神戦のオリュンポス β (田芥子慧悟)
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序章 その日
第一節 失楽園


 ギリシア西方に連なる深緑の山々。

 そのある山の狭間に精霊の森(ニュンペ・ヒューレ )と呼ばれる大森林が広がっている。中央にカロスの湖を置く精霊(ニュンペ)たちの楽園である。

 木々には木精ドリュアス、湖には水精ナイアスが住まい、森精アルセイスが森を統べている。

 その広く美しい大自然は、辺りの山の山精オレイアスをも惹き付けた。

 

 その森にシルヴァというドリュアスの少女がいた。

 ナイアスのアクアとは幼馴染で、カロスの湖の畔で今日もお喋りを楽しんでいる。

 シルヴァはくすんだ緑、アクアは淡い青の髪を長く伸ばした美女で、それぞれが着る白と紺の衣が髪色によく映える。

 胸も程よく膨らんで、あどけない名残の中に何とも言えぬ色香があった。

 

 「その髪飾り、よく似合っているわ。誰かから貰ったの?」

シルヴァの頭にあるカンパニュラの花冠を見ながらアクアが言う。それは昨日までは無かったものである。

「ありがと。アルセイスのクレトラ様に作っていただいたの」

笑顔でシルヴァが返すと、

「ふーん……あの人に…………。あっ、私も髪飾り作ってもらおうかなぁ?」

「良いと思う。でも、今日はおそらく無理よ。昨日お聞きしたんだけど、今日は霊峰学園へ行かれたらしいわ」

「そっか。じゃぁ、また明日だね」

「そうね」

と、2人の会話が続く。

 

オリュンポス高等神聖学園、通称「霊峰学園」。ギリシア北方の霊山オリュンポス中腹にある、世界唯一の神霊教育機関である。

 全能の神王ゼウスが学長を務め、その他にも多くの神々や英雄が教職に就く、言わば至高の聖地。

 この学園の最も重んじるのは、戦士の育成。武術や魔術などの実技を根幹に、天文学や歴史学、各種芸術なども座学も学ぶ。

 そして、学園そのものが神々の三派の1つ、「主神派」の総本山。有事には、教員皆が戦闘に直行できるようになっている。

 シルヴァ、アクアを含め、森の多くの精霊(ニュンペ)たちが来年、この学園への選別試験を控えていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 同日。「主神派」と敵対する三派の1つ、「女帝派」の美しき怪女エキドナは数百体の怪物を引き連れ、精霊の森(ニュンペ・ヒューレ )の遥か上空に佇んでいた。

 「ねぇ、オルトロス。一応、確認をしておくわ。例のアレを持っているのは、この森のクレトラって女で間違いないのよね」

エキドナは風にその赤毛を靡かせ、森を見下ろしながら聞く。

「あぁ、主の言うことだ。間違いない。ただ、その姿はおろか、種族すら分からぬのだ」

蛇の尾と犬の双頭。エキドナの子であり、夫でもあったま怪物オルトロスは彼女にそう返事した。

 

 夫でも"あった"というのは彼が一度死んでいる身であるからで、その『主』が復活せしめたのである。今は「エキドナの夫」としてではなく、「エキドナの子」として今、ここにいる。

 

 「知ったこっちゃないわ。全員殺せば同じことよ。ねえ?」

エキドナは言うと、後ろの百頭竜ラドンに目配せする。

「そうだ。そのためのお前と私、そして、秘薬の魔女(キルケ)から貰ったこの怪物数百だろう?元より、我々はこの森を女帝派の縄張りにせよとあの方に命じられたはずだぞ」

そうオルトロスに語りかけた彼もまた、一度死んでいる。そして、やはりこちらも『主』によって復活している。

 「そういうことよ」

「ならば、早く始めてくれ!俺は早く精霊(ニュンぺ)の体を弄び尽くして、絶望の顔見ながら丸呑みにしてやりたい!」

「あなた、昔からそうよね。性欲が強い上に性格まで悪い。それに、せっかちだわ」

涎を垂らして興奮するオルトロスに、エキドナは冷たく言う。

 「黙れいっ!母上が俺の豪快な責めに虜になって、毎晩毎晩可愛く鳴いていたこと、俺は覚えてるぞ!」

「それとこれとは別よ。だって、今回は相手が妻でもなければ、顔見知りですらない。ただ美しいだけの精霊(ニュンペ)だもの。」

「美しい"だけ"だと!?美しいってことがどれだけ祖剃られるか、母上にはきっと分からんことだろう!女だからな!それに、俺は母上が美しい方だからあんな行為に手を染めたのだ!なあ、ラドン!貴様なら俺の気持ち、分かってくれるだろう?」

 まるでかつての夫婦喧嘩を見ているような楽しさを感じていたラドンであったが、急に話を振られて、少し戸惑う。

 

 「まぁ……父上がエトナに封じられたと聞いた時、母上が私を次の夫にしてくれないだろうかと期待はしていたが」

気付けば彼は飛んでもないことを言っていた。

 「だろっ!?貴様かケートスかのどちらかが母上を寝取りに来ないか毎日ヒヤヒヤしてたもんだ」

オルトロスが向ける安堵の目が事の重大性を表していた。一方、母親の目は何か微妙なモノを見ているかのような感じである。

 

 ───何か言い訳をせねば!

 

 それが母親の前で失言を犯してしまった男の咄嗟の思考であった。

 

 「あ、いや……!あの、母上……?今のは……その……!」

しかし、ラドンは言葉に詰まり、そのまま萎えて黙りこくってしまう。

 そんな彼の背中をオルトロスは優しく叩いてやる。

「同情よりも、女が欲しいな。こうなりゃ、ヤケ女じゃ...!」

とラドンが涙目で言うと、オルトロスは

「じゃあ、良い感じの精霊(ニュンペ)見つけたら、舐め回したり縛りつけたりして楽しもう。」

と提案。ラドンはコクリコクリと黙って頷いた。

 エキドナはラドンまで性欲の強さを晒し始めて、深くため息をついた。

 

 「準備は整ったわ。まずは私が湖を吹き飛ばして、木精を弱体化する。」

さて、そう馬鹿なことをしている内に占領の準備は整っていた。見ると、数百の怪物たちが森の上空に満遍なく散っている。

「その後に怪物を落として目に映る全てを喰らわせる。その邪魔をしない程度なら精霊(ニュンペ)を捕まえて、何をしようがよしとするわ。ただし、ラドンは森を炎に包んでからよ。」

それから、作戦を伝えると彼女は落ちていった。

 オルトロスとラドンも自身の役割を果たすため、そして何より私欲を処理するため森へ降りていった。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 空に見える一条の流星。

 しかし、それは明らかに異常であった。何やら強烈な霊気(オーラ)のようなものを感じられるのである。

 

 「ねぇ、シルヴァちゃん…………。あれ、何?」

アクアがシルヴァの肩に右手を置き、もう片方でその流星を指差す。

「えっと、あれは…………流れ星……?かな?」

シルヴァは小首を傾げて言う。

 だが、それからしばらく見つめていて、それが流れ星などではないことをシルヴァは知る。

 気付けたのは、彼女が幼い頃から眼を鍛えていたことの賜物であった。

 それは()()()()()()()である。

 

 おそらく、アレはもうすぐ湖に落下する。あの高さ、あの体躯が目の前に落ちたと考えるとその威力は計り知れない。

 「アクア、逃げましょ。できるだけ遠くに!アレは流星なんかじゃなくてどっかの怪物。あんな大胆に見参するような奴が私たち味方な訳がないわ。ううん、味方だったとしてもここにいては危険よ。吹き飛ばされる!」

とシルヴァは言って、アクアの手首を掴む。

「う、うん」

彼女の視力の高さを知っていて、嘘をつくような子ではないということも知っているアクアに疑う余地など微塵もありはしなかった。

 「皆も早くここから逃げて!あの怪物...もとい、流れ星に吹き飛ばされてちゃう!」

シルヴァはアクアを引っ張りながら、辺りの精霊(ニュンペ)に叫ぶ。一瞬、疑念を抱いた彼女たちであったが、空を見るとすぐに走り出した。

 その時、既に怪物の姿がハッキリと見えている。

 

 ゴガァァァァァァッッッ!!!

 

 間も無くその怪物は勢いよく湖に激突。そのあまりの凄まじさに湖水の緩衝もあまり意味を成さなかった。

 「「きゃぁぁぁぁぁっっっ!」」

響くシルヴァとアクアの悲鳴。余った威力は爆風と化した。湖水は一瞬にしてはね除け、砂塵が巻き上がり、辺りの精霊(ニュンペ)たちは吹き飛ばされる。衝撃波で周辺の木々も次々と倒れた。

 「嘘…………」

「そん、な…………」

砂塵に服の所々を破かれ、全身の傷が激しく疼いている。その痛みを堪えて、立ち上がった2人は惨状を目の当たりにした。

 湖はほとんど吹き飛び、残された水は赤く濁っている。

 次々と浮いてくる精霊(ニュンペ)の死骸には吐き気を催した。そのほとんどが欠損か肉片だったのだ。

 半人半蛇の怪物は下の蛇で死骸を掴んでは、上の女が喰っていく。

    湖畔にも死骸は転がる。顔は岩や木に当たって血みどろとなり、服は縦に裂けて胸が露出している。彼女たちとまた、怪物の糧となった。

 「う……くぁっ……!」

「あぁっ……!」

「くぅうっ……!」

そして、1人、また1人と残った精霊(ニュンペ)たちも締め殺された。

 

 シルヴァとアクアは目を背けるように走り出す。

 逃げ惑っている内、空からは怪物の雨。かと思えば炎の霧。四方八方から悲鳴や断末魔、何やら別の類の声も時折、聞こえる。

 それでも、シルヴァとアクアは構わず走り続けた。ただ、生きてこの森を脱するために。

 

 しばらくして、森の出口が見え始める。

 「もうすぐだよ、シルヴァちゃん!」

気付けばアクアが先を行っていた。シルヴァは湖の水を多量に失って、棲んでいた木も燃え尽きて聖魔力、言えば精霊(ニュンペ)たちの生命力の根源がなくなっているのだ。

 そして、ついにシルヴァは聖魔力の枯渇し、動けなくなってしまう。このまま、聖魔力が完全に失われればそれは"死"を意味する。

 だが、彼女は聖魔力を補う方法を知っていた。

 

聖魔力には火属性、水属性、木属性、土属性、光属性、闇属性、無属性の七種ある。

 神や神霊の汗、唾液、血液などの体液はそれを多量に含んでいる。自然物も聖魔力を孕むが、含量はその比でない。

 それを摂取するのが、聖魔力を補う一番の方法だ。

 得られる属性は、それぞれの神格に応じて変わる。

 そして、木属性の精霊(ニュンペ)ドリュアスには水の聖魔力を吸収し、木属性へ変換する術がある。水の聖魔力さえ得られるなら、木を失っても生き永らえることができるのだ。

 

 「アクア、嫌だったらごめん……!」

「え……。んむっ……!?」

シルヴァは最後の力でアクアに飛びかかり、その唇を奪い取った。

 唇の隙間から吐息が漏れて、肌に感じる互いの鼓動が倍加する。

 アクアは目を丸くし、戸惑った。

 だが、シルヴァの唇の柔らかく温かな感触に安らぎが湧いてくる。

 思わず頬が熱くなって、口を緩めてしまう。

 「んんっ……!」

その隙を見て、シルヴァはアクアの中へ舌を押し込んだ。

「んっ……!?」

アクアは一瞬だけ驚き、舌を受け入れる。今はただ、初めて知るこの気分に酔いしれたくて、抗う気は起きなかった。

 舌と舌が縺れ合い、互いの唾液が混ざり、シルヴァに段々と精気が戻り始めた。

 「ん……んんっ……。」

アクアは甘美な声を漏らして、シルヴァとの深く濃厚なキスをたのしむ。

 幾度も唇と唇が重なっては離れ、重なっては離れした。

 

 それからどれほどの時が経ったのかアクアには分からなかった。

 シルヴァとのキスの快楽に溺れて、時間を忘れていたのだ。アクアはそれが恥ずかしくてたまらなかった。

 シルヴァも途中からはあまりに気持ちが良くて、聖魔力が戻ってもなお、舌を絡めていた。それが分かって、彼女も流石に恥ずかしくなる。

 見つめ合う2人の頬は火照り、息を乱している。

 

 その間、彼女たちの行為を邪魔する者はいなかった。

 全て終わると2人は目を逸らしたまま、手を繋いで森を出る。

 お互い、恥ずかしさで全身が熱っぽく感じられた。

 しかし、シルヴァの心の奥底に眠っていたのは冷ややかなる意思であった。

 

 ───いつか、地獄を見せてやる……

 

 故郷を奪った魑魅魍魎への激しい憎悪、そして、復讐心である。



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第二節 原初の剥片

 シルヴァたちが森を抜け出したのと同じ頃。

 燃え盛る木々の真ん中で、アルセイス、ナイアスはラドンに縛られたままになっていた。

 丁度、オルトロスとラドンは事を終え、もう満たされたのか2人を喰らおうとしているのだ。

 

 「フハハ、堕ちたな……。やはり、処女は優しく責めるに限る」

「クックック……。あぁ、お前の言った通りにして正解だった。あえてぶち込んでやらないのも効いたかもしれぬな。万一孕ませては処女に申し訳がたぬだろう?」

 強姦されたのに、2人はどこか愛人との事後のようにすら感じていた。乱暴はするくせに、その責めは的確で丁重だった。

 その感情は怪物どもの下賎な談笑を聞いても冷めることがない。処女を労るならそもそも犯すな、と心の底から思えたらどれほど楽だったろう。

 「どうやら、あながち間違いでもないようだな」

不敵な笑みを残し、ラドンは見下ろして言う。

「ほぅ?続きをご所望か?」

その言を聞くなり、オルトロスは問う。

 2人は揃って首を横に振る。だが、身勝手な体は無意識にそれを求めていた。

 「素直になれ、精霊。どうせ、最期なのだ。恥辱など捨て置け」

オルトロスは喜びが隠せず、ついに殺気を露にする。

「さい、ご…………?」

「そう、最期だ。お前の体は十分楽しんだからな。続きを望まぬならお前を食って、他の女とも楽しむとしよう」

アルセイスは冷や汗をかく。犯された上に殺される。体が満たされたとて、これ以上の惨めはない。

 最悪の言葉を返したラドンは、オルトロスともども残忍な獣の目になった。

 

 向けられた色欲は殺意となり、羞恥が恐怖に変わる。

 「良い!やはり、犯した女の淫靡な顔が絶望の顔に変わる瞬間は最ッ高だ!もはや、挿れるより気気持ちがいい!!」

オルトロスが高らかに声をあげると、

「やはり、お前は趣味が悪いな。母上のおっしゃる通りだ」

ラドンにまで引かれる。だが、聞く耳など持つはずがなく、

「ええいっ!煩い!貴様も俺に乗っていたではないか!その時点で貴様も同罪だ!そんなことよりさっさと食って次行くぞ!!!」

と返るのみだ。

 ラドンは呆れてため息を漏らしつつ、首のほとんどをほどいて、2人を逆さに吊らす。

 そして、怪物どもは口を大きく開いた。

 

 「テオスグロスィヤァッ!」

 

 その刹那、聖魔力を纏った巨大な拳がオルトロスの片首を強打する。その衝撃は首を伝ってラドンにも伝わり2体揃って吹き飛ばされる。

 オルトロスは咄嗟に体を聖魔力で覆ったが片首は失い、もう一方も片面の毛皮が剥げる重傷。ラドンには目立った外傷はなかたっが全身に鈍痛を覚えた。

 

 「単純なパワーも魔力出力も桁違いだったな……。一体、何も、の?」

オルトロスは立ち上がり、さっきまで自分がいた方を見る。そこには不本意ながら見覚えのある姿があり、大いに驚いた。ラドンも遅れて驚愕の表情を浮かべる。

 筋肉質なその巨躯と剛腕剛脚は彼の怪力を物語り、その優しくも勇ましい面構えは奥に悲痛も秘めた感じがして、彼の苛酷な過去を暗に示している。

 

 「「ヘラクレスッ……!?」」

2体の怪物は声を揃えてその名を呼ぶ。そう、彼こそが最強の半神ヘラクラス。主神ゼウスとそのダナエ方の曾孫アルクメネの間に生まれ、後に十二功業を成し遂げた男である。

 今はオリュンポス学院の武術講師も担っていた。

 「お前らは……。まさかオルトロスとラドンか……!?」

「ご名答だよ、ヘラクレス」

ヘラクレスも目の前の2体を見て驚き、オルトロスは彼へ含みのある賞賛を送る。

 「いや、あり得んだろう?お前らはあの時、しっかり仕留めたはずだ。死んだのもしっかり確認した!なぜ、生きているのだ!?」

だが、ヘラクレスは未だ信じられない様子を見せた。

 「貴様には貸しがあるとは言え、別に隠すことでもない。教えてやろう。まず、俺たちが死んだことに間違いない。だが、主に召喚されて再び現界したのだ。女帝派の傀儡としてな」

だがオルトロスの言を聞き、ヘラクレスは敵前で黙考に沈む。

(召喚術か……。確かにそれなら辻褄は合う。ペルセポネ様の報告では召喚術師の話など一度も聞いたことはないが……いや、そんなことより……っ!?)

