Re:上から目線の魔術師の異世界生活 (npd writer)
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第一章 激動の一日
一話 天才魔術師の異世界召喚


以前、執筆していた作品のデータが吹っ飛びました泣

ですので今回の作品は以前投稿していた『Re:上から目線の元ドクターが行く異世界生活』のリメイクとなります。尚、リメイクに伴いシナリオの加筆、修正を行いましたので以前と流れがかなり異なったものとなっております。

再投稿ですので暖かい目で見ていただけると幸いです。今度はデータの扱いについて気をつけますので……どうかご自愛ください


ニューヨーク ブリーカー・ストリート177A

 

高層ビルが立ち並ぶマンハッタンから離れた、ダウンタウンの一角にその建物はひっそりと立っている。

道ゆく人々には天井部分にオキュラスを備えた不思議な建物としか見えないだろう4階建ての洋館。

 

しかしここは地球を暗黒次元(ダーク・ディメンション)から地球を守る砦だあるサンクタムの一つ、ニューヨーク・サンクタムなのである。

そして、このサンクタムのマスターを務めるのがドクター・スティーブン・ストレンジである。

 

以前、エンシェント・ワンよりニューヨーク・サンクタムのマスターに任じられて以来、一貫してこのサンクタムを守り続けているストレンジは今日もその任務を遂行するため最上階の窓際に置かれた椅子に座り、お茶を飲んでいた。

 

 

 

 

しかし、ストレンジは今日はいつもとは違う空気であることを感じ取っていた。

 

普段とは違う風が流れ、時おりストレンジを謎の悪寒が襲うのだ。彼がお茶を飲むのは大抵リラックスする時や気分を落ち着かせる時であり、お茶を飲み干すとストレンジはサンクタム内を点検しながら歩き回り、また妙に落ち着かない状況に陥ると再びお茶を飲む、もしくはストレンジが所有している魔術書を読み、魔術の訓練を行う、これらの行為を繰り返していた。

 

お茶を飲み気分を落ち着かせていたストレンジを彼の肩にかかる赤いマントがストレンジを心配するように、彼を優しく包み込む。

 

実はストレンジが所有しているマントには意思があり、気に入った魔術師にしかその力を貸さない性格なのだが、どういうわけかストレンジには懐いており、彼とと共に行動している事が多い。

 

「……大丈夫、とは言ってもお前は信じないな。だが心配はない、きっと「奴」は現れる」

 

ストレンジが苦笑しながらマントに語ると、マントは襟で彼の頬を撫で、脱力し素の状態に戻る。

 

アスガルドの王子、ソーとロキをノルウェーに送って、そろそろ1ヶ月。

 

彼らは無事、アスガルドに帰還できただろうか。

いや、それ以前に彼らの父であるオーディンの命が尽きている事も感知している。

 

それ故にオーディンの娘であり、ソーらの姉であるヘラの復活により彼らが殺されかけているかもしれない。

 

何れにせよ、ヘラがソー達を屈服させた後、銀河系を恐怖政治で支配するのは目に見えている。そうなった場合にはストレンジ自らがアスガルドに赴きヘラと一戦交えなければならなくなるかもしれない。

 

そのような状況で更に今朝からの謎の悪寒。ストレンジの緊張は高まる一方だ。

 

 

 

 

彼が思考を中断し休憩ついでにお茶を取り替えようとしたその時、突如異変が訪れる。

 

エントランスホールから尋常ではない強い力をストレンジは感知したのだった。

ホールに向かったストレンジは咄嗟にマントの力を使って浮き上がると、両手にエルドリッチ・ライトと呼ばれる魔法円を展開し、その「何か」に向ける。

 

現在、盟友のウォンはカマー・タージにいるため彼に応援を要請したいところではあるが、この場を離れることはサンクタムの崩壊にもつながる事から得策ではなく、またマスターとしてここを死守するのは当然の務めであるため、故に一人で対処しなければならない。

 

「あの黒い「何か」は、一体なんだ?気色悪いその見た目に、あそこから放たれる禍々しいオーラ、気持ち悪いと共に危険な存在には変わりないが」

 

黒い「何か」は魔術書に記されていた術式でもなく、かと言ってダーク・ディメンションやドルマムゥからの攻撃の類とも一致しない。

まさかドルマムゥによる新たな攻撃か。

 

ストレンジがエルドリッチ・ライトを展開して状況を目視すること数刻、

 

「何か」が開き、亜空間から無数の黒い手が出現する。黒い手は瞬く間にホールを覆い、置かれていた椅子や照明器具を次々に倒していく。

 

そして数え切れないほど尋常ではない数を展開した手はそのままストレンジに向かっていく。

 

「何かは分からないが、この地球を守るサンクタムに手を出した以上、不法侵入としてお引き取り願おう!」

 

今朝から漂っていた謎の気配がこれから発せられている事にストレンジは気付き、警戒を強める。それと同時にマントから強い魔力が送られ、彼の魔力も高まった。

 

ストレンジはエルドリッチ・ライトを剣型にして手を斬っていくが減らしても減らしてもその数は増えていく。

 

ストレンジは師匠であるエンシェント・ワンが死亡した後、彼女の称号であった『至高の魔術師』を受け継いだ地球最強、そして宇宙全体でもトップクラスに位置する魔術師となっていた。

 

しかしいくらストレンジが『至高の魔術師』と言えども所詮は生身の人間。

スタミナは無限ではなく、持久戦に持ち込まれたストレンジはやがて多数の手により押されていく。

 

「面倒な相手だ、斬っても生えてくるとは……。地球が危機的状況になりつつあるというのに、厄介な荷物が舞い込んできたものだ」

 

毒づいた彼を更に黒い手は奥へ奥へと追い詰めていく。

 

追い込まれたストレンジは目の前の敵を撃退するため秘策である「アガモットの目」を展開する事を決める。

両手を胸の前で交差させ、勢いよく開くと同時に彼の首にかけられていた「目」が開き、中から美しい緑の光を放ち、使用者に時間を操る力と無限の可能性を齎すタイム・ストーンが姿を見せる。

 

彼の両手首にはタイム・ストーン特有の紋様が展開されるが、タイム・ストーンを操る際のモーションは普通の魔術よりも時間がかかる。

それ故、僅かに隙ができる。その瞬間を狙い、手がストレンジの動きを封じるべく彼の手首に巻きついた。

 

「クッ!」

 

いつもより多いモーションを弱点と敵は判断したのだろう。

素早く彼の手に巻きついた手により、ストレンジのポーズは崩され、手首の紋様はそれに伴い消え去り、目はタイム・ストーンを守るために閉じられた。

 

一瞬でも手首に巻かれればその時点で彼の負けが決まる。無数の手に巻かれたストレンジはそのまま異空間に引き摺り込まれ、彼の意識は強制的に飛ばされた。




ここまでの流れは前作とほぼ同じでした。

次回はいよいよドクターがルグニカに飛ばされて異世界生活ライフを満喫させられることになります。

実はこの作品の創るにあたって大分時間が空いたのでもう一度『ドクター・ストレンジ』を見直し、よりストレンジに近づけるよう創意工夫しました。近づいているかは自分では判断できませんが、自分なりの工夫として、ストレンジの日本語版吹き替えである三上哲さんの声をセリフに合わせて頭の中で再生して作ってみました。

リゼロの作品を創作しているということですので勿論、リゼロスも参考にしていただいています。
寝巻きクルシュ様最高なんじゃ〜^ ^


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二話 いざ、異世界へ

連続投稿です……


サブタイトルの名前が思い浮かばない。
そう言えばこれが投稿される日はリゼロスで限定衣装のレムが来るんですよね、当てなければ!





黒い手に巻かれ、サンクタムから強引に引き離されたストレンジが意識を取り戻すのにかかった時間は正確には分からない。それがほんの数秒か、それとも数時間かー。

ストレンジが意識を取り戻し、目を開けるとそこにはサンクタムとはうって変わる、全く別の景色が現れた。

 

以前、ウォンが管理する書庫で閲覧した書物内に記されていた中世ヨーロッパのような街並みがそっくりそのまま眼前に広がっていたのである。

日光が煌々と街中を照らす中、空想の世界でのみ描かれるような様々な種族が闊歩している。

 

ストレンジがかつて住居を構え、現在でも拠点としているニューヨークと比べると建物の高さや建築様式、文明レベルは劣ってはいるものの、都市の発展具合からかなりの発展を遂げている事が分かり、この都市はどこかの国の首都なのだろうか、とストレンジは思案する。

 

スリング・リングやアガモットの目など、魔術師として必要な道具一式を確認したストレンジは一先ず、状況を把握するため周りを見渡す。

 

ストレンジの背後には大きな噴水広場があり、多くの人や亜人が行き交っている。そして時より地球で言うところの馬車なのだろうか、四足歩行の大きなトカゲらしき生物が引く車が往来している。大通りへと目線を向けると車の数は更に増え、ほぼ途切れる事なく通りを行き来していた。

 

ふと空を見上げたストレンジは星の位置を確認する魔術を使用し、上空を仰ぐ。この魔術を使うことにより、昼間でも月や他の天体の位置を観測でき占星術やGPS無しでの位置の把握が可能となる。

 

「地軸や星々の数、方位、位置が地球のどの地点の空とも一致しない。つまり、ここは我々がいたアースとは次元も異なる異世界ということか……」

 

ストレンジは諸々の条件からここが地球でない事を確信した。恐らくあの黒い手が自身をこちらのユニバースに引き込んだのだろうが、その目的をストレンジは現時点で察する事ができない。

ストレンジはすぐにでも地球へ戻るため、人気のない路地裏まで赴き、そこでスリング・リングを使ってゲートを開こうとする。左手の人差し指と中指にスリング・リングを通し、右手で円を描くように回して、ストレンジが通れるほどのゲートを作るが……

 

「ある程度想定はしていた。しかし改めてこうしてみると現実を見せつけられたような感覚を覚えるな」

 

ゲートを作るところまでは上手くいった。しかしその先が問題となる。ゲートの先はサンクタムには繋がらず、黒く塗り固められた漆黒の異空間が姿を示すのみだった。つまり目的地を示さなかったのである。ユニバースが完全に切断されているのか、それともあの黒い「何か」が原因なのか。

彼は幾度かサンクタムを念じてゲートを開こうとするも同じような状況に陥るばかりで一向に進展しない。

 

カマー・タージや盟友ウォンとも連絡が取れぬまま、ストレンジはたった一人、異世界へと召喚されたのである。

 

 

 

 

 

ストレンジは自分の責務であるタイム・ストーンの保護を優先事項として置き続ける一方、地球への帰還方法を探ろうと決意した。最早、一刻の猶予も許されない。

先日には、狂えるタイタン人(サノス)が遂に動き出したことも感知している。それにドルマムゥやシュマゴラスなど、強大な多元宇宙(マルチ・バース)の脅威もある。地球に残したニューヨーク・サンクタムやカマー・タージにとって、自らが突然消失し行方不明となったという事実は、地球を危機的状況へ追いやることと直結する。これらの脅威に対抗するための防御網に穴が出来てしまう事に彼は危惧した。

 

「とにかく、まずは地球へと帰還する方法を探すぞ。いつまでも突っ立っているわけにもいかない。申し訳ないが、手伝ってくれ」

 

ストレンジは相棒のマントに不安を隠してそう囁いた。マントは了承の意を込めて襟で小さく頷く。

ストレンジは路地裏から大通りへと戻り、町並みを改めて見渡した。

全身を毛で覆った猫耳の亜人が人間の女性と話しており、中世の鎧に酷似した甲冑に身を包んだ騎士が道端で欠伸をしている。

人間と亜人の子供が追いかけっこをし、車道にはたくさんの馬車と思わしき乗り物が往来している。

 

元々知識欲が高い性格であるストレンジは、今まで見たことがなかった物珍しい光景に探究心が高揚するのを覚え、興味深げにあちらこちらを見て回った。幸い、彼の知識欲を咎める者がいないため、ストレンジは自分の思うがままに探究する事ができる。

 

彼は人通りの多い通りを歩いて行き、出店が立ち並ぶ通りに行き着いた時、ふと視界に入った青果店を訪れた。

 

「あなたが、この店の店主か?」

 

「お?お客さんか?うちのリンガはうめぇぞ!味は保証するからうちで買っていきな!」

 

隆々とした筋肉を持ち、厳しい顔立ちと傷のあるスカーフェイスが特徴な小枝を加えた店主らしき男性はストレンジが話しかけるとリンガを手に持ち、売り込む。

 

「リンガ……この国ではアップルを日本語のリンゴに近いリンガと呼ぶのか……」

 

ストレンジは改めて自らが異世界に飛ばされた事を肌で感じる。言葉が通じることが何よりの幸いであったが。

一方、右手のリンガを弄りながら木の枝を加えた青果店の店主は怪訝そうにストレンジを見つめる。

 

「あんた、この辺じゃ見ねぇ顔に格好してんな。何処の国から来たんだ?」

 

「私は、アメリカ合衆国の都市であり世界最大の経済都市ニューヨークから来た」

 

「は、はぁ?アメリカぁ?ニューヨークぅ?そんな国も地名も聞いた事はねぇな。お前、まさか酔ってんのか?」

 

「酔っていない、私は正気だ。ということはこれも使えないということか」

 

ストレンジは胴着の中から財布を取り出し、中から1ドル紙幣を抜き店主に見せるがその店主は手を横に振り余所の金の国は使えない、と断った。

 

「他国の金を差し出す……ん?どこかで同じような光景を…お前、無一文か?」

 

「この一ドル札が使えないなら、申し訳ないが私は無一文になってしまうな。では、追い払われる前に、リンガではなくこの国について少し聞かせてもらおうか。世間話程度で金を取るような、心が狭い人間ではないと私は思ってるが」

 

追い払おうとする店主をストレンジは話題を変えて繋ぎ止めた。それと同時に今いる国についての情報を聞き出せるかもしれない、とストレンジは判断したのである。

店主も嫌々ながらも語り始めた。

 

「なるほど。このルグニカ王国では王を始め、王族全員が謎の流行病により死亡。王権を引き継ぐ権利を持つ王族の死亡により、新たに王権を継承する権利を持つ候補者同士で行われる王戦が始まろうとしている。何とも平日の昼間に放映している三流ドラマのようなベタな展開だが、状況把握には十分すぎるほどの情報だ」

 

「その「三流どらま」が何なのかは分かんねぇが。あぁ、大体それで合ってんな。その候補者っていうのは何やら資格がないとなれないらしくてな、詳細は分からねぇ。もういいよな?こっちも商売してんだ。無一文なら用無しだ」

 

これ以上の話を聞く事はできない、と判断したストレンジは店主に礼を言ってその場を去ろうとした。しかし、その直前店主がストレンジを呼び止める。

 

「待て!今思い出したぞ。そういえば、あんたと同じ黒髪の少年が以前この店を訪れた事があってな、奴もアンタと同じ無一文だった。アイツ、急にボケーっとしだしたんだよなぁ。すぐに直って開き直りながらどっかに行っちまったが」

 

「黒髪の少年?そう言えば、先ほどこの国では私のような黒髪は珍しいと話していたな」

 

「この国じゃ、あんたのような漆黒のように黒い髪を持つ人間なんてのはそうそういねぇ。それにかなり独特の服装もしていたっけな。案外、お前と同郷の仲かもしんねぇかもよ」

 

同郷、つまり同じアースからの転移者という可能性がある。思わぬ形で当たりを引いたと確信したストレンジは店に戻り、その店主からなるべく多くの情報を引き出そうと画策する。

 

「その少年はどんな風貌をしていた?服装も聞かせてもらおう」

 

「んー、あんまり覚えちゃいねぇがな。黒髪に黒い目、目つきはかなり鋭かったのは覚えてる。あんたとはまた少し違う顔立ちだったっけな。あ!あと、妙な格好といえばあいつ上下が黒くて黄色とか白の線が入った服を着ていたぞ!あれは、かなり珍しかったからな、嫌でも記憶に残る」

 

「黒髪、黒い目をした少年で特徴的な格好か……。なるほど、実に大雑把ではあるが分かりやすい情報だ。これは大変な情報かもしれない。有効活用させてもらおう。さて、そろそろ行くとするがその前に、主人の名前を聞かせてもらおう」

 

「俺か?俺はカドモンっていうのさ。満足かい?無一文」

 

「その無一文という名前は止めてもらおう。

ーー私はドクター・スティーブン・ストレンジだ。機会があれば次はリンガを買わせてもらおう」

 

「金さえ持ってくれば大事なお客様だ。今度来るときはしっかりと金を持ってきてくれよな!じゃあな!」

 

今度こそ店の店主ことカドモンとストレンジは別れを告げ、それぞれ別の道を歩んでいく。果たして彼が見た、その謎の少年は一体何者なのか?その答えはストレンジでも分からない。

 

 

 

 

 

カドモンの店から離れたストレンジは、一直線に王城近くまで来ていた。目的は王城近くにある、とある場所に赴くことである。

 

カドモンから教えられた場所、この国を守る騎士団一行の本丸であるルグニカ王国近衛騎士団詰所は王城のすぐ近くにあり、建前から分かる独特の雰囲気を醸し出していた。

ストレンジはマントの襟を正すと、騎士たちが出入りする出入り口を通り抜け、颯爽と受付に進む。

騎士団詰所をマントを靡かせながら入る人物はそうそう居ないため、ストレンジの行動はすぐに注目を浴びた。

 

「突然失礼する。旅の者だが、ここが近衛騎士団詰所で間違いないか?」

 

「はい。そうですが、どうされました?」

 

「そうか、それは良かった。実は面会を希望したい人物がいる。是非ともその人物から力を借りたいのだ」

 

ストレンジが態々騎士団詰所を訪れた理由、それは自らの力を正しく理解できる、優秀で強力なパトロンもいないストレンジにとっての助けとなる存在を探していたからである。

 

「は、はぁ…面会を希望していたいということでしたが、具体的にはどのような方なのでしょうか?近衛騎士団の騎士の誰かでしょうか?」

 

「いや。この街に滞在していると聞く、人物に合わせてほしい。

 

 

ーークルシュ・カルステン。カルステン公爵家現当主であり次期ルグニカ王国最有力候補である女公だ」

 

 

カドモンから聞いた情報の中、今王都に滞在している有力者の中で、最も優秀な領主は誰かという問いに対してカドモンはクルシュ・カルステンの名を挙げていた。

カルステン公爵家現当主であり、女性でありながら男性顔負けの勇猛果敢な性格の持ち主で、王戦前から様々な武勲を挙げている実力者。その名声と実力から次期ルグニカ王国の最有力候補として注目されている。

彼女ならば自身の能力を見せることで、双方が納得できる条件で支援の確約を得ることができるのではないか、という判断をストレンジは下した。

 

その名を口にした瞬間、ストレンジの相手をしていた騎士を始め、周囲にいた騎士一同が一段警戒を強める。この国の公爵家に、それも次期ルグニカ王国国王の最有力候補に突然、旅人が面会を求めてきたのだ。そう反応する方が自然である。

 

「失礼ですが、どうしてクルシュ様に面会を?失礼を承知で申し上げますと、旅人が我がルグニカ王国の公爵家に面会を求める事は普通はないものでして……」

 

「私は遠くの地、ネパールはカトマンズに籍を置く魔術師だ。現在、本国からの資金が途絶えてしまい、助けが必要になっている。何とかこの王都までたどり着いたのだが、そこで所持金が底をついてしまい、挙げ句の果てに無一文だ。それ故、私は新たな支援者を求めている。これで把握はできたか?」

 

魔術師という言葉に騎士は戸惑いを隠せない。

 

「魔術師だと?」

 

「かのロズワール・L・メイザース辺境伯と同じ立場の人間ということか?」

 

「しかしならばなぜ、クルシュ様へ?」

 

「恐らくロズワール辺境伯は銀髪の半魔を匿ってるだろ?きっとあの人の国でもそれが広まってるんじゃないか?」

 

否、ストレンジが単にクルシュの下を訪ねることにしたのは彼女の実力や武勲など総合的な面から判断したためであった。

 

確かにロズワール・L・メイザースという、凄腕の宮廷筆頭魔術師がいることも少しばかりはカドモンから聞いた。しかし、彼は実に奇抜で何をしてるかも分からないミステリアスな人物だとストレンジは脳内評価していた。勿論、これはカドモンから見た辺境伯の姿であり、実際には案外まともな人物なのかもしれない。しかし、それでも奇抜な魔術師よりも勇猛果敢な女公の方がストレンジを正しく扱えるだろうと判断し、ここまで来ていた。

 

「あなたの名前を伺ってもよろしいですか?」

 

「私はドクター・スティーブン・ストレンジ。「至高の魔術師」を受け継ぐ魔術師だ」

 

ストレンジの名前を記しているのだろう。見たことのない文字で紙に記した騎士は怪しみながらも、奥に引っ込んだ。長丁場になると踏んだストレンジは休憩がてらに詰所に置かれていた長椅子に腰掛ける。

 

「失礼。あなたは魔術師とお伺いしたのだが、具体的にはどの属性の魔法を操るのですか?」

 

長椅子に腰掛けていたストレンジに突如として話しかけてきたのは長身の青年。

髪は紫色で、鋭い目つきに瞳は黄色く、カドモンとは違う細くも筋肉がしっかりと身についている肉体を覆うは白い騎士服であり、その清廉さが好青年に対するストレンジの好感度を上げる。ストレンジの隣に腰掛けると、休んでいるストレンジを興味深そうに見つめた。

 

「旅人に話しかけるとは、随分な物好きだな。お前も騎士の一人か?」

 

「これは失礼。私はルグニカ王国近衛騎士団所属、ユリウス・ユークリウスと申します。どうぞお見知りおきを」

 

「これは丁寧な自己紹介、感謝する。私はドクター・スティーブン・ストレンジだ」

 

ストレンジが差し出した手袋に覆われた右手をユリウス・ユークリウスは握り返した。

ここに魔法に精通した「最優の騎士」と「至高の魔術師」の運命が交じり合った。




最後までご覧いただきありがとうございます。

ストレンジ、自身の支援者を求めて町を歩きましたが、如何りか原作キャラがと接触しましたね。

カドモン……ユリウス……これからもっと増えます笑

次回は遂にフェリスが登場か!?


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三話 騎士団一同

早くドクターストレンジの続編が見たいんじゃ〜。

アニメ『リゼロ』のパンドラ強すぎではありませんかね。見てて思ったのが、彼女の能力、リアリティ・ストーンそのものなんですよねぇ。仮に、リアリティ・ストーンを持ったサノスが、彼女に対峙した場合は結構いい勝負になるかもしれないです。


「ドクター殿はどうしてここへ?」

 

騎士団詰所の受付広間に置かれた長椅子に座っているストレンジに興味を持ったユリウスは、ストレンジに引っ付き次々に質問した。ユリウス自身がドクターが持つ魔術的潜在能力に惹かれていた事も一理あるが、何より物珍しい服装と彼から湧き出る膨大な魔力に興味を持った事が1番の理由であった。

 

対するストレンジも初めて自分が遠慮なしに話せる相手と見込み、次々に質問するユリウスをあしらう事はせず、彼の質問に答えていく。

 

「ユークリウスは聞いていなかったということか。私はネパールというここから遠くの国に籍を置く魔術師だ。今は国からの資金が途絶えてしまい、かろうじてここまで生き長らえている無一文だ。それ故、私は私自身の力を有力に使うであろう支援者を求めている、というのがここを訪れたストーリーだ。笑いたければ笑えばいいさ」

 

「困っている方を嗤うなど騎士がする事ではありません。人を不幸に邪な感情を抱くことは、我々騎士にとって自らの信念を踏み躙る事と等しいのです。しかしここへ来られたのは、その資金集め協力を要請するための策がドクター殿にはあるという事ですね?」

 

「あぁ、他に何か理由があると思うか?お前が読心術を心得ていれば分かりそうなものだがな」

 

ストレンジは正直にユリウスの質問を返していく。しかしストレンジは事実でなく、少し捻じ曲げてユリウスに話していた。有力者へ支持を仰ぐ本当の理由は、地球へ帰還するための手段を探るためである。自らを気にかけているとはいえ、異世界の住人であるユリウスに話しても、到底信じてもらえる話ではない。異世界の住人にこちら側の話をしても彼らにとっての異世界であるニューヨークやアスガルドでの出来事を話しても信じてはもらえないと考えるのが普通である。

 

「貴方はとても興味深い方です。あなたが扱う魔術に、その膨大な魔力。あなたが彼の「大賢者」の生まれ変わりと語っても、過言ないでしょう。ドクター殿、よろしければ我がユークリウス家にて客人としてもてなす事も可能ですが?」

 

「実にいいアイデアだ、と言いたいところだが生憎、先に交渉している方がいる。が、今交渉中の家に受け入れを拒否されてしまったらそちらを頼る事も一考だな。その時は世話になるぞ、騎士ユークリウス」

 

「分かりました。それと、私のことはユークリウスではなくユリウスと呼んでもらえると幸いですドクター殿。ところで最初の質問に戻るのですがドクター殿はどの属性の魔法を使うのですか?」

 

「ほぉ、『ハリーポッター』のように魔法には属性があるのか?」

 

「「はりーぽったー」が何かは分かりませんが。ええ、魔法には土、火、水、風、陽、陰の6属性があり、それぞれの属性に適した人物のうち優秀な使い手が魔導士や魔術師となるのです。魔術師や魔導士の数は少なく、それ故貴重な戦力として各国が囲い込みを行なっている程です。この国で最も優秀な魔法使いは6属性全てに適性を持ったロズワール辺境伯ですが、あなたの登場によってその常識は打ち砕かれるでしょう。ドクター殿が活躍すればその分、世界は大きく動く事も十分に考えられるかと」

 

ユリウスの会話の中に入ってくるロズワール辺境伯という単語。やはり魔術師としては気になる存在であった。この国最強の魔術師でありその力は正規軍の戦力に匹敵するほどの力の持ち主。しかしそれらの肩書を奇抜な言動で台無しにしているのも事実である。現にカドモンの発言がそれを裏付けている。一体、どんな人物なのか。全く読めない、いや読ませていないのだろう。

 

「随分と私を買い被ってるな、ユリウス。未だに正体が分からない魔術師に対してお前はどうしてそんな事が言えるんだ?」

 

「私は精霊を使う騎士です。常日頃から精霊と触れる機会が多い身から言わせていただくとドクター殿は特殊なのです」

 

「特殊?確か、以前にもウォンに言われたような気もするが」

 

「ドクター殿が掛けられているマントからも魔力は注がれていますが、それ以上にドクター殿が持つ潜在的な能力が計り知れないのです。恐らく生まれながらに才能を持った最強の魔術師なのでしょう」

 

以前、勝手に「アガモットの目」を書庫から勝手に持ち出して使用した時、ウォンにも言われた言葉。ストレンジ自身が生まれながらの魔術師であるということ。俄には信じられないが、自分が交通事故で医師としての未来を失い、カマー・タージに赴いて魔術師としての才能を開花させたあの出来事は、宿命に近いものでは、とストレンジはふと考える。

 

先程から気になっている隣の騎士のため、ストレンジは自身が持つ魔術のうち、一つを披露する事にした。

 

「ユリウスはこの魔術を見たことはあるのか?」

 

ストレンジが右手に小さな魔法円を展開するとユリウスは興味深そうに見つめた。しかしその表情は怪訝そうであった。

 

「この魔法は……申し訳ないですが、私は見たことがないものです。ネパール国は6属性に属さない魔法を使用している、ということですか?」

 

「これは魔法ではない、魔術だ。古代の魔術師が創り上げた呪文を使い、マルチバースに存在する別の次元からエネルギーを引き出して盾や武器を呼び出すという魔術だ。説明では簡単だが、私はこの魔術をカマー・タージで修行して得た。単に言えば異次元から力を得ているということだ」

 

「異次元から……それは実に興味深いです。精霊と噛み合うか、是非とも試したいものです。とにかく、ドクター殿が扱う魔術はこの国にはない新たな魔術であり、恐らく新種の魔術として注目されるでしょう」

 

「これが?物珍しい魔術であるから注目される事は致し方ないが。以前、悪戯神に色々罵られた事があってね、あまり注目される事は好きじゃない。無論、魔術を使い強大な敵に立ち向かう事には慣れたが。おおっと、無駄話が多いな。そろそろ彼が戻ってくるだろう」

 

ストレンジが顔を上げると、先程ストレンジの応対をしていた職員が戻ってきていた。

ストレンジが長椅子から立ち上がり受付へ移動すると、何故かユリウスもついてきていたがストレンジは気にすることなく職員と向き合う。

 

「この忙しい時にお呼びがかかるにゃんてネ〜。それで〜?君がクルシュ様に会いたいっていう不審者なのかにゃ?」

 

職員に続けて受付に現れたのはユリウスと同じ騎士服に身を包む、細身の身体を持つ人物。猫耳に白いリボンが付けられたショートヘアを持った女口調で話す騎士にストレンジは奇怪な眼差しを向けずにはいられない。

 

「ん〜?ユリウスもいたの〜?そこの不審者と話していたみたいだけど、ユリウス的には大丈夫だったってことかにゃ?」

 

「フェリス。あんまりこちらの方を失礼な呼び方で呼ぶのはどうかと思うが」

 

クルシュ・カルステン本人の登場はストレンジも期待してはいなかった。しかしまさかの女装野郎が召喚されたことにストレンジは思わず吹きそうになる。それを我慢してストレンジは改めてその姿を見た。相手の騎士も悪戯な笑みを浮かべつつもストレンジを品定めするかの如く、舐め回すように見ている。

 

「ユリウスの言う通りだな。初対面の相手をいきなり不審者呼ばわりするとは随分な物言いだ。王国の騎士はこのように皆無礼なのかと、リーダーに問いただしたくなる。それに男性なのに女装している事も気になるな。それは趣味か?それとも流行りのコスプレか」

 

この発言にユリウスや目の前の女装騎士は感心したような表情を見せる。

 

「色々、初対面で言ってくれるネ。そこの髭術師。ま、フェリちゃんを男って見分けられたのは素直に驚いているけど。どうして分かったの?」

 

「いくら女装好きなお前が女性を演じても生物本来の『気』までは変えられない。お前が隠していても私はそれを見ることができるのだ。クルシュ・カルステンの騎士、フェリックス・アーガイル」

 

ストレンジの発言に、フェリックスもといフェリスの表情に初めて変化が生まれた。驚いた表情と何処か信じられないような表情を浮かべ、ユリウスも驚いた表情をしている。

 

「ユリウスは「フェリス」としか言っていないのに、名乗っていない私の名前を知っているなんてね。何処かで聞いたー?それともお得意の魔法で知ったのかにゃ?」

 

フェリスから余裕が消え、警戒を強めたのか肩に力が入る。初対面の相手がいきなり名乗ってもいない自分の本名を語り始めたら、誰だってそうなるであろう。しかし、そんな事は知らんと言わんばかりにストレンジは話し続ける。

 

「時の流れに身を任せれば何れお前でも分かるようになるはずだ、女装野郎。それにそんな事を気にかけるのは時間の無駄であり、必要のないことだ。ーー言えることは、お前が知る世界、それが全てではないということ。それにーー

 

 

ーー全てが理にかなっていなくとも、その全てを理解できなくても良いということだ。ルグニカ王国随一の治癒術師」

 

ストレンジはフェリスを前に高らかに誇示するように宣言する。

 

 

 

「私の名はドクター・スティーブン・ストレンジだ。マスターズ・オブ・ミスティックアーツのリーダーにして至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)を受け継ぐ、地球最強の魔術師だ」

 

 

 

 

 

 

「うーん。フェリちゃんにはそのマスターなんとかとか、ソーなんとか言われても全く分かんにゃい。寧ろ、訳の分からない単語を誇示しているその様、痛い気もするし。とにかく、そんな堂々と宣言されてもフェリちゃんには分かんにゃいかな〜」

 

「その猫のような口調、似合っているから止めろとまでは言えないが、何とも妙な気分になる。つまり、お前の言いたいことを纏めれば私に対する疑念はまだ晴れていない、ということか」

 

「そうで〜す。え〜っと、ストレンジさんでしたっけ。フェリちゃん、頭の回転が速くて賢い人は嫌いじゃにゃいかな〜?」

 

ストレンジの言葉など、どこ吹く風と言わんばかりの態度をとるフェリス。

ストレンジ自身もフェリスの飄々ではあるが、嫌悪感を表す彼の態度に不快感を感じるもそれを感じさせずに対応しているのは彼が傲慢な態度から進歩した証だろう。恐らく医師時代の彼ならばすぐに噛み付いていた。

 

「ユリウス、こいつはいつもこんなテンションなのか?」

 

「「てんしょん」……というのがどういう意味かは存じ上げませんが、いつもこの調子であるというならばその通りです。ドクター殿」

 

「まさか公爵家の騎士が女装野郎だったとは。度肝を抜くとは正にこの事だな。

ーーフェリックス・アーガイル。私は()()だった経歴を持つ。それも国一番の()()だったのだ。故に私のことはドクター・ストレンジと呼んでほしい」

 

「へぇ〜。医者だったの、つまり私と同類ってことか〜。あと、本名で呼ばれるのはなんかむさ苦しいから普通にフェリスで良いよ、ストレンジさん。もしくはフェリちゃんでも可!」

 

フェリスはまるで試すかのようにストレンジを見据える。

フェリスとストレンジは、魔法と科学という治療の方法に違いはあれど、二人とも人々の命を救うために奔走していた過去を持つ。

医師としてのストレンジはあの交通事故以来消えたが、それでもストレンジは『ドクター』に固執しており、それは例え魔術師に身を置いたとしても人々を救うことには変わりないことや彼に残る医師としてのプライドがそれを許さないことからだった。

 

「ゴホン……フェリス、ドクター殿を改めてどう見る?」

 

「ユリウス。彼が私と同じ医者としての経歴を持っていたとしても、それでも私は彼を不審者だと見る視点は変わらない。第一、彼がクルシュ様に会う理由が見つからないなんておかしいじゃない!どんな目的があるのか分からない彼をクルシュ様にお通しするのは絶対に反対!」

 

「清々しいほど、お前に嫌われているようだな私は。寧ろ、その方が単純明快で助かる。ならば先程ユリウスにも見せたこの魔術を、頑固なお前にも見せるとしよう。ー肝を冷やすなよ」

 

ストレンジはそう言うと握りしめた両手を交差させる。フェリス、ユリウス、受付の騎士が静かに見つめる中、ストレンジが両手を開くと同時に彼の手先には円型のエルドリッチ・ライトが展開された。

予め見ていたユリウスを除き、フェリスも受付の騎士も初めて見る魔術に目を見張る。

 

「……ドクター、その魔法は?」

 

「これは魔術だ。私が医師としての未来を経たれた後、カマー・タージという場所にて習得し、結果として私の人生を変えたものだ。この国には存在していない未知の魔術と考えてもらって構わない」

 

「未知の魔術……ユリウスは、何か分かる?」

 

「申し訳ないが私でもこの魔術が何なのかは分からない。ルグニカだけではなく、ヴォラキア帝国や呪術発祥の地である聖教国グステコのものとも一致しない。恐らくドクター殿が考案した独自の魔術と考えていいだろう」

 

独自の魔術……確かに側から見ればそのように受け取られるだろう。しかしこれは初代「至高の魔術師」であるアガモットの代より受け継がれてきた伝統ある魔術であり、断じてストレンジの考案した魔術ではない。しかしこの魔術でも、交渉において有利なカードになると判断したストレンジは更に魔術を披露する。

 

「フェリス、足元が光っているように見えるのだが?」

 

「え!?ちょっと何なの?私じゃないーー」

 

突如としてフェリスの足元に出現した光の輪は混乱するフェリスを一瞬でどこかに消し去ってしまった。刹那の出来事にユリウスは手を伸ばす暇もなく、ただフェリスが吸い込まれていく様子を見るしかなかった。

 

「ドクター殿、これは……」

 

「私のいた修行場で習う()()()な魔術である転移魔法だ。この魔術を使えば人・物問わず、好きな場所へ一瞬のうちに移動させる事ができる。

ーーかく言う私も、この魔術の取得に一番時間がかかったのだが。ああ、彼については安心してほしい。今頃、私の作った異空間を永遠に落ち続けているから、何かにぶつかって肉の塊となって出てくることはないはずだ」

 

「……それは良かったです。流石に目の前で友人を殺されてしまってはここでドクター殿を捕らえなくてはならなくなりますから」

 

「騎士団に所属するお前との戦闘か。負けることは無いが、避けたいものだ」

 

 

 




リゼロス限定レム、120連爆死!星3キャラゼロ、こんな事ある?

さて、本編ですがいよいよフェリちゃん登場です。フェリちゃんとストレンジは、同じ医師キャラとして扱いたかったのですが、結構二人は衝突する話の流れになりました。

そしてフェリちゃんが穴に落っこちた場面は『マイティ・ソー ラグナロク』にてソーと一緒にニューヨークに来たロキが、ストレンジが開けた穴に落っこちたシーンのオマージュです笑

??「落ち続けていたぞぉ!30分もだ!!」


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四話 魔術師の過去

今回はドクターとフェリちゃんのメイン回です。


フェリスを異空間へ落としたストレンジは、ユリウスと共に近衛騎士団詰所近くにある大きな空き地に場所を移した。

 

目の前でフェリスが突然消えるという、前代未聞の魔術を見せつけられ呆然としていた受付の騎士は、完全に二人に放置されたままになっている。今頃、奥から出てくる同僚に介抱されている頃だと、ストレンジは勝手に考察していた。

 

「ドクター殿、態々此処まで来たということは、フェリスをこちらに戻すための魔術を?」

 

「ああ。といってもやり方はシンプルだ。コツを掴めばユリウスでも可能だ」

 

ストレンジはスリング・リングを嵌めた右手を斜め上に上げ、左手も同じくらいの高さに上げた。

ユリウスがじっと見守る中、ストレンジは左手を円を描くように回すと、突然前方の上空に先程と同じような光の輪が現れた。

それと同時に下向きに開けられていた穴から絶賛絶叫中のフェリスが落ちてくる。叫びながら落下してきたフェリスは勢いよく地面にぶつかるも多少、騎士服が汚れたのみで大した怪我もなくすぐに起き上がる。

 

「フェリス、大丈夫か!」

 

「アイタタ……ユリウス、私は大丈夫。心配しなくていいから……それよりも」

 

フェリスは起き上がると同時に目の前に立つ魔術師を見上げる。

 

正直、フェリス自身はストレンジについて好印象は抱いていなかった。無一文の旅人と名乗っておきながら突然、自らの主人に面会を申し出るという愚挙に出る。不満を抱えつつも応対すれば上から目線な口調で話し、しかも自らと同じ医師だと名乗った。

現在の彼はどういう訳か医師ではないようだが、それでも王国一の治癒術師である自分の目の前で「国一の名医」と名乗ったのだ。今は亡き殿下よりその力を認められたフェリスにとっては、ストレンジのとった一連の行動は主人第一主義で動くフェリスの医師としてのプライドを傷つける行為そのものであった。それ故、フェリスはストレンジを嫌悪し、ユリウスが介入したとしても押し除け、さっさとお引き取り願う考えでいた。

 

しかし、ストレンジは全く未知な魔術を操り、この国では極小数である空間転移の魔術をも容易くこなしてしまった。最早疑う余地はなく、「至高」の称号に相応しき実力の持ち主である事は確定的となったのである。このことはフェリスにとって認めたくなくても認めざるを得ない事実として確立された。

この国の転移魔法は膨大なマナを消費し、また発動時間も遅い。使用できる者は魔法に対して完全適性を持った者か、大精霊のような存在でなくてはならない。しかし目の前の魔術師は容易くこなしてしまったではないか。

それだけでも魔術師としては一芸秀でている。彼は他にも隠している様々な魔術を変幻自在に扱うのだろう。しかも未知の魔術だけにその力は未知数であり、自らの物差しでは正確に技量を測れない段階まで彼は達していた。彼をカルステイン家に招くことによって主人の念願である、()()()()の達成に大きく近づくことが可能かもしれない。

 

千載一遇のチャンスを逃す事を可とする心構え、自己中心的な発想はフェリスの中から消え失せた。

 

「ドクター・ストレンジ、あなたの力は理解できた。確かにあなたの力は強い、悔しいけど私の目ではあなたの正確な力を測ることはできないと思う。だからあなたをクルシュ様にお会いさせる事を認めてあげてもいい。だけど一つ遵守してもらいたい事があるの。あなたの身の保証と支援を交換材料として、当家の()()()()に協力してほしい。それがクルシュ様にお会いするための、最低限の条件だと思って。それが無理だというならば、申し訳ないけど当家は諦めてほしいの」

 

「フェリス……それは、彼に厳しくはないだろうか。()()()()は生死を賭けたものであり、犠牲者の数も予測が付かない。先代剣聖も刃を届かせる事ができなかった存在だ。我が国に詳しくない彼を充てることは適材適所ではないと思う」

 

「事の重大さを分かっていないってユリウスは言っているの?そんな事ぐらい私はもう心に刻んでいる。クルシュ様が命を賭けると私に話してくださった時から、私は覚悟は決めてるの。だからこそ、彼にも同様に命を賭ける覚悟を持って欲しい。生半可な気持ちで挑まれるのは、絶対に嫌」

 

ユリウスの心配に、状況を正確に把握できず若干困惑するストレンジだったが、彼にとってはある程度予想できた流れだった。

()()()()という単語が気になるが、ユリウスやフェリスの反応から見るにこの魔術は未知のものであり、上手く活用することによって交渉において大きな切り札になることは確実だった。加えて()()()()に協力する事で自らの名声を高める事も可能になるようだった。ストレンジにとって同じように転移者がいないか探ろうとしている中、この提案は断る理由もない良案となる。

 

「いいだろう、フェリス。ふざけた口調をしているお前がそこまで熱意と信念を持っている計画だ、私に反対するつもりはない。それに無一文の私は、厄介になる支援者に最大限報いることは必要だと考えているからな。それで、カルステイン家に協力してもらうというその計画とは?」

 

「それは私ではなく、その耳でクルシュ様から伺ってほしいな〜。フェリちゃんから言えるのはここまで。あとはクルシュ様のご判断次第ということ。分かった?ドクター・ストレンジさん?」

 

「先程の覚悟を聞いて多少評価は上がったのだか、また下がったぞ。その話し方に多少の文句はあるが。

ーー分かった、是非とも腹を割って話し合わせてもらおう」

 

ようやく意見が一致し、双方が笑みを浮かべる光景を見たユリウスは安堵の気持ちを抱くと共に、ストレンジという優秀な魔術師を自らの家に招くことができないことに少し残念な思いを抱いていた。

 

しかし、彼が()()()()に参加するなら、今後も王国に深く関わってくるに違いない。そうなればあの組織の壊滅の鍵にも、なりえるかもしれない。

 

ー歴史の歯車が動き始めた音を、確かにユリウスは聞いた。

 

 

 

 

ユリウスはこの後にも職務があるため詰所に戻って行き、空き地にはフェリスとストレンジの二人が残った。

ユリウスという緩衝材が居なくなったことで二人の間には、再び気まずい雰囲気が漂っているように側から見ればそのように受け取れるかもしれない。

 

しかしそのような思いを抱いていたのはフェリスのみのようでストレンジはさっさと次のステップへ移行しようとする。

 

「さて、騎士であるお前の許可も頂けたことだし、次はいよいよクルシュ・カルステン公爵に会わせてもらおうか」

 

「はいはい、せっかちすぎだヨ。えーと、クルシュ様がお過ごしになっている別邸は貴族街にあるからここから少し歩くことになるけどいい?」

 

ストレンジは一瞬、スリング・リングを使った瞬間移動を行おうと考えたが、よくこの街を観察したいという考えが浮かんだ事で、瞬間移動を愚策と捉え、フェリスの跡をついて行く事に決めた。

 

 

 

 

「ドクター、一つ質問したいんだけどいい?」

 

「何だ?藪から棒に」

 

「ドクターは、以前自分は医者だって語っていたけど、今は医者じゃないんでしょ?なんで医者を辞めたのかなぁ〜って、フェリちゃんはすんごい気になるな〜?」

 

カルステン家別邸に向かうため、大通りを歩いていくストレンジとフェリス。会話を通して少しでもドクター・ストレンジという人物を知っておきたいフェリスはストレンジが医師だったことに着目し何故、国一番の名医と自己主張する彼が医師を辞めたのか、その理由を横を歩くストレンジに聞いた。

 

フェリスの言葉に、暫く歩きながら考えていたストレンジは途中で立ち止まると、右手の手袋を外した。

 

「ドクター、その手……」

 

「これが私が医師を続けられない根拠だ。この状況では、精密な手術など行えないだろう?」

 

手袋を外したストレンジの手は、小刻みに震えており、手の甲には無数の傷跡がついている。痛々しく、そして小刻みに震えるその手はかつての「神の手」と呼ばれたものと同一とは思えないほどの変わりぶりだった。

 

フェリスはストレンジの震える手を一目見ると、驚いた表情で彼を見た。

 

「酷い有様だネ。確かにこれじゃ、通常の医療じゃ修復不可能となるのも分かるヨ。けどどうして、こんな状態に?」

 

「お前の国には馬車のような乗り物があるだろう。私はかつてあのような乗り物に乗っていて、それで落下事故を起こしてしまった。事故当時は速い速度で崖を走っていたのだが、それが災いの元で、私は高速に進む乗り物を制御できずに崖から落下した。命こそ無事だったが、両手の複雑骨折、靭帯損傷と神経断絶の症状は酷く、様々な手術を行うも効果は無かった。こうして、「神の手」と言わしめた私の手はこのような状態になったのだ。笑われるのは心外だが、笑われても仕方のないストーリーだ」

 

フェリスが想像していなかった、ストレンジが医師を辞めざるを得なかった理由。 

自業自得の事故とはいえ、「神の手」を失った時のストレンジの絶望は計り知れなかっただろう。ましては国一の名医だったのなら尚更だ。

実際、事故の直後からストレンジの生活は荒れ始めていた。認可・非認可問わず、国内外のありとあらゆる治療を行い、その為に湯水の如く資産を費やし遂には自らのコレクションであった高級時計やグランドピアノまで売り払った。僅かな可能性に縋りついていたストレンジは治療を行いまくったが、それでもストレンジの手が戻ることはなかった。絶望の淵にあったストレンジに追い討ちをかけるように、遂には住んでいた高級アパートを追い出され、元恋人であるクリスティーンに強く当たってしまったことで彼女からも見放された。

 

そんな過去を知ってか知らずか、初めてフェリスはストレンジに対して同情の念を持った。

フェリスはストレンジの傷跡を見て、痛々しく思い彼の手を治してあげようと半ば無意識的に手を伸ばす。しかし、ストレンジはすっと手を引っ込めると手袋をし直し再び歩き始めてしまった。慌ててフェリスも後を追い、ストレンジに問うた。

 

「どうしてそのまま傷を放っておくの?私だったらそんな傷は治せるけど」

 

「医師であるお前が傷をほっとけないのは分かるつもりだ。

だが、この傷を見ることで傲慢だった自らの意識を改めることができるという考えにはならないか?

それに今の魔術師としての私はこの傷を負ったが故になれたものだ。この傷を治してしまっては私は再び医師の道へ戻ってしまうかもしれない。私は魔術師として人々を救うという使命を師より授かった、己への戒めとして残しておきたいのだ」

 

「でも日常生活とか不便じゃない?フェリちゃん、あれほどの傷だったらすぐに治せるけどいいの?」

 

「王国一の治癒術師が私の深い傷を治せるのかは気になるが、日常生活には支障はない。あくまでも医師が持つべき精密な動きができないということだけだ。気にする程ではない」

 

前を向いて歩くストレンジの表情を伺うことはできないが、彼が自らの過去と決別し、魔術師のドクター・ストレンジとして再出発したことはフェリスでも感じる事ができた。

ストレンジも苦悩してきた筈だ。皆が羨む栄光と絶対的な未来が保証されていたはずの過去と決別するのは、そう簡単な事ではない。まして、傲慢さが傷の彼では状況の呑み込みさえ、その一歩を踏み込む事ができないはずだ。それでも彼はもう一度、前へ進み出した。

今は亡き、師匠の言葉を胸にーー。

 

ストレンジが想像以上に師匠を尊敬していること、そしてストレンジの覚悟を横で聞いていたフェリスは、今まで感じていた印象を密かに変えた。

 

「ふーん。前から思ってて確信したことがあるヨ。随分変わってるネ、ドクターって」

 

「女装を好むお前には言われたくない言葉だな」

 

 

 

 

フェリスに観光を兼ねて街を廻らせ、探索終了後にようやく貴族街に到着したストレンジとフェリスは、とある屋敷の門前まで歩いてきていた。王国の、それも王都に屋敷を構えられるほどの権力を持っている公爵家ということもあり、その迫力にストレンジは気圧される。

 

「ここだヨ、目的地であるクルシュ様の別邸は」

 

「流石、公爵家に相応しい広さと豪華を兼ね備えた屋敷だ。私の国でもこれほどの広さを持つ屋敷は滅多になかったぞ。ーーその分多くの富を吸い上げていそうだが」

 

ストレンジの言葉に隣にいたフェリスは顔色を変え、彼を睨み付けた。まるで禁句を口にした愚か者を叱るような目つきをして。

 

「最後の言葉、フェリちゃんはちょーっと聞き逃せないかなぁ〜。クルシュ様の前でそんな言葉、絶対に口から出さないで。

ところで、ドクターって国一の名医だったんでしょ?それならこれくらいのお屋敷は行ったことはあるんじゃなにゃい?」

 

「生憎、私は国王や大……宰相の治療を請け負ったことはない。それに私の専門分野は神経外科であり、そこらの三流外科医が行っていた治療は専門ではない」

 

「ふーん、やっぱりドクターは、失った自分の仕事にもプライドを持ってるんだネ」

 

フェリスに問いに対してストレンジは答えなかった。かつて医師時代に培われた「自分の仕事にプライドを持つ」という意識、これは多くのプライドと傲慢さを捨てたストレンジにとって職業が変ろうとも譲れない、唯一のプライドだった。だからこそ今でもこうして「ドクター」と呼称するように要求している。

 

「それじゃ行こうか。ここで止まってちゃ、前に進めないからネ」

 

フェリスが手で合図すると、クルシュ邸の前に立っていた鋼鉄の門が上に上がり、庭園へと続く道が通じた。

フェリスの案内により、彼のすぐ後ろを歩くストレンジは以前、休暇時にポツダムに赴いた際に訪れた、サンスーシ宮殿にも劣らぬ広大な庭園に圧倒される。花々が咲き乱れ、木々に対する手入れが行き届いている綺麗な庭園を進み屋敷の玄関先まで歩いていたストレンジは、目の前の馬車らしき乗り物を掃除する執事らしい老紳士を発見した。

老紳士は掃除する手を止め、こちらに目線を向ける。

 

「お帰りなさい。フェリス、今日は随分と長くかかりましたな」

 

「ただいま、ヴィル爺。今日は事務整理だったこともあって色々な手続きする必要があったし、何より急な来訪があったから」

 

「来訪……と言いますと、そちらの方が?」

 

ヴィル爺と呼ばれた老紳士は、フェリスの後ろに立つストレンジに目線を向けた。歳を召してはいるもののその目に宿る鋭い眼光は衰える事を知らず、目つきの鋭さと執事服に包まれながらも顕になっている逞しい筋肉質な体つきはストレンジをしても思わず、目を見張るものがあった。

歳を取っていながら全く衰えない厳かな佇まい、獲物を決して逃すまいとする鋭い目つき、この国が誇る歴戦の剣士であることをストレンジは見抜く。

 

「そうにゃの。えーと、あ、自分で紹介してヨ。どうせ、私が言っても「ドクター」ガー、とかアレガチガウー、とか色々言うでしょ?フェリちゃん、そういうのは面倒くさいかな〜?」

 

「面倒ならば最初から私に任せておけばいいものを。

ーーお初にお目にかかる。私の名はドクター・スティーブン・ストレンジ。魔術師集団、マスターズ・オブ・ミスティック・アーツに所属している魔術師の一人だ」

 

「ふむ。ご丁寧なご挨拶に感謝申し上げます。私は当家にて執事の身分を与えられております、ヴィルヘルム・トリアスと申します。以後、お見知りおきを。ストレンジ殿」

 

かつて、自分の人生を剣に捧げ遂には「剣聖」から剣を落とさせた「剣鬼」と、「至高の魔術師」として魔術師の道を歩んだ元医者の2人は静かに微笑み、互いの手を固く握った。

 

「早速だがトリアス殿。私の事はドクター・ストレンジ、もしくはドクターと呼んでほしい」

 

「この老骨、名前の呼び方を指定をされるのは久しぶりの事ですな。分かりました、ご要望に添いドクター殿とお呼びしましょう。私の方もヴィルヘルムと呼んでいただければ幸いでございます」

 

呼び方に注文をつける、ここでもストレンジの注文は収まることがなかった。

 

 




フェリちゃんがストレンジ先生の過去を知った回でした。

書いてて思うのが、やっぱりとトニーとドクターは似た者同士であるということです。
かつては傲慢
トニー→大企業の社長 ドクター→全米一の脳神経外科医
ある事故・事件で全てが変わる
トニー→テン・リングスに拉致される ドクター→交通事故で医師生命を絶たれる
自らを変えてくれた人を目の前で亡くす
トニー→インセン博士 ドクター→エンシェント・ワン
自己を犠牲にしてでも世界を救うヒーローとして目覚める
トニー→アイアンマン ドクター→ドクター・ストレンジ


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五話 大胆な交渉

ようやく、新オープニングが公開された『リゼロ』。前半クールが絶望を表現したオープニングならば、後半クールは正に希望を与えてくれるオープニングでした。


「それじゃ、お呼びがかかるまでここで待っててネ」

 

ヴィルヘルムとの挨拶の後、フェリスに屋敷内まで連れてこられたストレンジは、その足で控え室に通される。ヴィルヘルムの方はまだ馬車の掃除をしていたがそれが終わり次第、こちらの会合に出席するそうであった。

ヴィルヘルムではない別の執事がお茶の入ったカップを置いていったのを確認したストレンジは、異世界に来て一滴も水分を取っておらず喉が限界まで乾いていた事もあり、一気に半分ほど喉に流し込んだ。喉をある程度潤す事ができた彼は、カップをソーサーに戻し、控え室からカルステン邸の庭園を眺めた。

丁度、夕刻ということもあり室内からはオレンジ色に包まれている空を眺めることができる。ニューヨークとは違い、近隣に工場地帯がある訳でもなく、車など二酸化炭素を排出する乗り物が存在しないこの世界の空気は、非常に澄んでいる。同じ夕焼けでありながらこちらの世界の方は更に輝いているようにストレンジには見えていた。

 

「ーー不安か?こちらも久々に不安を感じている。何でもこの世界における最初の交渉人だからな。恥ずかしい話だが、初めてオペをしたあの時と同じくらい緊張している。え?そうは見えないだと?そう思えている限り、お前の方がメンタルが強い気がするぞ」

 

夕焼けを見ていたストレンジの頬をマントがそっと突いた。どうも、構って欲しいらしいマントにストレンジは、苦笑しながらも付き合った。やがてひらりと揺れていたマントは静かになり、再びストレンジは外を眺める。

 

ーー一体、誰が何のためにストレンジを召喚したのか?どうすれば元の世界に戻れる?そのために何を為すべきかーー

 

ソファに座ったストレンジは一人黙々と考える。未だに彼を召喚した存在が分からない以上、地道に情報を集めていくしかないのだが、ここで上手くクルシュからの協力が得られればそれだけ早く事が進む。

何としても協力を得らなければーー

 

 

 

 

 

「ドクター殿、クルシュ様のご準備が整いました。どうぞこちらへ」

 

黙々と考えていたストレンジは、ヴィルヘルムの呼びかけにより、控え室を退出した。二人は屋敷の長い廊下を歩き、やがて大きな扉の前に到着する。

他の部屋のそれと比べて明らかに質が違うその部屋には、おそらくこの屋敷の主がいるのだろう。ストレンジは半ば無意識に背筋を伸ばす。

ヴィルヘルムによって目の前の扉が開かれ、室内の様子が顕になる。緑色の質の良いソファーが中央にU字型に置かれており応接セットの隣、入り口から見て右手には執務机が置かれている。壁には黄金の獅子の紋章が夕日を反射して神々しくその勇姿を照らしている。

執務机の左右にはヴィルヘルムとフェリスが立ち、中央に座る主を守るように立っている。

そして二人が守護している存在にストレンジは目線を向けた。執務椅子に座っているのは整った顔立ちに、引き締まった肉体を持つ女性。彼女の凛々しいオーラを引き立てる軍服と、全てを見据えていると言わんばかりの鋭い眼光を兼ね備えた彼女は、手を顔の前で組んでストレンジを見つめている。

 

「卿が、フェリスの言っていた魔術師か」

 

やがて女主人は口を開く。フェリスの妙に高い声とは違う、れっきとした本物の女性の声であるが、平均よりも低い声色で話す。しかし、全く違和感ないその様にストレンジは、密かに驚嘆しながらもそれを見せる事なく、自らも名乗った。

 

「その通りだ。お初にお目にかかる。私はドクター・スティーブン・ストレンジ。カマー・タージの主であり、「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」を受け継ぐ、地球最強の魔術師だ」

 

 

 

 

クルシュは、改めて目の前に立つ突然の自分を訪ねてきた来客を見つめる。

自らを「至高の魔術師」と名乗った男性魔術師は、高身長で引き締まった体つきをしており、クルシュから見ても相当の鍛錬を励んでいる事が分かる。口元の髭はあるものの、綺麗に整えられており嫌悪感を感じさせるものではない。

そしてこの世界には珍しい白髪が混じった黒髪が特徴的であり、ルグニカには存在しない青い服の上に赤いマントを羽織る奇抜なスタイルも、クルシュに興味を持たせたせるのに十分であった。

 

「さて、「至高」を名乗る卿がどうして当家を訪れたのか。その理由を聞かせてもらおう」

 

ストレンジを応接用のソファーに座らせ、自らも相対する位置に座るとクルシュは早速問うた。

クルシュが真っ直ぐ見つめるその先、彼のアイスグレーの瞳を真っ直ぐ見つめるクルシュは、ストレンジの一挙手一投足を逃すまいと目線を鋭くする。

 

「理由は単純さ。今日、私はルグニカ王国に来たのだが資金が途絶えた。このままでは私は国には帰れない。故に私の能力を対価として援助を行える家を探していている。これで大丈夫か?クルシュ・カルステン公爵閣下」

 

「ようやく見つけた支援者候補というのが、当家だったということか?」

 

「その通りだ」

 

クルシュは目を閉じて自身の加護である『風見の加護』を使う。目の前の魔術師が嘘をつけばその時点で嘘の風が吹き、彼の発言の真偽が分かる。

しかし彼には嘘の風が吹かない。つまりこの話が本当だということが証明される。

 

「しかし先ほど卿は「カマー・タージの主」と発言していた。ならば卿がこのルグニカから手紙を発せば数日の内に卿の同胞が駆けつけるのではないか?」

 

「カマー・タージはここからかなりの距離があり、手紙を出しても届く前に私が餓死する。それにその手紙を書く資金すらも私の手元にはない。手紙が届き、仲間が来る前に私はこの場所で干からびた死体となっているだろうな」

 

「……卿は一体、どんな金使いをしてきたのだ?」

 

「全くですネ、フェリちゃんは今すご〜く呆れてますヨ。クルシュ様」

 

隣に立つフェリスは早くも喧嘩腰にストレンジに言い放つ。ストレンジの事情を分かっていても、どうも気に障るフェリスは内心悪戯な笑みを浮かべて、彼を挑発する。クルシュもある程度想定していたのか、フェリスの発言を注意することなく次の質問に移った。

 

「卿の金使いの話は、後日機会があればの話としよう。ドクター・スティーブン・ストレンジ、当家に保護を求める理由については理解した。だが当家が卿を客人としてもてなす場合、それに伴う対価が必要となる。卿はこの国の人間ではなく、資産も家柄も所持していないと見た。更に身分を証明する物も持ち合わせていない。過去例に見ない悪条件ではあるが、これらを覆すような対価を卿は持ち合わせているのか?」

 

ストレンジも一応、免許証(免停後の更新は停止)、スマホ(圏外、充電場所なし)等、最低限の貴重品を持ってはいるが、どれも身分を証明できる、もしくは交渉の対価としてはあまりにも無価値な代物だった。

 

「対価か。カルステン公爵が守銭奴ならば気を召さないだろうが、私自身をこの取引の対価とする、といったらどうする?」

 

「何だと?卿自身をか?」

 

クルシュはここで初めて目を見開いた。目の前の男の発言は最早、身売りするにも等しい発言だったのだ。ただの客人にしてはあまりにも態度が違うし何より傲慢だった。

 

「私の魔術はこの地で最強だ。私を庇護する対価として、カルステン公爵家が私の能力を有意義に利用するという案を、私から出させてもらおう。私の能力は、大抵の問題が解決できる事は勿論、ボディーガード的役割としても使える。このような好条件の人材を見逃すのは、為政者としての才を持つ公爵殿には痛いミスだと思うが」

 

「ーー不思議だ。そこまでの傲慢な発言は真偽を疑うが、卿は嘘を言っていない。だが今の提案を我々が受け入れた場合、卿の意思は無視されることになるかもしれない。卿はそれを納得できるのか?」

 

「女性でありながら公爵の地位まで上り詰め、領土をまとめ上げたカリスマ性を持ち合わせる王戦筆頭候補者は、私を飼殺しに扱うのか?そのような人物ならとっくに自滅しているか、領民が吊し上げているだろう。カルステン公爵であるならば、有益に私自身の能力を使うのではないか、と期待も込めてそう考えただけだ」

 

「ーー卿の意思について理解した。しかし、いくら卿が嘘をついていないとはいえ、流石に実力不明の魔術師を当家で抱える余裕も資金もない。そこで、卿の魔術師としての能力を把握しておきたい。是非とも卿の魔術を拝見させてもらおう」

 

クルシュは、先程まで見せていた真剣な表情を崩し笑みを浮かべた。彼女の視線にはストレンジがどのような魔術を扱うのか、といった興味が含まれている。

クルシュはここまでストレンジが強気に出れるということは、それだけの実力があるということを察している。しかしその力がクルシュ陣営のプラスとなり得るのかは未だに未知数だった。彼の「至高」の実力次第では、今進めている計画に彼を巻き込まないという手段はない。

それにクルシュ自身の思惑としてその魔術を見てみたいという興味もあった。

 

「ドクター!魔術を使うのはいいけど、クルシュ様を落とすような真似は絶対っ、しにゃいでね!もしやったらフェリちゃんは容赦しないから」

 

「分かっている。公爵家の当主にあのような無礼な真似はしない。そもそもあれは応用は効くが対して脅威にはならない()()()な魔術だ。そんなものでは心に響かないだろう。これから披露するのはもっと複雑な魔術だ」

 

「へー。あれが()()()ネー」

 

初歩的な魔術に、翻弄されたのか。不満そうなフェリスを無視し、椅子に座っていたストレンジは静かにクルシュを見つめた。しかしそのまま彼は動こうとしない。何もしないストレンジにクルシュは怪訝そうな表情を浮かべ、フェリスは困惑した表情を向けるという、全体的に気まずい雰囲気が室内を覆っていった。

だが、すぐクルシュの顔に驚きが広がる。いつの間にか、彼女の右手には真っ赤に熟したリンガが収まっていたからであった。

 

「これは……これが卿の魔術なのか?ドクター・ストレンジ」

 

「フェリちゃんには、一切の気配を感じさせませんでしたけど……」

 

クルシュとフェリスが驚愕の表情を浮かべ、普段は動じることのないヴィルヘルムでさえ、その鋼の筋肉を微動させた。

目を丸くするクルシュを見て、面白く感じたストレンジは試食するように促す。

 

「では、クルシュ・カルステン。そのリンガを一口、召し上がってもらおう。おおっと、変な毒物を入れているなど無粋な真似はしないから、安心して召し上がってほしい。もしも信用できないのなら私が齧るが?」

 

「……嘘は言ってないようだな。では頂こう」

 

クルシュは右手に握られたリンガを一口、齧った。いつも食べている味と同じ、ひょっとすると更に甘く感じるリンガを齧った後、ストレンジに促されリンガを机の上に置く。

 

「卿の魔術にはまだ続きがあるのか。本当に面白いな。目が離せなくなる」

 

「これから披露するのは更に強力な魔術だ。普通の人間が扱えば、存在ごと消えかねない物であり、扱うためには過酷な鍛錬をこなし自らを至高の領域に導かなければならない。ではクルシュ・カルステン公爵。それにお付きの女装騎士と執事よ。心してご覧いただこう」

 

ストレンジは両手を胸に下げられているペンダントの位置へ持っていき、クロスさせた。すると、ペンダントの中心が開かれ淡い緑色の光が発せられると同時に、執務机に置かれていた結晶灯の灯りが激しく点滅し始めた。それだけではなく部屋中の結晶灯が同じように点滅を繰り返している。ストレンジ、正確にはそのペンダントから発せられている緑色の魔法石に大量のマナが吸い寄せられているようだった。

全く意に返すことなく、ストレンジは両手をリンガの方へ向け、左手を引くと同時に右手に緑色の魔法円を展開する。

ストレンジが右手を閉じるように魔法陣を回すと……

 

「こ、これは……!?時間操作の魔法なのか!?」

 

「す、すごい……!こんな事が……!」

 

「……私も長く生きてきましたが、この様な魔術は初めてです」

 

ストレンジの掌に浮かぶ魔法陣が、彼の手を閉じる動作に合わせて回転すると、クルシュの机に置かれていたリンガが一口、また一口と食べられているかのように削られていき、芯だけが残った。逆にストレンジが手を開くように動くと魔法陣も逆回転に回り、芯だけだったリンガが食べられた順番にリンガの果肉が現れ、元の形に戻った。

 

この世界には存在せず、もしも使えば『禁術』とまで呼ばるであろう強力な魔術。間違いなく神からの怒りを買うことにもなりかねない、時を操作するという前代未聞のこの力は、あの王国一の魔導士と言わしめるロズワール・L・メイザースでさえ、扱う事ができないだろう。

ストレンジの切り札とも言えるこの力があれば、世界に蔓延る魔獣を蹴散らす事さえ、容易な事だろう。クルシュは400年続いた厄災の終焉にこの目の前の魔術師の力が必須になると痛感した。

 

手の魔法陣が消え、ペンダントが閉じられると、結晶灯の光も暗くではあるが灯った。

その場に残るのはしてやったり顔のストレンジと驚愕するだけとなったフェリス、心臓の鼓動を昂らせたクルシュ、そして厳かに佇むヴィルヘルム。

 

「ドクター・ストレンジ、卿の力を認めよう。当家は最大限の敬意を持って迎えると共に最大限の支援を確約する」

 

「大変感謝する、クルシュ・カルステン。貴公がまともな思考を持つ人間で心底安心した」

 

ここに両者の思惑が一致したクルシュとストレンジは、固く手を握った。

 

 

 

 

 

クルシュ・カルステンという絶大な後ろ盾を得たストレンジは早速、仮住まいとなったカルステン邸の一室を拠点として占有した。既に室内に置かれていたベッドや机、椅子、数冊の本はストレンジの物となったが、ストレンジはそれらには手を着けず、異空間から自らが所有する本を取り出しそれを読み、時を過ごしていた。

そして夕食をクルシュ、フェリスらと摂った後ストレンジは現在、クルシュ邸のバルコニーにて1人佇んでいる。

夜風の心地よさも地球とは違うものであり、心地よい風に吹かれながら眼下に広がる王都を眺める。

ニューヨークのように摩天楼の灯りや、道路を走る多くの車のライトが合わさる、ダイヤモンドのような夜景ではないものの、古典的で寧ろ普段見慣れない光景はストレンジを飽きさせるものではなかった。

ふと、バルコニーのストレンジは下から上がってくる気配に視線を向けた。

 

 

 

「ドクター・ストレンジ。少し付き合わないか?」

 

黄昏ていたストレンジに先程、先程聞き飽きるほど聞いた、凛々しくも女性らしい澄んだ声が届く。振り返ると、グラスと酒瓶を持つクルシュの姿があった。軍服から就寝用の薄い衣服に着替えている彼女は、昼間の堅苦しい雰囲気を微塵も感じさせない。クルシュ・カルステンは女性らしい美麗な肉体を持っているー

脳裏に浮かんだ疾しい気持ちをストレンジはすぐに振り払った。

 

「酒か?誘ってくれた事には感謝するが、夜は精神を鍛えるのに絶好の時間だ。済まないが、今度にしてもらおう」

 

「そうか。何、卿にとってこの世界について話そうと思ったのだが精神の修行の場であるならば仕方がない。また、別の機会にーー」

 

「待て。知識は力になる、是非とも聞かせてもらおう。この世界について広く、そして深く」

 

否、クルシュ・カルステンを侮ってはならない。王戦筆頭候補である彼女と対等に交渉するには鉄の男(アイアンマン)と相対するような緊張感を持って臨む必要がある、とストレンジは密かに心に決める。

 

 

 

 

同時刻、クルシュのいない執務室で一人黙々と掃除をしていたヴィルヘルムに、フェリスが物珍しそうな表情を浮かべ声をかける。

ストレンジと会って以降、ヴィルヘルムの表情に僅かな変化が生まれていた事にフェリスも気付いていたからであった。

 

「それにしても、ヴィル爺がドクターとすんなりお話ししていたのが意外だったかなぁ。人と話すよりぶった斬っちゃう方が好きなのに」

 

「酷い誤解ですな。あのドクター・ストレンジという男性のことが気になっただけです」

 

ヴィルヘルムの言葉を理解できず疑問を浮かべるフェリス。ヴィルヘルムは掃除する手を止めて、執務室の窓より夜空を見据えた。

 

「あれは何度も。そう、数百、数千と死域に踏み込んだ者の目です。死線を何度も潜り抜けてきた歴代の剣士でさえ、あのような目をする事はできません。彼は私が考える以上に強靭な精神を持っているのではないか、と考えていましてな。それこそ、己を犠牲にしてまでも他者を救うような」

 

王国騎士団に長年在籍し、先代「剣聖」から剣を奪った、「剣鬼」ヴィルヘルムだからこそ分かる気配。幾人もの敵を斬り、地獄のような戦場を駆け巡った経験からこそ分かるそのオーラをストレンジは身に纏っていた。当然、ヴィルヘルムがその事に気付かない訳もなく、夜空を眺めながら重々しく言った。

 

「ふ〜ん。よく分かんにゃい。でも、「剣鬼」ヴィルヘルム・アストレアがそこまで言うんだからきっと平坦な道は歩めないよね、あの人」

 

その言葉にヴィルヘルムは反応することなく、再び掃除を始めた。

 

 

 

 

「卿は、現在我々が王都にて武具や竜車を揃えている理由を知っているか?」

 

「まさか。王都に来て間もない私が、王国の内情について知っているとでも?生憎、政治に関しては、私はあまり関心を持っていない。故に本当に氷山の一角の事しか知らないさ」

 

話は戻り、クルシュ邸のバルコニー。ストレンジとクルシュはバルコニーに置かれた椅子に向かい合うように座り、クルシュがグラスと酒瓶を両者の間にあるテーブルに置くと、彼女は尋ねた。

当然、この世界に来て間もないストレンジが知る由もなく、詳しい説明を促した。

 

「現在、当家では世界を恐怖に陥れている、ある厄災を滅ぼそうとしている。その名を「白鯨」。嫉妬の魔女が400年前に生み出した魔獣であり、その凶暴さ故、王国の兵士や商人たちから恐れられている存在だ。奴が放つ霧を浴びれば、忽ちこの世界から存在を消される。どんな存在でもだ」

 

「フェリスやユリウスが昼間述べていたのはそれか。全く、随分と物騒なモノが存在しているものだな。何故、そんなモノが存在しているのだ?」

 

「卿はユリウスとも会っていたのか、これはまた意外な運命だ。ー失礼、話題が逸れたな。「白鯨」を説明するには別の物語が礎となる。これは先ほどの質問の前に問うべきだった。ドクター・ストレンジ、卿は「魔女教」については知っているか?」

 

「いや、先程の「白鯨」といい、それといい初耳な単語ばかりだ」

 

クルシュは意外な目線を彼に向ける。ストレンジであるならば知っていてもおかしくないと彼女は考えていたのだ。

 

「魔女教というのは「嫉妬の魔女」である「サテラ」を信仰する狂人の集まりだ。その人数、構成についてその一切が分かっていない組織ではあるが、唯一分かっていることは大罪の名を冠した5人の大罪司教が存在するということ」

 

「大罪司教か。先程の「白鯨」といい、「魔女教」といい、この世界には実に危険な存在がその辺の石ころ同様、コロコロ転がっている事については十分過ぎるほど理解できた。それで、彼ら狂信徒が崇拝している「サテラ」とはどんな存在なんだ?」

 

「サテラは他の魔女6人を殺害し、世界の半分を飲み込んだ最凶の存在だ。彼女の息の根を止めるため初代「剣聖」、「大賢者」、「神龍」が打倒を試みるも倒す事叶わず、現在も大瀑布近くの祠にて封印されている。近づこうにも障気が強すぎるため、王国騎士団も手を付けられずにいる。

これがこの世界に伝わる伝説、及び現状の一部だ」

 

クルシュはグラスに注がれたウィスキーらしき飲み物を飲み干すと再び、酒を注ごうとしたが、立場上の礼儀という事もあって代わりにストレンジが注ぐ。

 

「その「嫉妬の魔女」が生み出したと言われる魔獣がこの世界には三体いるが、そのうちの一体が「白鯨」であり奴を我々は追い続けている。それに、白鯨を倒すことはヴィルヘルムの悲願でもあるのだ。彼も「白鯨」により自らの人生を狂わせられた一人でもある。私の周りにも「白鯨」による犠牲者が大勢いるのだ。

ーードクター・ストレンジ、先ほどの卿の魔術を見て感じたことがある。「白鯨」討伐には卿の力が不可欠となるだろう。恐らく討伐戦において卿の力が大きく勝敗に関わってくる。我々の、いや、王国全臣民の為、我々に協力してくれないだろうか?」

 

この世界で得たパトロンを失うことなど、ストレンジにとってはあまりにもダメージが大きすぎる。その「白鯨」は危険な存在ではあるが、あのドルマムゥよりは弱い存在であることは確かだ。それに人を救うという使命は、魔術師として成熟したストレンジの精神を突き動かすには十分であった。

 

「ここに来る前にフェリスに私の覚悟を聞かれて以来、私としては覚悟を決めていた。この場を借りて、改めて言わせてもらおう。クルシュ・カルステン。私の力を以って全力を尽くし、「白鯨」を倒すことを約束しよう」

 

「頼もしい限りだ。卿は大いに力を奮い、我々を支援してくれ。卿の活躍を心から期待している。あと、私のことはクルシュと呼んでもらって構わない。先程から卿は私のことを本名やカルステン公爵と呼んでいた。どうも、長々と話されるのは違和感を覚えるのでな」

 

手袋越しではあるが、クルシュとストレンジは手を握り合う。夕刻の契約の時とは違う、決意を固めた二人による握手は、信頼の糸を自然と二人の間に結びつけた。

その後、この光景を見ていたフェリスが突如として乱入しストレンジと口論になり、それに対してクルシュが制裁に入るという事態が起こったのはまた別の話。




遂に、ストレンジ先生が白鯨と魔女教について知りました。

因みにストレンジ先生はドルマムゥよりは苦戦しないと踏んでいますが、それでも要警戒している事は確かです。
原作でもかなり重要になる白鯨戦ですが、ストレンジ先生の参戦でどうなるのかー



『What if……

ーもし、パンドラとサノス(タイタンver.)が出会っていたら』


パンドラ「あぁ、貴方の力にも確かな信念がある事を感じます。目的の為ならば、無慈悲にその力を振るう。実に素晴らしい事です」

サノス「お前も実に面白い力を持っているようだな」

パワー・ストーンによる攻撃を『現実を書き換える』事で躱すパンドラ。

パンドラ「ですが、最恐の貴方の力でも私には敵いません」

サノス「確かに今までの私ならばお前の力を打ち消す事はできない。

ーだが今は、意のままの現実を操れる」

リアリティ・ストーンによるパンドラの能力の書き換え、スペース・ストーンとの併用による空間の引き寄せにより、一時的な無力状態になったパンドラを強制的に引き寄せる。

サノス「お前は実に芸が豊富だな。だが、一番成すべきことを怠った。私の武器を消すことを」

無慈悲にパンドラの首をへし折る。

結論、サノスの方が強い(?)


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幕間 バレンタインデー

今日はバレンタインデー!皆様、どうお過ごしでしょうか?
え?もう日付変わりそう?

ーはい、自らの怠惰を反省しておりますデス。
お許しを!お許しを!お許しを!お許しを!

ストレンジとクルシュ陣営の皆さんがお送りするバレンタインデー物語です。

物語的にはストレンジがクルシュ邸に来て暫く経った後のお話です。本編よりも少し先の話になっているかもしれません(すぐに追い付かせますのでどうか今暫く!)


2月14日。

地球で通称、「バレンタインデー」と称されるこの日は地球に住む男性・女性達が落ち着きを失う日である。自分の好きな女性、若しくは男性からチョコレートや贈り物を貰いハッスルする者もいれば、義理チョコやサンクスカードを受け取り朗らかな笑みを浮かべる者、チョコレートはおろか贈り物一つすら受け取れず涙する者など、多くの人間の感情が錯綜する日となるのが「バレンタインデー」の性である。

 

古くはローマ帝国時代の司教バレンタインが結婚を禁じられていた兵士たちの結婚式を密かに行なっていた事が露呈し、処刑されたのが2月14日であり、彼の名を取って「バレンタインデー」が作られたのが始まり。殉教の日が恋人の日に変わった背景として、ジェフリー・チョーサーの「Parlement of Foules」の詩の一節が影響しているのは有名な話である。

 

日本では女性から男性にチョコや贈り物を渡すが、ストレンジのいたアメリカでは全く逆である。

男性から女性に花束や宝石を贈る事が一般的で、ディナーにはレストランを予約し、恋人や妻と共に二人っきりのディナーを楽しむのが「バレンタインデー」の過ごし方であった。また、親しい人にもプレゼントを送る習慣があるアメリカでは、家族や同性同士のプレゼントのやり取りも行われる。

加えて、日頃からお世話になっている人への感謝を伝えるためにサンクスカードを送る事も習慣として定着していた。

 

 

「バレンタインデー」は当然、ストレンジの勤務するメトロポリタン総合病院にもやって来るわけで、病院結婚した男性医師が女性看護師に巨大なバラの花束を贈っていたり、看護師同士でカードのやり取りを行う光景があちこちで見られる。が、メトロポリタン総合病院に勤務していた頃のストレンジは、「バレンタインデー」なぞ知ったこっちゃないと言わんばかりに高難易度の外科手術を行っているか、学会に向けての論文の作成を行っている事が一般的だった。サンクスカードを渡そうと、彼の仕事場を訪れた女性看護師を軽くあしらったストレンジが翌日、クリスティーンにきつくお叱りを受ける事があったとか、なかったとか。

 

時が経ち、魔術師としてカマー・タージに住居を構えて以降のストレンジは、以前の傲慢さが影を潜めた代わりに、「バレンタインデー」を忘れる事が多くなってしまった。地球を守る使命を託された自分が「バレンタインデー」などに浮かれている場合ではないと自らに言い聞かせている事で、自然と彼から2月14日が「バレンタインデー」という意識が抜けていたのである。

カマー・タージにも女性魔術師は多数在籍しており、ストレンジに対して好意を抱いている女性は彼の視界に入っていないだけで、意外とその数はいた。淡い期待を抱く女性魔術師達は2月14日の「バレンタインデー」にストレンジへの贈り物を届けるが、彼が忘れている事もあり贈り物の受け取りを遠慮されたり、自分の意図していない意味で受け取られたりと、女性たちが期待を打ち砕かれ、凹む光景が偶に見られるらしい。

 

 

 

そして、異世界の暦を地球暦に当てはめると、明日がその「バレンタインデー」である事にストレンジが気づいたのは、「バレンタインデー」前日の昼間だった。

 

「そうか……明日は「バレンタインデー」なのか。医師時代にはクリスティーンや何人かの看護師から、サンクスカードを貰っていた事があったか。だが、魔術師になってからは、全く「バレンタインデー」に全く贈り物を受け取ってこなかったから、すっかり意識が抜けていた」

 

その日、朝からやたら彼の肩を叩いたり動き回るなど、マントが巫山戯たような動きを繰り返していたのを叱っていたストレンジであったが、マントがカレンダーのある日を指し続けている事に気づき、その日が地球の暦に当てはめると2月14日にあたっていた事で、ようやくマントの動きの訳を得心したのだった。

 

「これを機に私も、「バレンタインデー」に贈り物を贈ってみるという、趣深い習慣に乗っかるのもいいかもな」

 

日頃ストレンジの後ろ盾として動いてくれているクルシュに、感謝を込めてプレゼントを贈る事を決めたストレンジは、その材料購入のため王都の商い通りへ向かうことを決めた。

部屋を出て玄関ホールへ向かうと、そこには玄関先にて雑談するフェリスとヴィルヘルムの二人がいる。上階から降りてきたストレンジに、フェリスは少し魂消たがすぐに気を取り直し、突然降りて来た彼に話しかけた。

 

「あれ〜?ドクター、出掛けるの?」

 

「あぁ。ちょっとした買い物をな。何でも明日は「バレンタインデー」だからな」

 

「「ばれんたいんでー」?」

 

疑問を浮かべるフェリスにストレンジは自らが不心得であった事に気付き、フェリスとヴィルヘルムに「バレンタインデー」の概要とその日に人々が何をするかを、詳しく説明した。

 

「なるほどなるほど……って!それ、とて〜も大事な行事じゃにゃい!ドクターがいたネパール国やアメリカ国では、その「バレンタインデー」には男性から愛する女性に贈り物を贈るって事でしょ!?ならフェリちゃんが、クルシュ様に贈り物を贈らない事があったらいけにゃい!」

 

ストレンジの説明の内、男性から愛する女性にプレゼントを贈るという部分に、過敏に反応するフェリス。クルシュ様ゾッコンの彼にとっては、「バレンタインデー」は何よりの関心ごとらしくすぐにそれは行動にも現れる。

 

「ドクター!もし、商い通りに行くなら私も行く!クルシュ様に最高の贈り物をお届けするためなら、私は何でもするヨ!」

 

「別に私はどちらでも構わなかったからな。お前がついて行きたいなら、それでいい。ヴィルヘルムは?」

 

もう一人、男性であるヴィルヘルムにも同様に声をかける。

 

「そうですな。私目もクルシュ様には大変お世話になっており、お返しとして感謝の意を送ることは大変良い考えだと思います。日頃の御恩に少しでも報いる事が出来るのでしたら、私も喜んで同行するとしましょう」

 

ヴィルヘルムも珍しく関心を示し、彼らに同行する事にした。フェリスは兎も角、ストレンジはヴィルヘルムが異世界の事情に関心を示すとは思っていなかったので、彼の行動には素直に驚いていた。

 

「ヴィル爺。ドクターの話では、贈り物を送るみたい。種類は決まってなくてお菓子とか、花束とか何でもいいんだって」

 

「ー花、ですか」

 

ほんの刹那、ヴィルヘルムの動きが止まる。普段と変わらぬ眼光の深淵に、僅かに過去を懐かしむような変化と共に。

 

「ふむ。それはとても良い案ではと存じます。しかしフェリス、クルシュ様への贈り物は一つだけという制限も無かった筈です。

ー資金のことでしたらお任せあれ。多少の無理も今日限りは大丈夫な筈です」

 

 

 

 

こうして3人で王都の商い通りへ出掛けようとしたが、ストレンジは野暮用を先に片付けてから直ぐに合流しようと提案し、外出直後から別行動となる。

フェリスは嫌味を言いながらもヴィルヘルムと共に彼を見送り、ヴィルヘルムと2人で通りへと向かった。一方、ストレンジは2人の姿が見えなくなるとクルシュ邸に戻り、クルシュの気配がある執務室へと向かった。

 

「失礼する、クルシュ」

 

「ドクター。どうした?何か困り事でも?」

 

「いや、ちょっとした悪戯を仕掛けようと考えついてね。クルシュにはその仕掛け人としてある人物をビックリさせてほしくてね」

 

「ほぉ、それは中々に興味深いな。それで?卿が思い付いたその悪戯はどのような物なのだ?」

 

クルシュに問われたストレンジは、今日の「バレンタインデー」について説明した。しかし、ストレンジはフェリスに話したアメリカ文化のみではなく、女子から男子へチョコをあげるという全く逆のパターンもセットで教えた。

 

「ふむ、その「バレンタインデー」という文化は国毎に違い、そのニホンという国では男性に女性が贈り物を渡す文化があるのか」

 

「そうだ。因みにこの事はフェリスには話していない。彼はクルシュに贈り物を渡すことしか考えられない単純思考のマシーンになってるからな。そこで不意を打つ形で、クルシュからも彼に贈り物を贈るというサプライズはどうかと思ってね。いきなりクルシュから贈り物を受け取ったら、彼も大喜びするだろう」

 

「卿によれば「バレンタインデー」には「チョコレート」なる菓子を意中の男性に渡すと言う。申し訳ないが私はその「チョコレート」を知らないし、作り方も分からない。どうすれば良いだろうか?」

 

「別にチョコに拘る必要はない。彼ならクルシュがあげたものは何でも喜ぶこと間違いないなしだ。それこそ宝石や花束でもいい。私ならある程度は用意できるが……」

 

ストレンジの提案をクルシュは有り難く思いつつも、その提案は拒否した。本人曰く、「「愛を伝える日」であるならば他人の力を借りずに、己の力で集めたい」だそうである。

必要な事を言ったストレンジは執務室を退出するとスリング・リングを使い、フェリスとヴィルヘルムの背後へワープした。突然、背後に移動してきたストレンジを見て、唖然とするフェリスとヴィルヘルム。

兎も角、合流した3人は商い通りで必要な食材や材料を購入し廻り、重くなった荷物を運びながら夕方になる前までに帰宅した。

 

そしてその夜は各々が仕込みやプレゼントの最終確認を行い、来たる「愛の日」への準備を進めていった。

 

 

 

 

翌日、つまり2月14日。

 

「クルシュ様!!これ、私からの感謝と大好きの気持ちを込めた贈り物です!本当ならフェリちゃんの思いはこんなちっぽけな贈り物では収まらないんですけど、それでも思いを込めて!最大限の感謝を込めて作りました!クルシュ様のこと、フェリちゃんは大好きです!是非、受け取ってくださいにゃ!」

 

いつも通りの朝食を摂るクルシュとフェリス、ストレンジであったが朝食を終えた直後にフェリスは席を立ってしまった。居ても立っても居られなくなったのか、彼が退出してその直後、クルシュの下に、両手にプレゼントを抱えたフェリスがヨロヨロしながら現れた。

 

テーブルの上に沢山の箱や花束がドサッと置かれ、早口になりながらも昨日購入した食材や素材で作り上げたプレゼントを渡していくフェリス。

 

「新しい羽根ペンに菓子、髪留めに花束か。因みにこの花はルグニカでは見られない種ではないか?」

 

「これはドクターのいたネパール国に咲くと言う「バラ」という花です。真っ赤に染まるその花、クルシュ様が喜ばれると思って、ドクターに奮発してもらっちゃいました♪」

 

「花言葉は「あなたを愛する」。正にフェリスからクルシュへの贈り物にピッタリじゃないか」

 

ストレンジの解説に顔を真っ赤に染めながらも満面の笑みを浮かべるフェリス。彼が贈った薔薇の本数は11本。「最愛。パートナーに感謝の気持ちを込めて。」という意味が込められており、ストレンジがバラを召喚する際、贈る際の参考としてフェリスに教えていた。その真意はクルシュには伝わっていないだろうが、フェリスはそれでも愛しい主人に思いを届けられた事だけで心が満たされるような感覚を覚えた。

 

「ふふ、こうして面と向かって好意をぶつけられると少し恥ずかしい思いもする。だが、心が暖められていくようだ。フェリス、本当にありがとう。私も愛の言葉を送ろう」

 

「ほわぁぁ〜、クルシュ様〜」

 

 

 

「クルシュ様、私目も僭越ながら贈り物を送らせていただきどうございます」

 

続いてヴィルヘルムがクルシュへの贈り物を渡す。ヴィルヘルムが用意しているのは、彼が両手に持っている装飾された小さな箱と執事が数人がかりで運んだ布に覆われた巨大なモノだった。

因みに、先程完全にノックアウトされたフェリスはまるで猫のようにクルシュに甘えており、彼女にスリスリしている。

 

「粗相な物ですが、どうぞお納めください」

 

ヴィルヘルムが巨大なモノを執務机の前に移動し布を取り払うと、そこには真新しい鉄の鎧が立っていた。そしてプレゼント箱を開けると、そこにはガラス質の奇麗なコップが丁寧に収められている。

 

「これは新しい鎧か?」

 

「はい。今後も戦場に駆けていく事が多いクルシュ様にとって、役に立つかと思いまして。それに今の鎧も少々ガタが来ておりました。これを機に新調なされた方が良いと考えまして、贈らせていただいた次第です」

 

「そうか。本当にすまない、ヴィルヘルム。この鎧、私が必ず活かしてみせよう。約束する」

 

「御意」と応えたヴィルヘルムは、一歩下がる。

そして最後に残ったのはストレンジ。彼は手元を器用に動かし、召喚魔術用の複雑な魔法円を展開する。

やがてストレンジの描いた魔法円は机の直上に移動すると、机一杯の巨大な箱が出現した。

 

「ではクルシュ。その頂点にあるリボンを解いてほしい。それが私からの贈り物だ」

 

箱を留めている赤いリボンをクルシュが解くと、箱が自動で開封され中にあるプレゼントが明らかになる。

 

「これは……どれも見た事ないものばかりだ」

 

「ほぉ〜、ドクターってばずいぶん奮発したねぇ〜」

 

箱の中を興味深そうに見つめるクルシュとフェリス。ストレンジのプレゼントボックスの中には、ストレンジ直筆のサンクスカードに、偶々異空間に保管していたイヴァン・ヴァレンティンのチョコレート、白いマーガレット8本を束ねた花束、そして淡い香りを放つ香水が入っていた。

 

「ドクター、この菓子は何だ?」

 

「それは「チョコレート」と言われる菓子だ。カカオ豆を主成分として、カカオバターやミルクを混ぜて作った糖分たっぷりの甘い菓子さ」

 

ストレンジの説明を聞きながら、クルシュはチョコレートの箱を手元で触ったり、揺らしたりして中身を伺っていたが、やがて箱の中に戻した。

こうして全員のプレゼント贈呈が終了した訳だが、机の上に大量に置かれた贈り物を見回した後、クルシュは一息吐き言葉を発した。

 

「皆、今日は本当にありがとう。各々が感謝を込め、私には見合わぬ素敵な贈り物を数多く受け取れた事、主君としてこれほど嬉しいことはない」

 

そう言うと、クルシュは執務机の引き出しの一つを開け、包装された小包を取り出した。

 

「実は「バレンタインデー」には女性から男性に贈り物を贈る文化もあるそうだ。今日、私は多くの素晴らしい贈り物を受け取った訳だが、物を受け取るだけではどうも性に合わないのでな。私なりに思案し、最良のプレゼントを送る事にした。

ーフェリス、これは私からの感謝と愛を込めた贈り物だ」

 

クルシュの手元にある小包が、フェリスへと向かう。

クルシュにとっては常に自分についてくれる感謝と親愛を込めたプレゼントなのだが、クルシュ一筋のフェリスにとって、全く考えていなかった意中の相手からのプレゼントは、彼の頬を歓喜のあまり林檎以上の真紅に染め上げ、目尻には涙を浮かばせた。

 

「常に私を支え、共に手を携え、試練を乗り越えてきた仲だ。これだけでは感謝の意はうまく伝わぬかもしれぬが。フェリス、是非とも君に受け取って欲しい」

 

「ク、クルシュ様ぁ……!私は、こんなにも幸せでいいのでしょうか!ま、まさかクルシュ様より贈り物を頂けるとは、お、思ってもいなかったのでっ!絶対、絶対大切にします! 

