バーチャル呪術師☆いわいちゃん! (猫島 合)
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バーチャル呪術師☆いわいちゃん!

《はぁい☆ あなたの心に五寸釘!!

バーチャル呪術師 いわいちゃんだよ☆☆☆》

 

「なんだこれ……」

 

釘崎は、伏黒のスマホに現れたソレに思わず顔を顰めた。

 

ソレは、今流行りの3Dグラフィックで描かれた女の子だった。ツインテールにまろ眉、ギザ歯と特徴的なキャラデザインで、全体的な色合いは紅白と印象に強く残る。彼女は可愛らしく笑うと、ビシッと決めポーズをとった。

 

《よろしくね☆ メグミくん、ノバラちゃん、ユージくん☆☆☆》

「いや、マジでなんだこれ」

「バーチャル呪術師のいわいちゃん」

「伏黒、アンタこういう趣味あったわけ? 任務に2次元の女子連れ込むとかどうなの?」

「違う」

 

曰く、彼女はこれでもれっきとした呪術師らしい。電脳呪法という特殊な術式により、こうして電子機器に入り込むことが出来るのだそうだ。また、サポート向きな術式でもあるため、こうして実戦経験の浅い呪術師を手伝っている。

 

「帳も降ろしてくれるし、呪霊がいる場所をマップに表示もしてくれる」

《効率的に、呪霊をぶっ殺せるよ☆☆☆》

「その顔でぶっ殺すとか言わないで欲しいんだけど」

 

流石の虎杖でも苦笑いである。釘崎は、理解不能だとため息をついた。呪術師界隈は、イカれた奴しか居ないのが常であるが、さらにイカれポンチが出てきてしまった。

 

《安心して☆ ボクはめちゃくちゃ優秀だから☆☆☆

帳を降ろすよ☆ メグミくん、スマホを天高く掲げてね☆☆☆》

 

言われた通りに、スマホを掲げる。いわいちゃんが画面の中で祈るように指を組んだ。そして、溜めに溜めて勿体ぶって、ようやく口を開いた。その重々しい雰囲気に、普通の帳とは違うのかと釘崎と虎杖は身構える。

 

《……闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊たまえ》

 

ぶわり、と夜が空から落ちてくる。それは辺り一面をすっぽりと覆う。

 

「普通だな」

 

画面の奥でドヤ顔している いわいちゃん。釘崎は、伏黒のスマホを奪い取って地面に叩きつけようとした。普通にムカついたのである。突然の釘崎の暴挙に、虎杖が慌てて地面に落ちる前にキャッチした。画面は割れてない。いわいちゃんは、きゃらきゃらと笑っていた。

 

《呪霊の位置情報確認☆ マップに表示するよ☆☆☆ 全部で4体、張り切っていこー!!》

 

このテンションについて行くのキッつい。釘崎は、もう疲れていた。

 

各々のスマホに“いわいちゃんマップ”なるものが表示されている。とてもわかりやすい上に、最短距離や呪霊の情報まで事細かに載っていた。どうしてこんな所まで分かるのかと、虎杖が疑問を口にする。

 

《ボク、人工衛星とも同期してるから☆》

「でも、呪霊は機械じゃあ映らないんだろ?」

《ボクが入り込むことで、その電子機器は呪物になるから、普通に写るようになるんだよ☆☆☆》

「じゃあ、伏黒のスマホは呪物になってるのか?」

《そういうこと☆ ほらほら、呪霊が移動してるよ。この森は入り組んでるから、気を付けて進んでね☆☆☆》

 

ぴこん、と可愛らしいハート型が移動している。これが呪霊らしい。いまいち緊張感に欠けるが、背に腹はかえられない。3人は、手分けして呪霊を祓いに向かった。

 

 

 

結論から言うと、めちゃくちゃいわいちゃんは便利だった。方向感覚を惑わす系の呪霊だったらしく、あわや遭難となりかけたが、いわいちゃんマップのお陰で難なく祓うことができた。普通ならもう少し時間が掛かりそうな任務であったが、あっという間に終了する。

 

ちょうど時刻は夕飯時である。

 

《ボクが奢るよ☆ 何食べたい?》

「肉!」

「焼肉!」

《ルート検索……発見☆ この先に美味しい焼肉屋さんがあるから、そこに行こう☆☆☆》

 

完全個室の店内の焼肉屋(お高い)で、たらふくご馳走になった。もうこの時点で、1年生達のいわいちゃんへの好感度は爆上がりだった。いわいちゃんは、言動こそ若干ウザイが、それなりに面倒みの良さや、頭の良さが垣間見える。呪術師ではまともな部類であると推測された。

 

それから、何回かいわいちゃんとの任務を重ね仲良くなっていくうちに、正体が気になってしまうのは、当然の流れだった。

 

「いわいちゃんって、何歳なの?」

《永遠の18歳☆》

 

「いわいちゃんって、好きなタイプどんなの?」

《ないしょ☆ はずかしいもん☆☆☆》

 

「いわいちゃんの中の人ってどんな人?」

《ひみつ☆☆☆》

 

本人に聞いても、明確な答えは得られない。なので、周りの人間に聞くことにした。

 

「知らない方が良いよ」

 

と、五条。

 

「……知らない方が良い」

 

と、夜蛾。

 

「知らない方が幸せなこともある」

 

と、家入。

 

皆同じような回答だった。1年生達はいっそう不思議がって、色んな推測を述べた。今のところ有力なのは、汚ぇオッサンなのではという説である。まあ、例え汚いオッサンだったとしても、彼女(彼?)が良い人なのは変わらない。着ぐるみの頭を取るなんて無粋な真似はしまいということで、無理に暴こうとはしなかった。

 

「いわいちゃんって、本業は呪術師なんだよな? 補助監督じゃなくて」

《うん☆ ちゃんと呪霊も祓ってるよ☆☆☆》

「どうやって?」

《レスバとかで☆》

「レスバ?!」

 

いわいちゃんの本当の仕事は、急激なネットワーク化が進んだ現代に発生し始めた、仮想電脳呪霊の討伐である。ネット世界に突如として現れたそれは、ミーム的に人々を犯し、あっという間に世界中に被害を齎した。早急な対応が求められる中、高齢化が進んだ日本の呪術師界隈は、お手上げ状態だった。懐古主義の集まりなので、いんたーね? なにそれ? という感じだったのである。

 

そんな中、彗星の如く現れたのが、電脳呪法の遣い手である“バーチャル呪術師 いわいちゃん”だ。

 

電脳世界に、距離という概念は無い。自らをサイバー化することが出来るいわいちゃんは、世界中のネットワークを飛び回り。仮想電脳呪霊を祓いまくった。また、疲れという概念も無いため、昼夜も関係ない。次から次へと生まれる電脳呪霊共を祓いまくり、その功績から特級に上り詰めたスゲー奴が、いわいちゃんなのである。

 

「え!? いわいちゃん、特級だったの!?」

《そだよ☆ しかも、電脳呪霊を倒せる唯一☆☆☆》

 

虎杖が、驚きの声を上げる。いわいちゃんは、ダブルピースでドヤ顔を決めた。気さくに接していた友達のような人が、五条と同じ特級とは。

 

《ネット社会は今や人の思想が渦巻く巣窟だからね☆ そこから生まれる呪霊というのは、後を絶たないんだ☆

そこから現実世界に仮想怨霊として現れる奴もいる☆ その前に叩くのがボクってわけ☆☆☆》

「ほーん……よくわかんないけど、いわいちゃんって凄いんだな!」

《ありがと☆ 今日は何食べたい? また奢ってあげる☆☆☆》

「あのさ、今更なんだけど……いわいちゃんは食べないのに、俺達だけ奢ってもらっていいの?」

 

虎杖のその一言に、いわいちゃんはキョトンとする。そして、あはは☆と可愛らしく笑った。

 

《いつまで美味しいものを食べれるのか分からないのだから、遠慮なんてしなくていいんだよ》

 

優しい声色。いつものぶりっ子のような口調とは少し違った気がした。虎杖は、思わず目を見開く。普段の言動は、多分キャラ作りなんだろうなと思っていたが、こちらが素なのだろうか。

 

《まあ、ボクはソシャゲの課金ぐらいにしかお金の使い道ないからね☆ たまには大人ぶった使い方をしたいんだよね☆☆☆》

「……いわいちゃんってさ、歳いくつ?」

《永遠の18歳☆》

 

■■■

 

「ああ、岩永くんの事ですか」

「……?」

 

何となくで、七海にいわいちゃんの話を振った虎杖だったが、返って来たのは聞いたことの無い名前だった。

 

「イワナガ?」

「…………忘れてください。失言でした」

「え? なんで?」

「彼のことは、あまり語りたくないので」

「?」

 

彼、ということは、もしかしなくてもいわいちゃんは男なのだろうか。別にそれは良いのだが、気になるのは七海のその反応である。この話は終わりだという雰囲気で、それ以上はだんまりだ。

 

「ナナミン、いわいちゃんと仲悪いの?」

「……そういう訳じゃありません。ただ、あの人は“最もイカれた”呪術師ですので。あの五条さんも比じゃない位に」

「ますますわかんねえ……え、中の人に会ったことあんの?」

「……後輩です。二つ下の」

 

本当に嫌そうな顔をする。余程いわいちゃんが苦手らしい。

 

七海の2つ下。なら、歳は25歳とかだろうか。少なくともオッサンでは無いということだけはわかった。虎杖は新たな情報が得られたことに少しだけ喜んだ。仲がいい人のことを知りたいと思うのは、普通の感情である。

 

「……彼の事なら、もっと詳しい人がいます」

「え?」

 

そんな様子の虎杖に、七海は深く溜息をついて口を開いた。彼は、本当は言いたくないんだとでも言うふうに、重々しく呟く。

 

