栄光の影に隠れた涙 (こーたろ)
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第1R 夢のウイニングライブ
このお話は、ウマ娘2期で2話と3話の間で語られなかったお話です。
そこで起きた悲劇を知ってしまったから、書かずにはいられませんでした。
作者は実際の競馬に行ったことは片手で数えるほどしかなく、競馬知識もニワカ中のニワカです。ツッコミどころが多いのはご了承ください。
悲劇を悲劇で終わらせない。
ウマ娘1期も、実際に起こった悲劇を、ウマ娘だからこそ回避できたことがありました。
そんなお話を目指します。
10話ほどで完結予定です。
『ウマ娘』。
それは別世界に存在する名馬の名と魂を受け継ぐ少女達。
彼女たちには耳があり、尾があり、超人的な脚がある。
時に数奇で時に輝かしい運命を辿る神秘的な存在。
この世界に生きる彼女たちの運命はまだわからない。
―――――――それが例え、別世界で悲運によって志半ばに倒れた名馬だとしても。
『ウマ娘 プリティダービー 栄光の影に隠れた涙』
国民的スポーツエンターテイメント、「トゥインクルシリーズ」は世界中に浸透しており、誰もが自分の好きなウマ娘に期待を寄せ、レースの結果に日々一喜一憂している。
大きなレースが間近に迫れば、街中にポスターが貼りだされ、テレビではCMが流れる……。
そして注目を浴びるのはなにもレースだけではない。
レースを終えた後、3位以内に入ったウマ娘だけが許される夢のステージ……ウイニングライブ。
煌びやかな装飾と明かりに照らされた舞台で、レースの上位3人のウマ娘だけが歌うことを許される夢のステージ。
その華やかで可憐な様子は、いつだってファンを魅了するのだ。
「わああ~!!!!」
一人の少女が、そのウイニングライブを眺めていた。
手には一本のペンライトを握りしめ、尻尾を大きく左右に振りながら。
彼女は食い入るように、その光景を目に焼き付ける。
「お母さん!私もいつか、この舞台で踊れるのかな?!」
「そうね……あなたがたくさん努力して、速く走れるようになったら……もしかしたらあり得るかもしれないわね」
「私、頑張るよ!皆にウイニングライブで喜んでもらえるような、そんなウマ娘を目指すよ!!」
多くのウマ娘は夢を持つ。
一番早く走りたい。日本一のウマ娘になりたい。無敗の三冠ウマ娘になりたい……。
その夢は人によって様々だ。
少女の夢。
それはこの大舞台のウイニングライブステージに立つこと。
そしてとりわけ……センターで踊ること。
彼女はそんな夢を持ってトレセン学園に入学したウマ娘だった。
東京都府中市の一角に、巨大な施設がある。
その名は、日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称「トレセン学園」。
『唯一抜きんでて並ぶ者なし』をスクールモットーに掲げるこの学園は、ウマ娘の中でも選りすぐりのエリートのみが入学することができる、まさに夢の学園だ。
しかしこの輝かしいトレセン学園といえども、所属している全員が輝かしい成績を誇るわけではない。
中には一度も勝利することなく、埋もれて卒業して行ってしまうウマ娘もいる。
そんな実力主義の世界で彼女たちは日々研鑽を積み重ねているのだ。
そんなトレセン学園の一角、正門から少し校舎の方へ進んだところ。
時刻は夕方過ぎ。徐々に日も傾いてきた頃合いに、一人のウマ娘が学生鞄とスマートフォンを持って歩いていた。
栗色の髪の左右ついた髪飾りが可愛らしい。
「ネイチャネイチャー!!」
ネイチャ、と呼ばれた彼女の本名は『ナイスネイチャ』。チームカノープスに所属するウマ娘だ。
後ろから駆け寄ってきた少女を認識すると、彼女は手にしていたスマートフォンから目を離し、少女と相対する。
やけに白い肌と、人形のような銀髪が、幼い彼女を人形のような雰囲気を作り出していた。
このウマ娘は、ナイスネイチャと仲の良い友人である。
「どうしたのよそんなに興奮して……」
「ネイチャ見た?!昨日の皐月賞!トウカイテイオーすごかったよねえ!!」
「そうね。ほんと、私達みたいなのとは別世界よね~」
トウカイテイオー。
皇帝シンボリルドルフ以来のクラシック三冠を無敗で達成するのではないかと言われているウマ娘。
脅威の加速力で他を圧倒するその姿は、ファンを魅了してやまない。
今のトゥインクルシリーズは、トウカイテイオーともう一人のウマ娘の話題で持ち切りだ。
「メジロマックイーンもすごいし……スピカすごいね!」
「そうねえ……去年は奇跡的に復活してくれたスズカに、ジャパンカップで一着を取り切ったスペシャルウィーク……今はスピカの時代よね」
チームスピカ。
トレセン学園に所属する生徒たちは、必ずどこかのチームに所属している。
どこかのチームに所属しないとレースには出られず、故にウマ娘達はチーム選びも大切になってくるのだ。
そしてトレセン学園には強豪チームがいくつか存在する。
一つ目は、チームリギル。
皇帝シンボリルドルフを筆頭に、短距離の王者タイキシャトル、女傑ヒシアマゾン等、俗に言うG1ウマ娘が多く所属しているチームだ。
それだけに競争率は高く、入部テストに合格しなければチームに入ることはできない。
もう一つが、去年頭角を現したチーム、スピカだ。
最速の逃げ馬サイレンススズカを筆頭に、日本総大将と呼ばれたスペシャルウィーク等、こちらも粒ぞろいのメンバーがそろっている。
今のトレセン学園は、いわゆる二強状態。
その二つのチームが、覇権を争っていると言っても過言ではないのだ。
「あ、そうだネイチャ、私ネイチャと同じカノープスに入ることにしたよ!」
「ええ?!あんたリギルの入部テスト受けるって言ってなかった……?」
ナイスネイチャは、カノープスというチームに所属している。
強豪チームでもなければ、新進気鋭の新チーム……というわけでもない。
目の前の彼女は実力者だ。
だからこそ、ナイスネイチャはそんなカノープスに、目の前の少女が入ってくるというのが信じられなかった。
「そうなんだけどね……でもやっぱり私、どっちかっていうと強いチーム倒したいのかも!」
「あんたのその自信は一体どこからくるのよ……」
「それにね、私はネイチャと同じチームが良い!二人で、トゥインクルシリーズウマ娘になろうよ!それで一緒にウイニングライブ出るんだ!」
トゥインクルシリーズの舞台でセンターで踊るのが私の夢だからねー!と楽しそうに笑う少女を、ナイスネイチャは微笑ましく眺める。
(到底無理だと思うけど……あんたとなら、無理じゃないかもね)
ナイスネイチャは知っていた。
彼女が活躍する同期のウマ娘を見て、人知れず悔しがり、誰よりも努力する彼女の姿を。
そんな姿に感化されて、ナイスネイチャも自然と努力するようになっていたのだ。
この世界には、明確に『才能』がある。
それは血統であったり、生まれ持った性質であったり、要素としては様々だ。
努力では到底立ち向かえない壁……それが才能。
そしてここ中央のトレセン学園では、才能を持ったウマ娘たちが更にうえを目指し努力しているときた。
到底凡人に立ち向かえる領域ではない。
しかしそれでも、この少女は諦めていなかった。
自身の、「夢」をかなえるために。
そんな夢に想いを馳せる目の前の少女を見てにこやかに嘆息すると、ネイチャは再び歩き出す。
「あんたそんなステップじゃ会場の人たちに笑われちゃうよ」
「ひどいっ?!ウイニングライブだけは誰よりも上手って言われて見せるんだからー!」
和気藹々と、二人のウマ娘は帰路を辿る。
気付けば、もう夕方も過ぎて日も暮れようとしている。
勢いよく踊る少女に、ナイスネイチャは声をかけた。
「さあ帰ろう!もう暗くなっちゃうよ!――――――」
トレセン学園に通う少女達は、皆エリートである。
その中でも、家柄が優秀でお嬢様と呼ばれるようなウマ娘も少なくない。
今、トウカイテイオーと共に世間を賑わせているメジロマックイーンも、そのお嬢様と呼ばれる一人だ。
トレセン学園の正門に、黒い高級車が停車する。
車から執事が降りてきたかと思うと、赤色のカーペットを正門に向かって転がした。
そうしてできた赤いカーペットの道を、メジロマックイーンが優雅に歩く。
いつも通りの登校風景。マックイーンにしてみれば注目の的になるのであまり好ましくはないが、それでもトウカイテイオーを筆頭に、仲の良い友人は物怖じせずに声をかけてくれる。
だから最近はこれでもいいかと思いだしていた。
そしてその仲の良い友人の一人……透き通るような銀髪を肩のあたりまで伸ばした一人の少女が、マックイーンに声をかけた。
「おはようマックイーン……今日もとんでもない登校のしかたしてるねえ……」
「おはようございます。仕方ないでしょう……ウチのお抱えの運転手が送り迎えしたいと申し出るのを断るわけにもいきませんし……」
マックイーンが若干赤面しながら少女の問いに答える。
お嬢様のマックイーンだが、年相応に恥ずかしがり屋なのも確かだった。
「それにしてもマックイーン最近超絶好調だよね!トゥインクルシリーズのウイニングライブに出るのってどんな気分なの!?」
「それは……まあ、確かに、すごく素敵な景色ではありますわね」
「キャー!いいないいなあ!私もいつか、トゥインクルシリーズのウイニングライブセンターで歌うんだから!」
マックイーンはこの少女をよく知っている。
入学当初は浮き気味だったマックイーンを、友として支えてきてくれた彼女。
ライバルとしてマックイーンと競い合ってきたトウカイテイオーとはまた別。
自分の近くで、共にたくさんの時間を過ごしてきたこの少女は、努力を惜しまない、誰よりもライブが好きな少女であるということを。
学園の予鈴が鳴り響く。
朝のホームルームがそろそろ始まる合図だ。
未だにトゥインクルシリーズのライブを夢見て踊る後方の少女に、マックイーンが声をかける。
「ほら遅刻しますわよ!―――――――」
少女は夢を見る。
とびきりの大舞台のステージで、輝かしいライブをするという夢を。
この少女の名は。
『『プレクラスニー!』』
これは、輝かしい運命を辿るウマ娘とは少し違う。
数々の栄光の裏側で、悲しみを背負うことになってしまった一人のウマ娘の物語。
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第2R カノープスの夢
トウカイテイオーの骨折。
このニュースは一気にトレセン学園中に知れ渡り、全国のウマ娘ファンに広がっていくこととなる。
先日の日本ダービーを制したことで、晴れてシンボリルドルフ以来の無敗の二冠ウマ娘となったトウカイテイオー。
レースの人気もさることながら、どこまでも響いていきそうな歌声と、「テイオーステップ」と呼ばれる華麗なダンスでファンをわかせる彼女は今や国民的スターになりつつある。
そんなテイオーの怪我……シンボリルドルフと同じ無敗の三冠ウマ娘を期待されていた彼女だけに、このニュースは日本中に衝撃を与えたのだ。
「テイオーさん、大丈夫かなあ……?」
「さあね……怪我っていうのは、本当に怖いものだから……」
トレセン学園内にある食堂。
ナイスネイチャとプレクラスニーの二人は、定食を食べながらテイオーのことについて話していた。
怪我の恐ろしさを身をもって知っているネイチャの言葉は、プレクラスニーにとっても説得力がある。
後ろに座るオグリキャップがものすごい勢いで定食を平らげていくのを若干引き気味に眺めながら、ネイチャが言葉を続けた。
「……でもテイオーのことだし、菊花賞、出てくるんじゃないかって思えてくるのよね~」
「確かに、テイオーさん『会長と同じ三冠ウマ娘になるんだー!』って燃えてたもんね……」
トウカイテイオーは、シンボリルドルフに憧れてトレセン学園に入学した……この話はトレセン学園内でも有名な話だった。入学当初はシンボリルドルフと同じチームリギルに入ると思われていたし、どうやら本人もかなり迷ったよう。
しかしテイオーが出した結論は、リギルのような厳しい環境より、スピカで伸び伸びやる方が自分には合っているというもの。
そして次々にスピカで成果を上げて今に至る。
プレクラスニーもテイオーとは何度か面識があり、話したこともあった。
ウイニングライブを夢見るプレクラスニーにとって、テイオーのライブでの人気は憧れそのものだ。
故に、直々に「テイオーステップ」を伝授してもらおうと試みたのも1回2回の話ではない。
「私、ちょっと心配だからこの後テイオーの様子見てくるね。クラスニーは食べ終わったら先に練習行ってて!」
「はーい!テイオーさんによろしくね!」
先に食事を終えたネイチャが、定食の乗っていたお盆ごと配膳を下げに行く。
プレクラスニーももう少しで食べ終わる所だったので、食べ終わったら練習に行こうと思いながら汁物に手を付けた。
その時、コトリ、という音とともに、先ほどまでネイチャが座っていた席に新しいお盆が置かれる。
「ここ、いいかしら?」
「マックイーンじゃん!今日は学食なんだね!」
そんなプレクラスニーの隣に現れたのは、メジロマックイーンだった。
彼女はお嬢様であるが故に毎日学食で昼食をとるわけではなく、お抱えの栄養士が作った弁当を食べていることもしばしば。
今日はどうやら学食で昼食をとるようだ。
「今日はわたくしが学食で食事をしたいと申し出たのですわ」
「そうなんだ!じゃ、一緒に食べようか!」
実の所もう少しで食べ終わるところだったのだが、プレクラスニーは一旦箸を止めてマックイーンとの会話に華を咲かせる。
マックイーンとしても変に委縮されない上に心置きなく話ができるプレクラスニーの存在は大きかった。
「あ、そうだテイオーさんの調子はどうなの?」
「テイオーは今はリハビリ中ですわ……まあ、ウチの主治医も貸してあげましたし……望みは薄いかもしれませんが、テイオーはまだ菊花賞にでるつもりですよ」
「そうなんだ……やっぱすごいね、テイオーさんは」
「そうは言いますけれど、あなたも調子が良いみたいじゃないですか、クラスニー」
「マックイーンに言われると全然褒められてる気しないよ?!」
実はこのところのプレクラスニーは調子が良い。
今まではメインレースで勝てることがあまりなかったのだが、最近は状態が良く、徐々にメインレースでも勝利を手にすることができている。
とはいえ、この目の前の少女、メジロマックイーンには到底及ばない。
去年の菊花賞でG1ウマ娘としてその名をとどろかせると、今年の天皇賞春でも圧倒的な強さを見せつけG1二勝目。
ファンからは長距離の覇者とも呼ばれ、レース後半での強さは他の追随を許さない。
「ふふふ、いつかあなたと、共に走ってみたいものですね」
「あー負ける気ないなー?その顔!マックイーンが相手だって私頑張るからね!……まあでも、もし一緒のステージに立てたらって思うと、確かにワクワクするかも!」
マックイーンと同じく、プレクラスニーも最近は比較的長距離のレースでの調子が良い。
だからこそ、マックイーンと同じレースに立てる可能性は無くはないのだが……今のままだとマックイーンと同じレースに出られるだけの戦績がない。
プレクラスニーはまだ先のことかなあ……と学食の外を眺めながら漠然とそんなことを考えていた。
「この間のレース惜しかったねえ!」
「そうですね!ターボちゃんがもう少し粘っていれば逃げ切れたかも……結果は17着でしたけど、可能性しか感じませんでしたよ!」
「だよねだよね!クラスニーもそう思うんだね!」
「いや……17位は17位なのですが……」
チームカノープスの部室にて。
今やすっかりチームカノープスの一員として馴染んだプレクラスニーは、同じチームカノープスのツインターボと共にトレーナーと先日のレースについての反省を行っていた。
チームカノープスの部室には大きな段幕に「目指せG1勝利」の文字。
カノープスの目標は、トゥインクルシリーズの中でも大舞台、G1を初勝利することにあった。
ツインターボは先日のレースで得意の大逃げを敢行し、ギリギリまで粘ったが最後の最後で逆噴射。
1位を譲ってからは完全にバテバテであとは抜かれるだけだったものの、もう少し粘れていれば1位だったことを考えれば、可能性はあるとみていいレース展開だっただろう。
もっとも、トレーナーの言う通り17位は17位なのであるが。
「あのさ」
「「「?」」」
そんな3人の所に、ナイスネイチャが声をかける。
ネイチャの方を見れば、いつになく神妙な面持ちだった。
「私が菊花賞出たい……って言ったら、どう思う?」
「……!ネイチャ……」
菊花賞。トゥインクルシリーズの中でもクラシック三冠と呼ばれるG1レースだ。
クラシック三冠の中でも一番開催が近く……トウカイテイオーが制覇すれば、無敗の三冠ウマ娘になれるレース。
つまりは、テイオーと走りたい、とそう言っているのだ。
プレクラスニーはテイオーの様子を見に行った後のネイチャが、なにか思い悩んでいるような表情だったのを知っている。
彼女はテイオーの諦めない様子に、きっと感化されて自分も菊花賞に出たいと思ったのだろう。
「菊花賞!G1!!!ターボも出たい!!」
「た、ターボさんはもう少し勝たないと……」
「勝つもん!次のレース勝つもん!」
もちろん、出たいと思えば出られるほど、G1レースは安くない。
G1レースに出られるのは、戦績が十分で、更にファンからの人気がないことには出場はできないのだ。
そんな一握りのウマ娘だけが出走を許されたレース。それがG1なのだ。
ターボは戦績がまだ足りないということだが……それはツインターボに限った話ではない。
チームカノープスのメンバーは徐々に戦績を積み上げてはいるが、まだG1に出られるほどには至っていない。
それはナイスネイチャにも同じことが言える。
「この後のレースで一着を取り続ければ……なんとかなる?」
「ちょっと待ってくださいね……」
「……ふふん、やる気だね?ネイチャ。どして?」
プレクラスニーも、ネイチャのやる気に圧倒されていた。
普段は自分の実力を客観視し、自分にできることできないことを判断しがちなナイスネイチャが、ここまで闘志を燃やしている。
プレクラスニーにとっては、今のネイチャがとても眩しく見えた。
そしてそんなネイチャを見て、クラスニーに芽生えた一つの感情。
(私も……ネイチャと一緒に……!)
自分も、ネイチャと共に戦いたい。
「テイオーが出るかもしれない」
「トウカイテイオーですか!……でも彼女は……」
「テイオーは、諦めてない。……だから、私だって無理かもしれないけど……でも」
「無理じゃないよ」
「クラスニー……?」
ネイチャが自信なさげに言いよどんだのを、クラスニーが横に並んで励ます。
クラスニーは知っていた。ネイチャが普段はどこか諦観したような様子でいるけれど、内に秘めた闘志は、誰よりも強いウマ娘であること。
一緒に練習を積み重ねてきたからわかる。
ネイチャはもっと、上に行けるウマ娘だ。
「ネイチャなら、できるよ。私、応援する」
「クラスニー……ありがと。……トレーナーちょっと貸して!」
ネイチャが意を決したように、トレーナーから資料を取り上げる。
そこには直近で行われるレースの日程が書かれていた。
「これ勝って、これ勝って、小倉記念に勝つ!そうすれば、出られる?!」
「あ……はい」
ネイチャは本気だ。
そんなネイチャの様子を見て、その資料を横から眺めていたクラスニーも同じように資料の日程表に指をさす。
「トレーナーさん。私、毎日王冠に出る。……それでこれに勝ったら……私は、天皇賞に出たい」
「「「ええ?!」」」
「天皇賞?!G1だあ!」
天皇賞。三冠レースとは違うが、このレースもトゥインクルシリーズのメインレース、G1だ。
そしてこの天皇賞秋にはおそらく……。
「た、確かにクラスニーさんの戦績なら、毎日王冠にさえ勝てれば天皇賞秋には出られると思いますが……天皇賞秋には確かチームスピカの……」
「そう。私はそこで、マックイーンに勝つ」
「……クラスニー……」
メジロマックイーンが出る。
長距離の覇者と呼ばれる彼女は、次の照準を天皇賞秋に向けていることはトレセン学園では有名な話だった。
そのメジロマックイーンへの挑戦権。
クラスニーも、ナイスネイチャと同じく、今最も勢いのあるウマ娘に勝負をしに行くのだ。
(まだ先かも……なんて思ってちゃダメだ。ネイチャがこんなにやる気なんだもん。私だって、夢に向けて頑張らなくちゃね……!)
