城南学園スタンド部、その名もジョーカーズ! (デスフロイ)
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登場人物 第1章

【主人公側 登場人物】

 

 

名前  天宮 文明(アマミヤ フミアキ)

年齢  16歳

スタンド  ガーブ・オブ・ロード(聖なる鎧)

    人間型・中遠距離型

身長  168cm

体格  やや痩せ気味

容姿  眼鏡着用 容貌は並みだが眼光が強い

    校則をキチンと守った身なり

肩書  城南学園1年生 風紀委員

性格  スタンドは乱用するべきではなく、自他共に悪用は決して許されないと考えている。意志が非常に強い半面、頭が固いところがあり、周囲から誤解を受けやすい。

 

 

名前  武原 京次(タケハラ キョウジ)

年齢  16歳

スタンド  ブロンズ・マーベリック(赤銅色の暴走者)

    装着型・近距離型

身長  185cm

体格  鍛えられた筋肉質

容姿  野性的な顔立ち 一応校則は守る

肩書  城南学園1年生 校外の空手道場所属

    軽音楽部員(名義貸し)

性格  人間の本能に対して、基本的に肯定的であり、特に闘争に強い関心がある。強い相手との闘いを求めているが、無闇に暴力を振るったりはしない。

 

 

名前  服部 航希(ハットリ コウキ)

年齢  15歳

スタンド  サイレント・ゲイル(沈黙の疾風)

    道具型・近距離型

身長  158cm

体格  痩せているが、締まった体つき

容姿  やや細面 表情が豊か 

    身のこなしが素早い

肩書  城南学園1年生 軽音楽部員(名義貸し)

性格  協調性が高く、サービス精神が強い。冗談をよく口にする。軽い性格に見られがちだが、友情に厚い。

 

 

名前  須藤 遥音(スドウ ハルネ)

年齢  15歳

スタンド  スターリィ・ヴォイス(星からの声)

    道具型・近距離型

身長  154cm

体格  どちらかといえばスレンダー

容姿  ベリーショート 

    目鼻立ちはハッキリしている

    ハードロック系の服装が多い

肩書  城南学園1年生 軽音楽部長 

    ロックバンド・ジョーカーズ出身

性格  姉御肌の性格で、歯切れのいい啖呵を口にする。シンガーとしての才能はズバ抜けており、プロにも注目されている。

 

 

 

名前  神原 史門(カンバラ シモン)

年齢  26歳

スタンド  ノスフェラトゥ(不死者)

    人間型・近中距離型

身長  181cm

体格  痩せているが、締まった体つき

容姿  黒髪 西洋風の美男子 

    身なりは完璧に整える 上品なブランドを好む

肩書  城南学園教師(1年目) 軽音楽部顧問

性格  紳士的で物静かな性格で、論理的な思考を好む。好奇心が旺盛で、興味を持ったものは触れて学ぶように心がけている。

 

 

 

 

【敵・中立 登場人物】

 

 

名前  城田 ユリ(シロタ ユリ)

年齢  16歳

スタンド  エロティクス(性的な存在)

    不定形型・近距離型

身長  162cm

体格  グラビアアイドル級のナイスバディ

容姿  栗毛に染めたウェーブロング 

    顔立ちが派手 露出の多い服装もよくする

肩書  城南学園1年生 軽音楽部

    ロックバンド・ジョーカーズ出身

性格  享楽的で目立ちたがり屋。目先の損得に弱い。音楽関係者に注目される遥音を妬んでおり、いつか一泡吹かせたいと思っている。

 

 

名前  (謎の男。本名不明)

年齢  20代半ばと見える

スタンド  有無を含め、不明

身長  176cm

体格  20代平均程度

容姿  癖の強い黒髪 陰のある風貌

肩書  不明

性格  ユリに接触し、彼女を神原との戦いに送り込んだ。自ら戦闘に参加することは、可能な限り避けている。



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スタンド設定 第1章

ガーブ・オブ・ロード(聖なる鎧)

スタンド使い=天宮文明

【破壊力-C / スピード-C / 射程距離-30m / 持続力-B/ 精密動作性-C / 成長性-A】

鎧をまとった騎士の姿のスタンド。腕が、包帯を巻かれたようになっている。包帯の布が長く伸びて、自在に動かすことができる。布の射程距離は30メートル。斬撃・打撃を軽減できる。人間二人程度の体重を支えることができる。

 

 

ブロンズ・マーベリック(赤銅色の暴走者)

スタンド使い=武原京次

【破壊力-B/ スピード-B / 射程距離-なし / 持続力-B / 精密動作性-C / 成長性-A】

全身に外骨格のように着込むタイプのスタンド。酸や火に耐性があり、普段は開いている顔面を閉じれば、水や有毒気体も防げる。何もない場所に見えない『足場』を作ることができ、手足を『足場』にかけて行動できる。『足場』は両手足それぞれに作ることができ、瞬時に消して作り変えることで、空中などのスムーズな移動を可能としている。

 

 

サイレント・ゲイル(沈黙の疾風)

スタンド使い=服部航希

【破壊力-C / スピード-A/ 射程距離-なし / 持続力-C/ 精密動作性-C/ 成長性-D】

スケートボードスタイル・トンファースタイルの二形態を使い分けられる。スケートボードスタールは、スタンド使いである服部航希が乗ることで、高速移動が可能となる。速度は調整可能だが、最高速度での急激な方向転換は苦手。トンファースタイルは、スケートボードを縦に2分割し、服部航希の両腕にトンファーとして装備する。この他にも、水中移動をスムーズにする水中スタイルも存在する。

 

 

スターリィ・ヴォイス(星からの声)

スタンド使い=須藤遥音

【破壊力-E/ スピード-C/ 射程距離-なし/ 持続力-A/ 精密動作性-C/ 成長性-D】

マイクとコードの形をした、物体型のスタンド。スタンド使いの遥音の歌声によって、それを聞いている人間に治癒・眠り・高揚・鎮静などの効果をもたらす。効果が発生するまでにある程度の時間を要する。音撃の〈ブラスト・ヴォイス〉を放ち、生物を麻痺させることも可能である。自分を中心とした円形全体か、正面に扇状に発生させるかを任意で決めることができ、瞬間的に効果をもたらす。いずれも歌声の効果は半径20メートルであり、無生物には効果がないが、聴覚を持つスタンドには効果がある。コードの部分は2mまで伸ばして自由に操ることができ、物に巻き付いて、軽い物なら持ち上げられる。

 

 

ノスフェラトゥ(不死者)

スタンド使い=神原史門

【破壊力-B/ スピード-C/ 射程距離-2m/ 持続力-B/ 精密動作性-C/ 成長性-E】

細身の吸血鬼の姿を模したスタンド。マントの裾は刃物となっており、大きく振るうことによって日本刀と同等の切れ味を出せる。マントを防御に使うと、マシンガンの弾丸程度なら防げる。飛行能力もあるが、マントを変化させて翼とするため、空中でのマント攻撃は難しい。爪を最大10メートルまで伸ばし、生物に突き刺した上で精力を吸い取る〈エナジー・ドレイン〉を使える。精力を吸われた生物は激しく疲弊し、その結果スタンドも出せなくなり、戦闘不能に陥る。〈エナジー・ドレイン〉の作用として、別項目の〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉にスタンドが変化する。

 

 

ノスフェラトゥ・メティシエ(不死者の神)

スタンド使い=神原史門

【破壊力-A/ スピード-B/ 射程距離-2m / 持続力-D/ 精密動作性-C/ 成長性-E】

〈ノスフェラトゥ〉が〈エナジードレイン〉によって強化された形態。筋骨隆々の姿と化し、破壊力、スピードが上昇する。この形態は3分間しか維持できず、その後は元の〈ノスフェラトゥ〉に戻る。この形態でも〈エナジー・ドレイン〉が可能であり、精力を吸われた相手は塵となって四散し、即死する。この形態の時、本体の神原史門は吸血鬼と化し、人間状態の時の怪我は瞬時に全快する。

 

 

 

 

【敵・中立スタンド】

 

 

スィート・メモリーズ(甘い記憶)

スタンド使い=?

【破壊力-なし/ スピード-なし/ 射程距離-B/ 持続力-B/ 精密動作性-なし/ 成長性-E】

懐中時計のスイッチを押すと、〈消滅する時間〉と呼ばれる、スタンド使いだけに意味のある空間を1時間作り出せる。空間の範囲は、懐中時計のスイッチを押した者の半径100メートル。この空間内では、スタンド及びスタンド使いによって干渉された結果だけが〈消滅する時間〉の終了後にも残り、それ以外は〈消滅する時間〉の発生前と同じ状況に巻き戻される。

空間内では、映像・音声などを記録する電子機器は無効である。この時計は携帯可能であり、スタンド使いであれば誰でもスイッチを押して起動できる。

 

 

エロティクス(性的な存在)

スタンド使い=城田ユリ

【破壊力-E/ スピード-E/ 射程距離-10m / 持続力-B/ 精密動作性-E/ 成長性-D】

半透明な不定形のスタンド。男性に接触させると、性的興奮や快感をもたらすことができる。打撃・斬撃に耐性があり、攻撃したものを包みこんでガード可能。このスタンドが被ったダメージは、スタンド使いである城田ユリにはフィードバックされない。

 



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登場人物・スタンド設定 第2章開始時

【主人公側 登場人物・スタンド】

 

 

名前   炭三(スミゾウ)

年齢   不明

スタンド   スィート・ホーム(安らぎの我が家)

     特殊型

体格   大人の普通の猫サイズ

容姿   黒猫の幽霊

肩書   城之内恵三(故人)の元飼い猫

性格   新聞で言葉や心情を表現する。時代がかった物言いをする。城之内恵三に友誼を感じており、彼の子孫に振りかかる災厄を防ぎたいと思っている。

 

スィート・ホーム(安らぎの家)

スタンド使い=黒猫幽霊の炭三

【破壊力-なし / スピード-なし / 射程距離-なし / 持続力-無限 / 精密動作性-なし / 成長性-なし】

幽霊の黒猫、炭三のスタンド。かつての飼い主である城之内恵三と、共に過ごした自宅を再現した別世界となっている。恵三が所有していたキャビネットを出入口としており、キャビネットの内部の家紋にスタンド使いが触れることによって、別世界への出入りが可能。新聞が常備されており、炭三の言葉や心情が書かれるようになっている。

 

 

【敵・中立 登場人物・スタンド】

 

 

名前  笠間 光博(カサマ ミツヒロ)

    第1章『謎の男』と同一人物

年齢  26歳

スタンド  インディゴ・チャイルド(藍色の子供)

    クリスタル・チャイルド(透明の子供)

    人間型・近中距離型

身長  176cm

体格  20代平均並み

容姿  癖の強い黒髪 陰のある風貌

    実用的な格好を好み、オシャレにはさほど興味がない

肩書  城南学園契約職員 ネットワーク管理者

性格  勝利を優先し、目的のためなら手段を選ばない傾向が強い。策謀に長けており、皮肉屋であり、世間を斜に見ている。

 

インディゴ・チャイルド(藍色の子供)

スタンド使い=笠間光博

【破壊力-B/ スピード-C/ 射程距離-2m / 持続力-C/ 精密動作性-B/ 成長性-A】

大鎌を持った人型のスタンド。人間の知識を〈検索〉することができる。〈フェイス・オープン〉の掛け声とともに対象の顔面を白紙に変え、3つまでのキーワードを指定することによって、対象の知識や考えを顔面に表示できる。スタンド使いの笠間本人に関する事柄は、キーワード・検索結果のいずれに含まれていても、〈検索〉は失敗する。大鎌を武器として用い、切っ先を螺旋状に変化させることによって直線にくり抜く〈刃の螺旋〉も可能とする。

 

クリスタル・チャイルド(透明の子供)

スタンド使い=笠間光博

【破壊力-B/ スピード-C/ 射程距離-2m / 持続力-C/ 精密動作性-B/ 成長性-B】

〈インディゴ・チャイルド〉の発展形態。視界の中の2つの物体を〈置換〉できる。〈置換〉できる物体は、同一の語句で表せるものでなくてはならず、体積が比較的近くなければならない。大鎌は〈インディゴ・チャイルド〉と同様。

 



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登場人物・スタンド設定 第3章開始時

<主人公側登場人物・スタンド>

 

 

名前  間庭 愛理(マニワ アイリ)

年齢  16歳

スタンド  なし

体格  身長:153cm 体格:細身

容姿  ロングヘアを束ねている 顔立ちは整ってはいるが飾り気がない

肩書  城南学園1年生 吹奏楽部指揮者候補

    城南学園校長の養女 理事長の孫娘

    模試全国1位

性格  ハイパーサイメシアの天才少女であるが、それを鼻にかけず、むしろ控えめな性格。誰にでも丁寧な言葉使いをする。向学心が旺盛。

 

 

名前   笠間 明日見(カサマ アスミ)

年齢   15歳

スタンド   パラディンズ・シャイン(聖騎士の輝き)

     人間型・近中距離型

身長   158cm 

体格   出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる

容姿   ショートボブの卓越した美少女

     活動的ながら、オシャレに敏感

肩書   城南学園1年生(転校生)

     笠間光博の妹

性格   聡明であり、年齢の割には大人びた物の考え方をする。ブラコンの気あり。人あしらいが上手いが、兄譲りの毒舌も時に披露する。

 

 

パラディンズ・シャイン(聖騎士の輝き)

スタンド使い=笠間明日見

【破壊力-B/ スピード-C/ 射程距離-2m / 持続力-C/ 精密動作性-B/ 成長性-D】

顔を上半分覆った女性騎士を模したスタンド。通信デバイスを通じて、スタンド使いである笠間明日見を電脳世界に送り込む能力。通信電波が通じていれば、明日見もしくはパラディンズ・シャインが接触しているデバイスから他のデバイスへと、明日見をテレポートさせることが可能。明日見もしくはパラディンズ・シャインが接触もしくは侵入しているデバイスについては、パスワードを無視することができ、念ずるだけで操作可能。手には槍を装備しており、柄を7つに分離して、その間を鎖でつないだ七節棍に変化させることができる。槍の穂先から一瞬激しい光を発して、目を晦ますことも可能。

 

 

ガーブ・オブ・ロード(聖なる鎧) 

スタンド使い=天宮文明

【破壊力-C / スピード-C / 射程距離-30m / 持続力-B/ 精密動作性-C / 成長性-A】

第1章で記述した〈ガーブ・オブ・ロード〉が成長した姿。両手首が切断されて円盤を張り付けたような形状となり、円盤から布が伸びている。円盤は回転が可能であり、布を螺旋状に放つことができる。両手首を並べて結合させると、大きな1枚の円盤となり、中心を挟んで縁から2本の布が伸びる形にもできる。この時の円盤も回転可能。

 

 

ブロンズ・マーベリック(赤銅色の暴走者)

スタンド使い=武原京次

【破壊力-A/ スピード-B / 射程距離-なし / 持続力-B / 精密動作性-C / 成長性-A】

第1章で記述した〈ブロンズ・マーベリック〉が成長した姿。固体に発生している振動を増幅、もしくはいったん停止させることができる。全く振動がない状態から振動を起こすことはできないが、拳などで振動を起こすことから増幅させることは可能。

 

 

サイレント・ゲイル(沈黙の疾風) ミニマムスタイル

スタンド使い=服部航希

【破壊力-E/ スピード-A/ 射程距離-500m / 持続力-D/ 精密動作性-A/ 成長性-D】

スタンド使いの服部航希が、集中できる状況下で印を結ぶことによって発動可能。スケートボードに乗った忍者の姿をしており、高速移動が可能。サイズは蚊と同等であり、変更はできない。ボードを2分割して翼と化して、グライダーのような飛行スタイルをとることもできる。

 

 

<敵・中立 登場人物・スタンド>

 

 

名前   城之内 未麗(ジョウノウチ ミレイ)

年齢   30歳

スタンド   不明

身長   165cm 

体格   ややスレンダー

容姿   ロングヘアー 冷たい印象を与える

肩書   城南学園評議会議長 

     副理事長・城之内亜貴恵の長女

性格   母親の亜貴恵を憎悪しており、理事長選挙で陥れた。実の弟の聖也を、自分の息子として扱っている。普段は冷静を装っているが、時にヒステリックな本性が出る。バイオリンを好み、執務中はいつもBGMとして流している。

 

 

名前   平竹 健人(ヒラタケ ケント)

年齢   28歳

スタンド   使えるが詳細不明

身長   170cm 

体格   やや小太り

容姿   茶髪 丸顔

肩書   城之内未麗の秘書

性格   帰国子女で、会話に横文字を多用する。自分は頭が切れると思っている。

 

 

名前   フレミング

年齢   不明

スタンド   自身が、秘密結社ドレスの元科学者(故人)のスタンド

身長   195cm 

体格   ボディビルダーをさらに引き締めたような姿

容姿   狼のような顔 二足歩行

     人間とは関節の付き方が異なる

     全身は毛皮をまとった外骨格に包まれている

肩書   秘密結社ドレスによって作られた生物兵器

性格   城之内亜貴恵に忠誠を誓っている。戦うことに自分の存在価値を見出している。

 

 

フレミング

スタンド使い=秘密結社ドレスの元科学者(故人) 現在は本体は存在しない

【破壊力-A/ スピード-B/ 射程距離-なし / 持続力-A/ 精密動作性-C/ 成長性-E】

全身の外骨格は頑丈かつ修復可能。拳の連打が主な攻撃方法。狼のような顎で敵に噛みつき、毒を送り込むことが可能。両方の掌からマグナム銃ほどの銃弾を撃ちだすことができ、銃弾は敵に命中後、四方八方に棘が飛び出す。両肩にパットが装着されており、肩とワイヤーでつながっており、空中に浮き上がらせて自在に操れる。パットの鋭い先端で突き刺す攻撃が主体。パットを両方とも敵に触れさせると、1千ボルトの電気ショックを与えることができる。



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登場人物・スタンド設定 第4章開始時

<主人公側登場人物・スタンド>

 

スィート・アンサンブル(甘い旋律)

スタンド使い=間庭愛理

【破壊力-D/ スピード-B/ 射程距離-2m / 持続力-C/ 精密動作性-A/ 成長性-A】

指揮棒を手にした女性を模したスタンド。2つの動きのタイミングを合致させるか、裏拍を打つことによってタイミングをずらす能力。指揮棒による突き、斬りの攻撃も可能。

 

 

<敵・中立 登場人物・スタンド>

 

 

名前  柳生 操(ヤギュウ ミサオ)

年齢  15歳

スタンド  ファントム・ペイン(幻の痛み) 

    人間型・近距離型

身長  159cm

体格  均整の取れたプロポーション

容姿  ショートカット

    目鼻立ちはハッキリしている

肩書  城南学園1年生 剣道部 

    航希の許嫁(強制力はなく、名目だけ)

性格  剣豪の柳生一族の末裔で、先祖を尊敬している。活発で一本気な性格。航希を意識はしているが、素直になれないでいる。

 

 

ファントム・ペイン(幻の痛み)

スタンド使い=柳生操

【破壊力-B/ スピード-B/ 射程距離-2m/ 持続力-D/ 精密動作性-B/ 成長性-A】

女性剣士の姿を模したスタンド。手にした刀で『切り離した』ものは、空間としては切り離されていても、本質的にはつながっている。『切り離す』能力込みで斬った時には、その対象の固さなどは無視できる。生物の一部が切断されている場合、切断部分に感覚器官があれば、斬られている者にも情報として伝わり、切断部分をある程度自在に動かすことができる。刀は、通常の斬撃をすることも可能であるが、切れ味は対象の固さなどに影響される。

 

 

エアー・サプライ(空気の供給者)

スタンド使い=平竹健人

【破壊力-C / スピード-C / 射程距離-2m / 持続力-C / 精密動作性-C / 成長性-B】

頭部が球形で、頭頂部に円盤が乗っている人間大のスタンド。視界の中のどこかの空気を、ビーチボール大の範囲だけ変質させる能力。即死級の毒・眠り・酸欠空気などへの変質が可能。一度空気を変える範囲を決めると、そこから動かせない。別の範囲を変質させるには、いったん解除する必要がある。発動にはスタンド使いである平竹健人の精神集中が必要で、念じてから空気の実際の変質までに5秒間かかる。

 

 

名前  藤松 泰貴(フジマツ ヤスタカ)

年齢  45歳

スタンド  ミッシング・ゲイト(失われた門)

    人間型・近距離型

身長  175cm

体格  やや痩せ気味

容姿  ツーブロックの髪

    やや田舎くさく、純朴な雰囲気

肩書  城之内家の別荘の管理人

性格  関西弁を喋る。別荘のある小島に、家族と共に住んでいる。

 

 

ミッシング・ゲイト(失われた門)

スタンド使い=藤松泰孝

【破壊力-C/ スピード-C/ 射程距離-2m/ 持続力-D/ 精密動作性-C/ 成長性-C】

人間型のスタンド。離れた所にある、2枚の扉にそれぞれ札を貼ることで一体化し、誰でも扉をくぐるだけで、反対側の扉の先へと移動できるようにできる。



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第1章 ジョーカーズ始動!
第1話 鎖につながれし、若き獅子たち


「とにかく、ブン殴ってみてーんだよ」

 

 武原京次(たけはらきょうじ)は、凶悪な笑みを浮かべていた。

 軽く握られたその手が、赤い岩石の手袋を付けたようになっている。

 

「君の〈スタンド〉……か。その力は何のためにある? なぜ戦いたいんだ?」

 

 眼鏡の奥から注がれる、天宮文明(あまみやふみあき)の視線は、鋭く探るようであった。

 そう尋ねられた京次は、むしろ、きょとんとした表情を浮かべた。

 

「戦うことに、イチイチ理由なんざ必要か? ソイツは、人間の本能ってヤツに根差した代物だろ」

「僕は、人間の理性を信じてる。本能を理性で制御するのが、人としての理想のはずだ。そもそも、君は誰でも殴るのか?」

「フン! こいつを使うのはなぁ、そうだなー……」

 

 少し考えて、京次は続けた。

 

「聞く耳ってモンがねぇヤツか、さもなきゃ、殴る価値があるヤツだな」

「殴る価値?」

「強いヤツがいたら、俺の拳とどっちが強いか、確かめてみたくなるんだよ。……っていうか、確かめてみてぇなぁぁ……おめぇが強いのは、もう分かってるんだよ」

 

 京次の、自分を見つめる瞳の中に、ゆらり、と殺気が漂うのを、文明は感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 時間を遡って、その日の朝のこと。

 〈城南学園 高等部〉と、門に書かれた校門。

 その前に、文明はいた。

 〈風紀〉と書かれた腕章をつけた彼は、門を潜る学生たちを一人一人、見逃さないよう眺めている。

 

「あー! ちょっと待って! 綾瀬先輩」

 

 文明の呼びかけに、綾瀬は面倒くさそうに振り返った。

 

「両手にしているブレスレット。……そう、その、鎖でできてるやつです。ブレスレットは校則で禁止されてます。すぐに外してください」

「るせーな風紀委員。授業の前には外すよ」

「先生に見つからなければいいという話じゃないです。校内に入ったら、校則が適応されます」

 

 ギロッ。

 強面の綾瀬が、文明に顔を近づけて睨みつけてきた。

 

「あのな。このくれーは、やってるヤツは割といんだよ。見つけたら、イチイチそうやってアヤつけて回るのかよ、おめーは?」

「気づけば、例外なく注意させてもらいます。僕の役目ですから」

 

 全く視線も逸らさず、身じろぎもしない文明に、綾瀬の苛立ちが目に見えて強くなる。

 

「綾瀬せんぱーい」

 

 背後からかけられた、むしろ面倒くさそうな声に、綾瀬は身をビクッと震わせた。

 

「なっ……なんだよ、武原!?」

「ブレスレットくれぇ、外してやりゃいいでしょうが? そいつが、言い出したら本当にしつっこいのは、アンタも知ってるでしょ?」

「ぐ……」

 

 巨躯の京次に寄り添っていた、小柄な学生が、口を挟んできた。

 

「天宮くんは、殴る蹴るしたって引きませんよー。殴った方が悪者にされるだけ。次に何かあったら、綾瀬先輩って停学になりかねないんでしょ?」

「うるせぇ、服部! 武原の腰巾着は黙ってろ!」

「うわ、こえーこえー」

 

 大げさな動きで、京介の後ろに隠れる服部航希(はっとりこうき)

 

「とにかく、ブレスレットを」

「分かったよくそ!」

 

 文明に促されて、顔をしかめてブレスレットを外す綾瀬。その際、嫌そうにチラッと京次を見た眼に、微かに脅えがあるのを文明は見て取っていた。

 

「これでいいんだろ!? ちっ」

 

 荒い足取りで去っていく綾瀬から、文明は視線を京次に移した。

 

「武原くん。口添えしてくれてありがとう。ただ、君も髪が少し伸びてきてる。校則では、襟にかからないようにとなってるから」

「分かってる。次の休みに、床屋に行くつもりなんだよ」

「ぜひそうしてくれ。君は言えば分かってくれるから助かる」

「うるせぇ風紀委員がいるからな」

 

 悠然と、文明の横を通り過ぎていく京次。

 すぐ後についていく航希が、ニカッと文明に笑いかけた。

 

「じゃねー、ブンちゃん!」

 

 馴れ馴れしく手をあげる航希に、文明は苦笑いで答えた。

 

 

 

 

 

「おはようございます。天宮くん」

 

 教室に戻ろうとしていた彼に、髪を束ねた、理知的な印象の少女が、わずかに微笑んで声をかけてきた。

 

「あぁ……間庭くん。おはよう」

「立ち番お疲れ様でした。何もありませんでした?」

「幾人か注意はしたけど、特に問題はなかったよ」

「それは何よりですね」

 

 彼女は向きを変えて、廊下を進み始める。同じクラスなので、何となく彼女に付き従うように、文明も足を進める。

 

「あ、今日って何日だっけ?」

「25日です。模試の結果が返ってくる日ですから」

「あぁ……そうだった……」

 

 ずーん、と、項垂れる文明。

 

「どうしましたか?」

「英語で大失敗……。 委員会で忙しい、とか言い訳にならないしね」

 

 特に君の前では、という台詞は、文明は飲み込んだ。

 間庭愛理(まにわあいり)。この城南学園の校長の娘だが、それだけで名前が校内で知れ渡っているわけではない。

 前回の模試では、校内どころか全国一位。生徒会でも、一年生が唯一就くこととなっている書記であり、来年は生徒会長になるのはほぼ確実という才媛である。

 

「一年生の結果なんて、ただの通過点ですよ。これから伸びる人も、当然いるわけですし。別に気にしすぎなくてもいいかと。……あ、それと一つ申し上げることが」

 

 彼女が、文明に視線を向けた。

 

「委員会でも議題に上るでしょうけど、昨日の夕方、喧嘩騒ぎがあったそうですよ。三年の不良同士で殴り合い。どっちもしばらく入院ですって」

「その話は聞いたよ。 そういえば今朝も、その人たちと同じグループの先輩が、ブレスレットつけてきてたから注意したよ」

「荒れた様子でしたか?」

「いや。 注意したら外してくれたし、おかしな雰囲気はなかったと思う」

「それなら問題ないですね。不良の人たちのイザコザが広がるのは好ましくありませんし。天宮くんも、不穏なことを見聞きしたら、生徒指導の先生と、委員会に報告お願いします」

「分かった」

 

 二人は、一年三組の自分たちの教室へと入っていった。

 

 

 

 

 

「……想像以上だった……」

 

 いささか呆然としつつ、文明は廊下を歩いていた。

 放課後の、部活へと急ぐ学生たちが、文明を追い抜いていく。

 

「数学まで、やらかしてたなんて……絶対、来月は小遣いが減らされる……」

 

 現実から目を逸らすように、文明は窓の外へと目をやった。

 すると。

 校舎裏手の、少し離れたところに、人影が見えた。

 京次が、すぐ後ろを歩く綾瀬へと、肩口から睨みを利かせつつ先を歩いている。

 

「確か、あの先は体育館裏……まさか。ベタすぎるだろ!」

 

 嫌な予感を覚え、慌てて文明は駆け出した。

 反対側にある、下駄箱へと。

 

「よりによって、遠回りを!」

 

 文句を言いつつ靴を履き替えると、一目散に駆け出していく。

 息を切らせつつ、体育館裏へと回り込んだ。

 地面にへたりこんで脅えた表情の綾瀬と、それを傲然と見下ろしている京次が見えた。

 

「綾瀬さんよぉ。あんまりスッとぼけてるようなら、俺にも考えが……」

「武原くん!!」

 

 文明の声に、二人がぎょっとして目を向けてきた。

 

「何やってるんだ! 君は喧嘩はするけど、弱いものイジメはしないヤツだって思ってたのに!」

「うるせぇ! とっとと消えろ!」

「そうはいかないよ! 放っては」

「逃げろっつってんだよ!! おめぇ、殺されるぞ!!」

「殺すって。誰が……!」

 

 そう言いかけた時。

 綾瀬の顔に、狡猾な笑みが浮かんだのを、文明は確かに見た。

 

「バカが! 〈チェイン・ザ・デスティニー〉!!」

 

 瞬時に、綾瀬のすぐ横に、異形の人型の〈何か〉が出現した。

 その両腕は、手首のところが枷となっており、短い鎖でつながれている。

 両腕が、文明と京次に向けられた。

 次の瞬間、手首から先が消滅し、手枷の両端が二人に飛んでいく。

 

「!」

 

 文明と京次、それぞれの左手に、手枷がかけられた。

 1メートルほどの鎖が、二人をつないでいる。

 

「へはっへはっへはっ! いーい眺めだな!」

 

 綾瀬が嘲笑う。

 

「念のため、〈スィート・メモリーズ〉も使っとくか! あらよっと」

 

 ポケットから綾瀬が出してきたのは、小さな懐中時計。

 その上部にあるスイッチを、綾瀬が押した。

 

(……!? 何だこの感覚は。何かが起こっている)

 

「〈消滅する時間〉ってヤツか! 事が終わったら、逃げ出す気だな」

「あったりめーだろ? 万が一にも、俺が捕まる可能性は消しときたいからな」

 

 ニヤニヤ笑いながら、綾瀬は続けた。

 

「おい風紀委員。さっき、誰がおめーを殺すか? とか聞こうとしてたよなぁ? 教えてやるよ。おめーを殺すのはな、そこの武原だ」

「なっ……」

 

 思わず京次を見ると、嫌そうに舌打ちしてきた。

 

「だから、逃げろって言ったんだ。おめぇは今、何が起こってるのか分かってねぇだろうが。俺たちはたった今、この綾瀬にハメられたんだよ!」

「そういうこと。俺の〈チェイン・ザ・デスティニー〉は、お前らのどっちかか、もしくは両方が戦闘不能になるまで外れねえぜ?」

「!? それじゃ、昨日の喧嘩騒ぎって」

「コイツの差し金だ! 例の二人のパシリやんのが、嫌になったんだろうぜ」

「黙れよ武原! てめーはコイツを殴り殺して、年少でお勤めしてくりゃいいんだよ!」

 

 くくっ、と、くぐもった笑い声をあげる綾瀬に、文明は叫んだ。

 

「何言ってるんですか!? そもそも武原くんと戦う気なんてない! 恨みがあるわけでもないのに」

「分かってねえなあ……お前ら二人、鎖で縛られてずっと一緒なんだぜ? 風呂もクソも寝るのも一緒。そんなこと続けてたら、ストレスたまるぜぇ? 遠からず揉めることになるさ」

「……」

「マヌケな風紀委員の登場で助かったぜ。気に入らねえ一年坊主二人で、心行くまで殺し合いをなさってくれや!」

「……つまり」

 

 腹の底から絞り出すような文明の声に、綾瀬の表情が一瞬止まった。

 

「あなたは、〈能力〉を悪用しようとしている。そういうことですね?」

「な、なんだぁ!?」

「それは! 決して許されることではないッ!! 〈ガーブ・オブ・ロード〉!!」

 

 文明の横に、人型の〈能力〉が出現した。白銀の鎧のような姿をしており、その手は包帯のようなものでグルグル巻きにされている。

 一瞬、呆気にとられる京次と綾瀬。

 先に立ち直ったのは、京次であった。

 

「ふ……ふはははは! おっどろいたぜ! 根性座った野郎だと思ってたが、まさか〈スタンド〉を使えるとはな! おめぇも、〈矢〉で射抜かれたクチか!?」

「……何のことだ? 分からない」

「急激に面白くなってきやがったぜ! 〈スタンド〉のないヤツを殴り殺すのは嫌だったが、そっちも同じ条件なら話は別だ!」

 

 京次は、爛々と光る眼で、文明を見た。

 

「これが俺の〈スタンド〉! 〈ブロンズ・マーベリック〉!!」

 

 京次の全身が、変化した。

 いや、全身に、赤銅色の外骨格がまとわりついたのだ。顔の部分だけは、マスクが縦に割れたように開き、素顔が露出していた。

 

「特撮ヒーローとかの、怪人……?」

「まぁ、ヒーローよりかは、そっち寄りなのは認めるぜ。この格好はな、〈スタンド〉を俺自身の拳で殴れるように、ってのがコンセプトだ」

「殴る相手を、間違えてないか? 本当の敵は、あちらだ!」

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕が、綾瀬目掛けて振り出された。

 その手から、包帯のような細長い布が高速で伸びていく。

 

「無駄だって」

 

 綾瀬がほくそ笑む。

 布が途中で方向を変え、〈ブロンズ・マーベリック〉をまとった京次の体に巻きついていく。

 

「へははは! 〈チェイン・ザ・デスティニー〉でつながれた二人はな、攻撃衝動が相手に向けられちまうんだよ! 俺を攻撃しようとすると、実際のターゲットは武原になる。武原、お前も風紀委員しか攻撃できねえぜ!」

「どうもそうみてぇだな。間合いをてめぇに詰めようとしても、天宮に足が向かいやがる」

 

 凶暴な笑みを浮かべながら、進み寄る京次。

 その足元に、〈ガーブ・オブ・ロード〉がまとわりつく。

 

「近づけさせねぇってことか。だが甘いぜ!」

 

 京次の手が、文明に伸びた。

 文明は、何もない空間を〈ブロンズ・マーベリック〉が〈掴んだ〉のを、感じ取った。

 

「せいやっ!」

 

 〈掴んだ〉ところを手掛かりにして、京次が宙を飛んだ。

 その岩石のような拳が、文明の顔面を捉えた。

 たまらずのけ反り、後ろに転がる文明。眼鏡が吹き飛び、遠くに転がる。

 が、腰を落とした体勢で、京次に向き直る。

 ボタ、ボタ、と流れ出る鼻血。しかし、その目は、猛禽のように京次を睨んでいた。

 

「ふふ……ふはははははは!!」

 

 大音声で笑い出す京次。ぎょっとする綾瀬。

 

「いい! いいよおめぇは! 強い弱いは、顔面ブン殴ってやると分かるんだなぁ! どんなスゲェ体してようが、デカい口叩こうが、弱いヤツはそれだけでビビる! ……さあ、やろうぜ。続きを」

 

 再び両手を空中に伸ばし、空間を掴むと空中に伸び上がる。

 そして、器用に体勢を変えて、頭を文明に向けると、今度は両足で、何もない空間を蹴った。

 まるでロケットのように、頭突きが文明を襲う。

 

「同じ手は食わない!」

 

 文明が、後ろから引っ張られるように、急激に後退した。頭突きを空振りし、地上を転がる京次。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉を、少し離れた背後の大岩に回して、引っ張ったのだ。そのまま、大岩の背後に隠れる文明。

 

「邪魔ァッ!!」

 

 いきなり、大岩が砕け散った。瓦礫が横殴りに吹き飛ばされる。

 砕けた岩の向こうから、京次がニヤリと笑っていた。

 

「……!」

 

 文明が息を飲んだ。

 

「へはははは! 今度はお前の頭がそうなる番だぜ! せいぜい、優等生の脳ミソ散らばして見せてくれや!」

 

 綾瀬が愉快そうに眺めている。

 

「……そうはいかない!」

 

 文明は、〈ガーブ・オブ・ロード〉を京次の足から離した。同時に、他の木に布を飛ばして自分を引っ張る。鎖につながれている京次を引きずりながらも後退する。

 

「この俺を、引き倒そうってか! なら、足を離したのは間違いだぜ!」

 

 京次も素早く踏み込み、文明との間合いを縮めにかかる。

 文明は、布を空に飛ばした。狙うは、校内と外を隔てる柵、そのすぐ傍にある電柱の天辺近く。

 全力を込めて、文明は自分を空中に引っ張り上げた。京次も、腕の鎖を引っ張られて宙に浮く。

 

「俺は、空中を〈足場〉にできる! 空中戦もお手の物だぜ!」

 

 空中を蹴って、京次がさらに高く飛び上がった。文明の頭上より高く。

 そこから、眼下の文明目掛けて、踏みつけるように蹴りを放った。

 しかし、文明が急激なスピードで落下し、蹴りが空振り。

 布が、地面近くの木にすでに伸びていた。綾瀬が呑気に身を預けていた木へ。

 

「え、え!?」

 

 綾瀬は、自分の方へと落ちてくる二人にうろたえ、慌てて飛び下がる。

 が、着地した二人が、さらに綾瀬に飛んだ。地面に伸びていた布に足を取られ、綾瀬がよろめく。

 何とか転倒しなかった綾瀬が気づいた時。

 綾瀬は、文明と京次、二人の間に入り込んでいた。

 

「このポジションを、取りたかった……」

 

 文明が呟く。

 

「あなたを、僕も武原くんも、直接に攻撃はできない。ただ、一つだけ例外がある」

「え……?」

「あなたが、僕と武原くんの間に入り込んで、戦いの障害物になっている場合だ。さっきの大岩のようにね。僕は、あなたを避ける形で布を回り込ませて、武原くんを捉えることができる」

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕が伸びて、京次の足腰にまとわりついた。ただし、その布が綾瀬の両側を遮るようになっており、綾瀬は動きが取れない。

 狼狽える綾瀬に、京次が凶悪な笑みを見せていた。

 

「だけど俺は、アンタっていう障害物を排除しない限り、天宮を攻撃できねぇんだ。早い話、アンタは戦いの邪魔なんだよ」

「え、あ、ああ……」

「邪魔ァッ!!」

 

 強烈な右フックが、綾瀬の横面を襲った。

 が。

 〈チェイン・ザ・デスティニー〉が本来の腕に戻され、鎖が右フックを何とか食い止めていた。

 

「……バーカ」

 

 ドスッ!!

 猛烈な左のボディブローが、綾瀬に食い込んだ。

 顔色を変え、今にも吐き戻しそうな綾瀬。

 

「パンチをガードするために、本能的に、鎖を俺たちから外して戻しちまっただろ。まったくよ、もし天宮なら、顔面潰されても鎖は離さなかっただろうぜ。……とにかくこれで俺たちは、アンタを直接攻撃できるってわけだ」

「うぐぅ……」

 

 脅えた眼の綾瀬を、ギロッ、と京次が睨みつけた。

 

「ムカつくんだよ。自分で殴りもしねぇで他人にやらせるとかよ。大体な、俺と天宮の戦いに、てめぇごときが介入してんじゃねぇよ。戦いが汚れるんだよ!」

「ひぃっ!」

 

 〈ブロンズ・マーベリック〉に包まれた、京次の拳が上がった。

 

「チェ、〈チェイン・ザ……〉」

「そうはいかない!」

 

 手枷つきの鎖が飛ばされた直後、布がまとわりつき、空中高くでグルグル回し始めた。

 

「また僕と武原くんをつながせることはさせない。 あなたの鎖は完全に捉えた」

「邪魔ッ!」

 

 右アッパーが、綾瀬の顎を完璧に捉えた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ!」

 

 激しいラッシュが、綾瀬と、ついでに腕のない〈チェイン・ザ・デスティニー〉を連打する。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ァッ!! 邪魔なんだよてめーはッ!!」

 

 潰れかけのサンドバッグ状になった綾瀬が、柵に激しく叩きつけられた。

 文明は、転がっていた眼鏡を拾うと、再びかけ直した。鼻血は止まってはいたが、触らなくても鼻の骨が折れているのは分かっていた。

 

「……し、死んでない、よね?」

「さすがにそこまではできねぇよ。ま、スタンドは再起不能ってとこだ」

「スタンド? さっきから何度も言ってるけど、それって〈能力〉のことか?」

「分かってねぇのかよ! おめぇのガーブ何とかってのと同じだ。ま、それについちゃ、おいおいということでな」

 

 京次は、〈ブロンズ・マーベリック〉を引っこめないままで、文明に向き直った。

 

「……さーてと。邪魔者もいなくなったし、続きやるか!」

「え!? 僕と!? まだやるの!? ……えーと……なんでそんなに喧嘩がしたいんだ?」

「え? そりゃおめぇ……」

 

 ほんの少し考えると、京次は答えた。

 

「 とにかく、ブン殴ってみてぇんだよ」

 

 

 



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第2話 一緒にやろう

「あーくそー。やっぱりダメかー……」

 

 京次は、いささか肩を落としていた。

 

「そりゃそうだろう? 君と喧嘩する理由がない。ましてや、絶対命がけになるし」

 

 先の戦いで、目の前で大岩を打ち砕かれた様を思い出すと、文明としてはとても簡単にやりあう気はしない。第一、不安定な姿勢からの一撃で折られた鼻の骨は、まだ痛んでいる。

 

「いやそりゃまあ……うーん……一方的にブン殴っても意味ねぇし……何とかならねぇかな……」

「いい加減に諦めてくれよ。それより、綾瀬先輩をあのまんまにしておいていいの?」

「何だよ、そんなにあのクズ先輩が心配か? 死なねぇ程度にしてやったって言ってるだろ?」

「いや、それもだけど。その……あの人が学校とか警察に訴えれば、君、マズいんじゃないの?」

「あぁ、そのことか。それは心配いらねぇよ。まだ〈消滅する時間〉の最中だからな」

「〈消滅する時間〉?」

「ほれ、野郎が〈スィート・メモリーズ〉を作動させてたろ。あの懐中時計だ」

 

 文明も、綾瀬が戦いの前に時計を取り出して、操作していたのを思い出した。

 

「あれもスタンドだ。野郎自身のスタンドじゃねぇのは確実だけどな。あの〈スィート・メモリーズ〉は、スタンド使いだけが活動できる時間を、一時間作れるみてぇなんだよな。スタンド使いが関わった物事以外は、一時間後に時間が巻き戻って、元通りになる。スタンド使いが関わった物事は、それ以外の人間にとっちゃ、〈消滅した時間〉が終わった時の結果だけが、瞬時に現れるんだ」

「……えーと……正直言って、何が何やら……」

「ま、俺も理解できるまで、時間かかったけどな。とにかく、〈消滅する時間〉が終わるまでに、さっさと移動してアリバイ作っときゃ、訴えられても、野郎のデタラメ、で済ませられるってわけだ」

「うーん……」

 

 あまり釈然とはしなかったが、文明も正直、訴えられたいわけではない。

 

「おめぇには、話しておくか。俺たちは、〈スィート・メモリーズ〉を操ってるスタンド使いを探ってる」

「探ってる? どういうこと?」

「あの〈スィート・メモリーズ〉、悪用すりゃ、どんな犯罪でもやりたい放題だろうが。〈消滅する時間〉の間は、電子機器での録音・録画もできねぇんだ。そんな代物を、あんなクズ野郎に使わせてるんだぞ? 放っておいたら、メチャクチャなことになるぞ」

「……止めるため? それとも……使うため?」

 

 探るような目つきになっている文明に、京次はムッとした表情を見せた。

 

「誰があんなモン使うか! 俺の性に合わねぇ」

「そうは言うけど、君だってその〈消滅する時間〉を利用してる」

「相手が勝手に、スタンドを使ってるってだけのこった。相手に使われりゃ、こっちも状況を利用するだけのこと。俺がアレを使うのは……何か嫌だ。うまく言えねぇけど……汚らわしいんだよ。あのスタンドは!」

「そう、か」

 

 文明は、一つ息をついた。

 

「何となくだけど、そういう能力を欲しがるのは、君の柄じゃないと思った。疑って悪かった」

 

 そう言われた京次が、今度は文明を見返してくる。

 

「……航希と、同じようなこと言うんだな。お前ら、幼馴染なんだって?」

「ああ。幼稚園時代から、ずっと一緒だった。だから、隙を見ては僕のこと『ブンちゃん』って呼ぶんだよ。恥ずかしいんだけど、さ」

「アイツにも、戦うの断られたんだよなぁ。おめぇとタイプは違うけど、いい戦いができそうだってのに」

「まさか能力込みで殴ったりしないよね? 能力もない航希じゃ、さすがに死にかねない」

「……え!?」

 

 京次が、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ちょっと待て。……お前、物心ついた頃にはスタンドを使えたって、言ってなかったか!?」

「言ったよ。幼稚園の頃からだから。もっとも、人前ではまず使わなかったけど」

「どうしてだ?」

「え、いや……、何となく、これは人前で使っていい能力じゃない、って思ってて……」

「もしかして……おめぇ、航希がスタンド使いだってこと、知らないんじゃないだろうな?」

 

 一瞬、表情が固まる文明。

 

「えー!! ま、まさか!」

「アイツも、幼稚園ですでに使えてたとか言ってたぞ。本当に、おめぇら幼馴染か!?」

 

 完全に思考が停止している様子の文明に、京次は半ば呆れている。

 

「まぁ、それは後回しにしよう。ほれ、着いたぜ」

 

 京次が指し示したのは、通称〈ウナギの寝床〉と呼ばれる、部活動で与えられる部室が連なっている建物だった。その中の〈軽音楽部〉へと進む京次に、文明はついていく。

 ガラリ、と、京次は扉を開けた。

 

「よぉ、遥音。詰めててくれたか」

「仕方ないでしょ。〈消滅する時間〉が始まったとあっちゃ、さ。怪我人が出た時、アタシがいなきゃ困るでしょうが」

「感謝してるさ。早速、コイツをちっと治してやってほしいんだけどよ」

 

 ジロリ、と自分を見据えてくる、ベリーショートの少女を、文明も知っていた。

 須藤遥音(すどうはるね)。ロックバンドのボーカルをやっていて、その卓越した歌唱力で注目を浴びているという噂だ。

 

「風紀委員の天宮じゃないか。巻き込まれたのかい?」

「まあ、ね。君が、治してくれるのかい?」

「説明がメンドくさいから、黙って座ってな。どうせ、時間が経てば忘れちまうンだし」

「忘れないんだよなぁ。それが」

 

 ニヤニヤ笑う京次に、遥音は目を瞬かせ、そして大きく見開いた。

 

「え…えー! 天宮、アンタ、スタンド使いなのかい!?」

「さっき、俺と組んで一人倒してきた。鼻が折れてる。名誉の負傷ってヤツさ」

「……味方、ってことでいいンだね? アタシらの仲間になるンだね?」

「いや、それはまだキチンと話を聞いてから」

「天宮! 話をややこしくすんな! とにかく、ここは治してやってくれ」

「……ちっ。仕方ないね」

 

 椅子から立ち上がると、遥音は金色に輝くマイクを取り出した。

 

「コイツがアタシのスタンド〈スターリィ・ヴォイス〉。コイツを通して歌うと、癒しの効果がある。ま、それだけじゃないけどね」

 

 その時、ガラリ、とまた扉が開かれた。

 

「須藤くん。自分のスタンドについて、必要以上に喋るのは控えたまえ。能力を知られることは、とりもなおさず、自分の弱点を知られることに等しいのだから」

神原(かんばら)先生!?」

 

 入ってきた、まだ若い教師に文明は驚いた。英国人の血が入っているとかで、非の打ち所がないイケメンであり、紳士的な物腰も手伝って、女生徒から熱狂的な支持を受けている。

 

「悪く思わないでくれたまえ、天宮くん。君の普段からの行状からして、人間的に信頼はしているつもりだが、それも事によりけりだ。我々〈スタンド探偵団〉は、なるべく情報を漏らしたくないのだよ。理解してもらいたい」

「どうでもいいけど、ネーミングセンスのダサさが泣かせるよね。センセ」

 

 遥音が、うんざりしたように肩を竦める。

 

「〈スタンド探偵団〉……?」

「さっき、ちょっと話したろ。〈スィート・メモリーズ〉を探ってんだよ。ま、他にもスタンド絡みの揉め事を解決したり、とかな」

 

 京次がそう捕捉した。

 

「すると……先生も、スタンド使いなんですか?」

「その通りだ。だが、私のスタンドについて、この場で明かす必要は感じない」

「ですけど、先生」

 

 文明は、今感じた違和感を口にした。

 

「先生は、入ってくるなり、僕がスタンド使いであることを知っているような言い方をしましたよね? ずっと聞いていたんですか? それとも、先生のスタンドの能力なんですか?」

「ああ……聞こえたのは、扉を開ける直前の、須藤くんの台詞くらいさ。だがね、これくらいのこと、スタンドなど使わずとも分かる」

 

 神原は、静かに微笑んだ。

 

「簡単な推理だよ。須藤くんは、普段は患者に対して、能力の説明などしない。どうせこの能力について理解できないから、と言ってね。しかし、君に対して説明している。ということは、君がスタンド使いである可能性が高い。武原くんもここにいるということは、彼がここに連れてきたのだろう? 須藤くんは、ここに詰めて動いていないだろうからね。すなわち、〈スィート・メモリーズ〉を使用した敵との戦闘があり、君は負傷した。少なくとも、敵側のスタンド使いではないと、武原くんが判断した。そういうことになる」

 

 さすがに探偵団を名乗るだけはあるな、と内心で文明は舌を巻いていた。入ってくる時の一瞬だけで、状況をこれだけ読み取って対応するのは、そうそうできることではない。

 

「どうやら、鼻を痛めているようだね。須藤くん、君は早速、治療を始めてくれたまえ」

「了解」

 

 遥音は、〈スターリィ・ヴォイス〉のスイッチをいじった。すると、曲のイントロがマイクから流れてくる。

 そして、遥音は歌い始めた。

 ゆったりとした、優しく伸びやかな歌声。さすがに評判になるだけの歌唱力だな、と文明は思いつつ、その歌に聞き惚れていた。

 

「さて、天宮くん。君は、〈矢〉に射抜かれてスタンドを使えるようになったのかね?」

「いいえ。幼稚園の頃から使えました。もっとも、人前ではまず使いませんでしたけど。そうだ! その〈矢〉とかについても、聞きたいんですけど。僕、実のところ、スタンドって言葉を知ったのもついさっきなんで」

「……君の他にも、ここにいる者以外に、スタンド使いを知っているかね?」

「いえ、知りません」

「おいおい、航希もいるだろ。忘れてんな?」

 

 京次が口を挟んだ。

 

「あっ! そうか……でも、僕、それも今聞かされたばっかりで。その……まだ信じきれないくらいなんですけど」

 

 しばらく、神原は顎に手を当てて、考え込んでいた。

 ふと、遥音が歌唱をやめた。

 

「ワンコーラス終了! 天宮、もう治ったンじゃない?」

「え? ……あれ? 本当だ! 骨が折れてたはずなのに……」

「あのくらいなら、ワンコーラスで充分。他の傷とかも、軽いモンなら治ってるはずだよ」

 

 神原は、目を丸くして体をまさぐっている文明に対して続けた。

 

「私の言う〈矢〉は特別なものでね。結論を言うと、スタンド使いを生み出すことができる。〈矢〉に貫かれた者は、高熱に冒されて死ぬか、さもなければ生き残り、スタンド能力を手に入れるのだ。武原くんも、須藤くんも、つい最近〈矢〉に貫かれた」

 

 思わず、二人の顔をしげしげと眺めてしまう文明。

 

「我々〈スタンド探偵団〉の目的は、〈矢〉と〈スィート・メモリーズ〉、この二つを操る者を見つけ出し、悪用することをやめさせることだ。天宮くん、君もこの学園の平穏を望む者であるはずだ。志があるならば、我々の仲間に加わってもらえないだろうか?」

「……」

 

 考え込む文明。それを、じっと神原は黙って待っていた。

 やがて、文明が顔を上げたその時。

 ピルルル!

 文明を除く、全員のスマホから共通の音が鳴った。

 

「LINE?」

「俺たちのグループトークだ。ってことは」

「航希からだよ! SOSのスタンプだ」

 

 一同の間に、一斉に緊迫した雰囲気が立ち込める。文明も、聞かずとも状況を理解できた。

 

「航希を助けに行く!」

「待ちたまえ、武原くん!」

 

 いつになく厳格に、神原が制止した。

 

「君はここに残りたまえ。まだ〈消滅する時間〉の効果時間は切れていない。君はすでに一戦している。アリバイをきちんと作っておかなければ、補導されかねんぞ」

「だけどよ!」

「ここは、須藤くんに任せたまえ。天宮くん、協力してはくれないか?」

 

 文明は、京次の懇願するような眼差しを見た。

 

「言われるまでもありません! 行ってきます」

「頼んだぜ、天宮!」

 

 京次の声を背中に受け、文明と遥音は飛び出していった。

 

 

 

 

 

「GPSだと、この辺りだよ!」

 

 遥音が、スマホの地図アプリで、校内のマップを拡大させつつ凝視している。

 

「ち、位置情報がブレやがる! この建物の右か、左か」

「二手に分かれよう。須藤さんは、右! 僕は左だ」

「了解!」

 

 二人は、反発しあう磁石のように、弾かれたように別れて駆け出した。

 文明は、校舎の裏側を進んでいく。その先に、池が見えてきた。

 池のほとりで、誰かがオモチャの水鉄砲を持って、撃ちまくっている。標的となっている先は、建物に隠れてよく見えない。

 

「ん!? 何見てやがる!」

 

 水鉄砲の学生が、振り向きざまに文明に水鉄砲を撃った。

 立ち木の裏に逃げ込む文明。その立ち木に、水鉄砲の一撃が命中した。

 途端に、白煙をあげる立ち木。

 

「強酸!?」

 

 うまくない、と文明は内心呻いた。〈ガープ・オブ・ロード〉自体は強酸でも焼かれることはないが、布を伸ばせばガードに隙間ができやすくなる。自分という本体に引っかかれば、ただでは済まないのは容易に想像がついた。

 

「木の裏に隠れたのは失敗だな! これならどうだよ!」

 

 水鉄砲が、木の上の木の葉に乱射された。葉が次々と白煙をあげ、強酸の水滴が、バラ、バラと文明に降り注ぐ。

 

「避けきれない!」

 

 文明が青ざめた時であった。

 何かが、目にも止まらぬスピードで文明に迫った。

 反応しきれない文明の腕が捉えられ、超高速で引っ張られる。

 水滴が地面に達して、白煙を盛大に上げていくのを、文明は離れたところから目にした。

 

「大丈夫!? ブンちゃん!」

 

 その時初めて、文明は自分を助けてくれたのが、航希であることに気づいた。

 

「おいおい、人助けしてる場合かよ? お荷物抱えてちゃ、この水原様の〈アシッド・ブラッド・チェリー〉には勝てねーぜ!」

 

 にやにや笑うそのスタンド使いは、三年の校章をつけていた。

 航希が、水鉄砲から文明を庇うように背を向けた。

 その左腕には、80センチほどのスケートボードが張り付いていた。それを盾のようにかざしつつ、水原と対峙している。

 

「ブンちゃん。逃げてくれ」

 

 普段の陽気な声とは比べ物にならない、悲痛な声音で航希は訴えかけてきた。

 

「ブンちゃんには、何が起こってるか分からないと思う。だけどオレ、ブンちゃんに顔向けできないようなことはしてないから! 俺がやられても、ブンちゃんだけはやらせない。だから……逃げて!」

「るせーな! 貴様らのくせー友情ゴッコは、鬱陶しいんだよ!」

 

 水原が、水鉄砲を撃ちこんできた。それを、航希は左腕のスケートボードで防ぐ。

 

「自慢のスピードも、動きがとれねーってか! ほれほれ、連射連射連射!」

 

 さらに次々と、しかも照準をずらして撃ち込まれる。

 かわしきれずに、一発が航希の足に当たりそうになった。

 

「〈ガーブ・オブ・ロード〉!」

 

 その一撃を、布がガードして弾いた。布はそのまま伸びて、水原の腕に絡みつく。

 

「これは……スタンド!?」

 

 航希と、水原が、同時に叫んだ。

 もがく水原を引っ張りながら、文明は言った。

 

「航希。この人、何をやっていた?」

「え……? 自分を振った女子に、あの水鉄砲で意趣返ししようとしててさ……」

「そういうことか。だったら、逃げるわけにはいかないな」

「え!?」

「この先輩は、スタンドを悪用しようとしている。見過ごしてはおけない。そして僕は、君を信じてる。幼稚園からの付き合いじゃないか……!」

 

 そして文明は、声を張って言った。

 

「あの頃みたいに、一緒にやろう。コーちゃん!」

「ブンちゃん……」

 

 航希の目に、うっすらとにじむものがあった。

 

「下級生どもが、ナメてんじゃねー!」

 

 水原が、猛然と駆け出した。一気に距離を詰め、筒先を文明たちに向けてくる。

 文明は、足をきちんと拘束し損なっていたのを、一瞬後悔した。

 

「得物が水鉄砲なのに、前進!?」

「発射モードの切り替えもできるのさ! シャワーモードなら、距離は短いが、隙なくバラまける!」

 

 そう言った時には、すでに引き金が引かれていた。ふわり、と、強酸のシャワーが二人の頭上に降り注ぐ。

 

「遅い!」

 

 航希が、またも文明の腕を捕まえて引っ張った。

 シャワーが地面に白煙をあげた時には、二人はまたも離れた場所。

 

「それが、君の」

「ああ。名付けて〈サイレント・ゲイル〉」

 

 航希が両足を乗せている、スケードボード状のスタンドを、文明は見やった。

 

「ボードに足乗っけてたら、ガードできねーだろ!」

 

 無理やり体を捻り、方向を定めて水鉄砲を直進モードで撃つ。

 が、強酸は二人が避けた空間を、一直線に撃ちぬいただけ。

 文明はすでに、〈ガーブ・オブ・ロード〉を三階の手すりに飛ばしていた。それをたぐるように、一気に体を浮き上がらせて、三階の窓から校舎内に入り込む。

 

「この野郎っ!」

「〈ガーブ・オブ・ロード〉は、まだあなたを拘束している。その姿勢じゃ、自由に照準はつけられないはず!」

 

 水原は、いったん文明を狙うのを諦めた。うかつに三階まで水鉄砲を撃てば、自分にも強酸が降り注ぎかねない。

 

「まずは、ボード野郎を」

 

 その時、水原は異様な殺気を前方に感じた。

 とっさにシャワーモードに切り替えて前方に撃ち、身を横に翻す。考えてではなく、本能的な行動だった。

 次の瞬間、自分のすぐ脇を、何かが通り抜けた。

 それは、少し離れたところで停止し、水原を振り向いた。

 

「ち……!」

 

 制服から、幾筋かの白煙をあげつつ、首筋をさする航希。

 

「……読めたぜ! てめえのスタンド、高速移動の時にゃ急激な方向転換ができねーな!? 避けた俺に攻撃を仕掛けるどころか、シャワーも避けられずに、突き抜けるしかなかったんだからな!」

「ピンポーン……」

 

 苦笑いする航希。

 

「そうと分かれば、当てようもあるってもん……うわっと!」

 

 三階から引っ張られ、よろめく水原。

 

「航希と一対一なら、マグレで当てられるかもしれないな。だけど、僕が捕まえてるのに、そうできると思うか!?」

「うぐっ……」

 

 呻いたその時、またも殺気。航希が迫る姿が、やけに鮮明に見えた。

 水原は、さっきと同様に、シャワーを前に噴射、横に飛びのいた。

 

「何度も同じ手をくうか!」

 

 航希は、高速移動をあえて遅めにしていた。狙いは、行く先の手元に差し出されていた〈ガーブ・オブ・ロード〉の布の先端。

 それを航希が掴んだ瞬間、文明は一気に引っ張った。

 方向を変え、横滑りする航希。その先には送電用のポール。

 布は、ポールのところで折り返すように伸ばされていた。航希はポールを片手で掴むと、くるり、と進行方向を真逆に変えた。

 そのまま〈ガーブ・オブ・ロード〉に導かれるように、水原の左横から急接近。

 

「!?」

 

 航希は〈サイレント・ゲイル〉の前面を浮かせ、同時にジャンプ。

 振り向かせる暇もなく、ボードの底面が水原を跳ね飛ばした。

 校舎の壁に叩きつけられる水原。

 間髪入れず、航希はボードを足下から腕に切り替えた。ボードが縦に二つに割れ、両腕に装着されている。手元でボードが回転を始め、トンファーの動きとなった。

 冷たい無表情。眼前の相手を、撃滅せねば終わらぬ殺気。

 それは、水原を脅えさせるに充分だった。 

 

「ひ……!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

 

 早口で一文字唱えるごとに、回転するトンファーの一撃が、水原に食い込んでいく。水鉄砲が、粉々に砕かれていく。

 

「臨・兵・闘・者! 皆・陣・列・在……前ッ!!」

 

 激しいトドメの一撃が顔面を捉え、ガラスを突き破って校舎内に、水原の残骸が飛び込んでいった。女生徒たちの悲鳴が上がる。

 だが。

 次の瞬間、文明、航希、そして気絶している水原を除いた、全ての人間の動きが止まる。そして、まるで動画の逆再生を超高速で見ているかのように、それぞれが元の位置に戻っていく。

 

(ヤバい! 〈消滅する時間〉の効果範囲が切れたんだ)

 

 航希は、慌てて〈サイレント・ゲイル〉に飛び乗ると、両手で印を組んで見せた。『拙者はこれでドロンします』のポーズだ。

 文明が、了解して頷いた。三階にいれば、文明が疑われることはまずない。

 〈サイレント・ゲイル〉が疾走を始め、校舎から結構離れた頃、背後から大きな声が聞こえてきた。

 

「うわーっ!! 何だよこのブッ壊れた窓! 誰か来てくれー!!」

 

 遥音だな、と航希はくすっと笑った。遅ればせながら現場に着いたものの、〈消滅する時間〉が切れたために、第一発見者を装うことに決め込んだらしい。

 航希はそのまま、なるべく人のいないルートを選んで、先へ進む。

 

(ブンちゃんが、スタンド使い……!)

 

 その事実は、航希の胸を震わせるほどの歓喜を呼び起こした。

 

(オレは、ブンちゃんの前では、今まで一度もスタンドを使わなかった。もし知られたら、ブンちゃんはオレから離れていく、そう思い込んでいた。それがとても怖かった……)

 

 しかし、その文明は、自分を信じると言った。あの頃のように、一緒にやろう、と。

 

(ブンちゃん! オレはね、ブンちゃんと京ヤンが組んだら、何かができるんじゃないかって思ってるんだよ。だって……どっちも、オレが見込んだ男たち!)

 

 航希は、自分たちの帰る場所、軽音楽部の部室を目指していった。



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第3話 バンドは揉め事が多いもの

「センセ、この際一つほんっとに! 言っときたいコトがあンのよ」

「む、何かね? 天宮くんを我が〈スタンド探偵団〉に加入させるのが不満かね? 先ほどの一件の後始末を君にさせる羽目になったのは、あくまで成り行きでやむを得ないことと思うが」

 

 眉根をほんのわずかに寄せて、神原は遥音を見つめた。

 

「それは分かってるし、ンなことはいいんだよ。それより!」

 

 我慢の限界、と言わんばかりに遥音は叫んだ。

 

「いい加減、その〈スタンド探偵団〉とかいう、クッソダサいネーミングやめて!!」

「え? そこかね君の関心は? しかしだな、これは江戸川乱歩の時代より始まる、伝統的な……」

「そんなこと知るか! なんつーか、モチベーションがダタ下がンのよ!」

「困ったね須藤くんにも。君たちも、何とか彼女に言ってやってくれたまえ」

「いやあの、僕からも先生に言いたいことが」

「え? 私にかね? それは心外だが何かね」

 

 文明は、この先の説得に早くも徒労感を覚えつつ続けた。

 

「さすがに、グループの呼称に〈スタンド〉とか入れるのはマズいんじゃないかと。人前で口に出せませんよ。スタンドって何? とか聞かれたら説明できませんし」

「むぅ……言われてみればそうだな。そうすると、〈何々探偵団〉にするかが問題だが」

「だーかーら! その〈探偵団〉もやめてってば!」

 

 もはや、地団駄踏みそうな遥音。

 

「いっそさー。もう〈スタンド部〉ってことにしちゃおうよ。他の人には軽音楽部ってことにして」

 

 航希が、助け船を出しに行った。

 

「〈スタンド部・何とか〉にしたらどうかな?そんで、〈何とか〉の部分だけ普段は口にするとか」

「なるほど。しかし、問題は〈何とか〉の部分を、どうするかだね」

「んー……」

 

 少し考えた航希が、

 

「遥音! こないだ解散したとかいう、遥音のいたバンドって、何て言ったっけ?」

「ん? 〈ジョーカーズ〉、だけど」

「それもらおうよ! 〈城南学園スタンド部・ジョーカーズ〉」

「アタシのいたバンドの名前に、ダサい前振りをくっつけンな!」

「……いや、待ちたまえ」

 

 異様に真剣な面持ちになって、神原が制止した。

 

「私のルーツである英国。そこを発祥とした、邪悪と戦うスタンド使いの一族が存在するという。彼らは黄金の精神を持ち、代々その名前の略称から、〈ジョジョ〉、と呼称されるそうだ」

「〈ジョジョ〉……」

 

 不思議と、その場の誰もが、その名に畏敬の感情を抱いていた。

 

「これも天の啓示。〈城南学園スタンド部・ジョーカーズ〉は、略して〈ジョジョ〉と呼べる。彼ら一族にあやかり、これを我らのグループの呼称としようではないか」

 

 中空を仰ぎ、右手を天に捧げている神原に、遥音と文明が、ついに諦めた表情を浮かべた。

 

「……ま、いいよ。このセンセ、完全に自分の中で決定しちまってるし」

「ジョーカーズ、ならまだ人前で呼べるしね。バンドの名前だって言ってしまえるし……」

 

 

 

 

 

 彼らがそれぞれ下校。その途中で、遥音は喫茶店に入っていた。

 

「ンで、どんな話なのリーダー? あ、もう解散したンだから、タクヤって呼ばないといけないか?」

「嫌味な言い方やめてくれよ。俺だって、好きで〈ジョーカーズ〉解散したわけじゃないんだから、さ」

 

 ベース入りのケースを横に置いて、タクヤは困った顔を見せた。

 

「ユリが、そこまでボーカルやりたいってンなら、ひとまず一曲やらせてみりゃよかったンだよ」

「遥音とは格が違うだろ、明らかに! 正直言えよ。お前、ユリに負けるって思ってないだろ?」

「やりもしないで、負けるって思うほど、アタシは腰が引けてるつもりはない!」

「そーゆーこと言ってるんじゃないんだけどなー……」

 

 タクヤは頭を抱えていたが、やがて顔を起こした。

 

「まあ、それはもういいじゃねーか。済んだ事だ」

「……」

「嫌そうな顔すんなよ。なあ、もう一度やり直さねーか? お前と、俺で」

「アタシたち二人で? ……他のメンバーはどうすンの?」

「それなんだけどさ! 柴崎先輩が、メンバー紹介してくれるって言うんだよ。ギターも、キーボードも、もっといい腕のやつを連れてきてやるって!」

「……また、柴崎先輩かよ」

 

 うんざり顔を、遥音は隠さなかった。

 

「この際だから言っとくよ。アタシは、あの柴崎先輩は虫が好かないンだ」

「え……?」

 

 目を丸くして、二の句が継げない様子のタクヤ。

 

「な……何で?」

「いっつも上からモノ言うしさ。何かと強引で。あの人、アタシらを下僕と勘違いしてねーか?」

「俺は、頼りがいのある人だと思ってる! 今までも、何かと世話になってるし……」

「アンタ的にはそうなンだろーねー。どっちにしろ、アンタってちょっと薄情すぎないか? もう一度、メンバーのみんなと、ハラ割って話し合うべきだと、アタシは思ってるよ。あの先輩に頼むのは、それからでも遅くないだろ?」

「いや、遥音、あの……」

「今日のところは、これ以上話しても仕方ないっぽいね。これで帰らせてもらうよ」

 

 遥音は、自分の飲み物の分の小銭を置いて、席を立った。

 タクヤは、それをただ見送るだけだった。

 

 

 

 

 

『んで? 結局、遥音を説き伏せられなかったってわけか』

「い、いや先輩! まだ、これからっていう話で……」

 

 自室の中で、汗を拭いながら、スマホに弁解するタクヤ。

 

『チッ! お前、リーダーとして押しが弱すぎんだよ。お前が頼りないから、遥音もついていかねえんだよ。いいか? 俺とお前の新バンドに、遥音は絶対不可欠だ。あいつの才能はケタ違いだからな』

「分かってます……」

『だから、絶対に遥音は説き伏せろ。どんな手段を使っても、だ。メジャーデビューしたけりゃ、ここが正念場だってことを忘れるな。いいな。期待してるぜ』

 

 通話が切れるとタクヤは、目の前にあるPCの画面を見つめた。

 動画投稿サービスの画面。そこには、タクヤたち〈ジョーカーズ〉の演奏する映像も映し出されている。

 

「どんな方法を使っても、か」

 

 ぽつり、とタクヤは呟いた。

 

「やっぱり、コータのヤツに一仕事してもらうしかねーな。俺のスタンド〈コール・オブ・デューティ〉でな。そうと決まれば、『仕込み』を始めるか」

 

 薄ら笑いを浮かべながら、タクヤはPCの前のキーボードを叩き始めた。

 メッセージ性のある動画を、配信するために。

 

 

 

 

 

 翌日。

 珍しく誰もいない軽音楽部の部室に、二人の人影が入ってきた。

 

「なーんだ! 待ち合わせ時間早めてきたクセに、タクヤもいないじゃない!」

 

 先に入ったユリがむくれて見せた。ウェーブロングを栗毛に染めた、派手な印象の美少女だ。

 その背後についてきたコータは、返答せずに黙っている。

 

「そういや最近、ここに遥音の取り巻きが巣くってるって噂だけどさ。ここっていつからあの娘個人の部屋になってるわけ? ムカつくんだけど。この際、タクヤにビシッとケジメ……!?」

 

 突然、コータがユリに飛びかかってきた。

 そのまま押し倒すと、体をまさぐろうとする。

 

「ちょ、ちょっと! 何やってるのよいきなり!」

 

 瞳孔の開いたままの目でユリを見下ろしながら、コータはユリの制服のボタンに手をかけようとする。

 が。

 その手が、ぴたりと止まった。

 

「……そんなに、私が欲しいわけ? だったら、乱暴はやめてほしいのよ、ね」

 

 ユリの目が、異様に輝いていた。

 コータの袖口から、うねうねと、透明なゼリー状の何かが潜り込みつつある。

 

「いーい気分にさせてあげるよ? 私の〈エロティクス〉でね」

「あ…う…」

 

 コータの口から、切なそうな声が漏れた。

 だが、それも一瞬。

 コータの体が、ビクリと動いた。

 そして、再び荒々しくユリをまさぐろうとする。

 

「な、何で!? どうして!? そんなバカな! 私の……」

 

 取り乱しかけたユリが、言葉を止めた。

 コータの首に、何かのコードが回され、背後から引っ張られだしたのだ。

 

「おい、コータ!! アンタ、何ふざけてンだ!」

「うっ…ぐっ…!」

「アタシたちの部室で、おかしなコトやらかしてンじゃねーよっ!!」

 

 遥音に勢いよく引っ張られ、コータはユリから引き剥がされた。そのまま、壁まで投げ飛ばされる。

 ユリは〈エロティクス〉を消すと、乱れかけた襟元をかき寄せた。

 

「大丈夫かい、ユリ!?」

「う、うん」

「コータ、アンタ何てことを……えっ、スタンド!?」

 

 遥音の台詞に、ユリは息を飲んだ。

 

(スタンド? 何それ? ……え、あれは!?)

 

 遥音がまじまじと見つめていたのは、コータの耳に入っていたイヤホンだった。先ほどまでは、長髪に隠れてよく見えなかったが、胸ポケットにコードが入り込んでいる。

 もぞもぞっ、と、イヤホンが動き出そうとしたが、遥音の持つマイクのコードが絡みつく。

 厳しい表情だった遥音が、ハッと気づいたように、ユリの方を見た。

 

「アッ、アタシ、ちょっとこのバカ野郎に水でもブッかけてくるよ! 他のメンバーには、後で来るって言っといて!」

「わ……分かった」

 

 コータを引きずるように出ていく遥音。彼女が去っていった戸口を、ユリは呆然と眺めていた。

 

(今のって、私と同じような能力!? 〈エロティクス〉が効かなかったってことは、コータは操られてたってこと? っていうか、遥音ももしかして、能力持ち!? あのイヤホンを見て、遥音は明らかに驚いてた。え、そうすると、イヤホンは別の人間の能力? ……もっと、大勢の能力者がいるっていうことなの!?)

 

 頭の中で、思考がグルグル回り続けるだけであった。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 バー〈スキップビート〉。

 柴崎は、テーブルに足を乗せたまま、カラになったグラスを軽く振った。

 

「すいやせん、持ってきます。それとも、マスター起こしますかい?」

「いいよ別に。適当にボトル選んで開けろ。後で清算すりゃいい」

「分かりやした。だけど、マスターが居眠りなんて、珍しいですよね?」

 

 愛想笑いの取り巻きには返事せず、向かいに座っているタクヤに顎をしゃくった。

 

「それで? 首尾はどうなんだ」

「はい。ケリがつくようにしておきました。〈ジョーカーズ〉は解散に一直線です。遥音も、他に行き場がなけりゃ、俺や先輩についていくしかないでしょ」

「ついてこさせるんだよ! ま、イザとなりゃ、スペシャルに物を言わせりゃいいわけだがな……」

 

 取り巻きたちの下卑た笑い声を、柴崎が手を振っていなした。

 その時、カウンターの奥で、誰かが立ち上がった。

 

「はーん? ずいぶんユカイなお話してるじゃないのさ」

「!? 遥音!」

 

 タクヤが驚いたが、柴崎はやや首を傾げただけ。

 

「意表をついたご登場だな? どういう風の吹き回しだ」

「ちょっとね、返してやるモンがあったんで。受け取りな、タクヤ!」

 

 テーブルに投げ出されたものを見て、タクヤは血の気が引いた。

 柴崎はそれを眺めていたが、

 

「……何だこりゃ? この携帯プレーヤーがどうしたって?」

「その様子だと、アンタはこれが何なのか知らないようだね? タクヤの単独犯ってワケか」

「あぁ? 遥音、誰にアンタとか」

「タクヤ」

 

 柴崎を無視して、遥音は語りかけた。

 

「イヤホンはなくなっちまったよ。それが、どういうことが分かるね?」

「……」

「この中に入ってた動画は、アンタが作ってサイトにアップロードしたヤツだけだった。アタシたちメンバーにも、新曲のデモ動画とか言って、ダウンロードして聴くよう指示してたよね?」

「……」

 

 タクヤの顔から、汗が次々と滴ってくる。

 

「アタシもダウンロードしようとしたけど、できなかった。今考えると、〈スターリィ・ヴォイス〉をつないでたから、おかしな『仕込み』がしてある動画を弾いてたンだ」

 

(遥音に効かなかったのは、それでか! ウイルスソフトに引っかかったか……今までそんなことなかったのに……)

 

「遥音! いじめるのも、その辺にしといてやれ」

 

 柴崎が、やや声を荒げて言った。

 

「このバカが何をしたのか知らんが、コイツもお前と上を目指したいって気持ちは本当だ。そこんとこは汲んでやれ」

「コイツと一緒に? 絶対にお断りだね。もちろんアンタともだよ、柴崎!」

「な……!」

 

 取り巻きたちが、血相を変えて立ち上がった。

 

「タクヤのクソッタレは、『仕込み』つきの音楽で、人を操ってた。ヘドが出るよ。だけど柴崎、アンタは音楽すら使わず、人を操ろうとするよね?」

「!?」

「このバーの匂い。ズバリ、大麻だろ? 他にも、いろいろクスリ使ってるのは知ってるンだよ」

 

 取り巻きたちが、一斉にカウンターに取り付き、遥音に飛びかかろうとした。

 遥音の手に、〈スターリィ・ヴォイス〉が現れた。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 その瞬間。

 衝撃波が、取り巻きたちだけでなく、柴崎やタクヤにも襲い掛かった。全身が強烈な痺れを起こす。食らった全員が、床に崩れ落ちた。

 テーブル上のグラスは、少し揺れただけで、すぐに静止した。何一つ、壊れていない。

 信じられない、という目を、柴崎は遥音に向けた。

 

「あ……う……」

「安心しな。一時間もありゃ、元に戻る」

 

 そして、〈スターリィ・ヴォイス〉のコードがタクヤの首に巻き付き、遥音の眼前まで引き寄せた。

 

「聞けよ。クズ野郎。言って聞かせることが、三つある」

「う……」

「一つ。アンタとは、今日限りで縁切りだ。そこのクソ先輩ともな」

「……」

「二つ。動画投稿は、もう二度とするな。あのチンケなスタンドは、『仕込んだ』動画をダウンロードしないと、携帯プレーヤーに送れないんだろ? アレを今度悪用したら、再起不能にしてやる」

「あう……」

「三つ! 〈ジョーカーズ〉は、アタシが引き継ぐ。今後はもちろん、かつて〈ジョーカーズ〉にアンタがいたことも、全て忘れろ。〈ジョーカーズ〉の名が汚れるからな!」

「な……何、言って……。たった、一人で……〈ジョーカーズ〉って……」

 

 どさり、とタクヤが床に投げ出された。

 

「一人じゃないんだよ。〈ジョーカーズ〉は」

「あ、あいつら……? 無理だろ……」

「そうじゃないんだな。ま、アンタは知らなくてもいいこった」

 

 遥音はタクヤから目を離すと、スマホを取り出した。

 善良な一般市民として、大麻吸引および薬物服用、ついでに未成年飲酒の通報をするために。

 

 

 

 

 

 やがて、店から出てきた遥音。その姿を見ていた人影があった。

 

(タクヤはまだ店の中かぁ……。ガラの悪そうな人たちと一緒だったけど、どんな話になったんだろ?)

 

 ユリは、店の近くのコンビニ前で、ダベっているフリをしながら考えていた。

 あれからどうにも気になって、つい遥音の後をこっそり追ってきていたのだ。

 

(あーあ、私、何やってんだろ。こういう時、私の〈エロティクス〉って、中を伺う能力なんてないから、来たって何にもならないのになー。荒事とかも、大して向いてないし)

 

 ユリは、手にした紙コップのコーヒーを啜った。

 

(ってゆーか……そうよね。結局、あの遥音が絡んでるからよ)

 

 紙コップを傾け、一気にコーヒーを飲み干してしまう。

 

(遥音……。大体あの娘は、元々気に入らなかったのよね。何さ、ちょっと歌が上手いからって。タクヤも他の奴らも、遥音を持ち上げて私を無視して。スポットライトを浴びるのは、私の方が絶対ふさわしいんだから!)

 

 くしゃっ、と、空になった紙コップが握り潰された。

 

「須藤遥音に、一泡吹かせてやりたい」

 

 突然物陰から聞こえてきた男の声に、ユリは全身が一瞬凍り付いたように感じ、固まった。

 

「顔に、そう書いてある……」

 

 冷笑を含んだ声に戦慄を覚えつつ、ユリはその場から立ち去ることができなかった。



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第4話 神原の真の姿

 神原は、職員室の扉を開けた。

 誰もいない。朝日だけが、窓から差し込んでくる。

 

「おはようございます」

 

 もちろん返事など返ってこないが、スーツ姿の神原は気にせず中へと入っていく。

 大事に使っている、グレンロイヤルの鞄を自分の机に置くと、椅子を引いて腰かけた。

 

(土曜日の電話番も、悪いことだけではない。誰にも邪魔されず、溜まっていた仕事を片付けることができる)

 

 自分用のパソコンを開いて電源を入れて起動させている間に、給湯室に行きお湯を沸かす。

 沸騰したてのお湯でポットを温めた後にアールグレイの茶葉を入れ、蓋をして蒸らす。その間にカップもお湯で温めて準備する。

 

「このひと手間がよいのだよ。心を豊かにしてくれる……」

 

 誰も聞いていないのにそう宣いつつ、ポットとカップを盆に乗せて、職員室に戻る。

 空いた席に盆を置くと、起動が完了したパソコンで仕事を始める。

 ややあって、ポットから注いだアールグレイを口に運ぼうとした時。

 卓上の電話が鳴り始めた。

 

「誰にも邪魔されず、とはいかんか」

 

 苦笑しつつ、電話をとる。

 

「はい。こちら城南学園、神原です」

『あ、どーもすいません。コピックスの戸田と申します。今日、コピー機の修理にお伺いする予定なんですが』

「そうですか。御足労をおかけします」

 

 ちら、と神原は壁の予定表を見る。今日の日付のところに、確かに『コピー機修理 コピックスさん 十時』とある。

 

『十時に伺うお約束だったんですが、もしご都合がよければ、少し早いんですが九時半頃でもよろしいでしょうか?』

「結構ですよ。早い方が、こちらも都合がよろしい」

『ありがとうございます。それでは九時半ということで』

 

 通話を終えると、神原は改めてカップの中身を口にする。

 

「英国式のミルクティもいいのだが、日本の水ならストレートティも悪くない……」

 

 独り言ちて、再び仕事を進めていく。

 しばらくして、扉が開いた。まだ若い男が、作業着姿で顔を出してきた。

 

「失礼しまーす。コピックスの戸田です」

「お待ちしておりました。あそこのコピー機です。どうも、カラーコピーの色がうまく出ないとのことで」

「はい、伺ってます。それじゃ、早速」

 

 職員室の中へと、手にした紙袋の中身を確認しつつ進んでいく。

 そして、神原の真後ろまで来た時。

 ビリッ!

 紙袋の底が破れ、中身が勢いよく飛び出した。

 

「どうしました!?」

「すっ、すいません! カラーコピーの色見本が」

 

 慌てて、色とりどりの細長い紙を搔き集める、戸田と名乗った作業員。

 

「手伝いましょう」

「申し訳ないです!」

 

 床に散らばった紙を、二人で手分けして集めていく。

 

「足元、失礼します!」

 

 そう言いつつ、戸田は神原の靴に、茶色の紙を当てがった。

 その先端が、ペタリと張り付いた瞬間。

 戸田の目が、狡猾な光を帯びた。その手が紙を引っ張ると、先端だけが千切れて、神原の靴に残る。

 

「どーもありがとうございました。それじゃ、もう少し準備にかかりますので」

「いえいえ。よろしくお願いします」

 

 いったん部屋を出た戸田が、工具箱を手に戻ってきた。

 神原の背後を通過する時、その手元から、先ほどと同じ色の茶色の紙切れが、はらりと床のタイルに落ちた。

 次の瞬間、タイルが紙切れと同じ茶色に染まった。いつの間にか、先ほど紙切れを張り付けられた神原の靴も、同じ色に染まっていた。

 戸田は、工具箱を持ったままで、机を挟んで神原の正面に回り込んだ。

 その場で深々と一礼する戸田。

 

「それでは、準備が完了しましたので、作業に移らせていただきます」

「はい? 先ほども申しましたが、コピー機はあちらですよ」

「いえいえ、もうコピー機など、どうでもいいわけでして」

「!?」

 

 戸田の空いていたはずの手に、〈スィート・メモリーズ〉が握られていた。

 スイッチが押され、〈消滅する時間〉が開始される。神原が顔色を変えた。

 

「てめーをブチのめす作業に、かかるって言ってんだよっ! このクソイケメンが!!」

 

 戸田が、手に持っていた工具箱を、神原に投げつけてきた。

 が。

 神原の眼前に、突如、漆黒の手が現れた。爪だけが、真っ赤に染まっている。

 その手が、工具箱を跳ねのけた。蓋が開き、中身の工具が床に飛び散る。

 

「貴様! 敵のスタンド使い……!」

 

 椅子を引き、神原は立ち上がろうとした。

 しかし。

 茶色に染められた靴が、同じ色に染められたタイルを踏んだ瞬間。

 靴とタイルが、ぴたりとくっついた。足の自由が利かず、たたらを踏む神原。

 転倒すまいとよろけた神原は、動かない靴をとっさに脱ぎ、背後の棚に寄り掛かった。

 

「バーカ! その棚に、寄り掛かってほしかったんだよ」

「何!?」

 

 棚から離れようとする神原。

 しかし、今度はスーツの背中と腕が、棚に張り付いていた。身動きがとれない神原。

 

「これは!?」

「気づいたか」

「もちろんだ。我が愛用するリチャード・ジェームズの紺は、こんなペンキ紛いの貧相な色ではない。棚も、同じ色に染められているな」

「どこまでも、スカした野郎だな。この俺の〈ファンシー・ドローイング〉が選んだ色に、ケチつけやがって」

「読めた。同じ色に染めた物同士は、張り付くというわけか」

「ククク……張り付くってのは、ちょっと違うなぁ? 一体化するんだよ! 子供の塗り絵で、線を越えて塗ったくると、線が見えなくなって、区別がつかなくなったりするだろ? それと同じで、一度くっついたら、一体化して、もう二度と離れなくなるのさ。そのままのカッコで、あの世に行きな!」

 

 戸田のすぐ傍に、筋肉を色とりどりに塗り分けた大男の姿をしたスタンドが出現した。戸田は机に乗り上げると、その上をズカズカと歩いて神原に迫る。

 

「近距離パワー型というわけか!」

 

 神原の着ていた、リチャード・ジェームズの背広が、全体的に膨れ上がった。

 ビリリッ!

 軽い音を立てて、背広が引き裂ける。

 自由になった神原の背中に、羽が生えていた。その場で、ふわりと浮き上がる神原。

 いや。

 神原の背中に、スタンドが現れていた。銀髪に青白い顔。黒い全身。やはり黒い手には、真っ赤な爪。その肩から広がるマントが変形し、翼と化していた。

 

「これが、我がスタンド〈ノスフェラトゥ〉。 下品なセンスしか持ち合わせぬ輩に、見せるのは本意ではないがな」

 

 すぅっ、と、横に移動し、机のないところまで移動する。

 

「体のどこかが、床とかに触れてると、またくっつけられると思ってるだろ? だから宙を浮いてるってわけだ」

 

 〈ファンシー・ドローイング〉の黄色い腕が、そばにあった白い花瓶を裏拳で殴った。

 けたたましい音を立てて、陶器製の花瓶が砕け散る。

 黄色に染まった大きな破片を〈ファンシー・ドローイング〉が拾うと、黄色くなった他の破片と、掻き回すように混ぜる。すると、破片が次々とくっついていく。

 その破片の塊が、宙を浮く神原に勢いよく投げつけられた。

 

「色を消すこともできるんだぜ!」

 

 破片の黄色が、元の白磁の色に戻った。

 同時に、くっついていた破片がバラバラになり、神原の全身を襲う。とても全てをガードしきれない。

 その中の一つが、神原の目に食い込んだ。

 

「ぐっ!」

 

 目だけではなく、破片が突き刺さったところから、赤い血が飛び散る。

 

「ククッ! 色男に磨きが」

 

 皆まで戸田が言う前に、〈ノスフェラトゥ〉が反撃に出た。

 真っ赤な爪が急激に伸びると、戸田に向かう。

 〈ファンシー・ドローイング〉が、傍にあった机を盾にした。爪が弾かれて、戸田まで届かない。

 その隙に、神原が逃げ出した。

 宙を浮いたまま扉を開けると、隣の会議室に飛び込んでいく。

 

「チッ! 隣に行ったってムダだぜ!」

 

 舌打ちをすると、戸田が扉を潜って追う。

 会議室の中は、カーテンが閉められ、朝方というのに暗がりだった。廊下側にまでカーテンが引かれている。

 宙にいた神原の〈ノスフェラトゥ〉の爪が、またも伸びた。その先には、戸田。

 十本の爪が、戸田に突き刺さろうとした時。

 ぬめぬめとした、不定形の透明なスタンドが現れた。爪先が、スタンドに包み込まれて止まる。

 

(不用意に、相手を追ったりするから! 面倒かけるよね)

 

 廊下で、カーテンの隙間から中を伺っていたのは、ユリであった。遥音の弱みを教えてやると言われて、協力する気になったのだ。

 

(私の〈エロティクス〉で、神原先生を篭絡してもいいかもね。神原先生って文句なしのイケメンだし……え!?)

 

 ユリは、今まで味わったこともない異様な感覚に襲われた。

 全身の力が、吸われていくように失われていく。

 

(な……何よこれ!? か、神原先生の!?)

 

「……爪をスタンドで食い止めたのは失敗だったな。〈エナジー・ドレイン〉が行いやすくなる」

 

 廊下でへたりこむユリと呼応するかのように、〈エロティクス〉が苦し気に蠢く。

 

「何だか知らねーが、動かないならこっちのモンだ!」

 

 〈ファンシー・ドローイング〉が、棚に置かれていたプロジェクターを拾い上げると、神原に投げつけた。

 神原はスタンドの爪を〈エロティクス〉から引き抜き、その腕でプロジェクターを勢いよく跳ね飛ばした。壁に当たり、転がるプロジェクター。

 爪から解放された〈エロティクス〉を、息絶え絶えのユリはすぐに消した。これ以上戦いに参加することなど、体力的にも精神的にも不可能だった。

 漆黒の手先が戸田に向けられ、またも爪先が伸びた。

 とっさに机を差し上げてガードする〈ファンシー・ドローイング〉。

 しかし。

 机を、爪先が軽々と貫いた。一本の爪が、戸田の肩を掠める。

 

「何だと!? さ、さっきより強くなってないか!?」

「そうだ……。〈エナジー・ドレイン〉によって、他者の精力を吸えば、我がスタンドは強化される。この〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉にな!」

 

 宙に浮いているスタンドが、姿を変えていた。先ほどまでは、神原に似て細身であったものが、筋肉の総量が明らかに増加している。体のあちこちに、今まではなかった、牙のような装飾が増えていた。

 

「そして……私自身も!」

 

 床に降り立つ全身から立ち上る、禍々しい瘴気。

 戸田は、確かにそれを、宙に浮く神原から感じ取り、恐怖していた。

 

「う……うあぁぁーっ!!」

 

 〈ファンシー・ドローイング〉の太い腕が、木製の机を破壊する。

 金具付きの破片を、神原の横面に叩きつけようとした。

 

「フ……何たる貧弱ゥ!」

 

 神原の片手が、剛腕の振るった机の破片を、あたかも添えただけのように止めてしまっていた。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、〈ファンシー・ドローイング〉にふわりと接近。次の瞬間、猛烈な回し蹴りが放たれた。

 グシャリ! とスタンドの腕がヘシ折れ、戸田自身も横に吹っ飛ばされ、壁に激突した。パワー型のはずの〈ファンシー・ドローイング〉の腕のガードが、全く役に立たない。

 

「WRYYYYY……OOOO!!」

 

 神原の喉から、普段は決して発せられることのない、狂気じみた叫びが上がっていた。

 花瓶の破片で負ったはずの傷は、全てなくなっていた。抉られた目も、何もなかったかのように、煌々と光っていた。

 

(化け物だ!! 何てこった! とんでもないヤツに喧嘩売っちまった! に……逃げないと!)

 

 戸田は、冷静さを失っていた。

 開いている扉ではなく、閉まっていたカーテンを開け、窓を破って脱出を図ろうとした。

 その時、開いたカーテンの隙間から、外の光が室内に差し込んだ。

 一筋の光が、神原の左腕に差し込む。

 

「グアァァァ!!」

 

 光に当たった左腕が、砂のようにサラサラと崩れ、消滅していく。

 戸田は気づかない。逃げようと、必死でカーテンを掻き回し、窓を自分の拳で大きく叩き割った。

 その半身が、窓の外に出た瞬間。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、戸田の背後から何本も突きこまれた。

 

「スタンドは太陽の影響を受けん! 〈エナジー・ドレイン〉ッ!!」

 

 絶望に歪んだ戸田の形相が、急激に萎れ、やがて全身が崩れて砂と化していった。

 神原は、それを眺めつつ、深い息を吐いた。

 それから数秒後。

 宙に浮かぶスタンドが、元の〈ノスフェラトゥ〉に戻った。

 神原の目つきも理性的なものになり、砂となったはずの手が元に戻っていく。すでに治っていた傷は、そのままである。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉に変貌する時間は、3分間。それが終了したのだ。

 

 

 

 

 

(こ……今度は、私が……殺される……)

 

 廊下を、必死で這って逃げようとしているユリ。

 萎えた手足は、なかなか動かない。

 床を這う彼女の目の前に、歩み寄る男の姿が現れた。作業着姿で、腕に〈入校許可証〉と書かれた腕輪をしている。

 

「ア……アンタ! よくもあんなヤツに私を」

「声を出すな。死にたいのか?」

 

 口元に指を立てる男に、ユリは口をつぐんだ。

 男はしゃがみこむと、ユリを背負い、そして立ち上がった。

 

「医務室に連れて行ってやる。休めば体力も回復するさ」

 

 ぐったりと、なすがままのユリを背負って廊下を歩きながら、男は考えた。

 

(やっぱりこいつごときのスタンドでは、神原を操るのはダメだったか。まあいい、どうせ大した期待はしていない。あのザコは死んでも構わんが、この娘は困る。まだ使い道があるからな)

 

 男の口元が、笑う。

 

(あと、ガキのくせにムネはでかい。無駄に死なすのも、人類の損失というもんだ)

 

 背中の感触を楽しみながら、男は医務室に向かった。

 

 

 

 

 

 椅子に腰かけた神原は、ため息をつきながら、滅茶苦茶に物が四散した職員室を眺めていた。

 

(よりによって、職員室で襲撃せずともよいものを。机だの花瓶だの、ずいぶん壊しまくってくれたものだ。警察も呼ばざるを得ないし、これで今日はもう仕事にならん)

 

 ちらりと見た棚は、元の木目調に戻っている。

 

(ヤツが死んだことで、色が抜けたのが唯一の救いだな。ただの乱入した暴漢の仕業で押し通せそうだ。だが、スーツまで破らされる羽目になるとは……今朝のテレビの占いが最悪だったのも頷ける)

 

 その時、ガラリと扉が開いた。

 思わず身構える神原。

 

「失礼しまーす。コピックスですが、コピー機の修理に……って、何ですかこれ!?」

「いや……まあ……いろいろありましてね。コピー機は無事なようなので、修理を頼みます」

「他にもいろいろ修理が必要なんじゃないですか? そっちはウチじゃ無理ですが」

 

 そう言いつつ、入ってきた作業服姿の男は、残骸に蹴つまづいて、手にしていた紙袋を落とした。

 中から飛び出した、色とりどりの紙。

 

「! ……それは?」

「あっ、すいません! カラーコピーの色見本でして」

 

 慌てて拾い集める様子を、神原は椅子に座ったまま眺める。

 

「申し訳ないが、私は手伝えない。今……そういう気分じゃないのでね」

「え? いや全然。こちらでやりますんでお構いなく。そうですよね、こんな状態じゃ、それどころじゃありませんよねー」

 

 そう言われて、神原は再びため息をついた。

 



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第5話 大自然でスタンド勝負

 〈国際空手道協会 飛輪会(ひりんかい)〉。

 京次は、バッグを肩に引っ掛けて、看板のかかった扉を潜った。

 中には、空手着を着た者たちが、ストレッチをしたり、型をチェックしたりしている。

 

「押忍! 失礼します」

 

 バッグをいったん床に置き、京次はキチンと挨拶した。

 奥の更衣室で道着に着替えて、道場に戻る。

 四十がらみの、坊主頭の精悍な男が、声をかけてきた。

 

「おう、京次! どうだ調子は?」

「バッチリですよ! 椿(つばき)さんこそ、夕べ飲みすぎてやしませんか?」

「バカ野郎。高校生に二日酔いの心配なんかされてちゃ、世話ねえよ」

 

 ニコニコ笑いながらストレッチをしている椿の横で、京次も同様にストレッチを始める。

 

「練習前でアレなんだけどよ。京次、次の土日って空いてるか?」

「ああ、大丈夫ですよ。一体何ですか?」

「うむ……久しぶりに、山に籠って修行しようと思う。お前も来ないか?」

 

 少し真剣な表情の椿。

 

「またですか? 好きですねホント」

「大自然の中で、本能を呼び覚ますんだよ! 他の奴らも何人か声をかけてある」

「まあいいですよ。俺も嫌いじゃないんで、お付き合いします」

「そうだ、お前のツレで……何て言ったっけ? こういうことに向いてるのがいるって、前に言ってたな? そいつも呼ばないか?」

「航希のことですか? あいつは飛輪会とは関係ないですが、いいんですか?」

「俺たち以外の流派の、技術も学びたい。どうかな?」

「ま、あいつは喜んで来ると思いますけどね……」

 

 

 

 

 

 航希の強い呼気が、発せられた。

 炎を、一層大きく燃え上がらせる。

 

「スゲー! もう炭にしっかり火が移ったな」

 

 釣り用ベストを着こんだ椿が、石を組み合わせて作ったカマドを覗き込んだ。

 そのすぐ側には、大きな湖が広がっており、川の水が流れ込んでいるところが遠目で見える。

 

「コツがあるんですよ。オレ、こういうの得意なんで」

「このカマドも君のお手製だし、勉強になるなー。やっぱり、航希君に来てもらって正解だったな。なあ京次!」

「そうですね……」

 

 苦笑しつつ、京次は答えた。

 その間にも、航希は炭を掻き回して火力を調整している。

 

「うん、これでよし。それじゃ、最後の仕上げ、と」

 

 全員に背中を向けていた航希が、なぜか逆方向に向き直ると、手まねで「場所を開けろ」とやる。全員、訳が分からないまま、言われるままに航希の前方を避けた。

 おもむろに、火のついた木の枝を口元にかざす。

 ブオッ!

 突然、航希の吐いた息が木の枝にかかり、猛烈に火炎があがる。思わず、近くの面々が飛びのいた。

 

「へっへー。火吹き芸でございぃ」

「仕上げってそれかよ! 航希、それって火おこしと関係ないだろ」

「よい子のみんなは、絶対マネしないでね! それじゃバトンタッチだよ京ヤン」

「全くおめぇはコレだから。じゃ皆さん、こっからは俺が引き受けますんで」

 

 押忍! と他の面々が発声し、それぞれ運んできたクーラーボックスやリュックから、調理道具や食材を取り出していく。航希は、続いてバーベキューコンロの火おこしに移った。

 バッグから大きな鉄塊を取り出す京次に、椿が声をかけた。

 

「お! 京次、やっぱりそのダッチオーブン持ってきたな。重いのに悪いなぁ」

「こいつがあると、できるメニューが増えますからね。今日は、トマトと豚バラの角煮でいきます」

「いいねえ! これだから山籠もりは、京次がいないと盛り上がらないんだ。高校生でこんだけ料理できるヤツ、なかなかいないぜ?」

「ま、料理は普段からやってますからね」

 

 山籠もりっていうか、バーベキューキャンプでしょ? と、心の中だけで航希は突っ込んだ。

 京次は食材を次々と切り、野菜そして肉を軽く焼く。そして、椿から受け取った焼酎と赤唐辛子を加えて蓋をする。湯気を見ながら、自分で炭を動かして火力を調整していく。

 

「しっかり火が通ったら、トマトと調味料入れます。そしたら、さらに煮込んで味が染みればできあがりです」

「手際いいよなー。俺の嫁に教えてやってくれよ」

「今の台詞も込みで伝えていいんですか?」

「そこんとこは! うまいこと言ってだなー。俺が殺されるから」

「じゃあ、伝説の空手の達人と、奥さんとどっちか戦えって言われたら?」

「達人は、億が一でも勝てるかもだろ!? 嫁相手だとそれも無理!」

 

 一同が、大笑いする。

 

「まだ食事時まで時間あるよな? 俺、食材増やしてくるわ」

 

 ドヤ顔で椿が手にしたのは、釣り竿。

 

「他にも竿あるから、お前もやるか? 京次」

「煮込みできるまで暇ですから、付き合いますよ。でも、俺の方がたくさん釣れたりして?」

「言ったな? 数で負けた方が、正拳突き100本な! 重り持って」

「じゃ、椿さんに適した重りも探しときますね」

 

 軽口を叩きながら、他のメンツも加えて釣りが始まる。

 しばらく、湖からの風に吹かれながら、面々は釣り糸を垂れていた。

 

「お? 来たか!」

 

 椿が、リールを巻き上げていく。

 引き上げられた糸の先には、30センチほどの魚が、ピチピチと跳ねつつ食いついていた。

 

「うーん、やっぱ一匹目は椿さんか」

「でも、ちょっと小さいかな。もっとデカいヤツいきたいな」

 

 椿は、再び竿を振って、さらに遠くへと仕掛けを飛ばした。

 そして、何度かリールを巻いていると。

 

「おぉっ、もう!? 早っ! ……え? うわっ!」

 

 急激に竿が持っていかれ、つられて椿が水中に落ちていった。

 

「あらら~、椿さんたら……」

 

 苦笑交じりの他の面々と違い、京次はなぜか胸騒ぎを覚えた。

 竿を放り出すと、湖に飛び込んでいった。他の面々が騒ぎ出す声が、着水の直前に聞こえていた。

 京次は、水中で〈ブロンズ・マーベリック〉をまとい、顔も覆った。岩などで体を傷めないよう、念のためだった。

 水を搔き分けるように、仕掛けが沈んでいたはずの方向に泳いでいく。意外と透明度が高いため、視界はある程度効いた。

 やがて、人の姿らしきものが、向かう先に見えた。

 

(魚に引っ張られただけで、あんな奥まで連れていかれるかよ? ……網!?)

 

 椿らしき人影が、網にスッポリ入ったまま、ゆっくりと奥へと進んでいく。

 京次はいったん水面に顔を出し、息継ぎをすると、再び水中に潜った。

 ただ泳ぐだけでなく、水中に〈足場〉を作り、それを手掛かり足掛かりにして、一気に突き進む。

 追いつくやいなや、京次は手を伸ばし、網を掴んで止めた。

 が。

 次の瞬間、網が消滅した。

 面食らっている京次が次に見たのは、身動きしない椿の周囲に現れた、手のひらサイズの魚十数匹だった。

 

(これって……ピラニアか!?)

 

 考えている暇もなく、ピラニアの群れは京次に襲い掛かってきた。

 京次は、手近の一匹に、貫手を突いた。水中での一撃の割には、手ごたえを感じた。その一匹は水中でもがくが、他のピラニアが京次にまとわりつく。

 手足の数か所に、鋭い痛みが走った。

 

(何だと!? スタンドでガードしてるんだぞ。普通の魚なら、牙が通るわけが)

 

 その時、背中から何かが体当たりしてきた。いや、抱きついたまま京次の体を引きずるように移動させていく。

 

「大丈夫!? 京ヤン!」

「航希。来てくれたか!」

 

 水中とはいえ、スタンド同士は会話が可能だ。

 縦二枚に分割したボードを、流線形に変形させて組み合わせた、〈サイレント・ゲイル〉水中スタイル。ピラニアは、その速いスピードに対応できない。

 

「あのピラニアって……スタンド!?」

「他に考えようがねぇ。スタンドは、スタンドでしか傷つけられねぇからな! 椿さんを捉えた網も、多分そうだぜ」

「群集型ってやつかな? 神原先生が言ってた。一体一体を叩いても、大したダメージにならないって」

「本体を叩くしかねぇってことか」

 

 後に〈アマゾネス〉と名付けた、そのピラニアの群れを京次はちらりと見た。

 

「航希。おめぇは息継ぎしたら椿さんを岸に上げろ! 俺はこいつらを牽制する」

「まだ戦うの!?」

 

 航希は内心で、いったん撤退することを考えていた。神原の知恵を借りるなり、文明の〈ガーブ・オブ・ロード〉で探索するなりできると踏んでいたのだ。

 

「今、ここで叩かねぇとダメだ! この湖は、川とつながってる。そっちに逃げ込まれたら、追跡は無理だと思った方がいいぞ」

「……了解!」

 

 航希は、いったん水面に上がっていく。

 ピラニアの群れが、京次に向かってくる。身構える京次。

 

(水中で、全身を一斉に齧られちまえば、多分命はねぇな。それだけは避けねぇと。……やるだけやるしかねぇ!)

 

 息継ぎをした航希が、高速で椿に接近していくのが見えた。

 すると。

 ピラニアが一斉に方向を変え、航希を追いかけ始めたのだ。

 

(……!? こいつら、自動的に行動してるわけじゃねぇ。このスタンド使い、状況を見て判断してやがる。しかし、この判断は……なぜ、ほとんど動かない俺じゃなく、動きの速い航希を追う? 先に攻撃するなら、俺だろうに)

 

 京次は、自分も息継ぎをするべく、水面に上がって顔を出した。

 少し離れた岸辺では、一緒に来ていた空手仲間がキョロキョロしていたが、京次の顔を見つけて叫んできた。

 

「大丈夫か、京次ー!」

「問題ないです! 今、椿さん見つけて、岸に引っ張ってます」

 

 それだけ言うと、京次は再び水中に潜る。

 椿を引きずるように進む航希の後を、ピラニアが追っかけている。

 だが。

 突然、ピラニアが追跡をやめた。再び方向を変えて、京次に向かいだした。

 

(スタンドの効果範囲から外れたか!? ってことは、スタンド使いは湖の中か。……これは、ひょっとしたら。いや、ありうるぞ。それなら、あの行動も説明がつく)

 

 京次は、思いついてピラニアから離れる方向に泳ぎだした。

 ピラニアの方が泳ぐスピードは速い。どんどん距離が詰まってくる。

 しかし、ある程度離れたところで京次が、泳ぐのをやめて後方を見ると。

 ピラニアは、追跡を止めていた。京次より少し離れたところで、ゆらゆらと漂っている。

 

(間違いねぇ! やっぱり効果範囲から外れたんだ。となると、射程距離はせいぜい10メートル。読めてきたぜ)

 

 急に、ピラニアが動き出した。来た方向を逆戻りするように。行く先に小さく見えたのは、戻ってきたらしき航希の姿。

 だが航希は、ピラニアを大きな動きで翻弄し、回避して京次の元に来た。

 やはりピラニアは、京次たちの眼前で止まってしまう。

 

「椿さんは?」

「他の人たちに任せてきたよ! ところでさ、こいつらの射程距離って」

「おめぇも気づいたか。本体は、こっから10メートル強。間違いなく水中だ」

「魚か何か。人間じゃないよね? 先生も、人間以外のスタンド使いが存在するって言ってたし」

「ああ。さっきから見てたが、こいつらは、スタンド使いの縄張りを守るために動いてやがるんだぜ、きっと」

「効果範囲の中央、だね」

 

 二人は、再度水面に出て息継ぎ。

 

「大体の位置が分かれば、後は攻めるだけだね。オレが先行して、奴らを牽制するよ」

「頼むぜ。俺は一気に接近して、ヤツを引きずり出す」

「OK!」

 

 二人とも水中に潜る。

 まず、航希が〈サイレント・ゲイル〉で、ピラニアを避けるように回り込み、進んでいく。その後ろを追っていくピラニアの群れ。

 航希は途中で、水中に沈んでいる、一抱えほどもある大きな岩を指さして、そのまま進む。

 

(だろうな。俺もそいつに、目を付けていた。多分、その下に潜り込んでる)

 

 反対側に航希がピラニアを引き付けていくのを確認して、京次も動きだした。

 〈足場〉を次々と作り変えて、それを利用して一気に岩まで突き進む。

 京次の動きに、ピラニアも反応した。方向を急に変えると、岩を守るように京次の前に回り込んでくる。

 

「だったらオレだ!」

 

 航希も岩に接近した。すぐ傍で〈サイレント・ゲイル〉を水中スタイルからトンファースタイルに変換。腕に取り付けたトンファーの先端を、岩の下にある隙間に突き立てた。

 だが、その攻撃は隙間にほとんど入ることなく、ガツッ! と止まってしまった。

 

(岩に邪魔されてる! 奥まで入らない!)

 

 何度か、隙間を狙って突き立てるが、やはり入らない。

 

(水中じゃ、浮力のせいで踏ん張りも効かない! 腕の力だけじゃ、反動で跳ね返されるだけだ)

 

 焦る航希に、ピラニアが目標を変えて迫る。

 

「航希、引け! ここは俺に任せな」

「ゴメン!」

 

 航希は〈サイレント・ゲイル〉を再び水中スタイルに変更すると、ピラニアを振り切って逃げた。

 その間に、京次は岩に接近。その真上に到達した。

 ピラニアも、京次に近づく。京次を取り囲むような円を描くように、大きく広がった。

 十数匹いるピラニアの背びれの付け根から、糸のようなものが幾つも伸びた。それぞれが結合し、あっという間に大きな網が完成する。

 

(こいつが、椿さんを捉えた網か! 包み込んで、ピラニアで齧り倒すって戦法か。だけど、もう遅いぜ)

 

 下からすくい上げるように、網が自分の足にかぶさるのを、京次はニヤリと笑って見た。

 

「邪魔ァッ!!」

 

 京次の右足の蹴りが、岩に叩きこまれた。ゴン! という音が、やけに大きく響く。

 網が右足に押されて、ピラニアが引き戻されてもがく。

 蹴りの反動でも、京次の体はほとんど動かない。両手と左足を〈足場〉で固定している。

 〈ブロンズ・マーベリック〉をまとった京次の遠慮のない蹴りが、なおも叩きつけられた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔ァーッ!!」

 

 ゴンゴンゴンゴン!! と、岩を蹴りつけるたびに、音が鳴り響く。

 

(くそ! 頑丈な岩だな。割れろよ砕けろよ!)

 

「京ヤン! ストップ! もういいと思うよ……スタンドが、消えた」

 

 言われてみると、さっきまで足にまとわりついていた網も、ピラニアも全て消滅している。

 航希は、スタンドも消して、かがみこむようにして岩の下に手を突っ込んだ。

 やはり隙間が狭いようで、しばらくゴソゴソ探っていたが、

 

「……よっしゃ! やっぱり気絶してる」

 

 航希は、引き出してきた腕の先へと、さらにもう片手も突っ込んだ。

 そして、エラを掴んで引きずり出されてきたのは、全長50センチもあろうかという大ナマズ。

 

「ガッチン漁法ってやつだね。漁としてやるのは違法だけど、こっちも命がけだしね」

「ま……まあ、な」

 

 つい目を逸らす京次。

 

「そんで……これ、どうする?」

 

 

 

 

 

 やがて、食事時。

 コンロの上で、大きな切り身が油を吹きつつ焦げている。

 

「うん、うまい!」

 

 すっかり息を吹き返した椿が、焼けた白身を頬張っていた。

 

「だけどなー。京次、航希君」

 

 傍にいた、中年の空手仲間が言った。

 

「椿さんを助けてくれたのは、よく頑張ったけどな。水遊びは、せめて椿さんの無事を確認してからにするべきだったんじゃないか? 人命がかかってることだし」

「あ、はい……すいませんでした」

 

 俺たちも、犠牲者増やさないためにスタンド使いを倒しに行ったんです、とは、さすがに京次も言えない。

 

「もういいじゃねーか。こうしてみんな無事に、キャンプの続きができるんだし。オマケに、こいつがホントにバカウマ! おい、遠慮しないで二人とも食え」

「は、はい。いただきます……」

 

 世界広しと言えども、スタンド使いを食べちゃうスタンド使いって、オレたちくらいなもんだよなー。

 そう思いつつ、白身にかぶりつく航希であった。

 



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第6話 黒猫新聞を読んでみよう

 週明けの放課後、軽音楽部室。

 

「レッドテールキャットフィッシュ。南米アマゾンが原産だ」

 

 スマホで撮られた写真を、神原はじっと見つめた。

 

「日本では、当初は食用として輸入されたが、近年では観賞用ペットとして知られているな」

「誰かがペットを逃がしたってことかよ? ちゃんと責任もって飼えってんだよな」

 

 京次が肩を竦める。

 

「……飽きたから、ということではないかもしれん」

「え? どういうこった」

「これはスタンド使いなのだろう? 確かに、人間以外のスタンド使いはいる。だが、自力でスタンドを発現させたとは限らん」

「ってことは……」

「〈矢〉を用いてスタンド能力を発現させた可能性がある。望んでいた能力ではなかったので、不要ということで放流した……」

 

  じっと考え込む神原。

 

「無責任だよねー。 オレたちみたいに、ちゃんと自然に返すべきだよ」

「服部くん。君の言う自然とは、何というか有機肥料的な代物ではないかね?」

「先生、そこまでハッキリと……」

 

 ガラリ、と扉が開いた。

 一同が見守る中、入っていたのはユリ。

 

「はぁーい! あらら、私ってみんなの注目浴びちゃってる? 美しさは罪、とか言わせたいわけ?」

「タイミングの悪いところに入ってくるね、アンタ」

 

 苦笑交じりの遥音。

 

「ちょうど、航希が下ネタで滑ってたところだよ」

「オレじゃないよ! 先生がそういう方向に」

「いやいや、君が誘導したのだろう? そういうツッコミを入れろ……とね。私は確信したよ」

「違ーう!」

 

 和やかな笑いが起きるが、ユリの目は笑っていなかった。

 

「ところでさ、遥音。あんたが今後、〈ジョーカーズ〉のリーダーやってくわけでしょ? 私たち二人に、この際新メンバーも加えて、バンド活動再開しようよー! もう、私もボーカルやらせろとかワガママ言わないからさー」

「あ……うん、そうだね。確かに。だけど、新メンバーって言ったってすぐってわけには」

「腕前は、少し妥協するのも一つの手じゃん? 経験積んできゃうまくなるかもだし。とにかく、活動が滞るのが一番よくないよ! そうだなー、たとえば京次くんとか航希くん。最近、風紀の文明くんも入部したんでしょ?」

「え!?」

 

 遥音が、目を丸くした。

 

「コイツらは、バンド解散で部員が足りなくなったから、人数合わせのために頼み込んでるだけだよ。部員が五人いなきゃ、部活動として認められないし、予算もつかないからね。この部室だって使えない」

「きっかけはどうでもいいじゃない。問題はやる気だよやる気! ねえ、二人ともどう? この際、一緒にバンド始めない? 楽器演奏はボチボチ覚えていけばいいんだしさー。私、今後は部室にできるだけ顔出すから、教えたげるよ」

「あはは……。考えとくよ」

 

 愛想笑いをする航希。

 遥音は、ユリに聞かれないよう、神原と小声で話した。

 

『部室にできるだけ来るって? 今まで、このコも他のメンバーも、部室には来なかったから安心してたけど』

『正直まずいな。校内で、我々がスタンドに関する会話ができるのは、ここだけだからな』

『だからって、出てけとは言えないよ。このコは元から部員だし、言ってることももっともだし』

『しかし、バンド練習など本格的に始められるのも困る。須藤くんだけなら仕方ないが、武原くんたちまで付き合わされては、本来の活動に大いに支障が出る。軽音楽部の顧問としては、不適切なのは承知だが』

 

 一方、屈託なく喋りながら、ユリは視線を神原たちにちらりと向けた。

 

(困ってる困ってる。……だけど、あんまり怒らせるとマズイよね、あのバケモノを。大体、私だって好きでこんなことしてるわけじゃない!)

