アサルトしないリリィ (坂ノ下)
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アサルTrick (夢結×梨璃)

 トコトコトコと、温かみある木板の廊下を小さな足が進んでいる。時折、桃色のサイドテールを揺らして辺りを見回すと、その少女は講義室の前を通り過ぎて更に歩みを進めていった。

 時刻は夕方に差し掛かろうかといったところ。講義を終えた女生徒たちも、足の速い者は既にあらかた立ち去った後。そんな中、桃色髪の少女―― 一柳梨璃(ひとつやなぎりり)はお目当ての人物を視界に捉えた。

 甘えたがりの彼女にしては、珍しく一人。今が好機。

 ところが梨璃は立ち止まる。その人物とは顔を合わせれば挨拶するし、談笑することもある。しかしながら、これから打ち明けようとする話の中身を思えば、そこまで親密かというと疑問符が浮かぶ。

 それでも、自分とは正反対の性格ながら何故か親近感を覚えていた彼女に対し、梨璃は意を決して口を開く。

 

「あのっ、樟美(くすみ)さん!」

 

 大きめの声に、教本その他を両腕で胸の前に抱えていた小柄な体がビクリと震えた。それも一瞬のことで、見知った者と気づいた江川樟美(えがわくすみ)はホッとした様子で梨璃に顔を向ける。

 

「梨璃さん、ごきげんよう」

「ごきげんよう、樟美さん。あのっ、もしこれから御用がなければ、ちょっとお話したいことがあるんだけど」

「お話?」

「お話というか相談というか……。うーんっと、えーっと、ここだと話しづらいので、場所を変えてもいいですか?」

 

 歯切れの悪い言い様に樟美はキョトンとしながらも、細い首と柔らかな灰の髪を縦に振って同意する。彼女を連れて、梨璃は人のまばらとなった廊下を後にした。

 

 

 

 

 

 ここ百合ヶ丘女学院は選ばれた者のみが入学を許されている。それはリリィ。超常の力、マギを操り人類の敵たるヒュージを討つ少女たち。人類防衛の最後の要。百合ヶ丘はリリィに戦う術を教える軍事育成機関なのだ。

 性質上、訓練場や工廠などの物々しい施設が存在する百合ヶ丘だが、もちろん一般的な学園と変わらぬ光景も多く見られる。梨璃と樟美が到着したのはその一つである食堂だった。

 

「よかった。流石にこの時間は人、少ないですね」

「うん」

 

 梨璃の言葉通り、生徒の姿は少なく声も小さい。テーブルの上に居並ぶ重々しい燭台、やたらと高い天井が、今では物寂しさを強調しているようだった。

 朝、昼、晩の食事時にはこんなことなどあり得ない。完全寮生活の彼女たちリリィにとって、食事は二大娯楽の一つなのだから。

 

「テラスの方もやっぱり少ない。樟美さん、あっちに行きましょう」

 

 正確には一人居た。白の丸テーブルに頭から突っ伏している梨璃よりも小柄な体。薄紫の長髪を左右に結った、梨璃の友人であり戦友である少女。

 寝ているのだろうか。彼女のような工廠科は自分たち普通科とは暮らしのリズムも違う。その程度に捉え、梨璃は同席させてもらおうと近付いていく。今回の相談事は、この小さな戦友にも関係があるから丁度良いと言って。

 

「本当に、どんなお話なの……」

 

 僅かに不安が顔を覗かせてきた樟美と、気配を感じて眠たげな顔を持ち上げたもう一人に対し、席に着いた梨璃が声を落として口を開く。

 

「実はね――、そういうわけで――、だけど樟美さんなら――」

「え、えぇっ! お姉様とキス!?」

「しーっ! しーーーっ!」

 

 最後まで話を聞く間もなく、垂れ気味の瞳を大きくした樟美が驚きの声を上げた。釣られるように梨璃も焦る。

 一方で、もう一人は対照的に落ち着き払っていた。

 

「ふむふむ。つまり、梨璃はお姉様に接吻して欲しいのじゃが、どういったシチュエーションで、どのようなタイミングでしてもらえば良いのか、わしらに助言を請いたいわけじゃな?」

「はい、そうです……」

 

 腕組みし、椅子の上で器用に胡坐をかく。この珍妙で年齢不相応な口調の少女の名はミリアム・ヒルデガルド・V(フォン)・グロピウス。樟美同様にミリアムがこの話に関係しているというのは、お姉様を持つという点にあった。

 ここでいう()()()とは実の姉妹を指しているのではない。守護天使(シュッツエンゲル)制度という百合ヶ丘女学院独自の擬似姉妹のことである。

 

「それで、その、樟美さんのところはどんな感じなの?」

「私の場合は、私がしたいなって思った時に、何も言わなくても天葉(そらは)姉様からしてくれるから……」

「うわぁ、凄い。いいなあ」

 

 思い返してみれば、樟美と彼女のお姉様が腕を組んだりじゃれ合っているのを、梨璃は普段から何度も見かけていた。彼女が引っ込み思案な性格だからといって、どうして自分と同じ土俵に立っていると勘違いしてしまったのか。今更ながら己の浅はかさを自覚した。

 それでもすぐに落ち込むのを止めて、梨璃が質問の対象を転換する。

 

「じゃあミリアムさんと百由(もゆ)様はどうなの? シュッツエンゲルの契りを結んだの、結構最近だよね?」

「百由様かぁ。うーむ、ふざけたり寝ぼけた時によくしてくるが、はたしてあれはカウントしてよいのかどうか」

「あわわ、レベルが違い過ぎるっ」

 

 余計に手詰まりになっただけだった。周回遅れをまざまざと見せつけられるはめとなった。

 こうなってはもう仕方がないと、梨璃は形振り構わず更に突っ込んだ意見を求める。

 

「どうしよう、どうしよう。やっぱりこういうのは下級生(シルト)からお願いするのって、あまり良いことじゃないよね?」

「ど、どうなんだろう。人によるとしか。何か、役に立てなくてごめんなさい梨璃さん」

「ううん、そんなことないよ。私こそこんな話聞いてもらっちゃって」

 

 二人してあたふたとした様子。それを見かねたのか、顎の下に手を当てたミリアムが口を挟む。

 

「しかし梨璃。かつては意気揚々とシュッツエンゲルを申し込み、あまつさえ抱擁など要求したお主が、ここまで悩むとはのう。少々意外じゃなあ」

「意気揚々としてません! あれでも思い切って勇気出したんだから!」

「はははっ、そいつはすまんな。それはさておき、あまり他人のことばかり参考にしてもしょうがないぞ」

「えっ、どうして?」

「例えば、想像できるか? 百由様や天葉様みたいに夢結(ゆゆ)様がじゃれついてくる姿を」

 

 それは梨璃にとって、ある種の爆弾であった。押し黙った後、ややあって背中を丸めテーブルの上に顔から寄り掛かる。ブツブツと何やら呟きながら。

 

「えへ、えへへへへ」

「梨璃さん。梨璃さん?」

「しまった、わしとしたことがやってしもうた。梨璃十八番の白昼夢じゃ。これはちょっとやそっとじゃ戻ってこんぞ」

 

 どっぷりと想像の世界に浸り込んだ梨璃の頭に、外からの言葉は半ば意味を成さない。少なくとも、今この場の面子ではどうにもならないのは確か。

 やがて、それでも構わぬと開き直った風に、ミリアムは椅子へ深く座り直して自論を展開し始める。

 

「まあそもそも、シュッツエンゲル制度自体が後輩の育成と人間関係の構築を御題目に謳っておるが、あれは半分建前じゃな。育成などはレギオン制度の方が適しているはず。ならば、そっちの意図があるのは明白。学園側にそういう趣向の持ち主がおったのじゃろう。故に深く考えず、時と場合だけは弁えて、キスでも接吻でも口吸いでも積極的に挑戦していけば良いではないか」

「口吸いって、何なの……」

 

 困惑気味の樟美。梨璃は未だ戻ってこない。

 そんな状況を打破するかのように、テラスへ新たな顔触れが現れる。

 

「あらぁ? 何やら聞き捨てならない単語が聞こえてきたのですけど」

「随分面白そうな話してるじゃないか。(まい)たちもちょっと混ぜてくれよ」

 

 わざとらしく芝居がかった言動をする茶髪の同級生と、陽気な調子の緑髪の上級生が肩を並べていた。そして二人からやや下がった所に、梨璃を悩ませ、かつ、妄想の世界へと誘った原因が立っている。

 

「まったく。まだ日も沈み切らない内から、こんなパブリックスペースで。皆様貞淑さが足りてないのではなくて?」

「そうは言うが(かえで)よ。これは梨璃から持ち掛けてきた話でな」

「どうして(わたくし)を呼んでくださらなかったの!?」

「ええい、七面倒な奴じゃ!」

 

 ミリアムの腐れ縁兼好敵手が悔しさに吠える。だがこのお嬢様、熱するのも早ければ立ち直るのも早い。自慢のロングヘア―を掻き上げつつ、再び芝居がかった様子に戻って続ける。

 

「ベーゼだなんて、そんなことまだ考えなくて良いんですのよ梨璃さん。子供ができたらどうしますの」

「阿呆かっ!」

 

 梨璃に代わって楓の軽口に応じるのはミリアムと、そしてもう一人――

 

「待って楓さん。女性同士で子供を成すには専用の医療施設が必要よ。日本にあるのは東京と横浜と名古屋、大阪ぐらいでしょう」

「んまーっ! 夢結様ったらちゃっかり下調べなさって! 抜け目ないお方ですのね!」

「いえ、これは別に……」

 

 慣れぬ軽口に羞恥を覚えたのか、最後の方は言葉を詰まらせる。そんな彼女こそ、先程まで話の渦中にあった梨璃のシュッツエンゲル。

 一方その頃、梨璃は妄想からこちら側へと戻っていた。現実で本物のお姉様の声が聞こえたので、さもありなん。

 しかし戻ったは良いが、俯いてもじもじとするだけ。話の内容が内容なだけに、当人に知られて一体どんな顔で向き合えるというのか。何とも気まずい状況だった。

 

「あ~、そろそろお開きにした方が良いんじゃないか? 皆やることあるだろ。梅には無いけど」

 

 第一声とは裏腹に、それまで会話に混ざらず様子を窺うだけだった梅が口を開いた。

 

「私、天葉姉様の所に行きますね。皆さんごきげんよう」

「わしも工廠科に戻るぞ。ごきげんよう、じゃ」

 

 まるで梅のその台詞を待っていたかのように、最初に集まっていた二人がテラス席を立つ。二人ということは、当然食い下がる者がいる。

 

「まあ梨璃さんがどうしてもと仰るのなら、私をベーゼの練習台にしてくれてもよくってよ」

「楓も帰るゾー」

「ではこうしましょう。まず梨璃さんが私として、それから私が夢結様とすれば、ウィンウィンウィンで一挙解決ですわ!」

「よーし、楓には梅がチューしてやるから、向こうに行こうか」

「あぁーん! 梨璃さーん!」

 

 

 

 

 

 二人きりになり、空に赤い夕日が輝き始めても、梨璃の気まずさは変わらぬままだった。

 

「お姉様、ごきげんよう」

「ごきげんよう、梨璃」

 

 椅子から立ち上がって遅すぎる挨拶を交わして。そこで言葉が途切れる。視線こそどうにか合わせられているが、今の梨璃にはそれで限界だった。

 不意に、お姉様――白井夢結(しらいゆゆ)がフッと口角を上げてから穏やかな声を発する。

 

「梨璃、ごめんなさいね」

「えっ、どうして。どうしてお姉様が謝るんですか?」

 

 どちらかと言えば、謝るのはこんな話を聞かせてしまった自分の方だと梨璃は思う。

 

「本来なら上級生が、シュッツエンゲルの私がリードすべきだったのに。シルトに気を遣わせてしまって」

「でも、私の我儘じゃないかって、そう思っちゃって」

「こんな我儘なら大歓迎よ」

 

 そう言って歩き出した夢結が丸テーブルの横をぐるりと回り、梨璃のすぐ前へとやって来た。

 夕焼けの橙色をバックにして、夢結の青みがかった黒髪が美しく映える。腰まで伸びた長い黒髪が、横からの風で僅かに流れる。

 綺麗、と見とれている間に梨璃の腰が引き寄せられて。見上げたところに薄桃色の唇が映り込んだ。

 梨璃はほとんど反射的に瞼を閉ざす。心臓の鼓動に、自身の中を幾度となく叩かれた。やがて口元を柔らかく押さえ付けられたことで、身に帯びる熱が最高潮に到達する。

 そんな時間も束の間。唇の感触と、腰に添えられていた指先の感触が無くなってから、梨璃は赤みの差した夢結の顔に見入る。そしてすぐに足元へと視線を逃がす。

 

「えっと、おでこやほっぺのつもりだったんですけど……」

 

 そうは言うものの、真っ赤な顔は潰れた大福餅みたいにふにゃりと緩んでいた。

 だが反対に、夢結の顔は赤に染まったまま硬く強張る。

 

「せっ、責任は取るからっ!」

「責任だなんて、そんな、お姉様ぁ」



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親愛なる―― (楓×二水)

 手の平に握った携帯端末の上、流れるような指さばきでキーを叩く。全ての作業を終えて送信の操作をすると、今度は机の上に広げたお気に入りの雑誌に視線を移す。

 そうして十数分ばかり経っただろうか。唐突に、先程の携帯から呼び出しの電子音が木霊した。ディスプレイに示される相手の名を確かめるや否や、携帯の主は待ってましたとばかりに勢いよく通話のキーを押す。

 

紅巴(くれは)さん! どうでした!?」

「あ~う~、二水(ふみ)さ~ん……」

 

 茶色のセミロングを後ろで三つ編みにした少女が、自室の椅子の上で目を輝かせている。寮の二人部屋だが、幸いにも今は同居人が不在。携帯に向ける声はいつも以上に興奮を帯びていた。そしてそれは相手の方も同様らしい。

 

「素晴らしい、素晴らしすぎますっ。何なのですか、この『シュッツエンゲル契約式写真集』は!」

「ふふふ。紅巴さんにそこまで喜んでもらえたのなら、私も張り切って編集した甲斐があったというものです」

「ブーケとか、花冠とか、これもう結婚式じゃないですか! 姉妹で結婚とかしませんよね? それとも私の知らない間に姉妹の定義が変わっていたのでしょうか!?」

 

 相手は遠く離れた東京の、他校のリリィ。しかしいくら離れていようとも、彼女は趣向と志を同じくする魂の同志(ソウル・フレンド)なのだ。

 

「だからこそのシュッツエンゲル、擬似姉妹制度なんですよ。お姉様と呼び、呼ばれ合い、同じ学院で生活を共にし、ヒュージとの命を懸けた戦いで絆を育んでいく。そうして姉妹のように心通わせつつも、しかし実の姉妹じゃないので一線を越えることも可能というわけです」

「はぁ~、そんな深謀遠慮があったなんて。この制度を作られた方は女神様なのでしょうか?」

 

 早口でまくし立てられる解説には多分に願望が混じっていた。けれども、この二川二水(ふたがわふみ)からすれば確信をもって明言できることだった。

 

「だけど、ちょっと心配なんですが。もしも好きになった方が同じ学年だったら、いったいどうすれば? もしや叶わぬ想いに枕を濡らして……」

「あっ、それはそれで尊い……っじゃない。どうかご心配なく。同学年の場合、互いに同室を希望することがシュッツエンゲル契約に相当するとされています。これは学院の制度ではありませんが、全校リリィに認められている不文律です」

「どっ、どどど同室って、つまりそういうことじゃないですか!」

「かくいう我が一柳隊にも同室の方々がいらっしゃいまして。いつも一緒なのに、決定的瞬間は中々掴ませてくれない人たちで」

 

 昼下がりの長電話はまだまだ続く。

 完全寮生活の彼女たちリリィにとって、人の色恋沙汰は食に並ぶ二大娯楽の内の一つ。二水と紅巴はそれが特に顕著である。

 

「ところで二水さん。私、前からずっと気になっていたことがあるんです」

「はい、何でしょう」

「二水さん自身には、どたなか良い御縁のあるお姉様かお嬢さんはいらっしゃらないのですか?」

「私? 私にそういうのは、ありませんよ。リリィとしてもまだまだ未熟だし。地味だし」

 

 華麗で煌びやかなリリィたちに普段から注目している二水だからこそ、自己評価が余計に下方修正されがちだった。

 

「綺羅星の如く輝くリリィの皆さんの尊い関係を世に伝えることこそ、私の使命なんです。言わば語り部です。その肝心な場面を取り逃さない目と耳と運さえあれば、私には十分ですよ」

 

 さっきまでの早口が鳴りを潜めた二水。そんな彼女の机の片隅には、愛用のタブレット端末と並んで真新しい白のコンパクトカメラが置かれていた。

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院をはじめとしたガーデンはリリィたちの教育機関であると同時に、実際にヒュージ討伐を行う軍事機関でもある。卒業は単位制によって判定されるが、これはかなり融通が利くように運用されていた。戦闘、哨戒、待機任務等々により、全てのリリィが揃って同じ講義を受けられないため、必然的な措置と言えよう。

 そんなわけで、朝食後のこの時間に二水たちが校門前に居るのも、別に講義をサボってきたとかではない。

 

「本当に、ありがとうございます! 二、三人のグループで行くのが条件だったもので」

 

 二水が小さな体で大きくお辞儀をする先には、ウェーブがかったレッドブラウンの豊かな髪に豊かなプロポーションの少女が佇む。

 

「このくらい、どうってことありませんわ。講義室でお人形さんみたいにしてるのも退屈でしたし」

 

 何でもない風に答える(かえで)J(ジョアン)・ヌーベル。二水と同じレギオン一柳隊に所属するリリィ。

 

「それで、ヒュージネスト撃破後の環境影響調査、でしたっけ?」

「はい。由比ヶ浜ネストが消失してから、周囲の自然や生態系にどんな変化が表れてるか。それを調査する資料の一つとして由比ヶ浜付近の写真を撮りに行くんです。勿論、防衛軍と環境省が既に同じことをしてるんですが、リリィの視点からも調査して欲しいのだとか」

「で、学院側から二水さんへ資料収集の依頼があったと。人選の基準はもしや……」

「私のっ! 私の『週刊リリィ新聞』が評価されたんです! 学院から!」

「正しくは新聞の写真が、でしょう」

 

 週刊リリィ新聞とは二水が個人的に発行している学内新聞である。百合ヶ丘女学院での重大事を主に扱っているが、作風には筆者の趣向が色濃く反映されていた。

 載せた写真のおかげとはいえ、自身の生き甲斐である新聞が人の目に留まったのは純粋に嬉しい。故に二水はこの話を二つ返事で快諾したし、今もやる気に満ちている。

 

「ところで! 折角のこんな機会ですのに、どうして梨璃さんをお誘いしませんでしたの?」

「それがですね、その……。梨璃さんには座学の方に集中して欲しいな~と思いまして。評価が、その……」

「あっ……。で、でしたら仕方ありませんわね」

 

 楓は不満げな顔をすぐに引っ込め微妙な表情になる。彼女のこういう空気を読める点は、二水も尊敬していた。

 

「それにしても貴方がこの手の催しにご自分から参加なさるなんて。意外ですわね、鶴紗(たづさ)さん」

 

 気を取り直すように楓が門柱の方へ顔を向ける。

 長身で堅牢な柱を背もたれにして立っているのは、二水よりも若干高い程度の背丈。くすんだ金髪を後ろで一つに纏め、真紅の瞳は手にした携帯の画面を所在無げに眺める。彼女、安藤鶴紗(あんどうたづさ)もまた一柳隊の一員だ。

 

「別に。眠たい講義を合法的にサボれるから来ただけ。これに出れば出席の代わりになるって聞いたから」

「まったく、クールぶっちゃって。素直じゃありませんこと」

「と言うかサボりじゃありません! 立派な調査です!」

 

 声を大にして割って入る二水を意に介さず、鶴紗は携帯をポケットにしまって歩き出す。

 

「行くなら早く行こう。日が暮れる」

「あっ、待ってください!」

 

 門柱から離れていく鶴紗を二水が追いかけようとすると、やれやれと肩をすくめた楓も続く。

 

「この顔触れでしたら、私がまとめなければ収まりませんわね。仕方ないですわ。ま、私がいるからには大船に乗ったつもりで安心なさいな」

「ありがとうございます。やっぱり楓さんって、良い人ですねぇ」

「……その良い人っていうのは他意を感じるのでお止めなさい」

「気のせいですよう」

 

 一行は向かう。鎌倉府南端の由比ヶ浜、その西方へ。

 

 

 

 

 

 雲一つない晴天の下、二水たちは緑の生い茂る緩やかな丘陵を歩いていた。

 由比ヶ浜の海岸とその東側の調査には、本職である写真部やその他のリリィが赴いている。二水たち三人が担当するのは浜の北西に広がる山林地帯。由比ヶ浜ネスト構築前はこの辺りにも住宅が並んでいたが、今では廃墟と呼ぶのもおこがましい家屋の残骸が残るのみ。

 今、二水たちが纏っているのは、黒を基調としたシックなデザインの百合ヶ丘制服ではない。黒は黒だが、薄手のインナーの上にジャケットを羽織り、灰色のプリーツスカートとスパッツを身に着けている。いかにも動きやすそうな軽装だ。

 

「どうでもいいけど、何で訓練服?」

「それはですね、百合ヶ丘の制服で学院外を歩き回っていたら、またヒュージかと住民の方々を不安にさせかねないからです」

「こんなとこ来る人間なんて、そうそう居ないと思うけど」

 

 二水の答えに半ば呆れる鶴紗。その視線は頻繁に左右を行き来し、不測の事態に備えている。

 三人とも、背にはチャームを背負っていた。ただし抜き身ではなく、楽器ケースやスポーツバッグと見紛う入れ物に包んで。チャームとはヒュージに対抗する兵器だが、同時にリリィの半身とも呼べるものだった。

 由比ヶ浜ネストの脅威が消えたとはいえ、鎌倉の地が完全に平和になったわけではない。実際、一柳隊も何度かヒュージと交戦している。それでも以前に比べると格段に脅威が減ったのは事実。

 

「お二人ともご存じですか? 最近では鎌倉に遊びに来たり引っ越しに来る人が増えてるそうですよ」

「ええ。ネストが健在だった頃では考えられないですわね」

「私も末席とは言え、百合ヶ丘のリリィとして誇らしいです」

 

 喜色を浮かべてそう言いながら、二水は周囲の風景を両手に構えたコンパクトカメラで次々に収めていく。今回の調査に当たって学院から支給された仕事道具だ。小さくとも、性能に申し分はない。

 

「ただ……市街のほうではその他所から来た()()()()が問題になってるとか。ゴミの不法投棄やら不法侵入やら。不届きな輩もいたものですわ」

「ああ、そうみたいですね。だけどそれもある意味、平和に近付きつつある証拠ですよ。皆さんきっと、浮かれてるんでしょう」

 

 二水のその台詞で、楓は面食らったように瞬きする。

 

「二水さん貴方、意外に人の善性を疑わないタイプでしたのね……」

「どこぞのピンク頭ほどじゃないけどな」

 

 口々にそう言ってくる二人に対し、二水はこそばゆくなり首を振る。

 

「そんなんじゃないですよ。こんなご時世だから、少しでも前向きに受け止めたいだけなんです」

 

 その思いは、彼女が筆を執るリリィ新聞にも体現されていた。ゴシップ染みた記事もあるため難色を示す者もいるが、明るく喜ばしい題材で大方の読者は好意的。少なくとも百合ヶ丘のリリィたちからは。二水はそう信じていた。

 

 

 

 

 

「二水さん。少々よろしいですか?」

 

 数日置いて再び調査撮影へ向かおうとしたところ、一年生寮の新館エントランスにて待ったが掛けられた。

 引き留める声の主は、艶のある亜麻色の髪と左右色違いの瞳が印象的なリリィ。同じ一柳隊の郭神琳(くぉしぇんりん)

 彼女の右手には二つ折りにした新聞が見えるが、二水の書いたものではない。鎌倉府の市民に読まれている地元紙だ。

 

「こちらをご覧になりました?」

「はい。今朝、電子版の方で」

 

 地元紙の一面によると、昨晩の間、鎌倉市街中心部の並木道を彩っていた花壇が荒らされていたとか。根っこごと引き抜かれて散らばったチューリップや白百合の写真が痛々しい。痕跡から、下手人は犬猫の類でも勿論ヒュージでもなく、人間の可能性が高いそうだ。

 

「こんなことを仕出かしては、街にはいられないでしょう。だからこそ窮鼠となり得ます。学外に出るなら十分気を付けて」

「大丈夫ですよ。楓さんや鶴紗さんも一緒ですし。それに私みたいなのを襲う物好きなんて、ヒュージぐらいじゃないかな」

「二水さん」

 

 神琳がもう一度名前を呼ぶ。だがそれ以上引き留めることはしない。

 その代わり、彼女は二水の首元に手を伸ばして訓練服の襟を綺麗に整えた。

 

「どこに行っても、どんな格好でも、貴方は百合ヶ丘のリリィ。それをお忘れなく」

「はい、ありがとうございます神琳さん。行ってきますね」

 

 身を案じてくれる仲間と別れ、門にたどり着くだけでも一苦労の学院を後にする。

 向かう先は前回と同じ場所。かつての人の痕跡が、時間を掛けて緑に覆われた地。

 全てを漏らさずチェックしたわけではないものの、ここで何か新しい事実が見つかるとは思えなかった。

 

「こう何もないと流石に面白みがありませんわね。調査する意味あるのだか」

「ネストが消えて、この短期間ですし。私たち素人目ではちょっと。それに異常が無いのを確認するのも意味あることですよ」

 

 溜め息と不平こそ零す楓だが、今もこうして付き合ってくれている。彼女はやはり()()()なのだと二水は思う。本人にとっては心外な評価のようだが。

 

「私、キャンプ好きだし、自然も好きなんです。ただちょっと、ヒュージが造った光景なのが怖いところですけど」

「ヒュージが自然を造った……。惑星自衛説とやら? あのような人間を病原菌扱いする話、私は気に入りませんわ」

「勿論私だって、トンデモ説だと思ってますよ」

 

 民家の基礎と思しきコンクリートが苔に包まれ、自家用車と思しき鉄塊が蔦に巻かれ。元々あった山林と合わせて、そこはちょっとしたジャングルと呼んでも過言ではない。畏怖と神秘が共存する光景だった。

 

「ところで楓さん。さっきから鶴紗さんの姿が見えないんですが」

「さあ? 大方その辺りで野良猫と戯れているのでは?」

「それは、見てみたいような見るのが怖いような」

「はぁ~。本来なら今頃私も梨璃さんと戯れていたはずなのに。それがこうしてチビッ子や猫娘と遠足するはめになるなんて」

 

 楓が大げさに首を左右に振る。どうしてこうなってしまったのか分からないと言わんばかりに。

 けれども二水は知っている。朝、梨璃が教本を抱えて嬉しそうに上級生寮へ駆けていく姿を。そして楓がそれを知らぬはずがないことも。

 

「楓さんって、やっぱり良い人ですね!」

「貴方喧嘩売ってますの!?」

 

 憤慨した後、ブツブツと何やら呟き始める。そんな楓を置いて一足先に進んでいくと、緩やかな丘陵部の天辺に辿り着いた。

 ここより西は下り道。前回の調査では詳しく見ていなかった。

 

「こっちも同じだよね」

 

 そう自分に言い聞かせながらも、二水はカメラを構えて木々の中へ分け入っていく。調査だから、というのもあるが、これまでとどこか変わった空気を感じたからだ。根拠はないが。

 念のため、携帯用の探知機でヒュージ反応を確認する。反応なし。更に斜面を下る。

 鬱蒼とした広葉樹に廃墟跡。やはり変わらない。

 ふと、草むらの中に鎮座する人工物に目が留まった。また民家か自家用車かと思ったが、違和感がある。

 

「なに、これ……」

 

 お椀のように丸みを帯びた鉄塊に、赤錆と苔の緑がグラデーションを成している。その鉄塊に長く突き出た棒が一本。いや、よく見ると筒のようだった。

 

「戦車?」

 

 正体は戦車の砲塔部分。車体部分は爆散したか、ヒュージに捕食されたのか。防衛軍のものか、ひょっとすると自衛隊時代のものかもしれない。いずれにせよ長い間放置されていたのは間違いないだろう。

 最初、二水は近付くのを躊躇した。志願してリリィになったものの、別に荒事が好きなわけでも血生臭いのが好きなわけでもないのだ。

 

「これも資料、資料」

 

 だが今は個人の新聞のために来ているのではない。

 二水はゴクリと唾を飲み込んだ後、鉄塊の周りをゆっくり回る。様々な角度から慎重にシャッターを切っていく。

 傍らにチャームのケースを置き、膝立ちの姿勢で最後の写真を撮り終えた。それから背後の気配に向き直ろうとする。本当は少し前から気付いていたが、ヒュージの反応は出てないので後回しにしていたのだ。

 ところが――

 

「わ、ぶっ!」

 

 いきなりの衝撃で顔から地面に突っ伏した。カメラはどうにか死守した。

 そのまま地べたで回転し、仰向けになってから上体を起こすと、二水の視界に人影が写る。

 黒ずくめの装いに黒髪。年の頃は二水よりやや上ぐらいか。全く見覚えの無い男性だった。ただ確かなのは、この人物が二水を足蹴にしたということだけ。

 

「お前は、自分のしていることが分かっているのか? これが何なのか分かっているのか?」

 

 大上段から怒りに震えるような声が二水に降り注ぐ。

 

「お前みたいな奴らはいつもそうだ。他人の気持ちも痛みも考えず、他人の領域に土足で踏み込んでくる。何がマスコミだ、何がジャーナリズムだ。他人の不幸に群がる屑め」

 

 台本でもあるかの如く、淀みなく出てくる罵倒の言葉。

 反対に、二水は口を上下にさせるだけで言葉を紡げない。リリィは常に微弱なマギで守られているため、あの程度で怪我はしないのだが。

 どうして見ず知らずの人間に罵られているのか。何故こんな仕打ちを受けねばならないのか。理解が追い付かない。恐怖ではなく困惑が二水の頭を占めていた。ヒュージの奇襲なら想定できても、これは思いも寄らないこと。

 

「女やガキなら許されると思ったら大間違いだ。俺は腐った大人どもとは違う。その罪を……贖え!」

 

 敵意がゆっくりにじり寄ってきても、二水は立てない。この戦車、墓標みたいだったなと、混乱する頭で悠長に考えていた。

 あともう少しといったところで、土を踏む音が消えた代わりにくぐもった呻きが鳴る。

 

「女性の扱いが、なってませんわねっ」

 

 男の右腕を、楓が後ろ手にして捻り上げていた。

 男も必死にもがいているのだろうが、更に捻りを加えられると、だんだん顔がトマトみたいに赤くなる。やがて警察、警察と誰にともなく訴えだした。

 

「警察ならもう呼んだ。子供を暴行する不審者がいるってな」

 

 今までどこに行ってたのか。木陰の向こうからヒョイと現れた鶴紗が見せつけるように携帯を左右に振る。

 すると男は弾かれたように暴れだした。楓はあっさりと手を放す。

 

「都合が悪くなるとすぐに力に訴える。それが人間のやることか!」

「やかましい」

 

 鶴紗に一喝されると林の中へ一目散に走っていった。

 楓も鶴紗も後を追わない。あの後ろ姿に興味をなくしたかのように。

 そうして二人とも、戦車だった物と二水の元に近付いてくる。

 

「74式か。骨董品だな」

「あら鶴紗さん、詳しいんですのね」

「まあ、ちょっとね」

 

 彼女たちのやり取りを見て、二水は立ち上がり服に着いた砂を払う。それからようやく先程の凶行について思考を巡らすことができた。

 

「私が戦車を、戦いの跡を撮ってたから、怒ったんだよね」

 

 そう独り言ちた二水の両肩が、直後に勢いよく楓に掴まれる。

 

「二水さん! 貴方、あの輩の顔を見まして?」

「い、いえ……よく見ませんでした」

「口の端が醜く吊り上がっていましたわ。あれは鬱憤を晴らす獲物を見つけた時の顔。二水さんが思っているような、殊勝なものでは断じてありません」

 

 真っ直ぐな視線を注がれ、諭すような、それでいて有無を言わせぬ調子で掛けられる言葉。

 そこに鶴紗の低い声も便乗する。

 

「そもそも、見た目完全に子供の二水を蹴り飛ばすとか、頭おかしい」

 

 そうは言われても、二水の頭の中ではリリィ新聞のことばかりが跳ね回っていた。自分がこれまでやってきたことは何だったのか。自分の生き甲斐が傍からどう見られてきたのか。今の自分はまさしく矮小な子供ではないか、と。

 

 

 

 

 

 三日ほど過ぎて。調査資料の収集任務は他のリリィが引き継いでいた。当初からの予定通りであり、トラブルが原因というわけではない。

 本校舎一階にあるラウンジの隅。ソファの端に座り込む二水の姿がある。

 

「神琳さんから聞いたのですが、先日の輩が府警に逮捕されましたわ」

 

 二水の傍らに立つ楓が人伝で事の顛末を語り始めた。

 取り調べにおいて、脈絡のない社会批判を繰り返し叫んでいる。しかし精神錯乱とは見なされておらず、鎌倉府警は余罪を追及してるとか。

 

「ちなみに出身は静岡。陥落指定地域、ですわね」

「新聞にそこまで載っちゃうんですね……」

 

 ヒュージの侵攻に抗しきれないと判断された土地、陥落指定地域。そこから逃れてきたとなると、どんな目に遭ったのかは筆舌に尽くし難い。皆が皆、彼女たち一柳隊のリーダーのように腐らずにいられるだろうか。

 

「それとこちらは生徒会の方に伺ったお話。何でも事件を心配して学院に連絡してきた府のお偉方へ、理事長代行が少々大袈裟に話したとか。それが市民の皆さんにも伝わって、随分と捜査を助けてくれたそうですわ。あのお方も沈着冷静なようで、なかなかどうして……」

 

 途中、楓が沈黙する二水に気付いて話を区切る。

 

「二水さん。新聞は書かないんですの?」

 

 そう聞かれて二水はドキリとした。実際、今週は未だネタ集めすらしていない。タブレット端末を持って出ようとする足が躊躇してしまうのだ。

 あれだけ熱意を持っていたリリィ新聞なのに、まさかここまで迷うとは。情けなくて泣きそうになってくる。

 

「どうしても二水さんが書きたくないと言うなら仕方ありませんわ」

 

 そんなわけがない。そう叫びたかったが、言葉が喉の奥につかえる。

 そしてつかえている内に、二水の正面へ楓が移動していた。

 

「だけど私、二水さんの撮る写真が好きですのよ? 楽しそうに撮ってるのがこちらにまで伝わってきて。それに新聞を書いてる時の二水さんも」

 

 ソファに腰掛けた状態で、楓の胸にすっぽりと包み込まれた。体格差があったため本当に綺麗に収まった。背に回された腕に強く締められるが、柔らかな体と甘い香りのおかげか苦しさはない。

 

「と言っても流石に、梨璃さんと夢結様の下着姿を撮るのはどうかと思いますけど?」

「あははっ」

 

 二水はそこでようやく笑うことができた。

 

「駄目ですよ。楓さんみたいな美人さんにこんなことされたら、女の子は勘違いしちゃいますよ」

「罪作りな女の宿命ですから。甘んじて受け入れますわ」

 

 滅入っていた二水の心が軽くなり、カメラを持とうという気が湧く。

 自分でも酷く単純だと思う。抱き締められ、慰められただけで。

 本当にまだまだ子供だったのだ。

 

「楓さんって、素敵な女性ですね!」

「ふふっ、今頃気付きましたの?」

 

 前から知っていましたよ、とは心の中に留めておいた。



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flower crown (夢結×梨璃)

 百合ヶ丘女学院工廠科に昼夜の別はない。常に誰かしらの工房から灯りが漏れ出ている。本来望ましいことではないのだが、工房泊が常態化しつつあったのだ。

 そういうわけで、工廠科の傍には憩いのスペース足り得るラウンジが必須だった。作業終わりのアーセナル――CHARM(チャーム)を開発・整備するメカニックたちが心身を癒すために。

 横幅の広々としたソファに長机。柔らかな緑の観葉植物。喉を潤し腹を満たす各種自販機。

 ところがそんな空間に、若干一名癒されていない者が居た。

 

「あっーーー!」

 

 小さな目と口を大きく見開き、薄紫のツインテールを上下に振り乱し、少女がピョンピョンと飛び跳ねる。精一杯伸ばされた右手が掴もうとするのはタブレット端末。そこにはとある写真が映し出されていた。

 

百由(もゆ)様! そいつをわしに寄越すのじゃ!」

「や~よ~。消されちゃうじゃな~い」

 

 タブレットを渡すまいと頭上に掲げている持ち主の方が背が高い。なのでいつまで経っても奪い取られない。

 やがて諦めたのか疲れたのか、ミリアム・ヒルデガルド・V(フォン)・グロピウスは伸ばした手を引っ込めてソファに座り込む。するとタブレットの持ち主、真島百由(ましまもゆ)が勝ち誇ったかのようにディスプレイに映る写真を周りへ誇示する。

 二人は同じ工廠科にして同じアーセナル、同じリリィ。そして何より、ただの先輩後輩とは一線を画する特別な関係にあった。

 

「ぐぬぬ……。二水の写真は全てチェックしたのじゃが。よもや百由様お手製のドローンで撮っておったとは」

 

 ミリアムが恨めしそうに見つめる先には、彼女と百由が寄り添って映る写真。

 手には花束。頭上には花冠。はにかんで頬を染めるミリアムは、誰がどう見ても幸せの絶頂にあると分かるだろう。

 シュッツエンゲルとシルト。百合ヶ丘を象徴する擬似姉妹制度に結ばれた比翼の仲。その契約の儀を捉えた写真が今、この場の注目を一身に集めていた。

 

「いいなあ……」

 

 一柳梨璃(ひとつやなぎりり)はディスプレイの向こうで仲睦まじくする二人をじっと見つめている。

 レギオン一柳隊のメンバー数名がチャームのメンテナンスのため工廠科を訪ね、たまたま百由と出くわしたのがこの集まりの正体だった。

 

「私も、本当はこっちを一面に載せたかったんです。でもミリアムさんに検閲されて……。あとでデータ送ってください!」

「させんわ!」

 

 ミリアムに突っ込みを入れられた二川二水(ふたがわふみ)は、鼻に詰めたティッシュのせいで声が濁っていた。ティッシュの根本が赤く染まっているが、バイオレンスな目に遭ったわけではない。ただの自爆である。

 

「あら~、素敵。ミーさんのこんな顔は貴重なので、良い資料になるわね」

「やっぱり何度見てもこれ、結婚式だよね」

 

 口々に感想を言う郭神琳(くぉしぇんりん)王雨嘉(わんゆーじあ)。神琳の方は他意がありそうな言い草だが、いつものことなので気にされることは少ない。

 

「んふふっ、可愛いでしょう? グロッピかわいーでしょー? ま、私のものなんですけどね」

「恥の上塗りはやめい!」

 

 興味津々の一年生たちに気を良くしたのだろう。百由は眼鏡の中の瞳を光らせ、濃紺のロングヘアを震わせる。羞恥に戦慄くグロッピことミリアムにお構いなしに。

 やがて、ひとしきり自慢して満足したのか、落ち着いた調子に戻った百由がソファに腰を下ろす。

 

「結婚式、結婚式かぁ。ま、確かに、昔は擬似結婚式のつもりでやってた節もあるのよねえ。ブーケとか花冠はその時の名残」

「昔、とは?」

「勿論、女性同士で結婚できなかった頃ね」

 