 

 ヘラクレスは左に殺意を感じ、反射的に腕をやる。威力こそ強くはなかったが、オルトロスを怯ませるは十分であった。

 「敵の前で考え事とは随分と余裕だな、ヘラクレス」

オルトロスは言う。ヘラクレスは一切動じず、

「いや、問題はない。主がどれほど優秀な召喚術師であろうと、お前らが弱いことに変わりはないだろう?そんなことより……」

と彼らを煽ってでみせた。

 「また、貴様は次から次へと謗り言を重ねおって…………!!!」

「絞め殺す!」

怒りを覚えたオルトロスとラドンの声が重なる。百の首がヘラクレスを縛り、百の頭が火の粉を吹く。

「フンヌッ!」

しかし、ヘラクレスはいとも簡単に全て千切って解く。

 そこへ間髪入れず、オルトロスが飛び掛かる。

 ヘラクレスは片手で頭を掴んで止め、そのまま握り潰そうとする。

「クッソ……!こんっの……ウォラァァァッッッ!」

すぐに顔の肉は裂けて歪み、鮮血が弾ける。オルトロスは聖魔力を込めてヘラクレスの頭を殴る。刹那、握る力は少し弱まり同じく聖魔力を込めた蹴りを食らわして隙を増やし、何とか死を免れる。

 「九死に一生を得たな、オルトロス」

「ホント、絞った後の果実みたいにならなくて良かったよ」

皮肉を掛け合い、互いに睨み合い、激突する。そこへ後ろからもラドンの攻撃。

「やはり、首を落としただけでは気配で察知してくるかっ……!」

言いつつヘラクレスはまずラドンの尾を掴み、その体を思いっきりオルトロスの頭を叩きつける。

 「テオス……」

「おぅらっ!」

ヘラクレスは聖魔力を込めて拳を引き絞る。と、同時にオルトロスは彼の顔目掛けてラドンを蹴り飛ばす。その顔が覆われたことで一瞬の隙が生まれ、オルトロスはまた死を免れた。

 

ドゴガァァァッッッ!

 

 地面を殴ったヘラクレスをさらに大爆発が襲う。ラドンが残る火属性聖魔力を暴発させたのである。

 ラドン自身の命を脅かしかねない捨て身の策。一帯の木々が灰となって吹き飛び、地面に大きな窪みができた。

 だが、ヘラクレスの聖魔力の鎧は爆発の威力をかなり殺してしまった。全身の痣と顔の火傷以外に目立った外傷はない。

 だが、ラドンの姿は何処にもない。肉片どころか、血すら見られなかった。

 「化け物め……」

「お前も化け物だろう、オルトロス!」

 ヘラクレスは炎を手で払って吹き飛ばし、再びオルトロスに殴り掛かる。これをかわしたオルトロスは向こうへ走り、遠吠えする。

 「「「「「「キャオオオオオッ!!」」」」」」

その遠吠えに呼応するかのように茂みの中から小型の怪物6体が襲いい掛かる。しかも、ヘラクラスを囲むようにして。

(こいつら、知性があるタイプか……っ!)

ヘラクラスは地面を叩き、その衝撃で6体を一気に倒す。

 そこへ、今度は横から中型の怪物1体が突進する。ヘラクレスは何とか踏み留まって振りほどいた。

 その頃には既にオルトロスの姿は見えなくなっていた。

 

 「これは一体どういう状況かしら、ヘラクレス。森中の怪物どもが一斉にこちらへ向かってるわよ」

と、突如そこへ女の声が割って入る。その声の主は魔術師メディア、裏切りの魔女と知られながらも実力のみでオリュンポス学院の魔術講師となった女である。ヘラクレスとは金羊毛を求めたアルゴー船の頃から面識がある。

 「メディアさんか……。すまない、こいつを倒すまで待っていてくれ」

「いえ、不要よ。吹き飛んで!」

メディアが中型へ杖を向けて言うと、その言葉通りそいつの体が吹き飛んだ。

 呪詞による最も原始的な魔術である。単に言葉による現実歪曲であるために、その効力は術者の実力や施す対象が何かによって大きく左右される。

 「流石はメディアさんだ。言葉1つで怪物を葬るなんて。俺も呪詞は使えるが、他に対してあれだけ強い言葉をぶつけても全く効果がない」

「私でも雑魚にしか効果ないわよ。それに、私は魔術師なの。あなたより呪詞も長けていて当然だわ。それに、あなたには自己暗示の呪詞が向いてると前にもいったでしょ?」

ヘラクレスは誉めるが、メディアは軽くあしらって防護結界を張る。

 

 「で、どういう状況なの?」

その中でメディアはヘラクレスに聞く。

「オルトロスとラドンに会った。どうやら、何者かに女帝派の傀儡として召喚されたらしい。ラドンは死んだが、オルトロスには逃げられた。で、奴は逃げる時に遠吠えをしたんだ。その瞬間、小型6体とさっきの中型が襲い掛かってきた。怪物どもがこちらへ向かってきているのもその遠吠えの影響だろう」

彼女の問いに彼はそう答えた。

 「なるほど……。状況は大方理解したわ。でも、引っ掛かるわね……。召喚術は異界からその魂と肉体を接合して現界させる術よ。当然、死者を召喚する場合は冥界から魂を解き放つ必要がある。いくら傀儡としてでも、同盟相手であるハデスの反感を買うようなことするかしら?女帝派は」

「あぁ、俺もそう思って聞こうとしたんだが奴ら、とても話を聞いてくれるような雰囲気じゃなくてな。脅して聞こうとも思ったんだが、ラドンの自爆攻撃食らって怪物どもの奇襲に合って結局、聞きそびれちまった」

「そう……。だとすると、冥界に魂を残したまま死者を蘇生する固有魔術でもあるのね。例えば、魂の複製。それができれば、複製した魂を肉体に宿して蘇生は完了よ」

「固有魔術か……。まぁ、そうでもなければハデス様の許しは得られないか……」

「えぇ、魔術師の予見を信じなさい」

「当然だ。疑う理由がない」

 メディアは結界を解いてヘラクレスと立ち上がる。

 

 ちなみに、固有魔術とはそれを使いこなせるか否かが魔術師としての格を大きく分ける術者専用の魔術である。

 固有魔術は特異的な魔術効果しか持たないが、それだけで戦況をひっくり返されることも珍しくはない。

 それは必ず予測不能を生むからだ。

 

 「それはそうとして、ヘラクレスはこれからどうするのかしら?今から、生徒たちを呼ぶにしても来るのに半日はかかるわよ?生存者を助けるというなら私も協力するわ」

「あぁ、助ける。できるだけ多くな。メディアさんにも協力してほしい。だが、そこの子たちはオルトロスたちに犯されたみたいなんだ。まず、その子たちを学院の医務室へ連れていってあげてくれ。」

「分かったわ。この子たちを送り届けてから、あなたに加勢すれば良いのよね」

「あぁ、助かる」

 メディアは確認だけ取ると、アルセイスとナイアスを背中のマントで包み、空間が引き裂かれるようにして現れた闇へと消えた。

 

 ヘラクレスもそれを見送ると、背中の棍棒を手に取り、茂みの中へ走り出していく。

 そして、彼はこの森の何処かにエキドナがいることを肌に感じていた。ヘラクレスはかつて彼女と交わったことがあり、その名残が共鳴を起こしているのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その頃、件のクレトラは学長室の前にいた。

 栗色の毛は控えめな胸の辺りまで伸び、瞳は深い琥珀の色で唇は仄赤い。肌は白く、鼻も口元も形よく突き出ている。

 まるで人形のような美しさだ。

 

 「ゼウス様。先日、ご伝令奉りました森精クレトラでございます。例の物のお渡しに参りました」

クレトラは扉を叩き、丁重に入室の旨を伝える。

 すると、中から少し老いた声で、

「入ってよいぞ、クレトラよ」

と許可をされる。

 

 学長室には学長自らが施した幾重もの結界が張られている。

 その中の1つ、一番外側にあるのが学長の許可なしに侵入を拒む排斥結界である。

 「失礼いたします」

クレトラはそう言ってから、扉を押した。

 部屋には二柱の神がいる。

 片や、オリュンポス学院学長、神王ゼウス。銀髪を伸ばし、同色の顎髭を垂らすその顔はとても勇ましい。

 片や、オリュンポス学院教頭にして神王の側近、伝令神?ヘルメス。頭には翼ある旅人帽、手には伝令宝杖ケリュケイオン、足には黄金の革靴をそれぞれ携えている。

 「ふむ……。精霊(ニュンペ)というのは等しく美しいものだな、ヘルメス」

「当然ですね。美女でない方がおかしいぐらいですよ。精霊(ニュンペ)の姿は人や神の理想を反映するって話、知ってます?」

クレトラを興味深く観察するゼウスにヘルメスはそう諭す。

 「随分と辛口ですのね。素直に褒めていただいても、よろしいのではなくて?」

クレトラは笑んで言う。その笑みの裏にはそこはかとない恐ろしさが眠っていた。

 「いやいや、本当のことでしょ。事実を言って何が悪いのかなー?僕は伝令神。嘘なんてつ・け・な・い・か・ら・ね」

しかし、ヘルメスは怖じ気づかないどころかさらに失言を重ねる。

 

 瞬間、その頬を光の矢が数本掠める。矢はゼウスが部屋に施された結界に砕かれたが、クレトラの怒りは収まってはいなかった。 

 「よく言いますわ。わたくし、知っていますのよ。ヘルメス様は非常に多才なお方で、特に嘘はお得意ですわよね。その嘘で何人の乙女をたらしこんできましたの?笑わせないでくだいな」

彼女は恐ろしい笑みを浮かべながら掌の上で光の槍を生み出した。

「へぇ、光を編んで武器を造れるんだねぇ……。それ、何かの鍛冶魔術?それとも、光属性の拡張魔術か何かかな?」

ヘルメスも流石に若干冷や汗を浮かべて問う。

 「いいえ、どちらでもありませんわよ。『レプリフォス』、光から万物を複製する。わたくしの固有魔術ですの」

クレトラは答えると同時に槍を撃ち出す。それはヘルメスの首をまた掠めて、後ろの結界に砕かれる。

 その結界も槍で少し歪んだのが分かった。

 

 「ほぅ……。いくら比較的軟弱な第十一結界とは言え、一撃で歪めてみせるとは……。クレトラよ、さては本気か?」

歪みながら治しながらゼウスは言う。ヘルメスはその言葉を聞くなり、

「ハッ、ハハハハハ……。面白い固有魔術じゃないかっ……!ほ、褒めてやろう!」

と青ざめた顔でクレトラを見た。

 「お褒めに預かり光栄ですわ……ヘルメス様ッ!!!アステル!」

クレトラは言うと、続いて数十の光弾を浴びせる。

 見かねたゼウスは一瞬だけ防御結界を解く。おかげで光は一直線にヘルメスへ。

 「ゼ、ゼウス様!ま、まぁ、僕が本気を出せばチョロいもんだけど、ねぇ?炎よ、星を喰らいて焼き尽くせ」

ヘルメスがそう唱えると、右手に炎が現れてクレトラの放った光弾を呑み込む。

 「流石はヘルメス様……。呪詞も強力ですわね」

「でしょー?見ての通り、君の本気は僕の本気に到底及ばないの。あと、すぐヒスる悪癖は直した方がいいね。モテないよ?」

その本気を前にクレトラの憤怒は鎮まりかけていたこな、ヘルメスの言葉で再び火が点いていしまう。

 「レプリフォス」による極大武具の生成が始まった。

 

 「その辺にしておけ、ヘルメス。話が進まん」

「ですが、先に手を出してきたのはあっちじゃないですか!?」

「口答えするなよ、下級神が。お前も雷霆に粉砕されてみるか?」

ゼウスは仲裁に入り、脅しでヘルメスを黙らせた。

 「すまんな、クレトラよ。こいつは戯けるのが大好きなのだ。だが、これでも私の付き人としは優秀でな」

「いえいえ、そんなー」

自らの主に褒められ照れるヘルメス、それを微妙な目で見つめるクレトラ。

 「ただ、尊敬はできんな。その点、お主とはわかりあえると思ってる」

「は!はぁっ!?ゼウス様以外なら、ぶっ殺してますよ!今の発言!!」

「あらあら、癇癪持ちはモテないとあなたがおっしゃいましたのに」

「う、ううう、うるさいっ!さっさとブツを出せ!」

痛い所をつかれたヘルメスに先程までの軽薄さは見当たらなかった。

 

 「急かされなくとも、元よりそうするつもりですわ。こちらでお間違いはないでしょうか、ゼウス様?」

クレトラは自らそれを切り上げ、そう言って巾着から黒片取り出す。

 ゼウスはそれヲ受け取る

「間違いない。神威宝器(デウス=レガリア)、開闢体。我々主神派の収集物の1つだ。実際は、何か企んでる女帝派の手に渡るのを防ぐためだがな。」

 

 ゼウスは言うと、その開闢体を机の引き出しに納め、

「帰ってよいぞ、クレトラ」

と言う。その言葉に呼応して、学長室の扉が開く。退室許可、あるいは退室催促の印である。

 だが、クレトラは振り向かず、

「これは純粋な疑問なのですが、開闢体とはどういった宝器なのでしょうか?女帝派が狙っているということは、物なのでしょう?」

と問う。

 「すまんが、それは最高機密でな………。余計な詮索などしないで欲しいが、どうしてもというなら誕生の経緯ぐらいは話そう。それで手を打ってくれんか?」

「構いません。打ち明けられる分だけでもお聞かせください」

ゼウスの少々不服な顔とクレトラの怪訝な顔が睨み合う。

 

 そして、全知全能の神はこう告げた。

「きっかけは太古の神戦、巨神大戦(ティタノマキア)だった。戦で幾度も神の力が衝突したせいか、原初神カオスは一部が結晶化したのだ。それも我が雷霆を受けて灰燼となり、世界中に四散したという訳だ。その灰燼こそが開闢体、()()()()()とも呼べるな」

と。



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第三節 炎海の森

 ヘラクレスは疾走する。行く先の木々を素手で歪めて飛び越え、襲い掛かる怪物を棍棒で吹き飛ばし、心眼に見る正面、精霊(ニュンペ)を襲う大型の怪物目掛けて飛び上がった。

 (あの大型、鎧を纏っているな……。それに魔力で強度が上げている。ならば……!)