クラスニーは、マックイーンと戦うのはまだ先だと思っていた。
けれど、そんな姿勢では、いつまでたってもマックイーンの見た景色を見ることなどできない。
プレクラスニーは今年調子が良い。
が……来年も同じように調子が良いとは限らない。それがウマ娘の世界。
今、やるしかないんだ。
「一緒に頑張ろう?ネイチャ!」
「うん……!」
「よーしそうと決まれば!トレーニングやろ!トレーニング!」
「よし、やってみるか……!」
「「「おおー!!」」」
元気よく飛び出していくカノープスの面々。
目指すはG1初勝利。
カノープスの夢は、ここから始まったのだ。
7月のある晴れた日。
チームスピカの面々は、それぞれが目標に向かって練習を続けていた。
メジロマックイーンもその内の一人。
ライバルのトウカイテイオーは怪我のリハビリ中。マックイーンとしては復活してほしいという気持ちはやまやまだが、自分ができることといえば、全力で目の前のレースに取り組んで、彼女に自分の強さを見せつけることしかないと思っている。
トレセン学園に備え付けられた芝のコースで、マックイーンは走り込みを続けていた。
次々と流れていく視界の中に、そのライバルの姿を見留める。
マックイーンは走っていた足を止め、今も尚走り続けるスペシャルウィークとゴールドシップの姿を見つめるトウカイテイオーの近くへと歩み寄った。
「どういうリハビリですの?これは」
「……イメージトレーニングだって!」
走れないテイオーができるトレーニングは限られる。
上半身の肉体強化はできるとしても、走ることができない以上、下半身への負荷がかかるトレーニングはやりづらい。
だからこそ、優秀なスピカのトレーナーから言い渡された最初のトレーニングは、イメージトレーニングだった。
自分が走っていたら、どこを走るか。どんなレースメイクをするか。
走れない今だからこそ、レース勘を失わないためにも大事なトレーニングだといえよう。
「……なら、わたくしの走る様もしっかりごらんくださいませ?……もっとも、イメージでも追い付けないと思いますが」
「ふふ……それはどうかな~」
ライバルだからこそのやり取り。
相手を認めるからこそ、この二人は競い合って更に高みに昇ることができる。
いつものように2人が火花を散らす。
そんな時だった。
「マックイーン!!!」
「……あら?クラスニー」
そんな二人の所に、プレクラスニーが走ってやってくる。
いつも通り白過ぎるのではないかと思えるほどの肌と、透き通るような銀髪が彼女の目印。
「テイオーさんも!調子はどうですか?!」
「ばっちり!順調だよー!」
「良かった!無理しすぎず、それでも私テイオーさんのライブ大好きですから、応援してますね!」
「ありがと!!」
クラスニーのこの言葉に、嘘はない。
テイオーのライブにはとても憧れているし、自分もいつかあんな歌とダンスができたらと思わなかった日は無い。
「それでクラスニー、わたくしになんの用ですの?」
「マックイーンあのね……私、天皇賞に出るよ」
「「……!」」
クラスニーの真面目な表情に、テイオーとマックイーンが息をのむ。
天皇賞秋。マックイーンが目下目標にしているレースだ。
そこに、プレクラスニーが出てくる。
「今はまだ、戦績が足りなくて出られないけど……私は、毎日王冠に勝つよ。それで……天皇賞秋で、マックイーンと一緒に走るんだ」
「……本気、なんですね」
「私はマックイーンと一緒に走るのは、まだ先のことだと思ってた。だけど……それじゃダメなんだ。今、絶好調のマックイーンと一緒に走ってみたい」
テイオーは、無言で二人のやりとりを見つめている。
自分も、早く、早くこの舞台に戻りたい。
ライバルと戦い、誰もが勝ちたいと願って戦う舞台に、早く戻りたい。
テイオーは、自身の太ももを、強く握りしめた。
「だから、見に来てよ。毎日王冠。私、絶対勝つから」
「……いいでしょう。楽しみにしてますね、クラスニー」
「うん!……それじゃそれが言いたかっただけだから!テイオーさんも、お大事にしてくださいね!」
マックイーンの肩が震える。
その表情は、友との対戦をとても楽しみにしているように見えた。
プレクラスニーが走り去った後、スピカのトレーナーが二人の所に来る。
「今の……どこのウマ娘だ?」
「カノープスの、プレクラスニーですわ。わたくしの友達です」
「あれが……そうか。最近頭角を現しているらしくてな……おはなさんともこの前あのウマ娘の話をしたくらいだ」
おはなさん、本名東条ハナとはチームリギルのトレーナーを務めるスパルタトレーナーのこと。
しかし確かな指導力で、数々のウマ娘たちをスターへと押し上げた名トレーナーだ。
その名トレーナーが、あのウマ娘を気にしている。
実力があることは、間違いなかった。
「……当然ですわね。あの子は、夢に向かって努力を欠かさない優秀なウマ娘ですから……」
「天皇賞に出ると言っていたな。……マックイーン。きっとあのウマ娘は強敵になるぞ」
「そうでなくては困りますわ。……クラスニー。わたくしはあなたと一緒に走るのをとても楽しみにしていたんですよ……!」
走り去っていくプレクラスニーの姿が小さくなる。
決して才能に恵まれているとは言えないだろう。体格も大きくはなく、特別身体が柔らかいわけでもない。
それでも、彼女は努力でここまできた。
そのことが、マックイーンは嬉しくてたまらなかったのだ。
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第3R 勝負の小倉記念
8月25日。
照りつける太陽がコースの芝から照り返して熱さを膨れ上げている。
今日はカノープスにとって大事なレースの日だ。
今日は快晴。天気にも恵まれて、多くの観客がレース場に集まっている。
G1ほどではないにせよ、観客の熱気は相当なものになっていた。
その観客席の最前列。
ツインターボとプレクラスニー、そしてカノープスのトレーナーの姿があった。
3人ともの視線が、今まさにゲートに入ろうとしている一人のウマ娘に注がれている。
『今10人のウマ娘がゲートに入りました!!天気は快晴。今日のメインレースが、今始まろうとしています!』
『非常に楽しみなレースですね。さあ、始まりますよ』
一瞬の静寂。
その静寂を突き破るように、パアン、と大きなピストルの音が、青空のレース場に響き渡る。
一斉にゲートが開いた。
『小倉記念がスタートしました!!ほぼそろったスタート!ここからどのウマ娘が抜け出していくのか!!』
『ここからまずは長い直線ですからね。位置取りが、大事になってきますよ』
小倉記念。
G1レースではないものの、重賞と呼ばれる大事なレースだ。
カノープスからは、ナイスネイチャが出走している。
そしてこのレースに勝てば……ネイチャはトウカイテイオーへの挑戦権。菊花賞への出場権が与えられるのだ。
7番のゼッケンを身に着けたナイスネイチャが、先頭集団の中頃の位置でのスタートを切っていた。
「いけえーーーー!!!ネイチャ頑張れーーー!!!」
「大逃げだーーー!!大逃げするしかないぞネイチャー!!!」
「ターボさん、ネイチャさんは大逃げしませんよ……」
カノープスの面々が、ネイチャの応援に駆け付けている。
圧倒的逃げウマ娘であるツインターボが、ネイチャに無茶ぶりをしていた。
『一番人気のナイスネイチャは先頭集団の中頃に位置しています!』
『良い位置ですね。内からイクノディクタスも来ていますよ』
実況はお馴染み赤坂さん。解説は細江さんだ。
ナイスネイチャはここまで2連勝ということもあり、今回の小倉記念は1番人気となっている。
そしてそれに続く2番人気となったのが……眼鏡をかけた栗毛のウマ娘……ゼッケン4番をつけたイクノディクタスだった。
「イクノディクタスが良い位置につけてる……ううう、怖いよお」
「そうですね……先頭の後ろについて、仕掛けるタイミングをうかがっているように見えます」
「やっちゃえ~!!ネイチャー!!!」
レースは終盤に差し掛かる。
第4コーナーを曲がり始めた所で、ネイチャは4番手。
前方の2番手に、イクノディクタスの姿があった。
(イクノディクタスさんは、後半も強い……仕掛けるなら、ここからしかない……!)
ぐい、と強く足を踏み込む。
丁度コーナーの曲がり角、ネイチャは遠心力に負けじと身体を傾けながら、少し外側へと出た。
こうすることで前には一旦誰もいなくなり、視界がクリアになる。
ここが、仕掛時だ!
ぐんぐんとスピードを上げて、ネイチャはトップスピードへと持っていく。
(させません……!)
ここでイクノディクタスも仕掛ける。最終の直線を目の前にして、今まで1番手だったウマ娘を抜き去り、一気に先頭に躍り出る。
「無理~~!!」
1番手を走っていたウマ娘はここで後退。
先頭を走るイクノディクタスと、追うナイスネイチャ。そんな構造になるかと思われたが、ネイチャはここからが強かった。
飛ぶように変わる視界の中で、ネイチャの意志が、想いが力に変わる。
未だ無敗の三冠ウマ娘になることをあきらめていないテイオーと同じように。
その夢を、指をくわえて見ているだけでは、もういられない。
怪我をして、夢を諦めようとしていた自分とはもう、訣別しよう。
(私は……私はテイオーと戦うんだ……!!菊花賞で!!)
「はあああああああああああっ!!!」
『外から一気に来たあああ!!!ナイスネイチャ先頭!!イクノディクタスと並びません!一気に外側から!イクノディクタスの視界外から飛んできた!これにはイクノディクタスも反応できません!!』
『これはすごいですよ!外側から一気に抜き去るのは、並大抵ではありません!』
(そんな!私のレースメイクは完璧だったはずなのに……!)
隣から抜かれた、というよりいつの間にか抜かれていた形になってしまったイクノディクタス。
もうナイスネイチャの後ろ姿は離れていく一方だ。
(くっ……!)
『ナイスネイチャ強い!ナイスネイチャ先頭だ!今ゴールイン!』
そのまま、ナイスネイチャは先頭のままゴールを駆け抜けた。
ナイスネイチャは勝ったのだ。
レース場が大歓声に包まれる。
「やったあああああああ!!!!」
「ネイチャすごい!!!頑張った!!!」
「あ、ちょっと二人とも!?」
カノープスの二人が、観客席を飛び出してナイスネイチャの元へ向かう。
レースを終えたばかりのネイチャに、二人がとびかかって祝福を送る。
「ネイチャーーー!!!」
「うわあ!クラスニーにターボ?!いいのにこんなところまで……」
「すごいよ……本当にすごいよネイチャ……これで菊花賞だよ!!」
ネイチャはこれで3連勝。あの時言った通り、ネイチャは菊花賞への挑戦権を手にしたのだ。
(そっか……私、出れるんだ。G1に……)
ネイチャの勝利を自分のことかのように喜ぶ2人。
涙ながらに喜ぶネイチャと、同じく涙をこぼしながらネイチャを抱きしめるクラスニー。
ターボも満開の笑顔で祝福していた。
その姿を、じっと見つめ続けるイクノディクタスの姿があったのを、3人は最後まで気が付かなかった。
「ということで、チームカノープスの一員となりました、イクノディクタスです。よろしくお願いいたします」
「「いやどうしてそうなった?!」」
その翌日、チームカノープスの部室には、イクノディクタスの姿があった。
いわく、昨日のレースを見て、カノープスに入りたくなったのだという。
「トレーナーさんも、OKを出してくださいました。私もチームカノープスの一員として尽力してまいりますので、どうかよろしくお願いいたします」
「いいじゃんいいじゃん!ターボに続く大型新人ね!カノープスの未来は明るい!」
「……自分で言う?」
どうやらトレーナーもイクノディクタスの圧に負けたようで、終始苦笑いで4人の様子を見守っている。
「部室に入ったところ、G1勝利という横断幕をお見かけしました。お任せください。私のプラン通りいけば確実にG1を勝利することができるはずです。まず目下はプレクラスニーさんが毎日王冠で勝利することができれば、天皇賞秋への挑戦権を手にできるはずです。それに加え、ナイスネイチャさんは先日私を下して小倉記念を勝利したことで3連勝……間違いなく菊花賞への推薦は通ることでしょう。それどころか人気もかなり上位になるはずだと私は読んでいます。ツインターボさんも有馬記念は無理ではありません。今は体力が持たず最後にバテてしまうことが多いですが、レース序盤の加速力には目を見張るものがあります。体力作りに務めれば……」
長すぎるイクノディクタスの考察が始まったことに、動揺を隠せないカノープスメンバー。
苦笑いするネイチャに、プレクラスニーが耳打ちする。
「なんかまたクセの強い子が入ってくれたね!」
「そ、そうね……まあでも、にぎやかになることはいいんじゃない?」
止まらない考察を真面目に聞くツインターボ。
そんな2人を、ネイチャとクラスニーの二人は微笑みながらずっと眺めていた。
9月のある日。
クラスニーは午前中の講義を終え、昼食をとった後、練習に行こうと校舎の外を歩いていた。
そんな時、目の前から歩いてくる、なにやらチャラけた様子のウマ娘。
クラスニーは彼女のことを知っていた。
「ちゃーーっす!クラスニー!調子アゲアゲってかんじ~?!」
「ちゃ~っす?こんにちは、ダイタクヘリオス!アゲアゲ……ってほどじゃないですけど調子は悪くないですよ!」
ダイタクヘリオス。
派手なピアスに髪飾り、とイマドキのJKのような見た目をしているこのウマ娘は、プレクラスニーとも仲が良い。
特徴的な話し方から、どうにも敬遠されがちなヘリオスだったが、クラスニーはその性格上、まったく物怖じすることなくヘリオスと絡み、そして徐々に彼女の特徴的なイマドキ(?)言語がわかるようになっていた。
「クラちゃん相変わらず固すぎい~!ウチのことはヘリでいいって言ったじゃん」
「ははは、そうだったね。じゃあヘリちゃん、今は練習行くところ?」
「そそ!マジ練習とか超かったるいしチョベリバなんだけど~、ライブには出たいじゃん?!」
クラスニーとヘリオスの共通点。それはライブに出たいという想いが強いことだった。
ヘリオスも実力者であることは間違いないのだが、それ以上に彼女はウイニングライブに出て人気になりたいという想いがあった。
それは決して不純な動機などではなく、ウマ娘にしてみればむしろ当然の目標。
ライブに出るためにレースで勝つというウマ娘も少なくはないのだ。
そしてその想いがお互い強かったのが、クラスニーとヘリオスだった。
「あ、そだそだ、ベッケンバウアーなんだけど、ウチ、毎日王冠出るから!」
「……!」
毎日王冠。
10月の頭に開催される、クラスニーが天皇賞に出るためには負けられないレース。
そこに、ヘリオスも出てくる。
「クラちゃん出るんでしょ!一緒にライブ盛り上げちゃお~ぜい!」
「……そう、だね!一緒にライブ出たい!ヘリちゃんと!」
「……だ~け~どお~?」
ヘリオスが、クラスニーの白い肌の頬に指を当てる。
どうやら考えていることは、お互い同じなようだ。
「センターは、譲らないか~んな!」
「ふふっ!私も、譲らないから!」
二人で笑い合い、しばらくして別れる。お互いがレースのための練習に向かう。
二人の背中が、遠ざかっていく。
(ヘリちゃんは普段はあんなんだけど……私は知ってる。ライブに出たいって気持ちは、私と同じくらい、強いってこと)
(クラちゃんはかったいねえ~けど多分、レースじゃウチの方が分が悪いカモ?……でも、センターはウチのものだかんね!)
ダイタクヘリオスとプレクラスニー。
二人のウマ娘が、毎日王冠の舞台で激突する。
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第4R 決戦!毎日王冠!
10月6日。
天気はあいにくの小雨で、曇り空があたりを支配している。
地面の芝が、雨に濡れて水滴を垂らしていた。
(雨……か)
クラスニーは、雨が好きではなかった。
というのも、レースはもちろんだが、勝った際に与えられるライブも、雨の場合客足があまりつかない。
ライブをやることも考えれば、やはりクラスニーは晴れが好きだった。
「クラスニー!!」
赤いジャージ姿に12番のゼッケンをつけたプレクラスニーに、観客席の最前列から声がかけられる。
クラスニーが振り向けば、そこにはカノープスの皆の姿があった。
「皆!」
「いけーー!クラスニー!大逃げだあ!!!」
「大丈夫ですプレクラスニーさん。私の立てたプランで行けば、まず負けることはないでしょう」
「あ、ありがとう。でもターボちゃん、私大逃げはできないかも……」
相も変わらず大逃げを推すツインターボと、眼鏡を片手で押し上げるイクノディクタス。
変わらないカノープスの面々に緊張が少しほぐれていく。
「クラスニー」
「ネイチャ……」
ネイチャが黙って、片手の拳をクラスニーの方へ突き出す。
「あんたなら、勝てるわよ。誰よりも練習したんでしょ」
「……!うん!」
レース場は相変わらず小雨が降り続いているが、カノープスの面々は傘すら差さずに最前列に陣取ってくれている。
カノープスメンバーの優しさが、クラスニーに勇気を与えてくれた。
「クラスニーさん。昨日も一応確認しましたが……レース展開はおそらく、ダイタクヘリオスさんが引っ張っていく展開になると思います。それはこの小雨でも変わりません。クラスニーさんはこのダイタクヘリオスさんについていく形……2番手の位置が一番好ましいですね。最後の直線で、一気に勝負をかけてください」
「うん。ありがとうございます、トレーナーさん」
ダイタクヘリオスは、逃げる戦法を使ってくる。
それは昨日のミーティングの時点でもわかっていたことだった。
昔、クラスニーがヘリオスとレースについて話したことがある。
『ごっちゃで走るのってマジありえなくなーい?だからウチはせんとーで走り切っちゃう方が好きなんだよね~』
『確かに、それができれば強いよね!それこそサイレンススズカさんみたいに!』
『それな!!スズカさん超イケてるよね!ウチもあんな走りしてみたいわ~!』
(ヘリちゃんは、きっと今日も逃げでくる……勝負は、最後の直線かな……)
ゲートまでの道を歩きながら、クラスニーは自分のレース展開をイメージしていた。
今日は負けられない。
今日勝たなければ、天皇賞への切符は掴めないだろう。
「クラスニー」
意識を集中し始めたころ、今度は観客席から、よく聞きなれた声がかけられる。
「……マックイーン!」
メジロマックイーンだった。
制服姿に優雅に傘を差した彼女が、観客席の最前列に立っていたのだ。
「見に来てくれたんだ!」
「当然ですわ。わたくしの……もう一人の
「……!」
ライバル。今マックイーンはそう言ったのだ。自分は到底届かないと思っていた、マックイーンとトウカイテイオーという二大巨頭。
そのマックイーンから間違いなく、「友達」ではなく「ライバル」と、そう言ってもらえた。
そのことが、クラスニーにとってなによりも嬉しかったのだ。
「……見てて。絶対勝つから」
「……楽しみにしていますわ」
マックイーンに背を向けて、クラスニーが歩いていく。
その後ろ姿には、白いオーラが漂っていた。
(クラスニー……勝ってください。そしてわたくしと……天皇賞で……!)
銀髪の二人が火花を散らす。
次会う時は、必ず天皇賞で。
ゲート前。
ついにレースは目前にまで迫っていた。
深呼吸をして、クラスニーが意識を整える。
すると突然、後ろから肩を叩かれた。
このゲート前という場所で、自分に声をかけてくる存在など一人しかいない。
「ク〜ラちゃん!」
「……ヘリちゃん」
ダイタクヘリオスだった。
同じく赤いジャージに13番のゼッケンをつけた彼女は、クラスニーの隣のゲートに入る。
その瞳は、いつもの明るい彼女とは一線を画する、真剣なものだった。
「ウチね、今からクラちゃんと踊るウイニングライブが楽しみでしょうがないんだ~!昨日なんか夢見ちゃったよ!」
「ふふふ……私もだよ」
「んでんで、夢ではね?……センターはウチだったんだ」
ヘリオスの瞳が、クラスニーを捉えている。
考えていることは、想いは、同じ。
「負けないよ、ヘリちゃん」
「マジ勝負だかんね!クラちゃん!」
『さあ!13人のウマ娘が今ゲートに入りました!!毎日王冠、間もなくスタートです!』
『雨でレース場の状態はよくありませんが……会場の熱気は雨を吹き飛ばしてしまいそうなほど盛り上がってますね』
クラスニーが、目を閉じる。
ここを勝てば、マックイーンと同じレース、G1に出れるのだ。
(ネイチャは、勝った。勝ってみせたんだ。私も……負けられないッ!)
ファンファーレが鳴り響く。
さあ、スタートだ。
甲高いピストルの音とほぼ同時、全員のゲートが一斉に開いた。
クラスニーが勢いよく足を踏み込んだその時。
(……ッ?!)
『おおっと!ややばらついたスタートになりました!1番人気のプレクラスニー少し出遅れたか!』
『雨で滑りましたかね……しかしプレクラスニーは後半に強いウマ娘です。まだまだ、わかりませんよ』
雨によって濡れた芝に足をとられ、クラスニーはスタートに少し時間をつかってしまう。
(なんの……これしき……!)
しかしクラスニーは引きずらない。
すぐに調子を取り戻しスピードに乗ると、外側から一気に駆け上がって先頭集団に追い付いてみせた。
才能に恵まれないながらも、必死で鍛えてきた下半身が活きている。
そうして駆けあがった先頭集団の一番先には。
(ヘリちゃん……!)
(クラちゃん出遅れたカンジ?このまま先頭もらっちゃうよ~!)
『先頭はやはりダイタクヘリオス!プレクラスニーに次ぐ二番人気の彼女が12人を引き連れて第2コーナーを曲がります!』
『いいスタートでしたね!プレクラスニーはスタートで少し力を使った分、後半に脚が残っているかが勝負でしょうか』
レースは中盤に差し掛かった。
スタートこそ出遅れたものの、ヘリオスの後ろについたクラスニーが、最後の直線まで力をためる。
実はこの2番手というのが風の抵抗を受けにくく、後半まで余力を残しやすいのだ。
「いけえ~!!プレクラスニー!!!」
「プレクラスニー、って長くない?」
「いつも通り、クラスニーでいいじゃない」
「いえ、ここはプレでどうでしょう」
「いや、短すぎるでしょう……」
「クラは?!」
「それも短すぎ……」
「じゃあプレクラだ!」
「「「それだ!」」」
(いやどうでもいい……)
いつも通りすぎるカノープスのやりとりに、トレーナーも頭を抱える。
しかしその目はしっかりとレース展開を見つめていた。
(クラスニーさん、スタートは少し出遅れたものの、しっかり先頭についていけてますね……あとは最後の直線に力が残っているかどうか……そこが勝負になります)
ヘリオスは逃げる戦法をとれるほどに、スタミナもしっかりとしているウマ娘だ。
だからこそ後半簡単にばててくれるとは考えにくい。
本来ならばこの距離でくっついていれば最後の直線にクラスニーに分があるのだが、スタートで少し脚を使ってしまっただけに、後半に残された脚がどれだけあるかが、このレースの鍵を握る。
(ヘリちゃん……逃がさないよ!)
(クラちゃん真後ろジャン!追い付かせないんだから!)