 

 ユリは、あの男との会話を思い出していた。

 

『君は元から軽音楽部の部員なんだから、今後は頻繁に部室に顔を出せ。奴らはたまり場で、スタンドについての会話すらやりにくくなる。それと、部内で見聞きしたことは、逐一俺に報告すること。まさか嫌とは言わないだろうな? 君が職員室で敵の手助けをしていたことを、神原先生が知ったらどう思うかな? 怒るだろうな~きっと……』

 

 満面のドヤ顔で脅してきた時には、内心で歯ぎしりしたものだった。

 

(あいつ、最初からそれが狙いだったんだ! まんまとハメられた……。場合によっちゃ、神原先生の側についてやるからね。どっちにしろ、先生の信頼を得ておかないと)

 

 

 

 

 

 それから、さらに時間が過ぎて。

 風紀委員会が終わって、文明が書類を片付けていると。

 

「天宮くん。ちょっといいですか?」

 声をかけてきたのは、会議に同席していた、生徒会書記の間庭愛理(まにわあいり)だった。

 

「あ、うん。どうしたの?」

「天宮くん、最近軽音楽部に入ったんですって?」

「ああ。といっても、人数合わせのためにね。あそこには幼馴染がいるんで、断り切れなくて」

「実はですね。もらっていただきたいものがあるんです」

 

 普通なら、この一言でいろいろ想像して、ワクワクする男もいるかもしれない。

 だが生憎、文明はそういうタイプではない。至って真面目に聞き入るだけだ。

 

「アンティークのキャビネット。軽音楽部の部室にどうですか?」

「キャビネット?」

「高さ70センチ、天板の縦横50センチ。あたしたちの部室じゃ置き場所もありませんし」

 

 そうだろうな、と文明は思った。愛理の所属する吹奏楽部の部室は、楽器や機材も最小限しか置けない状態だ。

 

「そのくらいなら、軽音楽部室に置けそうだな。あそこ、物入れがあんまりないし」

「引き取っていただけますか? あたしの家の物置から出てきたものなんです。古いけど、傷みはあまりなさそうですし、捨てるのももったいないからと思いまして」

「分かった。今は君の家に?」

「実は、もう学校に持ってきてるんです。あたしたちの部室まで持ってきたけど、やっぱり無理で。あ、もしそちらでも使えないようなら、申し訳ないけどお返しください。他のところを当たりますから」

 

 彼女は物を大切にするんだな、と文明は思っただけだった。

 

 

 

 

 

 ゴロゴロゴロ、と引いてきたリアカーを、文明は部室の前に据えた。

 

「誰かいるー? ……やっぱり、もうみんな帰ってるみたいだな」

 

 実は、ユリの来襲でそれ以上突っ込んだ話もできず、早々に解散したのだが、文明は知る由もない。

 もうすっかり暗くなっている室内に明かりをつけると、文明はリアカーに戻った。

 乗せてあったキャビネットを、改めて見る。確かに古いが、キチンと拭いてあり、ネコ脚のついた洋風のデザインだ。

 

(何とも言えず、趣は感じるよなー。間庭さんが、捨てるに忍びないのも少し分かるな)

 

 文明は、キャビネットを抱え上げると、一人で部室に運んでいった。

 窓際の壁の一角に、まるで前もって空けていたかのようなスペースがあった。とりあえず、そこに置いてみる。

 

「ちょうどいいサイズだ! これなら、みんなも捨てろとは言わないだろ」

 

 何となく満足して、文明はキャビネットの中を見てみることにした。

 まずは天板の真下にある引き出し。抵抗もほとんどなく、カラリと開いた中には何もない。ホコリすらも、すでに掃除済みらしく見つからない。木そのものは古そうだが、ちょっとした書類くらいなら入れるのに抵抗は感じなくてすみそうだ。

 次に、その真下の、大きな扉。右側に丸くて小さな持ち手があり、それを引いてみた。

 その中も、何もない。外側と同じ木で、背面もできているらしかった。

 扉を閉めようとした文明は、ふと、中の奥の方の、一番下辺りに何かが見えた。

 

「何か書いてある? これって……家紋?」

 

 何の気なしに、文明はその家紋に触れた。

 次の瞬間。

 唐突に、全身が前方に吸い込まれる感覚に襲われた。

 

「!?」

 

 身構える暇もなく。

 文明の体は、前方に投げ出された。肩にかけていた、書類入れのカバンが床に放り出される。

 

「……ここは!?」

 

 目の前の情景は、完全に変化していた。

 8畳ほどもある和室。右側には開いている襖。左側には閉まっている襖。そして、正面には障子があり、外からの日差しを和らげていた。全体的に、古くに造られた印象で、しかし廃墟という雰囲気でもない。

 慌てて後ろを見ると、自分がさっき開けていたキャビネットが、そのままある。

 中を覗くと、やっぱり家紋が同じところにある。

 恐る恐る、その家紋に手を触れると。

 またもや、吸い込まれる感触があった。

 

「……これは!」

 

 体が投げ出されたのは、軽音楽部室の床だった。外は、夕闇がわずかに濃くなってきた様子。

 文明は、もう一度キャビネットを見た。

 

(もう一度……行ってみるか。カバンを置き忘れた。戻れる保証はあるわけだし)

 

 未知の状況に対する恐れが、全くなかったわけではない。しかし、文明は手を伸ばさずにはいられなかった。

 家紋に、確信をもって触れる。

 すると。

 やはり吸い込まれ、投げ出される感触と共に、先ほどの和室に入り込んでいた。カバンも、先程と同じ場所にある。

 キョロキョロと辺りを見回すと、文明はハッと気づき、まだ履いていた靴を脱いで靴下だけとなった。

 まずは、障子を開けてみた。

 縁側があり、まだ高い日差しが差し込んできている。その外側は小さな庭となっている。

 剪定された形跡のある木が幾つも植えられており、植木鉢には花まで生けられている。ちょっとした池までしつらえてあるが、そちらはもう水が枯れてなくなっていた。

 文明は、庭に降りてみようと思い、靴を拾ってきて上り口に投げ落とそうとした。

 だが。

 縁側から外に出る、というところで、靴が跳ね返されてしまった。

 

「!?」

 

 文明は、自分の手を外にかざしてみる。

 しかし、やはり縁側と外との境目で、手は見えない何かに遮られてしまった。

 

「……だったら。〈ガーブ・オブ・ロード〉!」

 

 するする、とスタンドの手から布が伸びていく。

 しかし、布も縁側から先には出られない。横へ横へと探っていくが、一面全てが見えない壁となっているようだ。

 

(何だこれ!? 外には出られないってことか。少なくとも、普通の家じゃない!)

 

 その時、文明の背後から、柔らかい声が聞こえた。

 ぎょっとして振り返ると、一匹の黒猫がいた。

 じっと文明を見つめていた黒猫は、文明が一歩踏み出すと、急に駆け出して、空いていた襖の向こう側へと消えていった。

 

(……?)

 

 何となく気になって、文明はその後を追って、和室を出た。

 横に伸びる廊下。左側には玄関、右側にはさらに幾つかの部屋があるらしい。

 まずは玄関。土間に降りて、扉に手をかけたが開かない。鍵がかかっているというより、そもそも開くようになっていないと文明は確信できた。

 戻ると、文明は部屋を一つ一つ回ってみることにした。

 玄関脇の一部屋は、洋風の応接室。小型のピアノが据えてあり、譜面が棚にたくさん並べられている。年代物の蓄音機が台の上に置かれており、レコードも別の棚に並んでいた。

 

(何だか、ひと昔前にタイムスリップしたみたいだな……。いや、本当にそうなのかも)

 

 別の部屋も、一つ一つ入ってみることにした。

 台所はキレイに整頓されており、食器も調理道具もある。どれも新品というわけではなさそうだが、今現在使われているという感じもしない。

 他の部屋は、和室ばかりだ。タンスなどの家具はあるのだが、どれも開けようとしても開かない。

 一応、トイレというより旧式の便所もあるのだが、臭いもまったくしない。

 

(……これで、部屋は全部見て回ったな。人の気配も全くないし、さっきの猫も見当たらない。外に逃げたとも思えないんだけど)

 

 他にやることもないので、帰るつもりで元の部屋に戻っていく。

 敷居を越えた時、正面の閉められた襖が目に入った。

 

(あ。そういえば、あの部屋には入ってなかった)

 

 文明は、拾い上げたカバンを肩にかけると、襖に手をかけた。何の抵抗もなく、するすると開く。

 部屋には古風な大机があり、奥には仏壇がある。その中に飾られている写真に、文明は目を止めた。

 

(あの写真のお爺さん、どこかで見覚えがある……あれと全く同じ写真だ……どこだったか……)

 

 じっと考えていると、ふと閃いた。

 

(校長室! そうだ。城南学園の、初代理事長が、この写真だった! でも、どうしてそれがここに)

 

 その時。

 背後から、鋭い呼気が聞こえた。

 振り返ると、先程の黒猫が入ってきていた。怒っているらしく、背中を強く丸めて毛を逆立て、文明を睨んでいる。

 そして、猫が大きく飛び上がった。普通の猫にはありえないほど高く。

 剥き出しにした爪が、文明の顔を狙っているのが明らかに分かった。

 

「!」

 

 文明は手で顔を遮りながら、〈ガープ・オブ・ロード〉を目の前に出現させた。

 黒猫の攻撃は、スタンドにガードされて文明には届かない。だが、手を動かした拍子に、肩のカバンが落ちて畳に落ち、中身が飛び出した。

 次の攻撃を予測して、身構える文明。

 しかし。

 黒猫は、ピタリと攻撃をやめた。

 スタスタと畳を進み、カバンから飛び出した書類を眺める。

 黒猫が見つめていたのは、写真だった。今期の生徒会のメンバーで撮影した記念写真。今日の会議で、役員全員にも焼き増しが回されていたものだった。

 

「……写真が、どうかしたのか?」

 

 その熱心さに、つい文明は尋ねていた。

 黒猫はふと文明を見つめると、写真の一部を前足で指した。

 そこには、愛理の顔が映し出されていた。

 

「間庭さん? そういえば、あのキャビネットは彼女からもらったもの……。君は、彼女と関りがあるのか? そうなんだな?」

 

 黒猫は、じっと文明の言葉を聞いていたが、すぐに駆け出した。

 いや、大机の近くに置かれた、新聞立てに駆け寄っていく。

 黒猫はその新聞立てを、前足で文明に示した。

 

「え……? 新聞を、読めって言ってるのか?」

 

 文明が、新聞立てに近づく。黒猫は、その場所から離れて、大机の傍にある座布団に、体を丸めて座り込んだ。

 新聞を手に取る文明。

 日付は、今日のもの。その一面には、大きな見出しがあった。

 

『城之内邸にて、幽霊猫発見! 邸宅の守護神と判明』

 

 見出しの側には、まさに今、座布団の上にいる黒猫の写真が載せられていた。

 

「守護神? 君が?」

 

 ふわー、と、猫がアクビをする。

 続けて、文明は記事を読んでいった。

 

『幽霊猫は語った。吾輩は猫である。名前はまだない』

「えーと……これって、あの名作と同じ書き出しだよね?」

『どうしても呼びたいのであれば、炭三(すみぞう)、と呼ぶことを差し許そう』

「名前あるんじゃないか! しかも、何だかえらく上から目線だし!」

 

 自称炭三は、ソッポを向いている。

 

『遠く過ぎ去りし時、吾輩はこの邸宅を我が縄張りと定めた。なれど、吾輩より先に、我が縄張りに入り込みし者あり。彼の者、城之内恵三(じょうのうちけいぞう)と称す。実に不届きである』

「先に……? ってことは、君が城之内さんの家に入り込んでったんじゃないの!? それで不届きとか言っちゃうの!?」

 

 黒猫・炭三は、さっさと先を読め、と言わんばかりに、顎をしゃくってみせる。

 

『なれど、彼の者、吾輩に食物を貢ぎ、奉仕の絶えることなし。吾輩は彼の者を許し、縄張りを共にすることを特別に許可する。それより後、吾輩と彼の者は常に共にいた』

「……そうか、もうイチイチ突っ込まないけど……まだ続きがあるわけだね……」

『彼の者が息絶えた後、吾輩もまた息絶える。なれど吾輩は、彼の者との友誼を忘れることなく、彼の者の子孫を守護することを誓う』

「……」

『そして今、彼の者の子孫に、伸びゆく邪悪の芽が迫りつつある』

「!」

 

 文明は、思わず炭三を見つめた。

 炭三が、その視線を受けて、じっと見返してくる。

 やがて、文明は記事をさらに食い入るように読んだ。

 

『邪悪はあまりにも強大であり、いずれは天を欺き、地を腐らせ、人を堕落させるであろう。彼の者の子孫を救うにあたり、吾輩はあまりにも力不足である。実に無念である』

「……」

『いにしえの聖人は、天の者と語り合い、約定を取り付けたと聞く。10人の心正しき者があらば、世界を決して滅せぬと。志ある10人の正しき力を有する者、共に集うべし。吾輩はその一人に、彼の者の子孫を守護する護符を委ねる。この邸宅の入口に護符はある』

「入口……?」

『邪悪の芽が摘まれるその日まで、吾輩はこの邸宅、すなわち吾輩の幽波紋〈スィート・ホーム〉と共にある。力ある者だけに、邸宅への出入りを指し許す。決して、邪悪なる者に知られてはならぬ』

「幽波紋! ……神原先生から、聞いたことがある。スタンドの和名だ。ということは、君もまた、スタンド使い……!」

 

 炭三は、目をつぶって眠り始めた。もう話は終わった、という意思が感じられた。

 文明は部屋を出ていこうとしたが、ふと立ち止まり、踵を返した。

 彼が向かったのは、仏壇。

 座布団に正座すると、城之内恵三の写真を見つめて鐘を鳴らし、瞑目して合掌した。

 鐘が鳴り終わり、立ち上がって出ていく様を、炭三は細く目を開けて見送っていた。

 文明は、あのキャビネットに向かう。

 屈みこむ前に、ふと気になって引き出しを開けてみた。が、何もない。

 そして、家紋に触れると、またも彼の体は、吸い込まれていった。

 彼が出てきたのは、軽音楽部室。部屋に明かりはついていたが、外はすっかり暗くなっていた。

 

(……もしかして、今のは夢だったのかもしれない?)

 

 文明は立ち上がる。

 だが、もう一度だけ、キャビネットの引き出しを開けてみることにした。

 カラリ、と引き出されたその中には。

 

「これは……!」

 

 首飾りが、一つ入っていた。上品な装飾の入った、銀色をした楕円形の小さなロケット。

 

 

 

 

 

 

 翌日のこと。

 キャビネットから、文明が出てきた。

 現れたのは、あの邸宅。

 

「えー! ここがそうなんだ。立派な屋敷じゃないか」

「航希。他のみんなも出てくるから、そこはどかないと」

「おっといけね!」

 

 京次、遥音、そして神原が、一人一人部屋に出現してきた。それぞれ、周囲を見回している。

 

「神原先生。まずは、仏壇に礼拝を」

「うむ。私はクリスチャンだから、故人にご挨拶という形になるがな。こちらの部屋なのだな?」

 

 文明を先頭に、全員が仏間に入っていく。

 まずは、文明が座る。昨日のように鐘を叩いて合掌。

 同様に、京次、航希、遥音が続く。

 最後に、神原が仏壇の前に座った。

 

「父と子と、聖霊の御名によって。アーメン」

 

 胸の前で十字を切ると、合掌した。

 しばらく神原がじっとしていると。

 

「あ……!」

 

 遥音が、部屋に入ってきた炭三に気づいた。

 一同が見守る中、炭三は、仏壇へと近づく。

 そして、神原を見た瞬間。その足が、ピタリと止まった。

 フー! と唸り、背中を丸めて怒りのポーズをとる。

 

「……勘違いがあるようだな」

 

 静かに、神原は言った。

 

「私は、故人の祭壇を汚しに来たのではない。君の友人の曾孫である間庭愛理。彼女もまた、私にとっては、正しき道へ彼女を導く責務を負った教え子だ。天に召された彼女の祖父に、挨拶をしに来ているだけなのだよ。彼女を邪悪の手から退ける、手助けをしたい。私は心からそう思っている……」

 

 炭三は、じっと聞いていたが、やがて怒りのポーズを解いた。

 

「君が天宮くんに託した、あの首飾り。確かに、彼女に引き渡した。校則で装飾品の着用は禁じられているが、彼女は小袋に入れて、常に持ち歩くことにしたそうだ。安心したまえ」

 

 なおも、じっと聞いている炭三。

 

「君に了承してもらいたいことがある。今後、我々がこの邸宅を、作戦会議の場として使用することを許可してもらいたい。我々は、スタンド使いであることを一般の人々にあまり知られたくない。敵にも、我々の会話を聞かれたくない。コミュニケーションを図れる場所が必要なのだ」

 

 炭三は、神原に背中を向けると、座布団にその体を横たえた。

 

「おい! この新聞、俺たちのことが出てるぜ!」

 

 京次が示した一面には、『天宮一味、城之内邸に来訪』という見出しが躍っていた。

 

「なるほどね、こういう形でコミュニケーションするってワケか。とりあえずさ、一味とかって言い方はやめとくれよ。アタシらは〈ジョーカーズ〉って名前で活動してンだ。今後はそう呼んでよね!」

 

 炭三が、アクビで返事を返した。

 

「今日のところは、挨拶だけということでいいだろう。城田ユリ君の問題は、これで解決できそうだ。君たちはもう帰りたまえ。私は、もう少しこの炭三君と話がしたい」

「やれやれ、神原先生はすっかり意気投合しちまったみたいだな。それじゃ行くぜ、みんな」

 

 ぞろぞろと去っていく四人。

 やがて、全員がキャビネットへと消えていくのを確認すると、神原は炭三に向き直った。

 

「……君が、私を警戒した理由は分かっている」

 

 炭三が、身を起こして座り直した。

 

「私は、吸血鬼が人間の女性に産ませた息子だ。だからこそ、この忌まわしい血に対して、私は責任を取らねばならんのだ。今も残る、吸血鬼の残滓。それを排除するのが、私の真の目的だ……」

 

 沈痛な声音で、神原は語り続けていた。

 



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第2章 学園に暗躍する者
第7話 その男、冷徹につき


 その女は、豪奢な洋間に置かれた、PCをつないだテレビを見つめていた。

 画面には、ユリに神原を襲わせる手伝いをさせた男が映し出されている。WEB電話で、カメラを通じて映像を送らせているのだ。もっとも、女を映し出すカメラは存在せず、当然向こう側には映像は送られていない。

 

「どういうこと? ろくな情報を取れてないじゃない」

『申し訳ありません。神原たちが、会合場所を変えている可能性もありまして。送り込んでいる間者も、部室に行っても誰もいないとこぼしてます』

「使えないわね。あの男は本当に目障り。あなたが言うから、あの男の取り巻きに刺客を送り込んでみたけど、ことごとく返り討ちよ」

『神原にいきなり仕掛けても、勝機は薄いです。実際、ついこの間、一人失敗してますよね? あなたがどうしてもと仰るから、私も了解しましたが。送り込まれたのが、あの程度のスタンド使いでは、お話になりませんよ』

 

 自分に対する当てこすりに、女はムッとした。

 

「あなたがグズグズしてるからよ。とにかく迂遠すぎ。世はおしなべてスピード時代よ」

『それでケリがつくなら、それもいいでしょうね。簡単に倒せる相手じゃないのは、あなたも充分に承知しているはずです』

「ではどうしろと? これまで通り、ジワジワ相手を削りにかけろと?」

『その通りです。急いては事を仕損じる。あまり派手に攻撃を仕掛けると、学園の外にも騒ぎが広がります。それは、学園の副理事長でもあるあなたにとって、好ましくないでしょう?』

 

 図星だった。チロリと、女の視線が一瞬横に逸れる。

 

「では、取り巻きには今後も仕掛けることにしましょう。だけど、あなたも別の策を考えてちょうだい。まったく、あの頃のあなたの策謀の腕を見込んで引っ張ってきたのに。給料分の働きはしてもらいたいわ」

『もちろんこの後すぐに取り掛かります。学園のネットワーク管理も、暇というわけではないので』

「表の仕事だけなら、いくらでも代わりはいるわ。裏の仕事があなたの真骨頂。遊んでないで、本腰を入れてちょうだい」

 

 女はそう言い捨てると、一方的に回線を切った。

 

「まったく。次期理事長の選出会議まで、もうそれほど時間もないというのに、あの男ときたら」

 

 そして女は、大きな部屋の一角を占領する、ベッドに視線を移した。カーテンで周りを覆われており、中に横たわる姿がある。

 

「もう少しだけ待っていてね、私のかわいい息子、聖也。あなたのためなら、私はどんなことでもしてみせる。あなたの王国を、私は必ず手に入れる。城南学園は、あなたのものよ……」

 

 愛おし気に、女はベッドの中を見つめていた。そしてスイッチを入れると、部屋の中にバイオリンの音色が響き始めた。

 

 

 

 

 

(まったく、あのクソ女の身勝手さには、やってられないな)

 

 内心舌打ちをしつつ、男は自室のマンションから出てきた。手には、〈DVD在中〉と書かれた封筒をぶら下げている。

 辺りはすでに暗がりが広がり、街灯の光が点灯し始めている。

 

(本当はあまり外には出たくないが、このDVDだけは学校に送らないといけないからな。表の仕事だって最低限のことはやらないとな。まぁポストはすぐ近くだし、息抜きにはちょうどいい、か)

 

 頭を掻きながら、角を曲がった。

 次の瞬間、男は血の気が引いた。

 同じ街灯に照らされた中に、スーツ姿の神原が、呆然とした様子で立ちすくんでいた。

 

「……なぜ貴様が、ここに?」

 

 神原が、ようやく言葉を絞り出した。

 

「それはこっちの台詞だ。グレート・サン」

「セラフネームで呼ぶのはやめてもらいたい。もう〈ダーク・ワールド・オーダー〉は存在しないのだ。それとも、未だにアーカイブと呼ばれたいのか? 信仰心などとは、根本的に無縁のくせに」

「いや、遠慮しとくよ。考えてみれば、教団を潰したお前を、教団のセラフネームで呼ぶのも変な話だ」

「思い出話はもういい。正直、思い出したくもない」

 

 神原はカバンの中から、黒いマスクを取り出してかけた。

 

「よくマスクなんて持ってたな? 大流行した伝染病も終息して、つけてる奴もほとんどいなくなったがな」

「自衛のためにはやむを得ん。貴様のスタンドで〈検索〉されたくないからな。貴様の〈インディゴ・チャイルド〉は、顔全体が露出していないと〈検索〉できん」

「〈検索〉されたくないことでもあるのか?」

「心を覗かれるのは、誰でも理屈抜きで不愉快だ。特に貴様は、〈検索〉した内容を、何に利用するか分かったものではない」

「やれやれ、信用ないんだな俺……」

 

 実のところ、スタンドを使うこともチラリと考えたのだが、おくびにも出さない。

 

「大切なのは、現在と未来だ。笠間光博(かさまみつひろ)、貴様この街で何をしている?」

「何を……って。ネットワーク管理の仕事だよ。俺はお前と違って、カネ出して飯を食う必要があるんだよ」

「……私を、人喰い呼ばわりするのか?」

「おいおい冗談だよ! いっつも悠然としてたお前さんに、戻ってほしいなぁ」

「そちらこそ、いつも人を小馬鹿にした笑顔が消えているぞ。何を焦っている?」

 

 相変わらずの洞察力だな、と笠間は内心で舌打ちした。

 

「そりゃそうだろう? 俺は、お前の出自を知ってるんだぞ? たった一人で、心の準備もなしでお前と差し向かいで。俺のスタンドが、お前に敵うわけないのは知っているだろう?」

「スタンドは、使い手の精神の成長とリンクする。かつての貴様と同じである保証はない」

 

(本当に厄介なヤツだ! こちらが気づいてほしくないことに気づきやがる)

 

「もう勘弁してくれよ。俺は、もう闇の住人じゃないんだ。国に税金払いながら、真っ当な職についてるんだよ」

「ならばもう一つ聞こう。ネットワーク管理と言ったな? どこの企業だ?」

 

(そこんとこはスルーしてくれねえのかよ! どうする、デタラメで切り抜けるか? いや、コイツ相手にそれは悪手だ。仕方ないか……)

 

「……学校だよ。城南学園だ。実のところ、お前が教師として在籍しているのも知っていた」

「何だと!?」

 

 神原の表情に、緊張が走る。

 

「ネットワーク管理は、在宅勤務だ。さほど頻繁に学校に行く必要はない。正直、お前と顔を合わせたくないんで、特に知らせるつもりもなかったがな。俺もようやくゲットした職場だ。お前がいるという理由だけで辞めたくはない」

「……」

「逆に聞くぞ。お前、どういうつもりで教師なんかやっている? 人にモノ教える資格が、自分にあると思ってるのか? 自分のやってきたことを思えば、生徒を導こうなんて発想は出ないと思うがね」

 

 神原が、眉根を寄せた。

 

「私にも、己に課した責務がある。だから、教団を壊滅させた。奴らは、あの者への信仰心で凝り固まり、他の者を顧みない。そもそも、あの者に心惹かれるのは、心弱き部分を持つ者だ。私は、未来ある若者たちが、悪しき誘惑に負けぬよう導く手助けをしたい」

「自分の父親を、あの者呼ばわりはどうかなぁ?」

 

 神原が、さらに不機嫌になるのが笠間には分かった。

 

「まあいいよ。ただ、これだけは言っとくぞ。俺は城南学園に職員として在籍してるから、こうして出会うこともあるかもしれん。だからって、イチイチ目くじらを立てたりしないでくれよ? 正業がなくなると、人は悪しき誘惑に弱くなったりするからな。あ、これは一般論だぜ?」

「……正業一筋に、真面目に取り組む分には、私としては文句などない。それでは失礼する」

 

 神原が、笠間を横目で睨んだまま、大きく迂回して明かりの中から出ようとした。

 が、その足が止まる。

 

「……何だよ、まだ何かあるのか?」

「……出られんのだ」

「え?」

「明かりの範囲内から出られん! これは貴様の差し金か!?」

「な、何を言って……」

 

 笠間は、自分も暗がりへと入ろうとした。

 だが、明かりから出るところで、見えない壁が行く手を遮る。

 

「俺も出られないんだぞ! これは俺じゃない!」

「何だと!? ということは」

 

 その時、暗がりから笑い声が聞こえた。

 

「フヘヘヘヘ! 〈ダーク・ワールド・オーダー〉の教祖候補と司教が、ユカイな慌てっぷりですね! それが見たかったんですよ」

「やはり! 平明良(たいらあきら)、貴様か」

「ヒハハハハ! 兄さんだけじゃないでございます。俺もいますよね」

 

 笠間は、暗がりに目を凝らした。

 離れたところにぼんやり見えるのは、背の低い男二人組。

 

「二人揃って、どういうつもりだ? チビスケ兄弟」

「チ、チッ……か、笠間てめー! 人の身体的特徴をバカにするのは、人としていけませんよ!」

優斗(ゆうと)。もう無駄口はやめですよ。教団を見捨てた背教者どもを、始末するですね」

「兄さんだって、こいつらが慌て……分かりましたよもう!」

 

 街灯に照らされた地面。その中央にあったマンホールが、ガタガタと揺れ始める。

 

「神原、来るぞ! 弟のスタンドは」

「知っている!」

 

 神原は〈ノスフェラトゥ〉を出現させた。

 ふわり、と、マンホールの蓋が持ち上がった。その周囲に、無数のノコギリの歯が現れ、高速で回転し始めた。

 

「バラバラに切り刻んでやりますよ! 俺の〈マインド・オブ・サークル〉でね!」

 

 マンホールが、神原に襲い掛かった。身をかわそうにも、動ける範囲はほとんどない。

 〈ノスフェラトゥ〉のマントが翻り、マンホールを受け止めた。回転するノコギリの歯が、マントの表面にこすりつけられて、まるでもがいているようだ。

 

「く……!」

「マンホールの蓋の重量、マントじゃ封じきれませんよね!? さらに攻め立てますよ!」

 

 マントで抑え込んでいる蓋が、急に上に上がり始めた。まるでマントの表面を伝って登っていくかのように。

 

「マントの壁超えて、本体を直接攻撃しますよ!」

 

 〈ノスフェラトゥ〉がマントを高く上げようとするが、蓋に押されてうまくいかない。

 蓋がマントの端まで到達。乗り越えるように、マントのガードを越えようとした。

 ズシャッ!!

 鈍い音と共に、地面に転がったのは。

 二つに分断された、マンホールの蓋。

 

「俺がいなきゃ、細切れにされてたぞ。お前」

 

 のたまう笠間の傍には、藍色のローブ姿のスタンドが現れていた。その手には、長柄に三日月のような刃がついたウォーサイズ。

 

「〈インディゴ・チャイルド〉の鎌の切れ味、一段と鋭さを増したな。ひとまず感謝する」

「こいつのスタンドは、円形のものが割れるともう操れない。さて、どうする? 平兄弟」

 

 笠間は、じろりと暗がりの兄弟を見た。

 

「どうする? はこちらの台詞ですよ。あなたの考えを当ててみるですか?」

 

 暗がりから、明良の声がする。

 

「まずは基本的なところですね。『街灯そのものの破壊、もしくは街灯を支える柱の破壊。これは不可能だ。それらは、スタンドが障壁でガードしている』」

「……」

「『マンホールの口が開いている。ここから地下へと、逃げ出せないものか』……。無駄ですよ。結局、我が〈アラウンド・ミー〉の効果範囲からは出られないです。地下に降りても、明かりの届く範囲しか動けないですからね」

「そんなくだらないアイデアに、いつまでもしがみついてると思ってるのか?」

「なら、おとなしく弟に切り刻まれるがいいですね。まだ円形のものはあるのですからね」

 

 持っていた封筒が、急に暴れ始めた。慌てて放り出す笠間。

 地面に落ちた封筒が、瞬時にバラバラに破られた。飛び出してきたのは、外側にノコギリの歯のついたDVDの円盤。

 

「笠間、やっぱりお前は疫病神でありますね! あの頃と一緒でありますよ!」

 

 優斗が、勝ち誇った声音で罵倒してくる。

 ふわり、と宙に浮いた円盤が、笠間に襲い掛かっていった。

 

「何を得意がってる? バカの浅知恵は、これだから困るんだ」

 

 〈インディゴ・チャイルド〉の手が、素早く動いた。円盤の真ん中に空いた穴に、指を指しこむ。まるでコマのように、円盤がむなしく回転していた。

 

「え、え?」

「拾う手間を省いてくれてありがとよ。俺もこいつを使いたかったんだ!」

 

 〈インディゴ・チャイルド〉が、明かりの灯るギリギリまで前進した。

 そして、円盤を傾けて、銀色の背面を明良らしき影に向ける。

 街灯に照らされた背面からの光が、明良の目に直撃した。

 

「!? ぐわぁッ!!」

 

 明良の目に突き刺さったのは、光だけではなかった。

 〈インディゴ・チャイルド〉の鎌の切っ先が、螺旋を描きつつ長く伸びて、それが離れたところにいた明良の目から脳へと、ドリルのように貫通していた。

 ドウッ、と俯せに倒れる明良。

 

「光の届く範囲なら、動けるんだろ? 俺の〈刃の螺旋〉と、お前の射程距離が同じだったのが不運だったな」

「あ……」

 

 呻く優斗。

 

「よ……よくも兄さんを! 貴様ぁーッ!!」

 

 優斗が、足元から何かを拾い上げて後ずさった。

 夜目の利く神原が叫んだ。

 

「マシンガン!?」

「念のためってヤツでありますよ!」

 

 神原は、笠間の死を確信した。

 

(私の〈ノスフェラトゥ〉は、マントでマシンガンの弾丸をかわせる。しかし、〈インディゴ・チャイルド〉は防御に向いていない。爪を伸ばした〈エナジー・ドレイン〉も、〈刃の螺旋〉も、ギリギリ効果範囲から外れた位置に奴がいる。間合いを詰める前に乱射が来る!)

 

「ハチの巣になりなさぁぁい!! 特に笠間!」

 

 優斗が、トリガーを引き絞ろうとする。

 その直前。

 優斗は、視界が急に暗くなるのを感じた。

 感覚が、捉えた。眼前に微かに照らされているのは、アスファルトの地面。

 

(横たわっている!? 俺が!?)

 

 指が止まらず、トリガーを引き絞った。

 地面に押し付けられた銃口から、弾丸は出なかった。

 轟音と共に暴発したマシンガン。その破片が、容赦なく優斗に襲い掛かった。

 

「……笠間。その、スタンドの姿は?」

 

 神原が、問うた。

 先ほどまで藍色だったスタンドが、透き通っている。

 苦々しげに、笠間が答えた。

 

「〈クリスタル・チャイルド〉。お前の言う通り、成長したんだよ。俺のスタンドも」

「今のは……何だ?」

「見れば分かることだがな。兄と弟の位置を、入れ替えたんだよ。〈クリスタル・チャイルド〉は、物体の〈置換〉を行える。条件は存在するが、それは内緒だ」

 

 そう言うと、笠間は障壁の消えた暗がりへとスタスタ入り込む。

 そしてすぐに、呻き声を立てている優斗を、〈インディゴ・チャイルド〉に戻したスタンドで、明かりの下までズルズル引きずってきた。

 

「やかましいんだよコラ。ちょっとこっち向けよ」

 

 ごろり、と俯せの体を転がす。見ると、腕が両方とも肘から完全に吹き飛び、夥しい血を流している。胸も腹も、破片が食い込んでズタズタであった。

 

「ひ、ひあぁぁっ……」

「おぉ、顔はあんまり傷はないな。上出来上出来! それじゃ早速。フェイス・オープン!」

 

 その言葉と共に、優斗の顔が、つるんと真っ白になった。目鼻口、全て消滅している。

 

「キーワードは、『神原史門、襲撃、首謀者』」

 

 真っ白な優斗の顔面に、文章が横書きで出現した。

 その文面を、笠間と神原はしげしげと眺める。

 

「……こいつら単独犯だな。バックは誰もいない。いやーお前って恨まれてるよな」

「教団にしか、拠り所のなかった者たちの末路だ。哀れな」

「そうだよな。せめて介錯くらいはしてやるか。これ以上苦しめる意味も価値もないしな」

 

 〈インディゴ・チャイルド〉の大鎌が閃き、優斗の頸動脈が切り裂かれた。血しぶきが走り、優斗の首が力なく傾げた。

 

「それじゃ、俺はこれで。後始末よろしく」

「待て! 後始末って、私がか!?」

「〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉なら、そいつら塵に変えられるだろ? まだ新鮮な死体だし。警察が来て困るのは、俺よりお前だろ?」

 

 言い捨てると、さっさと笠間は暗がりに消えていった。

 その後姿を見送りながら神原は、

 

(笠間光博……。あのスタンドの成長ぶり、冷徹の極みのような処し方。闇の住人ではないなどとは、冗談も甚だしい! 間違いない。あやつは〈スィート・メモリーズ〉に何らかの形で関わっている。でなければ、あやつが城南学園に入り込むわけがない……)

 

 一方、笠間は家路を急ぎながら考えていた。

 

(くそ、本当に最悪だ! 神原に、勤め先知られたあげく、スタンドの奥の手まで見られちまった。やらなきゃ、俺が殺されてたから仕方ないが……。さて、どうしたものか……)

 



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第8話 危機迫る部活動 前編

「ええと、あと軽音楽部? その辺りは全て、廃部でいいじゃない」

 

 あまりにもあっさりと、厚化粧の小太りの女は言い放った。

 

「お言葉ですが。亜貴恵(あきえ)さん」

 

 五十がらみの男が、渋い表情を浮かべて述べた。

 

「生徒たちの活動の場を、そんな簡単に取り上げるのは、いかがなものかと私は思います」

「どうせロクでもない活動でしょ? 限りある予算は、学校の利益になるところに振り向けないと。全国大会に出られる可能性のある、吹奏楽部とかクラシックバレエ部はいいにしても、お遊び同然の無益な泡沫部活動なんかどうでもいいのよ」

「私は無益だとは、考えておりません。それに泡沫部活動とは、言い過ぎではないですか?」

 

 なおも男は食い下がる。

 

「たとえ規模が小さくとも、活動内容の対象が狭かろうと、そこに所属する生徒諸君は、生き生きと活動しています。その過程で、集団の中での人同士の関りを肌で学び、いずれの日にか良き想い出となって、彼らの人生をより豊かに彩る。それはとても有意義なことと、私は考えます」

「あら見事なご高説。さすが我が城南学園の校長ね、間庭さん。ま、浮世離れもいいところだけど! フン」

 

 嘲りと苛立ちを隠そうともしない亜貴恵。

 

「前から思ってたけど、あなた学園の理事に向いてないんじゃない? あのね、ここは私立なんだがらね。私たちは、学校経営やってるの! 私も副理事長として、危機感持ってやってるわけ。少子高齢化で、今後どんどん子供が減ってくるんだから、経営はスリムに先鋭化していかなきゃいけないの! 無駄なものはどんどんカットしていかなきゃ」

 

 バンバン机を叩く亜貴恵に、間庭校長は一歩も引く様子はない。

 

「繰り返しますが、私は無駄とは思いません。今、名前を出された部はいずれも、廃部にしなければならない落ち度は、学校の規則上ありません」

「経営上は、単なる金食い虫だけどね。私に言わせれば立派な落ち度よ」

「金を落とす部しか認めないと? 部活動は、学校の宣伝のために存在しているわけではありませんよ」

「スポーツや音楽の強豪校は、当たり前に宣伝材料に使ってるわよ。あなた、それを否定するの?」

「そうした学校でも、他の部活動を封殺するようなことはしておりません。あまりにも極端すぎます」

「そのくらいでなきゃ、他校との生徒獲得に後れを取るだけだと思うけどね。つまり」

 

 ギロッ、と、亜貴恵は間庭校長を睨みつけた。

 

「間庭さん。私の言葉には従えない、っておっしゃるわけね?」

「事によりけりです。そもそも今の話、理事長は同意しておられるのですか? そうは思われないのですが」

 

 デタラメは許さない、と、間庭校長の返してくる視線が語っていた。

 

「……入院中の理事長に、イチイチお伺いを立てるなんて、心労を与えるだけじゃない? 良い方向に向かうための改革は、細かい部分なんて私たちで進めればいいのよ」

「私には、些末な内容と捉えることはできません」

「もう……なら、理事長がそうしろと言うなら、従うわけね?」

「私の存じ上げている理事長は、そのようなことは決しておっしゃいません。それは亜貴恵さん、あなたが一番ご存じのはずだ。あなたは理事長の義理の娘。雇われ校長の私などより、深い縁であられるのですから」

 

 亜貴恵は、苦虫を噛み潰した表情で、言葉を絞り出した。

 

「どうやら、これ以上あなたと話しても無駄のようね。どうぞお帰りくださいな!」

「不躾な表現を口にしたことは陳謝いたします。それでは失礼します」

 

 深々と頭を下げると、間庭校長は部屋を出て行った。

 亜貴恵は舌打ちをすると、傍らを振り返った。

 

「もう、あの理想主義者の頭には、シュークリームでも詰まってるんじゃないの!? 腹立たしいったらありゃしない。そう思わない? 未麗(みれい)

「全くです。お母様の仰る通りです」

 

 無表情に、呼びかけられた若い女性は頷いた。

 

「どの道、遠からずお母様が理事長になるのは確実ですもの。あの間庭を、その後も当校に居座らせるつもりはないのでしょう?」

「当り前よ! あんな朴念仁は真っ先にクビ! あぁもう、あの頃だったら、この私に逆らう者なんて誰もいなかったものを。あぁ、一人いたわねそう言えば。思い出してもムカつくわ」

「お母様、その話は……」

「分かってるわよ、壁に耳ありって言いたいんでしょ? 今はそんな事より、あの校長にキャン言わせるくらいはしてやらないと、気が収まらないわ!」

 

 ボルテージの上がる母親を、未麗はじっと眺めていたが、ポツリと言った。

 

「……どこかの部で、不祥事でも起これば、風向きも変わるのでは?」

「え?」

「学校にさほどダメージのないレベルの不祥事。それを切っ掛けとして、中小の部活動の統廃合を行う流れを作っていけるかもしれませんが」

 

 亜貴恵は、ポンと手を打った。

 

「そうよね! 不祥事が起こればいいのよね。ついでに、問題のある生徒も放逐すれば一石二鳥だわ……うふふふ」

 

 醜悪な笑みを、亜貴恵は浮かべていた。

 

 

 

 

「そんなことがあるとは思えません!」

 

 文明は、生徒指導室で食って掛かっていた。

 

「そうは言うけどねぇ。目撃した生徒もいるみたいなんだよ。そりゃ、軽音楽部には、君も名前を連ねてるわけだから、巻き添えになりたくないのは分かるけどさ」

「そういう話じゃなくってですね! そもそも、僕には信じられないですよ。京……武原くんや須藤さんが、部室で」

「しっ! 声が大きいよ。外に聞こえるだろ?」

 

 生徒指導の榮倉(えいくら)に制止され、一瞬押し黙ったものの、小声で文明は続けた。

 

「……彼らが、部室でタバコ吸ったり、他の生徒引き込んでカツアゲしてるとか。僕は彼らとは付き合いは浅いですけど、彼らはそんなくだらないことする人間じゃないと信じてます。誤解されやすい雰囲気なのは認めますけど、どっちも自分の選んだ道については、むしろ困るくらいクソ真面目な性質ですよ」

「好きな事への関わり方と、生活態度はまた別の話だよ? 混同されても困るなぁ」

 

 三十半ばの、優男といった風貌の榮倉は、困ったように肩を竦めた。

 実のところ、文明はこの榮倉をあまり好いてはいない。神原とタイプが似ているとも言われるが、実際に神原と比べてみると、榮倉にはどうしようもない薄っぺらさが感じられてならないのだ。

 

「それじゃ聞くけど。いいかい、仮にだよ? もし君が、彼らがその手のことをしているところを目撃したらどうする? 彼らを信じて何もしないわけ?」

「……そんなことはあり得ません! 何としてもやめさせますし、反省して行動を改めるよう説得します」

「まぁ、君のことだから、口先だけじゃなくて本当にやりそうだな。だけど、さすがにそれはやめておいた方がいいよ」

「どうしてですか!? そういうことを要求されていると思ってましたが」

「相手は腕っぷし自慢の武原だよ? 須藤も男勝りで気の強いタイプだし。いくら風紀委員でも、同じ生徒の君に強く注意されたら、キレて何をするか分からないよ?」

「そんなのは覚悟の上です!」

「まあ聞きなよ。そんなことになったら、武原はよくて停学。退学までありうるよ。須藤にしても、盛り場で見かけたとかいう噂もあるし、ここだけの話だけど先生方の間での評判は良くない。神原先生は、ずいぶん彼らを庇って、自分が導くとか大見得切ってるけどさ。彼らが問題を起こせば、監督不行き届きで攻められることになるね」

 

 唇を噛み締め、押し黙る文明。

 

「何より、そんなことになれば、まず確実に軽音楽部は廃部だよ。それは君も、本意ではないだろ?」

「それは、そうですが」

「なら分かってくれよ。君一人で解決しようとせず、まずは生活指導を任されている、この榮倉に任せてほしいなぁ。みんながなるべく傷つかずにすむよう、尽力していくつもりだから、さ」

「……告げ口しろってことですか? 実のところ、あまり性に合わないですが」

「言い方が良くないなぁ。社会に出れば言われることだけど、報告・連絡・相談、ホウレンソウは重要なことだよ? 一人で突っ走っても、裏目に出ることが多いんだから。了解かな?」

 

 不承不承頷いた文明を解放し、榮倉一人になる。

 頬杖をついて、爪先で机を叩きながら、榮倉は考えた。

 

(あいつ、本当に大丈夫なんだろうな? あの堅物が、こちらの思惑通りに動いてくれれば、軽音楽部を、他の弱小部活もろとも潰せるんだ。そうすれば、浮いた予算を、我がクラシックバレエ部に回してもらえる。全国大会にグッと近づけるというもんだ……)

 

 

 

 

 

 文明は、下校しようとしていた神原を捕まえ、道を歩きながら事の顛末を語っていった。普段なら物事を自分で決めて動くタイプの文明だが、今回ばかりは荷が重すぎるように感じていた。

 

「ふむ……榮倉先生が、そのような事をな」

 

 僅かに小首を傾げる神原に、文明は違和感を感じた。

 

「何か、気になることでもあるんですか?」

「うむ。喫煙だの恐喝だの、実のところ初耳なのだよ。もしそのような噂が流れていれば、君よりもまず、軽音楽部顧問たるこの私に、注意喚起してきて然るべきだが。第一、武原くんにせよ須藤くんにせよ、そんな浅はかな事をする若者たちではない。私はそう信じている」

「ですよね!? 僕もそう思うんです」

「君も彼らをキチンと見極めているな。もっとも、須藤くんの盛り場の件は聞いている。彼女の出入りしているライブハウスが、その界隈にあるらしい。彼女は、むしろバンド仲間の悪ふざけを止める側に回っているそうだし、やめないようなら縁を切るとまで宣言しているそうだ」

 

 神原の話を聞きながら、歯切れのいい啖呵を切る遥音の姿を、文明は思い出していた。

 

「そもそも、君が出入りする部室で、そんな事をしでかすなど、まずあり得ない。特に君に見咎められれば、大変なことになるくらいの事は、彼らは充分承知している」

「……それって褒めてます? 何だか、そんな気がしないんですけど」

 

 酸っぱい梅干しでも口に含んだような顔の文明。

 

「とにかく一度、榮倉先生に事の次第を確認してみよう。ただ、明日から数日、私は教育委員会主催の研修に参加することになっていて、登校できんのだよ。君としても歯がゆい思いであるだろうが、私が戻るまでは静観してくれたまえ」

「はい……」

「今の状態で、いきなり彼らに問いただす事だけはやめたまえ。出所も定かではない噂だけではな。迂闊に事を運んで、我々ジョーカーズの絆に亀裂が入ろうものなら、敵を利するだけとなりかねない。もしかしたら、敵はそれを狙って噂を流したのかもしれんのだからな。よろしいかね?」

 

 文明は、ひとまず頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 文明は、軽音楽部室に向かっていた。

 だが、その足取りは重い。

 

(榮倉先生の話は、気にはなっているから行ってみるんだけど。京次くんや遥音くんがいたら、どんな顔をしたらいいものやら。きっと、いつもと変わらないんだろうな……。今は平静を装って、話を合わせるしかないんだろうけど。そういうのが苦手なのは、自分でも分かってる。気づかれたら、どうするのが正解なんだろう……)

 

 思い悩む文明は、気づかなかった。

 別の方向から、少し離れてユリも部室に近づいてきていることに。

 

(あれ? 文明くんじゃないの。何だかいつになく元気なさげなんだけど。ま、あんまり絶好調でもウザったいんだけどさ)

 

 彼女が眺めていると、文明は顔を上げ、部室の窓から中を覗き込んだ。

 その瞬間、文明の肩がビクン! と跳ね上がったのが、ユリにも見て取れた。

 血の気の引いた文明が窓越しに見たのは、タバコをふかしながらゲラゲラ笑っている、京次と遥音の姿だった。

 窓越しに、小さいながらも声も聞こえていた。

 

「ねえ、また気の弱そうなヤツ引っ張ってきなよ。アタシ、小遣いが今月ピンチでさ」

「こないだやったばっかりだろ? ちっと間を空けねぇとな。神原の先公とか、うるせぇ天宮が感づいたら面倒だろ」

「神原はともかく、天宮なんかボコボコにしちまえばいいジャン? あんなのイチコロでしょ」

「ま、イザとなりゃな。病院のメシは最近ウマイっていうし、野郎も休めて嬉しいだろうしな」

 

 文明の頭に、完全に血が上った。部員同士は下の名前呼びがルールになっている軽音楽部で、自分のことを名字で呼んでいることに、違和感を感じている余裕すらない。榮倉や神原から、いきなり問いただすなと言われていることなど、脳内から吹き飛んでいた。

 やにわに扉に取り付き、勢いよく開け放って、中に怒鳴り込んだ。

 

「京次くんッ!! 遥音……く、ん?」

 

 部室には、誰もいなかった。床に落ちていたはずの吸い殻も、全くない。

 

「……え? タバコは? 今のは、幻?」

 

 物音一つしない部室の前で、文明は思考停止してしばらく動けなかった。

 事の成り行きに、不思議がっていたのは、ユリも同様だった。

 

(何なの一体? いきなり怒鳴ったかと思ったら。タバコって何よ?)

 

 その時、すぐ近くの木陰から急に、榮倉が舌打ちをしながら飛び出してきた。

 ユリと鉢合わせをしかけた榮倉の手から、ビニール袋が地面に飛んだ。

 中から、数本の吸い殻。

 ユリの視線に気づくと、榮倉は慌ててビニール袋を拾い上げ、飛び散った吸い殻を放り込んで、速足で立ち去って行った。

 しばらくそれを見送っていたユリだが、やがて、合点がいったようにニヤリと笑った。

 



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第9話 危機迫る部活動 後編

 クラシックバレエの練習場に、榮倉は入って後ろ手に扉を閉めた。

 旧校舎の一角で、元は和風の道場だったその場所は、床こそ板張りだが、奥の壁には一面に鏡が張られていて、バレエの動きを自分でチェックできるようになっている。

 榮倉は忌々しそうに、部屋の隅に置かれていたゴミ箱に、ビニール袋を叩き込んだ。

 

「くそ! 天宮め。あれだけカマしたのに、いきなり怒鳴り込むなよ……! 僕のところにまずは相談しろって、あれほど言ったのに」

「へー。何の相談?」

 

 ギョッとして振り向いた榮倉が見たのは、いつの間にか入口の前にいた、豊かな胸の下で腕組みして、薄ら笑いを浮かべるユリであった。

 取り急ぎ、榮倉も笑顔を取り繕う。

 

「え、あ、城田くん? どうしたの一体? もしかしてこの前話した、クラシックバレエ部への転部の件、考えてくれたのかな? 君には才能あると思うんだよね」

「そんなのノーサンキューよ。誤魔化そうったって無駄だからね」

 

 榮倉が自分を誘ったのは、才能よりもっと下世話な理由であることを、ユリは察していた。実のところ、男どもの下心丸見えの声掛けを受けるのは、一度や二度ではない。

 

「見当はついてるのよ。京次くんや遥音に、タバコの罪をなすりつけようとしてるんでしょ? 証人が必要だから、風紀委員の文明くんにその役をさせようとした。詳しいことまでは分からないけど、どうやらアテが外れたみたいね?」

 

 榮倉の笑みが消えていた。図星なのは明白だった。

 

「それって困るのよね。遥音が痛い目見るのは、正直ザマアだけど、下手すると同じ部員の私まで巻き添え食うじゃない? だけど、今日見聞きしたことは、ひとまず黙っておいてあげる。その代わり、さ。こないだ先生の方でやったテスト、私って調子悪くってさ。ちょっと加減……うあっ!?」

 

 突然、背後から突き飛ばされて、ユリは数歩たたらを踏みながら、床に倒れこんだ。

 振り返った背後にある入口の扉。大きめのガラスが埋め込まれている。そのガラスから、二本の透明な腕が突き出していた。

 腕が縮み、それぞれの手が窓枠を内側から掴んだ。その中間、ガラスの中央から、円錐状の尖った透明な物体が突き出てきた。みるみる大きくなり、現れ出たのは、人間と同じ大きさの、水滴状の頭部だった。造形はほとんどないが、目と口だけが、赤い半透明に形作られている。頭部に続いて肩が、腕が、胴体が、そして窓枠を跨ぐように足までが出てきた。

 

「こ、これって」

「ほう……これが見えるってことは城田、お前もスタンド使いか。まずます生かしてはおけないな」

 

 榮倉は普段のヘラヘラした笑いを捨て、冷酷な表情を浮かべていた。

 スタンドが、入口のすぐ傍の棚に乗せられていた手鏡を引ったくった。

 ぶら下げた手鏡の表面から、見るからに鋭利な刃が生え、三日月のように歪曲して伸びていった。

 

「僕の〈フィッシュ・ダイヴ〉は、ガラスを操るスタンド。形の変化もさせられるし、表面に望みの映像も映し出せる。振動させて、音声も出せるのさ。もっとも、ガラス越しのようなくぐもった音が精一杯だがね。そして、鏡はガラスの裏面を加工して作られている……」

 

 そこまで喋った榮倉の目が、殺意で光った。

 〈フィッシュ・ダイヴ〉が、鋭く踏み込んだ。反射的に後ずさるユリ。

 背後から、その腕を榮倉がブレザーの上から掴んだ。予想以上の筋力で、ユリの腕が中空に持ち上げられる。

 

「このままリストカットで自殺してもらおう。僕が殺したとか思われるのはとても迷惑だ」

「こ、殺そうとしてるじゃ」

 

 〈フィッシュ・ダイヴ〉の刃が、横向きに構えられた。明らかにユリの手首を掻き切るつもりだ。

 

(冗談じゃないっ!!)

 

 ユリは即座に、自分の体を取り巻くように〈エロティクス〉を出現させた。半透明の、不定形のスタンドが、榮倉にまとわりつこうとする。

 

「うわっ!?」

 

 榮倉は仰天して、ユリの腕を離して後ずさった。

 〈フィッシュ・ダイヴ〉が一瞬遅れて刃を振ったが、ユリは必死に腕を後ろに振って避ける。

 刃は腕を外したが、ユリのブレザーを掠めた。分厚い生地があっさりと切り裂かれ、その下のシャツの胸元まで裂いていた。白いブラジャーが、その隙間からわずかに覗いている。

 あまりの切れ味に、ユリの背中に冷や汗がドッと噴き出た。急いで立ち上がり、〈フィッシュ・ダイヴ〉と榮倉に挟まれないよう横に逃げる。

 〈フィッシュ・ダイヴ〉は踏み込んで、今度はユリの喉元を狙った。突きこまれた鋭い切っ先を〈エロティクス〉が包み、本体であるユリをガードする。

 切っ先が大きく縦横に振られて、振りほどこうとするが、それだけはユリもさせない。

 

「甘い!」

 

 榮倉が滑り込むように放ったスライディングが、ユリの足元をすくった。たまらず転倒し、慌てて起き上がろうとした時、背中に木の壁が当たった。いつの間にか、部屋の壁際まで追い詰められていたのだ。

 〈フィッシュ・ダイヴ〉が、後ろに逃げられないユリを壁に押さえつけるように、切っ先を喉に突きこもうとしてくる。〈エロティクス〉で先を包んでいるものの、ジリジリ切っ先が迫ってくる。

 

「いつまで粘れるかな? そのスタンドが耐え切れなくなった時が、お前の最期だ」

「だ……黙ってるって言ったじゃない!? なんでこんなことを……!」

「僕はね、国際的なバレリーナになりたかったのさ。だけど、運が味方せず、引退を余儀なくされた。僕にはそれだけの才能があったのに!」

 

 悔しげに、床を踏み鳴らす榮倉。

 

「こうなればせめて、バレエの指導者として大成したい。それが叶った時にお前が現れて、今回のことを暴露するとか言われると、とても困るんだ。さっきみたく、弱みに付け込んであれこれ要求してくるのが目に見えている。ここで始末するのが、後腐れがないというもんさ」

「だ……黙ってないわよ。か、か……」

「ああ、神原か? あいつは前から気に入らなかった。クラシックバレエ部の部員にも、道理の分からない馬鹿もいてね。僕より神原に、この部の顧問になってほしいとか抜かしてやがるのさ! 奴が僕よりイケメンだからとか、頼りがいがあるとか。バレエの指導能力が肝心なのにな!」

 

 その嫉妬に歪んだ表情を、ユリはヘドが出そうな気分で見やった。

 それと同時に、

 

(こいつ、笠間さんが差し向けたスタンド使いじゃない!? 私が、神原先生のことを言い出したとしか思ってない! 同じ穴のムジナだから、交渉に応じると思ってたのに!)

 

 それに気づいたものの、今はこの場を何とかしなければならない。切っ先はさらに押し込まれ、〈エロティクス〉でいつまでも耐えられないのは見えていた。

 

(……そうだ!)

 

 追い詰められたユリの脳裏に、閃きが走った。

 即座に、〈エロティクス〉の一部を、自分の脛から足先まで包み込んだ。

 その足で、半分しゃがんで開いている、〈フィッシュ・ダイヴ〉の股間を蹴り上げた。

 

「うっ!?」

 

 スタンドが他のスタンドから受けた攻撃は、本体にも影響を与える。予想しない反撃に、榮倉は股間を抑えてうずくまった。しかし、不自然な体勢からの蹴りでは、決定的なダメージとはいかなかった。

 しかし、〈フィッシュ・ダイヴ〉の押し込む力も緩んだ。体を横に滑らせて、ユリは必死で逃げつつ立ち上がる。

 

「甘い!」

 

 ユリの背後の壁には、大鏡があった。〈フィッシュ・ダイヴ〉が駆け寄り、刃を持っていない左腕を大鏡に吸い込ませる。

 大鏡から、ユリのすぐ傍に左腕が生えた。ユリの腕が、ブレザー越しに掴まれる。引っ張られたブレザーのボタンが弾け飛び、先にできていた裂け目が大きく開かれ、破れる音が短く鳴った。

 ユリは咄嗟に、ブレザーを肩から脱いで、腕から離れるように動いた。ズルッ、とユリの腕がブレザーから滑って抜けた。

 〈フィッシュ・ダイブ〉の左腕は、脱がれたブレザーの袖を放り出すと、大鏡に引っ込んだ。

 瞬時に、左腕がユリのすぐ背後から出現し、ワイシャツの襟首を掴んで一気に引き寄せた。

 ゴン! と音を立て、ユリの後頭部が大鏡にぶつけられる。ワイシャツの胸元のの裂け目が、わずかに大きくなった。

 ユリは横目で、〈フィッシュ・ダイヴ〉が左腕を鏡に突っ込んだまま、刃を高く差し上げて、近づいてくるのを見た。逃げるのに夢中で、刃の切っ先を放してしまっていたのだ。

 

「手こずらせやがって……。だけどここまでだな!」

 

 少し離れた所に立って、勝ち誇る榮倉。

 ユリの手にはまだ、ブレザーの袖が握られていた。

 

「このッ!」

 

 ブレザーの袖を大きく振って、反対側の袖を〈フィッシュ・ダイヴ〉に叩きつけた。

 

「効くかよ、そんなものが!」

 

 余裕で、〈フィッシュ・ダイヴ〉の刃が袖を受け止める。

 が。

 受け止めた袖口から、細長く伸ばされた〈エロティクス〉が伸びた。ユリが握っていた袖口から侵入して、反対側の袖口まで伸びていたのだ。ブレザーの中を通して振り込むことで、〈エロティクス〉のスピードのなさを補い、かつ目くらましとしていた。

 〈エロティクス〉の先端が伸びる、その先にはゴミ箱。引っかけるようにして、横に跳ね飛ばした。

 ゴミ箱が、榮倉の顔面へと飛んだ。

 

「何!?」

 

 慌てて榮倉は、自分の手でゴミ箱を防ぐ。

 その時、ゴミ箱の中から、先ほど榮倉自身が捨てたビニール袋が飛び出した。タバコの吸い殻にまとわりついていた灰が、榮倉の目に入った。

 たまらず、目を押さえて呻く榮倉。

 ユリは襟元の手を無理やり振り払うと、駆けた。向かうのは、入口とは別の、部屋の隅にある、ガラスのない扉。幸い鍵はかかっておらず、引き開けると中へ滑り込んだ。

 だが、中の明かりをつけた時、ユリは蒼白になった。

 そこは、更衣室だった。本来窓があったらしいところも、板が打ち付けられていて完全に塞がれている。大小のダンボールが更衣室の隅に置かれ、両側の壁は縦長のロッカーが並んでいた。

 

「……逃げられると思うか? その部屋には脱出口はないぞ」

 

 涙で目を洗い、どうにか視界を取り戻した榮倉は、ゆっくりとした足取りで更衣室へと向かう。

 扉を開けると、床にはバラバラに放り出されたダンボールが山のようになっていた。

 そのダンボールをジロリと見やった榮倉は、やがてニヤリと笑った。

 

「なるほどな。この掃除道具入れのロッカーか。人間一人なら隠れられそうだな……」

 

 ロッカーに手をかけようとして、ピタリとその手が止まった。

 

「と見せかけてそっちか! 見えてるんだよ馬鹿が!!」

 

 〈フィッシュ・ダイヴ〉が、ダンボールの山に斬りつけた。そこから覗いている、黒髪の頭部目掛けて。

 が。

 グシャッ、と、大した手ごたえもなく、頭部が潰れた。

 いや。黒髪の頭部と思っていたのは、黒いモップのパイル部分だった。小さいダンボールに被せて偽装していたのだ。

 勢い良く、掃除道具入れのロッカーが開いた。

 

「〈エロティクス〉!!」

 

 ユリの声と共に、半透明のスタンドが、榮倉にまとわりつく。

 

「なっ……う……うあぁぁ、な、なんらこれぇぇぇぇ」

 

 虚を突かれて驚いていた榮倉の声が、すぐに上ずったものに変わっていった。恍惚の表情を浮かべ、床に倒れこみ、仰向けにのたうち回る。すでに〈フィッシュ・ダイヴ〉は消滅していた。

 

「フェ、フェイントかけるんじゃないわよ! バレたかと思ったじゃない」

 

 助かったことを自覚し、ユリは安堵でへたりこみながら、悪態をついていた。

 

(だけどこれからどうしよう? 〈エロティクス〉はそんなに離れては使えないし、ここから出ていくために解除すれば、正気に戻っちゃう。そしたらまた襲い掛かってくるし……)

 

 ユリが困り果てていると。

 

「何? 更衣室開けっ放しじゃない。……え!? 何よこれ!」

 

 入ってきたのは、ユリも顔見知りの、学校きっての女傑で知られる、クラシックバレエ部の部長だった。

 ユリは身を震わせたが、女の悪知恵が瞬時に発動した。

 

「こ、怖かったぁぁっ。先生が、榮倉先生が、無理やりぃぃっ!」

 

 いつでも出せるのが密かな自慢の涙を、ボロボロ流すユリ。部長は、ワイシャツの胸元が裂かれているのに気づくと、顔色を変えた。

 傍らで見悶えている榮倉に、部長が視線を移す。〈エロティクス〉は部長には見えないが、その代わりに、ズボンの上からでも分かりやすく変化した、下半身がしっかり見えていた。

 部長の悲鳴が、更衣室に響き渡った。

 

 

 

 

 

「ったく、そンなわけねーじゃン!」

 

 コーヒーカップをソーサーに叩きつけるように置く遥音の前には、少し困った表情の神原がいた。

 

「アタシはタバコの匂いが、本ッ当に大嫌いなんだよ! そンなモン、好んで口にするかよ」

「そう怒らないでもらいたいな。ソーサーが割れたらどうするのかね、ショップの方のご迷惑になる」

「アタシだけじゃないよ。京次にしたって、『それで強くなるんなら迷わず吸うけどよ、そうは思えねぇからな。肺活量が落ちそうだしな』って言ってたよ。アイツは怒るっていうより呆れてたよ」

「それは分かった。ただ、天宮くんの身にもなりたまえ。幻とはいえ、目の前で見せられてはな」

「……ま、アイツも平謝りしてたからね。今回は、ラーメンの奢りで勘弁してやった」

 

 ニカッ、と笑って見せる遥音。

 

「そンでさ。その幻のことだけど。やっぱ、スタンド使いが絡んでるって、センセは思ってるわけ?」

「……可能性は濃厚だ。天宮くんが、榮倉先生からタバコの件を聞かされた次の日に、喫煙の場面の幻を目撃したという。しかも私がいないことが事前に分かっている日にだ。タイミングが良すぎる」

「つまり……榮倉が、スタンド使いだったってこと?」

「そうとは限らない。スタンド使いは別にいた可能性も捨てきれない」

「だけど、榮倉が一枚噛んでたとしか思えないよね? アイツ、どうなるわけ?」

「仮にも自校の教師をアイツ呼ばわりは、いかがなものかね?」

「アイツ呼ばわりでも、まだ気を使ってるつもりだよ! ……ユリの身にもなってみなよ」

 

 さすがに台詞の後半は、遥音も声をひそめた。

 

「君の気持はよく分かる。私も一瞬呆れ果てたがね」

「一瞬かよ!?」

「冷静に考えると、これまたタイミングが良すぎる。タバコの一件とほぼ同時に起こった事件だ。どちらにも榮倉先生が関係している」

「ってことは……この二つの事件には、関係があるってこと?」

「ただ、どのような関係性なのかが、よく分からない。我々の知らない事実があるとしか思えない。ましてや、キーマンである榮倉先生が、学校から去っていくとあってはな」

「やっぱクビなんだ! ザマアこの上ないね!」

「もう少し声を抑えたまえ。内容が不穏であることだし」

 

 遥音を窘めて、神原は続けた。

 

「形としては、自主退職だよ。学校としては、今回のことを表沙汰にはしたくない。全国コンクールを目指すクラシックバレエ部に、辞退しろとは言いたくないということだ。何しろ、部員たちには何の落ち度もないのだからな」

「それでいいのかよ? アタシは納得したくないね」

「これは、城田くんの要望でもあるのだよ。大事にしないでくれ、とね。確かに、事が公になれば、彼女に浅からぬ傷がつくのは間違いないからな」

 

 そう言われて、遥音も仕方なさそうに口を噤んだ。

 まさか、神経の図太いユリが、学校公認で一週間の休みをもらったのをいいことに、自室のベッドでのんびり寛いでいるなどとは、二人とも想像もしていなかった。

 

「ただ、今回の件で副産物がなかったわけではない。実は部活動の縮小を念頭に置いた再編が検討されていてね。我が軽音楽部も含めた小規模の部は、廃部の対象になりかけていた」

「何だってぇ!? 冗談じゃないよ!」

「話は最後まで聞きたまえ。しかし、今回のことの後で、再編を執り行えば、生徒たちの動揺が大きくなりかねない。あげくに事件が白日の下に晒されれば、学校の名に傷がつきかねないということで、再編は白紙となった。軽音楽部も存続が決定だ」

「ああ良かった。驚かせるなよなぁ」

「それより、だ」

 

 神原は、姿勢を改めて述べた。

 

「敵の攻撃は、直接的なものばかりではない。心理攻撃を含めた、搦め手もありえるということだ」

 

 そうした策略を得意とする、笠間の仕掛けであろうと、この時神原は考えていた。

 

「言いたいことは分かるよ。そっちの方も用心しろ、って言いたいンだろ?」

「うむ。対策としては、やはり互いの絆を強固なものにしていくしかあるまい。普段からコミョニケーションを密にして、互いのことをよく知っておくことだ。そうすれば、隙をついて入り込もうとする者など、寄せ付けるものではない」

「その通りです!! 神原先生!」

 

 突然、横から会話に割り込んできた大声に、神原も遥音も目を丸くした。

 そこにいたのは、クラシックバレエ部の部長だった。

 

「先生、我が部の顧問になるお話、もう聞いておられますか!?」

「あ……打診があったのは確かだよ。しかしだね、私は既に軽音楽部の顧問もやっているし、兼任とは荷が重い。第一、私はバレエの鑑賞経験くらいはあるが、自らやった経験はゼロだ。君たちに技術指導しろと言われても無理だ」

「そちらの方は、別に外部から招聘すればすむことです。ですが、先生方の中からも、顧問をお出しにならないといけないはずですよね?」

「まあ、その通りなんだが……」

「だったら先生にぜひ引き受けていただきたいです! 前から私は、神原先生が顧問にふさわしいと思っていました。いえ先生は、練習に時々顔を出していただければ、それだけで結構です! いえ時々どころか毎日でも! 他の部員たちのモチベーションも大きく上がります!」

「いやあの毎日はさすがに」

「先生もおっしゃてたじゃないですか! コミュニケーションを密にして、絆を強くしていこうと! そうすれば、私たちの間に割り込むものなど、誰もいやしませんッ!」

 

(分かりやすいにも程があるよなぁ。どンだけ肉食なんだよこの部長さんは)

 

 遥音は、吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。

 



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第10話 許嫁は小手がお得意

 ガラガラガラッ!!

 勢いよく開かれた扉を、部室でダベっていた城南ジョーカーズおよびユリは一斉に見た。

 そこに仁王立ちしていたのは、ショートカットで剣道着を着た、瞳の大きな少女だった。

 袴を蹴散らしながら、ズカズカと部室に入ってくる。

 

「ありゃ、(みさお)。どうしたの一体?」

「どうしたのじゃないよ! 今、お母さんからLINE来たよ? どういうこと?」

 

 操、と呼ばれた娘は、航希に詰め寄る。

 

「次の大型連休で、そっちとウチの家族で、里帰りするとか言ってるじゃない! 航希、聞いてたの!?」

「い、いや。チラッと話は出たような気はするけどー、具体的には」

「じょうっだんじゃないよ! 次の大型連休は、ボクは県大会だよ? 行けるわけないじゃない!」

「え、十日後に地区大会じゃなかったっけ? それに勝たないと県大会は」

「勝つよ! 優勝するよ! だから出るのはケッテーイ! 少なくとも、ボクの中では!」

「あの、それって、まだ結果は出てないんじゃ」

「大体ね! 何でボクと君が一緒に旅行……」

 

 そこまで捲し立てて、やっと周囲の視線に気づいたらしく、操は動きが止まった。

 

「あ……ゴメン! 迷惑だったよね。いきなり上がり込んで騒ぎ立てて」

「うむ。いつもの君は、節度はわきまえているからね。柳生(やぎゅう)君」

「すいません、先生……」

 

 神原を前に、しょげ返る操。

 

「とにかく! 航希のお父さんお母さんにも、ちゃんとそれは言っといてよね! じゃ、ボクは練習があるからこれで」

 

 駆け足で去っていく後姿を、一同は呆気に取られて見送っていた。

 

「……なぁに、あの台風みたいなコ? ここじゃ見かけたことないけど」

「ああ、城田くんは知らないんだな。彼女はね」

「ブンちゃん!」

「観念しろや、航希」

 

 京次が、ニヤニヤ笑っていた。

 

「お前らがこの学校にいる限り、あの操との因縁は切れねぇぞ。説明しとけや」

「だよねー……説明しとかないと、それこそ迷惑かけそうだし……」

 

 しぶしぶという風情で、航希は語り始めた。

 

「実はね……彼女、オレの許嫁なんだよね」

「え? ……えー! 今時、そんなのあンのかよ!」

「いや、とは言っても、形式だけだよ。別に、将来別の相手と結婚しても、全然問題ないんだ。もう、そういう時代じゃないしさ。要するに、お互い結婚し損ねたらっていう程度のこと」

「ってことは、アンタたちの家って、結構いいトコのおうちってことかい? 気に入らないねー」

 

 わざとらしく、遥音が航希を睨む。

 

「肝心なのは、こっからだろ? な、航希」

「うん……。実はね。俺の家、忍者の家系なんだ。一応、伊賀の服部一族」

「何だってー!」

 

 目を丸くして、しげしげと航希を見つめる遥音。

 

「ってことは、アンタも忍者なのかい?」

「うん。修行もしてるし、いずれは忍者を職業にするつもりだよ」

「職業!? 忍者の職業って、今もあるのかい!?」

「忍者の里のイベント開催とか、資料館の職員とか。今はハローワークで募集もしてるよ。オレは正社員として、一族が経営してる企画会社に入社することになると思うけど」

「あ、そー……」

 

 いきなり現実的な事実に引き戻され、少し肩を落とす遥音。

 

「君も知っているようだね? 天宮くん」

「そりゃ幼馴染ですからね。それから、あの柳生操。彼女、伊賀の近くにある柳生一族のお嬢さんなんですよ。昔から、伊賀と柳生はいろいろ関りがあったそうですし」

「そーいうこと。オレのじいちゃんと、操のお爺さんがやっぱり幼馴染で。オレたちが生まれた時に、祝い酒で盛り上がってそう決めたんだって。それ聞いた時、操はコレモンだったけど」

 

 航希は、頭の上に角を二本、指で作って見せた。

 

 

 

 

 

「ふーん、許嫁ねえ……」

 

 スマホを通じてのユリからの報告を、興味なさげに笠間は聞いていた。

 

『そう! 私の女の勘ではね、航希くんは満更でもないって感じ。操の方は、絵に描いたようなツンデレよ。ま、くっつくにしても時間かかるんじゃないかなー』

「あーそー……。お前の恋愛診断はよく分かった。ったく、こないだ死にそうな目に合ったっていうのに、能天気なもんだな?」

『もう榮倉もいなくなったし、終わったことだもん。それはそれ、これはこれ!』

 

 あっさり言ってのけるユリに、笠間は内心呆れていた。

 

(大体、榮倉の件も、俺は反対したんだ。軽音楽部が廃部になれば、神原たちのたまり場の部室もなくなる。奴らの行動を捕捉しづらくなるし、このユリを間者として使いにくくなるだろうが。ま、あの女に言い聞かせても無駄だったか……)

 

『どうしたの? こっちの話はもう終わりだけど』

「そうか。ところで、スタンドに少しでも関わりそうな話は出てこないのか?」

『全然。みんな、雑談ばっかりだよ』

 

(ま、それはそうだろうな。気長にボロを出すのを待つか……ん? 待てよ)

 

 笠間の頭に、閃くものがあった。

 

(考えてみると、あんまり続けさまに連中を攻撃するのはマズイ。廃部の一件にしても、神原は俺の指金だと思ってるかもしれんしな。なるべく神原を刺激せずに、理事長選出会議までの期間中、奴らを攪乱したい)

 

 笠間の口元に、笑みが浮かび始めた。

 

(その許嫁とやらに何かあれば、服部航希はそっちに神経が向いてくれるかもしれん。殺すのは愚策だ。事故とか何かに見せかけて、自然な形でトラブルに見舞われてもらうか……)

 

 

 

 

 

 一週間後、航希は〈柳生〉と表札のかかった家の玄関にいた。

 

「操の熱、下がりました?」

「それがねぇ……。全然ダメなのよ。夕べから熱が39度のまんま」

 

 操の母親が、困った様子で頭を横に振る。

 

「風邪ですかね? それとも何か別の病気?」

「お医者さんにも連れてったんだけどね。インフルエンザでも、例の流行り病でもないんだけど、よく分からないみたいなのよ」

「ここのところ、大会前で練習がんばってましたから。その疲れが出たのかも」

「ホントごめんなさね。もう少し調子が良くなれば、ここまで来させてお礼させるんだけど。せっかくノート持ってきてくれたのに」

「いいですよそんな! それより、しっかり休んで治すように言っといてください」

 

 航希が帰っていくと、母親は操の部屋まで来て、ノックをした。

 

「入るわよ。操、航希くんがノート持ってきてくれたわよ」

「うん……」

「死にかけみたいな声じゃない。やっぱり、次の大会は諦めなさいね」

「イヤだよぉ……。絶対治すから……」

「だって、大会は三日後よ? そんな調子じゃ、出たって勝つどころか、まともに動けやしないでしょ? あんた、まだ一年生なんだし。チャンスはいくらでもあるから、ね?」

 

 頭まで布団をかぶってしまう娘に、母親はやれやれという感じでノートを机に置くと、扉を閉めて出ていった。

 そのままじっと動かない操。

 やがて、布団の中から、すすり泣きが微かに漏れ出してきた。

 

 

 

 

 次の日のこと。

 

「あ! 航希くん」

 

 呼び止められて振り向くと、ニコニコ笑っているユリがいた。

 

「今日は、これから部室?」

「うん、ちょっと顔出そうかと思って。ユリちゃんも? 一緒に行く?」

 

 どうせ押しかけられるなら、自分がついていた方が、イザという時誤魔化しやすいかもしれない。そう思っての発言だった。

 

「いーえ。私、今日はまっすぐ帰るから。そういえば、今日は神原先生は来るって言ってた?」

「いや? クラシックバレエ部の方に行くって言ってたから」

「あっそう。じゃあね」

 

 ユリは航希に背を向けると、歩み去っていく。

 

(神原先生が来ないのは分かってるわよ。だから、この日にしてもらったんじゃない。来られて、遥音のヤツをしとめてもらう前に、あのバケモノが気づかないとも限らないしね。この際あの航希も、道連れになってもらおっと……)

 

 航希は、そんなユリの内心には気づかず、部室へと向かう。

 いつものように、ガラリと扉を開けて中に入った。

 自分の後ろについてくるように、小さな虫らしきものが入り込んだことに、航希は気づかなかった。

 キャビネットの上に、赤いカバンが乗っかっているのに航希は気づいた。

 

(遥音だな。大方、〈スィート・ホーム〉でゴロ寝でもしてるんだろ)

 

 自分もキャビネットに潜り込もうとした時、航希の耳が、甲高い特徴的な音を聞きつけた。

 

(蚊が入り込んだか。オレ、蚊って嫌いなんだよね。ついでに落としていくか)

 

 部室には蚊が来ることが割とあるため、電池式の殺虫ラケットが置かれている。

 航希は、少しでも部屋を見やすくするため明かりをつけると、ラケットを構えた。

 

「いるいる。一匹じゃないな。オレの視力は2.0だよ? 見逃さないぜぇ~?」

 

 小さな虫の姿を見定めると、航希はラケットを振った。狙い違わず、パチッ! と音がして、蚊を叩き落としたのが分かる。

 

「もういっちょ!」

 

 次の獲物を見つけた航希は、ラケットをもう一度振った。

 が、何の音もしない。宙を舞う蚊の姿が、航希には見えた。

 

(今度は外さない。これでどうだ!)

 

 必中の狙いをつけて、振り込まれたラケット。

 しかし、今度もラケットは無音のままだった。蚊の姿もまだある。

 

(おかしい!? 今のは絶対当たってたはず。……ってことは、まさか。試してみるか……)

 

 ラケットを置き捨て、両腕に縦に割れたボードを出現させた。その平面を内側に向け、いつでも打ち合わせるよう構えた。

 その途端、今までフワフワ動いていたのが嘘のように、一直線に逃げ出す蚊。

 

(間違いない! こいつはスタンドで叩かれることを恐れてる)

 

「あれ?航希。君も来てたのか」

 

 背後から声が聞こえてきて、航希は振り返った。

 

「ブンちゃん! 扉閉めて! 今すぐにッ!」

「え、え!?」

「スタンドだ! 蚊と同じ大きさだッ! この中を飛んでる!」

 

 文明も顔色を変えて、大慌てで扉を閉めた。そして、〈ガーブ・オブ・ロード〉を瞬時に出す。

 

「こ……この中に!?」

「っていうか、あそこ!」

 

 航希が指で示すが、文明はなかなか見つけられない。

 

「……あっ! あれか!?」

「そうだよ! あ、棚の下に入ってった……!」

 

 二人は、大きな棚の下を覗き込むが、完全に影になって何も見えない。

 航希は、ポケットからいつも持ち歩いている小型のLEDライトを取り出した。明かりをつけると、下に明かりが入り込むように床に転がす。

 

「み、見える?」

「いや、よく分からない。やっぱり、下に入る必要があるか」

「入るって言っても、この狭さじゃ。布先を滑り込ませるのが精一杯だよ」

「オレなら入れる。ブンちゃん、オレ集中するから、一応オレの周りを警戒しておいて。あいつに刺されたくない」

 

 ポカン、としている文明をよそに、航希はいったんスタンドを消すと、部屋の真ん中に胡坐をかいて座り込んだ。そして、片手で印を結ぶ。

 

「〈サイレント・ゲイル〉……」

 

 ボソッと呟く航希。しかし、文明が見る限り、どこにもボードが現れない。

 

「そこ。小さいからアレだけど」

 

 航希が指さす先をよく見ると、蟻と同様のサイズのボードがあった。その上には、黒い忍び装束をアレンジしたような小人のスタンド。

 

「ミニマムモードになれば、オレの分身も作れる。それじゃ行ってくる」

 

 ひゅんっ、という表現がピッタリな様子で、小型〈サイレント・ゲイル〉は棚の下へと飛び込んでいった。まさに忍者をイメージさせるその動きに、文明はなぜか背筋が寒くなった。

 棚の真下を、〈サイレント・ゲイル〉は探り見しながら、ゆっくりと進む。視覚的な情報は、本体の航希にも伝わってくる。

 

(しっかし、このホコリの多さがネックだな。掃除しとくんだったなぁ)

 

 少し後悔しつつ、ずっと見て回っていると。

 スッ、とその前に飛ぶ影が見えた。

 

「いた! お前か」

「あらら、かわいい忍者さん。こんなホコリっぽいところまでノコノコと。ご苦労様」

 

 まだ若い女の声で、蚊のスタンドが喋ってきた。

 

「あたしは〈サタデーナイト・フィーバー〉。まさか、あたしを見つけ出すやつがいるなんてね」

「何のつもりでこんなことをしてるわけ?」

「あら怖い。別に死人を出そうって気はなかったのよ。あたしに刺された人間は、医者では治せない熱病にかかる。一週間もすれば治るけどね。知ってる? 世界で一番多く人を殺す生物は、ダントツで〈蚊〉なのよ。ちなみに二位は〈人間〉」

「つまり、蚊を操る人間が、一番人殺しをできるってか? もしかして、最近学校で流行ってる病気は、お前の仕業か。冗談じゃないよ!」

「あらそう。冗談じゃないなら、本気を出しましょうね? 小さなスタンドになったのが、運の尽きよ。そっちは、無理して小さくしてるっぽいけど、こっちは元のサイズだし」

 

 その細長い翼が動き出し、〈サタデーナイト・フィーバー〉の体が浮き上がる。即座に、蚊のイメージにそぐわない猛スピードで距離を詰めてきた。

 

「あたしを見つけなければ、死なずにすんだものを!」

 

 長く伸びた口から、細い槍のような針先が覗き、明らかな殺意を持って突き出されてきた。

 ボードが瞬間加速。針先を避けて、立ち位置を移動する。

 

「ふふん。早い動きだと、大きな方向転換ができないのは、小さくなっても同じみたいね? あたしの後ろとかに回り込めないくらいだし」

「間合いを一気に詰めることならできる!」

 

 ボードを敵に向け、一気に疾走させる。

 そして、体当たりを〈サタデーナイト・フィーバー〉にブチ当てた。

 が。

 相手は、ふわりと後ろに押されただけで、ダメージを感じた様子がない。

 

「ウェイトが軽すぎるのよね~! そんなんじゃ効かないって。どうやら、高速移動からボード割った攻撃に移る時には、いったん止まらないとダメみたいね。それじゃ、ひとまずバイバーイ」

「待て!」

 

 飛び去る蚊をボードで追うが、相手は大きく旋回していき、曲がり切れずに追いきれない。そのまま、蚊は暗がりの先へと消えていった。

 

(くそ、ブンちゃんに明かりの方向を変えてもらうか。……あいつのおかげで操は大会に。くそ、絶対に仕留めてやる!)

 

 その時、蚊の飛び去った方向から、蚊とは明らかに違う鳴き声が聞こえてきた。

 バタバタ、と激しい音が奥から聞こえたかと思うと。

 突如、その方向から、一匹のネズミが駆け込んできた。

 

「痒みを増加して、ネズミを刺してやったのよ! ずいぶん痒いみたいよ!」

 

 ネズミに取り付いている〈サタデーナイト・フィーバー〉が得意げである。

 暴れ回るネズミが、床のホコリを盛大に舞い上げる。あっという間に、周囲がホコリで吹雪のように見えなくなった。

 

(どこだ!?)

 

 辺りを見回していると。

 背後から、殺気を感じた。

 振り返るのが精一杯。針先が、眼前まで迫っていた。

 反射的に針を掴んだ、つもりだった。が、鞘の役目を果たす口元の管を掴んだだけ。針が突きこまれて、忍び装束の肩に突き刺さった。

 

「ぐぅッ!」

「ウイルスはスタンドには効かないのがラッキーだったわね!? だけど、脳でも心臓でも串刺しにしてやればイチコロでしょうがぁぁッ!!」

 

 〈サイレント・ゲイル〉に馬乗りになって、針を振り下ろそうとしてきた。

 とっさに〈サイレント・ゲイル〉の足元のボードを消した。脚で抑え込もうとしていたところが急になくなり、蚊の下半身がガクンと下がる。

 すかさず、またボードを出現させた。下から跳ね上げられる形で、蚊の下半身が浮き上がった。

 

「せやっ!」

 

 その下半身を、さらにボードで蹴り上げる。針を掴むと、巴投げの要領で投げ飛ばした。

 崩れた体勢を、空中で蚊が立て直している隙に、立ち上がった〈サイレント・ゲイル〉がボードで加速して逃げ出していく。

 

「敵わないって悟ったわけ? ならば追うまでよ」

 

 蚊が、移動を開始した。

 突如、大きな塊が、横合いから急速に突っ込んでくるのを感知した。

 すぐさま向き直り、針を突き出して迎撃しようとする。小さな忍者が、ボードに乗って突撃してきた。

 

(来なさいよ! どうせこいつは、攻撃の時にはいったん止まらないとダメなはず! 体当たりなんか効かないのは分かってるでしょ!?)

 

 が。

 忍者は、〈サタデーナイト・フィーバー〉の傍を、スピードを一切緩めずすり抜けていった。何の攻撃もしないままに。

 

「え?」

 

 一瞬呆気に取られる〈サタデーナイト・フィーバー〉。その周辺に、さらなるホコリが舞い散っている。

 今度は、後ろから急速に近づく気配。慌てて向き直ろうとするが、それも間に合わないまま、すぐ脇を忍者が通り過ぎて行った。

 

「何よそれ!? ……また来た!?」

 

 いろいろな方向から、何度も突進してはすり抜けるのを繰り返す忍者。

 空中を舞うホコリが、おびただしい量になってきた頃、ようやく〈サタデーナイト・フィーバー〉は察した。

 

(奴は、攻撃のために突進してたんじゃない! 床に積もったホコリを舞い上げまくって、撹乱するのが目的だったんだ! くそっ、距離を取ってあちこち移動されると、ホコリが邪魔すぎて、奴の位置を特定できない……)

 

 だが、すぐに内心でニヤリと笑った。

 

(だけどこれって、奴があたしに効果的な攻撃手段を持ってない証拠よね? 攻撃するつもりなら、とっくに仕掛けてるはず。どうせ負けはないってことね……?)

 

 カサカサッ。

 暗がりから、特徴的な音が聞こえた。ビクッ! となる蚊。

 その方向から飛び出してきたものが何か、〈サタデーナイト・フィーバー〉は分かってしまった。

 

「ゴッ……」

土遁(どとん)の術と、口寄せの術の合わせ技だってばよニンニン!」

 

 縦横無尽に走り回る何かの上に乗っているらしき声が、確かに聞こえた。

 

「いやぁぁぁぁぁぁーッ!! あたし、それだけは絶対ダメェェェェッ!!」

 

 黒光りするそれの姿を想像してしまったらしく、盛大な悲鳴を上げて逃げ出す蚊。

 もはや家具の下などにとてもいられず、明るい所へと飛び出していく。

 

(くそッくそッ! よくもあたしに……あぁイヤイヤイヤ! こうなったら、本体を狙うまで! 致死性のウイルスブチこんで、死ぬまで後悔させてやるわ!)

 

 本体の航希は、まだ部屋の中央で、印を結んで座っていた。白いワイシャツの肩には、先ほど針で突かれて出血した跡が、生々しく残っている。その周囲を、〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が、護衛するように取り囲んで宙に浮いていた。

 

(バーカ! あたしのスタンドは、布の隙間をかいくぐるくらい、モーニングトースト齧るより簡単! 最近、ダイエットしてるからアレだけど! 布のおかげで、却って相手の視界を遮れる!)

 

 慎重に、航希への間合いを詰めていく。

 そして、あと数十センチまで迫り、眼前の布をかわしていった。後は、遮るものは何もない、はずだった。

 

「見っけ」

 

 航希が、そう口にした。

 ミニ忍者が肩に乗り、すぐ傍まで来た蚊を見据えていた。

 

「やっぱり動揺して飛び出してきたね。揺さぶりかけまくった甲斐があったよ」

「いっ……!」

 

 慌てて逃げ出そうとする蚊。

 忍者の背中に、すでにボードが広げられていた。

 

「〈サイレント・ゲイル〉、ミニマム空中モード! もらったーっ!」

 

 ぐんっ、と忍者の体が浮き上がった。

 ボードで滑空し、一気に距離を詰める。忍者の手には、〈ガーブ・オブ・ロード〉の先端の角が握られていた。文明は、忍者の飛行を阻害しないよう、力を抜くイメージで布の動きを合わせる。

 

「ひぃぃぃぃ!」

「もう遅い! ブンちゃん、そこでパーン! だ」

 

 空中を誘導していた忍者が、布を手放した。

 パァァァン!

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の先端が、空中を漂う布に、鞭のように叩きつけられた。

 そして、布が離れると。

 ぽてり、と蚊が床に落ちていった。

 

「……殺しちゃった、かな? ちょっと強すぎたか」

「いや、それはないみたいだよ。まだ動いてるから。だけど、足が全部ヘシ折れてるみたいだし、再起不能だねこりゃ」

 

 二人が、スタンドを引っこめて息をついていると。

 

「ん? なンだよ。アンタたち、来てたのかい? 入ってくりゃよかったのに」

 

 キャビネットから、遥音が出現してきた。

 二人は、顔を見合わせると、

 

「おっそーい! 来るのが!」

「遥音の〈ブラスト・ヴォイス〉使えば、一発だったじゃん! 考えてみれば!」

 

 なぜ自分が責められているのか、皆目分からない遥音は、目を瞬かせた。

 余談ではあるが、この日のほぼ同時刻、学園近くにある展望台で、オペラグラスを手にしたOLの転落事故があった。全身打撲、四肢全て骨折ではあったが、一命はとりとめたこともあり、新聞の小さな記事にすらならなかった。

 

 

 

 

 

「小手ーッ!!」

 

 高く鋭い音と共に、竹刀の先が相手の小手に叩きこまれた。

 

「小手ありッ!」

 

 三人の審判の旗が、全て斜め上に上がる。

 歓声と拍手が、会場内に響き渡った。

 弱冠一年生の操が、下馬評で優勝の最有力候補の高校、その先鋒を打ち破ったのだ。

 観客席には、航希が京次を連れ立っていた。

 

「得意の小手で取ったよ! 熱もあれからすぐに引いたみたいだし、完全に調子を取り戻したね」

「おめぇのおかげでな? 操に教えてやれねぇのが、残念だけどな」

「いいよ、そんなの」

 

 航希は優しい目で、颯爽と試合場から出る操を見つめていた。

 



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第11話 試験に出るモンスター 前編

 職員室に入った神原は、校長室から聞こえる、犬の吠える声に怪訝な顔をした。

 隣の同僚の教師に、

 

「どうかしたのですか? 聞くまでもないような気もしますが」

「そういうことですよ。1年3組の、芦田くんのお父さん」

「やはりそうですか……」

 

 神原は、思わず3組の担任に同情した。

 

「全く、普通は犬なんか連れてきませんよ。あの人に意見すると、ネチネチ反論してきて、話が長くなるから、みんなあえて物言いはつけませんけど」

「衛生的にもどうかとは思いますね。今回は、どんなお話なんでしょうか?」

「さてね。今までだって、塾の勉強があるから、学校の宿題はなしにしろだの、体育の授業など無駄だから受けさせるなだの、無茶なことを言ってきてたわけですから」

「生徒全体の指導や、学校の最低限の方針もあるわけですからね。そうそう特定の生徒の事情ばかりを重視するわけにも」

「しっ! 犬の声がやみましたよ。出てきそうな雰囲気ですから口チャックで」

 

 同僚の言葉が終わらないうちに、校長室の扉が開いた。

 リードをつけたドーベルマンが最初に出てきて、続いて、神経質そうな吊り目の中年男が出てきた。目を合わせないようにしている教師たちを、睥睨しながら進んで行く。神原を一目見ると、嫌そうに顔を背けて、職員室を出ていった。

 どうやらここは収まったか、と、それぞれが安堵のため息をつく。

 

「どうやらあの人、神原先生のことは苦手っぽいですね。気の弱そうな先生だと、向こうから絡んできたりすることもあるのに」

「そうですかね? あ、いかがでしたか? 中でのお話は」

 

 ゲッソリとして出てきた、3組の担任に、神原は話しかけた。

 

「いや、今日はまだマシな方でしたよ。ほら、2年の方でカンニング騒動があったでしょ? あれを持ち出してこられましてね。我々教師の管理体制はどうとか、犯人は厳罰に処すべきとか、えらくしつこく言ってくるもんですから」

「それ自体は、妥当なものではありますね。厳罰うんぬんは、いささか勇み足ではあるでしょうが」

「まぁそうなんですけどね……。全く、芦田くん本人がおとなしい分、あのお父さんが本当に困りものですよ」

 

 3組の担任は、大きくため息をついた。

 

「早速、明後日が模擬試験となりますね。3組は間庭くんと、噂の芦田くんが優秀ですからね。特に間庭くんは、前回の試験では全国1位でしたし。その点はうらやましいことですね。私の指導力不足が原因ではありますが」

「いえいえ! 神原先生は、生徒・保護者ともに、絶大な人気がありますから。その方がうらやましいですよ……。その芦田くんが、こちらとしては心配なんですよ」

「というと、やはり先ほどのお父さんのことで?」

「それもありますが。彼、どうしても間庭くんに成績で及びませんからね。そのことを、本人も気に病んでいるらしくて。家でも、お父さんに責められてるんじゃないかって。ただでさえ、メンタルの強い子じゃないんで」

 

 さもありなん、と、神原も芦田の顔を思い出して納得していた。

 

 

 

 

 

 

 

 二日後。

 ホームルームの時間となり、3組の担任は教壇に立った。

 

「えー、今日は予定通り、模擬試験を行う」

 

 文明は席についてそれを聞きながら、気が重くなっていた。せめて、前回よりは多少はマシな点を取らないと、また小遣いに影響してくる。

 

「それに先だって、今日は席替えを行う」

「え!?」

 

 芦田の、妙に切羽詰まった声に、文明は妙な感じを抱いた。

 隣の遥音が、文明にヒソヒソ話しかけてきた。

 

「アレだね。例の、2年のカンニング騒ぎ」

「そうみたいだよ。昨日、職員会議で急遽決まったっていう話だ。カンニング防止策らしい」

「一人でズルやるヤツには意味ないンじゃない? ま、アタシはやかましい風紀委員が隣じゃなくなるンなら、いいかな~って」

「うるさいなぁ。どうせ部室で顔合わせるだろうに」

 

 そして文明は、担任に促されて、席替えのクジ引きを仕切るために前に出た。

 全員がワイワイ言いながら、クジ引きは何事もなく終了した。芦田も、表情はさえないものの、普通にクジを引いて、決まった席に文句も言わず座った。そこは、文明の一つ前となる場所だった。

 クラス全員が新たな席に着き、それからすぐに教員が入れ替わり、試験が始まった。

 

(むう……な、何とかイケるかもしれないな……前回よりはマシかも、ん!?)

 

 文明は、ふと前に目をやって、思わずギョッとした。

 前の席に座っている、芦田の机の脇にかかっているカバン。その脇にある隙間に、10センチほどの、細い筒が2本並んで出現したのだ。それがローラーであることに、文明は一目で気づいた。

 じっと見ていると、そこから、スルリと抜け出してきたのは、バスケットボール大の、コアラを連想させるスタンドだった。ただし、目付きが狡猾な印象を受けた。

 

(なんで……試験中に、スタンドが出る!?)

 

 見ていると、ローラーから小さな紙片が、スルスルと吐き出されてきた。そのスタンドが、紙片を取り上げると、また一枚出てきた。今度は、先ほどより小さく細長い。

 スタンドは、大きめの紙片を、芦田の机に置く。そして、もう一枚を手にしたまま、別の机に飛来していった。

 

(あ、あれってまさか、カンニング!? 芦田くんが!? だけど、もう一枚を持って行ってどうするつもりなんだ!?)

 

 スタンドは、別の机に向かうと、そこで少し留まり、そしてまた芦田の机に戻っていった。

 芦田の机から、スタンドが取り上げたのは、先ほど置いていった紙片。そしてスタンドは、紙片を持ったまま、カバンの隙間にスルリ、と潜り込んでいった。そしてすぐに、ローラーそのものも消滅してしまった。

 

(え……ど、どうしよう? 先生に報告するか? だけど、芦田くんの机の紙は、さっきスタンドが持って行ったから、もう芦田くんの手元にはない。今更言ったところで証拠がなにもない。それに、さっきアイツは何をしていたんだ?)

 

 監視役の教員が、先ほどスタンドがいた机の横を通り過ぎようとした。

 

「……ん? ちょっと君。このペンケース、開けてみてくれる?」

「え、はい。……えッ!?」

 

 声をかけられた女生徒が、試験中には似つかわしくない大きな声をあげた。他の生徒たちが、一斉にそちらを見る。

 

「何だこれは!? 公式が書かれてるプリントじゃないか! 試験中に、こんなものを机の上に置いていいわけはないだろう!?」

「し、知らないです! 私……!」

「君はテスト中止だ。後で、職員室に来てもらおう」

 

 静まり返る教室。

 文明は、教員が手にしていた紙片が一瞬見えた。

 

(間違いない! さっきのスタンドが持ち込んだんだ。彼女にカンニングの罪をなすりつけるために。だけど、どうして彼女に……)

 

 文明は、あることに気づき、愕然とした。

 

(あの机! 席替えがなかったら、間庭くんが座っていたはずだ。あのスタンドの本当の標的は……間庭くんだったんだ!)

 

 その間庭愛理を見てみると、他の生徒同様、呆然とことの成り行きを見ていた。

 

(間庭くんがいなければ、模試の校内1位は……芦田くんになる可能性大だ。だけどその芦田くんは……カンニングをしてた。いや、もしかすると……今までの試験もそうだったのか!?)

 

 もはや文明は試験どころではない。後日、文明は散々な成績であったため、小遣いを減らされる羽目に陥った。

 

 

 

 

 

 文明は放課後、下駄箱の前で、靴を履き替えようとしていた芦田を見つけた。

 

「……芦田くん。ちょっといいかな?」

「え? 何?」

 

 ビクッとしながら振り返る芦田。

 

「今日の模擬試験だけど。僕、見たんだよね」

「あ、え? あの、見たって……カンニング騒ぎのこと?」

「そう。捕まったのは別の女の子だったけど。君……何か知ってるんじゃない?」

「知って……るって、な、何を」

「僕は、見た、と言ったんだよ。僕は、君の真後ろに座ってたから。あれは、一体何だったの? 正直に話してくれ。その方が、きっと君のためにもなると思うんだ。後ろ暗いことなんか、心に留めておいたままじゃ、学校が楽しくなくなるよ。僕はそう思う」

「あ……」

 

 アチコチ目が泳ぎまくっていた芦田だが、

 

「知らない! 知らないって言ってるんだ!」

 

 文明を突き飛ばすと、転びそうな勢いで、靴の踵を踏んだまま走り出した。

 追いかけようとした文明だったが、

 

「おー天宮、いいところにいた。これ運ぶの手伝ってくれ」

 

 大荷物を抱えていた教師に声をかけられ、文明はその場で追いかけるのは諦めるしかなくなった。

 

 

 

 

 

「確か……この辺りのはず」

 

 文明は、周囲が暗くなりつつある中、住宅街の一角を歩いていた。大きな公園に沿っ伸びる道路沿いに、一軒家が多数ズラリと並んでいる。

 犬が鳴き続けているのが、行く先に聞こえてきた。ずっと鳴き止むことがなく、疲れないのかな、と文明は感じていた。

 その、犬の鳴く家のすぐ近くまで来た時。

 

「……行ってきます」

 

 街灯に照らされながら、元気なく玄関から出てきたのは、芦田だった。

 

「……芦田くん?」

「えッ!?」

「ごめん。やっぱり気になって、来ちゃったよ。悪いけど、話を聞きたいんだ」

「あの、だけど、今から塾に」

「そんなに時間はとらせないから。あのさ、今日の」

 

 皆まで聞かずに、芦田は玄関まで逆戻りすると、扉を開けて声を上げた。

 

「と、父さん! あの、天宮くんが」

「ん~? 何だ一体……」

 

 玄関先まで出てきた父親は、吊り目でジロリと文明を睨んだ。

 

「息子に何の用だ? 今から塾に行かせるんで忙しいんだ。帰ってくれ」

「少し話をしたいだけです。それが済んだら帰ります」

「おい、何をボサッとしている! サッサと行かんか」

 

 追い払うように息子を送り出してしまうと、父親は傲然と文明に向き直った。

 

「そういうわけだ。もう息子はおらん。明日にすればいいだろう?」

「塾に行ったんですよね? なら今日中に戻りますよね? 帰ってくるまで待ちます」

「何を考えてるんだ!? 迷惑なんだよ。警察に連絡されたいのか?」

「今日、うちのクラスでカンニング騒ぎがありました」

 

 文明は、本題を持ち出した。玄関脇では、絶え間なく犬が吠え続けている。

 

「僕は、芦田くんのすぐ後ろの席でしたから。見たんですよ。彼が、試験中にカバンから出てきた紙を見ていたのを」

 

 ピクッ、と、父親の頬が引きつった。

 

「何かの見間違いじゃあないのか? 息子がカンニングしたと言いたいのか君は!」

「だからそれを聞きたいと言ってるんです。納得できるまで、帰るつもりはありませんから。僕は、ああいうことは認めることはできません。なぜ、あんなことができるのか、という部分も含めて」

 

 スタンドという言葉は使わなかったが、実のところ、文明がこだわっているのは、まさにそこであった。スタンドによる不正など、文明にとっては見過ごすわけにはいかない罪であった。

 父親は、テコでも動きそうにない文明の眼光に、苦々しい顔をしていたが、

 

「……君、なんか酒臭いな」

「はあ?」

「未成年が酒などと、とんでもないヤツだな。だから、さっきから支離滅裂なことばかり言っているわけか」

「何言ってるんです? 僕は酒なんか一滴も」

 

 文明が反論しかけた時。

 玄関灯に照らされた郵便受けの隙間に、昼間見たのと同じ、ローラーが出現した。

 

「それはッ!」

 

 ローラーから、やはり昼間見た、コアラに似たスタンドが抜け出してきた。

 反応する暇もなく、異様に素早く飛来したスタンドが、文明の手を取ると引っ張った。指先がローラーに触れた次の瞬間、文明の体全体が一瞬細く平たくなった。そのまま、瞬時にローラーに、文明は吸い込まれていった。

 ドゥッ!

 文明の体が投げ出されたのは、明るくてやけに狭い、四隅を壁に囲まれた場所だった。

 狭すぎて足が壁に寄りかかり、頭が仰向けになっている、半ば逆立ちになっている状態。文明は、傍らに白い見慣れたものを見た。

 

(これって、洋式の便器!? っていうか、ここって公衆トイレの個室じゃないのか!?)

 

 扉を見ると、閉まっているその隙間に、先ほどと同じローラーがあった。

 そのローラーから、またも先ほどのスタンドが抜け出してきた。

 

『ったく、しつけーガキがよ~! 黙って帰りゃ、穏便に済ませてやったのに』

「スタンド使いは……芦田くんじゃなくって、お父さんだったのか!」

 

 文明は〈ガーブ・オブ・ロード〉を出現させると、布を向かわせた。

 だが、狭い空間にも関わらず、スタンドは布をいともたやすくすり抜けると、上の隙間から隣の個室へとすり抜けた。上から、目だけを出して、文明を見下ろす。

 

『そんなノロイ動きじゃ、この〈ベイシティ・ローラーズ〉は、捕まえられないぜ?』

「父親が、息子にカンニングさせて恥ずかしくないのか!?」

『いいかガキンチョ! 世の中はな、〈結果〉が全てなんだよ。うちの息子が校内1位取って、内申良くして、一流の大学に進む。そういう〈結果〉が大事なんだよ!』

「そのためにスタンドを悪用するのか! 冗談じゃない!」

『ククク……確かに、冗談じゃないよな。テメーにとってはな』

 

 ふと、文明は口元に違和感を感じ、その手で触れた。

 

(口が……ローラーになっている!?)

 

 突然、文明の口の中に、何かが流し込まれてきた。

 口の中から、喉の奥へと、焼けつくような感覚が広がってきた。

 

「うぷぅっ!」

『とっておきのウイスキーだ。ガキにはちと、もったいないがな』

 

 容赦なく流し込まれる液体を、文明の喉は堪えきれずに、飲み下してしまった。さらに、次々とウイスキーが送り込まれていく。吐き出そうにも、口元はローラーとなっていて全く動かせず、頭が仰向けになっているため、下にこぼすこともままならない。

 

『ほーれ、イッキ、イッキ! 最近の若いヤツは、コッチが誘ってやっても、一言で断りやがるからな。タップリ飲みな。ただし飲みすぎると、急性アルコール中毒であの世行き……ってなことに、なりがちだがなぁ~!』

 

 得意げに、煽ってきていたスタンドが、急に言葉を止めた。

 忌々しそうに、文明を隙間から見下ろすと、

 

『チッ、邪魔が入りやがった! 後で、ゆっくりお代わりさせてやる。それまで休憩してな!』

 

 〈ベイシティ・ローラーズ〉が、素早い動きで、文明の口のローラーに飛び込んでいった。

 口元は元に戻ったものの、ほとんど酒など口にしたことがなかった文明の体には、強烈な酔いが回り始めていた。

 

「動か、ないと……ッ!」

 

 狭すぎる個室の中で、文明は手足をバタつかせながら、目が回り始めるのを感じていた。

 



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第12話 試験に出るモンスター 後編

 陰険な笑みを浮かべながら、芦田父は玄関先で、上を向かせた姿勢の〈ベイシティ・ローラーズ〉の、ローラー付きの口にウイスキーを注ぎ続けていた。〈ベイシティ・ローラーズ〉は2体1組のスタンドで、1体が送り込む側、もう1体がそれを吐き出す側のローラーを担当していた。

 その脇では、芦田家で飼っている犬が、変わらず吠え続けていた。

 

「まったく、あのバカ担任が席替えなんぞするから、こんな余計な作業まで……」

「席替えが、いかがされましたか?」

 

 後ろから予期せぬ声が聞こえてきて、芦田父は思わず、手にしていたウイスキーのボトルを取り落してしまった。踏み石に落下したボトルが、甲高い音を立てて砕け、中身のウイスキーが辺りに飛び散った。

 〈ベイシティ・ローラーズ〉は、対となる2体のスタンドが近くにいないと解除できない。先ほどまでウイスキーを注がれていたスタンドの口から、もう1体が飛び出してくると、芦田父は急いでスタンドを消した。

 

「何だいきなり!? ア、アンタは」

「城南学園で教師をいたしております、神原と申します。1年3組の、芦田くんのお父様ですか?」

 

 玄関灯で照らされた、スーツ姿の神原の顔は、夜を背にしていると、芦田父でも思わずドキッとするほど、一種の色香を漂わせていた。

 

「だから何だ!? アンタは担任でも何でもないだろう!? 何の用だ!」

「ご存じかもしれませんが、今日の模擬試験で、1年3組において、一人の女生徒にカンニングの嫌疑がかけられました」

「それがどうした! うちの息子と、何の関係がある!」

 

 声を上げて恫喝しつつも、芦田父はいつもよりも脇汗をかいていた。

 

(なんで、今回に限って、次々と嗅ぎつけてくる!? あのガキはともかく、教師はマズい!)

 

「話の続きの前に、足元のボトル。破片が飛び散っていますね。お怪我でもされてはお気の毒です。まずは、お掃除なされては?」

「お、大きなお世話だ! これからやるから、とっとと帰ってくれ!」

「いえ、お話はさせていただきたく思いますので。お待ちしていますので、どうぞお掃きになって下さい。こちらは急ぎませんので」

 

 神原の涼やかな雰囲気を前に、なぜか反論の言葉も出てこない。

 芦田父は苦虫を噛み潰したような顔で、縦に取っ手が長く伸びたチリ取りを持ってくると、散らばった破片を掃き集めていった。

 

 

 

 

 

 芦田父が玄関先を『お掃きになって』いる頃、文明は便器に向かって『お吐きになって』いた。

 一通り終えて、肩で息をしながら、這いつくばっている文明。

 

(さっきよりは、マシになったけど……。これはキツい。まったく、酒なんかのどこがそんなにイイんだ? 苦くて、アルコールの味がキツくて、とてもウマいなんて思えない)

 

 胃は相変わらずムカついており、体が重苦しい。視界が、グラグラ揺れている。

 

(京次くんだったら、平気な顔して飲んでるんだろうか? ……何考えてるんだよ! 早く、ここから脱出しないと)

 

 文明は、跪いたままでレバーをどうにか回して水を流すと、便器の蓋を閉じた。それに手をかけて、踏ん張りながら、床から立ち上がる。頭がふらついて、横の壁に体が倒れこんだ。どうにか押し返して、扉を開けて個室から出る。

 

(またあのスタンドがやってきても、これじゃとても戦うどころじゃない。最悪……また、飲まされるかもしれない! 冗談じゃない! これ以上飲まされたら、本当に救急車のお世話になりかねない。下手すれば死ぬ。っていうか、現に今、死にそうな気分……)

 

 フラフラしながら、文明が目にしたのは、手洗い場に残されていた、空き缶の入ったビニール袋。

 多少の罪悪感はあったものの、文明は空き缶を放り出すと、ビニール袋を手にした。

 

(これでまた吐き戻しても、ビニール袋で受け……)

 

 そう考えた時、喉元にこみあげるものを感じ、文明は早速、ビニール袋を役立てた。

 

 

 

 

「終わりましたか? では、お話をさせていただきます」

「……手短にな! これでも忙しいんだ」

 

 破片入りのチリ取りを乱雑に置き捨てると、芦田父は不機嫌な顔を神原に見せた。

 

「これを持参しました。嫌疑がかけられた女生徒のペンケースに挟み込まれておりました、数学の公式が書かれたカンニングペーパーのコピーです。本物はもっと小さいですが」

「それが、どうかしたのか!」

「公式の頭に、【3】と番号が振られており、囲みの下線が見えています。これは、隣町の中田塾で使用されているプリントの一部だということは確認できました。中田塾は、オリジナルのプリントを用いますから、これを所有しているのは中田塾に通う生徒であると推測されます」

 

 芦田父の顔色が、明らかに変わった。

 

「嫌疑がかけられた女生徒は、中田塾には通っておりません。あの塾は、学区から離れていますからね。というより、1年3組で中田塾に通う生徒はただ一人……あなたの息子さんです」

「ウ、ウチの息子を疑うのか!?」

「さらに言うなら、試験の直前に席替えが行われました。例の女生徒が座っていた席は、元は間庭愛理くんが座っていた席です。彼女は前回の模試で、校内はもちろん全国1位でありました。校内2位は、芦田くんでした」

「き、貴様……!」

「しかしながら一つ疑問があります。芦田くんが、何らかの方法で間庭くんに仕掛けたと仮定します。席替えが行われたとしても、芦田くんは当然、間庭くんの新たな席が分かっていますから、元の席に仕掛けるのは奇妙です。もし間庭くんを狙った者がいたならば、その人物は間庭くんの席は分かっていても、顔を知らなかったと思われます。つまり犯人は」

 

 神原は、顔を引きつらせている芦田父を見つめていた。

 

「クラスの生徒や教師ではなく、間庭くんの席を知る情報源を有しており、かつ間庭くんを犯人に仕立て上げるメリットを持つ人物。そして何より……スタンド使いである可能性が、極めて高い! あなたは先ほど、スタンドを出しておられた!」

 

 神原の言葉が終わらないうちに、〈ベイシティ・ローラーズ〉2体が、芦田父の肩口に出現した。

 1体が玄関から飛び去って行き、もう1体は、目にも止まらないスピードで、神原のネクタイを口のローラーに吸い込んだ。

 神原は、自分が細長くなって、ローラーに飲み込まれるのを実感した。

 一瞬後、神原は出口のローラーから吐き出された。

 

(宅配便トラックの背面!?)

 

 グッ! と、神原の首が締まった。

 神原のネクタイの先端は、ローラーに挟まったままだった。そのローラーは、今も道路を走っていくトラックの荷台の扉の間に取り付けられていた。神原の体は、ネクタイでトラックの荷台につながっており、走るトラックに引っ張られている状態となっていた。

 

(何とかしなければ、トラックに引きずられていくだけだ! だが、今すぐネクタイを切れば、この勢いで道路に転がされる。大怪我は免れん!)

 

 今にも道路に落下しようとしている神原の目に、すぐ隣を飛んでいく〈ベイシティ・ローラーズ〉のニヤケた顔が、チラリと見えた。

 

 

 

 

 

「う……げ……」

 

 フラフラになりながらも、文明は道路に向かっていた。

 自分のいるところが、芦田家のすぐ前に広がっていた公園であることは、道路の向こう側に見える家々の様子で分かっていた。

 小さな出入口で道路を前にして、文明は右に少し離れたところで、犬が鳴き続けている声を聞いた。

 

(これからどうする? 芦田くんを問い質すにしても、酔いが抜けてない今の状態じゃ、さすがに無理だ。仕方ない、今日は帰るか。っていうか、気が急いて一人でいきなり押しかけたのは、考えが甘すぎた。明日、神原先生やジョーカーズのみんなと相談しよう……)

 

 そう思いつつ、芦田家の方に目をやった時。

 道路の奥から、〈ベイシティ・ローラーズ〉の小さな姿が、こちらの方向へ飛んでくるのが見えた。

 つい反射的に、文明は慌てて公園の茂みに引っ込んでしまう。本音を言うと、〈ベイシティ・ローラーズ〉そのものより、酒に対する恐怖心の方が強かった。

 だが、〈ベイシティ・ローラーズ〉は、芦田家の玄関先で、家の方へと入り込んでいった。妙に切羽詰まった雰囲気が感じられて、文明は安堵と同時に、不思議に感じた。

 それを追うように、道路を歩いてくる人影を、文明は見た。

 

(あれは、神原先生!? スタンドを、出してる……。あれが先生のスタンド……!)

 

 そのスタンドの、どこか禍々しい、吸血鬼を思わせる姿に、見てはいけないものを見てしまったような思いに囚われ、文明は胸騒ぎがした。

 

 

 

 

 

 

 神原が、芦田家の門前で立ち止まり、玄関を向いた。そのネクタイは、鋭利な刃物で斬られたように真ん中で寸断されている。

 芦田父は目を見開いて、〈ベイシティ・ローラーズ〉2体と共に、後ずさって玄関の扉に寄りかかった。

 

「お待たせしました。生憎ですが、私のスタンド〈ノスフェラトゥ〉は、飛行が可能なのですよ。攻撃の手際は悪くありませんが、あの程度の仕掛けでは、戦い慣れたスタンド使い相手には通用しませんよ」

「だ、黙れ!」

「事が露見した以上、カンニングなどという不正は、もはやできないとお思い下さい。息子さんの将来を慮ってのことだというのは理解できますが、的外れの助力は、結局は彼のためになりませんよ」

 

(神原先生も、あのお父さんのやったことに感づいてたんだ!)

 

 離れて聞いていた文明も、そのことを理解した。

 芦田父は、ワナワナ震えていたが、

 

「若造が……!」

 

 すぐ側に置かれていた、長い取っ手のチリ取りを取り上げた。〈ベイシティ・ローラーズ〉のうち1体が、それぞれ素早く飛んだ。

 もう一体の〈ベイシティ・ローラーズ〉がチリ取りの真下に潜り込み、その口のローラーに、芦田父はチリ取りに入ったボトルの欠片をザラザラと流し込んだ。

 先に飛んだ〈ベイシティ・ローラーズ〉が、神原の背後に回り込みながら、口のローラーから、ボトルの破片を神原目掛けて、勢いよく吐き出していった。

 〈ノスフェラトゥ〉のマントが翻ると、神原の体を包み込んだ。ボトルの破片は、難なく弾かれ、路面にバラバラと撒かれていった。

 

「む!?」

 

 神原は、足元に目をやった。

 もう1体の〈ベイシティ・ローラーズ〉が、神原の靴ヒモの輪っかに、犬のリードのフックを引っかけていた。ニヤリ、と狡猾な笑みを浮かべていた。ボトルの破片による攻撃は、フックを引っかけるための目くらましに過ぎなかった。

 

「戦い慣れたスタンドとやらが、この攻撃も防げるか試してやる!」

 

 〈ベイシティ・ローラーズ〉が、リードを引っ張った。長いリードが、道路を横切っていく。その先にある側溝の蓋の隙間に、ローラーが出現した。そこに、スタンドがリードの先端を滑り込ませた。リードが一気に吸い込まれていき、ピン! と張られた。

 神原の足が、リードに引っ張られた。抗しきれず、神原が転倒する。地面に落ちたボトルの大きな破片が、神原の服を突き破り、体に突き刺さった。苦痛の声が、神原の口から洩れた。

 なおも、リードは神原を引きずっていく。神原の足が、歩道から車道に出ようとしていた。

 

「〈ノスフェラトゥ〉!」

 

 翻るマントが、リードに斬りつけた。だが、マントは路面を削るだけ。路面にピッタリ張られているリードは、切れる様子がない。

 その姿を見た文明は、さらに、トラックが道路の先から走ってくるのを見て蒼白になった。

 

(あのまま引っ張られていったら、轢かれる! 助け……この距離じゃ間に合わない!)

 

 文明は、すぐ目の前で神原が轢き殺されるのを、ただ見るしかなかった。

 神原は、最後の手段に出る覚悟を決めた。

 

「〈ノスフェラトゥ〉!!」

 

 マントが、再度翻った。

 鋭い切れ味のマントの裾が、リードに引きずられる神原の足を、両断した。神原は歯を食いしばって苦痛に耐える。その切断面からは、激しく血が吹き出し、路面を濡らした。トラックは、そのまま走り去っていった。

 

「バカな!? 自分の足を斬った!?」

 

 驚愕のあまり、固まる芦田父。それは、遠くで見守る文明も一緒だった。

 

「……〈エナジードレイン〉!!」

 

 〈ノスフェラトゥ〉の爪が伸び、芦田父に突き立てられた。

 

「しまッ……う、あぁぁぁ……ッ……」

 

 芦田父の体から、精力が吸い取られていく。スタンドが消え、立つことすら叶わなくなり、芦田父は尻もちをついた。そして、爪が引き抜かれる。

 

「……クッ……ククク…… WRYYY、OOO!」

 

 幾分抑えめでこそあったが、神原の咆哮が響いた。

 

(あ……あれが、神原先生!? まさか……!)

 

 文明は、自分の目で見ているものが、信じられなかった。

 いつもの、理性的な神原では到底なかった。離れていても分かるほど、目が爛々と禍々しい光を帯び、口元からは牙らしきものが明かりに照らされて見える。異形のオーラが、その体全体に感じられた。

 傍に立つスタンドも、体つきが一回り以上大きくなり、強大なパワーを有することを示していた。

 

「まさか、貴様ごとき虫ケラに、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉を披露することになろうとはな。褒めてつかわすぞ、下郎……!」

 

 神原の吐き出す言葉に、文明は、変貌しているのは姿だけではないことを、理解せずにはいられなかった。

 玄関に寄りかかったまま、ガタガタ震えている芦田父。その股が、濡れて染まっていた。

 神原はそんな芦田父を一瞥すると、歩道に転がっていた、自分の足を拾い上げた。そして、まだ血が吹いている切断面同士を、ピタリと合わせている。

 

「む、これで良かろう。まだ完全ではないが、すぐに馴染む」

 

 足を降ろすと、トントン、と地面を踏みならして、感触を確認していた。切断面は、明らかにくっついていた。

 

「購入したばかりのスーツを台無しにしおって。実に腹立たしい」

「ヒィッ……あぁぁ……」

 

 その脇では、ドーベルマンが神原に吠えたてながら、鎖を引っ張っていた。

 鎖が、切れた。ドーベルマンが、神原に飛びかかり、その腕に噛みついた。

 

「フン。畜生風情が、その忠義だけは褒めてやる。だが、相手が悪すぎたと知れ!」

 

 神原は、犬の重さなど感じないかのように、無造作に腕を上に振った。ドーベルマンの口が勢いで外れ、夜空に高々とその体が舞い上がった。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、空中のドーベルマンに突き刺さった。

 

「〈エナジードレイン〉!」

 

 その言葉と同時に、ドーベルマンの肉体は、瞬時に四散した。

 茂みからそれを見ていた文明。玄関でへたりこんでいる芦田父。どちらも、その情景に、もはや言葉も出てこなかった。

 

「さて、どうする?」

 

 神原は、悪魔の笑みを浮かべながら、芦田父に問いかけた。

 芦田父は、弾かれたようにその場に這いつくばり、頭を地面に叩きつけた。

 

「私が悪うございました! もう二度と致しません! ですから、命だけは……!」

「二度としない、というのは? 下らぬカンニングだけのことか?」

「いえ、いえ! ス、スタンドを悪用は決して致しません! 神仏に誓って!」

「ならば、明日にでも息子に、学校に伝えさせよ。今回の一件は己の為したことであり、女生徒に濡れ衣を着せた、とな。愚かな父親を持った息子が哀れと思わぬでもないが、その父親に逆らうことなく不正を行った以上、無罪とはいかぬ」

「は、はい……」

 

 そして神原は、芦田父から視線を外し、スタンドを消すと、元来た道を戻り始めた。

 

「貴様に従った息子まで、保身のために差し出すか。つくづく見下げ果てた下郎よ。我が街に貴様のような輩が巣くっているというのは、豪奢な食卓にゴキブリが這い出すがごとき汚らわしさだ」

 

 立ち去っていく神原の背中から、文明は目が離せなかった。やがて闇にその姿が消える直前、神原の体から発せられるオーラがスゥッと消えるのを感じた。

 

(神原先生……あなたは一体、何者なんですか?)