ー私からも改めて。クルシュ様、大好きです!!」

 

満面の笑みを浮かべ、クルシュへ愛を叫ぶフェリス。涙を浮かべて号泣するフェリスをそっとクルシュは抱きしめる。室内に入る日光が2人を覆う様は、まるで神聖なオーラが彼等を覆うように見える。

その様子をヴィルヘルムとストレンジはただじっと、静かに見つめていた。

 

 

 

 

その日の夜。

珍しくストレンジから晩酌の誘いを受けたクルシュは、いつも通り、2人で語らっているベランダへ移動した。普段ではクルシュの方から誘うことが一般的であるが、今日は珍しく彼からの誘いである。どんな目的があるのか、関心を寄せてベランダに向かったクルシュは思わず目を見張った。

普段であるならば道着を来たストレンジが黄昏ているのだが、今日の服装は変わっているのである。

紺色のサマーニットに白のチノパンツを履き、黒の長袖テーラードジャケットを上に羽織っている、普段見せることのない姿がそこにあった。

 

「ドクター、か?」

 

「そうか、違う服装を見せるのは今回が初めてか。なに、女性を晩酌を呼び出したのだ。こちらもしっかりとコーディネートしなければ、失礼になるだろう」

 

未だに目を離せられないクルシュを席に案内し、彼女が席についた事を確認したストレンジは、クルシュ邸の酒造から複製した酒をテーブルの上に置いた。

 

「どうだった?今日の「バレンタインデー」は。君たち主従の関係にとってはより仲を深められた日となったんじゃないか?」

 

「そうだな。確かにフェリスとの仲は一段と深まったように思える。昼間は歓喜のあまり泣いていたからな。あの後も暫く私から離れずに甘えていた。だが、私はヴィルヘルムや卿にも感謝している。私にとっては贅沢すぎる贈り物を数多く受け取ったのだ。私から見れば、卿とも親交を深められた思うぞ」

 

「そうか。それは良かった」

 

ストレンジは短く言うが、その言葉に込められた僅かな声色の変化をクルシュ様は見落とすことは無かった。普段のストレンジは、傾聴する事が多く彼女の話を受け身になって聞いている事が多いのだか、今日のストレンジは寧ろ積極的に話を振っているのだ。

 

暫くし酒が進んだ頃、ストレンジは突然召喚魔術を使用してある小箱を取り出し、それを机の上に置いた。

クルシュが錆納戸色の箱を手に取り、そっと開けるとーー

 

「これは?」

 

「なに、昼間の際に渡し忘れていた代物だ。気に入らなければ返してもらっても構わないが」

 

どうも嘘の風が吹き荒れていたストレンジであったが、クルシュはあえてそれを口には出さなかった。

 

箱を開けると、そこには青の光を放つ宝石に、白銀のチェーンが付けられたネックレスが収められていた。青い宝石はクルシュの掌に収まるほどの小さな大きさだが、地球で売られている一般のアクセサリーでは高値で見積もられること間違いなしで、10カラットに等しい輝きを放っている。

 

「ふふ、そう言う事にしておこう。

ー申し訳ないが、付けてくれないだろうか」

 

クルシュの要望に添い、ストレンジは静かにクルシュの後ろへ回ると、首へネックレスをかけた。クルシュの胸に輝く宝石が彼女の魅力を一層引き立てている。

 

「どうだろうか?」

 

「完璧だ。サファイアを選んだ私の目に、狂いは無かったようで安心した」

 

「サファイア?この青い宝石はサファイアというのか」

 

クルシュは改めて輝く宝石を手に取り、興深く見つめた。青色に輝くそれは昼間でも十分に美しいが、星々と夜空と王都の夜景に照らされ、更に美しい輝きを放っている。

 

「クルシュー」

 

ふと名前を呼ばれたクルシュは顔を上げた。正面に座るストレンジはまっすぐクルシュの瞳を見つめている。それに応えてクルシュも彼を真っ直ぐに見返した。

 

 

「この場を借りて改めて言わせてもらおう。

あの日私を救ってくれたこと、本当に感謝している。あなたのお陰で私は今でもこうして生かされているのだ。その暖かい温情に心からのお礼を言わせてもらおう。

ーありがとう」

 

「ふふ、卿がこうして面と向かって私へ感謝の気持ちを述べてるのを直で受けると私も少し照れるな。だがこうして卿が私に気持ちを述べたこと、この上なく嬉しく思っている。卿の感謝の気持ちを、私は決して忘れぬし、卿の恩には必ず報いる事を約束しよう。今日は本当にありがとう」

 

 

 

 

「ぐぬぬ……何かいい感じになって……でもでも〜、あの幸せそうなクルシュ様の表情を見てると、こっちまで癒されるというか〜」

 

バルコニーから離れた廊下。クルシュとストレンジの晩酌もとい、大人の時間を邪魔してはいけない理性と、普段のように今すぐ飛び込みたい欲望が葛藤しているフェリスがいた。そして後ろから、その様子をやや呆れたように見つめるヴィルヘルム。

 

「フェリス。あなたは今日は片時もクルシュ様からお離れになったことはなかったでしょう。少しは融通を効かせ、ドクター殿へも時間を作って差し上げる事こそ、クルシュ様のお隣に立つ騎士として、引いては男の甲斐性ではありませんか」

 

「ぐぬぬ……」

 

ヴィルヘルムに諭されても未だに動かないフェリス。その後も暫く膠着状態が続いていたが、ふとフェリスは何かを思いついたようにヴィルヘルムの方へ振り返った。

 

「そういえば、ヴィル爺ってあの後少し出掛けていたよね?どこに行っていたの?」

 

「ーちょっとした野暮用です。気にする事ではありません」

 

「?」

 

 

 

 

昼間。クルシュへの贈り物贈呈が終わった後、その流れで全員で昼食を摂った。

そして、昼食が終わってからの数時間、其々が用事を済ませる中、ヴィルヘルムは屋敷を出て外出していた。

フェリスや「バレンタインデー」企画の提案者であるストレンジなど屋敷にいた僅かな者が、ヴィルヘルムが暫く外に出ていた事を知ってはいたものの、何処へ行ったのかについては彼らを含めて誰も知らなかった。

 

 

 

屋敷を出たヴィルヘルムはその足で、王都の外れにある旧開発区へと向かった。

昔とは随分その姿を変えてはいたものの、ヴィルヘルムの運命を変えた場所は、偶然にも昔の姿を留めていた。

旧開発区の一角にひっそりと存在する花畑。「剣鬼」がまだ青年だった時代からの姿を留める唯一の場所。そしてヴィルヘルムと彼の最愛の妻であるテレシアを結びつけた運命の場所。

 

 

かつて最愛の女性が座っていた場所は綻びてしまってはいるが、未だに残る区画を区切る段差。

段差に足をかけ、向こう側へ目を向ければ眼下に広がる黄色い花畑。

瞑目すればかつての光景が蘇る幻覚をヴィルヘルムは見る。

テレシアと結ばれる前、2人と出会った最後はお互いにぶつかり合ったあの時のみ。

 

 

走馬灯のように過去の思い出が脳裏を過ぎる中、ふとある言葉が彼の耳の奥深くに届く。

 

 

 

 

 

「花は、好き?」

 

 

ささやかな微笑みを作ったあの少女の声。ヴィルヘルムははっとして目を開けるもそこには唯、花畑が広がるのみ。

自分が愛した女性はこの世にはいないはず。だが、彼の耳には確かに声が届いていた。

思わず、彼の頬に一滴の水滴が流れる。

 

「お前は花が好きだったな。今日は「バレンタインデー」と言い、男性が愛する女性へ贈り物をする日らしい。

ここで最初に出会った時、私は花が嫌いだと言った。だが、今ではその花を愛でることも自分の楽しみだ」

 

ヴィルヘルムは区画の段差にストレンジから貰い受けた向日葵を99本束ねた花束をそっと置く。

 

 

「テレシア、私はーー

 

 

 

ーー必ず、お前の仇をー」

 

 

花畑を前にヴィルヘルムはほおを伝う物を拭い、剣を抜くと高く掲げる。妻を奪った圧倒的な不条理に1人の男として立ち上がる覚悟を、改めて妻と出会った最初のこの場所で強固に盤石にした事を知るのはヴィルヘルムの他に誰もいなかった。

ーそして彼が不条理に打ち勝つのは、まだ先の話の物語である。

 




番外編ではありますが、明らかに本編よりも話が長くなりました笑

勢いで書いたのでかなり誤字・脱字があるかもしれません。大変申し訳なく思います。


話は変わりますが『鬼滅の刃 遊郭編』の制作がついに決定しましたね!いやぁ、楽しみで仕方がないです!
実は『鬼滅の刃』のクロスオーバー作品も構成が浮かんでいます笑こちらの余裕が出てきましたら、そちらの方も書いていきたいと考えています。


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六話 長年学び実践を積む

久しぶりの投稿です。

この数日は珍しく忙しかったので投稿が遅れました。
今は、ついさっき見たリゼロの熱をそのままこれにぶつけています。


「フェリス、ドクターに文字を教えてもらうことは可能だろうか?」

 

「え?私が、ドクターに文字を教えるんですか?」

 

ストレンジがクルシュ邸に食客として入居した翌日、本を読むことができないストレンジを見たクルシュは、執務室にフェリスを呼び出しストレンジへの文字指導を依頼した。

昨晩のクルシュとの晩酌の後、同邸にある図書室を訪れたストレンジであったが、そこに記されていた文字が全く読めず苦戦していたのである。そして、その光景をクルシュが偶然見たのであった。彼の苦心を取り除がなければならないという責務を感じたクルシュは、こうしてフェリスに文字指導の依頼を行なったのであった。

 

「フェリスには苦労をかけるだろうが、ルグニカで使用されている文字について、彼への教授をお願いしたい」

 

「……ドクターって、もしかしてイ文字も読めにゃいんですか?あれだけ優秀っぽい雰囲気出してて実際は唯のお馬鹿さんだったんですかネ〜?」

 

「フェリス、「お馬鹿さん」という言葉には語弊がある。彼は魔法に関して疎い私から見ても優秀な魔術師だ。恐らく魔法分野ではあのロズワール辺境伯を上回る完全無欠な存在と言っても過言ではないだろう。だが、そんな彼でも文字は読めないらしい。彼も文献を読む上で苦労している事だろう。是非とも彼が不便しないよう、文字を教えてやってほしい」

 

あのストレンジが他人に教えを請うために頭を下げる。医師時代には国一の名医と謳われるも傲慢不遜な態度が傷だったストレンジ。この世界に来ても変わらないそんな性格は、フェリスを苛立たせていた。彼にしてやられっぱなしのフェリスとしては、これはストレンジの弱みを握ることができるかつてないチャンスと捉え、悪戯な笑みが思わず出そうになる。

 

(あのドクターが頭を下げることになる!完全無欠を謳っていたドクターにこんな弱点があったとはネ〜。これは使える!)

 

「任せてください、クルシュ様!私がどんにゃにあの魔術師のことを嫌っていても、クルシュ様の頼みでしたらフェリちゃんは喜んでやらせてもらいますヨ〜!」

 

クルシュの執務室を退出したフェリスは高揚した気分のまま、ストレンジの部屋に突撃する。

昨日は穴に落とされる、「女装」と罵られる等、散々な目に遭っていたフェリス。彼はクルシュが滞在を許可してなお、虎視眈々とストレンジに復讐する機会を狙っていた。それがこんな短期間でチャンスが巡って来たことに、歓喜しない彼ではない。

悪戯心満載でストレンジの部屋に突入するフェリスであったが、室内の異様な光景に思わず首を傾げることとなる。

室内に佇むのは、ストレンジが付けていた赤マントのみで本人の姿はない。フェリスが首を傾げていると、突然マントが振り返り、ゆっくりとフェリスの方を向いた。

 

「にゃ!?にゃにこれ!?マントが、か、勝手に動いているにゃんて!……は!きっとドクターは透明になる魔術を使って私を驚かせようとしているんだネ!」

 

勢いよくマントの方へ手を伸ばすフェリスであったが、右手がマントに触れる直前でひらりと躱したことで勢いよくフェリスは壁にぶつかる。

 

「もー!なんでマントがひらひら動いて躱すのさ!意味わかんにゃい!」

 

マントはフェリスをおちょくるように室内を縦横無尽に動き回り、フェリスを軽くあしらっていく。もう少しで手が届くという惜しいところで身を捻り、躱していくマントにフェリスの苛立ちは溜まる一方であり、一方的に煽るマントに対して怒りを覚えつつあった。

 

「なるほど。此方に、陽気な気分を振り撒きながら接近してくる異常者がいるから誰かと思ったが。お前か、女装野郎」

 

フェリスがマントの追跡劇を開始して数分後。突如として室内に響く声に驚き、マントを追うのを止めて咄嗟に周辺を見渡すフェリス。何者かが出現した気配に勘付き後ろを振り返れば、ベッドの上に胡座をかきながら浮くストレンジの姿があった。彼は何もない空間から突如として現れたのである。

 

「それで?お気持ちハッピーな幸せ者は、なぜ私の部屋に来たんだ?」

 

「……クルシュ様から、ドクターに文字を教えるように仰せつかったの。昨日、ドクターが図書館で本を読めずに四苦八苦している光景をクルシュ様がご覧ににゃって。それで私が文字を教える任務をいただいたの。分かった?」

 

「そうか。それは実にご苦労だことだ。後ほどクルシュにはたっぷりとお礼をするか」

 

ストレンジはあの時の光景を見られたことに気付いていなかった。

確かにストレンジはクルシュ邸の図書室へ赴き、手当たり次第に本を取ったのたが、そこに記されていた文字が全く読めていなかったのである。フェリスが指導役という事に一抹の不安を覚えるストレンジであったが、習わないよりはマシと考える。

 

暫く考えていたストレンジであったが、「ふむ」と頷くと瞬時にフェリスと共に図書室に移動した。

 

「ちょうど良い。それなら基礎の部分のみ教えてもらうとするか」

 

 

 

 

 

 

「で?お前は、どうして陽気な気分で突入した?」

 

「それは男の娘の秘密♪にゃは♪」

 

 

 

 

 

 

それからはフェリスによるワンツーマンの個別指導が図書室にて行われた。フェリスの計画では、最初はアメリカや日本でも読まれそうな、幼児が読む絵本から始めるつもりだった。しかしストレンジはそれらの過程を無視し、それぞれの文字の一覧表を見せるよう要求した。噛み付くフェリスに、ストレンジは個別指導なら生徒の希望に合わせて授業を行うべきと言い返し、初っ端から険悪な空気となった。

しかしここでストレンジの天性が力を振るう。

 

「ほぉ〜。ドクターに教えたのは一回だけなのに、僅かな時間でイ文字とロ文字は完璧に覚えたみたいだネ〜。フェリちゃんはてっきり一日中教える気でいたんだけど、こんなに物覚えが早いなんてびっくりだよ〜。ハ文字に関しても合格点はあげられるぐらいは覚えられているみたいだし」

 

「ああ。言語系であるならば、Google翻訳か、各言語の一覧表があれば、1日足らずで覚えられる」

 

まだ日も西へ傾いていない時間でイ文字とロ文字を完璧に使いこなし、ハ文字も合格点に達していると評価されたストレンジは満足そうに頷いた。

一方、フェリスはストレンジの吸収の素早さに驚くとともに彼の持つ才能に感服する。

 

(ドクターは一通り見ただけでイ文字とロ文字を完璧に覚えて、ハ文字に関しても安心できるレベルまでしっかりと習得している。頭にくるけど、「国一の名医」の名は伊達じゃないってことネ)

 

「ウン。それだけ覚えられれば語学については問題なしかな。あとは、それを忘れないように……といってもそんな「天才医師」であられたドクターなら忘れるなんてこともにゃいと思うけど。んじゃ、今回の授業料としてドクターからのお礼が、フェリちゃんは欲しかったりするかなぁ〜?」

 

「何の礼だ?私の語学学習を余分に見ていたことに対するものへのか?」

 

「……一応、教えていたのは私にゃんだけど〜?」

 

「確かに基礎的な部分についての教授には素直に礼を述べよう。だが、その後の学習では、私はいらないと言ったはずだ。にも関わらず離れなかったのは、お前の方じゃないか?」

 

「あのネ〜、一応フェリちゃんは、ドクターのためって自分の時間を削って教えていたんだよネ〜。だ・か・ら、それ相応の言葉ってものがあるよネ〜」

 

フェリスはほれほれと言わんばかりにこちらへ明確なメッセージを送っていた。それにドクターは多少ゴネながらも、やがてしっかり向き合う。

 

「心から感謝しているぞ、女装騎士のフェリスくん」

 

「その「女装」っていう言葉次使ったらぶっ飛ばすから、ドクター。あ!でもフェリちゃん、ドクターからお礼の言葉を引き出せたから満足〜」

 

 

 

 

 

フェリスに散々弄られ、すっかり気分を害してしまったストレンジは王都に位置する王立中央図書館を訪れていた。

3つの文字をある程度識字できる事を可能にしたストレンジはこの世界の情報収集のため、王国一の蔵書数を誇る王立図書館書庫の文書を閲覧する許可をクルシュに取っていたのである。

イングランド中央銀行に似たドーリア式の佇まいである王立図書館には多くの市民たちが往来しており、その中には亜人達の姿も多く見かける。エントランスから1階受付へ直進したストレンジは早速、閲覧許可証を受付に提示し、直ちに書庫に通される。

流石は公爵家というべきだろうか、カルステン公爵家の関係者ということで、すぐに一般市民が入らないような厳重な書庫に通されたストレンジは次から次へと書物を手に取っては閲覧机に広げ、一冊ずつ読み進めていく。

 

カマー・タージではウォンが書庫を管理していたためか、中々書物を貸してもらえなかった経験があるストレンジとしては、初めて訪れた書庫にて条件付きであるとはいえ、ここまでスムーズに事が進んだ事に違和感を覚えずにはいられない。

 

(ウォンが此処にいればきっと喜んだだろうに……。奴は元気にしているだろうか。私が異世界に消えたことで、カマー・タージには大きなダメージを負わせている事に違いない。本当にカマー・タージ達の同志達には申し訳ない事をしている。

ーーそれに、「奴」が動き出す危険性もある。私が早く元のアースに戻らなければ、この世界にまで「奴」が影響を及ぼす事になりかねない)

 

 

 

ストレンジはウォン以下、カマー・タージやニューヨーク、ロンドン、香港に残した魔術師達の事を思い浮かべ、静かに心を痛める。

一刻も早く本来の世界に戻り、来たるべき戦乱である「永遠なる戦争」(インフィニティ・ウォー)に備えなければならない。

ストレンジは、元の世界に戻る為の鍵となりうる「大瀑布」や「魔女教」に関する書物を中心に読み進めていった。

 

(カララギ都市同盟国、ダイスキヤキ、ワフー建築、カララギ弁……この文化は日本と酷似しているではないか?それにこの「荒地のホーシン」、まるで現代の資本主義的価値観を持っているような商法を扱っている。

ーーどうやら、この世界に転移した存在は私だけではないようだ)

 

偶々手に取っていた国際政治に関する本を手に取ったストレンジはその中に記された記述に驚きつつも、新たに希望を持つこととなる。そして異世界転移した者たちに関する記述が後半に記されている。

 

(「世界の果て、大地が途切れ全てを押し流す水の奔流ー大瀑布の彼方からやってきた者が数年から数十年に一度の頻度で現れる」か。中世の世界地図の馬鹿馬鹿しい話ではあるが、ここは異世界だ。私があり得ないと考えている事が現実となる事もある。

ーー狭い鍵穴から見る世界が全てではない、その通りです。師よ)

 

その後も図書館内の蔵書を隈なく周り、片っ端から本を読み進めたストレンジは閉館時間ギリギリまで調査を行い、館員に半ば強制的に出される形で図書館を後にした。

 

その足で、少しばかり昨日お世話になったカドモンの青果店に赴き、リンガを5個ほど買ったストレンジは、買ったばかりの新鮮な果実を齧りながら今日の成果を振り返った。

 

(この世界の国々の動きや、建国の成り立ちについて詳しく知ることができた。それに、この世界へ転移した存在についての情報が得られたことが何よりも大きい。彼らの発言の中にある、大瀑布。世界の果てに存在する其処に行けば、元のアースへ帰還するためのヒントを得ることができるかもしれない。

ー流石に、インフニティ・ストーンに関しての情報は無かった。

この世界はまだ「奴」の脅威には晒されていない。だが、万が一に備えて準備は必要だな)

 

「『カララギ都市国家新書』、『ルグニカ王国歴史書』、『魔法属性教書 応用版』……これ、全部読む気?」

 

「あぁ。それも3冊を一週間でな」

 

クルシュ邸に帰宅したストレンジのテーブルに置かれているのは、厚さが30センチ程ある本3つ。ストレンジが図書館の蔵書を閲覧した際、興味を惹かれた分野を中心に書物を何冊か借りてきていたのだが、それらの本は図書館内に数ある蔵書の中でも読破に時間がかかり、アカデミーに籍を置く研究員が卒業論文作成に読み込むような本だった。

その本の内容と厚さにクルシュとフェリスは思わず、目を見張る。

 

「私が言うのも何だが……これを一週間で読むのは至難の技だ。それこそ睡眠、食事、排泄等の時間を削り、一日の全てをこの本を読むことに費やさなければ一週間で読破など不可能だぞ?」

 

クルシュの不安は最もであった。卒業論文のような価値ある論文を作成するために、半年以上かけて読む重要な資料を僅か一週間で読み終わるなど冗談でなければ狂気の沙汰と言っても過言ではない。

 

「心配はいらないとも。とっておきの方法があるのでね、アストラル体を使えば例え睡眠時であったとしても読み続ける事ができる。よく言われる、睡眠学習ってやつだ。効率が良いと言われる」

 

「アストラル、体?」

 

ストレンジの言葉に早速、首を傾げるフェリス。フェリスから自分の常識外の出来事を、常識に最も拘るであろうストレンジがスラスラ述べている事に驚愕していた。

 

「アストラル体は、肉体から放たれた精神体だ。君たちにも分かりやすく説明するとするならば、魂だな。ちなみに英語名はソウルともいう」

 

「まさか……魂を自らの肉体から弾き出して、魂のみの存在になっても、消えないどころか本を読む事ができるってわけ?そんにゃの、あり得ない!だって肉体から離れた魂は、行き場を失い消滅するはず!」

 

「おおっと。普段のおちゃらけたアイデンティティが消えているぞ、フェリス。常識というのは常に壊れる儚いものだ」

 

常識外れと切り捨てようとするフェリスをストレンジは軽く遇らう。

 

「お前は医者として鍵穴から世界を覗き、かつての私のように鍵穴を広げようともがいて来た筈だ。「もっと見たい。知りたい」と。そして今がその鍵穴を広げられるチャンスだというのに、理解を超えているからと受け入れを拒否している」

 

ストレンジの言葉は、フェリスの胸奥深くに突き刺さる。一方のストレンジは飄々とした面持ちを絶えさないでいた。彼はあくまでも、師匠の言葉を引用して圧を掛けていただけであり、フェリスが新たな領域に足を踏み入れるか見たかった意図もあった。しかし、動揺するフェリスには早すぎると考え、手元に置かれた本へと視線を移し作業を始める。

 

「ま、常識を疑い非常識を受け入れる準備ができたらいつでも声をかけてくれ。かつて私が受けた手荒い洗礼を、君にも味わせてやる」

 

どこか不敵に笑うストレンジに思わず、フェリスは背筋に鳥肌を立たせ震え上がった。

 




ロズワールの狂人っぷりが半端ない、何だありゃ!人間じゃねぇ!

そして最初のロズワールとエキドナのキスの色っぽさ///堪らんですなぁ〜

ドクターのタイム・ストーンってリゼロの『ゼロカラカサネルイセカイセイカツ』の様な幾千幾万の未来をいつでも見られるからドナドナ、ドクターにマジで身体を好きにして使っていいとか言いそう(変わりにストーンを好きに使わせてほしいとかの条件付きで。ロズワールの事なんかすっかり忘れてるかも)。
マジでインフィニティ・ウォーの1400万605通りの未来をエキドナが見たら、あまりの興奮に彼女、失禁しそう


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第二章 魔獣騒乱
七話 事態は急転直下に変化する


お待たせいたしました。
最新話の投稿です。

少し遅れ気味となっていること、お詫び申し上げます。


「領地に帰還する?」

 

ストレンジが屋敷に居候を始めてから3ヶ月ほど経ったある日のこと、いつも通り定刻に食堂へ向かったストレンジはそこで急遽、クルシュが領地へ帰還する旨を聞いた。

スープの香ばしい香りと、卵の甘い香りがストレンジの食欲を唆る中、食を進める彼の手は、クルシュの話に耳を傾けるため止まりがちになる。

 

「本当に突然のことだな。運営する領地で何が争いが起こったという事か?」

 

「その通りだドクター。正確には我がカルステン家が長年支援しているファリックス子爵領にて、魔獣による厄災が起こったとの連絡が入ったのだがな。彼の領土に待機していた傭兵の他、民兵や義勇兵らが事態の収束にあたってはいるが、魔獣による被害は想定を大幅に超えているらしい」

 

「本当、困っちゃいますよネ。つい数週間前にも、ロズワール辺境伯の領地にて「ウムガルム」による被害が出たとの報告もありますし。最近、妙に魔獣による被害が多くて本当、フェリちゃんは嫌になっちゃいますヨ」

 

クルシュの隣に座って朝食を摂るフェリスは、朝にも関わらず不機嫌を隠せないでいる。普段と変わらない猫口調と何も知らない男性が見たら、一発でノックアウトの萌え表情は変わらないが、それでも湧き出る不安を押しとどめるには至ってはいない。

 

「ファリックス子爵直々に救援要請が届いている以上、無視はできまい。我々は早々に人員と装備を集め、整えた後ファリックス子爵の下へ赴く事になる。その後はファリックス子爵と共同で魔獣を駆逐していく事になるだろう。今回は被害が甚大な為、通常の魔獣対策と比べて大規模な人員が展開される事が確実だ」

 

「その言葉から察するに、私も魔獣退治の一躍を担う事になると見ていいか?」

 

ストレンジの問いにクルシュは静かに頷く。遂にこの世界に来て初の実戦か。とストレンジは気を引き締める。

クルシュより「白鯨」や「魔女教」の話を聞いてから、熱心に図書館より書物を引っ張り出してはしらみ潰しに読んでいた彼にとって、常に気にしていた現実が遂に姿を現したのである。

 

「卿には特に被害が甚大な地区を、ヴィルヘルムと共に対処してもらう事になるだろう。卿は大規模な爆発魔術を操ると聞いている。己が力を存分に振るい、魔獣を根絶やしにしてほしい」

 

「待て。私は爆発魔術を使いこなせるとは一言も言っていないはずだ。まして、外部者が私の修行の空間であるミラー・ディメンションの内部を見ることなど、不可能だ」

 

ストレンジは思わず、フォークを動かす手を止めてクルシュを見た。クルシュ邸を訪れてより、魔術の修行を欠かさず行っているストレンジだったが、現実世界への影響を懸念したため、修行はあくまでミラー・ディメンション内にて行っていた。その為、修行内容が外部に漏れる事は絶対に無いはずである。にも関わらず、クルシュはストレンジが聞き逃せぬ情報をサラリと述べたのだ。彼の心中は波をたてる。

 

「それはおかしいな。フェリスによれば卿が爆発魔術を扱えると聞いたのだが」

 

「嫌だにゃァ〜、クルシュ様。私は、あくまで多彩な魔術を扱うドクターなら爆発魔術くらい、容易く扱えるんじゃにゃいかにゃ〜、って言っただけですヨ」

 

下手人の正体は直ぐに現れた。フェリスがストレンジの方を向いたまま、舌を出しながらウィンクしているのが目に入ったからである。

 

「根拠のない情報を与えるのは、見逃す事はできない一件だぞフェリス。何故そんな真似をした?」

 

「んー、私はドクター程の魔術師なら爆発系の魔術も容易く扱うんじゃないかなぁ〜って感じだだけ。だって、「至高の魔術師」が爆発魔法を使えないにゃんて、がっかりにゃ事だヨ」

 

ドクターとフェリスが屋敷に共に住み始めてから早数週間であるが、どうも初日の一件が引きずっているのか二人の仲は思うように修復できていない。

一方、ストレンジが最初に出会い、真面に会話をしたユリウスとは良好な仲を築けており、時より二人で魔術と精霊術について意見を交わしたり、王国騎士団について深く議論を行う事もあった。

その過程で、フェリスとユリウスの紹介によりストレンジは、ルグニカ王国最強の騎士であるラインハルト・ヴァン・アストレアとも言葉を交わす事が出来ていた。

本人曰く、「あの誠実さと信念は何処か超人兵士(スーパー・ソルジャー)と似たような面だ」とか。

 

「んん!とにかく、我々はすぐに出立の準備を行い、明日の夜までには王都を出発したい。「霧」が出なければ一日もかからず、ファリックス子爵領に到着できるだろう。懸念材料は他にもあるがな」

 

 

 

 

 

クルシュから緊急の帰還を言い渡されたその日も、ストレンジはいつも通り王都の図書館に赴き、書物を漁っては読む日であったが、翌日には王都を出立することを聞いていた彼は、閉館時間より早めに退出した。

本来であれば図書館閉館後も街の様子を散策するため、通りを歩いているストレンジだが、今日は真っ直ぐ邸宅のある貴族街に戻った。

 

そしてクルシュ邸に戻ったストレンジは、早めの夕食を済ませ、日課である瞑想の後クルシュとの晩酌を共にする。

 

「今宵は夜風が心地良いな。冷た過ぎる事もなく、また程よい風量だ。正に酒を嗜むには、絶好の頃合いだろう」

 

「クルシュは実に風流がある言い方をするな。貴族の娘であるが故なのか、それとも天性の才か。私は酒に適した気候などは分からないが、今日の気候がベストなものであるならば覚えておくとしよう。

ー本来であるならばフェリスあたりを呼びそうなものだが、今日は私だ。態々晩酌の席まで呼びに来たということは、私に何か伝える事があるというふうに理解して大丈夫か?」

 

「相変わらず、卿はすぐに話を持っていこうとするな。まぁ、こちらとしても話が早い方が助かるのも否定はできない。だが、私は卿にも少しは酒の席を楽しんで欲しいと思っている」

 

寝巻き姿のクルシュは注いだ酒をくいっと呑むと、姿勢を正し本題に入る姿勢を見せる。それを見てストレンジも背筋を整えた。因みに、ストレンジは酒の代わりに、自身の魔術で召喚した蜂蜜入りのお茶を手元に置き、会話の間で飲んでいる。

 

「先に話した魔獣騒動の一件であるが、どうもきな臭い気がしてならない。本来の魔獣騒動であれば、ファリックス子爵程の人物が手こずると思えないのだ」

 

「ファリックス子爵がどのような人物かよく知らないが、クルシュがそこまで言うということは、かなり頭脳明晰とみえるな。

聞きたいのだが、ファリックス子爵とはどのような人物なんだ?」

 

「まず、ファリックス家について話しておこう。ファリックス家は、古くから我がカルステン家に仕えている貴族の一族だ。その歴史は、当家が爵位を与えられし時代からの付き合いであり、古くからの付き合いという簡単な言葉では表せない間柄となっている。また、現当主であるフォリア・ファリックス子爵は戦略家としてルグニカでは有名で、逸話として数少ない軍勢で大国の軍を押し返したと言う話もあるぐらいだ」

 

数少ない自らの手札を巧みに使い状況の逆転を狙う戦法が、まるで諸葛孔明やハンニバルのような辣腕家に似ていると感じたストレンジだが、現実世界での言葉である以上、それは口に出さずクルシュの話に耳を傾け続けた。

 

「軍事面で才能あふれるファリックス子爵程の人物が、たかが魔獣に苦戦するとは思えないと私は言ったが、これがその根拠となる。恐らく、今回の騒動の背後には厄介な事情が孕んでいる可能性が高いと私は考えている。卿には、特に被害が甚大な地区を担当してもらうことになる故、耳に挟んでほしいと思った次第だ。無駄話と思うのならば聞き逃してもらっても構わない」

 

「いや、忠告は素直に聞く性分だ。説明書をよく読まずに危うく存在が消えかけた事があって以来、物事は最後まで把握しようとしているのさ。因みに、今回の一件と、今朝述べていたロズワール辺境伯の領地内で起こった魔獣騒動との関連性は?」

 

「そうだな。言うならば、今回の一件は辺境伯の一件から然程、月日が経っていない。もし、彼の事件が人為的なものであるならば、今回と前回は同一犯の可能性が高いが、未だ証拠が不足しているため断定はできない。

ーーだが、今回の一件には魔獣たちが統率が取れた一つの組織のように行動しているとの情報が入っている。普通、魔獣は群生の生き物であれ統率は成されていない。もしも、魔獣が統率の取れた行動を取っているならば、彼らを従える何者かがおり、そいつが今回と前回を結びつける重要な人物であり、この一連の黒幕であるだろう」

 

ストレンジは、フェリスから拝借していた羽ペンを手に、自らの手帳にクルシュが述べた情報を整理していく。

その上で、以前クルシュ邸の車庫や図書館の書物の情報を擦り合わせ、彼なりの対策プランの作成を行なっていった。

ある程度、記したところで何か思いついたストレンジは書く手を止め、クルシュを見据えた。

 

「クルシュ。これはあくまでも私見であるが、今回の騒動は辺境伯の一件と同一犯による仕業の可能性が極めて高い。時期もさることながら、どうも魔獣が統率の取れているという情報に引っ掛かりを覚える。これは予想以上に厳しい任務になるかもしれない。

ークルシュも明日からの任務には同行するのか?」

 

「当然だ。何も玉座に収まっているだけが当主ではない。無論、危険があることは承知の上ではあるが、臣下の危機に立ち上がらないようでは、王としての器を自ら持っていない、と宣言しているようなものだからな」

 

クルシュの決意にストレンジはただ「そうか」と、一言呟くだけだった。その後はいつも通り男女二人での酒の席ということで、嫉妬心剥き出しのフェリスが乱入し、ヒッチャカメッチャカになることを悟ったストレンジは、場の混乱を避けるため早々に部屋に戻る。

しかし、ストレンジは心に残る不安を拭えずにおり、精神統一のためもう一度瞑想を行なった。

 

 

 

 

翌日早朝、クルシュを指揮官としたフェリス、ヴィルヘルム、ストレンジ以下、魔獣討伐隊100名がクルシュ邸庭先に集まっていた。全員がこの度の討伐に向けて派兵される精鋭兵であり、かつては王国近衛騎士団や民兵に所属していた元騎士・兵士が大半を占めている。

やがて屋敷からクルシュが現れ、辺りを見回し玄関前に設置された簡易的な舞台の上に立った。台の左半分にフェリスとストレンジ、右半分にはヴィルヘルムが控えている形となっている。

鎧に身を包んだクルシュは周りを一瞥した後、深く息を吸い込むと、彼女特有の凛々しい声を発した。

 

「短い招集期間ではあったが、この任務に志願してくれた皆の決断にまずは心からの感謝を述べたい。これより我が部隊は、膨大な数の魔獣の襲撃を受けた、ファリックス子爵領へ救援に向かう。子爵領の魔獣による被害は甚大であり、最早一刻の猶予も許されない。我らの到着が遅れる事は、それ即ち、被害が拡大することを各々は忘れずに任務に遂行してもらいたい。二度と領民が悲しみの涙を流さぬように、全てを終わらせるのだ。諸君らの活躍を心より期待する」

 

クルシュの挨拶が終わり、各々の紹介が始まる。ある意味で世間に初お披露目となるストレンジも周りの流れに沿う形で自己紹介するが、どれもこれも聞き慣れない単語を連発するもので、一同からの反応はイマイチなものであったらしい。隣に立つフェリスから、「もっと分かりやすく言わにゃいと〜。凡人にはドクターの考えている事にゃんて、全然分かんにゃいんだから〜」と言われる始末だったとか。

 

 

「それでは、いざ出陣だ!」

 

全員の自己紹介が終わり、後は出陣のみとなった。そして、クルシュが高らかに声を張り上げると、集まっていた全員が、武器を片手に声を上げる。そして、武器を装備し各自地龍に跨ろうとしたその時、

 

「諸君、少し待ってほしい」

 

流れを阻害するように響くのは、ストレンジの声。各自、今にも出発しようとしていた一行は、思わず足を止めてストレンジの方を振り返る。

突然の行動にクルシュやフェリス、ヴィルヘルムも困惑を隠せない。

 

「ドクター、待ってほしいとはどういうことだ?」

 

「まさか〜、ドクターってば怖気ついちゃった〜?」

 

「お前の煽り性能はいつ見ても関心に値するな、フェリス。一度、私の盟友とラップバトルをしてみるといいだろう。その感性が案外、奴には大ウケするかもな。

ーーさて、クルシュ。私がこの流れに水を差す行動をしたと思っているな」

 

ストレンジの言葉にクルシュ本人は顔に表さないが、周りの反応が彼女の意見を代弁している。現にストレンジに向けられる視線は、どれも良いものではない。

周りから見れば、高揚する気分を阻害するような行いをストレンジがとっているように見られ、その結果がこの有様である。

 

「私にはスリング・リングを使った移動手段がある事を忘れたのか?」

 

いつのまにか、彼の左手には指が通るほどの大きさの穴が二つ空いている、独特の細工を持つ道具が嵌められていた。

そしてここで、転移を使うと言うストレンジ。しかし彼の転移魔術は対象の人物の足元に穴を開け、異空間に放り込む魔術だったはず。

クルシュは心に残る訝しみを残したまま、怪訝そうに彼を見つめる。一方、彼女の視線を受けたストレンジはある行動に出た。

 

マントを靡かせ、上空に浮かび上がったストレンジはクルシュ邸の門前に向けて右手と左手を向ける。

スリング・リングを嵌めた左手を前に向けたまま、右手を反時計回りに動かすとクルシュ邸の正面に異変が生じる。

時空に折り目が生じ、続けて外輪から火花が飛び散る巨大な円が登場した。そして顕になる内輪の姿。そこに広がるのは見慣れた王都の景色ではなく、何処かの地方都市のような長閑な街並み。

 

「これは……間違いない!ファリックス子爵が統治している街だ!」

 

クルシュの言葉がまるで一団の心情を表していると言わんばかりに、思わぬ出来事にただ呆然とする兵団一同。その後、つられるように次々に声が上がっていく。

 

「おぉ!すげぇ!」

 

「間違いねぇ、ファリックス子爵の街だぜありゃ!」

 

「あの魔術師、一体どうやってこんな技を!?」

 

「よくわかんねぇけどこれで移動が便利になるっていうなら、メッチャありがてぇってことだ!」

 

ゲートに見入っている兵団の後ろに先程、ゲートを開けた張本人であるストレンジが静かに着地した。

 

「これで移動が早まるはずだが、大丈夫か?」

 

平然とした顔で問うストレンジに思わず、苦笑いが止まないクルシュ。

 

「全く、卿には何度も驚かされているばかりだな。この魔術があればどんな場所にいても一瞬で目的地に辿り着けるということだな?」

 

「概ねその通りだ。このスリング・リングを使えば、行きたい場所にすぐに行ける。念ずる必要があるがな」

 

「卿の魔術により移動が短縮化できれば、それだけ竜車を調達する手間が省ける。

ーー本当に便利ではあるが、竜者を手配を仕事とする労働者の反感を買いそうな魔術だ」

 

どんな場所にも一瞬で繋げてしまうゲートに、それを容易く操るストレンジ。彼の魔術は利ばかりあるが、その一方の既存の産業を破壊する一面を持っている。巨大なゲートを前にふとクルシュは、ストレンジの魔術によって嘆くことになる竜車業者の未来を憂いるのだった。

 




今週のリゼロは、特に熱かったです!

各々が、自分が別々の敵と戦場で戦う。インフィニティ・ウォーの縮小版のようだと見てて思いました。


そしてこちらはオリジナル展開に入りました。クルシュやドクターがどのような戦いを繰り広げるのか、どうぞご期待ください。


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八話 喧騒と非常識は突然に

久しぶりの投稿です。

大変お待たせいたしました。


ストレンジにより開けられたゲートを、恐る恐る通るクルシュ率いる討伐隊。本来であるならば王都を出発してより一日ほどかかる道のりであるのだが、行きたい場所を念じることで空間を操り距離を縮めるという、とんでもない魔術を使う「至高の魔術師」のおかげで、一瞬で到着することができたのだった。

それなりの疲労を覚悟していた討伐隊であったが、ストレンジのおかげで体力万全のまま領内に入ることができたことで、少しばかり物資の余裕ができたという話も、ストレンジの耳に入ったとか入っていないとか。

 

 

 

一方、ファリックス領に住む人々には動揺が広がっていた。

突然街の外れに、外輪が輝く線が現れたと思えばそれが拡大し、巨大な円を形成したのである。外輪が火花が散らす中、内輪に露わになるのはどこかの景色。徐々に顕になっていく発展したその街並みが、王都の光景であることは誰しも容易に想像できた。そして円の向こうの大邸宅の前には、今回の討伐隊の指揮を取るクルシュ・カルステン公爵の姿があるではないか。彼の隣には穴を開けた張本人であろうか、見たことのない服に赤いマントを羽織る謎の人物がいる。穴を開けた向こう側もかなり戸惑っているのか、討伐隊のほぼ全員が呆然としている様子を見せていた。

ゆっくりと輪を通過し進入していく討伐隊が間近に迫った時、呆気に取られていた住人たちは慌てて領主であるフォリア・ファリックス子爵の屋敷に全速力で走っていき、この事態を領主に伝えるため屋敷周辺に群がっていった。

 

 

 

 

「今朝はやけに領民たちの声が大きい。一体どうしたものか?」

 

フォリア・ファリックスは先程から困惑していた。執務中に何やら騒がしい領民の声が耳に入ってきたのである。最初は小さかった声が徐々に大きくなり、やがて彼も無視できないほどの大きさに拡大にする。気になった彼が階下を覗けば、玄関に突如として多くの住民が屋敷に集まり、必死に何かを伝えようとしているではないか。

 

「ファリックス様、如何いたしましょう?」

 

その様子に女中や執事たちも困惑しており、玄関先に出て、必死に彼らを落ち着かせている。これは自らが出なければならないと考えたファリックスは、大きな溜息を吐きながら玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

「ファリックス子爵殿!」

 

玄関ホームへ降りたファリックスは執事に扉を開けさせる。扉を開けた先に待っていたのは口々に何かを訴えようとする領民たちがいた。ファリックスは先頭にいた、この先の街の町長を見つけると彼に問いかけた。

 

「何事だ?」

 

「実はこの街の外れに、巨大な穴が開いているのです!」

 

「ーーそれだけじゃない!クルシュ・カルステン様に率いられた討伐隊が次々に現れている!魔法みたいな不思議な力で開けられた空間から次々と!」

 

町長を筆頭に発せられる信じ難い内容に思わず笑ってしまうファリックス。

 

「ーーははは!そんな馬鹿な事があるわけがないだろう。良いか、諸君。ここから王都まではどんなに俊足な地龍を走らせても丸一日はかかる。そして、クルシュ様が出立されるのは今日の朝。如何に天才な魔導師であろうとも、そのような神業を披露できるとは思えない。諸君が見たのは幻術の類、もしくは単なる見間違えだろう」

 

「嘘じゃねぇ!本当なんだよ!領主様、早くこっちへ!!」

 

しかし目の前に人々の言葉はとても単なるボヤ騒ぎでは片付けられないオーラを発している。

領民に促され、ファリックスは渋々現場にやって来た。もしもこの騒ぎが領民総出の嘘であるならば、冗談では済む話でない。統治者として、首謀者を住民を扇動した罪で、裁く必要もあるだろう。そしてこの騒動に加わっていた者にも何かしらの処分を与えることも、彼は考えていた。

 

 

だが、彼のそんな無知な考えは光り輝く巨大な円を前にあっさり瓦解することとなる。

 

「こ、これは……何たる事だ!?」

 

「な!言った通りだろ領主様!!」

 

ファリックスの眼前に展開されるのは巨大な光り輝く円と、内からぞろぞろ入場してくる討伐隊の面々。彼らの先頭を率いるのは白い地龍に跨る美しく凛々しい女性。普段は下ろした髪型をポニーテールに変え、鎧に身を包んだその姿はまさに戦乙女だった。

それより目を引くのが、彼女の後方を空中移動する謎の男。謎の青い服に赤いマントを羽織ったその姿はロズワール辺境伯とはまた違う印象を受ける。討伐隊の面々が地龍に跨っているのに対し、彼だけは空中を浮きながら移動しているその光景が更に彼の異色さを際立たせていた。

しかし、魔法に疎い彼らでも直感で感じる事があった。彼が持つマナの量が尋常ではないことを。

 

「ファリックス子爵、突然の来訪誠に申し訳ない。彼らは卿の領地内で発生した魔獣騒動鎮圧のため、集められた精鋭たちだ。

まず、魔獣により命を奪われた多くの民たちに心からの哀悼を申し上げる」

 

「あ、ああ……そんなバカな……。こんなことが……」

 

「ファリックス子爵?大丈夫か?」

 

クルシュを目前にしてもファリックスはただ同じ言葉を繰り返すのみで、ただ目の前の光景に呆然としていた。彼の脳のキャパシティが限界を超えて稼働しているせいなのか。

 

「クルシュ。このボケっと突っ立っているのが?」

 

「あ、ああ。彼がこの地を治めるフォリア・ファリックス子爵に違いないのだが、実に妙だな。先程から全く動かず、顔の表情から察するに驚きのあまりに呆然としているようにも見える。普段の彼ならばそんなことはないのだが。疲れているのだろうか」

 

クルシュの言葉を黙って聞いていたストレンジは、何か思いついたように彼の頭上にゲートを開ける。

クルシュ達もつられて上を見上げると、ストレンジが何やら空中にゲートを開けていた。何が出現すると思えば、大量の水がファリックスに無慈悲に降り注ぐ。

 

「くぼぼぼぼぼぉぉぉぉぉぉ……!」

 

大量の水に当てられたファリックスは、ようやく意識が戻ったのか、咳き込んだ。

 

「こ、これはクルシュ・カルステン公爵閣下。この度は私の領土内の問題に関しての助力を頂けるとのことで、誠に感謝をーー、ゲホッ!ゲホッ!」

 

クルシュへの挨拶の途中でも咳き込んでしまうファリックス。彼の整えられていた髪は放水の直撃を受け崩れており、貴族服はびしょびしょに濡れている。彼の化粧も水で洗い流されておりその素顔が露わになっている。その有り様は目の前のクルシュでさえ同情心を抱いた。

 

「ゲホッ!ゲホッ!フファァッックション!!!

ーー失礼しました。カルステン家当主の御前でこのような無礼な真似を。クルシュ様、どうかお許しを」

 

「そ、そうだな。まぁ、あれだけ大量の水を浴びたのだ。そのような振る舞いが出てしまうのも仕方のないな」

 

俯いていた顔が上げられ、ストレンジは初めてファリックスを見据えた。見た目は20代前半であろうか。紫がかった短髪を持ち、鮮やかな青色の瞳を持つ青年の顔は、化粧が洗われた事で明らかとなったが、見事なまでな美少年である。地球人であるストレンジから見ても、中性的な身体つきで女性服を着させて女性として振る舞っても違和感すら抱かない。

20代で爵位を持ち、更に自分に領地が任されているその実力、そしてアイドル顔負けの美貌。まさに、ルグニカ王国を率いる次世代の筆頭格であることは容易に想像できた。

 

「ところで今回の討伐隊には貴方の騎士であられるフェリス様やヴィルヘルム様も参加されるようでありますが、そちらのマントを羽織る紳士も今回の一員で?」

 

ファリックスが後ろの面々を伺って最も気になったことはストレンジの存在である。以前、クルシュと会談した際には存在していなかった男性。クルシュに取り入ろうとしているのか、それとも単なる彼女のお気に入りとして拾われた存在なのか。

不審感が拭えないファリックスは思わず、じっと見つめてしまう。そしてその視線に気づいたストレンジは彼の前に移動する。

 

「初めましてだな、ファリックス子爵。私はドクター・スティーブン・ストレンジ。現在は訳あってカルステン家の食客になっている「至高の魔術師」だ。よろしく」

 

「これはどうも。初めまして、私はこの領地を任されている、フォリア・ファリックスです。どうぞお見知り置きを」

 

 

 

 

 

討伐隊は村に設けられた臨時の簡易宿泊所に案内されそこで準備を整える傍ら、クルシュ、フェリス、ヴィルヘルム、そしてストレンジはファリックス邸に設けられた作戦本部に招かれ、そこで被害状況の説明を受けた。

 

「ーー以上が、この領地で起きた魔獣騒動の概要ですな。

 

あくまで概要であり、詳細な被害状況はこちらでも確認できていないところです。ただ、魔獣による被害は農作物の被害のみにとどまらず、人的被害にも及んでおり、中には村の半分が死亡したとの未確認情報も入っています」

 

大テーブルに広げられた地図には被害に遭った村の位置に旗印が置かれているが、その数は実に10を超えており、被害の深刻さを窺い知る事ができる。

 

「現在は、残りの村の警備を厳重にするよう各村に命じているものの、その結果被害回復が全く進んでいません。加えて、ファリックス邸があるこのハウブスブルクよりそう遠くない地点まで、魔獣の侵攻が進んでいます。このまま手をこまねいておりますと、この都市を放棄しなければならない事態にもなるかと」

 

部下の一人が示す地図の地点と子爵邸がある都市まではそう離れておらず、このままでは遅からずこの都市も魔獣による被害を受けることが予見された。

 

「発言していいか?」

 

ここで地図を見ていたストレンジが挙手し、発言を求めた。室内全員の視線が彼に向けられる中、クルシュが発言を許可した事を確認したストレンジは、地図を一瞥した後、口を開いた。

 

「まず魔獣による被害は、多少の散見はあるがどの地域も畑が多くある地域に多いだろう。敵は農作物を狙って移動している可能性が高いということだ。そして、被害は日を追うごとに少しずつ南下を繰り返している事にも注目できる。そして南下した先には何があるかーー」

 

ストレンジの言葉に一同は地図の旗印を目で追う。

 

「っ!なるほど。連中の狙いはハウブスブルクを干上がらせるつもりということか!」

 

「そうだ。南下した先にはファリックス邸があるこの都市がある。連中の狙いは食料を生産する地点を重点的に蹂躙し、我々に出血を強要させ弱ったところを築き上げた包囲網で一網打尽というところだろう」

 

「ですがドクター殿、魔獣による被害は農作物を育てる村のみならず、他の地域にも散見していますが」

 

地図を黙々と見ていたヴィルヘルムは、ストレンジが一呼吸入れた間に、発言をする。確かに被害は農村部の方が圧倒的に大きい。しかし、件数的に言えば数の大小があるとはいえ、農村部と他の村の被害件数は等しかった。ヴィルヘルム自身は、魔獣が生物の温もりに誘われるようにあちこち行き合ったりばったりで移動しているのではないかと考えていた。

 

「恐らく、これは敵が我々を撹乱するための囮として襲撃しているのだろう。現に魔獣による被害は農作物を育てている村よりも比較的軽微なものとなっている。無論、これはあくまで一つの仮説に過ぎない。信じるか信じはないかは自由だが」

 

「ということはこれから狙われるのはーー」

 

ストレンジは地図のある箇所を、魔術を使って示す。魔法円が照らし出した場所の名前を確認する一同。

 

「この都市より更に南下した地点にはファリックス領最大の穀倉地帯がある。つまり、この領地の生命線だ。そしてこの場所に行くにはここを通る必要がある。ファリックス子爵、この食糧庫が落ちた場合の被害は?」

 

「詳しい予測不可能です。仮にここを捨てるような事態に陥った場合、我が領地での税収は大きく減少するのみならず、王国随一の穀倉地帯が落ちる事になる。そうなれば、多くの餓死者が出るのみならず国そのものが揺らぎかねない。

ーーだからこそ、この都市は命に代えてでも守らなければならない。例え、我が身が魔獣により呪い殺されようが、死守する。それがファリックス家に継がれた初代からの家訓であり意志だ」

 

例え命を失おうとも領地を守る意志を見せるファリックス。何処か、クルシュと似たような心持ちを持つと、ふと思いついたストレンジは軽く頷くと地図を再び示す。

 

「ファリックス子爵から確固たる決意を聞けて安心した。この危機的状況に尻尾を丸めて逃げる領主では、私も助ける気が湧かなかったからな。

ーーならば、我々が取れる手段はこの都市の防衛しつつ敵を殲滅する、これのみだな」

 

「しかしドクター殿。敵は未だにその全貌を掴ませていません。悔しいですが、情報収集のために送った先遣隊も壊滅しており、我々だけではとても有効な対策は……。

加えて今回の魔獣たちは集団で効率よく動いており、従来の動きとは一致しておらず従来通りのやり方では通じない可能性があります。全く未知の手法を取る魔獣の殲滅は口で言うには簡単だが、高い壁です」

 

「戦いにおいて、不測の事態なんてものは付き物だ。問題は如何にして膨大な敵を、少ない人員で押し返せるか、という事になる」

 

少ない兵力と敵戦力の未知数という圧倒的不利な現状を鑑み、戦況打開の為には、敵の退路を断ち奇襲を仕掛けるしかないとストレンジは判断した。そこで彼が利用したのは、20世紀最初の世界大戦であり、彼の祖国であるアメリカ合衆国も参戦した第一次世界大戦の戦いの一つ。大戦初期に東部戦線にてドイツ帝国とロシア帝国が激突したタンネンベルクの戦いであった。

 




フォリア・ファリックス
ファリックス領子爵。若干20歳だが、優れた戦略家としての一面持っており、軍師としても知られている。ファリックス家は、カルステン家の忠臣として長年仕えており、彼がクルシュに救援を依頼したのもその縁。


タンネンベルクの戦い
1914年に端を発する第一次世界大戦において、数的劣勢であったドイツ帝国が、東の大国であるロシア帝国を討ち破った戦い。ストレンジの母国、ウィルソン大統領率いるアメリカ合衆国の参戦で敗北した彼の国が、大戦初期とはいえその勇姿をヨーロッパ中に見せつけた戦いであり、後のヴァイマール共和国大統領に就任するヒンデンブルクの名を轟かせた名戦でもある。


リゼロの第二クールもいよいよクライマックスで、それぞれが敵と対峙するストーリー、本当に胸アツ!
最近、知りましたがマーベルスタジオのロゴ、変わっていたんですね!
(しっかりストレンジもいて安心しました笑)


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九話 攻撃されれば必ず報復する

魔獣討伐のためにストレンジは、どんな策を打ち出すのか?

書きおわりましたので投稿します


ストレンジは第一次世界大戦、ドイツ帝国、ロシア帝国についての概要を大雑把に解説したのち、タンネンベルクの戦いについて、詳しい情報を室内にいる人々に聞かせていた。

 

「ーー戦いの際、ドイツ帝国の戦力はロシア帝国の2分の1だった。しかし、諜報戦と鉄道を使用した迅速な移動により、ヒンデンブルク総司令率いるドイツ帝国軍は、劣勢を跳ね除けロシア帝国軍を蹂躙する事に成功した。その結果、ロシア帝国軍を領内へと撤退させ、ドイツ帝国の東部戦線における優位を築くことができたんだ。今回、魔獣の大集団という規模が未知数な敵に対して、我々は少数で挑まなければならない。つまり戦況は極めて酷似しており、そうなればこの作戦と同じ手法が通じるのではないか。と、私は考えている」

 

一通り説明を終えたストレンジは、呼吸を置くとテーブルに置かれた水を飲み、力説し枯れた喉を潤す。

そして室内を見渡し反応を窺うが、誰も彼もが同じような状況に陥っていた。

 

「ドイツ帝国、ロシア帝国、第一次世界大戦……。今、ドクターが話した内容だけでも、中々情報が多量であり整理するのも儘ならない。この中で、言葉の真意を理解している者がどれだけいようか」

 

「うぅ〜もう!フェリちゃんは全く分かりません!ドクター、何が言いたいの!?それにチョウホウセンとかテツドウとかどういう仕組みなの?」

 

クルシュは顎に手を添えてひたすらストレンジの言葉を復唱してはその意味を取り込もうと必死になり、フェリスは既にオーバーヒートしているのか、頭を抱えて悶えている。

ヴィルヘルムやファリックスの部下も、ルグニカ王国には存在しない知識をベラベラ喋るストレンジについていけず、殆どの者が放心状態だった。

しかしただ一人、ストレンジの話を食い入るように聞いていた人物がいた。

 

「なるほど。兵站の確保と人員の素早い移動により、敵を包囲し補給切れを起こさせることで圧倒的戦力差をひっくり返す。私も似たような構想を練ったことはあるが、所詮は竜車。大勢を乗せて迅速な移動など出来ないので諦めていた。そのヒンデンブルク公なる人物が指揮を執るドイツ帝国軍は非常に戦況を正しく把握し、どの作戦指令が効果的か最も熟知されていますね。とても有能な方だ」

 

この館の主であり、ファリックス領の治める若き秀才、ファリックスだけはその真意を理解し同時にこの作戦にゴーサインを出したヒンデンブルクらの決断力に脱帽する。

 

「しかし大量の兵の移動を敵に発見されずに行い、更に敵の出現予定地を見つけるのいうのはやはり難しいです。一見すれば夢物語のような話だが……ドクター殿、貴殿は虚構を現実に変えるような能力をお持ちなのではないですか?

 

「お前は本当に飲み込みが早くて助かるなファリックス子爵。その柔軟な考え方はニック・フューリーあたりが欲しそうな人材になりそうだ……失礼、話が脱線したな」

 

ストレンジは腰にかけられた金色の道具を指に嵌めながら言った。

 

「私の魔術には先程使用したように、行きたい場所を念じることで、その場所に自由自在に移動できるものがある。長時間かかる移動を短縮できるこれは、戦闘において奇襲をかけるのに最適なものとなるだろうな。或いは迅速な撤退にも使えるとも」

 

ストレンジの左手に嵌められた、スリング・リング。

以前、フェリスを異空間に落としたそれに秘められている力に、フェリスは驚愕するファリックス陣営に苦笑を禁じ得ない。

 

「ドクター・ストレンジという人物は最早、我々の常識では捉えられない存在ということがよくわかるであろう、ファリックス。私も初めて、彼と会った時はその力に驚きが止まらなかったものだ」

 

「……クルシュ様がドクター殿を高く買ってらっしゃる理由が大変よく分かりますね。確かに彼の力は、我々が不可能と思っていたことを次々に可能にしてしまう凄まじい力です。それも、まだほんの一角。真の力を解放したらこの世界はどうなってしまうのでしょうか」

 

「おいおい、人をまるで世界を滅ぼすような厄災と捉えるのは勘弁してくれ。これでも、私は永遠の命に駆られるイカれた奴らに何度も殺される経験をしている。私が世界を滅ぼすような力を持っていたら、今頃この世界は神龍ボルカニカのような力を持った敵に支配されているはずだ」

 

ストレンジの冗談めいた発言に静まる室内。何か変なことを言ったか?と言わんばかりにストレンジが怪訝そうに見渡せば、半ば放心状態のファリックスの声がやたらと室内にこだました。

 

「神龍ボルカニカの力を持った敵だと……。はは……通りであなたの力は、常識を超えた強さを持っているわけだ。そんな敵が出現しない事を願いたいものですね……」

 

 

 

 

作戦会議は小休憩を挟んで再開された。魔獣を奇襲する戦法については、ストレンジのスリング・リングを使った魔術で行うものと決定されたが、問題はどのように敵の位置を把握するかである。兵員の迅速な移動が可能になったとはいえ、位置不明で何処から現れるかも分からない敵を奇襲することは、素早い兵の移動をもってしても不可能だ。

しかし偵察を出そうものなら、先に潜伏する敵に見つかり、こちらの奇襲は失敗となるどころか準備が整い終わらないまま、敵の奇襲を受ける危険性すらあった。

 

「そっちの問題にも解決方法はある」

 

そんな疑問を1mmも感じていないと言わんばかりに手を挙げたのは、またもやストレンジ。最早、彼には未来が見えているのではないか、と呆気に取られている人々は再び彼を見る。次に彼がどんな魔術を披露しても驚かないという謎の自信が、室内の人間に共通の意識として芽生えてすらあった。驚く素振りを見せない彼らを横目に見つつ、再び語る。

 

「フェリスやクルシュには言ったが、私の魔術の中にはアストラル体という現実世界に干渉する力を持たない存在を体外へ解き放つものがある。君らにも分かりやすく説明するとしたら、魂というべきだろうか。そいつを体外に押し出し、現実世界の影響を与えないという長所を利用して、この周辺を飛び回れば敵に見つからず、敵の様子を丸裸にできるというわけだ」

 

「確かに卿はそのような事を言っていたな。実に現実的でない話で私も耳を疑ったとも。

ー諸君も理解してきたと思う、彼の魔術の実力は本物だ。しかし、諸君も面識のない魔術師に、術をかけられるのは心残りだろう」

 

クルシュの疑問は的を得ていた。ストレンジの実力が確かなことと、彼の魔術を信用するかは別問題だった。ストレンジの力が強かろうと、クルシュ陣営に身を置く人物であろうとも、正体不明の魔術を信用するほど彼らはお人好しではなかった。

 

「諸君らの不安が拭えぬのも分かるが、敵は待ってはくれぬ。ならば誰かが先陣を切って実行するしかない。

ーー偵察は私が行おう」

 

「ク、クルシュ様!?」

 

そんな他の動揺や心配を他所にドクターを真っ直ぐ見据えるクルシュの目には、彼への信頼があった。

ーー彼になら、自らの魂を預けてもいい。不安は残りながらも彼を頼りにしている目だった。

彼女の覚悟を尊重し、ストレンジは彼女の身体に手を置こうとするがーー、

 

「いや、ここはクルシュ様よりこの地をより詳しく知る私が行きましょう」

 

もう一人、立候補する人物がいた。声の方を見れば、ファリックスが手を軽く挙げている。

 

「ここはこの地を治める私にそのお役目、引き受けさせていただきたいと思います。今回の事態は我がファリックス領内に起こった出来事であり、クルシュ様はあくまでも救援部隊。ここは私が責任をもって行きます」

 

「うむ。この地を良く把握している卿に頼む方が、より詳しい情報を入手できるだろう。

分かった。この任、卿に任せる」

 

クルシュに代わり志願したファリックスがストレンジの前に立つ。室内の全員が注目する中、ストレンジはファリックスの胸に手を当てると、彼の身体を軽く押した。

彼を押すと同時にストレンジ自らも身体からアストラル体を弾き出す。

 

ストレンジとファリックスのアストラル体は、アストラル次元と呼ばれる肉体を離れた精神や魂が存在する次元へと転移する。そこは時間の流れが現実世界と比べて非常に低速であり、倒れかける彼らの身体の動きを抑えられるのではないかと錯覚するほどである。

 

「これは……」

 

「無事、アストラル体になっても行動できているようで安心した。どうだ?初めて、身体から魂を解き放った感覚は」

 

「何とも不思議な感覚だ。身体は半透明でモノに触れることができず、時の進みはゆっくりとしている。なんとも形容し難い気持ちだこれは」

 

宙に浮くファリックスは初めての感覚に戸惑いを隠せないでいる。

精神のみとなっても会話や移動はできるものの、移動は意識するだけで行える。一方、精神体という幽霊の一種に近い存在になったことで現実世界に干渉することができず、物体に触ろうとしてもすり抜けてしまう。

奇妙な感覚に襲われていたファリックスだったが、窓の方へ移動していくストレンジを見て慌てて、彼の方へ向かった。

 

窓をすり抜け邸宅外に飛び出したストレンジとファリックスのアストラル体は、上空を飛翔し被害が出た村周辺に到達する。

 

「ここが、直近で襲われた村か。随分と酷く荒らされているものだ」

 

「荒らされているという程度ではない。これは、もう一度人々が住むためには早くて半年はかかる。それに魔獣対策も今まで以上に万全にしなくてはならない。王戦で忙しいこの時期に全く余計な事をしてくれる」

 

村上空を旋回していたストレンジは、木々が薙ぎ倒されている森の合間を見つけた。

ファリックスと共にその道を下っていくストレンジとファリックスは、やがて川沿いに群がる大量の魔獣を見つけた。

大小問わず様々な魔獣が群がるその様はまさに渾沌(カオス)であり、アストラル体でなければ忽ち捕食されてしまうだろう数だ。

 

「この数は……こんな事があってたまるか……!

間違いない、こいつらが私の領地を荒らし周り、人々の平穏な日常を奪った憎き魔獣どもだ!」

 

魔獣を見つけたファリックスは歯軋りし、怒りのあまり口調を荒げその魂を震わせている。強く握りしめるその拳は、圧倒的暴力に抗えず散っていた命へのやるせない気持ちと、魔獣への怒りという純粋な想いがある。

 

「許せないか?」

 

「振るい上げた拳をここで下ろせと?こいつらさえ来なければ、領民たちは普段と変わらない生活を送る事ができたのだ。それを、こうも力によって無残に破壊されたことに、怒りを感じないことの方がおかしいというものだ!」

 

ファリックスの言葉に沈黙を守りつつ、耳を傾けるストレンジ。

しかしファリックスを見つめる彼の目は、何処か悲しみを含んでいる。その事にファリックスが気付いたのは、その数分後だった。

 

「お前の天才的なその脳は、今怒りという純粋で実に短絡的な感情に支配されている。その感情に身を任せて、乱暴になるのも結構だが、幾ら怒ろうと嘆こうと失った命は戻ってはこないことを忘れるな。寧ろ、怒りという短絡的な感情は、冷静な感覚を麻痺させ、更に多くの命が失われる事になる。戦場において興奮と怒りは必要だが、冷静さも必要だ」

 

ストレンジの言葉にファリックス目を見開き、湧いて出ていた怒りの感情を押し殺した。直前まで彼を支配していた怒りの感情は、心によって冷やされ今は、普段の冷静さが戻ってきている。

 

「すまない、ドクター殿。私としたことが、我を忘れていた。ドクター殿の言うとおり、戦場においては冷静さを保ちつつ、恐れない心持ちが重要だ。魔獣たちの居場所は突き止められた。あとは、こいつらをどう駆逐するかだが」

 

「それについてはこれよりアストラル体をそれぞれの身体に戻す。その上で、記憶と地図の場所を照らし合わせ、奴らが現在どの位置にいるのか、これからの進路を予想し作戦を立案するのが手取り早いだろう」

 

その後、アストラル体をそれぞれの身体に戻したファリックスとストレンジ。突然、両者の身体が倒れたと思えば、その直後にすぐに起き上がった奇怪な行動は、アストラル次元を経験していないクルシュやフェリス、ヴィルヘルムを始め多くの者を困惑させたという。

 

 

 

 

 

集められたピースを一つにまとめ、空いているスペースに、入手した最後のピースを当てはめ、遂に作戦図は完成する。

魔獣の位置、これからの予想進路、こちらの人員、加護、ストレンジの魔術。

全てのピースが揃ったパズルは遂にその姿を見せた。

室内の全員に作戦の全てを解説したストレンジは簡単な質疑応答の後、明日の作戦の準備を始める。

それはクルシュやヴィルヘルムら、別動隊も変わりなくそれぞれが明日行われる作戦に向けて準備を整えていった。

 

 

 

 

 

翌早朝、ファリックス邸正面に集まった魔獣討伐隊はストレンジを待っていた。それぞれが鎧や剣を携えており、士気は十分である。やがてマントを羽織ったストレンジが飛来し着地すると、彼は昨晩完成した作戦図を魔術で空中に展開した。

 

「それではこれより「operation-Avenge」を開始する。クルシュ、ヴィルヘルムは魔獣の後方及び右翼から、奇襲攻撃をかけてくれ。合図は昨日伝えたとおり、私の大規模攻撃に呼応する形で実行してほしい」

 

「了解した」

 

「御意」

 

「フェリス、お前はクルシュについてやれ。恐らく敵は後方を取られまいと必死の抵抗をするだろう。その際に回復役のお前は頼みの綱となる。しっかりとその役目を果たしてくれ」

 

「了解!クルシュ様、しっかりお守りしますからねぇ〜!」

 

「ファリックスとその配下の兵士たちは私と共に魔獣を正面から迎え撃つ、間抜けな役を演じてもらう。しかし、ショーの開演は私の魔術の合図まで待て」

 

「ふふ、間抜けらしく派手に暴れてみせよう。そのお役目しっかりと受けさせていただく」

 

笑みを浮かべるファリックスに、笑みで返すストレンジ。彼から見ても、ファリックスの精神状態はこの上なく、良好のものとなっていた。無論、怒りもあるがそれ以上に昨晩彼に諭されたのか、非常に落ち着いた心持ちとなっている。

 

「それではこれからクルシュとヴィルヘルムをそれぞれの地点に送る。賽は投げられた、あとは天命に委ねるのみだ。

ーでは、討伐隊の諸君。健闘を祈るぞ!」

 




次回、いよいよ対魔獣戦です。

偶然にも現在のリゼロと似たような展開になっていると自分で書いていて思いました笑

今回のリゼロもまた良かったなぁ……特にラムの歌は特に良かった


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十話 宣戦布告

今回は少し短めです。

とある原作人物が登場してきますよ〜


朝を迎えた事で行動を再開する魔獣の軍団。大小様々なサイズな魔獣が一同にうじゃうじゃと動くその様は、歴戦の兵士でさえ恐怖に震える有様だ。

 

その魔獣軍団の中心、岩豚(ワッグ・ピッグ)の上には三つ編みをお下げにした少女がいる。幼い翡翠色の目には似合わぬ残忍な感情を忍ばせているが、それをひた隠すように彼女の可愛らしい見た目に合う相応しい白い長袖のシャツや濃い紺のフリルの付いたワンピースが、彼女の可憐さを引き立てている。下には暗く彩度の低い赤と濃く明度の低い赤のラインが入ったタイツに、紺色のブーツを履いており、一見すると何処かのお嬢様にも見えなくはない。

 

岩豚に乗りながら足をパタパタと動かす魔獣の操り手である少女は、木々が開けて、日光が差し込む空間に到達する。

その場所には、大きな岩が一つのみ置かれているのみの一見すると普通の光景だが、彼女は怪訝そうな目線を岩に向けた。彼女の視線の先には見たことのない青い服を着て、その上から赤いマントを羽織る謎の男性が座っていたのである。

 

「意外だな。てっきり村々を襲う異常者だから頭のイカれたサイコパス野郎が来ると思っていたが、まさか幼女とはな。その年でこれほどの事をやってのけるとは、そのように立派に教育した親の顔を見てみたいものだな」

 

両者が互いに睨み合う中、開口一番口を開いたのは男性の方だった。口元の髭が丁寧に整えられているその見た目から、不潔感を周りに感じさせないよう心掛けていることが窺えることとは裏腹に、彼の口から飛んできたのは辛辣な言葉。彼お得意の皮肉を込めた洗礼だ。

 

「あらあ。私が、そのサイコパスヤロウじゃなくて残念だったのかしらあ。おじ様は。私もてっきり殺り甲斐のある筋骨隆々な戦士が来ると思ったのに、まさかマントを着こなす魔導師が来るなんてえ。予想もしなかった登場に驚きだわあ」

 

岩に座っていた男性の辛口ジョークに応戦するかのように少女に語りかける。男性、ストレンジの事を初見で魔術師に近い分類である魔導師であると見抜くあたり、幼い年ながら随分と多くの場数を踏んでいる事をストレンジは察した。

彼女の言葉を理解してから否か、魔獣たちは妨害者であるストレンジに牙を剥けるが、巨大な魔獣の上にちょこんと座る小さな少女は、同じように岩の上に座るストレンジに興味を持ったのか、すぐに戦闘を始めることはせず会話を続けた。

 

「ねえ、おじ様。私にはあ、無関係な人間を殺す趣味は無いのお。今、この場からすぐに去ってくれるならその命は助けてあげるわよお。お互い無駄な争いは嫌でしょお?」

 

「既に答えは決まっているが、一応聞こう。断ると言ったらどうする?」

 

「そうねえ。趣味じゃないけどお、おじ様を殺して先に行かせてもらおうかしらあ。どうもおじ様は、私の計画に邪魔になるみたいだしい、邪魔するなら私も容赦はしないわあ」

 

無邪気な笑みを浮かべながら、残虐なことを躊躇なく言える魔獣使いの少女。既に人を殺すことに躊躇がない彼女は、ストレンジを前にしても怖気付く事なく冷静に受け答えする。彼女に慢心して挑めば、それなりのダメージを負う事に気付いているストレンジも遠慮なしに新たな言葉を投げかけた。岩の上に座る彼の目つきが、より厳しくなったのを少女は見逃さない。

 

「後悔するがいい。お前は「最強の魔術師」を相手にすることになるぞ」

 

「あらあらあ、こんなか弱い女の子になんて言い方あ!いたいけな私にその口はないわあ!おじさま、顔は良いのに性格はひん曲がっているのねえ。でも私は好きよお」

 

「ひん曲がっているか。師匠からも言われたことがあるが、確かに私は傲慢だ。だが、お前のクソっぷりよりはマシだと胸を誇って言える。お前は、既に人間として終わっている。まともな人間なら誰しもそう思うはずだ」

 

「酷いわあ。私はあ、ただ仕事を果たしたいだけなのにい、なんて罵詈雑言なのお!罪悪感は抱かないのかしらあ」

 

ストレンジの牽制に大袈裟に身を縮める少女。嘘泣きするだが、すぐに顔を上げれば露わになる少女の素顔。さり気なく魔獣を使ってストレンジを包囲している辺り、油断の隙もない。

無邪気に隠された狂気と、情を捨てたその瞳をした人物をストレンジは、今までの人生で見たことがない。彼の周りには狂気に染まる大人はいても、彼女のような子供はいなかった。しかし、目の前の彼女はストレンジの常識を覆す力を持っている。

子供ながら残忍な考えを持つその頭脳に、ストレンジは警戒レベルを更に引き上げ、同時に子供に対する嫌悪感を高めた。

 

「その仕事というのが、罪ない人を虐殺することか」

 

「虐殺なんてそんな大それた事じゃないわよお。ただ、お仕事で少しの人間の命を奪うだけ。数多にいる人間の数から比べたら、ほんの少しでしょお?別に人を滅ぼそうなんて考えてもいないわあ」

 

「仕事という理由だけで何千人も殺すのか?躊躇いはないのか?」

 

「そんなに殺すつもりはないわあ。ただ、換算して村二つ分の人口と、歯向かってきた人間を狩るのみ。何千人も殺すつもりは()()()無いわあ。それにもう腹は括っているものお。躊躇いなんてものはとうの昔に捨ててきたわあ」

 

「おめでとう。晴れて歴史に殺戮者として名を残せるな」

 

ストレンジの皮肉めいた言葉を目の前の少女はどう受け取ったのか。少なくとも彼女に残るまともな思考が反応したのか、彼女の笑みに変化が生まれる。

 

「おじ様って、性格が悪いのねえ。そんな性格をしていたら、女の子にモテないわよお?でもお、私は嫌いじゃないかもお。おじ様、顔はいいものねえ。

ーーねえ、おじ様。本当に、人間って脆い生き物だと思わない?武器が無ければこの子たちにさえ敵わない。弱肉強食の理からすればこの子たちに喰われるのは仕方のない事だわあ」

 

「人間が儚く弱い生き物であることは否定しない。しかしとある人造人間が言っていたが、人間の持つ儚さこそが美しいのだ。

ーーお前にはそれを教えてくれる人はいなかった。実に残念だよ、少女。そんな人々の生活を破壊し、無辜の人々の命を奪った報いをお前は受けることになる。重い十字架を背負って残りの人生を歩むことになるぞ」

 

「……そんな事私は知らないわあ。だって私も生きるためにやっているんですものお。他の生物を喰らって、生き長らえるためには強い意志が必要じゃない?」

 

少女の言葉が終わると同時に、会話の途中に立ち上がっていたストレンジは両手を重ね閃光を発生させる。続けて両手をクロスさせ手首に紋様を出現させた。

そして右手を引き、左手を前に突き出した形になると同時に拳を握ると、その先に盾状のエルドリッチ・ライトを展開する。

 

「我々の意思は、お前よりも、強いぞ!」

 

ストレンジの言葉のある一節に疑問を思い浮かべる少女。

 

「我々え?」

 

少女が疑問を発した直後、ストレンジは爆発エネルギーを溜めたエルドリッチ・ライトを地面に叩きつける。爆発魔法が込められていたことで、叩きつけられた側である前方は大爆発を起こし、前にいた魔獣諸共少女は遠くに吹き飛ばされた。

爆発の衝撃で空には黒煙が立ち込め、辺りの木々は爆風によって吹き飛ばされている。

 

そしてストレンジの盛大な爆発魔法と共に茂みに隠れていたファリックス以下、囮部隊が姿を現した。

 

「第一撃は楽勝だったな、ファリックス」

 

「ああ。怒らせるところまでは、だが!」

 

 

 

 

同時刻、魔獣たちの後方数百メートルではクルシュ達が前方に立ち込める黒煙を確認していた。

最初に黒煙が立ち込め、遅れて地面を鳴らすような轟音が周囲に響く。巨大な音は周辺の木々を揺らし、身体を休めていた鳥たちを飛び立たせる。

これをストレンジの攻撃と判断したクルシュは剣を抜くと高らかに叫んだ。

 

「総員!突撃せよ!」

 

彼女の言葉を合図にして後方に待機していた奇襲部隊が、一気に動き出し魔獣たちの後方に襲いかかった。

 

「狙いは魔獣軍団の最後尾だ!気を引き締めていくぞ!」

 

クルシュは持っていた剣を大きく振るう。目に見えない刃が横薙ぎに一閃し、後方に待機していた魔獣の胴体を切り裂く。

「百人一太刀」としてルグニカ王国では知らぬ者はいない、クルシュ・カルステンの剣技。彼女の白兎撃退の際にも使われた強力な技が再び、魔獣を切り裂いた。突然の奇襲に魔獣たちは混乱しズルズルと後ろに後退していく。勇敢な数体はクルシュに襲いかかるが、彼女と共に飛び出してきた討伐隊によって斬られていった。

 

 

 

 

 

そしてヴィルヘルムがいる右翼攻撃部隊もほぼ同時に魔獣たちの横腹を突くべく、ヴィルヘルムを先頭に奇襲攻撃を行い始めた。

 

「ーーはぁぁぁぉ!」

 

加護を持っておらずとも、研鑚によって先代「剣聖」より剣を奪った「剣鬼」。

彼の実力は、彼が年を召そうとも衰えることを知らずただある目的のためだけに更なる向上を目指していた。

その鋭い剣技が魔獣の身体を切り裂いてく。

 

「ーーここで落ち、屍をさらせ!魔獣ども!」

 

 

 

 

 

ストレンジとファリックスを中心とした正面に陣取る囮部隊。ストレンジの起こした爆発に巻き込まれた少女は魔獣の身体を盾にして攻撃をやり過ごしており、自身に覆い被さる犬型の魔獣を退けると、服についた土埃を払う。

 

「やってくれたわねえ!おじ様!それにこそこそと、伏兵まで用意してえ!」

 

「魔獣軍団を引き連れているお前も同罪だ。村々を襲うクレイジーな奴を迎え撃つのに派手な歓迎は必要だろう?歓迎の一幕としては、最高だったと思うが?」

 

ここで鎧に身を包むファリックスがストレンジの一歩手前に出る。手に真新しい剣を握った若き軍人はあくまで冷静に話しかける。

 

「お初にお目にかかるな、魔獣使い。私はこの地を治めるフォリア・ファリックスだ。悪いが、私は今非常に不愉快だ。お前が行った領地を荒らすばかりでなく、領民の殺めるという愚挙、決して許すことはできない」

 

剣先を少女に向ける青年の瞳には烈火の如く、激しい怒りが灯っている。彼だけではない、彼の後方に控える、ファリックス領民から結成された志願兵達にも瞳にも家族や恋人、友人を殺された事への怒りがあった。

 

「我々にとって幸運なことはドクター殿がこの場にいること、そして我々の手で貴様を屠ることができることだ。悪の連鎖を断ち切るため、ここで貴様を倒す!」

 

「やれるものならやってみなさあい!ウルガルムちゃんたち、アイツらを噛み殺しちゃって!」

 

爆風を生き延びた魔獣軍団のうち、戦闘に陣取っていた体長1mほどの大型犬らしき魔獣が数十匹ほど唸り声をあげて、ストレンジやファリックスを睨みつけた。そして、少女の手を下ろす合図で一斉に駆け出す。

ストレンジは手元のエルドリッチ・ライトを剣状に変えるとファリックスの隣へ並び、彼を守るようにして立つ。

 

「兵士諸君よ!この戦いに王国の未来が左右されると心に刻み込み、全身全霊をかけて故郷や愛する家族、友人たちを守り抜け!」

 

クルシュやヴィルヘルムが、後方や左右から攻撃をしている間、少しでも相手を引きつけるとともにダメージを増やして相手側の戦力を削ぐ必要があるとストレンジは考えていた。

そのため、クルシュたちの接近を直前まで隠し通し続ける必要もある。

 

ストレンジ、クルシュ、フェリス、ヴィルヘルム、ファリックス。各々が其々の場所にて魔獣を討つ戦いの火蓋は切って落とされたのである。

 

 

 




実はこの場面、ある映画のオマージュだったんですが、気づきましたか笑?

各々が其々、どのような戦いを繰り広げていくのか。是非とも後編をお待ちください!


クルシュ様に希望ある未来がありますように……


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十一話 至高の実力

書き終わりました。

ストレンジ先生、猪突猛進です!


遂に魔獣軍団対人間による戦いが始まったファリックス領内。

正面から迎え撃つファリックスとストレンジの一団が、剣技と魔術を用いて襲いかかる魔獣たちを討伐していく。

魔獣の牙と剣士が持つ剣が激しくぶつかり合い、火花さえ散らす激しい戦いが繰り広げられる横では、周辺には徐々であるが魔獣、剣士双方の死体が転がり始めていた。魔獣は剣で腹を刺され、剣士の腹の肉は食いちぎられており、その死体も痛々しい。

 

「ファリックス、この犬のような魔獣は何て奴だ?」

 

「ソイツはウルガルムだ!噛まれれば呪いをかけられて、ヤツらに食糧として身体中のマナを吸収される。絶対にヤツらに身体を噛ませてはならない!ドクター殿も注意して!」

 

「それは酷く厄介な犬だな。分かりやすいアドバイスに感謝するぞ」

 

何考えもなしに突っ込んできた一体のウルガルムがストレンジに噛みつこうとした直前、ポータルを開いて胴体が半分ほど入り込んだ瞬間に、素早く閉じることで胴体を切断するストレンジ。一切の苦しみを与えない、ある意味慈悲深い彼の殺し方に他のウルガルムは、迂闊に近づけば同じ運命を辿る事を本能で学び、近づくのを躊躇し始める。同時に、魔獣使いの少女もストレンジの魔術が得体の知れないものである事を察し、ストックに限りのある魔獣の扱い方に神経を尖らせながら戦っていた。彼女が成熟した女性であれば、それも苦ではないが、幼い頭脳ではかなりの負担となる。

 

ファリックスは彼の家計に代々受け継がれてきた家宝である刀剣を自由自在に操りながら魔獣たちの身体を切り刻み、ストレンジはエルドリッチ・ライトを剣状にして魔獣に斬りかかる。

元々、戦略家として戦場の場に赴くことが多かったファリックスは噛みつきにかかる魔獣の身体の下に滑り込み、ガラ空きの腹に剣を突き刺し、四方八方から飛びかかってくる敵に対しては、目にも止まらぬ速さで魔獣の頭を切り裂きながら戦っている。ストレンジの使う異次元から得たエネルギーで作られた剣も、普通の剣と同じように魔獣の身体を最も容易く切り裂いていった。魔術師であるが故、ストレンジは剣の才を持っていないと考えていたファリックスは、マントを翻しながら戦う彼の姿を横目に見て密かに感心もしていた。

 

そして彼らに遅れを取られんと他の討伐隊の面々も弓矢や刀剣で対抗していく。

領主自らの出陣、そしてストレンジの参戦による士気向上の効果もあって、最も魔獣の数が多いであろう正面で彼らは互角の戦いを繰り広げていた。

そして、陽動作戦の裏で魔獣たちを背後から狙うクルシュやヴィルヘルムが率いる別働隊も、戦闘を開始し背後と横からの挟撃を行なっている。普段は長閑で静かな一帯が、剣と牙がぶつかり合う金属音や人や獣の絶叫が響き、地面は血の海に染まっている。

 

しかし魔獣軍団と互角に渡り合う人間側の勝利も、僅かながらに見えてきていた。その自信にはやはりストレンジの存在があった。

 

「まあ!おじ様ったら、魔法だけかと思ったら剣も扱えるなんてえ!武術も心得ているのねえ!私、おじ様の事を見直したかもお!でもお、それだけ邪魔に思えてくるわあ!」

 

魔獣の上に乗る少女は、ストレンジの動きを見て感心したのか手を叩いて、賛美を送っている。かと思えば、脅威な存在になるストレンジを一刻も早く殺そうと、さらに待機させてある魔獣たちを正面に呼び出し彼に向かわせる。

ストレンジは飛びかかって来た一匹のウルガルムを剣で斬ると、剣先を少女に向けて、再度忠告した。

 

「もう一度忠告しようか、魔獣使い。さっさとこの地から荷物を纏めてお引き取り願おう。これ以上の殺戮はお互いに死体を増やすだけになるぞ」

 

「それは無理な話よお。私はお仕事で来ているんですものお。何も出来ませんでしたじゃ、依頼人に顔向けできないしい。何より信用の問題になるわあ。お仕事で信用が何よりも大切なのは、おじ様も分かるでしょお?」

 

ファリックスは魔獣使いの言葉に引っかかりを覚えたのか、一歩引くと少女に問うた。

 

「魔獣使い。依頼人とはどういうことだ?」

 

「どうもこうもお、私は依頼人より今回の依頼を受けているのよお。詳しくは明かせないけどねえ。その依頼人は、ファリックス家の信頼とカルステン家の威信を失墜させることがお望みみたあい。まあ、あの様子じゃそこの若当主様の方にご執着だったようだけどお」

 

「当家の信頼と公爵家であるカルステン家の威信を失墜させるだと……。貴様、他の王戦候補者からの差し金か!?」

 

ファリックスは声を荒げるが、少女は笑みを浮かべたまま何も答えない。ただ、意味ありげの不敵な笑みは、王選の裏でカビのように王国中枢を侵食する王国の闇を表しているといっても過言ではなかった。

 

「兎に角、これ以上お前の暴挙を許すわけにはいかないな。クソ魔獣使い」

 

自身の家を標的にされ動揺するファリックスを横目に、マントの力で浮かび上がったストレンジは両手を空に向かって高く上げる。すると、地面を走っていたウルガルムの足元の地面が割れ地中から、魔獣の胴体を絡め取るように青白い線のようなものが迸った。続けて、浮き上がらった魔獣の身体は地面の裂け目から次々に出てくる白い線のようなものに絡め取られ、生命エネルギーをどんどん吸われていく。

そしてストレンジが腕を振り下ろすとともに一気に地面に叩きつけられたウルガルムは文字通り、もぬけのからとなった。

 

「ッ!?ウルガルムちゃんたちが!?」

 

ストレンジ達を取り囲んでいたウルガルムは、彼の魔術によって一瞬にして命の灯火を消された。それには、さしもの魔獣使い少女も動揺し、それは魔獣全体に広がっていった。

ストレンジの身体よりも2倍以上大きい体格と圧倒的なパワーを誇る大型の魔獣たちもストレンジの魔術を警戒して、無理に突っ込まずジリジリと後退し距離を広げていく。

 

「事前にもらった情報ではファリックスの家系に絶大な力を誇る魔導師は存在していなかった……。雇われている魔導師も確認できず、だから魔法による攻撃はないと思っていたのにい。それにどんなに早くても、十分な武装を整えたカルステン家が救援に来るのは3日よりも後と聞いていた。なのに、なのに今私は押されている?こんなにも戦力を揃えたのに、押されている……。

ーーなるほどねえ、まさかおじ様の方が彼らの伏兵だったことには驚いたわあ。私、身体の芯から震える戦いは経験したことないから感激しちゃったわあ」

 

「だから言ったじゃないか。「「最強の魔術師」を相手にすることになる」とな。その忠告を聞かなかったのはお前の慢心だぞ」

 

「……ええ。確かに油断しちゃってた。どうやら、背後に控えさせていた魔獣ちゃんたちも援軍の奇襲で大変そう。これもおじ様のせいなのねえ。

ーー益々、あなたを殺したくなったわあ!だから、今度は油断しないで全力で行くことにする。岩豚ちゃんたち、それに斑王犬、あの赤いマントの男を殺っちゃってえ!」

 

少女の合図とともに森の中から現れたのは、少女が乗る魔術と姿形が全く同じ、岩豚と呼ばれる魔獣の大群と、分厚い体毛と鋭い爪を備えた四足獣。どこかハイエナに似た姿を連想させた。

 

「キリがないな。アイツらはなんて奴らだ?」

 

「あの岩のように分厚い皮膚を持つ魔獣……岩豚だ。あいつの巨大な口は巨人族ですら飲み込むと言われており、またその獰猛さと凶悪さからも危険度が高い魔獣として知られている。

分厚い体毛と鋭い爪を持つ魔獣は斑王犬。人の2倍ほどの大きさを持つ巨躯だ。どちらも厄介の一言では済まされない魔獣の一種だ。ウルガルム以上にタチが悪い」

 

魔獣たちはストレンジの魔術で最も簡単にウルガルムが倒された光景を見ていたからか、それとも少女の指示か、牙を剥いて威嚇するが、ストレンジの魔術を警戒してかいきなり彼に飛び掛かろうとはせず徐々に距離を縮めていく。

 

「あの魔獣使い、敵だが惜しい力の持ち主だ。その力を良き方向に使えば、人類の役に立てたというのに」

 

「人を救える強大な力も人類に牙を剥いてしまった現在では、滅する他ない。それが例え少女なあろうとも。ドクター殿、行くぞ」

 

ふと呟いたストレンジの言葉に、ファリックスは答えるとすぐに刀剣を携えて魔獣たちに向かう。そのすぐ後ろを走るストレンジは、独白に呟いた。

 

(あの力は……アベンジャーズにいても大差ない力の持ち主だ。生まれる環境さえ違えば、人々を守る力になり得たものを……本当に惜しい)

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ!!!」

 

魔獣たちの背後から迫るクルシュ率いる別動隊は後方に待機していたウルガルムや岩豚達との戦闘になっていた。

皮膚が岩のように硬い岩豚には、クルシュの剣技が効いているが、その他の人員の剣技ではウルガルムの身体を斬ることが出来ても、岩豚の皮膚を斬ることが叶わなかった。岩豚がある程度固まりで動いており、有効打が少ない以上、戦線は膠着し中々前方まで進めていない。

 

更に負傷した人員は後方で待機するフェリスの治癒を受けてはいるが重傷者も多く、治癒を終え再び戦場へ戻る割合は半々であることも、不安材料であるがそれでもストレンジの存在がある以上、クルシュは剣を振い続ける。

 

(よもや、ここまで魔獣の数が多いとは……。ドクターの力が無ければ、我々はこの戦いに勝利することはなかったかもしれない。彼には未来を見通す力があるのではないかとさえ、思えてしまう。いや、彼には時を操る力がある。それも可能か。

ーードクター・ストレンジ。卿に、竜との盟約を断ち切る一打を任せることは傲慢だろうか?)

 

剣を振るうクルシュの脳裏に、彼女が慕う亡き殿下の面影が浮かぶ。

彼女とフェリスの原動力であり、彼女が心から慕う今は亡き王族の一人だった青年の姿が。

 

亡き想い人の面影と、この先で戦いを繰り広げる「至高の魔術師」を思い、クルシュは剣を振り続ける。

 

「クルシュ様……」

 

後方で治癒に専念するフェリスにも、木々の隙間から彼女の勇姿が見えていた。自身の加護を用いて敵を斬っていくその様は、フェリスの心身を感激の色に染めていく。

自らが先陣を切って、勇猛果敢に敵に立ち向かうその姿はクルシュと行動を共にしていた兵士たちを鼓舞する。

 

治癒の途中、突如として地のオーラが一点に集められたかと思えば、遥か先で魔獣の集団が空中に浮き上げられ直後に叩きつけられる光景が目に入る。

未知の技に、治癒を受けていた兵士たちは目を丸くするがクルシュやフェリスは誰の技かすぐに分かった。

 

(ドクター、そっちは任せたヨ。クルシュ様が後方を切り開くまで、絶対死なないで。負けたら、承知しないんだから)

 

 

 

 

 

岩豚や斑王犬を相手に奮戦するストレンジとファリックスといえども、硬い皮膚を持つ大量の魔獣には流石に苦戦し、魔獣使いと一進一退の攻防を続けていた。

二種類の魔獣に弓矢は通用せず、辛うじて通じるのはストレンジの魔術やファリックス以下、数名の剣技のみでありこれまで優勢に傾きつつあった戦況は、互角になりつつあった。

 

「よもや、ここまで皮膚が硬いとは……。これ以上の白兵戦は限界か」

 

「こいつらの皮膚の頑丈さは、凡人ならば悩みの種だろうな。ファリックス、現状ではあとどれくらいもつ?」

 

「そう長くは持たない。仮に森林を利用した奇襲を立案したとしても、一度ならいざ知らず二度は通じない相手だ。何れにせよ、時が経てば経つほど此方の情勢は不利になる。現に先程から我々は一進一退の攻防を続けられているが、剣士の数は減っている。このままでは、押し切られる」

 

「ーーそうか、分かった」

 

ストレンジは一言そう告げると、マントの力を利用して飛び上がった。ファリックスは突然浮かび上がった彼を見て何をするつもりかと彼は首を傾げ、魔獣使いはサーカスに来た子供よろしく、戦いの場にそぐわない歓声を上げる。

 

「わあ!おじ様は技が豊富だけどお、飛んじゃう事もできるのねえ。子供が面白がりそうな魔法ばかり!きっと好かれるわあ!私がお墨付きをあげるわよお!」

 

「現実を守るための魔術だ、クソ野郎。道化を演じる道具ではない」

 

浮かび上がったストレンジが両腕を上げると、それに合わせて地面に巨大な魔法陣が展開される。

 

「ファリックス、防御する術を持たないのならば」

 

魔術を発動する直前、ストレンジはファリックスの方を向くと、ポータルを開ける仕草を見せた。

彼が何をするつもりかと口を開こうとした直後、地面に大きな穴が開けられ、ファリックス以下正面で戦っていた兵士全員が吸い込まれていき、戦場から離れた地点へと飛ばされた。

 

「あらあらあ、おじ様は味方さえも邪険に追い払ってしまうのねえ。あれじゃ折角おじ様の味方をしてくれているお兄さん達も報われないわあ。それにしても、今まで一緒に戦ってくれていた仲間を追い払う真似をして何をするつもりかしらあ。まさか、私と二人っきりでお茶でもするつもりい?」

 

その場に残った少女は、荒々しい手段で味方全員を強制的に転移させたストレンジに対して奇怪な目線を向ける。

その発言を聞いていたストレンジは、左右の腕を交わらせ、手先には二つのエルドリッチ・ライトを展開する独特なポーズを取った後、少女に返答した。

 

「私が何の策も考えずに、あいつらを追い払っただけとでも?」

 

「……おじ様に何か考えがあったとしても、それを見破ることなんて私には到底できないものお。一体、何を見せてくれるのかしらあ?」

 

「ではその身をもって体験するといい。目玉が飛び出る程、パワフルな魔術を披露してやろう」

 

浮かび上がるストレンジは左右に交わらせた両手を勢いよく広げた。すると、それまで展開されていた二つのエルドリッチ・ライトは消え、彼の背後に目の紋様が描かれた巨大な魔法円が展開される。それと同時に風と空中のマナが荒々しく吹き荒れ、ストレンジの元へと集まっていた。

 

「これは……なんて大魔法なのお!?」

 

少女が驚愕すると同時にストレンジは両手を上げた。

彼の動きに合わせ、少女の直下と空中に複雑な紋様が刻まれた二つの巨大な魔法円が現れる。

その直後、地面に現れた魔法円から溢れ出す光が驚愕する少女を包み込み、ストレンジに集まっていた風とマナを一気に魔法円に流し込むことで、周囲に大爆発を引き起こした。

 

 

 

 

「くっ……!なんて威力だ!ここにいても空気の振動を感じるとは…….!」

 

なんの説明もなくストレンジに遠くに飛ばされてしまい、何故彼が味方であるはずの自分たちを飛ばしたのか納得いかなかったファリックスも、先から発せさせる膨大な魔力に当てられたことで漸く納得する。

 

「……ドクター殿、一体何をするつもりだ?」

 

彼の方へ進めていた足を止め、ただ茫然と先を見つめるファリックス。本来であるならば、彼の助太刀に行かねばならないのだが、彼の本能が危険を訴え彼の足を進めさせようとしない。

彼同様転移させられた兵士たち同様、安全な地帯からストレンジの放つ魔術を見据えていた。

 

 

 

 

 

「ヴィルヘルム!無事か!」

 

「クルシュ様こそ、ご無事で何よりでございます。この魔獣ども、強さはそれほどでありますが、数が余りにも多すぎます。この老骨が少々手こずるほどに」

 

同時刻、魔獣軍団の後方を奇襲していたクルシュらは、ヴィルヘルム達と合流していた。ヴィルヘルムの執事服は魔獣の血で汚れているとはいえ、言葉とは裏腹に彼自身に特に大きな怪我が無かった。しかし、回復役のフェリスがクルシュの部隊にいたため、他に治癒術師がいないヴィルヘルムの部隊は怪我人が他より多く、どうにか歩けている人も多い。

至急、怪我人の治癒に移ろうとするフェリスだったが、ふと彼はマナが強制的に吸われていく感覚に襲われた。

それはヴィルヘルムの長年の騎士としての勘、そしてクルシュも風見の加護でも認識できていた。

 

「何なの!?マナの流れが突然変わるなんて!」

 

治癒魔法を行使しようとした矢先に突如として襲われる未知の感覚。自然の理を犯す強力な力の発生は部隊に動揺を生んだ。マナの移動先を辿れば、その発生源は丁度、ストレンジがいる位置と一致する。

 

「あの力……かの大魔導士であるロズワール辺境伯も出せますまい。自然の流れを変えるような強力な力はドクター・ストレンジ、彼をおいて他にはいないでしょう」

 

「ああ。彼には常識が通じないと分かってはいたが、まさか自然の理でさえも捻じ曲げる力を持っているとはな。使い方を誤れば味方さえを葬りかねないだろう」

 

ヴィルヘルムとクルシュは森の中心から放たれる橙色の光を見据えた。

「至高の魔術師」が放つ一撃を安全地帯から眺める二人にとって、彼の直下にて起こる事態は予測がつかない。

 

「ヴィルヘルム、この攻撃が終わり次第彼の元へと向かうぞ」

 

「承知しました」

 

 

 

 

 

そして少女とストレンジが向かい合う正面。吹き荒れる嵐を他所に、一定のエネルギーが溜まった事を確認したストレンジが両手を振り下ろすと同時に、地面の魔法円から一本の光柱が出現した。そこに溜められていたマナや風が魔術の爆発と共に逆流し、その威力に耐えきれず周囲の木々は倒壊していく。勢いよく魔法円から飛び出した光柱は、その場にいた少女や魔獣もろとも一気に包み込み、全てを吹き飛ばした。

 

爆風が収まり周囲の土煙が晴れていくまで、ストレンジは手先にエルドリッチ・ライトを展開したまま動かなかった。

周囲の様子が明らかになるにつれ、露わになるのは数多くの魔獣の死体と、薙ぎ倒された木々の数々。

防御手段を持たない生身の人間が居た場合、その人物は間違いなく死亡していたと言っても過言ではない莫大なエネルギーが吹き荒れたその跡地には、ただ静けさのみが残っていた。

 

木々や散らばる魔獣の死体を乗り越えて、ストレンジは少女が乗っていた岩豚へとゆっくりと歩み寄る。

直前まで少女を乗せていた岩豚もストレンジの攻撃を直に受けていたため、その命の灯を消していた。当然、魔獣使いの少女もその下敷きになっているか、もしくは爆発で死亡してしまっているだろう。

魔術によって死体を退けて、その下敷きになっているであろう少女の亡骸を弔おうとしたストレンジ。

 

 

 

 

 

 

しかし、そこに少女の死体は無かった。

 

(何故、彼女の遺体が無い。爆風の威力に身体がもたなかったのか?それとも何処かへ吹き飛ばされたのか?)