棍棒を両手で強く握りしめ、その太い先の部分へ聖魔力を流し込む。聖魔力は白く輝き、棍棒を振り上げると、後ろに尾を引いた。

 そのままの体勢でヘラクレスは大型に突っ込み、

「アダマスローパロン!」

と叫び、棍棒を降り下ろす。打撃本来の衝撃に白光する聖魔力が載り、怪物の頭は冑ごと真っ二つとなった。

 「えっ…あの…あ、ありがとうごさいま…」

「あぁ、礼はよい。俺が助けたくて助けたのだからな」

その死体を蹴り退けながら、ヘラクレスは礼を言う精霊(ニュンペ)を制し、右肩に乗せる。

 「さぁ、お嬢さん。力を抜いて。今から他の皆も助けにいくから。」

ヘラクレスは優しい顔で、精霊(ニュンペ)を宥めた。

 ヘラクレスには多くの子がおり、その分、子守には慣れている。その恩恵は初対面の精霊(ニュンペ)をも安楽を享受させた。

 

 ヘラクレスは彼女を乗せたまま再び駆け出した。

 見事な体幹で精霊(ニュンペ)は決して傾けず、木々の間を飛び越え、腕の力のみで襲い来る怪物たちを打ち払い、また1人また1人と精霊(ニュンペ)を助け出し肩へ乗せていく。

 その巨躯はもちろん、肩の許容量も並みのものではなく一肩に4人は横並びに乗せることができた。

 されど、限界はある。その幅広い肩が両側埋まると、右の脇で挟み、右手で服を掴んで最終的には十数人の精霊(ニュンペ)を積載した。

 それでも、ヘラクレスの脅威は著しく収まることなく、怪物たちたちを無類の怪力で圧倒した。そればかりか、その十数人全員を一度たりとも負担を感じさせることもなかった。

 「そろそろ限界だな、流石に……。」

ヘラクレスは積載する精霊(ニュンペ)らを見て呟く。そんな彼を彼女たちも上目で見つめ返した。

「しっかり掴まれよ、お嬢さん方。飛ばすぞ!」

「え……」

そこをヘラクレスは言葉で返し、戸惑いながらも精霊(ニュンペ)はそれぞれ彼の肌を掴んだ。

 すると、ヘラクレスはすぐさま聖魔力を足先へ。溜め込むとともにこれを圧縮し、

「エクスアケレラ!」

と唱えるともに足裏から一挙に放出。その勢いは音速を超え、その衝撃は辺りの炎を盛る木々ごと吹き消した。

 直線距離でも数十キロはある学園の間を1分近くで走り抜け怪我人は医務室、そうでない者は応接室へ。

 そして、再び先程と同じようにして超速で学園を飛び出し森へ戻っていく。その衝撃は窓を砕き、庭木を吹き飛ばすが、しばらくすると一人手に元へ戻り出した。

 生徒たちもそれを知っているからか、気を逸らすこともなく講義に耳を傾けていた。

 その頃には既にメディアも森へ戻ってきていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 「アッハッハッハッ……!皆殺しよ、皆殺し!ウフフ…全く、蹂躙ってのは気持ちが良いわねぇっ!最ッ高!」

一方、強襲者の頭エキドナは精霊殺しに異常な程の愉悦を示し、屍を喰らいつつ森を進んでいる。

 喰らうことで屍は魔力に還元し、今のエキドナは魔力量が無尽蔵であるも同然である。

 「アステル!」

「ポタ厶ヴェロス!」

「エネルスフェラ!」

一部の精霊(ニュンペ)は逃げながら砲撃魔術で応戦。エキドナは下の蛇に聖魔力を込めて全て打ち消すと、そのまま蛇で突き刺し等しく葬り去った。

 「くたばれ!」

「あらあら、くたばるのはそっちよ?」

後ろから斬りかかった1人の精霊(ニュンペ)も、聖魔力を纏った拳で腹から上を吹き飛ばされ死す。足の遅い精霊(ニュンペ)も容赦なく剣で背中から斬り裂かれ死す。

 異界宝器(イグノランティア)の1つ、アロンダイト。3人斬り捨て魔剣に堕ちた騎士ランスロットの愛剣である。

 その切れ味は凄まじく一撃で肉を絶ち、骨を割り、斬られた者は1人残さず両断の屍となってエキドナの体内へへ入っていった。

 

 アロンダイトを含めあらゆる異界宝器(イグノランティア)は本来女帝派の所有。

 女帝派は叡知の女神メティスから知恵を得、異伝の知恵を得、聖魔法「デュミナス」により異界宝器(イグノランティア)を召喚するのだ。

 かつてゼウスの体に囚われていたメティスは、数年前ヘラの一行に救いだされて以来、女帝派に忠誠を誓っている。

 

 エキドナは次から次へ精霊(ニュンペ)を斬り捨て、今1人の森精に斬り掛かろうとしていた。

 長い黒髪の彼女はグリシナと言って、精霊の森(ニュンペ・ヒューレ)を統べる十二の森精の長である。護衛を十数人連れていたが既に皆殺られていた。

 「ダソスアスピダ」

グリシナは唱えて振り向き、アロンダイトを弾き返す。

「フォススフェラ」

怯んだところへさらに光弾を散らし、エキドナはこれを蛇で一つ一つ払って落とす。グリシナは撃ち続けながら走っていく。

 「待ちなさいっ…よっ!!!」

光は弾が切れると、エキドナは蛇を伸ばしてグリシナの足を狙う。グリシナは咄嗟に横へ飛ぶ。遅れて迫る別の蛇を感知し、彼女は宙で体を捻り、

神令聖術(エトスマギア)っ!」

と手を翳す。すると、蛇の先端を包むように木の球が生まれる。

 グリシナはその球を回し蹴りし、蛇の軌道を逸らすと再び森の外へ走り出した。

 

 世界、さらに言えば地母神ガイアから神や神霊に与えられる天与神命(てんよしんめい)は彼らの聖魔力を一属性に制限し、役儀を定める。

 この天与神命(てんよしんめい)はゼウスすら逃れられぬ絶対の掟である。彼の者が全知全能であるのは世界の支配者故に世界の全てを知り、世界にある全ての力を宿し、それを世界に住まう者は全知全能と呼ぶ、という一種の錯覚である。

 世界の外側、"天"を含めば全知全能の神は一柱も存在しない。

 神令聖術(エトスマギア)はその天与神命(てんよしんめい)そのものが与える神や神霊の種により変わる、聖魔法である。ただし、それは聖魔法の極致であり、用いるにはその域への到達を要する。

 森を司るアルセイスの神令聖術(エトスマギア)は自身を中心とする一定領域内の任意の場所に任意の形状で木を生み出す樹造聖術(じゅぞうせいじゅつ)であった。

 

 「神令聖術(エトスマギア)……。あなた、その域に達しているのね。何者かし…ら?」

エキドナは球の付いた蛇を切り落としていると左方から魔力魂が迫るの感じる。そちらを向いた頃には既に遅く、光条が懐に入り込んでいた。エキドナは直ぐ様体を聖魔力で覆うが、それすらも貫き光は貫通した。彼女は

「な…にが……?」

と困惑の声を漏らし、穴から血を吹き出して地に倒れ伏す。

 そして、グリシナはすぐ見えなくなった。

 

 「なるほど……。やっぱり、『ダクテアクティス』は重ね掛けすると有効射程、弾速、そして威力も上がるんだね…。女王を逃がせてよかったよ」

それを遠目に見ながらオレイアスのペトラは銃形の手を下ろし、背を向ける。短い髪が炎光に照らされ金色に輝いている。

 と、その刹那。オレイアスの後方一帯の燃える木々が斬られて宙に舞う。

 「なっ?」

ペトラが振り向くと斬り飛ばされた木々は全て上端で自らを睨んでいた。

「っ……!」

その木々は間もなく、聖魔力に包まれたかと思えば全て断面に噴き出して推進力となり、一斉に降り掛かかってくる。

 「ペトロアスピダっ!」

ペトラは地に手を触れ、防護の岩盤を半球状に構えて、自身を包み込む。木々は次々この岩盤に激突し、枝葉を散らし、炎が裂ける。木の地に転がる音を合図に彼女は魔術を解除し、岩盤を崩す。

 ふと下を見るとそこには二本の蛇首、続いて正面を見るとエキドナが凄まじい速度で迫っていた。

 「クシフォス」

斬撃の聖魔法で蛇を纏めて斬るも、慣性が働き勢いはなくならない。そればかりか、断面から滴る毒性の液のせいで、ペトラは後退るしかなかった。

 

 それから十秒も待たず、エキドナは目と鼻の先。

 「ディプロ!」

ペトラが唱えると先をエキドナに向けて岩の針が現れる。

「嘗めないで!」

エキドナは言うと胴を聖魔力纏う蛇で包み込み刺突を凌いでみせた。いや、凌いだというより針の方が自ら避けたように思われた。

 エキドナは困惑こそあったが、目の前の邪魔者に剣を振る。

 だが、剣が首を斬り落とす前に腕を縛られ剣筋が三日月の剣筋が半ばで途絶える。

 「ディプロ!」

そこへさらにペトラが唱えると岩の針が数十も突き出て、エキドナの身体中を縛りつけた。

 その針は岩とは思えない弾性を持ち、身体を上手く動かせない。

 人々に娼婦の象徴ともされるエキドナには、一定の神性がある。

 大抵の物にその動きを封じられる程の強度はない。明らかに、先日盗み出された異界宝器(イグノランティア)が関わっている。  

 

 「あなた、もしかしてグレイプニルを持っているの?」

エキドナが問うと、ペトラは

「流石は女帝派の連中だね。そうだよ、学園から受け取ったグレイプニルを私の『ペトロアカンタ』に『インクルディト』したんだ」

と答えてグレイプニルを差し出す。

 だが、エキドナは納得がいかなかった。

 

 添加魔術「インクルディト」とは本来時間がかかるものである。しかも、組み込む物体物質が希少であれば希少である程、所要時間はより長くなる。

 神を縛るグレイプニルは異界宝器(イグノランティア)である前に、類品がない。

 ペトラの唱えた「ディプロ」がいかなる魔術であれ、その詠唱一つで短期間に針へ組み込めるとは考えがたい。

 

 「この魔術、二重魔術を一詠唱で済ます私の固有魔術なんだ」

ペトラは言いつつ、エキドナに右手を翳す。

 「へぇ、面白い固有術じゃない。それに、二重魔術なら二つの魔術とそれを結合させる魔力も必要なはずよね。グレイプニルの『インクルディト』には相応の魔力を要するわ。それでも、立っていられるなんて相当な魔力量ね。誉めてあげるわ。」

「ありがとね」

エキドナの称賛をペトラは素直に受け取り、翳した手の先に魔力を集わす。

(多量の魔力が右手に……!)

エキドナも感じ取って身構える。

 「私はね、等級ζ(ゼータ)の学園生なんだ。自慢だけど、学園の備品では魔力量を測定できなかったんだよ。あと1回はこのさっきのを放てるね。ディプロ!」

ペトラが言うと破壊力を圧縮した球体が現れる。

 

 学園生は年に二度ある「魔体測定(メトロン)」での測定値と課外活動である「任務(エルゴン)」での実戦成果から総合評価され、一年ごとに神霊等級が与えられる。

 等級は高い順にζ(ゼータ)ε(イプシロン)δ(デルタ)γ(ガンマ)β(ベータ)α(アルファ)。生徒の約6割はβで、等級が離れる程、数は減る。ζともなれば学園に3人のみである。

 また、等級ごとに学服が変わり、等級が高ければ高い程待遇も良く、一部ではカーストも生まれていたりする。

 ペトラは今最高学年の4年だが、その膨大の魔力容量から1年の頃からゼータの座を守り続けていた。

 

 

 「ねぇ、あなた。『ディストルクティオ』と『グラヴィタス』を合わたらどうなると思うかな?」

ペトラに問われ、

「さ、さぁ、どうなるかしら?」

その力を悟ったエキドナは少々、答えることを放棄した。

 「仕方ない人だね」

そう言うとともに球をエキドナの腹にぶつける。

「……?」

それを見下ろすエキドナは固まったしまった。

 最後にペトラは、

「衝撃を受けたその瞬間、重力と爆裂、二重の威力があなたを襲う、だよ」

と飛びすさる。

 

ギュガァァァァァァァァッ! 

 

 瞬間、エキドナの腹元で大爆破が生じる。響き渡った轟音が炎の森を揺らした。

 弾ける重力の圧と、遅れてやってくる爆裂の衝撃。

 その跡には深い窪みができて、エキドナの持っていた剣は粉々になって落ちていた。

「灰すら残らなかったね……。」

ペトラは言い捨てる。

 だがその時、確かに聞こえてきた。まるで自惚れた自分を嘲笑うかのように、まともに食らわせたはずの女の声が頭に直接響いてきた。

「やっぱり、あなた学園の生徒さんなのね…それもゼータ。流石ね、さっきの合成のは見事だったわ」

と。

 「でもね……。どんな攻撃も当たらなければ意味がない。そうでしょ?」

今度は後方から耳に声が響く。その主の黒影がペトラを包む。突如現れた気配、そちらを見るとエキドナが立っていた。

 「テオスグロスィヤ!」

ペトラは右拳を後ろに回す。だが、蛇に弾かれた。

「テオスグロスィヤ!」

続いて、左拳も後ろへ。それも弾かれた。

「ディプロ」

二重の「ダクテアクティス」を左の指五本からそれぞれ繰り出すも、手首を弾かれ悉く空へ逸れる。

「テオスグロスィヤ!」

聖魔力を纏って腕を落としてもやはり、弾かれた。

 「諦めなさい、ゼータの生徒さん?年の功ってヤツよ。でも、安心して。あなたの強さに免じて楽に殺してあげるわ」

いつの間にかペトラの手にグレイプニルはなく、その魔帯は体を縛っていた。

 「う、嘘……!」

「嘘じゃないわよ。じゃあね?あなたとの戦い、楽しませてもらったわ」

エキドナの拳を膨大な聖魔力が包み込む。グレイプニルのせいで体は全く動かず、背中に受ける以外の選択肢は与えられていなかった。

 

 「テオス…グロッ…!?」

「ウオアァァァァァッ!アダマスローパロォッン!」

エキドナの聖拳を轟く怒号が遮る。エキドナは白光を纏う棍棒に横腹を打たれ、勢いよく吹っ飛んだ。

 「ペトロアカンタ!」

ペトラは何とか爪先を地に当て針状の岩をその先に現した。

「メラノソーマ」

ェキドナはすぐに唱えて自身の身体を暗翳に変換し、この針をすり抜ける。しばらくして元に戻ったが勢いは消えずそのまま少し転がった。

(さっき私の合成術を食らわなかったのはあの魔術のおかげだね。聞いたことない術名だけど、固有魔術かな?)

と思いながらそれを見、次に横を見る。

 「クレス先生!」

そこにはヘラクレスが立ち、ペトラは叫んだ。ヘラクレスは縛られているのを見ると自前の怪力で何とグレイプニルを緩めてしまい、ペトラは魔帯の縛りを解くことができた。

 「ありがとうございます」

「教師が生徒を守るのは当然だ。ペトラ、エキドナ相手に今まで一人でよく戦ったな。これからは俺と共闘するぞ。」

「はいっ!」

ヘラクレスは生徒に「クレス先生」と慕われる学園の武術教官であり、指導は手厳しいながらも生徒ができるまで必ず付き合う良き男である。おまけに戦闘技術も類を見ず、ゼウスも認める力強き男である。そんなヘラクレスとの共闘はゼータであるペトラからしても、戦力的にはもちろん、精神的にも心強いことである。

 「その子の気配が強くて、あなたの気配を感じることができなかったわ……。ヘラクレス。」

「言い訳だな。麒麟も老いては駑馬に劣る、とも言うだろう」

「かつての女を容赦なく殴った上に、その言い草……。私たちには子供もいるのに、随分と酷いわね」

「あれはお前が鬱陶しいぐらい誘惑したせいだろう。自らの子を殺めた俺と身を重ねようなんて正気の沙汰ではないと思っていたが、応じなければあれが一生続くのだろうと危惧しただけだ」

「嘘ね。あなたにはゼウスの血が流れている。本能に抗えなかっただけでしょ?」

「それも…ある。」

「いいえ、それしかないわ」

「いや、あくまでそれもある、だ」

「それしかない、よ」

「それもある」

「だからねぇっ……!」

「だから、何だ!」

 

  「何仲良く夫婦漫才してるんだよ」

それが傍らで見るペトラの率直な感想だった。

 と、エキドナを偶然近くに刺さるアロンダイトを抜いて切っ先を2人に向け、ヘラクレスはそちらを睨んで棍棒を強く握る。夫婦漫才から戦闘体勢に移行するあまりの唐突さにペトラは困惑と爽快感とがない混ぜになった感覚を覚え、自身も戦闘体勢に還った。

 炎海の中、ペトラは新たにヘラクレスを交え、エキドナとの攻戦を続行する。



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第四節 爪痕

 「ペトラ。『メラノソーマ』は数秒間、自身を影に変換するエキドナの固有魔術だ。その間、打撃は効かないし、魔術魔法もっ…」

教えるヘラクレス。そこへ蛇がアロンダイトが突く。

 「メタッレイア!」

ヘラクレスは腕を硬化して剣を弾き、撓んだ蛇を聖魔力を纏って右手で掴む。そのまま強く引き、左手にも聖魔力をこめ拳を握った。

 「魔法魔術も光系統しか効かない。そして、このように聖魔力で触れれば影化は防げる」

続けるヘラレスにエキドナは成す術なく引き寄せられ、

「テオスグロスィヤ!」

と聖なる拳が腹を狙う。

「メラノソーマ」

だが直前、固有術の詠唱。拳は空を殴る。影は彼を透過し、後ろへ回る。

 エキドナは術を解くとともに蛇をペトラに突き出した。

 

 「ペトロアスピダ!」

ペトラは気配で察する。振り替えり際、地の盾を展開。だが、盾は砕かれ、飛び散る欠片を浴び体が怯む。その隙へ、再び蛇が突き出た。

 「ぐっ…!?」

ヘラクレスは咄嗟に左手首で受け、左手を翻して掴み、右手でも掴み、回して投げ飛ばす。宙に放り出されたエキドナは落下して倒れる。

「なぜ、『メラノソーマ』を使えるのだ?確かに聖魔力で触れていたぞ」

立ち上がる彼女にヘラクレスは問う。同時にペトラは態勢を戻し、ヘラクレスは手首を治癒した。

 「あなたが触れていたのは空気を固めた膜よ。直接、触れなければ意味がない。私を知るあなたに何の用心もしないと思う?」

エキドナは言う。膜は常に張られ、今唱えなかったのは「メラノソーマ」の再使用不可の中にあったからに過ぎない。

 「ついに、弱点も克服か…。まぁ、そんなわけで影状態ではほぼ無敵に近い。それに光系統全般が効くと言っても、そこらの光魔術ではエキドナが同時展開する防護魔法に弾かれる。魔法を当てるのが確実だ」

ヘラクレスが言うと、エキドナは、

「それよりどういうつもりよ、ヘラクレス。人の固有術をペラペラ話してくれちゃって!」

「いや、敵を負かすならまずは敵を知ることからだろう」

 「あの……でも、私の天与は"土属性"です。光魔法は使えません」

それを聞いたペトラは申し訳なさそうに囁いた。

 