 

 文明の体からは、もはや酔いなど吹っ飛んでしまっていた。

 ヨタヨタと、文明は神原とは逆の方向へと、帰り始めた。

 すぐ側の家から、声が聞こえてきた。

 

「なあ。芦田さんち、さっきから騒がしくないか?」

「放っときなさいよ。あの人がトラブル起こすのは、今に始まったことじゃないでしょ? この辺の人たち、みんなあの人のこと嫌ってるし。関りにならないのが一番よ」

 

 そんな会話もろくに耳に入らず、文明の頭の中では、神原の先ほどの姿がずっと居残っていた。

 芦田親子が街から引っ越していき、いなくなったのは、それから一週間も経たないうちのことであった。風の噂によると芦田は、離婚後に離れて暮らしていた母親の元に、引き取られていったという。

 



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第13話 狼男フレミング

『笠間。あなたのお家芸の計略も、ずいぶん鈍ったんじゃない?』

 

 WEB電話の向こうで、女は冷ややかに言った。

 

『せっかく貸し出したスタンド使いを、またも倒されるなんて』

「完全に予想外でした。まさか、蚊のサイズのスタンドまで発見して打ち落とすとは。神原の取り巻きども、侮れません」

『あれは、理事長選出会議の時に、多数派工作が不調だった時に使うつもりだったのよ。あなたが、ウォーミングアップも必要などと軽口を叩くから』

「申し訳ございません」

 

 笠間は、深々とカメラに頭を下げた。

 

「しかし、ヤツを使う必要もなかったと思いますよ。私がお渡しした、理事の連中の弱みをチラつかせれば、工作は楽なものでしょう?」

『確かにね。そこは、よくやってくれたわ。ようやく、待ちに待った時が来るというわけね』

 

 甘やかに上擦る声。己の野望を果たそうとしている女の、歓喜が噴き出していた。

 

『コホン……。その前に、ゴミ掃除はしておきたいわ。もう一度、神原に仕掛けます』

「なぜ、そう勝負を急ぐのですか? 神原は、あなたが〈スィート・メモリーズ〉を供給していることは知らないはず。知っていれば、とっくに向こうが仕掛けています。理事長選出が済んでから、じっくり料理すればいいではありませんか。どうせ、会議ではあの男は投票権どころか、出席すらできないというのに。所詮は、一介の新任教師ですよ?」

『……少しでも、不確定要素は消したい。あの男がその気になれば、あらゆる手を使って会議をひっくり返しかねないのよ。分からない?』

「そのご意見もどうかと。これでは、いたずらにヤツを刺激しているだけです」

『倒せれば、問題はないわ。そうでしょう?』

 

(……勝算があるのか? この女)

 

『ドレスの霞の目博士。あなたも知っているでしょう?』

「ドレス!? ……また、大昔の組織を引っ張り出してきましたね。あんなもの、もうとっくに壊滅しているでしょう? まさか、霞の目博士が生きているとか言い出さないでしょうね?」

『まさか。私は、彼の研究の遺産を手に入れただけよ』

 

 さすがの笠間も、戦慄を覚えざるを得なかった。

 霞の目博士。かつて、秘密組織ドレスのマッドサイエンティストであった男。遺伝子を操作した動物達を、過酷な環境で育成するという方法で、生物兵器を生み出していたという。

 

「ですが……いくら生物兵器といえども、スタンドが使えるわけでもないでしょう?」

『その点は、問題ないわ。なぜならその生物兵器そのものが、スタンドだからよ』

「!?」

『どうやら、霞の目博士の助手が、独自に作り上げたらしいわ。本体はドレス壊滅の時に死亡してるけど、 よっぽど未練があったのでしょうね。死体と化した生物兵器に、本体がスタンドという命を新たに吹き込んだ。自分の命と引き換えにね。まったく、科学者という連中の気が知れないわね』

「……同感ですね……。それをお使いになる、と。制御は効くのですか?」

『幸い、知性はあるから、こちらの命令は理解できるわ』

「分かりました。お任せします」

 

 そして、通信が切れた。

 笠間は、唇を噛んだ。

 

(……切り札を持っているとは思っていたが、ついに出すか。とにかく、百聞は一見に如かず、だ)

 

 

 

 

 

 数日後、放課後のこと。

 夕焼けの中、京次と神原が連れ立って歩道を歩いていた。二人の手には、スーパーの袋がぶら下がっている。

 

「だけどよぉ。先生がスーパーで買い物してるなんて思わなかったぜ。イメージにねぇもんな」

「いやいや、私に言わせれば、君こそ野菜コーナーで念入りに品定めしているとは思わんよ」

「俺はいつも自分で料理するんですよ」

「何と、そうなのか! お父上との二人暮らしとは聞いていたが。今日は何を作るのかね?」

「今日は簡単にラタテュイユですよ。先生は?」

「うむ。蓮根のよいものがあったので、筑前煮にしようと思う」

「ちくぜんにー!? 先生が!? 純和風じゃねぇか! イギリス料理じゃねえのかよ」

「私は日本料理が好きなのだ。イギリスのものは私にはどうも……そのな……」

 

 神原が、いつになく口ごもっている。

 彼らの背後から、一枚の名刺サイズのカードが回転しながら飛来してきているのに気づかずに。

 

「ぐっ!?」

 

 京次の後頭部に、強烈な打撃が命中した。一瞬遅れて、地面にガラスの砕ける音。

 神原が驚いて京次を見ると、その足元に、普通の住居に使われるサイズのサッシ窓が、ガラスを粉々にして落ちていた。窓枠の一部が、大きくへこんでいる。京次の後頭部に当たった場所なのは、明白だった。

 

「何者!?」

 

 頭を押さえて呻く京次を背後に隠して、神原が誰何した。

 すぐ近くに止まっていたワゴン車の扉が開くと同時に、何度も味わった感覚が神原を襲った。

 

「自己紹介しておきましょう。私は深田と申します。〈ミステリアス・キャッツアイ〉のスタンド使いです」

「〈消滅する時間〉か。貴様ら、私の首を取りに来たか!」

「フフフ……血相を変えますね。大好物の、人間の血が吸えなくて欲求不満ですか。吸血鬼のあなたとしては」

 

 ワゴン車から降りてきた、三十絡みのジャケットを着た男がせせら笑ってきた。

 

「口を慎め。私は人間だ」

「よくもヌケヌケと。それでは、試してみましょうか。このフレミングで」

 

 続いて、ワゴン車から降りてきた姿に、神原も息を飲んだ。

 顔面が、狼のそれであった。黒い毛皮に身を包んでいても分かるほど、引き締まった筋肉で全身が造り上げられている。肩にあるパットらしきものは、外側が鋭利に尖っている。人間と同じ二足歩行だが、肩や手足の関節、反り返った腰、それらが明らかに人間のフォルムではなく、獣のそれであった。

 神原が、買い物袋を置いて、スタンドを出そうとした時。

 

「上等じゃねぇか、犬ッコロが!! 俺が相手になってやる!」

 

 京次が、一足先にスタンドに身を包み、駆け出していた。

 神原が制止しようとした時、深田がカードを京次の頭上に投げつけた。

 

「キューブ!」

 

 ガシャンッ!

 男の声と共に、京次の周囲を、縦横3メートルほどの、4枚の正方形のフェンスが取り囲んだ。次の瞬間、足の下にも頭上にもフェンスが出現。フェンスの六面体の中に、京次は取り囲まれてしまった。

 

「武原くん!」

 

 叫ぶ神原に、フレミングと呼ばれた狼男が、両方の掌を向けた。猛禽類に近い形のその掌には、

指よりも太いくらいの穴が開いていた。

 そこから、何かが高速で打ち出された。ほとんど音がしない。

 

「!」

 

 〈ノスフェラトゥ〉のマントが振るわれた。飛来物が絡み取られ、払いのけられて、二回軽い音を立てて地面に落ちる。それらは、大きな銃弾から四方八方に棘が飛び出している代物だった。

 間髪入れずに、フレミングがダッシュしてきた。

 

(速い!?)

 

 間合いをあっという間に詰められ、神原は〈ノスフェラトゥ〉のマントを、エッジを効かせて振るった。エッジを効かせるとそれは刃となり、日本刀くらいの切れ味を出せる。

 だが、その間合いの直前で、フレミングはダッシュを止める。

 肩パットが両方とも、すぅっと宙に浮かんだ。尖った方とは逆の端から伸びたワイヤーで、肩と接続されている。

 ワイヤーが伸びて、肩パットが左右から神原に迫る。

 再び、マントが振られた。右のパットは直撃、左のパットはロープにエッジが擦り付けられる。が、どちらも破壊には至らず、宙でわずかに跳ねのけられただけであった。

 

「〈エナジー・ドレイン〉!」

 

 〈ノスフェラトゥ〉が、右手の爪を全て伸ばした。フレミングの胴体に、鋭く突き立てられる。

 が、爪先は刺さらなかった。固い物に当たった軽い音を立てて、跳ね返されたのだ。

 

(これは!? ただの皮膚ではない。昆虫や甲殻類の外骨格に近い!?)

 

 肩パットのロープが、蛇のようにうねりながら再び伸びた。片方はマントで防いだものの、もう片方はかわしきれず、太股に尖った先端が突きこまれた。

 

「ぐうっ……!」

 

 先端が引き抜かれた傷口から、鮮血が噴き出す。血まみれになり、よろめく神原に、さらにフレミングが詰め寄っていく。

 

「やめろ! 出せよコラ!」

 

 スタンドをまとい、フェンスを殴り、蹴りだす京次。

 

「無駄なことを。針金を編んで作られたフェンスは、打撃の衝撃を吸収する。だから、壁の代わりとして用いられるのですよ。殴る蹴るで破れるものか。あなたは神原の後で殺しますから、じっとしてなさい」

 

 冷ややかに、深田が言い放つ。

 

「フレミング! とっとと神原を捕まえてしまいなさい。電流で黒焦げにしてしまえば、面倒がない」

「黙れ。深田」

「な……」

「貴様が俺に命令するな。俺に命令できるのは、亜貴恵様だけだ」

「亜貴恵だと……!?」

 

 神原が、フレミングを睨んだ。

 

「やはり、副理事長の城之内亜貴恵か! あの女がクイン・ビーだったということか」

「ご主人様を呼び捨てにするな。吸血コウモリ風情が……!」

 

 にじり寄るフレミングが、両方の拳を構えた。

 〈ノスフェラトゥ〉も、応じるように構える。

 双方のラッシュが、始まった。

 

「挽肉にしてくれる! ノバノバノバノバノバノバノバノバノバ!!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」

「ノバッ!!」

「……ぐっ!?」

 

 〈ノスフェラトゥ〉の腕のガードが開いた瞬間、フレミングの拳がその胴体に食い込んだ。

 

「ノー・バーキン!(吠えたてるな)」

 

 フレミングの台詞と共に、神原の口から血が飛び出した。

 

「やめろッつってんだろうが!!」

 

 京次は、なおも金網を殴りまくるが、フレミングは無視して、再び両方の掌を神原に向けた。

 弾丸が発射され、神原の左肩に食い込む。体内で、無数の棘がさらに傷を広げたのを、神原は激痛によって知った。

 神原の左腕を捕まえたフレミングが、その喉笛に食らいつこうとした。右腕でかろうじて防ぐが、その腕に牙が深々と食い込み、神原に呻きを上げさせる。

 

(くそッッ!! こんな金網なんかで! 破れろよ壊れろよ!)

 

 そう思った時。

 突如、京次の頭に掠めるものがあった。

 

(前にも、同じようなことを考えたことがあったぞ。確か……)

 

 キャンプ先の湖で、ナマズのスタンド使いを、岩を蹴りつけて振動で気絶させた時のこと。

 京次の脳内に、天啓が下った。

 

(もしかしたら……やってやるか!)

 

 京次は、無暗に殴るのを、ピタリとやめた。

 正拳突きの構えを取り、じっと集中する。深田が、不思議そうにそれを眺めた。

 高めた集中が、頂点に達した刹那。

 

「邪魔ッ!!」

 

 精神力を込めた正拳が、金網に叩きこまれた。

 ジャンッ!! と、金網が鳴る。しかし、破れる様子は全くない。

 

「……まったく、何をするかと思えば。無駄なことを」

 

 深田が呆れた様子で肩を竦めたが、じきに違和感に気づいた。

 ガシャ……ガシャ……ガシャ……。

 金網の揺れが、止まらずに続いている。京次は、微動だにせず、金網を見つめている。

 ガシャ、ガシャ、ガシャ!

 揺れが、どんどん大きくなっていく。その音にフレミングも気づき、神原を殴る手を止めた。

 ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャッ!!

 金網の揺れは、もはや全体に広がっていた。檻が、激しく揺さぶられている。

 

「な、何をしたのですかこれは!?」

「うっせぇ!! 黙ってろ!」

 

 予想外の事態にうろたえる深田を、京次が怒鳴りつけた。

 やがて、金網の針金を固定していた金具が、幾つもきしみ始めた。

 バツッ!! バツッ!!

 一か所がついに外れ、さらにひずみが大きくなって、次々と金具が外れていく。

 

「邪魔ッ!!」

 

 京次が、金網の端を殴りつけた。

 残っていた端の金具がついに外れ、金網の角が枠から大きく外れた。

 振動がピタリと止まり、京次は外れた角から、金網を強引に押し曲げて出ようとする。

 

「で、出るな!」

 

 深田が、カードを何枚も投げつけた。手から離れるや、それらが大きなガラス板に変化する。

 京次が、〈足場〉を踏んで、空中に飛び上がり、ガラス板を回避する。

 それらが高い音を立てて割れるのを、背中で聞いた。

 

「そんなもん、今更通用するか!」

 

 空中を駆けてくる京次に、深田が慌ててカードをまた投げようとする。

 だが、すでに遅かった。京次の空中での蹴りが、深田の顔面をまともに捉えた。

 吹っ飛ばされて、白目を剥いて倒れた深田をチラリと見ただけで、着地した京次はフレミングに向き直った。

 

「次は、てめぇだウサギ野郎! 先生の分まで、ブチかましてやるぜ」

「俺をウサギ呼ばわりだと? 何を言っているのだ貴様」

 

 凶悪な笑みで近づく京次に、フレミングは血まみれになっている神原を放り出して、自分も向き直る。

 両者の間合いが、充分に縮まった。

 フレミングの肩パットが伸びてきた。それを京次はかわしつつ、フレミングの脇に回り込んでいく。

 忌々しそうにフレミングは、その長い腕を、京次の首目掛けて斜めに振り下ろした。

 京次はそれもかわすと、拳を胴体に叩きつけようとした。これは、フレミングの腕がガードする。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

「ノバノバノバノバノバノバノバノバノバ!!」

 

 両者のラッシュが、激しく交差する。

 そのうちの数発が、互いの体に食い込む。〈ブロンズ・マーベリック〉に身を包んでいる京次が、そのダメージに呻いた。

 すると、フレミングが急に、拳を繰り出すのをやめた。

 ダラン、と両腕を垂らしてみせる。京次は、予想しない行動に戸惑った。

 

「おう! どうしたんだ? もうスタミナ切れとか言わねぇだろうな?」

「……効かん」

「……何?」

「全然効かないのだ。貴様の拳が、な。所詮は人間の力だな」

 

 相手の言葉の意味が理解できた時、あまりの屈辱に、京次は蒼白になった。

 

「少しチャンスをくれてやる。ガードはしないから打ってこい」

「この野郎……! じゃ、効くようにブチこんでやらぁ!」

 

 腰だめの正拳突きを鳩尾に。ハイキックを側頭部に。顎にアッパーを。

 打ち込むものの、固い衝撃しか伝わってこない。フレミングは全く表情が変わらない。

 肩で荒い息をする京次に、フレミングは述べた。

 

「気はすんだか? これが、ただの人間と俺の違いだ」

「……ふっざけんじゃねぇ!! もう一発行くぞ、歯ァ食いしばれ!!」

 

 京次は、腰で拳を固めた。ギッ、と目の前で無防備に立っている狼男を睨みつける。

 

(こいつに、一泡吹かせてやる! これが効かなきゃ、生きてたって甲斐がねぇ。この場で死んでやらぁ!!)

 

 京次が、裂帛の気合を発して動いた。

 フレミングの横面にフックを叩きこんだ。今習得したての〈能力〉込みで。

 

「ぬうっ!?」

 

 グシャッ! とフレミングの頬がへこんだ。その周辺に、ヒビが入っている。

 フレミングの目の色が、微かに変わった。

 

「……俺の皮膚を割るとはな。 先ほどとは違う攻撃か?」

「〈振動〉を強化して、てめぇを殴った……」

 

 京次が、ボソリと口にした。

 

「俺はたった今、〈振動〉を操れるようになった。てめぇの分厚いツラの皮は、固ぇブンだけ、振動が逃げにくい」

「そうか。だが、こんなものはすぐに治る」

 

 みるみる、ヒビが塞がっていく。

 フレミングの肩パットが、またも宙を動いた。迫る肩パットを、京次は拳で弾く。振動込みではあるが、ワイヤーで減殺されて、フレミングの体にはろくに伝わっていないのは、傍目にも分かった。パットがうねるように迫り、京次は間合いを詰められない。

 片方のパットが、京次の腕に張り付いた。パットの内側から、脚のようなものが広がって食い込む。

 もう一つのパットが、今度は足に張り付いた。

 突然、京次の体全体に衝撃が走った。

 

「ぐあっ!?」

 

 痺れと共に、体の力が抜けてしまう京次。

 

「ほう、まだ生きているか。パットは、突き刺すだけではない。掴まえた相手に電流を流せる。その電圧は1千ボルト。知っているか? 家庭用の100ボルトでも、毎年のように死者が出ているのだ」

「く……」

 

 ガァッ、と、フレミングの顎が開いた。鮫を思わせる、鋭利な牙が並んでいる。それが、京次の喉笛に突き立てられようとしていた。

 ドガッ!

 横合いから伸びてきた何かが、フレミングを鋭く突いた。外骨格にかろうじて穴は空いたが、体内までは深く刺さりはしなかった。

 

「ふん……。やはり殻は頑丈だな。犬ではなく、カニか何かか貴様?」

 

 嘲りを含んだその声に、フレミングはそちらを見て、短く声を上げた。

 血みどろになっている神原が、爛々と目を光らせて屹立している。その傍には、先ほどとはまるで別物のスタンドが、爪を戻しつつ構えている。足元には、意識のない深田が転がっていた。

 

「弾丸はどうした? 牙から毒も送り込んだはずだが」

「あのようなもの、傷口をくりぬいて取り出せばすむこと。どうせ傷もすぐ治るからな。毒も、今の我には効きはせん。見よ、すでに日は落ちた。時間をかけすぎたのが、貴様の失敗だ」

 

 指さされた先を見ると、夕日はすでに沈み、空を薄暗がりが支配しようとしていた。

 

「この我と〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、直々に相手をしてやる。光栄に思うがいい!」

「正体を現したか。吸血鬼!」

 

 怪物としか言いようのない両者が、互いに詰め寄っていくのを、京次は動けないまま眺めていた。

 

「WRYYYYY……OOOO!! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」

「ノバノバノバノバノバノバノバノバノバ!!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉とフレミングの、ラッシュが交錯する。

 腕のガードを、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が弾いて崩した。そこにできた隙を突き、先ほど京次が作った傷跡を、拳が穿つ。ヒビが再び広がり、フレミングが思わず後ずさった。

 

「ぬ……!」

「速攻でとどめてくれる! 滅せよ!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉のマントの裾が、フレミングに斬りつけられた。

 逆袈裟に体が切り裂かれて、夥しい血が吹きあがった。

 ドウッ! と倒れる、深田の体。

 

「!?」

 

 神原が、深田のさっきまで倒れていた場所を見ると、ワゴン車がいつの間にか移動してきていた。透明な腕に引っ張られるように、フレミングが車に引きずり込まれようとしている。

 

「横槍は無用だ。まだ決着は……」

「いいから来い! 仕切り直しだ」

 

 車の中から聞こえるその声に、神原はそちらを睨んだ。

 

「〈クリスタル・チャイルド〉! 笠間も来ていたのか!」

「今日はこれくらいにしといてやるよ。じゃあなー!」

 

 扉が閉まると、ワゴン車は一目散に逃げ去っていった。

 

「あの曲者めが。あの犬と、こやつの位置を入れ替えたか」

 

 とても追えないと踏んだ神原は、深田の体に爪を突き立てた。絶命したばかりの深田の体が塵に変わり、消滅していく。

 

「……そいつが、あんたの本当の姿ってわけか?」

 

 振り返ると、京次がよろよろと立ち上がってきたのが見えた。

 

「さてな……。どちらが真の姿なのか、我にも分からぬ」

 

 皮肉な笑みが、みるみる寂しげなものに変わっていった。スタンドも元の〈ノスフェラトゥ〉に戻っていく。

 

「今の姿は、3分間しかもたないのだ。持続時間が切れた」

「ウルトラマンだなまるで。また、楽しみが一つ増えたぜ」

「……私を、倒すというのかね? 君たちにとっては、私は所詮、怪物ということなのかな」

「あぁ、そういうのは、俺にはどうでもいいんだ。あんたが、人間だろうが怪物だろうがな。俺に分かるのは、あんたがメチャクチャ強い姿を持ってるってことだけだ」

「そうか……君らしいな」

 

 京次は、笑みを消した。

 

「それよりだ。他の連中には、今見聞きしたことは洗いざらい話すぜ? あんたの本当の力についてもだ。あいつらは、あんたを信じてスタンドと戦ってる。あんたは、その信頼ってやつに答える義務があるだろ?」

「重々分かっている……。あのような怪物まで出てくる以上、彼らには今後どうするか選択する権利を与えたい。もし私についてきてくれるなら、私の背景を全て知っておいてもらいたい」

 

 京次は、真剣な顔で頷いた。

 



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第14話 【過去編】神原先生の昔話

 神原史門は、吸血鬼の父親と、人間の母親の間に生まれた。

 吸血鬼といっても、彼の父親は、古代において作られた石仮面と呼ばれる道具で、後天的に吸血鬼になった、元イギリス人だった。

 神原にある父親の記憶は、たった一つだけである。暗がりで幼い自分の顔を覗き込む、巨大な人影。それが、なぜだかとても恐ろしく、泣くことすらできなかったことを覚えている。

 彼は物心ついた頃に、母親と共に日本に移り住んだ。しかし、その母親も、ほどなくして病死。彼は、母方の実家である神原家に引き取られ、元外交官の祖父に育てられた。

 神原がスタンドに目覚めたのは、まだ小学生の頃であった。自分が、他人にない力を持っていることを知り、隠れて面白半分で、野良犬の精力を吸っていたりした。

 ある日、神原は祖父に呼びつけられた。祖父は、神原のやっていたことを知っていると話した。

 

『僕がやってたことは、やはりいけないことだったんだ……。僕は、見捨てられるんだ』

 

 神原は、真剣な面持ちの祖父を前にして、そう思った。

 しかし、祖父は彼に言った。

 

「人には……いや、生きとし生けるものには、それぞれ生まれ持った業というものがある。お前の場合は、人より深い業を背負っている。それはお前に一生ついて回るだろう」

 

 押し潰されそうな気持で、神原はその言葉を聞いていた。

 

「業を背負ったこと自体は、お前の責任ではない。しかし、己の業に負けてしまうことは、お前自身の人生を暗く歪ませることを意味する。業に負けることも人生、業を乗り越えることも人生だ。だがしかし、己に負けてしまったことを悟りながら、人生を終えることが果たして幸福だと思うか?」

「……」

「お前は業を身に受けると同時に、紛れもなく、正しい道を進みたいと願う精神がある。その心を見失うな。時には、業という暴れ馬を乗りこなしてでも、己の進むべき道を歩むのだ……」

 

 それから以降も、祖父は影日向となって、神原を育て上げ、城南学園に彼を進学させてくれた。

 城南学園で神原はある日、クラスメートにセミナーに誘われた。そのクラスメートの名は、笠間光博といった。

 興味本位で出かけたそのセミナーだったが、その内容に神原は戦慄を覚えた。セミナーとは表向きで、実のところ、吸血鬼を神祖として崇める新興宗教〈ダーク・ワールド・オーダー〉だったのである。

 教祖は、かつてその吸血鬼から力を授かったという触れ込みの、中年女であった。女は常に顔を石のような仮面で隠しており、信者にセラフネームと呼ばれる別名を与えていた。教祖のセラフネームは、クイン・ビーであった。

 神原はなぜだかその吸血鬼のことが気になり、調べていった。その結果、神祖である吸血鬼が、既に滅ぼされた自分の父親であることを知り、大きな衝撃を受けた。

 そして、彼は心の中で誓った。

 

(この組織は、何としても潰す。自分の血にまつわる汚辱は、葬り去る)

 

 しかし神原は、入信はしたものの、一介の新参の信者にすぎない。そこで彼は、自分の素性と能力を、限られた人間に示すことで、教団内部での派閥を密かに作り上げていった。

 クイン・ビーは口先では世界の改革を叫び、神祖の復活を祈っていたが、実のところは教団を利用した金儲けにしか興味がないことは、すぐに理解できた。それに気づき、内心で不満を持つ者たちを引き込むのは、それほど難しいことではなかった。

 水面下でのその動きに気づいたのが、彼を教団に引っ張り込んだ笠間であった。

 

「神原。お前のセラフネームが変わることになった。明日からお前はグレート・サンと呼ばれる」

「どういうことだ?」

「とぼけるなよ。お前が、神祖の血を引き継ぐ息子だっていうのは、調べがついてるんだ。お前は秘密にしてるようだが、明らかにしてもらうぞ。その上で、クイン・ビーに改めて忠誠を誓え」

「……なぜ、血を継ぐ私が、教団の長ではいけないのだ?」

「ふん……お前が、本当は教団の長なんて望んでいないのは分かってるんだ。本当の狙いは、この教団を分裂させて潰すこと。顔にそう書いてある……」

「何を言っているのか、分からないが」

「それは俺にとっては、嬉しくない話なんだよ。内心で人間を信じているお前よりも、クイン・ビーの方が、俺には都合がいいのさ」

「都合がいいだと!? 貴様、何を企んでいる」

「別に。どうせ下らない世の中だ。せいぜい、面白おかしく引っ掻き回してやりたい。それだけのことさ。それには、このクソッタレな教団も役に立ちそうだからな」

 

 その後、神原のセラフネームは変わり、神祖の血筋ということで、幹部に抜擢された。神原は表面上はクイン・ビーに忠誠を誓っていたが、裏では派閥作りは中止せず、ついには組織の大きな部分を掌握する派閥のリーダーにまでのし上がっていた。

 笠間の動きには常に気を配っていた神原だが、ある頃を境に、笠間の行動が変化していった。それまでは分裂を防ぐ方向で、時には信者を脅すような行動も目立ったのに、そうした行為があまり見られなくなったのだ。クイン・ビーに叱責されない程度に、最低限の仕事だけをこなすだけの男になっていき、それが神原には却って不気味に感じられていた。

 そして神原が入信してから二年後、ついに教団の派閥抗争が表面化した。

 教団は分裂し、それを契機にクイン・ビーも教団をあっさり解散。神原も、新たに立ち上げた新教団を維持する必要を感じなくなり、そちらも解散させた。これによって、〈ダーク・ワールド・オーダー〉は、神原の狙い通り、消滅したのである。

 それからは、普通の人生を生きるつもりであった神原は、教職を志していた。かつての祖父のように、『人を正しい方向に導く』人間を目指したかったのだ。

 そんなある日、城南学園の理事長の縁者であった、間庭数馬と会った。出会った当時は、まだ教師の一人に過ぎなかった数馬は、すでに校長になっていた。

 

「神原くん。〈スィート・メモリーズ〉を覚えているかね?」

「! 忘れはしません。クイン・ビーが、奇跡の技と称して手渡していたスタンドです。あの女は、〈消滅する時間〉を利用して、汚れ仕事を信者にさせるために、それを使わせていた……」

「あのスタンドが……また使われているようなのだ。城南学園の中で。しかも、スタンド使いを生み出す〈矢〉まで用いている可能性もある」

「何ということ……。するとクイン・ビーが、城南学園に潜り込んでいると?」

「おそらくは。かつて君は、学園に入り込んでいた、〈ダーク・ワールド・オーダー〉に関わるグループを一掃してくれた。おかげで、道を踏み外す生徒もいなくなった。心から感謝している……」

「あの頃は、間庭先生にも随分、尽力いただきました」

「……私は、あの学園が好きなんだよ。私も元は、学園で青春を過ごした。大切な思い出の場所でもある。それを……得体のしれないものに、汚されたくない」

「……」

「お願いしたいことがある。我が校の教師となって、〈スィート・メモリーズ〉が使われなくなるよう、力を貸してもらえないか? 放っておけば、おそらくは多くの不幸な人間が出てくる。あの頃のように」

「……それは私も同感です」

「スタンド使いではない私では、どうにもならない部分がある。君には辛い思いをさせてしまうかもしれないが、他に頼れる人がいないのだ。この通りだ……!」

 

 深々と頭を下げる数馬の、真摯な態度に打たれ、神原はその申し出を受けた。

 そして京次、遥音の二人が〈矢〉でスタンド使いになった時に、神原はいち早く二人に接触した。二人とも〈力〉に振り回されるだけではない、正道を歩んでいこうとする人間であることを見て取った神原は、京次に推薦された航希も含め、共にジョーカーズの前身を作っていったのである。

 



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第15話 城之内家系図、および部員会議

 過去の話を、〈スィート・ホーム〉の仏間に集合した、ジョーカーズ一同の前で語り終えた神原は、深いため息をついた。

 

「……そして今、クイン・ビーであろうと思われる城之内亜貴恵は、この学園の副理事長になっている」

「何で!? どうしてそんな、教祖あがりの怪しい女が、この学校の副理事長なんかになってンのさ!」

 

 遥音が噛みつくように詰め寄った。

 

「ってゆーかさ、城之内っていうくらいだから、元から理事長の一族なんじゃないの?」

「服部くんの言うことは、概ね正しい。状況を知ってもらうため、城之内一族の構成を説明しよう」

 

 神原は一枚の紙を取り出し、家系図をそこに書きつつ語っていった。

 いつの間にか、幽霊猫の炭三までちゃっかり加わり、その家系図を眺めている。

 

 

 【】内は故人      間庭数馬-愛理(養女)

              │    ↑

            【間庭謙介】 │

              ├--間庭愛理

            ┌【信乃】

 【城之内恵三】-茂春-┤

            └【雅史】 ┌未麗

              ├- -┤

       (旧姓:満島)亜貴恵  └聖也  

 

 

 

「敬称は略させてもらう。城南学園の創始者は、炭三君の朋友であった城之内恵三だ。現在の理事長は、恵三の息子の茂春。茂春には、長女の信乃と、その弟で長男である雅史の、二人の子供がいた。二人とも、既に故人となっているがな」

「両方? それじゃ、後継ぎがいないってこと?」

「それも説明していく。まず信乃だが、結婚して間庭姓となり、生徒会書記の愛理くんを生んだ。彼女が8歳の時、両親が共に交通事故で亡くなり、伯父の間庭数馬の養女となっている」

「ああ! 校長の娘だってのは知ってたけど、実の娘じゃないんだね?」

「その通りだ。そして雅史の妻こそが、城之内亜貴恵だ。元は一族の人間ではない」

「一気にキナ臭くなってきたね……」

 

 航希が、家系図を見据える。

 

「雅史なき後、亜貴恵は長男の妻であったことを足がかりに、副理事長の地位を手に入れた。そして今、現理事長の城之内茂春は来期で引退を表明している。来月には、次期理事長の選出会議が予定されている……」

「読めた! この亜貴恵が、理事長の椅子を狙ってるんだね!?」

「候補は二人。一人は、君の言うとおり、副理事長の亜貴恵。もう一人は、校長でもあり理事の一人でもある間庭数馬。最終的には、彼らを除いた九人の理事の投票で決まる……」

「待ってください」

 

 文明が、話を遮った。

 

「そもそも、新興宗教の教祖なんかやっていた人物が、学校経営に関わっていいんですか? ここは、特に宗教絡みの学校ではないでしょう?」

「だから、亜貴恵は自分の正体を隠して活動していたのだろうな」

「お金のため、ですか?」

「うむ……。元来、金に執着心の強い性格なのだろうと思うがな。しかし、きっかけと思える事柄がある」

「と、いうと?」

「亜貴恵は、亡くなった雅史との間に、二人の子供を作った。長女の未麗は、現在は成人して、理事ではないが評議会議長となっている。四歳下の長男・聖也だが……本来なら、私と同じ学年で、この学校に入っていただろうな」

「本来なら?」

「彼は……生まれた時から、全く意識がないのだ。現在も、どこかの病院で眠り続けているはずだ」

 

 全員が、息を飲んだ。

 

「テレビとかでは、時折聞く話ですけど……身近に聞くのは初めてです」

「当然、膨大な金額の医療費が必要なはずだ。そのために、亜貴恵はなりふり構わず金を搔き集めるようになったのだろう。そのための一手段として学園内の権力を欲していたが、やがて手段が目的化し、目的のためならいかなるドス黒い手段にも手を染めるようになった、というところだろう。スタンド使いを用いるのも、その一端だ」

「だったらよー」

 

 京次が、面倒くさそうに口を挟んできた。

 

「その亜貴恵を倒しちまえば、いいんじゃねぇか? スタンド使えば、できない相談じゃねぇだろ」

「京次くんッ!!」

 

 文明が、大声をあげた。

 

「通り魔みたいに襲うつもりか!? それをしてしまえば、奴らとやっていることが、何も変わらないだろッ!?」

「だけどよ、一番早道だぜ? 先生、なんでそうしない?」

「大きな理由は二つある」

 

 神原は、わずかに顔をしかめている。

 

「まず、亜貴恵がクイン・ビーであるのは十中八九間違いないと思っていたが、確証がなかった。もっとも、あのフレミングのおかげで、その点はクリアしたと思っていいが」

「ふうん……もう一つは?」

「これは、今後も頭に置いてもらいたことだが。クイン・ビーは、私を狙ってスタンド使いを差し向けているが、私が反撃してくる可能性を考えないわけがない。これが挑発で、反撃を待ち構えているとしたら、備えがあると考えるべきだ。実際、君と対決したあのフレミング、あれはおそらくクイン・ビーの切り札だろう。他にも強力な戦力があるかもしれん。敵の備えの全体像が分からないのに、いきなり飛び込むのは愚策極まる。特にスタンドというものは、能力によっては1体で戦局をひっくり返しかねないからな」

「……じゃ、先生はどうするつもりなんだよ?」

 

 いささかうんざりした風情で、京次が尋ねた。

 

「まずは、来月の理事長選出会議を待ちながら、敵の出方を見る。奴らも、タイムリミットが差し迫って、切羽詰まってきている。あのフレミングを出してくるくらいだからな。敵がジタバタ動けば動くほど、こちらは情報を得られて有利になる」

「だけどよ、敵が実力行使に出てきたら、どうするんだよ?」

「反亜貴恵派の理事を殺すとかかね? そこまでは、さすがにやれんよ。殺人ともなると、警察も乗り出してくる。学園を手に入れるのが目的なら、学園の評判を落としたり、警察にマークされるのは避けたいはずだ。たとえ証拠なく、やりおおせたとしても、ね」

 

 ここで、神原は言葉を切ると、全員を見回した。

 

「さて。君たちには、これからどうするか決める権利がある」

 

 全員が、真剣な表情で互いを見合う。

 

「聞いての通り、私が相手にしているのは、その全容もはっきりしない敵だ。スタンド使いを生み出せる矢が、奴らの手にある以上、敵の戦力もまだ増える可能性も充分ある。もっとも、適性のある人間は限られているが。それを踏まえて、君たちだけで話し合いたまえ。私は、席を外す」

「その前に、一言いいですか? 先生がいなくなってから、この話をするのは、陰口になってしまうと思うので」

 

 そう切り出した文明に、神原は頷いた。

 

「いいだろう。何だね?」

「実は僕は、神原先生のスタンドを見たことがあります。吸血鬼に変化した後の姿も」

 

 ジョーカーズの他の面々が、文明を凝視した。

 

「……いつのことだね?」

「先日のカンニング騒動です。実はあの直前、僕は芦田くんの家に押しかけてました。敵にいいようにあしらわれて、公園に追い出されましたが。そこから、先生が戦うのを見かけたんです」

「そうか……見られてたか」

 

 神原は、目を閉じた。

 

「あの時の先生の姿を見てしまえば、全面的に信用するとは、正直言えません」

「ブンちゃん!」

 

 口を出そうとした航希を、神原が制した。

 

「それに、僕は、副理事長を個人的に知っているわけじゃないし、そちらは判断のしようがありません。今の話は、あくまで先生の側の言い分だけです。それを裏打ちするものは、現在の状況だけでしょう?」

「まあ、確かに君の言う通りだ。すると、我々とは袂を分かつと?」

「……僕は、スタンドを悪用する人間が、許せないだけです。それが誰であろうと」

 

 文明は、重い口を開いて続けた。

 

「僕は本来、スタンドを可能な限り使いたくありません。なぜなら……僕の感覚では、ズルいんですよ。人が努力しても持ちえない力を使って、人を出し抜いて、自分の欲望を満たすなんて」

「ふむ……」

「そんなものが、際限なく跳梁跋扈する世界なんて、断じてゴメンです。だからせめて、悪用する人間は止めなければならない……そう考えてます。それは、誰に対しても同じです。たとえそれが、神原先生であったとしても」

「了解した。ならば一つ提案しよう。君はこれまで通り、こうした話し合いに参加してもいいし、他の三人の手助けをしてやってもらいたい」

 

 文明は、じっと神原を見つめている。

 

「その上で、反対意見があるなら申し出てくれて構わない。我々の作戦にも、不服なら参加しなくてもいい。他の三人を説得するのも自由だ。君がジョーカーズに残ってくれるなら、そうした形でも構わない」

「……そういうことなら、考えてもいいです」

「うむ。実を言うと、私はホッとしている」

 

 え? という顔で、文明は神原を見た。

 

「かつての教団では、私の言葉に正面切って意義を唱える者がいなかったからね。しかし、それは実は恐ろしいことなのだよ。私は万能ではないし、判断が間違っている可能性ももちろんあるからね。追従者ばかりを周りに置くことは、自分だけでなく、多くの人間を破滅に導きかねない。事実、私はそれを利用して、教団を滅ぼしたのだから……」

 

 

 

 

 

 

 神原が去った後、残った全員が、いったん黙り込んだ。

 重苦しい沈黙の中で、最初に口火を切ったのは、文明だった。

 

「……京次くん。君も、先生のあの姿を見たんだよね? その……恐怖は、なかったのかい?」

「怖いに決まってんだろ。強いヤツはみんな怖ぇよ。文明、おめぇにしたって、航希にしたってそうだ」

「次元が全然違うだろ!? 先生の、強さというか、その……人間を超えた凄まじさってものを、僕は目の当たりにした。僕ら全員がかかっても、勝てる気がしない……」

 

 京次は、小さく息をついた。

 

「ウチの親父も格闘バカなんだけどよ。親父に言われたことがある。『相手を、正しく見ろ。正しく怖れろ。正しく立ち向かえッッ!!』だとよ」

「……」

「怖がるのは、生物として当然だろ? だけど、相手を自分の頭ん中でやたらとデッカクしまくってたら、そりゃ勝てねぇよ。だから、相手の実力を正しく見極めなきゃイケねぇ。それで自分の力が足りねぇって思うなら……足りるまで、強くなるまでだ! 俺は、そう思い込んで、今日までやってきた。これからもそうする」

 

 まじまじと、文明は京次を見つめた。

 

「そこまで、強くなれる。そう君は、思ってるんだね?」

「おめぇはどうなんだ? これ以上強くはなれねぇ。そう思うのか?」

「……自信はない。正直言って」

「おめぇの心配してるのは、先生が暴走し始めることだろ? そうなったら、勝てねぇから引き下がるのか? おとなしく殺されるのか? スタンドを悪用するヤツは止める、そう言ったのはデタラメか?」

「そんなことはない! それだけはッ!」

「なら、先生を止めるために強くなれや。無理だとかできねぇとか、泣き言は意味ねぇぜ」

「……」

「スタンドは、『できる、と思う強い思いが力の根源だ』。先生自身がそう言っていた。おめぇはおそらく、この中じゃ、本来の精神力は一番強ぇ。つまり、スタンド勝負なら先生に対抗できる力を持てるはずなんだよ。おめぇはよ」

 

 文明の目が、ジワリと強い光を帯び始めるのを、京次は感じ取っていた。

 

(それだ! おめぇに俺が惚れたのは、その目の力だ。自分で気づいちゃいねぇだろうが、コイツには、並外れた闘争心がその中にある。とんでもねぇ〈竜〉がいるんだよ!)

 

「あのさ」

 

 航希が、口を挟んできた。

 

「正直、オレは先生と戦いたくない。オレは、みんなに対するのと同じように、先生を信じてる。京ヤンの、戦いに対する気構えは分かってるし、否定しないよ。だけど、そもそも先生とオレたちの道が、分かれるとは限らないだろう? 少なくとも、今はオレたちと先生は同志だ。その関係が壊れない限り、オレは先生についていく。二人は、どうするつもりなの? 遥音も、さ」

「アタシかい?」

 

 遥音は、頭を掻きながら言った。

 

「京次と文明が、全然別の所で見たってンなら、ホントの話なンだろうね。だけど正直、アタシは実感がないンだよ。アタシは基本、自分で見たり聞いたりして、それで感じたことに従うようにしてる。今は、アタシにとっちゃ、あの人はいい人さ。ただアタシが言えることは、中途半端に事を放り出すのは、アタシの性に合わない。行ける所まで行くまでさ」

 

 人が好すぎるな、と文明ですら思ったが、口にはしなかった。

 続いて京次が、

 

「俺は、いつも先生と組みながら、場合によっちゃ戦うことを考えてたからな。ま、俺もこれまでと同じだな」

「僕は……」

 

 文明は、少し考えて言った。

 

「僕は、やはり気持ちのどこかで、先生を信じ切れないでいるんだ……」

「ま、おめぇはそうかもな。俺は、あの人は悪人じゃねぇと思うがね。少なくとも、人間の時は」

「……どうして? 拳士の直感、なのかい?」

「いや」

 

 ふと、京次が遠い目をした。

 

「あの戦いの時、あの人は犬公にメチャクチャにされながらもよ。俺に〈エナジー・ドレイン〉を使わなかった」

「え?」

 

 航希が、京次を見つめる。

 

「そうすりゃ、吸血鬼になれて怪我も回復するし、スタンドもパワーアップするんだ。爪の射程距離も足りてたはずだ。あのままだと、あの人は確実に殺されてた。でも、あの人はそうしなかったんだ」

「あ……!」

 

 航希にも、京次の言いたいことが理解できた。

 

「人間モードの〈エナジー・ドレイン〉なら、俺が死ぬほどの威力はねぇようだしな。だのに、味方の犠牲は最小限で、自分が死なずにすむ選択を、あえて避けたんだ」

「何で、だろうね?」

「俺が思うによ……。あの人は、俺の、というか俺たちの精力を吸ってまで生き延びたくなかったんじゃねぇかな。そんな気がするんだ」

「アタシたちが、教え子だから、仲間だから。そう言いたいのかい?」

 

 遥音の言葉に、京次が頷いた。

 

「そうか……。そうなのかもしれないな」

 

 文明は、小さく頭を縦に振った。

 

「ただ、 僕まで先生に無条件に従ったら、誰も止める人間がいなくなる。あの人は懐も深い人だし、言葉に重みがあるから、つい引き込まれそうになるけど。僕は、先生とは気持ちの上で距離を置いた方が、みんなのためになるはずだと思ってるから。そのつもりで、今後もみんなと一緒に活動する」

「それでイイんじゃねぇか? じゃ、決まりだな。先生と一緒に、このメンバーでいけるところまでいくぜ」

 

 それぞれ思うところはあるものの、全員が頷いた。

 



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第16話 セッションしようぜ! 前編

 激しく掻き鳴らされるギター。鼓動のようにリズムで体を打つドラム。メロディを下支えするベース。

 そして、目の前で飛び跳ね、掲げた手を突きあげる観客たち。

 

(コレだよ! 最高! やっぱ、アタシはコレがなきゃダメだよね!)

 

 遥音は、高らかに歌いながら心底思った。この時ばかりは、学園でのイザコザも、頭から吹き飛んでいる。

 もちろん、〈スターリィ・ヴォイス〉は使っていない。スタンドなしでも、実力で沸かしてみせる。そういう矜持は常に持っている。

 曲の途中で、アドリブでキーボードのユリの所に近づく。

 マイクを近づけ、顔を並べて同じフレーズを歌う。観客の反応も悪くない。遥音は、いいステージをやれていると実感していた。

 しかし、共に歌うユリの目が、笑っていないことまでには気づかなかった。

 

 

 

 

 

 出番が終わって、控室に戻った遥音。

 

「お疲れ~! いやー受けたね、いい感じ! やっぱり、遥音に来てもらってよかったよ」

 

 バンド〈イチジク・タルト〉のリーダーでもあるギタリスト、雷吾(らいご)が満面の笑みで握手を求めてきた。

 

「こっちこそ。久しぶりのステージなンで、ちょっとだけ緊張しましたけど」

「いやいやいや、堂々たるもんよ! 仲間うちで、遥音にヘルプしてもらうって言ったら、みんな食いついてくるんだこれが」

「そんなこと言っていいンですか? そっちのボーカルさんに張り倒されますよ」

「あぁ……あの、胃痛で大事なライブをパスしたクソ野郎ね。だからあれだけ言ったんだ。道端に生えてる雑草や街路樹をかじるなって。貧乏だからなあいつも……」

「バッタかカミキリムシですか!? 無茶言いますね」

「でもちょっと似てるだろ? 遥音にはぜひウチに来てほしいけど、あのバカとの腐れ縁は切るに切れねえ! すまん遥音!」

「いやアタシ、そンなことひとッことも言ってませンから!」

 

 ドッと笑う、〈イチジク・タルト〉のメンバー。

 

「それから、そっちのユリちゃんも実によかった! やっぱ、きれいな女の子が入ると華やかさが違うよね」

「あはっ。ありがとうございまーす」

 

 にこっと笑って見せるユリ。

 そこに、このライブハウス〈シルバー・チャリオッツ〉の店長が入ってきた。

 

「やぁやぁやぁ! 今日はよかったよぉみんな~。お客さんたちも盛り上がってたしねぇ」

「あざっす!」

「そんでさぁ。今日は君たちへのサプライズゲスト。ひょっとしたら、君らも会えるの楽しみにしてたかもしれないけどさぁ……ムフフ」

「え……もしかして!? あの、伝説のお方……」

 

 雷吾が、糸のように細いと呼ばれる目を、大きくこじ開けていた。

 震える指が、壁に貼られていた古いポスターを指していた。

 そして入口から入ってきたのは、サングラス姿の三十過ぎと見える男だった。

 

「伝説かどうかはさておいて、荒井ユタカ、推参だぜ」

 

 サングラスを外して、男は手を挙げてみせた。その素顔は、やや年を重ねてはいたものの、ポスターのものと同じであった。

 

「やっぱりぃぃ~!! おっ、お初にお目にかかります。イチジク・タルトの雷吾ですッ!」

「おう。さっきのライブ、聞かせてもらったぜ。お前さん、ギターの腕が滅茶苦茶上がったな? 前に聞いた時には段違いだぜ」

「えっ、お、俺のギター、聞いてくれたことあったんですか!?」

「いや。あまりにも下手すぎて、逆に覚えてたんだけどな。聴くからにブキッチョでなあ」

 

 しおしおと項垂れる雷吾。

 

「しょげるなって! あの頃と比べると、別人みたいに上手くなってるって言ってるだろ? かなりの特訓をしてきたのは分かる」

 

 打って変わって笑顔満面の雷吾を見ながら、ユリが遥音を肘でつついて囁いた。

 

(ねえ。あの人は?)

(プロギタリストの荒井ユタカさん。昔はこの店で活動してて、今じゃ音楽プロデューサーさ。この店に来てる奴らにゃ、憧れの人ってわけ)

 

「それに、そのギター。相当張り込んだだろう?」

「ああ、これですね!」

 

 子供が親に、上手に描けた絵を見せるように、雷吾はギターを見せつけた。

 

「こないだ渋谷の楽器店で見つけたんです。セコハンですけど、俺でもギリギリ手が届く値段で出てて」

「この型のレスポールとなると、格安でもアマチュアにはしんどい価格だろ?」

「そうなんです! でも、これ逃したらもう絶対手に入らないと思って……」

「勇気出した甲斐があったってもんだ。今のお前さんの腕なら、レスポールも喜ぶさ。お前さん……プロになる気はあるのか?」

「え」

 

 動きがピタリと止まり、微かに震えだす雷吾。

 

「今のお前さんなら、俺が力になる。考えてみてくれないか?」

「は、はい……」

 

 雷吾は、そう答えるのが精一杯。

 

「それと、もう一人」

 

 荒井が向き直ったのは、遥音であった。

 

「前から、店長に聞かされてた。スペシャルな女子高生シンガーがいるってな」

「えぇ? 店長。何吹き込んでるンですか、もう」

「いやいや。ここの店長は、いい加減なことは言わんよ。この人は、俺がまだアマチュアの頃から世話になっててね。売れない頃は、そこに描いてある、銀の騎士の絵を眺めて、頑張らなきゃって思いこんだもんだった」

 

 ポスターの上に貼られているその絵は、店長がエジプト旅行に行った時に、一目惚れして買ったもので、店名にまで使ったという曰くつきのものだった。

 

「店長があんまり褒めちぎるもんでね。本当にスゴイのかスゴクないのか、俺の耳で確かめてやろう。実のところ、そんなつもりで今日は来た」

 

 少しだけカチンとして、遥音が目を細める。

 

「つぐづく思ったよ。とんでもないモンスターが、昔なじみの店に来襲してる……ってな」

「アタシは怪獣ですか?」

「当たらずとも遠からじ、だ。遥音くん、だったな? 君なら、明日にでもメジャーデビューできる。君が世に出る手助けをさせてくれないか? この通りだ」

 

 深々と、荒井が頭を下げた。

 

「ちょっと、やめてくださいよ! 荒井さんみたいな立場の人が、アタシみたいなガキに」

「俺は君個人に頭を下げてるんじゃない。君の持つ才能に、音楽で生きる人間として、敬意を示してるだけだ。どうだろうか? 君がプロにならないのは、業界の損失だ」

 

 ほんの少し、遥音は考えた。

 

「……いいお話だと思います。荒井さんのご活躍は知ってますし、チャンスなのは充分分かります」

「すると!」

「ですけど……もう少し、プロとかは先にしたいと思います」

「……」

「アタシには、まだやることがあるンです。今、プロのミュージシャンになっちゃったら、もうそれは不可能なンです」

「……聞いてもいいだろうか? 何を、やりたいということなのかな?」

「それは事情があって言えません。ただ、今のアタシは、音楽だけをやればいいというわけにはいかないンです」

 

 しばらく、荒井は黙っていたが、

 

「……人には、いろいろ事情がある。俺が無理強いするわけにはいかない、ということか」

「今はゴメンナサイ、です。その件のカタがついたら……アタシから、お願いすると思います。身勝手な物言いですけど、ダメですか?」

「分かった! 待つよ」

 

 吹っ切ったように、荒井は笑顔を見せた。

 

「ロックはやらされるものじゃない。君が本気になれなきゃ、俺も何もできない。ただ、俺は惚れ込んだらしつこいよ? 今日は、連絡先だけ交換しとくか。雷吾、お前さんともだ」

「は、はい!」

 

 荒井から渡された名刺を受け取る遥音を、ユリはじっと見ていた。

 

(結局、遥音なのかよ! 私は、声すらかけてもらえなかった……。やっぱり馴れ合いは適当にしとくから。一度、ホントにキャン言わせてやる! 笠間さん、こいつをハメる計略ならウェルカムだよ)

 

「それじゃ、俺はこれで。みんな頑張ってな!」

 

 荒井が部屋を出ていくところを、雷吾は呆然と見送っていた。

 

「それじゃ、アタシらも帰ろうか」

「あれっ、もう? ステージが全部終わったら、俺らここで一杯やるんだけど」

「アタシらは高校生ですよ!? そういうわけにはいきません。ねえ、ユリ」

「え~? 私、実は飲める人なんですけどー」

「ダメだって! お店に迷惑かけちゃうだろ? ほら行くよ!」

 

 遥音がユリを引きずるように出ていくと、男たちはがっくりと肩を落とした。

 

「あーあ、ユリちゃんには残ってほしかったのになー」

「遥音はステージだけでいいってか? あいつもルックスは悪くないだろ」

「そりゃそうだけど。やっぱりさ、あの高校生離れした、そのー、おバスト?」

「どこ見てんだよ、このスケベ野郎がよ~!」

 

 ぎゃはは、と笑うメンバーと裏腹に、雷吾は愛おし気にレスポールを撫でていた。

 

「俺も運が回ってきたかぁ……こいつのおかげだな。もっともっと、俺のフレーズで客を虜にしてやるぜ」

 

 部屋の明かりを受けたのか、レスポールの表面が、ギラリと光った。

 

 

 

 

 

 その翌日。

 遥音は、ユリを伴って再び〈シルバー・チャリオッツ〉を訪れた。

 

「今日も、昨日と同じ感じのステージなわけ?」

「ああ。雷吾さんとは、今日明日の二日間って約束だからね」

 

 二人が、半開きの店の扉を開くと。

 

「よう。君らが、ヘルプで来てくれたってJKか。そっちの遥音とは、お久しぶりだな」

 

 銀髪の、ワイルドな感じのイケメンが、テーブルの一つから手を挙げてきた。

 

「ご無沙汰です! もうお腹の方はいいんですか?」

「まだ本調子じゃないけど、どうも気になってね。君がヘルプだって聞いて、ボーカルをクビになりやしないかって心配でね」

「まっさか! 雷吾さんが、そんなことしませんよ」

「分かんないよ? どうせあいつのことだから、俺が拾い食いしたとか吹いてただろ?」

「あ、そこンとこは大当たりです。ユリ、こちら〈イチジク・タルト〉の本当のボーカルの鳴次(めいじ)さん」

「……わっ! 私、城田ユリです。よろしくお願いします!」

 

 満面の笑みのユリに、遥音はやれやれと内心思った。

 

(相変わらず、イケメンに弱いねえ。ま、このコも以前のジョーカーズのメンバーとはとっとと手切れしたみたいだし、アタシはどうでもいいけどね)

 

「こちらこそよろしく。まあ立ち話もなんだし、二人とも座りなよ」

「あ、はい」

「君はキーボードだよね? ウチはキーボードがいないからね。サウンドに広がりが出るね」

「いえ、私なんてまだヘタクソで。よかったら、後で聞いてもらえます? アドバイス欲しいです」

「いいとも。俺も一時はピアノやってたりしたから」

 

 悪くないムードだね、と遥音がニヤニヤしていると。

 バーン!

 誰かが店内に飛び込んできて、扉を勢いよく閉めた。その上、内鍵までかけている。

 入ってきたのは、雷吾だった。大汗を流しながら息を切らし、その手には新たな愛器のレスポールが抱かれている。

 不審そうに、鳴次が尋ねた。

 

「どうしたんだよ? 血相変えて」

「はぁっ、はぁっ……お、追われてるんだ」

「誰に? 借金取りか? 俺は金はないと何度言ったら」

「違う! き、昨日の飲み会に出た奴らが……」

「飲み代を踏み倒されて怒ってる、と。体で払ってやりな」

「だから違うって!!」

 

 ドンドンドンドン!!

 異様に激しいノックが、扉から聞こえてきた。

 

「開けろー! 逃げてんじゃねー!」

「ここにいるのは分かってるんだ! 聴かせろよコラ! 勿体ぶってんじゃねー!」

 

 怒号が、扉越しに聞こえてくる。

 

「あれ、ウチのメンバーじゃねーの? 聴かせろとか言ってるけど、何の話?」

「私から、説明しましょう」

 

 奥にいた店長が、歩み寄ってきた。

 

「夕べ、ステージが終わった後、ここで飲み会があったのですよ。〈イチジク・タルト〉以外のバンドのメンバーも加わりましてね。それはもう、盛り上がりました……」

「店長、何か今日は元気なくない?」

 

 鳴次が口を挟むが、店長は反応しない。

 

「雷吾が特に上機嫌でね。そのレスポールでフレーズを引きまくりましてね。いやいや、実に名器というべき逸品だ。そのフレーズの数々。みんな、耳にこびりついて離れないのですよ。あのサウンドが聴きたい。酔いしれたい……」

 

 店長の目が座ってきているのを、もはやその場の全員が気づいていた。雷吾に至っては、すでに顔面蒼白になっている。

 

「聴かせてあげればいいじゃないですか。みんな、あなたのサウンドに夢中だ……」

 



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第17話 セッションしようぜ! 後編

「待ちな!」

 

 遥音が椅子から立ち上がり、足を進める店長に叫んだ。

 

「アンタ、今日はなんかおかしいよ!? それ以上近づくンじゃない!」

「聴かせなさい! ケースからギターを出すんだ! 早くしろぉぉぉっ!!」

 

 怒声をあげて、店長が雷吾に襲い掛かってきた。

 

(仕方ない、やるか!)

 

 遥音の手の中に〈スターリィ・ヴォイス〉が現れた。

 雷吾を背中で守るように位置どると、

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 見えざる音撃が、店長を襲った。ビクン! と身を震わせ、床に倒れこむ。

 他の者たちは、立ち尽くしていた。〈ブラスト・ヴォイス〉は、扇形に発することも可能であり、ある程度の指向性を持たせられる。

 

「な……何だよ今の……」

 

 鳴次がようやく口を開いた時。

 控室に通じる扉が開くと、店で雇われている二人のバイトが飛び込んできた。

 

「〈ブラス〉……ッ!」

 

 バイトの一人が、一直線に遥音にタックルしてきた。間に合わず、壁に叩きつけられる遥音。

 もう一人が、雷吾に詰め寄っていく。

 

「聴かせろよギターを! ケースから出せよ。俺が手伝ってやる!」

 

 雷吾から無理やりケースをひったくると、ファスナーを開けてケースを剥がしにかかる。

 

「俺のレスポールに、触るんじゃねぇーッ!!」

 

 怒号をあげた雷吾が、ケースを奪い取ると、バイトを蹴り飛ばした。

 

「そんなに聴きたけりゃ、聴かせてやるよッ!」

 

 ギターからケースを完全に剥がすと、雷吾の目が爛々と光りだした。

 ステージに駆け上がると、ギターを構える。同時に、ギターからコードが勝手に伸びていき、アンプに接続された。

 

「邪魔すンな!」

 

 遥音は、〈スターリィ・ヴォイス〉のコードでバイトの腕を捩じ上げると、その腕から抜け出した。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 今度は、全方向に向けて音撃を放った。ユリや鳴次も巻き込むが、なりふり構ってはいられなかった。

 バイト二人、そして鳴次が卒倒する。鳴次に至っては、倒れこむ時に、机に頭を打ち付けて、派手な音を立てた。

 

(ちょっと、何やってるのよ! みんな巻き添え!?)

 

 ユリは、遥音の動きで次の行動を悟っていた。しゃがみこみつつ、〈エロティクス〉の無定形で半透明なスタンドを、瞬時に展開して音撃を吸収、ガード。一応、細く伸ばした先を、髪の毛で隠しながら耳栓にしていた。

 彼女は、床に倒れる鳴次に抱きつきにいった。鳴次の頭を抱えると、べとり、という湿った感触。

 打ち付けたところから、出血していた。明らかに気絶している。

 

(あのバカは! 仕方ないな、もう)

 

 〈エロティクス〉の一部が広がり、鳴次の傷口に被さった。出血が、ピタリと止まる。

 

(私の〈エロティクス〉は、怪我の治癒もできる。少し時間があれば、このくらいなら傷跡も残らずに治せる……。脳にまで、ダメージがいってなければいいけど)

 

「へえ。やってくれるじゃねーか」

 

 間違いなく、雷吾の声。ユリは、驚愕した。

 

(何で!? 遥音の音撃を、あいつも食らったはず。私みたいに、あらかじめ耳栓してたんならともかく……!)

 

 こっそり、ユリは机の陰からステージを覗いてみた。

 ギターを抱えた雷吾が、ニヤリと笑いながら立っていた。ただし、その目が全く焦点があっていない。

 

「……アンタ、何に憑りつかれてる? っていうか、そのギターはスタンドだろ!? 雷吾は本体じゃないってことか。何者だお前!」

 

 マイクを握った遥音の誰何が飛んだ。

 

「俺か? ……俺は〈フィーリング・グルービー〉。お察しの通り、スタンドだ。本体は、ない!」

「本体がない!? どういうことだ!」

「うっせーな。これでもくらいな!」

 

 意識のないはずの雷吾の指が動き、弦を掻き鳴らした。

 それに対抗するように、遥音も〈ブラスト・ヴォイス〉を再度放った。

 

「うぐっ!」

「むっ!」

 

 遥音と雷吾、二人の体が一瞬震える。

 

「ふん……卒倒しないか。音撃を撃ち返して、軽減したな。俺と同じタイプのスタンドだな」

「やっぱりそうか。自我があるスタンドもいるとか聞いたことがあるよ。何の目的で、こんなことをしてる!」

「いやね。こいつが、自分のフレーズで客を虜にしたいとか言うもんでな。望みを叶えてやろうってわけさ」

「それは物の例えってやつだろ!? ワザと曲解してンじゃねえよ!」

「……飢えてんだよ」

 

 ボソッと、雷吾の口を借りた〈フィーリング・グルービー〉が呟いた。

 

「自分の音楽で、全ての人間を夢中にさせたいってのは、ミュージシャンの夢だ! 願望だ! いや、そいつが全てだろうがよ! お前もミュージシャンの端くれなら分かるだろ!?」

「……悪いけど、全面的にゃ賛同はできないね」

 

 遥音は、静かにそう述べた。

 

「何だと!? 嘘ついてんじゃねえよ! それなくして、何のための音楽だ!」

「アンタは、他人に評価されたいだけで音楽やってンのかい!?」

 

 遥音の大音声が、店中に轟いた。

 

「音楽ってのは、元々はそういうモンじゃないだろっ! アンタのかつての本体がどういうヤツか知らないけど、ソイツは見失っちまってるんだよ! 最初にいた場所を、忘れちまってるンだよ! アンタだってそうだ!」

「利いた風なゴタクを……」

 

 雷吾の口が唸る。

 

「説教はもうたくさんなんだよ! お前も俺の虜になるがいいさ!」

 

 雷吾の指が動き、弦を掻き鳴らし始めた。

 そのサウンドが、フレーズが、遥音の脳を直撃する。

 

(く……これが、みんなを狂わせた演奏か)

 

 その魔力を有した演奏に、遥音も脳がとろけそうになる。

 

(これは……抵抗しきれそうに……ないね……。っていうか、抵抗する必要、ないんじゃないかな……)

 

 ふらり、と遥音の体が揺れた。

 それを見ていたユリは、遥音が屈したことを確信した。

 その時。

 遥音の、マイクを持つ手が上がった。

 そして、やにわに、演奏に合わせて歌いだしたのだ。

 

(え!? あのギターに、セッションさせる効果なんかあったわけ!?)

 

 が、すぐに、そうではないことを理解した。

 耳栓をしているユリの脳までもが、より強力になった演奏に侵されそうになっていた。

 

(あのバカ、自分もスタンド使ってる! 何を増幅してるのよ!? ホントいい加減にして!)

 

 もはや耳栓では足りず、頭ごと〈エロティクス〉で覆ってガードしていた。

 両者は、次から次へと曲を変え、演奏を続けていった。美しい声が、高らかなギターが、店内に響き渡っていく。

 

(何だ、こいつ?)

 

 雷吾に自分を弾かせながらも、〈フィーリング・グルービー〉は考えた。

 

(これは言ってみれば、音楽の戦いだぞ? 何でそんなに楽しそうなんだ?)

 

 生命感に溢れる、決して憑りつかれたものではない遥音の笑顔に、不思議な印象を受けた。

 いつしか、演奏が一時間を超えた頃。

 ピタリ、と雷吾の指が止まった。

 店内に、静寂が蘇る。

 息を切らしながら、遥音は言った。

 

「……どうしたンだい? もう打ち止めか? せっかく乗ってきたトコじゃないか」

「なあ……これってもしかして、お前にとっては、戦いじゃないのか?」

「戦い?」

 

 きょとん、とする遥音。

 

「ああそうだったね。つい忘れてたよ」

「忘れてた……って」

「あんまり楽しかったもンでね。ここンとこ、スタンド絡みでなかなか音楽に集中できなかったもンだから。アンタもやっぱり、イケてる演奏するしね」

 

 しばらく、雷吾の口は動かなかった。

 

「……言いたいことは分かったよ。どうやら、俺が飢えてたのは、喝采だけじゃないらしい」

「アンタも、音楽を志すなら分かるだろ? 結局のところ、ウチらは音楽が好きで好きでしょうがないンだよ。だからヤルのさ。そういうこった」

「そうだな……付き合ってくれて、ありがとよ。もう、スタンドパワーで観客を操るのはやめだ。雷吾の体も、勝手に使ったりしねえよ」

「なら、おとなしくケースに入ってくれるかい? みんなを介抱しないといけないしね」

「了解だ。雷吾も目覚めだした。この体は解放するよ」

 

 が、雷吾の体が動かない。

 

「どうしたンだい? 分かってくれたンじゃないのかい」

「い……嫌だ! このレスポールは渡さない……!」

 

 雷吾の目の焦点が合った。その腕がギターをギュッと抱きかかえる。

 

「アンタ……雷吾なんだね!? 何も、取り上げるとは言ってないだろ」

「俺には、まだこのレスポールが必要なんだよ!!」

 

 必死の表情だった。

 

「このレスポールさえあれば……客が沸くんだ。荒井さんだって認めてくれる。プロのミュージシャンに、俺の夢に手が届くんだ!」

「このギターの力に頼り切るって言ってるのかい? アンタのミュージシャンとしての誇りは、それでいいのかい?」

「お前みたいなっ!! 才能のカタマリみたいなヤツには、分からねえんだよっ!!」

 

 腹の底からの怒号。遥音が、わずかに気圧された。

 

「荒井さんの言う通りさ。俺は……ブキッチョで、なかな上手くならない。世の中にはさ、音楽の神様に愛されてるヤツが、確かにいるんだよ。遥音、お前に出会って、それを痛感したよ」

「……」

「俺は、聞いてたよ。お前とこいつの話をさ。お前の言うことは、正しいよ。だけど、正しいだけじゃ俺の夢は叶わない。こいつを失ったら、俺はおしまいだ。だから……くっ、うぅっ……」

 

 雷吾が、しゃくりあげて泣き出した。

 遥音は、次に何を言ったらいいのか、浮かばなかった。

 

『雷吾。お前、誤解してるぞ』

 

 急に、〈フィールング・グルービー』が喋ったのを、遥音も雷吾も確かに聞いた。

 

『お前、自分には才能ないとか思ってるだろ? 俺はそうは思ってない』

「え……? だって……」

『お前の才能は本物だ。お前が自信がないのは、指使いのテクニックの部分だろ? お前は、体で覚えるタイプのくせに、自力でコツを掴むのに時間がかかっちゃうんだよ。だから、自分はブキッチョだって思ってる』

「それが……ブキッチョだってことじゃ……」

『違う。元になる指使いさえ覚えれば、そこから先の伸びしろはスゴいんだよお前は。そして、俺がやらせた演奏を、お前の指は間違いなく記憶している』

「え……」

『俺の演奏を、お前自身のものにできるだけの力が、本来あるんだよ。お前は!』

「俺、自身の……ものに?」

『俺が、お前に教えてやる。ただし、一言だけ言っておくぞ』

 

 一呼吸置かれて、言葉が続いた。

 

『俺のかつての本体は、やっぱりミュージシャンだった。だけど、テクニックを磨くことだけ考えて、腕はあるのにちっとも売れなかったよ。いつも不平ばかり心に浮かべて演奏してた。なんでこれだけできるのに、世間は自分を認めないのか、ってな』

「……」

『今思うと、演奏のどこかに出ちまってたんだろうな、そういう負の部分が。客は、結構敏感に察するんだよ。俺も影響を受けちまってたから、分かってたのに、さっきまで忘れてた。遥音のおかげで、思い出したよ。お前は、俺の元の本体みたいになるなよ』

「……分かった。分かったよ……」

『じゃ、俺はいったん休むよ。がんばれよ』

 

 スタンドの声が、終わった。

 

「……雷吾」

「分かってる。ちっとこいつを、休ませてやらないとな」

 

 雷吾は、床に放り出されたケースを拾い上げると、レスポールをうやうやしく、丁寧にしまいこんだ。

 

「……ん? 何だか、ドンドン扉叩いてるけど」

「え、まだ外の連中、演奏の影響受けてンの!?」

「それはないだろ。大体、外から聞こえてくるの、女の声だぞ」

 

 雷吾が、内鍵を開けた。

 扉を開けると、外から若い女が飛び込んできた。

 

「鳴次!? 大丈夫!?」

 

 女は、介抱していたユリを押しのけるように、まだ横になっていた鳴次に抱きついた。

 

「あぁ……まだ頭がボーッとしてるけどな」

「怪我はないの!? 〈シルバー・チャリオッツ〉で喧嘩だか暴動だかが起きてるって聞いて来たの!」

「うん……別に何ともないよ。心配してくれたんだ。ありがとう」

「鳴次……!」

 

 しっかりと抱き合う二人。関係は、説明されなくともユリにも理解できた。

 

(ちょっと、傷治したの私だよ!? 遥音の方も勝手に解決しちゃうし、私ってただ騒動に巻き込まれただけじゃない! 何でこうなるのよ! だから、遥音と一緒するのは嫌なのよー!!)

 

 パタリと倒れ伏すユリであった。

 



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第18話 グランドの夢の続き 前編

「俺だ……」

 

 え?という目で遥音は、隣にいた河村を見た。

 

「俺がこのチームのエースになる! そう、キング・オブ・エースに!!」

 

 教室全員の、呆気にとられた様子をものともせず、河村は拳を握りしめていた。

 

「バ……バカ! 座りなって!」

「……え? あれ?」

「アンタね、今はクラスでやる課題研究の係を決めてンの! そーゆーことは、野球部の練習が始まってからにしな!」

 

 無理やり、河村を引っ張って座らせる遥音。

 

「居眠り決め込んでっからだ。ったく、この大ボケは……」

「多部! その大ボケは、アンタんとこの管轄だろ? 面倒みてよ!」

「冗談じゃねーっつの。バッテリー組んでるわけでもねーのに、こんなの面倒みきれるか」

 

 そっぽを向いて、冷たく言い放つ多部。

 

「……話を元に戻すよ。多部くん、君も何か、係を引き受けてくれよ。他のみんなもやってくれてるんだから」

「わりーけど、練習やら何やらで、とてもそんな余裕はねーよ。他を当たってくれ」

 

 取り付く島もない返答に、うんざりした表情を隠しもしない文明。彼は、クラスの学級委員でもあった。

 

「もう無理だって。多部が引き受けるわけないじゃん?」

「遥音くん、君までそんなこと言うの?」

「だってさ、説き伏せるより、アンタがコイツの役引き受けた方が手っ取り早いと思うよ?」

「えー!? だ、だってさ、他のみんなが了解しないだろ? そんなの」

 

 だが、他のクラスメートは、あまり反応する様子を見せない。

 

「見た通りさ。みんな、多部についちゃ諦めてるのさ。河村とは別のタイプの野球バカだからね。頭ン中に、野球しかないのさ」

「ま、否定はしねーけど」

 

 他人事のように相槌を打つ多部。

 

「すまない! ウチのワガママ性格クソ悪キャッチャーが申し訳ない! 俺はこの冷血漢とは違うから、部活に支障のない範囲で協力するぞ! 何なりと言ってくれ!」

「かぁわぁむぅらぁぁっ!! お前、ドサクサに紛れて俺の悪口をてんこ盛りで!」

「あぁもう、喧嘩は後でやってくれよ! 君たち二人はいっつもこうだ。頼むから時と場所を選んでくれよ!!」

 

 ついに文明が、机を何発も叩いて怒鳴りつけた。

 さすがに、口をつぐむ河村と多部。

 

「ね、ねえ文明、アンタも落ち着いて。気持ちはよっく分かるけどさ……」

「……つい取り乱した、すまない。多部くんの仕事は、僕が引き受ける。河村くんには、空き時間でもできるような仕事を考えるから……」

 

 学級委員なんざなるもんじゃないね、と、つくづく思う遥音であった。

 

 

 

 

 

 放課後、軽音楽部室。

 

「ブンちゃんも苦労してるよなー。今頃、生徒会でも会議やってるんだろ?」

「結果的に、やたらと仕事抱え込むのさ。あーいう奴らと同じクラスになったのが運のツキさ。まったく、野球部ってのは変人の集まりなのかね?」

「いや、あの二人が特別製なんじゃない? そーいえば先生、最近よく野球部の練習みてるよね? 興味出てきたの?」

 

 航希に水を向けられた神原は、しかし、すぐには口を開かなかった。

 

「……実はね。私は最近、〈ドカベン〉を愛読していてね」

「ああ、プロ野球編のやつ?」

「いや、無印の高校野球編だ」

「どんだけ前のヤツ読んでるの!? まぁ名作って呼ばれてるやつだけどさ」

「それで、一度我が校の野球部を見てみようと思ってね。この前、練習試合を観戦したんだが……」

 

 そこで口をつぐむ神原に、航希も遥音も怪訝そうな顔。

 

「他校との試合だったが、今話に出てきた多部くんがキャッチャーをやっていた。正捕手が怪我をしたとかで、控えの彼が出てきていたのだがね。エースも調子を崩してしまっているというし、あのチームは災難が続いているなと。そもそも、高校野球は選手に対する健康管理がまだまだ……」

「センセ、そこからまた話が脱線してくのかい?」

 

 嫌な予感を覚えた遥音が、釘を刺した。

 

「ああ、ついうっかり。その試合でだが、敵チームの攻撃で、巨漢の選手がホームに強行突入しようとしてね。いわゆるクロスプレイと言われるものだ。多部くんもブロックしようとしたが、体格が違いすぎる。これは吹っ飛ばされるな、と思った時だった」

 

 ふ、と息を神原は漏らした。

 

「多部くんの前に、スタンドが出現した。相手選手より、さらに一回り大きかった」

「!」

 

 二人が、目を見張る。

 

「そのスタンドがガードしたのだろう。多部くんはまったく微動だにせず、ブロックに成功した」

「それで!? 相手の選手は」

「怪我も何もしなかったようだ。普通に立ち上がって、首を傾げながら戻っていったよ」

「それって……多部が出したスタンド、ってことかぁ?」

「いや、それは分からない。当然、グランドには両軍の選手がいるし、私のような観客も割といたからね。その中の誰がスタンド使いなのか、特定はできなかった。スタンドもあの一瞬だけで、それ以降は出現しなかったしね」

「すると……先生がここんとこ、野球部の練習見てたのって」

「ああ。もう一度、あのスタンドが現れれば、スタンド使いを特定するカギとなる。あの時は、誰も傷つかずにすんだが、何しろスタンドという存在は、使い手を暴走させかねない。それを未然に防いでおきたいと思うのだよ」

「ん……そういえば。でも、関係あるかな?」

「心当たりが? 言ってみてくれ。重要なヒントになるかもしれない」

 

 首を捻る航希に、神原が促した。

 

「実は……京ヤンなんだけど、さっき話に出てきた河村から、野球部に入ってくれって誘われてるみたいなんだよね……」

「武原くんが?」

「元々さ、京次って、あちこちの運動部から勧誘されてるんだよ。あの体格で、運動神経はバツグンだから。軽音楽部に籍置いてるのも、京次は虫避けも兼ねてるって言ってたけど。ほとんどが根負けして諦めるけど、最近河村が食い下がってるみたいで」

「……」

 

 しばらく、神原は考え込んでいた。

 

「それだけだと、不審な点はないがね。ただ、前にも君たちに教えたことがあるだろう? スタンド使いは、スタンド使いに惹かれあう……」

「!? すると、河村がさっきのスタンドを使ってたとか……」

「可能性はゼロではない。河村くんも確か、控えではあったがベンチ入りしていたはずだ」

「うーん……」

「多部くんを最もマークしていたが、今の話を聞くと、河村くんも気を付けるべきかもしれん。よく教えてくれた」

 

 その時。

 三人のスマホが、一斉にLINEの着信音を発した。

 

「……京ヤン! 京ヤンがSOSなんて、よっぽどのことだよ!」

「彼は一人で戦うのを好む戦士だ。我々を呼び出すとなると、のっぴきならぬ事態だぞ」

 

 三人は、一斉に部室から駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 京次は、あっさりと見つかった。

 野球のダイヤモンドが作られたグランドで、木のバットを下げ、左のバッターボックスに入っていた。

 

「京ヤン! 無事だったんだ」

「それがな……。戦いは、これから始まるんだよな。対戦相手は、アイツだ」

 

 京次がバットで指し示した先には、マウンド上でロージンをいじっている、河村がいた。

 

「河村くん! 君は何をしている」

「え!? 神原先生か。いやあの、これから野球勝負やるってだけで。なあ、武原!」

「まあな。三打席勝負。俺が三回打ち取られたら、俺は野球部に入る。俺が一本でもヒット打ったら、河村は俺への勧誘を諦める。そういうルールだ」

「それだけじゃないよね?」

 

 鋭い目つきで、航希が河村を睨んだ。

 

「ただの野球勝負で、京ヤンがオレたちを呼ぶ訳がないよね。何をやろうとしてんだよ、河村ァ!!」

 

 航希の足元に〈サイレント・ゲイル〉が現れた。瞬時に加速、マウンドの河村に迫ろうとした。

 が。

 ぴたり。と、〈サイレント・ゲイル〉が停止した。そこはグランドの手前。

 

「ありゃりゃ? どうして進まない!?」

 

 わずかに下がり、再びグランドに突っ込む。しかし、またもグランド手前で停止してしまう。

 

「アタシに任せな! 〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 遥音が手元に〈スターリィ・ヴォイス〉を手元に現すや、美声が繰り出す音撃をマウンドに叩きつけた。グランドの手前の木の葉が揺れる。

 しかし木の葉は、グランド手前で遮られて力なく舞い落ちる。音撃そのものも無効化されたのは明白だった。

 

「やっぱりダメか。俺もバッターボックスから出て、コイツを張り倒そうとしたけど、出られなかった。一歩でも外に踏み出した瞬間、滑らされてボックス内に戻されちまう」

 

 やれやれと言いたげな京次。

 

「そういうこった。俺の〈ウィッシュ・オブ・ダイヤモンド〉は、勝負の最中は誰も邪魔できないんだよ!」

「このグランドそのものが、君のスタンドというわけか。なかなかスケールが大きいのは認める。だが、なぜこんなことを?」

 

 神原が静かに問うた。

 

「さっき武原が言った通りだよ。俺は、甲子園に行きてーんだよ。そのために、武原の力を貸してほしいんだ。コイツ、この前の球技大会で、ものすごいバッティングしてたからな」

「だが、彼は今、君のスタンドに取り込まれた状態だ。グランド内が君の思い通りになるなら、そもそもアンフェアな戦いではないのか?」

「……あくまで、勝負を投げたり、水を差されたりしねーためだ。勝負はフェアにやるよ」

 

 河村が首をぶん! と振ると、グランドに九人の人影が出現した。八人は河村と同じユニフォーム姿で、ピッチャーを除いた守備位置についている。もう一人はアンパイヤの恰好で、キャッチャーの背後についている。

 

「守備についてるのは、俺の分身だ。完全に俺の能力をコピーしてる。ありえない守備でアウトにはできない。アンパイヤも、野球のルールを厳正に守る。ストライクゾーンを誤魔化したりしない。あと、フォアボールになった場合は、打ち取らなきゃいけない回数が一回増える」

「ボールやバットは?」

「部活で使ってる、普通の用具だ。スタンドで干渉はしない」

「なるほど。スタンドは、スタンド使いの性格を反映する。野球については、君が真面目に取り組んでいるのは理解できた。もう一つ尋ねよう。勝負に負けた場合、君が武原くんを解放する保証はあるのかね?」

「する!」

 

 河村は、断言した。

 

「勝っても負けても、結果に責任は持つ。そこで嘘ついたら、俺が野球に対して嘘ついたことになる。それだけはしたくない……!」

「そう彼は言っているが。武原くん、納得しているのかね?」

「ああ、俺か?」

 

 ニヤリ、と京次は笑った。

 

「スタンドに取り込まれて、つい先生たちを呼んじまったけどよ。正直言って、俺は、コイツの勝負に対する姿勢が嫌いじゃねぇんだ。悪ぃけど、何だか面白くなってきやがった」

 

 そして京次は、バットの先端を河村に向けた。

 次の瞬間、その全身が赤銅色の装甲に包まれる。

 

「おめぇがスタンドを使う以上、俺も使わせてもらうぜ。〈ブロンズ・マーベリック〉をな。これは、俺にとっちゃスタンド勝負でもある」

「いいぜ。それがフェアプレイってもんだ」

 

 プレイボール! と、アンパイヤが手を挙げた。

 真剣な面持ちで、対峙する二人。

 観客三人は、グランド外の土手に座り込んた。

 

「やれやれ、スタンド使ってスポ根対決が始まるとはね」

「須藤くん。茶々は控えて、こちらも真摯に見守ろう」

 

 これは〈ドカベン〉のシーンじゃないんだよ、と神原に言いたいのを、遥音はじっとこらえる。

 

 河村が、大きく振りかぶった。

 そして、しなる左腕からボールが投げ込まれる。

 ベースの端を掠める一球を、京次は見送った。

 

「トーライ!」

 

 アンパイヤが、独特の発音でコールし、右手を曲げて上げた。

 

「一球目は見送ったか。京ヤンもまずは様子見したね」

「そうかな?」

「え?」

 

 神原の言葉に、目を見開く航希。

 

「……なるほどな。おめぇ、なかなかの曲者だな」

「へえ、たった一球で分かるのか? 俺の球が」

「投げる腕が、体に隠れて見えなかったぜ。いきなり球が飛んでくる感覚だ。しかも、いきなり変化球で入るかよ。手元で曲がったぞ」

「武原くん! それはただの変化球ではない」

 

 神原が口を挟んだ。

 

「河村くんは、ムービングピッチャーだ。どうも、手首が非常に柔らかいために、本人も予測のつかない回転をボールに与えるらしい。結果、彼の球は、手元で変化しがちなのだ。逆に言うと、彼にとっては、ストレートも変化球の一種なのだ」

「……そういうことかよ。余計に厄介な野郎だ」

 

 妙にうれしそうな京次。

 二球目は、高めに外れ。京次は見送る。

 続いて三球目。外角に逃げるカットボール。

 これをスイングした京次。しかし、ボールが高々と舞い上がり、グランド外に出る。

 

「……!?」

 

 土手を転がる球を、神原はじっと眺めていた。

 

(外から、ボールが出てきた? ということは、中から外へは、障壁は働かないということか)

 

 そして、四球目。

 河村の投げた球は、やや低めに飛んだ。

 

「やっ!」

 

 京次は、これを捉えるべく、フルスイングした。

 が、そのわずか手前で、ボールが沈み込んだ。

 鈍い音と共に、バットがヘシ折れた。その先端が、回転しながら宙を飛び、遥音の方へと飛んでいった。

 

「!」

 

 油断していた遥音が、硬直したまま動けない。

 航希と神原が、慌ててスタンドを出そうとした。

 が。

 遥音のすぐ前に、巨漢のスタンドが出現した。

 あっさりとバットを受け止めると、瞬時に消滅した。残されたバットが、ぽとりと地面に落ちる。

 ボールは一塁線を転々と転がり、ファーストが取って一塁を踏んだ。

 

「今のは!? 練習試合で見たスタンド! 河村くん、君が出したのか」

「ち、違う! 俺はあんなの知らない!」

 

 その時、少し離れた木陰から、人影が現れた。

 

「……〈ワインド・アップルーター〉。俺のスタンドだよ」

「多部くん! やはり君だったか」

「先生が、やけに練習を見に来ると思ってましたけど。お目当てはスタンドだったってことですか」

 

 皮肉な笑みを、多部は浮かべた。

 

「その通りだ。我々ジョーカーズは、スタンドを悪用する者たちを阻止することを目的としている。質問しよう。多部くん、今のスタンドはどういう代物なのかね?」

「スタンド使いが、自分のスタンドについて語ると思いますか? ……って言いたいところですけど、別に悪さをするつもりもないんで、お話しします。嗅ぎ回られると、練習に集中できなくなるし」

 

 あっさりと多部は言った。

 

「俺の〈ワインド・アップルーター〉は、野球のプレイ中にしか発動しません。通常のプレイの範疇じゃないことが原因で、怪我をしそうになった時に、選手とかを守るだけのスタンドなんです」

「そうか。あのクロスプレイも、相手はわざと君を吹っ飛ばそうとしていたな。それも、通常のプレイとは見なさないわけか」

「……ウチの正捕手は、別の試合で、クロスプレイで怪我をしました。次の大会は難しいでしょう。エースはデッドボールを相手バッターの頭に当てて、それがトラウマになって調子を崩してます」

 

 思いつめた様子の多部に、神原はあえて口を挟まない。

 

「先生……。スポーツに怪我はつきものですけど、怪我をしてもさせても、体にも心にも傷が残るんですよ。下手すりゃ、それで選手生命がフイになりかねない。俺は、そういうのが嫌になったんです」

「そうかね……。どうやら君も、野球に対する気持ちは純粋なようだな。河村くんと、共通のものがある」

「いえ先生! アイツと一緒にされるのは、何だか心外なんですけど」

「どーゆー意味だコラ! ってゆーか、俺こそ大心外だ!」

 

 指を指された河村が、多部に食ってかかる。

 

「それはともかく。河村、俺も加わるぞ。お前の球、俺が受けてやる」

「何だと!? お前とだけは、バッテリー組みたくなかったんだぞ俺は!」

「それは俺も同じだよ! だけどな、監督はもう、お前と俺で次の大会を乗り切るつもりになってる。さっき、そう告げられた」

「えっ……」

「つまり、否応なしに、バッテリー組む羽目になったんだよ。お前が試合で投げたくないなら、話は別だけどな。ま、そんなワケないよなぁ? あれだけ、普段からアピール三昧だもんな」

「……じゃ、じゃあ、お前が試合に出ないとかいう選択は」

「あるかそんなもん! 試合に出られるなら、あえて毒でも口にするぞ」

「俺は毒かー!!」

 

 拳を握りしめて叫ぶ河村。

 

「ちょおっと待った!」

 

 航希が割って入った。

 

「多部もこの勝負に加わるわけ!? これって一対一の対決じゃんか。ズッコクない?」

「そっちだって、さっき神原先生が武原に助言してたよな? なら、俺が河村に助言してもいいはずだ」

 

 ついっと目を逸らす神原。

 

「俺はあくまでキャッチャーだ。投げるのは河村ただ一人。俺のスタンドは、勝負に介入するタイプのものじゃない。そこまでアンフェアとは思わねーけどな?」

「……そう言ってるが。武原くん、張本人としてはどうかね?」

「ま、ソイツの言うことも一理ある。了解だ」

「待て待て! 俺はまだ了解してないぞー!」

 

 河村が叫ぶのを、多部は冷静に見つめていた。

 

「……お前の球、武原に見切られ始めてるぞ」

「何だと!?」

「お前の言うとおり、武原のアスリートとしての素質はピカイチだ。最初はお前の変則投球に面食らったみたいだけど、対応し始めてる。それは、お前も感じてるはずだ」

 

 ぐっ、と詰まる河村。

 

「お前の配球じゃ、あと二打席を乗り切るのはおそらく無理だ。全国には、こんなバケモノがうようよしてる。お前一人で勝ち抜けるほど、野球は甘くねーよ」

「……分かったよ。防具つけて、キャッチャーボックスに入れ!」

 

 河村がマウンドから手を振ると、先ほどまでいたキャッチャーが消滅した。

 背負っていた大きなバッグから防具を取り出し、慣れ切った手つきで装着していく多部。やがてそれが済むと、グランドに向かった。

 見えない障壁が消滅したかのように、当たり前にグランドに入っていく多部。そのすぐ背後に、素知らぬ顔で航希がついていこうとしている。

 だが、航希だけは見えない障壁に阻まれ、入ることができなかった。わちゃわちゃと、もがく航希。

 

「ダメだって! 俺が許可したヤツしか、ここには入れないんだから」

「ズルいじゃないか! オレも入れてくれよー!」

「入ってどーするんだよ。やることないだろ?」

「いやあの、ランナーとしてとかさー」

「意味ないだろ! 武原がヒット打てば、それで勝負が決まるんだから。得点とか関係ないの!」

「グランドに入ったところでムダだぜ?」

 

 河村に代わり、多部が口を挟んだ。

 

「河村に攻撃を仕掛けようとしても、俺の〈ワインド・アップルーター〉が自動的に防御する。俺のスタンドは防御に特化してるから、その分ガードは鉄壁だ」

「……野球部って、イケズ」

 

 ハンカチを噛んで、拗ねて見せる航希。

 

「厄介に拍車がかかってきたな……。あの二人に組まれたら、少なくともグランド内では無敵。外からの侵入も不可能。武原くんが河村くんを打ち崩さない限り、どうしようもない」

「でもさ、考えてみたら、負けても京次が野球部に入るだけじゃない? 別に構わないンじゃないの」

「野球部は、本気で甲子園行きを目指している。練習時間もかなり長い。武原くんは、おそらく一度入れば、サボることなく本腰を入れて参加する。彼が拘束される時間が長くなるのは、我々にとって好ましくない」

「……やれやれ、変にクソ真面目すぎる奴らだと、厄介だよね」

「須藤くん。君も、彼らと同じタイプだよ。やるとなれば、手を抜かないで取り組む」

 

 そう言われて、遥音はいささか複雑な表情を浮かべた。

 



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第19話 グランドの夢の続き 後編

 バットを折られた京次に、いつの間にか現れた河村の分身が五人、手に一本ずつバットを持って駆け寄った。それぞれがバットを差し出し、選ばせようとしている。

 

「木のバットじゃ、また折られたら打ち取られるか。やっぱ、適当に選んじゃダメだな」

 

 京次は、一つ一つ吟味し、長めの金属バッドを選んだ。

 キャッチャーボックスに入った多部は、座って河村を見据えながら、サインを出し始めた。

 

(我々に、離れた所から見ることができるスタンド使いがいないのは悔やまれるな。サインを解読できれば有利になるのだが)

 

 さすがに神原も口にはしない。

 一しきりサインを確認した河村が、頷いた。

 そして、振りかぶって投げる。

 

(もらったぜ!)

 

 ゾーンに来る、と踏んだ京次が強振する。

 だが。

 そのボールは、それまでの投球と比べても、明らかに遅い。

 完全にタイミングを狂わされ、空振り。

 

「何よ、今の!? スカしてきやがった」

「チェンジアップだな」

 

 遥音が、神原を振り返る。

 

「フォーム自体は、今までのものとほぼ変わらない。握りとリリースを変えることで、スピードを抑制し、微妙な変化すら付加する。正直、河村くんのボールは速球派のものとは言えん。だが、あのチェンジアップは、他の球と比べて充分な緩急の差をつけられる。彼の得意ダマということか」

 

 その台詞を、多部は耳をそばだてて聞いていた。

 

(そういうこった。今のチェンジアップの残像は、武原にも残ってるはず。いつ来るか、と警戒してくれれば、他の球への対応が疎かになる)

 

 苦々しい表情でバットを構え直す京次を、多部はちらりと見た。

 二球目は、高めにあえて外したボール。京次も見送る。

 

(問題は次だな。チェンジアップを二球続ける可能性は低いと、武原くんも踏んでいただろうが、間に一球挟まれると、話は別だ)

 

 神原が見守る中、京次に対して三球目が放たれた。

 ふわり、と表現したくなる緩やかな投球。

 

(またチェンジアップか!)

 

 神原が注視する中、京次は動きかけたバットを止めた。

 そして、あまり振りすぎず、ほとんど手首の返しだけで跳ね返す。ボールは、鋭く三塁線に飛んだ。サードが横に飛ぶが、間に合わない。

 

「ファール!」

 

 アンパイヤが、左手を横に差し上げた。

 京次が舌打ちするのを、多部はちらりと見上げる。

 

(やっぱりコイツ、ただの力バカじゃないな。緩いチェンジアップを全力で叩いても、まともに飛びはしない。それが分かってて、あえて軽く合わせたんだ。しかし、チェンジアップが印象に強く残ってるのは間違いない。この勝負、この球は切り札になりうる)

 

 だが、念のため、多部はタイムをかけて、河村に近づいた。

 

「何だよ?」

「今のボール、少し高かったぞ。前から思ってたけど、お前のチェンジアップは左打者に対して、時に浮くことがある。デキる相手だと、逃さず捉えられるぞ」

「う……分かったよ! 気を付ける」

 

 去っていく多部を見送りながら、河村は思った。

 

(前から……って、実戦で受けたこともねーのに。何だかんだ、チェックしてたってことか。俺の球を)

 

 勝負が再開される。

 四球目、低めに外れ。そして、五球目。外角一杯にボールが飛び込んだ。京次は、ピクリと動いたが、スイングしない。

 

「ボール!」

「うわー! マジかー!」

 

 頭を抱える河村。

 

(マズいな。フォアボールになると、あと三回抑えないといけなくなる。この相手だと、球筋を見せるほど不利になるのは間違いない。次で、何としても打ち取らないと。どうする?)

 

 そして、多部はサインを送る。

 だが、それに河村は首を横に振った。

 少し眉根を寄せたが、サインを変更。だがまたもや、首は横に振られた。

 

(……おい。コレを投げたいとか、言い出すのかよ?)

 

 まさかと思いつつ出したサイン。それに、河村は頷いた。

 

(おいおい! 覚えようとしてたのは知ってるけど、ここで投げるか? 自信あるのか?)

(出たとこ勝負だ! 俺はハラをくくる。お前も付き合えよ!)

(……チッ! クソ度胸だけは大したもんだよ、まったく!)

 

 すっ、と河村の両腕が上がった。

 眼光鋭く、球を待ち受ける京次。

 そして、一球が放たれた。

 

(外角低め! ストライクゾーン!)

 

 京次は、狙い定めてバットを振り込んだ。

 しかし、その手前で、わずかに外に逃げつつ、ボールは沈み込む。

 ガキッ! 鈍い音を立てて、ボールはショートへと転々。

 あっさりと捕球され、一塁へ転送された。

 

「アウト!」

 

 わずかに走ったものの、苦笑しつつ逆戻りする京次。

 それを目の当たりにした航希が、

 

「ありゃ? 今、バッターボックスから出なかった? 京ヤン」

「ああ。打ちさえすりゃ、ライン上だけは進めるみたいだぜ。ま、それ以上何かやっても、多分無意味だろうけどな」

 

 一方の河村は、汗を拭う。

 

(新兵器のツーシーム……! これで1アウトとれた。どうだよ、やりゃできるんだよ! 多部)

(ヒヤヒヤさせやがって。まだ、実戦で使えないこともないってレベルだぞ。だがこれで、河村が投げられる球種は全て使い切った。さてどうだ、絞り切れるか? 武原)

 

 そして、運命を決める三打席目が始まった。

 一球目。高めのボール球、京次が見送る。

 続いて、内角を攻める一球。

 

「もらった!」

 

 京次が強振する。が、真後ろに飛んでいくファール。

 

(今の感じ。やっぱり、狙いは思い切り引っ張れる内角か。それなら)

 

 多部のサインに河村が頷き、振りかぶって投げようとする。

 が、腕を振りこむ直前。

 河村は、京次の持つ雰囲気に、嫌な予感を感じた。

 

「!」

 

 その手から放たれたボールは、地面に叩きつけられた。

 転々と転がるボールを京次は見送る。それを拾い上げると、多部は河村に再び駆け寄った。

 

「どうした!? 指が引っかかったか。落ち着いてけよ」

「いや……」

 

 やや視線を落として、河村が呟いた。

 

「今のツーシーム、打たれる気がした……。狙われてるかもしれない」

「! それでか。地面に叩きつけたのは、ワザとか」

 

 少し考えて、多部は口を開いた。

 

「アイツの猛気に、気後れしてるか?」

「違う! そういうことじゃない」

「……だったらいい!」

 

 思わぬ肯定をされて、面食らう河村。

 

「ピッチャーとしての直感ってヤツだろ? 本当にヤバいと思ったら、回避するのは間違いじゃない。そん時は、俺がフォローしてやる。それが、俺の役目だからな」

 

 そう言い残すと、多部は元に戻っていった。

 そして、京次が待ち構える前で、河村が必死の面持ちで、サインを覗き込もうとする。

 

「河村! サードランナー!」

 

 突然、多部が叫んだ。

 びくっと身を震わせた河村が、構えをセットポジションに切り替えた。

 

「サードランナー? ランナーなんて、そももそいないじゃん? 何言ってンのアイツ?」

 

 首を傾げる遥音の横で、神原はじっと考え込んだ。

 

(確かに、普通ならそうだ。しかし、河村くんは今の声に反応し、セットに切り替えた。ただの口から出まかせとは思いにくい。これはスタンド勝負でもある。何もないようにしか見えないが、我々の感知できないところに、何かがあるのかもしれん)

 

 ちらり、と京次は神原のその様子を見た。

 

(先生。アンタ、頭が良すぎて考え過ぎるんだよ)

 

 軽く、バットを振ってみる。

 

(河村の野郎も言ってたが、この勝負は俺が打てば終わりだ。ランナーの存在は関係ねー。大方、河村がテンパりかけてたから、気持ちを分散させてリラックスさせようって程度だろ)

 

 その京次の様子を、多部がさらに伺う。

 

(コイツには通用しないか。何かある、と思ってくれれば、集中を少しは乱せたかもしれねーけど。まあ、いい。これは、ウチのチームでやってるリラックス法だ。瞑想で落ち着いた状態で、サードランナーを置いたイメージを繰り返すことで、ピンチでも落ち着けるように訓練してる。肝心の河村には……どうやら、効いたようだな)

 

 マウンド上の河村の表情が、わずかに和らいでいるのを、多部は確認していた。

 

(俺……スゲーアホだ!)

 

 ふと、多部は思った。

 

(コイツ、俺が思ってたより、スゲーもん持ってる! 投手として大事なモンを抱えて、決して離さないヤツだ。癖が強くて分かりにくいだけだ。そのスゲーもんを、もっともっと引き出すのが、俺の役目だ!)

(……ありがとよ、多部)

 

 河村は、ロージンを手に、内心で礼を述べた。

 

(底意地の悪いヤツだと思ってたけど、この土壇場で、俺の気持ちを汲んでくれた。俺の勝手で始めた勝負に、真剣に付き合ってくれている。なら……俺も答えるぞ! 全力でアイツを打ち取る)

 

 河村の内面の変化に、京次も気が付いていた。

 

(いいツラしてるぜ。さっきまで気負いすぎてるくらいだったのにな。多部の野郎、なかなかいいリードしてやがるじゃねーか。こっちも、本気で相手する価値があるってもんだ)

 

 京次は、バットを構え直した。

 

(今、打ち気を見せたのは、あくまでフェイク……! 本命を狙う、前段階だぜ)

 

 2ボール1ストライク。固唾を飲む観客三人の前で、河村が動き出した。

 

(逃げてたまるか!)

 

 気合のこもった球は、内角目がけていく。

 京次が、手を出した。わずかに内に曲がり、落ちるツーシーム。その動きに、バットを合わせる。

 が、当たり損ねて、ファールゾーンに小フライ。ファーストが追うが、地面に落ちて跳ねた。

 サインの交換が終わり、四球目。

 放られたボールは、しかし、明らかにスピードが緩やかだった。

 

(ここでチェンジアップか!)

 

 神原が、祈るような気持ちで京次を見る。

 その体が、わずかに動いたが、そのまま留まった。ボールは低めに吸い込まれる。

 

「ボール!」

 

 アンパイヤのコールに、多部は顔をしかめた。

 

(チェンジアップを見逃されたか……。河村。次で、決めるぞ)

(ああ。やってみせる!)

 

 両者の呼吸が合うのを、京次も感じ取っていた。

 

(次だな。これで打てなきゃ、俺の負けだな)

 

 そして、最後の一球を、河村がその左腕から放った。その直前、多部が座る位置をステップして変える。

 対角線を描くように、ボールは外角のギリギリ一杯へと向かう。

 

(コースは理想的! 振れ!)

 

 河村と多部の願いが通じたように、京次がスイングの動きを始めた。

 

(クロスファイヤー・カットボール! 手元でさらに、外角に曲がる!)

 

 河村が、球の行方を見送る。

 が。

 京次が、思い切り右足を踏み込んだ。球の曲がりを追うように。

 

(読まれた!?)

 

 愕然とする多部。

 一方、投げた河村には、勝算があった。

 

(そんなに踏み込んだら、スイングしきる前に、地面に足が着く! 普通の野球でもアウトだし、俺のスタンドは、足がボックス外の地面に出たら、即座に滑らせて中に戻す。どの道、ジャストミートはできん!)

 

 だが。

 そう考えた河村の眼前で、京次の右足は、空中で止まり、空中をしっかりと踏みしめた。残った左足は、滑ってはいかず、しっかりとバッターボックスに残っている。

 

「何!?」

「俺はなぁ!!」

 

 京次のバットが、カットボールの曲がりっぱなを、ジャストミートした。

 

「空中に〈足場〉を作れるんだよ! 片足が残ってりゃ、地面を滑ったりしねぇぇッ!」

 

 空高く舞い上がり、遠く飛んでいくボール。全員が、その行方を黙って見守る。

 外野も追うことを諦めていた。遥か彼方に、ボールが消えていった。

 

「……やられた! 文句なしホームランかよ、はは……」

 

 頭を抱えて、天を仰ぐ河村。

 逆に、地面に伏しそうな様子の多部。

 

「……すまん! 俺のリードが甘かった……読まれてた……」

「いや。普通の野球勝負なら、打ち取られてたかもな」

「どういうことかね、武原くん?」

 

 〈ウィッシュ・オブ・ダイヤモンド〉が解除されたグランドに入ってきた神原が、尋ねた。

 

「なあ、河村、多部。お前ら、野球勝負に夢中で、俺がスタンド出しっぱなしで打席に入ってた理由を、あんまり考えてなかっただろ?」

「……え?」

「俺の〈ブロンズ・マーベリック〉は、振動を操る。おかげで、他から伝わる振動にも、敏感になってるんだ。たとえば、河村が踏み込む時の振動。多部が座る位置を変える時の振動。スタンド出して集中できる状況なら、読み取ることができる」

「……!」

「分かるか? 河村は、球種ごとにフォームが変わらないよう訓練はしてる。けど、わずかに踏み込みが違うから、一度放ってきた球種は、振動で分かんだよ、俺は。横のコースも、多部の位置で狙いは読める」

 

 やや青ざめる、河村と多部。

 

「チェンジアップは、早くに捨ててカットするつもりだった。打ってもあんまり飛ばねーからな。外角へ逃げるボール、あれが決め球の一つだろ? 普通なら、足がボックスから出てジャストミートは難しいが、俺なら〈足場〉を作れるから問題なしだ。最後の最後まで、〈足場〉を作れることは、隠しておくつもりだった……」

「……やっぱり、俺の配球ミスだったか。チェンジアップにしろ、ツーシームにしろ、ギリギリまで隠しておけば……」

「いや、多部。大会じゃ、そうはいかねぇだろ? 相手も過去の試合で研究するし、決め球をずっと隠し通すなんて無理だろ」

「じゃ、俺の球が原因だ! 分かってても打てない球だったら……」

「それも違うと思うぜ。俺は、スタンドの力を使って打った。言っただろ? これは、俺にとっちゃスタンド勝負でもあるって。どの道、純粋な野球勝負とは言えねぇんだよ。最初から、な」

 

 京次はマウンドに進み出ると、バットを逆さに持って、河村に差し出した。

 

「返すぜ。大事な道具なんだろ?」

「ああ……すまん。無理に勝負につき合わせた」

「いいってことよ。こっちも楽しかったぜ」

 

 そして京次は、グランドを出ていこうとする。

 だが、その途中で、振り返って言った。

 

「おめぇら、たったこれだけの勝負で、けっこういいバッテリーになったんじゃねぇか? その分だと、俺なんかいなくても行けるかもな。甲子園」

 

 はっと、お互いを見合う河村と多部。

 

「そん時になったらよ。俺が応援団長やってやるぜ。ただし! スタンド悪用しないで勝ち抜けよ。それが条件だ」

 

 ニカッ、と笑うと、京次は背を向けて立ち去っていく。その後ろを、三人が付き従っていく。

 それを、じっと見守っている河村と多部。

 

「……負けたよ。完敗だ」

「ああ。だけど、また次に勝ちゃいい。こういう勝負じゃなくってもいい。俺たちなりに、勝ちを目指ししていけばいいんだ」

「分かってら! まずは、次の大会だ」

 

 二人は、グランドの片隅に置いてある、トンボを取りに行った。

 よき勝負をさせてくれたグランドに、恩返しの整備をするために。

 

 



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第20話 初対決は突然に

(できることなら、来たくはなかったんだがな……)

 

 笠間は、城南学園の校門を潜っていった。

 放課後、生徒たちの行きかう中、石畳の小道を歩いていく。

 すぐ近くにある校舎に入り、受付を覗き込んだ。

 

「すいませーん。ネットワーク管理の笠間ですが」

「ああ、聞いてますよ。こちらにお名前と時間を記入お願いします。あと、この入館管理証を、腕につけてください」

 

 言われるままに手続きを済ませると、笠間は職員室に向かった。

 

「失礼しまーす……。ネットワーク管理の者です」

 

 ガラリと扉を開けたが、数人の教師がいるだけ。

 

(神原には会わなくてすみそうだな。一応タイミングは図ってきたし、とっとと済ませて帰ろう。ま、見つかったところで、これは普通の業務で裏はないから構わないが、やっぱり気まずいからな)

 

「あ、ちょっといいですか?」

 

 教師の一人が、声をかけてきた。

 

「はい、何ですか?」

「ネットワーク管理の方ですよね? 実は、第三校舎の視聴覚室のパソコンが調子が悪くて。ちょっと見てもらっていいですか?」

「はぁ……。いえ、前もって伺っていれば、準備もできたんですが」

「今日の朝イチからなんですよ。突然で申し訳ないが、見るだけでも見てもらえませんか?」

「……承知しました。ですが、直るかどうかは、見てみないと分かりませんよ」

 

 念を押してから、笠間はサーバーに向かい、バッチを当ててチェックを行っていった。

 

(……問題はなさそうだな。アイツが侵入してきた時に備えてある仕掛けも、発動していない。まあ、どうせ気休めなんだが)

 

 作業を一通り終えると、笠間は職員室を出て、第三校舎に行くことにした。

 第三校舎は、職員室のある第一校舎を出て、第二校舎を大きく回り込んだ先に入口がある。そこまで行くと、通りがかる生徒もいない。中庭には、初夏の頃に行われた体育祭で、応援合戦に使われたオブジェが、まだ飾られていた。

 グランドからの喧騒を微かに聞きながら、笠間は第三校舎に入っていった。

 誰もいない廊下を歩き、視聴覚室に入る。教壇に置かれていたノートパソコンを開けて、電源を入れた。が、すぐにエラーメッセージが出て、起動が止まってしまった。

 

(あらら。こりゃOSが壊れてるんじゃないのか? 再インストールするしかないが、データのバックアップができるかどうか? どちらにせよ、今日は無理だ。帰ろう)

 

 笠間は視聴覚室を出ると、入口に戻って靴を履き直した。

 そして、立ち上がった時。

 中庭のオブジェを、歩きながら眺めていた初老の男を見かけた。

 

「あれ? 時東さんじゃありませんか」

 

 ビクッ! と身を震わせて、その男は振り返った。

 

「あ、え、笠間くん……!?」

「今日は理事会でしたっけ? こんなところまでお越しになって」

「い、いや。私個人で、事務的な用事があって。それが済んだんで、ちょっと散歩してたところで……あはは」

 

(コイツ、やましいことがある! コイツは、俺がクイン・ビーのエージェントであることを知っている。もしかすると……!)

 

 妙にオドオドした様子が、笠間の直感を刺激した。

 〈インディゴ・チャイルド〉を出すと、笠間はその言葉を口にした。

 

「フェイス・オープン!」

 

 時東が突っ立ったままの姿勢で硬直し、顔面が真っ白になった。

 

「キーワードは『理事選挙、投票、名前』」

 

 そこに浮かび上がる文字を見て、笠間は顔色を変えた。

 

(どういうことだ、これは!?)

 

「そこで、何をしている!」

 

 突然、背後からかけられた声に、今度は笠間が驚かされた。

 振り向いた先には、眼鏡をかけた学生の姿があった。

 笠間は、それが誰なのかを知っていた。厄介ごとになりそうな予感が、ひしひしとしていた。

 

「何をって。話をしていただけだ。何だ君は?」

「僕は風紀委員の天宮文明! あなたは、スタンドを出しながら人と話すんですか?」

「……別に、この人に危害を加えるつもりはない。誤解が挟まっているように思うが」

「質問の答えに、なっていないと思いますが?」

「……もう、用件は済んだ。帰らせてもらう」

 

 元の顔に戻って、おろおろしている時東を放っておいて、笠間は早足で去っていこうとした。

 

「待て!! この人に、何をした! 答えろ!!」

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉が出現し、腕から布が、笠間目がけて伸びた。

 笠間は、とっさに小さなオブジェを拾い上げると、布の先に投げつける。オブジェに邪魔されて布の伸びが一瞬止まった隙に、間合いを取って向き直る。

 

「……ずいぶん不躾なことをするんだな。この学校の校則は、そういうのもOKなのか? 風紀委員くん」

「笠間、って名前を聞きつけたから、来てみたけど。あなたが、神原先生の。そこの人! 逃げてください、早く!」

 

 時東が、慌てふためいて一目散に駆け去っていくのを、笠間はチラリと見た。

 

「おいおい、まるで犯罪者扱いだな。どうでもいいけど、帰らせてもらえないかな?」

「その前に、あなたには少し僕と来てもらう。みんな、あなたには関心があるから」

「そうか、俺も人気者になったもんだな。……って、やっぱりやめとくぜッ!」

 

 笠間は地面を蹴って、砂利を文明の顔に飛ばした。

 とっさに布でガードし、後ろに飛んで身構えると。

 一目散に、校舎の入口へと駆け込んでいく笠間が見えた。

 

「逃げるか!」

 

 布を飛ばしたが、わずかの差で校舎に入り込まれる。

 文明も、校舎の中に駆け込んだ。

 廊下から、階段に向かう後姿が見える。

 

(上に行く!? どこかの教室に潜り込むつもりか)

 

 見失うまいと、後姿を追って、文明も階段を駆け上がる。

 二階から、三階へと向かう、踊り場を通り過ぎたところで。

 文明の方を向いた〈インディゴ・チャイルド〉が、消火器を構えて、ノズルを絞った。

 途端に真っ白になる視界。文明は、ポケットからハンカチを出すと、鼻と口を覆って目を瞑り、手すりの感触を頼りに、足音を追ってさらに上に駆け登った。

 

「……!」

 

 白煙を抜け、三階へ。足元に転がっていた消火器を辛くも避け、屋上へ通じる階段を、息を切らしながら登っていく。上から、カツン! という小さな音が聞こえた。

 登りきると、屋上へと出るための扉、そこに取り付けられた南京錠が、切り落とされていた。開け放たれた扉からは、コンクリート打ちっぱなしの屋上と、その端の手すりの上に広がる青空が見えた。

 

(追い詰めたか? だけど、何をしてくるか分からない……)

 

 文明は、ゴクリと喉を鳴らすと、屋上に出た。

 辺りを見回すと、エアコンの巨大な室外機や、コンクリート作りの小屋などがあちこちにある。

 ふと、目に留まったのは、屋上の端の手すり、その近くの床に落ちていた、一枚のハンカチだった。

 

(まさか、ここから飛び降りた? 結構な高さがあるけど、スタンドを使えばもしかして……)

 

 文明は、そのハンカチに近づいた。

 そして、手すりから眼下の中庭を見下ろした時。

 急に、ベルトを後ろから掴まれて、体全体が持ち上げられた。さらに、背中から体当たり。

 突き飛ばされた文明の体が、手すりを越えた。手を伸ばして、手すりを掴もうとしたが、透明な手がそれを跳ねのけた。

 地面へと、落下していく文明。

 

「〈ガーブ・オブ・ロード〉!」

 

 布が手すりに巻き付いた。文明の体は、一階の窓に足が届きそうなところまで落ちて、そこで止まった。

 すぐ真上の、布が絡まった手すり。その傍にいるはずの、笠間を睨んだ。

 次の瞬間。

 視界が、青空と雲だけとなった。布が、空中に掴まりどころを失い、力なく垂れる。

 

(落ちる!?)