 

疑念に駆られるストレンジ。彼は、元医者として殺生に対して悪印象を持っており、それは魔術師として成熟した今でも変わらなかった。だからこそ、自らの手で殺めた人は自らの手で丁寧に弔うと覚悟を決めていたその矢先、その対象が消えていたのである。

 

 

 

 

 

 

死体の消失に頭を悩ませるストレンジを、背後より窺う人影が一人。

その豊満な肉体を覆う紫のマントを羽織った人影の手元には二本のククリ刀が握られており、今か今かと獲物が生む隙を狙っていた。

そして狩人は飛び出した。獲物の首元を狙い、そして狙いの場所に確実に刃を振るうため。

 

 

悩むストレンジよりも先に狩人の存在に気付いたのは、彼のマントだった。

ふと、高速で迫り来る存在を感知したマントは高速で迫る狩人の存在を感じ取ると、未だその存在に気づいていない彼へ、慌てて後方を注意するよう促す。

マントの突然の行動に驚いたストレンジは、即座に後方を振り返った。

彼の眼には二本のククリ刀を持ち、妖艶な笑みを浮かべる女性暗殺者の姿が映る。しかし彼女の目にはあの魔獣使いと同じく、殺戮を楽しむ残忍な感情と殺すことで得られる快楽に酔いしれる感情が少女以上により鮮明に映っている。そのヤバさは間違いなく魔獣使い以上だ。

女性狩人が彼へ刃を向けようとした刹那、マントが彼の身体を強引に後方へと退かせ、同時に両手に展開したエルドリッチ・ライトを盾状にして、狩人の刃を弾くようにして防ぐことで、ストレンジは奇襲をやり過ごした。

 

「ーー存在を気づかせていない時点で、あなたに止めを刺せると思っていたのだけれども。その不思議なマントに愛されているのね。本当に、妬ましい」

 

手元のククリ刀を器用に回しながら微笑んだ妖艶な狩人は、ストレンジにどす黒く憎悪が籠った瞳を向ける。

二人目の殺戮者の存在にストレンジは、少女以上の警戒心を宿さずにはいられなかった。

 

すぐに恍惚とした表情に戻った狩人、いや暗殺者はストレンジへ妖艶な笑みを浮かべ、彼に言った。

 

「あなたのような強い力を持つ魔導士のお腹は、まだ割ったことがないの。どんな色をしているのか、とても楽しみね」

 




さて、まだ終わる気配を見せない魔獣との戦い。

果たしてストレンジはどうなってしまうのか!?



リゼロ49話……もうあかんよあれは。普通に見てて泣いてしまいました。そしてベア子のデレが見られるかと思うと、ニヤニヤが止まりません笑
最終話、どんな結末を迎えるのかとても楽しみです!


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十二話 殺戮の宴

シン・エヴァンゲリオンに興味を持ってその予習としてエヴァンゲリオンをアニメ版、旧劇場版、新劇場版全て見ましたが、どれもインパクトがありすぎた!

早く、新作を見たい。


「あなたのような強い力を持つ魔導士のお腹は、まだ割ったことがないわ。どんな色をしているのか、とても楽しみね」

 

ナイフを舐める暗殺者は、まるで獲物を愛するようにストレンジを見据える。しかしその瞳に映る狂気は殺す事を愛する快楽殺人鬼そのものであり、カエシリウス並みの狂気をその身体に宿している。

対するストレンジは目の前の暗殺者から目を逸らすことなく見据え、様子を窺う。その狂気を全身で受けるストレンジは魔獣使いとの戦いよりも更に警戒心を高め、魔術を展開しながら慎重に言葉を交わす。

 

「その手先の器用さ、気配を隠して忍び寄るスキル、心中にひた隠した殺意。ーーなるほど、お前が本命の暗殺者ということか」

 

「ふふふ。そう、私がこの依頼を引き受けた張本人。そして暗殺を家業とする者。でもね、この仕事は私に幸福をもたらしてくれた。だって人間の血は私に唯一温もりを感じさせてくれるものだから。その血をたくさん浴びることができる幸運を止めるなんて、今まで考えたこともないわ」

 

「言葉に気をつけろ、クレイジー女。私は元医師だ。命を救うのが責務故、容赦なく刈り取るお前には、酷く嫌悪感を覚える」

 

「あら、医者だったのなら感じないかしら。あの、寒い冬の夜に温もりを感じさせてくれる、温かい血の熱を。あなたは私と同じ、長く血を浴びてきた身。血の温もりを知るあなたならこの気持ちを理解してくれると思ったのだけれど、そう邪険に扱われると残念だわ」

 

目を閉じて聞けば、温もりを感じさせる女性らしい温和な声。しかし、優しささえも感じてしまう朗らかな印象の裏から滲み出るのは常人には理解できない狂気。ストレンジは彼女が好き好んで人の命を刈っている事実に怒りを覚えずにはいられなかった。

 

「お前と同じだと?勘弁したいね、お前のようなクレイジーさが私にあるとでも?医者と殺人鬼を同一に扱うとは、怖いもの知らずか、単なる馬鹿なのか、どちらにせよ、お前と私は違うぞ」

 

「いいえ、同じよ。私とあなたは同じ。あなたの手からは血の香りがするわ。多くの人の血を、脳を、血管を、身体を弄ってきたからかしら。複雑に混ざり合って不思議な香りがしてる。でも、悪い気はしないわ」

 

ストレンジ本人はすぐにでも会話をぶった切ってでもその場を去りたい気持ちで一杯だが、目の前の殺人鬼は目を離した瞬間、何をし出すか分からないため援軍が来るまで時間を稼ぐために話を引き延ばす方が得策と考え、その場に留まった。

 

「あなた、迷っているわね。お仲間と合流するか、この場で私と対峙するか。この場に留まる事を選んだあなたは賢明な判断をしたわ。ーー別に私は、お仲間を呼んでもらっても構わなくてよ。だって、素敵な腸を持った獲物が増えることは素晴らしいことですもの」

 

まるで思考を読み取ったような言葉を投げかけてきた女性に、ストレンジは自分の考えが読まれたことに驚くも、状況分析からそう考えるのが妥当だと結論づけ、動揺をすぐに心の奥に隠した。

 

「その状態は神経に障害を持っているとも考えられるな。MRIによる脳診断を受け、精神科医によるカウンセリングを受ける事をオススメする。並みの医者では、全く手に負えないほどの重傷だな。完全に頭のネジが外れている」

 

「私は至って正気よ。その、えむあーるあいがどんなものかは分からないけど、女性に対して醜い言葉を投げかけるのは男性としてよろしくないわ。女性に好かれる男性は、どんな時でも丁寧な扱いをするものよ。まあ、私はあなたのことを好意的に思っているわ。だって、あなたは綺麗な腸をしてそうだもの」

 

「狂気じみたことを平気で言える女性に対して、丁寧な言葉が必要か?そのナイフで一体何人の腹を掻っ捌いてきたのか皆目見当もつかない女性からの行為なんて、私は嬉しくない。

私が過去対峙した奴も、楽園という実に簡単な、しかし欲望に忠実な言葉に惑わされ外道に堕ちた。お前も奴と同じく、欲に忠実な性格だがその結実は悲惨なものをもたらす。お前を放置すればその分だけ人の命が失われる。ここでお前を戦闘不能にする以外、他に選択肢はあるだろうか?」

 

「あなたとは分かり合えると思っていたのに残念だわ。ならば私もあなたの、あなたのお仲間のお腹を切り開くという選択肢以外は無いの。私は腸を切り開いて生きてきた。他の生き方なんて知らないし、興味もない。人の血を浴びて温もりを感じ、腸を愛でる。それが私の生き甲斐よ」

 

手元のククリナイフを器用に扱い、切先をストレンジに向けた女性は頬を赤めながら言ったと思えば、暗殺者らしい殺意の籠った笑みを向ける。女性が本気になったことを察したストレンジは、魔術の防御度を高め奇襲に備える。

ストレンジは手元に展開するエルドリッチ・ライトを展開したまま戦闘体制に移行し、暗殺者の女性も手元のククリナイフをくるくると回し、ストレンジの隙を狙う。

 

「ああ、もう!おじ様のせいで折角のお洋服が台無しだわあ!私みたいな小さい子に対して、あんな暴力を振るうなんてえ!許せないわあ、おじ様の方こそ人間としてどうなのよお!」

 

両者睨み合う中、土煙を上げて岩豚とは違う魔獣の背に乗り現れたのは、先程までストレンジと対峙していた魔獣使いの少女だった。彼女の乗る魔獣は先程の岩豚と呼ばれるそれではなく、黒い体毛、獅子に似た頭部、馬の胴体の臀部、蛇に類似した細長い尾を持つ別の魔獣に変わっている。先程の大爆発を岩豚を身代わりにすることでやり過ごし、奥にいたため爆風に巻き込まれなかった新たな魔獣を引き連れて、再びストレンジの目の前に現れたのだ。

 

「まさかあの爆発を生き延びたとはな。お前のような年頃の子供は、我が儘ですぐに泣き出して、おまけに生意気だからな。誕生日プレゼントに送った動物の形をした風船をバカにするような存在だ。その大した根性には拍手を送ってもいいぞ」

 

「嫌なお世辞ねえ。エルザが救ってくれなかったら、私は今頃黒灰になっていたかもしれないから、助けてくれたエルザには感謝してるわあ。でも、あなたのバカにしたような拍手は嬉しくないわあ。ねえ、エルザ。あの男、私に止めを刺させてくれない?」

 

「私が爆発の直前にあなたを連れ出して即あの場から引いていなかった場合、あなたは間違いなく死んでいた。これまであなたとは多くの仕事をしてきたし、色んな技術を教えてきた。保護者として当然のことをしたまでよ。ーーあなたの提案だけれど……。いいわ、止めはあなたに譲ってあげる。でも、彼の腸は狩らせて」

 

「はいはい。そこはしっかりと守るわよお」

 

二人の会話からして、どうやら魔獣使いとエルザと呼ばれた暗殺者は互いに長い交友があるらしい。更に今回の事件は二人が主犯格である事を確認するストレンジは、敵が想定した以上にある意味厄介であることに内心舌打ちする。

最早、戦いは避けられない事を確信した彼は語気を強めて二人に向けて最後通告を送った。

 

「最終警告だ。魔獣使い、そして暗殺者よ。今すぐこの場から立ち去れ。そうすれば私から追撃することはしないし、命を奪うまではしない。私とて無駄に命を奪う真似はしたくないからな」

 

「ーーあなた、人を殺すことを恐れてるのね。その命を奪うことを恐れる目、あなたは自分自身の手で悪人さえ殺すことを躊躇っている。殺すことには億劫なのに、人のために自らの命は投げ打つ覚悟がある、不思議だわ」

 

ストレンジの瞳を覗き込むように見つめる暗殺者。紫色の瞳が見つめる瞳は、アイスグレーの瞳のストレンジを慈しむように見たかと思えば、即座に殺意と歪んだ愛に様変わりする。

 

「残念だけどそれは受け入れ難い提案ね。私達も仕事でこちらまで赴いているの。何もできませんでしただと、依頼主に顔が立たないし私たちの価値を落とすことになる。だから、あなたを殺して先に行かせてもらうこととするわ」

 

「まあ、そういうわけでおじ様。もう一戦、私たちとの踊りにお付き合い願えるかしらあ!」

 

ストレンジは、暗殺者と魔獣使いを同時に相手取る現状を厄介に思うも、時は待ってはくれない。

味方がいない中、応援が来るまでストレンジは孤軍奮闘する他に道はないのである。

一瞬の合間を経て、暗殺者のククリナイフと、魔術師のエルドリッチ・ライトが火花を散らすほど激しく衝突し新たな戦いの火蓋は切って落とされた。ーーまだ戦いは終わらない。

 

 

 

 

 

魔獣使いに暗殺者を加えた第二戦を交えるストレンジ。

彼は、接近戦を戦い慣れている一切の油断がない暗殺者と、ストレンジの不意をついて攻撃してくる魔獣を相手に戦いを繰り広げることになるのだが、彼らとの戦いは、さしものストレンジをも苦しめた。

 

「さあ!あなたのお腹の腸はどんな色をしているのかしら?私に見せてちょうだい!」

 

「喜色めいた笑みを浮かべられても困るな、全力で拒否させてもらう。私に固執しているように見えるが、所詮私は繋ぎだろう?他の者の腸も、気色悪いお前は欲しているはずだ」

 

「この周辺には公爵家の令嬢に腕の立つ騎士や獣人がいるのは、私も知っているわ。彼らの腸がどんな色をしているのか私はとても気になるけれど、あなたとの比べてはオマケみたいなものよ」

 

エルドリッチ・ライトとククリナイフとが何度も激しくぶつかり、火花を散らしていく。

暗殺者は確実に彼を仕留めようと、上下左右から軌道を選ばずに斬撃を繰り出していく。身体能力的にはストレンジよりも上手か、無造作に思える一撃一撃が致命傷になりかねない威力と正確さでストレンジの身体を抉りに迫ってくる。

対するストレンジは次々に繰り出される斬撃をエルドリッチ・ライトを盾状にして、時に受け流し、時に真正面より受け止め暗殺者の攻撃を防いでいる。

軌道を逸らした際に大きく流れる性質を活かして、ストレンジも時折鞭のようにしならせたエルドリッチ・ライトをぶつけて攻撃し、相手にダメージを与えていく。

 

暗殺者はかなりの手慣れであり、後の脅威になり得る存在と認めているストレンジは、異次元から得られる最大限のエネルギーを用いてエルドリッチ・ライトの攻撃・防御力を限界まで上げていた。そのため、生身の人間が防御なし一度当たれば、その時既に対象の体は砕け散るほどであり、事実、ストレンジの攻撃を受けた暗殺者の肉体は骨ごと斬られ、何度も血飛沫を上げている。

ダーク・ディメンションから力を得ていたカエシリウスでもダウンする攻撃を暗殺者は何度も受けていたがーー、

 

「ああ!素敵!素敵だわ!不思議な力を使うことは分かっていたのだけれど、こんなにもあなたが強いなんて!今まで戦ってきた相手の中でも、剣聖に匹敵する実力よ!この前の、そう、盗品蔵で精霊使いと精霊で戦った時よりも、死を実感しているわ!こんな強い殿方の腸を見れるなんて、今日は本当についているわ!」

 

「くっ!これだけ攻撃されてもまだ立ち上がるのか!しつこい女は好きじゃないぞ!」

 

直下より迫り来るエルドリッチ・ライトを、暗殺者は身体を倒して躱す。そして生じた隙を狙って暗殺者は彼の腹を狙い、ククリナイフを反対の手に持ち替えた。

 

不意に接近するククリナイフを、もう片方のエルドリッチ・ライトが受け止める形で激しく衝突する。魔術の盾にナイフが当たり、鋼のひしゃげる音が響きわたる。

強い力同士がぶつかり合うことで、ひしゃげて使えなくなったナイフをストレンジに放り投げ、暗殺者は一歩下がる。

 

が、これで彼が安心できる暇はなく、すぐに暗殺者の後方に待機していた魔獣使いが魔獣を操り彼の後方へと移動させ、鋭い爪で頸を狙う。

その攻撃は彼の相棒であるマントが身を挺して防ぎ、お返しと言わんばかりに魔獣の足に絡みつき、魔獣を拘束すると信じられないような力で強引に骨を捻じ曲げる。

 

「ええ!マントが意思を持って持ち主を守っているのお!卑怯だわあ!」

 

「それを言うのなら、魔獣を無尽蔵に操るお前の能力こそ卑怯と言いたいな!」

 

マントに足の骨を捻じられた魔獣は叫び声を上げるが、自らを傷つけた下手人を殺めるべく、足を引き摺りながら無理矢理再度突撃する。

魔獣の突進を両手のエルドリッチ・ライトを合わせて作った巨大な盾で防ぐ。

 

盾で防がれた魔獣は衝突のエネルギーに耐えられず、身体を大きく仰け反らせる。その隙を狙ってストレンジは魔獣の下顎目掛けて盾を振るい、魔獣を後方へと弾き飛ばした。

 

魔獣を吹き飛ばしたと同時に、今度は新たなナイフを手に携えた暗殺者が再び迫り、彼に休息を与えることなく攻撃を与え続ける。

 

「死んじゃうかと思ったわ。魔法使いなのに、格闘戦もお得意なのね、あなた。才能に恵まれているのね、ますます興味を持ったわ」

 

「先程で武器を失ったと思っていたがまだ持っていたとはな。これは武器を失っても降伏はしないか」

 

「あら、武器を失えば私が降伏すると思って?代わりの武器はこういう時に備えてしっかりと用意済みよ。ーーたとえ武器が無くなっても爪で、

 

爪が無くなれば骨で、

 

骨が無くなれば命で、

 

そうして確実に獲物を仕留める。これが私のやり方よ」

 

常に崩さない妖艶な笑みを浮かべ暗殺者は、女性とは思えない筋力でナイフをストレンジに向けて振り下ろし、それを盾状のエルドリッチ・ライトが受け止める。ナイフがひしゃげる音と火花が上がり、斬撃が再び受け流された。

互いに生じた隙を縫い、異次元の力を纏った盾が胴を薙ぎ、暗殺者は身を回すことで衝撃を分散し、反対の手が握る刃がストレンジの肩を目掛けて振るわれる。狙いは、魔術のトリガーとなる手であり、彼が使えなくなるよう指を狙うもーー、

 

「ッ!またこのマントが!」

 

「済まない、何度も助かるな。いい仕事だ」

 

ストレンジの持つマントがナイフを絡め取るように動き、刃を記事で包む。

 

武器を失った暗殺者が一歩退き、ストレンジが追撃を行うがその瞬間、機会を狙っていた魔獣が彼に迫った。

突如接近した魔獣に対してエルドリッチ・ライトを展開するが、右手のみの展開だったため十分な強度を生み出せず、盾を展開したまま彼の身体は高く空中へ飛ばされる。

 

「くっ!」

 

「私から目を逸らすなんて随分と余裕があるようね。私に興味がないのかしら?」

 

「まさか。お前の狂気に満ちた妖艶な顔を忘れるバカはいない」

 

「あら、それは褒め言葉と受け取っていいのかしら?」

 

空中に浮かび上がったストレンジを追うように近くの岩を経由して同様の高さに舞い上がった暗殺者は、彼に休息の一時を与えず攻撃の手を緩めない。

マントの力で体勢を正すことに間に合ったストレンジは、どうにか暗殺者の斬撃を防いでいく。

 

「少なくともここまでは魔獣は追って来れないようだな」

 

「ええ。だからこそあなたと二人っきりの熱い舞いを楽しめるわ。もっと踊り狂いましょう」

 

ストレンジと暗殺者は互いに降下しながら、踊りと称する攻撃の手を緩めない。ストレンジがマントの力で優位に戦ってはいるものの、暗殺者と自由自在かつ機敏な動きで体勢を保ち攻撃している。

 

地面近くまでお互いに火花を散らすデットヒートを繰り広げていたストレンジと暗殺者だったが、不意をつく形で接近した魔獣の突進に遭い、左へ飛ばされる。

彼の身体は周辺の倒壊した木々の合間へ飛んで行き、暗殺者と主人を乗せた魔獣も後に続いた。

 

上体のみを起こしたストレンジは魔術で衝突のダメージを幾分か和らげているものの、額には深い傷が幾つも存在している。

 

「邪魔が入ってしまったけれども十分に楽しめたわ、あなたとの戦い。未知の魔法を扱う魔導士の腸はどんな色なのか、私に見せてちょうだい」

 

「倒した気になるな、まだ終わらないぞ。私を倒しても、新たな強者がお前らの前に現れる。決して好きにはさせないぞ」

 

「ーー終わりね、さよなら魔導士さん」

 

暗殺者の刃が上体のみを起こしたストレンジに振われる。

しかし、彼は瞑目したまま最後の抵抗もしない。その様子に不信感を抱いた暗殺者だったが、目の前の獲物にとどめを刺すべく刀を振るった。

 

 

 




前書きでも書きましたが、エヴァンゲリオンを全て見ました。(シンを除いて)
今までラノベや少年マンガ系のみを読んでいた自分にとって忘れられないストーリー性と“残酷さ”を学びました。特に旧劇場版を観た時は、『インフィニティ・ウォー』の時のような脱力感を自分は感じました。
『残酷な天使のテーゼ』に対する価値観も大きく変えられ、どうして人々の記憶に生き残るか、少し分かったように感じます。


そしてリゼロ第二期終わりましたね!本当にキャスト・スタッフの皆様、お疲れ様でした!素晴らしいアニメをありがとう!
早う、三期を期待したいところです!


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十三話 終焉と平穏

シンエヴァ、見てきました。

ネタバレはしませんが、エヴァの集大成として良い作品だったと思います。特にミサトさんの活躍に涙を流さずにはいられませんでした。

『さらばーー、全てのエヴァンゲリオン』
正にこの言葉にピッタリの映画でした。


「ーー終わりね。さよなら、魔導士さん」

 

暗殺者の刃が上体のみを起こしたストレンジに振われる。

しかし、彼は瞑目したまま最後の抵抗もしない。その様子に不信感を抱いた暗殺者だったが、目の前の獲物にとどめを刺すべく刀を振るう。

 

 

 

 

 

「その方に死なれては我が主の宿願が果たせなくなる。汚れた悪意を向けるな、外道め」

 

「ーーっ!」

 

獲物に刃を振おうとした直前、暗殺者は自身の背後に鬼気迫る気配を感じ取った。瞬時に振り返ったその先には、鬼のような形相をし背後より二本の剣で斬り掛かる、長い白髪を黒いリボンでまとめ仕立ての良い執事服に身を包んだ老紳士がいた。

払われる剣を咄嗟に両手のククリ刀で防御姿勢を取って受け流し、ダメージの軽減を図ろうとする暗殺者。

 

ーー瞬間、二本の剣とククリ刀が火花を散らして激しく衝突する。

老紳士を渾身の力で押し退けた暗殺者は瞬時に後方の魔獣使いの所へ戻っていく。

 

「その方の相手、私が受けましょう」

 

老紳士、ヴィルヘルムは剣先を暗殺者に向けて牽制する。

接近していた彼の気配に気づき、こうなることを事前に察知していたストレンジは目の前の暗殺者の隙を生ませるため、敢えて抵抗せず、さも自らの運命を受け入れたような芝居をうっていたのだった。隙さえ生ませられれば、あとはヴィルヘルムの剣技で確実に止めをさせると信じた故の行動だ。彼の攻撃は、暗殺者自らによって塞がれてしまったが、十分な牽制にはなり得る。

 

一方の暗殺者というと、踊りの邪魔が入った事による不快感よりも新たなる強敵の出現による快感の方が勝っているのか、彼女自身にとっては数的にも実力的にも不利になるにも関わらず、先程以上の妖艶な笑みを浮かべていた。

 

「ヒーローらしい登場だ。随分と時間がかかったな、ヴィルヘルム」

 

「少々魔獣に手こずりましてな。ドクター殿、遅れて申し訳ない。しかし狩人を前にして無防備すぎでは?もう少しであなたの腹は彼方の者に腹を斬られておりましたぞ」

 

「だが、サイコ野郎の気を逸させるには充分すぎる隙だっただろう。奴に私の腹は斬らせはしない。それにヴィルヘルムなら必ず来ると信じていた」

 

まるで来ると確信していたと言わんばかりの自信の深さは、ストレンジの思惑を知らないヴィルヘルムの目に謎の強い確信を自らに向ける人物としか映り、彼は思わず不思議そうな顔をする。しかし、長年戦場を駆け巡った「剣鬼」の名は伊達ではなく、反撃の隙を与えることなくすぐにその目線を暗殺者に戻した。

 

「そこのあなた……。ただの老紳士というわけではなさそうね?」

 

「少しばかり、手癖の悪さが自慢でしてな。年季の入った剣技にして、失礼します」

 

丁寧に頭を下げる礼儀正しい振る舞いとは裏腹に、ヴィルヘルムは瞬時に飛び出して暗殺者に攻撃を仕掛ける。その裏腹の荒々しい剣が彼女の首を斬ろうと払われたのだ。

暗殺者はククリ刀でヴィルヘルムの攻撃を受け流すと、反撃として激しい斬撃を与える。それをヴィルヘルムは全て剣で払い除けるという一進一退の攻防が繰り広げる。

腹を切り裂こうとする暗殺者のククリ刀を刀身で受け止め、空いているもう片方の手に握られた剣を暗殺者の首めがけて振るうヴィルヘルムを、暗殺者の武器が狙う。

お互いの刃のぶつかる金属音と火花が戦いの激しさを物語っていた。

 

「ふふっ!素敵!素敵だわ!強大な魔導士の他にも、こんなにも素晴らしい特典がつくなんて!」

 

ヴィルヘルムの攻撃によって血を滴らせる暗殺者は、苦境にも関わらず頬は朱色に染まり、興奮からか身体が小刻みに震えている。血に飢えた猛獣とは違う、人を殺す事に快感を覚えた彼女はストレンジとヴィルヘルムという、最高の獲物に興奮を覚えていた。

 

「黒髪に黒い装束。くの字に折れた北国特有の刀剣を持った猟奇的な殺人鬼……なるほど、噂に聞く「腸狩り」だとすればドクター殿を相手に立ち回れたことやその剣力にも納得がいきます」

 

「ヴィルヘルムーーそう、かつて王国騎士団長を務めた優秀な剣士であり、「剣聖」の家計の血筋でもある人物……あなたみたいな人に知られていて悪い気はしないわ」

 

暗殺者、もとい「腸狩り」はヴィルヘルムの実力と同等クラスの力を保持している。短期決戦となれば勝負は互角だが、老体の身体に鞭を打っているヴィルヘルムとは違い、若さを誇る「腸狩り」に長期戦に持ち込まれた場合、彼に勝機はない。

故に、ストレンジは彼と協力して敵に立ち向かおうとするがーー、

 

「もおう!私だけ放っておかれると、とっても傷つくわあ。ま、私としてはおじ様との勝負を望みたいから、一対一の勝負喜んで受けるけどお」

 

三度目に立ち塞がるストレンジの行手を阻む凶暴な魔獣を見事なまでに手懐ける幼い魔獣使い。

ヴィルヘルムと「腸狩り」の間に立ち塞がり、ストレンジを見下ろすその格好はさも「あの者の下へ行きたいのならばこの私を倒してみろ」と見下しているようなものである。

 

「魔獣使い。道を開ければ、痛い目に遭わせはしない。ガキを火山に送ることはあっても、幼い少女を痛ぶる趣味はないからな」

 

「残念だけどお断りさせてもらうわあ。折角おじさまと一対一の対決ができるものお。おじ様、もーっと魔獣の牙を喰らってみなあい?きっと人生で一度しか味わえない経験を楽しめるわよお」

 

「魅力を一才感じない醜悪な提案だな。私は拒否させてもらうが代わりにお前の提案に乗るような勇ましい二人が今に来るぞ」

 

魔獣使いが首を傾げる中、突然彼らは現れた。ふと二人が上空を見れば、魔獣を討つべく上空から飛翔する二つの影がある。

一つは鎧に身を包む女性公爵、もう一方は剣を振りかざす青年貴族。

 

「言っておくが、私はそのような危ない提案は拒否させてもらうぞ!」

 

「随分と物騒な提案だな。だが躊躇いは消すには十分だ」

 

刃を手に握りながら降下してきたのはヴィルヘルムと合流していたクルシュ、そして部下を残存部隊と合流させ単身戦場に舞い戻ったファリックス。

戦闘服とはいえ軽い装いのファリックスと違い、本格的な鎧で身を包むクルシュをフォローするため、ストレンジは密かにエルドリッチ・ライトを使った足場を設けて着地のダメージを和らげた。

派手な登場演出と引き換えに早々に退場されては困るストレンジなりの配慮である。

 

「其方の相手は我々だ。無論、敵方とはいえ非礼無き様、全力でいかせてもらうぞ!」

 

「さっきの領主のお兄さんにい……なるほど、あなたがクルシュ・カルステン公爵なのねえ」

 

「ーー私の名を知っているのか?」

 

「当然よお。有名人だものお、知らない方がおかしいわあ。依頼人からもあなたには注意するよう警告されていたものお」

 

少女を相手にするには不公平とも言える一対ニだが、ギルティラウを味方につける相手には不足無しの戦力だった。

これで安心して背中を任せることができるストレンジは、魔獣に対峙するクルシュへ声をかける。

 

「クルシュ、後ろを任せだぞ」

 

「卿の意志、しかと受け取った。ドクター、ヴィルヘルムを頼むぞ」

 

「当然だ」

 

短い言葉のやり取りだが、戦場にてお互いの意思を伝えるには十分すぎる会話。

魔獣使いを二人に任せて、互いの武器をぶつかり合わせるヴィルヘルムと「腸狩り」の元へ舞い戻ったストレンジ。

ストレンジの登場に目を輝かせる暗殺者。

 

「戻ってきたのね、良かったわ。

ーーあなたは、私の手で殺して初めて愛すと決めていたから」

 

「ーー私はこれまで敵にも情けをかけてきたが、命を無慈悲に刈り取るその様に、お前を殺す覚悟が持てた。私に最後の一線を越えさせる覚悟を持たせたのはお前が初めてだよ」

 

「あなたの初めてを奪えたなんて光栄なことだわ。其方の騎士と一緒に、どこまで私を期待させてくれるのかしら」

 

ヴィルヘルムは剣を携え、ストレンジは両手にエルドリッチ・ライトを展開する。

それに対して暗殺者も刀剣を構え、迎え撃つ姿勢を取る。

 

「「腸狩り」ーーエルザ・グランヒルテ」

 

「「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」ーードクター・スティーブン・ストレンジ」

 

「元ルグニカ王国騎士団長、今はしがない執事の末端。ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアーー参る!」

 

刹那。ストレンジ、ヴィルヘルムとエルザは激突した。

 

 

 

 

 

ストレンジらが激戦を繰り広げる中、魔獣使いと対峙するのはクルシュとファリックス。

ギルティラウは剥き出しの闘志を昂らせ、今にも一直線に突っ走りそうだが、それを少女が嗜めている格好だ。

 

「あらあら残念ねえ。私がおじ様を相手しようとと思っていたのにい。まあそこのお兄さん、いえフォリア・ファリックス子爵とカルステン公爵で我慢するわあ」

 

「我々はドクターのついでか。随分と安く見られたものだな」

 

「ええ、全く。だが、驕る敵ほど足元を掬われやすいというものだ」

 

ギルティラウから降りた少女は改めて二人に名乗った。

 

「私はメィリィ・ポートルートよお。魔獣使いっていう呼び方、気に入らないから今後は名前で呼んでもらうと嬉しいわあ」

 

「そうか、敬意を払いこちらも名乗らせてもらおう。私はルグニカ王国カルステン家当主、クルシュ・カルステンだ」

 

「ファリックス家当主、フォリア・ファリックス。覚悟してもらうぞ、メィリィ・ポートルート。子供だからと容赦はしない」

 

魔獣使いことメィリィが手を振るうと同時に彼女が操る魔獣ギルティラウが二人に飛びかかる。それにクルシュとファリックスも剣を抜いて応戦し、遂に火蓋が切られた。

 

「はぁぁっ!!!」

 

「おりゃゃ!!!」

 

獰猛な魔獣を相手するクルシュだが、彼女が得意とする「風見の加護」を用いた射程度外視の剣技はギルティラウを一方的に斬っていた。彼の射程外からの攻撃を防御する手札を持たないギルティラウは圧倒的で、運良く彼女の攻撃を避けたとしても、近づこうとした接近すれば短剣を用いて首元に滑り込み奇襲を狙うファリックスの妨害で思うように動けず、敵方への怒りを溜めていった。

それはメィリィも同じことでーー、

 

「もお!お姉さん、卑怯よお!正々堂々と戦いなさあい!」

 

「正々堂々だと?よくそのような口が聞けるな。ならば、何故無辜の命を奪う?」

 

「あれは仕事よお、依頼主の依頼に応えるためにやったこと。別に正々堂々でやる必要もないでしょう?それに引き換え、今の戦いは私も小細工なしで戦っているのよお。超遠距離からの攻撃で一方的に痛ぶるなんて卑怯じゃなあい?」

 

メィリィも一方的すぎる攻撃にイライラしていたのか、額に青筋を浮かべている。二人を指差しながら怒る様は、天真爛漫な笑顔が似合う彼女の顔にはいささか似合わない光景だ。

しかしクルシュは敵に一切の容赦なく目に見えない刃を一閃し、魔獣の喉元を真一文字に切り裂く。

 

 

 

 

 

ヴィルヘルムとストレンジ、エルザの戦いは共に一歩も引かぬ剣と魔術の応酬だった。エルザが強者の二人を相手にここまで大立ち回りしている方こそ異常であり本来であるならば戦意喪失しているか、瞬殺される運命であるが故、ヴィルヘルムは内心で感心していた。

 

「ふふふ……素敵、素敵だわ!こんなにも楽しい戦いがあったなんて!私、何としてでもあなたたちのお腹を割きたくなってきたいわ!」

 

「それは何卒ご容赦を。老骨ではありますが、この身、まだやり残したことがあります故」

 

「いい、いいわ……ああ、なんて鋭さなのかしら」

 

頬を赤らめ戦いを楽しんでいるエルザであったが、暗殺者としての経験が豊富の彼女としても、ストレンジの魔術による遠距離支援を受けるヴィルヘルムの剣技を凌ぎ切るのが精一杯であり、攻勢には転じれずにいた。

互いの剣が火花を散らしながらぶつかり合う激しい戦いの中、僅かな隙をついたヴィルヘルムの剣によって払われた右手を、ストレンジが展開した鞭状のエルドリッチ・ライトが拘束する。

鞭に絡め取られたエルザの刀剣はそのまま、ストレンジの手元に向かったことでエルザは武器を失った。

 

「あなたの武器はドクター殿が奪いました。得物が無ければ勝算もありますまい。大人しく、投降されてはいかがですか?」

 

「油断するな、ヴィルヘルム。まだ奴はその黒装束の中にナイフを隠し持ってるぞ」

 

武器を失ったエルザにヴィルヘルムが歩み寄った直後、彼女の黒装束の中から予備の刀剣が出現した。

歩み寄っていたヴィルヘルムは、ストレンジの警告でエルザの奇襲を剣で弾き防ぎ、瞬時に後方へ下がる。

 

「ーー!?クッ!」

 

「ーーっ!なんとしぶとい!ですが感謝しますぞ、ドクター殿!」

 

「またあなたなのね。ーーやはりあの場であなたを仕留め損なったことこそ、ツケの回り初めだったのかしら」

 

「観念しろ、エルザ・グランヒルテ。お前に残された武器はないはずだ。既に周りは味方で包囲しているし、武器は今ので最後だ。これ以上の攻撃は無意味なことはお前自身が実感しているだろう。チェックメイトだ」

 

ストレンジがエルドリッチ・ライトを展開したまま、ヴィルヘルムの横に並び彼女にプレッシャーをかける。

 

「ふふ……あの一件、盗品蔵の一件よりも素敵な展開だわ。でも残念。分が悪いようね、メィリィ」

 

直後、魔獣の咆哮と共に地を揺らす大きな揺れが三人を襲う。音の方を見れば、クルシュの剣技で四肢を斬られ、短剣で喉元を斬られたギルティラウが絶叫を上げながら倒れており、喉元には全身を魔獣の血で赤く染めたファリックスの姿があった。

 

「はぁはぁ……クソッタレ野郎。生臭いのは好きではないぞ」

 

そう言い、ギルティラウの胴体に剣を突き刺し、止めを指すファリックス。

 

「……メィリィの切り札でもあるギルティラウが死んだ以上、今の私たちには打つ手はないわ。今日はここまでね。だけども覚悟して、いずれあなたたちのお腹を切り開いてあげるから」

 

メィリィをひょいっと抱えたエルザは逃走を図ろうと崖を高速で駆け上がっていく。崖を登り切ったエルザは林の中に身を隠し、メィリィと共にその気配を消した。

 

「ーー次に会う時まで腸を可愛がっておいてね」

 

聞こえるはずもない彼女の声。しかし、林の暗闇から確かに聞こえた再会を願うエルザの声がその場に確かに響いていた。

捨て台詞とも取れる言葉だが、どうもストレンジはあの狂人めいた暗殺者との再会がそう遠くないように感じていた。

 

 

 

 

 

 

「逃げられましたか」

 

「ああ。だが、魔獣は全て討伐しただろう。我々の勝利だ」

 

全てが終わり、静けさを取り戻した林。長い戦いは既に日を西に沈めるほど経っており、既に辺りは暗くなっていた。崖の方を見据えていたヴィルヘルムは悔しさ混じりに吐いたが、ストレンジは結果としてエルザたちの思惑を打ち砕いたことに満足していた。

 

「これで全てが終わったか。ヴィルヘルム、ドクター。ご苦労だったな」

 

剣を鞘に収めながら二人に声をかけたのはクルシュ。この場にいるメンバーでは、最も長い距離を駆けてきた彼女が最も疲労が溜まっているはずだが、その気を微塵さえ感じさせずに二人を気遣う彼女の様は夕刻の光に照らされ、誰よりも輝いていた。

 

「クルシュには特に長い距離を走らせ、魔獣を斬らせ、終いには化け物を相手にさせるという一番大変な役目を引き受けてもらった。本当に感謝している」

 

「この作戦の立役者からそのような言葉を貰えるとはな。光栄な限りだ。卿がいなければ我々は恐らく敗れていただろう。卿の尽力に私は心からの敬意を表したいと思う。ありがとう、ドクター・ストレンジ」

 

クルシュとストレンジは互いの労を労い、固く手を結んだ。作戦の尽力者として活躍したストレンジと、この討伐隊の最高責任者であるクルシュの活躍は今回の魔獣討伐において、今後の王戦にもアドバンテージになるとストレンジは感じていた。

 

「ゴホン……此度の魔獣討伐のご支援に深く感謝を申し上げます、クルシュ様、ヴィルヘルム殿、ドクター殿。貴方方の多大なる尽力により、我が領内の危機は去りました。この御恩は必ず報わせていただきます」

 

「フォリア・ファリックス、卿の活躍も見事なものであったぞ。卿の熱意が人々を救うことになったのだ。その事、誇りに思ってほしい。領民の思う心を忘れることなく、今後も民のためにその身を燃やせ」

 

今回の騒動の発端となり、この戦いの主戦場にもなった領地の主であるファリックスも、ボロボロになりながらストレンジやクルシュたちと戦った戦士の一人。

クルシュからの労いの言葉に、思わず涙を浮かべ深々と頭を垂れるファリックスは、闇が深くなる前に自らの屋敷に戻ることをクルシュたちに提案した。

既にファリックスの指示で合流していた別働隊はフェリスらと合流し、屋敷に帰還したとの報告を受けていたのだった。

 

ボロボロの四人はストレンジのスリング・リングで屋敷前にポータルを開け、帰還する。

無論、満身創痍となりながらも無事敵を倒し全員で帰ってきた四人を屋敷前で今か今かと待っていた討伐隊の面々は彼らを大喝采で迎えた。

涙を浮かべたフェリスがクルシュに抱きつき、泣きながら主人の帰還を喜んだのは言うまでもない。

 

 

こうしてファリックス領を震撼させた魔術騒乱は、ストレンジやクルシュ、ヴィルヘルム、ファリックスの勇猛果敢なる奮闘で襲撃者であるエルザとメィリィの撤退という形で勝利を飾ったのだった。

 

 




ストレンジ「クルシュ、ハッピーバースデー。お誕生日おめでとう。益々の健康と活躍を願っているぞ」

クルシュ「そうか。今日は私の誕生日なのか。執務に身を没していた故、すっかり忘れていた。道理で、昨日からフェリスが動き回っているわけだ。卿の心遣い、有り難く思うぞ。ドクター」


というわけで、今日はクルシュ様のお誕生日、ということでクルシュ様お誕生日おめでとうございます!

リゼロスでも現在ガチャとして来ているクルシュ様をゲットする事ができました。感無量です!


さて、本編ですがようやくひと段落つきました。
あと1.2話でこの章は終わり、その後は原作第三章へと合流します。つまり、いよいよあのキャラクターたちとストレンジが出会います。


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十四話 終局

今回、今後の展開に重要になる話題が出てきます。

それと皆様、新年度おめでとうございます。未だ、コロナが猛威を振るっておりますが頑張っていきましょう!


無事、エルザとメィリィ、それに魔獣の大群を駆逐したストレンジやクルシュらは屋敷へ帰還後、今回の討伐に関わった全ての人の慰労と戦勝を記念してささやかな祝賀会を開いていた。

ファリックス邸の大ホールにて立食パーティー形式で行われ、出席者にはクルシュやストレンジらカルステン家関係者もいる。

 

「此度の魔獣による蹂躙は歴史上稀に見る甚大なものだった。諸君らの中にも家族や友人を失った者も数多くいるだろう。にも関わらず、共に戦ってくれた諸君に私は敬意を表する。

そして、カルステン公爵家の助力により此度の危機は乗り切ることができた。クルシュ様、多大なるご支援に感謝申し上げます」

 

冒頭、舞台に立って挨拶を述べたのはパーティー用の正装に身を包んだファリックス。舞台袖にはワイングラス片手に、軍服に身を包んだクルシュや水色を基調とした可愛らしい衣装のフェリスらがおり、ヴィルヘルムはウェイターとしてホールを仕切っていた。

そしてパーティー用の燕尾服に身を包んだストレンジは、マントと共に舞台から一歩引いた壁際に寄りかかり、ワイングラスを持ちながら舞台を見ていた。

 

「ーー今回の魔獣による騒乱の責任は全て領主である私にある。私の至らぬ力のせいで多くの民の命が失われた事実も正面から受け止める覚悟でいる。諸君らの叱責や怒りも全て、私一人が負おう。残された者の生活は、私が全力をもって支える事もここに誓う。

此度の諸君らの活躍、そしてカルステン家の助力に心からの感謝を」

 

舞台に立つファリックスが深々と頭を下げれば、彼を見つめていた多くの人が拍手で彼に応えた。何度もホールの全員に頭を下げたファリックスは舞台袖に控えるクルシュと数分言葉を交わした後、集まった人々と言葉を交わしていく。

 

「ドクター、卿にはこのような場は好まないか?」

 

人の群れには近づかず、ただ食事を楽しむストレンジに声をかけたのはクルシュだった。

ファリックスの挨拶の後、多くの人が彼に集まっては談笑しているのに対してストレンジはその様子を一歩引いた場所から見つめるのみであり、その様子を気にかけたクルシュが彼の様子を見に来ていた。

 

「いや、単純に人が多いからな。後で彼に挨拶しようとしていただけだ」

 

「ーー卿から嘘の風が吹いているぞ」

 

前を向いたまま答えたストレンジに、クルシュは彼のみに聞こえるような声で彼に言った。

 

「ーーこのような人が多い場所はあまり好きじゃない。日頃の疲れを吹っ飛ばしてはっちゃけるのは結構なことだが生憎、学生の頃からパーティー人達とは距離をとっていてな。そのせいか、こういった場に慣れていないんだ」

 

「卿にも苦手な事があるんだな。配慮を欠き無理に誘ってしまってすまなかった。もうすぐファリックスが挨拶に来るだろう。それが済んだらしばらく外で涼むといい。私はまだこの場にいる。何か困ったことがあれば私かファリックスを頼ってほしい」

 

クルシュはそのままホールの中心へと戻っていき、ファリックスや招かれた来賓との対談した。

ストレンジは近くのテーブルに置かれた焼かれた肉の切り身数個を取ると、パーティーの様子を見ながら黙々と食した。

挨拶が一段落したファリックスがストレンジを訪れたのはそれから暫くしてからだった。

 

「ドクター殿。気分が優れないようだが、無理をさせてしまっていないか?」

 

「先程、クルシュにも同じことを言われた。私の顔はそんなに青ざめているのか?」

 

「青ざめてはいないが……。ふむ、やはり少し顔色が悪いように見える。気分が優れなければテラスで休んでもらっても構わないが」

 

ファリックスも功労者であるストレンジが対談の輪の中心にならず、隅で一人食していることを気にして声をかけたのだ。

 

「私はこういう場はあまり好きじゃない。同じ人が集まる場所でも学会の発表会はこれまで得た実績を周りのボンクラの医者に示すことができるが、パーティーは酒を飲むだけ。参加するだけ時間の無駄になるから参加することはほとんどなかった」

 

「こういった場には苦手意識を持っているんだな。しかしあれだけ大きな魔獣の軍団を押し返すという偉業を成した以上、慰労のためにも祝賀会を催すのは習慣なのだ。そして功労者も出席するのは当然の事なんだが……負担をかけてすまなかった。私の配慮が欠けていた」

 

「お前が謝るほどではないさ」

 

皿の料理が無くなってしまったストレンジは、皿を置くとグラス片手に酒を注ぐ。丁度、酒が切れていたファリックスにも同じ酒を注ぐとファリックスは静かに話した。

 

「ドクター殿、この後時間はあるか?」

 

「あることにはあるが……身体の更なる治療か?それとも心理ケアか?」

 

「怪我ならフェリスと貴方に治療されて完治している。

ーー個人的に話したいことがあってな。会の後、私の執務室に来てほしい」

 

「分かった。適当な時間に行くとしよう」

 

言葉を交わし終えたファリックスは、再び大勢の人の下へ戻っていき、談笑を再開させた。

一方、ストレンジは酔いを醒すのも兼ねてバルコニーに出て、グラス片手に椅子に座った。

窓から漏れる灯りや隙間から聞こえる音楽や話し声をBGMに、椅子に座ったストレンジは夜空の月を見上げて、物思いに耽っていく。

彼を気遣い、室内にいたクルシュやファリックスが彼に声をかけたり、彼を呼びにバルコニーに来ることはなかった。

 

 

 

 

 

パーティーはその後も続いたが、夜半を迎える前には、ファリックスによりお開きとなった。

閉会の際には外に出ていたストレンジも室内に戻り、夜風に当たった感想を含めて、フェリスと言葉を交わした。

そしてパーティーが終わり夜が更に更けた頃、ストレンジは約束通り一人で執務室を訪れる。

室内のテーブルには作戦用の地図や、目印として置かれていた旗印や騎士を模した小さな人形がそのまま放置されており、椅子には丸められた台紙が放置されていた。作戦前夜まで試行錯誤していた事が窺える室内を見渡して、ファリックスがテラスにいることを確認したストレンジはそこに向かった。

 

「よく来てくれた。室内の散らかり具合には、貴方に有益な情報を渡すことの対価として目を瞑ってくれ」

 

「あの散らかり様は酷いぞ。早く片付けろ。作戦の為に献身したのは認めるがあれでは空気が悪くなるし、何より衛生環境が悪くなる」

 

「手厳しい助言に感謝する」

 

苦笑しながら、ファリックスの対面に座るように勧められたストレンジは着席すると、彼の手元に置かれたグラスに酒を注いだ。

 

「今宵は夜風が心地良い。魔獣を退けた達成感がそう感じさせているのかもしれないが、それでも普段より心に優しい。それに月もまた綺麗だな」

 

「おっと、口説いているのか?それが通じるのは文化人、それも日本人限定だろう」

 

「口説く?何を言っているんだ?」

 

「かの夏目漱石は、日本人が好意を伝える際に直接的には言えない人柄故、このように周りくどい言い方で伝えると言ったそうだ。それ以来、「月が綺麗」という言葉は好意を伝える言葉になったらしい」

 

「べ、別に私は敬意こそ抱いてはいるが好意は寄せていない!」

 

「冗談だ。男である君が私に好意を抱くわけがないだろう。忘れてくれ」

 

「いや、恋愛感情は無いが好意を全く抱いていないわけではなく……」

 

ストレンジの言葉に振り回されたファリックスは顔を真っ赤に染めながら、年相応に反応する。その様子を揶揄って笑うストレンジは酒を口に運ぶと夜空を見上げた。

 

「それで話というのは?」

 

「あ、ああ……ゴホン、ドクター殿は強力な魔術師であるが故、恐らく強大な敵からこの世界を守るという任務を行なっているとみた」

 

ファリックスの言葉にストレンジは頷いた。彼の言葉の中にはストレンジ本来の任務も含まれており、否定もしない。

 

「ならば話が早い。実は耳に入れてほしい話がある。

ーーここ1.2ヶ月の間、ルグニカ王国やカララギ都市国家群にて空間が歪む様な現象が数度確認されているとの報告が入った」

 

ファリックスの言葉にストレンジは思わず目を見開いた。それはストレンジがこの世界に来て初めて耳にした空間変異の兆候。元の世界に戻る為に重要なキーとなるその出来事の詳細を聞き逃さぬよう、彼は耳を立てた。

 

「発生場所に規則性は確認されていない。が、未確認情報ではあるがグステコ聖王国やヴォラキア帝国でも同様の現象が確認されているとのことだ。つまり、世界中で起こっている現象だ」

 

酒で喉を潤したファリックスはストレンジの方を一瞥すると、グラスの水面を眺めながら呟いた。

 

「その歪んだ空間を見た者は数少ないが皆口を揃えて言うそうだ。

ーー「空間の向こう側、そこには暗黒の空間と無数の星々が永遠に広がっていた」と。竜歴石に刻まれていない出来事だが、被害がないことを理由として、賢人会は予定通りに王選を開始するらしい。私自身は何か不吉な兆候ではないかと考えており、王選開始には懐疑的だ」

 

水面に写るファリックスの顔は厳しさも滲み出ている。

子爵の立場であるが故、王政の直接的関与はカルステイン家や他の公爵、侯爵家と比べると小さいものの、古くから王国に仕えているファリックス家は幅広い情報網を敷いていた。

そしてフォリア・ファリックスは軍師として名を挙げているが、その所以は彼の持つ直感の鋭さだ。その直感が彼に危険を伝えているのである。

 

「この情報はルグニカ王国の最上層と極一部の情報収集屋が知っているが、その実全容を把握している者は誰もいまい。故に、ドクター・ストレンジの知恵を借りに、ここに酒を置いて呼んだということだ」

 

「ーー少ない情報だな。察するにその現象を止めることは、少なくとも今の私では不可能だろう。が、その空間の歪みとそこから見えるとされる別次元の可能性については大変興味を持ったさ。その現象については耳に留めておくことにしよう。クルシュはこの事を?」

 

「クルシュ様やフェリス騎士、ヴィルヘルム殿の耳にも入っているはず。まあ、ドクター殿が調査をする過程で今知ろうが知らないだろうが、必ず耳には入るだろうが」

 

「そうだな。とにかく混乱を招かぬ様、情報の管理は徹底することにしよう。それと、ファリックスも十分用心するよう忠告しておく」

 

そう言い酒を飲み干したストレンジは、席を立ちテラスから出て行った。

一人取り残されたファリックスは、手元のグラスに浮かぶ氷の塊を見て呟いた。

 

「近い将来、ルグニカ王国に天変地異が起きるかもしれない。そうなった時、貴方の力はこの国を救う大きな力となるだろうな。ドクター・ストレンジ」

 

 

 

 

 

一方、客室に戻ったストレンジはベッドに仰向けに寝転がると天井を見つめながら黙考していた。

 

(謎の空間の歪みは、恐らく別次元に通ずるゲートのようなものだろう。証言の内容が正しいとすれば暗黒の世界と無数の星々は、宇宙の事だろう。単なる自然現象で別次元に通ずるゲートが開いたとは考えにくい。何か大きな力の作用か、もしくは人為的に開けられたものなのか……。

ールグニカ王国を救うためのチームを結成する必要があるな)

 

かつてニック・フューリーが計画し、凍結された「アベンジャーズ計画」。強大な力を持った者たちを集め、より大きな力にし強大な敵に立ち向かうそのチームは2012年のニューヨーク決戦時に絶望する人々の前に集まり、世界を救ったヒーローとなった。しかし2015年のソコヴィアでの一件では逆に人類滅亡へのトリガーとなり、翌年のソコヴィア協定に端を発した、シビル・ウォーによりアベンジャーズは解散。トニーとキャプテンは決裂し、二人とも大きな傷を負った。そしてソコヴィア協定に反対したキャプテン一派は忽然と姿を消し、その後如何なる国家機関や国際機関の情報網にもキャッチされていない。

 

今、2012年のニューヨークを彷彿とさせる異次元への扉が各地で出現している。

もしもそれが通じる向こう側がストレンジの世界ならば彼が帰還できる可能性が上がる。しかしそれは奴の標的にされることにもなる。

 

(メンバーの人選、始めるか……)

 

ベッドの上で悩むストレンジはそのまま寝落ちし、翌朝マントによって叩き起こされていた。

 

 

 

 

 

ストレンジを客室に戻したファリックスは、やり残した執務を就寝までのわずかな時間を使い執り行っていた。いつも側に居て助言を行う執事は現在、祝賀会の後片付けを行っており、到底助言は頼めない。無論、無理を言って来させることはできるが、それは行うことはしない。

 

お酒の入ったグラスをテーブルに置き、羽ペンを使って書領地の運営に関しての書類にサインし、王都への文章の作成していく。何枚かの書類に手をつけ、一呼吸置こうと酒を口にした時ーー、

 

 

「ファッハッハッハッハッハ!」

 

突然脳内に響く不気味で邪悪な笑い声。思わず顔を上げるが、執務室やバルコニーには誰もいない。

 

「誰かいるのか?」

 

「「誰か」だと?この俺を忘れたのか?」

 

彼にとっては聞き覚えのある声にファリックスは立ち上がり、室内に見渡していく。

 

「この声……まさか」

 

「冗談はよせよ、たった一人のお前の理解者じゃないか」

 

声が何処から聞こえてくるかは定かではない。天井、壁にかけられた絵画、彫刻、床。ありとあらゆる方向に耳を傾けても聞こえてくる声に導かれるように室内のある一点に向かい歩く。

 

「お前は一人ではない、俺はずっとお前を見続けてきたぞ」

 

「ーー何処にいる?」

 

「さあな。俺は何処からでもお前を見つけられる。だが、お前は俺を見つけられない。そうやって部屋を歩き回るのは、俺を見つけられていないからだろう?違うか?」

 

部屋の絵画に視線を次々と向けていく。

 

「俺はここだ!」

 

「ーーまさか、こんなことが」

 

部屋にかけられた唯一の鏡。そこに写っていたのはフォリア・ファリックスに瓜二つな顔を持った青年。だが、その顔に浮かぶ笑みに優しさや愛はなく、邪悪で狂気じみている。加えて瞳に映る感情にも邪悪で凶暴な感情が浮かんでおり、まるでフォリア・ファリックスという好青年を真逆にしたような人物がそこにいた。

 

「兄さん、なのか……?」

 

「久しぶりだな、我が弟よ。先のエルザとの一件、お前の領民を思う偽善じみた振る舞いは喜劇のようで面白かったぞ。だがそんなことをしても俺との決別にはならないさ。何せ、俺はお前、お前は俺なのだからな」

 

「……私は私自身の意志で行動している。兄さんのような邪悪な領主にはならないと決めたから」

 

ゆっくりと歩み寄る両者。グラス片手にフォリアを煽るように身を揺らす“兄さん”と呼ばれた彼に瓜二つの存在は、グラスを遠くに投げた。

 

「いいや、お前は俺の影から逃れようとその偽善じみた寒気がするような演技をしている。お前はそれを自分のと決めつけているが、それは違う。その姿は俺が作り上げたのだ。俺はお前の永遠に縛り続ける縄だ。俺を意識する限り、俺からは逃れられない。お前の目指す改革には、血を流す覚悟が必要だからな。邪悪にならなければなし得ないぞ」

 

「それを言うためだけに態々出てきたのか?だとしたらご苦労なことだ。いずれ、兄さんの影からは抜け出す。私は私自身の手で邪悪に染まらずに成し遂げる」

 

「まさか。俺が出てきたのは訳がある。喜べ弟よ、俺たちが望む混沌の世界が間もなくやってくるぞ」

 

テーブルに置かれた二枚の書類。そこにはストレンジについて書かれたものと、先程ストレンジに述べた時空の裂け目についての詳細が記されたもの。その2枚を見ろと言わんばかりに首を振る兄に促され、その書類を手に取る。

 

「ドクター・ストレンジ、時空の裂け目……」

 

「そうだ。その二つがこの世界を混沌に、そして地獄に叩き落とすのさ。彼は愚かにも運命に争い、その結果この世界をより混沌に導く。そっとしておけばいいものに余計に手をつけることで、この世界は本来の理を越え未知なる混沌に支配される」

 

「……嘘だな、ドクター殿がそんなことをするはずがない」

 

「信じるも信じないのもお前の勝手だ、弟よ。だが、俺は神がこの世に混沌にもたらすために生み出した産物だ。その産物はその責務を果たす前に命が尽きたが、意志は受け継がれる。例え、お前が逃れようとも運命は変えられない。お前が運命を受け入れなくても、誰かが神の意志を受け継ぎこの世界に混沌をもたらすだろう。

 

ーー喜べ、弟よ。焦らずとも混沌はやってくる。全てを押し流す波のようにその混沌は全てを巻き込む地獄と化しこの国を、この世界を巻き込む戦火となる。取り返しのつかない代償を支払うことになるだろう。その時こそ、俺たちが望む国の変革ができるな。そして忘れるな。これを他人に、特にドクター・ストレンジ、クルシュ・カルステンに話すな。話せば世界がどうなるか分からない。俺も世界の消滅は望んでいないからな」

 

ゆっくりと歩み寄る兄に対して、その狂気に押され後退りするフォリア。弟の怯えた感情を見据え、兄は邪悪な笑みを浮かべたまま姿を消した。

 

 

 

ストレンジが悩みファリックスが兄の亡霊に苦しんだ翌日、今回の討伐隊が王都に帰還することになった。ファリックス邸には大量の竜車が並べられ、次々に人員や物資が乗せられていく。屋敷外には多くの領民が押しかけ、別れを惜しんだ。

各々が最後の言葉を交わす中、ストレンジやクルシュもファリックスと言葉を交わしていた。

 

「今回の討伐にご協力いただき本当に感謝します。クルシュ様のご尽力が無ければ我々は恐らく敗れていたでしょう。昨夜の祝賀会で述べさせていただきましたが、改めて感謝を」

 

「卿のその領民を思う気持ちがあったからこそ、更なる被害を防ぐことができたのだ。今後もその心構え、忘れるでないぞ」

 

「ま、その心構えを失っちゃった時点で領主として失格だよネぇ〜。逆に、しっかりと心を持っていれば次起きてもきっと大丈夫。それに今後の復興も大事だヨ!頑張ってネ!」

 

ファリックスとクルシュ、フェリスが別れを惜しむ中、ストレンジは行きの時同様、ポータルをクルシュ邸に開け、ファリックス領と繋げていた。

その作業はほんの一瞬で終わり、空中で行っていたストレンジはゆっくりと地上に降りてくる。

 

「ドクター殿、どうかお達者で。今回の功労者はあなたと言っても過言ではないことはここにいる全員が認めていることだ。その力によりどれだけ我々が助けられたことか。改めて感謝を。ドクター・ストレンジ」

 

昨晩の兄の亡霊から放たれた言葉は告げず、真実を隠したままファリックスは言葉を続けた。

 

「お前に残されたのはまだまだある。何より領民の生活の復興は急務だろう。魔獣討伐は終わったが、復興が成されるまで真の終わりとはならない。それまで気を抜くことなく、続けてほしい」

 

「有益な忠告、感謝しよう。それとクルシュ様、ドクター殿にも例の件を話させていただきました」

 

「うむ。例の一件に関しては我々よりもドクターが適切に対応できるだろう。卿の判断は正しかったと私は思う」

 

クルシュの言葉に一礼したファリックスは最後、竜車の準備をしていたヴィルヘルムにも声をかける。

 

「ヴィルヘルム殿、今回の助力感謝申し上げる。此度の戦いにおいて、未だその剣技が失われず輝き続けていることに私は感激しました。どうか貴方の悲願が叶いますよう、祈っています」

 

「私の悲願達成まで、私は自らの剣技を更に高めるつもりです。妻の命を奪った奴を私は絶対に許さない。命を枯らすその日まで私は剣を握り続け、必ずや奴を地獄に送ります」

 

復讐の炎に命を燃やすその姿は初老の男性には見えず、威圧感が尋常ではない。

ファリックスやクルシュは怒りに燃える彼のオーラに当てられ、思わず冷や汗を垂らす。その事に気づいたヴィルヘルムは炎を鎮めると、一言謝罪し準備を再開した。

 

準備が完了した竜車から次々にポータルを潜っていき、クルシュ邸に帰還する。

皆、疲労が浮かんではいるものの清々しい笑顔で去っていく。別れを惜しみファリックス邸に集まっていた多くの人も涙を流しながら彼らを見送っていた。

最後、クルシュの乗る竜車と浮かび上がったストレンジがポータルを潜る際には、大きかった歓声が更に大きくなった。

笑顔で手を振るファリックスの目尻に、涙が浮かんでいたのをストレンジは見逃さなかった。手を振るファリックスにストレンジも軽く手を上げて答える。

全員の移送完了を受け、ポータルを潜ったストレンジは別れを惜しみつつポータルを閉じた。

 

 

 

 

 

 

その後、討伐隊は解散となり各々は特別給与として一人金貨30枚を報酬として受け取った。

魔獣討伐の給与にしては多額の為、多くの人が歓喜したのは言うまでもない。

ストレンジはクルシュ邸に戻り、謎の現象の調査を開始し、クルシュやフェリスも王選への動きを加速させる。

 

そんなある日、いつも通りに図書館に向かおうとするストレンジの元をクルシュが訪れた。

彼女は今回カルステン家が引き受けた任の詳細を伝えに来たのだった。

 

「実はフェリスが王都の使者として他の王選候補者の下へ向かうことになった。卿にはその護衛をヴィルヘルムと共に務めてほしい」

 

「分かった。他の王選候補者の顔を見ておきたったからな。行き先は?」

 

「卿が興味を持っていた事柄だと思うぞ。

ーールグニカ王国宮廷筆頭魔術師、ロズワール・L・メイザース辺境伯。及び彼が支援する王選候補者、エミリアの所だ」




今回をもって第二章は完結です。
完全にオリジナル展開でしたが如何だったでしょうか?
本章ではストレンジとクルシュたちの交流を深め、信頼関係を構築するような構成としました。そしてエルザとメィリィが今回のヴィランとして登場しましたが、彼女たちは復活します(笑)!

そして次回からは第三章に突入します!
いよいよストレンジとエミリア陣営が接触し停滞していた原作が動き出します。

是非感想をお寄せいただけると幸いですし、何かアイデアがありましたら同じように送っていただけると嬉しいです(笑)。(あと高評価していただけると幸いです)←厚かましい

最後になりますが、これまで11人の方にご投票いただき、更にありがたいことに140名以上の方にお気に入り登録をしていただきました。
感謝申し上げます!


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第三章 再来の王都
十五話 メイザース領へ


みなさま、お久しぶりです。

書き終わりましたので投稿しました。
話は変わりますが先日公開された『名探偵コナン 緋色の弾丸』見てきました。
感想としては赤井さんの射撃スキルが最早、人ではない。秀吉の頭脳が最早スパコンレベル。相変わらずの破壊祭り……ですかね笑
世良、あれは間違いなくコナン=工藤新一であることを確信したし、コナンも認めてましたよね、あれ。

個人的には秀吉の頭脳レベルが、ドクターやトニー、右京さんらと同等なのかー!って思いました笑


クルシュからの要望を快諾したストレンジは、その足で今回の主役であるフェリスの自室を訪れていた。

顎に手を添えて窓から外を眺めるストレンジに、ベッドに腰掛け足をパタパタと揺らしながら愉快そうにフェリスは彼を見つめる。

 

「いよいよ会えるのか、かのメイザース辺境伯に……」

 

「にゃ?ドクターってば、何か随分とワクワクしてにゃい?」

 

クルシュより王選に関する重要事項を伝える特使として任命されたフェリスと、それに同行するストレンジとヴィルヘルム。

フェリスは主の顔に泥を塗りはしないと張り切る一方、ストレンジは未だ見ぬ王国最強の魔術師との対談に心躍らせており、主目的よりも優先させる気でいた。

 

「まあ、ここに来て以来言ってたもんネ〜。「気に留まらない訳がない。同じ魔術師を名乗るロズワール辺境伯には」とか、「彼の性格に対する評価は妙なものばかりだ。頭のイカれたサイコ野郎か、道化を演じているだけなのか」とか」

 

「当然だろう。此処にいるのは近接戦闘のスペシャリストばかりのみ。フェリスは魔法こそ使えるものの、戦闘向きではない。だが、メイザース辺境伯は王国随一の戦闘能力を持ち、その力は軍隊と同等と聞く。そんな人物に興味を持たない方がおかしいはずだが?」

 

「まあ、頻繁に会っているフェリちゃんとは違う価値観をドクターは持っているのかもネ〜。正直、フェリちゃんにはドクターがそこまでロズワール辺境伯に固執する理由が分からにゃいけど」

 

「先程言ったはずだ。強大な力を持つ魔術師。同じ立場の人間として興味を抱かない訳がない」

 

「本当に〜?何か裏がありそうな感じがするけどネ〜?」

 

意外にもフェリスはストレンジの目的がただ会うだけとは考えていなかった。他にも魔術師はいる中で、彼がロズワールにのみ関心を持っていた事をフェリスは見抜いており、摩訶不思議な現象を好む彼にとって何か別の訳があるのではないかと察していたのだった。暫しの沈黙の後、ストレンジは静かに告げる。

 

「ーー嫉妬の魔女と瓜二つの容貌を持つハーフエルフを王選に担ぐという所業。大胆なのか馬鹿なのか分からないが常人では考えられない行動だ。奴がどんな腹積りか、実に興味がある」

 

窓に反射して映るストレンジの顔は厳しい。

先の空間の歪みを気にしていたストレンジは、空間を歪ませるほどの実力者を密かにマークしており、その中にはロズワールの名もあった。万が一、彼がエミリアと呼ばれる候補者の功績作りの為に意図的に起こしているのだとすれば、ストレンジにとって看過できない事案だ。

エミリアという候補者を勝たせるために態と引き起こしている可能性もあり、ストレンジは特に警戒していたのだった。

 

「ドクターの感覚は正しいヨ。この世界ではハーフエルフっていう存在は忌避されている。かつて魔女を喰らい、世界の半分を闇に飲み込んだ恐怖の存在。その容姿と瓜二つの生き物なんて嫌がるっていうのが性ってコト。フェリちゃんはくだらないって割り切ってるけど、世間では魔女の申し子を出馬させる事を嫌がる声ってのは多い。そんな彼女を敢えて公衆の面前に引き摺り出して、更に王選へ担ぎ出すもんだから、ドクターが関心持つのは無理もないヨネ〜」

 

「ーーハーフエルフ……サテラ、か」

 

サテラーー嫉妬の魔女にして銀髪のハーフエルフ。この世界に来てまだ数週間しか経っていないストレンジでも脳裏にしっかりと刻まれたその名前。未だに世界に禍根を残し続けているその存在にも、ストレンジは目を光らせていた。空間の歪みが人為的によるものである場合、ロズワールよりも可能性が高い存在であり、大瀑布近くの祠で封印されているとはいえ、未だ瘴気をばら撒き続けるその怪物を彼が目を付けていない筈もなかった。

もしも空間の歪みが彼女の仕業である場合、その処置すら厄介であり、少なくともストレンジ一人の力では差し違えて漸くという不確定な可能性だった。

嫉妬の魔女であるならば暫しの放置、ロズワールの場合は処置に向けての行動、自然現象の場合は監視の三つの手段を構築するストレンジだった。

 

「ま、とにかく明日の早朝には此処を立つからネ〜。しっかりと準備を忘れないでネ」

 

考え込んでいたストレンジの頭にフェリスの声が鳴り響いたのはそのすぐ後だった。

 

 

 

 

 

翌日の早朝、王都に位置するカルステイン家の屋敷からメイザース領へ出立するフェリス、ストレンジ、そして御者を務めるヴィルヘルムはクルシュの見送りを受けた。

 

「今回はあくまで情報伝達が主題だ。くれぐれも相手方に失礼の何よう心掛けてほしい」

 

「任せてください!クルシュ様のお顔に泥を塗るような真似は、フェリちゃんは絶対しませんから!」

 

「フェリスは大丈夫だろう。こういう場にも慣れているからな。

ーードクター、メイザース辺境伯はファリックスとは違いかなりの奇抜さで有名な人物だ。卿が興味を持っているのは承知だが、あまり用件から逸れすぎないよう留意してほしい」

 

「私の心配か?心配ご無用と言っておこう。これでも私はマナー講座を受けていたんだ。礼節は弁えることができるに決まっているだろう」

 

「それを聞いて安心できた。卿の性格からして、気に入らなければすぐに会談を中断させそうだからな。こうして声がけをさせてもらった」

 

「おいおい、私はそこまで性根が腐っているわけではないぞ」

 

クルシュの言葉に心外と言わんばかりのストレンジ。彼のマナーに対する心配をストレンジは、無用と言わんばかりに払い除けた。自信があるストレンジを見て、クルシュは安心して息を静かに吐く。

 

「今回はスリング・リングを使わないのか?」

 

「あのねドクター。この世界の全ての人が、ドクターの魔法を見て何も思わないはずがにゃいんだよ。ファリックス子爵が例外だっただけで、殆どの人がびっくりしちゃう。それに、ドクターの魔法ってすんごい便利でしょ?あんまり使っちゃうとヴォラキア帝国とか魔女教に目をつけられちゃうかもしれないヨ?」

 

竜車に乗り込む直前、何気なく呟いたストレンジにフェリスは忠告も兼ねて返した。

仮想敵国であるヴォラキア帝国や魔女教に目をつけられるその危険性は周知の事実であり、その力を悪用する連中が出てくることは予想に容易い。その言葉を受けてストレンジはスリング・リングを使わず、偶には竜車からの景色を楽しもうとそのまま乗り込んだ。

 

 

 

 

王国からロズワール領への道中、竜車内に向かい合って座るフェリスとストレンジ。

ストレンジは異空間から取り出した書物を読んでいるため、暇になっているフェリスを時よりストレンジのマントが彼の元へ赴いて暇つぶしの相手になっていた。というのも、読書に熱中するストレンジを邪魔しないようフェリスは静かにしているたのだが、喋ることが大好きな彼にとって大半の時間帯は退屈な雰囲気が続いていたため、それを察知したマントなりの気遣いとしての行動だった。

やがて竜車はリーファウス街道と呼ばれる交易路に到達する。

 

「ねえドクター、あの大きな木は知ってる?」

 

マントと戯れていたフェリスがふと、指差した方向。ストレンジも其方へ目線を移せば雲を突くような巨大な大樹がそびえ立っているのが見える。

 

「大きな木……あれか。これは確かに馬鹿でかい木だな」

 

「でしょ〜。じゃドクターに質問で〜す。この大樹についてのお話について述べヨ!」

 

「確か、フリューゲルと呼ばれる賢者の名前から由来されているとか、賢者自身が植えたとか様々な伝説があったはずだ。その真意は不明だったはずだが」

 

「ふ〜ん、しっかりと勉強してるんだネ。フェリちゃんはちょーっとつまらにゃいかな」

 

そうこうしている間にもどんどん大樹の全貌がはっきりしてくる。地球上にはほぼ存在しないであろう巨大な大樹。

見上げても頂点が見えない程の高い幹に、天に突き立てるように伸びる膨大な枝の数。生い茂る葉もそれに相応しい量を誇り、太く逞しい幹を支えるのはのたくる大蛇のように地を這い、大地に沈む根の数々。

大森林の中にあるわけではなく、平原の中に一本だけ立っているその様は雄々しく、北欧神話と聖書に関する知識を有していたストレンジにとってはユグドラシルとも、セフィロトの木ともとれていた。

 

「確かに近距離で見るとその大きさに圧倒されるな。樹齢数百年でよくここまで成長したものだな」

 

「そうだネ〜。圧倒されちゃう大きさだよネ」

 

「しかし何のために賢者フリューゲルはこのバカでかい木を植えたんだ。何かのメッセージか、単に功績をアピールしたいだけなのか」

 

「うーん、文献も少ないしフェリちゃんも分かんにゃいかな〜。そもそもこの大樹について研究する人も最近はいないし〜。ま、きっとあることに意味があるって事ことだネ。

ーーあ、ここより北東方面に進むとメイザース辺境伯領だヨ。だよね、ヴィル爺?」

 

「ええ。この先を進むとやがて森林が見えてきましょう。そこに入れば、メイザース辺境伯領とは目の鼻の先です。が、対策こそなされていますが、その森林にはウルガルムが多く生息していると聞きます。故にドクター殿、警戒を怠らぬよう願いますぞ」

 

フリューゲルの大樹を通過し、北東へ進むとやがて薄暗い森林が見えてくる。石畳の道路が整備されているとはいえ、左右に広がる無数の森から薄気味悪い気配が漂うことをストレンジは察知していた。

念のためスリング・リングを指に通して警戒を強めるストレンジ。

しかしそんな彼の懸念を良い意味で裏切り、一切の魔獣は襲ってこなかった。

というのもストレンジは知らないが、半月ほど前この場所においてとある使用人とメイドたちが奮戦し、魔獣の脅威から周辺にある村を守った事件があったのだ。

最終的に主によって多くの魔獣が退治されたその事件には、つい最近雇われた黒髪の使用人が大活躍したそうだとかないとか。

 

三人を乗せた竜車は長い森林を通り抜け、広い平野に出る。

そして竜車から一望できる長い長い道のりの先には立派な屋敷が見えて来た。

 




次回はいよいよロズワールとの対談です。
お楽しみに!

因みにストレンジが製作した空間の歪みを生じさせる可能性のある危険者リストの中にはロズワールの他に、サテラ、パック、ボルカニカ、ラインハルト、ペテルギウスらが入っています。


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十六話 変人と変人

いよいよロズワール邸に到着し、そこの面々との顔合わせをするドクター。果たしてルグニカ王国宮廷筆頭魔術師の称号を持つあの方とは上手くやれるのか……。

世間では再びコロナが広まっています。皆様、体調管理にはくれぐれもお気をつけて。


ルグニカ王国王都を抜け、リーファウス街道を走り、平原を走り、森を抜け、何時間も竜車に導かれて移動する一行。やがて森を抜けた先に現れたのは趣を感じさせる西洋風の巨大な屋敷。

クルシュ邸に引けをとらないその巨大な屋敷の庭には、大きな噴水のある池や、色とりどりの美しい花、様々な形を模したトピアリーが理路整然に並んでおり、観光地でしかこのようなものを見たことのなかったストレンジは思わず目を奪われた。

 

「ここがメイザース邸か……」

 

「そうだヨ。ここがメイザース領にある別荘の一つ。他にも沢山のお屋敷を持っているみたいだけど、クルシュ様には及ばないネ」

 

「屋敷はその人物の力の大きさを測る物差しになり得るからな。公爵家と辺境伯家ではやはり財力に差があるが故、そのように感じることもあるだろう。しかし辺境伯の屋敷と聞いていたからてっきり、ガチガチに固められた要塞のような邸宅と想像していたが……」

 

「そんにゃ防御の硬い要塞みたいな邸宅は、城塞都市ぐらいしかないヨ。それにロズワール辺境伯はその力故、屋敷を要塞化しなくても敵を簡単に倒せちゃうから問題ないみたい」

 

ストレンジとフェリスが窓からの光景を見続けながら言うと同時に、竜車が速度を落とし、玄関前で停車した。

ストレンジは予測した通り、脳裏に言葉に表せない嫌な予感が浮かんだ。この大豪邸を別荘とするとはそれだけ財力があるということ。「嫉妬の魔女」と容姿が似ているエミリアを王選に担ぎ出すということは、亜人趣味や番狂わせを狙うというより、何か裏の意図が存在していると感じざるを得ない。兎に角、それは領主であるロズワール・L・メイザースに会ってみなければ分からないが。

停車した後、ヴィルヘルムによって戸が開かれ、ストレンジとフェリスは降り立つ。降り立った先には二人のメイドが寸分違わぬ姿勢で彼らを出迎えていた。

 

メイド二人はそれぞれ水色と桃色の髪の毛を持っている。ボブカットの髪型から顔立ちまで何もかもがそっくりな彼女達は恐らく姉妹であり、違いを挙げるとすれば髪と目の色の違いぐらい。二人の目は主人への絶対的忠誠を違う鉄の意志を感じさせ、仕立ての良いメイド服に身を包む彼女たちはこの華美な屋敷にぴったりだった。

 

「「ようこそロズワール邸へ。お待ちしておりましたフェリス様」」

 

「お久しぶりだネ〜、レムちゃんとラムちゃん。連絡は届いていると思うけど、今日は宣戦布告に来たんじゃにゃい。王都からの王選に関する連絡を持って来たってわけだから、そう緊張しなくて大丈夫だヨ〜」

 

「心得ています、フェリス様。ーそちらの方は?」

 

二人組のメイドのうち、桃色の髪の毛を持つメイドが一礼すると、ストレンジの方へ向く。赤髪メイドから見ればお客人とはいえ、敵方に属しているかもしれない人物であり、警戒するのは無理もなかった。

一方、ストレンジは桃髪メイドの潜在能力に密かに驚いていた。彼女の潜在的強さは今まで出会った誰よりも強く、彼の世界では強さだけを見ればキャップを凌ぐものであることを察した。

どういうわけか、彼女はマナ不足でありその理由にもストレンジは興味を持ったが、やはりそれ以上にその潜在能力には目を見張るものがある。

 

(彼女……常にマナ不足に陥っているのか、倦怠感が常に彼女を蝕んでいる。しかし、もしマナ不足が解消されれば、彼女の能力は今とは比べ物にならないほど強力になるだろう。私の考案する「ニアアベンジャーズ計画」に必要な人材であることに間違いない。

ー彼女のマナ不足を私の魔術で補うことは可能なのだろうか?)

 

ストレンジが黙考する中、フェリスは勝手に挨拶を進める。

 

「ん?ああ、隣にいるこの人はストレンジっていう魔術師。実力はあるけれど性格に難を持つ、訳あり元医者だヨ」

 

「おい猫耳獣野郎、説明を省くな。私が言う」

 

あまりに省いたフェリスを睨みながらストレンジは一歩踏み出すと、警戒する姉妹のメイドに高らかに宣言する。

 

「はじめまして。メイザース家のメイドたち。私はドクター・スティーブン・ストレンジ。「至高の魔術師」の称号を持つ最強の魔術師だ。今は訳あってクルシュ邸に厄介になっている。よろしく頼む」

 

「「……」」

 

「ねえドクター。フェリちゃんの気のせいかもしれないけどォ〜、なんか滑ってにゃい?」

 

「そんなはずないだろう。そうだろ?」

 

「ええ、使者様にはなんの問題もないわ。少しばかり使者様のお言葉にイタいところがあるけども、なんの問題もないわ」

 

「姉様はすごい人です!他人に言えない事をやってのける!レムは感激しました!!」

 

「……」

 

傲岸不遜な桃髪メイドの辛辣な毒舌の後、慇懃無礼なレムと名乗る水色の髪を持つメイドが、桃髪の彼女を絶賛する。

ふんと、胸を張る「姉様」とレムは姉妹、それも血縁がかなり酷似している双子である事にストレンジが気づかないわけはない。

辛辣な二人のコメントに黙ったストレンジを、フェリスは横腹を肘で突きながらおちょくる。

 

「ありゃりゃドクター。随分と酷な評価だネ〜。フェリちゃんが慰めてあげようか?」

 

「必要ない」

 

「ハイハイ、相変わらずドクターは頑固だねえ。偶には、フェリちゃんに甘えてもいいんだヨ〜?」

 

「勘弁してくれ。野郎に甘えるとか誰得だ」

 

「少なくともクルシュ様は「ふむ。そうやって仲を深めるやり方もあったのか。卿らの仲がそれで深められるのならば遠慮なくやってほしい」とか言いそうだし、多分許可ももらえるからフェリちゃんはいつでもうぇるかむ、だヨ!」

 

ストレンジの挨拶に関するところから、すっかり話が脱線してしまった一行。ようやく話が一段落したのは、あまりにも話が弾んだ事を注意するヴィルヘルムの咳だったとか。

 

「とにかくだ、我々は面白い話をしに来たんじゃない。王都からの言伝を伝えに来たのだ。早速、王選立候補者であるエミリア女史と、彼女の支援者であるロズワール・L・メイザース辺境伯へお目通り願いたい」

 

「ロズワール様は現在お屋敷にいらっしゃいますが、エミリア様は所用で席を外しております」

 

「暫くすれば帰ってきますのでお待ちいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

 

「それで構わないヨ〜。ま、エミリア様が帰ってくるまでは私たちも帰れないからねぇー」

 

「ではレム、お客様を来賓室に」

「はい、姉様」

 

ロズワール邸に到着して数十分。玄関先で駄弁っていたストレンジとフェリスは、レムに案内され屋敷の一角にある来賓室にようやく案内される。

屋敷の内装も外観に恥じぬ立派さで、外から見るよりも広く感じる。真紅の絨毯が引かれた長い廊下を歩いている途中も会話は続いていた。

 

「どう?初めてロズワール邸に入った感想は」

 

「この屋敷内に外部からの侵入者を防ぐ様々な仕掛けが為されていることは分かった。用心深いのか小心者なのか知らないが。

ーーそういえば、半月ほど前にメイザース辺境伯領では魔獣による事件が起きていたそうだな」

 

「ウン。ファリックス領で起こった魔獣騒動の何か関係があるってドクターは睨んでいたよネ。クルシュ様が相手した魔獣使いが何か関係しているのかもしれにゃいけれど、情報が足りなくて結論は出せないのが実情なの」

 

「エルザと一緒にいたメィリィという魔獣使いか。確かに彼女の実力は幼児のそれではなかった。メイザース領で起こった騒動があの魔獣使いによって引き起こされた可能性がある以上、王選を潰したい何者かがいる可能性もある。癪な野郎だ」

 

「或いは王選候補者に恨みを持った者の仕業というのもあり得るネ」

 

「私は見たことがないが、龍歴石とやらに王選に関する記述が書かれた以上、利権に群がる連中も数多くいるだろうな。現候補者を支援している貴族連中にそのような連中がいてもおかしくない。可能性としてはあり得るかもな」

 

(最もこれは第三者による妨害と仮定した場合だ。仮に何処かの陣営に属する有力者が引き起こしている場合、事の周到さもそうだが徹底的に証拠を残していない点を鑑みると、相当な上流階級か手慣れのプロの犯行か……。何れにせよ、厄介な事極まりない)

 

「……」

 

そして何やら物騒な事を話す客人たちの話を先を歩くレムが聞き逃すはずもなく、聞いていないふりをしながらもガッツリ聞き入っていた。

 

 

 

 

 

やがて一行は長い廊下の突き当たりに辿り着いた。先にあるのはこの屋敷の他の扉よりも装飾が華美で、大きい両開きの扉が設置されている。レムが両手で扉を開けると、中の装束品が明らかとなる。上質なソファに、木製の上等な机、靴底が埋まりそうなほどふかふかなクッションに、高価な置物。

窓辺からは日光が心地よく差し込んでおり、耳をすませば鳥の囀りも聞こえてくる。

 

「では使者様方、こちらで暫くお待ちください」

 

レムは深々と一礼すると、扉を閉じて退出する。ソファに深く腰を下ろしたストレンジは室内をぐるりと見回すと、窓辺から外の景色を眺めた。

周辺を森で覆われた自然溢れる光景はヨーロッパの田園地帯を連想させる。暖かい陽光がほどよく室内を照らしており、眩しさは感じない。

 

ストレンジが一通り室内を見て周り、ソファに座りしばらくすると再び扉が叩かれる。ストレンジが席を戻ると同時に扉が開かれ、レムの他にもう一人、背の高い高身長の美男が現れる。

 

「よーぅこそ、王都からの使者様方。遠路遥々当家にお越しいーただき、まことにありがたぁーく存じまぁーす」

 

扉を開けた先に立っていた男の容姿にストレンジは思わず、口をあんぐり開けてしまった。

長身痩躯、藍色の長髪に、青と黄のオッドアイ。悪趣味な道化じみた服と、ピエロメイクという奇抜な風貌は、とてもルグニカ王国に代々仕えてきた魔導の名門メイザース家の当主とは想像できない。

様々な人から変わり者と聞かされていたとはいえ、想像を絶するその見た目と話し方に動揺する彼の変貌に隣のフェリスは笑いを隠せない。

言葉を失うストレンジを余所に、ロズワールはスタスタと歩み寄ってくる。

 

「これはこーれは、フェリス様。態々、当家にまでご足労いただき、誠にありがとうございまぁーすとも。では早速お話を、といいたいところでぇーすが、そちらの方のご紹介をお願いでえーきますでしょうか?」

 

妙に気抜けした口調に態度。真意をひた隠すそれは、道化という言葉がぴったりな人物だった。 

だがストレンジを見つめる彼の目には好奇心と歓喜が滲み出ている。

 

「それは彼から直接聞いてあげてほしいにゃ〜、色々こだわりがあるらしいからねェ〜」

 

「一言余計だ、お喋り野郎。

初めましてだな、ロズワール・L・メイザース辺境伯。私はドクター・スティーブン・ストレンジ。『至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)』の称号を、受け継ぐ魔術師だ。今は訳あってクルシュ邸に厄介になっている。会うのを楽しみにしていた」

 

ストレンジがいつものように挨拶すると、着席していたロズワールは興味津々にストレンジの方を向き、その瞳を怪しく輝かせた。

 

「おぉ、あなたも魔術師!つまり、わーたしと同じというわーけですねぇ!では改めて名乗りましょう。

私はロズワール・L・メイザースと申しまーす。筆頭宮廷魔導士に任じられていまーすとも。私もあなたに会うのもとてもとーても心待ちにしていましたよ」

 

「私に?」

 

「ええ。ストレンジ殿の噂は聞いておりまぁーすとも。「ファリックス子爵領にておこった魔獣騒動を、解決に導いた未知の魔術師」、「ルグニカ王国に突如として現れた稀代の策士」、「カルステン家の切り札」などなど、色々なお噂が立っている有名人物でぇーすからねぇ」

 

「どれもこれも好意的な異名だな。しっかりと人を見る目があるようで安心した」

 

「まーるで、自分にとっては妥当だと言うような口調でーすね。ますます興味が、わーきましたとも。

そうそう、私共にもあなたと同じように厄介になっている使用人がいましてーね。彼は器用なんですが、どーも性格が難しくて。とにかく面白い子なので、良かったら挨拶させてやりたかったーのですが、生憎今は席を外しておりまぁーして」

 

何やらロズワールは、この屋敷の使用人の一人にストレンジを重ねているようだった。ロズワールほどの変人に目をつけられるということは彼も相当の変人なのか、それとも単にロズワールの趣向なのか。

道化の口調を崩さない今では分からない真意を持つロズワール。教養豊かなその動作とは真逆の道化師めいた口調と格好に、ストレンジは後に厄介事に巻き込まれそうな感じがしてならなかった。




ロズワールは、ストレンジの活躍を耳にして以来、彼に興味を抱いていました。全く未知の魔術を使う彼に会うのを密かに楽しみにしており、普段以上にルンルン気分になっています。
またストレンジの魔術が、自らの悲願に繋がる可能性があるとも思っていたりしています。

因みにそれを見た禁書庫の司書からは、「気色悪いかしら」と一蹴されています。


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十七話 憧れと羨望

なんとこの作品がランキング入りすることができていました!

もう本当にありがたい限りです!
この作品をご愛読してくださっている全ての皆様に、只々感謝申し上げます!


「そうそう、私共にもあなたと同じように厄介になっている使用人がいましてーね。彼は器用なんですが、どーも性格が難しくて。とにかく面白い子なので、良かったら挨拶させてやりたかったーのですが、生憎今は席を外しておりまぁーして」

 

「ほう。お前はその使用人に余程ご執心のようだな」

 

「あはぁ、そうですとーも。彼は私達の命の恩人ですからねーえ。エミリア様を二度もお助けし、村の危機を救った彼は、最早英雄。そーんな彼を手厚く迎える他にどーんなお返しがありますかぁーね?」

 

ストレンジとフェリスがロズワール邸に入って数十分が経過する頃、当主であるロズワールと面会したストレンジは彼の放つ異様なオーラに引きつつも、彼の話に耳を傾けていた。

どうもこのピエロ当主は現在、とある使用人にご執心のようであり、言葉の端々からも読み取れる。

 

「そういえばロズワール様の領地でも魔獣による騒動があったみたいじゃにゃい?無事解決したから良かったけど対応を間違えちゃうと〜、いつか痛い目に遭うヨ?」

 

「フェリス様、ご忠告感謝しますとーも。なーにせ、今回の出来事は明らかに人為的なものでしたからねーえ。何者かが手を引ーいていたことは分かっていますとーも。カルステイン家でも同様の被害を受ーけたと報告を受けていますが?」

 

「それは我々が対応し、無事撃退した。当事者であるファリックス子爵からも大変感謝されたぞ」

 

「なーるほど。どおりであなたの噂が広まるわーけですね?しーかし、お互い色々面倒事を抱えているように感じまぁーすが?」

 

向かい合って座るストレンジ、フェリスとロズワール。お互い、先の魔獣被害に関して情報交換を行いつつ、本日の主役であるエミリアの到着を待っている。因みに現在、ヴィルヘルムは屋敷正面玄関前にて竜車の掃除と地竜のケアを行っていた。

 

「わーたしはストレンジ殿の活躍を聞いてとてもとーても驚きましたよ。しーかし、まさか「腸狩り」と魔獣を操る少女がそーの事件の黒幕だったとは、こんな偶然もあるのでしょーか?」

 

「偶然だと?どう言うことだ、メイザース辺境伯。それと、私の名前はドクター・ストレンジだ。私を呼ぶ時はドクターと呼んでほしい」

 

ストレンジの場所が変わらずとも続けるこだわり。本来であるならば敵本拠地である辺境伯の眼前でもそれは変わらない。

名前を指定するという無礼に近い真似をロズワールは、面白そうに笑う。

 

「良いですとーも。どうも先程、ストレンジ殿と呼んだ時、心なしか不満そうな表情でしたかーらねぇ。あなたが指名した呼び名を使うことにしましょーか。

そして先程の話に戻りまーすが何を隠そう、私の使用人はその「腸狩り」によって傷つけらーれ、私の屋敷に運ばれてきーたのですから」

 

ロズワールの使用人とファリックス領を襲った下手人が同じエルザだったという人物。更にロズワールは続けて爆弾を落とす。

 

「その時、エミリア様をお助けしたのーも、使用人である彼ですけどねーえ」

 

ストレンジにとっては聞き逃せない情報をさらりと言ったロズワール。

彼の言葉通りなら、エルザはクルシュを襲う前に、同じ王選候補者であるエミリアを襲っていたことになる。そしてそれにはロズワール領内にて起こった魔獣襲撃と同じ使用人が関与していた。まるで仕組まれたような一連の出来事にストレンジは言いようのない嫌悪感に襲われる。それはまるで出来事を裏から操られ、さも自らのシナリオ通りに動かされている事への不快感に近い。

 

「ふーん、そんな偶然もあるんだネ?」

 

「まーったくですとーも」

 

ストレンジが考えに集中して無口になるので、繋ぎとしてロズワールと言葉を交わすフェリス。急に黙ってしまった彼を見て、ロズワールは面白い人物だと笑みを浮かべニヤニヤしているが、フェリスはどうしたものかと心配げになるがすぐにその気を晴らす。ストレンジと一緒にいる時、彼は突然別行動を取ることが多いからだ。

やがて室内にティーセットを運んできたラムが現れたことでその空気は切り替えられた。彼女によって机の上に淹れたての紅茶が()()()用意される。

ロズワールは安心させるためか、自ら紅茶を手に取り飲もうとするが、ストレンジはほぼ同時に手に取り、彼よりも先に飲み始める。

 

「お気に召していたーだけたでしょーか?」

 

「ふん。中々上品と言える味だと言えるな。何処かの悪趣味実業家が作った三流菓子よりはマシだ」

 

「それってドクターの故郷の話?多分、話しても分からにゃいと思うヨ?それにしても、ラムちゃんの淹れてくれる紅茶は凄く美味しいよネ〜。いつも淹れてもらってるから分かるヨ〜」

 

「フェリス様。申し訳ありませんが、この紅茶はレムが淹れました」

 

ラムの言葉に「あ、そうにゃの?」と返すフェリス。この間にもストレンジとロズワールは視線を交わし続けていた。何もかも見透かそうとする好奇心の目と、真意を悟らせない冷静な目が交わり合う。ロズワールはお茶を置いたところで次なる局面へと進む。

 

「とーころで、手紙で話は聞いていまーす。王選についておー聞かせ願いませんでしょーか?」

 

「それは特使であるフェリちゃんから説明させてーって思ったんだけど、エミリア様がいにゃいヨ?」

 

「そーれは心配無用でぇーすとも」

 

ロズワールの言葉通り、その僅か数秒後扉が開かれる。

ラムによって扉が開かれると先に姿を表したのは妹のレム。

 

「ロズワール様、お客様。エミリア様がいらっしゃいました」

 

レムがゆっくりと傍に寄り深々と一礼すると、彼女の背後より様子を窺うように一人の美少女が現れる。

長髪の銀髪を靡かせ、フェリスとはまた違う短く尖った耳。紫紺の瞳の奥には、彼女の肉体年齢には不相応なほどの幼い感情が見え隠れする。クルシュと真逆な自信なさげなオーラを抑えられていない彼女は何か大きな力を持った存在に寄り掛からなければ生きていけないような儚い印象をストレンジに植え付けた。世間知らずの箱入り娘という言葉がこれほどぴったり当てはまる人物がいるのだろうかという思いとともに。

ーーロズワール辺境伯が支援する王選候補者の一人、エミリアがそこにいた。

 

「あ、あの……。遅れちゃって、ごめんなさいっ!!」

 

開幕初手に勢いよく頭を下げる美少女。申し訳なさそうな表情を顔に浮かべたエミリアは、おずおずと顔を上げ、フェリスやストレンジの反応を伺う。

 

「大丈夫ですヨ〜、エミリア様。我々も今し方到着したところですからネ」

 

「突然の来訪だ。遊びに行っていたとしても咎められるものではないだろうな」

 

「ふーむ、ドクター殿はエミリア様を前にしーても、一才の嫌悪感を抱きまぁーせんでしたねぇ」

 

「私を容姿のみで判断するような下賤な輩と一括りにしないでもらいたいな、メイザース辺境伯。世間がどう感じてようが、彼女はエミリアだ。色眼鏡で彼女は見ないぞ」

 

ストレンジは申し訳なさそうに佇むエミリアに、着席するよう促す。当事者であるエミリアの到着により関係者が全て揃った。遂に今回の来訪の目的である王選についての詳しい情報を話すことができる。

 

「そーの前に、エミリア様には是非ともこちらにいらっしゃるドクター殿に挨拶をおー願いしたいと思うのですがよろしいでしょーか?」

 

「あ、そ、そうね。ロズワール。

ーーえっと、初めまして。私はエミリア。ただのエミリアです。よろしくお願いします!」

 

「エミリア……エミリアだけ?アデルみたいに?もしくはアリストテレス、ドレイク、ボノ、エミネム……あぁ、ビヨンセだな?」

 

お得意のジョークをぶちかますストレンジ。以前ウォンと同じようなやり取りをした際には、彼に冷たい目線で見られ、挙げ句の果てには脅迫まがいな言葉を投げつけられていたのだが、同じジョークでも異世界住人のそれに対する反応はーー

 

「「「……」」」

 

「……ヘクチ」

 

暖かいはずの室内には妙に寒い風が吹き抜け、ラムは思わず可愛らしいくしゃみを漏らす。ロズワールはにやにやと笑みを浮かべ続け、フェリスは苦笑し、レムは真顔でじっとストレンジを見続けている。

そんな中、困り顔のエミリアは苦笑まじりにストレンジのジョークに応える。

 

「え、えっと。その、ありすとてれす、とか、びよんせ、とかよく分からないんですけど……。

私の名前はエミリア。それだけ、です」

 

「いや、こちらも失礼したなエミリア。先程の言葉は忘れてくれ。

ーー敬語が苦手なら、砕いてもらっても構わないが」

 

「忘れてくれって……あれはかなりの印象だヨ?忘れる方が無理な話にゃ〜」

 

「お前は隙あらば口を挟もうとするな。

こちらのバカが失礼したな。私はドクター・スティーブン・ストレンジだ。『至高の魔術師』を受け継ぐ魔術師だが、今はカルステン家に厄介になっている」

 

「クルシュさんの所に?ーーそう、あなただったのね。クルシュさんのお友達の、フォリアさんのところで起こった魔獣騒動を鎮圧した魔術師っていうのは」

 

エミリアは真っ直ぐにストレンジを見つめる。敵意や羨望の視線なら山ほど受けたストレンジも、一切の穢れがない純粋な敬意のみの視線を受けた経験はなくそれ故、こそばゆい感覚に襲われる。

 

「私、すごーくあなたに会いたかったの。みんなが困っている時に手を差し伸べる事ができて、どんな敵を前にしても、決して怖気付くことなく自分を押し通して戦う。私もいつかはそんな風に色々な人を助けられたらって思ってて。ーーさっきので大分印象変わっちゃったけど」

 

「エミリア様は、ドクター殿に憧れていーるんですよぉ?ス……使用人はそれに嫉妬しちゃって大変でぇーしたけど」

 

「ち、ちょっと!ロズワール!」

 

「や〜ん、ドクターってばモテモテだねェ〜。フェリちゃん、ちょっと妬けちゃうかにゃ〜?」

 

「勝手に妬けとけ」

 

自分に憧れているらしいエミリアの発言に、図らずも気分が高揚するストレンジ。かつて医者時代には「神の手」を駆使し、難手術を次々に解決した際にも、同僚や学会の同業者からも同じような言葉をかけられたことがあった。しかし、当時はその言葉はかけられて当たり前、賞賛など心には響いたことはない。

しかし、たった一人の少女の純粋なる敬意と、面と向かって言われた称賛の言葉にストレンジは、人生で久しぶりに照れるという感情を実感していた。

 

 

 

 

 

時はエミリアが来賓室に足を踏み入れた時まで遡る。

王都からと使者が来たとの報告を受けたエミリアは急いで初めて来賓室まで向かい、タイミングを窺うように静かに入ろうとする。

そして室内を見回した時、フェリスとともに対面に座る謎の男について、色々な意味で初めてな人間だと感じていた。

あの子と同じ黒髪に、アイスグレーの瞳、口元の丁寧に整えられた髭。

それに加えて高身長という美形の容姿は、どこかロズワールと近いものを感じる。

見たことのない服の上には赤いマントを羽織っており、手元には()()()()()()()()両手を覆う手袋。そして何より、エミリアはその人物に溢れんばかりに存在するマナの量と、それを操るゲートの大きさに驚いていた。

自分では到底操り切ることができない量を操る技量を持った人物の存在。至高の領域に立つ大きな存在に、エミリアの心はざわめき立っていた。

 

「そーの前に、エミリア様には是非ともこちらにいらっしゃるドクター殿に挨拶をおー願いしたいと思うのですがよろしいでしょーか?」

 

着席したエミリアは、ロズワールの言葉に促され、エミリアは自然と立ち上がり、その人物に頭を下げる。

 

「あ、そ、そうね。ロズワール。

ーーえっと、初めまして。私はエミリア。ただのエミリアです。よろしくお願いします!」

 

「エミリア……エミリアだけ?アデルみたいに?もしくはアリストテレス、ドレイク、ボノ、エミネム……あぁ、ビヨンセだな?」

 

初対面ながら変な言葉を次々発する目の前の男。ちゃんとして聞く男の声は聞きやすく、何処か傲慢にも聞こえる。

どう返せばいいか困惑するがしかし、嫌悪感を抱くことはなかったエミリア。

 

「え、えっと。その、ありすとてれす、とか、びよんせ、とかよく分からないんですけど……。

私の名前はエミリア。それだけ、です」

 

「いや、こちらも失礼したなエミリア。先程の言葉は忘れてくれ。

ーー敬語が苦手なら、砕いてもらっても構わないが」

 

「忘れてくれって……あれはかなりの印象だヨ?忘れる方が無理な話にゃ〜」

 

本当にこの男とフェリスは仲がよろしいようで、微笑ましく感じるエミリア。それと同時に何処か羨ましくもあった。遠慮なく言葉をぶつけ合える「友人」という存在を持っていなかったエミリアにとって、男とフェリスのやり取りは彼女が思い描く「友人」としての理想の形だった。

父同然の精霊との仲が彼らとのやりとりに最も近いものの、何処かそれは親子に近い関係。最近出会った使用人はやたら自分に言葉を投げかけてくれるものの、彼の心情を把握できていないエミリアにとってはどのように応答すれば良いか分からなくなる時がある。

エミリアが何処か羨ましそうな思いを抱く中で、男が再び口を開く。

 

「お前は隙あらば口を挟もうとするな。

こちらのバカが失礼したな。私はドクター・スティーブン・ストレンジだ。『至高の魔術師』を受け継ぐ魔術師だが、今はカルステン家に厄介になっている」

 

その名にエミリアも聞き覚えがあった。

以前、アーラム村で発生した魔獣による子供たち誘拐事件。それを解決したのはレム、ラム、そして彼。

が、その一件の後、今度はファリックス領で同様の魔獣による被害が発生したとの報告が入った。

アーラム村を襲った魔獣とは比べものにならないほどの数の大群に加え、以前王都で自らを襲ったことのある「腸狩り」がファリックス領を襲ったという事実は、エミリアを驚愕させると共に恐怖心を植え付けた。

ーーもしも自分が領主であり、同じような状況に接した時、自分ならば領民を背にして戦えるだろうか。大勢の領民たちを背に一人で大群を相手に戦えるのか。「嫉妬の魔女」と同じ容姿の自分が戦っても誰が喜ぶのだろうかーー

 

見えない敵に自信を無くすエミリア。しかし、その大群を撃退した魔術師がいた。その魔術師はまだカルステン家に身を寄せてから数ヶ月しか経っていなかったが、自ら義勇軍に加わり大勢の村人たちを背に、膨大な数の敵を次々と倒したそう。

見たことのない魔術を次々と駆使して魔獣を葬り、「腸狩り」との一戦では優秀な剣士の助力があったとはいえ、彼女と互角に戦うなど武術も優れた人物。結果として多くの人の命を救ったその魔術師にエミリアは憧れと尊敬を抱く。いつかその魔術師のように多くの人の命を救う存在になりたい、出来ればその人物と会ってみたいーー。

同じ魔法を扱う者として憧れを抱いた人物の名こそ、ドクター・スティーブン・ストレンジ。

ーーそう、ドクター・ストレンジだ。

 

「クルシュさんの所に?ーーそう、あなただったのね。クルシュさんのお友達の、フォリアさんのところで起こった魔獣騒動を鎮圧した魔術師っていうのは」

 

隠しきれていないであろうが問題はない。寧ろ見せつけてやろうではないか。自分が如何に彼に憧れているのかを。

エミリアは真っ直ぐに彼を見つめた。ただ、憧れと尊敬を胸に。

 

「私、すごーくあなたに会いたかったの。みんなが困っている時に手を差し伸べる事ができて、どんな敵を前にしても、決して怖気付くことなく自分を押し通して戦う。私もいつかはそんな風に色々な人を助けられたらって思ってて。ーーさっきので大分印象変わっちゃったけど」

 

「エミリア様は、ドクター殿に憧れていーるんですよぉ?ス……使用人はそれに嫉妬しちゃって大変でぇーしたけど」

 

「ち、ちょっと!ロズワール!」

 

「や〜ん、ドクターってばモテモテだねェ〜。フェリちゃん、ちょっと妬けちゃうかにゃ〜?」

 

「勝手に妬けとけ」

 

ストレンジはフェリスに、自分はロズワールにそれぞれ茶化される。

時々変なことを言う人物だが、それでもエミリアは彼に敬意を抱き続けていた。

 




エミリアにとってストレンジは、色眼鏡で自分を見ない数少ない人物だったからこそ、ストレンジを特別な人と思っています。尚且つファリックス領での一件から、彼方からずっと会いたいと感じていました。

因みに憧れと尊敬の気持ちを直に聞かされた使用人の少年は、未だ見ぬストレンジに敵意を持っています笑


P.S
このエピソードで分かりにくいとのご指摘をいただきましたので補足説明させていただきます。
このエピソードでは前半をストレンジから見たエミリア、後半をエミリアから見たストレンジ、として表現しています。その為、同じセリフが2回続いているようになっています。
かえって見にくくなっていましたら誠に申し訳ありません。次回からの改善点とさせていただきます。


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十八話 懸念は世の常

皆様、大変長らくお待たせいたしました。
先週はとても忙しく執筆の余裕がありませんでした。ようやくひと段落しましたので、執筆を再開します!