 神琳の問いに、百由は人差し指をピンと上向きに立てて答える。空いた方の手でテーブル上のクッキーを掴みながら。

 

「んぐんぐっ。ふぉふぇでぇ、んぐっ……。この国で同性結婚できるようになったのは、結構最近の話なわけ」

「百由様、行儀悪いから食べながら喋らんでくれ」

 

 自身のシルトに窘められて、発声と咀嚼を交互に行なうことにする。

 

「最初の切っ掛けは、リリィ同士の擬似結婚式をテレビか何かで見かけた政府のお偉いさんが、『士気高揚に使える!』って思って働きかけたことなのよ」

政治宣伝(プロパガンダ)ですか。でもそれだけでは不可能でしょう。元々それを容認する下地がなければ」

「まーねー」

 

 郭神琳。この台北市出身のお嬢様はしばしば歯に衣着せぬ物言いをする。たとえ上級生や大人が相手であっても。

 しかし百由は相変わらず自分のペース。井戸端会議でもするかのように軽薄な態度で続ける。

 

「で、ここで問題だったのが、そのお偉いさんとやらがよりによって保守派の重鎮だったこと。当時はSNS上で、裏切り者だのなんだの大荒れだったみたいよ。益とみなせば掌くるっと返せるなんて、為政者としての資質よね~。あっはっはっ」

 

 何がそんなにおかしいのか、手の平をヒラヒラさせて笑っている。皮肉なのか本当に褒めているのか、傍から見るとそれも判別し難い。

 そんな百由を尻目に、二水とミリアムは声を潜めて話し合う。

 

「百由様って、時々お歳が分からなくなりません?」

「言うな二水。わしも気にせんことにしたのじゃ。決してババァとか言ってはいかんぞ」

 

 修羅場を潜り抜けて精神的に成熟したリリィは珍しくない。だが百由の場合、それともまた少し違った感じである。

 

「でも、ちょっと意外。日本ってこういうの進んでると思ってた」

 

 この中で最も日本居住歴の短い雨嘉が呟くように言った。

 

「まあ、色んなしがらみを外圧の力で片付けてきた国だから。黒船しかり、敗戦しかり、今はヒュージ。ヒュージ様々ってね」

「頼むから滅多なこと言わんでくれ、百由様」

 

 ミリアムが声のトーンを落として諫めてくると、流石に少しは反省したのか、百由は肩をすくめつつも口を閉じる。

 その後、ラウンジの話題は再び()()へと戻っていった。

 

「ちなみに台湾でも同性結婚できますよ、雨嘉さん」

「うん、そうだね」

「台湾でも同性結婚できますよ」

「何で二回言うの!?」

 

 思い思いにお喋りしたり、テーブルのお菓子に手を伸ばしたり、あるいはジュースに口を付けたり。

 憩いの空間に相応しい様相。だがそこで、梨璃の口数が少ないことを二水が訝しむ。

 

「あの、梨璃さん? どうかしたんですか?」

「私、してない……」

「へっ?」

「シュッツエンゲルの契約式、してないよ」

 

 一瞬、フッと喧騒が途絶え、またすぐにざわつく。

 梨璃とそのお姉様と言えば、一柳隊の誇るおしどりシュッツエンゲルである。なので誰もが失念していたのだ。当初の成り立ちを。

 

「そ、そう言われてみれば。お二人の時は書類だけの略式でしたね」

「普通は仲を深めてから結ぶものだけど、夢結と梨璃さんの場合は逆になっちゃったからね~」

 

 あの頃を思い返すのは二水と百由。シュッツエンゲルになるまでに一悶着。なってからも一悶着。一連の経緯を全て知る者は意外に少ない。

 

「私もお姉様と式を挙げたいです!」

「よーし、よく言ったわ。それでこそリリィよ。じゃあ挙げちゃいましょうか」

「へっ? えっ? 百由様?」

 

 クエスチョンマークを浮かべる梨璃の目の前にて、取り出された携帯端末が高速で操作され、「はい、おしまい」の一言でしまわれる。

 

「そろそろ工廠科(うち)に顔出してくる頃だから、ちょうど良かったじゃない」

 

 梨璃はそう言われたことで、メールが送られたのだとようやく気付くのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ……。緊急事態だと言うから何かと思えば」

 

 溜め息と共にラウンジへ現れたその姿に皆の視線が集まる。

 チャームを抜き身で抱えているのは、工廠科での要件か、それとも百由のメールが原因か。

 

「夢結ったら、そんな顔してもしっかり来てくれるんだからー」

「チャームの整備に来たのよ。本来ならね」

 

 眉間に皺を寄せる白井夢結(しらいゆゆ)に対し、百由は飄々と受け流す。対照的な二人だが旧知の間柄で、今もこうして駄弁っている。

 

「百由の奴が突然なのはいつものことだし。ま、面白い話かヤバい話のどっちかだろうな」

 

 夢結と一緒にやって来たもう一人の旧知、吉村(よしむら)Thi(ティ)(まい)はと言うと、いつの間にやら後輩たちに交じってテーブルのクッキーをつついていた。

 そうこうしている間にも、百由がチラチラと目線を送ってくる。その意に感謝しつつ、梨璃はソファから弾かれるように立ち上がって夢結の前へ出た。

 

「お姉様! 私と結婚してください!」

「!?」

「あっ、間違えました……。私と式を挙げてください!」

「りっ、梨璃?」

 

 言い直してもなお盛大にすれ違っているのだが、周りの誰もが指摘せずに様子を窺っている。唯一人、突っ込みを入れようとしたミリアムはと言うと、後ろから百由に口を塞がれ押さえ込まれてしまった。

 

「落ち着いて、梨璃。自分の言ってることをよく考えて」

「よく考えました。式、挙げたいです」

「でも、ほら、色々とあるでしょう。家のこととかご家族のこととか。梨璃も帰らないといけないでしょうし」

「? 家には弟が居るから大丈夫ですよ?」

「いえ、そういう問題ではなく……」

 

 夢結が言葉を考えあぐねていると、旧友から援護射撃が飛ぶ。

 

「梨璃が大丈夫って言うんだから大丈夫じゃないか? それに、一柳夢結より白井梨璃の方が語呂が良いゾ」

「梅、貴方まで何言い出すの……」

 

 誤射(フレンドリーファイア)だった。

 

「ちなみに台湾では結婚しても原則別姓ですよ、雨嘉さん」

「う、うん、そうだね」

「結婚しても別姓ですよ」

「だから何で二回言うの……」

 

 周りが慌ただしくなってきても、夢結の態度ははっきりとしないまま。すると、決意を帯びていたはずの梨璃の顔が段々と陰ってくる。

 

「お姉様、私と式を挙げるの、お嫌ですか?」

「嫌とは言ってないでしょう!」

「夢結ってば悪い女ねえ。可愛いシルトを泣かせちゃって」

「百由は黙ってて!」

「まあまあ、夢結も落ち着いてよぉ。梨璃さんが挙げたい式ってのは――」

 

 ここでネタばらし。

 夢結の顔が引きつる。

 周りの者たちは知ってて黙っていたのだから、恨みがましく睨まれてもおかしくない。しかし確認しなかった夢結も夢結なので、怒るに怒れないのだろう。

 

「契約式、シュッツエンゲル契約式ね。結婚式ではなく」

「結婚とかは、まだよく分かりません……」

「そうよね。変な早合点して、悪かったわ」

「でっ、でも!」

 

 梨璃は一度落とした視線を再び上げて、夢結の視線にぶつける。今、伝えておかなければならないと思ったから。

 

「私、お姉様とずっと一緒にいたいです。百合ヶ丘(ここ)を卒業したら終わりなんて、そんなの嫌です。大人になっても、お婆さんになっても、お姉様の傍にいたいんです」

 

 真っ直ぐな想いに、夢結は息を飲み込み言葉も飲み込む。いつもなら咳払いして切り替えるところだが、それもない。ただ、拒絶や否定の意がないのは外野から見ても明らかで。

 

「これはもう求婚なのでは?」

「梨璃、大胆……」

 

 そんな神琳と雨嘉の声が耳に入り、夢結はようやく口を開く。

 

「結婚云々は置いておくとして。契約式を挙げるというのは、良いでしょう」

「本当ですか!?」

「ただし、事前に知らせる人間呼ぶ人間は一柳隊ぐらいで、最小限にね。今更派手な式にするのもおかしいでしょうし」

「はい!」

 

 承諾してもらえて、梨璃の顔が花のような満面の笑みへと変わる。

 俗なことを好まない夢結ではあるが、訓練や任務以外ではシルトに優しく甘い。お願いされたら小言を言いつつも、結局は叶えてあげる光景は珍しいものではなかった。

 故に周りは左程心配してなかったようだが、梨璃本人からしたら嬉しいことに変わりない。

 

「これは、素晴らしいです! アルトラ級討伐の立役者とも呼ぶべきお二人の遅れた式。話題性抜群です! 是非とも後世にまで残るけっこ……契約式にしましょう! 微力ながら私もお手伝いさせて頂きます!」

「二水さん、人の話を聞いてたかしら?」

 

 

 

 

 

 学院の本校舎裏に広がる雑木林には一本の細い小道が通っている。舗装も何もされてない、土を踏み固められた道。そこから歩くこと数分、林の中にぽっかりと開けた空き地がシュッツエンゲル契約式の式場に選ばれた空間だった。

 

「派手な式にする場合は校庭や校舎の玄関前で挙げるんですけど。身内でひっそりとやりたい方にとってはこちらが定番なんですよ。他に屋上とか旧館の横なんかも候補ですけど、人払いが大変なので」

 

 そう早口で説明する二水はアウトドア用の折り畳み椅子に腰掛け、先程からタブレット端末を盛んに操作している。屋外撮影に向けた準備の一つらしい。

 実の所、二水は数日前からこの場所でこの日のためのお膳立てを整えていた。雑草を引っこ抜き、小石をどかし、トンボで土を均して。

 果たしてそこまでする必要があったのかどうか、梨璃には疑問である。疑問ではあるのだが、それよりも感謝と気恥ずかしさの方が先に立つ。

 

「もう、二水ちゃんったら……。ここまでしてくれる必要なかったのに」

「本当にね。だけど、梨璃もさっきから顔が緩んでるわよ?」

「えへへっ。やっぱり皆に祝ってもらうのが嬉しくて」

 

 空地の端っこ。同じく二水の用意した折り畳み椅子の上、式の主役二人が隣り合って座っている。

 

「こうして形に残るように楽しい思い出を増やしていって、後から振り返ったら、辛い時でも頑張れると思うんです」

「戦う理由、生きる理由になるというわけね。それも良いでしょう」

「勿論、それだけでもないんですけど……」

「ミリアムさんや他の人たちが、羨ましかった?」

「あはは、ちょっとですよ? ちょっと。それに形が無いものでも、お姉様のあっ、愛だけでも、私は十分幸せなんですからね!」

「もう、何言ってるのこの子は」

 

 肩を寄せて喋っていると、やがて二水の近くに居た百由がパンパンと両の手を叩く。一柳隊のメンバーではないが、これまでも彼女らの世話をしたりされたりしてきたので呼ばれていたのだ。

 気付けば二水の準備は終わっていた。

 

「他の子たちは良い具合に外してくれたみたいねえ。何人かは道具なりレアスキルなりで覗いてるかもだけど、まあそれは有名税ってことで。じゃあ夢結に梨璃さん、用意してくれる?」

 

 百由に促されるように、二人は空地の中央部を歩いていく。

 ここには豪華な式場も、連なる花輪も、万来の観客もない。ただ一柳隊の仲間たちが居た。

 位置へと着いた夢結には神琳が、梨璃には雨嘉が、純白の花冠をそれぞれの頭の上に載せてあげる。そして最後に百由が、二人の手に彩り鮮やかなブーケを持たせた。

 

「似合ってるわ、梨璃。梨璃の心みたいに真っ白な花が」

「お姉様。お姉様の優しい黒髪の上で白い花が光ってるみたい。すっごく綺麗です!」

 

 すぐ傍で視線が重なる。梨璃はともかく、夢結から普段なら皆の前では言わないような台詞が出るのも、この場所とシチュエーションのせいなのだろうか。

 

「後生ですからっ、後生ですから(わたくし)も交ぜてくださいまし!」

(かえで)は梅と鶴紗(たづさ)で押さえておくから」

「早く始めてくれ」

 

 飛び出して闖入者になりかけている仲間を、二人がかりで羽交い絞めにする先輩後輩。

 その横で百由が平然と司会進行する。

 

「えー、ではまず最初に、頂いたお祝いメッセージの紹介を。まずは百合ヶ丘女学院を代表して高松理事長代行から――」

「代行ー! 何やっとるんじゃー!」

 

 ミリアムの叫びが晴天の空に轟いた。と、辺りの林から幾羽かの小鳥が驚いて羽ばたいていく。

 それでも式はつつがなく進んでいった。参加人数は少ないし、初めから格式張ったものにするつもりはなかったので、当然と言えば当然だ。式辞も含めて、あくまでも形をなぞった程度に過ぎない。

 ただ形だけでないのは、シュッツエンゲルの間に流れる空気。その空気に当てられる者も出てきたようで。

 

「んぐっ……けっ、結婚式と言ったら、キスじゃあないでしょうかっ」

「フーミンさんも取り繕うのを止めてきましたね。それより大丈夫ですか? 鼻血が赤黒くなってますよ」

「まっ、まだっ。まだです! (しぇん)×(ゆー)の結婚式を見るまで、私は死ねない……!」

「あ、これは大丈夫ね」

 

 タブレット端末のカメラを構えて大地に蹲る二水と、それを脇から眺める神琳の図がひたすらにシュール。

 けれども式は無事に終わりを迎えつつある。本当に何でもない、傍から見ると遊びのような式。だがここに集まった者たちにとっては代え難い時間。

 

「今日はありがとうございました、お姉様。最後にもう一つ、やってみたいことがあるんです」

「そうね……多分、もしかしたら、私たちは同じことを考えているのかも」

 

 梨璃と夢結はまた見つめ合い、フフッと小さな笑みを湛える。

 そしてどちらからともなく、ゆっくりと口を開いた。

 

「私たち二人は」

「シュッツエンゲルの契約を交わします」

 

 それは守護天使の誓いの言葉。シュッツエンゲルとシルトを繋ぐ証である。

 

「これからは」

「幸せな時も、困難な時も」

「健やかなる時も、病める時も」

「お互いを尊重し、慈しみ」

「支えあうことを誓います」

 

 全て言い終わると、梨璃は胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。これがあれば今までの辛さも、これからの苦しみも、きっと越えていける。目の前の大好きな人も同じ気持ちだと、梨璃は信じて疑わなかった。

 

「梨璃」

「お姉様」

 

 互いに呼び合い、また笑う。

 仲間であり、姉妹であり、伴侶であり、分かち難き半身だった。



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ある壱盤隊の語らい (亜羅椰×壱)

 この日、田中壱(たなかいち)は憮然とした顔でお昼を過ごす羽目に陥っていた。

 場所は本校舎のカフェテラス。同じ校舎内にある食堂が昔ながらの豪奢な造りであるのに対し、こちらはモダンで機能美溢れるデザインである。普通に食事するのは勿論のこと、軽く何かつまみたい時にも人気のスポットだった。

 窓際から離れたテーブルの一角にて、壱と正対して座るのは桃色髪のリリィ。リリィとしての実績でもそれ以外でも、何かと話題に上る有名人兼問題児だ。

 

「いっちゃ~ん。珍しく一人でお昼だなんて。私を待っててくれたのね」

「いっちゃん言うな。樟美(くすみ)天葉(そらは)様と、他の子たちとは間が合わなかったのよ」

 

 テーブルの上で頬杖を突きながらねっとりとした視線を向けてくる遠藤亜羅椰(えんどうあらや)に対し、壱はいつものように面倒臭さを隠さない調子で返事した。

 樟美たちと同席することもできたのだが、今日は二人きりにした方が良さそうだった。何となく雰囲気で分かるのだ。レギオンでも寮の部屋でも一緒なのだから。

 

「それでこんな美人が壁の花なんかやってるの。じゃあご一緒してもよろしいかしら?」

「あんた聞く前からご一緒してるじゃない」

 

 そんな身も蓋もない言い草の壱の前に、煮柳のバスケットに収められたサンドイッチが見える。樟美が作ったものをおすそ分けしてもらったのだ。

 サンドイッチと言っても、一般的な女学生が好みそうな可愛らしいものではない。サイズもそうだが中身も凄い。分厚いカツに大量のキャベツ、薄切りにされてなおも存在感を放つ真っ赤なトマト。それらをパンごと一緒くたにして口の奥へと放り込む。あくまで優雅に、品を損なわないように。

 亜羅椰もまたボリュームで言えば似たようなもので。大皿に山と盛られたナポリタンにボウル一杯の色鮮やかなサラダ。リンゴにミカンにイチゴ等々、フルーツに至っては一々識別するのが馬鹿らしくなるほどだった。

 彼女らに限らずリリィの食事は皆似たようなもの。激しい訓練や実戦で、体がカロリーを求めるからだ。

 

「亜羅椰、あんたこそ一人でブラブラしてたけど。女の子引っ掛けに行かなくていいわけ?」

「今まさにその最中なのよねえ」

「望みが無いのに、無駄な努力ご苦労様」

 

 亜羅椰を問題児たらしめている交際関係の広さと深さ。今、彼女は専ら壱とそのルームメイトの樟美にご執心である。

 確かに、亜羅椰は魅力的な女性である。壱もそれは認めていた。顔立ちは整っており、すらりと長い手足に長身。リリィとしての戦闘能力が高く学業成績も優秀。性格だって癖はあるが、決して悪くはない。ああ見えて意外と面倒見が良かったりもする。

 だがそれでも――

 

「ないわー」

「人の顔見ながら酷くない?」

 

 目の前のニヤケ面と自分が付き合ってるところは想像できなかった。

 そもそも、タイプが正反対の壱と樟美の両方にアプローチしていることから分かる通り、節操無しなのだ。中等部時代など、学院に目を付けられるほどお盛んだった。

 

「本当、刺されないのが不思議でしょうがない」

「それは勿論、人徳というものですわ」

「は? 冗談はそのアヒル口だけにしなさいよ」

「あぁん、いっちゃん辛辣ぅ」

 

 そこでふと、壱は中等部時代の亜羅椰に関する噂を思い出す。

 自分から決して捨てたりしない。付き合ってる子に求められたら拒まない。多い時には一晩で五人を相手にした。

 眉唾物の話だが、実際に本人を間近にすると、あり得そうだと思えてしまう。そんな得体の知れなさもまた、魅力の一つなのだろう。

 

「まあ何でも良いけど、火遊びし過ぎて生徒会に絞られても知らないから」

「あ~、それなら大丈夫。最近まーた忙しくなってるみたいよ」

「……そう言えば、朝から(まつり)様たちが駆け回ってたような」

 

 疑問の色を浮かべる壱へ、何故か得意げな顔をして亜羅椰が答える。

 

「性懲りもなく、例の件でまた物言いを付けてきたの」

「例の件?」

「ほら、防大附属の」

「ああ、あれか……」

 

 壱は得心がいき、げんなりとして目を細めた。

 防衛大学附属幼年学校。マギを扱う能力、スキラー数値の高い男性を集めた日本唯一の機関である。

 以前、その幼年学校に子を通わせる数組の保護者から、百合ヶ丘女学院は抗議を受けたことがあった。「男という理由だけで編入できないのは違法である」と。

 完全な私立校ならともかく、百合ヶ丘をはじめとしたガーデンは公金を投入されているため、事情が少しばかり複雑だった。

 

「でも、あれは前回突っぱねたんでしょ? もし本当に訴えられたとして、『区別に合理性がない』なんて判断されるとは思えないけど」

「そうよねえ。校舎内の施設の問題もあるし、何より精神衛生的に問題よねえ。お互いに」

「大体、ヒュージとの戦時なのに、そんなこと言ってる場合かっての」

「戦時だから、でしょう」

 

 亜羅椰の意味有りげな一言に首を傾げる壱だが、ややあってその真意を察する。

 ここ百合ヶ丘が激戦区だったのも、今は昔。由比ヶ浜ネストが撃破されてから危険度は大きく下がった。一方で、幼年学校と防衛大学校を出て防衛軍のアンチ・ヒュージ・ウエポン部隊に組み込まれたら、どこに派遣されるか分かったものではない。

 

「戦いたくないなら、初めから軍に関わらなければいいのに」

「防大附属はガーデン以上に優遇されるから。主に金銭的に。今更逃げ出せないんで、せめて少しでもマシな所にって寸法かしら」

「虫が良すぎる。そんな上手い話あるわけないわ」

 

 そうでなくとも、スキラー数値の高い男性は希少なのだ。それをむざむざ防大が手放すとは考え難い。ただでさえガーデンに戦力が偏っているのが問題視されているのだ。

 百合ヶ丘への()()は防衛軍からすれば背信行為と映るだろう。実利と面子を潰された軍が、国家機関が、果たしてどう出てくるか。

 

「ちなみに今回の主張は、『心は女の子だから編入させろ』だとか」

「はあ!? 何よそれは。形振り構っていられないってわけ……。にしても、さっきからやけに詳しいわね、亜羅椰」

「フフッ。さっき言った通り、人徳ですわ」

「女の子情報か」

 

 こいつの(へき)は相変わらず変なところで役に立つと、呆れ8割、感心2割。

 そんな壱だが、ふと、すまし顔の亜羅椰を揶揄ってやろうと内心でほくそ笑む。

 

「でも心が女の子で可愛ければ、あんた大歓迎じゃないの?」

 

 ところが亜羅椰はわざとらしく首をゆっくり横に振った。

 

「いっちゃんいっちゃん。色が似てるからって、チョコレートの代わりに泥水掛けたパフェ食べられる?」

「無理だわ」

「でしょう? それと同じことなの」

「悪かったわよ」

 

 想像したくもなかったので壱は早々に引き下がろうとした。

 しかしどういう訳か、相手の方が妙なところに食いついてくる。

 

「ところでいっちゃんは、もし私が殿方だったらお付き合いしてくれたのかしら?」

「ない」

「そう。つまり、見てくれや小手先の変化だけでは、事の本質は変えられないということね」

「話しながらすり寄ってくるな」

 

 気が付けば、対面の席に座っていたはずの亜羅椰がすぐ右隣に居た。肩にしな垂れかかってきたため、嫌みにならない程度の香水が壱の鼻をくすぐる。長いまつ毛の切れ長の瞳に覗き込まれているのが横目に分かる。近くで見る度に改めて思うが、顔が良い。

 壱はだんだんと腹が立ってきた。

 

「今晩、一人なの。部屋に来ない? 本質を変えられるかもよ」

「脈絡ないわね。私は変わらなくて結構よ」

「じゃあ攻守交替しましょう。いっちゃんに作り変えられるとか、熱いわぁ」

 

 嚙み合わない漫才もどきを繰り広げる内に、周りの耳目が集まっていた。小声で何事か囁かれたり、生暖かい視線を送られたり。ただでさえ有名なレギオンの、色んな意味で有名なリリィが居るので無理はない。

 居心地悪さを覚えた壱は食事を終えると足早にカフェテラスの席を後にする。絡みつく亜羅椰を無理矢理にほどいて。

 

 

 

 

 

 時間は流れてその日の深夜、新館の一年生寮にて。ほとんどの者が寝静まっているであろう時分に、壱は左腕の違和感によって目を覚ました。

 ここは自室で、当たり前だが鍵が掛かっている。だとするなら違和感の正体は一つしかない。

 

「いっちゃん」

「んんっ。樟美、お手洗い?」

「うん……」

「もう、だからミルク飲み過ぎって言ったのに」

 

 ルームメイトの江川樟美(えがわくすみ)に寝巻の袖を引っ張られていた。

 壱は小さな欠伸をすると、「仕方ないな」とぼやきつつもベッドに暫しの別れを告げる。そうして自分よりずっと小柄な少女の手を引いて、薄ぼんやりとした月明りを頼りにお化粧室へと向かった。

 壱の言葉も態度も、昼間の亜羅椰へのそれとは違い、棘が取れたみたいに丸い。もっともそうでなければ、わざわざお手洗いに付き合ったりしないだろうが。

 いくら小柄とはいえ、樟美も高等部。本来なら付き添いなどあり得ないのだが、彼女には事情があった。そして壱にはその事情に負い目があったので、樟美にだけはこんな風に甘いのである。

 やがて用を終え、二人の部屋に帰ってきた。とは言え一度覚醒した以上、すぐのすぐには寝付けそうにない。

 

「まあ、明日は二限からだし……」

 

 そう自分で納得し、壱は緩慢な動作でベッドに身を沈めた。訓練に実戦にハードスケジュールのリリィは、単位の取得に色々と融通が利くのだ。

 横向きの体勢でまどろみ始めた壱に、またも違和感が訪れる。背中に伝わる体温。振り向かなくても分かる。樟美が潜り込んできたのだ。

 時折あることなので、いつも通り気に留めない。そのはずだったのだが、壱の脳裏に昼間の不敵な笑みが浮かんできた。

 

(今の私は亜羅椰みたいなものじゃないか?)

 

 一瞬だけそんな風に考えて、直後に自分自身で否定する。

 確かに樟美のことは可愛いと思っているし好いてはいるが、それは恋愛感情によるものではない。樟美もきっと、いや、間違いなく同じだろう。二人は親友という呼び方が一番しっくりくる。

 なのにどうしてあの(よこしま)な女と自らを重ねてしまったのか。

 

(昼にあんなおかしなこと言ってきたからだ。明日会ったら覚えとけ)

 

 亜羅椰がおかしなことを言うのは今に始まったわけではないのだが、それはすっかりと失念し、壱は憤慨の中で眠りに就いた。

 

 

 

 

 

「よりによって、何であんたと被るかなあ……」

 

 翌日、全ての講義を終えて自分たちのレギオン控室に向かっていた壱は、途上で立ち止まり盛大に愚痴を零した。控室の扉に至る手前で、チャームのケースを背負った亜羅椰に遭遇したからだ。

 

「あら、ヒュージの撃滅はリリィの使命。私がここに居ても何もおかしくありませんことよ」

「よく言うわ。ただ暴れたいだけでしょ」

 

 まるで立ちはだかるかの如く、壱の真ん前で胸を張る亜羅椰。

 待機任務というものがある。学院内に臨戦態勢で待機し、ヒュージ出現の報によって討伐に赴く任務だ。

 通常はレギオン単位で当番が回ってくるが、個人単位で志願して参加することもできる。由比ヶ浜ネスト撃破後はヒュージの襲撃が減ったので、これに頻繁に志願するか外征任務に出ない限り、実戦の機会は少なくなった。

 現在、壱や亜羅椰たちのレギオンに外征任務はない。そうなると、腕を磨きたかったり、撃破スコアを伸ばしたかったり、あるいは血の気の多いリリィが取る手段は自ずと決まってくる。

 

「これも運命。どうせなら私の部屋で待機しない? 今日、一人なの」

「あんたいつも一人ね。しょっちゅう部屋に連れ込むから、辰姫(たつき)に逃げられたんじゃないの」

「まさか。あの子は泊りで工房よ。工房と言っても、弥宙(みそら)の工房なんだけど」

 

 森辰姫(もりたつき)金箱弥宙(かなばこみそら)。共に壱たちと同じレギオンに属し、共にアーセナルである。

 本来ならば工房――アーセナル個々人に与えられる作業場で寝起きするのは禁止されているのだが、守られないケースが多かった。

 

「辰姫も物分かりが良いから。こういう時、お互いに気を遣い合えるから助かるわ」

「うん? お互い?」

「フフフフフッ」

「……ま、あんたみたいな節操無しじゃないだろうから構わないけどさ」

 

 てっきり工房に籠ってチャームを弄るのかと思ったが、それだけではないらしい。

 もっとも、壱はあの二人なら自分の心配するような事態にはならないだろうと考えていた。目の前の女と違って。

 

「部屋が駄目なら裏庭に行きましょう。時間はたっぷりあるから、組手のお稽古でもしながらね」

「手つきがいかがわしいから組手はしないけど、裏庭に行くのは良いわよ」

 

 待機任務と言っても、いつでも飛び出せる状態にあるならそれで十分。各々のレギオン控室に常駐する必要もない。

 ずっと中に居ても息が詰まるだけなので、壱は亜羅椰が付いて来るのを確認せぬまま180度向き直って校舎の外へと歩き出した。

 

「それなら一つ、賭けをしない? 今日の待機任務で私といっちゃん、どちらが多く撃破スコアを稼げるか」

 

 そう言ってすぐに追い付き左に並ぶ亜羅椰を、壱は品定めするように横目で見やる。

 亜羅椰の背負う茶色のチャームケース。操る得物は第二世代汎用攻撃型チャーム、アステリオン。非常に整備性が高く性能も安定しているため、広く普及しているチャームだ。

 高い射撃性能を誇るアステリオンはシューティングモードが売りなのだが、亜羅椰は近接戦闘用のアックスモードを好んで用いる数少ないリリィであった。その上更に、出力向上など大幅なカスタムを加えている。しかしそれでもまだ、彼女はチャームの性能に満足していないとか。

 伊達や酔狂で同学年屈指と言われてきたわけではない。遠藤亜羅椰という女は、底が知れなかった。

 

「いっちゃーん?」

「……ああ、うん。賭けはいいけど、ヒュージが出なかったらどうする気?」

 

 再び名を呼ばれた壱は考え事を中断し、一番重要な疑問を尋ねる。待機中にヒュージか、あるいはケイブ――ヒュージが利用するワームホールが現れなければ賭けが成立しないのだ。

 

「無事何事もなければ、私の負けということで」

「それ、あんたが大分不利でしょ。ハンデのつもりなら余計なお世話よ」

「言い出したのはこっちだしねえ。それに、こういう時の私の勘って結構当たるの」

 

 横に並んで歩く亜羅椰が壱との距離を縮め、更に続ける。

 

「明日はちょうど二人とも非番だし。私が勝ったら一日付き合ってくれるかしら。逆にいっちゃんが勝ったら、一日私を好きにして良いわよ」

「はあ? 私に全くメリットが無いんだけど」

 

 横目で睨み付けられても、亜羅椰はどこ吹く風といった様子。長くしなやかな指を壱のストレートヘアに伸ばすと、ゆっくり手櫛したり、指先で丸く絡め取ったり。

 自慢の髪を褒められているようで、壱は悪い気はしなかった。繊細かつ軽やかな指捌きは、時間を忘れさせるかのよう。

 しかしだからこそ、壱は腹が立ってきた。

 

「やっぱり乗ってあげる。あんたのその澄ました顔、剥ぎ取ってやるから」

 

 

 

 

 

 LG(レギオン)アールヴヘイム、通称壱盤隊。それが田中壱の所属するレギオンだ。

 強豪ガーデンたる百合ヶ丘女学院の中でもトップクラスとして知られており、攻撃の要である外征旗艦レギオンである。幾度となく修羅場を潜り抜けてきた上級生と、有望株の一年生で構成されていた。

 今、壱が居るのはそんなアールヴヘイムの面々が研鑽に励む訓練場。目の前に、金の髪を後ろで纏めたリリィが立っている。

 

「天葉様、立ち合い稽古お願いします」

 

 そう言って壱は大口径の砲と剣呑な刃を備えた武骨なチャーム、ブリューナクを正眼に構えた。

 

「立ち合いやろうだなんて久しぶりだね、壱。最近連携や射撃訓練ばかりだったから、デュエルが恋しくなったかな」

 

 嫌みを全く感じさせない朗らかな笑みで、アールヴヘイム主将の天葉が答える。

 デュエルとは、ヒュージとの1対1(サシ)での戦闘のこと。ノインヴェルト戦術などの連携攻撃が主流になる以前はこれが重視されていた。

 デュエルの重要性を認めるデュエル復古主義という考え方に、壱を含めた幾らかの一年生は賛同していた。「連携以前に命を落としてしまっては元も子もない」という主張が根底にある。神出鬼没なヒュージが相手なら尚更というわけだ。

 そしてこのアールヴヘイムには、壱以外にもデュエルを好む者が居た。

 

「出し抜きたい奴がいるんです。そのためには連携だってデュエルだってこなせないと」

「ふぅーん……」

 

 このところ続いていた腹立たしさを紛らわせるため、元来真面目な壱が選んだのは特訓によってリリィとして優位に立つという答え。至って単純明快だが、他に良い考えが思い浮かばなかったのでやむを得ない。それにやっぱり、腕を磨くのは嫌いじゃなかった。

 

「ところでその出し抜きたい誰かさん、どこかで見なかった? あの子が訓練に来ないなんて珍しいじゃない。昨日はヒュージが出なかったらしいから、さぞ持て余してると思ったんだけど」

「あいつだって、大人しい日もたまにはありますよ。たまには」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっちゃーん、部屋の中にすっこんでろって、どういうこと? 放置プレイ? 放置プレイなの?」



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オジギソウ (鶴紗×梅)

「ベストシュッツエンゲル賞?」

 

 LG(レギオン)ラーズグリーズ、通称一柳隊の控室に素っ頓狂だが愛らしい声が響いた。

 テーブルの端っこでチョコ入りケーキを頬張っていた安藤鶴紗(あんどうたづさ)が、声のした方へ視線を動かす。すると彼女の赤い瞳に、ソファに並んで話し込む二人の少女が映った。

 

「そうです! 毎年この時期、全校リリィの投票によって選ばれる賞なんですよ。シュッツエンゲルとシルトの絆や愛情、戦場での連携等々、色んな観点から評価されます。勿論知名度も大きなポイントですが」

 

 小さな膝の上にタブレット端末を乗せて早口で解説する二川二水(ふたがわふみ)と、彼女の隣で聞き入る一柳隊隊長一柳梨璃(ひとつやなぎりり)。レギオン内で訓練メニューの打ち合わせを終え一息ついていたところ、二水が待ってましたとばかりに話を切り出したのが発端であった。

 

「優勝したお二方にはティーセットとか菓子折りとか、心ばかりの品が贈られるんですが、それよりも重要なのは名声ですね! 新聞部の号外だけでなく、受験生向けパンフレットに制度紹介の一環で載せられるんです!」

「うわぁ~、パンフレットに紹介だなんて。凄いねえ」

「ちなみに去年の優勝者は、アールヴヘイムの槇若菜(まきわかな)様・天野天葉(あまのそらは)様ペアでした」

 

 その時だ。元から輝いていた二水の瞳が更にキラリと光を湛えた。

 

「今年の優勝候補は天葉様とそのシルトの樟美(くすみ)さんだと言われています。若菜様が今年は辞退されたので。まあ確かに順当にいけばそうでしょう。お二方とも過去にワールドリリィグラフィックの表紙を飾った逸材ですから。しかしっ! しかしですよ! 今年はレギオン水夕会の谷口聖(たにぐちひじり)様・六角汐里(ろっかくしおり)さんペアが立ちはだかるのではないかと私は愚考しますっ! 学年を越えて広く慕われている聖様と、学院最大レギオン水夕会で愛される汐里さん。この新星は、百合ヶ丘に新たな旋風を巻き起こすこと間違いなしですぅ!」

 

 茹でられた蛸の如く紅潮し、唾でも飛ばしかねないほどの勢いで捲し立てる。そんな二水を前に梨璃は「はぁ~」だとか「へぇ~」だとか、意味がよく分かってないかのような相槌を打つだけ。いや、実際分かってないのだろう。無理からぬことではあるが。

 一方鶴紗はと言うと、騒がしい光景を尻目にひたすらカロリーと糖分摂取に勤しんでいた。二人の会話にさしたる興味も示さずに。

 ところが二水の話が進んでいくと、だんだんと鶴紗の意識が向き始めた。

 

「そして、新星は我が一柳隊にも!」

「へえっ?」

「梨璃さんと夢結様に決まってるじゃないですか! この百合ヶ丘を救った、アルトラ級ヒュージ討伐の功労者。話題性は他の方々に勝るとも劣りません!」

「そ、そうかな?」

「そうですよ! それに何より、優勝に最も大切な愛があります!」

 

 そこまで聞いて、鶴紗は先の展開が読めてきた。話に乗せられた梨璃が自分たちも賞を目指そうと言い出すに違いない。事実、梨璃の顔はふにゃふにゃと緩んで締まりがなくなってきた。

 また面倒事になりそうだ。そう鶴紗は警戒する。

 ふと、梨璃たちへ密かに意識を向けている者がもう一人居ることに気付いた。一見落ち着いた様子でカップの中の紅茶に口を付けている。しかし、時折目線だけ送って様子を窺っているようだった。梨璃のシュッツエンゲル、白井夢結(しらいゆゆ)その人だ。

 鶴紗も夢結も、普段から言葉少なである。だがそれでも、鶴紗はこの先輩とは波長が合うんじゃないかと思っていた。戦闘でも、それ以外でも。

 

「お姉様、私たちも優勝目指して頑張りましょう!」

「何を頑張るというの……。それに梨璃、好奇心旺盛なのは良いけれど、もっとよく考えて判断なさい」

「ええっ!? でも私、お姉様が世界一のお姉様だって皆に知ってもらいたいです!」

 

 拒絶されかけた梨璃は顔を曇らせ、両の手を組んで懇願する。

 幾度となく目にした光景だった。こうなると、梨璃のお姉様は何だかんだ言いつつも最後にはシルトの()()()を聞いてしまうのだ。

 ところが今回ばかりはいつもと様子が異なるようで。

 

「梨璃、何も万人に認められることが全てじゃないわ。当人がその価値を認めてさえいれば」

「でも……」

「賞なんて無くとも、私たちは誰より互いに想い合っている。それでは不足かしら?」

「……! いいえ、不足じゃないです! お姉様ぁ!」

 

 鶴紗は珍しいものでも見た時のようにパチクリと瞬きした。

 そしてそんな目前の光景に驚いたのは皆同じだったらしく、当人たちの邪魔をしない程度に周りがざわつく。

 

「のう、二水。何やら夢結様の口が上手くなってはおらんかのう」

「そうですねえ。普段なら梨璃さんに可愛くおねだりされたら、陥落してたはずなんですけど」

「ふむ。まあ長く付き合う上では、上手く御せる方が都合が良いのじゃろうが」

「ゆりゆりペアは不参加っと……。だったら次は、ミリアムさん!」

「わしと百由(もゆ)様か? わしはともかく百由様は確かに知名度がありそうじゃが、どう考えても色物枠じゃぞ?」

「あっ、そっかぁ……」

 

 チビッ子たちが不穏な会話を繰り広げている。二水はどうあっても一柳隊から受賞候補を出したいらしい。独占取材とか何とか言って、記事にするつもりなのだろう。この分だと望みは薄そうだが。

 

「梨璃もミリミリも出ないのか。つまらないなあ、折角のイベントなのに」

 

 別方向から聞こえた愉快げな声に、鶴紗はもう一度目線を動かす。

 ソファの上にどっかり胡坐を掻き、バリボリと音を立てながらスナック菓子を貪る先輩が居た。

 

「何を他人事みたいに仰ってるんですか! こうなったら(まい)様、お願いします!」

「梅? でも梅にはシルト居ないゾ」

「だからこそ、ですよ。初代アールヴヘイムで、長らく誰とも契らなかった吉村(よしむら)Thi(てぃ)(まい)様が遂にシュッツエンゲルの契りをっ! 注目度ナンバーワンです! いけますよこれは! というわけで梅様、早速シルト作っちゃってください」

「無茶苦茶だなあ、フーミンも」

 

 口の中の咀嚼音を抑え、鶴紗が目線だけで梅たちの会話に注目する。自ら話に加わろうとはしなかったが。

 

「梅は皆のことが好きだから、今は誰かとシュッツエンゲルを結ぶ予定はないゾ。そんな柄でもないしなー」

「えーっ、そんなー!」

 