 

 目まいに似た感覚を覚え、ぺたん、と文明は尻もちをついた。

 そこは、屋上の床。いつの間にか、元の位置に戻っていた。

 

「あ、あいつは」

 

 慌てて立ち上がり、中庭を見下ろす。

 全速力で、走り去っていく笠間の姿が、遠ざかっていくのが見えた。

 

「待て!!」

 

 声をかけるしか、できなかった。すでに、〈ガーブ・オブ・ロード〉の射程外。今から階段を急いで降りても、追いつかずに見失うのは明白だった。

 

(そういえば、あいつは物体を入れ替えられると、神原先生が言ってた。あの高さなら、僕と入れ替わっても、普通に飛び降りられる。最初から、これを狙って屋上に逃げ込んだんだ。やられた……)

 

 

 

 

 

 その後すぐ、全員を〈スィート・ホーム〉に呼び集めた文明は、先ほどの顛末を聞かせた。

 

「笠間とやり合ったのかね!? たった一人で!?」

「なかなかやってくれるじゃねぇか。逃げられたのは、いただけねぇが」

「武原くん! 無闇に煽ってもらっては困る」

 

 そう窘めると、神原は首を横に何度か振った。

 

「天宮くん。君が、私を完全には信用してはいないことは承知だが、さすがに黙ってもいられないので、申し述べておく。君のやったことは、少し無謀すぎる」

「……」

「あれはスタンドの戦いの経験も、少なくとも君よりは豊富だ。しかも、イザとなれば、相手を殺すことも躊躇しない。たとえて言うなら……試合で二度三度勝った闘犬が、弱肉強食のサバンナで生き抜いてきた野生のライオンに戦いを挑むようなものだ」

「ならよ、先生」

 

 京次が口を挟んだ。

 

「あのフレミングとなら、どっちが強いんだ? 先生の見立てじゃあ」

「……一言では言えんな。いきなり道で行きかい、真正面からの戦いになるなら、フレミングに分があるだろう。笠間のスタンドは、攻撃力はともかく防御に難があるからな。だが……」

「だが?」

「前準備が可能で、いつでもどこでも相手に仕掛けられるなら、まず笠間の勝利は動かん。それこそ、勝つためには何でもアリの男だからな。武器はもちろんのこと、罠に心理作戦。しかしながら、あの男はあまり肉弾戦を好まん。リスクの伴う戦いを避けて、策略で勝利を目指す方が、あれの得意手だ」

「ふーん……なかなか、面白そうな野郎じゃねぇか」

 

 京次の言葉に、遥音が不思議そうな顔をした。

 

「そうなのかい? アタシはてっきり、アンタは拳で勝負しねー野郎に興味ないとか言い出すモンだと思ってたけど」

「いや? 元々、戦いは何でもアリが基本だろうが。それで勝てると思うなら、な。むしろ……〈武〉の本質はそこにある。ウチの親父はそう言ってるぜ」

「前にも思ったけど、アンタの親父さんって物騒な人だねぇー? じゃ、アンタも何でもアリってわけ?」

「俺は、自分がやりたい戦いをするだけだ。相手が何をしようが、別に向こうの勝手ってだけだ」

「まったく、この格闘バカは……」

 

 付き合いきれないと言わんばかりの遥音。

 

「それよりさ」

 

 航希が、話の流れに棹差してきた。

 

「そんなにツワモノの相手なら、何でブンちゃんと戦わなかったんだろうね?」

「うむ。笠間は〈スィート・メモリーズ〉を使用していなかった。使えば、効果範囲内にいた我々に気づかれて、援軍が来る可能性もある。だがそれは、瞬時に天宮くんを殺して逃げれば済む話だ。しかし、あれはそうしなかった。〈スィート・メモリーズ〉をそもそも所持していなかったか、使うつもりがなかったかの、どちらかだ。使わない以上、天宮くんを安易に殺せない」

「やっぱり、警察とか乗り出してくるから?」

「その通りだ。さすがに、殺人ともなると、学校側も隠蔽はできん。いくらスタンドで証拠なく殺せたとしても、あれとしては、容疑をかけられるだけでも困るだろうからな。かと言って、我々に尋問もされたくはない、ということだろう」

「そうかー……。つまり、尋ねられると困ることしてたんだ。その、何とかいう理事の人と、何してたんだろうね?」

「理事長選挙の根回しだろう。まず間違いない」

 

 そこまで言って、神原は顎に手を当てて考え始めた。

 

「時東理事だけとは、とても思えん。おそらく、ほぼ全員にアプローチしているだろう。人の内心を検索する〈インディゴ・チャイルド〉なら、彼らの弱みを握るのも簡単だ。それを元に副理事長への投票を強要するくらい、十秒メシのゼリーを食するように実行するだろう」

「それじゃ、理事のほぼ全員が、副理事長に尻尾振っちゃうんじゃないの!?」

「無論、このまま傍観しているつもりはない」

 

 神原は、少し言いにくそうに続けた。

 

「君たちには黙っていたが、実は私も理事たちについては内偵を進めていた。笠間がそうした手段に出ることは予測できたからな。同じ弱みをこちらが握っているとなれば、話の持っていきようで笠間の脅迫を無効にできる可能性がある」

「僕はあまり納得できません」

 

 文明が口を挟んだ。

 

「そもそも、後ろ暗いところのある人たちが、うちの学校の理事になってること自体が嫌ですし」

「すると君は、彼らを放逐してしまえと?」

「……気持ちの上では、そうしたいくらいです」

「現実的にできると思うのかね? いいかね、私立学校における理事というのは、一般の企業における役員職と同じような立ち位置だ。スキャンダルで専務や常務、取締役が複数、辞職に追い込まれれば、その企業はどうなると思うかね? 経営の混乱はまず避けられず、倒産の可能性も大だ」

 

 さすがの文明も、二の句が継げない。

 

「天宮くん、君の正義感は承知しているが、行き過ぎればあまりにも多くの人間に影響が及ぶのだよ。その中には、君たち自身も容赦なく含まれる」

「……では先生はどうするつもりです?」

「私としては、理事たちにはでき得る限り、自由意思で投票してもらいたい。そのために、笠間の脅迫に屈しないように働きかけるし、その材料も用意する。そして、君の言うところの、後ろ暗い所業については是正を求める。応じればそれで不問とし、でなければ処分の対象となってもらう。ただし、なるべく学校に大きな影響が出ないような形でね」

 

 文明は、少し唇を噛み締めたが、それ以上の反論はしなかった。

 

「理事連中の自由意思って言うけどよ」

 

 今度は京次が口を開いた。

 

「もし、その副理事長が勝って、次の理事長になったら、どうするつもりだ? 〈スィート・メモリーズ〉使える連中が、好き放題始めるってことになるんじゃねぇのか?」

「……考えたくはないが、そうなるだろう」

「だったらよ」

「却下だ」

「まだ何も言ってねぇだろがよ」

 

 苦笑する京次。

 

「聞かなくとも分かる。前にも言ったが、くれぐれも副理事長を強襲しようなどとは考えるな。笠間にフレミングも向こうにはいる。相手は矢を所持しているから、スタンド使いを確実に増やしていける。敵の全体像も分からないまま仕掛けるのは、破滅へ向かうのみだ」

 

 再び、沈黙が訪れた。

 

「……やっぱり、笠間を見つけ出すのが早道だと思います」

 

 沈黙を破ったのは、文明だった。

 

「もし理事の人たちに工作していたとすれば、その役目は笠間でしょう? あの男を捕まえて、脅迫を止めさせ、そのことを脅迫していた人たちにも通達させます。そうすれば、それまで脅されていた分、自分の意志で副理事長に投票しようとする人も減るでしょうから」

「天宮くん!! 君は、さっきの私の言葉を、もう忘れたのかね!? 笠間には関わるなと言ったつもりだぞ」

「覚えていますが、これしか僕には思いつきません。神原先生が、以前あの男と行き合ったとかいう場所を中心に、調べてみます。急ぐので、これで失礼します」

「ちょ、ちょっと待ってよ! オレも付き合うから!」

 

 立ち上がってさっさと部屋を出ていく文明を、航希が慌てて追いかけていった。

 他の者は、半ば呆気に取られて見送っていたが、

 

「センセ、アイツ放っておいていいの?」

「彼の努力は、間違いなく徒労に終わる。笠間は、すでに潜伏先を他に移しているだろう。天宮くんから逃げたその心は、何が何でも、選挙までは我々に捕まりたくないということだろう。下手をすると、選挙まで一歩たりとも外に出てはこんよ。今は、宅配などいろいろ便利なシステムがあるからな」

「それにしても、ホント思い込んだら一本道だねアイツは」

 

 遥音が机に頬杖を突いた。

 神原は、じっと腕組みをして考えていた。

 

(私立学校における理事長は、校内に関わる事柄については、絶対権力者だ。亜貴恵が新理事長になればまず私は免職、目の前の彼らも報復の対象になりかねん。そもそも、このまま学校を追い出される形で終わってしまっては、何のために活動してきたのか分からない)

 

 内心で、神原はため息をついた。

 

(彼らには言えないが、実のところ、私の内偵にはさほど期待できん。プロに依頼してはいるが、所詮は学校の部外者。情報収集においても、それを元にした交渉術においても、卓越した手腕を持つ笠間を出し抜けるとは思えない。亜貴恵が理事長選に勝利した時は、非常手段に打って出ることも視野に入れねばならん。ただし、私単独でだ。彼らの人生を台無しにするわけにはいかん……)

 

 

 

 

 

 

「どうしたの? アポもなしで押しかけるなんて」

 

 抑揚のない声音で、その女性は座ったまま、笠間を見上げた。

 彼女の執務室には今、彼女と笠間以外誰もいない。彼女が人払いしたのだ。部屋の中には、バイオリンのBGMが流されていた。

 

「未麗さん。今日、時任理事と出会いました。たまたまだったんですが」

「それで?」

「どうも、様子がおかしいんでね。それで〈検索〉してみたんですよ。あの人、間庭校長に投票するつもりでしたよ」

 

 未麗の表情は、全く変わらない。

 

「未麗さん。理事たちへの工作は、あなたが一手に引き受けておられる。それがうまくいっていないということですか? あれだけの材料では足りませんでしたか?」

「そんなことはないわ。さすがにあなたの仕事と評価しています」

「いえね。別に、私の立場で、副理事長の娘さんであるあなたを責めたてるつもりはないんですよ。私みたいな下働きと違って、あなたはお母様が理事長になれば、自動的にその跡を継ぐお立場だ。私なんぞとは、切実さが全然違うでしょうからね」

「何が言いたいの? 回りくどい言い方は嫌いよ」

「つまりですね。他の理事とかどうなのかな? とか思っちゃいましてね。ああいう人もいたりすると、ついつい気になっちゃうわけですよ」

「笠間さん」

 

 未麗が、冷ややかに笠間を見据えた。

 

「……あなたの言うことは、よく分かりました。あなたに、お願いしたいことがあるの」

「はい、何でしょうか?」

「あなたには、これ以上何もしないでもらいたいの。少なくとも、新理事長が選出されるまではね」

「口出しはするなと?」

「そう。だけど、それだけじゃないわ」

 

 彼女の自分を見つめる目が、異様なものに笠間には感じられた。

 

「私には、分かっているのよ。あなたは、ギリギリまで副理事長の言いなりに動いて、土壇場で全てを暴露するつもりでいる。そうなれば、理事長選挙を待たずして決着がつく。そういうことでしょう?」

「……」

「神原一味に対して、チマチマ小規模の攻撃をさせていたのは、こちらのスタンド使いを彼らに始末させて戦力を削るため。神原がキレて、副理事長に強襲でもかけてくれれば、あなたにとっては好都合。もっとも、神原もそこまで短絡的な行動には出なかったけれど」

 

 笠間は、じっと黙っていた。

 

「私をスタンドで始末しよう、とか考えてない? それはやめておいた方がいいわ。なぜなら……あなたの本来の目的が、果たせなくなるから」

「しませんよ」

 

 笠間は、即答した。

 

「今まで、私にWEB電話で指示を出していたのは、副理事長じゃない。城之内未麗、あなただ」

 



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第21話 理事長選挙、当日のこと

 笠間は自室で、梱包されてきた荷物をほどいていた。

 段ボールの中から出てきたのは、ノートパソコン一台のみ。

 

「さて、と……」

 

 笠間は、面倒くさそうに、机の上に元から乗っていたキーボードや、食べ終えてそのままにしていたカップ麺の容器や、スナック菓子の袋など諸々を片付けた。

 ノートパソコンを開けると、ドライブの中にOSのディスクを放り込み、再インストールを始めた。時折モニターの画面を見つつ、所在なさげにスマホをいじっている。

 しばらくしてからそれが完了すると、LANケーブルにつないで、ネット接続のチェックを開始した。

 画面下のタスクバーに、接続完了の表示が出た瞬間。

 急に画面が切り替わり、真黒な背景の裏に、銀の面で目から上を隠した、女性らしきスタンドのバストショットが現れた。

 

『見っけ!』

「……チッ! お前か」

 

 忌々しそうに、笠間は舌打ちした。

 

『お前か、はないでしょ? せっかく、可愛い妹がこうして会いに来たってのに』

「自分で可愛いとか言ってるんじゃない。なるほどな……視聴覚室のパソコンをあえてクラッシュさせたわけだな? 俺が自分の部屋で修復すると思って」

『こっちから押しかけないと、引きこもりの兄さんとは全然会えないからね。仕方ないじゃない?』

 

 そう言った次の瞬間、するり、とモニターからスタンドが飛び出し、笠間の座っている椅子の横に現れた。銀色を基調にした、槍を手にし、羽を背に生やした天使の姿。

 それに引きずられるように出現したのは、ショートボブの美少女だった。

 にっこりと笑いかける彼女に笠間は、苦々しい顔をした。

 

「さっさとスタンドをしまえ。それで何の用だ、明日見(あすみ)? これでも忙しいんだ」

「兄さんに、忠告しておくことがあるの。今日、城南学園の理事長選挙があるでしょう?」

「だから何だ? お前には関係のないことだ……って、何で!? どうしてお前が、城南学園の制服着てるんだ!? 理由を言え!」

「それはね、私が城南学園に転校するから。どう? 似合う? 結構可愛い制服だから、気に入ってるんだけど」

 

 その場でターンして見せる明日見。スカートが、ふわりと舞った。

 

「学校にまで押しかけて来るな!! そんなことより、理事長選挙がどうしたんだ!」

「あーあ、カルシウム足りないんじゃないの? 牛乳飲んだら?」

「質問に答えろよ!」

「兄さん」

 

 急に、真面目な表情に戻ると、明日見はじっと兄を見つめた。

 

「城之内亜貴恵と、未麗の親子を、甘く見てない? あの二人は、兄さんの思惑通りに動くかどうか、分からないわよ」

「……事態は飲み込めてます、ってな顔だな。未麗とは、もう話はついてるんだ」

「とりあえず、今日のところはそれでいいでしょうね。だけど、亜貴恵が暴走する可能性は、充分にありうると思うけど」

「あの女のやりそうなことは分かってる。何とか凌ぎきるさ」

「そう……」

 

 わずかに、不安そうな表情を見せた明日見。

 

「兄さんの宿願は、理解してるつもり。私は、8年前の事件の時はまだ幼かったし、関係はしてないけど、兄さんと同じ気持ちだと思ってる」

「……お前に何が分かるっていうんだ? あのな、人の世にはな、軽々しく舌に乗せていいことと、いけないことがあるんだよ。ガキが……!」

「私は、過去のことは言ってない。現在と未来の話をしてるのよ。私と兄さんは、これだけは同じ気持ちだと思う」

 

 厳かに、明日見は述べた。

 

「間庭愛理さんを、守りたい」

 

 

 

 

 

 

 城之内亜貴恵は、学園に向かう車の中で、しきりに隣の未麗に話しかけていた。

 

「ふふ……やっとこの日が来たわ! どれだけ待ったことか。この私が、城南学園を手にする記念日となるのよ!」

「長きに渡る工作でしたものね。お金も人も、ずいぶん使いました」

「理事長になりさえすれば、そんなものいくらでも回収できるわよ! ああ、未麗。あなたは理事にしてあげるわね。これまで通り、私に仕えてちょうだいね」

「……承知しています」

 

 抑揚のない返事を返すと、未麗は車の行く先をじっと眺めていた。

 そして、学園の門に車が滑り込んでいく。意気揚々と車から降りていく亜貴恵、その後を付き従う未麗。

 廊下を進んでいき、会議室に入っていく二人。

 その中にはすでに、間庭校長が着席していた。

 

「おはようございます、校長。よいお日柄でございますわね」

「……おはようございます」

「あらあら、元気がございませんのね。お体の具合でも?」

「おかげさまで、風邪一つ引いておりません」

「あらそう。ですけど、少しでもおかしいと感じたら、遠慮なくお医者にかかりあそばせ。私の知り合いの病院を紹介いたしますわよ? 本人も知らないうちに、大きな病にかかっていることもありますから。即入院……などということがないように、祈っておりますわ」

「お気遣い、感謝します」

 

 白髪頭を下げる校長に背を向けた亜貴恵は、小声で未麗に話しかけた。

 

「ふふ、今日が自分に引導を渡される日だと、すっかり観念してるわね? 半年後には、失業とは気の毒なものね」

「そうですね……気の毒なものですね」

 

 他の理事も、一人、また一人と入ってくる。全員、明らかに緊張している。

 そして時間となり、この会議の進行役を務める未麗が立ち上がった。

 

「皆様方、お揃いになられたようですので、これより理事会議を開催いたします」

 

 一同の間に、張り詰めた空気が広がる。

 

「……皆様もご承知の通り、城之内茂春理事長は、今期をもってご退任されます。本日も、出席をご本人は希望されておりましたが、主治医よりストップがかかりまして、断念なさいました。本日は、最初の議題としまして、予定通り次期理事長を選出するための、選挙を執り行います。なお、現理事長にはあらかじめ投票用紙を預かっております」

 

 そして、亜貴恵と校長を除く理事9人に、投票用紙が回ってくる。二人の名前がすでに印刷されており、投票する人間に丸をつけるだけとなっている。

 それぞれが、手元を隠しながらペンを動かす。亜貴恵はそれを悠然と眺め、数馬は一段と深刻な表情となっている。

 やがて、投票用紙が回収され、未麗がその内容を確認していった。

 

「……それでは、発表いたします。城之内亜貴恵さん」

 

 にんまりとしている亜貴恵。

 

「ゼロ票」

 

 その瞬間、亜貴恵の表情が凍った。挙動が、完全に停止する。

 

「間庭数馬さん、9票。従いまして、次期理事長は、間庭数馬さんと決定いたしました」

「そ、そんなバカな!? これはどういうこと!?」

 

 亜貴恵が、血相を変えて立ち上がった。

 

「未麗!! どういうことか説明しなさいよ! 私は、あんたを信用して」

「副理事長!!」

 

 未麗が、亜貴恵に劣らない大声で叫んだ。一瞬、亜貴恵の口が止まる。

 

「……残念ながら、あなたの負けです。いさぎよく引き下がってください」

「冗談じゃないわよ! 私が、どれだけ待ったと思ってるの!? 今更引き下がれるものですか! この選挙はおかしい! 異常よ! 不正よ! やり直しを要求するわ!」

 

 喚き散らす亜貴恵をよそに、未麗は会議室の入口に駆け寄って扉を開けた。

 

「多岐川さん、ちょっと来て! 副理事長が」

「い、今参ります!」

 

 四十過ぎの男が飛び込んでくると、亜貴恵の腕を引っ張った。

 

「亜貴恵様! 落ち着いてください」

「離しなさいよ、秘書の分際で! 今、それどころじゃないのよ! この馬のクソみたいな会議を……離しなさいって言って……やめなさいよ! 離せぇぇぇぇー!」

 

 他にも二人ほど飛び込んできて、暴れる亜貴恵を抱きかかえるように、会議室から連行していく。

 後には、呆気にとられる理事たちと、蹴散らされた机や椅子が残されていた。

 未麗は、その場で深々と頭を下げた。

 

「大変お見苦しい姿を、お見せしました。母に成り代わり、心よりお詫び申し上げます」

「あ、いや……」

「議長の身ではありますが、あえて個人的な見解を申し上げます。私は、間庭数馬さんの理事長就任を、全面的に支持いたします。間庭さんの手腕を、期待いたしております」

 

 その声を、机の足元で聞いている小さな忍者がいることに、誰も気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 理事会議が終了し、屋上にて。

 

「……終わりましたね」

 

 笠間が、手すりにもたれて風に吹かれていた未麗に声をかけた。

 

「終わったわ。あなたの調査のおかげよ。礼を言うわ」

「副理事長は、どうされました?」

「車に無理やり押し込まれて帰って行ったわよ。ふふっ、あの醜態! ビデオにも撮っておいたから、あなたも見るがいいわ。私、あれ見るだけで、白飯三杯おかわりできるわ! ぷっ、あははははははは!!」

 

 ヒステリックなその笑いは、未麗が憎み切っている母親にそっくりだ。笠間はそう思った。

 

「ですが、これからどうするおつもりです? 間庭校長が理事長になるのは、狙い通りだとしても」

「私は、あの虚栄心剥き出しの、愚劣なクソ女とは違う。理事長の椅子なんかには興味ないわ。要は、学校の実権を握れればそれでいいのよ」

 

 その目に、野心がちらついている。

 どこまで母親似なんだ、と、笠間は半ば呆れていた。

 

「この前、聞きそびれたのはそこですよ。間庭校長は真面目なお方だ。スキャンダルらしきものは全くない。弱みを握るといっても」

「とぼけてるわね? 本当は分かっているんでしょ? 間庭校長のアキレス腱を」

「……間庭愛理、ですか?」

「そういうこと。校長は、養女の愛理を溺愛してる。あの男には、実子がいないしね。まあ、そこのところは、あなたも同様でしょう?」

「……申し上げておきます。私が、あなたと組んだのは」

「分かってるわ。校長や、彼女自身が私の言う通りにするならば、彼女の身の安全は保証します。

それより、あのクソ女の最期ッ屁には気を付けた方がいいわ。あの女は、間庭愛理にも一人、張り付けている」

 

 笠間は、表情には出さなかった。一応、想定内の事態ではあった。

 

「理事長になれないとあっては、あの女は必ずヤケになる。間庭愛理を守るのが、あなたの目的でしょう? ここでヘマをすれば、苦労が水の泡よ」

 

 お見通し、と言わんばかりに、未麗は笠間を睥睨した。

 

 

 

 

 

 航希がミニマムモードで見聞きした会議の様子を、〈スィート・ホーム〉の中にいるジョーカーズの面々は、神妙な顔で聞き入っていた。

 

「……ひとまず、最悪の事態は脱したようだな」

 

 そう言う神原だが、安堵した表情ではない。

 

「よかったじゃない、センセ。これでクビにならずに済んだんじゃない?」

「だが、このままで済むとは思えん」

「どういうことさ?」

「間庭校長や、娘である愛理くんが命を狙われることが考えられる」

「えっ!? ……そこまでする!?」

 

 遥音が、唖然としていた。

 

「忘れてはいけない。相手は、スタンド使いを何人も抱えているのだよ。今までにしても、お世辞にも自制した活動をしていたとは言えん」

 

 全員、黙り込んだ。〈スィート・メモリーズ〉を手にしたスタンド使いたちが、無軌道な行動をとる様を、誰もが目の当たりにしている。それを助長しているのが、〈スィート・メモリーズ〉を渡してきたスタンド使いであることは明白だった。

 

「副理事長にしてみれば、非常手段に訴えなければ終わりだからな。間違いなく、来期から城之内亜貴恵は理事ではなくなり、二度と学園に関わることはできんだろう」

「ですが! どうして愛理くんまで?」

「間庭校長が理事長になれば、将来その跡を継ぐのは愛理くんだからだ。彼女は模試で全国1位を取ったこともある、非常に優れた知能の持ち主だしな」

「そういえば、将来はお父さんみたいに教育者になるつもりだって言ってました。彼女なら、いい先生になりそうだって思ってましたが」

 

 文明は、以前に彼女とした話を思い出していた。

 

「つまりよぉ」と京次。「副理事長としちゃ、校長親子をブチ殺せば、理事長になれるって思ってるわけだな?」

「巧みに事を運べば、可能性はないでもない。だが、私の知っているクイン・ビーの性質からすると、このまま間庭校長に理事長の座を持っていかれるのは、どうにも我慢ならんというのが本音だろう。自分のものにならないのなら、いっそ全て破壊してやる。そういう人間だ」

「自暴自棄ってヤツかよ。さすがに付き合ってられねぇな」

「もちろん、そんな暴挙を見過ごすわけにはいかない。君たちも、同感だろう?」

 

 全員が、一斉に頷いた。

 

「思い立ったら、即刻行動せずにはいられないのが、あの女だ。時間をおかずに実行に移すと思われる。ここ数日が勝負だ。さすがに今日はショックでそれどころではないだろうが、明日にも刺客を差し向けてくるかもしれん」

「もちろん、迎え撃つんだよな?」

 

 神原が、大きく頷いた。

 

「二手に分かれて、護衛につこう。私は、校長を守る。須藤くんと服部くんも加わってくれ。愛理くんの護衛は、武原くんと天宮くんだ。特に天宮くん」

「は、はい!」

「君は、彼女のクラスメートで生徒会も一緒だ。一番、彼女の動向が分かる立場だ。彼女の命運は、君の肩にかかっている。頼んだぞ」

「分かってます。絶対に、彼女には手出しさせません」

 

 文明は、真剣な面持ちで大きく頷いた。

 



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第3章 少女たちの受難
第22話 ガーブ・オブ・ロード、進化


 理事会の、次の日の放課後。

 生徒会室から出てきた愛理を、呼び止めた男子生徒がいた。

 

「あ、多岐川先輩。どうしました?」

「うん。会議が終わって早々で申し訳ないんだけど、ちょっと音楽室まで付き合ってくれないかな? トランペットのソロパートのチェックをしてほしいんだ。そんなに時間は取らせないから」

「いいですよ。行きます」

「ちょっと待って!」

 

 歩き出そうとした愛理を、文明が止めた。

 

「僕も、一緒に行っていい? トランペット、ちょっと聞いてみたい」

「え? ああ、そういえば天宮君も軽音楽部ですものね。いいですか、先輩?」

「……いいよ。一緒に来てもらおう。折角だから、聞いてもらおうか」

 

 キチンと刈りこんだ頭を擦りながら、多岐川はじろっと文明を見た。

 そして三人は、第三校舎へと向かう。

 

「珍しいですね。天宮くんが歩きスマホするなんて」

「うん。本当はよくないんだけど、ちょっと急ぎの用件があるから。すぐ終わらせる」

 

 そんな二人の会話を背中で聞きながら、多岐川は足を進める。

 そして、彼らは〈音楽室〉と表札が出ている部屋まで着いた。

 多岐川が扉をガラリと開けて入った音楽室。その中は、ほとんど何も置かれていない。折り畳み式の小さいテーブル付きの椅子が、積み重ねられて壁際に集められている。黒板の前には指揮台があり、反対側の壁には棚があって、小さな楽器がいくつか置かれている。

 二人を中に招き入れると、多岐川は扉をキチンと閉め、そして内側から鍵をかけた。

 

「!? 多岐川さんでしたっけ。どうして、鍵をかける必要があるんですか!?」

「……君も、ノコノついてこなければ、死なずにすんだものをな」

 

 冷たい表情で、多岐川が振り返った、その時だった。

 ゴロン、と床に何かが落ちる音がした。

 ハッとして、文明がそちらを見た。

 ソフトボール大の容器が床にゆっくりと転がされてきた。部屋の真ん中で止まり、数秒静止した後、真ん中から二つに割れた。白い煙が、急激に広がり始める。

 

「間庭さん! 煙を吸っちゃダメだ!」

「何だこれは!?」

 

 文明と、多岐川がほぼ同時に叫んだ。

 だが。

 煙が、完全に動きを止めた。広がるどころか、揺らめきすらしない。

 次の瞬間、煙がスッと消滅した。

 

(麻酔薬が消えた!? どういうことだ)

 

 椅子の陰で、ガスマスクをつけて様子を伺っていた笠間は、予想しない事態に驚いた。

 

「部屋の中に、誰かいるな!? 出てこい!」

 

 文明が叫んでいる。

 

(そうだよな。部屋の奥から、今のを投げたのはバレバレだからな。こうなれば、強行策しかない!)

 

 笠間はガスマスクをむしり取ると、〈クリスタル・チャイルド〉を出して、椅子の陰から飛び出した。

 

「笠間! やっぱりお前か」

「え、笠間さん!? どうしてここに」

 

 文明と愛理が、同時に叫んだ。

 委細構わず、〈クリスタル・チャイルド〉の鎌の切っ先を、愛理の傍にいた多岐川に向けた。いきなり、その切っ先が螺旋状に伸び、襲い掛かっていく。

 

「させるか!!」

 

 先端の伸びていく先に、〈ガーブ・オブ・ロード〉が出現した。文明自身も、多岐川を守るべくその前に立ち塞がる。

 スタンドの両腕から布が伸び、切っ先を迎え撃つ。

 切っ先と、布が触れ合った瞬間。

 ガシュッ! という音が発せられたかのように、双方が絡みついた。

 

「何だと!?」

 

 笠間は、仰天した。

 切っ先が、文明のすぐ目の前で布に絡まれ、完全に止められていた。スタンドの両腕から伸びた布が、真横に引き絞られていた。

 文明の両腕から、ポタリ、ポタリ、と、鮮血が袖から流れ出ている。苦痛に歯を軋らせながら、鋭い眼光が笠間を捉えていた。

 

(イカれてるのか、こいつ!? 止め損なったら、確実に死んでたぞ!)

 

 様々な敵と遭遇してきた笠間が、言いようのない怖気を感じていた。

 ガコン……!

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の、布が伸びている手首。そこが、変化した。両手首それぞれを切り落とすように、半円状の板が出現していた。その直径は、顔程度の大きさ。どちらの半円も、その中心からわずかに伸びた細い軸で、手首とつながっていた。。

 

「な……何? どうなってるの?」

 

 青ざめていた愛理が、言葉を漏らした。

 傍にいた多岐川が、横に飛びのいた。

 次の瞬間、音楽室に、ベートーベン〈運命〉の有名なフレーズが、実際の音となって轟いた。

 

「ぐあッ!」

「あうッ!」

 

 動きの止まっていた二人を、突然、全身が激しく揺すぶられるような衝撃が襲った。内臓を、容赦なく痛めつける。

 たまらず、両者ともスタンドが消えてしまい、床に片膝をついた。

 

「揃ってマヌケな姿だよな。そんなんじゃ、俺の〈オーケストラ・ジ・アース〉の餌食になるだけだ」

 

 冷たい視線を、二人に送る多岐川。

 二人がそちらを見ると、多岐川の前に、両腕を真横に広げたくらいの長さの舞台が出現していた。

反射板を背にし、板の間の上に、手のひらサイズのスタンドが多数整列していた。手に手に、金管楽器に木管楽器、打楽器などを持っている。

 そして、そのすぐ前に、倒れ伏している愛理がいた。

 

「間庭さん!?」

「何てことしやがる、このバカ!!」

 

 笠間が、眼前の文明を怒鳴りつけた。

 

「彼女を狙ってるのはアイツだ! 俺は、アイツをやっつけるつもりだったんだ! 割り込んできやがって、この大バカが!!」

「え? ……僕らを毒殺しようとした癖に、何言ってるんだ!」

「あれは、ただの麻酔薬だ! お前、早トチリが多いってよく注意されるだろ絶対! 観察力が足りない証拠だ、この特上バカ!!」

「う、うるさいな! ついでにバカバカ連呼するな!」

 

 愛理は、そんな騒ぎをよそに、無意識にポケットの中の守り袋に指を指しこみ、中身に触れていた。

 文明から渡されたロケット。それを彼女は、不安に感じた時には触る癖がついていた。

 

(一体これはどういうこと……? ひいおじい様、あたしを、守って……)

 

 そう思った時、いつもと違う感触があった。

 

(痛っ……!?)

 

 ロケットが開き、中から出てきたものが、彼女の指を傷つけていた。

 それがまるで合図となったかのように、彼女の意識は途切れた。

 

「バカだからバカっつってるだけだ! このトンチキが」

 

 笠間がまだ文明に怒鳴っている間に、〈クリスタル・チャイルド〉が素早く動いた。床に這わされていた紐が、グッと引っ張られた。文明との怒鳴り合いは、多岐川の気を逸らすためのフェイクだった。

 先ほどまで笠間がいた椅子の陰から、何かが多岐川目掛けて飛んだ。

 

「!」

 

 多岐川の頭上で、それは弾けて広がった。小型の網が、多岐川にふわりと被さる。

 

(愛理を巻き込むから、毒も銃も爆弾も使えねー。本体の動きを一瞬封じる手立てがやっとだ!)

 

 間髪入れず、〈クリスタル・チャイルド〉の鎌の螺旋が多岐川を襲った。

 反射板の一部が、次々と分離した。面を斜めにして空中に並ぶ。

 切っ先が、反射板の一枚に当たる。止めきれないが、方向が微妙に横ズレした。何枚も反射板を弾いている間に、切っ先の方向がどんどんズレていく。

 わずかに避けた多岐川のすぐ横を、切っ先が通過して黒板に穴を開けた。冷めた目つきで、多岐川が網から抜け出すと、横合いに放り出した。

 

「甘いな。この〈オーケストラ・ジ・アース〉に、遠距離からの攻撃は効かない」

「なら接近戦だ!」

 

 笠間の姿が掻き消え、その場に倒れたままの愛理が出現した。

 今まで愛理がいた場所に、笠間が現れた。すぐ目の前に、多岐川がいる。

 笠間の傍らにいた〈クリスタル・チャイルド〉の鎌が、多岐川の首を切り裂くべく、横へと引きつけられた。

 が、その動きが止まった。引き付けられたまま、鎌が動かない。

 鎌の切っ先を、何枚も重なった反射板が遮っていた。

 

「ぐ……」

「突くにしろ、斬るにしろ、強烈な攻撃には『引き付ける』動作が必要になる。引き付けきったところで動きを封じれば問題はないってことだ。そして、この反射板は自動防御だ」

 

 冷静に、多岐川が述べた。

 スタンドの楽団が、左右に分かれて舞台を降り、笠間を取り巻くように半円状に散開する。笠間が慌てて飛びのくが、すでに遅かった。

 

「オッフェンバック〈天国と地獄〉」

 

 ぽつりと、多岐川が呟いた。

 演奏が、始まった。速いテンポで、金管楽器が一斉に吹き鳴らされ、打楽器が連打される。

 金管楽器の音色が見えない拳と化し、打楽器の連打は衝撃波と化した。その全てが、笠間一人に襲い掛かる。

 

「かはっ……!」

 

 たまらず、笠間がもんどりうって倒れた。

 

「他愛無いな。次はそこの眼鏡、お前だ」

 

 演奏を中断した多岐川がそう言いかけた時、扉がガタガタと揺さぶられた。

 多岐川が、はっとしてそちらを見る。外から、声もしてきた。

 

「鍵がかかってやがる! ブチ破るぞ」

「私がやるわ!」

 

 ドンッ!

 扉の鍵のところが、外側から破壊された。開いた穴から、槍の穂先が突き出されており、すぐに引っこんだ。

 扉が、勢いよく開かれた。

 飛び込んできたスタンドを見て、笠間が呻いた。

 

「あ、明日見……!?」

「助けに来たわよ! 〈パラディンズ・シャイン〉登場! ってね?」

 

 ニコッ、と笑う、制服姿の明日見。傍らに佇む、槍と翼を持つ天使の姿をとったスタンド。

 それを見た文明の目が、彼女に吸い寄せられた。

 

(かっ……かわいい! こんな時だってのに……どストライク……!)

 

「えーっ!? 何で愛理さんが倒れてんの!? 彼女を守るんじゃなかったの!? ホント、イザって時に頼りにならないんだから!」

「うっせ……これからだよこれから……」

 

 そう言いつつも、笠間は気を失ってしまった。

 

「あーあもう! ここからは私がやるから」

「待てよ。女の子ちゃん」

 

 明日見の後ろから出てきたのは、京次だった。すでに〈ブロンズ・マーベリック〉を身にまとっている。

 

「俺に任せろや。あいつをブッ飛ばせばいいんだろ?」

「あらそう? じゃ、お手並み拝見ね」

 

 あっさりと引き下がる明日見。

 

「舐められたもんだな。それとも、スタンドの数が増えて、窮地に陥ったというべきか?」

「あぁ、俺一人で充分だから心配すんなって。行くぜ!」

「……ドヴォルザーク〈新世界より〉」

 

 バイオリンやチェロの低い旋律が、京次と明日見に向けられた。

 途端に京次の足が止まる。

 

「どうしたの!? 行くんじゃなかったの」

「足が進まねぇんだよ! 見えねぇ糸で遮られてるみてぇだ」

「何よそれ……え!?」

 

 自分が行こうとした明日見も、一、二歩進んだところで止まってしまう。

 旋律に金管楽器が加わり、京次も明日見も、両腕ごと胴を縛られる感覚に襲われた。続いて、全ての楽器による重低音。ドンッ! と全身に叩きつけられる圧力に、二人は床に倒れこんだ。

 

「女の子ちゃん! 槍使え! 俺は身動きできなきゃどうしようもねぇ!」

「……〈パラディンズ・シャイン〉!」

 

 明日見の傍にいた天使姿のスタンドの槍が、グンと伸びた。槍の柄が途中で何か所も分裂し、その間を銀色の鎖がつないでいる。

 が、その穂先も、反射板が何枚も行く手を遮り、跳ね返されてしまう。

 微かに、多岐川が口元に笑みを浮かべた。

 その笑顔が、凍り付いた。

 腕に、布が伸びて巻き付いていた。宙に浮く反射板の間を、布がすり抜けている。

 

「隙あり!」

 

 文明が、ぐんっと腕を振った。

 引っ張られた多岐川の体が、前方に引き倒されて、床に叩きつけられた。演奏が中断される。

 

「僕のことを忘れてるんじゃないか!? まだ、僕は負けたわけじゃない!」

 

 少しよろけながら、文明が立ち上がる。

 京次は、ニヤリと笑った。

 

「へっ、やる気満々じゃねぇか。任せたぜ。俺は、楽団の効果がまだ続いてるらしくて、動けねぇんだ」

「まともに動けるのは僕だけか……。間庭さんを死なせないためには、ここで僕が勝つしかないってことか」

 

 多岐川が、片腕を布に掴まれたまま立ち上がってきた。

 

「負けられん……! 俺は、間庭愛理をしとめないといけないんだ……!」

「どうして!? あなたの部活の後輩だろう!?」

「……俺の親父は、副理事長の秘書なんだ」

 

 多岐川が、絞り出すようにそう口にした。

 

「親父は、お袋と離婚してから、男手一つで俺を育ててくれた。失業してた親父を拾ってくれて、秘書にしてくれたのは副理事長だ。今、親父とお袋の復縁話が決まりかけてる。家族一緒に、もう一度暮らすんだ……!」

「そのために、間庭さんは死んでもいいっていうのか? スタンドで人殺しして、家族が幸せになれるっていうのか? 僕には認められない!」

「お前らに何が分かる!! 俺にとっては、家族が全てだ!!」

 

 ギッと、多岐川は文明を睨みつけた。

 

「そんなこと、もういいじゃねぇか」

 

 鬱陶しそうに、京次が遮った。

 

「俺のお袋はもう亡くなってるけどよ。そんなことを、戦いの理由にゃしねぇ。もっとよぉ、純粋に戦いを楽しめや。勝った方が、ワガママを通す。それでいいんだよ!」

「どうも共感できない部分があるけど……君らしいな」

 

 文明は、多岐川の腕から布を外した。

 そして、両者が、正面切って対峙する。楽団が、多岐川の眼前の舞台に集合した。

 

「……どの曲で殺されたい? なるべく、リクエストに答えるが」

「さっきの〈運命〉でいいよ。僕はクラシックに疎いし、僕にあなたの攻撃が効くのは分かってるだろう?」

「俺の反射板も、お前には通用しない、か。お互い、攻撃はガードできない。公平と言えば公平だな」

 

 二人が、じっと睨み合う。

 一瞬で、勝負が決まる。二人の間に高まる緊迫感に、全員が呼吸すら遠慮していた。

 

「ベートーベン〈運命〉ッ!!」

「〈ガーブ・オブ・ロード〉ッ!!」

 

 両手首からの布が、多岐川に伸びる。

 衝撃波が、文明に飛んだ。

 バッ! と、二本の布の先端が衝撃波で弾かれて左右に分かれる。

 そして、衝撃波が〈ガーブ・オブ・ロード〉に叩きつけられた。

 

「ぐうッ!」

 

 しかし、文明は耐える。崩れそうになる足を、必死で踏みとどまる。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕は、伸ばされたまま。

 その腕の、両手首のところにまたも半円状の板が現れた。いや、両腕が正面に伸ばされたことにより、両方の半円は結合され、円盤と化した。円盤は、やはり融合した一本の軸で、密着した両手首とつながれていた。

 

「う、あぁぁぁぁーっ!!」

 

 中央の軸が回りだし、円盤が急激に回転を始めた。

 円盤から伸びた、二本の布が渦を巻く。衝撃波を回避するように、回り込みながら螺旋を描き、多岐川に迫る。先ほど笠間が使った、鎌の螺旋の攻撃が、文明にヒントを与えていた。

 布が、片方は右腕に、片方は左足に絡んだ。と見えた瞬間、多岐川の体は、風に煽られた凧のように急回転した。

 激しい音を立てて、多岐川は肩口から床に叩きつけられた。楽団も、舞台も、全てが消滅した。

 文明は荒い息をしながら、まっすぐ立って、肩を押さえて呻く多岐川をじっと見下ろした。

 

「……僕の勝ちだ。降参してもらいます」

「ああ……分かった。無念だが、な」

 

 多岐川は、よろよろと身を起こすと、あぐらをかいて座った。肩が砕けたらしく、残った手で押さえている。

 

「あなたに聞きます。間庭さんと、校長を狙っているのは、あと何人いるんですか?」

「……俺と、親父だけだ。俺は娘、親父は校長。そういう手はずだった」

「え!? じゃ、校長先生は」

「今、親父が襲ってるはずだ。親父もスタンド使いだからな。だから、副理事長の秘書になれたんだ」

「ん? それ、おかしいぜ」

 

 ようやく動けるようになった京次が、スマホから目を離した。

 

「今、神原先生と連絡してたとこだ。あっちは、何も異常なしだそうだぜ」

「そ、そんなバカな!」

 

 多岐川が血相を変えた。

 

「……重ねて聞きます。本当に、あなた方親子だけなんですか? そちらには、たくさんスタンド使いがいるわけでしょう? 今までだって、ずいぶん大勢差し向けてきたんだし」

「は? 何のことだ」

 

 多岐川が、目を瞬かせる。

 

「副理事長が抱えるスタンド使いは、俺たち親子だけだ。他のヤツがいたとは思えない。……待てよ。もしかしたら」

 

 急に、多岐川の言葉が止まった。

 その目が、ガッと開かれ、口が開閉する。

 そして。

 

「ガハッ……!!」

 

 夥しい量の吐血が、口から吐き出された。その血の海の中に、体が力なく倒れこむ。跳ねた血が、文明の足元まで飛んだ。

 

「多岐川さんッ!!」

 

 文明が、叫んだその時。

 何度か体験してきた感覚が、体を襲った。

 

「これは! 〈消滅する時間〉」

「窓の外だ! 逃げていきやがる」

 

 京次が指さす方向に、駆け足で遠ざかっていく男の後姿が見えた。

 

「待ちやがれ! この」

 

 窓を開けると、京次が飛び降りてそれを追いかけ始める。それに文明もついていこうとした。

 

「ちょっと待って! あなたまで行かないで」

 

 明日見の声に、文明の動きが止まる。

 

「私たちも、ここから移動しないといけない。ここにいたら、私たちがその人を殺した疑いをかけられる」

「で、でも!」

「お願いだから聞いて! 私一人で、二人も人間を運べないのよ。愛理さん、すごい熱……!」

「何だって!?」

 

 文明が近寄って、額に手をやると、明日見の言葉が嘘でないことがハッキリ分かった。

 

「兄さんは私が連れていくけど、愛理さんは保健室に寝かせましょう。付き添ってあげて」

「な、なんでいきなり熱が? 今の攻撃で?」

「そうじゃないと思うけど……。放っておいていい状態じゃないわ。お願い」

「分かった。……一つだけ教えてくれ。君の名は?」

 

 そう聞かれて、彼女はかろうじて口元だけわずかに微笑んだ。

 

「私は、笠間明日見。そこの、笠間光博の妹よ。兄さんと違って、それほど悪人じゃないつもり。今度、この学校に転校するつもりだからよろしくね?」

「あ……そうなんだ……」

 

 その場には血の匂いが立ち込め、すぐ側には多岐川の死体がある。

 こんなシチュエーションで出会いたくなかったな、と、文明は思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 執務室の扉がノックされると、未麗は書類から顔を上げた。いつものように、部屋にはバイオリンの音色が流れている。

 入るように声をかけると、扉が開き、茶髪にサングラスの若い男が現れた。

 

「平竹。どう? 首尾は」

「オールオーケーですよ。多岐川シニアは、襲撃前にデリートしました。多岐川ジュニアは、神原チルドレンが倒したには倒したんですがね。とどめを刺さずに、我々の情報を聞き出そうとしてたんで、デリートしておきました」

 

 いつもながら、帰国子女であることが自慢のつもりか、無駄に横文字の多い会話をする男だ。未麗はそう思って、うんざりしながら応答した。

 

「そう。愛理のところには、笠間もいたんじゃないの?」

「ふん。未麗さんはずいぶん彼を買いかぶっておられるが、ブランクのせいでヤキが回ったんじゃないですか? あんな雑魚にハード・ワークしてたようですから」

 

 どうせ、妨害でもしたのだろうと未麗は思ったが、口にはしなかった。

 

「メインディッシュは、用意してきたのでしょうね?」

「それがナッシングでは、満足なさらないでしょ? ちゃんとテイクアウトしてますよ」

 

 平竹が部屋に入ると、その後ろからついてきたのは、二人の男だった。意識のない女性一人の、上半身と下半身をそれぞれ担いでいる。

 

「ご苦労様。そこに置いといて」

 

 無造作に、床に女性を放り出すと、男たち二人は一礼して去っていった。

 未麗はゆっくりと立ち上がると、その女性の側まで足を進める。

 そして、女性の腹を思い切り蹴りつけた。

 

「うっ!? ……何!? 未麗!?」

「目が覚めた? お・か・あ・さ・ま?」

 

 侮蔑的な笑みを浮かべて、未麗は倒れている亜貴恵を見下ろした。

 亜貴恵はようやく、自分の両腕と両足が縛られていることに気づいたらしく、必死で身動きする。

 

「どういうつもりなの、これは!?」

「ちょっとしたニュースを教えてあげる。多岐川親子、どっちも死んだわよ。これでアンタの手駒は、完全になくなった」

「な……!」

 

 絶句する亜貴恵。

 

「今までの苦心が、完全に水の泡よね。頑張ってきたのにねえ。私と聖也を自分で育てることもせずに、くだらない金儲けのために散々利用してきたってのに……!」

「な、何よ! いつまで聖也のことなんか言ってるのよ。あんな出来損ないが、うぐッ!!」

 

 鬼の形相になった未麗が、全力で亜貴恵の顔面を蹴りつけた。その口から、歯が何本か飛び出す。

 

「あ……が……」

「ウジ虫が這いまわってるゴミ溜めみたいな口で、私の聖也を(そし)るな!! いいこと? 聖也は、私の子。かわいい私の息子。あんたは、腹を貸しただけ!」

「ア……アンタ、何、言って……あがっ!」

 

 亜貴恵の頭を、未麗はヒールで踏みつけた。

 

「安心なさい。あんたは殺さない。そう簡単に殺すもんか。今まで、あんたは私たちを道具扱いしてきたんだから、これからは私と聖也の役に立ってもらう。ああ、それから、城南学園は私たちが頂いてあげる。感謝しなさいね」

 

 未麗の哄笑が、執務室に響き渡り、なかなか止まることはなかった。

 



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第23話 迫りくるリベンジの旋律 前編

 文明がその朝、道の角を曲がろうとした時、事件が巻き起こった。

 

「あっ!」

「あれっ? えーと、天宮くん、だよね?」

 

 大きな目を瞬かせる明日見に、文明はドギマギした。

 

(うー……。やっぱカワイイ……)

 

「どうかしたの?」

「あ、いや。ちょっと驚いちゃって。もしかして、今日から転校するの?」

「うん、そういうこと。トーストくわえて、ぶつかった方がよかったかな?」

 

 ふふ、と笑う明日見。

 

「愛理さんが今日から登校再開するみたいだから、日にちを合わせてもらったの。あなたも、もしかして?」

「うん、迎えに行こうかって思って。あんなことも、あったしさ」

「私もそうなんだ。一緒に行こうか?」

 

 文明は、この時ほど愛理に感謝したことはなかった。

 内心ウキウキで、文明は明日見と並んで歩く。

 

「天宮くんも、あれから体は大丈夫だった?」

「いや……実は、二日ほど寝込んでた……。もっと、カッコよく勝てればよかったんだけど」

「えー!? 私、カッコいいと思ったよ? 西部劇のガンマンみたいだった!」

「そ、そうかな?」

 

 真っ赤になる文明。

 

「だけど、あの多岐川さん、あ、いや! 何でもない」

 

 押し黙る文明を、明日見はじっと見つめる。

 

「救えなかったって、責任感じてるんでしょう? あれは仕方ないと思う。窓の外に、もう一人いるなんて私も気づかなかった。武原くんも、結局捕まえられなかったんでしょ?」

「うん、近くの道に、車を用意してたらしい。準備万端だったってことだよ」

「本当は、兄さんが年の功でそういうことを考慮すべきなのよ、うん! 困ったもんよね」

 

 この輝くような少女が、あの笠間の妹。そう思うと、酢を飲んだような気分になる文明だった。

 

「天宮くん」

「え?」

「兄さんについては、今まで迷惑もかけただろうし、怪しむのも無理はないと思う。だけど、愛理さんについては、あの人は命がけで守ろうとしてる。私も彼女を死なせたくない。今まで学校は違ったけど、私は友達のつもりだから」

「そう、なのかぁ……」

「もう彼女が襲撃される心配はなさそうだけど、しばらくは気をつけましょうね。私は彼女と同じ吹奏楽部に入るから、そっちは任せて。天宮くんは、生徒会絡みでよろしくね」

「ああ、分かったよ」

 

 文明が雲を踏むような気分で受け答えをしているうちに、二人は〈間庭〉と表札のかかった家についた。高級住宅地の一角にふさわしい、門付きの上品な一軒家。

 インターホンを押すのを文明がためらっているうちに、明日見がさっさと押した。

 中からの応答に明日見が返事し、しばらく待っていると。

 

「おはようございます。明日見さん、お久しぶりですね」

「元気そうね。よかったー!」

「あなたも、今日からうちの学校の生徒なんですね。一緒に通えるなんて、本当にうれしいです」

「そうよね。もう何年前から、そうなればいいねって言い合ってたもんね?」

 

 朗らかに笑い合う二人に、文明は入り込む余地が見いだせない。

 

「それじゃ行きましょうか。あら、天宮くん? なぜここにいるんですか?」

「いや、あのね! 僕も君を迎えに来たんだけど」

「あら、ごめんなさいね。気が付かなくて」

 

 もういいや、と思いながら、談笑しながら先を歩く二人についていく文明であった。

 

 

 

 

 

「そりゃもう、大騒ぎだったよ! 特に男どもがね」

 

 遥音が、苦笑いしながら、その日のクラスの様子を伝えていた。

 

 例によって、〈スィート・ホーム〉にジョーカーズが集結していた。ただし、いつものメンバーに、一人加わっている。

 航希が、新聞受けから引っこ抜いた黒猫新聞を眺めている。

 

「一面にも、デカデカと乗ってるもんね。『敵か味方か、笠間妹が乱入!』だってさ」

「って言うかさー。炭三の判断はもう決まってるンじゃない?」

 

 遥音の示した先では、正座している明日見の膝の上で、炭三が優しく撫でられてうっとりしている。

 

「ここにも明日見ファンが一匹できてンじゃないのさ。やっぱオスだねぇ」

「どうやら、そのようだな……」

 

 いささか困った顔の神原。彼は、明日見に〈スィート・ホーム〉の秘密を明かすことを最後まで渋っていたが、文明に押し切られて許可していた。

 

「私、神原先生とは、お話したいと思ってたんです」

 

 明日見が、真面目な表情で言った。

 

「先生は、兄とはかつて因縁があったことは知ってます。ですが、今の兄は、昔の兄とは区別して考えてほしいんです」

「君は、笠間の代理としてここに来たのかね?」

「いえ。兄には、この〈スィート・ホーム〉のことすら、話す気はありません。先生とお話ししたということも、教えるつもりはないです」

「それは、どういうことかね?」

 

 予想していない言葉に、神原はどう判断していいのか迷った。

 

「今はまだ、それができる環境にないと思うからです。兄は、まだ敵と完全に切れてはいないと思いますから」

「敵? それは、誰のことかな?」

「そこまではまだ。ですが、兄は音楽室の一件があった後でも、神原先生と完全に連携する気はまだないみたいですから。多分、兄は敵と交渉を続けるつもりなんだと思います。愛理さんに身の危険が及ばないように」

「私が不思議に思っているのは、そこなのだよ」

 

 神原は、じっと明日見を見つめた。

 

「音楽室の一件は聞いた。君たち兄妹が、それぞれ愛理君の命を守ろうとしたことも。それはなぜだ?」

「……兄は、昔の償いをしようとしてるんです」

「償い!?」

 

 神原は驚いた。

 

「君の前で申し訳ないが、あれは償いなどという言葉とは、おおよそ無縁な男だった」

「昔はそうだったかもしれません。ですが、8年前の事件が、兄にとってターニングポイントになった。私は、そう思います」

「8年前!? 当時なら、私もあの男も〈ダーク・ワールド・オーダー〉に所属していた。……待てよ……そういえば、あれの教団内での態度が、急に消極的になっていった時期があった」

「記録を調べてもらえれば、分かると思います。その頃に、城之内信乃さん夫婦の自動車事故があったことになってます」

「あった、『ことになっている』?」

「事故に見せかけて、殺されたんです」

 

 全員が、息を飲んだ。

 

「信乃さんというと、確か愛理くんの実の母上だ。すると、愛理くんは実の両親を殺された、と?」

「はい。兄は、その事件に関わっていたんです。それが兄の負い目になっているみたいで。娘の愛理さんだけは救いたいと思っているんです。それが、信乃さんへの恩義に報いることだと」

「恩義、か……。申し訳ないがあの男と、恩義だの償いだのという言葉が、どうも結びつかん」

「それだけ、信乃さんが兄の心に深く食い込んでいたということだと思います。妹の私から見ると……兄の人に対する情は、とても狭いけど、その分深いです」

 

 神原は、じっと黙り込んだ。

 

「……あるいは、そうなのかもしれんな。それで、君自身はどうなのかね?」

「私ですか?」

 

 少し考えて、明日見は答えた。

 

「実は最初は、兄がこだわる相手に興味を持って、愛理さんに近づいたんです。ですけど……彼女、真面目で健気な子なんです。彼女の方も、頭が良すぎるのが災いして、友達があまりいなかったみたいで。不徳の兄に加えて、私まで愛理さんを守り切れなかったら……何て言うか、申し訳が立ちません」

「そうか……」

 

 神原は、感じ入るものがあったようだった。

 

 

 

 

 

 未麗の執務室にて。

 

「神原と笠間は、早めにデリートするべきです」

 

 平竹が、そう進言していた。

 

「神原はともかく、笠間を? どうして?」

「あの笠間が信用できますかね? 彼は、未麗様に心から忠誠を誓っているわけではない。私にはアンビリーバブルですが、間庭愛理の命を守るために、あなたに協力したにすぎません」

「そんなことは百も承知よ。だからこそ、利用できるんじゃない。愛理の命さえ保障してやれば、あの男に害はないわ」

「ノンノンノン! その愛理について風向きが変われば、彼は必ずあなたにアタックしてきますよ」

「平竹」

 

 未麗は、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「あなた、要するに笠間が気に入らないだけじゃないの?」

「クッド・ビー(かもしれませんね)。理事長選挙が終わった今、彼の役目はジ・エンドでしょう? 不確定要素は、とっととデリートするべきですよ」

「あなたもしつこいわね。愛理を押さえてさえいれば問題ないのよ。あの男は、また使えるかもしれないし。風向きが変われば、その時に両方始末すればいいのよ」

 

 平竹の眉根が、不快そうに寄った。

 

「なら、神原はどうします? 彼があなたとトゥゲザーするとは思えませんが」

「ああ……あの男は、しばらく泳がせるわ」

「キャント・シー! 泳がせるメリットが感じられません」

 

 未麗は、一つため息をついた。

 

「聖也がね。そう言ってるの」

「え?」

「聖也は、神原を殺したり、学校から追い出したりしないでくれって言うのよ。私一人の考えで、神原を消そうとしていたのは間違いだったわ」

 

 平竹も、さすがに絶句した。

 

(ホワット!? 城之内聖也は、バースデイから全く意識がないというではないか。弟への溺愛が行き過ぎて、頭がおかしくなってきているのか?)

 

「神原をクビにしようと思えば、今までだってできたのよ? そうしなかったのは、あの男を野に放つのも危険と感じてきたから。だけど、理事長選挙も終わったことだし、神原をそこまで恐れることもなくなった。一介の教師として、学園に留めておいた方が、行動を把握しやすいし」

「ですが、神原チルドレンはどうします?」

「どうせ生徒でしょう? いずれは全員卒業しないわけにいかない。それまで放っておいてもいいのよ」

 

 平竹は反論はしなかったが、それは表向きだけであった。

 

(神原と笠間には、早めにステージ・アウトしてもらいたい。この学園に、ワイズマンは私だけでいいのだ。そうだな……間庭愛理が死なない程度にいたぶって、挑発してみるか。……そうだ、ジャストフィットの者がいる。笠間! 貴様がスルーしたスタンド使い、私がリユースさせてもらうぞ)

 



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第24話 迫りくるリベンジの旋律 後編

 音楽室に、吹奏楽部の全員が集合していた。総勢三十人ほど。

 女部長の神木が、にこやかに壇上で喋っていた。

 

「えー、この度、私たちに新しい仲間が増えました。知ってる人もいると思うけど、1年3組に先日転入してきた、笠間明日見さんです。仲良くしてあげてね」

 

 明日見が頭を下げると、おおむね好意的な笑顔の一同から拍手が起きた。

 それを受けながら、明日見は音楽室を目線で見回す。

 

(多岐川さんは休学扱いにされてて、死んだことすら誰にも知らされてない。それはまだしも、この部屋に戦闘の跡すら残ってないのは、普通ありえない。スタンド使いが手を入れた可能性はあるかも……)

 

 挨拶を終えた明日見は、愛理の隣の空席に戻っていった。愛理が、視線で労ってくる。

 さらに、神木が話を続けている。

 

「次の演奏会の自由曲だけど。みんな、動画は見てくれた?」

「あの、すみません。動画って、何のことですか? あたしは何も聞いてなくて」

 

 愛理が手を挙げて尋ねた。

 

「あ、そうか。間庭さんは、先週お休みしてたから知らないのよね? 今回から、私がネットにアップロードしておいた動画をチェックしてもらって、曲の雰囲気を掴んでもらうって試みをしてるのよ」

「見た見たー! パンダがサックス吹いてるやつ!」

 

 部員の一人の茶々に、どっと笑いが起きる。

 

「何ですか? パンダって」

「着ぐるみのパンダが、曲をバックにノリノリでサックス吹いてるんだよ。絵面で笑わせようと思ってるだろ部長ー?」

「だって、あんまり映像が殺風景だと、誰も最後まで観ないでしょ? サービスよサービス。じゃ、間庭さんや笠間さんは見てないようだし、せっかくだから全員で動画を見てみましょうか」

 

 神木は、カーテンを引いて日差しを隠し、スクリーンを天井から引き出した。手際よく机をスクリーンの前に設置、PCを机の前に置いて、デスクトップ画面をスクリーンに映し出す。

 そして神木は、スマホをPCにテザリングすると、動画サイトの画面を出した。

 明日見は、その時違和感を感じた。

 

(? 動画ファイルを前もってPCに移してないの? どうしてわざわざ、テザリングしてまでサイトに)

 

 そして、動画がスタートした。

 話に出ていた通り、着ぐるみのパンダが画面に登場した。おどけて手まねでカンフーをしたりすると、部員の数人がクスクス笑っている。

 演奏が始まる。サックスを中心とした前奏で、パンダがサックスを加えて、吹いている様子を見せている。一同、そこまで来ると、真面目にじっと聞いている。

 だが明日見は、聞いているうちに、音にならない囁きを感じていた。

 

(間庭愛理は、敵……。間庭愛理は、仇……)

 

 明日見の肌が、泡だった。勝手に本能が、スタンドを出していた。

 ちらり、と当の愛理を見ると。

 

「何……? 一体、この声は何なの……? どうして、あたしが」

 

 小さな掠れ声で、呟いていた。両手で耳を塞いで、震えている。

 その頭上に、何か揺らめくようなものが、明日見には見えた。

 

「部長!」

 

 明日見は、壇上の神木に大声で呼びかけた。

 

「間庭さんが、気分が悪いと言ってます! 保健室に」

「認めません! 逃がさない!」

 

 神木が怒鳴るのと同時に。

 

(間庭愛理に、制裁を! 殺さなければ、何をしても自由だ!)

 

 声なき指令が、動画から飛んだ。

 

「〈パラディンズ・シャイン〉ッ!!」

 

 伸びた槍の穂先が、PCにつながったスマホを貫き、粉砕した。

 

「く!? みんな、やってしまいなさい!」

 

 部員たちが、一斉に立ち上がっていく。全員、目をひん剥き、明らかに正気を失っていた。

 小さな悲鳴をあげる愛理に、手近にいた数人の男子が掴みかかってきた。

 明日見は槍を引き戻すと、横に振るった。

 分裂して鎖でつながれた槍の柄が、男子たちに横殴りに叩きつけられた。もんどりうって倒れこみ、後続の部員たちを巻き込む。

 が、明日見の背後から、腕が羽交い絞めしてきた。愛理にもしがみつこうとしてくる者がいて、それを必死で愛理が振り払っている。

 

「くっ!」

 

 〈パラディンズ・シャイン〉の槍が、上に突き出された。

 穂先から一瞬、ストロボのような強烈な光。

 その場の、ほぼ全員が目を眩まされた。

 明日見は腕を振りほどくと、目を押さえている愛理の手を強引に引いた。行く先にいる部員をスタンドで搔き分けて扉に走り、開けた。

 廊下に飛び出し、二人は駆け始めた。その後を、部員たちが叫びながら追いかけてくる。

 途中で、外への出口がある。明日見は、スタンドを先行させて開けようとした。しかし、鍵がかかっているのか開かない。

 

(鍵を壊している暇も、窓を割って出る暇もない! 足を止めれば追いつかれる)

 

 走りながら、〈パラディンズ・シャイン〉が廊下の途中の消火器を取り上げる。そして、後方に向けて噴射。それが、先日自分の兄がやった手段と同じとまでは、さすがに気づかなかった。

 白煙の上がる中、咳き込む声を背にして、さらに廊下を走る二人。

 もう出入口はない。さすがに、窓を割って出るまでの余裕はない。明日見は、愛理を引っ張るように、廊下の端にある階段を駆け上がった。

 二階の、階段のすぐ側の教室に、二人は駆けこんで錠を閉めた。

 そこは家庭科室。コンロと流し付きの、ステンレスの天板付きの大テーブルが等間隔で並べられている。壁際には、小さな椅子が重ねて置かれていた。

 明日見は大急ぎで、重ねられた椅子を、入口の前に動かした。愛理もそれを見て、反対側の入口に椅子をずらした。

 すぐに、激しい音で両方の入口が揺さぶられ、叩かれだす。

 

「逃げらんねーぞコラ!」

「出て来なさいよ!」

 

 怒号が幾つも、外から聞こえてくる。

 

「愛理さん、窓開けて! 最悪、そこから飛び降りる!」

「は、はい!」

 

 青ざめた愛理が、窓の一つに取り付いた。

 震える手で錠を外し、振り返る。

 明日見が、スタンドを身構えさせて、扉の方を見ている後姿があった。その手には、小さな椅子がぶら下げられている。

 揺さぶられていた扉の一つが、ガタン! と音を立て、レールから外れた。外側へと扉が引き剥がされ、形相の変わり切った部員たちの姿が露になる。

 

「やっちまえ!!」

 

 先頭の部員が、重ねられた椅子を押しのけにかかった。

 明日見が、その顔面目掛けて、腕をブン! と振って椅子を投げつけた。

 

「おっと!」

 

 その部員が、両手を上げてそれをチャッチしようとした。

 が。

 腕の動きが一瞬遅れ、その隙に椅子の脚が顔面に直撃した。

 のけぞって後ろに倒れ、後続を巻き込んで転倒する。

 その時愛理は、自分の目の前に現れた、ぼんやりとした腕に気が付いた。細い指が、指揮棒を摘まんで構えていた。

 

(え、何、これ!?)

 

 愛理が驚いている矢先、廊下に面した窓ガラスが叩き割られた。破片が、室内の床に散らばる。

 女子部員の一人が、手にしていたポーチを、愛理目掛けて投げつけてきた。

 愛理の目の前で、幻の手が伸びた。指揮棒が、ポーチを串刺しにする。

 その腕が振るわれ、串刺しのポーチが逆に投げ返された。狙い違わず、女子部員に命中。何か重いものが入っていたのか、やけに鈍い音。廊下の向こうで女子部員が崩れ落ちた。

 愛理はもはや、ハッキリと自分の〈傍に立つ者〉を、視認していた。上品な膝丈の、紺色のワンピースのような姿。袖先は、キュッとしまっている。一筋のカーブを描く髪らしきものが突き出た頭部は、横から見るとまるでト音記号のようであった。

 

(こんな状況だというのに……なぜだか分からないけど、これが傍にいると、勇気が湧いてくる。これの名前は……そう〈スィート・アンサンブル〉!)

 

 それを、思い切って〈パラディンズ・シャイン〉の隣に並べた。明日見がそれを見て、一瞬ギョッとする。

 しかしすぐに扉に再び視線を向けると、さらに押しかけてくる部員たちに、分裂させた槍の柄を次々と叩きこんだ。

 

「どけ、俺が行く!」

 

 体格のいい男子部員が、前でもたつく部員を押しのけて入り込もうとする。

 とっさに、愛理が机の上にあったサラダ油のペットボトルを掴むと、前に投げた。空中で、指揮棒がペットを切り裂く。

 油が床に撒き散らされる直前、さらに指揮棒が動いた。

 ついよろける男子生徒。だが止まれずに、ペットボトルが床に落ちたと同時に、足が着地した。

 まともに油を踏んでしまい、派手に転ぶ男子生徒。ビシャッ! と油が弾かれて大きく跳ねた。

 

「何やってんのよ。踏んでいきなさい!」

 

 神木が指示を下すと、他の部員たちは躊躇せず、倒れた部員を踏みつけながら突入してきた。踏まれた部員が、連続して悲鳴をあげている。

 もはや留めるものはない。二人に、一斉に襲い掛かる。

 

「愛理さん、外に!」

「はい!」

 

 二人が、開いた窓に駆け寄ろうとした時であった。

 窓の外に、人影が二つ。

 

(回り込まれた!? 二階なのに!?)

 

 愛理が、愕然とした瞬間だった。

 窓の外から、一本の布が伸びてきた。

 先頭の部員の足に絡みつくと、大きくうねって引き倒した。床に転がった体に毛躓いて、さらに数人が転倒する。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 激しい声が家庭科室に響いた。扉近辺にいた者たちが、一斉に倒れこんでビクビク震えだした。

 

「天宮くん! 須藤さん!」

「間に合ったみたいだね。よかった」

 

 文明と遥音が、窓から家庭科室に入り込む。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が部員たちの出足を止めている間に、遥音は〈スターリィ・ヴォイス〉を片手に歌いだした。

 普段の激しさとは裏腹な、柔らかく優しい旋律。そこには〈鎮静〉の効果が乗せられていた。

 生徒たちが一人、また一人と動きを止めていった。その耳から、何か小さなものが、ポトリポトリと落ちていく。

 自分たちの置かれた状況が分からないようで、皆一様にポカンとしている。

 全員が正気に戻ったのを確認すると、遥音は歌うのを止めて呼びかけた。

 

「みんな! ミニコンサートはおしまいだよ。まだ部活の途中なンだろ? さあさあ、音楽室に戻ってくンな。部長さんもすぐに戻るからさ!」

 

 狐につままれた様子の部員たちが、戻っていく。先ほど音撃で倒れた者は、文明も手伝って、医務室へと運ばれていった。

 一人取り残され、わなわなと神木が震えていた。

 

「な、何で!? そんな御都合主義があるわけが」

「そうね。助けを呼ばなかったら、こうもタイミングよくは来ない」

 

 明日見が、自分のポケットからスマホを取り出した。

 

「私の〈パラディンズ・シャイン〉は、ネットに接続するものに干渉できる。最初にあなたのスマホを狙ったのは、ただ壊すためじゃない。壊れる直前の一瞬でアカウントを切り替えて、LINEでSOSをみんなに送ったの」

「な……!」

「後は、逃げたりしながら続報をさらに、私のスマホで送る。スマホを自分の手でいじらなくても、能力でメッセージの送信くらいできるから」

「う、嘘! そんなこと、できるわけないでしょ!? 超能力者だとでも言うの!?」

 

 その言葉に、明日見たちは全員、意表をつかれた。

 いや、一人だけ、そうでもない人間がいた。

 

「おかしいと思ったよ。こいつは、アタシの以前のバンド仲間の能力だ。ほら」

 

 遥音がぶら下げたのは、イヤホン型のスタンドだった。

 

「これが、吹奏楽部の部員たちの耳に刺さってたンだよ。ヤツの能力は、ネット動画を通じて発動する。明日見、動画をさっき見せられたとか、LINEで言ってたよね?」

「ええ。そこの神木部長に」

「つまりそこのアンタ。タクヤのヤツとつるんでるんだ? どういうことだ?」

 

 もはや観念したらしく、神木は座り込んだ。

 

「……だ、だって。アンタたちでしょう? 多岐川くんを手にかけたのは」

「え!?」

 

 全員が、それぞれ顔を見合わせた。

 

「知ってるのよ、私! だから、これは敵討ち……う、わああーッ!!」

 

 その場で床に伏せ、泣き崩れる神木を、四人はただ見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

「……連絡が来ないな」

 

 タクヤは、自室のPCを前にそう呟いた。

 

「タクちゃーん! ちょっと来てくれる? ごはんももうすぐできるし!」

「分かったよママ! すぐ降りるから」

 

 階下の母親にそう返事をすると、タクヤは再びPCに向かった。

 

「失敗したかな? せいぜい逃げられる程度なら問題ないけどな。要は、遥音に見つからなきゃ問題はないんだ。軽音楽部を乗っ取ってる奴らがいなくなれば、また遥音と……」

『それじゃ、問題大アリってとこね。もうあなた、終わりだから』

「……え!?」

 

 突然、画面に映し出された天使の画像に、タクヤは仰天した。

 そして。

 天使が、画面から抜け出してきた。それと共に、明日見が出現、タクヤの部屋の床に降り立つ。

 

「な……!」

「初めまして。私は、ネットを通じて移動できるスタンド使いよ」

「え!?」

「私一人しか移動できないもんだから。もう一人、来たがってた人がいるんだけど、仕方ないから動画で我慢してね」

 

 ぽん、とPCをスタンドが触れる。

 モニターに映し出されたその姿に、タクヤは真っ蒼になった。

 

「は、遥音……!」

『タクヤ! アタシ、前に言ったよね? スタンドを悪用するな、アタシたちに関わるなと。アンタはそれを破った。許せないね』

「お、俺はお前を」

『どうせ言い訳しようとするんだろ? 聞くつもりはないよ。アンタには制裁を加える』

「な……」

『マザコンで、父ちゃんが怖いアンタには、よく効くお仕置きさ。明日見、やっちゃって!』

「了解!」

 

 〈パラディンズ・シャイン〉の槍が、動いた。すぐ側にあったギターが、串刺しにされて大穴が開く。さらに二撃、三撃。

 

「こ、小遣い三年分ためて買ったベースがぁぁぁッ!」

 

 タクヤの悲鳴をよそに、明日見は周辺にある、なるべく高そうなものを次々と破壊していく。

 ガクガクと震えるタクヤに、明日見はニッコリと微笑んだ。

 

「このPCも壊そっか? 私は自分の足で、下に降りて帰ればいいし。ご両親、厳しいんだよね? 誰とも分からない女の子が入り込んでて、二階から降りてきたら大騒ぎになると思うけど?」

「や、やめて……」

「じゃ質問。あなたに、神木部長を引き合わせたのは誰?」

「か、笠間って言ってた……」

「はい了解! どうせ、あなたなんかに本名を名乗るわけがないもんね。ま、兄さんがすぐに挨拶に来るだろうから、それまで首を洗って待ってなさい。じゃあね、二度と会うこともないだろうけど!」

 

 明日見は、スタンドと共に、画面の中に吸い込まれていった。

 その直後、モニターの画面が唐突にブラックアウトした。タクヤは慌ててPCを再起動しようとするが、そもそも電源が全く入らない。

 

「タクヤ! 何を騒いでいる。早く降りてこんか!」

「わ、分かったよ!」

 

 急いで階段を降りて居間に入ると、父親が厳しい顔で、腕組みをしていた。

 

「タクヤ。ちょっと座れ」

「な、何?」

「お前、音楽の方で、よからぬ先輩と付き合いがあるそうだな? 事情が書かれた手紙が、うちのポストに入っていたそうだ。大体、私はバンドなど元から反対だったんだ。何やら、動画投稿とかくだらん趣味もあるようだが、それについてもこの際、言い聞かせておくことがある……」

 

 もはや、ギターやPCの買い直しどころではないことを、早くもタクヤは理解していた。

 



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第25話 それぞれの今

「どういうことですか、未麗さん?」

 

 問い詰めてくる笠間に、未麗は読んでいた書類を机に置いて、眉を寄せた。

 

「何の話? それはそうと、アポなしで押しかけるのは勘弁してくれない?」

「失礼しました。急を要することですので」

「まあ。急を要するとは、どういうこと?」

「事態の究明に時間がかかりすぎますと、たとえばですね。イライラしている私がつい、そこのマヌケ面を、夏の浜辺のスイカみたいに叩き割ってしまうことにも、なりかねません」

「どうして、そこで私の頭がハーフ・アンド・ハーフにされてしまうのですか? ミスター笠間?」

 

 こめかみをピクピクさせながら、平竹の口調だけは穏やかだ。

 

「使えない脳ミソ取り出すのが、はかどるだろーが。ついでに糠ミソ入れて、ナスとかキュウリ漬け込んどけ!」

「人を漬物ダル扱いですか? だったらあなたは、爆弾とカクサンデメキンと一緒に調合されるがいいですね!」

「メインターゲットを達成しましたってか? 巻き添えくらって吹っ飛んでろ!」

「あなたたち、いい加減にしなさいよ」

 

 未麗が、うんざりした顔を隠さない。

 

「笠間。あなたは私の秘書に喧嘩を売りに来たの?」

「まあ、無駄話はこの辺にしましょう。間庭愛理が、先日あやうくリンチされかけました。これは、あなたの指示ではありませんよね?」

「リンチ? ……いえ。知らないわ」

 

 事実、未麗は知らないことであった。

 

「スタンド使いが関わっていたらしいので、何かご存知かと思いまして」

「そのスタンド使いを、私が差し向けたと? 言いがかりはよして。間庭愛理を今の状況で痛めつけて、一体私に何のメリットがあるの?」

「でしょうね。聡明な未麗さんが、竹を割ったような知恵をお出しになるわけがない」

「竹を割ったような性格というのは聞くけど、竹を割ったような知恵とは、初耳ね?」

「中身がスッカラカンってことですよ。さぞかし、叩けばよく響くでしょうね?」

「面白いわね。R-1にでも出場するの?」

 

 冷え切った目を笠間に向ける未麗。

 

「とにかく、私は何も知らない。どうしてもと言うなら、私の指揮下にいる者には、愛理に手を出すなと申し伝えるわ。もっとも……私の都合のいい状況ならだけど」

「それを聞いて安心しました。失礼します」

 

 一礼して、さっさと笠間は部屋を出ていった。

 その後姿を、平竹は忌々しそうに見送っていたが、

 

「何ですかあれは!? ノー・マナーにもほどがある」

「平竹」

 

 未麗が、ジロリと睨んだ。

 

「あなたが仕組んだことというわけ? 少なくとも、笠間はそう思ってるわよ」

「知りませんよ! あのパラノイアのナンセンスな言葉を、まともに受け取るのですか!?」

「お黙りなさい!」

 

 強い語気で、未麗が遮った。

 

「そのことはもういいわ。愛理もひとまず無事だったようだし。ただし……! 私の指示があるまでは、愛理に手出しすることは禁じます。他の者の仕業に見せかけるのも許しません。いいわね?」

「御心のままに」

 

 深々と頭を下げたが、平竹は内心で舌打ちしていた。

 

(まあいい。笠間を挑発する効果はあった。これでサムシング・ドゥ・イットしてくれれば、私のターンもあろうというものだ。さて、今度は何を仕掛けてやろうか……)

 

 

 

 

 

 愛理が〈スィート・ホーム〉のキャビネットから出てくるやいなや、炭三が一目散に駆けつけてきた。

 それを、愛理は優しく抱き上げる。その様子を、文明が微笑ましそうに眺めていた。

 

「あなたが炭三なのね。あたしの家には、あなたの子孫がいるんですよ」

「代々飼ってるの?」

「ええ。二代目の炭夫、三代目の炭太郎、四代目の炭助、五代目が炭乃で、今うちにいるのがスミリン」

「最後だけ、何かテイスト違わない?」

「お母様が、女の子の猫ちゃんには今風にしてあげた方がいいからと」

 

 微笑ましく、案内してきた文明は彼女を眺める。

 隣の部屋は、何やら騒がしい。

 

「こんなもんかな? どう?」

「明日見、じっとしてな! 今、写真撮るから」

 

 何だろう、と思いながら、文明が仏間に入っていくと。

 明日見が、奇妙なポーズをとっていた。立ち姿で、足を伸ばしたまま少しクロスさせ、両腕を無理やり曲げ、指先まで逸らせている。首も斜め上に捻り上げ、視線をあらぬ方向に向けていた。

 

「な、何やってるの?」

「〈露伴立ち〉。知らない?」

「ごめん。よく分からない……」

 

 どんな顔をしていいのか分からない文明。

 後ろからついてきていた愛理が、口を開いた。

 

「漫画家の岸辺露伴の作品に出てくる、特徴的な立ち姿ですね。代表作は〈ピンクダークの少年〉。イタリアの彫刻芸術が発想の原型となっていて、関節を強く捩ったポーズが特色になってます」

「へえ! 愛理ちゃん、漫画も詳しいんだ」

 

 感心している航希。

 

「あの……あたし、一度見聞きしたものは、忘れないんです。ハイパーサイメシアっていう症状だということです」

「それ、症状っていうより才能じゃないの!? すごいなー」

 

 困った表情の愛理に、にこやかに航希が応じた。

 

「とにかくさ、その〈露伴立ち〉が今、インスタで流行ってンのさ。今、その話題になって。みんなでやってみてるところさ」

 

 写真を撮り終えた遥音が、ニヤリと笑った。

 

「早速だから、かけつけ1ポーズやってもらおうか! まずは文明、アンタだ」

「え、えっ!? だって僕、その何とかいう人の漫画、読んだことない……」

「いいからやンな! 激しく、カッコよく、それでいてエレガントだよ! オリジナリティも忘れるんじゃないよ!」

「な、何で来た早々、そんな難しい注文を……」

 

 及び腰で座の真ん中に進み出ると、恐る恐る、適当に形を作りながらポーズを決めた。

 途端、次々と噴き出し、爆笑する一同。

 

「な、なンだよそれ! まるで、やっちゃいけないクスリ決めたダチョウだろそれ!」

「いや、これはこれで、な。本家の漫画でも、こんなテイストのポーズあるぜ」

 

 そう言いつつも、笑っている京次。

 

「独創性はあるが、スマートさにいささか問題ありだ。45点、赤点回避といったところか」

 

 一人だけ笑わず、冷静に批評を加える神原。

 

「何だよ何だよ! やれっていうからやったのに! 大体、みんなどんなのやったんだよ! 考えてみれば、先に見せてもらってからやればよかったよ!」

「文明くん、そうエキサイトしないで。ほら」

 

 明日見が、自分のスマホの画面を見せる。側に近づいている彼女からいい匂いがしてきて、ついつい怒りが別のものに変換されてしまう。

 だが、それも画面を見るまで。

 

「……何だか、みんなカッコいいじゃないか……こういう代物だって、教えておいてくれれば……」

「そうヘコまないで。先に見せると、影響受けちゃうでしょう? 遥音さんも言ってたけど、オリジナリティが重要だから」

「そういうこと! 愛理、アンタもだ。逃がしゃしないよ!」

「別に逃げるつもりはないです。え、と……バレエとかと重なるのはいけないのですよね」

 

 遥音に促され、愛理が真ん中に出てくる。

 強めの内股で立ち、足先はハの字型。背を少し逸らし、右手を指揮棒を構える形。左手はベルトよりやや上で横に曲げ、首を少しだけ捻って正面を見据える。

 

 今度は、全員が頷いていた。

 

「バランスもとれていて、優雅さもある。力強さも忘れてはいない。90点だ」

「残念。神原先生の採点は厳しいですね?」

「うむ、今後の成長を期待する意味でも、満点はそうやすやすとはやれんよ。たとえ君でもな」

「精進いたします」

 

 礼儀正しく、お辞儀をする愛理。

 

「さて……。成長と言えば、スタンドを覚醒させたようだね? 間庭くん」

「そうらしいです。そもそも、この空間はスタンド使いでなければ、入れないと聞きました」

 

 愛理は、己の傍にスタンドを出現させた。

 

「〈スィート・アンサンブル〉。能力は『動くものの速さを調整することによって、複数の動きによって引き起こされる事象のタイミングを合わせる。もしくは、裏拍をとることで、タイミングをずらす』というものです。そもそもタイミングを変えても発生の可能性がない事象を、発生させることはできないようですが。既に検証はすませています」

「さすがに探究心旺盛だね。だが、幾つか忠告はしておきたい」

 

 神原は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「まず、スタンドの能力を他の者に話すのは禁忌に近い。能力を教えるということは、弱点を教えるのに等しいのだから」

「神原先生を信頼してお話したつもりです。とは言うものの、今後は気を付けます」

「もう一つ。スタンドの能力の限界を、自分で決めてしまってはいけない。スタンド使いの精神の成長と共に、スタンドも成長するのだからね。事実、ここにいる武原くんも天宮くんも、極めて短期間でスタンドを一段階成長させた。彼らの向上心が旺盛な証拠だよ。正直言って、私も驚いている」

「精進いたします、と、もう一度言わなければならないようですね? ご忠告、肝に銘じます」

 

 遥音が、明日見の脇をつついた。

 

「あのさ。普段からそうだけど、ちっとあのコ固すぎない?」

「日舞とかもお師匠について習ってるみたいだから。そのノリが出ちゃってるのよ」

「やれやれ。お嬢様は、アタシら庶民とは趣味が違うねぇ」

「あらら、私もそっち側なの?」

「何だよ! だったら、アンタも日舞とかやってるわけ?」

「……やってない……今風のダンスとかならまだ何とか……」

「それみろ! やっぱコッチ側じゃンか」

 

 一本取ったと得意げな遥音に対し、む~、という顔の明日見。

 

『もしかしたら、彼らがこうして楽しんでいるのも、最後になるのかもしれん』

 

 和気あいあいとしているジョーカーズの面々を見やって、神原は思った。

 

『一連の吹奏楽部の一件からすると、その裏にいるのは亜貴恵ではないように思われる。亜貴恵はずっと入院したままだし、理事長の目がなくなったからといって、黒幕で満足する性質ではないからな。別に黒幕がいるとするなら……娘の未麗か? いや、最初からそうだったのかもしれん。何とか裏を取る必要がある。一番早道なのは、笠間をこちらに引き込むことなのだが。……いずれにせよ、決戦の時が近づいている』

 

 

 

 

 

「また動画? フレミング、あんたそれ前にも見てたやつだよね。いったい何回目?」

 

 メイド服の初老の女が、半ば呆れたように、犬の顔をした異形の生体兵器に尋ねた。

 そこは、研究所の一角だった。フレミングは普段は特殊な液体の中で睡眠させられているが、定期的に液体から出して活動させないと、筋力などが大幅に衰える。そういう日は、このメイドがフレミングの世話をしているのだった。

 

「何度でも見る。俺には、実践できる機会は限られているからな」

「それにしても、ホント好きだねえ。総合格闘技だっけ? あたしゃ、こういうのは怖いから見たくないけどね」

 

 フレミングは、返答しなかった。顔のヒビは、もう完全に消えてしまっている。

 

(力だけでは、神原のスタンドに簡単には勝てん。それに、あの少年の動き。力なら俺の方が上のはずなのに、顔面に拳を打ち込まれた。あの動きは、何らかの訓練を受けているのだ。俺も、格闘の技術を身につける必要がある)

 

「トミコ」

 

 フレミングは、メイドに呼びかけた。

 

「稽古相手は、もうすぐ来るんだったな?」

「ああ。だけど、稽古になるか分かりゃしないよ。ほら、こないだの男だって、あんたの姿見ただけで、ションベンもらして使い物にならなかっただろ? まったく、〈お掃除〉するのはこっちなんだからさ」

 

 表情を変えないフレミングに、トミコははっと気づいたように、

 

「あ、ゴメンねえ! あんたのせいじゃないんだもんね。大体、今時の男はチャラチャラしてる腰抜けが多いからねえ。ちょっと顔が怖いくらいのことで、あそこまでビビらなくったって。あ、そうだ!」

 

 トミコは、いそいそと部屋の外に出ると、菓子のたくさん入ったカゴを持ってきた。

 

「あんた、これ食べな! 運動前には、甘いモン食べた方が体にいいんだよ」

「いや、俺はそういう体じゃ」

「何を遠慮してるんだい。育ち盛りなんだから、食べなきゃいけないよ!」

 

 断るのも面倒なので、仕方なしに、フレミングは菓子の一つに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 学校から一番近くにあるドーナツショップ。

 ユリは所在なさげに、半分残ったコーヒーカップを揺らしていた。

 店内の新製品の宣伝ポスターが目に入る。 

 

(期間限定のドーナツかぁ……キャラクター入りで、インスタ映えはするけどさ。だけど、やっぱカロリー気になるし。写真撮って捨てちゃうのって、なんかヤダし。やめとこ)

 

 少し冷めたコーヒーを、飲み干してしまう。おかわり自由なので、後でもらってくるつもりだ。

 机に置かれているスマホを、手に取った。

 さっきも見たばかりなのに、また同じところを見てしまう。

 

(芸能プロダクションへの、紹介かぁ……。平竹とかいうあの男、信用できるのかな?)

 

 やたら横文字ばかり使う、茶髪の男の姿を、ユリは思い出していた。

 

(紹介先が怪しげなところじゃなかったら、悪くない話なんだけど。結局、笠間さんの時と同じようなことやらされるのよね、きっと)

 

 なぜだか、心が浮き立たず、ユリは頬杖をついた。

 

(どうしようかな、ホントに? 笠間さんには、ひとまず今まで通りにやれとは言われたけど。だけど別に、大して笠間さんに義理があるわけじゃないのよね。さぁて、どっちに乗っかろうかな……)

 



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第26話 達人とナントカは紙一重? 前編

「〈達人〉に、会ってみないか?」

 

 飛輪会の道場で、唐突に切り出された台詞に、京次はときめいた。

 

「達人!? 椿さん、どういう人なんですかそれ!」

「がっつくなぁぁ~、案の定!」

 

 ニヤニヤしながら、椿は続けた。

 

「我が飛輪会の設立当初のメンバーの一人だよ。泉蓮斎、とおっしゃる方だ」

「いずみ……れんさい、ですか。響きは悪くねぇなぁ。だけど、飛輪会の創設の頃の人なら、もうずいぶんオジイチャンなんじゃないですか?」

「ああ、確か去年米寿を迎えたっていうから、89歳だな」

「やっぱりそんくらいなんだ。その歳で、今でも空手の鍛錬やってるんですかね?」

「そうなんだろうな、きっと。館長によるとだな、たまに思い出したように、ウチの若い奴らを、自分が籠ってる修行場に連れてこさせるみたいだぜ。どうだ、来るか?」

「行きます! ウチの親父が聞いたら、行ってボコボコにされてこいって言ってきますよ」

「お前の親父さんもズイブンだからなぁ……。ま、これで頭数は揃ったな」

「え? 頭数?」

「ああいやいや……こっちのことだ」

 

 椿は、曖昧な表情で手を振った。

 

 

 

 

 

 その修行場は、木々の生い茂った、山道の最果てにあった。

 かつては寺であったそうで、茅葺の屋根が面影を残している。

 本堂の隣に作りつけられた建物の中に、京次たち一行はいた。

 

「……京次!」

 

 椿が、真剣な顔で呼びかけてきた。

 

「ニンジンとサトイモの皮剥けたぞ」

「ああ、すんません。3センチくらいにザク切りしてってください。こっちは鍋用意してますんで」

「おうよ。やっぱり、こういう時はお前がいないとなぁ」

「俺、完全に飛輪会お抱えコックにされちまってますね……」

 

 などと言いつつ、京次は結構楽しそうに準備を続けている。他の面々は、一部は料理を手伝い、またある者は掃除に駆り出されている。

 

「ってゆーか、もしかして俺たち、雑用係として呼び出されてません? 人数揃えた訳が分かりましたよ。ねぇ椿さん?」

「いやいや! 蓮斎先生はきっと、何か深いお考えがあるに違いない……」

「だったら遠くを見る目しないでくださいよ。大体、椿さんは蓮斎先生とは親しいんですか?」

「いや。今日初めて会う」

 

 ガクッとつんのめる京次。

 

「いやな。さっき会わせた有村先輩が、先生との連絡係してるんで」

「俺たちが着いた時にも、先生は午前の修行に出てるって言ってましたしね。人を呼びつけといて、修行させる気あんのかよって感じですがね」

 

 京次がそう言った時。

 

「あるから呼んだんじゃ!! ゲロッパ!!」

 

 突然、背後から大声を叩きつけられて、京次はあやうく包丁で指を切りそうになった。

 

「な……!」

「近頃のガキンチョは、ナリばっかりでかくなりおって。ゲロッパゲロッパ!」

 

 振り返った京次の背後には、小柄な老人がいた。口元に小汚い無精髭を生やしまくり、白黒まだらな頭髪は、乱雑にカットされている。だが、京次の注意を一番引き付けたのは、カッと見開かれ、異様に力強い目であった。

 

「ガキンチョ、名を申せ!」

「……武原京次。二段です。押忍」

「段数まで聞いておらんわ! 子供の跳び箱でも、もうちょっと高く積むわい! ゲロッパ!」

 

 何だか、少しカチンとき始める京次。

 

「京次とやら、聞くぞ! 今日の昼飯は何じゃ! ゲロッパ!」

「芋煮汁です」

「いもにじる、じゃとぉぉぉ!!」

 

 ガッ! と、目をさらにひん剥く蓮斎。何か気に障ったのか、と椿は慄いていた。

 

「ワシの好物ではないか! 逃げた女房がよく作っておったわ。ずいぶんマズかったがの! 今日作るのは貴様か!?」

「押忍。そうです」

「なるほど! マズいものを出しおったら、どうなるか分かっておるか!?」

「いえ」

「ワシが泣く! 女房を思い出してな! 言うておくが、ワシは泣き出したら面倒くさいから、覚悟しておけ! ゲロッパ!」

「あの、一つ聞いていいですか?」

「ん、何じゃ?」

 

 蓮斎は、質問が来るとは思っていなかったらしく、いささかキョトンとしていた。

 

「その、ゲロッパって何ですか?」

「うむ、実によい質問じゃ! これはな……特に意味はないッ!!」

「……え?」

 

 つい素に戻って、聞き返す京次。

 

「ワシは、ゲロッパと叫びたいから叫んどるだけじゃ!! ワシには女房はもうおらん。子供は元々おらん。身内と呼べる者もおらん。だから、ワシがゲロッパ! と叫んでアレな人に思われても、誰にも迷惑はかからんのだ! すなわち、ワシはパーフェクト・フリーダム、完全なる自由を手に入れておるのだ。ゲロッパ! とは、ワシにとっては自由の象徴なのじゃ。分かるか……分かるのか京次ィィィィッ!!」

「わ、分かりました。少なくとも、説明の内容は」

 

 グイグイと顔面を近づけてくる蓮斎の異様な迫力に、さすがの京次も少しのけぞる。

 ブンブンブン、と、蓮斎は頭を縦に振った。

 

「分かればよいのだ。ゲロッパァァァッ!!」

 

 蓮斎は、踵を返すと、台所から脱兎のごとく走り去っていった。

 それを呆然と見送る、京次たち。

 

「……変人とは聞いていたけどな。大丈夫なのかよあのジイサン。いろいろと」

 

 椿が、団体の大立者をナチュラルにジイサン呼ばわりしているが、京次は他のことを考えていた。

 

(背後まで近づかれてたのに、全く気付けなかった。普通に歩いてるんなら、スタンド出してなくても俺は割と気付くのによ。何にせよあのジイサン、只者じゃねぇな……)

 

 

 

 

 

 その後蓮斎は、食事中に泣くこともなく、やたらとお代わりを要求していた。

 食事が終わり、京次たちは道場代わりの元・本堂に集合した。ストレッチが終わるまで、その蓮斎は片隅で高イビキで寝入っていた。

 それが終わると、世話係の有村が蓮斎を揺り動かした。

 

「……先生! 起きてください」

「……うぬー。やっとか、待たせおって。大体、武道家が準備運動とか、ワシに言わせりゃ片腹痛いんじゃ。いつ敵が襲ってくるか分からんというのに。近頃の空手は、スポーツになっちまったのう……ふあぁぁ……」

 

 大きく伸びをして、蓮斎は横になったまま、型の稽古を詰まらなさそうに眺めていた。

 そして、全員が一対一で組んで、組手に入っていく。

 気合の声がこだます中、蓮斎は寝転がったままだが、一組一組眺めていく。

 その目が、京次の組で止まった。

 

「……あのガキンチョか……」

 

 京次の動きを、じっとその目が追っていた。

 そして、組手が一通り終わると。

 

「よし! それでは、一組ずつ、ワシの前でやってもらおうか。まずは、京次とやら! ちとやってみせい。有村、相手してやれ! ゲロッパ!」

「押忍!」

 

 進み出る有村だが、一瞬わずかに眉を寄せたのを京次は見逃さなかった。

 

(ま、そりゃそうか。最年少の俺と、唐突に組まされるんだからな。普通、リーダー格の椿さんだろ?)

 

 蓮斎が見つめる中、押忍! 両者は声を掛け合い、組手を開始した。

 両者が、拳を交ワシ合う。京次はその中で、ふと違和感を感じた。

 

(どうも妙なんだよな。技は多彩なんだけど、ファイトスタイルが途中で微妙に切り替わるっつーか。何だか、次々と別の相手とやってるみてぇな雰囲気だ)

 

 相手のスタイルを掴めないでいる京次が戸惑っているうちに。

 

「それまで! 次の組やれ。ゲロッパ!」

 

 あっさり交代させられて、京次は他の面々が横並びに座っている端に、自分も座り込んだ。

 そこから先は、蓮斎はただ眺めているだけの様子だった。

 そして、数時間後、練習が終わった後。

 

「先生」

 

 京次は、蓮斎に近づき、声をかけた。

 

「何じゃ?」

「一度、俺と組手やってもらえないですか? 折角、先生の所に来てるんですし」

 

 結局、練習の間、蓮斎が全く動かないのに京次は物足りなさを感じていた。

 

「ゲロッパ! ワシがお前と? 百年早いわ!」

「押忍!」

「……と、言いたいところじゃが。ちょいと耳貸せぃ」

 

 ニヤ、と、いささか凄みのある笑みを蓮斎は浮かべると、京次に耳打ちした。

 

「貴様、猫かぶりおってからに。何か、切り札を隠しとるじゃろ?」

 

 京次が、息を飲んだ。

 

「ここの近くに、大きな湖があるじゃろ? ワシの修行場が、その畔にある。もし、貴様がそいつを明らかにするんなら、ワシも見せてやる。食事後、ワシについてこい。他の連中には、ワシから用事を頼まれたとか言っておけ。くれぐれも、他の者に気取られるな」

 

 言うだけ言って、さっさと立ち去るその姿を、京次は半ば呆然と見送った。

 

(猫かぶってんのは、あんたもじゃねぇかよ……。もしかして、あのジイサンもスタンド使いか!?)

 

 だが京次も、自分に注意を向けている者が他にいることにまで、気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 すっかり辺りが暗くなった後。

 京次は、ライト片手に山道を歩いていく蓮斎に付き従っていた。

 

「先生。さっきから、結構歩いてますけど、まだ先ですか?」

「もうすぐじゃ。若いモンは、せっかちでいかんな。ゲロッパ!」

 

 そして、森から二人が出てくると。

 湖が、すぐ眼前に大きく広がっていた。ぽっかりとちょっとした広場があり、木も石も取り除かれて、組手くらいなら、やるのに充分な広さとなっている。

 蓮斎は、明かりで傍らの木を照らし、何やらいじくった。すると、木の上に吊るされている大型ライトが幾つか灯り、広場を明々と照らしだした。

 

「……さてと。それじゃ、早速やってみせい」

「押忍。何すりゃいいんですか?」

「貴様の得意なことをやればいいんじゃ。相手が必要なら、ワシがやるぞ。ただし、何やるか事前に言うといてもらいたいがな」

「いや。そこの岩でいいです」

 

 京次は、一抱えもある岩に近づくと、スタンドをその身に『着こんだ』。

 しかし、蓮斎の表情は変わらない。

 

「どうした? やれい」

「……押忍!」

 

 京次は、一つ気合を入れると、その岩に〈能力〉込みで拳を叩きこんだ。

 

「何じゃ、割れんでは……!?」

 

 蓮斎の言葉が終わらないうちに、鈍い音がして、岩が大きな破片となって、砕け散った。

 

「……なるほどな。ただ殴っただけではなさそうじゃな。手品のタネは何じゃ?」

「実は俺、ちっと特別な能力がありましてね。振動を操れるんですよ」

「ほほう……。貴様、〈幽波紋〉の使い手か?」

 

 京次は、半ば予想した言葉に、さほど驚かなかった。

 

「先生も、もしかしてスタンド使いなんですか?」

「いや! ワシは幽波紋はよう使わん。あれは、持って生まれた才能が全てのようじゃからな。その代わり、ワシは修行の結果、別の力を手に入れた」

 

 そう言うと、蓮斎は大きく呼吸を始めた。

 京次が見つめる中、蓮斎は足を進め、湖へと飛んだ。

 その足が、水面に突っ込む。

 が。

 足は、水に沈まなかった。ガニ股で爪先立った足先から、波紋が大きく広がっていく。

 

「……!? これ、スタンドじゃないんですか」

「違う! これは〈波紋法〉という。ゲロッパ!」

「〈波紋法〉……」

 

 京次が、聞いたこともない言葉だった。

 

「京次よ。我が流派の名ともなっている〈飛輪〉の意味を承知しておるか!?」

「〈太陽〉……って意味ですよね?」

「その通り! 〈太陽〉もしくは〈日輪〉である。〈波紋法〉は、呼吸法により〈日輪〉の力を我がものとする技ッ! 〈飛輪会〉は元来、波紋の力を用いた武術である。設立当時の者どもは、チベットで修行を修めた、波紋の使い手を中核としておった。ゲロッパ!」

 

 蓮斎は、水面から飛んだ。まるでカエルのような大きな跳躍は、蓮斎自身の身長をはるかに超えていた。京次は、驚愕した。

 陸に着地した蓮斎は、スタスタと京次に近づいた。

 

「人体に使うと、こんな感じじゃ」

 

 ポン、と京次の引き締まった胸板を平手で叩く。

 その途端。ビリッ! と痺れる感触が、胸に伝わり、思わず京次は後ずさった。

 

「どうじゃ? かなり加減して使ったから、大した痛みはないじゃろ? 波紋は、液体に大きく作用する。人間の体は、血液とか液体で維持されとるからな」

「……本気で使ったら、どうなるんです?」

「ま、ワシなら一撃で昏倒させられる。相手の体質にも左右されるがな」

 

 京次は、胸が大きく鼓動を打つのを、止められなかった。

 

「お……俺にも、できますか!?」

「その前に聞こう! 貴様、何のために戦うのじゃ!? ゲロッパ!」

 

 蓮斎の眼力が、強さを増した。

 

「波紋法は、特殊な呼吸を要する。それを維持するには、それなりの才能と、何より強い意志が必要じゃ。そして意志は、戦う動機が強力であることで裏打ちされる! 単に『強くなりたいから』というだけでは、中途半端なデキにしかならぬわ! どうなのじゃ、京次ッ!」

 

 そう言われて、京次は少し考えて、口を開いた。

 

「……単純に、強くなりたい、だけじゃダメですか」

「強くなってなんとする!? 弱いものイジメでもしたいのか」

「違う!!」

「何が違う!?」

「武の高みを目指して、何が悪いんだ!」

「高みに立って、何がしたいのかと問うておるんじゃ! 誰を倒したいと思うておるのか、正直に言え、貴様の腹の中にいる奴をッ!」

「狼野郎のフレミング。そいつの裏にいる、俺の学校を腐らせようとしてやがる連中だッ!!」

 

 蓮斎は、京次の気迫を前に、黙り込んだ。

 しばらく考えていたが、やがて、大きく頷いた。

 

「それでいいんじゃ! だがな京次」

 

 蓮斎の視線が、暗がりの一方向を見つめた。

 

「いささか無粋な気配がするの?」

「実は、俺も感じました。出てこいよコラ!」

 

 わずかな合間の後、草むらを掻き分けて出てきたのは、有村だった。

 その隣にいる姿に、京次は声を上げた。

 

「フレミング!?」

 



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第27話 達人とナントカは紙一重? 後編

 フレミングは、いささか皮肉な目付きで京次を見た。

 

「倒したい相手がどうとか言っていたが、俺を名指しとは驚いたぞ。神原の取り巻き」

「俺は京次だ、覚えとけ! 名前出した後で出てくるな、何だか恥ずかしいだろうが! あと、何でここにいやがるんだ。俺の首でも狙ってんのか!」

「神原ならともかく、貴様の首など。この有村からでも、聞けばいいだろう」

 

 しかし、有村は黙り込んでいる。

 

「有村。何とか言ったらどうじゃ? お前、このワンちゃんの飼い主か? ちゃんとリードはつけておくべきじゃぞ」

「……先生。どうして、私じゃいけないんですか?」

 

 ボソリと、有村が口にした。

 

「ん? 何のことじゃ?」

「私は、ずいぶん先生のために骨折ってきたつもりです。だというのに、先生は私ではなく、その武原を選ぶおつもりなんですか!?」

「こいつを選んでくれた方がよかったな。俺の訓練がはかどる」

 

 フレミングが、横から口を出した。

 

「ふん……読めた、読めたぞ! 有村、貴様は幽波紋の使い手じゃろ?」

 

 蓮斎の指摘に、有村の顔から、ザッと血の気が引いた。

 

「わしは、幽波紋の使い手とも何度か戦ったことがある。貴様の組手の動きがどうも気になっておったが。多分貴様、『他の武道家の動きをコピーして、自分で再現できる』能力じゃろ。貴様の動き、高名な武道家のマネゴトばかりじゃからな!」

「……!」

「大方、そこのワンちゃんの戦闘訓練の相手役を買って出たんじゃろ。だがしかし、わしの波紋までコピーするのは無理無理無理ィッ! 貴様がコピーできるのは、体の動きだけ。だから再現性が低くて、同じような戦闘力が生み出せんのじゃい! ゲロッパ!!」

「そうなのか? 有村さんよ?」

 

 京次が、鋭い目つきで問いただす。

 

「……仕方なかったんだ。やらなきゃ、飛輪会の他の人間が狙われる」

「キレイごとを並べ立てるなよ。あんた、格闘家が心血注いで作り上げた技を、フレミングに売り渡したんだぞ!」

「京次。もう口喧嘩はやめい」

 

 蓮斎は、鬱陶しそうに遮った。

 

「有村を叩きのめしてこい。所詮は、ワンちゃんに逆らう気概も、技術を己で磨く気概もない半端者じゃ! 破門状を、拳で叩きつけてこい。ゲロッパ!」

 

 京次は、じろっとフレミングを睨んだ。

 鼻を鳴らすフレミング。

 

「ふん。達人がこの古寺にいるとかいうのでコッソリ来てみれば、まさか貴様がやってきていたとはな。まあ、せいぜい張り切ることだ。見せてもらうぞ」

「この裏切り野郎ツブしたら、次はてめぇだ……!」

 

 フレミングと蓮斎が座り込んで眺める前で、京次と有村が向かい合った。

 

「〈ポゼッション・トレーサー〉……!」

 

 有村の背中に、スタンドが出現した。背中から伸びた補助の腕と脚が、有村の腕と足に添え木のように固定され、拳や足などの攻撃に使う部位はカバーがつけられている。頭部も、ヘルメットのようにかぶっていた。

 

「スタンドありなら、こっちも遠慮はしないぜ!」

 

 京次も〈ブロンズ・マーベリック〉を全身に装着する。

 両者が、構えを取って、ズズッと前ににじり寄った。

 間合いが徐々に縮まり、互いの制空圏に入り込んだ瞬間。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ!!」

 

 京次のラッシュが、有村に襲い掛かった。

 が、それを有村は難なくさばいていく。

 

「ふん。青海流の糸井の動きか」

 

 蓮斎が、頬を掻きながら呟いた。

 京次のラッシュが途切れると、今度は有村が反撃に出た。ローキックを繰り出して京次を牽制し、一気に間合いを詰めて拳を数撃連打、京次の反撃を凌いでまた連打を放つ。

 

(くそ……!うめぇな、ペースをつかませてくれねぇ)

 

 巧みなフットワークと連携に、京次はジリジリ押されていくのを感じていた。

 

「剛天会の永田の攻め口。切り替えが忙しいもんじゃな」

 

 その蓮斎の台詞は、相手のテクニックに翻弄されている京次の頭に、チカッと感じるものがあった。

 

(複数の空手家の技を切り替えてやがるのか? 切り替える動作とか、もしかしてあるのか。頭で考えるだけでも、いいのかもしれねぇが。一か八か、やってみるか!)

 

 京次は、あえて攻撃をやめてガードに徹した。次々と打ち込まれる拳が、ガードの上からとはいえ、京次の体を痛めつける。

 それでもガードを解かない京次に、焦れたらしき有村が、引いている右手を一瞬腰に触れさせたのを、京次は見た。

 

(ん? もしかして、腰か!? そういえば、スタンドのベルト辺り、細かいパーツに分かれてんな)

 

 京次は試しに、息が少し切れた振りをして、誘ってみた。

 すると、有村の右手が腰に触れ、また動きが変化。拳に体重を乗せた、重い攻撃に変わった。

 ガードを固めて、猛攻を必死でこらえる京次。

 焦れてきた表情を見せた有村が、また腰に手をやろうとしてきた。

 それが、京次の狙っていた瞬間だった。

 

「邪魔アッ!!」

 

 ミドルキックが、右手首の辺りを直撃した。有村が一瞬、明らかに怯んだ。

 京次はそれを逃さず、一気に畳みかけた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

 

 ラッシュが、顔面に、ボディに次々と炸裂する。ぐらつく有村に、さらに追い打ちをかける。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ!! 邪魔ァーッ!!」

 

 有村の体が、座っているフレミングの足元まで吹っ飛ばされた。

 呻いている有村の体を持ち上げながら立ち上がると、フレミングはまるでボロクズでも投げるように、後ろに放り出した。

 

「お望み通り、相手になってやる。貴様には、顔を潰されているからな」

「ずっとあのままの方が、よかったんじゃねぇか? せっかく男前にしてやったのによ!」

「減らず口を。少し、稽古とやらをつけてやる。拳だけで相手してやろう」

 

 フレミングが、無造作に京次に迫ってきた。

 そして、両者の拳が同時に動いた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」

「ノバノバノバノバノバノバノバノバノバ!」

 

 互いに一歩も引かぬラッシュが、明かりの中で交錯する。

 しかし決着がつかず、ザッと双方が下がった。

 

「全ての拳に能力を乗せてきているな。腕を上げたようだな」

「へっ。おかげさまでな!」

 

 京次は一気に勝負を決めるのを断念し、ローキックで足元を切り崩す戦法に切り替えた。だが、これをフレミングは難なくかわし、受けてくる。

 続いて、先ほど有村がやった、連打を小刻みに出して隙を伺う戦法に変えた。しかし、これも意外と凌いでくる。

 

(こいつ、テクニックも身につけてきてやがる! 有村とそれなりに手合わせしてんな?)

 

 しばらく、一進一退の攻防が続いた。

 が、生物兵器のフレミングと、人間の京次では、元の体力が違う。すでに有村と一戦交えている京次が、息切れし始めた。

 頃合いを見定めたフレミングが、大振りの一発を左手で放った。京次がギリギリで避ける。

 が、左の肩パットが爆ぜるように飛び上がり、京次の顎を捉えた。

 

「ぐっ!?」

 

 脳を揺さぶられる形となり、京次はふらついて膝を折ってしまった。

 

「俺が、肩も攻撃に使えるのを忘れたか? 貴様との遊びは終わりだ」

 

 フレミングが、両腕を伸ばしてきた。捕まれば、電撃でやられるのは間違いない。

 京次は必死で、地面に転がって避けた。

 なおも迫ろうとしかけたフレミングだったが、突如飛び退った。

 今までフレミングがいた空間を、蓮斎の蹴りが切り裂いていた。

 

「チ、気づきおったか。ワンちゃんは勘が鋭いのう」

「……そう焦らずとも、こいつを片付けたら貴様の番だというのに」

「年寄りは気が短いんじゃ! ゲロッパ! ……コォォォォ……」

 

 蓮斎が、独特の呼吸を始めた。

 フレミングが、爪を立てて腕を振り上げると、蓮斎の頭部に叩きつけにいった。

 が。

 蓮斎が貫手の形にした指先が、ピタリとその一撃を食い止めていた。

 

「お手」

 

 蓮斎が眼前まで手を動かすと、フレミングの手は離れることなく、くっついてくる。その姿勢は、まさに〈お手〉そのものだった。

 

「ぐ……!」

「お利巧じゃな。次はお座りじゃ!」

 

 ポン、と軽く足払いをかける。フレミングの膝が折れ、地面に付く。そのまま、ついしゃがみこんでしまう。

 

「うむ。ワンちゃんに躾は大事じゃ。飼い主に教わらなんだか?」

「……亜貴恵様の、悪口は許さん!! それから、俺は狼男だ!」

 

 肩パットが浮き上がり、蓮斎に襲い掛かる。

 が、素早い手の動きでこれを捌ききると、蓮斎は構えを取った。

 

山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)!! ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ!!」

「おのれ! ノバノバノバノバノバノバノバノバノバノバ……!?」

 

 フレミングは、ラッシュを打ち返しながら驚愕していた。

 一見非力そうな相手の拳がヒットするたび、京次の振動込みの打撃を上回る衝撃と、ビリビリする感触が伝わってくる。

 

(スピードもすげえ……! あのラッシュに負けてねえ!)

 

 京次も、目を見張っている。

 ほんの一瞬の隙を見出した蓮斎が、

 

「ゲロッパ!!」

 

 ローキックを、相手の足に打ち込んだ。異様な衝撃に、思わずフレミングが退いた時。

 腰に巻いていた手拭いを蓮斎が引き抜き、その一端を相手に放った。

 フレミングの足に絡むと、長い手拭いがピタリと巻き付いた。

 

「な!?」

「こいつでどうじゃ!」

 

 蓮斎は手拭いをグイッと引く。フレミングがよろめく。

 手拭いのもう一端を、蓮斎は手近の木に巻き付けた。そちらも、ピタリと張り付く。

 

「狼男だか知らんが、リードでキチンとつなぐ必要がありそうじゃからな。ゲロッパ!」

「ぬ……!」

 

 フレミングが、手拭いを外そうとした時。

 蓮斎が、動いた。京次に駆け寄り、腕を掴んで背負う。そして、湖へと跳び、水面を猛スピードで走り始めた。

 あまりの俊敏な動きに、一瞬フレミングも虚を突かれたが、両方の掌を蓮斎の逃げる方向に向けた。

 

「逃がさん!」

 

 両方の掌の穴から、金属の弾丸が無音で放たれた。

 が、着弾寸前、蓮斎の体が横に飛んで避ける。そのまま、どんどん遠ざかっていくのを、フレミングは睨みつけるしかなかった。

 京次は、蓮斎に背負われたまま、尋ねた。

 

「決着つけなくって、いいんですか?」

「馬鹿モン! あんな怪物と付き合ってられるか。体力がもたん。吸血鬼ならともかく、狼男相手では、波紋は必殺とはいかん」

「吸血鬼!?」

「ああ、言い忘れておった。元々、波紋は吸血鬼を撃滅するための技。波紋は、吸血鬼の大嫌いな太陽のエネルギーじゃからな。ゲロッパ!」

 

 京次はしばらく黙り込んだが、意を決して尋ねた。

 

「先生。俺に、波紋を教えてくれませんか? 吸血鬼を倒せる技を」

「何じゃ!? 貴様、吸血鬼の知り合いでもおるのか」

「そうです。今のところ、敵じゃないですけど、イザとなりゃやるつもりなんで」

 

 今度は、蓮斎が黙り込んだ。

 

「……京次。一か月ほど、学校を休めるか?」

「一か月……」

「荒修行になるがの。波紋の基礎固めくらいなら、何とかなる。実例もあるしの。どうじゃ?」

 

 京次は、一瞬言葉に詰まったが、

 

「……やります! 教えてください」

 

 その返事を聞きながら、蓮斎はこっそり涙ぐんでいた。

 

(ジョセフ殿! 波紋法を引き継ぐ若いモンが出てきましたわい。ワシの代で、廃れるもんじゃとばかり思うていましたが……!)

 

「ゲロッパ!!」

 

 蓮斎の、歓喜の叫びが、辺りにこだました。

 



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第28話 闇を裂く弾丸 前編

 暗くなりつつある空に、星が見え始めていた。

 

「待ってくれよー。送ってくからさー」

「別にいらないよ。あんまり大声で呼びかけないでくれる? 人に見られたら誤解されるし」

 

 追いかけてくる航希を見向きもせずに、足早に道を行くのは、許嫁の柳生操であった。

 

「次の大会が近いからって、ここんとこ遅くなりがちじゃない? 最近は物騒なことも多いしさ」

「ごらんの通り、ボクは竹刀持ち歩いてます! こんなもの持ってる女子をわざわざ襲う?」

「いや、操の腕なら大抵のヤツは撃退できるだろうけどさ。そういえば、何だか新しい師範の人に来てもらってるんだって?」

「……そうだよ。ここから少し離れた所にある、宗岩寺の和尚さん。それが何?」

 

 渋々という感じで、操は後ろを振り返りもせずに返答している。

 

「練習厳しいの?」

「そうメチャクチャにってこともないけど。なんか変な気の回し方してない?」

「え、いや別に」

「あのね、四十過ぎのおじさんだよ? 趣味もけっこう渋くって、刀の鍔をコレクションしてるんだって」

「あーいるよねそういう人。操も、いつも持ち歩いてるじゃない? それ」

 

 彼女のカバンからぶら下がっている、透明の薄いケースに入った鍔を、横合いに回り込んで見た。

 

「師範からも、譲ってもらえないかって頼まれたよ。だけどこれは、お爺ちゃんから形見みたいにもらった鍔だしね。残念そうにしてたけど」

「ちょっと変わった鍔だよね。白っぽいし、あちこちちょっと角が出てたりするし」

「生き物の骨を加工して、塗りを入れたんじゃないかって、お爺ちゃんが言ってた。珍しいけども」

 

 操の言葉が終わらないうちに、航希は前方から、鋭い気配を感じた。

 

「!」

 

 正面から、目にも止まらない速さで飛来した、小さな何か。

 その先にあるのは、航希でも操でもなかった。

 命中したのは、刀の鍔。それを、航希はかろうして目で捉えていた。

 

(スタンド!? 豆粒ほどの小型!)

 

 そのスタンドが、飛んできたのと同じコースを、高速で逆に飛び去って行いった。刀の鍔をケースごと、無理やりカバンから引きちぎって。

 

「あっ!? え!?」

 

 何が起きたのか分からず、固まる操。

 航希は豆粒スタンドを追って、瞬時にダッシュした。

 

「ちょ、ちょっと航希!」

 

 操が航希のブレザーの裾を掴んだ。航希は構わず、振り払うようにして駆けていく。

 追いかける足を、操はすぐに止めた。学年でも短距離トップクラスの航希の足に、自分がついていけないのは分かり切っていた。

 

「もう! ……頼んだよ、航希」

 

 呟く操は、航希が角を曲がっていくのを見送っていた。

 航希のブレザーの裾を、切り離された彼女の左の〈手首〉だけがまだ掴んでいた。

 

 

 

 

 

 

 角を曲がるや、航希は〈サイレント・ゲイル〉を出した。スケートボードに似たスタンドに飛び乗って追跡を続行する。その速度は、今まで走っていた時の比ではない。

 航希は、忍者の嗜みとして持ち歩いている品物の中から、ベルト付きの小型ヘッドライトを取り出して頭に付けた。街灯はあるものの、明かりの死角になると見逃す可能性を恐れてのことだ。その目は、豆粒スタンドを捉えて離さない。

 

(豆粒が2個に増えてる……! 片方が鍔をぶら下げてる)

 

 目を凝らしている航希は、ブレザーの裾を掴んでいる、操の左手には全く気付いていない。

 〈サイレント・ゲイル〉の高速移動をもってしても、豆粒スタンドの飛び去るスピードが速くて、じりじりと距離を詰めるのがやっとだ。

 しかし、ついに手を伸ばせば届くところまで距離を縮めた。

 

「もらいっ!」

 

 右手をさっと伸ばして、鍔を奪い取ろうとする。

 が。

 それまで少し離れて、それぞれ同じ方向に飛んでいた2個の豆粒スタンドが、航希の手を避けて素早く寄り、互いにぶつかった。そして、弾きあって反対方向に跳ねる。

 

「何だぁ!?」

 

 航希はさらに奪い取ろうと手を伸ばす。だが、2個は互いに何度もぶつかり合っては離れるのを繰り返す。離れる方向も、長さも毎回バラバラだ。航希の手が、何度も宙を切った。

 

(この2個、よく見ると、細い糸みたいなのでつながってる! ってことは、2個の真ん中を狙えばイケるかも)

 

 その豆粒2個が、突然角を曲がった。航希の目は、その瞬間を捉えていた。

 

(角のところに、別の豆粒が空中にいた! 2個ともそいつに弾かれて、角を曲がったんだ。そいつも追いかけるように飛び始めたから、3個になってる!)

 

 航希は、急いでスケートボードを止めると、豆粒の去った方向へと向かっていった。

 航希は再度加速し、距離を詰めていく。あと少しで手が届きそうなところまで。

 鍔を抱えていない、2個の豆粒スタンドが唐突にぶつかり合った。そのうちの1個が、鋭く航希目掛けて飛来してきた。

 

「!」

 

 殺気に反応して、航希の肉体が勝手に身をよじらせた。豆粒スタンドが、首筋をわずかに掠めていき、また他の2個の方へ急速に戻っていった。

 チクッとした痛みを首筋に感じた航希が、そこを手の甲で拭う。チラッと見ると、手の甲は微かに血で塗られていた。

 

(まさか銃弾並みの破壊力!? 高速モードじゃ、〈サイレント・ゲイル〉の上にオレが乗って移動してるから、手元に移行させてのガードはできない! かと言って、高速モードを解除したら、このスピードに絶対追いつけない! これって、マズいかも……!)