「無理~!」 「無理い~!」
一人、二人と先頭集団から離れていく。
第三コーナーを曲がって第四コーナーに差し掛かる頃には、もう先頭集団はヘリオスとクラスニーしか残っていなかった。
『強い!ダイタクヘリオス先頭!ダイタクヘリオスが先頭で第四コーナーを曲がって直線に入ります!!』
『二番手のプレクラスニーは、ここからが勝負ですね』
『もう先頭争いは2人に絞られたといっても過言ではないでしょう!ダイタク逃げるか!クラスニー差し切るのか!!!』
「「「クラスニー!!!いっけえええええええ!!!!」」」
「あれ……先ほどの呼び名はどこへ……」
カノープスの3人が叫ぶ。
もうレースは最終の直線だ。200mを切ったところで、差はちょうど1バ身といったところ。
差し切れるかどうか、ギリギリのラインだ。
飛ぶような景色の中で、クラスニーは横を残り200mの標識が通過したことを確認する。
ラストスパートだ。
(もう限界……!けど……限界は超えるもの……!ネイチャが、マックイーンが、私に教えてくれた!!ここで……ここで勝つんだああああああ!!!!!)
「あああああああああああああ!!!!!」
一気にクラスニーが加速する。
しかしそれでもヘリオスは最後までトップを譲る気はない。
(クラちゃんマジ走りジャン!でもでも……ウチも、負けられないんだよねえ……!!)
「ああああああああああああああ!!!!」
クラスニーが追い付き、二人は横並びになる。
残り100m。レースはぎりぎりまでわからない!
『ダイタク逃げる!!ダイタク逃げる!!プレクラスニーがおってくる!!!二人によるデットヒートだああああ!!!!!』
『これはもうあとは根気の勝負ですよ!どちらが勝っても、おかしくありません!!』
『残りは100mを切った!!どっちだ!!どっちが行くんだああああ!!!!!』
「「あああああああああああああああああああ!!!!!」」
『さあ、お待たせしました!今日のレースを勝ったウマ娘による夢の舞台!ウイニングライブです!!』
あたりも暗くなり始めたころ。
降っていたはずの小雨はまさにライブのために止んだかのように止み、レース場には多くの観客がライブを待ちわびていた。
ウイニングライブ。
レースに勝った者のみに与えられる夢の舞台。
G1レースほどではないが、大きなステージの真ん中に、3人のウマ娘が立っていた。
そしてその真ん中に立っているのは……。
「みなさん!今日は応援ありがとうございました!プレクラスニー、歌います!会場のいっちばん後ろの人も、見えてるからね~!!!」
プレクラスニーだった。
煌びやかなステージを、プレクラスニーとダイタクヘリオスが一緒に踊っている。
歌とダンスが大好きな2人がいることもあり、会場は大盛り上がりだった。
「みーんなあーーーーー!テンションアゲアゲでイケてる?!こっからもっともーーーっと盛り上げていくかんねー!!ウチ達から、目を離したらダメだかんね~~~!!!」
「最後まで、最後まで楽しんでいってくださいね~~!!!」
大歓声があたりを包む。
プレクラスニーとダイタクヘリオスの二人は、間違いなく輝いていた。
「クラスニー輝いてんじゃん!!いいないいなあ!ターボもあそこで踊りたいーーー!!!」
「流石ですクラスニーさん。ファンサービスに余念がありませんね」
カノープスの面々も、笑顔でペンライトを握っている。
クラスニーは最後の最後でヘリオスを差し切ったのだ。
差は2分の1バ身。まさにぎりぎりの勝負だった。
「おめでとう、クラスニー……私も、頑張らなきゃね!」
笑顔で歌って踊るクラスニーを見て、ネイチャは目に溜まっていた涙を拭いた。
これでネイチャとクラスニーは、お互いG1への挑戦権を得たことになる。
トウカイテイオーとメジロマックイーン。
今最も注目を浴びているウマ娘に、それぞれが挑むのだ。
コールが止まない。
G1のライブでもこんなに盛り上がるだろうかというほどに盛り上がっているライブを見届けて、会場を後にするウマ娘が一人。
「流石ですわ、クラスニー。では……天皇賞で、会いましょう」
銀髪をなびかせる少女……長距離の覇者は、その場を後にする。
3週間後。
メジロマックイーンとプレクラスニーは戦うことになったのだ。
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第5R 親友からライバルへ
ネイチャ可愛いよネイチャ
少女には夢があった。
『お母さん!私、この舞台でセンターに立ちたい!』
『そうねえ……でもこれはG1だから……立つにはすごーい努力が必要なのよ?』
『うん!私、頑張るよ!たっくさん練習して、G1のステージに、立つよ!』
多くのウマ娘の夢。
G1勝利。
トレセン学園に通っていたとしても、ほんの一握りのウマ娘にしか許されない夢の舞台。
幼いプレクラスニーは、恋焦がれていたのだ。
この、ウイニングライブという舞台に。
チームスピカの部室。
天皇賞秋を間近に控えたメジロマックイーンが、トレーナーからの指示を受けていた。
ホワイトボードには、天皇賞秋のレース場が描かれている。
「いいかマックイーン。おそらくこの天皇賞秋で一番の強敵になるのは……」
「プレクラスニー。そうですわよね」
「……そうだ」
プレクラスニー。先日の毎日王冠を勝利し、勢いに乗って天皇賞秋に来る。
その噂は、トレセン学園でも有名なものだった。
「プレクラスニーさん、毎日王冠すごかったですもんね!」
「そうね!最後の直線の強さは、認めるしかないんじゃない?」
「なんでそんなに偉そうなんだ?スカーレットよう」
「突っかかってこないでくれるウオッカ!」
毎日王冠の映像を見たスペシャルウィークと、それに素直な感想を述べたダイワスカーレットとウォッカがまた揉めている。
この2人の喧嘩はもう見慣れたので置いておくとして、トレーナーが話を進めた。
「プレクラスニーはスタート出遅れたにもかかわらず、しっかりと先頭集団をキープ。そして最後の直線で、かなりの差があったダイタクヘリオスを抜いて一着でゴールしている……彼女の身体からは想像もできないほど、タフな脚を持っているに違いない」
「いやーマジすごかったよな!あんなに白熱したレースになるとは……去年のスズカの毎日王冠とはまた違った感じだったな!」
トレーナーの言葉に答えるのは、ゴールドシップ。
なぜか手にはルービックキューブが握られているが、それは何かのトレーニングになるのだろうか……。
「プレクラスニーは、私が認めるもう一人のライバルですわ。油断はしません。全力でぶつかります」
おお~、とスピカの部室から歓声が上がる。
マックイーンがこれだけ燃えているのは、珍しいことだった。
「よし。気合は十分だな。んじゃ、天皇賞秋のレース展開についてみていくぞ」
トレーナーが、ホワイトボードへと視線を誘導する。
そこには東京レース場のコースが描かれていた。
「天皇賞秋の特徴といえば……始まってすぐにコーナーがある。この第二コーナーをどれだけ制することができるかが……まず一つ大きな山場だ」
他のレース場と違い、この天皇賞秋に採用されているコースは、始まってすぐコーナーがある。
始まってすぐコーナーがあるということは……外枠が不利になる。
単純にコーナーを有利に走れる内側に遠いからだ。
「マックイーンの枠は今回は13番……外スタートだ。対してプレクラスニーは10番。内側とはいえないが丁度良い良位置だといえるだろうな」
極端に内側であればいいわけではないのが、レースの難しいところだ。
しかし今回は単純に外枠が不利なので、マックイーンは少し不利なレースを強いられることになる。
「構いませんわ。どんな状況でも、わたくしは勝って見せます」
「よし、その意気だ。まずはこの第二コーナー……最初から良い位置を取れるようにスピードをもっていけ。ずるずるとしたスタートになると後方集団に巻き込まれちまう。それだけは避けなきゃいけないからな」
スピカのトレーナーが与えた策。
それはマックイーンのスタミナを活かした、前半勝負だった。
マックイーンは逃げ馬、というわけではない。
しかしマックイーンは並外れたスタミナを有しており、このレースは芝2000m。マックイーンにしてみればそれほど長いレースではない。
つまり、最初に後ろから狙って行って後半他のウマ娘のスタミナ切れを期待するよりも、前半に勝負をかけてそこから持ち前のスタミナで他を圧倒してしまえ、というものだった。
「確かに、マックイーンのスタミナがあれば、後半プレクラスニーに追われても逃げ切れるかもね」
「そういうことだ」
絶賛リハビリ中のテイオーも、この作戦に賛成する。
マックイーンの特性をよく知る彼女だからこそ、この作戦に違和感はなかった。
テイオーはリハビリを順調に消化してはいるものの、快復には至っていない。
菊花賞に出られるかどうかは、ギリギリのジャッジになりそうだった。
「というわけで……ここから2週間、マックイーンはスタート直後のスピードを鍛えていくぞ。それさえできれば、天皇賞はお前のもんだ!」
おー!、という元気な掛け声がスピカの部室にこだまする。
運命の天皇賞秋はもうすぐそこまで迫っていた。
走る、走る、走る。
天皇賞秋に向けて、クラスニーは今日もハードなトレーニングを行っていた。
コースは芝2000m。下馬評は圧倒的メジロマックイーンの優勢。わかっていたことだったので、これについてはクラスニーも特に思うことは無かった。
(マックイーンと、ウイニングライブに出たい。そしてその時私は、センターで踊っていたい……!)
先日の毎日王冠。ダイタクヘリオスと踊ったあのステージは、日本中で話題になった。
中央トレセン学園が誇る屈指のライブ巧者と銘打たれた次の日の新聞は、大いに世間をわかせたのだ。
(もっと、もっとすごい景色を見たい。あの時みた、夢の舞台に、私は挑戦するんだ……!)
幼い頃からの夢。
あの時みた輝かしい舞台に、今自分は足を踏み入れようとしている。
言いもしれぬ高揚感を胸に、クラスニーはひたすらにトレーニングに打ち込んでいた。
「クラスニー!」
そんなクラスニーの元に、ナイスネイチャが声をかける。
走っていた足を止め、クラスニーはナイスネイチャのもとへ駆け寄った。
「クラスニー張り切りすぎ。あんた毎日王冠からそんな日が経ってないんだし……ちゃんと休みなさいよ?」
「ははは……でも大丈夫!ついに天皇賞だと思うと、じっとしてられなくって!」
今この瞬間ももも上げをして今にも走りだしそうなクラスニーの様子に、ネイチャも自然と頬が緩む。
しかしトレーニングと怪我はいつも隣り合わせ……。
そのことを熟知しているナイスネイチャは、クラスニーにしっかりと注意喚起した。
「天皇賞に出るウマ娘の中で、一番休養期間が短いのがクラスニーなんだからね。雑誌には『プレクラスニーは連戦で体力に不安アリ』って書かれてたんだから」
「まあ確かに、それはそうかもしれないけど……」
ネイチャの言う通り、クラスニーはほぼ連戦だ。
天皇賞に出るために致し方なかったとはいえ、レースとレースの間隔がかなり短い。
「だから無理せず、ほら、スポーツドリンク買ってきたから」
「わ~!ありがとうネイチャ!」
スポーツドリンクを受け取り、芝の地面にクラスニーが座り込む。
ネイチャもそれに続くように隣に腰掛けた。
「それにしてもあんたすごいわ~。本当に勝っちゃうんだもの、毎日王冠」
「それを言うならネイチャだって。小倉記念、すごかったよ?」
お互いが、最強を行く2人への挑戦権を得た。
ネイチャはトウカイテイオーに、クラスニーはマックイーンに。
トウカイテイオーはまだ菊花賞出るかどうかわからないが、リハビリを続けている。
あれだけ無敗の三冠ウマ娘にこだわっていた彼女だ。ギリギリまで挑戦するだろうことは、想像に難くない。
スポーツドリンクを勢いよく喉に流し込み、クラスニーはどこまでも広がっていきそうな青空を眺めた。
「……ネイチャのおかげだよ。多分、一人だったら挑戦しようとも思わなかったと思うから」
「……そうかな~。……まあ、あんたとなら目指せる気がしたのよね。一人じゃなく、二人なら」
ネイチャの瞳が、真っすぐにクラスニーと交錯する。
お互いが支えになって、ここまでやってこれた。
お互いの目標は、もうすぐそこ。手に届くところまできている。
大きく伸びをして、ネイチャが立ち上がった。
「私も走りたくなっちゃった。ちょっと待ってて、着替えてくるから!」
ネイチャがその場を後にする。
おそらく更衣室へ行ったのだろう。そんな彼女の様子を眺めてから、もう一度クラスニーは青空を見上げた。
10月とはいえ眩しいくらいの太陽に、手を伸ばす。
(ついに、あの輝くステージに、たどりつけるかもしれないんだ)
あの日見た自分には眩しすぎるステージ。
その夢は、もう手に届かない夢物語ではなくなっている。
「よーーっし!」
クラスニーも立ち上がった。
こうしてはいられない。全力で、メジロマックイーンに勝つのだ。
(やってやる!できる努力を全部ぶつけて……マックイーンに勝つよ!)
センターで踊るという夢。
彼女はその夢に向かって走り出す。
10月27日。
その日はあいにくの曇天だった。
激しい雨が地面に突き刺さり、レース場を濡らしていく。
一大レースが始まろうとしているにも関わらず、どこか不吉な空気が、レース場を支配していた。
『全国のウマ娘ファンの皆様!お待たせいたしました!!ついに、ついに天皇賞秋がやってまいりました!』
『今回のレースも、多くの有力ウマ娘がそろっていますが……やはり、注目は一人のウマ娘に集まりますね』
『はい!皆さんも待ちかねたかと思います!本日のメインレース。13枠に入るのは……!長距離の覇者、メジロマックイーン!!!』
大歓声にこたえるように、マックイーンが身にまとっていたジャージの上着を脱ぎ捨て、自慢の勝負服を披露した。
「マックイーン!!」
「勝てよ~!マックイーン!!」
「メジロマックイーン様あああ!!」
大歓声がマックイーンを後押しする。
2番人気を圧倒的に抑えての1番人気。天皇賞春秋連覇がかかっている銀髪の少女は、どんな馬場状況でも強い堅実な走りで、多くのファンの期待を集めていた。
『しかしメジロマックイーン一強ではありません!先日の毎日王冠ではデットヒートの末、勝利を手にしたウマ娘がいます!』
『プレクラスニーですね!勢いという点では、メジロマックイーンに次いで2番目に勢いがあるウマ娘ではないでしょうか』
プレクラスニーも、ジャージを脱ぎ捨て、その勝負服を、堂々と見せつける。
プレクラスニーにとって、これが初めて勝負服で挑むレースだった。
メジロマックイーンほどではないにせよ、歓声がレース場を包む。
毎日王冠のライブでファンになった人間も少なくないのだ。
大歓声のパドックを終え、プレクラスニーはいつもどおり深呼吸で息を整える。
(大丈夫……やれることは全部やってきた。全力を、ぶつけるだけ)
早くなる心臓の鼓動を必死で抑えつけながら、強く両手を握りしめる。
初めてのG1挑戦。
それでもクラスニーは負けるつもりは毛頭なかった。
「「「クラスニー!!」」」
声のした方を振り返ると、そこにはカノープスメンバーの姿があった。
毎日王冠の時よりも強い雨が降っているというのに、やはりメンバーの皆は最前線でクラスニーの大舞台を見に来てくれている。
「皆!ありがとう!」
「クラスニー勝負服似合ってるじゃない」
「ずるいー!ターボも勝負服着たい~!」
「ターボさんの勝負服も特注してありますから……」
カノープスのメンバーの中で、最初に勝負服を着ることになったクラスニー。
生憎の雨だが、それでもその銀色に輝く勝負服はプレクラスニーの白い肌と相まって幻想的な雰囲気を演出していた。
「クラスニー」
「……ネイチャ」
ナイスネイチャが、毎日王冠の時と同じように右手の拳を差し出す。
ゆっくりとクラスニーも、ネイチャの拳に右手を突き合せた。
これだけで十分。
気持ちはいつもつながっている。
「プレクラスニーさん。昨日もお話しましたが、今回、運の良いことにメジロマックイーンさんは外枠です。後半勝負になれば十分プレクラスニーさんに勝機が生まれます。そのためにも……まずは最初のコーナー。なるべくマックイーンさんよりも前で迎えてください。先頭に出て逃げる必要はありませんが……マックイーンさんよりも前でレースを展開すれば、勝機は必ずつかめます」
「えー!クラスニー大逃げしようよー!」
「トレーナーさん、ありがとうございます。ターボちゃん、大逃げはターボちゃんの武器なんだから。私は私らしくいってくるね」
「クラスニーがそう言うなら仕方ないな!ターボの真似はなかなかできないでしょー!」
明るく元気なツインターボに、元気をもらう。
トレーナーの作戦もしっかりとクラスニーの頭に入っていた。
勝負は最初のコーナー。
毎日王冠ではスタート時に失敗してしまったが、今回は大丈夫。
念入りにスタート地点の地面を確認し、スタート練習も行った。
(マックイーンから……逃げ切る)
ふと横を見れば、同じくチームスピカの面々から激励をもらっているマックイーンの姿。
手の届かない相手だと思っていた親友は、今同じ大舞台のレースに出ている。
その事実が、クラスニーの心に火をつけていた。
「クラスニー」
ゲートの前。
屈伸運動でウォーミングアップをしていたプレクラスニーのもとに、声がかかる。
プレクラスニーが声をした方を振り向けば、青白いオーラをまとったマックイーンの姿。
あまりにも強いオーラと、強者の雰囲気に飲み込まれそうになるのをぐっとこらえて、プレクラスニーは正面からマックイーンを見つめ返した。
普段は親友。けれど。
今この瞬間は、ライバル。
「わたくしのバックダンサーを務める準備はよろしくて?」
「……違うよマックイーン……今日は一緒に踊るけど……センターは、私だから」
二人の視線が交錯し、火花が散る。
高鳴る鼓動を抑えつけて、クラスニーはマックイーンと相対した。
「そうでなくては……わたくし、入学したころから思っていましたのよ。……クラスニーは、必ず強くなってわたくしと戦うことになる……だからこそわたくしは今まで一度も、あなたを競争相手として軽視したことはありませんわ」
マックイーンは、入学当初からプレクラスニーを認めていた。
才能こそ恵まれないものの、努力で積み上げた後半の勝負強さは、本物である、と。
「……ありがとうマックイーン。きっと私も、マックイーンを目標にしてたからここまでこれたんだと思う」
お互いが、お互いを認めあう。
それが、
だから、そう。あえて言うことがあるとすれば。
「「全力で挑む!」」
波乱の天皇賞秋が、始まる。
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第6R 悪夢の天皇賞
10月27日。
東京レース場は大歓声に包まれていた。
地面には激しく打ちつける雨。それでもお構いなしとばかりに、歓声は飛び交っている。
波乱の天皇賞秋が幕を開けるのだ。
ファンファーレが鳴り響く。
雨のレース場であっても、このレースを目に焼き付けようと会場に足を運んだファンの数は普段のG1トゥインクルシリーズとなんら変わりない。
『さあ!ついに18人のウマ娘がゲートに入りました!!!長距離の覇者メジロマックイーンが強さを見せつけ、天皇賞春秋連覇を成し遂げるのか!はたまた別のウマ娘がそれに待ったをかけるのか!!!』
『注目のレース、始まりますよ』
プレクラスニーが、目を閉じる。
様々な想いが、胸を渦巻く。
が。
(勝ちたい)
今はただ、それだけでいい。
あの頃夢見たG1のウイニングライブ、そのセンターへ。
今はただ、その夢をひたすらに追うだけでいい。
プレクラスニーの表情が、一際真剣なものへと変わる。
そんな天皇賞秋のレース会場。
観客席最後方に、一列に並ぶウマ娘たちの姿があった。
全員が姿勢よく並び、凛々しく立ち振る舞うその姿からは、圧倒的王者の風格を感じさせる。
トレセン学園の誇る強豪チーム、リギルのメンバーだ。
「あれが、プレクラスニーか。どう思う。ルドルフ」
その一番左、スーツに身を包んだいかにも仕事できる女性といった風のトレーナーが、隣にいるウマ娘に声をかけた。
ルドルフ、と呼ばれた彼女こそ、言わずと知れた無敗の三冠ウマ娘、シンボリルドルフ。
トレセン学園の生徒会長も務める伝説のウマ娘だ。
「彼女は本来、リギルの入部テストを受けるはずでした。もし仮に入部テストを受けていたら……合格していたかもしれませんね」
「……ほう」
シンボリルドルフは安易な考えを述べるウマ娘ではない。
そのシンボリルドルフがリギルに入れていたと断言したことに、隣にいたマルゼンスキーも驚きを隠せない。
「彼女は決して、才能に恵まれているわけではありません。タイキのような短距離の特性も、スズカのような逃げ足も、ましてやテイオーのような天賦の才も。……しかし彼女には、強い意志と、それをかなえるだけの努力ができます。ああいったウマ娘は、ウチに欲しかったなと強く思いますよ」
「……なるほどな。確かに彼女は入学時の体力テストは決していい数値ではなかった……が、今となっては同年代のトップレベルに迫る数値を有している。これが努力によって得られたものだとするのなら、確かにお前の意見は正しいのかもしれないな」
トレセン学園に入ってくるようなウマ娘は、すべからく努力を怠らない。
それは当たり前なのだ。しかしその中で埋もれず、最後まで努力を貫き通すためには、意志がいる。
夢をかなえたいという意志が。
シンボリルドルフは一度プレクラスニーが入学してきた時に言葉を交わしている。
その時の言葉は、シンボリルドルフにとっても印象に残る言葉だった。
『私にレースの才能は無いかもしれません。……けれど、G1レースのウイニングライブで、センターで踊るシンボリルドルフ会長を見てから、私の夢は一つです。この学園で、私は必ず、G1ウマ娘になる。どれだけの努力が必要であっても、私は必ずシンボリルドルフ会長と同じ舞台で歌ってみせます』
あの時の真剣な表情が、今のまさにレースを走ろうとしているプレクラスニーと重なった。
シンボリルドルフから、笑みがこぼれた。
「……さあ、やってみろプレクラスニー。お前の夢はもうすぐそこだぞ」
全員が、ゲートに入る。
天皇賞秋が、ついに始まるのだ。
(……あれ)
そんなまさにレースが始まろうかという瞬間。
ナイスネイチャは、自分の靴紐がほどけて……一本切れてしまっていることに気が付いた。
ネイチャがかがんで、靴紐を直す。
(……?!)