今回は少し短めです。


ロズワール邸にて開かれている王選に関する会談。

出席者であるフェリス、ストレンジ、ロズワール、それにエミリアが揃ったことで遂に開かれる。

 

「そぉーれでは王選について、エミリア様も揃った事でぇーすし、そろそろ始めましょーか?」

 

「そうだネ〜。かなり脱線しちゃってるし、とっとと始めちゃいますか〜」

 

フェリスは一通の紙をテーブルに置いた。先にエミリアが手に取る。

 

「えーと、エミリア様、それにロズワール様。王選に関しまして、賢人会より招集がありました。王選候補者全員を王都に召集し、今後の王選についての議論を行うとの事です。開催日は三日後を予定。近日中の王都参内をお願いします」

 

「三日後……じゃ、早く準備しなきゃね!」

 

早速息巻くエミリアに、ストレンジは軽く諭す。

 

「そう焦らなくても良いんじゃないか?ここから王都まではたったの半日。準備期間に最低でも一日は取れる。まあ、今すぐ王都に行って観光したいならそれもありだろうがな」

 

「まぁ、そこはエミリア様にお任せしますけどネ〜。あ、お知らせは以上にゃ。今回は時間さえ守ってくれたら、特にその他に規則や指定はありません。同伴者についても、同様にゃ」

 

「かーんしゃしますとも。フェリス、ドクター殿。わーたしから特に要望はありませんが……エミリア様」

 

「分かってるわ、ロズワール」

 

すっと立ち上がったエミリア。何か切実な望みを抱えているのか、ロズワールに促されたエミリアは、深々と頭を下げる。

 

「お願いがあるの。フェリス、ドクター。あなたたちの力を借りたいの。スバルを、スバルを助けてください!」

 

突然彼女の口から告げられた謎の名前。フェリスもストレンジも首を傾げざるを得ないが、何やら深刻な事情を持っている事は理解できる。

 

「スバル……?」

 

「あ、あなたたちはスバルの事を知らないのよね。えっと、スバルは私を助けてくれる不思議な男の子。この前のアーラム村の一件で、かなり無理しちゃって。それでゲートが危険な状態で……。私が無力なせいで、スバルに辛い思いをさせちゃったから、私も何かスバルにできることがあるんじゃないかって!」

 

「そこで私やフェリスの力をもって、そのスバルという人物の治療を行って欲しいといことか?」

 

「そう。こんな事頼むのは変だと思うけどお願いなの!私にできることがあればなんでもするわ!」

 

ストレンジは二点気にかけたことがある。

一つは元医者として、そのスバルなる人物の治療を行うとすぐに決めたこと。元医者として救える命を救いたいという思いと、自分の技量が試せる良い機会でもある事から彼の中に拒否する理由は浮かんでこない。

 

もう一つはスバルという名前だ。明らかにそれは日本人の名前であり、これまで出会ってきた人物の名前とは一線を描いた名だ。

もしも仮に自らと同じく異世界にやって来ている人間だとするならば、治療の過程で元の世界に戻れる情報を何か得ることができるかもしれない。

 

全くメリットがなければストレンジであろうとも、フェリスやクルシュの意見を聞いていたであろうが、メリットが複数存在している時点で彼はエミリアの要望を聞き入れるつもりでいた。しかしあえて意地悪く質問する。

 

「ほう。そのスバルという男のためならば自己犠牲をも厭わないのか?」

 

「え、ええ。スバルは私を助けてくれるもの。恩返しに私にできることがあれば何でもするつもりよ!」

 

「ちょ〜っと、ドクター。なーに考えちゃってるのかにゃ〜?もしかして、変なことでも考えていた?」

 

「そう変なことを言うのはやめろ。そのスバルという人物に多少興味を持っただけだ。何か変な妄想をしていたわけではない」

 

「あれ〜?フェリちゃんは何も言ってないのにどうして変な妄想って言えるのかな〜?もしかしてそういうのを期待していたの?」

 

「最低ね、お客様」

 

「最低です、お客様」

 

「最低だーよ、ドクター殿」

 

「お前まで乗るな、クソピエロ野郎」

 

姉妹メイドのみならず、調子づくロズワールを牽制するストレンジ。ストレンジに怒られたにも関わらず、ロズワールは笑みを浮かべ続ける。

含みのある笑みを浮かべることの多いロズワールだが、今回は完全にふざけているためストレンジも呆れたような表情こそするが、大して追及もしない。

 

「良いじゃないか、フェリス。私も元とはいえ医学の道を極めた者だ。治癒を望む者に対しては、敵味方関係なく治癒を行うべきと思うが」

 

「んま、フェリちゃんにとっても其方に貸しを作れるわけで、不利益になることは無いし異論はないかにゃ〜。あ、でもそちらの方から治癒を不要と判断した場合は、その時点で治癒は止めるけどそれでいいかにゃ?」

 

「ええ、構わないわ」

 

エミリアは確固たる意思を決めたように深く頷く。彼女にとって大事な人であるスバルの治療は王選に次に重要な責務と考えていたため、例え敵方であるクルシュ陣営に借りを作ろうと後悔はなかった。

階段も終盤に差し掛かったところで、王選に関することは全ては出尽くした。このタイミングでストレンジは手を挙げる。

 

「なら私からも一ついいか?」

 

「おやぁ〜?ドクター殿からとは珍しいでーすねぇ。なーんでしょうか?」

 

「ここで聞いておきたいことがあってな。ロズワール辺境伯は異次元の脅威については考えた事はあるか?」

 

ストレンジは人差し指を立てて、その指先を天井、否、正確には天井のその先、空に向けていた。

ロズワールはその道化顔を上に向けるが、珍しそうな表情を浮かべ視線をストレンジに戻した。

 

「異次元からの脅威、そーんな事は気にしたこともあーりませんよぉ?」

 

「既に耳に入ってるとは思うが、このルグニカにて多数の空間の歪みが出現している。隣国のヴォラキア帝国や北方のグステコ聖王国でも観測されており、これは世界的な問題だと理解しているとは思う」

 

「それはそーですねぇ。なぁーにせ、ルグニカ王国建国史上初めての、上空に出現した異変ですかーらねぇ。辺境伯として見逃せない一件ではあーりますとも」 

 

「異次元の脅威から現実を守ることは私の責務とだが、もう一つに空の果てから来る敵から、全宇宙を守る事も私の重要な責務だ。私はあの事件の再来を何としても防ぎたい」

 

「あの事件?」

 

ロズワールの問いにストレンジは返答を控える。ストレンジのいう事件というのは、2012年のチタウリ軍によるニューヨーク侵攻だ。地球の人々にとってスーパーヒーローの存在を認知させたと共に、人類が唯一の知的生命体ではないこと、地球でさえも侵略者からの攻撃目標とされていることを、あの事件は地球中に知らしめた。

仮にストレンジが懸念する空間の先が、彼の宇宙(ユニバース)であった場合、ストレンジにとって、彼らのルグニカ王国侵攻は最も防ぎたい事案であった。地球人にでさえ彼らのテクノロジーは脅威になり、あの傲慢な実業家が鉄の鎧を狂ったように作り出した原因にもなった。その力が何世紀も遅れるこの世界に持ち込まれれば被害は想像を絶するだろう。

 

「その事は後に話そう。とにかく、この事態に際して私は万が一の事態に備えてのチームを結成したいと考えているのだ。ついてはロズワール辺境伯に協力を願いたい」

 

「異次元の脅威、空の果てから来ーる敵ですかぁ。わーたしもそれについては確かに認識していなかった脅威でーすねぇ。分かりまーしたとも。それについてはこちらでぇーも、できる限りの協力をいたしましょーう」

 

「感謝するぞ」

 

ストレンジも自身の要望をロズワールに伝えることができ、訪問の目的を達成することができた。

長かったロズワール邸への訪問も全ての日程が終了し、ストレンジとフェリスは別れの挨拶を部屋の面々に行い、屋敷を後にする。

 

「あぁ、ロズワール辺境伯。別れのついでに一言、伝言を頼む」

 

「ふむ、なーんでしょうかぁ?」

 

「『沢山の知識に囲まれて過ごすのもいいが、偶には子供らしく外に出て遊ぶことを勧める。何がお前を縛るのかは知らないが、自ら進まないのは呪縛を望んでいるのと同じだ』と。お前なら分かるだろう」

 

「……わーかりましたとも。伝えましょう」

 

別れ際に放った一言に、その真意を読み取ったのはロズワールただ一人。しかし、そのロズワールも一瞬表情を険しめ、ストレンジを睨んだ。まるで、正体不明の怪物を目の前にしたように。

 

 

レムに伴われ、フェリスとストレンジは玄関から外に出る。

その時、ストレンジの目に映ったのはヴィルヘルムに悪絡みする黒髪の少年。東洋人らしい彼の顔を見た瞬間、彼はその少年こそスバルであることを確信した。




ロズワールの協力を取りつけたストレンジ。
『ニア・アベンジャーズ計画』に向けてもストレンジは大きく関与していくことになります。

因みにストレンジがこの屋敷に引きこもる何者かの存在に気付いたのは彼が、空間を認識する能力に長けていたためです。
自分より遥かに小さな存在が何年も一室に引き篭もる、これには何か理由があると考えたストレンジは敢えて「呪縛」と言いました。



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十九話 天才は全てを見透かす

最近は雨が降ってばかりで気分が憂鬱になりがちです笑

今回は、原作小説を引用させていただいたのでかなり長めです。



「ずーっと表で待ってるのも退屈しません? 一服いかがっすか?」

 

時はエミリアたちとストレンジ、フェリスが懇談中の時間まで戻る。

一人屋敷前に待機して彼らの到着を待っていたヴィルヘルム。丁度彼が竜車の窓を拭いていたところへ、そう言ってお盆を手に持ち現れたのはこの屋敷に数日前から雇われ使用人として働いているナツキ・スバル。ヴィルヘルムは、壁を見下ろし驚いたように軽く目を見開いていた。

 

場所は屋敷の外、正門前に止められた竜車のすぐ傍ら。

相変わらず見慣れない地龍の巨体に若干ビビりつつ、茶を差し出すスバルはヴィルヘルムの驚き顔を半笑いで見上げている。

 

「これは失礼しました。少しばかり意外でしたもので」

 

しかしそこはヴィルヘルム。最初の衝撃から立ち直るや否や、すぐに布を置く。

そして悠然スバルの前まで悠然と歩くと、差し出される盆の前で優雅に一礼をしてみせながら、

 

「お言葉に甘えることとしましょう。確かに少々、喉が渇いておりましたので」

 

「あ、どもっす。好みがわからないんで、とりあえず一番高い茶にしときました」

 

盆を差し出すと、ヴィルヘルムはその顔に柔和な微笑みを刻む。年齢に応じた皺が口元に浮かぶのを見ながら、すぐ側に歩み寄った彼をスバルは子細に観察した。

 

上背はスバルよりやや高く、完全に白く染まった頭髪は薄くなることと無縁の豊かさ。その服装は御者というには格式高すぎる黒の正装である。背筋はピンと伸び、衣服の下の肉体も老齢に見合わぬほど研ぎ澄まされているのが伝わってくる。

正面に立ってるだけで否応なしに緊張させてくる御仁。

 

「――単なる老骨ですよ。私などに警戒される必要はございません」

 

ぼんやりとそんなことを考えるスバルに、ふいに穏やかな声がかけられる。

ヴィルヘルムがカップを受け取り、それを口に運ぶまでの間に一言物申したのだ。じろじろと不躾な視線を向けていたことに気付かれ、ばつの悪いスバルにヴィルヘルムは笑い、

 

「いい味です。かなり奮発されたものと思いますが……」

 

「マジに一番高い茶です。たぶん、勝手に飲んだのばれたら桃色の髪のメイドが本気ギレするぐらい」

 

大雑把に見えて、意外と茶葉などに関しては繊細な舌を持つラムに『持ち出し厳禁』とされた最高級の茶葉を勝手に使ったと知れれば、それなりのお説教がスバルに待ち構えている。

しかしずる賢いスバルはしっかりと対策もしており、

 

「厨房から茶葉は持ち出さず、ちゃんと中で作って外に持ち出した……っていう理論で納得してもらえないかなぁ」

 

「ふむ、ドクター殿には遅れを取っていますが、それなりの策士ですな」

 

「残念なことに、相手にこの屁理屈が通じるかは完全に運任せなんです……ってドクター殿?もしかして"医者"って名前の人がいるんすか?」

 

「いえいえ、こちらの話です。どうかお気になさらず」

 

七割方、スバルの負けが確定している事実よりも、彼に興味を抱かせたヴィルヘルムの一言。“ドクター”と呼ばれる策士の存在だ。

スバルにとって初めて自身の世界に繋がる可能性のある存在に、彼の心は些か動揺する。

一方、ヴィルヘルムはカップをさらに一度傾け、感慨深げに吐息を漏らし、

 

「それで、このお茶を撒餌に、老骨になにをお求めですかな?状況から今日の訪問のことであることは察するに足りませんが」

 

片目をつぶったまま、こちらを推し量るような顔つきで問いかけてくるヴィルヘルム。

 

涼しげな顔つきで返されるスバルは肩透かしの気分を味わう。ヴィルヘルムという人生経験の濃さも厚さも桁違いな存在は、若いスバルが太刀打ちできる相手ではない。

事態の詳細が分かったところでスバルは方針を切り替える。

 

「参りました。――俺の名前はナツキ・スバル。今は、ロズワール邸にて使用人見習いをやっています。せめて、あなたの名前を聞かせてもらってもいいですか?」

 

若輩なら若輩である事実を認め、その上で年長者の慈悲に縋るのが関の山。

素直に頭を下げるスバルに、ヴィルヘルムはかすかに頬をゆるめると、

 

「これはご丁寧に。私はヴィルヘルムと申します。今はカルステイン家に仕え、仕事を頂いている身になりますかな」

 

スバルは舌の上で一度その名前を転がす。

 

「名前、教えてもらってありがとうございます。そのついでに、せめて今日の訪問の理由……内容まで教えてもらえませんか?」

 

「その件に関しましては使者が今、中で話している最中だと思いますが」

 

「そうなんですけど、実はさらっと参加禁止の扱いを受けちゃって。このまま話が進むのも面白くないんで、俺なりのアプローチというか」

 

スバルは、ヴィルヘルムが口を割らせるのが簡単な相手でないのは、初見の印象とこれまでの会話から把握している。が、その上で相手の懐にずかずか入り込むのはスバルお得意の技。伊達に他人の気持ちがわからずに孤立した経験が多いわけではない。

しかしヴィルヘルムは言葉とは裏腹に何処か想定したような表情を浮かべる。

 

「思惑を外されて熱くなるわけでもなく、それも織り込み済みで前に出ますか。そして、考えが見透かされても悪びれるどころか開き直る。――ドクター殿と実に相性が悪そうです。あの方もあなたと同様の事をなされますから」

 

辛辣な言葉にまた含まれる“ドクター”の存在。

ヴィルヘルムの言葉の内容通りならば、スバルの態度は彼にとっても好ましくないものであり、“ドクター”からは顰蹙を買うことになるそうだ。

ならば、とスバルは顔を上げ、

 

「触りだけでも結構ですので」

 

「あなたが屋敷でどんな立場にあるのかわからない私には、迂闊なことを口にすることはできませんな。ご理解を」

 

わりと無礼極まりないスバルの姿勢にも、丁寧に応じるヴィルヘルムにスバルは完全に降参する。こうまで頑な人物の気持ちを曲げさせる交渉術など、スバルは持ち合わせていない。

彼が途方に暮れていると、

 

「ただ、エミリア様と親しい間柄にある、というのは先ほどの様子からうかがえましたな。実に微笑ましい限りです」

 

「俺とエミリアたんが仲睦まじい嬉し恥ずかし赤面トーキングしてたの、見えちゃいました?」

 

「たん……?」

 

 呼び方に不思議そうに眉を寄せて、それからヴィルヘルムは現金なスバルの態度に厳しい顔をする。

 

「険しい道を歩きますな。相手は、次期ルグニカの女王になるかもしれないお方ですよ?」

 

「現状はただの超可愛い女の子と、冴えない使用人ってだけです。ヴィルヘルムさんは、奥さんは世界一可愛いかもしれないとか思って結婚しなかったんですか?」

 

「妻は――」

 

スバルの極端な物言いに、ヴィルヘルムは一瞬だけ口ごもる。

が、すぐにスバルを見つめ直すと、その瞳に感嘆というべき感情を閃かせ、

 

「なるほど、あなたの言う通りだ。私も妻が世界一美しいと思っていました」

 

「でしょ? 誰かに渡すくらいなら、ふさわしくないと思っても俺のものにする。どうにかこうにか手の届く位置にいてもらって、あとはこっちが釣り合うようになれるような関係が理想で」

 

直近のスバルは、自分の恋心の行く末を思い描く始末。

いまだに彼女の心にスバルの真剣味が伝わらないのは、そこに辿り着けるだけのものを彼が持ち得ていないからであろうか。

 

「だからエミリアたんの事情に、俺がノータッチってのは避けたいんですよ。だいぶ前を歩かれてんのに、気を抜くと小走りに走り出してる――追いつくために、全力疾走はもちろんだけど、近道でもなんでも利用したい性質なんで」

 

「面白い理屈で動かれるお方だ。ドクター殿といい、貴方といい最近の若い殿方はこの老骨を本当に驚かせてくれます。ですが、私にそれ以上のものを求められても些か困ってしまいますな」

 

申し訳なさそうにこちらに掌を向けて、しかしヴィルヘルムは首を横に振る。

彼はあくまで真摯な態度を崩そうとしないまま、スバルをなだめすかせるように、

 

「あくまで私は単なる御者です。事情に関してそこまで詳しく把握しているわけではありません。あなたのお役には、立てそうにありませんな」

 

「でも、フード被ってるエミリアたんの素姓に気付いてたくらいだし、ただの御者って言い訳はちょいキツイと思いません?」

 

「いえ、彼女がエミリア様である事は最初から分かっていましたよ」

 

ヴィルヘルムのあっけらかんとした物言いに、予想外のスバルは驚きを隠せない。そんな彼の様子を横目にしたまま、ヴィルヘルムは一息吐く。

 

「先程も申しましたが、貴方はエミリア様とかなりの親密のご様子。お二人の仲が親密なのは恐らく二度にわたる危機を共に乗り越えたからでしょうな。一つは王都、盗品蔵での「腸狩り」との決戦。もう一つはアーラム村でのウルガルムとの戦い。どちらの戦いもエミリア様関連の地域・場所で起こっており、その一件に貴方が関連しているとすれば、お二人の仲が親密なのも頷けます」

 

「で、でもエミリアたんが着てたローブってややこしい術式が編まれてるらしくて、なんでも認識を阻害する感じの効果があるらしいですよ? エミリアたんが許可してるか、その効果を突破できるような人でないと、エミリアたんに見えないらしくて」

 

王都で初めて会ったときも、彼女はあのローブを羽織っていた。

それが彼女の出自――おそらくは、ハーフエルフである事実が招きかねないトラブルを避けるためだったのだと、今のスバルはなんとなくわかっている。

 

「実は私、ここ最近ではありますが魔術に関しての享受をドクター殿から受けておりましてな。ある程度の魔術でしたら見破ることができます故、彼女をエミリア様と認識することができました。最も、彼がいなければ私も彼女をエミリア様と認識する事は叶わなかったかもしれませんが」

 

「その、ヴィルヘルムさんの言う、ドクター殿って何者なんですか?」

 

へらへらと軽薄に笑ってはいるが、スバルはヴィルヘルムを逃がすことができなかった。最初のお茶の誘いに乗った時点で、この老紳士はスバル時空に引きずり込まれていた筈なのだが、先程からどうも自分の仕掛ける技は不発ばかりだ。

相手の立場も都合も全部無視した上で、自分の都合だけを押しつける調子いいスバル時空は、一人の元天才ドクターにより完全に翻弄されている。

 

「何者……、彼を表現するのにこれほど困った質問はありません。強いて言えば王選の関係者――いえ、関係者の関係者というべきですかな。私と同じように」

 

「関係者の、関係者……」

 

ヴィルヘルムの言葉の内容を反芻し、スバルは言葉の意味を頭の中で噛み砕くと、

 

「つまりは、立ち位置的には俺みたいなポジションってことですか?」

 

「理由が懸想でないことが、あなたと私やドクター殿の差異です」

 

「そら世界一美人の奥さんがいるなら浮気のひとつも考えないでしょ。と言うか、その“ドクター殿”は何をしているんすか?医者でありながらエミリアたんのローブの術式を破るなんて。只者じゃない気がするんすけど」

 

「さあ、私もドクター殿の過去は詳しくは聞いていないものでして。もっとも、今は医者を辞められて魔術師として活躍されていますが」

 

茶化したつもりが頑として言い返され、スバルも思わずたじろぐ。

スバルは口の端を歪めて笑みを作ると、ぴしゃりと言い切ったヴィルヘルムを睨み、

 

「案外、変なところで粘るっすね、ヴィルヘルムさん」

 

どうにかスバルはさらに踏み込んだ内容を聞き出そうと頭を回転させる。

彼を引っかけて、姑息に人情に訴えかければいけそうな気がするが――。

 

「――どうやら、時間切れのようですな」

 

「へ?」

 

間抜けな声が出てしまうスバル。そんな彼に対して、ヴィルヘルムは無言で唇を引き結ぶと屋敷の方を手で示す。

それに従って振り返ると、遠く、屋敷の玄関の戸が開かれており、

 

「出てきたのはレムと……誰だ?」

 

両開きの扉の向こうから姿を見せたのは、見慣れた青髪のメイド。そして、彼女を伴う見知らぬ人物たちだ。

話の流れとヴィルヘルムの態度からして、おそらくはその人物たちこそが、話題に上っていた使者ということになるのだろうが。

 

「なんつーか――まさに、ファンタジーって感じか?」

 

思わず口からそんな感想が出てしまったのは、その人物の見た目があまりにも『使者』という単語に似つかわしくない雰囲気を持っていたからか。

その人物は自分を凝視するスバルの視線に気付くと、悪戯っぽい笑みを浮かべてずんずんとこちらへ――竜車の方へとやってきて、

 

「こらこら。美人がいるからって、そんなにじろじろと見たら失礼だゾ」

 

「確かに美人ではあるな。が、可愛さを利用して使用人を誑かすことなど、かなりの悪魔だぞ」

 

スバルの正面に立つや否や、白い指先をこちらに突きつけて、片目をつむるアクション付きでそう言い放つ少女。そしてそれに突っ込むように後ろにいたもう一人の男性が声を上げる。

 

おそらくは使者であるだろう少女――亜麻色の髪をセミロングで切り揃えた、愛らしい顔立ちをしているのはフェリス。

身長はスバルとほぼ同じくらい。しかし線の細さは当然ながら比べるべくもなく華奢で、仕草ひとつひとつに女性らしさ――というより、女の子っぽさとでもいうべき煌びやかさがある。

亜麻色の髪は白いリボンで飾られ、大きな瞳を好奇心に輝かせる姿はまるで猫のような愛嬌があり、そして実際にその頭部には、

 

「ついに接触、モブじゃないネコミミ」

 

「にゃにゃ?」

 

スバルの呟きに応じるように震えたのは、フェリスの頭部で存在を主張する、頭髪と同じ色をした獣の耳。これまで王都で見かけた以外の亜人と接触する機会はなかったスバルにとって、こうして実物を目にすると圧巻だった。

 

「俺のモフリストとしての魂が、目の前の存在を求めてやまない……クソ、鎮まれ、俺の右腕……ッ!」

 

「……本当に震えが鎮まらない苦痛を知らないだけ、お前は幸せ者だな」

 

誰にも聞こえない声で吐いたストレンジには気付かず、傍目にもふわっふわの毛で覆われた猫耳の感触を想像したスバルにとって、フェリスの存在は前に立つだけで猛毒という有り様だ。

決死の表情で震える右腕を押さえ、なんとか後ずさって彼女から距離を取る。

そんな怪しい挙動のスバルをフェリスはきょとんとした顔で見送り、

 

「あれれ、嫌われちゃったかも? フェリちゃん、失敗~」

 

てへり、と頭を拳骨で叩き、舌を出して見せる。

その仕草に先ほどとは違った戦慄を覚えて、スバルは驚愕に喉を凍らせる。

 

スバルの元の世界でも滅多に見かけないほど古典的な、伝説の「ぶりっ子」パターンに悶えるスバル。あざとすぎてそんなことを実際にやる人間がいたら、いつか張り倒してやろうと心に決めていたのであったがーー

 

「いざ実物を前にすると、破壊力が高すぎてなにもできねぇ……ッ!」

 

そのあまりのあざとさに手を出す気力すら奪われ、やる相手がやればはまりすぎて可愛いから手が出ない、という二つの意味が重なり合い、結果としてスバルは見送るという選択をするしかできなかった。

 

そしてスバルが気にかけていたもう一人の男性の存在。

西洋人らしい整った顔立ちに、高身長に加えて引き締まったスレンダーな体型。この世界には珍しい白髪混じりの黒髪に、アイスグレーの瞳はまるで全てを見通していると言わんばかりに深く、口元の髭は丁寧に整えられている。

どこか東洋風の道着の上には赤いマントが羽織られており、首からは独特のデザインをしたネックレスが下げられている。

 

二人の特徴的な人物を目の当たりにし、びっくり仰天するスバルを余所に、フェリスは無言でお辞儀し、出迎えるヴィルヘルムに向き直ると、

 

「ただいま、ヴィル爺。外で待たせてごめんネ。退屈だったでしょ?」

 

「いえいえ。こちらの方が老骨の話相手になってくださいましたので、思いのほか楽しい時間を過ごさせていただきました」

 

「ふみゅ?」

 

先ほどまでのやり取りをそう飾るヴィルヘルムの言葉に、フェリスは自分の頬に指を立てながら鋭敏に反応。猫の瞳の瞳孔が細まり、口が心なしかデフォルメされた特徴的な感じになっているように見える。

 

「なるほど、エミリアが言っていたスバルという少年とはお前のことか。その特徴的な容姿と合わせて、印象に残る強烈なインパクトを放っている」

 

フェリスより先に口を開いたストレンジは、スバルの身体を見据える。その視線にスバルは思わず手で体を覆い、視線から逃れるように身をよじって、

 

「いや、あの、そこの女の子ならまだしも、ダンディーなおっさんにそんなじろじろ見られても嬉しくないから。てか、さりげなく俺の容姿をディスってくれたよね!?」

 

「随分と己の肉体に劣等感を感じているんだな。その実に面倒くさい性格と合わせてエミリアとは、ある意味似合うのかもしれないが」

 

「なにエミリアたんのことを気安くエミリアとか呼んじゃってるわけ!?顔面偏差値が高いプラスそんな高身長だったらエミリアたんの心が靡いちゃうでしょうが!」

 

「そう言わないノ。キミだって無駄なお肉の少ない、いい体してるじゃにゃい。誰かの所有物でなければ味見しちゃいたいくらいかにゃ〜」

 

ストレンジのエミリア呼びに反応するスバルに対し、フェリスも手をわきわきさせながら乗ってくる。

しかしスバルの反応は何処か芳しくない。

 

「なんか不思議とやる気がわかねぇ。なんだこの気分……こう、生理的な?」

 

嫌悪感などとは違うが、スバルの本能が先ほどから声高に主張している。

目の前に立っているフェリスが、ナツキ・スバルという人間にとって明快なまでの天敵であるのだと。

蛇に対してのナメクジ。ナメクジに対しての蛙。蛙に対しての蛇。スバルとフェリスの相性は、常にスバルが弱い側でフェリスが強い側――それを本能的に悟ってしまった。

 

故にスバルの方からは普段のような、礼節を弁えない行動が出てこない。が、完全に調子を見失うスバルに反して、フェリスの方はアクセル全開のまま踏み込んでくる。

具体的にはその手を伸ばし、スバルの首にそっと腕を絡めて抱き寄せてきたのだ。

 

「う、え、え!?」

 

「動かないノ。今、ちょっと調べてるから」

 

身長がほとんど同じなだけに、抱き着くフェリスの顔はスバルのすぐ真横。

声はスバルの耳元すぐ傍で囁かれ、くすぐられるような感覚を全身に叩き込んでくる。

抱擁の感触に顔を赤くするスバル。が、その表情が助けを求めるように周囲をめぐり、屋敷の入口に佇んでいるレムを見つけて一気に青ざめる。

 

無表情だったレムの顔から、さらに温度が消えているのが遠目にも分かる。

そのまま口をパクパクとさせるスバルに対し、レムはふいに持ち上げた両手を小刻みに動かしてのジェスチャー。

別に符号に関しての取り決めがあったわけではないのに、スバルにははっきりと彼女の意思表明がなにを示しているのか伝わった。

それがレムなりの怒りを示した行動であったことに。

 

「やめてぇ――ッ!!」

 

とっさの判断に体が動き、スバルはどうにか抱き着くフェリスを引き離す。といっても突き飛ばすような乱暴でなく、肩を掴んで遠ざけただけだ。むしろそのあとに尻餅をついたのは、よろよろと後ろに下がったスバルの方である。

スバルはこの十数秒の間に起こった様々な感慨を一気に処理しようとしてできず、女座りでさめざめと袖を眦に当て、

 

「俺の意思とは無関係に、どうしてこう……俺はエミリアたん一筋なのに」

 

泣き真似しながら現実を悲観するスバル。と、そこへ新たな追撃が入る。

 

「女子にこう扱われるのが夢だったんじゃないか?今こそ、胸に顔を埋めて歓喜の涙を流しながら、もっと抱きしめるべきだろう」

 

「ち、ちょっとそこのおっさん!見てるだけなら助けてくれよ!俺、あそこの青髪のメイドちゃんに勘違いされちゃうから!」

 

「さっきは猫耳に気持ち悪く息を乱していたじゃないか。こんな機会は二度もないぞ、しっかりと享受しろ」

 

男のどこか傲慢なその物言いは、スバルと近いものを感じる。しかし、立場や力関係が全くの天と地の差であることをスバルの本能は感じ取っていた。

圧倒的な力とそれに対応する強靭な精神力――それを目の当たりにして、思わず取り縋ってしまいたい衝動に駆られていたが、スバルはそんな己の弱さを一喝して引っ込める。

暫くスバルに張り付いていたフェリスは、彼から離れると思案げに唇を曲げ、

 

「――お話に聞いてた通り、体の中の水の流れが澱んじゃってるネ。ドクターはどう?」

 

フェリスが何気なく発した一言に思わず、ピクンと身体が動くスバル。

ヴィルヘルムが先程から口にしていた“医者”の正体が目の前の髭面の男なのだろうか。それに傲慢な性格や初対面ながらエミリアの事を呼び捨てに呼ぶあたり、スバルは気が気でない。

 

「ーーこれは、相当酷い状態だな。複雑な糸が絡みに絡まってどうしようもなくなった中学生の裁縫作品を見ているようだ。どうしてここまでほったらかしにしたのか、是非とも当事者に聞いてみたいな」

 

「あの、当事者俺なんだけど」

 

「ああ、そうだな、お前だったな。こんなにも酷い状況になるまでどうして酷使した?」

 

「エミリアたんやみんなが危ない状況なのに、自分だけ隠れていられるかっての。みんなを救うには俺がやらなきゃいけないんだ。それに何はともあれ、みんなが助かったならオッケーよ。終わり良ければ全て良し、ってね」

 

「ーー少年、お前はバカだ。いや、とびっきりのバカとでも言ったほうが正しいか。まさか、その時の負傷は名誉の傷とでも言うつもりか?」

 

普段よりどこか傲慢な物言いが目立つストレンジだったが、こと今回は声色の変化も見られるほど酷く彼が腹を立てていたことはフェリスやヴィルヘルムもすぐに察することができた。

 

「何だよ、おっさん。俺のやり方にケチつける気?言っておくけどおっさんが何を言っても俺の覚悟は変わらない。俺はエミリアたんの為ならば、命だって賭けられる覚悟だってある」

 

「実に浅はかな言葉だ。己の命をそう易々と賭けられるということは命の重さを理解していない。それを何というか知っているか?自己満足だ。自分が満足できれば、どんな手段でも構わない。そんな手法など誰が喜ぶというんだ」

 

「医者らしい随分と上から目線な指摘をありがとうよ、おっさん。だけどその()()()()な手法で俺は、エミリアたんやレムやラム、ロズワールを救った。それは揺らぐことのない真実さ」

 

「非力な存在ほど自分の立ち位置を理解していないものだ。幸運にも物事が上手くいったのをさも、自らの手柄のように誇張する。その手法を取り続けると、いずれ救いたいものでさえ救えなくなるぞ」

 

「言いたいことはそれだけ?おっさん」

 

ストレンジとスバルの間に激しい火花が散る。元来、二人とも傲慢であり自分が正しいと信じた事には、是が非でも曲げない性格だ。その二人は正に水と油の関係は、両者に険悪な関係を生んだ。

 

「ハイハイ、そこまで。とにかく私もどうにかしてあげたいけど、時間がにゃいから今は無理かなー」

 

思わせぶりな発言を残し、フェリスは問題を自己完結。

今のがどういう意味か、とスバルが問い質すより先に手を天に伸ばして振り返り、

 

「それじゃ、早く愛しのクルシュ様のところへ戻りましょ、ヴィル爺、ドクター。あんまり長く空けてると、心配されるだろうから」

 

「無論だ」

 

「ーーお言葉通りに」

 

てきぱきと方針を伝えるフェリスに、ストレンジとヴィルヘルムは言葉少なに従う。

彼は最後にスバルに一礼すると、空になったカップを地に落ちていたお盆の上に戻して、

 

「ご馳走様でした。では、スバル殿、ご健勝で」

 

ひらりと御者台に身軽に飛び乗り、地龍を操る綱を手にするヴィルヘルム。

その所作を言葉もなく見送るスバルに、今度はストレンジが彼を見据えると共に、フェリスが拝むように手を合わせ、

 

「それじゃ、ご挨拶もまだだけど、私たちも忙しいからごめんネ」

 

「痛い目に遭わぬうちにもう一度己の心に聞いてみるといい。何が一番の策かを」

 

フェリスとストレンジは、竜車の方へと体を向ける。

 

「ご忠告どうも、おっさん。そのアドバイス、よくよーく聞いておきますとも」

 

「じゃ詳細はエミリア様に聞いてネ。それじゃ、縁があったらまた王都で会いましょ。ばいばーい」

 

質問をばっさりと断ち切って、フェリスは微笑みを残して竜車の中へ。

黙って竜車を睨みつけるスバルに、ヴィルヘルムが「では」と残し、竜車が地龍の嘶きと共に出発する。

 

車体が軋み、車輪が回り始める。

地龍が前に踏み出すために数度、大地を力強く踏みしめ――加速は直後に行われた。

 

車輪が前に進み、車体が動き始めるとその後は早い。

竜車は見る見る内にスピードを上げて道を乗り越え、砂煙を巻き起こしながら一気に遠ざかってしまう。

 

けっきょく、その場に残されたのは完全にやり込められ見知らぬ人物の腹を立てるスバルと、ほとんど飲まれ損となっただけの高級茶の香りの名残だけであった。

 

 

 

 

 

一方、ロズワール邸より遠ざかる竜車にて。

 

「――使者としてのお役目は果たせましたかな?」

 

「それはもちろん。フェリちゃんがクルシュ様にお願いされたこと、失敗するなんてありえないじゃにゃい。ヴィル爺ったら心配性なんだからー」

 

「フェリスへは余計な質問でしたな。ドクター殿は如何ですか?」

 

「エミリアの周りには、面白い人物がわんさかいる事は一目で分かった。道化魔導士、双子の鬼メイド姉妹、引きこもりの管理人に、性格に難ありのクソ少年使用人。この世の混沌を全て注ぎ込んだような場所だ」

 

竜車を操る御者台にて、その会話は交わされている。

御者台に座り、地龍を難なく操っているヴィルヘルム。その彼のすぐ背後、地龍の引く個室の窓からフェリスが顔を外に出している形だ。因みにストレンジはフェリスと向かい合うように座っている。

 竜車はけっこうな速度で走行しているはずだが、風の加護に覆われた竜車には強風の影響はなく、会話するにも音を遮られる心配もない。

ある種、密談を交わすのにこれほど適した条件もないのかもしれない。

 

ストレンジの返答にヴィルヘルムは苦笑し、「それは何よりですな」と応じる。と、その返答にフェリスが「それより」と返し、

 

「私としては、ヴィル爺が待ってる間に人とお話してた方が意外だったかにゃー。だってヴィル爺って、人と話すのなんて大嫌いでしょ?」

 

「それはとんでもない誤解です」

 

 即座に否定の言葉にフェリスは「ああ、違う違う」と手を振り、

 

「そうだよね、ゴメンゴメン。――話すより、斬る方が好きなだけだもんネ」

 

「それもひどい誤解ですな」

 

揶揄するようなフェリスの言葉に、しかしヴィルヘルムはそれ以上の言葉を使わない。

その挑発めいた発言への反応が少ないことにフェリスは不満げに口を尖らせ、

 

「つーまんないの。フェリちゃんとのお話は、さっきの男の子とのお話より面白くにゃいんだ? そんなに気に入ったの、あの子」

 

親にかまってもらえない子どものような拗ねた声音。

フェリスは反応に乏しいヴィルヘルムのリアクションを引き出そうとするかのように、窓からさらに身を乗り出して彼に体を近づけ、

 

「特別なことは私はなにも感じなかったけど、ヴィル爺にはなにか響いたの? あんなだけど実はすごい強いとか、その才能の片鱗が見えた!とか」

 

「いいえ。彼の評価に関してはさほどの違いはありませんよ。ドクター殿と違い、彼は素人――毛も生えていない素人です。そして目を惹くような才覚もありはしない。凡庸な存在であることには間違いないでしょうな」

 

「それじゃどうして? 塵芥なんて、ヴィル爺が一番嫌う性質じゃにゃい」

 

「塵芥とはまたキツい言葉だなフェリス。が、あの少年には何処か普通の人間とは違うものがあったのは確かだ。私もヴィルヘルムの指摘は間違ってはいないと思っている」

 

いちいちヴィルヘルムを人格破綻者にでも仕立てあげようとしてくるフェリス。そして何処か説くように言うストレンジ。その言葉にヴィルヘルムは苦笑すら浮かべず、静かに持ち上げた手で己の目を指し、

 

「目が」

 

「――目?」

 

問い返す少女の声に顎を引き、ヴィルヘルムはただ思い返すように視線を上げ、

 

「あの少年の目が、少しばかり気になったのですから。彼は確かにドクター殿と比べると才能もない、才覚もない凡庸な存在です。ですが、一点だけドクター殿と同じ部分があったのです」

 

「それが目だと?」

 

「ええ。ドクター殿の目もそうなのですが、あれは、何度か死域に踏み込んだものの目です。寸前で立ち帰り、戻ったものはいくらかいます。ですが……」

 

 言葉を切り、ヴィルヘルムは静かに瞑目すると、

 

「一度ならず数度、死域から舞い戻る存在を私はドクター殿以外知りませんし、ドクター殿がカルステン家に来るまでは誰一人とていませんでした。故に、興味を惹かれたというところでしょうな」

 

「ふーん、よくわかんにゃい」

 

が、感嘆まじりのヴィルヘルムの言葉を、フェリスは無理解の言葉であっさり両断。

一方のストレンジはヴィルヘルムの言葉に納得がいく。ストレンジ自身も気付いていたのだ、あの少年が、己と同じように何度も死ぬような危険な経験をしていることが。ほんの少しの対面で分かったことどが、彼の精神力は自らと匹敵するぐらい強靭で尚且つ危うかった。まるで今にも切れそうな細い綱を、気合と根性で渡るような、そんな危うい印象をストレンジは覚えていた。

そしてフェリスの言葉に今度こそ苦笑するヴィルヘルムに、フェリスは「でも」と言葉を継ぎ、

 

「今のヴィル爺の言葉がどうであれ、きっと平坦な道は歩けないよね、あの子」

 

フェリスもまた、何事かを思い出すように目を細めて、それから御者台に座る広い背中と目の前に座る細い体をジッと見つめると、

 

「『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアに気に入られ、『至高の魔術師』ドクター・スティーブン・ストレンジと同じ目をしているなんて、魔女に魅入られるのと変わらない不幸なんだから」

 




帰り道の竜車にて

「んで、ドクターはどうしてあの男の子にあんなキツいこと言ったの?」

「あの少年、実に命を軽んじている。命を捨てるのに対して大した抵抗さえも持っていなかった。あれは危険だ」

「ドクター殿がそこまで懸念するとは……やはりあの少年は……」

「そうなんだ。ドクターがあんなに怒っていたの、フェリちゃんは初めて見たかも……」




さて、スバルとストレンジという二大主人公の初対面は如何だったでしょうか?

元々、スバルとストレンジの初対面の会話は短く、友好的に済ませようと思いましたが、インフィニティ・ウォーでトニーとストレンジが初対面ながら激しく衝突していたのを見て、思い切って険悪なムードに持っていってみました笑

果たしてスバルとストレンジは無事、仲を修復することができるのでしょうか?


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二十話 再会と溢れ出る野望

書き終わりましたので投稿します。

世間はガッキーこと新垣結衣さんと、源さんこと星野源さんのご結婚報道で大騒ぎですね!
自分はガッキーロスにも、源さんロス?にもなっていないので二人の結婚を静かに祝ってます笑


ストレンジがロズワール邸を訪れて2日が経過した。

いよいよ明日は各王選候補陣営が王城に召集される予定であり、クルシュ陣営に身を置くストレンジにしても、昨今の王都の賑わいに気付いていないはずがない。

因みに明日の招集にはストレンジも同行するようクルシュから要望されており、フェリスと共に人生初の登城を控えていた。

そして、ここ最近、王都の経済の流れが大きく変動していることを察知していた。次々に大量の武器や竜車が王都に入ってきているのである。

これはクルシュ陣営にとって長年の悲願である白鯨攻略戦が近いことを暗示しており、それはストレンジも来るべき戦いに向けての覚悟を固めつつある。

 

そんなストレンジだが、現在は王都の中心部を散策していた。本来であるならば王都の図書館に籠って蔵書を読み漁るのだが、クルシュより王都の内情を詳しく知っておいたほうが良い、という指摘を受けて、彼にしては珍しく理由なく町中を歩き回っていた。

 

「おお、これはドクター殿。お久しぶりです」

 

ストレンジが王都に来て以降、久しぶりに衛兵詰所前を通りかかったところ、偶然にもある人物に再会した。

詰所の扉が開かれ中から顔出したのは、よく鍛えられた細い高身長の肉体に、青みのかかった紫色の髪、琥珀色の瞳を持ち騎士団の制服を身に纏う好青年ーー深々とストレンジに一礼したのはユリウスだった。

 

「久しぶりだな、ユリウス。元気そうで何よりだな」

 

「ドクター殿もお元気そうで嬉しく思います。それと、ファリックス子爵領にて発生した魔獣騒乱、そして「腸狩り」と「魔獣使い」との対決では陣頭指揮を執られ、見事撃退したとか。ドクター殿のご活躍に、深い感謝を」

 

「私はやるべきことをしただけだ。人の命が脅かされている時に、最強の魔術師である私がただ座しているだけでは宝の持ち腐れというものだからな。それに仮にユリウスがあの場にいたら同じことをしたはずだ。感謝されることではないということだ」

 

「いえ、ドクター殿の尽力で多くの民が救われたことは事実です。ここ数日間、我々の間でも、あなたは大きな話題となっていました。あなたの正体を知るのはごく限られていますからね。ロズワール辺境伯と同等か、それ以上の力を持つ存在とカルステン家が手を組んだ。この事実は王選にも大きな影響を及ぼすことでしょう」

 

「ほう、そんなに影響を及ぼすのか?」

 

ストレンジの疑問に大きく頷くユリウス。これはストレンジの認識外の事実であったのだが、ストレンジの存在と彼が残した活躍は、クルシュやファリックスによって脚色されたことも相まって王国の上層部では大きな話題になっていた。

特に王国の安全を守る騎士団と、王政を司る賢人会においては、大きな影響を及ぼしており、旧態を打破し得る新星として注目・警戒されていた。それは、王選も変わりなくーー

 

「王選筆頭候補のクルシュ様に、「至高の魔術師」であるあなたが味方し、更に背後にはフォリア・ファリックス子爵が支援している。ドクター殿には自覚がないのかもしれませんが、他の王選陣営にとってあなた方の陣営ほど脅威になる存在はありません」

 

「……私の意図しないところで、随分と大騒ぎになっているようだな。言っておくが、私は然程王選に首を突っ込む気はないぞ。政治に関しては私は専門外だからな」

 

「賢明な判断だと思います。しかし、暫くはクルシュ様の下でお過ごしになられるのでしょうか?」

 

「他に行くあてもないからな。暫くは世話になるだろう。しかし案外、居心地も良いものだからな。クルシュに追い出されない限り、他を探すつもりはない」

 

ーー是非とも、我がユークリウス家に。

その言葉を辛うじてユリウスは飲み込んだ。ストレンジが現状維持を望んでいる以上、彼の意思を尊重したいユリウスには、彼を説得する動機は無くなる。

 

ユリウスはドクター・スティーブン・ストレンジという人物を尊敬していた。傲慢ではあるものの、人を守るという確固たる使命を持ち、これを果たすために圧倒的な力を思うがままに操る実力者であると同時に、自らの実力に胡座をかくことなく、更に力を高めるために修行を欠かさない勤勉家としての一面を持つ。魔術に関して一流の知識人でもあり、天才的な頭脳を持ち合わせることから、策士としても秀でている。更に、上から目線な態度とは裏腹に、人を気遣い良い道へと導く、導き手でもある。

ユリウスの目から見れば、ストレンジは究極的な人間に最も近い存在であり、ユリウスの目指す人物像に最も近かった。それ故、是非とも彼のもとで修行したいと常に心に思っており、あわよくば共に騎士団の一員として戦いたいとも思っていた。

 

「ーー分かりました。ドクター殿がお決めになられたことに異議はありません。ですが、偶にでも良いので私に稽古をつけてはもらえませんでしょうか?」

 

「お前より剣術の劣る私が何を教えるのか?医療技術か?修行法?それとも女性の扱い方?言っておくが、最後のはかなり難しいぞ」

 

「ドクター殿の持つ女性への見識ついても私は大いに興味があります。それも教えていただきたいのですが、私としてはやはり魔術の扱い方や剣術についてご指南いただきたいと思います」

 

「お前の剣技に私の魔術が合うかは分からないが、お前の持つその準精霊たちとの合わせ技については一考しよう。ーーどうやら、私の相棒も興味を抱いているようだしな」

 

ストレンジが右手で示したその先には、ユリウスが常に連れている6体の準精霊。ストレンジという存在に触れたからか、準精霊たちはストレンジにも見えるよう可視化すると、ゆらゆらとした動きで彼の下へ向かう。すると、いつの間にかストレンジの肩から離れていたマントが彼らに立ち塞がるように大きく展開する。

ーー私の相棒(パートナー)に手を出すな。下衆な野郎供め、そんな言葉が聞こえて来るような動きなので、思わずストレンジとユリウスは笑ってしまう。

 

「どうやらドクター殿の相方はとても貴方を愛しているのですね。雰囲気から伝わります」

 

「こいつは気分屋でな、認めた奴にしか絶対に寄り付かない。どうも、お前が連れている準精霊たちを警戒しているようだな」

 

「ーー珍しいです。彼女たちが怯えるなんて。どうも、貴方の相棒からただなる雰囲気を感じているようで」

 

「彼らがお前にとって変わると、ヤキモチを妬いているのか?お前も案外、可愛い一面があるんだな」

 

ストレンジに戻ってきたマントは襟の部分を動かして、彼の頬を撫でる。

ーーストレンジは目をかけておかないとすぐに無茶をするので。意図的にそんな事を伝えているのか、いつも以上に彼を愛撫するマントであった。

 

「そういえば、今日ユリウスは何処かへ出かけるんじゃないか?予定があるならそっちを優先したほうがいいぞ」

 

「ドクター殿も何かご用事が?」

 

「いや、今日は特に予定はない。クルシュから王都の様子を見ておけと言われて、今はこうして散策中だ」

 

「なるほど。よろしければ此方で少し時間を潰して行かれてはいかがでしょうか?ドクター殿の願いにお役に立てる資料があると思いますが」

 

「『百聞は一見にしかず』、紙で見るよりも実物を見たほうが目と耳でしっかり判断できる。その提案も嬉しいが、今回は辞退させてもらおう。それに面倒事を多く抱えたくないのでね」

 

ストレンジがふと通りの方へ顔を向け、ユリウスもその方角へ顔を向ける。遠くからはフードを被りその容姿を隠すように歩く人物と、その人物に手を引かれて歩く黒髪の使用人服を身に纏った少年の二人がいた。

 

「あれは……」

 

「恐らく王選候補者のエミリアと、そのお付きのクソ短気の分からず屋少年使用人だろう。全く、奴も王都に来ているとはな。エミリアラバーの彼なら当然だが、ここで会うのは少し面倒だな」

 

「エミリア様の下へフェリスと共に使者として参られた時に何かトラブルを?」

 

「その時にどうも彼とは折り合いがつかず、少々面倒なことになった。今、奴と顔を合わせるとまた向こうから面倒なことを吹っかけてくるだろう。それにはうんざりだからな、早いところ退散させてもらおう」

 

「分かりました。今日の所はここまでということですね。また明日、王城にして貴方に会えるのを楽しみにしています」

 

ユリウスの言葉にストレンジは軽く手を上げて応える。

そして振り返ったユリウスは新たな客人として登場したエミリアとスバルの応対にあたり、素晴らしい容姿を持つ上に、エミリアの手の甲にキスをしたユリウスがスバルからは敵意を向けられたのは言うまでもない。

 

一方、街中を散策していたストレンジはカドモンの青果店に立ち寄り、以前の礼として購入したリンガを頬張りながら通りを歩いていた。

 

「そこの凡愚」

 

王都の大通りを歩いていたストレンジは、突如自身の横で急停車した一台の派手な竜車の中より声をかけられていた。女性らしい透き通るような凛とした声色の裏には確固たる自信と傲慢が見え隠れする。

医師時代であるならば間違いなく発言に噛み付いていたであろうが、魔術師として歩みを進めている今では、そう簡単には相手の挑発には乗らぬよう心の制御が出来ているとストレンジは自負していた。故、発言を無視して通り過ぎようとしたがーー

 

「やい、そこの凡愚よ。妾の言葉が聞こえぬか?」

 

「初対面の人間を凡愚呼ばわりとは、烏滸がましいな。何様のつもりだ?」

 

「言葉に気をつけろ。妾を誰と心得る?」

 

竜車の中から正体を見せず声のみでストレンジに話しかけるという傲慢な態度は、彼に苛立ちを抱かせる。

 

「さあな、何処かの品のない貴族の我儘娘か?」

 

瞬間、一帯に強烈なプレッシャーが走る。どうやら中にいる我儘令嬢を怒らせたらしく、本気クルシュと然程変わらない程の闘気と侮辱されたことへの怒りが伝わってくる。が、それ以上に好奇な目線もありーー、

 

「ほお。妾を品性の足りぬ底らの石ころと同じ存在として扱うとは。その無駄に大きな度胸だけは褒めて遣わそう。心底腹立たしいが、妾の目に狂いは無かったようじゃ」

 

豪華絢爛、悪趣味な嗜好品をくっつけた成金趣味の竜車からゆっくりと降りてきたのは鮮やかな橙色をバレッタで一つにまとめ背中に流している。鮮やかな真紅のドレスに、首元や耳、手指を飾るのは全てがニューヨークの5番街の高級装飾店に売っていても大差ないほどの華々しい装飾品の数々。挑戦的なつり目がちの赤い瞳、薄い桃色の唇、処女雪ように白い肌。正に芸術品といっても過言ではないその容姿は、クルシュと同格かそれ以上で、何より驚異の胸囲は道行く視線全てを惹きつけている。

 

「「至高の魔術師」ドクター・スティーブン・ストレンジ。妾を差し置いて至高を名乗るのは甚だ気に障るが、面白い男であることは間違いないようじゃ」

 

「「血染めの花嫁」、「鷹揚な太陽姫」……なるほど、お前があのプリシラ・バーリエルならその傲慢な態度にも納得がいくな」

 

 

 

 

「さて、太陽姫が私に何の用だ?」

 

「何、この通りを一人寂しく歩く貴様の姿が滑稽故、妾直々に気晴らしに話しかけたまでよ」

 

目元に嘲弄と侮蔑を含み、ストレンジを見つめるプリシラ。ストレンジ自身もクルシュやフェリスから粗方、目の前の人物については聞かされていた。

これまで8人の貴族男性と結婚しながら未だに純潔を守り続ける若干19歳の少女。全ての言動が傲慢さと裏腹に的中するという強運の持ち主であり、独特且つ唯一無二のカリスマ性を持ち合わせた彼女は、その行動を自らの価値判断で決めるという。

ある種、医師時代のストレンジがそのまま転生したような性格だ。そんな気まぐれな彼女だが、クルシュと同じ加護持ちで、実力もかなりのものだ。

 

「何をぼさっと立っておる。この妾から直々に顔を見せるなど、これほど栄誉な事は無いぞ。地面に頭を垂れ、この有り難みに情けなく涙を流し喜べ」

 

「勝手に話しかけて来て頭を垂れろだと?ハハハ、冗談にしても随分と酷い侮辱だな」

 

「妾は大いに真面目じゃ。妾を前にすれば何人たりとも頭を垂れる。この王国を我が物にすれば、民は妾を喝采し喜んで地を舐めるじゃろう。

ーーお主も同じじゃ」

 

右手に持つ豪華な扇子をストレンジに向けるプリシラ。全米一傲慢な元医師が地面を舐めるなど、元同僚のクリスティーンや、同志であるウォンが見たら卒倒してしまうような光景を想像したストレンジは、思わず嫌悪感で眉を顰める。

 

「それで?その太陽姫が私に何の用だと聞いている。言わずもがな、私がクルシュ陣営に身を置いている事は既知のはずだ。まさかだとは思うが、王選前にクルシュと対立する気か?」

 

「ふむ。あの公爵娘を王選前に討ち滅ぼすのも一案じゃの。

ーーじゃが、この世界は妾の都合の良いように出来ておる。妾が王座に座るのは理そのものじゃ、故に妾はせん。それに、あの娘は滅ぼすよりももっと有効に、妾の駒として扱った方が利はある」

 

「ほぉ、クルシュを御するか。随分と大きく出たな。しかし彼女には彼女の夢があるはずだ。簡単にお前のような人間に従うとは思えないが」

 

「貴様こそ、随分とあの公爵娘を買っているようじゃ。貴様のような強者ならば、あの娘など一手で屠れるというのに。ーーあの娘に恋心でも抱いたか?」

 

プリシラの見透かすような発言にストレンジは答えない。確かにストレンジはクルシュの実力を買い、彼女のリーダーとしての素質は自らの能力を最大限発揮させられると踏み、彼女の下へ赴いた。しかし、彼はクルシュへは恋心は抱いていないはずであった。

 

「確かに私がクルシュを買っているのは事実だ。彼女のリーダーとしての素質は充分であるし、実力もある。彼女がファリックス子爵領で起こった魔獣騒乱にて陣頭指揮を執ったのは聞いていないのか?」

 

「知らんな。妾は貴様が派手に暴れ狂い、魔獣共を八つ裂きにしたとしか記憶しておらん。

 

あの公爵娘の陣営の原動力となっているのは貴様じゃ。貴様が居なくなれば、あの娘は失意のあまり撤退でもするか。妾にとっては面白き事じゃ」

 

ゆっくりと顔をストレンジに近づけるプリシラ。芸術美のような彼女の顔を見て、その美しさに見惚れなかった者はいない。しかし、ストレンジがそんな柔な事では心を動じさせないことをプリシラは見抜いていた。だからこそ、彼の耳へそっと囁く。

 

「妾が欲しているのは公爵娘の才でない。最も欲しているのは別にある。それが貴様に分かるか?至高の魔術師よ」

 

囁いたプリシラは満足してストレンジからゆっくりと離れる。その時の彼女の目線には何やら別の目的を含んでいた。

良い意味でも悪い意味でもストレンジに通ずるところがある彼女には、何やら別の思惑があるらしく、それ故か現時点で両陣営の衝突という事態は避けられそうであった。

 

「おーい、姫さんよ。お取り込み中のところ悪いんだけど、そろそろ行かねえと日が暮れちまうぜ」

 

竜車から聞き取りにくい声で彼女の名前を呼ぶ男性。その声にプリシラはふむ、と応じると竜車の方へ歩き出し竜車に乗り込む。

 

「この世界は妾の都合の良いように出来ておる。その流れを遮る事は何人たりともできん。それは貴様も同じじゃ。精々、足掻いてみるがいい」

 

竜車に乗り込む直前、そう言い残したプリシラは今度こそ竜車に乗り込み、その場を後にした。残されたストレンジは、プリシラの傲慢さと最後に残した彼女の言葉に含み笑みを残して再び歩み出した。

 

一方、プリシラが乗車する竜車。プリシラの前に座るのは隻腕の上に漆黒の兜を付け、軽々しい服装の男。

声の調子と顔以外の見た目から軽々しい印象を受ける。

くぐもった声で彼はプリシラに話しかける。

 

「んで、どうだった?お姫様のお目にかなった人物だったのかい?彼は」

 

「彼奴は妾と同じ目をしている。この世は全て我が思うがまま、そんな目じゃ。全くいけ好かない男じゃった」

 

「それにしては随分と嬉しそうな顔だぜ?姫さんよ」

 

男の指摘にプリシラは邪な笑みを扇子でひた隠す。隠しきれない野望がそこにはあった。

 

「彼奴は公爵娘の膝下に収まる男ではない。恐らくもっと大きな事をしでかすだろう。それだけの力がある。彼奴にはこの妾こそ、相応しい器じゃ」

 




プリシラに目を付けられたストレンジ。果たしてどうなるのか?

プリシラって『七つの大罪』のエスカノールに似てるって思うんですよね。二人とも傲慢で、太陽に関する技を持っている。
もしかしてプリシラは、エスカノールから影響されたのか?それとも逆にエスカノールがプリシラの影響を受けたのか?

太陽に関連した人物って傲慢な人が多いんですかね。



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二十一話 入城

書き終わりましたので投稿します。最近は忙しくなり、中々書ける時間が限られる中で執筆していましたのでかなり遅めの投稿となりました。

申し訳ありません。


プリシラと一悶着したストレンジは、その後も王都を散策していたが、夜が更ける前に貴族街のカルステン家別邸に戻った。

プリシラという傲慢な存在に一抹の不安を抱きつつも大方の目的を果たしたストレンジは、夕食をクルシュやフェリスと摂ると翌日の王城訪問に備え早めに就寝し、明日の準備に備える。

 

そして翌日、いよいよクルシュに同行する形でストレンジが王城に参上する日。彼は朝食を摂り終えると、すぐに玄関先に向かった。そこには竜車の整備を行うヴィルヘルムの姿があり、クルシュやフェリスは支度中なのか姿はなかった。

 

「これはドクター殿、今朝は随分とお早いですな」

 

「早めに準備を済ませたからな、何も不都合はないだろう。クルシュやフェリスはまだ準備中か」

 

ストレンジが周りを見渡せば、そこにクルシュやフェリスの姿はなかった。

 

「お二人とも、今日の招集に関してはかなり重要と感じているようですな。時間をかけられても無理はありません」

 

屋敷を見上げるストレンジに、世間話のようにさらっと話すヴィルヘルム。出掛けるまでまだ時間がある事に気づいたストレンジは、異空間から一冊の本を取り出し、その本を魔力で浮かび上がらせると、自らも胡座姿勢で空中に浮かび上がって読み始めた。ページめくりは、マントがやっているため、彼はただ本を読むだけでいい。

 

「ドクター殿、その本も魔術の書ですかな?」

 

「この本は「至高の魔術師」しか読解不可能な蔵書の一つである「ヴィシャンティの書」だ。初代「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」であるアガモットが作成したとされる魔術の叡智が詰め込まれた秘伝の書だが、熟練の魔術師であっても読解は不可能なほど、難解な呪文で書かれている。常人が読めば発狂するだろうな。読んでみるか?」

 

「そのような重要な所蔵品、私如きが触れて良いものではございませんな。どうぞお気になさらず」

 

とても危険な事を平然と言うストレンジ。ヴィルヘルムが思わずマジマジと見つめたその先には、複雑な紋様が彫られた特殊なカバーで覆われた分厚い書物があった。

異空間から取り出したあたり、ストレンジが所蔵する膨大な書物の一つであるのだろうか。

 

ヴィルヘルムがそんな事を考えていると、不意にストレンジは地面に着地すると本を異空間に放り込んだ。それと前後する形で屋敷の正面玄関が開かれ、軍服に身を包むクルシュと騎士の制服を着込んだフェリスが姿を現す。

 

「すまない、待たせてしまったようだな」

 

「ごめんネ〜。男のドクターとは違ってフェリちゃんはクルシュ様は、色々と準備が多くて大変だから、許してほしいにゃ」

 

「お前も男だろ。それに男性も色々、身支度には長い時間をかけるものだ。勝手な憶測で物事を語るのは止めた方がいいぞ」

 

「ふーん。よくわかんにゃないけど分かったかも?」

 

騎士服に身を包みつつも、見た目はしっかりと男の娘のフェリス。今日が主人にとっての晴れの舞台からなのか、いつも以上に二人は念入りに化粧を行なっている。恐らく、フェリスが全面監修しているのだろう装いは、いつも以上に煌びやかに見えた。

 

「ドクターは普段通りの装いか。しかしそれでいい。卿の服装は普段の装いと、宴用の正装しか見たことがない。見慣れた格好の方がこちらとしても安心できる。ああ、過去に見たことのない服を着ていたことがあったか」

 

「見せたことのない格好でそこのオカマ野郎にネチネチ言われ続けるよりは、いつも通りの着慣れた格好で赴いたほうが、賢人会の老人どもの腰を抜かすことなく、尚且つクルシュの面子を保つことができる、と考えたまでだ」

 

「ちょっとちょっと!?フェリちゃんには、「おかま野郎」の意味は分からなかったけど、変な意味である事はドクターの話し方から分かった気がするんだけど!何かこう、変な感じの意味で!」

 

「賢人会の老人ども、か。中々、手厳しい評価だな。マイクロトフも不憫ないだろう」

 

「フェリス、お前は察する力は身に付いているようだな。特別に言葉の意味をじっくりと教えるとしよう。フェリスにとっては新鮮且つ刺激的になるだろう。色々な意味でな」

 

「その評価、フェリちゃんは嬉しくない評価かな〜」

 

「さて、準備が済んだということはいよいよ王城に乗り込むということか」

 

思いっきり話を無視されて不満顔になるフェリスを他所に、次に話を進めるストレンジ。

しかしクルシュは即座に反応し、彼のペースに合わせる。

 

「卿の推測の通り、今日は王選候補者を集めての酒宴だ。卓を囲み、杯を傾け合い、腹を割って話すことで自ずとその人柄も知れるという、実に良い機会であろう」

 

荘厳な感じを漂わせているが、何やら頓珍漢なことを話すクルシュに思わず、ストレンジは指摘しようと口を開くがーー

 

「さあ、クルシュ様。時間も限られてますし、さっさと乗って移動しちゃいましょう。ほら、さっさとドクターも乗って乗って!」

 

やや早口のフェリスに捲し立てられるようにして、急ぎに竜車の中にクルシュ共々押し込まれた。

朝からわちゃわちゃとしていた雰囲気をお供にクルシュ一行は、そのまま王城へ向かうことになった。

 

 

 

 

 

「これは、何とも大層な内装だな。大層な金を注ぎ込んで作っているのだろうが、私にとっては、成金趣味の為のエゴの塊としか思えないが」

 

「この城の内装に関して卿が意見を述べるのは自由だが、かつてとはいえこの城に住われてきた歴代のルグニカ王国の方々を侮辱するのはドクターでも許されることではない。気をつけるように」

 

興味深そうにあたりを見回しながら皮肉を言うストレンジに、前を歩くクルシュが静かに忠告した。

しかしストレンジは、全くブレずに再び城の観察を始めた。

 

王城に到着した一行は、竜車の管理を担うヴィルヘルムを残して、残りの3人は王城に入城した。クルシュは王選候補者、フェリスは騎士、そしてドクターはカルステン家直属の魔術師という仮の身分で入っているのだが、本人はその肩書きには少しばかり不満を持っていたのは別の話。

現在、王城の上階、中央塔の通路を歩く一行には無数の好奇の視線が浴びせられている。しかし公爵家を治めるクルシュはそんな視線などものとはせず、堂々として歩いている。

 

通路を挟むように立つ完全武装の衛兵らの通路を通り抜け、通路の終端にそびえ立つ両開きの扉の前に到着した一行。見上げるほどの大きさであり、扉の向こうの荘厳さを容易に想像できる扉の前には、完全武装の巨漢が門番よろしく立ち塞がっている。目は理知的、若干30前後の厳つい顔立ちの男性であり、巌のような彫りの深い顔には険しさと、歴戦の勇者たる者の雰囲気を感じ取ることができた。

 

「お待ちしておりました、クルシュ様」

 

顔に似合う重々しい声で恭しく頭を下げる男。その礼儀を弁えたクルシュが頷くと、後ろにいるストレンジの方を向きーー、

 

「彼はドクター・ストレンジだ。卿も知っていると思うがな」

 

「彼が……あの」

 

騎士は巌の表情をぴくりとも動かさずにクルシュを見やり、

 

「そうだ。ファリックス領にて起こった魔獣騒乱については卿も把握していることだろう。彼こそ、その騒乱で大手柄を立てたドクター・ストレンジその人だ」

 

「なるほど。本来であればマイクロトフ様のご意見を伺ってからでなければお通しすることは出来ませんが……」

 

「マーコス、彼はクルシュ様のお付きとして来ているノ。だから、ここはちょ〜っとばかり、許して欲しかったりするかにゃ?」

 

フェリスの物言いにマーコスと呼ばれた騎士は抗弁しない。

彼は静かな青の瞳でストレンジを値踏み、ーー直後、澄んだ青の瞳を眩く輝かせた。

 

「危険な魔力反応、及び武装は確認できません。ストレンジ殿が持ち込まれるのはその首飾りだけですね?」

 

「ああ。私が持ち込むのは()()()()()()だけだ、騎士団長マーコス。それと、私はドクター・ストレンジだ。次から私のことはドクターストレンジか、ドクターと呼ぶことをセットで注文する」

 

「分かりました、ドクター殿。もしも万が一のことがありましたら、フェリスと共に主であるクルシュ様をお守りください。その他のことは我ら近衛にお任せを」

 

ドクターの要求にも即座に応じたマーコスは、声がけし大扉を開けさせる。

 

「まだどなたもお越しになっておりません。クルシュ様が一番です」

 

「なに、早く来たところで損などないだろう。いち早く、会場の雰囲気に慣れておくことも大切だからな」

 

クルシュ、フェリスと扉の中に足を踏み入れていき、ストレンジも続いて中に入る。

そこは赤い絨毯が敷き詰められた広大な空間だった。

煌びやかな装飾が施された壁に、豪華な照明が真昼間から光を放つ天井。体育館ほどの大きさに反比例して装飾品の数は少ない。

そして一際目を引くのが部屋の中央奥。ささやかな段差と、僅かばかりの高さのある位置には備え付けの椅子がある。背後には竜を模した意匠の施された壁を背負い、椅子に座る者は竜を背負っているようにも守られているようにも見える。

正に王城王座の間。ルグニカ王国の玉座がそこにあった。ストレンジの故郷であるアメリカにはない、王政の文化が色濃く存在するこの世界において、初めてストレンジが目にした王国たる象徴だ。

王座に目を奪われたストレンジは、続いて周辺を見渡す。まだ早い時間なのか、広間には近衛騎士団と文官らしき貴族の姿がチラホラ散見されるだけであり、他の候補者の姿はなかった。

 

「なるほどな〜。アンタが、あのドクター・ストレンジやんね。確かに、クルシュさんが近くに置いておきたいのも分かる気がするわ」

 

ストレンジが広間をじっくりと見ていると、背後から妙におっとりした声色が響く。

ストレンジが後ろを振り返れば、そこにはユリウスを従えた淡いウェーブがかかった背中に流す白いドレス姿の女性がいた。

妙に独特のイントネーションで話しながら、ストレンジに歩み寄った彼女は彼を値踏みするようにじっくりと眺めていたが、やがて「うん」という言葉とともに首を縦に振った。

 

「ウチの商売人としての勘が訴えとるんや、アンタはただの人間やないと。ほんま、おもろい男やね」

 




前回の後書きでプリシラとエスカノールについての疑問を呈したところ、様々なご意見をいただきました。かなり面白かったです笑!

七つの大罪のエスカノールが消滅した今、次代のエスカノールポジションにはプリシラがつくと思ってるので今後の彼女の活躍に期待したいです!



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二十二話 最悪との再会

皆様、お久しぶりです。またまた諸事情により投稿が遅れてしまいました。お詫び申し上げます。

王選候補者の皆さんの顔合わせ第一弾です。




「ユリウスを従えた、独特の言葉を話す商売人……なるほどお前がアナスタシア・ホーシンだな?」

 

「そう。ウチがホーシン商会を率いてるアナスタシア・ホーシンや。流石「至高の魔術師」は、よお知っとるね」

 

小柄の体に愛らしい顔立ちは何処か小動物を連想させる彼女の出立ち。しかしその愛らしさとは裏腹に、守銭奴体質で打算深く、欲深い性格があり、商売人としての才覚はストレンジが出会った人物の中で一番優れていた。

 

「もう知っているとは思うが、私はドクター・スティーブン・ストレンジだ。ホーシン会長はどうして王選に?」

 

「ちょっとちょっと、そうせかさんでもらえるかな。「至高の魔術師」は随分とせっかちやんね。そげん、情報を早く早くって、せがんでもそう簡単には出せんことをよう理解してもらいたいわ」

 

「商人らしい腹の探り方だな。そう簡単には手の内を明かせないと。実に疑り深い性格だな」

 

「か弱い乙女にもどキツい言い方やね。その傲慢っぷりも強すぎる強さ所以なんかな?」

 

お互いにお互いを興味ありとの視線で見つめる二人。ストレンジは若い頃から商才を発揮し一大商会を築き上げたその手腕に、アナスタシアはカルステン家の懐刀であり「至高の魔術師」でもあるストレンジの力を定めるために。それはユリウスの咳払いがあるまで続いた。

 

「ゴホン……アナスタシア様、どうぞこちらへ」

 

「ありがと、ユリウス。んじゃ、おおきに。「至高の魔術師」改め、ドクター・ストレンジさん」

 

自らの主であるアナスタシアを王座の前へ誘導したユリウス。アナスタシア本人はクルシュの横に立つと、情報戦の一環か、自らのライバルである彼女に積極的に話しかけている。クルシュも特に断ることなく応じている以上、それほど深い意味はないのかもしれないが。

一方、アナスタシアを王座の前に案内し騎士団の集まりへ戻ってきたユリウスはストレンジに一礼すると、彼の前に立つ。

 

「やはり来られましたか、ドクター殿」

 

「あの商売会長にお前がついているとはな。いやはや、驚いた。惚れでもしたか?」

 

「アナスタシア様は素晴らしいお方です。あの方は、努力を惜しまない性格をしています。小さい商会だったホーシン商会をカララギ随一の大商会に発展させたのもアナスタシア様の手腕あってのことです。何より、あの方には他者に負けたくないという向上心が人一倍強い。あの方の望みを叶えることこそ「アナスタシア様一の騎士」の使命であると、私は考えています」

 

「凄まじい入れ込みだな。彼女に惚気でもしたか?」

 

「それはあなたも同じだと思いますよ。ドクター殿も随分とクルシュ様には忠誠を誓っておいでのご様子。傲慢な貴方が忠誠を誓っていることこそ、彼女のお望みを叶えようとしていることに他ならないのでは?」

 

「それは少し違うな、ユリウス。私の目的はーー」

 

そこまで言って口を開きかけたストレンジは、再び入り口の方へ目を向けると喋るのを止めた。突然、話すことをやめた彼を怪訝そうに見るユリウスだったが、彼の視線の方へ顔を向けるとその理由に納得する。

 

「あはあ、これはこーれはドクター殿。再び会えて、私はとーても幸せであることこの上ありませーん」

 

「来たなクソピエロ野郎。王城までそのふざけた化粧で乗り込んでくるとは、随分と肝が据わっているようで。嬉しく思うよ」

 

「んー、ドクター殿らしい手荒い歓迎でーすね。ラムが聞いたら魔法で消しとーばしてきそうですが、私はドクター殿らしい挨拶で好きですよーお」

 

「弄られて喜ぶ男、つまりお前はマゾヒストか?あの桃色のSメイドに罵られて快感を覚える変態野郎だったとはな」

 

「私の中のドクター殿の印象が、がらーりと変わるような発言でーすね。そんな事はあーりませんとも」

 

エミリアと彼女の支援者であり、後見人でもあるロズワールも入室する。初手から変人同士のやり取りが開始される中、エミリアもすとれんじに声をかける。

 

「また会えたわねドクター。あなたはクルシュさんのお付きってところかしら?」

 

「そのような所だ。ああ、その白い衣装、よく似合ってるな。エミリアの純白な雰囲気にぴったりだ」

 

「そう?ドクターに褒められるの、悪い気分じゃないわ。ありがとう」

 

「どういたしてまして、とでも言っておこう。ところで、今日はあの少年は連れていないのだな?」

 

「あの少年?スバルのことなら、彼は今迎賓館でお留守番中。きっと連れて来ると色々、無理しちゃうと思って」

 

エミリアの後ろをまるで犬のようについて回る、ストーカー気質を持った少年。ロズワール邸を訪れた際には、ストレンジと一悶着ありお互いの好感度が最底辺まで落ちた関係なままの二人。

仮に彼がこの場にいようものなら、エミリアと仲睦まじく話す敵陣営の憎き相手として噛みつかれること間違いなしであり、彼がいないだけで平穏が保たれるーー

 

そう思っていた時期が彼にもあった。

 

またまた扉が開かれ、別の王選候補者が姿を表したのだがーー

 

「ーースバル?」

 

入ってきた人物にエミリアが驚き、ストレンジが思わず苦虫を潰したような表情を浮かべた相手。

こと、エミリアに関しては彼の姿があることが信じられないに瞬き、その紫紺の瞳に戸惑いとその他の感情を一緒くたに揺らしている。

 

その先の彼の行動は、

 

頭に手を当てて、片目をつむり、舌を出して。

 

「ゴメン、きちゃった」

 

盛大な無言の合間と、面倒事を抱えたため息が、玉座の間に重々しく横たわることとなった。

 

 

 

 

 

なんともふざけたような挨拶を恥もなく晒したスバル。だが、その異様さに気づいたのか彼は動こうとしない。

それに対してエミリアは言葉を求めるように唇を震わせ、考えをまとめようと瞳を彷徨わせていた。

やがて彼女なりの結論に達したのか、唇を引き結び、紫紺の瞳を真っ直ぐ彼に向けたエミリアは彼は言葉を発そうとする。

 

「妾の小間使いをジロジロと見て、何かあったか、混ざり者」

 

「おうふ」

 

「え?」

 

彼の背後より豊かな胸を押し付け、彼の首と胸板を艶かしい仕草でロックしたのはプリシラだった。彼に隣り合わせるように顎を彼の肩の上に乗せ、エミリアと向かい合っているその様は遠目で見ていたストレンジにも悪戯めいたものを感じさせた。

 

単純明快にも大きな胸を押し付けられ、耳まで真っ赤にしたスバルは、

 

「何が小間使いだ。エミリアたんに誤解され……」

 

「ほう、貴様は妾の小間使いでないと申すか。ならば王城内を堂々と歩き回れる貴様の身分は一体なんであるというんじゃろうな?」

 

「うぐ……ッ」

 

単純な反論は意地の悪い笑みを浮かべた策略家によって遮られる。

彼の目にはこのままプリシラの怒りを買ってその場で首を刎ねられる未来と、取り敢えずは彼女の言うことを聞きつつエミリアに弁明するチャンスを狙う未来の二つが、右往左往している。

 

「エミリアたんの前で、誰かに頭垂れるなんて真似はできない」

 

「……ほう。面白い。ならば、貴様は己を何とする?」

 

プリシラの表情が一変し、冷徹さを感じさせる口調がそのまま彼にのしかかる。

エミリアは驚きと不安な表情を顔に浮かべ、時折隣に立っているストレンジへ助けを求めるように顔を向けている。

ストレンジもこの場で人殺しをさせる訳にはいかないので、いつでも魔術を展開できるように控えた。

やがて意を決したのか、スバルは口を開く。

 

「俺はこの城に……」

 

「これはこーれは、プリシラ様。この度は当家の使用人がとんだご迷惑を。失礼いたしました」

 

意気込み状態であったスバルの右に立ったのはお騒がせ者のロズワール。相も変わらぬへらへらした笑みを浮かべた彼は、上辺だけ恭しさを取り繕ったような道化た態度で彼を示す。

 

「このお礼はいずれ。重ねて当家の人間が失礼いたしました」

 

「ほう、筆頭ペテン師の出しゃばりか。まあ、いいじゃろう。そこの道化と混ざり者のおかげで、それなりに楽しめた。ーー従者の頼みもあったが」

 

「勘弁してくれや、姫さん。寿命の蝋燭が夏場のアイス並みに早く溶けたってもんだぜ……」

 

「貴様の喩えは大概にして伝わらん。なんにせよ、妾の懐の深さに感謝するがよい。敬え敬え」

 

「へいへい、姫さんは凄い凄い」

 

従者と呼ばれた黒の鉄兜で顔を覆い、山賊風の衣装に身を包んだ隻腕の男がプリシラの頭を乱雑に揺らす傍ら、スバルはロズワールの助けに感謝し、ロズワール自身も妙に納得したようにスバルを見下ろした。

そしてスバルは弁明しなくてはならない相手の下へ向かいーー、

 

「どうして……?」

 

「へ?」

 

「どうやって、じゃなく、どうして。どうして、スバルがここにいるの?」

 

「そこを話そうとすると、実は深いようで浅くて重くてふわっふわっな理由があってーー」

 

「そこの少年は色々と問題を起こすのが好きらしいな。お前は彼女の従者だろ?ならば、彼女の意向に従うのが術者としての責務じゃないのか?」

 

スバルの弁明に口を挟んだのは先程からエミリアの近くにいて先の騒動を見ていたストレンジだった。

あまりに勝手な彼の振る舞いに嫌気が差していた彼は、更なる厄介事になること覚悟で口を挟んだのだ。案の定、スバルの表情が険しくなったのは言うまでもない。

 

「おっとっと、これはこれは、よく口が回る天才ドクター様。まさか医者であるあなたがこんな豪勢な場所にいるとはびっくりですとも。あなたこそこのような場所に相応しくないのでは?そもそも、何勝手にエミリアたんに近づいているわけ?まさか口説こうとしてるとか!?」

 

「相変わらずくだらない妄想にだけは頭がよく働くようだ。先程まであの傲慢な姫の胸に興奮していたのに、今となっては主人の近くに男がいるだけで敵意を剥き出しにする、何とも主人思いの従者だ」

 

「あ、あれは状況が状況で……てか、エミリアたんを心配に思うことがそんなに悪いことなのかよ。そういうアンタもどうしてこんな場所にいるんだよ?この前の爺さんと同じく、アンタだって単なる使用人ってだけだろ?」

 

「私はしっかりと許可を経てこの場所にいる。敵陣営に媚び売ってこの場に押し入るような厚顔無恥な誰かさんとは違うものだ。よく考えてから物を言いたまえ、クソ野郎」

 

「ああ?クソ野郎ってどういう喧嘩売ってんのかよ?クソ医者」

 

「あ、あのドクター。ちょっと流石に言い過ぎだと思うの……。スバルもほら、一旦落ち着いて」

 

思わず隣で見ていたエミリアが止めに入るほど、バチバチと火花を散らし合いながら睨み合う二人。

しかしこの言い争いにおいては、スバルの方が分が悪い。スバルはエミリアと宿屋で留守番を言いつけられていたのだが、それを数分で反故にして出てきている。故に、スバルの約束を守る意思の薄さを露呈させていた。

約束を破ったことへの負い目と、エミリアの身を案じて馳せ参じた事実をどうにかしてブレンドし、目の前のクソッタレ魔術師にぶつけられないか、スバルは頭をフル回転させ思考を走らせる。

 

「ーー皆様方、お揃いになられました。これより、賢人会の方々が入場されます」

 

スバルとエミリア、それにストレンジの言い争いを遮るように玉座の間の扉が開かれた。扉の前で警備にあたっていたマーコスを先頭に、数名の老齢の団体が続く。

全員が場と身分に則した装いに身を包んでおり、振る舞いと物腰から高貴な身分の人物であることはストレンジやスバルも想像できる。

特に集団の真ん中を歩く白髪の老人にストレンジは注目していた。背丈はストレンジより一回り小さく、色の抜け落ちた真っ白な白髪が長く伸ばされ、ヒゲも長く丁寧に整えられている。そして「刃」の切れ味を思わせる眼光の持ち主でもあった。

 

「あの方が賢人会代表、王不在のルグニカにて最大の発言力を持った人物。マイクロトフ様ってわーけ」

 

先程までとはとは打って変わって言葉を失うスバルに対して、ロズワールが密やかな声で注釈する。

スバル自身も納得したようで、只者でないという意識を強めていた。

 

「国家元首であり国の最高権力者である王が不在の今、代理として国政を牛耳っている機関、そのお偉い方がこうも勢揃いとは……」

 

「名目上は国王の補佐なんですけーどね。今は国の運営も賢人会頼み……とはいえ、王家が存命の時からあんまり変わってもいーませんが」

 

「国王の権力を傘に力を牛耳る老人たちの集まりか。説得に苦労しそうなことが目に見えている」

 

近くにいたストレンジの呟きにも同じように答えるロズワール。最も彼の最後の発言には、ロズワールも苦笑を禁じ得なかった。

そして賢人会の御一行が着席する前に、ストレンジはユリウスたちのいる騎士団の列に混ざる。

本来であるならば文官たちのいる列に行くべきなのだろうが、クルシュやユリウスたちから許可を得ていたストレンジはスバルが何処に混ざろうかオロオロしているのを横目にささっと移動した。

 

そしてプリシラの従者である鉄兜の男に誘われ、エミリアの正論虚しくロズワールの口添えによってスバルも同様に騎士団の列に加わる。

そして多くの不安要素を抱えたエミリアだったが、賢人会の面々が放つ老獪な威圧感と、王選候補者という「異彩」な面子がいる下へ駆けて行った。

 




さて、またまた喧嘩をおっ始めたストレンジとスバル。王城なんですけどね……そこ。まあ、ちゃんと許可を得ているストレンジ先生にスバルきゅんが勝てる可能性なんて殆どありませんけど。

さて、二人の好感度は更に下がる一方ですが、私自身はもっと下げる物語構成で考えています。
お互いがお互いなので笑

またストレンジは各々の陣営から、今までの功績があることで一定程度は信頼されているため、仮にストレンジがクルシュにスバルを追い出すように進言するとほぼ確実にスバルは追い出されます。

因みに賢人会の面々にもストレンジの活躍は伝わっていたりしています。



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二十三話 王選の始まり

課題に追われる+進撃の巨人にハマった結果、かなり投稿が遅れました!
申し訳ない!

