新戸緋沙子が仕えた男 (主義)
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呼び出し
私には幼い頃からえりな様と同じくらい忠誠を誓っている人がいる。その人はえりな様のように「神の舌」を持っているわけでも無ければ特別な才能があるわけでもない。だけど彼は人々から賞賛される。それは彼の料理は完璧に美味しいから。決して変わった事をしているわけでもないし特殊な調味料を使っているわけでもない。なのに彼の料理は一度食べたら二度と他の料理では満足できないほどの美味しさ。
誰もが不思議に思う..何であんなに美味しいのかと。私から見た彼を一言で言うならば「努力の天才」と表現する。
才能が一つもないわけではないけど彼はいつも努力をしている。人からは見えてないから才能のように見えるけど彼は間違いなく見えない努力をしている。
普段は無表情で感情が読み取れない彼が料理を出して食べた人が笑顔になっている姿を見ると自分も笑みを零す。そんな姿はとても...可愛い。こんな事を本人に言ってしまったらもう二度と口を聞いてくれなくなるかもしれないから言わないけど。
そんな彼の名は薙切雨音。名前だけ聞くと女子のように聞こえてしまうがれっきとした男子だ。
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ここは薙切インターナショナルの支部。僕は遠月学園から急いでここまで駆けつけてきた。だけど目の前の光景を見て僕は....ここに来なければ良かったと素直に思ってしまった。
僕の目の前にいるのは.....瓜二つの双子。その双子は満面の笑みを浮かべながら僕を見ていた。そして僕は双子の満面の笑みと反対に双子を睨みつけていた。
「急な呼び出しだったから何かあったのかと思ったら.....僕に料理を作って欲しい...だと」
こっちは親からの呼び出しだったから急いで帰ってきたと言うのに....。両親もこの双子に甘すぎる。僕の方が忙しいのは両親も勿論知っているはず。なのに双子のために僕を呼び出すとは。
「だって雨音くん、全然帰ってこないんだもん」
「私たちが呼び出したとしても絶対に帰ってこないからレオノーラにお願いしたの」
こいつらの言う通りで僕はこいつらからの連絡であれば無視をしていた。それはほぼ間違いなくと言ってしまっても良いかもしれない。だけど両親の連絡に関しては別だ。もし、無視なんかした日には僕は母さんから怒られるだろう。只の怒られるならまだ良いが怒られてからしばらくの間は僕の自由が制限される。具体的に言うとしばらくの間、母さんが僕の部屋に来るのだ。これこそまさに地獄だ。
「..金輪際、お前らに料理を作るのを止める」
こんな事を繰り返されては僕もおちおち仕事をしていられない。
「謝るから本当にそれはダメ!!!!!」
二人して目元に涙をためながら僕の袖を掴んでくる。こいつらは餌がなきゃ生けれない人間なのか。自分で料理を作るぐらい出来るだろうに..何故か事あるごとに僕に料理を作ってくれと言ってくる。ここにはかなり良い料理人たちが揃っているはずだ。一般の人からすれば贅沢だと思われるぐらいに。
「私たち...雨音くんがいないとダメなんです.....」
こいつらは人を手玉にする方法を心得ている。上目遣いで涙を見せれば大抵の男を落ちると思っている。僕は何度となくこいつらにこの手を使われてきた。
「もう...本当に....今回一回だけだからな。次やったら二度と作ってやらないからな。それは肝に銘じておけよ」
「やったね。ベルタ」
「そうだね。シーラ」
「やっぱり雨音くんの料理じゃないと満足できないんだよね。ベルタ」
「満足できないんだよね。シーラ」
「僕はいつまでこの双子に振り回されなくちゃならないんだ」
僕はため息を付きながらそんな事を思った。
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一色と紀ノ国
シーラとベルタに料理を作りに帰ってから数週間が経ち、新入生の一年生たちが入って来て僕も二年生になった。前と何も変わっていないように感じる。一年から二年に上がったとしても大きな変化というものはない。
一年生の中では転入生の話題で持ち切り。外部から入ってくる者は珍しい。それに試験監督は薙切えりなさんだと聞いた。あの人が合格をするぐらいだからある程度の腕は持っていないと入学を認められない。それを潜り抜けた転入生は一体この遠月学園にどんな風邪を巻き起こすのか.....。これからが楽しみ。
今日の授業が全て終わり..後は自分の好きに行動が出来る。一学期の最初の登校日だから授業も午前中で終わり暇になった。食事は適当に作ればいいし帰って寝るとするかと思い僕は席を立ち適当に荷物を用意して帰路につこうと考えていた。
帰ろうと用意をして部屋を出ようとした瞬間、誰かが僕の肩に手をのせた。
