ、だめです!ちゃんと傷が治るまで休んでください!」

 

「無茶です!もうまともにヒーロー活動をすることすら厳しい体なんですよ!?」

 

「止めないでくれ……!皆が私のことを探しているんだ……!私を探して、世の中の平和が乱れることを憂いている……。私が安心させてやらなくちゃあいけないんだ!」

 

 急ぎ病院の一階にまで降りてみると、複数人の医師や看護師に休むように強く促されながらも彼らを掻き分けて外に出ようとするオールマイトの姿があった。

 

 その背中に、自分の身よりもこの国の平和を重んじるという、救世主に相応しい強い意志を垣間見ることが出来た。

 

 弱々しくも、依然として消えまいと燃え盛り続ける炎のような彼に声をかける。

 

「オールマイト!」

 

「義勇少年……!?どうしてここに……!」

 

 俺の声に慌てて振り向いた彼に根津さんからの知らせでここに来たとだけ伝えて、話を切り出した。

 

「どうしても……行くのですか?」

 

 俺の言わんとすることを察してか、オールマイトのサファイアのように煌びやかな蒼い瞳に力強い意志が宿る。

 

「ああ……行かなければならない。どれほど私の肉体が傷つこうと、朽ち果てようと……救けを必要とする人がいる限り。この国の平和を乱す悪がいる限り……!」

 

 彼の力強い意志は、彼自身の放つ凄烈な気迫にも現れた。数多の国を救った英雄そのものを思わせる気迫。俺も思わず息を呑んだ。意志の強さに呼応し、彼の瞳も鮮やかに光を放っている気さえした。

 

「……何がそこまで貴方を突き動かすのですか?」

 

 気迫に負けず、力強く拳を握りしめる彼に問う。

 

 すると――

 

「……そうだな。やはり、君には話しておくべきだろうね。あの時のお詫びも兼ねて」

 

 彼は、苦笑にも似た優しい笑みを浮かべた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「義勇少年。私はね、()であり続けたいんだ」

 

()……ですか」

 

「ああ。この国の平和の支柱。そして、この国の皆の心の拠り所になれる柱としてね」

 

 窓の外の澄み渡る青空を眺めながらオールマイトは語った。

 

 俺とて、単なる称号でしかなかったが"柱"であった時期がある。だから、そうなることがどれだけの重圧がかかることなのかよく知っている。

 

 支えるものがあってこそ、柱は柱たり得る。勿論それは俺達に限った話じゃない。建物を建てる際に作られた柱だって同じことだ。

 支えるべき天井があるからこそ、何かを支えるものとしての役割を果たすことが出来る。

 

 そして、支えるものが大きければ大きいほど、重ければ重いほどに柱自体も丈夫である必要がある。柱の数が少ない場合は、更にそうでなければならない。

 

 俺達は鬼殺隊という一つの大きな組織を支えたが……オールマイトが支えるのは、日本という一つの大きな国とそこに生きる人々という漠然とした更に大きなものだ。それを彼が一人で支えている。

 彼の重圧は図り知れない。これらを支える強靭な柱となるまでに、どれほどの血の滲む努力があったのだろう。彼の歩んできた道を想像してみたものの、何も浮かばなかった。

 

 柱が複数あるのなら、それが崩壊した位置によれば崩壊せずに形を保てる場合もある。だが……柱が一つしかないのなら、それが崩れてしまえばそこからボロボロと全てが崩れ落ちるものだ。

 

 オールマイトは、この国をヒーローとして支えるたった一つの柱。強靭だが、逆に言えば彼が崩れてしまえば脆い。即ち――

 

「貴方が今、平和の象徴の座から降りてしまえば……この国の平和が乱れてしまうと……?」

 

 なんとなく察せた、オールマイトが自分の身を投げ打って平和の象徴として戦い続ける理由を呟き、彼を見やる。俺の方に向き直り、力強く頷きながら彼は答えた。

 

「その通りさ、義勇少年。自分で言うのもなんだが、私は(ヴィラン)にとっての脅威になれていると思っている。私が平和の象徴の座を降りてしまえば……(ヴィラン)達にとっての大チャンスが生まれてしまう。

きっと、彼らは今までの鬱憤を晴らすように犯罪活動を繰り広げるだろう」

 

 確かにそうだ。肉食動物が減少すれば、それが元の数に戻るまでにそれらに捕食される草食動物が増える。草食動物にとっての繁栄のチャンスという訳だ。こうなるのは自然界の理なのだが、生物の生存本能によるものなのだろう。そういった本能が働くのは、人間とて同じ。

 

 宿敵がいなくなったことで自分達の衰退を避けられるチャンスが出来たのなら、誰しもそのチャンスを掴み取るに決まっている。オールマイトの引退。それは、RPGで例えれば、魔王の宿敵である勇者がいなくなったことと同義。自分達の野望を存分に叶えようとするはずだ。

 

 だが……。

 

「人間ならば、誰しも終わりがくるものです。他のヒーロー達もそれを覚悟していない訳ではないでしょう。彼らに託すという選択肢はないのですか?」

 

 ナイトアイの様子から、オールマイトが文字通りの重傷を負ったのは察することが出来た。鬼殺隊でも、重傷を負えば隊士を引退することがほとんどだった。事実、左手と左目を失った宇髄は現役を引退して隊士の育成に全力を注いだのだから。

 

 差し違えても構わないと言わんばかりに無惨と戦い続けた俺が言えることじゃないと思うが、彼が引退したとしても誰も責めないだろうに……。

 

 俺がそう尋ねると、オールマイトはかぶりを振って再び窓の外に視線を移した。

 

「だめなんだ、義勇少年。柱であるからこそ、私が最後までやり遂げなければ。今ここで私が終わってしまえば、確実に世の中は乱れる」

 

「私の"個性(ちから)"を受け継ぐ後継者が現れ、彼だか彼女だか定かではないその人が立派な象徴となって羽ばたけるその日まで……!私が象徴として、在り続けなければならないんだ!」

 

()を……受け継ぐ……?」

 

 力を込めて拳を握りしめ、彼は力強く言い切った。その最中に耳にした、気になる言葉。

 

 「ちから」を受け継ぐ……。その意味を正確に察せなかった俺は、ただその言葉を鸚鵡返しにした。

 

 その言葉が頭の中をぐるぐると回る。竜巻の如く激しく、螺旋階段のように延々と。床に視線を落とし、妙に引っかかるその言葉の意味を考えた。

 

 そんな俺の頭に温かくて力強く、そして逞しい手が乗っかる。

 

 それにハッとして視線を上げれば、微かに口角を上げて笑顔を浮かべたオールマイトの姿がある。

 

 俺の頭をポンと優しく叩きながら、彼は言った。

 

()()()()()()じゃないぜ、少年。()()"()()"()()さ。……今から話すことは、君の心の中に閉まっておいてくれ」

 

 聞いた話の内容は、まさに御伽噺のそれだった。

 

 これまで、"ブースト"だとか"超パワー"だとか考察されていたオールマイトの"個性"。それに冠された名は、"ワン・フォー・オール"。訳して……一人は皆の為に。名は体を表すとはよく言ったものだ。まさにオールマイトの考え方を顕著に表した"個性"じゃないか。そう思った。

 

 "ワン・フォー・オール"は、他の"個性"とは訳が違う。これまでにオールマイト自身を含めて、8人の人物の手を渡り歩いてきたらしい。

 

 そして、それは受け継がれる度に強力なものになっていく。一人が力を培い、また次へ……。彼らの義勇の心が紡いできた力の結晶。それこそが"ワン・フォー・オール"だ。

 

 最初は、暗闇の中の微かな光のように微力な"個性"だったのだろう。だが、それは時と時代を経て星のように……いや、太陽のように眩い輝きを放つ、強力な"個性"となった。

 延々と受け継がれる、人々の平和への願いと想い。それが光をこれ程までに眩くしたのだ。なんと尊いことだろうか……。

 

「受け継ぐだけで終わりじゃない。この"個性"を上手く扱えるようになり、象徴に相応しい存在にする為に……後継者を育てる義務だってある。せめて彼らが羽ばたくその日まで、平和は私が守り抜かなければ」

 

 そう言葉を綴るオールマイトを見ながら、俺の脳内に一つのイメージが過る。

 

 か弱い一筋の閃光。それが次々と輝きを増しながら先へと突き進む。そして、太陽のような輝きを放ちながら、目の前の彼に辿り着く。そんなイメージだ。白い歯を見せて笑いながら拳を握りしめる彼が、その輝きを握りしめて掌に宿す光景さえ目に見えた気がした。

 

「先代達の想いを途絶えさせる訳にはいかない。この国の平和の為にも……。これも、私が戦い続けなければならない理由なのさ。今回の戦いで私の宿敵は打ち倒したが、この超人社会だ。いずれ次の宿敵になり得る存在が現れる。だから……私は止まれない。ゴールまで突っ走るしかないんだ」

 

 そこまで言うと、オールマイトは俺に背中を向け、壁を手すりがわりにしながら歩き去っていく。その背中から、「すまない。どうか止めないでくれ」というメッセージを感じ取れた。

 

「オールマイト……」

 

 彼の名を呟きながら、俺は悟る。誰が止めようとも、彼自身以外は彼の歩みを止めることは出来ないのだと。

 

 そして。彼の理想は、ある種の狂気とも言えるものであることも。自分の命を賭して己の身を顧みずに戦い続けるその姿勢は、無惨を討ち取ろうとした俺達に通ずるところがある。

 確かに、他の誰かの為に命を賭けられるのは異常だと思えるのかもしれない。彼奴の言ったことが分からない訳ではない。   

 

 だが、その行動は己の正義や誰かへの強い思い、かけがえのない思い出からくるものだ。自分が忘れさえしなければ、それらは永遠に在り続ける。考えることが出来、何かを覚えられる人間だからこそ、それらを簡単に捨て去ったり忘れ去ったりなど出来やしない。自身の正義があるからこそ、困っている人から目を逸らせない。

 

 俺達の行動を否定するのは、それらを冒涜するのと同じこと。そして、俺達はそうされて平然としていられるほど単純な人間じゃない。だから、あの時は俺も炭治郎も怒りに震えた。

 

 自分を突き動かすものを否定しない為にも、戦い続けるんだ。

 

 俺もそれが分かるから……止められない。その姿勢を知っているから見送るしかない。

 

 加えて、俺もそんな狂気を抱えた経験がある男。それを理解し得るからこそ――

 

「貴方の背負うものを俺が……いや、俺達が共に背負います」

 

 一人で支えるからこそ、崩れれば脆く儚い。ならば、後に続く俺達が共に支えればいい。俺達、一人一人が()になればいいんだ。

 

 道のりは長く、俺はそうなるには未だ不十分。せめて、俺が彼と共にこの国を支える相応しくなるまでは無事でいてほしいと思う。

 

「やはりそうか……。君でも止められなかったんだな、義勇君」

 

「!ナイトアイ」

 

 その声に振り返ってみれば、そこには藍色のスーツを、社会人の模範と言わんばかりにきっちりと着こなしたナイトアイの姿がある。

 

 彼は笑顔を浮かべてはいたものの、表に出ている感情は……悲しみだった。

 

 服装の乱れは心の乱れとは言われるが、彼の服装からは心の乱れは見られない。心が乱れれば、真面目さを貫くのも煩わしくなるだろうに。これも、社会の模範とならなければならないという責任感の表れだろうか。

 

「……分かりきっていたが、駄目だな……。私はもう彼をサポート出来ない……」

 

 俺の側に腰掛けたナイトアイは、頭を抱えながら言った。

 

 その姿を見ているだけで胸が締め付けられる。彼にとって、オールマイトがどれだけ尊敬する人物なのか、大切な人物なのか。それを痛感した。

 

 彼の心の傷を抉るようではあるが、俺はオールマイトの秘密を知ってしまった。聞かねばなるまい。

 

「今回の戦いで何があったんですか?それに、貴方の仰った予知というのは……?」

 

「……知らされたんだな、義勇君。どこまでだ?」

 

 全てを察したらしいナイトアイは顔を上げながら眼鏡の位置を整え、その鋭い瞳で取り調べを行う警察官のように言った。

 

「取り敢えず、"個性"のことまでは」

 

 それを聞いたナイトアイは、顎に手を当てて哲学者のような姿勢になる。恐らくは……何を話すか、話さないべきかを頭の中で整理しているのだろう。平和の象徴の秘密と知られぬ間に行われたであろう激戦。これらは慎重に扱わざるを得ない情報だ。整理するのも当然のことか。

 

「分かった」

 

 覚悟を決めたように瞳を鋭くさせ、ナイトアイは立ち上がる。そして、俺の方を振り仰いで話し始めた。

 

「まず……今回、オールマイトが戦った相手は長年の宿敵だ。それも5年や10年なんて生温いものじゃない。()()()()()存在し続けた(ヴィラン)なのだ。何年も姿を変えることなく」

 

「姿を……?つまり、老いなかったと……!?」

 

「その通りだ」

 

 半永久的……。きっと、人間の寿命以上の時間は存在し続けている(ヴィラン)なのだろう。

 

 俺の頭に嫌な憶測が過る。長い時間、姿を変えることのなかったその男はまさしく不老。もしや、彼の正体は鬼ではないのか。そう思った。

 

「我々の思う以上に"個性"は摩訶不思議なのだよ、義勇君。これは憶測でしかないが……成長を止める"個性"か何かを奪ったのだろうな」

 

 だが、俺の憶測はいい意味で外れた。成長を止める……。そんな御伽噺のような芸当を可能にするとは……やはり、"個性"はナイトアイの言う通り摩訶不思議だ。

 

 ホッとして胸を撫で下ろす俺を他所に彼は続ける。

 

「オールマイトの長年の宿敵……。その名は、オールフォーワン。"ワン・フォー・オール"が長年受け継がれてきた"個性"であることは知っているな?その"個性"の初代継承者。彼が生きていた時代から、長い因縁が続いてきたんだ」

 

「オールフォーワン。皆は一人の為に……。皮肉ですね」

 

「……ああ」

 

 皆が一人の為に手を取り合い、大きな事を為す。そんな素晴らしい言葉であるはずなのに……。それが、巨悪の(ヴィラン)ネームになって恐怖を(もたら)す単語になるとは。

 

「奴の"個性"の名も"オール・フォー・ワン"。……まさに次元の違う"個性"だ。何せ、他人の"個性"を奪って自分のものに出来るのだからな。加えて、それを他人に与えることも出来る」

 

 こちらもある意味、名は体を表すと言うに相応しい。自分以外の人々の"個性"は全て己の為にあると言わんばかりのものだ。己が分け与えた力もまた、全て己に尽くす為のものだと。

 

 傍若無人な支配者に相応しい"個性"。……考えただけで恐ろしい。力を使う者が優秀であればあるほど、使われる力も更に映え、強くなるものだ。

 奪い尽くしてきた凡ゆる"個性"。それを存分に扱い抜けるだけの頭脳と経験がオールフォーワンとやらにあるのは想像に難くない。

 

「!オールマイトが負った重傷というのは、その(ヴィラン)と戦ったことで負ったものなのですね」

 

「その通りだ」

 

 ナイトアイは強く拳を握りしめ、それを壁に叩きつける。その背中は、底無し沼のように果てしなく深い、悔しさに溢れていた。

 

「彼は、オールフォーワンを打ち倒したのと引き換えに呼吸器官半壊、胃袋全摘という大怪我を負った……!それだけじゃない」

 

「対象の一部に触れながら目線を合わせることで、1時間の間その人物の未来を視ることが出来る"予知"。それが私の"個性"なのだが……視てしまったのだ。オールマイトの死が訪れる未来を……!

 

 雷のような衝撃が俺の胸の奥深くを穿つ。反射的に声を張り上げそうになるのを抑え、あくまでも冷静さを保ったままで俺は言葉を口にした。

 

「オールマイトの死……!?それがいつなのか分かりますか……!?」

 

「細かくは分からない……。だが、目安はついている。……6年後だ……!」

 

「6年後……」

 

 光陰矢の如しと言うだけあり、時間の流れは早いものだ。6()()()()()()()()()()6()()()()()()……。俺は自然とそう考えてしまった。

 

「くそっ……なんとしても予知を覆さなければ……!」

 

 ナイトアイは焦っているようだった。オールマイトの怪我を、未来に訪れる死の運命を嘆くその様子が、蔦子姉さんの死を嘆き、悲しみに打ちひしがれて涙を流してばかりいた前世の俺に重なった。

 

「私が、私が――」

 

 その時。俺は、ナイトアイの発する次の言葉を察してしまった。

 

 今度は俺が……ナイトアイに教えなければならないんだ。あの時、錆兎がやってくれたように……!

 

「『私がオールマイトの代わりに重傷を負えば良かった。代わりに死ぬ運命にあれば良かった』なんて言わないでください。そんなこと、絶対に言ってはなりません」

 

 俺は、ナイトアイの言葉を断ち切るようにして言った。そして、口を開きかけたまま固まった彼に訴え続ける。

 

「オールマイトを冒涜しないでください。他でもない貴方が、サイドキックである貴方がそんなことを言っちゃいけない。オールマイトとて、重傷なんて承知の上で平和の象徴で在り続けているはずです。

もし、そうなったとして……最も苦しむのは貴方じゃない。オールマイトです」

 

 ナイトアイは眉間を押さえながら天井を見上げ、ふうっ、と息を吐いた。俺には、そんな彼が目から溢れる涙が溢れまいと耐えているようにも見えた。

 

「……ああ、そうだな……。情けないところを見せた……。申し訳ない、義勇君」

 

 顔を上げたナイトアイの顔には、微笑みが浮かんでいる。彼に笑顔が戻ったことに無性に安心した。

 

「ナイトアイ。俺、もっと強く……大きくなります。その時は未来を捻じ曲げるのに協力させてください」

 

「!……それは心強いな。ああ、よろしく頼む。だが、剣技を扱う君に相応しいのは、"捻じ曲げる"より君自身の剣技で"叩き斬る"……だろう?」

 

「確かに……その通りです」

 

 こうして、俺達は指切りをして誓い合った。オールマイトに迫りつつある死の運命に抗うと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  真っ暗な空間。底知れぬ悪意そのものであるかのようなそこに、異端な見た目の男がポツンと寝そべっていた。

 

 病院に備え付けられているかのような白いシーツのベッドに寝そべる男は、腕や頭に大量の包帯を巻き付けていた。それらは赤い鮮血に濡れ、彼の体中に何本もの管が取り付けられている。何本もの管……。それは生命維持装置。今や、虫の息同然である彼の途切れ途切れの呼吸を必死に補助し、ギリギリのところで彼の命を繋ぎ止めているのだ。

 

 そんな死に際の人間として典型的な見た目をしているこの男こそ……オールフォーワンその人。重傷を負ったのと引き換えに、オールマイトが命からがら打ち倒したはずの悪の帝王だ。

 

 オールマイトからすれば、彼を完全に(たお)してしまったはずだった。だが、彼は見事に生き延びることに成功したのだ。協力者の手によって。

 

 オールフォーワン自身も、この通り重傷を負って肉体に大きなダメージを受けた。加え、これまで奪い取ってきた"個性"のうちのほとんどを喪失した。これだけの重傷を負わされたのだ。彼の中には、オールマイトへの復讐心が業火の如く燃え盛っているに違いない。

 

「おお……オールフォーワンよ……!なんという姿に……。これほど嘆かわしいことがこの世にあるか……?いや、絶対にない……!」

 

 その側に立つ、小太りな体型の老人がワナワナと体を震わせた。

 髪が全て禿げ上がった文字通りの禿頭に、年相応に真っ白に染まった口髭の彼は白衣を羽織っている。その出立ちは医者のそれだ。しかし、その一方で彼の装着した歯車型のゴーグルがマッドサイエンティストらしさを感じさせる。

 

 果たして、どちらがこの男の本性なのか……。その答えは、後者だ。

 

 この男の名は殻木球大。表向きの顔は、蛇腔総合病院という巨大な病院の創設者にして理事長である。気まぐれのように慈善事業に手を出し、その証拠として全国に児童養護施設や個人病院を私有しており、多くの人々に慕われている。

 しかし、その本性はオールフォーワンに心酔する旧友であり、協力者。全国に医療施設を私有しているのも、己の研究に利用出来る優秀な被験体を探す為だ。

 

 ――余談だが、数年前に己の私有する個人病院の一つでとある少年の個性診断を行ったらしい――

 

 ワナワナと彼の体を震わせるのは、膨大なる怒りと復讐心。それらが噴火寸前の火山の中を立ち上るマグマのように湧き上がり、グツグツと血液が沸騰するかのような感覚を覚えていた。

 

「おのれ……!憎きオールマイトめ、絶対に許してはおかん!この恨みは何倍にもして返してやるぞ!今すぐに奴らを呼ばねば」

 

 ゴーグルの下の目を光らせるようにして口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた殻木は己の親友の配下達を呼び出す。

 

「あァ?何の用だってんだ、ジジイ。折角、俺らのボスから貰った"個性"で適当に市民やヒーロー共をぶっ殺しに行こうと思っていたところだってのに」

 

 首を鳴らしながら不満を露わに歩いてきたのは、2mを超える巨体……それも筋骨隆々なそれを持つ大男。彼の金色の髪は、この暗い空間の中でよく映える。その巨体も相まって、遠くから見ても彼の居場所がすぐに分かってしまいそうだ。そして、その三白眼は「誰でもいいから殺したい」という非常に攻撃的な欲望に溢れていた。赤黒いタンクトップに、鮮血のように真っ赤なズボンと腰巻きは、まさに自分は血が好きなのだと他人に示すかのようなファッションである。

 

 その男の正体など言うまでもない。かつて、義勇やその場に駆けつけたプレゼントマイクとイレイザーヘッドに倒されかけた(ヴィラン)……マスキュラーである。

 あの時、彼は黒い靄に体を呑み込まれて救け出された。そして、黒い靄から解放されたその先でオールフォーワンと出会い、匿ってもらったのだ。その後、()()()()"()()"()()()()()()()()()。オールフォーワンと共にいることはマスキュラーにとって都合の良いことばかり。こうして彼の好意に甘えて居座り続けた結果、今に至る。

 

「相変わらず言葉遣いの悪いお方ですね。口には気をつけなさい。ドクターは、我らが先生の協力者であり古き良きお友達なのですよ」

 

 続き、彼の隣に並び立った紳士的な言葉遣いの男は……なんとも異端な姿をしていた。

 

 着ているバーテンダー服。その袖口から見える手と、襟から伸びる首と顔は人間のそれではない。黒い靄そのものであった。首周りには金属製のガードを装着しており、鋭く黄色い瞳は悪意に満ちて残酷に光り輝く。体の色の多くが黒を占める故、その瞳と首元の金属製のガードは暗闇の中でやたらと目立つ。

 

「黒霧にマスキュラーよ、見てみろ。我らがオールフォーワンの醜き姿を。……誰が彼をこんな目に遭わせたと思う?」

 

 ゴーグルの下の目を吊り上げて殻木が問う。友を瀕死に至らせた相手への復讐に満ちたその目は、まさに暗殺者のそれだ。マスキュラーは「このジジイめ、良い目をしていやがる」とシリアルキラーとしての目線でその表情を窺いながらゾクゾクとした感覚を覚え、黒い靄男――黒霧は、オールフォーワンの容態を嘆くかのように目を細めて答えた。

 

「聞かれるまでもありません。あのオールマイトです」

 

「そうだ、その通りだ!あの男のせいで、彼はこれだけの怪我を負ったのだ!悪の帝王だと恐れられた男が瞬く間に虫の息にされ、息絶えるなど……あってはならん!お前達にも動いてもらうぞ!」

 

 殻木は感情のままに騒ぎ立てる。その様子は己こそが絶対だと騒ぎ、他人に迷惑をかける老害のそれだ。

 

 黒霧は言われるまでもないといった様子で静かに頭を下げ、マスキュラーは殻木の老害さながらな様子にうんざりとして、やれやれだと言わんばかりに首を振りながらも大人しく従っておくことにした。

 

「へいへい、分かったよ。俺だってボスには世話になってるからな。良いぜ、従ってやろうじゃねェか。それで?俺らは何をすれば良いってんだい?」

 

 俺達を動かすくらいなら名案でもあるんだよな、と目でも確認を取りながらマスキュラーは問うた。

 

 すると、殻木は何も問題はないと言わんばかりに白い歯を見せながら妖しく笑い……己の探し求める物の名を口にする。

 

「お前達には、()()()()()()()()()()()()()

 

 青い彼岸花。かつて、鬼の首魁であった無惨が鬼へと変貌したきっかけとなった薬の原料の花の名だ。

 

 マスキュラーは唖然としながら何度も瞬きをし、黒霧は訝しげに尋ねた。

 

「青い彼岸花……。文献によれば、1年に2〜3日、日中にだけ花を咲かせるようですね。しかも、花を開いているのは昼間のうちのほんの数分から数十分の間だけだとか。環境によっては開花時期が来ても花を咲かせることがないそうで」

 

「そもそも、ある植物学者が研究の為に花を採取したものの、彼のミスで全て枯らしてしまったという話ではなかったのですか?」

 

 黒霧自身、勤勉とまではいかないが後学の為に何かを学ぶことは良くある。幹部格に立つ者としての嗜みというものだ。

 青い彼岸花を知ったのもその学習がきっかけである。

 

「無い物探せってことかよ……。御伽噺じゃねェんだからよォ……無茶言うなよ、ジジイ」

 

 黒霧の言葉を聞き、マスキュラーが頭を掻きながら呆れ気味に言う。

 

「甘いわ」

 

 しかし、殻木はすぐさま不敵に笑うとマスキュラーの言葉を否定した。

 

「これだけ珍しい花だ。決して人の手の届かない場所に存在している可能性もゼロじゃなかろう。花を閉じていれば、大きな土筆のようにしか見えんらしい」

 

 肝心のマスキュラーはというと、その言葉を適当に聞き流すと気怠げにため息を()きながら胡座をかいて頬杖をついた。

 

「はあ〜あ……。ある可能性がゼロじゃねェなら探してやらねえこともねえけどよォ……。何でシリアルキラーの俺が、どっかの嬢ちゃんみてえに花探しをしなくちゃいけないんだよ……」

 

「ふ……そう落ち込むな」

 

 亀の甲より年の功とはよく言ったものであり、年長者の殻木はマスキュラーの扱い方をよく分かっている。不敵な笑みを浮かべたまま彼に近づき、殻木は言った。

 

「もし、見事に青い彼岸花を見つけてくれば……オールフォーワンに掛け合ってやろうじゃないか。更なる力を与えてやってくれ……とな」

 

 その言葉に、マスキュラーはピクリと肩を跳ねさせながら反応する。その顔が瞬く間に攻撃的な笑みに変化していく。新たな力を得た自分、その力によって多くのヒーローや市民達を惨殺する自分。それらに対する期待を馳せた残酷な笑みだ。

 

「へェ……!言ったな、ジジイ。二語はねえよな!?」

 

「ああ、勿論だとも。お前の働き次第だ」

 

「よっしゃ、やってやろうじゃねェか!」

 

 殻木が自分の言葉に二言はないことを約束すると、マスキュラーは立ち上がって肩をぐるぐると回しながらやる気を見せた。そして、子供のようにはしゃぎながら意気揚々と歩き出していく。

 

「オラ!さっさと行くぞ、黒霧!俺らで見つけてやろうぜ、青い彼岸花ってのをな!」

 

「全く……。単純ですね、貴方は。闇雲に探しても見つかる訳がありません。なるべく多くの情報を集めますよ」

 

 黒く大きな靄のゲートに変化した黒霧と、その中に足を踏み入れて移動するマスキュラー。彼らを見送って空間にポツンと残った殻木は、虫の息の状態のオールフォーワンの手に自身の手を添えた。

 

「待っておれ、我が旧友よ。史上最凶、最悪の悪の帝王の復活は近い……!青い彼岸花が見つかれば、君は今まで以上の力を手にすることが出来るだろう。さすれば、オールマイトも敵じゃない。そして――」

 

――悪夢の夜の再来だ……!

 

 光が再び歩み始めた裏では、悪もまた歩み始めるものだ。一歩一歩、着実に。今ここに……凶悪な闇の復活を企む者がいた……!



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第二章 雄英入試編
第十六話 進学


 オールマイトが重傷を負った戦いから数年の月日が流れた。

 

 俺は12歳になり、9歳だったあの頃に比べると大きく身長が伸びて体つきも変わってきた。心なしか、声も低くなって前世に近づきつつある。

 

 ……これが声変わりというものか。この状態で力一杯声を出すと声帯が傷付く場合もあるらしい。喉の扱いには要注意だな。

 

 閑話休題。顔付きも変わってきたらしく、透や蔦子姉さんに大人っぽくなったと言われることも増えた。特に、姉さんには「これで子供のふりしなくても大丈夫ね!」と笑いながら言われたのをよく覚えている。

 まあ……その通りなのだが。このくらいの年齢になれば世の中の現実に目を向けてより現実的で、大人らしい思考が出来る子供達もいるものだ。だから、わざと子供らしく振る舞う必要もなくなる。これからは、子供を演じることの恥ずかしさに悶える必要もなくなりそうだ。

 

 真新しい濃紺のブレザーとズボンに身を包み、俺達はこの春から中学校に入学した。

 

 当然と言えば当然だが、前世は学校の類に通う暇などなかった。二度目の人生で、一度目も含めて人生初の経験をすることになるとは。なんだか新鮮な気分だ。

 

 やることは今までと何も変わらない。勉学や体力づくりに励むのみだ。中学校と小学校の学習というのは大きく違う。小学校では担任の先生が全ての教科を担当なさっていたが、中学校では教科ごとに担当の先生が違う。それに、定期的な予習・復習が必要だ。より時間の使い方に工夫が求められる訳だが……小学校の頃から同じようなことはやっていたし、俺は特に問題なかった。――透は、多少苦労しているようだが――

 

 やることはそれだけに留まらない。学生としての義務のみならず、俺達はヒーロー志望としての義務もある。ヒーロー志望としての義務……。言うまでもない、人助けだ。

 

 荷物運びやら、友達に勉強を教えるやら、無くし物探しやら……。身近なことから始まり、悩み事の相談に乗ったり、いじめられている子を救けたり。

 

 小学校の時は透や、狼牙率いる俺を慕う三人衆の協力のおかげでいじめを撲滅することが出来た。

 だが、中学校はそこにいる皆が必ずしも全員同じ場所に行くとは限らないし、他の小学校に通っていた子供達が一緒になる。当然、各々で状況は違うのだから、そういうことが小学校で多発していた場合、そこの卒業生達は中学校でも同じことをするだろう。

 

 俺の予想は正しく、学校生活に慣れてくると"個性"のことでいじめをする輩が出てきた。入学したばかりの時は緊張で猫を被るような状態だったろうが、友達が出来たりしたことで緊張が解けて本性を曝け出したと思われる。

 

 簡単に撲滅出来るものじゃないことはこれまでで心底痛感している。だが、諦めてはならない。世間や倫理的にも正しいことを根気強くやり遂げる。それもまた本当のヒーローになるまでの道のりだと思うからだ。

 

 気を抜くと、うつらうつらとして瞼が閉じてしまいそうになるほど心地の良い昼下がりの陽光を浴び、中学校に入学してからのことを振り返りながら、俺は自分の席に座って図書室で借りてきた本を読み進めていた。

 誰かの悩みを聞く立場にあるからには、視野を広げて感受性を高めておくべきだと思う。相談相手になるのなら、折角だし相手に寄り添って話を聞いてあげたい。視野を広げるのにも、感受性を高めるのにも読書は適切なんだ。

 

 俺は今、()()()()()でスクエアの黒縁眼鏡をしている訳だが……これは伊達だ。視力が悪くなった訳ではない。

 

 引き続き本を読み進めていた俺だったが、突如真っ白な紙を切り裂く刃のような鋭い声が教室に響き渡った。

 

「義勇の兄貴!」

 

(ひかり)?どうした?」

 

 思わず肩を跳ねさせながら声のした方を見ると、そこには肩で息をする、俺を兄貴と慕う3人のうちの1人である金髪の少年――名前を煌薇(きら)光と言う――の姿があった。

 

 席から立って彼の側に行き、尋ねると……。

 

「大変だよ……!無個性の女の子がいじめられてる!」

 

 無個性の少女がいじめられているとのことだった。光曰く、その子はテストで毎度上位の成績を維持している子らしい。己の努力のみで。――実際、これまでの授業の小テストや入学時の実力テストでも高得点を叩き出したらしい――

 それを「無個性のくせに生意気だ」と考えた、"熟考"という頭脳を何倍にも引き上げての思考を可能にする"個性"の持ち主が差を見せつけてやろうと考えて勝負を挑んだが、呆気なく敗北。それで少女に言いがかりをつけるに飽き足らず、いつもつるんでいる不良集団を連れていじめることを決意したようだ。

 

「――しかも、単にいじめるんじゃなくて()()()()()()……」

 

「意味深長……?」

 

 意味深長という単語が引っかかり、俺は数秒考えた後にいくつかの推測が頭に浮かんだ。俺はそれを確かめる為に光に尋ねる。

 

「彼女をいじめている奴らの人数は?」

 

「ご、5人。企んでる奴も含めて」

 

「……性別は?」

 

「……全員、男……」

 

 ……推測が見事に当たってしまった。

 

 俺は、風で波立ち、荒れ始めた海のような心を鎮めるよう努めながら最低限の情報を仕入れることにした。

 

「場所は?」

 

「体育館の裏」

 

「現場は押さえてるか?」

 

「透ちゃんが動画撮ってる。狼牙と爪真は真っ先に突っ込んだから、喧嘩おっ始めてると思うよ」

 

「……分かった、すぐに行く」

 

 それだけ聞くと、光には「よく頑張った」とだけ言い残して、俺は迅速に現場へと向かった。

 

 さて……一仕事だ。少女に手出しさせる訳にはいかないし、狼牙達にも怪我をさせる訳にはいかない。今日も今日とて、人助け。これもヒーロー志望として当然のことだ。

 

 必ず間に合ってみせる……!最悪の事態になる前に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……!僕の完璧な計画が崩れるなんて……!」

 

 眼鏡を掛けた黒髪のショートヘアーの少年が頭を抱え、忌々しげな表情を浮かべる。自分の考えに考え抜いた計画が思いもよらぬ横槍によって阻止された屈辱が彼を……"熟考"の"個性"を持つこの少年をそうさせたのだ。

 

 円陣を組み、"熟考"を持つ少年に手出しはさせまいと、もしくは自分達の邪魔はさせまいと横槍を入れた者達を取り囲む4人の少年は、この中学校の規律や校則に不満を持ち、敢えてそれに逆らって窮屈な日常から抜け出そうと思う者達だ。

 

 その真ん中で背中合わせになって立つのは、義勇を慕う三人衆のうちの2人。彼らの筆頭である狼牙と龍の尾を思わせる見た目にまとめた髪を持つ少年――龍崎爪真(そうま)である。

 

「ひぐっ……えぐっ……」

 

「怖かったね……。でも、もう大丈夫。私達がいるから」

 

 そして、いじめの首謀者である少年の背後には、その対象となった衣服の乱れた状態の三つ編みの少女と彼女の心をケアする葉隠がいる。両親が亡くなってからは、常時"透明化"を発動している為にその表情は(うかが)えないが……向日葵の花のように無邪気な笑顔を浮かべていることだろう。

 

「よくも邪魔してくれやがったな。これから()()()()()だったってのによ!」

 

「もしかして、お前らヒーロー志望か?生意気だなァ、おい!どうせ没個性のくせにカッコつけやがって!」

 

 4人の少年達のうち、比較的体格の良い2人が"個性"を発動しながら一歩前に出る。丸刈り頭の方は肉体をゴリラに変化させ、目つきの悪いスポーツ刈りの方は自分の体の筋肉を見せつけるボディービルダーのようなポーズを取ると、体全体の筋肉を大きく発達させた。

 彼らの体格は大きく変化し、狼牙達を頭一つ二つほど上回る身長となった。

 

 更に、彼らに付き従う2人の少年が動き出す。1人は背中に鳥の翼を生やし、もう1人は両腕を槍のように太く鋭い針に変化させた。

 

 彼らの向ける視線に込められるのは嘲笑。大した"個性"も持たないのにでしゃばった結果、呆気なく返り討ちにされる。そんな未来を想像して目の前にいる狼牙達の末路を嘲笑っている。

 

(ナメられたもんだな、おい)

 

 元から神経質な所があった故に人間観察をよくやっていた狼牙は、"狼"が発現して以来の獣の本能も相まって自分達を取り囲む4人の感情を敏感に感じ取った。

 

 自分達をナメきった相手の態度にカチンときたものの、今や心の底から敬愛する義勇のように彼は冷静に振る舞う。

 

「没個性……ね。没かどうかはアンタら他人が決めることじゃねえ。俺ら自身が決めることだぜ」

 

 狼牙の言葉に爪真も静かに頷く。彼らは構えを取り、臨戦態勢になった。

 

「お、やる気か?」

 

 肉体をゴリラに変化させた少年がぐるぐると肩を回す。他の少年達も腕の筋肉を見せつけたり、翼をバタつかせたり、針と針を打ち合わせて剣と剣の衝突を彷彿とさせる金属音を立てたりと己の"個性"をアピールし始めた。

 喧嘩をおっ始めるにあたり、"個性"を使おうとしているのは明らかだった。

 

 狼牙と爪真も、"個性"を発動する準備をする。

 

「……なあ、爪真」

 

「なんだ?」

 

 その両目を獣の眼光が宿ったそれに変化させながら狼牙が問い、爪真は右手を龍のそれに変化させながら答えた。

 

「俺らも使うか?"個性"」

 

 その言葉を聞き、爪真は狼牙のいる方へと目線だけを向ける。ほんの少し考えるとばかりに目を閉じながらも……。

 

(聞くまでもなく結論は決まってるだろうにな)

 

 心の中でそう呟きながら笑みを浮かべた。目線を下せば、背中合わせの友の手は既に狼のそれに入れ替わっているし、聞いてきた時の声もやる気満々のそれだった。

 

 確かに学校のような公共の場での"個性"の使用は原則的に禁止されている。そのことは幼稚園の頃から教わってきたことだし、心を入れ替えてからは厳守していることだ。

 

 だが――それとこれとは話が別なのである。爪真は、己も敬愛する義勇の言葉を思い浮かべながら答えた。

 

「俺は使うぞ。兄貴も言っていた。『ヒーロー志望なら、道理に合わなかったとしても正しい行動をしなければならない時がある』って。……今がその時だろ」

 

 そして、答えた直後。その脚も龍のそれに。目も龍の神聖な輝きを宿したものに変化した。

 

 ――4歳で"個性"が目覚めてから、9年近くの時が流れている。爪真の"個性"も大きく成長し、その真価が明らかとなった。

 

 時間が流れて、実は"個性"の概要が当初想定していたものと異なっていたという例はゼロではない。彼もまたその事例に当たる。爪真の"個性"は……"龍爪"ではなく、その体に龍の力を宿す"龍の化身"であったのだ。

 

「だよな!」

 

 思い通りの返事をありがとう、とばかりに狼牙は鋭い犬歯を見せて笑う。狼の耳を生やし、後は顔や腕に体全体を変化させるのみとなったところで――

 

「そこまでだ」

 

 凪いだ水面のように揺らぎなく静かで、果てしなく深い深海のような怒りを感じさせる声が響いた。

 

「「義勇の兄貴!」」

 

「義勇君!」

 

 取り囲まれた2人と葉隠の全員が歓喜の声を上げる。

 

 響いた声に振り向いた不良達といじめの首謀者である少年達は、体の底から湧き上がる恐怖に硬直した。

 

 この体育館裏の地面を踏みしめて歩み寄る義勇の姿は、彼らにとって波紋を広げながら水面を歩く水神の化身……否、水神そのものに見えた。

 

「己の努力で優秀な成績を収めた少女に言いがかりをつけて(はずかし)めようとは……言語道断。たかが"個性"の有無の違いで偉くなったつもりか?」

 

 伊達眼鏡を外した義勇から静かな怒気と気迫が発せられ、それが水の龍のビジョンとなって可視化される。

 

 伊達眼鏡をつけている上に見た目も真面目。故に、義勇はインテリ派の学生だと見られやすい。更に言えば、優男で大人しいとも。しかし、愚かな行動を企てた者達はそれが全くの勘違いであることに気がついた。

 

 因みに伊達眼鏡を掛けるように提案したのは、彼の親友である葉隠だ。

 恋愛マンガでありがちな眼鏡を外した男子の素顔が超イケメンであるというギャップの真理を利用して、将来の為に女性人気を勝ち取るという理由が一つ。

 もう一つの理由として、眼鏡男子が弱そうだとかナヨナヨしていそうという偏見を利用して、無個性だからと揶揄(からか)ってきた輩を返り討ちにした際のショックを大きくしてやるというものがある。

 

 個人的な理由のみならず、公の為になる理由まで考えているとは……なんとも抜け目のない少女だ。

 

 事実、これらの理由は義勇の学校生活においてプラスの方向に働いている。勿論、義勇自身にもプラスに働く。眼鏡を掛けている時は極力感情の起伏を抑え、外した時はごく普通に戻る。そう言った感情制御のスイッチを設けることで、水の呼吸を極めるに必須である「水面のように静かな心」の精度を高めることが出来るのだ。

 

 感情制御云々は、葉隠も義勇自身も思ってもいない利点だった。だが、結局は葉隠がこの提案をしていなければこうした発見をすることもなかった。義勇が女子の豊かな発想力に感謝したことは一度や二度どころではない。

 

 義勇の気迫に()され、不良達はごく自然と後退りして円陣を崩してしまう。

 

 ガラ空きとなった首謀者の少年の前に立った義勇は、静かな怒りを(たた)えた深海のような瞳で彼の目を射抜いた。

 

「いずれにせよ、このことは先生方に報告するが……今すぐ退け。お前の企てたことは他人の尊厳を害すること。単純に謝って済まされる話じゃないぞ」

 

「うぐっ……」

 

 中学校から高校へ進学する場合、いずれの高校であろうと内申点は重要になってくる。より優秀な場所であればあるほど、内申点は高くなくてはならない。"熟考"を持つ少年も国内で比較的有名な進学校へと向かうことを決めていた。このいじめが知れ渡れば、自分の教師陣からの信頼も内申点も急転直下なのは明らかだ。

 

 ならば……ここで目の前にいるヒーロー気取りの少年を返り討ちにし、脅すしかない。勿論、彼の周りにいる者達や自分達がいじめようとしていた少女も。

 

 固唾を呑みながらも、少年は義勇を指差して言う。

 

「僕は知ってるぞ……。僕ら1年生には、無個性ながらもヒーローを夢見て飽きるくらいに人助けをしてる奴がいるってこと……!それが君だな……!?」

 

 無個性ながら、ヒーローらしい行動を日々繰り返す義勇の噂は早くも校内中に広まっていた。それを知っているのは、4人の不良も例外ではなかった。

 

 肉体をゴリラに変化させた少年が口の端を吊り上げ、勝ちを確信したかのような笑みを浮かべながら歩み出て義勇の右肩に手を置いた。

 

「その話なら俺も知ってるぜ、無個性君。小学生の頃には、自分のいた小学校で"個性"関連のものをはじめとしたいじめを撲滅。その功績が中学校で認められて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()ってやつだろ?」

 

 彼に続き、体の筋肉を膨れ上がらせた少年が妬みに満ちた目を向けながら義勇の左肩に手を置いた。

 

「ズルいよなァ……!無個性のくせによ。いじめの防止と抑止の為に実力行使を許可するとか、(ヴィラン)の犯罪活動抑止と誰かを救ける為に"個性"の使用を許可されてるヒーローと似たようなもんだぜ。そんな役目は、ヒーローみてえにかっけえ"個性"を持つ俺らが相応しいだろ。

無個性はヒーローになんてなれねえから、そんなかっこつけるようなことしないで辞退すりゃ良かったのにな」

 

 左肩の方から聞こえた決めつけるような物言いに対し、義勇は極地の海のような冷ややかな目線を返す。その瞳に込められたのは、彼に対する嫌悪であった。

 

「優秀な"個性"さえあればヒーローになれると?勘違いも(はなは)だしいな、戯け者。本質も理解出来ずに他人をいじめるような輩が、人助けに値する役目を担うことなど絶対に出来ん。それに……なれるかなれないかを決めるのは俺自身だ。お前達が決めつける権利などない」

 

 一般的に、無個性の人間は社会的弱者だと認識される。多くの人間は持つべきものを持たずして生まれた彼らを憐れみ、性格の悪い人間は当然のように見下す。性格の悪い人間からすれば、無個性の者が自分達に意見することすら許されないもの。"個性"を持つ自分達の言うことは絶対だ。

 

 この不良達も例外じゃない。だが……現実はどうだ。目の前にいる無個性の少年は、はっきりと物申して反抗してきたではないか。

 

 義勇の肩に手を置いた2人には、彼の態度が気に入らなかった。そのまま2人は義勇の肩から手を離し……。

 

「無個性のくせに……」

 

「"個性"を持った俺達に反抗してんじゃねェェェ!!!」

 

 怒りのままに、その剛腕を振り抜いた!

 

「ッ!だめぇっ!!!」

 

 三つ編みの少女は、義勇の末路を想像して思わず目を閉じた。

 

 しかし、その刹那――ゴリラの肉体を持った少年と膨れ上がった筋肉を持った少年の視界が()()()()()()()()()()

 

「「えっ」」

 

 何が起こったのかも分からないまま呆けた声を上げた瞬間。3階建てのビルの頂上から落下し、背中から体を打ちつけたかのような衝撃が2人に押し寄せた。そして、肺の中の空気が穴を開けられた場所から空気を抜かしていく風船のように(ことごと)く吐き出させられた。

 

「「ゴフッ!?ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!?」」

 

 背中を強打した影響で思うように体が動かないまま、彼らは思い切り咳き込んだ。

 

「あが……ああっ……!?」

 

「うげええっ……」

 

 痛みを紛らわそうとのたうち回ろうにも体が思うように動かず、死にかけの虫のような声を上げながら、背中から押し寄せる激痛に悶えるしかない。

 

 そんな無様な姿の彼らを、義勇は冷ややかな目で見下ろす。

 

「安心しろ、今後の人生に支障が出ないように加減はしてやった」

 

 この一瞬の間に自分達は攻撃されたことを察した2人の少年は、恐怖で体を震え上がらせた。

 

「……な、何されたんだ、彼奴ら……!?」

 

 両腕を槍のような針に変化させた少年は戸惑う。気がつけば、()()()()()()()()()()()()()()()。彼にとってはそのようにしか見えなかったのだから。

 

(義勇君……。年々、とんでもないことになってる……)

 

 長年共に特訓してきて、ほんの少しだけ義勇の速さに慣れてきた葉隠だけが彼の行動を察していた。――ただし、本気のスピード故に視認出来てはいないのだが――

 

 義勇は、あの一瞬で自分に殴りかかってきた2人を背負い投げの要領で地面に叩きつけたのだ。しかも、自分より頭一つ二つほど抜けた身長を持つ彼らを、()()()()()叩きつけたのである。

 

 前世、"岩柱"であった悲鳴嶼の元で行った柱稽古では、その一環として大岩を一町先まで押して運ぶ修行があった。その鍵となったのは、集中を極限まで高めて全ての感覚を開く反復動作。それによって怪力を引き出し、炭治郎達は、重量がある上に自分より一回りも二回りも巨大な岩を目標とされていた距離分押して運ぶことに成功した。

 

 今回の場合もそれと同じ。反復動作によって引き出した怪力で()って、義勇は不良達を叩きつけたのだ。

 

 おまけに言ってしまえば、義勇以外のこの場にいる全員の目は彼の動作を認識してくれなかった。人間は、この世で仕入れる情報の八割を目からのものに頼っている生物だ。視界がまともに頼れない暗闇の中では、些細な物音にすら恐怖を抱くように視認出来ないものに対しては恐怖が湧き上がるものだ。

 

 そんな動作を目の前で見せられては、制裁される側はたまったものじゃない。

 

「す、すいませんでした……!見逃してください……!こんなことが知れ渡ったら、僕どこにも行けなくなっちゃう……!お金でもなんでもあげるから、許してください……」

 

 義勇の実力の底が見えないことと自分の企てたいじめのことが教師に知れ渡った後を考えたことによって恐怖が生まれ、それに屈した"熟考"の持ち主の少年は誠心誠意を込め、声を震わせて涙ながらに土下座した。

 

「馬鹿だなあ……。知れ渡った後のこと自覚してるくせにこんなことしたのかよ。恥ずかしい奴」

 

 もう取り返しがつかないことは誰でも察しがつくというのに必死で謝罪するその姿は惨めでしかない。"狼"を解除してから、狼牙はため息混じりで呆れて髪を掻き乱した。

 

「謝っただけで全てが許されるのなら、この世に警察もヒーローも必要ない。現実はそんなに優しいものじゃないぞ。俺は、金の為に人助けしているんじゃない。誰かにとっての本当のヒーローとなる為に必要なことだと信じているからだ」

 

「そ、そんな……」

 

 自分は取り返しのつかないことをしたのだと察した少年は、絶望の淵に立たされ、涙を流しながらその場で項垂れてしまった。

 

「……俺達もそうだったけど、どうして人間ってのは痛い目でもみないと理解が出来ないんだろうな」

 

 項垂れたまま嗚咽を漏らす少年を見ながら、爪真は悲しげに言う。

 

「……そうだな。だが――」

 

 その肩に手を置きながら、義勇は答えた。

 

「俺達人間はやり直すことが出来る。生きている限り、やり直そうとする意思がある限り。お前達だってやり直せたんだからな」

 

「可哀想だけど、こういう苦労はガキの頃にしておくに限るぜ」

 

 義勇に続いて声を掛けてきた狼牙を一瞥し、爪真は思う。

 

(……義勇の兄貴がいたから、俺達の未来は明るくなった。やり直せるのなら、彼奴も……)

 

 あの少年もこれで懲りたのなら、まだやり直せるチャンスはある。人はこうして間違いを犯しながらもひたすら前へと進むのだ。

 

「ああ……そうだな」

 

 今は、少年が更生するのを信じて待つ他ない。

 

 自分達に出来るのはここまでだ。これからも地道に頑張っていくんだ、と強く意気込む。

 

 義勇達がチラリと視線を向けてみれば、不良4人は喧嘩する気が見事に失せて縮こまっており、首謀者の少年と一緒に葉隠の強烈な拳骨を喰らって説教を受けているのが目に入る。

 

 後は現場に教師が来るのを待つのみだ。そんな義勇達に、三つ編みの少女がおっかなびっくり歩み寄って消え入りそうな声で礼を言う。

 

「あ、ありがと……」

 

 そうなったのも、恐らくは男子への恐怖が拭えないからであろう。無理もない、非道な少年達の手によって(はずかし)められかけたのだから。

 

 もっと早く自分達が駆けつけてやれたら、という後悔が滲み出た表情で狼牙と爪真は顔を見合わせる。

 

 対して、義勇はそっと微笑むと少女を寵愛するかのように優しく言った。

 

「また何かあったら遠慮なく言ってくれ。相談に乗る」

 

「!う、うん……!」

 

 義勇の微笑みに乙女の本能が刺激されたのか、三つ編みの少女にほんの少し笑顔が戻った。

 

 更に、後悔するかのような表情の狼牙と爪真の頭にぽんと手を乗せ、優しく撫でた。

 

「もう少し早ければ、と悔いるのも大切だが……後ろばかり見るな。前を向け、男なら前へ進め。あの子が無事でいられたのは、間違いなくお前達のおかげだ」

 

 言い終えた後、凪いだ水面のような無表情から微笑みへと表情を変化させると2人の肩に手を置いて「ありがとう」と礼を述べる。そして、再び凪いだ水面のような無表情に戻るとそそくさと葉隠の元へと向かい、いじめの現場を押さえた動画の確認を始めたのであった。

 

「……かっけえ」

 

「ああ……全くだ……」

 

 狼牙と爪真は、再び伊達眼鏡を掛けて真剣な面持ちで動画を事細かに確認している義勇の姿を見ながら、胸の中に何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 

 その熱いものとは、喜びだ。憧れの人に自分達の行動を認めてもらえた喜び。たったそれだけで救われたかのような気持ちになる。これからも頑張ろうという気持ちになれる。

 

「兄貴……!俺達、一生ついていきます!」

 

 憧れの背中に一歩でも近づく為に。彼らは、これからも義勇の背中を追い続けることを固く誓った。

 

 その後、教師陣を引き連れた光が現場に駆けつけ、いじめの被害者である三つ編みの少女の証言とその現場を押さえた狼牙らの証言、更に葉隠の撮った動画のおかげもあって、首謀者の少年を含めた5人は保護者同伴で指導を受けた。結果は言うまでもない。彼らの内申点は急転直下となり、学校中で問題児として噂になったとか……。



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第十七話 新たな出会い

「ふっ、はっ!せやあっ!!!」

 

「はあっ!」

 

 透が鋭く息を吐くのに合わせてリズム良く三連で突きを繰り出す。対する俺はそれを手で払って受け流し、掌底を放った。

 

「っ、ここっ!」

 

 俺の放つ掌底を綺麗に受け止めた透は、合気道独特の円の動きで攻撃を受け流しながらも器用に両腕を振りかぶりながら180度背転。そして――

 

「おぉ……りゃあっ!」

 

 刀を斬るように腕を振り下ろしながら俺を投げ倒した。

 

 一切無駄な力の入っていない動き……。非常に様になってきたものだ。

 

 彼女の成長に感動を覚えながらも、俺は受け身を取る。そして、そのまま下段蹴りを命中させようとした。しかし――

 

(すい)の呼吸・壱ノ型……透き通し」

 

 俺の放った蹴りは透の足元を見事に透ける。まるで、気体そのものを蹴り抜いたかのような感覚だった。

 

「残像……!?」

 

 体勢を立て直し、透の気配を探る。刹那、俺の懐に入り込む透の気配を感じ取った。

 

 ――水の呼吸・弐ノ型、水車・逆巻(さかまき)

 

「きゃっ!?」

 

 俺は微かに身をかがめた状態から宙返りと共に蹴りを繰り出す。放った蹴りが丁度透の腕を弾いたらしく、彼女は大きく仰け反った。

 

 そのままバク転で距離を取ると同時に、地面を蹴って思い切り踏み込む。

 

「水の呼吸・肆ノ型、打ち潮」

 

 そして、隙の出来た透に淀みない動きで繋がれた乱打を繰り出した。岸辺に打ち付ける無数の波のようにそれが炸裂するかに思われたが……。

 

(すい)の呼吸・弐ノ型、透垣(すいがい)抜きっ!」

 

 透は、竹と竹の間を少し透かして作った柵の隙間を徹底的に射抜くかのように、俺の攻撃の隙間を埋めながら攻撃を繰り出してきた……!