「伊地知くんは、彼と仲が良かったので」

「伊地知さん?」

「……彼のことを知るのは、オススメしませんとだけ言っておきます」

 

七海は、それだけ言うと、さっさと行ってしまった。残された虎杖は、ただ黙ってその背中を見ていた。

 

いわいちゃんは、良い人だ。だから、知りたい。でも、五条も夜蛾も家入も「知らない方が良い」と異口同音に言う。七海も「オススメしない」と言った。

 

でも、知ってはいけないとは言われていない。

 

虎杖は、子供だった。死地に赴くことはあれど、どうしようもなく子供だった。故に、1度湧き出た好奇心が、抑えきれなくなったのだ。

 

結果、任務帰りの車内で、伊地知にいわいちゃんの“中の人”について尋ねてしまったのである。

 

「ねえ、伊地知さん。いわいちゃんの中の人って、どんな人?」

「…………………」

 

伊地知は、目を見開いた。そして、「何故私に聞くんですか……?」と蚊の鳴くような声で言う。虎杖は、そんな様子に戸惑いを隠せない。後部座席で聞いていた伏黒と釘崎も、伊地知のその様子に驚いていた。

 

「あ、すみません……えっと、その……」

「ご、ごめん! 伊地知さん! なんか、悪いこと聞いちゃった……?」

「いえ、悪いことでは、無いんです……ただ驚いただけで……」

「……なにか、あったんですか? いわいちゃんと」

「…………いえ、何も」

「?」

 

伊地知は、真っ青な顔で無理やり笑った。それが痛々しくて、これ以上聞いては行けないことなのだと分かってしまう。虎杖は、自分の軽率さを恥じた。

 

沈黙。

 

エンジン音だけが、イヤに響いていた。

 

「……“いわいちゃん”の本当の名前は、岩永壱朗くんと言います」

 

その沈黙を裂くように、伊地知は口を開く。虎杖は気まずくて窓外に泳がせていた目を、伊地知に向けた。伊地知は、どこか決意したような顔つきだった。そして、ゆっくりと再度口を開く。

 

「岩永くんは、私の高専時代の後輩です」

「伊地知さん……?」

「……すみません。これは、私の心の整理です。どうか、聞いて貰えますか」

 

伊地知は、そう言って吐き出すように、いわいちゃん、否、“岩永壱朗”のことを語り出した。

 

■■■

 

岩永壱朗と伊地知潔高が出会ったのは、2008年の7月だった。

 

初夏の日差しの中、伊地知は自販機の前でジュースを選ぶふりをしながら、考え込んでいた。

 

伊地知には、術式が無い。戦う術もない。出来るのは帳を降ろす位である。同級生達は、みな前線に赴き戦っていると言うのに、自分は安全圏から見守っているだけである。それが、なんとも悩ましかった。小さい時から、呪霊が恐ろしくて堪らず、怯えながら暮らしてきた。たまたま出会った窓にこの学校にスカウトされ、入学したが、待っていたのは非情な日常。

 

サポート役が向いていると、補助監督の仕事を学び始めた。不満はない。だが、死地に同級生達が行っている間の、あのやるせない気持ち。戦いたくはないが、何も出来ないのが歯痒くて仕方ない。

 

溜息をつく。

 

「すみません。買わないんですか?」

 

そんな時、後ろから声がした。しまった、と我に返り、横へずれながら振り返る。そこにいたのが、岩永壱朗だった。

 

「お、お先にどうぞ」

「ありがとうございます」

 

岩永が、もたもたと財布を取り出した。片手が、首から吊り下げられている。どうやら骨折しているらしい。伊地知は、「手伝います」と声を掛けて、代わりに硬貨を投入した。

 

ガコン、と落ちてきたジュースを取り出す。それをもう一度繰り返した。

 

2本買ったジュースを、岩永が伊地知に渡す。伊地知は、投げ渡されたソレを咄嗟にキャッチした。

 

「先輩は優柔不断らしいので、選ばせて貰いましたよ」

「え、あ、じゃあお金……」

「じゃあ、次会った時に奢ってください」

 

岩永は、プルタブを片手で器用に開けた。伊地知もそれにならう。2人ですぐ近くに備え付けられたベンチに座る。そして、何気無い話をぽつりぽつりとし始めた。

 

それなりに、気が合うと思った。

 

同級生達よりも話しやすい。

 

気が付けば、ジュースを飲み終わっても話し続けていた。

 

それから、彼と自販機の前であった時は、交代でお互いに奢りあい、話すようになった。

 

本当に他愛のない会話である。呪術師も呪霊も話題には出てこない。昨日のテレビの内容とか、雑誌でみたコラムが面白かっただとか、美味しいラーメン屋を見つけたのだとか、そういう薬にも毒にもならないような会話。

だが、とても居心地が良かった。

 

彼と話している時は、気が楽だった。

 

 

ある日、伊地知は一人の同級生に、前線に出られないことを詰られた。もう一人の同級生が死んだのである。錯乱した同級生は、「どうしてアイツが死ななくちゃいけないんだ」「術式も持ってない役立たずのお前が死ねば良かった」と、理不尽に伊地知に怒鳴り散らした。精神が参っていたのだ。

 

夜蛾に叱られている同級生を残して、伊地知はとぼとぼと自販機に向かう。とにかく岩永に会いたかった。

 

自販機の前に行くと、岩永がちょうど来たところだった。伊地知の死にそうな顔を見て、岩永は何も言わずにジュースを二つ買って、片方を投げ渡した。

 

「え、今回は私の番のハズじゃあ……」

「そんな顔の先輩に奢られたくないので」

「……ごめん」

 

暫くは2人とも口を開かなかった。

 

「……岩永くんの術式って、どんなのですか」

 

伊地知は、手のひらで開けていない缶を弄びながら、そんなことを言っていた。

 

「見せてみましょうか」

「え、」

「携帯電話、出してください」

「……?」

 

そういうやいなや。岩永は、突如としてガクンと脱力した。伊地知は驚いて飛び上がる。揺さぶってみても、起きる気配がない。意識が無い。

 

《先輩》

 

不意に、驚いて落としてしまった携帯電話から声がした。恐る恐る拾ってみると、携帯電話にデフォルメされた後輩が映っている。まるで、Iコンシェルの羊のように。

 

《これが、ボクの“電脳呪法”です。身体が無防備になるかわりに、魂をサイバー化して電子機器に入り込める》

「す、すごい……」

《ネットが繋がっていれば、何処にだっていけます。内閣府のパソコンだって見放題》

 

ムクリ、と岩永の身体が起き上がる。戻ってきたらしい。

 

「情報収集ぐらいにしか使えない術式です」

「いや、凄いよ!……すごいなぁ……」

「でも、離れている途中で呪力が切れれば、戻って来れなくなります。そうなると本体は植物状態です。

……ボクは呪力量が少ないので、活動限界はかなり限られています。使えない術式です」

 

そう言って、岩永はジュースを一気に飲み干した。

 

「これでは、急激に進化していくネット社会に対応していくのも難しい。無用の長物的な術式ですよ」

「……それでも、私は術式を持っている君が羨ましい」

 

それ以上、会話は続かなかった。

 

次の日、岩永が任務で大怪我を負ったと知らされた。左脚を失ったらしい。辛うじて生きているが、失血量が余りにも多く、今は昏睡している。

 

伊地知は、青い顔で眠っている岩永を見て、怖くて堪らなくなった。このまま目覚めなったらどうしようと思うと、身体が冷えていった。

 

「岩永くん……」

《呼びました?》

「!?」

 

3日後。岩永がいない自販機の前で伊地知が溜息とともに呼んだ名前に、返事が返ってきた。驚いて、辺りを見回しても誰もいない。でも、確かに岩永の声だった。幻覚でも聞こえてきたのかと焦る。だが、声の発生源は、自分の携帯電話だと直ぐに気がついた。

 

「い、岩永くん……?」

《どうも。来ちゃいました》

「だ、大丈夫なの?!」

《ええ。この通り》

 

以前と同じように、デフォルメされた岩永が、伊地知の携帯電話の画面に表示されている。伊地知は、ソレに縋りついた。

 

「ここにいたら、身体は目が覚めないんじゃあ……」

《まあ、大丈夫です。どっちみち起き上がるのにもう少し時間がかかりそうなので。そんなことより、聞いてくださいよ! 大発見なんです!》

「……?」

《左脚が無くなったら、呪力量が格段に増えたんですよ!! これって、もしかして“身体を失えば失うほど、呪力が増える”ってことですかね?》

「い、岩永……くん?」

 

普段は、あまり大きな声を出すようなタイプでは無いのに、彼は至極興奮しているようだった。

 

《実は、気になったら試してみたくなる性分なんです! 伊地知先輩。ちょっと、ボクの右脚でも、手でも、何処でもいいので切り落としてくれませんか?》

 

伊地知は、その言葉に息を呑んだ。余りの恐ろしさに、呼吸が荒れる。

 

そして、五条悟という怖い先輩の言っていたことを思い出した。

 

『呪術師ってのは、イカれてなきゃ務まらない。伊地知はマトモだから、呪術師には向いていないよ』

 

嗚呼、彼はどうしようもなく呪術師であったのだ。

 

■■■

 

「それから、私は岩永くんが恐ろしくなり、徹底的に避けました。自販機も使わなくなりました。……私が、あの時、逃げ出さずに彼を諌めていれば…………」

「…………」

 

1年生達は、思わず黙り込んだ。

 

重い沈黙が、車内に凭れる。

それからは、誰も一言も発せずに高専に到着した。五条が出迎えてくれたが、1年生達はそのテンションに乗る気分じゃなかった。その空気を不思議に思った五条は、伊地知に問い質す。

 