 迫る二水を、湿り気のないカラッとした笑みであしらう梅。それもまた既視感のある、以前にも当たり前のように繰り広げられてきた光景だった。

 けれども鶴紗はそんな当たり前を直視するのが嫌になり、手にした甘味を強引に口の奥へ詰め込んでいく。その感情は何かと問われたら、()()()()()と答えるべきか、()()()()()と答えるべきか。ひょっとしたら()()でもあるかもしれない。

 何れにせよ、今日この時は自身の内を吐き出すことなく、鶴紗は控室の喧騒からひっそりと抜け出すのだった。

 

 

 

 

 

 一旦は抑え込んだ梅への感情に再び直面したのは、そう先のことではなかった。

 後日、学院敷地内の射撃場。重厚な発砲音と幾分か軽快な連射音が飛び交う空間にて、鶴紗はある程度距離を置いて二人の先輩リリィと訓練に当たっていた。

 単発だが、腹の底にまで届かんばかりの咆哮を上げているのが夢結のチャーム、ブリューナク。それよりも幾らか控えめな砲声を三点射で奏でているのは、梅の所持するユニークチャーム、タンキエム。

 それら二機のチャームと鶴紗が右肩に担ぐティルフィングが、遠く前方の射撃目標を各々撃ち抜いていく。チャームの中にはレーザー射撃が可能なものもあるが、ここで使用されているのは実体弾。的ごと破壊してしまったら意味が無いからだ。

 ちなみに、的はヒュージを模しているので人型ではなく円形である。

 

「昨日のあれは、きつく言いすぎたかしら」

 

 引き金を引く合間に、夢結の呟くような言葉が漏れた。

 すぐ隣に居た梅は勿論、離れていた鶴紗も聞き逃さなかった。二人はすぐさま引き金に掛けていた人差指を引っ込める。

 

「あれって、梨璃が前に出過ぎてヒュージの攻撃を食らいかけたことか?」

「そう。必要なこととは言え、少し強く叱ってしまったから」

「あー、確かに梨璃の奴、随分しょげてたからなあ」

 

 夢結の声色も表情もパッと見では冷静だったが、それがかえって不自然さを滲み出してるようだ。

 梅の方も普段通りの軽い態度だが、内心では真剣に悩み寄り添っているに違いない、と鶴紗は思う。

 

「叱ってやるのは大事だけど、後のフォローも同じぐらい大事だろうな」

「フォロー?」

「例えばこう、ガシッと抱き締めて、ブチューってするとか」

「貴方ねえ……」

 

 自分で自分を抱き締めておちゃらけたジェスチャーを始めた梅に、相談した当人はこめかみを引きつらせる。

 

「夢結は何に対しても固すぎるから、もっと軽く考えろってことだゾ!」

「軽すぎるのも考え物だけど」

 

 不意に、割って入った鶴紗の言葉。本当なら黙っているつもりだったが、ふと口をついて出てきた。

 梅はきょとんとした顔で、夢結は真顔で、それぞれ乱入してきた声の主に向き直る。

 こうなってはもう仕方がないと、鶴紗は腹を括って言葉を紡ぐ。

 

「いつもいつも軽いから、いざ重くなろうとしてもできない」

「それって、何の話だ?」

「何でもですよ」

 

 鶴紗としては極力平静を保っているつもりだった。

 が、不穏な空気を感じ取ったのか、夢結の顔が僅かに強張った。やはり「自分と夢結様は波長が近いんだ」と受け止めかけて、考え直す。こんな状況なら、誰だって嫌な予感の一つや二つ抱くだろうから。

 

「鶴紗さん、私は外した方がいいのかしら?」

「いえ、別に……」

 

 そんな風に夢結へ返事をした後で、「別にって何だ。我ながら愛想が無いな」と自嘲する。

 

「よし、じゃあ移動して空気を変えるか」

「何を――」

 

 梅が言い終わるや否や、反論する暇も無い内に小脇に抱えられ、鶴紗の体が宙に浮かぶ。

 梅のレアスキル、縮地。次の瞬間、あるいは次の次の瞬間ぐらいには目的地に到着しているだろう。

 その目的地が梅にとっての逃避先なのか、はたまた別の何かなのか、鶴紗にはまだ知る由もないが。

 

 

 

 

 

「何だー? 今日はご機嫌ナナメかー?」

 

 梅の左腕に肩を抱かれ、反対の手に持った猫じゃらしの先っぽで頬をくすぐられる。着いたと思ったら、これだった。鶴紗は抵抗するのも馬鹿らしくなり、大人しくされるがままとなっていた。

 所は猫の集会所。茂みに囲まれ人目につかない、二人にとってとても馴染み深い場所。しかしまさか、近場とは言え訓練中に学院の敷地外まで出ていくとは、鶴紗も流石に予想しなかった。

 

「別に、ナナメじゃないっスよ」

「その割にヘソ曲げてるじゃないか」

「呆れてるんですよ、梅様に」

 

 いかにも心当たりはないと言いたげな梅だが、鶴紗は構わず続ける。

 

「夢結様と梨璃のこと色々言うけど、シルトの居ない梅様じゃあ説得力が無い」

「もしかして、シュッツエンゲル結ぶ結ばないの話してるのか?」

「とぼけちゃって」

 

 そんなやり取りを続けていると、辺りに猫の姿が見え隠れし始めた。草むらから顔だけ覗かせてきたり、木の枝の上から恐る恐る見下ろしてきたり。時折ニャーニャーと、か細い鳴き声が耳に届く。

 小動物は敏感だ。いつも遊んでくれる人間たちの、剣呑な空気を察知したのだろう。

 心配かけてごめん、と心の中で猫たちに謝りつつも鶴紗は引き下がらない。

 

「梅様、皆のことが好きだからとか言ってたけど。無理して言ってるでしょ」

「無理じゃない。本当のことだ」

「でも、わざと()()を作らないようにしてる気がする。それって梅様が話してた、梨璃と一緒になる前の夢結様そのものじゃないの?」

「……今日はやけに絡んでくるなあ。梅だってそこまで言われたらちょっとは気にするし、ちょっとはへこむゾ」

 

 梅の声色が少しだけ低くなる。

 鶴紗も分かっててやっているのだ。夢結の名を出せば反応が変わってくると。少々卑怯かもしれないが、手段を選んでいてはこの先輩の中に踏み込めないと感じたから。

 以前の自分だったなら、こんな風に他人へぶつかっていくなどあり得なかった。あの桃色少女にこんなにも影響されていたのだ。

 

「昔の夢結様みたいに、特別を失うのが怖い?」

「分からない。梅は夢結じゃないんだから。夢結と同じ目に遭って耐えられるかなんて、分かりっこない」

 

 もっともだ。特別を、シュッツエンゲルを失うことがどういうことなのか、他人に推し量れるはずもない。

 しかしそれでも前に進むことはできる。今まさに引き合いに出されている梅の親友こそが、その実例だった。

 

「どうしても失いたくないって言うんなら、私が特別になってあげてもいいですよ。私ならそう簡単には死なないし」

「何だよそれ。今のお前、梨璃みたいだゾ。グイグイくるところとか」

「……そうっスね」

 

 否定はしない。実際そうなのだから。

 我らが一柳隊の隊長は思うままに正面からぶつかっていき、夢結を、そして鶴紗を変えた。

 あの子ができたこと、自分でも真似事ぐらいならできるのではないか。そう思って鶴紗は梅へと踏み出した。

 

「それにしても人のことよく見てるなあ。他人になんて興味ない、みたいな顔しといてさ」

「たまたまですよ」

「またまた~、照れるなよ~。梅のこと好きすぎだろ」

「……」

 

 鶴紗は言葉を詰まらせた。

 好きかそうでないかと言えば、好きである。趣味は合うし、隣に居ても気負うこともなく楽な存在。そもそもここまで踏み込んでおいて、好きでないというのは流石に無理があるだろう。

 しかしながら、それを素直に認めるのは癪に障る。少なくとも梅が現状の飄々とした態度を改めない限り、認めてやるつもりはなかった。たとえ相手に見透かされていたとしても。

 

「あー……まあ、シュッツエンゲル結ぶかどうかはともかく、特別を作るってのは考えてもいいかな」

「梅様、素直じゃないな」

「お前もだろー?」

「……ふふっ」

「ははっ」

 

 どちらからともなく、笑みが漏れた。二人の笑みは混じり合って集会所に響き渡る。

 やがて一匹、また一匹と、隠れて様子を窺っていた猫たちが姿を見せ始めた。決して広くはない集会所が、たちまち本来の利用者で一杯となった。もう不安げな態度は無く、仰向けとなって日光浴に興じる者も出る始末。

 猫は本当に敏感だ。

 

「まったく、いつもは捕まえようとしたら逃げるくせに、こっちが逃げたら追ってくる。鶴紗は猫みたいな奴だな!」

「梅様こそ。本当は構って欲しいくせに、すっとぼけた顔して。猫みたいだ」

「そっかー。なら梅たちは似た者同士ってことか」

 

 そう言うと梅は右手に持っていた猫じゃらしを近くの猫に放り投げてやり、両腕で鶴紗を横から抱き締めた。そして自分のおでこを鶴紗の頭へ擦るように押し付ける。

 強すぎず弱すぎず、金髪の上からグリグリと。最初こそ相手の体温を感じていたが、やがてどちらの熱か鶴紗には判別できなくなっていた。

 ただ、確かにそこに居ることだけは、疑いようのない事実であった。

 

 

 

 

 

 夕食時、鶴紗は食堂で席が隣同士となった梨璃から不意に話し掛けられる。

 

「鶴紗さん、何か良いことあった?」

 

 横から天真爛漫な眩しい笑顔で聞いてくる。良いことあったのはそっちじゃないか、と問い返したくなるほどに。

 

「私、そんな顔してた?」

「うーん……。楽しそうというか安心したというか、とにかくそんな顔してました」

 

 自分ではいつもと変わらないように振舞っていたつもりであった。しかし、すぐ横で首を傾げている少女には、そう映らなかったようだ。

 第六感と言うべきか、何と言うべきか。油断も隙もあったものではない。「流石は私らのリーダーだ」と少しだけ感心する鶴紗。

 

「それは多分、面倒で繊細な猫にちょっとだけ相手をしてもらえたから、かな」

「猫ちゃん?」

「そう。触ろうと手を伸ばしたら、いつもスッとよけるような猫」

「あははっ、何それー」

 

 冗談交じりに話してる内に、ふと鶴紗は気付いた。ひょっとして自分もそんな風に見えているのではないか。今のはまるで、自己紹介ではなかったか。

 まさに似た者同士。

 

「よかったね、鶴紗さん」

「うん、よかった。自分を客観的に見れて」

「えっ? ……あっ、お姉様も、客観視できるのは成長した証だって仰ってました!」

 

 いまいち噛み合わない会話。

 けれども鶴紗は零れそうになる笑いを押し止め、平然とした態度を保つ。

 

「梨璃の方も、さっきからご機嫌だけど。何かあった?」

「ありました! 実はね、今日お姉様がね――」

「あ、やっぱいい。面倒臭そう」

「何でー!? 聞いてよ、聞いてよぉー!」

 

 梨璃が顔を綻ばせたままで抗議の声を上げる。嬉しいのか怒っているのか、器用な芸当だ。

 客観視できるようになったのも、手を伸ばせるようになったのも、隣の少女のおかげかもしれない。しかし言葉に出して伝えることはしなかった。やはり鶴紗もまた、繊細だったのだ。

 

 

 

 

 

「なあ夢結ー。さっきまで梨璃がゆるゆるのデレデレで面白いことになってたんだが。何か知らないか?」

「貴方の助言を参考にしたんだけど」

「えっ、マジでやったのか。流石の梅もそれは引くわ」

「梅、ちょっと表に出なさい」



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犬柳さんと猫井さま (夢結×梨璃)

 深く静謐だった緑の中に、大地を踏み締め蹴り抜く音が走っていく。獣道と呼ぶのもおこがましい道を、九つの人影が樹木をかわしつつ進む。

 一定の速度、と言いたいところだが、実際は一つか二つの影がしばしば遅れ気味になっており、その度に全体のペースが落ちていた。それでも基本的には順調に進み、やがて木々と草むらの途切れたちょっとした広場へと差し掛かる。

 広場の手前まで来たところで、集団の先頭左側を行く影が右の手を頭上に掲げた。すると掲げた本人を含む全員がその場で止まり、腰を深く落として静止する。

 程なくして今度は集団の後方左側から、若干どもるような声が辺りに響いた。

 

「こっ、ここで小休止しますっ!」

 

 

 

 

 

 広場と言っても、ただ木々や草がまばらで傾斜の無い平坦な土地というだけのこと。それでも身を休めるため贅沢はできない。一行は死角を補いながら車座となってその地に陣取った。

 レギオン一柳隊。百合ヶ丘女学院の敷地から離れたこの山で、彼女たち九人はとある訓練に勤しんでいた。

 

「あーあ。こんなのマギ使ってひとっ飛びすれば一瞬なのになぁ」

「それじゃあ訓練にならないでしょう、(まい)

 

 胡坐を掻き、頭の後ろで両手を組んだ梅が愚痴を零すと、すかさず隣に立つ夢結(ゆゆ)が口を尖らせ窘めてきた。ちなみに先程、隊の先頭に立ち停止の合図を出したのは夢結である。

 

「徒歩による野外行軍訓練……。私たちは外征メインのレギオンというわけではありませんが、慣れておくに越したことはないでしょう」

「うん、何が起きるか分からないもんね」

 

 神琳(しぇんりん)の言葉に雨嘉(ゆーじあ)が相槌を打つ。

 彼女ら一柳隊が山林を駆け回ってその身に枝葉を付けているのは、マギの枯渇時や隠密行動を想定しての行軍訓練のためだった。

 百合ヶ丘におけるレギオン単位の訓練メニューは教導官から雛形が提示される。だが多くの場合、そこから各レギオンの手で独自に改変し提出したものを教導官が認可する形を採っていた。それぞれのレギオン、それぞれのリリィに適した訓練を柔軟に施すための措置。しかしそんな制度が通用するのも、百合ヶ丘のリリィの練度や教育が高い水準にあるおかげであった。

 

「はぁ、はぁ……。す、すみません、足引っ張っちゃって……」

「うむ、流石にこの距離はわしと二水(ふみ)にはしんどいのう」

「特型追いかけて甲州に行った時も思いましたけど、梨璃(りり)さん凄いですねえ」

 

 リリィたるもの基礎トレーニングも欠かせない。だが運動場を走るのと野山を進むのとでは、また勝手が違う。

 二水とミリアムのチビッ子コンビが息を切らす一方で、先程休憩の指示も出した一柳隊隊長はと言うと、さしたる疲労の色も見せていなかった。

 

「あははっ。実家の近くもこんな感じだったし。山道には慣れてるから」

「流石は梨璃さん! 可愛らしい上に逞しいなんて、リリィの鏡ですわ!」

 

 梨璃の発言に対して(かえで)が大袈裟に誉めそやす。

 その楓だが、地面にへたり込む二水の背後から、鎖骨の下や手首の内側を指で押し込みマッサージを加えている。少しでも呼吸を整えやすくするために。実の所、真っ先に休憩を提案したのも楓だった。

 

「……終わった。夢結様、交代します」

「ええ、ありがとう鶴紗(たづさ)さん」

 

 大剣を模したチャーム『ティルフィング』を右肩に担いだ鶴紗がそう告げると、入れ替わるように夢結が腰を下ろした。

 小休止とは言え、ただ休んでいるだけではない。辺りを警戒する者、休息をとる者、そしてリリィの分身とも呼ぶべきチャームを整備する者とに分かれていた。本来なら出発前に学院で済ませておくべき整備だが、今回は野外整備も訓練項目に組み込んだのだ。

 夢結はまず地面に敷いたビニールシートの上に自身のチャーム『ブリューナク』を置く。そうしてブリューナクの基本フレームから、バレル、マガジン、ハンドル、ギアなどのパーツごとに分解していった。

 夢結が今使っている工具はドライバーが一本のみ。通常分解だけならこれで事足りる。更に簡易な整備ならば素手でも可能。精密分解しようと思えば他に金槌やレンチも必要になるが、アーセナルでもない限り、野外でそこまでする機会は少なかった。

 

「梨璃、手が止まってるわよ」

「あっ、はい、お姉様!」

「洗油は足りているのかしら? なければ石鹸水でも代用できるから」

「大丈夫です!」

 

 流れるような夢結の手さばきに見とれていた梨璃が、慌てて自分の作業に戻る。夢結より先にドライバーを握ったにもかかわらず、梨璃の方は進捗があまりよろしくなかった。

 一方で夢結の仕事は早い。洗油を塗ったブラシを銃身内部に何度も通し、それから綺麗な布で繰り返し拭き取っていく。銃身以外にも各パーツ作動部に潤滑油を塗り、最後に元の形へと組み立てる。ネジに緩みがないようしっかりと締め直し、握り心地も忘れずチェックする。

 結局、梨璃が自身のチャーム『グングニル』を整備し終えたのは、夢結が周辺警戒に戻った後のことだった。

 

「やっぱりミリアムさんは早いし上手ですねえ」

 

 わちゃわちゃと動かしていた手を止め、ようやく一息付けた梨璃が、木陰に立っているミリアムへ声を掛けた。

 二水に次いでへたばっていたはずのミリアムだが、チャームの整備は早々に終わらせて、長い柄の部分を自身の右肩に立て掛けるようにして支えている。

 

「わっはっはっ。何と言っても工廠科のアーセナルじゃからな。チャームなら何でもござれ……といきたいところじゃが、このチャームは事情が少々特殊でのう」

 

 ミリアムお手製のユニークチャーム『ニョルニール』は鎌にもハンマーにも見える大型のチャームである。それを彼女は苦も無く肩に担ぎ、空いた方の手で頬を掻きつつ話を続ける。

 

「わしのニョルニールは既存のパーツを多く流用しておるので、ユニークチャームでありながら整備性は良好なのじゃ。よってお主らが思うほど運用が大変なわけではない。少なくとも、どこぞのお嬢様の高級品よりはな」

「最っ、高級品ですわ! 間違えないでくださいまし!」

 

 ミリアムの煽りとも取れる発言に、間髪入れず楓が噛み付いた。

 

「大体、この機能美と造形美が最高水準で融合したジョワユーズの良さが理解できないとは、チビッ子2号も風情がありませんこと。せっかくのアーセナルの腕が泣いてますわよ」

「ふんっ、それで扱いづらくなっておったら本末転倒じゃわい」

 

 二人の諍いはちょっとした口論へと発展していく。

 しかし他の仲間たちに本気で心配する様子は見られない。何だかんだ言っても互いに認め合ってると、一柳隊の中では既に周知の事実であったから。

 

「神琳の媽祖聖札(マソレリック)は、整備大変そうだね」

「ええ、そうね。フレームは盾だから構造は単純だけど、銃身が多いのでどうしても」

 

 先に整備を完了していた雨嘉が、銃腔を清掃中の神琳の方を覗き込む。

 雨嘉の使用チャームはアステリオン。多くのガーデンに普及している傑作チャームでパーツの入手も容易。剛性こそ高くないものの、機体構造が単純で整備性が良いという強みがある。

 一方で、神琳のマソレリックは故郷の台湾企業が開発した彼女専用のユニークチャーム。見た目通り盾として使えるこの機体は非常に高い剛性を誇る。しかし射撃兵装がガトリング形式の多銃身なので、整備に手間が掛かるという欠点もあった。

 

「時に梨璃よ。グングニルの整備にはもう慣れたのか?」

 

 ふと、楓との舌戦を終えたミリアムがそんなことを尋ねてきた。

 チャームを胸の前で大事そうに抱えた梨璃は、暫し考え込んでから返答する。

 

「はい、慣れましたよ。もう分解も清掃も組み立ても一人でできます」

「それはさっき見とったから分かっておる。そもそもグングニルは第二世代チャームで最も扱いやすい機体。何か月も経ってできんようでは困るぞ」

「うっ……」

「そうじゃな……そいつを扱うのなら、自力でのカスタマイズぐらいこなせるようにならねばのう」

「うううっ」

 

 鋭い突っ込みにたじろぐ梨璃。しかし彼女には一つ提案しなければならぬことがあった。故にたじろぎつつも、右手を上げて恐る恐る口を開く。

 

「あの~、私、ブリューナクを使ってみたいって思ってるんですけど」

「何? ブリューナクじゃと?」

 

 そこでミリアムの眉がピクリと動いた。

 

「お姉様とお揃いのチャームを持てたら素敵だなーって……」

「確かに、あれはグングニルの後継機と呼ばれるほど扱いやすいチャームじゃ。しかしパーツは高価で、メンテナンスもグングニルよりは難易度が上がる。現状で手こずってるようではのう」

「えーっと、無理、かな?」

「ムリムリムリのカタツムリじゃっ!」

「ひえーん……」

 

 泣きそうになりながらも助けを求めて視線を彷徨わせる梨璃だが、肝心のお姉様からは目を逸らされてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 小休止という名の団欒が過ぎていき、そろそろ出発時刻が近付いてきた頃合。

 ヒュージの出現反応がないためのんびりとしてきたが、あまり時間を掛けていては、野外行軍訓練が野営訓練と化してしまう。

 隊長として号令を出そうと、立ち上がってスカートの土を払い落としたところで、梨璃は思い出したように両手をポンと合わせた。

 

「そうだ! 私いいもの持ってたんでした!」

 

 皆の不思議そうな視線が集まる中、腰に付けていたベルトポーチからそこそこ大きな紙袋を取り出す。幾重にも厳重に包んだ袋に入っていたのは、小麦粉に牛乳や砂糖やバター等を混ぜて焼いた小さな物体。

 

「わっ、ビスケットですか? 美味しそうですねえ」

「うん、動物ビスケット。早起きして焼いておいたんだ」

 

 近くに居た二水が梨璃の手の上、広げた紙に所狭しと積まれた様々な形のビスケットを覗き込んだ。

 

「皆で食べるために作ったんです。たくさんあるのでどうぞ!」

 

 そう言って意気揚々と配ろうとする梨璃だが、くるりと振り向いた夢結から待ったが掛かる。

 

「梨璃、遠足やピクニックではないのよ」

「あっ、ごめんなさい、お姉様……」

「お菓子作りも結構だけど、これは訓練なんだから」

 

 お姉様に窘められ、眉を下げて分かりやすく落ち込む梨璃。

 学院の中ならまだしも、ここは敷地からそれなりに離れた山中なのだ。場所も実戦を想定して選んでいた。梨璃は今更ながら、はしゃぎ過ぎたと反省し始める。

 

「まあまあ、よいではありませんか夢結様」

 

 その場を取り成したのは神琳だった。

 

「ビスケットも元々は軍隊用・船舶用の保存食。であるならば、それを作って食すこともまた、行軍訓練の一環と見なせるのではないでしょうか?」

「まあ、貴方がそこまで言うなら」

「それに作戦中や訓練中の栄養補給も重要です」

「ええ、そうね」

「それに梨璃さんの手作りお菓子食べたいですよね?」

「ええ、そう……ん゛っ! ん゛ん゛っ! ……栄養補給にしましょうか」

 

 見事に事態を収めた神琳が静かに、しかしにっこりと梨璃に微笑みかける。するとつられて梨璃にも朗らかな笑みが浮かんできた。

 感謝の気持ちも込めて、梨璃はまず最初に神琳とその近くに居る雨嘉へビスケットの小山を差し出した。

 

「ふふっ。では私はこのワンちゃんのビスケットを頂きましょう」

「はい、どうぞ。これ神琳さんをイメージして作ったんですよ」

「あら、ありがとうございます」

「私、神琳は狐か狼だと思うな」

「雨嘉さん?」

「あ、私は兎を貰うね」

「あのっ、雨嘉さん? 私、何かしたかしら?」

 

 次に渡す相手は二水にミリアム、そして楓。

 

「私のはハムスターですかね。そう言えば昔、こんなキャラクターいましたねえ」

「わしはコアラか。……言っておくが、抱き付いてくるのは百由(もゆ)様の方じゃからな?」

「わたくしが蝶とは、分かっておいでですね、梨璃さん。ありがたく頂戴いたしますわ」

 

 厳密に言えば蝶は動物ではないのだが、そんなことを気にするわけもない。

 続いて梨璃は梅と鶴紗の方へ近付いていった。

 

「おー、梅と鶴紗は猫か。これヨモギっぽい緑色してるゾ。凝ってるなあ」

「私のは黄色。卵味?」

 

 そして最後に向かうのは、勿論一人しかいない。

 梨璃は静かに深呼吸して気合を入れ直してから、チャーム片手に黙って待ってくれている夢結の前に歩いていく。

 今日ビスケットを用意してきた一番の理由が、今この時この瞬間にこそあった。

 

「大したものね、梨璃。以前はもっと、お菓子作りが不得手だったはずだけど」

「いっぱい練習したんです。雨嘉さんに教えてもらったりして。前に作ったチョコレート、失敗しちゃったから……」

「あのことまだ気にしてたの?」

「気にするに決まってます! あんなに焦がしたのに、お姉様は全部食べてくださって。私、いつか絶対美味しいお菓子を作れるようになろうって決めてたんです」

 

 思いの丈を吐き出して少しだけすっきり梨璃は、ポーチの中から別の紙袋を取り出した。夢結一人のために用意されたその中には、猫を象ったビスケットが入っている。

 伸ばされた手に、夢結の親指と人差し指に挟まれたそれが宙にかざされた。

 

「私も猫なのね。色が黒いけど、ふふっ、また焦がしたのかしら?」

「違います! そういう色付けなんです! お姉様のは、お姉様の綺麗な黒髪をイメージしました」

 

 梨璃の説明を聞いた後、夢結は手に取ったビスケットをそっと口の中へ運ぶ。固形物となった小麦粉が割れ、嚙み砕かれる音がする。

 その間、梨璃は固唾を呑んで夢結の様子を見つめていた。表情は真剣そのもの。とてもじゃないが、お世辞や社交辞令は口に出せないと思わせるほどに。

 

「そうね……少し、硬すぎるように感じたわ」

「硬かったんですね? 硬い、硬い……う~ん、生地をかき混ぜすぎたのかなあ?」

 

 シルトの想いに応えたのか、夢結から出てきたのは正直な駄目出しだった。梨璃は梨璃で、それを真正面から受け止める。この調子ならば彼女の想いが実現するのは、そう遠くない日のことかもしれない。

 

「分かりました。次はきっと上手くできます。明日焼いてくるので、またお願いしますね、お姉様」

「明日? 貴方、そうやって私を肥え太らせるつもり? 毎日お菓子を食べさせて」

「ビスケットぐらいじゃ太りませんよう。それに、お姉様はもっと太くなってもいいぐらいです!」

 

 話が脱線し始めた。

 梨璃は何とか軌道修正しようと足掻く。無論、自身の望む方向へと。

 

「お願いします! 忘れない内に挑戦したいんです!」

「そう言われても」

「お姉様の言うこと何でも聞きますから、お願いします!」

「はあ……」

 

 あまりに熱心に頼み込まれるものだから、夢結の口から溜め息一つ。しかしその溜め息の後、首が縦に振られて了承の意が示された。

 ここだけ見れば、駄々を捏ねる子供と姉に映るかもしれない。そう、ここだけならば。

 

 

 

 

 

 リリィにとって学校生活は訓練や任務と両立できるものでなければならない。それは逆も同じことが言える。

 したがって、講義の受け方や単位の取り方は各人が柔軟に決めることができた。そんなリリィとしての事情を悪用するわけではないが、梨璃は皆がまだ講義を受けているであろう時間に、レギオン控室の中に居た。

 テーブルの上に置かれた平皿。そのまた上に並べられたビスケット。それに手を付けているのは勿論、夢結だ。彼女の場合、一年生の内に可能な限りの単位を取得していたので、訓練や任務が無い時は割と暇だった。もっとも、普段はその暇な時間の多くを訓練に費やしているのだが。

 

「……美味しい」

 

 まるで独り言のように、呟くように発した言葉。

 ソファに腰掛ける夢結の隣で、思わず飛び上がって喜びそうになる梨璃だが、すんでの所で握り拳を作るだけに止める。すぐ傍で菓子と紅茶を嗜む夢結の姿に、厳かな気品を感じていたからだ。少し大袈裟だが、呑まれていたと言っても良い。

 

「よかった、お口に合ったんですね」

「ええ。お世辞でも何でもなく、美味しいわよ梨璃」

「やった、やったー!」

 

 しかし、そこはやはり一柳梨璃。自然に口元が綻んで、遂には声を上げ歓喜に沸く。

 表情がころころ分かりやすく変わるシルトに、夢結もまた静かに目を細めた。

 

「これで目標、達成しちゃいました」

「そうね。本当に貴方の行動力には呆れるし、驚かされるわ」

「えへへっ。ありがとうございました、お姉様。それじゃあ約束通り、お姉様の言うこと何でも聞きますね」

 

 その言葉を耳にしたところ、夢結は首を回して梨璃の方へ向き直ってからパチパチと瞬きした。今の今まで忘れていた、と言わんばかりに。

 

「そんなことしなくてもいいわよ。私の方こそ美味しいお菓子をご馳走になったわけだし」

「でも、約束ですから! 約束は守らなきゃ駄目です! 何か仰ってください!」

「困ったわね。何かと言っても、すぐには思いつかないわ」

「本当に何でもいいんです。して欲しいこととか、ありませんか?」

 

 ソファに座ったままの梨璃が身を乗り出し、顔を近付けて迫るように問い掛けた。

 夢結は暫し黙考し、ふと隣の梨璃の顔を見て、何も語らずにまた考え込む。そうして暫くの間黙っていたが、やがて視線を左右へ頻繁に動かし出した。逡巡でもしているのだろうか。

 しかしこの後、梨璃は自分の耳を疑うこととなる。

 

「……犬」

「犬、ですか? 犬のビスケット焼きましょうか?」

「犬の鳴き真似」

「へっ?」

「犬の鳴き真似、してちょうだい」

 

 一瞬、時が固まった。

 

「え、え~っとお姉様? それはどういう意味なんでしょうか。私、どうにも鈍くって……」

「可愛く、犬みたいに鳴いてちょうだい」

「えっ、いやあの、それはちょっと……」

「横浜へ行った時に鶴紗さんにはしてたじゃない!」

 

 たじろぐ梨璃。

 だがこうも頼み込まれたら、たじろいでばかりもいられない。

 

「うー、うーっ」

「私も傍で、犬の梨璃が見たいのよ!」

「うーっ、うーっ! ……じゃあ、お姉様は猫ちゃんやってください」

「わっ、私?」

「お姉様が猫ちゃんやってくれたら、私もワンちゃんやりますからっ!」

 

 もはや自分でも何を言っているのか、よく分かっていないのかもしれない。一度互いに頭を冷やすべきなのだろう。

 しかし、夢結が頷いて条件を呑んだため、後戻りできなくなってしまった。

 

「……わん」

「……にゃー」

「わん、わん」

「にゃーにゃー」

「わん、わん、わん、わん!」

「にゃーにゃーにゃー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「控室だと思ったら動物園じゃった。わしの頭がおかしくなったんじゃろか」

「ミリアムさん、ドアの前に立たれたら入れないんですけど」

「……おお、我が終生のライバル楓よ! これから訓練場で決闘といこうではないか!」

「ちょ、何なんですの! 押さないでくださいな!」



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アネモネ (夢結×梨璃)

本作は短編集なので、一応各話独立した話になっています。


 頭に濃緑の草を這わせている切り立った岩肌。その狭間から、銀色に鈍く煌めく巨体が姿を現す。

 丸みを帯びた胴体から太く短い四つ足を生やし、二本の腕は丸太の如き威圧感を放っている。動き自体は機敏ではないのだが、何せサイズが違う。全長は優に10メートルを超えるだろう。故に一歩一歩が大きいので歩みが速く感じる。その巨体が合計で三体、並び立つ岩の狭間を抜けて横一列になった。

 ラージ級ヒュージ。それが巨体の正体だった。

 そしてそんなヒュージに相対するのは九人の少女。レギオン一柳隊のリリィたちだ。

 

「お姉様」

 

 レギオンの最後方で、憂いを帯びた一柳梨璃(ひとつやなぎりり)が小さく呼び掛けた。

 だが梨璃の声が届くことはない。呼び掛けられたその人は、レギオンの最前列で敵と対峙しているのだから。

 

「こっ、攻撃、きます!」

 

 悲鳴にも似た叫びが耳に入り、梨璃は遠のきかけていた意識を引き戻す。

 梨璃と同じく最後方に布陣する二川二水(ふたがわふみ)が、赤い輝きを湛えた両目で前方を凝視している。戦場俯瞰のレアスキル『鷹の目』の力を行使したのだ。

 ヒュージの背部左右に生えた第三・第四の腕は指先が太い管となっている。その管の中から、白煙と共に飛翔体(ミサイル)が飛び出した。大気を突き破り高空に達した後、三十もの飛翔体は山なりに向きを変えて地上へと落下する。狙いは無論、一柳隊である。

 

BZ(バックゾーン)! 対空迎撃!」

 

 今度は隊の中央から、凛とした声が響く。鋭角的で流麗なフォルムのチャームを構えた(かえで)J(ジョアン)・ヌーベルが、一柳隊の司令塔が指示を飛ばしたのだ。

 梨璃を含むBZの四人が各々のチャームを空へと向ける。その中でも際立っていたのは、長銃身のライフルを思わせるチャーム『アステリオン』。流れるように弾丸を数発発射すると、同じ数のミサイルを漏れなく撃ち落としていった。

 梨璃にそのような芸当はできないため、訓練での指導通りに弾幕形成を試みる。チャーム『グングニル』をシューティングモードで構え、銃口に発砲炎を灯してばら撒くように連射した。

 

「重いっ」

 

 絶え間なく襲い来る射撃の反動で、梨璃の腕にいつも以上の負荷が掛かる。しかし休めるはずもなかった。弾倉が空になったグングニルを前後逆に構え直し、機体後部のスリットからレーザーを奔らせる。

 その甲斐あって、空に舞っていた飛翔体を見事に全滅させた。自分が幾つ墜としたのかは分からない。そんなことよりも、梨璃は遠く前方で走りゆく後ろ姿に目を凝らす。

 艶やかな黒髪を靡かせて突き進む少女の横合いから、新たなヒュージが迫る。

 球状の体に、かぎ爪状の脚を三本持つミドル級のヒュージだった。ミドル級とは言え、全高は3メートルにも達する。それが十体余りも。

 

「お姉様!」

 

 思わず叫び、チャームをかざす。だが誤射を恐れて引き金に掛けた指が止まってしまった。

 迷う。

 そして迷っている内にミドル級ヒュージの脚が振り上げられて。

 伸びてきた光の奔流に呑まれ、砕かれ、爆発四散した。ヒュージの方が。

 

夢結(ゆゆ)様、援護します」

「ええ、行きましょう鶴紗(たづさ)さん」

 

 右肩に短砲身のチャームを担いだリリィが前に出る。砲は瞬く間に剣へと形を変えて、ラージ級の盾と化したミドル級へ操者と共に突っ込んでいく。

 薄く透き通った金糸のようなポニーテールを靡かせて、ヒュージの眼前に飛び込み一閃。着地と同時に、逆袈裟で別のヒュージに一閃。遅れて巻き起こった二つの爆風に、リリィの小柄な体が包み込まれる。

 その時、迎え撃つミドル級の胴体が上下に割れた。中から伸びてきた無数の触腕はさながら黒い槍のようで。炎と煙に巻かれたリリィ目掛けて一斉に襲い掛かる。

 ところが、ミドル級の反撃は全て空を切った。

 金髪のリリィはまるで先々の展開が読めているかの如く、極太の触腕を紙一重で回避して、剣の切っ先を敵の下腹部に刺し込んだ。

 この時点で、ヒュージ側の隊列は意味を成さなくなっていた。

 

「鶴紗さんは一度下がって、(まい)様は前進してミドル級の残敵を! 夢結様、大物はお願いしますわ!」

 

 楓の指示に従いレギオンが動いていく。

 梨璃は可能な範囲で援護射撃に徹しつつも、その様を憧憬と焦燥に挟まれた心で見入っていた。

 視界の先で、長い黒髪が再び翻る。遠く離れていても見逃すはずがない。

 ラージ級の一体へ、黒髪のリリィが瞬く間に懐へ入り込むと、振り上げられたチャームの刃が巨体を切り裂く。堪らず膝を突いてよろけたヒュージに、至近距離から銃口が向けられた。先程つけられたばかりの裂傷へ、続けざまに三発。

 それで十分だった。下腹部から青の体液を滴らせ、ちょっとしたビルにも匹敵する体躯がその機能を完全に止めた。

 

「夢結ッ! 次くるゾ!」

 

 猛進からの連続射撃で、生き残りのミドル級を的確に仕留めていた梅が吼えた。

 二体目のラージ級が敵討ちとばかりに剛腕を振るう。横薙ぎにされた大地は表面が抉れ、土や草花が宙を飛ぶ。

 ところがそこには誰も居ない。

 代わりに、ラージ級の天辺よりも更に高く、太陽を背にして舞う人影が。

 ヒュージ背部のミサイル管から放たれた凶弾を潜り抜け、チャームの無骨な刃が巨体を上から下へと叩き切る。

 あっという間に二体。

 そこから先は消化試合だった。

 

 

 

 

 

「いや~、終わってみれば早かったですねえ」

 

 校舎の廊下を進みながら、肩の力が抜けたような調子の二水が隣の梨璃へと声を掛ける。

 恐らくは静岡方面から、ケイブを通って侵入してきたヒュージの一団が補足されたのが今朝のこと。一柳隊に出動命令が下り、学院保有のティルトローター機で百合ヶ丘西方に赴き、任務を達成した後またこうして学院に戻ってきていた。

 

「ヒュージの数、思ってたより少なかったよね」

「ラージ級が三体にミドル級が十五体。それだけしか送り込む余裕がなかったんでしょう」

 

 当初の見積もりよりも実際の敵戦力は少数であった。あの程度であれば、一柳隊なら苦もなく相手にできる。

 ヒュージの等級というものは、外見のサイズによって大まかに決定されていた。無論、同じ等級といえどもその脅威度はピンからキリまで。ギガント級に匹敵するラージ級も存在すれば、異質な能力でどんなヒュージよりも厄介足り得る()()なるものも確認されている。

 ただ今回はそういった稀なケースには当たらず、危なげなく学院に帰還できていた。

 

「それにしてもBZの我々はともかく、夢結様と梅様のお二人は流石です! 何というか、動きからして格が違いました! それに楓さんの戦闘指揮も本当に的確で……やっぱり気配りの人ですね!」

「うん、そうだね」

「あと、今回は鶴紗さんも凄かったです! レアスキルの力もあったんでしょうけど。夢結様や梅様についていけるのは、うちでは鶴紗さんぐらいですよ」

「そう、だね」

 

 隣を歩く梨璃の心情をよそに、二水が興奮して熱弁を振るう。

 一方の梨璃は『心ここに在らず』といった様子で、戦闘終了直後に目にした光景を思い返していた。

 

 

「鶴紗さん、ありがとう。おかげで助かったわ」

「いえ……」

「何だ何だ鶴紗ー。美人の先輩たちに褒められて照れてるのか~?」

「梅、揶揄わないの」

()()じゃない。梅様は入ってないからな」

 

 

 そんな一連のやり取りが、梨璃の頭の中でぐるぐる回る。

 どうしてあの時、輪に加わらなかったのか。遠巻きに立ち尽くしてしまったのか。いつも通りに笑顔を向ければよかったのに。

 しかし、ここで考えていても始まらない。

 もやもやを振り払うために、梨璃は廊下の真ん中で立ち止まる。

 

「二水ちゃん、やっぱり先に帰ってて。私はお姉様たち待ってるから」

「えっ? あ、はい。それじゃあお先に」

 