 

 攻撃に生じた隙間を見極め、埋めるように攻撃を放つのは簡単に出来ることじゃない。

 

 これもきっと、相手の攻撃に対して防御や受けの姿勢をとる合気道をやり続けたおかげなんだろう。そう思いながら、咄嗟に打ち潮を乱れ打ちして隙間を掻い潜ってくる攻撃を受け流した。

 

「こ、これも受け流すの!?当たったと思ったのに!」

 

 隙間を掻い潜った攻撃は、確かに脅威となり得る。完全に不意を突いたも同然だからな。だが……俺は13歳の頃から鬼殺隊に身を置いて命の奪い合いをした身。戦闘経験の差がある以上、簡単に当たってやれはしない。

 

「驚かされたのには違いないがな」

 

 受け流されたのを悔しがり、ハムスターのように頬を膨らませる透に向けて笑みを浮かべながら、俺は言う。

 

「くうっ……でも、(すい)の呼吸はまだまだこんなものじゃないんだから!ここからが本番だよ!」

 

「望むところだ」

 

 互いに呼吸を整え、構え合い……俺達は再びぶつかり合った!

 

 

 

 

 

 

「はふうっ……義勇君は相変わらず強いねぇ……」

 

 組手を終え、スポーツドリンクを口に流し込んでから透が言った。

 

「お前だって強くなった。合気道も様になってきたし、我流の呼吸を仕上げてくるとは思いもしなかったぞ。(すい)の呼吸……だったか」

 

「いくつか流派を組み合わせてるんだけどさ……分かる?」

 

「……そうだな。変幻自在の水、緩急自在の霞、剛柔を併せ持つ恋と言ったところか」

 

「っっ……!正解!流石義勇君!」

 

 自分の仕上げた我流の呼吸の元となった流派を見抜いた俺を笑顔で褒めちぎる透。その弾けるような笑顔はしっかりと俺の目にも見える。

 

 昔からそうだが、俺には完全に心を開いているらしく素顔を見せてくれる。勿論、今だってそうだ。

 

 彼女はいつも俺に「大人っぽくなったね」なんて言うが……。それは彼女だって同じだ。

 

 クラスの中で身長は低めだが……その程よく日焼けした肌の手足はすらりと長い。最近は髪をバッサリと切ってショートヘアーにしているようだが、その艶やかさは変わりない。顔立ちも可愛らしさを残しつつ、妖艶さが増したものに変わりつつある。多分、やろうと思えば顔だけで食っていけるだろう。

 

「……大人っぽくなったのはお互い様だな」

 

「え?」

 

 俺の呟きが聞こえたのか、透は首に掛けた水玉模様のタオルで頬を伝う汗を拭き取りながら振り向いた。

 

「透だって大人っぽくなったさ。昔よりずっと綺麗になった。綺麗で可愛らしいこと自体は昔から変わりないが……。いや、無邪気さもか」

 

 ペットボトルに入った透明なスポーツドリンクを見つめ、昔の透を思い出しながら、俺は思わず微笑む。

 

「もう……義勇君ったら」

 

 呆れて苦笑するかのような透の声に顔を上げる。彼女は、蔦子姉さんや母さんがよく見せていた慈愛に満ちた女神のような笑顔を浮かべていた。

 

 ――透も、こんな顔が出来るようになったのか。

 

 その笑顔を見た瞬間、時間の流れを強く実感した。

 

「前々から思ってたんだけど……そういうこと言うのは、義勇君が異性として愛してる子だけにした方がいいと思うなあ」

 

 ムスッとした顔をして、口を尖らせながら言う透に、俺は戸惑いながら返した。

 

「俺は友達同士としてのコミュニケーションのつもりで言っているんだが……」

 

 すると、透は口を半開きにしながら数秒硬直し……頭を抱えた。

 

「思った以上に深刻だぁっ……!」

 

「な、何かまずいのか……?」

 

「まずいよ!大問題だよ!」

 

 首を傾げながら訊き返すと、透はずいっと俺に近づき、畳み掛けるように言う。

 

「友達の女の子全員にそんなこと言ってたら、美形で真面目で物静かな義勇君のイメージが崩れちゃうよ!折角モテてるんだから勿体ない!!!そんなイメージの義勇君が好きだって人いっぱいいるからね!?」

 

「と、透」

 

 落ち着くように声を掛けようにも、言葉の爆撃は止まらない。その圧に圧倒され、俺は思わず仰け反った。

 

「八方美人なのはいいと思うけどさ!?天然にも程があるよ!そういうところがあるからこそ信頼してるんだけどね!?でもさぁ!そんなことしてたら、世界中の女の子勘違いしちゃうからね!将来、彼女が出来た時に嫉妬させちゃうからね!?」

 

「わ、分かった」

 

 圧倒されながらも頷くと、透はふうっと息を吐いて俺の隣に座り直した。

 

「本当のヒーローに向かって一直線な義勇君って、真摯で一途なタイプだと思うの。軽い男だって勘違いされちゃ勿体ないよ」

 

「軽い……?」

 

 目尻を下げ、にへらと笑う彼女。俺はふと自分の体を見つめた。

 

「……同い年の男子の中では体を鍛えてるし、軽くはないと思うんだが」

 

「ぶふっ!」

 

 体を見つめた後でそう言うと、透は口に含んでいたスポーツドリンクをものの見事に吹き出してしまった。

 

「!?だ、大丈夫か……!?」

 

「ゲホッ、ゲホッ……!義勇君……本当に天然だよね……。真面目に話聞いてくれてたのに……どうしてそうなるの……?んふっ……!」

 

「どちらかと言えば……人工物じゃないか……?」

 

「んぐふっ……!ちょっともう!やめてよ、天然ワードのボディーブローで追撃してくるのはさぁ!ふふっ……あははははははっ!」

 

 彼女の吹き出してしまったスポーツドリンクで濡れた床を拭きながら、お腹を抱えて笑い転げる彼女を見て俺は思う。

 

 きっと、家族を失った透の心の傷は癒えきった訳ではないのだろう。それでも、彼女はここまで笑えるようになった。無理に笑うことも最近は少なくなってきているし……。それが俺にとってはどうしようもなく嬉しい。友の幸せが自分のことのように嬉しい。こう思えるのは、心の余裕があるからだろうか?

 

「……透、幸せになれよ。お前の幸せは俺が守るから」

 

 依然笑い転げる彼女を見て微笑みながら、俺は小さく呟いた。

 

「あははははははっ!……はあっ……笑い過ぎてお腹痛い……。…………義勇君こそね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は流れて夕方。空が夕焼け色に染まるにはまだ早いが、確実に日は傾きつつあった。葉隠と別れた後、義勇は幼い頃から通い続けている剣道場へと足を運んだ。

 

 流石に毎日毎日通う訳にもいかないとは言え、長年通い続けた甲斐もあって段位は一級だ。――13歳の誕生日を迎えてからは、初段審査を受ける予定である――

 

 義勇は、小学6年生の頃にこの剣道場で新たな出会いを果たしている。所謂(いわゆる)、お嬢様とも言うべき上品な少女だが……彼女もまたヒーロー志望であった。誰かにとっての本当のヒーローを、救世主たり得るヒーローを目指して一直線に突き進む義勇に心の底から感動した彼女は彼を尊敬するようになり、二人は切磋琢磨し合う友となった。

 

 今日は、その少女も義勇も剣道場に足を運ぶタイミングなのである。

 

 義勇が道場に足を踏み入れると……彼女は一足先に道場にいて、他の門下生と剣を交わしていた。何気に彼女ともそれなりの付き合いである為、防具を付けていようと手癖や身長などで彼女がどの人物なのかは判断出来る。義勇にはそれ程の観察眼が備わっていた。

 

「やぁぁぁあッ!!!メェェェェェン!!!!!」

 

 少女の透き通る声が道場中に響き渡る。その迫力は、普段のおしとやかな彼女からは到底想像出来ないものだ。空気がビリビリと震えているのを義勇はその肌でひしひしと感じ取っていた。

 

 そして――

 

 ――スパァーンッ!!!

 

 少女の振り下ろした竹刀が対峙している相手の面を寸分の違いもなく打つ。竹で製造されたそれは、面に打ち付けられると同時に空気を押し潰したかのような音を清々しく響かせた。

 

(見事に入ったな)

 

 その瞬間を目にしながら、義勇は感心する。今回響いたような音は……竹刀を正しい動きと力加減で振るえた証拠だ。

 

 試合終了後の礼法に従って少女と対戦相手が場外に出る。その後、正座の姿勢になり、彼女は慣れた手つきで面を外した。

 

「ふうっ……」

 

 息を吐くと同時にその面の下から露わになったのは、大和撫子とも言うに相応しい麗しい顔立ちだ。頭に巻いていた手拭いを外せば、瞬く間に艶やかな黒髪のポニーテールが露わになる。また、麗しい顔立ちながらも目は吊り目ぎみで黒い瞳は凛々としている。確かに……この顔立ちならば、あれほどの勇ましい声を発せるのも納得かもしれない。

 

「!こんにちは、冨岡さん。いらっしゃったのですね」

 

「ああ、ついさっきな。始めたばかりの頃に比べれば八百万の剣さばきも様になってきたぞ」

 

「あら、本当ですか?ありがとうございます!」

 

 打ち合いを終えた少女に義勇が歩み寄ると、彼女は恋焦がれた人を待ち侘びていた年頃の少女さながらの様子で笑顔を浮かべて手を振りながら声を掛けてきた。

 

 彼女の名は八百万百。自分の体内の脂質を用いて、凡ゆる無生物を作り出す"創造"という"個性"の持ち主。立ち居振る舞いが上品な上、常に敬語で話す辺り育ちの良さが(うかが)える。それらに違わず、彼女の家は西洋風の見事な豪邸である。

 

「やべえ……。八百万さんが笑ってるよ……」

 

「美男子と美女が揃ってる……!ま、眩しい……!」

 

「と、冨岡君の笑顔……!?写真撮らなきゃ……!」

 

 言葉を交わす二人を見て、周囲の門下生達は揃いも揃って色めきだっていた。それもそのはず。この剣道場に通う者達の中でも最も美男子であると言われる義勇と、最も美少女である八百万の二人が揃って笑顔で会話を交わしているのだから。

 

 基本、義勇はコロコロと表情が変わる方ではあるのだが、剣道の稽古中は凪いだ水面のような無表情を貫き通す。それ故に、門下生達にとっては彼の笑顔はレアなのだ。年頃の少女達は彼のギャップに萌えるに違いない。

 そして、八百万の方も凛とした雰囲気と吊り目気味な目の影響もあるのか、強気な印象が目立つ。強気で委員長気質がありそうな少女には、年頃の少年達からすれば近寄り難いものがありがちだ。彼女の印象からは、今のような花びらが舞い散る光景を幻視させる可愛らしい笑顔を想像するのは難しいことだろう。

 だが、現実はどうだ。八百万は眉目秀麗な美少年と共に話を交わし、可愛らしい笑顔を浮かべているではないか。口元に手を添えてくすくすと笑うその振る舞い一つからも上品さが溢れ出している。ただでさえ美人である八百万の笑顔は、年頃の少年達のハートを撃ち抜いていた。

 

 軽く世間話を終えた後、八百万が義勇の手をそっと包み込むようにして握った。

 

「あの!冨岡さん、今日も()()()()()に付き合ってくださいまし!」

 

 そうしながら言った彼女の目は、憧れのヒーローに出会った時の幼い子供のようにキラキラと輝いていて、期待に満ちている。そんな彼女を他所にして、義勇以外の門下生達は一斉に彼女らに注目すると共に固まった。

 

「……ああ、分かった。稽古の後だな」

 

 それに対し、義勇が薄く笑みを浮かべて頷く。義勇がほぼ即答したのを見て、少年達は一斉に目を見開いて愕然とし、少女達からは黄色い悲鳴が上がる。

 彼らの反応に首を傾げながらも、それは置いておくと言わんばかりに、八百万はぐっと両手で拳を握りながら義勇に詰め寄った。

 

「今度こそ手加減はしないでくださいまし!」

 

「下手な加減はしていない。確かにお前のレベルに合わせた全力を引き出してはいるが……」

 

「むうっ……!それを人は手加減と言うのですわ!」

 

「……男としてお前に負担をかける訳にもいかん。分かってくれ」

 

 今朝の葉隠を思い出すかのような勢いで詰め寄ってきた八百万に圧されつつも、義勇は苦笑しながら彼女をそっと諌める。その優しい姿勢に何度も瞬きした後に暖かな微笑みを浮かべる八百万。そんな光景を見た少女達は更に義勇に惹かれ、少年達は嫉妬を募らせた。

 

「……ところで、先程から皆様はどうされたのでしょうか……?」

 

「……何だろうな。俺にも分からん」

 

「あら、冨岡さんでも分からないことがお有りなのですか?」

 

「昔からこういうのには疎いらしい」

 

 当の本人達と他の門下生達の間に()()()()()()()が生じているのだが……それを彼らが知る由はない。

 

 だが、これだけは言える。勘違いをしている門下生達は、同人誌や小説、漫画などの読み過ぎである。

 

 

 

 

 

 

 稽古を終えた後、道場の真ん中で義勇と八百万がその手に木刀を携えて向き合っていた。義勇は脱力して自然体で佇み、八百万は正眼の構えを取る。二人の距離は、一歩踏み込めば攻撃を叩き込むことができ、一歩退けばそれを避けることが出来る距離だ。所謂(いわゆる)、一足一刀の間合いである。

 

(……いきますわよ、冨岡さん)

 

(いつでも来い)

 

 二人は以心伝心と言わんばかりにアイコンタクトで会話を交わすと目を閉じた。

 

「ヒュウウウゥゥゥッ……!」

 

 水上で風が逆巻くような音が聞こえる。義勇の扱う"全集中の呼吸"である水の呼吸の呼吸音だ。

 

「フゥゥゥゥ……ッ」

 

 そして、もう一つ……それとは()()()()()が聞こえる。沢山の花々が咲き誇る草原を吹き抜ける、そよ風のようだ。

 

 次の瞬間、二人はカッと目を見開き、それと同時に一歩大きく踏み込んだ。――否。先に踏み込んだのは、義勇の方であった。

 

(水の呼吸・肆ノ型――)

 

「――打ち潮」

 

「っく!?」

 

 岸辺に激しく打ち付ける波のような、淀みなく繋がれた乱打が八百万に炸裂する。

 

 技の出は義勇の方が明らかに速い。すれ違い様に繰り出されたそれを防ぐことは叶わなかった。

 

 しかし、それだけで参る八百万ではない。

 

「花の呼吸・壱ノ型、一重花神ッ!」

 

 瞳に満ちていた、義勇の速さに対する驚きを彼に立ち向かう闘志へと咄嗟に塗り替えた彼女。そのまま、振り向き様に一重咲きを果たした牡丹の花のような、相手を覆い尽くす乱打を背中を向ける義勇に対して繰り出す。

 

 背中や後頭部に目がある訳がない。だが、義勇は前世からの戦闘経験によって、多少なりとも風を切った音なども聞き取ることが出来るし、直感も働く。バットを全力で振れば、風を切った音が鳴る。八百万の場合、木刀をそれと比べ物にならない程の速度で振るっているのだから、風を切った音はより明確にその耳に届くものだ。

 

 故に。義勇は、背後から迫る攻撃にも対応出来た。

 

「陸ノ型、ねじれ渦」

 

 上半身と下半身をそれぞれ反対方向かつ最大限にねじり、強烈な回転を伴って木刀を振り抜く。その瞬間、型の名の如く凄まじい勢いの真空波が発生して一重咲きの牡丹のような乱打を防ぎ切った。

 

「背後からの一撃でしたのに……!?」

 

 唖然とする八百万に向けて、このぐらい当然だと言わんばかりに義勇は薄く笑みを浮かべた。そして、大胆不敵に掌を自分の体側に向け、八百万を招く。

 

 言うまでもない。「かかってこい」ということだ。

 

「……いきます!」

 

 義勇の挑発に固唾を呑みつつも、八百万は怯むことなく何度も何度も踏み込んでいく。

 

 この鍛錬を見ていれば分かるであろうが、八百万もまた"全集中の呼吸"を扱う者の1人だ。確かに義勇との秘密の特訓を始めてからその精度が上がりつつはあるが、別に彼から教わった訳ではない。

 彼女は彼女なりに()()()"全集中の呼吸"を会得した。書物を読み漁って会得までの特訓を自分で組み立て、自分で凡ゆる流派を試して馴染むものを見つけ出し……。八百万には、それだけのことが出来る頭脳があった。

 

 当然ながら、この話を聞いた義勇は驚いた。義勇の知る限り、書物を読み漁って自力で"全集中の呼吸"を会得した者はたった1人……同じ鬼殺隊の剣士で、元"炎柱"であった煉獄杏寿郎しかいないからだ。

 これほどの才があるのだから、八百万はもっと伸びていくだろうと義勇は思っている。言わば、磨けば磨くほど眩く輝く宝石のように。それに、いくら命を賭けなければならず、死も覚悟しておかなければならないことを承知の上でヒーローを夢見ているとは言え、彼女が煉獄のように死んでしまうのは避けたいとも思っている。

 

 だからこそ、義勇は八百万の特訓に付き合うのだ。彼女が守りたいもののみならず、自分自身も守れるように。限りある人生を輝かしく生きていけるように……と。

 

 ――因みに。八百万が"全集中の呼吸"を扱うことを決めた理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()、その人に感化されたからなのだが……その人物が何者なのかはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「水の呼吸――」「花の呼吸――」

 

「「参ノ型!」」

 

「流流舞い!」「乱れ椿!」

 

 八百万の振るった木刀と彼女の移動した軌道上に椿が咲き乱れる。しかし、義勇の纏う急流が咲き乱れた椿を押し流す。咲き乱れた椿は儚くも散って水面に浮かび、急流の中を逆らうことなく流れていく。

 

 この光景が示すのは、やはり力量の差と技の精度。両者が遥かに上回っている義勇の方が八百万の型を打ち破りつつあるのだ。

 

「す、凄い……」

 

 そんな光景を、唖然としながらも尊敬の念に満ちた目でこっそりと見守る少年がいた。

 

 彼は緑がかったもさもさの髪の毛をしていた。これはパーマをかけているのではなく、元からの癖毛故である。頬にはそばかすがあり、目は大きく丸い。一言で簡潔に表すなら、地味とも言うべき外見だ。とは言え、その幼なげで愛嬌のある顔立ちはある種のチャームポイントと言えるのではないだろうか。

 

 この少年の名前は緑谷出久。彼もまたこの剣道場に通う門下生の1人。とは言え、まだ通い始めたばかりでそうしてから未だ1ヶ月も経過していない。ここに馴染むのは時間がかかるだろうが、既に彼の真面目さとひたむきさを認めて尊敬する者達も少なくない状況にある。

 

 こうして義勇達の特訓を見守っているのも、単純に気になったからだ。――彼の場合は、義勇の言った「お前のレベルに合わせた全力を引き出している」という言葉から、持ち前の分析力によってそういう特訓ではないことを察したようだ――

 

 それが理由の一つ。そして、もう一つある。どちらかと言えば、こちらが本命。緑谷は、義勇が型を振るう姿を()()()()()()()()()()()()()()()のだ。実は、彼は義勇のことを知っている。別に彼と知り合いという訳でもなく、友達でもない。だが……彼にとって、義勇という少年は鮮烈に記憶に残った。初めて見知った時に比べて義勇の顔付きは変化して大人びてはいるが、緑谷にはすぐに分かった。彼が知るのは……()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 己の記憶に残っていた姿を再び見ることが出来て、緑谷はこの上ない感動を味わっていた。

 

 ――そして、決着の時は訪れる。

 

「あっ」

 

「きゃっ!?」

 

 緑谷が小さく声を上げたのと同時に八百万の手にしていた木刀が弾かれ、宙を舞った。

 

 カンッ!と良質な木で出来た物体を床に叩きつけた音が鳴り、木刀が何度かバウンドする。

 

 その隙に、義勇は鋭い瞳のまま八百万の首筋に木刀の(きっさき)を突きつけた。相手が正真正銘の(ヴィラン)である場合、死んでいる可能性が高い。

 

 つまり――

 

「私の負け……ですわね。完敗です」

 

 八百万は、眉をハの字に下げながら微笑む。今日も全く敵わなかったという悔しさと、流石は冨岡さんだという尊敬を同時に抱きながら。

 

「お疲れ。いくらお前のレベルに合わせているとは言え、ここまでついてこれるようになったとは。確実に成長している。心配するな」

 

 (きっさき)を下ろしながら、義勇もそう言って微笑む。戦闘中は無表情を貫く義勇だが、それが終わると緊張の糸が解けたかのように表情が柔らかくなる。彼と八百万をこっそりと見守っている緑谷も、そのギャップに驚いていた。

 

 ――と、その時。

 

「……影で見てないで、こっちに来い。咎めはしないから」

 

 義勇は、明らかに緑谷と目線を合わせながら言った。前世の経験ありきで他人の気配を察知出来る彼は、八百万と剣を交わし始める前から彼の存在に気がついていたのだった。

 

(バ、バレてた!?)

 

 緑谷は、肩を跳ねさせながら観念したように姿を現す。

 

「あら、貴方は……」

 

 八百万も緑谷の姿には見覚えがあった。勿論、知り合いという訳ではない。だが、日々の稽古に真面目に取り組む彼の姿に彼女は自然と惹きつけられていた。

 

「えっと……ご、ごめん!勝手に覗くような真似して」

 

「いえ、構いませんわ。悪気があった訳ではなさそうですから。私、八百万百と申します。こちらの方は……」

 

「冨岡義勇だ。よろしく頼む」

 

「貴方の名前はなんと仰るのですか?」

 

「み、緑谷出久です!」

 

 八百万に尋ねられると、緑谷はどこかドギマギとした様子で名乗った。

 

 義勇にとっても、八百万にとっても、この出会いは大きな出会いとなるのだが……この時の彼らには知る由もない。



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第十八話 初めまして、洸汰君

 緑谷出久。俺や八百万の通う剣道場の門下生の1人。彼もまたヒーロー志望の少年らしく、俺と同じ無個性だそうだ。……流石に''痣者''ではないようだが。

 

 彼もまた()()()()()()()()()()()()()()()()、''全集中の呼吸''を会得したらしい。曰く、その幼馴染が天才的なセンスの持ち主らしく、緑谷も彼のおかげで1年と経たずに''常中''を体得したそうだ。前世、俺でもそこに至るまで結構な時間を要したはずなんだが……。羨ましい限りだ。

 

 目指すヒーロー像は、まさにオールマイトのそれ。彼のように笑顔で誰かを救けるヒーローになりたいのだそうだ。ならば、今のうちから強くならねばなるまいとこれからの鍛錬は彼も交えて行うことになった。剣道を習い始めたのも刀を使い慣れる為らしく、自分に馴染む流派も模索中だとか。鍛錬の中で自分なりの答えを見つけてくれれば俺としても嬉しい限りだ。

 

 そうして、緑谷を交えての鍛錬を始めてからはや数ヶ月。季節は夏になり、俺に新たな出会いが訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまでありがとうねぇ」

 

「いえ、お構いなく。ヒーロー志望として当然のことをしたまでですよ」

 

「君はヒーロー志望なのか!偉いね〜。これからも困っている人を手伝ったりすることを忘れちゃいけないぞ。おじさんの経験談から言わせれば、小さな人助けを欠かさない人は立派なヒーローになってるからね」

 

「ありがとうございます、肝に銘じておきますね」

 

 皺の刻まれた顔での優しげな笑みが印象的なご老人と、気さくで人の良さそうな笑みが印象的な交番に立つ警察官の方との会話を交わした後。額を流れる汗を拭いながら、俺は雲一つなく晴れ渡った青空を見上げる。

 その際に降りかかる日光の眩しさに、思わずそれを遮るように手を添えた。

 

 今の俺は、塾からの帰り道にある。その道中で落とし物に気が付いて交番を探していたものの、途方に暮れていたご老人を見つけたんだ。そして、彼女を近場の交番にまで案内して今に至る。

 

 人助けをした後の気持ちはとても晴れやかだ。この晴天の夏空のように。この晴れやかな気持ちを絶対に忘れないようにしたいものだ。きっと、小さな人助けから生まれたこの気持ちが、多くの人を救けることに向ける熱意をより燃え上がらせる(たきぎ)となるだろう。

 

「最近はこのニュースが多いなあ……」

 

 そんな悲しげな呟きを漏らした警察官の方の声に振り向き、更に彼の視線の先を見る。

 

 その先にあったのは、5階建てのビルに取り付けられた巨大なモニター。そして、そこでは未だにウォーターホースという夫婦で一組のプロヒーローが市民を守る為に殉職したニュースが報道されていた。

 

 ウォーターホース。俺もそこまで詳しい訳ではないのだが、名前と顔は知っている。夫婦円満なヒーローとして名が挙げられることが多い上、父さんにとっては後輩のヒーローだった。年端もいかない頃、よく俺達の家に来てくださったのを覚えている。勿論、父と母の葬式にも出席してくださったし……。それに、3年くらい前に子供を授かったばかりらしかった。俺はその子に会ったことはない。だが、父がウォーターホースと共に事務所に来た彼を可愛がっていたのは知っている。

 結果として、彼らは若い命を落としてしまった。その悔しさは図り知れない。残された彼らの子の辛さも。

 

 更に言えば、忌まわしいことに彼らを殺したのは……マスキュラー。俺の父を殺した(ヴィラン)だ。ここしばらく大人しくなったかと思ったが、最近になってから行動が活発化しているらしい。どうにも嫌な予感がしてならないが、今の俺にはこれ以上被害が広がらないように祈ることしか出来ない……。

 

 閑話休題。ウォーターホースが殉職したのは、もう1ヶ月近く前になる。彼らが優秀で市民達に慕われたヒーローだというのは分かるし、市民を守って死んだという彼らの死に様がヒーローに相応しいものだから素晴らしいと讃えたくなる気持ちも分かる。彼らの勇姿を伝えたいのも分かる。

 

 だが……いくら彼らが慕われているとは言え、これほど長い期間をかけて彼らの死を報道するのは良くないことだと思う。

 

 これを見たら、ウォーターホースのお子さんは心を病んでしまうのではないか。世間を恨むのではないか。

 

 そんなことを考えていると――

 

「ウォーターホースか……。確かにいいヒーロー達だったが……こりゃあんまりだろう。まるで2人が死んで当然みたいな言い方して」

 

「そうだねぇ。ヒーロー達にだって、帰りを待つ家族がいるものね。気持ちは分かるけれど、これを見て良く思わない人だっているだろうねぇ……」

 

 先程の警察官の方とご老人がそんな会話を交わしていた。

 

 お二人は、見事に俺の考えを代弁した。俺とて全く同じことを思う。特によく思わないのは、やはり彼らのお子さんだろうな。死んで当然な命も、素晴らしい死に方もこの世には一切ない。何らかの要因で命を失うことは等しく辛く、最もあってはならないことなのだから。

 

 実際、鬼殺隊では多くの隊士が犠牲になっている。命を賭して戦ったことを褒めはしたが、死んだこと自体を、結果的に命を落としたことを褒めようと思ったことはない。褒めようと思わないどころか……褒めてたまるかという話だ。

 

 俺だって複雑だった。どんなに解っていても、その気持ちは晴れなかった。父は、ランキングで40位から50位以内の功績を残した立派なヒーロー。故に、随分と長い間テレビで父の死を告げるニュースを目にしていたのを覚えている。その様は父の死と命を軽々しく扱っているようだったし、世間の人々は、父が他人を守って死んだのは当然のことだと言っているような気がした。

 精神年齢としては大人だから、悪気がないのは分かっている。だが、履き違えないでほしい。当然のことなのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 勿論、こんな言い方をされたのは母も同じだった。子供を守って死ぬのが当然……?断じて違う。子供を守ることが当然なのであって、死ぬことは当然のことではない。

 

 自分の身内が死んで当然だと言われて平然としていられる訳がない。そのニュースを見る度に、世間に対して微かな怒りすらも覚えた。その怒りの感情は昨日のことのように思い出せる。

 

 晴天の空を灰色の雲が覆い尽くすように、心が(かげ)るのを感じた。この複雑でモヤモヤした気持ちを晴らそうと、側にいるご老人と警察官の方に挨拶をしてから足早に去ろうとしたその時だった。

 

「お坊ちゃん、これを持っておゆき」

 

 ご老人が俺の手に何かを握らせる。その手の中にあったのは、橙色の飴玉だった。

 ……蜜柑味だろうか?そんなことを思いながら、手に乗った袋入りの飴玉をじっと見つめる。

 

「どこかで見たことがあると思ったら……勇斗君のところのお坊ちゃんだったんだねぇ」

 

 しみじみとした言い方に顔をあげれば、彼女は春の木漏れ日のような優しさに満ち溢れた笑みを浮かべていた。

 

「勇斗君には沢山救けてもらったよ。私が若い頃から、何度も何度も。未だに忘れやしないさ、あの子が手伝ってくれたことの数々を。あの子が亡くなったって聞いた時は本当に悲しかったよ……」

 

「……」

 

 潤んだ瞳から一滴の涙が零れ落ちる。単に父が死んだことを褒め讃えるかのような言動を取り続ける人とは全く違う。彼女は優しさに溢れた人なのだと、そう思った。

 

「お父さんが死んで当然のような言い方をされて……辛かったろう?でも、負けちゃ駄目だよ。お坊ちゃんは、これからも強く生きるんだよ。お父さんの分までね」

 

「ありがとうございます」

 

 複雑さに満ちた気持ちが少しずつ晴れていくのを感じた。これも彼女の笑顔のおかげなのか、父の死を悲しんでくれたからか。どちらかなのか、それとも両方なのかは定かではないが、晴れやかな気持ちが戻ってきたことだけは確かだった。

 

 彼女の優しい笑顔に釣られ、俺も顔が綻んで微笑みを返す。そして、お二人に挨拶をしてから、己の足で走って真っ直ぐ家に帰った。

 走る中で吹き抜ける風は……真夏の日差しとは反対に、何とも心地よかった。

 

 

 

 

 

 

「お帰り、義勇」

 

「ただいま、姉さん」

 

「外は暑かったでしょう?」

 

「うん。でも、外は清々しいくらいに晴れてたよ。雲一つない」

 

 家に着くと、半袖の白いトップスと水色のデニムに身を包んだ姉さんが出迎えてくれた。今日はスイカ日和だなんて会話を交わしながら、ふと下を見た時に気が付いた。靴の置き場に、姉さんの履くそれ以外の物があったんだ。女性らしさに溢れる、踵の靴底が厚めの靴と、俺の履くスニーカーよりも一回り二回り……もしくはそれ以上に小さい、幼児の物と思われる靴。

 

 お客さんが来ているのか?と思ったその瞬間だった。

 

「久しぶりだね、義勇君。ちょっとお邪魔してるよ」

 

「マンダレイ……!?どうしてこちらに?」

 

 明るく親しみのある声が聞こえて顔をあげると、岩井茶色のノースリーブのトップスに藍色のタイトスカートに身を包む、私服姿のマンダレイの姿があった。その着こなしはスラリとしていてシルエットが美しい。

 

 マンダレイは、災害救助などを得意とする代表的なヒーローチーム、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの司令塔にあたる存在で、れっきとしたプロヒーローだ。彼女もまた父や母の葬式に来てくださった方の1人。――この際言ってしまうが、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの面々は全員が来てくださっていた――

 

()()()()()()()()()()()()()()()、君にお願いしたいことがあってね。君が帰ってくるまで待たせてもらってたんだ」

 

 俺の様子が変わりないことに安心したのか、頬を緩ませ、微笑みながら彼女は言う。

 

 因みにだが、俺も蔦子姉さんもそれぞれが通う学校の夏休みの最中にある。姉さんは夏休み中に国から許可を得て、アルバイトとして各地のヒーロー事務所で事務処理を行っている。勿論、生活費を稼ぐ為だ。オールマイトが生活支援として莫大な大金を送ってくれたとは言え、それに頼り切るのも申し訳ないと考えたとのこと。

 マンダレイが姉さんを「借りていく」と言ったのはそういうことだ。いつでも出かけられるように準備を終えた後なのだろう。

 

「お願い……ですか?」

 

 首を傾げながら尋ねると、玄関に通じる廊下の端でマンダレイに隠れるように立っているツンツンとした黒髪と鋭い目付きが特徴的な少年が目に入った。角が生えている、独特なデザインの赤い帽子の下から覗く目は、強い憎しみに満ちていた。

 

 見た目からして、彼は5歳にも満たないと思われる。それでも、目に満ちている憎しみは勘違いでも何でもない。その事実に戸惑いながらも尋ねた。

 

「マンダレイ。その子は……?」

 

「あら、洸汰。いつの間にそこにいたの?この子は私の従甥(じゅうせい)。名前は、出水洸汰って言うの」

 

「従甥……。甥っ子ですか」

 

「うん、そういうこと」

 

 マンダレイは少年――洸汰の隣にしゃがみ、彼の両肩に手を添えながら続ける。

 

「この子の親、私の従兄妹なんだけどさ……殉職しちゃったんだ。1ヶ月くらい前って言えば察してくれるかな……?」

 

 俺はハッとする。宇宙を突き進む一筋の光のように、確信した事実が脳裏を過った。

 

 俺が察したのを理解したのか、マンダレイは何も言わずに微笑むと再び話を切り出す。

 

「私もこれから事務所で仕事あるし、少なくとも夕方くらいまで家を空けなきゃいけないからね。洸汰は1人でいいって言い張ってるけど、親代わりの私からしたらやっぱり心配なんだよ。だから、洸汰のこと見てあげてほしいんだ」

 

「そういうことなら、喜んで」

 

 俺が迷いなく承ったことに、マンダレイは安心したような笑顔になりながら「ありがとう」と言った。

 

 そして――

 

「凪さんの息子の義勇君になら、ほんの少しだけでも心を開いてくれるかもしれないし。卑怯なことしてるだろうけど……許してね」

 

 俺の耳元で囁くと「仕事が終わり次第戻ってくるから」と言い残し、姉さんと共に出かけてしまった。

 

「マンダレイ……」

 

 俺もまた両親を失った身。そんな俺と話を交わして、ほんの少しでも洸汰の心を開けるきっかけになるのなら……快く引き受けようと思う。

 

「俺は冨岡義勇。『鎮静ヒーロー・凪』の息子だ。よろしくな、洸汰」

 

 一先ずは距離を縮められればと思い、俺は洸汰と同じ目線にまでしゃがんで手を差し出したが……微かに目を見開いた後、手をはたいて振り払われてしまった。

 

 こういった子供の対応はあまりしたことがない。同年代なら多少あるんだが……。何にせよ、根気強く見守るしかなさそうだな。

 

 俺は鉢巻を締めるかのような思いで、そそくさとリビングに向かった洸汰を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(パパ……ママ……。どうして僕を置いていったの……?)

 

 両親の死を知った洸汰に芽生えた気持ちは、彼らに置いていかれ、孤独になってしまったことによる悲しみであった。どれだけ掻き分けようとも晴れることのない闇を思わせる膨大な悲しみだった。

 

 幼い子供にとっては、親こそが世界の全て。そんな両親が(ヴィラン)から市民を守って死んでしまったのだ。悲しくない訳がない。それなのに……世間は、彼らの死をいいことだ、素晴らしいことだと褒め称え続けた。

 

 死んでしまえばそこで終わりなのに。それなのに、何故世間は市民を守って死んでしまったことを褒め称えるのか。幼い洸汰には理解不能だった。

 

 両親の死を告げるニュースを見る度に止めどなく涙が流れる。(ヴィラン)の顔が何度もテレビに映し出され、今ではもはや何も見なくとも似顔絵が描けてしまう。そんな中で彼の心は(すさ)み、涙は枯れてしまった。もうそのニュースを見たところで自分は泣けないだろう。幼いながらも、彼は察していた。

 

 そのうち、洸汰は''個性''を振るって好き勝手に暴れる(ヴィラン)という存在を、''個性''を持ったことで脅威と対峙して危険を冒すヒーローを、そんな状況を作り出した''個性''そのものを、超人社会そのものを憎むようになった。昔は、人を救ける両親の姿に憧れたこともあった。だが、今の彼は……ヒーローが、''個性''が嫌いだ。両親以外で自分を可愛がってくれた人物の1人である凪も、''個性''を持った故に危険と対峙して命を落とした。

 

 身近な人が(ヴィラン)の手によって殺される。彼が大切に思う人が殺されていく。そんな状況で憎むなというのも無理な話だろう。

 

(……またやってる。なんなんだよ、どいつもこいつも。パパとママが死んで良かったって言いやがって。いい訳ないだろ!)

 

 リビングに戻ると、テレビで両親――ウォーターホースの死を嘆くようにニュースが報道されていた。もう何度このニュースを見たことだろう。数えるのすら煩わしい。悲しみよりも、両親の死を褒め称える社会と両親を殺した(ヴィラン)に対して怒りが湧いてきた。

 

(どうせ……どうせ同じだ。こいつも同じようにパパとママが死んだことを――)

 

 怒りを堪えるように歯を食いしばりながら、洸汰は、リビングのドアを開けたままテレビの画面を見て硬直する義勇を睨みつける。鋭く、嫌悪に満ちた瞳で。

 

 親があの「鎮静ヒーロー・凪」であろうが関係ない。どうせ、赤の他人の死に対しては何とも思わないんだ。そう考え、もはや何も期待していなかった。

 

 しかし、義勇は違った。ニュースの流れるテレビをしばらく見た後、悲しげな顔になってテレビの電源を切ったのだ。

 

「え……?」

 

 予想だにしなかった彼の行動に洸汰は唖然として、目を点にして義勇を見た。

 

 その視線に気がついた義勇は、どこか悲しげでありつつも優しい笑みを浮かべ、洸汰を撫でる。

 

「両親が死んで当然だというような言い方をされるのは悲しいだろう。怒りが湧いてくるだろう。……分かるよ、俺もだった」

 

「義勇、兄ちゃん……も?」

 

「ああ。親が死ぬのが当然なんてこと、あってたまるか。俺も、洸汰のお父さんとお母さんがヒーローとして市民を守ったことは素晴らしいと思う。だが……死んだこと、それ自体が素晴らしいとは思わない」

 

 「人々は、決してウォーターホースに死んでほしかったという訳じゃないだろうけどな」と付け加え、頭を優しくポンポンと叩くと立ち上がった。

 

 自分の頭を優しく叩いたその手の温もりと背中に、洸汰は散々自分を可愛がってくれた凪を重ねた。

 

 そして。

 

(この人は……皆と違う。パパとママが死んだことを褒めないで悲しんでくれる……)

 

 1人、心の中でそう確信して深く帽子を被り、そっと枯れたはずの涙を流していた……。

 

 

 

 

 

 

 それ以降、マンダレイは義勇の予定が空いている日と仕事が被った日には、洸汰を彼の家に定期的に預けるようになった。もしかすると、彼女も洸汰が義勇に対して心を開き始めているのを察したのかもしれない。

 

 自然と義勇との距離も縮まり、彼と話をする場合にはぎこちなさがだいぶ減ってきた。訪れる日が増えた分、洸汰の他人との関わりも増えていく。

 

 何故なら……。

 

「洸汰君!来てたんだ。いらっしゃい!って、ここ私の家じゃないけど!」

 

「こんにちは、洸汰さん」

 

「こんにちは、洸汰君」

 

 夏休みを利用しての特訓及び勉強会の為に家の近い葉隠は勿論、普段は他県に住む八百万と緑谷も定期的に義勇の家を訪れるようになったからだ。

 

 小学生さながらの様子で無邪気に笑いながら洸汰を歓迎する葉隠に、年相応なお兄さんお姉さんらしさに溢れた微笑みを浮かべて挨拶をする緑谷と八百万。

 

 対する洸汰は……義勇に対してと同じように心を開きつつある、葉隠にだけ軽く頭を下げた。そして、八百万と緑谷には目をくれず、未開の地を求めて草むらをかき分けつつ進む探検家のようにズカズカとリビングの方に向かってしまった。

 

「や、やはり……私、嫌われているのでしょうか……?」

 

「……すまん。だが、八百万には誰かに嫌われるような要素は見られないと思う」

 

「だ、大丈夫だよ、八百万さん。ほら、もしかしたら人見知りなのかもしれないし」

 

「そうそう。それか、ヤオモモの可愛さにびっくりして緊張しちゃってるんだよ!」

 

 洸汰にそっぽを向かれる度、可愛い猫を撫でようかと思っていたら威嚇されてしまった時のように、沈んで肩を落とす八百万を事情を知っている3人で慰めるというのも彼らにとっては見慣れた光景である。

 

 因みに。根っからのヒーロー気質である緑谷は、洸汰が自分達を毛嫌いする理由が気になって義勇にそれを尋ねたことがある。ヒーローオタクでもある故か、殉職した彼の両親のことも察してしまったようだ。

 葉隠もまた、自然な流れで洸汰の事情を聞いた。その中で彼女は彼の抱えた感情に共感して、彼の両親の死を共に悲しんだ。それをきっかけに洸汰は心を開いたようである。

 

「緑谷?」

 

「……」

 

「自分に何か言ってやれることはないのか……ってところか?」

 

 八百万と葉隠が靴を脱いで家に上がってもなお、洸汰の向かった方を苦虫を噛み潰したような顔で見る緑谷。義勇は、その肩に手を置きながら尋ねる。未だ数ヶ月の付き合いでしかないが、義勇は彼がどういった人間なのかを既に理解していた。

 

 緑谷は頷きながら、ぽつりと口にする。

 

「"個性"に対して、そりゃ色んな考え方があるだろうけど……あそこまで否定してたら、一番辛くなるのは洸汰君自身なんじゃないかなって」

 

 緑谷から見ても、洸汰は"個性"を憎んでいることは察せた。勿論、彼は"個性"に対する考えが様々であることを理解している。

 

 だが、"個性"を持たずして生まれた彼だからこそ。持つべきものを持たずして生まれ、()()()()無個性故に苛まれ、馬鹿にされた辛い日々を過ごした彼だからこそ、これから"個性"が発現するであろう洸汰を案じた。

 "個性"は自分の一部。自分自身と言っても過言ではない。それを否定するのは……自分自身を否定するのと同じことだ。自分を否定しながら生きることほど辛いことなどない。

 

 義勇はなんとかして洸汰を呪縛から解き放てないかと考える緑谷の姿を、頑なに"柱"であることを否定して理由も話そうとしなかった自分に根気強く付き纏って話しかけまくってきた炭治郎と重ねた。

 

 己の身の上故に生まれるであろう、他人への深い思いやり。直向きな姿勢。他人を救う為に想いを貫き通す。やはり、どことなく似ている。そう思った。

 

 義勇は、微笑みつつも言う。

 

「気持ちは分かる。だが……大して知りもしない赤の他人に何か言われたところで、煩わしいだけじゃないか?」

 

「…………それは……うん。だと思う……」

 

 正論を言われ、緑谷は苦笑した。

 

 自分も洸汰のような状況にあったら、何を言われたとしても放っておいてくれの一点張りだろう。無個性であることの苦しみを知らない相手に勝手に憐れまれたら……「何も知らないくせに」と怒るだろう。そう考えながら。心が限界まで疲弊しているのなら、余計にそうなるはずだ。

 

「今の洸汰に何を言っても響かないだろう。心を開いてくれるまで根気強く見守って、向き合ってやるしかない。きっかけが必要なんだ。自分の考えを覆す大きなきっかけが。……今は、そっと見守ってやれ」

 

「……うん」

 

 義勇に言われ、何も出来ない悔しさを堪えながらも頷く。そんな緑谷のもさもさした緑髪をくしゃくしゃと撫でながら義勇は言った。

 

「だが、俺はお前のそういうお節介、嫌いじゃないぞ」

 

 「先に行くぞ」と言い残してリビングへと向かう義勇の背中を見ながら、緑谷は自分の胸の内に暖かいものが満ちたのを感じたのだった。



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第十九話 後継者、緑谷出久

 更に季節が巡り、何度目かの春がやってきた。普段の生活が充実しているなら、それだけ時の流れも早く感じるものであり……ここにくるまであっという間だった。

 

 昼下がりの教室に担任の先生の声が響く。

 

「時間が過ぎるのは早いね……。2年前に入学した君達も、もう3年生だ。卒業までは本当にあっという間だからね。後悔のないように、1日1日を大切にしていこう」

 

 柔和な笑顔で言うと、彼は机に置いていたプリントの束を手にして続けた。

 

「中学校を卒業したら、皆はそれぞれ別の道を行くことになる。だからこそ、将来のこと――即ち、進路のことをしっかり考えておかなきゃいけない。君達は3年生になったばかりだが、早速進路希望調査を実施しようと思う。期限は2週間後まで!今考えている範囲で良いから、必ず記入してくれよ。勿論、進路が自分の中で確定してるって人はすぐに提出してくれても構わないからな」

 

 そうだ、俺達が中学校を卒業する段階も近づきつつある。1年なんてあっという間だ。進学するか、就職するかは人それぞれだが……今後の自分の人生なんだ。軽んじて考えることなど出来はしない。

 

 俺の進む場所は既に決まっている。決して揺らぐことはない。自分の進む先を思い浮かべ、強く拳を握った。

 

 

 

 

 

 

 その後はHRを締め括る挨拶をし、解散となった。クラスメートの各々が部活に行ったり、居残りで自主学習をする中、俺もまた一度着席してペンを握る。そして、目の前に置かれた進路希望調査の第一希望の欄に……国立雄英高等学校の名を記入した。志望学科は言うまでもなくヒーロー科だな。

 

「あ、やっぱり義勇君も雄英だよね!同じ!」

 

「透」

 

 記入を終えた瞬間、鈴のような愛嬌のある声が聞こえた。顔を上げれば、目の前に透がいるではないか。……ここ数年で、隠密技術にも磨きがかかったようだ。書き損じがないように進路希望調査の方に集中していた影響もあるだろう。だが、気配が薄く、声をかけられるまで気が付かなかったのには変わりない。まるで忍のそれだ。

 

 忍と言えば……宇髄やその奥方は元気だろうか。仮に俺と同じように転生しているとして、元気にしてくれれば嬉しいのだが。

 

「見えない所にいる人を救ける為には影響力も必要でしょ?だから、トップのヒーロー養成校に行って、名を轟かせておかないとって思って!」

 

 腕を上下にブンブンと振りながら彼女は続ける。ここまで大袈裟に身振り手振りで表現するのも、自分の存在を沢山アピールするという彼女の決意の表れだろうか。

 

「義勇君も無個性の人達の希望になる為に沢山の人に知ってもらわなきゃだもんね〜!それに、目指すのは"本当のヒーロー"だから!」

 

「そうだな」

 

 両手で握り拳を作りながら言っているであろう透に微笑みながら同意する。

 

 雄英高校と言えば、全国トップクラスのヒーロー養成校。誰かにとっての"本当のヒーロー"を目指すのならば、最高峰の舞台でヒーローとしての心構えやそれが何たるかを学ぶのは必須だろう。

 

 受験勉強や特訓も一緒に頑張ろうという話を交わしていると……。

 

「冨岡君に透ちゃん!2人とも雄英のヒーロー科を目指してるって本当!?」

 

「マジで!?マジなのか!?」

 

 教室に残っていたクラスメート達が一斉に駆け寄ってきた。

 

 反応は各々ではあるが、彼らに驚きがあるのは共通。無理もない話だろう。何せ、雄英高校は偏差値79という超難関校なのだから。ヒーロー科に絞って見れば、その偏差値に加えて300倍というとんでもない倍率の中を掻い潜る必要がある。

 少し調べてみたんだが、とある県では全日制の高校の平均倍率が1.04倍だったらしい。

 

 さて。雄英の場合、どうなるかを考えてみよう。雄英のヒーロー科はA組とB組の二クラス。一クラスが20人で、その内の2人ずつは推薦入試で募集する。つまりは、俺達が受ける予定の一般入試では各クラス18人の計36人が募集定員となる訳だ。倍率は受験する人数を募集定員で割ると求められるから、そこから逆算して……300×36。

 受験人数を答えの10800人だと仮定しても、たった36人しか受からない。

 

 5桁もの中学生達が受験しても、たった2桁しか受からないとは……。現実は厳しいな。ヒーローがそれだけ多くの人にとっての憧れであることの裏付けにもなるが。だが……受験に落ちたとしても死にはしない。受験に落ちること自体が良いこととは決して言わないが、鬼殺隊の最終選別より遥かにマシだろう。あちらの場合は、選別に落ちることは死を意味するのだから。

 

「雄英か……!流石は義勇の兄貴と透だ!」

 

 憧れに満ちた目を輝かせ、拳を握る狼牙と何度も頷く爪真に光。3人を目にした俺は尋ねた。

 

「お前達も進路は決まったのか?」

 

「俺が士傑で、爪真と光が傑物です」

 

「あらら〜……別々になっちゃうんだね」

 

 狼牙が「東の雄英」に並び立つ程の難関校である士傑高校へ。そして、爪真と光はヒーロー育成において一定の評価を受ける傑物学園高校へ。進む先が別であることを知ると、透が少し残念そうに言った。

 

 言われてみれば、俺達5人は幼稚園から中学校までずっと一緒だった。目指す先が同じである同士で高め合う俺と透。その側には常に狼牙達がいたものだ。今や彼らはいて当たり前と言っても過言ではない存在になりつつあった。そんな彼らと離れ離れになると思うと、少し寂しさが湧き上がってきた。

 

「そうか……寂しくなるな」

 

 物寂しさを感じたまま俺は微笑み、透も頷く。すると、狼牙が歩み出て、白く鋭い犬歯を見せつけるようにして笑いながら手を差し出した。

 

「義勇の兄貴と離れ離れになったって、俺達は変わらず頑張ります。兄貴から学んだことも思い出も消えないし、絶対忘れません。俺達も兄貴の教えを胸に頑張ります!これは、お互い夢に向かって頑張ろうっていう約束です」

 

「兄貴や透ちゃんが忘れない限り、僕達は2人の心の中にいるよ」

 

「それに。誰かが覚えている限り、人は誰かの心の中で生き続ける。そう教えてくれたのも兄貴だろ」

 

 眩しい笑顔で言う狼牙に続き、光と爪真も手を差し出してくる。

 

 そんな彼らを見た瞬間、成長を実感した。俺が無個性だと初めて知ったあの頃は、無個性の子や(ヴィラン)向けだと言われる''個性''を持つ子を平然といじめていたというのに。人間は変われる。その確かな証拠だろう。

 

「ああ……そうだな。そうだったな」

 

 俺は3人のことを決して忘れない。離れ離れになるのは少し寂しいが、全く会えなくなる訳でもない。何より、俺達がこれまで築いてきたものはそれだけで断ち切れるようなものじゃない。

 

 俺は吹っ切れて微笑み、「頑張れよ」と声を掛けながら3人と固く握手を交わした。

 

「ううっ……!成長したね、3人ともぉぉっ!!あたしゃ嬉しいよ〜!」

 

「おいおい、誰目線だよ」

 

「そういう楽しいノリも変わらないね、透ちゃん。これからも無邪気で真っ直ぐな透ちゃんのままでいてよ」

 

「!善処するよ!」

 

「言い切らないのか。珍しいこともあるもんだ」

 

 母親のように狼牙達の成長を喜んで、抱きつく透とされるがままの彼ら。その微笑ましい光景を俺は他のクラスメート達の激励の声を受けながら、そっと見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方。

 

「ただいま」

 

「あら!お帰りなさい、義勇」

 

 俺は夕暮れに照らされた帰り道を1人で辿った。普段から帰り道が一緒である、透と喧嘩した訳じゃない。というのも、俺は毛糸中学校の()()()()()だ。今は時期が時期で、中学校の体育祭まで残り1ヶ月を切っている。それ故、その運営や企画進行で忙しい時期なんだ。彼女も彼女でやるべきことが沢山ある。待ってくれるのはありがたいが、それに時間を費やさせる訳にもいかず、一足先に帰ってもらった。

 

 自分の部屋に荷物を置いて、私服に着替えてから制服がシワにならないようにハンガーにかける。一連の行動を終わらせてから、窓を開けて空気の入れ替えをしながら俺は考える。

 

 この後はどうしようか……。筋トレをしてもいいだろうし、受験に備えて早速勉強を積み重ねるのもありだ。水の呼吸の型を舞うのは毎日の日課だから必ずやるにしても、夕食や風呂の時間まで結構な余裕がある。他の空いた時間を上手く活用しなくては。

 