その瞬間、言いもしれぬ寒気が、ネイチャを襲った。
鳴り響いた甲高いピストルの音が、やけにうるさく感じる。
心臓の鼓動が早くなり、ネイチャはぎゅっ、とジャージの胸のあたりを抑えつけた。
(……クラスニー……どうか無事で……!)
嫌な予感を振り払うように、ナイスネイチャが祈る。
どうかこの嫌な予感は、気のせいでありますように。
『さあスタートしました!!!おおっと?!メジロマックイーンスタートから一気にしかけてきたああ?!!?!』
『メジロマックイーン、勝負に出ましたね。このコースはスタート直後にコーナーがありますから、外枠のメジロマックイーンは、多少無理でも内側に切り込むことにしたのでしょう』
『確かに、後方集団に飲み込まれてしまえば、優秀なウマ娘たちがそろう天皇賞では厳しい戦いになりますからね!これは一気にしかけてきたぞー!!』
レース開始直後のことだった。
10番の位置からスタートしたプレクラスニーはスタートも問題なく成功。
しかし予想外だったのは、更に外にいたはずのメジロマックイーンがものすごい勢いで内側に入りこんできたことだった。
(マックイーン……!まずい!このままだと主導権を握られちゃう!)
トレーナーの指示。
マックイーンよりも前でレースを行うこと。
しかしマックイーンの開始直後のスピードが並大抵ではなく、あっという間にマックイーンに最も内側のコースをとられてしまった。
「きゃあああああああ!!!!」
プレクラスニーの後方で、ウマ娘の悲鳴が上がる。
バランスを崩したのだろうか。しかしこれもレース中にはよく起こること。
今は目の前のマックイーンを追わなければと意識を集中し、クラスニーは加速する。
(絶対に……絶対に今日だけは譲らない……ッ!)
プレクラスニーが第二コーナーを終えた所で最初の勝負に出る。
前に出たメジロマックイーンをかわすように、上手く遠心力を使って外側から前に出たのだ。
(クラスニー……!やりますわね……!)
クラスニーの前でレースを展開しようとしたマックイーンだったが、ここはおとなしく3番手にまで順位を落とす。
先頭は譲る形になったが、別にこれはマックイーンにとって想定外ではなかった。
後方集団からのスタートにならなければ、分はマックイーンにある、というのがスピカのトレーナーの見立て。
仮にプレクラスニーよりも後ろだったとしても、この位置からならば何も問題はない。
「よしっ!良い位置だ!」
「マックイーンさーん!!」
「いけえマックイーン!!!」
スピカの面々が、マックイーンに声援を送る。
先頭でのレース展開とはならなかったが、スタート直後の作戦が決まり、不利な外枠スタートを上手くひっくり返すことができた。
「流石マックイーンだなあ!あいつスタート勝負もできんのかよ!」
ゴールドシップが手にしたルービックキューブを高速でいじりながら、マックイーンを賞賛する。
基本的にスタミナが武器で後半勝負になりやすいマックイーンだが、序盤にああいった勝負もできる。
まさに、死角がないと言って差し支えないだろう。
「よっし!ここからならマックイーンの有利よ!」
「いけえマックイーン!!」
スカーレットとウオッカも、マックイーンの勝利を信じて疑わない。
レースは後半の第4コーナー。依然として先頭はプレクラスニーだが、その後ろにぴったりとマックイーンが張り付いている。
レースは間違いなく、マックイーンのペースで進んでいるように見えた。
「よしっ!いけそうですね、トレーナーさん!……トレーナーさん?」
スペシャルウィークもマックイーンの有利展開であることは疑わず、隣にいるトレーナーへと声をかける。
しかしそのトレーナーの様子がどこかおかしい。
いつもくわえている棒付きの飴が落ちそうなほどに、放心して電光掲示板を眺めている。
その様子は、去年サイレンススズカが怪我をしてしまった時と同じようで。
スペシャルウィークに、悪寒が走った。
「うそ……だろ」
「トレーナーさん?どうしたんですか?トレーナーさん?!」
必死に声をかけるスペシャルウィークの声も届かない。
スピカのトレーナーが見つめる先。
電光掲示板には、不吉な青いランプが灯っていた。
『さあレースは後半に入ります!!先頭はプレクラスニー!やはり前評判通り強かった!今先頭でコーナーを曲がります!!しかし!!しかしその後ろにピッタリとくっついてくるのがメジロマックイーン!メジロマックイーンが来たぞ!!!!!』
『さあ最後の直線ですよ』
雨に負けじと大歓声が会場を包む。
先頭を走るプレクラスニーは、真後ろにマックイーンの気配を感じていた。
(離せない……!!こんなに全力で走ってるのに……全然距離が開かない……いや、それどころか……!)
(捉えましたよ……クラスニー!)
残り400m。ついに先ほどまで後ろを走っていたマックイーンが、クラスニーの隣に躍り出る。
プレクラスニーはスタート時から先頭で走り切っているため、そこまでの足は残っていない。
しかしマックイーンは違った。奇しくも毎日王冠の時のクラスニーのように、マックイーンはスタート時のみに脚をつかっている。
ここから強いのが、長距離の覇者たる所以。
メジロマックイーンの本領だ。
ぐんぐん伸びる。
クラスニーはついにマックイーンに横に並ばれてしまった。
抜かれたら終わる。
漠然とした意識が、プレクラスニーの中にあった。
マックイーンの後半の強さは異常。
ここで逃げ切ることができなければ、自分の勝利はないだろう。
最後の力を振り絞って、プレクラスニーが前に進む。
前へ……もっと前へ!
(勝つんだ……!ネイチャと、お母さんと約束した!私は、G1の舞台でセンターを掴み取るって……!)
「約束したんだあああああああああああ!!!!!」
気力も、体力も、とうに限界。
今は根性だけが、クラスニーを支えている。
声が、聞こえた。
「クラスニーーーー!!!!!!!!」
ネイチャの声が雨の中響き渡る。
信じて待ってくれる人がいるから。
負けるわけには、いかないんだ。
自分とマックイーンだけがこの世界に残されたかのような感覚。
隣にいるライバルと、ただ、ただ競い合う。
足の感覚など、とうの昔から無くなっている。
残り300m。
しかし最後のクラスニーの根性ともいえる走りも。
マックイーンの強さにはかなわない。
ついに、ついにマックイーンが前に出た。
2人だけの時間も、ついに終わり。
「また……また挑んできてくださいまし!クラスニー!」
あり得ない速度で加速したマックイーンが、大きく前に出た。
マックイーンの背中が遠ざかる。
夢が、遠ざかっていく。
視界が、涙で歪んでいく。
(やっぱり……やっぱり強いよ、マックイーン。でも……でも次は負けないから……!)
一着を逃したことで、クラスニーの速度が落ちる。
離れていた後続が追ってきている気配を感じて、疲労が押し寄せる身体にクラスニーはもう一度鞭を打った。
(でも……マックイーンと一緒に歌う場所だけは……譲らないよ!!!)
夢は遠ざかっていく。
黒い勝負服に身を包んだ長距離の覇者は、やはり強かった。
けど、自分の夢は、決して無理な夢ではない。
そう思えただけでも、クラスニーにとってこの天皇賞は意味のあるものになったのだ。
そう、この時までは。
『うおわああああ!!!メジロマックイーン更に加速した!!!どこまで強いのかこのウマ娘は!!メジロマックイーン前に抜け出して1バ身……いや2バ身のリード!!いや、まだ伸びる!メジロマックイーンこれは楽勝!!圧倒的な強さを見せつけています!!』
『恐ろしい強さですね……!プレクラスニーは2着で粘れるでしょうか!』
『なんという強さだメジロマックイーン!!2着を6……いや7バ身離して、今ゴールイン!!見事、天皇賞春秋連覇を成し遂げました!!!!』
会場が大歓声に包まれる。
メジロマックイーンのファンが歓声を上げ、紙吹雪が宙を舞う。
天皇賞春秋の二冠達成。
ウマ娘界に新たな伝説が生まれた瞬間だった。
『そして2着は守り切りましたプレクラスニー!!彼女も素晴らしい走りを見せてくれました!!』
『最後は離されてしまいましたが、とても良い走りでしたね。今後に期待できそうです』
ゴール地点の少し先。
なんとか2着を守り切ったクラスニーは、芝のコースにあおむけで転がっていた。
酸素を求めて口を開き、呼吸を整える。
マックイーンには、勝てなかった。
彼女はやはり、強い。
しかしそれでも、夢が無理なものではないと気付けたこと。
そしてなにより、マックイーンと真剣勝負ができたことに、クラスニーはある種の充足感を得ていた。
(速かった……なあ。マックイーン)
降りしきる雨に、曇天に、クラスニーが手を伸ばす。
自分の状態に問題はなかった。
それでも、マックイーンには及ばなかったのだ。
何故だかそれが少し、気持ちよかったのかもしれない。
次の目標ができる。
G1初勝利をカノープスに持ち帰ることはできなかったけれど、その夢はまだここからつながっていくから。
「クラスニー!!」
雨と曇天だけが映っていたクラスニーの視界に、よく知る親友の姿が映る。
「ネイチャ……ごめん、ネイチャ、私、勝てなかったや」
「ううん……本当にすごかったわよ……!」
伸ばしていた手を、ネイチャが両手で握りしめる。
ネイチャが本気で応援してくれていたことが心からわかったクラスニーは、思わず笑顔がこぼれた。
最後の直線で、ネイチャの声が聞こえていなかったら、自分は2着にもなれていなかっただろう。
それだけこの親友の存在は、クラスニーにとって大きかったのだ。
そんな、時だった。
「お、おいなんだよあれ」
「え?待ってどういうこと?!」
「なに?!何が起きてるの?!」
悪夢は、遅れてやってきた。
『なんということでしょう……!レース中盤から既に点いていた審議の青いランプですが……今、審議が終わりました!確定の着順が電光掲示板に表示されています……!とんでもないことになりました……!』
『そんな……こんなことは歴史上ありませんよ……』
異様な空気が、会場を包む。
会場は大混乱に陥っていた。
チームスピカの面々が、あまりのことに口を抑える。
スピカのトレーナーは、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
それは、カノープスのメンバーも同じ。
何が起こっているのかわからないといった様子で左右を見渡すツインターボと。
信じられないといった様子で目を見開くイクノディクタス。
そして同じく、混乱したまま電光掲示板を見つめることしかできないトレーナー。
「これは……!」
チームリギルのトレーナー、東条ハナも青ざめた表情で電光掲示板を見つめる。
しかしすぐに我を取り戻すと、ハナは携帯を取り出し、電話をかけた。
「ルドルフ。私は理事長の元にいってくる。全員その場で待機させておけ……!」
「……!はい!」
足早にその場を後にするハナ。
リギルのメンバーも、誰もが何が起こったかわからないといった表情で電光掲示板を見つめていた。
「ルドルフ……これって……」
「ああ……おそらくはスタートだろうが……それよりも心配なのは……」
ルドルフとマルゼンスキーが、今会場中が注目している電光掲示板へと目を向ける。
確かに、マックイーンが一着で駆け抜けた。
二着のプレクラスニーにおよそ7バ身もの差をつけた圧勝。
それは誰の目にも明らか。
しかし。
それなのに。
マックイーンを示す番号である13番は。
電光掲示板から
「え?」
大雨が、地面を叩く。
電光掲示板を前に茫然と立ち尽くす二人のウマ娘。
銀髪を濡らす二人が、ただただそこに立っていることしかできない。
1位には、プレクラスニーの番号、10番が無機質に示されていた。
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第7R 壊れた夢
東京レース場は、依然として大混乱に陥っていた。
レース場にしばらく正式なアナウンスはなく、ただただ電光掲示板に示された結果が全てだと言わんばかりに、無機質な数字が並んでいる。
圧倒的な強さを見せつけたメジロマックイーンを示す13番は無く、1位が入るはずの場所には、プレクラスニーの番号である10番が示されていた。
「おい!どういうことだよ!」
「説明しろ説明を!!」
「どうみたってメジロマックイーンが勝っただろうが!!」
混乱は感情の乱れを生む。
乱れは徐々に伝染していき……怒りや悲しみといった負の感情として連鎖する。
会場に来ているファンの多くは、メジロマックイーンを応援しに来ている。
仮にそうでなくても、メジロマックイーンにマイナスの感情を持っている者などほとんどいないのだ。
とすれば、この意味もわからない降着処分がどのような状況を生むことになるのかは、火を見るよりも明らかだった。
「まずいぞ……このまま何もしなければこれからのトゥインクルシリーズの運営に関わる……」
「でもいったいどうしたら……!」
チームリギルのメンバーも、あまりの緊急事態を前にうろたえている。
トレーナーであるハナに待機していろと言われた以上は待機するしかないのだが、この会場の大混乱を目の前にしては、何もせずに黙っていろという方が難しい。
「あの、何故メジロマックイーンさんは降着になったのでしょう?」
リギルの……とりわけ下級生を代表して、栗毛をロングに伸ばしたグラスワンダーがシンボリルドルフに問う。
審議を示す青いランプは、レース中盤から既に光っていた。
「……おそらくスタート直後の……メジロマックイーンの“斜行”だろうな」
「……斜行……ですか」
レースはその性質上、まずはゲートが開いて全員が真っすぐ走ることになる。
これによって普段は全員がある程度自分の走るスペースを確保することができ、そこから速度を各々が上げることによってレースを進行する自分の位置というものが決まるのだ。
しかし今回の天皇賞は、スタート直後にコーナーがあった。
これが、マックイーンにとっての罠だったのだ。
マックイーンはスタートダッシュを決めると、コーナーを有利に走れる内側を取るためにに、勢いよく内側に切り込んだ。
自身のスタート位置である外枠から一気に、だ。
当然マックイーンよりも内側でスタートしているウマ娘たちの進行を妨げることになり、一番被害にあったウマ娘がバランスを崩し転倒……レースを走り切ることはできたものの、圧倒的な最下位でゴールしている。
これが、他のウマ娘の進行を妨げた違反行為である……とそうみなされてしまったのだ。
「今回のレースはたまたまスタート直後にコーナーがあるコースだった……マックイーンはスタートで抜け出して良い位置を確保しようとしたのだろうが……悪意はないだろうが裏目に出てしまったな……」
ルドルフの解説を聞いて、リギルのメンバーもようやく合点がいった。
しかしそれは同じウマ娘である彼女たちだから納得がいくのだ。
一介のファンでしかない会場の人間が、その解説を聞いたとて、仮に頭では理解できたとしても感情としては到底理解できるものではないだろう。
ここにいる多くのメジロマックイーンファンは、彼女の天皇賞春秋連覇を信じて応援にきている。
そしてそれが、目の前で現実となったのだ。
少なくとも、あの時までは。
その結果がひっくり返されてしまうとあっては、ファンの怒りを抑えることは難しいだろう。
そういったことが容易に想像できてしまうから、シンボリルドルフは心中穏やかではなかった。
(メジロマックイーンは相当なショックだろう……そしてそれ以上に……)
レース場に目をやれば、未だに雨の中佇む一人のウマ娘の姿。
ただただ呆然と電光掲示板を見つめる彼女は、一体何を思うのだろうか。
理解ができなかった。
振り続ける雨も気にならず、ただただ結果が示される掲示板を見つめる。
(え……?)
あの時確かに、マックイーンは自分を交わしてトップに躍り出た。
圧倒的な速度で、力で。
あそこまでを見せつけられれば、クラスニーだって諦めがつくというもの。
むしろ次頑張ろうと、前向きな気持ちになれていたのだ。
それが、今はどうだ?
耳に入ってくるのは観客の怒号と悲鳴。
結果の撤回を求める声と、数々の非難。
何が起こっているのかを理解するのは、難しかった。
「プレクラスニーさん!勝利者インタビューありますので戻ってきてください!」
運営の者であろう人間に、声をかけられる。
頭は依然真っ白だが、促されるままにクラスニーは歩き出す。
隣にいたネイチャに映ったクラスニーの姿は、目は虚ろで、今にも折れてしまいそうな危うさを漂わせていて。
気付けばネイチャは立ち上がってクラスニーの名前を呼んでいた。
「クラスニー……クラスニー!」
呼び止めるネイチャの声が、プレクラスニーにようやく届く。
「……大丈夫……だから」
振り返った彼女の弱弱しい笑顔が、ネイチャの胸に強く突き刺さった。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
プレクラスニーは、夢を叶えた。
トゥインクルシリーズのウイニングライブで、センターで歌うという夢を。
しかしその夢は、酷すぎる記憶と共に語り継がれることになる。
「クラスニー!!!!」
舞台袖で待っていたナイスネイチャが、ライブを終えたばかりのプレクラスニーを抱き留めた。
普段から白い彼女の肌は、生気を失ってもはや青白くなってしまっている。
彼女の悲しみを受け止めるように、冷めきってしまった身体と心を温めるように、ナイスネイチャは泣きながらクラスニーを抱きしめる。
「ネイチャ……私、夢かなえたのかなあ……」
「ッ……!いいのよ……あんたは頑張った……頑張ったんだから……!胸張っていいの……!」
クラスニーの表情は見えない。
しかし、声が震えていることだけは確か。
ネイチャは思う。
こんなのが、結末であっていいはずがない。
クラスニーが、歌いたい、踊りたいと願った夢の舞台が、こんなものであるはずがない。
夢を信じて走り続けた少女の『心』を、ここで折っていいはずがない。
か細い声が、小さくネイチャの耳に届いた。
「ねえ、ネイチャ……」
抱きしめられていた身体をゆっくりと離し、ネイチャとクラスニーが、目を合わせる。
「……ッ……!」
ネイチャが、息をのんだ。
クラスニーの瞳に、光が無い。
ねえ。
愛しい親友のナイスネイチャ。
どうか答えて欲しい。
夢をかなえた今の私は。
「……上手に、笑えてるかな」
貼り付けたような笑顔が、あまりにも痛々しかった。
翌日。
先日から続く曇天が、トレセン学園に雨を降らせていた。
メジロマックイーンの降着。
プレクラスニーの繰り上がり一着は、トレセン学園中……いや、日本中に衝撃を与えた。
トゥインクルシリーズ始まって以来の大事件。
今まで違反によって降着処分になったウマ娘こそいたものの、トゥインクルシリーズのG1……それも一着で駆け抜けたウマ娘が最下位に落ちることなどなかった。
数々のメディアが、昨日の天皇賞を報道する。
『メジロマックイーン降着』
『悪夢の天皇賞』
『ウイニングライブ史上最低の観客数』
『幸運のG1ウマ娘現る』
メディアは好き好きに昨日の大事件を伝えていた。
渦中のウマ娘達が、どんな気持ちであったかなど考えることもなく。
チームスピカの部室にも、そんな新聞記事が数々並んでいる。
部室内の空気は、お通夜のように沈んでいた。
「わたくしのせいですわ……」
とりわけ、この事件の渦中にいたメジロマックイーンのショックは大きい。
違反走行で降着。
チームにも、そしてトゥインクルシリーズの歴史にも無いことをやってしまったのだ。
「で、でも、マックイーンさんは実際は一着だったんだし、次勝てば……」
そんな暗い雰囲気を少しでも明るくしようと、スペシャルウィークがマックイーンに声をかける。
しかしその声のかけ方は、今だけは逆効果だった。
「わたくしのことなど!!!どうでもいいのです!!!!」
聞いたことがないほどのマックイーンの声量に、部室にいた一同がたじろく。
マックイーンは両手で自身の顔を覆いながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「わたくしのことは……どうでもいいんです……けど、わたくしは……わたくしはッ……!クラスニーの夢を汚してしまった!!誰よりもあの舞台に憧れ、夢を追い続けていた彼女の夢をッ……!!!こんなつもりでは……!こんなつもりではなかったのに……!!!」
スピカの面々だって、プレクラスニーのことは少なからず知っている。
ライブで良いパフォーマンスをするために、テイオーにステップを習おうとしていたこと。
明るい彼女が、ウイニングライブという舞台に並々ならない想いを抱いていたこと。
それを知っているからこそ、昨日の悪夢は、悪夢と呼ぶにふさわしいのだ。
昨日の天皇賞、そのウイニングライブに訪れた観客は……レースに来ていた中のわずか100分の1にも満たなかったと言われている。
雨に打たれながら歌い続ける彼女の姿は、痛々しくてとても最後まで見ていられるものではなかった。
誰もがマックイーンにかける言葉が見つからず、口をつむぐ。
「……カノープスの……トレーナーさんの所に行ってきますわ……」
よろよろと立ち上がるマックイーンを、スピカの面々は送り出すことしかできない。
今、かけられる言葉はあまりに少ないのだ。
マックイーンがトレセン学園内の、とある部屋を訪れる。
ここはチームカノープスのトレーナーがいつも事務をこなしている部屋。
軽く2回ノックをしようとして……既に中で誰かと話していることを確認する。
中からは、よく聞き慣れた声。
まさかと思い、マックイーンが部屋の扉を少し開ける。
(……!)
マックイーンが驚きに目を見開いた。
そこには、スピカのトレーナーが地面に膝をついて頭を下げている姿があったのだ。
「すまなかった!!!!あれは俺の責任だ!!!!俺がマックイーンに内側のコース取りを指示してしまったがために!お前のチームのプレクラスニーの夢を、壊してしまった!!!責任は全て、俺にある!!!だからどうか、メジロマックイーンを責めないでやってくれ!!!」
(何をバカなことを……!)