 

 しかし、追跡をやめる気は航希には毛頭なかった。

 そして、小さな交差点を曲がった直後、またも豆粒が航希目掛けて飛んできた。今度は2個。

 

「よっ!」

 

 一応攻撃を予測していた航希は、身を捻ってどちらもかわした。優れた反射神経を備えた航希だからこそできる回避だ。

 

(なるほどね。角を曲がるごとに豆粒が増えるから、攻撃できる豆粒も増えていくって寸法か。だけどこれ、どんどん角を曲がられるとヤバいな。いつまで避けきれるか)

 

 角の直前で〈サイレント・ゲイル〉のエッジを進行方向とは垂直に立てて、地面を削るように滑らせ、方向を強引に変えて追跡を続行した。自動車のドリフト走行と同じ方法だが、瞬時に方向転換ができるわけでもなく、制御のための距離も必要で、何よりスピードが一瞬落ちる難点があった。

 豆粒は相変わらず飛来し続けるが、一向に攻撃を仕掛けてこない。何度も角を曲がり、豆粒の数はどんどん増えていくにも関わらず。

 しかも、数が増えていくたびに、徐々にであるがスピードが落ちていく。直線が続く道では、じりじりと、航希と豆粒の距離が縮まりつつあった。

 

(次の角を曲がったところが勝負か? もう少し速度が落ちれば、追いつくこともできそうだしな)

 

 またも、豆粒の群れが曲がった。航希は足元のボードを滑らせて、ドリフト走行で方向転換を試みた。

 角を曲がった先の道に入ろうとしたその時。

 豆粒の群れが、一斉にぶつかりあった。そのうちの半分、とはいえ、十数個はあろうかという豆粒が、散弾銃のように航希に襲い掛かった。身のこなしだけで回避するのは不可能なバラケ方。

 

「そう来ると思った!!」

 

 航希はほぼ一瞬で、足元のボードを縦に割ると同時に手元に寄せ、トンファーに変形させた。

 だが、体は高速走行の勢いのまま、丁字路の壁に叩きつけられようとしている。

 それも、航希は対処を考えていた。ボードを消す直前、両足で地面を蹴るようにして、身を宙に踊らせていた。上半身が壁へと流れるが、その勢いを逆に利用して空中で一回転。横向きでしゃがむような形で、両足で壁を蹴りつけて勢いを殺した。そこに飛来する豆粒の群れ。

 

「臨兵闘者、皆陣列在前っ!」

 

 地面に降り立ちながら、トンファーを目まぐるしく振るった。豆粒が次々と弾かれ、航希の体に命中したものは一つたりともなかった。

 

「ヘヘッ、伊賀忍びナメんなよ!」

 

 会心の笑みを浮かべる航希。

 豆粒は攻撃をやめ、その全てがさらに先へと飛び去って行った。

 航希はトンファーをボードに切り替え、さらに追っていく。距離は開いたものの、スピードはさらに落ちている。追いつけると航希は確信していた。

 が。

 航希は、眼前の状況に気づき、小さく唸った。

 曲がり角でもないのに、自分が追っているのと同数と思われる豆粒が、空中で静止しているのが、見えた。明らかに、飛来する豆粒は、静止する豆粒とぶつかり合おうとしている。

 

(もしあれが全部襲ってきたら、捌ききれる自信ないぞ! 多すぎる)

 

 航希の視界の中で、大量の豆粒がぶつかりあった。全ての豆粒が、脇にあった、古びた門の中へと吸い込まれていった。

 ここが豆粒の最終的な行先であることを、航希は理解した。門まで近づくとボードを消し、大きな表札に目をやる。

 

「……ここって確か、操の言ってた、剣術師範の和尚さんのいる寺。そういうことか」

 

 航希は門を潜ると、境内に足を踏み入れた。割と大きな敷地で、2、3台は入れる露天の駐車場もある。そこには、一台だけ車が止まっていた。

 

「マセラティのレヴァンテか。おっ金持ちーィ」

 

 小さく口笛を吹いて、航希は飛び石に沿って歩を進めた。渡り廊下まで飛び石は連なっており、ガラス戸の前に石段がある。高級そうな靴が、一組だけ置かれていた。航希はその靴の隣で靴を脱ぐと、ガラス戸を開けて中に入った。

 どちらに進もうか、と航希が迷っていると、建物の奥の方から、読経の声らしきものがかすかに聞こえる。そちらに、航希は進んでいった。

 読経は、渡り廊下を進んでいった途中にある、襖の向こう側から聞こえていた。

 航希は、躊躇せずに襖を開けた。

 そこは、寺の本堂らしかった。二十畳ほどの畳敷きの上に、大きな桃色の敷物が広げられている。右側の壁は奥行きがあり、仏像を安置している内陣となっており、さほど大きくはないが釈迦如来の像が鎮座している。

 濃い茶色の袈裟を着ている、がっしりした中年の僧侶が、読経の主だった。航希に横顔を向けたまま、読経は止まない。

 

「お邪魔します。お釈迦様」

 

 航希が声をかけると、僧侶は読経を中断し、片膝立ちになって振り返った。

 

「拙僧に対して、挨拶はなしということか? これでも一応、この寺の住職なんだがな」

「盗人が巣くうような寺の住職が、大きな顔するんだね。お釈迦様もきっとお怒りだよ」

 

 住職の顔に、凶悪なものが走った。

 航希は構わず、言葉を続ける。

 

「操から持ち逃げした、剣の鍔を返してくれないかな? あれは、操がお爺ちゃんから形見代わりにもらった品なんだよ。お金でどうこうできる問題じゃあないんだ」

「……」

「返してくれれば、オレも操も、それで納得するよ。警察沙汰にもしないし、誰にも喋らない」

 

 住職はしばらく黙っていたが、懐から数珠袋を取り出すと、中からケースに入ったままの鍔を取り出して見せた。

 

「やむを得んな。受け取るがいい」

 

 差し出された鍔に、航希は進み出て、手を差し伸べる。

 その指が、鍔に触れるかどうかの瞬間。

 住職の、後ろ手にしていた右手が動いた。手首に巻かれていた数珠の紐が伸び、玉が連なって、航希の顔面目掛けて鋭く飛んだ。

 が、航希は攻撃を読んでいた。足元に〈サイレント・ゲイル〉を出現させ、瞬時に斜め後方に滑って逃げる。玉は虚空を貫いただけだった。

 

「……ちー。指先掠めたんだけどなァ。取った上で逃げられるかな? って思ったんだけど」

「取るまで逃げなければ、目玉を抉れていたものを。我がスタンド〈マイ・プレイヤー〉はそこまで甘くはない」

 

 住職は、手早く数珠袋に鍔を戻すと、懐にねじ込んだ。見えない剣を中段に構えるような姿で、航希に対峙する。本来は鍔元を握る右手の手首に〈マイ・プレイヤー〉が巻かれていた。

 それに相対する航希も、トンファーを出現させて、構えを取った。

 両者、小刻みなフットワークで、間合いを測りつつ相手の出方を見ていた。

 住職が、裂帛と共に、見えない刀を振るった。刀身の代わりに、紐付きの玉が連なって、航希に斬りつける。航希は、受けることなくこれを避けた。受けたところで、紐が曲がって玉が打撃を与えてくるのは分かり切っていた。

 二撃、三撃と斬撃が来る。素早い身のこなしでかわして、航希は隙を狙って踏み込んだ。

 だが、紐がそれを見越したように弧を描き、横合いから襲う。深追いせずに、航希は下がって間合いを取り直した。

 

「やっぱ穏便に事を収めるってわけにはいかない?」

「生憎、他に類を見ない品物だからな。そうそう渡せんよ。あの操にしても、柳生の出自と言っても、所詮は今時の娘だ。物の価値を知らん小娘には、もったいない代物よ」

 

 嘲りつつも、懐の中の数珠袋を手で押さえた。

 

「……ッざけんなよ、お前?」

 

 鋭い殺意が、航希の瞳に宿った。

 

「操は、お前みたいに道具に執着してる破戒坊主とは違うんだよ。刀は所詮、自分の腕の延長。こだわりすぎるのは見当違い。あの子の爺ちゃんも、常々そう言ってる」

「だったら、鍔一つなどこだわることもあるまい? どの道、これは俺の物にさせてもらうぞ。コレクションに加えねばな」

 

 住職がそう言った時。

 数珠袋の中の鍔が、ブルッと震えた。それを感じて、住職も思わず身を震わせた。

 

(……違う……貴様は違う)

 

「な!? 何が違うと言うんだ」

「え?」

「そうか小僧、小細工しおって! この鬼の姿は幻覚というわけか。スタンドそのものではないらしいな?」

「鬼? 何を言って」

 

 航希には分からなかったが、住職の眼前には、一本の長い角を頭部に持ち、隆々たる筋骨を持つ上半身がぼんやりと見えていた。

 二人とも、そのやり取りの最中で気づいていないことがあった。

 航希のブレザーの裾をずっと握っていた〈手首〉が、いつの間にか離れていた。宙を浮き、物陰に隠れるようにして、住職の真横に回り込んでいたのだ。

 

「問答無用!」

 

 住職がまたも踏み込んで仕掛けた。上段からの面打ち、続いて逆袈裟からの斬り上げ。いずれも航希は辛くも避けた。

 見えない剣が斜めに振り切られたその時、隠れていた〈手首〉が飛んだ。住職の懐に飛び込み、数珠袋を一気に引き抜いた。

 

「な!?」

 

 住職が数珠袋を慌てて捕まえようとしたが、〈手首〉はそれを躱して、内陣に並ぶ仏具の隙間に潜り込んでいった。それを追おうとした住職だが、

 

「甘い!」

 

 航希が隙を狙って、トンファーで連撃を繰り出す。住職は下がると、舌打ちをして構え直した。

 



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第29話 闇を裂く弾丸 後編

(……何をやっているのだ。あのイヴィル・モンクは)

 

 苦々しげに、襖の隙間から本堂の乱闘を覗き込んでいたのは、未麗の秘書の平竹だった。

 

(どうして、神原チルドレンの者と戦っている? そもそも、あのボーイがどうしてこの寺にいる? 私が来ていることを嗅ぎつけた……それはないな。ボーイは私のことなど知らないはず。よく分からんが、どうしたものか。いっそ、モンクをヘルプするべきか? 二人がかりなら、ボーイを倒せるかもしれん)

 

 平竹は、頭部が球形で、頭頂部に平たい円盤が乗っかっている、人間大のスタンドを出した。そのまま、中で戦う航希をじっと見据える。

 だが、すぐに首を振ると、スタンドを引っ込めた。

 

(私の〈エアー・サプライ〉は、視界の中のどこかの空気を、ビーチボール大の範囲だけ変質させる能力。デッド・ポイスンに変えることも、スリープエアーに変えることもできる。だが、一度空気を変える範囲を決めると、そこから動かせない。別の範囲を変質させるには、いったん解除する必要がある。あのボーイは動き回りすぎて、範囲を定められない。私の能力とはノー・マッチだ)

 

「まあ、ミスター・モンクのお手並み拝見だな……」

「何のお手並み?」

 

 平竹は、不意に背後から囁き声をかけられて、ギョッとして振り向いた。

 そこにいたのは、竹刀をぶら下げた操だった。左手は既に元に戻っており、あの鍔が握られていた。

 

「あの住職さんの知り合い? っていうか仲間?」

「い、いや。私はただのゲスト、訪問客ですよ」

「能力出して訪問する人なんだね。見えてたよ」

「!」

 

 反射的に、平竹は〈エアー・サプライ〉を出した。

 が、操のすぐ傍にも、スタンドが現れた。頭部に鉢巻きらしき意匠があり、髷から長い髪が流れている。下半身は、裾が斜めになっている袴で、片足が露になっている。その手には、一振りの刀が握られていた。

 刀が、瞬時に横一閃。避ける間もなく、平竹の首が、胡坐をかいた膝元に落ちた。

 

(斬られた!? こんな所でこの私が死……ん? 痛くも何ともない。首の位置がおかしい気はするが……)

 

 つい瞑っていた目を、平竹はそっと開けた。

 最初に目に入ったのは、自分の体。平竹の首は、上を向いていた。胴体の上に当然ついているべき頭部が、忽然と消えている。自分の首が、落とされたままで、膝で抱えている格好になっていることに気づき、さすがの平竹も愕然とした。

 

「わっ、わ、私の首……」

「心配しなくても、死んだりしないよ。血だって一滴も出てないでしょ? ボクの〈ファントム・ペイン〉の能力なら、いつでも元通りにできるから」

「……」

 

 平竹は、自分の生殺与奪の権を、目の前の少女に握られていることを、自覚せずにはいられなかった。

 

「しばらく、そのままにしててくれる? 航希が戦ってるのを、あなたに邪魔されたくないから」

 

 操が、襖の向こう側を、耳を澄まして気にしているのを、平竹は見て思った。

 

(あのボーイの、ガールフレンドといったところか? しかしなぜ加勢にいかない? 私は首を人質にされているも同然。私を監視する必要はないはずだ……)

 

 平竹は、じっと操を観察してみた。明らかに心配を隠し切れない操の様子に、平竹はピンときた。

 

(そうか! ボーイフレンドにスタンド使いであることを知られたくないのだな? ヤング・ガールには、時にある心理だ。ならば、付け入る隙はある)

 

「ヘイ・ガール。襖の隙間から中を見るといい。大きなキャンドルがあるだろう」

「え?」

「あれを消してみせよう。私の、〈エアー・サプライ〉の能力で、な」

 

 操が中を覗き込むと、確かに香炉の隣に、蝋燭がある。

 その蝋燭が、ふっと消えた。

 

「見えたか? キャンドルの周りの酸素を消滅させたのだよ。ターゲットを、キャンドルでなくてあのボーイにしたら……どうなるか分かるね?」

「え……あ……」

 

 内心では、平竹はこう考えていた。

 

(実のところ、空気の変質には5秒かかる。だから動きの激しいボーイには仕掛けられなかったのだがな。今のも、喋って時間稼ぎをしたから、ノータイムで消えたように見せられたが)

 

 だが、操は知る由もない。目が泳いでいる彼女に、平竹は畳みかけた。

 

「リッスン・トゥ・ミー。私にとって、あのモンクは取引相手でしかない。私の持ち込んだアンティーク・グッズを買い取らせているだけの関係だ。今日も、売りつける商品を運び込みに来ていただけでね。あれが負けても、別の取引先に変えればすむこと。私を元に戻して、帰らせてもらえるなら、あのモンクとは手を切ってもいい。もちろんボーイの勝負の邪魔はしない」

 

 全て事実であるため、平竹はスラスラと口にした。

 少し操は考えていたが、

 

「……分かった。ただし、ここでは元には戻さないよ。外に出てくれる?」

「いいだろう。渡り廊下に私の靴が置いてある。庭のパーキングに止めてあるのは、私のマセラティだ」

「骨董屋さんって儲かるんだね。ならそっと静かに出ようか。首は手で抱えていけば、歩くのに問題ないでしょ?」

 

 そう言われて、平竹が手を動かすと、いつもと変わらず自分の意志で動かせる。首を抱える時に、切り口に手を触れてみたが、ツルツルで真っ平だった。

 頭部を胸元に抱えて、平竹は立ち上がる。おかしな情景に戸惑いながらも、平竹は操と連れ立って、渡り廊下を歩み去っていった。

 

 

 

 

 

 住職は、持ち逃げされた鍔の探索をいったん断念し、航希への攻撃に専念した。次々と繰り出す斬撃を、航希は紙一重で避け続ける。

 互いに息が切れて、両者は構えを解かずに睨みあった。

 

「フン……! ネズミが、チョロチョロ逃げるのが精一杯か。段持ちの俺の剣を掻い潜って、反撃する余裕はなさそうだな。それとも、俺が先にへたばるのを待っているのか? 生憎だが、スタミナには自信がある」

「オッサンの割には元気だね。でもオレ、鍔さえ取り戻せれば、オッサンを倒す必要はないんだけど? もう鍔は手元にないみたいだし、何ならここから逃げ出してやろうかな?」

「そうさせるつもりはない。通報されて家宅捜査でもされると、面倒なことになる」

「ありゃりゃ。その口ぶりじゃ、鍔だけじゃないんだね?」

「どの道、死地に立った者には関係ないこと。内陣を背にする位置取りができた今、高価な仏具を破壊することもなく、技が使える!」

 

 〈マイ・プレイヤー〉を引っかけた右腕を胸元に引き付けると、住職は大きく前に振り出した。

 数珠の弾丸が、散弾となって航希に一斉に襲い掛かった。身をかわすくらいで避けられる密度ではない。

 

「畳返し、応用の型!」

 

 航希は、その攻撃を読んでいた。住職が、部屋や仏具を傷めたくないために斬撃ばかりで仕掛けていたこと。そして、航希の背後に仏具がない場所を選んで、散弾攻撃を仕掛けてくるだろうこと。

 航希も、対策は思いついていた。かがみこむと、足元の敷物の縁をつかんで大きく持ち上げた。

 丈夫な敷物が、斜めに掲げられていた。その上を、散弾は弾かれて、斜め上に逸らされた。どの散弾も、敷物を貫通できない。

 敷物から手を離すと、〈サイレント・ゲイル〉をスケートボード形態にして、住職へと超短距離ダッシュ。体当たりを、住職は辛くも避けた。

 

「ハッ!」

 

 航希は逆立ちするように床に両手を突き、体をひねって、住職にボードの背面をブチ当てるように蹴りを入れた。住職は、右腕で受けるのがやっと。ダメージは入ったようで、呻き声をあげた。

 さらに航希は足を着地させると、ボードを消して、鞭のような回し蹴りを放った。見事に横っ面に入り、たまらず住職は吹き飛び、襖をなぎ倒して廊下に転び出た。

 少しふらつきながら住職が見たのは、廊下を歩いてきた操だった。彼女は、平竹を車で去らせた後で、様子が気になって戻ってきていたのだ。

 目を丸くして足を止めた操に、住職はチャンスを見た。

 

「〈マイ・プレイヤー〉!」

 

 住職は、右手を操に向けて振った。数珠の紐が伸び、操の首に巻き付いた。そのまま引きずり倒し、背後に回ると、グイッと引き起こした。小さく呻く操。

 

「なっ……」

「動くな小僧! 娘が絞め殺されてもいいのか!?」

「貴様ッ、それでも……!」

 

 航希が言いかけた時。

 

「それでも剣士の端くれですか、師範?」

 

 操が、平静な口調で被せてきた。蔑む目をしながら。

 

「あなた、航希に負けたんですよね? 最後くらい、潔くしたらどうなんですか? 仏様もきっと愛想を尽かしてますよ?」

「黙れ小娘が! 柳生の血統がそんなに自慢か? 偉そうに説教するな!」

「ご先祖まで持ち出してくるんですか。生憎ですけどボクは、あなたの人質にされるのも、航希の足を引っ張るのも真っ平です! そのくらいなら……」

 

 操は、〈ファントム・ペイン〉を真横に出現させた。航希と住職が、共に目を大きく見開く。

 スタンドの刀が、操の首を刎ねた。真正面に転げ落ちようとする頭部を見て、航希の血の気が青くなるのを通り越して、真っ白になった。

 が、頭部は操の両手で受け止められた。〈ファントム・ペイン〉の片手が、まだ操の首筋に巻き付いている紐をあっさりと外す。

 拘束がなくなった操は立ち上がると、頭部を首の切れ目に元通りにくっつけた。

 

「さて、と」

 

 振り向いた操に、完全に固まる住職。

 〈ファントム・ペイン〉の刀が、住職の首を刎ねた。頭部が床に鈍い音を立てて落ち、その痛みで住職が短く叫んだ。

 

「み、操……」

「死んだりはしないよ。首と胴が、離れてるように見えてるだけ」

 

 ようやく言葉を絞り出す航希に、操は背を向けたまま。

 

(航希に能力のこと知られた……。普通の女の子じゃないってバレちゃった。もうダメだぁ……)

 

 涙ぐんでいる操の背中に、航希は話しかけた。

 

「だけどさ。操がスタンド使いだったなんてさ。オレ、正直ホッとしたっていうか、嬉しいよ」

「え!?」

 

 思わず振り返る操。

 

「オレさ、いつ、どうやって操にスタンドのこと打ち明けようかって、ずっと迷ってたんだ。いつまでも隠し通せるとも思えないし」

「……」

「スタンドはスタンド使いにしか見えない。見えない操に伝えたところで、気味悪がられるだけで終わるだろうしなって。だけど、どっちもスタンド使いだったんだ。オレたちは仲間だよ!」

 

 屈託のない航希の笑顔に、操の目から涙が零れ落ちた。

 

「え? おい、泣くなって。これ、ハンカチ使って!」

 

 航希はハンカチを差し出しつつ、視界の片隅に転がっている住職の生首を、軽く蹴って廊下の奥に転がした。

 結構先の方まで転がされた、頭部だけの住職は、情けない気分で一杯だった。

 

(何だこれは……。小僧に負けて、娘のスタンドに翻弄された上に、青臭いノロケまで聞かされるのか……。俺はこの歳で独身だっていうのに……)

 

 言いようのない完敗気分を味わわされる住職。

 それを余所に、航希はさらに、まだ泣いている操に語りかけた。

 

「えーと、いつからなの? スタンド使いになったのって」

「……〈スタンド〉って、この能力のことだよね? あの……大会前にボク、熱出したことがあったよね。あれは……どこからか矢が飛んできて、ボクに突き刺さって……」

「え!?」

「それから熱が出て……治った時には矢傷も矢もなくなってて……能力が使えるようになった……」

 

 敵スタンドの攻撃のためだと思い込んでいた航希は、仰天した。

 実のところ、〈サタデーナイト・フィーバー〉のスタンド使いは、操への攻撃指示は受けていたが、仕掛けるより前に操が高熱を出して倒れたため、自分がやったことにして笠間から礼金だけせしめていた。しかし、航希たちがそのことを知る由もない。

 

「じゃ、操も矢で射抜かれたクチだったのか……」

「え?」

 

 操が、涙をぬぐって航希を見つめた。

 

「操『も』? もしかして、他にも、こんなことになった人がいるの?」

 



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第30話 色鮮やかな牢獄 前編

 放課後、中庭の一角。

 

「これが、刀の鍔?」

 

 文明は、航希の隣にいる操が差し出してきた、ケースの中身を眺めた。

 

「何ていうか……僕も全然詳しくないんだけど、普通に作られた鍔とは違う感じだよね。何かの模様を刻んだって風でもないし」

「生き物の骨を加工して、鍔に仕立てたらしいって、お爺ちゃん言ってた」

「そうなんだ。でも、どうしてこれを僕に? 見せてもらっても、ロクな返答はできそうにないけど」

 

 航希は、操に目配せをすると、口を開いた。

 

「どうもこれ、スタンドに関わりあるみたいなんだよね」

「え!? この鍔が!? ……って航希! 操くんの前で、その」

 

 アタフタする文明に、操はクスッと笑った。

 

「ご心配なく。ボクも、スタンド使いだから。こないだまで、スタンドって言葉も知らなかったくらいだけど」

 

 操の傍らに、刀をぶらさげた人間大のスタンドが現れたのを見て、文明は息を飲んだ。

 

「え……本当に?」

「〈ファントム・ペイン〉。ボクはそう呼んでる。能力は『刀で切り落とした部位は、切り口と離れているように見えても、実はつながっている』。例えば首を落としても、切り口から血も出ないし、痛みも全くなし、もちろん死んだりしない。首と胴がいくら離れてても、実はつながってる状態だから、本人は首の位置がおかしいように感じるだけで、普段と変わらないの。ボクがその気になれば、首と胴をまたくっつけることもできるし」

「相手を斬っても、殺したくはないってこと。操らしいよね」

 

 そう航希が付け加えた。

 

「そんで、鍔のことだけど……ブンちゃん、話ついてこれる? 情報が多くて申し訳ないけど」

「あ、ああ。ちょっとまだ驚いてるけど」

 

 操が察してスタンドを引っ込め、航希が再び説明を始めた。

 

「この鍔、霊がついてるみたいなんだよね」

「霊!?」

 

 素っ頓狂な声をあげる文明。

 

「僕らはスタンド使いであって、霊能力者じゃないよ? そんなこと言われても」

「それがね。その霊、スタンド出してる時にしか出てこないんだよ。オレが試した時にも出てきた」

「え……どんな? あんまり聞きたくない気もするけど」

「一本の角がある鬼……って言ったらいいのかな? 目の前に出てきて『お前は違う』って。オレは言われたし、操もそうだって」

「……なんか仇でも探してるのかな? それで、まさか僕にも試せとか」

「そうなんだよ。気になるから調べたいけど、無闇にスタンド使いに試させるのもマズイ気がするし。ブンちゃんなら信用できるから」

「僕は自分が信用できないよ! 呪われたりしないだろうね……」

 

 渋々とだが、文明は鍔を受け取ると、〈ガーブ・オブ・ロード〉を出した。

 すると。

 長い角を頭部に生やし、目を瞑っている、筋骨たくましい男の幻影が、文明にも見えた。

 

(こ……これが、鬼? なんだかイメージが違う)

 

 その幻影は、瞑ったままの目で〈ガーブ・オブ・ロード〉を見つめるようにしていたが、やがて口を開いた。

 

『……素質がありそうだな』

「え?」

『長きにわたり、数多の力ある者どもを見てきたが。ようやっと、見込みのある者に出会えたか』

「み、見込みって何が? そもそも誰なんだあなたは」

『今しばらく、貴様を見定めるとしよう。ひとまず、常に俺と共にあるがいい』

 

 そして、幻影は消え失せた。

 呆然としている文明に、操が声をかけた。

 

「その様子だと、『違う』って言われたわけじゃないね?」

「あ、うん……その」

「見込みがある、って言われたんじゃないの?」

 

 絶句する文明に、操は合点がいったように頷いた。

 

「文明くん。その鍔、しばらく貸しとくよ」

「え!? でもあの、お爺さんの形見代わりの大切な品なんだろ?」

「お爺ちゃんが前に言ってた。その鍔には、何かを感じる。自分では明かすことができなかったけど、若いボクに委ねるからって。文明くんが、その手掛かりになるかもしれないから」

「そんなこと言われても……」

「じゃ、ボクは剣道部に行ってくるから。あとよろしくね!」

 

 さっさと駆け足で去っていく操に、文明は鍔を返すに返せず、困っていた。

 隣で彼女を見送っていた航希が、先を促して二人は歩き始めた。

 航希が、神妙な顔で語りかけた。

 

「ブンちゃん、お願いがあるんだけど」

「え……何?改まって」

「鍔の説明のために、操のスタンドを見せたんだけど。操がスタンド使いだってことは、黙っててほしい。特に神原先生には」

「え、どうして?」

「先生が聞いたら、操をジョーカーズに勧誘しようとするだろうから。操は真っすぐな子だから、協力するって言いだす気がするんだ。だけど……勝手な物言いになるけど、オレは操を巻き込みたくないんだ」

「……」

「オレたちも、何度も敵とやりあってきただろ? オレは腹くくってやってるけど、その……操には、危ない目に合わせたくない……」

 

 文明は、隣を歩く航希を見つめていたが、

 

「京次くんたちにも知らせないのか?」

「みんなには、時期を見てオレから話すよ。特に京ヤンは、今は休学してるし、連絡が取れない状態だしね」

「そう、だよな……。分かった。しばらくは内緒にしておくよ」

「ゴメン……。『操だけ守れればいいのか?』って問い詰められても仕方ない、って思ってた」

「いや……。確かに、巻き込まれて危ない目に合う人は、少ない方がいいのかもしれない」

 

 そう言いつつも、文明は別のことを考えていた。

 

(確かに、全てを神原先生の耳に入れない方がいいのかもしれない。航希は純粋に、操くんを心配してるだけで、神原先生を信頼してるのは間違いないだろうけど。僕はやっぱり、人外の血を引くあの先生を、心のどこかで信用しきれない……)

 

 文明は、手の中の鍔を見下ろした。

 

(この鍔も、あの鬼だか分からない霊が取り付いているんだよな。何の因果で、っていうか、もしかして僕は、何かに試されてでもいるんだろうか……?)

 

 二人が連れ立って中庭を歩いていると、明日見が声をかけてきた。

 

「あれ? 文明くんたちも、これから部室に向かうトコ?」

「うん。吹奏楽部って、今日はオフ日だっけ?」

「そうよ。愛理さんも、珍しく部活も生徒会もない日だから、後からすぐに追いかけてくるって」

 

 文明は鍔をポケットにねじ込むと、二人と並んで再び歩き始めた。

 

「もう、あれから半月も過ぎたんだよね。京ヤン、頑張ってるかなぁ」

 

 ぽつりと、航希が口にした。

 明日見がやや苦笑しながら、

 

「航希くんって、気が優しいのよね。京次くんなら、殺しても死なないと思うよ。今頃は重いコンダラとか引いてるんじゃない?」

「それ野球部じゃない? ブンちゃんのクラスの河村とかが、時々チョウチンフグみたいな顔して引いてたりするけど」

 

 航希が頬を膨らませて、脇に引き付けた手をパタパタさせて見せると、明日見が吹き出す。

 

「手のパタパタはしないと思うから! ……だけどあの時、正直、文明くんは反対するんじゃないかって思ってた」

「え?」

「神原先生は渋ってたじゃない? 彼が休学中の戦力ダウンは避けられないからって。私も、一種の賭けになるなって思ってたから」

 

 その時の会話を、ふと文明は思い出していた。

 

『先生。京次くんを、修行に行かせるべきです。帰ってくるまで、僕たちで京次くんの抜けた穴を埋めます』

『いいの!? ブンちゃん』

『……もし、修行なしでそのフレミングとまた戦って、京次くんが万一敗れたら。僕ら、一生後悔することになると思わないか?』

『!』

『あの時、行かせてあげればよかった。そう後悔するくらいなら、ここで僕たちが腹をくくった方がマシだ。少なくとも、僕はそう思う』

 

 明日見は、青空を見上げて息をついた。

 

「あの時、こうも言ってたよね。『武原京次の土下座は安くない。彼がそこまでする以上、僕は尊重するべきだと思う』……って」

「甘いって言われるかもしれないけど、ね」

「ううん! 文明くんの覚悟は、私にも伝わったから。私も、できる限り力になるから」

 

 明日見の眩しい笑顔を目にして、ふと文明は、やや罪悪感を覚えた。

 

(彼女にも、操くんのことは当面秘密か……。約束だから仕方ないけど。こんな時、京次くんならどうするだろうな?)

 

 文明は、内心でため息をついた。

 

(こうなると、京次くんがいないのが、やっぱり重荷になる。だけど、彼が戻るまでは、僕らがここを守らないと。おそらく彼は、イザという時、神原先生の抑え役に回るつもりなんだ。あの時の決断が間違っていなかったことを、証明してみせないと、だ……)

 

 

 

 

 

 三人の先頭にいた航希が、部室の扉を開けた。

 

「え!?」

 

 航希も、後から入った文明と明日見も、顔色を変えた。

 部室の床に、ユリが倒れ伏していた。その側に、遥音と愛理がしゃがみこんでいた。

 

「どうしたの!?」

「アタシが来た時には、もう倒れてたンだよ」

 

 さすがの遥音も、顔色は青ざめている。

 

「今、愛理に見てもらってたンだけど」

「脈拍も呼吸も、異常はないようです。ですが、揺すったりしても全然反応がありません。単に眠ってるわけではないように思います。これから、救急車を呼ぶつもりでした」

「分かった! 今から呼ぶね」

 

 明日見が室内に入り、スマホを取り出した。その後から、文明もついて入った時。

 ガラッ! 音を立てて、扉が勝手に閉まった。

 

「!」

 

 文明が慌てて振り返った時。

 視界が急に、真っ白になった。何も見えない。

 それも一瞬。

 視界がすぐに戻った時、文明はすぐに、自分がいるのが軽音楽部の部室ではないことを理解した。

 一辺3メートルほどの立方体の部屋。正面と右の壁、それと床は黒く塗られており、その真ん中に1メートル四方の引き戸がある。そのすぐ脇には、上下左右に動かせるらしきレバーがある。

 他の壁や天井は赤・青・白にそれぞれ塗りつぶされているが、引き戸も何もない。

 

「……何だ、この部屋? もしかして、スタンド攻撃なのか?」

「そうだと思うけど……。閉じ込められたみたいね。スマホも、圏外になったし」

 

 明日見が、緊迫した顔でスマホから顔を上げた。

 

「ん? 愛理くん、背中に何かあるけど」

「触らないでください! それに!」

 

 手を伸ばしてきた文明に、愛理がハッとして叫んだが、遅かった。

 

「ブンちゃん! 背中……箱みたいなのが、くっついてる。っていうか、今現れた……」

「え!?」

 

 文明が背後に手をやると、確かに、背中の中央部にそれらしきものが触れた。

 

「もう触らないでください。触れば、触った人の背中に移ります」

「わ、分かったよ」

 

 航希が、箱に顔を近づける。

 その箱には、横長のデジタルの表示板らしきものがあった。その表示を、航希は読んだ。

 

「残量100%……あ、今99%に下がった」

「アタシがユリの背中にソイツを見つけた時には、0%になってたよ」

「!」

 

 三人が、息を飲んだ。

 

「アタシがソイツに触れちまって。愛理が取ろうとしてソイツに触れたら、愛理の背中に移った……」

「さっき、遥音さんの背中にあった時に確認しましたが、10秒ごとに1%減少していました。つまり、100%から0%になるまで、16分40秒です」

 

 文明も、事態が予想以上に切迫していることを理解した。

 

「ヤバいなこれ……スタンドには違いないよな? この部屋もそうみたいだけど」

「もしかしたら、二人のスタンド使いが操る、別々のスタンドなのかも」

 

 明日見が平静を装うが、顔色は隠せない。

 

「引き剥がせないのかな? 〈ガーブ・オブ・ロード〉!」

 

 スタンドが出現し、布が背中の箱に伸びていった。箱に巻き付き、グイグイと引っ張る。

 

「く、取れない……」

「ブンちゃんっ!! スタンド引っこめて! 数字の減り方が速すぎる!」

「え!?」

 

 慌てて、文明がスタンドを消した。箱は、そのまま背中にある。

 

「い……幾つになってる? 航希」

「78%……。スタンド出した時、1秒に1%くらいのスピードで減ってたよ」

「10倍のスピードか……今の感じだと、0%まで粘っても取れる気がしないよ」

 

 航希は少し考えると、〈サイレント・ゲイル〉をトンファー形態で両腕に出した。

 

「ブンちゃん。衝撃が来るかもだけど、ちょっと堪えてね」

「え? ひょっとして」

 

 航希が、トンファーの先端で、まずは軽く、箱を横殴りにした。

 

「ぐあッ! こ、航希。ダメだ、背骨を殴られてるのと変わらない!」

「ありゃ、やっぱり無理なのか。だけど、今のでブンちゃんから俺にオニが移ったから。大丈夫だよ! あはは」

 

 さっさとスタンドを引っこめて笑う航希に、文明は返す言葉がなかった。

 

「この箱みたいなの、要するにバッテリーのスタンドなんでしょうね。スマホは何もしなくてもバッテリーを消費するけど、アプリを使用すると消費が速くなる。アプリに相当するのが、この場合はスタンドってことなのよ。きっと」

 

 明日見が、じっと箱を眺めながら言った。

 

「これはパワーでくっついてるわけじゃないと思う。能力でくっついてるとしたら、力づくで取り除くのは不可能よ」

「じゃ、どうすれば……」

 

 文明が困り顔で問うた。

 

「どこかにいるスタンド使い。本体を倒すしかないでしょうね」

「本体たって。どこにいるのか……」

「スタンドには、射程距離があるじゃない? 部屋のスタンドと、バッテリーのスタンドが別々だとすると、少なくとも部屋のスタンドは、この大がかりさ加減からして、絶対に近距離。バッテリーのスタンドも、城田さんに仕掛けたことから考えると、それほど遠距離じゃないような気がする」

「え? どういうこと?」

「近場で様子を伺ってて、たまたま城田さんが最初にここに来たから、彼女に仕掛けた、ってことだと思うの。遠距離でいけるなら、直接私たちを狙えばいいはずだもの」

「スタンド使いでなくても、16分ちょいで0%になるだろうしね。この様子だと」

 

 明日見と文明が、顔を見合わせていると。

 

「このまま、お喋りしてたって仕方ないよ! ここから出て、さっさとソイツを探しに行くよ!」

 

 遥音が、手近の引き戸を開こうとした。

 が、力を込めても開く様子がない。

 

「チ、このレバーかな?」

 

 遥音が、レバーを上に動かすと。

 引き戸が、スッと開いた。

 遥音と、他の面々がその奥を覗き込むと、引き戸の向こう側は別の部屋になっていた。ただし、床が真ん中で膨らんだアーチ状になっている。引き戸は正面だけ。左壁と天井が、それぞれオレンジと緑になっている。右壁は、床と同様に黒く塗られていた。

 

「変テコ部屋だねぇ。何なんだこりゃ?」

 

 

 遥音が最初に引き戸を潜り、他の者がそれに続く。次の部屋の引き戸の脇には、ボタンがあるだけ。

 

「押すよ?」

「ちょっと待って。オレがやるよ。扉が開いたら、敵が襲ってくるかもしれないし」

 

 航希が〈サイレント・ゲイル〉を腕に装着すると、トンファーの先端でボタンを押した。

 扉が開き、奥に部屋があるのが見えるが、何も襲ってこない。

 航希が、その部屋に入っていった。他の面々も続く。

 その部屋は、扉は床と右壁、それと今入ってきたものの三つ。他の三つの壁は、赤・緑・黄にそれぞれ塗られていた。

 

「カラフルすぎて、目がチカチカしそうだよ。何のつもりだろうね、ここって? 敵も何もいる気配がないし」

「……どこかで見た配色なんだけど。思い出せないなあ……」

 

 明日見が、眉を寄せている。

 

「とにかく、行けるところは見ていこうよ。この壁の扉開けるか。えーと、またレバーがあるな」

「……あたし、そのレバーが気になるんです。まず、上に動かしてください」

「え? うん」

 

 航希が、レバーを上に動かすと。

 扉が開き、白の天井と緑の左壁が見えた。床はアーチ状。正面には、ボタンが脇にある扉。

 

「閉められますか、その扉?」

「え? えーと……」

 

 航希がレバーを中央に戻すと、扉が閉まった。

 

「今度は右に動かしてください」

「あ、うん」

 

 言われるまま、航希がレバーを動かすと。

 扉が開き、その奥が見えた瞬間、ほぼ全員が声を上げた。

 

「色が、変わってる……」

 

 航希が、呟いた。

 黄色の天井と、赤の壁となっていた。他は先ほどと同じ。

 

「また閉めてください。下と左も試したいです」

「分かった……!」

 

 航希が、まず下へレバーを入れた。

 開いた先は、先ほどと同じ、黄色の天井と、赤の壁。

 レバーを戻し、今度は左に入れた。

 

「また色が変わった!?」

 

 航希が見たのは、黄色の天井と、白の壁であった。

 

「どうなってるんだろコレ? レバーの左右だけ色が変わるとか……」

「これと同じ構造の玩具があるでしょう? これはサイズが巨大ですし、その玩具の中に入ったことはないと思いますが」

「……当ててみましょうか?」

 

 明日見が、愛理を見つめて言った。

 

「ルービックキューブ。レバーで回す方向が決まる仕組みって言いたいのね?」

 

 愛理が、頷いた。

 

 

 

 

 

 奇妙な部屋があった。

 中心から、前後・左右・上下にパイプが伸びている。そのパイプの先には、パイプを軸に回転するジョイントがあり、上に伸びたパイプの先が、今まさに回転しつつある。

 パイプに腰掛けている、三十絡みの二人の男女がいた。

 

「もう気づいたみたいだなァ〜、早いな。間庭愛理が俺の〈キュービック・マンション〉の構造に気付いたぞ」

「お勉強ができるだけじゃないってことねー。圭介さん、ポテチ食べる?」

「ああ、お前のお気に入りのやつか。それじゃあいただくぜ」

 

 その女、佑夏から袋を受け取った圭介は、中から菓子を取り出して食べ始めた。

 

「そしたら、あの子たち六面全ての色を揃えにかかるよねー? あんたの能力って、色を揃えられたら、スタンドが解除されて全員解放されるんじゃなかったー?」

「ま、そうなんだがよ。五人がイチイチ部屋を移動しながらキューブを回してたら、膨大な時間がかかるだろ? しかも、普通のキューブと違って、外側から全体を見られないからなァ〜」

「その間に、わたいの〈モバイル・バッテリー〉で最低一人は意識不明にできるしねー。できれば、ターゲットをそれで仕留めたいトコだけどー」

 

 佑夏が、手渡された菓子の袋を受け取ると、自分も中身を口に運んだ。

 

「……ん?」

「どうしたのー? あんた」

 

 じっと集中する圭介の顔を、佑夏が覗き込んだ。

 

「あいつらが移動し始めたぞ。二人だけだなァ〜。残りの三人はじっとしてる。まぁ、全員で動くよりは効率はいいのは確かだ。一人でも、別の部屋へ移動すればキューブは動くからなァ〜」

 

 しばらく、集中を続ける圭介。

 

「一応、全部の部屋を回ったようだなぁ〜。さて、どれだけの時間でクリアできるだろうかなァ? ……ん? ……何!?」

「どうしたのー?」

 

 真剣な表情になった圭介に、佑夏が尋ねた。

 

「速い! こいつら……最速の手順で合わせにかかってやがる!」

「え!? キューブ全体を見れるわけじゃないんでしょー?」

「だが、これは分かってるとしか思えねえ! ……予定を変更するか……」

 

 

 

 

 

「次、天井の扉、レバー左です」

「了解!」

 

 航希が、トンファーでレバーをつついて操作した。

 扉が開くと、航希がジャンプして扉の淵に手をかけ、スルリ、と上の部屋に登る。その敏捷で滑らかな動きに、航希が忍者の末裔であることを、愛理は得心していた。

 航希が天井の扉から顔を覗かせると、トンファーの先端を差し出してくる。

 それを愛理は掴みながら、〈スィート・アンサンブル〉の力も借りて、上の部屋に登ってきた。

 

(愛理ちゃんとのコンビ、うまく機能してるな)

 

 内心、ニンマリする航希。

 

(全部の部屋を見れば、部屋の配列が愛理ちゃんの頭に完璧に入る。頭の中でルービックキューブを完成させるくらい、この子は朝飯前だもんな)

 

「これで、二段目は完成です。効率がよくなるので、いったん下の部屋に戻ります。レバーは押し込んでください」

「了解!」

 

 航希は、レバーを上下左右に動かさずに、まっすぐ押し込んだ。これでキューブは全く動かずに、扉だけ動かせるのは検証済みだった。

 扉が開き、航希がまず飛び降りた。その真下にまっすぐ立ち、肩を踏み台にさせて愛理を降りさせた。なお、スカートの中を見ないように、〈スィート・アンサンブル〉が目隠しをしている。

 床に二人が降り立ち、扉が閉まった瞬間だった。

 二人の視界が急に、真っ白になった。

 それも一瞬。

 二人は、自分たちが軽音楽部室に戻っていることに気が付いた。

 

「え、出られた……?」

「そのようですね……。ですけど、他のみんながいません」

 

 航希が周囲を慌てて見回すが、いるのは自分と愛理だけ。倒れていたはずのユリすらいない。

 

「もしかして……まだあのキューブの中!?」

「分かりません。連絡はしてみますが」

 

 愛理がスマホを取り出して、LINEを呼び出し始めた。

 

 

 

 

 

「まずは、一丁上がりだなぁ〜。俺の〈キュービック・マンション〉は、一面揃ったら、その面にいる人間を解放するかどうか、俺が自分で決められるからよォ〜」

「これで間庭愛理は排除できたわけよねー? どうせターゲットじゃないしー、彼女がいなきゃ、もうクリアは無理ゲーでしょー」

 

 佑夏の言葉に、圭介は頷いた。

 

「愛理には、いかなる形のダメージも与えるなって言われてるしなァ〜。ちょうど良かったぜ」

「わたいらのターゲットは、あくまで笠間明日見。でしょー?」

「平竹からは、そう指示されてる。何で笠間の妹を狙うか分かるかァ〜? 佑夏」

「そりゃー……。その子って、笠間と神原のパイプ役でしょー? それを潰したいんじゃないのー?」

「いや。できれば人質に取りたいんだよ、平竹は。そしたら、笠間と神原が動きにくくなるだろうからなァ〜」

 

 うふ、と笑う佑夏。

 

「〈モバイル・バッテリー〉の残量が0%になったら、能力を解除するだけでは目覚めないよー。わたいが充電して再起動させなきゃ、二度と目覚めないもんねー。人質にはもってこいでしょー」

「だけど、さすがに笠間明日見はもう〈モバイル・バッテリー〉に触ってくれないだろォ〜」

「だったらー、憑りついてる相手から離れて、その娘に直接攻撃するだけだよー。一瞬触れればいいだけだしー、隙を見て仕掛ければ何とかなるんじゃなーい?」

「そうだなァ〜」

 

 圭介は、ペットボトルの紅茶を一口飲んだ。

 

「ねえ。これが成功したら、ヨーロッパ行かないー? わたい、イタリアがいいなー。食べ物おいしそうだし、コロッセオとか見たいしー」

「そうだなァ〜。お前には、新婚旅行も連れて行ってなかったしよォ〜。……ん? 残った連中が、扉を開けたぜェ〜。痺れ切らして、自分らで行く気だぞ」

 

 余裕の表情で、圭介が笑っていた。

 



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第31話 色鮮やかな牢獄 後編

「開いた……」

 

 文明は、間隔を開けて、何度か開け閉めを繰り返す。

 

「扉は、一度に二つ以上開かない仕組みみたいだからね。この様子だと、航希と愛理くんは扉を開閉してないよ」

「ってことは、行動不能になってる可能性が大、よね……」

 

 明日見の表情に、焦燥が見える。

 

「どっちにしろ、このままだと、アタシらも出らンないよ。ねえ、今数字はどうなってる?」

「……もうすぐ10%。そろそろ交代する?」

「いや、アンタらだってもう、20%まで減ってンじゃないのさ? 〈ブラスト・ヴォイス〉にはこの部屋は狭くてやりにくいし。眠り・沈静・高揚・癒し、どれも敵味方全部巻き込むから意味ないよ。アンタらのスタンドを使える時間を伸ばそうと思ったら、アタシがコイツを引き受けるのが一番なンだよ」

 

 文明が、扉を開けた状態で、二人を振り返った。

 

「どっちにせよ、あんまり時間がない。……やるよ」

「……分かった。無理はしないでね。その奥がどうなってるか、全く分からないんだし」

「ああ。とにかくやってみる」

 

 文明は、〈ガーブ・オブ・ロード〉を出した。

 腕から伸びる布の先端が狙う先。それは、扉を開けた敷居に沿った、細い隙間だった。

 

(キューブを回転させる関係上、部屋と部屋の間には、わずかでも隙間を作らないといけない。このくらいの隙間なら、〈ガーブ・オブ・ロード〉は入り込める。中心部を破壊できれば、このスタンドを倒せるかもしれない……!)

 

 スルスルと、布が隙間に潜り込んでいく。明日見と遥音が、息を飲んで見つめている。

 

「隙間を抜けた。何もない空間だ……」

 

 文明が、他の二人に状況を伝えた。なおも、布が隙間に入り込んでいく。

 突然、文明が目を見開いた。

 

「布が引っ張られていく! これは……何かに巻き付けられた!?」

「文明くん!」

 

 明日見が叫んだ。

 

「あなたの背中に、バッテリーが移動してる!」

「え!?」

 

 バッテリーの数字が、急速に減っていくのを、明日見は確認していた。

 

「スタンドをいったん引っこめて!」

「で、できない! この絡んでるのも、多分スタンド……うっ!?」

 

 急激に、布が隙間の奥に引き込まれだした。文明は、布を引き戻そうとしたが、勢いに負けてさらに引き込まれていく。

 布の長さの限界が来た。〈ガーブ・オブ・ロード〉の体全体が急激に引っ張られ、扉の敷居に叩きつけられた。

 

「ぐッ!?」

 

 胸を強打し、呻いて文明が崩れ落ちる。

 その間にも、バッテリーの数字の減るスピードは落ちない。すでに10%に達しようとしていた。

 とっさに、遥音が駆け寄った。文明の背中に触れ、バッテリーを自分の背中に移す。

 その時、文明は異変を感じた。

 隙間のところで、二つに分かれている敷居。手前側の、下辺と右側が、ズズッと中央へとせり出し始めた。奥側は、上辺と左側がせり出して来ている。

 

(部屋が、回転し始めてる!?)

 

 布が、敷居の下方向に容赦なく引っ張られた。〈ガーブ・オブ・ロード〉の布の付け根に当たる肘が、敷居の向こう側へ引きずり込まれ、向こう側の部屋へ乗り出してしまう。

 

(このまま回転されたら……窓のところで腕が挟み込まれる! 切断される!?)

 

 文明は必死でスタンドの腕を引っ張るが、相手の力の方が強い。

 

「ヤバッ……」

「〈パラディンズ・シャイン〉ッ!!」

 

 明日見が叫ぶと、スタンドの手にある槍が伸びた。槍の柄がいくつにも分離して、それぞれが鎖でつながっている。

 ガクン!

 分離した槍の柄の一つが、対角線上に、腕を挟みこもうとしていた扉を食い止めた。部屋の回転する動きが、いったん止まる。

 

「う……」

 

 文明が、胸の痛みを堪えながら、狭まった扉の隙間に〈ガーブ・オブ・ロード〉ごと、自分の体を潜り込ませた。ズルリ、と滑り落ちるように、向こう側の部屋へと入り込む。

 なおも布が引っ張られていく。敷居に〈ガーブ・オブ・ロード〉の腕でぶら下がる形になりつつも、文明は床にへたり込んだ。

 

「大丈夫!? 文明くん!」

「な、何とか」

 

 その時明日見は、ふわりと舞い上がったものを、遥音の背後に見た。

 

「もう動きはとれないよねー!? もらったよ、笠間明日見!」

 

 バッテリーに手足が伸びて、小人のような姿のスタンドと化した〈モバイル・バッテリー〉が、明日見に飛びかかった。

 ビシィッ!

 マイクのコードが、〈モバイル・バッテリー〉に絡みついた。

 

「させるかよ! アタシはまだ、倒れちゃいないよ!」

「あっそ」

 

 〈モバイル・バッテリー〉が、急に消え失せた。

 

「な……!? どこに消えやがった!」

「遥音さん!」

 

 キョロキョロと周囲を見回す遥音に、明日見が呼びかけた。

 

「スタンドを引っこめて! また背中にバッテリーが」

「え!?」

 

 数字は急速に減っていた。慌ててスタンドを消したものの、表示は1%。

 

「わたいの狙いはアンタだよー! スタンド出してもらわないと、残量の減り方が少ないもんね!」

「しまっ……」

「もう遅いよ!」

 

 バッテリーの数字が、0%となった。その場に倒れこむ遥音。

 

「さて、と。これで邪魔者はいなくなったよねー。今度こそ終わったね、笠間明日見ィ!」

 

 再び飛びかかる小さなスタンドを、明日見は身動きもせず、じっと睨んでいる。

 そして、スタンドが明日見に触れようとした瞬間。

 今度は、明日見の姿が消え失せた。

 

「!?」

 

 動きを止めて戸惑うスタンド。今まで明日見がいた場所の床に、スマホが軽い音を立てて落ちた。

 

 

 

 

 

 

 キューブの中心部。布が隙間から伸びて、中心からキューブを支える支柱の一つに絡みつけられていた。

 誰も入れないはずのこの部屋に、突如出現した明日見の姿に、圭介と佑夏は仰天した。

 

「な、なぜだァ!? 通信電波は遮断してるはず」

「キューブの外側との、でしょう? 私、能力を生かすために、普段からいろいろ通信機器を持ち歩いてるの」

 

 明日見は笑みを浮かべながら、手にしたカードの破片を見せつけた。

 

「カードタイプのbluetooth機器もあるのよ。本来は、スマホと連動させて、財布とかの紛失を防ぐための機器だけどね。これなら隙間を通るから、文明くんのスタンドに託して、たった今ここに送り込んだ。微弱でも電波が通じれば、私はテレポートできる。モニターがないから、テレポートすれば機器が破壊されちゃうけどね」

「う……」

「さて、と。今の状態で、あなたたちがスタンドで身を守れるか分からないけど、瞬殺させてもらうから!」

 

 〈パラディンズ・シャイン〉の手にした槍が二人に向けられ、突き出されようとした。

 その時。

 一瞬、明日見の視界が真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 視界が戻ると、彼女は軽音楽部室に戻ってきていた。

 彼女だけではない。圭介と佑夏、そして人間大のサイズになった〈キュービック・マンション〉、人型に変形した〈モバイル・バッテリー〉。

 〈キュービック・マンション〉の姿が、変化していた。前から見ると三列に分かれているキューブの、右端と左端が分離。中央から伸びる、関節付きの支柱でつながっている。下にも支柱が伸び、下側の両端が90度回転した形で、両足となっている。中心の上側は、丸い目が出現して頭部と化していた。

 右腕となっている支柱に、〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が絡みついていた。それを、グッと引っ張っている〈ガーブ・オブ・ロード〉本体と、傍にいる文明。部屋の隅には、意識のない遥音とユリがそれぞれ転がっていた。

 

「まだまだ、勝負はこれからだぜ。俺はこのクソガキ! お前は笠間の妹をやれ」

「了解!」

 

 〈モバイル・バッテリー〉が明日見に飛びかかるのと同時に、〈キュービック・マンション〉も動いた。

 自由な左腕が、急速に回転を始めた。9個ひと固まりのキューブが、色の判別が困難な速度で回転する。キューブの角を高速で叩きつけられれば、無事ではすまないのは明白だった。

 右腕の支柱が、速度は遅いものの、再び回転を始めた。布が支柱に巻き取られ、ジリジリと〈ガーブ・オブ・ロード〉が引き寄せられていく。

 

「脳天を叩き割ってやるぜェ〜! 覚悟しな」

「ぐ……」

 

 文明が踏みとどまろうとするが、抗しきれない。

 ちらり、とその目が明日見を見た。

 その明日見は、狭い部室から外に飛び出していた。意外と俊敏に空中を飛来する〈モバイル・バッテリー〉を、必死で回避している。一瞬でも触れられれば、バッテリーに取り付かれる。そうなれば、残量の少ない明日見はスタンドを出しにくくなる。

 

「ほらほら、どうしたのー!? わたいらを瞬殺するんじゃなかったのー!?」

 

 得意げな、窓際からの佑夏の挑発に、明日見は唇を噛んだ。

 

(一か八か。バッテリー20%で、勝負かけるしかない!)

 

 明日見は、動きを止めた。〈モバイル・バッテリー〉が背中に取り付く。

 

「〈パラディンズ・シャイン〉ッ!!」

 

 槍が、開いていた窓の中へと伸びた。狙いは〈キュービック・マンション〉の頭部。

 

「何とかの最期ッ屁か! しゃらくせェ!」

 

 左腕のキューブが、槍先を弾いた。むなしく槍先が逸れる。

 明日見の背中のバッテリーが、10%を切った。

 その明日見に、布が伸びた。一瞬触れると、バッテリーが文明の背中に移った。

 

「明日見くんはやらせないッ!!」

「てめーの心配しやがれガキが!」

 

 圭介が叫んだ時。

 明日見から離れた布を手元に戻すと、〈ガーブ・オブ・ロード〉がその手を前に差し出した。手首のジョイント部分が、円盤に変わる。

 

「いけッ!」

 

 円盤が回転し、布が螺旋を描きながら伸びた。〈キュービック・マンション〉の頭上を超え、背後の圭介に迫る。捕まるまいと、飛び退る圭介。

 だが布は、天井に取り付けられたスピーカーの金具にまとわりついた。スピードが落ちるのを承知で、あえて螺旋で布を飛ばしたのは、金具に絡みつけるのが狙いだった。

 布はさらに伸び、圭介の首に絡みつく。圭介は咄嗟に、首筋と布の間に手首を突っ込んで、窒息だけは防いだ。そこからさらに布は、〈キュービック・マンション〉の右腕の支柱に絡みついた。

 布が一気に縮まった。金具から伸びた布に引っ張られ、圭介の体が爪先立ちになり、〈キュービック・マンション〉がたたらを踏んで後退する。金具が、ギリギリィッ! と音を立てた。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉が、床を蹴って飛んだ。両腕の布の長さを調整しつつ、相手の右のキューブの外側に張り付いた。

 

「ここが、左腕の死角だろ!? ここまでは届かないだろう!」

「バカが! じきにバッテリー切れになるぜ!」

「あとは明日見くんが逃げれば、彼女は助かるかもしれない! まだ僕らには仲間がいるッ!」

「意識のないテメーの頭を、叩き潰すこともできるんだぜ!?」

「やりたければ、やればいいだろう! 明日見くんが助かれば、それでいい!」

 

 一瞬、圭介が黙り込んだ。

 

「……惚れてるのか、そのコに?」

 

(そうだ。悪いか?)

 

 バッテリーの表示が0%になった。

 文明の意識が途切れた。〈ガーブ・オブ・ロード〉が消滅し、圭介の足が床についた。

 

「……アッパレと言っといてやるよ。だが笠間明日見、お前は逃がさ……ッ!?」

 

 皆まで言い終わる前に、圭介が突然崩れ落ちるように倒れた。それと同時に、スピーカーが床に、重い音を立てて落ちた。

 圭介を狙って外した〈パラディンズ・シャイン〉の槍先は、スピーカーに突き刺さっていた。文明はそれを見て、同じスピーカーの金具を支点に敵を引っ張っていたのだ。そのため、金具を天井に固定していたネジが半ば引き抜かれていた。

 そこからさらに強引に引っ張られたスピーカーが天井から落ち、真下にいた圭介の脳天に直撃したのだ。圭介は、文明に気を取られていて、その一撃は完全に不意打ちとなった。

 圭介は気絶し、〈キュービック・マンション〉が消滅した。

 

「あんたッ!?」

「残ったのは、あなただけよね……?」

 

 明日見が部室に入りながら、佑夏をキッと睨んだ。

 

「バッテリーをつけたければ、やればいい。だけど、本体のあなたを倒すのに、一秒もかからない……」

「わ、わたいが解除しなかったら、あんたの仲間は永久に目覚めないよー!?」

「みんなには、本当に申し訳ないと思う。だけど、私も自分を守るのが精一杯だし、ね」

 

 槍が、構えられた。

 佑夏が悲鳴を上げると、軽音楽部室の扉とは反対側の窓を開けて、外へと飛び出した。

 

「待ちなさい!」

 

 明日見がスカートを気にしつつ窓をくぐっている間に、佑夏は校内と道路を隔てる柵の側を駆けた。ロングパンツにしていたことを、この時ばかりはラッキーだったと思いつつ。

 柵の外の道路に、車が止まっている。そこまで来ると、佑夏はあらかじめ置いてあった木箱を踏み台にして、柵を飛び越えた。間一髪、木箱に伸びた槍が突き刺さる。

 佑夏は、スモークの貼られている窓付きのドアを、慌てて引き開けた。

 

「トオルくん!? 今すぐ逃げるから、車動かし……あ……」

 

 佑夏は、その場でへたりこんだ。

 助手席には、トンファーを運転手につきつけた航希。後ろの座席には愛理。

 

「逃走用の車用意するのはいいけどさー。ここって、駐停車禁止だよ? 運転手が乗ってればいいっていう法律じゃないはずだけど?」

「故障だから、動かせないのは仕方ないですけどね。イモビライザーが破壊されてますから、キーレスエントリーによるエンジンの起動は不可能ですし」

 

 自分を見つめる航希と愛理の台詞に、今にも泡を吹きそうな佑夏。

 

「も……〈モバイル・バッテリー〉!」

 

 飛びかかろうとするスタンドの小さな掌に、指揮棒の先が突きこまれた。

 

「いぎゃぁぁぁ!」

「あたしの〈スィート・アンサンブル〉は、パワーはさほどありません。ですが、精密さには自信があります。能力の影響か、動体視力もよくなったように思いますし」

 

 流血する掌を押さえて震える佑夏の背後から、荒い息と共に槍先が突きつけられた。

 

「みんなの意識を戻しなさい。さもないと……」

「あぁ明日見ちゃん、そんな乱暴しなくっても大丈夫だよ。ちゃんとやってくれるって」

 

 ニンマリしながら、航希が口を挟んだ。スマホを掲げて、ヒラヒラさせながら。

 

「このトオルさんとやらと、そっちの佑夏さん、だっけ? 不倫してるんだよね? もし旦那さんにバレたら、二人ともタダじゃすまないんじゃないかなぁ?」

「ひ……」

 

 佑夏が運転手を見ると、泣きそうな表情で見返してくる。

 

「ね? 佑夏さん?」

 

 完全敗北を、佑夏は悟らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 意識の戻ったユリが、家路についていた。

 その手にはスマホがある。あらかじめ棚に置いていたバッグに隠して、室内を動画撮影していたのだ。平竹の入れ知恵だった。

 

(やっぱり、キューブの中にいた時は録れてないかぁ。だけど、戦闘のところからは大丈夫みたいね)

 

 画面では、文明と圭介が怒鳴り合っていた。さすがにスタンドは撮れていない。

 

『……惚れてるのか、そのコに?』

『そうだ。悪いか』

 

 それが文明の最後の言葉となり、その場に倒れこんだ。

 

(え……えー! あのマジメくん、明日見狙いだったんだ! 今の、明日見にも思い切り聞こえてるよね))

 

 事実、明日見はこの時、仰天して思い切り目を見開いていたが、部室の外にいたためにそこまでは映っていなかった。

 そこから圭介が倒れ、佑夏と明日見が窓から飛び出していく。

 少し画面を早送りすると、戻ってきた明日見と航希が、部室の中で会話していた。

 

『それじゃ、みんなの意識を元に戻してもらおうか?』

『今はダメよ! ユリさんがいる。状況を彼女に説明するのも厄介だし』

『じゃ、どうする?』

『……〈スィート・ホーム〉にユリさん以外を入れましょう。そこで意識を戻させる。航希くん、申し訳ないけどユリさんについてくれる? 早めに彼女を帰らせて』

『了解。うまいこと言っとくよ』

 

(あー。それで目が覚めた時に航希くんがいたわけね? 舐められたもんよねー)

 

 画面では、航希が文明の体をキャビネットの前に担いでいく。

 ユリが、訝しく思いながら見ていると。

 キャビネットの扉を開けた航希が、中に手を差し込む。

 すると、二人の姿が消滅した。

 

「!?」

 

 すぐに航希の姿が現れると、今度は遥音の体を女子二人が、キャビネットの前に運んでいった。

 

(あのキャビネット、何かある! もしかしたら、どこかに瞬間移動させるスタンド!? そういえば、あのキャビネットって以前はなかったし。そうかぁ、あれを使って、みんなで集まってたってわけね……?)

 

 ビッグニュースを平竹に報告できそうな予感に、ユリの口元が笑っていた。

 



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第32話 枯れ葉散る夕暮れ

「……で?」

 

 笠間は、不愉快そうな目で、妹に先を促した。

 

「うん。とりあえず、状況が落ち着いたら、休みの日に映画でも一緒に行こうかって」

「デートの約束か。付き合うつもりなのか、あの天宮と?」

「ずっと付き合うかどうかは別としてさ、とりあえずお試しで一緒するってだけよ。それで合わなきゃそれまでだし、気持ちが合えばその先もあるかなって。それでいいって、彼も言ってくれたし」

「よりによって、あいつとか……」

 

 苦虫を噛み潰したような笠間。

 

「ずいぶん嫌そうね。ま、兄さんは彼とは相性よくないみたいだしね?」

「あの見るからに頑固そうな堅物が相手だと、厄介だと思うがね?」

「その分、誠実だと思う。兄さんと比べればね」

「フン。言ってくれるじゃないか?」

 

 鼻を鳴らす兄を、明日見はじっと見据えた。

 

「愛理さんは、全て知ってるよ」

「……何?」

「兄さんが、これまで何をしてきたか。今、未麗の元でどういうことをしているか。私の知ってることは、みんな伝えてある。そう言ってるの」

「……彼女には、関係のないことだ。つまらない事をするんだな、お前」

「そうかなあ? それにしては、彼女珍しく、ずいぶん取り乱してたけど」

「……」

「兄さん。女性の気持ちを推し量って行動するべきなのは、文明くんだけじゃないと思うよ? よく考えてみて」

「……ああ」

 

 笠間は、生返事がやっとだった。

 

 

 

 

 

 次の日、笠間はジャケットを肩に引っかけて、学園の中に至る裏門を潜っていった。

 この日は、週に一度の学校訪問の日。ネットワーク機器のチェックが主な目的だ。放課後ではあるが、神原がクラシックバレエ部に顔を出すのがこの日なので、笠間はこの時を選んで訪問することにしていた。

 

『神原たちジョーカーズを完全に敵に回したくもないが、未麗と折衝していくためには、あまり近づきすぎるのもマズイ。ましてや神原と出会ってしまえば、この前の夜みたいにいろいろ問い詰められて、腹を探られるのも鬱陶しい』

 

 そう考えると、今はなるべく関わらないのが最善だと笠間は判断していた。

 裏門からの道は生徒たちの姿もなく、枯れ葉がちらほらと地面に落ちている。その行く先の道の脇には、大きなコンテナが置かれていて、枯れ葉が山積みになってこぼれそうになっていた。

 笠間がそのコンテナを、大きく回り込んで先に進んで行くと。

 ガサガサッ!

 突然、コンテナの枯れ葉が一斉にこぼれだした。いや、一塊となって、頭上から笠間に覆いかぶさろうとしてきた。

 笠間はそちらに目もやらずに、ジャケットを枯れ葉の群れに投げつけた。枯れ葉がジャケットに絡んだ隙に、前へと跳ねるように駆け、すぐ近くの建物の角に身を潜めた。

 

「来たか。〈ザ・ラスト・リーフ〉」

 

 ニヤリ、と不敵に笑う笠間。

 枯れ葉の群れがジャケットを吐き出すと、寄り集まって人型の姿を取っていった。

 

(枯れ葉を操るスタンドか。俺の鎌では、斬っても突いても、あのスタンドにロクなダメージは与えられないからな。もっとも、弱点がないわけじゃないが)

 

 〈ザ・ラスト・リーフ〉が、人型の姿を崩し、またも一塊となって笠間に迫る。

 

(ふーん、俺がこの位置だと近寄れるわけか。ならやっぱり、本体はあの車か)

 

 視線の先には柵があり、外の道路と面している。柵のすぐ外に、一台のミニバンが止められていた。窓にスモークが張られているらしく、中に人がいるのかも見えはしない。

 

(〈クリスタル・チャイルド〉の対策は一応してるってわけか。確かに、〈置換〉する対象は、俺から見えてないとダメだからな。中のヤツと俺自身を入れ替えて、枯れ葉をかわす手は使えない)

 

 ふっ、と、笠間は鼻で笑った。

 

(だが、俺の能力についての知識が足りんな。生兵法は大怪我の元、だ)

 

 笠間は〈クリスタル・チャイルド〉を出すと、その能力を発動させた。

 次の瞬間。

 枯れ葉満載のコンテナと、柵の向こうのミニバンが、入れ替わった。

 すぐさま、笠間は建物の陰に身を隠す。すると、枯れ葉の群れは目標を見失ったかのように、建物の角のところで、右往左往し始めた。

 

(〈ザ・ラスト・リーフ〉は、ターゲットがスタンド使いから見えてないと、襲えないからな……)

 

 それを確認した笠間は、陰から飛び出して、ダッシュで車に接近しだした。枯れ葉は一瞬遅れて追い始めるが、速度が遅くて追いつききれない。

 車に肉薄した〈クリスタル・チャイルド〉は、鎌を一閃。ドアが真っ二つに切り裂かれた。

 

「うわッ!?」

 

 慌てた声と共に、中にいた男が、反対側のドアを開けて、車から飛び出した。

 笠間は素早く車を回り込み、車から少し離れたところで尻もちをついている老人を睨んだ。

 

「やっぱりあんたが来たか、室井の爺さん。用務員が、枯れ葉を掃除するならともかく、散らかすのはどうかと思うがな……」

「な、なんで車とコンテナが入れ替わる!? 同じモンでなきゃ、入れ替えできんのじゃないのか!?」

「あのコンテナには、車輪が4個ついてる。〈四輪車〉って括りにできるだろうが」

 

 えっ、という顔の室井。

 実のところ、入れ替えには〈体積が近いこと〉という条件も存在していた。だがこれも、笠間が事前にコンテナの中に、他のゴミを放り込み、枯れ葉をかぶせて嵩増しすることでクリアーしていた。

 

「あんたが刺客として選ばれることも、ここで仕掛けることも、俺は事前に予測してたんだよ!」

 

 透明なスタンドが、室井の襟首を掴んで、無理やり立たせた。

 

(〈インディゴ・チャイルド〉の検索は、俺自身のことは、キーワードに入れるどころか、検索結果の中に含まれていてもダメだ。禁則ワードが入ってるとみなされて、検索に失敗する。直接問いただすしかないのが、面倒なところだがな……)

 

「爺さん。アンタに指示したのは、平竹の野郎だろ?」

 

 鎌の切っ先を突き付けられ、小さく頷く室井。

 

「うんうん、素直で大変結構。それじゃ、事の次第を未麗さんに説明してもらおう。執務室行こうか」

 

(冗談じゃない!)

 

 室井は血の気が引いた。

 

(あの平竹が勘弁してくれるわけないじゃろ!? 後で必ず報復される! っていうか確実に殺される! じゃが、断れば鎌で首を刎ねられる。ワシ、一体どうすれば……)

 

 ついつい目が泳いでいるうちに、その視線の遥か先に、制服姿の女生徒の姿が見えた。

 その女生徒が、ふとこちらに目をやった。

 

「……笠間さん!?」

 

 その声に、笠間は瞬時に振り返った。

 

「愛理!?」

「聞いてください! あたしは」

「逃げろ!! 近寄るんじゃないッ!!」

 

 大声に、愛理の足が止まった。

 

(ギリギリ射程距離内……ッ!)

 

 笠間と愛理の間に割りこむように、〈ザ・ラスト・リーフ〉が人型をとった。立ちすくむ愛理へと、枯れ葉の群れが接近していく。

 愛理のすぐ前まで来て、枯れ葉の群れが広がり、彼女に覆いかぶさっていった。

 

「〈クリスタル・チャイルド〉ッ!!」

 

 笠間は咄嗟に室井を放り出すと、自分と愛理の立ち位置を入れ替えた。枯れ葉は、笠間に一斉に襲い掛かり、その全身を包み込んでいく。

 

「笠間さっ……う!?」

 

 枯れ葉に覆われた笠間に気を取られた愛理は、背後から室井に捕まえられた。その首に、室井の作業着の腕が回される。

 

「形勢逆転、といったところじゃの! 顔まで覆われとるから、そのまま窒息死してもらおうか。お嬢ちゃんのおかげで助かったわい」

 

(そ、そんな……あたしのせいで!?)

 

 愛理は、立ったまま身動きできないでいる笠間を、愕然としながら見た。

 風が吹き、周囲に枯れ葉が舞い散っていく。

 

(何とか、しなきゃ……!)

 

 愛理は、首が締まるのを承知で、全身の力を振り絞って前に進もうとした。

 

「これこれ、暴れるんじゃない。お嬢ちゃんの力じゃ無駄じゃよ」

 

 室井が、愛理を笠間から引き剥がすように、わずかに後退した。

 それが、愛理の狙った動作だったとも気づかずに。

 

(〈スィート・アンサンブル〉!)

 

 突如現れたスタンドに、室井が驚いた次の瞬間。

 舞い落ちる枯れ葉が、その目の中に飛び込んだ。愛理は、葉の落ちる軌跡を読んで、室井の目に直撃する位置まで下がらせ、スタンド能力でタイミングを合わせたのだ。指揮棒で室井を刺すこともできたが、そこまで愛理はしたくなかった。

 目の痛みで、室井の腕の力が緩んだ。愛理はスタンドの力も借りて、室井の腕から抜け出した。

 枯れ葉で形作られた人形のようになっている笠間の元まで駆け寄り、顔にまとわりついている枯れ葉を必死で引き剥がす。

 

「やれやれ。無視されるとはのぅ」

 

 呆れたように笑う室井。

 笠間の足にまとわりついていた枯れ葉が、一斉に舞い上がった。

 思わず手を止めた愛理。その腕に、枯れ葉が次々と張り付いていった。

 

「え、え!?」

 

 愛理は腕を動かそうとしたが、全く動かない。

 

「未麗さんからは、大事な人質じゃから間違っても殺すな、と言われとるだけじゃからのぉ。『目には目を、歯には歯を』……って言葉、知っとるかのぉ?」

 

 室井がまだ少し痛む目で、愛理を睨んだ。

 笠間の、枯れ葉だらけの両腕が、愛理の襟元を強く掴んだ。息を飲む愛理。

 愛理の手が、その意に反して軽く握られ、親指が立てられた。

 腕が曲げられ、差し上げられていく。立てた親指が、自分自身の両眼に突き立てられようとしている様を、身を震わせながら愛理は見つめていた。

 笠間は、愛理がむしってくれた葉の隙間から、それを見た。

 

(させるか!!)

 

 笠間は、唯一枯れ葉に包まれていない足で、駆けだした。襟元を掴まれたままの愛理も、押されて自然と、後ろに走り出していた。

 二人は重なり合うように、室井の方に接近していく。

 

「体当たり!?」

 

 室井は、反射的に横に反れた。その脇を駆け抜ける二人。

 

(俺の狙いは貴様じゃない! 後ろの、車だ!)

 

 笠間は、無理やり体重をかけて、愛理を後ろに押し倒すように、開きっぱなしになっていたミニバンの車内に体を滑り込ませた。笠間が上、愛理が下。

 そのままの勢いで、笠間はドアに頭突きをブチ当てた。取っ手のところから、既に切り裂かれていたドアは、あっさりと大開きとなる。

 笠間の手が、ズルッと愛理の襟から抜けた。勢いが止まらず、笠間の体はドアから半分飛び出していた。

 両腕をついて車から抜け出す笠間の体から、枯れ葉がバラバラと剥がれ落ちていった。室井の視界から外れたことで、枯れ葉のコントロールが失われたのだ。

 急いで、笠間は愛理の腕を引いて、車から引きずり出した。

 

「車から離れるんだ! 考えがある」

 

 囁きかける笠間の言葉に、愛理は頷いた。

 笠間は、つんのめるように離れる愛理をチラリと確認すると、車の窓越しに、回り込んでくる室井を見た。

 

「若造が! また枯れ葉まみれにして」

「もう遅い!」

 

 〈クリスタル・チャイルド〉が、車の給油口に、螺旋状に変化させた鎌を突き立てた。

 鎌を引き抜くと、中から液体の飛沫が飛び出し、笠間の体に振りかかった。

 

(ガソリン!? じゃ、じゃが、火種がなかろうて!)

 

 そうは思うものの、つい室井は恐れて後退していた。

 鎌の螺旋が、また給油口に突きこまれた。まるで掻き混ぜるように、激しくピストン運動される。新たな飛沫が、次々と笠間に引っかかった。

 突然。

 激しい爆発が、車から巻き起こった。その勢いに、よろける笠間。

 炎は、ガソリンまみれの笠間の体にも燃え移っていた。

 

「火種が……ないと思ったか?」

 

 炎に包まれる笠間を見て愛理は、

 

(あの時と同じ……!)

 

 呆然としていたのも束の間、ハッと気が付いた。

 

(ガソリンは、静電気を蓄積させやすい! 容器に移し替える時には、激しく混じり合わないように、流速を落として入れないといけない。今のは、その逆をやった……! だから、あたしに車から離れるように指示した。巻き添えを食わないように……!)

 

「あ、頭がオカシイのか貴様は……。自分を、丸焼けにする気か!?」

「これで、枯れ葉を俺にまとわりつかせる事は、できなくなったなぁ? 燃えちまうもんなぁ?」

 

 憤怒に満ちた眼が、室井を捉えた。愛理に、自分で両目を潰させようとしたこの老人は、決して許しておけなかった。

 完全に怖気だった室井は、もはや戦うどころではなかった。背を向けると、一目散に逃げだしていった。

 

「逃がさん!!」

 

 炎で身を焦がしながら、笠間が追う。

 後ろをチラリと見た室井は、その鬼気迫る姿に、なおも震え上がった。

 

「〈ザ・ラスト・リーフ〉ッ!」

 

 枯れ葉が寄り集まり、人型を取り、すぐに崩れて笠間へと向かった。

 ただし、地面スレスレを、ほぼ平面になって。

 

(踏み込め!足を滑らせてやるわい!)

 

 笠間が、室井の狙いに気づいた時には、もう後一歩まで枯れ葉の群れが接近していた。

 

「味な真似を!」

 

 笠間は、斜め前に、鎌の螺旋を伸ばした。

 狙いは、大木の枝。何とか笠間の体重を支えられそうな太さ。

 枝に螺旋が絡み、それを支点にして、空中に飛ぼうとした。

 踏み込もうとする足の先に、枯れ葉が迫っている。

 

(こちらが一歩早い! もらった!)

 

 笠間がそう思った瞬間。

 

「〈スィート・アンサンブル〉」

 

 後方で愛理が、スタンドに指揮棒を構えさせていた。

 ほんのわずかだった。枯れ葉のスピードが上がり、笠間の踏み込みが遅くなった。

 笠間の踏み込む足の下に、枯れ葉が滑り込んでいた。

 

「何!?」

 

 足を枯れ葉ごと滑らされ、笠間は前のめりに転倒した。体の下で、地面の枯れ葉が焦げる匂いと音がしていた。

 起き上がる笠間だったが、見えたのは室井の遠ざかる後ろ姿だった。未だに炎で身を焼かれ続けている笠間の体力では、もはや追いつけないのは明白だった。

 その頭上から、水がシャワーとなって降り注ぎだした。〈スィート・アンサンブル〉が、側にあった散水用のパイプに穴を開けたのだ。

 笠間は、振り返った。水を浴びたところが音を立てて、少しずつ炎をかき消していく。

 

「……なぜだ?」

「もう勝負はつきました。追いつけば、あなたはあの人を殺してしまう。違いますか?」

 

 沈黙が、笠間の答えとなっていた。

 自らも水を浴びながら、愛理は続けた。

 

「もう戦意のない人を手にかける、そんなあなたの姿を、あたしは見たくないんです。あたしが、一度でも見たものを、決して忘れないのは知っていますよね?」

「知って、いる……」

「あたしが両親を同時に失った時も、あんな風に、車が爆発していました」

 

 それを聞いた瞬間、笠間は顔色を変えた。

 愛理の頬を濡らしていたのは、降ってくる水滴だけではなかった。

 

「本当にすまない……! 配慮が、足りなかった」

「あたしを助けるためだったのでしょう? そうしなければ、あなたもあたしも、無事ではすみませんでした。あなたは……今までもずっと、あたしを守り続けてくれていた」

「……俺が、勝手にやっていることだ。君は、〈光り輝く道〉を、よそ見なんかしないで、真っすぐに歩いていくべきだ」

 

 愛理は、少し黙り込んで、再び口を開いた。

 

「〈光り輝く道〉の横には、〈見えない影の荒野〉が広がっているのでしょう? あたしは、そのくらいのことが分からないほど、子供じゃありません」

「……」

「〈見えない影の荒野〉で、あたしのために、あなたは傷ついて汚れていくんですか。あたしが知らないうちに。そんなの嫌です! そんな道のどこが〈光り輝いて〉いるんですか!?」

 

 愛理は、真っすぐに笠間を見つめていた。

 

「もし、あたしを守ってくれるというなら……側にいてください。〈道〉も〈荒野〉も照らしながら。あたしは……あなたと、二人で渡っていきたいのです」

「何を言って……。君まで、巻き込まれるぞ。命が幾つあっても足りやしない」

「このままではそうでしょう。だから……決着をつけます。未麗さんと」

「! そんな無茶を」

 

 笠間が口にできたのは、そこまでだった。

 炎はほぼ消えてはいたが、もはや立ち続ける力は残っていなかった。膝から崩れ落ち、地面に倒れこんだ。

 

「しっかりしてください! 笠間さん!」

 

 愛理は、笠間に駆け寄っていった。

 

 

 

 

 

 室井は、息を切らしながら、校舎の柵沿いに歩いていた。

 そこに、一台の車が近づいていった。

 

「あれ? 室井はんやないですか。どないしたんですか?」

 

 車が止まり、ツーブロックの中年男が、窓を開けて話しかけてきた。

 

「藤松!? い、いや、あの」

「あ、そうか。平竹はんが、何か言うたはりましたな。〈お仕事〉、やっつけて来なはったんや?」

「ま、まあな」

「もうお帰りでっか? 良かったら、乗っていきまへんか? タクシー代はタダにしときまっせ」

 

 軽口の割には、どこか田舎臭い純朴さを感じさせるその男に、つい室井もホッとした。

 

(この藤松は、ただの別荘の管理人だったな。ワシを始末するなら、わざわざコイツを寄越さんだろ)

 

「それじゃ、乗せてもらうかな。駅までやってくれるか?」

「ええですよ。どうぞ」

 

 ドアを開けて、室井が後部座席に乗り込むのを確認すると、藤松は車を発進させた。

 自分が座る席の隣に乗せられている物を見て、室井は尋ねた。

 

「何じゃ、この……小さな戸棚みたいなのは?」

「キャビネットってやつですわ。洋風の」

「薄汚れて、何だか小汚いのう。ん? これは学生カバンか……〈MISAO YAGYU〉って書いてあるが、どうしたんじゃ?」

「……あんまり、余計なことに首を突っ込まん方が、ええんちゃいます? お互いに」

 

 藤松の声音が、わずかに冷ややかなものを帯びたのを感じて、室井はそれ以上追及はしなかった。

 

「そういえば、別荘の方はどうじゃ?」

「別に変わりないですよ。船の行き来もない小島やしね。あぁでも、釣りのシーズンやから、ワイの息子の慎志が釣りまくってますよ。室井さんも行けば、美味しく食べられまっせ。息子に用意させますさかいに」

「ほほう。それもいいのう」

 

 車はやがて、駅のロータリーに入っていった。電車が来るまで時間があるのか、他の車はほとんどいない。

 

「着きましたで。どうぞ降りてくださいな」

 

 藤松に促されて、室井はドアを開いた。

 降りようとしたその足が止まり、そのままの姿勢で固まったように静止した。

 ヘッドレストに腕をかけて、藤松が振り返った。

 

「どないしましたん? 早く降りとくんなはれ」

「……貴様。ワシは電車に乗りたいんじゃ」

「ええ。それが何か?」

「どうして、このドアのすぐ真下に〈船の甲板〉がある? なぜ、〈水平線まで広がる海〉が、その先に広がっとる? 〈別荘のある小島〉じゃろ、このドアの外は!」

「ええ。それが何か?」

「何か、って貴様……最初から、そこに送り込むつもりじゃったな!?」

「……オドレみたいな、勘の悪いジジイは嫌いやないけどな。ええからサッサと降りんかい!!」

 

 藤松の横に、人型のスタンドが出現した。

 

「貴様もスタンド使いかッ!」

 

 室井は、念のためにポケットにねじ込んでいた枯れ葉を放った。ヘッドレストに回していた手に、枯れ葉がまとわりつく。

 

「往生際が悪いんじゃボケが!! 往にさらせッ!!」

 

 スタンドの横殴りの拳が、室井の側頭部に叩きこまれた。たまらず、ドアから車の外に転がり出る室井。

 

「〈ミッシング・ゲイト〉! 扉閉めて、〈札〉を解除せいッ!」

 

 スタンドが車のドアを閉じると、ドアの目立たない場所に張られていた、短冊ほどのの〈札〉を引き剥がした。

 

「一丁上がりや。美味しく食べられるで、『魚に』な。慎志のヤツが用意してくれるやろ」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべて、藤松は自分の手を見た。そこにはまだ、枯れ葉がまとわりついていた。

 

「もう能力も効いてへんはずやのに、ドしぶといジジイや。クソが!」

 

 荒々しく、藤松は枯れ葉をむしり取った。

 ふと、その枯れ葉を見る。

 枯れ葉に混ざって、一匹の蜘蛛のようなものがいた。硬貨ほどの大きさの胴体から、管のようなものが突き出し、途中で途切れている。

 藤松の手の甲には、その蜘蛛とほぼ同じ大きさの、歯型のような小さな傷が、円を描いてつけられていた。

 



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第33話 決戦を前に 前編

 ガララ、と、神原は軽音楽部室の扉を開けた。

 憔悴しきった様子で、部室の椅子に座り込んでいる航希に、他のメンバーが相対している様子を見て、神原は眉根を寄せた。

 

「……〈スィート・ホーム〉に入らないのかね?」

「先生! キャビネットが見当たらないんです。先生もご存じないんですか?」

「いや、知らない」

 

 文明に返事しながら、神原は不吉なものを感じていた。

 

「……誰かが、持ち出したということかね?」

「少なくとも、ここにいる誰も、そんなことはしていないそうです」

「どういうことだろうか……。しかも、柳生操くんも、行方が分からないというではないか」

 

 航希が、力なく頷いた。

 

「昨日、剣道部の練習が終わってから、帰る途中で他の部員と別れて。それから、誰も見た人間がいないんです……。操のお母さんも、捜索願出すかどうか、考え始めてるって言ってます」

「当然だろうな。丸一日、家にも学校にも連絡すらしないというのではな。それまでに、何か変わったことはなかったのかね? 昨日に限らず、それ以前にも」

「……オレには、分かんないです。部員もクラスメートも、特にいつもと変わりなかったって」

 

 それを聞きながら文明は、先日聞かされた寺での一件を、打ち明けるべきか迷った。

 

(……こうなったら、仕方ないか? スタンド絡みのトラブルに巻き込まれてるなら、ジョーカーズのみんなの協力が必要かもしれない)

 

「あの、みんなにも聞いてほし……」

「ブンちゃん!」

 

 航希が遮った。可能な限り、操がスタンド使いであることを、明かしたくなかったのだ。

 だがその様子に、神原は違和感を感じた。

 

「服部くん、今は天宮くんが話そうとしているところだ。君らしくないぞ」

「……すいません」

「天宮くん、続きを聞こう。どんな些細なことでも構わない。何かのヒントになるかもしれん」

 

 促されて、文明が口を開きかけた時。

 

「ちょっと待ちな!」

 

 遥音が、スマホを見たままで制止してきた。

 

「愛理から緊急LINEだ! 負傷してるから、アタシに治してくれって!」

「何と!?」

 

 神原も血相を変えた。

 

「彼女は、ここまで来られるのか? 迎えに行く必要がありそうなのか?」

「部室まで行くって言ってるけど……」

 

 その時、明日見が何かに気づいたように、小さく叫びをあげた。

 

「どうしたの、明日見くん?」

「え、ううん、あの、大丈夫かなって……」

 

 文明にはそう返事したものの、明日見の内心では、嫌な予感を打ち消しきれなかった。

 

(兄さんは今日、学園に来るって言っていた! その日に、愛理さんからの緊急LINE……)

 

 全員が、ジリジリしながら待っていると。

 外の様子を見ていた遥音が、

 

「あ、来たよ! え? あの子、誰だかに肩貸してるンだけど、負傷はアッチかよ?」

 

 明日見はそれを聞いて、矢も楯もたまらず、外に飛び出した。

 近づいてくる二人を見て、明日見は自分の予感が的中してしまったことを知った。

 

「兄さん!!」

「え!?」

「先生! 文明くん! 愛理さんと代わって」

 

 皆まで聞かずに、神原が外に出ると、愛理に駆け寄っていった。ぐったりとしている笠間の肩を担ぎ上げると、

 

「天宮くん、君も来てくれ! これは火傷だ、かなり酷い!」

 

 ハッと気づいて、文明も駆け寄った。愛理と代わり、神原と共に、笠間を部室まで運んでいく。

 中へ入って、床に横たえられた笠間だったが、よろよろと上半身を起こすと、背中を壁に付けて座り込んだ。息も絶え絶えなのが、傍から見ても明らかだった。

 明日見はそれを見て、

 

(すぐにでも、治さないとまずい! だけど、兄さんはジョーカーズのみんなに敵視されてる。治療してもらえるかどうか……)

 

 躊躇っている間に、扉を閉めた愛理が、遥音に向き直っていた。

 

「遥音さん。LINEで曖昧な書き方をしたのは、お詫びします。笠間さんを治してください」

「治す、ったって。コイツって、噂の笠間だろ? さんざんアタシたちに仕掛けてきたヤツだってのに」

「そこを曲げてお願いします! あなたしか、今は頼れる人がいないんです」

「え、いや……」

 

 珍しく、遥音が迷っている顔をして、他の面々を見まわしていた。

 その目の前で。

 愛理は、床に跪いて、頭を下げていた。

 

「お願いします。お願いします。お願いします。お願いしま……」

「もうやめな!!」

 

 遥音が、大声で怒鳴った。

 愛理は黙ったが、頭は下げたままだった。

 

「アンタ」

 

 遥音が、ボソリと言った。

 

「なんで、ソイツのために、そこまでするんだよ?」

 

 愛理は少し黙っていたが、やがて、意を決したように口を開いた。

 

「笠間さんは、あたしの……初恋の人、なんです」

「え」

 

 思ってもみなかった返答に、明日見を除く全員が、絶句していた。

 笠間自身は、虚ろな目で、切れ切れの息をしている。

 

「笠間さんは、あたしを庇ったあげくに、こんな目にあったんです。死なせたくないんです。お願いです、治してくだ……」

「だから、やめなって言ってンだよ!!」

 

 遥音は、憮然としながら〈スターリィ・ヴォイス〉をその手に出現させた。

 何かを感じ取ったように、遥音は文明を見た。

 

「止めンなよ。気に入らないのは分かるけどさ」

「あ、ああ……」

 

 曖昧な返事しか、文明はできなかった。

 続いて遥音は、へたりこんでいる笠間を睨みつけた。

 

「治す前に、一言言っておく! アンタ、女にここまでさせたんだからね。愛理の気持ちを踏みにじるような真似をするなら、アタシは絶対に許さないよ!!」

「……好きにしろ」

 

 投げやりな調子で、笠間は言葉を返した。

 

「好きにしろって、アンタ……!」

「俺のことが気に入らないなら……殺すなりなんなり、好きにすればいい。そうされたところで、仕方のないことを……俺はやってきた。本来なら……彼女の前に、現れる資格なんざないんだ」

「……」

「だが……今はまだ死ねん。愛理が、安心して、生きていけるようになるまでは……」

「もう喋ンな!! ったく……この二人は揃いも揃って……」

 

 遥音は鼻を短くすすると、大きく息を吸い込み、そして歌い始めた。いつにも増して、感情を込めた歌声が、部室の中に鳴り響いていった。

 笠間は、自分の体から、急速に苦痛が和らいでいくのを感じ取っていた。手足の火傷も、小さなところは淡雪のように消えていき、大きなものも皮膚がみるみる再生されていき、端から元の肌に戻っていく。

 気分が徐々に平静に戻っていく中、自分をじっと睨んでいる文明の視線が、気になってきた。

 

「おい。何か言いたそうだな?」

「……あなたが、自分の身を投げ出して愛理くんを守ろうとしてるのは、僕にも分かる。僕らに対してだけじゃなく、今まであなたがやってきたことについては、あなた自身が振り返るべきことだから、僕からはどうこう言わない」

「……それで?」

「愛理くんのためにも、約束してもらいたい。もう、スタンドを悪用するのはやめにしてほしい」

「フン……人の妹に、チョッカイかけといてお説教か」

「明日見くんのためでもある! 彼女にも辛い思いを」

 

 肩を後ろから叩かれ、文明がそちらを見ると、当の明日見がそっと指で横を示してきた。

 その先で、遥音が『今は余計な話すンな!』という表情で歌い続けている。

 仕方なく、二人とも黙って、歌に聞き入ることにした。

 フルコーラス歌い終わり、遥音が息をついた。

 

「ふぅ~。まだ完全じゃないだろうけど、かなりマシにはなっただろ? ただし、体力的なダメージは、充分な休息がないと回復しないだろうから、今日は無理はやめときな」

「ああ……世話になった」

 

 立ち上がろうとする笠間を、神原が手で制した。

 

「落ち着いたところで、こちらとしても聞きたいことがある。笠間、そもそも今日の一件は、どういう経緯で起こったのだ? 間庭くんが通りがかる前のことだ」

 

 笠間は少し黙ったが、小さくため息をついた。

 

「亜貴恵の娘である未麗の秘書に、平竹という野郎がいる。この前、夫婦者のスタンド使いに、明日見たちが襲われただろう? あれは平竹の指金だ」

「貴様は関係ないと?」

「当然だ。ヤツらのターゲットは、明日見だからな」

 

 そう言われると、明日見には思い当たる節があった。

 

「未麗は、平竹より俺を買ってるみたいなんだが、それがヤツには気に入らないのさ。それにヤツは、俺とお前が裏でつるんでると踏んでいる。だから明日見を人質に取って、俺を言いなりにさせる。それでお前もやりにくくなるって考えだったんだ」

「それが失敗したと。だが、それと今日の件は関係あるのか?」

「妹を人質にされかけたことを知った俺は激怒して、当然報復に動くと思い込んだのさ。その点は平竹の想像通りなんだがな。俺はヤツの弱みを幾つか握ってる。経費の使い込みとか、盗んだ骨董品の売りさばきとか。未麗にブチまけられる前に、息のかかったスタンド使いに俺を始末させようとした。そういう経緯だ」

 

 神原は、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

 

「話を聞く限りでは、いたずらに策謀を弄ぶだけで、後先考えない男のようだな?」

「まさにその通り。無能な働き者の典型だ」

「なるほど、説明は理解できた。それで、今後貴様は、どうするつもりなのだ? それが肝心だ」

 

 笠間は、黙って神原を見据えている。

 

「今の話によると、貴様はその平竹とやらと、完全に敵対関係になってしまっているな。私が思うに、おそらく未麗も貴様を心の底から信用してはいまい。貴様の妹の明日見くんは、我らジョーカーズの一員であるしな。第一、ここで我らから治療を受けた以上、言い逃れは効かんぞ」

「……それで?」

「そろそろ、腹を決めたらどうなのだ? 未麗と手切れして、我らの側につけ」

「先生!?」

 

 文明が、割って入った。

 

「本気ですか!? 一切手を引けというならまだしも、この男を仲間にするつもりなんですか」

「文明くん、まずは先生の考えを聞いてからにして。曲がりなりにも私の兄のことだし」

 

 明日見が宥めにかかるが、文明は首を横に振った。

 

「明日見くん。僕は君のことが好きだけど、それとこれとは話が別だよ。僕らもこれまで、命のかかった戦いもしたし、むしろこれからもっと厳しい戦いになるんじゃないか、僕はそんな気がするんだ。だからこそ、京次くんを修行に送り出したんじゃないか?」

「それは、私も同じ意見よ。だからこそ……」

「だからこそ、僕は信頼できる人間を仲間にしたい。これまでの経緯を考えれば、無条件で信頼しろと言われても無理だよ。僕の言ってることはおかしいかな?」

 

 明日見が言いよどんでいると。

 

「やれやれだな。ちょっと勝ったからって調子に乗るガキは、これだから困るんだ」

「何だって!?」

 

 口を挟んできた笠間に、文明は噛みつきそうな表情で返した。

 

「俺に言わせれば、お前は戦いってものが何も分かっちゃいない。これはな、命も運命もチップに変えての〈ギャンブル〉なんだ。自分のも他人のもゴッチャ混ぜにしての、な。勝てば全てが手に入り、負ければ全て失う。勝たなきゃ、理想も大義もゴミ箱行き、さ。つまりだな」

 

 笠間は、ギッと文明を睨み返した。

 

「まずは勝つことが、何よりも優先されるんだよ! 俺はそのためなら、やれることは全てやる。お前はママゴトみたいな勝負しかしてきてないから、フワフワした綿菓子みてーな理想論を振りかざして、得意でいられるんだ」

「なっ……偉そうに、今度はそっちが説教するのか!? そうして勝つことしか頭になくって、振り向いたら倒した相手の亡骸だらけか。まるで死神だ!」

「おお、汚らわしい死神で大いに結構! 目の前で、大切な人が死んでいくのを見るより、よっぽどマシってもんだ!!」

 

 その、血を吐くような怒号に、文明は次の言葉を失った。

 

「笠間さん」

 

 愛理に声をかけられ、笠間はそちらを見た。

 

「確認させてください。あたしが乗り越えなければならない真の相手は、城之内未麗さん。ですか?」

 

 笠間はじっと愛理を見つめていたが、やがて、大きく頷いた。

 

「未麗さんは、あたしを人質だと言っていたそうですね。誰に対しての人質で、何が目的なのですか?」

「……君のご養父であり、校長でもある間庭数馬さんだ。未麗は数馬さんを理事長にするべく工作した。君を人質として数馬さんを操り、学園の実権を握るために」

「あたしを、捕らえて監禁するという意味でしょうか?」

「違う。この学園に君が在籍しているうちは、いつでも手を下せるという脅しだ。スタンドを使えば、いくらでも揉み消せるということだ」

「学園の実権を握って、未麗さんは何をやろうとしているのですか? 単純に、学園内での権力や資産を手に入れたいだけなのですか?」

「亜貴恵なら、それで良かったんだろうな。だが未麗は……それだけではないような気がする」

「と言いますと?」

 

 少し考えて、笠間は言った。

 

「未麗は、スタンド使いを生み出せる〈矢〉を持っている」

 

 それを聞いて、神原の目の光が強くなった。しかし、あえて口は挟まない。

 

「適性のある人間に〈矢〉を打ち込み、スタンド使いを増やしているが、どうやら特定の能力を有する者が必要らしい。なかなか目当ての能力者が出てこないようだがな」

「そうですか。学園の実権を握るだけなら、そんな能力者は必要ありませんものね」

「目的が何で、どんな能力を必要としているのか、実のところは分からない。だがな、愛理」

 

 笠間は、唇を引き結んだ。

 

「君は、未麗と決着をつけると言ったが、とても危険なことだぞ。あれは怖ろしい女だ。母親の亜貴恵に対する憎悪は、傍から見ても凄まじかった。目的のためなら、何でもアリという点では俺以上だ。能力者を増やしていると先ほど言ったが、自分にとって残念な能力しかないスタンド使いを、未麗が何と呼んでいたと思う? 〈産廃〉だとさ」

「……人格すら認めていない、ということなのですね?」

「そういうことだ。というよりむしろ、俺が思うに……もはやヤツは、人間をやめたつもりなのかもしれない」

 

 愛理は、黙りこんだ。

 

「今からでも考え直せ。在学中は普通の学生として過ごして、卒業したら学園に一切関りを持たなければいい。その間は、間庭校長や俺が、何としても君を守り抜く。卒業後は間庭校長が理事長から降りれば、もう人質としては使えないから、未麗は君への興味をなくすだろう。その後は、君なら幾らでも素晴らしい人生を送れる……」

「そうですか」

 

 愛理は続けた。

 

「そしてこの学園は、笠間さんが言うところの、人間をやめた未麗さんの私物になり果てるのですね」

「それは……」

「私の母である間庭信乃は、この城南学園が、大好きだと言っていました」

 

 説得の言葉を続けようとしていた笠間の口が、止まった。

 

「母は、亡くなるまで学園寮の寮母をしていました。笠間さんも、寮生としてそこにいました」

「ああ……」

 

 ひどく辛そうな表情を浮かべる笠間を見て文明は、この男にこんな顔ができたのかと見入っていた。

 

「城南学園が悪い方に変貌する様なんて、母が見ていたらどれだけ悲しむか。学園をお創りになったひいお爺様も、理事長であるお爺様も。そしてあたしも……この学校が好きです。背を向けたくはありません。だからと言って、お父様に対する人質にされて、ただ重荷になるのも耐えられません。ならば、あたしの行くべき道は、たった一つです」

 

 愛理は、やや青白くなった顔を上げた。

 

「未麗さんと戦います。あたしは……大して強くもないスタンドを持つだけの小娘に過ぎません。だけどやります。たった一人しかいなくっても。確実に負けて殺されると分かっていても……」

 

 膝元に置いた手が、ガタガタと震えだしていた。彼女の脳裏には先ほどの、自分の指が、自分自身の目を潰そうと迫る映像が映し出されていた。

 震える右手を、左手が抑えていた。その左手も震えていた。

 

「それでも……人生の肝心要のところで逃げ出したと、後悔しながら生き長らえるよりはマシです。あたし、まだ16歳ですよ!? これからの一生、惨めな思いをし続けながら、残りの長い人生を送れと言うんですか!?」

「……分かった」

 

 笠間が愛理に寄って行くと、ポン、と肩を叩いた。

 

「俺も一緒にやるよ。何となく、そうなるんじゃないかって思ってたよ。実はね」

「笠間さん……!」

 

 目からこぼれそうになった涙を、愛理は手の甲で拭いた。

 神原が、小さく頷いた。

 

「私も一緒しよう。君たちも……そのつもりのようだな? 明日見くん、須藤くん。天宮くんはどうだね?」

「……行かない選択肢なんか、僕の中にはありません。僕にもこんなことになった責任がありますし。納得できないことも正直ありますが、もう仕方ないです」

「君らしい返事だ。それから……」

 

 部屋中を、神原は見回し始めた。

 

「……服部くんはどうした? 姿がないようだが」

「アイツなら、歌の途中で出ていったよ。後はよろしく、ってね。操をもう一度、探しに行ったんだろ」

「ああ! これは失態。柳生くんのことを失念していた」

 

 神原だけでなく、実は文明もそれは同様だった。

 

「先生。さっきの話の続きですけど。実は……」

 



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第34話 決戦を前に 後編

「バカ野郎ッ!!」

 

 文明の話が終わるや、ずっとイライラしていたらしき笠間が爆発した。

 

「お前ら、自分たちが何やったか分かってるのか!? 何が『巻き込みたくないから』だ! 柳生操を孤立させた挙句、無防備な状態でほったらかしにしてるだけだろうがッ!」

「兄さん、冷静になって。年長者でしょう?」

 

 さすがに明日見が止めに入った。

 

「いいや、これだけは言わせてもらう! 『スタンド使いはスタンド使いと惹かれ合う』んだよ。いくら秘密にしたって、いずれは何らかの形で知られる。ましてやお前ら、未麗とやり合うつもりでいるんだろうが? 敵対的なスタンドが、どこにどれだけいるかもお前らは知らないだろ! そんな状況でよくもまあ……」

「笠間。それ以上、天宮くんを責め立てても、状況は好転せんぞ」

「教え子相手だと、ずいぶん優しいもんだな? 大体な、神原。お前にも責任の一端はあるんじゃないのか? お前はスタンド使いの先輩として、コイツらの指導を自分で引き受けたんだろ?」

「……確かにな」

 

 神原は、沈痛な表情になっていた。

 

「天宮くん。やはり私は、本当の意味では君に信用されてはいなかったようだな?」

「申し訳ないとは思っています」

「やむをえんことだ。これも私の不徳の致すところだ」

 

 その時。

 ガララ! と扉を開けて、航希が部室に飛び込んできた。

 

「みんな! 聞いて……」

「来やがったな? バカ野郎2号。いや、お前が1号か」

 

 笠間に睨まれて、航希も勢いを削がれて目を瞬いた。

 

「え? あの、なんでアンタにそんなこと」

「口答えすんな! 全部聞いたぞ。大事な大事な許嫁だそうだな? こんなことになったのも、お前の浅い浅い知恵が最大の原因だぞ! きっと、趣味は潮干狩りだろ? ロクなもんを掘り出してきやしねー!」

「兄さん! もういい加減にして! 話がちっとも進まない! ……航希くん、話を聞かせて」

 

 無理やり笠間を黙らせると、明日見は先を促した。

 さすがに傷ついたようで、ムスッとしながら、航希は手にしたカバンを差し上げた。

 

「操のだ……。4丁目の、通学路の途中の家に、入口の側に立てかけてあった」

「4丁目の家?」

 

 笠間は、スマホを取り出すと、何やら操作し始めた。

 マップアプリを開いた状態で、航希に突き付けた。一軒の建物に、ピンマークがつけられている。

 

「もしかして、この場所じゃないだろうな?」

「……そこだ。間違いないよ。だけど何でそれを」

「最悪だ!」

 

 笠間は頭を抱えた。

 

「ここは……未麗が、執務室代わりに使ってる一軒家だ」

「何だと!?」

 

 神原が、珍しく大きな声をあげた。

 

「するとまさか、未麗が柳生くんを拉致したと言いたいのか?」

「どうせ平竹にやらせたんだろうがな。おいちょっと待て潮干狩り」

「オレは服部航希だよ! 場所まで特定しといて、今度は止めるわけ!?」

 

 つい足を止めて反論してしまう航希。

 

「いきなり未麗のところに押しかけるのだけは絶対ダメだ。分からないか? こいつは間違いなく誘いだぞ。お前や他の連中をおびき寄せる撒き餌だ。罠にハマるだけで終わるぞ」

「じゃあどうしろって言うんだよ! このまま放っておけとか、あり得ないから!」

「そんなことは言ってないだろ? 放っておけないほどの、由々しい事態だ」

 

 笠間に視線を送られた神原が、考えつつも口を開いた。

 

「もしかしたら、柳生くんのスタンドこそが、貴様の言うところの、未麗の求めていた能力なのかもしれんな……」

「俺もそう思う。でなけりゃ、拉致なんて荒っぽいやり方はしない。警察まで動きかねないしな」

「実際、そうなりかけている。……待て。実は、貴様は知らないだろうが、器物に宿ったスタンドも我らにはあるのだが、今その所在が不明になっている」

「それって、お前らが隠れ家に使ってる、古いキャビネットのことか?」

 

 笠間以外の全員が、目を大きく見開いた。

 

「知っていたのか……」

「まあな。こちらも手中を明かすが、ここの部員の城田ユリは俺の間者、エージェントだ」

「何だってぇぇぇッ!?」

 

 遥音が、けたたましい大声で驚いた。

 

「たまたま、元からの部員であるユリがスタンド使いなのを、俺は知ってな。こちらの仲間に引き込んだ。大した情報も取ってこれないんで、しばらく放置してたんだが、平竹もアイツに粉をかけていた。最近アイツはそのキャビネットのことに感づいてな。俺は〈検索〉でそれを知って、平竹には伏せておけと釘を刺しておいたんだが、結局喋りやがったか……」

「城田くんのことは、後回しでいい。〈スィート・ホーム〉まで敵の手中に落ちた、ということか」

「未麗は、一気に動いてきたぞ。将棋で、敵の駒ギリギリまで全軍を動かしておいて、時が満ちたら一気呵成に攻撃を仕掛けるようにな……」

「それよりさ!」

 

 辛抱しきれない、と言いたげに航希が口を挟んできた。

 

「操を、どうするつもりなんだよ!? ここで話し込んでたら、戻ってくるわけ!?」

「気持ちは分かるが、話を最後まで聞きたまえ。未麗の企みの全容は分からないが、その目的のためには、柳生くんとキャビネット、おそらくその両方が必要なのだ。それを阻止しようとするならば、最低どちらかは奪還することが絶対条件だ。思うに、より重要なのは柳生くんの方だろう。キャビネットの方が重要ならば、ここまで強引な手法は取らん」

「だけど! 罠があるんだろ!? どうしろって言うんだよ!」

「罠を承知で、噛み破る。それしかあるまい」

 

 普段は慎重な神原の言葉に、全員の間に緊張感が走った。

 

「そのためには、最低限の準備が必要となる。揃えられる人数を全て揃えてかかる。笠間、貴様も少なからぬダメージを受けて、癒したばかりだ。せめて一晩かけてコンディションを整えないと難しいだろう?」

「確かにな……。正直その気遣いはありがたい。一斉攻撃で押し切る、ってのは俺も賛成だ」

「それと、是非とも確認したことがある。敵方のスタンド使いの情報だ。〈スィート・メモリーズ〉のスタンド使いは、亜貴恵ではなく未麗なのか?」

 

 神原の問いに、笠間は少し考えて答えた。

 

「まず間違いないだろう。他には、秘書の平竹、家政婦のトミコ、あとは狼男のフレミングだ。他にもいるかもしれんが、この三人は相手をする可能性が高い。何しろ、お前らが思いの他優秀で、未麗の手持ちのスタンド使いを軒並み撃破してくれたおかげで、かなり楽になっている」

 

(語るに落ちたな。笠間)

 

 神原は、腹の底で呟いていた。

 

(こやつ、いろいろ口実を作って、未麗の息のかかったスタンド使いを、わざと小出しに投入させていたな? 我らが1人でも2人でも削ってくれればよし、といったところか。未麗にしてみれば、体のいい〈産廃処理〉であったろうがな)

 

 その辺りの考えはおくびにも出さずに、神原は問いを続ける。

 

「フレミングは分かるが、平竹とトミコの能力は?」

「平竹は〈エアー・サプライ〉のスタンド使いだ。『ビーチボール大の空気を変質させる』能力。即死級の毒にもできるが、効果範囲を決めると移動させられないし、発動にも5秒かかるから、動き回っていればまず問題ない。ま、暗殺向きの能力だな」

「即死級の毒……?」

 

 文明の頭に、閃くものがあった。

 

「もしかして、多岐川さんがいきなり吐血して死んだのは……」

「明日見から聞かされたが、間違いないな。アイツの仕業だ」

「そうだったのか! 何て卑怯なッ!!」

 

 ヒートアップする文明を手で制して、笠間は続けた。

 

「トミコは実のところ、正確には分からない。〈掃除〉に関わりのある能力らしいが、スタンドが戦闘に出た話を聞かないんでな。どうも、いろいろと証拠隠滅の役に立ってるらしい」

「思い出したけど、多岐川さんの時も、音楽室に何の痕跡も残ってなかったのは、きっとそれね」

 

 明日見も合点がいったようだ。

 

「やはりフレミングの戦闘力が脅威だな。最も対抗しうるのは、武原くんだ。あれからもう一か月経とうとしてるが、彼は、まだ戻ってこないのか?」

 

 神原が、唸るように尋ねた。航希が、スマホを取り出して確認する。

 

「やっぱり返事がないです。オレ、今朝もLINEで連絡してるんですけど、既読すらつかなくて。どこで修行してるのかも分からないし……」

「だからと言って、悠長に待つことは愚策というものだろうな……」

 

 神原が視線を送ると、笠間も同感というように大きく頷いた。

 一同を見渡し、神原が宣言した。

 

「明日は土曜日だ。幸い学校も休み。明日の朝8時にここに集合。全員で、未麗の一軒家に押しかける。今夜はこれで解散として、それぞれ心身を休めておくように。よろしいな?」

 

 文明、航希、遥音、明日見、愛理、そして笠間。

 全員が、決意を秘めた面持ちで頷いた。

 



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第35話 【過去編】思い出の人、信乃

 笠間光博と明日見は、ちょうど10歳違いの兄妹である。

 光博は、大会社の幹部と、女性弁護士の間に生まれた。両親ともに収入はすこぶる高かったが、どちらもあまりにも忙しく、育児はベビーシッターなど雇い人に投げっぱなしであった。光博は、両親にほとんど構われずに幼少期を過ごした。もっとも、光博も内向的な子供であり、本やゲームの世界に没頭するタイプだったので、それさえやらせておけばいい、と両親は思って放置していた。

 もっとも、両親が光博に関心をあまり寄せない理由は、異なっていた。父親はそもそも子供に関心が薄かったが、母親は女の子がどうしても欲しかったのだ。

 そして光博が生まれてから10年後、母親にとって待望の女の子が生まれた。母親は仕事もセーブして、明日見を中心に生活するようになっていった。光博はその姿に、『俺には知らん顔しておいて、妹にはベッタリかよ』と、白けた気分になるだけだった。

 だが意外なことに、明日見は不思議なほど光博になついた。母親よりも、光博と遊びたがることも珍しくなく、光博も、面倒くさいとは思いつつも、付き合ってやることもそれなりにあった。

 しかし、その様子が、母親には気に入らなかった。自分が待ち望んでいた娘が、自分よりも光博を選んでいるようで、面白くなかったのだ。

 光博が高校進学する時になると、母親は光博に言った。

 

「あなた、城南学園に進むといいわ。あそこは寮があるしね。私たちの元から離れて、早めに自立を志した方が、あなたのためだと思うの。城南学園がダメでも、一人暮らししてもらうつもりだから」

 

 母親の本心は、光博にはお見通しだった。正直、明日見には多少の情が移ってはいたが、自分に無関心な両親の元にいても意味がないと思っていた。

 城南学園に入った光博だが、学園生活などに希望など抱いてはいなかった。元々、友人もあまり作るつもりもなかったこともあるが、両親に放置されてきた彼にとって、社会そのものが、自分を拒絶しているようにすら思っていた。

 

 

 

 

 

 光博は入学してまもなく、〈ダーク・ワールド・オーダー〉に入信しているクラスメートから、密かに勧誘された。自暴自棄の気が強かった光博は、言われるまま入信し、そこでスタンド使いを生み出す〈矢〉によって、〈インディゴ・チャイルド〉を出せるようになった。教祖であるクイン・ビーの、実の娘である未麗の元で活動を始めたのだが、元々頭が切れ、特に策略の才能があることを見出され、スタンドを用いた汚れ仕事の現場指揮を任されるようになっていった。

 それと並行して、光博には一つの使命が課せられていた。城南学園の学生寮において、寮母をしている間庭信乃を監視すること。光博が教団に勧誘された大きな理由は、彼がすでに寮生として在籍していたからだった。

 間庭信乃の旧姓は、城之内。城南学園の創始者の孫娘であり、当時から理事長をしている城之内茂春の娘であった。

 どうして彼女の監視が必要なのかは教えられなかったが、笠間は理解していた。クイン・ビーの正体が、城南学園の理事の座を狙う城之内亜貴恵であり、いずれは学園の運営の実権を握りたい亜貴恵にとっては、信乃は煙たい存在であり、動向を押さえておかずには気が済まないからだ、と。

 彼女の姻戚関係を聞かされた時、光博も奇妙に思ったものだ。

 

(理事長の娘なら、どうして寮母なんかしてる? 理事として学校運営の中枢に関わっていても、おかしくないのに。寮母くらいなら、雇い人で問題ないはずだ)

 

 信乃は、穏やかな印象を周囲に与える、美しい女性だった。常に微笑みを絶やさず、嫌な顔一つせずに寮生の世話を焼き、いつも何かをして働いていた。彼女の伴侶である間庭謙介も、信乃と同じタイプの人間らしく、人の好さが表に出ている人間であり、夫婦揃って、光博の方が心配になるほどであった。

 学生寮には、妙に頻繁に、元寮生が顔を出してきていた。寮の催しなどがあると、さまざまな職業の元寮生がやってきて、ボランティアで手伝いに来るのだ。

 ある時光博は、寮生の一人に、手伝いにくるわけを、それとなく尋ねてみた。

 

「この寮はな。昔っから、訳アリのヤツが入ることが多かったんだ。札付きのワルだったとか、家庭に問題のあるヤツだとかな。そういう連中を、信乃さんは積極的に受け入れた。一人一人に、真剣に向き直ってくれた。将来に夢があるヤツのために、東奔西走してくれた。ここに集まる連中は、信乃さんを本当の母親みたいに思ってるんだ」

 

 そう答えた、いかつい顔の男は、まるで初恋の人のことを語るような顔をしていた。言われてみれば、光博自身にも心当たりがあった。

 寮母をしている件も聞いてみたところ、男は声を落として教えてくれた。

 

「信乃さんには、愛理ちゃんって娘がいるだろう? あの子の前にも、実は信乃さんは男の子を身ごもってたことがあったんだ。だけど、流産しちまってな。その子を産んであげられなくて申し訳ない、って信乃さんは悔やんでる。寮生の世話を焼くのも、あの人にとっては償いなんだよ」

 

 当時は8歳だった愛理も、その頃は寮の一室で、両親と共に暮らしていた。

 いつも忙しい両親の邪魔にならないよう、どこかで本を読んでばかりいる少女だった。噂に聞くと、ハイパーサイメシアの天才少女だというが、特に両親から英才教育を受けている様子もなく、それよりも人への思いやりを、母親から説かれている姿が時に垣間見れた。

 ふと、光博は何の気なしに、愛理に話しかけた。

 

「その本が好きなんだ? 別のシリーズもあるけど、もう読んでる?」

「え? ……知ってます! まだ読めてないですけど。笠間さんは、読んだんですか?」

「ああ。この作家の本は、みんな読んでる」

 

 本や作家の話をしてくる愛理は、嬉しそうだった。両親を除く大人たちは、この賢すぎる少女に対しては、どこか敬遠しているらしく、話し込む者などまずいなかった。同年代の友達も、同様の理由で、いはしなかった。

 光博からすると、離れて暮らす妹の明日見と重ね合わせる部分があり、寂しそうな彼女を放っておくのが、気持ちの座りが悪かったのだ。

 

「あたし、音楽も好きなんです。だって、答えがないでしょう? いろんな人が、いろんな音楽を楽しんでる。素敵なことじゃないでしょうか?」

 

 目を輝かせながらそう言って、時に楽器の演奏も聴かせてくれたりもした。実のところ、教団で汚れ仕事をしている合間に聴く演奏は、ある種心の慰めにもなってはいたが、目の前の無垢な少女に対して、後ろ暗い気持ちになることが時にあった。

 そんな、ある日のことであった。

 寮の玄関には、一枚の大きな絵が、常にかけられていた。元寮生の置き土産であり、そのネームプレートには、画壇の若き俊英の名前が刻まれていた。画商がやってきて、絵を売ってほしいと交渉しに来たのも、光博は目にしたことがあった。しかし信乃は売る気が全くないらしく、丁重に断って帰らせていた。もっと値段が上がるのを待っているのか、と光博は思ったこともあった。

 その絵が、壁から外れて落ち、傷ついてしまった。しかも、掃除当番だった光博の不注意で。

 それを知った信乃は、微笑んだままで言った。

 

「失敗は誰にもあることよ。これを描いた人に、来てもらって直してもらえないか頼んでみるから。忙しいみたいだから、いつになるかは分からないけど……」

 

 元寮生の画家がやってきたのは、次の日のことであった。

 その画家は、信乃に逆に頼み込んでいた。

 

「あの絵は、こっちで処分しますから引き取りますよ。代わりに、別の絵を描きますから。実のところ、あの絵は見たくないんですよ。今になって見ると、ホント下手クソで。信乃さんには、美大に進む時に親たちを説得してくれましたし、今でも恩義を感じてます。今の自分なら、もっといい絵を描けますんで!」

 

 その言葉を聞いていた信乃は、悲しそうな顔をして、一言口にした。

 

「どうして、そんなことを言うの?」

「え?」

「あなたはあの頃、この絵を一生懸命描いていた。夜もろくに寝ないで。この絵は、あなたの気持ちが込められた絵じゃないの。それを、まるで出来損ないみたいに。あなた、あの頃の気持ちを忘れてしまったの?」

「え、あ……」

「あなたにしてみれば、未熟な出来なのかもしれない。だけど、あの頃の未熟な自分があったからこそ、今のあなたがあるんじゃあないの? 未熟な自分を乗り越えていくのは、人として成長していくこと。だけど、未熟だった自分を否定するのは、私は間違ってると思うの。それは、今のあなたを否定することになってしまう……」

 

 画家が、嗚咽し始めるのを光博は聞いていた。

 

「もしあなたが、少しでも私のために何かをしてくれると言うなら、この絵を直してほしいの。この絵の傷も、この寮の歴史の一部だし、私自身としては直さなくてもいいくらいだけど。その時にいた寮生の子も気にするだろうし、目立たないように最低限の直しをした方がいいかと思って。今のあなたなら、あの頃の自分を尊重しながら、良い直し方をしてくれると期待しているの」

 

 それから連日、画家はやってきて、時間をかけて直しをしていった。

 なお、この一件が噂となり、問題の絵は価値が数倍に跳ね上がった。後に、城之内亜貴恵はこの絵に執着し、手に入れようと画策したが、次の所有者となった間庭数馬が手放すことを断固拒否したという。

 この頃を境に、光博は〈ダーク・ワールド・オーダー〉の活動に意欲を失っていった。信乃の人柄に触れているうちに、自分や教団のやっていることが、いかにも卑小に思えて仕方がなかったのだ。教団をすぐに抜ければ、クイン・ビーの性格からして何をしてくるか分からないため、とりあえず命令を聞いているだけであった。神祖の息子である神原が、実は教団を潰すために暗躍してることに対しても、『むしろ好都合だ』としか思わなかった。

 

 

 

 

 

 笠間はある日、間庭一家の三人と共に、車に乗っていた。買い物に行こうとしていた光博に、目的地が同じなので、一緒に行こうと誘われたからだった。

 車は、崖の下に川が流れている道を走っていた。

 急なカーブに差し掛かろうとしている時、光博の頭に、一つの〈予感〉が頭をよぎった。

 

(謙介さんは、ハンドル操作を誤り、アクセルを踏み込む!)