 そもそも、魔術と魔法は似て非なるものだ。

 魔術は導魔力、あるいは単に魔力と呼ばれる力を起源とする。

 魔力は神や神霊のみならず、人にも備わっている。天与に縛られることはなく、神も神霊も印象体得によってあるゆる魔術が扱える。

 一方、魔法とは聖魔法であり、聖魔力、あるいは聖力と呼ばれる力を起源とする。

 ふつう神や神霊のみが備える力で、精霊(ニュンペ)の肉体を成すものだ。

 聖力は天与に縛られ、ある種が扱えるのは対応した属性の魔法に限られる。

 稀に人が聖力を持って生まれることもある。天与神命(てんよしんめい)がない人間は、表象体得であるゆる魔法の発動が可能だ。

 その影響力は神々のそれには劣るが、人にとって魔術を超越した脅威の力である。

 

 

 「あぁ、そうであったな…。では、こうするとしよう。互いの攻撃で隙を生み、そこに互いの攻撃を畳み掛ける。エキドナに影化の暇を与えない」

「はい!」

そんなわけでヘラクレスは連撃怒涛の別策を提唱、ペトラはこれに同意。

「ペトロ⚫パノプリア」

と現れた岩々をその身に纏い、防護を強化する。

 そして、ヘラクレスとペトラは互いに見合い同時に飛び出した。

  

 岩打つ波のごとく、迫っては引き、迫っては引きする二本の蛇。

 ペトラが横にかわし、ヘラクレスが棍棒で弾き、たまに腹を掠めてもペトラは岩の鎧に守られ、ヘラクレスは強靭な肉体に守られる。鎧も体もその度に軽く傷がつくのみである。

 と、突然迫るのが止む。蛇に辺りの木々は伐られ、放られ、やがて火の雨となり次々降る。

 「ペトラ!俺を信じて突っ込め!」

「はい。アケレラ!」

見あげながら叫ぶヘラクレスにペトラは返し、加速魔術で突っ込んだ。ヘラクレスは飛び上がり、木々を掴んでは投げ、掴んでは投げる。狙いをエキドナに集め、その動きを封じた。

 ペトラは難なくエキドナの懐に入り、地を強く踏みつける。足下から全方へ亀裂が走り、岩の欠片が浮き上がる。その欠片に聖魔力が宿った。

 エキドナは離れようとするが、降り注ぐ木々がこれを許さない。木は体に刺さって、一瞬、怯む。すかさず、

「メラノソーマ!」

と影化する。

 数秒。世界の自浄に押し戻され術の解けるその一瞬。

 「行けっ!」

ペトラは決して逃さなかった。聖魔力宿る数十の石片が一斉に撃ち出され、エキドナの腹に深紅の斑点を刻み込む。

 アロンダイトが振り下ろされるのをペトラはかわし、ヘラクレスはそこへ木を飛ばして怯ませた。

 しかし、蛇だけは脇の木を掴み、不意に槌のごとく振られる。

「お返しよ、ヘラクレス!あんたの大事な生徒さんにね!」

とエキドナが言う頃には、既に何も間に合わぬと思わへる距離であった。

 

 「メタッレイアァッ!」

叫びつつヘラクレスは何とか間に入る。木は折れ、エキドナの蛇も撓み、間髪入れず彼はエキドナの頭へ、

「テオスグロスィヤ!」

硬化の拳に聖魔力を纏う二重の強撃をぶつける。

 「テオスグロスィヤ!」

ペトラも拳で顎を狙い、

「メラッ…!?」

「アダマスローパロン!」

影化の前にヘラクレスは頭頂を叩く。「メラノソーマ」を防ぐとともに打撃で顔を挟む。怯んだところへさらに、ヘラクレスは腹へ蹴りを入れ吹っ飛ばす。

 「ペトロアカンタ」

ペトラはその先に岩棘を現す。

「メ、がっ…!?」

影化も間に合わず棘は背から貫き、エキドナは赤血を吐いた。風穴からも滴り、よろける。

 そこへ、ペトラとヘラクレスは打撃を畳み掛ける。

 前後、上下、左右。次々2人の位置は変わり、かつ絶え間なくエキドナの身体を叩く。

 目で追い、斬撃を合わせるも一方に防がれ、その隙に他方に打たれ、続くもう一方からも強打を食らう。

 さらば、ここから抜け出るには1つの策しかあり得ない。

 エキドナは打たれながらも蛇を伸ばすと両極の木々を引き抜き、槌二つでそれぞれ狙う。

 2人は飛びすさってかわし、続く蛇の刺突を「スクトルクス」で弾き返す。ともに影化でエキドナは後ろへ周り、ペトラとヘラクレスは解ける数瞬へ合わせて体を捻る。

 二つの輝く聖魔力か三日月形の尾を引いた。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 さて、クレトラが森の惨事を知ったのは丁度、その頃である。

 「クレトラ様ぁぁぁーーーっ!」

廊下を歩いていると、奥の方から中性的な声が聞こえてくる。見ると、短髪のドリュアスが物凄い勢いで迫ってきていた。

「フォリア!?」

クレトラは目を見開く。

 フォリアはクレトラの侍女を務めるドリュアスである。十二の森霊それぞれにドリュアスの侍女が数人ずつおり、彼女はクレトラ唯一の侍女であった。

 

 呼ばれたフォリアは止まろうとするが、固有魔術「ディアトン・アステラス」はその勢いを急に殺せない。

 術を解くとともに、思い切り慣性を左へ曲げる。その先には学長室がある。その扉が開き、彼女の体は結界に反され、壁に背をぶつけた。

 「フォリア!?」

それを見、クレトラは叫んで彼女に寄った。

「つぅっ…。」

フォリアは背中をさすり、クレトラは手を差し述べた。

  「大丈夫ですか?」

「あ、はい。ありがとうございます...。」

フォリアはその手を借りて立ち上がり、

「それよりですっ…!クレトラ様っ!」

と青天霹靂のごとく顔色を変える。

 

 「一体、どうしましたのっ!?」

クレトラが聞くと、フォリアは

「精霊の森が女帝派の襲撃にあったのです!我々の仲間は魑魅魍魎に蹂躙され、森は火に包まれ、泉も干上がったようです。少なくとも数百の精が逃げのび、森精から一切の犠牲が出なかったのが不幸中の幸いでしょうか。しかし……犠牲者と生存者を比べたとき、多いのは後者になるかと思われます…。」

と森の惨状を伝える。

 クレトラの血の気が一気に引いた。

 「フォリア、行きますわよ!まだ生存者がいるかもしれません!貴方の固有術であれば10分もかかりませんわ!」

「いいえ、どうかお気を鎮めてください!例え、民のためという道義があれど、森の要であるあなたにわざわざ危険を冒させる訳にはいきません!必ず生き残り、犠牲者を弔い、そして、全森精揃って森を再生。楽園の復活に努めるのです!」

「ですが…!」

フォリアとクレトラが言い合っていると、学長室の扉が開き、ゼウスとヘルメスが間に入った。

 「勝手ながら、話は聞かせてもらった。ここ(ワシ)らに任せてもらう」

「任せてもらおう。」

「勝手な真似はするなよ、ヘルメス」

「はい、ゼウス様っ!」

ゼウスはヘルメスをにらみ潰すと、精霊の森(ニュンペ・ヒューレ)のある南西の方角にその手を翳し、

「主神ゼウスが天に告ぐ。かの霊森に鎮めの驟雨を」

と言う。

 

 その言霊に伴い、森の上に黒雲が渦巻くのが遥か遠くでも見てとれた。

 その下は間も無く、仄白く靄がかかる。

 「霊森に我が加護を。我を深く崇むる者に神秘の守護を賜ぶ」

ゼウスは続け、主神派の者は一瞬にして聖なる障壁に包まれた。

 

 「ヘルメス。」

「はっ!」

目配せを受け取り、ヘルメスはケリュケイオンを床に立てる。コツン、と淡い音が響き聖魔力の波紋が広がる。

 「ヘカトンケイルよ聞け!これは我らが君ゼウス様のお告げである!目標は精霊の森、一斉の投石を命ず!」

伝令は波紋とともに全地に広がる。

 

 三兄弟は冥界の奥地、奈落の脇より伝令を受け取った。

 百の剛腕、五十の獅子首。眼は蒼く輝き、鋭牙は鈍く光る。 

 異形巨人ヘカントンケイル。名をコットス、ブリアレオス、ギュゲスという。かつてゼウスに奈落より解放され、義を以て共にクロノス軍を討ち倒した。

 クロノス軍が奈落に幽閉された以降は、その牢番を務めている。ゼウスには忠誠を誓い、命が下れば必ず従うようにしていた。

 冥界の主ハデスも彼らの力を恐れ、不可侵の掟を結んでいる。

 

 三兄弟は計三百の腕を前に出し、そこへ巨大な魔の円窓を開ける。 窓は上空に繋がり、彼らはその窓から精霊の森を見据えた。

 魔窓魔法「キュクロス」。奈落の番をしつつ、地上への命に従えるよう、三兄弟が編み出した独自魔法である。

 魔窓は同じ縦横の座標に二枠展開でき、一方を冥界、一方を天空に置き、岩を投擲する「夥岩の計」は脅威の破壊力を持つ。

 

 「「「ペトロデスポテス」」」

150の詠唱が重なる。三百の腕に念の球が生成され、

そこへ辺りから石片が集う。

 石片はやがて夥しい数の岩となる。 百の腕それぞれに百、岩は一人一万に迫る。すなわち、三兄弟全員で総計約三万。

 三兄弟はコットス、ブリアレオス、ギュゲスの順に森を狙って魔窓から無数の岩を投げる。

 

 ヘカトンケイルの聖魔力、並みの者の数十倍。

 強大な聖魔力を借りた無数の岩は超速で天空を駆け抜ける。

 岩々はなだらかな放物線を描き、数分足らずで硬質の雨と化して森に降った。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 ドドドドドォォォォォォ……!

 森中に轟音が響く。岩を食らい魑魅魍魎は血を吹き出して、次々と倒れ伏していく。だが、精霊(ニュンペ)と残った木々は障壁に守られ食らわない。

 

 一方、エキドナは轟音を右耳に聞いていた。

 横腹はペトラとヘラクレスの打撃を受け、血を垂らしている。

 蛇は弾かれ、剣も弾かれ、魔法魔術の類も一切効かない。「メラノソーマ」で影化した体も反された。

 「何なのよ、その術は!さっきの雨であの子の残痕も綺麗さっぱり消えてしまったじゃない!!!」

とエキドナはいい加減、憤る。

 「あの驟雨もこの半球も我が祖父の御業だ」

「そう…あの女たらしの……。どうりで敵わないわけね。本当に忌まわしい男ね」

「俺の前で祖父を侮辱するか!」

「だって、そうでしょう?奴は我が君を捨て、女を次々食い物にしたんだから!そのくせ、全く悪びれないんだから忌まわしいったらありゃしないわ。ヘラクレス、あなたが生まれたのもその結果なのよ。」

「エキドナめが……」

 睨み合う怪女と勇男。それを脇から見る山精ペトラも怪女に怒りを覚えた。

 

 ガガガガガァァァァァ……!

 そこへ、ヘカトンケイルの第二撃。岩の雨が降り注ぐ。

 「メラノソーマ」

咄嗟の判断で影化するエキドナ。岩はその身体をすり抜け地に埋もれ込む。

 この砲撃で魑魅魍魎はさらに多く死して倒れ伏す。

 「これはヘカトンケイルの仕業ね。でも、残念だったわね。私には『メラノソーマ』があるのよ。クレトラはもうここにはいないみたいだし、そろそろお暇するとするわ」

戻るとエキドナは言う。

「クレトラ……。九位(くい)の十二森精か…。その子に何用か知らんが、お暇できるとは思うな」

とヘラクレスが返したその瞬間。

 

 ガガガガガァァァァァ……!

 再び、岩の雨。「メラノソーマ」は未だ再使用不可の中にあり、蛇も剣も捌ききれない。

 雨をまともに食らったエキドナは全身に岩を埋め、そこから血をドクドクと吹く。

 ヘラクレスが密かにヘカントケイルへ再撃要請の念を送っていたのである。

 そして、なんとヘラクレスは障壁を怪力で抉じ開け、小さく裂く。

 そこから、聖魔力を宿した棍棒をエキドナの脳天へ凄まじく投げる。

 だが、直前で再使用不可が解け、エキドナは

「メラノソーマ」

と唱えた。さらに、影はその元に出現した闇に吸い込まれて消えた。

 

 それから夥岩の計も続いてしばらくし、ゼウスの施した障壁が消える。

 ゼウスの「王」としての神威、天眼(バシレウス)により魑魅魍魎の消失を見たのである。

 

 「随分としてやられたものだな…。これがかつての楽園か……。エキドナはラドンの残痕が消えたと言ったが、この惨状こそ残痕だろう」

「そうですね。大火によって犠牲になったドリュアスは多いことでしょう」

ヘラクレスの言葉にペトラも哀しい目で言う。

 横たう死体に転げる木々。灰に帰す森、立つ木はわずか。岩は散らばり、悲風が吹く。

 女帝派の求めた開闢体は手に入らず、傀儡ラドンも失った。

 しかし、その急撃が残した爪痕は女帝派の犠牲と比べるべくもなく、酷く大きなものである。

 

 外へしばらく進んで見たのは、岩を埋め血まみれのメディア。そして、黄ばむ眼五対の巨人の死骸。

 巨人の躯は痩けたかのようで、細く伸びるのは三本のみだが、腕も五対あったようだ。頭頂には湾曲した刃のような角も生えている。

 

 「メディアさん!」

「先生!」

ヘラクレスとペトラの声が重なる。2人は仰向けに倒れた彼女に寄る。その肉体に既に魂はなく、手の果実にのみ魂が宿っている。

 「独自魔術『ディス・アニムス』による分魂の自護……。メディアさんが死を凌ぐための最終手段だ。自身の魂を削るから、一生に三度しか使えないらしい。初めて使ってるのを見た」

ヘラクレスが言うと、ペトラは

「魔法魔術に長けた先生さえ追詰められたということですか」

「あぁ、そこの異形にやられたんだろう。どうやら、相当な強者らしい」

 ヘラクレスはメディアの身体を右に担ぎ、魂宿す果実を左手に持つ。

 「俺はまずメディアさんを医務室に運んでくる。ペトラは生存者の捜索を続けてくれ。俺も後で加わる。」

「はい、ではそれまで」

「あぁ。エクスアケレラ!」

2人は手を振り、互いに背を向けた。

 その後、十二森精とその侍女らが到着する。しかし、何人か侍女のない森精もあった。

 既にあれから生存者十余りを保護したヘラクレスとペトラは彼女たちに感謝され、残りを変わってくれることとなる。

 ペトラはヘラクレスの肩にのり、彼の「イラアケレラ」により学園へ戻っていた。

 



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第五節 そののち

 血にまみれたエキドナは気付けば廃都の広がる異空間の中にいた。暗がり、天井は半球状で金剛を切ったような面を数多に見せる。

 辺りには他に、わずかな残党の怪物たちが佇んでいる。

 

 鏡域。領域内に鏡界を展開し、そこに自らの心象を映し出す至高の魔術によるものである。

 

 (飛んでもなく高度の鏡域……。流石といったところね)

エキドナは蛇を引きずり、中央への道を傷の浅い右手進む。そこには神殿が見え、冥府の女帝の膝元へ続くようだ。

「あぁ……。オルトロス……。どこにいるの……。」

と悲痛な声で我が子の名を呼び、揃った生還も欲するのである。

 「母上、ここだ」

オルトロス、オルトロス……。そう繰り返しながら進んでいると脇の邸宅上から彼の声がし、エキドナはやっとの再会を果たす。

 「そっちの頭はどうしたの……オルトロス」

だが、オルトロスは片首を失い、エキドナは悲しい声で訳を問う。

「あの岩の雨にやられた。何とか片首は守って主の鏡域に入ることができたのだ。それより、母上だ。俺より傷が酷いではないか」

と返されて、

「私のことはいいわよ。とにかく、あなたが生きていてよかったわ」

と左腕で彼を軽く抱えた。

 「母上、我が君からメドゥーサの血を賜ろう。ハデスも死者でなければ異論もなかろう」

抱かれながらオルトロスは言う。

「そうね。帰りましょう、オルトロス」

エキドナはそう言って彼を離し、ともに進み神殿へ入っていった。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 「ヘラ様、ただいま戻りました」

「我が君、ただいま戻りました」

転移の門を抜け、エキドナらは帰還を告げる。

 その目先には美しき女帝派の頭がいる。ゼウスの実姉にして正妻、女帝ヘラである。

 女帝の髪は褐色で長く、顔を手に置き、横になっている。

 