というわけで久しぶりの本編です


「つまるところ、あれが王選参加者ーー未来の王様候補ってことか」

 

スバルがそう結論づける中、周りはぞろぞろと動き出している。

ロズワールや、ストレンジは気づいていないが軍服を着て参上していたフォリア・ファリックスらは、立ち並ぶ騎士たちとは反対方向の文官の陣営に加わり、スバルはアルの背に続き、甲冑騎士たちよりも僅かに玉座に近い位置へ。

 

「ーーやっぱり君が来たね、スバル」

 

赤毛のイケメンが片手を上げて、スバルの来訪を笑顔で迎える。

ストレンジは知らないが、スバルが王都に飛ばされて以降、友好関係を保ち続けている数少ない美丈夫――ラインハルト・ヴァン・アストレアその人だ。燃える赤毛を揺らし、騎士の制服姿に身を包んだその姿はとても眩しい。

 

「エミリア様が出席されるのを聞いて、君が来るんじゃないかと思ったよ」

 

「久しぶり。それと、お前の俺へのそのむやみやたらな高評価ってなに?お前の中の俺って裏声で助け呼んだり、無様に切腹したりっていうイメージなはずなんだけど」

 

「エミリア様を凶刃から守ったのはもちろん、それ以外の面でも君は最善を選び続けた。過小評価が過ぎるのも美徳、だとは思うけどね」

 

ストレンジとは違って、嫌味ゼロの顔つきでそう言われてしまえば、スバルももうぐうの音も出ない。

真のイケメンは、性格もいいパターンが多い、と勝手に結論づけているスバル。

 

「拝んだらあやかったりできるのかねえ」

 

「あはは、君がなにをしても効かないよ? 僕は生まれつき、そういう体質なものだからね」

 

「いや、これは純粋にお祈りの領分だから気にしないで。と、そうだったそうだった。その前に言わにゃならんことがあった」

 

居住まいを正すスバルの前で、ラインハルトは青い瞳をきょとんとさせる。そして彼に対してスバルはゆっくりと頭を下げると、

 

「この前はホントに助かった。つか、礼を言う暇もその後の連絡の方法もなかなか選べなくて悪かった。もっと早く話せたら良かったんだけど」

 

「それについてはスバルの方の事情もわかってる。仕方のないことさ。君は名誉の重傷で、僕もこのところは少し立て込んでいたから」

 

小さく肩をすくめるラインハルトは、それでもスバルの感謝の言葉を受け取ると嬉しそうに唇をほころばせる。そんなささやかな仕草までもがどこか絵になるのだから、真のイケメンにスバルは嫉妬心すらわく要素がない。

そして旧交を温める二人のやり取りに、

 

「ラインハルトとスバルきゅんって、知り合いだったんだ。意外だにゃ」

 

そう言いながら、天然の猫耳の人物が羽のように軽い声音で割り込んできた。

今日は黒を基調としたラインハルトと揃いの制服姿に、以前見たときと同じ白いリボンで亜麻色の髪を飾るのは、数日前のロズワール邸訪問メンバーの一人であったフェリスである。

手刀に見立てた手を額に掲げ、敬礼のような仕草でウィンクすると、

 

「ほんの二日ぶりだね、元気してた? みんなのフェリちゃんは元気にしてたよ」

 

「聞いてねぇよっていうか、先日はどうも。またお会いできて光栄だとも」

 

「にゃはあ、フェリちゃんもスバルきゅんと会えて嬉しいヨ〜。ま、来て早々、手洗い歓迎を受けたみたいだけどネ〜」

 

気安くスバルの肩に触れて、緊張をほぐすべしと呼びかけてくるフェリス。そんな彼女とスバルのやり取りをラインハルトも少し驚いた顔で見て、

 

「スバル。フェリスとは顔見知りなのかい?」

 

「俺が世話になってるロズワールのとこに、今日の出席確認にきたのがこの子と、あのクソ医者。てっきり下っ端の小間使いかと思ってたけど……」

 

こうしてラインハルトと同じ装いで並んでいる以上、彼女もまた「剣聖」と並ぶにふさわしい立場の持ち主なのだろう。それなりにそれなりを重ねて、けっこうな位の持ち主である予感をひしひし感じる。

 

「そうか、エミリア様のところにはフェリスとドクター殿が行っていたのか。手が空いていたら、ぜひ僕が行きたかったんだけど」

 

「剣聖を王都から離すとか、そんなのマーコス団長が許すわけにゃいにゃ。これ以上、団長の気苦労を増やしてあげたら可哀想だヨ。ただでさえ三十前なのにあの老け顔……今後は顔だけじゃなく頭にもいっちゃう恐れが」

 

冗談めかしたフェリスの言葉に、ラインハルトがわずかに微苦笑。さすがに内容が内容だけにおおっぴらに笑うわけにもいかない。スバルも巌のようなマーコスの顔を思い出し、三十路前なのに貫禄ありすぎだろと内心で突っ込む。

そしてそしてさらに、

 

「そろそろ、私の方にも彼らを紹介してくれないかい?」

 

と、その場で騎士たちと異なる雰囲気最後の持ち主が声をかけてきた。

振り返ってみたその人物たちにもスバルは見覚えがある。しかし、本音でいえばいい印象のある相手ではない。

 

「詰め所でエミリアたんの手にキスしやがった奴と……お前もこっちにいるのかよ、クソ医者野郎」

 

エミリアの手の甲に接吻を捧げた抜け駆け野郎と、自身を散々にこき下ろした挙句、会うたびに説教じみた指摘を永遠と続ける傲慢クソ医者だと内心で罵倒しながら、スバルは表面上は笑顔を作り、

 

「こりゃ自己紹介が遅れまして。どうもどうも、ナツキ・スバルってケチな野郎でさぁ。そこにいるクソ医者様はもうご承知かと思いますが、どうぞ、頭の隅っこにでもせせこましく置いといてくだせい、へへっ」

 

「急にずいぶん卑屈な感じだね、スバル」

 

ラインハルトがスバルをたしなめ、ユリウスに対して向き直り、

 

「気を悪くしないでほしい、ユリウス、ドクター殿。スバルは少し、こうして他者に侮られる振舞いをして相手を試す節があるから」

 

「おいおい、俺にそんな狡猾な設定つけんのやめてくんない? 別にそんな意図ねぇよ、俺なりのエアリーディングしてるとこんな感じになんだよ」

 

「そうだな。そこの少年にはラインハルトが考えるような秀逸な頭脳なんてものは持ち合わせていないだろう。あるのはその身体に収まりきらないエゴだけだ」

 

スバルがクソ医者と呼ぶストレンジも騎士たちの輪に加わるが、ラインハルトのようにスバルを評価するわけでもなく、フェリスのように悪戯するわけでもなく、ただ彼らしく傲慢に事実を述べるだけ。もちろん、ストレンジの発言にスバルの機嫌がより一層悪くなったことは言うまでもないが。

 

「なるほど。ドクター殿の見解として受け取っておきましょう。

ーー近衛騎士団所属ユリウス・ユークリウスだ。お見知りおきを。そちらの騎士殿も」

 

口の端をゆるめながらキザ男――ユリウスはスバルにそう名乗る。それから彼が水を向けるのはスバルの隣に立つアルだ。

「騎士殿」と敬称で呼ばれた彼はむず痒そうに首を鳴らし、

 

「あー、そんなたいそれたもんじゃねぇんで、騎士殿なんて呼ぶのはやめてくれ。オレは、あれだよ、一介の素浪人だから。一本筋の通ったアンタらとは違ってさ」

 

こもった声でテンション低く応答。スバルに対する態度と違い、そこには明確な人を遠ざける意思が込められている。アルに対してだいぶ馴れ馴れしい人物だという印象のあったスバルにとって、彼のその態度は意外の一言だった。それぞれの名前の交換が終わった頃合いと、騎士団長と呼ばれていたマーコスが声を上げるのはほとんど同時だったからだ。

 

「――賢人会の皆様。候補者の皆様方、揃いましてございます。僭越ながら近衛騎士団長の自分が、議事の進行を務めさせていただきます」

 

「ふぅむ……よろしくお願いします」

 

席に着いたまま手を組み、かすかに顎を引いて頷くのは賢人会代表マイクロトフ。彼の返事に合わせて一礼したマーコスは眉を寄せて説明を始める。

 

この度の招集が次期国王の選出が目的であること。そしてその原因がストレンジがやってくる約半年前に、先王を始め王族全員が謎の病に倒れ回復することなく全員が死亡したということ。そして王不在の事態は王国にとって窮地であるとともに、「盟約」に関わる深刻な事態であること。

 

「ルグニカ王国にとって盟約の維持は王国の存在に大きく関わりますからな。王の一族が一斉に病魔に侵されたのは痛恨の極み。一刻も早く、ドラゴンと意思を通わせることのできる「巫女」を見出さなくてはならなかった」

 

「その為に我ら近衛騎士団一同、賢人会の皆様の命を受け、竜殊の輝きに選ばれた巫女を探し出す任に当たってまいりました」

 

マーコスがそう言って掌に乗せたのは、小さな徽章。王選参加資格を得た者だけだが持つことの許される貴重かつ重要な代物だ。

マーコスが王選候補者に徽章を提示するよう伝えると、候補者たちはそれぞれの徽章を前に掲げる。すると、いずれの徽章も眩い光を放って玉座を照らした。

 

「こうして、候補者の皆様にはいずれも竜の巫女としての資格がございます。それらを見届けました上で、この竜歴石に従いーー」

 

「あんな?」

 

厳かに議事を進行させようとするマーコスに、アナスタシアが待ったをかける。おっとりとした口調で小首を傾げた彼女は、

 

「団長さんがぴしーっとお話進めたいんはわかるんやけど、ウチも忙しいんよ。カララギでは「時間は金に等しい」って言うてな?」

 

(「Time is money.」時は、金なりか。地球にも同じ諺があるが、やはりカララギはーー)

 

ストレンジがアナスタシアの発言に興味を抱き、彼なりに考察していく中、会話は続く。

 

「分かりきった話を繰り返すくらいやったら、ウチらが集められたお話の核心が聞きたいっちゅうのが、本音や」

 

関西弁で話す彼女にマーコスは少しばかり面喰らい、スバルはマーコス以上の衝撃を受け、あんぐりと口を開けたまま暫く固まっていた。

 

「おいおい、関西弁とかマジかよ」

 

「なんだなんだ、兄弟もビビってんのか。西のカララギっていう国じゃ、アレで通っているらしいぜ。実際、俺もみたことはねぇけどよ」

 

ぼそりと呟くスバルに、隣のアルが同じく小声で同様の感想を口にする。

一方、スバルとは別の要因で驚きの広がる王座の間。かすかなどよめきが広間に蔓延しかける中、それを押しとどめるのはやはりこの人物しかいないだろう。

 

「道理だな」

 

「――クルシュ様」

 

クルシュは腕を組み、顎を引いてアナスタシアに同意を示した。彼女の反応にマーコスはその名を呼び、わずかに困惑を浮かべて眉を寄せると、

 

「カルステン家の当主がそのようなことを……」

 

「格式を重んじる気持ちはわからなくもないが、時間が有限であることも事実だ。我々が集められた理由に早々に触れるべきだろう。もっとも」

 

クルシュは片目をつむり、マーコスのさらに奥、賢人会の歴々を視界に入れながら、

 

「おおよその想像はついているがな」

 

「ほぅ。さすがはカルステン家の当主。すでにこの召集の意味がわかっておいででしたか」

 

マイクロトフの感心したような言葉に頷き、クルシュは凛々しい面を持ち上げ、玉座の前で開かれるこの集りの真意に触れる。それは、

 

「ああ。――酒宴だろう? 我々はいずれ競い合う身であるとはいえ、今はまだ互いに知らないことが多すぎる。卓を囲み、杯を傾け合い、腹を割って話せば自ずとその人柄も知れよう」

 

「いえ、違いますが」

 

荘厳な感じで飲み会の段取りを決めようとするクルシュに、たまらずマイクロトフは口を挟む。彼女はその態度に驚き顔を作り、それからゆっくりスバルたちの方を見ると、

 

「フェリス。聞いていたのと話が違うが」

 

「やーだなー、もう。フェリちゃんはただ、お城にいっぱいお食事とかお酒が運び込まれてるから「酒宴でも開くのかもですネ」って言っただけじゃないですかー」

 

「そうか、私の早とちりか。場を乱すような真似をしてすまない」

 

懐の広いような振舞いだが、会話の内容が明らかにおかしい。それにはストレンジも気づいたようで、

 

「フェリス、お前は主人の天然ぶりを利用して、とんでもないことをしでかしたな。クルシュもあんな嘘を簡単に信じるとは思わなかったが。普段とは違うので、ある意味で驚かされたもんだ」

 

「そういうところがいいんだってば〜、ドクターは分かってにゃいネ。普段凛としたお姿でいるクルシュ様のあんな側面、滅多に見られにゃいんだから」

 

一方、こんな重大な場で見事にフェリスにしてやられたクルシュは、今のやり取りを踏まえた上で軽く吐息を漏らすと、

 

「そんなわけで、私の話は取り消してくれ。恥ずかしいのでな」

 

「やだ、クルシュ様ってば男らしすぎっ!ドクターもそう思うよネ?ネ!?」

 

頬に手を当てて身悶えるフェリス。顔を赤くして腰を振るフェリスは、主に誤情報を流した点は気にしていないようだ。隣にいたストレンジは、ため息を吐くと身悶えるフェリスは放置して前方を見つめる。彼がため息を吐いている時点で、ある程度事態の察しはつけられる。

 

「こらこら。クルシュさんが引いてもウチの意見は変わらんよ。王選の上辺のことなんか話さんでもみんな知っとることや。そやろ?」

 

アナスタシアの問いに答える他の候補者の反応は様々だ。クルシュは同意を示す頷きを、プリシラは退屈そうな顔つきで小さく鼻を鳴らし、エミリアは緊張に強張る唇を震わせる。

 

「わ、私はちゃんと聞くべきだと思うの……」

 

「悪いけど、アンタ様の意見は聞いてないんよ」

 

ただ一人応じたエミリアに待っていたのは、アナスタシアによるドギツい言葉だった。既に萎縮しかけていた彼女にとって、叩きつけられたような断言は彼女に諦観を浮かばせた。

想い人の俯く顔を見ていたスバルの頭の中で火花が散ったのはいうまでもない。

 

「てめ、エミリアに向かってその態度……「うははーい!オレ、王選がどうとか知らないから先が聞きたかったりすっかなー!!」

 

前に踏み出し、怒号を放ちかけたスバルをたくましい腕が遮って止める。そのまま口から飛び出す予定だった罵声も、被さるような声によって広間に上書きされて響いた。

突然のアルの行動に、ラインハルトやユリウスら騎士たちも流石に面喰らったのか亜然としている。

 

「プリシラ様。彼はあなたの騎士とうかがいましたが……王選の説明は?」

 

「妾がせずとも長話好きの貴様らが勝手にするじゃろ? 妾は妾の無駄を省いたにすぎん。繰り言など寝言と変わらん。寝言など、寝ててもするな。続けよ、マーコス」

 

マーコスだけがどうにか冷静に応対する中、尊大な口調でプリシラが煽る。

エミリアの人格者ぶりが際立っていると勝手に自己判断しているスバルをどこか冷めたような目つきで見つめるストレンジ。彼は、アルが発言の途中に割り込んだのを幸に、先程言いかけた発言をスバルが反省していないことを一人静かに危惧していた。特にエミリアが圧倒的不利なこの場は、スバルにとっては理不尽な環境そのものなのだから。

 

「では少し脱線しましたが、話を戻しましょう。――竜の巫女の資格を持つ皆様がこうして集められたのは、竜歴石に新たに刻まれた預言によるものです。そこには、「新たな国の導き手になり得る五人、その内よりひとりの巫女を選び、竜との盟約に臨むべし」と」

 

「ふぅむ。石板が示したのはまさに天意そのもの。王国誕生のときより同じだけ歴史を積み重ねてきた竜歴石は、王国の命運を左右する事態に呼応して文字を刻む。その内容が後の歴史を動かしてきたことを思えば、従うのが我らの務めでしょうな」

 

マイクロトフの述懐に、他の賢人会の老人たちも厳かに頷く。既に賢人会の面々には伝わっているのか、誰一人として困惑する者はいない。

マーコスが朗々と述べた内容、それを読み解いて内容を吟味するストレンジ。一方、スバルは素朴なとある疑問をラインハルトにぶつけていた。

 

「五人……?」

 

「そう、五人だ」

 

スバルの疑問にラインハルトが頷きで応じる。彼は疑惑を顔いっぱいに浮かべるスバルを涼やかに横目にし、

 

「つまり、四人しか候補者がいなかった現状――王選はまだ、始まってすらいなかったということさ。そこは五人目の候補者を見つけられずにいた、近衛騎士団の不甲斐なさを責めてもらうしかないんだけど」

 

五千万はいる国民の中からたった5人の巫女を選び抜くのは至難の業だ。しかしラインハルトの態度には時間がかかってしまったことに恥じ入るところは一切ない。

 

「しかしこうして王選候補者を集めているということは、そういうことだろうな」

 

「ーーなにせ……今日は王国史に刻まれる一日になりますからな」

 

ストレンジの発言を繋げるようにして、ふいにマイクロトフの声が低くなる。

それを聞き、それまでどこか最初の緊迫感が失われつつあった広間に、誰もが背筋を伸ばさずにいられないほどの雰囲気が駆け抜けた。マイクロトフの言葉の真意を探り、誰もが最初の一言を発することを恐れる。そんな中、口火を切ったのは物怖じせずに胸を張る少女だ。

 

「歴史が動く、と言いおったな。つまり、そういうことじゃろ?」

 

プリシラの静かな問いかけに、マイクロトフは壇上で小さく頷く。それから彼は眉の濃い視線をマーコスに向け、目配せをもって合図した。

それを受けたマーコスは胸に手を当てて一礼し、

 

「――騎士ラインハルト・ヴァン・アストレア! ここに」

 

「はっ!」

 

突然、広間に響き渡るマーコスの声。

思わずびくりと驚くスバルの隣で、呼びかけられるのを待っていたようにラインハルトが返答。それから彼は滑るような身のこなしで中央に進み出ると、候補者の四人に一礼を捧げ、それから騎士団長のマーコスの前へ。

 

「では、ラインハルト。報告を」

 

「はっ」

 

 一歩場を譲り、マーコスが壇上前の中央を空ける。そこに進み出たラインハルトは観衆の視線をひとり占めにして、欠片の気負いもない表情で賢人会に向き合い、

 

「名誉ある賢人会の皆様、近衛騎士であるこのラインハルト・ヴァン・アストレアが、任務完了の報告をさせていただきます」

 

「ふぅむ、では全員に聞こえるように頼みますよ」

 

マイクロトフの言葉を受け、ラインハルトは一礼してから振り返り、広間の全員の前で堂々と背を伸ばす。

 

「竜の巫女、王の候補者――最後の五人目、見つかりましてございます」

 

どよめきが立ち並ぶ騎士たちの間に広がり、候補者たちの表情がそれぞれの強い感情に呼応して変わる。歓喜・退屈・戸惑いなどの感情に。

そしてスバルもまた、ラインハルトの言葉に「やっぱりか」と口の中だけで言葉を紡ぐ。しかし、疑問になるのはラインハルトの立場である。なぜ彼が報告の場に選ばれたのか。あるいは、とそこまで考えて、スバルはこの場の面子の共通点に気付く。

 

「全員、王の候補者の関係者……ってことは」

 

アルがプリシラ。フェリスとストレンジがクルシュ。ユリウスがアナスタシアの関係者であり、スバルもまたエミリアの関係者であると己をその範疇に含むのであれば、この場に加わっていたラインハルトの立ち位置もまた明白だ。

 

「お連れしてくれ」

 

小さな声であったが、それは広間のざわめきを飛び越えて大扉まで楽々届く。その声を受けた門前の衛兵が敬礼し、それから扉がゆっくりと開かれる。

 

そうして開かれた扉の向こうから、侍女らしき格好の女性数名を伴って、ひとりの人物が王座の間の中に招き入れられた。

 

薄い黄色の生地のドレス。肘まで届く白い手袋とスカートを揺らし、いかにも歩きづらそうな踵の高い靴で絨毯を踏む姿。小柄で華奢な体躯は抱きしめれば折れてしまいそうなほど細く、毛質の細い金色の髪が儚げな印象に良く似合う。しかしセミロングの金色の髪を揺らし、意思の強い赤い双眸の彼女が、悪戯っぽい八重歯の持ち主であり、弱々しい印象は抱かせない。

ストレンジを含めた誰もが新たに広間に入ってきた少女の姿を瞳に焼き付ける中、朗と響き渡る声でラインハルトが告げる。

 

「自分が王として仰ぐ方――名を、フェルト様と申します」

 

 ――全ての王選候補者が集結した今この瞬間、ルグニカ王国の行く末を決める、王選が始まろうとしていた。

 




今回はドクターの台詞は少なめで全体的にも原作を踏襲したような感じに仕上げました。

だ、大丈夫……、次回はちゃんと絡みを増やすから……(震え)

亀みたいな投稿ペースになっていることをお詫び申し上げます。これからしばらくはこのような投稿頻度に落ち着くと思います。どうか、ご容赦を。


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二十四話 嫌悪の間柄

やることが多くて、亀更新になってしまいました。
エヴァンゲリオンとか、進撃の巨人とか、小林さんちのメイドラゴンにハマってしまって中々書けないとか言えない……汗

今回は、今までで最長のお話です笑
ではどうぞ!



ラインハルトの宣言に招かれ、侍女を従えたフェルトが王座の間を静かに歩く。赤い絨毯を踏みしめ、薄い黄色のドレスの裾を地に擦らないよう意識しながら、小さな背中を真っ直ぐ伸ばして進む姿は貴族令嬢そのものである。

 

まだまだ未成熟ながら、外見を整えられた彼女の姿はストレンジをもってしても美しいと感じた。成熟すれば、それこそ絶世の美女として化ける可能性は十分にある。

その彼女はゆったりとした動きでラインハルトのすぐ側へ。手の届く位置にフェルトがきたのを見届け、ラインハルトはその整った面に微笑を刻んで頷き、

 

「フェルト様、ご足労いただきありがとうございます」

 

「――ラインハルト」

 

恭しく一礼するラインハルト。その彼に、身長差があるために下から見上げる形になるフェルトが顎を持ち上げて呼びかける。

涼やかな声音に呼ばれ、ラインハルトが通る声で応じる。フェルトはそんな彼の態度にそっと微笑んでーー、

 

「――てめー、またアタシの服を隠しちまいやがったな!?」

 

ドレスの裾を持ち上げながら、すらりと長い足が弧を描く。だが、ラインハルトの頭部目掛けて蹴られた蹴り足は、軽く持ち上げられた彼の掌の中にすっぽりと収まってしまった。

片足立ちになるフェルトに、その足を掴んだままのラインハルトが一息つき、

 

「驚きましたよ。突然、なにをなさるんですか」

 

「しれっと言ってんじゃねーよ! アタシの服! 隠したのアンタだろ? おかげでこんなうっとうしいひらひらした服着せられたじゃねーか!」

 

片足でバランスを取りながら、フェルトは彼女のためにあつらえられただろうドレスの裾を揺らしながら不満そうに頬を膨らませる。

乱雑に扱われ、皺ひとつなかった生地に早くも無粋な折り目が生まれ始めた。中々、型破りな少女がやってきたとストレンジが評する中、ラインハルトはゆるやかな動きでフェルトの足を地に下ろし、

 

「よく似合っておいでですから、恥ずかしがる必要はありませんよ」

 

「恥ずかしがってんじゃねーよ、嫌いだっつってんだ! 服だけの話じゃねー!騎士様が拉致監禁とかそれこそ恥ずかしいと思わねーのかよ!」

 

「それが王国繁栄のためならば」

 

清々しいほどの迷いないラインハルトの言い切りに、頭痛でも感じたようにフェルトは額に手をやる。それから彼女は遅れて広間中の視線を一身に集めていることに気付いたように、

 

「なんだよ、じろじろ見てんじゃねーよ。見世物だと思うんならお捻りのひとつでも投げやがれ。金持ち揃いみてーだし」

 

一目で上流階級とわかる人々に敵意を浮かべ、それこそこの場でもかなり上等に位置するだろうドレスに袖を通しながら、いかにも柄の悪い態度でフェルトがぼやく。

それを見ていたストレンジとファリックスは、芯がしっかりとしている面白い人物が来た、と内心面白がる。

 

一方、品定めするように広間を見回していたフェルトの視線がスバルと絡んだ。

彼女はふいに眉を寄せ、それから記憶を探るように瞑目し、ほんの数秒でその記憶を探り当てたように顔を明るくすると、

 

「お! なんでこんなとこにいんだよ、兄ちゃん!」

 

軽い突き放しでラインハルトの胸を押すと、彼女はそのままの勢いで、のしのしとスバルの方へ向かってくる。高級そうなドレスが悲しくなるほど乱暴に扱われ、丁寧にそのコーディネートをしただろう侍女たちが顔を押さえて目を背けている様は、とても王選参加者の振る舞いには見えない。

そんな感傷を置き去りにして、満面の笑みで向かってくるフェルトにスバルはどこか相対的だ。

 

「よぉ、久しぶりだな。元気してらんだばっ!」

 

軽く手を掲げて爽やかに挨拶を放った瞬間、前蹴りが土手っ腹を直撃。衝撃に体がくの字に折れ、スバルはその場に膝をついて咳き込む。

いきなりの凶行に意味がわからないで呻くスバルの醜態を、片足を上げたままのフェルトが見下ろしながら、

 

「その感じだと腹の傷とか平気みてーだな。そのわりに、他のとこの傷とかメチャクチャ増えてる感じするけど」

 

「それわかってんなら少し労れや、お前……なんで確認に渾身の一発だよ……」

 

「まぁ、兄ちゃんの方も兄ちゃんの方で大変だったってことか。けど、大変だったっつーならアタシも負けてねーぜ?」

 

「……だろうな。まさかこんな場面でお前と出くわす羽目になるとは思わなかった。徽章騒ぎがめぐりめぐってこうしてぼんじょびっ」

 

「徽章騒ぎとか大っぴらに言えねーに決まってんだろ、状況見えねえのか?」

 

「……口塞ぐとか、もっと可愛いやり方あったんじゃね? 相変わらず足速ぇよ」

 

しゃがむスバルの口を塞ぐためか、真下から顎が蹴り上げられた。公衆に初登場してから僅か数十秒でのトンデモ行いのおかげで、とんだ社交界デビューとなってしまったフェルト。

 

「フェルト様。旧交を温められるのもよろしいですが、こちらへお願いします」

 

と、傍目には和気藹々に見えたのかもしれないやり取りをする二人に割り込んだのは、その場の空気に依然呑まれず、淡々と議事を進行するマーコスだ。その巌の表情にフェルトはまだ反論したがった様子だが、彼のすぐ側に立つラインハルトが申し訳なさそうに腰を折ると、不承不承といった顔で再び前へ。

 

「で、アタシになにをさせてーんだって?」

 

「まずは淑女としての振舞いを、と言いたいところですが、その前にこちらを手にとっていただいて」

 

ラインハルトの言動に嫌そうな顔をするフェルト。その彼女の掌に、ラインハルトは懐から取り出した竜の徽章を手渡す。

一瞬、その徽章の形にフェルトの眉がしかめられたが、すぐに宝玉が掌の中で光り輝き始めるのを見ると、その強張った表情も軟化する。

 

「盗ったときから思ってたけど、珍妙な石だよな。なんだって光るんだか」

 

「盗った?」

 

「それはフェルト様が資格あるものと竜に認められたからです」

 

うっかりとんでもない事を発するフェルト。その彼女の迂闊さにマーコスは気付いた様子だったが、それは即座に遮ったラインハルトのフォローによってどうにか回避。

マーコスは己の発言が流されたことを一瞬怪訝に思ったようだったが、彼は目の前の事実の方を優先させることにした。

 

振り返り、黙ってその資格照明の場面を見ていた賢人会の面々を仰ぎ見て、

 

「この通り、竜殊は確かにフェルト様を巫女として認めました。彼女の参加を承認した上で、此度の王選の本当の意味での開始が成るかと思われます」

 

鉄製のプレートに掌を当て、恭しく頭を下げるマーコス。団長のそれにラインハルトが、そして近衛騎士団の全員がそれに従う。

任務完了の報告を行う騎士団の面々、彼らの尽力あってこの場に五人の竜の巫女――つまり、未来のルグニカの女王候補が集ったこととなる。ここでようやくスバルは、晴れの日に王城に忍び込むという事の重大さに気づき、身を静かに震えさせた。その様子にストレンジは溜息を漏らす。

 

ふいに王座の間に広がり始めているどよめきが発生する。発生源は、敬礼を行う騎士たちとは中央を挟んで対面――そちらに居並ぶ、ロズワールなどを含んだ文官筋の集団から発されていた。どよめきの詳細は聞こえてこないが、それは困惑や戸惑い、そして明らかな不満が含まれている。

 

「よろしいですかな?」

 

と、ついにはその文官集団の中からひとりの中年が進み出る。

茶色の総髪を流した、四十代ぐらいだと思われる男性である。彼は立派な顎ヒゲを神経質そうに撫でつけながら、

 

「今回の王選出の儀に当たり、近衛騎士団の尽力には言葉もない。諸君らの力なくして、これほど短期間で竜歴石の預言に沿った状況を作ることはできまい」

 

「もったいないお言葉です」

 

もったいぶった言い回しで騎士団を賞賛する男性に、重々しい口調のままマーコスが謙遜してみせる。それに対して男性はやり難そうに目をそらしながら、「しかし」と前置きした上で、

 

「こんなことは言いたくないが、竜歴石の示した状況に沿っているとはいえ、少々人選に問題があるのでは?」

 

「と、言いますと?」

 

「竜の巫女としての資格、そちらに目を奪われ過ぎて、肝心の王国の冠を頂く資格について蔑にしてはおらぬかと言っているのだ」

 

聞き返す言葉にぴしゃりと、中年は察しの悪い相手を怒鳴りつけるように言い放つ。さすがに己の語調の強さを恥じるようにすぐ口をつぐんだが、文官集団からはその彼の発言に対して「そうだそうだ」というような同意の声がいくつか漏れた。

賛同者がいる事実にいくらかの心強さを得たのか、顔にはいくらか自信が満ちる。

と、ここで男の発言に割り込むようにとある人物が割り込むように発言する。

 

「リッケルト殿、事は人選の問題ではない。竜歴石の予言には、五人の巫女を探し出せと刻まれていたようだが、特に人格には言及されていなかった。徽章が彼女を選んだ以上、我々には従うほか道はないのでは?」

 

「ファリックス子爵、余計な口を挟まないでいただきたいものだ。第一、竜との盟約はなにより重要だ。親竜王国としてルグニカが存在してきた以上、彼らとの友好なくして国は成り立たない。だが、竜を重要視するあまり、民を軽視するようでは本末転倒ではないか」

 

「つまり、こういうことですか。我々近衛騎士団は竜の巫女を探すことに心血を注ぐあまり、忠誠を誓うべき王に相応しい人物を見誤っていると」

 

「多少の言い方の齟齬はあるが、そういうことになるな」

 

マーコスの端的なまとめ方に肝を冷やされたのか、中年は言葉を選ぶようにと遠回しに忠告する。が、そのフォローも少しばかり遅い。

必死に動いて結果を出したにも関わらず、その成果に対して決して寛大ではない評価を下された騎士団の方の心情は穏やかではないのだ。

 

 

「なんか、不穏な空気になってきてねえか……?」

 

「騎士団からすりゃ、難癖つけられてるわけだかんな。オレはそのあたりどうとも思わねぇが、そちらさん方はどうよ?」

 

スバルの呟きを聞きつけ、アルがくぐもった笑いを上げて別の二人に話を振る。振られた形になったユリウスとフェリスは視線だけをこちらに向け、

 

「フェリちゃんは別ににゃーんとも? だって、フェリちゃんの忠誠はもうたったひとりに捧げちゃってるわけだし」

 

「フェリスと同意見、とまでは言わないけれど、私も同じ気持ちだよ。すでに剣は捧げている」

 

「は、立派なこった。まぁ、それはオレも姫さんに対して一緒だがね。そういえば、そこの魔術師さんはどう思ってるわけ?」

 

対抗するかのようにアルが言うと、二人が微笑を口元に刻む。そしてアルの視線はストレンジの方へも向く。

 

「私は騎士でないからな。彼らと同様の忠誠を要求されては困るものだが、私もクルシュには恩がある。その恩に報いるために、私は力を惜しまないと決めているものさ。これで満足か?」

 

「おうおう、すんごい決意表明なこった。やっぱ姫さんが目をつけた人間は、頭のネジがどこか飛んでやがる」

 

騎士ではないストレンジは、自分と同じであると勝手に判断していたスバルは、彼のまさかの発言にさらに面白くない気分になる。騎士として、傭兵として、あるいは最強の魔術師として、全幅の信頼を主に預けている四人。そんな彼らと自分の立場を比較して、どうにも一歩引けているような感覚がスバル自身を襲う。必死に頭を振って弱気を追い払うスバルは、エミリアの目的を叶えるための手伝いをしたい一心を常に抱き続けて、このでやってきた。その気持ちに関しては三人にも負けていないはず、と自負してプライドを保つ。

 

妙な焦燥感に駆られるスバルを尻目に、広間のやり取りは拡大を始めていた。意見を述べた中年を皮切りに、文官集団は次々に不満を口にし始める。

 

「巫女であると同時に、王である。あるいは王になる、という自覚が足りない」

 

「外見を着飾ったとしても、その本質が態度に出ている」

 

「品位が足りない。教育も不足している。それで王と呼ぶことなどできるものか」

 

「いいんじゃーぁないの。個性豊かで楽しい王選になるんじゃーぁないかって、思ってみたりなんかもするけどねーぇ」

 

「ほう、ロズワールも私と同じ考えか。相変わらず、貴方も品性がひん曲がっているようだ。私自身、様々な考えが集まったこの王選は、これまでの常識を覆す面白い場だと考えているのだが。貴方方はそうは思わないのか?」

 

「卿らは黙っているがいい!」

 

ロズワールやファリックスら聞き慣れた声が文官集団を割るように響くが、周りの文官たちの罵声ですぐに掻き消える。

大多数の文官集団が矢面に挙げて糾弾しているのは、先ほどの態度の悪さが目立ったフェルトだったが、それ以外の候補者たちにも飛び火していないとは言い切れない。例えば、エミリアの横顔は痛みを堪えるかのように痛切で、心の負担になっているのは目に見える。

 

騒然としたこの場を収めたのはスバルの短慮さでなければ、任務完了に不満の泥を塗られた騎士団の怒りでもなく、口が過ぎたことを反省した文官集団の理知さでもない。

たった一言、壇上に座る老人が「静かに」と呟いたことだけが理由だった。

 

長い長いヒゲを撫で、マイクロトフはその閉じかけた瞳をさらに細めて、勝気な顔で老体を見上げるフェルトを見る。

しばし無言の時間が続いたが、マイクロトフはふいに小さく吐息を漏らすと、

 

「騎士ラインハルト」

 

「はっ」

 

名を呼ばれ、手招かれたラインハルトが颯爽と壇上へ。

彼はマイクロトフの前で膝をつき、剣を腰から外して床に置く最敬礼を示す。それを満足げに見届け、老人は白いヒゲを手繰りながら記憶も手繰り寄せるように、

 

「御身が彼女を見出した経緯を聞かせてもらえますかな」

 

出会いの経緯を聞き出されたラインハルトは、淡々と経緯を告げる。

 

「彼女は十三日前、王都の下層区――通称「貧民街」の一角で保護いたしました。その際、竜殊に触れる機会があり、彼女が巫女としての資格を持つものだと判明し、こうしてお連れした次第です」

 

「貧民街の浮浪児だと!?」

 

先ほどから文官集団の後押しを得ていくらか息巻き始めている、リッケルトという男性は声を張り上げる。

彼は身振り手振りを加えた動きで大仰にフェルトを示し、

 

「未来のルグニカを担う王を選出するこの儀に、よりにもよって浮浪児を招き入れるなどあってはならぬ!貴様は玉座をなんと心得ている!?」

 

「――――」

 

「ふん、都合が悪ければだんまりか。これが現剣聖とは、アストレア家の名誉も地に墜ちたものだな」

 

「一文官の分際で、かのアストレア家を貶すか。しかし、その剣聖に我が国は救われていると言っても過言ではない。そもそも、竜歴石の予言に従う事は議会で決定したはずだ。その決定を覆すには、それ相応の支払いを覚悟しなければならないと思うが。その覚悟をお持ちか?」

 

「貴様……若貴族の分際で何を言うか!?無礼であるぞ!撤回しろ!」

 

「ならば、貴方の発言も無礼であり撤回すべきと思うが、そこのところはどうなのだ?」

 

飾緒を吊るし、金のショルダーノッチがつけられた礼装用の軍服を纏う、ファリックスのリッケルトを見る目線はどこか冷たい。彼の服に付けられた煌びやかな光を放つ勲章の数々とは正反対だ。弱冠二十代とは思えない、恐れ知らずな態度はリッケルトを怯ませるには十分すぎる。壇上に敬礼を捧げたまま、ラインハルトはただ静かに彼らの応酬を受け止めている。その涼しげな横顔には負の感情の一切が見られない。リッケルトは柳に風といった様子に口をつぐみ、苛立たしげに舌を打つ。

 

「マイクロトフ卿、考えをお改めください。徽章に選ばれただけで、そのものに王座を得る資格を与えるなど過ぎた話なのであります。王冠はふさわしいものにこそ与えられるべきであり、手当たり次第に徽章を光らせられればいいという話では……」

 

「貧民街出身だからといって王選参加を拒むような貴方の保守的な思考には恐れ入る。だが、御託を並べてあれやこれやと文句を垂れるのならば、そもそも王選など無意味な芝居だろう」

 

現状の国の頂点に水を向け、その方針に異を唱えるリッケルトに、再び水を浴びせたのは、ファリックスの声だ。

彼の大胆な発言に場内は騒然とし、リッケルトは明確な敵意を孕んだ視線を向ける。その発言を面白いと眺めていたのは、クルシュ、フェリス、ロズワール、ストレンジの四人のみ。スバルやアルでさえ、彼の発言の危うさに肝を冷やしそうになる。

 

「き、貴様!この重要な場において何を言うか!?大体、貴様は一地方領土を任されている子爵の身だ。一貴族の分際で無礼な真似をすると退場させるぞ!」

 

「私はただ事実を申し上げたまでだ、そう怒らないでいただきたい。現に竜歴石の記述に一度は納得していたはずの貴方方が、今では掌を返したかのように反対を述べる。矛盾しているではないか?そこまでして家柄で拘り、竜歴石の記述に従わないのであれば最早、王選の大義などない」

 

「戯言を!ファリックス、卿の態度には心底腹立たせられる。私だけでなく、宮中の多くの者がだ。これまでは非常時故に仕方なしと見過ごしていたが、例外ばかりが目につくようではお話にならん。浮浪児を玉座に担ぎ上げようとするアストレア家はもちろん、半魔を王に推挙する卿の愚挙もだ!」

 

「――リッケルト殿、今の言葉は訂正された方がよろしい」

 

それまで沈黙を守っていたロズワールの凍える声が広間に静かに響き、興奮に赤くなっていたリッケルトの顔色が蒼白に変わる。普段と変わらぬ微笑をたたえたまま、ただただ気遣わしげに小首を傾けるロズワールの重い言葉に、室内は重い空気に包まれる。

 

「ハーフエルフを半魔などと呼ぶのは悪しき風習ですよお。ましてやエミリア様は王候補――分を弁えていらっしゃらないのがどちらなのか、おわかりですかーぁな?」

 

「だ、だとしてもだ。私は主張が間違っているとは思わない。竜の巫女たる資格のあることと、それが王に相応しい人物であるかは同義ではない。マイクロトフ卿!」

 

ロズワールの静かな威圧と、ファリックスの正論に気圧されながらも、リッケルトは汗のにじむ表情でマイクロトフの名を呼ぶ。

 

「どうぞご再考を。この場において、王候補をみだりに選出するのは早計と言わざるを得ません。竜歴石を形だけなぞることにどれほどの意味が……」

 

「――騎士ラインハルト」

 

心変わりを願い出るリッケルトの言葉に対し、マイクロトフは応じることなくラインハルトの名前を呼ぶ。その声に彼は迷いなく応じ、その後に続く言葉を待つように精悍な面を壇上へ向けた。

 

マイクロトフは己の長いヒゲに触れ、やはり記憶を探る作業をするかのように指先でそれを弄びながら、

 

「まさか御身は、彼女がそうであると?」

 

「確信はありません。確かめる手段はすでに失われていますから。ですが、これだけの符号を偶然と呼ぶのには抵抗があります」

 

「ならばなんと?」

 

「――運命です」

 

そのやり取りの真意を理解しているのはラインハルトとマイクロトフの二人のみ。

その状態に痺れを切らしたかのように、リッケルトは唇を震わせて前に出て、

 

「ただの言葉遊びだ! 騎士ラインハルト、貴殿は正しい騎士としての道すら見失ってしまったのか。浮浪児を連れてくるような曇り眼にはそれも似合い……」

 

「ふぅむ。そこまで言われるか、リッケルト。これでは、毛嫌いしているファリックス子爵の主張を覆す事はできなくなるでしょうな。上辺だけに囚われ、大切なことを見落とすようでは御身の目は節穴と言わざるを得ない。もしくは、王家へ捧げてきた忠義がハリボテなのか、と疑われるところですな」

 

気勢を吐いてラインハルトを糾弾しようとしたリッケルトを打ったのは、静かだがはっきりとした弾劾だった。

マイクロトフの口から紡がれた言葉の意味が呑み込めず、しばしリッケルトは呆然とした表情となる。それはリッケルトを支持していた大多数文官集団も同じであり、顔を俯かせることしかできない。

 

静寂が広間にわずかに落ちるが、それを拾い集めてどうにか顔を上げるリッケルト。存外にタフな彼は顔を青ざめさせながらも、抵抗する。

 

「こ、これはおかしなことを。マイクロトフ様もお人が悪い。私の忠義の、あるいは目のなにが過っていると」

 

「ふぅむ。でしたら、フェルト様を見ていてお気付きになりませんか」

 

どこか試すようなマイクロトフの言葉に、リッケルトは怪訝な顔でフェルトを見る。

話題の当事者でありながら、だいぶ話の関わりから遠ざけられていたフェルトは、その視線を受けて露骨に嫌そうな顔をする。状況の推移を見守る他の候補者たちも同じことで、エミリアだけが内心の焦燥感が隠しきれずに出ている。

 

フェルトの容姿を上から下までじっくりと眺めるていたリッケルトは、

 

「幼い点が挙げられる。それに、王座に就くことなどより、もっと学ばなければならないことが多すぎて……ッ!」

 

言葉に従いフェルトを見ながら、正すべき場所を指摘しようとしていたリッケルト。その表情がふいになにかに気付いたように強張り、凝然と目を見張る。

それから彼は押し開いた眼をマイクロトフの方に向けて、

 

「き、金色の髪に紅の双眸!?ま、まさか!?」

 

「珍しい目と髪の色の組み合わせですな。ーーとくに、このルグニカでは非常に大きい意味を持つ」

 

リッケルトが動揺の原因を口にすると、その意を察した文官たちにも同じだけの衝撃が広がっていく。

状況を理解できていないスバルは周りの様子をチラッと見る。フェリスとユリウスも合点がいったという表情。アルは相変わらずなにを考えているかわからないが、別段驚いている様子もない。ストレンジは騎士でもないにも関わらず、納得がいっている様子。

取り残されるわけにもいかないスバルは、とりあえず、わかっていないのだがわかっているようなスタンスをとる。

 

リッケルトは自分の今の驚愕を周囲と共感でもしたいのか、彼は震える指でフェルトを示す。

 

「金色の髪に紅の双眸、それはルグニカ王家の血筋に表れる容姿の特徴だ!だが、そんなおかしな話があるはずがない!王家は半年前の一件で、血族の方々ことごとくがお隠れになっている! 割り込む隙などどこにもありは……」

 

「――十四年前、宮中で起きた事件のことをご存知ですか、リッケルト様」

 

強い否定を口にしかけるリッケルトを、静かにラインハルトが遮った。彼が口にした内容に、リッケルトの表情がさらに強張り、「まさか」と口にする声が裏返る。

 

「騎士ラインハルト、貴殿が言いたいのは……」

 

「十四年前に城内に賊が侵入し、先代の王弟――フォルド様のご息女が誘拐される事件が発生しました。そのまま賊の逃亡を許し、ご息女の行方もわからないまま、事件は未解決となりました」

 

「前近衛騎士団の解体と、再生の切っ掛けとなった一件でしたな。確か御身の親族も無関係ではなかったと思いましたが……」

 

「本来は知り得ないはずの情報を知っている。それで察していただければ」

 

ラインハルトの言葉少なな応答に、マイクロトフはただ頷きを持って応じる。が、リッケルトの混乱は収まる素振りが見えない。彼は手を振り乱した。

 

「暴論だ!十四年前に行方不明になられたご息女が、王都の貧民街に身を落として生活しており、それを偶然にも貴殿が見つけ出したと? そして、その身は竜の巫女としての資格にも値したと?」

 

立て続けにぶつけられた情報を羅列し、それからリッケルトは笑う。

 

「馬鹿馬鹿しい! でき過ぎな話だ!巫女の資格を持つ少女を見つけ出した貴殿が、その少女の髪を染色し、瞳の色を魔法で変えたとでもした方がよほど無理がないわい!無論、命知らずな真似などしてはいないだろうがな」

 

「剣にかけて」

 

幾許か冷静な表情を取り戻すリッケルトに、ラインハルトは床に置いていた剣を立て、鞘からほんのわずかに刀身を覗かせ、音を立てて納刀。誓いを立てる。

 

その整然としたありようにリッケルトは薄くなり始めた頭部を乱暴に掻き、

 

「……すでに王家の血は全て病没しており、血族かどうかを確かめる手段は存在しない。憶測だけの素姓で、誰もが頭を垂れるなどとは思わぬことだ」

 

「それは当然のことです。ですが、自分はフェルト様こそが、王位を継ぐに相応しい方と確信しています。血のことをなしにしても、です」

 

「ーー今代の剣聖は、ずいぶんと入れ込んだものだ」

 

ラインハルトの真っ向からの返答に、リッケルトは諦めたように吐息を吐く。それから彼は話題に上っていながら混じっていなかったフェルトを見、

 

「竜の巫女としての資格を持つことは別として、貧民街の出身。そして、あるいは失われたはずの王族の血統の可能性すらある。貴女がさらされる苦難の重さは想像を絶する。その覚悟がおありか」

 

彼の挑発的な物言いは、これまでの会話の流れを鑑みて、彼女自身の答えをもってリッケルトが己の不満と決別するための儀式と大差ない。

時に人は相手を認めていながらも、面倒な手段を選ばなくてはならないこともある。

多くの目が彼らを見つめる中で、彼女の口から出た発言は、

 

「は? なに言ってんだよ、オッサン。アタシは王様やるなんて一言も言ってねーよ、勝手に決めんな」

 

これまでの話の流れを完全に無視した形で、フェルトが憎々しげに唇を尖らせてはっきりと拒絶の意を表明した。

これには、さしものファリックスやリッケルトを始めとした広間の全員に動揺が走る。そんな感情の波を巻き起こしたフェルトはラインハルトに指を突きつけ、

 

「アタシは無理やり貧民街から引っ張ってこられてんだよ。帰せつっても帰しやがらねーし、服は隠してこんなひらひらした服ばっか着せやがる。うんざりどころの話じゃねーぞ、アタシは全然納得しちゃいない」

 

言いまくしたてて肩を上下させ、フェルトは挑発するように顎を持ち上げ、ラインハルトの長身を見上げる。立ち上がった赤毛の青年は困ったように微苦笑し、

 

「フェルト様、まだそのようなことを」

 

「アタシからすりゃ、アンタの諦めの悪さの方が説明つかねーよ。いいか? アタシはイヤだ、つってんだ!」

 

「――いつまでもうだうだと、つまらんことこの上ない話じゃな」

 

主張を曲げないラインハルトに、焦れた表情でフェルトが怒鳴る。

そんな二人のやり取りに口を挟んだ少女がひとり――沈黙を守り続けていた王候補陣営、その中で腕を組んで退屈そうに目を細めるプリシラだった。

彼女は組んだ腕の上で豊かな胸を揺らし、

 

「形だけでも五人は揃った。あとは始まりさえすれば、相応しくないものは自然と省かれるじゃろう。どうせ最後に残るのは妾なのじゃからな。他の余分な連中の王の資質など、あろうがなかろうが関係あるまい」

 

「ああ?」

 

プリシラの暴言めいた暴論にフェルトは素早く反応する。彼女は小さな体をさらに縮め、真下からプリシラを見上げる格好で、彼女に詰め寄る。

 

「さっきっから派手な格好した女だと思ってたけど、そんな動きづらい服でケンカ売ってんのか?アタシはすぐ足が出るんで有名だぜ」

 

「頭が高い。妾を誰と心得る」

 

「はっ、知るわけね……ッ」

 

三下臭い脅しをかけたフェルトに、プリシラが傲然と声を投げる。それを鼻で笑い飛ばそうとし、ふいにフェルトの表情が当惑と驚きで曇った。

 

「――姫さん、そいつは」

 

スバルの隣でアルが不意に叫んだ。彼はフェルトの変調の原因が、自分の主の仕業であることを察したのだ。そして、彼のその叫びを起因として、広間のあちこちで一斉に動きが生じる。

 

まさしく風のような速度で動いたラインハルトが、倒れかけるフェルトの体をそっと支える。そして動いたラインハルトと、ふんぞり返るプリシラの間に割り込むように隻腕のアルが踏み込んでいた。

フェルト陣営とプリシラ陣営が狭い間合いで対立。そんな構図の外側でも、動きのあるものが数名いる。

 

クルシュは軽く身を屈め、なにも下がっていない腰に手を当てて、まるで見えない剣を抜こうとでもするかのような姿勢で構える。ストレンジは騎士団の列から素早く離れると、両拳に盾状のエルドリッチ・ライトを展開し、その先をフェルトとプリシラに向ける。比較的候補者たちに近い位置に立っていた騎士団長のマーコスは、クルシュやストレンジの動きを制するように手を差し出している。

そんな中、候補者の集まりから「堪忍してやー」と頭を抱えて距離を取っているのがアナスタシアであり、それは彼女には戦闘力が皆無だったからである。

 

スバルがエミリアの様子を心配そうに見つめる中、アルの叫びとほぼ同時に動いていた彼女は、虚空に手を差し伸べながら淡い輝きをその掌にともし、

 

「陽魔法の過干渉――こんな使い方して、なに考えてるの!?」

 

淡い輝きがふらついたフェルトを包み込み、その体に癒しの波動を伝える。

怒りを露わにしたエミリアが怒気をぶつける相手は、なんら呵責を抱いていない顔のプリシラだ。彼女は煩わしげに手を振ると、

 

「妾の生まれながらに持つ加護を少しばかり分け与えただけじゃ。その程度でその反応とあれば、自然とそのものの器も知れよう」

 

「悪いことをしたら謝るものでしょ!ごめんなさいは?」

 

悪びる気などないプリシラの答えに、エミリアが普段の調子を取り戻しながら言い募った。その内容にプリシラはきょとんとした顔をし、すぐに笑いを堪え切れないといった様子で破顔する。そのまま笑いを得た表情で、

 

「これは面白い。今のは久々に楽しめたぞ、褒めてやってもよい」

 

「愉快な子ね。なにを……」

 

「悪いことをしたら謝る、か。ならばさながら、貴様の場合は『生まれてきてごめんなさい』とでも謝罪してみせるか? 銀色のハーフエルフよ」

 

衝撃が、エミリアの全身を貫いていったのが遠くにいるスバルにさえも理解できた。物理的に一撃を受けたかのように、間近で聞いたエミリアの肩が大きく揺れる。彼女はさっきまでの毅然とした表情を打ち消され、痛切に満ちた瞳を押し開きながら、

 

「わ、私は……魔女と関係なんて」

 

「そんな言い訳が誰になんの意味がある? 貴様は世界の禁忌の存在の映し身で、人々はその姿を目にするだけで恐ろしくてたまらない。だからこそ、そんな上辺を取り繕うだけの布切れに頼り切っておるんじゃろうて」

 

辛辣な言葉を容赦なくエミリアに浴びせるプリシラに、顔を蒼白にした彼女は首を力なく横に振るだけだ。会話の内容におおよその察しはつくスバルは内情を深く知っているわけではないため、エミリアが受けている衝撃の深さはスバルに推し量ることができない。

だが、彼女が不当に傷付けられていることだけは理解したスバルが動くには十分過ぎる理由だ。

しかし動こうとした彼に待ったをかける者が現れる。

 

「姫さん、そこまでにしてくんね? あんまし敵増やされても困んだよ、マジ」

 

プリシラの暴君ぶりを引き止めたのは、彼女の前に立つアルの弱音だった。彼は表情の見えないはずの兜の中、そこが困り顔であるのを誰もが察せられるほど弱々しい声で、

 

「剣聖、しかも至高の魔術師もセットと来たもんだ。こんだけの化け物揃いじゃ勝負にすらなんねえ。素直に謝っとこうぜ?」

 

「妾の従者ともあろうものが情けないことを抜かすでない。剣聖がどうした。たかだかこの国で最強というだけじゃろうが。まあ、そこの魔術師の力は確かに秀でているのかもしれぬが、敵ではなかろう。どうにかせい」

 

「一分どころか一秒ももたねぇよ」

 

彼我の戦力差を冷静に見極め、アルは早々に白旗を掲げて無抵抗を表明し、プリシラはその態度に呆れた様子だ。そして、アルと向かい合うラインハルトとエミリアの二人は驚きと困惑を隠し切れない顔をし、ストレンジは展開していたエルドリッチ・ライトを静かに解除する。少なくとも一触即発の場面に飛び火することだけは防がれた。

仕切り直すにも切っ掛けのほしい場面ではあるが、すぐに事態が悪い方向へ転がり落ちることもない。

 

誰もがこの膠着状況をどうにかすべし、と頭を回転させる中――その甲高い音は、小さい音にも関わらず広間中の人々の鼓膜を確かに叩いた。

 

「――全員、お気は済みましたかな」

 

弾いたコインを陶器の中に落とし、全員の注意を引いたのは白髪の老体――マイクロトフだった。

椅子から立たずにそれをした彼は全員を見回し、それからエミリアの治療を受けて頭を振るフェルトに視線を合わせると、

 

「フェルト様、お体の方はご無事ですかな」

 

「……どーにかな。クソ、ナイフ取り上げられてなかったらひでーかんな」

 

マイクロトフの気遣いに応じ、フェルトは態度を悪くしたまま悪態をプリシラへ向けた。

ラインハルトがエミリアへ感謝の目礼を向け、エミリアがそれをいまだ元気のない様子ながらも頷きで受け取る。クルシュが戦闘態勢をほどき、ストレンジは元の場所に戻り、マーコスが安堵したように体の力を抜くと、ようやくアルも隻腕の肩を回して安堵する。

事の発端であるプリシラだけが変わらず退屈そうな眼で、反省の色が一片も見せていなかったが。

 

それを見届けて、マイクロトフが改めて宣言する。

 

「では本来の議題――王選のことについて、候補者の皆様を交えて、賢人会の開催をここに提言いたします」

 




因みにファリックスのモデルは大モルトケことヘルムート・カール・ベルンハルト・モルトケ陸軍参謀総長と、鉄血宰相ことオットー・フォン・ビスマルク宰相を足して2で割った様なイメージです。

今回、ファリックスが着ていた服のモデルは、1898年フランツ・フォン・レンバッハ氏が描いたモルトケの肖像画に描かれた軍服です。気になった方は、Wikipediaに載っておりますので見てみてください。

そういえば投稿日(2021/07/07)は、七夕だったんですね!
リゼロスのクルシュ様の言葉で知りました笑

ストレンジ「七夕の話は最近好きになった。引き離された男女が、一年に一度逢瀬を許されるというエピソードは、たまにクリスティーンの事を思う私に重なる部分がある。彼女への願いも折角だから、書いてやるか」

次回はいよいよ所信表明です!



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二十五話 所信表明

皆様、お久しぶりです。

現在、やることが佳境に入っておりました中々書けずにここまで来てしまいました。
夏の長期休みに入れば少しは書ける時間が取れるとは思いますが、暫くはこのペースが変わらず続きます。


ここまでのやり取りで、国の頂点であるはずだが蔑ろにされていた賢人会が動き出す。ふいに、その存在感を増してみせるマイクロトフに、自然と王座の間の全員の注視が集まった。

 

それを受け、マイクロトフは動じることなくヒゲを撫でながら、

 

「賢人会の開催の提言にあたり、まず他の方々の賛同をいただきたいと思いますがよろしいか?」

 

壇上に並ぶ九つの席、その中央で周囲の老人たちを見渡すマイクロトフ。彼の言葉に、これまで言葉もなく存在感がほぼ消えていた老人たちも首肯する。

 

「マイクロトフ殿の提言に、賛同です」

 

「同じく」

 

「同じく賛成いたします」

 

老人たちの同意にマイクロトフが顎を引き、それから眼下の候補者を見下ろす。

依然、やや対立するような立ち位置を保っていた五人も、マイクロトフの無言の前にささっと移動する。

 

「俺、ここにいないとダメかな?」

 

アルとラインハルトに挟まれ、居心地が悪いスバルはそっとアルに話しかける。

 

「オレとしちゃそこにいてくれた方が緩衝材的な意味合いで嬉しいけどよ。正直、剣聖や最強の魔術師と事構えるとかありえねぇって、マジ」

 

アルは戦々恐々とばかりに額を拭う動きを見せる。兜被ってる上に声の調子が変わっているわけでもないので軽口の類だが、ラインハルトの実力を以前王都で見せつけられたスバルは否定できない。

アル自身も傭兵を名乗り、隻腕でプリシラの護衛を務めていることから腕に覚えがある方だが、ラインハルトやストレンジのように、人外の領域に踏み込んでいるものとは考え難い。

 

「そう考えると案外、エルザって本気でスゴ腕だったのかもな……」

 

ラインハルト相手に、曲がりなりにも剣戟と呼ぶに相応しい結果を示してみせた女性を思い出す。同時に裂かれた腹の痛みが蘇るようで、スバルは顔を思わず顔を顰めた。

 

「彼女の実力は本物さ。ファリックス領襲撃の後の足取りは未だに掴めていない。君に重傷を負わせたことの裁きを、まだ彼女に受けさせることはできなそうだ」

 

「俺がせっかく回想シーンやめたんだから掘り起こすなよ。あ、なんか横一線にやられた目までしくしく痛い気がしてきた……ん?ファリックス?」

 

エルザには色々と因縁があるスバルが、過去のトラウマに身を震わせながら言っているとき、ふと気になる単語が飛び出してきた。先程まで、一人の文官に突っかかっていた軍服を着た青年貴族の一人がそのような名前であることを思い出したのだ。

 

「あそこにおられるフォリア・ファリックス子爵殿が収められている領地でも、同様にエルサの襲撃を受けたんだ。しかも魔獣の大群とともに」

 

「マジかよ!しかもクソキチガイ女単体だけじゃなくて、魔獣のセット付き!?なんか俺のいた村でもおんなじ事が起きていたような気がするし……まさか、あの時の魔獣がそのまま移動したってこと?」

 

「それは考えすぎだと思うよ。まあ、とにかく領地を襲撃した彼らは見事に撃退された。そちらのドクター・ストレンジ殿の力でね」

 

ラインハルトが目線を向けるその先には、スバルと絶賛敵対中のあの男がいた。

エルザの時はラインハルト、ウルガルム襲撃時にはレムやラムの参戦でも押され、ロズワールの助太刀でどうにか勝てたスバルであったが、そのセットを目の前の男は一人で相手取って、しかも勝利したという。スバル自身が他人の助けを得てようやく勝った相手を、一人で。その事実はスバルの目を見開かせるのには十分だった。

 

「ほう。かの「剣聖」まで話は行っているのか。有名人になることはとても誇らしい事だな。が、私はあくまでやるべきことをやったに過ぎないものだ」

 

「しかしあなたの尽力がなければ、ファリックス領は多大なる被害を受け、更にカルステン家までその被害は拡大したでしょう。それだけあなたの成した功績は大きい」 

 

「褒め言葉はありがたく受け取っておこう。もっとも、それを良しとしない少年が一人いるがな」

 

そう言って首を動かすストレンジの先には、双眸を充血させる勢いで睨みつけるスバルがいた。そんな彼にラインハルトが気遣わしげな視線を向けてきて、

 

「おやスバル、大丈夫かい? なんならいい水の魔法の使い手に心当たりがある。すぐ側にいるんだけど……」

 

「んー、今から大事な話に入るから静かにしてにゃよ。あとで治してあげるから」

 

「私が言うのもおかしな話だけど、君たち少しマイペース過ぎやしないかい?ドクター殿も」

 

「何か悪いか?ユリウス。言っておくが私の行動は私自身の決断によるものだ、文句は言わせない。そっちの筋を通すのならば、こちらも容赦はしないが」

 

「そこまで言っていませんが、もしもドクター殿がお望みでしたら、私は全力でお相手させていただきましょう」

 

「言ってくれるな、「最優の騎士」。だが、私は口先だけでは倒せないぞ」

 

「心得ております、ドクター殿」

 

ラインハルトの声にフェリスが言及し、それをユリウスが窘める。それに、ストレンジが反応し、売り言葉に買い言葉と言わんばかりにユリウスが噛み付く。

スバル自身も自分のマイペースさには自信があったが、周りの五人も相当なものだと他人事の雰囲気で考える。

緊張感みなぎる候補者に反し、その関係者たちがわりと長閑なやり取りを交わしている間に、賢人会の開催が正式に発令――マイクロトフが頷き、

 

「皆さんの賛同に感謝いたします。では議論に入るとしますかな。議題はもちろん、『どなたに王となっていただくか』ですが」

 

ヒゲを梳きながら言葉を切り、それから老体は片目をつむると、

 

「ふぅむ。問題はどうやって、それを決めるかですな。竜歴石には五人の候補者を集めろとはありましたが、その後の選出法については記述がない。極端な話をすればこの場で全陣営に武を競っていただき、残った陣営を王にするということも可能ですが」

 

「その方法だと、この王都を消し炭にしてしまう陣営が二つもあるよーな気がしますけどねぇ」

 

「消し炭になるだけならまだマシな方だ、ロズワール殿。最悪の場合、地図からこの王国が消し飛ぶような結果になるだろう」

 

冗談めかしたマイクロトフの言葉に、文官集団からロズワールとファリックスの軽口が応じる。

その軽口が示す陣営は二つ、一つはラインハルトを擁するフェルト陣営、もう一つはストレンジが身を置くクルシュ陣営。それがわかっているだろうに、マイクロトフは強かに笑い、

 

「宮廷魔術師筆頭の御身でも、相手にしたくないものがおるのですかな、それも二人も」

 

「彼らにはわーたしの唯一の取り柄が通用しませんのでね。残念ながら相対することになった時点でおしまいサヨナラ、となーるわけです」

 

肩をすくめて首を振るロズワール。その言にさすがのラインハルトも恐縮するように俯いたが、ストレンジは寧ろ胸を張って周囲に見せびらかすように振る舞う。その顔には、仮に戦いになっても絶対に負けない自信があった。恐縮するラインハルトにもそうだが、二人とも否定に入らないところを見ると自信自体はあった。

スバルにとって、ロズワールの魔法使いとしての実力の確かさも知る身として、彼とラインハルト、ストレンジの三者にそこまで隔絶した差があるのかは疑問だった。が、当人たちがそうと納得している以上、それは動かない事実となる。

 

「では、筆頭宮廷魔術師の反対もあったことですから、王国を滅ぼすような乱暴な解決策を選ぶのはやめにしましょう。ふぅむ、そうなるとどうするのがいいと思いますかな、皆様」

 

挨拶代わりの軽口を引っ込め、マイクロトフが議論へ賢人会を誘導する。

議題に参加する賢人会の面々は顔を見合わせ、マイクロトフに比べるといくらか通りの悪い声でひそやかに、しかし不思議と全員に聞こえる声で、

 

「まずは候補者の皆様のお話を聞くべきです」

 

「全員が集まり、こうして顔を合わせることができた幸運も今回が初めてだからな」

 

「左様。以前までは我々、賢人会も全員参加とはゆきませんでしたからな」

 

「故に話を。それぞれの立場、王になる覚悟、その上でなにをするつもりでおられるのか――そのあたりの話が妥当でしょう」

 

「ふぅむ、至極納得。では、騎士マーコス、お願いしてよろしいですかな」

 

賢人会の話し合いの結果、議事の進行が再び騎士団長へと委ねられた。

ただひとり、候補者の側を離れずに立つ甲冑姿が一礼し、それから候補者の方へと振り返り、巌の表情を引き締めながら、

 

「僭越ながら、改めて私が進行させていただきます。候補者の皆様には各々、主張と立場がおありのはず。賢人会の方々も、広間にいる騎士や文官も、全員がそれを知りたがっております。どうぞ、お付き合いを」

 

広間の全員の気持ちを代弁し、マーコスは候補者五人に恭しく頭を下げる。

そして顔を上げると、厳格な表情は大きく口を開き、

 

「ではまず、クルシュ様よりお願いいたします。――騎士フェリックス・アーガイル! ここに!」

 

「うむ」

 

「はーい」

 

マーコスの声にクルシュが悠然と頷き、フェリスが軽やかに手を上げる。

前に出るクルシュに並ぶように、小走りに駆け出すフェリスが広間の中央へと移動する。その途中、マーコスの顔をジッと見つめ、

 

「団長。いつも言ってますけど、フェリックスじゃなくフェリスって呼んでくださいヨー。フェリちゃん傷付いちゃうにゃ〜」

 

「私は部下の誰も特別扱いするつもりはない。当然、お前のこともだ。前に出ろ」

 

頬に指を立ててお願いするフェリスをすげなく突き放し、マーコスは顎でクルシュの隣を示して先を急がせる。フェリスは不満そうに「べー」と舌を出してマーコスに不服をぶつけたあと、腕を組んで立つクルシュの隣に並んだ。

 

「あれ?そちらの魔法師さんは出ないのか?」

 

アルがそう問いかけたのはストレンジだ。彼もクルシュ陣営に身を置く反面、騎士のフェリスのように前にいくべきではないかと疑問を抱いたのだ。それに対してストレンジは、

 

「あそこに立つことを許されるのは主人と騎士の二人だ。あの狭いスペースに三人も四人も集まっては見苦しいだろう。それに、私は彼らの約束を見ていない。あの場は互いに契りを結んだ者の聖域だ。王になる誓いを聞いていない私には、あそこに立つ資格はない」

 

「ふぅん。アンタ、傲慢だけどマナーはしっかりしてるな」

 

「失礼だな。私はしっかりと礼儀を守っているつもりだ。何処かの誰かさんとは違ってな」

 

最後のストレンジの言葉が誰を指すのか、一部の者を除いて察することはなかった。最もその張本人は今にも噛みつきそうなところをラインハルトに止められていたが。

 

 

 

 

 

「王候補者、カルステン家当主のクルシュ・カルステンだ」

 

「クルシュ様の一の騎士、アーガイル家のフェリスです」

 

「騎士フェリックス・アーガイルです、賢人会の皆様」

 

堂々と怖じることない態度で名乗るクルシュと、それに追従してあくまでも軽々しいフェリス。名乗り上げをたしなめるように訂正するマーコスに、フェリスの刺すような視線が刺さるが、マーコスは頑健な無表情でそれを無視する。

そんなやり取りに、スバルは「へぇ」と小さく呟き、

 

「あのフェリスって子、本名はフェリックスってのか。なんか、すげぇ男の名前に聞こえる名前なんだけど」

 

「スバル、聞いていないのかい?」

 

悶々と考えるスバルに、ラインハルトがふと驚きの顔で問う。質問の趣旨がわからず、スバルは「なにが?」と間抜けな声で聞き返す。

その様子に溜息を吐きながら、ストレンジが説明した。

 

「あの気色悪い奴が女の訳がないだろう。あんな気持ち悪い言動の女性がいるなんて、恐怖でしかない。あれはどう見ても男だぞ。

ーーなんだ、気づいてなかったのか?まあ、女性だと考えて身悶えるお前の姿も滑稽だったがな」

 

「――待て」

 

「何だ?」

 

「今、なんて、言ったのか」

 

ストレンジが口にした内容が受け入れられず、スバルの脳が一時的にパンクする。ゆっくり、噛み含めるように言葉を紡ぎ、スバルは再度の復唱をストレンジへ要求する。

 

「都合が悪くなると聞こえなくなる病にかかっているお前にもう一度告げよう。奴、フェリックス・アーガイルは立派な男性だ。夢が潰えたな」

 

「「ええええええええええ――!?」」

 

意識が理解に追いつき、スバルとアルの二人の絶叫が広間に響き渡る。

その驚きぶりに広間中の注目が二人に集まったが、じたばたと身振り手振りで混乱を表現する二人はそれに気付かない。

スバルは大きく身を動かしながら、部屋の中心に立つフェリスを示し、

 

「ちょっと待て、アレが男!? クソヤブ医者はジョークも下手ってか!? 笑えねぇよ!?」

 

言いながらこちらを見ているフェリスを眺めるスバル。

彼目線から見れば、確かに女性にしては長身だと思っていたが、顔の造形に体の線の細さと背丈さえ除けば女性にしか見えない。一部、女性としての起伏にはやや欠けている面は否めないが、世の中には成人しても胸が平たい女性も少なからずおり、反証にはならない。

 

「声も高えし、線も細い。肌も透き通るみてえだし、オレもあれが男だなんて信じられねぇ……いや、信じたくねぇ!」

 

「わかるかよ、兄弟!」

 

「ああ、わかるぜ、兄弟!」

 

ガシッと隻腕のアルと肩を組み、互いの認識のすり合わせを行う二人。

ストレンジの笑えない冗談に対しても、これだけ言っておけば反省の色も見えよう、と半ば勝利を確信した矢先、

 

「ああ、そこの二人は初見か。私の騎士であるフェリスは男だぞ。他の誰でもない私が断言しよう」

 

それまで沈黙を守っていたクルシュが、肩を組む二人にそう声をかけた。

凛々しい声音の信じ難い内容に、スバルとアルの首が音を立てて振り返る。肩を組んだまま互いに反対方向に回りかけ、一瞬お互いの肩関節が極まって「痛い!」と無様な声が連鎖、そのまま気を取り直すようにスバルは床を踏み、

 

「く、口だけじゃなんとでも言えるぜ! 俺たちを担ごうったってそうはいかねぇ! 証拠を見せろよ!証拠を!」

 

「証拠か。そうだな、私とフェリスは付き合いが長い。一緒に風呂にも入った仲だが、間違いなく男性器が股の間に……」

 

「スタァァァァァップ!! 俺が悪かったーっ!! 全部しっかり認めて受け止めて受け入れるから、女の子の口から男根がどうとか言わないで――!」

 

「男根とは言ってねぇよ、兄弟!?」

 

直接的な表現にスバルが訂正を入れるが、混乱の極みにさらにアルが突っ込みを入れる始末。多重に混乱材料を叩き込まれて慌てふためくスバルは、この事態のそもそもの根源であるフェリスを力強く指差し、

 

「お前もお前だ、チクショウ! お前、そのナリで付いてるとか誰得だよ! おまけにネコミミまで付いてんのに実は男とかそれも誰得!!俺は男の娘属性とかねぇんだよ!」

 

「そーんにゃこと言われても、勝手に勘違いしたのはスバルきゅんの方だしネ。フェリちゃん、自分が女の子だなんて一言も言ってにゃいもーん」

 

「その点に関しては全くの同意見だ。勝手に解釈したそこの勘違いクソ少年が悪いだろうな」

 

「ふざけんな、このアマ――訂正、この野郎共!」

 

てへり、と舌を出してウィンクしてみせるフェリスの態度に、スバルは地団太を踏んで憤慨を表明するが、ストレンジの追加攻撃もあって崩れ落ちる。

 

「ありえねぇ……こんな仕打ちは生まれて初めてだ。温厚という字が服着て歩いているのを隣で全裸で見てたと有名な俺でも怒りを感じずにはいられない……!」

 

「それはもはやただひとりの全裸――!」

 

興奮のあまり自分でもなにを口走っているのかわからなくなり始めているスバルに、アルがそれでも律儀に突っ込みを入れる。

ボケに対して突っ込みが入る、という当たり前さがありがたいやり取りを交わす二人。そんな二人の驚きがひとしきり静まるのを待ち、

 

「――落ち着きましたかな」

 

と、しわがれた声が確認の言葉を二人に投げかける。

壇上、膝の上で手を組み合わせるマイクロトフだ。国の頂点にわざわざ気遣いされてしまい、さすがのスバルも我に返って「す、すんません」と素で恐縮する。

 

「フェリスの性別を知ると決まって皆が驚きを顔に出す。これだけは何度味わってもやめられない楽しみだ。――今の二人ほど驚くものもそういないが、逆に初見からフェリスが男だと見破った者もいる」

 

「ふぅむ、そのお方はとても目利きが優れているようですな」

 

満足そうに唇をゆるめながらも、会場の一点を見つめるクルシュに、マイクロトフは静かに問いかけるが、彼女は答えず続けた。

 

「マイクロトフ卿、フェリスの装いは私が言いつけてさせているのではない。全て、本人の自由意思によるものだ」

 

「従者に相応しい格好をさせるのも、主の務めであると思いますが」

 

言い切るクルシュに反論したのは、又々リッケルトだ。先ほどの流れで文官集団の中で発言権を得たのか、彼の言葉に頷きをもって同調する者が何人か見られる。

それら呉越同舟の面々を眺めて、それからリッケルトをその鋭い双眸でクルシュが射抜いた。射抜かれたリッケルトは顔をひきつらせ、それでも真正面から向き合う。

 

「な、なにか反論でも……?」

 

「目をそらす有象無象とは違うな。少々間が悪く、信ずるものも同じにはならず、少しばかり担ぎ上げられやすい点を除けば、私はリッケルト殿を評価している」

 

クルシュの感覚としては、賛辞の言葉を送ったつもりだが、リッケルトもイマイチ腑に落ちない顔でいる。

しかし、それの追及をするより先にクルシュが、「だが」と言葉を継ぎ、

 

「相応しい格好をさせるのも主の務め、と言ったな。ならば私はやはりフェリスには今の格好でいることを望むだろう。なぜかわかるか?」

 

「理由をお聞きしても良いですかな?」

 

問いはリッケルトを見つめたまま放たれたが、眼光に気圧されたのか言葉を継げないリッケルト。彼に代わり、マイクロトフが問い返すとクルシュは頷き、

 

「簡単な話だ。――その者にはその者の魂を最も輝かせる姿が与えられるべきだからだ。騎士甲冑を着せるより、よほどフェリスには今の格好が似合う。私がドレスを着るよりも、こちらの格好を好むように」

 

言い放ち、クルシュは己の魂を張るように胸を張る。

威風堂々たる立ち姿にフェリスが並び、の雄姿の隣で微笑みながらも従った。

 

その二人の佇まいを見下ろし、マイクロトフは眩しいものを見るように目を細める。それから彼は小さく顎を引き、

 

「ふぅむ、よろしいでしょう。このお話はここで終わりにします。リッケルト殿、よろしいですかな?」

 

「い、異存ありません」

 

「こちらも異存なし。マーコス団長、進めてくれ」

 

口ごもりながらも矛を収めるリッケルトに、あくまで王者の余裕を失わないクルシュ。意見を交換した形だが、どちらの方に軍配が上がったかは二人の様子を見比べるまでもなく明らかだった。

 

「候補者の中で最初の所信表明ではありますが、最有力候補ですからな。言ってはなんですが、安心感が他の方とは違います」

 

やや大きすぎる声量でそんな言葉がそこらで聞こえてくる。

それを聞きつけ、スバルは耳を震わせながら「どゆこと?」と隣のラインハルトに問いかける。彼は素直なスバルの質問にかすかに目を伏せ、

 

「クルシュ様が当主を務められるカルステン家は、ルグニカ王国の歴史を長く支え続けてきた公爵家だ。国に対する忠節の歴史と確かな家柄、そして若くして当主として公爵家を動かすクルシュ様自身の才気――これに加え、軍才に優れたファリックス子爵の支援、そして何よりあのドクター・ストレンジを手札に揃えている。間違いなく王選の本命だよ」

 

「そりゃ……どうなんだ、実際」

 

ラインハルトがつらつらと語った内容に、思わずスバルは喉をうならせた。爵位関係の知識がそれほど深くないスバルでも、公爵という地位が上から数えた方が早い国の要職であることは理解していた。

王候補――王族が滅んでしまった状態であるとはいえ、当然次の王座に就くのはもともとの王家に近しい存在であればあるほど望ましかった。

 

「ほぼ決まりであろう」

 

「カルステン家のご当主で、なによりクルシュ様の才媛ぶりは目を惹くものがある」

 

「豪胆な判断も、器の大きさと考えれば申し分ない」

 

ひそひそと交わされる会話の内容はクルシュの有利性を語るものばかりで、始まったばかりの王選で彼女が頭ひとつ抜け出す存在であることが言外に周知されているようですらあった。

スバルが心酔するエミリアの演説が始まる前だというのに、場の雰囲気がどんどん彼女不利に傾いていくことにスバルは焦りを感じずにはいられない。

だが、そんな彼の胸を苛む焦燥感は、

 

「少し勘違いしているものが多いようだな」

 

指を立て、ひそひそ話を中断させたクルシュの言葉で一時停止とあいなった。

全員の口が閉ざされ、自分への注視が集まるのをクルシュは待つ。その意図を察して広間に静寂が落ちると、彼女はひとつ頷きを置いて切っ掛けとし、

 

「各々が王座に就く私に望んでいることが何なのか、私なりに分かっているつもりだ。カルステン家の歴史を顧みて私が玉座に就くことになれば、政や国の運営には影響が生じずに済み、波のない王位の継承が約束される事は容易に想像がつくというものだ」

 

流暢に語られるクルシュの言葉に、聞き入っていた広間の幾人もが頷く。丁寧に言葉にされ、スバルもまた彼女が王位に最も近いとされる理由をはっきりとした意味で理解する。が、

 

「――期待される卿らには悪いが、その約束はできない」

 

自身に持たされた圧倒的な優位を捨てるような発言に、王座の間に一瞬の静寂――数秒の間を置いて、激震が走る。

「どういうことだ」と口々に疑問を投げかける声。それらをざっと見渡し、クルシュはその熱が冷めやらぬ状況に堂々と踏み込み、

 

「私が王となった暁には、国の在り様は先代までのものとは違うものにならざるを得ない。それは理解してもらう」

 

「――それはどういう意味で、とお聞きしてもよろしいですかな?」

 

「当然だ、マイクロトフ卿」

 

ざわめきがマイクロトフの疑問の声に集約されて静かになり、最初の衝撃が落ち着き始めた広間でクルシュは壇上を見上げる。

深い緑の長い髪が揺れ、凛々しい面差しで彼女が見るのは賢人会――その彼らの向こう、王座の間の壁に描かれた龍の意匠だ。

 

「親竜王国ルグニカ――かつて龍と交わされた盟約に守られ、この国は繁栄を築き上げてきた。戦乱も、病魔も、飢饉さえも、あらゆる危機は龍によって回避され、長きにわたる王国の歴史から「龍」の文字が消えることはない」

 

『ドラゴンとの盟約』は古文書や学術的資料、そして子供の読む絵本にまで描かれるほど広く知られている教養だ。当然、ストレンジもそれは把握していた。

ルグニカ王国が龍と交わした盟約により守られ、繁栄と栄達を続けてきたという歴史のあらまし。

クルシュが口にした内容に全員が聞き入り、その意味を噛み含める。

 

王国の歴史を常に陰から支え続けてきた龍との盟約。それが王族の滅亡という事態にあって、継続が危ぶまれているからこその王選の前提条件。即ち、次代の王たるものは「龍の巫女」の資格あるもの、という条文が科せられている。

 

「故にこそ、我々は龍と対話ができる巫女に王位を預けなければなりません。でなければ王国に約束された繁栄が……」

 

「――その考え、気に入らんな」

 

マイクロトフが盟約を語る最中、ふいを突くようにクルシュの一言が突き刺さる。

老人がかすかな驚きに目を押し開くと、クルシュは腕を組んで吐息し、

 

「龍との盟約により積み上げられてきた繁栄、それ自体は大いに結構。戦乱においては敵国を息吹きで焼き払い、病魔があればマナの活性化により人々を癒し、飢饉が起これば龍の血が沁みた大地は豊穣の恵みを与えられる。あらゆる苦難は全て、我らが尊きドラゴンにより救われてきたーー」

 

語る内容は輝きに満ち溢れているにも関わらず、それを口にするクルシュは淡々としていて表情も晴れない。

無言の全員を視線を見渡し、彼女は小さく呟く。

 

「問おう。――恥ずかしいと思わないのかと」

 

静まり返る広間に、これまで以上の緊張感が張り詰めるのが誰にでも分かる。

しかし、この様々な激情がこもり始める広間の中で、今もっとも怒りを感じている存在が誰なのかとすれば、それは間違いなく玉座の前に立つクルシュであった。

 

「いかなる艱難辛苦であっても、龍との盟約により乗り越えることは約束されている。その盟約に甘え、堕落し、いざその存続が危ぶまれれば取り乱して代替手段に縋ろうとする。これに呆れず、なんとする」

 

「――口が過ぎますぞ、クルシュ様!」

 

苛烈なクルシュの発言に、賢人会のひとりが立ち上がって怒りを露わにする。マイクロトフに負けず劣らず高齢な人物だ。老体はしゃがれ声で席の肘かけを叩き、

 

「盟約を軽んじることは許されませぬ! かつてその龍の恩恵により、王国がどれだけの犠牲を払わずに済んだことか。救われた命もまた同様に。それらの歴史の積み重ねを、あなた様は否定為されるおつもりか」

 

「過去の繁栄に関して、私は大いに結構と述べた。私自身、その恩恵に与っていないなどとは言わない。カルステン家もまた王国と誕生を共にしてきた家だ。王国が危機に瀕すれば当家も同じこと。そして、国が龍に救われたとあらば、それもまた当家も同じことだ。だが」

 

彼女は息を継ぎ続ける。その一つ一つを自ら噛み締めるようにーー

 

「未来の話は違う。今の自分たちの醜態を、どうとも思わないのか? 龍との盟約に縋りつくあまり、思考を停止してはいないのか? 戦乱が、病魔が、飢饉が再び王国を襲ったとき、我々は龍におもねるより他にないのか?」

 

「――それは」

 

「龍の庇護の下で生きることに慣れ切って、それで滅びるのであれば王国など滅びてしまうがいい。恵まれすぎることは停滞を生み、停滞は堕落へ導き、堕落は終焉をもたらす。私はそう考える」

 

「あなたは……あなたは、国を滅ぼすと!?」

 

血管が千切れそうなほどいきり立つ老人。

その叫びにクルシュは目に覇気をみなぎらせ、「違う」と首を横に振る。

 

「龍がいなければ滅ぶのであれば、我々が龍になるべきだ。これまで王国が龍に頼り切りにしてきた全てを、王が、臣が、民が背負うべきだ」

 

故に、とクルシュは一呼吸おき、

 

「私が王になった暁には、龍にはこれまでの盟約は忘れてもらう。その結果、袂を分かつこととなっても仕方がない。親竜王国ルグニカは龍の国ではなく、我ら王国民の国であるのだからな」

 

「――――」

 

「苦難は待っていよう。あるいは過去に龍の力を借りて乗り切った数々の災厄、それすら凌駕する変事が我らを待つかもしれない。だが、我々にはそれに対抗できる切り札がある」

 

クルシュの最後の発言に場内にはどっと、どよめきが起きる。龍に対抗できるほどの切り札があるという事実は、一部の人間を除いて知るよしもない隠された真実だった。しかし今日この場で明らかとなる。

クルシュの視点は一点に終着する。彼女の見つめるその先を見つめようと彼女の見る方向を見る者も数名現れる。

 

「ふぅむ、クルシュ様の仰る“切り札”というのは、彼方にいるお方ですかな?」

 

「この場を借りて行う不躾な行いを見逃していただきたい、マイクロトフ卿。

ーー今、この場にて紹介しよう。神の領域に足を踏み入れる、傲慢な最強の存在を」

 

クルシュの言葉を受け、ストレンジは騎士団の列から外れると、クルシュのいる壇上に歩き出す。階段手前で振り返った彼は、クルシュの方へ向いていた身体を振り向かせ、恭しく頭を下げると高らかに宣言する。

 

「さて、王城に集まりし騎士団諸君に文官一同。お初にお目にかかる。

ーー私は、ドクター・スティーブン・ストレンジ。「至高の魔術師」の称号を受け継ぐ、最強の魔術師だ」

 

 

 

 

 

「ふぅむ。ドクター・スティーブン・ストレンジ……ファリックス領にて発生した「腸狩り」と魔獣の大群をたった一人で退けた、カルステン家の切り札と目される最強の魔術師。やはりあなたでしたか……」

 

ストレンジの高らかな宣言に場内はしばらく沈黙が訪れる。が、マイクロトフの言葉を皮切りにどよめきがさざなみのように広がる。

 

「ふむ、やはりドクター殿は面白い。この場を借りて己を誇示するとはあの人らしいやり方だ」

 

「しかしあの人も、かなり大胆な事をするんだね。恐れ知らずな面があることはもちろんだけど、あれだけ絶対的な自信があるのも不思議と納得できてしまう。計算高く、傲慢の裏には確かな強さがある。王選の中でも最も脅威となる相手となるだろうね」

 

「アイツ、もう色々とすげエな。まるで姫さんみてえな性格だけどよ、アイツの言っていることは間違いじゃねえことぐらい、オレでも分かるってもんだぜ」

 

(……な、何だよ、アイツ。何であんなに偉そうな態度を取るんだよ!俺だってエミリアの為だったらあのくらいできるっつーのに!)

 

ユリウスは興味深そうに微笑み、ラインハルトは笑みを浮かべつつも彼を脅威に感じ、アルは底知れぬ彼の力に身を震わせ、そしてスバルは唯我独尊、大胆不敵な彼の宣言をどこか妬ましそうに見つめる。

すっかり皆の対象が、クルシュからストレンジに移っていることは誰の目からも明らかだ。

文官側ではファリックスやロズワールなど一部の面々を除いて、最初は呆気に取られ徐々に彼の無礼な振る舞いに怒りを覚える者がチラホラと現れる。

 

「き、貴様!いくらクルシュ様の前とはいえ、ここをどこだと心得ている!無礼であるぞ!」

 

真っ先に彼に噛み付いたのは、やはりこの男であった。リッケルトは先ほどの失態から懲りていないのか、堂々と立つストレンジを指差し、何かを喚き散らしている。

 

「私の記憶が正しければここは王城の玉座の間だと心得ているが。それに私はクルシュの許可を得て、このように行動している。何か文句があれば私ではなく、クルシュに言いたまえ。頑固な文官殿は、そんなことまで頭が回らないものなのか。是非とも頭を使ったゲームで、その凝り固まった脳みそをほぐす事をオススメする」

 

「一私人の分際で、上から目線だけで話すだけでなく、何たる侮辱を!クルシュ様、この訳の分からぬ人物を野放しにしておくことの方が危険ですぞ」

 

「彼は既にフォリア・ファリックス領にて起こった魔術騒動で先陣を切って魔獣達に攻撃し、「腸狩り」と互角の戦いを繰り広げていた。人のために戦った彼を私は信用する。野放しという指摘には当たらない」

 

「ファリックス子爵、クルシュ様のご発言は確かですかな?」

 

ヒゲを触りながらマイクロトフが問いかけたのは当事者であり、事の真実を知る一人であるファリックスだ。

 

「ファリックス家の名誉にかけて誓いましょう。只今、クルシュ様が述べられた事は全て事実であり、我らファリックス領の民達は彼に助けられました。リッケルト殿、あなたが彼を侮辱するのであれば、私は全力で彼を援護する。故に、一才の手加減はできないがそれでも大丈夫か?」

 

「い、いやしかし……私はそこまでは……」

 

「ふぅむ。ファリックス子爵は自らの家名にかけて、事実に嘘偽りがない事を証明した。リッケルト、己の主張を通すためには自らも同等かそれ以上のモノを差し出す覚悟は必要となりますが、それはお持ちですかな?」

 

「……」

 

マイクロトフの追撃に遭ったリッケルトはすっかり押し黙ってしまった。これ以上の議論を行えば、数的不利もあり押し込まれてしまうと踏んだのだ。

ストレンジを睨みつけるも、彼の背後のマントから並々ならぬ殺気を浴びせられたリッケルトは萎縮しその矛を収めてしまう。

 

リッケルトの口攻撃が収まったことで、クルシュは首を再び、周囲に語りかけた。

 

「話を戻そう。私は以前から国の在り様を疑問に思っていた。此度のこの風向きは、是正する機会を天に与えられたものと思っている」

 

先王への忠義を思えば、不敬と切り捨てられてもおかしくない一言である。

現に、賢人会の老人たちも今の彼女の発言には顔を見合わせて、表情に深い影を落としている。しかし、その一方で、

 

「理想論なのは間違いねぇけど……」

 

否定できない重みがある、とスバルはクルシュの言葉に聞き入っていた。王国の積み上げてきた歴史と真っ向から打ち合い、そして歴史を作り上げてきた重鎮たちに反論すら許さぬ風格。

それはエミリアにはない、否定のしようがない王者の風格であると断言することができた。

それもまた周囲も同じように感じているらしく、声高に彼女に反論する声はもはや広間には見当たらない。

 

「――クルシュ様のお考えはよくわかりました。それらを受けた上で、御身が玉座を得るのであれば、御身の思うようにされるがよろしいでしょう。それが、国を背負う王の選択です」

 

「無論」

 

マイクロトフの言葉にたった一言で応答とし、クルシュは語るべきことは語り尽くしたとばかりに踵を返す。

堂々としたマイペースに再びざわめきが漏れかけるが、それを先んじて制したのはマイクロトフだ。彼の老人は話の矛先を今度はフェリスへ向け、

 

「では、騎士フェリックス・アーガイル。御身はなにかありますかな?」

 

フェリスは意見を求めたマイクロトフの言葉に対して静かに首を横に振り、

 

「お言葉ではありますが、私が補足するようなことはなにもありません。クルシュ様のお考えはクルシュ様が口にされた通り。そしてクルシュ様の行いの正しさは、後の歴史と従う私どもが証明していきます。――私は私の主が、王となられることをなんら疑っておりません」

 

厳かに、細身の腰を折りながら朗々とフェリスはそう謳ってみせる。

マイクロトフが了承の意を頷きで返すと、フェリスは一度敬礼してからクルシュの下へ。目配せし、彼女が顎を引くと嬉しげに頬をゆるめながら、

 

「やっぱり、クルシュ様はいつでも素敵です。フェリちゃんもうメロメロ」

 

「時おり、フェリスの言葉は意味がわからないことがあるな。――が、許そう。お前が私に不利なことをするはずがない」

 

絶対的な信頼と、心棒が二人の間に結ばれているのがそのやり取りから読み取れる。

心酔の念を捧げるフェリスに、それをものともせずに鷹揚に受け止めているクルシュに並ぶ関係性は見られない。

 

「「至高の魔術師」ドクター・ストレンジ。御身からは何かご意見はありますかな?」

 

「マイクロトフ卿!?あまつさえ何処の身か分からぬ者に、意見を求めるのは危険すぎますぞ!」

 

フェリスに続いて、マイクロトフはストレンジにも意見を求めた。突然の行動に賢人会の高官がすぐに噛み付くが、マイクロトフは聞き流してストレンジの発言を促す。

 

「私は、この王国がどのような道を辿るかには興味がない。この国が更なる繁栄を遂げようが、破滅の道を歩もうが私の知ったことではないからな。過去名を残した巨大帝国は、常に繁栄と滅亡を繰り返しながら歴史を紡いでいる。故に、過度な干渉は望まないし、ここにいる面々もそれを望んでいないだろう。ただ、もしもこの世界を滅ぼす強大な脅威が姿を現し、人々にその牙を剥くならば、私は人々と世界を守るために戦う。これだけは明言しておこう。私からは以上だ」

 

「世界を守るため、己の身を犠牲にしても戦う覚悟をお持ちのようですな……。

さて、ようやくおひとりにお話は聞けたわけですが……ふぅむ、どうやら最初からかなり波乱含みの内容になってしまいましたな」

 

混乱続きのクルシュの所信表明にひと段落がつき、今のやり取りを簡単にマイクロトフがそう言ってまとめる。

賢人会や文官の面々からすれば、王座の最有力候補であった彼女の方針は寝耳に水もいいところの上に、何処の誰かも知らぬ謎の魔術師がクルシュ陣営の人間として現れたことで混乱は極に至りつつある。

 

彼女の宣言は取り込めたはずの多くの票を失わせたが、その代わりに今のを聞いてなおも彼女を支持する存在からすれば、なにが起きても失わないだけの強固な信頼を得たと考えられる。

長い目で見てそれが王選にどれほどの影響をもたらすのか、今の段階では分からない。

 

「では、続けさせていただきます。順番は、クルシュ様のお隣から順番に」

 

「ふん、やっときたか。はいぱー妾たいむじゃな」

 

騎士団長が気を取り直したように議事を進行すると、その取り直した気を再び破壊するような発言をして、橙色の髪の少女が前に踏み出す。

 

「今、あいつハイパー妾タイムって言った?」

 

カタカナ雑じりのクソ文法にスバルが唖然とすると、アルが手柄を自慢するかのように親指で己を指した。

それからのしのしと重い足音を立て、前に出たプリシラの隣に彼も並ぶ。

 

先ほどのクルシュと違い、華やかなドレスに太陽を映したような髪。色鮮やかな装飾品の数々が金属音を立て、見た目から騒々しい彼女をさらに騒音で飾り立てる。

そんな少女の隣に立つのが、一見町民風の格好に漆黒の兜で顔を隠した隻腕の男なのだから、否応にも周囲の目が奇異の視線になるのも無理はない。

 

「ふん、さっそくごーじゃすな妾に有象無象の卑しい視線が集まっておるようじゃな」

 

「いい感じに使いこなしてんな、姫さん。だいぶアッパー入ってていい感じだぜ」

 

奇異、というよりキワモノを見る目で見られているにも関わらず、なぜか誇らしげに胸を張るプリシラに、アルが彼女の従者らしい的の外れた賞賛を送る。

若干イカれた二人のやり取り、それらを正面にマーコスは咳払いし、

 

「それではプリシラ・バーリエル様。よろしくお願いします」

 

「癪じゃが付き合ってやろう。そこな老骨どもに妾の威光を知らしめ、その上で妾に従うことを選ばせてやればよいのじゃろう。簡単な話じゃ」

 

言うと、彼女は胸の谷間から扇子を抜き出すと、音を立てて開くと口元を隠しながら小さく笑う。可憐な容姿に似合わぬ、毒婦めいた嗜虐的な微笑みが表れる。

 

クルシュの爆弾発言を経て、決して良い状態でなかった広間の空気に明らかに不穏なものが入り混じり始める。明白な緊迫感が張り詰める広間の中、ぽつりと誰かが呟いた。

 

「――血色の花嫁めが、忌々しい」

 

深く深く、憎悪を煮立てたような憎々しいその声は聞く耳を立てずとも自然と聞こえてくる程の大きさだ。

それが誰を指しているのか、思いのほか響いたその声がどんな影響をもたらすのか、決してよい方向に転ばない予感だけははっきりと感じられる。

 

候補者二人目を中心に据えて、いまだ王選の序章は始まったばかりである。




クルシュ様の所持表明、中々カットできずにここまで長くなってしまいました汗

ドクターが前に出る構成は当初からあったんですが、どのようにして登場するかは結構悩みました。
スバルとの対比を心がけるようにしたんですが、どうですかね?笑
皆様のご感想をお待ちしております。

因みにこの回は、後の展開の伏線をいくつか入れています。その他のエピソードにも伏線はありますが笑


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二十六話 傲慢の化身

皆様、お久しぶりでございます!

久しぶりに時間ができたので投稿できるようになりました。
大変長らくお待たせしました!