 

「どういうことだ、これは!?」

 

 謙介の困惑した声と共に、車はカーブに勢いよく突っ込み、ガードレールを突き破り、崖へと転落していった。

 激しい衝撃がして、車は正面を下にして、河原へと突っ込んでいた。

 光博と愛理は、後部座席でシートベルトをしていたため、シートで頭をぶつけただけで済んでいた。

 

「早く車から出なさい! 笠間くん、愛理を!」

 

 信乃が叫びながら、助手席のベルトを外して、後部座席のドアハンドルを引いた。我に返った光博がドアを押し開け、愛理のベルトも外して、抱きかかえるように車から跳び下りた。

 

「車から離れて! この臭いは」

 

 言われるままに離れる光博が振り返った時、信乃も助手席のドアを開けて、車から出ようとしていた。

 その時、車が爆発した。ガソリンに引火したのだ。

 光博は、爆風に薙ぎ倒され、愛理を抱きかかえたまま河原に転がった。

 

「……信乃さん!?」

 

 気が付いて、辺りを見回した光博は、蒼白となった。

 信乃は、川の際にあった大岩の側まで飛ばされていた。ぐったりと倒れこんでいて、頭部から少なからず出血していた。

 

「信乃さん!」

 

 光博は、信乃の側まで駆け寄っていった。

 

「しっかりしてください! 今、救急車を」

「……愛理は?」

 

 微かな声で、信乃は尋ねた。

 

「大丈夫です! それよりも信乃さんが」

「ありがとう……。笠間くんに来てもらって、本当に良かった……」

「もう喋らない方が」

「笠間くん……愛理をお願いね。あなたは、本当は人を、愛せる子……」

 

 信乃の体が、力を失ったのが、光博にも分かった。目の前の事態を信じたくなくて、脈を計る。だが、もうその甲斐がないことを、理解せざるを得なかった。

 

「……笠間さん」

 

 後ろから、愛理の声が聞こえた。

 振り返ると、呆然と立ち尽くし、涙を流している彼女がいた。

 その時、笠間はようやく全てが分かった。

 

(クイン・ビーの仕業だ! あの〈予感〉は、スタンドの能力か。あの女……ついに信乃さんを!)

 

 そう思った途端、どうしようもない後悔が、光博を襲った。

 

(俺が側にいながら! クイン・ビーの元にも俺はいた! 俺が、もっとうまく立ち回っていれば、信乃さんは死なずに済んだかもしれない。それなのに……この子は、独りぼっちになってしまった!)

 

「ゴメン! 愛理ちゃん、本当にゴメン! 俺が、不甲斐ないばっかりに……!」

 

 河原に突っ伏して、光博は泣きながら詫びていた。

 

「俺が……俺が、君だけは守るから! 何としても、君だけは……!」

 

 嗚咽の合間に、絞り出すように繰り返す光博を、愛理は涙を流しながら、見下ろすだけであった。

 

 

 

 

 

 しかし、光博は事故からほどなくして、愛理には会えなくなってしまった。

 愛理は、父親の弟である間庭数馬に引き取られていった。そのこと自体は、光博はむしろホッとしていた。数馬が温厚篤実な性質であり、かつては数馬も信乃に魅かれていた時期があることを知っていたので、愛理は大切にされるだろうと考えたからだ。学園の寮も閉鎖が決定され、光博も別の所で一人暮らしを余儀なくされた。

 怖ろしいのは、亜貴恵の方だった。愛理が生きている以上、亜貴恵は城南学園を渡すことになることを怖れるだろう、と推測していた。

 復讐を考えなくもなかったが、それよりも光博は、愛理を守ることを優先することに決めていた。それが、信乃の心に適うことと直感していた。

 〈ダーク・ワールド・オーダー〉も分裂、解散したが、光博にとってはもうどうでもいいことだった。それよりも、どのようにして愛理を守るかの方が重要だった。

 光博は考えた末、城南学園に何らかの形で就職することを目論んだ。高校から大学に進学し、学園がネット環境に力を入れ始めていることを知り、ここから入り込むことを狙った。学園のネットワークを手がけた会社にアルバイトで入り、そこからシステムエンジニアとしての技術を学んでいった。

 一方で、ネット技術も携えて、裏社会にも出入りしていた。イザとなれば、裏社会の力も役に立つ可能性もあると踏んでのことだった。闇の住人の手練手管も吸収していき、自らその世界の工作にも手を貸したこともあった。

 そして、会社からノレン分けされるような形で、城南学園のネットワーク管理を一手に引き受けることに成功した。

 その矢先、光博の存在を知った城之内未麗が、クイン・ビーの代理人として声をかけてきた。かつてのように、亜貴恵のエージェントとして働くことを要請されたのだ。信乃の時の後悔が頭にあった光博は、二つ返事で受けた。今度こそ、亜貴恵やその周辺をコントロールして、愛理を守ろうと決意してのことだった。折しも、神原が学園に教師として赴任してきたこともあり、そちらの動向も無視はできないと考えていた。

 

 

 

 

 

 笠間は、目を覚ました。

 まだ、外は暗い。起きるには、時間がある。

 傍らに敷かれた布団で、寝息を立てている明日見を見た。

 

(お前……。俺が、いずれ神原と組むことが必要になった時のために、地固めをしてくれてたんだな。おかげで、あの男が味方についた形で、未麗と戦える)

 

 笠間の微かに開けた目には、感謝の光があった。

 

(愛理だけじゃない。お前も、必ず生きて返すからな。お前は、俺なんかには勿体ないくらいの、可愛い妹だ……!)

 



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第4章 決戦の日
第36話 扉よ開け、1・2・3


 ジョーカーズら7人のスタンド使いが、連れ立って校門を出てきた。

 学校指定の制服は、文明と愛理だけ。航希はキャップを頭に被り、黒のTシャツに迷彩柄の上下、ウエストポーチ。明日見はショートパンツとタイツで活動しやすいスタイル。遥音は勝負服のパンクなステージ衣装。神原はスーツの上下で身を固め、笠間は地味なジャケットにデニムパンツのラフな格好。

 全員が、早朝の通学路を、言葉少なに足を進めていく。

 

「家を出る時にさ」

 

 小声で、航希が文明に話しかけた。

 

「オレ、操を探しに出るって言ってきたんだよね。『今日は、操と二人で戻ってくる』って。オレとしちゃ、嘘じゃないしね。そしたらさ」

「うん」

「親父がオレの方じっと見て。『必ず、戻って来いよ』って。……親父も服部の血を引く男だから、見透かしてたのかもしれない」

「そういえば……僕の朝ごはんも、ハムエッグが出てきた。いつもはただの目玉焼きなのに」

 

 その会話を耳にしながら神原は、

 

(……ご両親のためにも、彼らは何としても、無事に帰してやらねばならない。大人の事情に巻き込んでしまった私の責任は、重大だ)

 

 側を歩く笠間の、ただ前だけを見据えて歩く、迷いを見せない姿をチラリと見て、神原はほんの少し、羨ましく感じた。

 神原は、後ろをふと振り返った。笠間のすぐ後ろに、やや青白い顔色だが、表情を出さずにいる愛理。隣の明日見は、不思議と兄である笠間と似通った姿に見えた。

 最後尾には、遥音。唇を引き結び、少し赤くなった目をしていた。

 

(昨夜は眠れなかったか? 気丈な彼女といえども、無理もない)

 

 後に、神原はこの時言葉をかけなかったことを、悔やむこととなる。

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 笠間が立ち止まって示したのは、周りの家よりやや大きいくらいの、シックな印象の一軒家だった。表札も何も出ていない。新聞入れには、何も刺さっていない。ただの空き家なのではないか、と思えるほど、何の変哲もない佇まいだった。

 簡素な門を潜ると、すぐに玄関の扉があった。取っ手の上に、ナンバーが振られたボタンが並んだパネル。

 先頭の笠間はそのパネルをじっと見ていたが、

 

「……もう開錠されている。勝手に入ってこい、ということだ」

 

 全員が、一瞬呼吸を止めた。自分たちを待ち構えているのは、火を見るより明らかだった。

 笠間は確認するように一同を見ると、扉の取っ手に手をかけ、開いた。

 中に入ると、そこは普通の玄関のようだった。靴などは一足も出ておらず、汚れ一つないタイルがただ並んでいる。上り口の向こうには、廊下が伸び、扉が両側にいくつか見えていた。

 笠間は足を進めると、土足のまま上り口から廊下に入った。目を丸くする文明。

 

「ちょ……靴……」

「お前らも、靴は脱ぐな。どうせ敵の持ち家だ。足元のガードを捨てることはない」

 

 神原も土足で上がるのを見て、他の面々も、少しためらいながらもそれに従う。

 無言で、ゆっくりと廊下を進む笠間、そして神原。恐る恐る進む他の五人。

 文明は、廊下の左側にある、ドアノブのある開き戸の扉の前を通り過ぎる時、その真ん中に一枚の札が張られているのを見た。薄い紅色の幾何学模様が描かれているその札には、〈1〉と大きく書かれていた。

 次の扉も、笠間はそのまま通り過ぎる。薄い水色の模様に〈2〉とある札。

 また次の扉も通り過ぎる。今度は、薄い黄色の模様に〈3〉と書かれていた。

 そして、奥の突き当りの扉。そこだけは、横へスライドする開き戸。笠間は、そこで足を止めた。

 

「この、中か……?」

「どうかな? 開けるぞ。一応心の準備しとけ」

 

 後ろに声をかけてから、笠間は引き戸に手をかけて、大きく開け放った。

 中を覗き見て、神原は目を瞬かせた。

 そこは、本当に小さな小部屋だった。扉のすぐ脇に洗濯機があり、脱衣カゴが床に置かれている。奥にある簡素な折れ戸が開いており、その向こうには浴室が見えた。

 

「脱衣所……?」

「今は、そこに通じてるようだな。というか、本来はそういう扉なんだろう」

「本来? というと?」

「今スルーしてきた扉3つ、札が張ってあっただろう? この扉にも、俺が来た時は、必ずあんな札が張られてた。扉自体も、こんなチャチなものじゃなく、未麗の執務室らしいご立派な代物だった」

「ということは……貴様はここにあった立派な扉から、未麗の執務室に入っていたということだな? なぜそれが、こんな扉で、中がただの脱衣所になっている?」

「お前自身は、聞かなくても分かってるだろ? スタンドに決まってる」

 

 後ろの5人は、それぞれが目の前の扉を見やった。

 

「〈ミッシング・ゲイト〉。未麗の、というか、元来は城之内家の所有する別荘のある小島に」

 

 その時笠間は、後方でドアノブの音を耳にした。

 行列の一番後ろで、遥音の手が、〈1〉の扉を開けようとしているのが見えた。

 

「開けるな!! まだ説明の途中……」

 

 その声が聞こえなかったように、扉が引き開かれ、中へと遥音が入っていく。

 

「待て!! 止めろ!!」

 

 切羽詰まった声に、側にいた文明が手を伸ばしたが、その先で扉は閉じられてしまった。

 ドアノブを掴むと、文明は回そうとするが、力を入れても回る様子すらない。

 

「ダメだ……。普通ドアノブって、鍵がかかってても、回ることは回るのに」

「ブンちゃん! 札……!」

 

 航希に言われてみると、札の数字が消え失せていた。いや、紅色の地模様も消え失せ、ただの白紙が張られているだけだ。

 

「やられた……! もうその扉は、おそらく開かないぞ」

「何だって!? すると遥音くんは」

「行ったきりの片道通行ってことだ! 何てこった。回復役のアイツが、いきなり離脱か……!」

 

 その只ならぬ声音に、その場の全員が、背中に冷水を浴びせられたような気分になった。

 神原が、静かな口調で話しかけた。

 

「笠間……。状況がただならないのは確かだが。貴様より経験の浅い彼らの前で、不安を煽るような言動はいかがなものか? 起きてしまったことは仕方がないことだろう」

「呑気なもんだな。俺は、〈現状認識〉と〈警告〉のつもりだぜ? ただ一人しかいない回復役が、今は俺たちの側にはいない。あの遥音がいれば治せる怪我も、治せないんだ。リスクを負った行動を取りにくくなった。コイツが〈現状認識〉だ。それから」

 

 笠間は、他の四人の方を、厳しい目線で見据えた。

 

「同行するメンバーに一言も告げずに、独断で行動するのが、いかに危険なのか理解しろ。戦闘中など、一刻の猶予もない状況なら、やむを得ないことは確かにある。だが今のは、明らかにそうじゃあなかった。いいか……場合によっては、自分だけじゃあなく、メンバー全員の命に関わりかねないんだからな。コイツが〈警告〉だ」

 

 誰も、言い返す言葉もなかった。笠間に反感を抱いている文明ですら。

 

「なるほど、貴様の真意は分かった。確かに正論であるし、皆も理解してくれたと思う。次の行動に移らねばならないが、まずは……〈ミッシング・ゲイト〉だったか? そのスタンド能力について、貴様の知っていることを聞きたい。我らがこの先に進むにせよ、須藤くんを救出するにせよ、それを知る必要がある」

 

 神原の問いかけに、笠間は頷いて語りだした。

 

「これは、藤松という男のスタンドだ。さっきも言いかけたが、城之内家は、瀬戸内海の小島を所有していて、その島のド真ん中に別荘を構えている。その島……〈立向島〉というんだが、定期便の船すら立ち寄らない孤島だ。昔は小さな集落があったらしいが、現在住んでいるのは、小島の管理を任されている一家だけだ。藤松は、その一家の家長だよ」

「スタンド使いの素性は分かった。肝心の能力はどうなのだ?」

「まあそう慌てるな。〈ミッシング・ゲイト〉は、『離れた所にある、扉と扉をつないで一体化し、誰でも扉をくぐるだけで、反対側の扉の先へと移動できる』能力だ。それぞれの扉の片面に、共通の柄の札を張ると扉同士が連結されて、札の張られている面から扉をくぐると、もう片方の扉の、同じ柄の札が張られている外側に出られる。まあ要するに制約の多い、どこ……」

「ならどうして、須藤くんの扉は開かなくなったのだ!?」

「何を焦ってるんだよ、いきなり……? 実を言うと、そこんとこは俺にも分からん。俺も〈ミッシング・ゲイト〉の能力によって、さっきの扉から未麗の執務室に直接入ってた。しかし、扉は何度でも行き来できたし、そもそもあんな数字は、今まで一度も書かれていなかった」

「扉そのものに、危険はないようだが。問題は、扉の反対側がどこに通じているか、だな」

「そいつは、開けてみないと何とも、だ。さあ、どれを開ける?」

 

 問われた神原は少し考えて、

 

「……そうだな。〈3〉を試そう。順番通りだと〈2〉に行きたくなるものだが、相手の思惑を外すことを狙いたい。この数字が何を表しているのか不明だが」

「それもいいかもな。そもそも開くのかも、やってみないと分からないけどな。まず誰が扉をくぐるか、それを決めないとな。俺が先陣を切ってもいいが」

 

 そこで手をあげたのは、航希だった。

 

「ハイハイ! オレが先頭行くよ。この中じゃ、多分オレが一番すばしっこい。不意打ちに対処しやすいと思うんだけど」

「そうか、伊賀忍びの末裔だったなお前。危険だが、任せるぞ。その次は俺だ」

 

 続いて、愛理が進み出た。

 

「笠間さんが行くなら、あたしはその次に行きます。構いませんか?」

「そうしてくれるとやりやすい。後は……適当でいいか」

 

 方針が決まり、まずは航希が、〈3〉の扉に近寄った。他の者は全て、扉の右側、ドアノブのすぐ側に一列に並んだ。

 

「開けるよ」

 

 皆に確認すると、航希は深い呼吸をして、扉をスッと引き開けた。

 その向こう側の様子が、全員に見えていた。

 足元はすぐに、土を踏み固めて作られたらしき道。それが、横に伸びている。そのさらに向こう側は木が何本か立っているが、すぐに崖になっているらしく、陸地が横に切り取られている。その先の崖下は、静かに波打つ大海原が広がっていた。遥か遠くで、青い空と海を水平線が隔てている。

 航希は、扉をくぐり、道へと踏み入った。

 

「これ、さっき言ってた小島……?」

 

 微かに潮の匂いがする風に頬を撫でられながら、航希はそう問うていた。

 

「多分な。何か、いそうに感じるか?」

「いや全然。何て言うか、雰囲気平和すぎ……」

「気を緩めるなよ。次は俺だ。天宮、そっちで扉を押さえててくれ。間違って扉が閉まると、もう開かないかもしれない」

 

 文明は内心で、笠間に指示されることにやや不快感はあったが、行列から外れると、扉を全開にして、腕で廊下の壁に押さえつけた。

 それを確認すると、笠間が扉をくぐった。続いて愛理。

 次の明日見が進もうとした時だった。

 扉が、ゆっくりと閉まりだした。

 

「閉めさせるもんか!」

 

 文明は力を入れて押さえ込もうとしたが、全く抗しきれずに、扉は動き続ける。

 

「明日見くん早く!」

「ダメ、見えない壁がある! 扉の向こう側に進めない!」

 

 神原も駆け寄り、扉の板を横から掴もうとした。が、二層に分かれている扉の、反対側にはやはり見えない障壁があるらしく、指どころか爪先すら入らない。ついに二人とも扉に押し出されるように、廊下へと後退させられてしまった。

 

「〈パラディンズ・シャイン〉!」

 

 明日見がスタンドを出し、槍を扉と壁の間に差し込んで、閉まるのを防ごうとした。だが、槍も扉の動く範囲の直前で止まり、入っていかない。扉の向こう側でも、事態を知った自分の兄が、扉を必死で押さえて止めようとしているのが見えた。

 それら全ての抵抗も空しく、明日見の目の前で、パタン、と扉は閉じた。

 

「札は!?」

「……たった今、真っ白になった」

 

 文明は、扉に両手をかけて、小さい声で告げた。一縷の望みをかけて、明日見はドアノブを回してみるが、案の定全く動かなかった。

 神原は、むしろ冷然とした面持ちで言葉を出した。

 

「……認めたくはないが、敵の術中に完全にはまったということだ。敵の狙いは、我らを分断して各個撃破することだろう。最初の扉を閉められた時点で、こうならざるを得なかった」

「そんなこと言われても、もう引き返すこともできませんよ! 4人も扉の向こうに行ってしまってるんですから! しかも遥音くんは、行先もよく分からないし」

「分かっているよ、天宮くん。我らに残された方法はただ一つ。残った〈2〉の扉をくぐるだけだ。もしこれも海辺に出るならば、彼女も島のどこかに出た可能性が高い」

 

 それまで黙っていた明日見が、顔を上げた。

 

「私思ったんですけど。この扉の数字は、〈順番〉じゃあないのでは?」

「……拝聴しよう」

「左から右に〈1〉〈2〉〈3〉と並べられていたから、惑わされていましたが。この数字は……『扉をくぐることができる定員の人数』。ではないかと」

 

 文明は、思わず声を上げた。

 

「そうか! 〈1〉は遥音くんただ1人。〈3〉は航希と笠間、愛理くんの3人。……待てよ。それじゃ、この〈2〉の扉をくぐれるのは」

「私たち3人のうち、2人だけ。全員くぐることはできない。私の考えが正しければ、ね」

 

 神原も頷いた。

 

「実は私も、同じことを考えていた。そうすると問題は、誰と誰が行くか、だ」

「明日見くんを残すべきです。僕と神原先生で、〈2〉の扉に進みましょう」

 

 文明が即答した。

 

「明日見くんには〈パラディンズ・シャイン〉のテレポート能力があります。スマホで通信ができれば、明日見くんの手元にあるスマホから、僕らの持つスマホへと飛んでくれば、扉をくぐらなくても合流できます」

「基本的にはそのアイデアでいいと思うけど、幾つかクリアしたいことがあるの」

 

 明日見は、スマホを手にしてそれを眺めた。

 

「実はさっきから、遥音さんにLINE送ってるけど、未読のままなの。電話も試したけど、電源が入っていないか、電波が届かないかでつながらない。兄さんの方も……。同じ状態ね。孤島だっていうから、電波がつながらない可能性は充分にあるわ」

 

 神原は内心、スマホが破壊されている可能性も考えていた。だがその場合、持ち主の方も無事であるはずがない。不安がらせるだけだと、口にするのは避けた。

 

「それともう一つ。私の持ってるスマホは、テレポートに使いたくないの。前にも言ったけど、私はbluetoothの電子機器を持ち歩いて、能力を使いやすくしてる。だけどそれらは、私のスマホとペアリングさせてあるから、このスマホが手元にないとどれも使えなくなる。テレポート元のスマホは、ここに置き去りにしないといけないから」

「それなら、僕のスマホを君に預けるよ。テレポートはこれだと使えないかな?」

「使えるわ。だけどいいの?」

「どうせ、向こうにいる間に、僕はスマホを使うこともあんまりないよ。どうしても必要なら、神原先生のスマホで頼めばいいしね」

「……ありがとう。それじゃ預かるね」

「よろしく。パスコードは……」

「あ、教わらなくっても大丈夫。私の能力なら、誰のスマホでもパスコードをスルーできるから」

「ああ、そうなのか……」

 

 彼女と結婚したら、スマホを使った浮気は絶対に不可能だな。ついそう思ってしまう文明であった。もちろん、自分の性格で浮気など実行できそうにないのは、百も承知である。

 

「それでは、我らは行くとしよう。そうだ明日見くん。残るなら、武原くんの動向も確認しておいてくれたまえ。こちらにすぐに駆けつけることは叶わないだろうが、状況の説明だけはしておいてもらいたい」

「分かりました。先生、お気をつけて。……文明くん」

 

 明日見の声音が、少しだけ変わったのに気づいて、文明は振り返った。

 

「休みの日がお互い空いたら、二人で会って遊びに行こうって、約束したよね?」

「あ、うん」

「私も、落ち着いたらゆっくり文明くんとお話したいから。……昨日、言ってたよね?私のことは好きだけど、それとこれとは話が別だ、って」

「あ、あの」

「兄さんのことを簡単に受け入れてくれないのも、私が口添えしてもダメだっていうのも、正直ちょっとヘコんだ。だけど、一本筋の通ったところが、文明くんのいい所。逆に、私が少し何か言えば、そっちにアッサリ靡くような腰の軽い人なら、付き合ってく気が失せてたと思う」

「……頭が固いってのは、僕の欠点だってのは、さすがに分かってる。申し訳ない」

 

 頭を下げる文明を前に、明日見は、ふっと笑みを浮かべた。

 

「文明くんは、自分のいい点を捨て去らなくてもいいと思う。だけど、人でも物事でも、いろんな面があって、様々な見方ができる。今までと違うものが見えたなら、それを頭から否定しないでね。それができるなら、あなたはもっと素晴らしい人間になれる……」

 

 そこまで言って、明日見はハッと気づいたように、

 

「あ、ゴメンね、何を偉そうに言ってるんだろ私! 時間だってないっていうのに」

「いや。何ていうか、良いことを言ってもらえた気がするよ。それじゃ先生、お待たせしました」

 

 じっと二人の会話を聞いていた神原は、優しく頷いた。

 神原が、〈2〉の扉のドアノブに手をかけ、引いた。扉が開き、神原、続いて文明が、扉の向こうに進んで行った。その向こうに、海と空が広がっているのを、明日見は確かに見た。

 扉が、閉じられた。札の数字も、地模様も消え失せ、白紙と化していった。

 明日見はドアノブを回してみたが、もはやそれが回ることはなかった。

 手の内にある、文明のスマホを眺めてみた。飾り気のない、黒いケースが取り付けられている。

 

(彼らしいな)

 

 そう思いながら、そのスマホのロックを解除し、神原にLINEを送ってみた。少し待ったが、既読が付く様子はない。

 

(……とうとう私だけ、独りぼっちかぁ。下手すると、生き残るのは私だけ。何だかなぁ……。それで、悲しい思いをするくらいなら、私も行きたかった)

 

 ふと、思い出したことがあった。

 

(そうだ、京次くんに連絡するんだった。彼が間に合っていれば。あ、でもこの扉のせいで結局は、ここに残る人数が増えるだけなのよね……)

 

 今度は、自分のスマホでLINEメッセージを送ってみた。不必要に文明のスマホを使うのは、何となく後ろめたかった。

 メッセージを送って、やることもなくなり、所在なく明日見は床に座り込んだ。

 その時。

 LINEの着信音が、彼女のスマホから鳴り響いた。

 



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第37話 立向島探検記〈1〉

 ザザーン……。

 寄せては返す波打ち際を目の当たりにして、遥音は扉を背に、しばし呆然と眺めていた。青い空に、いくつか雲が浮かんでいる。海風が、心地よく肌を撫でていた。

 

「何だいここは……。リゾートご招待かぁ? 水着なんざ持ってきてやしないけど」

 

 自分がえらく場違いな所に来てしまったように感じられて、遥音は海に背を向けた。

 そこで初めて、自分が出てきたのが、砂浜に建てられた丸太造りの小屋の入口だと気づいた。ただ、扉だけは、自分が入ったものと全く同じ、普通の屋内用の扉なので、違和感が拭えない。

 ドアノブに手をかけて回してみたが、全く動かない。

 

(ちょ、何だよこれ! 壊れ……っていうか、もしかして戻れないのかよ!)

 

 ようやく遥音は、自分がやらかしたことを実感した。

 しばらく途方に暮れていたが、やがて、パン! と自分の顔を両手を張って気合を入れ直した。

 

(ええい、やっちまったもンは仕方ない! ひとまず、アイツを探し出すとするか!)

 

 砂を踏みしめて歩き出した遥音は、昨夜に家で届いた、ユリとのLINEのやり取りを思い出していた。

 

『あらら、バレちゃった? 笠間さんも口軽いな~』

『どっかの尻が軽いヤツが何言ってる! アタシらの敵と通じてたくせに』

『おー怖。そんなにカッカしないでよ~』

『原因はお前だろうが!』

『まーまー。人間、話し合えば分かり合えるって。じゃあこうしましょ。私、明日とあるおウチにお呼ばれしてるの。そこに入れるようにしてもらうから、〈1〉って番号の部屋に来てよ。待ってるからさ』

 

(何が『とあるおウチ』だよ! 送ってきた住所、思いっきり未麗の家じゃねーか。罠臭いとは思ってたけど、ひとまず扉を開けてみたらこのザマだ)

 

 砂浜を、アテもなく海沿いに歩いていくと、その先に岩山が見えてきた。幾つもの大岩が積み重なり、2,3メートルの高さになっている。その岩山の裾野の一部は、海の中まで続いていた。

 

(あーいう所って、魚とかよく釣れるんだよな、確か。キレイな海だしな……。釣り人とかいねーかな? まず、ここがどこだかも分かンねーし、聞いてみてーけど)

 

 そちらを目指して歩いていると。

 砂浜のすぐ側にある林から、人影が出てくるのが、少し離れた先で見えた。

 

「あー! お前!」

「はぁい。ご機嫌いかがー?」

 

 ニコニコ笑いながら、ユリは遥音に手を振って見せた。タンクトップの上に薄いブルゾンを羽織り、デニムのホットパンツを履いている。

 

「テメーのおかげでご機嫌が悪くなったよッ! まずはこっち来な」

「え~? なんかスッゴク怒ってるみたいだしー。もしかしてムスメが来てる日だったり?」

「違うよッ! ……どうやら、コッチから行ってやらないといけないみたいだね? そこ動くなよ」

 

 ザッ、ザッ、と砂を蹴散らしながら、遥音が足を速めて、ユリの方に向かっていく。

 ユリはくるりと背を向けて、走って逆方向に逃げ出し始めた。

 

「動くなっつってんだろーが!」

 

 遥音は叫びながら、ユリを追いかけ始める。

 ユリは岩山まで来て足を止め、息を切らしながら、遥音が近づくのを見ていた。

 

「ハァ、ハァ……まったく、手間取らせやがって。別に取って食おうってンじゃねーよ。アタシは、ただ話がしたいだけで」

 

 突然。

 波打ち際から、水面を割って何かが飛び出してきた。

 遥音は反応しきれず、その何かが頭にかぶさるようにぶつかってくるのを、腕で遮るのが精一杯だった。水浸しの平たい物体が、重みと共にペタリと腕に張り付いてきた。

 

「ぐぅっ!!」

 

 突き刺さる激痛が、右の太ももに走った。立っていられず、その場にしゃがみこんで、その物体を振り払う。

 

「こ……これはッ!」

 

 言いかけた時、頭上からふわり、と網のようなものが投げかけられ、遥音の全身を包み込んだ。

 痛む太ももを押さえながら、網を外そうとするが、うまくいかない。

 

「何だよこれッ!」

「ああ、それはアカエイっていうんや」

 

 やや低めの若い男の声が、岩山の上から聞こえた。

 坊主頭で小顔の、遥音たちとあまり歳の離れていないであろう青年が、ニコニコ笑いながら岩山をゆっくりと降りてくる。

 

「日本全国どこの海でも、おるねんけどな。尻尾に赤いトゲが一本出てるやろ? それ、毒のトゲ。熱に弱い毒やから、熱めのお湯につけてたら痛みは引くけど。え? お湯持ってるかって? ないんやな~これが」

「その話より! アンタの側にいる、釣り竿持ってるヤツ! それスタンドだろッ!」

「おお、これか。俺の自慢のスタンド、〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉! そのアカエイも、コイツで釣り上げた」

 

 自慢気な青年の傍らで、人間型のスタンドが、右手に釣り竿を握っていた。左手は、遥音を覆っている網の端を束ねてつかんでいる。釣り竿も網も、スタンドの一部らしかった。

 

「この釣り竿の先にあるルアー。これが優れモノ! 少しくらい離れたところからでも、釣りたい魚を寄せることができるねん。食いついてきた魚をコントロールすることもできるから、今みたいに操る使い方もできるっちゅうワケ」

 

 遥音は、地面に横たわったまま、ユリを睨んだ。

 

「ソイツも未麗の一味かよ。ユリ、アンタどういうつもりだ!?」

「ま、協力してあげたってこと。平竹さんには、芸能事務所を紹介してもらったしね。大体ね、実を言うと私、アンタのことがずっと気に入らなかったのよ」

「な……!」

「だってそうでしょ。一緒のバンドにいたって、いっつも注目を浴びるのはアンタ。私は鼻も引っかけてもらえない。何さ、歌が上手いからってイイ気になちゃって。いつかは一泡吹かせてやろうと思ってた!」

「ア、アンタね、これはそんなことで済むような話じゃ」

「あーうっさい! 口閉じて、無様に寝っ転がってなよ」

 

 ユリは足を上げると、グッと遥音の頭を踏んだ。悔しそうに唸る遥音。

 〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉が釣り竿を軽く振った。アカエイの口元から、小魚を模したルアーが外れる。

 

「ユリちゃん、ちょっとその足どけてくれる? ……よいしょっと」

 

 スタンドが網を引っ張り、遥音を転がした。網の端を掻き分けさせて、遥音の手元を青年自身が捉えると、ウエストポーチから釣り糸を取り出した。遥音の両手首を背中に回させて、グルグルと巻いて拘束し、結び目から伸びる糸を、ハサミを取り出してカットする。糸の扱いに慣れている手捌きだった。

 

「お、ええモン見っけ」

 

 遥音から取り上げたスマホを、慎志は一瞥して、大きく腕を振って海へと放り込んだ。

 

「何しやがる! ガッコ入った時に、やっと買ったんだぞ!」

「もう必要ないんちゃう? どの道、お屋敷まで連れていかれるんやし」

 

 それを聞いたユリが、やや上目遣いに慎志に尋ねた。

 

「ね、ねえ。それでコイツ、どうするって話になってるの?」

「それは聖也様がお決めになることや。役に立つなら下僕にするし、そうでなかったら殺すだけや」

「え」

 

 そう短く声を発したユリの足元で、遥音は、

 

(コイツ今、聖也って言ったか!? 未麗じゃねーのか? どっかで聞いたような……クソ、足が痛くって、頭が働かねぇよ……!)

 

「それよりさ。時間もあるやろうし、俺もうちょっと釣りしたいんよ。自分、魚好き? 新鮮な刺身食べたくないか? 俺、この場で捌けるし。包丁もまな板もあるから」

「え、あ、うん! 釣りたてのお魚の刺身!? 食べたい食べたーい! えーと慎志さん、だよね?  釣りだけじゃなくて、料理も上手なんだぁ」

「もちろん。釣り師の当然のたしなみ! 期待しとってなー」

 

 慎志は、やや露出多めのユリから少し視線を逸らしながら、そう答えた。

 網を消して遥音の体を解放し、再び岩山に登りかけると、ユリの方を振り返った。

 

「悪いけど、その女逃げんように見張っといて。足に毒が回っとるから、そうそう動けへんやろけど。俺、あの岩の上から釣るつもりやから、そこから見えることは見えるけど」

「分かった。がんばってね~」

 

 ユリに激励されて、心なしか嬉しそうに、慎志は岩を登っていった。

 岩陰の砂の上に、ユリは見つけたものがあった。

 

「ねえ! ここにある工具箱って、釣り具入ってるの? 開けていい?」

「自分も釣りに興味あるんか? 自慢のルアーとかも入れとるし、良かったら見てええよ」

「ふーん、そうなんだ」

 

 自ら本物の竿を振り、釣りを始めた慎志をチラリと見上げると、ユリは工具箱を開けて、中を覗き込んだ。

 しばらくそうしていたが、やがて工具箱をパタンと閉めると、ユリは遥音の側まで歩いて行った。

 足からまだ血を流している、うつ伏せの格好の遥音を少し眺めると、その背中に、自分の尻を乗せて座り込んだ。体重をかけられて、遥音が呻く。

 

「いいベンチがあるじゃなーい? 座り心地バツグン」

「テメーってヤツは……!」

 

 足の痛みと怒りで、ギリギリと歯ぎしりしている遥音。

 しばらくして、歯ぎしりを止めて、遥音は再び口を開いた。

 

「一体、どういうつもりなん……」

「黙ってろって、言ったでしょ! じっとしてなさいよ」

 

 ユリはジロリと遥音を見下ろすと、すぐに視線を、岩山の上の慎志に向けた。

 それから、しばらくして。

 魚を引っかけたらしき慎志が奮闘し始めるのを見て、ユリは声援を送り始めた。

 ほどなくして、慎志は〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉にタモ網を取り上げさせると、釣り竿を操って手元に引き寄せた魚をすくい上げさせた。銀色に輝く、50センチはあろうかという魚が、慎志の手元まで引き寄せられる。魚の口元をフィッシュグリップで掴み、慎志は高々と差し上げた。

 

「見たかー! スタンドでなくっても、実力で釣り上げたでー!」

「すごいすごい! まだまだいけそう?」

「いや、もう少ししたら、他のヤツが様子見に来るはずやねん。あんまりサボっとるとマズいから、いったん休憩にするわ」

「ふーん、そうなんだ」

 

 ユリは、慎志が岩山を降り始めるのを見ると、いきなりスッと立ち上がった。

 遥音の手首から、糸が束になって外れた。ユリが後ろ手で、工具箱から失敬してきたハサミで切断していたのだ。

 遥音の足の血はすでに止まり、傷口は塞がっていた。ユリは、遥音の背中に座った時からずっと、慎志に気づかれないように、傷口を〈エロティクス〉で治し続けていた。

 跳ね起きた遥音が〈スターリィ・ヴォイス〉をその手に出した。

 が、立ち上がろうとした時、塞がったはずの傷口から痛みが走った。〈エロティクス〉で温めて軽減していたとはいえ、それまでの毒によるダメージはまだ残っていた。遥音は呻き、片膝をついた。

 

「あ! お前ら、何やっとんねん!」

 

 二人の挙動に気づいた慎志が、慌てて岩から飛び降りた。それなりの高さからだったので、着地でよろめき、どうにか体勢を整えようとした時。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉!!」

 

 遥音のシャウトが衝撃波となって、慎志を襲った。

 

「させるかい!」

 

 〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉の左手から繰り出された投網が、慎志を守る盾のように、大きく広がった。衝撃波は網を揺らしたが、ダメージを通すことはできなかった。

 

「ふぃ~。スタンドの攻撃なら、スタンドで防御できるわけや。危ね~!」

 

 遥音の後ろにしっかり回り込んでいたユリが、叫び出した。

 

「ちょっと遥音! アンタ、肝心なところで何もたついてんのよ! 奇襲の意味ないじゃん!」

「るせー! まだ本調子じゃねーンだよッ!」

 

 ジロッ、と、慎志が二人を睨んだ。

 

「どうも、ここで始末せんと、俺が危ないみたいやな。少なくともパンク女には死んでもらうで」

 

 〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉が、短い風切り音と共に、横へと釣り竿を振った。糸の先のルアーが、離れた水面に没した。

 

「一応、魚を寄せといたんが、役に立ちそうや!」

 

 釣り竿が引き寄せられ、穂先が空高く跳ね上げられた。水面から、強く光るルアーが、勢いよく飛び出した。

 ルアーにつられるように、細長い魚が7、8匹ほどまとめて飛び出し、鋭く二人目掛けて飛来していった。

 反射的に、ユリは〈エロティクス〉で自分と遥音をガードした。不定形の半透明のスタンドに、鋭利な槍を思わせる魚の頭部が、次々と突き刺さっていった。中には、〈エロティクス〉のガードをわずかながら貫いた魚もいた。予想を上回る貫通力に、青ざめるユリ。

 

「そのダツは、光るモンに突進する習性があるねん。刺されば、人間くらい簡単に殺せるんやけど、ガードしくさったか。ならもう一丁!」

 

 既に海中に投げ込まれていた釣り糸が、またも引っ張り上げられた。

 急ぎガードするユリ。だが、予想していたダツの突撃が来ない。

 代わりに、20センチ余りの魚が、ルアーを食って飛び出してきた。

 空中を飛んだ魚は、ユリのガード直前で、大きく上に跳ね上がった。普通ならまずありえない動き。

 ガードを飛び越え、斜め横に回り込んで、その魚が遥音の顔目掛けて飛んできた。

 

「猛毒のオニオコゼや! 刺されたら、死ぬかもしれんなぁ!」

 

 デコボコだらけの頭部に、棘や突起がやたらとくっついた、グロテスクな魚が迫るのを見て、さすがの遥音も顔をひきつらせた。手にしていた〈スターリィ・ヴォイス〉のコードが伸びて、オニオコゼに巻き付いて捉えた。

 ニヤリと、慎志が笑った。

 ルアーが、オニオコゼの口元から外れた。ぐるん、と遥音の上半身の周りを巡って、糸を巻き付けた。

 砂地にオニオコゼが落ちると同時に、釣り竿のリールが勢いよく回り始めた。左手で巻かずとも、リールが自動で回っている。

 

「ぐっ!」

 

 糸で巻かれた遥音の上半身が、強く締め付けられる。マイクを持っている腕も一緒に巻き込まれていて、胸元に持ち手を押さえつけられた。もう片手も、やはり巻き込まれていて動かせない。

 

(マイクを口元に持って行けない! これじゃ歌も〈ブラスト・ヴォイス〉も使えない!)

 

 焦る遥音は、さらに引っ張られて、砂浜に横倒しになった。そのまま、砂を蹴散らしながら、遥音の体は結構な速さで引きずられていく。

 

「何やってんのよ、もう!」

 

 ユリが、引きずられる遥音を追いかけ始めた。しかし、砂に足を取られてスピードが出ない。

 

「お前はそこで見物しとけ!」

 

 〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉の左手から、網が投じられた。少し離れたところまで駆け寄ってきたユリの体に覆いかぶさる。網と砂のために、ユリはつんのめって転倒した。

 リールが、淀みなく回転を続ける。〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉は竿を立てて、グッと踏ん張っている。

 遥音は引きずられながらも、マイクのコードを首に巻き付け、何とかマイクを口元に持って行こうとする。だが、砂の上を引きずられている状態では、顔があちこち向き、マイクの向きが安定しない。慎志に向けて攻撃するには、狙いが定まらない。

 自分の方にグングン寄せられてくる遥音を見下ろしながら、慎志は千枚通しをその手に構えた。

 

「神経締めといこか! 暴れる獲物には、これやっとかんとな!」

 

 遥音があと数メートルまで迫った時、慎志は足を踏み出した。自ら近づいて、最後の仕上げにかかるつもりだった。

 その時を、ただ引きずられるだけだった遥音は待ち構えていた。

 〈スターリィ・ヴォイス〉のコードの先端が、砂に潜り込んだ。と見るや、勢いよく跳ね上がり、慎志の顔に砂をブチ撒けた。

 

「!」

 

 手で砂を遮り、どうにか目に入るのを避けたが、虚を突かれて数歩後退した。

 まだ眼前で舞う砂埃を払いのけた時、慎志はギョッとした。

 〈スターリィ・ヴォイス〉のコードは、遥音が進む先の数十センチ先で、まるでワイヤーで形作られたかのような、小さな小さなマイクスタンドと化しており、マイクを支えていた。そのまま遥音が進めば、マイクの位置に口元が届く。

 

「自動巻きの魚釣りのリールなら、同じスピードで巻くよなぁ? タイミング分かりやすいンだよ!」

「リ、リール止めろ! 〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉!」

「もう遅い! 〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 至近距離からの一撃が、慎志を打った。体全体が麻痺して、崩れ落ちる慎志。

 

(ま、まだスタンドは動く! この女の拘束はまだ解けてへん)

 

 マイクを放り出して伸びてきたコードが、慎志の弛緩した手から、千枚通しを奪い取った。

 慎志の目の前に、千枚通しが突き付けられる。

 

「どうだい!? 神経締めされたくなかったら、スタンドを消しな!」

 

 慎志は、自分が勝負に敗れたことを悟った。

 スタンドが消え、遥音も、後方のユリも戒めが解けた。

 遥音は、近づこうとするユリを手で制して、マイクを自分の手で握る。倒れたままの慎志の耳元で、小声で眠りの歌を歌い始めた。

 

 

 

 

 

「……なんだよ簡単だなコイツ! まだワンコーラス終わってないよ」

 

 安らかに寝息を立てている慎志に背を向けると、遥音はユリの方を振り返った。じっと様子を見守っていたユリが、ビクッと震える。

 ザクザク砂を蹴散らしながら、遥音はユリに詰め寄っていった。動けないユリ。

 その目の前まで歩み寄った遥音は、ユリの頬に平手打ちを放った。甲高い音が、海岸に響いた。

 

「バカ野郎! アタシが気に入らないにしたって、こんな奴らに手ェ貸してどうすんだよ! コイツらが、どれだけ悪どい連中か、アンタ知らなかったんだろ!? アンタだって、ヤバイことにさんざん利用されて、用済みになりゃ使い捨てにされてたかもしれないンだ! そンな目に会いたいワケじゃないだろッ!?」

 

 遥音の怒号を、頬を張られたままの格好で、じっとユリは聞いていた。

 

「……じゃないんだ」

「え?」

「『よくも騙したな』でも、『お前なんか絶交だ』でもないんだ。アンタらしいよね。アンタ、人が良すぎるよ」

 

 言葉の最後は、やや涙声だった。

 

「……ま、しゃーねーだろ。これがアタシだからね。アタシ、結構自分が好きなんだ」

「そうなんだ。私、ホントは自分のこと、嫌い」

「何で、だよ?」

「だってそうでしょ。結局は、アンタに嫉妬してるだけなのは、自分でも分かってるんだもの。そのくせ、男でもなんでも、媚びるだけ媚びて、美味しいトコだけ持って行こうって女だし」

 

 波に紛れた懺悔を、遥音は聞いていたが、口を開いた。

 

「そンな嫌な女が、どうして土壇場でアタシを助けたんだ? 放っておけば良かったじゃないか」

「……まさか、こいつらが殺すまでするなんて、思わなかった。ちょっとアンタに痛い目見せてやれば、スーッとするかと思ってただけだったもの……」

「そンで? ちょっとはスーッとしたのかよ?」

「……全然。もし本当に殺されたら、取り返しがつかないことになるって、本当に怖くなった」

 

 ユリは、か細いため息をついた。

 

「アンタは、世に出ていかなきゃいけないシンガー。それだけの才能があるってことは、私にだって分かってる。ここで死なれたら、私がそれをブチ壊したことになっちゃう。音楽の神様だか何だかに、罰が下されるって。それがとても怖かった……」

「ずいぶん持ち上げられたモンだねぇ。ま、傷も治してもらったことだし。さっきの平手打ちでチャラにしてやってもいい。ただし、一つだけ条件がある。あ、二つか」

「な、何?」

「一つは、悪党どもとは手を切ること。もう一つは、スタンドを悪用しないことだよ」

 

 少しユリは考えると、

 

「スタンドの悪用って、裏を返して言うと、人を幸せにするために使う、って考えでいいのよね?」

「え? あ、まあ、そういうことになるかな」

「それならOK!」

 

 〈エロティクス〉に男を篭絡する効果があることは、伏せておくつもりのユリであった。

 

「じゃ、これで仲直りだ。さあ!」

 

 遥音が差し出した手を、ユリは握ると、途端にニコニコし始めた。

 

「それでアンタこれからどうするんだ? アタシたち、これから航希の許嫁の柳生操を、取り返しに行くんだけど」

「……一緒に行くよぅ。でなきゃ、この島から出られそうにないし」

「どっかに隠れてて、迎えを待つってこともできるんだぜ?」

「それもイヤ! 私、平竹さん……じゃなくて、平竹も裏切った形だし。見つかったら、それこそヤバイでしょ? だったら、アンタたちに手助けした方が、まだ帰れる可能性高そうだし」

「……そうかもな。ならついてきな。回復役が、アタシ一人だけじゃなくなるし」

「その回復役が、たった一人でフラフラしてていいの? 私の勘だと、笠間さん激怒ってるよ」

「あのなー。誰のせいだと思ってるんだよ!」

 

 海を前にして、どこか楽し気に会話する二人の娘。

 そちらへと、近づいていく男の影があった。

 

 



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第38話 立向島探検記〈2〉 前編

 島の中央にある、城之内家の別荘は、レトロな雰囲気の洋館である。玄関の前には、かなり広い庭が広がり、さまざまな草木が植えられていた。

 

「いいお天気やわ~」

 

 空を見上げながら、修子はそう独り言ちた。四十は過ぎているのだが、髪を後ろでくくったその容貌は、年齢の割には美しい。庭仕事用のエプロンを身に着け、長靴を履き、手にはスコップを握っていた。

 

「わ~、お花咲いてる。綺麗やわ。後で、一房切って、花瓶に活けとこっと」

 

 微笑みながら、並んだ花を一つ一つ鑑賞していく。

 ふと、その花壇の片隅に、彼女は目をやった。

 

「あらら、あの子粗相してるやん。しゃあないなー」

 

 彼女が近づいて見下ろしたのは、イノシシの子供である、ウリボウの死骸であった。

 

「アカンやん、ちゃんと残さんと食べな。慎志や沙羅とおんなじ説教せなアカンのかな?」

 

 そう言いながら、彼女は長靴の足で、ウリボウの死骸を踏みつけた。バキバキッ、という嫌な音を立てて、アバラ骨が折れる音がする。それに構わず、彼女は何度も死骸を踏みつけた。

 

(後で埋めて、肥料にしてまおうっと……)

 

 ひとまず作業を終えた彼女が次に向かったのは、種を植えこんだポットがズラリと並んでいる前。

 

「うんうん、芽が出てきてる。そやけど、問題は土の中がどうなってるか、やね」

 

 修子は、手近のポットを手に取った。かわいらしい小さな芽が、土から伸びている。

 ポットを手で抜き取ると、根を優しくほぐしていく。

 その根の中央に、ビー玉くらいの大きさの球体があった。ガッと見開かれた目がついており、修子を見つめている。

 

「あんぎゃあ~。あんぎゃあ~」

 

 掠れた甲高い声が、か細く聞こえている。

 

「この子は、成長できてるわ。これから大丈夫やね。あんたは、お庭に植え替えてあげるからね。さてと、他のポットは、と……」

 

 修子は、一つ一つポットを手に取り、確認していく。

 全部終わると、ポンポンと手についた土を払った。

 

「今日は3つ。今一つやわ。まぁ、昨日が出来すぎなんやけど」

 

 そして彼女は、柵に囲まれた大きな庭を、ひとしきり見渡した。

 

(毎日少しずつでも育てていったら、このお庭も、私の〈イングリッシュ・ガーデン〉で強化された草花で一杯になる。ここを、聖也様をお守りするためのお庭にしていかなあかん……)

 

 その庭のあちこちには、通常あり得ないほどの巨大な草花が生え、異様に蠢いていた。

 

 

 

 

 

 文明は、木々の間を縫うように設られた山道を歩きながら、神原の背中を見ていた。

 

『自分で言い出してこうなったんだけど、なんか気まずい……。神原先生も、僕が自分を信用しきっているわけじゃないのを知ってるわけだし』

 

 内心で、そう呟いた時。

 

「天宮くん」

 

 それまで黙っていた神原が、前を向いたまま呼びかけてきた。心を読まれたのか、と文明がギョッとしたほどのタイミングだった。

 

「ここまで来れば、私と君は、教師と生徒ではない。対等な人間同士だ。君は、そうは思っていないかもしれんが、私はそう考えている」

「い、いえ……」

 

 その言葉の中に、『自分を人外であると思っているのだろう?』という意味があるのを、文明は分かっていた。

 

「ここから先、君は自分の行動を、自分で決めていくことだ。言っておくが、突き放しているのではないぞ。君自身が目的を達するため、生き延びるために、君はそうしなければならない」

「……」

「例えば、私がどういう状態になったとしても、君は私を救うことにこだわる必要はない、ということだ。場合によっては、私を討ちたまえ。それが君にとって、正しいことだと信じるならば」

「そ、そんな!」

「私にしても正直、君の安全をどこまで保証できるか分からないのだよ。巻き込んだことは、幾重にも詫びなければならないが」

「……今の状況は、僕が選んだことです。巻き込まれたとか、決して思っていません」

「〈黄金の精神〉か」

 

 その言葉に、文明の口が止まった。

 

「私は、君の中に、紛れもなくそれを感じているよ。だからこそ、君は生き延びねばならない。それを忘れないでくれ」

「はい……」

 

 他に、文明には返す言葉がなかった。

 二人は、さらに道を進んでいく。やがて行く手に、幅3メートルほどの亀裂が、道を横切るように長々と伸びていた。そこには、丸太造りで手すりもない簡素な橋がかけられているのが見える。

 その橋を渡る時に、文明は橋の下を見下ろした。思ったより深く、身長2人分を超えるその下には、チョロチョロと小川が石の合間を流れている。

 橋を渡って、10歩ほども進んだ所に、一抱えほどの塊が転がっていた。何やら、粘ついたものがまとわりついているように見える。

 そこまで足を進めていく二人。そして、間近にそれを見た文明は、思わず怖気が走った。

 

「……元は、イタチとかであろうな」

 

 神原が、それをじっと見下ろしながらそう言った。

 茶色や黒の毛が、わずかに残っているが、ほとんど白骨化している。粘液だらけのその姿は、異様な凄惨さを感じさせた。

 

「……蛇、とかでしょうか?」

「だとすると、かなりの大きさだな。これを丸飲みしたとすればだが」

「スタンド、っていう可能性もありますか?」

「どうだろうな。酸などで、瞬時に溶かされたという感じではない。それなりの時間をかけて消化した、といったところか」

 

 座り込んで、側にあった小枝で死骸をつつきながら神原は答えた。

 

「通常の自然な捕食の結果、というには違和感がある。どちらにせよ用心を」

 

 カサカサ……!

 背後に不穏な気配を感じ、神原は立ち上がってそちらを見た。

 

「もう遅いわ〜! ドアホどもがぁ〜!」

 

 甲高いその声は、橋の上をこんもりとその棘つきの茎で覆い尽くし、腰までの高さにまでなった固まりの中から聞こえていた。ソフトボール大の実のような姿に、目と口だけがくり抜かれている。

 

「もう逃がさへんで〜。お前らは既に、俺ら〈イングリッシュ・ガーデン〉に包囲されてんねや!」

「俺ら、だと?」

 

神原が聞き返した時、周囲のあちこちが動き出した。

 木を取り巻いていたツタが、そこから身を剥がして、長々と伸び始める。あちこちの茂みに身を隠したいたらしき、巨大な草花が起き上がっていく。

 

「〈ノスフェラトゥ〉!」

 

 神原の声と共に傍に現れた、マントを構えた吸血鬼を彷彿とさせるそのスタンドに、文明は自分もスタンドを出しながら、内心慄然とした。

 

『思えば、神原先生のスタンドと一緒に戦うのは、これが初めてだ……!』

 

 ゆっくり考える暇もなく、視界の左右にいる巨大なカラスノエンドウの、真っ黒い鞘サヤが弾けた。中から、弾丸のような種が扇状に飛び出し、二人を襲う。

 〈ノスフェラトゥ〉のマントと、〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が、それらを払い除けて防御した。

 その間にも、ツタは伸び続け、二人に迫ってきた。

 〈ノスフェラトゥ〉が前に出ると、マントを翻した。その鋭い裾に切り裂かれ、ツタの先端が地面に次々と落ちる。

 自分はどうするべきか、迷っていた文明は、足元に違和感を感じた。

 背後から、地面を伝って伸びていたイバラが、左足に絡みつこうとしていた。

 布で掴んで引き剥がそうとしたが、幾筋も絡み出したイバラは簡単には切れない。

 

「このッ!」

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の手首が円盤に変化した。円盤が回転すると、そこから伸びた布が急激に捩れ、イバラを無理矢理に引きちぎる。足首に巻きついた棘が突き刺さり、鋭い痛みに文明は顔をしかめた。

 その時、右腕に何か巻き付いたかと思うやいなや。

 グン!と、文明の腕が、上へと引っ張られた。

 イバラに気を取られている間に、ツタが木の上から伸びて、腕にまとわりついたのだ。ろくに抵抗もできないまま、文明の体が宙に浮き上がった。

 ツタの葉の合間から、さっきとは別の〈イングリッシュ・ガーデン〉が、がなりたててきた。

 

「甘いんじゃボケナスが! 捕まえたらコッチのもんじゃい」

「おう! ツタの兄弟よ。こっちに早よぅよこせや。腹減ってんねん!」

 

 数メートル上から、声がする方向を見下ろした文明は、思わずゾッとした。自分たちを取り巻いている植物の中に、巨大なハエトリソウがいたのだ。貝殻を思わせる捕虫葉が大きく開かれて上空を向き、明らかに自分を飲み込もうと待ち構えていた。その捕虫葉の繋ぎ目のところに、〈イングリッシュ・ガーデン〉がいた。先ほどの声の主に相違なかった。

 

(さっきのイタチは、こいつの仕業か! 包み込まれて、あんなに棘の飛び出した葉を閉じられたら、僕じゃ抜け出せない! でも、そんなに速くは溶かされないはず……いや、この化け物ハエトリソウ相手じゃ分からない!)

 

「天宮くん!!」

 

 神原が、〈ノスフェラトゥ〉の翼で飛来してきた。

 文明を拘束しているツタに接近し、一瞬翼を消して、マントを横に一閃。

ツタが切断され、落下しかける文明。慌てて、手近の二本の木に両手の布をそれぞれ飛ばして、急激な墜落を防いだ。

 神原はマントを翼に戻して、高度を上げようとしたが、そうはいかなかった。

 その足首に、今切断したツタが絡んでいたのだ。

 振り解く間もなく、さらに他のツタが伸びて、体に絡む。

 ついに自由を奪われた神原は引きずり落とされ、地面に強く叩きつけられた。

 

「先生ッ!」

「いかん! 来るなッ!!」

 

 いつになく強い神原の口調に、文明は駆けつけようとする動きを止めた。

 

「橋向こうに退避するのだ! おそらく、こやつらは橋までしか……うっ!?」

 

 ツタがまるで触手のように蠢き、神原の体を持ち上げては、地面に叩きつけた。一度のみならず、二度、三度。その度に、神原がただならぬ声をあげていた。相当のダメージを受けているのが、側から見ても分かった。

 文明は、思わず布を伸ばして助けようとしたが、サヤエンドウの種がそこに撃ち込まれる。布でガードしたものの、ツタも文明に伸びてこようとしていた。

 

「早く逃げたまえ!! 君も巻き添えになるだけだッ!!」

 

 神原の決死の叫びに、文明はついに布を引っ込め、、橋向こうの木に飛ばして乗り移った。体が橋向こうに出ると、ツタはそれ以上は伸びてこなくなった。

 地上に降りて、なおも地面に叩きつけられている神原を見ながら、文明は青ざめていた。

 神原の体が、ついに捕虫葉の中に放り込まれた。葉の周囲の棘が、まるで囚人を閉じ込める牢獄のように閉じられていく。

 身を震わせる文明に、くぐもった声が、葉の中から聞こえてきた。

 

「ここからは……進むも退くも、自分で決めるのだ。君の選択を……私は尊重しよう」

「先生ィーーッ!!」

 

 神原を飲み込んだ葉は、森の奥へと引き込まれていく。木々に隠れて、それが見えなくなった後は、残った獲物を待ち構える植物たちが、橋向こうで蠢くのが見えるだけだった。

 

「ヒーッヒッヒッヒッ! まずは一丁上がりィッ!」

 

 橋の上に、イバラがまだ山となって残っていた。その中に陣取る〈イングリッシュ・ガーデン〉の嘲笑が響く。

 

「お前は来ぅへんのかぁぁぁ? 来たらええやんけ? さっきのヤツも、きっと寂しがっとるでぇぇぇ?」

 

 地面に跪いて、崩れ落ちている文明に、さらに声が追い討ちをかけた。

「なんやなんや、ビビッとるんやないか。ま、気にすんな。俺らが強すぎるねん! もっとも、お前が弱っちいことには変わりないけどなぁ! ケケケケケ……!」

 

 その言葉を、歯を食いしばりながら、文明は聞いていた。

 

『先生が、僕を庇って捕まってしまった……! 自分を信用していないと分かっている、僕なんかのために……! このままじゃいけない。先生を助けにいかなきゃ。そもそも、ここで引き返したら、今まで何のために戦ってきたのか分からない……!』

 

 そう思ってはいても、動けない。このまま闇雲に進んでみても、甲斐もなく殺されるのが目に見えていた。

 

『何をしている』

 

 突然、声が聞こえた。

 顔を上げると、剣の鍔に宿った〈鬼〉の姿があった。何故かは分からないが、家を出る時にもこれだけはポケットに入れてきていた。

 

『あの、面妖な立方体と戦った時のお前はどこへ行った? あの時お前は、命をかなぐり捨てて、仲間に託したではないか。最後まで、己のなし得る事を完遂しようとしていたではないか』

「あ…あの時は…。だけど……今はどうしたらいいのか、分からない……」

 

 ほんの少し黙り込んだ後、声がまた聞こえてきた。

 

『尋ねよう。まだ、お前の中に戦う心はあるか?』

「え?」

『もし、ここを突破できるだけの力を得たとしたら、この先の戦いに挑む覚悟はあるか? と言っているのだ』

 

 しばし、文明は返事ができなかった。

 

『率直に言う。お前は、ここを抜けるだけなら、それだけの力は持てる。そのために必要な道のりは、俺が導いても良い。だが……もし力を得たならば、この先にいかなる苦難があろうとも、戦いを放棄することは許されん。それは、戦いに対する重大な侮辱だ』

「……」

『どうするのだ? 覚悟ができないなら、ここから立ち去るがいい。お前一人なら、命だけは助かるかもしれん』

 

 それでも、文明は黙っていた。〈鬼〉は、辛抱強く待った。

 やがて文明は、ふっと笑った。

 

「戦いに対する侮辱、か。京次くんと、同じようなことを言うんだな」

『何者だ、それは?』

「僕たちの仲間だ。今、波紋法とかを修行に行ってる」

『波紋法、だと!?』

 

 一際大きくなった声に、文明は驚いた。

 

『そうか……世界というものは、不思議な奇縁があるものだ。お前が、波紋の戦士の仲間であったとはな』

「あの……波紋を知っているのか?」

『かつて俺は、波紋の戦士を宿敵としていた。最後の戦いにおいて、俺は二人の見事な戦士に出会った。俺は敗れたが、素晴らしい戦いができた。悔いはない。つもりだった』

「……というと?」

『何故か俺の骨の一欠片だけが残り、それに俺の魂の一部が宿った。それが何故なのか、俺はずっと考え続けた。そして、ふと思い出されたのは、あの時の波紋の戦士の言葉だ』

「……」

『あの男は言っていた。自分が最期にみせるのは、未来に託す人間の魂だ、と。あの言葉が、俺の心の片隅から離れない。そこで思ったのだ。人間の真似をする訳ではないが、俺も何かを他の者に託してみよう、とな。俺にとって思い入れのある技。それを託したいのだ』

「未来に託す、人間の魂……」

 

 文明は、先ほどの神原の姿を思い出していた。

 

『俺の技は、ある種の素質が必要だ。しかし、それだけでは託すに値しない。あの男たちのような心を持てる可能性がある、そうした者でなければならない。長きに渡り、力ある者を幾人も見てきたが、ずっと現れることはなかった。そして俺は、お前に辿り着いた』

「僕が……あなたの探していた者だ、と?」

『それは、お前の返答次第だ。命をかけて、戦い抜く覚悟を持てるのかどうか、だ』

 

 文明は、顔を上げた。その眼差しは、意を決していた。

 立ち上がり、イバラの塊になっている、目の前の橋を真っ直ぐに見る。

 

「僕のこれから進む道は、あの橋と同じなんだろうな。イバラの棘だらけだ」

『進むなら、間違いなくそうなるな』

「だけど行くよ。でなきゃ、救われない人が多すぎる。僕自身も含めて」

『その(げん)や良し……!』

 

 〈鬼〉が、大きく頷いた。

 

『ならばまず、俺にお前の力を貸せ』

「えっ?」

『案ずるな。手本を見せるだけだ。ただし、一度だけだ。〈心〉を、俺に委ねろ』

 

 文明は、戸惑いながらも、スタンドを出したままで、〈心〉の力を抜いた。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕が、肩幅の合間を開けたまま、真正面に伸ばされた。

 両腕とも、手首のところがそれぞれ円盤となった。そこから伸びていた布が螺旋に何重にも複雑に巻かれていく。そして、腕の長さと同じくらいの円筒状となった。その先には、橋の上に蔓延るイバラがある。

 

『この形だ。技を己の物とできれば、自然とできるが、ひとまず覚えておけ』

「あ、ああ」

『では、参る……!』

 

 円盤が、回り始めた。

 円筒状の布にあえて作られた隙間から、空気が流れ込んでいく。その空気が、円筒の螺旋に導かれて、正面に強く噴き出されていった。

 風が、イバラを大きく揺らす。〈イングリッシュ・ガーデン〉が何やら叫んでいるが、風に掻き消されて聞こえてこない。

 回転が激しくなると共に、風も激しさを増していく。そして、回転は臨界を超えた。

 その瞬間。

 両腕から発せられる暴風の狭間。そこに、無数の真空刃が発生した。

 イバラが、瞬時にズタズタに切り刻まれた。それだけでは足らず、丸太の表面を削り、地面を削る。その奥に蠢いていたツタまでもが、取り巻いていた木の幹を巻き添えにして、バラバラにされた。ツタの〈イングリッシュ・ガーデン〉の断末魔が、風に紛れて微かに聞こえた。

 幹をほとんど削られた木が、ゆったりと、ミキミキとヘシ折れる音と共に、倒れていった。

 予想を遥かに超える破壊力に、文明は茫然となった。

 〈鬼〉は、厳かに言った。

 

『風の流法、(モード)〈神砂嵐〉……! いや、そこまでの威力はないな。今のお前では、これが精一杯だろうな』

「これが精一杯、って……。あなたは一体、何者なんだ?」

 

 そう聞かれて、〈鬼〉は答えた。

 

『ワムウッ! ……それが、俺の名だ』

 



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第39話 立向島探検記〈2〉 後編

 イバラの〈イングリッシュ・ガーデン〉は、残った茎に囲まれて橋の下にいた。橋の上はかなりの痛手を被っていたが、スタンドそのものはさすがに危機を感じて、真空刃が出る前に橋の下に逃れていたのだ。

 

(あ……あのクソガキがぁ〜。ツタの兄弟だけやのうて、俺もズイブンな目ぇ見させてくれおってからに! そやけど、ノンビリ構えてられとんのも今のうちだけやでぇ〜。ククク……)

 

 文明は、橋の手前で、先ほどの技を再現しようと、必死で円盤を回転させていた。

 

「こ……これだけ回してるのに。風すらほとんど出ないんだけど」

『全然ダメだな』

 

 アッサリと、ワムウは言い放った。

 

『円筒の形状も荒すぎるが、それは副次的なものにすぎん。むしろ問題は、回転がデタラメなことだ。お前は、正しい回転を行っていない。力任せに回したところで、疲れるだけだ』

「そんなこと言われても。正しい回転って何?」

『先ほどの回転で、感覚は分かったはずだ。今の回転では、それを全く再現できていないのは、お前も承知だろう』

 

 図星だった。

 

『これを見るがいい。〈黄金長方形〉と呼ばれるものだ。縦横の比率は、およそ16対9』

 

 ワムウの姿が消え、文明の眼前に、一つの長方形が現れた。

 長方形の中に一本の線が引かれ、正方形と小さい長方形ができた。その小さい長方形が、正方形とさらに小さい長方形に分けられる。それを繰り返し、やがて正方形の中心を次々とつなぐ曲線が引かれ、渦巻となった。

 

『この渦巻こそ〈黄金の回転〉だ。この回転を正確に行うことだ。そうすれば、先ほどの技はおろか、やがては〈無限〉に至ることも叶うだろう』

「そんなこと言われても……! いや、これを見ながら練習すれば」

 

 だが、黄金長方形は消え去り、ワムウが再び現れた。

 

「待って! 消されたら困る」

『今のは、単なる原理の説明にすぎん。先ほどの長方形を見たところで意味はない。とにかく、やってみせることだ』

 

 何で意味がないんだ、と文明が言い返そうとした時。

 突如、足元の地面が膨れ上がった。バランスを崩して点灯しそうになる文明。

 間髪入れずに、地面が今度は下に崩れた。いや、そこから目前にある橋のたもとまで崩れ、橋も壊れて丸太の束となって、谷に落ちていく。

 ワムウとのやりとりに完全に気を取られていた文明は、なす術なく崩落に巻き込まれた。

 

「ぐう……」

 

 落下が止まった文明は、体を確認した。あちこち打ち身はあるものの、大きなダメージは感じられない。

 だが、足を動かそうとしたものの、動かない。

 右足の脛の下半分が、落ちてきた土に埋まっていた。必死でもがくが、全く抜ける気配がない。

 甲高い嘲笑が、頭上から聞こえた。崖の上の、橋のたもとの削れた土から生えたイバラの声だった。

 

「どアホウ! 橋向こうにおったら、攻撃でけへんって誰が言うた? オドレがおった場所な、真下に根っ子を猛烈な速さで伸ばしていったんや。根っ子をしこたま増やせば、いずれ地面が耐えきれんようになる。そこで根っ子を一気に引っ張れば、こうなるっちゅうワケや!」

「く……」

「植物や思うて、ナメくさったんが運のツキや! イテもうたる!」

 

 ぬっ、とカラスノエンドウのサヤが、崖の上から突き出てきた。

 サヤが弾け、巨大な種が散弾のように打ち出される。

 

「くっ!」

 

 文明は、布を前に振りかざして、それらをどうにか防いだ。

 

『それでは稽古にならん。風で防いでみせろ』

「この状況で!?」

『だからこそ、だ』

 

 文明は唸りながらも、スタンドの腕を円筒状に変化させた。

 またもサヤが崖の上に現れる。今にも発射されそうだ。

 

『〈黄金の回転〉だ。忘れるな』

 

 せめて見本があれば、と思うものの、頼んでも見せてはもらえないのは分かっていた。

 

(あの長方形を、強くイメージして……!)

 

 腕の回転が、始まった。

 今度は、風が起こり始めた。カラスノエンドウの茎が震え、サヤが揺れる。打ち出された種は、文明のいる崖下のあちこちにバラけて、土や石を穿った。中には、砕ける石もあった。

 

『先ほどよりはマシだな。だが』

「分かってる! さっきの回転と違う! こんなんじゃないんだッ!」

 

 グギギギ……!

 イバラの〈イングリッシュ・ガーデン〉が、声を漏らしていた。

 

「ビ……ビックリさせおってからに。せやけど、調子コクんもここまでや! もう、整ったからなぁ!」

 

 ゴポッ! と音を立てて、文明の右足が勝手に地面から吐き出された。その足は、根っこがビッシリ絡みついていた。

 

「な……!」

「ケケケ! ほなパスさせてもらおうかいな。ツタはもう一体あるからなぁ~!」

 

 崖の側面に、風で押し付けられていたように見えたツタが、右足へと這いずっていった。文明は逃げようとしたが、絡んだ根っこで動かせない。

 ぐるん、とツタが足に巻き付き、代わりに根っこが一斉に足から剥がれた。

 

「ほれいけ!」

 

 ツタが、文明の足を上へと釣り上げていく。文明は逆さになりながら、宙ぶらりんにされようとしていた。

 

「わわっ……!」

『どうした? 〈黄金の回転〉を再現せねば、殺されるだけだぞ』

「だったら、さっきの長方形を見せてくれよ! あれを見れればまだ」

『見ても無駄だと言ったはずだ。いいか? 俺は、自力で〈黄金長方形〉に辿り着いたのだ。これが、俺の教えられる最後のことだ。……お前も俺も、この地上、そして自然の中から育まれたのだ。アレコレ考える必要などない。自然に対して、敬意を払え』

 

 上空高く、逆さのままで完全に釣り上げられて、文明はその言葉を聞いていた。

 巨大なハエトリソウが、地上で捕食葉を開けていた。いや、徐々にそれは文明に迫ってきていた。

 最早、一刻の猶予もないことは、火を見るより明らかだった。

 

「考える余裕なんかあるもんか! 何だよ、自然に敬意とかって……!」

 

 その時。

 文明の体に張り付いていた、一枚の木の葉。それが、ハラリと剥がれた。

 ひら、ひら、と、文明の目の前に舞い落ちる。

 それを目の当たりにした時、文明の頭に、閃光が走った。

 

「……!?」

 

 思わず、その葉を手に取っていた。

 文明には、見えた。その葉の縁を囲んだ、長方形。それは、紛れもなくあの、〈黄金長方形〉だった。

 我知らず、周囲を見回していた。

 空を舞う鳥。葉の生い茂った木。崖下の、川の水で削れて丸くなった岩。

 それら全てが、今の文明には、〈黄金長方形〉を形作って見えた。

 

(自然に敬意を払え……とはこういうことか! なぜ、見本が必要ないのか、今なら分かる。自然の中に、無数の〈本物〉が存在するからだ!!)

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉が、両腕を正面に突き出した。その先が、円筒状になる。

 

『その正確な造形ッ! ギリギリで掴めたようだな。いや、ギリギリまで追い詰められたからこそか』

 

 ワムウが、賞賛の言葉を漏らした。

 回転が始まった。狙うは、ハエトリソウの捕食葉。それすらも、今の文明には、〈黄金長方形〉を形作って見えていた。

 

「悪あがきを! おとなしゅう食われてまえ!」

 

 ツタの〈イングリッシュ・ガーデン〉が焦りを隠せず、ハエトリソウの真上に逆さ吊りの文明の体を差し出した。

 

「これで終了や!」

 

 ツタの蔓が、力を緩めた。文明の体が、捕虫葉へと落ちていく。

 だが、文明に恐れはなかった。確信をもって、風を真下に叩きつけていく。

 

「グエッ!」

 

 ハエトリソウの捕虫葉が風圧に負け、普段とは逆に、バコッ! と下向きに折り畳まれた。

 

「……ギャァァァァァッ!!」

 

 次の瞬間、捕虫葉はズタズタに切り刻まれた。いや、葉も、茎も。根元までもが抉られた。ハエトリソウの〈イングリッシュ・ガーデン〉は、バラバラになって四散した。

 文明の体は、風の反動で上に跳ね上がった。スタンドの腕が、ツタの〈イングリッシュ・ガーデン〉へと向けられた。

 

「タッ、タンマ……!」

 

 ツタの懇願に対する返答は、暴風であった。容赦ない真空刃が、蔓もろとも切り裂いていった。

 束縛から解き放たれ、風をスタンドの両腕で操りつつ、地面に着地する文明。

 

「ヒ……ヒィッ!」

 

 イバラの〈イングリッシュ・ガーデン〉は、先ほどまでの態度はどこへやら、崖のなるべく下へと潜り込んでいく。

 文明は、そちらをチラリと見たが、背を向けて先へ進んで行こうとした。

 

「ま……まだ俺が残っとるわい! おのれ兄弟たちの仇ィッ!!」

 

 カラスノエンドウが、種入りのサヤを2房振りかざして、思い切り茎を伸ばすと、文明に叩きつけていった。

 攻撃を、辛くも避ける文明。サヤを叩き込まれた木の枝が、大きな音と共にヘシ折られた。

 逃がすまいと、連続でサヤが打ち込まれる。文明は、後退を余儀なくされた。

 

「しつこいぞ。今は、お前らに構ってる場合じゃないんだ」

「ぬかせ! そこまで下がってくれたら充分じゃい! イバラの兄弟、いったれいッ!」

「う……うおおおーッ!」

 

 いささかヤケクソ気味に、イバラが目一杯に伸びて、文明の両腕に絡みついた。棘が、制服の袖に食い込む。

 

「もろたッ! ドタマかち割っちゃるわぁーッ!!」

 

 文明は、怯みもせずに、自分を撲殺しようと接近するサヤを見据えた。スタンドの両腕が、差し上げられる。

 その時。

 文明の頭上から、何かが鋭く飛来した。

 それが、サヤを直撃。グシャッ! と潰れたサヤから、幾つもの種が飛び散った。

 

「な、何や!?」

 

 驚く〈イングリッシュ・ガーデン〉と、文明の間に、赤銅色の人型をしたものが降り立った。

 それは、文明の方を振り返って、ニヤリと笑った。

 

「油断大敵だぜ? と言いてーところだが、邪魔しちまったかな?」

「京次くん……!」

「おうとも。〈ブロンズ・マーベリック〉、パワーアップして帰ってきたぜ!」

 

 言われてみると、京次が着込んでいたのは、見知っていた〈ブロンズ・マーベリック〉とは明らかに違っていた。かつては、文明をして『特撮ヒーローの怪人』と呼ばわっていた、ゴテゴテした格好だった。それが今や、見事な流線を基調とした、無駄のないフォルム。そして際立って変わっていたのは、後頭部に縦にくっついている、短い髷のような意匠。大きな筆先のような先端が、印象的だった。

 

「こうなったら、オドレも道連れじゃ!」

 

 イバラがさらに伸びて、京次の両腕にも絡みつく。

 京次は、馬鹿馬鹿しそうに顔をしかめた。

 

「こんなチャチイ代物で、俺を封じたつもりか? ま、昔の俺ならちょっとばかり困ったけどな」

「強がんな! 兄弟、いてもうたれや!」

 

 残ったもう一つのサヤが、振り上げられた。

 京次は、微動だにしない。

 いや、一か所だけが動いた。後頭部の髷が急速に伸び、まるで別の生き物のようにうねった。

 

死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)……!」

 

 その先端が、サヤに打ち込まれた。木をも叩き折るサヤが、一撃で粉砕された。

 動きは止まらず、京次と文明を縛っていたイバラの蔓を、次々と斬り飛ばしていった。

 体の自由を取り戻し、京次がカラスノエンドウに対して、普通の足取りで歩を進める。

 

「ま、待てよコラ……」

「邪魔ァッ!!」

 

 赤銅色の拳が、〈イングリッシュ・ガーデン〉の顔面に叩き込まれた。めり込んで潰れた顔面が、後方に跳ね飛ばされる。

 と、カラスノエンドウの茎全体が、異様に蠢き始めた。

 

「な、な、何やこれ……うがぁぁぁぁッ!!」

 

 茎のあちこちから、細い蔓が飛び出してくる。それが、カラスノエンドウそのものを縛り上げ、茎のあちこちをヘシ折っていく。

 ついに、茎は用を為さなくなり、グシャッと巨大な植物は地面に倒れこんだ。もはや、顔面はピクリとも動かなかった。

 

「〈波紋〉を流し込んだ。植物のてめぇには、良く効くみてーだな。ああ、もう一匹いたなぁそういや」

「ヒィィィーッ!!」

 

 イバラの〈イングリッシュ・ガーデン〉が、茎を伝って、再び崖下へと逃げ出そうとした。

 が、その途中で、動きが止まる。

 ガクッ、と、〈イングリッシュ・ガーデン〉が顔面を上にして転がる。その眉間らしきところには、槍の穂先が突き立っていた。

 

「ハァ、ハァ……。京次くん、速すぎ……! 待ってって、言ったでしょ?」

「おせーんだよ。全く、あれだけ人のこと急かしといてソレかよ。あぁ、それだけ文明のことが心配だったってことか? 航希からのLINE見たぜ?」

「もう!」

 

 照れ隠しなのか、プイとそっぽを向きながら、明日見が近づいてきていた。

 

「そういえば、二人ともどうやってこの島に?」

「それがね。文明くんが扉をくぐってすぐに、京次くんからLINEがあって。状況を説明して、あの家に駆けつけてもらったんだけど。それを待ってる間に、扉の模様と数字が、また浮かび上がってきたの! もしかしたら、時間が経つとまたくぐれる設定になってたのかもしれない」

「そうなのか。よくは分からないけど、それは良かった」

「ところで。神原先生はどうしたの?」

 

 明日見の問いに、文明は目を伏せた。

 

「……先生は、さっきのハエトリソウに連れていかれた。森の奥に」

「え!?」

「僕を逃がすために、自分が捕まって……! あの人は、僕が自分を信用しきれていないって分かってた。それなのに……!」

 

 今にも泣きだしそうな表情の文明の額に、京次が指を伸ばした。

 パチッ……!

 軽い〈波紋〉の衝撃に、文明は思わずのけ反った。

 

「少しは分かったか? あの人の心根がよ」

「ああ……僕は、本当に馬鹿だった。身に染みてる」

「だからって、ここでメソメソしてて意味あんのかよ? 聞けや。先生は、ヤツらに拉致されちまった。それは、今更変えようがねー。だったらよ、そういう状況ってやつををスタートとして、どうするか決めりゃいいんだよ! 後悔も反省も後回しだ。まずは、俺らがやれることやるまでだ。そうだろ?」

「ああ……!」

 

 文明の目に、再び力が宿り始めた。

 

「君の言うとおりだ。やっぱり、君が来てくれて良かった……」

「おいおい、まだ早いだろが! もっと活躍した後で言ってくれや。それじゃ行くぜ!」

「だけど京次くん」

 

 明日見が、軽く睨みながら言った。

 

「ここからは、用心して進みましょ。特に、一人で突っ走るのはやめてね」

「ハイハイ、分かった分かった」

 

 そして三人は、島の中央へと伸びているらしき山道を進み始めた。先頭は、接近する者があれば〈振動〉で探知できる京次。続いて明日見、最後尾は文明である。

 それほど進んでもいないところで、京次が足を止めた。

 その眼前に、巨大なハエトリソウの、捕虫葉だけが茎から切り離されて転がっていた。葉は大きく開かれており、中にはハンカチが一枚残っているだけであった。

 

「このハンカチ……、確か神原先生がポケットから出してたやつだ」

 

 文明が、そう口にした。

 

「するとアレか? 先生が、自力で脱出したってわけかよ?」

「じゃないと思う。それなら先生は、文明くんの所まで戻るか、それができないにしても、この辺りで待ってるはずよ。どこかにいそうな感じ?」

「それはねぇな。それっぽい気配が感じられねぇ」

「すると、先生は敵の元に拉致されてる、ってことが考えられるわね」

 

 三人は顔を見合わせたが、先へ進む以外の妙案があるわけでもない。

 誰が言い出すでもなく、三人はまた動きだした。

 

「……修行は、成功したみたいだね。やっぱり行ってもらって良かった」

 

 文明が、スタンドを出したままの京次の背中に向かってそう言った。

 

「何て言うか、見違えたよ。新しい技も、身に着けたみたいだし」

「ああ。初代〈ジョジョ〉が戦った好敵手、黒騎士ブラフォードの技だ。師匠から聞かされたが、誇りある武人だったそうだ。素晴らしい勝負だった、と言い伝えられてる。俺も、そんな戦いがしてみてーんだ」

「え、初代〈ジョジョ〉!? 〈波紋〉の戦士だったの!?」」

「ああ。師匠は、初代の孫にあたる、二代目〈ジョジョ〉の相弟子に当たるらしい。この二代目も、初代に劣らない、素晴らしい戦いをやってきたそうだ。特に、ワムウ、という〈柱の男〉との戦いが」

「ワムウ!?」

 

 文明の大声に、他の二人が驚いて振り向いた。

 

「な、何だよ一体!?」

「僕は……ワムウ、と名乗る人から、今さっき技を受け継いた……」

「技って……もしかしてさっきのか!? あれが〈神砂嵐〉なのか!?」

 

 興奮して詰め寄る京次に、文明はたじろぎながら、

 

「いや、ワムウが言うには、全然威力は足りないから、〈神砂嵐〉とは言えないって。あの、弱すぎるとか言われても、僕にはあれが精一杯……」

「強すぎるだろ、充分ッ!! 勢い余って、地面まで抉れてたぞ!」

 

 明日見も、大きく頷く。

 

「文明くんなら分かってるだろうけど、あれは人間相手に使っちゃいけないと思う。私たちも、遠目で見てたけど、なかなかのショッキング映像だったよ?」

「僕もそう思う」

「それよりもだな! どうしておめぇが、ワムウに技を教えてもらえるんだよ! まずそれを説明しろ!」

 

 なおも詰め寄る京次。

 

「……これ!」

 

 文明が差し出した剣の鍔を、京次はまじまじと見た。

 

「ワムウの骨の一部を、鍔に仕立てたものらしい。これに、ワムウの魂の欠片が宿ってる」

「ちょっと貸してくれ! 頼む!」

 

 拝み倒しかねない様子に、文明は鍔を手渡した。

 京次が鍔を手に取ると、その眼前に、ワムウの姿が現れた。

 

『……む? お前は、〈波紋〉の戦士か。すると、お前がそこの者が語っていた友か』

「どんな話を聞かされたのかは知らねーけどよ。俺は、あなたと〈ジョジョ〉との戦いのことを聞かされた。俺が、心のどこかで追い求めてた、理想の戦いの在り様だった……」

『時代は流れども、理解する者はいるものだな。お前も、己の信じるもののために戦う心を持っているのが分かる。お前の友も、それは同じだ。だからこそ、俺はその者に、最も愛着のある技を託したのだ』

「そうだったのか。心から礼を言うぜ。ワムウ……」

『俺はもう眠る。その前に、二人の良き戦士と巡り会えた。健闘を、心より祈っているぞ……』

 

 ワムウの姿が、掻き消えていく。

 京次は、手の中の鍔を両方の掌に乗せ、深々と礼をした。心底よりの、尊敬と感謝が込められていることが、文明にも理解できた。

 

「……ところでよ」

 

 姿勢を正して、京次は文明に言った。

 

「技の名前はどうするつもりだ? 〈神砂嵐〉は、お前も使う気はなさそうだな?」

「もちろんだ。僕の分際で使うのは、ワムウに対して失礼だ」

 

 文明は、一つ深呼吸をした。

 

「〈ハースニール〉。そう決めた」

「ダイヤモンドの騎士が、手にしていた聖剣の名前ね。いいんじゃない?」

 

 明日見が、微笑んでそう言った。

 

 



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第40話 立向島探検記〈3〉 前編

 ニャア、ニャア……。

 海鳥の鳴き声と共に、笠間と愛理、航希の三人は、簡素な港に立っていた。キャビン付きの小さな漁船が、一隻だけ止まっている。

 

「結局、この船にも何もなかったよね……。いるのはカモメだけか」

「あれ、カモメじゃありません。ニャアニャア鳴くのは、ウミネコです」

「そうなんだ。やっぱり愛理ちゃんは物知りだよな」

「あ……ごめんなさい。他意はないんです。つい口から出てしまって」

「いや、こっちこそ当てつけのつもりじゃなかったんだよ。ゴメンね」

 

 笠間はその会話を聞きながら、やや遠い目をしていた。

 

「二人とも。波止場の雰囲気を味わうのは、また今度にしてくれるかな? どうやら、あの扉から進む方向は、逆が正解だったらしい」

「そうみたいですね。戻るしかないですね」

 

 愛理は三人で連れ立って歩きながら、港の周囲を見渡した。コンクリートで固められているのは、漁船が3隻も入れば一杯になる程度の、小さな港の部分だけ。そこからは石段で崖の上まで登るしか、行く道はない。5メートルほどの高さの崖の、海に面する側は、びっしりと石垣となっていて、城の堀を連想させる。

 崖の上に登ると、舗装されてもいない土の道が伸びている。海側は草むらとなっていて、合間を開けて木が生えている。島の奥側は、深そうな森が広がっていた。

 笠間は頭をバリバリ掻きながら、

 

「……ったく、俺はいっつもこうなんだよな~。丁半バクチに向いてないんだよ。2択で選ぶことになると、大抵裏目に出るんだ。昔っからそのパターンなんだよ」

「人間は〈成功体験〉より、〈失敗体験〉の方が、印象に残りやすいそうですよ。今回がたまたまそうであったからといって、笠間さんが悪運ということではないと思います」

「そう言ってくれるのか。優しいな」

 

 航希はふと、状況が許しさえすれば、自分はさりげなく消えるべきなんだろうな、と思ったりしたものだった。それほど孤島での道程は、自然に囲まれたのどかさに包まれていた。

 

「それに、うまくいかなかった体験が、逆に糧になることって、ありませんでしたか?」

「……かもしれないな。おかげで俺は、運否天賦を信じないようにと心がけるようになった。2択になる前に可能な限り準備して成功率を高め、できることなら2択になる前に、決着がつくことを望むようになった」

「〈武〉という文字は、〈戈を止める〉と書きます。戦いを止めるのが究極の武であるという、その解釈自体はあくまで俗説ではありますが、真理の一面を示しているのではありませんか?」

「だが、時には大バクチを打たなきゃならない時がある。だから俺たちは、こんな所にいるんだろう?」

「……そうです。この大バクチは、あたしが望んだものです。だから、最後までやり遂げます」

「それを良しとした、俺自身のバクチでもある。必ず、勝とう」

 

 オレにとってもそうだ。航希は、口には出さないがそう思った。彼にとっては、操を無事に取り戻すことが、このバクチの、欠くべからざる勝利条件だった。

 三人は、数軒並んだ、一軒家の廃墟の前を通り過ぎた。その中には、先ほど自分たちが通り抜けた扉もあった。その上に張られた札は、白紙となったままであった。

 さらにしばらく進むと、道は途中で枝分かれし、海沿いに伸びる道と、島の中央に向かう森へと伸びる道に分かれていた。

 

「俺は実のところ、この島の全容を知ってるわけじゃない」

 

 笠間は、道の分岐点の前で、いったん立ち止まってそう言った。

 

「というより、未麗の執務室以外はほとんど知らないんだ。ただ、おそらくは未麗がいるであろう別荘は、島の中央にあるのは間違いない。ここは、森へと向かおうと思う。他の連中が島に来ているなら、同じ方向に向かうだろうしな」

「だよね。みんなと合流できればベストだし。スマホが圏外だから、連絡取れないけど」

「別荘とその周辺は、衛星通信が可能になってるから、スマホも普通に使える。未麗たちだって、ネットが使えないんじゃ不便で仕方ないからな」

「……って、ちょっと待って」

 

 航希は、気が付いたことがあった。

 

「別荘なら、ネット使えるんだよね? ってことは、明日見ちゃんの能力なら、別荘に直接テレポートできるんじゃないの?」

「それは明日見にも言われたよ。固く禁止したけどな」

「え!? 何でだよ」

「〈パラディンズ・シャイン〉は、テレポートする先の状況が全く分からないんだ。いや、行先の端末に入っている情報は事前に分かる。だが、端末が具体的にどこの場所にあって、周囲に誰がいて何があるかは、テレポートしてみないと分からない。今回の状況でテレポートを試みるのは、お前が敵中に無闇に突入しようとしたのと大差ない」

 

 バツが悪そうな顔をして、航希は頭を掻いた。

 

「第一、敵が明日見の能力を知らないとは限らない。知られていれば、テレポートを予期して、罠を仕掛けるくらい当然だ。誰だってそーする、俺もそーする」

「……だよねー。別荘に近づくまで、スマホは用なしか」

 

 航希は、スマホをウェストポーチに突っ込んだ。

 三人は、森へと伸びる道に、踏み込んでいった。一列になって、航希、愛理、笠間の順。一番戦闘力に劣る愛理を、前後でガードする隊列だ。

 道そのものは、草こそなくて先まで見渡せるが、石や木の根っこがゴロゴロしていて、デコボコだらけであった。

 

「服部。こんな道でも、お前のスタンドは高速移動できるのか?」

「それは大丈夫。地面を少し浮いて走るからね。草木まみれのところだと、うまくいかないけど。道なりに進むならイケる」

「了解だ。何ができるか、こっちも理解してないと、イザという時の判断に影響するからな」

 

 それから、三人はしばらく道を進んで行った。香しい木の匂いが、周囲に漂っている。木漏れ日が時折射して、風景にアクセントをつけている。

 

「……ストップ!」

 

 航希が立ち止まった。

 何事か、と言いたげな二人に、航希は一本の木を指さして見せた。

 それを、愛理もまじまじと見やった。

 

「……縦に3本並んだ傷跡。それがたくさんつけられてますね」

「熊のマーキング。オレが伊賀の里で見せられたのと似てるよ」

「やはりそうですか」

「だけど、それにしては、妙だなと思うんだ」

「……と言いますと?」

 

 愛理の質問に、航希は木を見つめたまま答えた。

 

「オレは、地面にも気を配ってきた。ここまで、熊の糞らしきものは見当たらなかったんだ。マーキングするような場所なら、糞くらいあって当然だ。もちろん、もっと奥とか、他の場所にある可能性はあるけど」

「そうですね。確かに、見ませんでした」

「あと、木の上に〈熊棚〉っていうのを作ることがある。熊は木に登って、実のついた枝を足でヘシ折って、実を食べる。食べ終わった枝は、寝るためのベッドの材料として、木の上の一か所に集めるんだ。そんなものがあったかな?」

「少なくとも、私の視界に入る限りではありませんでした」

 

 写真記憶の持ち主である愛理の口から出ると、それは確定的な意味を持っていた。

 

「二人とも。考えてみろ。そもそもこんな孤島に、熊なんかいると思うか?」

 

 笠間の言葉に、二人はハッとした。

 

「ここは、昔は小さいながらも集落があった島だ。もし熊なんか出没したら、猟友会かなんか呼んで、駆除させるに決まってる。集落に誰も住まなくなってから、余所から移ってきたとも思えない。熊が、海を泳いでワザワザこんな島にやってくるわけないだろう?」

「そりゃそうか……するとこれは?」

「スタンドの仕業、っていう可能性が大だ」

 

 

 

 

 

 笠間の推測は、当たっていた。

 崖の下を見下ろせば、およそ5メートル下に、森と森をつなぐ山道がある。その周辺は、あまり木も生えておらず、日差しで照らされていた。

 その崖の上に、まだ小学生低学年とおぼしき少女がいた。肩までの髪を二筋編み込んでいる。

 少女が手にしているのは、タブレットの形をしたスタンドだった。モニターには、動物が歩いている動画が流れており、鼻歌混じりに少女はそれを鑑賞している。

 

「ふふ~ん。ふふ~ん。ふふっふ、ふっふ、ふっふ、ふっふ、ふ~ん。……そろそろかなぁ?」

 

 動画から目を放して、海から通じる方へと伸びる道を、少女は眺めた。

 

「あ~早く来ないかな~。沙羅、もう待ちくたびれたんやけどー。クマちゃんたちも暇やて言うてるわきっとー」

 

 大あくびをしながら、もう一度下を眺めていると。

 三人が、森からでてくるのが見えた。先頭の航希が、トンファーを両手にぶら下げている。

 

「あんなモン持ってたって、怖くないもんねー。この真下まで来たら、クマちゃん総攻撃行くで~待っときや~」

 

 待っているのは沙羅本人なのだが、そのあたりの言葉の選び方は別に気にしていないらしい。

 彼女がジリジリしていると、ようやく三人が、沙羅の真下近くまで来た。

 

「よし行け! クマ吉、クマ蔵、クマ五郎!」

 

 沙羅が、画面に映し出された『ターゲットを攻撃しますか?』の問いに対し、『はい』のタッチボタンを押した。

 

 

 

 

 

 今出てきた森、これから向かう森、そして道の脇の茂みから、むしろゆったりと四つ足で現れ出た熊三匹を確認して、三人の足は止まった。

 

「バラバラの方向から一斉に出てくるんだ。しかも三匹も、さ。スタンドでございます、ってプレートつけてるようなもんだな……!」

「一人一体、ですね」

「愛理は攻撃を避けるのに専念しろ。すぐに俺が始末する」

 

 三匹の熊が、唸り声をあげた。ほぼ体の大きさが大差ない三人に、それぞれ襲い掛かっていく。

 間合いを詰めながら、後ろ足で立ち上がろうとした熊に対して、笠間の鎌が横に斬りつけた。怖ろしく太い首が、一撃で真っ二つとなり、歯を剥き出しにした頭部が地面に落ちた。

 だが、断面からは血の一滴すら噴き出してこない。それどころか、なおも前足を振り上げて、爪で切り裂こうとしてきた。

 

「やっぱり、首落としただけじゃ、倒れてくれねえか……!」

 

 爪を鎌で払いのけながら、笠間は渋い顔になった。断面は、胴の色と全く同じで、中身の造りの雑さが露わになっている。

 

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!!」

 

 航希の振るうトンファーの目まぐるしい連打が熊を襲う。当たった部分は細かく欠けていくが、一撃で大きく砕くには至らず、出足を止めるのがやっとである。

 

(まいったねこりゃ!)

 

 仕方なく、航希は敵の武器である、手の爪や歯を重点的に狙うことにした。しかし、手は当然よく動く上に、爪を欠いてもパワーはやはり凄まじい。腕を振り回してくる時の迫力に、航希は冷や汗をかかされていた。

 そして愛理は。

 熊に詰め寄られて、前足の斬撃を受けそうになる。

 が、〈スィート・アンサンブル〉の能力で、敵の攻撃が当たるタイミングをずらし、ことごとくかわしていた。

 

(よく見ていると、攻撃も幾つかのパターンだけしかない。動きの軌跡も全く同じ……!) 

 

 笠間が、ようやく目の前の熊の足を両断して動きを完全に封じた。急いで愛理の方に向き直ると、全く危なげなく、むしろ熊を翻弄しているかのようなその動きに、目を見張った。

 

(おいおい! どうやら彼女を、過小評価してたみたいだな俺は)

 

 内心で苦笑しながら駆け寄り、愛理を襲う熊の頭部を、削ぎ落すように立ち割った。一撃で、片腕までも切り落としている。

 

「あーもう! クマ五郎とクマ蔵がかわいそー! ちゃんと倒されて!」

 

 崖の上からの幼い声に、笠間はそちらを見上げた。

 

「お前がこいつらのスタンド使いか! いきなり襲われて、かわいそうなのはこっちだ!」

「そーやって言い返すのナシ! クマ吉、がんばれー!」

 

 沙羅の声に応えるように、両腕を振り回して航希に迫る。しかし航希も、この頃には敵の攻撃パターンの少なさに気が付いてきていた。間合いを見切り、余裕をもって回避した。

 だが、足元のすぐ後ろにあった、木の根に踵が引っ掛かった。姿勢が崩れ、その場に尻もちをついてしまった。

 その機を逃さず、熊が前足を振り上げて、のしかかっていく。航希は、片手でトンファーを構えるのが精一杯だった。

 突然。

 航希の頭上に、人型のスタンドが出現した。

 固めた拳が、熊の頭部に激しくラッシュを叩き込んだ。航希への攻撃を一時中断し、たまらず後退する熊。

 三人が進んできていた森から、中年の男が飛び出してきていた。肩で激しく息をしている。

 警戒して身構える笠間を余所に、男は崖の上に叫び出した。

 

「やめなさい沙羅! スタンドをそういう風に使ったらアカン!」

「えー!? 何でお父はんが邪魔すんのー!? もう少しやったのにー!」

「そんなことしたら、相手が死んでしまうやろ! 殺しなさいって言われてるんか!?」

「えーと、忘れたー」

「忘れたらアカンやろ……」

 

 困り果てたように肩を落としたが、男は何とか言葉を続けた。

 

「とにかく、スタンド消しなさい!」

「アカーン。こいつら全員やっつけて、聖也様に褒めてもらうの!」

「スタンド消したら、お父はんが褒めてあげます! いー子いー子も、ハグもしてあげます!」

「お父はんはダメー! いー子いー子もハグも禁止! もーアッチ行って!」

 

 熊三匹が、バラバラになったパーツも含めて、まるで空気に溶け込むように、徐々にその姿を掻き消していった。

 男はそれを見て、血相を変えて笠間に呼びかけた。

 

「別の動物に組み替えるつもりや! 早く逃げんとまた攻撃される!」

「アンタ、確かこの島の管理人の藤松だな。何でアンタを信じないと」

「そんなこと言うてる暇はない! 後で説明するから早く!」

 

 男のスタンドが、半ば呆気に取られていた愛理の腕を引いた。彼女を引きずるように、スタンドを引き連れて、男が出てきた森へと全速力で駆け出す。男を追いかけて、笠間も走り出した。

 航希は〈サイレント・ゲイル〉をスケートボードの形に切り替えると、滑走を始めた。やや抑えめの加速で、あっという間に藤松に追いつく。

 

「ちょっとオジサン、どこまで行く気なわけ!?」

「その先に小屋がある! 中に入って扉を閉めれば、ひとまず沙羅も入ってはこれん!」

「だけどアンタだろ!? 未麗の家の扉を、この島に通じるようにしたのって」

「ワイは、奴らに操られてやっただけや! あの子も同じや!」

「操られて……?」

「小屋はすぐそこや!」

 

 藤松が指し示した先には、木で作られた小さな小屋。

 その扉に駆け寄り、藤松が扉を引き開けた。

 

「入るな!!」

 

 笠間が、大声で制止した。

 足を止めて、キッと睨む藤松。

 

「これが罠でないという保証がない。勢いに任せれば、俺たちが入ると思ったか?」

「それやったら、ワイの心の中を〈検索〉してみたらええやろ! 今ここで!」

 

 藤松の台詞というより、気迫に押されて、笠間も一瞬口を噤んだ。

 

「笠間よ。お前の能力は、ワイも知ってる。嘘ついても見破られるのは、百も承知や」

「……〈フェイス・オープン〉!」

 

 〈インディゴ・チャイルド〉を出した笠間は、顔が真っ白になった藤松に、キーワードを投げかけて〈検索〉した。

 顔に表示された内容を読むと笠間は、藤松を元に戻した。

 

「どうやら、ここまでアンタが言ったことに嘘はないらしいな」

「分かったら入ってくれ! 追いついてくる!」

 

 藤松に急かされ、笠間たち三人も小屋に飛び込んだ。藤松は、扉に白紙の札を張ってから閉めた。

 

「……ふ~! これでワイ以外の誰も、外側からこの扉は開けることはでけん」

「落ち着いたところで、話の続きを聞こうか。アンタらは操られてる、そう言ってたが」

 

 藤松は黙ったまま、ゴソゴソとスマホを取り出すと、画面を見せた。

 それを見た途端、笠間の顔色が変わった。

 

「〈肉の芽〉……!?」

「これは、息子の慎志のうなじに張り付いてたヤツや。俺は左手の甲やった。まず間違いなく、沙羅にも体のどっかにつけられてる」

「だが、〈肉の芽〉なら頭頂部に、針で刺さっているはずだ」

「そうや。原種なら針があるけど、コイツにはない。その代わり、張り付く面の縁に、小さい爪が6本ついとって、それで肌に食いつくんや。それと、蜘蛛みたいな背中から、短い管が出てるやろ? 原種にはこんなモンはない」

「……つまり、アンタはこれを、〈肉の芽〉の変種だと言うんだな?」

「ワイは間違いないと踏んでる。これが取り付いた人間は、宿主に強い忠誠心を持って、命令に従うようになるんや。〈肉の芽〉の特徴と、それは同じはずやろ?」

 

 そこに、おずおずと愛理が口を挟んできた。

 

「あの……。そもそも〈肉の芽〉とは何ですか?」

「……かつて英国に、呪いの石仮面を用いて、吸血鬼になった男がいた」

「吸血鬼……? あの! 神原先生のお父様が、そうだったと。今まで、信じられなかったというか、実感が湧かずにいましたけど」

「そうだ。神原の父親が、己の細胞を用いて作り出した代物だ。もっとも、その吸血鬼自体は、とうに滅びてるがな」

 

 その時、小屋の外から、大きな声が聞こえてきた。

 

「こらー! ここにおるんやろー! ワン小太郎がここにいるって言うてるでー! おとなしく出てこーい!」

 

 扉の下の方で、ゴンゴン小さな音がするのを聞きながら藤松は、

 

「沙羅が扉蹴っとるな。大方、犬を作って匂いを追わせたんやろ」

「ってことは、いろんな動物を作れるわけか」

「そうや。あの子の〈アニマル・フレンズ・フォレスト〉の能力や」

 

 それを聞いて、笠間の表情に緊張が走った。

 

「それって……何つーかヤバくねーか?」

「ああ。実体はナノマシンのスタンドが、ぎょうさん集まって組み合わさった代物や。タブレットに動物の動画をダウンロードしたら、その動物の姿を作れる。ダメージ与えてバラバラにしたっても、また組み直されるだけや」

「いや、そーいうことだけじゃなくってだな~……」

 

 頭を抱える笠間に、何かに気づいたらしく航希が言った。

 

「そういえばあの子、サザエボンとか書かれた、イラスト入りのTシャツ着てたよ」

「古着屋で買うたんや。あの子のお気に入りやねん」

「今は、そんなことはどーでもいいんだよ。その、何とかいうスタンドの能力だ」

 

 先を促されて、藤松は続けた。 

 

「パワーやスピード、重量はもちろん、五感も本物の動物と同等にできるんや。数も、人間サイズなら3体まで作れる。動きは、あの子が大まかな指示を出せば、動画を参考にしてセミオートで行動しよる」

「道理で、複雑な動作になるとワンパターンの」

 

 ドンッ!!

 今までにはなかった大きな音と共に、小屋そのものが大きく揺れた。

 すぐにまた、同じような音と振動がする。

 

「マズイ! 多分、象とかサイを作りおったんや。こんな古い小屋、長くはもたんぞ!」

 

 愛理がその時、口を開いた。

 

「その〈肉の芽〉を引き剥がせば、沙羅ちゃんは操作されなくなるんですね?」

「そうや。頼む、沙羅を元に戻してくれ! ワイの能力では、あの子の戦闘力にとても太刀打ちできんのや。ワイの望みは、家族全員で平和に暮らしていくことだけや。それが叶うようなら……アンタらの帰り道も確保するし、できるだけの支援もするから!」

「分かりました。……笠間さん、〈クリスタル・チャイルド〉で、あたしたちの誰かと、沙羅ちゃんを入れ替えできませんか? それならリスクは少ないかと」

 

 しかし、笠間は首を横に振った。

 

「俺の〈置換〉は、体積が違いすぎると入れ替えは無理だ。あの子はまだ体が小さすぎるし、ここにいる誰も、釣り合う体格の人間がいない」

「そうですか。では、こういうのはどうでしょう?」

 



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第41話 立向島探検記〈3〉 後編

「う~ん、もうちょっとかな? 行くぞーパオの助!」

 

 沙羅が、象の背中の上で、ピッと小屋を指さした。

 象が頭をやや屈めて、再度突進をしようとした時。

 

「あ、ちょっと待って!」

 

 沙羅は、扉が開かれるのを見て止めた。

 中から出てきたのは、航希である。

 

「やっと降参かー。ウチの力、思い知ったか!」

「っていうかさ、押しくら饅頭ばっかじゃ、そろそろ飽きたんじゃない? 別の遊びしようか」

「? 遊びって何」

「そうだな~、鬼ゴッコなんてどう?オレが鬼さんやるから、沙羅ちゃん捕まえてみなよ」

「鬼ゴッコ……馬鹿にするなー! もう幼稚園は出たんやからー!」

「それじゃ逃げろ逃げろー」

 

 ニコニコ笑いながら、航希は島の奥へと向かって走り出した。沙羅が象に命じて、自分の後を追わせるのを確認すると、〈サイレント・ゲイル〉での移動に切り替える。

 この時、沙羅は気づかなかった。小屋の裏側に〈クリスタル・チャイルド〉で穴を開けて、他の三人はすでに脱出していたことを。

 航希は、あえて〈サイレント・ゲイル〉のスピードを落として、象が追ってこれるようにしていた。

 道は、途中でいったん分かれ道となった。航希は、右に入っていく。

 

「やった! そっちは行き止まりやで~。追い詰めた~」

 

 小さな声で、沙羅はそう口にした。

 その道をしばらく進むと、航希は小さな広場に出た。岩や大木に囲まれ、〈サイレント・ゲイル〉に乗ったままではそこを超えられない。入ってきた所以外、出られる道はない。

 

「捕まえたで~!」

 

 広場の入口に、象が押しかけてきた。

 

「あれ~? まいったな~。だけどまだ、捕まってないもんね」

 

 そう言いつつも、航希は口ほど余裕があるわけでもなかった。

 

(聞いてはいたけど、やっぱり狭い。だけど、ここで時間稼がないとダメだしな。かと言って、オレがここで叩きのめされると、この先のプランが台無しになる)

 

「蹴散らせパオの助~!」

 

 元気よい沙羅の掛け声と共に、象が巨体を揺らしながら、航希に突進してきた。

 航希は、ステップを踏んで横に大きく逸れる。駆け抜けた象は、広場の隅にある大岩に激突した。ガツッ! と激しい音がして、岩の小さな出っ張りが砕けて、破片が飛び散った。

 象が、足を踏み変えながら、航希に向き直ってくる。大岩にぶつかったところは、少しだけ削れていた。

 そのパワーと頑丈さを目の当たりにして、攻撃をまともに食らえばただでは済まないことを、航希は悟らずにはいられなかった。

 

「お鼻いけー!」

 

 長い鼻が滑らかな動きで持ち上げられ、棍棒のように叩きつけられた。右上から斜めに、それを躱されると、すかさず左上に鼻を巻き上げて、また斜めに打ち込んでくる。動きそのものはややスローではあるが、そのリーチの長さと、武器自体の太さは、間近で見ると充分脅威だった。

 航希は、象の真正面を避けるべく、横へ横へと回り込むようにした。そのフットワークに、今度は巨体が災いして、なかなか正面に航希を捉えきれない。

 

「臨兵闘者、皆陣列在前ッ!!」

 

 間合いを詰めて、後ろ足にトンファーの連打を叩き込んだ。ダメージを与えるのが目的ではなく、ただの挑発のつもりだ。ひとしきり打ち込んで、すぐに下がる。案の定、少しは削れたが、象の動きにはほとんど変わりがない。

 

「やったな~! だったらこうだッ!」

 

 象が、今までとは逆に体を回してきた。予想と違う動きに、航希がギョッとした瞬間、細長い尻尾がムチのように飛んできた。どうにかトンファーで直撃は避けたが、想像以上の強い打撃に、思わず数歩下がってしまう。

 

(別に口に出さなくても、操作できるのかよ! とにかく、真後ろも安全じゃないぞこりゃ!)

 

 航希は間合いを保ったまま、象の真横に移動した。

 その時、象の鼻が、広場の隅を塞いでいた大木、そこから伸びていた枝を横殴りでヘシ折った。一握りもある太さの大きな枝が、航希に向かって飛んだ。枝から分かれて伸びている、さらに細く伸びた枝が、トンファーのガードをくぐって航希の肩口に直撃した。鈍い痛みを堪える航希。

 さらに、幾つも枝分かれした大きな枝は、飛んできたそのままの勢いで、航希を正面から押さえ込んできた。航希は広がっている枝を払いのけようとするが、腰の左辺りに大きめの枝が一本引っかかっている。

 

「く……!」

「もろたッ!」

 

 象が向き直ってくると、突撃してきた。枝もろとも、航希を叩き潰そうとしているのは明白だった。

 

(そうはいくかよッ! 一か八か!)

 

 航希は、トンファーを消すと、足元にボードを出現させた。

 高速モードで左横に移動しようとするのと同時に、邪魔になっている枝を、体重をかけて両腕で一気に押し込んだ。甲高い音と共に枝が折れ、前のめりになった航希の体が横移動する。枝の折れた所の先端が、航希の右の太ももを抉った。丈夫な生地のズボンは破けはしなかったものの、小さくはない痛みを感じ、航希は呻いた。

 脱出した後の枝に、象が突っ込んだ。バキバキッ! と音がして、決して細くもない枝が折られ、踏み潰されていく。もし先ほど、邪魔な枝を折れなかったら、自分がそうなっていたことは容易に想像できた。

 

(ここまでみたいだな。後は、三人がうまくやってくれてれば)

 

 航希は、広場の入口に移動した。そこで動きを止めて、象の背に乗った沙羅に向き直る。

 

「ざーんねん! そう簡単に捕まらないもんねー! そんじゃバイバーイ」

「あっ待てー! まだ逃げるのかー!」

 

 元来た道を、〈サイレント・ゲイル〉で引き返していく。象が追ってくるのを見ながら、そっと航希は痛む肩を押さえた。

 

(足もダメージをもらっちゃってるし。ちょっと甘く見すぎたな。こうなると、遥音が同行してないのはやっぱり痛い。島のどこかで合流できればいいんだけど)

 

 そこからは、象の追跡に合わせてスピードを調整しながら進んで行く。あまり引き離してしまうと、沙羅が別のもっと速い動物にスタンドを組み替えてくる可能性があった。そうなると、手筈が完全に水の泡になってしまう。

 熊と戦った広場も抜け、森を進んで行く。やがて、海が見える所まで来た。

 

「あれ~どっち行こうかな? こっち行こうっと!」

 

 分かれ道でワザと迷ったふりをして、港へと向かう道を進んだことを強調してみせる。象も、そこで航希の逃げる方向に曲がってきた。

 少し進むと、先ほどあった、廃墟となった民家の前。

 そこで、航希は〈サイレント・ゲイル〉を止めた。

 

「えっ!? 港のところで行き止まり!? ここから先に行けないの!?」

「もう逃げ場はないぞー! オニ捕まえたー!」

 

 喜色満面で、沙羅が象を走らせている。

 航希は左右をキョロキョロして見せると、道を走って逃げ出した。

 が。

 道の途中に、来た時にはなかったロープが、横切るように落ちていた。航希は、それをわざと足で引っかけてつんのめり、海側の草むらに倒れる。もう崖のすぐ側であり、下には海が見える。

 沙羅は勝利を確信し、笑みを浮かべて距離を詰めた。

 航希は這いずりながらも、足に絡んでいだロープをどうにか外して見せた。

 だが、すでに象はもうあと数歩というところまで、迫っていた。

 

「踏んづけちゃる!」

 

 象が、座り込んだ姿勢の航希に、片足を振り上げて襲い掛かろうとした。

 

(ここで動く! 愛理ちゃん、サポートよろしく!)

 

 航希は、真後ろに一回転した。体が、崖から飛び出して、下へと落ちる。

 その手にしたロープは、すぐ近くにあった大木に結び付けられていた。航希は、手にしたままのロープに体を預け、振り子のように、落ちた場所から横にずれてぶら下がった。

 航希が落ちたとほぼ同時に、笠間が崖から顔を覗かせた。位置は、航希が落ちた所から見て、大木の反対側。崖の下に立てかけられた脚立で、ギリギリ道から見えない高さまで登り、待ち構えていたのだ。

 

(さすが笠間さん。あたしが調整しなくても、問題ない絶妙なタイミング……!)

 

 港に立つ愛理は、〈スィート・アンサンブル〉を出した状態で、その様子を見守っていた。

 

「よし届くぜ!」

 

 〈クリスタル・チャイルド〉が、象が踏ん張っている方の前足を、一撃で両断した。ガクン、と象の巨体が傾き、踏み込んでいった足で懸命に支えようとする。

 が。

 思い切り踏み込んだ場所の地面が、大きく崩れた。土が跳ね飛び、草と共に崖下に落ちる。象の足が、崖下へと滑った。

 あらかじめ、その場所は笠間が崩していた。崖を支える石垣の、その部分の石は砕かれ、取り除かれていた。代わりに草をふんわりと詰めておき、上から目立たないように土をかぶせていた。踏み込ませる場所が航希にも分かるように、ロープの先でさりげなく目印としてあった。

 航希が沙羅を引き付けていたのは、これらの工作を笠間たちが行うための、時間稼ぎだった。

 

(象の動きは封じた! 姿勢も低くなったし、ここからなら〈クリスタル・チャイルド〉であの子を確保できる!)

 

 だが、笠間の思うように運んだのは、ここまでだった。

 象の体が、完全にバランスを失い、崖からズリ落ちていく。沙羅は、何も固定されていない状態で象に乗っていたため、傾く背中から転げ落ちた。そのまま、崖下へと墜落していく。

 笠間は、〈クリスタル・チャイルド〉の手を思い切り伸ばした。しかし届かない。

 

(ダメだ! この下は岩だらけ……!)

 

 笠間が蒼白となった、その時。

 シュルシュル……!

 ルアーがついた糸が、崖の上から繰り出された。

 瞬時に、沙羅の体に糸が巻き付き、空中に浮いた状態で、落下を食い止めた。

 象がついに崖から落下して、水際の岩に叩きつけられた。体が大きく砕け、バラバラになる。

 沙羅は、崖の上を見上げて、大きく声を上げた。

 

「慎志ー!」

「お兄ちゃんって呼ばんかい。呼び捨てにすんなって、いつも言うてるやろ」

 

 まだ遥音にやられた麻痺が残っているらしく、多少フラフラしながらも、慎志は笑って見せた。

 崖の上では、〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉が、竿を立てようとしながらリールを巻き上げようとしていた。

 

「お父はん! この外道が重いわー! 引き上げるの手伝って!」

「おう任せとけ!」

 

 〈ミッシング・ゲイト〉も竿を立てるのに協力し、沙羅がジリジリと引き上げられていく。

 

「ウチは外道じゃない! ちゃんとした本命!」

「いやそうは思いたくないな~」

 

 沙羅と慎志がそんな会話をしているうちに、〈ミッシング・ゲイト〉が沙羅を崖の上まで引っ張り上げた。

 

「……あった!」

 

 沙羅の体をまさぐっていたスタンドが、膝上に張り付いていた〈肉の芽〉を引き剥がした。掌に乗せると、もう片方の手を強く叩きつける。外殻が壊され、日の光に当たった中身が、溶けて消えていった。

 

「どうやら、その子も正気に戻せそうだねえ」

「まあ、良かったんじゃない? そんで、他は全員無事なわけ?」

 

 慎志たちが出てきた廃墟から、さらに出てきた二人を見て、航希は目を大きく見開いた。

 

「遥音! それから、えと、ユリちゃんまで来てたんだ?」

「まあね。いろいろあって、藤松さんに匿われてたの。とりあえずは、アンタたちとご一緒するからよろしく」

 

 ユリは悪びれずに微笑み、遥音はそれを目の当たりにして、仕方なさそうに苦笑している。そんな二人を、笠間はもの言いたげにジッと見ていた。

 



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第42話 門前の攻防戦 前編

 笠間たちは、小屋の一つに身を潜めていた。藤松があらかじめ用意していた場所で、比較的別荘に近いところにある。

 航希が床に座り込んで、印を結んでいた。〈サイレント・ゲイル〉ミニマムモードを別荘まで送り込んで、偵察をしていたのだ。他の面々は、それを車座になって取り囲んでいる。その中には、先ほどまで笠間に小言や嫌味をブチ込まれていた、遥音とユリの姿もあった。

 航希が目を開けるやいなや、笠間は問いかけた。

 

「どうだった?」

「別荘の柵越しに、グルリと見てきたよ。危険だから、柵の中までは入らなかったけど」

「というと、見るからに危険だったってことか」

「そりゃね。だって、人の身長の何倍もある馬鹿デカイ植物が、ウネウネ蠢いてるんだもんな。なっがいツルしたゴーヤとか、巨大な種入りのサヤとか、明らかに侵入者を殺しにかかってるみたいな」

 

 それを聞いて、藤松は頭を抱えた。

 

「ワイのカミさんの、修子のスタンドや……。〈イングリッシュ・ガーデン〉は、植物と一緒に植えて育てると、その植物を強化できるねん。夕方に植えたら、翌朝日の出には発芽。昼までには大きく育ちよる。普段は一日に2、3体やけど、調子が良かったら10体とか一度に育てることができる。強化した分、寿命も短くて、3日ももてばええくらいやけど」

「戦闘能力は?」

「強化の仕方にもよるけど、殺傷能力高めにもできる。普段は、薬草の効果を上げるとか、美味い実をたくさんつけるとか、そういう使い方なんやけど。実のところ、修子のスタンドが一番、ウチの家族の中では強力や。それからな」

 

 藤松は、笠間たち5人を見回した。

 

「本体の修子を倒せば、とか考えるやろうけど。〈イングリッシュ・ガーデン〉は遠隔自動操縦型のスタンドや。植物に取り付いた一体一体のスタンドに自我があって、自分の判断で動く。修子が側におれば、アイツの命令は一応聞きよるけど」

「言いたいことは分かった。アンタの奥さんを倒しても、そいつらは勝手に行動するから、あんまり意味がないって言いたいんだろう?」

「そうやねん。さらに言うけど、カミさんに手を出したら、もうワイはあんたらに協力せぇへんで。慎志と沙羅にとっても、大事な母親や。何と言うても、アイツも〈肉の芽〉に操られてるだけやし」

「……心に留めておく」

 

 笠間の返答に、藤松は頷いて、

 

「別荘には、ワイもついていく。修子を正気に戻すんは、ワイが何とかやってみる」

「……うまくいく成算があるのか? 危険なのは分かってるだろう」

「正直、手立てが思いついとるわけやない。せやけど、ワイがやらんかったら、アイツの亭主として立つ瀬がないわいな。隙を狙って仕掛けるまでや」

「アンタを庇ってる余裕は、俺たちにもないと思ってくれ。こっちも必死なんだ」

「分かっとる。こちらも、修子のことで手一杯や。アイツを回収したら、ワイは撤収する。後始末は任せるで」

 

 そう言いつつも、藤松は先ほど、慎志に耳打ちしておいた言葉を思い返していた。

 

(ワイと修子が日没までに戻らんかったら、ゲートを用意してあるから、沙羅を連れてこの島を脱出せいと伝えてある。頼んだで、慎志。最後に沙羅を守ってやれるんは、お前しかおらんのや……)

 

 

 

 

 

 一行は、小屋を出て進行を始めた。

 道は、やや広くなっていたため、2人ずつ横並びで隊列を組んだ。航希と笠間が先頭、ユリと愛理、遥音と藤松の順で進んで行く。

 笠間が、航希に尋ねた。

 

「この先で、二股に道が別れてるんだな? 神原たちが無事なら、そこに来るはずだそうだが」

「うん。確かに、他の道と合流してた。その先までは行ってないけど」

「まずはそれでいい。そこまで無事に着いたら、予定通り神原たちの方へ向かう。上手く合流できれば、全員で連れ立って別荘に行けるからな。それで、ここから別荘までは、何もなかったんだな?」

「オレが通った時には、待ち伏せも仕掛けもなさそうだった。ここから別荘までは、そんなに離れてない」

「単に見逃されただけかもしれん。ミニマムモードは小さすぎるしな。全員、警戒は怠るなよ」

 

 言われるまでもなく、敵の本拠地が近づいているという緊張感が、全員を満たしていた。

 が、それでも結果としては、足りなかった。

 異変に気付いたのは、鋭敏な五感を持つ、航希だけだった。

 耳が、微かに捉えた違和感。

 

「みんな、来るぞ! 左からだッ!!」

 

 航希が身構えようとした時には、すでにそれは、森の中ではありえない猛烈な速度で迫っていた。

 

(ジェットコースター!?)