「ちょっと付き合ってくれない」
声だけで誰だが判断した僕はこの人が一体なにをしようとしているのか分かってしまった。
「ごめん。僕はこれから用事があるんだ」
「そう....その用事が何なのか詳しく教えてくれない」
「....今日は疲れたから家で寝るという大事な用事があるんだよ。それに君たちの事に付き合っていると僕がすごい疲れるから嫌なんだよ」
この人たちの用事が大体理解できているが...時間が掛かる。それに僕の労力が尋常じゃない。
「..なら少しだけでいいから...お願い出来ない?」
顔は見えないがこんな風に言われると断るに断れない。あいつが姿を現さないのは....僕が行くと見越してもうあっちで用意をしているのかもな。確かに僕はこういうのに弱い。
「はぁ~~.....仕方ないな。少しだけなら付き合ってあげるよ。紀ノ国」
僕は紀ノ国の後を一定の距離を保ちながら歩いていく。紀ノ国が目的としている場所がどこなのかは分かっている。僕が紀ノ国の後ろを歩き始めたから5分ぐらいが経過して紀ノ国は調理室の前で歩みを止めた。
「やはりここか....」
紀ノ国が調理室の扉を開けて入っていくのを確認して僕もその後に続くように入った。
調理室の中は人っ子..一人いないわけじゃなく一人だけ居た。その人物は制服を来て僕たちが来るのを待ち構えているような感じだった。
「やぁ..やっぱり連れてきたね」
こいつが紀ノ国に入れ知恵でもしたのだろう。
「やはりお前が居たか......それにしてもよく何度もこんな事をやるよね。僕としては早くこの場から立ち去りたいところなんだけど.......そうはさせてくれなそうだね。一色」
こいつらがしようとしているのは僕の予想が正しければ...非公式の食戟だろう。こいつらは何が好きなのか知らないが何度も何度も食戟を挑んできている。それも全部が非公式でだけどね。
「また..今回もやるのか..」
「雨音には悪いけど..今回もやってもらうよ」
こうなったらこいつらに何を言ったとしても無駄。それは今までの経験上分かる。
「....仕方ない!やるから今回のお題は?」
僕は制服を適当に脱ぎ捨てて..手を洗い、ケースから包丁を取り出して調理の体勢に入る。もうここまで来たらやけだ。適当に料理をして早くここから解放されよう。料理さえ作ればこいつらも納得して解放してくれるだろう。
「「鮭」がお題で時間はいつも通りに50分。そして今回の審査も十傑の三年生たちにお願いしました」
こんなもののためによく三年生も来るものだな。よほど暇なのだろうか....。
それからは言う必要もないと思うが紀ノ国と食戟を行い、その後に一色と食戟を行った。
そして最終的には紀ノ国と一色どちらとも食戟を行ったので僕は普通に帰るより2時間近く遅くなってしまった。勿論、勝敗に関しては僕が二勝した。二人は十傑なんだから僕なんかと食戟をする必要はないと思うんだけどな。別に僕なんか役職なんて何もないんだから。
そんな事を考えながら僕は帰路についた。
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紀ノ国 一色 料理対決後
「やっぱり悔しいわ」
「そうだね。紀ノ国」
「いつか私たちが雨音を超える日は来るのかしら......」
「どうだろうね...やっぱり僕たちの世代NO1は伊達じゃないという事だね」
未だにタイトルに入っているのに...新戸緋沙子が登場していない。
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兄への想い
私にとって兄さんは倒すべき存在以外の何物でもない。最新の技術こそが全てであり古臭い発想では私に勝てないことを思い知らせる。それが私の彼への復讐。勝つ事で全てが証明される。私こそが正しいのだと兄さんは間違っているのだと。
兄さんとは一つ違いで幼い頃は仲が良かった。仲が悪くなったのは兄さんが料理にのめりこむようになってから。
料理にのめりこむようになった兄さんは私にまるで構ってくれなくなって時間を全て料理につぎ込むようになった。最初は別にそれでも良かった。
料理をしている兄さんの背中はとてもカッコよかったし、私にとって兄さんは誇りだった。だけど兄さんは私を置いて一人で修業の旅と言ってどこかに行ってしまった。
その時の私の気持ちなんて兄さんには分からなかったでしょう。置いてきぼりにされた寂しさ。それが次第に兄さんへの恨みへと変わっていった。だから私は兄さんを倒す。
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先輩たちに聞く限り兄さんの評判は良い。二年生の中でもTOPの実力の保持しており誰もが憧れるような人だと。
十傑のお誘いもあったようだが未だに断っているようだ。その理由に関しては誰にも聞いても分からないようだった。
まあ、そんな事は私に関わりがない事だ。私は今すぐにでも兄さんに食戟を挑んで倒す。