 踵を返して来た道を戻り始める梨璃。向かうは一柳隊のレギオン控室。

 レギオン全体での反省会の後、更にポジションごとに反省点を話し合っていた。今回、BZの課題はそう多くない。せいぜい乱戦時の位置取りと、各人の射撃精度を向上させる点ぐらいだろう。

 故に、梨璃たちBZのメンバーは一足先に控室を去っていた。今から戻ればまだ会えるかもしれない。

 期待を胸に、走り出しそうな衝動を抑え、早歩きで校舎を行く。

 次の角を曲がって直進した先に目的地がある。早速曲がろうと顔を覗かせたところで、梨璃はお目当ての人物を視界に捉えた。

 腰まで届く黒髪のリリィ、白井夢結(しらいゆゆ)がこちらの方を向いて立っている。その手前、夢結と向かい合っている金のポニーテールは安藤鶴紗(あんどうたづさ)

 

「もう終わったんですか? 途中までご一緒させてください」

 

 そう言って夢結のもとへと出ていくはずだった。

 しかし実際は声を上げられなかったし、曲がり角からも動けなかった。

 背の高い夢結の上体が前に傾き、顔の高さが鶴紗と重なる。右手が鶴紗の頬に添えられ、二人の距離は更に縮まっていき――――

 

「……っ!」

 

 弾かれたように、梨璃の体は向きを変えていた。

 

 

 

 

 

「はあ? 何かの間違いじゃないのか?」

 

 旧校舎横の木陰で昼寝を決め込んでいた梅が、梨璃に起こされ気だるげな声を上げた。

 初めは寝惚け眼で、次第に訝しむような表情になり、しかし真剣に後輩の訴えを聞く梅。

 

「夢結と鶴紗がチューしてたとか、あの二人に限ってそんな……」

 

 そう言いかけたところで梅の口が止まり、ややあって再び動く。

 

「まあそれはそれとして。仮にチューしてたとしたら、梨璃は何で腹を立ててるんだ?」

「腹は立ててませんけど! だけど、おかしいじゃないですか。女の子同士でキッ、キスなんて」

 

 勿論、海外からの留学生が多い百合ヶ丘ではそういった行為による挨拶も珍しいものではない。だがあの二人は日本人だし、あの時のアレは決して挨拶などではない。遠目からだったが、梨璃にはそう断言できた。

 

「うーん、じゃあ、何でおかしいって思うんだ?」

「何でって……」

「理由がないとおかしいなんて思わないだろう」

 

 梅の至極当たり前な疑問に対して返答に窮した。

 百合ヶ丘に入る前は、()()()()()()だと深く考えることなく思っていた。入った後も、自分には無縁なものだと思っていた。女の子同士の関係が存在すると知識で知ってはいたが、身近に降りかかることはなかったのだ。あるいは単に梨璃が認識してなかっただけかもしれないが。

 

「……昔。昔テレビで偉いおじさんが言ってました! 『非生産的な』って!」

「そりゃいつの話だ……。まあそういう考えもないわけじゃないが」

 

 梅は腕組みして考え込む。少しの間唸っていたが、やがて昼寝の体勢から勢いよく起き上がり、梨璃をその場から連れ出した。

 旧校舎を横切り、新校舎へ。

 新校舎の中に入って辿り着いた一室は、梨璃もよく知る部屋だった。

 

「というわけで、専門家に助っ人を頼んだゾ!」

「専門家ではないのですが……」

 

 床の上の絨毯に車座となって腰を下ろしている一同。部屋の主の片割れである郭神琳(くおしぇんりん)が困ったような笑みを浮かべる。

 梅から事情を聞くと、神琳もそのルームメイトの王雨嘉(わんゆーじあ)も二つ返事で相談に応じてくれた。

 

「もう一度確認しますが、梨璃さんは女性同士でお付き合いしていることに異議がある、というわけですね?」

「はい」

「では、お二人が本当に好き合って関係を持たれたとしても、梨璃さんは反対しますか?」

 

 そう質されて、梨璃ははたと気付く。これではまるで、自分が二人の幸せを妨げているみたいだと。

 神琳の語気は決して強くなく、むしろ穏やかなぐらい。それでも梨璃は責められているような心地に陥る。

 

「自分たちの想いを、よりにもよって梨璃さんにおかしいとか非生産的とか言われたら、きっと夢結様も鶴紗さんも悲しい気持ちになりますよ」

「けど、だって! 私そんなつもりじゃ……」

 

 本当に相手を慮っていたかというと、否である。その自覚があったからこそ、梨璃の言葉は尻すぼみになっていく。

 

「落ち着いて梨璃。女の子同士で好きになっても何もおかしくないよ。背の高い人が好きとか、明るい人が好きとか、そういうのと同じことだから」

「全然違うよぉ!」

 

 それまで神琳と梨璃の様子を窺っていた雨嘉がフォローを試みた。しかし効果は無く、かえって混乱させるだけ。

 以前はこんな風に悩むことなんてなかったのに。楓や亜羅椰(あらや)に迫られた時でも、こんなことを考えたりしなかったのに。

 それとも、これが自分の本性。自分はこんな嫌な子だったのか。梨璃は自問する。

 

「そうですね。それでは私事(わたくしごと)で恐縮ですが――」

 

 神琳がそんな前置きをした。

 

「私、雨嘉さんとキスをしてます」

「神琳!?」

「それも一度や二度ではありません。勿論挨拶でしているわけではないですよ」

「ちょっと神琳! 何言ってるの! 神琳ってばぁ!」

 

 横から雨嘉に肩をガクガクと揺らされる神琳だが、お構いなしといった調子で告白を続ける。

 一方で梨璃は突然のことに反応できない。隣の梅に視線をやると、「知ってた」と言わんばかりに平然としていた。

 

「キスの後は、一糸纏わぬ姿でお互いの体に触れ合っています。愛し合っているんです」

 

 もはや雨嘉は神琳の口を閉じさせるどころではなくなっていた。両手で顔を覆い、耳たぶまで真っ赤に染まっている。

 

「梨璃さんはこんな私たちのこと、気持ち悪いと思いますか?」

「……思わないよ。びっくりしたけど、そんなこと思わない」

 

 梨璃は話の意図を量りかねていた。それでも感じたままを言葉にして紡いでいく。

 

「でしたら、もし夢結様が鶴紗さんか他のどなたかと、そのような行為をなさったら?」

「それはっ、嫌」

「何故でしょうか?」

「分からない。分からないけど、嫌なんです。苦しいんです。鶴紗さんは確かに綺麗で、可愛くて、頼りになるけど。でもお姉様とだなんてっ」

 

 あの時の光景の続きが梨璃の頭の中で展開する。

 二人が見つめ合って。唇がゆっくりと重なって。

 部屋の中に二人きり。何も纏わず。大切な宝物を引き寄せるように抱き合って。

 そこから先は無理だった。頭がぐちゃぐちゃになって、胸の奥がひりひりと痛む。

 

「おそらくそれは、独占欲という感情でしょう」

「独占? 私が、お姉様に?」

 

 神琳にそう指摘されるものの、梨璃は首を傾げる。

 確かに、お姉様に構ってもらえず寂しい思いをする時もあった。しかしそれが恋愛感情によるものだと考えたことなどなかった。これまでは。

 

「私、お姉様をそういう風に見てるんでしょうか? だからお姉様と鶴紗さんのことを、あんな、おかしいだなんて……」

「それは梨璃さん自身にしか分かりません。あるいは、いっそのこと夢結様に思ったままを打ち明けてみては?」

「えっ、でも、いきなりこんな話されてもお姉様困るんじゃないかな。嫌がられたりするかも」

「ふふっ、お困りにはなるでしょうが、嫌がられるようなことはないと思いますよ。私の見立てではありますが。一応これでも、専門家らしいので」

 

 胸の()()()こそ取れないが、梨璃は徐々に落ち着きを取り戻していた。心の内を聞いてもらったおかげか、はたまた神琳の話術の賜物か。

 落ち着き、いつもの調子が戻って来たなら、梨璃本来の物怖じしない性分が発揮される。

 

「お姉様とお話してみます。本当にお姉様と、そんな関係になりたいのかは分かりませんけど。でも、あの廊下でのこと確かめないと! 先に進めませんから!」

 

 最初からそうすれば話は早かったのだが。

 しかし気が動転していたのもあるし、初めて味わうような例えようのない不安もあった。

 結局、相談という儀式が必要だったのだ。信頼できる隊の仲間がいるなら尚更に。

 

 

 

 

 

 梨璃が皆に礼を言って飛び出した後、梅と神琳もまた部屋を離れていた。

 二人が向かったのは、もう片方の当事者の所。

 

「夢結様と廊下で? ……ああ、そう言えば目に入ったゴミを取ってもらったけど」

 

 突然現れて奇妙な質問をしてくる先輩と同輩を前に、鶴紗は怪訝そうに目を細めながら答えた。

 

「やっぱりだ。そんなことだろうと思ったよ」

 

 そう納得すると、梅は未だしかめっ面でこちらを見てくる鶴紗に一部始終を説明してやる。

 

「何だそれ。てか、私や夢結様に聞けば済むのに」

「まあそうなんだけどな。いつかまた似たようなことがあるかもしれないから、この際梨璃本人にはっきりさせようって思ったんだ」

「だからって、そんな面倒臭いことを」

 

 鶴紗の怪訝な顔は呆れ顔へと変わっていた。そこまでする必要性を感じなかったのだろう。

 とは言え、必要性を感じていた人たちは今回の結果に満足しているようで。

 

「梅は上手くいくって最初から分かってたゾ」

「ですが梅様、内心不安になられていませんでした?」

「おお、流石リンリンだな。実はちょびっとだけ冷や冷やしてた」

 

 神琳の推測を、梅はあっさりと認めた。

 実際、夢結と梨璃の破局は考え得る最悪の結末だろう。結果的にそんな事態にはならなかったが、()()という言葉が通用しないのが人の心というものだ。

 もっとも、梅と神琳の態度を見るに、限りなく絶対に近い賭けだったようだが。

 

「それよりも、リンリンがいきなりぶっちゃけたことの方が驚いたゾ。ワンワンは大丈夫なのか?」

「ええまあ。かねてから一柳隊の皆様にはお話ししようと、雨嘉さんとは決めていたんです。想定とは随分違う形になりましたが。ですがあの場では必要な行為だったと、その内雨嘉さんにも分かって頂けるはずです」

 

 淀み無い返答に、梅は取りあえず表面上は心配するのを止めた。

 何にせよ、これで梨璃たちに関しては上手く事が運ぶだろう。

 梅たちは一先ず解散することにした。

 

()()()がすぐに来るといいけどな」

 

 憮然とした鶴紗の危惧だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンリン! 昨日はサンキューな! 梨璃の奴、いつもみたいに戻ってたよ。上手くやったんだろう」

「そうですか。それは重畳」

「どした? 浮かない顔して、何かあったのか?」

「あれから、雨嘉さんが口聞いてくれないんです」

「あっ……。まあ、そういうこともあるさ」

「…………」

「梅の肩で泣くか?」

「はい……」

 

 鶴紗の「それ見たことか」という顔が思い浮かぶようだった。




ラスバレOP、謎の神×梅の真相。



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アクアリウムの日 (弥宙×辰姫)

 広場の真ん中にどっしりと構える噴水が、辺りに無数の滴を降らしている。それは霧のようでもあり、清涼感を与えていた。生憎と今は冬なので、喜ぶ者は少ないが。

 そんな鎌倉市街の中心部を、白いブラウスの上から黒のコートを纏った金箱弥宙(かなばこみそら)は早歩き同然の速さで歩く。小柄な体躯に見合った小さい歩幅で。しかし惑うことなくぐんぐんと。背中で左右二つに纏めた灰色の髪が軽く揺れていた。

 弥宙が意志の強そうなツリ目を左右に動かし周囲を見渡す。

 朝のピークこそ過ぎたものの、街の中心だけあって未だ人の数は多い。

 だが混雑の中にも、お目当ての人物は割と早めに見つかった。

 目立つからだ。良い意味で。

 

 ドクン――――

 

 小さな弥宙の心臓が鳴った気がした。

 その少女は色素が薄く淡い空色をした髪を、細く編み込み左右に垂らしている。すらりとした長身に、ブラウンのオーバーコートの上からでも分かるスタイルの良さ。

 学院でもそうだが、街の中でもやはり目立つ。

 しかしながら、目立つのが良いことばかりだとは必ずしも言えないわけで。

 

「ねえお姉さん、今時間あるかな? 駅前に良いお店があるからよかったら――」

 

 少女に声を掛けたのは、更に背の高いショートカットの女の人だった。大学生ぐらいだろうか。テニスかラクロスでもやっていそうな清々しい印象の女性だ。

 

「……っ! あっ、いや……」

 

 声を掛けられた方はというと、まるで喉を詰まらせたかのような酷い反応。相手に目も合わせていない。

 いくらナンパが相手でも、これはないだろう。

 だが彼女にも彼女の事情がある。

 

「はぁ」

 

 遠目で一部始終見ていた弥宙は溜め息を吐き、それから足早に現場へと向かう。やはり急いで来て正解だったと思いながら。

 

「すみません、そいつ私の彼女なんですよ」

「えっ……あっ、ごめんねぇ!」

 

 弥宙に話し掛けられた女性は最初こそ驚きはしたが、意外なほどあっさりと引き下がった。早々と広場から退散し、その途中、こちらに爽やかな笑顔をして手まで振ってきた。

 引き際が良い。モテる女性はあんなものなのかと弥宙は感心する。

 一方で、街頭時計の柱を背もたれに立っていた件の少女は弥宙と目が合うや否や、パッと顔を輝かせて近寄ってくる。

 

「弥宙っ! 待ちくたびれたわよ!」

「まだ15分前だけど。そういう辰姫(たつき)は早いわね」

「エスコートするんだから当然よ」

「だったら『今来たところ』ぐらい言って欲しい」

「そういうものなの?」

「そういうものよ」

 

 森辰姫(もりたつき)。弥宙と同じチャーム技術者アーセナルであり、同じレギオンに所属するリリィでもある。

 辰姫は少しの間だけ首を傾げていたが、すぐに気を取り直して弥宙の左腕を掴む。

 

「そんなことより早く行きましょ! せっかくの非番なんだから!」

 

 非番にすることと言ったら大抵の場合、工房で一日中チャームを弄るか、各ガーデンの戦術論文をチェックするぐらいだろうか。

 だからいざ街に繰り出しても、弥宙にはすぐに行き先が思い浮かばない。今日は辰姫に予定を任せているが、彼女も事情は似たり寄ったりじゃないかと思う。

 それでも当人は自信があるのか、噴水広場に背を向け軽い足取りで前へ進む。弥宙とがっちり腕を組んで。

 身長差が10センチはあるので、少しだけ窮屈な体勢となっている。だが辰姫の方は気にならないようだ。「まあ、いいか」と弥宙も気にしないことにした。

 ただ周囲の視線を集めている点だけは、どうにも開き直れなかったが。

 

「今日は曇ってるわね。でも安心していいわよ、弥宙。そんなの関係ない所に連れてってあげるから」

「へえ、意外。何か屋外で遊ぶとこかと思ってた」

「そんなの街に来た意味ないじゃない」

「それもそうね」

 

 先程のお姉さんとのやり取りとは打って変わって、辰姫の口は止めどなく言葉を流している。

 同じレギオンの仲間内ではこうなのだ。それ以外との落差は極め激しい。これは彼女の強化リリィとしての出自が大きく関係していた。

 だが何にせよ、辰姫はお喋りが嫌いなわけでも人と遊ぶのが嫌いなわけでもないのは確かなことだ。

 

「ねえ弥宙ったら! 辰姫の話聞いてるの?」

「ちゃんと聞いてるわよ」

「それでね、滑川の主とやらを釣ろうと思ったんだけど、辰姫のお眼鏡に適う大物は居なかったわけ。次は境川にでも行ってみたいわね」

「それ、辰姫が見つけられなかっただけでしょ」

「そんなことないわ!」

 

 話しながらも、弥宙は横目で隣を見る。

 透き通った白磁の肌の、西洋人形みたいな整った顔立ち。薄っすらと桜色をした唇から、時折、八重歯が頭を覗かせる。大人っぽい容姿と子供っぽい仕草のアンバランスが、彼女の魅力を引き上げていた。

 

(私たち、付き合ってるんだよね……)

 

 弥宙は表面上何でもない風を装いながら、その事実を熱っぽい頭で噛み締める。熱があるのを辰姫が引っ付いているせいにして。

 二人が交際を始めた切っ掛けだが、特段何か劇的なイベントが絡んでいるわけではない。ただ何となくそういう雰囲気になって、交際を提案したら了承されたのだ。ちなみに提案したのは弥宙の方である。

 

「ほら着いた。ここよ、ここ」

 

 暫く歩いたところで、辰姫が左手で前を指差した。

 市街中心部から外れた場所に、フェンスで囲まれた二階建ての大きな建物がある。実際に訪れたのは初めて。しかし弥宙はそれのことをよく知っていた。

 

「水族館か」

「そうよ。ここなら天気なんて関係ないでしょ?」

 

 その水族館、元々は江ノ島にあったものを、ヒュージから逃れるために鎌倉市街へ移転させたという経緯がある。

 客の入りはそこまで多くないらしい。だが生態系の保護という名目で国から助成が出ているため、経営が逼迫しているわけではないのだとか。事実、ヒュージの出現により人目から消えてしまった生物を、ここを始めとした水族館でなら見ることができた。

 しかし、何故水族館なのだろう。弥宙にとって水棲生物と言えば、ヒュージ出現の前と後での海洋生態系の変化とか、そういった学術的な話ぐらいでしか興味はない。

 辰姫は釣りが好きだ。魚が好きだ。もしかしたら、自分が好きなものを恋人にも好きになって欲しいと、そう考えてくれたのだろうか。

 

「ふふっ」

「急に何? 笑ったりして」

「いや、いじらしいと思ってね」

「んー? ……変な弥宙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 館内に入ってみると、休日だけあって流石に人は少なくない。子供連れやお年寄りやカップルなど、展示スペースのあちらこちらに人の影がある。

 

「ここはね、クラゲとイルカが見物(みもの)なのよ。イルカはショーが昼過ぎにあるから、先にクラゲとか他の魚を見ましょう」

 

 そう言って辰姫は弥宙の腕を引っ張りどんどん先に進んでいく。

 辿り着いたのは大部屋。中央に無色透明のガラスが巨大な円筒状に張られ、その中で数十匹というクラゲが緩やかに浮遊するかのように泳いでいる。

 傘が大きい者に小さい者。触手が長い者に短い者。白色以外の、鮮やかに着色された種も珍しくなかった。

 

「ねえ弥宙、来てよかったでしょ? 辰姫に感謝しなさいよ」

「はいはい」

 

 水族館に来てよかったとは特別思わない。だが辰姫と来てよかったとは思っているので、おどけた調子で頷いておいた。

 それからも、二人は様々な展示を回る。

 中でも弥宙の興味を引いたのは、熱帯魚のコーナーだった。一般的に小型種ばかりイメージが沸く熱帯魚だが、そこでは80センチに達しようかという太く長い魚が存在感を放っていた。

 

「弥宙、知ってた? このウツボみたいな奴も熱帯魚なの」

「ウツボって、あのねえ……。ハイギョでしょ。えっーと、プロトプテルス、アネクテンス。依奈(えな)様が好きそうな奴だ」

 

 弥宙は自分たちの一つ上の先輩であり、所属するレギオンの司令塔でもある気さくな少女を思い浮かべる。

 番匠谷依奈(ばんしょうやえな)は水槽で生き物を飼うのが好きだった。とりわけ熱帯魚が好みらしい。レギオン控室にも水槽を持ち込んでいた。場所が場所だけに、世話の手間が掛からないものだったが。

 

「こっちこっち! これサメよ! 水槽でサメ飼うとか、いい感じにイカれてるわね! 辰姫は好きよ!」

「イカれてるとか言うんじゃありません」

 

 興奮気味に騒ぐ辰姫の前には大型水槽。中には体長1メートルを超す大型魚。黒い体色と平べったい頭が特徴のベステルチョウザメである。

 辰姫はこのサメが余程気に入ったらしい。水槽にじっと張り付いて見つめている。

 ところが当のサメには気持ちが通じなかったようで、そっぽを向かれてしまう。すると辰姫もまた興味を失ったのか、水槽から離れていった。

 

 そんな風に一通りぶらついた後、二人は館内にあるカフェテリアで休憩を取ることにした。

 

 意外にも、他の客の姿はまばらだった。昼にはまだ早いせいか。

 弥宙と辰姫も今はドリンク以外のものは頼まずに、目立ち難い隅っこの席でお喋りを始める。

 

「そう言えば、何でまた水族館なの?」

「へっ、何が?」

「だって、辰姫は人混みが苦手でしょうに。魚を見るなら海や川とかでもいいはずよ」

 

 入館する前からずっと気になっていたことを今更尋ねてみる。憶測はしていたが、それはあくまで憶測に過ぎない。それも自分に都合が良い類のものだ。

 

亜羅椰(あらや)が言ってたのよ。恋人には自分の好みばかり押し付けちゃいけないって。相手の好みに合わせることもしなさいって」

 

 辰姫が胸を張ってそう答えた。

 遠藤亜羅椰(えんどうあらや)は二人とレギオンを同じくするリリィ。辰姫のルームメイトでもある。

 百合ヶ丘でも屈指のプレイガールとして知られ、その手の浮名には事欠かない。

 だがそれは、亜羅椰という人間を表す一面的な物の見方に過ぎないことを弥宙は知っている。故に彼女がそんなアドバイスをしていても驚かなかった。

 亜羅椰のことを、弥宙は信頼している。

 しかし同時に、少しだけ複雑な感情も抱いていた。

 

「辰姫に粉をかけたのだけど、見事にフラれてしまいましたわ」

 

 以前、そんな話を亜羅椰本人から聞かされた。弥宙と辰姫が付き合い始めるよりも随分と前のことだ。

 その時の亜羅椰は肩をすくめ、いつものような軽い調子だった。

 亜羅椰は本命が別にいるが、本命以外に対していい加減かというと、そうではない。だからこそ彼女はモテるのだ。

 正直なところ、弥宙には亜羅椰と色恋事でやりあって勝てる自信はなかった。こればかりは自分の得意な戦術論やチャーム捌きのようにはいかないだろう。

 弥宙のコンプレックスである子供体型とは対照的な、大人びたスタイルと容姿。かつて強化リリィの副作用に苦しむ辰姫を支えたような、仲間を気遣う思いやり。そして何より、好意を相手に伝える積極性。

 そんな魅力的な女性が恋敵にならず、弥宙はホッとしていた。情けない話だが。

 

「……やっぱり、辰姫の好みでしょ。私は水族館なんて――」

 

 内心の葛藤をおくびにも出さず更に問うと、辰姫が驚いたように瞬きして口を開ける。

 

「だって弥宙、言ってたじゃない。依奈様の水槽見て『これ可愛いですね』って」

 

 言われて、はたと思い出した。

 先月か先々月か、ひょっとするともっと前だったかもしれない。

 本当に何の気なしに、レギオン控室で偶然目に付いた熱帯魚を見てそう呟いたことがあった。今の今まで本人すら忘れていたぐらい、弥宙にとっては些細な発言だったのだ。

 それを辰姫は覚えていて、今日この日のために連れてきてくれた。それぐらい彼女は弥宙のことを見ているし、言葉を聞いている。

 弥宙はすぐには返事ができなかった。

 

「あのさ」

 

 ようやく弥宙の口から出てきたのは、少しばかり流れを遡った話であった。

 

「恋人なんだから、こういう時ぐらい我儘を言ってもいいと思うわ。自分の好みを押し付けても。勿論、普段からそれじゃあ困るけどね」

「分かったわ、それなら次は辰姫の好きな川に行きましょう。辰姫は弥宙の恋人なんだから。今日は弥宙の好きな水族館よ。弥宙は辰姫の恋人なんだから」

 

 話を纏めて満足したのか、辰姫は口角を持ち上げ笑みを浮かべる。笑みはだんだんと深くなって、しまいには鼻歌までも加わった。(きた)るその日のことを思い浮かべているのかもしれない。

 だが一方で、弥宙の頭の中では思考が錯綜するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車窓から夕日の赤が差し込んでくる中、一両編成の電車が山間に伸びるレールの上を進んでいる。

 電車の振動に揺られながら、座席に座る弥宙は沈黙を保っていた。

 あれから、水族館でのカフェテリア以降、弥宙の中では一つの思いが巡り回っていた。昼食の間も、午後のイルカショーの間も、面には出さなかったが。

 しかし辰姫には気取られていたかもしれない。現に今も、隣に座る彼女は珍しく無言だった。

 自分たち二人しかいない車内の空間が、微妙な空気をより際立たせているようだ。

 やがて、学院付近の鎌倉駅で電車を降りた時、辰姫が前を行く弥宙の袖を引っ張った。

 

「弥宙は、詰まらなかった?」

 

 他に誰も居ないホームで。

 後ろを振り返った弥宙は真顔の辰姫を目にする。それは努めて表情を隠しているようにも見えた。

 

「弥宙、昼からあまり楽しそうじゃなかったから」

 

 やはり気付かれていた。

 どうやら自分は自分で思っていたよりも器用ではないらしいと、弥宙は内心で自嘲する。

 

「別に、詰まらなかったわけじゃない。ただ考えてたのよ。私は周りが見えていなかったって」

 

 そう言われて、辰姫は不思議そうに弥宙の瞳を覗き込む。

 

「私は樟美(くすみ)のことも(いち)のことも皆のことも、勿論辰姫のことも見ているつもりだったわ。でも実際はそうじゃない。辰姫が私を見ていることを、見ていなかった」

「えっ……?」

「だから悔しいのよ。私が辰姫を……好きって証明できるものが無くなった気がして」

 

 それは弥宙にとって自負だった。

 戦場では時に依奈に代わって司令塔を務め、学院では仲間の抱える問題に気を配る。それらを為すための観察眼。その点においてだけは、亜羅椰にも他の者にも負けないつもりだった。

 大袈裟な話かもしれない。だが理屈屋の弥宙にとっては譲れなかったのだ。

 

「弥宙は辰姫をよく見ているわ」

 

 電車が走り去り、背中へ直に夕日を浴びた辰姫が弥宙の弁を否定する。

 

「弥宙は辰姫のマギがおかしくなって苦しかった時、名前を呼んでくれた。手を握ってくれた。傍に居てくれた」

「でもそれは、私だけじゃない。皆だって気を遣ってくれたし、亜羅椰だって」

「辰姫は弥宙の顔と声を一番よく覚えているわ。辰姫が見ていた弥宙は、ずっと辰姫を見てくれた。だから弥宙は辰姫のことが好きなのよ」

 

 夕焼けに照らされた辰姫の髪がキラキラと輝いて、透き通った白い肌に影が差す。

 美しい。

 そんな美しい辰姫が自信を持って言い切るものだから、弥宙もまた己の感情に自信が湧いた。

 

「私は辰姫が好き。一生懸命お喋りしてるところが、バカ騒ぎして笑ってるところが好き」

「辰姫は弥宙が好きよ。辰姫のこと見てるところが好き。辰姫を好きなところが好き」

 

 弥宙は一歩前に踏み込んで、自分より大きい辰姫を包み込むように抱き締めた。

 鎌倉駅は危険区域の一角なので、関係者以外の出入りは基本無い。その事実に感謝して。

 首を傾け見上げたら、相手もまたこちらを見下ろしていた。

 弥宙が背伸びしたせいか、辰姫が屈んだせいか。どちらが先かは分からないが、互いの唇が重なった。

 

 ただちょっと触れ合って、またすぐに離れて。

 

 そうしてその場で立ち尽くしていたら、辰姫の両腕にひょいと抱えられる。

 まるで赤ん坊でも抱くみたいにあっさりと持ち運びされ、ホームの壁際に幾席か連なって並ぶ椅子の上に横たえられた。

 

「辰姫っ、ここ駅だから!」

 

 仰向けの体勢で発した静止の言葉は、辰姫の口によって文字通り飲み込まれる。

 辰姫もまた椅子の上に上がり、小さな弥宙に上からすっぽりと覆いかぶさった。

 辰姫の薄い桜の花弁が、弥宙の花弁を求めて吸い付いてくる。技巧など無しに、情動に駆られるままに。

 弥宙は引き剥がそうと、辰姫のコートを背中から引っ張った。が、離れない。

 辰姫の首を掴んで押し上げた。が、びくともしない。

 

 ちゅく、ちゅく――――

 

 そうして二人の口元から水音が鳴り始めた頃には、弥宙も抵抗を止めていた。

 

(まあ、いいか)

 

 力を抜いた両腕を左右に投げ出して。

 上気し、朱色の差した辰姫の顔を眺めて。

 レアスキル『ルナティックトランサー』を発動した時のように、一心不乱に、恋人の温もりに熱中する辰姫。

 その熱は弥宙にも伝染し、あるいは共鳴し、二人に冬の寒空を忘れさせる。

 しかしそんな夢心地の頭は、「カチッ」という小さな音と、前歯に走った衝撃によって覚醒させられた。

 

「……つぅ!」

「いっ……たぁい!」

 

 弾かれたように離れ、二人して涙目になる。

 

「このっ! あんたはせっかちなのよ! ちょっとは落ち着きなさい!」

「弥宙だって! 辰姫の首に爪立てたじゃない!」

「はあ!?」

 

 普段の調子に戻ってぎゃあぎゃあと口喧嘩を始める。

 そんな彼女らの様子を見ている者は、線路の向こう側を通り掛かった野良猫ぐらいであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院に帰った弥宙と辰姫はその足でレギオンの控室へと向かう。今日は非番だが、明日以降の訓練についてメンバーで打ち合わせするためだ。

 LG(レギオン)アールヴヘイム。それが二人の所属するレギオン。

 控室の扉を開けた弥宙たちは予想外の事態を目撃することになる。

 

「あっ。依奈様、二人が帰ってきましたよ」

 

 ストレートの長髪を揺らしてこちらを振り向いた田中壱(たなかいち)が真っ先に口を開けた。

 だが弥宙が釘付けになったのは壱の奥、部屋のソファに横たわる物体。全身を布団か何かでぐるぐる巻きにされ、更にその上から縄できつく縛られている。顔だけは出しているから正体は分かった。我らがアールヴヘイム主将、天野天葉(あまのそらは)である。

 

「どういう状況……?」

 

 棒立ちで呟いた弥宙のもとに、待ち兼ねていたと言わんばかりの依奈が歩み寄ってくる。

 

「弥宙、辰姫! ちょっと聞いてよ! もう本当、大変だったんだから!」

「どうしたんですか?」

「ソラったら、訓練が終わった途端に貴方たちを追いかけようと飛び出したんだから。私と壱と亜羅椰の三人掛かりでやっとふん縛ったのよ」

 

 呆れたようにソファの上の天葉を見下ろす依奈。

 釣られて弥宙たちも視線を向ける。金髪美少女が簀巻きにされるというシュールな光景に。

 

「あははははっ! 天葉様、エビフライみたい!」

「エビフライかぁ。自分的にはロールケーキのつもりだったんだけど」

 

 爆笑する辰姫へ、天葉が大真面目に返す。まだまだ余裕らしい。

 

「天葉姉様、弥宙ちゃんと辰姫ちゃんの邪魔しちゃ駄目です」

「邪魔する気なんてないよ。樟美、いい? 可愛い後輩たちの初デートなんだから、心配して後ろからそっと見守るのは当然のことでしょ?」

 

 屈み込んでソファの傍に付き添う小柄な少女、江川樟美(えがわくすみ)は天葉のシルトである。彼女は手の使えないお姉様の口元までお菓子や飲み物のボトルを運び、甲斐甲斐しくお世話をしていた。

 そんなシルトを丸め込もうとする悪いお姉様に、依奈のジト目が一層きつくなる。

 

「あのねえ、ソラ。初デートって言っても街でのデートが初めてなだけでしょうが。工房とか、いつも一緒に居るようなものじゃない」

「いいや、私には分かる。環境が大きく変わって、二人にも何か劇的な変化があったはず。二人の仲を進展させる何かがね」

「はいはい、妄想も大概にしなさいよね」

 

 弥宙はドキリとした。

 実際妄想の類なのだろうが。天葉の勘の、何と鋭いことか。

 ふと視線を横にずらすと、弥宙と亜羅椰の目が合った。離れた椅子の上で脚を組む亜羅椰が、口の端を上げて無言でニヤリと笑った。

 どうやら弥宙たちのことぐらいお見通しらしい。

 やはり敵わない。そう悟って弥宙は小さく溜め息を吐く。

 

「まったく、後輩たちが可愛いならもっとちゃんとお祝いしなさいよ。私みたいに」

「依奈様! 何かしてくれるんですか!?」

「ええ、してあげるわよ~。ほら、こっちの水槽を見て」

 

 期待に目を輝かせる辰姫に対し、依奈は一つのガラスケースを指し示す。

 依奈のコレクションは幾つか見てきたが、それは初めて目にする水槽だった。中では淡い青色の熱帯魚と、灰色の同種が二匹で連れ添って泳いでいる。

 

「エンゼルフィッシュよ。体色は品種改良で変えられるの。貴方たち二人の色をイメージしたのよ」

 

 言われてみれば、そう見えなくもない。辰姫は感心したみたいに見入っている。

 しかし、これはちょっと厳しいんじゃないか。むしろ自分の趣味の方が大きいんじゃないか。そう思った弥宙は掛ける言葉が出てこなかった。

 そしてそんな弥宙を代弁する者が一人。

 

「依奈様、それ分かり難すぎ」

「なによ、壱。あんたもエンゼルフィッシュ欲しいの?」

「別にいりません」

「素直じゃないわねえ。緑のも探しておいてあげるわよ」

「だから、いりませんって!」

 

 どうあれ祝福してくれているのは間違いないらしい。

 街でも学院でも、本日はアクアリウムばかりの一日である。

 ああ、次は川の日だったな。そう思い出し、弥宙はフッと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの~、そろそろこの縄、解いて欲しいんだけど。樟美ー?」

「ぐるぐる巻きの天葉姉様、かわいい……」

「えぇ……」

 

 

 




ハーメルン、みそたつSSないやん……。
        ↓
     自分で書いたろ!

という自給自足の精神です。

弥宙さんはもっとメンタル強いイメージなのですが、本作ではデート中なので感傷的だったということで。

ところで誰か茜様と月詩さんの百合書きませんかね……?