 「ご苦労だったな、エキドナ、オルトス。ところで、ラドンがいないようだが、何かあったのか?」

「ラドンはヘラクレスとの戦いで自爆攻撃を行い、殉職いたしました。肉体ごと弾けたため、復活は不可かと」

とオルトロスは言う。

「そうか、辛いことを聞いてすまなかったな。では、ラドンに『名誉』の報奨を与えよう」

「「ありがたき幸せ」」

そう答えるヘラの人徳にエキドナらは謝礼の声を重ねた。

 ヘラは嫉妬深い女神だが、そもそもは「愛」を重んじ、忠義誠実を好み、不忠不実を忌む気高い性格である。

 故に夫ゼウスの裏切りが許せず、掟で主神を加虐できない代わりに、彼の愛人やその子に怒りをぶつけるのだ。ヘラクレスには特に強い嫌悪を抱いていた。

 

 「して、開闢体は手に入ったか?エキドナ」

そのヘラは求めた"例のアレ"に題を転換する。

 「申し訳ございません。件のクレトラは学園にいたようなのです。どうやら、情報は学長と教頭にしか知らされておらず、それを知ったのは森を襲った後だったのです。せめてと占領を試みましたが、途中、主神派の砲撃に合い辛くも徹底を致した次第です」

とエギドナ。オルトロスはそれでは足りぬと思って、

「しかし、我が君。葬った森の精霊(ニュンペ)どもは数知れません。どう育つか分からぬ若輩は非常に厄介な存在です。その数が多ければ多いほど……」

と補足する。

 

 「そうだな、子どもというものは恐ろしい。放っておけば、私たちに牙を剥く者も多かろう。主神には常にそのような予言が付きまとった。だがな……」

ヘラは小さく頷いたが、諌めるべきこともあった。

 「皆殺しにできなかったのはそなたらの過失であるぞ。故郷を奪われた『憎悪』は時に自らを滅ぼし、時に自らを強くする。数の力も厄介だが、鍛え抜かれた個の強さはその上をいく。深く反省しなさい」

睨みつけるヘラに、エキドナらは頭を下げて、

「「はっ!申し訳ございません」」

と声を揃える。

 

 「だが、クレトラは学園にいたのか。ゼウスは学園に開闢体を保管しているようだな……。エキドナ、オルトス。報奨は何が良い?あまり上等なものをやるつもりはないが、ある程度は請け負ってやるぞ」

そして、ヘラは問う。たとえ諌めるも、やはり忠義を好む性である。

 「両者、メドゥーサの聖血を所望いたします。ご覧の通り、主神派に不覚を取り深傷を負ってしまいましたので。」

エキドナが答えると、ヘラは少し考え、うむ、と頷く。

「良いだろう。そなたらは余の肝要たる寵臣。傷付いたままなのは癪に障る」

と言って、指を鳴らす。

 

 すると、蛇の髪を生やした有翼の少女が降りてくる。石化の両眼は布に隠して、その力を封じていた。 

 「ヘラ様、ご用件を」

「メドゥーサ、エキドナとオルトスにそなたの聖血を分けてやれ」

「御意」

ヘラに言われ、メドゥーサは一礼しオルトロスの前に出る。

 彼女もオルトロスやラドンと共に喚ばれた死者、女帝派の傀儡である。主神派の女神アテナに深い因縁を持つ。

 

 「頼む」

とオルトロスが屈むと、メドゥーサは懐から針を取り出して、

「くっ…!」

と歯を食いしばり首の右を切り付ける。聖血は針に絡まり、その雫を一滴ニ滴とオルトロスの片首へ滴らす。

 そこ首はみるみるうちに再生し、元の双頭の姿となる。

 続くエキドナにも同じようにして、傷の一つ一つへ聖血を垂らす。その傷は次々癒え、メドゥーサは度々の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

  しかし、メドゥーサの傷はまだ浅い。それだけでエキドナらの深傷も完治するのだ。

 「ふむ……。やはり、そなたの血は素晴らしいな」

ヘラはその力を賛美する。

「光栄です、ヘラ様」

その讃美にメドゥーサは一礼をすると、上層へ消える。

 

 「主神派の開闢体は学園か……。学園に内通者がいる可能性を考えもせぬとは……。全く、甚だ愚かな男」

エキドナらも帰り、侍女イーリスと2人のみになった間でヘラは不敵に笑んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 そして、明くる日。

 メディアの傷は完治に医術神アスクレピオスの手を以てもおよそ1日を要し、今は果実から身体へ魂を還して寝台に座っている。

 辺りには彼女がヘラクレスと助けた数十の精霊(ニュンペ)たちが寝ている。

 

 「やはり、あの十腕の巨人にやられたのか?メディアさん」

と脇に立つヘラクレスが問うと、

「えぇ……。そうよ」

とメディアは答える。

 「あの巨人、降ってきた岩を掴んで投げてきたのよ。まさか、あんなひょろひょろしい巨人に相討ちにされて、しかも、最終手段まで使わされなんてね……。それにあの巨人、風の元素まで使っていたわ。天炎水風地の五元素はそれぞれ一部の神にしか扱えないはずなのに」

メディアは巨人の暴力的な戦闘力を詳しく語る。怪物として規格外の異能にヘラクレスも少々恐怖を覚えた。

 「痩身ながら荒れ狂う巨象のような強さだ」

「全くね」

メディアはヘラクレスの言に同ずる。

 ヘラクレスはしばらくメディアと話すと、ひらひらと手を振り、

「アスクレピオスさん、メディアさんを助けてくれたこ礼を言う」

と杖つくアスクレピオスに頭を下げる。

 「いや、僕は当然のことをしただけだ。第一、僕たちは同じアルゴーノートの仲間だろ?頭を上げてくれ」

「フッ……そうだな」

そう言われて、ヘラクレスは微笑みを浮かべた。

 イアソン率いるアルゴー船。ヘラクレス、アスクレピオスは同舟したその頃からの面識で、途中からはメディアとも同舟し彼女とも知人である。

 

 「これから二年の授業がある。また、後でな」

ヘラクレスはひらひら手を振り、医務室を去っていった。

 「後で」

「怪我人がいたら遠慮なく」

メディアとアスクレピオスの声を後ろに聞きつつ、階段に続く長い廊下を歩いていった。



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第一章 アクロマキア競技祭
第一節 志者たち


  災厄の日より1年。

 シルヴァとアクアは精霊の森(ニュンペ・ヒューレ)の場所から少し北、テッサリアの河のほとりで暮らしていた。

 聖魔力の補給がため、度々絡める舌と舌。

 2人はその内に惹かれあい、いつしか体を重ねるようになる。

 お互い、その恋慕がただの情とも思えなかったし、そんなことはどうでもいいことだった。

 媒介が新たに加わり、一度に得られる聖魔力も格段に増加した。

 

 選別の日の前日。2人の少女は月下でまぐわい、仲睦まじく眠りに落ちていく。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 月は下り、天に朝日が上る。

 シルヴァが身体を起こすと既にアクアは支度を始めていた。1つ口付けを交わして、彼女も急いで支度に入る。

 いよいよ、その日がやってきたのだ。

 

 2人は森の東の村落へ出る。

 村落は廃れた都市国家(ポリス)を遠くに仰ぎ見る、閑かな地。

 学園からの書によればオリュンポス山へはケンタウルスの戦車(チャリオット)に運ばれるのも可能なようだ。

 その羊皮紙とともに付いた木製の呼符(よびふ)戦車(チャリオット)の呼出と切符を兼ねる。

 「「エテレイン・メタフォーラ」」

2人は書に記された通りに唱えて、呼符へ聖魔力を流しこむ。

 すると、札は青に輝き、宙で(たま)を描くように激しく回る。

「綺麗……」

その美しさにアクアは思わずつぶやいた。

 

 珠は一条の光となり、空へと消える。

 数分で上空から戦車(チャリオット)が降りたった。

 「「「乗りたまえ」」」

馬身人身に鋼の鎧を被ったケンタウロスが声を揃えて言う。腰には鉄槍をそれぞれ一つ携えている。戦時は投擲で敵を迎えうつのだ。

 シルヴァ、アクアは会釈すると、一対二輪の荷台の飛び乗って、横並びに座る。それを見て中央のケンタウルスが指を鳴すと、彼女らの背からそれぞれ帯2枚が伸びて、十字に交差し身体をとめる。

 もう一度、そのケンタウルスが指を鳴らすと、次は荷台の結界が覆う。付与された風除けの結界である。

 

 「「「では、行こう。いざ、霊峰オリュンポスへっ!」」」

そして、ケンタウルスは揃って叫ぶ。ともに戦車(チャリオット)は浮き上がる。

「先に断っておくが、()()()()()()()()は保証する!」

と中央のケンタウルスは言いつつ、脇の2体に手で合図を送る。

 「()()は……?」

シルヴァは戸惑い、ケンタウルスの言を一部繰り返してみる。

 不穏な言葉だった。それはつまり、安全のみを保証して、その他全てを捨ておいているということ。

 考えれば、ふつう馬車に乗るのに拘束はされないし、オリュンポス山から来たなら何をして数分でここへ到着したのかも分からない。

 その答えが出る暇はなく、全て無理矢理に知らしめられた。

 

 「「「アプロソヌス」」」

ケンタウルスが唱えるなり、戦車(チャリオット)は激しく加速。砂埃を巻き上げ直進し、やがて飛びあがった。

 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 

シルヴァとアクアは甲高く叫ぶ。戦車(チャリオット)は亜音速で空を駆け抜ける。

 遺跡や農村を飛び、広大な平原を越えて、オリュンポス山麓の深い森の上に出る。

 オリュンポスの気高い山成はますます大きくなり、戦車(チャリオット)はその高度と速度を下げていく。

 やがて、学園に続く長階段の脇に着陸した。

 

 「「「ご利用、感謝する」」」

とケンタウルスは声を揃えて礼を言い、シルヴァ、アクアは降りると、乗ったときに同じく会釈をして、階段へ出る。

 上や下を見るに、既に約百の神霊が階段を上っていた。気配からして半神も何人かいる。人族と神霊は時折交わると聞くが、彼らもそうした生まれの子であろう。

 

 階段を三十段ほど上り、息絶え絶えで正門へ至る。

 門に扉はなく、石柱とそれを通す梁石のアーチのみがある。校舎は神殿と砦の混じったような造りで窓が陽光を反している。

 門を抜け、学園の者の案内に従い進むと、その先は五層の円形闘技場である。

 「これも上位神の方々が建てたのかしらね?」

「おそらくね。でも、シルヴァちゃん。ローマには人間が建てた円形闘技場があると聞いたことがあるよ。それも、かなり精巧な作りらしいし」

「へー。人間も結構やるのね」

「まあ、当然といえば当然だね。神様を祀る神殿を建てたのも人間だから」

闘技場を見上げながら、シルヴァとアクアはお喋りする。

 ローマ中央、コロッセウム。ローマ帝国期、ネロの黄金宮殿、その庭池跡地に建てられた同じく円形闘技場である。アクアは風の噂にその名を聞いたことがあるのだった。

  

 そして、時は九時となり校舎の方で鐘がなる。最終的に志者の数は約三百となっていた。

 しばらくして円形闘技場の第三層に影が1つ現れる。

 長い金髪に黄金の兜、裾の切れ込んだ巻衣の上はそこそこ浮き出た金の胸当て。右手には長槍を持ち、柄を床に立てている。

 その美しくも凛々しい佇まいはオリュンポス十二神が一柱、戦女神アテナである。

 

 「皆さん、よく来てくれましたね。さぁ、入学選別を始め……っ!」

アテナの言葉を遮るように、何かがぶつかる。長槍と巨戟が交わり、火花が散る。

 「アテナ!俺が選別官をすると言ったろ!真の軍神はこの俺だ!」

「アレス、あなたが選別官をすると秩序が乱れるのですよ。どうせ、余計なことをして無茶苦茶にするでしょう?」

巨戟を持つは軍神アレス。アテナが温厚の戦神であるのに対し、アレスは粗暴の戦神。言い換えるなら、と聖戦士と狂戦士である。

 ただ、その美貌は男の神々の中でも一二を争う。

 

 アレスは目に止まらぬ速さで戟を振り回し、次々柱が砕ける。それをアテナは難なくかわす。

 「黙れ!黙れ!黙れェッ!俺を侮辱すんじゃねェッ!おらぁッ!」

怒涛の三連撃。アテナは槍で全て受けると、続く第四撃、戟の切先が白く光る。連撃に怯んだところへの正確な斬撃。何とかアテナは受けるが、単純な力ではアレスが上である。

 アテナは槍から手を離して身を翻す。

(廃棄、だとっ……!?)

戟は槍を弾き飛ばし、刃が床に刺さって止まる。そこへ横からアテナの聖拳が殴り飛ばす。

 「ぎゃっ!?」

アレスは俯せに倒れ、動かなくなる。防御を捨て攻撃に聖力も魔力も極振りし、まともに拳を食らったのだ。

 「すみませんね、皆さん。では、改めて入学始まりで……」

「ぬァに勝った感出してやがる!?俺はまだ……ぐぎゃっ!?」

再び、アレスはアテナを遮る。

「分を弁えなさい、この阿呆。私を相手にあなたの勝算はありません」

アテナはいい加減、苛立って後頭を思いきり踏みつける。

  もっと仲良くしましょうよ。その場の誰もがそう思った。彼の嫌われようを知らぬ者からすれば、戦の神同士が不仲というのは不可解極まりないのだ。

 

 「すみません。改めて、入学選別開始を宣言します。まずは選別概要を説明しましょう」

三度目の正直。今度こそ、アテネは言い切り説明を始めんとした。

 だが、二度あることは三度あるとも言う。

 アレスは頭でアテナの足を跳ね返すと、近くに落ちた長槍に聖魔力を込めて、白い輝きをアテナの腹に向かわす。

 「う゛っ……!?」

丸腰のアテナにあるのは1つだけである。蹴ったのはアレスの股間。

 「さよなら……」

と、アテナは激痛に固まるアレスを淡々と突き落とし、彼は石床に激突して気を失った。

 半神の男らは皆青くなり、「あぁ、恐ろしや」とか「絶対、痛い」とか言う者もあった。

 気絶したアレスはアテナの合図でヘラクレスが運び出していった。

 「選別は実技形式です。一次と二次に分かれ、一次選別は一対一の『決闘』になります。皆さん、案内書の右上にアルファベットが記されていますね?それぞれ対応した門がありますので、そちらから入ってもらいます。その先で、剣・槍・弓のいずれかを手に取り、反対に置かれてある宝珠に触れてください。決闘場へ転移されます。2人揃った時点で審判の合図で決闘は開始します。勝者は二次選別に進みますが、敗者は不合格になります。なお、同じアルファベットの者同士で決闘者が決まります。また、二次選別の内容は一次選別合格者にのみ教えます」

 

 「ねぇ、アクアのは何?」

「私はΘ(シータ)よ。シルヴァちゃんは?」

「私はΛ(ラムダ)。良かった、私とアクアが戦うことはないみたいね」

「そうね。じゃぁ……」

「えぇ、じゃぁ……」

 安堵と激励からシルヴァとアクアは見合って、笑みを浮かべる。

 「「勝って会いましょ」」

と互いの武運を祈ると2人は人の流れに乗って、それぞれΘ(シータ)Λ(ラムダ)へ入っていった。

 

 「私もあの子もなぜああも争ってしまうのでしょう?本当はお互い仲良くしたいはずなのに」

各門へ消える志者を見ながらアテナは1人呟き、呆れてため息を零した。

 母は違えどアテナとアレスは姉弟、同じ戦神。睦まじくしたくとも、やはり互いの性根が許さないのかもしれなかった。

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 ほぼ同じ頃、アレスが見るのは結界張る天井である。

 「ん……。どこだ、ここは?」

呟くと、

「学長室だよ、アレス殿」

ヘルメスは答え、脇にゼウスが屈む。

 「起きたか、アレス」

「ゼ、ゼウス様ッ!!!」

「良かった良かった。心配したんだぞ?」

動転するアレスにゼウスは微笑む。

 が、目は一切笑っていない。

 

 「あんたは嘘が下手なのかッ!?その目は何だッ!?その手にあるのは何だッ!?」

アレスは震えながら、ゼウスを指差す。彼の言う通り、その右手には双刃の雷爪が握られていた。

 「無論、雷霆だが?」

とゼウスは言ってそれを構えると、

「み、見ればわかるわ、そんなもん!てか、おい!やめろ!いや、止めて下さい!!頼みますから!!!」

「大丈夫だ、アレス。加減はするし、黒焦げになるだけで死にはせわ」

「大丈夫の意味ィッ!!!」

 何の躊躇もなく、雷霆は撃たれた。

 

ドガァァァァァッ!