 やはり、今日は体づくりの一環として筋トレを――

 

 俺のスマホの着信音が鳴ったのは、そう考えた矢先だった。音に反応して机の上のそれを手に取る。画面に表示された連絡先は……オールマイトこと八木さんだった。

 

「もしもし、冨岡です」

 

『義勇少年。久しぶりだね。ゴホッ、ゴホッ……忙しいところすまない』

 

「いえ……既に帰宅していますので大丈夫です」

 

 こうしてオールマイトと話を交わすのも数年ぶりのことだ。怪我を負ったあの日以来、彼は自分の体に鞭打って今まで以上に人助けに励むようになってしまったから。生活費の支援は引き続き行ってくださっていたようだが、多忙故に話せる機会は前ほどにはない。

 

「……無理をしましたね?」

 

『うぐっ、分かるのかい……?』

 

「貴方が咳をしている時は大抵そうでしょう」

 

 そして、電話の向こうで軽く咳き込む彼を咎めるようにして尋ねれば、図星だったらしい。オールマイトが萎縮して、しょぼんと子供のように肩を落としているのが簡単に想像出来た。

 

 大怪我を負ってもなおヒーロー活動を続ける彼の想いを汲み取り、医師の方々は彼の治療に尽力しているようだが、後遺症だけはどうにも出来なかった。加えて、度重なる治療。それらが災いしてオールマイトは憔悴してしまった。

 

 結果として、今の彼は骸骨のように痩せ細ってしまった。5年前の傷痕が痛々しく残り、肋骨や頬骨が浮き出る。もはや、かつての彼は見る影もない。それでも、自分の怪我を世間に知られる訳にはいかないと全身を強張らせて大きく見せることで、何とか人々のよく知る筋骨隆々でアメコミ風な顔つきをしている姿を保っているようだ。

 

 胃袋は全摘でろくに食事が摂れない。ならば、当然栄養が足りずに痩せる。呼吸器官も半壊しているのだから、日々の生活で酷使すればその反動がくる。彼の咳はそういう訳だ。更に言ってしまえば、興奮すると吐血さえしてしまう。平和の象徴としての使命感から来る彼の行動は……とても痛々しい。

 

 閑話休題。そんな彼がかつての姿を保っていられる時間は――

 

「1日に約3時間……ですか」

 

『ああ……。今回の無茶で、更に時間が縮まった可能性も否定出来ない。だが、今回だけは許してくれ……!プロはいつだって命懸けだと言っておきながら、何もしない()()()()()()()()になるところだったんだ……』

 

「ニセ筋……」

 

 オールマイトの口からニセ筋という言葉が出てくるとは思いもしなかった。ニセ筋――つまりは、大きく逞しく見せているだけの偽りの筋肉。彼にはそう例える一面はないように思うが……。きっと、余程のことがあったのだろう。

 

「……あまり無理はなさらないでくださいね。ナイトアイも心を傷めます」

 

『……!あ、ああ……善処するよ』

 

 こうは仰ったが……どうなることか。それに、ナイトアイとのことは喧嘩別れした故にとても気まずいらしい。オールマイトに釘を刺すのもほどほどにして、本題に突入しよう。

 

「それで……何の御用ですか?」

 

『そうだった!義勇少年に大事な話があって連絡したんだよ。実はね……後継者を見つけたんだ』

 

「っ!?」

 

 後継者のワードに俺は息を呑んだ。単純な彼の後継者という意味だけではない。そこには、恐らく''個性''を引き継ぐ者としての意味も込められている。

 オールマイトの志を引き継ぐ者が見つかった。その嬉しさに反射的に声を張り上げそうになる。しかし、このことは姉さんですら知らないことだ。危険に巻き込みたくない故、知られる訳にはいかない。

 

 興奮を抑え、口元に手を添えながら、俺は尋ねる。

 

「それで、その後継者とは……?」

 

『ああ……!彼はね――』

 

 そこから、オールマイトは感慨深げに語り始めた。その少年は、俺と同じ無個性の少年だと。無個性でありながらも折れずにヒーローを目指しているのだと。思いやりもあって敢えて厳しいことを言ったものの、その意志は決して折れなかったのだと。そして……()()()()()()()(ヴィラン)に捕まった幼馴染を救ける為に、危険を顧みずに真っ先に飛び出したのだと。

 

 勿論、自ら危険に飛び込んでいるのだから、プロヒーローからすればその行動は褒められたものじゃない。叱られるのは当然のことだった。――俺からすれば、''個性''に甘んじていざという時に何も出来ず、民間人に動かせたプロヒーローの方にも問題ありだと思うが――

 だが、彼の行動は1人の人間からすれば素晴らしいものだった。彼の行動がオールマイトを突き動かし、認めさせた。小心者で無個性だった彼だからこそ、自分は突き動かされたのだと彼は語った。

 

 そんな平和の象徴を突き動かす程の眩い輝きを秘めた少年は何者なのだろう?俺は、その少年のことを今すぐにでも知りたくなった。

 

『その少年の名前は緑谷出久って言うんだ。私は緑谷少年って呼ぶことにしてるんだけど――』

 

「み、緑谷っ……!?」

 

 名前を聞いた瞬間、電流のように鋭い衝撃が俺の体を迸った。自分の知り合いが平和の象徴の後継者として選ばれるなど、誰が想像出来るだろうか。本当に人生というのは何が起こるか分からないものだ……。

 

『……あれっ、もしかして知り合い?』

 

「俺の想像している通りの人物なら、ですが……。その少年の髪型って、もさもさの緑髪ですか?」

 

『一部は短く刈り上げてるけど……そうだったね』

 

「その少年は……ヒーローオタクですか?」

 

『…………だと思うよ。マニアックな(ヴィラン)との戦いや事件のことも知ってたし、何より多くのヒーローの戦い方や''個性''、戦闘服(コスチューム)のことを分析したノートを持ち歩いていたからね。勿論、その中には君のお父さんである凪の分析もあったよ』

 

「……成る程。俺の知る緑谷出久だと思います」

 

 知り合いなのかと尋ねたオールマイト。彼に返事を返した後、その少年が同姓同名の他人である可能性も考えて軽く特徴を聞いてみたんだが、あの緑谷で間違いはなさそうだ。

 

 俺達が知り合い同士であることを知ると、オールマイトは嬉しそうに笑った。

 

『HAHAHA!そうかい、知り合いだったのか!それなら話が早い!義勇少年、折り入って頼みがある。君も、彼を立派な後継者に育て上げる為の手伝いをしてくれないだろうか!?』

 

 後継者を見つけたという報告も大事だが、最も重要な話はこれだろう。

 

 俺は、これまで共に鍛錬を積んできた緑谷を思い出す。

 

 彼の目には、常にヒーローへの憧れが宿っていた。いつでも鍛錬に対して熱心且つ真面目に取り組み、無個性の自分でもヒーローになれるのだと信じて止まなかった。そして、俺と一対一で打ち合う時なんかは……彼がオールマイトのことを語る時並みの輝きが満ちていた。

 

 同じ無個性だからこそ、俺は緑谷にとっての憧れなのかもしれない。

 同じ無個性の彼がここまでやれるんだから、自分でもやれる。やらなくちゃ。そんな風に彼奴を焚き付けたのは、間違いなく俺だ。

 

 ならば、その責任は取らねばなるまい。その未来を保証する為にも。断る理由はどこにもない。

 

「……引き受けましょう。やるからには、徹底的に鍛え上げます」

 

『そうか……!やってくれるか!ありがとう、義勇少年!それじゃあ、2日後の早朝に静岡の方にある海浜公園まで来てくれよ。場所とかはメールで送っておくよ』

 

「分かりました。では、失礼します」

 

『ああ、また明後日な』

 

 集合場所まで聞き終えたところで、俺は電話を終えた。電話を終えてもなお、夢のように思う。友が平和の象徴の後継者として選ばれたことが。俺の胸の内に残ったのは、後継者として選ばれた緑谷を誇らしく思う気持ちだった。

 

 そして、その日の夜。俺は、ニュースを通して今日起こった事件のことを知った。

 

「ぎ、義勇。この子……緑谷君じゃない?」

 

「ああ。それに、オールマイトも……」

 

 テレビのニュースを見るに、体がヘドロである(ヴィラン)がオールマイトからの逃走を図る為に''爆破''の''個性''を持つ少年を人質に取り、商店街で暴れ回ったようだった。

 

 現場の状況は、オールマイトが語ったこととほぼ同じ。何も出来ずに消火に専念する者以外は棒立ちのプロヒーロー達。

 

 そんな状況で、黄色いリュックを背負い、通っているであろう中学校の制服を着た緑谷が何かの袋を手にして飛び出した。ヒーロー達の制止の声も気に留めず無我夢中に駆け出した緑谷と、彼に迫るヘドロ(ヴィラン)の腕。

 迫る腕を目にした緑谷は、咄嗟に背負っていたリュックを放り投げてその目を眩ませ……袋の中身をぶち撒けた。その中身は大量の白い粉。その粉を振りかけられたヘドロ(ヴィラン)の体が固まっていった。――中身は凝固剤か何かだったのだろう――その光景に、囚われていた少年も棒立ちのヒーロー達もヘドロ(ヴィラン)も、更には事の顛末を見守っていた野次馬達も目を点にしていた。

 

 そこから、緑谷はすかさず現場にいたヒーローの1人の名を叫ぶ。名を叫ばれたヒーローは、緑谷の意図を察したのかすぐに駆け出し……ヘドロ(ヴィラン)の固まった部分且つ爆破を巻き起こす少年の囚われていた部位をその拳で打ち砕いた。同時に、緑谷が少年を引き()り出して救出成功。緑谷と少年を庇うようにして立つヒーローと人質を奪われた怒りのままに飛びかかるヘドロ(ヴィラン)。その2人の間に割り込んだのは、オールマイトの逞しく筋骨隆々な剛腕だった。

 

 その後。事件は、吐血しながらもヘドロ(ヴィラン)の肉体を、風圧を伴うストレートパンチ1発で吹き飛ばしたオールマイトの手によって解決されたようだ。それはそれとしても、やはり緑谷のことは心配なのだが……。

 

「……心配なんでしょう?緑谷君のこと。連絡してあげたら?」

 

 そんな心情を見抜いたのか、微笑んだ蔦子姉さんが言った。蔦子姉さんには敵わない。

 

「うん……そうするよ」

 

 俺はすぐに部屋に戻り、姉さんの提案通り緑谷に電話をかけた。

 

『もしもし、冨岡君?こんな時間に珍しいね』

 

「緑谷、怪我はなかったか?」

 

『え……?あっ、もしかしてヘドロ(ヴィラン)のニュースを見たの?大丈夫だよ。オールマイトが守ってくれたから』

 

「……そうか……。良かった」

 

 いざ電話をかけてみると、緑谷は変わりなく元気そうだった。その事実に安心し、強張っていた肩の力が抜けて吐息が漏れた。

 

『心配してくれたんだ』

 

 その意外そうな物言いで更に気が抜ける。俺が他人を心配するのがそんなに珍しいだろうか……?友達が友達を心配するのは当然だろうに。

 

「友達が事件に巻き込まれたと聞いて心配しない奴がいると思うか?」

 

『ご、ごめん。確かにそうだね。冨岡君、感情をあまり表に出さないから珍しくて』

 

 俺が微かにムッとしながら言うと、緑谷は苦笑しながらそう返した。

 

「……そんなことはない。笑う時は笑うし、怒る時は怒る」

 

 一安心したところで、俺は別の話を持ちかけることにした。

 

「ところで……緑谷。オールマイトの後継者に選ばれたそうだな」

 

『ふぁっ!?あっ、えっ……!?ど、どうして知ってるの!?』

 

 オールマイトの後継者となった話を持ちかけると、彼はあからさまに動揺した。こんなことあり得ない、何があったんだと言わんばかりに。まあ……俺がオールマイトと知り合いであることを明かしていないからな。動揺するのは無理もないか。

 

 このままほったらかしにしておくと、緑谷が思考の渦から帰ってこなくなる。早いうちに立ち直らせておこう。

 

「落ち着け、緑谷。お前に原因がある訳じゃない。言っていなかったが……オールマイトは俺の親代わりだ。今でも生活費を送って支援してくれている」

 

『へあっ……!?そ、それで……秘密も全部知ってるってこと……?』

 

「ああ」

 

『そ、そうだったんだね……。良かったあ……知らないうちに何かやらかしたのかと思ったよ……』

 

 心底安心したように言った緑谷は、1人電話の向こうで『オールマイトの知り合い……!そんな凄い子に特訓をつけてもらえてたなんて!』と嬉しそうに呟いていた。単に知り合いであるだけで俺は然程凄くもないのにな。こうまで言われると、嬉しいに加えて気恥ずかしい。

 

 今の緑谷は、やる気と未来への希望に満ち溢れている。これからもこの調子を途絶えさせることなく頑張ってほしいものだ。

 

「緑谷。オールマイトを尊敬するお前に対して、歯に衣を着せぬ言い方をするが……彼がヒーローとしていれる時間はそう長くない」

 

『!……うん』

 

 覚悟を決めたように緑谷が肯定する。同時に、彼が息を呑む音が聞こえた気がした。

 

「人々は彼を神のように崇めるが、彼はそんなに完璧な存在じゃない。あくまでも人間だ。当然衰える日はくる。オールマイトの場合は、度重なる無茶のせいで、彼1人に全てを背負わせたせいでその時期が早まった。それだけだ」

 

「柱が崩れた家は基本的に脆くなる。それと同じだ。彼が完全に倒れれば、これまで築き上げてきた平和は呆気なく崩れ去る。それだけは防がなければならない。だからな、緑谷。次は俺達の番だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……頑張ろうな、一緒に」

 

『……!うん!』

 

 力強く答えた緑谷に微笑む。

 

 そうだ。後継者緑谷1人に託すのではない。俺も、共にオールマイトの背負ってきたものを背負える男にならねばならんのだ。

 

「明後日、静岡の方の海浜公園に集まるように言われているだろう?俺もそちらに向かう」

 

『本当!?分かったよ、それじゃ……また明後日。おやすみ、冨岡君』

 

「ああ、おやすみ」

 

 明後日会うことを約束して、夜の挨拶を交わした後で通話を終えた。

 

 鬼が消えた後の世界の月は、常に綺麗に見えていたと思う。だが、今日の月は……いつもよりも更に綺麗に見えた。



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第二十話 いざ継承!

 2日後の早朝。俺達は、オールマイトに指定された海浜公園に予定通り集合していた。

 

 そして、今……。

 

「うぅぉぉぉおおお!!!」

 

 その砂浜で、緑谷がロープの巻き付いた冷蔵庫を引っ張っているところだ。

 

 気合いを入れる為の猛々しい咆哮。それに伴い、冷蔵庫を渾身の力で引っ張る。すると……聞いて驚け。冷蔵庫がスムーズに砂煙を立てながらズルズルと動いているではないか。恐らく、大きさからして緑谷が引っ張る冷蔵庫は3人家族用くらいのものだ。容量は400Lクラス。このタイプは平均的に90kgの重さがあるらしい。ついでに言えば――

 

「おおっ!?何て乗り心地の悪い冷蔵庫だ!やるじゃないか、緑谷少年!」

 

 引っ張られる冷蔵庫の上には、ぬいぐるみのように縮こまって体育座り状態のオールマイトが、ちょこんと乗っている。

 

 オールマイトの体重と合わせれば、その重量は300kgを超える。……反復動作恐るべし、だ。因みにだが、緑谷も俺達との鍛錬の中で反復動作を習得した。

 

 ある程度の距離まで冷蔵庫を引っ張ったところで、オールマイトが冷蔵庫の上から、体操選手のようにひねりを加えながら華麗に着地した。

 

「驚いたぞ、緑谷少年……!見込み以上だ!ここまで動くとは……」

 

 いつもと変わらない笑顔を浮かべながらオールマイトは言ったが……その声色には、感嘆の意が込められていた。

 

「ぼ、僕も驚きですよ……!オールマイト、体重274kgもあるのに……!反復動作って凄いや……」

 

「た、体重まで知ってるのかい!?恥ずかしいな〜!まあ、今は痩せちゃったから255kgだけどね。この姿だと」

 

 貴方は乙女か。

 

 体重を知られたことを恥ずかしがるオールマイトに対して心の中でツッコミを加えながら、俺も改めて反復動作がどれだけ凄まじいものなのかを実感していたのだった。

 

 ''個性''も無しに冷蔵庫をこれだけ動かせたことを彼が疑問に思わないのは謎だったが……まあ、それは置いておこう。そして、いよいよその時がやってきた。

 

「これだけ動かせるなら大丈夫そうだが……。緑谷少年、君がどれだけ体を鍛えているのか私自身の目で確かめたい。言い方がアレだけど、脱いでくれるかい?」

 

「は、はい」

 

 言われるがままに、水色に白いラインの入ったシンプルなジャージの上と下に着た()()()()()()()を脱ぐ緑谷。服の下から現れたのは、贅肉が一つもなく引き締まった肉体だった。もはや、歴戦の戦士達に並んでも何の違和感もない。仮に彼が鬼殺隊の剣士だったとして……それに相応しいものだと思う。言わばエイトパックと言われる形にまで割れた腹筋や、薄らと筋の浮き出る腕はここまで鍛え抜いてきた証だ。

 

 緑谷の肉体を、オールマイトは数秒間その目で見た。まるで、果物の品質を品定めするかのようにして。その後、白い歯を見せてニッと笑いながら拍手した。

 

「んんー!Wonderful!初めて会った時、制服の上からも分かったけれど……やはり、体を鍛えていたね!これなら問題なく譲渡が出来そうだ!」

 

「問題なく……?鍛えてなかったらどうなるんですか?」

 

 俺も引っかかっていた素朴な疑問を、緑谷が控えめに挙手をしながら尋ねる。

 

 すると、オールマイトは変わらぬ笑顔のままで爆弾発言をぶちかます。

 

「体が耐えきれずに四肢がもげる!」

 

「四肢が!?」

 

 ……想像の100倍以上残酷な真実が明らかになったものだ。俺達は苦笑しながら、「聞かない方が良かったな」と目で会話をした。

 

 そんな俺達を物ともせず、オールマイトは髪の毛を一本引き抜きながら語る。

 

「緑谷少年、これは私の受け売りだが……生まれ持った力と認められて授かった力とではその本質が違う。肝に銘じておきな、これは君自身が勝ち取った力だ!」

 

「っ……!」

 

 緑谷が力強く頷く。

 

 確かに生まれつきで呼吸が使えるのと、努力の果てに呼吸を使えるようになったのとでは価値が変わると思う。人によるだろうが、生まれつき力を持ってもなんとも思わない人もいるだろう。対して、努力の果てに手に入れた方は後から感謝や達成感がついて回るはず。

 

 自分なりに馴染み深い事柄に当てはめながら、俺もオールマイトの話を心に刻みつけていた。

 

 ''個性''の継承……。どんなことが起きるのだろうか?光の玉が出てきて、緑谷の体に吸い込まれていったり、オールマイトの手から直接光が注ぎ込まれたりするのだろうか……?しかし、髪の毛は一体何に使うんだ……?

 

「食え」

 

「へ……?」

 

「え……」

 

 どうやら、俺の想像は(ことごと)く打ち砕かれ、ガラスのように儚く散ったようだ……。

 

 

 

 

 

 

 オールマイト曰く、''個性''の継承には譲渡したい相手に自分のDNAを摂取させる必要があるらしい。髪を食えと言ったのはそれが理由だとのこと。髪を完全に消化してからでないと効果が出ないようで、俺達は時間を潰す為に体を温めるがてら準備運動や組み手を行っていた。約2時間後――

 

「うわっ!?」

 

 緑谷の腕から稲妻を彷彿とさせる、緑色に輝く火花が飛び散った。

 

 戸惑う俺達に、オールマイトが待ってましたと言わんばかりの様子ですかさず歩み寄ってくる。

 

「キタキタ!それこそが、''ワン・フォー・オール''だ!」

 

「おおっ、これが……」

 

 そうは言われても実感が湧かないのか、緑谷は自分の腕をまじまじと見つめていた。

 

「それじゃあ早速制御のコツを教えるぞ!いいかい、緑谷少年!ドンッ!じゃなく、ジワジワ……だ!そして、ググッと留めろ!」

 

「へあ……!?」

 

 オールマイトは、両拳を握りながら必死に伝えたが……全く分からない。緑谷は唖然としているし、俺は吹き出しそうになった。

 

 成る程。オールマイトは甘露寺や炭治郎と同じく擬音で全てを掴めてしまう、感覚派の人間のようだ。彼らと違うのは、神に祝福されたと言っても過言ではない天賦の才を持つということか。刀鍛冶の里での戦いを終えた後の柱合会議で、甘露寺が一生懸命に''痣''が発現した時の状況を説明しているのを思い出した。

 ……甘露寺は元気だろうか?伊黒と幸せにやっているだろうか?

 

 一先ず彼らのことは後回しだ。それなら――

 

「緑谷、呼吸を思い出せ」

 

「呼吸を……?」

 

「そうだ。型を繰り出す時、"全集中の呼吸"を使用して血中に大量の酸素を取り込むだろう?そうじゃなく、深呼吸だ。ゆっくりと少しずつ酸素を取り込むのをイメージしろ」

 

「!成る程……!そういうことか……ッ!」

 

 どうやら納得出来たらしく、名案が思い付いた発明者のように目を輝かせた緑谷。彼がその体に力を込めると……体中に血管のような赤い光が迸る。そして、その力の高まりに比例し、徐々に飛び散る緑色の火花の数とその激しさが増していった。

 

「…………今は、ここが限界です」

 

 力んだ状態を解いた緑谷がふうっ、と息を吐くのと同時に緑色の火花が収まる。

 

 どうですか?と目で尋ねる緑谷。オールマイトはゆっくりと頷いた後にサムズアップした。

 

「受け継いだばかりで25%とは上等だぜ、少年!私は、良くて15%くらいかなぁと思っていたんだが……私の予想を超えてきたとは!」

 

「25%……。まだまだだ……!」

 

 緑谷は悔しげに拳を握りしめていたが、悔しがる必要はないと思う。何せ、誰も彼もがオールマイトと同じようにやれる訳じゃないのだから。

 

「適度に焦れ、緑谷。オールマイトに近しくなれても、全く同じようにはなれないんだから」

 

「そうだぜ。向上心は大事だが、初めから上手くいくことなんてそうそう無いさ!それに、100%の4分の1ってだけで十分だよ。私だって、いつも100%出力で使ってる訳じゃないんだぜ?当たり前のことだけどな」

 

 俺が肩に手を置いてかけた言葉の後の、痩せ細った姿のオールマイトがお茶目にウインクしながら言った言葉で、緑谷はハッとしていた。

 

 当然の話だろう。ストレートパンチ1発で上昇気流を巻き起こし、天候を変えてしまう程のパワーを発揮出来るんだ。そんなパワーを毎回街中や真に賢しい(ヴィラン)が潜む屋内で発揮していたら、あちこちが破壊されてしまう。――賢しい(ヴィラン)が屋内に潜むという話は、相澤さんが教えてくださった――

 

 まさに教師さながらの様子で、オールマイトは普段は30〜40%の出力を保っていること、(ヴィラン)との戦闘の時は基本20%で場合によってはそれを引き上げること、先日のヘドロ事件のように何か突破口を開く必要がある時は50〜80%の出力を発揮していることを教えてくれた。

 

「――90や100%は、どこか遠くにひとっ飛びしなきゃいけなかったり、よっぽどヤバい(ヴィラン)が相手の時以外は使わないかな。ヒーローである以上、必要以上に(ヴィラン)を痛めつけないことも必要だからね!あっ、勿論加減無しでやらなきゃいけない時だってあるからそこは忘れないように!」

 

 シャドーボクシングをしながらオールマイトはそう締めくくり、同時に「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、100%はそうそう使わないと思うよ」と付け加えた。

 

「まあ、要するに!緑谷少年の出力ならば、対人戦闘で十分に通用するってことさ。足りない部分は技術でカバーだ!君の場合、''()()()()()()''()()()()()十分すぎるくらいだぜ?それに、君も()()()()()()()()()()()()、既に''常中''を会得してるんだろう?」

 

 緑谷の頭をポンポンと優しく叩きながら言った一言に、俺も緑谷も驚愕した。

 

「ええっ!?わ、分かるんですか!?''全集中の呼吸''って、使ってる人が……それどころか、知ってる人すらごく僅かな技術なのに……!」

 

 緑谷が飛び出そうなくらいに目を見開きながら言うのと同時に、俺も考える。

 

 呼吸音一つで全集中を使っているか否かが分かるとは相当だぞ……?確かに、全集中''常中''を会得している者の呼吸音は他とは明らかに違う。静かで洗練されていると言うか……無駄がない。だが、その原因を''常中''だと確定出来るとなると――

 

「まさか、オールマイトも''()()()()()()''()()()()()()……?」

 

 顎に手を当て、哲学者のように考え込みながら呟く。それが聞こえたのか、緑谷も「どうなんですか!?」と言わんばかりにオールマイトに詰め寄って、彼をじっと見つめていた。

 

「ふっふっふ……!それは特訓が一段落ついたところで教えてあげようじゃないか!ちょっとしたご褒美があった方がやる気が出るってもんだろう?」

 

 しかし、その答えを知るのは後回しになってしまったようだ。それにしても、上手いこと流されたものだな。これも大人の余裕なのだろうか……。

 

「さてと、それはそうと……君達をここに連れてきた理由を説明していなかったね。君達には今日から、ここでゴミ掃除をしてもらう!」

 

「「ゴミ掃除……?」」

 

 俺と緑谷は同時にゴミ掃除という言葉を鸚鵡返しにしながら首を傾げた。

 

「Yes!私が調べた限りだと、ここの海浜公園……一部の沿岸は、何年もこの有り様らしいね」

 

 オールマイトは、緑谷が引っ張っていた冷蔵庫の耐久力がどれほどのものかを見極めるかのようにそれを叩きながら言った。すると、この辺の地理に詳しい緑谷が答える。

 

「はい。海流的なアレもあって、元から漂流物が多いんです」

 

「そこにつけ込んで不法投棄がまかり通っているということか」

 

「うん……。地元の人もあまり近づかないです」

 

 元から流れ着く物が多い。それ故に生まれた、このくらいは気づかれないという傲りが不法投棄を続出させたのだろう。ヒーローとして、それ以前に1人の人間として、これを放ったままにはしておけない。

 

「最近のヒーロー(若いの)は派手さばかり追い求めるけどね……。ヒーローとは、本来奉仕活動!」

 

 海浜公園の状況を聞いたオールマイトは、お馴染みの筋骨隆々な姿に変化し、冷蔵庫の上に手を置きながら語る。そして――

 

「地味だ何だと言われても……っ!そこはぶれちゃあいかんのさ!」

 

 力を込めて、冷蔵庫を真っ平らに押し潰した!その瞬間、一陣の風と共に大量の砂煙が巻き上がり、冷蔵庫の先にあった景色が目に入ってきた。

 顔を覗かせる朝日。それに照らされて淡く橙色に輝く海……。ゴミだらけの場所だとは思えない程の美しい水平線だ。

 

 思えば、前世を含めて海を見た経験はそれほど多くない。俺は、その美しさに思わず息を呑んでいた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()それが君達のヒーローへの第一歩だ!

 

「肉体の次は、それに相応しい心を……ということですね」

 

「そうだ。体を鍛えるというのは察していたろうが、これこそが本当の目的なのさ!」

 

 無償で他が為になることを実行する。それこそが''本当のヒーロー''に必要なこと。そう悟った俺は、自分の中に確かな熱意が静かに揺らめいているのを感じた。

 

「やるぞ、緑谷」

 

「うん……!僕達で、ここを綺麗にするんだ!」

 

 いよいよ、俺達はヒーローになる為の第一歩を踏み出す。ここから全てが始まるんだ……!やる気を滾らせた目を交わし合い、俺達は早速、目の前に広がるゴミの山へと果敢に挑んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近所の海浜公園のゴミ掃除から始まった、僕らの特訓。結論から言うと、その第一段階であるゴミ掃除は半年足らずで終わった。

 

 余計なお世話はヒーローの本質ってことで、僕と冨岡君は自分自身の意思でオールマイトに指定された区域以外の場所のゴミも片付けることにした!その甲斐あって、今や、この海浜公園にはゴミ一つない。どこを見回しても、綺麗な海と砂浜が広がっている。

 

 それをやり抜けたことの達成感は、もう言い表しようがない。もし雄英に受かったのなら……これの比じゃない達成感を味わえるんだろうなって、1人想像した。何より、オールマイトに褒めてもらえた上、彼の驚く顔が見られたのが嬉しかった。彼のそんな顔が見られたのに対し、僕と冨岡君はハイタッチを交わして喜び合った。

 

 そして、特訓は早速第二段階に突入。第二段階は、自分の使える術を全て使っての組み手だ。勿論、その中には"個性"も含まれる。未来の平和の象徴たり得るのに相応しい実力を少しでも身につけておく為に。加えて、"ワン・フォー・オール"を上手く制御出来るようにする為に。あわよくば、出力も引き上げられるかもしれないし……!

 

 組み手中は一切の手加減なし。相手は言うまでもなく冨岡君なんだけど……これがとんでもない。剣道場で出会ったあの日、八百万さんが「手加減はしないでくださいまし」と言っていたけれど、剣道場での特訓は彼女の言葉通り手加減していたんだなって分かった。

 

 その速度は、剣道場での特訓とは比べ物にならない。僕は防戦一方。死に物狂いで攻撃を防ぐ日々だ。何せ、呼吸で強化している身体能力の倍率が明らかに違いすぎる……!

 勿論、冨岡君が"痣者"なのもそこに影響しているんだと思う。けど、一番の原因は、やっぱり呼吸の精度じゃないかな?

 

 冨岡君の呼吸は本当に乱れがない。それに、型を振るう際に彼の気迫がその名に相応しい光景をはっきりと顕現させている。()()()()()()()()()"全集中の呼吸"まとめノートによれば、その光景――その子は、エフェクトと呼んでいたけど――がはっきりと顕現されるのは、それだけ呼吸を極め、扱えている証なんだとか。冨岡君に至っては、光景がはっきりと見えるどころじゃない。攻撃される度に激流のような猛る水を、またある時には川のせせらぎのような鎮んだ水を浴びせられていると錯覚させられるんだ。

 

 僕の場合、自分にぴったりの流派は見つけたんだけれど……まだそれがしっくりきてない。だから、自分に合うように我流に作り変えている段階なんだ。幼馴染の子は、()()()()()()()()()()()っていうのにそれを着実に極めつつある。

 僕だって、遅れをとる訳にはいかない。冨岡君を目標に頑張らなくちゃ!

 

「はあっ……はあっ……!」

 

「よし、一旦休憩を挟もうか!少年達」

 

「はっ、はいっ……!」

 

 そうやってやる気を出すのはいいけど……現実はそう上手くいかなくて。今日もまた我流の呼吸(答え)に辿り着けないまま、冨岡君に追いつけるか疑問に思うまま、二度目の組み手が終わってしまった。

 

 一回手を叩いてから指示を出したオールマイトに従って休憩を挟み、十分に疲れを取ってから次の組み手へ……。第二段階はこの繰り返し。

 

 肩で息をして、オールマイトの声に返事をするのもやっと。ヘトヘトで亀並みの速度で歩いて、色々荷物を詰め込んだリュックの所に辿り着く。そして、その中からキンキンという程じゃないけれど、よく冷えたペットボトル入りの天然水を取り出し……オアシスを求めて砂漠を彷徨う旅人の気分で口に流し込む。

 

 口から流れ込む水の冷たさが身体中に広がっていくのを感じながら、気が抜けた僕は砂浜に仰向けになって倒れてしまった。

 

「凄いなあ、冨岡君」

 

 仰向けのままで頭を持ち上げ、冨岡君を見れば……一つ一つの動きを体に染み付かせて、無意識にでも出来るようにしてやると言わんばかりに、ゆっくりと確実に水の呼吸の型を舞っていた。型を放ったのも一度や二度どころじゃないのに、あれだけの体力が残っている。

 ……ナチュラルに"常中"まで会得して呼吸を使っているけれど、そもそも型を放つのに結構な負担がかかるんだよね、"全集中の呼吸"って。その分、精度次第で下手な増強系を上回る身体能力を引き出せるけれど。

 

 あれだけの体力があったら、どれだけの人を救けられるんだろう……?想像しようとしたけれど、結局、答えは浮かばなかった。

 

「お疲れさん、緑谷少年!」

 

「!オールマ……じゃなかった、八木さん」

 

 仰向けで澄み渡る青空を見上げる僕の視界に、逆さまの骸骨みたいに痩せ細った姿のオールマイトこと八木さんの姿が目に入った。――オールマイトの怪我や活動限界のことは僕らだけの秘密。それが周りの人達にバレないように今の姿の彼は、オールマイトの秘書である八木俊典さんとして話を通しているらしい――

 

 出会った当初は、オールマイトの本当の姿に度肝を抜かれたけれど、だいぶ慣れてきた。

 

「……義勇少年、スパルタだろう」

 

「ですね……」

 

 白い歯を見せて、ニカッと笑うオールマイトに苦笑しながら返した。

 

 冨岡君がスパルタなのは剣道場での特訓の頃から変わらない。でも、僕がオールマイトの後継者として選ばれてからはその度合いが増したように思う。

 

「でも――」

 

 僕は体を起こし、胡座をかいた状態になりながら続ける。

 

「僕は分かってます。これが冨岡君なりの優しさで、期待してるってメッセージなんだって」

 

 そう答えると、オールマイトは何も言わずに微笑んで僕の隣に腰掛けた。

 

 そして、依然、型を舞い続ける冨岡君を見ながら僕に対して尋ねる。

 

「ところで緑谷少年。君……いつ、義勇少年と知り合ったんだい?私と出会う前から知り合いだったんだろう?」

 

 僕もまた、冨岡君に目線をやりながら答えた。

 

「中学1年生の時に、彼が長年通い続けてる剣道場で。僕も、その時には全集中"常中"を会得してたんです。それで、刀を使い慣れておこうと思って剣道を習い始めました」

 

「僕よりも前に冨岡君に特訓をつけてもらっていた、同年代の女の子がいるんですけれど、その子と彼がやっていた秘密の特訓を僕もこっそり見守ってて……」

 

「成る程、その時に声をかけられたってことか」

 

「そういうことです。冨岡君、"個性"も無しで大抵の人の気配を確実に感じ取れるみたいだったから気付かれちゃいまして」

 

 笑いながらそう答えた。型を振るう冨岡君の姿を見ていると、ある記憶が色濃く蘇ってくる。それは、今も例外じゃない。ある記憶を思い出しながら、僕は続けた。

 

「まあ……本当は、8()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「えっ!?ど、どういうことだい!?」

 

 オールマイトが驚くのも無理はない。だって、僕は訳の分からないことを言ってるんだもの。中学1年生の時に知り合ったって言ったのに、それより以前から冨岡君のことを知ってるって……。一見すれば、支離滅裂だ。

 

「僕が個人的に、です。冨岡君は……僕に希望を与えてくれたんです。現実を教えてくれたんです。そして、ヒーローへの憧れを激しく燃やしてくれた人。僕の恩人です」

 

 冨岡君を初めて知ったあの日のことを、これまでの歩みを思い出しながら、僕は語り始めた……。



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第二十一話 緑谷出久:アナザーオリジン

 あれは、暑い夏の日のことだった。僕は誕生日を迎えた後で8歳になっていた。その日は休日。家族で出かけたり、自分の好きなことをやったり……そんなかけがえのない日。僕の場合は、お母さんと幼馴染の爆豪勝己君――僕はあだ名でかっちゃんって呼んでるけど――とその家族を交えてテーマパークに出かけてた。そこは、国内有数の場所で通称"夢の国"だなんて呼ばれてたりする。

 

 その頃には、既に無個性なのともっと幼い頃にあった、()()()()()の影響で関係が拗れつつあったし、一緒に遊ぶことも少なくなってた。昔から僕を見下して優越感に浸ってたり、かっちゃんに絡まれる子を庇う僕を制裁したりと「嫌な奴」ではあったけれど、ある出来事をきっかけにそこに拍車がかかったって感じだ。

 大方、彼の母親である光己さんに無理矢理連れてこられたんじゃないかな。あの時は。

 

 僕を嫌ってたのは事実だけれど、両親の前ではいつも通りの振る舞いをする訳にもいかないらしかった。だから、僕達は普通に遊び倒した。

 それは久しぶりのことで……嫌な奴なんだけれど、幼馴染なのは変わりないし、何より僕は何でも出来て夢を叶えられるステージに立った彼を「凄い奴」だって尊敬していたから、正直言って嬉しかった。嫌な奴で度々マウントを取ってくるけれど、まだ本心からかっこいいって思えていた、昔のかっちゃんが戻ってきた気がしてた。

 

 そんな僕達に悲劇が舞い込む。約1年と半年程前に、ウォーターホースを殺した極悪な指名手配犯……マスキュラーとその一団がテーマパークを襲撃したんだ。

 

(ヴィラン)だ!(ヴィラン)が侵入してきたんだ!逃げろ!誰か、ヒーローに通報を!」

 

 誰かの声で、僕達も慌てて逃げ出した。

 

「ああっ!?(ヴィラン)が侵入してきやがっただと……!?俺がブッ飛ばしてやる!」

 

 ヒーロー志望らしいけれど、かっちゃんに至っては威勢よくそんなことを言い出した。そんな勇敢で負け知らずなところも尊敬してるけど、今回ばかりは行かせる訳にはいかなかった。

 

「駄目だよ、かっちゃん!相手は()()()(ヴィラン)なんだよ!?喧嘩とは違うんだから!かっちゃんが死んじゃう!逃げよう!」

 

 でも、かっちゃんは素直に聞いてくれない。神経質な獣みたいに苛立ちに満ちた赤い瞳を向けて、僕の手を払った。

 

「命令すんな、クソデク!俺を見下してんのか!?」

 

「ち、違うよ!見下すなんて、そんなこと……!」

 

 昔からそうだった。かっちゃんにとっては、僕の心配が見下すのと同義らしくて、(ことごと)くその手を振り払われた。そうだ……関係が拗れ始めたあの時だって、浅いとは言えど、頭から勢いよく落っこちてしまったかっちゃんを救けなきゃって思って手を差し伸べたら――

 

 いや、今は置いておこう。かっちゃんに血走った目で怒鳴られて僕が萎縮した直後。かっちゃんの頭に拳骨が炸裂した。

 

「出久君が心配してくれてるってのにあんたは何を言ってんの!どこがあんたのことを見下してるっての!?普段からあんたがやってるガキ同士の喧嘩とは訳が違うんだよ!」

 

 意地を張るかっちゃんに拳骨を喰らわせたのは、やっぱり光己さんだった。かっちゃんの気性の荒さは、彼女譲りなんだろうな……とたまに思う。

 

「いってえな!叩くんじゃねえよ、ババア!」

 

「2人共、落ち着いて……!」

 

 逆ギレするかっちゃんと揉める光己さん。彼らを(なだ)めるお母さんと勝さん。そんな僕達に颯爽と希望が舞い込んできた。

 

「鎮静ヒーロー・凪!ここに参上!皆さん、(ヴィラン)は僕が相手をします!奴らが侵入した方向から真反対へ向かってください!!!」

 

 その声の主は、鎮静ヒーロー・凪だった。この頃には既にヒーローオタクだったから、知っていた。ヒーローのランキングでは40位から50位以内を常にキープし続ける実力あるヒーローだってことを。彼なら大丈夫だって安心した。

 

「……ほら、プロヒーローが来てくれた。あんたも大人しく逃げな」

 

「……チッ」

 

 かっちゃんは、昔から頭が良い。その道のプロが駆けつけてきたのなら、業界経験のある彼らに任せるべきだってことは理解していた。だから、しぶしぶながらも、かっちゃんも逃げた。僕は自分の子供らしき男の子と言葉を交わす凪を一瞥してから、かっちゃんの背中を追うようにして走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 結果から言って、事件は容易く解決……しなかった。僕も詳しいことは知らない。けれど、マスキュラーの手下らしき(ヴィラン)の1人が上手く凪の守備範囲から逃れたらしく、その凶刃が僕らに襲いかかったんだ。

 

 その(ヴィラン)は、尻尾や腕が鎌に変化した白いイタチのような奇妙な姿だった。そして、人を殺す、若しくは傷つけることによる喜びに満ちた笑みを浮かべながら、風を纏って多くの人を傷つけていた。

 

 目の前にいる人々が次々と血を吹き出して倒れていく。中には、致命傷を負ったり、即死の人だっていた。僕らは絶句して、いつの間にか希望の出口に向かっていたはずの足が止まっていた。

 

「そんなっ……」

 

 こんなに大量の血を見たのは初めてのことだった。体中から血の気が引いて、冷え上がっていくのが分かった。そして、一気に凄惨な光景を目にした反動が口の中に込み上げてきた。

 

「おえっ……!」

 

 僕は膝から崩れ落ちて、情けないことにも胃の中のものを全て吐き出してしまった。

 

「い、出久!?」

 

「っ!?おいっ、しっかりしろ、デク!おいっ、大丈夫か!?」

 

 お母さんが僕の背中をさすってくれて、かっちゃんは心の底から心配してくれてた。だって……かっちゃんにしては、珍しく声が震えてたんだもの。こんな非常事態に彼に心配されるのが嬉しいって思うだなんて、僕はおかしいのかもしれない。

 

 そんな中、更なる絶望が僕らを襲う。

 

 僕らは、白いイタチ姿の(ヴィラン)に狙われることがなかった。でも……それは、残酷な結末を(もたら)した。

 

 (ヴィラン)のターゲットが、その背後にいた人達に向く。

 

 青空のように澄んだ蒼い瞳をした艶やかなロングヘアーの女性。垂れ目でふわふわした印象があったけれど、すぐそばにいる同じ目の色をした三つ編みロングヘアーの女の子を守り通そうとする母親としての強さが感じられた。でもって、その女の子は彼女と同じ瞳の色をしていて……後頭部の薄い桃色のリボンが特徴的だった。

 

 そして、もう1人。2人とは一味違って、動揺を一切移さない凪いだ水面のような青い瞳を持つ男の子がいた。首辺りまでの長さの無造作な黒髪のショートヘアー。彼の右腕には、龍のようにして巻きついた模様のようなものがあった。

 ――そう。その男の子こそが、冨岡君だったんだ。側にいる女の子は彼のお姉さんである蔦子さんで、女性は彼らのお母さんだった。

 

 (ヴィラン)は、容赦なく彼らに襲いかかる。自分達の子供を守る為に、冨岡君のお母さんは冨岡君と蔦子さんを抱きしめるようにして庇った。けれど、その代わりに彼女の体に傷が増えていく。両足の腱を切りつけられて動きを封じられ……続け様に脇腹から背中にかけて。

 

「な、なんて酷いことを……!」

 

 お母さんやかっちゃんのご両親も彼女が一方的に甚振(いたぶ)られる光景を見て、顔を真っ青にして絶句していた。かっちゃんは……拳を握りしめて、歯を食いしばって震えていた。

 

 子供にとっては、親が世界の全て。僕だってそう思う。無個性だと判明した日の夜、あの質問をしたけれど、母さんが望んだ答えを返してくれなかった時……世界そのものに見捨てられた気がしてたから。

 当然、冨岡君達もそうだった。自分の母親を見捨てることは出来ず、蔦子さんが彼女に駆け寄っていく。冨岡君自身もその背中を追う。そこから感じられるのは……2人とも守りたいという強い意志だった。

 

 でも、(ヴィラン)は彼の望みを実現してはくれなかった。音も立てずに白いイタチ姿の(ヴィラン)が蔦子さんの背後に佇んでいたんだ……!

 

「ッ、姉さん!!!!!」

 

「ああっ!」「逃げろォォォ!」

 

 僕らの声が届いていたのかは分からない。それでも、僕もかっちゃんも危険を知らせようと咄嗟に声を上げていた。

 

 そこから、冨岡君の判断は早かった。(かたわ)らに転がっていた小石を拾うと、それをプロ野球選手顔負けのフォームで全力を以って放り投げたんだ!

 

 冨岡君の放った豪速球ならぬ、豪速石は真っ直ぐに突き進んで(ヴィラン)の眉間に炸裂。見事に蔦子さんが切り付けられるのを防いだ。

 

 だけど、不幸なことに、蔦子さんが救かった代わりにその行動は(ヴィラン)の怒りを買ってしまった。次のターゲットが冨岡君に向いて、暴風のような勢いで(ヴィラン)が彼に向けて迫る。

 

 ――次の瞬間、鮮血が舞った。

 

 でも、それは冨岡君のものじゃない。冨岡君のお母さんのものだった。僕にも何が何だか分からなかった。風が逆巻くような音が聞こえたと思ったら、彼女が急に(ヴィラン)を遥かに凌ぐ速度で動いて、冨岡君を庇ったんだ……!

 

「……!!」

 

 蔦子さんが「死なないで」と必死に請うも、その願いは叶わず……。自分の子供達に最期の言葉を遺して、彼女は死んでしまった……。

 

 僕達は同時に声にならない声を上げる。僕とかっちゃんは、奇しくも幸福であるべき日に人の死を目の前で経験してしまった。そのショックで開いた口が塞がらなかった。お母さんと光己さんは開いた口を両手で覆って涙を流し、勝さんは呆然としていた。

 

 ――絶望は終わらなかった……!

 

 地震が起きたように地面が揺れる。その原因となったのは、この場にやってきたマスキュラー。そして、その手で……血だらけでボロボロになった状態の凪の首を鷲掴みにしていた。

 

 そこからは早かった。もう動くことすらもままならなかったんだろう。凪もまた、無抵抗のまま首をへし折られて呆気なく死んでしまった……。

 

 まだまだ絶望は終わらない。(ヴィラン)達は卑劣だ。そして、残酷だ。冨岡君の両親を殺すだけでは飽き足らず、マスキュラーは冨岡君か蔦子さんのどちらか片方を殺すとまで言い出した。しかも、赤ちゃんを抱えた女性を人質にとって、2人の選択肢を無くした。

 

「酷すぎる……。なんであんなことが平然と出来るの……?」

 

 お母さんが膝から崩れ落ちて呟くのと同時に、かっちゃんが痺れを切らしたようにして一歩踏み出した。

 

「かっちゃん!?何する気なの!?」

 

 僕は、咄嗟にその腕を掴んで彼を止めた。振り返ったかっちゃんの目には、逃げることを提案した時と同じように怒りの炎が灯っている。でも、それは……正義の心から来た怒りだって、なんとなく分かった。

 

「止めんな、デク!ここで人質救けなきゃ、2人共死ぬ!それどころか全員死ぬ!俺が……俺が救けなきゃなんねえんだ!オールマイトを超えるヒーローになる俺がッ!!!」

 

 まさに、かっちゃんは義憤に駆られたらしかった。このままズンズンと突き進んでしまいそうなかっちゃんを見て、お母さんや光己さんも彼を必死になって止め始めた。

 

「やめて!やめて、勝己君!気持ちは分かるけど、堪えて!勝己君まで、あの子達のお母さんや凪のように死んでしまったら……!」

 

「止めねえでくれ、おばさん!誰かを救けるヒーローが誰一人この場にいねえんだぞ!?誰かがやらなきゃ駄目なんだ!」

 

「ふざけるのも大概にしな、勝己!プロを気取ってんじゃないよ!あんたがそう思うのは立派だけれど、志だけじゃ務まらないんだよ!まだ子供のあんたがでしゃばる場面じゃない!」

 

「なら、黙ってこれ以上人が殺されるのを見てろってか!?ふざけんじゃねえ!」

 

 言い争う光己さんとかっちゃんを呆然と見ながら、僕は思った。

 

 考えてみれば……かっちゃんが、()()()()()()()()()()()なんて初めてだ。これまでの怒りの原因は、大抵、僕か彼が個人的に気に入らないことばかりだった。それに、彼が()()()()じゃなくて、その先にある()()()()()を目的に動こうとしたことも。思えば、かっちゃんはこの時を機に変わり始めたのかもしれない。

 

 そうしている間に、勝さんが悲痛な声を上げた。

 

「ま、まさかあの女の子……弟君の為に、自分が死ぬ気なんじゃ!?」

 

 その声に僕らは弾かれたように目の前を見る。

 

 僕らが目にしたのは、迷いない力強い足取りでマスキュラーへ向けて歩いていく蔦子さんの姿だった。

 

 彼女が死ぬ覚悟を――命を賭けて冨岡君を守る決意をしたのは明らかだった。

 

 彼女がマスキュラーの前に立ち、冨岡君の方を向いて何かを呟いた瞬間……!マスキュラーが、筋繊維を纏わせた丸太のような腕を振りかぶった。

 

 これから起こる未来を察した僕とかっちゃんは――

 

「「やめろぉぉぉぉぉ!!!!!」」

 

 声を枯らしてしまう程に力強く叫んだ。だけど……!その未来は現実にならなかった!

 

 冨岡君が無数の波を纏った、澱みない動きで繋がれた乱打。恐らくは、水の呼吸の肆ノ型である打ち潮を放って、マスキュラーを吹き飛ばしたんだ!

 

 僕らと同い年くらいの男の子が2m超えと思われる身長の敵を吹き飛ばした事実は、僕らにとって雷同然の衝撃――まさに、青天の霹靂だった。

 

「君達、立てる?お姉さんと一緒に逃げましょう」

 

 目を点にしたまま固まっていた僕らは、蔦子さんにそう促されたことで正気に戻って、何とかテーマパークの外まで逃げ切ることが出来た。

 

 でも……当時の僕は、冨岡君のことが心配だった。本物の(ヴィラン)を相手にたった1人で立ち向かったんだから。

 

「あの……」

 

「なあに?」

 

「あの子は……大丈夫なんですか?」

 

「あの子……。さっき(ヴィラン)を吹き飛ばした男の子のこと?」

 

「は、はい」

 

 僕は、人質に取られていた女性の抱えていた赤ちゃんを女性に代わって抱えている蔦子さんに尋ねた。そう思っていたのはかっちゃんも同じらしく、視線だけで同じことを彼女に訴えていたらしかった。

 

 蔦子さんは、赤ちゃんを母親である女性に返した後に凛と微笑んだ。

 

「大丈夫。あの子は……私の弟、義勇は強いもの」

 

 弟である冨岡君のことを強く信じているからこその微笑み。真昼の太陽に眩しく照らされた彼女の中に、僕は固い絆を感じた……。

 

 結論として、冨岡君はプロヒーローであるプレゼントマイクとイレイザーヘッドが到着するまで見事に持ち堪えた。傷一つなく戦い抜いて、自分の後ろにいる人々全員を守り抜き、救けた。

 

 僕は、冨岡君の人々を救ける姿に、それを為せる強さ、流麗に型を振るうその背中に、無性に憧れたんだ。冨岡君こそ、僕がオールマイト以来に強く憧れたヒーローそのものだった……!

 

 

 

 

 

 

 その帰り道。事情聴取もあったから、帰る時には辺りはすっかり夕方になっていた。沢山の人々の死を目の前にした傷は癒えなかったけれど……僕は、どうしてもかっちゃんに言いたいことがあって口を開いた。

 

「あの子……かっこよかったね」

 

 勿論、あの子っていうのは冨岡君のことだ。かっちゃんもそれが分かっていたのか……黙って頷いた。でも、薄く口角が上がっていて、その赤い目は初めてオールマイトを知った時のように輝いて、憧れに満ちていた。薄く笑っていた彼の顔を、夕陽が淡く橙色に照らしていた。プラチナブロンドの髪が光に照らされて、眩く輝いていた。

 

 かっちゃんが僕の意見を頭ごなしに否定することなく、同意してくれた。そのことで久々に心が通じ合えた気がして、僕は無性に嬉しかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、あの戦いで現実を知った。ヒーロー達が対峙する(ヴィラン)というのは、平然と人を殺せて、卑怯な手段を使う残酷な奴らだと。凪のように実力があるヒーローでも死んでしまうんだと。

 

 ……じゃあ、将来の為のヒーロー分析ノートなんてものを作って、現実から目を逸らしてヒーローの追っかけだけをやっていた僕がヒーローになったって、簡単に死ぬだけじゃないか!

 オールマイトみたいに、沢山の人を笑顔で救けちゃうヒーローになんてなれる訳ないじゃないか!

 

 やっと気が付いた。勇気が出た。あの残酷な事件は、奇しくも僕に一歩踏み出す勇気をくれた。僕の殻をぶち破ってくれた。

 

 何かしなきゃ……!何かしなくちゃ!