スピカのトレーナーの頬はやせこけ、目元はクマで覆いつくされていた。
しかしそれは、カノープスのトレーナーにも、同じことが言える。
彼も同じく目にはクマがはっきりと見え、机の上には数々のエナジードリンクと、山積みにされた書類が置かれている。
おそらく、睡眠などろくにとれていないのだろう。
「……今回のことは、不幸な事故でした。誰が悪いわけでもない……プレクラスニーは、私の方でなんとかします。それが……トレーナーの役目ですから」
「すまなかった……本当に……!全ての責任は、俺にあるんだ……!」
何と言われても、スピカのトレーナーが頭を上げることはない。
確かにマックイーンにレース直後のコース取りを指示したのはスピカのトレーナーだった。
しかしそれは、一概に悪手と呼べるようなことでもない。コーナーを内側で迎えたいと狙うのは当然のことで、今回はたまたま、それがレース直後にあった。もう少し早くマックイーンが前に出れていれば、他のウマ娘の進行を邪魔することにはならなかっただろう。
それがわかっているからこそ、マックイーンは居ても立っても居られなくなったのかもしれない。
「いいえ、それは違いますわ」
「……!マックイーンお前いつから……!」
マックイーンがトレーナーの隣に立ち、深々と頭を下げる。
「悪いのは、わたくしです。もっとスタートを速く駆け抜けていれば……こんなことにはなりませんでした。わたくしからも、正式に謝罪をさせてください」
「違う……!マックイーンは悪くないんだ……!」
頭を深々と下げたまま目を閉じるマックイーン。
その姿を見て、カノープスのトレーナーは一つ、息を吐いた。
「もし、そうですね。謝罪をしてくれるというのであれば……メジロマックイーンさん。あなたはプレクラスニーさんを気遣ってあげてください。彼女とは……仲が良いんですよね?」
「……!」
「謝るべきは……僕じゃない。そもそも謝る必要すらないと思っているのですが……仮に謝らなければ気が済まないと言うのでしたら、その気持ちはプレクラスニーさんに伝えてください」
実の所、マックイーンはあの後クラスニーに声をかけられていない。
いや、かける言葉が見つからなかったのだ。
涙を浮かべて歌い続けた彼女の姿を、マックイーンは最後まで自身も泣きながら見届けることしか、できなかったのだ。
両手を、強く握りしめる。
「お願いします。メジロマックイーンさん」
カノープスのトレーナーが、頭を下げるマックイーンに言葉を続ける。
「プレクラスニーさんは今日……自室から一歩も出れていません」
マックイーンの胸が、より一層締め付けられた。
トレセン学園内を、マックイーンが歩いていく。
こんな時に限って、こそこそと話す噂話がマックイーンの耳に入ってきた。
「カノープスラッキーだねーこんな形でG1初勝利が転がり込んでくるなんて」
「でも恥ずかしくないのかな?あんなの誰がどうみたってトップじゃないでしょ」
「いいなあー私もなんでもいいからG1ウマ娘になってみたい~」
(うるさいうるさいうるさいうるさい……!!!)
学園内は昨日の天皇賞の話題で持ち切りだ。
トップクラスのウマ娘たちはこんな話はするわけもないが、どこにでもこういう噂好きというのは存在する。
そしておそらく、トレセン学園の外でも同じようなことが起こっているのだろう。
『プレクラスニーはメジロマックイーンの降着によってG1ウマ娘になったラッキーなウマ娘である』、と。
それが悔しくて仕方ない。
彼女の努力を近くで見てきたからこそ、彼女のことを『ラッキー』だけで済ませる輩がどうしようもなく許せない。
(でもわたくしは……わたくしは一体何と声をかければ……!)
彼女の夢を壊したのは、間違いなく自分の違反走行。
謝るとして、どんな顔をして謝ればいいのだ。
彼女はきっと、マックイーンの実力を認めてくれている。
そんな彼女に、6バ身もの差をつけて勝ったレースを謝るというのは、その行為自体が彼女に対する冒涜になるのではないか?
答えが出ない。
クラスニーの部屋へと向かいながら、様々な言葉がマックイーンの頭に浮かび上がっては、消えていく。
(わたくしが、彼女に示せる誠意は……!)
トレーナーの行動を、無駄にはできない。
彼女は覚悟を決めて、クラスニーの部屋へと向かうのだった。
外は雨が降っていた。
昨日と同じ、雨。
流れる雨音を聞き流しながら、クラスニーは膝を抱えて座っている。
午前中には、生徒会長であるシンボリルドルフが訪れた。
力なく返事をするクラスニーに、彼女はできる限りの助力はする、と優しい言葉をかけてくれた。
(私は……これから何を目標に走ればいいんだろう)
幼い頃からの夢。
憧れのウイニングライブは、クラスニーにとってあまりにも酷なものだった。
夢を叶えたはずなのに。今クラスニーに残っているのは、やり場のない悲しみと、虚しさだけ。
コンコン、と部屋の扉をたたく音に、わずかにクラスニーの耳が動く。
「クラスニー……朝から何も、食べてないでしょ?もしよかったら、学食行かない?」
このトレセン学園に入って一番言葉を交わした親友の声が、扉の外から聞こえてくる。
「ありがとう……でも、大丈夫だから」
とてもか細い、声。
いつも明るくて、元気を振りまいていたクラスニーの姿は、今はない。
「クラスニー、ここ、開けてもらえるかな?」
「……うん」
ゆっくりと、部屋の扉が開く。
ネイチャが部屋に入って見たクラスニーの姿は、とても弱弱しいものだった。
クラスニーのベッドに、二人して腰掛ける。
クラスニーの目元には、泣き腫らした痕がありありと残っていた。
数秒の無言があって、ネイチャが口を開く。
「テイオーね、菊花賞出れないって」
「え……」
「まあ、考えてみれば、当たり前よね!あんな時期に、怪我したんだもの……」
トウカイテイオー、菊花賞欠場。
無敗の三冠ウマ娘がかかっていた彼女だったが、最後まで骨折は快復することがなく、やむなく菊花賞の出場を断念したという。
「そんな……ネイチャと、私の……夢が……」
せめてナイスネイチャの夢だけは。
自分の夢は思いもよらない形で瓦解してしまったけれど、ナイスネイチャにだけは夢をしっかりとかなえてほしいと思っていたクラスニーは、次々と起こる不運に、思わず顔を覆ってしまった。
どうしてこんな不運が重なるのだろう。
自分が一体何をしたって言うのだろう。
涙はとめどなく溢れ続け、クラスニーの両手を濡らす。
しかし、ネイチャから出てきた言葉は、クラスニーの想像とは違う物だった。
「でもね。私、走るから」
「……!」
覆っていた手を外し、隣にいるネイチャの横顔を見る。
テイオーと戦うためにここまでのレースを勝ってきたのだ。
テイオーの欠場がどれだけ悔しい事なのか、クラスニーにとっても想像するに余りある。
プレクラスニーと同様に、勝っても『トウカイテイオーがいなかったから』で済まされてしまう可能性があるのだ。
だというのに、目の前の少女は全くブレていない。
自分の走りを貫くことに、躊躇がない。
「だから……だからクラスニー。菊花賞、必ず見に来て。私、頑張るから」
「ネイチャ……」
ネイチャの情熱に、優しさに、笑顔に……。
雨で冷え切っていた心が、徐々に温まっていくような、不思議な感覚。
「じゃ、私行くね。ご飯は、しっかり食べるんだよ」
「うん……」
きっとネイチャは今から練習に行くのだろう。
今はまだ、踏ん切りはつけられないけれど、ネイチャの言葉で少し、クラスニーは気分が楽になっていた。
ネイチャの後ろ姿を見送って、彼女は扉を閉めようとする……その瞬間。
閉じかけた扉が、一人の少女によって止められる。
「クラスニー」
「……!」
そこには、マックイーンの姿があった。
二人の間に訪れる、わずかな静寂。
意を決したように、マックイーンが切り出した。
「まずは謝罪をさせてください。わたくしのせいで……あなたには辛い思いをさせました」
「……マックイーンが悪いわけじゃないよ」
昨日の悲劇は、誰が悪いわけでもなかった。
マックイーンの斜行は、不運な事故。
それがわかっているからこそ、クラスニーはこの気持ちをどこにぶつけていいのかわからないのだ。
「ありがとう、ございます……そしてクラスニー、無理を、無理を承知で言わせてください」
マックイーンの瞳が揺れている。
親友でありライバルであった彼女たちの関係は、この2日間で過酷な運命に晒された。
それでも尚、今までの積み重ねが消えたわけではない。
マックイーンの出した、プレクラスニー対する誠意。
その答え。
「わたくしと、もう一度……もう一度走ってはくれませんか……!」
「……!!」
嗚咽混じりの彼女の言葉は、クラスニーの心に強く響いた。
昨日で止まっていた時間が、ナイスネイチャとメジロマックイーンの言葉で、ゆっくりと動き出す。
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第8R 帝王不在の菊花賞
トウカイテイオー、菊花賞欠場。
先日のマックイーンの降着処分からおよそ2週間。
ぎりぎりまでリハビリをしていたトウカイテイオーだったが、快復には至らないと判断し、出走をとりやめ。
皇帝シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘という夢は泡と消えた。
トウカイテイオーを応援していたファンは悔しいであろうし、トウカイテイオー本人はもっと悔しいだろう。
そしてもう一つ。
菊花賞でトウカイテイオーを倒すと意気込んでいたウマ娘たちも、人知れず悔しさを抱えていた。
11月13日。
悪夢の天皇賞秋からおよそ2週間ほどが経ち。
マックイーンの降着処分で持ち切りだった話題は、トウカイテイオーの菊花賞欠場という事件に上書きされていた。
今日はその、菊花賞が行われる日。
本来であればトウカイテイオーが無敗の三冠ウマ娘になれるかもしれなかった場所で。
そのトウカイテイオーが不在とはいえ、会場には多くのファンが詰めかけていた。
「トウカイテイオーがいればなあ~!完全に一強だったのにな!」
「いや見たかったよ無敗の三冠ウマ娘!」
「今トウカイテイオーに勝てるウマ娘なんかいないだろ!」
会場に来たファンの中には、やはりトウカイテイオーを求める声が多い。
トウカイテイオーの実力と知名度からしても、それは仕方ないことなのではあるが。
(……)
そんな中を、目深にフードを被ったプレクラスニーが歩いていく。
なるべくなら今はファンの声は聞きたくない。
(ネイチャも、こんな気持ちだったのかな……)
自分の近くで、自分の親友が軽視される。
その悲しみは、とても測り知れない。
きっとナイスネイチャは、もっと多くの負の感情を受けるクラスニーの姿を、目の前で見てしまったのだろう。
パドックが見える外側のエリアを抜け、観戦席の最前列へと向かう。
そこにさえ行ってしまえば、余計な声は聞かなくて済むと思ったから。
(ネイチャ……大丈夫かな)
時刻は昼過ぎ。
帝王不在の菊花賞は、間もなく始まろうとしていた。
同時刻。
今回の菊花賞の主役になるはずだったトウカイテイオーは、スピカのトレーナーと共にレース場を訪れていた。
自分が走るはずだった場所。
自分が無敗の三冠ウマ娘になるはずだった場所。
様々な想いが、テイオーの胸を渦巻く。
「……連れてきてくれて、ありがとね」
「……ああ」
スピカのトレーナーも、秋の天皇賞以降まともに休めていない。
とはいえ、テイオーをおろそかにするわけにもいかず、結局ギリギリまでテイオー復活の道を諦めなかったトレーナー。
その身体は度重なる心労と激務で悲鳴を上げていた。
それでも、この菊花賞にテイオーを連れてくることだけは決めていた。
自分が走れないことは悔しいだろうが、きっとこのレースを見ることは、テイオーの成長になると思ったから。
とはいえ、いつもの明るい雰囲気とは裏腹に、もの悲しそうにレース場を眺めているテイオーを見ると、トレーナーも胸が苦しくなる。
「テイオー!なんか食うか?……奢ってやるよ」
そんな雰囲気を払拭するかのように、少し大きめの声でトレーナーがテイオーに声をかける。
テイオーは少し驚いたように耳を動かして……そしてトレーナーのやさしさに気付いたのかゆっくりと目を閉じた。
「じゃあ……にんじん焼きと、にんじんジュースと、チョコバナナ」
「おいおい、ちょっとは遠慮しろよ」
「……おねがい」
苦笑いでテイオーの方を見るが、レース場の方に向けた視線を動かさないその様子を見て、トレーナーは諦めたように歩き出す。
「……待ってろ」
テイオーをその場に残して、トレーナーが売店のある施設内へと戻っていった。
もう少しでレースが始まるかという時に……テイオーは少し横に見知った顔がいたことに気付いた。
(あれは……)
誰か分かった途端、テイオーはトレーナーに待っていろと言われたことも忘れて走り出す。
少し距離があったが、人の波をかきわけて、テイオーはその人物の元へたどり着くことができた。
白い肌に銀の髪の毛が特徴の、ウマ娘。
「……プレクラスニー」
「……!……テイオーさん」
メジロマックイーンとの天皇賞で、彼女は悲劇に見舞われた。
今はめだたないようにフードを目深に被ってレース場を眺めている。
「ネイチャの、応援?」
「そう……ですね」
暗い空気が二人の間に沈黙を作る。
片や降着処分によっていわれのない被害を受け、片や期待されていた無敗の三冠ウマ娘を怪我という形で逃す。
立場は違えど、お互いが苦しい状況にいることは確かだ。
「今回は、残念でしたね……足、治らなかったのですね」
「うん……走れるは走れるんだけどね。全力ってわけにはいかなくって」
走りたい気持ちはやまやまだった。
最後まであきらめていなかったし、多少無理でも出走する気だった。
しかし、テイオーにはトレーナーとの約束があったのだ。
ぎりぎりまで粘って、その時医者からOKをもらえなかったら……菊花賞出走を諦めるという約束。
大変な時期なのに最後まで自分のことを考えてくれたトレーナーのためにも、自分勝手なことはできない。
それがテイオーの結論だった。
「プレクラスニーも、その……大変……だったよね」
「そう……ですね」
テイオーがリハビリに明け暮れる中、悲劇は起きた。
テイオーはそのレースを生で観ていたわけではなかったが、あの時トレセン学園中が異様な空気になったことは今でも覚えている。
あの雰囲気は、スズカが怪我をした時とよく似ていた。
誰が悪いわけではない、不運による悲劇。
「……マックイーン、泣いてた」
「……」
「大好きな親友でありライバルの夢を、汚してしまったって。普段あんな感情を表に出さないマックイーンがあれだけ泣いてるの、初めて見たよ」
「……私のところにも、来てくれました。もう一度、私と走って欲しいって……そう言ってくれました」
「そっか……なんて答えたの?」
「それは……」
プレクラスニーがわずかに言い淀む。
その瞬間。
ファンファーレが鳴り響いた。
「あ……」
クラスニーがわずかに声をこぼす。
レース場を見れば、真剣な表情で意識を集中させる、ナイスネイチャの姿があった。
ネイチャがあの日、絶望に暮れていた自分にかけてくれた言葉を思い出す。
『菊花賞、必ず見に来て。私、頑張るから!』
(ネイチャ……頑張って……!)
クラスニーが、顔の前で両手を握りしめる。
自分の果たせなかった、途中で壊れてしまった夢を、ナイスネイチャに託す。
それが今のクラスニーの想いだった。
その隣でテイオーが、クラスニーと同じようにゆっくりとレース場へ目を向ける。
(あぁ……)
自分が出るはずだったレース。
自分が夢をかなえるはずだったレース。
そのレースが今、目の前で。
『今!ゲートが開きました!一斉にスタート!きれいなスタートになりました!』
(はじまっちゃった……)
一つの夢が終わってしまったことを、テイオーは今自覚する。
胸に湧き上がってくる気持ちは、なんと形容すれば良いのかわからない。
自然と、無意識に。
口が開いていた。
「ぼくだったら、ここで中団につく」
「テイオー……さん?」
小声で呟かれたその言葉の意味を、クラスニーは一瞬理解ができなかった。
「そこで様子を見る……横にはダービーで競ったあの子がいる。ネイチャは後ろにいる……きっと僕を追ってくる」
紡がれる言葉は、テイオーが描く『もしもの世界』。
レースに出たかったという抑えきれない想いが、無意識に彼女から溢れていた。
「ここまでは我慢。この次のコーナーで仕掛ける」
18人が固まって、最終コーナーへと差し掛かった。
未だに横に広い集団は、最後まで誰が勝ってもおかしくない、そんな展開。
「ここからぎゅーんって追い上げる……!先頭に、立つ……!誰も僕に……追い付けない……!」
「……テイオーさん……」
溢れた言葉が、徐々に震え出す。
テイオーの瞳には、次から次へと涙が溢れていた。
クラスニーはそんなテイオーを見てふと、気付く。
あの悪夢の天皇賞秋。
あの時、悔しかったのは、きっとマックイーンも同じ。
彼女が流した涙は、きっと今この隣にいるテイオーと同じ。
テイオーはこの悲しみを乗り越えて、前に進もうとしているのだ。
マックイーンも、もう一度クラスニーと走りたい、そう言ってくれた。
マックイーンも、前に進もうとしている。
じゃあ、私は?