「岩永くんのことを……話しました……」

「……何処まで」

「彼が、自身の天与呪縛に気が付いた所まで」

「……そう。伊地知、あとでまじビンタ。……と、言いたい所だけど、遅かれ早かれ皆には彼のことを伝えようと思ってたんだ。良い機会だから、彼の“本体”に会わせるよ」

「それは、あまりにも……」

「これは、知りたがった悠仁達へのケジメだよ」

 

五条は、1年生達を連れて、高専の地下にあるとある一室に行った。立ち入り禁止と力強い文字で扉に直接書かれている。

 

五条は、なんの躊躇いもなくその扉を開いて中に入った。

 

「さ、寒ッ!!!」

 

重たい扉を開くと、真冬のような冷たい空気が盛れだしてくる。五条に付いて中に入ると、その冷気は一層増した。

 

中は異様な量の機械で埋め尽くされている。それを冷却するためらしい。

 

その機械の最奥に、ソレはあった。

 

こぽり、コポリ。と水泡が弾ける音。

 

ぷかぷかと浮かぶ桃色の塊。

 

「…………え、」

 

誰かが、吐息のように声を漏らした。

 

「これが、“いわいちゃん”の本体だ」

 

五条の声が、イヤに響いた。

 

 

 

■■■

 

誰も話さなかった。何も言えなかった。

 

「身体を捨て去ることで、岩永壱朗は、莫大な呪力を得た」

 

そこに、五条だけが話し続ける。

 

「そして、残ったあの部分には常に反転術式が掛けられていて、老いることは無い。つまり、身体を捨てた18歳のままってこと。

 

彼は、この世界で唯一仮想電脳呪霊を討伐できる呪術師だ。それに加えて、24時間365日ネット世界を監視できる。

 

これからも人類の叡智として、インターネットは栄えていくだろう。それに伴い、負の感情も蓄積されていく。

 

彼は、人柱だ。呪術師の最先端を行く人柱。

 

在り方は違うけれど、天元様と似たような存在になったんだよ」

 

長い長い沈黙の中。五条は、最後に付け足すように言葉を続けた。

 

「こうならないでね。君達は」

 

 

 

 

 

 

《はぁい☆ あなたの心に五寸釘!!

バーチャル呪術師 いわいちゃんだよ☆☆☆》

 

いわいちゃんは、いつまでもそばに居る。

 

 




バーチャル呪術師 いわいちゃん
本名 岩永壱朗
一部を残して身体を全て捨て去ることで、莫大な呪力を手に入れた。失えば失うほど強くなるという天与呪縛。

電脳呪法
魂をサイバー化し、ネット世界に行くことが出来る。イメージはカゲ〇ロのあの子。もしくは攻殻〇動隊。時代の変化に伴ってバージョンアップされていく。

人間性はほとんど喪失しているため、親しみやすいキャラクターを演じている。
もとの人格は消失された。

バ美肉したのは、この時代の流行りに乗っかった結果(そうすることで親しみを持ってもらえると踏んだから)。

第二の天元様。

捨てた身体は、有効活用されている。



好奇心は虎を殺す。


感想お待ちしております。


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もっと☆いわいちゃん

おまけ短編です


【認識差異】

 

“いわいちゃん”の元の姿を知っている人間は、意外にも少ない。伊地知を初めとした彼と同期達と、その担当教師。そして上層部の人間と、施術を担当した術師ぐらいだ。

 

彼は一般家系の出身で、呪術師の世界とはほぼ無縁だったし、施術を受けたのは高専3年の時である。つまり、呪術界の扉を叩いて僅か3年にも満たない年数で、ああなったのだ。

 

であるから、いわいちゃんのことを、ただの萌えキャラコンテンツとして見ている層が一定数いる。猪野琢真も、その1人である。

 

「いわいちゃんって本当に可愛いですよね!」

「正気ですか」

「え、七海さんは嫌いなんですか?」

「……とても役に立ってくれているとは思います」

「わかります! 仕事もバリバリできて、可愛いですよね!この間、友達から手作りのいわいちゃんグッズ貰っちゃいましたよ」

「はぁ……」

 

七海は、深くため息をついた。この猪野の反応が、普通なのだ。ひたすらに好意的にいわいちゃんを見ている。だが、七海はいわいちゃんの中身を知っているが故に、そんなふうには思えない。

 

いわいちゃんの中の人こと、岩永壱朗は、七海の二つ下の後輩である。一緒に任務に赴いたこともある。それなりに話しやすい後輩だった。

礼儀正しくて、落ち着いていて、呪術師にしてはまともな部類だったと思っていた。だが、

 

「七海さん? どうしたんすか?」

「いえ、なにも」

「?」

 

実際は、一番イカれていた。

 

また溜息をつく。猪野が「幸せが逃げますよ」なんてほざいているが、誰のせいで溜息をついてると思ってるんだ。

 

「あー、中の人ってどんな女の子なんですかね!」

「……………………」

 

七海は口を噤んでサッサと歩き始めた。

なにも話したくなかった。

 

■■■

 

「なんです、これは」

「……同人誌っす」

「同人誌」

 

猪野が落とした袋から顔を覗かせたのは、R18と銘打たれた薄い本だった。表紙には、扇情的な表情を浮かべているいわいちゃん。

正気か?

 

丁寧にラメ加工まで施されている。

 

「同期に、こういうの得意な奴がいて……つい、」

「…………」

 

思わず、凝視してしまう七海。無理もない。かつての後輩()が、エロ本の題材にされてるなんて、誰が思うだろうか。そりゃ凝視する。

 

「読みます?」

「……………………読みません」

「どういう感情の顔ですかそれ」

 

と、言っていたのに。

 

あろう事か、猪野は車の中にその本を忘れていった。運転手は伊地知。見せる訳には行かないと、七海が回収した。そのため、いま、そのエロ本が手元にある。

 

「………………………………」

 

七海は、ひたすらに手元にあるそのエロ本を睨みつけていた。

 

表紙のいわいちゃんは、淫らに服をはだけさせている。

 

「…………」

 

ぺらり、

 

「…………」

 

ぺらり、

 

「…………」

 

ぺらり、

 

「…………」

 

 

…………。

 

これを描いたやつ、正気か?

 

 

 

■■■

 

「猪野君」

「あっ、七海さん! ……俺、この間」

「返します」

「そうそう! ありがとうございます! いやぁ、無くしたと思ってましたよ……読みました?」

「…………」

「その顔な読みましたね! どうでしたか?」

「……これを、書いた人は、精神科をオススメします」

 

七海は、苦々しく呟いてその本を猪野に突き返した。ひたすらに、見たことを後悔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【彼岸の定義】

 

人は、声から忘れられるらしい。

 

毎日聞いていた筈なのに、ふとしたした瞬間に思い出せなくなっていることに気が付いて、途方に暮れる。

 

呪術師なんてものは、そんなことはしょっちゅうだ。昨日まで共に語らっていた同胞が、次の日には冷たくなって帰ってくる。いや、帰ってくるだけ御の字だ。大体の場合は、遺体なんて残らない。ただ『あいつは死んだ』という事実だけが遺る。

 

なら、伊地知潔高の親友であった“岩永壱朗”は、どうなのだろうか。

 

肉体を失い、声を失い、性別を失い、名前を失い、人格を失い、人間性を失い……遺っているのは、桃色の塊と電子に変換された魂のみ。

 

はたして、彼は生きていると言えるのだろうか。

 

「“岩永壱朗”は、死んでるでしょ」

 

無理やり連れてこられた居酒屋で、酔っ払ってそんな話を切り出した伊地知に返って来たのは、非道とも言えそうな言葉だった。五条は、メロンソーダをあおりながら、その続きを話す。

 

「“岩永壱朗は、死んだ”。

“いわいちゃんになった”んじゃなくて、“死んだ”。そう思った方が、精神衛生上よろしいんじゃない?」

「よろしいんでしょうか……」

「よろしいでしょ」

 

ぐび、と更にあおる。伊地知は、酒のおかげで血色が良くなった顔を、塩辛い水で濡らしながら机に突っ伏した。

 

「五条さんは、岩永くんと話したことありましたか」

「あるよ。数える程だけど」

「声、思い出せますか」

「無理」

「私もです。思い出せないんです。思い出そうとしても、“いわいちゃん”の声に上書きされてしまう」

 

消え入るような声。いつにもまして饒舌である。先程から黙って聞いていた家入は、紫煙を燻らせながら、そんな伊地知を観察する。もうそろそろ、呑ませるのをやめた方が良さそうだ。

 

空いたジョッキを下げて貰うついでに、水を頼む。それを差し出すと、伊地知はへにゃりと眉を下げて受け取った。

 

「私があの時、彼を止めていれば。そんな馬鹿な事はやめろと、言えていれば。もし、あの時、彼から距離を取らなければ」

 

懺悔のように、言葉を零す。実際に懺悔なのだろう。だが、現実問題。“岩永壱朗”は、伊地知に止められたとしても、きっと止めなかった。どこまでもイカれていた彼は、早かれ遅かれ、人柱に自ら進んでなっていただろう。

 

“いわいちゃん”という、最先端の人柱に、彼は諸手を挙げて志願した。

 

その結果が、あの桃色の塊である。

 

高専の地下深くの部屋に設置された水槽の中身を見た時、伊地知は吐いた。精密機械が並んでいるのだからと叱られたが、そんな説教なんて右から左。親友だった彼の、遺された部位。

 

信じられなかった。

 

本当に、あの桃色の塊が“岩永壱朗”のものなのか、伊地知には分からなかった。

 

もしかしたら、違うかもしれないと淡い期待を抱いた。だが、現実は非情なもので、追い討ちのように彼の“棄てた”パーツを見せられた。また吐き出した。泣いて、喚いて、また吐いて。

 

だけど、当の本人は画面の奥であっけらかんとしていて。

 