クルシュの演説の熱が冷めない中、緊迫感のみなぎる広間に投げ込まれた爆弾のような発言。バルカンの火薬庫よろしく、危険な空間で火遊びするも同然の言葉に、誰もが息を呑んで事態を見守る。もはやその失言を誰が口にしたのかは問題ではなく、それによって引き起こされる事態に注目が集まる。

固唾を呑み、全員の視線が中央のプリシラへと向けられた。畏怖まじりの視線を全身に浴びながら、プリシラは声がした方へちらと目を向け、

 

「くだらん上につまらん芸のない罵声じゃ。妾に嫉妬する低俗の羨望なぞ、聞き慣れ過ぎて子守唄にもならん。もう少し芯のある言を発せられる面白き下衆はおらんのか?」

 

停滞が支配しかけた広間を、プリシラは心の底から退屈げな声で躊躇なく割った。その声音には周囲の不安を慮り、配慮したような気配は微塵もない。心底純粋に、今の傲慢な台詞こそが彼女の内心の全てであると全員に伝わる。

 

ストレンジに引けを取らぬ傲岸不遜な佇まいに、クルシュとは別の意味で凡人とは一線を画す次元に立つ身であるのだと、しみじみ感じさせられるスバル。

罵倒や侮蔑に近い単語に近い先程の言い方ーー、『血色の花嫁』とは穏やかでない呼び名だが、否定されることもなかったそれがどんな意味を持つ単語なのだろうか。

 

「では改めまして、従者含めてお名前をお聞かせ願えますかな」

 

場の空気が悪くなる前に本題へと移行するマイクロトフ。自分よりはるかに年少の相手に対し、装いに感じない敬意を払った態度をとれるあたり、彼の老練された政治手腕が見え隠れする。

彼のその穏便な振舞いの意味がわからないわけではなく、プリシラも無礼な一言など忘れたように素直に頷いた。

 

「よいじゃろう。余命僅かな老骨の、残り少ない時間を削るのも酷といえる。妾の寛大な心に感謝するがいい」

 

いらない一言を付け加えた彼女は居丈高に豊かな胸を張り、

 

「これより名乗る、妾の名を今生の終わりまで忘れず刻みつけておけ。妾の名はプリシラ――プリシラ……はて、今はなんじゃったか」

 

威勢よく走り出した序盤と正反対の後半の失速ぶりは興味がなさそうに聞いていたストレンジの気をも彼女の方へ引かせた。既にずっこけかけているスバルが、かろうじて周囲のシリアスな雰囲気を堪える中、彼女の発言は一種の微妙な温さをもたらす。

彼女は幾度か首をひねると、隣に立つアルを見上げてその横腹を突き、

 

「アル。妾が困っておるぞ、早く助力せい」

 

「いや、スタート地点で転ばれるとは思わねぇって。自分の紹介ターンをドキドキして待ってたオレの高鳴りをどうしてくれんだい、姫さん」

 

「貴様の胸の高鳴りなぞ、妾の知ったことか。ほれ」

 

「まさか、家名のバーリエルが出てこねぇって話じゃねぇよな?」

 

「――おお、それじゃ」

 

おそるおそると差し出した手をしっかり握り返され、アルは自分の主の頭の残念さに天を仰いで掌を額に当てた。その嘆きのポーズを隠しもしない従者を置いていき、プリシラは改めて前を向き、壇上の賢人会へと不敵に笑う。

 

「妾はプリシラ・バーリエルである。次代の王じゃ、敬え」

 

 

 

 

 

傲慢たるその性格が少なくとも、真に王になりたい人間の口にする演説ではないと、下から見上げていたストレンジは思案した。先のクルシュと違って彼女は、一行発言で全てを語り尽くしたとばかりに満足げに耽っており、傲慢な彼女を何故王候補として選んだのか、龍歴石の調査を個人的に行いたいという欲求すら彼は持ち始めている始末だった。

 

「バーリエル……というと、ライプ・バーリエル殿の?そういえばライプ殿の姿が見えませんが、彼は……?」

 

「あの好色ジジイならば、半年前に不慮の事故で重傷を負って、そのまま意識も戻らず、先日に死んだ」

 

「なんと、ライプ殿が。そうなると、ライプ殿とプリシラ様のご関係は……?」

 

「妾にとっては亡き夫ということになるじゃろう。指先さえ触れておらんのじゃから、本当の意味で名前だけの関係ということになる」

 

彼女の発言の後、広間には再び静寂が訪れた。プリシラという女性は、伴侶の死を退屈そうに吐き捨てたということになるが、それは死から生まれる感情を覆い隠すためか、それとも本当に気にしていないのか。

 

「姫さん、いくらなんでもその言い方だと哀れすぎねぇ?」

 

周囲を見渡したアルがひそやかにプリシラに耳打ちするが、彼女はそのアルの配慮すらあっさりと切り捨て、

 

「事実を事実と話すのに飾る必要がどこにあるというのじゃ。あのジジイは妾を娶り、分不相応な野心を燃やした挙句、無関係な事故に巻き込まれ、火種を大火にする前に勝手に燃え尽きたのじゃ。これが笑い話でないとしてなんとするんじゃ?まぁ、命まで張ったわりには笑えん話で、つくづく無価値な老骨であったがの」

 

言葉の刃ですでに斬られた故人をさらに何度も滅多切りにするプリシラ。ストレンジからすれば知らない人物であるため、哀れみの感情しか浮かんでこないが、その人物を知っているらしきマイクロトフなど高官たちの表情は沈痛な面持ちを隠せない。

そんなマイクロトフの表情の変化に気付いているのかいないのか、プリシラは変わらない態度のままで橙色の髪をかき上げ、

 

「唯一、あの老骨に意味があったとすれば、溜め込んでいた全てを妾にそのまま譲渡したことじゃな。妾とジジイは夫婦であった故、跡取りのいない……つまり、バーリエル家は妾のものである」

 

乱暴な結論を導き出したプリシラは周囲にいる不満そうな貴族たちを見渡す。その視線を受け、不服の感情が高まるが、それを具体的な形にして示すものは現れない。クルシュやファリックスに抗弁したリッケルトでさえも、彼の人物も顔に不満を浮かべながらも口を閉ざしている。

 

「ふぅむ、お話はわかりました。長年の知己故、ライプ殿の訃報には少しばかり驚くところがありましたが……プリシラ様の話は筋が通っております。バーリエル家の当主が御身であることは確かに」

 

「当然じゃな」

 

「さらに詳しいお話が聞きたいところではありますが、そちらの騎士は?」

 

悠然と頷くプリシラに、マイクロトフが今度は隣に立つ従者、アルに水を向けた。

 

「あふ……あ、オレ?」

 

明らかに欠伸を噛み殺そうとしていた声で返事して、主ともどもマイペースの権化であることを証明してみせたアル。

 

「そう、御身です。変わった格好ですが、近衛騎士団では見ない顔……兜ですな」

 

「お、わかるかい?この兜は南のヴォラキア帝国製でさ、持ち出すのに苦労してんだよ。丈夫で長持ち、あと見た目かっこいいから重用してるってことね」

 

「ヴォラキア帝国の……では、御身は近衛騎士団の所属ではなく」

 

「騎士なんてハイカラな呼ばれ方されるとむず痒いぜ。実際、オレはほら、あれだよ。流れの傭兵的な、所謂風来坊ってもんだぜ」

 

アルは隻腕で己を示し、くぐもった声で素姓を堂々と暴露する。からからと笑ってみせる動きに兜が金属音を立て、それがまた無闇矢鱈に周囲を煽っていく。事実、その振舞いに青筋を立てたのは近衛騎士陣営だった。

 

「なんという無礼な態度!ここがどこだかわかっていないのか!?」

 

「野卑な蛮人に騎士としての振舞いを求めるのは酷なことといえ、今の態度は黙認できない」

 

「そもそも、賢人会の皆様の前で素顔を隠しているのは何事だ。それも帝国製の兜でなどと……不敬にも程があるぞ!」

 

「へいへーい、あんましギャンギャン怒るなっての。ナイーブなオレのハートがプレッシャーでズタズタになっちゃうって」

 

騎士たちの怒りの声に対し、あくまでアルは涼しげな態度を崩さない。彼は兜の表面を指でなぞりながら、

 

「ま、あんたらの意見が的外れだとは思わねぇよ。お偉いさんの前で顔を隠してるなんて、不審者扱いされてもおかしくねぇし」

 

「貴様が不審者然としておらねば、妾の目には適わなかったぞ、アル」

 

「それはゾッとしねぇ話だ。とはいえ、顔を隠す無礼は許してほしいね。なにせ」

 

賢人会を見上げ、アルはその兜の隙間に指を入れると、ほんのわずかだけ持ち上げて隠された顔の一部を外に見せつけた。首下が持ち上がり、顎から鼻下までが外気にさらされ――、

 

「う――――」

 

その痛ましい顔の傷跡に、老人の誰かが小さくあげたうめき声が響く。

そのままアルはぐるりとその場で回り、同じ状態を広間の全体に向かって見せつけた。先程まで怒声をあげていた騎士たちは黙ってしまい、黙って見ていたストレンジでさえもその顔面には目を見張った。

 

アルの顔面は見えた部分だけでも、火傷や裂傷、様々な傷跡が積み重なった歴戦が刻み込まれていた。

周囲の反応が思惑通りだったのか、指を外して兜を被り直したアルは笑い、

 

「とまぁ、「至高の魔術師」さえも驚くような見苦しい顔してるわけで、こうして顔を隠して皆様と向かい合う失礼も許していただけると幸いってこと」

 

「こちらこそ、部下が失礼をいたしました」

 

お茶を濁した発言をするアルに、マーコスが頭を下げて謝罪。それから彼は巌の表情を固くしながら、

 

「重ねて失礼をいたしますが、帝国の出身でその傷跡……剣奴の経験者では?」

 

「へぇ、さっすが騎士団長様。秘密主義国家の帝国の後ろ暗い部分のことなんてよくご存知だな。確かに剣奴経験者だ。十数年ばかしのベテランのね」

 

ふと、何かに気づいたように再びアルは口を開いた。

 

「あ、名前を名乗ってなかったわな。ヴォラキアとも縁が切れて、今は流れの風来坊――アルって呼んでくれや。姫さんにうまく召し抱えられて、えっちらおっちらやらせてもらってるとこ」

 

相変わらずとぼけた態度でマーコスに笑いかけるアル。その姿勢は主と同様、周囲にすごまれたことなど欠片も気にした様子がない。反対に先ほどまで彼を糾弾していた騎士陣営の方こそが、彼の身に刻み込まれた傷跡のすさまじさに言葉を失ってしまっている始末だった。

片腕がないことを含めて、彼の歩いてきた道のりが平坦なものでなかったことがはっきりと周知されたからである。

 

何やらアルと自らの姿を重ねて、自分の未来の姿でも想像しているのか、身を震わせるスバルを横目に王選の議事は進行を続いていく。

 

「ヴォラキア帝国出身ならば、プリシラ様とはどのような縁で? あの国は情報だけに限らず、人も物も外に出さない、一種の別世界ですが」

 

「どこにでも抜け道裏道回り道ってのはあるもんさ。時期を見て、帝国からは逃げ出させてもらってだけ。そんでもってオレが姫さんとこいる理由だが……」

 

「妾の余興の結果じゃ」

 

 それまで黙り込んでいたプリシラが、突如として彼らの会話に割って入る。マイクロトフの質問に割り込んで答えた彼女は、自分の指を飾る色とりどりの装飾品をいじりながら、

 

「妾が王となるのは天意同然。ならば従者など誰でも同じこと。故に妾は妾の従者に妾の気に入ったものを選んだ。その結果がそこの男というわけじゃ」

 

「なるほど。では、その選び方とは?」

 

下手に反論せず、傲岸不遜な部分には触れずに、マイクロトフは彼女の自尊心を満たしつつ先を促す。

その計らいに彼女は機嫌良さそうな顔で、爪に息を吹きかけ、

 

「なに、知れたことよ。――目に適ったものを従者に加える条件で、妾の領地に腕自慢を集めて競わせた。それなりに楽しめる余興じゃったな」

 

「つまり、その大会の優勝者が彼ということに……」

 

「いや、優勝はしてねぇよ?」

 

てっきりその大会に優勝したことで彼女の目にとまったものだと考えていた老人たちの顔を愉快そうに肩を揺らしてアルは眺め、

 

「片手の奴が腕自慢連中の中から抜け出られるほど人生甘くねぇよ。勝ち上がりで上位四人に残っただけでも、くじ運が冴え渡ってたね」

 

「ではなぜ、プリシラ様は彼を従者に……?」

 

「言ったはずじゃ。妾は妾の気に入る相手を選んだと」

 

問いかけにプリシラは胸を張り、隣に立つアルの背中を力任せに叩く。渇いた破裂音が鳴りアルが悲鳴を上げるのを聞きながら、

 

「そも、腕自慢という頭の悪い触れ込みで集まる程度に自信過剰で、奇異の目にさらされてなおこの奇体を偽らぬ。そしてなにより、ヴォラキア帝国に滞在しておった上に出身を『大瀑布』の向こうなどと大法螺を吹いたものは他におらなんだ。まあ、つい最近にも似たような法螺を吹いた男が現れたが」

 

プリシラの微笑みはその深みを増し、赤い双眸が爛々と愉悦に輝き始める。語り口が早回しになり、彼女は衆目を集めんと音高くその場で足を踏み鳴らした。

 

「故に、妾は従者にアルを選んだ。妾にアルを選ばせたのも、妾が王たる道を歩むことも、いずれも妾を輝かせんとする天意である」

 

世界に己が祝福されていると、臆面もなく言い切るプリシラ。一片の躊躇も疑念も存在しない、空恐ろしいほどの自信だけが満ちているその姿は、まるでアイアンマンになる前のトニー・スターク、そして何より医師として名を馳せていた昔の己に近い、とストレンジはそう考えざるを得ない。 

発言内容の突飛さを除けば、その頂点に立たんとする姿勢はまさしく他者を従える上位者のみが持つカリスマそのものだが、肝心の中身が心をひかないので無意味にしかならない。

 

「お二人の関係性はわかりました。ですが、疑問なのは、プリシラ様が龍の巫女であると知れたのはどういった理由からだったのでしょうか。騎士が見つけたわけでないとすると……」

 

プリシラの断言に言葉もない面々と違い、マイクロトフにはそれを受け止めるだけの度量がある。彼は彼女の言を受けた上で、次なる疑問点に着手――老人の口にした内容は、疑問に上げるに相応しい内容であった。

 

各陣営を見れば、分かるが候補者はそれぞれ、近衛騎士団が徽章を握らせて該当者を探した上、その見つけた騎士が候補者の従者として付いている形がほとんどである。

クルシュに対してフェリス。フェルトに対してラインハルト。そしてアナスタシアに対してユリウス。

となると、自然と浮き上がるのがプリシラ組と、

 

「エミリアたんの場合は……」

 

スバルが属しているエミリア陣営である。彼女の陣営はロズワールが推薦人、という形になるのが近い。

あくまでパトロンという形でエミリアを支援しているのがロズワールの立場であり、彼女を見出した騎士らしき人物には現在までスバルは顔を合わせていなかった。ロズワールの領地にいなかったどころか、王都のこの場にいない以上はそんな人物は存在しないことは、スバルですらも想像できた。

唯一例外といえば、クルシュ陣営に身を置くストレンジであるが、彼はあくまでも魔術師であり騎士の身分ではない。そもそも彼が騎士服を身に纏って剣を振るう姿がどうもスバルには想像できなかった。寧ろ、今の道着にマントを掛けたその姿の方がしっくり来ている。それにクルシュには既にフェリスという騎士がおり、ストレンジも特にそれを気にする素振りは見せてはいない。

スバルはエミリアは場の雰囲気から孤立してしまいそうな状況にも関わらず、スバルの内心はそんな騎士が姿を見せなかったことにある種の安堵感を覚えていた。

 

「賢人会の皆様、その疑問の答えは騎士団の方で確認されております」

 

と、マイクロトフの疑問に「恐れながら」と前に出たのはマーコスだ。彼は巌の表情の中でかすかに眉を寄せると、

 

「亡くなったライプ様が先王とそのご親族が亡くなられた際に、いち早く竜歴石の条文に気付き、候補者の獲得を急いだという経緯がございます。もともと、竜歴石の管理はライプ様の担当であり、条文の内容が報告されるまでに数日の開きがあったのでは、という報告も」

 

言いづらそうに故人の行動の不審さを語るマーコス。そのマーコスの言葉にマイクロトフは思い当たるところがあるのか、目を覆い隠しそうな長い眉に指で触れ、

 

「なるほど、野心の強い方でしたからな。龍の巫女探しにも力が入ろうというものです」

 

次代の王の後見人――プリシラを妻とする人物であるが故、権力志向が強い人物だったことは窺える。

 

「しかし、肝心の巫女を見つけてきても、ご本人が不幸に遭われたとあってはなんとも皮肉な話になってしまいましたな」

 

「話のひとつも心踊らぬ老骨じゃったからな。最後の最期で振り絞ったゆーもあ、というやつがこの様じゃ。つくづく、失笑の似合う末期であったの」

 

くすりともせずに評価を下し、亡夫に赤点の烙印を押すプリシラ。知己があんまりな評価を受けたことにマイクロトフは苦笑以外のリアクションができない。

 

「すでに死んだ老害の話など不要。妾は妾のみで立つ。それ以外の理由など、全ては触れる必要すらない些事じゃ。気兼ねなく、貴様らは妾を王と崇めよ」

 

自信満々に、プリシラはこの短時間で幾度も達した結論を通告する。広間の誰もが彼女の態度に言葉を継げない中、彼女の隣に立つ漆黒の兜だけが彼女の方をしっかりと見据え、

 

「姫さんよ、それをした見返りは? なにがもらえる?」

 

「簡単な話じゃ。――妾とくれば、それはそのまま勝者となる権利を得よう」

 

笑い、プリシラは息を継いで、

 

「王選が争いである以上、至上の目的は勝利することじゃろう。故に、妾を選ぶことがそのまま答えとなる。故に、妾に従うのが貴様らの正道である」

 

「天が、自分を選んでいると……」

 

「当然じゃ。なにせこの世界、妾の都合の良いことしか起こらない」

 

 故にこそ、

 

「妾こそ王たるに相応しい。否、妾以外にはそれは務まらん。語るべきことはなにもない。ただ貴様らは、眼前に立つ妾の威光に目を輝かせておればよい」

 

橙色の髪をかき上げ、大胆に宙に流してプリシラは悠然と振り返る。語るべきことは語り終えた、とその姿は示しており、そのまま彼女は壇上の賢人会に背を向けたまま中央へ歩を進める。

 

その戻る背中に従いながら、漆黒の兜が最後に壇上を見上げ、

 

「言い方はアレだが、うちの姫さんの言うことはオール事実だぜ。姫さんとこにくれば、それが姫さんの意に反さない限り、絶対に報われる――天が姫さんを、プリシラを選んでるのさ」

 

言い切り、アルはぐるりと広間の中を視線を一周させた。そのアルの目に見つめられたものは全員が息を呑み、それを見届けて隻腕の男は片方だけの腕を軽く振り、

 

「ま、いつ姫さんの下につくかは好きにすればいいさ。どうせなら早い内に勝ち馬に乗っとくべきだってオレは思うがね」

 

主従揃ってどれだけ自信があるのか、謙虚さなんてものはとうの昔に捨ててきたような二人。

 

「全く、とんでもない女性が出てきたものだな」

 

プリシラに聞かれると厄介事に巻き込まれかねないことは分かっているものの、どうも吐かないと気分が落ち着かないストレンジは、小さい声で呟いた。

 

「あれ、ドクターってああいうタイプが好きだと思ったんだけどにゃ〜。同族は嫌いってコト?」

 

「私をあの女と同じ部類に入れるな。それにしても、あのデカいエゴがよくあの小さな身体に収まっている。あれを私の国でやれば、一躍YouTubeで有名になるだろう。視聴者の興味を惹くために公園で馬鹿騒ぎする迷惑系YouTuberよろしく、炎上してな」

 

ストレンジの一言を聞き逃さなかったフェリスは彼を突いて、彼の真意を探るべくちょっかいをかける。

 

「ドクターの言ってること、よく分かんにゃいけど確かにアレは人の目を集めることは間違いにゃいヨネ〜。あれだけ尊大な態度、注目を集めない方がおかしいもん」

 

「あれは相当長生きするタイプだな。暗殺しようにも彼女の強運が返り討ちするだろう。彼女には発展途上国での政治家の道も天職だ。あれだけの傲慢さ、あっという間に国一つ飲み込むだろう。彼女が望む、専制君主独裁王国が築けるだろうな」

 

そんなプリシラに関係するストレンジとフェリスの会話を、彼女が聞き逃す訳はない。列に戻る傍ら、彼らの会話はしっかり彼女の脳裏にしっかり記憶された。プリシラの傲慢な目線はストレンジをしっかりと録音しており、笑みとも怒りとも取れない複雑な感情を彼に向けた。それがどのような運命をもたらすのか、現時点では誰も分からない。

 

彼女らが候補者の列に戻ると、自然と張り詰めていた空気が軽く弛緩、どうにか一息つけそうな雰囲気が漂い始めた。

 

それまでヒヤヒヤしていたスバルも、呼吸にすら神経を遣わされた時間が過ぎて一安心と、不必要だった緊張をどうにかほぐす。

 

「なんで俺がこんなハラハラドキドキしなきゃだよ……」

 

スバルは筋違いの怒りを込めて、列に戻った彼女らの背を睨んだ。と、ふいに振り返るプリシラと予期せぬタイミングで目が合う。

スバルと視線が絡み、彼女は意味ありげに微笑むと、愛嬌をふりまくかのようにこちらにウィンク。その仕草は過剰なほど艶めかしく、耐性のないスバルなどはあっさりと動揺させられてしまった。

そんな最中にも、王選は淡々と進行の兆しを見せている。

 

「では次に、アナスタシア様。そして騎士、ユリウス・ユークリウス! 前へ!」

 

「はいな」

 

「出番だね」

 

はんなりと、紫髪の少女が応じ、ユリウスが悠然と片手を天に掲げると、振り下ろす動きで制服の袖を高らかに鳴らした。

渇いた破裂音が響き渡り、否応にもそれまでの空気を一新した。その計らいにアナスタシアが「おおきに」と微笑みながら前へ。

その彼女の隣に、なんら気負う様子もなく並び立つユリウス。

 

――こうして、この王選でもっとも主従らしさにおいて先を行く二人が出揃った。




プリシラ、プリシラ、プリシラ回!でございました。

んあー!早く白鯨戦でストレンジを早く暴れさせたーい!
ていうわけで、早く白鯨戦いけるように頑張ります!


『What If……?』のストレンジ回、見ました!
バッドエンドすぎて見るの辛かったです泣まさかストレンジがあんなに愛が重い人だったとは思わなかったので、見ててびっくりしました


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二十七話 強欲な商売人

映画ヴェノムの公開が延期された……ということは、『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』も公開が延期される……ということに?

そうなったら嫌だけど、これも運命なのか 


淡い紫のウェーブがかった髪を背中に流すアナスタシア。彼女に控えるのは濃い紫の髪を丁寧に撫でつけたユリウス。

 

主従合わせての上流階級が際立った二人だが、高潔すぎる女公に、傲慢な太陽姫という人の目を惹く二人の後に登場するということもあり、彼らを見る視線には出だしからして不安と緊張の含有量が多いのが空気に伝わっている。

そのような嫌な緊張感が張り詰める広間で、アナスタシアは衆目を集めながらまず最初に、

 

「前までの二人みたいな強烈な個性を期待されとるんなら、ウチには少し荷が重くて困りますわ。我が強すぎるんはあんまり歓迎されんから、没個性が売りなんよ」

 

大きく二度、手を叩いて全員の意識に揺さぶりをかけて全員に見えるように穏やかな微笑を浮かべてみせるアナスタシア。彼女の微笑を受け、それまで妙な違和に占められていた広間の空気がわずかに緩む。咳払いが幾度か聞こえ、さっきまでの雰囲気を引きずっていたことを恥じるような気配が感じられもした。

 

それらの反応を満足げに見やり、アナスタシアは一度頷くと、

 

「ほんなら、ウチ――アナスタシア・ホーシンがお話させてもらいます。余所者やから不心得もんなんは堪忍してな?」

 

 かすかに首を傾けて愛嬌をふりまいてみせる仕草。先ほどの出だしの一言といい、相手の反応を一動作で手玉に取る姿はまるで悪女そのもの。

 

「アナスタシア様の一の騎士、ユリウス・ユークリウスです。御身のフォローはお任せください。優雅に、支えてみせましょう」

 

ユリウスは前髪を軽く撫でて、無駄に洗練された動きで己の存在をアピールする。

そして、名乗り終えたアナスタシアに対し、壇上のマイクロトフが長いヒゲに触れながら、

 

「その独特な口調、御身はカララギの出身ですかな?」

 

「その通りです。出身はカララギの、自由交易都市群の最下層になります」

 

「ふぅむ、最下層区――となれば、ルグニカにはどういった縁で?」

 

アナスタシアが己の出自を語ると、マイクロトフの瞳がわずかに細まった。

下層区という言葉がルグニカと同じであるなら、アナスタシアの地位はアンシャン・レジーム下におけるブルジョワのような富豪商人や貴族に属さない、一般的な平民ということになる。あるいは最下層の語意通り、下級労働者や農民といった最貧困層の出身か。

華美な彼女の今の服装は多額の給与を受け取っているユリウスから買い与えられたものか、そのわりには着こなしに慣れがあり、そもそも賢人会など含めた国家の重鎮を前に物怖じしない胆力は一体、何処から来るのか。

 

内心でそんな疑問符をスバルが浮かべる中、アナスタシアは向けられた鋭い視線に対して涼しい顔のままで小さく肩をすくめ、

 

「出身は最下層やけど、今はちゃんと都にお屋敷を立ててます。他にも都市のいくつかに商店を構えさせてもらってます。ルグニカにも、その件でお邪魔させてもらってます」

 

「彼女が会長を務めるホーシン商会は、昨今飛躍的に大きくなり始めている商会です。カララギでの規模の拡大に伴い、ルグニカへの出店のお話も持ち込まれていました。私とアナスタシア様の接点も、初めはそれが切っ掛けです」

 

アナスタシアの言葉をユリウスが補足する。それを聞き、マイクロトフは「なるほど」と納得の首肯をみせる。

 

「下層区の生まれでありながら、その商才で身を立てた若き商人というわけですか」

 

「ウチみたいな小娘にも機会が与えられるんがカララギのえーとこです。面白いもんで、ウチにはお金の臭いを嗅ぎつける才能があるようで」

 

自慢げに自分の形のいい鼻に触れるアナスタシア。その発言の内容に、周囲――特に文官連中の間に動揺が広がっていく。何人にもビジネスのチャンスが与えられ、成功すれば巨万の富を築くことができるそのシステムは、ストレンジの出身国であるアメリカに近いものがあり、彼は妙な親近感を感じていた。

恐らく彼女が会長を務めるホーシン商会は、大航海時代の香辛料ビジネスで儲けたベネチア商人のようなやり方で販路を拡大させていったのだろう。その内、オランダやイギリス東インド会社のように海外植民地を獲得する勢力になるやもしれない。国の富を拡大させるだけであるならば今までの候補者の中では一番才がある。

 

閑話休題

 

ざわめく王座の間で、そっと己の功績を控え目ながらも語り聞かせるアナスタシア。その彼女をさらに立てるよう、いまだ波紋の広がる文官たちにユリウスが前に出てたたみかける。

 

「ルグニカにおいても、アナスタシア様のホーシン商会はユークリウス家の協力を得て規模を拡大します。驚くべきは二国にまたがるこの商会の躍進が、アナスタシア様によりほんの数年で築き上げられた事実でしょう」

 

アナスタシアの年齢は、見た目相応であるのならおそらくは二十歳前といったところだろう。

彼女が自らの商才に気付いたのがいつの年齢かはわからないが、その事実と照らし合わせると、彼女が経済界の巨人であることが容易と想像できる。

 

「アナスタシア様は商いの天才……いえ、鬼才といってもいい。その商才は見た目の美しさ……失礼、年齢に左右されない天賦のもの。機を見る目、人を動かす才、いずれも非才の我が身からは羨望にあまる限りです」

 

「それはそれは、最優の騎士がそこまで豪語されるとなると、よほどのことですな」

 

謙遜を重ねたユリウスの言に、マイクロトフが鷹揚に頷く。が、その言葉にイマイチ納得してやれないのが傍で聞いていたスバルだった。

彼は、マイクロトフが口にした言葉に首をひねり、

 

「今、俺の聞き間違いでなきゃ、最優の騎士とか呼ばれてなかったか?」

 

各騎士がそれぞれの候補者の傍らに控えている現状、今のスバルの疑問に答えられるのはいまだ同じ列に並び立っているラインハルトかストレンジだが、ストレンジとの仲は険悪に近く彼に答えられるのはラインハルトだけだ。

彼はそんなスバルの疑問に視線だけをこちらへ向け、

 

「呼ばれていたよ。ルグニカ王国の近衛騎士団で、団長であるマーコス団長を除けばもっとも序列が高いのはユリウスだ。副団長もいるにはいるんだけど、こちらは名目だけの名誉職扱いだからほぼ空席と思ってもらっていい」

 

中央に控えるマーコスを見やり、それからラインハルトは注目を浴びながら優雅に振舞うユリウスの背中を眺め、

 

「剣の腕にマナの扱い。家柄に実績と、ユリウスの騎士としての資質は申し分ない。文句なく、最優の騎士と呼ばれるに相応しい人だよ」

 

「でも、都の下町じゃ『騎士の中の騎士』って言えばお前のことみたいだったけど? トンチンカンにまで知れ渡ってたし、お前も否定してなかったろ?」

 

「その呼び名と実際の資質には色々と違いがあるんだよ。ただ、確かに剣の腕だけでいえば僕の方がユリウスより上だろう。僕より強い存在には会ったことがないから」

 

さらっと最強発言が出たことにスバルは鼻白んだが、一方で爆弾発言をしたラインハルトは涼しげな顔のまま誇るでもなく続ける。

 

「でも、世界は剣の腕が立てばそれだけで万事回るほど簡単じゃない。総合力で見た場合、僕はユリウスに大きく劣る……その点ではフェリス、魔術ではドクター殿にも及ばない」

 

「自己評価高いんだか低いんだかわかんねぇ話だな……」

 

「僕は自己を過大にも過小にも評価していないつもりだよ。単に僕の素養ではできることが限られていて、その僕の届かないところに手が届く彼らは尊敬に値する――とそういう話だから。もちろん、君もそうだ」

 

「自分評価云々は別として、お前は間違いなく他人は過大評価しすぎ」

 

少なくとも、スバルはここまでラインハルトに熱心に肩入れされるほどの功績を示したとは思っていなかった。彼は自分がとるに足らない凡才であることを自覚しているし、これまでの行動もそんな凡庸が凡俗なりに凡々した結果と判断している。

故に、真っ直ぐにこちらを見て評価を下すラインハルトとの会話はこそばゆくてしょうがなかった。

 

「だってのに人の目ぇ見て堂々言いやがって。危うく俺ルートに入るっつーんだよ、気をつけろ」

 

「よくわからない単語が多いけど、君とならばそれも良し――だ」

 

「俺は貴腐人層を悦ばせる趣味はねぇよ」

 

口頭だとわかり難い変換を口にして、スバルはそっけなくラインハルトとの会話を打ち切った。その間にも最優の騎士と賢人会頂点との対談は続いており、

 

「ユークリウス家とアナスタシア様との良好な関係はわかりました。ふぅむ、ならばアナスタシア様にお聞きしたい」

 

「やっとウチですね。ユリウスが出しゃばってくれる分、ウチの影が薄くて困りますもん。なんなりと、お答えします」

 

雄弁なユリウスに場を任せていたアナスタシアがそう言って微笑むと、マイクロトフが好々爺的な微笑で返礼して頷く。

ふと、そのマイクロトフの瞳がわずかに鋭さを増し、

 

「ではお聞きしますが――カララギ国民であるアナスタシア様は、このルグニカ王国にて何の目的をもって王を目指しなさるのでしょうか?」

 

「あー、やっぱ気になりますか、ウチの出身」

 

困った様子でアナスタシアは己の紫の髪の毛先をいじる。ストレンジにとってアナスタシアの事を知ってから気になっていたことがあった。それはルグニカ王国民ではないアナスタシアを自国の王に迎えるのにはなにかと問題があるという話だった。

国がある以上は国家や民族による隔たりが存在する。緊急事態とはいえ自国の頂点の座を、あっさりと他国からの来訪者に譲ることなどあり得ない。

例え資格があると主張したとしても、それは血縁関係であるドイツの遠戚の養子を受け入れ、王室を存続させたイギリス王室のようなものだけである。それにアメリカ大統領や、イギリス国王、日本の天皇が自国民や王室、皇室関係者でもない海外の国民になることなど不可能――資格云々以前に、国を形作る国民がそれを納得しないだろう。

 

資格とその素姓は確かめられた。ならば次に問題となるのは、彼女がどうして王を目指すのか――クルシュとプリシラが語り聞かせたように、アナスタシアにも今それが求められていた。

広間中が固唾を呑み、彼女の言葉の出かかりを待つ。そんな緊張感の高まる周囲に対してアナスタシアは薄く笑い、

 

「そうやって期待されると緊張します。生憎、ウチにはクルシュさんみたいな立派な思想の持ち合わせはないし、プリシラさんみたいに自分がそうなるべく選ばれたーなんて壮大な自信があるわけでもないですもん」

 

「ではまさか、竜殊に反応されたから成り行きで――などとは申しませんな?」

 

「あはは、せやったらウチもこんな場所にはよう出てこれませんよ。もちろん、ウチにはウチなりの目的があってのことです」

 

マイクロトフの言葉に苦笑し、それからアナスタシアは一呼吸置くと、

 

「――ウチ、実はちょっと他人より欲深なんです」

 

舌を出すような気軽さで、アナスタシアはそんな言葉を言い放った。予想されていたものとだいぶ雰囲気を異なる発言に、会場の大半の人が耳を疑うような顔をする。そんな反応を受けて上機嫌にアナスタシアは頷き、

 

「もともとぉの出が出ぇですから、小さい頃から人並み外れて物欲が強い方やったと思います。こうして一端の商人(あきんど)として身を立てられたのも、お金に関する嗅覚以上に執着心が強かったからやと思ってます」

 

最下層の出身という言葉を信じるのならば、彼女の幼少時代は毎日を生きるので精いっぱいな状況だったに違いない。

 

「欲っていうものはおっかないもので、上を見だすとキリがありません。最初は今日の分の食事代、次は明日の分の、一週間分の。屋根のある安全なところで寝たい、ベッドが欲しい、もっと柔らかいベッドが欲しい」

 

指折り願い事を数えながら、徐々に徐々にその要求をつり上げるアナスタシア。

 

「最初は小さな商会の小間使いで、ちょっと店の人のやり方に口出ししてみたらこれが大当たり。何回か続けていくうちに大きな取引きも任されるようになって、最下層で暮らしてたことなんて忘れてしまうくらい暮らしは楽になった。でも、楽になったはずやのに自由にはなってない。違う、もっと不自由になってました」

 

「……ふぅむ。それはどうして」

 

「それが欲の恐ろしさいうことです。ようは目と手が届くところが増えてしまった分だけ、掴み取りたいもんが増えてしまったんです。アレが欲しい、コレが欲しい、ソレじゃ足りない、ドレも足りない――で、気付いたらここです」

 

にっこりと微笑み、アナスタシアは自分の足下を指差す。それは王城を示している。彼女はそれから候補者たちを手で示し、

 

「ウチは欲深やからなんでも欲しい。でもまだウチは満たされたことがない。本物の充足感を知りません。せやから、ウチはウチの国が欲しい!」

 

「物欲の秤に王国を乗せて語りますか」

 

「それでウチの秤が壊れるんやったら壊してほしいんです。ウチの器に入り切らんいうことは、ウチは満たされたってことですから」

 

たしなめるような意味合いを含んだマイクロトフの言葉に、強かに応じて笑みを返すアナスタシア。

彼女は王座を目指す理由を自らの『欲望』であるとはっきり断言し、その上で、

 

「でも、王国を手に入れてなお、ウチが満たされないんやとしたら……そのときは、王国をひっくるめてもっと高みを目指さないかんでしょうね」

 

「あなたにとって、手に入れたものが無価値であったとすればどうなります?」

 

天秤に乗せて、それでも彼女の情熱に適わないものはどう扱われるのか。あるいは王国すらも、というマイクロトフの問いかけに彼女は「ああ、問題ないない」と手振りを交えて、

 

「言いましたやろ? ウチは欲深です。ですから、一度手に入れたもんはどうなろうとウチのもんです。そして手に入ったウチのものは、ウチのさらなる強欲を満たすために役立ってもらう。せやからカララギでの生活も、ホーシン商会も、商会で働く従業員も、全部ウチを満たすためのウチの情熱の一部や。捨てるわけありません」

 

彼女は息を継ぎ、広間の全員の顔を見渡しながら、

 

「――安心して、ウチのものになったってくれてええよ?」

 

はんなりと、この広間で最初に顔を合わせたときの印象のままに彼女は温和に笑う。その穏やかさの下に隠された、狂気的なほどの渇望を燻らせたままに。

 

発想こそ俗なものではあったが、その分だけ彼女の主張はシンプルだ。彼女は己の欲のままに王座を欲しており、そして王座を手に入れた暁には王国の繁栄に全力を尽くすことを公約している。手に入れば見捨てないし、手に入った以上はそれを高みに押し上げずにはいられない性分なのだと、今の語りで彼女は聴衆に訴えたのである。国家の運営と同じ方法では成り立ちはしないが、国力を上げるという点で彼女は秀でている。そして、

 

「あいわかりました。アナスタシア様の主張は十分です。では、騎士ユリウスはなにかありますか?」

 

候補者の演説が終われば、後に控えるのは従者の推薦演説が控えている。フェリスとアルは純粋に主の精神性の強固さを説いたが、ユリウスは「そうですね」と前髪をいじりながら進み出て、

 

「アナスタシア様は俗な言葉で欲と言い換えましたが、裏を返せばそれは向上心と情が深いことの表れです。その一方で、経営者としての観点から情に流されないという選択を取ることもできる。為政者として、その資質は必要不可欠です」

 

「ふぅむ、なるほど確かに」

 

「付け加えて先ほども申しました通り、アナスタシア様の商才――この鬼才は今の王国には喉から手が出るほどほしいものです。先々代、そして先代と国王による戦費、浪費によりルグニカ王国の財政難は深刻です」

 

ふいに国家の恥部に触れるユリウスの発言に場が色めき立つ。賢人会の老人のひとりも苦い顔をして若い騎士を見下ろしながら、苦言を呈す。

 

「公の場で軽はずみに口にしていい内容ではないかと思いますが、騎士ユリウス」

 

「財政再建がここ数十年、国家の大事であることは周知の事実です。この場に集まっている人間の前で隠す必要を感じません。国家事業すら滞っている現状、そうして目を背けてきた結果が財政難であるとは思いませんか?」

 

「一介の騎士が畑違いの国政にまで口出しをされてはな……」

 

「もっとも」

 

青筋を浮かべて反論しかける老人を遮り、ユリウスは立てた指を揺らしながら、

 

「我がユークリウス家は大きな影響を受けてはおりません。目を背けて誤魔化し続けていれば、私の代には目にしなくても済む問題であったでしょう。しかし、当家が無事であったとしても、仕える王家が困窮にあるとすれば見過ごすことはできない」

 

ですから、とユリウスは傍らに立つアナスタシアの方へ意識を向けると、

 

「カララギで隆盛に極みにあったホーシン商会と接点を持ち、ルグニカに新たな風を呼び込もうとしていたのです。その途上でアナスタシア様に王の資質を見た、これを運命と呼ばずしてなんとしましょう」

 

熱が入り始めたのか、語るユリウスの語調が高く、喋りは朗々と速度を増す。身振り手振りを加えて、まるで彼はブロードウェイ俳優よろしく舞台俳優のように大仰になりながら、

 

「天意が選んだとするならば、それはアナスタシア様に他なりません。私は私の王家への忠誠に、王国への忠義に誓って、アナスタシア様こそ王に相応しいと断言します。――ご清聴、感謝いたします」

 

観衆が自分の演説に聞き入っていたのを見取り、彼は終わりを報せるようにそう締めの言葉を口にして一礼。それまで時の止まっていたような広間に空気が流れ始め、全員が我に返った顔で三番目の主従の主張を改めて受け止める。

そんな中でも、騎士団長のマーコスだけが動じない表情のまま、

 

「騎士ユリウス、もう十分と判断してもいいな」

 

と、淡々と今の熱の入った弁舌を受け入れ、受け流していた。そんなすげない上司の反応にもユリウスは慣れているらしく、「はい、ありがとうございます」と優雅に応じてアナスタシアの隣へ。

 

「ご立派でした、アナスタシア様。やはりあなたという花はこういう場でこそ美しく咲き誇る」

 

「けっきょくウチの出番もユリウスに持ってかれた気ぃがしてまうな。べた褒めやったから、怒るに怒られないけど」

 

そうして笑い合いながら、主従が揃って候補者の列に戻る。こうして三番目の候補者陣営の主張が終了し、順番的に次にくるのが――。

 

「では、次の候補者である――エミリア様」

 

しばしの沈黙を経て、これまで静謐を保ってきた銀色の少女の名前が呼ばれる。候補者の列の中でただひとり、騎士や魔術師、傭兵を連れていない少女。名前を呼ばれた彼女が顔を上げ、その白く美しい横顔に不安と、しかし強い決意に彩られた感情を交えて、

 

「はい」

 

エミリアが前に出る。この世界の運命に振り回される少女の王選が今、始まる。

 

ーーそのとき、ナツキ・スバルは。

 

 

 




MCUにおいて、ドクターの役割がどんどん拡大して

①アベンジャーズのご意見番
②ソーサラー・スプリームとして異次元の脅威から地球を守る

っていうことに加えて

③マルチバースの橋渡し
④ヤングアベンジャーズの指導者役
⑤イルミナティの創設メンバー

が新たに加わることになると思うと、マジでドクター・ストレンジってトニー・スタークのようにMCUを支える“柱”になるので、一ファンとしてとても嬉しく思います笑

リゼロのドクター・ストレンジも基本的にはMCUのストレンジに近づけつつ、物語を進行させていくので、上記した役割の大半を担わせる方向にしたいと思ってます


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二十八話 銀髪のハーフエルフ

『ホワットイフ』最終回見ましたよ!

ドクター・ストレンジ・スプリームこと、闇堕ちストレンジの力!
凄すぎてあのストーンを揃えたウルトロンとタイマン張っていたし、(ウルトロンもストレンジさえいなければ、チームを倒せるって言ってました)最後は次元を歪めて監視役になるし……MCU本軸のストレンジもあれをやろうと思えばできるってなると、ますます期待が高まります!笑



名前を呼ばれ、緊張の色が濃い表情でエミリアが返事をした。中央へ向かって歩き出す彼女の右手と右足が、同じタイミングで前に出たのを見たストレンジは、緊張でカチコチになっているのが彼女の後ろ姿から、相当の強張りが見え隠れしていることに気づいた。

どうにか中央へ辿り着く寸前で歩き方の齟齬に気付き、エミリアの手足が常人同様の形態に収まりつつ前へ――賢人会の視線を受ける、広間中央へ進み出た。

エミリアのことが心配なのか落ち着きを見せないスバルを、ストレンジが冷めた目で見る中、

 

「心配はいらないよ、スバル」

 

「人の心を読むなよ。掌の上か俺は」

 

ちらりと横目を向けたラインハルトが声をかけていた。ひそやかな声でスバルの不安に言及する彼は、前に出るエミリアの背を顎で示し、

 

「スバルは王城でエミリア様がどんな評価を受けているか知らないようだからね。――少なくとも、君が心配しているような侮られ方はしていない」

 

「そうは言っても……」

 

右手と右足が同時に出ていたのがどうも気になるのか、口上を噛み舌も噛む、赤面してしゃがみ込むという連鎖を想像しているようで、スバルはラインハルトの声にも少しの安心を見せていない。

一方のストレンジは、思い上がるスバルが国の重鎮の集まるこの場で、全員からの軽蔑と蔑視を浴びて醜態をさらす可能性が少しでもある以上、いつでも彼を止めることができるようにスリング・リングを密かに指に通す。

 

が、スバルの不安は斜め方向解釈によって杞憂となった。

 

「見たか、今の手足が同時に出る歩法を……」

 

「エルフ族に伝わる特別な呪法かなにかの先触れじゃないのか」

 

「魔貌だな。なぜか目を離すことができない……」

 

並ぶ近衛騎士たちから聞こえる恐れ入るような声に乗せられたその内容は、げんなりとするものでエミリアのことをよく知らないストレンジから見ても誇大妄想も甚だしい内容だった。特に三番目のアホな発言には、思わず彼も溜息を漏らしたほどだ。

何はともあれ、カチコチに固くなった動作ひとつとっても、変な解釈をされているような立場――馬鹿にしているのでなく大真面目に吹聴されているのだとすれば、この国において彼女が決して友好的に迎え入れられていない状況であるのは確かだった。

 

エミリアが中央に到達すると、自然とそんなざわめきの数々も静まり返る。残ったのは進み出たエミリアの他、靴音を高く鳴らしながら隣へと向かうひとりの長身――ロズワールの足音のみ。その藍色の髪の長身がエミリアの隣に立つと、場の準備は整えられた。

立ち並ぶ二人を見やり、議事進行役のマーコスが重い顔つきのまま顎を引く。それから彼は視線でスバルやストレンジたちの方――特に先ほど頭の悪い風説を口にしていた輩の方を睨みつけ、背筋を正させてから、

 

「では、エミリア様。そしてロズワール・L・メイザース卿。お願いいたします」

 

「はーぁいはい。いーやぁ、こーぅして騎士勢が介添え人として続いたあとだと、私の場違い感がすごくて困りものだーぁよね?」

 

普段通りの道化師じみた軽々しい調子のロズワールが応じ、エミリアに「ねぇ?」と振り返る。それに対して彼女は一切の反応を返さない。道化を演じているとはいえ、国政を司る重要な場所での彼の空気の読めなさは相変わらずであったが、そのことに関しての負感情は即座に置き去りにされた。

それはーー

 

「お初にお目にかかります、賢人会の皆様。私の名前はエミリア。家名はありません。ただのエミリアとお呼びください」

 

凛とした銀鈴のごとき声音が広間中の鼓膜を揺らし、その名を全員の胸に刻み込む。声に震えはなく、前を見る眼差しにも揺らぎがない。

先ほどまでの緊張した様子は消え、賢人会を目前に己の名を紡いだエミリアの姿は、これまでの候補者と比較しても劣るところがない。

 

何より口上を述べるエミリアの姿には、人間である他の候補者には決して持つことが叶わない、現実離れした魔貌ともいうべき魅力が備わっていた。その魔貌はストレンジのいた世界にも敵う女性はいないだろう。ただ一人、ストレンジが心から愛した女性を除いては。

 

「そして、エミリア様の推薦人は不肖の身ながらロズワール・L・メイザース辺境伯が務めさせていただいております。賢人会の皆様方にはお時間を頂き、ありがたく」

 

「ふぅむ。近衛騎士でなく、推薦者は宮廷魔術師のあなたになりますか。そのあたりの経緯をお聞かせ願えますかな」

 

ヒゲに触れながらおっとりと話の流れを提示し、それからマイクロトフの瞳が剣の鋭さを帯びて細まる。彼はその眼差しで静かにエミリアを射抜き、

 

「候補者であるエミリア様。彼女の素姓も含めて、お願いします」

 

「承りました」

 

腰を折るロズワールは伸ばした手でエミリアを示し、彼女の首肯を受けると朗々とした声で彼女との出会いを語り始める。

純粋すぎるエミリアが、何の根拠もなしにロズワールに付いていくとは思えない。加えて引っ込み思案な彼女が王選に出る意思を持ったということは、何かが彼女に強い衝撃をもたらしたからこそだ。

そしてロズワールから彼女に関する内容が語られていく。

 

「まずは皆様もご周知のことと思いますが、エミリア様の出自の方からご説明させていただくとしましょーぉか。見目麗しい銀色の髪、透き通るような白い肌、見るものの心を捉える紫紺の瞳に、一度聞けば夢にまで忘れることのできない銀鈴の声音。魔貌の数々はご存知の通り、エミリア様がエルフの血を引くことの証明です」

 

ロズワールの言葉を受けて、広間の幾人もが息を呑んだのが伝わってくる。エルフ――エミリアの扱いからして周知されていただろう事実であり、こと王選において隠し通すことなど不可能なレベルの他者との差異だ。

アナスタシアの場合は、ルグニカ国籍でない人物が選挙に立候補しているというある種単純な問題だが、エルフ族と人間族の間に横たわる溝は果たしてそれと比較できない深いものであるのだろう。

 

「エルフ族の血を引く娘……」

 

「人知を越えた魔貌、そして常世離れした雰囲気、間違いないでしょうな」

 

「エルフ族を王座になど言語道断だ。それこそ、アナスタシア様の例とは比較にもならん。おまけにただエルフであるというだけならともかく」

 

賢人会の老人たちが顔を見合わせ、声をひそめながらも批判的な内容を口にする。特に禿頭に大きな傷を持つ老人――彼の人物の態度は強固なものだ。

 

「半分は人間の血――つまり、ハーフエルフということであろう?」

 

額に青筋を浮かべてそう吐き捨て、老人は乱暴に手を振ってみせる。ぞんざいにエミリアを遠ざける仕草であり事実彼は、

 

「見ているだけでも胸が悪い。銀色の髪の半魔など、玉座の間に迎え入れることすら恐れ多いと何故気付かない」

 

「ボルドー殿、口が過ぎますな」

 

「マイクロトフ殿こそおわかりか? 銀色の半魔はかの『嫉妬の魔女』の語り継がれる容姿そのものではないか!」

 

たしなめるマイクロトフにすら声を荒げ、ボルドーと呼ばれた老人は立ち上がる。それから彼はつかつか階段を下ると中央、エミリアの前へと歩み寄り、

 

「かつて世界の半分を飲み干し、全ての生き物を絶望の混沌へ追いやった破滅。それを知らぬとは言わせぬぞ」

 

「――――」

 

「そなたの見た目と素姓だけで、震え上がるものがどれほどいると思う。そんな存在をあろうことか王座にだと? 他国にも国民にも、乱心したと言われるのが関の山だ。ましてやここは親竜王国ルグニカ――魔女の眠る国であるぞ!」

 

両手を広げて足を踏み鳴らし、荒々しい口調と態度でがなるボルドー。その態度にエミリアはいまだ無反応。だが、代わりにスバルの方が限界を迎えそうだ。

 

「おい。まさかとは思うが、この大衆の面前でバカな真似を晒すつもりじゃないだろうな。ああは言っているが、彼らは賢人会のお偉い方だぞ。変な真似をして迷惑をかける気か?」

 

「うるせぇんだよ、クソ医者が。あれが難癖以外のなんだっつーんだ。昔に本人が直接なんかやらかしたってんならまだしも、見た目が似てるだけであの扱いだぞ? ならハゲ頭のジジイは全員あんなんか? 俺の知ってるハゲジジイはもうちょいマシだ」

 

「本筋を見失うな、ナツキ・スバル。それは正統化されない考えだ。冷静に物事を見ろ、今お前が置かれている状況を」

 

単純な考えで激情のままに怒鳴り込んでしまいそうなスバルを、ストレンジが押し止める。だが、スバルの方の怒りはそれで収まるはずもない。

鼻息も荒く、視線で射殺せればとばかりにボルドーとストレンジの横顔を睨みつける。と、その敵意満々の視線に件の老人が気付き、もめる二人を見やると、

 

「介添え人の列が騒がしいと思えば、魔術師ドクター・ストレンジはクルシュ様の付き人。となれば、あの黒髪の少年は……」

 

「ボルドー様、もうよーぉろしいですか?」

 

ボルドーの目が剣呑な光を帯び、こちらに対してなにかを働きかけようとする寸前、その判断に水を差したのはロズワールだ。

彼は普段通りのとぼけた態度のままで進み出て、ボルドーの視線を正面に受ける。高齢のわりには頑健な体つきの老人は、背丈が長身のロズワールとほとんど変わらない。互いに至近で視線を交換し合いながら、老人はロズワールのオッドアイを見据え、

 

「言葉を尽くしたか、という意味ならばまだまだ言い足りんほどだ。卿の行いはそれほどのものだぞ。わかっているのか、筆頭宮廷魔術師よ」

 

「わーぁかっていますとも。私のしている暴挙の意味も、賢人会の皆様の意見を代表してくださったボルドー様の計らいも、そしてエミリア様を見ることとなるであろう国民たちの感情の問題もねーぇ」

 

威圧するようなボルドーの物言いをさらりと受け止めたロズワールは指を立てると、

 

「しーかーぁしーぃ、お忘れではないですか。ボルドー様が問題にしている部分はこと王選に関してはなんの意味も持たないことを」

 

「……どういう意味だ?」

 

「奇しくも、最初にプリシラ様が仰っていたじゃーぁないですか。形だけでも五人の候補者が揃えば王選が始まる、と。王選が始まりさえすれば、あとは竜歴石の条文に従って粛々と進めるのみ。そーじゃあーぁりませんか」

 

ロズワールは身を乗り出してボルドーの視線から逃れると、その話の水を壇上の賢人会へ向ける。それを受け、マイクロトフは細めた片目をつむり、

 

「ふぅむ、つまり御身はこう言うわけですかな。エミリア様は竜殊に選ばれた存在であるという一点が重要であり、実際に王位に就く資格があるかは問題ではない、と」

 

「そーぉのとおりです。私は一刻も早く、王選を始めて終わらせて、国を元の正常な状態に戻したい。そうでなきゃ、私が道楽を楽しむ余裕も持てませんからね」

 

後見人であろうに、あっさりとエミリアの王位に就く可能性を切り捨ててみせるロズワール。その発言には先ほどの暴言を越えた衝撃があり、スバルは怒りを覚えるよりもまず先に呆然とするしかない。

あれほどまでにエミリアが王を目指して努力しているのを知っていながら、その後援者たる男がなにを口にするのかと。

 

唖然と言葉を作ることもできないスバルを置き去りに、ロズワールは立てた指を楽しげに振りながらさらに続ける。

 

「当て馬、というのも言い方が悪いですが、ひとつそーぉんな感じで考えてみてはいかがでしょう。エミリア様の容姿は、えーぇそれはそれは特徴的ですとも。彼女を見て『嫉妬の魔女』を連想しない人間はそうそういないでしょう。そーぉれはつまり、我々からすればわかりやすいことこの上ない盤上の駒となり得る」

 

「五人の候補者からなる王選を、実質的に四人の争いにしようということか」

 

「選択肢が少なくなる方が分裂する可能性は減ると思いませんか? ましてや王不在によって揺れる国政、他国からの内政干渉の可能性すら危ぶまれる。それなーぁらば、危険を減らす方策をこちらで練るべきでは?」

 

ロズワールの提案に思案顔のボルドー。他の賢人会の老人たちも、「それならば」と口にする姿はその提案に少なからず乗り気になっている。

エミリアを他の候補者の当て馬として抜擢し、王選を実質的な出来レースにしてまとめてしまおうという魂胆。

 

メリットとデメリットを比較して、どちらに天秤が傾くと判断したのか。

もっとも強固に反対の姿勢を貫いていたボルドーが、その強面に理解の色を浮かべながら頷くと、

 

「わかった、いいだろう。先の反対は取り下げる。卿の推薦通りにことを――」

 

 

 

 

 

「ふざけてんじゃねぇ――!!」

 

怒声が広間に響き渡り、反響するそれを皮切りにしんと室内が静まり返る。

静寂が落ちた室内にゆいいつ残った音は、怒声を放った少年の荒い息遣いのみ。

 

全員からの注視を受けながら、少年――スバルは怒りに顔を赤くして、悪巧みの同意に達しようとしたロズワールとボルドーの二人を睨みつける。

 

荒く息を吐きながら壇上を睨みつけるスバルだが、ふと彼の背中を何者かが思いっきり叩いた。

 

「痛っ!何だよ!」

 

スバルが振り返った先には、彼を真っ直ぐ見据えたストレンジの姿があった。彼のマントは僅かに靡いており、スバルの背中を叩いた張本人は彼なのは間違いないと、彼はストレンジを睨んだ。

 

「ああ。どうやら私の相棒がお前の醜い醜態に堪えかねて思わず叩いてしまったようだな」

 

「何しやがんだよ!お前はアイツらの意見と同じだって言いてえのか!?」

 

「相変わらずお前の脳は、直列回路のように単純だな。短絡的で退廃的なハリウッド映画を観ているようだ。見ていて笑えてくるよ」

 

何処かスバルを小馬鹿にしたように小さく笑みを浮かべたストレンジは、一転して険しい表情でスバルを睨み返した。

 

「私は、お前のその振る舞いこそ問題だと思うがな。自分の立場を分かっていないのか?騎士でも正規の介添え人でもないお前が、単なる気分屋の気紛れでここに立っていられることを。

お前は、お前自身の馬鹿げた言動によって、あそこに立つ衛兵に追い払われていてもおかしくはないんだぞ」

 

ストレンジが指さした方向に顔を向けたスバルの目には、矛を構えて扉の前に立つ衛兵の姿が映った。確かに現在のスバルの地位は、プリシラに気紛れによってたまたま会場に入れた実に危うい立場だ。その気になれば、簡単に追い払われてしまうだろう。

何より、壇上に立つロズワールの目がそれを象徴している。

 

「スバルくん、場が見えていないのかな? 今は君のような立場の人間が口を挟んでいい場面じゃーぁない。謝罪して、退室したまえ」

 

「俺の意見は伝えたぞ、ふざけんな!そんで続く言葉はこうだ。謝るのはお前らの方だってな」

 

「まだ続ける気なのか?自分の立場を更に危うくして何が楽しいのか、さっぱり理解ができないな。一体、何がしたいんだ?」

 

「うるせえ。部外者は黙ってろよ。ーー俺の立場は今、言った通りだ!曲げるつもりなんてない!」

 

「ますます驚きだ。――命がいらないだなんて」

 

黄色の瞳を閉じて、代わりに青だけの瞳でロズワールがスバルを射抜く。

普段の飄々とした雰囲気がその佇まいから抜け、代わりに彼を取り巻くのは見るものに戦慄を抱かせる圧倒的なまでの鬼気。ロズワールの周囲の大気が歪んでいるように錯覚するそれは、おそらくは彼の持つマナの膨大さが原因だった。

 

「まとまりかけたところにこの無礼だ。もう一度だけ、這いつくばって許しを乞うならば機会を与えよう。どーかな、ナツキ・スバル」

 

膨れ上がる剣呑な敵意の奔流を受け、スバルの膝が盛大に笑い、指先に震えが伝染し、歯の根がカチカチと音を立てて震えている。

彼は心胆から震え上がるような感覚を覚え、この場で卒倒しそうにすらなる。

――だが、

 

「い、言ったぜ、俺は。謝るのは俺じゃなくて、お前らの方だってな!」

 

声が震えていたし、上擦ってもいた。

だがしかし、それでもスバルは下を向くことだけはしなかった。

 

(あれだけ強大な力を目の前にして、身体が震えあがろうとも、精神だけは頑強に屈せず対峙している。ナツキ・スバル、お前はーー)

 

ストレンジは感じていた。ロズワールの強大な魔力を浴びようとも、決してへたり込む事なく立ち続ける彼の奥深くには、折れない芯が存在していることを。

頑固で頭が硬くバカであってもこれだけはあった。愛する人(エミリア)がこの場にいる。そして今、彼女の願いは虐げられようとしていた。それを目前にしていて、折れることなどできようはずがない。

 

力がない。意思も弱い。だが、意地だけがあった。出どころの知れないわけのわからない力だけがスバルを突き動かし、踏みしめる二本の足の膝を屈するような真似だけはさせない。

そんなスバルの力のない、ただひたすらに我を通すだけの意地を前にロズワールはそのオッドアイをかすかに細めて、

 

「いーぃだろう。力なくばなにも通すことができない。その意味を、身を持って知ってみるといい。来世ではそれを活かせることを願うとも」

 

最後通牒が告げられた瞬間、溢れ出ていた力の奔流が形となって具現化する。

生まれたのは広間全体を煌々と照らす極光をまとう火球だ。掲げたロズワールの掌の上に生まれた炎の塊は人の頭ほどの大きさだが、小規模の太陽を生じさせたようなその高熱は離れた位置に立つスバルの肌すらも軽く炙る。

その火球を目の前にして身体が動かないスバルを無視して、ストレンジはロズワールに問いかけた。

 

「メイザース辺境伯。この場でその魔力の使えばここにいるバカな少年が炭になるが、それを分かって火遊びする気か?」

 

「そうですとーぉも。彼は自らその運命を選びましたからねぇ、力なくば何もできないことをこの私が直接、彼に叩き込んであげましょーう」

 

「……それは彼を殺すということか?」

 

「ーー彼の本望ならば」

 

明白なまでの害意の具現、臨戦態勢に入ったロズワールを前にボルドーを始め、比較的近くに立っていた候補者たちが身構える。ボルドーは厳つい顔を怒りに歪め、候補者たちはそれぞれの騎士の背中側へ。

 

「悪いが、私の目が届く範囲で危なっかしい火遊びはやめてもらいたいところだな。私の後ろで、膝を震わせているどうしようもない少年でも命は価値あるものだ。それを無下に奪うというのは、私には看過できない。これでも私はドクターだからな」

 

「ほぉ。他陣営である貴方が敵陣営、しかも歪み合う少年を助けるとはねーえ。一体、どういう風の吹き回しかぁーな」

 

「命に善も悪もない。価値をつけられるとしたら、そいつは最早次元を超越した観察者(ウォッチャー)のようなものだろうな。

私は、人生で火を灯し続けさせることを責務として来た。今日とて、それは揺るがない」

 

ロズワールを対峙した彼は両拳を強く握ると、盾状のエルドリッチ・ライトを展開させた。橙色の光を鮮やかに輝かせ、騎士や文官たちにとっては見たことのない複雑な紋様が浮かび上がった円状の盾を、ストレンジはまっすぐロズワールに向ける。

 

「おお……かのカルステン家の切り札と評される魔術師が使う魔術、初めて見るが何とも不思議なものだ」

 

「どの属性にも一致しない魔法……実に興味深い」

 

「おまけにあのマナの量、ロズワール殿と対して変わらないのではないか?」

 

文官や騎士団は数歩離れた場所から、初めて見るストレンジの魔術に興味を惹かれ、食い入るように見つめている。その視線を鬱陶しく感じつつも、ストレンジはロズワールに集中した。

 

そして、ただひとり騎士を侍らせていないエミリアは、

 

「えっと……待って、ロズワール。それじゃ話が……いえ、そうじゃなくて……」

 

困惑と焦燥の二つで紫紺の瞳を揺らめかせ、対峙するロズワールとストレンジの二人を交互に見やることしかできない。

ロズワールを見る目には困惑が、そしてストレンジを見つめる彼女の瞳には驚愕が。

 

「おいおい……まさかここで魔法戦争をおっぱじめようって気じゃねえだろうな……」

 

エミリアを守ろうとするスバルは、状況を理解できずにただ立ち尽くすことしかできない。

 

「もう一度言おうか、メイザース辺境伯。その物騒な火を収めて、冷静に物事を見よう。そして、()()()()()()()()()()()()()()。貴族のお前なら簡単なことだろ?ーーそれとも、ピエロには難しいかな?」

 

「其方がその気なら、私も容赦はしーないともぉ。火のマナ最上級の火力を見せてあげよう。――アルゴーア!」

 

酷薄に言い捨てて、ロズワールの掌がストレンジの方へと向けられる。それは掌中にあった火球を投じる動きであり、火球はゆっくりとしかし確実にストレンジの身を焼き尽くさんと迫りくる。

それを眼前に、不本意ながらストレンジに庇われるように立つスバルは、とっさに体を横に飛ばして回避行動をとろうと思考。だが、肝心の体はスバルのその思考にちっともついてこない。足が震えているからか、恐怖で体が竦んでいるからか。

 

否、どちらも否。

意思が下半身に伝わっていないのではない。意思が加速しすぎて、その伝達速度に体がついてきていない。

意識が現実を置き去りにし、眼球を動かすことすら叶わない。

 

故にスバルの視界に残っているのは、眼前に迫る火球と、それを魔術で受け止めるストレンジの他には、目の端でこちらに向かって手を伸ばしているエミリアの姿のみ。

その表情に確かな焦燥があるのを見て、スバルは場違いな安堵感を得ていた。

 

自らの命が脅かされている状況で、それを好意を寄せる少女が危ぶんで見ていてくれている。――その事実に安堵を得てしまうことがどれほど異常なのか、今のスバルには意識する時間すら与えられない。

 

 

 

 

 

 

『力がなければなにも通すことができない。なるほど、いい言葉だね。ああ、まったくもってその通りだと、ボクも肯定するところだよ』

 

スバルにとってその声は聞き慣れたものであり、ストレンジにとっては初となる妙な寒気を感じさせる声。

 

火球と魔術の盾が衝突する瞬間、目前に迫る赤熱の死を前にスバルは瞬きすら忘れた。それ故にスバルの目は目の前で起きた出来事を余すところなく見届けていた。

 

火球は衝突の瞬間、魔術で作られた盾を焼き尽くさんとその四肢をこちらの体を包み込むように伸ばした。刹那、先んじて盾と火球の間を覆うように青白い輝きが展開、それは人体を一瞬で蒸発させるような熱量に対し、真っ向から火力を競い――結果、白い蒸気だけを残して相殺せしめてみせたのだ。

 

そのあり得ない人外の技量、その行いをあっさりとやってのけた存在はスバルの正面、目線の高さの宙を漂い、

 

『ニンゲン風情がボクの娘を目の前に、言いたい放題してくれたものだ』

 

腕を組み、桃色の鼻を小さく鳴らして――灰色の体毛の小猫が、その黒目がちの瞳をかつてないほど冷たい感情で凍らせて言い放った。

 




スバルとストレンジをようやく絡ませることができました〜。

この場面でストレンジとスバルが歪み合うというのは、前から考案していたんですが、どんな風に関わらせるのかについて、かなり悩みまして。

正直に言うと、まだ絡みとしては浅いかなっと思ったりしています。でも、この回はあくまでエミリアの所信表明なので、メインはエミリアとしストレンジとスバルの絡みっていうものはこれくらいがちょうど良いかなと考えてみました。


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二十九話 傲慢たる宣言

ドクター・ストレンジ最新作が延期されたとのニュースを聞いて、少し動揺してます。まさかの2ヶ月延期になってしまい、ドクターの活躍を見れる機会が後ろ倒しになってしまいました泣

スパイダーマン・ノーウェイホームをひとまず待ちたいと思います(はぁ………)


突然のその存在の出現に、広間中の全ての人間が言葉を失っていた。

宙に浮き、周囲を睥睨するのはエミリアが連れている精霊パックである。ストレンジが初めて対面するその生物は猫のような、小動物のような見た目で普段ならばその姿は愛嬌あるものだ。しかし、今の姿はそれとは極度にかけ離れた様子で、その見た目からは想像できないほどの威圧感を漂わせている。

そんな中、火球を沈めるほどの冷気を放った精霊に興味を持ったストレンジは、パックに話しかけた。

 

「やあ、そこの宙を舞う生き物!お前はエミリアの忠実なペットか何かか?内気な彼女とは正反対な元気で物騒な猫だな」

 

『なるほど……その狂ったようなマナの量、魔法に高い適性を持ったその体。ボクをリアのペットと形容したのは君が初めてだよ、ドクター・ストレンジ。キミのような得体の知れない魔術を使う魔術師は、この国には一人もいない。面白かったから、密かに観察させてもらっていたよ』

 

「私の名前を知っているとはな。精霊にまで名を知らしめたこと、実に光栄なことだ。ついでに言わせてもらうが、その狂ったオーラを沈めてもらいたいもんだね」

 

『ボクと対峙してもその傲慢さを貫き通せる、やっぱり面白いニンゲンだよ、キミは。この場にいるニンゲン風情の中では一番特色がある』

 

愉快にくつくつと笑うパックと、傲慢な態度を崩さないストレンジの会話に驚くスバルとは別に、初めて彼の姿を目にする人々の間にも動揺が広がっているのがわかった。

彼らが問題としているのは、スバルの驚きとはまったく違う部分にあった。

それは――、

 

「ロズワール辺境伯の魔法を真っ向から相殺しただと……?」

 

「それもあの短時間で、無詠唱に近い状況で?」

 

「それ以前に、あの凝縮されたマナはいったい……可視できるものは真っ直ぐに見てはならん! 呑まれるぞ!」

 

近衛騎士のひとりが警戒を呼び掛け、ふらつく同僚の肩を支える。同様の反応は文官たちの中にも数名が見られ、そのいずれもが宙を浮遊するパックを恐怖するような目で見つめている。

 

「――は? え? なに?」

 

そんな彼らの反応がスバルには理解できなかった。見た目は普通な灰色の小猫であり、確かに普段の彼が知るそれとは、雰囲気こそ違う気はするが、騎士たちが揃って最大級の警戒心を燃やすようなことはない。現にストレンジは平然と話しているではないか。

ジッと見つめていたところで、彼らが口にしているような体調不良が起こる要素など欠片も見出すことができずに、困惑を隠せないスバル。そんなスバルの戸惑いを余所に、パックは彼を知るものからすれば信じられないほど尊大に「ふん」と吐き捨て、

 

『それにしてもわかっていないようだね、ロズワール・L・メイザース。以前にボクが君に対して譲歩してみせたのは、あくまでボクの娘がそれを望んだからだ。それさえなければこの国ごと、ボクは永久凍土の底に沈めてしまってもかまわなかったというのに』

 

言いながら、パックの周囲をふいに風が巻き始める。それは肌に痛みを与えるほどの冷気を伴う風であり、パックの周囲だけを取り巻いていたそれは次第に広間全体へ広がり、列席する全ての人間にその冷気を存分に浴びせかける。

と、そこにストレンジが待ったをかけるように動き出した。

手首に紋様を浮かび上がらせ、伸ばした左手の上で、まるで空気の流れを作るかのように右手を数度回すと、その両掌を前にいるパックに向けて突き出した。すると、彼の手首の紋様から橙色の波動が発せられ、空気に靡かせながら高速でパックに到達するとパックの冷気を瞬時に打ち消した。

 

『ほぉ……ボクの魔法を打ち消すとはね。キミは本当にニンゲンかい?』

 

「悪いが、私は生まれながらの地球人だ。超人血清を打った超人兵士(スーパー・ソルジャー)でも、神の王国の王子でもない。魔術と医療に才を与えられた、ただの人間さ」

 

『普通のニンゲンだったら、そいつらみたいに怖気付くか、へたり込むかのどっちかだ。こうしてボクと相対して、正気を保つどころか喧嘩腰で挑んできたのは、キミとロズワールくらいなものさ』

 

「歩んできた場数が違うからな。私はお前より強い敵と戦ったことがあるが、お前のそれは彼らより低い。お陰で楽に話せる。それに……

ーーおっと、どうやら私の他にも口を開きたい奴がいるらしい。賢人会の面々がご所望だ」

 

「――お気を鎮めてくださいませんか、大精霊様」

 

ストレンジが促すと同時に、壇上から事態の原因であるパックに向かって、しわがれた声が放たれる。

声の主はマイクロトフ。賢人会の面々にも少なからず動揺が広がる中、中央の席でひとりだけ姿勢を変えずに構える彼は理知的な輝きを瞳に灯し、

 

「これほどの力に、保有する濃密なマナ。さぞや名のある大精霊様とお見受けいたしますが」

 

『なんだ。少しは礼儀のわかる若造もいるじゃないか』

 

「ふぅむ。この歳で若造扱いされるなど、貴重な体験ですな」

 

片眉を持ち上げるような仕草のパックに、マイクロトフは小さく笑って応じる。そんな老人の態度に満足したのか、パックは尊大な態度を崩さぬまま頷き、

 

『ボクがどんな存在なのかについては、残念ながらボクより君たちの方が詳しいんじゃないかな。ボクはただ、長い時間を存在してきただけの精霊に過ぎない。そのボクをなんと呼んでいたのかは、そちらの勝手だ』

 

「なるほど。道理ですな」

 

パックの答えにマイクロトフがヒゲを撫でながら頷き、それから老人は沈黙を守っていたロズワールの方へと視線を向ける。その視線を受け、自らの魔法を無効化されて以来、口を閉ざしていたロズワールが肩をすくめて、

 

「先のエミリア様との出会いの話にさかのぼります。私が彼女と出会ったのは、ルグニカの王都よりはるか東――エリオール大森林。通称「氷の森」でした」

 

「エリオール大森林……!」

 

「あの氷に封じられし森の出身とは!」

 

「あの死の森が生き物を育んでいたとは驚きだ」

 

「左様。あそこに入れば死あるのみ。そこの出身など、御伽噺のようだよ」

 

ロズワールが口にした地名に、複数名の驚きの声が上がる。その驚きがまさに想定通りだったとばかりにロズワールは頷いてみせ、

 

「そーぅ、エリオール大森林。約百余年前に突如として氷に覆われ、出るものも入るものも拒んだとされる氷結の結界。そして、侵食する永久凍土」

 

「確か凍てつく風が周囲を時間をかけて凍らせてゆき、その凍土とした範囲を年々拡大しているという曰くつきの地のはずでしたな」

 

「凍りついた大地、植物、大気、生き物――それはつーぅまり、白い終焉ですよ。なにもかもが永遠に誘われ、そーぉのまま永久の眠りより戻ってはこれない」

 

手を叩き、ロズワールは開いた手でエミリアを、パックを示し、

 

「その氷の森の奥地で、ひっそりと暮らしていたのが彼の二人というわーぁけです」

 

「つまりエリオール大森林の永久凍土は……」

 

『ボクの仕業というわけだね。もっとも、ボクはただ住みよいようにしていただけなんだけど』

 

驚嘆を隠せないマイクロトフに対し、パックは悪びれない様子でそう答える。イマイチ件の土地に縁のないスバルはついていけていない。

完全に、スバルの暴言があった事実など、すでにどこへなりと置き去りにされている勢いだ。

 

そのパックの答えにマイクロトフは難しい顔で小さくうなり、

 

「ふぅむ。エリオール大森林をあの状態にするほどの力――その強大さは、お伽噺に残るいずれの精霊と比較しても引けをとりませんな」

 

『それだけ恐ろしい、でしょ?』

 

賞賛に近い言葉を投げかけながらも、その内心はどうあったのか。そのあたりを先読みして言葉にしてみせたパックにマイクロトフは瞑目。

それから彼は納得の感情をその細めた瞳に宿しながらロズワールを見下ろし、

 

「ふぅむ、なるほど。おおよそ理解が及びました。そのエリオール大森林の奥地で暮らしていたお二人と接触したのは、どういった理由ですかな?」

 

「調査の一環、ですねぇ。エリオール大森林は私の領地にもほど近い場所でしたから、数年以内に凍土化の影響を受けかねない。そうなる前に事前調査を」

 

二度ほど失敗しましたが、とロズワールは指を二本立てて己の失態に苦笑。それからきりりと表情を引き締め直し、

 

「三度目の挑戦で森を抜けて、そこでお二人に出会いました。最初は問答無用に攻撃されまして……いーぃやぁ、焦りました焦りました」

 

『森を抜けてきた人間は久々だったからね。少しばかり、歓迎が激しくなりすぎたかもしれない』

 

過去の戦いを、互いに気安い様子でそのときを振り返るが、広間の全員がそれを笑えない。先程の魔法戦を児戯と笑い飛ばしてしまえるような戦闘が、その際に二人の間で交わされたということに他ならないからだ。

 

「森の地形が変わりかける歓迎にはゾッとしましたが、私がそれ以上にゾッとしたのはそのあとのことでした。私に向かって容赦なく襲いかかってきた超越者たる精霊が、たったひとりの少女の言葉を聞き届けて矛を収めたからです」

 

さらりと地形が変わりかけた、などとストレンジにとっても聞き捨てならないことを言い放ち、ロズワールは神妙な顔つきでエミリアの方を手で指し示す。

依然、沈黙を守り続ける彼女はわずかに顔を俯かせ、ロズワールの言葉を聞いているのかいないのか、紫紺の瞳の輝きは茫としており掴みどころがない。

 

その態度にかすかな違和感を覚えるスバルだったが、それを追及する時間は当然用意されていない。ロズワールの言葉を引き継ぐようにパックが身を回し、

 

『契約者たる可愛い娘の嘆願だ。なにを置いても聞き届けるとも。逆を言えば、ボクはボクの意思以外にはリアにしか従わない』

 

言い切り、それからパックは『だから』と言葉を継いで広間を見渡す。その黒い瞳の視線を受けて射竦められたように身を縮める人々の中、パックの視線は最後にボルドーの方へ固定される。にやり、とそんな擬音が似合いそうな笑みをパックが作り、

 

『不愉快な君たちがこの場で氷漬けにならないことをリアに感謝するといい。さっきからこの子がボクを引き止めていなければ、ここは今頃氷像の間だ』

 

「そうなれば、私が止めるがな」

 

淡々と紡がれる言葉は底冷えするような冷気を伴い、広間の全員の心胆に冷たいものを差し込んでいく。ストレンジは余裕の表情を見せているが、それは彼も規格外の強さを持っている故。

彼の言葉が決して虚実でないことは、すでにロズワールやストレンジとの攻防で証明されている。この場の全員が一体の精霊に命を握られている事実――誰かが息を呑む音がやけに大きく聞こえる。

そんな中だったからこそ、

 

「――ほっほっほ」

 

と、小さく声を漏らして笑うマイクロトフの姿はあまりに場違いであった。

笑う彼にパックは静かな目を向け、その冷気を伴う視線を老体に集中させる。が、マイクロトフはそれを真っ向から見つめ返し、

 

「なるほど、心胆が縮み上がる思いですな。――あのロズワールにしては、面白い趣向を凝らしたものだと言っておきましょう」

 

絶対零度の視線を受けながらも、マイクロトフの余裕の態度は崩れない。その上で意味のわからない発言、だがそれを聞いたロズワールの表情がにわかに変わる。

先ほどまでの真剣な表情から一転、普段のとぼけた様子を取り戻した顔つきで、

 

「ありゃーぁ、ばーぁれちゃいました?」

 

「それなりによくできた台本だったと評しますな。大精霊様の演技には言葉もありませんが、御身が調子に乗りすぎたことと、ドクター・ストレンジ殿の介入によって台本通りに演じられていた、とは思えませんが」

 

困惑する周囲を置き去りに、マイクロトフの評価にロズワールが額を叩く。そんな二人のやり取りを見ながら、浮遊するパックは持ち上げた長い尾を手でいじりながら、

 

『ほら見なよ、ロズワール。やっぱりやりすぎは良くないって言ったろう? ボクはともかく、君の場合は普段のキャラがみんなに知れ渡ってるんだから、演技するにしてももっとうまくやらなきゃ。まあ、ドクター・ストレンジがこの場にいる時点でやめた方が良かったかもだけど』

 

「耳が痛いいたーぁいですよ。そーぉれなりに自信あったのに傷付いちゃうなーぁ、もう」

 

頬を膨らませて不満を表現するロズワール。それをパックが吐息で流し、マイクロトフも疲れたように瞑目して無言の対応。

それら三者だけが納得する姿勢に待ったをかけたのは、最後にパックにひやりとした視線を浴びせられた禿頭の老人――ボルドー。彼はその強面にわかりやすい困惑を皺で刻みながら、

 

「ま、待たれよ、マイクロトフ殿。いったい、なんの話をしておられる?」

 

「ふぅむ、一言でまとめるなら簡単な話――今こそが、エミリア様陣営の演説の形というわけですよ。それまでの候補者の方々とは趣が大きく異なりましたが」

 

マイクロトフが片目をつむってロズワールに同意を求めると、ロズワールも両手を降参するように掲げて「えーぇ」と語尾を伸ばして認める。

その答えにとっさにボルドーは合点に至れない様子だったが、傍で聞いていたスバルは答えに辿り着いた。

 

「宮廷筆頭魔術師であるメイザース辺境伯、その彼と対等以上に渡り合える力を持ち、私と肩を並べるほどの魔法を操る精霊。それを従える王候補という図式を見せつけ、エミリアにそれなり以上の力量があることを全員に見せつけた。――筋書きを整理すると、こんなところか」

 

一から十まで懇切丁寧に説明してみせるストレンジの言葉に、ようやくといった形で広間に納得の感情が広がる。そうして今までのやり取りがある種の演技であると全員が納得したところで、続いてわき上がるのはロズワールの姦計に対する賞賛――ではなく、その人心を弄ぶような行為に対する怒気めいた感情が多かった。

 

「今のが演技……演技だと!? なれば此度の一幕は全て仕組まれた茶番か! ロズワール、貴様、この場をなんだと心得ている!?」

 

とりわけ激情に顔を赤くするのは、この場でもっとも恥をかかされた立場に近いボルドー。老人は額に青筋を浮かべつつも顔を真っ赤にし、明らかに心臓に負荷をかけながら唾を飛ばしそうな勢いでロズワールに詰め寄る。

が、その勢いをせき止めたのは、ボルドーの顔のすぐ目の前に出現したパック。ボルドーは眼前に毛玉が現れ、それが先の冷気の根源だと気付くとすぐさま口を閉ざし、なにを言うべきか言いあぐねるように無音のまま口を開閉させる。

 

パックはそんなボルドーの反応を見下ろしながら、小気味よく笑って、

 

『うんうん、怒るのは当然だ。謝るよ、謝罪するさ。許してね、ごめんね、ボクが悪かったよ。――でも、さっき言ったことは全部本当だよ』

 

謝罪を口にしながらも、付け加える一言でボルドーの心臓を高鳴らせるパック。小猫は浮遊の高度を高めながらくるくると横に回り、

 

『あの大森林はボクの庭だし、同じ魔術師でもロズワールじゃボクの相手には荷が重いのも本当だ。ボクがこうしてなにもしないでただ存在するのはリアのお願いのおかげだし、リアの悪口を言う君たちになにもしないのもあの子の優しさのおかげだ』

 

ゆっくりと言い含めるように言葉を作り、それから最後にパックは愛らしく微笑み、『誤解しないでほしい』と前置きして、

 

『――今、君たちが凍りついていないのはエミリアの温情だ。それを忘れないでね』

 

言い残し、パックの姿がふいに輪郭を失い、光の粒子となって消失する。

緑の光を帯びた粒子はきらめきながら宙を漂い、それはゆっくりとエミリアの方へ。そのまま彼女の懐へと向かい、刹那のあとには視界から消え去っていた。

エミリアの懐の中にあるパックの依り代――緑色の結晶石へと戻っていったのだろう。

 

パックが戻った途端、かすかにエミリアの頭が揺れ、それから彼女の視界に光が戻ってくる。彼女は幾度か瞬きし、周囲を確かめるように視線だけを回遊させ、

 

「ロズワール、状況は?」

 

「概ねは良好です。本音を言えば、大精霊様で最後まで引っ張るのが理想でしたが……さーぁすがにマイクロトフ様とドクター殿を最後まで欺くのは難しかったようで」

 

ロズワールの答えを受けて、エミリアは「そう」と小さく応じるのみ。そのまま広間を見渡す彼女の視線が、ちょうど背後に立つ形だったスバルを捉えた。

アメジストの輝きはスバルを見つめ、そこに感情を生み出して儚げに揺れる。とっさにスバルは言葉を作りかけたが、なにを言うべきかわからないままその輝きに魅入られ、結果として会話を交わす機会を逸してしまった。

 

置き去りのスバル。そのままエミリアは前に出て賢人会に向き直ると、

 

「まずは欺くような行為をした非礼を謝罪します、賢人会の皆様」

 

「いえいえ、見抜けなんだはこちらの落ち度。少しばかり、老骨が蛮勇を振るって大精霊様の温情に与っただけのことです。それに事は王選に関わる……使える手立てを全て用いて、己を訴えかけねばなりませんからな」

 

腰を折るエミリアの謝罪に対し、マイクロトフが器の大きさを示して頷く。その答えにエミリアは幾許か安堵したように唇をゆるめたが、そこに水を刺すのは先ほどから面白くない目にばかり遭っているボルドーだ。

 

「使える手立て……? その果てが今の脅迫とあっては、さすがの半魔としか言いようがないがな」

 

「脅迫とは人聞きの悪い。持ち得る力量の程を見せただーぁけの話ですが?」

 

「それが示威行為以外のなんだと言える? 先の精霊の言葉を聞いたはずだ。精霊は『意に沿わないのならば氷漬けにする』、そう言ったのだ。国の重鎮が集まるこの場でその発言――国を寄越せ、とする簒奪者の脅迫とどう違うというのだ」

 

たしなめるロズワールの言い返し、ボルドーは息も荒く邪推を口にする。が、ボルドーの言には一理あり、それはロズワールでも否定し切ることはできない。

力を見せつける、という目的を果たすことはできたものの、それは武力をひとつのカードとして用いることができる、と他者に知らしめた結果に他ならない。

 

無力である、無害である、と判断されるよりもよほど、王選のスタートラインに立とうとするエミリアにとって不利な起点になりかねない情報だ。

 

そんな不利な状況に対し、エミリアは壇上に戻ったボルドーを見上げて口を開き、

 

「――そう、私はあなたたちを脅迫しています」

 

はっきりと、向けられた邪推を真っ向から逆に肯定してみせた。息を呑み、二の句を継げなくなるボルドー。そんな老人を見上げたまま、エミリアはその眼差しの輝きを欠片も揺らがせることなく、

 

「改めて、栄誉ある賢人会の皆様に名乗ります。私の名前はエミリア。エリオール大森林の永久凍土の世界で長き時を過ごし、火のマナを司る大精霊パックを従える、銀色の髪のハーフエルフ。私を見て、森近くの集落の人々はこう呼びます」

 

凛とした声音で歌うようにエミリアは言葉を紡ぐ。

聞き入る聴衆の前で、ひとり舞台に立つ彼女は一度言葉を切り、それから数秒だけ瞑目してなにかを断ち切るように、

 

「凍てつく森に生きる、「氷結の魔女」と」

 

魔女、その単語が出た瞬間に広間の空気がさっと変わる。誰もが彼女の風貌にそれを意識していながら、しかしあえて追及するまいとしていた世界最悪の災厄、その特徴そのままの姿。

 

誰も彼女に答えることができない。威勢のいいことを口にするだけのボルドーはもちろん、他の賢人会の老人も同様だ。ただひとり、その胆力の作り方からして違うと言わざるを得ないマイクロトフを除いては。

 

「力を示し、要求を告げる。まさしく魔女の在り様ですな。――では、その氷結の魔女殿は我々になにを脅迫なさるおつもりですかな」

 

「私の要求はたったひとつだけ。――ただ、公平であること」

 

「……公平、ですか」

 

質問に静かに応じるエミリアに、マイクロトフは口の中でその要求を繰り返す。エミリアは「そう」とその呟きに首肯で理解を示し、

 

「ハーフエルフであることも、自分の見た目が忌まわしい魔女と同じ特徴を持っていることも、全ては変えられない。それが理由で誰しもに偏見の目で見られることも同じ。でも、それで可能性の目を全て摘み取られるのは断固として拒否します」

 

「つまりエミリア様。御身はこの王選に対し、一候補者として対等に扱えと、そうお望みになるわけですか」

 

「公平であることは、私の生涯においてひどく貴重なこと。この場でそれ以上を求めることは、私が尊く思う公平さに対する侮辱に他ならない」

 

彼女の人生の中で、ボルドーのように謂れのない罵声を浴びせられることも、ハーフエルフであるという一点だけで迫害されたことも、彼女の過去を鑑みればあったことだろう。

故に、彼女はただひたすらに、公平な目で扱われることをこの場で望む。

 

振り返る。銀色の髪がその動きに伴って流れ、広間に青ざめた月の色のきらめきが走る。誰もがその輝きに魅せられる中、エミリアは声を大きくして、

 

「だから私があなたたちに求めることはたったひとつ、公平に扱ってもらうこと。契約した精霊を盾に、王座を奪い取ろうだなんて公平さを欠く行いは絶対にしない」

 

 

精霊という強大な力を背景に王座を奪う、そんな選択肢は端から消し、あえて己の意図したところにとっては不利になるかもしれない状況を望んでいる。

なぜなら、

 

「私は、他の候補者に比べても足りないところばかりの未熟な存在です。知らないことばかりだし、学ばなければいけないことは山のようにある。それでも、目指すべき頂がわかっているから、努力を欠かそうとは思わない」

 

果たして彼女の言質を受け、その存在を慕う一人の少年はどう思うか。

 

「私の努力が王座に見合うかはわかりません。でも、そうあれるようにと努力し続ける気持ちは本物です。その思いだけは、他の候補者にだって負けたりしない」

 

だから、と彼女は言葉を継ぎ、壇上のボルドーを真っ直ぐに見上げて、

 

「公平な目で、私を見てください。家名のない、ただのエミリアを。「氷結の魔女」でもなければ、銀の髪のハーフエルフでもない。私を、見てください」

 

最後の呟きは懇願のような響きを伴っていた。

しかし、そこに込められた意思の強さは、気持ちの強さは決して揺るがない。

 

他の候補者に当たり前に与えられたそれを、エミリアは自分にも求めている。

同じスタート地点に立つことを、そこから走り出す機会を与えられることを。

 

しばし、沈黙が広間を包み込んでいた。

言葉を生み出すことができないのではない。エミリアの問いかけに対し、答えが出るのを全員が身を固くして待っているのだ。

やがて、全員からの注視を受けていたボルドーが長い長い吐息をこぼし、

 

「私の意見は決して変わらん。彼の「嫉妬の魔女」を思わせる、そなたの外見が国民に悪影響を及ぼすのは間違いない。王選に関して、不利な立場にあることは依然同じだ」

 

低い声で、これまでのエミリアの主張に真っ向から異を唱える。その答えにエミリアの紫紺の瞳がかすかに陰りを帯びる。

 

「だが、人心にまで干渉することは何者にも許されない領域だ。故に、そなたがどう思われるかをどうにかしてやることはできない。それでも、先ほどの私の非礼は詫びよう。――否、非礼を謝罪いたします、エミリア様」

 

席を立ち、その場に膝を折って、敬意を示す最敬礼をとって見せるボルドー。

その行いに驚きが拡散する。その中で彼は顔を上げ、

 

「あなたは意に沿わぬ私を氷漬けにすることができた。にも関わらず、それをなさらずに公平さを求めた。――それは、尊い行いにほかならない」

 

穏やかな顔つきでそう語る彼の表情は理知的な姿は賢人会とされる国の重鎮そのもの。

エミリアの表情から陰りが失われ、自然と認められた喜びが表情を明るくする。唇が弧を描き、花が咲いたような微笑が生まれる。

 

「いずれにせよ、真の意味での公平さを求めることは難しい。苦難の道が続くことはわかりきっている。それでもなお、王位を望まれるのか」

 

「平坦な道のりじゃないことなんて、最初のときからわかってる。それでも、私は必ず王座に座る。そうしなきゃいけない理由が、あるから」

 

覚悟を問うボルドーの言葉に、エミリアはもはや迷いのない声で応じた。

その答えを聞いてボルドーは満足げに頷くと席に戻り、視線を向けてくるマイクロトフに全てを預けるとばかりに掌を差し向けた。それを受け、マイクロトフは長いヒゲを梳きながらうんうんと頷き、

 

「少々、波乱含みとなりましたが、もう十分といえるでしょう。エミリア様もロズワール辺境伯も、語り残したことはありませんな」

 

「はい」

 

「わーぁたしの場合は本当はまだまだ喋り足りないんだけど、この場合……」

 

「では、ありがとうございました。ドクター・ストレンジ殿もお戻りいただいて結構ですとも」

 

「そうさせてもらうとしよう」

 

短く答えたエミリア。一方でまだくっちゃべっていたロズワールの言葉を、絶妙なタイミングでマーコスが遮って強制終了。

不満げに唇を尖らせる長身の背をエミリアが軽く叩き、二人も候補者の列へと身を戻そうとする。ストレンジも彼らに続いて壇上に背を向ける。

だがしかし、

 

「して、そちらの御仁はどういった立場になるのですかな?」

 

列に戻ろうとエミリアたちが踏み出そうとした瞬間、その問いかけはマイクロトフの口から発せられていた。

老人は眉を片方持ち上げ、意地悪げな輝きを瞳に宿して、視線を前に出てしまった挙句に所在のないスバルに向けていた。

 

「うぇげっ」

 

彼は、マイクロトフの問いかけに思わずそんな呻き声が漏らしてしまう。

なにせ、彼は激情に駆られて前に飛び出したにも関わらず、その後のやり取りについていくこともできず、舞台上でおろおろしていただけの観客役だったのだ。

 

できればそのまま空気と一緒に流されて視界から消える展開が望みだったにも関わらず、まんまと老人の好奇心によって再びスポットライトを浴びた。

 

「このまま、ロズワール辺境伯の思惑通りに進むのも癪ですからな」

 

こっそりと呟いたつもりなのだろうが、なぜかスバルにははっきりマイクロトフがそうこぼすのが聞こえた。

先程の芝居の仕返しが、巡り巡ってスバルにきたのだ。

 

「あ、えっと、その、この子はその、私の……」

 

振り返り、こちらの前に回り込んだエミリアが賢人の視界からスバルを隠すように身振り手振りをしてみせる。

あたふたと、先ほどまでの凛とした態度はどこへいったやら、そこには王候補のエミリアではなく、年相応のエミリアという少女が戻っていた。

 

そのことになんとも言葉にし難い安堵感を得てしまい、スバルの頬が空気の読めないタイミングでゆるむ。そして、そんなときに限ってエミリアもスバルの顔を横目にしていたりなんかして、

 

「違うんです。ええっと、この人はですね……ちょっと、なんでにやにやしてるの。そんな場合じゃないでしょ、しゃんといい子にしてて」

 

「しゃんとしててって、きょうび聞かねぇな……」

 

スバルをたしなめるエミリアの言葉尻を拾うと、エミリアが不満そうな目をこちらに向けてくる。そんな責めるような視線すら魅力的で、スバルは小さく笑みをこぼすと彼女の肩に触れて、

 

「いいよ、エミリアたん。――俺も言い訳はしねぇ」

 

「言い訳とか、そんな場面じゃ……スバル、なにする気? ねえ、ちょっと」

 

呼びかける声を背後に、スバルはずんずんと前へ踏み出す。そして、これまで候補者たちが立ってきた場所に堂々と踏み込み、壇上に立つ賢人会の視線を一身に浴びながら、歯を噛んで気合いを入れて顔を上げた。

 

「はじめまして、賢人会の皆々様、ご機嫌麗しゅう。この度は、大変なご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳なく思い候!」

 

腰を落とし、右手を背中へ、左手を掌を上にして前へ出し、古式的な礼法に則る。

誰からの注意も入らないのをしばし沈黙を作って確認し、それからスバルはファーストコンタクトの成立を確信すると、そのまま流れるような動きで手足を動かす。

 

足のスタンスを広げ、腰の角度を傾け、左手は傾けた腰に、右手は高く天井を指差すようにして華麗にポーズを決め、

 

「俺の名前はナツキ・スバル! ロズワール邸の下男にして、こちらにおわす王候補――エミリア様の一の騎士!」

 

叫び、それから掲げていた右手を下ろして指を鳴らし、歯を光らせてウィンクを決めながら、

 

「どうぞ、お見知りおきを」

 

己の立ち位置をはっきりとさせるために、場違いなスバルの参戦が始まる。

空気は先ほどのパックの出現のときを越えて、急速に冷え込んでいくのを感じながら。それと共に、エミリアは側にいる「至高の魔術師」が冷めた目でスバルを見ているに気付く。目に怒気をも孕む彼の姿は、波乱の幕開けを予感させるものだった。

 




先日、東京にて行われている「庵野秀明展」に行ってきまして、庵野さんの様々な参考資料を見させていただきました。
自分は『エヴァンゲリオン』ファンなので、エヴァエリアを重点的に見ていましたが、本当によく作り込まれていて二次創作物を作るのに参考になる資料がとても多かったです。

10月後半からは埼玉でマーベル展も開かれて、ドクター・ストレンジに関する資料も登場すると予告されているので、早く行ってドクターに関する理解を更に深めたいと思います笑


本編ですが、何やら最後に不穏な空気を残してましたね。スバルの騎士宣言を怒気を孕んで見つめるドクター・ストレンジ。彼は一体、何を思うか。


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三十話 自称騎士ナツキ・スバル


皆様、お待たせしました。最新話投稿です。

マーベル最新映画『エターナルズ』見てきました。(ネタバレ注意)

マッカリ、ドルイグ……お前ら、最高かよ……
ドルイグは普通に裏切りそうなキャラだったから、途中で裏切ると思ってたけど、まさかあんなに人類のことを……。


渾身の決め顔をするスバルは笑顔のまま静まり返った広間の中を見渡すと、硬直したままスバルはその蛮行を断行する。

一度やり始めたからには自分から折れることができない彼の性格が災いしたのだが、

 

「え?ち、ちょっとぉぉぉー!!」

 

「あ!スバル!?」

 

突如、橙色に光るポータルが足元に開いたかと思えば、あっという間に吸い込まれ、上下左右が曖昧になる摩訶不思議な異空間を落下し続ける。身体の自由が効かないまま宇宙空間や万華鏡のような領域を落ち続け、新たなポータルに吸い込まれると、候補者たちが控えるすぐ後ろに吐き出されるように落とされるスバル。どうにか両足で着地できたものの、叩きつけられた際のジンジンと響く鋭い痛みで、苦鳴を上げずにはいられないスバル。

今まで経験してきた中でも酷い痛みに遭ったスバルは怒りで痛みを忘れ、涙目のまま飛ぶように振り返って、

 

「なにすんだぁコラァ!俺がエミリアたんの一の騎士な上にロズワールの世話になってる身でラインハルトのマブだって知っての狼藉かぁ!」

 

憤怒の限りに唾を飛ばすスバル。その口走った内容の他力本願ぶりに呆れた者もいたが、彼にとっては決意表明に水を差されたことへの怒りを感じていたこともセットになったことで、より苛烈さを増さずにはいられなかった。

 

そして、そんなスバルの意気込みに水を差した本人は、

 

「お前を異空間に放り込んだのは私だ。騎士を名乗る人物にしては、あまりに笑えない冗談だったからな。つい手が出てしまった」

 

「またお前かよぉ……何てことすんだ、いてぇ……」

 

スバルに悪びれすることなく、ストレンジは平然と受け流す。一方で、自身を王城、ましてはエミリアという愛する人の前で落とされたスバルは恥ずかしさと引かない痛みが合わさったことでぐちゃぐちゃした感情を整理することができない。

 

「まず言っておこう。論理が滅茶苦茶な話を聞かされて、黙ってられる者がいるのか?誰もが止めに入るはずだ。現にお前の想い人は、手が出かかっていたようだがな」

 

ストレンジが指し示す先にスバルが視線を向ければ、そこには正にスバルを止めるべく握り拳を作ったエミリアの姿があった。まさか自分が指されるとは思ってなかった彼女は、思わず動揺してしまう。

 

「ちょっとドクター!?ち、違うの!今のはその、とにかく大人しくさせなきゃと思ったら思わず……」

 

「……否定になってないぞ、エミリア。正直者故に隠し事は苦手なのかもしれないが、誤魔化すならもっと上手くやらないとな」

 

「そう……分かったわ。次からもっとうまーく誤魔化してみせるから!」

 

何やら頓珍漢なことを言ってしまい、ストレンジを呆れさせてしまうエミリアだったが、すぐに視線をストレンジからスバルに戻した彼女は、物凄い剣幕でスバルの下へ駆け寄り、

 

「エミリアたん!君は俺のことを心配してくれてーー」

 

「いいから、すぐに謝って! 私も一緒に謝ってあげるから」

 

「へ?あ、ちょっとエミリアたん!君は俺のオカンなの!?」

 

母性本能をくすぐられたのか、完全に保護者目線で相対するエミリアに複雑な目線を向けつつも、キッパリとスバルはみっともない真似はできまい、と断固拒否。

 

国家の重鎮が集まる場で、相変わらずのやり取りを交わす二人。そんな二人を見て、たいていの観客はぽかんと口を開けて唖然とした様子を隠せていない。その反面、

 

「やらかした――!!」

 

「あっはっはっは! 見よ、アル! 馬鹿じゃ、馬鹿がおるぞ!」

 

最も傲岸不遜な主従がスバルを指差し、ひとりは頭を抱えて、もうひとりは腹を抱えて大爆笑し、

 

「ふむ。対象を異空間に放り込む魔術か。やはりドクターは相当にできるな」

 

「やだ、クルシュ様ってば目の付けどころがスゴイ益荒男……!」

 

片や性格で男女逆転している主従も、ひとりはストレンジの資質を賞賛し、もうひとりはそれそっちのけで主の思考に身悶えている。

 

「あー、やっぱあの兄さん、かなり頭いっちゃってんな、わかってたけど」

 

「やっぱりそうか。スバル、君がエミリア様の……」

 

いまだ主従としての形を為していない二人も、片方はかなり失礼な発言でスバルの行動を端的に表し、もう片方はなぜか理解を瞳に宿して納得した顔をする。

 

「なんや、ひとりだけ変な格好の子が紛れ込んでる思てたけど、あの魔女っ子のツレだったんやね。……って、ユリウスどしたん?」

 

「いいえ、少々――ええ、気になることがありまして」

 

特徴的な喋りの主の言葉に応じ、意味ありげに静かに瞑目するユリウス。彼はそのまま黙り込み、ただ沈黙を選びながら時を待っている。

 

候補者たちがそれぞれに、場の空気を動揺せずに受け止めており、全員がそれなりに常人とは違った神経の持ち主であることは誰の目からも窺い知ることができる。

結果的ではあるが、候補者とそれ以外の人材との間の精神性の違いを際立たせる結果を生んだ、スバルとエミリアの口論。

もちろんそれに気づかない二人はその間も口論を続け、

 

「そうやっていっつもいっつもスバルはわからない言葉で誤魔化して。私がちょっと世間知らずだからって、そんないつも騙されてあげないんだから」

 

「騙すとか超人聞き悪いよ! 俺の心はいつでもトゥルーまっしぐらで、君のルートの一直線にトゥギャザーしてるのに!」

 

「ンン!……夫婦漫才はそこまでにしてもらえるか?」

 

腕を組んでそっぽを向くエミリアに、食い下がるように地団太を踏むスバル。その二人の舌戦が一時停滞したのを見るや、ストレンジが呼びかけた。

 

「君たちがこの場でギャーギャー騒ぐのも結構だが、恥知らずな言動を繰り返す君たち、特に王候補でもあるエミリア、君は馬鹿な真似を続けると王としての器が無いと判断されてしまうぞ」

 

ストレンジは無言のままに仕草で広間全体を見渡すようなジェスチャーを行い、

 

「ぁぅ」

 

「うえあ」

 

そこまでしてようやく、二人は広間の空気がかなり混沌の状態に陥っているのに気付いた。空気が読めなかったときの空気に敏感なスバルにとって、今の状況は慣れ親しんだ苦境であるが、一方で顔を蒼白にするエミリアの動転はそれどころでは済まない。

 

色白の肌からさらに血の気を失わせた彼女はすぐ壇上を振り仰ぎ、振り向く途中でスバルの耳を引っ掴んで同じ方向を向かせながら、

 

「大変お騒がせして、申し訳ありませんでした!」

 

「いだだだっ! 痛い! 耳取れる! 取る、取るとき、取れば、取れるとき、取れよう、取れれれれ――ッ!!」

 

耳を引っ張ったままエミリアが頭を下げるものだから、その方向に引かれてスバルもまた頭を下げる形になってしまう。

短期間で二度も半泣き状態にされるスバルだが、なんとかもがいて彼女のその束縛から逃れ、痛む患部を高速でさすりながら、

 