 

 僕は必死だった。今からでも変わらなくちゃ、とヒーローについての検索で手に入れた凡ゆる情報網を駆使して、体の鍛え方を探して、将来に備えて計画を立てた。その一部は、自分の年齢や体の成長に合わせて早速実践し始めた。

 

 そんな生活を続けるきっかけになった、あの事件から数週間後。

 

「……部屋入れろ」

 

「え?」

 

「いいから入れろ。おばさんに迷惑かけたくねえ」

 

「う、うん」

 

 どこか雰囲気が柔らかくなったかっちゃんが、突然家に押しかけてきた。そんな様子の彼を戸惑いながらも自分の部屋に招いて……扉を閉めた次の瞬間。

 

「……()()。今まで済まなかった」

 

「え……?」

 

 突然、今までに聞いたことのないようなトーンの声を発したかっちゃんに土下座された。

 

「か、かっちゃん!?どうしたの、突然……」

 

 出久って名前で呼ばれたのもそうだけど、あの傲慢で唯我独尊なかっちゃんが……自分の言うこと為すことは全て絶対だって姿勢のかっちゃんが他人に頭を下げるというのが一番衝撃だった。しかも、その相手が僕だなんて……。

 

「……今まで散々いじめてきたことだよ。いつもお前を見下して、無個性だから生意気だって制裁して、蔑称付けて……。笑えねえよな、気に入らねえからっていじめてばっかでよ。ヒーローを目指す奴のやることじゃねえよ……」

 

 かっちゃんは、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

 いくら気に入らない人間が相手だからって、将来は自分が救けるべきである、何も持たない人間をいじめる自分の弱さを棚に上げて、目を逸らしていたと。何も出来ない僕が「勝つこと」の先にある「救けること」に憧れていたのが、一気に差をつけられたようでムカついたと。

 

「――こうやって謝っただけで許されるもんじゃねえって思ってる。それくらいの溝がお前との間に出来ちまった。許してくれなんて言わねえ……。けど、俺はこっから真っ当にヒーロー目指すから」

 

「かっちゃん……」

 

 そりゃ散々いじめられたし、無個性のことでも馬鹿にされ続け、苛まれ続けた。でも……僕は、彼が謝ってきたことを何を今更だなんて思わなかった。少しでも本音が知れて嬉しかった。僕は、自然とかっちゃんを許すことが出来た。

 

「出久……俺が話したいのは、これだけじゃねえんだ。あのな、出久。この世にはな……!無個性でも、何も出来なかったとしてもヒーローになれる術があるんだ!

 

 かっちゃんは、ゆっくり立ち上がると一冊のノートを突き付けながら必死で語りかけてきた。

 

 そのノートこそ、"全集中の呼吸"まとめノートだった。当時の僕は"全集中の呼吸"のことなんて微塵も知らなかったから、戸惑った。本当にそんなものがあるの?って疑った。

 

 戸惑ったままの僕にかっちゃんは続ける。

 

「彼奴も……!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!彼奴も、"全集中の呼吸"を使ってた!」

 

 かっちゃんは耳も良く、冨岡君も発していた風が逆巻くような音を根拠にして、彼の扱っていた呼吸が水の呼吸であったことも教えてくれたんだ。

 

 その術が現実にあったことが何よりも驚きの事実だった。これを使って、彼のように強くなれるなら、救けられるようになるのなら……と僕の中で希望が持てた。

 

 かっちゃんは歯を食いしばった後、覚悟を決めたように赤い瞳で僕の目を射抜いた。僕が彼の目から発せられる強い何かでビクッと肩を跳ねさせた直後、溜まりに溜まった不満をぶちまけるようにして言葉で畳み掛けてきた。

 

「あのなァ、出久!俺はな……!俺はな!自分の無個性っつー身の上を全く頭に置いてねえお前の考え方が気持ち悪かった!現実も見ないで夢見がちなお前が不気味で仕方なかった!」

 

 僕の胸倉を掴んで引き寄せながら、かっちゃんは続ける。

 

「本気でなりてえんなら、それ相応の努力をしろや!自分は夢見がちな木偶の坊じゃないって証明してみせろ!!!"個性"や戦い方ばっか分析して、目ェ逸らして!それ以上に必要なもの学ぼうとしねえで!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そっか……。これがかっちゃんの本音だったんだ……。

 

 かっちゃん自身の口から聞けた彼の本音。僕らは、この8年間で一度も本音で話し合ったことがなかった。僕は、ここに来て初めてかっちゃんを知った。つもり積もってつもり病……なんて言葉を誰かが言っていたけれど、本当にその通りだ。

 

 かっちゃんが真正面から向き合おうとしてくれてる。じゃあ、僕も本音でぶつからなきゃ――!

 

 僕も、負けじと自分の胸倉を掴むかっちゃんの腕を鷲掴みにする。その行動に対して微かに目を見開いて驚く彼も気にせず、赤い瞳を射抜き返して僕は言った。

 

「分かってるさ……!本当は、僕の行動は現実から目を逸らす為だけのものだって分かってた!全部自覚してた!残酷だったけど、あの事件は僕に最初の一歩を踏み出す大きな勇気をくれた!僕は、君と比べても、他の人と比べても出遅れてる」

 

「でも!それでもっ!僕はオールマイトみたいに、皆を笑顔で救けるヒーローになりたい!()()()()()()()()()()()()()()()を……君を超えたいっ!!!」

 

 そして、そう啖呵を切ると同時にかっちゃんの胸倉を掴み返した。

 

 掴み返されたことに再び目を見開いたかっちゃん。直後、額と額がぶつかってしまうくらいに距離を詰めて、より一層畳み掛けてくる。

 

「その目だ!その目が気に入らなかったんだ!自分が無個性だってのを頭に置かねえで、本気で俺を超えようとしてやがるその目が!オールマイトみてえになろうとしてるその目が!そのくせ、やることはヒーローの追っかけばっかじゃねえか!気色(わり)ィんだよ!!!」

 

「超えたきゃ、必要な努力積んで……死ぬ気でついて来いや!モタモタしてっと、容赦なく置いていくぞ!」

 

「……やってやるさ!あの子みたいに、自分が背負ってる命を全部救けられるようになるのなら、何だってやってやる!ただ君の後ろをついて行くだけのデクはもう終わりだ!」

 

 僕だって本音を曝け出して、怯むことなく言い返した。その時、かっちゃんの視線が僕の後ろの方に向く。すると、そのまま安心したように笑って僕の胸倉から手を離した。僕も彼に釣られて手を離す。そして、かっちゃんは僕の頭を優しく撫でるとそのまま背中を向けて部屋を出ていこうとする。精々頑張れって意味も込めて、僕を撫でたのかな?

 

 でも、彼が出て行く前にどうしても聞きたいことがあって――

 

「かっちゃん!」

 

 僕は慌てて彼を引き止めた。

 

「僕でも……っ、無個性の僕でもヒーローになれるかな……?」

 

 尋ねたのは良いけれど、どんな返事が返ってくるか不安で……息を呑んだ。心臓が高鳴った。また否定されたらどうしようって思った。でも、かっちゃんの返事は否定でも僕が期待したものでも何でもなかった。

 

「……知るかよ、んなもん。()()()()()()()()。自分のことは自分自身しか分からねえんだぜ」

 

 全ては自分次第。夢を否定されてばかりで言われたこともなかったし、僕もヒーローになれるって断言してもらうことしか考えてなかった。

 

 そりゃあ……そうだよな。僕の未来のことを他人が断言出来る訳がない。自分の未来は、僕ら自身が切り拓くものなんだ。だから、僕達はより良い未来を掴む為に努力する。当たり前なんだけれど、視界が狭まっていて気が付かなかった。

 

 そう教えながら、白い歯を見せて幼い頃のようにニカッと笑ったかっちゃんが凄く輝いて見えた。

 

 その後、かっちゃんは''全集中の呼吸''やそれを会得するまでの道のりをまとめたノートを置いて帰っていった。

 

「うう''っ……ああああっ……。かっちゃんっ……」

 

 一番身近にいた凄い奴が僕を認めてくれた。そんな彼とようやく分かり合えた。その事実に、僕は久々に嬉し涙を流したのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そして、中学1年生の時には冨岡君に、中学3年で貴方に出会ったという訳です」

 

「そうか……そんなことがあったのか。少なくとも仲の良さそうだった爆豪少年とも昔は拗れた仲だったとは……いやはや、驚いた!」

 

 こうして、僕は自分語りを締めくくった。オールマイトがしみじみと頷きながら尋ねてくる。

 

「緑谷少年。初めて出会ったあの日、私は君に酷なことを言ったね。『プロは皆、命懸けだ。とてもじゃないが、''個性(ちから)''無くして成り立つとは軽々しく言えない』って。だが、君は折れなかった。それももしかして……」

 

 僕は、頷きながら答える。

 

「冨岡君って前例があったのもそうですけど……一番は、かっちゃんが『出久次第だろうが』って言ってくれたおかげです。一番大事なのは自分自身で道を切り拓くことだって分かってましたから」

 

 答えを聞いたオールマイトは、いつものニカッとした笑みとは違って、そっと微笑んだ。その顔を、海の方から差す太陽の光がギラギラと照らしていた。

 

「本当に……君はいい幼馴染を持ったな」

 

「はいっ。かっちゃんは、僕の誇りです」

 

 僕も、精一杯笑いながらそう返す。

 

 そうだ……!それはそうと、気になることがあったんだ。オールマイトも特訓が一段落付いたら教えるって言ってたはず!

 

「あの、オールマイト!約束ですから、教えてください!オールマイトも''全集中の呼吸''のこと、知っているんですか!?」

 

 僕が詰め寄りながら尋ねると、オールマイトは思い出したようにして右拳を左掌にポンッと打ちつけた。

 

「そうだったね!うん、約束は守ろうじゃないか。いきなりぶっちゃけちゃうけど……知ってるよ。だって、()()()()()()5()()()()()()使()()()()()()

 

「ええっ!?つ、使ってたんですか!?」

 

「Yes!そりゃあ使うとも。学生時代の私は、この国を支える()になる為なら、使える技術はなんでも使ってやる!って意気込んでたからね。まあ……会得しようと頑張ってた当時は半信半疑だったんだけどさ。でも、いざやってみたら使えちゃったって訳さ。勿論、''常中''も使えてたしね」

 

 「因みに反復動作に関しては()()使()()()()()。呼吸に関しては、流石に呼吸器官が半壊してるから使えないけどな」と付け加えながら、オールマイトは白い歯を見せていたずらっぽく笑う。これは、ここにいる私達だけの秘密だぞとでも言うように。

 

 オールマイトの新たな秘密を知れたし、自分の原点を話しているうちに体が疼き始めてたところだった。少しでも強くならなくちゃ……って!

 

「いい土産話が聞けちゃった……!冨岡君にも教えてあげなきゃ!それじゃあオールマイト。三度目の組み手、行ってきます!」

 

「ああ、頑張りたまえ!」

 

 気合入れていけよ!とばかりに僕の背中を叩くオールマイトに見送られ、僕は三度目の組み手に向かったのであった。

 

「冨岡君!三度目、よろしく!」

 

「……ああ。気合は十分だな」

 

「えへへ……ちょっとね」

 

「それじゃあ、いくぞ少年達……!始めッ!」

 

 僕らの特訓はまだまだ続く……!雄英入試に向けて実力を伸ばす為に!夢を形にする為に!



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第二十二話 悠久に受け継がれし厄払いの神楽

「でやあっ!」

 

「甘い」

 

「あぐっ!?」

 

 緑谷が体全体を使って繰り出した回し蹴りを、身をかがめて(かわ)す。そこから、即座にバク転しつつ、緑谷の顎を蹴り抜いた。

 

 雄英入試まで残り2ヶ月を切っている。今や年の暮れだ。夜の帳が下りる時間は、オールマイトの元で特訓を始めた時よりも遥かに早くなっている。それに、海の方から吹く風も体が凍てつきそうだと思うくらいに冷たくなった。寒さを凌ぐ為に黙々と組み手で体を動かすのは日時茶飯事だ。

 

 そして――

 

「そこまで!」

 

 俺が裏拳を叩き込もうとした瞬間に、組み手の時間が終わりを告げたのだった。

 

 オールマイトの声で俺達はピタリと動きを止め、緊張状態を解いた。

 

「お疲れ」

 

「ありがとう、冨岡君」

 

 俺が汗を拭く為のタオルを放り投げ、緑谷が疲れの滲んだ笑みを浮かべて受け取る。

 

 冬の寒さで体を冷やして風邪をひくことがないように、と汗を拭き取っていく。その最中、額の汗を拭いながら緑谷が言った。

 

「冨岡君、君のアドバイスのおかげで前よりマシになった気がするよ!」

 

「そうだな……動きの柔軟性は出てきた。この調子だ」

 

 手応えありだといった様子で拳を握る緑谷を見ながら、俺はザッと振り返る。

 

 ''ワン・フォー・オール''を譲渡された当初、最初に明らかになった課題は……緑谷の''個性''に対する考え方だった。というのも、緑谷の中での''個性''という概念が、オールマイトへの強い憧れのせいで本来のものから大きく変化してしまっていたのだ。

 

 最初は、''個性''のスイッチをいちいちオンオフで切り替えていた。そりゃあ、''ワン・フォー・オール''が発動型の''個性''に分類されるのだからおかしな話ではないのかもしれない。だが、俺が言いたいのはそうではなく……緑谷は、''()()''()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。己の切り札として、絶大な一発を放つ。そういった考え方だったように思う。

 パンチ1発1発が必殺技同然のオールマイトを模範としているのだから、無理もなかったのかもしれない。だが、それ故に動きが固かった。

 

 しかし、''個性''とは、己の体に先天的に与えられた特異体質。だから、本来はそれを己の体の一部として息をすることと同じように自然と扱えるのがベストだということになる。その為に俺が与えたイメージこそが、全集中''常中''だった。

 

 言わば、''常中''も''全集中の呼吸''を使用するスイッチを常にオンにした状態だ。''個性''も同じ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そのイメージが、''常中''を使用出来る本人にもぴったりだったらしく、緑谷は一つの答えに辿り着いた。

 

 その答えこそが――

 

フルカウル、僕が作り上げた自己強化技……!だいぶ体に馴染んできたし、()()()()()3()5()()()()()()()()()()()()()()()!もっと頑張らなきゃ!」

 

 全身に一定の出力の''ワン・フォー・オール''を発動して身体能力を継続的に強化する必殺技、フルカウルだ。

 

 因みに、「カウル」はバイクなどの外装のことで、空気抵抗を考えた流線型のボディカバーで鎧のように車体を覆ったものだ。「フルカウル」は、文字通り車体全てを覆い隠したものらしい。

 ''ワン・フォー・オール''の力を全身に纏うという発想のもと、とても相応しい技名だと思う。

 

 俺も負けていられない。地道な鍛錬を重ね、死ぬ程鍛える。俺達、人間に出来るのはそれだけだ。

 

 その時。オールマイトが俺達の肩を叩いた。振り向くと、白い歯を見せて笑う、痩せ細った状態の彼の姿がある。

 

「少年達、今日は大晦日だね!それに、雄英の入試も近い。ということで、入試の合格祈願を兼ねて……見に行かないかい?()()()()()()()()

 

「「!」」

 

 そう言う彼の手に握られていたのは、ヒノカミ神楽を披露する告知の載ったチラシだった……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。俺と緑谷は、オールマイトに連れられて雲取山の山頂にある神社に向かっていた。

 今日は大晦日なのもあって特訓は早めに切り上げ、少し余裕があったのでその神社について調べてみたのだが……どうやら、そこでは、竈門家に日の呼吸の型を見せた剣士――つまり、ヒノカミ神楽を伝承していくきっかけを作り出した剣士を祀っているとのことだ。

 

 その剣士は、鬼殺隊の中に''全集中の呼吸''を伝授した者でもある。一説によれば神々の寵愛を一身に受けた者だとか、とんでもない比喩を並べられたんだとか。その才能を理由として、剣術を扱う者や呼吸を扱う者達が訪れているらしい。

 

 雲取山と言えば、前世で炭治郎と禰豆子の出身地だった場所だ。そして、俺と彼らが初めて会った場所でもある。あの日は……しんしんと雪の降り頻る冬真っ只中で、己の吐く息も周囲の銀世界のように真っ白であった頃だったか。俺が居なくなっても、2人は幸せを謳歌出来たのだろうか?是非ともそうであってほしいと思う。

 

 閑話休題。神社に向かっているのは、俺達だけじゃない。透、八百万、それに加え、緑谷と長年の付き合いで幼馴染だと言う爆豪勝己という少年もいる。爆豪にどこか見覚えがあるとは思ったが、どうやら、彼はヘドロ事件で(ヴィラン)に人質として捕らえられていた少年だったようだ。――勿論、オールマイトは痩せ細った方の姿のままで、「オールマイトの秘書である八木俊典」として同行している。だから、バレる心配はない。爆豪に関しては、目線で「全部知ってる」と伝えてくれたが――

 

 俺達は、会話を交わしながら雲取山へと向かう。

 

「ヒノカミ神楽かあ……。確か、始まりの呼吸って言われてる、日の呼吸を舞の形で後世に伝えたものだったっけ」

 

「ええ。鬼の首魁であった鬼舞辻無惨が、鬼達に日の呼吸を知る、若しくは使い手になり得る可能性のある方々を完全に滅するように命を下したことで、日の呼吸は失われてしまいましたが……幸運なことにも、あくまでも神楽舞であったことが功を奏して、彼にも見落とされていたようですわね」

 

「日の呼吸が神楽として残っているからこそ、鬼と渡り合える術があったからこそ、僕達は夜も安心して過ごせるんだよね。命を賭けて鬼を滅した鬼殺隊の人には感謝しなくちゃ」

 

「''全集中の呼吸''、その全ての流派の始祖……。どれだけ凄ェ呼吸なんだろうな?」

 

「俺の先祖が実際にヒノカミ神楽を見たことがあるらしいが、それを舞った者の姿が精霊そのものであるかのように美しかったんだそうだ。そして、数々の戦いと死を見てきた中で擦り減った心が一気に洗われるかのような気分になったらしい」

 

「そっか。義勇君のご先祖様、鬼を滅ぼした代の鬼殺隊の''水柱''だったよね」

 

「''水柱''……!?」

 

「本当だよ、かっちゃん。実際に、冨岡君の家には''水柱ノ書''って書物が残ってるんだ。水の呼吸のことや、鬼のこと……。それに、鬼殺隊だって記されてる」

 

「著者の方は、冨岡さんと全く同じお名前の冨岡義勇さんでしたわね」

 

「なあ、お前さ。生まれ変わりか何かか?」

 

「ふふ、そうかもな」

 

 そんな会話を進めていく中、オールマイトもこんな話をしてくれた。

 

 曰く……昔は、他の流派の呼吸も舞として、代々鬼殺隊の当主を務めてきた家系に奉納していたらしい。だが、''個性''の浸透や呼吸を会得する才能の有無の影響で日に日に奉納される流派が減っていったのだとか。それでも、日の呼吸だけは、ヒノカミ神楽として決して途絶えることなく奉納されているようだ。

 

 鬼や''全集中の呼吸''は、世間の中で以前にもまして薄れつつある。それでも、その存在を決して忘れない人々が少なからずいる。そのことに少しだけ安心した。

 

 ヒノカミ神楽のこととは関係ない話なのだが、爆豪の俺に対する対応が先程からぎこちない。''水柱ノ書''をいつか見せると約束した時には普通の対応だったというのに。そもそも、それ以前は俺が話しかけてもそっぽを向かれてしまったし……。

 

 緑谷は、爆豪を微笑ましそうに見ながら「心配ないよ」と言ってくれたが、不安だ。俺は嫌われているんだろうか……?

 

 そして、その緑谷に関しては、()()()()()()姿()()()()()()()()()()し……。どうしたのだろう?今まではそんなことなかったはずだが。私服も見慣れているはずだし……。いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か……?

 

 ――まあ、考えていても仕方ない。悪いことではないだろう。

 

 そんなことを思いながら、バスの窓を通して外を見る。外には、どこまでも澄み通る星空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雲取山を登り、とうとう山頂にある神社へと辿り着いた。

 

 夕日のように真っ赤な鳥居。そこから真っ直ぐに石畳が敷かれ、それを辿るようにして周りに石造りの灯籠が設置されていた。そこに灯された光は、参道を歩く俺達を柔らかく照らしてくれている。そこを進んでいけば、手水舎やおみくじ結び処に願いを書き込んだ絵馬を飾る場所もある。そして、参道を進んだ先にある、赤色を基調にした流造(ながれづくり)の拝殿が特徴的だった。

 

 拝殿の前には、無数の篝火が円の形を象るようにして設けられており、そこだけが神様の住む場所であるかのような神聖な雰囲気が満ちていた。

 

 そんな光景を見て息を呑む俺達の耳に……。

 

「「こんばんは!」」

 

 元気よく挨拶をする子供の声が届いた。

 

 声のした方を振り向けば、人見知りもすることなく丁寧にお辞儀をする、幼い少年と少女の姿がある。

 

 幼い頃からここまでしっかりと挨拶出来るとは。将来は安泰だ。

 

 そんなことを考えながら、顔を上げた2人を見て……はっとした。

 

 前髪を掻き上げたようにして額を露わにした、赤の入り混じった短髪。山から顔を覗かせる朝日を思わせる、赤の入り混じった黒い瞳。更に、額の左側にある炎のような形の''痣''……。片方の少年は、こんな外見的特徴を持っていた。

 

 そして、もう1人の少女は、その少年にそっくりな瞳を持っていた。腰の辺りまである長さの黒髪は、周囲の灯籠から溢れる柔らかな髪で艶やかに照り映えている。その顔立ちと、髪に巻きつけた桃色の髪紐がなんとも可愛らしい。

 

 俺が見間違えるはずもなかった。この2人は――

 

「炭治郎君も禰豆子ちゃんも()()()()!また大きくなったね〜!」

 

「葉隠さん、お久しぶりです。それに、八百万さんと八木さんも」

 

「はい、お久しぶりですね。炭治郎さん、禰豆子さん。お元気でしたか?」

 

「私もお兄ちゃんも、変わらず元気です!それにしても……八木さんは八木さんで、前より痩せちゃってるじゃないですか。自分の体は大切にしてください!」

 

「ははは……ごめんよ、禰豆子少女」

 

 禰豆子と炭治郎。鬼殺隊の運命を大きく変えた2人。そして、俺が前世で命を賭してでも守りたいと思った存在。彼らに会えた驚きと喜びに浸る中で、炭治郎と禰豆子と共に平然と会話を交わす透、八百万、オールマイトの3人を見て、更なる驚きが降りかかってきた。

 

「知り合いだったのか?」

 

 俺が尋ねると、透が2人の肩に手を添えながら答える。

 

「うん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、もう何年も神楽を見にきてるし!」

 

「私も、お友達の方と共に来たことがありますの。1()()()()()()()()()()()()()()()()()()で、もう1人は私と同じように育ちのいい方でして……」

 

「私は……秘書として、オールマイトに同行することが度々あったからね。彼らとも知り合いなのさ」

 

 透に続き、八百万とオールマイトも言った。

 

 自分の知らない場所で、今世の知り合いと前世の知り合いが繋がっている。縁というものは何とも不思議だ。

 

 そう考えながら、炭治郎と禰豆子にも視線をやる。すると、見事に目が合った。

 

 ……もしかしたら、前世のことは何も覚えていないかもしれない。何から切り出せばいい……?取り敢えず、自己紹介から――

 

「!?」

 

 この後、どうするべきかを考えていた俺だったが……思考は、2人の目からブワッと湧水のように溢れ出した涙を見て中断された。

 

 まずは、2人を泣き止ませなければ。そう決めた矢先。

 

「「義勇さぁぁぁん!!!」」

 

 炭治郎も禰豆子も、同時に飛び込むようにして抱きついてきた。

 

 俺は、即座に2人を受け止めて抱きしめ返す。その行動から全てが伝わってきた。「ずっと会いたかった」と行動で示してくれた。同時に、「義勇さんがいなくて寂しかった」とも。

 

 ひたすらに彼らを抱きしめ続けながら、俺は思う。

 

 道半ばで死ねない。今世こそは、命ある限り2人を見守らなければ……と。

 

「……こんな場面で水を刺す訳にはいかないよね」

 

「おう。あちこち見回りながら、先に行っとくか」

 

「そうだね。今は、再会の時間に浸らせてあげよう」

 

 それから、俺は彼らが泣き止むまで、その小さな体を抱きしめ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 義勇は、炭治郎と禰豆子に手を引かれて、ヒノカミ神楽を観覧する為に設けられた座敷に招かれた。そこまでの参道を進む中で根津とも合流した故、彼も一緒だ。

 

 座敷に腰を下ろして、神楽の披露が始まるまで共にきた緑谷達と雑談を交わすこと数分。――その際に炭治郎と禰豆子との関係性を尋ねられたが、前世の記憶があると正直に言える訳もなく、「2人がもっと小さかった頃に会ったきりだった」と上手い具合に誤魔化した――

 

 義勇の座る座敷。その前にある、より一層豪華な藤の花を誂えた座敷に1人の少年が座った。首元を覆い隠せる程の長さの黒髪。黒い和服と、上にいくに従って鮮やかな紫から赤へと色を変えていく炎のような模様を(あつら)えた羽織。彼の慈悲に満ちた藤色の瞳が、義勇の方を向く。

 

 その顔を見ただけで……義勇は少年の正体を察した。思わず声を上げたくなるも、少年は口元に人差し指を当てる仕草一つでそれを制した。「後でゆっくり話そうか」と言うかのように。

 

 義勇が頷くのを見ると、彼は何も言わずにただ微笑んだ。

 

「……そろそろ始まるようだね」

 

 少年が、酷く懐かしく、心を落ち着けて不思議と高揚感を与える声で言った。

 

 彼の言葉に伴い、ヒノカミ神楽を観覧しにきた者達全員が前を向く。

 

 彼らの目の前に広がる、円形に篝火の立てられた場所の空間。そこに炭治郎そっくりな顔立ちの男性が立った。義勇は、彼こそが炭治郎の父親だろうと察した。

 

 真紅の布を基調とし、轟々と燃え盛る、悪を滅する聖なる炎をあちこちに誂えた狩衣に似た服装に身を包んだ彼は植物のようで、穏やかな雰囲気を纏い、柔らかい笑みを浮かべている。頬骨が浮き出て、痩せ細っている彼がヒノカミ神楽を舞えるとは思えないだろう。少なくとも、彼のヒノカミ神楽を初めて見る者達はそう思った。この山頂で一晩中に渡って十二ある日の呼吸の型を何百、何万回と繰り返す。その負担は図り知れない。

 

 しかし――その憂いはすぐさま吹き飛んだ。

 

 男性が笑みを浮かべたまま一礼し、布の部分に炎と刻まれた顔布を身につけると……七支刀にそっくりな形状の祭具を手にして、日の呼吸の型を舞い始めた。その瞬間、彼の穏やかな雰囲気は神々しく威厳あるものへと変化した。その一挙一動は彼の風貌から想像も出来ないほど力強く、まさしくヒノカミ様そのものだ。

 

 円舞から始まり、碧羅の天、烈日紅鏡、灼骨炎陽、陽火突、日暈の龍・頭舞い、斜陽転身、飛輪陽炎、輝輝恩光、火車、幻日虹、炎舞……。そして、円舞に繋いで輪廻の如く繰り返す。それこそがヒノカミ神楽こと日の呼吸の真髄。炭治郎の父親は、見事にこれを成し遂げた。

 

 どれだけ時間が経とうとも乱れることのない挙動と呼吸に、誰もが息を呑んだ。型を振るうに伴って現れる、悪鬼を滅する陽炎を美しいと思った。

 

 ある者は、憧れ(オールマイト)のように笑顔で困っている人を救け出し、救けて勝つヒーローを目指すのだと強く誓い、ある者は、憧れ(オールマイト)と、あの日見かけた少年のように勝って救けるヒーローを真っ当に目指すのだと誓った。

 またある者は、見えないところにいる人々ですら笑顔にしてしまう真のヒーローを目指し、奪われた両親の分まで幸せに生き抜くのだと、両親の仇を討つのだと強く心に決めた。

 

 そして、義勇は……富や名声には拘らず、他が為に力を振るい続ける、誰かにとっての本当のヒーローを目指すのだと強く誓った。

 

 心の中に込み上げる熱い何かを感じ取ったのは彼らだけではなく、その場にいる全員がそうだった。

 

 神楽が終わる瞬間、丁度朝日が昇ってきた。その朝日は、この世で一番美しい初日の出だと誰もがそう思った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒノカミ神楽を見終えた義勇達は、神社の拝殿に祈りを捧げた。雄英の合格祈願は勿論のこと、それぞれが持つ願いについても。

 

 義勇は雄英の合格祈願に加え、まずは、姉の蔦子の幸せを願った。それから、亡くなった父と母が安らかに眠れているように、ずっと仲良く居られるようにと。他にも、今世出来た友達の幸せ。前世、共に鬼を滅する為に戦った隊士達の幸せ。前世の親友であった錆兎の幸せ、今世の親友の葉隠の幸せに、宇髄や不死川を始めとした余生で関わりのあった者達の幸せ。この世に生きる全ての人々の幸せ。そして……炭治郎と禰豆子の幸せ、しのぶの幸せを願った。

 

 ほぼ他人の為の願いばかりだが、これでいいと義勇は思っている。元より蔦子が生きてくれているだけでも幸せだと言うのに、これ以上の幸せを願えば、ボロボロと掌から零れ落ちてしまいそうだと、自分の身には余ってしまいそうだと彼はそう思う人間だからだ。

 

 絵馬にも願いを記入した後で帰ろうとしたが……義勇には、まだ用事があった。そのため、オールマイト達には一足先に下山してもらい、自分も後から追う旨を伝えたが……彼らはあっさりと承諾してくれた。

 

 唯一残っている葉隠も、その美しい素顔を晒しながら「遠慮なくお話ししてて」と無邪気な笑顔で言い、少し離れた場所にいる。今は、手持ち無沙汰に神社を訪れた人々の絵馬を見ているところだ。

 

 親友の気遣いに感謝しつつ、義勇は()()()()()()に対して平伏した。前世と全く同じように。

 

「お久しぶりです、お館様。そのご様子だとご壮健のようで……。安心しました」

 

「うん……。顔をお上げ、義勇。会えて嬉しいよ」

 

 対し、少年も前世と変わらぬ微笑みで返した。この少年こそ……鬼を滅ぼした代の鬼殺隊の当主であった産屋敷耀哉、その人だったのだ。

 

 かつての主君に出会えた義勇が嬉しそうだった。だから、炭治郎と禰豆子も自然と嬉しくなり、2人は顔を合わせて笑みを浮かべ合った。

 

 耀哉に促されたこともあって、炭治郎が話し始める。

 

「改めまして……お久しぶりです、義勇さん。すみません、いきなり泣いちゃって……」

 

「義勇さんにこんなにも早く会えたのが嬉しくて」

 

 はにかみながら言う彼らの瞳は……前世と何も変わっていなかった。

 

「気にするな。2人が俺に会えて嬉しかったと、ずっと会いたかったと泣いてくれたのは嬉しかったから。ありがとう、待っていてくれて。それと、寂しい思いをさせてごめん」

 

 再び、炭治郎と禰豆子を抱きしめる。幼い子供の体温は一般的に高いものだが、その温かさが義勇に太陽の光に包まれているかのような心地よさを齎した。

 

 禰豆子が義勇の腕の中で子猫のように擦り寄りながら尋ねる。

 

「義勇さんはヒーローになるんですか?」

 

 彼女の問いに、義勇は美しい朝焼けの空を眺めながら答えた。

 

「ああ、誰かにとっての本当のヒーローだ。お金や名声の為じゃない。誰かを救ける為、誰かの笑顔の為に動く。そんなヒーローだ」

 

 義勇の瞳が大いなる未来の希望を、平和を見据えたかのように輝いている。彼の腕の中にいる禰豆子と炭治郎はそんな風に思った。そして、彼ならば宣言通りにやってくれると確信していた。

 

「義勇さんなら……絶対になれます!俺も禰豆子も応援してます!」

 

 義勇の閉ざした心をこじ開けたあの時のように、炭治郎が瞳を輝かせて言う。禰豆子も同じように瞳を輝かせながら何度も頷いている。再び背中を押してくれたかつての弟弟子とその妹が、義勇にはとても頼もしく思えた。

 

「ああ、ありがとう。炭治郎、禰豆子」

 

 顔を綻ばせた義勇は、前世してやれなかった分まで2人を優しく撫でた。

 

「炭治郎ー!禰豆子ー!片付け、手伝ってくれるー?」

 

「!分かった!任せて!」

 

「義勇さん、また後で」

 

「ああ」

 

 母親に呼ばれて駆け出し、率先して会場の片付けを手伝う炭治郎と禰豆子を微笑ましく見守りながら、耀哉と義勇は話をかわす。

 

「その様子だと、義勇も全部覚えているのかな?私とお揃いだね」

 

「仰る通り、全て覚えています。その分、幼い頃はとても苦労しましたが……。子供らしい振る舞いをしなくてはいけなかったので」

 

 そう答える義勇を見ながら、耀哉はくすくすと笑って、「私はそこも楽しんじゃったよ」と茶目っ気溢れる様子で答えた。これが本来のお館様……鬼殺隊の当主ではない、()()()()()()耀()()なのだと義勇は認識する。彼も今世の幸せを謳歌しているのだろうと思えた。

 

 耀哉が微笑みを浮かべながら尋ねた。

 

「義勇、今の生活は……幸せなのかい?」

 

「両親は亡くしましたが……幸せです。多くの友達もいますし、昔は守れなかった姉も生きていますから」

 

「……そうかい、安心したよ。今世は命ある限り、精一杯生きて幸せを味わわなくちゃね」

 

 数秒考えてからそう答えた義勇を見て、一瞬悲しげな顔になるも再び微笑みながら耀哉は答えたのだった。

 

 その後、耀哉は半年もしないうちに再会することになりそうだと言い、義勇が雄英に合格することを強く願いながら、炭治郎達と共に山の麓へ降りていく彼を見送った。その背中が見えなくなるまで、ずっと。

 

 別れ際に義勇が言った言葉を思い出す。

 

「お館様。透のこと、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

 

 自分達と共にこの場に残っていた葉隠の様子から、全てを察したのだろう。この時は、頷くだけであったが――

 

「任せておくれ、義勇。何が何でも、透からこれ以上の幸せは奪わせないからね」

 

 義勇の背中が見えなくなった今、強い決意に満ちた微笑みでそう答えた。

 

 そんな耀哉に、タイミングを見計らってやってきた葉隠が声をかけた。

 

「ゆっくりお話ししてても良かったのに」

 

 血は繋がっていないが、産屋敷家で引き取ったあの日――卑劣な男によって、葉隠が両親を奪われた日。その日から、耀哉にとって彼女は妹同然かつ、娘同然の存在となっている。

 

 笑みを浮かべながら言った彼女を優しく撫で、微笑みつつ耀哉は答えた。

 

「いいんだ。義勇とは半年もしないうちにまた会えるから。()()()()()()()()()()()。雄英にだって必ず受かるとも。勿論、透だってね」

 

「わあっ、お兄ちゃんの勘なら間違いないね!」

 

 頬を緩ませ、葉隠はにへらと笑う。続けて、後ろにやってきた気配に対して尋ねた。

 

「お二人も……良かったんですか?折角会えたのに」

 

「いいんだよ、()()()()()()()()()()()()()

 

「うむ……。必ずや、冨岡は私達と同じ場所まで辿り着く。己に眠っていた才能を血反吐を吐く程の鍛錬の末に目覚めさせた。彼の先祖はそういう男だった。彼もまた、同じ血筋を引いているはずだ。彼が今以上に光り輝いたその時……また会えるであろう」

 

 そう声を上げたのは、2人の男達だった。

 

 前者は2mに差し迫る身長であり、自身の身に付けている、薄灰色でフード付きのパーカーから素顔を露わにした。下ろした銀髪は、ボブカットの髪型をした女性と同じくらいの長さがあり、一つに結えてしまいそうだ。そして、それは、朝日が照り映えていることでギラギラと輝いていた。その額に取り付けた輝石をあしらった額当てに、左目に施された弾け飛ぶ火花のようなパンクファッション風の化粧、両耳の金色のピアスは、彼の印象を「派手」の一言で表せるファッションである。更に言えば、その顔はあらゆる女性を惹きつけてしまいそうな程の色男のそれだ。

 

 後者は、2m越えの身長と灰色のスタンドコートを始めとした冬物の私服の上からでもはっきりと分かる程の鍛え抜かれた肉体を持ち合わせていた。ツーブロックで後頭部と側頭部の一部を刈り上げ、額には一直線の傷痕が水平に残っている。瞳には瞳孔がなく、白眼であった。盲目なのだろうか。身長や体格、どこか威厳を発したその雰囲気は、彼を屈強な仁王像のように錯覚させる。

 

 彼らの言葉から、葉隠は彼らの義勇に対する揺るぎない信頼を感じ取った。

 

「信頼してるんですね、凄く」

 

「たりめェよ!冨岡の奴が、そこいらの地味な奴に負ける道理なんざねえからな!」

 

 白い歯を見せつけ、ニカッと笑った銀髪の少年が言う。

 

 義勇は、間違いなく彼の信頼を勝ち取っている。

 

 自分が心の底から信頼出来る相手は未だ少ない。だが、せめて他人からの信頼を勝ち取れるヒーロー……それ以前にそういう人間でありたい。

 

 その為には、やはり雄英の入試に受かることは免れない。

 

「よーし……私も頑張るぞぉぉぉ!」

 

 将来を見据え、腕を掲げて握り拳を作りながら、葉隠は一層やる気を漲らせたのであった。

 

 雄英入試まで――残り1ヶ月と25日。



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第二十三話 雄英入試当日

 ……寒い。とても寒い!マフラー、手袋、そして、寒い冬のお供、ホッカイロ。出来るだけの防寒はしてるんだけどなあ……。自然って凄いんだね。

 

「ふうっ……。今日は本番か……!」

 

 心臓で高鳴る心臓を落ち着かせる為に深呼吸する。寒さで真っ白な息を見ながら、私は今日の日付を思い描いた。

 

 2()()2()6()()。2月の終わりが近いけれど、まだまだ寒い今日こそが……!待ちに待った、雄英高校の入試本番なんだ!

 

 不安はない訳じゃない。元に凄く緊張してるし。でも、義勇君と何度も筆記に備えて勉強したし、ヤオモモと緑谷君も交えて何度も実技に備えて特訓してきたんだ!絶対に大丈夫。後は……自分の全部を出し切るだけ!

 

「……行ってくるね、お兄ちゃん」

 

 平安時代の有力な貴族の住まう寝殿造の屋敷みたいにとんでもなく大きな、和風のそれに会釈する。砂利の敷かれた地面や、あちこちに植え付けられた植栽に池。この広すぎる典型的な日本庭園にポツンと私の声だけが響くのはちょっと寂しい気もするけれど、お兄ちゃんもお兄ちゃんで自分のやるべきことがあって頑張ってるんだから、多くは望まない。そもそも、両親を失った私を拾ってくれたってだけで凄く嬉しいんだ。

 

 お兄ちゃんには「義勇にもよろしく伝えてね」って言われてるし、ちゃんと教えてあげなきゃね。お兄ちゃん達だって、義勇君を応援してるんだって!

 

 義勇君とも合流しなきゃだし、そろそろ家を出ないと。

 

 そう思って、足を踏み出したその時――

 

「丁度向かうところだったな」

 

 背後から声をかけられた。

 

 音もなく背後に現れてそうするものだから、私は何の遠慮もなしに大きく肩を跳ねさせてしまう。そして、振り向けば……私の恩人達の姿があった。

 

「宇髄さん、悲鳴嶼さん!」

 

「おうおう、どうしたどうした。嬉しそうにしやがって。地味に寂しかったのか?」

 

「そ、そんなことないです!」

 

「それにしちゃ、俺らが来た途端にあからさまに笑ってたけどなあ?」

 

「うぐっ」

 

 私の頭をくしゃくしゃと撫でながらそう言う、銀髪で高身長。しかも、色男な彼は宇髄天元さん。私に''全集中の呼吸''のことを色々教えてくれた張本人だ。義勇君に本格的に教えられないままでそれを扱えたのは、間違いなくこの人のおかげ。

 

 因みに、宇髄さんの言ってることは図星。正直、見送り無しで行くのは寂しかったから……否定はしない。

 

「……そうですよ、嬉しかったです」

 

 私は、ニヤニヤと顔を覗き込む宇髄さんから目を逸らして、口を尖らせながら、そう言った。

 

「南無……。子供は素直なのが一番だ……」

 

 拗ねたような言い方をした私を(なだ)めるようにして優しく撫でる、宇髄さん以上の高身長と筋骨隆々な肉体を持つ男性は、悲鳴嶼行冥さん。家族を奪われたあの日、人間を喰らう凶悪な(ヴィラン)から私を救けてくれた正真正銘のヒーロー。なんとなく威厳があって、仁王像のように思える人だけれど……真っ直ぐな優しさがあって、真っ当な慈悲もある。まるでお坊さんみたいに優しい人なんだよ。物凄く涙脆くて、ことある度に泣いてるのはちょっとだけ面白いなあって思ってる私がいる。因みに、悲鳴嶼さんは猫が好きなんだって。今も片腕に屋敷で飼ってる猫を抱えてるし。

 

「えへへ……」

 

 お父さんみたいに逞しくて暖かくて、優しい人。それが悲鳴嶼さん。撫でられてると自然に気持ちが和らいで、頬が緩む。悲鳴嶼さんに撫でられてる猫ちゃん達もこんな気持ちなんだろうなあ、と彼の撫でを甘んじて受けた。

 

「雄英の入試……。いよいよね。頑張ってね、透ちゃん」

 

「折角受けるんだから、合格勝ち取ってこいよ!」

 

「葉隠さんなら絶対大丈夫です!私達の天元様に仕込まれたんですもの!」

 

「雛鶴ちゃん、まきをちゃん、須磨ちゃん!3人共ありがとう!」

 

 続いて、3人の女の子が駆け寄ってきて、それぞれ私の手を握って応援してくれた。3人共、私の大切な友達なの。

 

 まず、前髪を上げて一つ結びをした髪型をしていて、左目の下にセクシーな泣き黒子(ぼくろ)がある、冷静で判断力のある筆頭格――雛鶴ちゃん。私や義勇君と全くの同い年!

 次に、前髪の部分が金髪で無造作に跳ねた黒髪を後頭部でまとめていて、勝ち気で活発な3人の中の次女ポジション――まきをちゃん。私達の一歳年下!

 最後に、サラサラの黒髪を長く伸ばしていて、泣き虫なんだけれど神経が太いところもある、末っ子ポジション――須磨ちゃん!私達の二歳年下!

 

 彼女達は3人共、宇髄さんの妻になる予定なんだってさ。実際、婚約指輪付けてるし……。宇髄さん、色男としての魅力を存分に発揮してるね。……義勇君がこうならなくて良かったとは思うけども。

 

 同い年の雛鶴ちゃんも雄英の入試を受けるんだ。私達とは違って、普通科だけどね。

 

 もう2人、あのにっくき人喰い(ヴィラン)のせいで両親を失った私を気にかけてくれる人がいるんだけれど、彼らは多分、()()()()()()()()()。代わりに昨日の夜に応援のメッセージをくれたし。毎日毎日お疲れ様ですって言ってあげなくちゃね。

 

 皆が見送りに来てくれたのが嬉しくて、不思議な力が湧いてくる。私は、今ならなんだって出来るって……そんな気がしてた!

 

「皆……ありがとう!それじゃ、行ってきます!先に行くね、雛鶴ちゃん!」

 

「ええ、私も後から追うわ」

 

「気をつけてな」

 

「筆記で地味な凡ミスすんなよぉー!」

 

 こうして、私は彼らに温かく見送られて義勇君との合流の為に元気よく家を出たのだった。

 

 

 

 

 

 

「……良かったのか?一緒に行かなくて」

 

「いいんです。やっぱり、冨岡さんとは雄英に入学してからお会いしたいので。だから、透ちゃんとは出るタイミングをズラしたんです。そうしたら、鉢合わせの可能性も少なくなりますから。私だって天元様と同じ気持ちなんですよ。……それでは、私もぼちぼち行って参ります」

 

「ん、派手に行ってこい!」

 

「雛鶴ー!頑張れよー!」

 

「健闘を祈ってます〜!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雄英入試当日の朝。蔦子姉さんと、雄英の入試だということを把握なさったのか、わざわざ狭霧山から俺達の自宅にまでおいでになった鱗滝さんに見送られ、俺は家を出た。

 前日には、根津さん、オールマイト、ナイトアイ、相澤さんに山田さん……。他にも、様々な方から直接メールや電話をいただいたり、姉さんを通して間接的に応援の声をいただいたりと、沢山の人々が俺に期待を馳せているのだと実感出来た。前世、鬼殺隊の最終選別に向かった時よりも、やる気と覚悟が満ち満ちているように思う。

 

 更に道中で透とも合流し、俺達は雄英高校に辿り着いた。校門の前に立ち、目指すべき場所を見上げる。

 

 アルファベットのHのような形のガラス張りの建物。天高く聳え立つその高さは、都会のビルどころの話ではない。まるで巨大な山が目の前にあるかようだ。

 

「おっきい……!中学校とは比べ物にならないよ……。首痛くなりそう……」

 

 雄英の校舎を見上げながら透が言う。きっと空から差す朝の日差しの眩しさに目を細めていることだろう。

 

「ああ……。受かった暁には、ここが俺達の学び舎になるんだな」

 

 校舎に向けていた視線を、校門に立てかけられた「国立雄英高等学校入学試験」の文字が書かれた看板に向ける。こうして文字を目にしたことで、今日が雄英の入試なのだと改めて実感出来た。

 

「気合入れていかないと!絶対受かるぞ、義勇君!」

 

「勿論だ」

 

 胸の前で両手の拳を握るような仕草をする透に微笑みつつ同意する。彼女の目は、未来への希望とやる気に満ち溢れていることだろうな。

 

「あっ、冨岡君と葉隠さん!おはよう!」

 

「緑谷君と爆豪君!おはよー!」

 

 丁度その時、緑谷も雄英にやってきた。こっちに歩いてくる彼の隣には爆豪の姿もある。

 

 「ごめん、かっちゃん。先に行ってて」と促された爆豪は、ズカズカと俺の前まで歩いてくると、スッと拳を差し出した。

 

「落ちんなよ、冨岡。俺は、お前と相見えんのを楽しみにしてここまで来てんだからよ」

 

「……心配するな。ここまで積んできた努力は伊達じゃない。健闘を祈る」

 

「へっ、そうこなくちゃな」

 

 俺も拳を差し出し、互いの拳を合わせる。爆豪の浮かべた不敵な笑みとその赤い瞳から、地獄の業火のように燃え盛るギラついた闘志を感じ取った。

 

 俺と拳を合わせた右手を見つめ、満足そうに笑いながら、爆豪は雄英の校門をくぐって校舎に足を踏み入れた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、なんとも軽い足取りだった。よく分からないが、相当ご機嫌らしかったな。

 

 まあ……それとは反対に、彼の背中からは合格するどころかトップを狙ってやるという凄まじい向上心とやる気を感じたのだが。

 

 その背中を見て、「僕も負けてられない!」と緑谷もまた意気込んでいた。爆豪に次いで、緑谷もやる気満々のようだな。いい影響が次から次へと(もたら)されているようで何よりだ。

 

 そんな緑谷を横目にしつつ、透が尋ねる。

 

「そういえばさ、緑谷君!我流の呼吸を作り上げようって、いつも頑張ってたよね!……どうなったの!?」

 

 額同士が当たりそうになる程にずいっと近づいてきた透に驚きつつ、緑谷は問題無しと言わんばかりに笑って、サムズアップした。

 

「やっと見つけたんだ、僕だけの''全集中の呼吸(答え)''!葉隠さんや冨岡君。それと、ここにはいないけれど八百万さんも。皆が協力してくれたおかげだよ。本当にありがとう」

 

 これこそ、出会ってから2年の間で共に鍛え上げてきた甲斐があるというもの。

 

 雄英入試まで1ヶ月を切ってからは、緑谷に更に気合が入った。俺達もそれに応える為に気合を入れ直して共に励んだが……それが見事に功を奏し、緑谷は我流の流派の呼吸に辿り着くことが出来た。

 

 あの海浜公園の特訓の最中、オールマイトの見守る中で会得したのだが、その時の緑谷の達成感に満ち溢れた眩しい笑顔を忘れることは決してないだろう。身長は伸び、肉体も更に鍛え上げられ……。本当に逞しくなったものだ。

 

 特訓の成果を聞いた透は、嬉しさを堪えるようにして体を振るわせ、思い切り緑谷に抱きついた。

 

「は、葉隠さん!?ちょっ、どうしたの!?急にこんなこと……!注目浴びちゃってるから!」

 

 途端に緑谷は何度も瞬きして戸惑う。これは、透なりの心の底から信頼する相手に対するスキンシップだ。何度もやられてるからか、多少は慣れたらしい。やられた当初は毎回顔を赤くしていたが。

 

 いつの間にやら、緑谷のことも心の底から信頼出来るようになったらしい。俺は少しだけホッとした。

 

「上手くいかなくて何回も悩んで、焦って……それでもずっと頑張ってたもんね」

 

「へ……?な、なんで知ってるの?」

 

「そりゃあ……()()()()()()()()()()()()()()からねぇ」

 

「???」

 

 いたずらっぽく笑いつつ、緑谷を撫でる透がやたらと大人びて見えた。

 

 だが……確かに、透はそういうことに対しては大人なのかもしれないな。恋する乙女とは一体……?

 

 その時。俺達の方に駆け寄ってくる、ポニーテールの少女の姿が目に入った。

 

「緑谷さん!冨岡さんに葉隠さーん!おはようございます!」

 

「えっ、や、八百万さん……!?どうしてここに!?」

 

 その少女の正体は、俺達もよく知る八百万だ。彼女も雄英の入試を受けはしたが、一般の入試を受ける俺達とは違って、推薦入試を受けた。推薦入試があったのは1ヶ月ほど前のこと。無事に合格したという報告も受けたし、雄英に用はないと思うのだが……。

 

 八百万は、手の甲で額を拭いながら、ふうっと一息ついた後で言った。

 

「皆様が入試をお受けになる日でしたので、激励のお言葉をお送りしなければと思いまして」

 

「ええっ!?それでわざわざここまで来てくれたの!?」

 

「はいっ」

 

 透が驚きを露わにしながら言うと、八百万は花のような笑顔で答えた。

 

 何と他人思いな少女だろうか。彼女を友達に持てた俺は幸せだな。

 

「お三方とも、頑張ってくださいまし!応援してますわ!」

 

 笑顔で言った八百万の周囲から、ブワッと桜の花が舞い散ったような気がした。麗しくも華やかな笑みと共に送られた激励で、心が温かくなった。

 

「ア、アリガトウゴザイマス」

 

「あはは、こんな美人な子に応援されたら落ちるなんて許されないよね〜?頑張ろうね、義勇君」

 

「ああ」

 

 ん?緑谷は、どうして顔を真っ赤にして片言になっているんだ……?

 

 ふと腕時計に目を落としてみれば、受付締め切りの時間が刻々と近づきつつあった。

 

「八百万、俺達はそろそろ行く。応援ありがとう」

 

「!お力になれたようで嬉しいですわ!健闘を祈っております」

 

 俺が礼を述べると、八百万は嬉しそうに目を輝かせ、神に祈りを捧げるシスターのように微笑んだ。

 

 こうして、八百万に見送られた俺達は、勇んで雄英の敷地に足を踏み入れるのだった。

 

 ……何だ?周囲の視線が凄い……。俺を嫌っていた頃の不死川のような刺々しい視線が突き刺さってくる……。お、俺はこんなに大多数の人に嫌われてしまったのか……?何が原因なんだ……。

 

「ねえねえ、緑谷君。……ヤオモモの制服姿、やっばいね!

 

「う、うん……。じゃなくてっ!急に何言ってるの!?や、やめてよ……!

 

「へえ……否定はしないんだ!いいこと知っちゃったぞ!緑谷君。近頃、ヤオモモ見てめっちゃドキドキしてるでしょ?そりゃあ、ヤオモモに恋してるの!鈍いのも困り者だよ。早く告っちゃえ!

 

「こ、恋っ……!?」

 

 ふと後ろを振り向けば、透に何かを耳打ちされた緑谷が、胸の辺りを押さえながら硬直していた。……本当に何があったんだ?

 

 そんな緑谷を見て、クスッと笑った透が駆け寄ってくる。そして、俺の耳元で囁いた。

 

「義勇君。お兄ちゃんがね、『私達は義勇のことをいつも見守っているからね。入試も頑張るんだよ』だって」

 

「……!」

 

 お館様……。お館様も、俺の合格を願ってくださっている……!