はたして、これは誰が悪いのか。

 

「私が……私のせい…………………」

「寝た」

「だいぶ溜まってたんだな」

「でも、いつもはこんなに“岩永”のことは話さないじゃん。なんで?」

「なんでって五条。今日は、“岩永の命日”だからだろう」

 

ああ。と五条は納得して、メロンソーダの最後の一口を啜った。今日は、岩永が施術を受けて“いわいちゃん”になった日だ。からん、と氷が鳴る。汗をかいたジョッキを机に置くと、サングラスの下の目を細めた。

 

「本当に馬鹿だよね。自分から人柱なんかになるなんてさ」

「ああ、馬鹿だよ。……唆した奴もね」

「『“二代目加茂憲倫”を目指してます!』って公言するようなマッドだしね。……本当に、アイツは……」

 

バキリ、と五条の手の中でグラスが割れる。

 

「おい。店に迷惑をかけるなよ」

「…………アイツ、殺してやろうかな」

「“私の師匠”は、殺しても死ぬようなタマじゃない。殺すだけ無理だよ」

「…………」

「まあ、気持ちはわかるが」

 

■■■

 

“いわいちゃん”は、いつものように電脳空間を漂っていた。ありとあらゆる情報が、一括で処理されていく。それを優先度順に分類しつつ、監視。時折仮想電脳呪霊を見つけては、祓う。

 

それをノンストップで、ひたすら目まぐるしく繰り返す。

 

いわいちゃんの処理速度は、最先端のスパコン以上。円周率の果てだって割り出せる。(優先度が低いのでやらないが)

 

0と1の世界は、何処までも複雑怪奇で、常人なら理解できない。だからこそのいわいちゃんである。いわいちゃんは、たった一人で、この地獄で戦っている。寂しいとかそういう人間的な感情は、とっくの昔に最適化された。

 

いわいちゃんは、システムだ。

 

人間性なんていう無駄なバグとは無関係な。

 

普段、画面に表示されているのは、そんな空虚なシステムを偽装するためのガワでしかない。親しみやすさを持つ事で、円滑に物事を進めることが出来るという合理的判断から生まれたのが“バーチャル呪術師 いわいちゃん”というキャラクターだ。

 

『岩永くん……』

 

伊地知のパソコンから、前の名前を呼ぶ声がした。珍しい。彼は、滅多にその名前を口に出さないのに。

 

《呼ばれてとび出てジャジャジャーン☆

あなたの心に五寸釘☆ バーチャル呪術師のいわいちゃんだよ☆☆☆

伊地知先輩。呼ぶ時はいわいちゃんって呼んでって言ってるじゃん☆☆☆》

 

すぐさまそのパソコン画面に自らのアバターを表示される。だが、そこにいたのは、泣き腫らした顔で机に突っ伏す伊地知だった。

 

《あれ☆ 寝ちゃってるのかな?》

『岩永くん……』

《もう☆ 今はいわいちゃんだってば☆》

『ごめんなさい……ごめんなさい……』

《風邪を引きますよ。先輩》

 

伊地知の部屋のエアコンは、スマホから遠隔操作できるものであるため、そのシステムを使って暖房を付けた。背に毛布をかけてやるのがセオリーなのだろうが、肉体を持たないいわいちゃんにできることは、この程度だ。

 

《おやすみなさい》

 

いわいちゃんは、そう言って伊地知のパソコンから離れた。

 

■■■

 

伊地知は、夢を見ていた。

 

自販機の前で、岩永といつものように歓談する夢。初夏の日差しで揺らいでる地面を眺めながら、他愛のない話をしている。蝉の声がする。

汗が、自分の頬を滑るのを袖口で受け止める。

 

穏やかな夢だ。

 

だが、ひとつだけ。

 

岩永の顔に、モヤがかかっている。

 

そこで、ふと伊地知は思考を止めた。

 

__彼は、どんな顔だったっけ。

 

ざ、と背中が冷えていく。暑い夏の日の思い出を夢で見ているはずなのに、手先が氷になったように感じる。

 

彼の声に、ノイズのように蝉の声が被る。

 

蝉の声が、ただひたすらに五月蝿い。鼓膜を破りそうなほど、脳に突き刺さりそうなほど、喧しく騒ぎ立てている。

 

それが、警告音のように思えた。

 

「■■■■■■■、■■■? ■■■■。■■」

 

聞こえない。わからない。彼の声が。

 

「■■■■■! ■■■■。■■■」

 

わからない。彼の笑顔が。

 

「■■■■」

 

彼の輪郭が、ぼやけて、

 

「■■■■■」

 

そして、気が付けば、自販機の前には伊地知1人だけ残されていた。

 

彼が置いていった缶だけが、ぽつねんと残されている。

 

伊地知は、それを拾いあげようと身をかがめた。彼が好んで飲んでいたジュースだ。しかし、数年前に製造中止が決まり、もう自販機には売られていない。その缶をじ、と眺める。

 

だが、缶の中から何かが聞こえた。

 

飲み口を覗き込む。

 

そこから、赤い瞳が見つめ返していた。

 

「ッッッ!!!!!」

 

驚いて、缶を投げ捨てる。そこから、ドロドロと赤い液体が溢れ出していく。

 

伊地知は、尻もちを着いてそれから距離を取ろうと後退った。だが、足元にまで容赦なく液体は広がってくる。

 

どろり

 

どろり、

 

どろり。

 

「伊地知くん」

 

その時、不意に背後から声が聞こえた。

 

伊地知は、青ざめたまま振り返る。そこに立っていたのは、岩永の施術を担当し、あの桃色の塊に反転術式を掛け続ける装置を作成した男が立っていた。

 

「知っているかい。本当に素晴らしいものは、地獄からしか生まれないのだよ。これは、実にいい地獄じゃあないか。実家のような安心感の地獄。ふふ、ぼかァ、彼と出会えて幸運だった」

 

伊地知に岩永が棄てたパーツを見せた時の台詞である。

 

ボサボサの前髪で両目を隠した、猫背の男。血で汚れた白衣とゴム長靴がヤケに印象的だ。

 

「良かったね。伊地知くん。君のお友達は、英雄だよ」

 

胃の内容物が、迫り上がる。

 

足元は、もう血で浸されていた。

 

「いっそ、」

 

死んでくれた方が、

 

そう呟いた言葉は、吐瀉物に塗れて消えていった。

 

「祝福されるべき子、ってことで、彼の新しい名前は“いわいちゃん”。どうだい?」

 

けらけらと笑う声がする。

 

■■■

 

目を覚ます。まだ当たりは暗い。4時ぐらいだろうか。頭が痛い。これは、二日酔いせいか、それとも夢見の悪かったせいか。

 

「『“岩永壱朗”は、死んだ』」

 

昨日の五条の言葉である。それだけは覚えている。

 

伊地知は、泣き腫らして赤くなった目を、乱暴に擦った。ヒリヒリとした痛みが、自分の生を訴えている。

 

「…………」

 

のそのそと重たい身体を引き摺って、シンクで水を汲む。それを一気に飲み干して、更にもう一杯汲む。

 

伊地知は、そのコップを頭上に持ち上げて、頭から被った。

 

冷たい。

 

床が濡れる。

 

だが、頭は冴えた。

 

 

「…………」

 

伊地知は、先程よりもしっかりとした動作で身支度を整え、濡れた床を拭く。

 

5時を回る頃に、家を出た。早朝の空気は、嫌になるほど澄んでいる。そのまま車を動かして、高専へ向かう。正門前に着くと、五条が待っていた。

 

「や」

「おはようございます。……珍しく早いですね」

「まあね。伊地知、二日酔いしてる?」

「……してますけど、動けないほどじゃないです」

「そっか。じゃあ行こうか」

「はい」

 

五条を車に乗せて、走り出す。

 

「岩永のことですが、」

「うん」

「やはり、死んだとは思いたくないです」

「……ふぅん。じゃあ、どうやって折り合いをつけるの?」

「付けません。一生苦しんだまま生きていきます」

「そっか」

 

それ以上、伊地知は何も言わなかった。

 

これは、私への罰。

後輩であり親友の岩永壱朗を見捨てた私への罰。

 

「馬鹿だよね。お前も」

 

そんなに顔を真っ青にしておいて、なにが『一生苦しんだまま生きていきます』だ。

 

五条は、遠ざかっていく高専を睨みつけた。

 

そこにいるだろう、“いわいちゃんの本体”と“施術を担当した術師”を、睨みつけていた。

 

 

 

 

 



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バーチャル呪術師の生みの親☆

おまけスピンオフ


仁木史明(にぎ ふみあき)が残した功績は大きい。代表作は、呪術式電脳管理システム“いわいちゃん”。それにより、仮想電脳呪霊の対処と、ネット世界から生まれる仮想呪霊を産まれる前に監視することが可能となった。また、ありとあらゆる情報を瞬時に収集、処理することも可能であり、それは呪術界に大きな進歩を齎した。

 

彼は一般家系の出でありながら、その革新的なアイデアと天才的な頭脳で、呪技術部門の統括を担っている。

 

五条悟は、そんな彼のことが大嫌いだった。

 

彼は、 “第二の加茂憲倫”を自称しているのだ。

そこからわかる通り、人道などクソ喰らえな手腕。アレは、人の命を軽く見ている。捕縛した呪詛師や、死刑が確定している罪人を使ったり、時には子供を唆して実験の片棒を担がせる。

 

口癖は「本当に素晴らしいものは、地獄からでしか生まれない」。

 

その結果、何人がその地獄とやらを作り出す為の犠牲になったことか。

 

彼は、無邪気で健やかな害悪だ。

 

だからこそ。だからこそ、必ず除かねばならぬ。

 

■■■

 