「お嬢、本当にやるんですかい?」
「やるに決まってるでしょ。何で私がここまで料理を極めてきたんだと思ってるの。兄を倒すためよ。その目的を果たさずにここを去るわけにはいかないわ」
私を見捨てた兄さんを倒して後悔させるために実力をつけた。
「そうっすか。お嬢に迷いがないのなら俺はそれでいいっすけど」
「それじゃ兄さんを見つけるために聞き込みをするわよ」
「え~……めんどくさい」
「良いからやるの!」
「……はい」
聞き込みをすると兄さんは食戟を受けて今はあるところにいるという。
そこに向かうと食戟は終わっており、おかしいぐらいに静かだった。普通は食戟が終われば勝者を称える声などが聞こえてくるものだけど今回に限ってはそれはなかった。
いや、別にそれは勝者が酷い勝ち方をしたとかではない。只、圧倒的すぎる力に声が出ないだけなのだ。
まさか、ここまで凄いとは誰もが思っていなかった。その結果を見た私でさえも声が出なかった。本当にこの結果で正しいのかと思ってしまうほどに。
薙切雨音VS小林竜胆
3-0
兄さんがここまで力を付けているとは正直な事を言うと思いもしなかった。
確かに兄さんには料理人としての才能があると思っていた。だけどそれはある程度のもので頂までたどり着けるほどではないと考えていた。
だけど兄さんは努力を重ねてその頂までたどり着いてしまったんだ。
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雨音との出会い
秘書子目線です。
私があの方と会ったのはたった一回だけ…その一回だけなのにあの方は私にとって大きな存在になってしまっていた。生まれて二度目の衝撃と言っても良いかもしれない。
私があの方が初めてお会いしたのはえりな様にお仕えしてから一週間ぐらい経ったある日だった。その日は珍しく『薙切家』の方々が一堂に会する日。この日はえりな様もお忙しく色々と多忙なため私はほぼ一日中付き添っていた。
えりな様は仙左衛門様とご一緒に挨拶回りをしてくると言う事で私は会場の端っこにいた。私にとって初めての大きな舞台であり、緊張していた。段取りの事やこれからの事などやらなければならない事が色々とあるため顔は多分、強張っていたのだと思う。それを感じ取ったのか、雨音様は私に話しかけてくれた。これが私が雨音様と初めてお話したタイミングだった。
雨音様の存在は知っていたけどえりな様のお近くにいる事が多いためお話する機会がなかった。それにあの時は失礼だけど雨音様の事を少し怖いと思っていた。それは噂だったり人相だったりがあったからだ。
あまり寡黙で人と話す事をせず、料理意外の事は興味がない人。
話してみると自分が思っていたイメージと雨音様はかけ離れている事に気付いた。話せば面白いし、笑顔だって見せてくれる。まあ、それでも笑う事は少ないですけど。
でも、私の事を気遣って雨音様は私に話しかけてくれた。その行為、一つで私はとても嬉しかった。えりな様の秘書である私にまで気を使ってくれる。普通は『薙切家』の方々が使用人である私に気を使う事はない。それはそれで良いし、それが当たり前だと私は思っていた。なのに雨音様はそんな事が関係ないように普通に話しかけてくれたのが何よりも嬉しかった。
この集まりが終わると自然と雨音様の動向に気を配るようになっていた。普段はえりな様と一緒にいる事などないし、アリスお嬢のお兄様だから住む場所も全然違う。気を配ると言ってもえりな様にさりげなく雨音様がどこにいるのかを聞いたりするぐらい。それ以上の事は私にはできない。
だって私はえりな様の事もお慕いしているがそれと同じくらい私は……雨音様の事をお慕いしている。慕っている人に恋だの愛だのという感情を持つことはその人に対して不敬。
『薙切家』の方々が集まって以来、私は「雨音様とお会いする事はなかった。後にも先にも『薙切家』の方々が集まったのはあの一回だけだった。だから私は雨音様が遠月学園に入学すると聞いた時は飛び上がりそうなぐらい嬉しかった。また、一緒にいる事が出来るのだから。こんなに嬉しいことは人生でもそんなにないと断言できる。
でも、いざ手の届く範囲にいると声を掛けるのが難しいのだと分かってしまった。『私の事なんて忘れているかもしれない』だとか『迷惑そうな顔をするかも』と思ってしまうと声を掛けられない自分がそこにいた。話しかけたいと思えば思うほど話しかけられない。
そして気が付くと遠月学園に入学して三年の月日が流れて高等部一年に上がっていた。その間、ほとんど話しかける事はなかった。
もう後、二年したら雨音様は卒業してしまう。卒業してしまったらもう二度と会う事がないかもしれない。
「今年は……勇気を出して話しかけよう!!!!!!」
後悔だけはしたくないから…
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