 

 そう認識した時には、航希は本能的に身を翻し、地面に転がっていた。

 遊園地で見かけるようなジェットコースターが、進行方向に線路を作りながら、森の木がまるで幻であるかのようにすり抜けて、轟音と共に突っ込んできた。間一髪で航希はどうにか避けていた。

 航希が慌てて身を起こすと、ジェットコースターはそのまま、森を走り去っていく。改めて見ると、その車体が走り抜ける周囲だけが、まるでトンネルのように空洞となっていた。走り去った後には、線路も残っておらず、空洞も消滅して木々が元に戻り、去っていく車体が見えなくなっていく。

 ハッと気づいた航希は、周囲を見回して、他の者たちの姿を探した。

 

(誰もいない……!? あの様子だと、オレ以外全員跳ね飛ばされてるはず。だ、だけど……考えたくはないけど、跳ねられたならそこらに転がってるはずの身体が、誰の分もない。どうなってるんだ?)

 

 航希はどうするべきか少し考えたが、すぐにスケートボードを出して、山道を疾走し始めた。

 

(ジェットコースターの後を追いたいところだけど、道から外れればボードでの移動はさすがに無理だ。とにかく、先に進んでみよう。希望的観測だけど、もしオレの勘が間違っていなかったら……)

 

 

 

 

 

 航希の直感は、当たっていた。

 笠間たち5人は、ジェットコースターに跳ねられたと思った瞬間に、いつの間にか座席に座らされていた。横に2人掛けの座席に、先ほどの隊列通りの配置。ガッチリと安全バーらしきもので体が固定されていて、身動きが取れない。

 木々の間を高速で抜けていく車体の中で、半ば呆然と、5人は振動に揺らされていた。

 

『本日ハ、〈ドドドン・パッ〉ニヨウコソ! すりる満点、えきさいてぃんぐ・ましーんヲ、ドーゾオ楽シミクダサイ』

 

 最後尾の座席で、木彫りの簡素なピノキオ人形を思わせる、スタンドらしき代物が、角型のマイク片手に喋るのが聞こえてきた。

 

「楽しめるわけねーだろッ! フザけンな! 止めろよコラ!!」

「え~! 私、ジェットコースター超大好きなんだけど~!」

 

 遥音とユリの大声が、轟音に紛れてかろうじて聞こえる。

 

『乗客ノ皆様ノ安全確保ノタメ、途中停止ハデキマセン。停車スルマデ、れっつ・えんじょい!』

「エンジョイできねーつーンだよッ! どこで停車する……え?」

 

 〈ドドドン・パッ〉の車体が、急にゆっくりとなってきた。だが、周囲は多少森が開けてはいるものの、何もない。

 車体が、じわ、じわと坂道をあがるように、高度を上げて行く。しかも、どんどん傾斜がきつくなっていく。

 

「おいまさか……」

 

 笠間は、嫌な予感がした。

 坂を登り切ったかのように、車体が水平になっていった。怖ろしくゆっくりと進む。

 車体の先端が、徐々に下を向き始めた。

 そして、全員の視界が、完全に下に向けられた。車体は斜め下というより、真下に近い方向まで傾いており、そこで完全に動きが止まった。その先には線路がないため、下が丸見えだ。

 

「笠間さん……。この高さで下に叩きつけられたら、あたしたち……」

「これはジェットコースターだ。乗客の安全がどうとか、さっき言っていた」

 

 愛理の怯えた声に、笠間は返答したが、

 

(叩きつけられるどころか、単純に落とされただけでも、充分死ねる高さだ! スタンドをここで解除されたら一巻の終わりだ。この中に、対処できそうなヤツはいない。やられた、のか……?)

 

 笠間が、半ば絶望しかけた時。

 ジェットコースターが、急角度かつ高速で見えない坂を下り始めた。

 

「きゃあぁぁぁぁぁ!!」

 

 愛理の悲鳴、ユリの歓喜の声が響き渡る。

 地面スレスレで坂を下り切った車体は、水平に車体を戻して、なおも進む。右に左に揺さぶられ、時に縦ループを繰り返し、乗客を飽きさせまいという動きを惜しまない。

 縦ループの時、笠間は眼下のやや離れたところにある、別荘の全景を垣間見た。洋館の前にはかなり広い庭があり、裏手から少し離れたところは崖となっており、海が広がっている。別荘から見れば、絶好のオーシャンビューであるはずだった。

 

(服部の言うとおり、化け物植物がウヨウヨだ。人らしきものも1人……いや2人いる。別荘の裏側は、建物の際までびっしりと竹林になってるな。ありえない密度で、人が横にすり抜けるのも難しいと言ってたが。間違いなく〈イングリッシュ・ガーデン〉の仕業だ。裏からの侵入はさせないということか)

 

 水平になった車体の速度が、下がりつつあった。その先には、別荘の庭に通じる正門が見えていた。

 正門に近づいていく途中で笠間は、何度も感じたことのある感覚に、唐突に襲われた。

 

(これは……〈消滅する時間〉だ! だが、なぜだ? 俺たちは全員スタンド使いだし、未麗の護衛どもも、間違いなくそうだろう。スタンド使いでない人間の時間だけが、1時間消滅する能力を、このタイミングで使う理由がどこにある? 敵味方、どちらにも意味がないはずなのに……)

 

 他の面々も、緩やかに進んで行くジェットコースターの中で、同じことを不思議がっていた。

 そして、ジェットコースターは、正門の前で完全に停止した。

 安全バーが上がり、身体の自由を取り戻した笠間たちに、ピノキオもどきのアナウンスが入った。

 

『ゴ乗車、マコトニ有難ウゴザイマシタ。マタノ……』

「みんな飛び降りろ!! 息止めてだ! 〈エアー・サプライ〉の格好の的だッ!!」

 

 笠間の叫びに、ハッと我に返った一同は、大慌てで〈ドドドン・パッ〉から飛び降りた。車体は、再び走り去っていき、すぐに消え失せた。

 その様子を、正門から少し離れたところにある、透明なガラス板に囲まれた温室の中で、舌打ちしていたのは平竹だった。

 

「シット! 笠間までいるとは! 裏切ったか」

 

 平竹の作戦では、予期せず〈ドドドン・パッ〉に乗せられて、解放されても訳が分からず呆然としている者たちを、自分の能力で一人一人無力化するはずだったのだ。降りた者たちが先への侵入を試みても、護衛代わりの〈イングリッシュ・ガーデン〉の集団で足止めできる。庭から逃げた者がいても、〈ドドドン・パッ〉の軌道上に入れば、また正門に戻される。

 平竹の能力を知っている笠間がいて、先読みされることさえなければ、充分に有効な作戦のはずだった。

 

「そう仕向けたのは、アンタの所業だろう? ここからの不意打ちも見破られるし」

「シャラップ! まだここを見破られたわけではない」

 

 傍らで〈フィッシュ・ダイヴ〉を出していたのは、元は城南学園の教師だった、榮倉だった。それに言い返しつつも、平竹は内心でさらに舌打ちしていた。

 

(あの〈ドドドン・パッ〉が、もっとフレキシビリティなスタンドならば。あれはピュアにジェットコースターをエンジョイする遠隔自動操縦型のスタンドで、一度コースを設定するとチェンジできないし、客が乗っていると解除できない。攻撃力もナッシングだし、せいぜい人間のトランスポートにしか使えない。まあ、おかげでモースト・インポータント・ミッションはイージー・クリアできたが……)

 

「おい笠間がこっちに来るぞ!」

 

 言われるまでもなく、温室目掛けて駆けてくる笠間の姿は見えていた。

 が、近くに植わっているタネツケバナのサヤが弾け、種が幾つも、笠間の行く先の土に叩きつけられた。忌々しそうに、後退する笠間。他の4人も、巨大植物の蔓や種飛ばしを警戒して、あまり動けない。

 

「完全にこの隠れ場所を見切ってるじゃないか! そりゃ、アンタが隠れて入口辺りを狙うなら、ここしかないからな! 僕が目隠ししてる意味ないぞ」

「大きな声を出すな! ヤツも確証があるとは」

 

 言い終わる前に、背後でガラスの割れる音が聞こえてきた。

 ギョっとして振り返ると、温室のガラス板を割ったところから、トンファーを手にした航希が入ろうとしていた。

 

「横からだと丸見えだよ? 柵の側にしつらえた温室だし」

「榮倉、私を守りなさい! レッツ・ゴー!」

「勝手なことばっかり言うなよ、平竹さん!」

 

 その名前に、航希の顔色がザッと変わった。

 

「……平竹だって? その名前、聞いてるぞ。操を拉致ったってのはお前か」

「服部! 久しぶりだが、お前が僕に勝てるとでも」

「アンタは引っ込んでろよッ!!」

 

 航希のトンファーは、榮倉の〈フィッシュ・ダイヴ〉のガラスの剣をあっさり叩き折った。

 一方で笠間は、正門前で適当に身動きしながら、中央にある噴水から、こちらに歩み寄ってくる狼男のフレミングを見据えて、〈インディゴ・チャルド〉の大鎌を構えていた。

 

(ここで出してくるか。別荘の中だと踏んでたが。となると、別の切り札が中にあるということか?)

 

「アタシがやるよッ! 〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 笠間の背後から顔を覗かせた遥音が、フレミングに音撃を叩き込んだ。

 一瞬、フレミングは身を震わせたが、何事もなかったように、また足を進ませていく。

 

「こんなヤワい攻撃で、俺が止められると思うのか? ナメられたものだ」

「やっぱり効かないか。狼野郎!」

 

 遥音が顔をしかめる。

 温室の扉が急に開かれ、中から平竹と、ボコボコにされた榮倉が、転がるように飛びだしてきた。

 それを見かけたユリは、

 

(榮倉のヤツじゃん! 平竹についてたんだ。私を恨んでるだろうし、見つからなくってラッキ~)

 

 温室の中からさらに、航希がトンファーを手に出てくる。

 

「毒ガスでも何でも出して来いよ。オレのトンファーは、5秒の間に10発は軽くブチ込めるからな……!」

 

 いつになく、殺気にあふれる航希の声。

 航希と笠間に挟まれる位置で、〈エアー・サプライ〉は出したもののオロオロしている平竹と、そもそも戦闘不能に陥っている榮倉。

 側に生えていたゴーヤの蔓が伸びてきて、二人を捉えようとしてきた。

 平竹は慌てて、榮倉の体をゴーヤへと押し付ける。榮倉の足に蔓が巻き付き、空中高く引き上げていった。

 航希にも蔓が伸びてきたが、そちらにロクに目もくれずに、トンファーだけが鋭く回転。短い音と共に蔓の先端が千切れ飛び、それから蔓は航希には伸びようとしなかった。タネツケバナの種も飛ぶが、やはりトンファーに弾かれる。

 平竹は、スタスタ迫ってくる航希に、顔を引きつらせた。

 

「チャンスやるよ。お互い、せーの、で打ち合おうか」

 

 座った眼で見据える航希に、慌ててスタンドを向かわせる。

 

「〈エ〉……」

「せぇのッ!」

 

 早口の合図と共に、トンファーの突きが、スタンドの顔面に食い込んだ。先に動いたはずの〈エアー・サプライ〉の拳は、全く間に合わなかった。のけぞって倒れそうになる平竹。

 

「臨兵闘者、皆陣列在前! 臨兵闘者! 皆陣列在前ッ!!」

 

 目にも止まらぬトンファーの連打が、身構えきれない〈エアー・サプライ〉の全身をメッタ打ちにした。

 叩き伏せられた平竹の身体が、笠間の足元まで転がってきた。

 笠間はそれをチラリと見下ろし、大鎌の柄を、平竹の鳩尾に叩き込んだ。蛙が潰れるような声を立てて、平竹は卒倒した。

 

「こんな雑魚にもう構うな! ヤツの方が」

 

 笠間が言い終わる前に、フレミングが至近距離からダッシュを仕掛けてきた。

 



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第43話 門前の攻防戦 後編

(来るか狼野郎!)

 

 笠間は、上着に仕込んでいたボールを2個取り出した。1個はスタンドで、もう1個は自分の手でフレミングの顔目掛けて投げつけた。

 フレミングは、片方は避けたが、もう1個は左の掌で受け止めた。

 

「む!?」

 

 粘る手応えに、フレミングは掌をチラッと見た。ボールが弾けてトリモチが飛び出し、掌に開いている、弾丸の発射口を塞いでいた。

 

(片手の弾丸は封じたか。お次はこれだ!)

 

 今度は取り出したグラップル銃を、フレミングに向けて撃った。銃といっても、手のひらサイズの角型の道具で、中央のボタンを押すと発射される仕組みだ。

 細いケブラー製のコードが、フレミングの両足に絡みついた。さすがに瞬時には切れずに、フレミングがよろめく。

 その隙を狙って、大鎌が上段から、フレミングのうなじを狙って打ち込まれた。

 だが、フレミングの肩パッドが浮き上がると、大鎌の切っ先を弾く。二撃、三撃と追撃するが、いずれもその身体には届かなかった。

 しかし、四撃目。

 

「〈スィート・アンサンブル〉!」

 

 愛理の能力が、肩パッドのガードのタイミングをずらした。大鎌の切っ先が、フレミングの首筋に突き刺さろうとする。

 が、フレミングはギリギリでそれをかわした。大きく開いた口が、ガチッ! と大鎌の刃に噛みつき、その動きを止めた。

 ジロリ、とフレミングが笠間を睨む。その手が、足のコードを引きちぎろうとしていた。

 笠間は足元の平竹の髪を引っ掴むと、グイと引き起こした。

 

「〈フェイス・オープン〉! キーワードは『フレミング、命令者』! 表示後は音読!」

 

 真っ白になった平竹の顔に、文章が浮かび上がった。平竹の声で、その内容が読まれていく。

 

『命令者は、亜貴恵に見せかけた未麗である。本物の亜貴恵は、別荘に監禁してある。フレミングには、命令時には常にガラス越しに対面させていた。ガラスには榮倉の〈フィッシュ・ダイヴ〉のスタンドで、未麗の姿が亜貴恵に見えるように、映像を出していた。匂いでバレるといけないので、自分の〈エアー・サプライ〉で亜貴恵の匂いを作って嗅がせていた。たまにしか会わせないので、それで充分だった』

 

 フレミングは、じっとそれを聞きながらも、大鎌は口から離さなかった。

 文章が終わるや、航希がトンファーを手に、フレミングに躍りかかった。

 口の大鎌を放すと、一歩後退するフレミング。すかさず踏み込む航希。

 

「ノバッ!」

 

 トンファーの打撃を腕でガードすると、鋭い掌底が航希の脇腹に叩き込まれた。たまらず、花壇の中まで吹っ飛ばされる航希の身体。

 

「う、ぐ……」

 

 脇腹の激痛に呻く航希に、手負いとみたクズの蔓が迫る。

 

「痛がってる場合じゃねーよッ!」

 

 遥音は危険を覚悟で踏み込み、コードを航希に絡めて、無理やり引き寄せた。すんでのところで、蔓から逃れる航希。すぐさま、ユリが〈エロティクス〉を脇腹に張り付けて治癒を始めた。

 

「おいフレミングよ。聞いただろ? お前、未麗に騙されてるぞ」

「知っていたのか、笠間」

「薄々な。お前の本当の飼い主は、あの別荘の中だ。行かなくていいのか?」

「もちろん行く。ただし、貴様らを全滅させてからな!」

 

 心理的な揺さぶりもそこまで効かないか、と笠間は内心舌打ちした。

 その時、噴水の裏側から、女性の声がした。

 

「なるべく殺したらアカンって言われてるやん! 聖也様のご命令よ」

「知ったことか。俺の主人は亜貴恵様だ」

 

 ブチブチッ! と、フレミングは力任せにコードを引きちぎった。

 笠間とフレミングは、互いに間合いを詰めていった。

 

「修子!」

 

 入口近くにいた藤松が、噴水へと叫んだ。

 

「コッチに戻って来い! 慎志も沙羅も、ワイのところにおる!」

「自分でこちらに来たらええやん? 偉っそうに来いとか。今からでも聖也様にお詫びしてきぃな」

 

 修子は、冷ややかに応じるだけ。

 

「それはお断りや。一家全員で、奴隷になるつもりはあらへんからな!」

 

 藤松は、駆けだした。

 先ほど、航希が出てきた温室へと。

 

「タネツケバナ! 旦那の足を止めて」

 

 修子の指示に、サヤが方向を変える。

 先行した〈ミッシング・ゲイト〉が、温室の扉を閉めた。すかさず札を扉に張り付ける。藤松本人も、扉にあと数歩までのところに迫る。

 扉を開けさせまいと、種が飛んだ。すぐ目の前で弾丸のような種が掠め、藤松は踵を返して駆け戻っていく。そのすぐ後ろを、追い立てるように種が打ち込まれた。ギリギリで逃げ切り、遥音たちの所まで戻ってきた。追い撃ちする種は、〈エロティクス〉が、航希の治療をしながら食い止める。

 遥音が、側に来た藤松を睨んだ。

 

「何やってンだよ! ヤバいからって、逃げるつもりか!?」

「……第一段階は、成功や」

 

 小声で、冷静に述べる藤松に、え? という顔の遥音。

 

「一発でええ。隙を見て、狼男にさっきのヤツ撃てるか? 笠間を巻き込まんように」

「タイミングと角度が難しいけど、やれないことはないよ。どうする気?」

「一か八かや。失敗しても、ワイのことは助けんでええから」

 

 じっと、噴水を見据える藤松。その手前では、笠間が出し直した〈クリスタル・チャイルド〉とフレミングが、間合いを図りながらも小刻みに攻撃を仕掛けている。

 

「タイミングは、あたしが計ります。最適な角度も指定できます」

 

 愛理も援護するつもりになった。

 藤松が、後方にいる面々の、一番前ににじり出た。愛理は、笠間とフレミングの動きを見ながら、チャンスを待ち構える。

 

「……遥音さん。合図をしたら、そこから前に1歩、右斜めに2歩出て、仕掛けてください。種が来るでしょうから、すぐに下がってください。ユリさんにガードしてもらいます」

 

 全員が、半信半疑ながらも小さく頷いた。

 〈クリスタル・チャイルド〉の鎌が、フレミングに斬りつけた。それを、左にステップして回避するフレミング。

 

「今ですッ!」

 

 愛理が声をかけ、遥音が動いた。指定通りの位置で、方向は自分で定める。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」

 

 衝撃波が、フレミングを襲った。一瞬、その動きが止まる。

 それと同時に、藤松がダッシュした。中央の噴水へと伸びる通路を。フレミングは対応しきれない。

 

「私を捕まえる気!?」

 

 修子は、噴水の周りに沿って動き、それを盾に藤松に捕まらないようにした。

 が、藤松はそれに目もくれずに、噴水の脇を駆け抜けていく。

 

「どういうこと!?」

「こういうことや!」

 

 藤松は、別荘の玄関の扉に駆け寄り、それを背にした。

 

「この中に、聖也がおるんやろ!? 元凶を断てば、お前も元に戻る!」

「なっ……!」

 

 絶句する修子。

 フレミングは玄関をチラリと見たが、大鎌の攻撃を無視もできずに、駆けつけることもできない。

 

「聖也様はやらせへんよ! 私が、お守りするんやから!」

 

 修子は、自ら玄関に駆け出した。クズの蔓も、玄関前までは届かない。種も撃っている間に、藤松に中に入られてしまう。他に手立てがなかった。

 自分の腰へと、タックルのようにぶつかってくる妻を、藤松は抱き止めた。

 

(狙い通りや!)

 

 〈ミッシング・ゲイト〉が、玄関の扉に札を張り付けた。先ほど、温室の扉に張られたのと同じ柄。

 玄関の扉が、ガラス製の温室の扉と同一のものに変化した。それをスタンドが引き開ける。中に見えるのは、温室から見た遥音たちの姿。

 藤松は、修子を抱き抱えたまま強引に後退し、扉の中に入り込んだ。スタンドが、扉を閉める。

 温室から、後ろ向きに藤松が出てきた。修子もまだ、腰に捕まっている。

 

「そういうことかよ、オッサン! 後は、ここまで引きずってくりゃ」

 

 遥音が感嘆した。

 修子が、藤松を捕まえた格好のまま、叫んだ。

 

「ゴーヤはこの人を捕まえて! 私が止めとくさかい」

 

 蔓が、藤松の首に巻き付いた。首が締まり、苦し気に動きを止めざるを得ない藤松。

 それを見た遥音は怒鳴った。

 

「何やってンだよ! アンタの旦那だろ!?」

「タネツケバナ、撃ちなさい! 私に当たってもかまへんから!」

 

 サヤが二人に向けられ、種が撃ちだされた。

 〈ミッシング・ゲイト〉が、修子に当たりそうになった種を、拳で弾き飛ばした。種が藤松の肩に食い込み、肉を破った。血が噴き出し、藤松は呻くが、修子を捕まえた手は離さない。

 

「もう治療いいや! オレが行くッ!」

 

 航希が、〈エロティクス〉を払い落とさんばかりの勢いで、立ち上がった。まだ脇腹の痛みはあるが、藤松の必死な姿に、見てはいられなかった。

 藤松目掛けて、駆け寄る航希。種が、航希と藤松夫婦に集中して撃ちだされた。

 

「臨兵闘者、皆陣列在前ッ!!」

 

 二人をガードするように回り込み、航希のトンファーの連打が、命中しそうな種をことごとく弾き返した。

 続いて、藤松を拘束する蔓を上下から挟み込むように、両手のトンファーを高速で振るった。バツッ! と音がして、蔓が千切れた。

 

「すまん!」

「オッサン、奥さんを引っ張れ! オレも手伝う!」

 

 二人がかりの男の力には敵わず、修子は抵抗空しく、遥音たちの元に引きずられてきた。航希が修子の腕を藤松から引き剥がし、遥音がコードで修子の身体を拘束する。

 

「よしッ! 後は〈肉の芽〉を」

「笠間さんッ!」

 

 藤松の言葉を掻き消すように、愛理が悲痛な声を上げた。

 〈クリスタル・チャイルド〉の大鎌の柄が、フレミングについに掴まれていた。空いている腕も捉えられ、フレミングの大きく開かれた口から剥き出しになった牙が、喉笛に噛みつこうとしていた。

 口が閉じられ、首筋を大きく噛み破った。かに見えた。

 が、フレミングが動きを止めた。口を閉じたまま、唸っている。

 

「冗ッ談じゃないわよ……! 笠間さんがやられたら、次は私たちじゃない」

 

 ユリの〈エロティクス〉が、〈クリスタル・チャイルド〉の首元をガードしていた。大きな牙は、〈エロティクス〉に齧り付いている形となっていた。

 フレミングの目が、ジロッとユリたちの方を見た。顔を引きつらせるユリ。

 が、フレミングの視線は、すぐに別の方向に動いた。どこか遠くを睨んでいる目付き。

 次に異変に気づいたのは、航希であった。

 

 

「これは……もしかして!」

 

 航希が目をやった先は、柵の外側に沿った、ずっと先であった。フレミングですら、動きを止めて同じ方向を眺めている。

 やがて、違和感の正体が近づいてきた。

 

「ジェットコースター……!? 何でまた」

 

 遥音が呟く。

 そうしているうちに、線路を柵に沿わせて作りながら、〈ドドドン・パッ〉が門へと滑り込んでいった。

 

『ゴ乗車、マコトニ有難ウゴザイマシタ。マタノオ越シヲ、オ待チシテオリマス』

 

 ピノキオもどきのアナウンスと共に、ジェットコースターから、三人の男女が降り立った。

 

「どうやら、まだ私たちの出番はあるみたいね」

「みんな無事か!? ……でもないみたいだな」

「やっぱりおめぇか、フレミング! 久しぶりだな。俺のこと、覚えてるか?」

 

 明日見、文明、そして京次が、入口から庭に入り込んできた。

 フレミングは、〈クリスタル・チャイルド〉を突き放し、そして後方に大きく飛び退いた。途中で口から吐き出された〈エロティクス〉は、射程距離から外れて消滅した。

 

「忘れてはいないが、今は忙しい。俺は亜貴恵様をお守りしなければならんのでな」

「そうかよ。俺はそこを通りてぇんだ。戦う理由にならねぇか?」

「当然、なるな」

 

 両者の視線が、交錯した。

 



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第44話 庭掃除は丁寧に

 ジェットコースターが、再び門の前に横づけされるのを、別荘の陰から見ていた者がいた。

 藤松によって、この島に強制的に送られた、用務員の室井であった。始末する役の慎志が気づかなかったのをいいことに、どうにか逃れて未麗に取り入っていたのだ。

 

(三人降りてきよる。藤松の女房も連れていかれたし、形勢が悪いではないか! このまま笠間たちにいいようにやられては、せっかく神原をここまで送り込んだのに、手柄が帳消しになってしまうじゃあないか。聖也様は、スタンド使いの死人を出すのはお気に召さんようじゃが、こうなったら仕方ないわい)

 

 室井は、すぐ後ろにあった物置の扉に手をかけた。そこにも札が張られている。まだ操られていた頃に、藤松の〈ミッシング・ゲイト〉が張ったものだった。

 扉を開けると、強いヤニ臭さが漂ってきた。

 

「兄さんたち、頼んだぞ! 出てきてくれ」

 

 室井の方を見ていた、明らかに日本人ではない男たちが、次々と立ち上がった。手には、それぞれ銃やマシンガンを持っている。

 

『どうやら出番のようだな。要するに、外の黄色ザルどもを皆殺しにすりゃイイんだよな?』

『指図するのも、黄色ザルのジジイってのが気にいらねぇがな。大体、あのヒラタケとかいう野郎はどうした? アイツ、カタコトの英語で分かりにくくって、聞いててイライラしたんだよな』

『あのジジイも、カタコト野郎もドサクサに紛れてブッ殺しちまうか? なぁ、ブラッキーよぉ』

『それはやめろ。まだ前金として、半額しか受け取ってねえんだからな』

 

 仲間たちを制止したのは、ギャングのチームリーダーである、顔面を斜めに二つに割るかのような縫い目のある、でっぷり肥えた中年男であった。

 

『サルどもを屠殺するだけの、簡単なお仕事だが、キッチリやれよ。金が入ったら、ソイツを活用して、クソッタレなボスを叩き出す。この俺、〈ジッパー・フェイス〉のブラッキー様が新たなボスに成り上がるのさ。麻薬の縄張りゲットだぜ』

 

 ブラッキーは、仲間たちを見回した。

 

『アパッチ! ランチャー! ヴィスタ! フード! 手抜かりするなよ。あ、新入りのマカロニ頭、お前は留守番だ』

『ぼ、僕はジェフリー・J・ジェンキンスって名前が』

『るせーよ。いいから茶でも入れて待ってろ』

 

 ズカズカと出ていくブラッキーたちを見送りながら、ジェフリーは内心歯噛みしていた。

 

(くそ~。アイツら馬鹿にしやがって! 特製のお茶でも入れといてやろうか? だけどバレたら絶対殺されるだろうしな~……)

 

 ブラッキーたちは扉を出ると、まずその異様な光景に足が止まった。

 

『何だこのバカデカイ植物は!? コッチに伸びてこようとしてねーか!?』

『アッチに、狼男みたいなバケモノまでいるぞ。これって映画の撮影か何かか?』

『だったら、俺たちにお呼びがかかるかよ。おかしな代物にはあんまり近づくな。ここから銃で皆殺しにしてやりゃオシマイさ』

 

 ブラッキーたち五人は、それぞれ手にした銃を構えだした。

 庭の入口の辺りで、眼鏡をかけた少年が自分たちの方に向き直ったのを見たヴィスタは、

 

『何だアイツ? もしかして俺らとやるつもりか、バカが』

『ア、アレは』

『どうしたんだよ、ブラッキー?』

『聞いてないぞ! 向こうにもスタンド使いがいるなんて!』

『? 何のことだソレ』

 

 次の瞬間。

 眼鏡の少年から、突風が噴き出した。巨大植物が、一斉に揺れだす。

 そして。

 揺れていた植物が、一瞬でバラバラに切り刻まれた。少年から、一直線にある全てが。

 

『な!?』

 

 一番端のアパッチは、植物の切り裂かれた直線の先にある、金属製の柵までもが千切れて曲がり、ポッカリ穴が開いているのを見て、戦慄した。

 

『てめーら撃て!! あの眼鏡ザルだ。必ず仕留めろ!』

 

 ブラッキーは、恐怖にかられながらも指示を飛ばした。

 だが。

 植物がなくなった直線を、体格の大きな、別の少年が走ってくるのが見えた。そのすぐ後ろには、狼男も追いかけるように向かってくる。

 

「草刈りの後は、ゴミ掃除といくかぁ! まずはハンデとして、スタンドなしで相手してやるぜ!」

『標的変更、まずはアイツだ! 撃て撃て撃て!!』

 

 ランチャーが、マシンガンを乱射した。他の面々も、それぞれ銃を撃ち始める。

 が、すでに京次は横に跳んでいた。弾丸の何発かは、背後のフレミングに命中する。が、ほぼ全身を覆う外骨格に弾かれて、有効なダメージを与えられない。慄くギャングたち。

 京次は〈足場〉すら作らず、柵の上まで跳躍すると、そこを蹴って方向転換した。

 一番端のアパッチが真っ先に、頭部をサッカーボールのように蹴り飛ばされて、吹き飛ばされるように倒れこんだ。

 残りのギャングたちは、慌てて下がり、京次を取り囲もうとする。しかし、そこまでが精一杯だった。

 同士討ちを怖れて撃つのを躊躇しているうちに、京次の電撃的な拳が、蹴りが、舞うような動きで次々とギャングたちを打ちのめしていく。しかも、一人一撃で、誰もが倒れこんで動けなくなる。フレミングに至っては、腕組みをしてつまらなさそうに眺めているだけだ。

 

『何だこりゃ……』

 

 ブラッキーは、後ずさりした。ついに、残ったのは自分一人だけ。

 

「どうした? そのモデルガン撃たねーのか」

『ば、バカにしてるんじゃねえ! 俺様の、無敵の能力見せてやる!』

 

 ブラッキーは、手にある拳銃を構えて撃った。京次は、発射される前に横に跳んでいた。

 

(拳銃はフェイントだぜ! くらえ、俺の〈ジッパー・フェイス〉を!!)

 

 京次を目で追うブラッキーの頭部が、縫い目のところで分かれて、上だけが半回転した。露出した断面からニョキッと、拳銃を構えた手が生えてきた。

 グシャァッ!!

 痛烈な拳の一撃が、ブラッキーの口元に叩き込まれた。歯が何本もまとめて飛び散っていく。肝心の銃弾は、殴られた反動で頭部が傾ぎ、全く関係ないところへと飛んでいった。

 

(こ……このままじゃ、聖也様に申し訳が立たん! 第一、未麗のことじゃから、役立たずと見れば、ハナをかんだ後のティッシュみたいに、ワシをポイ捨てするのが目に見えとる! 今しかない)

 

 室井は、〈ザ・ラスト・リーフ〉で、辺り一面に飛び散っている木の葉を操った。京次の足元に、木の葉がまとわりついていく。

 

「どうじゃ、歩けまい! お前はすぐに身動きできんようなる! そこの狼男、チャンス到来じゃぞ!」

 

 勝ち誇った室井に返されたのは、京次とフレミング、両方からの白け切った視線であった。

 

「え? あの……ワシの言ったこと聞こえた?」

「……ツッこむ気力も起きねーよ」

 

 〈ダンス・マカブヘアー〉が、京次の頭部から鋭く伸び、室井の顔面を直撃した。鼻が完全に陥没して、血みどろになりながら悶絶する室井。

 

「んなもんで、ドツキ漫才にさせてもらったぜ」

「おい。貴様」

 

 フレミングが苛立ちを隠そうともせず歩み寄り、鼻血まみれの室井を引き起こした。

 

「誰がそんな下らないことを頼んだ? そうでもしないと、俺では勝てないとでも言いたいのか? この俺を侮辱するつもりか?」

「い……いひゃ……」

「さっさと、そのショボくれた能力を解除しろ。俺の戦いにケチがつく」

「はひ……」

 

 京次の足元に張り付いていた木の葉が、一斉に剥がれ落ちた。

 

「では、とっとと消えろ。目障りだ」

 

 フレミングは、まるで野球のボールでも投げるかのように、室井の襟首をつかんだまま投げ飛ばした。物置の横に生えた木に叩きつけられ、室井は気を失った。

 

「取り込み中、悪いんやけどな」

 

 呑気な様子で、フレミングに声をかけてきたのは、藤松だった。肩の傷には、航希が持ち込んでいた止血帯が巻かれている。その後ろに隠れるように、修子もついてきていた。

 

「これからゴミ捨てしたいんやけど。そこの物置に、一通り放り込むだけやから。アンタらの邪魔はせぇへんから。ええかな?」

 

 藤松は、親指で室井を、視線でギャングたちを示しながらそう言った。

 

「ま、俺はいいけどな。片付けの手間が省けるしな。どうだよフレミング?」

「好きにすればいい」

 

 フレミングは玄関を見やると、掌をそちらに向けて、ほぼ音もなく弾丸を放った。

 

「どうやら、嫌でも場所を変えないといけないようだからな」

 

 言い終わらないうちに、フレミングは玄関へと駆け出した。京次もそれを追いかける。

 藤松は、おもむろに物置の扉を開けると、中に入り込んだ。

 

「邪魔するで」

『な、何だお前! ここをどこだと』

 

 ブラッキーの椅子から立ち上がりかけるジェフリーを、〈ミッシング・ゲイト〉の拳一発で黙らせた藤松は、室井やギャングたちの身体を、スタンドに運ばせて次々と放り込んでいった。

 

「よっしゃ。修子、運んできてくれたか?」

「うん。物置の前でええよね?」

 

 〈イングリッシュ・ガーデン〉で操られたゴーヤの蔓が、気絶したままの榮倉と平竹を捕まえて、運んできていた。

 藤松は、まず榮倉の身体を受け取って、扉に放り込んだ。

 次は、平竹の番となった時。

 

「……ん? な、何だ!? なぜ私がハングアップされているのだ!?」

「あ、平竹はん気がつきなはったか。お早うさんです」

「藤松!! 何の真似だこれは!?」

「ああ、ゴミ捨てやっとるんですわ。平竹はんが最後ですねん」

「な……!? 私をゴミ扱いするのか!」

「ええ。それが何か?」

「き、貴様……笠間サイドにダブルクロスしたな!?」

「ええ。それが何か?」

 

 あまりにも平然とした藤松の様子に、もはや唖然としていた平竹だったが、

 

「キディング・ミー……! 島の門番ごときが、私にそんな口を聞いて、タダで済むとでも」

「ああ、修子。平竹はんを放したってくれるか? そこんところに降ろしてや」

「え? ああ、うん」

 

 怪訝そうな顔をしながら、言われる通りに平竹を降ろし、蔓をほどいて自由にした。

 平竹は、先の航希の攻撃ですでにボロボロになっている自分の姿を確認しながら、

 

「アウチ……! 全く、最初から下手に出ていればいいものを」

「うんうん。この位置が、拳を叩き込むのにちょうどええんや」

「え?」

 

 キョトンとした平竹に、

 

「ゴチャゴチャやかましいんじゃボケが!! 往にさらせッ!!」

 

 〈ミッシング・ゲイト〉渾身の拳が、その顔面に炸裂した。

 吹っ飛ばされた平竹は、扉にブチ当たって、そのまま中へと転がり込んでいった。

 ズカズカと扉に近づくと、藤松は〈ミッシング・ゲイト〉に、扉を閉めさせて札を剥がさせた。

 

「行先は『この国ではないゴミ捨て場』や。そんなに横文字が好きやったら、一生行っとけ」

 

 手をパンパンと払っている夫に修子は、

 

「ねえ。ホンマにええの?」

「カマへんカマへん。どうせアイツら全員、二度と日本には戻れんわいな。第一、あの平竹は元からイケ好かん野郎やったしな」

「そんなことやなくって。あの子たち、助けてあげなくってええのん?」

「自分の家族を守るんが、ワイの務めや。それ以上は、ワイの手に余る。それにお前、イロイロ渡してやっとったやろ?」

「ホンマは、あの子たちの敵をフォローするつもりで用意してたやつよ。一家全員で迷惑かけて、私ホンマに申し訳なくて」

「人のことばっかり心配しとる場合やない。ワイらも別の意味で、これから大変や」

 

 藤松は、ため息をついて肩を落とした。

 

「残念やけど、もうこの島にはおられへんやろうな。ワイも本土に戻って職探しや。子供たちや、お前を飢えさせるわけにはいかん」

「そやね。この島は気に入ってたけど……」

 

 修子は、庭をグルリと見回した。

 

「私も、庭の〈イングリッシュ・ガーデン〉全部解除するわ。そしたら、家に帰りましょ。肩……痛むやろ?」

「ま、カミさんがええ薬草用意してくれたら、すぐ治るやろ」

 

 ニカッと、藤松は妻に笑って見せた。

 



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第45話 人食いロボット掃除機 前編

 玄関では、温室から〈ミッシング・ゲイト〉で移動してきた笠間たち全員が、寄り集まっていた。先ほど玄関の扉に張られていた札は、全員が出てきたのを確認した藤松によって剥がされていた。

 

「狼男が、いきなり撃ってきたんだけど! 貫通しかけたんだけど!」

 

 ユリは、自分のスタンドにめり込んでいる銃弾に青ざめていた。その銃弾はスタンドの中で、八方に長い棘が飛び出していた。これを人間が食らえば、どういう状態になるか容易に想像ができた。

 

「やっぱりな。見逃してはくれないか」

「笠間さん、呑気してる場合じゃないって! 狼男がコッチ来る!」

「今開ける!」

 

 〈クリスタル・チャイルド〉が、大鎌で玄関の扉を断ち割った。

 

「中には入らせん!」

 

 フレミングは、全速力で向かってくる。

 その行く先に、立ち塞がっているのは、文明だった。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉が、両腕を前に構えた。ただし、両腕が組み合わされ、両手首が一つの円盤と化している。その先は、〈ハースニール〉と酷似した、より太い円筒形だった。

 

「〈黄金の回転〉の応用形! 〈メイルシュトローム〉!!」

 

 両手首の円盤が、回転した。

 そこから放たれる、猛烈な突風が直線に放たれ、フレミングを打った。さすがのフレミングも、突撃が一瞬止まった。その横を京次が追い抜くと、文明は回転を止めた。

 京次が、フレミングの眼前に回り込む。

 

「よく分かってるじゃねーか、文明! 心の友、ってやつか?」

「〈ハースニール〉じゃ、君も巻き込むからね。それに、そのフレミングと戦いたいんだろう?」

「どこまで理解してくれてるんだよ。感動で泣きそうだぜ!」

 

 京次はむしろ笑み崩れながら、フレミングに対して構えを取った。

 

「どうせ、中にも護衛がいるんだろ? そいつらが足を止めてる間に、俺を倒せばいいって話だ」

「これでも気が急いている。あまり遊んではやれんぞ」

「奇遇だな。俺もだよ」

 

 両者は、同時に地面を蹴って、互いに肉薄した。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」

「ノバノバノバノバノバノバノバノバ!」

 

 激しいラッシュの応酬が、両者の間で開始された。

 玄関先で、文明はそれを見ていた。

 

(京次くん、頼んだよ。僕らも、加勢してる余裕ないかもしれない)

 

 文明は、玄関の中に視線を戻した。

 内側へと蹴り出された、バラバラになった玄関の扉。それを、虫が食い荒らしていた。

 いや、虫をイメージさせると言った方が正確だろうか。元は、直径20センチの円形のロボット掃除機を思わせる代物、それが縦横3個ずつ9個、広い玄関ホールの中央に並べられていた。それが、扉の破片が入り込んだ途端、列をなしてそれに群がり、みるみる小さくしていった。底面で削り取っているらしく、ギャリギャリ……! という音がしている。

 それを、酢を飲んだような顔で眺めながら、航希は笠間に話しかけた。

 

「細かい破片とか木クズは、裏面で吸い込んでるみたいだね」

「らしいな。吸気音も混じって聞こえるからな」

「吸ったヤツって、どうしてるんだろ? 中に納まりきらないよね?」

「俺に聞かれても困る。コイツらを操ってるスタンド使いに聞いてくれ。まず間違いなく、家政婦のトミコの〈クリーンアップ・マスター〉だ」

 

 笠間は、天井を見上げた。

 そこには、直径1メートルほどの巨大なロボット掃除機が張り付いていた。ただし、厚みが通常の倍程度あり、手前側の側面にに大きなスリットがあって、蓋がされている。

 

「あれが、小型のヤツを制御してる親玉か?」

 

 〈クリスタル・チャイルド〉の大鎌を差し出すと、〈刃の螺旋〉をスリット目掛けて打ち込んだ。

 が、〈刃の螺旋〉が当たると、ロボット掃除機は弾かれたように、天井を滑って動いた。スリットの蓋は、傷ついた様子すら伺えない。

 

「衝撃を逃がして、ダメージがいかないようにしてやがるな。別の攻め方しかないな」

 

 笠間が玄関の敷居を一歩踏み超えた時、天井のロボット掃除機から、声が聞こえてきた。

 

『警告シマス。タダ今、清掃作業中デス。危険デスノデ、清掃えりあカラ退出シテクダサイ』

「天井が結構高いな。高さ5メートルってとこか。〈刃の螺旋〉でないと届かないな」

「兄さん、足元!」

 

 明日見に警告されるまでもなく、笠間は敵の動きを予知していた。小型掃除機が何台も、その足元に押し寄せようとしていた。

 笠間は天井への攻撃をいったん断念し、敷居から外へと出る。その手前で、数台の掃除機が右往左往しだした。

 

「やっぱりな。敷居から先へは出てこない。作業エリアが予め設定されてるんだろう」

 

 そう言いながら、足元の掃除機の一台に、上から鎌の刃を叩きつけた。深々と突き刺さった掃除機は、すぐにボロボロと崩れ出し、やがて跡形もなくなっていった。

 

「地道にこれを繰り返すしかないか? 面倒だが簡単……」

『〈バグ〉一台ノ機能停止ヲ確認シマシタ。コレヨリ補充シマス』

「え?」

 

 天井からの声に、笠間が見上げると。

 大型掃除機のスリットが開き、そこから新たな小型掃除機が排出された。ふわりと床に降り立った掃除機は、すぐに他の物と紛れて、区別がつかなくなった。

 

「上のヤツを叩かない限り、無限に補充されるってことか!」

『コレヨリ、〈害虫退治もーど〉ニ切リ替エマス。清掃えりあヲ超エル作業実施ノ可能性ガアリマス。えりあ近辺ノ人ハ、オ手持チノせーふてぃ信号ヲおんニシテクダサイ。誤ッテ攻撃ヲ受ケル怖レがアリマス。繰リ返シマス……』

「お手持ちって何だ!? そんなもん持ってるかよ!」

 

 敷居付近にいた、3台の小型掃除機が動きを止めた。

 それらが、ほぼ同時に、ふわりと宙に浮き上がった。

 

「みんな、玄関回りから散れ!!」

 

 笠間の警告に、全員が慌てて散った。

 3台の小型掃除機は、敷居の上を超えて外に飛び出してきた。いずれも、笠間を狙うように追いかけてくる。

 

「こいつ!」

 

 航希が、トンファーを回転させて、そのうちの1台を撃ち据えた。掃除機は、一瞬空中でグラついたものの、壊れる様子がない。それどころか、その1台は、今度は航希を執拗に追い始めた。

 

「みんな、コイツに攻撃したら、ターゲットが自分に移るみたいだ! 気を付けて!」

 

 言われるまでもなく、有効な攻撃方法を持っている者は、その場には限られていた。攻撃能力がないに等しいユリ、攻撃力に乏しい愛理、対人攻撃しかない遥音。フレミングとの激闘を続けている京次は、まだ決着がつきそうにない。槍の攻撃がまだ通じそうな明日見も、一撃で掃除機を完全に破壊できる自信はなかった。

 唯一、〈ハースニール〉が決まれば確実に掃除機を潰せる文明も、

 

(う……掃除機は、笠間や航希にまとわりつこうとしてるし、狙い撃ちしようにも動きは遅くない! 下手をすれば、こちらの誰かを巻き込んでしまう! ここは、別の手を考えるべきか?)

 

「天宮!」

 

 掃除機から逃げまどいながら、笠間が叫んだ。

 

「中の親玉や、小型の掃除機を攻撃はするな! 〈ハースニール〉は威力がありすぎて、建物が崩れかねない!」

「ぐ……」

 

 考えを読まれた文明は、実行を断念した。建物の倒壊は、おそらくは中にいるであろう操を巻き込みかねなかった。

 

(じゃあ、どうすればいいんだ!? 〈メイルシュトローム〉じゃ、せいぜい足止めだ。掃除機の破壊は期待できない……。第一、小型掃除機をいくら破壊しても、補充されたら意味がない!)

 

 文明が思考の袋小路に陥っている間、一方の明日見は、別のことを考えていた。

 

(そもそも、この掃除機はどうやってターゲットを認識してるの? 兄さんが攻撃したのは1台だけ。なのに、3台が攻撃を仕掛けた。これは、根本的には自動操縦のスタンドじゃない! スタンド使いが指示を出している。扉を削るパワーからして、遠距離スタンドではあり得ない)

 

 彼女は、扉がなくなった別荘の中を見た。天井の大型掃除機は、外からでは見えない。

 

(ってことは、大型からも外の状況は目視確認できない! 建物の内外を、同時にスタンド使いが状況を把握するのも、視覚では無理がある。別の方法で、大型と小型は情報をやり取りしている可能性が大きい。目視でないとすると……これは、私の出番かも!)

 

「文明くん!」

「え、え!?」

「スマホ返し損ねてたよね。今返すから!」

 

 言うなり、明日見は文明のスマホを、放り投げるように押し付けた。それを文明が受け取ると、明日見の姿は、突然消え失せた。

 

「テレポート!?」

 

 何か考えがあるのか、と文明が思った時。

 焦れた笠間が、2台のうちの片方を、鎌の攻撃で両断した。さらに、もう1台も破壊する。

 が、航希にまとわりつく1台を破壊に行こうとした時には、別荘から新たに2台の小型掃除機が飛来してきた。別荘内の減った台数は、大型掃除機から補充されたに違いなかった。

 

(全ての小型掃除機をこちらに向かわせないのは、手薄になった屋内への突入はさせない、ということか!)

 

 内心舌打ちする笠間に、2台横並びで飛んできた掃除機が向かう。〈クリスタル・チャイルド〉を自分の前に出して、一撃で両方破壊するつもりで、横に鎌を振るった。

 が。

 鎌が当たる直前に、両方とも空中で停止した。鎌が空振りするや、また両方が動き出す。鎌を翻して片方はどうにか破壊したものの、もう片方は鎌の死角に入り込んでしまった。掃除機が底面を笠間に向けて迫ってくる。

 ジャリィッ!

 ギリギリで掃除機のを食い止めたのは、伸びてきた〈ガーブ・オブ・ロード〉の布だった。掃除機の縁で回転している、鋼鉄のように硬いブラシが、布の表面を擦れる。これを人体が受ければ、皮膚どころか骨まで簡単に削られることは、文明にはすぐに分かった。

 掃除機は布を押さえつけるように、笠間に肉薄する。笠間は回避しようとしたが、足元を取られて転倒した。仰向けになった腹部に、掃除機がのしかかろうとした。

 

「させるか!」

 

 文明は、笠間に掃除機が接する直前に、掃除機の底面にさらに布を送り込んだ。何重にも折りたたんだ布のガードを挟んで、ついに笠間の腹部に掃除機が押し付けられた。

 

「ぐ……!」

 

 腕に伝わってくる、擦れる痛みを文明は覚え始めていた。長く持ちそうにないことを、実感せずにはいられなかった。

 笠間も、鎌で掃除機を破壊しようと考えたが、上から切っ先を打ち込めば、自分の腹まで貫通しかねない。掃除機の横から斬りつければ、布から掃除機がズレて、腹を削られかねない。掃除機をスタンドで持ち上げるのも、押し付けてくる圧力からして無理なのは目に見えていた。

 

「このッ!」

 

 愛理が、自分にターゲットが移るのを覚悟で、〈スィート・アンサンブル〉の指揮棒を掃除機に突きこんだが、彼女の攻撃力では傷すらロクにつかず、変わらず笠間の腹を擦り削ろうとし続けている。

 

「もう1台……2台来るよぉッ!!」

 

 ユリが、怯えた声をあげた。玄関から、新たな掃除機が飛来してくる。どちらも明らかに、動けない笠間を狙っていた。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉!!」

 

 遥音が音撃を放ったが、掃除機は揺るぎすらしない。そのまま、笠間に向かう動きは変わらない。航希が、自身も攻撃から逃げながらも、トンファーで新たに来た掃除機の片方を殴りつけたが、それも効く様子もなく無視された。

 〈クリスタル・チャイルド〉の振るった鎌が、次々と掃除機を斬り払う。

 

(だけど、また掃除機は送り込まれてくる。もっと数を増やされたら、誰か犠牲者が出る!)

 

 愛理が蒼白になる傍らで、文明が呻き声をあげ始めた。その右腕から、出血し始めていた。

 

「明日見のヤツ、何一人で逃げ出してんのよ! この大変な時に!」

「それは違う……!」

 

 痛みを堪えながらの文明の返事に、ユリは思わずそちらを見た。

 

「明日見くんは逃げ出す子じゃない。おそらく一人で、敵の本体を倒しに行ったんだ……! それまで僕が、何とか耐えてみせる……ッ!」

 

 そりゃアンタは明日見に惚れてるから、と言いかけたが、文明の必死の表情に、さすがに台詞を飲み込んだ。この状況では、文明の推測が当たっていることを祈るしかなかった。

 



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第46話 人食いロボット掃除機 後編

 明日見は、電波の行きかう中にいた。

 

(やっぱり! 大型と小型は、別荘に設置されてるwifiで通信し合ってる。大型も小型もカメラが内蔵されてて、視覚情報をやり取りしてたんだ。そして、大型もいわゆる子機にすぎない。親機に当たるものは別にある!)

 

 別荘の中で飛び交うwifiの電波をたどりながら、明日見はその先にある一つ一つを確認していった。

 その中の一つに、明日見は潜り込んだ。

 

(これは、webカメラ?)

 

 そこに映し出されているものを見て、明日見は顔色を変えた。

 別荘の狭い一室だった。寝台にくくりつけられて、苦悶の表情で叫んでいる人物が、城之内亜貴恵であることを、明日見は知っていた。

 亜貴恵の両腕と両足は、四方に伸ばされていた。その全てが、金属製のローラーに挟み込まれており、ローラーからはみ出した所から先端は、金属板で押さえ込まれている。そこから煙が上がっていて、高熱で焼かれているのが分かった。

 亜貴恵の枕元には、〈スィート・メモリーズ〉の懐中時計が置かれていた。そのことで、明日見は目の前で行われていることの全容が理解できた。

 

(これは、〈消滅する時間〉を利用した拷問! 〈消滅する時間〉が発動すると、スタンド使いの関わらない事象は、一時間後には元に戻り、記憶も抹消される。この拷問装置は純粋な機械仕掛けで、亜貴恵はスタンド使いじゃないから、両方とも元に戻される。命に別条のない拷問を、一時間かけて執り行い、また巻き戻す。それを何度も何度も繰り返しているんだ……!)

 

 これを行っている張本人であろう未麗の、残忍かつ執拗な性質を垣間見て、底知れぬドス黒い悪意に明日見は身震いした。

 

(さすがに装置を止めたいけど、私が関われば、亜貴恵の身体の損傷は元に戻らなくなる。それに、今は〈クリーンアップ・マスター〉を倒さないと……!)

 

 またwifiに戻った明日見は、さらに目的となる親機を探していった。

 そして、一つの画面を幾つも分割してるモニターを見つけた。

 覗き込んだ先に見えたのは、横合いからモニターを凝視している、メイド姿の太った初老の女だった。

 

(見つかっちゃ仕方ないか)

 

 明日見は、モニターから飛び出し、現実の世界に出た。

 綺麗に掃除された部屋の壁際に置かれた、人間大の箱型の機械。幾つも区切られたモニターには、玄関ホールを映し出したもの、外側の戦闘を映し出しているもの、それぞれ複数あった。機械にはモニターの他にスイッチがあり、底面近くには大きな、横長の長方形のカバーがついている。機械の上面には、先ほどの大型掃除機がちょうど収まる大きさの枠が用意されていた。これが、スタンドの親機に違いなかった。

 

「笠間明日見、やっぱりアンタが来たのかい。ま、他の奴らじゃ、下の掃除機は突破できやしないだろうけどねえ」

「そういうあなたは、お掃除ババアのトミコさんですか? 兄から聞いてます」

「まぁ! 口の利き方を知らない娘だねえ。親の顔が見たいもんだ。どうせなら、アッチに出てきてくれりゃ手間がなかったんだけどねぇ」

 

 トミコが顎をしゃくって見せたのは、親機の前に置かれている、小さい机に置かれたノートパソコンだった。画面には、トミコが見ていたらしい海外ドラマが流れていた。

 

「一つ聞きますけど、どうしてそのパソコン、大きなアクリルケースに、しかも机ごと入れられてるんですか?」

「そりゃね。アンタがそこから出てくれば、ケースに閉じ込めることができるだろ? インターネットにつながってる端末は、今はそれしかないからね」

 

 トミコは、ケースの小さな穴から伸びている、床のコンセントを乱雑に引き抜いた。パソコンの電源が瞬時に切れると、今度は手元のリモコンのスイッチを入れた。

 親機の前面のカバーが開き、吸気音が響き始めた。すると、ケースがズズッと動き出したかと思うと、カバーが開いた所へと一気に吸い込まれた。

 バキバキッ! と破壊音がして、アクリルケースも中のパソコンも、砕かれつつ吸い込まれていく。

 

「なるほど。兄の言う通り、罠があったということですか。別荘まで一気にネットで飛べば、私もそうなってたわけですね」

「スマートに事を進める、これが熟れたいい女の手法だよ。覚えておくんだね?」

「そうですか。もっと教えていただけますか? 『熟れたいい女』と、『ムダに歳だけ重ねたブタクソババア』の違いを」

 

 トミコのこめかみに、血管が浮き上がった。

 

「小便臭い小娘が、利いた風な口をきくじゃないのさ……?」

「あら、少しは褒めたつもりですよ? ブタって、綺麗好きだって言いますものね。お掃除得意なんでしょ?」

 

 トミコは、苛立ちを隠せない手つきで、リモコンを操作した。

 親機の側面にあった二つのスリットから、二台の小型掃除機が飛び出してきた。

 

「ハナから〈害虫退治モード〉にしとくよ。それから、リモコン奪おうとしてもムダだよ。アタシのスタンドの一部なんだから」

「ご親切に教えていただいて!」

 

 明日見は〈パラディンズ・シャイン〉を出した。宙を浮いて襲ってくる掃除機を、槍で叩き、払いのける。しかし、掃除機は槍を当てられた時は揺らぐものの、すぐに方向転換して、明日見に迫る。

 

「若い娘のダンスは、珍妙だねぇ! アタシが昔踊ってたヤツを教えてやろうか!? ほれ、こぉんな感じだよ。……何だよ、チャンと見なきゃダメじゃないかね?」

 

 トミコは、腰を捻りながら、手を波のように揺らしたり、ヒラヒラ舞わしたりして、余裕を見せている。

 明日見は隙を見て、本体のトミコに攻撃を仕掛けることを狙ってみるが、二台の同時攻撃に晒され、思うに任せず、部屋の隅に徐々に追い詰められていく。

 明日見は、すぐ側にあった扉のドアノブを掴み、回した。しかし、扉は開かない。

 

「鍵くらいしてるに決まってるだろ? 今更、部屋の外に逃げてもムダさ。建物のどこでもwifiは通じるから、掃除機は追ってくるよ!」

 

 掃除機が、部屋の角を形成する二枚の壁に沿うように、飛びかかってきた。

 槍が、扉のない方から来る掃除機を、横殴りで弾いた。そのままの勢いで、もう一台も弾く。空いたスペースから、明日見は抜け出して、その先にある壁へと走った。

 

「足掻くねぇ! 部屋に逃げ場なんかありゃしないよ!」

「部屋の中、ならね」

 

 明日見が駆け寄ったのは、外が見える窓だった。窓の鍵をスタンドで開け、素早く窓を開いた。

 

(外は、ビッシリ生えた竹林だ。人一人も、まともに通れやしない。ますます逃げ場がなくなるってのに、バカな小娘だよ!)

 

 明日見は、窓の外に身を投げ出した。

 バキバキッ! と、乾いた音を立てて、スタンドで押しのけた竹が折れる。

 その時、トミコは違和感を覚えた。

 

(え? 地面から生えてる竹が、そんな簡単に折れるわけが)

 

 明日見の身体が、下から伸びる、折れた竹の隙間をすり抜けるように落ちる。その頭上を、二台の掃除機が追って飛び出した。勢い余って、掃除機は次から次へと、竹をへし折りながら、竹林の先まで進みつつ落ちていった。

 〈パラディンズ・シャイン〉の手が、窓枠を掴んだ。落下の止まった明日見は、スタンドの力を借りて、窓へとよじ登る。

 部屋の中へと顔を出してきた明日見を見て、トミコはリモコンを操作した。

 もう一台、掃除機が親機のスリットから飛び出してきた。

 飛びかかる掃除機を、〈パラディンズ・シャイン〉の槍が、上から串刺しにした。そのまま、床まで貫いて動きを完全に止める。

 

「槍はもう使えなくなったねえ! 外に飛び出した掃除機も、すぐに戻る。そしたら、アンタはもうどうしようもなくなるよ!」

「戻ってくれば、ね」

 

 え? という顔のトミコ。

 

「バカだねぇ。窓の外も、多少の距離ならwifiは通じるんだよ。通信不能にゃならないさ」

「それにしては、なかなか戻ってこないみたいだけど?」

 

 その時、トミコの傍らにある親機から、音声が流れた。

 

『警告シマス。だすとぼっくすノ容量ガ90ぱーせんとヲ超エマシタ。本機ノ作動ヲ停止シテ、だすとぼっくすヲ空ニシテクダサイ』

「何だって!? まだ余裕はあるはずだよ!」

 

 顔色を変えるトミコに、明日見は手にしたものを見せた。

 

「これ。外に生えてる、竹の破片」

「生えてるだって!? だって、カラカラに枯れてるじゃないのさ!」

「外の超密集した竹林は、修子さんが〈イングリッシュ・ガーデン〉で作り上げたものでしょ? そして修子さんは、〈肉の芽〉を除去されて正気に戻り、庭のスタンドを全て解除した。もちろん竹林のも、ね」

「な……!」

「元々、スタンド能力で無理やり作った竹林だものね。能力が解除されると、急速に枯れてしまうって、修子さんは言ってた。つもり、外の竹は、もう全て枯れて脆くなっている。そんな中に、あの二台の掃除機は突っ込んだのよ?」

「あ……!」

「あの掃除機は、吸い込んだゴミや埃を、親機のダストボックスに転移させる仕組みなんでしょう? 中のシステムに入り込んで、そのことは確認済み。今頃あの二台は、折れまくる竹を削りまくって、ここまで戻ろうとしてるだろうけど。削ったものを吸い込んで、ドンドン転移させてくるものだから、ダストボックスの中身は急増する。満杯になったら、どうなるのかしらね?」

 

 トミコの目が、ガッと大きく見開かれていた。苦しそうに、腹を押さえている。

 

「あら、食べ過ぎなの? スタンドをいったん解除する? だけど、そうなると私が串刺しにするのは、掃除機じゃなくてあなたになるけどね。あなたを守るスタンドが活動停止になってるわけだから」

「うぐぐ……!」

 

 トミコの顔色が、赤から青に変わっていく。

 親機から、またも音声が発せられた。

 

「だすとぼっくすノ容量ガ、100ぱーせんとヲ超エマシタ。作動不能ニツキ、子機モ含メテ、全テノ機能ヲ強制停止シマス……」

「う、ぐえぇぇぇぇッ!!」

 

 トミコは、大きく開けた口から、大量の嘔吐物を吐き出した。

 そのまま、自身の吐いたものが広がる床に、倒れこんで気絶した。

 明日見は、顔を逸らしながら言った。

 

「あ~あ、せっかく綺麗な床だったのに……。これ、一体誰が掃除するんだろ?」

 

 

 

 

 

 その頃遥音は、癒しの歌で文明の腕を回復させながらも、内心で焦っていた。

 笠間の腹を削ろうとする掃除機の猛攻を、スタンドの布でガードし続けて、歯を食いしばって耐える文明。

 

(まだかよ明日見! このままだと、文明の腕が完全に削られちまう!)

 

 曲の合間に息つぎを入れ、額の汗を彼女が拭った時。

 

「……え?」

 

 文明が、声を漏らした。

 掃除機は、動きを止めていた。そして、ボロボロと崩れ落ちていく。

 

「ど……どうも、明日見ちゃんが、敵の本体を倒したみたいだね!?」

 

 息を切らしながら、航希も近寄ってきた。それまでずっと、掃除機の攻撃を休みなく凌ぎ続けていたのだ。

 文明は、地面にへたりこんだ。その右腕から、鮮血が流れ続けている。

 

「服を脱がします!」

 

 愛理が、文明のブレザーを脱がせると、シャツを脱がせていった。腕を抜く時、文明が苦痛の声をあげる。

 

「ぐう……!」

「我慢してください。薬を使います。消毒の効果もあるとのことです」

 

 差し出された腕に、修子から渡されていた、強化した薬草を用いた薬を塗りこんでいった。文明は、歯を軋らせて痛みを堪える。

 

「できました。ユリさん、お願いします」

 

 すぐさま、〈エロティクス〉が腕の傷に被せられた。その間も、遥音は癒しの歌を続けている。

 そしてすぐに、文明の呻きが止まった。

 

「……痛みが引いてきた」

「え!? 早すぎるんだけど!」

 

 ユリが驚いて、スタンドが被せられている傷口を見ると、すでに血が止まっているだけでなく、皮膚の再生が始まりかけていた。

 

「薬草の効果は、かなりのもののようですね。遥音さんとユリさんの能力も合わせていますから、相乗効果で驚異的な回復になっているのでしょう」

「そう、みたいだね」

 

 すでに、普通の表情に戻ってきている文明に、笠間が近づいた。

 

「……お前に助けられたな。礼を言う」

「明日見くんは、一人で戦いに行った。愛理くんも見てる。そんな時に、あなたをムザムザと死なせるわけにはいかないよ」

「……ひとまず、昨日のママゴト云々は取り消しておくよ」

 

 笠間は、一つ息をついた。



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第47話 フレミングとの拳闘

 トミコの詰めていた部屋の扉、そのドアノブが、内側から槍で壊された。

 中から出てきた明日見は、そこが2階であり、吹き抜けとなっている玄関ホールを柵越しに見下ろすことができる廊下の、ちょうど真ん中に当たるところであることを知った。

 

(外はどうなってるだろう? 誰も犠牲者が出てなければいいけど)

 

 廊下は、左右共に突き当りが下り階段となっており、カーブを描きながら玄関ホールに降りられるようになっている。明日見は、左側の階段へと向かった。

 階段を前に、一歩足を降ろそうとした時。

 スッ、と、階段に近い扉が静かに開いた。

 中から躍り出た人影は、ほとんど足音も立てずに数歩駆けた。

 スタンドが、人影の前に現れた。その手の刀が、振り上げられる。

 明日見は背後から、左肩からの袈裟斬りを受けた。

 胴体が斜めに両断され、上半分が階段に滑り落ちていく。

 

「……」

 

 操は無表情のまま、〈ファントム・ペイン〉を消すことなく、上半身を半分失った明日見を追い越して、階段を駆け降りていった。

 その一番下には、すでに待っている者がいた。

 

「仕留めたかね?」

「はい。先生」

「では行こうか。彼らは手ごわい。経験豊富な笠間もいる。奇襲を仕掛け、迅速にケリをつけよう」

 

 神原は、操を連れて、玄関へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 京次は、フレミングの蹴りを胴に食らって、柵に叩きつけられた。

 穴の開いた掌が、京次に向けられる。横に転がった京次のいた場所に、弾丸が撃ち込まれた。 

 

「チッ!」

 

 ダッシュしてきたフレミングの回し蹴りを避ける。流れた足が蹴りつけた金属製の柵が、大きくひん曲がった。

 ワイヤー付きの肩パットが空中に浮き上がり、尖った先端が追い撃ちをかける。京次はなおも転がるように逃げていき、一瞬遅れてその跡を、肩パットが刺さって地面を抉る。フレミングも、京次を追って動く。

 京次は、〈ダンス・マカブヘアー〉を伸ばし、肩パットを弾いた。追撃が一瞬止まった隙に起き上がり、フレミングに向き直る。

 離れたところから、仲間たちの声が聞こえるのを京次は耳にした。いつの間にか、戦っているうちに、京次とフレミングは大きく移動していた。

 

(この男、出会うたび、戦うたびに強くなってくる! それも、飛躍的に)

 

 フレミングは、間合いを詰めながらも、それを痛感していた。

 

(以前のこやつなら、先ほどの攻撃で成す術もなかっただろう。あの髪のようなものがスタンドに備わったことで、攻防ともに手数が増えた)

 

 両者は、何度か目になる、打撃の応戦を開始した。

 京次の拳を、蹴りを、時に受け、時に掠めながらも、フレミングはさらに思った。

 

(それだけではない! 一撃一撃の威力が、段違いに強くなっている。外骨格を砕く〈振動〉だけではないな。受けるたびに、痺れる感覚がある。あの老人から仕込まれているに違いない)

 

 間合いが詰まった瞬間、フレミングは大きな顎を開き、京次の首筋を狙って噛みつきにいった。それを京次は、素早く後ろに下がって避ける。フレミングの足が大きく上がり、硬質化して尖った踵が、京次の頭上目掛けて叩きつけられていった。これも、京次はかろうじて避ける。

 回り込んでいった京次のローキックを、上げた足で受けるフレイング。

 

(俺も格闘技の動画を見たり、実際に組み手とやらをやり、技術を学んだ。だが、これほど大幅な力量の伸びはさすがにない。俺と戦えるようになるために、それだけの修練を積んできたということか)

 

 が、フレミングはさらに思った。

 

(違う! それならば、もっと悲壮なものが漂うはずだろう。ならばなぜ、この男は笑っているのだ!?)

 

 フレミングの看破した通りであった。京次は我知らず、ずっと笑っていた。人間の本能である、闘争という本能を解放できる喜びに満ち溢れていた。

 

(俺との戦いは、こやつにとっては遊びの一環なのか? 楽しんでいるのか? 実のところ、俺も少しは理解できる。だが……。これ以上、楽しんでばかりもいられない)

 

 フレミングは、いったん間合いを取って、大きく息を吸った。

 そして一気に突っかける。そこから、怒涛の連打が始まった。両方の拳、蹴り、文字通り息つく暇もない連打の嵐。人間にはまず真似のできない、無呼吸連打だ。

 それを京次は、ガードを固め、〈ダンス・マカブヘアー〉も使って食い止め、ひたすら耐える。打撃の圧力に押され、ジリジリと京次の体が後退していく。

 だが、猛攻の前に、少しずつガードが崩れ始めた。

 京次の右の腕がやや下がり、横面に隙が生じた。

 

(そこだ!)

 

 フレミングの左ストレートが、京次の頬に叩き込まれた。奥歯が砕ける感触を、京次は感じた。

 が。

 想像したよりも浅い感触に、フレミングは一瞬戸惑った。

 京次の手が、突き出されたフレミングの腕を取った。

 

(今の一撃。ソイツを待ってたんだ!!)

 

 京次は、拳が当たる直前に、後ろにあえてのけ反っていた。完全に倒れこまないように、〈ダンス・マカブヘアー〉が地面に突き立ち、身体を支えていた。

 京次の右足が、宙に浮いた。その足が、フレミングの首に絡みついてロックする。

 師匠である、泉蓮斎の言葉が、京次の頭に掠めた。

 

『この技は、虎が上下の牙を嚙合わせるのを思い浮かべるんじゃ。ワシは足が短いから無理……余計なお世話じゃ、ゲロッパ!』

 

 上の〈牙〉が首に回り、跳ね上げられた左足の膝が、下の〈牙〉となってフレミングの顎に激しく叩き込まれた。外骨格はおろか、顎の骨まで砕ける感触が、確かにあった。

 

(これが! 〈虎王〉だッ!!)

 

 まだ、技には続きがあった。そのままの勢いでフレミングの肩に乗っかり、先に取っていた腕を抱え込む。体重をかけて、フレミングの身体をうつ伏せに倒し、ピンと伸ばされている腕を。背中の方へと高く反り上げた。完璧に肩の関節が極められていた。どちらの肩パットも、京次の足で押さえ込まれて動かせない。

 

「うぬッ……! だが、まだだ!」

 

 かつてない痛みに見舞われながら、フレミングにはなおも抵抗の手段が残されていた。

 両方の肩パットに相手を触れさせていれば流し込める、1千ボルトの電気。京次もこれを身に受ければ、耐えきれずに離れる他ないはずだった。

 だが。

 電気を発生させても、京次は全く身じろぎすらせず、肩を極め続けている。

 

「悪ぃが無駄だぜ」

 

 京次が、そう口にした。

 

「おめぇが電気を使えることを知ってりゃ、この技を使うにあたって対策くらいする。〈ダンス・マカブヘアー〉の先端は、地面に突き刺さってる。〈波紋〉同様、電気もスタンドを通しやすい。スタンドを用いたアース、ってことだ!」

「ぐぬう……ッ!」

 

 京次は、肩をへし折るべく、さらに力を込めた。

 その時であった。

 

「ぬ、おぉぉぉーッ!!」

 

 ビキビキッ! 嫌な音が、フレミングの肩から聞こえた。

 急に手ごたえがなくなり、京次の体はフレミングの上から転げ落ちた。

 

「な!?」

 

 京次は、その手に残ったものを見て、愕然とした。

 それは、肩から完全にちぎり取られた、フレミングの腕であった。

 片腕を失ったフレミングは、ゆらりと立ち上がった。

 

「……俺は、その気になれば、腕だろうが足だろうが、自分で切り離すことができるのだ。時間さえ経てば、切り離した部分は再生する。貴様をはじめ、全員を倒した後でな!」

「そうかい。だが、ソイツを待ってはやらねえぜ?」

「当たり前だ。こちらも悠長なことは言っていられん。その腕は、ハンデとしてくれてやる!」

 

 フレミングは、間合いを詰めて、一気に仕掛けてきた。左の拳や蹴り、それに肩パットまで用いての連続攻撃。

 京次はそれを受けながら、

 

(なんでさっきのラッシュで、肩パットを使わなかったのか分かるぜ。ワイヤーを通じて操作してる分だけ、手足と比べてどうしても遅い。複雑な動きが可能な分、使う本人も複雑な操作判断が必要になる。素早い連打を、手足とのコンビネーションで繰り出すには、本来不向きなんだろ?)

 

 京次の拳のラッシュをかいくぐり、フレミングの右フックが京次の脇腹を狙った。〈ダンス・マカブヘアー〉が、それをガードする。

 

「これはどうだッ!」

 

 両方の肩パットが空中に舞い上がり、両方同時に、それぞれ斜め上から振り降ろされた。狙いは、京次の首元、頸動脈。

 

「〈波紋肘支疾走(リーバッフオーバードライブ)〉!!」

 

 京次の両肘が、斜めに差し上げられた。肩パットの先端が食い止められ、肘の先端から強烈な〈波紋〉が流し込まれた。フレミングが、肩パットから電流を放つより速く。

 今までにない痺れが、ワイヤーを通してフレミングを襲う。一瞬、ワイヤーの動きが完全に止まった。

 京次は、その隙を見逃さなかった。口から、雄たけびが走る。

 

「うぉぉぉぉーッ!! 〈山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)〉!!」

 

 〈波紋〉を最大限に込め、〈振動〉も送り込んだ、激烈な拳のラッシュがフレミングの全身を襲った。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

 

 その速さは、片腕を失い、肩パットの動きを止められたフレミングが受けきれるものではなかった。外骨格が砕かれ、中身が弾ける。フレミングの強靭な肉体が、破壊され尽くしていく。

 

「邪魔ァーッッ!!」

 

 強烈なストレートが、フレミングの眉間に叩き込まれた。

 ついにたまらず、フレミングの身体は圧力に吹き飛ばされ、地面に投げ出された。その全身からはなおも、〈波紋〉の影響による、溶ける音がしていた。

 

「どうやら……俺の負けのようだな。もう、戦えそうにない。行くがいい。それが勝者の権利だ……」

「……あんまり悔しそうじゃねえな。思う存分暴れられたって感じだぜ?」

「フ……そうかもしれんな。楽しかったぞ。京次とやら」

 

 フレミングは、目を閉じた。

 それを確認して去っていく京次。それを耳で追いながら、フレミングは消えゆく意識の中で思った。

 

(先へ行くことは認めてやる。だが俺も、このままでは終われん。亜貴恵様を、お助けせねばならんのだ……!)

 

 地面に転がされている、フレミングの左腕。

 ピクリとも動かなくなった全身に取って代わるように、それが少しずつ蠢き始めていた。

 



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第48話 昨日の友は今日の敵

 フレミングとの戦いを終え、仲間たちの元へと歩み寄りながら、京次は違和感を感じた。

 

(アッチも戦闘は終わってるのか。なんだか、全員疲れ切ってるっつーか、沈み込んでやがる。誰かやられたか!?)

 

 近づくにつれて、自分の嫌な予感が当たっていたことを、京次は悟った。

 航希が、いつになく沈痛な表情で出迎えた。

 

「あのフレミングを倒したんだね、京ヤン。やっぱりスゴイよ。それに引き換え、オレたちはこんな有様だよ……」

 

 航希が視線を向けた先には、明日見と遥音がいた。たたし、明日見は斜に両断された上半身を自ら抱きかかえ、遥音は鼻から下を包帯でグルグル巻きにしている。

 

「お前ら、体は大丈夫なのか!? って、そんなわけねーよな」

「見た目はこんなだけど、中身はつながってる状態みたい。私も遥音さんも、痛みすらないよ」

 

 明日見の台詞に、遥音も頷いた。

 

「遥音は、もしかして声が出せねーのか?」

「口を両断されてるから。少なくとも声を使った能力は全てダメよ。私もこんなだから、スタンドは問題なく使えはするけど、本体の私は移動すら難しくて。上半身って結構重たいのよ」

「おめぇは後方待機が関の山だな。そもそも、何があった?」

「それが……」

 

 明日見に促されて、航希が語り始めた。

 

 

 

 

 

「先生!?」

 

 玄関から出てきた神原を見て、文明は目を見開いた。

 静かな微笑みを湛えつつ、ポケットに手を入れて神原は足を進める。服こそ傷み、汚れている形跡はあるが、普段と変わらない足取りだ。

 

「よくぞここまで来た。君たちの実力には、敬意を表する」

「怪我は、大丈夫なんですか?」

「私のスタンドは、自分の怪我を癒せるのでね」

 

 笠間が、神原を睨みながら問いかけた。

 

「柳生操はどうした?」

「……中にいる」

「動くな神原!」

 

 笠間が〈クリスタル・チャイルド〉を出した。

 

「柳生操が無事なら、連れてくるはず! 動けないなら、それを真っ先に言うはずだ!」

「さすがに貴様は誤魔化しきれんか!」

 

 〈刃の螺旋〉が、神原に突き出された。

 だが、神原はそれを巧みに避け、さらに距離を詰める。向かう先には愛理がいる。

 

(そうはいくか!)

 

 〈クリスタル・チャイルド〉が、愛理と笠間を入れ替えた。

 が、笠間が眼前に現れた時には既に、神原は方向転換をしていた。大鎌で迎撃しようとしていた笠間は、一瞬虚を突かれて動きが止まる。文明が布を飛ばしたが、それも〈ノスフェラトゥ〉のマントで防がれる。

 神原は、遥音に接近した。マイクを構えた遥音の手首を、出現した〈ノスフェラトゥ〉が掴んだ。

 

「獲った!」

 

 神原が叫ぶや、玄関の開いた所から出てきたのは、操だった。

 その手に握られていたのは、人間の手首だった。

 神原は、ポケットから左の袖を引き抜いて、操の方へと差し出した。袖からは、手首から先がない。袖をポケットに入れていたのは、それを隠すためだった。

 

「〈ファントム・ペイン〉! 手首の方へと戻して」

「操!?」

 

 航希が驚く暇もなく。

 神原の体が急速に、操の手にする手首の方へと、引き寄せられた。〈ノスフェラトゥ〉も、それが捕まえている遥音も連れて。

 神原の手首が、その全身と結合する。同時に、〈ファントム・ペイン〉が踏み込んだ。

 遥音の顔面が、口元のところで刀で両断された。

 

「目的は達した! 退こう」

 

 神原は遥音の手首を放すと、操を促して玄関の中へと消えていった。

 

「操!」

 

 航希が〈サイレント・ゲイル〉で追いかけようとする。

 

「服部、深追いするな! 罠があるかもしれん! 単独行動は禁じたはずだぞ!」

「……くッ!」

 

 笠間に止められた航希は、無念そうに玄関の中を覗き込む。

 その時ようやく航希は、階段からやっと這い降りてきた、明日見の上半身を見つけた。

 

 

 

 

 

「つまりアレか? 操と神原先生は、敵に回ったってことか」

「ああ」

 

 京次の問いかけに、笠間が苦々しく答えた。

 

「間違いなく、〈肉の芽〉に操られている。操り手は、城之内聖也だ」

「聖也? ……どっかで聞いたような気がするな」

「未麗の弟さ。生まれてこの方、意識がないままだと聞かされていたが……。吸血鬼は、自分の細胞を〈肉の芽〉にして、それを植え付けることで、人を操る。もっとも、聖也の〈肉の芽〉は変種で、人の皮膚に食いつくことで、相手を支配下におくようだがな」

「すると、その聖也が吸血鬼だっていうわけか? なら、俺の出番だな」

 

 京次は、指の骨を鳴らした。

 

「俺の〈波紋法〉は、元々は吸血鬼を倒すために、武術として発展した。イイやつをブチこんでやれば、退治できるだろ。〈肉の芽〉にしたって、皮膚に食いついてるだけなら、〈波紋〉を流し込めば破壊できるだろ」

「だろうな。というか、〈肉の芽〉の張り付いてるところさえ分かれば、人の手で引き剥がせるみたいだがな。だが問題は……あの二人相手に、そう上手くいくかどうかだ。二人ともスタンド使いで、しかも攻撃力が高い。神原の〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は、特に脅威だ」

「知ってるぜ。俺は、目の当たりにしてるからな」

「何で口元がニヤついてるのか。俺には分からんが……まあいいか」

 

 そこに、愛理が口を挟んできた。

 

「あの、笠間さん。さっきの二人の様子からすると、あたしに最初向かってきたのはフェイントで、狙いは最初から遥音さんだったように思えるのですが。どういうことなんでしょうか?」

「それを、俺も言おうと思っていた。おそらく、まずは中・遠距離攻撃のスタンド使いを削るのが狙いだったんだろう。明日見もそうだが、特に須藤遥音の〈ブラスト・ヴォイス〉は瞬時に、多数を一斉攻撃することが可能だからな。狭い屋内となれば、遥音は特に脅威だ」

「遥音さんの能力までご存じなんですか。よく情報をお持ちですね」

 

 傍らで、ユリが知らん顔をしている。

 

「もう一つ疑問があります。なぜ操さんと先生は、お二人を殺さなかったんでしょうか? 明日見さんは不意打ちで攻撃してますし、遥音さんに対しては、あえて手間をかけて能力だけを封じたとしか思えませんが」

「それも言おうと思っていた。まず間違いなく、最終的には俺たち全員を〈肉の芽〉で操って奴隷にするつもりなんだ。可能ならば、な。だから今まで、俺たちをなるべく殺さないようにしてきたんだ」

 

 ざわ、とその場の全員の心が戦慄いた。

 

「〈ファントム・ペイン〉で斬られても、操さえいればまた元通りにすることができるわけだからな。他の全員を無力化してから、この二人も〈肉の芽〉を張り付けた上で元通りにしてミッション完了、だ。逆に言うと、こちらとしてはもう、絶対に操は殺さず奪回するしかない。でないと……」

 

 笠間は、変わり果てた姿の妹と遥音に視線を向けた。

 

「明日見。例の二人は、建物のどこに行ったか分かるか?」

「玄関ホールから、横に廊下が伸びてたでしょう? 私が襲われた階段の反対側、その突き当りに扉があるの。あの二人は、そこから入って、扉は開けっ放しにしてた。航希くんに中を覗いてもらったんだけど……」

「下に降りる階段があったよ。途中で折れ曲がってて、その先は地下室にでもなってる感じだよ。奥から明るく照らされてたから。深追いするなって言うから、すぐに引き返したけど」

「地下室か……なるほどな」

 

 笠間は、目を細めた。

 

「神原は〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉をそこで使ってくるつもりだな。使えば、効果時間中は神原自身は吸血鬼に変貌するから、日光の下では戦えない。〈肉の芽〉にしても、剥がした部分は殻でガードされてるからともかく、本来は日光に弱いはずだ」

「……あっ!!」

 

 突然声をあげた明日見に、全員がギョッっとした。

 

「もしかして……そういうこと!?」

「どういうことだ、明日見?」

「分かった気がする。どうして〈スィート・ホーム〉が必要だったのか。聖也本人は……多分その中にいる!」

「え……!?」

「そうよ。〈スィート・ホーム〉は別世界でしかも屋内だから、日光は当たらない。〈波紋〉で攻撃しようにも、出会いがしらというわけにはいかない。まず中に入る必要があるものね」

「待て。思い当たる節がある」

 

 笠間も、記憶を辿り始めた。

 

「修子さんに取り付いてた〈肉の芽〉には管があった。他の家族のもそうだった。俺が見た管はどれも、その先端の形が不揃いに尖ってた。まるで……切り落としたみたいにな」

「え、それって」

「柳生操の〈ファントム・ペイン〉だ。あの管が、内部的にはその先でさらに伸びてたとしたら? どこにつながってると思う? 俺が思うに……聖也本人だ」

 

 〈肉の芽〉を伸ばす聖也の姿を想像しかけて、明日見は言葉を失った。

 さらに笠間は続けて、

 

「おそらく、この〈肉の芽〉は触手みたいに伸ばして、対象に接触して食いつかせることで、支配下に置くんだろう。だが触手の長さに限界があるから、せっかく支配下に置いても、自分から離れさせて活動させることができない。未麗が探していたのは、そこんところのネックを解消させられるスタンド使いだったんだ……そう考えると、聖也自身はキャビネットに居ながら、支配下に置いたスタンド使いを操れることになる」

 

 そこに、ユリが口を挟んできた。

 

「小難しい話してるところにアレだけどさー。要するに、あのキャビネットん中にソイツがいるんでしょ? だったら、キャビネット壊しちゃえばイイんじゃない?」

 

 それを聞くなり、遥音は乱暴に、ユリの襟首を片手で掴んだ。

 ユリは面喰いながら、

 

「ちょ……ちょっと! そんな怖い顔しなくってもいいじゃない!」

「遥音くんの気持ちは分かる。ユリくんは、知らないだけなんだから、放してあげてくれ」

 

 文明に窘められて、遥音は忌々しそうに、ユリから手を放した。

 

「君は〈スィート・ホーム〉に入ったことがないから知らないことだけど。あの中には……炭三がいるんだ」

「え? 炭三?」

「幽霊になってる黒猫だよ。元々は、愛理くんのひいお爺さんの飼い猫だったんだ。彼自身は、長年の友人だって言ってたけど。炭三は、友達の子孫である愛理くんの危機を予期して、彼女を救うために、死んでからもずっとこの世にとどまり続けたんだ。〈スィート・ホーム〉は、炭三のスタンドなんだ」

「そ……それを先に言いなよ! 私、猫は嫌いじゃないし」

「僕たちがあの中に入ってたのは、スタンドの話を他の人に聞かれたくないためでもあったけど。単純に、あそこでみんなと集まっているのが……楽しかったんだ。炭三と一緒に」

 

 ジョーカーズの面々は、一様に頷いた。

 

「炭三は、僕たちに居場所を与えてくれた。彼もまた、僕たちの仲間なんだよ。キャビネットを壊すっていうことは、炭三がこの世からいなくなるっていうことなんだよ。分かってくれ」

「分かった、分かったわよ! もうこの話はしないから」

 

 笠間は、そんな彼らを、やや眉をしかめて、頭を掻きながら、

 

「まったくよ~……。お前ら、これ以上難易度を上げてくれるなよな~」

「兄さん! 私たちの気持ちを汲んでくれるのよね?」

「まぁ、キャビネットを壊すのは、俺も最後の手段だと思ってた。何しろ、〈スィート・ホーム〉の中の状態が分からないからな。下手に壊すと、却って状況が悪化しかねない。できうる限り避ける」

「できうる限り……?」

「お前たちが、その炭三を大切に思ってることは分かった。だが、未麗や聖也を野放しにすれば、どれだけ大勢の人間が人生を狂わされるか分からないんだぞ。それを考えれば、いよいよとなったら俺は決断する。そこまで追い詰められる前に……分かってるな、みんな?」

 

 全員が頷く様子を眺めつつ、笠間は小さく笑った。

 

「イイ面構えしてるよ、お前ら……。さて、敵の本拠に乗り込むための、最後の作戦会議といくか」

 



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第49話 【過去編】未麗という名の闇

「……そう、ご苦労様」

 

 地下室の中で未麗は、戻ってきた神原と操に声をかけた。

 

(ジョーカーズ、よくぞここまで来たわね。私の〈スィート・メモリーズ〉の前には、何人いようが無力。多ければ多いほど、最終的には聖也の下僕が増える。いわば、ポーカーと同じ。手持ちの〈産廃〉カードを、戦いを勝ち抜いてきた強力なカードと総入れ替え……。これまで手加減してあげた、甲斐があるというもの)

 

 その身に感じる、〈消滅する時間〉の感覚を味わいながら、未麗は口元を歪ませて微笑んだ。

 

(そろそろ、あのクズ女も始末しようか。聖也の側に操がいさえすれば、学園の運営に亜貴恵を利用する必要もない。学園の全てが聖也と、私の意のままになるのだから……)

 

 

 

 

 

 未麗にとって亜貴恵は、『自分と聖也を生んだ女』ではあったが、『母親』では断じてなかった。

 未麗の、亜貴恵に関する最も古い記憶は3歳の時。小さいが豪華な部屋の中での出来事だ。その部屋には、妙にグロテスクな石仮面が、奥まったデスクの裏に飾られていた。

 

「本当にいいのね? 私は、別にあなた自身でも構わないのよ」

 

 その中年女は、宗教団体〈ダーク・ワールド・オーダー〉を設立した、初代クイン・ビーだった。彼女は亜貴恵に話しかけながら、手にしているものを見せびらかしていた。一握り程度の大きさの、パイプ状の入れ物。

 

「いえ、未麗にお願いします」

 

 そう言うと亜貴恵は、未麗の背後に回り、両肩をがっしりと捕まえた。

 

「え? ママ、なに?」

「じっとしてなさい。何も怖くないから!」

 

 その有無を言わせない声音の方が、よほど未麗には怖かった。

 クイン・ビーは、入れ物の蓋を開けると、手早くそれを未麗の眉間に押し当てた。驚いた未麗は逃げたかったが、亜貴恵が頭を両手で固定して、動けなかった。

 入れ物を押し当てられた所に、鋭い痛みが走った。未麗は叫び声をあげたが、クイン・ビーも亜貴恵も、身じろぎもしなかった。

 痛みが消え、未麗が動こうとするのを止めると、クイン・ビーはそっと入れ物を持ち上げた。

 未麗の眉間には、〈肉の芽〉がしっかりと植え込まれていた。

 

「……成功ね。気分はどう?」

「……わかんない」

「あれを見て、どう思う?」

 

 クイン・ビーが指さした石仮面を、未麗は仰ぎ見た。

 なぜだか、先ほどまでは『気持ち悪い』としか思えなかった石仮面が、『とても尊い』と感じられた。

 その事を未麗が口にすると、クイン・ビーは満足そうに、

 

「よろしい。お嬢さん共々、今後とも我が〈ダーク・ワールド・オーダー〉に尽くしてもらうわ」

「承知しています。これできっと、私の本願も叶いますよね?」

「ああ、男の子が欲しいのよね? 跡継ぎができないと、城之内家があなたの手に入らないものね」

 

 なぜか、そのやり取りを未麗は鮮明に覚えていた。

 

 

 

 

 

 その一年後、亜貴恵は念願の男の子を妊娠した。亜貴恵は狂喜したが、出産直後に、予想外の事態を迎えて愕然となった。聖也と名付けたその男の子は、生きてはいるものの、全く意識がない状態のままで、目覚めることがなかったのだ。

 しかも、未麗と聖也の父である城之内雅史は、それから間もなく、若くして亡くなってしまった。もはや、城之内家の血を引く、他の男の子を産むことができなくなった亜貴恵は、狂ったように聖也を多数の医者に診せたが、誰も目覚めさせることはできなかった。その過程で、生体実験を行っていた、秘密組織ドレスとも関りを持っていた。

 未麗のことも放り出して、構うことは全くないといってよかった。たまに連れ出される時は、必ず聖也のいる病院が目的地だった。

 未麗はベッドで眠り続けている聖也を見つめながら、『かわいそう』と思っていた。『おめざめしたら、おねえちゃんと、いっしょにあそぼうね』と話しかけたりもした。何度も来ているうち、聖也にいろいろ語り掛けるのが、未麗の楽しみの一つとなっていた。

 

 

 

 

 

 そんなある日。

 外出しようとしている亜貴恵に、積み木遊びをしていた未麗が呼びかけた。

 

「ねえママ。あそぼうよー。いっつも、おでかけしちゃうし」

 

 亜貴恵は、いつものように無視して玄関に足を進めた。その背中に、未麗がさらに声をかけた。

 

「ママ! つみきで、ころんじゃうよ」

 

 チラッと足元を見た亜貴恵は、積み木に気が付いた。跨いでいけば済むような代物。

 だが、亜貴恵は直感していた。

 

(あたしは、この積み木を踏んでしまう!)

 

 吸い込まれるように、足の裏が積み木を踏みつけていた。積み木が床を滑り、体勢を崩した亜貴恵は転倒していた。

 亜貴恵が自分の来た方向を見ると、座ったままじっと自分を見つめている未麗がいた。

 

「ほらね? みれいの、いったとおりでしょ? あそぼ?」

「ア、アンタ……アンタがやったの?」

「ちがうよー。このこが、やったの。ほら」

 

 未麗が指さした先には、誰もいなかった。

 亜貴恵はカッとして、つかつかと未麗の元に近づき、甲高い音と共に、その頬を張った。

 

「ちゃんと片付けときなさいよ、危ないじゃない! 何がこの子、よ! 誰もいないじゃないのさ! 全く、気持ち悪いのよアンタは!」

 

 荒々しく足音を立てて出ていく亜貴恵を、未麗は頬を押さえて、涙を流しながら見送った。

 

「……いるよ。いまもいるよ。ママには、みえないの? 〈すぃーと・めもりーず〉が」

 

 

 

 

 

 亜貴恵は、病院詣でを繰り返す傍ら、〈ダーク・ワールド・オーダー〉にも変わらず在籍していた。しかし亜貴恵もこの頃には、その正体に気づいていた。神祖とされる吸血鬼が遠い異国にいて、その軍資金を捻出するための手段として運営されていたのだ。

 聖也という男の子を生んだものの、その生命を維持し、意識を蘇らせる方法を探るためには、膨大な医療費が必要であった。しかし、城之内家の財産を食い潰しては本末転倒だ。そこで亜貴恵は、表と裏、両方の手段で資金を手に入れることを考えた。

 表の手段としては、〈城之内聖也基金〉を設立し、聖也の病状を明かすことによって、人々の同情を誘って寄付金を募る。裏の手段としては、クイン・ビーを葬り去り、〈ダーク・ワールド・オーダー〉を乗っ取り、金儲けのシステムをそっくり自分のものとする。

 表の手段はスムーズに事が運んだ。裏の手段のために、教団の他の幹部を少しずつ手懐けていたのだが、やがてそれはクイン・ビーの知るところとなった。

 クイン・ビーは、亜貴恵の家に押しかけてきて、未麗も見ている前で面罵し始めた。

 

「どういうこと!? あなた、私の教団を乗っ取ろうとしているでしょ!?」

「そんなことありません、クイン・ビー。思い違いです!」

「ヌケヌケとよくも、この泥棒猫が……! いいこと、私には神祖様が後ろにいらっしゃるのよ!? アンタなんか、神祖様のエサにしかならない家畜だってことを、思い知らせてあげる! そこの娘に埋め込んだ〈肉の芽〉、私が神祖様にお伝えすれば、いつでもアンタの娘を……え!?」

 

 未麗を引き寄せて、頭部の〈肉の芽〉を見せびらかそうとした、クイン・ビーの動きが、ピタリと止まった。

 

「アンタ、〈肉の芽〉はどうしたの!? なんで、なくなってるのよ!?」

 

 亜貴恵も見てみると、確かに埋め込まれているはずの〈肉の芽〉が、跡形もなく消えている。今まで病院詣でばかりで、ロクに未麗の面倒を見てこなかったので、気が付かなかったのだ。

 未麗は、ポツリと言った。

 

「せいやに、とってもらった」

「聖也……? 聖也って、アンタの、寝たきりの弟でしょ? そんな子に〈肉の芽〉が取り出せるわけ……うっ!?」

 

 ブルッ! と、クイン・ビーが身を震わせた。

 異様な呻き声をあげながら、頭を抱えて、大きくのけ反った。その目から、口から、〈肉の芽〉の触手が飛び出し、腕の皮膚の下に触手が這い回り、体のあちこちが膨れ上がろうとしていた。

 

「な……!」

「〈にくのめ〉が、あばれてる。ママ、せいやに、とってもらおうよ」

「と、取るったって……聖也は今、病院……」

 

 狼狽えている亜貴恵に、未麗は部屋の隅に置かれていた、大きなスーツケースを示して見せた。

 

「あれにいれていけば、だいじょうぶだよ。みれいが、おさえておいてあげるから」

「抑えるって言ったって……こ、こんなの触るの嫌よ! 絶対やらないから!」

 

 未麗が、仕方なさそうにため息をついた。

 亜貴恵の頭の中に、虫の知らせのようなものが、流れ込んできた。

 

(あたしは、ケースをクイン・ビーのところまで持って行く。そうしてしまう!)

 

 腰を抜かしていた亜貴恵が、立ち上がった。スーツケースに近づき、クイン・ビーの元へと転がしていく。その間、クイン・ビーの動きは触手も含めて、完全に止まっていた。

 スーツケースが側まで来た時、クイン・ビーと触手が、また暴れ始めた。

 

「ひぃっ!」

「だいじょうぶ。あとは、いれるだけだから」

 

 再び、亜貴恵の頭に、『次に自分がやってしまうこと』が示された。

 クイン・ビーの動きが止まり、亜貴恵の体は、本人の意志とは関係なしに動き出した。スーツケースを横倒しにして開け、クイン・ビーの体を無理やり押し込んで、スーツケースを閉じた。

 そして、ようやく行動の自由を取り戻した亜貴恵は未麗に尋ねた。

 

「こ……これって。アンタがやらせてるの?」

 

 コクリと頷く未麗。

 もはや亜貴恵は、未麗のことが怖ろしくなっていた。

 未麗に言われるまま、スーツケースを車に積み込み、未麗と共に病院へと走らせた。

 スーツケースを押していく亜貴恵と未麗は、聖也が眠っている病室まで辿り着いた。早朝ということもあってか、誰にも見とがめられることはなかった。

 病室のベッドで眠っている聖也。いつもと、何も変わった様子はない。

 

「それ、あけて」

 

 未麗に促されるまま、亜貴恵はスーツケースを開けた。中から出てきたクイン・ビーは、もはや人間ではない、体がメチャクチャに変容した、蠢く何かであった。そのあちこちから、触手がはみ出している。

 だがその元クイン・ビーは、聖也の手元に、導かれるように近づいていく。

 意識のないはずの聖也の手が、すぅっと上がり、クイン・ビーに触れた。

 突如、クイン・ビーの体から、触手が大量に飛び出した。一斉に、聖也の手に飛び込んでいき、次々と潜り込んでいく。

 すぐに、全く触手が出なくなった。聖也の手が、元通りに下がった。

 もはやただの肉塊と化した元クイン・ビーは、床に崩れ落ちた。その時、クイン・ビーが常にはめていた指輪が、床に転がり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 次の〈ダーク・ワールド・オーダー〉の集会で、亜貴恵は新たなクイン・ビーとなり、教団を掌握した。

 神祖から受け取ったと、先代クイン・ビーが自慢していた指輪が、亜貴恵の指にはまっているのを見て、反抗しかけていた一部の幹部も観念した。石仮面のレプリカを顔につけるようになったのもこの時からで、自らの神秘性を高めることと、正体を外部に知られないようにするのが目的だった。亜貴恵は望み通り、表裏ともに金をかき集められるようになった。

 未麗のスタンド使いとしての能力を知った亜貴恵は、未麗をに常に傍に置き、教団の一員として活動させるようになった。未麗の〈スィート・メモリーズ〉も、年を経て成長し、能力の一部を分離させることによって、懐中時計を作り出すことができるようになっていた。

 教団内にスタンド使いが徐々に増えていき、汚れ仕事を彼らにさせるために、亜貴恵が手渡しで懐中時計を渡していた。亜貴恵自身にはスタンド能力がないことを、極力知られないようにして、彼らを掌握するためだった。

 聖也を目覚めさせるために必要だと考えていたし、『母親の助けになっている』『頼りにされている』そのことが、当時の未麗にとっては喜びでもあり、誇りでもあった。

 

 

 

 

 

 だが、それら全てを粉々に打ち砕く絶望の日は、突然訪れた。

 未麗が、城南学園に入学してしばらく経ったある日。

 その頃から習っていたバイオリンの練習を終えた後、亜貴恵に用事があることを思い出した。

 亜貴恵の執務室のドアを開けようとした時。

 

「それでは、聖也くんの治療のための研究も進まなくなります! 支援打ち切りはご再考を!」

 

 ビクッ! と身を震わせて、未麗の手が止まった。

 未麗も知っている、秘密組織ドレスの研究員の声であった。それに続いて、亜貴恵の気だるそうな声が聞こえた。

 

「ああ、そんなのもう、どうでもいいのよ。どうせ聖也は、もう十年以上も目覚めないんだもの。今更意識を取り戻しても、跡継ぎとして認められるわけないわ。まあ、聖也基金の寄付がなくなるのも惜しいし、生命維持だけはさせておくけどね。病院にも、意識回復の研究なんかとっくに止めさせてるのよ。どうせ結果出せないしね」

「し、しかし……」

「お義父さまも、跡継ぎは女でも問題ないってお考えみたいだしね。男の子にこだわってた私の独り相撲ってこと」

「ですがあの、未麗様からも熱心に、よろしくと言われておりまして」

「みたいねぇ。あの子、えらく頻繁に病院に通ってるみたいだし。病状も変わり映えしないのに、何が面白いんだか、サッパリ分からないわ。ま、あの子の働きのおかげで、随分と金も手に入ったし。持つべきものは娘よねぇ! 金ばっかり食って、役立たずの息子とは大違いよ」

 

 未麗は耐えきれなくなり、部屋に背を向けた。

 立ち去る後ろから、かすかに亜貴恵の声が聞こえていた。

 

「そういや、フレミングもアンタに渡すことになってたわよね? 研究材料に使うんでしょ? あのバカ犬、吠えるばっかりでロクに芸も覚えないし……」

 

 未麗はそこから、どこをどう歩いたのかも、全く覚えていない。気が付けば、聖也の眠る病院が目の前にあった。

 個室に入ると、聖也はいつものように眠っていた。年齢の割には、かなり小さな体つき。

 その姿を見て、未麗はいつにも増して、哀れに思えてならなかった。

 

「ねえ、聖也……。あなたのママは、あなたを見捨てるんだって。……いいえ。違うわ。あんな女、あなたのママじゃない!!」

 

 そう言い切った時、未麗の心の何かが切れ飛んだ。

 次々と流れ出る涙を拭おうともせず、未麗は叫んだ。

 

「心の底まで腐りきった外道!! あんなモノが、あなたの母親のはずがない! 違うのよ。そう、違う……。聖也、私が、あなたのママになるわ。だって、私の方が、あなたの母親にふさわしいもの。あなたを心から愛してあげられるのは、私。この私が、あなたの本当のママよ!!」

『……ママ?』

 

 心に響いてきたその声が、聖也のものであると、未麗は確信できた。

 

『やっぱり、あなたがママだったんだ。僕はずっと、そうじゃないかって思ってたよ』

「私の声が、聞こえてたのね!? そうよ、私が、あなたのママ……!」

 

 未麗は、心の中で誓っていた。

 

(聖也には、私ができ得る限りのものを全て与えよう。そう。あの外道から、全てを奪い取ってやる! それも、あいつが一番欲しいものが、手に入る直前で取り上げて、そっくり聖也にプレゼントするの。それが、私の使命……!)

 

 

 

 

 

 それから未麗は、亜貴恵から下される指令を、冷徹に実行する人間となった。亜貴恵を絶望という奈落の底に叩き落とすその前に、より高みに登らせる。ただそのために。

 しかし、予想外の事態が起こった。

 神原史門が、〈ダーク・ワールド・オーダー〉に入信してきたのだ。神原は〈神祖の実子〉であると判明し、亜貴恵は渋々ながらもグレート・サンというセラフネームを与えて、特別待遇とした。しかし神原は、亜貴恵に不満を持つ者たちを糾合して、教団内に派閥を作り始めた。

 当然亜貴恵は激怒し、教団内のスタンド使いを束ねる未麗に、神原の抹殺を指示した。

 しかし。

 

「申し訳ございません。スタンド使いは、私を除いて全滅しました。3分間で」

 

 実行グループの一人である笠間光博、アーカイブというセラフネームを持つその少年は、やや青ざめた面持ちでそう報告してきた。

 

「グレート・サンのスタンドは、圧倒的な強さでした。本体であるグレート・サン自身も、どうやら神祖の力を受け継いでいるらしく、手傷を負わせてもわずかな時間で回復します。人間の生命力を吸い取る能力も有するようです。普段の物静かな佇まいは、本性を包み隠すための仮面であるとお考え下さい」

「な……! そ、それでおめおめと逃げ帰ったの!?」

「戦況を報告するべきであると考えましたので。それに私も、勝ち目がないのに無駄死にはしたくありませんし」

「何を言ってるの!? そもそも、アイツを教団に引き込んだのは、アーカイブ、アンタでしょうが! それを」

 

 なおも怒鳴り散らそうとした亜貴恵に、未麗が口を挟んだ。

 

「報告はご苦労でした。グレート・サンについては、クイン・ビーが熟考して処置を決定します。それからアーカイブ、あなたの処分についても後で通達します」

「承知しております。使命を果たせなかったわけですから。では失礼します」

 

 笠間が平然とした様子で、部屋を出てドアを閉めた途端、亜貴恵が舌打ちをした。

 

「未麗! このままでいいと思ってるの!?」

「グレート・サンのことですか? 残念ですが、私たちの手に負える相手ではないかと」

「あ、アンタまで」

「アーカイブとて、決して弱くはありません。今回送り出した刺客たちは、アーカイブをはじめ我々の間では指折りの戦闘能力を誇るメンバーです。それが、全く歯が立たなかったとあっては」

「う、ぐ……。では、どうしろって言うのよ?」

「お母様」

 

 未麗は冷めた眼で、仮面姿の亜貴恵を見た。

 

「この際、教団を神原にくれてやってはどうですか?」

「あ、アンタ! 私をなぶるつもり!?」

「違います。冷静にお考え下さい。今や、お母様の金脈は、教団がなくても成り立つものが多くなっているでしょう?」

「え? ……そうだけど」

「お母様は、城南学園の理事になるお話が出ていますよね。教団内で、クイン・ビーが城之内亜貴恵であることを知っている者は、今となってはほとんどおりません。ですが、もし漏れたりすれば、お母様の地位に障りがありますでしょう?」

「そう、ねえ……」

「お母様が教団を出るにしても、信者たちが騒ぎ立てると面倒です。そこで、神原に信者たちを集めさせて、受け皿とさせるのです。全員が神原についていくとは思えませんが、人数を減らせば、後の処置がやりやすくなります」

「……そうね、そうしましょう! どうせこの教団も、神祖の死滅がバレてから、めっきり人も金も集まらなくなったし、もう用済みってところね。未麗、そのための準備を進めておいてちょうだい」

 

 未麗は頷きながらも、内心で思っていた。

 

(いずれこの女を陥れるためには、コイツに忠誠を誓っている狂信者どもは邪魔になる。今から奴らを、コイツから引き剥がしておいて損はない。私の手駒にできそうな者だけ密かに飼っておいて、他は全て処分してしまおう……)

 

 その目論見は概ね上手くいったが、唯一の誤算は、アーカイブこと笠間の失踪だった。実のところ、未麗は笠間の力量を買っていて、自分の腹心にするつもりだったのだ。当てが外れた原因は、数年前の間庭信乃一家の、事故に偽装した殺害にあると、未麗は考えていた。

 理事長の娘である信乃は人望も厚く、亜貴恵はずいぶん前から彼女を内心で憎み、排除しようと目論んでいた。それを実行したのが、外ならぬ未麗であり、笠間も巻き込む形で行われた。信乃本人と、夫の間庭謙介は死亡したが、娘の愛理と、笠間の二人は生き残った。愛理に再度刺客を送ることを亜貴恵は命じようとしたが、それは未麗が思いとどまらせた。そこまでやれば、たとえ証拠がなくても、世間の噂となって悪影響が出るということで、どうにか説得した。

 笠間の教団に対する忠誠心が、明らかに低下したのはその時からであり、それ故に未麗は、持って行き方では、笠間を味方につけられると考えていたのだ。

 そして、全てが動き出したのは、亜貴恵と未麗が〈ダーク・ワールド・オーダー〉から離れて8年後。神原と笠間、二人が前後して城南学園に現れた頃からであった。

 未麗のこれまでの総決算、そして野望の始まりであった。

 



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第50話 地下室での激闘 その1

 神原と操、その二人が潜り込んでいったという地下室。

 その入口となる扉を前に、笠間は他の面々と共にいた。人二人が並んでいけるほどの、幅広の階段。意外と深いその真下は左に折れ、その先は内側から光で照らされていた。

 

「いよいよだな……」

 

 囁くような笠間の言葉に、全員に緊張が走る。

 

「俺たちは行ってくる。明日見はここで待機。遥音は玄関口で見張りだ」

「分かった。みんな……みんなが、ここに上がってくるのを待ってるからね」

 

 明日見にそれぞれ目線で応えながらも、降りていく者たちは隊列を組み、階段を降りていった。航希と京次が先頭。文明と笠間が2番手。最後尾は、愛理とユリ。

 一段、また一段。足音を極力させないように、ゆっくりと6人は降りていく。スピードのないユリを除き、全員が既にスタンドを出して準備していた。

 愛理は仲間の後ろ姿を見ながら、ふと思った。

 

(ついに、ここまで来てしまった。みんなのおかげでここまで来れたけど、あたしは大して何もできてない。結局、あたしは一人だけでは何もできない。あたしが言い出したことに、一緒に付き合ってくれたみんな。この中の、誰も死なせたくない。今からすぐに始まるだろうこの戦いで、あたしは何ができるだろう……)

 

 あと一歩。先頭の航希が進めば、明かりのあるところから完全に見える。そこで、いったん航希は止まった。他の者も、合図もないのに足を止める。

 一呼吸の後。

 航希は、勢いよく踏み出しだ。階段を蹴って曲がり、跳んだ。京次も、笠間も、文明も段を駆け降りていった。愛理とユリも続き、曲がり際の、明かりが見えるギリギリまで進む。

 曲がった先は、階段はほんの5段ほど。一気に跳び下り、航希は明かりの方へと向き直った。

 

「来たわね。ようこそ、来訪者さんたち」

 

 声の主は、明かりの灯された地下室の、一番奥にいた。

 大きな地下室だった。横幅は5メートル、奥行きは10メートルは優にあろうか。

 部屋には、ほぼ何もなかった。あるのは奥に置かれた、横に2台並べられたオフィス机だけ。その机の向こう側、その中央に立っていた、30歳ほどのスーツ姿の女性。冷ややかな笑みを浮かべているのが、城之内未麗だと航希は直感した。

 未麗の隣に付き従うように右側に立つ、神原の姿。こちらも、静かな表情だ。

 

(操も、キャビネットも見えない! キャビネットは、あの机の下に潜り込ませることもできそうだ。となると、操はキャビネットの中か?)

 

 そう考えたのは、本当に一瞬だけだった。そして、こうした状況も、作戦会議で想定済だった。

 〈サイレント・ゲイル〉を足元に出すと、高速で床を滑った。狙いは、神原のいない方の、机の左側の端。

 その手前で高速移動を停止、机を回り込もうとした時。

 机の隅の死角で隠れていたスタンドが、躍り出た。それを頭で感じる前に、航希はスタンドを消し、咄嗟に後ろに下がっていた。

 鼻先を、スタンドの剣先が掠めていた。

 

「操!」

 

 〈ファントム・ペイン〉の隣に現れた、おそらくは机の向こう側で座り込んでいたであろう、無表情な彼女の姿を航希は見た。

 剣士のスタンドが再び構え直した時には、京次も笠間も地下室の床に降り立ち、踏み込んでいこうとしていた。文明は、階段の手すりから頭だけ出し、〈ガーブ・オブ・ロード〉の両手を突き出させている。

 突然、未麗が叫んだ。

 

「演ぜよ、我が〈譜面〉を!」

 

 未麗の傍らに、人型のスタンドが現れた。音楽のヘ音記号のような髪型で、渦巻の中心が右目となっており、左目は髪で隠れて見えない。右手には、羽ペンが握られていた。

 羽ペンが、虚空に何かを書き込んだその瞬間。

 航希の頭に、〈虫の知らせ〉とでも言うようなものが、一瞬で駆け巡った。いや、京次にも、笠間にも、文明にも。壁から隠れて、様子を覗き込んでいた愛理もが、それを垣間見た。

 そして、未麗のスタンドの腹部の、透明なケースの中に収められた、柱時計のような振り子が揺れ始めた。

 

(体が動かん! スタンドも動かせん!)

 

 笠間は、床を蹴った姿勢のまま、完全に固まっていた。それは、京次も文明も、愛理も同じだった。

 動けるものは、航希だけだった。いや、体が勝手に動き出していた。

 

(オレは、笠間さんに回し蹴りを入れることになる! 分かっていても止められない!)

 

 航希の足が翻り、笠間の側頭部を鋭く蹴りつけていた。動かなかったはずの笠間の体が蹴り飛ばされて、停止している京次の進む先を遮るように転がった。それでも、笠間の体は自分の意志で全く動かせない。

 航希自身は、蹴りを入れた後で、未麗にまっすぐ向き直って止まってしまった。

 未麗の右手が、スッと上がった。

 その手には、拳銃が握られていた。銃口が向いている先は、航希の心臓。その間も、振り子は2回、3回と揺れ続けている。

 

(ウッソだろ!? 避けられないどころか、身動きできないってのに!)

 

「お行儀の悪い子ねえ。よそのお家に来たら、まずはご挨拶って、親御さんから学ばなかったの? もっとも、今から学んだって遅いけれども。あなたたち頑張りすぎて、予想より大勢来ちゃったから、一人くらい整理しておきましょうね」

 

 未麗は、眉一つ動かさずに、引き金を引こうとした。

 が、その指が一瞬止まる。

 

(この子……布が胴に巻かれている!)

 

 後ろにいる文明の〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が伸ばされ、航希と京次に巻き付けられているのを、未麗は気づいた。京次からの〈波紋〉を、スタンドを銅線代わりにして、航希の体に流し込んでいたのだ。航希の体にも負担はかかるが、常に〈波紋〉を体に帯びている状態とすることができた。

 

(服部が柳生操に触れれば、彼女に張り付いている〈肉の芽〉が剥がれる。そういうわけね)

 

 そこまで考えて、未麗はハッと気づいた。振り子は、5回目の往復を終えようとしていた。

 

(時間がない! 心臓は、巻きつけられたスタンドに守られてる。頭に変更よ)

 

 銃口を上げると、引き金を引いた。

 航希は頭部を大きくのけ反らせ、血を迸らせながら床に倒れた。被っていた帽子が、床に舞い落ちる。

 だが、貫通はしなかったのか、銃弾は航希の背後の壁に当たって、小さな穴を開けた。

 

(外したか!?)

 

 未麗は、一瞬そう思った。

 だが、壁には鮮血が飛び散っていた。ピクリとも動かない航希の頭を見て、未麗は舌打ちした。

 

(頭にも、布を巻いていたか。頭皮くらいは削ったみたいだけど。衝撃で気絶したようね。まあいいわ。その方が後々都合がいい。それにしても、能力発動時は私もスタンドを動かせないのが不便だわ)

 

 振り子の揺れが、6回目を終えようとした時、未麗は言った。

 

「私が選んだ人間は、6秒間の来るべき運命を先に知ることとなる。それは、私によって紡がれた運命であって、逆らうこともできなければ、他の者が邪魔することもできない。『素晴らしい思い出』を、先に知ることができるというわけ。それが私の〈スィート・メモリーズ〉の能力」

 

 言い終わらないうちに、神原の傍らに〈ノスフェラトゥ〉が現れた。笠間も京次も、動けるようにはなったが、既に遅かった。

 

「〈エナジー・ドレイン〉!」

 

 〈ノスフェラトゥ〉の爪が伸び、笠間に突き刺さった。みるみる笠間の精力が抜かれていき、顔色が悪くなっていく。逆に神原は、凶悪な笑みとなっていき、スタンドも一際マッチョな姿の〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉に変貌した。

 

「クッソ! 行くぜ先生!」

「少しは楽しめるのか? 小僧。クク……」

 

 京次を見据える神原の口元から、吸血鬼の牙が覗いた。

 〈ブロンズ・マーベリック〉を着込んだ京次が、力なく呻く笠間を跨ぎ、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉と向かい合った。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」

 

 両者のラッシュが、交錯し始めた。

 笠間は、もはやスタンドを出すこともできず、巻き添えを食わないように、萎えた体で這いつくばって下がるのがやっと。

 この事態に青ざめている愛理の肩を、ユリが揺さぶってきた。

 

「どうしちゃったのよアンタ! なんか固まってるし。どうなってんの? 銃声も聞こえたし」

「え?」

 

 愛理は、ふと尋ねていた。

 

「ユリさん。今、動けなくならなかったんですか?」

「はあ? 別に」

「あの、何も見なかったんですか?」

「あぁ……だって怖いじゃない! 部屋の中なんて見れないって! 私が攻撃されたらどうすんのよ。イザとなったら、アンタを守れって言われてんのに!」

 

 愛理は、強烈な違和感を感じた。

 

(ユリさんは、未麗さんの〈譜面〉を見ていない! 部屋の中を見なかったのは、ユリさんだけ。ということは、未麗さんからも、ユリさんは見えてない。もしかしたら、未麗さんが〈譜面〉で操ったり動きを止められるのは、未麗さんが認識している人間だけなのでは……?)

 

 さらに、愛理は推論を重ねた。

 

(私が見た〈譜面〉は、航希さんの行動だけだった。未麗さんは最初、心臓を撃ち抜くつもりだったのに、寸前で頭に変更していた。つまり、〈スィート・メモリーズ〉は行動を指定できるだけで、その結果までは決められない。未麗さんの言うような、運命を定められるものでは決してない!)