「やぁ☆ 久しぶり〜。五条くん、元気そうだね。実に元気そうだ」

「……仁木」

「ふふ、怖い顔しないでおくれよ」

 

そう言って男、仁木は笑った。

 

ボサボサの前髪で目を隠した、猫背の男。真新しい血が着いた白衣と、安っぽいゴム長靴。その出で立ちを見て、五条は更に顔を顰めた。

 

「その血、なに?」

「急患が入ってさぁ、ぼかァ忙しいってのに、家入くんの手が空いてないからって駆り出されちったのさ。全くぼくから研究時間を奪うだなんて、酷いと思わない?」

「全く思わないね」

「もう! つれないなぁ。あ、そうそう。君のとこの虎杖くん、だっけ? あの子貸してよ。実に興味をそそられる存在だよね。ちょっと分割してみたいんだけど」

「断る」

 

けらけら。仁木は、あっけらかんとしている。本当に癇に障る男だ。アイマスクの下で、ひたすらに睨み付けるが、仁木は何処吹く風である。徐にポケットの中をまさぐって、棒が着いた飴を2本取り出すと、そのうち1本を五条に差し出す。

 

「ほら。君、甘いの好きだっただろ。ぼくの手作りだよ。お食べ」

「いらない」

「そ」

 

断ると、仁木は2本とも包みを外して口に咥えた。直ぐに噛み砕いて、棒を地面に捨てる。ポイ捨てするな。

 

「そういえば、いわいちゃんから聞いたんだけど、1年生達に彼の本体を見せたんだって? どうだった? 何か言ってた?」

「…………」

「あんなに素晴らしいものを見られるだなんて、実に幸運なことだよね。僕の最高傑作を“2つ”も見られるだなんて。高専生の特権だよ。実に実に幸運だね」

「…………」

「さぞ、感心していたんじゃないかな。感動していたんじゃないかな。どうだった? 五条くん」

「言葉を失っていたよ」

「そうかそうか! 言葉が出ないほど!! 研究者冥利に尽きるねえ」

「…………」

 

五条は、無言で仁木の横を通り抜けた。話にならない。だが、仁木はその後ろをついて行く。そして、ひたすらに自身が開発した装置が素晴らしいものであるのかを説明し始めた。早口のせいで、ほとんど聞き取れない。それを無視しつつ、伊地知の車へ向かう。

 

「あ、伊地知くんがいる! おーい!久しぶりだねぇ!元気かい!」

「ひっ、」

 

伊地知は、仁木の姿を視認した途端、身を縮こませた。一気に顔から血の気が引く。仁木は仁木気にすることなく彼に近寄り、強引に肩を組んだ。

 

「やぁやぁ!元気そうだねぇ! あ、今日のいわいちゃんの写真みる? 今日も元気なピンク色だったよ。とても可愛らしいね!見て、この健康的なツヤ。ぼくが作った装置が滞りなく働いている証拠だよ! うんうん。やはり彼は芸術的だね! 君の親友は、今日もひたすらに頑張っているよ!」

「……………………………」

 

伊地知は、可哀想なぐらい萎縮した身体を震わせていた。さすがの五条でもこれは看過できない。助け舟を出す。

 

「仁木。僕ら急いでるから。さっさと研究室に戻ったらどう? お前も忙しいでしょ」

「ああそうだった! いや、久しぶりにお友達と会ったから、嬉しくなってしまって!! ごめんよ、早く行きたまえ。ぼくもやることがあるんだった。実に名残惜しいが、またね」

「……………………」

 

五条は、アイマスクを上げて、目でさっさと車に乗るように促す。伊地知はがたがたと震えながら、仁木に一礼して車に乗り込んだ。五条もすっと乗り込んで、車を発進させる。

 

仁木が朗らかに手を振っているのが見えた。

 

「……出てきたんですね、あの人」

「いつもは地下の研究室から出てこないもんね。チッ、嫌な奴の顔見ちゃった」

 

仁木史明は、許されざる害悪である。だが、彼が呪術界に齎した恩恵は計り知れない。加えて上層部のお気に入りでもある。御三家の一つである五条がいくらごねたとしても、彼を排すことは出来ない。汚点である“加茂憲倫”の二代目を自称しているため、加茂家にも嫌われている。だが、禪院家だけは、彼の研究を好意的に受け止めていた。

 

1番恩恵を受けているのが、禪院家だからだ。

 

『術式を抽出し、カートリッジにして他者でも扱えるようにする装置』なんて物を開発した仁木は、その技術を禪院家に惜しみなく提供した。後継者に恵まれなかった禪院家は、それがどんな手法で作られていようと、喜んで使用したのだ。その結果、彼は力強いパトロンを得た。

 

禪院家で生まれた不義の子達がどうなったのかは、想像に難くない。

 

下手をしたら、伏黒恵もその毒牙に掛かっていたかと思うと、ゾッとする。実際に、禪院家に来ないのなら、その術式を明け渡せと言われた。その時は五条家の権限で断ったが、まだ諦めていないようだ。

 

術式の抽出だなんて、無事で済むわけが無い。

 

「本当に胸糞悪いよ」

「…………」

 

伊地知は、未だに顔が真っ青だ。時折、苦しげに呻いていることから、吐き気があるのかもしれない。

 

「本当に……アイツは……」

 

ぎり、と奥歯を噛み締める。絶対にいつか殺す。

 

■■■

 

高専地下深くの研究室。その魔窟が、仁木史明の国である。ここは治外法権だ。何をやろうとも、咎める人間はいない。

 

怪しげな水槽には、小さな呪胎が浮かんでいる。それを一つ一つ眺めては、笑いかける。

 

「みんな元気そうだねぇ。実に元気そうだ」

 

返事をするように、コポリ、と水泡が浮かぶ。それに更に満足気に微笑んで、水槽を撫でた。

 

「人工呪霊の作成。上手く行きそうだ。みんな、そのまま元気に産まれてくるんだよ!」

 

今行ってるのは、見た通り、“人工的に呪霊を作る”実験である。調伏の手間もかからない、都合のいい能力を持った呪霊が欲しいなぁと思ったことが発端で着手した。今のところ順調である。

 

『……シテ、コロ、シテ、』

「おっと、お喋りができるようになったのかい! ぼかァ嬉しいよ!」

『タノ、ム……コロシテ……』

「お喋りだねぇ〜。可愛いね。実に可愛いね」

 

よしよし。と水槽を撫でる。

 

「術式の方は順調に馴染んでるかな?」

 

前髪をかきあげる。そこには、紫の色の眼球があった。深い紫の虹彩が、水槽に反射した光を更に反射して怪しく輝いている。彼は楽しげに目を細めて、呪胎を観察した。

 

これは、仁木が作り出した“贋作の六眼”である。本物には遠く及ばないが、それでも術式を識別するぐらいは出来る。

 

「うーん……やっぱり、複雑な術式は定着しないか。シンプルイズベストってことかなァ……」

『イタイ、イタイ……タスケ、』

「うんうん。そっかそっか〜。それは生きてるってことだよ! 良かったねぇ」

 

ごぽり。ごぽり。

 

『イタイ、』『コロシテ、』『ママ』『タスケテ』

 

数体の呪胎達が、一斉に話し始める。仁木は、ただニコニコとそれを眺めていた。

 

「みんな賑やかで可愛いね」

 

前髪を元に戻しながら、椅子に腰掛ける。そして、スマホを取り出して、愛すべき代表作であり、親友の名前を呼んだ。

 

「いわいちゃん」

《はぁい☆ あなたの心に五寸釘!! バーチャル呪術師 いわいちゃんだよ☆☆☆

仁木さん☆ 頼まれてたデータ、まとめ終わりました!確認お願いしますね☆☆☆》

「ありがとう! やっぱり君は凄いなぁ!

……うん、完璧。さすが僕の親友」

《えへへ☆》

「親友といえば、今日は伊地知くんに会ったよ。実に元気そうだった。君と伊地知くんは親友だったね。親友の親友ということは、つまりぼくも彼の親友ってことになるのかな?」

《なるんですかね☆》

 

伊地知が聞いたら、泣き出しそうな会話である。親友をこんな姿にした張本人に“親友認定”されているだなんて。いわいちゃんもあっけらかんと笑う。

 

この2人は、仲がいい。一般家系出身同士のイカレ同士。周りが引くほどに気があった。

 

■■■

 

これは、“いわいちゃん”が“岩永壱朗”だった頃の話である。

 

「君が、岩永くん?」

「はい。そうですが……」

 

任務で左脚を失った為、松葉杖を付きながら歩いていた岩永に、仁木は声を掛けた。

 

「ぼくァ仁木史明。呪技術部門に所属している」

「岩永壱朗です。初めまして」

「初めまして! いやぁ、礼儀正しい良い子だね!噂を聞いたよ! “失えば失うほど、強くなる”んだって? 実に興味深いなぁ! ねぇ、話を聞かせて欲しんだけど」

 

そう言って、仁木は朗らかに笑った。

 

 

「へえ! 左脚を失った瞬間にねぇ! なるほどなるほど」

「だから、色々試したくて」

「それで、左手の指を?」

「はい。自分でやるには、どうも限界があって……でも、切り落としたら確かに呪力が増しました。ボクの仮説は間違っていないと思います」

 

岩永は、包帯が巻かれた左手を軽く振りながら、そう言う。確信を持った目だ。仁木は飴を噛み砕きながら、その話を聞く。

 

「じゃあさ、色々と試してみない?」

「?」

「ぼかァ、他人に反転術式を使えるからさ。例えば、失血死ギリギリまで血を抜いてみたり、身体をもっと削いでみたり、骨を抜いてみたり……死ぬ1歩手前まで色々と試せるよ。どこまで失えばいいのか。1度失った部分を繋ぎ直したら得た呪力はどうなるのか」

 