 

 俺の脳内は、咄嗟に透の言った言葉をお館様のお声で再生した。

 

 そのお声を目の前で聞いた時と同じように、不思議と心が落ち着いて、高揚する。

 

 これは……受からねばならない理由がもう一つ出来たな。

 

「透。戻ったら……『ありがとうございました』と、そのお方に伝えてくれ。必ずや合格を持ち帰ろうな」

 

「オッケー!やる気満々だね!」

 

 ハイタッチを交わし合い、透は「先に行くね!」と張り切って受付を済ませて筆記試験の会場となる教室へと向かっていった。

 

 ……緑谷が固まったままだ。声をかけてやらなくては。

 

 そう思った俺は、彼の肩を叩きながら尋ねる。

 

「……緑谷。さっきからちょくちょく固まってるが……緊張しているのか?」

 

「はひっ!?あっ、うん……そ、そそ、そんな感じ」

 

「緊張しすぎることはない。肩の力を抜くんだ。今までの成果を思い出せ、俺達ならやれる」

 

「!……そうだね。ありがとう、冨岡君。よし、頑張ろう……!こんなんじゃ、かっちゃんに怒られちゃう」

 

 うん……瞳にやる気が戻ったな。これなら問題なさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。筆記試験を終え、俺達は実技試験の説明を行う大講堂へと集まっていた。

 

 試験を終えた後で見直しを繰り返したし、日々の学習のおかげもあって合格ラインはしっかり超えているはずだ。緑谷や透も学習の成果を発揮出来たようで良かった。

 

 用意された何十列もの席に、多くの受験生達が集まっていた。辺りを見回せば、人、人、人……。人気歌手やバンドグループ、アイドルなどのライブ会場もこんな感じなのだろうか?改めて、雄英高校ヒーロー科がどれほどの人気を博するのかを実感した。

 

 席は受験番号など関係なしに皆が自由に座っている。折角なので、俺と透も隣同士で座った。

 

 実技試験の内容がどんなものになるのかを話し合いながら、試験概要の説明が始まるのを待っていると――

 

「うわっ、凄え数の人だなあ……!つか、ここしか空いてねえし!わ、悪ィ、ここの席二つって空いてるか?」

 

 透と話を交わしていた俺の耳に、慌てたような声が入ってきた。振り向けば、メラメラと燃える正義の炎のような朱色に近い赤い瞳を持った少年がいた。髪の色は黒く、髪型は俺とそっくりなショートヘアーだ。ギザギザした歯と、右目の上にある小さな切り傷が何とも特徴的だ。

 

 透とも視線を交わし、頷き合う。

 

「ああ、空いてる。座ってくれ」

 

 ヒーローとは、常に救け合うもの。相澤さんやオールマイトだって、そう仰っていた。空いた席を譲らない道理はない。

 

「おおっ、サンキュな!おい、芦戸!ここ二つ空いてるって!」

 

「マジでー!?良かったぁ!キミ達もありがとね!」

 

 少年が呼びかけた先からやってきた芦戸という少女は、明るいピンク色の癖毛の髪をしており、肌も同じようにピンク色だった。目も本来白色であるべき部分が黒く染まっており、頭に2本の黄色い触覚がある。

 

 「宇宙人みたいで可愛い」と呟いた透に、内心で同意した。

 

「いやあ、流石は雄英だぜ……!どこを見ても人がワラワラだ」

 

「本当にね!ねえねえ、2人はどこ中出身?」

 

「毛糸中学校!東京の方にあるんだ!」

 

「へえ、東京か……。大都会だな!」

 

「2人はどうなんだ?」

 

「結田付中。千葉県から来てんだ」

 

「千葉!?夢の国あるところじゃん!羨ましいよぉ!」

 

「えー?大都会の東京に住んでる2人も羨ましいぞー!このやろー!」

 

 席に着くなり、芦戸が俺達に話しかけてきた。その人当たりの良さが中学校の人気者なのだろうなということを簡単に悟らせる。少年も少年で、明朗な印象があって親しみやすそうだ。――少年の方は切島鋭児郎、少女の方は芦戸三奈と名乗った――

 

 切島と芦戸を相手に話をしている内に、山田さんことプレゼントマイクが壇上に登壇する。その瞬間、受験生達は、指揮者の指示を受けた合唱団のようにして一斉に静まった。その息ぴったりさには、思わず笑いそうになってしまった。

 

「リスナー諸君、今日は俺のライブへようこそ!Everybody say HEY!」

 

 お馴染みのハイテンションで、自分がパーソナリティを務めるラジオ番組のように挨拶を催促するものの、会場にいる者は誰一人声を上げない。

 

 ここにいる者達は真剣にヒーロー科入学を目指している訳だし、そんな余裕もない者がほとんどだろう。それを考えれば、この状況は仕方ないとも思える。

 

「こいつァシヴィー!!んじゃ、受験生のリスナー!実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!Are you leady?YEAH!!!

 

 結局は、そのハイテンションを貫いたまま自己完結してしまった……。彼のメンタルの強さは見習いたいものがあるな。俺も流石にこの空気感の中で呼びかけに答える勇気はなかった。滑らせてしまったようで、何だか申し訳ない。

 

 だが、彼がこんなノリを貫くのも俺達の緊張を解きほぐす為かもしれないので、その好意はありがたく受け取っておこう。

 

 閑話休題。こうして概要が説明された訳だが、その内容は、各自に指定された試験会場での模擬市街地演習だとのことだ。

 

 やることは簡単。制限時間10分の間に、仮想(ヴィラン)を何らかの手段で行動不能にする。それだけだ。

 仮想(ヴィラン)は、1〜3Pが存在して攻略難易度ごとに異なるポイント数が割り振られている。自分の実力に合わせて相手を選ぶ。それも、ヒーローには必要な資質。無謀な戦いを挑んで救けるべき市民の前で死んでしまうようでは、逆に心を追い詰めかねないから。

 勿論、他人を故意に妨害することを初めとしたアンチヒーローな行為は禁止。アイテムも持ち込み自由らしい。この制度なら、念の為に持ってきたあのアイテムも使えそうだ。

 

 一番注目すべきは、3体の(ヴィラン)以外にもう一体……0Pの仮想(ヴィラン)が存在すること。プレゼントマイク曰く、レトロゲームに登場する無敵のお邪魔ギミックのようなものらしい。だが、場合によっては破壊すべきだろうな。こいつが周囲や人々に大被害を与えかねない存在ならば、容赦無く破壊するとしよう。ギミックだからと背中を向けるのは''真のヒーロー''に相応しくない。

 

 説明が終わると、受験生達は着替えを済ませてから各々の試験場へ向かうバスへと乗り込んでいく。その前に透、芦戸、切島と試験会場を確認し合った。

 

「義勇君、試験会場どこなの?私はD!」

 

「俺は……Cだ」

 

「あたしはF!」

 

「俺はB。俺は芦戸と、冨岡は葉隠と受験番号連番なのに、会場違うんだな」

 

「恐らく、同じ学校の出身同士で協力させない為だろう。その方が公平性がある」

 

「おおっ、流石は義勇君!」

 

 会場を確認し合ったところで、俺は拳を差し出した。

 

「切島、芦戸、透。健闘を祈る」

 

「義勇君もファイト!まあ、心配はないと思うけどさ!」

 

「おーっ、ありがと!頑張るよ!」

 

「……!はは、サンキュー!やるからにはここにいる全員合格目指そうぜ!」

 

 合格を誓い合い、俺達は拳を合わせてそれぞれ更衣室に向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……凄いな……」

 

 白を基調とした、襟の端の部分に青いラインが入ったジャージ一式を着用し、その腰に黒色のウエストポーチを身につけ、手には父がヒーロー活動の際に愛用していた木刀を握っている義勇は、唖然としながら呟いた。

 

 雄英高校ヒーロー科の試験会場は……とてつもなかった。

 

 城門のような高さの各会場を囲う仕切りから顔を覗かせるのは、大小様々なビル群だ。3階建てから5階建て、果てには10階建てなど、その高さはよりどりみどりである。受験生達がバスから降りた後、真正面にある巨大な城の扉のような大きさの門が開かれてその全容が露わになる。

 凹凸もなく整理された道路や、道の端に綺麗に配置された街路樹、横断歩道に信号、道路の上を横切る歩道橋……。自分の住んでいる東京都の街並みのうちの一つを''個性''か何かで丸々持ってきたのではないかと、義勇は思った。

 

 手首や足首をほぐしながら、準備運動をする義勇。彼は、その見た目の良さや父親の鎮静ヒーロー・凪にそっくりな顔つきで周囲の受験生達の目を惹きつけていた。

 

 「体育教師みたい」だとか、「彼奴、全く緊張してないぞ」だとか、彼らはヒソヒソと話し合っている。義勇は、そんな周りの様子に一度は首を傾げるも、今は念入りに準備をしておこうと準備運動に戻った。

 

(鎮静ヒーロー・凪にそっくりだ……。彼の息子なのか?実力者に違いない)

 

 義勇より頭一つ抜ける程の身長を持った少年が、義勇の素振りを見ながら思う。顔が隠れてしまう程の銀髪のリーゼントや、髪で隠れた目元から覗く三白眼の鋭い目付き、常に口元を隠すマスクなどはかなり威圧感がある。そして、驚くべきことに彼の両腕の付け根からは、2対の触腕が伸びていた。

 

(何だ何だ、彼奴。周りも全く気にしねえで……。冷たそうな奴だなあ)

 

 また別の少年が、義勇の揺らぎない水面のように凪いだ表情を見ながら思う。黒目が小さく、眉毛が隠れる程にバサバサしたまつ毛やかき上げてバックにした銀髪は、なんともワイルドな見た目だ。一見すると人が悪そうである。

 

(冷静沈着……。静かなる水面のようだ。まさに歴戦の剣士)

 

 またまた別の少年が義勇の雰囲気を感じ取りながら思う。獲物を射抜く獣のような鋭い目付きをしており、闇の中でも光を発するのではないかと思うような赤い瞳が宿っていた。顔付きはそのまま烏のそれである。黒一色に統一された服装が、俺は闇に溶け込みし者だと示しているかのようだ。

 

 誰もが義勇に注目する中、彼を興味深そうにじーっと見つめる少女の姿がある。

 

 オレンジ色の髪のサイドテールと、凛とした顔付きが特徴的な彼女の名は、拳藤一佳。鍛え上げた己の拳と肉体を以ってヒーローを目指す少女の1人である。

 

「ふーん……。あの、深海みたいな凪いだ瞳……彼奴が冨岡義勇、か」

 

 彼をじっと見つめ続けながら、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()の言葉を思い出す。

 

『声が小さくて聞き取りづらいところがあったが……とてつもない努力家だ!何せ、水の呼吸の新たな型を自力で作り上げたのだからな!俺が今まで見てきた水の呼吸を扱う剣士の中でも、一番の実力者だと思うぞ!

しかし、友達は沢山出来たのだろうか?いつも、自分は嫌われていない、と1人であることを気にしていた節があったからな……。まあ、幸せに生きてくれていれば問題は無し!はっはっは!』

 

 少し笑えてしまうところまで思い出してしまったが、少年曰く、その冨岡義勇という少年はとてつもない実力者らしかった。

 

「その実力……この試験で拝見させてもらうよ」

 

 口の端を薄く吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた彼女は拳を鳴らしつつ、気合を入れていた。

 

 その時。

 

『はい、スタート』

 

 マイクの類を通してか、淡々とした合図が試験会場中に響き渡る。

 

 突然の声に、受験生達は唖然として突っ立っていた――否。たった1人、誰よりも先に飛び出した者がいた。

 

 冨岡義勇である。スタートの合図を聞いた瞬間、彼は予め足に溜めていた空気を一気に爆ぜさせて、稲妻の如く飛び出したのだ。

 

 義勇の目の前に、車輪を回転させながら1Pの仮想(ヴィラン)が現れた。それを目にした瞬間、義勇は1Pに肉迫しつつ、両腕を交差させる。

 

 そして、それが義勇にターゲットを絞り……。

 

『ブッ――』

 

 盾のように丈夫な部品を取り付けた機械の両腕を、物騒な言葉と共に振り下ろそうとした瞬間――交差させた腕が勢いよく振り抜かれ、水平に一閃。義勇の放った、一切の揺らぎもない水面を纏った斬撃は、言葉が完全に紡がれるよりも前にその体を両断した。

 

「――水の呼吸・壱ノ型、水面斬り」

 

 義勇の振るう木刀は、容易く1Pを破壊した。飛沫が舞うと共に宙に浮かんだ1Pの上半身が地面に落下する。

 

 木刀で鉄塊を叩き斬った。その芸当を為せるだけの技量がある義勇の姿は、ヒーローへの()()()()()()()()()()()()で雄英に挑んだ者達を余計に怯ませた。

 

 真っ先に飛び出して標的を叩き斬った義勇の姿を見た、夜に溶け込むかのように全身真っ黒なコスチュームを着て、首元に長い布のような物を何重にも巻きつけた、無造作に伸ばした髪と無精髭が特徴的な男は、薄く笑いつつも非合理的な受験生達に向けて声をかけた。

 

『おい、何を固まってる。実戦にカウントなんざ存在しない。目の前だけを見て非合理的に動くな。将来を見据えて、合理的に動け。試験は始まっているんだぞ。時間を無駄にするな』

 

 男に急かされた受験生達は、その声をした方を一斉に振り向く。続けて、真っ先に飛び出した義勇の方を見る。義勇は、ビルの上に飛び乗ると忍のような軽い身のこなしで次の標的を探しに向かっているではないか。

 

「はは、凄いやつだな。私も……負けらんない、ねッ!!!」

 

 その背中を見た拳藤は、後れを取り戻そうと、あの少年に続こうと、()()()()()()()()()()()()()()を発し、出遅れた受験生達を出し抜くようにして地面を一蹴りして飛び出したのであった。




最後の呼吸音に関しては、筆者オリジナルです。実際のものは判明しておりません。


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第二十四話 全て伏せる

 流麗なる水流と化し、義勇が都会同然の試験会場で刃を振るう。ビルの頂上から頂上へと己の足で跳んで移動し、本来の都市なら車が通るはずの場所である道路をそれを遥かに超えた……並の人間の目では決して認識出来ない速度で駆ける。

 

 仮想(ヴィラン)が群れになって襲いかかれば、彼の流麗な剣技で瞬く間に叩き斬られる。文字通りに全てが薙ぎ払われて、彼の周囲は凪と化す。

 

 何にせよ、義勇には前世から培ってきた判断の早さがあった。それ故に、何をしようとも躊躇いや戸惑いがなく、動きが止まらない。

 

 その結果……。台風が如き勢いで進撃する彼の後ろに広がるのは、かつては仮想(ヴィラン)だった残骸ばかりとなるのであった。既に残骸と化した仮想(ヴィラン)を見た受験生の多くが戦意喪失したのは言うまでもないだろう。

 雄英高校ヒーロー科。その狭き門を通れるのは、この残骸を前にしてもなお、諦めずに次なるターゲットを探そうと会場を奔走する者達だけだ。

 

 順調に木刀で向かい来る仮想(ヴィラン)を叩き斬っていた義勇であったが、また新たな一体を破壊した瞬間に思い立った。

 

(……この仮想(ヴィラン)、何体用意されているんだ?)

 

 当たり前と言えば当たり前なのだが、仮想(ヴィラン)が用意された数、及びその居場所は受験生側に全く明かされていない。

 

 仮想(ヴィラン)の数。その上限が不明である以上、ある懸念が浮かぶ。それは……このままでは、自分1人で用意された仮想(ヴィラン)を全て破壊してしまうのではないかということ。

 

(それは非常にまずい)

 

 この会場で、自分1人だけが合格して他の受験生達は全員アウト。それだけは本当に洒落にならない話だ。この日の為に誰しもが必死で努力を積んできたはず。その努力が、自分のせいで水の泡になるのは申し訳ない上に、後に自分自身を許せなくなりそうだ。

 

 そう考えた義勇の行動は早かった。

 

(よし……。()()()()()()()()()()()()()()()()()だ)

 

 ここは雄英。ヒーロー養成校の最高峰。それなら、ヒーローの本質を理解しているかを……常に、救けることを頭に置いたままで動けるのかどうかを見られているはず。少なくとも同年代の少年少女達より思考力の優れる義勇は、そこまで推測していた。

 

 その推測の元、義勇は再び会場中を駆け回る。同年代から言わせれば、無尽蔵だと言っても過言ではない体力を以って動き続けた。

 

 困っている誰かを、試練に打ちのめされようとしているであろう誰かを救けたい。力になりたい。そんな思いが義勇の足を更に動かせ、速度を加速させる。

 

 前世でこそ、多少なりとも姉や親友であった錆兎の仇を討つ為に鬼を滅していた節はあったかもしれない。

 だが、常にその根底にあったのは、鬼に対して何も出来ない、か弱き人々を守りたいという思い。その為に容赦なく相手を殺すか、制圧に留めるかという違いはあれど、やることは前世と大して変わりなかった。

 

 ある時は、体を鋼鉄に変化させられる正義感の強い少年を救けた。またある時は、自分よりも頭一つ背が高く、鍛え抜いた体躯と腕の付け根から伸びた2対の触腕を持つ少年を救けた。またまたある時は、伸縮自在の影のモンスターを使役する、烏の頭部をした少年を救けた。明確に顔を合わせて数言ほど会話を交わしたのは彼らのみであるが、それ以外の受験生のことも全員救けた。――ただし、加速したままで仮想(ヴィラン)の腕を叩ききるなり、攻撃を凪ぐなりしていた為、自分が救けた側の受験生からは全く存在を認識されていなかったのだが――他にも、怪我をした受験生の応急処置を引き受けた。

 

 会話を交わすのは最低限で、無事を確認したら激励の言葉をかけてからクールに去る。その背中がまさしくヒーローそのものだと……姿を認識した状態で救けられた受験生達は、全員が彼の姿を目に焼き付けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()・壱ノ型……不知火ッ!」

 

 少女が、刀で袈裟斬りを繰り出すのと同じ軌道で手刀を振り下ろす。

 

 彼女の炎のような力強く猛き踏み込みは、果てしない宵闇の中に広がる、深夜の波一つない穏やかな海。そこに、数千個もの篝火が一直線に並んで一つ一つ火が灯っていき……それが線を紡ぎ、紅き閃光となるという何とも神秘的な光景を幻視させるものだ。これは、彼女が自身の扱う流派の呼吸を使いこなせている証である。

 

 彼女の手刀が気迫を纏い、炎のエフェクトを発しながら1Pの仮想(ヴィラン)を切り裂いた。

 

 その少女の髪色はオレンジで、髪型はサイドテール。青緑色の瞳には、こんなところで負けてたまるかという凛然たる意志が宿っていた。言うまでもない。彼女の名は――拳藤一佳。

 

 刀の才はない故、己の中で最も自信のある「拳」で振るえるように改良した炎の呼吸を扱う彼女は……。

 

「ヤバいな、やらかした……!完全に囲まれてる!」

 

 10体近くもの仮想(ヴィラン)に囲まれてしまっていた。

 

 自分の周囲は敵ばかり。しかも、味方はいない。これこそ四面楚歌。自軍が籠っている城の四方から故郷の歌が聞こえてきた瞬間の項羽も、こんな風に焦燥に駆られたのだろうか。

 

 絶体絶命とまではいかないが、十分にピンチの状況だと言える。

 それでも、ここで諦める訳にはいかない。雄英に受かることで、年下でありながらも頼れる彼氏であり、師としての役目も果たして自分をここまで高めてくれた少年に恩を返したい。それが拳藤の望みだった。

 

 常に溌溂としていて、立ち振る舞い一つ一つがオールマイトを思わせる彼の言葉を思い出す。

 

『一佳、心を燃やせ』

 

 いつだって、彼の贈ってくれた言葉は勇気をくれる。熱く心を燃やす。それこそが炎の呼吸の技を高めるのに重要なことであり、基本。

 

(心を……燃やせ……!私だってヒーローになる!弱い人達を守って、救けるヒーローにッ!)

 

 拳藤の心が更に燃える。ヒーローでないながらも、その精神性や戦闘力で既にそこいらのプロヒーローから逸脱している彼のような強き人になる為に。

 

 地面を強く踏み込み、肉迫。懐に潜り込んで狙いを定めたのは……胴体から生えた4本足を持ち、生物なら尻尾に当たるであろう部位を鋼鉄の鞭の如く振るう2Pの仮想(ヴィラン)

 

「炎の呼吸・弐ノ型、昇り炎天!」

 

 弧を描くように振るった腕で繰り出したアッパーカット。それは、夏空に天高く立ち昇り、頂天で太陽の光を受けて眩く煌めく猛炎のようだ。

 

 2Pの頭が打ち抜かれ、容易く爆ぜる。彼女の繰り出す技の威力は、明らかに増していた。

 

「参ノ型、気炎万象っ!」

 

 (かたわ)らにいた1Pの頭上を取る位置に跳び、自身の頭上から下へと、左手で包んだ握り拳を弧を描くように打ち下ろす。天から降り注ぐ、悪鬼を滅する炎のような一撃は、1Pの頭をひしゃげさせた。

 

 呼吸の型に限らず、自身の両拳を巨大化させる''個性''、''大拳''も駆使して順調に仮想(ヴィラン)の数を順調に減らしていく拳藤だったが……それが起こったのは、彼女を囲う仮想(ヴィラン)が半分ほどになった時であった。

 

 突如、背後から何かを連続で発射した音が聞こえた。鉄砲のそれなんてほど生温いものじゃない。まるでランチャーから発射したかのような連続したものだ。

 

「っ!?」

 

 嫌な予感がして、咄嗟に振り返る。その視界に映ったのは、自分の元へ一直線に迫り来るミサイルだった。それを発射したのは、恐らくは背中に2対の発射台らしきものを取り付け、戦車のような硬い装甲を持つ3Pの仮想(ヴィラン)。倒すべき3種の中で、最も攻略難易度が高い個体だ。

 

 気がついた時には、もうミサイルが近くまで迫りつつあった。目の前だけに集中し、背後にまで注意が回っていなかったことに気がつかされ、拳藤は己の未熟を恥じた。

 

(ダメだ、これ……間に合わない……!)

 

 同時に、もう間に合わないことを悟ってしまう。せめて、ダメージを減らさなくてはと交差させた両腕を顔の前に構え、背中を丸めて腰を落としたその時――

 

「水の呼吸・捌ノ型――滝壺」

 

 無機質な金属を思わせる淡々とした声と共に、拳藤の前に大滝が降り注ぎ、ミサイルを全て叩き斬った。

 

「え……」

 

 恐る恐る目を開けば、白いジャージに身を包んだ冷静沈着な少年の――義勇の姿があった。その凪いだ瞳が拳藤の方を向く。そして、彼の顔を真正面から捉えて……初めて、左頬にある流れ渦巻く水のような紋様があるのを知った。

 少なくとも、試験開始前にはこんな紋様はなかったはず。拳藤は、より一層義勇に注目していた為、そのことに気がついていた。

 

 手にした木刀には未だ気迫が残って――いや、それそのものが気迫を纏っているかのようで、その刃から静かな水流が溢れ出している。そして、彼自身の発する覇気が、地面に広がる波紋や周囲に漂う水泡、彼自身の肉体から溢れ出す流麗なる水のオーラを幻視させた。

 

「水、神……様……?」

 

 あまりにも人間離れしていて神秘的な義勇を見た拳藤は、無意識のうちにそう呟いていた。

 

 その呟きが聞こえていたのだろうか。義勇は、こてんと首を傾げる。だが、それも一瞬のことですぐさま臨戦態勢を取って、未だに残っている仮想(ヴィラン)の方に向き直った。

 

「手を貸そう」

 

 淡々とした声色のままで放ったのは、たった一言。だが、その一言が拳藤に大きな安心感を与えた。

 

「……いいの?試験中なのに」

 

 息を整えて構えながら、拳藤が聞く。

 

 誰しもが他を蹴落とす為に自分のことに夢中のはず。故に、他人の為に力添えするのは、酷い言い方をすれば時間の無駄と言っても良いかもしれない。それを分かっているから、彼女はそう聞いた。

 

 義勇は、迷うことなく薄く笑みを浮かべてこう返す。

 

「ヒーローの本質は他を救けること。自分のことだけ考えて、窮地に立たされた者を無視するなど、以ての外だろう」

 

(ああ……彼奴と一緒。根っからのヒーロー気質なんだね)

 

 その姿に、拳藤は年下の溌溂とした少年の背中を重ねながら笑った。

 

「そっか。そういうことなら……お言葉に甘えて!よろしくね、冨岡。あんたのことは色々と聞いてたよ。私は拳藤。拳藤一佳だ」

 

「……そうか。改めて名乗らせてもらうが……冨岡義勇。鎮静ヒーロー・凪の息子だ。背中は任せろ、拳藤」

 

 

 

 

 

 

 互いに自己紹介をし合った後、戦闘が再開された。義勇と拳藤。2人は型を振るって、次々と仮想(ヴィラン)を片付けていく。戦闘の最中、更に仮想(ヴィラン)が虫のように集まってはきたものの、義勇が全身全霊でサポートに徹していたおかげで拳藤は余裕を持って戦えた。

 仮想(ヴィラン)の破壊は拳藤に任せ、義勇は腕やミサイル、尻尾を斬って、彼女に対する妨害を全て阻止してみせた。

 

 幾分か余裕の出てきた拳藤は、炎の呼吸の弐ノ型、昇り炎天を振るいながら問うた。

 

「ねえ、あんた!仮想(ヴィラン)さ、私が全部壊しちゃってるんだけど……っ!いいの!?」

 

 義勇は、迫るミサイルの弾幕を粉々に斬り刻み、続けて逆袈裟斬りで1Pの腕を斬りながら、淡々と答える。

 

「構わない。既に、()()()()()()1()5()0()()()()()()()()()。俺1人で破壊してしまっては意味がないだろう。だから、ポイントは拳藤に譲る。俺のことは……気にするなっ!」

 

「ええっ……!?まだ()()()()()()4()()()()()()()()()()よ!?私もようやく50Pに到達したところなのに……!」

 

 彼の答えを聞いた拳藤は、その思いやりに感謝しつつも自分と彼との実力の差を思い知ったのであった。

 

 2人で力を合わせた結果。集まっていた仮想敵は、思った以上にあっさりと残骸になった。

 

 戦いの最中、拳藤は義勇の流麗なる剣舞に。義勇は拳藤の苛烈なる拳技に感嘆した。仮想(ヴィラン)(ことごと)く退けた2人は、軽く会話を交わした。

 

「まさか、拳藤も''全集中の呼吸''を扱えるとは。それにしても、炎の呼吸か……。知り合いに扱う者がいるのか?」

 

 義勇が尋ねると、自分の着ている黒いスポーツウェアに付いた砂埃を払いながら、拳藤が答えた。

 

「うん。()()()()()()()()()()()()()()()に教えてもらったんだ。そこの家系の長男で、1歳年下の子。さっき、あんたのことは色々と聞いてたって言ったけど……その子伝いなんだ。年下なのに凄い強くてさ。師匠でもあるんだけどね」

 

「1歳年下……」

 

 炎の呼吸を教えてくれたのだという少年のことを聞いた義勇は、とある青年のことを思い出した。

 凄まじい目力の梟のように見開かれた目。彼自身の心に燃える正義の炎を思わせる焔色の髪。家系に伝わる、由緒ある炎を(あつら)えた白い羽織。自分も含む''柱''全員から好かれる、明朗快活で豪快な性格。人間愛に溢れた彼は、まさしく好漢だった。

 

 炎の呼吸。そして、拳藤を超える実力者で、自分のことをよく知っている。

 

 そんな人物……自分の知る限りは、1人しかいない。

 

(聞いて損はない……かもしれない)

 

 そう考えた義勇が口を開く。

 

「拳藤」

 

「ん?」

 

「もしや、その少年の名は煉――」

 

 少年の正体に勘づいた彼が、その名を紡ごうとした瞬間――真下の地面から強い衝撃が押し寄せ、辺り一帯が激しく揺れた……!



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第二十五話 極まりし水の呼吸

 突如、真下の地面から押し寄せた強い衝撃。それに対して、何事かと驚いた次の瞬間には、遠くから地鳴りが轟き渡り、自然が(もたら)す大災害に恐れ(おのの)いているかのように辺り一帯の地面が震撼し始めていた。

 

「きゃっ!?なっ、何……!?地震!?」

 

 咄嗟のことでバランスを崩しかけた拳藤が忙しなく辺りを見回す。義勇は、バランスを崩しかけた彼女を支えてやりながら、冷静に状況を分析した。

 

(地震……?いや、違う。本当の地震ならば、相当の緊急事態。強制的に試験を中断せざるを得ないはずだ)

 

 ヒーローとして、大人として、子供の命を守るのが最優先のはず。緊急事態であれば即座に何かのアクションを起こすものだろう。それがなく、静観しているままだということは――

 

「これは……予め、仕組まれていた試験の一環か!」

 

「えっ?どういう――うわっ!?」

 

 推測を立てた義勇は、揺れがある程度収まってきたタイミングで跳躍。ビルの上に乗って、忍さながらの様子で辺りを見回した。

 

 すると、数十、数百mほど先のビル群の向こうに、それらを遥かに凌ぐ大きさのロボットが姿を現しているではないか。3階建てのビルの高さは、大体12から15m。そのロボットの大きさは、それらの高さのビル2つ分を遥かに凌ぐほどのものであった。10階建てのビルもあるというのに、それすらもその巨大なロボットの手の置き場にしかなり得ない。

 その様子は……まさに街を踏み潰しながら進撃する、金属らしく鈍い輝きを放つ緑色の皮膚を持った怪獣そのもの。それが拳を振り下ろす度に、ビルを覆い隠す程の砂煙が舞い上がっていた。

 

「ねえ、冨岡!何が見えたの!?まさか……0P!?」

 

「そうだ!奴は俺が破壊する!拳藤、他の受験生の避難を頼んだ!」

 

「えっ!?ちょっ、待っ――」

 

 声を張り上げて尋ねる拳藤。義勇は、彼女の質問に端的に答えると、消えるような速度で0Pの元へと向かっていってしまった。

 

「は、速っ!?人間が視認出来ない速度で……!」

 

 拳藤からすれば、義勇が消えたかのようにしか見えない。あのような速度こそが、疾風迅雷と例えるのに相応しいんだろうなと考えた。

 

 彼の速度にしばし唖然としていたが……それもここまで。パンッと頬を強めに叩いて気合いを入れ直した拳藤は駆け出した。

 

「ともかく、私もやれることをやろう!彼奴ならそうするし、ここで行かなきゃヒーローの名が廃る!」

 

 やはり、ここでも脳裏に浮かんだのは、常に溌溂(はつらつ)として正義の為に心を燃やす少年。彼に背中を押されたような気さえしながら、彼女もまた無我夢中で義勇の背中を追っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いざ、0Pを見上げられる位置まで辿り着いてみれば……脅威たり得るそれから必死で逃れようと、多くの受験生達が脱兎の如く逃げ惑っていた。

 

 誰もが0Pから逃げる為に必死になっている。誰一人として周りのことを気にしない。我先にと逃げ出してばかりだ。他が為に自分の身を投げ出すのはそう簡単じゃない。

 だが、それをやってのけるからこそ、ヒーローは英雄(ヒーロー)たり得て、讃えられるというのに。たった一握りの勇気を出せばいい。それで、自分に出来る最小限のことを最大限に……即ち全力でやれば良い。それが誰かにとっての本当のヒーローになる為に必要なことだ。

 

 分かってはいた。それを行動に移せる資質を持って雄英に挑んできた者達は少ないんだ。残念だが……これが現実だ。

 

 人間というのは不思議な生き物で、身近にあるもののことに関しては返って気が付かない。それが……他人が向けてきた恋心も然り、隠してきた心の傷もまた然り。これを例えたことわざを、灯台下暗しと言う。

 

 そのことわざが、今まさに現実となりつつあった。逃げ惑う受験生達は、誰一人として自分の視線より下の存在に気が付かない。

 

「ノコッ!?」

 

 その無情な振る舞いによって、しのぶと同じくらいに小柄で、茶色のロングボブの髪型をした少女が転倒しかけた。

 

 転倒しかけた彼女を支え、抱き止めながら思う。そういえば……しのぶもこれ程に小柄で軽かったのだな、と。

 

「怪我はないか?」

 

「君が支えてくれたから何ともないよ。ありがとね。こんなので転んじゃうなんてダメキノコだね、私」

 

 ヒーロー志望なのに転んだことが情けないと思ったのか、少女がはにかみながら笑う。転んで乱れた前髪からは……椎茸の花切りのような形状の瞳が顔を覗かせていた。いや、見方によっては、光を受けて眩く煌めく琥珀とも言えそうだ。

 

「お前に悪いところは何一つない。ヒーロー志望だというのに、周りを気にせず我先に逃げ始める方が悪いんだ」

 

 彼女に謝ることもなく逃げ続ける受験生を見ながら、せめて謝ることの一つくらいやったらどうだという意味も込めて、恨めしげに俺は言う。

 

 すると、少女はくすくすと笑った。

 

「ふふふ。確かに本当のダメキノコは、自分最優先で逃げてる人達かもね。私達がなるのは……ヒーローなんだから!ありがと、ちょっと元気出たノコ!」

 

 言った通りに元気を取り戻した笑顔の彼女を見て、ホッとした。白い歯を見せながら目を細めて笑う彼女は、どこか小悪魔のようだ。これが、いたずらっぽい笑みというものなんだろうか。

 

「冨岡っ!やっと追いついた……!その子、どうしたの!?」

 

 そこに、ずっと俺を追ってきていたらしい拳藤がやってきた。「慌てて逃げてた人達は、まとめて入り口の方に避難させてきた」とウインクしながら言う彼女は、一切息を乱していない。流石は……あの男らしき人物に鍛えられた少女だというところか。

 

「逃げ惑う受験生の波に揉まれて転びかけてな。咄嗟のところで支えたから怪我はないが。取り敢えず――」

 

 俺は、立ち上がって倒すべき脅威のいる方向を見据える。

 

「見ての通り、この辺には未だ混乱して逃げ回っているものが多くいる。二人は、彼らの避難を頼んだ」

 

 目線だけを向けて一言。すると、二人は……。

 

「任せて」「任せるノコ!」

 

 見事に即答した。何も出来ずに逃げ惑うしかない者達を避難させる。これもまたヒーローに必要なことだと理解しているからこその反応。

 

 そうだ、それでいい。俺は満足気に微笑む。そして、いざ0Pの元へ向かおうとすると――

 

「そうだ、冨岡。私は他の人の避難が終わったら、また戻ってくるからね」

 

 拳藤から思わぬ言葉が放たれ、地面を蹴ろうとしていた足を止めた。

 

「本気か……?」

 

「本気さ」

 

 振り返ってみれば、拳藤は口角を上げてニッと笑い、拳を鳴らしていた。そのまま、彼女は続ける。

 

「0Pを完全に破壊することは出来なくたって、私にだって出来ることがあるはず。何よりさ、あからさまに周りに被害与えそうな奴を放ったらかしにして逃げるなんて出来る訳ないだろ?勿論、あんたの実力を信頼してない訳じゃないけど――」

 

「あんた1人に全部任せるのも違うだろ?」

 

 再びウインクしてから、彼女はそう言い切った。

 

 ふふ……これは、頼もしいことこの上ない。こう言うのは些か早すぎるかもしれないが、彼女はいいヒーローになるに違いない。

 

「……分かった」

 

 俺が頷くと、拳藤は嬉しそうに笑った。突然の脅威の出現に混乱した頭にされるがままで逃げ惑う受験生達を一喝し、彼らを先導する彼女の姿がやはり彼と……煉獄と重なった。

 

 

 

 

 

 

 拳藤ともう1人の少女――彼女は、小森希乃子と名乗った――と別れた後、俺は0Pの元へ向かっていた。未だ、その足元にはまばらに人が残っている。

 

 たった今、0Pの振り下ろした剛腕によって凄まじい土煙が上がったところだ。足元にいる複数人のうち、1人は逃げる素振りを全く見せていなかった。……非常に不安だ。急がねばな。

 

 速度を上げようとした瞬間――

 

「誰かッ!誰か、救護の術を持つ者はいないか!?怪我人がいる!いるのであれば、力を貸してくれないか!?」

 

「うう……。ごめん……あんたもポイント、稼ぎたいはずなのにっ……」

 

「今はポイントを気にしている場合ではない……!怪我人を見捨てるなどヒーローの所業に在らず!待っていろ、必ず救けを呼ぶ!」

 

 ピリついた叫びが聞こえた。まさしく、災害時に周囲の人々に避難を呼びかける時のような、そんな声が。そんな声を無視する訳にはいかない。俺は、すぐに声の主の元へ向かった。

 その声の主は――入試の最中に遭遇して救けた、烏の頭部を持つ鋭い目付きの少年だった。

 

「どうした!?」

 

「!お前は……流麗なる水の剣士!再び会えて嬉しいぞ。だが、今は再会を喜ぶ場合ではない。この少女が怪我を負っているのだ……!あの鉄塊の振るった拳によって散らされた瓦礫が、頭部に命中した!意識はあるが、頭部から出血している」

 

 その少年から大方情報を仕入れつつ、背負われている少女を見れば……髪型は短めのボブカットで、耳たぶが何より特徴的な形をしていた。プラグになっている耳たぶ。こんな耳たぶを持つ少女を、俺はたった1人しか知らない。

 

「耳郎……!?」

 

「あれっ……?冨、岡……?」

 

 耳郎響香。緑谷の特訓に付き合う中で、丁度海浜公園の掃除が終わったぐらいの時期に知り合った少女。初めて会った時は……受験勉強の息抜きでそこを訪れていたんだったな。息抜きする為のいい場所を作ってくれてありがとうと感謝されたのをよく覚えている。

 

 彼女は、長らく自分の進路に悩んでいた。大好きでもあり、趣味でもある音楽の道か。幼き頃に憧れたヒーローの道か。緑谷と一緒になって、悩む彼女の相談に乗ったことは一度や二度ではない。最終的に、彼女はご両親とも話し合った上でヒーローの道を歩むことを決めたそうだ。

 

 実技試験の会場が同じだったとは……。少し驚くが、再会に浮かれてる場合じゃない。大切な友達なんだ。救けねば……!

 

「一先ず、安全な場所に移動しよう。極力、0Pが起こす振動が伝わらない場所に」

 

「御意」

 

「耳郎。俺が来たからには、もう大丈夫だ。あとちょっとだけ頑張れるか?」

 

「うんっ……」

 

「よし。強いな、お前は」

 

 薄目で俺を見ながら、ふにゃりと笑った耳郎を壊れ物を扱うかのように振動を与えないよう……そっと、そっと撫でる。精神年齢が大人である俺からすれば、彼女は年下で、子供であることに変わりはない。大人の俺が責任を持って守り、安心させてやらなくてはな。

 

 烏の頭部を持った少年を連れ、耳郎を安全な場所へ運ぶ。勿論、彼らを先導すべく速度は合わせた。

 都会を再現しているだけあって、周りはビルが多い。それらが0Pが動く影響で脆くなっていることを考えると……やはり、一番安全なのは試験会場の入り口だった。

 

 怪我人を連れてくると、他の受験生達が狼狽えてざわつき始める。突き立てた人差し指を口元に添え、静かにするようにとジェスチャーで指示を出すと、彼らは瞬く間に静まり返った。彼らの協力に感謝しながら、何度か折りたたんだタオルを地面に敷き、耳郎を連れてきた少年と協力して彼女をそっと寝かした。

 

 ……丁度、額の辺りか。

 

 最初に出血部位を把握した後、ウエストポーチから清潔なガーゼや、包帯。更に、タオルから始まり、その他応急処置に必要な物がしまわれたカプセルを取り出す。俺は早速カプセルを放り投げて、道具一式を出現させた。

 

 洗面器にペットボトルに入れた清潔な水を注ぎ、タオルをつけて、次は出血部位を洗う。強く押さえつけるのではなく、洗顔を行う時のように優しくそれを傷口に当てながら。

 

 そして、耳郎と目線を合わせるようにしながら尋ねた。

 

「耳郎。いくつか質問をするから、答えられるなら答えてくれ。無理なら黙ったままでいい。5秒間沈黙が続いたら、答えられないと判断して次の質問にいくから」

 

 頷く耳郎を確認したところで、質問に入る。質問と言っても、大して難しいものじゃない。比較的簡単なものだ。

 

「自分の名前は?」

 

「耳郎響香……」

 

「誕生日は?」

 

「8月1日……」

 

「今いる場所は?」

 

「雄英高校……。実技試験の会場で……会場C」

 

 うん……比較的、受け答えははっきりしているようだ。俺はホッとしながら微笑むと、後のことを烏の頭部を持った少年に託した。

 

「清潔なタオルやガーゼ、包帯も用意しているから、それを使って患部を手で押さえてくれ。大体、5分ほど。止血が終われば、寝かせたまま安静にさせて様子を見てやってくれ。姿勢はしばらく寝かせたままでな。5分計測するのは……俺の腕時計を使っていい」

 

「何から何まで済まんな。感謝する」

 

 俺が腕時計を手渡すと同時に少年が薄く笑みを浮かべる。そんな彼を見ながら、俺は感謝していた。

 

 というのも……ここまで応急処置を素早く出来たのは、中学校でいじめに遭っていた子達に対して同じことを施していただけではない。前世、しのぶが色々と教えてくれていたんだ。

 

「貴方は鈍臭い上に、傷は放ったらかしにするんですから……。自分で応急処置くらいは出来るようになっててください。私、心配です」

 

 ……なんて言われて、懇切丁寧に教えてもらったのだったか。

 ……本当にありがとう、しのぶ。

 

 さて――俺は、もう一仕事こなさなければな。

 

「いけるな?拳藤」

 

「ああ、勿論だ」

 

 俺の声に、闘志に満ち溢れた凛然たる声で拳藤が答える。

 

 俺達のやらんとすることを察してか、少年が声を上げた。

 

「まさか……奴を、0Pを討つ気か!?」

 

「ああ」

 

 肯定すると、周りの受験生達が再びざわつき始める。

 

 「無理に決まってる」だとか、「あんな理不尽な奴、放っておくしかないんだ」とか、「無謀だよ」だとか。

 

 気持ちは分かる。彼らはまだまだヒーローに憧れるのみの精神の未熟な子供。あれほどに強大で困難な壁が立ち塞がれば、心が折れるのも無理はないだろう。だが――

 

「そんな理不尽(ピンチ)を覆す。それが、お前達の憧れたヒーローの成してきたことではないのか?」

 

 そう言いつつ、強く木刀を握りしめる。俺の言葉で、周りはしんと静まり返った。

 

 沈黙を破ったのは……烏の頭部を持った少年。

 

「ふ……敵わんな。他を救ける為にこの会場中を駆けただけはある。……俺の名は、常闇踏陰。なあ、流麗なる水の剣士よ。真のヒーローに相応しき輝きを放つお前の名を知りたい」

 

 少年――常闇が薄く笑みを浮かべて、手を差し出す。

 

「……冨岡。冨岡義勇だ」

 

 その手を握り返して握手を交わし……目で会話を交わした。

 

 ――頼んだぞ。

 

 ――ああ、任せろ。

 

 託された常闇の思い。それを背負い、俺は拳藤と共に踵を返して0Pの元へ駆ける。

 

「さて、0P――脅威()が行くぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅおおおっ……!」

 

「ッ……ぐっ……!!!」

 

 0Pの足元にて、それが振り下ろしてきた腕をこれ以上振り下ろさせまいとして必死で支え、道を阻む者達がいた。

 

 1人は、その肉体を金属化させて、体全体から銀色の鈍い輝きを放つ少年――鉄哲徹鐵。

 そして、もう1人は、受験生の中でも飛び抜けて恵まれた体躯を持ち、肩から生えた2対の触手を己の鍛え上げた剛腕に変化させた少年――障子目蔵。

 

 彼らは、0Pの齎す脅威をこれ以上広げない為に動いた者達だ。0Pの拳は、コンクリートを豆腐のように叩き割った。それによって飛び散った瓦礫が1人の少女に怪我を負わせた。そんな彼女に、0Pは無情にも拳を振り下ろさんとしていた。

 

 それを見た鉄哲は……突き動かされた。ワイルドな容姿と反対に、その性は仲間思いで正義感が強く、真っ当なヒーローに相応しいものであったのだ。受験生同士、そりゃあ蹴落とし合うのも仕方がない。だが、それとこれとは話が違う。

 

(ここで見捨てたら……俺は、一生後悔することになるッ!)

 

 確信にも似た予感がした鉄哲は、少女と0Pとの間に割り込んで、体を金属に変化させ、その腕を受け止めた!

 

 その現場に居合わせた障子もまた、ヒーローに最も必要である自己犠牲の精神を持つ少年。彼もまた鉄哲の行動と少女を救けなければという思いに突き動かされ、腕を複製しつつ、彼に力を貸した!

 

 そして、そこに常闇が駆けつけて少女を連れて離脱し、今に至る。驚くべきことに、今も彼らは持ち堪えていた。だが……もう限界が近い。腕に上手く力が入らず、生まれたての小鹿のように震え始める。酷使している腕の筋肉も痛み始める。

 

 当然だ。何せ……何十、何百トンもあるであろう鉄の塊をたった2人で支えているのだから。

 

 それでも、2人は歯を食いしばって耐えるが、このままでは2人まとめて潰されるのは明らかだ。体を金属に変化させられる鉄哲はまだいいが、障子が潰されてはただでは済まない。

 自身のことを単細胞の馬鹿だと自負している鉄哲ではあったが、そのくらいのことははっきりと分かっていた。

 

 実を言うと、鉄哲も''個性''を維持出来る時間の限界が近い。それでも、せめて隣にいる熱い心を持った少年を逃がさなければと思い、彼は強がって口を開いた。

 

「お前だけでも……逃げてくれ!」

 

「なっ……!?そんなこと出来る訳が――」

 

「このままじゃ、俺もお前もぺしゃんこになっちまう……!俺のことなら気にすんな……っ!俺は鉄、硬ェ金属だ……!ちょっとやそっとじゃ怪我なんかしねえからよ……!」

 

 隣にいる少年を心配させないが為に、"個性"の影響で銀色に輝く歯を見せつけてニカッと笑う。

 

 無理をしているのは明らかだが、それでも笑う彼を見て、障子は歯痒さで鼻まで覆い隠したマスクの下の歯を食いしばった。何も出来ない自分の無力さを悔やみながら。

 

 ――その時だった。

 

「ッ!?お前っ……!」

 

「しまっ……!?」

 

 鉄哲の腕にヒビが入り、そこから体全体に綻びが生じる。彼の肉体を覆っていた金属は、鎧のように砕け散ってしまった。

 

(金属疲労……!今が一番踏ん張らなきゃいけない時だってのに!)

 

 ここに来て、とうとう鉄哲の"個性"が解けてしまった。己の肉体を金属に変化させる"スティール"。それが彼の"個性"だが、その持続力や強度は彼自身の体内に蓄積された鉄分量に左右される。

 

 体内の鉄分が不足してこれ以上は"個性"の発動を維持出来ない状況下で、継続的に応力を受けたことでその強度が著しく低下。結果として、"個性"が強制的に解除されてしまったのだ。

 

 例え、如何に優れた集中力を持っていようと、想定外の事態が起きた瞬間、そちらに気を逸らされてしまうもの。

 

 0Pの腕を支えることだけに注いでいた集中力があっという間に霧散し、そのおかげで幾分が紛らわすことが出来ていたはずの疲労が一気に鉄哲の体を襲う。

 

「うぐっ……」

 

 膝から崩れ落ち、もはや立ち上がれるだけの体力も残っていない鉄哲。柱が崩れた家が崩壊を始めるのと同じように、支えを無くした0Pの拳がグンッと押し寄せる。

 

「ぐうっ!?」

 

 鉄哲の支えが無くなった分、障子1人に押し寄せる重量と負担は更に大きくなる。流石の彼でも、堪らず大きく後退させられた。

 

 その拍子に手を離してしまい、道を阻むものが無くなった0Pの腕が鉄哲へと迫る。

 

「っ……!俺のことはいいから逃げろ!」

 

「悪いが、黙って逃げられる程の単純な人間じゃない!」

 

 必死に叫ぶ鉄哲と、彼を庇うように立つ障子。

 

(駄目だ……!これじゃ、俺達2人とも潰される!何か出来ることはないのか!?何か、何か……!)

 

 手を握り締めながら、打開策を探す。馬鹿な鉄哲なりに必死で頭を回したが……それが何もないと気がついた時。

 

(……潰される……!)

 

 思考回路という名の糸がプツンと切られたかのように察してしまった。

 

 鉄哲が覚悟を決めて痛みを紛らわそうと目を閉じ、障子が腕を構え、腰を深く落として再び0Pの拳を受け止めようとした瞬間――

 

「炎の呼吸・肆ノ型、盛炎の……うねりっ!」

 

 2人の間に一つの影が割り込み、渦巻く炎が巻き起こった。放たれたのは上段回し蹴り。その軌道に沿って巻き起こった炎のような蹴撃が、前方広範囲を薙ぎ払う。少女――拳藤が放ったその一撃は、見事に0Pの腕の進行を阻んだ。

 

 突然の出来事に呆然とする鉄哲と障子。彼らの無事を確認すると、拳藤は「そういう無茶、嫌いじゃないよ」と言わんばかりに口角を上げてニッと笑い……0Pを屠る者の名を呼んだ。

 

「冨岡!」

 

 名を呼ばれた少年は、両腕を含めた全身を捻った構えを取ったまま、地面を蹴って跳躍。その凄まじい脚力で、体を回転させながら空中へ高く跳んだ。

 

 体を回転させると共に、彼の握る木刀も回転して威力が上昇していく。体を回転させる少年の周囲には激流が纏われ、凄まじい渦潮が巻き起こっていた。

 

 脚を停めて気を練り上げ、全身を捻った構えを取るに加え……回転を重ねることによって、斬撃の威力を更に跳ね上げる。

 十ある水の呼吸の型のうち、最強の技。これは、それを極めた先にある型。その名は――

 

「水の呼吸・拾ノ型"()"……涓滴閃(けんてきせん)・流転」

 

 その身に纏った激流を斬り払うように現れた義勇。その手に握られた木刀に激流が纏われ、龍の形を象った海神の姿を形成する。そして、それと共に0Pを襲ったのは、洗練された一閃だった。

 

 激流一閃。静かに滾り、荒む波のような一撃は、0Pの頭部を綺麗に斬り落とした。

 

 頭部の接着面がズルリとずれ、地面へと真っ逆さまに落下していく。それが地面に落下すれば、更なる弊害が発生するだろう。そこまで悟っていた義勇は……落下していく0Pの頭部を自身の間合いに入れて、自身が作り上げた水の呼吸の型を繰り出す。

 

「全集中、水の呼吸・拾壱ノ型――」

 

――凪――

 

 彼を目にした者達の目に映ったのは、義勇を中心として、渦を巻きながら荒波が巻き起こる光景。そして、彼が型の名を詠唱した瞬間――水面に一滴の雫が打ちつけられ、辺り一帯の波が鎮まり返った。まさしく、無風の海面。

 

「おお……」

 

 誰かがその光景に感嘆の声を上げた。ふと気がつけば、彼の間合いに入っていた0Pの頭部は粉微塵に斬り刻まれていた。

 

「い、一体……」

 

「何が起こったというんだ……!?」

 

 動じることなく水鳥のように華麗に地面に降り立つ義勇の背中を見守りながら、鉄哲と障子が呟いた瞬間。

 

『試験終了だ』

 

 雄英高校の実技試験が終わりを告げたのであった。




障子君が出久君やお茶子ちゃんと試験会場が一緒なのをすっかり忘れておりました。この作品限定の改変ということでご了承ください。


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第二十六話 冨岡義勇と耳郎響香

 雄英の保健室にて。背もたれのない丸いパイプ椅子に腰掛けたまま、俺は書店で買った小説を読み進めていた。

 

 小説のページをパラパラとめくりながらチラッと視線を上げれば、目の前の白いシーツのベッドにはすやすやと眠る耳郎の姿が。そして、少し離れたところには、多くの書類や名簿の乗せられた事務的でシンプルな作りの机に向かって仕事をなさるリカバリーガールの姿がある。

 

 試験終了後、大方怪我人がいないかを見回った後で帰宅してもいいということになった。その際、切島に芦戸、それと試験会場で新たに知り合った小森、拳藤、常闇。加えて、2対の触腕と鍛えた自身の剛腕を持つ少年、障子目蔵。それと、己の肉体を金属に変化させることが出来る少年、鉄哲徹鐵。合計7人と連絡先を交換した。

 結果を聞く限り、切島、芦戸、透、緑谷に爆豪も満足のいく結果を出せたらしい。この調子なら全員受かれそうだと思い、安心した。

 

 試験が終わり次第、各自が帰宅していく訳だが……俺はそうもいかなかった。頭部を怪我した場合、1〜2時間の安静及び経過観察が必要になる。耳郎がそういう怪我を負った以上、すぐには帰れない訳だ。

 

 俺が0Pをもっと早く屠れていたなら、彼女も怪我を負うことはなかったろうに。俺のせいじゃなかったとしても――やはり、耳郎は「あんたのせいじゃないよ」と言ってはくれたが――彼女に怪我を負わせたのが悔しくて彼女の為に何かがしたかった。そこで、耳郎を送ってやることを決めて、こうして雄英に残っているということだ。

 

 最初こそ、耳郎はチラチラと俺の方を見ていたらしかったが、しばらくして緊張の糸が解けたのか、いつの間にか眠ってしまったらしかった。

 

 そうして、彼女の目が覚めるのを待ち……はや1時間半程が経過していた。

 

「……嘘でしょ……?本当にずっと待ってたんだ……」

 

「耳郎。目が覚めたか」

 

 呆れ気味な声に顔を上げてみれば、薄目で目を開けた耳郎の姿が目に入る。

 

 無事に目が覚めて良かった。そう思うと、一気に肩の力が抜けて顔が綻んだ。

 

「あれ……?あんた、眼鏡かけてたっけ?」

 

「ああ、伊達だ。学校にいる間は基本的にこうしてる。体育の授業の時は外していたが」

 

「様になってるね……。もろにインテリ男子だよ。モテてたんだろうなあ、あんた」

 

 そんな何気ない会話を交わしつつ、耳郎が立つのに手を貸してやる。

 

「良かった良かった。目が覚めたみたいだね」

 

「リカバリーガール、ありがとうございました」

 

 心底安心したような声に振り向けば、茶封筒を手にして微笑みを浮かべるリカバリーガールの姿がある。

 

 彼女を見ていると、鬼殺隊を無償で手助けしてくれた藤の花の家紋の家の方々を思い出す。特に、その家系の方で長年隊士を支えてくださったご老人の方。俺も、彼女には何度も世話になったな。

 

「家に帰った後の怪我の対応なんかも、この封筒に入った書類に書いておいたからね。治癒はしっかり施したけれど、私の''個性''も万能じゃない。後から後遺症が現れたりすることもあるから気をつけるんだよ」

 

「はい」

 

 書類を受け取る耳郎を見て、リカバリーガールは再び微笑む。自分の祖母のことは何も知らないが……彼女もこんな風に誰かを見守る温かみに溢れた人だったのだろうか。

 

「何はともあれ、2人とも頑張ったね。お疲れ様。冨岡、鱗滝にもよろしく言っておいておくれ」

 

「分かりました」

 

 ポケットからケースを取り出し、器用にも俺達の掌に熊の形をしたグミを配りつつ言った彼女に頷き、俺達は帰路についたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「試験……大丈夫かな?」

 

「自分に出来ることを最大限にやったんだろう?それなら心配無いと思う」

 

「……そうだと信じたい。はあ、自分の実力に自信がある訳でもないのに他の誰かを救けるなんておこがましいよね……」

 

 プラグに変化した自分の特徴的な耳朶に指を絡めながら、ウチは呟く。

 

 結局、試験中にも怪我しちゃうし……冨岡にも迷惑かけちゃうし……。結果が散々じゃないことを祈るばかりだ。

 

 最終的に下手こいて怪我するくらいの実力なのに他の誰かを救けるなんて、強い奴とか、ろくでもない奴からしたら「ざまあみろ」って感じなのかな。そんなことを考えながら、肩を落として歩いていると……冨岡の手が、ぽんとウチの頭に乗った。

 

「救けることがヒーローの本質なんだ。そんなことを思ったりしない。それに、俺達が挑んだ場所はヒーロー養成校、その最高峰だ。本質を一切評価しないというのはあり得ない。きっと見てくれてる」

 

()()()()()()()()()()とやらも言ってくれたんだろう?『自分のこなしたことがどれだけ地味だろうが、小さかろうが、ヒーローとして正しいことをやった奴が一番派手でカッケェんだぜ』と」

 

 遥か遠くの空を見るように冨岡が言う。

 

 ――やっぱり大人だ。そう思った。

 

 初めて会った時から、冨岡は大人だった。見た目は勿論、ウチらと同じ子供。でも、精神的に大人だった。受験勉強の息抜きにと辺りを散歩してて、無意識のうちに海浜公園にまで足を運んだその時に……冨岡や緑谷と出会った。当時は、海浜公園のゴミが何一つ残ってなくて驚いたっけ。そこの綺麗な水平線に心の底から感動して……その日から、そこがウチのお気に入りの場所になった。そんな場所を作ってくれたのは、間違いなく緑谷と冨岡のおかげ。心を込めてウチはお礼を言った。

 

 いざ話してみたら、2人とも凄いお人好しだった。自分1人で悩んでて、ずっと(おもり)みたいにウチの心を押し潰してた悩みの相談に乗ってくれた。

 

 ウチ、小さい頃から音楽が大好きなんだ。音楽に関することならなんでもね。楽器を弾くのも、曲を聴くのも、作るのも。それと同時に、沢山の人を救けて笑顔に出来るヒーローになることにも憧れた。だってさ……ロックでカッコいいじゃん?その人が場にいるだけで周りがブワッて笑顔になるんだよ?