「会長……!悔しいよ……!」
「……!」
彼女はいつも強くて、明るくて、無敵で。
そんな印象を勝手にもっていた。
しかし、それは違う。
彼女も一人のウマ娘なのだ。
涙をこぼすテイオーとクラスニーの前に、先頭集団がやってくる。
大きく響く地面を踏み鳴らす音。
と、同時に、もう一つの声が、強い想いが、聞こえてきた。
それは今菊花賞を走るウマ娘たちの、“叫び”だった。
『言わせない言わせない言わせない言わせない!!!!テイオーが出ていればなんて、絶ッッ対に言わせないッ!!!』
『テイオーに負けるもんか!!』
『私達の方が上だ!!!』
『上なんだあああああああッ!!!』
迸る想いが、気持ちが、テイオーの胸を打つ。
そして次の瞬間、クラスニーにも確かに聞こえたのだ。
ナイスネイチャの“叫び”が。
『カノープスの……!クラスニーの勝利がラッキーだなんて………絶ッッッ対に、言わせないッ!!!!!!』
友の声が、胸に響いた。
「ネイチャ……!」
とめどなく溢れる、涙。
今ナイスネイチャは、想いを乗せて走っている。
『カノープスの夢』を乗せて走っている。
「「行け……」」
どちらからだっただろうか。
ほぼ同時だったかもしれない。
二人は自然に、声が出ていたのだ。
「いけえ!!!!!走れええええええええ!!!!」
「いけええ!!!!ネイチャあああああああああああっ!!!!!」
勝負はラストスパート。
最後の直線を18人のウマ娘が駆け抜けていく。
ゴールは、すぐそこだった。
『リオナタール!!!勝ったのはリオナタール!!!今1着でゴーーーーール!!!!大混戦となった菊花賞を制しました!!!!』
ナイスネイチャは、4着だった。
「ネイチャ!!!!!」
気付けばクラスニーは飛び出していた。
戦いを終えた親友の元へ、駆け出していく。
そんな様子を見て、テイオーは笑みをこぼした。
「頑張ってね、クラスニー。私も……頑張るからさ」
大きく息を吸って、改めてテイオーは、レースを終えたウマ娘たちを見る。
「ズルいよ皆……かっこよくなっちゃってさ」
自分が出られなかった菊花賞。
それでも間違いなく、観客の盛り上がりは凄まじいものだった。
テイオーが出ていれば……なんて話をする人間は、この会場に来ていた者ならほとんどいないだろう。
芝の上に、仰向けで寝転がる。
荒い息を整えながら、涙を浮かべてナイスネイチャは悔しがった。
「クソおおおお!!!」
届かなかった。
絶対に一着になると意気込んで挑んだ菊花賞も、トップをとることはできなかった。
親友のプレクラスニーのためにも、カノープスのためにも。
天皇賞のクラスニーがただのラッキーだなんて言わせないために、同じカノープスの自分が勝たなければいけなかったのに。
G1初勝利を、チームに持ち帰らなければいけなかったのに。
「ネイチャ!!!!」
涙で歪んだ視界に映ったのは、よく知る親友の顔。
「……クラスニー……来て、くれたんだね」
「すごいよネイチャ……本当に、かっこよかった……!」
「ははは……ダサいなー、私……一着、とらなきゃ、いけなかったんだけどな……」
「ダサくなんかない……!ネイチャの走りは、私に……私に勇気をくれたっ……!」
天皇賞秋のあの日から止まっていた時間。
なんのために走ればいいのか、クラスニーはわからなくなっていた。
しかし今日、ナイスネイチャの走りを見て、クラスニーは覚悟を決める。
「私……走るよ……!諦めたくないッ!憧れの舞台で踊る夢を……諦めたく……ない!」
「ははは……よかった……いつものクラスニーじゃん」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、二人が笑い合う。
そうだ、もう一度ここから始めよう。
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第9R 再始動
特殊OPで大興奮しておりました。鬼が宿ったライスシャワーは良いぞ……。
アプリもついに始まりましたね!ナイスネイチャの育成が難しくで手間取っております……。
このお話はあと2話ほどで終わりなので、ライスシャワーが出てくるところまではいきませんが……もしかしたらおまけでライスシャワーとの絡みも書くかもしれません。
菊花賞から一夜明けて。
トレセン学園の芝のコースに、明るい日差しが照り返している。
実にトレーニング日和な気候。
多くの生徒達がコースやトレーニング施設にて身体を動かす中、ある一つのチームは部室でミーティングを行う運びとなっていた。
『カノープス』と書かれた部屋の前。
芦毛のウマ娘が、大きく息を吐いた。
(……もう一度、ここから始めよう。ネイチャが、皆が勇気をくれた。絶望するのは、まだ早いよね)
GⅠのウイニングライブ。そのセンターで踊るという夢。
プレクラスニーが幼い頃から抱いていたその夢は、一度残酷な運命に切り裂かれた。
数々の非難と罵声がこの身を焼いたことを、今でも昨日のことのように思い出せる。
……もっとも、とても思い出したい光景ではないが。
それでももう一度目指してみようと思えたのは、ひとえに仲間の存在があったから。
「トウカイテイオーと走って、勝つ」という目標を掲げていたナイスネイチャは、トウカイテイオーが怪我によってレースを回避するというアクシデントによって挑戦することすらかなわなかった。
それでも、彼女は走った。力の限り走った。
「トウカイテイオーがいない菊花賞なんて」と言っていたファンたちは、そのレースを見て考えを改めた。
そんな、観る者を魅了する力強い走り。
ネイチャのその姿を見て、自分だけ立ち止まってなど、いられなかった。
ドアノブに手をかける。
しかし瞬間、クラスニーの身体全身を、負の感情が走る。
もう一度走ると覚悟を決めたとはいえ、やはり走るのは怖い。世間からの風評が、どれだけ酷いことになっているかを知っているから。
ここを開けたら、もう一度あの表舞台に戻るということだから。
少しだけ恐怖によって固まってしまったクラスニー。
しかし、扉の向こうからなにやら声が聞こえてきて、ふと、顔を上げる。
どうやら、もう集まっているメンバーで会話が進んでいるようだった。
「打倒スピカを達成するために!!クラスニーの力はぜったいに必要である!」
「なるほど。それは何故ですか?」
「何故って……トウカイテイオーはネイチャが倒す!メジロマックイーンはクラスニーが倒す!他のメンバーは全員ターボが倒す!!ほら!これでスピカ倒せたでしょ!」
「なによそのとんでも理論……しかも私がテイオーに勝つ前提なの……?」
「なるほど。過程はよくわかりませんでしたが、クラスニーさんの力が必要であるということに関しては概ね賛成です。クラスニーさんのレースへの姿勢や努力は見習うべき点が多いですからね」
「ま、それには私も賛成かな~」
扉の外まで聞こえてくる仲間達の会話。
その内容を聞き届けて、クラスニーがドアノブに伸ばしていた腕に、ぽつり、と水滴が落ちた。
(あれ……)
仲間の温かさに触れて、思わず感情が昂ってしまった。
慌てて、クラスニーが目元を拭う。
こんな情けない顔でチームメイトに会うわけにはいかない。
あくまで笑顔で。
もう一度だけ呼吸を整えて、クラスニーがドアを開ける。
今度は何故か、自然と扉を開けることができた。
「あ!クラスニー!!」
「クラスニーさん!」
見慣れた部室。
目に飛び込んできたのは、おそらく笑っているクラスニーらしきウマ娘のイラストと、その横に「クラスニーに元気になってもらう大作戦」と大きな文字で書かれているホワイトボード。
その前に、満面の笑みで腕を組むツインターボと。
机の左側で立ち上がって迎え入れてくれるイクノディクタス。
右側には、頬杖をついて笑顔で手を振るナイスネイチャ。
そして、ホワイトボードの奥。
カノープスの部室には、変わらず、“目指せGⅠ初勝利”の横断幕。
「「「おかえり(なさい)!」」」
ああ、本当にこのチームで、良かった。
「ただいま戻りました……!」
プレクラスニーは、笑顔でそう思うのだった。
ひとしきり会話をした後、トレーナーが部室へとやってきて、資料を配る。
「さて、我々の目標は変わらずGⅠでの勝利です。つきまして、皆さんに目指していただく舞台は……」
「……有馬記念」
トレーナーが言い終わるより早く、ナイスネイチャがそのレースの名前を口にした。
『有馬記念』。1年の締めくくりに行われる芝2500mのGⅠレースであり、他のレースとの大きな違いは、主な出走ウマ娘は人気投票によって選ばれる、ということ。
「今年の活躍度合いからして、プレクラスニーさんとナイスネイチャさんはまず間違いなく出走が可能です。イクノディクタスさんは少し厳しいかもしれませんが……ツインターボさんは出れるかもしれません」
「やったー!!ターボ出る出る!有馬記念出るー!!」
「ええ……いつのまにそんな実績作ってたのよあんた……」
「ターボね、ちほーで頑張ってたんだから!ちほーで!」
今年デビューしたばかりのツインターボだったが、デビューからここまで一貫して「スタート直後の大逃げ」を貫いてきた結果、ターボの走りを応援するファンも多くなっていた。
時に快勝し、時に完敗する。
彼女の性格通りの浮き沈みの激しいレース展開に、心を動かされる者は少なくなかったのだ。
「私が出られないのは残念ですが……お三方が万全の状態でレースを迎えられるよう、全力でサポートさせていただきます」
「うん、ありがとうイクノ!」
残念ながらイクノディクタスは実績人気共にまだ有馬記念には足りず、出走は厳しい。
イクノディクタス自身もそれを分かっているからこそ、今回はサポートに徹すると決めてくれたようだ。
そしてトレーナーが、一枚資料をめくりながらメンバー全員に続ける。
「そして、間違いなくこの有馬記念には……メジロマックイーンさんが出走します」
「……!」
「まあ、そりゃそうだよねえ」
メジロマックイーン。
今年を代表するウマ娘であり、史上最高のステイヤーと名高いウマ娘。
今年を締めくくる有馬記念というGⅠレースに、彼女が出てこないということはあり得ない。
人気、実績共にトウカイテイオーと並んで今年1番のウマ娘なのだから。
「……また、走れるんだ」
「……クラスニー、大丈夫?」
拳を握りしめたプレクラスニー。
あんなことがあった後なのだ。マックイーンとまた走ることの意味は、本人が一番よくわかっているだろう。
「うん!大丈夫!それに今回はネイチャとターボちゃんがいるんだもん。こんなに心強いこと、ないよ」
クラスニーの瞳には、闘志が戻っている。
あの日吹き消えてしまったかに見えた炎は、今また更に大きくなって戻ってきた。
「よーし!そうと決まれば!ターボとネイチャとクラスニーでウイニングライブだね!!」
「うんうん!カノープスでワンツースリーフィニッシュ目指して頑張ろう!」
「え、いや、流石にそれはちょっと……」
「そうと決まればカラオケで特訓だー!歌うぞー!!」
「特訓だー!!」
「はあ……私が有馬記念で歌えるとは思えないケド……特訓だあ~」
「私もお供します!」
ターボ、クラスニー、ネイチャ、イクノの順で次々に部室を飛び出す。
眩しい光の中に、ウマ娘たちが駆け出していく。
カノープスの夢は、有馬記念に向かって動き出していた。
「あの……できればトレーニングを……」
トレーナーの悲痛な声は、残念ながら誰にも届かなかった。
12月。
有馬記念が一週間後に迫ったこの時期。
カノープスのメンバーは最終調整に差し掛かっていた。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
芝のコースを、2人のウマ娘が駆け抜けていく。
地面を力強く蹴りながら前進するその2人に周りの視線が集まっているのは、間違いなくそのウマ娘2人の状態が上がってきている証拠。
コースの直線。その丁度中間あたりでイクノディクタスがストップウォッチを持って立っている。
2人が丁度同じタイミングでイクノディクタスの前を通過し、その瞬間にイクノディクタスがボタンを押してストップウォッチを停止させた。
「クラスニーさん、良いタイムです。ネイチャさんもこれはベストに近いのでは……?」
駆け寄ってくるイクノディクタスの声を聞きながら、2人が芝に膝をついて息を整える。
「マジ、か……にしても、やっぱ、クラスニー速いわ……」
「いや、ネイチャ後半強すぎ!引き離せないどころか抜かれるところ、だったよ……!」
先に立ち上がったネイチャが、クラスニーの手を引いて立ち上がらせる。
ネイチャとクラスニーの実力は拮抗していた。
最近のネイチャの伸びには目を見張るものがあり、ファンの中でも、マックイーンが有馬記念で負けることがあるならナイスネイチャではないかと言われているほど。
ネイチャは自分ではそんなこと全く思っていないが、彼女の努力は、確実に実を結んでいた。
「よし……私は少し休んだらもう一本行ってくるね」
「うへークラスニーはやる気満々だねえ……若いもんの元気には勝てませんわい」
「私の方が一応年上なんだけど……?」
ベンチに腰掛けてタオルで汗を拭くネイチャを残し、もう一度プレクラスニーがコースへと向かう。
時間はいくらあっても足りない。
有馬記念に勝つためならなんでもする。それだけの覚悟が、今のプレクラスニーには宿っていた。
呼吸を整えつつ、スタート地点までジョギングで戻ろうとして……。
スタート地点にいる1人のウマ娘を確認して、その足を止めた。
思わず見とれてしまうほどの艶やかな銀髪を背中に流す、そのウマ娘を知らない者は、今この学園にはいない。
「マックイーン……」
メジロマックイーンだった。
あの日残酷な運命に裂かれた2人が、正面から相対する。
冬の北風が2人の間を通り抜けた。
マックイーンが静かに、頭を下げる。
「クラスニー。もう一度……もう一度勝負する権利をくださいませ。今度こそ……必ず、あなたと最高のレースにしてみせます」
「権利だなんて、そんなのは、無いよ。私も、もう一度マックイーンと正々堂々勝負したい。今は心から、そう思うから」
「クラスニー……!」
「だから、全力で来て。あの日届かなかったマックイーンの背中に、今度は必ず、届いてみせるから」
「ええ……ええ!必ず、私の全力でレースに臨むと約束します……!」
あの日から、クラスニーへの負い目が消えなかったメジロマックイーン。
しかしそれも今、クラスニーの言葉によってなくなった。
今マックイーンにできることは、全力で有馬記念に臨むこと。
そう、わかったから。
「こうしてはいられませんわ……!トレーナーさん!あと3本行きますわよ!」
マックイーンが駆け出していく。
本当に次のレースを楽しみにしてくれていることがよくわかるほど、マックイーンの表情は明るい。
「私も、全力で臨まなきゃね」
「おーおー、熱いですなあ」
「ネイチャ?休んでるんじゃなかったの?」
志を新たにしたクラスニーの後ろには、さきほどベンチに残してきたばかりのネイチャがジャージ姿で立っていた。
「あー、まあ、なんだろ。こーゆーのガラじゃないってわかってるんだけどさ。有馬記念……私もマックイーンに勝ちたいんだよね」
「ネイチャ……!」
「あーやめやめ!その表情!別に私そういうんじゃないから!私は平々凡々、そこそこの成績が似合ってるわけよ!高望みしすぎると、バチ当たっちゃうからね」
赤面したネイチャが、クラスニーの視線から逃れるように後ろを向く。
(知ってるよ……自己評価は低いネイチャだけど、誰よりも努力できる人だって、私は知ってるから)
ネイチャがいなかったら、自分はここにこんな気持ちで立ててはいないだろう。クラスニーは素直にそう思っていた。
だから、自分と同じように、マックイーンを倒したいとそうネイチャが言ってくれたことが、とても嬉しかったのだ。
「じゃあまず、私に勝たなきゃ……ね!」
「あ、ちょっと?!フライングずるいぞー!!」
勢いよく駆け出したクラスニーに続いて、ネイチャもスタートを切る。
この日何本目かもわからないレース。
勢いよく流れていく景色を眺めながら、クラスニーは思う。
(チームメイトがいて、親友がいて、ライバルがいる。不幸だなんてとんでもない。私は、幸せ者だ)
(だから、勝つよ。私の目標を叶えるため。カノープスの夢を叶えるため。そして……支えてくれた皆のためにも)
後ろからは、背中を後押ししてくれた大好きな親友がいて。
レースに出てくるのは、入学してから何度もレースを共にした、ライバルがいる。
クラスニーのギアが上がる。
今間違いなくクラスニーは最高の状態にあった。
決戦の日は近い。
一度壊れた夢でも。
もう一度走りだせると証明しよう。
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第10R 有馬記念決戦
有馬記念を明日に控えた決戦前日。
プレクラスニーはまだ日が出る前の早朝からトレセン学園内のコースへ足を踏み入れていた。
季節は冬真っ盛り。冷たい風が、突き刺すように芝のコースを駆け抜ける。
(体調も、気力も、充実してる。今日は早く休まなきゃだから午前中にしっかりトレーニングをしよう)
決戦は明日。
ここ数日は1秒たりとも無駄にしないという心意気でトレーニングに臨んでいたプレクラスニー。
その甲斐あってか、自分でもわかるほどに、今の状態は今までで経験したことが無いほど最高に仕上がっていた。
芝のコースに荷物を降ろし、軽く屈伸運動。
ウマ娘にとって怪我は天敵。今まで何人ものウマ娘たちがオーバーワークやレース中の不幸で怪我を負い、引退を余儀なくされている。
準備運動とトレーニング後やレース後のケアは、おろそかにすることのできない大切な行為なのだ。
腕周りもほぐし終わったところで、軽く2、3回ジャンプして足の状態を確かめる。
(うん、足が軽い。今までで一番いい状態だ)
準備運動を終え、軽いジョギングへ。ペースは決して早くないが、徐々に体を慣らしていくことが大切だ。
ジョギングを始めて少し。最初のコーナーを曲がろうとしたところで、視界に1人のウマ娘が入ってくる。
「いやー朝早くからトレーニングとは、クラスニーは若いねえ……」
「……そういうネイチャは、こんな朝早くから何しに来たの?」
「あー、それを言われちゃうと返す言葉がありませんで。……ってことで、私も一緒に走っていい?」
ナイスネイチャ。
クラスニーの親友であり、今度の有馬記念を共に走るライバルだ。
自己評価が低く、自分は主役になれないと常日頃から口走るネイチャだったが、クラスニーはそうは思わない。
誰よりも努力ができて人を想うことができるウマ娘。それがネイチャだ。その証拠に、今日もこうして朝早くからトレーニングに来ている。
もちろん、と笑顔で答えたクラスニーの隣に、ネイチャが加わる。
ジョギングをしながら、ネイチャも上半身のストレッチを準備運動代わりとした。
「いよいよ、明日だね」
「……そうだね」
「緊張してる?」
「そりゃあしてないって言ったら嘘になるけど」
そう言って、少し視線を下げるクラスニー。
よく整備されている芝のコースは、蹄鉄をつけていなくても非常に走りやすくなっていた。
早朝のトレセン学園に、2人の小刻みな息遣いだけが小さく響く。
思い返すのは、あの悪夢の天皇賞。
ガラガラのスタンドで、震えた声で歌い続ける自分の姿。
同じような事態になる可能性は低いとわかっていても、あの光景は脳裏に焼き付いて離れない。
それでも。
「今回は、ネイチャもいる。……ターボちゃんもいる。皆がいれば、怖くないよ」
「ありゃー……随分と信頼されちゃってるなあ……私そういうの慣れてないんだけどなあ」
「あれだけ私に元気をくれておいて、今更説得力ないよ~?」
「あーやめやめやめ!むず痒いからやめてそういうの!うおおおお~走るぞ~~!!」
羞恥心に勝てなくなったナイスネイチャが、コースを駆け出していく。
その様子を眺めて、ふふふとクラスニーが笑顔になった。
その日の昼。
午前中の授業を終え、それぞれがトレーニングへと向かっていく。
プレクラスニーも、軽い調整だけ行う予定だったため、チームカノープスの部室からコースへと向かおうとしていた。
その道中。
「ク~ラちゃん!」
「うわッ?!」
そんなプレクラスニーの両肩を後ろから掴む影。
驚いて振り向くと、そこには底抜けに明るいウマ娘、ダイタクヘリオスの姿。
「びっくりした!ヘリちゃんか~」
「あはは!クラちゃんビビりすぎっしょ!どう~テンション上がってる~?」
ヘリオスにとって、テンションは「調子」と同義だ。
そして今ダイタクヘリオスに調子はどうか、と聞かれて、一つの事実を思い出す。
「そっか……ヘリちゃんとも、また勝負なんだね」
「え~?!マジ今更すぎっしょ!?次こそはウチがクラちゃんをブッチ切っちゃうから、ヨロ~?」
彼女の言葉は相変わらず軽めのノリだ。
しかし、言っている言葉がハッタリなどでは決してないことは、はっきりと分かる。
彼女もトレーニングを積み重ねてきているのだ。油断などできようはずもない。
「……うん!ヘリちゃんと走るの、楽しみにしてるね!」
「モチのロン!そんじゃウチ行くね~!」
くるりとその場で器用にターンしたかと思うと、ヘリオスはコースの方へと駆け出していく。
彼女が主にとる戦法は「逃げ」。明日も「逃げ」で来るかはわからないが、想定はしておくべきだろう。
(マックイーンがいて、ネイチャがいて。ターボちゃんもいるし、ヘリちゃんもいるんだ……)
クラスニーの身体が、小さく震える。
それを抑えるように、クラスニーが右腕で自身の身体を握りしめた。
(楽しみ……!私、今明日を楽しみだって思えてる……!)