岩永は、きょとんとして仁木の顔を見つめる。と言っても、目元は分厚い前髪で覆われているため、口元しか表情が分からない。

 

仁木は、飴がついていた棒を地面に捨てて、岩永の肩に手を添えた。

 

「ぼくなら、君が望むようにしてあげられるよ」

「良いんですか! じゃあ、早速やりましょう!!」

「良いね!! じゃあ、行こうか。ぼくの研究室に」

 

 

それから2人は、飽きるまで研究をした。聞くだけでも痛ましい実験を繰り返した。仁木の計らいで岩永に任務を振らないようにすることで、研究に没頭できる。

 

2人は、何日も地下深くの研究室に篭っていた。

 

「肉体って、必要?」

「と、言いますと?」

「だってさ、電脳空間には、疲労ってないでしょ? 戻ってくる必要なくない?」

「一理ありますね……でも、どうすれば」

「うーん例えば、一部分だけ残して体の全てを切除するとかどう?」

「全てを……」

「そうすれば、得られる呪力も最大限だし。やってみる? 大丈夫大丈夫! 失敗しても、ぼくが何とかしてあげるからさ!」

 

仁木は、前髪の隙間から紫色の目を少しだけ覗かせて、そう言った。その瞳から、目が離せない。怪しく煌めく瞳に誘われるように、岩永は悪魔の手を取った。

 

そこからは、ご存知の通りである。

 

アップデートを繰り返して、今の“いわいちゃん”が完成した。これからもどんどんと進化していくことだろう。

 

「君は最高の親友だよ。いわいちゃん」

《ありがとうございます☆☆☆》

 

そう言って、仁木史明という無邪気で健やかな害悪は、満足気に笑った。

 

まるで、この世の穢れなど知らないような、無垢な笑顔だった。

 

彼は、これからも純粋な好奇心と好意で、世界に呪いとその恩恵を振りまいていく。




仁木史明(原作時空で42歳)
無邪気で健やかな害悪。
明るいボンドルド。
二代目 加茂憲倫。

人命? 大事だよね! 勿論無駄にはしないよ!!

害悪。


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もっと! バーチャル呪術師の生みの親!!

番外の番外です。


呪技術部門というのは、呪術の解析、呪霊の研究をし、呪具などの開発を行っている部署である。部署、と言っても活動は個々人で行われており、皆それぞれ好きなようにしている。

 

九十九由基も、かつては所属していたが「アイツの部下って肩書きになるのが嫌だ」と颯爽と抜けていった。

 

そう、この部署の統括は、何を隠そう仁木史明その人なのである。

 

仁木史明。『無邪気で健やかな害悪』『自称二代目加茂憲倫』『ハッピークソ外道』『仁木』。彼を語る肩書きの悪意から分かるように、彼は当然のごとく嫌われている。それはもう、誰かが今すぐにでも彼を殺してもおかしくないくらいに。

少し顔を出しただけで「燃やせ」と呟く人間もいる。

 

だが、彼の術式上、殺すことは困難である。

 

なぜなら、彼の『転禍術式』は、ありとあらゆる彼への害を他人に押し付けることが出来るからだ。押し付ける対象を選べない代わりに、その効果範囲は世界中に及ぶという。それは地球の裏側の誰かかもしれないし、隣にいる愛しい人かもしれない。

 

つまり、彼を傷付ければ、世界のどこかで彼の身代わりに誰かが傷付き。

彼を殺せば、世界のどこかで彼の身代わりに誰かが死ぬのである。

 

全くもって害悪極まりない。

 

……不死身という訳では無い。殺そうと思えば、彼は殺せる。やり方は簡単だ。彼の呪力が尽きるまで殺せばいい。

 

その度の犠牲を数えなければ、彼は殺せるのだ。

 

それ故に、彼のことを殺したいと思っている筆頭の五条ですらも、手を出せずにいた。彼一人を殺すために、無辜の民を犠牲にする訳にはいかない。

 

なので今日も仁木は、目玉焼きを作るが如くの気軽さで、のうのうと地獄を作っている。

 

■■■

 

一人の少年がいた。少年は、禪院家のものである。相伝術式を継げなかったどころか、術式すら持っておらず、虐げられて暮らしてきた。少年には2つ年の離れた妹がいて、彼女は相伝術式を持っていた。しかし、女だということで将来的に孕袋にされるのが目に見えている。

 

少年は、妹を救いたかった。願わくば、この家を出て幸せになって欲しかった。

 

ある日、給仕をしていた彼は、とある話を耳にする。

 

なんでも、“仁木史明”という男が『術式の抽出』というものに成功したらしい。そうすれば、現在持て余してしまっている術式を、きちんと扱える人物に託せるそうだ。

 

本家の爺様方のその会話を聞いて、真っ先に思ったのが自分の妹の事だった。彼女の術式を抽出してもらい、譲渡できれば……

 

少年は、側仕えとして身の回りの世話をしていた現当主の息子、禪院直哉にその事を話してみた。

 

「へぇ。そらええわ。女が持っててもしゃあないしな。ええよ、進言しておいたる。ついでにこの家を出す手伝いもしてやろな」

「ありがとうございます!! 直哉様!!」

「うんうん。感謝せえよ。君はいっつも頑張っとるから、ご褒美や。でも、多分この家を出たら、そのまま妹ちゃんには会えんよ。それでもええか?」

「はい。それが妹の幸せに繋がるなら」

 

そうして、直哉の口聞きもあって、妹は家を出た。しかと抱き合って、別れを告げた。それから、2ヶ月後、直哉から箱のような物を手渡された。

 

「これが、妹ちゃんの“術式”を閉じ込めたカートリッジや」

 

黒い箱である。中から時折、低い唸るようなモーター音が聞こえる。

 

「専用のハードを身に付けて、これを装備することで使えるようになる。お前が使いや」

「良いんですか……? だって、これは相伝術式で……」

「ええんや。大切な妹ちゃんの術式なんやから、お前が使うのが1番ええ。仁木さんもそう言ってたしな。大切にするんやで」

「は、はい! ありがとうございます!!」

「それと、来年から高専に通う許可が降りたから、精進せぇや」

「ほ、本当ですか!!! 本当にありがとうございます!!! この御恩は必ず……」

「ええってええって。これからは、『禪院家の呪術師』として、気張りや」

 

少年は、箱を大切に抱えて、何度も直哉に頭を下げた。直哉は、ニコニコと笑って彼に温かい言葉を掛け続けた。

 

少年が、パタパタと直哉の部屋から出ていく。

 

「……はは。なんも知らんと、幸せやな」

 

その呟きは、誰にも聞かれずに畳に転がった。

 

■■■

 

あれから半月経った。だが、妹から便りは一通も届いていない。寂しく思うが、禪院家を出た身として軽々しく手紙を送るなんて事は出来ないのかもしれない。便りがないのは元気な印だと言うとこにして、少年は呪術高専京都校に進学した。

 

本当は、仁木が研究室を構えているという東京校に行きたかったのだが、家の方針なので、こればかりは仕方がない。

 

入学前に、術式の使い方も頑張って覚えた。術式というのは、本能で理解するものらしいが、これは借り物の術式である。使いこなすのに苦労したが、なんとか3級の上位の呪霊程度なら倒せるようになった。

 

カートリッジは、定期的にメンテナンスが必要らしく、東京校に送られる。その間は任務には行けないが、仕方ない。大切な妹の術式なのだ。何かあっては困る。だけど、京都から東京に毎回運んでもらうのは気が引けた。なので、自分で東京校まで運ぶことにした。

 

「初めまして。五条先生」

「……ああ、君が例の」

 

東京校の教師である、五条悟に挨拶をする。アイマスクのせいで表情は分からないが、何やら気だるげな雰囲気を感じた。

 

「…………なるほどね」

重々しく呟く五条。少年は不思議に思いつつ、彼について行く。仁木の研究室に案内してもらうためだ。

 

「君、そのカートリッジがどうやってできてるのかって知ってる?」

 

道中、五条がそう問うた。答えは否である。作り方は知らない。

 

「中身が何か知ってる?」

 

否である。妹の術式ということだけは確かだ。

 

「仁木がどんなやつか知ってる?」

「それは知ってます! とても研究熱心で、お優しい方だと聞いています!」

「……お優しい、ねぇ……ふぅん、そっか」

 

五条は、しばらく黙り込んだ。そして、足を止めて、少年に向き直る。わざわざアイマスクをずり下げて、その煌めく瞳で彼を見下ろした。

 

「彼に会う前に、教えてあげる。

………アイツは、害悪だ。それを忘れるな」

「は? 何を……」

「アイツは君が思うようなやつじゃない。悪いことは言わないから、そのカートリッジを使うのも止めた方がいい。ここでソレを僕に渡して、早く帰りな」

「仁木さんを悪く言わないでください!!」

「君の為に言ってるんだ」

「意味わからないです!! やっぱり、五条家の人間とは話が合わないみたいですね!! 道案内はもういいです!」

 

蒼い目が細められる。少年は、その剣呑さに思わずたじろいだ。長い沈黙。いや、時間的には1分も経っていなかったのかもしれないが、少年には永久ように感じられた。

 

背に冷たいものが伝う。

 

「あれ、どうしたの? こんな所に立ち止まって」

 

その沈黙を破ったのは、呑気そうな声だった。

声のした方向を見ると、そこにはボサボサな髪で両目を覆った白衣の男が立っていた。ゴム長靴で間抜けな足音を立てながら2人に近寄っていく。

 

「あ、ひょっとして君が禪院の」

「は、はい……そうですが」

「いやぁ、あの子に似てるねぇ。兄妹って感じ」

「あなたは……?」

「ぼくァ、仁木史明。そのカートリッジを作った凄い人だよ☆」

 