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素顔を見せて (紗癒×雪陽)

「ユキの怒ってる顔が見たいわ」

 

 始まりは唐突なことだった。

 ある昼下がり。百合ヶ丘女学院カフェテリアのテラス席にて。真っ白な大理石のカフェテーブルを挟んだ向かい側から、そんな言葉が妹島広夢(せじまひろむ)の耳に飛び込んできた。

 どこか猫っぽい広夢のツリ目が一瞬だけ前に向くが、すぐにテーブル上のスコーンに戻る。今はお菓子を楽しんでいる真っ最中。「戯れは後にしてくれ」と言わんばかりの反応だった。

 

「ユキの怒ってる顔が見たいわ!」

「いや、聞こえてるから。二回も言わなくていいから」

 

 再び繰り返される熱い主張に、広夢は仕方なく返事をした。一度こうなると、向かい側の席に座っているこの友人が中々収まらないことを知っているからだ。

 金色のストレートヘアを腰まで伸ばした、広夢と同じ一年生。トレードマークとも言える白のベレー帽はテーブルの上に置いてある。彼女、立原紗癒(たちはらさゆ)は友人であると共に、広夢の所属するLG(レギオン)ローエングリンの主将でもあった。

 

「また藪から棒に、何なのよ」

「ほら、ユキが顔色を変えて人を怒ったことなんて無いじゃない。だから怒った顔が見たいな、と」

「はぁ?」

「勿論、いつもの柔らかい微笑みも素敵だし好きですよ? でも色んな姿を見てみたいと思うのが、人の心というものでしょう」

 

 何故か誇らしげに語る紗癒。話に上がった「ユキ」というのは、広夢の友人にして紗癒の幼馴染の倉又雪陽(くらまたゆきよ)のこと。レギオンも無論、二人と同じローエングリンである。

 ちなみに現在は所用のため、カフェテリアに雪陽の姿は無い。だからこそこんな話をしているのだが。

 

「まあ確かに。雪陽が怒ってるとこ、想像できないかな。幼馴染の紗癒が見たこと無いなら、誰も見たこと無いんじゃない?」

「ただの幼馴染じゃないわ! 幼馴染で恋人で将来の伴侶で半身ですから! 間違えないでちょうだい!」

「めんどくっさ」

 

 身を乗り出しかねない――お嬢様だから実際にはしないが――紗癒の勢いに、げんなりとした広夢が溜め息を吐く。

 今の紗癒を止められる者がいるとするなら、それは彼女のシュッツエンゲルである竹腰千華(たけごしちはな)だろうか。

 しかしながら、広夢はその考えをすぐに捨て去る。

 

(千華様も、紗癒と雪陽の件についてはあまり口出ししないのよね)

 

 これがもしも、紗癒が雪陽にかかずらってばかりで学業やレギオンの活動を疎かにしたならば、ドSでスパルタな千華からきついお灸を据えられるに違いない。

 ところが紗癒は雪陽のことも学業もレギオンも、万事抜かりなくこなしていた。むしろシュッツエンゲルである千華の方がシルトの紗癒に世話をされることもある。そんな状態で、誰が紗癒を窘められようか。

 外野の人間の中には、仲睦まじい二人を可愛らしいと微笑ましく見る者も少なくない。しかし、すぐ傍に居る広夢にとっては微笑ましいで済むものでもない。

 

(でもまあ、付き合ってあげましょうか)

 

 それでも結局、広夢は紗癒の話に加わることにした。大体いつも、こんなパターン。

 何だかんだ言って、広夢は友達付き合いが良いのである。

 

「それで広夢さん、妙案はないかしら? どうにかしてあのユキを怒らせるための」

「う~ん……」

 

 神妙な顔の紗癒に問われ、広夢はスコーンに伸ばしていた手を止める。小首を傾げて紫色のツインテールを上下に傾け考え込む。

 しかし、いざ案を求められると浮かんでこない。

 無理もなかった。広夢は中等部セレクションを突破して百合ヶ丘に入学し、紗癒や雪陽とはそれ以降からの付き合いだった。共に過ごしてきた年月のずっと長い紗癒が悩んでいる問題に、広夢がおいそれと答えを出せるはずがない。

 

「雪陽って何言われても腹立てなさそうだし」

 

 今となっては過去の話だが、雪陽がレアスキルに中々覚醒しなかった頃、心無いことを言う人間も中には居たらしい。

 そんな時でも雪陽は怒らず、言い返さず。むしろ彼女本人ではなく、紗癒が激怒し怒りを振り撒いていたぐらいである。

 

「仮に紗癒の悪口でも聞いちゃったら……。やんわり注意するか悲しむかってところかな」

 

 やはりあの温厚な少女が眉を吊り上げたり他人を罵倒する場面を想像するのは難しかった。こればかりはどうしようもない。

 二人の計画は早くも暗礁に乗り上げかけていた。

 

「どんな突拍子もないことでも良いの。私の視点からでは思いもつかない方法が何かあるはずだわ」

「そうは言われてもねえ」

 

 紗癒は諦めない。分かってはいたが。

 とは言え浮かばないものは浮かばないので、広夢は本当に突拍子もない案を出す。半ば投げやり気味に。

 

「じゃあ紗癒が浮気でもしてみたら?」

「あり得ないっ。そんな浮気だなんて、あり得ないわ! 鎌倉の鴨サブレが生産停止するよりあり得ないっ!」

 

 案の定、紗癒は椅子から立ち上がって猛抗議する。もし彼女がお嬢様でなかったら、テーブルの上を両手で思い切り叩いていたことだろう。

 広夢は首を左右に振ってツインテールを揺らす。

 

「本当、面倒ねえ。それならその反対で」

「反対?」

「学院のどこか人前で、わざと雪陽にイチャイチャベタベタするのよ。恥ずかしがって怒るんじゃない?」

 

 更に投げやりになった広夢の提案。売り言葉に買い言葉、とは少し違うが、今しがた思い付いたことをそのまま口にした。

 それを耳にした紗癒は押し黙り、体の動きもピタッと止める。

 いい加減な提案に、流石に怒るか呆れるかしたのだろうか。そんな広夢の予想は直後に呆気なく裏切られる。

 

「……天才なのでは?」

「えっ」

「広夢さん、貴方は天才よ! いいっ、これはいいわ! まさに一石二鳥!」

 

 却下されるどころか予想だにしない高評価。先程の反応と比べると、掌を返すよう。

 目の前で盛り上がる紗癒に、提案者の広夢の方が不安に包まれてしまう。

 

「ね、ねえ紗癒――」

「そうと決まれば明日実行ね。人の目が集まると言ったら、やっぱり登校中かしら。うん、それが一番確実ね」

「おーい、紗癒ったら」

「ふふふっ。広夢さんも明日の吉報を楽しみにしてて。あ~、楽しみだわ!」

 

 紗癒はまたもや椅子から立ち上がると、今度は広夢に挨拶をした後、軽い足取りでテラスから去っていった。午後からの講義を受けるために。

 講義は広夢も、件の雪陽も一緒である。さっきの発言からすると、幾ら人目があるとはいえ講義室では自重するようだ。

 けれども広夢の中に湧いていた嫌な予感が消え去ることはなく。

 

「ま、なるようになるでしょ。私、しーらない」

 

 嫌な予感からあえて目を逸らすかのように独り言ちる。

 ただ表面上そんな態度を取っていても、後から絶対関わってしまう。妹島広夢という少女はそういう人間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、早朝訓練に励む者を除いた大多数のリリィが登校してくる時間帯。

 百合ヶ丘女学院は広大な敷地を誇るものの、学生寮と本校舎の間に大した距離は無い。故に、一年生の暮らす新館から本校舎の食堂を目指すまでの道程も短いもの。

 だがその短い道程の間でも、紗癒たちは十分目立っていた。

 紗癒の金髪と同じく腰まで伸びている、ウェーブのかかった赤毛。その赤毛が頭のてっぺんでは、犬耳みたいに左右に跳ねている。

 紗癒よりもほんの数センチだけ低い彼女は、紗癒の左にぴったり寄り添って食堂までの道を共にしていた。二人の手は指を絡め合わせて一つと化している。

 

 二人、特に紗癒の方は有名人だ。何もしなくても自然と人の注目は集まってしまう。しかし彼女が今考えていることを実行に移したなら、更に耳目が増すのは確実だろう。

 首を僅かに横へ動かし無言で赤毛の少女を見る。すると少女もまた首を傾け、紗癒と目を合わせてきた。

 

「紗癒ちゃん、今晩楽しみだねえ。材料はちゃんと用意してあるからね」

「ええ、ありがとう。ユキにだけ準備させちゃったみたいで、ごめんなさい」

「紗癒ちゃんはレギオンの訓練計画纏めてたんだから、いいんだよ」

 

 ユキこと倉又雪陽が話しているのは本日の夕食について。ルームメイトである二人は寮の部屋に広夢も招き、手料理を披露しようと約束していたのだ。

 百合ヶ丘の寮には共用の調理スペースが幾つか設けられていた。使用に際して、レギオン単位など大人数ならば事前の申請が必要だが、基本的には自由に使うことができる。多くのリリィは大抵の場合、本校舎の食堂やカフェテリアを利用するからだ。

 わざわざ自炊しようとするのは料理が得意なリリィか、あるいは娯楽やイベントとして料理を楽しもうとする者のどちらかだろう。

 

「またユキの好きな激辛作る?」

「もーっ、今日は普通のご飯作るよー」

 

 一限目の講義まで大分余裕があった。ゆったり歩きながら、取り留めの無いお喋りをする。

 話の最中、紗癒は自然な形で雪陽の方へと顔を寄せた。金と赤の長い髪が触れ合い、混ざり合って、相手の頬をくすぐるように撫でた。

 

「ふふっ。紗癒ちゃんの髪、さらさらで触れると気持ち良いね」

「ユキのふわふわな髪だって。ずっと触っていたいわ」

 

 女子にとっての髪というものは、単なる体の一部というわけではない。俗に「女の命」と言われているように、重大な意味を持っている。

 その髪でこんな風に気兼ねなく触れ合っている点からも、彼女たちの並々ならぬ仲が窺えた。

 

 よく晴れた陽の下、繰り広げられるじゃれ合い。

 いつまでもこうしていたい。そう思う紗癒だが、しかし本来の目的は忘れていなかった。広夢発案の「人前で恥ずかしいことをして照れさせて怒らせよう」という目的を。

 紗癒は急に無言になり、隣の雪陽をジッと見つめる。

 それに気付いた雪陽が不思議そうに小首を傾げてくる。

 

「んー? どうしたの?」

 

 今まさに紗癒が為そうとしている行為など露ほども知らない様子。

 そんな彼女に対し、紗癒の中に今更ながら後ろめたさが湧いてくる。

 だがそれよりも、すぐ傍に居る恋人の仕草、手の感触、ほのかに甘い香り、純真無垢な笑顔に対する愛しさが勝った。

 不意に、紗癒の顔が一段と接近していき――――

 

 チュッとほっぺたに口づけた。

 

 雪のように白い雪陽の顔がほんのりと赤く色付く。両の瞳を丸くし、小さな口が半分ほど開く。

 しかし雪陽が呆気に取られていたのは僅かな時間だけだった。すぐに口元を緩ませて普段通りの微笑を見せると、今度は彼女の方から顔を寄せてきた。向かう先は勿論、紗癒の頬。

 

「も、もうっ! ユキったら……」

「お返しだよ」

 

 いつも通り微笑んでいるはずの雪陽が、今は少しだけ悪戯っぽい笑みに見えた。

 気恥ずかしくなったのはむしろ紗癒の方だった。

 そんな中で、二人のやり取りを一部始終見ていた周囲のリリィたちから、ちょっとしたざわめきと黄色い声が上がる。「あら~」だの「たまりませんわ」だの「朝っぱらからなんちゅうもんを見せてくれるんや」だの。

 留学生の珍しくない百合ヶ丘では挨拶程度のキスも珍しくない。だが紗癒と雪陽の関係は割と知られているため、周りの反応も変わってくるのだ。

 もしこの場にゴシップリリィが居合わせていたら、興奮してカメラのシャッターを連射していたことだろう。そうでなくとも、寮生活で娯楽に飢えがちなリリィたちは興味津々といった様子。

 紗癒自身とて誰か他のリリィのこんな現場を目撃したら気になってしまう。しかし今の彼女は当事者。それに加えて周囲からの目をはばかる気も無くなっていた。

 紗癒は「えいっ」とばかりに再び雪陽のほっぺたに向けて身を乗り出した。

 

「あっ、も~、またやった」

「ふふふ。お返しのお返し、ですわ」

「朝ごはん遅れちゃうよ?」

「大丈夫、一限までには間に合うから。だからこのままゆっくり行きましょう」

「そっか。うん、そうだね~」

 

 結局、食堂に到着して他の友人たちと合流するまで、似たようなやり取りが続くのだった。当初の目的は捨て置かれたままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? 首尾は?」

「ユキが可愛かったわ!」

「ねえ、私もう帰っていい?」

 

 その日の午後、講義の終了後に昨日と同じテラス席へ集まった広夢と紗癒。

 初っ端から頭を抱えたくなる広夢だが、今朝の出来事を具体的に聞くと、やはり頭を抱えてしまう。

 

「あんたねえ、本来の目的を忘れて何やってんのよ」

「勿論忘れてはいません。収穫もありました。ユキは恥ずかしくなっても、照れ隠しで怒ったりしないことが分かったわ」

「聞いてるこっちが一番恥ずかしいんだけど」

 

 惚気を聞かされるために呼ばれたのかと嫌そうな表情を隠さずに、広夢がジト目で突っ込みを入れた。

 そうは言っても、実際は紗癒も雪陽も分別ぐらいつくことは分かっている。広夢を含め他のレギオンメンバーや友人が一緒の時はちゃんと自重していた。訓練や任務の最中は言うまでもない。

 だがそれはそれで、広夢にとっては釈然としない部分がある。

 

(私が居るからってあの二人に気を遣われたら、それはそれで癪なのよね。いや、だからって公衆の面前でイチャつかれるのも困るけど。程度ってものがあるけど)

 

 広夢も大概、面倒臭い性格をしていた。

 

「それでは広夢さん、次の手を考えましょう」

「えぇ……まだ諦めてないんだ」

「むしろますます見たくなったわ」

 

 紗癒が居住まいを正して表情も引き締める。

 しかし議題が議題なだけに、広夢からしたらいまいち格好がついていない。

 

「もう本人に直接頼んだら? 『私を怒ってください』って」

「そんなことをしては自然な表情や仕草が出ないでしょう。不審に思われるかもしれないし」

「不審って自覚はあったのね……。でも幼馴染なんだから、頼めば引き受けてくれるわよ」

「ただの幼馴染じゃないわ! 幼馴染で恋人で将来の――」

「そのくだり毎回やるわけ?」

 

 途中、紅茶で喉を潤し一息ついて、作戦会議を再開する。

 広夢も表向きは「やれやれ」と肩をすくめるような態度を見せるが、本当に席を立つ気はなかった。やはり付き合いが良い。

 ただ、作戦が成功したら何か奢らせようとか、失敗しても何か奢らせようとか、そんなことを考えていた。

 

「講義をサボったら雪陽も怒るんじゃないかしら」

「駄目ね。任務も無いのに学業をおろそかにしたら、千華姉様にもレギオンの皆にも心配かけるから」

「そうなると、難しいわよ。そもそも人に心配や迷惑を掛けるようでないと、あの子も怒らないでしょ」

 

 広夢の至極もっともな意見に、紗癒は低く唸って考え込む。それっきり黙って思考に没頭しているようだった。

 学業において、レギオン運営において、そして何より戦闘において非凡な力を発揮する紗癒の頭脳。百合ヶ丘一年生の中でも屈指の頭脳が、恋人の新たな一面を見たいがために、フル回転しながら悩んでいる。

 字面にするとシュールなことこの上ない。

 けれどもリリィが十代の少女である点を鑑みると、そうおかしな話ではないのかもしれない。

 

「ではユキをピンポイントで攻めましょう」

「ピンポイント……やはり浮気」

「却下。駄目です」

 

 テラスで行われるたった二人の会議は当初の予定から外れ、時間を超過し、混迷度合いを増していた。

 だからこそ紗癒も雪陽も直前まで気付かなかった。渦中の人物がすぐ傍まで近付いていたことに。

 

「紗癒ちゃん、広夢さん?」

 

 その声はカフェテリア屋内とテラスを隔てる扉の方から聞こえてきた。

 広夢にしてみれば別段後ろめたいことはしてなかったはずだが、一瞬ドキリとしてしまう。冗談でも浮気などと口にしたせいだろうか。無論、本気でそんな事態を望んではいない。

 一方で、本来動揺するべき紗癒は見た感じ落ち着き払っている。ずるい、と八つ当たり気味に広夢が睨む。

 

「ユキ、ちょうど良かったわ。一緒にお茶にしません?」

「うん、ご相伴に与ります」

 

 ロングの赤毛を揺らして雪陽が二人のカフェテーブルにやって来る。髪のてっぺん部分、左右に跳ねたくせ毛が意思を持っているかのようにピコピコと上下していた。

 

「二人とも何のお話ししてたの?」

「色々よ。例えば食堂のメニュー。解放地域も増えてきたし、魚料理がもう少し増えてもいいとは思わない?」

「うん、そうだよね~」

 

 このまま何事もなく話が進むのか。

 そう思って広夢は紗癒と雪陽を交互に見やった。

 ところが幸か不幸か、広夢の予想は裏切られる。

 

「私の話もしてなかった?」

「……ええ、まあ。してたわ」

 

 雪陽に尋ねられ、紗癒は拍子抜けするほどあっさりと認めた。それどころか、今日の件だけでなく昨日の件も含めて全容を明かした。

 まさか全てを話すとは。広夢にとっては意外である。

 外面は取り繕っていたが、実は雪陽の登場に動揺していたのか。それとも彼女に隠し事を続けることが嫌になったのか。

 どちらにせよ、広夢は肩の荷が下りたような気がした。

 

「え~っ、私の怒り顔が見たいって。それで一生懸命話してたんだ」

 

 雪陽は相変わらず穏やかな口調だった。

 ただ幾らか困惑しているようにも見える。

 

(そりゃあ困るわよねえ)

 

 二人のやり取りに耳を傾けながら、広夢は視線をテーブルの皿に落としてお菓子を摘まむ。本日はチョコレートを練り込んだバウムクーヘンだ。顔が自然と綻ぶ。

 そんな風に茶色の輪っかを見つめていたので、広夢の目はその瞬間を見逃した。声だけは聞いた。

 

「広夢さんを困らせたら駄目だからね。めっ!」

 

 視線を上げる広夢。

 だがそこにはいつもみたいに微笑む雪陽。そして口を震わせ、瞳を輝かせる紗癒。

 

「もっ、もう一回! 今のもう一回見せてユキ!」

「え~? もう終わりだよ~」

「お願いっ、何でもするから!」

 

 どうやらついさっき紗癒の本懐は遂げられたらしい。まだ何やら欲を張っているようだが、まあ無視しても構わないだろう。

 

「一件落着かあ。全く、お騒がせなんだから」

 

 そう呟いて、広夢は手にしたバウムクーヘンを口に運んだ。

 内心よかったよかったと噛み締めながら、口の中で小麦粉とチョコレートの甘い生地を咀嚼する。

 

「……待って、全然よくない」

 

 口内の物を飲み込んでから、広夢は静かに口を開く。

 

「今までの流れは何だったの」

 

 何のために相談に乗ったのか、はたと疑問に思ったのだ。最後の最後であまりにも呆気ない解決だったから。

 

「私の時間を返せー!」

 

 叫ぶ広夢の顔は、台詞と裏腹に緩んでいた。

 

 

 



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好きこそ物の哀れなれ (???×ヘルヴォル)

 頭に響く、目覚まし時計の電子音。

 重たい目蓋を開けて最初に飛び込んできたのは、妙に高い天井と、消し忘れた電気の灯り。

 視線を移して次に飛び込んできたのは、コタツの上に居並ぶ缶、缶、缶。全てビールの缶である。その横の小皿には自作したつまみ――――大根と人参の漬物をクリームチーズで和えたものが横たわっていた。

 

 どうやら昨夜は知らない内に寝入ったらしい。

 

 ぼさぼさの黒髪を軽く掻いてから、二十代と思しき歳の女性がゆっくりと上体を起こす。寝惚け眼のままで。

 不意に、思い出したかのように、その意識が覚醒する。

 

「仕事っ! …………は、いいんだった」

 

 しかし覚醒したのは一瞬のこと。すぐさまその必要がないと気付く。

 再びまどろみに逆戻りするかと思いきや、そうは問屋が卸さない。睡魔に代わり、重たく鈍い痛みの感覚が彼女に襲い掛かってくる。

 

「あたま、痛い……」

 

 二日酔い。

 有り体に言って、因果応報であった。

 

 この女性、リリィオタク(以下リリオタ)である。それも、リリィをアイドル的な視線で見るタイプのオタクである。()()が取り上げられた雑誌を買い漁り、推しの参加する市民との交流イベントに遠征する。極めてアクティブかつアグレッシブなオタクだった。

 そんなリリオタが平日の朝っぱらから二日酔いに呻いているのには、当然ながら訳がある。

 

「私の推しが映ってないじゃないのよ!」

 

 そう言って雑誌の出版社に押し掛けて、威力業務妨害容疑で逮捕された。幸いなことに不起訴処分となったが、警察ではこってりと絞られてしまった。

 そしてこれまた幸いなことに、会社もクビにならずに済んでいる。彼女は私生活こそアレだが、仕事はできるのだ。とは言え流石に懲戒処分は免れず、今こうして停職の身に甘んじているところである。

 

 間が悪いこともあるもので、昨晩、鬱屈していた最中のリリオタに一本の電話が掛かってきた。それは実家に居る母親からの便りだった。

 

「あんたね、いつまでもアイドルだか何だかの追っ掛けやってないで、いい男か女でも見つけて早いとこ身を固めなさいよ。もう三十になるんだから」

「ま、まだ二十代だし……」

「四捨五入したら三十でしょーが!」

 

 その一連のやり取りこそが、目の前に空っぽの缶が生み出された原因である。

 

「はぁ……何やってんだか」

 

 無論、リリオタも一応は大人。冷静に考えると、母の言い分に理があるのは分かる。分かるからこそ自棄酒に逃げたのだ。

 

「もう潮時なのかしら。でもっ」

 

 一人で部屋に籠っていると、思考が良くない方にばかり行ってしまう。

 これではいけない。外に出て新鮮な空気を取り込まなければ。

 そう思い立ったリリオタ。しかし意思に反して彼女の体は動かない。

 

「あたま、いたい……」

 

 朝の内はとても外に出れそうにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京地区六本木にて。

 あれから自宅でぐだぐだした結果、リリオタが家を出発した頃にはお昼が大分過ぎていた。

 いざ外に出てきたのは良いものの、特に目的や行き先を決めているわけではない。友人には合わせる顔が無いし、モールでショッピングという気分でもない。当然ながら、生き甲斐であるリリィの追っ掛けについても、その気力が湧いてこなかった。

 これでは本当に空気を吸いに来ただけで終わるだろう。

 

 並木道。都会の中の豊かな自然。春には美しい桜を咲かせるその場所も、今はただただ物寂しい。

 時折吹き荒ぶ木枯らしに、身も心も冷えていく。

 やっぱりもう帰ろうかと、そう思い始めた矢先。カーブを描いた坂道に差し掛かった時。リリオタはその少女に出会った。

 

「あっ、たい焼きのお姉さん」

 

 突然の幼い声に、俯きがちだった顔を上げる。

 坂道を上がってやって来たのは、礼服のようにキッチリとした白のジャケットに、青のスカート。そしてそれに身を包む小さな少女。薄く透き通ったウェーブ髪を乱雑に伸ばした姿が印象的だ。

 

「貴方っ、あの時のおチビちゃん!?」

 

 リリオタが驚きに目を見開く。

 一方で、少女の方はムスッと頬を膨らませてご機嫌斜め。丈の合ってない服の袖と、左右で長さの違うニーソックスも相まって、見た目通りの子供らしさを纏っている。

 

「らんは、高校生」

 

 ある意味、因縁とも言うべき再会である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっか、そうよね。貴方もリリィなんだから、『おチビちゃん』なんて失礼よね」

「らんの名前は佐々木藍(ささきらん)だよ」

 

 二人は並木道から、近場にある公園のベンチへと場所を移していた。そこは元々史跡だった所を公園として活用したものであり、街のど真ん中とは思えない風情を醸し出している。

 綺麗に整えられた草木や、滑らかな表面の庭石。それらに囲まれた小さな池。庭園と呼ばれるだけのことはある。

 

「でも、こんな所に一人でどうしたの? 藍ちゃんもレギオンに入っているんでしょう?」

 

 自身のことは棚に上げてリリオタが問い掛けた。

 

「今日は朝からずっと実験の日なんだけど、すぐに終わったから。でも一葉(かずは)たち、学校の中に居ないし」

「成る程、それで時間を潰してたのね」

 

 実験、というのはチャームやレアスキルの実験か何かだろうか。だとしたら、見かけに寄らず凄いリリィなのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思い浮かべる。

 

「それじゃあ、何かやってみたいことは無いの? 行ってみたい所とか」

「うーん……。たい焼きはもう食べてきたし。遊園地は行ってみたいけど、皆で行かなきゃ詰まんないし」

 

 右手を、正確には右手をすっぽり包んだ制服の袖を顎に当てて、藍は真剣に考え込む。

 

「……無い!」

 

 はっきりとそう言い切った。一人で居て楽しいことなど、高が知れているというわけだろう。

 

 しかし、この藍というリリィ、改めてみると容姿だけでなく仕草や性格も子供そのもの。エレンスゲ女学園高等部の制服を着ているので、本人の言葉通り高校生には違いないはずだが。

 

(こんな子を、捕まえて人質にしちゃったのよね、私……)

 

 本気で傷付けるつもりは毛頭なかった。そもそもあの時リリオタが手にしていた凶器は、ただのたい焼きだった。

 それでも、形だけでも、リリオタがリリィに危害を加えかけたのは事実。

 幾ら興奮状態だったとは言え、とんでもないことをしてしまった。冷静になって考えてみると、隣で足をブラつかせながら友達を想う少女を見ていると、酷い過ちを犯したのだと思い知る。

 元々気が弱っていたのも重なって、リリオタは思わず呻き声を出す。

 

「うぅっ」

「おねーさん?」

 

 心配そうに下から覗き込んでくる無垢な表情が、余計に汚い大人の心を突き刺す。

 仕舞いには涙さえ浮かんできた。

 

「おねーさん、おねーさん、どうしたの? お腹空いたの?」

「うぅぅぅぅっ!」

「元気出しておねーさん。……あっ、そうだ。らんのアメ玉をあげよう。(よう)に貰ったアメ玉、美味しいんだよ?」

 

 おろおろとしたり、何とかして慰めようとしたり。そんな藍の努力の甲斐もあり、リリオタはどうにか落ち着いてきた。

 情けない。あまりに情けない。しかし一度覆った水は元には戻らないので、リリオタはせめて精一杯大人ぶろうと決めた。

 

「藍ちゃん、もし良かったら貴方と貴方のレギオンのお友達のこと、教えてくれるかしら。勿論、話せる範囲だけで構わないから」

「一葉たちのこと? いいよ!」

 

 気を取り直したリリオタからの問い掛けに、藍もまた陰っていた表情を一転させる。

 

「一葉はねえ、学校で一番のリリィなんだ! 強いし頭も良いし。一葉の言う通りに戦ってたらたくさんのヒュージをやっつけられるんだよ。一葉のお陰でらんたちはもっと強くなれた。あと、朝起きれない時はらんを起こしてくれる」

 

千香瑠(ちかる)はね、千香瑠はね、お菓子がすっごく上手いんだよ! ご飯も美味しくて、前に皆で一緒に食べたんだ。それと、らんの知らないこといっぱい教えてくれる。教え方が上手で分かりやすい!」

 

「瑤は、お布団! ぎゅっとしたらお布団みたいにポカポカで柔らかくて気持ちいい! それに、駄目になった服やぬいぐるみを直してくれる。自分で可愛い物を作れるの、凄いなあ」

 

恋花(れんか)はらんに意地悪ばっかりするの! いっつも、いっつも! ……でも、皆も一葉も恋花が居ると楽しそう。らん、知ってる。そういうの『こめでぃりりーふ』って言うんだよ」

 

 興奮して早口で捲し立てるように語る藍。時折、小さな体で大きく身振り手振りを交えつつ。

 リリオタは隣に座って相槌を打ちながら聞いていた。その最中、一つ気付いたことがある。

 

(この子、お友達の話ばかりするわねえ)

 

 藍の外見相応の精神年齢を鑑みれば、もっと自分自身の話をしてもおかしくない。子供とはそういうものなのだから。彼女ならば「さいきょー」だの「むてき」だのと胸を張っていても、微笑ましく映るだろう。

 ところが藍の場合、自分よりも仲間の自慢話――若干一名怪しいものもあるが――ばかりを一生懸命繰り広げている。

 

(本当に皆のことが好きなのね……)

 

 藍の口振りから想像できる彼女のレギオンの姿こそ、リリオタが理想とするリリィの在り方だった。固い絆で結ばれ、時に軽口を叩き合い、しかし困難を前に心を通じ合わせ一つになる。そんな舞台の登場人物みたいなリリィが理想であった。彼女だけでなく、多くのリリィオタクにとっての理想でもあるだろう。

 勿論、現実が舞台のようにいかないのは分かっている。それでも理想を追い求め続けるのがオタクという生き物の(さが)なのだ。

 

「ねー、お姉さん、聞いてる?」

「うん……うん……。聞いてるわよ。ちゃんと聞いてる」

 

 訝しむ藍の横で、リリオタは首を縦に振って何度も頷く仕草をする。

 今朝までの、鬱屈し冷え切っていた心が少しずつ溶けていく思いであった。

 やはり自分はリリィが好きなのだと改めて自覚する。その一方で、真に尊ぶべき事柄は、自然体な彼女たちの中に紛れているのだと悟る。

 

「追い掛けているばかりじゃ、見えないものもある」

 

 静かにそう独り言ちた。

 そんなリリオタを、藍は不思議そうに見上げるばかり。涙こそ引っ込んだものの、いきなり達観したような顔になるのだから、奇妙に映っても仕方がない。

 

 庭園の中、池の畔のベンチに腰を下ろしている二人。暫しの間そんな光景が続く。

 宙ぶらりの足を前後に揺らしていた藍だが、ふと、ベンチから飛び降りて地面に立った。リリオタに対して向けていた困惑顔も、晴れやかな表情へパッと変わる。

 

「一葉たちだ!」

「えっ?」

「じゃーねえ、たい焼きのお姉さん!」

 

 別れの挨拶もそこそこに駆け出す藍に、リリオタは目をパチパチと瞬かせるばかり。かろうじて上げた右手を左右に振り始めた頃には、既に藍の背中が遠ざかっていた。

 小さなリリィの向かう先、庭園の出入り口付近。その小道から、藍と同じエレンスゲの制服を着た二人組が歩いて来る。

 ベンチからは未だ遠く、顔までははっきりと見えないはずだが、それでもリリオタには彼女らのことに確信が持てた。理屈や道理などではない。オタク特有のセンサーと呼ぶべきか。

 ともあれ、リリオタの意識は今しがた走り去った藍と、彼方の二人組にも同時に向けられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍ったら、どこに行ったんでしょうか?」

「うーん、食べ物関係は一通り当たったんだけどねー」

 

 エレンスゲ女学園の白衣を纏った二人。

 一人は青みがかった黒髪を短く揃えたリリィ。本来なら凛々しい目鼻立ちが、今は不安からか陰りを見せている。

 もう片方は背が低めで小柄なリリィ。明るい茶髪を後ろで纏め、丸く大きな瞳は愛嬌と明るさを強調している。

 

「野外訓練が終わったから連絡しようと思ったのに、携帯に出ないんだから。きっと充電器に繋げっぱなしなんですよ」

「あはは、あり得る」

「全く! 過充電はバッテリーの寿命を縮めるのに!」

 

 黒髪のリリィが表情を引き締め憤って見せる。

 一方で小柄なリリィはいかにも今時の女子といった仕草で笑う。

 

「ま、たまには良いんじゃない? こういう切っ掛けでもないと、街中を見て回るってなかなか無いっしょ? あ、巡回は別だからね」

「確かに、そうですが……」

「それに何かちょっとデートっぽいし」

「デートだったら、ちゃんとした計画を立てて臨みます! まず待ち合わせは噴水の前か時計台の下が定番でしょうか。それからショッピングや昼食の場所を事前に選定して。最後の締めはオーソドックスに展望台か、それとも遠出して海まで行くか。勿論、恋花様の要望も反映させて――――」

「いやいやいや、そこまでされたら恐縮するから」

 

 どこか気の抜けるやり取り。

 そんな中、恋花と呼ばれた小柄なリリィがもう一人の左腕へ抱き付くように腕を回す。

 

「あたしと一葉で、デートへの認識が違うような気がするんだけど。もっと気軽に、気の向くままで良いんだってば。こんな風にね~」

「承知してますとも。それで、同じポケットに二人で手を入れるためにわざと手袋を片方だけ忘れたり、夜景を見に薄着で外に出て抱き合う口実にするんですよね?」

「重いよ!」

 

 端から見れば痴話喧嘩同然の光景。

 その中へ藍が割って入っていく。

 

「一葉! 恋花!」

「藍! やっと見つけた……。あれだけ出掛ける時は携帯忘れないようにって言ったでしょ!」

「まあまあ、お説教は後にして。それよりも、瑤と千香瑠も呼んでこのままどっか遊びに行こうよ」

 

 二人の間に小さな藍が入って騒がしくすると、それはまるで一つの家族。

 

「らん、遊園地行きたい! 遊園地行こうよ!」

「あー、遊園地は今からじゃ無理かなー。その代わり、この恋花お姉さんがチビッ子にちょっとだけ大人の遊びを教えてあげよう」

「んーーーっ! 子供じゃないっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリィ三人の会話は、ベンチから大分離れた場所で行なわれていた。常人にはその内容を知る由もない。

 ところがこのリリオタ、常人とは少し違った。オタク特有の地獄耳が、リリィたちの発した言葉を捉えていたのだ。

 リリオタに電撃が駆け巡る。

 

「一葉ちゃんは叶星(かなほ)ちゃんと付き合っていたのでは……? いや、それは物語の中のお話……。だとしたら、あれこそが、本当の姿……」

 

 オタク特有の深読みとオタク特有の誇大妄想が化学反応を巻き起こし、頭の中に膨れ上がる。

 これがただのオタクならまだしも、幸か不幸か彼女は非常にアグレッシブなオタクであった。気が付いた時には、既に彼女の足は動き出していた。

 そうしてある程度距離が縮まったところで、リリィたちもリリオタに気付く。一葉は「あっ」と驚いたようで。恋花は「げっ」と若干引き攣ったよう。リリオタはそんな二人にお構いなしで、藍に対して口を開く。

 

「その子たちが、藍ちゃんのお姉さんとお義姉さんなのね?」

「たい焼きのお姉さん、なに言ってるの!?」

「その子たちが、お母さんとお母さんなのね?」

「だからなに言ってるの!?」

 

 藍を、そしてその後ろの一葉と恋花を視線に捉えたリリオタの顔は、何か輝かしいものを目にしたような、決意を固めたような、およそ常人では理解できない表情をしていた。

 

「らんは高校生! 一葉と恋花と同じ高校生だよ!」

「ふふふ、一葉ちゃんと恋花ちゃん。ふふふふふ……」

 

 リリオタ、完全復活。

 過去が過去だけに、その様子を見て危機感を抱いたのか、一葉が前に出て口を挟む。

 

「あの、一応申し上げておきますが、エレンスゲ女学園は事前に申請すれば見学ぐらいできると思うので。間違っても不法侵入紛いのことはやらないでくださいね?」

「ふふふふふっ! 堅物優等生×お調子者ギャル、これこそ王道よ!」

「フリじゃないですからね! 止めてくださいよ、本当に!」

 

 人間は、そう簡単には変わらない。

 

 結局これ以降、警察沙汰には至らないものの、エレンスゲのガーデン職員は熱心なファンへの対応に頭を悩ませることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「らんは、高校生!」

 

 

 



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ふ~ふ喧嘩は猫も食わぬ (神琳×雨嘉)

 百合ヶ丘女学院の食堂は本日も盛況であった。

 高い天井から吊り下げられた絢爛豪華なシャンデリアが暖かに輝く。壁や床、テーブルを構成する木の香りは上品であり、そこに居る者を心穏やかにさせる。

 そんな空間の中に昼食をとるべく集まった年若い少女たち、リリィ。あちこちのテーブルから歓談の声が漏れ聞こえてくる。

 

 ところが、穏やかな食堂の一角に、周囲から明らかに浮いた空気が形成されていた。

 一人分の席を空けて長テーブルに着く二人のリリィが食事の最中。ただし、お互いに一言も言葉を発することなく、目も合わせず、ただただ黙々と箸を動かすばかり。それだけなら特段おかしな光景でもないのだが、問題なのは、その二人のリリィが神琳と雨嘉であるという事実であった。

 これは明らかな異常事態である。一柳隊の中でもひと際高い湿度を放つ彼女らが、まるで赤の他人みたいな態度を取っているのだから。

 二人の周囲から湧き立つ近寄り難いオーラ。実際、周りに人の姿は無い。ただ一人、神琳と雨嘉の間の席で縮こまる鶴紗を除いて。

 

(どうしてこうなった……)

 

 あまりの気まずさに、好物だろうが苦手な物だろうが、口に入れても味を感じなくなってしまった。

 そんな極限状態の下、鶴紗は頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。

 こうなったそもそもの原因、始まりは昼食前の仲間たちとの会話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鶴紗よ、一体あ奴らに何があったというのじゃ? こんなこと前代未聞じゃぞ。太陽が西から昇って東へ沈むようじゃわい」

 

 ミリアムが憂う。

 

「鶴紗さん、早くあの辛気臭い空気をどうにかしてくださいまし。せっかくのランチの時間が台無しですわ」

 

 楓が口を尖らせる。

 

「鶴紗さん! お二人に仲直りして貰えないでしょうか? このままじゃあ絶対良くないです。神琳さんと雨嘉さんが、あんな風になるなんて……」

 

 梨璃が顔を曇らせる。

 

 お昼時、食堂へ向かう途上で鶴紗はレギオンの同学年たちから引き留められていた。何でも「今朝から神琳と雨嘉がギスギスしている」のだとか。

 

「ていうか、何で皆して私に言うの……」

 

 至極もっともな鶴紗の疑問。自慢じゃないが、色恋沙汰の機微など門外漢もいいところである。

 だがしかし、この場に彼女の味方は居ないようで。

 

「何でって、あの二人の間に入っていけるのは鶴紗さんぐらいでしょうに」

「好きで入ってるわけじゃない」

「これも一柳隊のためですわ」

 

 楓相手では埒が明かない。そう判断した鶴紗は楓の隣に居る二水へと話を振る。

 

「二水がどうにかすればいいじゃないか。この手の話、大好きでしょ?」

「う~ん、確かにスクープにはなりそうですが……。破局ネタは私の美学に反するんですよねえ」

「何だ、それは……」

 

 道理で、あのゴシップ記者が大人しくしているわけだ。得心がいった。随分と都合の良いジャーナリズムである。

 しかし得心がいっても鶴紗にとっては何の救いにもならず、いよいよ追い詰められてしまった。

 

「鶴紗」

「鶴紗さん」

「鶴紗さん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆に押され、様子を見に行ったのは良いものの、これは本当に重症だった。神琳にしろ雨嘉にしろ、やって来た鶴紗に取りあえずの挨拶こそ済ませるが、それだけだった。やはり黙々と己自身のことに勤しんでいる。

 こういう時、どうすれば良いのか分からない。そもそも鶴紗は人付き合いがお世辞にも上手いとは言えなかった。

 やはり引き受けるんじゃなかった。鶴紗は早くもそう思い始める。

 けれども鶴紗とて、神琳や雨嘉のこんな姿を見たくないのは一緒なのだ。

 世話が焼けるな、と内心溜め息を吐きつつ、一人の時を見計らってそれぞれから事情を問い質すことにした。

 

 まずは雨嘉。

 午後の講義と講義の合間、ラウンジにて一人で休憩している所を狙う。

 鶴紗に問われて、初めは目を左右に泳がせ逡巡していたが、やがて意を決したのかぽつぽつと語り始めた。

 

「神琳がね、言ってくれなかった」

「何を?」

「毎日『愛してる』って言ってくれる約束だったのに、昨日は言ってくれなかった……」

「は? お前らそんなことやってたの?」

 

 鶴紗は割とガチでドン引きした。

 

 次に神琳。

 既に頭の痛い鶴紗だが、一応は聞かねばなるまい。

 放課後、他のメンバーが集まる前のレギオン控室で相対する。

 

「いいえ、それは違います。わたくしは確かに約束を守りました。ただ、昨晩わたくしが所用から部屋に戻った時、雨嘉さんはベッドに座って船を漕いでいらしたのです。そんな雨嘉さんを横にしてから、確かに言いました」

 

 神琳が毅然とした様子で言い放った。

 彼女とそこそこ付き合いのある鶴紗は、何となく「拗ねているんだな」と感じ取る。鶴紗以外の人間でも気付きそうなものだが、聞き手が鶴紗だからこそ神琳はあんな態度を取ったのかもしれない。 

 

 ともかく事情は把握した。

 事情は把握したが、馬鹿馬鹿しくてすぐには掛ける言葉が見つからなかった。

 

「もう放っておいていいんじゃないか?」

 

 そんな風に思いもした。

 だが結局、引き受けた以上は一応解決を目指そうと思い直す。たとえ原因が馬鹿馬鹿しくても、二人のあの空気は耐え難かった。

 鶴紗は慣れないながらも神琳と雨嘉の説得を試みる。

 

「ねえ、神琳。雨嘉も悪気があったわけじゃないだろうし……」

「ええ、そうですね。お疲れだったんでしょう。勿論それは構いません。ですがわたくしの雨嘉さんへの愛を御本人に疑われたのは、甚だ心外です」

 

 面倒臭い。

 

「ねえ、雨嘉。そりゃあ確かに神琳は時々ぶっ飛んだことするし、セクハラ魔人2号だけど。でもそんなに悪い奴でもないと思うし……」

「うん、わかってるよ鶴紗。神琳にも都合があるんだって。でも約束は約束だから」

 

 面倒臭い。

 

 鶴紗もこの二人とはそれなりに付き合いがあると、密かに自負していた。本人たちの前では決して口には出さないが、絆のようなものも感じている。

 しかしそれでも解決策を見出せない。これ以上気の利いた言葉が思い浮かばない。鶴紗に痴情のもつれをどうこうしようなどと、やはり人選ミスだったのだ。

 

 悩んだ末、鶴紗は言い出しっぺたちの所へ相談に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ってわけなんだけど」

「何なんですの、もう……。放置でよろしいのでは?」

「珍しく楓と意見が合った」

「詰まるところ、わたくしたちは惚気に巻き込まれて振り回されただけではありませんか」

「振り回されたのは主に私だけどな」

 

 事情を知るなり楓は憤り、その後は興味を失ったような態度を取る。鶴紗もこれには同感だ。自分が楓だったなら、同じ反応をするところであった。

 一方で、残りの面子は未だ関心があるらしい。鶴紗はそんな彼女らに助言を求める。

 

「やっぱりこういうのは、お相手がいる梨璃やミリアムの方が分かるんじゃない?」

「えっ、私? 私は駄目だよ。だって私とお姉様だよ? 喧嘩なんてよく分からないし」

「わしのところも参考にはならんと思うぞ。喧嘩以前に、こっちが世話しとるぐらいじゃからの。手の掛かるシュッツエンゲルじゃわい」

 

 梨璃にしろミリアムにしろ、首を横に振って否定する。恐らくは無自覚なのだろうが、そこに惚気が含まれていることを鶴紗は見逃さない。

 結局、鶴紗から見れば、カップルというのはどこもかしこも似たようなものなのだ。似ている割に有用な助言はできないのだから、世話がない。

 

「二水、何かないのか、何か」

「そうですねえ……。放置、ではありませんが、ちょっと間を置くのは良いかもしれませんね。お互い頭が冷えるでしょうし、あわよくばあっさり解決してたりして」

「それは流石に都合が良すぎる」

 

 否定的な反応を見せたものの、鶴紗は二水の案を採用することにした。何だかんだ言って、この中では二水が一番当てになりそうだからだ。ほとんど趣味の校内新聞とは言え、伊達に記者をやっているわけではない。

 

「ふふっ」

 

 鶴紗が黙って考え事をしていると、それを見た二水が小さな笑い声を漏らした。

 

「ん?」

「いえ、鶴紗さんも最初は嫌がってた割に『付き合いがいいなー』と思いまして」

「今でも嫌なんだが」

 

 仕方なく。そう、仕方なくやっているのだ。一柳隊の空気を改善するために。

 しかし、意味深に顔を緩ませている二水には何を言っても通じそうになかったので、鶴紗もそれ以上は訂正しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 新館、一年生寮。郭神琳&王雨嘉の部屋。今更だが、二人は同室のルームメイトである。