 

 「ぎゃァァァァァァァァァァッ!!!!!」

 雷雨と断末魔。過去にも数度食らった雷撃に、やはりアレスは黒焦げとなる。



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第二節 闘技

 シルヴァは立てかけてある剣・槍・弓の中から剣を選ぶ。いずれも模造でなのには驚いた。

 この決闘には命がかかっていることなのだろうか。 

 危惧はあったが、彼女は言われた通り、先に見える宝珠へ触れる。

 「まぶしっ……!」

と、白い光に包まれる。シルヴァは思わず、右腕で両目を覆った。

 

 やがて、光は収まり彼女は腕を下ろす。

 そこは既に闘技場の中。どこにも光源はないが、十分明るい。そういう結界か何かがあるらしい。

 場を囲む客席には数人が座っている。皆、体に一枚布を巻き、その上から外套を左肩から掛けている。どうやら、この学園の学生服のようだ。

 さて、見渡していると相手も転移してきた。

 淡い茶髪の彼女は谷精ナパイアで、右手に槍を持っている。

 

 「あんた、名前は?私はレジーナだ」

谷精は誰何してくる。

「シルヴァよ」

と返すと、その谷精レジーナは

「そうか、シルヴァ。あまり弱いと楽しくないよ」

「そっくりそのままお返しするわ、レジーナ」

 闘う前から2人は煽り、睨み合う。互いが互いの煽情に右手の力が強くなる。

 

 「これより、一次選別『決闘』を開始いたします」

そこに審判の男が現れ、説明を続ける。

 「どちらが一方が戦闘不能、あるいは降伏した時点でもう一方の勝利となります。なお、魔法及び、魔術の使用は自由。場内では蘇生が可能ですので、殺してしまっても構いません。勝者は二次選別『野戦』に進みます」

 審判はそう言って、

「それでは……初めっ…!」

の声と同時に上げた手を振り下ろす。

 

 「アケレラ!」

合図の瞬間に、シルヴァは床を蹴って一気に飛び出す。長物の槍相手では接近戦でもないと分が悪い。それ故、一瞬の内に距離をつめ、あわよくばそこで勝負を決めるのだ。

 その策はレジーナに槍をあてる暇など与えない。

 だが、すぐ間に合わないとレジーナは理解し、槍を手前に刺し立てる。剣の刃は金属製の柄に弾かれた。

 さらに、レジーナはシルヴァを飛び越え、後ろを取る。そこから槍で心臓を狙う。

 「テオポウス!」

シルヴァは槍がくる方向へ、蹴りを入れる。咄嗟にレジーナは槍で守るが、壁まで吹っ飛ばされた。

 

 「やるね。じゃあ、今度はこっちからいかせてもらうよ!アケレラ!」

先手を取られたレジーナであったが、槍のみ届く距離に迫ると、怒涛の連続突きを繰り出す。さきのニ神程速くはないが、それでも躱すか受けるで手一杯である。

 シルヴァはなす術なく後ろへ後ろへと追い込まれる。だが、その烈しい連撃は自身も苦しめる。長くは続かないのだ。

 「クッソ……」

(動きが鈍くなった……?)

シルヴァにも槍術が乱れるのが見てとれた。次の突きを剣でいなし、一瞬の隙のレジーナの胸へ剣を突き出す。 

 レジーナは右に回ってかわし、左手に槍を持ちかえ、突きを入れる。

 勢いは弱いが狙いは正確。急所に吸い込まれるようなその一撃をシルヴァは身体をくの字に曲げて何とかかわす。

 つづいて、レジーナは右へ槍をずらす。槍先を魔力が纏う。

「ヒエロエンデ!」

「無駄だよ!ディストルテルム!」

唱え振り払うと、槍の魔力が破力に換わり破裂する。

 だが、槍は肉を削がず、それどころか何か硬質なものに弾かれた。

 

ドガァッ!

 

 それでも、シルヴァは右の壁へ吹っ飛ばされた。

 だが、レジーナは今起きた現象にしばらく固まった。   

 なぜ、破力も纏った槍が弾かれたのか。すぐに答えは出ない。

 レジーナは即考察を放棄、その壁の方へ槍を前に突進する。

 が、槍が刺したのは血のついた壁のみである。

 「いない?下…っか!」

レジーナが下を向くと、シルヴァと目が合う。

 「ディストルテルム!」

シルヴァは下から破力の剣でレジーナの心臓を狙う。レジーナは体をそってかわし、槍を抜き退く。

 「ディストルテルム!ディストルテルム!ディストルテルム!」

すぐさま、破力の槍で地を叩いては叩く。シルヴァは転がって全てかわし、隙を見つけて首跳ね起きで立つ。

 

 「あんた、どうしてピンピンしてる?『ヒエロエンデ』ごときで『ディストルテルム』を防げるはずがない」

「ピンピンしているように見えるかしら?これでも、肋骨二本逝ってるのよ」

「それぐらいで済んでるのがあり得ないと言ってるんだ。あんた、一体何をした?」

「あぁ、そういうこと。『ヒエロエンデ』の硬質化に成功したよのよ。羊皮紙でも何度か折れば硬くなるでしょう?」

「即興改変……。そんなことがっ……!」

「あるのはちょっとした知恵だけよ。それを完全に活かせる程、私は塾達してない」

 

 レジーナの問に、シルヴァは答えた。

 そして、睨み合い、互いに飛び出して槍と剣を交える。シルヴァは剣を片手持ちから両手持ちに切り換え、思い切りレジーナの槍を振りほどく。

「ディストルテルム!」

そこへ破力纏う刺突を畳み掛ける。

 「させん!」

レジーナは怯みつつも槍に魔力を纏わせ、思い切り投擲する。シルヴァは攻撃を中断、横に回ってかわす。槍は後方の壁に勢いよく突き刺さった。

 「はぁっ!」

シルヴァは横から右斜め上へ剣を払う。レジーナは飛び退ってかわし、

「ヴォルテクス」

空中に拳を打つ。その衝撃波がシルヴァを叩く。

 「ヴォルテクス」。四肢に数秒、空気塊を纏うレジーナの固有魔術である。それを二重の衝撃を生む重撃、撃ち出す飛撃などに応用している。

 

 剣撃範囲外からの飛撃の乱打。空気塊は弾くことも斬ることも容易だが、勢いは消せずシルヴァは後ろへ押される。

 「ヴォルテクスッ!」

最後、レジーナは渾身の飛撃を放つ。

「ディストルテルム!」

シルヴァは床に剣を突き刺し、吹っ飛ばされる勢いを殺す。

 「アトラホ」

さらに、レジーナは手を翳す。放たれた魔力は槍に繋がり、それを引き寄せる。引く力は勢いよく、槍の切っ先がシルヴァの背を睨んだ。

 シルヴァは寸前、横へ飛んでかわし、槍の柄を強く掴む。彼女は槍を介してレジーナの方へ引き寄せられた。

 レジーナは引寄魔術を解くが、失われたのは槍を引く力のみである。槍の勢いはそのまま、シルヴァの勢いとなり、次は槍の方が彼女に引っ張られた。

 あっという間に、レジーナの目の前へ。まずは残る勢いを全て乗せての槍。レジーナは肘で、シルヴァの掌を打つ。シルヴァは思わず、槍を離す。

 だが、シルヴァには第二撃がある。体を大きく回して、回転斬りを繰り出す。

「ヴォルテクス!」

レジーナは右足に空気塊を纏い、床を強く踏みつける。空気は四方へ弾け、シルヴァを引き剥がす。

 

 「ヴォルテクス」

レジーナはシルヴァが着地したところへ重撃を入れる。

「ぐぅっ……!?」

防御は間に合わず、その二重の打撃をまともに腹に食らう。肋は折れたままで、内臓へのダメージも大きい。

 シルヴァは大した回復魔術の心得を持ち合わせていない。

 奇跡の体現たる治癒は、単純な魔力変換による他の魔術より高度なイマジネーションを要するのだ。シルヴァと「エイド」で傷口を塞ぐ程度の知識はあるがこれだけの傷、そして、激しい動きを伴う格闘の最中ではすぐに傷口が開いてしまう。

 シルヴァに激痛に堪えながら戦闘を続行する以外の選択肢はなかった。大事な人との約束を守るためにもシルヴァは勝たなくてはならない。

 

「痛みでまともに動けないんだろう!だからって降伏なんめできないな。だが、これで終わらせる!アクセラ!」

レジーナは槍を拾うと、右手に構えて床を蹴る。シルヴァはその場から動かない。

 「ディストルテルム!」

シルヴァの目の前に来ると、レジーナは右腕を引き絞り、思いきり槍を突き出した。

「ヒエロエンデ」

シルヴァは魔力の鎧を纏った。

 そして、槍は弾かれる。「ディストルテルム」の破力は刃との接触面が起点となる。何かと触れると破裂が生じるが、そこには一瞬のラグがある。

 その隙を突かれた。破裂する前に槍は完全に弾かれる。

 

 「お返しよ!グロスィヤ!」

怯んだレジーナの鳩尾へシルヴァは拳を打つ。そこへさらに、

「テオポウス!」

側頭への蹴り。

 「どうして、私の槍が!硬質化っつっても、さっきは少し食い込んだだろ!」

「それは『ヒエロエンデ』の凝縮が足りなかったからよ。あなた、槍使いなら槍の弱点ぐらい知ってるでしょ?槍の刃は斬殺には向かない。だから、トドメは突きで来ると確信していたわ。付きなら守るのは一点だけでいい」

「『ヒエロエンデ』を一点に凝縮したことに成功したのか。だが、それにはかなりの集中がいるはずだ。一切の雑念も許さないほどに」

「そのために立ち止まったのよ」

 そう言って、床を蹴る。

「クッソ…!おらぁっ!」

レジーナは槍を右へ払うが、シルヴァは跳んでかわして、

「テオポウス!」

「何っ…!?」

両足で柄を踏みつけて、さらに飛び上がる。

 「属性魔術はまだ拙いけど……たくさん撃てば目眩ましにはなるわよ、ね!」

空中のシルヴァの周りに小さい火球が数十現れる。

「フロガスフェラ!」

「火属性魔術……!そんなもの、どこで覚えた!?」

撃ち出された火球をレジーナは槍で次々払い落とす。

 「頭にこびり着いてるの。森を燃やす大火の光景がね。精霊の森《ニュンペ・ヒューレ》の一件、あなたも知ってるでしょ?」

「そうか。あんた、あの地獄の生き残りか……!」

「えぇ、そうよ。ディストルテルム!」

槍が振り下ろされたその瞬間、シルヴァは体を前に回してレジーナを頭から斬る。

 「ヴォルテクス!」

だが、レジーナもこの程度で動きを止めるツマリはない。腹へ重撃を入れる。しかも、ただの重撃ではなく飛撃との合せ技である。

 

 「テオポウス!」

見切ったシルヴァは剣をレジーナの左胸に投げる。そし、柄の底を蹴る。シルヴァは壁に叩きつけられたが、より深傷を負ったのはレジーナの方であった。

 最後の蹴りで剣は左胸を貫通していた。斬撃痕からの出血もあって、レジーナは限界に達したのだ。

 彼女は剣が突き刺さったまま、倒れ伏す。

 

 「勝負あり。勝者、Λ-γ'(ラムダ・トリス)

審判はそう告げる。同時にもう1人の男が歩みより、レジーナに刺さった剣を引き抜いた。

 それを見て、審判は指を鳴らす。

 すると、みるみる内にレジーナの傷は癒され、それどころか流れ出た血さえ彼女の体内へ戻っていくように見えた。その間に、自身が負った傷も完治していた。

 安心したシルヴァは、審判が差し出した宝珠に触れ、闘技場を後にする。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 そして、アクアもオレイアスのアクリを相手に、見事、勝利をおさめていた。

 

 アクアは弓、アクリは剣。弓は上端に接近戦の不利解消のため、刃を施された特注品で、矢筒も12本しか詰まっていないように見えるが、常にその本数を維持できるよう魔法が付与されている。

 しかし、弓とアクリとでは相性は最悪であった。彼女の固有魔術「プロイベーレ」は目標に定めた飛び道具を打ち消す術である。

 現状、一度に定められる目標は3つだが、その対象には魔法魔術も含まれる。

 

 「うぐぅ……!?」

アクリの腹に4本の矢が突き刺さる。

 アクアは矢を射ったのではない。指の間に挟んで、アクリの腹を殴ったのだ。

 「そっか。矢を射ってもきかないから、直接お見舞いしてやろうってこと………けど、弱点が1つ。背中がガラ空き!」

アクリは剣を振り下ろす。アクアはそれを弓についた刃で処理。そのまま、剣をはたき落として弓を放棄。

 空いた右手にも4本の矢を挟み、両拳で再び腹を殴った。

 それが決定打となって、アクリはついに倒れた。

 審判によるアクアの勝利宣言、2人は完全回復し、アクアは宝珠に触れる。

 

 その先でシルヴァと二次選別「野戦」の説明に耳を傾ける。



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第三節 三人組

  アテナが丁度、一次選別通過者の集う闘技場へ向かっている頃のことである。

 

 「全く酷い目にあった…。全力で振るえば星一つ消し飛ばすチート武器を、至近距離で撃ちやがるとはっ!頭が狂ってらっしゃるのか、あのジジィはっ!?」

アレスは廊下を歩きながら、吐き捨てるように言う。神の身は丈夫とは言え、腹に食らったのはキュクロプスの奉った雷霆。未だに疼いている。

 「だが、いかんな……。仮にも俺とアテナは同じ戦の神、奴との違いは母と得手のみだろうが……」

そうは言いつつも、その理由は大方、予想がついた。

 

 戦闘そのものを司るせいか、どうも自分には気に入らないものを力でねじ伏せようとする節があるとアレスは自覚していた。神々から嫌われる理由はそこにあるのだと知っていた。そんな自分が嫌われるのは当然だと薄々気付いていた。

 だが、心の中にある「ナニカ」が勝手に彼をそうさせるのだ。その「ナニカ」は暴れ馬がごとく心をかき乱し、破壊という残酷な形で外界に出力されるのである。

 アレスはそれを抑える術を知らない。

 

 「ったく……時折、俺の粗暴な性格が嫌になる」

そんな自分を呪っているところへ、噂をすればアテナが歩いてくる。   

 「おい、アテナ」

アレスはすれ違い際に自分から声をかけた。

 「ど、どうしたのですか、その傷は?私はそこまでした覚えはありませんよ」

とアテナ。わずかながら動揺しているように見える。

「いやいやいやいやいや……!誰のせいでこうなったと思ってやがる!?」

「ん、あなたでは……?」

「さも、当然のように言いやがって!お前だろ!元はと言えば、お前が俺を負かしたから雷霆を食らたったんだ!」

「そうですか。それは災難でしたね。私は急いでるのでこれで」

 アテナはそうとだけ言って去っていく。

 「おい、待てよコラぁっ!」

と言ってみたが、アテナはそれ以上は何の反応も示さなかった。

 

 「キャキャキャ……貴様は緊密な神格の姉にすら嫌われてるようだねぇ……ブキャキャキャ……」

と、そこへ一柱の女神が歩いてくる。

 腰まである乱れた黒髪、背には黒い翼を有し、目は紅く残忍に輝いている。服はとてもみすぼらしい感じだ。

 不和の女神エリス。かつて、私怨でトロイア戦争の原因を作り出した、狂神である。性格はアレだが、容姿はそこそこ美しい。

 「キャキャ……だが、あたいは貴様のこと好いておるぞ?まぁ、流石にハデスの貴様への心酔には負けるがねぇ」

とエリスは言うが、むしろ、アレスを苛つかせた。

 「いや、お前のようなクソ女神に好かれても嬉しくねぇよ。ハデスは尚更だ。まして、奴は女帝派と組んでるのだぞ。ホントにお前は人を苛つかせる天才だな」

と静かに怒りをぶつけると、

「そりゃ、あたいは厄災の母にして不和の女神、エリス様だからねぇ…ブキャキャ……」

エリスはニヤリと笑う。

 「ま、まずはそのすぐ怒るところをなおすんだね。バカみたいだよ?いや、本当にバカなんだろうけど……。キャキャキャ……」

エリスはそう言って翼を広げる。

 「バカ、だと……!?」

いよいよ黙っていられず、

「おい、待てや!このクソ女神!バカっつった方がバカって言葉聞いたことあるよなぁっ!!!」

と感情的に叫びながら、彼女の肩を掴もうとするがその前に飛び立たれる。

 「いい加減、アテナと仲良くしな!別にアテナからは嫌われ通しって訳でもなさそうだしねぇ。貴様の武とあの女の智が合わさりゃ、敵なしなんだよ。貴様は力の勝負で負けたことがあるの?あの女が戦いに負けたところを見たことがあるの?つまり、そういうことさ。頼んだよ、キャキャキャ……」

エリスは最後にそう諭して、向こうへ飛んでいってしまった。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 さて、一次選別通過者の集まる闘技場第五層。シルヴァとアクアが来てからしばらくして、アテナはやってきた。