 

 一方で文明は、床に仰向けに倒れこみ、頭から血を流している航希を見て、顔色を変えた。

 

「よ……よくもーッ!!」

 

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の左腕の布の、航希へと伸びていた途中の部分が、長く伸びて(たわ)んだ。中ほどで二つ折りとなり、その折り目が未麗へと躍りかかった。

 未麗は、予想しないこの攻撃を避けきれなかった。布が銃に絡みつくと、それを奪い取ろうとする。

 

「は、放しなさい!」

 

 銃ごと手を引っ張られて、未麗の体は机に乗り上げ、その上を滑って反対側に落ちてしまった。うつ伏せで呻く未麗の手からついに銃が離れ、文明の手元に放り出された。

 

(しまった! 銃をアテにしていて、武器は他に何も用意していない! 操を前に出して攻撃させ……それはダメ! 〈波紋〉が流れてる布に操が触れれば、〈肉の芽〉が剥がれ……ッ!)

 

 文明の布は、今度は操に伸びていく。

 

「柳生操! スタンドで防御しなさい! それなら〈波紋〉は効かない!」

 

 未麗が指示すると、〈ファントム・ペイン〉が前に出て、布に刀で斬りつけた。

 が、布はふわりと空中で揺らぎ、斬撃の鋭さを殺してしまう。天井近くまで大きく迂回し、操に迫ろうとする。

 

(くそッ! だけど、インターバルの時間は稼げた。もう一度発動するまで!)

 

「演ぜよ、我が〈譜面〉を!」

 

 未麗が立ち上がりつつ叫ぶと、その場の全員が一斉に停止した。布ももう動かない。

 

(こ……今度は僕の番なのか!? だけど、抗えない!)

 

 文明の体は本人の意志とは無関係に、銃を手にして立ち上がった。未麗の元へと、歩み寄ってくる。

 

「それでいいのよ……。どう、怖ろしいでしょうね? だけど、所詮あなたたちは、私の書いた〈譜面〉に従うだけの演奏者にすぎないのよ。それをよこしなさい! ご褒美に、死をあげる」

 

 操を押しのけて、文明へと寄っていった未麗は、銃を取り上げた。

 そして、立ちすくむ文明の額へと、至近距離から銃口を向ける。

 

(くそッ、動けない……ここまでなのか!?)

 

 文明は、込み上げる無念さの中、自分の命を奪おうとしている銃を見ているしかなかった。

 

「それじゃ、さようなら。手癖の悪いボウヤ!」

 

 引き金を引こうとしたその時だった。

 拳銃を持った右手が、突然半透明の塊に包まれたのだ。

 

「なッ!? 何よコレ!!」

 

 思わず、右手を振って振り落そうとしたが、全然効き目がない。

 

「無理だって」

 

 階段から姿を表したのは、ユリだった。

 

「私の〈エロティクス〉は、そんなんじゃ剥がれないから! 愛理から言われてたのよ。自分が動かなくなったら、みんなも動けなくなってるから、地下室を眺めてみろってさ!」

「な……何なのよアンタ!? どっから湧いて出たのよぉーッ!」

「人をボウフラみたいに言っちゃって。だけど、オバサンじゃ篭絡は無理だし、どうしたら……あ! この手があった」

 

 〈エロティクス〉が、蠢いた。

 その圧力で、引き金にかけられた右手の人差し指が、グッと曲げられた。

 鈍い発砲音が、響いた。

 が、発射された弾丸は〈エロティクス〉の中で止まってしまう。

 

「え? あれ? 銃口塞いで撃てば、暴発するんじゃなかったっけ?」

「な……何とんでもないこと言ってんのアンタ!」

「じゃ、もう一回」

「やめなさいよッ! ちょ、やめ……!」

 

 未麗の指が、何度も引き金を引いた。だが、弾丸は出るものの、全て〈エロティクス〉の中で止まるだけ。

 やがて、弾切れになったのか、音すらしなくなった。

 

「おかしいわねー」

「おかしいわねー、じゃないッ! いい加減放しなさいよ!」

「ハイハイ。それじゃ私、また待機してるから。後はみんなにお任せってことで」

 

 スタンドを消して、さっさと階段へと戻っていくユリ。

 呆然とする未麗の手元には、弾丸を撃ち尽くして、使い物にならない銃が残されているだけとなった。

 〈スィート・メモリーズ〉の振り子が、6回目の往復を終えた。

 

 

 

 

 

 その頃、別荘の一室では。

 

(さてと……。もう別荘に送り込む人間もいないみたいだし、ひとまず俺の役目は終わりだな。後は、頃合いを見て脱出するだけなんだけど)

 

 若いパーカー姿の男が、カバンの中身を改めていた。

 その中には、男の私物と一緒に、途中で折れた〈矢〉が入っていた。これを使って、未麗はスタンド使いを学園内に生み出していたのだ。

 

(聖也様の御為にも、この〈矢〉は忘れないようにしないとな。いつも富士急ってのもアレだし、どうせ行くなら、久しぶりにナガシマかな? 〈ドドドン・パッ〉の新コースのアイデアも考えたいし。スタンド使いを増やすにも、人が大勢いる遊園地はピッタリでしょ!)

 

 旅行気分でウキウキしながら、男がカバンのジッパーを閉めようとした時。

 メキャッ! と、鍵のかかっているはずのドアノブから、嫌な音がした。

 

「何だぁ……?」

 

 妙な胸騒ぎがして、男は扉へと歩み寄った。

 そして、ロックを回してみたが、何の手ごたえもなく、スカスカの感触だ。

 男は、ドアノブを掴んで、引き開けてみた。

 

「う!?」

 

 扉の反対側には、ドアノブはなくなっていた。

 代わりにあったのは、甲羅のようなもので覆われている、大柄な人間と同等の大きさの腕。その関節部分から、小さな足が幾つも生えており、それが小刻みに動きながら、扉に張り付いていた。

 

「う、うわぁーッ!!」

 

 悲鳴を上げながら、腕から飛び退いて、部屋の奥へと逃げ出す男。

 それが、男の最期の声となった。

 



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第51話 地下室での激闘 その2

 ようやく動けるようになった文明は、慌てて後ろに下がりつつ、また布を操に向かわせようとする。

 突然、〈スィート・メモリーズ〉が出現し、その手にある羽ペンを、〈ガーブ・オブ・ロード〉の目に突きこもうとしてきた。

 

「うわッ!?」

「何やってるのよ!? さっきのバカ娘といい、私をナメてるの!?」

 

 何とか羽ペンは弛ませた布でガードしたものの、〈スィート・メモリーズ〉は腕をメチャクチャに振り回して、〈ガーブ・オブ・ロード〉に迫る。

 

「う!?」

 

 未麗は、腹部に鋭い痛みを覚えた。

 出現した〈スィート・アンサンブル〉が、〈スィート・メモリーズ〉の腕をかいくぐって、指揮棒を腹部の振り子の透明なカバーに突き刺していた。

 愛理が、叫んた。

 

「あたしが、戦えないと思っていますか!?」

「非力なんだよッ! 賢しらな小娘が!!」

 

 〈スィート・メモリーズ〉が、〈スィート・アンサンブル〉の腕を掴んで強引に引き寄せると、羽ペンを目に突き立てようとした。

 が、たわんだ布が羽ペンから〈スィート・アンサンブル〉を守る。

 

「僕が相手するッ! 愛理くんは下がって!」

「両手とも動かすのがやっとのくせに、カッコつけるんじゃあないッ!」

 

 未麗の言う通りだった。〈ガーブ・オブ・ロード〉は、京次と航希に布の先端を巻いているため、途中の余ったところしか自由に使えない。繊細で機敏な動きは難しかった。

 それでも、〈スィート・メモリーズ〉の腕に何とか巻きつけようとする。〈スィート・メモリーズ〉は、腹立たしそうに〈スィート・アンサンブル〉を突き放した。

 

「柳生操、何をしてるの! 今のうちに、キャビネットに隠れなさい!」

 

 未麗が呼びかけた時だった。

 それまで床に転がっていた航希が、突然跳ね起きた。床を蹴って、一気に操へと間合いを詰める。削られた頭皮から、まだ血が流れていた。

 

(〈波紋〉を体に流され続けて、ずっとビリビリしてたから、気を失わずにすんだ。今なら、操との間に誰もいない!)

 

 〈ファントム・ペイン〉が、刀を構えた。航希は、トンファーを出してさらに突っ込む。

 左からの袈裟斬りが、航希を襲う。トンファーでそれを受け止め、机に手をついた。そこから、机に飛び乗る。

 

(向こう側に降りれば、操に直接触れ……)

 

 ドスッ!!

 航希の体に、横から伸びた爪が二本、突き刺さった。航希の動きが止まる。

 

「我の存在を、忘れておったな!? 柳生操を失うわけにはいかんとの、聖也様のお言葉だ!」

 

 神原が、目を光らせて勝ち誇っていた。

 航希の精力が、急激に吸われていく。

 バキンッ!!

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、二本とも叩き折られた。

 

「航希を……アンタにやらせるわけにゃいかねぇんだよ!!」

「小僧、しぶといぞ貴様!」

 

 京次は、すでに〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の強烈な打撃を何発も受けていた。ボディブローが腹に打ち込まれ、〈ブロンズ・マーベリック〉で体全体をガードしているはずの京次ですら、身をよじらせて悶絶していた。

 航希は、折れた爪が刺さったまま、机の反対側に落ちた。爪がさらに深く突き刺さり、短く呻く。

 

「くそ……ッ!」

 

 伸ばしたその手がついに、操の足に触れた。

 苦戦しつつも、京次が流し続けていた〈波紋〉が、操の体に流し込まれた。その胸元に張り付けられていた〈肉の芽〉は、中身が溶けて崩れ去った。

 

「やった……!」

 

 航希が、笑みを浮かべたその時だった。

 

「演ぜよ! 我が〈譜面〉をッ!」

 

 未麗が、声を振り絞って叫んでいた。

 またも、全員の動きが止まった。

 操が、机と壁の隙間に転がる、航希の体を踏みつけた。そして、机の下を覗き込む。

 そこには、〈スィート・ホーム〉のキャビネットがあった。扉を開けると、操はその中に書かれている家紋へと、手を伸ばしていった。

 

(やめろ操!! 中に聖也がいるんだろ!? また操られちまう!)

 

 叫びたくとも、声も出せない航希。

 壁に顔を向けている航希は、気づかなかった。

 操が、怯えた目をしていることに。伸ばすその手が、震えていることに。

 その手が、家紋に触れようとしたその時。

 振り子が、6回目の往復を終えた。

 

「まだッ!!」

 

 文明が叫び、航希を守っている〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が撓みながら伸び、操の足に絡もうとした。

 が、かろうじて操に布が触れた瞬間、操の体はキャビネットに吸い込まれていった。

 

「こ……これで、神原がアンタたちを全滅させれば、もう〈波紋〉も使えないのよね!? ザマアみなさいよッ!」

「あなたって人は!!」

 

 文明が叫んだその時。

 ドゥッ!

 京次が、何発目かの打撃を受けて、投げ出されるように背中から倒れこんだ。そのすぐ間近にいた笠間が、顔をひきつらせている。

 

(やはり〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は別格だ! コイツを過信しすぎたか?)

 

「どうした小僧? 我を倒すために、必死で修行したのではなかったのか? それでは、我に〈波紋〉を打ち込むこともままならんぞ」

 

 神原が、冷笑を浮かべていた。

 

「へ……。まだまだ、これからだぜ」

「フン。いつになったら、『これから』が始まるのかな!?」

 

 ようやく立ち上がった京次に、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が歩み寄る。

 それを見た未麗が、歪んだ笑みを浮かべた。

 〈スィート・メモリーズ〉が、動いた。

 横合いから、京次に襲い掛かる。文明は布を飛ばそうとするが、間に合わない。

 スタンドの蹴りをまともに食らい、京次が横壁に叩きつけられた。そこでようやく、布が〈スィート・メモリーズ〉の体を引っかけて後退させる。

 

「ここまでだな!? 我を相手によく頑張った!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の右フックが、京次の頭部目掛けて振り込まれた。

 ガツッ!!

 砕ける感触が、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の拳に伝わってきた。

 苦悶の声が、笠間の口から漏れ出ていた。

 

「何……!?」

 

 神原は、目を見張った。

 〈クリスタル・チャイルド〉が、その肩口で右フックを受け止めていた。

 

「く……修子さんの特製ニンニク漬け、効いてくれて助かったぜ……。何とか、スタンドを出せた」

 

 笠間は、肩を押さえながら、何とか笑っていた。

 最初に〈エナジー・ドレイン〉を受けた後、受け取っていた餞別を、隙を見て口に放り込んでいたのだ。念のため、全員がそれを携帯していた。

 

「そうか。ニンニクは吸血鬼の弱点だという俗説か? 訪問先で食べるようなものかそれが! 礼節というものを思い知らせてくれる!!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の膝蹴りが、〈クリスタル・チャイルド〉に打ち込まれた。笠間の口から、血が吐き出された。

 何とか、体勢を立て直した京次に対して、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は数歩後退した。

 

「ならば、マントならどうかな!? 首を刎ねてくれる!」

「演ぜよ! 我が〈譜面〉をッ!」

 

 未麗が、4回目の能力を発動させた。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉のマントも、京次の喉元を斬りつけるべく、翻ったところで止まっている。それを見て、未麗は荒く息をついた。

 

「笠間……。お前の物体入れ替えは脅威だからね。おとなしくしていれば、死なずにすんだものを。何を自分がするか、もう分かっているでしょう? 面白い趣向だと思わない?」

 

 へたりこんでいた笠間が、まだ萎えている体でゆっくりと立ち上がった。

 よろよろと歩きながら、京次の横へと並ぼうとしている。鋭利な切れ味を持つ、マントの裾の軌道上に。

 

(やめて!!)

 

 動けない愛理が、心の中で叫んだ。

 

(このままでは笠間さんが、首を落とされてしまう! そんなのは嫌!! こんな残酷な〈譜面〉に、ただ従うしかないの!? あたしたちは……そんな奴隷のような〈演者〉でいたくない!!)

 

 魂からの、彼女の叫びに応じるように。

 〈スィート・アンサンブル〉の指揮棒が、わずかに動いた。

 笠間が、まだ足を止め切らないうちに。

 振り子が、6回目の往復を終えた。マントの裾が、その喉元を抉ろうとした。

 

「させるかよッ!!」

 

 京次が、〈ダンス・マカブヘアー〉を繰り出し、笠間の喉元に潜り込ませた。

 ガガッ……!!

 間一髪、〈ダンス・マカブヘアー〉の先端が、マントの裾を食い止めていた。その衝撃で、笠間は京次を巻き込む形で、後ろに跳ね飛ばされた。〈ダンス・マカブヘアー〉は途中で千切れ、空中で消滅した。

 

「ど……どういうこと!?」

 

 未麗が、まだ生きている笠間を見て、金切り声を上げる。

 身を起こしながら、京次は思った。

 

(危なかったぜ……。笠間があと一歩、いや半歩でも前に出ていたら、ガードしきれなかった! 歩いてくる動きがゆっくりだったのが、幸いしたぜ)

 

「どこまでも命冥加な奴らよ! だが、それもここまでよ!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、踏み込んでくる京次に伸びた。

 が。

 それを京次は読んでいた。身を低くして、それを回避しつつ、さらに間合いを詰める。

 京次の両手が、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕を捉えた。

 

「む!?」

「〈虎王〉を! 食らわせてやらぁ!!」

 

 京次は床を蹴り、捉えた腕を支点にして、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の首の後ろに右足を回し、そしてフックした。

 左足が跳ね上がり、相手の顎を膝で打ち砕こうとした時。

 

「我に通用すると思うか! そのようなものッ!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕が、一気に上へと差し上げられた。京次の体を、軽々と持ち上げる。右足のフックは効かなくなり、左足の膝も目標を失った。京次は、ぶらんと相手の手首にぶら下がっていた。

 

「な……!」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕は、今度は大きく振り降ろされた。京次の体が、タオルでも振り回したように、激しく床に叩きつけられる。

 

「頭を打ち砕いてくれる!!」

 

 床に仰向けに転がる京次へと、拳が上から叩き落とされた。

 バグッ!!

 拳が、絨毯敷きの床をへこませた。真下のコンクリートが砕けたのは、間違いなかった。

 京次が、その拳のすぐ脇で、口元だけで笑っていた。わずかに残っていた〈ダンス・マカブヘアー〉の切れ端が、頭部を横にずらしていたのだ。

 その拳を、またも京次は両手で掴まえた。

 

「捉えたぜ……!」

「何を!」

 

 拳が上へと引き戻される動き。それを、京次は半ば本能的に利用していた。身を素早く捻りつつ、拳を捉えたまま立ち上がる。そして、相手の力でもって体勢を崩し、手首を支点として回転させる。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の巨躯が、グルン! と大きく回転した。

 一か月の修行の中で師匠に引き合わされた、合気の達人との組み手で身に着けた動きだった。

 ドゥッ!!

 今度は、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、激しく床に叩きつけられた。

 

「!?」

 

 神原は、一瞬混乱した。ダメージこそないが、今まで、一度も経験したことのない、激しい回転の感覚。何より、勝利を確信したところからの、予想もしない反撃。

 その隙を、京次は見逃さなかった。

 本体である神原へと、一気に距離を詰める。

 拳を叩き込むために一歩踏み込んだ時、京次の頭に〈譜面〉が流れ込んできた。

 

(攻撃中止して下がれってか!? るせーよ! その前に攻撃当ててやらぁ!)

 

 まだ、間合いは遠い。

 しかし構わず、京次は拳を、神原に対して真っすぐ打ち込んでいった。神原は、左腕を眼前に

差し上げてガードしようとする。

 

「ズームパンチ!!」

 

 腕の関節が外れ、リーチが伸びる。関節の痛みは〈波紋〉で和らげる。

 が、京次の拳は、伸びきるかどうか、というところでピタリと止まった。

 

「演ぜよ、我が〈譜面〉を!」

 

 未麗の声が、京次の耳に聞こえてきた。

 従順に、神原から後ろ歩きで離れていく京次を見て、未麗は内心で安堵した。

 

(今のはヤバかったわ。当たっていれば、神原といえども一気に〈波紋〉の攻撃を受けて、オシマイになっていた。本当にギリギリだけど、当たる前に止められた)

 

 未麗は、ボールペンを胸元から取り出した。カチッ、と音がして、芯が飛び出る。

 

(さてと、目でも抉らせてもらおうかしらね。それでも〈波紋〉を使うだけの集中力があるのか、試してあげる。まあどちらにせよ、神原さえいれば、全員物の数ではないけれどね)

 

 そして未麗は、やや身を屈めた京次の前に回り込むと、左手でしっかりと握ったボールペンの芯の先を、目の前に突き付けた。そして右の掌を、ボールペンの尻に当てた。手の甲に、自分の胴を直に当てて固定する。

 

(振り子は、今5往復目。1秒あれば、コイツの目を潰すのには充分。あのバカ娘にも、〈譜面〉は送り込めたから、今度こそ動けない。邪魔者は、もう誰もいない!)

 

 そして未麗は、自分の体重をかけて、京次の目にボールペンを突きこんでいった。

 が。

 どうしようもない違和感が、未麗を襲った。

 

(……え? どうして、こんなにゆっくりとしか動けない!? まるで、見えない壁を押しているような……!)

 

 振り子が、6往復目を終えた。

 ボールペンの芯は、やっと京次の目に触れるかどうか、といったところであった。

 ガシッ!

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、未麗の手首を掴んで、止めていた。

 京次は、素早く後ずさっていた。目には、ボールペンは届いていなかった。

 

「ど……どういうこと!?」

「愚か者め。忌々しい〈肉の芽〉は、先ほど送り込まれた〈波紋〉で霧散した。我の左腕も、無事ではすまなかったがな」

 

 神原の、ぶらんと下げている左腕は、服の下で半分溶けていた。

 

「さて……言い残すことはあるか? 一応聞いてやろう」

「どうして……!? 何でこのガキの拳は間に合って、私の方は間に合わないのよーッ!!」

「何だと?」

 

 もはや錯乱している未麗は、大声で怒鳴っていた。

 

「こんな理不尽な話ってある!? そもそも、どうして誰も死なないのよ! 運命を決めるのは、この私! 私が死ねって決めたら、アンタたちは死ぬべきなのよ! アンタたちが死なないのは間違っているッ!!」

 

 白けた眼で、京次が思わず一言口にした。

 

「何言ってんだ、おめぇ? 思い通りにいかねぇのが闘いだろ」

 

 吠え狂っていた未麗が、次の言葉を失い、口を開いたまま固まった。

 誰もが一瞬静まり返った、その時。

 

「未麗さん。間違っているのはあなたです」

 

 進み出た愛理が、静かに言った。

 

「あなたには、運命を決める力などないでしょう? あなたの能力はあくまで、『任意の一人の行動を指定できる』だけ。違いますか?」

「だ……だから何よ!? 事実、みんな私の〈譜面〉通りに」

「〈譜面〉だけで曲が完成するなら、数多の演奏家が存在する必要などありません。彼らはみんな、〈譜面〉を超えて、自分の音楽を表現するのです。そこに、音楽の素晴らしさはあるのです」

「な、何を……」

「あたしは、あなたの〈譜面〉を演じる人たちの、テンポを変えました。そうしてタイミングを選べば、曲は全く違うものとなるのです」

「変えたですって!? ア、アンタにそんなことが! 私の能力に介入できるわけが」

「できたんです。なぜなら、あたしは『〈譜面〉を超える』意志を持てたからです」

 

 未麗は、次の言葉を失った。

 

「あたしは、あなたという〈譜面〉を超えます。そして〈人生〉という曲をより素晴らしく演じてみせます。ここにいる人たちのように。それが、人間の素晴らしさだと思います」

「ぐ……」

 

 心底悔しそうに、未麗は歯を軋らせた。

 その時。

 突然、オフィス机が、大きな音を立てて横倒しになった。

 驚いてそちらを見た全員が目の当たりにしたのは、机を下から跳ね上げたと思われる、その物体だった。

 それは、肉色の細長い触手が寄り集まった、巨大な球形の物体だった。その周りには、元はキャビネットだったと思われる木片が飛び散っていた。

 異様な蠢きを見せる物体のすぐ横にいたのは、スタンドを傍にした、無表情な操であった。

 



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第52話 地下室での激闘 その3

「嫌ぁッ!!」

 

 〈スィート・ホーム〉に再び送り込まれた操は、涙を流しながら、スタンドの剣を振るっていた。

 

「来るな! 来ないでぇッ!」

 

 自分に迫る、夥しい触手を、ひたすらに斬りまくっている。その触手の先には、彼女にとって、見るのも汚らわしい〈肉の芽〉の殻があった。

 

(あれに触れられたら、また操られる! また利用される! 今度は航希も、他のみんなも斬ることになってしまうかもしれない。それだけは、絶対に嫌だ!!)

 

 荒い息をしている彼女に、〈肉の芽〉の塊から発せられた声が、操の頭に響いた。

 その声の主が、聖也であると、彼女は知っていた。

 

『どうして、そこまで抗うのかなあ? 別に、君を殺すとか、体を傷つけたりするするつもりはないんだよ?』

「……傷つくんだよ! ボクの、心が傷つくんだ!」

『言ってることが分からないな。僕の世界は、君の能力を手に入れることで、もっと大きくなるんだよ。素晴らしいことじゃないか』

「ボクの能力を使って、大勢の人を操るんでしょ!? どれだけの人が、それで人生を狂わされることになるか!」

『人生が狂う? ますます分からない。広がった僕の世界で、みんな幸せになればいい。ママもそう言ってたよ』

「そんなの幸せじゃない! ボクはそんなの嫌だ! そんな世界が広がって、何になるの!?」

 

 聖也は、いったん黙って、それから言葉を続けた。

 

『僕はね。生まれてから、ずっと世界を統べるものだったんだ。他の何者も、僕の世界に入り込んでこないし、汚したり壊したりもしてこない。静かで、清浄な世界だよ』

「……」

『僕の世界を変わったのは、そう、僕がママと呼んでる人が、〈肉の芽〉を僕に渡した時だ。僕を目覚めさせたいとか言ってたけど、あの時は迷惑だと思ったよ。僕は完成された世界で、心静かに暮らしていたのにさ。〈肉の芽〉が僕を支配しようとしてきたけど、僕もそれが切っ掛けでスタンドに目覚めてね。逆に〈肉の芽〉を操れるようになった』

「……」

『ある時、僕は気づいたんだ。〈肉の芽〉を体内に行き渡らせれば、体が動かせるようになるんじゃないかって。元からある骨だの筋肉だの内臓だのが邪魔だから、〈肉の芽〉に食べさせて置き換えていった。ママが、病院に知られるとマズイから、別荘に移してからって言うから、そうするまでにずいぶん待たされたけどね。そして僕は、〈スィート・ドリーム〉として完成した』

 

 話を聞きながら、操は喉元まで込み上げる吐き気をこらえていた。

 

『ああ、話が逸れたね。〈肉の芽〉をくれたその人は、ママっていう存在にひどくこだわってた。何でも、全てを包み込んで、子供? とかいうのを愛してくれるらしいんだ。いつからか、その人は、自分が僕のママで、僕はその人の子供だとか、言うようになった』

「お母さん……?」

『そうとも言うらしいね。実のところ、僕はそんなことはどうでもいいんだ。それより、ママの教えてくれたことの方が、僕には重要だった』

「な……何を教わったの?」

『僕の世界って、とってもちっぽけだって言うじゃないか! 本当は、すごく広くて、数えきれないほどの世界があるって言うんだ。初めて聞かされた時には、怖くなったよ。ママだっていうあの人だって、僕の世界にやってきて、汚したり壊したりするんだよ? 数えきれないほどの世界から、たくさんの人がやってきたら、僕の世界はメチャクチャになってしまうよ。そしたらママが、いい方法があるって言ってきた』

「何を……言ったの?」

 

 操は、怖ろしい何かを予感しながらも、聞かずにはいられなかった。

 

『僕の世界を、広げて大きくすればいい。そう言ったんだ。大きくなった世界の中で、僕のために動き、僕に決して逆らわない。そんな人間を増やせばいいんだって。それには、城南学園? とかを僕のものにして、そこでスタンド使いを集めるのが一番いいってさ。それで僕は、何人かのスタンド使いを手に入れた。彼らの見聞きするものは、僕にも伝わってくる。そしたらさ……』

「そしたら……?」

『楽しいね! こんなに面白いとは思わなかった。君のおかげで、欲しかった神原も手に入れた。彼のスタンドが、学園では最強だというからね。僕は、もっともっとスタンド使いが欲しいんだ。僕は、全てのスタンド使いの王になるんだ。そうすれば、きっと全ての世界を手に入れられる!』

「やめて!! スタンド使いは、あなたのオモチャじゃないッ!!」

 

 操の、魂を振り絞るような叫びは、聖也のため息で返された。

 

『これだけ話しても、分からないみたいだね。もういいや。もう一度、君を僕のものにするだけだ』

 

 それまで動きを止めていた触手が、再び操に迫ろうとしていた。

 操は、思いつめた表情で、その場に座り込んだ。

 

『やっとその気になった? 大事なスタンド使いを、壊したくないしね。特に君の能力は、僕には絶対必要だし』

「〈ファントム・ペイン〉……。『切り離した』全ての人を、元通りにして」

『え?』

「ごめん、航希。ボクはもう、操られるのも、他の人を傷つけるのも耐えられないんだ……」

 

 操のすぐ真横に、〈ファントム・ペイン〉が現れた。手にした刀が、操の目の前にかざされる。

 その刃は、内部的につながったままとなる能力を込めたものではなかった。

 

(助けに来てくれて、嬉しかったよ。ありがとう)

 

 一筋の涙を流しながら、彼女は己のスタンドに、自分の首を切り裂くように命じた。

 

『何しようとしてるの!? やめるんだ!』

 

 慌てた聖也の声も、耳には入らない。

 刀が、首筋に走った。

 バサァッ!

 どこからともなく、飛来したもの大きなものがあった。それは刀身に巻き付き、操の首を刃から守った。

 

「……え?」

 

 操は、巻きつけられたものを見つめた。それは、新聞紙だった。

 そこには、一つの文章が書かれていた。

 

『死に急ぐなかれ、心正しき者よ! 吾輩に任せよ。さすれば道は開かれん。炭三』

 

 それを読みながら操は、〈肉の芽〉に食いつかれ、再び心を奪われていく感覚を味わっていた。

 〈肉の芽〉の檻に閉じ込められていた、黒猫の炭三がその様子を見つめていた。

 

『おやおや。守護者の黒猫だっけ? 止めてくれて助かったよ。彼女は失いたくないからね』

『何を勘違いしているのだ? 愚かな小僧よ』

 

 冷ややかな返答に、聖也は少し苛立った。

 

『無礼な物言いは控えるんだね。僕は王だというのに』

『吾輩が彼女を救ったのは、死ぬ必要がないからだ。たとえ再度、彼女の心を貴様が縛ろうとも、心正しき者たちは、必ず彼女を取り戻す。その時が、貴様の邪悪の芽が枯れ果てる時だ』

『僕から奪うというのかい? そうしたらまた、僕の元に呼び戻すだけだ』

『僕の元、だと? それは、この〈スィート・ホーム〉のことか?』

『もちろん! ここにいれば、僕の世界を侵すものはないからね。〈波紋〉とやらを使うヤツが来ても、結果は同じさ。外のヤツらは、それが分かってないみたいだけどね』

『分かっていないのは貴様だ。そもそも、貴様は〈スィート・ホーム〉にはもういられない』

『? どういうことだ』

 

 炭三は、顎を上げた。

 

『今より吾輩は、〈スィート・ホーム〉を解除する』

 

 その一言に、聖也は絶句した。

 

『そうすれば、キャビネットも失われ、貴様はこの外に出ることになる』

『何言ってるんだ? 君は〈スィート・ホーム〉と一体化してると言ってたじゃないか。それを解除するということは、君も幽霊として留まることはできなくなる、ということじゃないのか!?』

『いかにもその通り……!』

『待て!!』

 

 聖也は叫びながら、〈スィート・ホーム〉が消滅していくのを感じ取っていた。

 

 

 

 

 

「え、あ!?」

 

 地下室への入口に座り込んでいた明日見は、自分の『切り離されていた』上半身が、前触れもなく元に戻ったことに、驚いていた。

 

(これは……操さんが能力を解除した!? 間違いないわ。すると、遥音さんは!?)

 

『明日見! アンタも、元に戻ったのかい?』

 

 いきなり聞こえてきた、遥音の声に、明日見は思わず、彼女が側までいつの間にかやってきたのかと思って、玄関の方を見た。

 が、遥音は変わらず玄関に立っていた。手には、マイクが握られているらしい。

 

『アタシの能力の一つ、〈ウインド・ヴォイス〉さ。あんまり大声だと、見張りの意味がなくなるかもだからね。治ってるンなら、大きくマル書いておくれよ。この能力は、アタシからの一方通行で、アンタの声は届かないンだ』

 

 明日見は立ち上がって、両手でマルを作って見せた。

 

『そいつは良かった。アタシも、そっちに行った方がいいかい?』

 

 明日見はジェスチャーで、『まだ分からない。そこにいて』と示した。文明たちが勝ったならすぐに上がってくるはずで、そうでないなら、まだ予断を許さない。入口付近の接近戦になるなら、遥音は離れていた方がよいという判断だった。

 

『分かったよ。だけど、いい方向に進んでるのは間違いないだろうね? もし全員無事で帰れたら、乾杯しようぜ? もちろんアルコール抜きでな!』

 

 明日見は、そうあってくれればいいと思いながら、大きくマルを作った。

 

 

 

 

 

 巨大な、触手の集まった球体〈スィート・ドリーム〉と、操。

 それが、地下室に出現した。

 

「キャビネットが……!」

 

 文明が、床に無残に散らばった木片を見て呟いた。

 ふわり、と、黄金の煙のようなものが、木片から立ち昇るのを、その場の全員が見た。

 それは空中で、炭三の姿を取った。

 

『心正しき者たちよ。絶望は、愚か者の結論である』

 

 炭三の言葉が、確かに全員の心に聞こえた。

 

『彼女は、今でこそ心を囚われているが、そなた達ならば、必ず取り戻せる。心正しき者はここに集結し、吾輩の役目は終わった。後は、そなた達に委ねる』

 

 誰も、言葉を発しなかった。

 

『そなた達が〈スィート・ホーム〉に尋ねてくるのが、吾輩にとってはこの上ない楽しみであった。あのような気持ちは、我が友、城之内恵三と共にあった時以来であったぞ。最後になるが、間庭愛理よ』

「は、はい」

『我が子孫たる、スミリンと変わらず仲良くしてやってくれ。あれもまた、そなたと縁で結ばれた者だ』

 

 黄金に輝く炭三の姿は、天上へと消えていった。

 それは、長いゆったりとした時間のように、それを見た者には感じられていたが、あるいはほんの一瞬のことだったのかもしれない。

 未麗は、目をギラつかせながら叫んだ。

 

「聖也が現れたのなら好都合! 全員、下僕になるが……う!?」

 

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、未麗の体に突きこまれた。未麗の精力が吸い上げられ、神原の溶けた腕が元に戻っていく。

 

「我らの動きを止めて、一斉に〈肉の芽〉を植え付けて形勢逆転、か? そのような、三流アイドルのためにヤッツケで書いたような〈譜面〉を演じてやるつもりはないわ!」

「ぐうぅっ……!」

 

 未麗が、自分の死を直感した瞬間。

 〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は、未麗から爪を引き抜いた。

 

「滅するまではせぬ。教え子どもの前で、そのような姿は見せられぬからな。もっとも、スタンドはもう使えぬであろうがな!」

「うぐ……」

 

 未麗は、膝から崩れ落ちた。

 

 その時、〈スィート・ドリーム〉から、大人の腕より太い、〈肉の芽〉の束が、神原に放たれた。〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は、マントで軽々とそれを跳ねのける。

 次々と吐き出される〈肉の芽〉の束を、それぞれが必死で回避していた。

 

「調子に乗ってんじゃねえッ!」

 

 京次が〈波紋〉入りの拳を、〈肉の芽〉の束に叩き込んだ。そこから、〈肉の芽〉の触手の色が変わり、ボロボロになっていく。

 だが、それは根元から千切れ飛んだ。床に振り落され、すぐに崩れていく。

 

『無駄だよ。〈波紋〉を打ち込まれた部分は、切り離せるからね。失っても、すぐに再生できるから問題ないのさ』

「チッ!」

 

 京次は舌打ちした。

 それを聞いた未麗は、息を切らしながら、

 

「さすが、私の子ね! ママは嬉しいわ。このままヤツらを」

 

 言いかけた時。

 攻撃を外した触手の束が、未麗の横面を痛烈に打った。床に、叩きつけられるように倒れ伏す未麗。

 

「せ……聖也!? ママにまで……攻撃が、当たって」

『うるさいな! 今はそれどころじゃないんだよ!』

「え……!?」

『もうママは、スタンドも使えないでしょ!? 役立たずは引っ込んでてよ! 操さえいれば、ママの代わりなんか、いくらでも手に入る!』

 

 その非情な台詞に、未麗は愕然とするだけだった。

 笠間はまだふらつきながらも、

 

「全員、地上に上がるぞ……! このままじゃ、いずれやられる」

「そうはいかねー、ってヤツが一人いるけどな?」

 

 京次が示した先では、歯を食いしばりながら立ち上がっている、航希の姿があった。口に放り込んでいたニンニク漬けのおかげで、どうにか少し力を取り戻していた。体に残っていた、神原に打ち込まれた爪を引き抜く。そこから、鮮血が飛び散った。

 

「俺と航希は残る。あのバケモノと決着つける。アンタは、他のヤツらを連れて上がってくれ。操られると厄介だ。特に先生はな」

「何と? 貴様、あの状態の服部と残ると言うか」

 

 神原が問うた。

 

「ヘッ。タンパク質とカルシウムだけでしか、人体を語れねぇ医者でもないだろ? いいから俺らに任せときなって!」

「先生!!」

 

 大声に振り返ると、そこには文明がいた。まだ京次と航希をつないでいる、残りの布で〈肉の芽〉を弾いて耐えていた。

 

「行きましょう」

「……!」

「あの二人なら、必ず何とかします。先生は日光の当たらない階段にいれば、消滅せずにすむでしょう!?」

 

 神原は、一瞬黙って、口を開いた。

 

「この姿の我を、〈先生〉と呼ぶか。天宮文明」

「あなたは、その姿でも〈先生〉であることを忘れなかった。あなたは、僕たちを今日まで導いてくれた神原先生です」

 

 神原の顔から、邪気が消えていった。効果時間が過ぎ去り、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は〈ノスフェラトゥ〉へと変化していった。

 

「ありがとう天宮くん……。どうやら階段で待つ必要もなさそうだ。二人に任せる! 他は全員退避だ」

 

 そう言うと、息も絶え絶えの笠間をマントで守りながら、神原は階段へと向かった。

 

「間庭くんたちは!? 大丈夫か」

「もう先に上がらせてる。愛理とユリじゃ、相手が悪すぎるからな……。お前に介添えされながら、上がることになるとはな。すまん」

「元は、私のやったことだ。……彼らをここまで無事に連れてきてくれて、心から感謝している」

 

 最後に残った文明は、京次に小声で言った。

 

「航希を、頼む」

「おうともさ。アイツに、花を持たせなきゃだぜ」

 

 布で迎撃しながら、後ろ向きに階段を上がっていく文明に、京次は背を向けた。

 

(航希は、いっつも俺を立ててくれた。人のことが先で、自分のことは後回しだ。ニコニコついてくるくせに、俺を頼ったりしてこねー。そんなヤツが、命振り絞って、操を救い出そうとしてやがる。こんな時に、一肌脱いでやらなきゃ、漢がすたるってもんだろ。文明よ、おめぇも同じ気持ちなんだろ? 今の顔つきで分かるぜ……!)

 

「さてと。やるぜ航希ィ!」

「ああ!」

 

 声を振り絞って叫び、多少眉をしかめつつも、ニコッと笑う航希。

 

(満身創痍の上に、ずっと〈波紋〉を受け続けてるってのに、大したヤツだよおめぇは。文明といい、おめぇといい……!)

 

 残った二人は、異形の〈スィート・ドリーム〉に向かい、構えを取った。

 



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第53話 地下室での激闘 その4

 〈スィート・ドリーム〉から、触手の束を腕に見立てたかのような、大振りの攻撃が斜め右上から、京次に叩き込まれようとした。

 京次は左にステップしてこれをかわすが、また別の束がまた右上から来る。

 これを京次は後ろに下がって回避したが、相手の攻撃を奇妙に感じていた。

 

(コイツ、右からばっかり攻撃してくるな? 俺を左に寄せたいらしいな。航希には、左から攻撃してるっぽい。俺と航希を、一か所に集めてからの同時攻撃か?)

 

 分かってはいるのだが、意外と間断ない連続攻撃にさらされていては、簡単には相手の意図とは逆の方向には動けない。かと言って、触手の腕が伸びる元となる球体に近寄ろうとすると、そちらの方向へと、ストレートやジャブのような攻撃が繰り出されて、足を阻まれる。攻撃を受けるにも、こちらの動きが止まりやすくなる上に、〈波紋〉で瞬時に、触手の束を消せるわけでもない。ジリジリと、二人は立ち位置が近づきつつあった。

 何度目かの、後ろへの回避をした時。

 トン、と京次の背中が壁に触れた。

 

(言葉通り、後がないってやつだな。いよいよ、〈波紋〉攻撃の連打で無理攻めしかねぇか? だが実のところ、結構息が切れ始めてる。〈波紋〉で一気に仕留められなかったら、手詰まりでアウト……う!?)

 

 激しくなった腕の連打が、一瞬切れたかと思った時。

 突然、未麗の体が、触手の密集した所を擦り抜けて、横から飛び出してきた。まるでジャイアントスイングのように、京次の腰の高さで。

 未麗の頭部が壁に叩きつけられ、鈍い音を立てるが、それでもお構いなしだ。未麗の体が腰の所で曲がり、壁を擦り付けながら、京次に叩きつけられる。リーチが伸びた上、予想もしない攻撃だったこともあり、京次は意表を突かれた。かろうじて正面から受け止めたものの、未麗の体の重さに押され、部屋の角へとさらに後退させられた。

 

(野郎のママだかじゃねぇのかよ!? まるでモノ扱いじゃねぇか。航希は……ッ!?)

 

 その航希は、未麗の体による京次への攻撃の直前、触手の束を後退で回避して、部屋の角まで下がっていた。瞬発力を生かして〈スィート・ドリーム〉の背面まで駆け抜けようと考えていたのだ。

 

(一か八かだ! 触手の攻撃をかわしきって、背後に回り込めば、操がいるはず。一瞬でも触れられれば、操を解放できる!)

 

 そして、ダッシュを敢行しようとした時であった。

 一瞬開いたように見えたその行く手に、遮る物が飛び出してきた。

 

(机!?)

 

 部屋に入った時に、未麗の前に置かれていた机の一つ。それが、天板を航希の側に向けて、滑らせるように一気に押し出されてきた。机と床との接地面に、触手の一部が入り込んでいて、摩擦を軽減していた。

 これから突貫しようとしていた方向からの、机の急接近。航希は避けきれず、部屋の角へと机に押し返された。京次が部屋の角に下がらされたのも、ほぼ同時だった。

 

「ぐッ!?」

「うあッ!」

 

 机は、そのままの勢いで、航希と京次をまとめて、部屋の壁へと押し付けた。航希は、部屋の角に押さえ込まれた。京次は横に逃げようとしていたが、未麗の体が邪魔となり、机に挟まれてしまった。未麗の体は、机が突っ込んできた時に、その角で弾かれて投げ出された。

 机の反対側から、強い圧力がかけられ、ギシギシときしむ音がする。京次と航希、二人がかりでも跳ね返しきれないほどの力だ。

 

(〈波紋〉は!? 机を伝わってねぇのかよ!)

 

 悪いことに、京次たちに直接触れている天板は、樹脂製だった。樹脂は、人体や金属に比べて、波紋の伝達率が悪い。わずかに伝わった〈波紋〉は、机を押し込んでいる触手を溶かしてはいるのだが、次々に新たな触手が送り込まれているため、わずかに圧力を軽減しているに過ぎなかった。

 

「くそッ! 離しやがれ!」

 

 京次は、天板を拳で何度も殴った。しかし、縦になった天板の縁を殴る形にならざるを得ない。さすがに、いくら殴っても割れる様子は全くなかった。

 

『どう? 動きたくても動けないって、なかなか辛いだろ? だけどね、僕はずっとそうだったんだ。太陽の下にも出られないみたいだしね。思うように身動きできないなら、せめて代わりに動ける人間が欲しくなるのは当たり前だろう?』

「だからって、俺たちがおめぇの下僕にされる謂れはねぇぜ!」

『そうかい? なら死ぬんだね。君たちの能力は惜しいけど、仕方ない。君は特に、生かしておけば脅威になるだろうからね』

「ヘッ。分かってるじゃねぇか。寝たきり野郎の割にはよ」

『言い忘れてたけど。僕、天才なんだよね。見聞きするだけで、いろんなことが理解できる。経験なんて泥臭いことは、僕には必要ないのさ!』

 

 触手の束の一つが、スウッと持ち上げられた。その束を構成する触手の先端は、操られていた人間に張り付いていた、蜘蛛のような殻に覆われていた。そこから同じ材質の管が伸びて、途中で〈肉の芽〉の細長い触手に変化していた。

 

『この先っぽの部分は太陽も平気だから、〈波紋〉も通らないよね、きっと。強度もそれなりにあるし、これを一度に叩き込めば、君たちどうなるのかなぁ?』

 

 京次も航希も、押さえ込まれて動きが取れないながらも、じっと触手を睨んでいる。

 

『おー怖い怖い。それじゃ行くよー。どちらにしようかなぁ?』

 

 嬲るような声音と共に、触手の先端の向きが、交互に二人を指す。

 

『僕という王様のー、い、う、と、おりッ!!』

 

 最後の二文字をわざと続け様に言い、触手が少し反り返ると、その先端が散弾のようにバラけて、航希に一斉に襲い掛かった。

 大雨が地面で立てるような、激しい連続音が鳴り響いた。

 

「……何ッ!?」

 

 聖也が、驚いていた。

 航希は、上を向いていた引き出しの一つを咄嗟に引っ張り出し、盾として掲げていた。引き出しの表面には、無数の陥没した跡が残されていた。

 

「引き出し、って知らなかったかな? 見聞きしてるものが、偏ってるんじゃあない?」

『だ、黙れ! もう一度』

「あれれ? 震えてるけど?」

『そんなことはない! 声なんか震えていない! お前みたいな、僕に押さえ込まれて、身動きもできないヤツに!』

「震えてる、ってのは。お前の声のことじゃないんだけど。よっく見なよ。……っていうか、お前って、目で見るのかもよく分からないけど」

 

 航希の言う通り、震えているのは、聖也の声ではなかった。

 机の天板が、振動していたのだ。それも、時間が経つほど、激しさを増していく。

 

「こっちも言い忘れてたけどよ。俺は〈波紋〉の他に〈振動〉を操れんだよ。机を殴ってたのは、壊すためじゃねぇ。〈振動〉を送り込むためだ!」

 

 京次の体を押さえ込んでいた机は、今や工業用のバイブレーター並みの振動を引き起こしていた。触手で押さえ込もうとしても、振動のためにうまくいかなくなっていた。そして京次の体は、机の振動によってズレやすくなっていた。

 ズボッ! と、京次の体が、机と壁の間から抜けた。押さえられていた机は、京次が抜けたことによって、そちら側の角が壁に叩きつけられた。机そのものが傾き、航希の側が斜めに少しだけ広くなった。

 航希は、部屋の角との間にわずかに生じた隙間に、手にした引き出しを無理やり突っ込んだ。それがつっかえ棒代わりとなり、机ではそれ以上押さえ込むことができなくなった。

 ピタリ、と振動が止まった。京次が停止させたのだ。

 航希は、振動がなくなって安定した、机の縁に足をかけた。もう一方の足も、抜き出そうとしている。

 

『出させると思うな!』

 

 再び、触手の束の先端が、まだ足を抜ききっていない航希に向けられた。

 

「邪魔ァッ!!」

 

 机の前に回り込んだ京次が、手刀で触手の束を斬った。太い束が一撃で切断され、床に落ちて朽ちていく。

 だが聖也は、さらに別の触手の束を繰り出した。今度は京次を大きく迂回するように、1組は頭上、もう1組は左から横殴りに。

 

「甘ぇんだよ!」

 

 京次の足が、不可視の踏み台を次々と蹴り上げた。体が空中を真っすぐ駆けあがると、頭上の触手をまたも手刀で切断した。

 

「もう一つ言い忘れてたがな。俺は空中に〈足場〉を作れる。高さは俺にゃ、アドバンテージにはならねぇぜ!」

『あ、後出しジャンケンにも程があるだろ!? だけどまだ!』

 

 横殴りの触手がすでに、航希に襲い掛かっていった。

 ガコッ!! と音を立てて、部屋の角の壁を、触手の束が打ち込まれた。

 

「はい外れ~。残念!」

 

 聖也がハッと気づいた時、湾曲して伸ばされた触手の、ちょうど曲がり際のところの上に、航希は身軽に飛び乗っていた。〈サイレント・ゲイル〉のスケートボードを装着した姿で。

 航希は、ボードで滑走し始めた。触手の束の上を。

 触手の束は、さらに多くの触手が寄り集まった、肉球から伸ばされていた。その真上から2本の触手が伸び、それぞれ眼球がくっついているのが見えた。それが、聖也本人のものであることを、航希は直感していた。

 肉球の向こう側に、スタンドを出したままの操が立っていた。

 航希は、スケートボードを瞬時にトンファーに切り替え、操のいる側に着地した。操は予期していなかったらしく、慌てたように航希から遠ざかろうとする。

 

「操!!」

 

 航希が、彼女に一歩足を踏み出した。その前に、触手が伸びて行く手を遮る。

 トンファーが、触手を瞬時に打ち据え、切り飛ばした。

 操はさらに後ろに下がる。航希が、歩を進めようとした。

 

『させるか!』

 

 横合いから、航希の前に机が突き出された。先ほどの机の隣に置かれていた、もう一つの机だった。

 航希は、机に飛び乗った。そこから天板を蹴りつけ、前へと飛び込み、身を投げ出していった。

 思い切り伸ばした航希の指先が、下がろうとしていた操の頬を撫でた。

 〈波紋〉が、操の身体に流れ込んだ。張り付いていた〈肉の芽〉が、剥がれて落ちる。

 

「航希!!」

 

 正気に戻った操が、手を差し出して駆け寄ろうとした。床に倒れ伏した航希も、起き上がって手を伸ばそうとする。

 が、二人の手が、あと少しというところで届かない。触手が彼女の身体を押しとどめ、後ろに下がらせていく。

 操の泣きそうな顔と、伸ばされた腕だけが、触手の間にできた穴から見えていた。

 またも、別の〈肉の芽〉が操に張り付き、操ろうとしていた。

 

(ダメなのか!? 最後のチャンスだったかもしれないのに……!)

 

 京次の〈波紋〉も、疲弊してきているのを、航希は感じていた。京次が力尽きれば、もはや操を取り戻すことは不可能だった。

 それでも、諦めきれずに、航希は床を蹴り、触手に囲まれようとしていた操に手を思い切り伸ばした。

 フッ……と、航希の眼前に〈ファントム・ペイン〉が現れた。

 

(操に斬られるなら、それでもいい!)

 

 航希は、半ば覚悟を決めた。

 〈ファントム・ペイン〉の剣が、閃いた。

 切り離されたのは、航希へと伸ばされた、操の手。

 

「!」

 

 操の手は、真っすぐに航希の前へと飛んだ。

 それを、航希はしっかりと握りしめた。

 手から、内部的につながっている操の身体に、〈波紋〉が流された。張り付こうとしていた〈肉の芽〉は剥がれ落ち、彼女を取り巻いていた触手も、触ることもできなくなった。

 

「〈ファントム・ペイン〉、元通りにして! 手の方に! 航希のところに!!」

 

 ズボッ! と、操の身体が、触手の穴を突き破るように飛び出した。瞬間的に、操の身体は手と結合し、航希の腕の中に飛び込んでいった。

 

『か、返せ! それは僕の大事な』

「黙れ!!」

 

 聖也が、航希の気迫に押されて、口を噤んだ。

 

「操は、もう渡さないッ!!」

 

 航希は、しっかりと操を抱きしめて、腹の底から叫んだ。

 操は、じっと航希の目を見つめると、航希の首に手を回して引き寄せた。

 彼女の唇が、航希のそれと重ね合わされた。

 

『な……!』

 

 聖也は、二人の行為が何を意味しているのか、実のところ分からなかった。ただ、言いようのない敗北の悔しさに襲われていた。

 

「あ……」

 

 航希は、操の唇が離れると、照れくささを掻き消すように呼びかけた。

 

「京ヤン! 操を確保した!」

「よしッ! 上に先に行け。俺は、コイツを片づけていくぜ」

 

 〈スィート・ドリーム〉の向こう側から返事が聞こえた時、航希は思い出した。

 

「コイツ、肉球の中に、多分頭部があるよ! 目玉が中から出てきて、こっちを見てた。目玉があるなら、頭部もあるはずだ!」

「そりゃ朗報だ! 考えてみりゃ、スタンドで〈肉の芽〉操るんなら、脳は必要だろうからな!」

 

 聖也は、この会話を聞いて、頭の血の気が引く思いだった。身体の他の部分は全て〈肉の芽〉で置き換えたのだが、脳とそれを守る頭部だけは、ほとんど人間のままで残していたのだ。

 航希と操は、必要以上にベッタリ張り付いたまま、階段に向かった。〈波紋〉が流れて続けている二人に、もはや〈スィート・ドリーム〉は何もできなかった。

 

「操。ビリビリするだろ? きつくない?」

「大丈夫。航希と、一緒だから……」

 

 二人の後ろ姿をチラリと見た京次は、思い当たることがあって、ニヤリと笑った。

 

「さて。始めっかぁ! 万が一にも、操を巻き込まねぇように手加減してたが、こっからは思い切りいかせてもらうぜ!」

 

 肉球へと歩み寄る京次に、触手が前を塞ごうとする。

 

「無駄な抵抗してんじゃねぇ! 邪魔だ! 〈山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)〉ッ!!」

 

 拳の連打が、触手の束を次々と打ち据えた。みるみるうちに触手が千切れ、枯れていく。肉球に至ってもなお、連打がそれを削っていく。

 そして、ついに聖也の顔が露出した。神経質そうな、細面の青白い顔だった。

 

「邪魔ァッ!!」

 

 最後の一撃を、聖也は残された触手で、必死でガードした。

 が。

 拳の命中した触手が、変化しない。色も変わらず、千切れもしない。

 京次は、荒い息の中で、呟いた。

 

「くそ……。〈波紋〉が。切れやがった……」

『あ……はははははッ!』

 

 聖也は、触手越しでも充分痛んだ顔を引きつらせて、甲高い声で笑った。

 

『残念だったねえ!! もう少しで、僕を完全に倒せたのに。それじゃ、お前を支配させてもらおうか。お前のおかげで、操も神原も失ったんだからな!』

「へ……そうかよ」

 

 京次は、なおも笑っていた。

 

「なら、もう一勝負と行くか……。おめぇに、〈波紋〉なしで拳を叩き込む。それでおめぇの頭ブチ砕ければ、俺の勝ち。その前に……おめぇが俺を操れれば、俺の負けだ」

『む、無駄なことはやめろ! おとなしく僕に仕えればいいものを!』

「生憎だがな……。俺は、こういう勝負、嫌いじゃねぇんだよ。それじゃ、行くぜ!」

 

 京次が、構えた。

 聖也は、恐怖に怯えながらも、〈肉の芽〉を京次に張り付けた。触手で、顔面を必死で覆う。

 

「邪魔ッ!!」

 

 鋭く重い右フックが、聖也の側頭部に食い込んだ。

 聖也が白目になり、〈肉の芽〉が、京次の身体から剥がれた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

 

 次々と食い込む拳に、聖也の顔面が、頭部が破壊されていく。

 

「邪魔ァーッッ!!」

 

 最後の一撃が、聖也の頭蓋骨を打ち砕いた。

 肉球を構成する触手が、みるみる黒ずんでいった。勝手にボロボロに千切れ、肉球が崩れていく。

 そして触手が全て、完全に動かなくなった。

 大きく息をつきながら、京次は言った。

 

「やっぱり、おめぇは弱ぇなあ……。強い弱いは、顔面ブン殴ってみりゃ、分かんだよ。どんなスゲェ体してようが、デカい口叩こうが……。弱いヤツは、それだけでもうダメになりやがる」

 

 背を伸ばして、京次は付け加えた。

 

「俺の仲間にゃ、そんなヘタレは、一人だっていやしねぇぜ」

 



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第54話 貪るもの

 航希は、地下室へ通じる階段の手前で、印を結んでいた。

 すでに、航希だけではなく、京次や笠間らといった、体にダメージを負っている者には治療が施されつつあった。外傷には強化薬草を用いた軟膏、深い傷にはユリの〈エロティクス〉も併用し、遥音が癒しの歌をずっと歌い続けている。体力の消耗が激しい京次は、強化ニンニクも口にしていた。

 文明は、今も明かりの灯る地下室をじっと睨んでいる。スタンドは、ずっと出したままの臨戦態勢。〈サイレント・ゲイル〉ミニマムモードによる最終確認が取れるまでは、気を抜くつもりはなかった。

 その〈サイレント・ゲイル〉を送り込んでいる航希の横にいるのは、操であった。先ほどまで皆に謝りまくっていたのだが、今は不服そうな目で笠間を睨んでいる。当の笠間は、素知らぬ顔だ。

 

(やれやれ。あのコも、航希くんと急接近したかと思えば、ベッタベタじゃないの。私が航希くんに〈エロティクス〉使って治してたら、嫌そうな顔してたし。露骨にヤキモチ焼かないでよね~もう!)

 

 ユリは、内心で多少呆れていた。

 

(ま、笠間さんがハードワーク強いるからってこともあるけれどさ。京次くんが、キッチリしとめたって言ってるんだからイイじゃないのよ。慎重にも程がなくない? 私、もうとっとと帰りたいんですけど~)

 

 一方、文明は笠間の真意に気づいていた。

 

(京次くんは、上に戻ってくる少し前に、〈波紋〉が途切れた。それは、僕も笠間に伝えている。京次くんが操られていて、地下室ではまだあの〈肉の芽〉の怪物が健在。そういう可能性もあると思ってるんだ。それに、まだ地下にいるはずの未麗がどうなってるのかも気になる)

 

 文明がスタンドを出し続けているのも、そのためだった。

 

(もし京次くんが操られていて、仲間に攻撃を仕掛けてきたら。彼を、何としても止めなきゃならない。だけど……できるだろうか? 今の京次くんは、以前よりはるかに強い。彼には〈ハースニール〉は絶対に使いたくないし、まともに食らうほど甘くはないだろう。確実に押さえ込める自信はない……)

 

 それでも、文明が頭の中で密かに、京次へどう対処するかを考えあぐねていると。

 地下室から、極小の影が、高速で飛び出してきた。

 航希が、閉じていた目を開き、印をほどいた。

 

「確認終了! 聖也も未麗も、完全にノックダウンしてる。勝利確定だッ!!」

 

 その場にいた者たちの間から、歓声が上がった。

 ただ、笠間はなおも冷静に尋ねた。

 

「聖也は、どうなってた?」

「あんまり女の子たちの前で言いたくないんだけどさー。何て言うか、大量のミミズの死体の中に、熟れて潰れたスイカが転がってるって感じ? ピクリとも動かないよ」

「そうか……。未麗はどうなんだ」

「後頭部が、完全に砕けてたよ。触手に振り回されて、頭から壁に思い切り叩きつけられてたから。脳挫傷は間違いないね。脈も全くナシ」

「分かった。疲れてるところ、ご苦労だった」

 

 笠間は、全員を見渡して述べた。

 

「服部の言うとおり、俺たちの勝利だ! もう敵は誰もいない」

 

 もう一度歓声のあがる中、文明はようやくスタンドを消して、ため息をついた。

 

「警戒お疲れだな? 俺が操られてる可能性もあったわけだからな」

 

 京次が、ニヤニヤ笑いながらそう言ってきた。

 

「あ、いや! そういうことじゃ」

「隠すなって。本調子ならおめぇとヤッても良かったんだけどな。だけど、えらく邪魔が入りそうだからなぁ~」

「僕は本ッ当に勘弁してほしい……。勝てると思えないし」

「よく言うぜ。おめぇ、頭ん中で、どうやって俺と戦うか想像してただろ、絶対! っていうか、そこに参戦させろや。ホンマモンの俺をよ~!」

「だからそれはやめてくれって!」

 

 京次と文明がじゃれ合っているところへ、笠間が呼びかけた。

 

「おい、そこのお前ら。サッサと移動するぞ」

「え? ああ、温室の前?」

「さっきも説明した通り、藤松が家に戻ったら、あそこの扉と自分の家をつながるようにして、連絡くれるはずなんだ。そしたら、扉くぐれば藤松の家。そこから俺たちの町まで直行だ」

「そういえば……神原先生と、明日見くんは?」

 

 妙に人数が少ないので、気になった文明はメンバーを確認していた。

 

「あの二人は、別荘を一回りしてくると言ってたぞ。気になることがあるらしいな。終わったら、アイツらも温室前に来るようにLINEしておく」

「あ~あ、もうどうでもいいじゃない! 早く帰りたいですぅ~」

 

 ユリがうんざりした表情をしながら、温室へと歩き出した。他の者たちも、ぞろぞろ動き出した。

 笠間と並んで歩きながら、愛理が問いかけた。

 

「肩の具合は、いかかですか? かなりの打撃を受けていたはずですが」

「え? ああ。一瞬、すごい衝撃があったんだが。全然今は痛みはないよ。打ち所が良かったのか、遥音の歌を聴いてるうちに治ってったのか知らないがな」

「そう、ですか。それは何よりです」

 

 返事をしながら、愛理はなおも気になっていた。

 

(見間違いじゃない。〈クリスタル・チャイルド〉の、攻撃を受けた肩口は、完全に砕けていた。何だろう? あの、砕けたところから覗いていた、赤いものは……)

 

 そして、地下室前に誰もいなくなってから。

 物陰から、一人の姿が現れた。

 それは、狂気に満ちた笑顔を浮かべた、亜貴恵であった。

 彼女の腕と足は、拷問で破壊された元のものではなかった。そのいずれも、毛皮をまとった外骨格に包まれた、フレミングのそれと入れ替わっていた。

 亜貴恵はゆっくりと、地下室への階段を降りていった。

 

 

 

 

 

 青空の下、一同は温室の前で待ち続けていた。

 

「ね~、まだ~?」

 

 ユリが、座り込んで笠間に問いかけていた。

 

「俺を急かされても困るって。まだ藤松が、家についてないんだろう。奥さんが一緒だし、歩いて戻るって言ってたからな。それに、神原たちもまだ戻ってない」

「……っていうか、出てきたみたいよ。コッチに歩いてきてるじゃん。お~い早く~!」

 

 二人が見えたが、笠間は妙な雰囲気を感じた。

 

(どちらも、腑に落ちないといった顔だ。しかも、いやに速足でコッチに来る。どういうことだ……?)

 

 ようやく、温室前まで辿り着いた二人に、笠間は声をかけた。

 

「どうかしたのか?」

「いや……」

 

 神原は、傍らの明日見に目をやった。明日見が、話し始める。

 

「亜貴恵が、いないのよ」

「亜貴恵だと?」

 

 笠間はその時、ようやく存在を思い出した。

 

「亜貴恵は、あの別荘の一室で、拷問を受けていたのよ。未麗の仕業なのは間違いないけど……。その部屋は見つかったんだけど、拷問装置は破壊されてて、亜貴恵はいなくなってた。あの手足じゃ、自力で動けるとは思えないし。誰かに解放されたとしか」

「誰か、だと? しかし、未麗の手下が手を貸すわけはないしな。亜貴恵に従うヤツがいたなら、そもそも亜貴恵はそんな目にはあってない」

「それと、だ」

 

 今度は、神原が話し始めた。

 

「別の部屋で、男が殺されていた。見たところ、首筋から頸動脈を抉られている。刃物ではないな。言ってみれば……猛獣の爪にでも、掻き破られたという様子だった。しかも、頭部を破壊されて、脳が抉られている」

「猛獣!?」

 

 笠間の中で、嫌な予感が頭をもたげ始めていた。

 

「というと……まさか」

 

 笠間は、玄関の近くに放置されている、フレミングの亡骸の方を見た。

 その呼吸が、一瞬止まった。

 フレミングの亡骸の側に座り込み、その首根っこを膝に抱いていたのは、亜貴恵であった。

 亜貴恵の、猛獣のような鋭い爪が、フレミングの頭部に突き立てられた。

 

「みんな!! 亜貴恵だ。なんかヤバイ! 戦闘準備しろ!!」

 

 その叫びに、全員が顔色を変えて、笠間の示す方向を見た。

 亜貴恵は全く構わず、フレミングの頭部から脳を抉り取ると、大きく口を開けてそれを押し込み、咀嚼し始めた。あまりにもおぞましい光景に、女子はもちろん、全員の顔が強張っていた。

 そして、亜貴恵の喉が、ゴクリと口の中身を飲み込んだ時。

 亜貴恵の全身が、内側から弾けた。内部から、手足と同様の外骨格が露出し、しかもみるみるうちに巨大となっていく。手足も、長く太く、そして全く違うものに変形していった。

 

「何ということだ……」

 

 神原は、戦慄していた。

 

(まるで、亜貴恵の肥大したエゴを、体現したようだ)

 

 胴体が、トカゲのような肉食獣の形となっていった。手足、というより、四つ足も同様で、前足には鋭い爪が剥き出しとなっている。尻尾は長く伸び、強靭なムチを思わせる。そして背中の中央には、棘がズラリと並び、それを挟むように、2列6個の円形の時計が並べられている。

 亜貴恵の顔の真下が突き出し、狼のような口が出現した。開かれた口からは、牙が生えそろっている。さらにその真下の首の付け根には、透明なケースに入った柱時計の振り子が見えていた。

 亜貴恵の顔は、狼の口の上に、瘤のように突き出た。その瘤の側面には、右に聖也、左に未麗の顔が現れている。後方には、フレミングの眼鼻と、小さな口が突き出てきていた。4つの顔と顔の間には、大きな角が直立し、顔を斜めからガードしているようであった。

 神原は、青ざめながら、その異形の姿を見ていた。

 

(未麗と聖也まで、吸収したのか! すると……もしや地下室で、己の子供たちの脳を……! 『ヘドが出る』という表現を、ここまで実感したことは、ただの一度もなかった!)

 

 いつしか、亜貴恵であったその怪物は、全長10メートルにも届こうという姿となっていた。

 肉体の変貌が終わると、亜貴恵は辺り一面に響こうという大声で、哄笑しだした。

 

「アァハハハハハ……!! 最高よぅ、この姿! どう? これが、たった今発現した、あたしのスタンド! 〈スィート・バイキング〉さ!!」

「ちょ、ちょっと、外……!」

 

 ユリが指さした、柵の外では、ジェットコースターが高速で動いていた。どうやら、別荘の周りを完全に囲むように走っているらしかった。

 

「逃がさないってことさ! 親を裏切っておいて、ロクに演奏もさせられない、うちのヘボ娘がずいぶん世話になったみたいだからねぇ!」

「何ですってぇ!? 猛毒親の分際で、どの口が言ってるのよ!」

「黙りなよヘボ作曲家、あたしが喋ってるんだ! もう、アンタの能力は、あたしのものになってるんだ。そこの、日当たりの悪いところでしか生育できないヒョロヒョロ小僧のもね!」

「口を慎めよクソババア! 世界の王に対する言葉遣いを知らないのかい!?」

「お前も黙れモヤシが! とにかく、そこの奴ら全員食って、あたしの能力に変えてやるんだよ。おいコラ、そこの貴様ら覚悟しな!!」

 

 一部始終を聞いていた明日見は、一言言った。

 

「世界で一番醜い親子喧嘩だわ……いろんな意味で」

「全員散れ! 一か所に集まってるのはマズイ!」

 

 笠間の叫びに、ハッと我に返った全員が、柵に沿って右と左の、二手に割れて駆け出した。

 それを〈スィート・バイキング〉は、上に長く首を伸ばしながら眺めている。

 

「さてと、まずは……。お前だ、間庭愛理! だんだん、あの女に似てきてるねぇ。気に入らないんだよ!!」

 

 〈スィート・バイキング〉が、地を駆け始めた。巨体に似つかわしくない、異様なダッシュ力だ。

 その悪夢のような情景に、愛理は思わず、恐怖のあまり足が止まってしまった。左右どちらに逃げればいいのか、分からなくなってしまったのだ。

 

「愛理!!」

 

 笠間が、叫んだ。

 怪物が、愛理に肉薄すると、大きな牙で愛理の頭上から食らいついていった。

 

「笠間さん!?」

 

 愛理は、怪物から離れたところにいる自分に気づき、愕然とした。

 笠間の体が、〈スィート・バイキング〉の牙にかかり、高々と持ち上げられていた。一瞬前に、〈クリスタル・チャイルド〉で愛理と自分を入れ替えていたのだ。

 無情にも、顎が閉じた。

 笠間の体は、牙に両断された。鮮血を迸らせながら、下半身と首だけが地面に落ちた。

 もはや何も映っていないのが明らかな瞳が、愛理の方に向けられていた。

 

「いやぁぁぁぁぁーーッッ!!」

 

 愛理が、悲痛な叫びをあげた。

 亜貴恵は、咀嚼音を立てる牙の真上で、満足そうに愛理の叫び声を聞いていた。

 

「ンッン~。い~い声立てるじゃないのさ? だが安心おし。次はお前だからさ!」

 

 ベッ! と、笠間の体の残骸が、牙の並んだ口から吐き出された。すでに動かない下半身の周りに、肉塊がブチ撒けられる。

 

「今度は僕がやるよ!」

「好きにしな」

 

 素っ気ない亜貴恵に代わり、聖也が爛々と目を光らせた。

 〈スィート・バイキング〉の背中の棘が、一斉に飛び出した。棘にはワイヤーがつながっており、背中に続いている。ワイヤーをくねらせながら、棘は愛理へと向かっていった。

 

「〈ハースニール〉!!」

 

 文明が、スタンドの両腕を前に突き出し、空中を飛来する棘へと突風を放った。二筋の突風の間に真空刃が発現し、ワイヤーを切断していく。

 が、一本だけ切れなかった。それにつながる棘が、さらに愛理に迫る。

 

「やらせない!」

 

 明日見が、愛理へと駆け寄っていた。〈パラディンズ・シャイン〉の槍が、七節に分離して目一杯伸びて、愛理の目前で棘を弾いた。

 

「今度は私がご挨拶してあげるわ!」

 

 怪物の背中の時計が、1個浮き上がった。30センチほどの薄い円盤が側面を向けて、明日見に飛来する。

 伸びきった槍は、引き付けきれなかった。スマホでのテレポートも、間に合わない。

 時計が明日見の首を、撥ね飛ばした。首が地面に落ち、夥しい血を噴き出させながら、体が倒れこんでいった。

 

「きっ……貴様ぁぁーーッ!!」

 

 文明の憤怒の声が、庭に響き渡った。

 



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第55話 虹を超えて

「〈ハースニール〉!!」

 

 怒りに燃える文明の放った一撃は、明日見の首を切り飛ばした時計を粉砕し、〈スィート・バイキング〉の胴中に命中した。外骨格がアッサリ削られ、中身が露出する。

 だが、それも一瞬だった。怪物が身を翻して、他の仲間たちの追撃を避けるうちに、〈肉の芽〉が傷口を塞いだ。すぐに日光で溶けるが、溶けきらない端に外骨格が増殖する。残った傷口にさらに〈肉の芽〉そして外骨格が塞がっていき、やがて元に戻ってしまった。

 

「やってくれたねぇ! フレミング、返礼してやんな!」

「分かりました。亜貴恵様」

 

 〈スィート・バイキング〉の首が、離れた文明に向けられた。牙だらけの口が大きく開かれ、その奥に巨大な弾頭が現れた。

 文明が危険を感じて、横に飛んで逃げた瞬間、弾丸が発射された。文明のいた場所に着弾すると、四方八方に鋭い棘が飛び出てきた。その様は、まるで巨大な栗のイガのようであった。

 

「天宮くん!」

 

 体勢を立て直してもう一度、〈ハースニール〉を撃とうとしている文明に、神原が叫んだ。彼自身は、怪物の動きが止まった時に、後ろ足や腹をマントで斬りつけていた。

 

「その技は、あの怪物の反対側にいる味方を巻き込みかねん! 考えずに使ってはならん!!」

「くッ……!」

 

 文明は、心底悔しかった。

 この島での闘いで、自分たちをここまで牽引してきた笠間。自分が恋をした明日見。二人の兄妹の散華を目の当たりにしながら、その仇敵を前に闘いながら、最大の武器を迂闊に使えないこの状況が、歯がゆくて仕方がなかった。

 笠間の、昨日の台詞が、頭の中でこだましていた。

 

『これはな、命も運命もチップに変えての〈ギャンブル〉なんだ。自分のも他人のもゴッチャ混ぜにしての、な。勝てば全てが手に入り、負ければ全て失う』

『お前はママゴトみたいな勝負しかしてきてないから、フワフワした綿菓子みてーな理想論を振りかざして、得意でいられるんだ』

『汚らわしい死神で大いに結構! 目の前で、大切な人が死んでいくのを見るより、よっぽどマシってもんだ!!』

 

(あなたの言う通りだったよ、笠間!!)

 

 心の中で、文明は慟哭していた。

 

(ほんの一瞬の油断で簡単に、つながりのあった人が死んでいく! 何て僕は甘かったんだ。これが……本物の戦いなのか? あまりにも、むごすぎる!)

 

「文明ッッ!!」

 

 京次の怒号が、耳を震わせた。

 その京次は、怪物の前足の、鋭い爪を裂けながら、めまぐるしく動いていた。

 一瞬その目が、文明を確かに見た。その目の意味を、文明は瞬時に察していた。

 

(後悔も反省も後回し! ワムウに託された、戦う心を忘れるな! そういうことか)

 

 文明は、ギリッと歯を食いしばった。

 京次は、怪物の攻撃を凌ぎながら、俯きかけた文明の顔が上がったのを、感じ取っていた。

 

(それでいいんだよ! おめぇは強い男だ。俺が見込んだ男だ!)

 

 ガキッ! と、怪物の前足の爪が、京次の一撃で折れた。そのすぐ側では、隙を見て接近した航希がトンファーを全力で振るい、もう一方の前足が地面で踏ん張っている所を攻撃している。

 愛理も、涙を必死で堪えながら、ワイヤー付きの棘が襲い掛かるタイミングを外しながら、回避している。危ないところは、ユリのガードや、遥音の〈ブラスト・ヴォイス〉の一時的な効果で凌いでいた。

 

「コイツッ!!」

 

 操も、スタンドに剣を振るわせて戦っていた。左右に振るわれる尻尾の薙ぎ払いを避けながら、〈ファントム・ペイン〉の一撃をその尻尾に加えている。『切り離す』能力は、結局尻尾を自由に暴れさせるだけなので、切れ味に限界があるものの、通常の斬撃で攻めるしかなかった。

 

「もうッ! 何グズグズやってるのよ」

 

 未麗が焦れていた。

 

「ババアも聖也もいったん攻撃やめなさい! 私がやるわ」

 

 亜貴恵の舌打ちを聞かなかったふりをして、未麗は叫んだ。

 

「演ぜよ! 我が〈譜面〉を!!」

 

 文明たち全員の。動きが止まった。跳躍していた京次などは、固まったまま地面に転がってしまう。

 

(この姿になったら、敵の行動の指定ができなくなった。羽ペンを持たなくなったからか。だけど、動きを止められるだけでも強力。まずはやはり愛理。私をコケにしたあの小娘は、絶ッッ対に! 生かしてはおかない!!)

 

 ケースの中の振り子が、揺れ始めた。そして、怪物の背中にあった時計が3つ、ふわりと空中に浮き上がった。動けない愛理に、いずれもが迫る。

 が、愛理は動き出した。遥音もユリも、時計を迎え撃とうとしている。

 

(何で!? まだ3秒しか経ってない! この姿になったから、能力が劣化したのか!?)

 

 未麗は、気づいていなかった。

 ケースに開けられた小さな穴。それは、地下室での闘いで、愛理の〈スィート・アンサンブル〉に穿たれたものだった。その時の一撃は、正確に振り子の根元を抉り、傷めていたのだ。完全に破壊するには至らなかったが、地下室での戦いの時に傷ついたまま無理やり動かしたのが災いしたのか、振り子の動きは明らかに悪くなっていた。

 時計の攻撃を必死で回避している三人。時計の一つが、誤って柵に追突すると、甲高く短い音と共に、金属製の柵が切断された。

 迎撃の手段に乏しい三人を見かねて、航希が駆けつけた。

 

「またこの手の攻撃かよ!」

 

 航希は、縦横無尽に動き回りながら、トンファーを振るう。次々と、時計が叩き割られた。

 

「ああもう! ママ、もう一度動き止めて! あとは僕がやるから」

「はぁ? ママってこのヘボ娘の事かい? モヤシ小僧、アンタはこのあたしが産んだんだけどねぇぇ!?」

「え、そうなの? どういうことなのママ?」

「あーうるさい! ババアの妄言はさておいて、能力使えばいいんでしょ!?」

「どっちが妄言吐き散らしてんのさ。ヘボ作曲家の言うことはこれだから」

 

 もはや相手にせず、未麗は再び能力を使った。

 

「演ぜよ! 我が〈譜面〉を!」

 

 またも、全員の動きが止まった。

 

「さぁて……。確実に仕留めていこうか。まずは、操を僕から奪ったアイツだ! さっきから、ウザったいんだよ!」

 

 聖也は、棘を伸ばしていくと、その全てを航希に突きこんでいった。

 航希の頭に、胴体に、足に、棘が突き刺さる。大量の血を吹き出しながら、航希は飛ばされて、愛理たちの足元まで転がっていった。

 

「航希!!」

 

 文明と京次、そして操が、同時に叫んでいた。

 

「こ、航希くんまで……!」

 

 愛理が、変わり果てたその姿を見下ろして、蒼白になっていた。

 その時。

 航希の倒れ伏した姿が、急激に変化していった。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。

 七色の、輝く縞模様に彩られたその姿は、〈クリスタル・チャイルド〉の色変わりした姿に似通っていた。

 

「え……!?」

 

 七色の姿が消えていく代わりに、そこにダブって現れた航希の姿が、身を起こしていき、そして立ち上がった。

 その体には、棘による傷など、全くつけられていなかった。

 

「なんかよく分からないけど、助かったみたい!」

 

 航希のトンファーが、空中の棘を次々と打ちのめす。棘が砕かれると、ワイヤーまでもがボロッと崩れていき、やがて消失していった。

 

「こ、これって一体、どういうことなんだよ!?」

「教えてやるよ」

 

 その声に、敵味方全員が振り返った。

 

「笠間さん!!」

 

 愛理が、大きく目を見開いていた。

 そこに立っていたのは、牙の攻撃を受ける前と変わらない姿の、笠間であった。

 傍らには、七色に輝く姿のスタンドが従っていた。その手にした鎌ですら、刃が眩い七色の縞模様となっていた。

 

「これが俺の、新たなステージに到達したスタンド。〈レインボー・チャイルド〉だ」

 

 空から柔らかく降り注ぐ日の光を身に浴びながら、笠間はそう口にした。

 

「身を挺して、人を守る。『死という悲しみの雨』の後には『生という希望の青空』が広がり、そこに『虹』がかかる。柄にもないと自分でも思うが、そういう能力になっちまったものは仕方ない」

「何が仕方ない、だよ!! ふざけるな!」

「あぁ、それから、どうして俺がこうしてノンビリ喋ってると思う?」

 

 笠間が、嘲るように笑っていると。

 違う方向から、明日見が地を駆けて、〈スィート・バイキング〉の正面に回り込もうとしていた。

 

「明日見くん……ッ!」

「二人で、遊びに行くって約束したものね!」

 

 歓喜の声を上げる文明に、明日見は一瞬笑顔を見せた。

 その間に笠間は、手近にいた遥音に駆け寄って耳打ちした。

 

「〈レインボー・チャイルド〉の身代わりは、一度に2人は無理だ。それと、一度身代わりを出すと、インターバルの時間が必要だ。過信するな」

「了解! 〈ウインド・ヴォイス〉でみんなに伝えていくよ!」

 

 明日見は、怪物の正面に回り込んでいった。

 

「〈パラディンズ・シャイン〉ッ!!」

 

 スタンドの槍が突き出された。柄が途中でいくつも分離して、穂先が高みにある振り子を狙う。

 

「何ボヤッとしてるんだよ!」

 

 聖也だけが、明日見の存在に気が付いていた。背中からワイヤーが伸びて、その先の棘が穂先と打ち合わされて、どうにか食い止めた。

 

「そうそう簡単にやらせるとでも思うか!」

 

 未麗は、新たに背中に浮き出てきた時計を、明日見目掛けて飛ばす。

 

「〈クリスタル・チャイルド〉!」

 

 明日見の姿が、笠間と入れ替わった。

 迫りくる時計を、次々と斬り払う。

 そして笠間も、振り子を狙って〈刃の螺旋〉を放った。

 

「調子に乗るな!」

 

 〈刃の螺旋〉の伸びる切っ先に、時計が回り込む。時計を砕きはしたものの、さらに次の時計が回り込んで邪魔をしてきた。勢いを減殺されていた切っ先が弾かれ、ケースまで届かない。

 

「裏切り者のガキの分際で、生意気なんだよッ!」

 

 亜貴恵が吠えて、巨大な顎を開いて笠間をもう一度食い殺そうとしてきた。

 が、慌てて首を上に振り上げてしまう。

 〈ハースニール〉が、避けきれずに顎の下を掠めた。外骨格が、突然バラバラになる。

 剥き出しになった顎の骨に、〈肉の芽〉と外骨格が伸びていき、修復されていった。

 

「く……! 掠めたくらいじゃ、〈ハースニール〉でも削り切れないのか」

 

 厳しい顔になった文明は、地面を蹴って駆け出した。

 笠間のいた場所を奪い取るように、文明は怪物と向かい合った。

 

「正面なら!」

 

 己の背の何倍もあろうかという怪物が、牙を剥き出して咆哮を上げる姿を目の当たりにしながら、文明は小揺るぎもせず睨め付ける。

 〈ハースニール〉を振り子のケース目掛けて放つべく、『ガーブ・オブ・ロード』の両腕が回転を始めた。

 

「そうはさせないよッ!」

 

 時計の一つが、ケースの表面に張り付いた。さらに、4個の時計が、その上にかぶさるように十字に重なる。最後の一つが、さらにその上に重なってガードした。

 〈ハースニール〉の真空刃が、そこに襲い掛かった。一番上の時計が破壊され、さらにその下も砕けていく。

 だが、そこまでだった。左右から伸びてきたワイヤー付きの棘が、文明を襲う。さすがにそれ以上攻めきれず、文明は〈ハースニール〉を中断して逃げるしかなかった。なおも執拗に迫る棘を、笠間が割って入って次々と両断する。

 さらに、残った時計がケースから離れて、攻め手に襲い掛かっていった。その間にも、背中からは新たな時計が生み出されていく。

 

「何をやってるんだい!? 能力で動き止めちまえばいいだろ!」

「黙れクソババア! コッチも、いったん動き止めて集中しないと、能力が使えないのよ! 今、ヤツらへの攻撃止めたら、振り子が無防備になる!」

 

 さすがになるべく小さな声で、未麗は亜貴恵に反論した。

 

「じゃ、どうするつもりだよ!?」

「小刻みに攻撃続けて、ヤツらが受け損なうのを待つ! 振り子を直接攻められるヤツが減れば、能力を使うチャンスができる! そしたら一網打尽よ」

 

 一方、攻めあぐねているのは、文明たちも一緒だった。

 

「笠間さん!!」

 

 文明の呼びかけに、一瞬笠間はギョッとした。

 

(アイツが、この俺を『さん』付けした……!?)

 

 意識しないまま、そう呼びかけていた文明は、さらに言葉を続けた。

 

「〈ハースニール〉は、最大火力を出すのに時間がかかる! ガードされた上に、棘で牽制されると、ケースまで破壊するのは難しい!」

「分かってる! 未麗もやってくれるぜ」

「僕に、考えがある!」

 

 時計と棘が、しつこく二人を襲う。二人は、それを回避しながら、

 

「考えってぇ!?」

「あの鎌の螺旋攻撃だ! あれを、〈黄金の回転〉で打ち込むんだ。僕が、螺旋の回転を導く!」

 

 笠間は、一瞬息を飲んだ。

 

「〈ハースニール〉の力の源泉はそれか……! だがお前が、死神と呼ばわった俺と、組んで攻撃しようなんてな!」

「あんな派手に輝く死神が、どこの世界にあるんだよ!!」

 

 言葉に詰まる笠間。

 

「今なら僕にも分かる。あなたの精神は、すでに死神ではありえない」

 

 文明は、時計を回避しつつも、言葉を続けた。

 

「あのスタンドは、『人を守る』その崇高な精神を発現しているからこそ、光り輝いている……!」

「……返す言葉が思いつかねーぜ。どうすればいい?」

 

 文明は、振り子を見据えた。

 

「一瞬でいい。ヤツの動きが止まった時に、あなたの螺旋と、僕の布の螺旋を狂いなく重ね合わせて放つ。僕の動きに合わせてくれれば、〈黄金の回転〉を実現できる!」

「あたしが、お二人をサポートします!」

 

 離れたところから、愛理が呼びかけてきた。

 

「そうか、攻撃の始動も、動きそのものも、愛理のサポートがあればいけるかも……!」

 

 笠間も、成算を感じ始めていた。

 

「仕掛けるぞ!」

「分かった!」

 

 笠間と文明は、肩をぶつけ合うように密着した。

 

「アイツら、何かやるつもりだよ! 未麗!」

「分かってるわよ。聖也も攻撃中止! ヤツらの動きを止めるッ!」

 

 未麗も、勝負に出る覚悟を決めた。

 〈レインボー・チャイルド〉の右手の鎌と、〈ガーブ・オブ・ロード〉の左手が、振り子目掛けてピンと伸ばされた。

 それを見た仲間たちは、このギリギリの状況下で戦う者として、直感で悟った。二人が、何かを狙っていることに。

 何の打ち合わせもしていないにも関わらず、それぞれの判断で、即座に動き出した。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉!!」

 

 遥音が、棘を操るワイヤーに音撃を放った。

 ほぼ同時に、明日見が槍の柄を分離して、高々と飛ばした。未麗たちの顔のある頭部目掛けて。

 体の動き全般を制御していた亜貴恵は、反射的に怪物の首を逸らしていた。瘤を守る角に弾かれて、穂先が弾かれた。

 

「演ぜよ! 我が〈譜面〉をッ!!」

 

 未麗が気迫を込めてそう口にした、それと全く同時に。

 

「〈パラディンズ・シャイン〉ッ!!」

 

 弾かれた穂先から、ストロボのような強い光が放たれた。

 

「う!?」

 

 予測していなかった光の目潰し。亜貴恵たちは、それぞれの目からの視界を共有しているため、死角なく四方を見ることができるが、それが却ってアダとなった。文明と笠間の方向の視界を潰されてしまい、未麗は虚を突かれて、時計で攻撃し損ねてしまった。聖也も棘を繰り出そうにも、音撃のために棘の動きが一時的に止まってしまっていた。

 3秒の、〈スィート・バイキング〉のアドバンテージは、空振りに終わってしまった。

 文明と、笠間。

 二人の視線の先は、ひたすらに、振り子一点だけ。そのため、光の影響はほぼ受けていなかった。

 そのケースに穿たれていた、小さな穴。激闘の中で、愛理が打ち込んだ穴。その結果、死につながる6秒を、3秒にまで縮めた穴。振り子の支点に正確に開けられ、狙うべき標的を示している穴。

 二人が見つめている穴は、自ら戦う意志を強く持った、愛理の〈覚悟〉の表れだった。

 

「〈スィート・アンサンブル〉……!」

 

 愛理のスタンドの、指揮棒が動き出した。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の布、それに合わせて〈レインボー・チャイルド〉の鎌が、寄り添うように螺旋を描いて、速く鋭く伸びていった。虹の輝きを、煌めかせながら。

 笠間はスタンドの動きを、文明のそれに合わせていた。呼吸も、心音も、一致させるほどの心をもって。自分を捨てて、文明に完全に合わせなければ、〈黄金の回転〉は到底不可能だということを、理解していた。

 亜貴恵は 足を踏み変えて逃げようとしたが、京次と航希が同時に仕掛け、前足をしたたかに打ち据えていた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

「臨兵闘者、皆陣列在前!!」

 

 身をよじらせて切っ先を避けようとしても、螺旋の先端は標的の動きを完全に追尾している。

 

「時計……ッ!!」

 

 未麗は、まだ光の残像が残る目を当てにはしなかった。時計が、今度は6枚全てがケースの上に重ねられていく。それを笠間は見据えながら、思っていた。

 

(そんなものは通用しないぜ。俺にも分かる。この一撃は、〈黄金の回転〉を実現している!)

 

 螺旋を描きながら、鎌の切っ先が鋭く襲い掛かっていった。

 バキィッ!!

 ガードの一番上の時計は、瞬時に貫かれた。勢いは全く減じることなく、時計は次々と打ち抜かれていく。

 虹色に輝く鎌の先端は、ついにケースを突き破り、振り子の支点を正確に破壊した。振り子が折れて、ケースの中で落ちた。

 それでも螺旋は止まらない。怪物の体内をさらに突き破り、ついに、先端が背中の外骨格をも内側から弾き飛ばし、貫通した。

 

「ギャアァァーッ!!」

 

 その苦痛に、亜貴恵も他の二人も悲鳴を上げた。

 

「〈オーバー・ザ・レインボー〉……!」

「え?」

「今、頭に浮かんだ。この技の名前だ。お前のおかげで、俺は〈虹〉すら超えられた……」

 

 笠間のわずかな笑みに、文明は小さく頷いた。

 



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第56話 フィナーレ!

 未麗によって、攻め手の動きを止められなくなった〈スィート・バイキング〉は、より激しく暴れ始めた。時計を飛ばし、棘をうねらせ、離れた相手に弾丸を吐き出し、巨大な両腕を次々振りかざしてくる。時に巨体を生かしたダッシュ攻撃に、その場で全身をグルン! と横旋回させ、尻尾を振るう薙ぎ払い。

 

「グッ!」

 

 遥音が、尻尾に弾かれて跳ね飛ばされた。柵に叩きつけられ、首がダラン、と横に折れた。

 が、それは〈レインボー・チャイルド〉の身代わりであった。首の折れた遥音の姿が虹色に変化していき、そこから残像がズレるように、無傷の遥音が立ち上がった。倒れていた虹色の姿が、消滅する。

 

「過信するなと言っただろ!? 気をつけろ!」

「笠間さん!」

 

 遥音が、逆に呼びかけてきた。

 

「〈ブラスト・ヴォイス〉のために接近してるのは、ヤバそうだ。アタシ、歌うよ!」

「……!? やってみろ」

 

 何か考えがあるのか、と感じた笠間は任せることにした。

 遥音は、マイクを構えると、歌い始めた。

 激しく、勇壮な歌唱が、戦場に響き渡っていった。

 

(何だ……!? 怖れも、焦りも消えていく。胸の奥から、熱くなってくる……!)

 

 笠間は、他の面々を見ていった。明らかに表情が生き返り、動きが俊敏に、かつ力強くなっている。

 遥音の歌唱効果の一つ、〈高揚〉であった。

 

(こんなこともできたのか! まったくコイツらは、イチイチ俺の予想を超えてきやがる……!)

 

 笠間の顔に、笑みが浮かんでいた。

 ふと見上げると、蒼天に太陽が輝いている。

 

(俺の人生は、ずっと『曇り、時々大荒れ』だった。今だって、そうかもしれん。だが、俺の気分は、結構『晴れやか』だ。あの空のように!)

 

「コッチも効いてるみたいだねぇ! 一気に蹴散らしてやるさぁ!」

 

 亜貴恵が吠える。未麗も聖也も、時計と棘を乱舞させる。怖れはしないものの、怪物を取り囲む者たちは回避を余儀なくされる。

 が、目まぐるしく動く時計と棘の中には、時にぶつかりあうものもあった。そんな時は、両方が砕けてしまう。

 

「何やってるの聖也!?」

「それは僕の台詞だよ! 邪魔しないでよママ!」

 

 怒鳴り合う姉弟に、フレミングは戦況の悪さを感じ取っていた。

 

(ヤツらはこの戦いを続ける中で、着実に連携が強化されてきている。こちらは、勝手に自分の攻撃をしているだけだ。俺も、砲撃しようにも体が動きまくるから、的が定まらん。これでは、互いに足を引っ張り合っているだけだ……)

 

「チッ! あの娘、何ドヤ顔で歌ってるんだ、調子コキやがって! フレミング、一発ブチこんで黙らせてやりな!」

「……分かりました。亜貴恵様。ただし、一度足をお止めくださいますか? 狙いがブレますので」

「ク……必ず当てるんだよ!」

 

 不承不承、亜貴恵は突進も旋回も止め、未麗と聖也に迎撃を任せた。

 首が遥音を向き、大きく口を開けた。弾頭が、喉の奥から顔を覗かせた。

 だが、遥音はなおも歌を止めようとしない。

 

(ハハン! 今のアタシは、ノッてきてるんだよ。自分でも不思議なくらい、アンタらの攻撃が読める! 撃つなら撃ちやがれ!)

 

 弾丸が、撃ちだされた。その直前、遥音は身を翻して、横に跳ね飛んでいた。

 遥音が元いた場所に、弾丸は着弾した。まったく危なげなく、遥音は回避していた。

 

「何やってるんだい、外れてるんじゃないか!」

 

 亜貴恵は苛立ちながら、背後に回り込んでいる操に、尻尾を上から叩きつけていった。

 

(見切った!)

 

 操は軽妙なステップでそれをかわし、地面に尻尾が叩き込まれる瞬間に合わせて、無言の気合を乗せて斬りつけた。

 遥音の歌唱のために、操の剣も鋭さが増していた。その一撃で、尻尾がついに両断された。

 

「ウガァァッ!!」

 

 悲鳴を上げる亜貴恵。

 その隙に、神原が笠間の元に駆け寄っていた。なるべく小声で声をかける。

 

「柳生くんから提案があった! 尻尾が切れたら、仕掛けたいことがあると。ヤツの動きを止められるかもしれん!」

「というと?」

「彼女がヤツの背中に乗って攻撃をかける! スタンドで身代わりを作れるか?」

「できるが、一度身代わりになれば、インターバルが必要だ」

「一度で構わないそうだ。私が口火を切る。ヤツを、正門まで誘き寄せる!」

「……了解だ!」

 

 笠間も、神原と操の策に乗る気になった。流れに乗った方が得策、と歴戦の勘が告げていた。

 航希や明日見が、怪物の足を止めている間に、神原は正門前まで駆けていった。

 そして、〈スィート・バイキング〉に向き直ると、大声で呼びかけた。

 

「城之内亜貴恵! もはや、貴様は追い込まれている。ここまでと知るがいい!」

 

 その声に気づいた亜貴恵が、ギッと憎しみの目を向けた。

 

「貴様らは、先ほどから見苦しくいがみ合うだけではないか! 体を一つにすれば、我らに勝てると思うのが大きな誤りだ。本当に一つにせねばならぬのは、〈心〉だというのに! しかも、体も能力も、全てが借り物ではないか。貴様自身が、何を掴んできたというのか!?」

「何ィ?」

「我らは〈黄金の精神〉の元に、それぞれが己の手に掴んだものを、一つに結集した。だからこそ、我らは貴様より強いのだ!」

「ふざけるな!」

 

 代わりに、未麗が怒鳴り返していた。

 

「何が〈黄金の精神〉よ!! 〈ジョジョ〉を気取るか! 取るに足らないザコ集団の分際で!!」

「確かに我らは誰一人として、〈ジョジョ〉たる資格を有してはいない」

 

 神原が、一歩も退かずに言い返した。

 

「我らは所詮、数には含まれぬ道化師達(ジョーカーズ)かもしれぬ。なれど! 光を求め、己の身が傷つくことを怖れずに、己の足でひたむきに進む。〈ジョジョ〉とは、まさにそうした存在だ。我ら一人一人はそれに及ばずとも! 我らは一つとなって、〈ジョジョ〉と同じく光に向かうのだ!!」

 

 未麗が、歯ぎしりしながら言い返す言葉を探していると、

 

「そんな世迷い言に、付き合ってやる謂れはないんだよ!! あたしが手に入れた、『人間を超えた力』ってヤツを思い知るがいい!!」

 

 亜貴恵の怒鳴り声と共に、猛然と〈スィート・バイキング〉が神原に突進していった。

 神原は、その姿を決然と見つめている。

 もう少しで跳ね飛ばされる、というところまで怪物が迫った時。

 

「〈ノスフェラトゥ〉!」

 

 神原の背後に出現したスタンドが、マントを広げた。それは翼となり、神原の体を空中に舞い上がらせる。その真下を走り抜けた怪物は、正門の側の鉄柵に、激しい音を立てて激突した。ぶつかった所の鉄柵が、グニャリと曲がる。

 眼下を見下ろしながら神原は、怪物の頭へと、手の中から何かを放り出した。

 それは、手首だった。落下していったそれは、顔面の並んだ瘤を守る、4本の角の一つを掴んだ。

 

「〈ファントム・ペイン〉ッ!!」

 

 操が叫んだ瞬間、手首に吸い寄せられて、体全体が怪物の頭上に瞬間移動した。手首と体が、結合する。

 その手で角を掴み、怪物の頭上に立った操は、足元で仰天してる聖也の顔をギッと睨んだ。

 

「お前だけは、一太刀浴びせないと、ボクの気が済まないんだ……ッ!!」

 

 〈ファントム・ペイン〉の剣先が、聖也の顔面を斜に斬りつけた。血を吹き出しながら、悲鳴を上げる聖也。

 

「よ、よくもやったなッ! この僕の、王の顔に傷を!!」

 

 怪物の背中から、全ての棘が飛び出した。それが、一斉に操の体を貫いた。

 が、操の姿は、虹色に輝いて薄れていく。そこから、残像のような操の姿が、無傷で出現した。

 

「それを狙ってたんだ!!」

 

 〈ファントム・ペイン〉の剣が翻り、全ての棘のワイヤーを両断した。ただし、『切り離す力』でもって、内部的に結合させたまま。

 

「!?」

 

 操の意図が分からないまま、聖也は分離させられた棘を、操に再び撃ち込もうとした。

 が。

 操の姿が、瞬時にすり抜けて消えた。棘は操のいたはずの場所に集中し、互いにぶつかり合った。

 

「『切り離した』手は、一つだけじゃない!」

 

 操はあらかじめ、離れた柵にもう片方の手を握らせていた。そこへと、自分の体を戻させて退避したのだ。

 

「〈スィート・アンサンブル〉……!」

 

 愛理のスタンドが、指揮棒を振っていた。

 操とちょうど入れ替わるタイミングで、神原が怪物の頭上に降り立った。一か所に集まっている棘を、マントを振って弾き飛ばした。一回転、二回転。次々と、棘が弾かれていく。

 

(クラシックバレエ部で、ターンを眺めていたのが、役に立ったか……!)

 

 弾かれた棘は、次から次へと柵の向こう側へと落ちていく。

 

「落とし物注意!」

 

 柵の際に滑り込んでいた航希が、手前に落ちそうな棘はトンファーで弾き、柵の向こう側へと叩きだしていた。

 

「……全て、元に戻す!!」

 

 操がそう口にした。

 航希が、スケートボードに切り替えて、その場を高速離脱する。神原もスタンドの翼を広げ、空に飛び上がった。

 『切り離した』棘と、ワイヤーが、一斉につながっていった。ただし、柵の向こう側の地面に落ちた棘と結合したワイヤーは、縦の格子状に作られた柵の隙間に入り込んでいた。

 

「何!?」

 

 聖也はワイヤーを引き寄せようとしたが、棘は全て、柵の隙間で引っかかってしまっている。

 

「何やってるモヤシ! 動けないだろうが、何とかしろッ!!」

「ぬ、抜けないッ!」

 

 棘がアンカー代わりとなって、怪物の体は、ワイヤーで柵と固定される形となってしまっていた。

ジタバタともがき、必死で引っ張っているが、棘が外れる気配がない。

 

「なら時計でッ!」

 

 未麗が、空中で迎撃に使っていた時計全てを、ワイヤーに向かわせた。

 

「そう来ると思った!」

 

 航希が、トンファーで時計の一つを叩き壊した。

 

「〈レインボー・チャイルド〉!」鎌が一閃。

「〈パラディンズ・シャイン〉!」槍が貫通。

「〈ノスフェラトゥ〉!」マントの一振り。

「〈ファントム・ペイン〉!」剣で両断。

 

 ワイヤー近辺に集結していた4人のスタンドが、一つずつ時計を破壊した。

 残り一つは、

 

「もうホントにこれで最後なんでしょうねぇぇぇッ!」

 

 ユリの〈エロティクス〉が受け止めて、動きを封じ込めた。

 遥音の歌は、まだ続いている。高揚をもたらす歌が、サビを迎えようとしていた。それに合わせるように、〈スィート・アンサンブル〉の指揮棒が、愛理自身ですら気づかないうちに、リズムを取って振られていた。

 指揮棒が向けられたその先で、京次が空中の〈足場〉を駆けていた。

 怪物の背中に降り立ったその時、頭にはすでに〈ダンス・マカブヘアー〉が復活していた。

 その姿を、瘤の背中側に顔を突き出させていたフレミングは、じっと見つめた。

 

「もう、頭は元に戻ったか」

「この能力を身に着けてから、髪の毛が伸びるのがやたらと早くてな! ……フレミング、そんな姿になってまで、なんでそんなヤツに尽くすんだ?」

 

 真剣な眼差しの京次に、フレミングは静かな口調で答えた。

 

「俺は、元は亜貴恵様の飼い犬だ。今でもそうだ。犬は、飼い主以外には吠えるのだ。たとえ、飼い主に非があろうとも、な」

「何言ってるんだよフレミング!? 飼い主のあたしを侮辱するのかい!?」

 

 亜貴恵の金切り声に、フレミングは応えた。

 

「事の是非くらいは、吠えるだけの犬とて分かります。ですが亜貴恵様、このフレミング、命尽きるまで、あなたと共に参ります」

「縁起でもないこと言ってるんじゃないよッ! このバカ犬!」

 

 京次は、そこから目を背けるように、構えた。

 

「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」

 

 下へと打ち下ろされる両の拳が、〈ダンス・マカブヘアー〉が、新たな時計を作り出そうとしていた円形の台座を、次々と打ち砕いていった。時計ごと、潰れ、割れていく。そこに、〈振動〉が送り込まれていた。

 

「台座が安定しない! これでは損傷が再生しない! 新たな時計が作れないッ!」

 

 未麗が、悲鳴に似た声をあげた。

 京次は、〈足場〉を作りながら、怪物の頭部へと駆けた。瘤を回り込み、亜貴恵の前へと回り込む。

 

「小癪な! 食い殺してくれる!」

 

 怪物の顎が大きく開かれ、牙が剥き出しとなって、京次へと迫った。

 

「悪あがきしてんじゃねぇ!!」

 

 拳の連打が、顎に次々と叩き込まれていった。牙が飛び、顎が砕かれていく。亜貴恵が、叫び声をあげていた。

 そして京次は、その亜貴恵の眼前に、駆け上がった。

 

「ヒイィ……ッ!!」

 

 怯えた表情で、鬼のような形相で自分を睨みつける、京次を見る亜貴恵。

 

「どの口で、バカ犬とか言いやがった? フレミングは、てめぇにゃ勿体ねぇ忠犬だぜ」

「あ……あ……」

「〈波紋〉が、一回だけてめぇにブチ込めるだけ回復してる。今の俺ができる、全力でお見舞いしてやるぜ。全ての元凶ババア!!」

「ヒアァァァーッ!! や、やめ……」

 

 京次の拳が、構えられた。

 

「〈山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)〉ッ!! 邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ァーッッ!!」

 

 万感を込めた、全力の拳の連打が、亜貴恵の顔面に叩きつけられた。亜貴恵のみならず、同じ瘤に顔がある、未麗も聖也も悲鳴をあげていた。フレミングだけが、じっと無言で耐えていた。

 〈波紋〉が、外骨格の下に潜り込んでいる、聖也の〈肉の芽〉を急速に溶かしていく。今や、怪物の肉体は滅びつつあった。

 京次は、〈足場〉を蹴って、空中に高く飛びあがった。

 

「やれ!! 文明ィーッッ!!」

 

 その大声に合わせるように、〈スィート・アンサンブル〉が指揮棒を振り出した先には、噴水の前に仁王立ちしている文明がいた。〈ガーブ・オブ・ロード〉が、真っすぐに両腕を前に突き出している。狙いは、怪物の頭部。

 

「人間を『超えた』? 違う! お前は、人間を『諦めた』んだ!!」

 

 文明は叫んでいた。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕が回転を始め、旋風を巻き起こしていった。

 ボコボコの顔の亜貴恵は、それに気づき、小さく悲鳴を上げた。〈ハースニール〉の威力は、まともに食らいはしてこなかったとはいえ、すでに体感済みであった。

 フレミングが、怪物の潰れた顎を、どうにか開いた。喉の奥から弾丸が迫り出し、狙いを文明に定めた。

 

「人間であることに、お前は耐えきれなかったんだ! 僕たちは、諦めなかった。だから今、ここに立っている!! これがッ!」

 

 二筋の旋風が、怪物の頭部に襲い掛かった。怪物の喉の奥の弾丸が、そのままの位置で棘が四方に飛び出してしまった。頭部が内側から串刺しになり、亜貴恵たちの悲鳴が上がる。

 

「これがッ!」

 

 旋風の間に、無数の真空波が生み出された。頭部が、4つの顔が集まる瘤が、ズタズタに切り裂かれていく。

 

「これが『人間の力』だッッ!!」

 

 文明の、魂を振り絞るような裂帛が発せられた瞬間、怪物の頭部が、瘤もろとも、粉砕されて消滅した。

 勢い余って、〈ハースニール〉は正門をも破壊していた。門が大きく穿たれ、外へと通じる〈道〉が現れた。外側を走っていたジェットコースターも、消失していた。

 ゆらり、と、怪物の巨体が傾ぎ、そして地面に倒れ伏した。それと同時に指揮棒が小さく円を描いてピタッと止められ、遥音の歌が終わった。

 巨大な肉体を覆っていた外骨格が脆く崩れていき、その下に潜り込んでいた〈肉の芽〉で構成されていた中身が、太陽に晒されて溶け去っていった。

 全員が、その情景を、無言のまま肩で息をしながら眺めていた。

 やがて。

 愛理が、正門の前まで、歩を進めていった。

 そして、仲間たちを振り返ると姿勢を正し、まるでステージの上であるかのように、深々と礼をした。

 

「ありがとうございました……。皆さんのお力のおかげで、あたしはこの先の〈道〉に、胸を張って進んでいくことができそうです。皆さんと出会えて、今この場にいることを、あたしは一生忘れません」

「君の、力でもある」

 

 笠間が、優しく応えた。

 

「君だけじゃない。この場にいる……10人。誰一人欠けても、勝てなかった」

「笠間さん……!」

 

 愛理は、笠間に駆け寄り、その胸に飛び込んでいった。

 困ったように、笠間は自分にすがりつく愛理を見下ろしていたが、やがてその手が、愛理の肩をそっと引き剥がそうと動いた。

 その時笠間は、愛理の向こう側にいる、明日見と目が合った。

 明日見の口元が、声を出さずに動く。何を言いたいのか、その動きで笠間は理解した。

 

(『女の子の気持ち』、か……。俺のような男で、本当にいいのか? 彼女を受け止めてしまって)

 

 その心の声が伝わったように、明日見が頷いた。

 笠間の腕が、愛理の背中を、しっかりと抱きしめた。愛理が、微かに喜びの声をあげた。

 その場の全員が、微笑みを湛えて、二人を眺めていた。

 文明も、自然とそうしていた。

 

(そうだな。10人の誰が欠けていても……あッ!!)

 

 文明の記憶から、天に昇っていった炭三の言葉が蘇った。

 

『いにしえの聖なる者は、天と語り合い、約定を取り付けたと聞く。10人の心正しき者があらば、世界を決して滅せぬと。志ある10人の正しき力を有する者、共に集うべし』

 

 文明は、仲間たちを見回した。

 笠間光博。間庭愛理。神原史門。武原京次。服部航希。須藤遥音。城田ユリ。柳生操。笠間明日見。そして自分、天宮文明。

 

(いつの間にか、10人が揃っていた……。炭三。あなたが見守ってくれたおかげだ。最後には、その存在を投げうって、僕らに〈道〉を作ってくれた……)

 

 空を見上げ、文明は炭三の面影をそこに見ていた。

 青い空に浮かぶ、小さな影。ヘリコプターか、と文明はチラリと思った。

 



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番外 特別出演

 文明の見上げていたヘリコプターには、三人の男女が乗っていた。そのうちの一人は、ヘリコプターを操縦していたが、まだ小学生とおぼしき男の子であった。頭には、野球帽を被っていた。

 男女二人は、ヘリの窓から、島を見下ろしていた。蜘蛛の糸のような柄の服装をした、20歳そこそこの女性が、双眼鏡で別荘を見つめていた。

 

「……終わったわ。ジョルノ」

「勝ったようだね? 彼らは」

 

 そう尋ねたのは、金髪で前髪が3つに巻かれている、20代半ばの青年だった。胸元がハート型に開かれた服を身に着けている。

 

「そのようね。遠目だけど、あの様子だと犠牲者は出ていない。完全勝利、ってところね」

「それは良かった……」

 

 ジョルノは、シートに座り直した。

 

「本来なら、僕が行くべきだったのかもしれない。そう思ってもいたけども。徐倫、君のお父さんが、彼らが解決できるなら、そうさせるべきだと言うので」

「誰も死ななかったなら、それでいいんだけどさ」

 

 パイロットの少年が、そう言い出した。

 

「あなたたち二人が行けば、あの人たちにそこまで危険を負わせずに、もっとスンナリ勝てたと思う。あなたたちは……プッチ神父ですら、倒したのだから」

「あの神父を直接倒したのは、君の〈覚悟〉だよ。エンポリオ」

 

 ジョルノが、笑みを湛えてそう言った。

 

「あの時の君は、強大な敵を相手に、自分の〈覚悟〉で立ち向かった。それは、とても気高い、人の在り様だ。承太郎さんは、君のような人間がもっと増えてほしいと願っているんだ。そして承太郎さんは、彼らにその資質を見出していた。だから、あえて彼らに委ねたんだ」

「そうね。そして彼らジョーカーズは、あたしたちの助けなんかなくっても、自分たちの力でやりおおせた。あたしは、敬意を表したいと思う」

 

 徐倫は、双眼鏡をジョルノに投げよこした。

 

「さて! せっかく日本に来たんだから、オイシイもの食べて帰りましょ。アンタ、イイお店知ってるんでしょ? 連れてって!」

「……なら、杜王町にとてもいいイタリア料理の店が」

「日本料理に決まってんだろーがッ! 自分がイタリア在住だからって、ソッチ方面を推してんじゃねーよ! 大体ね、あの町に行くと、同じ名前のヤツらが揉め出すから面倒くさいのよ!」

「漢字は一文字違うよ。彼らは」

「そんなモン知ったことか! 今日くらい、落ち着いてディナー食べたいの!」

「分かった。手配してみるよ」

 

 やや困った顔はしたものの、ジョルノは頷いた。

 そしてエンポリオは操縦桿を捻り、ヘリコプターを帰還させていった。

 



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エピローグ

 立向島での戦いから月日が立ち、翌年の春を迎えた。

 ジョーカーズの面々は、揃って2年生に進級していた。

 桜の花弁の舞い散る中、文明は校門で立ち番をしていた。腕には〈風紀〉の腕章がある。

 校門をくぐる新入生の一人に目をやると、文明は声をかけた。

 

「あ、そこの君。ブレスレットは校則で禁止されている。外してくれ」

「あぁ? エッラそーに口出してんじゃねーよ。俺はなぁ」

 

 絡みだした不良の腕を、通りがかった別の不良が引っ張った。

 

「バカやめろって! ……あ、スイマセン! コイツ、まだ分かってないヤツで。言い聞かせておきますんで!」

「そうかい? 仲間同士で注意し合うのはいいことだ」

 

 不服そうな仲間を引っ張って、その不良は文明から離れていった。

 

「何だよ! 風紀とかにゴマするのかよ」

「やめろって! ありゃ、裏番って評判の、天宮センパイだぞ」

「え!? 裏番!?」

「声がデカいって!」

 

 聞かれなかったかと、文明をチラ見する不良。

 

「お前も知ってるだろ? このガッコ最強って呼ばれてる武原京次センパイ」

「あ、ああ。スンゲー体のあの人だろ? 空手もメッチャ強いっていう」

「あの武原センパイが、一目置いてるほど強いんだってよ。あの人」

「ウッソだろー!? だって、あんな眼鏡のガリガリが」

「いや。喧嘩はガタイじゃねーって、武原センパイも言ってるみたいだし。見てみろよ、目力がハンパねーだろ?」

「言われてみれば確かに……あ!」

 

 噂にしていた京次が、校門にやってくるのを、不良たちは見た。固唾を飲んで、文明の側まで来るのを見つめている。

 

「おはよう。京次くん、襟足伸びてない? 新入生も入ってきてるのに、示しつかないよ」

 

 いきなりそう切り出した文明に、ビビりまくる不良たち。

 一方の京次は襟足をさすりながら、

 

「分かっちゃいるんだけどよ。あれ以来、油断するとすーぐ伸びちまうんだよ」

「もうアレだよ。サラリーマンが髭剃りする感覚で、毎日するしかないんじゃない?」

「それしかねぇか。お、二人とも来たか」

 

 京次が振り向いた先から、航希と操が近づいてきていた。

 

「もう、逃げないの!」

「だって。さすがに校門で腕つなぐとかは、ちょっと」

「何がちょっとだよ。ボクは全然問題なし! あ、文明くんの立番かぁ」

 

 無理やり航希の腕を捕まえた操が、声をかけてきた。

 

「愛理くんて、もう来てる? 貸すことにしてた本、持ってきてるんだけど」

「彼女なら、会場で挨拶のリハーサルしてるはずだよ。生徒会長だし」

「あ、そうだよね。なら、また教室で声かけるよ。じゃあね」

 

 手を振ると、操は航希を引っ張るように去っていった。

 それを見送る不良たちは、

 

「クッソ~! 何だよあのリア充どもは。うらやまけしからん! しかも結構カワイかったし」

「何言ってんだよ。天宮センパイの彼女なんて、学園一の美少女って知られてんだぞ」

「え、確か笠間明日見ちゃん……」

「そーゆーことは耳が早いよな。だけど、ちゃん付けはやめとけやめとけ! 彼氏がヤバすぎる」

「そ、そうだよな……」

 

 文明が自分たちを見たような気がしたので、コソコソと先に進む不良たちであった。

 

 

 

 

 間庭家にて。

 

「お父さん。もうこんな時間よ~。出なくっていいの~?」

「そうなんだ。来賓の方を、私がお迎えにいくことになっている。急がないと」

 

 内容と裏腹に、ノンビリした口調の妻に、間庭数馬は返答した。

 

「今日から、お父さんが理事長だものね~。ガンバってきてね~」

「分かっているよ。愛理だって、生徒会長の初仕事だからな。私もシャキッとしないと」

「そうよね。愛理ちゃんだって、ガンバってるんだものね。じゃ、いってらっしゃ~い」

 

 夫を送り出すと、数馬の妻はニコニコ笑いながら、リビングに戻った。

 

「あらら~? スミリンちゃん、また新聞読んでるの~? 社会勉強してるのね~。私なんかより、よっぽどキチンと読んでるのよね~」

 

 黒猫のスミリンは、飼い主の呑気な声を意に介する様子もなく、床に置かれた新聞をじっと見下ろしていた。

 その背後には、最近になって、愛理の見立てで購入した、ネコ足のキャビネットが置かれていた。

 

 

 

 

 

 立向島にて。

 

「お? アンタも来てたのか」

 

 手桶とシキビを抱えてきた笠間は、墓掃除をしていた藤松を見つけた。

 

「ワイは毎週来てるで。あんなお人たちでも、死ねば仏様やさかいに」

「ま、俺の場合は、他にも拝まなきゃならない人間が何人もいたりするんでな。そんなことしても今更、極楽に往けるなんて思っちゃいないが」

 

 墓には、亜貴恵たち三人とフレミングの名前が刻まれていた。その隣には、炭三の墓もある。

 

「そう思うんなら、しっかり阿弥陀様を拝んとき。ところで、今年の夏は、みんなで来るんか?」

「みんな、そのつもりだよ。別荘の改装も進んでるようだしな」

「間庭理事長のおかげやわ。ワイら家族も、この島でペンションやって自活できそうやし。慎志のヤツ、船舶免許取りよったしな。みんなを乗せて釣りを楽しんでもらうから」

「ああ。みんな、楽しみにしてるよ。この島は、俺たち全員にとって、思い出の場所になってる……」

 

 笠間は、過ぎ去りし日の激闘を、思い出していた。

 

「もっと、思い出作ったらええ。いっそ、アンタらの結婚式もこの島でやりぃな。ワイが牧師やったるで?」

「アンタ、バリバリの仏教徒だろうが! 第一だな~、まだ愛理は高校生だぞ。気が早いだろ!」

「はて? 誰も、愛理はんのこととは言うてないのにな~。気が早いのは、どちらやろか?」

「あのな、ホントもう黙っててくれよ!」

 

 笠間は、シキビの枝で、藤松の胸板にバサリと突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 放課後、部室にて。

 

「スイマせ~ん……」

 

 扉がガラガラと開けられ、一人の新入生が入ってきた。

 

「あの、入部希望なんですが」

「ふむ。軽音楽部かね?」

 

 中にいた神原が、そう問うた。

 

「悪いが、軽音楽部はこの春から、音楽研究部に衣替えした。バンドを組んでいた二人が、揃ってなかなか部室に来られなくなったのでね」

「そうなのよ」

 

 明日見が補足した。

 

「片方は、シンガーとしてメジャーデビューが決まりそうだし、もう片方は、そのー……モデルの仕事が増えてくるって話なのよ」

 

 グラビアアイドルとして、とはさすがに言いにくいので、明日見もお茶を濁した。平竹の紹介でユリが入った事務所だったが、その平竹とは単なる知り合い程度の関係だったらしく、却って普通のタレント候補生として扱われているという話だった。

 

「あの、そうじゃないんです。その……ジョーカーズの噂、聞きまして」

「出せるかね?」

「はい?」

「この場で出せるかね? と尋ねているのだよ」

「は、はい」

 

 新入生は、自分の傍らに、スタンドを出して見せた。

 

「なるほど。では、君で3人目だな」

 

 言われてみると、椅子に座っている新入生らしき姿が、すでに2人いる。

 

「入部したいというなら、君には守ってもらわねばならない規則がある。聞きたまえ」

 

 神原は、咳払いをして、朗々と述べ始めた。

 

「第一条。スタンドを悪用するべからず。第二条。自他を問わず、スタンドを誇示したり、スタンド使いであることを吹聴するべからず。第三条。スタンドによる部員同士での私闘を禁ず。第四条。スタンドに関する事象が発生した場合には、部内で速やかに情報を共有し、部全体での解決を目指すべし」

 

 ここで神原は、いったん言葉を区切って、そして続けた。

 

「第五条。何事においても、〈黄金の精神〉をもって行動するべし。以上、誓えるかね?」

 

 じっと聞いていた新入生は、やがて頷いた。

 

「分かりました。誓います」

「よろしい。入部を認めよう。よろしいな、笠間くん?」

「はい。……今日からあなたも、私たちの仲間ね。私たちは」

 

 明日見は、ニッコリと笑って言った。

 

「城南学園スタンド部、その名もジョーカーズ!」

 

 

 

 

 

 ~~~完~~~

 



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