 何より、身近にいた先輩がそんな存在であった以上、ウチがヒーローに憧れるのは至極当然のことで。

ヒーローになりたいって気持ちが芽生えた。

 

 でも、音楽も大好きでミュージシャンである両親に憧れてたものだから、ずっと悩んでた。どっちの道を進むべきかな、って。両親の期待を裏切ったらどうしようって。

 

 2人とも、真摯にウチの悩みに向き合ってくれた。緑谷が同い年の子供としてアドバイスをくれてる一方で、冨岡は大人としての意見をくれてた……って感じだった。何せ、「俺が耳郎の親なら」なんて仮定を必ず頭に頭に持ってきてからアドバイスをくれてたし。

 

 結局、両親の反応もほぼ冨岡が言ってくれてた通りだった訳で。まるで、親としての人生を少しでも経験していたかのような言い方に、冨岡は大人だって思ったんだ。

 

 そんな彼の言葉は、ウチの気持ちを明るくしてくれる。悩みを打ち明けた時もそうだったし、試験中に駆けつけてくれたのもそうだったし。

 

 ヒーローにならなくても、立派なヒーローじゃん。

 

 内心でそう呟きながら微笑んで……「ありがとう」って、精一杯のお礼を言った。

 

「大したことは言ってないつもりだが……?それにしても、お前の先輩は……()()()()なんだな」

 

「うん、凄く。しかも、()()()()()()()()()。自分のお嫁さん候補の子達を一番、カタギを二番、自分を三番。そんな優先順位を付けてる。……ヒーローらしくないって思うかもしれないけどさ、いい人なんだ。守るべき市民の人達は絶対守るし、オールマイトみたいにどんな時でも笑って、ド派手に啖呵を切る。自分の実力は過信しないし、他の誰かの命を無碍にしないし」

 

「……そうか。元気にやっているんだな」

 

 突然振られた、ウチの中学校に通っていた先輩の話。その人のことを話された冨岡は、凄く懐かしそうに笑ってた。

 

「あれ?知り合いだったの?」

 

「ああ……。何年も前に会ったきりで、な」

 

「ふーん……?ウチには何も話してなかったけど……まあいいか」

 

 その先輩も、冨岡みたいな遥か昔を懐かしむような笑顔を見せることがある。特に、彼のことを話したタイミングで。

 

 ……2人揃って前世の記憶があるか何かで、冨岡とその先輩は関わりがあった……とか?

 

「……そんなはずないか」

 

 冨岡の笑顔を見ながら浮かんだ仮説を否定して、ウチは少し軽くなった足取りで家に向かった。

 

 …………後から先輩に怒られるかもしれないって思ってたから、結局重いのは否定出来ないんだけどさ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳郎を無事に家まで送り届けた後で帰宅しようとした俺だったが、彼女自身や彼女の両親にお昼だけでも食べていってと勧められた。ご両親も耳郎に聞きたいことが色々あるはずだし、迷惑になるのではないかと断ろうとしたが……空腹を感じていたのも事実だったので、お言葉に甘えることにした。

 

 一体どのタイミングでご存知だったのか分からないが、ありがたいことに俺の好物である鮭大根を提供してくださった。耳郎のお母さん手作りの美味な昼食をいただいた後。

 

「改めて……響香のことを救けてくれてありがとう、冨岡君。君のことは響香から何度も聞いてたわ。自分の悩みを解決してくれた恩人だって」

 

「ちょっ、お母さんってば!本人の前で言わないでよ、恥ずいじゃん……!」

 

「いえ、お構いなく。どちらも俺がやりたくてやったことですので」

 

 耳郎のお母さんから頭を下げられた。礼を言われるのを目的に救けた訳じゃない。だが、礼を言われるのはやはり心地が良かった。

 

 しかし、そうか……俺は耳郎の恩人なのか。ムフフ、嬉しいものだな。思わず頬が緩んでしまった。

 

 それにしても……だ。

 

「ほら、貴方。ちゃんと冨岡君にお礼を言わないと」

 

 先程から、耳郎のお父さんに睨まれている。ここまでで何かいけないことをしたのか……?気まずい……。

 

「……貴方?」

 

 耳郎のお母さんが、眉間に皺の寄る彼の顔を覗き込む。そこで、彼はようやく口を開いた。

 

「冨岡君……だったね。勿論、君が響香を、うちの可愛い娘を救けてくれたのは感謝するが――」

 

 直後、彼の目が覚醒した瞬間のようにカッと見開かれる。

 

「うちの可愛い娘は、響香は渡さんぞ!」

 

「「――は?」」

 

 突然放たれた言葉。訳が分からず、俺と耳郎は同時に呆けた声を上げた。耳郎のお母さんも何度も目をぱちくりさせている。

 

「な、何を言って……」

 

「雄英の入試を受けるのを決めてからは、その対策の為に今や雄英に通っている中学の先輩を連れてきて!しかも、色男で……嫁候補が3人!それに飽き足らず、こんな美男子まで連れてきて……!魂胆は分かっているぞ!響香の悩みを聞いて惚れさせ、付き合う気なんだろう!?ましてや、入試で戸惑いもなく救けて……!」

 

 ……何故か、物凄い勘違いが起こっているのだが。

 

 口を半開きにして瞬きし続ける俺。恐らく、これはアレだ。一人娘が可愛すぎて嫁に出したくないという父親にありがちなアレ。姉さんがハマっている少女漫画の中で見たことがある。

 

 勿論、付き合っている事実はないし、耳郎は大切な友達に過ぎない。

 

「あー、もう……!おっさん!先輩も、冨岡もそうじゃないってば!先輩に関しては何度も言ってるじゃん!冨岡がウチを救けてくれたのは善意なの!下心はゼロだから!冨岡はそんな奴じゃない!そもそも、冨岡とウチはただの友達!!!」

 

「いいや、響香は騙されているんだ!男は皆、そういうものなんだぞ!」

 

「だから、話を聞いてっての!」

 

 呆然としている間に、目の前で言い争いが始まってしまっている。耳郎のお母さんも申し訳なさそうにしつつ、オロオロとしていた。

 

「どうしても……どうしても響香と付き合いたいなら、俺を倒してからにするんだっ!」

 

「ええっ……?」

 

 果てには、血涙を流しながら俺に勝負を挑んでくる始末。駄目だ、話を聞いてくださらない……!俺は困惑するしかなかった。

 

「もう……!こうなったら、冨岡!遠慮なくぶっ飛ばしちゃってよ!」

 

 呆れた耳郎が、シャドーボクシングのように拳を振るいながら言う。

 

「し、辛辣すぎないか……?」

 

「変な言いがかりつけて冨岡を悪い奴に仕立て上げようとしてる方が悪い。どっちにせよ、元凶だと思ってる相手からぶっ飛ばされでもしないと頭冷えないし」

 

 思春期の女子は、ここまで親に辛辣になるんだろうか……。不安定な心とは恐ろしい……。

 

「……分かりました。怪我のないように加減はします」

 

「くっ……!姑息な手を使う割にはロックだな……!」

 

「ご、ごめんね、冨岡君……。ご迷惑おかけします……」

 

「いえ……」

 

 結局、この後は素人丸出しの動きで果敢に突っ込んできた耳郎のお父さんを正拳突きの寸止めで落ち着かせ、自分には昔から想う人がいるということを説明した上で耳郎とはただの友達だと誤解を解いた。

 

 取り敢えず、分かったのは……耳郎がご両親にとても大切にされていて、特に父親にはとても可愛がられていることだ。一人娘な訳だし、とても心配になるのも当然のことだとは思う。だが、耳郎は両親のことを真剣に考え、夢について悩める少女だ。試験の時も、彼女なりに他の受験生を救けてくれたようだし。きっと、彼女に好きな人が出来たとしてもいい人だろうな。そんなことを思いつつ、耳郎に対して平謝りする彼女の父親を苦笑しながら見ていたのであった。



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第二十七話 結果や如何に?

 緊張を覚えつつ、入試を受けた当日から結果を待つこと1週間。

 

「義勇!義勇ー!通知、届いてたよ!」

 

 とうとう、自宅に合否通知が届いた。

 水色の縦縞のセーターと緑色のパンツ姿の蔦子姉さんが封筒を手にして、嬉しそうに俺の部屋にやってくる。

 

 姉さんから封筒を受け取り、自分の部屋に移動して結果を見ることにした。

 

 封を開けようと手を掛けた瞬間、緊張で息を呑んだ。隣には姉さんもいて、家族の勘というやつなのか、その時に姉さんも全く同じことをした気がして彼女のいる方を振り向いた。すると、見事に目が合う。姉さんも同じことを考え、同じことをやったのだろう。

 

「ふふっ……なあに?」

 

「姉さんこそ」

 

 それがなんだか可笑しくて、2人で顔を合わせて思わず笑ってしまった。

 

 緊張がほぐれたところで、覚悟を決めて封を開ける。その中から出てきたのは……丸く薄い機械だった。厚さは2mm程の機械。その見たこともない摩訶不思議な機械を、デッサンを行う時のように360度から舐め回す勢いで見る。

 

「こんなに技術が進歩してるのね……。電話もそうだったけど、どんな機械でも持ち運びが楽な仕様になってるのかしら……?」

 

 俺も姉さんと同じようなことを思う。今や普通に使っているスマホだが……初めて見た時は、訳が分からなかったものだ。科学や技術の進歩、それを考え抜く人間の考え方の進歩とは末恐ろしいとさえ思える。

 

 その機械をじっと観察し続けて数分。スイッチらしき場所を見つけてそれを押すと――

 

『私が投影された!』 

 

「「オールマイト!?」」

 

 我らもよく知る、強面で筋骨隆々な姿のオールマイトが、黄色いスーツを身につけた姿で投影された。

 

 どうしてオールマイトが雄英にいるのか。その疑問はすぐに解決した。

 

『義勇少年。ああ、それと……蔦子少女も!私ね、4月から雄英に勤めることになったのさ!()()()()()!』

 

 まさかの、オールマイトが教師デビューするとのことだった。緑谷の出身である県の方に来ていたのもそれが理由らしい。近頃は雄英に勤める為の諸々の準備で忙しく、連絡が取れなかったことを謝られた。

 

「オールマイトが教師なんて……!凄いわね。今年の新入生は恵まれてるわ」

 

 姉さんはニコニコと笑って嬉しそうだが、俺はただただ心配だった。オールマイトにヒーローとしてのいろはを教えていただけるのは、光栄かそうじゃないかと聞かれたら、前者の方だ。

 

 だが、あの人は……他人に教えることが絶望的に下手だ。天才であるが故に。

 

 オールマイトが雄英の教師……。本当に大丈夫なんだろうか?注目度的にも。

 

 その後も色んな話をしたかったらしいのだが、後がつかえているようで名残惜しそうに話を中断して結果発表に入った。

 

『もっと沢山話したいことがあるんだが、上からの指示だし仕方ない!早速、結果発表だ!まずは筆記試験。全教科で8割以上の点数を取れていたから……勿論、文句無しの合格!』

 

 筆記試験は問題なしのようだ。

 

「お友達と一緒に沢山勉強した甲斐があったわね!本命は……次ね」

 

「うん」

 

 筆記試験の結果に満足を覚え、軽くガッツポーズを取りつつも、俺の両肩に手を添えながら喜ぶ姉さんの言葉に頷く。

 

 次が本命の――

 

『実技試験の結果は……!獲得(ヴィラン)ポイント、175Pでぶっちぎりの合格!文句無しの首席だ!因みに、受験生で唯一の150P超え!おめでとう!!!』

 

「……首席……!?」

 

「沢山の人が雄英を受けた中で一番になっちゃうなんて……流石は私の弟ね!おめでとう、義勇!」

 

「うん……ありがとう、姉さん」

 

 結果は、文句無しの首席。蔦子姉さんは、俺のことを誇りだと言わんばかりに抱きしめ、自分のことを鞭打つかのような勢いでここまで頑張ってきた俺を労るように優しく撫でる。

 そうされてもなお、雄英の狭い門を見事に潜り抜け、自分がその頂点に立てたという自覚が湧かない。妙な脱力感があって、ふわふわとした感覚がする。まるで夢の中にいるようだ。そんなことを思った時。

 

『喜ぶのは早いぞ、義勇少年。首席合格に変わりはないが……我々が見ていたのは、(ヴィラン)ポイントのみならず!』

 

 腕でばつ印を作っているオールマイトから、俺達には知らされていなかった新たな事実が告げられた。

 

 どうやら、ヒーローの本質である救けることに注目する為に、受験生達の行った救助活動に値する行動の点数を評価する……救助活動(レスキュー)ポイントというものが設けられているようだった。結果的に、ほぼ俺の予想通りだったという訳だ。

 

『ヒーローに必要なのは強さだけじゃない。人救けをした人間を排斥するヒーロー科など、あってたまるかって話さ!救助活動(レスキュー)ポイントは、その為に設けられている制度だ。試験会場中を駆け回り、目に留まる受験生達を全員救けた。ヒーローの本質を捉えた君の行動は、間違いなく評価されたよ!綺麗事?いやいや、上等!ヒーローってのは、命を賭して綺麗事を実践するお仕事さ!』

 

 白い歯を見せつけ、ニカッと笑いながら言うオールマイトに対し、尊敬の念を覚えた。

 

『そういう訳で!義勇少年の獲得した救助活動(レスキュー)ポイントは……294P!そして、合計ポイントは……469P!次席と2倍以上の差をつけての首席合格だ!(ヴィラン)を倒すのみがヒーローではない。君自身がそのことを良く判っている証拠さ』

 

 ここに来て、ようやく合格した実感が湧いてきた。思わず頬が緩む。

 

『来いよ、義勇少年。ここが君の……ヒーローアカデミアだ!

 

「はい……!」

 

 返事が向こうに聞こえる訳がない。それでも、無意識のうちにオールマイトの言葉に答えていた。彼の差し伸べた大きな手を握るかのように手を伸ばしていた。

 

 入学に必要な書類をまた後日郵送するということを付け加え、結果発表は終わった。

 

 ふと気付けば、穏やかであれど、少しだけ激しく……心臓が高鳴っているのが分かった。入試の結果を待ち侘びた時の緊張が余韻として残っているんだろう。

 

「義勇……。義勇は、本当に凄い子。他の誰かの為に真剣になれて、ずっと頑張ってきた。何を言われても不貞腐れることもなくて、自分の信じた道を歩き続けて。それで……ここまで大きくなった」

 

 蔦子姉さんが愛おしげに、俺と額を合わせながら言う。

 

 姉さんの言葉はいつも暖かい。気分が安らぐ。結果発表を待っていた時の緊張が徐々に和らいでいくのを感じながら、俺も言葉を返し、微笑みつつ姉さんを抱きしめる。

 

「俺は凄くなんかないよ。ここまで折れずにやって来れたのは、守るべきものがあったから。誰かにとっての本当のヒーローになるって目標があったからだよ。俺がこうなれたのは、蔦子姉さんがいてくれたからだよ」

 

 そうだ……。元を辿れば、家族や友達。他の誰かの本当のヒーローになるのが俺の夢だった。

 その為に、''ヒーロー''という仕事を目指す必要はなかった。最終的に透と話をして、新しい考え方を見つけて……''ヒーロー''って仕事を目指すようになった。無個性じゃ無理だと馬鹿にされることもあったが、こうやって歩き続けられたのは、目標があったから。守るべき人がいたからだ。

 

 いつも守るべき人が、姉さんがいた。父さんと母さんは俺達を守って死んでしまった。けれど……姉さんは、今でも見守ってくれてる。姉さんが常に力をくれたんだ。

 

 その時、姉さんが言った。

 

「私は何もしてないよ。そうしたくて頑張ったのは、義勇自身の意志でしょう?だから、義勇自身が凄いんだよ。自分を卑下しなくたっていいの」

 

 そして、俺を抱きしめた。姉さんがこんな風に言ってくれるから頑張ってこられたんだ。やっぱり……今の俺があるのは、姉さんのおかげだ。

 

 そうされつつ、俺は思わず呟く。

 

「父さんと母さんも……見てくれてるかな?」

 

「……うん。きっと見てくれてるわ」

 

 数秒の沈黙。辺りの雰囲気が少ししんみりしている。

 

 直後、姉さんはそんな雰囲気を振り払うかのように笑顔を浮かべると、手を合わせながら立ち上がった。

 

「明日は存分にお祝いしなきゃ!奮発しちゃうわよ……!ほら、義勇にはまだやらなきゃいけないことがあるでしょ?お友達に、鱗滝さんに、炭治郎君と禰豆子ちゃんにも。合格したって教えてあげないと!」

 

「うん、そうする」

 

 こうして、俺は雄英への切符を勝ち取った。早速、鱗滝さんと炭治郎達に向けた手紙を書いたが、これは、明日にでも届けることにしよう。そして、スマホの通知音がして目を向けてみれば、志を同じくして雄英のヒーロー科を受けた友達全員から連絡が来ていた。透や緑谷のような旧知の仲から、拳藤や常闇など試験中に新しく知り合った仲まで。届いたメッセージを隅から隅まで確認してみれば……全員が合格したことが分かった。八百万にも合格の旨を伝えると、自分のことのように喜んでくれた。

 

「そうか、全員受かったのか……!良かった……」

 

 ようやく肩の力が抜けた俺は、ホッとして息を吐きながら、窓を通して夜空に輝く見上げた。今日の月は……満月だった。

 

「錆兎、真菰、しのぶ。見てるか?俺は、一歩ずつ進んでるよ。お前達が幸せに生きられる社会を創る為に。お前達が笑って生きられるようにする為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っっしゃオラァ!受かった!」

 

 ここにも1人、雄英からの通知を受けてガッツポーズを取る、プラチナブロンドの髪の少年がいた。

 

 自分の目標の為に通るべき通過点。そこに到達出来た喜びは、彼に幼き頃のような無邪気な笑みを浮かべさせた。オールマイトをも超え、あの少年と同等になり得る、勝って救けるヒーローを目指す少年の名は――爆豪勝己。

 

「冨岡も受かったんだな。まあ……当然か」

 

 心底嬉しそうに口の端を吊り上げた彼の赤い瞳には、夏の日差しを彷彿とさせるギラついた闘志が宿っていた。

 

()()()()()()()(はぜ)の呼吸……。こいつを見せんのが楽しみだぜ。なあ、冨岡。お前は……どんな反応してくれんだ?」

 

 自分の掌を見つめるその瞳。そこに宿るのは、未来への期待である。

 

 

 

 

 

 

「ふうっ……なんか、一気に力が抜けたな……」

 

 沢山のオールマイトグッズが博物館の展覧会のように丁寧に飾られた部屋の中で、スタンドライトの眩い明かりに照らされた学習机に向き合い、天井を見上げる少年がいた。サイドや襟足を短く刈り上げた、もさもさの緑髪の少年――緑谷出久だ。

 

「本当に夢みたいだ。ずっと憧れていたオールマイトから''個性''を受け継いで、オールマイトの母校の入試に受かって……。しかも、そこにかっちゃんと冨岡君もいるなんて」

 

 思い出されるのは、無個性の身でありながらもヒーローを夢見つつ、何も出来ずにいた弱い自分。

 

 そこから、他人の死を目の前で経験し、新たな憧れの背中を目にしたことで一歩を踏み出した。緑谷の人生は劇的に変わった。

 

 身近にいた凄い奴と、自分が一歩を踏み出すきっかけの一つになった憧れ。彼らと同じ道を歩めることになるとは思いもしなかった。幼い頃の自分に、自分がオールマイトの母校に通うことが決まっただとか、爆豪と仲良くしているだとか伝えたところで信じないのだろうなと思う。

 

「オールマイトみたいに、沢山の人を笑顔で救けて勝つヒーローを目指すんだ……!そして、冨岡君みたいに、背負う命全部を救けられるように!でも……背中はまだまだ遠い。頑張らなきゃ」

 

 学習机に置かれている本棚の中から、様々なヒーローの''個性''や戦い方を分析したノートを取り出す。憧れる背中は未だ遠い。そのことを思うと、ノートを握る手に自然と力が入る。自分なりに出来ることを少しずつ積み重ねようと考え、それをめくる彼の目は確かな大志を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

「マジか……受かっちまったよ……!夢じゃねえ、よな……?」

 

 右目の上に小さな切り傷を持った少年が自分の頬をつねりながら、呆然と呟く。朱色に近い赤色の瞳とショートヘアーの黒髪に、ギザギザとした歯。その瞳に熱い正義の炎を灯す少年の名は――切島鋭児郎。

 

 つねった頬に痛みを感じ、雄英に合格したことが現実なんだと実感すると同時に嬉しさを噛み締めた。

 

「まさか……雄英で冨岡と一緒になるなんてな。()()()()()()、漢らしかったもんなあ」

 

 両手を組んで頭の後ろに置き、呟く彼の脳裏に浮かぶのは……ある日のテーマパーク。そこに現れた筋繊維の鎧を纏う殺人鬼に立ち向かい、後ろにいる人々にこれ以上血を流させることなく、それを撃退した少年の姿だ。

 

(彼奴が立ち向かった瞬間から、その後ろに血は流れなかった。誰一人死ななかった)

 

「踏み出せなかった俺と違って、踏み出してんだもんなあ。あの時の俺よりも幼いってのに。やっぱ凄えよ、彼奴」

 

 微かな後悔を感じさせる表情の切島。だが、それを振り払うかのようにかぶりを振ると、己の右腕をガチガチに硬化させた。

 

「もう、情けねえ自分とは決別すんだ。その為にも、俺は雄英を受けた!絶対になってやるんだ、守れるヒーローに!」

 

 少年の中に宿る漢気が燃える。かつてのような後悔を二度と繰り返さない為に。人々を守れるヒーローになる為に。

 

 

 

 

 

 

「合格したよ、お兄ちゃん!」

 

「うん、知っているとも。おめでとう、透」

 

 世界三大美女のうちの1人だと言われた、楊貴妃にも引けを取らない程の妖艶さと可愛らしさを兼ね備えた顔立ちの少女、葉隠透が耀哉に駆け寄って抱きつく。

 

 沢山褒めて欲しいと言わんばかりの様子の彼女を見た耀哉は、クスッと笑って、その艶やかな黒髪を何度も撫でた。その手付きは慈悲に溢れた優しいもの。その姿は、まさしく、女房を寵愛する平安時代の帝のようだった。

 

「これでまた一歩進んだ。よく頑張ったな、透」

 

 2人を見守る悲鳴嶼も、両手を合わせてジャリジャリと数珠を鳴らし、涙を流しながら仏のような微笑みを浮かべている。

 

 人懐っこい猫を彷彿とさせる様子で素直に撫でられている葉隠を見て、大層微笑ましそうにしながら、耀哉は言った。

 

「透。君の夢は……目に見えない人々を笑顔に出来るヒーローだったね」

 

「……!うん」

 

 彼の言葉に対し、葉隠は彼の体から離れて正座の姿勢を取る。そして、真剣そのものな凛とした表情で語り始めた。

 

「物理的に見えないって人というよりは、普段から自分の目の届かないところにいる人や、ヒーローの手が行き届かないところにいる人。そんな人達を救けたいの」

 

 俯きつつ、膝の近くに乗せた手をグッと握りしめて続ける。

 

「私の両親を喰べた男は、夜に紛れて活発に動ける''個性''を持ってるって……お兄ちゃん達が教えてくれたよね。今、こうしてる間にも彼奴に沢山の人が喰べられてるかもしれない。そうすることが出来る''個性''を利用して、ヒーローの手が届かない範囲まで好き勝手に暴れてるかもしれない。救けを求めても誰も来てくれない。そんな残酷な事実を突きつけられて、泣いて、苦しんでるかもしれない。そう思うから……私、もっと強くなりたいの」

 

 顔を俯かせ、両親を失った時の辛さを思い出してしまったのかと思いきや……顔を上げた彼女の瞳は、力強いやる気に満ちていた。

 

 そんな彼女を見た耀哉は、変わらず微笑みを浮かべつつ問うた。

 

「仇を討ちたい、とは思わないのかい?」

 

 その一言を受け、数秒間考えた葉隠だったが、苦笑するように微笑んだ。

 

「お兄ちゃん達に引き取ってもらった当初こそそんなことも考えたけどさ……年々、ヒーローらしさの増していく義勇君を見てると思ったんだよね。『私は1人の人間である以前にヒーローなんだ』って。『沢山の人が私を見て、模範にするんだ』って。そうなったら、やっぱり……私欲よりも、他の誰かを優先しなくちゃ。それが、幼い頃の義勇君から聞いた本当のヒーローのやるべきこと。そうでしょ?仇討ちは、ただの葉隠透として戦う時にやるべきものかなって」

 

(根っからのヒーロー気質……。本当に心の綺麗な子に育ったね、透は)

 

(優れた容姿故に人を簡単に信じられない。それは未だ残ってはいるものの……間違いなく、彼女は良いヒーローになる)

 

 葉隠の言葉を受け、悲鳴嶼も耀哉も同時に微笑んで感心する。同時に、常に真のヒーローとしてあり続けようとする義勇の存在が彼女の近くにある。そのことに感謝した。

 

 

 

 

 

 

『うむ、見事に受かったのだな!おめでとう!一佳!』

 

「あはは……ありがとね」

 

 スマホの向こうから聞こえる溌溂(はつらつ)とした声の賞賛に、オレンジ色のサイドテールをした少女、拳藤は苦笑する。

 

 今となってはこの声量に慣れたものだが、声の主と初めて会った当初こそ、年上ながらも驚かされたものだ。

 

「そうだ。あんたが言ってた冨岡とさ、入試で会ったよ」

 

『む、そうか!……して、どうだった?』

 

 まるで友の安否を確かめるかのような様子で声の主の少年が尋ねる。

 

「あんたの言う通りさ、凄い奴だったよ。剣技の一つ一つが流麗!無駄一つなかった!それに、一つ一つの判断が早くてさ。迷いがなかったんだよ。それに、水神みたいで神秘的だったし、一太刀一太刀の威力から彼奴が途方もない努力を積んできたんだって分かったよ!」

 

『……そうか、そうか』

 

 試験中に型を振るう義勇の姿を思い浮かべる拳藤は、畳み掛けるように熱弁する。自分もあんな風に安心感を(もたら)せる人物になりたいと願って。

 

 そんな彼女の話を、少年は懐かしむように相槌を打ちながら聞く。普段の彼からは想像も出来ない程の優しい声だった。

 

(そうか……元気そうだな、冨岡!)

 

 「うむ!」と満足そうに頷いた少年は、いつもの調子に戻って再び尋ねる。

 

『一佳!冨岡には……沢山の友人がいるのか?1人ぼっちではないか?』

 

 実の兄とも言わんばかりの様子に、拳藤は思わず失笑した。

 

「何の心配してんの。彼奴だって春から高校生なんだからさ、心配ないよ。『小学校の時から、自分を慕ってくれる友達が沢山居てくれる』ってさ」

 

『む、そうか!それは良かった!』

 

 拳藤が義勇の言った言葉をそのまま伝えると、少年が嬉しそうに言った。そんな風に素直に喜ぶ彼がなんとも微笑ましく、拳藤も釣られて嬉しくなった。

 

「そうだ。彼奴と連絡先交換したんだけどさ……どうする?」

 

『……いや、いい。彼奴もまた、君と同じように雄英に通うのだろう?ならば、また会えるはずだ。雄英体育祭でな!』

 

 『雄英にはそういう行事があるんだろう?()()()()()()()()()()()()()()』と付け加える少年。その言葉を聞いた拳藤は、「あんたらしいね」と笑った。

 

「なあ、私のこと……もっと強くしてくれないか?雄英体育祭までにさ」

 

『ん?それは勿論!言われるまでもなく、これからも君が強くなることに尽力させてもらうつもりだが……どうしてだ?』

 

「ど、どうしてって……。そりゃ、あんたの背中はまだまだ遠いしさ。そ、それに……さ。年下だってのに、ずっとヒーローらしい彼氏のあんたの隣に自信持って立てるようになりたいんだもん……」

 

 恥ずかしさからだろうか。後半になるにつれて、拳藤の声が小さくなっていく。そんな彼女が、少年には可愛らしくて仕方がなかった。

 

()いっ!!!』

 

「わあっ!?ちょっ、急に大きい声出さないでよ……!」

 

『ははは、済まん!しかし、君は……本当に健気で強い人だ。俺としては、既に君のことを自信を持って彼女だと言える訳だが……君自身が望むなら、俺はとことん力になろう!』

 

「!……うん、ありがとう。()寿()()

 

 

 

 

 

 

「響香、受かったんだってな!おめでとさん!」

 

「ありがとう、宇髄さん。雛鶴も受かったんだよね。おめでとう!」

 

「ふふ、ありがとう。響香ちゃん」

 

「こうやって身近な人達から雄英に合格した人が出ると、なんかこっちまで誇らしくなってくるね」

 

「本当ですよ!葉隠さんも受かったみたいですし!」

 

 宇髄、それと彼の嫁候補である雛鶴、まきを、須磨の4人に揉みくちゃにされている、プラグに変わった特徴的な耳たぶを持つ短めのボブカットの少女、耳郎もまた、雄英の試験に受かった者の1人。彼女の胸中は、凄まじい達成感で溢れていた。

 

「にしても……」

 

 直後、宇髄は耳郎の頭部を恨めしそうに見つめながら、彼女の額に軽くデコピンをかました。

 

「痛っ!?」

 

「地味に心配させやがってよぉ!入試で頭を怪我したって聞いた時は、肝冷やしたぞ!」

 

「そのことについては、何回も謝ってるじゃないですか……」

 

「そういう問題じゃなくてだな……。ヒーロー志望である以前にお前は女だろうが。傷が残ったらどうするってんだ」

 

 「他人を救けるってのは派手にカッケェことだけどな。生きてる奴が勝ちなんだから、無理はすんな」と付け加えつつ、宇髄が耳郎の頭をくしゃくしゃと荒っぽく撫でた。

 

 それに対して、耳郎はムスッとしたような顔をする。そんな彼女を見て苦笑しつつ、雛鶴が口を開いた。

 

「それにしても。冨岡さん……試験中にも関わらず、他の誰かを気にかけて手を差し伸べるだなんて。素晴らしいことですね」

 

 彼女の顔には微笑みが浮かんでいた。

 

 彼女に同意し、まきをと須磨も笑顔で答えた。

 

「本当にね。そういうことが自然と出来るヒーローって、今となっては少しずつ減ってきているのに」

 

「天元様、いつも愚痴ってますもんね。『どうしてろくでもないヒーローばかりが溢れ返ってるんだ』って」

 

 須磨の一言に、組んだ両手を自分の後頭部に置きながら宇髄は言う。

 

「だってよぉ、どいつもこいつも金とか名声とかばっかじゃねえか。果てには、"個性"が通じないと知ればすぐに諦めやがるし。その結果が、春頃に静岡の方で起きたヘドロ事件って訳だ。勇気ある地味な見た目の坊主のおかげでなんとかなったが……そもそもな、カタギの人間に飛び出させんなって話だぜ」

 

 そんな風に悪態を()いた後、耳郎を優しく撫でながら誇らしげに笑った。

 

「こんなろくでもない大人が溢れてる中で、冨岡の奴はしっかりヒーロー目指してやがる。大したもんだよ。んでもって……借りが出来ちまった。可愛い後輩を救けてくれたっつー、どデカい借りがな」

 

(冨岡。来いよ、雄英に。俺はそこで待ってるからな)

 

 その派手な赤い瞳に満ちるのは、かつての友との再会を待ち望む思いだった。

 

 

 

 

 

 

「常闇よ……。雄英に受かったそうだな……」

 

「ありがとうございます」

 

 武士のような、どこか威厳のある口調の男の言葉に対し、深く頭を下げる烏の頭部の少年、常闇踏陰。彼もまた雄英に受かったことで、その胸は凄まじい達成感に満ちていた。

 

()()()()、聞いてください!先の入試にて、とてつもない男に出会ったのです!"全集中の呼吸"、その流派の一端である水の呼吸を扱う剣士に!」

 

「ほう……?」

 

 興奮気味に声を上げ、幼い子供のように目を輝かせる常闇。師と呼ばれた男は、彼が普段は寡黙で冷静沈着な男であることを知っている。そんな彼がここまで興奮するのは非常に珍しい。強いて言うなら、自分の扱う剣技や己の"個性"とサポートアイテムとして扱う刀を見せた時だけだ。

 

 男は、常闇をそうまでさせる少年に対してとても興味を唆られ、彼の話に耳を傾けた。

 

「彼は、ヒーローたるに相応しい男でした。俺の居た試験会場中を駆け回り、他の受験生達を全て救けたのです。何より……!彼の振るう剣技の何と流麗なことか!彼が入試で扱っていた木刀から色濃く、明確に水流が見えました!その一太刀の威力も圧倒的で――」

 

 常闇の熱弁。その勢いは、とどまる所を知らないらしい。男もまた楽しみが尽きず、彼の語る少年に対して更なる興味が湧いてきた。

 

「常闇。その少年の名は……何と言う……?」

 

 己の師の問いかけに対し、常闇は夢の中から覚めたかのような反応をし、勢いに任せて話してばかりだった己を恥じるかのようにして答えた。

 

「冨岡……!冨岡義勇と、そう名乗っておりました」

 

「…………ふむ……。冨岡……義勇……」

 

 その名を鸚鵡(おうむ)返しにしながら、男は立ち上がり……静かに夜を照らす月を見上げつつ、思い出していた。

 

(お館様が去年の年の暮れ……。ヒノカミ神楽を見に行かれた時にお会いしたと言う少年の名だったな。それに、()()がやたらとその名を口にしていた。『今度は、俺の正しき拳と彼奴の流麗な剣とでぶつかり合ってみたいものだ』と)

 

 その総髪の形状にまとめた長い黒髪が月の光に照らされる。その出立ちは、まさに戦国時代の武士のようだ。

 

 そんな師の背中を見ながら、常闇は請う。

 

「我が師よ……!これ程までに素晴らしい剣技を見せられては、男として魂が震えるというもの!どうか俺にも、"全集中の呼吸"をご教授いただきたい!」

 

「……!」

 

 その声に振り返ってみれば、常闇の瞳は……熱意に満ちていた。どんな困難にも耐えてみせる。あれ程に素晴らしい剣技を振るうことで誰かを救けられる人材になりたい……と。心の底から本気で望んでいた。

 

 これは、ヒーローとして……誰かの夢を守る者として、その思いを無碍にする訳にはいかないというものだ。

 

「……良かろう……。私が直々に教えてやる……。"全集中の呼吸"を。遥か昔に、悪鬼を屠る為に生み出された技術を……」

 

「!ありがとうございます!」

 

「雄英には、体育祭があったな。そこまでに仕上げるつもりで叩き込む。……ついてこい。何があってもな」

 

「無論です……!」

 

 何でも来いと言わんばかりの常闇を見て、男は微笑む。そして、己の弟子の今後の成長に。彼をここまで昂らせた剣士との出会いに心を躍らせたのであった。

 

 この日、雄英を受けた幾人もの受験生達のうち、そこの狭き門を見事にくぐり抜けた者達が現れた。その数、計36名。ここから始まるのである。彼らの、彼女らの――ヒーローアカデミアが。



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第二十八話 一人前の鳥達(プロ)から見た無精卵(受験生)

「実技、総合成績出ました!」

 

 時は、受験生達に試験の合否が明かされた日から数日前。雄英に勤める教師達は、狭き門に挑んできた少年少女を査定する会議を行っていた。

 

 事務に関する処理を担当する教師の声と共に会議室前方のスクリーンに上位10名の生徒達の成績の詳細と氏名が映し出される。

 

 暫し、その一覧に目を通し……一番最初に声を上げたのは、赤と黒を基調とした薄手のボディースーツに身を包み、背中から伸びる白い管が繋げられた手甲を備えた、下顎から突き出た牙と左頬の十字傷が特徴の筋肉質なヒーロー、ブラドキングだった。

 

「しかし、今年の受験生はレベルが高いですね。1()()()()6()()()()()()()()()()1()0()0()P()()()とは……」

 

「そうですね。しかも、0()P()()()3()()()()()()()()。歴代の入試の中でもこれは……特に稀なんじゃないでしょうか」

 

 そんな彼の発言に、ノースリーブのヒーロースーツに身を包んだ直方体の顔とセメントを思わせる肌のヒーロー、セメントスがしみじみと頷きながら同意する。その顔には、彼らの未来に期待するかのような朗らかな笑みが浮かんでいた。

 

「1位に、2位の2人。いずれの受験生達と比べても救助活動(レスキュー)ポイントが大きく抜きん出ている。ヒーローの本質が救けることであると理解している証ですね。災害救助の仕事を主とする僕としては嬉しい限りですよ」

 

 続け、宇宙服に身を包んだヒーローである13号が発言した。戦闘服(コスチューム)であるその宇宙服と、真っ黒なヘルメットから視認出来る白い目は何ともインパクトがあって、マスコットキャラクターのような可愛さがある。――因みに、中身は女性であるらしいのだが、その素顔は誰1人として知らないという――

 

 更に、ボンテージに素肌と同じ色の薄手のタイツという年頃の少年達にはあまりにも刺激的すぎる戦闘服を身につけたヒーロー、ミッドナイトが眼鏡のブリッジを持ち上げるかのようにしてSMマスクを持ち上げながら言う。

 

「いずれにせよ、例年と比べて救助活動(レスキュー)ポイントの獲得量が多いって受験生がよく見られるわね。うふふふ、この子達……ヒーローに対してどこまでの熱意を持ってるのかしら!?青くていいわっ!」

 

 その表情は、惚れ惚れとしていて頬が染まっており……至極()()()。実は、彼女は熱血フェチであって、青春を謳歌する少年少女達にはめっぽう弱いのだ。

 

 彼女がとんでもないことにならないうちに話を切り上げ、早速生徒1人1人の評価に移っていく。

 

 そうする中で、やはり目を惹くのは――

 

「1位の冨岡義勇君。0Pを破壊した受験生の1人」

 

(ヴィラン)ポイントが175P、救助活動(レスキュー)ポイントが294Pで、計469P……。いやはや、圧倒的としか言えませんね」

 

「加えて、救助活動(レスキュー)ポイントが(ヴィラン)ポイントを上回る。仮想(ヴィラン)を着実に倒しつつもこの結果になるのは、珍しい話です」

 

 言わずもがな、首席を勝ち取った義勇の存在だった。救助活動(レスキュー)ポイントは300Pに差し迫り、(ヴィラン)ポイントも受験生の中で唯一の150P超え。とんでもない逸材だと言わざるを得ないというものだ。教師達が口々に彼の人格やら実力やらを評価していく。

 

「シカシ、何度見テモ……ヒーローニトッテ必要ナ力ノ付キ方ガ逸脱シテイマスネ」

 

「ああ。我々が試験の中を通じて炙り出そうとしていた、情報力、機動力、判断力、戦闘力。いずれも他の受験生達の追随を許さないレベルに到達している」

 

 彼の総合的な実力に目を付けたのは、耳まで裂けた口が特徴的で立襟付きのダブルボタンマントや禍々しいフェイスマスクを着用したヒーロー、エクトプラズムと、ドレッドヘアーにガスマスクを彷彿とさせる仮面を取り付けた荒野の中のガンマンを彷彿とさせる風貌のヒーロー、スナイプだった。

 

 試験開始の合図が出された瞬間、彼は誰よりも早くその場を飛び出した。そして、向かってきた1Pを瞬殺すると驚異的脚力でビルの頂上に飛び乗り、試験会場全体を大まかに見て把握。

 

 ――そこからの彼は、凄まじかった。人間では視認出来ない速度で会場中を駆け回り、次々と仮想(ヴィラン)を屠っていく。その最中、足を止めることは一切なかった。更に迷いなく0Pに立ち向かい、体を何重にも回転させて威力を高めた一閃で0Pを容易く斬り伏せた。

 

「これだけ会場中を走り回って息一つ乱さないとは……何というスタミナの多さだ」

 

「まさしく無尽蔵、って感じよね」

 

 どれだけ超人的な力を持っていようが、自分達は人間。走り続けていればいつかは疲れるし、息が乱れるものだ。だが、試験中の様子を見る限りではそれが一切見られない。

 

 仮にこれが意図的に疲れを見せないように振る舞っているとしても、本当に疲れていなかったとしても、どちらにせよ頼もしいことこの上ない。

 

 ヒーローとは、常に他人に安心を(もたら)せる存在でなくてはならない。ヒーローが(ヴィラン)に苦戦したり、コンディションが悪い状態を顕著に見せていれば、市民達は当然不安になる。「このままヒーローは負けてしまうのか。自分達はどうなってしまうのか」と。誰かを安心させる為に自身が不利であることを表に出さない。それもまたヒーローに必要なこと。

 

 特に、雄英に勤めるヒーロー達はその典型的な例を知っている。自身の負った重傷のことを世間に知らせず、必死でヒーローとして在り続けようと足掻く男――平和の象徴、オールマイトを。春から雄英に勤めることになった故、彼の怪我のことは教師達の間で共有する秘密となっていた。

 

 教師一同はそんなことを考える。続いて、黒ずくめの戦闘服に身を包み、首元に長い布を巻きつけた相澤消太ことイレイザーヘッドが発言した。

 

「市民の平穏を守る為に必要とされる四つの能力。冨岡のそれは、いずれも他と比べても逸脱しているのは確かですが……特筆すべきは、判断力でしょう」

 

 周りの教師達も、試験中の様子を見ながら頷いた。

 

 彼の一挙一動。その全てからは迷いが見られない。義勇の速さと洗練な一太刀。それを生み出すのに、この尋常ならざる判断力も貢献しているのだろう。

 

「その判断力が功を奏しているのは、戦闘の面だけじゃないよ。救護って面でも同じさね。冨岡が施した応急処置。そのおかげで、怪我をした子達には何の問題もなかった」

 

 会議を静観していたリカバリーガールもまた、そう言った。彼女の発言に従って映し出されているのは、義勇が怪我をした受験生達に応急処置を行っている場面。怪我によって精神をすり減らしてしまった者を彼なりの言葉で鼓舞し、安心させられるように微笑むその姿は……ヒーローに相応しかった。

 

「……こんなにでっかくなった冨岡を見てるご両親も嬉しいだろうな」

 

 プレゼントマイクがフッと笑う。ヒーロー達は、彼が両親を亡くした事件を知っている。それ故にしみじみと頷いた。

 

(義勇少年、君は着実に歩んでいるんだね。''本当のヒーロー''への道を、一歩一歩)

 

 骸骨のように痩せ細った姿――通称、トゥルーフォームの状態で、とても目立つ黄色いスーツに身を包んだオールマイトも、会議の様子を見学しながら満足気に微笑む。

 

 これまでも……いや。今もなお続けていることだが、生活費を送り続けている以上、オールマイトは義勇達の親代わり。勿論、本来の両親に比べれば付き合いは短い。だが、彼が親のような暖かい感情を抱くのも当然のことだった。彼らの両親の葬式以降、ずっと見守ってきたのだから。

 

 因みに、そんな感情を持ったのはオールマイト1人に限った話ではなく――

 

「なぁ、相澤君よ。随分と嬉しそうだな?生徒に対する肩入れとか贔屓(ひいき)は無しだったんじゃないの?」

 

「煩え」

 

 プレゼントマイクに肩を組まれ、絡まれている相澤も同じことだった。

 

 嬉しそうだと指摘されたが、それは事実だ。相澤の場合、義勇を4歳の頃から見知っている。彼が凪の子供だと知ると、彼の将来を案じて気にかけるようになった。勿論、それは今でも変わらない。8歳の身で(ヴィラン)から人々を守る為に飛び出せる自己犠牲の心、若しくは度胸があるが、故に危なっかしい。

 

 両親を失う事件があったあの時から、プロである自分達が舌を巻き、逆に学ばされてしまう程の覚悟を持っていたが……ここに来るまでにそれは更に強固になりつつあるようだ。その背中もかつてより大きく、偉大に。

 

(でかくなりやがって)

 

 そんなことを思いつつも、相澤は義勇の成長に対する喜びを顔に出してしまった己を恥じて、首元に巻きつけた布に顔の口元から下を埋めた。

 

 ここで、雄英高校の校長であり、会議の進行役でもある根津が笑みを浮かべつつ言った。

 

「皆、冨岡君に関して話しても話し足りないという感じだね。僕も皆も、彼に対して期待しているのは同じこと……か。気持ちは分かるけれど、彼1人の評価に全ての時間を割く訳にもいかない。そろそろ次にいこうか」

 

 彼の言葉を受け、教師達は同時に頷いて次の受験生達の評価に移る。

 

「それじゃあ、お次は同率2位の緑谷出久君に爆豪勝己君。0Pを破壊した残りの2人ね」

 

 ミッドナイトの声と同時に緑谷と爆豪の試験の様子が映し出された。

 

()()()()・壱ノ型……!(ひらめき)ッ!!!』

 

 前者の緑谷出久は、その全身から緑色に輝く火花を激しく散らして疾走。続けて、0Pの振るってきた金属の剛腕を足場にして脅威的な脚力で前方に向けて跳躍。そのまま一筋の眩い閃光と化して、0Pの丈夫で巨大な胴体をぶち抜き、風穴を開けた。

 

 前転のように空中で回転しながら受け身を取って着地し、0Pの爆発による逆光を受けながら天高く左腕を掲げるその姿は……まさしくオールマイトを彷彿とさせるものだった。

 

(はぜ)の呼吸・初撃、爆熱榴弾・螺旋!』

 

 後者の爆豪勝己は、地面を蹴って同年代の少年少女を遥かに逸脱する速度で0Pに向けて突撃する。その最中、''個性''である''爆破''を最大出力で発動させて掌からバチバチと派手な火花を散らしながら、放った爆発の反動で錐揉み回転して爆炎と暴風を纏った。そして、炎の竜巻と化した彼は0Pの胴体を一直線に突き抜け、爆ぜさせる。

 

 着地後、右腕を天高く掲げる彼の背後で機能を停止して佇んでいた0Pの、文字通り爆ぜて消し飛んだ上半身と下半身の境目が……朱色の光を放ちながら、溶岩のようなドロリとした粘性の高い液体となっていた様子は、まさに彼の''個性''の最大出力の凄まじさを物語っていた。

 

「いやはや……揃いも揃ってとんでもない逸材だと言う他ないですね。一位の冨岡君と比べると少し見劣りするが――」

 

「緑谷君は、救助活動(レスキュー)ポイントが104P。それに、(ヴィラン)ポイントが96Pで、合計200P。対する爆豪君は、救助活動(レスキュー)ポイントが87P。(ヴィラン)ポイントが113Pで、同じく合計200P。両者共に獲得したポイント数が100Pを超える項目がありますね。言うまでもなく他の受験生達を逸脱している」

 

 教師一同は、入試用に提出された書類一式に目を通しながら、セメントスの発言を引き継ぐようにしてスナイプが発した言葉に同意する。

 

 彼らもまた、行動に迷って足を止めることがなかった。両者共に各々の試験会場で他の誰よりも早く飛び出し、仮想(ヴィラン)の制圧に動き出す。

 

 緑谷は、碧色に輝く稲妻を纏って試験会場を駆け回り、目に付く仮想(ヴィラン)を片っ端から破壊しつつ、それに苦戦する受験生や怪我をした受験生を目に付く限り片っ端から救けた。

 

 爆豪は、試験の前半で派手な爆音を響かせながら仮想(ヴィラン)を寄せ付けて迎撃し続け、後半は会場中を回って他の受験生を救け回った。

 

 前者は、オールマイトのような眩しいにこやかな笑みを。後者は、兄貴分のような頼もしさに満ちた不敵な笑みを浮かべて受験生の前に姿を現している。

 

 その姿に誰しもがオールマイトを重ねた。

 

「救ける相手を安心させる為の意図的なものか、無意識のものかは定かではないが……笑うとは大したもんだ。他人を安心させる存在。それこそがヒーローだと解っている」

 

 ヒーローが生半可な志で務まる仕事ではないことを知っている相澤は大抵の場合、受験生達を厳しい目で見て、それに相応しい評価を下す。だが……実際はどうだ。彼の口からぽんぽんと高評価が飛び出すではないか。即ち、彼のお眼鏡にかなう程に彼らが優秀だということになる。

 

「……今年の卵達は、質の良い子が多そうだ。気が早いようだが、今から楽しみだね。彼らがヒーロー達の筆頭に立ったその時が。……君もそう思わないかい?オールマイト」

 

「ええ……同じくです、校長先生」

 

(期待しているぜ、未来のヒーロー達!)