 「皆さん、まずはあなた方を祝福。一次選別通過、おめでとうございます」

アテナはそう言って、選別を通過した約百五十に拍手する。

 「それでは、これより二次選別の説明を始めます。二次選別は通過者全員が参加する野戦となります。まずは、中央の魔法陣に集まってください。鏡界に鏡域を映し、全員をそれぞれ別の場所へ送ります。鏡域内には多数の疑似怪異(アウトマトス)がおり、皆さんの命を狙ってきます。しかし、ご安心ください。彼らに殺されることは鏡域からの排外のみを意味し、無傷で帰還いたします。ただし、排外されたものは二次選別は不合格となり、入学を認めることはできません。終了時間は鏡域に入ってから24時間、この24時間を生き残った者全員を入学資格ありと見なし、『魔体測定(メトロン)』へ進んでいただきます。なお、中には手強い疑似怪異(アウトマトス)もいるので、同盟の締結を推奨します。また、決闘を禁じ、違反者は失格となります」

 拍手を止めると、アテナはそう言って中央の円へ皆を促した。

 

 「行きましょ、アクア」

「うん!シルヴァちゃん!」

シルヴァとアクアも皆の流れに従って、円に入る。

 「アクア、向こうへ行ったら空に青の『アネベイノ』を撃ってね。私も青の『アネベイノ』を撃つわ。お互いがお互いの『アネベイノ』の方向を目指しましょう。それを繰り返せば、いつかは会えるはずよ」

「うん、わかった」

2人は微笑み会う。シルヴァが同盟を組む相手は最初から決まっている。

 「鏡は理想を映す。陣を扉に、鏡域へ繋ぐ。ただし、その先を諸所に固定」

アテナが詠唱すると、円が青の輝きを放ちだす。続いて、

「反転せよ!鏡面の扉よ!」

と言うと、内側が漆黒になる。

 

 そして、気付けばシルヴァは鏡の世界に立っていた。

 しかし、目の前の長い階段には見覚えがある。オリュンポス山麓から学園敷地に繋ぐ階段である。この鏡域はオリュンポス山の再現らしい。とても極大な鏡域は神の御力がいかに圧倒的かを知らしめる。

 と、空に青い光が1つあがる。中腹より少し手前辺りだ。

 「よかった、あまり遠くないわね。アネベイノ!」

それを見て、シルヴァも青の信号で返した。

 2人は信号を撃ちながら進み、やがて会う。

 

  「きっと、あなたたちがあげた信号の光を追ってきたんだ。アウトマトスというのは中々に賢いな」

「「言ってる場合かぁぁぁっ!」」

シルヴァとアクアは散る。声の者も木から降りてきた。

 

 彼女が精霊(ニュンペ)であることは気配から分かった。

 肩まで伸びた金髪は後ろを橙色のリボンに束ねられ、瞳は吸い込まれるほどに蒼く美しい。白の服を押し出す豊満な胸には十分大きいはずの2人も引け目を感じた。

 「私はキトルスだ。あなたたちは?」

その精、キトルスは2人に名を聞く。

「シルヴァよ」

「私はアクア」

2人も名乗ると、 

「シルヴァとアクアだな。よろしく頼む」

とキトルスは言う。

 

 「フロガスフェラ!」

前からくる猿型にシルヴァは火球を撃つ。拙い狙撃を数で補い、足りない威力は引き抜いた針葉で補う。

「ディストルテルム!」

その葉に破力をまとわせ、その猿型を吹き飛ばす。

 アクアは「ヒュドルスフェラ」を唱えて水球で1体を撃ち殺し、キトルスは固有魔術「フォルマメモリア」を唱えて手から光の短剣を生み出して1体を刺し殺す。

 

 残る3体は揃って飛びかかってきた。

 「フロガスフェラ!」

「ヒュドルスフェラ!」

シルヴァ、アクアは火と水の球を撃つが、猿型はそれを剣で叩き落とす。

 属性魔術に不慣れなのが災いした。表象を掴んではいても、それを的確に再現出来るだけの技術が今の2人にはない。

 「マジ……?」

とシルヴァはぼそっと言う。

 「任せろ!フォルマメモリア!」

そこで、キトルスが前に出てきて煌めく粉塵をまいた。

詠唱とともに粉塵は数十の光の短剣となる。

 3体は全身にそれを浴びて、一斉に倒れた。 

 

 キトルスは猿型の死体から光の短剣を抜いて、2人に手渡す。

 「この短剣、耐久は低いが武器としては結構な上物だ。ただ、私から離れすぎるな。欠片に戻ってしまうのだ」

と彼女は言う。

 キトルスの固有魔術「フォルマメモリア」は破片を光の集合体として復元する。脆く一定領域でしか維持できないが、復元前の運動を復元後も続けるため、ああいった応用も可能なのだ。

 

 「面白い魔術ね。その表象、どこで覚えてきたの?」

シルヴァは短剣を眺めながら問う。

「どこでという訳ではないのだが……。強いて言えば、自分自身だ。固有魔術って奴だ」

「固有魔術?もう、その域に達しているの?」

「正確にはそれならできる、だな。属性の表象はどうしても体摑めなくてな。だから、残った時間全てを固有魔術の体得に回した。固有魔術はそれだけで大きなアドバンテージになる。そんな私からすれば、2人の属性魔術の方が羨ましいな」

キトルスはそう言って、自身も短剣を手に取った。

 「固有魔術か……。確かに厄介だったよ。一次で戦ったアクリって子のがそうだった。私、弓を選んだんだけど、相性は最悪。飛んでくる物体の推進力を0にしちゃう術だったから」

アクアは矢が止まったのを思い出しながら言う。

 「まさか、弓先の刃だけで勝ったの?圧倒的に不利よ」

「ううん。指に矢を挟んで、拳でやったわ」

「カエストゥスか」

「流石、アクア。名案ね」

キトルスもシルヴァもアクアを賞賛する。

 自然と3人は手を組むことになる。

 

 三人組は山を進む。短剣を振るい、術を放ち、襲いかかる疑似怪異(アウトマトス)を退けて中腹を目指す。

 失格者も出始め、より強い疑似怪異(アウトマトス)との邂逅は徐々に増す。

 

 中腹には元の世界に同じく、学園があった。

 門の前には黒肌の獰猛そうな犬型疑似怪異(アウトマトス)が待ち伏せていた。

 その犬が吠えると、突然、小さい犬型が現れ、3人を取り囲む。

 「門を見張る黒い犬……。ケルベロスって訳?」

とシルヴァ。

「本物は頭が三つだし、群れもなさないはずだけどな。フォルマメモリア!」

キトルスは舞い、四方八方へ光の短剣を飛ばす。

 だが、致命打ではなかった。

 「フロガスフェラ!フロガスフェラ!フロガスフェラ!」

「ヒュドルスフェラ!ヒュドルスフェラ!ヒュドルスフェラ!」

「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」

3人は3方向へ散開。1体ずつ確実に潰していくこととする。ある犬は炎に幾度も打たれ、ある犬は水に貫かれ、ある犬は光剣に削がれ、力尽きる。

 

 その束の間、大きい方からは注意が逸れていた。

 最後の小型を倒そうとする3人を犬の巨影が覆う。

 「「「ヤバ……」」」

声が重なる。だが、すぐキトルスは腰の巾着に手を伸ばし、欠片を取り出し、

「フォルマメモリア!」

振りかざした手をから現れたのは光の大剣。剣は犬を刺すが、心臓を穿つより先に刃が折れてしまった。

 「フォルマメモリア」の耐久は元が大きい程、落ちてしまう。大剣は短剣よりもリーチで優る代わりに、耐久では劣るのだ。

 「やはり、ダメか」

キトルスはアクアと後ろへ飛ぶ。

「テオスポウス!」

シルヴァも折れた刃を蹴って飛びのいた。

 刃は蹴られた勢いで犬の腹を裂く。犬はしばしもがいて、ついに動かなくなった。

 

 そこへ、もう3体小型犬が飛び込んでくる。

 「テオスグロスィヤ!テオスポウス!」

シルヴァは1体を拳で壁に叩きつけ、蹴りで潰す。アクアは1体斬り捨て、キトルスは粉塵を投げて、

「フォルマメモリア」

数十の刃で1体を串刺す。

 「伏兵とはまた、仕込みにしては利口なことをするものだな」

死体を見ながらキトルスは1人呟く。

 「そこまでが仕込みなんじゃない?」

「だな。広大な領域に精巧な小道具、流石は上位神の創る鏡域という訳だ……」

シルヴァの言うことにキトルスも同感である。

 アクアの声がないと思うば、先に入っていた。2人も遅れて鏡域の学舎へ踏み入る。

 

 当然、学舎の中にも疑似怪異(アウトマトス)は潜む。

 踊り場に現れたのは水晶のような体の人型。左胸には赤い球体がある。

 「■■■■……■■■■……」

それが発したのは理解不能な声。直後、胸から火球が放たれる。

 「「「詠唱……ッ!」」」

3人は左へかわし、火は窓にぶつかる。だが、ガラスには傷1つもつかない。

 「■■■■……■■■■■■■■……」

"赤"の水晶体が廊下に出てきて、再び火球を撃つ。

 ただし、狙撃ではなく連射。一面を覆われ逃げ場はなく、弾速は3人の走力を超えている。防御は必須。

 「流石にこれだけあれば大丈夫だな」

キトルスは巾着の中身をすべて手に掴む。その手を後ろに、円を描くように粉塵を散らして、

「フォルマメモリア!」

欠片は一斉に復元される。それらは複雑に組み合って、乱雑な盾となり、火球ともども砕け散る。

 

 その隙に3人は近くの小部屋へ逃れる。

 その中に人型がいたのが不運だった。胸の球体は青く、先程とは別種。

 「■■■■……■■■■■■■……」

そいつもよく分からない声を発して、胸に水を収束、連続で解き放つ。 

 水球はあっと言う間に一面を埋め尽くした。

 キトルスは咄嗟に手近の戸棚を倒し、

「伏せろ!」

と叫ぶ。シルヴァとアクアもその場に伏せて、戸棚を盾にする形になった。

 水球は次々と棚に当たって弾け、いくつか頭上を横切っていく。

 その間、キトルスは「テオスグロスィヤ」で棚を殴り、できた破片を投げて「フォルマメモリア」を唱える。

 それは丁度、水晶体の頭上で棚となった。

 輝く棚に強打され、"青"はよろめく。

 その隙にシルヴァは戸棚を飛び越え、手の短剣で胸の球体を突き刺した。

 思った通り、そこが人型の核。すぐに活動を停止する。

 

 と、キトルスのいる方で扉の開く音がした。

 3人を追ってきた"赤"が入ってくる。

 「■■■■……■■■…!」

アクアは詠唱をさせなかった。

 右手を引き絞り、胸に狙いを定め、光の短剣を投擲する。

 少し左に寄ったが、核は貫かれた。

 水晶体は仰向けに倒れる。

 

 「この『野戦』。消極的な策だが、必勝法があるようだ。今さっき、確信に変わった」

安全確認を終え、部屋の隅に座ったところで、キトルスがそう言った。。

 「必勝法?」

シルヴァが聞き返す。

「ああ。見てくれ、盾にしたあの戸棚を。なぜか凹み一つない。水とは言え、魔力からなる水球の威力は十分だ。アクアの『ヒュドルスフェラ』だってあの犬を容易に撃ち抜いていた」

シルヴァ、アクアはその棚を見る。確かに凹みは1つと見当たらない。

「赤の方の火だって同じだ。あれも窓に傷一つつけなかった。つまり、アウトマトスは鏡域内の物体を壊すことはできないのではないか?なら、やることは1つしかないな」

 

 籠城。それこそがキトルスの導き出した必勝法だ。

 扉の前に椅子や棚を立てて起き、キトルスが「グラヴィタス」を付与して重力を加える。

 内開きの扉を内から塞がれては、疑似怪異(アウトマトス)もなす術がない。部屋は不可侵領域、完璧なシェルターとなる。 

 「だけど、いいのかしら。こんな方法で通過しちゃうなんて……」

「良い、と思う。そもそも、この『野戦』で見られているのは、私たちが戦場でどう生き残るかということに違いない。敵と戦うことだけが目的なら1人1人に疑似怪異(アウトマトス)を用意して、それぞれ戦わせるはずだ。それをしないのは、そういう理由があるからだろ?得られたものから編み出したなら、これも許容の範疇だ」

「それもそうね」

 

 罪悪感に似た懸念も消え、シルヴァは二次選抜突破を確信した。



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第四節 侵入者

  籠城を始めて約2、3時間が経った頃だった。

 「アクア……。今日はたくさん使っちゃったし、そろそろ補給しておきたいの」

とシルヴァはアクアの手を握って言う。

 「で、でも、キトルスちゃんがいるのに恥ずかしいよ」

「じゃ、着たままでしましょ。裸じゃなければ、少しはましでしょ。あと、教室の端でするのがいいわね」

 頬を赤らめるアクアにシルヴァは提案する。

 裸だとか、教室の端だとか、恥ずかしいだとかキトルスには全く意味が分からないが、ただ何を始めるのか興味をそそられた。

 

 そして、2人は教室の端で()()をする。

 キトルスはその様子に釘付けとなり、しばらくあって一度目を逸らした。

 しかし、興味が勝って、2人の戯れをついつい覗き見てしまう。

 挙げ句、アクアに気付かれて彼女に恥ずかしい思いをさせる始末だった。

 

 「シルヴァ。愛の形は人それぞれだが……その……試験中というのはちょっと場違いなんじゃないか?」

「仕方ないでしょ?こっちだって死活問題なの。まあ、そういう気持ちと半々だけどね。私はアクアの聖魔力がないと生きていけないんだから」

「ど、どういうことだ?」

「私の木、もうないの。命綱を失ったってこと。1年前のあの火災でね。それで、私はアクアの水の聖魔力を木属性に変えて何とか生き残ってるの。もちろん、あの子も良いって言ってくれているからやっているのよ」

「そうか。変なこと聞いてすまない」

「謝る程でもないわ。知らなかっただけだもの」

 言われて、やっと合点がいった。

 木と生死をともにする自らをその一部であると仮定し、水の聖魔力を注ぎ込み、木属性とすることで生き永らえる。ちょっとした魔力操作の応用だ。

 

 

 話している内に、アクアは心を落ち着かせ、端から戻ってきた。大分褪せたが、頬はまだ赤い。

 「この必勝法、皆に伝えたりできないかな。別に人数は決まってないんだし、蹴落とす必要なんてないよ」

彼女は真っ先に言う。

「優しいんだな、アクアは。それができるならそうしてもいいが、見てくれ」

そう言って指差したのは窓の方だった。

 そこには待ち伏せるように羽ばたいている悪魔のような姿の疑似怪異(アウトマトス)がいた。

 「それでも行くというなら止めはしないぞ。ここまで来て、そんなリスクを私は冒したくないってだけだ。だか、目の届く範囲でなら手助けをする。アクア、それが私のせめてもの気持ちだ」

とキトルスは言う。

 「そっか。じゃあ、シルヴァちゃんは来てくれる?」

「ええ、アクアがいくなら私も。1人でなんて行かせないわ。その方がここで2人待つより得策だしね」

「シルヴァちゃん……」

 安全な教室の中で三人組の解散が決まる。

 

 と、その時だった。

 突如、窓の外の疑似怪異(アウトマトス)が消滅する。それどころか、窓の外の空間そのものが変わった。

 半球状に展開した無の空間のその中に、十腕の巨人が立っている。

 やがて、景色は戻るが巨人という異物がその場に残されていた。

 巨人はこちらに気付くと、頭を縦に裂いて、凶悪な口の奥から風の塊を解き放つ。

 その塊はどういう訳か学舎の壁を吹き飛ばした。疑似怪異(アウトマトス)には壊せないはずなのだ。

 「鏡域の外から来たってこと!?」

シルヴァは言った。先程の空間の変化、それがトリガーだと推し量る。

「それはマズいな。問答無用で鏡域内のものが壊されるぞ!」

キトルスはすぐに「グラヴィタス」を解除しバリケードを引き剥がした。

 ドアを開けた瞬間、疑似怪異(アウトマトス)が襲いかかるがこれをシルヴァとアクアが斬り伏せる。

 そのまま、目の前の敵を斬りながら廊下を走り抜けるていると急に床が下がって足を取られる。

 ゴゴゴゴゴゴ……!さらに、学舎そのものが後ろへ滑り出す。

 「校舎を斬ったっての!?」

逃げ場がない。このままでは、瓦礫に押し潰されて不合格。シルヴァが学園に入りたい理由はもはやあの頃の憧れではない。復讐なのだ。森をあんな風にした倒すべき敵への復讐なのだ。憧れという諦めのつくものではなく、憎悪という心に深く沈んだ絶対の感情である。

 「フロガスフェラ!」

シルヴァはまず火球で窓を砕く。

「行くわよ。生き残るにはあそこから出るしかない!生き残りましょ、3人で!」

とアクア、キトルスに強く言う。第一にシルヴァはアクアと一緒でないと意味がないし、徒党を組んだのだからキトルスもそれと同じだ。

 2人は彼女に応える。

 何とか窓にたどり着いて、そこから飛び出す。

 