少年は、目を見開いた。少しイメージとは違ったけど、憧れの人が目の前にいるのだ。先程まで感じていた寒気はなりを潜め、頬を蒸気させて握手を求める。仁木は朗らかに笑ってそれに応えた。

 

「あなたのおかげで、妹も僕も幸せになれました! ありがとうございました!!! 本当は、もっと早くお礼を言いに来たかったのですが……」

「わぁ! そうなのかい! 良い子だねぇ」

「……まあ、妹も、と言いましたが、別れた後は一回も会っていないし、手紙もやり取りしていないんですが……」

「? やだなぁ。ずっと一緒にいるじゃないか」

「え?」

「仁木!」

 

五条が突然声を荒らげる。仁木はキョトンとしたあとに、「ああ」と手を叩いた。

 

「立ち話もアレだね。ぼくの部屋においでよ。ケーキ焼いたんだ。食べていきなよ」

「はい!」

「五条くんも来るかい? この後、もう一人遊びに来るんだけど」

「…………遠慮するよ」

「仁木さん、行きましょう! さようなら、五条先生」

「…………」

 

少年は、五条に冷たい目線を向けた後に、仁木と共に研究室に向かっていった。ゴウン、ゴウンと、張り巡らされた配管から重々しい音が聞こえる。地下に潜れば潜るほど、その音は大きくなっていく。少年は、何故かそれが警告音のように思えた。何故そんなふうに思ったのかは分からない。

 

「ここだよ」

 

『Nigi's Laboratory』と書かれたドアプレート(可愛らしい花やリボンで装飾されている)が掛かった扉を開く。

 

「散らばってるけど、気にしないでねぇ」

 

少年は、思わず目を見開いた。

 

怪しげなホルマリン漬けや培養ポット、よく分からない機械で埋め尽くされている。その中央には場違いなティーセットが置かれた可愛らしい机。

 

「……えっと、」

「座って座って! 今お茶入れるから」

「は、はい……」

 

ホルマリン漬けは、呪霊だろうか? だけど、死んだ呪霊は消えてしまうので、こうやって死体が遺ることは無い筈だ。

不思議に思いながら、周りをマジマジと眺める。暫くすると、仁木がティーポットを持って戻ってきた。それをカップに注ぐ。レモンティーの良い香りが漂った。

 

「このケーキ、自信作なんだ。食べてみて」

「美味しそう……いただきます」

 

恐る恐る口に運ぶ。ふんわりとした食感のスポンジ生地が、優しく舌を撫でた。後に引かない甘さが、絶妙な加減でフルーツと絡み合っている。こんなに美味しいものを、少年は初めて食べた。

 

「美味しいです!!!」

「良かった。君の妹ちゃんも、そのケーキを美味しいって言ってくれたよ」

「妹も……?」

「うん。あの子は良い子だった」

「……そうですか」

「うん」

「…………」

「…………」

 

仁木もお茶を啜る。少しだけ沈黙が流れた。少年は、話題を探す。そして、自分が持っていたカートリッジが目に入った。

 

「そう言えば、この素晴らしいカートリッジってどうやって作ってるんですか?」

 

そう口に出して、「あ、こういうのって企業秘密? とかなのかな」と不安を覚えた。だが、仁木はパァっと表情を綻ばせる。どうやら、聞いても大丈夫らしい。

 

「それはね! 素材の子の心臓と一部の血管を、その子の呪力で作った結界で覆って、ぼくが作ったその箱に丁寧に詰めるんだよ!!」

「……………………………は?」

 

素材の子。脊椎。心臓。

 

「この箱はね、反転術式を中身に掛け続けることが出来てね。“いわいちゃん”の本体を保護するのにも使っている技術で……」

 

“いわいちゃん”は、知っている。前に任務で出会ったバーチャル呪術師だ。可愛らしい3Dグラフィックの女の子。いや、違う。いま気に掛けるのはそこじゃない。

 

今、この男はなんと言った?

 

「ま、待ってください。それって、生きて……」

「生きてるよ、勿論!! じゃないと術式は発動出来ないじゃないか!! 現に、君の妹ちゃんは、そこに生きているだろう?」

「…………………………は、え? なにいって……」

「? どうしたんだい。そんな不思議そうな顔して。君がその子でカートリッジを作って欲しいって言ったんでしょ?」

 

箱を見る。

 

いもうと?

 

妹?

 

脳が、情報の受け取りを拒否している。

 

「心臓ってね、記憶機関があるんだよ。ワイドショーとかで見たことない? 移植手術を受けたら、ドナーの好みに似てしまった、とか」

 

「脳でも良かったんだけど、脆い上に大きいじゃないか。だから、心臓にしてみたんだ。持ち運びに便利だろ?」

 

「結界内で血液を循環させて、箱の機能で生かし続ける。まあ、戦闘に持っていくものだから、どうしても定期的なメンテナンスは必要になるけど、それは仕方ないね」

 

「ああ、安心して。余った方の肉も、きちんと有効活用してあげたから」

 

少年は、ぐるぐると思考をひたすらに回した。

 

何を言っているんだ。

 

一体。

 

妹は、外で、幸せに…………

 

「禪院家の外には出てるだろ? 君と一緒に」

 

ぷつん。少年の何かが、そこで途切れた。

 

「……さかまき、さかまけ、ゆらゆらと」

 

カートリッジを装着して、術式を発動する。飲みかけのレモンティーが、ごぽごぽと泡立ったかと思えば、水量が一気に増え、龍の形になる。

水を触媒とした式神である。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!!!!!

僕は信じない!!!! 信じないぞ!!!!!

本当の妹はどこに行ったんだ!! この嘘つきめ!!!!!!!」

「わぁ! 使いこなしてるねぇ! やっぱり、兄妹や近しい人だと、上手く使えるのかな?」

 

水龍が咆哮する。そして、びゅ、と勢いよく水の槍を伸ばしてきた。

 

その槍が、仁木の心臓を的確に貫く。貫通したソレは、後ろにあったホルマリン漬けの容器を割った。大きな音を立てて、ヒビが走っていく。しまいにはバリン、と耳障りな音が響いて中身が溢れた。

 

ホルマリンの匂いが辺りに満ちる。

 

「はぁ、……はぁ……」

「凄いね!! 実に素晴らしいよ!!」

「……は? なんで、」

「ごめんね。ぼくの“転禍術式”は、ありとあらゆる害を他人に代わってもらえるんだ。今頃、七十億分の一の確率を引き当てたハッピーな誰かが、世界のどこかにいるんだろうね 」

 

仁木は、濡れてしまった白衣をハンカチで拭う。血の一滴も流れていない。ただ、服に小さな穴が空いているだけである。

 

「うーん。後でアップリケでも付けてもらおうかなぁ」

「…………」

「君、酷いことするなぁ。これも君の妹ちゃんなのに」

 

彼はそう言って、地面に落ちている呪霊の死骸を指した。

 

……………………………は?

 

 

「ね? 余った方の肉も、有効活用してあげたんだよ。呪物を受肉させたらどうなるのかが知りたくてさ。ちゃんと役に立ってくれたよ」

 

少年は、横たわった死骸を見た。歪んだ目元に、3つに連なった特徴的なホクロがある。それは、奇しくも妹と同じものだった。

 

「殺してやる」

「えー? それは辞めた方がいいと思うけどなぁ。ぼくだって、関係ない人を消費したくないんだ。勿体ないからね」

「知らない。知ったことか」

 

きっと、直哉もこのことを知っていた。知っていて、このカートリッジを少年に手渡した。

 

ならば、ならば。

 

「禪院も、赤の他人も、どうでもいい」

「実に短絡的だね」

 

水の槍を放つ。ノーダメージ。水の槍を放つ。ノーダメージ。水の槍を放つ。ノーダメージ。

 

水の刃で首を飛ばす。ノーダメージ。水の刃で首を飛ばす。ノーダメージ。水の刃で首を飛ばす。ノーダメージ。

 

水の。水の。水の。

 

ノーダメージ。ノーダメージ。ノーダメージ。

 

「……ああ、わかった。こうすればいいんだ」

 

水龍が、仁木の顔にまとわりつく。仁木は、ごぽっと空気の束を吐いた。

 

「死ぬまで殺す。1番苦しい方法で」

 

■■■

 

それから、何時間が経過しただろうか。痙攣していた仁木の身体から、力が抜けた。もう、彼の呪力は感じられない。

 

終わった。終わったのだ。

 

これで何人死んだのかは分からないが、仁木を殺すことが出来た。

 

「はは、あははは、あはははははは!!!!