 

 会議は続いていく。受験生達一人一人の合否などを決める為に会話を交わす教師達の表情は真剣そのもの。未だ入り口にも立てていない無精卵達を心から思うが故に表れるその表情を見た根津は微笑み、オールマイトは受験生達の試験の様子を映した映像にしっかりと目を通していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現在。ヒーロー達が次の世代を育成するにあたっての準備をしている中……悪意もまた、虎視眈々と動き始めていた。

 

「おおっ……!素晴らしい、素晴らしいぞ……!儂の想像以上だ!昔と同じ……いや、それ以上に満ち溢れる生命力じゃないか!」

 

 殻木が感嘆の声を上げながら不敵に笑う。ゴーグルの下で目を輝かせ、最高の発明品が完成したかのようなこの上ない喜びを体現している。

 

「っはは……!おいおい!こいつァ凄えぞ!!!身体中の細胞が震え上がってやがる!」

 

「これが……()()()()……ッ!''個性''のそれとは威圧感が違いすぎる……!」

 

 黒霧とマスキュラーは、その視線の先にある人物を目にしながら、体の芯からゾワゾワと押し寄せてくる本能的な恐怖を感じ取る。

 

 前者はその気配に圧倒されつつも、帝王の復活に心を馳せ、自分の夢見る未来はそう遠くないであろうと喜ぶ。

 後者は、いつしか自分もあのような存在になって弱者を嬲り殺し、誰よりも強くなって自分の気の赴くままに、気が済むまで人間を殺し続ける未来を夢見る。

 

 そして、もう1人……目の前にいる人物の復活をこの場にいる誰よりも、心の底から喜ぶ人物がいた。

 

「先生……!先生が……戻ってきた……!俺達の先生が……!」

 

 子供のように目を輝かせ、歓喜に震える彼は黒一色に統一された長袖のベストと長ズボンというラフな格好をしていた。体格は痩せ型で病的な印象がある。だが、何よりも異端なのは、顔面を始めとした身体中に取り付けられた手であった。

 

 彼の名は、死柄木弔。幼い頃に目覚めた未知の''個性''によって帰るべき場所を失い、とある男と出会って手を差し伸べられたことで、新たな運命を定められた男。破壊の快感を覚えたことで普通に生きられなくなり、救いの手を差し伸べるヒーローを求めても、そんなヒーローは誰一人として現れなかった。そんな哀しい人生を生きてきた男。

 

 そんな彼の目は、救世主たるヒーローを目の前にした時のように輝いていた。

 

 その視線の先には……逞しく鍛え抜かれた肉体を持った男がいる。宿敵に頭を殴り潰されたことで無くなったはずの鼻や目、白い髪が元通りになっていた。晒された上半身はかつて以上に筋骨隆々になり、腕の筋がはっきりと浮かび上がっている。そして、その赤い瞳には、縦一直線に黒い瞳孔が刻まれていた。

 

「ははは……これは素晴らしい。かつて以上の凄まじい生命力が溢れてくるようだ……!成る程、これが本場の鬼の力という訳だね。本当によくやってくれたよ。黒霧、マスキュラー」

 

 その男の正体は――オールフォーワン。かつて、平和の象徴によって撃破され、重傷を負ったはずの男。だが、何故だかオールマイトに負わされた傷の全てが完治している。彼の側にある、太陽光を擬似的に再現したライトが取り付けられたショーケースの中には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「長い時を遡り、平安時代。後に鬼の始祖となった病弱な男をほぼ不死身の超越生物へと変貌させた薬の原料がこの花……か。いやはや、自然の力というのは素晴らしいものだね」

 

 壊れ物を扱うかのようにそっとショーケースを撫でる手は実の子を撫でる時のそれのように優しく、目も同じくだ。

 

 20代前半ほどの若々しい肉体から溢れるのは、暴力的で荒々しい生命力。それを本能的に感じ取ったのか、マスキュラーが体をワナワナと震わせて興奮気味に言った。

 

「なあ、ボス!俺にも分けてくれよ、鬼の力って奴をよ!約束するぜ、あんたの力になることを!」

 

 そんな彼を見たオールフォーワンは、子供の成長を喜ぶ父親のように微笑むと同時に彼を(なだ)めた。

 

「気持ちは分かるが、待ちたまえ。僕自身も鬼の力に慣れなくてはいけない。それに、一気に血を分け与えたところで君自身の体が耐えられない。最初は血の量を少なく。そして、そこから徐々に増やしていこう。その時までの辛抱さ」

 

「ちぇっ、分かったよ」

 

 口を尖らせ、まさに子供のような拗ね方をして胡座(あぐら)をかくマスキュラー。殺意の塊で自分本位。それ故に暴走しやすい所もある。そんな彼に容易く言うことを聞かせるオールフォーワンの偉大さを、黒霧はしみじみと感じ取っていた。

 

「さて、ただ鬼になっただけで満足してはいけないね。人間を喰らって力を蓄えなければ意味がない。これから僕の食料が人肉になると思うと少し気が引けるが……まあ仕方あるまい。何事も経験だ」

 

 顎に手を当て、薄く口角を上げて不敵に笑いつつ、オールフォーワンは黒霧とマスキュラーに何人か食料となる人間を連れてくるように指示し、加えて殻木には青い彼岸花のことをより研究して鬼を上手く改良出来るようにと頼んだ。

 

 真っ暗闇な空間の中にオールフォーワンと死柄木、たった2人が残る。死柄木が己の慕う男の側にしゃがみ、ショーケースの中の青い彼岸花を吸い込まれるように見ながら尋ねた。

 

「なあ、先生。どうして鬼の改良なんて頼んだんだ?重傷も完治してさ、あんたが怪我の影響で使えなくなっていた''個性''も使えるようになったろ?じゃあさ、あんた1人で全部片付けられるだろうよ。世間にゃ、鬼のことを覚えてる奴も数少ねえ。オールマイトだって、あんたに風穴開けられて重傷。……じゃあ、手駒無しでも全部潰せるじゃねえか」

 

 それに対し、オールフォーワンが微笑む。生徒に教えを授ける教師のように優しく語り始めた。

 

「ははは、弔の言うことは(もっと)もかもしれないね。だが……念には念をって奴さ。それに、僕は嫌がらせをするのが一番好きなんだ。オールマイトが苦労して潰してきた僕の仲間達を再び集め、奴の努力を水の泡にしてやる。そして……平和の象徴の不在で不安に陥った社会を根こそぎ破壊して、僕の望んだ社会を創り上げるのさ。それに、僕は表立って動けない。それなら、そうすることが出来る手駒が必要だろう?」

 

 昔通り……否、それ以上の悪意を持った先生が戻ってきた。その事実は、死柄木の体を歓喜によってどうしようもなく震え上がらせる。

 

 オールマイトを見るガキ共も、皆揃ってこんな気分になるんだろうかと考えつつ、死柄木は立ち上がって果てない先の未来を見据えるオールフォーワンを見た。

 

「勿論、その社会の実現には……君の存在も不可欠だよ。君は僕の後継者だ。期待しているよ、弔」

 

「……!ああ。先生の期待に応えられる、社会の脅威になってみせるよ」

 

 今や存在しないと言われていた青い彼岸花は、御伽噺のような存在。それが目の前にあるのが相当に物珍しいのだろう。死柄木は、再びそれを吸い込まれるようにして凡ゆる角度から観察し始めた。

 

 そんな彼を微笑ましく見守りながらも、オールフォーワンは頭を回す。

 

(後継者とは言えど、未だ未熟。僕も近々全盛期以上に戻れるだろうし……弔の意思のみならず、彼自身も育てるべきか。僕直々に全てを叩き込む形で。それに、今後弔の邪魔になる可能性のある目は僕自身で摘んでおかないとね)

 

「――それならまずは、潰しておくか。()()()()を。宣戦布告といこうじゃないか」

 

 目的を決め、口の端を吊り上げて不敵に笑う。オールマイトのように白い歯を見せて笑っている点は共通していると言えど、その性質は全くもって違う。オールマイトの人々に希望を与える善なる笑みに対し、こちらは……人々に絶望を下す邪悪な笑みだ。

 

 ――悪の帝王、オールフォーワン。ここに完全復活。共に、第二の鬼舞辻無惨、ここに再誕。最悪の未来は、足音を響かせて少しずつ近づいている……。




因みに、実技試験の順位は以下の通りです。

1位 冨岡義勇(敵ポイント175P、救助活動ポイント294P。計469P)
2位 爆豪勝己(敵ポイント113P、救助活動ポイント87P。計200P)
2位 緑谷出久(敵ポイント96P、救助活動ポイント104P。計200P)
4位 切島鋭児郎(敵ポイント89P、救助活動ポイント58P。計147P)
5位 拳藤一佳(敵ポイント64P、救助活動ポイント68P。計132P)
6位 葉隠透(敵ポイント60P、救助活動ポイント54P。計114P)
7位 常闇踏陰(敵ポイント54P、救助活動ポイント34P。計88P)
8位 麗日お茶子(原作のポイント数と変動無し)
9位 塩崎茨(原作のポイント数と変動無し)
10位 飯田天哉(原作のポイント数と変動無し)

圧倒的ポイント数で義勇さんが首席に躍り出て、爆豪君から常闇君までの全員が獲得ポイント数が大幅に増加してるって感じです。特にそれが顕著なのは、出久君、爆豪君、拳藤さん、葉隠さんの全集中の呼吸会得組ですね。切島君がここまで稼げた理由は後日解き明かしましょう。(皆さま、大方察しはついているでしょうが……)


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第二十九話 災厄復活

一話にまとめる予定でしたが、二話に分けました。


 枯山水や池が備え付けられた広い日本庭園の中に、和風の豪邸と言うに相応しい平安時代の貴族のそれかと思われる程の巨大な屋敷が建っていた。

 

 時には建て替えつつも産屋敷家が代々暮らしてきた歴史の多く残る屋敷。だが……()()()()()()()()()。瓦礫と化して崩れ落ちたそこから、轟々と吹き上がる紅蓮の炎。

 

 空中には、黒いスーツを着た白髪の男――オールフォーワンが佇み、魔王さながらの不敵な笑みを浮かべている。黒い瞳孔が縦一直線に刻まれた赤い瞳に殺意を宿し、目の前のターゲットを見据えていた。

 

「やはり……誕生してしまったんだね。第二の鬼舞辻無惨が。しかも、そうなったのが君だとは」

 

 対し、首あたりまでの長さの黒い長髪の少年――産屋敷耀哉が藤色の瞳で空中に浮かぶ標的を見据えて言った。掴み所のない微笑みを浮かべていることの多い彼だが、今だけは違った。眉を(ひそ)め、悪夢を与える存在へと昇華した相手を鋭く睨みつける。

 かつて鬼殺隊の当主であったというのが納得の真剣そのものな表情だ。

 

 そして、耀哉を守るようにして立つ5人の男達。

 

「あれが……()()()、鬼……?」

 

 耀哉の隣に立つ葉隠も、凄絶な悪意と殺気を発する魔王を目にし、冷や汗を垂らして無意識のうちに恐怖で体を震わせていた。

 

「……お前達、こんなとてつもない相手と対峙したのか……!」

 

 赤みがかった黒い隊服に身を包み、炎を誂えた白い羽織を羽織った男が赤い刃の刀を握りしめながら言う。目は吊り目気味で据わっているが、顔付きそのものや髪色と髪型は、かの煉獄杏寿郎にそっくりだった。

 

 彼の言葉に続き、前世の隊服そのものである戦闘服(コスチューム)を纏った宇髄が言う。

 

「はは……体の震えが止まらねえのは俺もですよ、槇寿郎の旦那。悲鳴嶼さんも、不死川も、伊黒も、甘露寺も、冨岡も。そして、炭治郎達も。……皆、凄えよ」

 

 鎖に繋がれた2本の柄から展開されている、陽光で作り出した金色の刃を備える巨大な刀を握りしめる。杏寿郎の父親である槇寿郎と宇髄の共通点。それは……前世も含め、鬼舞辻無惨に値する存在と生で初めて対峙するということ。

 

 槇寿郎は呼吸を整え、宇髄は口角を上げて無理矢理笑みを作り、それぞれのやり方で恐怖を紛らわす。

 

「オールフォーワン……。オールマイト殿が屠ったはずの巨悪。よもや、生きていたとはな……」

 

 真昼の間に日光浴をさせて、陽光を溜め込んだ金属製の斧を持ちつつ、鉄球を猛スピードで振り回す悲鳴嶼も忌々しげに言う。

 

 残る2人の男は、ただ無言で目の前の敵を睨みつけ、各々の構えを取るのみであった。

 

 そこに――もう1人の戦士が、市民達にとっての希望が猛然と駆けつけてくる。

 

「っ、こ、これは……!?」

 

 アメコミ画風の濃い顔付き、V字に跳ね上がった金色の前髪、悲鳴嶼以上の鍛え抜かれた巨躯。我らが平和の象徴、オールマイトだ。

 

 産屋敷家から遣わされた鎹鴉の知らせを受け、全速力で駆けつけてきたが……全てが遅かったようだ。オールマイトは、目の前の光景に絶句した。崩れ去って瓦礫と化した産屋敷邸。そこから吹き上がる紅蓮の炎。特に彼を絶句させたのは……若々しい姿となり、暴力的な生命力を全身から溢れさせている宿敵の姿だった。

 

「おお、これは願ってもない獲物が来てくれた。久しぶりじゃないか、オールマイト。随分衰えたものだね。以前の君なら、30秒もしないうちに到着していたろうに」

 

 懐かしい友達に会ったかのように挨拶をしてくる宿敵を見て、彼が生きていた絶望と、間に合わなかった己とこの場を地獄のような景色に変化させた彼への怒り。その全てに体を震わせ、オールマイトが声を荒げる。

 

「貴様……っ!貴様っ!その姿は何だ!答えろ、オールフォーワンッ!!!産屋敷家の方々に何をした!?」

 

 深く腰を落とし、怒りのままに飛び出さんとするオールマイトだったが――

 

「そう焦ってくれるなよ、オールマイト。僕は話がしたい相手がいるんだから、少し待ってくれ。せっかちさんは嫌われるぜ?」

 

 いつの間にか目の前に現れたオールフォーワンが繰り出してきた、裏拳を喰らってしまう。咄嗟に腕を交差させて防いだものの、大きく吹き飛ばされてしまった。

 

 吹き飛んだ彼が悲鳴嶼と宇髄に受け止められているのを横目にしつつ、オールフォーワンは己の正面にいる2人の男に目線を向けて、誘惑にも似た甘美な響きの誘いを持ち出した。

 

「さて……最後に、もう一度聞こうか。再びこちら側に来ないかい?僕は全てを保証する。君達の望むもの全てを与えるよ。言葉通りに全てだ。どうかな?()()()()()()()()殿()。それに、()()()()()()()()殿()

 

 オールフォーワンが2人の男の名を呼んだ瞬間。月の光によって、暗がりで隠れていた2人の顔が明らかになる。

 

「……何度繰り返そうと同じだ。そのような甘言には騙されぬ」

 

 総髪の男が答える。男の額の左側と首元から頬の右側にかけて、それぞれに炎のような深紅の''痣''があった。その顔には、本来の位置のみならず、眉毛があるべき位置と頬の辺りにまで、血涙に塗れたかのような眼と満月のような黄色い瞳が特徴の目があった。鯉口を切りながら引き抜かれた刀の刃は……紫色。陽光によって形成し、展開されたものだ。

 

「俺達は正しく在ろうと死に物狂いで足掻き続ける。心に決してブレない原点を宿して。貴様がどんな言葉を投げかけようと俺達には通じない。虚しい戦いの果てに手にする偽物の強さなど不要だ」

 

 続き、紅梅色の短髪の男が答える。どこか幼さが残り、女性さながらに長い紅梅色の睫毛が彼の顔立ちを中性的にしていた。素肌の上に羽織ったノースリーブの羽織から覗く、藍色の線状の模様が刻まれた腕は細身ながらも筋肉質で極限まで鍛え抜かれている。その目はアーモンドのような吊り目で、水色に変化してひび割れのような模様の浮かんだ白目と黄色い瞳が特徴的だ。そして、その手に……淡く青白い輝きを放つ金属製のメリケンサックを装着していた。

 

 彼らの答えを聞いたオールフォーワンは、予想通りだと思いつつも残念そうに笑った。

 

「……そうか、残念だ。ならば、潰しておく他ない。特に……鬼のことをよく知る君達は障害になりかねないからねッ!」

 

 その指先から、血管のような赤い筋の入った黒い枝のようなものを振るう。

 

 迫る枝のような何か。それを黒死牟改め、継国巌勝が斬撃によってズタズタに斬り刻む。猗窩座改め、素山狛治が拳撃で粉々に打ち砕く。

 

「へえ」

 

 興味深そうな声を上げて薄く笑うオールフォーワン。彼らの間に緊張が走った。

 

 そして――それを、巌勝の声が突き破る。

 

「透、杏寿郎、宇髄の奥方でお館様を護衛しつつ逃がせ!その他全員で、オールフォーワンを迎え撃つッ!私と猗窩座、悲鳴嶼で前線に出る!他の者は援護に徹するのだ!無理に前に出るのは禁物!良いな!!!!!」

 

 その号令と共に、それぞれが動き出す。激戦の火蓋が切って落とされた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雄英の入試の合否通知から、しばらく時間が経った。冬の寒さが少しずつ和らぎ始め、雄英入学まで残り2週間を切った頃。

 

 オールマイトに頼まれた俺は、入学するまでの最後の追い込みという意味合いで爆豪と緑谷に特訓をつけていた。ここ最近だと、俺と緑谷は爆豪の家に泊まり込みでこの特訓に臨んでいる為、強化合宿に近いのかもしれない。

 

 2人は着実に実力を伸ばしてきており、もはや入試当時の強さが霞みつつある。とんでもない成長速度だと毎度ながら驚かされる日々だ。

 

 そんな日々を送っていたとある夜。睡眠を取っていたタイミングで、俺達の眠る部屋の中に窓を叩く音が響いた。

 

 前世の影響で、俺の体は何か異常があればすぐに覚醒状態に移行するようになっているらしく、俺の眠気はあっという間に吹き飛んだ。薄目を開けつつ体を起こす緑谷と爆豪を横目にしつつ、考える。

 

 俺達の使っている寝室は2階。そこに人間が登ってきて、窓をノックしていると考えても……非常に不自然で怪しい。ただ、窓を叩くリズムと鳴り響く音が人間の手で叩かれているものではない気がした。

 

 人間の手より、もっと鋭いものでより速く叩かれる……?心当たりがあるように思えたその時、爆豪がガシガシと髪を掻き乱しながら立ち上がった。

 

「ったく……!んな夜遅くに窓を叩いてやがんのはどこのどいつだ……!?」

 

 ご両親を起こさないように気を遣ってか、イライラを押し殺すようにして青筋を浮かべながら言うと、「かっちゃん、危ないって」と引き止める緑谷に目もくれず、バッと勢いよく黒いカーテンを開けた。

 

 窓ガラスを隔てたその先にいたのは……!

 

「ヤット気ヅイテクレタ!オ願イ、開ケテホシイノ!」

 

 藤の花の飾りを頭部に付けた、元気がよく可愛らしい雌の黒い鴉だった。

 

「喋る鴉……?」

 

「''個性''か何かかな?動物に''個性''が目覚める例は、ゼロじゃないけど……」

 

「相当確率(ひき)ィはずだぞ?珍しいもんだな」

 

 他と違うのは、彼女が片言ながらも人語を喋る点。爆豪と緑谷は、その鴉を好奇心に満ちた目でじっと観察していた。

 

 一方、俺は、翼を二度三度と羽ばたかせながら窓辺から床へと降り立つその鴉が何なのかを察していた。前世の勘であって、証拠は何一つないが――

 

「鎹、鴉……」

 

 嫌な予感がしつつそう呟いた。

 

「えっ?鎹鴉……!?」

 

「おいおい。それって、鬼殺隊用の連絡網として活躍してたとかいう鴉じゃねえかよ?存在するんか?」

 

 俺の呟きが聞こえたのか、緑谷と爆豪は更にまじまじと雌の鴉を見つめる。

 

 ……確かに、存在するはずがない。鎹鴉の子孫がいるというのはあり得ない話じゃないかもしれないが、こんなに明確に人語を話せる鴉が存在する訳がないんだ。生物が進化の過程で使わない部位を削ぎ落としてきたように、鎹鴉もまた人語を話す必要が無くなったが故にその言語能力を失っていった。だから、存在する訳がないはずなのに。

 

 考える俺を他所に、鴉は慌てた様子でまくし立てる。

 

「私……葉隠透ノ鎹鴉で、(あや)ト申シマス!冨岡サン、オ願イシマス!透ヲ救ケテクダサイ!オ館様ノ御屋敷ガ襲ワレテ、ソレデ、オ館様ヲ逃ガス途中デ、(ヴィラン)ト交戦シテ……!」

 

 ――血の気が引きそうだった。嫌な予感が的中してしまった。緑谷と爆豪も、突然のことに呆然としている。

 

 ……いや、動きを止めている場合じゃない。鱗滝さん――先生から教わった、迅速な判断が全ての運命を決める場面だろう!

 

「すぐに行く。外に行くから、待っていてくれ」

 

 俺はすぐに結論を出し、細長く黒いケースの中から父が愛用していた特製の木刀を取り出して外に駆り出した。

 

「えっ、冨岡君!?」

 

「……俺らも行くぞ。掴み取れる手は全部掴む!」

 

「!うんッ!」

 

 俺が外に出て、純に案内を頼むと……爆豪と緑谷まで後を追いかけてきていたようだった。

 

 爆豪曰く、「掴み取れる範囲の手は全力で掴み取りにいきたい」と。緑谷曰く、「資格だけに囚われて友達を見捨てるようなヒーローにはなりたくない」と。

 

 頼もしい啖呵を切る友達を誇りに思いつつ、俺達は全速力で純の案内に従って駆けた。

 

 今度は……知らぬ間に透に降りかかった災難を斬り払う為に。透の幸せをこれ以上壊させない為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハッ、こんな貧弱なクナイで俺を殺れる訳ねえだろうが!舐めてんのかァ!?」

 

 己の肉体に纏った筋繊維の鎧で雛鶴、まきを、須磨の3人が投げたクナイを(ことごと)く弾き、戦車の如くマスキュラーが迫る。

 

「なんて硬さなの……!」

 

「パワーと速度、単純に見積もってもオールマイトに引けを取らないかもしれないよ!」

 

「何でこんな化け物がいるんですかぁっ!?冗談も程々にしてくださいよ!」

 

 会話を交わしつつ後退を図る3人。だが、マスキュラーが想像以上に速い。このまま、3人は残酷に殴り殺されてしまうのか?

 

 ――否。この少年がいる限り、そうはならない。

 

「お三方共!こいつは俺が引き受ける!!!援護を頼むッ!!!!!」

 

 燃える炎のような焔色の髪。正義の炎を宿す、大きく見開かれた目。溌剌とした希望の一声。

 

 少年の名は――煉獄杏寿郎。前世では元''炎柱''として最期まで戦い抜き、炭治郎達に希望を託して輝かしく散った男。義勇ら''柱''の全員に好かれ、尊敬されていた男。

 現在の年は14歳。前世の記憶を持って生を授かったのは、彼も例外ではない。故に、この程度の(ヴィラン)に容易く負ける程の強さは持ち合わせていなかった。

 

「炎の呼吸・伍ノ型――炎虎ッ!!!!!」

 

「!?」

 

 構えた木刀を、炎が着火したかのような呼吸音と共に、獣の牙の如く強烈に振り下ろす。杏寿郎の烈火の如き闘気を纏った一撃は、マスキュラーの目に型の名通りの、炎によって生を授かった虎を幻視させた。

 

「うおっ!?」

 

 烈火の猛虎がマスキュラーの肉体を呑み込み、その巨体を大きく後退させる。

 

 ――体が熱い。熱気に曝された。そんな感覚を覚えつつ、マスキュラーは歓喜に体を震わせて叫ぶ。

 

「やるじゃねェか、おい!世の中ってのは広いなァ!?その強さ……俺を一方的にボコしやがった冨岡義勇を思い出すぜェェェ!!!『義炎ヒーロー・炎神』そっくりのガキ!名前を教えやがれ!」

 

「俺は煉獄杏寿郎!君の言う通り、『義炎ヒーロー・炎神』もとい、煉獄槇寿郎の息子だ!!!」

 

 殺意に歪んだ不敵な笑みにも恐れることなく、杏寿郎は名を名乗り、真正面から立ち向かう。

 

 無論、敵と交戦しているのは彼らに限った話じゃない。

 

((すい)の呼吸・壱ノ型、透き通し)

 

「っ!?」

 

 緩急自在の動きで残された残像。それが残像だと気づくこともなく、死柄木が腕を振り払う。振り払った腕は、目の前にいたはずの少女――葉隠透の体に命中することなく、空を切った。その事実に戸惑う死柄木は、動きを止めてしまう。

 

 そんな彼に……。

 

「透の呼吸・参ノ型、紋様透かし''百合''!」

 

 金属をくり抜いて百合の花の模様を刻み込むように、強靭な連続蹴りが叩き込まれる。

 

「ぐはあっ!?」

 

 全身を駆動させながら繰り出された強烈な蹴りで死柄木は蹴り飛ばされて、ゴロゴロとボールのように地面を転がっていく。

 

「いってえ……!ヒーロー気取りのガキが……!調子に乗るのもいい加減にしろ!」

 

 何度も体を打ちつけて痛む体の節々を解しながら、死柄木は怒りを露わにし、癇癪を起こした子供のように声を荒げて首をガリガリと掻き毟る。その理由は、葉隠にあった。

 

 葉隠は透明人間。故に腕や足が見えず、リーチを計りかねる。その結果、死柄木は葉隠からの攻撃を一方的に喰らい続けていた。

 

 まるで、チートを使ったレベル1の冒険者を相手に一方的に痛めつけられているラスボスのような気分だった。

 

 だが……彼は単なる馬鹿ではない。幸いなことに、葉隠は靴を履いている状態だ。そこいらの(ヴィラン)に比べれば、相手の観察力に優れる死柄木は、葉隠の履くスニーカーの位置から大方の足の長さを割り出し――その足首を掴まんとして手を伸ばした。

 

「え……」

 

 車が急には止まれないのと同じように、一度やった動作を中断して別のものに切り替えることはそう簡単なことじゃない。既に回し蹴りを繰り出す為に振り抜いていた葉隠の足は止まることなく、その足首が死柄木の手中に収まろうとしていた。

 

(まずい……!まずい!)

 

 死柄木がやたらと腕を振るい、掌で鷲掴みにすることに繋げるようなモーションばかりとっているのは分かっている。その為、手で掴まれたら確実にまずいということは分かっていた。そのはずなのに……体は反応しない。足は止まってくれない。

 

(終わりだ……!これで、こいつを粉々にして産屋敷耀哉を……!)

 

 ''崩壊''。五指で触れた対象をその名の通り崩壊させ、塵と化す''個性''。一度崩壊すれば、綻びが生じた場所から止まることなくそれが進行していく。死亡不可避の強個性。

 

 五指で目の前の少女の足さえ掴めば、死柄木の勝利は確定する。彼はそれを分かっていたが故に、顔面に取り付けた手の形をしたマスクの下で口角を吊り上げ、不敵に笑った。社会への憎しみと殺すべき対象への殺気、それと破壊衝動。それら全てを赤い瞳に異様な眼光として宿し、ターゲットを殺すべき者へと向けた。

 

 だが。彼は、()()()()()()()()

 

「ごふぅっ!?」

 

 突如、死柄木の鳩尾に、体の内部奥深くまで浸透する程の凄絶な衝撃が伝わる。

 

「あ……がっ……!?」

 

 突然の横槍に、死柄木は動きを止めざるを得なかった。己の横隔膜が動きを止めて、上手く酸素を取り入れることが出来なくなり、衝撃を伝えられた部位を押さえて地面に倒れ込む。

 

「な、んで、だ……!」

 

 そして、その赤い瞳に自分が仕入れた情報とは全く違う状況にあるターゲットを映し、睨みつける。

 

「産屋敷一族は……!代々……呪いのせいで、短命じゃなかったのかよ……っ!?お前と同じ名前の当主は……刀を振っても10回足らずで脈が狂って、倒れたって話だぞ!?ろくに運動出来ない体のはずなのに……!その速度と攻撃の威力は……何なんだよっ!?」

 

 死柄木の視線に立つのは、腰を落とし、掌打を打ち込んだ姿勢から自然体の姿勢へと戻る耀哉の姿。唖然とする――正確には、''しているだろう''になるかもしれないが――葉隠の頭を一撫でしてから、彼は微笑みを浮かべて言う。

 

「死柄木弔、君の仕入れた情報は随分と古いね。……知らなかったのかい?鬼舞辻無惨を討ち取った後、産屋敷一族は類稀なる長寿な家系になったんだよ。因みに、無惨との戦いで我が身を犠牲にして亡くなった当主からその座を受け継いだ御子息の方は、300年以上もこの世を生きたそうだ」

 

「は……?」

 

「悪かったね、死柄木。()()私は……すこぶる元気なんだよ。自分の家族くらい、自分の力で守れるようになっておかないとね」

 

「っ、ぐうううっ……!」

 

 先生。即ち、オールフォーワンにも似た、カリスマ性と安心感や高揚感を齎す声に苛立ち、死柄木は首を掻き毟る。

 

(()()()()()()……!見えなかった!産屋敷の動きが、全く!)

 

 人間の視認出来る速度を遥かに超えたそれ。容易く殺せるはずだと思っていた。なのに、相手は容易く己を一蹴したではないか。

 

「くそぉぉぉっ!ふざけんな、このチート野郎がァァァ!!!!!」

 

「必死に鍛えた結果さ。それをチートと見()すとは……まだまだ子供だね、君は」

 

「煩え!」

 

 苛立ちを前面に出して腕を振るう死柄木と、それを最小限の動作で避け、受け流す耀哉。怒りに任せて闇雲に振われる攻撃を、天才と呼ばれる人物が持ち得るという未来予知にも等しい凄絶な勘……先見の明を用いた予測を併用した耀哉が次々と避けていく。

 

「お兄ちゃん、滅茶苦茶強かったんだ……」

 

 その光景に、戦闘中であることも忘れて見入ってしまう葉隠。回避も攻撃も全て最小限で無駄のない動き。自分もまだまだ勉強しなきゃなあ、と呑気なことを考えていた時だった。

 

 大木が思い切りへし折られたかのような乾いた音が、夜の森の中に響き渡る。葉隠は、音のした方に視線を移した。耀哉もまた、死柄木を背負い投げで投げ飛ばしてから音のした方に視線を移す。

 

「ハハッ!これでテメェの得物は無くなった!やっぱ、凪が使っていた特製の奴とは遥かに強度が劣ってる!脆いなァ!!!」

 

「むうっ……!やはり、木刀では(いささ)か心許無いか!」

 

 視線の先には、筋繊維を纏いまくって巨人のように体を膨れ上がらせたマスキュラーと、手にしていた木刀をその拳でへし折られた杏寿郎の姿があった。

 

「オラァ、吹っ飛べ!精々この程度で死んでくれんじゃねェぞ!」

 

「っぐうっ!?」

 

 マスキュラーが、丸太のような太さの剛腕を振り払う。剛腕が杏寿郎の体に強か打ち付けられ、吹き飛ぶ。

 何本もの木の幹をへし折るような音が響くと共に土煙が巻き起こり……車同士が衝突したかのような衝突音が大気を震わせる。

 

「杏寿郎君っ!」

 

 葉隠が悲痛な声を上げ、杏寿郎が吹き飛んだ方角を見る。その間にも、マスキュラーの狙いは次に移っていた。

 

「次はァ……そこのテメェだ!!!」

 

「えっ」

 

 マスキュラーは……あっという間に須磨に向けて肉迫した。その殺意が須磨を襲うも、おっかなびっくり振り下ろされた拳を(かわ)した。伊達に忍はやってないし、宇髄の妻として側にいたということか。

 

「ぎゃあああああっ!?それはまずいですって!死んじゃう!死んじゃいますからぁぁぁ!!!」

 

「須磨っ!」

 

「くそっ、彼奴め……私達には目を向けやしない!このままじゃ、須磨に一直線だよ!」

 

 泣き喚きながらも必死で逃げる須磨。ゲームのように面白がって彼女を追いかけ、攻撃を繰り出すマスキュラー。そして、須磨を守る為に動く雛鶴とまきを。だが、相手が速すぎる。苦渋の策でクナイを投擲するも、筋肉の鎧を纏ったマスキュラーには蚊に刺されたようなものらしい。雛鶴とまきをに対して全く目を向けなかった。

 

 2人は、自分の無力さに唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

「いかん!須磨殿ッ……!」

 

(くそっ、肋を持っていかれた!見た目に違わぬ怪力……!''個性''とは末恐ろしいものだっ……!)

 

 一方。木を何本も薙ぎ倒しながら吹き飛ばされた杏寿郎の元にも、須磨の叫びは届いていた。だが……あの剛腕で何本か肋骨を折られた状態にある。凡そ吹き飛ばされた距離から考えても、最大速度を引き出さなければ間に合わない。ただ、肋骨を折られた痛みと何本もの木に背中を打ちつけた痛みが体に生じており、そうするには暫しの時間が必要な状況。

 

(だが、立ち止まる訳にはいくまい……!まだ諦めるには早い。最善を尽くし……救けねばッ!)

 

 前世と変わらぬ、罪なき人々を守る意志。それでもって心を燃やして立ち上がる。

 

「ボォォォォォゥ……!」

 

 炎が着火して轟々と燃え盛る音を発し、肺一杯に酸素を取り込む。足元にありったけの空気を集めて、溜め込み、爆発させる。同時に地面を蹴って、最大速度で彼は駆け出した。

 

 そして、彼が現場に駆けつけて見たものは――須磨に殺人鬼の拳が迫りつつあった瞬間だった。

 

「須磨殿ぉぉぉッ!!!」「須磨ちゃんッ!!!」「「須磨ッ!!!」」

 

 杏寿郎、葉隠、まきを、雛鶴の4人が同時に叫ぶ。

 

「あ……」

 

 須磨の中でゆっくりと時間が流れる。

 

(あっ、雛鶴さんとまきをさん。あれ、葉隠さんも……すっごい焦ってる。煉獄さんもいらっしゃる……?凄いなあ、あれだけ吹き飛ばされたのにこんな短時間で戻って来れるだなんて。って、あれ……?もしかして私、このまま死んじゃいます?)

 

 あと少しで死ぬというのに、妙に余裕がある。これが死を悟るということなんだろうかと考えた。

 

(ごめんなさい、天元様……。私、ここまでかもしれないです)

 

 覚悟を決めて目を瞑る。死ぬ覚悟を決めた彼女を見て、マスキュラーは歓喜の叫びを上げた。

 

「おおっ!覚悟を決めたのか!よし、いいぞ!そのまま死ね!そうすりゃあ楽になれるからな!お友達もすぐに同じ場所に送ってやるから安心しろ!」

 

 不敵な笑みを浮かべ、思い切り拳を振り抜く。

 

「やめてぇぇぇ!!!」

 

 堪らず、葉隠は叫んでいた。両親のみならず、可愛い後輩まで奪い去るのか。それだけは絶対に嫌だと涙を流した。

 

 ――こんな状況の中で、たった1人依然として落ち着いている男がいた。産屋敷耀哉。彼は微笑みを浮かべつつ、葉隠に迫る死柄木を裏拳で殴り飛ばして、呟いた。

 

「透、泣かないでおくれ。君の救けを求める声は……無事に届いたようだよ。そして、()()()()()

 

「え……?」

 

 ――瞬間。

 

「光の呼吸・壱ノ型、(ひらめき)っ!!!」

 

 緑色の稲妻を纏った眩い閃光が、マスキュラーと須磨の間に割り込んだ……!



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第三十話 第二ラウンド

「おお……!なんてカッケェ乱入をしてきやがる!いい度胸だな、小僧!」

 

「っぐっ……!」

 

(こいつ、なんてパワーだ……!)

 

 力と力を押し付け、競り合う丸太のように太い筋繊維を纏った腕と、見た目の美しさを兼ね備えつつも筋が浮き出る程にしっかりと鍛え抜かれた腕がぶつかり合う。

 

 未来の平和の象徴、緑谷出久と人を嬲り殺すことに快感を覚える殺人鬼、マスキュラー。前者の後ろにいる少女を守って救ける意思と、後者の少女を嬲り殺すという意思の張り合い。互いが決して譲らず、凄烈な鍔迫り合いが繰り広げられていた。

 

 しかし。そもそもの話、2人の筋肉量が明らかに違う。当然ながらマスキュラーの方が筋肉量は遥かに上。次第に、緑谷の方が少しずつ押され始める。

 

「カッケェ登場したのはいいが……1人じゃあ限界があるんじゃねえのか!?そのまま後ろの嬢ちゃん諸共潰してやるからよォ!血ィ見せてくれや!」

 

「ッ!?」

 

(相手の力が更に増したっ……!?)

 

 片腕の拳を全身全霊で押し付けていた形から、マスキュラーの拳を両手で受け止める形に切り替えて、決死で踏ん張る。マスキュラーの力が上から押し付けられ、その方向から力がのしかかる。地面が陥没し、亀裂が入って巨大なクレーターが形成される。

 

 ――このままじゃ、一方的に潰される!

 

 悟った緑谷の額から、冷や汗が垂れた。

 

「お兄さん……!私のことはいいですから、逃げてくださいっ!このままじゃ、2人とも潰されちゃいます!」

 

 緑谷の後ろで腰を抜かしている須磨も、そんな未来を察してか、涙ながらに訴える。

 

 そんな彼女の表情を見て、緑谷は自分の無力さを痛感する。それでも尚、彼はヒーローに憧れるきっかけをくれたオールマイトの笑顔を想起して……笑った。

 

「大丈夫……!君のことは絶対に救ける!だから、泣かないで……!2人揃って、無事に帰ろう!」

 

 白い歯を見せつけるように、ニカッと笑ってみせる。そうすると、目の前の巨悪の発する殺意に対する恐怖が、一方的に潰されるかもしれないという弱気な考えが、不思議と吹き飛んでいく。

 

(そうか……。オールマイトも、こんな風に怖いって気持ちを紛らわす為に笑ってるんだ……!)

 

 オールマイトが笑う理由を自分自身で改めて理解した瞬間、マグマのように勇気が煮えたぎり、湧き上がってきた。

 

「――ははっ……!後ろに泣いてる女の子がいるっていうのに……男の僕が、弱音を吐いてなんていられないよなっ!!!」

 

(ワン・フォー・オール、フルカウル……4()0()()ッ!)

 

 上昇した出力は5%。たった5%。されど5%かもしれない。だが……!

 

「うおっ!?何だ、急に……パワーがっ!?」

 

 救けたい、守りたいという意思に呼応して、そのパワーが急激に引き上がる。実際に出力しているのは40%のはずなのに、それを上回る出力が発揮されたかのように緑谷には思えた。

 そして、そこに上乗せされる反復動作。

 

 自分の原点(オリジン)、オールマイト。ずっと身近にいた凄い奴の爆豪。彼と和解出来た瞬間。最後に、自分に一歩を踏み出す勇気をくれた義勇。

 

 それらを想起し、緑谷の体内の血の巡りが加速する。心拍数が上昇し、集中力が極限まで高まる。それで()って、瞬間的にマスキュラーを圧倒する怪力が引き出された。

 

「でぇやぁぁぁぁぁッ!!!!!」

 

「うおおっ!?」

 

 マスキュラーの剛腕が押しのけられ、その巨体が仰け反る。その隙を見逃さず、緑谷は追撃を試みた。

 

「光の呼吸・伍ノ型、光柱天穿ち!」

 

「がはあっ!?」

 

 地面の砂塵を大きく巻き上げる風圧を伴う、体のバネを最大限に活かしたアッパーカット。それは、地面から湧き上がり、空を穿つ命の光が集まって形成された光の柱を幻視させた。

 

 緑谷より、二回り以上も膨れ上がったマスキュラーの巨躯が空中に打ち上げられる。その刹那――

 

「ジリィィィッ……!」「ヒュウウウゥゥゥッ……!」

 

 風が逆巻く音と導火線が着火した音が聞こえた。

 

「あ……?」

 

 自分の真上から聞こえてきたその音に、マスキュラーは呆けた声を上げながら視線を上へと移す。

 

「体勢まで崩すとは……上出来だ、緑谷」

 

「空中に打ち上げてくれたおかげで……遠慮なくブチかませる!」

 

 その視線の先にいたのは、静かに闘気を滾らせる水神と、悪を殲滅する意思に満ち満ちた核弾頭。

 

(いつの間に!?)

 

 その2人、義勇と爆豪の繰り出さんとする一撃を丸太のような剛腕で防ごうとしたマスキュラーだったが、叶わず。

 

「水の呼吸・捌ノ型――」「爆の呼吸・伍撃――」

 

「滝壺!」「対空烈破!」

 

 高所から降り注ぐ滝のような重く鋭い義勇の一太刀と、高所の敵を撃ち落とす砲弾のような爆撃が脳天に炸裂。その巨躯を爆風を伴いながら地面へと叩き落とした。

 

 巻き上がる爆煙と土煙。須磨の危機を退けた乱入者達が繰り広げた濃密な攻防に唖然とする他ない。

 

 危機を退けた者達の背中は……どうにも眩しい。葉隠には、そう思えた。

 

 突然のことで何度も瞬きを繰り返していた須磨であったが。

 

「……須磨さん、怪我はないか?」

 

 月の光に照らされる、女性なのではないかと思う程に白く綺麗な肌。月の光を受け、美しく照り映える凪いだ海面のような蒼い瞳。一度耳元で囁かれてしまえば、間違いなく恋する乙女としてのハートを撃ち抜かれるに違いない淡々とした美声。

 

 何もかもが懐かしい目の前の少年に無事を尋ねられると気が抜け、ボロボロと大粒の涙を流してしまった。

 

「!?」

 

「ううっ……冨岡ざん"ん"ん"!ありがとうございますぅぅぅ!!!死んじゃうかと思いましたぁぁぁ!それと会いたかったですぅぅぅ!」

 

 そのまま、彼女は義勇に抱きついて泣いた。それはもう泣きまくった。大方、お嫁に行けなくなるのではないかと心配になってしまうくらいにみっともなく。

 

「ともかく……怪我がないようで良かった」

 

 (なだ)めるように須磨をポンと軽く撫でる義勇。そうしつつ、自分の判断が間違っていなかったことにホッとした。

 

 ここに真っ先に辿り着いたのは緑谷だったが、これは義勇の判断によるものだった。この現場に辿り着くまで残り1kmくらいのタイミングで、義勇は緑谷に先に行くように促した。

 

 というのも、緑谷の扱う我流の呼吸、光の呼吸は雷の呼吸が源流。故に、要となるのはその脚力。その本領を発揮する為には、足に空気を溜め込んで爆発させるというだけではなく、常人以上に足を鍛える必要がある。緑谷もまた、光を彷彿とさせる速度を物にするために地道かつ真面目に足を鍛え続けてきた。

 その甲斐あって、今や直線の移動速度に限った話ならば、普段の義勇を抜けるようになった。

 

 それを頭に置いた上で、純の案内の元で全速力の緑谷を先行させ、義勇と爆豪がその背中を追うという形を取った。それで、緑谷が間一髪の所で須磨の危機に間に合うことが出来て今に至る。

 

「ここまでやれりゃあ上出来だ。流石は出久。やっぱ出来るやつだぜ」

 

「か、かっちゃん……撫ですぎだよ……!ただでさえモサモサな髪が、もっとモサモサになっちゃうよ!」

 

 そんなことを言いつつじゃれ合う緑谷と爆豪を見る。改めて、2人の成長速度に驚かされた。

 

「須磨!」

 

「雛鶴さん、まきをさん〜!怖かったですぅぅぅ!」

 

 駆け寄ってくる雛鶴とまきを。須磨に手を貸して立たせ、彼女達の元に行かせてやる。2人にも抱き着き、生きていることを喜び合っているのを微笑ましく見守っていた時だった。

 

「冨岡義勇ぅぅぅぅぅッ!!!!!」

 

 大気を震わせ、残酷な殺人鬼の叫びが響き渡った。

 

「……来る」

 

 義勇が呟いた瞬間。マスキュラーが獰猛な笑みを浮かべて、上空から隕石のように降ってきた。その巨体が地面を震撼させる。

 

「ガキの頃以上に強くなってやがんな!驚いたぜ!でもそうこなくちゃ面白くねェよなァ!」

 

「ぎゃあっ!?気絶すらしてないんですけど!?」

 

「あの筋繊維が見た目通りに鎧の役目を果たしてるんだね。多分、それに覆われた本体に思いっきり叩き込まないと倒せないよ」

 

 マスキュラーが狂喜的な笑みを浮かべる。そんな彼を見て、怖がることに全力を尽くすと言わんばかりの様子で騒ぐ須磨の頭を、まきをの平手がペチンと叩いた。

 

(再会を喜ぶ暇も無さそうだ)

 

 2人を一瞥した後、再び戦闘態勢を取る義勇。それに伴い、緑谷と爆豪も自然と戦闘態勢を取った。

 

「おおっ、3人まとめてかかってくるのか!?いいぜいいぜ!楽しくなってきやがった!」

 

 口角を釣り上げ、マスキュラーが不敵に笑う。襲い来る殺意にも怯まず、一歩たりとも後ずさることのない義勇、緑谷、爆豪を見た彼はとても楽しそうだ。

 

「チッ、生意気なガキどもが……!次々と乱入してきやがって……。(ヴィラン)の恐ろしさを思い知らせてやる。産屋敷、覚えてろ!あのガキ共の次はお前だ……!」

 

 流石にこれ以上の邪魔が入るのは煩わしいと思ったのだろうか。死柄木は、マスキュラーに加勢して義勇達を始末することを優先したらしい。

 

 苛立ちを露わにズカズカと歩いていく死柄木の背中を、耀哉はいたずらっ子のような微笑みで見送りながら呟いた。

 

「ふふ……やれるものならやってごらんよ。その3人は強いよ。悪意と向き合うことに対する覚悟が違うからね」

 

 ズカズカと歩みを進め、マスキュラーの隣に立った死柄木が首元をガリガリと引っ掻き、手の形をしたマスクの下の赤い瞳を見開いて声を荒げた。

 

「おい、マスキュラー!さっさとこのガキ共を殺して、ゲームクリアするぞ!こいつらと、そこの炎神の息子さえ殺してしまえば、後はヌルゲーだ!」

 

「む、俺もか!よもやよもや……!甘く見られたものだ」

 

 そんな彼を見たマスキュラーが愉快そうに笑う。彼の笑いは、死柄木の不快感を掻き立てた。とうとう、その殺意をマスキュラーにも向け始めてしまう。

 

「何がおかしい!?」

 

「おお、落ち着け落ち着けェ。産屋敷の坊っちゃんを殺せなかったせいで殺意衝動が増幅してるって感じだな!大したもんだよ、あんたは」

 

 だが、真の殺人鬼であるマスキュラーが彼の殺意に怯むはずもない。癇癪を起こした子供を宥めるようにして話し始めた。

 

「ただ、まあ……()()()()()()()と思ってな。気持ちは分かるけどなァ、俺はやめておいた方が良いと思うぜ?こいつらは単なるガキとはレベルが違う。今のあんたじゃ一方的にボコされて終わりだね」

 

 マスキュラーの指摘は的を得ている。だが、現実を見ない子供が現実的な指摘を受けても受け入れるはずもない。やはり、死柄木はまだまだ子供だった。

 

「煩え!大人に敵う子供なんざそうそういねえ……!俺をナメんな!」

 

「やれやれ……やっぱりガキだぜ。まあいいや、あんたがどうなろうが知ったこっちゃねえしな!」

 

 自分の指摘を受け入れない死柄木に呆れたのか、元から期待していないのか。どちらか定かではないが、あっさりと目の前のターゲットとの戦いに気持ちを切り替え、マスキュラーは拳と首を鳴らした。

 

「……煉獄、いけるか?」

 

 木刀を握りしめ、義勇が問う。悠然と歩みを進めて彼の横に立った杏寿郎は答えた。

 

「うむ、任せておけ!ただ、肋を何本か持っていかれたから、長期戦は期待出来ないぞ。だが、安心してくれ!()()()()1()()()なら十分余力がある!」

 

「究極奥義……?成る程、昔を超えるべく鍛え続けてきたのは俺だけじゃないということか」

 

「そうらしい!」

 

 2人だけにしか理解し合えない、昔という言葉の意味。拳を合わせて、彼らは笑い合った。

 

「なんか楽しそうなこと話してんのな!ほらほら、早く始めようぜ!テメェと戦いたくて仕方ないんだよ、冨岡義勇!」

 

 狂喜的だというのに、どこか子供のような無邪気さも感じさせる歪な笑みだ。そんな笑みを見ても、義勇は無機質な鉄仮面のような無表情を変えない。

 

「そう焦るな、俺はきっちりお前の相手をしてやる。爆豪と煉獄も俺と共にマスキュラーの相手、緑谷はあの手だらけ男の相手を頼んだ」

 

「よし、任された!」

 

「いいぜ。お前の親父さんの命を何食わぬ顔で奪いやがったクズ筋肉にきっちりぶちかましてやらァ」

 

「分かった……!任せて!3人のところには絶対に近づけさせないよ!」

 

「それと……透、雛鶴さん、まきをさん、須磨さん。4人は、お館様を頼む」

 

「っっ……任せといて、義勇君!お兄ちゃんのことはきっちりお守りするからね!」

 

 今、戦いの準備が整った。

 

「大人相手に子供1人……。ナメられたもんだな」

 

「ナメてるかどうかはすぐに分かる!」

 

「3人相手!殺りがいがあるな!おっしゃあ、来やがれェ!」

 

「行くぞ」

 

「「おうっ!!!」」「うんっ!」

 

 迫る悪意に対し、敢然と立ち向かう。本当の悪意との一歩も退けぬ戦い。その第二ラウンドが幕を開けた!



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第三十一話 退けろ、悪意

本来一話にまとめていたものを二つに分け、連続投稿となります。今話の最後にはアンケートを取りますので、是非ともそちらにご協力いただければと思います。


 火花が夜の闇の中で派手に弾ける。水を纏った剣閃がマスキュラーの攻撃を(ことごと)く防ぎ、受け流す。緑色の稲妻を纏った拳撃と蹴撃が死柄木を一方的に押さえ込む。そして……全身を捻った構えを取っている少年から、発せられる闘気が可視化されて炎のオーラが溢れ出す。

 

「死ね死ね死ねェ!血を見せやがれ、冨岡義勇!」

 

 隕石の如く降りかかる二つの剛腕。義勇は、隙一つない自然体の構えを取り、己に降りかかる剛腕を見据え――

 

「水の呼吸・拾壱ノ型、凪」

 

 自身の上方に対して、無拍子且つ視認不可能な速度の無数の斬撃を繰り出してその剛腕を弾ききった。

 

「……は?」

 

 何が起こったのか理解が出来ない。振り下ろした剛腕が弾かれたと思えば、マスキュラーの視界に入ってきたのは揺らぎ一つない無風の海面だった。

 

 義勇が無風の海面に波紋を発生させながら滑るように歩き……消えた。

 

「ッ!?」

 

 戸惑いを露わにし、マスキュラーは周囲を忙しなく見渡す。

 

(まただ、また消えやがった!)

 

 あの日も、こうして消えた彼が知らぬ間に自分の懐に潜り込んでいて、攻撃を叩き込まれた。

 

(どこからだ……!どこから来る!?)

 

 最大限に辺りを警戒し、身を固めていたマスキュラーだったが……その攻撃は、予想だにしない位置へと放たれた。

 

「い"っ!?」

 

 爆撃と激流を纏った木刀による殴打が、マスキュラーの膝裏と大腿に炸裂する。

 

 人体の構造上、筋肉で増強出来ない部位とどれだけ肉体を鍛えようとも急所に変わりない部位に攻撃を叩き込まれたマスキュラーは、堪らず膝をついた。

 

 膝をついたマスキュラーに対し、義勇と爆豪は更なる追撃を叩き込む。

 

「水の呼吸・肆ノ型、打ち潮」

 

「爆の呼吸・参撃、爆炎砲!」

 

 義勇がすれ違い様にマスキュラーの鳩尾と両肩口の三箇所に目掛けて、陸に激しく打ち付ける波のような淀みない連撃を叩き込み、爆豪が掌の一点に集中させた爆破を徹甲弾の如く貫通力の高い弾丸として、マスキュラーの顔面めがけて撃ち込んだ。

 

「うがあっ!?」

 

 人体の急所に叩き込まれた攻撃は、マスキュラーを悶えさせるには十分だった。息苦しさに堪え、動かそうにも動かせない腕をプルプルと震わせながら、顔の皮膚がジリジリと焼けつくような感覚を感じ取る。

 

「……はは、いいじゃねえか。いいじゃねえか!そうこなくちゃなァ!!!」

 

 地面を見つめるように伏せていたその顔には、火傷の痕がある。まさしくたった今、爆豪の放った爆撃弾によって生じたものだった。

 

 片手を右肩に添えつつ、ぐるぐる回す予備動作を目にした爆豪は、舌打ちをして掌から激しく火花を散らした。

 

「しぶとい筋肉だなあ、オイ!大して喰らってねえってか!上等だ、それなら……叩き込み続けるだけだ!作戦通りいくぞ、()()()()冨岡!」

 

「ああ、任せるぞ」

 

(爆の呼吸・肆ノ型、爆裂瞬進ッ!)

 

 爆豪が叫ぶと同時に義勇がうねる龍の如く刀を回転させながら、ぐるぐるとマスキュラーの周囲に渦潮を巻き起こすかのように移動を始める。

 

 それを見兼ねた爆豪は、掌から爆破を巻き起こし、推進力を得てマスキュラーの懐へと猛進した。

 

「お?なんだなんだ、なんか楽しそうなことやってん――」

 

 そして、義勇の方を興味深そうにジロジロと見て自分から意識を逸らしている、マスキュラーの腹部に爆破を叩き込んだ。

 

「俺のこと忘れてんじゃねェよ、脳味噌も筋肉で出来てんのか!?」

 

「そうだったそうだった、お前も居たんだったな。一先ずテメェをさっさと片付けて……冨岡義勇相手に楽しませてもらうぜェ!」

 

 爆豪の存在を思い出したマスキュラーの殺意に満ちた瞳が彼を見下ろし、筋繊維の鎧を纏った剛腕が振り下ろされる。

 

(遅ェ)

 

 だが、彼の攻撃速度が爆豪を捉えられるはずがなかった。……当然だ。この日に至るまで、爆豪はずっと義勇を相手に己を鍛え上げてきたのだから。己の足で更なる高みへと進む為に。

 

 地面へ向けて爆破を放った爆豪の体が華麗に宙へと浮かび上がる。その推進力を利用してマスキュラーの背後に回り込んだ爆豪は、凄まじい体幹で己の体勢を整えて身を翻し、最大出力の爆破をその背中に解き放った。

 

「ぐうっ!?」

 

 腕を振り抜きながら放ったそれは、爆破でマスキュラーの肉体を呑み込むと共に、鎌鼬状に変化した爆風でその筋肉を切りつけた。

 

「やるじゃねえか、あのガキも……!」

 

 黒い爆炎が立ち込める中で、ズボンに付着した砂塵を払いながら立ち上がる。いざ、反撃だと意気込んで顔を上げた瞬間――微かに隙間の出来た両掌をマスキュラーの眼前に突きつけ、その隙間でバチバチと爆破を起こす爆豪の姿が目に入った。

 

(しまっ――)

 

「爆の呼吸・陸撃、爆撃閃」

 

「うおおっ!?」

 

 次の瞬間、爆破が襲いかかると同時にマスキュラーの視界を真っ白な閃光が覆い尽くす。彼の視界に広がったのは、どこまでも広がる眩い光。目の前の景色が塗り替えられ、彼は動揺しながら目を覆った。

 

「ぎぃやあああああッ!?目が!目がぁぁぁ!」

 

 そう、爆豪が両掌から放った爆破により生じた閃光によって目を潰されたのだ。

 

「くそぉっ!何処だ、何処にいやがる、ガキがぁっ!」

 

 闇雲に腕を振り払うマスキュラー。だが、視界を塞がれた状態の攻撃が当たる訳などない。相当感覚が鋭いか、気配を読める等の類の''個性''や技術がない限りは。

 

 無論、マスキュラーにはそんな手段などなく。振り払った剛腕は、爆豪の手で次々と(かわ)されていく。

 

 爆豪も爆豪で、自ら居場所を教える必要もない。オールマイトのように技の名を唱え、気合十分に打ち込みたい。そんな気持ちを抑えて、心の中で型の名を唱えた。

 

(爆の呼吸・弐撃、絨毯爆撃!)