もう、レースに出たくないとさえ思った。
夢は一度、粉々に砕け散った。
それでも、こうして今、とても前向きにレースに挑むことができている。
それは間違いなく、支えてきてくれた周りの人達のおかげで。
そしてこの1年間を締めくくる大舞台のレースで、支え続けてくれた人たちと一緒に走れる。
その事実に、クラスニーは興奮を隠しきれなかった。
そしてそんなプレクラスニーの様子を、校舎の一角、生徒会室から眺めるウマ娘が一人。
その快活なウマ娘はひとしきりクラスニーの様子を眺めた後、後ろの少し豪華な椅子に腰かけるこのトレセン学園の生徒会長へと声をかけた。
「かいちょー!プレクラスニー、有馬記念楽しみだね!」
「ああ。そうだな」
トウカイテイオーと、シンボリルドルフ。
帝王と皇帝。
シンボリルドルフを慕うトウカイテイオーは、こうして生徒会室に顔を見せることが頻繁にあった。
「一時はどうなっちゃうかと思ったけど……こうしてまた走ることができて、ほんとーに良かったね!」
「ああ……」
テイオーのその言葉を聞いて、ルドルフは一度資料から目を離し、お気に入りの万年筆を机の上に置いた。
少し間があって、唐突にシンボリルドルフはトウカイテイオーに問う。
「……なあテイオー、何故私達は、つまづき、挫けたとしても、もう一度立ち上がれるのだと思う?」
「え?どういうこと?」
「例えば天皇賞秋のサイレンススズカ。テイオーも、あのレースを見ていただろう。……あの怪我は、正直致命的だった。この私でさえ、もう一度スズカが走ることはできないのではないかと思ってしまったほどだ」
「確かにスズカはレース中だったし……めちゃくちゃ嫌な予感したよね~」
「しかし今彼女は、海外でその強さを遺憾なく発揮している。テイオーだってそうだろう。あの怪我から……テイオーはもう一度立ち上がることができた。違うか?」
サイレンススズカは、レース中に走ることができなくなるほどの怪我を負ってしまった。
当時彼女よりも前に走る者はいないと言われるほど、彼女の走りは圧倒的だった。
しかし、怪我には勝てない。レース中に突如として走るフォームがおかしくなり、彼女の故障は誰の目にも明らかだった。
第4コーナーを曲がることなく、レースを終えたサイレンススズカ。
ファンからも、トレセン学園の生徒からも、スズカはもう走れない。そう思われていた。
「スズカは、スぺちゃんがすぐに迎えに行って、最善を尽くしたのが大きかったって言われてるけど~……」
「そう。そこなんだ」
「え?どういうこと?」
スズカが故障したとき、そのまま倒れそうになったスズカを救ったのは、同じチームメイトであるスペシャルウィークだった。
スペシャルウィークは一番にレース場に飛び出し、あっという間にスズカの元にたどり着くと、最善を尽くして救護班を待った。
確かにその功績は大きいかもしれないが、テイオーにはいまいちルドルフの言いたいことがつかめない。
「テイオー。君はどうしてもう一度立ち上がることができた?」
「え?……うーん、かいちょーみたいになりたいっていうこともあるし、今はマックイーンみたいなライバルがいるから、負けたくないって思うことも大きいかな」
トウカイテイオーの夢、『無敗の三冠ウマ娘』は、怪我によって阻まれた。
しかし『無敗のウマ娘』でい続けるという夢は、まだ続いている。
それはルドルフの存在や、ライバルであるマックイーンの存在が、テイオーをもう一度夢へと立ち直らせたのだ。
「仲間の存在」
「え?」
「私達ウマ娘は、一人じゃない。切磋琢磨し、勇往邁進する仲間がいる。時に励まし合い、時に競い合う。この関係が、私達を更に大きくしている……私は、そう思えてならないんだ」
サイレンススズカの怪我は、一人であったらもう一度立ち上がることができただろうか。
トウカイテイオーは、一人であったらもう一度夢へと歩き出せただろうか。
プレクラスニーは、一人であったらもう一度レースの舞台へと戻ってくることができただろうか。
そんな「もしも」は、存在しない。けれど、シンボリルドルフは考えずにはいられなかった。
「私達は『ウマ娘』だ。意志を持ち、お互いに高めあうことができる……運命、なんて言葉はあまり好きではないが、もし運命があるのだとしても。私達『ウマ娘』は、それさえも捻じ曲げてしまうのかもしれないな」
「何言ってるの~?かいちょー意味わかんないよ?」
「ははは、そうだな。戯れ言だ。聞き流してもらって構わない」
そう言うと、ルドルフはもう一度万年筆を手に取り、資料へと目を落とす。
(有馬記念……今年を締めくくる良いレースになりそうだ)
決戦の日は、もうすぐそこまで迫っていた。
『晴天に恵まれました中山競バ場!今日という日を今か今かと待った人も多いでしょう!一年を締めくくる最大のG1レース、有馬記念がやってきました!』
『ついにきましたね!私もとても楽しみにしていましたよ!』
12月22日。
1年を通して最後に行われるG1レース、有馬記念がやってきた。
晴天の中山競バ場には、多くのファンが詰めかけている。
誰が勝つのか。人々は口々に自分の意見と世間の評価を交えて見解を交換していた。
「今日は絶対マックイーンだろ!マックイーン以外ありえねえ!」
「いやいや、ナイスネイチャはここの所ずっと調子が良い。マックイーンを差し切ることができるのはナイスネイチャだよ」
「俺はツインターボの一発に賭けるね!」
様々な論が飛び交う中でも、やはり1番人気は圧倒的。
メジロマックイーン。
圧倒的な強さで長距離の王者と呼ばれる彼女。その絶大な信頼は、ファンを惹きつけて離さない。
そんな観客達の熱気のせいで、レースが始まる前だと言うのに、大歓声が会場を包み込んでいる。
歓声によって起こる音の振動を感じながら、一人のウマ娘が、控室の椅子で目を閉じて精神を集中させていた。
流れる銀髪に、白を基調として緑が鮮やかに写るドレスタイプの勝負服。
プレクラスニーだ。
その控室の扉が、ガチャリと開く。
「クラスニー」
トレセン学園に入ってからの生活で、何度も聞いた声が背中からかけられる。
クラスニーが、ゆっくりと振り向けば、緑と赤のストライプが特徴的な勝負服が目に映った。
リボンには、『N・N』の刺繍があしらってある。
「……ネイチャ」
ナイスネイチャはクラスニーの横の椅子に腰かけると、大きく伸びをした。
あくまでいつも通りの姿勢を崩さないネイチャにクラスニーが笑いかける。
「試合前は話さない、っていってなかった?」
「そーでしたっけ?……ま、いちおー敵同士だけどさ……なんかクラスニーとは敵同士って感じしないんだよね~なんでだろ」
「確かにね~……ほんと、たくさん一緒にやってきたもんね」
並んだ2人の尻尾が、ゆっくりと揺れる。
この1年間、本当にたくさんのことがあった。
お互いが、道半ばにして夢を奪われ、一度はくじけそうになった。
しかし今2人は、この大舞台に共に立っている。
「最高の、レースにしようね」
「あ~またほらそういう恥ずかしいこと言う~……ま、でもクラスニー、そうじゃないでしょ?」
「え?」
困惑するクラスニーの横で、ネイチャが人の悪い笑みを浮かべた。
最高のレースをする。それは確かにそうだ。
しかし、プレクラスニーというウマ娘を誰よりも知るナイスネイチャは、今この場でもっと適した言葉を知っている。
「最高の、『ライブ』にしようね?クラスニー」
瞬間、クラスニーは今まで願ってきた数々の夢を想起した。
『お母さん!私、この舞台でセンターに立ちたい!』
『私の夢は、一つです。この学園で、私は必ず、G1ウマ娘になる。G1レースのウイニングライブで、センターで輝くんです』
『私はネイチャと同じチームが良い!2人で、トゥインクルシリーズのG1に出ようよ!それで一緒に、ウイニングライブに出るんだ!』
そうだ。
私の夢は、最高の『ライブ』をすること。
ネイチャと、共に煌びやかなライブの舞台に立つこと。
「……!……ふふ、そうだね!」
もう、緊張はない。
準備は整った。
最高の舞台のために。さあ、走ろう。
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最終R ユメノトビラは誰が為に
そのウマ娘には、夢があった。
たくさんの観客が集まるステージで、最高のウイニングライブをするという夢が。
たくさんのウマ娘たちが夢を追ってレースに挑み続け、数々の夢へと邁進する。
中には、挫折や怪我で、志半ばでターフを去る者もいる。いや、数で言えば圧倒的に諦めてしまうことの方が多い。
このウマ娘も、挫折を経験して、一度は夢を諦めかけた。もうレースには出れないと、そう思った。
もう一度レースに出て、ウイニングライブに出ることなど、それこそ奇跡でもない限り不可能だと。
しかし、誰かが言った。
“奇跡は起きる。それを望み、奮起する者のために。必ず、きっと。”
『ウマ娘 プリティダービー 栄光の影に隠れた涙』 最終R ユメノトビラは誰が為に
有馬記念。
年末の中山競バ場で行われるGⅠレース。
今年を彩った数々のウマ娘たちが出走するこのレースは、言わずもがな、世間からの注目度が高い。
立ち並ぶビルには数々の広告が映し出され、世間ではどのウマ娘が勝つかを口々に予想する。
年末の浮ついた空気は、有馬記念を盛り上げるのに一役買っていたのだ。
12月22日。
寒空が広がるものの、気候には恵まれた中山競バ場。
もう間もなく始まる有馬記念を前に、会場の熱気はまさに最高潮へと達していた。
ウマ娘たちが観客にその姿を見せるパドック。
そこに現れた一人のウマ娘の登場により、会場の興奮は更に押し上げられる。
『さあ、お待たせしました!この有馬記念の大本命!メジロマックイーンです!』
しなやかな銀髪をなびかせる少女が、身にまとっていたジャージの上着を脱ぎ捨てる。
黒を基調にしたドレス姿のような勝負服が、彼女の高貴な雰囲気をより一層際立てていた。
「マックイーン!!!」
「マックイーン頼むぞ~!!!」
「メジロマックイーンさーん!!」
今日一番の大歓声が巻き起こる。
その歓声を受けても全く動じることなく、マックイーンは片手を挙げて歓声にこたえて見せた。
貫禄すら感じるその立ち振る舞い。
一番人気に推した観客たちも、普段以上に凄みを感じるマックイーンの姿を見て、自分の判断は間違っていなかったとこの段階で感じたことだろう。
『さあ1番人気のメジロマックイーン、普段と変わらず落ち着いているように見えますね!』
『そうですね。気合十分といったところでしょうか』
15人のウマ娘達で行われる有馬記念。
1番人気はもちろんメジロマックイーン。そしてその次の2番人気に推されたのは、最近好調をキープしているナイスネイチャだった。
とはいえ、1番人気と2番人気の差は歴然。
圧倒的多数が、メジロマックイーンの勝利を信じて疑っていないことは、間違いなかった。
全員がパドックでのお披露目を終え、ウォーミングアップをしながらゲート前へと向かう。
マックイーンと同じ、銀髪を持つ一人のウマ娘が、ゆっくりと深呼吸をしながら歩いていた。
(大丈夫……状態は最高。私の全部を、このレースにぶつけるんだ)
震える太ももを自らの手でポンポンと叩きながら、息を吐く。
緊張はある。しかしそれも、適度な緊張。大一番の勝負前ということを考えれば、決して悪いことではない。
そんなプレクラスニーの横を、ものすごい勢いで1人のウマ娘が駆け抜けていった。
「わーーいわーーーい!!ターボが一番なんだからー!!!!」
「……ターボちゃん?!」
全速力でゲートへと駆けていくツインターボ。
いつのまにかレースが始まっていたのかと幻視するほどに加速したツインターボを呼び止めようとするが、悲しいかなクラスニーの声はツインターボに届かない。
すっかり有馬記念の舞台に興奮しているツインターボが空回りしないか、クラスニーは心配だった。
「まったくもう……ターボはレース前に体力無くなっちゃいそうな勢いね~」
「……ネイチャ」
「おいっす~。ついに来ちゃったね」
後ろから歩いてきたのは、緑と赤の特徴的な勝負服が似合う、ナイスネイチャ。
「まさか私が2番人気とは……お客さんも見る目ないね~。ま、マックイーンが圧倒的なんだし、あんまり関係ないか?」
「ふふふ、そんなことないよ。ネイチャが今年頑張ってきた何よりの証拠じゃない」
「お、レース前におだてて動揺を誘おうったってそうはいかないぞ~?」
あくまでいつも通りに。
2人が二人三脚で目指してきたこの有馬記念のレース前であっても……いや、だからこそ、2人はいつもの調子を崩さない。
それが一番、自分たちらしく戦えると分かっているから。
「ク~ラちゃん!今日はよろ~!」
「ヘリちゃん!……うん、よろしくね!」
そんな2人の元にやってきたのはダイタクヘリオス。
彼女は少し奇抜な青いジャケットの勝負服に袖を通して、この中山競バ場のターフに姿を現した。
「今日はウチがぜんっりょくで逃げまくるから、頑張って追い付いてきてね?」
「ちょ~っと待ったあ~!!逃げるのはターボの役目だぞ!!ターボより前を走ることは許さないんだから!!」
ヘリオスの『逃げ宣言』に、いつの間にやら戻ってきていたツインターボが噛みつく。
ツインターボも『逃げ』を信条にしているウマ娘。ヘリオスの『逃げ宣言』はターボにとっていわば宣戦布告のようなものだった。
「お~?!じゃあ逃げパーティしちゃう?やっちゃう?もう皆でノリノリで逃げちゃう?」
「皆で逃げるのか?!それも面白いぞ!!」
「いや、もうそれ逃げじゃないでしょ……」
やれやれといった表情で頭に手を当てるナイスネイチャ。
逃げウマ娘は若干頭がおかしいのかと本気で悩むネイチャだった。
そんな賑やかな面々の中に、凛とした声音が響く。
「クラスニー。ごきげんよう」
「……!……マックイーン……!」
それはまさしく、王者の風格と呼ぶにふさわしい姿だった。
闘志みなぎる表情で歩いてきたのは、長距離の覇者メジロマックイーン。
その瞳は、真っすぐにプレクラスニーを捉えている。
「わたくしはこの時を……この瞬間を待ち望んでいました。あなたともう一度……もう一度走れるこの瞬間を……!」
「私もだよ、マックイーン」
かみしめるように、メジロマックイーンが拳を握りしめる。
思い返すのは、あの悪夢の天皇賞。
大雨に打たれながら、2人の葦毛の少女は、ただただ電光掲示板を見つめることしかできなかった。
残酷な運命が、2人の間を切り裂いた。
しかし、今こうしてもう一度、GⅠの舞台で2人は相まみえている。
『わたくしと、もう一度……もう一度走ってはくれませんか……!』
『……!!』
絞り出すように、胸の痛みを抑えつけるように、必死な表情で訴えかけてくれたメジロマックイーンの姿は、今も尚、プレクラスニーの心を焼いている。
この瞬間のために努力を重ねてきたのは、メジロマックイーンもプレクラスニーも同じ。
「全力で勝負しよう、マックイーン」
「……!ええ。負けませんわよ……!」
固い握手を交わす、メジロマックイーンとプレクラスニー。
その姿に、会場からも大きな歓声が上がった。
観客も理解したのだ。
あの天皇賞を乗り越え、2人は、ライバルとして今一度向き合ったこと。
もうこの会場に、プレクラスニーを非難する声はない。
「盛り上がっとるな」
そんな時だった。
一人のウマ娘が、その集まりの輪に入ってくる。
少し派手めな黒と赤のドレス。スカートには眩しいほどのイエローカラー。
「でもな、この有馬記念を制するんは……ウチや」
突然現れたそのウマ娘は、白いオーラのようなものを纏い、鬼気迫る表情で全員を見渡していた。
誰もがその姿に息を呑む……こともなかった。
「え~と……どちら様ですの?」
「な……ッ!ウチの名はダイサンゲン!この有馬記念を制するウマ娘の名や!」
ババーン!と効果音がつきそうなほどに、大きく胸を張るダイサンゲン。
自信に満ち溢れたその表情は、なるほどだしかに勝ちを確信している者のように感じられなくもない。
しかしその派手すぎる登場に、一同は若干引き気味でダイサンゲンを見つめていた。
そしてその沈黙を破ったのは、意外にもツインターボ。
「ショ、ショウサンゲンだとお?!」
「ダイサンゲンや!小さくすな!」
そしてツインターボのこのツッコミを皮切りに、それぞれが口を開く。
「なんですの?せいぜい役牌3つ鳴いただけでできるお手軽役満みたいな名前してますわね」
「ぐう?!」
マックイーンから手厳しい一言。
「確かショウサンゲンだと一気に点数落ちる悲しい役だったような……」
「おぼお?!」
クラスニーからの辛辣な一言に加え。
「ってかもうちょい強い名前あったよね?コクシムソウ!とかだったらすごい強そうじゃない?」
「ぷぺっ?!」
ナイスネイチャのアッパーが綺麗に決まり、無事ダイサンゲンはその場に倒れた。
力なく横たわるダイサンゲン。
ややあって、よろよろとダイサンゲンが立ち上がった、
「お……覚えてろ~!!!!」
お決まりの捨て台詞を残して、涙を流しながらゲートに向かうダイサンゲン。
その後ろ姿に先ほどまでの覇気のような白いオーラは感じられず、むしろ哀愁が漂っていた。
『さあ、お待たせしました!!有馬記念のファンファーレです!』
どこまでも響いていきそうなトランペットの音色が、中山競バ場にこだまする。
15人のウマ娘がゲート前に出そろった。
クラスニーが目を閉じて精神を集中する。
この瞬間のために、クラスニーは努力を続けてきた。
もう一度立ち上がらせてくれた皆のため。
この有馬記念を最高のレースにしたい。
「じゃ、いっちょやったりますか~」
「……ネイチャ、ありがとね」
右隣には、いつも共にトレーニングを積み重ねてきたナイスネイチャの姿。
このプレクラスニーにとってあまりにも大きすぎるレースで、隣にいるのがナイスネイチャということに、クラスニーは運命的なものを感じずにはいられない。
この親友には、返しきれないほどの恩を受けている。
だから今日クラスニーにできることは、全力の自分を見せること。
「感謝されるようなことしてないよ~っての……ま、走るからには私だって負けないよ?」
「ふふふ……!そうだね、頑張ろう!」
ファンファーレが鳴りやみ、ネイチャとクラスニーが同時に、ゲートへと足を踏み入れる。
クラスニーはこの瞬間が好きだった。
ファンファーレが鳴りやみ、ゲートが開くまでのこの静寂。
まさに今、レースが始まるんだという高揚感を与えてくれる。
この一瞬で、クラスニーはこの数か月の記憶を思い出していた。
(もう一度この舞台に立てたこと。本当に感謝してる。だから今日は、最高の自分を皆に見せるんだ!!)
開かれたクラスニーの瞳に、炎が宿っている。
もう迷いは断ち切った。
夢へ……進め。
『今ゲートが開きました!!!各ウマ娘揃ったスタート!そしてやはり最初にハナを握るのは……!』
『ツインターボが、す~っと前に出てきましたよ!』
大歓声に後押しされて、ゲートが一斉に開く。
飛び出した15人のウマ娘が横並びになり、各々がスタート後の位置取りを決めていく。
「いっくぞ~!!!!」
「アゲアゲでゴーゴー!!!」
2人のウマ娘が、集団を抜け出して前へと向かう。
レース前に逃げ宣言をしていたツインターボとダイタクヘリオスだった。
『さあやはり先頭はこの2人!ツインターボは今日もターボエンジン全開で先頭に立ちます!それに並ぶようにダイタクヘリオス!!2人の逃げウマ娘がこのレースの展開を作っていくことになるのでしょうか!!』
「逃げ」は勝ちの定石ではない。
他のウマ娘に邪魔をされない「逃げ」という戦法は確かに強いが、体力を温存できないが故に、レース後半で脚を残していた後方のウマ娘に差し切られてしまうことが多いからだ。
しかしそれでも、この2人は「逃げ」を使う。
多くの観客もそれが分かっていたから、この展開は想定通りかと思われた。
しかし。
『いや……2人じゃありませんよ……!』
解説の細江さんが異変に気付く。
逃げているのは2人だけではない。
観客も、その姿に気付いてどよめく。
ツインターボとヘリオスの丁度真後ろ。
3番手につけて逃げる2人を追ったのは……葦毛のウマ娘。
「来たねクラスニー!!ターボについてこーい!!!」
「マジ?!クラちゃんウチと逃げちゃう感じ?!いいよいいよ!さいっっこうじゃん!!」
プレクラスニーだった。
瞳に炎を宿したクラスニーが、ターボの後ろ、ヘリオスの横でレースを展開する。
銀髪の少女が、静かに中山競バ場のコースを駆け抜けていた。
『プレクラスニー!!プレクラスニーが逃げる2人についていっているぞ?!これは作戦なのか?!先頭集団は3人だ!』
『プレクラスニーは比較的前の方でレースすることが多いですが……逃げる2人についていくというのは意外でしたね!』
『さあまずは第四コーナーを回ってスタンド前に出てきます!大歓声が15人のウマ娘達を後押しします!先頭はツインターボ!その後続いてダイタクヘリオスとプレクラスニーです!』
大歓声のスタンド前を15人のウマ娘たちが通過していく。
変わらず先頭集団はターボ、クラスニー、ヘリオスの3人。
『中団にこちらも大注目メジロマックイーンがいます!!そしてその後ろ、マックイーンを見るようにナイスネイチャも控えているぞ!』
『ナイスネイチャはメジロマックイーンをマークしてますね!ここから最後までついていけるか注目です!』
中団の後方、静かに脚を溜めるマックイーンは、後ろにナイスネイチャがいることを理解していた。
(ナイスネイチャさん……わたくしについてこれますか?)
(そりゃ、マックイーンみたいなキラキラしてるウマ娘に、私が何回も勝てるなんて思ってませんよ……でも、今日は、今日だけは。まぐれでもなんでもいい。勝たせてもらうから……!)
ぴったりと後ろについたナイスネイチャ。
前方集団にクラスニーがついていったのは見ている。
勝負は後半。
スパートをかけるマックイーンに食らいつく覚悟が、今のネイチャにはあった。
『さあレースは向こう正面に入ります!!ツインターボのリードは5バ身ほど!これはどうなんでしょうか!』
『もう少し離さないと厳しいかもしれませんね。しかし後ろもかなりのハイペース。ここからどうなるか、まったくわかりませんよ!』
ツインターボがとにかく逃げる。
青いツインテールを激しく揺らして、懸命に腕を振ってツインターボが先頭を走っていた。
「どりゃああああああああああ!!!!」
「マジテンアゲしてきたああ!!!いくよクラちゃん!!ウチのマジ走り!!」
「……!」
全力で先頭を走るツインターボに、ダイタクヘリオスとその横に並んだクラスニーが迫る。
ジリジリと差を詰めていき……それにつれてツインターボのリードはみるみるうちに減っていった。
『さあ最終コーナー手前!!ついにツインターボのリードは半バ身になった!プレクラスニーダイタクヘリオスと並んで行って3コーナーカーブしていきます!』
先頭で走り続けていたツインターボを、ついにヘリオスとクラスニーが捉える。
最終コーナーを曲がるタイミングで、ついにクラスニーとターボが並んだ。
「はあ、はあ、諦めない……!ターボ諦めないんだからあああああああ!!!!」
「……!ターボちゃん……!」
走り方からしても、ターボの体力が尽きていることは火を見るよりも明らかだった。
最初のような綺麗なフォームは見る影もなく乱れ、足取りもどこかおぼつかない。
それでもギリギリのところで先頭を譲らない。ターボは意地だけで最終コーナーを曲がろうとしていた。
「ターボも……ターボもカノープスだ……!皆に負けないんだああああ!!!」
「……!!!」
『ターボエンジンはもう限界か!!最終コーナー曲がって最後の直線に差し掛かるところ!完全にダイタクヘリオスとプレクラスニーに並ばれた!』
『最後の最後まで食らいつく姿勢、素晴らしいですね!』
ターボの視界が揺らぐ。
ついに横に並ばれていた2人に、先頭を譲ることになってしまった。
一瞬で遠のいていくその背中に、ターボが必死で大声を張り叫ぶ。
「クラスニイイイイー!!!!」
その呼びかけは、いったい何を言いたかったのだろうか。
しかし、クラスニーは知っている。
心が折れかけていたあの時、カノープスの部室で健気に待ってくれていたターボの姿を。
『打倒スピカを達成するために!!クラスニーの力はぜったいに必要である!』
『トウカイテイオーはネイチャが倒す!メジロマックイーンはクラスニーが倒す!他のメンバーは全員ターボが倒す!!ほら!これでスピカ倒せたでしょ!』
クラスニーがメジロマックイーンを倒すことを、信じて疑わなかった彼女のことを。
(……ターボちゃん……!)
バテバテで意識を保つのも難しくなってきたそんな頃合い、ターボの耳に、確かな声が届く。
「勝つから……絶対に!」
飛ぶような速さで、クラスニーの姿が直線に消えていく。
あとはクラスニーが勝ってくれるなら、とターボが限界を感じて足を緩めたその瞬間。
一陣の風が、ターボの横を突き抜けた。
その一瞬で会場が沸騰する。
『来たッ!!来たッ!!!来たッ!!!!美しい銀髪をなびかせて今!!!!外から!!外から!!!長距離の覇者がやってきたぞ!!!』
悲鳴か歓声かもわからない怒号が、会場を揺らす。
大本命メジロマックイーンが、溜めていた足を開放してやってきたのだ。
あっという間に中団のウマ娘達を取り残すと、先頭のクラスニーとヘリオスに迫る。
『並ぶか!!並んだ並んだ!最終直線でやってきましたメジロマックイーン!!一気に先頭の2人に届いた!!』
ヘリオスとクラスニーが並ぶその横、メジロマックイーンがやってくる。
そして一気に置いていかんとするスパート。
ここで置いていかれたら、一気に持っていかれる。
「マックイーーーン!!!!!」
クラスニーが吠える。
それだけは許さないとばかりにもう一度スパートをかけたクラスニーが、マックイーンの逃亡に追いすがる。
しかし、そのあまりのハイスピード。
ここまで先頭を走り続けていたとは思えないほどの加速で。
ここまでついてきていたヘリオスの体力に限界が訪れた。
「マジハンパねえ~、マックイーン……クラちゃん!後は……あとはまーかせたあああああ!!!!」
「……!ヘリちゃん……!」
ヘリオスの姿が遠ざかるのを感じる。
彼女も間違いなく、ライバルだった。お互いで高めあった、同世代のライバル。
そのヘリオスから「任せた」と言われて、クラスニーのギアがもう一段階上がる。
「はあああああああああ!!!!!」
プレクラスニーが、もう一度前にでた。
最内を通って先頭に踊り出ると、最後の気力を振り絞って前へと進む。
(すさまじい気迫……それでも……わたくしには届きませんわ!!!)