「危ないって、耳は鍛えられない急所のひとつなんだからもっと丁寧に扱ってくんなきゃ、取れてからじゃ遅いんだぜ!?」

 

「この状況になるってことは今までのお話が聞こえてなかったってことでしょ? 役に立ってないぐらいなら、取れちゃった方がずっといいくらいじゃない」

 

「てんぱってるからって辛辣だな! 言っとくけど、目と耳と鼻と喉と、各種感覚機能に関してはダブルA判定もらえる自信あるよ!」

 

スバルの主張をいつもの戯言と判断したのか、エミリアはそれ以上の追及をせずに賢人会への謝罪を続行する。

 

彼女は一度目をつむり、それから真剣な顔を作り直して老人たちを見上げると、

 

「とにかく、さっきの発言は忘れてください。この子……彼は私の知己で、ロズワール辺境伯の従者ではありますけど、さっき言ったような……」

 

「待った待った待った! なかったことにされるのは困るって話だってば!」

 

エミリアがどうにかまとめようとした話に、再度スバルが割り込んで止める。彼女はそろそろ本気で余裕のない眼差しをスバルに向けて睨む――というにはやはり懇願の感情が強すぎて、見つめるといった方が正しい視線を向け、

 

「お願いだから静かにしてて。バツが悪くて引っ込みがつかないのはわかってるから、それならせめて今は大人しく……」

 

「思ってもねぇこと口走って自棄になってるわけじゃねぇし、そもそもこんな場面で心にもない戯言ほざけるほど度胸座ってねぇよ!」

 

先ほどの宣言の一切を信じてくれないエミリアに、スバルも声を大にして言い募る。さしものエミリアでさえ、そのスバルの態度に頑なな姿勢でい続けることはできない。

押し黙るエミリアの姿に会話の中断を見たのか、それまで沈黙を守り続けていた壇上――即ち、マイクロトフが小さく咳払いすると、

 

「そちらの御仁の意思は固いように思えますな。ふぅむ、ロズワール辺境伯の見解はどうなっておりますかな」

 

今の二人のやり取りにヒゲを整えながら、ロズワールへと矛先を向ける。向けられたロズワールは「そーぅですねえ」と胡散臭げに笑みながら、

 

「王候補の皆様にはそれぞれ、信を置く騎士がついていらっしゃる。その中、エミリア様にだーぁけそう言った立場の人間がいーぃないことは気になっていました。私がその立場にあるのは、すこーぉしばかり座りが悪い話ですからねぇ」

 

「だろだろでしょでしょ」

 

「ロズワール!」

 

もったいぶった言い回しをするロズワールの言葉に、スバルは拳を固めて「MOTTOMOTTO!」と応援、代わりにエミリアは叱責の声を飛ばす。

それを聞きながらロズワールは「たーぁだーぁし」と前置きし、

 

「それはべーぇつに誰でもかまわないってーぇお話じゃありません。騎士を、それもいずれは王になられるかもしれない方の一の騎士を名乗るのであーぁれば、相応のものを示してもらわなきゃなりません」

 

「そうそうそうでしょう」

 

「ロズワール!」

 

今度はエミリアがロズワールの意見に同意を示し、不平を名前呼びに乗せてスバルが口から吐き出す。

そんな両極端な反応を小気味いいとばかりに笑顔で見届け、ロズワールは賢人会のお歴々を振り仰ぐと、

 

「一の騎士としての資格――主への忠誠心、あるいは主君の身を守るだけの力。王となるべく邁進する主の道を切り開くなにか、そーぅいったものがなければーー」

 

「ハハハ!珍しく良い発言だな、メイザース辺境伯。だとしたら、そこの頑固で意地っ張りの少年には厳しいものがあると言わざるを得ないだろう。少なくとも、そこの少年は王候補の騎士として相応しくない」

 

朗々と語っていたロズワールの言葉に割り込むストレンジの声。最初こそ、笑い飛ばしていたものの、すぐに表情を厳しいものに変えると彼は、騎士を名乗るスバルへその目を向ける。

 

「一つ聞いておきたい。お前のそれは忠誠か?それとも我儘で傲慢な君の過信か?」

 

「……どういうことだよ?」

 

「簡単な話だ。お前のような傲慢な、否、弱者が王候補者の騎士が務まるのか、ということだ。まして、その相手は王選において最も苦しい立場にいる人物。力のない驕りだけが取り柄のお前に果たして務まるのか?」

 

「……テメェ、さっきから言わせておけば!」

 

ストレンジに対する恨みや怒りが少しずつとはいえ、溜まっていたスバル。塵も積もれば山となる、という諺があるように、感情を爆発寸前まで溜めていた彼に対して、ストレンジが発した言葉は導火線にマッチを近づけるような危険な行為に他ならない。

 

「そんな事ない、とでも言いたいか?しかし、強い力も保有せず、魔術の知識も皆無、剣の振るい方さえままならず、唯一の魔法攻撃も未だ自分のものにできていない。そんな輩に騎士が務まると考えている方が、狂っているとも」

 

「そんなことーー!」

 

「そんなことだと?ならば、お前には彼女を襲う厄災から守り切れる力があるのか?その勇ましいだけの自信だけでは、到底これから訪れる厄介毎に対処できるはずがない。その時に、いつまでもお前にご執心なメイドや、そこのピエロ野郎が助けてくれる訳ではないんだぞ。まさか、自分ではどうしようもなくなった時は他力本願に頼ろうとしているのか?例えば、そこにいるチート騎士とか」

 

ストレンジはスバルの反論を遮るように矢継ぎに説き続ける。

まるで長たらしい校長の説教のようにも聞こえるそれは、見たこともないはずのスバルの経験をなぞっているかのような内容で、盗品蔵での一件やウルガルム討伐で慢心だっていたスバルの心に刺さっていく。

 

「一般人が他力本願になるのは悪いことではない。私の国でも、宇宙人やらロボット軍団が侵攻した時に、非力な人間はアベンジャーズや政府を頼るものだ。自分たちを守ってほしいからな。しかし、騎士というのは守る側の人間、つまりは()()()()の人間だ。彼らは常に死と隣り合わせの戦場で活動している。お前に彼らに並ぶ勇気はあるのか?」

 

「勇気ならとっくにあるぜ!俺はエミリアのためだったら、なんでもやれるからな!」

 

「悪いが、お前のそれは勇気ではない。かといって、騎士が主人に対して捧げる忠誠心でもない。只々、一緒にいたいという我儘、軽い思いだ。偶そして、認めてほしいあまりに彼女に着いて回るそれは忠義でもなく、執着だ。敢えて言わせてもらえば、気持ち悪いと言える」

 

 

 

 

 

「ーー果たして、今のお前は彼女の命を預けられる存在となっているのか?」

 

いつの間にかスバルの首元に突きつけられている光り輝く剣。ストレンジの魔術によって形成された剣に対して、スバルは動くことは愚か、反応することすら出来ず、冷や汗をかくのが精一杯だ。彼の突然の行動に場内の幾らか声にならない悲鳴が上がったことを聞いたストレンジは、周囲を見渡すと、一呼吸吐いて剣の柄を離し、剣を消した。

 

「――それだけではありませんよ、ドクター殿」

 

場内が二人の緊張に震撼する中、対峙するストレンジとスバルの間に別の声が割り込んだ。二人の瞳が向かう先に立つのは紫髪の青年ーーユリウスだ。

 

先程のスバルとエミリアのやり取り、そしてストレンジとスバルのやり取りをただひとりだけ思案げに目を伏せていた彼は前に踏み出し、優雅に一礼してみせてから、

 

「話の途中で失礼します。ですが、どうしてもそちらの彼に聞かなくてはならないことができてしまいました」

 

彼、とユリウスが掌を向けるのは誰であろう、スバルだ。指名された側であるスバルはその横槍に顔をしかめる……ようなことはなく、ストレンジにこっ酷く攻撃されたため、ユリウスの優美な仕草を迎え撃つ気力は湧かなかった。それでも彼を睨み返す視線だけは、決して緩める事はない。もとより、ユリウスに対してスバルは良い印象を抱いていなかった。王選の場においてもその印象が好転する事態には巡り合っておらず、有体に言えば嫌いな相手なのである。

 

気障ったらしいありがちな嫌味な貴族――そんな印象を拭えない相手であるところのユリウスは、そんなスバルの表情の悪変化すらそよ風のように受け止め、

 

「そんなに警戒しないでもらいたいものだね。私はドクター殿とは違い、一つだけ聞きたいことがあるだけだ。それが済めば君は君の為すべきところを為すといい」

 

口にした内容はスバルの心情を慮っているかのようであったが、それを語る彼の表情は酷く真剣味を帯びており、自然とスバルの表情も引き締まる。

 

「ドクター殿に指摘される前、君は道化じみた芝居をしていたが、この場には不釣り合いだよ。君が真実、エミリア様の騎士を自称するのであればね」

 

「……そら、どういう意味で?」

 

「言葉通りの意味で、だよ」

 

片目をつむり、ユリウスはスバルの体を上から下まで眺めている。何をジロジロ見ているんだ、という思いはあるものの、それを指摘する気は今の彼にはない。

 

「悪いが察しのいい方じゃねぇんだ。故郷の方じゃエアリード検定はE判定食らってる有様なんでな。明快に、噛み砕いて、言ってくれ」

 

不貞腐れたような態度でスバルはユリウスに対して応じる。彼はスバルの不作法には触れず、ただスバルの癇に触るような優雅な仕草で己の前髪に触れ、

 

「わかっているのかい。君はたった今、自分が騎士であると表明したんだ。ーー恐れ多くも、ルグニカ王国の近衛騎士団が勢揃いしているこの場でだ」

 

手を広げて、ユリウスは己の背後に立ち並んでいる騎士団を代表してそう語る。

そのユリウスの言葉に、整列していた騎士たちが一斉に姿勢を正し、一糸乱れぬ動きで床を踏み鳴らし、剣を掲げて敬礼を捧げる。

 

思わずその迫力に気圧されて、スバルは身を後ろに傾けながら負け惜しみに、

 

「ち……さっきエミリアたんの歩き方ひとつにビビってた連中とは思えねぇな」

 

「口が過ぎるものだね。騎士が些細な事柄にも気を払うのは、全て守るべきものの尊さと意味を理解しているからだ。君に、それを為す覚悟があるのかな」

 

負け惜しみで騎士たちの尊厳を傷付けかけたスバルだが、絶妙なフォローでユリウスがそれをいい話風に上書きする。

やり込められているような感覚をスバルは覚えるが、それ以上に彼の問いかけは意味深だった。

 

本物の騎士たちの前で、騎士を名乗ったスバル。

近衛騎士たちの尊厳を背後に、ユリウスはそれを背負ってスバルにそう名乗ったことの真意を、覚悟を問うていた。

 

現状、スバルがエミリアの知己として知れ渡ってしまっている以上、彼女の価値を高めるも貶めるも、全てはこのあとの彼自身の行いにかかってくる。

既に、ストレンジとのやり取りで激情が先走って評価に減点が入っている以上、ここからの巻き返しはより慎重にならなくてはならない。

 

エミリアが力を誇示して意見を述べるだなんて似合わない真似までしてこの場を演じ切ってみせたこともある。

その足を、誰であろうスバルが引くわけにはいかない。

ただひたすらに、彼女にとっての最善であり続けたいと願うスバルだけは。

 

覚悟を固めてスバルは咳払いし、両手で頬を叩いて気合いを入れ、威力強すぎてふらつきながらユリウスに向き直る。

 

スバルの言葉を待つユリウスは泰然とした佇まいで、室内で風が吹いていないにも関わらず、乱れようのない髪を整えるように頭に手を添えている。

そんな優美な態度に対抗するように、スバルは小さく跳躍して足のスタンスを前後に開き、両手の指を鳴らして指ピストルを相手に向け、

 

「いいぜ、ピシッとパシッときっちりかっちりお答えするぜ。あ、お待たせしまして大変失礼しました」

 

勢い込んでおいてすぐ失速するスバルにユリウスは一瞬眉を寄せたが、それでスバルのペースに巻き込まれるのを恐れたのか瞑目して首を振り、

 

「いや、かまわない。では、問いと答えの再開といこうか。私が問い、君が応じる。君が騎士として相応しいか、我らの前でそう名乗るだけの資格があるのか」

 

質問は先ほどの焼き直しーー否、背後に控える騎士たちも、待たされた時間の分だけ答えを求める気持ちが高まっている。

増した威圧感に暴風のような錯覚を味わいながら、スバルは渇き始めた唇を舌で湿らせて、

 

「さっきそこに立っているクソ医者にも言われたけど、俺の実力が不足してんのは言われるまでもなく百も承知だ。俺は剣もろくに振れなきゃ、魔法だって手習い以下。財テクがすげぇわけでもねぇし、秘められた謎の力とも無縁。さっきロズワールの挙げた条件にあてはめたら、もう全然足りねぇだろうし、それは俺が一番分かってる」

 

実力不足に色々不足、それらは全て承知の上。

ダダをこねたところで現実が変わるわけではない。悲しいかな、ナツキ・スバルはスティーブン・ストレンジとは違い、凡庸な人間であり、異世界出身である以外はこれといった特徴はなにもない。

これまでの人生で培ってきたあらゆる能力は、エミリアの道筋を照らす光としては何ひとつ役に立たないことはわかり切っていた。

 

その答えを受け、ユリウスは端正な面持ちの中にわずかな当惑を覗かせ、彼が話し始めてから後ろに下がっていたストレンジは、先程とは打って変わって静かに彼の発言に聞き入る。

 

ユリウスの当惑は当然ではあった。満を持してこの場に名乗りを上げておいて、それをやらかした当人が自身の無能を高らかに謳い、明快な挑戦に対してあっさり白旗を上げたと思しき返答を返すのだから。

拍子抜け、あるいは単純な失望こそが彼の双眸に浮かび上がる。

だが、

 

「けど、忠義だの忠誠心だのって話があったな。ああ、確かに俺の実力は全然足りねぇよ、笑っちまうぐらい。でも、それでもだ」

 

振り返ったスバルは、背後に立っているエミリアの姿を見る。

彼を心配げに見つめていた彼女は、その視線を受けてどう思ったのだろうか。ただ唇を引き結び、怒っているような、あるいは泣き出しそうにも見えるような顔つきで、スバルの次なる言葉を無言で待っている。その姿に勇気をもらって、スバルはユリウス、そして彼の後ろに立つストレンジに向き直った。

 

「忠誠心って言葉とは違う気がするけど、俺はエミリアた……エミリア様を、王にしたい。いや、王にする。他の誰でもない、俺の手で」

 

「……それはあまりにも傲慢な答えだと、自分で思わないかい?」

 

スバルの言葉に、ユリウスはまるで夢物語を聞かされたように嘆息し、

 

「実力不足を嘆き、あらゆる面で能力不足である点を自覚している。そしてこの場においても、君は発言権すらそもそも与えられていなかった。その君が、よりにもよって国家の大事の中核に触れようと? ーー思い上がっているんじゃないか?」

 

「いいかい?」とユリウスは指を立て、無言のスバルに言い聞かせるように続ける。

 

「人には生まれながらに分というものがある。器といってもいいかもしれない。人は自らの器を越えて、なにかを得ることはできない。また、求めることをしてはならない。君が軽はずみに口にした、「騎士」という名誉もまたそうだ」

 

ユリウスは自らの腰に備えつけた騎士剣を外すと、鞘の先端を床に打ちつけて音を立てる。固く鋭い音が広間に響き、刹那遅れて同じ音を背後の騎士団もまた打ち鳴らす。重なる打突の音がユリウスの振舞いを援護し、彼は騎士団の協力を得て、

 

「騎士に求められるものは、主君と王国に対する忠誠。そして、自らの尊ぶべきものを守り切るための力。それらは必要不可欠なものだ。どちらも、騎士を名乗る上では決して欠かせまい。だが、私はその他にも大切なものがあると考える」

 

「ーーーー」

 

問いかけるようなユリウスの言葉に、しかしスバルは無言で応じる。

彼もまた、答えなど求めていない。ただ、己の思うところを口にしたいのみだ。事実、彼はスバルがなにを答えるよりも早く首を振り、その先を述べた。

 

「私が思う騎士に欠かせぬものーーそれは、歴史だ」

 

「歴史……?」

 

朗と言葉にされたそれを呟き返したのは、首を傾けたエミリアだ。ユリウスはそのエミリアの疑問の声に「ええ」と恭しく応じ、

 

「私はルグニカ王国に代々仕える伯爵家、ユークリウス家を背負っている身だ。爵位を持つ我らには、国を支え、守り続けてきたという自負がある」

 

腕を振り、その速度で袖の破裂音を立てる彼は背後を示す。彼の動作に後ろに並ぶ騎士たちが誇らしげに顔を上げ、賛同を示すように足を踏み鳴らす。

 

「近衛騎士団には出自の確かでないものは推薦されない。それは血筋にこだわる排他的な思考に因るものではなく、出自の確かさが王国に仕えてきた歴史の重みを語るからだ。積み重ねてきた歴史こそが、我らの騎士たる矜持を支えるからだ」

 

故に、と彼は言葉を継ぎ、

 

「このルグニカで、出自すら確かでない君やアルと名乗った人物を、私は騎士として認めてはいない。ましてや王に仕える一騎士などとはとても」

 

「そんなもん、当人にどうにかできる問題じゃねぇだろ……!」

 

「そうだとも。故に私は言ったはずだよ。人には生まれながらに分があると。それは己の生家すらもそうだ。人は生まれながらに、平等足り得ない」

 

絞り出すようなスバルの声に、いかにも貴族らしい断定でユリウスが応じる。覆せない価値観の溝が二人の間に横たわっており、それを飛び越えて声を届かせるにはあまりにも相手の拒絶が遠すぎた。

 

しかしそれでも、彼はめげない。

 

「俺は、エミリアを王にする」

 

「ーーまだ言うのか。君にその立場は遠く高い。血の重みが足りなければ、プリシラ様に並び立つ彼や、ドクター殿のような力がある訳でもないことを承知の上で言っているのかい?」

 

スバルの呟きを鼻で笑うように、ユリウスは首の動きで漆黒の兜を示す。アルはそれを受けて「オレに振るんじゃねぇよ」と我関せずの態度を貫いていた。

そしてストレンジは変わらず、ユリウスとスバルのやり取りを腕を組んで遠くから見つめている。何か介入するわけでもなく、ただその場で二人の議論の行く末を見守っているように。

関わろうとしない同郷人たちの態度を横目にしつつも、スバルの答えは変わらない。

 

「それでも、俺はエミリアを王にするよ」

 

「君はーー」

 

「騎士の資格がないってんなら、それはそうなんだろうよ。さっきも言った通り、俺は欠けてる部分が多い人間だ。騎士って名誉に値するかどうか以前に、そもそも人としてどうなのよって部分が多いのも自覚してる」

 

足りない自分でも、誰かを思う気持ちだけは本物でありたいと思うもの。騎士として足りない自分、届かなくて弱い己、それでも願いだけは本物だった。

 

「それでも、俺はエミリアの力になりたい。一番の力でありたい。この場に立つのが従者って立場じゃ足りないのはわかってる。この場に立って、顔を上げて、彼女の力になりたいと思うなら、「騎士」でなくちゃならないんだろう。なら」

 

顔を上げて、ユリウスを真っ直ぐに見つめる。

整った顔立ちに勇壮な近衛制服、拵えの立派な騎士剣に堂々たる振舞い。

 

まさしく、物語に描かれる騎士像そのもの。

対するスバルは薄汚れている感さえある使用人服、端正や精悍とは程遠い目つきの悪い人相。気を抜けば背筋は猫背になり、立派な剣どころか竹刀すらも手元にない無手勝流状態。

あまりにも、望むべきところは遠い。だが、

 

「そうでなきゃ話にならないなら、俺は「騎士」をやる」

 

やり方は分からない、なにが足りないのか足りないところが多すぎて判然としない。それでも、望むものは定まっている。

 

「騎士でなきゃ隣に立てないんなら騎士になる。俺の答えはそれで終わりだ」

 

「理解に苦しむな。何故そこまで立とうとする?自分が弱い者だと自覚している上で、それでも死地に飛びこむ、それは狂気だ。なぜ、そこまで彼女に尽くすんだ?」

 

瞑目するユリウスの代わりに、我慢の限界が来たストレンジが、スバルの行動の原点に問いかけてくる。そうまでして、なにを望んでいるのかと。

 

息を呑み、スバルは背後に強い視線の力を感じる。

エミリアが、背後に立っている銀色の髪の少女が、――あの子が見ている。

 

振り返ることはできない。その勇気がない。

ただ少なくとも存在を背中に感じられるから、スバルは躊躇いながらも、

 

「ーー彼女が、特別だからだ」

 

そう答えた。

 

その答えを受けて、ユリウスは小さく同じ言葉を口の中で呟き、ストレンジは僅かに、本当に僅かながら目を見開いた。小さく顎を引くユリウスを他所にストレンジが続きを聞く。

 

「どういう意味か聞かせてもらってもいいか?」

 

「ーーこの場では、言いたくねぇ。まして、お前には……」

 

彼の返事に、本来の相手であるユリウスはそんなスバルの明確でないが故に明確な答えに満足したように、あるいは諦めたように肩をすくめて、

 

「資格のあるなしに関わらず、君がそこに立つ理由は納得させてもらったよ。ならば、私から言うことはもうなにもあるまい。ーーただし」

 

スバルへ背を向けて、ユリウスは候補者たちの並ぶ列へとその身を戻そうとする。が、その過程で一度足を止めて、首だけでこちらに振り返り、

 

「やはり私は、君を「騎士」として認めるわけにはいかないと思うよ」

 

「なにを……」

 

「君が守りたいと、尊ぶべき相手を定めていることは理解した。しかし、君のその考えは……いや、言葉を多くすることは美しくないな」

 

首を振り、ユリウスは食い下がるスバルを憐れむような目で見る。そして、

 

「隣に立ちたいと、そう望む相手に、そんな顔をさせるようなものは「騎士」ではない」

 

言い切った言葉は柔らかだったが、そこに込められた意味はこれまでにないほど苛烈なものであった。スバルは悪寒じみたものすら感じて、背後の様子をおそるおそるうかがう。そこにはエミリアが立っていて、どんな顔をして今の話を聞いていたのかはわからない。

ただ、振り返ることは恐ろしくてできなかった。無言の彼女の態度が、今のスバルの言葉をどんな心境で聞いていたのか、悪い想像ばかりが働く。

 

「き、騎士がどうこう、最優の騎士さんは言ってくれるもんだな」

 

だから、スバルの口から次に出たのは、震えるような負け惜しみでしかない。

それがわかり切っているからだろう。こちらから遠ざかるユリウスの足は止まらない。その足を止めるほど、今のスバルの言葉には価値がない。

そう断ぜられているような気がして、スバルはなおも早口で言い募る。

 

「この場で最優の騎士だなんて持ち上げられちゃいるが、巷じゃ騎士の中の騎士って称号は別の奴のもんになってるぜ。……そんな奴の言葉に、俺がビビるとでもーー」

 

「いつまで他者を侮辱する気だ。

ーー情けない男だ。自分が守りたいはずの彼女を、あのように悲しませるとはな。騎士としては終わっていたが、ここまで性根が腐ってると、怒りを通り越して呆れたぞ。お前の浅はかな行為は、お前の周りの人間まで傷つけることに何故気づかない?」

 

スバルの安易な挑発に、遠ざかるユリウスではなくストレンジが応じる。激昂しているわけではないが、静かに、しかし明確に怒りを孕んだアイスグレーの瞳がスバルを貫いた。

すでにユリウスの姿は候補者の列に戻り、主君であるアナスタシアの隣に収まっていた。その場所に立つことに、彼も主も何ら違和を覚えていない。

その並び立つ姿を真っ向から見て、そして彼らの他にもそうしている二組の候補者たちを見て、スバルは自分の頭から血の気が引くのを痛みすら伴って感じた。

 

「ーー汚れたな、ナツキ・スバル」

 

周囲を見渡すスバルに追い討ちをかけるかの如く、それまでのスバルの言動、行動の全てを総括し、冷たくストレンジが言い放つ。

そのたった一言だけで、スバルは自分で自分の行為を最低にまで落としてしまった事実を悟る。

 

見れば、候補者の列からもスバルに向けられる白けたものを見る目。

そのさらに背後に控える近衛騎士団の列からは、自分たちの代表者たるユリウスに対して無礼な発言を受けたからか、敵意に近い感情を向けるものが多い。

対面に並ぶ文官たちの輪からも、感情論しか述べることができないスバルに対する好意的な色はうかがえず、背後の賢人会に至っては振り返る度胸が今はない。

 

世界中の全てを敵に回してでも、エミリアの味方をする。そんな覚悟が、強さが、少なくともついさっきまでの一瞬はあったはずなのに、今のスバルは体を固くして、その場から身を動かすこともできない。

世界中を敵に回すどころか、広間にいるほんの百にも届かない人数を敵に回しただけで、いとも簡単に決意の炎を揺らめかせてしまうのが今の自分。

 

それがあまりに情けなく、あまりにもみっともなく、スバルは目の奥が熱くなるのを実感する。

それでも、そんな状態でも、周りの全てが敵になってしまうような状況でも、それでもせめて、彼女だけが味方でいてくれたならば。

ーーだが、

 

「もう、いいでしょう。スバル」

 

振り返る決断をスバルが決めるより先に回り込む銀鈴の響き。

肩に触れられて、スバルは自分でも目をそらしたくなるほど震えた事実に驚く。しかし、こちらに手を伸ばすエミリアはそんな情けない醜態には欠片も触れず、

 

「不要なお時間をとらせて申し訳ありません。すぐに下がらせます」

 

スバルの袖を引きながら、そう言ってエミリアが賢人会へ頭を下げる。

不要な時間、とそう割り切られたことが、スバルの心を鋭い刃となって切り刻んだ。しかし、抗弁することなどありはしない。

覚悟も決意もなにもかも、自分自身で踏みにじったことに違いはないのだから。

 

腕を引かれ、抵抗することもできずに入り口の方へ引きずられていくスバル。こちらの腕を引いて前を行くエミリアの顔を、やはりスバルは見ることができない。

ただ、頑ななまでにこちらを見ない彼女の態度から、怒りのような激情すら感じ取ることができないことが、自分の行いの無為さを証明しているようで辛かった。

そんな背中に、

 

「有意義な時間、そう判断できる部分もありましたよ、エミリア様」

 

壇上から、マイクロトフのしわがれた、しかし不思議と通る声が届く。

足を止めない二人にマイクロトフは言葉を続ける。

 

「あなたが世に恐れられる、ハーフエルフとは違うのだと少なくとも彼は示した。ーーよい、従者をお持ちですな」

 

「ーースバルは」

 

足が止まった。エミリアが振り返る。

彼女の視線の先は壇上の賢人会であり、傍らに立つスバルは視界の端にも入っていない。けれど、スバルには振り返った彼女の顔がはっきりと見えた。

 

その顔は、感情の凍えた冷たい目をしていて、ばっさりとなにかを切り捨てるように、銀鈴の声音ではっきりと、

 

「私の、従者なんかじゃありません」

 

はっきりと、先までのスバルの言葉を拒絶してみせたのだった。

 

その直後、スバルの足元に再びあのポータルが出現する。

ほんの数十分前にスバルを異空間に落としたあのポータルだが、失意に沈むスバルはその存在にすら気付かない。

そのままポータルへ吸い込まれるように消えていったスバルは、王城の廊下に一人放り出される。

そして呆然としたまま、その場にへたり込みしばらく動くことはなかった。




スパイダーマンはやはり、来年公開になりましたね……
それまではネタバレに気をつけないと。

さて、本編ではスバルが王城の広間から追放されて、一人ポツンと放り出されたところで終わりました。
ストレンジが何故怒ったのかですが、彼なりの心配もありました。身勝手に考えるスバルの考えが傲慢な彼の癪に触ったのもありますが、自身の命を軽んじている姿勢に危機感も抱いていたからです。周りを見ていないようで、実際はしっかり周りを見ていると言うドクター・ストレンジの性格と繋げて、若い少年に命を軽んじてほしくないと思っていたことも、強く当たった原因の一つです。


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三十一話 代償と意思

スパイダーマン ノーウェイホームの第二弾予告編公開されましたね〜!

取り敢えず見た感想は「ホワァァァォ!?」でした笑

実は第一弾予告編の段階で結構この小説のアイデアに影響与えてます笑
物語の柱軸の参考にさせてもらったり、人物の関係性のモデルにさせてもらってます。
映画の展開によってはこの小説も更に影響を受けるかもしれません。
早く、来年を迎えてスクリーンであの映画を!


ざわめきが王座の間に広がり、押し開かれた大扉の向こうからひとりの老人が姿を現す。手枷のはまった老人を先導するのは、一度外に連れ出された騎士団長であるマーコスであった。

 

スバルの一悶着の後、ひとりの騎士が団長のマーコスを呼びに入ってきたのは数分前のこと。

指示を仰ぎたいと申し出る部下に対し、マーコスは賢人たちの前であるのを理由に難しい顔をしたが、部下の急いた様子を前に断りを入れて退室した。

そして議事の進行を止めて待たせること五分――今の状況が生まれていた。

 

「ふぅむ、そちらの御仁はどなたですかな?」

 

マーコスが引き連れる老人を目にして、壇上のマイクロトフが疑問の声を投げかける。それはこの場にいた全員の気持ちの代弁であり、全員がその人物を連れてきたマーコスの意図を測りかねていた。

そんな困惑雑じりの視線を一身に浴びながら、マーコスは恭しく一礼してみせ、

 

「お騒がせして申し訳ありません。この者、どうも王城への侵入を試みた不逞の輩のようなのですが」

 

「そんな者をどうしてこの場に連れてきた。無関係……いや、場違いであろう」

 

マーコスの説明に不愉快そうな表情を隠さないのは厳つい老人――ボルドーだ。この場にいる他の面々もおおよそは同意見らしく、マーコスの行動の真意が読めずに皆がその表情を曇らせている。

そんな中、マーコスの意図はわからないまでも、周囲の人々とは違う表情、驚きを得ているものが三名いた。

 

ひとりは傲慢な少女だ。

老人の顔に見覚えがあることに気付いた少女は、しかしその老人と己が知己である事実を従者にすら告げず、その場の状況を口の端を酷薄に歪めて見つめている。

 

ひとりは懸命な少女だ。

一度、思い出すのに時間をかけた少女は、その老人の素姓に気付くと素早く視線を別の方向――ひとりの候補者の方へと走らせた。彼女の知る限り、その人物と候補者の間には切っても切れない関係性があったはずだからだ。

城に侵入を試みたと聞いて、彼女はすぐに老人の思惑にその候補者が関係していることに気付いた。その上でどう行動すべきか、迷うように唇を震わせる。

もしもなにか起きたとしても、即座に動き出せるように意識を高めながら。

 

そして、この場にもっとも見合わぬ評価を受けていた少女は。

 

「――ロム爺?」

 

目を見開き、金色の髪を揺らして、少女は驚きに瞳を揺らして老人を見ていた。そこには望外の喜びが、理解不能の驚愕が、様々な感情がない交ぜになり、言葉にできないものが渦巻いているのがうかがえた。

老人の名を呼ぶ彼女の声は口の中だけで呟かれたものだったが、それを耳ざとく聞きつけたものは少なからずいた。

 

「――フェルト様、このご老人とお知り合いですか?」

 

確信を臭わせる口ぶりで切り出したマーコスも、その内のひとりだった。彼の問いかけにフェルトは一度口を閉ざし、それから威勢よく前に出て、

 

「白々しいんだよ、アンタ。それを知ってっから、こんなとこまで連れてきたんだろーが」

 

「……鵜呑みにしたわけではありませんが、こちらの老人があなたの名前を口にしておりましたので。試すような物言いになったことは謝罪いたします」

 

「くだらねーっての。けど、ふざけた真似しやがって」

 

表情を変えないまま頭を下げるマーコスに、フェルトは苛立ちを隠さず吐き捨てる。それから彼女は拘束されているロム爺を見やり、

 

「お互い変なとこで顔合わせちまったな、ロム爺」

 

口の利き方は蓮っ葉なものであったが、そこに込められた親愛の情はその場の全員が感じ取ることができる。これまでこの広間において悪態しかついてこなかった少女が、初めて親しみを込めてそう口にしたのだ。

それを受け、拘束される老人が顔を上げる。二人にとっては長い期間を空けての再会だ。さぞ、そこには万感の思いがあるはずの対面。

だが、

 

「おい、ロム爺、その面はどうした?」

 

殴られ、血の跡のにじむ顔を持ち上げた老人の顔を見て、少女の顔つきがさっと変わる。勝気なつり目がちの瞳を怒りに鋭くし、彼女が睨むのはロム爺の手枷に繋がる鎖を握るマーコスだ。

その怒気の込められた視線を受け、しかしマーコスは表情を変えないまま、

 

「城への侵入を試みた際、制止した兵士ともみ合いになった結果でしょう。部下たちは職務を果たしただけで、非難されるいわれはありませぬ」

 

「はっ、ご立派なことを言ってくださるな、騎士団長様は。アタシの方からなにか言う前に言い訳するってことは、ヤバいって思ってるって証拠じゃねーのか?」

 

「部下が無用な非難を受ける可能性がありましたので、小心なこの身をお笑いください。そして、誹るのであれば自分だけにしていただきたい」

 

役者と場数が違うというべきか、挑発するフェルトにマーコスは揺るがない。その態度にフェルトはそれ以上の口論は無駄だと悟ったのか、ため息ひとつで憤慨を棚上げにすると、

 

「もういい、わかった。とにかく、ロム爺を離せよ。別になにか物を盗んだりとか、誰か殺したりとかしたわけじゃねーんだろ」

 

話はそれからだ、とばかりに手を振り、フェルトはマーコスにそう命令する。

とにかくはロム爺と言葉を交わし、事態の収拾を図りたい。フェルトの言葉にはそんな意図が含まれていた。だが、それに対するマーコスの答えは、

 

「――残念ながら、従いかねます」

 

低く固い声音で、はっきりとその命令を拒否するというものだった。

 

「――あ?」

 

その答えにフェルトの表情がひきつり、その額に青筋が浮かぶ。赤い双眸は驚きと、直後に憤怒の感情に彩られ、震える唇から炎となって噴き出すのも時間の問題だ。

そんな少女の怒気を孕んだ視線にも、マーコスは動じることがない。その頑なな姿勢にフェルトが怒声を張り上げるより先に、騎士団の列に控えていた赤毛の青年が前に足を踏み出し、

 

「団長、それは少々言葉が足りないかと……」

 

「ラインハルト、お前は黙っていろ。剣を捧げると定めた主の意思に反する私に、お前が言いたいことがあるのはわかる。だが、それはお前の主と目した相手が剣を受け取る意思があって初めて成立するものだ」

 

「――――」

 

とりなすようなラインハルトの忠言は、マーコスの言葉によって撃ち落とされる。団長であるマーコスの言い分は正論であり、ラインハルトも無闇な抗弁をすることはできず、ただ黙ってフェルトの様子をうかがうばかりだ。

 

そうして丸め込まれてしまうラインハルトに失望するでもなく、怒りに打ち震えるフェルトの目には今のやり取りは入っていない。

彼女の怒りはただただ一心にマーコスへと向けられており、そこには今の自分とのやり取りだけでなく、この場に連れてこられるまでの紆余曲折の間にあった様々な鬱屈をまとめて煮詰めたような、濃厚な怒りの色があった。

 

「もういっぺん言うぞ、ロム爺を離せ。話はそっからだ」

 

「お断りします」

 

枷を外して噴出しそうな怒りを押さえながら、フェルトは静かに言葉を作る。

が、簡潔に応じるマーコスはその彼女の気概に欠片も気を払っていない。

いよいよ広間全体に不穏の空気が広がり始め、フェルトの方の堪忍袋にも限界が訪れかけていた。

 

「――騎士マーコス、少々不敬がすぎますな」

 

その拮抗した事態に割り込んだのは、やはりこの場でもっとも事態の収拾に長けた権力を持つ人物であり、本日幾度目になるか知れない吐息をこぼす老人。

マイクロトフは王候補者であるフェルトに対して、無礼打ちすら視野に入れねばならないほど強硬な態度をとるマーコスをたしなめ、

 

「城への侵入を試みた人物――その解放は少々、命令として問題のあるものではありますが、拒否するにしてもその物言いは無礼でありましょう。少なくとも、御身にはその不躾な態度の釈明をする義務がありますな」

 

「御意」

 

それまでの頑なな態度が一転、マイクロトフの指示にはあっさり従うマーコス。その変わり身の早さがさらにフェルトの癇癪に一撃加えていたが、そんな彼女の激情は真っ直ぐにマーコスがその瞳を見つめてきたことで勢いを失う。

フェルトの赤い双眸が憤怒の炎にたぎっていたとすれば、マーコスの瞳に広がるのは波ひとつ立たない澄んだ湖面の静謐さだ。

まさしく冷や水を浴びせかけられたような心境のフェルトに、マーコスは「失礼ながら」と前置きした上で、

 

「この王選の議事進行の過程において、フェルト様は自らが王選に参加される意思がないことを公言されております。その資格を放棄なされるということは、この場で我ら騎士団に対して命令する権利をも放棄されるということ」

 

朗々とした声で、マーコスは自身が彼女の命に従わない理由を口にする。

暴論、といえばそれまでだが、これまでのフェルトの態度がこの場に集まる文官や騎士たち、また賢人会の顔ぶれにも好印象を与えていなかったことがここで仇になり始める。ごく一部、それに動じない面子もいるが、マーコスの弁に頷くものが多く、そこに賛同を示したためだ。

 

(なるほど、図体だけがデカいだけの騎士と思っていたが、中々頭のキレる男じゃないか。あとは、そこの生意気娘がどうするかだが……)

 

(この流れ……実に興味深い。さあ、どう切り返す?フェルト女史)

 

「団長、それはあまりに極論が過ぎます。第一、資格のあるなしに関わらず、フェルト様はこの国の王家の血筋に当たる可能性が……」

 

「可能性は可能性の話だ。らしくない理想論を語るのはやめろ。明確でない資格はここで意味を持たず、明確な方の理由を放棄されるのはご本人の意思だ」

 

ラインハルトの言葉にも耳を貸さず、マーコスは「ご理解いただけましたか」とフェルトの様子をうかがうように視線を送る。

それを受け、これまで沈黙を守っていたフェルトは顔を俯かせ、己の金色の髪の中に手を差し込んで乱暴に掻きむしった。そのまま彼女は苛立たしげに、あるいは鬱憤を晴らすように呻き声を上げ、

 

「話がややこしいから簡単にまとめると、だ。――アンタはつまり、王選のやる気がねーアタシの言うことなんて聞かないってわけだな?」

 

「――話の根幹としてはそれで正しいかと」

 

「おうおう、初めて話が通じたな。あー、なるほどな。わかったわかった。あー、はいはい。なるほどなるほど……ムカつくな、アンタ」

 

質問内容を肯定したマーコスを、フェルトの瞳孔が細まる猫の目が睨みつけた。

殺気に近い敵意を孕んだ視線の風は、しかしマーコスの巌の表情にそよ風ほどの影響も及ぼすことはできない。

歴戦の勇士と、貧民街でもまれて育っただけの不良少女。役者不足も甚だしい対峙ではあったが、フェルトの方はそれで怯むほど可愛い性格ではない。

 

理由はわかった。そして条件もわかった。

苛立ちは加速度的に積み重なり、爆発する場所を求めて体内を荒れ狂っている。

そのまま売り言葉に買い言葉で、目の前の男の鼻を明かしてやるのも悪くない。

 

そんな短慮が爆発し、フェルトが勢いに身を任せてしまおうとした瞬間――、

 

「そんな話なんぞどうでもいいじゃろうが! ――早く儂を助けてくれ!!」

 

これまで沈黙を守り続けていた老人の、悲痛に裏返った叫びが広間に響いていた。

 

その叫びには怒りを噴出しかけていたフェルトも、絶叫の張本人の傍らに立っていたマーコスも、広間にいた他の誰もが即座に反応することができなかった。

そして当人はそんな周囲の反応を気にした様子もなく、

 

「フェルト、儂じゃ! 貧民街で一緒にやってきた、クロムウェルじゃ! よくわからんが、今のお前さんならどうにかできそうなんじゃろ? 儂を助けてくれ!」

 

絨毯の敷かれた床に膝をつき、老人は媚びた笑みを顔に張り付けて懇願する。もしも拘束されていなければ、そのまま少女の足にすり寄っていきそうな勢いだ。

その醜態に近い素振りにさしものフェルトも言葉を失い、絶句して知人の変貌を見ている。自然と、周囲の視線も惨めな老人の姿に嫌悪感が沸き立つのがわかった。

 

「色々とやってきた、儂とお前さんの仲じゃろう!? なにもわからずにいた幼いお前に、生きていく術を仕込んでやったのは誰じゃ? 儂じゃろう? その恩人がこんな目に遭っておるんじゃぞ、どうにかせんか!」

 

唾を飛ばし、己の罪を棚に上げて、早く助けろと喚き立てる。

同情心や憐憫といった感情をそこに抱けるのは、よほど慈悲深い存在だけだ。常人には嫌悪感しか覚えられない、都合のいい発言の数々。

ほんのささやかな時間の中で、老人は場内の大半の人間を敵に回したといっていい。

 

誰もが、そんな身勝手な振舞いに言葉を見失っていた。

その中でただひとり、それらの感慨と無関係に言葉を作った人物がひとり。

 

「――これは、まずいことになるかもしれないな」

 

赤毛を揺らす青年だけが、無様な叫びを耳にしながら、己の胸に込み上げてくる焦燥感に対して、小さく喉を鳴らしていたのだった。

 

 

 

 

 

「助けてくれぇい! 儂はこんなとこで死にとうない! フェルト! 早く、儂を助けんか! 言ってやってくれい、このわからず屋共に!」

 

声を荒げ、唾を飛ばし、肩を揺らしながら老人の命乞いは続いている。静まり返った広間に響くのは、その老人の無様な叫びだけであり、それは加速度的に議場の空気をおもく淀んだものへと落とし込んでいた。

 

騎士や文官たちの多くは、その老人に対して消し難い嫌悪感の浮かぶ瞳を向け、年齢も近いだろう賢人会の面々も嫌なものを見た、といった心情のものが多い。

その老人の叫びに、命乞いに、それ以上の意味を見出しているものは、この議場において少数派であると言わざるを得なかった。

 

「どうした、誰のおかげで今まで生きてこれたと思っておる!? それとも、ちょっと上の生活をしたらこれまでの恩を忘れたのか、なあ、どうなんじゃ!?」

 

畳みかけるように、人間性の卑しさを押しつけがましく言い募る老人。その態度に誰もが言及を避ける中、ラインハルトは主と目す少女の横顔を注視する。

彼女にとっては豹変、と言っても差し支えないほどの老人の変貌だ。その心情を察するには付き合いが浅すぎるが、少なくない動揺がその身を襲っていることは想像に難くない。

 

老人の発言の真意にそれとなく勘が働いたラインハルトは、とにかく打開するために動きを作らなくては、と判断して踏み出そうとし、

 

「――動くでないぞ、ラインハルト。妙な真似をするのはよしておくんじゃな」

 

と、動き出す出鼻をくじくような少女の声に二の足を踏まされた。

失態だ、とラインハルトが顔を上げる先、赤毛の青年に声を投げた少女が傲岸不遜そのものといった佇まいで笑みを作っている。

自身の胸の内から抜いた扇子を口元に当て、嗜虐的な光を灯した双眸でラインハルトを射抜きながら、プリシラは愛らしくも淫らに首を傾け、

 

「それはいかんなぁ、ラインハルト。お前ほどの騎士が動揺なぞ。そんな態度ではまるで、そこな老害が都合の悪いことを言う前にどうにかしようとしているように見えるではないか」

 

もっともらしく「恐い恐い」と肩をすくめてみせるプリシラの言葉に、ラインハルトは内心で「やられた」と臍を噛んで自身の失敗を悔やむ。

クロムウェルと名乗った老人の言動が、フェルトにどんな影響を及ぼすかはわからない。が、好意的に解釈するのも難しい状況を先んじて打開しようとしていたのを、さらに先手を打つ形で釘を刺されてしまった。

 

今のプリシラの一言で、広間に存在する人々にとって、老人の発する言動の捉え方と意味合いが変わってきてしまう。そしてその内容を否定しようとラインハルトが動いたとしても、すでにそれは『都合の悪い事実を隠蔽しようとしている』という先入観を持たずに判断されることはない。

 

一言で完全に舞台の状況を自分有利に作り変えたプリシラ。

対峙している人々の背景を熟知しているわけでないにも関わらず、先までのほんの些細なやり取りだけで関係性を看破し、状況に誘導してみせたのだ。

 

迂闊に動けなくなってしまったラインハルト。そんな彼の前で、プリシラは満足げに頷くと、音を立てて閉じた扇子の先端を老人に向け直し、

 

「さあ、命乞いを続けるがいい。無様に、惨めに、滑稽に、果てるまで踊り狂って妾を興じさせるがいい。妾が許す、妾が止めさせぬ。存分にやれ、老害。貴様の頑張り次第で、その聞くに堪えん繰り言を叶えてやるか判断してやる」

 

「いけ好かん小娘が、偉そうに言いよる。……フェルト、お前さんは違うじゃろ? お前さんはそう、昔っから優しい子じゃった。そんなお前は、儂を見捨てたりはせんじゃろ? ずっとずっと、儂らはうまくやってきとったじゃないか」

 

尊大なプリシラの物言いに唾を吐き捨て、老人はなおも媚びた笑顔で旧知の間柄の少女の慈悲に縋る。

周囲はそんな老人の、プリシラの機嫌を損ねる意味を知らぬ無謀さに戦慄を覚えたが、当のぞんざいな扱いを受けたはずのプリシラは愉快げに口元を緩め、その無様と称した命乞いの続きを眺めているだけだ。

 

そのやり取りの行く末を見届け、周囲の人々も正気を取り戻したように、今の心情――即ち、老人の惨めな命乞いの感想を小声で囁き合う。

 

「見たか、あの無様な様子を」

 

「それ以上に媚びた顔だ。同情する気さえなくなる。盗人猛々しいとはこのことだ」

 

「たとえフェルト様が庇われたとしても、放免などもってのほかだろう」

 

騎士たちが罪を犯したその上で、放免を願う浅ましい老人の態度を口々に誹り、

 

「あのような輩ばかりがいるのが貧民街……フェルト様はそこで育たれたと?」

 

「仮に血族の生き残りとされた話が事実だったとて、そのような場所で過ごしてきたものに王の責務が務まるものか……」

 

「やはり考え直すべきではあるまいか。あるいは竜歴石に従い、形だけの候補者としてあくまで数合わせとして扱うべきだと」

 

文官筋の面々は、そんな老人と浅からぬ付き合いがあったと思しきフェルトの資格に対して言及し始める。

次第に囁き声はその大きさを増し、広間全体にどよめきとなって広がる。

 

そんな周囲の反応を見やり、ラインハルトは内心の懸念が現実になったと唇を噛む。こうなることは予想がついていた。

その上で老人の叫びをみすみす聞き逃し、プリシラの牽制をまんまと受けてしまった。結果、止めること叶わず、利害の一致した両者にいいようにされてしまった。

 

不甲斐ない我が身を呪いながら、ラインハルトは押し黙るフェルトを見つめる。

俯き、依然沈黙を守り続ける少女はなにを思っているのか。

 

「――――!」

 

「――――!!」

 

「――――っ!」

 

当事者が口を閉ざしている間にも、外野の声は歯止めを忘れて拡大し続ける。

その状況の稚拙な悪化に耐えかね、さすがに一喝すべきだとマーコスが大きく息を吸う。そして、

 

「――どいつもこいつもうるせーんだよ!!」

 

部下たちの背筋を震え上がらせることで有名な、マーコスの一喝ではない。

それは甲高く、年若い少女の、聞くに堪えない口汚い怒声だった。

 

しん、と驚きが先行し、そのまま広間に沈黙が落ちる。

それを受け、少女は呼気を荒くして中央へ進み出ると、全員の顔を見渡しながら、

 

「人が黙ってりゃぴーぴーぴーぴーさえずりやがって。いい歳した男連中が集まって女々しいったらねーぜ、タマナシ共が」

 

「フェルト様、その発言はいくらなんでも……」

 

「黙ってろ、寸止め騎士。おめでた女にやり込められてたくせに、アタシに偉そうに話かけんな。っつか、そうでなくても話かけんな、嫌いだお前」

 

淑女らしからぬ発言をたしなめようとしたラインハルトだったが、それに対するフェルトの応対は容赦がない上に上品さの欠片もない。

ただ、命令は命令である、とラインハルトは深々と礼をしてその場から下がる。それを見届け、フェルトは黄色のドレスの裾を揺らし、首を乱暴に鳴らす。と、そこへ場にそぐわぬ声が割って入る。

 

「ッフ……!」

 

文官列の左側でフェルトと老人のやり取りを聞いていたファリックスは途中から身体を震わせて笑うのを我慢していたのだが、ふと耐えきれず漏れた笑いをフェルトに聞かれたことで、彼女の鋭い目つきを浴びることになる。

 

「あぁ?なんだテメェ、可笑しそうにクツクツと笑いやがって。気持ち悪りぃな」

 

「これは大変失礼を、フェルト女史。私の出過ぎた真似を許してはもらえませんか?どうもあなたは面白い方でしたのでつい。ああ、勿論良い意味ですが」

 

「ったく。陰でクツクツ笑って気持ちわりぃんだよ、お前は。堂々と笑えばいいってもんだろ?

……ん?お前、周りとは少し違う奴だな。なんというか、アンタからは貴族らしい匂いがしないんだよな。

そんなことよりだ、アタシは頭でっかち共がひそひそと、そーいうとこが気に入らねーってんだよ。金払ってお勉強して、金払って立場買って、そんでそこに立ってんだろ? だったらそれらしくしろってんだよ。まともに飯も食ってねーみたいな青っちろい面しやがって」

 

ファリックスを品定めするようにジロジロと見ていたフェルトは、彼をあしらうと文官連中の顔を見渡し、ばっさりと彼らを評価する。それから彼女の首は反対を向き、見つめられる近衛騎士たちに動揺が走った。

 

「そんでご立派な格好の連中が、アタシみたいな小娘になにをビビってるって話だよ。アタシはあそこの道化魔術師より100倍、兄ちゃんと口喧嘩してた化け物魔術師よりは1000倍マシっていうもんだぜ。あ、ビビってるのと違って身構えただけって言い訳も聞かねーぞ。そんな態度も情けなくねーのかよって話だかんな」

 

鼻を鳴らして近衛たちを嘲笑うと、歩くフェルトは目的の場所に辿り着く。それはこれまで散々、無様な醜態をさらしてきた老人の眼前であり、巨躯の老人と小柄な彼女は、老人が膝立ちの状態でようやく平均的な身長差での対峙となる。

少女は腰に両手を当てて、今さっき小馬鹿にしてみせた面々を再度見渡し、

 

「でもって、見ろよ、このジジイのひどい面を。殴られて鼻血出てる上に、ヒゲ剃り失敗した跡が山ほどある。鏡とか貴重品だし、切れ味いい刃物もまともなのあんまないかんな。それでこんだけ卑屈に笑ってんだ、一言で言うと気持ち悪い」

 

「そりゃお前、言い過ぎじゃろ……」

 

散な評価に声のトーンを落とし、どこか気の抜けた老人の呟きが漏れる。が、すぐに気を取り直したように首を振ると、媚びた笑みを張りつける作業を続行。

それを見届け、フェルトは深々と首をもたげながらため息をこぼし、

 

「その上でさっきの命乞いだ。正直、聞いててがっくり肩の力が抜けたよ。惨めで卑屈で見ちゃいられねー。……なあ、ロム爺」

 

呼びかけに顔を上げる老人。少女は向き合う赤い双眸に悲しみをたたえて、

 

「アタシら貧民街の人間は、そりゃどーしようもなく惨めなもんだよ。上から見下されたら卑しい生活してんのなんて当たり前だし、アタシ含めて性根の腐った連中ばっかだった。ホント、ひでー場所だよ」

 

自分含めての散々な評価を下し、それからフェルトは「でも」と息を継いで、

 

「確かにどん底でどーしようもない連中の掃き溜めだったのは事実だ。だけどさ、人間としての矜持ってやつだけはなくさねーようにやってきたじゃねーか。どんだけ低く見られてても、実際に地べたに頭擦りつけるような真似だけはしねーって」

 

「フェルト……」

 

「今のロム爺の面、鏡があったら見してやりてーよ。卑屈で無様で、媚び売って尻尾振ってまで生き延びたいなんて、そんなの生きてるだなんて言わねー」

 

ため息のように老人が少女の名を呼び、少女は首を振りながらそう応じる。

その答えに、候補者の列で静かに控えていたクルシュが重々しく頷いている。彼女の語る理念にも、今のフェルトの発言は通ずるものがあった。

 

「アタシに命乞いするんなら、そのやり方は間違いだ。アタシはいたくない場所からいなくなる権利を放棄してまで、そんなアンタを助けない」

 

ばっさりと、腰に手を当ててフェルトはそう言い切った。

それは知己である人物を見捨てるという意味であり、老人の言が正しければ幼い時分より共に過ごした間柄の相手を切り捨てるということであり、

 

「……フェルト様」

 

騎士の中の騎士――赤毛の青年の目の前で、王選の参加を辞退するという意味だ。

 

彼女の断言に、ラインハルトは内心で苦々しいものが走るのを堪えられない。

こうなることは予想ができていた。老人のあの振舞いを見れば、プライドの高い少女がどういった反応を示すのか、予測がついていたのだ。

その点をまんまとプリシラと老人に――否、あの老人ひとりに利用された。

 

見捨てられた形になった老人は肩を落とし、脱力したように俯いている。

だが、その老人の口元が、かすかに力なくゆるんでいるのをラインハルトは見逃さない。それは後悔や絶望といった脱力感からくるものとは違う、ひとつの行いをやり遂げたものの達成感に宿る類のものだった。

 

老人はひとつの勝負に打って出た。そして見事にそれを成し遂げ、目指した目的を達成したのだ。賞賛すべき行いであった。

今からでも老人の目論見を暴き、フェルトの行いを正させることが必要だった。しかし、それをすることはラインハルトにはできない。

――彼が彼である所以、その性質こそが、彼の行動を束縛していた。

 

うなだれる老人の姿とフェルトの立ち姿に、マーコスは話の終わりを悟ったのだろう。彼は老人の手枷を引き、鎖の音を鳴らして広間に向かって一礼。

 

「場をお騒がせし、大変失礼いたしました。今すぐにこのものを……」

 

「って感じでまあ、誰かが早とちりすんのを待ってたわけだけど」

 

謝罪を述べて場を辞そうとしていたマーコスを、ふいにフェルトの言葉が遮る。

珍しく鼻白んだ様子で口を閉ざすマーコス。その巌の表情の変化を小気味よいといった笑みで横目にし、フェルトは唖然となる場内で小柄な身を回すと、

 

「つーわけで、団長様はその手を離せよ。ロム爺のふっとい腕に手枷が合ってなくて、見てて痛々しいんだよ」

 

「何度も申し上げましたが、お断りします。私があなた様の命令に従う理由が……」

 

「アタシが王選ってやつに参加する気がねーならって話だろ? なら話は簡単だ」

 

命令を拒否しようとするマーコスを再度遮り、フェルトは自身の胸を軽く叩く。それから唇の端を大いに歪めて、鋭い八重歯が覗く肉食系の笑みを作ると、

 

「やってやるよ、王選。王様ってのを目指してやりゃーいいんだろ?」

 

「――――!!」

 

笑みで紡がれたその発言に、広間全体に激震が走った。

爆弾発言、と呼ぶべきそれは聞いたものたちに最初に衝撃を与えたが、その衝撃が去ったあとの個々人の心に残ったものは様々であった。

 

あるものは粛々とそれを受け止め、あるものは淫猥に微笑し、あるものは頭痛でも堪えるように額に触れ、あるものは表情を変えまいと頬を強張らせ、あるものは彼女のもたらす影響に関心を強く寄せる。

そして多くのものの心には、重大な決断を軽々しく口にする少女への反感――あるいは王国の一大事を安直に扱われることへの怒りが渦巻いていた。

そんな数々の反応を置き去りに、もっとも大きなリアクションを見せたのはもちろん、彼女の宣言を真正面から浴びた老人であった。

 

「な、なにを言っとる、フェルト。わ、儂は納得したんじゃ。さっきのお前さんの言葉は正しい。誇りを失えば生きてはいけん。儂の先の振舞いはその最低の行いそのものじゃった。お前さんに見捨てられるのだってやむなしと……」

 

「猿芝居もいーとこだよ、クソジジイ。そんな長々生きてるくせに、自分に舞台役者の才能もねーのも知らねーのか。転職諦めて大人しく小悪党してろや」

 

「馬鹿なことを……! そも、お前さんは嫌なことをせん主義じゃろう。醜態をさらした儂なんぞ見捨てて当然じゃ。嫌な思いを我慢してまで……」

 

「そうそう、アタシをよくわかってるじゃねーか、ロム爺。そうだよ、アタシは嫌なことはしねー主義だ。んでもって、アタシも実はアンタのことわかってんだぜ」

 

先ほどまでの助命とは打って変わり、反対方向に食い下がるのに必死な老人。そんな彼を指差し、それからフェルトはその指を己の顔に向けると、

 

「長年の付き合いだから知ってんだけど……ロム爺、アンタは嘘をつこうとするときに鼻の頭に血管が浮かびまくる」

 

「な、なんじゃと、嘘じゃろ――!?」

 

フェルトの指摘に老人は驚愕し、慌てた様子で手枷に繋がれたままの腕を持ち上げて己の鼻を擦る。そんな彼の仕草をフェルトは見やり、鼻を鳴らして、

 

「ああ、嘘だよ。そんでもってマヌケは見つかったわけだけど、どーする?」

 

「――あ」

 

まんまと誘導尋問にひっかけられた形のロム爺は呆然。

低レベルな引っかけにかかった老人をどう思ったのかは知れないが、フェルトは両肩をすくめると「やれやれだぜ」とばかりに首を振り、

 

「てなわけだから、ロム爺の手枷を外してくれよ。さっきまでのことも、全部まとめて耄碌したジジイの妄言ってわけだから」

 

「そのような名分を通すわけには……」

 

「――その爺さんはアタシの家族だ。だから、今すぐに離せ」

 

なおも固辞しようとしたマーコスに、フェルトは声から感情を消して言った。

その言葉を聞き、マーコスは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐにその動揺の気配を表情から消すと、

 

「御意」

 

と身分が上の相手に接する礼をとり、ロム爺の手枷からその手を離す。それから彼は背後に振り返り、入口付近で待機していた騎士に「手枷の鍵を」と要求する。

が、フェルトは挙げた手でそれを制し、

 

「待ってらんねー。――ラインハルト!」

 

「ここに」

 

鋭い少女の声に即座に呼応し、ラインハルトの長身が舞台に上がる。

彼女は自身の隣に立った赤毛の青年に見向きもせず、ただ腕を組んで顎をしゃくり、

 

「やれ」

 

とだけ命じた。

 

「はっ、我が主――」

 

そして、その世界一短い命令に騎士は万感の思いを込めて応答。

主の前で掲げた腕が天で手刀を作り、それが大気を割って振り下ろされる。

 

割断――老人の両手を拘束していた金属製の枷は、ラインハルトの手刀の前に紙切れのようにあっさりと撫で切られる。

まるで溶けるように排された枷が床に落ち、甲高い音が広間の中で奏でられる。

その音を背景に、少女は忌々しいとでも言いたげな目つきで長身を見上げ、

 

「これも全部、お前の思惑通りってやつかよ」

 

「とんでもありません。それ以上の、運命の導きです」

 

面白くなさげなフェルトの言葉に、胸に手を当てたラインハルトの答え。それを聞いた少女は「は!」と吐き捨てるように息をこぼし、

 

「また運命か。アンタは運命の奴隷かよ」

 

「いいえ。――自分は、正しさの僕です」

 

皮肉に対しても生真面目に、かつ真正面から答える青年。その姿勢にフェルトは片目をつむり、口の端をつり上げると、

 

「でも、その仕事も今から廃業だ。これからのアンタは、アタシの僕なんだからな」

 

「はい。我が主の意のままに」

 

「さ、散々こき使ってやっから覚悟しとけよ」

 

「はい。全て我が主の望みのままに」

 

「つまんねー奴……」

 

万事全肯定されそうな勢いに、フェルトが辟易した様子でそうこぼす。

そんなやり取りを繰り広げる二人の前で、なおも愕然とした態度を隠せずにいるのはロム爺であった。彼は手枷の外れた腕を揺らし、血のにじむ頬を悲痛に歪め、

 

「なぜじゃ、フェルト。……儂は、儂はお前を」

 

「ロム爺がどんなつもりで、なんの目的で、あんな情けねーこと言いまくってたのかはなんとなくわかってるよ。――アタシがこの場所に立ってんのが、嫌で嫌で仕方ねーってのが見えてたんだろ。その背中押そーとしてくれてたんだよな」

 

力なく俯く老人に、フェルトは「悪い」と手を上げて謝罪。そんな彼女に顔を上げるロム爺は唇を震わせて、

 

「そこまでわかっておるなら、なぜ……」

 

「言ったろ、自分で。アタシは嫌なことはしねー主義なんだって」

 

疑問符を浮かべる老人に、フェルトは照れ臭げに笑いかけ、

 

「家族見捨てておめおめと下町に戻れってのかよ? そんな外道以下の真似、アタシにできるわけねーだろ」

 

「――――」

 

それを聞いて、ロム爺の表情が悲痛なものからもっと別のものに変わる。

彼は少女に背を向けると、その顔に腕を擦りつけて表情を隠し、

 

「わ、儂の敗因は……」

 

「明確すぎるほど明確でしょう、ご老人」

 

その感情の揺れを察したのだろう、ラインハルトの呼びかけに老人は天井を見上げ、掠れた声で無念に、しかし感無量とばかりの震えを隠せないまま、

 

「良い子に育て過ぎた――!」

 

 

 

 

 

己の育成方針を嘆くのか喜ぶのかわからない叫びが響く中、壇上の賢人会代表――マイクロトフはヒゲを梳きながら目を細め、

 

「この状況が御身の想定通りなのですかな、騎士団長」

 

「そんな出過ぎた真似はいたしません。あくまで私は騎士。道を守るものであり、道を作るものではありませんので」

 

問いかけに謙遜で応じるマーコスに頷きかけ、それからマイクロトフは中央に佇む三人――否、一歩前に出ている二人の主従に向かい、

 

「それではフェルト様、騎士ラインハルト。お二人にも王選への参加の意思ありと、そう判断してよろしいのですかな」

 

「ああ、いーぜ」

 

「はい。我が主の意のままに」

 

あくまで横柄な態度を改めないフェルトと、それに従うラインハルト。寛大な賢老はその凸凹さには言及せず、「わかりました」と静かに頷いた。

 

「それでは少々の騒ぎはありましたが、出揃ったと判断してもよいようですな。最後になにか、フェルト様からありましたら」

 

他の候補者と同様に、フェルトにも演説の機会を設けようというのだろう。

マイクロトフの提案にフェルトは少しだけ思案するように眉を寄せたが、「それじゃ一個だけ」と指をひとつ立てると、前に進んで全員の視線の途上に立つ。そして、

 

「――アタシは貴族が嫌いだ」

 

爽やかな笑顔で、賢人会を示すように手を広げてそう言い放った。

 

「――アタシは騎士が嫌いだ」

 

その笑顔を維持したまま、今度は近衛騎士団を反対の手で指し示す。

 

「――アタシは王国が嫌いだ」

 

そして両手を広げたままで、満面の笑顔の中に毒をひそませて言葉を紡ぐ。

 

「――アタシはこの部屋にいる全員も、立ってる足場も、なにもかもが全部嫌いだ。だから、全部ぶっ壊してやろうと思ってる」

 

「どうだ?」とばかりに首を傾げて、楽しげに笑いかけるフェルト。

その態度に刹那、完全に思考を置き忘れていたリッケルトをはじめ多くの者たちの感情が爆発する。

 

「な、なにを言っている――!?」

 

「そも、国王を決める王選の場で国を壊すだと!?」

 

「我らのこれまでの時間をなんだと!!」

 

「そうやってぴーぴーと、『我々』みたいな冠つけねーと話せねーのかよ? 誇りだの歴史だの、ちゃんちゃらおかしいって言ってんだよ」

 

勢い込んで怒鳴り声を上げる観衆の前で、フェルトはそれらを一息に切り捨てる。それから彼女は自身の身にまとう黄色のドレスの裾を摘まみ、

 

「こんなひらひらした格好で、高そうな服着て高そうな宝石じゃらじゃら付けて、血だの歴史だのでお目々が曇ってやがる。だからどいつもこいつも、自分たちの足下がどんだけ腐ってボロボロなのか見えてねーってんだよ」

 

だから、と彼女は息を継ぎ、それから壇上のマイクロトフを見上げると、

 

「アタシが王様になったら、全部ぶっ壊してやるよ。今にも崩れそうな足下見えてねー節穴連中はまとめて叩き落として、少しは風通しを良くしてやろーじゃんか」

 

晴々しい顔つきでそう述べる彼女に、場内は蒼然となるより他にない。が、騒然とする文官たちの中で異彩を放つ彼は、フェルトの宣誓に笑いを堪えきれない。

 

「アーハッハっハ!!いやいや傑作だな、フェルト女史。実に素晴らしい演説だとも」

 

胸につけられた勲章を照らし、肩にかけられた飾緒で軍服を鮮やかに装飾するファリックスは彼女のぶっ飛んだ発言を何故か快く思っているのか、ただ一人拍手していた。彼のある意味ぶっ飛んだ行動は案の定、周囲にいる面々からは激しい非難が飛ぶ。

 

「何を言うか、フォリア・ファリックス!!」

 

「貴様、子爵という身分を弁えたまえ!」

 

「我々貴族界の異端児が何を言い出すのかと思えば……不敬にも程がありますぞ」

 

「ほう。あくまで彼女の言い分は聞き入れないと言うか。では返すが、貴方方の堕落した政治運営こそ、この国を凋落させた原因だとは思わないのか?」

 

若干20歳の青年貴族が、自らよりも年上の身分の文官に意見をする。子爵という貴族の中でも下層階級に位置する彼であるが、先代当主で保守的であった父とは違い革新的な考えを持っていたこと、下級貴族であるが故に、しきたりに囚われることなく民と接していた彼は、良い意味でルグニカ王国の政治に風を巻き起こし、青年貴族の中ではそれなりに影響力を持っていた。父の隠居と共に当主に就任した彼は自らの領地の運営改革を行い、並行して王国軍の創設を強く主張するという改革派の彼は、フェルトの思想に強く共鳴できる部分があった。

隣国であり仮想敵国であるヴォラキア帝国が常備軍を創設し、近代国家への道を全速力で歩んでいる中、ルグニカ王国では貴族や賢人会の面々による権力闘争が行われていたことに、彼はうんざりしていた。そこへ、クルシュ・カルステンという公爵家でありながら改革に理解を示す王候補が現れ、自身の悲願が叶う可能性が見えたことから彼はクルシュ支持へ動いた過去を持つ。

敵陣営でありながら、国の抜本的な改革を訴え、停滞する政治を一気に打開する可能性を持つフェルトは、彼にとってある意味ではクルシュ以上に魅力溢れる人物だ。

 

「彼女の宣言は確かに国を揺るがすだろう。しかしそれは停滞したこの国の政治の未来を、一気に切り開くことにつながる。改革が進むことでこの国はヴォラキア以上の国力を持つことが可能となる。自由な経済と強力な軍隊、新たな形のルグニカを私は見てみたい」

 

「へぇ、そこの兄ちゃんの言う軍隊やら経済やらは知らないけど、アタシみたいな奴の話をバカ真面目に聞くなんて、随分と面白いンだな」

 

貴族の中でたった一人、フェルトに対して好意的な意見を述べるファリックスに、フェルトは楽しげな笑みを浮かべて彼の方へ目線を向ける。八重歯をのぞかせながら、品定めするように彼を見ていたフェルトに対して、ファリックスは続けて意見を言う。

 

「フェルト女史。あくまで私見ではあるが、貴方の意見は大変面白く感じた。それまでの国の仕組みを全て変革する。しかもそれを王自らが。これほど前代未聞な王候補は恐らく有史以降いない。だが、改革は急務でありそれによってより国益を得られるのではあれば、私は両手を挙げて歓迎する。もっとも、貴方はまだ領地運営を経験してないなため、これから経験していくのであろうが、恐らく良い政治手腕を見せられるだろう。どんな腕を見せるか、私は楽しみにしている」

 

「兄ちゃん、アンタ本当に変わってるよ。普通はそこの節穴連中みたいに、自分の立場が追われると足を情けなくガクブル震わせるのにさ」

 

「何かを変えないと国は変わらないからな。だからこそ、私は国を変える力を持つクルシュ様やフェルト女史に大変期待をしている」

 

「ハッ!言っておくが、ぶっ壊す対象にはアンタも入ってるんだぜ?」

 

「承知の上だ。怖気付いては改革はできない。しかし、新政府の要職には就けてほしいものだ。私には果たせなければならない目的があるのでね」

 

前代未聞の暴言、そしてそれを支持する貴族界の異端児。彼らのやりとりを聞いていたマイクロトフは、二人の会話が終わるとなおも表情を変えずに鷹揚に頷き、それから矛先を彼女の隣に立つ騎士へと向ける。

 

「御身の主は苛烈なお方ですな。騎士ラインハルト、今の言葉を聞き、御身はどう思われるのですか」

 

「――そうですね。フェルト様のお言葉は、残念ながら今はまだ夢物語の類です」

 

と、ラインハルトは主と目した少女の発言の根本をそう揺り動かす。その言葉にフェルトは胡乱げな目を向けるが、ラインハルトは涼しい顔でそれを受け流し、

 

「ですが、ファリックス様が仰るように改革が進めば、いずれフェルト様のお言葉が誰しもに届くようになる。――そうなるよう、万事において支えるのが我が本分、そう捉えております」

 

「しかし、フェルト様が壊すと断言された中には御身もまた含まれているようですが」

 

「壊したあとの再生にも、このお方は臨まれるでしょう。その際にも、隣にあれればこれ以上の本懐はありません」

 

深々とお辞儀しながら、ラインハルトはマイクロトフの前で揺れることなく言い切る。その騎士の振舞いを横目にしながら、フェルトは金髪の髪を乱暴に掻き、

 

「けっきょく、お前はアタシの味方なのか敵なのか、どっちだよ」

 

「味方です。――あなただけの」

 

「……なら、いーや。こき使ってやるよ」

 

こうしてここに、王選候補者最後の主従が誕生した。

そして――、

 

「それでは、今度こそ全ての候補者の方々のお話は聞けましたな。では、改めて賢人会の同志に問いましょう」

 

厳かに、マイクロトフが低い声でそう語る。

自然、場内に緊張感と静寂が舞い降り、固唾を呑んで次の言葉が待たれる中、マイクロトフはその細い瞳をわずかに見開き、

 

「此度の王選、これまでの五名の方々を候補者とし、開始を宣言されたし。同志たちの賛同を求めます」

 

「――賢人会の権限において、賛同いたします」

 

「同じく」

 

「同じく、賛同しよう」

 

マイクロトフの提言に賢人会の面々が頷きで応じ、それを見届けたあとでマイクロトフが席から立ち上がる。

そして彼は前に進み出て、空の王座のすぐ脇に控えると、

 

「――では、これより王選の条件を提言する!」

 

カルステン公爵家当主クルシュ・カルステン。

クルシュの一の騎士、『青』のフェリックス・アーガイル。

 

「候補者はクルシュ・カルステン。プリシラ・バーリエル。アナスタシア・ホーシン。エミリア。フェルト。いずれも龍の巫女の資格を持つ方々とする!」

 

『血染めの花嫁』プリシラ・バーリエル。

隻腕の異世界人、傭兵アル。

 

「期限は三年後、龍との盟約の確認が行われる儀式――神龍儀の一ヶ月前である今日とする!」

 

異国からきた若き商会主、アナスタシア・ホーシン。

アナスタシアの一の騎士、『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス。

 

「選出は竜殊の輝きによって、神龍ボルカニカの前にて決定する!」

 

失われた王の血族(?)、フェルト。

フェルトの一の騎士、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。

 

「各人は王国の維持に務める上で、各々の王道を民草に、臣民に知らしめること!」

 

銀色の髪のハーフエルフ、エミリア。

そして、不在の自称騎士、ナツキ・スバル。

 

「以上を最低限の条約として、王選の開始をここに宣言する――!」

 

マイクロトフが声を大にして叫び、広間がすさまじい熱に包まれる。

声はない。だが、誰もが心の叫びを抑え切れずにいる。

 

その熱の余波を背に受け、マイクロトフは折った腰を伸ばして口を大きく開き、

 

 

 

「これより――王選を開始する!!」




人物補足図録

フォリア・ファリックス
子爵。若干20歳の青年貴族であり、カルステン家を長年支援してきたファリックス家の現当主。
幼少期から天才的な頭脳を発揮し、10代後半時に発生したとある戦役でにおいて、指揮した部隊で多大な武勲を上げたことで戦略家としての才能を開花させ、軍師としても一躍名を馳せた天才。
紫がかったアシメが特徴の髪型で、化粧は怠らないがその素顔はストレンジも美少年と称する程の美顔の持ち主。(別に化粧する必要はないとストレンジは思ってる)幼少期は女子と見間違えられたことも。威厳を示すために軍服を公の場においては好んで着ている。(彼の衣装はドイツ帝国時代の大モルトケ参謀総長のものに酷似している)
正義感溢れる性格で、領民への気配りも欠かさない。一方でどんな事態にも柔軟に対処できる柔軟さを持ち合わせており、加えて彼が持つ情報網も広いことからストレンジからニック・フューリーに迫る頭脳と気質を持っていると称される。
(20代から頭脳明晰で臨機応変に物事に対応できる辺り、ニックの上位互換なのかもしれない)
王政改革や国防軍の役割を持つ王国軍の創設を強く訴えていることから、改革派の筆頭格であり、同世代の貴族の中でも影響力は強い。子爵から伯爵への昇格も検討されているものの、身分が上の文官や貴族にも怖気付くことなく対峙していることから敵も多いため、昇格は遅れている。
(実は先代である父は保守的であり、意見が対立することもある。そのため、父を黙らせるために手荒な手段を行使するなど荒々しい一面もある)
柔軟な頭脳を持っていることからあのストレンジから好意的に見られており、クルシュからの支持も厚い。
しかし性急すぎる改革は常に失敗していることを歴史は示しており……。


フォリア・ファリックス子爵について整理するために補足図録を作りました。
より深い設定を設けて人物像を深く掘り下げました。実はこういう人物設定がかなり好きで、作ってみたら結構長い文章になりました笑
因みに彼のモデルは、モルトケ参謀総長、ビスマルク、ニック・フューリーなど多種多様な人物達です。



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三十二話 決闘とその末路

リアルな方がとても忙しく、ようやく一息つける状態になったので最新話の投稿です。

本国公開から2ヶ月遅れで、遂に『ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ』が日本でも公開されました!
自分も公開された週の週末にドルビーとIMAXで見てきました!オススメできる映画です!
12月は他にも呪術廻戦、キングスマン、マトリックスが控えてます!今年の締めは是非とも映画で!


マイクロトフの宣言が、まるで戦いの開始を告げるゴングのように広間に響く。

遂に、王選の火蓋が切って落とされ、これから熾烈な競争が始まるのだ。そのことを肌で感じているストレンジは、歴史が動く瞬間というものを改めて実感する。

と、物思いに耽るストレンジのもとへユリウスが歩み寄ってきた。

 

「ドクター殿」

 

「ユリウスか」

 

先程は両者とも、一人の青年を相手に激しい言葉による応酬を行った仲であり、同時にこれより敵陣営となる存在だ。しかし二人の間には、敵対的な空気は流れてこない。

変わりに二人の口から発せられる言葉はーー

 

「あの少年のところへ慰めにでも行くのか?」

 

「いえ、慰めではなく教義を。騎士というのはどういう存在かを彼に改めて知らしめます。この剣で」

 

剣の柄に片手を添え、覚悟を決めた表情のユリウス。騎士という地位に誇りを持つ彼にとって、少年の言種は我慢できるものではないが、冷静沈着な彼にとっては少しあり得ない行動だ。彼の真の狙いをどことなく察したストレンジは、どこか呆れたような顔をユリウスに向ける。

 

「「ペンは剣より強し」とも言うが、書き物を使って丁寧に騎士について語る、というわけではなさそうだな」

 

「ドクター殿の国ではペンなる書き道具が、剣よりも強い力を持つのですか?」

 

「ペンが物理的に強いわけではないぞ。私の国では、議論の時は武闘よりも言論が重視されていてな。大抵の場合はペンと口を使って、自分の主張をぶつけ合うことで、相手と分かりあうんだ」

 

「しかし議論で片付けられない時もあるでしょう?その時にはやはり、力をぶつけあうやり取りがあるのでしょう?」

 

ユリウスの言葉にストレンジは遠くを見るように目を細めた。ストレンジがヒーロー活動を始めた2016年は、アイアンマンとキャプテン・アメリカが、アベンジャーズの今後の方針を巡ってぶつかり合った時と同時期である。彼らもお互いに信念があり、議論ではお互いの主張がぶつかるのみで解決せず、結果としてシビル・ウォーを引き起こし、アベンジャーズが分断されるに至った。今回のそれは、シビル・ウォーの時のような深刻さはないものの、ユリウスとスバルというお互いに譲らない両者が武器をとる流れは、シビル・ウォーと深く重なるのだ。

最も、片方の高慢な態度に正義の鉄槌を下す構図となるだろうが、それを自らが引き受けようとするユリウスに、ストレンジは忠告する。

 

「損な役回りだぞ?私から言わせてもらえば、お前が自分から泥を被りに行くように見える。お前の騎士としての地位が落ちることも覚悟の上でか?」

 

「ええ。彼に()()()騎士の道を示せるのは、現状では私以外にはいない。騎士道を侮辱したことは許せませんが、彼の命がここで終わるのも惜しい」

 

「確かに奴のエミリアを思う気持ちだけは、正直なそれだ。バカ正直過ぎるのもあるがな。しかしだからといって、お前が直々に手を出せる必要もないはずだ」

 

彼は騎士を侮辱したスバルの態度にこそ不快感を抱いていたとはいえ、彼の心の芯には敬意を払っている。主人を一途に思い、彼女のためならばどんなことでもやってのける覚悟を持つ彼に、ユリウスは好意を抱いていた。彼が「今」を自覚し、今後に活かせることができれば、実力はなくとも騎士の任には適すると、彼は考えていたのだ。

ストレンジは、そんなユリウスの()()を見抜いていた。

 

「それは承知の上です。だからこそやらねばやらない。他の者ではあの少年を殺しかねない。私しか適任がいなのです」

 

「……私はお前の陣営の人間ではないから、ダメージを負おうが知ったことではない。しかし、友人として忠告しておこう。恨まれるぞ?ヒーローは」

 

「それはドクター殿も同じでしょう。それに私は覚悟はできています」

 

決意を固めたユリウスに、それ以上ストレンジが言うことはない。

王戦候補者は引き続き、手続や会合やらがあるため広間に残り、ストレンジもその場に残った。

一方、ユリウスは自らの信念と覚悟のもと控室にいるであろう、自称騎士の下へ向かっていった。

 

この瞬間、大いなる脅威がストレンジに向かってくる運命が決まり、彼は世界を脅かす魔獣に立ち向かうことになるのだが、それは暫く後の物語だ。

 

 

 

 

 

「――マーコス団長、ご報告が」

 

駆け込んできた衛兵が敬礼しながらそう告げたのは、王選を定める条約の細かな部分を詰め終え、その日の会談に一区切りがつこうかというときのことだった。

 

慌てた様子で肩を上下させる若い兵は、自分の踏み込んだ場所に集まる顔ぶれに気付くと顔を青ざめさせ、自分の働いた無礼に肝を冷やしている。

さっと音が聞こえそうなほど血の気が引く衛兵、その彼の無礼を室内の人々の視線から庇うようにマーコスは動き、

 

「部下が失礼をいたしました。私の指導不足です」

 

「話の区切りはよく、当人も反省が顔色に出ている。その上で上役の卿がそう言うのであれば、こちらが咎めることなどありはしない」

 

謝意を示すマーコスに対し、部屋の面子を代表して寛大を示すのはクルシュだ。彼女は束ねた自身の長い緑髪を手で撫でつけると、「それより」と息を継ぎ、

 

「この場の事情を忘れて乗り込んでくるほどだ。余程のことだろう?」

 

首を傾けて問いを投げるクルシュに、衛兵は一も二もなく頷いてみせる。それから衛兵は口を開きかけ、その内容が広まるのを恐れるような顔つきになり、

 

「団長、内密にお伝えしたいことが」

 

「……皆様の前で、あまり感心しない態度だが」

 

「それでも、です」

 

それとなくたしなめる言葉に食い下がられ、マーコスは部下の態度に直感的に「マズイ」事態が起きているものと判断する。それだけ感じ取り、室内の人々に断って外で報告を聞こうとマーコスは決断するが、

 

「部屋を出ること、まかりならんぞ、マーコス。妾が許さん」

 

言葉を作るより先に、豪奢な椅子に腰掛けるプリシラが道を塞いできた。彼女はマーコスの思惑など知らずに、ただそうするのが面白いからとでも言いたげな嗜虐的な表情を浮かべたまま、

 

「場を乱した無礼は許そう。が、その原因を聞かんことには溜飲が下がらぬ。よって報告を聞かせよ。この場にいる全員に、聞こえる声でじゃ」

 

「お言葉ですが、プリシラ様。皆様のお耳に入れる必要のない内容も多々ございます。このこともその手合いで……」

 

「たかだか城に忍び込んだだけの老骨が、それまで腑抜けていただけの小娘に見栄を張る気概を与えた。――なれば、それも些細とは言えんかもしれんじゃろ?」

 

扇子で口元を覆い、プリシラはちらりと部屋の対面に位置するフェルトへと流し目を送る。揶揄された形になったフェルトは唇をへの字に曲げ、

 

「変な言いがかりはよしてくれよ、おめでた女。ロム爺はもともと連れてくるつもりだったのが城の中ではぐれたんだ。で、それをわざわざ見っけた兵士が広間まで連れてきてくれた。そーだろうが」

 

腕を組み、プリシラから顔を背けながらフェルトは傍らに立つ禿頭の巨漢――ロム爺を見上げて「なあ」と同意を求める。

瞑目し、痛みを堪えるような表情を続けている老人はその彼女の求めに、「……そうじゃな」と力ない声で応じ、フェルトはわずかに憂いを赤い双眸に宿しながらも、それ以上の言及を拒み、プリシラの皮肉の追及をそれで断ち切った。

 

「姫さん、姫さん。まだまだ始まったばっかなんだから、あんまし敵とか作んのやめてくんねぇ? オレってばただでさえ腕が一本足りねぇんだから、人の倍働かねぇと帳尻合わない困ったさんなんだから」

 

「ふん、まあよい」

 

なおもフェルト苛めを続ける姿勢でいたプリシラであったが、従者であるアルの進言によってその意思を渋々と収める。それから彼女は改めてマーコスに向き直り、

 

「が、そちらへの追及は終わらぬ。報告は妾たちにも聞こえるよう、大声で述べるがよい。妾が許す。否、それ以外を妾は許さぬ」

 

「……団長」

 

「やむを得ん。指示に従え」

 

プリシラの傲岸不遜な命に対し、衛兵はマーコスの判断を求めたが、それに対するマーコスの答えは不本意のにじんだ声音で要求を受け入れるものだった。

上司と、さらに国の今後を担うやもしれぬ人材からの命令――二つの指示を下された衛兵に、それを断るような胆力の持ち合わせはなかった。

 

彼はその表情を強張らせ、瞳を戸惑いと焦りに揺らめかせたまま姿勢を正し、

 

「報告いたします。広間での会談の終了後、騎士ユリウスが練兵場の使用を申請。受諾した現在、練兵場にて騎士ユリウスと……」

 

ちらと、報告の最中に衛兵の視線が部屋の隅――そこに所在なさげに立つ、エミリアの方へと向けられた。

その視線を受け、エミリアはふいに話を振られたような唐突感に目を瞬かせる。

そんな彼女の驚きが疑問に変わり、それが明確な言葉となって意味を結ぶ前に、正しい情報が衛兵によってもたらされる。

 

「――エミリア様の従者である、ナツキ・スバル殿が木剣にて模擬戦を行っております」

 

「……へぇ」

 

背筋を伸ばし切り、衛兵は今まさに見てきたばかりの内容をここにぶちまける。

それを聞き、顎に手を当てて感嘆の吐息を漏らすのはアルだった。他のものも多かれ少なかれ、困惑以外の感情を瞳に、あるいは表情に浮かべている。

そんな中で、はっきりと当惑以外の感情を出しようがないのがエミリアだった。

 

「……え?」

 

告げられた言葉の意味がわからず、エミリアは息の抜けるような声を漏らし、大きな紫紺の瞳をぱちくりさせて思考を停止させてしまう。

 

冷静に、落ち着いて、報告された内容を順次整理する。

つまり、こういうことだ。練兵場という場所で、木剣を使って、なぜかユリウスとスバルが決闘を行っている――整理したはずなのに、意味がわからない。

 

「ど、どうしてそんなことに……!?」

 

理解の感情が浮かばず、エミリアは浮上してきた疑念をそのまま言葉にする。

前に出て、机の向こう側に立つ衛兵に歩み寄りながら、

 

「練兵場って、お城の隣にある騎士団の建物の中でしょう? そこでスバルとユリウスが……ケンカ、なの?」

 

「失礼いたしますが、模擬戦であります。ケンカなどと、私怨が理由で始まったものと思われては騎士ユリウスの名誉に関わります」

 

声を震わせるエミリアに、衛兵はそこだけは譲るまいとはっきり訂正する。

そんな彼の言葉を耳に入れながら、エミリアはそんな些細な情報に頓着していられない。スバルとユリウスの激突は、それほど彼女に衝撃を与えていた。

 

ストレンジの魔術によって追い出された形になったスバルがどうなっていたのか、エミリアは自分のことで手いっぱいでしっかり見ていられなかったことを悔いる。

全員の前で、勢いで恥を掻いた形になってしまったスバル。うなだれる彼が広間の外に追い出され、わずかに安堵した自分がいたことも否定できない。

そんな身勝手な考えのツケが、こうして今になって回ってきているのではないか。

 

そもそも、スバルはユリウスに対してあまりいい印象を抱いていないはずだ。

広間でのスバルの独壇場――そこに水を差すような形で現実をぶつけたのは彼とストレンジであったし、昨日の王都での衛兵詰所でも一件でも、スバルは貴族らしいほど貴族として振舞う彼の態度に反感を抱いていた節があった。

 

いまだ素姓をはっきりと教えてくれないスバルではあったが、そんなユリウスへの接し方などから、いわゆる上流階級の人間に敵愾心を抱く理由があるのではないかとエミリアはぼんやり思っている。

ロズワールに対してその影響が見られないのは、ロズワール自身が貴族としては非常に変わり種に位置するからという理由もあるのだろう。

これまで表面化してこなかった問題、それ故に後回しにしてきた事情が、今の事態の火種となったことも否定の材料がなかった。

 

一度、思考が悪い方向へ転がり始めると、あとは底辺まで一気に転がるだけだ。

エミリアもその傾向に従って想像は悪い方へ進み、彼女はその整った面持ちにはっきりとした憂いを浮かべ、

 

「とにかく、すぐに止めにいかなきゃ。その練兵場に案内して……」

 

「あー、それはどうかとウチは思うんやけど」

 

急ぎ、現場に向かって二人の仲裁を。

そう考えるエミリアの言葉を、今度は特徴的な口調の少女が遮った。

 

出鼻をくじかれて顔をしかめるエミリアを無視し、長い青髪を揺らすアナスタシアはいまだ背筋を正したままの衛兵に指を向け、「ちょっと確認したいんやけど」と前置きして、

 

「その「模擬戦」やけど、持ちかけたんがどっちなんかわかるかな?」

 

「騎士ユリウスであると、聞いております。ナツキ・スバル殿がそれを受け入れた結果、練兵場での現在の状況が……」

 

「ああ、ええよええよ、言い訳せんでも。持ちかけたのがユリウスの方やって言うんなら、それで十分やから」

 

どう言い繕っても私闘――そう判断されかねない状況だ。衛兵は少しでもユリウスが不利にならないよう努めようとしたが、手振りでその努力を打ち捨てるアナスタシア。が、彼女は衛兵の意図したところを無視するわけではなく、

 

「――模擬戦がユリウスからの提案なら、ウチは止めるの反対やな」

 

と、アナスタシアは自身の従者の判断を肯定する構えを見せ、止めるために動こうとしているエミリアと真っ向から対峙したのだった。

息を呑むエミリアは、小さく肩をすくめるアナスタシアに「どうして」と声を紡ぎ、

 

「スバルとユリウスが……その、あなたの騎士と私の知人がぶつかってるのよ? 心配にならないの?」

 

「心配? なんの? ユリウスがやりすぎて、そちらさんのとこの子の治療費を払わなならんこと?」

 

不思議そうに首を傾げるアナスタシアの答えに、エミリアは言葉を失う。

しかし、彼女のその驚愕を嘲笑うように、事実嘲笑を口元に浮かべるプリシラが、

 

「確かに。あれは妾の見たところ、引き際を弁えない類の面構えをしておる愚物じゃ。今頃はそれこそ意地を張りすぎて、ただでさえ見目の悪い顔つきが二目と見れんものになっておるやもしれんな」

 

「せやね。広間で口上切ったあの度胸は見上げたもんやけど、見上げたそのまま軽すぎて飛んでってしまいそうな子ぉやったから」

 

プリシラの皮肉にアナスタシアが追従し、二人して意地悪い笑みを交換する。

その二人の姿勢にエミリアは額に手を当て、紫紺の瞳に動揺をたたえながら、

 

「あ、あなたたちは……他に、もっと言うことがあるんじゃないの?」

 

「話し合うこと……あ、賭けでもしよか? あの、ナツキ・スバルくんやったっけ? あの子がユリウスとどれぐらい打ち合ってられるか、賭けよ」

 

「普通は勝ち負けで賭けるものじゃと思うが」

 

「それじゃ賭けにならんもん。胴元のウチの総取りでええならそれでもええよ」

 

アナスタシアが指で輪っかを作っていやらしい笑みを浮かべると、プリシラは「お話にならん」と退屈そうな顔で言い捨てて前言を切り捨てる。

その二人の一貫して「傍観」に徹する態度にエミリアは絶句。彼女の考え方からすれば、彼女らの思考は発想からして受け入れ難い。

だが、息を呑んで言葉を見失う彼女に対し、さらに畳みかけるように、

 

「模擬戦の是非を問うのであれば、私も途中で止めるのは感心しないな」

 

腕を組み、それまで静観していたクルシュまでもが仲裁に向かおうとするエミリアを相反する意見で引き止めた。

「どうして」と、これまでの二人に比べれば比較的常識に則った判断をしてくれそうだと思っていたクルシュがそう述べたことに、エミリアは瞳を曇らせる。その無言の問いかけにクルシュは瞑目し、

 

「これで決闘を申し入れたのがエミリア殿の従者であれば、エミリア殿が仲裁を申し出るのは正しいだろう。だが、申し入れたのが騎士ユリウスであり、受けたのが卿の従者であるのなら、卿が止めに入るのは筋違いだ」

 

「どうして? だって、スバルは私の……」

 

「それがわからないようなら、いくら説明したとてわかりはしない。――それに性急ではあるが、必要なことだ」

 

強い口調で言い切られ、エミリアはそれ以上の追及をクルシュに行えない。クルシュもまた、エミリアに語るべきことはないとばかりに唇を固く結んでしまった。

ふと、彼女の瞳はクルシュの背後に立つ一人の人物に向けられる。青道着に赤いマント、口元の整えられた髭に、深いアイスグレーの瞳。クルシュ陣営に身を置きながらもその素性が、一切分からないというスバルと同じ境遇の魔術師。

ハーフエルフの自分にも対等に接し、豊富な知識と経験から、この場で最も有効な手立てを作り出せるであろう人物、ドクター・ストレンジへ、エミリアは彼の手でこの状況をどうにかできないか、縋るように彼を見つめた。

しかし、彼の返答は無情であった。

 

「ユリウスは信念を持って決闘を彼に申し込み、彼はそれを受け入れた。無意味な決闘であれば、私は止めに入るが、意味がある決闘ならば、介入は行うべきではないはずだ。そして、ユリウスは自らの経歴に泥を塗るのを覚悟で、行っている。そこまでの覚悟があるのなら、私も止めるには反対だ。彼が再起不能にならないことを願うばかりだ」

 

彼の発言をエミリアは目を見開いて見つめていた。良識あると考えていたストレンジでさえ、スバルとユリウスの決闘を止めるべきではないというのだ。ストレンジならば、止めてくれるだろうという安易な考えを抱いていたエミリアは、その返答を受け入れられずにいた。

 

言い包められたわけではないが、自分を除く四者が「傍観」で意思を統一している現状、エミリアは彼女らの判断がどういう理由で行われたものなのかを考えざるを得ない。考えなしに口を開けば、それは彼女らに同じ舞台に立っていないと見切られることに他ならないのだから。

 

唇を震わせ、いくらか血の気の失せた顔色で思案に沈むエミリア。そんな彼女を含めた今のやり取りを傍目に見届け、フェルトは小声で隣に立つロム爺に、

 

「全然わかんねーんだけど、つまりロム爺はどういう意味かわかるか?」

 

「あの小僧が儂が広間にくる前になにをやらかしたのかわからん。だから儂も今のやり取りを聞いた限りでの想像しかできんわい」

 

「あの兄ちゃんがなにしたか……なにしたと思う?」

 

フェルトの問いかけにロム爺は顎に手を当て、「そうじゃの」としばし黙考し、

 

「向こう見ずに全員の前でおどけてはしゃいで啖呵を切って、売り言葉に買い言葉で方々に顰蹙を買い、しまいには言い返す言葉も出ずにとぼとぼ退室命令――と、そんな感じの雰囲気が感じ取れたが」

 

「すげーな、ロム爺。ひょっとして見てたんじゃねーの?」

 

ほぼ正解そのままのロム爺の想像をフェルトが賞賛。それを受けてロム爺は「最悪の予想のも少し悪い可能性を挙げたんじゃが……」と禿頭に触れながら眉根を寄せる。それから老人は合点がいったとばかりに頷き、

 

「儂の想像通りなら、なるほど……話に上がった騎士とやらは、よほど貴族主義に凝り固まった嫌味な人間か。あるいは……」

 

もう片方の可能性を提示しかけるロム爺。が、その言葉の先を心待ちにするフェルトの心を裏切り、場の空気を一新するような音を立てたものがいる。

 

固く、鋭い踏み込みの音が会議室の床に渇いた破裂音を立て、静謐さが立ち込めていた室内の人々の心に揺さぶりをかける。

驚き、あるいはかすかな不快感などの込められた視線、それらを浴びるのは音を立てた主犯の人物――向けられた視線に対して肩を揺らし、金属製の兜の縁を隻腕で弾いて鳴らすアルだ。

 

「悪い悪い。ほら、オレってば片腕ないもんだからよ、周りの注意引こうにも手拍子ができねぇ体質なんだわ。それで代わりに足拍子ってわけ」

 

メンゴメンゴ、と悪びれない態度でアルは手刀で謝意を表明し、それからその場でくるりとターンしながら前に進み、ビシッと正面を指差すと、

 

「ま、ま、ま、お話が中心からちょいちょいずれてんぜ、気付いてる? 別に男が二人、気に食わない同士が揃えば殴り合いになることもあるだろうよ。立場やらなんやらややこしいけど、騎士だの自称騎士だの以前に男なんだから。な?そこの魔術師さんもそんな経験がなかったのかい?」

 

「……」

 

「そんな簡単な話じゃないと思うけど……」

 

シビル・ウォーのことをまるで知っているかのように話すアルに、ストレンジは無言で返した。その様子を満足げに頷いたアルは続ける。

 

「簡単な話を難しくしすぎなんだよ、嬢ちゃん。そんでもって問題なのは殴り合いやってることより、そんな秘密話をここに持ち込んだ理由の方だよ」

 

ちっちっちと指を振り、アルはエミリアに応じてから指差した相手――即ち、この場に報告を持ち込んだ若い衛兵を再度指名し、

 

「別にやり合ってるだけなら報告は事後報告でいいわな。なんでまた、団長呼びにくるぐらい焦りっぱな感じになってるわけよ?」

 

アルが差し出した疑問を受けて、傍目にもはっきりわかるほど衛兵の顔色が悪くなる。彼は問いにどう応じるべきか、戸惑うように視線をさまよわせ、アルの隣で嫣然と微笑んでいるプリシラと目が合ってしまった。