 

「…………えっ」

 

 部屋の中で立ち尽くして間抜けな声を発する鶴紗。

 一晩経って、鶴紗は神琳と雨嘉の様子を見に来ていた。二水の言った通り、頭を冷やしていたら御の字。すぐさま解決とはいかずとも、昨日よりは話が前に進むだろう。

 そんな淡い期待を抱いていたが、鶴紗の知らぬ間に事態は斜め上へと推移していた。

 

「ごめんなさい、雨嘉さん。意地を張らず、素直に起こしてから言うべきでした」

「私の方こそごめん……! 神琳を待ちきれずに寝ちゃった私が悪いのに。八つ当たりみたいなことして……」

 

 二人して下段のベッドに並んで腰掛け、互いに見つめ合っている。距離は幾ばくも無く、ライトブラウンの髪と黒髪が今にも触れそうだった。

 

「何も、就寝前に言わなくても良かったのです。朝起きた時でも、昼食時でも。朝昼晩と毎回言うのもありですね」

「ううん、それはもういいよ。私、本当は神琳の気持ちを疑ったことなんてなかった。ただ、その、声に出して言って貰えたら、優越感に浸れるというか……。とにかく私の我儘だから、もういいの」

「ふふっ。日本では、こういうことは敢えて口に出さないのが風情なのだそうです。ですが生憎わたくしたちは日本人ではないので、言葉にして伝え合いましょう」

「うん……」

「雨嘉さん、愛しています。他の誰よりも」

「私も、神琳のことが好き」

 

 黒のスカートから覗く雨嘉の膝の上で、二人の手が重ねられる。お互いの吐息が鼻先に掛かるぐらいに接近していた。物理的な距離以上に、彼女らを隔てる物は何も無い。

 じりじりと上昇していた部屋の温度と湿度が、より一層上がる。勿論本当に高いわけではないのだが、この場に居合わせた人間は皆が「熱い」と感じるだろう。実際、鶴紗がそうだった。

 

「私は一体、何を見せられているんだ」

 

 ちゃんと部屋の外で、ドアの前でノックして、神琳の返事を待ってから中に入った。そのはずだ。けれども鶴紗は自分で自身が持てなくなってしまった。目の前で繰り広げられる光景に。

 自分は空気となり、他人から認識されなくなったのか。サブスキル『ステルス』に目覚めたのか。そんな益体も無いことさえ夢想する。

 

「雨嘉さん」

「あっ。しぇん、りん……」

 

 不意に、甘く鈴を転がすような声と共に、神琳が雨嘉を優しく押した。雨嘉の上体はゆっくりとベッドの上に仰向けとなり、その雨嘉を神琳が見下ろす格好となる。

 左右で色違いの瞳に見つめられ、雨嘉の体はまるで時が止まったかのようにピタリと静止するのであった。

 

「雨嘉さん、幸い誰も居ませんし」

「居るっ! ここに居るぞ!」

「まあ鶴紗さんはファミリーみたいなものですし」

「ふざっ、ふざけ……! やめろバカっ!」

 

 揶揄われていただけだった。当たり前である。

 

 それから鶴紗は二人を引き剥がし、床の上に正座させた。

 仁王立ちする鶴紗の前で、神琳は背筋を伸ばして事も無げに。雨嘉は気持ち背を丸めて申し訳なさそうに。

 

「取り合えずお前ら、私に言うべきことがあるだろう」

「ご迷惑おかけしました」

「ごめん」

 

 その謝罪は仲違いしていたことに対してか、先程の寸劇に対してか。どちらにせよ迷惑千万な話である。

 

「全く、雨嘉までこんな茶番に付き合って」

「つい、流れで……」

 

 確かに、あまり自分から主張することの少ない雨嘉は周りの雰囲気に流されやすいところがある。が、これはあまりにもあんまりだ。

 

「喧嘩、やめたんならいいけど。心配掛けたんだからあとで皆に……いや、梅様と夢結様に一言入れとけよ」

 

 鶴紗は厄介事を自分に押し付けてきた同学年たち――主に楓とミリアム――の顔を思い浮かべ、途中で訂正した。先輩たちはあの場には居なかったが、喧嘩の話は把握済みだろう。梨璃たちが話しているはずである。

 

「それにしても、やっぱり放置で正解じゃないか。大体、小さな子供じゃないんだから。喧嘩の一つや二つで――――」

「あら、鶴紗さん。随分と心配して下さったのですね」

「私じゃなくて他の皆がだな」

「ふふふ、大丈夫ですよ。鶴紗さんという()()()()がある限り、わたくしたちがバラバラになることはありません」

()()()()よりも貝になりたいよ、私は」

 

 蛙の面に水。神琳が相変わらず神琳なので、付き合いきれない鶴紗は部屋をあとにする。

 

 結局、二人は無事に元の鞘へと納まった。経緯はどうあれ、鶴紗の肩の荷も下りるというものだ。

 今までの苦労は何だったのかという不満も、あるにはある。だがそれ以上に安堵したのもまた事実。癪に障るので、神琳の前では絶対に言ってやらないが。

 

 しかしながら、開放感に浸れるのも束の間。事態は鶴紗の思わぬ方向へと進んでいく。

 この時の鶴紗には知る由も無い。彼女が神琳と雨嘉の問題を解決したことになり、彼女の手に掛かればどんなカップルも立ち所によりを戻せると、そう噂されるなどと。そして噂のお陰で新たな波乱に巻き込まれるなどと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鶴紗さん鶴紗さん、聞いてください! お姉様がっ、お姉様ったら!」

 

「百由様め~~~っ! 百由様なんて初等部の娘に手を出して、お縄になればよいのじゃ! なあ鶴紗よ!」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 知らん知らん知らん! もう知らん!」

 

 カップルの仲裁はこりごりだ。そう心に誓う鶴紗であった。

 

 

 



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魔法少女チャーミーミリィ (百由×ミリアム)

 

 

 

 

 

 不思議な不思議な光に導かれ、少女は運命と出会う。

 

 

 

 

 

 薄紫のツインテールを風に靡かせて、夕暮れの路地を駆け抜けていく。自宅の窓から偶然目にした赤い光を追い掛けて、気付けばミリアムは近所の公園に辿り着いていた。

 そこそこ広いが、どこか寂しい公園だ。小さな滑り台とジャングルジム、ブランコが一つずつあるだけの空間。今は子供の姿も見えないので、余計に寂寥の念を覚えてしまう。

 

 その場所でミリアムは出会った。

 公園のど真ん中。先程まで追い掛けていた赤い光がゆっくりと輪郭を生み出し、形を成していく。そうして現れた()()は地面に足をつけることなく、宙に浮かんだままだった。

 

「なんなんじゃ、これは……」

 

 ミリアムは公園の入り口で立ち尽くし、目を丸くする。

 それは見た目とサイズだけで言えば、フワフワでモコモコなぬいぐるみ。丸い顔と丸っこい体の二頭身。何より特徴的なのは、アルファベットのCを模った耳と尻尾。

 呆然とした少女をよそに、その物体がただのぬいぐるみでないことを示すかのように、言葉を発する。

 

「こんにちは、僕チャーミィ! コアと契約して魔法少女になってよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、もしもし。保健所かの? 近所の公園に、珍獣が出たんじゃ。今すぐ来てくれぬか?」

「誰が珍獣だっ!」

「ひえっ、襲ってきた! 猟友会! 猟友会を呼んでくれぇ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フーッ、フーッ、……落ち着いたかい?」

「はぁ、はぁ、はぁ、落ち着いたのじゃ……」

 

 滑り台の滑り面、その一番下の部分に座り込んだミリアムがチャーミィに返事をする。

 一人と一匹は公園の中でひとしきり追い掛けっこを繰り広げた後、疲れ果てて停戦へと至った。

 

「それで、改めて自己紹介するけど。僕はチャーミィ、チャームの妖精だよ」

「そのチャームとやらが何かは知らぬが。妖精とな? 珍獣のぬいぐるみではないのか」

「ぬいぐるみが喋るわけないじゃないか。君は何を言ってるんだ」

「妖精とか言い出す方が、何なんじゃ」

 

 目の前に厳然と存在する非常識にミリアムは困惑する。

 だが、名乗られたなら名乗り返すのが礼儀。珍獣呼ばわり、ぬいぐるみ呼ばわりして礼も何もあったものではないが、それでもやらねばならない。まともに話が通じる相手なのだから。口調はアレだが、ミリアムも一応お嬢様なのだ。

 

「名乗るのが遅れたのう。わしはミリアム・ヒルデガるっ…………ミリアム・ヒルデぎゃっ…………ミリマっ…………。ミリアムじゃ!」

「自分の名前を妥協するのか……」

 

 噛み噛みでも、毅然と胸を張る。だってお嬢様だもの。

 

「それでチャーミィとやら。お主、魔法少女がどうとか契約がどうとか言っておったな。はっきりと断っておくが、わしは連帯保証人にはならんぞ」

「そういう契約じゃないから」

 

 そう低い声で否定すると、チャーミィは自分の体のモコモコの中に手を突っ込んで、赤く輝く宝玉を取り出した。

 

「ミリアムにはこのマギクリスタルコアと契約して、魔法少女になって欲しいんだ。そうして魔法の杖、チャームを使って戦ってもらいたい」

「戦う? ちょっと待て、何と戦うのじゃ?」

「……悪の秘密結社、ヒュージアン。この世界は奴らに狙われている」

 

 デフォルメされた、ぬいぐるみのような姿で大真面目にそんなことを言い出すものだから、ミリアムは思わず頬を引き攣らせた。

 

「そのなんちゃらアンとかいうのは、危険な奴らなのか?」

「ヒュージアンは人知れず侵略を始めているんだ。最近起きてる原因不明の火災や爆発事故は、奴らが暗躍した結果なんだよ」

「ほうほう、成る程のう。ではわしの幼馴染の楓が好きな娘にフラれたのも、親戚の高松の叔父貴がいつまでも結婚できないのも、全部ヒュージアンの仕業じゃな!」

「……さては君、僕の話を信じてないな?」

「い、いや、信じていないこともないこともないぞ? ……うぷぷっ」

 

 遂には堪え切れず、ミリアムの口から忍び笑いが漏れる。

 

「あ~やだやだ。最近の子供には素直さってものが足りないね。そのくせ要らない知識ばかりしっかり持ってるんだから、質が悪い」

「そうは言うがのう。お主の話を全て鵜呑みにしろというのは無理があるぞ。お主が普通でないのはよく分かったが、そこまでじゃ。せいぜい生物学者やサーカス団が喜ぶぐらいじゃろう」

「だから珍獣じゃないって言ってるだろ! 食っちまうぞーーーっ!」

 

 チャーミィの丸い顔が一瞬で膨れ上がり、人の頭でも丸かじりできそうなほど大きな口を開ける。

 その光景を前にして、ミリアムは先程の話を少しは信じる気になった。魔法がどうのこうのという問題ではない。少なくとも、今目の前に、この街を脅かしかねない存在を認めたからだ。

 あわや珍獣の餌か。ところがチャーミィが飛び掛かる寸前、夕暮れの公園に乾いた発砲音が木霊する。

 

「動くな! 鎌倉猟友会だ!」

「ギャー! 撃ってきたぁ!」

「お前が人語を操る猛獣か。もう抵抗しても無駄だぞ~」

「綿が出る! 綿が出るぅ!」

「なんじゃ、やっぱりぬいぐるみではないか」

 

 その後なんやかんやあって、ミリアムはコアの契約に同意するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、契約とはどうすれば良いのじゃ? どうやって魔法少女に変身するのじゃ?」

 

 後日、一人と一匹は再び例の公園へと集合していた。

 

「なんだよ。あれだけ馬鹿にしてたくせに、やけに乗り気じゃないか」

「いやー、最初は信じてなかったからのう。じゃが本当に魔法少女になれるのなら、こんなに嬉しいことはないぞい」

 

 実の所、ミリアムは変身魔法少女ものが大好きだった。アニメは毎話視聴するし、グッズも買い集めている。無論フィクションだとしっかり認識していたので、当初はチャーミィの言を訝しんだのだ。

 そんなミリアムの掌返しに対して、チャーミィは溜め息を吐きつつも、もう一度あの宝玉を取り出した。

 

「はい、マギクリスタルコア。これを握り締めながら、『魔法少女になりたい』って強く念じるんだよ」

「それで?」

「それだけ」

「変身の呪文は?」

「ないよ」

「テクマクマヤコン、テクマクマヤコンとかは?」

「そんなの、ないよ」

「ガーン、じゃな……」

 

 軽くショックを覚えるミリアム。現実はやはり厳しい。

 とは言え、ある程度は妥協して指示通りにコアを握ってみる。

 そこから先は早かった。ミリアムの小さな手の中で、赤い宝玉が紫の光を放つ。光はあっという間に彼女の全身を包み込み、前回と同じく陽が落ちて子供の居ない公園を照らす。

 体感で、十秒ほど。実際はもっと短かっただろう。光が収まった時、ミリアムの右手には本人の背丈よりも長大な魔法の杖が握られていた。

 

「これが、魔法の杖とな?」

「魔法の杖、チャーム。名はニョルニール」

「わしにはハンマーか鎌に見えるのじゃが」

「魔法の杖だよ。魔法の杖。文句はデザインした真島博士に言ってよね」

 

 よく聞き知った者の名を耳にして、ミリアムの眉がぴくりと動く。

 

「それはもしや、お隣の百由様の親父殿のことかの?」

「娘さん本人だよ」

「何と! 天才だとは思っておったが、魔法に関わっていたとは! あの百由様が!」

 

 ミリアムと一つ年上の真島百由は家族以上に親しい間柄だった。その百由が魔法少女に関係していると知り、驚きと誇らしさが込み上げてくる。

 

「一つ気になったんだけど、その百由様って呼び方なんなの? 様付けって」

「百由様は百由様じゃ。こう呼んだらお菓子をくれるし、膝の上に乗せてくれるのじゃ~」

「うわっ。君、人との付き合い方を考え直した方がいいよ」

「ケダモノに人付き合いを諭されてしもうた……」

 

 気を取り直し、ミリアムは次に自身の格好に注目する。今まで身に着けていた衣服が影も形もなくなって、代わりに薄手の黒衣を纏っていた。魔法少女お約束の一つ、コスチューム早着替えである。

 

「しかしこの衣装、ノースリーブで肩がスース―するのう。それに肌にピッチリで何やら変な感じじゃわい」

「言っとくけど、その衣装も真島博士考案だからね」

「ほう! 百由様も中々面白いものを考えたな!」

「もう突っ込まないよ」

 

 そして、話題は再びチャームへと戻る。肝心要の、武器としての性能について確かめなければならない。

 

「ところでこのチャーム、どうやって使えば良いのじゃ? どんな魔法が使えるのか教えてくれ」

「そうだね……。まず現在のブレイドモードだけど。これは、思い切り振りかぶって敵を殴る」

「なぐ、る……?」

「次にチャームを形態変形させたシューティングモード。これは、20mm機関砲弾での射撃戦が可能だよ」

「機関砲……」

 

 あまりに身も蓋も無い現実にミリアムは絶句する。

 魔法、なのだ。せっかくの魔法なのだ。それなのに、戦いとは言え血と汗と硝煙に塗れそうな使い方をしていては、魔法少女が台無しである。

 

「今更じゃが、そもそもチャームとは何じゃろう」

「Counter Hugeien ARMS、略してチャーム。魔法と科学の融合体。ヒュージアンに対抗できるほとんど唯一の武器なんだ。ちなみに、僕の耳と尻尾のCはチャームの頭文字から取ってるんだよ」

「なんと。視力検査のランドルト環ではなかったのか」

「眼鏡屋じゃあないんだよ」

 

 チャームについて分かったような、分からないような。

 

 ところで魔法少女に欠かせない要素として、魔法の杖に変身コスチュームと来て、三つ目に挙げられるものがある。

 

「これまでの流れからして期待はできぬが、必殺技は無理じゃろうな」

「あるよ」

「やはり……って、あるのか!?」

「あるよ」

 

 ミリアムはチャーミィに掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄る。

 

「頼む、教えてくれ! 魔法少女と言ったらやはり必殺技じゃろう!」

「何か認識が偏ってない? まあ、教えるのはいいけど。でも扱いには気を付けてよ? チャームを握って技の名を口にするだけで発動するんだから」

「うむ、承知した!」

「じゃあ教えるよ。技の名はフェイズトランセンデンスで……」

「フェイズトランセンデンス?」

「あっ、ちょっ――――!」

 

 次の瞬間、ミリアムの手の中にあるニョルニールが打ち震えた。分厚くごつい刃の部分が左右に開き、ロッドの先端がそのまま砲口と化した。

 魔力の高まりを感じる。初めての経験だったが、それが魔力なのだとミリアムは感覚で理解した。そして理解した直後には、真上を向いたニョルニールの砲口から光の奔流が放たれる。

 ミリアムの髪色と同じ薄紫の極太レーザーが、夕焼けの赤に染まった雲を貫いた。

 

「おおぅ、ここまでとは……」

「だから言ったじゃないか! 街中でっ、何考えてるんだ!」

 

 砲撃の反動により、ニョルニールを握る手が未だ震えている。はっきり言ってミリアムの想像以上であった。チャーミィが口角泡を飛ばすのも無理はない。

 街のど真ん中に出現した極大の光は、幸いなことに物理的な被害こそ生み出さなかったものの、あまりに目立ち過ぎていた。

 

「鎌倉猟友会だ! 今の光は何だ!?」

「ギャーーー! 出たぁー!」

「やれ、またお前か。街が壊れるなあ」

「僕じゃない! 僕じゃない!」

「つべこべ言わずに来い、ほら! ヤキ入れてやる!」

「うわーん! 動物虐待だー!」

「お主、妖精なのか獣なのかハッキリせい」

 

 その後なんやかんやあって、ミリアムはニョルニールと共にヒュージリアンとの熾烈な戦いに身を投じることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女ミリアムと悪の秘密結社ヒュージアン。両者は鎌倉の地を舞台に幾度となくぶつかり合った。

 世界征服を企む巨悪にミリアムが立ちはだかる。そんな彼女に対して、ヒュージアンは数多の刺客を差し向けてきた。怪人に怪生物、ロボット兵器。それらは魔法少女の手でことごとく打ち倒された。

 そうして結社の誇る二大戦力、『三つ首の火吹き蜥蜴』と『二足歩行の空飛ぶ大亀』を撃破した後、ミリアムは遂に敵首領の足取りを掴むことに成功した。

 

 やって来たのは人里離れた採石場だ。ここにヒュージアンの本拠地である地下要塞が存在するらしい。

 

「それにしても、こんな大事な時にチャーミィの奴はどこに行ったのじゃ。百由様とも最近連絡が付かんし」

 

 ミリアムが腕組みしながらぼやいた。

 しかし本心で言えば、それほど心配していない。どうせ百由は研究に没頭しているのだろうし、チャーミィはとうとう保健所に放り込まれたのだろう。さしたる問題ではなかった。

 ミリアムは思考を本題へと戻す。

 

「しかしどうやって地面の下からおびき出したものか……」

 

 できるならば地上で戦いたい。思い切り力が使えるからだ。けれどもそのためには敵の首領を引きずり出す必要がある。

 

 採石場の真ん中に立ち尽くして思案するミリアムだったが、その悩みは程なくして解消された。

 前方、荒涼たる岩の大地に突風が吹き荒ぶ。宙に舞い上げられた砂埃の向こう側から、人影が近付いてくる。

 埃が徐々に霧散していき、人影が鮮明になってきた。長い黒髪と赤縁メガネ。その姿をミリアムはよく知っている。狂おしいほどに知っている。

 

 何かの間違いだ――――

 

 そう思いたかった。

 だがそれ以上に、理屈ではなく直感で理解してしまった。

 

「百由様が、ヒュージアンの首領だったのか」

 

 相対する彼女の顔は、ミリアムの知る彼女のままであった。洗脳されているわけでも、刹那の衝動に駆られているわけでもない。素の真島百由、そのものに見えた。

 

「ぐろっぴ、よくここまで辿り着いてくれたわ。私の期待した通りに」

「どういうことなのじゃ。そもそも、どうしてヒュージアンの親玉がヒュージアンを倒すチャームを作るのじゃ! 答えてくれ、百由様!」

「勿論、ここまで来たぐろっぴには教えてあげる。私の目的共々ね」

 

 百由は目と口を一旦閉じた後、改めて話を続ける。

 

「ぐろっぴ、一昨年の身長は幾つ?」

「んっ? 144じゃ」

「去年の身長は?」

「146じゃ」

「今年は?」

「147」

「成長してるじゃないの!」

「そりゃ成長するわい」

 

 わけが分からず困惑しきりのミリアム。

 その一方、百由は捲し立てるように口を動かしていく。

 

「駄目よ、そんなの駄目。ぐろっぴはいつまでも今のぐろっぴじゃないと駄目。そこで私は人の姿を永遠に固定化させる装置を開発した。だけどそれを動かすには、想いの力を思念波にして供給しなければならない」

「何を、何を言っておるんじゃ……」

「世界征服を企む悪の秘密結社を、魔法少女のぐろっぴが倒す。そうすれば世界はぐろっぴを褒め称え、強大な想いのエネルギーが生み出される。そう、少女姿のぐろっぴに対してね」

「何を言っておるんじゃ百由様! ならば、今までの戦いは全て仕組まれたことだというのか!」

 

 叫ぶミリアムに対し、百由は静かに頷く。

 

「既に必要なエネルギーは貯まったわ。さあ、おいでぐろっぴ。その可愛らしい姿のまま、悠久を共に過ごしましょう」

「馬鹿を言うでない! そんな装置、今ここでわしが破壊する! この茶番も終わらせるのじゃ!」

 

 当人に思い切り拒絶されても、百由に動じた様子は見られない。まるで初めから想定していたかのように。

 

「なら仕方ないわ。ちょっとだけ大人しくしてもらいましょうか」

 

 その言葉を合図にして、二人が相対している採石場を地響きが襲う。

 百由の立つすぐ横で、地面が左右に大きくスライドし、地中から巨大な影がせり上がってくる。

 それは50メートルにも達する巨体。くぐもった低い唸り声は、大地を揺るがし天にも届く。

 

「我が魔道と科学の極致、ギガント・バイオ・チャーミィ君よ!」

「ち゛ゃ~み゛~ぃ~」

 

 丸っこくファンシーな見た目はそのままに、山の如き体躯と化したチャーミィが吼える。

 幾らファンシーなままとは言え、そのサイズだけでも脅威となる。単純な質量、単純な暴力こそが、この世で最も優れた力なのだ。

 

「チャーミィお主、見かけないと思ったら、そのような姿に……」

 

 決して長い付き合いではない。どつき、どつかれ、思えば衝突ばかりしていた気がする。

 だがそれでも、自称『チャームの妖精』の変わり果てた姿を前にして、ミリアムの中に何かが込み上げてくる。

 

「ち゛ゃ~み゛~!」

 

 再度の咆哮と共に振り上げられる拳。

 それを見たミリアムは地を蹴って飛び上がる。薄紫の光を全身に纏い、ニョルニールを構えてチャーミィに突っ込んでいく。

 振り下ろされた巨腕と無骨な刃が激突した。

 ミリアムの華奢な体は衝撃で呆気なく弾き飛ばされてしまう。しかし同時にチャーミィの巨体もまた、よろめきながら後ずさる。

 

「来なさい、ぐろっぴ。勝っても負けても愛してあげるわよ~」

「チャーミィをその姿から解放し、ヒュージアンを叩き潰し、百由様の頭を冷やさせる。この魔法少女ミリアムが!」

 

 空中で身を翻して体勢を整えたミリアム。纏った輝きはより一層強くなり、疾風となって宙を翔ける。

 チャーミィが今度は助走をつけて、拳を振りかぶりながら前進を開始する。

 

「うおおおおおおおおおっ!」

「ち゛ゃ~み゛~!」

 

 両者激突。

 眩い閃光と怒涛の如き衝撃波が採石場を覆い尽くす。

 世界の命運はこの一戦に託された。

 

 魔法少女ミリアムの勇気が全てを救うと信じて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――という夢を見たのじゃ」

 

 ここは工廠科そばのラウンジ。ソファの上にどっかりと胡坐を掻いたミリアムが長口上を終えたところ。

 話を聞き終えたレギオンメンバーやシュッツエンゲルの反応は様々だった。

 

「何事かと思えば……。最後まで聞いて損しましたわ」

 

 そう言って楓は紅茶のカップを口に運ぶ。何だかんだ言って、最後まで聞く時点で付き合いが良い。

 

「夢にまで百由様を見るなんて、本当に大好きなんですね! 私もよく夢でお姉様と一緒になるんだ~」

「梨璃さんのは、夢は夢でも白昼夢じゃないですか?」

「ち、違うよぅ」

 

 梨璃と二水は何やらおかしな方向へと話が進んでいる。

 

「ちょっとー! それ納得いかないわ!」

 

 ミリアムの長話に異議を唱えたのは、物語の登場人物でもある百由だ。

 

「それじゃあまるで、私が幼女趣味の変態みたいじゃない!」

「違うのか?」

「私は幼女が好きなんじゃなくて、好きになった子がたまたま幼女だっただけよ!」

「変態は皆そう言うんじゃ。あと、わしは幼女ではないぞ」

 

 そんなシュッツエンゲルとシルトの言い争いの中、ふと、二水が素朴な疑問を口にする。

 

「でも夢の割に、やけに具体的でしたねえ」

「うむ。起きてすぐに文字に起こしたからのう。お陰で午前中の講義がしんどかったぞ」

「えぇ……。まあ、物書きの端くれとして気持ちは分からないでもないですが……」

「そうじゃ! 今度『変身魔法少女制作委員会』にこの話を送ってみよう!」

 

 いいことを思い付いたと言わんばかりに、ミリアムが声のトーンを上げる。

 実は彼女の夢、とある魔法少女アニメの影響を強く受けていた。何せ夢に出てくるぐらいだから、いかに熱心なファンかは推して知るべし。

 

「上手くすればスピンオフ作品として採用されるやも。ふっふっふ、わしの頭の中の物語が地上波に流れる日も近い!」

「私は変態じゃなーい!」

 

 こうして今日も工廠科の余暇は過ぎて行く。

 

 

 





そらくす長編構想中にもかかわらず、ライブの影響でヘルヴォル熱が再燃してしまった…

と言うか一柳隊もまだ書き足りない…

体があと三つぐらい欲しい…




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千香瑠ママのお料理教室 (一葉×恋花)

私事(わたくしごと)で恐縮ではありますが……今この場を借りまして、私、相澤一葉は飯島恋花様とお付き合いさせて頂いていることをご報告します!」

 

 我らがヘルヴォルのリーダーがそんなことを言い出したのは、昨日の夕刻、訓練とミーティングを終えた時のことであった。

 突然の交際宣言は他のメンバーに驚きをもって迎えられた……わけではない。千香瑠も瑤も、そして藍までもが程度の差はあれ察していたからだ。

 また、正式に宣言されたからと言って、表向きでの変化も特には無い。一葉は人前であまり浮ついた態度を取る人間ではないし、恋花は元からスキンシップが多いタイプだった。そういうわけで、本日のヘルヴォルもいつものヘルヴォルであった。

 

「ふふっ」

 

 件の宣言の様子を思い出して、豊かな茶髪をポニーテールに纏めた少女――芹沢千香瑠は笑みを溢す。一葉は一見すると堂々とした態度であったが、頬にはほんのりと赤みが差していた。恋花も普段通りの飄々とした態度だが、どこか照れ臭そうだった。

 初々しくて微笑ましい。そんな感想を抱くなんて、まるでこっちが年寄り染みたようだ。けれども千香瑠はそれが気にならないぐらい、おめでたい気分の方が勝っていた。

 

 千香瑠が居るのはヘルヴォルの控室兼ミーティングルーム。彼女だけ講義が早く終わったので、一足先にここに来て、作りかけの編み物の続きに勤しんでいた。

 ぽかぽかと温かい気分のまま、慣れた調子で両手を動かす。すると赤い毛糸があれよあれよという間に編み込まれ、一枚のマフラーを形作っていく。

 その時だ。千香瑠の中に、とある疑問が鎌首をもたげたのは。

 

「……あの二人、同棲したらどちらがご飯を作るのかしら?」

 

 編み物の手を止めて首を捻る。

 そうして千香瑠はあの二人、一葉と恋花の普段の言動を思い起こす。

 

 

 

 

 

「健康補助食品! サプリメント! カレーは完全食!」

「ラーメン! ラーメン!」

 

 

 

 

 

 そんな想像をしてみたものの、いやいやと首を横に振る。流石にあの二人でも、同棲し始めたら多少の自炊はするかもしれない。

 そう考え直し、千香瑠は改めて想像し直す。

 

 

 

 

 

「恋花様、今日の夕飯は丼物にしましょう!」

「いいじゃん、いいじゃん。カツ丼にしよう、カツ丼!」

「カツ丼ですか……。豚肉は疲労回復やエネルギー代謝に必要なビタミンB1を含みますから、悪くない選択です。ただ、カツに使用する衣は油分も多く含んでしまうので」

「げーっ、あたし肉は食べたいけど太りたくはないよぉ」

「そこで! こうしてカツの衣の部分だけを削ぎ落としていって……できました! 衣抜きカツ丼です!」

「おー、これはこれでイケそうかも」

「では、いただきます!」

「いただきまーす!」

 

 

 

 

 

「駄目よ……。衣抜きカツ丼だなんて、そんなの新婚さんが食べるようなものじゃない……。私が何とかしなくちゃ……」

 

 自らの想像によって、自ら蒼白になる。

 千香瑠の妙にリアルな想像を惹起させたのは、当然ながらあの二人の言動であった。普段からのイメージというものが、いかに重いかを示す典型的な事例と言えよう。

 

 千香瑠が一人で思い詰めていると、軽快な電子音と共に控室の機械式ドアが開いた。

 

「お疲れ様です、千香瑠様。瑤様と藍はもう少し遅れて来るそうです」

「今日は訓練無しのミーティングだけだし、面白いことないかな~。千香瑠は何やってんの?」

 

 噂をすれば影。

 室内に入ってきた一葉と恋花を前に、千香瑠は席からすっくと立ち上がる。

 

「衣抜きカツ丼はダメぇ!」

「はい?」

 

 困惑の声が見事にハモるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平静を取り戻した千香瑠は二人に対して事のあらましを説明した。

 

「同棲とか新婚とか、気が早すぎじゃない?」

 

 恋花は半ば呆れたようにそう言った。

 

「いいえ、千香瑠様が危惧されるのも当然です」

 

 一方、一葉は感心したように頷いている。

 

「ですが、ご安心を。私も流石に衣抜きカツ丼なんて無駄の極みはしません。そもそも、わざわざ手間暇かけて作った料理に、どうして手間暇を上乗せしなければならないのですか。第一、そんなのは食材の浪費です!」

 

 一葉の力強い弁に、千香瑠は全く安心できなかった。確かに一葉の考えは正論なのだが、今言いたいのはそういうことではない。

 そこで千香瑠は話を先へ進めることにした。

 

「恋花さんは、勿論麺派よね。じゃあ一葉ちゃんは、お米とパンと麺、どれが好きかしら?」

「私は米派ですね。米にはたんぱく質の合成を促し体を形作る亜鉛が含まれています。毎日一定量を摂取するのに、米ほど都合の良い食物はないでしょう」

「そう。だったら当然、お米を研ぐのも慣れているわね」

 

 千香瑠の指摘に、一葉は一瞬だけ固まった。

 

「いえ、その、パックご飯で済ませていまして……」

「一葉ちゃん。私もレトルト食品や既製品が全て悪いなんて思っていません。実際、時間が無い時なんかは助かってるわ。だけど、余裕がある時ぐらいは自分の手でお料理をして欲しいの」

 

 子供を諭すかのような千香瑠の言葉に、一葉は声も身も縮こまる。

 

「あははっ! 一葉、お説教だねえ」

「恋花さんは? 普段、ラーメンの具や付け合わせのおかずを作ったりするのかしら?」

「うっ……」

 

 今度は恋花が固まる番だった。ところが彼女の場合、固まった後ですぐに開き直る。

 

「いいもーん、料理できなくても。あたしは千香瑠ママに作ってもらうんだもーん」

 

 子供みたいな言い草。

 しかし当たり前だが、それを許す千香瑠ではない。

 

「恋花ちゃん!」

「ちゃん!?」

「いつまでもママがご飯を作ってあげられないの! どうして分かってくれないの、恋花ちゃん!」

「マ、ママぁ……」

「千香瑠様も案外、ノリがいいですよね」

 

 ンンッとわざとらしく喉を鳴らし、千香瑠は場を仕切り直す。

 

「とにかく、二人には最低限のことはできるようになってもらいます」

 

 穏やかな、しかし有無を言わせぬ空気を纏って宣言した。

 一葉も恋花も異論は無いらしい。さっきからしきりに首を縦に振っている。

 そういうわけで、一行は千香瑠を先頭に場所を移すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移すと言っても、どこか別の部屋や施設を訪ねたわけではない。控室の中に設けられた調理スペース、キッチンまで移動しただけのこと。千香瑠は使い慣れたこの場所で、ちょっとしたお料理教室を開こうというのだ。

 

「大丈夫です。本当に基礎中の基礎にチャレンジするだけだから。二人ともそう緊張しないで」

 

 不安げな一葉と恋花を安心させようとする千香瑠。だがその試みは芳しくない。千香瑠の料理の腕はヘルヴォル内で周知の事実であるため、身構えられているのだろう。人間、自分にできることは他人にも求めがちになるものだ。

 ちなみに今、三人は制服の上からエプロンをつけている。色は千香瑠がピンク、一葉が青、恋花が黄色。更に頭は同色の手拭いで覆い、ほっかむりにしていた。

 

「まず一葉ちゃん、お米を研いでもらいます」

「米を研ぐ、ですか……」

 

 この事態に陥った切っ掛けとは言え、本当に米を研ぐとは思っていなかったのか、一葉が意外そうに目を丸くする。

 こういう反応が返ってくるのは、千香瑠にとって想定済み。だからこそ敢えてこの課題を選んだのだ。

 

「最初にあらかじめ水を張ったボウルに決められた分量のお米を入れて、手早くすすいでちょうだい。お米を先、水をあとにすると、糠の臭いをお米が吸ってしまうから気を付けてね」

「成る程、分かりました」

 

 言われた通り、一葉はボウルの中で米を軽くすすいだ後、さっと水を捨てて最初の工程を危なげなく終える。

 問題はここから。実際に米を研いでいくことになる。

 

「それじゃあ、今度こそ本当にお米を研ぎましょうか。手はボールを軽く握る形にして。一定のペースで軽くかき回してちょうだい」

「はい」

 

 今度も一葉は千香瑠の指示通りに実行したつもりなのだろう。一葉の真面目な性格上、それは間違いないはず。

 けれども千香瑠からすると、残念ながら及第点とはいかなかった。

 

「一葉ちゃん、力を入れ過ぎよ。それではお米が傷んで旨味や栄養が逃げてしまうわ」

「す、すみません。……こうですか?」

「まだ、もうちょっと。そうね……恋花さんに接するように、優しくしてあげて」

 

 千香瑠の爆弾発言を受け、米をかき回す手が止まる。

 そして当然ながら、一葉の隣から作業を覗いていた恋花がこれに反応しないわけがない。

 

「あっ、かーずはー。今いやらしいこと考えながら研ごうとしたでしょー」

「してませんよ! そんなこと!」

「本当かなぁ? 一葉って結構ムッツリだし」

「してませんったら! 何が悲しくて米粒相手にいやらしいことしなきゃならないんですか。するなら恋花様本人にしますよ!」

「ちょっ、バカっ……!」

 

 台所にて唐突に始まるイチャイチャ。

 この事態に、千香瑠は「料理中に何を」と窘めるでもなく、にこにこと見守っている。そもそも彼女が初めに煽ったようなものなのだ。

 美味しく食べることも大切だが、それと同じぐらい楽しく作って楽しく食べることも大切。千香瑠はそう考えていた。

 手間の掛かる自炊を楽しむなど、どれだけ難しい話であるか。それは分かっている。二人に対して厳しいことも言った。

 ただそれでも、千香瑠は料理の楽しさや充実感を、少しでも仲間たちに知って欲しかった。仲間たちと共有してみたかった。当初こそ二人を心配するが故の行動だったが、今となっては、千香瑠自身の望みのために教えているのも同然と言えるだろう。

 

「うふふ。一葉ちゃんも大分コツを掴んできたみたいね」

「そうでしょうか? まあ要領さえ得られれば、あとは単純な作業ですし」

 

 そうして三回、米を研いで、とぎ汁を取り除く作業を繰り返す。あとは水を加えて炊くだけとなった。

 ちなみに、とぎ汁は捨てずに千香瑠が確保している。これはこれで使い道があるからだ。

 

 そんな時、再び控室の扉の開く音が聞こえてくる。

 ヘルヴォル残りのメンバーが到着した合図であった。

 

「ごめん、遅くなった」

「ただいまー。皆、何してるのー?」

 

 抑揚に乏しいハスキーボイスを発したのは、赤毛のセミショートが似合う少女。初鹿野瑤。

 その瑤と手を繋いでいる幼い娘は佐々木藍。中等部生にも初等部生にも見える彼女だが、歴としたヘルヴォルの一員である。

 

「お疲れ様です、二人とも。一葉ちゃんや恋花さんと夕食の支度をしていたところなの」

「あの二人が料理……。そっか、ならミーティングは食後かな」

 

 千香瑠と瑤が話している横で、藍が制服の袖に隠れた両手を勢いよく振り上げる。

 

「ごはん! ごはん食べる! お腹減った~!」

「藍、もう少し待って。三人が作ってくれてるから」

「む~ぅ……」

 

 長身の瑤と小さな藍の、年の離れた姉妹みたいなやり取り。千香瑠はくすりと微笑んでから、台所の二人の方へ向き直る。

 

「ご飯は炊き上がるのを待つだけね。じゃあ次は恋花さん。恋花さんには鮭と大根の煮物を作ってもらいます」

「って、さっきと比べて急にハードル上がってない?」

「大丈夫。私もちゃんと手伝うから」

 

 恋花の抗議を軽く宥めつつ、早速準備に取り掛かり始めた。

 まず銀杏切りにした大根をステンレスの鍋に放り込んで下茹でをする。

 

「千香瑠、どれぐらい茹でればいいんだっけ?」

「竹串がすっと刺さる程度ね。それと、さっき取っておいたお米のとぎ汁も入れましょう。大根の臭みやアクが落ちるのよ」

「ふーん、そんなことに使えるんだ」

 

 もう一方、鮭の方は一口サイズに切り分けた後、骨を取り除いて片栗粉をまぶす。煮る前に、油を引いたフライパンの上で焼くのだ。

 

「表面がカリッとなるまで、薄らキツネ色になるまで焼いてちょうだい」

「はーい。……それはそうと、キツネ色ってよく分かんないよねえ。あたしキツネ食べたことないしー」

「そうね。私もキツネは調理したことないわ。でもタヌキは今度、挑戦してみようかしら」

「あ、やっぱ今のナシで」

 

 何か嫌な予感を覚えたのだろう。恋花がいとも容易く前言を撤回する。

 

「はい、いよいよ煮ていきましょう。最初は下茹でした大根だけ。水に醤油にみりんに味噌、お砂糖とお酒を入れて」

 

 フライパンにて、大根と調味料が熱を加えられ、ジュワっと香ばしい音と匂いを放つ。これだけでも既に食欲をそそられるところだが、恋花はぐっと我慢してフライパンに蓋をした。

 

「十分経ったら鮭を一緒にして、もう十分煮るの。それで完成よ」

 