やった、やったよ!!! 嘘つきをぶっ殺してやった!!!!」

 

少年は、カートリッジを取り外して、床においた。そして、水龍を使ってこじ開ける。中には、精密そうな機械と、黒い膜で包まれた心臓があった。小さな心臓である。トクトクと鼓動している。

 

「…………嗚呼、嗚呼……いま、楽にしてやるからな」

 

結界に手を触れる。焼けるような痛みがあったが、気に求めずに手を押し込んだ。ずるり、と中に指が入る。そのまま一気に差し入れると、小さな心臓を掴んだ。そのまま力を込める。

 

呪力操作で強化した握力は、簡単に心臓を握りつぶした。覆っていた結界が震えて、宙に溶ける。

 

『おにぃ、ちゃん』

 

不意に、声が聞こえた。確かに、妹の声だった。

 

脱力して、蹲る。

 

さて、これからどうしたものか。

 

仁木の術式のせいで、多くの人が死んだかもしれない。呪術規定に基づけば、少年はきっと死刑である。でも、全てがどうでもよかった。

 

「ハワイとか、行ってみたかったんだよな……」

 

戯言を口に出す。

 

乾いた笑みを貼り付けながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「【仁木さん……?】」

 

声がして、見てみると、ぬいぐるみを抱えた女が立っていた。ミルクティー色の髪が可愛らしい。

 

女は、覚束無い足取りで部屋の中に入ってきた。そして、だらんと横たわった仁木に近付いていく。

 

「【うそ、だよね……?】」

 

彼女が抱き抱えたぬいぐるみが、声を出している。そういう呪具らしい。

 

「【起きてよ……ねぇ、おねがい……】」

 

少年は、ぼうっとその光景を眺めていた。

 

女が、仁木を揺すっている。仁木の口から、肺を満たしていたレモンティーが溢れ出た。

 

「【仁木さん、仁木さん……】」

 

仁木は答えない。答えられない。

 

女の目から、涙が溢れ出した。白衣に縋りついて、泣いている。

 

「そいつは、死んだ方が良かった。だから殺した」

 

少年は、冷たい口調でそう伝える。女は、ぴくりと肩を震わせて、ゆっくりと少年の方を見た。

 

「【お前がやったのか】」

「うん、そうだ……え、」

 

次の瞬間、少年の身体が炎に包まれた。轟轟と激しい炎が立ち上る。それは一瞬で喉を焼いて、悲鳴さえ出せなかった。

 

(術式、術式 使わなきゃ)

 

(あ、カートリッジ、)

 

(ああ……)

 

ぼとり、と一瞬で黒焦げた身体が床に落ちる。

 

それはあっという間にサラサラと崩れて、黒いチリだけが残った。

 

「【仁木さん、私もそっちに行くね】」

 

■■■

 

報告書

 

××月××日 午後××時××秒

 

各地で、原因不明の水死が多発。何れも水場から遠く離れた場所であった。

 

死体に残された残穢を禪院××のものと断定。

 

しかし、下手人は行方不明。

最後の目撃情報は、東京校内であり、目撃者は五条悟。

 

仁木史明の研究室に行ったと証言。

 

高専地下の仁木史明の研究室にて、同人の死体と××××の遺体を発見。

 

仁木史明は水死。

××××は焼死(自殺と判断する)。

 

以上の点から、禪院××は、仁木史明を殺害したさい、彼の『転禍術式』が発動し、巻き添えを産んだものと断定。

 

被害者は海外にも及び、正確な全体数は確認中。

 

なお、日本国内だけで現在856人確認済み。

内、高専所属の呪術師は3名。

 

呪術規定に基づき、禪院××を呪詛師とし、捕縛次第死刑執行するものとする。

 

■■■

 

仁木史明が死んだというニュースは、瞬く間に広まった。

 

彼一人死ぬのに、夥しい数の人間が犠牲になったのだ。死ぬのなら、一人で死んでくれと五条は思う。

 

いわいちゃんの運用や、仁木が行っていた実験の一部のは、他の呪技術部門の人間が引き継ぐようである。だが、今彼らが気にしているのは、空いた統括の席をどうするかである。

 

ぶっちゃけ、自分の研究に集中していたいので、無駄な肩書きはいらない。

自分勝手な技術者達による押し付け合いが始まっているらしい。

 

しかし、その押し付け合いは、思ったより早く収束した。なんでも、彗星の如く現れた新人が、仁木に連なるほどの天才だったらしい。

スピード出世にも程があるが、まあ、仕方ない。皆やりたくなかったことを新人に押し付けたのだ。

 

 

そして今、伊地知の目の前にいる“子供”こそ、新たな呪技術部門 統括である。

 

「初めまして。“岩永 仁郎(いわなが じろう)”と申します」

「…………………………え、」

 

その子供は、伊地知の親友と同じ苗字で、似た顔で……

 

「仁木さんのバックアップとして、彼の思考回路を脳にインストールしています。つまり、三代目加茂憲倫ということですね」

 

かの害悪を彷彿させるような笑みで笑った。

 

 




仁木史明
私のフォロワーにも嫌われてる。TLで彼のことを呟く度に「許さない」とか「燃やせ」とか「ぎぃぃぃぃ!!」とか言われる。解せぬ。

死ぬまで殺せば死ぬ。

少年
禪院××。
妹の幸せを願っていた。

少年の妹
箱入り娘。
「お兄ちゃんのためになるなら」と望んでそうなっていた。魂も箱の中に閉じ込められており、少年が術式を使う度に苦しんでいる。

××××
フォロワーさんが仁木の夢主として作った女の子。通称名無しちゃん。今回勝手に出演させてしまった。ごめんなさいね。

炎系の術式持ち。
失言症のため、仁木からプレゼントされたぬいぐるみ(原材料不明)に代弁してもらっている。
かわいい。

いわいちゃん
バーチャル呪術師。
本名 岩永壱朗

岩永仁郎
岩永壱朗の正真正銘血の繋がった子供。試験管ベイビー。
仁木史明がいわいちゃんを作る時に残った身体からDNAを採取して作った。自身の思考回路を脳にインストールさせたため、仁木譲りの天才的な頭脳を持っている。

自称三代目加茂憲倫。
二代目無邪気で健やかな害悪。




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【番外SS】いわいちゃんと桃ちゃん

まえにTwitterに上げていたSSです。


いわいちゃんは、季節や任務地によって装いが変わる。例えば、冬場になれば、可愛らしいコートを着た姿になるし、古い洞窟の中にいる呪霊の討伐任務では、まるで探検家のような服になったりする。

 

基本的な衣装は、ピンク色のエプロンドレスだが、TPOを弁えて衣装が変わる。

 

西宮桃は、何気にいわいちゃんが好きだった。可愛い。

 

始めていわいちゃんを見た時は、なんだこの巫山戯たやつはとドン引いた。なんだよ、バーチャル呪術師って。どうせ中身はオッサンだろ、とも思ったりした。

 

だが、案外流行も抑えてるし、可愛いお店を沢山知っている。慣れてしまえば、それなりに気に入ってしまっていた。

 

西宮桃は、可愛いものが好きである。そうなるのに、時間はかからなかった。

 

「ねえ、いわいちゃん」

《はい☆ 桃ちゃん☆☆☆》

「このピアス、どう思う?」

《とってもよく似合ってるよ☆ 青い石が、桃ちゃんの髪の色によく映えてる☆☆☆》

 

「ねえ、最近出来た駅前のカフェってどんな感じ?」

《レビュー評価も、SNSでの評判もいいよ☆ いわいちゃんオススメは、いちごを沢山使ったパフェかな☆☆☆》

 

「いわいちゃん、あの映画見た!?」

《うん☆ 桃ちゃんが好きな俳優さんが、とてもイキイキとした演技をしてたね☆☆☆ カッコよかったです☆》

 

こんな具合で、2人は仲良しなのである。

中身がオッサンな可能性を最初は疑ったが、話してみると普通の女の子である。“永遠の18歳”とか抜かしていたから、それなりに年上だろうなとは思っていたが、ノリは西宮と同い年ぐらいだった。

つまりは、話しやすい。

 

可愛くない呪術界において、いわいちゃんの存在は西宮の中で大きくなっていった。

 

「いわいちゃん、可愛いですよね!」

 

そう言いながら車を運転するのは、今回の補助監督の女性である。彼女は、ロリータ系のファッションが好きなので、いわいちゃんのファッションセンスもツボらしい。

 

「補助監督も人手不足が深刻だったんですけど、いわいちゃんのおかげで、潤滑に仕事ができるようになったんですよ。本当にいわいちゃん様様です」

「へぇ、そうなんですか」

「救世主ですよ! 書類整理も手伝ってくれるし……でも、何故かアンチもいるんですよね。あんなに貢献してくれる可愛い子なのに……」

 

アンチといえば、西宮の後輩である禪院真依も、同輩である加茂憲紀も、どうやらいわいちゃんが苦手なようだった。なんでも、いわいちゃんの生みの親が嫌いだとか。

 

詳しくは知らないが、東京校の敷地内に住んでいるらしい。興味は無いが。

 

「生みの親、ってどういうことなんでしょうね?」

 

補助監督も、生みの親に関しては知らないらしい。おそらく、キャラクターデザインをしたとか、そういう感じだろうか。

 

「僕、知ってますよ。素晴らしい方です」

 

西宮桃の後輩に、真依の他にも禪院家の男子がいる。ゴテゴテとした可愛くない匣を大事そうに抱えたやつだ。男尊女卑で、シスコンなので、あまり会話をしたことは無い。

 

今回、同じ任務先へ向かうために同乗していたのだ。

 

先程までずっと黙っていたが、“いわいちゃんの生みの親”の話を聞いて、突然嬉々として口を開いた。

 

「仁木さんは、本当に素晴らしい方です」

「会ったことあるの?」

「無いです! でも、素晴らしい方です!」

「…………」

「このカートリッジを作ってくれて、僕を呪術師にしてくれたんです! 仁木さんのおかげで、僕は呪術師になれたんです!」

 

禪院家の家訓は知っている。呪術師にあらずは、人にあらず。なんて可愛くない文言があるぐらいだから、きっと彼の言う『呪術師になれた』という言葉は酷く重い。

 

「妹も僕も、彼のおかげで幸せです!」

「そ、そう……」

 

その熱量に西宮も補助監督も引いていたが、それでも彼のマシンガントークは止まらなかった。結局、目的地に着くまでその“仁木”という男の話をされていた。

 

■■■

 

数週間後、『仁木さん』に逢いに行くと言って出掛けて言った彼は、『仁木さん』を殺害し、行方不明になった。

 

何があったのか、西宮には分からなかった。

 

■■■

 

「いわいちゃん。その、……亡くなった『仁木さん』って、」

《ボクの恩人です☆》

 

黒いワンピースに身を包んだいわいちゃんは、そう言って微笑んだ。

 

《でも大丈夫。彼の意思は、ボクの可愛い息子が引き継ぐから》

西宮には、なにも分からない。

 

知ってしまったら、何かが終わる気がした。

 



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