 

「ぐうっ!?(あち)ィッ!?」

 

 腕をブンブンと振り回すマスキュラーの懐に猪のような低い体勢で潜り込んだ爆豪は、無防備なその鳩尾に連続で爆破を叩き込む。地域一帯に絨毯を敷き詰めるように行う隙間ない爆撃。それと同じく隙の生じぬ連続爆破だ。

 

 ここに来るまでに義勇を死ぬ気で追いかけてきたお陰で、汗腺は十分に開いている。爆豪はフルスロットルの状態にあった。

 

 腕の回転数がみるみる上昇し、爆破を叩き込む速度が上がる。彼自身の高まるボルテージに比例し、爆破の威力も高まる。

 

(あのガキ!攻撃の威力が上がってやがる!)

 

 マスキュラーは攻撃を一方的に喰らいつつも、それを感じ取って冷や汗を流した。

 

 このままでは、あの時の繰り返しになる。悟ったマスキュラーは、負けてたまるかという強い意志と共に爆豪に対する激しい殺意を抱き、ありったけの筋繊維を解き放った。それを纏い、己の防御力を更に高めようとしたその時。

 

「ゴフォッ!?」

 

 マスキュラーの後頭部を強烈な衝撃が襲った。引き続き、こめかみ、鳩尾、肩口、膝、脛、大腿。人体の急所にあたる部位に、より威力を増した衝撃が押し寄せる。

 

(い、痛えっ……!なんだ、これ……!脳が、揺れ、て……っ!)

 

 衝撃によって脳震盪を起こしたことに加え、凄絶な痛みによるショックが生じ、マスキュラーの真っ白な視界がぐわんぐわんと揺れる。意識が飛びかけ、再び膝をつく。解き放った筋繊維と纏っていた筋繊維が、全て巣に逃げ帰る蛇のように己の体に収まっていく。

 

 光で潰された目がようやく周囲の景色を認識出来るようになったその時、目の前に広がったのは……水神の如く、身の毛をよだたせる気迫を放ち、水の龍を纏った木刀を構えて肉迫する義勇の姿だった。

 

 体中を駆け巡る、ゾッとした感覚。それは、自分を屠らんとする目の前の相手への恐怖。マスキュラーが思わず後ずさる。だが、逃げられない。一度喰らいついた獲物の肉を決して離さない獣の牙のように、義勇の一撃が炸裂する。

 

「水の呼吸・漆ノ型、雫波紋突き」

 

 水の呼吸の型の中で、史上最速を誇る技。水面を穿ち、波紋を発生させて威力を浸透させる突きがマスキュラーの額を強打した。

 

「ぐああああっ!?」

 

 悲鳴を上げ、額を押さえる。再び脳が揺らされ、殺人鬼としての強靭な精神力でなんとか失わずに済んだ意識を再び失いかけ、とうとう体を覆っていた筋繊維の全てがその体に収まってしまった。

 

 爆豪がマスキュラーを相手している間、義勇はマスキュラーの狙いが定まらないように、水の呼吸の玖ノ型、水流飛沫・乱の要領で周囲を高速移動しつつ、拾ノ型、生々流転を使用した。うねる龍のように木刀を回転させたのはそういうことである。

 

 何よりこの型の利点は、動きを止めない限りは高めた威力が継続されることにある。それは、他の型に関しても同じこと。生々流転の動きによって高めた威力は、雫波紋突きにも反映されて、マスキュラーの意識を飛ばしかけるに至るという訳だ。

 マスキュラーの戦闘意欲、若しくは意識を失わせ、''個性''の使用を一瞬でも中止させる。それが義勇と爆豪の作戦だった。――因みに、マスキュラーの後頭部から始まり、彼の急所を襲った衝撃の正体は、生々流転によって大幅に威力が高まった義勇の繰り出した打ち潮だ――

 

 今こそ好機。義勇は、爆豪に後退するようにアイコンタクトで合図を出すと、己も跳び退きつつ叫んだ。

 

「今だ、煉獄!」

 

「よもやよもや……!これはまた丁度いいタイミングだ!後は任せろ!」

 

 その背中から露わになったのは、全身を捻った構えを取る杏寿郎の姿。その逞しく鍛え抜かれた肉体からは轟々と悪を滅する炎のオーラが溢れており、彼の発する気迫がその周囲を渦巻く豪炎として可視化されていた。

 

「さあ、これで終わりにするぞ!炎の呼吸、()()()()・拾ノ型――」

 

 瞬間、彼の肉体が炎の球体に包まれ、飛び出す。人間の視認出来る限界の速度を遥かに凌ぐ速度で殺人鬼の元に肉迫する球体は――神鳥と化した。

 

(まずい、まずい!来るな!来るなぁっ!!!)

 

 マスキュラーは、必死になって意識を保ち、再び''個性''を発動する。新しく与えられた''筋肉操作''によって大量の筋繊維を一つに束ね、極太の鞭として振り放った。だが、捉えられない。いくら相手が加減していたと言えど、かつて上弦の参と渡り合った男をマスキュラー程度が捉えられる訳がなかった。

 

 そして、神鳥は天空から舞い降りる。

 

「――迦楼羅焔(かるらえん)ッ!!!」

 

 マスキュラーの頭上を取った杏寿郎は、振りかぶった拳を鉄槌の如く強かに振り下ろす。

 

「うぉごっ!?」

 

 神鳥、ガルーダの吐き出す金色の炎を彷彿とさせる聖炎を纏った拳がマスキュラーの巨躯を地面に叩きつけ……巨大な炎柱を立ち昇らせた。

 

「これは凄まじいな」

 

「うおッ……!?凄ェ……っ!」

 

 吹き荒れる暴風。押し寄せる土煙。それらを凌ぎながら、義勇は薄く笑みを浮かべて感心し、爆豪は子供のように目を輝かせた。

 

 辺りを静寂が包み、突如吹いた一陣の風が土煙を晴らす。そして露わになったのは、白目を剥いて地面に伏せるマスキュラーと、膝をついた状態から立ち上がり、義勇達に向けて溌溂(はつらつ)とした笑みを向ける杏寿郎の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 そして、同時刻。緑谷の方の戦いも終わりが近づいていた。

 

「光の呼吸・弐ノ型、閃々!」

 

「あがっ!?」

 

 すれ違い様に叩き込まれた5連撃の乱打が、レーザーのように死柄木の病的で細い肉体に叩きつけられる。それでよろけた彼に対して、出久は右脚の回し蹴りを叩き込んだ。

 

 腕の力の3倍以上を誇ると言われる足の力で繰り出した一撃は、死柄木を木の幹まで吹き飛ばした。木の幹に体を叩きつけられた痛みに悶える死柄木を見つつ、緑谷は油断なく構える。そして――

 

「キィィィィィッ……!」

 

 小さな光が徐々にその輝きを強くしていくかのように甲高い呼吸音を響かせ、地面を蹴った。

 

 結論から言って、緑谷は死柄木に対して終始優位に立っている。その理由は、無論彼が積み重ねてきた義勇との特訓の成果もありきだが……一番は、自分の背中に守るべき人達がいて、応援の声を投げかけてくれているからだった。

 

 「頑張れ!」と典型的であれど心強い応援の声を投げかける須磨と雛鶴。「やっちゃえ!」「そこだ!ぶちかませぇ!」とスポーツの試合さながらの応援をするまきをと葉隠。ただ微笑んで見守る耀哉。

 誰かからの応援がどれだけの力を引き出すものか。彼はそれをよく分かっている。彼女達の応援もあって、今の彼はフルスロットルだ。

 

 そして――

 

「そのままやっちゃえ、緑谷君!」

 

 葉隠の一声と共に、辛くも起き上がった死柄木の眼前に肉迫し、決着の一撃を繰り出した。

 

「光の呼吸・肆ノ型、陽光降ろし!」

 

「っがっ……!?」

 

 鋭い眼光を発しながら繰り出したのは、"ワン・フォー・オール"と"全集中の呼吸"で増加した身体能力を()っての踵落とし。青く晴れ渡る空に浮かぶ太陽から降り注ぐ、悪を滅する陽光が如き聖なる一撃だ。

 

 垂直方向に押し寄せる衝撃は、死柄木の脳を激しく揺らして脳震盪を(もたら)す。彼の視界の中で、白い火花がチカチカと弾けた。

 

 意識を失う瀬戸際。

 

(このまま捕まってたまるか……!俺は、先生に期待されてるんだ……!こんなところで、終われ、ない……っ!俺は、決めたんだ……。とにかく気に入らないもんをブッ壊すって……!)

 

 自分の望む未来を実現したいという望みと、オールフォーワンから期待されているんだという自覚を糧に最後の気力を振り絞り、死柄木は呟いた。

 

「黒……ぎ、り……っ」

 

 次の瞬間、黒い靄が死柄木の体を全て覆い尽くす。

 

「っ!?」

 

 捕まえるという思いよりも警戒が先に働いた緑谷は、咄嗟に距離を取る。そして、靄が晴れた時には死柄木の体が忽然とその場から消え去っていた。

 

「消えた……?」

 

 未だ油断なく周囲を警戒する緑谷。辺りを見回していると、マスキュラーの肉体も死柄木と同じように黒い靄に呑み込まれている光景が目に入る。

 

(逃げられる!)

 

 相手が逃走を試みているのだと予感したのは、マスキュラーを相手した3人も同じようで、これから悪意を振り撒く種を摘み取る為に緑谷、爆豪、義勇、杏寿郎が同時に飛び出しかけるも。

 

「皆、もう十分だよ。深追いは避けよう」

 

 耀哉の穏やかな声が彼らを制した。振り向くと、その声に相応しい微笑みを浮かべて歩み寄る彼の姿があった。

 

 その隙に、マスキュラーもまた死柄木と同じように靄と共に忽然と消えてしまう。その光景を前にして戸惑う緑谷と爆豪を見た耀哉は、微笑みを絶やさずに続けた。

 

「今回の敵は本物の(ヴィラン)。彼らがアジトに何かを仕掛けている可能性もゼロじゃない。それにね、一番恐ろしいのは彼らのバックに控えている巨悪だ。あの体中に手を取り付けた男は、巨悪の一番弟子と言ってもいい。彼が成長するのも恐ろしいけれど……ここで彼が捕らえられれば、何をしてくるか分かったものじゃない。それが一番恐ろしいんだ」

 

「勿論、それはマスキュラーについても言えることだよ。彼は、嬉々として表社会を渡り歩くシリアルキラー。自分の悪意を知らしめるには都合の良い存在だからね」

 

 「少なくとも私はそう思うよ」と話を締め括る耀哉。爆豪と緑谷、義勇と杏寿郎でそれぞれ顔を見合わせる。考え込む緑谷達であったが、自分達より遥かに戦術眼に優れているであろう2人が戦闘態勢を解いたのを見て彼らに従い、緊張の糸を切ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはりそう簡単にはいかなかったか」

 

 黒霧からの報告を聞いたオールフォーワンが動揺もなく呟く。何より恐ろしいのは、彼の報告に耳を傾けつつも、鬼に変化したことで伸縮自在となった腕を手持ち無沙汰のように振り回して巌勝を始めとした相手を淡々と迎え撃っている点だ。

 

「産屋敷耀哉の先見の明……。この行動がそれによるものだとしたら、末恐ろしいものです」

 

 目を細め、ターゲットの始末に失敗したことを嘆かのような様子の黒霧曰く、死柄木やマスキュラーは学生と思わしき者達に敗北したらしい。2人は見知らぬ少年達。もう2人は、オールフォーワンの前に立ち塞がっているヒーローの1人、炎神の息子。それと、マスキュラーが命を奪ったかのヒーロー、凪の息子と思わしき少年だったとのこと。

 

(ヒーローの卵にすらなっていないとは言え、流石は鬼舞辻無惨を滅ぼした代の鬼殺隊の''炎柱''と''水柱''の家系というところだね)

 

 いくつもの''個性''を付与し、バネのように縮めた腕が元の形に戻るのを利用して風圧を解き放ちながら考える。

 

 正直、オールフォーワンにとって、耀哉を殺せなかったことは悔いる程のことではない。今回はあくまで宣戦布告。彼の両親や兄弟達を殺せた……それだけで十分だった。耀哉を殺せなかったことを悔いるより、死柄木とマスキュラーが捕らえられずに逃げおおせたことによる安心の方が大きかった。――まあ、2人が捕まったところで、彼らを収容した場所を自身で出向いて叩き潰すことは容易い為、何の痛手でもないのだが――

 

「取り敢えず、よくぞ弔とマスキュラーを連れ戻してくれたね。大手柄だ」

 

 依然として黒霧との会話を交わすオールフォーワン。即座に撤退を決め、彼にゲートを展開するように促そうとしたが……彼の方に意識を向けた故に気が付かなかった。

 

「DETROIT SMASH!!!」

 

 日本の平和の崩壊を、人々の心の平穏を破壊することを企む悪を悉く粉砕してきた聖なる拳が迫っていたことに。

 

(おやおや……参ったな。衰えたとは言え、平和の象徴は伊達じゃないね)

 

 右頬に強烈なストレートパンチを喰らって言葉を発せないオールフォーワンは、代わりに内心で呟いた。その視線の先には、憤怒の表情を浮かべたオールマイトの姿がある。

 

 狛治や巌勝、悲鳴嶼が切り拓いた道を突き進み、気配を消して宿敵の元まで辿り着いたオールマイトの一撃は見事にオールフォーワンに炸裂。その一撃が、ここまで膠着状態にあった戦いに変化を齎した。

 

「一瞬……!僅か一瞬の隙だが、彼にはこれで十分だ!人々を守る為に戦うヒーローを甘く見るなよ、オールフォーワンッ!」

 

 拳を握りながらオールマイトが叫ぶ。次の瞬間、地面に人影が出来た。同時に、オールマイトが地面を蹴って後退する。

 

(上――)

 

「月の呼吸・玖ノ型、降り月・連面」

 

「っぐうっ!?」

 

「先生ッ!」

 

 人影に気付き、オールフォーワンが頭上を見上げて腕を交差させるのと、その頭上を取った巌勝が背中に構えた刀を前方に振るい、天空から降り注ぐ複雑な軌道の斬撃を無数に放ったのは、ほぼ同時だった。

 

 ――鮮血が舞う。満月を過ぎて次第にかけていく月輪の刃は、オールフォーワンの四肢を見事に斬り落とした。

 

(頸を狙ったつもりだったが……)

 

(危なかった……!''受け流し''の''個性''がなければ、頸を断たれていたね)

 

 ''受け流し''で斬撃を急所から逸らしたことで、危機を逃れた。斬り落とされた両腕と両足を再生させるオールフォーワンを見ながら、黒霧は血の気が引いた気分で声を荒げる。

 

「先生、ここは逃げましょう!今、私がゲートを――」

 

 自身が黒く巨大な靄のゲートと化して、主を逃がそうと画策する黒霧だが……甘い。

 

「アグォッ!?」

 

 黒霧の首辺りの部分に取り付けられた、金属のガードの部分に凄絶な衝撃が押し寄せる。空気を強制的に吐き出されたかのような部下の声にオールフォーワンが振り向くと、その部位に飛び蹴りを叩き込んだ狛治の姿があった。

 

(いつの間に……!?)

 

 微かに目を見開くオールフォーワン。そんな彼を見ながら黒霧の金属のガードの部分を踏み付けた、紅梅色の髪の狛治は薄く笑みを浮かべた。

 

「俺を見て呆けていても良いのか?」

 

 その笑みに、オールフォーワンの第六感が働いた。嫌な予感が光の如く脳裏を過り、振り向く。そこには、紫色に輝く刃を抜刀する天から遣わされた執行人のような覇気を発した男の姿があった。

 

「月の呼吸・壱ノ型、闇月・宵の宮」

 

「がっ……!?」

 

 咄嗟に体を仰け反らせ、頸を斬撃が放たれた位置から逸らす。しかし、月輪を纏った神速の居合斬りはその頸に傷をつけた。喉に斬撃が命中したことで声帯をも斬りつけられ、声を出せなくなってしまった。

 

(成る程、前世で継国縁壱の兄だっただけはある……。この場にいる者達の中でも実力は一番上か)

 

 一度命中させ損ねたのなら、もう一度試みて命中させるまで。巌勝は即座に踏み込み、振り抜いた刀を切り返した。

 

(速い!)

 

 攻撃を終えたところから、即座に次の行動へ移る反射神経の良さ。それは、オールフォーワンの肝を冷やさせるには十分だった。

 

 このままでは頸を断たれるという確信にも近い予感と共に、''伝心''の''個性''で自身の中に生じた危機感を、ここ数週間で見つけた新たな部下に対してそのままに伝えた。

 

 その直後、夜の闇の中で琵琶の音が響き渡った。そして、オールフォーワンと黒霧の真下の地面に何処からともなく襖が現れる。同時にそれが開いて黒霧とオールフォーワンが落下していき……襖と共に跡形もなく消え去った。

 

「あの襖……」

 

「鳴女か……。中々厄介な者を味方に付けられているようだな」

 

 オールフォーワン達が消え去った場所をじっと見つめる巌勝と狛治の脳裏には、ある鬼の姿が浮かんでいた。

 

 和服を身につけた女性の鬼。長い黒髪をしていて、その前髪で階級を刻まれた大きな一つ目を覆い隠している。そして、その手に握られた琵琶をかき鳴らして鬼達の根城であった無限城を自在に操っていた鬼。

 半天狗亡き後に、その空席を埋める者として上弦の肆の階級を与えられた鬼――鳴女。

 

 自分達の活動の幅を広げられるオンリーワンと言っても過言ではないその能力が、どれだけ重宝するものであったか。利用する側であったからこそ利便性を理解している。加え、それが敵に回った時の厄介さも。

 

「南無……。あの襖は、前世での決戦が開幕した時に我々を鬼達の根城へと招いたもの。今回は逃げられた……ということですね」

 

「うむ……」

 

 武器を納め、嘆きによる涙を流しながら数珠をジャリジャリと鳴らす悲鳴嶼に、巌勝は肯定を返しながら''個性''を解く。黒い瞳を鬼が復活したことへの憂いを湛えるものへと変化させながら、妖しく輝く月を見上げた。

 

「鬼が復活したのは地味に恐ろしいが、一先ずは退散してくれて良かったってところですかね……」

 

「そうだな、深追いは避けよう。鬼に関する十分な知識を持つものが少ない今、他以上に奴らのことを知る我々が一掃されては元も子もない。今は戦力を集うことを優先した方が良いだろう」

 

 同じく武器を納めて言葉を交わす宇髄と槇寿郎は、未だに頬を伝う冷や汗を拭いながら、ゆっくりと息を吐き出した。まるで生きた心地がしなかったと言わんばかりに。

 

「お館様はご無事だろうか……?杏寿郎達は……」

 

 続けて、槇寿郎が腕を組みながら呟く。どうやら前世のこともあってか、余程心配らしい。そんな彼を見兼ねて狛治が口を開いた。

 

「案ずるな。あのような能無しの殺人鬼と子供大人に負ける程、杏寿郎は弱くはあるまい。お館様共々ご無事だろう」

 

「狛治殿……。そう、ですね」

 

 一同の肩の力がようやく抜ける。だが、相手の撤退を素直に喜ぶことは出来ない。彼らの胸中は、鬼の復活と仕える主の家族を守りきれなかったことによる複雑な気持ちでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父や母の仇であるマスキュラー――母はマスキュラー本人に殺された訳ではないが、母が殺されたきっかけの事件を引き起こしたのは奴なのだから、仇も同然だと思う――と、顔を始めとして体中に大量の手を取り付けた不気味な男を撃退した俺達は、ようやく肩の力を抜くことが出来た。

 

 ここでようやく互いに再会を喜び合えるタイミングが出来、雛鶴さん、まきをさん、須磨さん、煉獄と再会を喜び合って握手を交わした。どういう関係なのかと聞かれたが、無理もない。取り敢えず、この場は小さい頃に会ったっきりの知り合いだと話をでっち上げたが、4人も見事に話を合わせてくれた。彼らの優しさには感動する他なかった。本当にありがとう。

 

 そして――俺達は、鬼が復活したことを聞かされた。

 

「鬼……!?」

 

「鬼っつーのは……"個性"っスか?それとも……」

 

「大正時代に滅びたはずの本物……ですか……!?」

 

「その通りだよ、緑谷出久君」

 

 緑谷の言葉にお館様がお答えになった。お館様が仰られることには……5年前、社会の影に追いやられたはずの巨悪が鬼として復活したとのこと。最悪なことに何らかの方法で青い彼岸花を見つけて。そして、人の手の届かない所で密かに花を咲かせていたものを採取したのだろうと付け加えなさった。

 

 真剣な表情を崩し、微笑みをお浮かべになったお館様。その微笑みを俺にお向けになった。

 

「義勇。鬼殺隊、最後の"水柱"。その家系の者として、鬼の知識を正しく蓄えてきた者として君の力が必要になる時が来るだろう。その時は……どうか、君の力を貸してほしい」

 

 お館様は、深々と頭をお下げになる。それがあまりにも恐れ多いことで俺は恐縮しまくった。

 

「お、お館様……!顔をお上げくださいませ!俺は、いつでも覚悟は出来ております。鬼を滅することで多くの人を救けられるのなら、誰かにとっての本当のヒーローとなれるのならば……喜んで悪鬼の頸を断つ刃となりましょう」

 

「……ありがとう」

 

 顔をお上げになったお館様の暖かい微笑みで俺はホッとした。ヒーローになると決めた時点で他が為に力を振るうのは必然。その時から覚悟は出来ていたことだ。断る道理などなかった。

 

「……あの!」

 

 緑谷が決意をしたかのような表情で声を上げる。グッと拳を握りしめながら続けた。

 

「……僕達にも、何か出来ることはないですか……?鬼殺隊の家系でもないし、ヒーローの卵ですらないですけれど……将来、誰かを守る為に救ける為に出来ることがあるはずなんです」

 

 続けて、爆豪も自分の掌を見つめながら呟いた。

 

「下手すりゃ、人間を滅ぼせる化け物。そんな奴らを相手に勝って救けることが出来るようになる為にすべきこと、やれることがあるんなら……今のうちからやっておきたいんス。戦力の増強は必要っスよね」

 

 お館様は、そんな2人を目線のみで交互にご覧になる。そして、それを続けること数秒後。嬉しそうに微笑みを浮かべなさった。

 

「いい目をしているね。鬼のことを信じることすらもしない人が多い中で、私の言葉を信じてくれたこと……。まずは、それが嬉しいよ。そして、鬼のことを真剣に受け止めて、やれることを探そうとしてくれていることもね」

 

 その後、お館様は2人にこう仰った。

 

「最初に大切なのは、鬼のことを正しく理解すること。"個性"ではない()()()()のことを。呼吸を扱う以上、大方は知っているんだろうけれど、それだけじゃ足りない。今以上に理解を深めておくれ。そして、実力を磨くことも大切だよ。けれど、一番大切なのは……残酷な命の奪い合いに挑む覚悟を養うこと」

 

「今のところ、鬼を人間に戻せる方法は確立していない。薬を使うことで人間に戻れた鬼の少女の記録は残っているが、それは彼女が特別だったからこそだ。つまり、どうしなければならないのか。それは察しがつくかな?それを承知した上で自分達に何が出来るのか、何をすべきか。それを真剣に考え、各々なりの答えを出してくれると嬉しいな」

 

 ……と。

 

 その言葉を受けた所で、今日は夜も更けてきている故に別れることとなった。

 

 煉獄を始めとした4人とも再会を誓い合い、透にも「ピンチの時はまた呼んでくれ。すぐに駆けつける」と約束した。その時の彼女の笑顔がとても眩しく、花のようで微笑ましいものだった。……そんな気がした。

 

 無事に危機を乗り越えたと思うと、肩の力が抜けて一気に疲れが押し寄せてきた。これも、夜は寝て朝に起きる普通の生活を繰り返せているからこその影響だろうか。戻ったらもう一眠りすることを決めて、巨悪に立ち向かう決意を新たに、俺達は夜道を歩いたのだった。




本当に意思がブレブレのへなちょこなもので大変申し訳ないのですが……前書きの通り、アンケートを取らせてください。

昨日、金曜ロードショーでヒロアカの映画1作目が放送されましたね。言うまでもなく素晴らしかったです!こちらの心まで熱くなる程に。それを見ていて私は思ったんです。「他の鬼滅キャラの介入無しで、己の道を切り拓いていく義勇さんが見たい!」と。

簡単に言わせていただくと、拙作「疾きこと風の如く」のように……鬼滅の刃からの登場キャラは義勇さんのみ。その作品に登場する呼吸を始めとした技術を使用するのも義勇さんのみ、という形での作品を執筆したいと思ったんです。何より、他作品キャラが複数登場すると扱いが難しい!というのが本音でして。そちらの作品を書き進めていく中で、やっぱりクロスオーバー先のキャラは基本的に1人の方が魅力的なのかなと考えました。

そこで、今回のアンケートです。こちらの作品を続けてほしいか、鬼滅キャラは義勇さん単体の作品を見たいか。良ければ皆様の意見をお聞かせください。「冨岡義勇英雄伝:再編集」の今後に関わることですので、どうかご協力お願いします!期限は2週間にしようと思います。


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第三章 雄英入学編
第三十二話 入学式にさよなら!?


 街路樹の側を歩けば例外なく桜が咲き誇り、暑くも寒くもないその中間の心地よい微風が頬を撫でる時期になった。

 

 4月某日。今日は……いよいよ雄英の入学式の日だ。雄英指定の真新しい灰色を基調にした真新しいブレザーの一式に袖を通す。1週間と少し前に鬼の復活を聞かされてからというものの、己を磨き上げることに全身全霊を尽くす激動の日々を繰り返していた。それ故に、4月からはもう高校生なのだという自覚がどうにも湧かなかった。

 

 こうして制服に袖を通して、ようやく雄英に通う自覚が湧いてきた。ここから、俺は新たな一歩を踏み出すのだと。

 

 時間をかけて、前世の自分に近づきつつある顔立ちをした鏡の中の自分をじっと見つめる。そして、鏡の前でくるりと軽く回ってみた。気分は、ファッションショーに出演した大人気のモデルだ。

 

 とは言え――

 

「……何をやってるんだ、俺は」

 

 途中で正気に戻って気恥ずかしくなり、羞恥を誤魔化すようにして肩掛け式の通学鞄を手にし、そそくさと自分の部屋を出た。

 

 そして、玄関に行けば、涙を流しながら制服姿の俺をスマホで撮りまくる蔦子姉さんと、感慨深そうに何度もしみじみと頷きなさる鱗滝さんのお姿がある。

 

 今も天狗の面を身につけておられる故に表情は見えないが……恐らく、泣いていらっしゃる。俺には分かる。伊達に前世で彼から剣を教わっていないからな。

 

「ごめんね。義勇がこうして生きてくれてて、幸せな日々を過ごしながら大きくなってくれたことが嬉しくて」

 

「義勇よ、本当に大きくなったな……。きっとご両親もお前の門出を祝っているだろう」

 

 姉さんは微笑み、鱗滝さんは天狗の面を外してから、それぞれ涙を拭う。

 

 亡くなった父と母にも今の俺の姿を見てほしかったという気持ちが湧いて、ほんの少し寂しさを感じた。けれど……この瞬間に、さりげなく鱗滝さんの素顔が見られたのは嬉しく思う。

 強面の天狗の面とは真反対の、優しく穏やかなお顔立ちだった。さながら、今の季節の木漏れ日のような。

 

 少なくとも俺が幸せに生きてこられたのは、姉さんや鱗滝さんのおかげだ。彼らが俺を見守っててくれたから。その恩返しとして、これからの高校生活に一生懸命に励もう。

 

「もっと義勇の制服姿を目に焼き付けておきたいけれど……あまり引き止めすぎてたら、透ちゃん達を待たせちゃうわね。名残惜しいけど、いってらっしゃい」

 

「気をつけるんだぞ」

 

「いってきます」

 

 そうして、俺は2人に見送られて自宅を出た。踏み出した一歩はとても力強く、希望に満ち溢れたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通学の途中で透と雛鶴さんと合流し、とうとう雄英に辿り着いた。都会のビルを縦に二つほど積み重ねた相変わらず巨大な建物を前に圧倒されつつ、校舎の中に足を踏み入れる。透は慣れてるらしいが、遥か昔を生きた俺と雛鶴さんからすれば、やはり慣れない。こんな巨大な建物を見たことなど何度もないことだから。

 

 靴箱で上靴へと履き替えて視線を上げる。そこにあったのは、大量の名前が載せられた紙を貼り付けた黒板だ。そして、その前に3人の知り合いの背中があった。

 

「お、冨岡。葉隠に雛鶴もおはよう」

 

 一足先に気が付いたらしい、その中の1人であるオレンジ色のサイドテールが特徴的な少女――拳藤が軽く片手を上げながら挨拶をしてきた。

 

「おお、冨岡!久しぶりだな、会いたかったぜ!」

 

「鉄哲は朝から元気良すぎノコ。おはよ、冨岡」

 

「ああ、おはよう」

 

 続けて挨拶をしてきた無造作な銀髪が特徴的な熱血少年の鉄哲と、茶髪ロングボブの少女、小森にも挨拶を返す。

 

 そして、真横で拳藤に思い切って抱きつく透を横目にしつつ、俺は雛鶴さんと会話を交わした。

 

「拳藤とは知り合いだったんだな」

 

「ふふ、言ってなかったですものね」

 

 俺に対して微笑んで返す雛鶴さん。抱きついてきた葉隠を受け止めている拳藤が続けた。

 

「忙しくて言う暇なかったもんなー。取り敢えずさ、葉隠がお館様に引き取られたのは知ってるだろ?んでもって、私の師匠は知っての通り杏寿郎だ」

 

「……成る程、煉獄家は代々産屋敷一族に仕えてきた家系。逆に関わりがない方が不自然というものか」

 

「そういうこと。勿論、お館様にお仕えしてるヒーローの人達とも知り合いだよ。その辺を伝っていくうちに葉隠や雛鶴とも知り合ったんだよね」

 

「義勇君が緑谷君や爆豪君と頑張ってる間、一佳ちゃんにバリバリ鍛えてもらったからね!前よりも確実にレベルアップしてるから楽しみにしててよ、義勇君!」

 

「楽しみにしておこう」

 

 その後、普通科に入学する雛鶴さんと別れて、5人でヒーロー科の教室に向かって校舎の中を歩いた。ヒーロー科での授業や、クラスメートはどんな人がいてほしいか。他には、互いの趣味や好きなものとか。他愛もないことを話した。

 

 因みに俺と透はA組で他の3人はB組らしい。3人は俺と別のクラスになることをとても残念がっていた。俺も知り合いとクラスが別になるのは寂しいが……別に永久の別れという訳ではない。同じ学び舎(場所)に通うのだから、会える機会はいくらでもある。そう思えば、自然と元気が出てきた。

 

 少しでも親交を深められた。それは良かったのだが……。

 

 

 

 

 

 

「……ま、迷ったぁぁぁ!!!」

 

 頭を抱えながら鉄哲が叫ぶ。彼の叫び通り、俺達はとてつもなく広い雄英の校舎の中で迷ってしまっていた。

 

 というのも、憧れの場所に入学出来たという嬉しさからか、鉄哲が探検家も驚きな勢いで校舎中をズンズンと歩き回ってしまったのだ。何とも、真っ直ぐな性根の鉄哲らしい猪突猛進っぷり。俺の脳裏に猪の被り物をしていた炭治郎の同期であった、嘴平伊之助の顔が(よぎ)った。

 

「もう、あの馬鹿……」

 

「猪突猛進にも程があるノコ……」

 

 呆れて顔を覆う拳藤と苦笑する小森。そのテンションには見覚えがある。中学生辺りの年齢の少女にありがちな、同い年の男子の幼すぎる言動に呆れる他ないという時のあれだ。

 

「まあまあ!雄英の校舎をあちこち見れたし、ちょっと得したって思おうよ。それに、こういうことがあってこそ早く来た甲斐があったってものじゃない?」

 

 ニパッという擬音が飛び出るほどに笑う透。彼女のポジティブさを見習いたいと思いつつ、俺も念の為に早く来て正解だったと心の底から思った。

 

「……どうしよっか」

 

「集合完了の9時まではまだ時間があるが……」

 

 自由奔放な弟を呆れながらも見守るような表情の拳藤に対し、俺は腕時計を見ながら返す。

 

 今の時刻は8時。7時45分くらいに雄英に到着したはず。どうやら、15分間もここを彷徨っていたようだ。

 

 ともかく、このまま歩き続けてもキリがないのは間違いない。先輩や先生方に尋ねでもしないと、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけになる。

 

 一先ずは先輩や先生方を探す旨を伝えようとしたその時だった。

 

「よぉ、新入生達。さては……校舎が広過ぎて迷ってるってところだな?」

 

 俺達の背後。しかも、上の方から声が降りかかってきた。少なくとも俺は、とても聞き覚えのある声。

 

 ――()()()()、雄英に居たのか。

 

 俺は正体を疑うことなく振り向いた。

 

「え、宇髄さん!?どうしてここに!?」

 

「いやあ、雛鶴も迷っちまったらしくてな。さっき普通科の教室に案内してやったところなんだよ。もしかしたら、透も迷ってんじゃねえかなって思ってよ、ここまで来たって訳」

 

 俺を遥かに超えた身長。下ろした銀髪が太陽の光に照らされて虹色に輝いてすら見える。両耳の金色のピアス、左目の花火のような派手な化粧。赤い瞳の伊達男。見た目が多少変わっていても間違えるはずがない。

 

 宇髄だ。紛れもなく、元"音柱"の宇髄天元だ。俺の知る宇髄だ……!

 

 透の疑問に答えてから俺をチラリと見て、左目と左手をアピールしてニカッと笑う。

 

 「今度はちゃんとあるぜ、安心しろ」と言わんばかりの様子の怪我ひとつない宇髄の姿を見て、涙腺が緩みかけた。

 

「宇髄……!?あの宇髄天元!?ほ、本物だ!」

 

「しょ、初日からとんでもない先輩に会っちゃったノコ!」

 

「流石、元"音柱"の家系。初対面の人達をこんなに騒がせるなんて」

 

 涙が出ないようにと(こら)える一方、疑問を持った。拳藤が宇髄のことを知っているのは分かる。お館様と関わりのある透と知り合いな訳だし、先程の動作から前世のことを全部覚えているのは察したから、宇髄がお館様に仕えているのも自然。そこから煉獄家と関わりがあって、それを通じて拳藤とも……というのは考えられるから。

 

 ただ……赤の他人の鉄哲や小森が彼を知っている理由がよく分からない。

 

「……宇髄、さんは、それほどの有名人なのか?」

 

 さん付けにとてつもない違和感を覚えながら尋ねると……。

 

「と、冨岡!?知らないノコ!?」

 

「マ、マジかよ!?めちゃくちゃ有名人だぞ、この人!」

 

 小森と鉄哲に詰め寄られた。そこから、畳み掛けるように2人は続ける。

 

「宇髄天元、ヒーロー名は"祭神"!並のヒーローじゃ太刀打ち不可能な凶悪(ヴィラン)や、金とか名声目的で目の前の人を救けることもしないろくでなしのヒーロー達を罰する、ダークヒーロー的な家系の生まれの人なんだ!雄英体育祭じゃ、1()()()()2()()()()()()()()()()()()()伝説の男なんだぜ!?」

 

「それにそれに、1年の時に仮免を取得して2年でプロヒーロー免許取得!学業を兼ねながら、プロヒーローとしても絶賛活躍中ノコ!家系の中でも唯一メディア露出を(いと)わない人で、その指揮能力やオールマイトを彷彿とさせる笑顔、ド派手な啖呵は知らない人がいないくらいなんだよ!今や、産屋敷一族の方が設立した事務所で黒死牟を筆頭に活躍するヒーローとして多くの人に認められてるの!」

 

 そこまで言い終え、2人揃って肩で息をしていた。余程興奮していたようだ。……それにしても、宇髄がメディアに取り上げられる程の有名人だったとは。現在進行形でプロヒーローにもなっているらしいし、文字通り先輩という訳か。

 

 一先ず、耳郎の言っていた先輩は宇髄で間違いないだろう。ムフフ、俺の予想通りだったな。

 

「……あれ?その様子だと、冨岡ってさ……雄英体育祭見たことない?」

 

 拳藤が尋ねてくる。

 

「……ない」

 

 俺が屈託なく答えると――

 

「「「えええええっ!?」」」

 

 宇髄と透を除いた3人の叫びがこだました。……そんなに驚くことなんだろうか?正直、その重要性が分からない。だが、これだけは言える。

 

「小さい頃から、家族や友の為に強くなることを重視して鍛錬ばかりしてきたからな。テレビを見るにしても必要最低限だった。天気予報とかニュースとか……。それに、マスメディアには良い印象を持ってないから」

 

 地面を見下ろすように目線を移動させながら思い出す。2歳頃から続けてきた、結果的には鍛錬に繋がることばかりに夢中になった日々を。何ヶ月もの間、ウォータホースや父の殉職を伝えるニュースが報道されていたことを。

 

 結局、市民に最も必要でまともな情報を発信してくれるマスメディアなど、ごく一部しかないんだ。金になりそうなネタを見つければ、すぐさまそれ目当てに突き進む。鼠を追いかけ回す猫のようにそれ一つに必死になる。本当に必要な情報が他にもあるだろうに。

 それを知って以来、元からなかった彼らへの興味は更に失せ、彼らへの信頼も消え失せた。

 

 故に雄英体育祭を見たこともない。強いて言えば、ヒーローオタクな緑谷から話を聞いたくらい。

 

「……義勇君らしいですね」

 

「ああ。全く変わりなさそうで安心したぜ」

 

 ふと顔を上げてみれば、顔を見合わせて苦笑する透と宇髄の姿があった。

 

 そして、ハッとしたような顔の拳藤、鉄哲、小森の姿も。

 

「……どうした?」 

 

「いや……ごめんな。辛いこと思い出させたみたいで」

 

「拳藤は悪くないノコ。元々、私が持ち出しちゃった話だし……。メンゴね、冨岡」

 

「俺も……ごめん!似てるとは思ったけど、そういうことだったんだな……」

 

 尋ねてみると、3人はどこか申し訳なさそうな顔をする。その瞬間、彼らが俺の父のことを思い出したのだとなんとなく理解した。

 

「悪気はないのは分かってる。拳藤も鉄哲も小森も……単なるネタとして父さんの死を報道したマスコミとは違う。だから、大丈夫」

 

 勿論、悪気がないのは承知の上だ。だから、俺はすんなり彼らを許せる。

 

 ……辺りに沈黙が流れた。こういう時は妙に気まずくなる。そんな沈黙を破ったのは宇髄だった。

 

「おいおい、新入生。入学初日から地味にシケた面してんなよ。気持ちは分かるけどな……本人が大丈夫だって言ってんだから、気にしすぎんなよ。お前らが善人だって証拠だが、気が滅入っちまうぜ?気持ちが分かるからこそ、ヒーローは笑ってなきゃなんねえってもんだ!ほれほれ、行くぞ」

 

 明るく振る舞い、俺達を先導せんと歩き出す宇髄。その背中は……''音柱''であった頃と何一つ変わりない。

 

 その背中に微笑みつつ、俺は後ろを振り返って言った。

 

「行こう。宇髄は歩くのがとても速い。ぼーっとしてると置いていかれるぞ」

 

「そうだね……って、もうあんな遠くにいるだけど!?背中見えなくなっちゃうよ!ほら、皆も行こう!」

 

「うわっ、本当だ!鉄哲、小森、行くよ!」

 

「お、おう!」

 

「さ、3人も歩くの速いノコ!待ってぇ〜!」

 

 拳藤達も元気を取り戻したことに安堵しつつ、全員で慌てて宇髄の背中を追った。初日からこれまでにないくらいドタバタしている充実感に、思わず頬が緩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇髄について行き、校舎を歩くこと数分。A組の教室に無事辿り着いた俺達。B組の拳藤、小森、鉄哲、それとここまで連れてきてくれた宇髄と別れ、透と並んで教室の巨大なドアを見上げていた。

 

「はあ……ドアもでっかいね……」

 

「異形型にも対応したサイズってところか。バリアフリーだな」

 

 ざっと見積もっても、俺2人分くらいはある。こうまでドアを大きくしなければ生活に支障が出る者がいると思うと、人類の進化をしみじみと感じる。生物の進化を突き詰める学者達でも、こうなることは予想出来なかっただろう。

 

 「いざ、参らん!」と武将のような不思議なテンションの透がガラッと音を立てながら、勢いよく教室のドアを開ける。その音に、既に教室にいた3人が反応してこちらを向いた。

 

 1人は八百万。もう1人は、右半分が白髪、左半分が赤髪の派手で縁起のいい髪色が特徴的なショートヘアーの少年。更にもう1人は……どこか見覚えのある眼鏡をしたツーブロックの少年だった。

 

 そうだ、眼鏡の彼は実技試験の概要説明で質問をしていた少年だ。

 

 そう思い出すも、それ以前に似た人を見たことがある気がして、モヤモヤした感覚があった。

 

「むむ、おはよう!」

 

 そんな彼が妙にカクカクした動きで挨拶を投げかけて歩み寄ってきた。

 

「おはよう」

 

「おはよう!」

 

 見知らぬ人に元気に挨拶。当たり前のようで素晴らしいことが出来る彼に感心しつつ、俺達も挨拶を返すと眼鏡の彼が手を差し出しながら名乗った。

 

「ぼっ……俺は、私立聡明中学出身の飯田天哉だ。ヒーローを目指す者同士、共に励もう!」

 

「おー!よろしく、飯田君!私は毛糸中学の葉隠透だよ!」

 

 透が自ら飯田の手を握り、姿が透明の彼女に飯田が驚く。そんなやりとりを横目に、俺は1人納得していた。

 

 成る程、()()……か。どうりで見たことがある訳だ。蔦子姉さんがあちこちのヒーロー事務所に事務所理のアルバイトに行っていた影響で俺も色々なヒーローと知り合った。勿論、それは目の前の少年の兄、飯田天晴さん――ターボヒーロー・インゲニウムも例外じゃない。

 

「同じく毛糸中学出身、冨岡義勇。冨岡蔦子の弟だ」

 

 俺も名乗り、飯田の手を握り返す。すると、飯田はハッとしたように目を見開いた。

 

「蔦子さんの!?そうか、そうだったのか……!だから似ていると思ったんだ。君のことは蔦子さんから色々聞いているよ!同じクラスになれて光栄だ!これからよろしく頼む、冨岡君!」

 

「ああ、こちらこそよろしく」

 

 俺も微笑みながら握手を交わす。飯田の目がヒーローを見る幼子のようにキラキラと輝いているようにすら思えた。それが何とも微笑ましい。

 

 そうして自己紹介をした後、自分の席を確認してみると……俺の席は緑谷の隣だと分かった。周りにも知り合いが沢山なのは、素直に嬉しいな。

 

「冨岡さん、お久しぶりですわね」

 

「!八百万か。久しぶりだな」

 

 そして、自分の席に着いていると八百万が話しかけてきた。こうしてみると、直接会うのは本当に久しぶりだ。雄英の受験日以来か。

 

 春休みは緑谷と爆豪の特訓に集中していたものだから、八百万の鍛錬を見てやることが出来てなかったなと思い、俺はそれを謝罪した。だが、彼女は気にしていないと笑った。

 

「葉隠さんや、新しくお友達になった拳藤さんとご一緒に懸命に励みましたから。問題はありませんわ!それに、()()()()()()()()()()()()()()()にも指導を受けることが出来ましたの。期待していてくださいませ!特訓の成果は、近々お披露目しますわ!」

 

「楽しみにしてる」

 

 グッと拳を握り、ぷりぷりと可愛らしく張り切る彼女を見ながら思う。

 

 同じような呼吸。明らかに花の呼吸に違いないが……俺が絞り込める候補は2人。炭治郎の同期で、後に彼と結ばれた栗花落カナヲと……しのぶの姉、胡蝶カナエ。

 

 宇髄が雄英の3年生らしい上、あの事件の時に再会した煉獄は俺の一つ年下で前世通りの年齢差。炭治郎も俺と6歳差になるから、可能性が高いのは後者か。

 

 もしかしたら、しのぶも八百万の身近に……?

 

 そう考えていた時だった。

 

「あ、あの……冨岡さん。葉隠さんからお聞きしたのですが、冨岡さんは毛糸中学校で生徒会長をやられていたそうですね」

 

「ああ、間違いないが……」

 

 少し聞きにくそうにしながら聞いてきた八百万の声に振り向けば、彼女は微かに頬を染めて俺の方をチラチラと窺いながらもじもじとしているではないか。見たこともない彼女の様子に驚きつつ、続きに耳を傾けた。

 

「多くの方々のお悩みを聞いて、アドバイスなさったりしていたのだとか……。そ、それで、ですね……。恋に関するお悩み相談も可能、でしょうか……?

 

「……成る程。正直、大したアドバイスは出来そうもないが。それでも構わないか?」

 

「!お話を聞いていただけるだけでも凄くありがたいですわ!ありがとうございます!」

 

 中学の頃も、こんな風に恋愛相談を受けることがあった。やはり、年頃の少女は普通に生きていられれば誰しもが恋をするものなのだろうか。そんなことを思いつつ、お互いが落ち着いてから改めて話をしようと決めた。

 

 その後も、同じA組の生徒達が続々と集まってきた。耳郎、常闇、障子、芦戸、切島、爆豪、緑谷……。皆、元気そうでよかった。言うて、緑谷と爆豪とは最近まで共同生活を送っていたが。

 

 特に驚いたのは、切島の変わりっぷりだった。

 

「おおっ、冨岡と葉隠も。もう来てたんだな!」

 

「おはよう、切島君!……んん!?」

 

「どうしたんだ、その髪……」

 

 懐かしい明朗な声が耳に入って振り向けば……真っ赤な髪の切島がいた。しかも、受験の際に下ろしていたであろうその髪が鋭く逆立っているではないか。

 

「前までいかにも――」

 

 恐らく、透が続けようとした言葉は「地味で真面目そうな感じだったのに」だろうが、それが口に出されることはなかった。それ以前に切島が立てた人差し指を口元に当て、言わないでほしいという仕草をしたからだ。

 

 切島が小声で囁く。

 

「まあ……色々あってな。とにかく、地毛が黒で、今の俺が髪染めてんのは俺らだけの秘密にしてほしいんだよ。頼む、この通りだ!」

 

 何があったのか気にならない訳じゃないが……手を合わせて頭を下げ、懇願されては約束を破る訳にはいかないだろう。

 

 透と顔を見合わせ、頷く。

 

「そこまでお願いされたら仕方ないね。オッケー、もう何も追求しないよ!」

 

「俺達だけの秘密だな」

 

「おおっ、助かる!サンキュー!」

 

 入学初日からクラスメートとの秘密が出来た瞬間だった。自分達だけの知る秘密というのは、何とも青春している感じがする。秘密が出来たことに楽しげな芦戸と透を見ながらそう思った。

 

 そして、茶髪で麗らかな雰囲気の少女が緑谷と話をしているタイミングでふと気配を感じた。

 

 教室のドアの前。……相澤さんの気配だ。

 

 他にも何人か気配に気がついている者がいるらしく、教室のドアの方を凝視している。勿論、話をしている最中で硬直してしまった緑谷もその1人。

 

 当然、硬直した緑谷が気になって俺も顔を覗かせてみることにした。

 

 すると、黄色い寝袋にくるまった相澤さんの姿があるではないか。……成る程、黄色い芋虫のよう。硬直するのも無理はない。

 

「……お、おはようございます」

 

 その寝袋姿よりも彼の()()()()()()()に驚きつつ、先に声を掛けてみた。

 

「「オ、オハヨウゴザイマス」」

 

 すぐ隣にいる緑谷と少女も片言ながら挨拶をした。

 

「おはよう。……気配は極力殺していたが、何人かは気がついていたか。取り敢えず、冨岡。その珍しいものを見るかのような目をやめてくれ」

 

 相澤さんがぶっきらぼうに返しながら、寝袋を出て立ち上がる。

 

 申し訳ないが、そりゃあ珍しいものを見るような目をしたくなる。何せ、今の相澤さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「お前の姉さんにやられたんだよ。俺の母親か何かかってんだ……」と独り言のように呟く彼を見つつ、内心で蔦子姉さんを褒め称えたのは内緒だ。

 

「ムフフ、何にせよ……これで相澤さんが不審者扱いされる心配はないな」

 

「校舎で寝袋に入って寝とる時点で不審者ちゃうかな……?」

 

「麗日さん、ざっくりいくな……!?思ってても言っちゃダメなやつだよ、それ……!」

 

 そんなやり取りをする俺達を横目に華麗にスルーし、相澤さんはA組の教室に足を踏み入れた。黄色い寝袋を片手にした上下黒一色の服をした男性。そんな彼を、他のクラスメート達が訝しげに見るのも無理はないだろう。

 

 相澤さんは、ぐるりと教室を見渡してから話し始めた。

 

「……全員いるな。俺は相澤消太。今日から君らの担任になる者だ。よろしくね」

 

 その瞬間、「この人が担任なのか!?」というクラスメート達の心の声が聞こえた気がした。初日から息ぴったりで仲良しだな、と場違いなことを考えていると――

 

「宇髄、いるんだろう?」

 

 目線だけを後方に向けつつ、相澤さんが言う。

 

「勿論居ますよ、相澤先生っと」

 

 その声に答え、ジャラジャラとしたアクセサリーを身につけているのに反して音も立てずに宇髄が姿を現した。

 

 教室は騒ついた。宇髄の容姿やその正体、突如として姿を現したその芸当に対する驚きや感動で。やはり、宇髄はとてつもない人気者らしい。流石だな。

 

「……段ボール箱?」

 

 ただ、妙だ。宇髄がその手に抱えているのは大きな段ボール箱。この後、入学式もあるはずなのに……。何故、そんなものが必要になるのだろう?

 

 そんなことを考えているうちに、相澤先生の指示で宇髄がそれを教卓に置いた。

 

「さてと、早速で悪いが――全員、体育服(これ)着てグラウンドに出ろ。更衣室とグラウンドの場所は宇髄に案内してもらえ」

 

 そして、相澤先生が箱の中を漁り、一着の体育服を取り出しながら宣言した。そのまま相澤先生は「時間は有限だ。無駄にするなよ」と言い残し、そそくさと教室を去ってしまった。

 

 数秒考え込み、俺は思い出した。A組の教室に辿り着くまでに宇髄から聞いた話を。

 

「ね、ねえ、義勇君……!宇髄さんが言ってたのって……」

 

「ああ」

 

 話しかけてきた透も同じことを思い出したようだった。

 

 ここに来る途中、宇髄が確かにこう言ったんだ。

 

「あ、そういや……お前ら1年の担任って、例年どっちかが必ずイレイザーヘッド――相澤消太さんだよな。がっかりしねえように前もって教えといてやる。あの人が担任になったなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……と。

 

「そうか、こういうことだったのか」

 

 宇髄の言葉に対する疑問が解決し、頭の中の靄が消え去って晴れやかになったかのような気分だ。

 

 こうなったら、腹を括る他あるまい。これから入学式のはずなのに、と困惑して騒つくクラスメート達。彼らを宇髄の手拍子が制した。

 

 段ボール箱から袋詰めにされた新品の体育服を取り出し、生徒達一人一人に手渡しながら続ける。

 

「ま、お前らが困惑すんのはよーく分かるぜ。俺だって地味にポカンとしたからな。けどな、緊急事態に対して普段通りに対応してこそヒーローってもんだ。周り見てみな、既に腹括ってる奴らが何人もいるぜ?ここで引き下がってたら、地味にカッコ(わり)ィったらありゃしねえ」

 

 そして、宇髄は白い歯を見せつけながらニカッと笑った。

 

「ま、心配すんな!軽い気持ちじゃなく、真正面から真剣に派手な気持ちで挑みさえすりゃあ、何も問題ねえよ。死にゃしねえ。そんじゃ、早いとこ行くぞ!イレイザーは時間に煩い。遅れたら、ネチネチと地味にどやされんぞ!この宇髄天元様について来い!」

 

 入学式を放り出さなければならないのは、少し残念だ。だが、相澤先生の選択がこうであるなら、何か意味があるはず。あの人は意味のないことはしない人。覚悟を決め、俺達は宇髄の背中を追うのだった。




うーむ、やっぱりごちゃごちゃ感があるのが否めない……。それに加えて、ここ最近忙しいのもあったりして何となく更新のモチベーションが下がっちゃってますね……。

アンケートの結果により、このまま続けていこうとは思います。ですが、ここから先は更新速度が落ちる可能性大です。楽しみにしてくださってる方々、本当に申し訳ありません。趣味でやってるとは言え、ある程度は評価とかUAとか感想とかがモチベに関わるタイプの人間なんだなと実感しております。

良かったら感想等々、よろしくお願いします。やっぱりクロスオーバー作品は、クロスオーバー先のキャラは基本1人に絞った方がやりやすいかな……と思う次第でした。


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