 千香瑠の「完成」という言葉を聞いて、恋花は安堵したように息を吐いた。

 一葉もそうだが、恋花だって決して不器用ではない。

 ただ自炊において、最もネックになるのは()()だろう。おかずは一品用意して終わりとはいかず、様々な食材を用いて数種類作らなければならないのだ。栄養のために、そして食事を楽しむために。

 

「恋花さん、自分で作ってみて、どうだった?」

「思ってたよりは簡単だったね。まあ千香瑠のお陰なんだろうけど。でもまあ、おかずを何種類も作るっていうのは大変だよねえ。やっぱ千香瑠は凄いわぁ」

 

 料理自体が嫌いでなくとも、それを毎日の如く続けていくというのはリリィにとって大変な負担だろう。無論、千香瑠とてそれはよく分かる。料理をする人間だからこそ、人よりもよく理解している。

 だからせめて、時々でいいので、こういう場を設けて一緒に台所に立っていきたい。四人のことを思い浮かべ、千香瑠はそう願う。

 

「千香瑠様?」

「ううん、何でもないわ。さあ、残りのおかずも作っちゃいましょう。手の空いた一葉ちゃんにはほうれん草のお浸しをお願いするわ。私はお味噌汁を完成させるから。恋花さんには――――」

 

 千香瑠はまたもやテキパキと指示を出し始める。実は彼女、他の二人の作業を見ながらも、同時に味噌汁の下拵えを進めていた。

 ヘルヴォル控室に用意された調理施設はただの簡易キッチンなどではない。設備も道具も整っており、スペースも一般的な住宅のそれと遜色ない。流石はエレンスゲトップレギオンへの待遇と言ったところか。そのお陰でこうして三人で作業を進められるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ごはんまだー? らん、お腹空いたー。もう待てなーい」

「藍、こっち。こっち来て」

「瑤?」

「はい、プチシュー。皆には内緒だから、こっそり食べて」

「やったー!」

「本当に内緒だからね? 特に千香――――」

「瑤さん? 私、お願いしたわよね? 『ご飯の前におやつをあげないで』って」

「これは、違うんだ千香瑠。これは食育なんだ。シュー生地に使われてる薄力粉に、カスタードに使われてる卵黄やグラニュー糖やクリーム。素材それぞれに含まれる栄養素を身を以って実感することで――――」

「瑤さん?」

「ごめんなさい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、ちょっとしたハプニングを交えつつも、ヘルヴォル控室のテーブルに出来立てほやほやの夕食が並ぶこととなった。

 茶碗に山と盛られた白米は薄ら湯気を立ち昇らせる。メインディッシュに当たる鮭と大根の煮物は食卓に醤油の香りを振り撒いている。香りと言えば、漆塗りの器に注がれた味噌汁も忘れてはならない。ジャガイモにタマネギにワカメといった定番の具材がたっぷり入ったその器から、味噌とカツオだしの仄かな風味が香ってくる。

 その他、ほうれん草のお浸しやキュウリの酢の物などが見られるが、出された品に共通しているのは()という要素であった。

 

「はっ! 料理に集中して今まで気付かなったけど。これ、肉が無いじゃん!」

「うふふ、今日はお魚料理ということで。お肉はまた今度ね、恋花さん」

「そんなー!」

「恋花、恋花。食べないなら恋花の分も、らんが食べてあげるよ」

「食べますー。食べないとは言ってませーん」

 

 恋花と軽口を叩き合っている藍も、瑤と共に食器や飲み物の準備を手伝った。

 そうして、ヘルヴォル全員で作り上げた食卓を囲むよう席に着いていく。

 

 両の掌を合わせ、食前の挨拶を唱え、各々箸を伸ばす。

 

 気になるのは、勿論実際の出来栄え。味だ。

 しかし心配は要らなかった。顔を綻ばせる一葉や恋花、口を一杯に開けて料理を掻き込む藍、そして黙々と箸と口を動かし続ける瑤を見れば、一目瞭然だ。

 透明な容器に溢れんばかりの水が注がれていくかのように、心が満たされる。この瞬間のために、自分は料理を作っているのかもしれない。

 

「また、今度……」

 

 控えめに切り出された千香瑠の言葉は周りに聞こえなかったらしい。その代わり、一葉の力強い言葉によって上書きされる。

 

「千香瑠様、是非また次の機会にご教授ください。しっかり復習予習の上で、汚名を返上して見せますから!」

「今度はちゃんと肉料理教えてよね。約束したからね!」

 

 恋花も加わってそんなことを言い出すものだから、千香瑠は思わず吹き出し、そしてゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでさあ」

 

 食後に後片付けを終え、いざミーティングという流れになったところ、恋花が思い出したかのように声を上げた。

 

「藍はまあチビッ子だからともかく、瑤はあたしらと一緒に料理教わらなきゃ駄目じゃん」

「むーっ!」

 

 機嫌を損ね口をへの字に曲げた藍が席を移動し、恋花のお腹の肉を掴もうと手を伸ばす。本人が一番気にしている点を的確に突いてきたのだ。二人の手は忽ち掴み合いの攻防を開始する。

 そんな中、話に挙がった当の瑤は眉一つ動かさず事も無げに答える。

 

「私は別にいいかな。千香瑠にずっと作ってもらうから」

「残念~それは既にあたしが通った道なのだ」

 

 真顔の瑤に突然そう言われて、直後の恋花によるおどけた茶々も耳に入らず、千香瑠はドクンと心臓を跳ねさせた。

 どうにか顔には出さずに済んだ、と自分では思う。けれども舌の方は上手く回ってくれない。

 

「えっ、えーっと……」

「ちょっとー。あたしの時と反応が違うんですけどー」

「そ、そうかしら?」

「うえーん! 千香瑠ママの浮気者ー!」

 

 オーバーな調子で泣き出した恋花の肩を、藍がぽんぽんと叩く。

 

「恋花、現実を見よう。瑤とはきゃらくたー性が違うんだよ」

「うっさいんじゃい!」

 

 部屋の中に、食卓の周りに、またしても笑みが溢れる。

 お腹も胸も一杯になっていた。千香瑠もまた、ご馳走される側だったのだ。

 

「はい、皆さん。随分ずれ込んでしまいましたが、本日のミーティングを始めましょう」

 

 一葉がそう促すまで、ささやかな喧騒は続くのだった。

 

 

 



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やきもきカップルの中に亜羅椰さんぶち込んでみた 前編 (勇渚×歩結)

 背高のビルが立ち並ぶ東京の街の中、黒舗装の分厚い道路を一台の中型バスが疾走する。

 バス車内の客席には十数名の女子学生が肩を並べていた。ブラウンとホワイトを基調にする同一の制服のはずなのだが、細かなデザインが異なる者ばかりである。

 

「フ~ン、フフ~ン、フフ~ン~♪」

 

 座席の最後尾、窓際の席で頬杖を突いて陽気な鼻歌を口ずさんでいるのは、情熱的な炎の如き赤毛の少女。セミショートの間から覗くツリ目が高速で流れる東京の街並みを眺めている。

 

「ご機嫌だねえ、勇渚」

 

 赤毛の少女、辻本勇渚(つじもとゆうなぎ)の隣席から同輩が声を掛けてきた。

 勇渚は窓に向けていた首を反対方向へと回す。

 

「そりゃあそうでしょ。御台場での戦技交流会、うちだけじゃなくて近隣ガーデンのリリィも呼ばれてるわけだし」

「あぁ~、色んな女の子来るからね」

 

 勇渚からの返答を受け、青髪ショートにリボンカチューシャを付けた東久世徳子(ひがしくぜとくこ)はフワフワな相槌を打った。

 勇渚のプレイガールぶりは同学年では有名である。同じレギオンメンバーなら尚更だ。

 なので徳子もそれ以上突っ込むことはなく、腕の中に抱えていたプラスチックの容器から飴玉を取り出して舐め始めた。

 

「そう言えば、百合ヶ丘からも参加するみたいね。あそこも御台場と仲良いから当然と言えば当然なんだけど」

 

 中央の通路を挟んだ向こう側から、透き通るようなロングヘアを伸ばした少女――三輪田俐翔(みわだりと)が話題を引き継いだ。

 俐翔が「あそこも」と言ったのは、彼女らの通うガーデンもまた、これから向かう御台場女学校と友好関係にあるからだ。

 

「百合ヶ丘かー。どんな子が来るんだろ? 可愛い子だったらいいなー。楽しみだなー」

 

 わざと大きめの声を出しながら勇渚が横目でチラリと視線を流す。

 視線が向かう先は、俐翔の更に奥の席。勇渚と反対側の窓際席に座る緑髪ポニーテールの少女に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イルマ女子美術高校。東京は清澄白河に校舎を構える勇渚たちのガーデンだ。

 御台場で開かれる戦技交流会に当たってイルマは十五名のリリィを派遣しており、勇渚の所属するLG(レギオン)ハコルベランドからは二年生一名と一年生四名の計五名が参加する。

 ちなみに、イルマのトップレギオンたるLGイルミンシャイネスのメンバーは今回お留守番となっていた。

 イルマは多国籍企業G.E.H.E.N.A.(ゲヘナ)と繋がりの深い親ゲヘナ主義のガーデンだ。

 一方で御台場はゲヘナの過激な人体実験に反対する反ゲヘナ主義である。

 ただしイルマが提携しているイルミンリリアンラボは人体実験や強化リリィの施術に慎重な穏健派のラボであり、過激派のラボとはある種の冷戦状態にあった。

 そんな事情もあって、イルマと御台場は特に工廠科同士の技術交換などで交流を持っている。

 

 清澄白河からお台場まで、首都高速を南下すればあっという間だ。両者とも江東区に属し、距離的に近くアクセスも良好である。

 御台場女学校に到着したイルマのリリィたちはまず他校のリリィたちと同様に講堂へ集められ、そこで交流会の進行役を務める御台場のリリィ――なんか小さくて鬼の角みたいなヒュージサーチャーを付けてる――から挨拶と交流会の趣旨、進行予定を聞かされた。

 そこそこ長い話が終わり、講堂から解放された勇渚は日の光の下で大きな伸びをする。

 

「っ、んんーーーっ、終わったー!」

 

 開会式の次は早速戦技のお披露目……というわけではなく、自由時間という名のリリィ同士での交流機会が設けられていた。

 勇渚はその事実にほくそ笑む。

 

「ちらっと見ただけでも可愛い子、いっぱい居たなあ。どの子とお近付きになろっかな~?」

「うわー、もう物色し始めてるよ。俐翔ちゃんどう思いますぅ?」

「品位を疑う」

 

 徳子と俐翔の冷やかしも意に介さず、皮算用を口に出しながら勇渚は周囲に目を走らせる。

 講堂の幅広な出入り口から、様々なガーデンの色取り取りの制服が外へ出てきていた。

 御台場の青、メルクリウスの白、神庭の赤、百合ヶ丘の黒などなど。

 一見するとそれら他校の生徒に目移りしているようで、勇渚はただ一人のリリィを見ていた。

 腰まで届く長い緑髪を後ろで一本に纏め、キリリと引き締まった眉に意志の強そうな瞳。レギオンの先輩と何事か話している彼女、田代歩結(たしろあゆむ)

 かつてパートナーだった歩結を勇渚はずっと見ていた。

 そんな中、歩結と話していた先輩がパンパンと軽く手拍子をして後輩たちの注意を引いた。

 

「さて、これから自由時間ですが。折角の機会なのです。他校の方々と思い思いに語り合い、親交を育むのも己の糧とするのも良いでしょう。ただし、あまり羽目を外し過ぎないこと。イルマのリリィである自覚を常に忘れないように」

 

 ふんわりとウェーブがかった黄金のロングヘアが眩しい、ハコルベランドの司令塔の一人。諸井佐保(もろいさほ)はこの場での唯一の上級生として一年生四人を引率していた。

 佐保、勇渚、歩結、俐翔、徳子、以上五名がハコルベランドから交流会に参加するメンバーだった。残りはやはりイルマでお留守番となっている。

 今回は戦技交流会なのでこの人選だが、戦術交流会だったらまた違ったメンバーになるだろう。

 

「ちょっと勇渚ぃ、言われてるよー?」

「あたし?」

「勇渚しか居ないでしょ」

 

 佐保が他校のリリィと交流しようと離れた途端、徳子にダル絡みされる勇渚。

 一方、歩結の方には俐翔が問い掛けてくる。

 

「歩結は誰か気になるリリィとか居るの?」

「うん、戦闘スタイルとかポジショニングとか聞いてみたい人は何人か居るけど……。今はそういうの関係無く話すのも良いかもしれないと思って」

「まあ実戦のことは明日の実演でも話せるからね」

 

 周囲を見ると、ハコルベランドのように講堂付近で話し込む者も居れば、校内の別の場所へ移動する者も居た。

 早速異なる制服同士で入り混じっているのは、リリィたちの自由闊達な気風をよく表していた。

 漏れ聞こえてくる会話の内容も、真面目な戦術論やチャーム批評から取り留めの無い世間話や恋バナなど多種多様である。

 

「ちょっとよろしいかしら?」

 

 不意に、歩結たちの方へ声が掛けられた。

 歩結と隣に居た俐翔は勿論、徳子と勇渚もそちらに注目する。

 

「イルマの田代歩結さんですね。ご迷惑でなければ私とお話し致しませんこと?」

 

 艶やかな薄桃色の長髪を靡かせる少女が右の手の平を差し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚武のガーデンたる御台場女学校といえども、常在戦場なのはあくまで心構えの話。

 校舎内には憩いの場が幾つもあり、中庭を臨むガラス張りのカフェテリアもその内の一つである。

 今もそうだが、これまでにも何かの機会に呼ばれた他校のリリィがここを利用する光景が多々見られた。

 

『ガーデンは閉鎖的で思考の硬直化した時代錯誤者である!!!!!』

 

 ――――というのは意識の高い社会派市民たちの弁ではあるが、実際にはご覧の通り。

 そもそも軍事施設なら立ち入りがある程度制限されるのは当然で、防衛軍の駐屯地でも『一般市民をフリーパスで通さないのは閉鎖的』とはならないだろう。

 ただの学校だとしても、生徒と無関係な人間が用も無く侵入すれば不審者扱いされるのは無理からぬこと。

 もっとも、閉鎖的云々などと義憤に駆られている人間は往々にして『ガーデンは行き過ぎた自由主義に毒された欧米かぶれ!!! よそはよそ、うちはうち!!!』と同じ口でのたまっているので、単なるポジショントークと見るのが通説であった。

 

「歩結ちん、どうするんだろうねぇ」

 

 カフェテリア内の奥まった席を陣取った三人の内、興味津々といった様子の徳子が遠く離れた窓際の席を眺めてそう言った。

 視線の先では、四角いテーブルを挟んで歩結と件の桃髪リリィが何やら会話に花を咲かせているようだ。

 

「どうって、戦術について話すって言ってたし、歩結なら変な話に乗ったりしないでしょ」

 

 徳子と同じテーブルを囲む俐翔が当たり前のように答えた。

 

「ん~、でもなあ。百合ヶ丘の遠藤亜羅椰(えんどうあらや)ちゃんって、すっごい女の子好きだって有名らしいよ? もしかしたら、もしかするかも!」

「いや、だからって。直接会ったのは今日が初めてなんだし、そんなまさか……」

 

 あれこれと続く二人の議論は徐々に熱を帯びていく。こういうところは彼女らも年相応の少女である。

 ところが勇渚はと言うと、最初から議論とは距離を置いており、椅子にどっかりと腰掛けて明後日の方向を向いていた。

 

「別にいいんじゃない? もしかしても」

 

 投げやり気味に吐かれた台詞に、二人が一斉に勇渚へと振り向いた。

 

「歩結が誰と付き合おうが、いいじゃない。むしろ折角のこんなイベントなんだし、色々じっくり交流した方がタメになるかもね」

「……勇渚、あんたそれ本気で言ってんの?」

 

 俐翔に低いトーンで問い質されるものの、勇渚は肩をすくめて素知らぬ顔。

 三人のテーブルを微妙に剣呑な空気が包む。

 異変に周囲のリリィたちも気付いているかもしれないが、あえて首を突っ込もうとする者は今のところ居なかった。

 そんな折、テーブルの横を御台場の制服を着た何か小さくて可愛い紫のサイドテールの女の子が横切った。

 次の瞬間、飴玉の容器を弄っていた徳子が勢いよく席を立ち上がる。

 

「わぁぁぁぁぁ! 君、可愛いねぇぇぇ!」

「ふぇっ? わ、私のこと?」

「アメちゃん食べるぅ?」

「えっ、えっ?」

「一緒に遊ぼうよぉ」

 

 あたふたして立ち尽くす御台場の子に対し、徳子は勢いのままぐいぐい迫ってその手を取ると、何処かへ連れて行こうとする。

 徳子の奇行はいつものこと。

 窘めるべく俐翔が腰を上げたところ、新たに御台場のリリィが二人現れる。小さい子の両脇を固めるように、金髪で優雅な子と青みがかった黒髪の凛々しい子が。

 

「なっちゃんは差し上げません」

「不審者ですね。風紀委員に通報します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風紀委員室。

 

「お騒がせ致しました。以後同じことが無きよう指導致しますので……」

 

 騒動を聞きつけた佐保が詫びを入れに来た。

 無礼講というわけではないが、こういう場であるし、そもそも実害が発生する前だったので注意ですらなく聞き取り程度で済んでいた。

 しかしそれはそれ、これはこれである。

 

「あっはっはっー。まあこういうこともあるよ」

 

 一方で当人の徳子はどこ吹く風。廊下へ出てからもこんな調子であった。

 彼女はたとえ先輩相手でも、誰が相手であろうとも、常に我が道を行くマイペースである。

 

「…………」

 

 諸井佐保が、イルマの太陽がニコリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんぎゃあああああああああっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、まだ日が完全に昇り切らない早朝。

 今回の戦技交流会では、御台場女学校南東の非居住区域におけるヒュージ討伐を通して交流を図ることとしていた。要は敵の()()()を兼ねた実戦交流である。

 なお大型ヒュージが確認される等、不測の事態が発生した場合は直ちに交流会を中止、御台場司令部の下で作戦行動に移行するよう予め通達されていた。

 ただそれまでの間は皆、思い思いのリリィと二人以上のグループを組んで沿岸部を進む。

 歩結もまた昨日誘ってきた百合ヶ丘のリリィと共に、二人で荒廃した埠頭の横を歩いていた。

 

「ハコルベランドの採用する(ファイブ)トップシフトには以前から興味があったの」

「それは、光栄だな。あのアールヴヘイムのAZにそう言われるなんて」

 

 AZ、即ちアタッキングゾーンとはレギオンの前衛として真っ先にヒュージとぶつかるポジションのこと。必然的に武勇が求められる役割だ。

 そして遠藤亜羅椰の所属するLGアールヴヘイムは世界トップクラスと評されるレギオン。

 歩結は一人のリリィとして彼女らアールヴヘイムを尊敬すると同時に、自分と似た戦闘スタイルを持つとあるリリィに注目していた。

 

田中壱(たなかいち)。貴方はTZで壱はAZだけど、スタイルがよく似てる。レアスキルやサブスキルだけじゃなく、前線でチャームを振るいつつ戦場を広く俯瞰し先を見据えて動く点。デュエルをこなしながら隊としての連携を高いレベルで図れる点。口にするのは簡単でも実践できるかどうかは別」

 

 今の歩結がこなしているT(タクティカル)Z(ゾーン)は言わば中衛。AZとB(バック)Z(ゾーン)の中間にあって、それら双方の役を補ったり隊の指揮を執ったりするポジションである。

 

「……私がAZからTZに転向したのは、個人だけでなくレギオンとして向上しないと戦いに付いていけなくなると思ったから。そのためには一歩引いて、司令塔的な視野も必要なんだ」

「そこはTZからAZへコンバートされた壱と逆なのね」

「壱さんは、この世の理のベクトル把握を最大限生かして前衛においても戦術を組み立てることが可能だとか。似たポジションのリリィとして尊敬してる」

 

 歩結は前々から百合ヶ丘のトップレギオンのメンバーと自分が比較されていることは知っていた。その比較対象について知ると、敬意の念を覚えた。

 

「ふうん……。ますます貴方に興味が湧いてきたわ。では貴方たちの誇る5トップシフトについてはどんな認識なのかしら? AZ五人体制なんて突破力は大層なものでも、その分ヒュージに浸透される危険も上がると思うのだけど」

「ハコルベランドは確かに外征を主眼に置いた攻撃重視のレギオンだ。でもそれと同時に可変フォーメションを採用したレギオンでもある。いつもいつも()()()()になるわけじゃないよ」

「成る程、つまり使いどころは弁えていると」

「アールヴヘイムに居る亜羅椰さんならよく分かるんじゃないか?」

「フフッ、そうね。仰る通りうちも可変フォーメション。状況に応じて陣形を変える。そのための複数司令塔。私たちと貴方たちの共通点ね」

 

 亜羅椰は切れ長の瞳を細めて笑みを浮かべる。その整った容姿と蠱惑的な雰囲気はどこかネコ科の肉食獣を思わせる。

 ネコ科と言えば、歩結は真っ先に一人のリリィを頭に浮かべる。

 気分屋で享楽的で、しかし胸の内に熱いものを抱えたリリィ。歩結にとって掛け替えのない存在で、しかし歩結自身が突き放したリリィ。

 いつも彼女のことを考えていた。歩結の中から彼女が離れていくことなど無かった。今この瞬間も。

 

「貴方というリリィについて、もっと知りたくなったわ。戦術やレギオン以外のことでも」

 

 目の前の亜羅椰が一歩前に踏み込んでくる。

 歩結も同年代の女子の中では背の高い方だが、亜羅椰もまた同じなので両者の目線がほぼ一直線に重なった。

 

「私たち、お付き合いしてみない? 勿論恋愛的な意味で」

「いや、それは流石にっ。私たち互いにまだ知らないことばかりなのに、性急過ぎるだろう」

「あら、知らないからこそ理解を深め合うのではなくて? 人はそうやって愛情を育むものでしょう」

「それはそうだけど……」

 

 歩結は予想外の事態に困惑した。

 遠藤亜羅椰が積極的な人物であることは短い交流の中ですぐに分かったが、昨日今日で交際を提案されるとは思いも寄らなかった。

 そもそも例の件以降、気を遣っているのかイルマには歩結に直接色恋話を振る者は少なかった。よりを戻すよう勧める者は居たが。

 

「ところで貴方、昨日からそうだけど、今日も私じゃなく別の何かを見てるわね。ほら、今この時も」

「……っ!」

「フフフッ。何となく、だけどね。そわそわしてるというか、気も()()()というか」

「すまないっ、失礼だった……」

「別に責めているわけじゃないの。ただ気になって。貴方にそこまで想われてる相手がどんな子なのか」

 

 歩結はまるで心臓でも掴まれたかのようにドキリとした。心の内を見透かされたようだった。

 不思議と嫌悪感や不快感が薄いのは、亜羅椰の話術や纏う空気のせいか。

 

「その子、イルマでお留守番?」

「…………」

「――――ではなさそうね。何かしら事情があるってわけ。でもどんな事情にせよ、共に歩んでないのなら、想いを形にしていないのなら、その事情を超えるまでの想いではないということになるわね」

 

 違う、と否定したくてもできない。()()を遠ざけてきたのは紛れもなく歩結なのだから。

 

「貴方が貴方自身を振り返ってから、それからもう一度返事を頂けないかしら」

 

 亜羅椰はそれ以上距離を詰めて来ず、微笑だけ残して沈黙する。

 そこには人の営みが途絶えた廃墟区画に似つかわしく物悲しい静けさが戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩結と亜羅椰が二人きりで埠頭付近を回っていた頃、勇渚たち残りの一年生三人組は内陸寄りの巡回エリアを進んでいた。

 お台場を含む東京湾埋立地の中でも、より沖合に近い南東部は再三再四ヒュージの襲撃を受けてきたことで現在では「廃墟か軍の施設か」といった状況にある。

 そんな最前線より幾らかマシとは言え、勇渚らの視界に映る倉庫群も首都の港とは思いたくないほどには寂しく映った。

 

「暇だねー」

 

 チャームを両腕の中に抱えた徳子がお気楽な台詞を発した。

 実際、彼女たちが巡回を始めてから遭遇したヒュージはスモール級がたったの二体。ケイブなどではなく、海の方から飛んできた者の討ち漏らしと思われた。

 

「こっちは外れみたいだけれど。貴方たちは良かったわけ?」

 

 俐翔が後ろを振り返ってそう尋ねた。

 若干棘を感じる物言いだが、別に他意は無い。これが彼女の()なのだ。

 

「はい。色々勉強になってますから」

「ガーデンからの指示でもありますので。桂も異存ありません」

 

 イルマの三人と行動を共にしている御台場のリリィ二人。竹久央(たけひさなかば)速水桂(はやみかつら)。昨日、徳子が少しばかり世話を掛けたリリィである。

 彼女らが徳子たちに同行しているのは、御台場のガーデンと佐保の間で話し合った結果であった。喧嘩両成敗、という意図では決してない。あくまで()()である。

 ただ央と桂、台詞に反してどこか不満そうに見えたりするのは、昨日のお姫様が一緒でないせいだろう。

 勇渚としては御台場のリリィたちに思うところは無いので別にいい。それよりも気を揉むことが彼女にはあった。

 

「歩結ちん、どうしてるかなあ」

 

 徳子が勇渚の内心を代弁するかのように――無論徳子のことだからただの気まぐれだろうが――呟いた。

 

「亜羅椰ちゃんと二人だってー。これは、あれかな? 吊り橋効果ってやつで急接近とか」

「うちの歩結とアールヴヘイムのメンバーに吊り橋効果を与えられる強敵(ヒュージ)が居るなら、是非とも私がお相手願いたいわね」

 

 俐翔が不敵な笑みで軽口を叩く。勇渚に気を遣っているとかではなく、ただの本音だろう。俐翔はそういう人間だった。

 

「まあ私たちはのんびり行こっか。はい、アメちゃんあげる」

「桂は遠慮しておきます」

「私は貰おっかな」

 

 いつの間にやら御台場の二人の前へ移動していた徳子が飴玉を配ろうとしていた。

 幾ら徳子といえども戦場に嵩張る容器を持ち込みはしない。ただ制服の至る所に飴玉をバラで詰め込んでいた。

 

「こんなにヒュージが出ないんじゃ、戦技も何もないでしょ」

「……確かに妙ね。事前の説明だともっと敵が多い感じだったのに。この程度の障害を設定するなんて、スパルタな御台場らしくない」

 

 勇渚の何気ない発言を受けた俐翔は目を細めて考え込む。

 

「さっさと巡回コース回って、終わらせようよ。詰まんないし」

「えぇーーーっ? 私、さっきのんびりしようって言ったじゃん。こういう時ぐらいさー」

「徳子はいつものんびりしてるでしょ」

 

 先へ急ごう急ごうという気持ちを勇渚は遂に外へと出した。

 すると徳子だけでなく、俐翔までこれに反応する。

 

「勇渚、何をそんなに焦ってんの」

「別に……焦ってないけど」

「バレバレなんだよね。誰かさんのことが頭から離れませんって」

 

 やけに突っ掛かってくる俐翔。

 彼女の言わんとするところは勇渚にも勿論分かる。分かった上でしらばっくれようとする。

 

「そんなに気になって仕方ないなら、歩結と一緒に行けば良かったじゃない」

「何で? 歩結は他の子と仲良くなりたいんだから。あたしじゃなくて」

 

 中等部二年の時、イルマ本校に押し寄せてきたヒュージとの戦闘の最中、勇渚は歩結を庇って大怪我を負った。そのことを激しく悔いた歩結は勇渚とすれ違うようになり、遂にはパートナーの関係を解消するに至った。

 二人の不和は今も続いている。勇渚の望みに反して。

 

「じゃあ歩結のことは置いといて、あんた自身はどうなのよ? どう思ってんの? 本当にこのまま終わっていいわけ?」

「…………」

 

 俐翔と勇渚の只ならぬ雰囲気に、事情を知らない御台場の二人は空気を読んで距離を取っていた。

 事情を知っているはずの徳子はというと、そんな状況お構いなしに、央から飴玉との交換で貰ったチョコレートをペロペロ舐めている。

 

「あーーーーーーっ! ったく! 私はねえ、まどろっこしいのが大っ嫌いなのよ! 遠回しに気を引こうとするぐらいなら、正面から突っ込んでいきなさいよ! このバカちんが!」

 

 尚も目を逸らす勇渚に痺れを切らした俐翔が襟元に掴み掛かる。

 分かっている。言われずとも分かっていることなのだ。

 勢いに押されて何歩か後ずさった勇渚だが、地面を踏み締めて俐翔の襟元を掴み返す。

 

「分かってるよ! やったよ! でも……! 歩結は『無理』だって、『元通りにはできない』って」

 

 至近距離で睨み合い、思いの丈を吐き出していく。

 同じレギオンメンバーでも、勇渚があの想い人についてここまで吐露したのは久方振りのことだった。

 

「押しても引いても駄目なら、押して押して押しまくるしかないでしょうが! 泣き落としでも何でもしてさあ!」

 

 互いの想いが視線に宿って火花を散らし合う。

 俐翔を掴む勇渚の手が震えていた。勇渚を掴む俐翔の手もまた震えていた。

 やがて密着していた二人の体が弾かれたように離れる。勇渚が俐翔を突き飛ばしたのだ。

 それから勇渚は俐翔たちに背を向けて一目散に駆け出した。無論、向かう先は決まっている。

 見る間に距離の空いた俐翔や徳子が何やら声を上げているようだが、今の勇渚の足を緩めるには至らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……全く世話の焼ける……」

 

 走り出した勇渚の背を見送った後、俐翔は大きな溜息を吐いた。

 

「俐翔ちゃ~ん?」

 

 そこへニヤニヤしながら猫撫で声を発する徳子が近付いてくる。

 

「何よ、気持ち悪い声出して」

「いや~、友達甲斐があるなーって。うじうじしてた勇渚がすっ飛んでったよ」

「別に、ただ言いたかったことを言ってやっただけよ。もしあれで駄目だったら……その時はまあ、ブリトーでも奢ってやるわ」

「はぇ~、これは恋愛巧者の貫禄」

 

 正直なところ、人間同士の惚れた腫れたの問題なんてどう転ぶか分からない。余計に拗らせて破局する可能性だってある。

 無責任だったかもしれない。

 ただそれでも俐翔は勇渚の背中を蹴り飛ばしたことを後悔していない。

 

「でも俐翔ちゃん彼女居ないよね」

「は?」

 

 俐翔、キレた。

 徳子のモチモチ柔らか頬っぺたを左右から摘まむ。

 

「この口がっ、この口がっ! ねじりパンみたいにしてやろうか!」

「いひゃいいひゃいいひゃいっ、こ゛へ゛ん゛な゛さ゛い~」

 

 タイプは違うが息はピッタリな二人の漫才に、遠巻きに見ていた央と桂は興味半分呆れ半分の視線を注ぐ。

 実戦の場とはいえ、交流会と呼ぶにある意味相応しい空気。

 だがそんな空気は突如としてお台場全体に鳴り響いた警報のサイレンによって掻き消えてしまう。

 表情を一変させた四人の耳に、続いて街頭スピーカーから御台場司令部の声が飛び込んでくる。

 

「東京湾埋立地南西及び南東方面よりヒュージの大集団を認む。戦技交流会参加中の全リリィは御台場司令部の指示の下、直ちに迎撃行動に移れ。これは訓練に非ず。繰り返す、これは訓練に非ず」

 

 

 



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やきもきカップルの中に亜羅椰さんぶち込んでみた 後編 (勇渚×歩結)

今回はタイトルに反してちょっとだけアサルトしてます。


 栄光の御台場迎撃戦を始め、過去この地で生起した大小多数の戦闘により、東京湾埋立地には多くの爪痕が刻まれていた。

 御台場のガーデンが位置する北部はまだいい。だがより沖合に近い南部では惨澹たる光景が目に映ってしまう。

 根元からポッキリと折れたガントリークレーンが小枝か何かの如く無造作に波止場に転がっていた。倉庫の建材と思しき金属壁やコンクリートの破片が乱雑に散らばっていた。

 そんな光景を前方に見ながら俐翔たちが陣取ったのは海上公園。平和だった時代では国際競技場としても利用されていたが、現在は立ち入りを制限され軍の臨時ヘリポート等に使われるのが専らだった。

 ただし歩結と亜羅椰、そして勇渚が向かったと思われる場所はここではない。三人はここより南西のコンテナ埠頭に居ると思われる。

 御台場司令部から交流会の中止と迎撃態勢への移行が宣言された直後、俐翔は佐保からの通信を受け取っていた。

 

「ヒュージの集団は南西及び南東の海上から挟撃するように内陸部を目指していますわ。確認された反応はほとんどスモール級。一つだけミドル級の反応を検知したものの、すぐに消失。恐らくはステルス機能を持つ特型でしょう。貴方たちは南下せずに海上公園で御台場のリリィたちと合流、防衛線が構築されるまで同地を維持しなさい。これは御台場司令部の指示ですわ」

「そんなっ! じゃあ歩結たちはどうするんですか!? あそこはいよいよ先っぽの海側なんですよ!」

「現状ではそちらに向かっているヒュージは極少数。それよりも敵主力が迫る公園を優先しなさいな。貴方の縮地と徳子のファンタズムならそれからでも間に合うでしょう」

「本当に……大丈夫なんですかね?」

「懸念の特型も、反応が消えたのはかなり沖合の方。どうやらヒュージにしては相当慎重な輩のようですわ。すぐのすぐに襲い掛かってくることもないでしょう。大丈夫」

 

 佐保との通信時には一応納得したが、やはり勇渚たちが気になる。

 とは言え俐翔も司令塔タスクをこなす者として、今は戦線中央を守ることが肝要だと理解はしている。

 それに俐翔のレアスキルは攻撃的な能力だが防衛戦でも腐らない。否、むしろ機動防御の観点からすると適役と言えた。

 

「御台場はヘオロットセインツの半数とロネスネスが外征中で、残るコーストガードを始めとした戦力が展開中ですが、肝心のコーストガードは若洲方面の安全を確保中です」

「つまり今すぐは頼れないってことね」

 

 央から御台場の現況を聞き、俐翔は希望的観測を早々に捨てた。御台場から他の増援が来るまでやはり自分たちがやらねばならない、と。

 

「南部の埠頭を捨て置いて、この海上公園に挟撃を掛ける。進路を細く指向させているのでしょうか。明らかに統制された動きです」

 

 桂が御台場の制服と同じブルーカラーのクラウ・ソラスを構えながら言う。

 ヒュージは肉食哺乳類程度の連携こそ見せはするが、人間の軍隊のような戦術行動は基本的に取らない。

 しかしながら、稀に明確な指揮の下で動いているとしか思えないケースが存在した。その場合、群れを統率するのは大抵特型。中でもミドル級の特型が最も複雑な作戦を指揮すると言われていた。

 

「俐翔ちゃん俐翔ちゃん、そろそろ来るよ」

 

 湾曲した刃を持つ鎌型チャーム、アダマスを小脇に抱えた徳子が敵の接近を伝えてくる。

 前方には鬱蒼とした公園樹が茂るばかり。

 だが徳子はヒュージサーチャーを確認したわけでも、当てずっぽうで言っているわけでもない。レアスキル『ファンタズム』の力で先の出来事を視ているのだ。

 ただ徳子はお世辞にも他者への説明や指示が上手い方ではない。

 そんな彼女の未来視を作戦に活かすのは、彼女と最も深く固くビジョンで繋がっている俐翔の役目。ファンタズムはテレパスによって味方と未来予想図を共有するが、その確度はリリィ同士の絆によって左右される。

 

「央と桂は前衛をお願い。徳子は後ろから援護。私は公園全体の様子を見て要所でフォローに入るわ」

 

 元々行動を共にしていた央や桂以外にも、公園内には複数校のリリィが集まっていた。

 しかしいきなり異なるガーデン同士で複雑な連携は難度が高いし、広い範囲をカバーする必要もあるため、キッチリとした陣形は組まず数人のグループ間で緩やかに協同することとした。

 幸い大型ヒュージは確認されていないので、軽い連携でも対処可能なはず。

 それから程なくして、前方に広がる緑が揺れ始めた。無論、風のせいではない。枝葉が折れて踏み潰される音がそこかしこで響いている。

 前衛の央が剣型のチャームを二振り、二刀流で構える。それとは別に、腰にもう一振り剣を差している。

 央だけでなく、桂や他の御台場のリリィもメインウエポン以外にマギクリスタルコアの付いてない剣型のチャームを持ち込んでいた。

 

「正面から来るオルビオの第一波をまず片付けて。遅れて来る飛行型は後回し」

 

 徳子と共有するビジョンに基づき俐翔が指示を下す。

 すると彼女の言葉通りにヒュージが現れた。

 公園樹を掻き分けて出てきた灰色の脚。それは直径1メートル半の球形胴体を支える金属製の三本脚だった。

 次の瞬間、木々の中から雪崩を打って押し寄せてくるヒュージの軍勢。

 直後、公園に展開するリリィの戦列から火箭が伸びる。

 スモール級テンタクル種オルビオ型。三日月状の刃の如き三本脚を交互に地面へ突き立て疾走するヒュージの一団に、レーザーや実体弾が突き刺さっていく。

 横一列となって平押しするだけの芸の無いヒュージたちは、忽ちの内に爆発四散し突撃を粉砕された。

 だがヒュージの物量がそれで終わるはずもなく、第一波の後方より続く敵戦列が姿を現す。

 チャームを構えたリリィたちが睨む中、オルビオ型の第二波は途中で進軍を停止して射撃体勢に移行した。胴体中央部に三角形を模るよう配置された三つの青い光点から、眩い光線を放出した。

 放たれた光線は貫通力の高いものではなく、広範囲に拡散するタイプであった。しかし見た目は派手だがリリィたちを護る不可視の防御結界は貫けない。目くらまし程度の攻撃だ。

 

「飛行型が来る! 対空迎撃!」

 

 新手を察知した俐翔が前方の空を仰いで叫んだ。

 リリィたちが地上に釘付けになっている隙に、遠方の高空に浮かぶヒュージの一団が降下を開始した。

 徳子を始めチャームをシューティングモードにしていたリリィが上空に向けて弾幕を張る。

 俐翔もまた両刃剣型のチャーム『スティンガー』からレーザーを放つ。

 青い空に爆炎と黒煙が立ち込める中、幾つかの敵影が弾幕を掻い潜って更に迫ってきた。緩降下から急降下に切り替えて、地上のリリィが構成する陣に斬り込んでくる。

 瓢箪型の丸みを帯びた胴体。その胴体上下に花の花弁のような魚のヒレのような翼を三対六枚生やした華やかな見た目のヒュージ。スモール級ペネトレイ種クチハナ型はその外見とは裏腹に、胴体後部でマギを燃焼させたジェット推進により高い機動力を誇る。

 あわや突破か、と思われたその時、二体のクチハナ型が火花を散らしながら地面に落ちて派手に転がっていった。

 前衛を務める央と桂が腰に差していた剣――――第一世代型チャーム『ヨートゥンシュベルト』を投擲したのだ。

 

(アレに当てる? 流石は剣のガーデンね)

 

 御台場のリリィによる芸当を目の当たりにした俐翔は舌を巻く。

 マギクリスタルコアの無いチャームは鉄の塊に過ぎないが、ただの鉄塊でもマギを通せばチャームほどではないにしろ即席の武器になる。

 御台場のリリィがメインウエポンとは別にヨートゥンシュベルトを携帯するのにはそういった理由があった。

 俐翔も腰に短剣型の第一世代機を差してはいるが、正直彼女たちほど活用できるとは思えない。

 

「俐翔ちゃん俐翔ちゃん、お代わりが来る」

「分かってる!」

 