 だが、シルヴァたちがいたのは3階。

 「掴まって、2人とも!」

言い出しっぺのシルヴァは言う。アクアとキトルスはすぐに彼女の腰に掴まり、シルヴァの方は足を壁まで伸ばして

「テオスポウス!」

聖魔力を装った足で2人ごと木に突っ込んだ。

 その木がクッションとなって3人は軽傷で地面に降り立つ。

 すぐに切られた学舎は崩れ、その奥にいた十腕巨人はこちらを向く。

 3人にはあれがどれほどの力を有しているのかなど分かるはずもない。

 だが、それでも倒す。平穏に二次選別を突破するにはそれしかないと理解した。



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第五節 等級と賜布

 巨人は風を圧縮し、それを光線のごとく放射する。

 3人はこれをかわして、

「「「アケレラ!」」」

同時に飛び出す。シルヴァ、アクアは短剣を構え、キトルスは聖魔力を拳に纏める。

 狙いは両脚、まず巨人の動きを奪わんとする。

 しかし、巨人が十の腕で地面を叩いた瞬間、強風が吹き上げる。

 風に弄ばれながら、シルヴァとアクアは

「「テオスグロスィヤ!」」

短剣を拳で叩いて撃ち込み、

「フロガスフェラ!」

「ヒュドルスフェラ!」

と火球水球を追わせる。

 剣と水球は風の盾をも貫いた。

 巨人は一方の剣の一撃を許容、もう一方を手に取り、水球を叩き落とした。

 さらに、十腕を反りその手に風を集める。その腕が前に出るとともに、風塊は投げられた。

 十の風塊は辺りを吹き飛ばす。

 

 「■■■■……■■■■■■■■……」

そこへ思わぬ助っ人が入る。

 空から聞こえたのはあの人型疑似怪異(アウトマトス)の発したのと同一の言語だ。

 上を見ると、有翼の疑似怪異(アウトマトス)が数十体飛んでいた。

 その数十の有翼型から一斉に雷電の槍が放たれて、巨人の体に吸い込まれるように推進する。

 十本の腕と風の力を以てしても、これだけの数は捌ききれないようだ。

 風塊で相殺された数割を除き、すべての槍が巨人を穿つ。

 「■■■■……■■…!」 

有翼型は次なる雷槍の準備を始めたが、巨人の十腕から放たれた風の圧線で一掃される。

 

 その隙に、3人は巨人の懐へ。

 先の風塊で砕けた木の残骸を、

「ディストルテルム!」

と唱えて、シルヴァが片足を突く。それは纏う破力により深く潜り込む。

 「フォルマメモリア!」

そして、キトルスは手で触れる。残骸は元の木の形へ。輝く木は巨人の脚の肉に割り込んで現れたかと思うと、砕け散った。

 3人の策で脚が消し飛び、巨人は横へ倒された。

 シルヴァは残骸片手に、アクア、キトルスと横たわる巨躯の上に飛び乗る。

 狙うは心臓、その音をキトルスは脚で感じ取り、

「ここだ」

と指し示す。

「ディストルテルム!」

すぐさま、シルヴァが残骸を突き刺した。

 「フォルマメモリア!」

キトルスの詠唱とともに輝く木が胸部ごと心臓を吹き飛ばした。

 

 しかし、グラリ……とその巨躯が不気味に揺れる。

 「嘘……心臓を失ってもまだ動けるの……?」

初めに言ったのはアクアだった。

 揺れは繰り返し、振れ幅はその度に増す。

 やがて、最大に達するとその勢いで天地は逆転する。

 3人は強制的に地面に振り落とされる。巨人は8本の腕で体を支える形となり、続いてキトルスを捕まえた。

 「くっ…あっ……」

キトルスは圧迫されて上手く声が出せない。アクアは木の残骸を拾って飛び、彼女を掴む腕に当てて、

「テオスグロスィヤ!」

釘を打つ要領でそこに突き刺した。

 キトルスは胸の痛みに苦しみながら、何とかそれに触れ、

「フォルマ…メモリ……ア……」

木で腕を落として、拘束を解く。

 彼女は押し込められていた空気を一気に吐いて、立ち上がった。

 

 「伏せてなさい!」

後ろから聞き覚えのある声が聞こえたのはその時だった。

 3人が伏せると、その瞬間、頭上を極大の光が通過する。

 その光は巨人の頭を貫き、槍に姿を戻す。

 後ろから現れたアテナはその槍を掴み、

「心臓を穿っても死なないのなら身体ごと消してしまえばいいのです」

と言う。

 次の瞬間、数多の閃光が巨人の身体のあちらこちらを貫く。

「す、すごい……」

とシルヴァは思わず洩らす。

 そのわずか数分後。言葉通り、巨人の身体は消し飛ばされた。

 神の槍捌きはまさに規格外の業だった。

 

 「本来、選別に介入するのはあってはならないことなのですけど、今回は特例です。疑似怪異(アウトマトス)がやられてしまったときはあなたたちが殺されてしまうのではないかと心配したのですが、無事で良かったです」

アテナは降りてきて、3人に微笑みかける。

「無事って……。鏡域内で殺されても無傷で返されるのでは?それとも、贔屓してでも私たちを突破させたいのですか?」

アクアが聞くと、

「いいえ、さっきも言いましたがこれは特例中の特例です。侵入者たるあの巨人の排除は二次選別の結果に影響するものではありません。それに、その理屈が通じるのは疑似怪異(アウトマトス)のみです。あの巨人に殺されれば、それは正真正銘、死なのですよ。だから、決闘を禁止したのです」

「なるほど……」

アクアはすべて腑に落ちて頷いた。

 「それにしても、なぜ鏡域なんかに侵入したのでしょうか?そもそも、部分的とは言え並の力では神造の鏡域に割り込んで鏡域を展開するなど不可能なはずなのですが……」

さらに、アテナは言った。

「学園には優れた魔術使いが何人もいるんですよね?ゼウス様はもちろん、ヘルメス様だったりメディアさんだったり」

とシルヴァ。

「その通りです。まぁ、皆さんが無事であれば私はそれでいいのですけど」

そうアテナは返すが、やはり少し気になる様子だ。

 「では、この二次選別。頑張って生き残ってくださいね。勝者となって再び相見えることを祈っております」

だが、これ以上、ここに留まる必要はない。特例で干渉しただから、その片が付いたのならすぐにここを出るべきだ。アテナはその場に扉を展開し、元の世界へ帰還した。

 

 その後、結局、3人は必勝法に頼らず二次選別を通過する。荒らされた敷地に籠城できる場所は1つとなかった

 倒した疑似怪異(アウトマトス)は数十体。

 そして、この二次選別で数はざっと三分の一ぐらいが消えたようだ。

 「皆さん、選抜通過おめでとうございます。あなた方は学園へ迎え入れましょう」

まず、残り三分の二の合格者に祝辞があり、

 「なお、等級付与のため皆さんには魔体測定(メトロン)をしていただきます」

と言って、シルヴァたちを競技場の地下に案内した。

 

 そこには巨大な結晶が3つ置かれてある。

 「目を瞑り、この石にしばらく触れてください。測定完了時、私が合図を出すので、それまで手は離さないで。石は3つしかないので、三列に並んでもらいましょう」

合格者たちはアテナの指示に従って三列になる。

 前の人の魔体測定(メトロン)が終わると、アテナに促されシルヴァも巨石に手をあてた。

 その瞬間、彼女の意識が石に吸い込まれるような感覚を覚える。その中で、魔力や聖魔力とは異なる力に体が満たされるのを感じた。

 「もういいですよ」

アテナの言葉が聞こえると、その不思議な感覚が消えて現実へ戻される。

 「これで魔体測定(メトロン)は終わりです。そちらで、等級の発表を待ってください」 

そう言われて、シルヴァは壁に寄る。

 その後にアクア、キトルスと続いた。

 

 そして、等級が発表された。

 新入生の等級は任務(エルゴン)の代替として一次二次両選別での総加点と魔体測定(メトロン)の結果を総合して決まる。

 「私、γ(ガンマ)だったわ」

とシルヴァ。 

「私はβ(ベータ)だ」

「私も。シルヴァちゃん凄い!」

とキトルス、アクアは言う。

「γ級の新入生は久しぶりですね。γ級は生徒の約15%、上から四番目になります」

とそれを聞いていなアテナもシルヴァを讃美した。

 「それでは階級に応じた色のヒュマティオンとフィブラを授けます」

そう言って手渡されたのは鮮やかな色の外套である。アクアとキトルスは碧だが、シルヴァは黒。付属した黄金の留め具には鷲と牡牛のレリーフが施されていた。

 「キトン、ベルト、サンダルは後日、お越しいただいた時にお渡します。ベルトの染色やリボンへの変更、付属品の追加など可能な限りは受付けますがどうしますか?」

とアテナが言うので、3人は揃ってベルトを金色に染めるよう頼んでみる。

 アテナは快く受諾した。

 

 3人はヒュマティオンと留め具だけを持って学園を去る。

 シルヴァとアクアは戦車(チャリオット)を呼んであの場所へ、キトルスはオリュンポス山麓の森の奥へ。

 見上げた空は美しい茜色に染まっていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 「そうか。例のものの保管場所は鏡界でなかったか……。いや、別に気にしなくてよい。当てはまだあるのだろう?そのまま、調査を続けよ」

冥界の奥深く。ヘラは内通者からの知らせにそう告げた。

 「主神派保有の開闢体はかなりあるはず。だとすらば、かなり体積がある。オリュンポスの鏡界は広大で滅多に人を入れぬと言うから、もしやとは思ったが見当違いだったな……」

交信の後、ヘラは当てか外れて嘆息したが、口角はすぐ上がる。

 「まあ、いい。覚悟しなさい、ゼウス。貴様がブツをどこに隠しておろうと確実に見つ出し、全て余の手中に収めてやる。混沌(カオス)は余が完成させる」

彼女は天井を見上げ、憎き愚弟、ゼウスを思い起こして野望を掲げた。



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第六節 入学の儀

  選別から数日。

 入学者の証たるヒュマティオンとフィブラを持って、シルヴァとアクアは再び学園を訪れた。

 「シルヴァ、アクア!」

階段を上っていると、後ろから聞き覚えるのある声で呼ばれる。

 振り向くとキトルスがいる。出会って間もないが、3人は戦友としてではなく、友人としての絆が生まれつつ合った。

 係の精霊(ニュンペ)たちから3人は学服を受け取った。純白のキトン、黄金のベルト、そして、銅色のサンダル。ヒュマティオンを除いて、全てお揃いだ。

 それを両手に、3人は舎内の更衣室へ入る。

 

 巻いたキトンの上端を折り、二点をフィブラで留めて、腰をベルトで縛る。その上からヒュマティオンを肩掛けにし、サンダルを履いた。

 それから、人の流れに従って闘技場前の広場に出る。選別の前、志願者が集まっていたのと同じ場所だ。

 そこにいたのはアテナやアレスではなく、主神派の頭にしてオリュンポス学園の理事長、神王ゼウスであった。後ろには教頭のヘルメスが控えている。

 

 「よく集まってくれた、新入生たちよ。君たちは二次にわたる選別を勝ち残り、見事入学資格を手にしてここにいる。アテナからもあっただろうが、学長の私からも称賛を贈ろう。強者たちよ、よくぞ来た!ようこそ、神霊教育機関オリュンポス学園へ!」

3m程の巨躯から放たれるゼウスの言葉が広場に響き渡った。

 瞬間、広場中に約150人の歓声が湧き上がる。

 神王ゼウスとは数々の英雄の父であり、彼自身も太古、巨神大戦(ティタノマキア)巨人大戦(ギガントマキア)と呼ばれる巨大な総力戦でオリュンポスを勝利に導いた英雄の一角と伝えられている。

 故に、その歓声は必然である。

 「静粛に!」

ゼウスの一言でそれも止む。彼は

「では、ヘルメス教頭より先生方の紹介をしてもらおう。ご存知の通り、私はゼウス、この学園の理事長である」

と最後に言うと、ヘルメスに替わった。

 

 ヘルメスは杖を前に突き立てて、こう言った。

 「ゼウス様からご紹介の通り、僕はヘルメだよ。この学校の教頭さ。これからよろしくね」

伝令の杖を通して声が届いた。

 直後、空気が変わる。

 ヘルメスの打算的で鼻にもつく性格は皆の知るところにある。アレス程でなくとも、彼だって相当嫌われる。

 ブーイングの嵐に加えて、「嘘つきの神」とか「たらしの神」とか、はたまた「オリュンポスの穢れた神」とか根も葉もない訳ではない野次が飛び交う。

 「う、ううう、うるさいぞ、愚か者ども!僕に喧嘩売ったらどうなるか……!ゼウス様が黙ってないぞ!」

ヘルメスは慌ててゼウスの方を向く。

 だが、助け船は出なかった。

 

 「黙ってる…だとっ!?」

ヘルメスは見限りに絶望する。

 「酷い扱いね、分かってたことだけど」

「いくらヘルメス様でも言いすぎだよね」

「仕方ない。ヘルメス様は悪名高い神様だからな。頑張れ、私は応援してる」

シルヴァ、アクア、キトルス。険悪の外側にいる3人だが、彼女らも彼女らでなかなか心のないことを言う。

 同情も今の彼には劇毒だ。

 「お前らもか!何の躊躇いもなく淡々と!嫌味で言ってる訳じゃなさそうなのがまた腹立つ!」

ヘルメスはますます憤怒と苦悶に打ちのめされた。

 「ヘルメス、いつまで待たせるつもりだ?」

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……、とだんだん空気が重くなる中、文字通り、ヘルメスのすぐ横を雷が落ちた。

 雷霆。最大出力は世界を壊しかねないゼウスの御業である。

 「は、はいぃっ!」

神とは不死の存在であるが、ヘルメスは初めて明確に死を間近に感じた。

 実際、雷霆であれば神の肉を焼き尽くすことは容易い。それはある意味、死と言えるのかもしれない。

 

 「魔法魔術学のメディアよ。よろしく。」

初めは黒装束の魔術師メディアだった。

 女帝派のヘカテを除いて、彼女以上に魔法魔術を教えるのに相応しい者はいない。

 「体術のヘラクレスだ。皆からはクレス先生と呼ばれている」

 次に筋骨隆々の強面と巨躯、半裸の半神ヘラクレス。

 一にネメアの獅子の退治。

 ニにレルネのヒュドラの退治。

 三にケリュケイアの鹿の捕獲。

 四にエリュマントスの猪の捕獲。

 五にアウゲイアスの畜舎の掃除。

 六にステュムパリデスの鳥の退治。

 七にクレタの牝牛の捕獲。

 八にディオメデスの馬の退治。

 九にヒュッポリテの帯の入手。

 十にゲリュオンの牛の奪取。

 十一に黄金の林檎の採取。

 十ニに冥界のケルベロスの捕獲。

 以上、エウリュステウスの課した十二の功業を見事に完遂した偉大な英雄。

 「選別の日に一度会いましたね。アテナです。剣術を教えます」

戦神アテナも出る。この前と同じものを身に纏っている。

 「俺はアレスだ。槍術を教える。安心しろ、機嫌さえ損ねなきゃ俺は何もしない。そして、槍を教える程度の頭脳なら俺にもある」

しっかり脅しながら、軍神アレスは言う。彼も選別の日と同じ鎧を身につけていて、整った亜麻色の短い髪は精悍な顔によく似合う。

 「私はアルテミス。弓術の教師をするわ。よろしくね」

そう名乗った処女神の長髪は青白く、エメラルドグリーンの瞳を持つ。黄金の装飾を施した特別なキトンを纏う彼女は、この場で一二を争う美女だ。

 「神話史学のムネモシュネよぉ。よろしくぅ」

カウェーブの入った長い黒髪。胸の谷間が剥き出しになった大胆な着こなしで、声色も相まってあまりに隙がありすぎる。

 「俺様はアポロン、そこのアルテミスの兄上さ。芸術を教えるぜ」

何やら軽い感じな彼は芸能神アポロン。緋色の髪はツンツンとして、装束は学園生によく似ている。ちなみに、オリオンの一件で妹にはとことん嫌われている。

 「天文学をお教えするセレネですわ。以後、お見知り置きを」

月の女神は白い服の所々に青い紐を巻きつけている。艶やな銀髪が夜月のように神妙に煌めいた。

 魔法魔術学、体術、剣術、槍術、弓術、神話史学、天文学、芸術。この八つがオリュンポス学園一年生に課される科目だ。

 課外活動の任務(エルゴン)も含め、第一学年は九の練成(ノナ・ソフィア)。オリュンポス学園は四年制を採用し、第二学年からはさらに三つ加わって十二の練成(ドデカ・ソフィア)となる。

 

 そんなこんなで式は執り行われた。

 「では、新入生諸君、さらばだ。君たち1人1人が我ら主神派の要となる日を楽しみにしている」

そう締めくくるとゼウスは背を向け、神々と魔術師を率いて闘技場を後にした。

 

 成長と陰謀うずまく、混沌の日々が始まる。



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