『プレクラスニー先頭!!しかし!!しかしもう一度マックイーン!!凄まじい末脚だマックイーン!!引き離しにかかったプレクラスニーをもう一度捕まえたぞ!!!!』
『恐ろしいですね……!』
もう一度マックイーンとクラスニーが並ぶ。
距離は残り400mを切っている。正真正銘、最後の勝負。
しかしクラスニーは気付いていた。
先ほどの加速で、もう残りの体力はほとんどない事。
この直線勝負で、無尽蔵のスタミナを持つマックイーンとの勝負は、分が悪いということ。
(くそっ!くそっ!!進め!!私の足!!!最後なんだ!!ここで勝たなきゃ、いつ勝つんだ!!!)
一歩、また一歩マックイーンが前に出る。
その背中が、離れていく。
瞬間、クラスニーの脳にあの光景がフラッシュバックした。
天皇賞秋、最後の直線で遠ざかっていくマックイーンの背中。
『また……また挑んでくださいまし!クラスニー!』
クラスニーの意識が、朦朧とし始める。
数々の想いが頭をよぎっては、消えていく。
歯を 食い しばる。
あの時と 同じ なのか。
あの時と まだ変われ ないのか。
あの時の 呪縛に まだ 囚われたまま なのか。
あの背中を 追わなければ いけない。
わかって いるのに 足が 動かない。
涙が 溢れて 風に乗って 消えていく……
「諦めるな!!!!!クラスニィー!!!!!!!!」
「……!!!!」
聞き馴染んだ声が、胸に響いた。
『なんとなんと!!!大外からやってきたぞナイスネイチャ!!!最終コーナーで大きく外から回ったナイスネイチャがマックイーンとプレクラスニーに追い付いた!!!』
『信じられません!これは……!!』
「夢をかなえるんでしょ!!!クラスニー!!!!!」
「……ッ!!……あああああああああああああっ!!!!」
瞳に宿った炎が、もう一度燃え盛る。
動かなかった脚が、もう一度前へと進む。
あの時止まった時計が、もう一度動き出したように。
『並んだ!!!並んだ!!!プレクラスニーとマックイーンが並んだ!!!これはもう全く分からないぞ!!ナイスネイチャもほぼ横並び!!!残り100m!!!誰が前に出るんだ!!!』
クラスニーの耳に、もう歓声は入らない。
(勝つんだ……!約束した……!お母さんと……!ネイチャと……!カノープスの皆と……!!)
残り100m。
あまりにも短いはずのその距離。
クラスニーの世界には、横に走るマックイーンと、ネイチャしかいない。
残り50m。
『誰だ!!!誰が勝つんだ!!!!王者マックイーンか!!!!あの日の悪夢を乗り越えるのかプレクラスニー!!!!!!』
わずかに後退したナイスネイチャの声が、プレクラスニーの背中を押した。
プレクラスニーとメジロマックイーンが、並ぶ。
ゴールが、見えた。
「「行っけええええええええええええッ!!!!!!!」」
『さあ!お待たせしました!!歴史に残る激闘が繰り広げられた有馬記念!そのウイニングライブです!!!』
大歓声が、会場を包み込む。
あの日とは違う。
満員の会場で、観客の誰もが祝福の声を上げる。
眩しいばかりの照明に映し出されたのは、3人のウマ娘。
今日一番の歓声が、3人を迎え入れた。
その、真ん中。
センターに立っているのは。
―――君と夢を駆けるよ。何回だって勝ち進め勝利のその先へ!!
笑顔で涙を拭う、プレクラスニーだった。
「プレクラスニー!!おめでとう!!!」
「最高だった!!!!」
数々の賞賛が、ステージの上のプレクラスニーへ送られている。
その隣には、マックイーンとナイスネイチャが笑顔で立っていて。
その光景は、まさにプレクラスニーが焦がれた景色。
あの日観客席から見ていた景色が、今目の前に広がっている。
抑えきれない感情が、クラスニーの瞳から溢れていた。
大歓声に包まれるステージの最前列。カノープスのトレーナーと、イクノディクタスが3人の様子を眺めている。
「……トレーナー、泣いてます?」
「……っ!まさか……泣いてなどいませんよ」
眩しいほどの笑顔で、クラスニーが歌っている。
それをかみしめるように見つめて、カノープスのトレーナーは拳を握りしめた。
「まだまだ……これからです」
そのウマ娘には、夢があった。
たくさんの観客が集まるステージで、最高のウイニングライブをするという夢が。
少女は辛すぎる悪夢を経験して、それでも立ち上がることができた。
それは、彼女がウマ娘であったから。
ステージ上の彼女が歌う。
流している涙は、いつかの悲しみによるものではない。
笑顔の涙だった。
――――風も音もヒカリも追い越しちゃって誰も知らない明日へ進め!
明日なんてわからない。
それでも、こうして決められた運命だって切り開いていける。
私達は“ウマ娘”だから。
ステージ上のメジロマックイーンとナイスネイチャが、同時に声をかけた。
それは、あの始まりの時とよく似ていて。
「「プレクラスニー!!!」」
そう。物語は、史実通りに行くとは限らないから。
「はい!!私、今すごく幸せです!!」
『ウマ娘プリティダービー 栄光の影に隠れた涙』 完
ご愛読ありがとうございました!これにてプレクラスニーの物語は完結です。
一週間ほどで完結させる予定が、一か月ほどかかってしまいましたね……、
有馬記念の結果に関しては賛否両論あるかとは思いますが、出走している子たちを考えても、やはりこのレースしかないな、と思いました。
もしかしたら、おまけで2期の続きを書くかもしれません。カノープスのマチカネタンホイザとか書けていないのが、悲しいですしね。
もし楽しんでいただけたなら、高評価と感想お待ちしておりますね。
それではまたどこかでお会いしましょう。
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EX R 祝福の名前
一人のウマ娘がいた。
そのウマ娘は、周りを不幸にしてしまうという噂があった。
そして本人も、そう思い込んでしまっている。
彼女は強かった。才能があって、努力もした。
彼女は強くなるべくして強くなったのだ。
しかし、世間はそれを認めなかった。
邪魔をするな、と。
見たかったのはお前の勝利ではない、と。
心無い言葉で、彼女を傷つけた。
「……。そんなの、間違ってるよ」
誰もいない教室で、少女―――プレクラスニーは読んでいた新聞を握りしめる。
今、トレセン学園では一人の少女が、悲劇に見舞われている。
彼女がかつて、そうだったように。
「クラスニー?トレーニング行くぞー?」
「!はーい!今行く!」
同じチームカノープスの親友であるナイスネイチャに声をかけられて、彼女は我に返った。
新聞を机の上にポンと置いて、ネイチャの後を追いかける。
その新聞の表紙には、『漆黒の刺客、次の獲物はメジロマックイーンか』と記されていた。
芝のコースで、カノープスの面々は勢ぞろいしていた。
ネイチャはクラスニーとストレッチをしていて、イクノディクタスはチームの部室から持ってきたホワイトボードを設置している。
残されたツインターボは、というと。
「やだやだ!すとれっちめんどくさいよー!ターボは怪我なんかしないもん!」
「ターボちゃん!駄目だよストレッチはしなきゃ!」
一昨年の冬に新加入したマチカネタンホイザと共に強制的にストレッチを行っていた。
「ターボ身体柔らかいもん!大丈夫だもん!」
「ターボちゃん……」
駄々をこね続けるターボに、クラスニーがそっと近づく。
「私みたいになるよ……」
「うっ……」
「いや、なにそのやたらと説得力のある脅しは……」
クラスニーの人の悪い笑みを見て、ネイチャが苦笑する。
そう、実はプレクラスニーは怪我療養中なのだ。歩くことは問題ない程度には回復しているものの、医者から全力疾走は禁止されている。
あの有馬記念を終えた後だったからよかったものの、怪我はやはり怖いものだ。
「そうですよターボさん。皆さん、ストレッチをしながら聞いてください。作戦会議です」
「わーい!会議だ会議だ!」
そこにホワイトボードへの書き込みが終わったイクノディクタスが現れる。
教鞭を握った彼女は、一つ咳払いをしてホワイトボードを指示した。
まあ、書いてあることはいつも通りなのだが。
クラスニーも、イクノの隣に立って両手を腰に当てている。
「第n回目!チームカノープス会議!我々はどうすればスピカに勝てるだろうかー!!」
「わーいわーい!」
「毎度のことながら、私にこのテンションはキツいわ……」
引き気味のネイチャと、目をキラキラさせて食い入るようにホワイトボードを見つめるターボタンホイザコンビ。
いつも通りの空気感に、イクノもわずかながら笑みをこぼした。
「ということで、プレクラスニーさんが待望の第一勝を手にしてくれたわけですが。我々の目標にはまだ届いていません」
「うんうん、そうだよね」
「ターボがテイオーに勝つんだから!」
「ターボはまずテイオーに名前覚えてもらうところから始めなさいよ……」
ツインターボは、テイオーを一方的にライバル視しているものの、そのテイオーからは名前をちゃんと覚えられていない。
やれダブルターボだ、ダブルジェットだ、ふざけてるとしか思えない不名誉な覚え方をされてしまっている。
わいわいとやかましいカノープスの面々を、イクノが咳払いをすることで静かにさせた。
「トウカイテイオーはもちろんですが……皆さんご存知かとは思いますが……最近一番その実力を伸ばしているウマ娘がいます」
「おお!それは一体誰なんでしょう!」
プレクラスニーの言葉に、イクノが待ってましたとばかりにその眼鏡を光らせる。
と同時に、ホワイトボードを半回転させて、新しいボードを全員に見せつけた。
そこに現れたのは……頭に可愛らしい帽子を乗せて、綺麗な黒髪をなびかせるウマ娘……が、パンを食べている写真。
「ライスシャワーです!」
「おお!ライスか!!」
「ライスちゃん、強いよね」
カノープスメンバーも、ライスシャワーというウマ娘は全員が知っている。
去年、無敗の三冠を成し遂げようとしていたミホノブルボンを、菊花賞で差し切った漆黒のステイヤー。
その小さな身体からは想像もできないほどあふれ出る闘志は、同じウマ娘として見ても目を見張るものがある。
既に何度も対戦をしたことがあるマチカネタンホイザは、その凄さを身をもって知っている。
かくいう彼女もそのライスシャワーに何度か先着しているので、彼女自身も、間違いなく実力者なのだが。
「私も一緒に走ってみたかったなあ~」
「こらこら、クラスニーさんや、そんな状態で一緒に走りたいとか言っちゃダメだからな~」
「は~い……」
クラスニーは去年の後半のレースにほぼ出走できていない。
その頃から負った怪我が、未だに癒えないのだ。
「結局あのあとマックイーンにも全敗だし……やっぱ皆強いよねえ」
「と、いうことで、我々もそろそろクラスニーさんに続きG1を勝たなければいけません。ライスシャワーにも勝つ必要がある!今の所、一番期待できるのはタンホイザさんですからね。頑張ってください」
「うん!頑張るよ~!えいえい、むんっ!」
カノープスの士気は高い。
きっとこの調子なら大丈夫だろう、とプレクラスニーは笑顔でチームメイトを眺めていた。
「……ってかライスってスピカじゃないよね?」
ネイチャの呟きは、誰の耳にも届くことは無かった。
「え?ライスシャワーさんが天皇賞春を回避?」
ある日の食堂。
授業を終えて食堂へ昼食を取りにきたウマ娘達で賑わうこの場所で、3人のウマ娘が話をしていた。
「そーなんだよー……理由はわからないけどね。でもボク、これには絶対理由があると思うんだ」
「うーん……どうだろ。クラスニーは、なにか思い当たる?」
トウカイテイオーとナイスネイチャ。
トウカイテイオーは今怪我をしていてレースには出走できていない。
本人も相当悔しいだろうが、今はチームメイトのサポートに回っているようだ。
ネイチャとテイオーの後ろで、とんでもない量のご飯を食べているオグリキャップを見なかったことにして、クラスニーは自分の考えを述べた。
「わからないけど……最近の、ネットニュースとか、新聞とか見てるとさ、あんまり良い感じはしないよね」
「あー……確かにね」
昨年ミホノブルボンの三冠を阻止してからというもの、世間からライスシャワーへの当たりが強い。
勝った方が強いのだから、そこに文句を言われる筋合いはないのだが、世間はそうもいかないらしい。
「もしライスさんが何かに悩んでいるんだとしたら、助けてあげたいな」
「ボクも!マックイーンとの対決、いちウマ娘として見てみたいしね!」
「テイオーは相変わらずカッコ良いねえ……」
テイオーはそう言うが早いか、残っていた食事を一目散に食べ終えて、席を立った。
「ボク聞いてみるよ!もしライスが悩んでるんだったら、話聞かなきゃ!」
考えたら即行動!という感じのテイオー。
食器を返却すると、彼女の後ろ姿はすぐに見えなくなった。
「ネイチャはどう思う?ライスさんの件」
「んー……どーだろーね。けど、クラスニーの時もそうだったけど、世間からの評判って、周りが思っているよりも本人にダメージいくんだよね。って考えるとさ……なんかほっとけないなーって思う」
「ふふふ、ネイチャはやっぱり優しいね」
「なっ!いやいやいや……ネイチャさんにそんな期待の眼差しされても困りますよ……」
クラスニーが辛かった時、助けてくれたのは目の前のナイスネイチャだ。
やはり今回の件は、放っておけない。そう思ったクラスニーは、ライスシャワーと話に行くことを決意するのだった。
スピカのメンバーが、ライスシャワーを捕らえようとしているらしい。
その噂は、すぐにクラスニーの耳にも入った。
何故……?と思ったが、行動派の多い彼女たちのことだ。
きっと天皇賞春に出走しない理由を聞き出そうとしているのだろう。
(私も話してみたいなって思ったけど、今行っても委縮させちゃうかな……)
クラスニーは空き教室で、リハビリの簡単なトレーニングを行っていた。
ゴムチューブを使った、上半身のインナーマッスルを鍛えるトレーニング。
最近の個人練習は下半身が使えないので、必然的にこういった練習になってしまう。
と、そんな時。
「ねえねえ!中間テストどうする?!」
(……ん?)
教室の外から声がする。
どこかで聞いたことのある話し声だが……。
「逃げ!」
「それな!」
(ああ……ヘリちゃんとパーマーか……)
残念ながら(?)会話の内容で誰かがわかってしまった。
レース中はどれだけ逃げても構わないが、中間テストからは逃げないで欲しい。
と思っていると、教室の扉が突然空いた。
誰かが中に入り、即座に扉を閉める。
「はあ……!はあ……!はあ……!」
(……ん?)
入ってきたのは、小さな姿……。
頭に乗せた帽子と青い華が、彼女の黒い髪によく似合っている。
(ライスさんだ)
ライスシャワーだ。
彼女は何かに怯えるように、外の様子を伺っていた。
すると、外からまた新たな声が聞こえてきて。
「ねえねえ、ライスシャワー見なかった?」
「ライス?見てないな……ヘリオスは見た?」
「見てなーい」
「探しています。見つけたら、教えてください」
「「りょ!」」
(テイオーと……ミホノブルボンさん、かな?)
テイオーは分かったが、相手が……あのかしこまった感じの話し方は、確かミホノブルボンだったような……といった感じのクラスニー。
おそらく、テイオーとブルボンで、ライスシャワーを探しているのだろう。
ヘリオスとパーマーが見ていない、と言ったことで、どうやらテイオーとブルボンは立ち去ったようだ。
それを確認したライスが、ホッ、と胸をなでおろす。
「ライスねえ……」
「ん?なんかあるの?パーマー?」
「……ひぅっ……!」
しかし続けざまに外から聞こえてきた声に、またライスは怯えだしてしまった。
が。
「いや、この前の菊花賞見たっしょ?」
「あ!ブルボンに勝っちゃうなんてマジヤバ!」
「強いウマ娘同士のああいうレース、私超憧れっていうか……!」
「わかるー!」
その内容は、ライスシャワーを称えるものだった。
「……え?」
その内容が意外だったようで、2人が立ち去った今も、ライスは教室の外を見つめていた。
「ライス、さん」
「うわあ?!誰……!?」
ライスが驚いて後ろを振り返る。
そこにいたのは、プレクラスニーだった。
「プレクラスニー……さん」
「ありゃ、知ってたか。こんにちは」
クラスニーはライスのことを知っていたが、ライスがこっちを知っている保証はない。
そう思っていたクラスニーだったが、その心配は杞憂だったようだ。
まあクラスニーも一時期トレセン学園内で有名人だったので、その影響もあるだろう。
「テイオー達に、追われてるの?」
「……はい……」
ライスシャワーの耳が、力なく垂れ下がっている。
「ライスは……レースに出ちゃいけないんです。皆を、不幸にするから。ライスが勝っても……誰も、喜ばない」
「……そっか……」
ライスシャワーが涙で顔をくしゃくしゃにして、訴えている。
その言葉をゆっくりと噛み締めて、クラスニーは自分の予感がまちがっていなかったことを確信する。
彼女は、見えない何かに怯えているのだ。
「ライスシャワーは……祝福の名前なのに……ライスは、皆を不幸にする……」
そんなことないよ、と。
大丈夫だよ、と。
ありきたりな言葉をかけることはいくらでもできる。
けれど、クラスニーはそうはしなかった。
それは、きっと皆やってきただろうから。
クラスニーは扉の前で体育座りをしているライスシャワーの横に、腰を下ろした。
「ライスさんは……私が一昨年起こした事件……知ってる?」
「……!」
「お、知ってるのか、じゃあ、話は早いね」
知らないわけがなかった。
前代未聞の、降着事件。
本来一着のはずだったメジロマックイーンが、スタート直後に斜行……斜めに走って他のウマ娘の進路を妨害したとして、降着処分を受けたのだ。
そして、その降着処分のおかげで一着になったのが……プレクラスニー。
メディアにはプレクラスニーも斜行気味だったのに一着をさらった汚いウマ娘だとして、相当な叩かれ方をした。
ライスも、あの時のトレセン学園内の空気は忘れたことは無い。
「私さ、走るの、やめようって思った。こんなに頑張って来たのに、なんも意味なかったんだって」
「……」
ライスは、黙って耳を傾けている。
誰も、自分の気持ちなんて理解してくれないと思った。
だから、何を言われても、「私の気持ちなんてわからないよ」と言い続けた。
けど、この人は、違う。
自分と同じような経験を、過去にしている人。
ライスは、自嘲気味に笑うクラスニーの横顔を、じっと見つめている。
「けどね、マックイーンが、メディアに向かって言ったんだ。『降着処分は、私に責任がある。プレクラスニーを貶める行為は、メジロの名において決して許しません』って。かっこよかったよ~」
「……すごい、ね」
「ね、ほんと、すごい」
クラスニーも、昨日のことのように思い出せる。
画面越しに見ていたのだ。あのマックイーンの発言を。
「その後、またマックイーンと対戦して……勝てたんだ。奇跡だよね。あんなに速いマックイーンに私なんかが勝てるなんてさ」
「……」
「まあ、何が言いたいのかっていうとさ……正直、次のレース、もし仮にライスさんが勝ったら、メディアはなんていうかわからないよ。世間は、冷たいからね」
「……!」
ライスの表情が少し強張った。
初めて言われた。どうなるかは、わからないって。
安易な励ましではないことに、ライスはもう気付いていた。
「けどさ、私から、必ず言えることが一つあるよ」
「……何?」
クラスニーが、涙に濡れたライスの瞳を、優しく見つめる。
「マックイーンは、どんな結果になっても、相手を称えるってコト」
「……!」
「そういうウマ娘なんだ。あの娘」
クラスニーだから分かる。
あの悪夢のような期間を、一緒に乗り越えたプレクラスニーだから、わかるのだ。
マックイーンは決して、相手を蔑むようなことはしない。
「世間の目はさ、怖いよね。ブーイングは、痛いよね……。けど、あの時私は全力で、もう一度マックイーンと走りたいって、そう思った。ライスさんは今、どう?」
「……!」
(ライスの……本当の、気持ち……)
逃げてきた。
批判されるのが嫌で。ブーイングが、痛くて。
けど、マックイーンの走りを初めて見た時、感動した。
あの人のように走ってみたいと思った気持ちに、嘘はない。
ライスの心は、揺れていた。
「私は、逃げるなーとかそういうことは言わないよ。私自身、わかってるから。どれだけあれが辛いことかなんて。けどね……」
ゆっくりと、クラスニーが立ち上がる。
表情がわからなくて、ライスが見上げると、そこにはいたずら盛りの子供のような笑顔を浮かべるクラスニーがいて。
「マックイーンは強いぞ?そんな簡単に、勝てないと思うな~?」
「……!」
「ふふっ!じゃあ、どっちにするにしても、頑張ってね。後悔しない選択、してね」
クラスニーがトレーニングに戻る。
ひらひらと手を振った彼女を、ライスは少しだけ呆然と見送って……。
「あ、あの!」
突然かけられた声に、クラスニーが振り返る。
「ありがとう……ございます!」
まだ、正直怖さはある。
けれど、テイオーとブルボンの話を聞いてみてもいいかもしれない。
ライスはクラスニーの話を聞いて、そう思ったのだ。
一目散に、ライスは教室の外へ駆け出していく。
「頑張ってね、ライスシャワー」
小さな身体に背負った重圧。
クラスニーはライスシャワーを、笑顔で見送った。
お久しぶりです。
ライスとプレクラスニーを絡ませたかった。それだけや。
あと、新しくウマ娘の短編集を書き始めました。
https://syosetu.org/novel/260444/
この作品のように、史実ネタを随所にちりばめた短編集になってます。
よかったら、こっちも読みにきてください。
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