 徳子に言われて再び地上に注意を戻す。

 被弾して擱座したオルビオ型の向こう側に、新たなオルビオ型の集団が見え隠れしていた。

 

「ほんと何十体居るのよ!? 早くここを片付けて追い掛けなきゃいけないのに!」

 

 チャームのグリップを強く握り締め叫ぶ俐翔。

 ここには居ない友への憂慮が焦燥を大きくする。

 だが一つ、失念していたことがある。彼女らの今の任務は敵の殲滅などではなく、防衛体制が整うまでの時間稼ぎであった。

 

「…………!」

 

 新手の敵戦列に幾つもの砲撃が降り注いだお陰で、俐翔はそのことを思い出す。

 自分たちの後背、即ちガーデンのある方角に御台場のリリィから成る増援が見えた。

 そして御台場の青に交じったライトブラウンの制服。豪奢な黄金の髪を靡かせた彼女は真っ直ぐ俐翔たちの方に歩いて来る。

 

「ここはもう十分ですわ。お行きなさい」

 

 彼女、諸井佐保のレジスタによるものだろうか、気付けば手に握るチャームがいつも以上に軽く感じられた。

 俐翔は徳子を連れ立ち、埠頭のある南に臨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御台場が迎撃態勢に移行し始めた際、歩結と亜羅椰が居た南部埠頭跡地は敵主力の進行ルートから外れていた。

 御台場司令部は当初、海上からの敵増援を危惧して歩結たちに埠頭エリアの監視を指示した。下手に防衛線への合流を命じなかったのは、二人の力を信頼しての判断だろう。

 当初は予想以上に埠頭周辺の敵が少なかったため、歩結と亜羅椰は話し合った上で別行動を選択した。散開してより広い範囲を監視するために。

 この一見無謀な行動も、分不相応な傲りから来たものではない。彼女ら二人はそれだけ単独での戦闘力――――デュエル能力に秀でていたのだ。

 実際、時折少数で進軍してくるスモール級を歩結は危なげなく斬り捨てている。

 ただし誤算もあった。見た目も力も至って普通の個体なのにヒュージサーチャーに引っ掛からない敵と遭遇するようになってきた。

 

(亜羅椰さんの携帯サーチャーにも御台場の設置式サーチャーにも反応が無い。それらが同時に故障なんて考え難い。恐らくは、ステルス能力を持つ特型が傘下のヒュージにも同じ能力を付与してる)

 

 歩結のその推測は御台場司令部も考慮済みのようで、監視を続ける二人に状況次第で後退するよう指示していた。

 

(だけど、敵がサーチャーに映らないのなら、尚更監視の目が要る……)

 

 その一念で歩結はチャームを振るい続ける

 肩上から振りかぶった大型の片刃剣『ティソーナ』が接近してきたオルビオ型を頭から殴打。装甲を打ち破り、ただ一撃でその機能を停止させた。

 デュエル強者らしい豪快なパワータイプ。それが歩結のもう一つの顔だった。

 

「それにしてもっ、切りが無い!」

 

 スモール級ばかりとは言え、矢継ぎ早に現れる敵に息つく暇も無い。

 また一体、飛び掛かってきたオルビオ型を、両手で思い切り横薙ぎにしたティソーナで弾き飛ばす。

 その直後、歩結は背後からジワリと殺気を感じた。

 回避は間に合わない。一発ぐらい食らうだろう。そんな風にどこか他人事みたいに冷静な分析をする。

 ところがその一発はやって来ない。

 代わりに、後方のヒュージが被弾し弾け飛ぶ

 

「歩結!」

 

 懐かしい声がした。毎日のように耳にしているはずなのに、懐かしい声が。

 

「勇渚……」

 

 グリフィンクロー、手甲に三本の鉤爪という珍しい形をした二対一組のチャームを構え、勇渚が立っていた。

 どうして彼女がここに居るのか、聞かなくとも分かる。歩結のためだ。

 そんな彼女に対してこれから言わねばならない言葉を思い、歩結はチクリと胸を痛めた。

 

「どうして、一人でこんな所に居るんだ。危険じゃないか」

 

 勇渚のレアスキルはテスタメント。味方のレアスキルの効果範囲を拡大させる代わりに防御結界が薄くなるという、集団戦を前提とした能力だ。

 あの時と同じだった。あの時も勇渚は歩結を守ろうとして、その結果大怪我を負っていた。

 だから歩結は敢えて棘のある物言いをした。

 

「どうして? そんなの、歩結と一緒に戦うために決まってるじゃん」

「……そのために勇渚が傷付くのなら、私を庇って傷付くのなら、私は一緒には戦えない」

 

 歩結は勇渚の目を正面から受け止めず、微妙にずらした状態でそう言った。後ろめたさがあるからだ。勇渚に対しても、何より自分自身に対しても。

 

「歩結が嫌でも、あたしは一緒に戦いたい。隣に立っていたい!」

 

 歩結とは対照的に、勇渚の瞳はただ一点を見据えていた。そこに籠る熱量の程は離れていても伝わってくる。

 

「これは歩結のためじゃなくて、あたし自身のため。歩結が嫌って言っても、あたしは隣がいい。たとえ足手纏いになっても、歩結の傍がいい。歩結があたしを、好きじゃなくなっても……あたしは、好き……」

 

 最後の方は戦闘音で消え入りそうになっていた。

 それでも彼女のグリフィンクローは折り畳まれた鉤爪の根本から銃口を覗かせて、歩結に近付くヒュージを貫いていた。

 

「私、は……」

 

 歩結が彼女を遠ざけたのは、自分のために彼女が傷付くのを恐れたため、歩結自身のため。

 だがリリィである以上は常に危険が付き纏うし、この御時世リリィでなくとも安全とは言い切れない。

 それに勇渚はただ守られるだけのリリィではない。今の彼女の働きがそれを証明している。ハコルベランドでなら共に戦っていける。

 歩結も頭では気付いていても、心が受け入れられなかった。

 だが今、勇渚は見栄も意地もかなぐり捨てて心の内をぶつけてきた。

 だから歩結も決意する。自身を守っているようで、本当は締め上げ苦しめてきた心の枷を外そうと。

 

「私は! 本当は勇渚と共に戦いたい! 勇渚の隣を譲りたくない! このハコルベランドでなら、皆が居るなら、勇渚を死なせはしない! だから――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京湾埋立地南端。

 鋭角的でスマートな胴体から鋭利で湾曲した刃の両腕を生やしたヒュージ。過去に同型の個体が出現した際『ゴースト』と仮称されたその特型ヒュージは目論見を外しつつあった。

 小型ヒュージだけなら発見が遅れ、リリィたちの迎撃体制が薄くなることは知っていた。それを利用し、主力とは別にステルス機能を与えた手勢を敵の防衛線の間隙を突くよう送り込んだ。

 ところが要所要所に配置されたリリィによって、別動隊はことごとく討たれてしまう。

 ゴーストはリリィ個人個人の戦闘能力を甘く見積もり過ぎていたのだ。

 他の大多数と違って戦術指揮ができると言っても、それはヒュージの中での話。作戦の緻密性など望むべくもない。

 やはりヒュージの本領は優れた体躯とパワーによる正攻法なのだ。

 

 今の今まで身を潜めてゴーストの視界に二人のリリィが映っている。

 緑髪と赤髪が互いにフォローし合いながら襲い来るスモール級を迎撃しているところであった。

 二人のリリィはゴーストの存在に気付いていないようだ。

 ゴーストが、動く。音も無く海中から浮上し、埠頭の地面スレスレを這うようにゆっくりと進む。

 作戦は失敗したが、このまま大人しく退散することはない。あの敵に一撃加えて、それから反転離脱する。ゴーストは慎重だが決して臆病ではなかった。

 遠方の獲物に向け着実に近付いていく。

 未だ距離があるとは言え、獲物たちは忍び寄る狩人に気付かない。周りから次々に現れるスモール級との戦闘に集中している。

 最大限接近してから飛び上がって突貫。

 そんな風に奇襲の図を思い描いていたゴーストに――――

 

「陰でコソコソ覗き見なんて、不粋ね」

 

 女の声が掛けられた。

 その瞬間、ゴーストは全身から発光するエネルギーの弾丸を全方位に乱射しつつ、頭上の空へと飛び上がった。

 奇襲失敗と見るや、直ちに離脱を図る。ヒュージにしては悪くない判断だ。

 ただ判断は悪くなくとも、相手が悪かった。

 高度を上げ切る前に、ゴーストは真上からの激しい衝撃によって埠頭の固いコンクリートの地面に叩き付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場にあって尚も艶を失わない薄桃の長髪を翻し、コンクリート片の散乱する埠頭に着地する。

 右肩に担ぐチャームは真紅のアステリオン。戦斧の形を為すアックスモード。

 特型ヒュージの奇襲に水を差した遠藤亜羅椰は今しがた地面に叩き落とした敵に詰まらなそうな視線を注ぐ。

 

「仮称ゴースト。分類名リッパー種ホロウ型。過去にもお台場で確認例あり」

 

 正式名、と言っても勿論ヒュージが自分から名乗ったわけではなく、人類側が名付けたものだ。

 名を与えることで、得体の知れない雲霞の如き不定形な存在は、おぼろげながらも形を成していく。

 

 地に伏していたホロウ型がゆらりと浮遊した。

 亜羅椰はアステリオンを両手に握る。

 まずホロウ型が左方向に翔け出し、続いて亜羅椰が駆け出した。

 距離を離そうとするホロウ型と詰めようとする亜羅椰の構図になる。

 ピタリとついてくる亜羅椰に対し、ホロウ型が右腕をかざした。湾曲した刃を模る凶悪な見た目の腕が、ヒュージの胴体から離れて矢の如く飛び出した。

 立ち止まってアステリオンを真横に薙ぐと、甲高い衝突音を上げてヒュージの右腕が弾き飛ばされる。

 ところが腕はワイヤーで胴体と繋がれており、勢いのまま空中を遊泳した後に旋回してまた元通りホロウ型を構成する一部となった。

 そこでホロウ型は逃げるのを止めて敵に対峙する。一人だけなら返り討ちにした方が良いとでも判断したのだろうか。

 亜羅椰もまたその場で改めて敵に向き直る。

 

「私はねえ、可愛い女の子がとっても好きなの」

 

 一歩一歩ゆっくり歩き出しつつ、誰かに言い聞かせるかのような口振りで独り言。

 思い浮かべるのは、見ている方がもどかしくて()()()()させられるリリィたち。

 

「だけど可愛い女の子が幸せになるのは、もっと好き」

 

 歩き続けながら、戦斧を上段に構えて言う。

 一方ホロウ型は「そんなの知るか」と言わんばかりにワイヤー付きの両腕を同時に射出した。

 左右から弧を描いて挟み撃ちするべく飛来するヒュージの腕が冷ややかな刃を躍らせる。

 亜羅椰は左方から来る敵の右腕をアステリオンの刃で弾き、返す刀で右方から迫る左腕を柄で逸らす。

 無防備となった敵本体へ突貫。そのために足を踏み出そうとした亜羅椰の体がガクンと後ろに引っ張られる。

 逸らしたはずのヒュージの片腕が、アステリオンを握る亜羅椰の右腕にワイヤーで幾重にも巻き付いてきたのだ。

 間髪入れず、ワイヤーが発光した。

 

「っ!!!」

 

 直後、右腕を通して全身に焼け付くような痛みが走り、亜羅椰は地面に片膝を突く。

 赤色したワイヤーから流し込まれる高圧電流。

 亜羅椰の視界は白と黒に激しく明滅し、敵影はおろか周りの風景すらまともに捉えられない。

 やがて電流が収まると、かろうじて踏ん張っていたもう片方の膝も地面に落ちて、腕も首もだらりと垂れ下がる。

 

「…………」

 

 沈黙する敵を前にしてもホロウ型は不用意に動かず、電流を流したワイヤーを左腕ごと胴体からパージした。そうしてそのまま相手の様子を窺っている。

 石像のように固まった亜羅椰に海風がそよいできた。垂れ下がった美しく長い髪が左右に揺れて波立った。

 その薄桃色の髪の狭間に眼光が灯る。

 

「……ハッ」

 

 軽く息を吐き出し、両膝を突いた体勢から亜羅椰は地を蹴って跳び出した。

 それを見たホロウ型はワイヤーを切り離した部分、即ち元々左腕があった場所から小口径の砲塔を生やした。

 けたたましい連射音が唸り、金属弾が雨あられと亜羅椰に降り掛かってくる。

 埠頭に散らばっていた瓦礫が流れ弾に穿たれて粉微塵に砕かれていく。これ以上破壊される物など無い荒廃した空間にあって、更なる破壊がもたらされる。

 だがそんな鉄の暴風でも、マギによって飛翔する亜羅椰の勢いを殺すことはできなかった。

 

 レアスキル『フェイズトランセンデンス』

 

 一時的にマギを最大出力で放出し続ける奥の手が、剣のキレと防御結界の硬度と機動力の全てを引き上げていた。

 アステリオンの切っ先を真っ直ぐにかざしてくる亜羅椰に対し、ホロウ型は左腕で乱射しつつも切り離していた右腕をワイヤーで引っ張り戻す。

 いよいよ間合いが詰まって双方が交差しようかという時、胴体にドッキングしたホロウ型の右腕が大上段から振るわれたアステリオンを迎え撃つ。

 両者は一時拮抗した。

 ミドル級でもその腕はそれなりに大きく、作業重機を鋭く削り出したかの如きサイズ感。その腕が真紅の戦斧を受け止めて押し返そうと小刻みに震え始める。

 亜羅椰は両の目を見開き、柄を握る両の腕を振り抜こうとする。

 

「はぁぁぁぁぁ!」

 

 拮抗が崩れた。

 ヒュージの鋼の刃が見る見るうちに溶断されて、そのまま頭部へと一太刀が入れられる。

 頭を粉砕されたホロウ型は火花を噴きながら後方へよろめき退いていく。

 しかし決着はまだ。

 右腕は砕かれたものの、残ったワイヤーが飛び出し逆襲を図る。

 亜羅椰はそれをあろうことか、パッとかざした左手で鷲掴みにすると、電流を流し込まれた状態で思い切り引き千切ってしまう。

 ホロウ型は右腕の付け根からも火を噴き出し、今度こそ爆発四散するのであった。

 

「……ふぅ」

 

 敵の完全なる沈黙を見届けると、亜羅椰はアステリオンの切っ先を地面に下ろす。

 

「手間の掛かること。お陰で肩こりが治ったわ」

 

 体に残る痺れも何のその。肩を大きく回して愚痴を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西の空がほんのりと赤く色付き始めた頃、お台場の南では干戈の音がすっかり静まっていた。

 特型ミドル級の撃破とヒュージサーチャーの反応が消失したことが確認されたため、御台場司令部は戦闘態勢から警戒態勢に移行するよう指示を出していた。

 結局最後まで二人きりで戦い抜いた勇渚と歩結は疲労困憊といった様子。

 だがそんな状況でも二人の表情には冷めようのない熱が宿っていた。

 

「勇渚、済まない! 意地を張って済まない……寂しい思いをさせて済まない……!」

「あたしもっ、今まで浮気してごめん……!」

 

 辺りにヒュージの残骸が転がる埠頭の真ん中で、二人は互いに抱き締め合っていた。痛いほど強く、跡が残りかねないほど強く、もう二度と離れないよう強く。

 いつ以来のことだろうか。勇渚にはとても懐かしく思えた。

 

「勇渚」

 

 歩結に促され、閉じた貝殻みたいに密着していた体を少しだけ離す。

 黙してジッと見つめる勇渚の頬に手が添えられて、目鼻立ちの整った顔が接近してきた。

 勇渚は目を閉じて口元に伝わる暖かな感触を受け入れる。

 

 中等部に上がる前、遊び半分で初めてした。それから友情の証として、挨拶代わりにした。やがて愛情と自覚して、した――――

 

 過去を振り返っている内に、唇から音を立てて歩結の熱と感触が離れていく。

 ご無沙汰だったせいか、目を開けた勇渚は気恥ずかしくなり俯き加減に。

 それは歩結も同様らしく、斜め下へ微妙に視線を逸らしている。

 だが二人とも体は離そうとせず、お互い背中に手を回し合ったまま。

 そんな状態だったため、突然明後日の方向から飛び込んできた声に勇渚は肩を震わせる。

 

「ちょっと熱いんじゃない? こんな所でぇ」

 

 おちゃらけたお気楽な声。

 徳子だ。

 見ていて腹の立つニンマリとした笑顔を浮かべる徳子と憮然とした表情の俐翔が、声のした方で肩を並べて立っていた。

 

「ちゅっちゅ、ちゅっちゅってさー。見てるこっちが恥ずかしいよ、も~」

「確かに、よりを戻すよう嗾けたわよ。でもだからって、誰もここまでやれなんて言ってないんだけど?」

 

 友人たちの冷やかしに勇渚も歩結も返す言葉が無い。だがそれでも互いの体を離そうとはしない。

 

「んも~、やだー、も~~~っ」

「品位を疑う」

 

 尚も冷やかす徳子と俐翔。

 そんな彼女らの背後にいつの間にか立っていた人影に勇渚は気が付く。

 勇渚が「あっ」と驚いた直後、人影は冷やかし二人の肩に手を置いた。

 

「そこはもういいから周辺警戒に当たるよう、通信を入れたはずですが?」

 

 徳子と俐翔は油を差していないロボットのように首をギギギと後ろに回す。

 

「覗き見とは、いいご趣味ですわね」

「げぇっ! 佐保様(先輩)!!!」

 

 戦場においても陰ることない気品ある佇まい。遠目からでも伝わってくるその迫力。間近で晒されている者たちの心境や如何ばかりか。

 

「勇渚と歩結は戦闘で負のマギが蓄積しているようなので、ともかくとして。貴方たちは何をやっていますの?」

「いや、何と言いますか。私たちも負のマギがアレでコレで……」

「あらそうですの。それは大変ですわ。わたくしがマギ交感して差し上げましょうか」

「いっ、いえ、結構ですぅ……」

 

 俐翔も徳子も今にも泣き出しかねない有様。

 冷やかされたばかりの勇渚でも、悪友たちに多少は同情してしまう。

 

「でしたら! つべこべ言わずに来なさいな!」

 

 佐保に首根っこ掴まれた二人はずるずると引き摺られていく。瓦礫の上を。見ているだけで痛そうだが、ぐったりとした当人たちは特に反応していなかった。

 一連のやり取りを見ていた勇渚と歩結は無言で顔を見合わせた後、同時に吹き出すように笑う。

 一方で佐保もまた、()()()()させられてきたカップルに対して後ろを振り返らずにクスリと笑みを零す。

 

「これは、鞠萠(まりも)たちに良いお土産ができたようですわね」

 

 イルマの太陽が慈愛の表情を見せた。戦において、敵を焼き尽くし味方を熱く鼓舞するイルマの太陽。そんな彼女のもう一つの顔だ。

 ただし覗き見犯は相変わらず引き摺られたままで。

 

「わぁ……わぁ……」

「許して……許して……」

 

 何か小さくて可愛いやつみたいに縮こまって引き摺られていくのであった。

 

 

 




柳都編見るに、亜羅椰さんってとっきーよりよっぽど尊みの守護神やってると思う(暴言)

・ホロウ型
歴戦乙女イベントで神宿り夢結様に瞬殺されたアレ。
(ヒュージ)は幾ら盛っても良いという自分ルールがあるので盛ってみました。
電磁ムチとかワイヤーアンカーとか、皆好きでしょ?
ただその結果、亜羅椰さんが人外染みたことに…
まあ亜羅椰さんならこのぐらいさせてもええか。


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旧交 (霞子×美夜受)

 真夏の刺すような暑さを和らげていた小雨が上がり、灰色の雲の隙間から徐々に日差しが戻りつつあった。

 私こと比田井美夜受(ひだいみやづ)は先輩と共に荻窪の街並みの中を歩いている。

 私たちのガーデン――――イルマ女子美術高校のある清澄白河からこの荻窪まで、地下鉄に揺られること三十分と少し。

 ヒュージの襲撃によって東京の地下輸送網は大きな被害を受けており、取り分け沿岸部に近い路線は廃線の憂き目に遭っていたけれど、幸い内陸に近い方はこうして運行を続けていた。

 イルマ女子のトップレギオン『イルミンシャイネス』のリリィが何故に荻窪を訪ねているのかというと、それはひとえにこの地のガーデンと交流を深めるため。

 とは言っても、私はただの付き人。オマケに過ぎない。

 本件の主役は私の左斜め前を行くリリィ、吉井霞子(よしいかすみこ)先輩だ。

 暗褐色(ダークブラウン)のベストとプリーツスカートというイルマ女子正規の制服に身を包み、垂れ目がちで柔和な表情の女性。

 僅かに汗の滲んだお顔を斜め後ろからジッと見ていると、霞子先輩は行き足を止めてこちらに振り返ってきた。

 

「美夜受、疲れた?」

 

 鈴の音のようなお声で名を呼ばれる。

 私もよく歌声を評価されるのだが、先輩のそれはただ声質が良いというだけではなく、聞く者に包み込まれるかのような安堵感を与えることができた。

 

「いいえ、この程度大した距離ではないでしょう」

 

 駅から目的のガーデンまでバスも走っているのだが、街並みを軽く見ておきたいという霞子先輩の要望に従い徒歩を選択していた。

 しかしながら、先輩の心配事はそこだけではなかったらしい。

 

「ほら、地下鉄も駅も人が一杯居たでしょう?」

 

 確かに、私は人混みが好きではない。

 荻窪の駅前は休日だけあって、多くの人で賑わっていた。

 だがこの街は何と言うか、あまり浮ついた感じがしないし喧々とした雰囲気も無い。どちらかと言うと長閑な印象すらある。こういう街は嫌いではない。

 ただそれはそれとして、先輩が気遣ってくれたのは嬉しかった。

 

「問題ありません。そこまで偏屈ではないですから」

「そう。なら良かったわ」

 

 我ながら可愛げの無い物言いだとは思う。これが私の性分なのだ。

 しかし先輩は気にした風も無く、それどころか歩くペースを落として真横に並ぶと、自然な所作で私の左手を握ってきた。マメが潰れて所々硬くなった手で。

 一瞬、体が固まった。

 今更手を繋ぐぐらいで動揺するような関係でもないのだけれど、公衆の面前では未だに慣れない。

 

「……あら?」

 

 そうして歩いていると、ふと先輩の注意が前方の一点に向けられる。

 原因はすぐに分かった。幅広の歩道を進む私たちの前方から、妙齢の女性にリードで連れられた犬がやって来たからだ。

 

「まぁ! 可愛いワンちゃんですね」

 

 先輩は笑顔で女性に話し掛けると犬に歩み寄っていき、飼い主の許可を得てから頭などを撫で始めた。

 特に希少な犬種ではない至って普通のゴールデン・レトリーバーだけど、全寮制のガーデンではペットと触れる機会などそうそう無いため、こういった街での出会いは動物好きにとって癒しであった。

 もっとも、街中から離れた郊外のガーデンには敷地内に小動物を飼っている所もあるそうだが。

 

「ふふっ、ふふふっ」

 

 童心に返ったように楽しそうな先輩。

 先輩に顎の下を撫でられてご満悦の犬。

 この犬、恐らくはメス。何となくだが分かる。

 しかしこの程度で満足するなど所詮は犬っころ……などと大人気無いことを考える。

 私が好きなのは猫ではあるが、別に犬も嫌いなわけではないのだけれど。

 

「霞子先輩、そろそろ……」

「そうだったわね。……ありがとうございました」

 

 女性と犬に別れを告げた後、いよいよ私たちは目的地に到着することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神庭女子藝術高校。

 荻窪にあるこのガーデンは元々自由な校風や出撃選択制という独特の制度で知られていたが、先日の荻窪地底湖ネスト攻略戦によって更に存在感を増していた。

 九人制レギオンを編成したばかりのガーデンが御台場の増援込みとは言え、ギガント級と特型スモール級を擁するネストを討滅したからだ。

 その戦いの直前まで、神庭に関して珍妙な噂が囁かれていた。

 

「五人制から九人制へと移行した神庭女子のトップレギオン『グラン・エプレ』は仲違いを起こして早晩自滅するだろう」

 

 ――――という噂である。

 この噂の根拠と思しきものは新生グラン・エプレの編成にあった。隊を導く上級生の内、学外にも広く名の知られた『グラン・エプレの双璧』の二人は御台場出身で、生徒会長はエレンスゲ女学園出身。思想の違い故に不和を引き起こすと見られたのだろう。

 だが実際のところは、あの戦いの結果が全てを物語っていた。仲違いどころかレギオンを越えてガーデンが一丸となりネストの討滅に成功した。

 奇妙なのは、この噂にあるような下衆の勘繰りをどこかのリリィが口にしている場面を、私もイルミンシャイネスの仲間たちも誰も見たことが無い点である。

 調べてみると、噂の発端となったのはガーデン関係者でも何でもない、趣味で政略や軍事戦略を研究している市井の有識者のブログだった。

 そのブログは以前から神庭やイルマのような芸術系のガーデンに対して「この御時世にお絵描きやお歌で遊んでいる道楽貴族。戦争を舐め腐っている」とお気持ちを表明していたようだ。

 私はこの件に関して、友人の西川御巴留(にしかわみはる)と議論したことがあった。

 

「類似の主張は常に叫ばれ続けているわ。美術・芸術のような目に見えて利益が表れない分野は捨て置いて、工業やインフラ整備といった実益のあるものにリソースを集中すべきだと」

「生産性の見え難い分野を蔑ろにする。まるで共産主義者の唯物論ですね」

「そうね、本人たちは躍起になって否定するでしょうけど。この手の人間がよく理想の国家として挙げるのがローマ帝国」

()の帝国は確かに数学や建築学といった実学に秀でていましたが……」

「不得手としていた芸術分野などは、異文化から積極的に吸収しているわね」

「詰まるところ、大帝国を大帝国たらしめていた要因については微塵も理解していないというわけですか」

 

 そんなことを思い返している間に、私たちは神庭の生徒会室まで案内された。

 両校の生徒会同士が主導となる交流。

 霞子先輩は現在は生徒会長職を辞してはいるが、その人望から、こうして学外との交流の場面で白羽の矢が立つことがあった。

 

「ごきげんよう、ようこそお出でくだいました~。お久し振りですねえ、霞子様、美夜受さん」

 

 生徒会室では一人のリリィに出迎えられた。

 肩を大胆に露出した改造制服。腰まで届く茶髪をふんわりと広げ、二重瞼の下から胡乱げな目つきで視線を注ぐ。

 

「ごきげんよう、藤乃さん。本日はよろしくお願い致します」

「どうも」

 

 神庭の二年生、石塚藤乃(いしづかふじの)

 彼女は生徒会役員ではあるが、生徒会長ではない。会長は別件から手が離せず不在らしい。

 だがそれも織り込み済み。本日は挨拶や理念的な話をするのが目的であって、突っ込んだ話は後日に交わされる算段である。

 

「さあさあさあ、掛けてください。お飲み物は紅茶とコーヒー、それとも麦茶がいいですか?」

 

 年季の入ったがっしりとした作りの長机を前に席に着く。

 一見すると愛想がよく甲斐甲斐しい印象の藤乃。しかし私は彼女を信用していない。

 

「地底湖ネストの攻略、おめでとう。今東京中のガーデンがその話題で持ち切りよ。藤乃さんもまた武勲を上げられたとか」

「ふふふ、ありがとうございます霞子様。でも今回はレギオンとしての戦果なんですよ~」

「それも立派な武勲だわ。ギガント級は普通、レギオンで当たるものだから」

 

 私たちと石塚藤乃は旧知――と言っても一年前からだが――の仲だった。

 

「こうして集まると、あの時のことを思い出しますねえ」

「そうね」

「幕張奪還戦」

 

 藤乃と先輩の声が重なった。

 大型ケイブが発生し陥落した幕張地域を奪還すべく、イルマやルド女、御台場や百合ヶ丘などのガーデンによる共同作戦だ。

 御台場迎撃戦と同時期に開始された作戦であり、現三年生世代が主導した。霞子先輩はその中心メンバーの一人である。私もイルミンシャイネスとして参加した。

 藤乃とはその戦いの中で交流を深めたのだ。

 

「あの戦いは私にとって悲願だったけれど、同時に転機にもなったわ。あの戦いが、今の私を形作ったと言っていい」

「わたくしも、幕張でのことは色々タメになりました。色んな子とお知り合いにもなれましたしね」

 

 幕張奪還は霞子先輩と亡きご友人たちとの誓いだった。

 かつての私はその想いも露知らず、先輩に対して思い上がった言動の数々をぶつけていた。

 私の愚行を改めさせたのもまた、幕張奪還戦。

 虫の良い詫びを入れる私を、先輩は思い切り抱き締めてくれた。それから幾度も抱き締められることはあったけど、あの時の熱は今も消えることなくずっと私の中に残っている。

 

「ところで、グラン・エプレは九人制で固定していくみたいだけど。今後は大型ヒュージとの戦闘も積極的に視野に入れると受け取っていいのかしら?」

 

 ちょっとした昔語りと近況報告を終えると、先輩は本題へと移った。

 

「そうですねえ、その認識でよろしいかと。神庭には出撃選択制がありますが、全く出なくて良いというわけではありませんし。最低限……特に東の方の脅威には対応することになるでしょう」

 

 我らがイルマの位置する清澄白河と神庭の位置する荻窪の間、新宿にはイルマと同じ東京御三家の一つルドビコ女学院があった。

 ところがルドビックラボの実験体ヒュージが逃げ出して多くの教職員が死亡。その結果ガーデンとしての機能を失い、東京の中心部に大きな()が開いてしまう。

 リリィが無事でも、ガーデンを運用する教職員が不足していては組織的・長期的な作戦行動は困難となる。代替要員の補充が遅々として進まないのは、恐らくラボの性質からガーデンの職員にも秘密主義が浸透していたせいであり、加えてG.E.H.E.N.A.(ゲヘナ)内部の対立もそれに拍車を掛けているのだろう。

 かくいうイルマもゲヘナ穏健派であるイルミンリリアンラボと提携しており、私自身保護された強化リリィなので、その手の事情は薄々察しが付く。

 

「イルマとしても新宿周辺をカバーする負担は大きいから、神庭の戦力向上は歓迎だわ。御台場とも協力すれば防衛体制も大分改善されるでしょう」

「うちは遠方への外征能力はヨワヨワですけど、ご近所さんぐらいなら平気ですよー」

 

 今回のイルマと神庭の協力体制構築の裏には東京御三家残りの一角、御台場女学校の仲介がある。

 御台場とイルマは反ゲヘナと親ゲヘナの違いはあれど、以前から技術提携を結んでいた。また御台場と神庭は、前者から後者への転校生である今叶星(こんかなほ)宮川高嶺(みやがわたかね)の存在が両校を繋ぐ切っ掛けとなっていた。

 ガーデンではこうした属人的な関係が縁となって交流が進むのはままあること。ガーデンでない一般の会社でも、縁で仕事が繋がるケースはよくあるらしい。

 人間関係の重要さは対外折衝の担当者や営業畑の者にとっては常識なのだろうけど、彼らと世間話の一つでもしていれば、それ以外の人間にだって容易に理解できるはず。故にコミュニケーションというものは大切なのだ。

 私も先輩や御巴留、イルマの仲間たちが居なければ、今も属人的な繋がりを小馬鹿にする『現実的な合理主義者』のままだったかもしれない。

 ともあれ、東京圏防衛構想会議で示された関東各ガーデンの連携強化がこれでまた一つ具体化されることになる。

 

「さてと。もしお邪魔でなければ、これから校内を少し見させてもらってもいいかしら?」

「お邪魔だなんて、とんでもない! 勿論大歓迎です! ふふふふふ、どこから案内いたしましょうか。これは真剣に考えないと……!」

「そこまで大袈裟にしなくてもいいのよ」

 

 何故か無駄に生き生きとし出す藤乃。

 全くもって怪しい。

 

「美夜受もいいわね?」

「はい。予定の時間までまだ十分ありますし」

 

 先輩に促されて私も生徒会室の席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休日のため講義こそ開かれてなかったけれど、校内では自習や訓練、待機任務で詰めているリリィの姿がちらほらと見えた。

 

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

 途中、顔を合わせる度に挨拶が交わされる。それは単なる社交辞令ばかりではない。

 霞子先輩はイルマ学内のみならず、学外においても顔が広い。それはかつて幕張奪還戦の根回しのために奔走した結果。先輩にとって、ひいてはイルマにとっての財産と言えた。

 

「……B(バック)Z(ゾーン)重視のフォーメーションですね」

 

 屋外の訓練場にて、連携訓練に励む神庭のリリィたちを遠目に見ながら私はそう呟いた。

 すると藤乃がすぐさま反応して説明を入れてくる。

 

「やっぱり九人制レギオンのノウハウは大手のガーデンより劣りますからねえ。グラン・エプレ以外は堅実にやってるんですよ、今は」

「BZからの射撃戦なら確かにリスクは低減できますね。決定力には欠けますが」

 

 守備重視なのはイルミンシャイネスも同様だけど、私たちの場合は中衛であるT(タクティカル)Z(ゾーン)に人数を割いている。

 

「……とは言え、その射撃戦と隊の動き自体は悪くない」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

 

 私が率直な意見を述べると、藤乃はしたり顔で二度も頷いた。正直ちょっと腹が立つ。

 イルマも神庭もトップレギオン制を敷いており、基本的に常設のレギオンは一つか二つ。残りのリリィはその都度即席のレギオンを組んで戦場に臨む。

 しかしだからと言って、トップレギオン以外のリリィが弱兵で烏合の衆というわけでは決してない。

 普段から訓練は学年単位、時には学年を越えて実施されており、同じガーデンの誰とでもある程度連携できるようになっている。ただ常設レギオンに比べると複雑な連携で遅れをとるというだけで。

 神庭の場合は出撃選択制があるので更に分かり易い。出撃を志願するのは大抵の場合、気心の知れた者同士複数人ずつで手を上げるはず。

 しかしよくよく考えてみれば、至極当たり前の話。トップレギオン以外のその他大勢の戦力を遊ばせておくはずがない。その辺り、何故かよく勘違いされてしまうのだが。

 

「あのー、今日は定盛姫歌(さだもりひめか)さんはおられないのかしら?」

 

 辺りを見回していた先輩がそう問い掛けると、藤乃は勿論、私も先輩の方に視線を移した。

 彼女の名は私も知っている。グラン・エプレの上級生たちとは別の意味で有名人だ。

 

「ごめんなさい~。姫歌ちゃんも今日は別件で不在なんです」

「そう、残念だわ。一年生でありながら窮地にガーデン全体を纏めたっていう彼女と、じっくりお話ししてみたかったのだけど」

「あぁー、わたくしはその時ちょうどヒュージと遊んでて、その場に居なかったんです。でも凄く格好良かったそうですよ!」

「こういうの、普段からの地道な積み重ねのお陰なんでしょうね」

 

 神庭を襲う地底湖ネストの脅威に際し、全校生徒を奮い立たせたのは生徒会長でもグラン・エプレの双璧でもなく、一年生の彼女だった。

 それ以前から彼女はガーデンの行事にアイドルライブを敢行し、地元の新聞やリリィ雑誌に取り上げられた。

 そして例によって例の如く、ライブの記事を見た政戦両略のエキスパートを自認する良心的市民から、「国民が大変な時にアイドルごっことはいいご身分だなw」と抗議の読者投稿が新聞紙面に寄せられている。

 この手の輩は軍楽隊や儀仗隊にも「お遊び」といきり立つのだろうか? 軍用機のノーズアートは不謹慎だし、洋食メニューの食事を出す軍艦はホテル呼ばわりに違いない。

 それにしてもあの新聞、わざとあの読者投稿を載せたのでは。炎上商法だ。阿呆を晒し者にして話題性を稼ぐのはやめて差し上げなさい。

 

「霞子様、姫歌ちゃんは居ませんが、代わりにわたくしともう少し深い所までお話ししませんか?」

 

 来た。

 こんな時が来るんじゃないかと、私はずっと警戒していたのだ。

 スススと先輩の傍までにじり寄り手を伸ばす藤乃。

 私はすかさず間に割って入り、先輩の手を握ろうとする魔の手をはたき落とす。

 

 パシッ――――

 

 藤乃はキョトンと瞬きした。

 

「あら?」

 

 懲りずに私を迂回してまた手を伸ばしてくる。

 

 パシッ――――

 

 しかしここは通さない。

 

「あらら……」

 

 藤乃はどうしてこんな目に遭うんだと言わんばかりの困惑顔になる。

 すっとぼけるな、と言いたい。

 

「別に手を近付けなくとも話はできるでしょう。それとも貴方は手の平に口が付いてるんですか?」

「え~ん! スキンシップさせてくださいよーっ!」

「駄目です」

 

 わざとらしい声だけの噓泣きを、私は切って捨てる。

 石塚藤乃の不埒さは知っていた。霞子先輩に手を出そうとするのは明白だった。

 しかしそうは問屋が卸さない。

 先輩は唯でさえ見目麗しいのに、その上どこまでも人が良いから、勘違いした悪い虫が寄って来ないよう私が目を光らせておかなければ。

 

「ふふふふふっ」

 

 泣いていた藤乃が今度は意味深に笑い出した。私の方を見て。

 

「美夜受さん、何だか番犬(ワンちゃん)みたいで可愛いですねえ」

 

 のほほんとした様子でそんな風に言い出す。

 誰のせいでこんなことやってると思ってるんだ。噛み付くぞ。

 睨む私の斜め後ろから――――

 

「えっ? 美夜受はネコちゃんよ?」

 

 爆弾が投じられた。

 

「せ ん ぱぁ い!!!」

「あっ、いえ、ええっと……」

 

 顔から火が出そうだった。

 

「か、髪飾りが鈴で、ネコちゃんみたいで可愛いわよねー……」

「あら~~~」

 

 どうにか取り繕おうとする先輩だが、遅きに失していた。

 藤乃はますます笑顔を輝かせている。

 だがそのお陰で先輩へのちょっかいを有耶無耶の内に終わらせられたので、取りあえずは良しとしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校門でイルマからの客人二人を見送って、その背中が見えなくなった後、藤乃はくるりと校舎の方に向き直る。

 

「これは、釘を刺されましたねえ」

 

 先程のやり取りを思い出して独り言。口角は持ち上がり、どこか楽しげな調子で。

 

「お近付きになりたかったのに、美夜受さん」

 

 藤乃の狙いは初めから霞子ではなく、美夜受の方だった。

 わざと彼女の気に障るような言動を取り、意識を向けさせた後、じっくりと攻略する予定であった。

 好きの反対は無関心、とよく言うように、印象に残らないのが一番良くない。故に敢えて彼女に警戒されるような振る舞いをしたのだ。

 もっとも、印象が薄いなどと、藤乃の場合は要らぬ心配であろうが。

 

「でも霞子様に睨まれたら仕方ないですね」

 

 吉井霞子はイルマ学内のみならず、近隣ガーデンのリリィからも広く信頼されている。そんな彼女に牽制されたのだ。

 穏やかで人当たりの良い風貌の霞子だが、強い者とは、大抵笑顔である。

 

「社会的に潰されたくないので。ふふふふふ」

 

 傑物は傑物を知る。

 藤乃は後ろ髪を引かれる思いを断ち切ると、校舎の中へと戻っていった。

 

 

 




霞子様、人徳から「あの人に頭を下げられてお願いされたら嫌とは言えない」的な人物として見られているのでは。
政界にもそんな人が居ましたね…

マルチカラード・ティアーズ、ラスバレで一番好きなイベントかもしれない。
ひめひめ演説、御台場援軍、そしてラストの空中戦と、山場が三つもあるの欲張り過ぎるでしょう…
神庭屈指の戦闘巧者である藤乃様がひめひめリスペクトしてる点も良いですね。


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