唇を横に裂き、愛らしい天使の笑顔に残虐性を入り混じらせる狂悦の表情。

 

衛兵は最後にマーコスに救いを求める目を向けたが、その救いに対するマーコスの答えは無慈悲な首振りだけであった。

 

「自分が団長をお呼びに上がったのはその……」

 

「はっきり、大きな声で、滑舌よく頼むぜ」

 

「騎士ユリウスとナツキ・スバル殿の模擬戦が……あまりに一方的過ぎるため、指示を仰ぎに参りました!」

 

アルの意地悪な要求に、衛兵は半ば自棄になったような声で背筋を正して言う。その内容を耳に入れて、珍しくマーコスは表情を怪訝そうなものに変え、

 

「……一方的、というのは?」

 

「騎士ユリウスも加減されているとは思うのですが、その……とても、見ていられなくなるほどで」

 

言いづらそうに衛兵はエミリアに視線を送り、自分が見てきたばかりの凄惨な現場の情景を、図らずもその場にいる全員に想起させる。

その態度の苦々しさに、エミリアは事態が自分の想像を越えて悪くなっているのだと遅まきに失して気付き、それまでの躊躇などの一切を放り捨てる。

 

「止めなきゃ……っ!」

 

焦燥感に彩られた呟きを漏らし、エミリアは扉の脇に立つ衛兵の横に飛びつくと、そのまま部屋を出て騎士団詰所――件の練兵場へ続く通路へと駆け出していく。

 

「お待ちください、エミリア様! おい、エミリア様を追え!」

 

「――は、はい!」

 

飛び出してしまったエミリアを部下に追わせ、衛兵が通路を駆け抜けるエミリアを追って同じように外へ。

結果、取り残された形になった室内の人々にマーコスは振り返り、

 

「お騒がせして申し訳ありません。ただいま、事態の収拾に努めます故……」

 

「いや、いいよ。それよか、嬢ちゃん追っかけてオレらも模擬戦見にいこうぜ?」

 

頭を下げようとするマーコスを制止し、アルはあっけらかんとそう言い放つと、すぐ傍らのプリシラに同意を求めるように「なあ」と肩をすくめた。

 

「姫さんも好きだろ? 弱い生き物が猛獣にいたぶられてるショーとか見るの」

 

「勝手な想像で妾を見誤るでないぞ、アル。……まあ、大好きじゃが」

 

従者の言葉を条件付きで肯定し、プリシラはそれまで体重を預けていた椅子から立ち上がると、軽く背をそらして豊かな胸を揺らし、

 

「いいじゃろう。少しばかり、退屈な話が長引いて窮屈しておったところじゃ。雑多な愚物の無様でも見下して、嘲笑するのも悪くはない」

 

音を立てて扇子を閉じ、プリシラは扉の側に立つマーコスへ先端を向ける。

そして、変わらない傲岸不遜さを保ったままで、

 

「その練兵場とやらへ案内するがいい。――そこの魔術師も妾と参れ」

 

考え込む仕草を見せていたストレンジを横目で見たプリシラは、悪戯そうな笑みを浮かべ、閉じた扇子を勢いよくストレンジに向ける。

 

「貴様、先程あの騎士と話しておったな。興味があるじゃろう?愚物の無様さがどんな結末を迎えるかを。妾は慈悲深い。その様を貴様にも見せてやろう」

 

ストレンジもある程度、時間が経てば闘技場に突入しようと考えていたため、物言いが気に入らないもののプリシラの提案を蹴るつもりはない。

ちらりとクルシュの方を覗けば、行きたければ行くといいと言わんばかりに頷く。

ストレンジは、そのままプリシラとアルを誘導する形で練兵場に急行した。

 

 

 

 

 

「スバル、とにかくこの場は僕に任せて……」

 

「ラインハルト」

 

自分の正面に立つ青年の名を呼び、スバルはその蒼穹を映した瞳を片目だけの視界ではっきりと見据える。

こうして彼に庇われ、前に立たれる経験はこれで三度目だ。確かに彼に全てを委ねれば、それで解決するのは目に見えている。しかし、だからこそ彼は譲るわけにはいかない。

 

「――そこ、どけ」

 

「……え?」

 

「……お前が、超絶いい奴で、この行動になんの悪意も……悪気もなくて、全部全てなにもかも純粋培養雑じりっ気なしの善意から飛び出たアクションだってのはわかってる。……それは、わかってる」

 

だけど、

 

「……それだけは、ダメだ。この場だけは、譲れ……ねぇ」

 

スバルが始めたこと、スバルが受けて立った戦いだ。彼にしか通せない意地があり、彼でしか届いてはいけない結末がある。この終わりを見届けるのは、彼である義務があるのだ。

その義務を放棄して他人に下駄を預けて、終わりに沈むなどあってはならない。

 

もっと単純に、シンプルに、たった一言で告げるのなら、

 

「意地があんだよ、男の子には――」

 

血走る瞳で、血の滴る唇で、流血に赤く染まる顔のまま、血を吐く思いでスバルはただひたすらに救いようがないだけの意地を張った。

その予想だにしなかった答えにラインハルトは絶句し、心中の衝撃を隠し切れないまま何度も瞬きして、

 

「意地、だって? そんな、そんなもののために……」

 

震える全否定は紡がれるよりも、ラインハルトを取り囲むように展開される鏡の空間が、彼を遮った。

 

 

 

「――――!」

 

突如ラインハルトの周囲に、鏡のような空間が出現し、彼を飲み込もうと迫ってくる。万華鏡のような空間は正面からラインハルトに迫り――、

 

「――はっ!」

 

周囲のあらゆる物全てを飲み込まんとする空間に対し、ラインハルトは「剣聖の加護」で木剣にマナを集結させると、飲み込まれる直前に力一杯空間に向けて剣を振るう。炸裂――空間が割れる衝撃が波紋となって大気を震わせ、近くに立っていたスバルの全身にも突風を浴びたような錯覚をもたらす。

驚愕に目を見開くスバルの眼前で、鏡の空間は叩き斬られるとまるでガラス細工のように割れ、その目的をついぞ果たすこと叶わず空気中に散り散りとなる。

 

そうして力技で魔術という技術に対抗したラインハルトは、空間を切断した際の衝撃を和らげるため軽やかに後ろへと飛んでおり、着地と同時に裾を払うと、今の出来事がなにもなかったかのように平素の状態へ立ち帰る。

と、それから彼は真剣味を増した視線を斜め上――そこから跳躍して飛来する存在に向け、険しい表情を作った。

 

「なんのつもりですか、ドクター殿」

 

「なんのつもり、か。第三者が要らぬ介入を招いて事態をややこしくしていないか、見に来ただけだ。まさか、木剣にマナを集結させてミラー・ディメンションを叩き割るとは思わなかったがな」

 

言いながら、マントを靡かせ砂埃を立てぬように、ゆっくりと着地したのはストレンジだった。

地面に降り立った彼は、顔をボコボコにされ、あざまみれになった無様な姿を見せるスバルと、彼とは正反対にその美形な顔を崩すことなく、木剣を握りしめるユリウス、そしてスバルを庇うようにユリウスを相対するラインハルトの三人を順に見て、ふむと一言呟くとラインハルトに身体を向ける。

 

「決闘に横槍とは関心しないな、ラインハルト。 彼らには彼らなりの信念がある。お前が出る幕ではない」

 

あくまで敵対意志がないことを示すため魔術は展開せず、説くイメージでストレンジはラインハルトに語りかけた。あくまで、彼はラインハルトの横槍を止めたいのみであるので、態々魔術を展開して彼を脅すつもりなどはない。

しかし、いくらストレンジであろうともラインハルトといい勝負はできるが、彼を戦闘不能に追い込むことはできない。

事実、ストレンジ自身もそれを自覚しており、万が一彼が戦闘を行うようなものなら、さっさと身を引く気でいた。

 

「それはドクター殿も同じだと思いますよ。いきなり、魔術で生み出した正体不明の空間を展開するのですから。本来であれば、ドクター殿と敵対するようなことは避けたいのですが、万が一の時はたとえ貴方が相手だろうと容赦はしません」

 

「私だって、お前のような規格外の強さを持つ相手には、なりたくないものだ。本来であれば、騎士でない私がこの決闘に介入することは憚れるべきことも承知だ。しかし、どうもお前は思い違いをしている」

 

ストレンジはゆっくりと腕を上げ、スバルとユリウスの二人をそれぞれ示しながら、

 

「少なくとも、彼方で偉そうに踏ん反りかえってる騎士たちは、君の介入を望んでいるようには見えないな」

 

「……」

 

言われ、ラインハルトは訝しむ顔つきのまま周囲を見回す。そして、遅まきに失してようやく気付く。

こちらを見ている騎士や衛兵――数十名からなる観衆のその瞳に、熱狂とそれが覚めた故の理性的な感情、それとは別に浮かぶ掠れた感情の波が浮かぶのを。

 

「なるほど、超人といえども状況察知能力は人並みか。それにしてもーー」

 

言いかけ、ストレンジはそこで一度言葉を切った。

彼は周囲を見回し、ユリウスやフェリス、その他の状況を見守る騎士たちの姿を目に入れてから首を振り、

 

「いや、お前の場合は、騎士というより英雄ラインハルトとして話したほうが良いか」

 

「……ドクター殿の仰る意味が分かりません」

 

「英雄であるならば、困っている人がいれば全て助けるのが当たり前と心で思ってる。お前がそう思うのは大いに結構だ。しかし、時にその手助けが要らぬ厄介事を招く事があることも事実。残念だが、今がその時だ。お前は、あの少年を助けた後始末をどうするのか、あまり考えてはいないらしい」

 

ふう、とため息を吐いたストレンジはラインハルトに、話は終わりだと言わんばかりにフィールドから下がり始める。しかし、あくまで戦闘態勢を崩さないまま、万が一暴発しようものなら力ずくで止められるよう、緊張は絶やさない。

彼は訝しむラインハルトに取り合わずにさっさと移動したことで再び対峙する形になったユリウスとスバルの方を見ると、

 

「悪いな、ユリウス。お前の決闘に邪魔するような形で乱入して。一先ず、君の友人が介入して事態をややこしくするのは避けられたようだ」

 

「いいえ、お気になさらず。ですがある意味で、ドクター殿の介入も事態をややこしくしそうでしたが」

 

帰り際に、突然妨害してしまったことを謝罪するストレンジに対し、ユリウスは苦笑しつつも警戒の目は絶やさない。かすかに眉を上げたユリウスはスバルに目を向けた。満身創痍の状態から、ストレンジ登場の時点から碌なリアクションを起こせていない彼は騎士としてもあり得ないほどの弱さだ。

 

「彼を殺す気で叩きのめすのは結構だが、決して殺すな。親しい間柄の人物が殺人鬼になるのはごめんだからな。それに、元医師としても非常に見逃せない」

 

「それは心得ています」

 

ストレンジの応答に、ユリウスは納得とばかりに顎を引き、

 

「感謝します、ドクター殿」

 

と一言。ラインハルトを牽制しつつ、ストレンジはユリウスにそっけなく答えた。

それを受け、すでにユリウスの意識は当事者外である彼らにはなく、

 

「待たせたね」

 

「今の、油断の間に……ホントなら、十回殺せたぜ……」

 

短い謝意に、減らず口で傷だらけのスバルが応じる。

改めて木剣を構え直すユリウスに、スバルは折れ砕けた右手を放棄して左手一本に木剣を持ち替えると、その柄をしっかりと絞るように握り直した。

 

それを見て、ユリウスは静かに確信する。

――次の交錯が、この無益な争いの最後の打ち合いとなるだろうと。

 

 

 

 

 ――次の一撃で全てが決まると、とスバルは内心で結論付けていた。

 

肉体の限界を感じている。もとより、立っているのが不思議な重傷状態。小汚い根性だけを支えに膝を屈さずにいるが、それもいつまでもつものか。

 

打たれれば、根性だけが支えの堤防はあっけなく崩壊して意識も矜持もなにもかもを押し流すだろう。

逆に打ち込めたとしても、そこからの先に繋げるだけのものが内側になにも残っていない。やはり苦痛と疲労の濁流がスバルを沈没させることは違いがない。

 

挑み続ける答えは見えない。今もなお、スバルを突き動かすのは八つ当たりにも似た怒りの感情それだけだった。

目の前で、澄まし面のままこちらを見ている男が気に入らない。その鼻っ柱をへし折ってやろうと幾度も挑んだが、結果はこっちの鼻っ柱以外の色んな部分がへし折られて砕かれる有様だ。

 

だから決めた。今、決めた。

どうして挑むのかは、あの鼻っ柱をへし折ってやりたいからだ。

一発ブチ込む、一発必ずブチ込んでやる。それさえ叶うのならば、なにをしてやろうと構いはしない。

 

息を吸うだけで肺が痛む。息を吐くときに口の中が盛大に痛む。

痛みで意識を晴らしながら、スバルは全身に残された力をかき集めて機を待つ。

ユリウスの意識がそれる瞬間を、彼の鼻っ柱をへし折る、そんな天機の訪れる刹那の可能性を、そのひと欠片の瞬間を逃さないために。

 

ユリウスの視線が一瞬、泳ぐ。

それを見た瞬間、スバルの体が前に飛び出していた。

 

音は聞こえない。なにもかも置き去りだ。

雄叫びを上げる余裕すらなく、スバルは握りしめた木剣を振り上げてユリウスへ迫る。わずかにスバルから視線を外した騎士は、まだこちらに反応していない。

 

なにがその気を引いたのか、それを考える脳細胞すらこの一撃に込めた。

 

「――――!!」

 

声が聞こえた気がする。

音も聞こえない世界で、景色もなにもかも置き去りにしたはずの世界で、自分と殴るべき相手以外、なにも存在しないはずの世界で。

 

声が聞こえた。

誰かの声が聞こえた。スバルの耳を、誰かの声が聞こえた。

 

「――――ル!」

 

音になった。確かな音になった。

意識が引きずられそうになる。今は一点、目の前の存在へと向かうことだけがスバルの存在意義なのに。

 

「――――バル!」

 

鮮明になり始める。意味を持ち始める。

それがはっきりと聞こえてしまったら、もはや取り返しがつかない。

だからスバルは全てを振り切るように、すぐ側にまで迫ってきている圧倒的な恐怖から逃れるために、全身全霊を振り絞り――叫ぶ。

 

「――――スバル!!」

「――シャマク!!」

 

はっきりと、聞こえた銀鈴の声を裏切って、声高にそれを詠唱した。

黒雲が、赤茶けた練兵場の大地を塗り潰す――。

 

無理解の世界が展開された。その中を駆け抜け、スバルは理解の及ばない世界の中でただひたすらに脳が命じるままの行動を行う。

 

視界は確保されていない。

目的はもはや脳が認識してない。

心はすでになにも見えていない。

 

――ただ左手を、振り上げた左腕を、目の前に向かって振り下ろす。

 

理解の及ばない行為だったが、左腕は黒雲に呑まれる前にその挙動に入っていた。故に、意識のあるなしに関わらずその行動は果たされる。

 

全てを見失ったスバルの判断が、行動が、どんな結果に結びつくのか、もはや自ら世界を閉ざしたスバルにはわからない。わからないはずだった。

だが、

 

「これが、君の切り札というわけか――」

 

聞こえないはずの世界で、はっきりとその声が鼓膜を震わせて、

 

次の瞬間、晴れた黒雲の向こうから迫る刃をその身に受けて、スバルの体は激しく容赦なく、大地の上に叩き落とされていた。

 

痛みではなく驚きがあった。

膨大な量が噴出した黒雲が完全に霧散し、空に広がるのは先ほどからなにひとつ変わらない憎たらしいほどの晴天の空。

仰向けに大の字になっているのだと、スバルはそれでようやく気付く。

 

「『陰』の系統魔法を使うというのは予想外だった。意表を突かれたのは認めよう」

 

声が上から投げかけられる。

いまだ、視界を空に占有されるスバルはそれを呆然と聞きながら、流れ落ちてくる現実を受け止めるのに手いっぱいになっている。

 

「だが、錬度が低すぎる。なにより、低級の『陰』魔法など自分より格下の相手か、あるいは知能のない獣でもない限りは通用しない。私にはもちろん、近衛騎士の誰ひとりにすら、この策は通じなかったことだろう」

 

否定の言葉が降り注ぐ。 

動けない。動かない。

意識ははっきりとしているのに、体がもう言うことを聞かない。

 

「切り札を切ってすら、これだ。もうわかっただろう」

 

憐れむような声が投げられている。

全てを諦めろと、スバルの心を殴りつける声が降り注いでいる。

 

状況を変えられると思った。

縋れるものに縋り、吐き出せるものを吐き出し、やれると思っていた。

なのに――、

 

「君は無力で、救い難い。――あの方の側にいるべきではない」

 

その言葉だけは否定したくて、スバルは軋む首だけを動かして視界を空から移動させる。どうにかこうにか、その果てに立つ男を睨みつけようとして、

 

「――――」

 

――銀色の髪の少女の、紫紺の瞳と視線が絡んだ。

 

詰所に隣接する棟と王城を繋ぐ、細い通路の上に彼女は身を乗り出していた。彼女の隣にはあの魔術師が、彼女を抑えるように手で制し、背後には他にも見覚えのある女性陣が並んでいる。それぞれがそれぞれの感情を瞳に宿して練兵場の様相を見下ろしていた。

 

だが、そんなことはもうどうでもよかった。

他の誰にどう思われたとしても、スバルにはなにもかもがどうでもいい。

 

ただひとり、たったひとり、この世で、この世界で、もっともこんな場面を見られたくないと思っていた人が、そこに立っていなければ。

 

ぷつんと、自分の中でなにかの糸が切れるような音がしたのをスバルは聞いた。

 

それを最後に、意識が一気に遠ざかり始める。

それまで鮮明だった意識が切り離され、世界が急速に霞み始め、今度こそ本当の意味でなにもかもを置き去りに、スバルの意識は奈落の底へ落ちていき、

 

「――スバル」

 

聞こえるはずのない呟きで呼ばれた気がして、なにもかもが消えた。




前書きでも書いたヴェノムの感想ですが、エディとヴェノムの関係性がとても良かった!「もうお前ら、夫婦かよ〜笑」と思いながら、見てました笑
エディとヴェノムの出会いが、本物の「運命」であったことがよく伝わった映画です。

そしてポストクレジット!これは、是非とも劇場でみてほしいです!


さて、本編はスバルとユリウスの決闘が終わったところまで進みました。これからスバルとエミリアは喧嘩して、スバルとレムを王都に残して、エミリアは領地へ帰還することになるわけで、その後の物語の展開を踏まえると、ここが時間の絶対点ってことになるんですかね。
因みにストレンジは、何処かの世話焼きな隣人とは違って、他人の喧嘩にまで口を突っ込む気はないのでスバルとエミリアにはノータッチです。

???「あら〜?私をご所望?任せて、そんな仲裁なんて私の得意分野だわ〜!」


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三十三話 動き出す事態

これを書いている2021/12/14は、スパイダーマン最新作公開の3日前、早いところでは明日公開
日本は来年の1月7日まで我慢!


それでは本編どうぞ!


決闘の後、ストレンジは気絶したスバルを来賓室の一角に連れて行き、その後の処置をエミリアに任せた。そしてユリウスとフェリス、そしてマーコスによるユリウスの簡易裁判を傍聴した後に、カルステン邸に戻っていた。

 

最早の争点であるユリウスの処遇については、謹慎程度で済むことは明らかだった。明らかに騎士団を挑発するような物言いを行ったのはスバルであったし、逆にあの場で彼を殺さない程度に痛めつける事ができたのは、ユリウス以外にはいなかった。スバルに甘すぎるラインハルトや魔術師である自らでもない、ユリウスにしかできない事であり、マーコスもそれには薄々気付いていたらしい。傍聴席から立会人として見学したストレンジは、ユリウスとフェリスの軽い面持ちを見て、そのことを確信した。

 

一方で、ストレンジには懸念する点があった。それはスバルとの接触である。以前のメイザース邸での会見で、スバルの治療に関してエミリアとフェリス、ストレンジ、ロズワールの四者で話し合った際、彼を治療する事はほぼ決まっていたのだが、今日の一件で完全にストレンジとスバルは仲違いを起こしたことで、その方針に大きな違いが生ずることになった。

 

スバルもストレンジもお互いの印象は最悪で、どちらも顔を合わせる気が皆無であり、そもそもストレンジが乗り気になったとしても彼が治療を受けようとは思うまい。よって治療はフェリスのみで行われることになった。

 

彼の身を案じていたエミリアは、あの模擬戦の後で喧嘩でもしたのか、王都を出立する際の挨拶廻りに来た時、以前とは打って変わって彼に関する言付けは少なかった。それでも彼女なりに気にかけているのか、酷く悲しい色を瞳に浮かべ、「スバルを、お願いします」とだけ伝えてきた。目線を落とし、哀愁を漂わせる彼女の悲しい表情は、これから王選を戦う候補者とは程遠い。

 

何はともあれ、一つ屋根の下、ストレンジとスバルはしばらくの期間、過ごすことになったのである。

 

 

 

 

 

王選が始まってもなお、ストレンジのやることに変わりはない。スバルが起床する前に早めの朝食を摂ると、その足で王立図書館に赴き、古今東西の文献を読み漁り、この世界についての知識や伝承、そして元の世界への帰還方法を探る。

元の世界への帰還はストレンジにとって、変わらぬ第一目標である。彼方でどれくらいの時間が経っているかは分からないが、マルチバースや宇宙からの脅威に晒され続けている地球に一刻も早く戻り、決戦に備えなければならない。

それにタイム・ストーンがこちら側にあるのも非常にまずく、カーマー・タージ最強の武器が地球に無ければ、ドルマムゥといったストレンジと因縁のある敵が地球に襲来することも十分にあった。

だからこそ、ストレンジは図書館に篭って文献を読み漁り、この世界の構造をいち早く理解する必要があったのだ。

そして図書館の閉館時間である夕方にカルステン邸に戻り、屋敷の住人と夕食を摂り、その後は瞑想や魔術の修練を行なって屋敷の住人が皆寝静まった夜遅くに就寝する。

 

なるべくスバルに接触しないよう、彼の出没する時間は避けてーー

 

 

 

 

 

 

スバルがカルステン邸に治療を受けてから、4日目が経過した。

スバルはフェリスによる治癒を受けている間、ヴィルヘルムに剣の稽古をつけてもらったり、クルシュとの晩酌で覚悟のようなものを説いてもらったりと、様々なフォローをもらっていた。しかし、ストレンジ本人が接触を拒んでいることもあり、彼から何かを教えてもらうことや何かを説いてもらう事はなかった。

スバル自身も、ストレンジに何か話す事はない上、クルシュやヴィルヘルムも彼の内心に薄々気付いており、彼らから接触させるような働きかけもなかった。しかし、その均衡は崩れることになる。

 

朝、いつも通りの時間に起床し、いつも通り朝食を摂って図書館に行こうと部屋を出たストレンジにクルシュが声をかけてきたのだ。

 

「ドクター、少しいいか?」

 

「何か困りごとか?断っておくが、あの少年と関わるのはゴメンだ。何をされるか分かったもんじゃない。それで?」

 

「……残念だが、卿が懸念しているナツキ・スバルの件だ。卿の知見を借りなければならない事態に陥ったそうだ」

 

ストレンジの言葉を受け、クルシュはストレンジの知恵を借りなければならないような事態が起こったことを伝えた。即座に彼の脳裏を掠めたのはマルチバースからの脅威、つまり次元を超えた脅威がこの世界に侵食し始めていることか。

 

「卿が心配しているようなことではないことは保障する。だが、詳細は分からない。我々もついさっき、事の情報を聞いたばかりだ。正確な事は彼女に聞くといい」

 

と、クルシュの背後から姿を見せたのは青い短髪が特徴でメイド服が似合うその見た目と、献身的な性格が特徴の鬼メイド、レムの姿があった。

レムはストレンジに向かって深々と頭を下げた。

 

「お忙しいところ申し訳ありません、ドクター様。実はスバルくん……エミリア様のことで気になる事がありまして」

 

「……あの二人の関係性を修復するとか、あの少年への想いをどうやって伝えるか、という質問はセラピーにしてくれ。私の専門外だ」

 

「い、いえ!そのようなものではなく……いえ、意中の相手は確かに聞いてみたい気もしますが……」

 

ゴニョゴニョと口籠るレムは、後半聞き取れないような小さい声で何かを呟いた。ストレンジはその言葉を訝しげに聞いていたが、その様子を見たレムは、はっとすると表情を引き締めた。

 

「実はクルシュ様とフェリス様にはお伝えしたのですが、私の鬼の機能といいますか、共感覚というものがあります。、それが……」

 

どう表現するべきか困っているレムは、事情を知らないストレンジに対してどのようにして伝えるべきか困っている様子。マルチバースからの脅威という、最悪の事態ではないことを察したストレンジは、レムの言葉を受ける前に彼女が望んだ答えを口にする。

 

「……何やら、不穏な事態が発生しているようだな。話を聞く分には構わない。聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

ストレンジが応接室に通され、クルシュやフェリス、遅れて部屋に入ってきたヴィルヘルムが待機していると、息を切らして肩で息をするスバルが駆け込んできた。クルシュはそんなスバルの姿を見ると凛々しい眼差しの中で瞳を細めると、

 

「その様子を見ると、すでに話は聞いているようだな」

 

不要な前置きの手間が省けたとでも言いたげに、クルシュは怜悧な面に感情をうかがわせない輝きを宿してそう告げる。

先手をとられた感が否めない中、スバルは応接用の椅子に座るストレンジを見つけると、途端に顔を厳しくする。

 

「なんで……あいつがそこにいるんだ?」

 

先の王城の一件で、スバルがストレンジに対して嫌悪感を抱いていたことは室内の全員が把握している。にも関わらず、この場に彼を居合わせるように仕向けたのは誰なのか、無意識に彼は周囲を探る仕草を見せる。ストレンジに助力を頼んだレムは視線を向ける。無表情の中にもわずかに緊張感の見える表情を浮かべ、

 

「スバルくん、ここにドクター様をお呼びしたのは広く意見を集めようと思ったからです。レムは姉様と違って千里眼は使えません。今朝の一件も、あくまで姉様の感覚を通じたもので、具体的に見えたわけではありませんから」

 

「だけどよ、レム。よりにもよってあいつに貸しを作るのは……」

 

悔しげに、眉をひそめるレムは自身の力足らずを唇を噛んで惜しむレムに対して、スバルはどうも自身の厭悪を払拭できずに、無意識に拳を握りしめた。一方、レムの言葉を聞いたクルシュは得心したとばかりに感嘆を漏らし、

 

「ロズワール辺境伯に仕える双子の給仕の話は聞いたことがある。なるほど、王都と領地ほど離れていてもある程度の情報交換が可能なのか」

 

「申し上げました通り、漠然としたものです。非才の身ではそれが精いっぱいでしたので」

 

腰を折り、クルシュの賞賛に対して謙遜してみせるレム。そんな彼女らのやり取りを横目に、スバルは一歩前に出ると「待った待った」と手を振り、

 

「今はそのあたりの話はどうでもいいよ。肝心な部分についてが聞きたい。さっきの感じからすると、もうちょい詳しい内容がわかってんだろ?」

 

「こっちのも情報の確度って意味じゃ、やや信頼に欠けるんだよネ。かにゃーり色んな人間の隙間を縫って通り抜けてきた情報だし?」

 

逸る気持ちが隠し切れないスバルに、フェリスはいつもの悪戯な眼差しを向けてくる。その視線に対して睨みつけるアクションを返すスバルに、彼は「たーだーし」と唇に指を当てながら愛らしく小首を傾げ、

 

「そのへんのぼんやりした感じが、さっきのレムちゃんの第六感と組み合わさるといーい感じにまとまりを見せ始めてくれたり?」

 

「先延ばしすんな、結論」

 

あくまでスバルをからかう態度を崩さないフェリスに、スバルは応接用の机に手をつき、顔を突きつけるようにして恫喝する。

しかし、そんな彼の要求に対し、手を叩いて意識を引いたのはフェリスではなく、

 

「逸る気持ちは理解できるがな、ナツキ・スバル」

 

フルネームでスバルを呼び、緑色の髪を揺らしてこちらを見るのはクルシュだ。

その視線の鋭さを浴び、ふいにスバルは水を浴びせられたような錯覚に陥り、思わず息を呑んで身を引いてしまう。

長身のクルシュと、スバルの上背の差はせいぜい五センチといったところで、それでもスバルの方が高いことには違いない。にも関わらず、スバルはまるで平行に立っているはずの彼女に見下ろされているような圧迫感を覚えていた。

 

持ち得る器の違いこそが、そうした互いの感じ方の違いを生んでいるのだろう。生物としての格の違いを不必要な場面で思い知らされるスバルに、クルシュはこちらの内心など知らぬ存ぜぬといった態度で、

 

「我々が卿に情報を開示する理由がそもそもない、と突っぱねたらどうする?」

 

「な……?」

 

「予想して然るべき返答だろう? 卿は今、当家が預かっている客人だ。その立場はそれ以上を保障するものではない。当家を含めた王選の進退に、ただの客人を関わらせることなどあるはずがない」

 

正論すぎる正論に真っ向から叩き潰され、スバルはぐうの音も出ずに唇を曲げる。

同時に思ったのは、自身のあまりに短慮で浅はかな甘さへの怒りだった。ストレンジの事で頭が一杯になっていたが、つい先日にも自覚したばかりだった。ここはあくまで「敵」の懐であり、なにかあればこちらに否応なしに牙を剥かれる場所なのだと。

当然、クルシュやフェリスもそれに準じた姿勢をこちらに向けるに決まっている。

のこのこと顔を出し、情報をくださいなどと甘えた論理が通るはずがない。

 

「クルシュ様、フェリス――お戯れはそこまでに」

 

内心に敵意の炎と、どうやって情報を聞き出すか思考を巡らせていたスバル。その回転に待ったをかけたのは、この場でそれまで沈黙を守っていたヴィルヘルムだ。

彼は咎めるような目を主とその従者に向けると、

 

「平時なればその余裕もありましょうが、今は互いに火急とわかっている次第。無用な言い合いは後々に禍根を残すこととなりましょう」

 

「後々があればー、だけどネ」

 

「フェリス」

 

「わかったヨ、ヴィル爺。静かにしてますー。むぅ、恐いんだからー」

 

唇を尖らせてソファに弾むように座り、フェリスはそのまま耳と目を塞いで黙り込む。その子どもじみた態度に吐息を漏らすヴィルヘルムと、含み笑いのクルシュ。ストレンジは彼ら三人のやり取りには参加せず、傍目から見るのみだ。

そんな彼らの態度についていけないスバルは目を瞬かせるが、

 

「非礼を詫びよう、ナツキ・スバル」

 

「へぁ?」

 

「今のは少し、卿を試させてもらった。大した意味はない。だが、ここが卿にとってはそう意識せざるを得ない場であるという点は留意してほしい」

 

抜けた声で応じるスバルに謝意を示し、しかし警告を欠かさないクルシュ。その言葉にスバルは改めて己の立ち位置を自覚し、目の覚めるような意識の覚醒を得る。

つまるところ、スバルは望むと望まざるとに関わらず、与えられた環境に甘んじるだけでは許されない位置に今やいるのであると。

 

気を引き締め直す、というには些か心が落ち着いていないが、それでも意識を切り替えるスバルを見てクルシュは我が意を得たりといった様子で顎を引き、

 

「ロズワール辺境伯の領地、その付近で少々厄介な動きが見られる。領内は辺境伯の命令で警戒態勢に入ったとのことだが……」

 

「厄介な動き? 警戒態勢?」

 

物騒な単語が飛び出したことに、スバルは眉を立てて疑問を口にする。

するとクルシュよりも先にストレンジが口を開いた。

 

「予測できる出来事だな。世間から忌み嫌われるハーフエルフを王選の候補者として担ぎ上げる。常人からすればイカれてるとしか思えない大博打な賭けを行なっていれば、それだけ反発も起きるだろう。奴が彼女を支援すると確定した時点でな」

 

「……領民勢から不満の声でも爆発するってのか?」

 

「当然、それもあるだろうな。『嫉妬の魔女』と瓜二つの姿を持つ少女が王選に出馬する。悪名が広がっている以上、ハーフエルフであることはそれらの偏見と戦っていくことは定められた運命だ」

 

とっさに浮かんだ懸念はストレンジによってそれをあっさりと肯定されてしまう。

またエミリアの出自が彼女の枷となることがスバルには許せなかった。彼女自身が悪いわけではないというのに、世界はどれほど彼女の足を引くのか。そして、当の彼女本人の人柄も知らず、偏見だけで物を語る「領民」という顔も見えない連中が憎たらしくてしょうがない。

 

「私が思うに、彼女は覚悟の上でこの険しい道を歩んでいる。覚悟を決めた者に口を挟むなど烏滸がましく、お前が憤るのは筋違いだということを理解したほうがいいだろう」

 

「違ってるわけねぇだろ。本人が悪口言われるのを覚悟してるとか言われ慣れてるとかそんな話じゃねぇよ。そもそも、悪口言われなきゃならねぇ理由がないっつってんだ」

 

ストレンジの言葉に険しい顔つきで言い返し、スバルは「とにかく」と話を元の方向へと引き戻すと、

 

「そのくだらないことが理由で、ロズワールの領地でいざこざが起きてるってのか。下手したらボヤ騒ぎじゃ済まない、大火事になるって?」

 

「面白い表現だが、的を射ている。事の仔細は別として、大筋はそれで正しい。卿の従者の感覚にも、それで説明がつくのではないか?」

 

問いを投げかけられ、室内の視線がレムに集まる。

表情をうかがわせないポーカーフェイスのまま、レムはもっとも身近な視線――スバルのものに目を合わせると、その視線の意図に応じるように頷き、

 

「姉様から伝わってきた感覚は、いくらかの焦りとたくさんの怒り……でした。伝えようとしたものではなく、堪え切れずに漏れ伝わってしまったのだと思います」

 

「その共感覚ってのは、そんな頻繁にお互い感じ合ってるもんなのか?」

 

「いいえ。ある程度、意識して制御しています。それでもあまりに強い感情の場合、それを乗り越えてお互いに伝わってしまうこともあります」

 

後半にいくに従い、レムの言葉からは力が失われていく。

彼女の言を整理するならば、ラムからレムに伝わった今回の感情の波はイレギュラーなもので、もしもラムがレムに救援を求めるのが理由で共感覚を用いたのであれば、もっとわかりやすい形で、それも断続的に届くのが自然だ。

にも関わらず、今回の共感覚は漏れ伝わったものが一度だけでその後が続いていない。これはつまり、

 

「関わらせないようにでもしてる……ってのか」

 

口の中だけで呟き、スバルは自分の想像に身を焼かれそうな感情を覚える。

もしもラムの意図がこちらの想像通りであるとするならば、ラムにそう命じた人物が誰であるのか、あるいは誰の思惑によるものかは想像に難くなかった。

 

スバルは今、カルステン家で治療を受けている身だ。レムはそれに付き添う形でいる。レムに伝わるということは、スバルに伝わるということと同義。

 ――それほどまでに、彼女はスバルを己の道に関わらせたくないというのか。

 

「でも、困ってるんだろ……?」

 

事が王都に居を構えているクルシュたちにまで伝わってくるほどだ。そして、自制心という意味ではレムより勝るラムが、その感情を堪え切ることができずに零してしまうほどの状況。

頼れるものは相変わらず少なく、敵は彼女にとって理不尽なほどに多い。そんな状況下で、なんの裏表もなく味方になれる存在がどれほどいようか。

 

「助けにいかなきゃいけないよな」

 

顔を上げて、ぽつりとそう呟いたスバルに今度は視線が集まる。

クルシュは片目をつむり、フェリスはその悪戯な眼差しをわずかに細め、ヴィルヘルムは変わらず皺の深い顔立ちに感情の波を浮かべず、ストレンジは瞳の奥に呆れの色を浮かべ、そしてレムは、

 

「い、いけません、スバルくん……!」

 

袖を引き、レムは小さく唇を震わせながら大きな瞳を押し開く。

瞳に浮かぶのは焦りと戸惑い、そして決死なまでの懇願の色だった。

 

「エミリア様の、ロズワール様のお言いつけは守らなくては。スバルくんはクルシュ様の邸宅で治療に専念するようにと。レムも、レムも同意見です。傷付いた体を癒すことこそ、今のスバルくんにとって最優先で……」

 

「そうこうしてる間に取り返しのつかないことになったらどうするよ。そうなったら目も鼻も耳も当てられねぇ。どっちを取るかってことさ」

 

縋りつくようなレムの態度を押しのけて、スバルは前に出るとクルシュの顔を見る。静かに見つめ返してくる琥珀色の双眸を受け、居住まいを正すと、

 

「聞いての通りだ、クルシュさん。俺とレムはロズワールの屋敷に……エミリア様のところに戻らせてもらう。事が片付くまでは治療はお預け……」

 

「ナツキ・スバル。――ここを出るのであれば、卿は私にとって敵ということになる」

 

後々の話をしようとするスバルを遮り、クルシュはあくまで冷然とそう告げた。その言葉の切れ味のあまりの鋭さに、スバルは事実身を斬られたような錯覚を覚える。そして、切り傷から痛みが伝わるように意味が広がり始めると、

 

「ど、どういう……」

 

「ひとつ、卿の考えを正しておこう。私が卿を客人として扱い、フェリスの治療を受けさせているのはひとえに契約があってのことだ」

 

「契約……?」

 

聞き返すスバルに「そう」とクルシュは頷き、彼女は組んだ腕の先で指をひとつ立てて、

 

「結ばれた契約はエミリアと私……フェリスを介してのものだが、内容は卿の治療を行うこととその見返り。互いの同意をもってそれを成立とし、私は卿を客人として迎え入れている。だが、私がこの契約を守るのには理由がある」

 

「――――」

 

「私がエミリアとの契約を守るのは、これが王選以前に結ばれたものだからだ。王選以降の私とエミリア、互いの関係は政治的な敵同士。故に、エミリアの陣営のものに手心を加えてやる温情など本来はない。だが、契約は契約だ」

 

たびたび繰り返し、クルシュは「契約」という言葉を用いて事を強調する。

聞きながら、スバルはその単語が「約束」の二文字に聞こえ、そしてその単語がエミリアと交わした最後の会話に繋がってしまう居心地の悪さを覚えていた。

 

「約束」を守らなかったスバルに、「契約」の履行を優先するクルシュ。

彼女は内心の罰の悪さを表情に出すまいとするスバルに、殊更その視線を鋭くし、

 

「卿が当家を離れるというのなら、その契約も中途で手放されたものとする。互いに遺恨なく、あとは私とエミリアは完全な敵同士だ。そしてそのエミリアの陣営として動く卿も当然、私にとっては敵となる」

 

「だから出ていくなら、それで治療は打ち切りってわけか……ずいぶんと、せこい真似するじゃねぇか。ようはピンチになってるエミリアを助けられたら困るから、俺たちを行かせたくないってわけだろ?」

 

「この場に及んでまだ状況を理解できていないとは。流石、献身的な自称騎士様だ。勘違い甚だしいにも程がある」

 

と、スバルが挑発めいた軽口で己の内心の誤魔化しを行ったときだ。

それまで事の成り行きを見守っていストレンジが顔をスバルの方へ向け、王城での一件のようにスバルに対して強い口調で言う。

 

「未だにクルシュの真意を掴めないとは。お前の頭は小学生か?言っておくがこれは意地悪ではなく、彼女からの温情だ。分からないのか?例え、お前たちがエミリアを助けに戻ったとしてクルシュたちには損にならない。それでも彼女が引き止めているのはーー」

 

「ドクター、よせ」

 

「いや、彼の勘違いは酷すぎるものだ。だからこそ指摘する必要がある」

 

短い言葉で引き止めようとするクルシュに首を振り、ストレンジは改めてスバルを見据える。

 

「断言しよう。お前たちが行ったところで、状況が変わるわけではない。スーパーヒーローであるならば話は別だが、超人の力を持たないお前たちは行くだけ無駄だ。最悪、死体が二つ増えることになる。それにお前たちはまだ若い。態々、危険な場所へ行って死ぬにはまだ早すぎる。それに少年は、エミリアが対価を支払ってまで結んだ治療の約束も反故にし、また彼女を裏切ることになる。そんなことするぐらいだったら、大人しく成り行きを見守りながら、体を治してた方が身のためだ」

 

プツンと、音がした。

 

頭の中ではち切れるような音がしたのをスバルは聞き、そしてそれが癇癪を押さえ込んでいた袋の口だったのだと気付いたとき、スバルは想像を絶する屈辱に唇を噛み切りかけるほどだった。

 

「決めたぜ」

 

それらの感情の全てを面に出さず、スバルは静かにそう言葉を紡ぐ。

激情はいまだ胸中で炎を上げているが、その熱は外に噴き出すことを選ばずにスバルの内面を焼き焦がし、ひとつの結論を導き出すに至った。

 

「俺は屋敷に……エミリアのところに戻る。短い間だけど、世話になった」

 

「スバルくん!」

 

はっきりと決別を口にするスバルに、取り縋るような声音でレムが叫ぶ。が、スバルはその彼女に掌を向けて黙らせると、正面にいるクルシュ陣営を見下ろす。

スバルの言を聞き、しかし瞑目するクルシュの内心はようと知れない。ストレンジは忠告を聞かない者の運命など知ったことではない、と言わんばかりにスバルから目線を逸らしている。しかし、彼女の隣で深く長いため息を漏らすフェリスはわかりやすく渋い顔だ。

彼は首を振り、呆れた様子を隠す素振りもなくスバルを見ると、

 

「スバルきゅん。忠告を素直に受け入れるのも、その人の器を測る要素だと思うけど?」

 

「お前たちの忠告のおかげで決断できたよ。ありがとよ」

 

はっきりと皮肉でもって返すスバルに、肩をすくめるフェリスはそれ以上の言葉を作るのを諦めた様子だ。代わりに会話を引き継いだのは、

 

「ナツキ・スバル」

 

名を呼び、見開いた双眸でスバルを見上げるクルシュだ。その凛とした眼差しに見据えられ、スバルはその眼光に屈すまいと意識を引き締める。たとえなにを言われたとしても、一度吐いた言葉を曲げるつもりはない。無力で愚かと誹られたとしても、それが何ほどのことがあろうか。

だが――、

 

「悪いが、当家の長距離移動用の竜車は全て出払っている。貸し出せるのは運搬用の足の遅いものと、中距離間で地竜を取り替えながら走ることを前提としているものしかない」

 

そうして内心で息巻くスバルを余所に、クルシュが口にしたのはまったく別の話題――否、スバルの決断をある意味では肯定するような言葉だった。

 

一瞬、なにを言われたのかわからずに目を白黒させるスバル。そんな彼をクルシュはわずかに怪訝そうに見て、傍らのフェリスを振り返ると、

 

「フェリス、私はなにかおかしなことを言ったか?」

 

「クルシュ様の切り替えの凄まじさにはフェリちゃんいつもクラクラにゃんですけどぅ……今回はほら、スバルきゅんも竜車を貸し出すお話までしてくれるとは思ってなかったんじゃにゃいですか?」

 

頬に手を当てて身悶えするフェリスの答えに、クルシュは「ああ」と納得したように顎を引く仕草。それから彼女は改めてスバルを見ると、

 

「卿の決断を尊重する。いかな判断であろうと、己で決めたことを通すことは重大な責任を伴う。そしてどうせ責を負うのであれば、己の為したいことを為すべきだ。自身の魂に恥じぬように。――そうだろう?」

 

「……ああ、そうだ。その通りだよ。魂が恥知らずになりたくないって騒いでんだ。あの子がピンチだってのに、のほほんと療養生活なんてしてんじゃねぇってな」

 

 スバルの意を肯定するクルシュにそう応じ、スバルは己の内心の変化を享受する。思わぬ援軍を得て、スバルの判断はもはや翻ることはない。

そのことがレムにも伝わったのだろう。彼女は一度だけ己を責めるように、瞳を閉じて沈黙を選び、そして目を開けたときにはいつもの無表情を取り戻していた。

 

「主に代わり、今日までのご厚意に感謝を申し上げます」

 

「構わない。こちらにも利があってのことだ。領地までの足の話をしたいが」

 

「厚顔ながら、お力添えをいただければと。今は一刻も早く、領地に戻って主のお力になりたいのです」

 

頭を下げ、クルシュが差し出す厚意に与ろうとするレム。

先の会話内容から、どうやらそれが行き来に利用する竜車の話なのだろうと思い当たり、スバルは手を上げて思わず口出しする。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、王都からだとロズワールの屋敷までどれぐらいだ?」

 

スバルは屋敷から王都までの道行にかかった時間はおおよそ七、八時間前後であったように記憶していた。早朝に出発し、昼過ぎよりさらに遅いぐらいの時間に辿り着いたのだからそのはずだ。

ともなれば、移動にかかる時間は長く見ても半日のはずだが、

 

「竜車を乗り継ぐことも考えると……二日、ないしは三日かかるはずだ」

 

「三日!? でも、くるときは半日かからなかったぞ!?」

 

長距離移動用の竜車がない、という話はあったが、それが理由にしてもかかる時間の差が大きすぎる。昼夜問わず走り続ければ、そこまでの差がつくことなど考え難い。

しかし、スバルの当然の疑問はレムの首振りに否定される。彼女は端正な顔立ちの中で、ほんのささやかに眉を寄せて難しい顔を作り、

 

「来る時に使えたリーファウス街道が今は使えません。時期悪く「霧」が発生する期に入ってしまって……ですから、街道を迂回しないと」

 

「霧がなんだってんだよ。そんなもん突っ切っちまえば……」

 

「霧を生むのは白鯨にゃんだよ? 万一、遭遇したら命がにゃい。そんなこと、言われるまでもない常識じゃないの。ドクターならそれを回避する手段は持っているんだけどネ?」

 

口を挟んだフェリスは、横目でストレンジを見つめるが、先程の態度から彼を助ける気が完全に無いことを察し、当然のような口ぶりでそれを却下する。

 

「ウン。当の本人も手助けをするつもりは無いみたいだし、長い時間をかけて戻るしかなさそうだヨ」

 

「白鯨」と知らない単語、そして長い道のりや「霧」を回避する術をストレンジが持っているものの、それをスバルのために使うつもりがないことにスバルは顔をしかめるが、理解の及ばないスバルを置き去りに彼女らの話し合いは順当に進む。

 

結果、クルシュとレムの交渉は「カルステン家から竜車を借り受け、移動途中の村々で竜車を乗り換えて帰路を行く」ということで落ち着いた。

 

休まず走り続ければ、とスバルは歯がゆくも思ったのだが、車体を引くのが生き物である以上、それが疲労するという現実からは逃れられない。

 

いずれにせよ、事態は動き出した。まごついて時間を浪費してしまう余裕など、スバルにはもうありはしなかった。

 




さて、スバルがいよいよエミリアのところへ戻っていきます。
本編においてスバルとレムのやり取りはかなり省いているので、物語が以前と比べて早いかもしれません。
スバルとレムのやり取りが気になる方は、是非とも正史のリゼロを読んでみてください!

因みに今後も、基本的にはスバル関係の話はかなり省いていくことになります。


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三十四話 時の逆行

今回は短めの作品です。

皆様、今日はクリスマス・イブですね。いかがお過ごしでしょうか?
因みに、私は今日『劇場版 呪術廻戦』を観に行く予定です笑


スバルがカルステン邸を出立するのを応接室の窓から眺めていたストレンジの心境は、厄介者が消えたことによる安堵感と、エミリア陣営に降りかかるであろう厄災への同情だった。

仮に彼らがアベンジャーズやカマー・タージの一員であれば、あるいは次元を超越する脅威に晒されていれば、それはストレンジが対処する部類に入り彼も全力で力を貸す。

しかし、こと今回はエミリアという特殊な人物が作り出した事態であり、ストレンジが協力するメリットはない。彼らの引き起こした事態は、彼らによってケリをつける、ある種の自己責任論を持つストレンジは、故に手を貸さなかった。

 

その後はいつも通り、図書館に篭り蔵書を読み漁る毎日の復活だ。スバルが消えたことで彼は好きな時間にカルステン邸に戻る事ができるようになり、彼の時間はより自由なものになった。

 

また、知識を蓄えることに全力を注ぐストレンジと時同じく、クルシュ陣営の悲願も近づきつつあった。

ーー白鯨討伐戦。クルシュがかねてから計画していたものであり、ヴィルヘルムにとっては自分の妻を死地に追いやった仇である、空を縦横無尽に駆け巡る伝説の魔獣。一度その霧に呑み込まれた生き物は、存在そのものが消滅するというとんでもない力を持ち、これまで幾度の討伐隊が編成されたものの、その全てで返り討ちにあっていた。

今回、その魔獣を討伐する為の部隊が編成され王都に続々と集結しつつある。

そして、白鯨討伐のためにカルステン家の財力にものを言わせ、様々な物資や武器が購入されるため、カルステン邸は物資を運び入れる竜車の列でごった返ししている。

 

討伐隊の人数200名。本来であるならばこれでも心許ない編成であるのだが、クルシュには白鯨に勝てる見込みがあった。

言わずもがな、それはドクター・ストレンジの存在だ。ルグニカには存在しない魔術を次々と披露し、「至高の魔術師」を名乗る彼の存在は、この白鯨戦において重要な鍵を握る。ストレンジが動く理由となる「次元を超越する脅威」に白鯨がなり得るかは正直微妙の域を出ない。しかし、消滅の霧によって甚大な影響を及ぼす白鯨は、十分に「次元を超越する脅威」になり得るとストレンジは判断し、白鯨戦に参加することを快諾している。

クルシュらは、より現実味を帯びてきた白鯨討伐に自然に心を昂らせた。

 

 

 

 

 

スバルとレムが屋敷を出て数日、既に彼らのことを気にかけている人物が少数になり、人々の記憶からも消えつつあったある日の夜。

今日のストレンジはいつもと違い、図書館には向かわず、カルステン邸の庭で魔術の修練を行っていた。

 

「卿もこの風が好きか?」

 

ベランダで夕涼みするストレンジの耳に届く、クルシュの声。声のする方へ顔を向ければ、そこにはウィスキー入りの瓶を持った彼女が執務用に着る軍服ではない、女性らしい軽い装いで立っていた。

 

「この風はニューヨークのものとは違う、澄んだ風だ。浴びていて嫌悪感を感じることすらない」

 

「ふむ、卿が過ごしていたそのニューヨークなる所がどんなところか是非とも見てみたいな。一体どんな気候で、どんな食べ物があって、どんな人物がいるのか……私はとても興味がある」

 

「クルシュが想像する以上に、ニューヨークはとんでもない場所だ。ある時は宇宙人の標的にされ、ある時は世界的テロ集団の無差別殺戮の標的になり、ある時は魔術師集団にサンクタムを壊され、ある時は蜘蛛の能力を持つ少年が「親愛なる隣人」として事件を解決する、そんな魑魅魍魎な場所に行きたいと?」

 

「そのような様々な出来事が頻発している場所に興味が湧かないほうがおかしいというものだ。それに、そんな大事件を解決した存在に、私は大きな注目を寄せている。

 

 

……卿のいうアベンジャーズなるものに、な」

 

アベンジャーズ。ヒーロー達が集結したそのチームは、2012年に起きた「ニューヨーク決戦」で地球に侵攻したチタウリと呼ばれる軍隊の大群を相手に、たった7人で立ち向かった伝説のヒーローチーム。今や、世界にその名を轟かし、英雄となった存在だ。

後に「ファースト・アッセンブル」と語られた彼らの集結は、その後の地球に絶大な影響を及ぼすようになった。良い意味が大半であるが、残念なことに悪い意味でも同様だ。2015年のソコヴィアで起きた事件で、ウルトロンは危うく地球を滅ぼしかけたのだが、そのウルトロンを生み出したのは誰であろうアベンジャーズの一員であるアイアンマンこと、トニー・スタークだ。つまり、アベンジャーズが間接的に地球を滅ぼしそうになったということもできる。

 

「己の命を削り、多くの人を救うことを主なる目的とする……多くの人々から英雄と讃えられているのだろう。私もそのような場面に出くわせば、恐らく同じ感情を抱くはずだ」

 

クルシュはカクテルグラスに少しばかり注ぎ、酒瓶を近くのテーブルに置くと、くいっと飲み干す。

 

「彼らは私が目指す王の姿に近い。国や世界を守る時に何か大きな力に頼るのではなく、個々の力を用いる。現在のルグニカは竜との盟約によって国こそ守られているが、その分他者に寄りかかっている危険な状態だ。到底看過できない。

 

だからこそこの国は、独り立ちする必要があるのだ。竜との盟約に縛られない、自らが行く末を決めることが」

 

「随分と高く彼らを買っているようだが、あそこほどダークで気難しい場所はない。世界を地獄に陥れようとした闇組織に乗っ取られそうになったこともあれば、一人の成金野郎のお陰で世界を滅ぼしかけたこともある。アベンジャーズは、想像するような綺麗な組織ではない」

 

ストレンジの暗い言葉を隣にいるクルシュは、果たしてどんな気持ちで受け取ったのか。前を向いたストレンジにとってそれはわからず、それを知るのは彼女のみである。

 

「ところで、クルシュがここに来たのは何の目的だ?まさか、酒を飲み交わすためだけに来たわけではないだろう。

 

ーー白鯨に関する新たな情報か?」

 

「やはり卿と話していると、随分すんなりと会話が進むようで助かる。が、心を見透かされているようで、少し不気味に思えてくることもあるな」

 

クルシュが語った内容。それは、白鯨のいる地点はリーファウス街道上の中間地点であること、武器の搬入は殆どが完了しているが、武器の質・量に不安材料があること、今回の討伐隊には王国の近衛騎士団は加わらないため、戦力としては心許ない部分もあること、討伐隊の面々の中では最強であろうストレンジの魔術が戦況を左右するであろうこと、そして白鯨の霧には注意すること、などだ。

 

「私の力が、多くの人の命を左右するか。実にプレッシャーがかかるな。全く、この前地球を暗黒から救ってやったばかりだというのに」

 

「ほお、ドクターにしては随分と弱気だな。卿がそんな弱気でどうするーー、と言いたいが私もこれほど緊張したことはない。400年間、誰もが討ち取ることができずにいる空を駆ける魔獣……失敗すればその存在を消される危険性を孕む任務だ。

 

しかしーー、」

 

体の向きを変えたクルシュは、ストレンジを堂々と見据える。顔のみを向けるストレンジは、身体を向ける

 

「恐れてはならない。これまで多くの同士が戦い、命を落とした。彼らの仇を討つため、そしてこれ以上の犠牲を生まないためにも、ここで決着をつける。何を犠牲にしても(Whatever it takes)。」

 

彼女を覚悟を決めた表情に、ストレンジは頷き返す。しっかりと覚悟を決めた彼女に、ストレンジのこれ以上の言葉は厄介になるが故、それ以上は語らない。

酒を飲み交わした両者は、月明かりの下しばらく語り合い、夜を過ごした。

 

 

 

 

 

翌朝、白鯨討伐を翌日に控えストレンジも準備を始めていた。魔術の用意や、スリング・リングの確認、そして万が一に使うことになるであろうタイム・ストーンを納めた「アガモットの目」がしっかり起動するかを確認する。

 

図書館には行かず、カルステン邸で準備を整えるストレンジ。

魔術の修練を中断し、クルシュやフェリスと朝食を摂ろうと食堂に入ろうとしたその時ーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如として全てが止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、ストレンジは何が起きたのか、状況を把握することすらできなかった。いつも通り、食堂で朝食を摂ろうと、席に着こうとした瞬間、それまで聞こえていた鳥の囀りが消えたのである。それだけではない、外の人の話す雑音も、空気が流れる時に発する音も、木々が揺れる時に鳴る葉同士が触れる音も、フェリスのクルシュに悪戯す時の声も、クルシュのそれを嗜める声も、全て。

加えて全てが動かない。窓から差し込む日の光も、木々の揺れも、宙を舞う埃も、料理を運ぼうと部屋に入ってきたヴィルヘルムも、そしてストレンジ自身も。

意識はしっかりしている、それでも動けない。身体が言うことを聞かない。

いや、身体は言うことは聞いてる。しかし、時間が止まっているため、身体が動かせないのだ。 

 

驚愕するストレンジを他所に、今度は全てが逆行し始める。アガモットの目が開いたわけではない。それは本人が最も自覚しており、現に開眼した際には鮮やかな緑色が迸るのだが、それは起こっていない。つまり、インフィニティ・ストーンに頼らない時間操作を何者かが行なっているということ。

 

全てが戻る。ありとあらゆる物が戻っていく。呼吸が全て反転し、吸った空気が吐かれ、吐いた空気が吸われていく。食した食べ物が胃から駆け上がり、口の中で形を取り戻したかと思えば、口から出される。口から出された言葉は口へと戻っていき、入った言葉は耳から出ていく。

 

王都の景色が、図書館で過ごした日常が、クルシュとの昨晩の会話が、フェリスとの悪戯みえた戯れが、全てが逆行していく。

全てが逆戻りしていくのを、ストレンジはただ見ることしかできない。

 

かつて、初めてカマー・タージを訪れた際にエンシェント・ワンにかけられた魔術とは比べ物にならないほどの衝撃を彼は味わう。

声にならない叫びを挙げながら、ストレンジの時間はどんどん戻っていき、

 

 

 

王選開幕を告げたあの日の翌日の、図書館で過ごした時間にその身体が移ることになった。

 




ドラマ『ホークアイ』が終わって数時間後……

なんと、『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』の特報が流れるなんて!信じられない!


ストレンジ先生のアガモットの目のデザインが変わった!?ウォンの衣装が変わった!?モルド久しぶり!ワンダおかえり!アメリカ・チャベスいらっしゃい!

そして最後……「まったく手に負えないな」
まさかの闇落ちストレンジの登場!?どうなるんだ!?


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幕間:What if…? もし、ドクター・ストレンジがクリスマス・パーティーを開いたら

ーー時間、空間、現実

それは一本の直線ではない。

無限の可能性を秘めた、プリズムなのだ。


一つの選択が無数の現実に枝分かれする。

君の知らない別の世界が生まれる。


私はウォッチャー。
果てしなく広がる新しい現実への案内人だ。

ついてくるがいい、そして問いかけろ。





              “もしも”と……


 

アメリカ人にとって感謝祭と同様に大事なお祭りは、クリスマスだ。家族や友人、恋人を招いてクリスマスパーティーを開き、どんちゃん騒ぎをして祝うのが毎年の恒例だ。

大きなケーキやチキンを食べ、プレゼントを渡し合い、子供たちは贈り物を届けてくれるサンタに胸をときめかせる。日本人にとってもクリスマスは、恋人や家族と過ごす日であるが、アメリカ人にとっては、日本人のお正月なみに大事な行事なのだ。

 

そしてルグニカのとある場所でも、クリスマスパーティーが開かれようとしている。発起人は勿論ーー、彼だ。

 

 

「クリスマス……だと?」

 

「なになに、ドクター?新しいお祭りか何かかにゃ?」

 

本来であれば、図書館にいて蔵書を読み耽っているストレンジが、執務室にいたクルシュとフェリスに声をかけるのは珍しいことだ。そして彼が言う「クリスマス」という謎の言葉。

その意味を知らない彼らには、疑問しか浮かばない。

 

「そう、クリスマスだ。二人は知らないと思うが、私の国ではこのクリスマスは一大フェスティバルでね。皆でどんちゃん騒ぎをするんだ。昔はとある聖人の降誕日を祝うものだったんだが、誰が書き換えたんだが知らないが、今では別のある意味で万人受けする行事と化している」

 

ストレンジはクリスマスについて詳しく説明する。ストレンジのいた国では、12月25日にとある宗教の聖人であるイエス・キリストが降誕したとされ、それ以降「降誕を記念する祭日」の12月25日は、毎年クリスマスとして祝う風習があるということ。

その歴史は古代共和政ローマ時代まで遡る、非常に長い歴史であること。

ストレンジの母国、アメリカではクリスマスの前からクリスマスリースやクリスマスツリーを飾りつけし、共に過ごせる喜びを分かち合いながら過ごす。

クリスマス・イブには絵はがきやクリスマスカードを交換し、当日にはプレゼントを家族全員で交換し合う習慣があるということなど、だ。

 

「面白そう〜!クルシュ様、是非その「クリスマス」というやつ、うちでもやりましょうヨ〜!」

 

「ふむ、どうして聖人の誕生日を祝う日が、いつの間にか家族で過ごす日に変わってしまったのか、その疑問は残るが考えては不躾なようだ」

 

ストレンジの説明を聞いて、目をキラキラ輝かせたフェリスは早くもノリノリな様子で、クルシュも意外と乗り気だ。

 

お互いに居られる幸せを噛み締め合い過ごすという、フレーズにフェリスは一番反応していた。クルシュを大事に考えるフェリスにとって、家族との絆や愛を深める行事は欠かせないものだ。

 

「その提案、是非ともやろう!」

 

 

 

 

 

その後、ストレンジの魔術によって召喚されたモミの木にクリスマス用の装飾品を飾り付けしたり、クリスマスカードをお互いに作って渡し合ったりしながら迎えたクリスマス当日。

 

「諸君、互いにキリスト氏の降誕を祝おう!メリークリスマス!」

 

「「「メリークリスマス!」」」

 

カクテルグラスを片手に音頭を取るクルシュに、カクテル、ビール、ジュースを手に持ったストレンジ、フェリス、ヴィルヘルムが応じる。

 

「クルシュ、キリストの祝いというのはあくまで建前で、降誕の祝いをはっきり言う必要はないぞ?」

 

「いや、しっかりと背景があるならばそれに従うべきだ。キリスト氏も自分の降誕日なのに、祝られないのは悲しく思うはずだ。しっかりと、述べるべきことは述べなければ」

 

乾杯し、飲み物を口に運んだ一行は、クリスマスにコーディネートされた部屋に入る。

クリスマスまでの準備期間に、クルシュ、フェリス、ストレンジの三人で飾り付けしたクリスマスツリーや、クリスマス用の飾りの数々が彼らを迎え、ケーキやお菓子、肉の照り焼きなど美味しそうな料理が並ぶ。

 

「ふふ〜ん♪クルシュ様、フェリちゃんのサンタ服どうですか〜?」

 

フェリスは、赤地の長袖の裾や首元や袖口に白いフワフワとした装飾の施された上着に、太ももの半ばほどまでの上着と同じく裾にフワフワの白い装飾の施された赤地のミニスカートーー、俗に言う「ミニスカサンタ」の衣装を身に纏っている。

 

「とても似合っているぞ。フェリスの魅力がよく伝わる」

 

「クルシュ様も、フェリちゃんに負けず劣らず綺麗ですヨ〜」

 

クルシュの衣装も、フェリスと同じように長袖の裾や首元にフワフワとした装飾が施された上着を着ているが、ミニスカではなく足まで覆われたロングスカートを履いている。

ストレンジは、いつも通りの魔術師の衣装で、ヴィルヘルムもいつも通りの執事服であるが赤みがかった上着に、赤い蝶ネクタイのクリスマス衣装を着ている。

 

「ドクター、この衣装どうだろうか?」

 

「フェリスのようなミニスカを履いてなくてよかった。落ち着いていてとても良い雰囲気だと思う。フェリスは……まあ、ミニスカがよく似合ってる。男なのに、どうしてそんなに似合うんだ?」

 

「キャー!ドクターがフェリちゃんを変な目で見てる!襲われル〜!」

 

「おいおい」

 

「な〜んて、冗談冗談」

 

「全く、お前にはプレゼントを渡してやらないぞ?」

 

チキンを頬張るフェリスに、ストレンジは椅子の横に置いたプレゼントボックスを持ってくる。

 

「お!フェリちゃんへの贈り物かにゃ?ドクターにしては珍しいネ〜。どういう風の吹き回し?」

 

「いらないのか?」

 

「いるいる、いるヨ〜!」

 

プレゼントが貰えなくなると思ったのか、お得意の涙を浮かべて強請るフェリスの仕草にストレンジは、呆れたように彼を見つめつつ、置いてけぼりの二人にも視線を向ける。

 

「ああ、クルシュやヴィルヘルムにもクリスマスプレゼントを用意してあるぞ」

 

フェリスへのプレゼントを膝下に置き、続けてクルシュ用とヴィルヘルム用のプレゼントを用意した。

フェリスとクルシュのプレゼントボックスは同じ大きさだが、ヴィルヘルムのプレゼントは少し縦に長い。

 

「では、改めて。メリークリスマスだ」

 

ストレンジは魔術で三つのプレゼントを三人の手元に移動させる。

 

「ほお、ドクターからの贈り物にはいつも驚かされるからな。一体、どんなものが入っているのか」

 

「私にも贈り物を用意してくださるとは。ありがとうございます」

 

受け取ったプレゼントを早速開封する三人。一番早くに開けたフェリスは、ストレンジが選んだプレゼントを早速見る。

 

「これは……?」

 

「スノードームいうやつだ。水晶を揺らすと中の物が舞って、雪のようになるという代物だ」

 

プレゼントボックスの中に入っていたのは、彼の掌に乗っかる大きさのスノードーム。比較的大きな水晶の中には、今日着ているサンタコスチュームを着たクルシュ、フェリス、ヴィルヘルムの三人のミニチュアが入っている。

 

「わぁ……綺麗だヨ。クルシュ様がお側にいる……」

 

「どうだ?気に入ったか?」

 

見惚れるフェリスの様子に、得意げに鼻を鳴らすストレンジ。

 

「うん。ドクターには色々言いたいこともあるけど、これに関しては素直にお礼を言うネ!ありがとう!」

 

続けて箱を開けたのはヴィルヘルム。彼のプレゼントは他の二人とは違って縦に長く、細い。

丁寧に開けた彼は、中に入っていたモノを大切に持ち上げる。

 

「これは……何とも精巧な剣ですな」

 

鏡のように周囲の景色を照らす、傷ひとつない刀身。柄の部分は黒をベースとしつつ金色の螺旋が入れられている。

儀礼用ではなく、戦闘用の剣としては美しい剣であり、数度剣を振るったヴィルヘルムは満足に何度も頷く。

 

「どうやら馴染むのも早いらしい。ピッタリ合って良かった。十分使えそうか?」

 

「はい。これほど振いやすい剣は中々ありませんな。重さも十分、長さも中々。非常に私に合った剣です。これほどのものを頂けるとは、ドクター殿に深く感謝を」

 

深々と頭を下げるヴィルヘルムに、満足そうに頷くストレンジ。そして最後、クルシュの開けたプレゼントボックスには、重厚な本が数冊入っていた。

黒く重厚な本のカバーを捲れば、現地語で書かれた内容がびっしりとあり、次第に本を読み進める彼女の手は早くなる。

 

「これは……為政者の歴史か?」

 

「ああ、これから王になるであろう候補者にはピッタリなプレゼントだろう」

 

「すごいな……!これほどまで、多くの為政者の情報補を集め、事細かく記した本とは!フェリス、これはとても貴重な本だぞ!女性の名前まであるぞ……」

 

パーティーそっちのけで真剣に読み進めていくクルシュ。

 

「クルシュ様〜。ドクターのプレゼントを読むのも結構ですけど〜今はパーティーを楽しみましょうヨ〜」

 

「ああすまない、つい読んでしまった。今はパーティーを楽しむ時だな!次は私からもプレゼントを届けよう!」

 

カルステン邸のクリスマスパーティーはその後も続いていく。

クルシュやフェリスが用意したクリスマスプレゼントには、フェリスによく似合う髪飾りやクルシュへの新しい髪留め、ストレンジにはこの世界の治癒魔法について書かれた本や、ミーティアと呼ばれる魔法具がプレゼントされた。

フェリスにとって愛しの人であるクルシュからのプレゼントは、それはどんな宝物よりも高価で大切なもの。受け取った彼は、なお一層クルシュへの愛を深めた。

ストレンジも「ミーティア」と呼ばれる新たな魔法器具に関心があり、ストレンジの魔術と組み合わせられるかなど新たな可能性を見出す。

 

 

 

夜が更けてもパーティーは進んでいった。食事のあとは小さな飲み会を開いて、さらに仲を深めていく。

クリスマス・イブの前夜からクリスマス当日の夜にわたって、カルステン邸から賑やかかな声が止むことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクも、クリスマスプレゼントを彼に送りたかったかな……。そして、ボクも彼から……」

 

「ふぅ、それは、無理なことさね。ふぅ」

 

「でも、ちょっとぉ、あってみたかったのは事実ですぅ。なにせぇ、彼はオイシソウですしぃ」

 

「ちょっと、彼を食べる気?そんなこと、絶対、許さないんだから!もしかしてあんた、彼を洗脳でもする気?だめよ!ぜーったい、だめ!」

 

「いや、そんな手荒なマネはしない。それに、向こうからやってくると思うよ」

 

「むこうからー?なんだー、まほうでひとっとびでもしてくるのかー?」

 

「フフ、彼なら出来てしまうだろうね。ボクの知識欲をいつでも刺激してくれる彼ならば、きっとーー。ボクにこんな罪な気持ちを抱かせてくれた、彼だから」

 

「そ……そ、それって、も、もしかして、「愛」、って、こ、こと?」

 

「「アイ」?そう、「アイ」だとも!ボクの生きた人生でこれほどまで、心底!そう心底彼を欲したことはない!見たことのない魔法、見たことのない衣装、見たことのない魔法具、聞いたことのない出来事、知らない人物の名……その全てがボクの全てを刺激し、興奮させる……はぁ、なんてキミは「罪」な男なんだ。こんな乙女を放っておくなんて!!」

 

「「強欲」、さね。ふぅ」

 

「さぁ、キミはいつボクのもとに来てその「アイ」をぶつけてくれるのか。ボクは永遠にキミと語っていたい、永遠にキミと愛し合いたい、永遠に一つになりたい。一体、いつになったらボクのモノになってくれるのかな?

楽しみにしているよ、

 

 

 

 

 

 

            ドクター・ストレンジ」




本来であれば24日に投稿したかったのですが、『呪術廻戦』を見たり、クリスマス・パーティーを開いていたりしたので25日の投稿となりました。

皆様、メリークリスマス!

どうか、皆様にとって幸せなクリスマスとなりますよう、心から願っております。



今回は非常に短く、『ホワットイフ』みたいなストーリーに仕上げてみました。


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三十五話 狂気の外側

2021年もいよいよ、最後の1日を残すだけになりました。
皆さんにとって、2021年はどんな年でしたか?

今年は特に色んなことが起こった年だったもので、自分はとても忙しいけど楽しかったです笑

それでは本編をどうぞ


時間の逆光という、未知の現象を体感し未だ収集がつかないストレンジは、図書館の中で呆然となる。

全てが逆転する時、彼の身体を蝕むのは嫌悪感と吐き気。ただ気持ち悪いという感覚だけが今の彼にあった。

既に未知の体験は何度も味わっているし、ドルマムゥとの戦いでは時間をループさせる手法で、根負けさせたこともあり時間操作自体は彼の驚くところではない。

問題は、それがストレンジの意図しないところで行われたことだ。つまり、彼以外にもインフィニティ・ストーンか、それに準ずるものを持っている何者かがいて、それを使用したということ。

 

「まさか、な……」

 

多少の眩暈と吐き気を催しながらも、どうにか平静を保つストレンジは、机の上に突っ伏す。

若干の冷や汗もかいている彼に、マントが心配そうに頬を撫でた。

 

「ああ、お前も心配してくれるのか?お前は特に何もないようだな。少し羨ましい。あれだけ未知のことを経験しても、私は今にも吐きそうだというのにお前は平然としてられることが」

 

ストレンジの軽口にも、マントは苛立つことなく頬を撫でて彼を落ち着かせる。

普段なら、やめろ、と嫌がる素振りすら見せる彼だが、今だけはマントの気遣いですからとても暖かく感じた。

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

あれからしばらくたち、吐き気がひき、頭痛や身体の不調が大方消えると、ストレンジは時間の逆行について考察し始める。

魔術で召喚した紙をテーブルに置き、彼の右手には同じく魔術で召喚されたペンが握られている。

 

「時間の逆行が起こったのは、今日から数えて3日後、か。いや、逆行というのは正しくないな。正確には時間が過去に戻り、ある地点で新たな分岐点が生まれることで、それまでの時間軸とは別の新たな時間軸が誕生しているのか」

 

ストレンジが描いたのは、本来一本線であった時間軸の軸の途中から、別の時間軸が発生した図である。

 

「新たな時間軸の派生……インフィニティ・ストーンと同等の能力を持つ人物の台頭……そして、時間の逆行……」

 

ストレンジの頭の中で、次々に疑問が浮かぶ。ストレンジが懸念する別次元からの攻撃が来たことも、考慮に入れなければならない事態に彼は頭を抱えた。

 

「この世界でも、再び“時間”と向き合うことになるとはな」

 

一先ず、最大の目標は時間の逆行を起こした存在と接触し出来れば尋問を行い、その目的を問いただすこと。

場合によっては、多少の手荒い真似をしてでも拘束し、尋問することも視野に入れて。

 

本来であれば退館時刻まで図書館にいるストレンジだが、今回は珍しく早々に切り上げてカルステン邸に帰還することになった。

図書館の職員や街を歩く人々には特に混乱している様子もなく、時間の逆行という摩訶不思議な現象がストレンジのみに発動したということを示していた。

恐らく、クルシュやフェリス、ヴィルヘルムといったカルステン邸の面々も、時間の逆行は経験していないだろう。つまり、ストレンジはたった一人でこの未知な現象に対峙していかなければならないのだ。

 

「クソ野郎……今にその正体を暴いてやるぞ。首を洗って待っておけ」

 

 

 

 

 

「ドクター様!至急、お願いしたいことがあります!」

 

「申し訳ないが、今は何かの頼みを聞いている余裕はない。申し訳ないが、またの機会に……」

 

「スバルくんが……スバルくんの様子がおかしいんです!まるで、壊れたように……」

 

カルステン邸に戻ったストレンジに屋敷の玄関でソワソワしていたレムが一目散に駆け寄ってきた。

正直、今のストレンジにとって彼女の悩みを聞くだけの心の余裕はないが、彼女の様子が普段とは違って、何かに焦っているように余裕のない表情をしていたこと、そして彼女には珍しい動揺の色を目に浮かべていた。彼は即座に何か大きな問題が起こったことを察した。

 

「あの少年がどうかしたのか?一つ言っておくが、彼のバカな頭をどうにか出来ないか、という問いならば答えはNOだ。彼はある意味、壊れているだろう。頭のネジが外れた者を御するということは難しいものだ」

 

「ドクター様」

 

レムの険しい表情を見て、ストレンジもジョーク口を閉じた。

 

「既にフェリス様が治癒を試みられていますがどうも芳しくありません。どうか、ドクター様の力でスバルくんを、治してあげられませんか?」

 

ストレンジは葛藤する。つい、先日まで歪みあっていた仲の少年の治癒を、ストレンジの魔術で治してあげられないか、という願いに応えたい医者としての矜持と、孤立無縁で唯我独尊の彼の面倒をなぜ自分が見なければならないのか、という心情がぶつかりあう。

 

「……一応、症状まで見てみる。が、治癒できるかは保障できない」

 

レムはストレンジの言葉に、一筋の光を見出したように目を輝かせた。ストレンジであれば、未知の魔術を操る博識な彼ならば、現在進行形で狂ってしまった愛する人も治せるのではないかと。

 

 

 

 

ストレンジが部屋に入った時、目に飛び込んだのは、ベットで寝かされる狂ったように笑うスバルの姿だった。瞳孔は開かれ、常に乾いたような不気味な引き攣った笑みが絶えることはない。

 

レムの話では突然泣き出したりもするそうで、その症状は正午から現れたとのこと。

その時刻はストレンジが経験した時間の逆行の終着点と偶然にも同じだ。彼が時間の操作を行った張本人?いや、彼が特別な魔術を使った形跡見えない。ならば……

 

「……ター様?……クター様?ドクター・ストレンジ様!どうかしましたか?やっぱりスバルくんは……」

 

スバルが横になっているベッドの近くで立ち尽くしていたストレンジに、レムが心配そうに声をかけた。

 

「いや、なんでもない。少しばかり考え込んでいた」

 

ベッドの近くの革張り椅子に腰掛けると、ストレンジは魔術をスバルの身体にあて、スキャンする用量で、身体中を調べる。

やがて、調べ終わったストレンジは魔術を解くと、矢継ぎ早に述べた。

 

「外的障害はなし。意識はあるが受け答えは不能。精神障害の可能性がある症例がいくつか見られる。魔術的干渉はなし。察して、PTSDでも発症したというところか。

だとすれば対処療法は、時間をかけてゆっくり癒していくしかないだろう」

 

ストレンジは短めに総結論付けると、椅子から立ち上がり部屋を去ろうとする。

 

「あ、あの……ドクター様」

 

「はぁ……。やっぱり、ドクターでもお手上げにゃのね……」

 

ネコミミをぴくぴくと震わし、栗色の髪を揺らす麗人は寝台に横たわるスバルを見たあと、気の毒そうな視線をそのベッドの傍らに立つ少女へ向け、

 

「フェリちゃんがどうにかしてあげられるって、体の傷だけだからネ。体なら外だろうと内側だろうとにゃんとかしたげるけども……だけど、まさかドクターまでお手上げなんて」

 

「……いえ。御二方には、ご尽力いただいてありがとうございました」

 

力足らずを謝るフェリスに、腰を折りレムが礼を告げる。が、どこか抑揚を欠いたその声には感情が消えている。普段から意識してやっているものと違い、それは彼女の内心の動揺が大きすぎるが故に起きているからだった。

 

痛ましいものを見るようにフェリスはレムから目をそらし、ストレンジも暗い顔を隠せない。頭を下げたままのレムはそんな彼らの態度に気付かず、そっと首を傾けるとベッドに寝そべる人物に意識を向けた。

 

スバルがどうして狂ってしまったのか、その原因がレムには見当もつかない。

今朝まで、いや正午過ぎに王都の下層区を散策していた間は変わらない彼だった。その態度にいくらかの無理はあったものの、努めて普段通りを振舞おうとしていた彼に、レムもまた普段通り接することで日常は築き上げられていたはずだ。

それなのに、彼の心は砕け散った。

 

なにか、切っ掛けがあったようには思えない。スバルの様子が豹変した瞬間、遺憾にもレムは彼のすぐ隣にいたわけではない。それでも店を手伝いながら、彼と店主の会話は耳に入れていたはずだ。

彼はクルシュの屋敷にリンガを買って帰る相談を店主に持ちかけ、店主はそれがまさか大貴族の屋敷に持ち込まれるとも思わず、商談に気軽に応じようとしていた。その商談の最中、スバルの心は突然に打ち砕かれたのだ。

 

商い通りの往来に倒れ込み、自分を見ながら嬉しげに悲しげに涙を流し、肺が痙攣しているような歪な笑声を漏らし続けるスバル。

その場を辞し、迷惑を承知でクルシュの邸宅に彼を担ぎ込み、なんらかの魔法的な干渉を受けたものかもしれないとフェリスとストレンジに無理を言って診察してもらったのだが。

結果は芳しくない。フェリスはおろか、ストレンジでさえ手が及ばない次元の問題となれば、それは王都中のどんな偉大な魔法使いや治癒術師を集めても癒すことのできない難事ということだ。

 

彼の現在の状態に魔法は関係ない。ただ、突然に心が平衡を失っていた。

 

「こんにゃこと言いたくないけど、どうするの?」

 

「原因がわからないことには対処のしようが……フェリックス様とドクター様にはご迷惑を」

 

「んーん、それは別にいいんだけどネ。実際、変に騒ぎ立てなくなった分、フェリちゃんの治療には都合いい状態と言えにゃくもにゃいし?」

 

ほとんど無反応で、寝たきりのようなスバルを見下ろしながらフェリスは「でもでも」と言葉を継ぎ、

 

「治療、続けてもいいのかにゃって思って」

 

「……どういう、意味でしょうか」

 

顔を上げ、スバルの無表情から視線を外すと、レムはようやくフェリスを見る。その視線を受け止め、フェリスは「怒らにゃいでほしいんだけど」と前置きして、

 

「スバルきゅんのゲートを治療するのって、この子が今後の日常生活に支障をきたさないようにしてあげるための計らいでしょ?」

 

「はい」

 

「もう、日常生活なんてまともに送れにゃいんだから、体だけ治しても仕方にゃいんじゃないかにゃーって。ドクターもそう思うでしょ?」

 

「――! スバルくんは!」

 

「終わってにゃいって、そう言うの? この状態を見て? 本気で? ちょっと色々あったのは事実にゃんだけど、あれぐらいのことでこうまで心が壊れちゃうような人は、もう立ち直ってもどうにもにゃらにゃいと思うけどネ~」

 

激昂しかけるレムに、あくまでフェリスは疑わしげな態度を崩さない。彼のスバルを見下ろす視線には、はっきりそれとわかる侮蔑の感情があった。

それは「青」の一文字を与えられ、ルグニカを代表する水の魔法使いとして知られる人物にしては、あまりにも冷酷な態度に思えた。

 

そんなフェリスの態度に押し黙るレムに、ストレンジがフェリスに反論した。

 

「フェリス。それは彼女に対して言い過ぎだ。言葉によっては患者を見捨てる守銭奴地味たクソ医者の言い分にもとれる。確かに、この少年の現在の姿はクソッタレだが、彼女は彼の回復を信じている。そんな彼女にその言葉はよくない」

 

「ほお〜。まさかドクターがそんなこと言うなんて。別に、フェリちゃんはスバルきゅんが憎たらしかったり、殊更に嫌ったりしてるからこんな風なこと言ってるわけじゃにゃいからネ」

 

「だがな、フェリス」

 

「ドクター、フェリちゃんはスバルきゅん個人がどうこうって言うんじゃにゃいんだヨ? フェリちゃんはたーだ、純粋に「生きる意思」に欠けてる人間が嫌いにゃの」

 

反論しようとするストレンジを遮り、フェリスはスバルを指差し、

 

「フェリちゃんが魔法でできるのは、傷を癒したりするぐらいのものだから。そんなフェリちゃんだけど、それなりに忙しく色んな人にこの手を使ってあげてるわけ。みんな生きるのに必死だし、その手伝いをするのは別にいいんじゃにゃい? 感謝されるの嫌いじゃにゃいし、偉い人に貸し作ってクルシュ様のお役にも立てるし?」

 

「――」

 

「でも、生きようとしない人間の体を治すために力を使うにゃんてのは嫌。そんにゃ人間は体が治っても、どうせそのあとで無駄に命を費やすでしょ? それなら終わっちゃいにゃよ。んーん、終わってしまってるの。ドクターなら、これくらいは分かるでしょ?」

 

ぴしゃりと、そう告げてフェリスはつんと顔を背ける。キツい言い方ではあるが、彼の言い分の中にはストレンジにも共感できる部分もある。

その頑なな態度の裏側に、レムはフェリスが見てきただろう命の数に対する真摯さを確かに感じ取った。言い方こそ軽薄さを装っていたが、それは彼がそれまでに見つめてきた生と死から学んだ、彼の中で確立された死生観なのだ。

そして、そうした確固たるものがある人物に対し、門外漢である彼女が感情論だけで反論することには意味がなかった。

 

レムはただ悔しげに、フェリスの言葉に打ちのめされたようにスバルを見る。

スバルは自分が話の中心になっていることにも気付かず、今は聞く者の心に引っ掻き傷を残すような、途切れ途切れの笑声をかすかに漏らしていた。

 

心が砕け散ってしまったその姿に、レムは自分の胸の内に堪え難い感情が木霊するのを感じる。けれど、それを表に出すことはせずにどうにか抑制した。

それはスバルの名誉を、あるいはロズワールの権威に傷をつけるものであったし、なによりレム自身が抱いてきた想いを裏切るようなものでしかない。

 

「――ドクターの言う通り、少しばかりフェリスの意見は厳しすぎるところがあるな」

 

声は唐突に、気まずい沈黙が流れた室内に朗々と響いた。

意識が思考に沈み、その人物の来訪に気付かなかったレムは弾かれたように顔を上げる。対し、ノックしてからの来室に気付いていたフェリスは涼しい顔だ。否、来訪者に彼が向ける瞳は、静かに熱を帯びた心棒者のものであったが。

 

「クルシュ様」

 

「弱さが罪である、とまで私は言わない。もっとも、弱いままでいることを是として、それを正さずに現状に甘んじることが罪である、ということには同意見だが」

 

入室したクルシュは慌てて立ち上がるレムに掌を向け、長い緑髪を揺らしながら寝台の横へ。そして、今も凶笑に歪むスバルの顔を見下ろし、

 

「なるほど。これは確かに由々しき事態だな。原因はわかっているのか?」

 

クルシュの問いかけに、フェリスは「いーえ」と肩をすくめてお手上げと手を掲げ、

 

「レムちゃんの話じゃ突然倒れたってお話ですし、体の隅々まで調べてみましたけど、マナ的に変な干渉を受けたって様子もにゃいですネ」

 

「北方の……呪術といったものの影響を受けた可能性は? 考え難い話ではあるが、グステコ側から王選関係者への干渉があった可能性がある。あるいは別の陣営の示威行為というのもあるか」

 

「どっちも考え難いかにゃー。仕掛けてくるには時期が悪すぎるし、そもそもスバルきゅんを狙っても誰に得が? 関係者ならスバルきゅんの醜態っぷりは周知の事実ですし、そもそも呪術含めて魔法的干渉が見当たりません」

 

「ふむ」と一言頷いたクルシュは続けて、ベット脇に立っていたストレンジに目線を向ける。

 

「ドクターの見解も聞いておきたい。何か、魔術的な干渉を受けた可能性は?」

 

「考えられないな。調べてはみてみたが、魔術による干渉を受けた跡はなかった。外傷はなし。魔法や魔術による干渉もない。精神障害の症例がいくつかあることを考えると、これはPTSDと呼ばれる一種の精神ショックだろう」

 

「ぴーてぃーえすでぃー……初めて聞いた名の病だ。そのぴーてぃーえすでぃーなる病は治せるのか?」

 

「治せることは治せる。だか、現状での治療法は心理療法しかない。生憎、私は外科医であって精神科医ではないからな。だから、治療法の詳しい手段も分からないし、専門外の治療法を行うほど私は愚かでない。何もできることはない、というのが私の見解だ」

 

ストレンジの見解にクルシュは無言で頷く。そして、改めてレムを見やるクルシュは、無言で見ていたレムに、その鋭い眼差しに姿勢を正して向き合った。

 

「フェリスやドクターが力になれないのであれば、当家でナツキ・スバルの治療ができるものはいない。及ばず、すまない」

 

「――いいえ、こちらこそ寛大な処置に言葉もありません」

 

屋敷の主人の謝罪に対して、レムは丁寧にお辞儀して応じる。

事実、言葉を尽くしても礼を尽くしても、返し切れない温情を受けたのだ。

 

フェリスが手を抜いたなどとは思わないし、クルシュが政治的な敵対者となるエミリアの関係者に恣意的な判断をしたということもない。それに、スバルに対して良い感情を持ってないストレンジでも、医師としての誇りは一段強い人だということをフェリスより聞いていたことから、彼が嘘をつくような人物だとは到底思えなかった。彼も本心から述べているのだ。

 

水の魔法に関してはレムも多少なり関わりを持つ身だ。フェリスの技術の高さを、そしてスバルの身に起きた異変にそれが意味を為さないこともわかっている。

クルシュの人格についても、たった数日の邂逅ではあるが誠実で実直な人柄である点は疑いようもない。公爵家を若くして、それも女性の身で引き継いだだけの能力と責任感、そして大貴族としての資質が彼女にはある。何度も話し合う場を設けてもらって、言葉を交わした関係だけにそれは明白だった。

ストレンジについては、分からないことの方が多かった。彼の使う魔術は、ルグニカやその他の国でも使われない未知のものであったし、服装や顔の出立も、国内の出身者とは似ても似つかないものだ。それに、何かとストレンジとスバルは対立することが多く、レムはストレンジであれば誰にも発見されないようにして、スバルに術をかけることも可能だと考えていた。しかし、その可能性はすぐになくなった。フェリスの話では、ストレンジは医師としてのプライドが高く、「ドクター」という名前も彼の国では医師としての称号らしい。医師としてのプライドと誇りが今でもなお高い彼が、自らそんなことをする可能性はとても低い。

 

つまり、彼らに落ち度など微塵もない。

この現状はなるべくしてなったどうしようもない状況であり、

 

「――魔女」

 

よりいっそう、スバルの身を取り巻く臭気が増したそれが原因であることがレムにだけはしっかりとわかっていた。

 

 

 

 

 

魔術的な干渉は一切ないーー、そう述べていたストレンジだったが、たった一つだけ、部屋の三人にはある事実を述べていなかった。

 

彼が扱う普通の魔術では、探知にさえ引っ掛からなかったのだが、より洗練された魔術での調査を行った結果、彼は禍々しい何かを見つけた。

 

魔術的な干渉ではないーー、そんな単純な言葉では解決できないほど凶悪で、強力で、そして重い「呪い」が、スバルの心臓を中心にかけられていることを、そしてそれが唯一の存在を除いての干渉を拒んでいることも。

 

本来であれば、すぐにこれは報告すべき事案だった。しかし、彼がそれを口にすることはできなかった。彼が「呪い」を感知すると同時に、それから忌々しい気配が感じられ、まるでこちらを見ているかのような視線を感じたのだ。それはドルマムゥに匹敵するような、全世界を効果範囲とする強大な「呪い」が、ストレンジに向けられたことを示しており、強烈なプレッシャーに思わずストレンジが身を引かせた程だ。

 

他言無用ーー、他者に述べることを決して許さない「呪い」が、そう強いていることをストレンジは察知した。身の危険を本能で感じたためすぐに調査を止めた彼は、そのことをクルシュやフェリス、レムにも伝えなかった。

 

(奴は……いや、奴の心に潜むあの「呪い」はなんだ?

僅かに感知しただけで、あのプレッシャー……。まるで他言無用を強いるあれは、周りに知られることを何よりも嫌っている節だった。呪いのクセに、自我さえ持っている始末だ。しかし、私は見つけてしまった。だからこそあのような……。

だが、奴ほどの呪いであれば、私の魔術でも見つけられないほどの隠れ方でやり過ごすこともできたはずだ。それなのに容易く見つかった。まさか、私に発見して欲しかった……のか?

バカバカしい……だが、あり得なくもない。自我を持った「呪い」など認めたくもないが、カマー・タージの文献には、自我を持ち長く黒い手が特徴の、ある「呪い」について記された文献があった。まさか、あれが…‥?)

 

「呪い」の持つ強大なパワーと、それを宿した少年。加えて発生した、世界を巻き込んだ「時間の逆行」。

ストレンジの警戒心を高めるには十分すぎる材料が、一人の少年に集まった。

 

 

 

 

 

「――お世話になりました。今日までのご厚意、主に代わりお礼を申し上げます」

 

腰を折り、深々と礼をするレム。

彼女の前に立つのはクルシュとフェリス、ストレンジの三人であり、彼ら四人が会するのはクルシュの邸宅の玄関ホール――つまりは、別れの挨拶だった。

 

「力になれず、すまない。本来ならばこれで対価を得るなどおこがましい話だが」

 

「いいえ。申し出を途中で打ち切るのはこちらの都合です。クルシュ様におかれましては最大限のご配慮をいただきました。対価は確かに、支払われて当然です」

 

わずかに視線を落とすクルシュに、レムは毅然と顔を上げてそう応じる。

それを受け、クルシュは「すまないな」ともう一度だけ謝罪を口にし、それ以上に言葉を尽くすことをしなかった。これから先は形式ばったやり取りにしかならないことを彼女もわかったのだろう。

 

「にゃんか不完全燃焼にゃんだけど、仕方ないっか。レムちゃんはお達者で。スバルきゅんの方は……お大事に、って言うべきなのかにゃ?」

 

故に、主に代わって次に口を開いたのはフェリスだった。

指を立てて片目をつむり、彼はレムの後方――扉に背を預けて、だらりとだらしない姿勢で突っ立っているスバルがいる。

相変わらず反応は鈍く、レムの方を意識してくれているかも見てて怪しいが、彼女が手を引けばついて歩いてくるし、崩れ落ちずに立っているぐらいはできるようになった。時折、ふいに笑い出すのと泣き出すのばかりはどうにもなっていないのだが。

 

「当家の者の失礼に関しては、こちらもいくら謝罪の言葉を尽くしても足りません。寛大に扱っていただいたこと、心より御礼を」

 

「契約があり、少なからず言葉を交わした相手だ。無碍に扱うなどできるはずもない。卿にとってはこれからが大変だと思うが」

 

「それは……覚悟しての、ことですから」

 

変わらず上体をふらつかせ、薄笑いを浮かべるスバルを横目に、レムはぎゅっと自分のエプロンの裾を掴んで決意を表明する。

 

「卿の申し出に、どうやら応じられそうにないのが残念だ」

 

思案に沈んだレムにかけられたのは、瞑目したクルシュのそんな言葉だった。

主語のない言葉ではあったが、それがレムとクルシュの間で交わされていた密談の内容に対するものであると理解する。

レムは顎を引き、それから目を伏せるクルシュに首を振ると、

 

「全てはこちらの力不足です。――残念な結果にはなってしまいましたが、クルシュ様の今後のご活躍をお祈りいたします」

 

「そちらも、エミリアに伝えてくれ。互いに、魂に恥じぬ戦いをしようと」

 

そのやり取りだけで、レムはこの場所における自分の役割が終わったことを自覚した。スバルの治療は半ばで打ち切り、そしてロズワールに下された指示も。

どちらのことも、スバルがこの状態では続けようがない。潜在的な敵地であるこの場所で、無防備なスバルをいつまでも引き連れてはいられないのだ。

 

「屋敷に戻るのはいいけど、当てはあるの?」

 

「少なくとも、エミリア様とお会いできれば……」

 

口惜しさを堪えたまま、レムはフェリスの問いかけにそう応じる。

 

何度声をかけても、何度触れても、どれだけ甲斐甲斐しく接しても、スバルは彼らしい反応をレムに返してはくれなかった。

そんな状態のスバルでも、時折、意味のある言葉を口にすることもあった。

それが、

 

「名前……」

 

「んー?」

 

「時々ですけれど、名前を口にするんです。レムの名前や、姉様。それに……」

 

彼女は自分の名前がそこにあることを喜ばしく思う反面、その自分の働きかけには一切応じてくれない事実が哀しくもある。

ただ、その呟かれる名前の頻度で、もっとも多い名前は――、

 

「エミリア様にお会いできたら、なにか変化があるかもしれません」

 

「でも、手酷い別れ方してるんでしょ? それもまだ三日ぐらいしか経ってにゃいわけだし、時間を置いた方が……って、それが無理にゃのか」

 

「褒められた手段でないことはわかっています。でも、もうレム個人の判断でどうにかできる状態ではありません。指示を仰ぐためにも、戻らないと」

 

精いっぱいに、主を気遣う発言をすることでレムは自分の本心を偽る。

そちらを大義名分に、自分の心が本当はなにを望んでいるのか理解していた。

 

そして、そのことに自分の存在では足りないことが、彼女には悔しかった。

 

「ドクターからは何かあるか?」

 

クルシュは、珍しく二人の見送りに来たストレンジに内心驚いていたものの、それを表には出さずいつも通り鋭い目線を彼に向ける。

 

「無事、彼が回復することを祈ってる。これからは、敵同士になるだろうが、お互いにベストを出し合おう」

 

激励の言葉を送っているものの、彼の表情はどこかここにあらずだった。基本見送りに来ない彼が、今日に限って見送りに来ているうえ、先程からずっとスバルをずっと見つめている。

その目線もどこか厳しいもので、レムはスバルの言動にストレンジが苛ついて、別れの最後に文句の一つでも言うつもりか、と内心警戒しているが、今のところそのような気配すら見せない。

 

「――ヴィルヘルムがきたな」

 

ふと、顔を上げたクルシュが目を細める。

彼女の視線を追いかけ、つられて振り返る背後――邸宅の外縁、鉄の門の向こう側に一台の竜車が到着し、御者台に見慣れた老紳士が座っているのが見えた。

 

「当家にある長距離用の竜車はあれが最後だ。危うく、別の用事で外に出してしまうところだったが」

 

「運が良かったよネ。これでリーファウス街道突っ切れば、まあ日付が変わるまでにはお屋敷に辿り着けるだろうし」

 

到着した竜車を見ながら、レムは高度を上げる太陽の輝きにその目を細める。

時間は正午を目前としたところで、今から全力で竜車を走らせれば、なるほど確かに半日ほどで屋敷に着く。到着までわずかとなれば、共感能力で姉にある程度の意思を伝えることも可能となるだろう。

 

「息災で」

 

「頑張ってねー」

 

見送られ、レムは最後にもう一度だけ深々と頭を下げ、それからスバルの手を引くとカルステン邸をあとにする。

門のところでヴィルヘルムから手綱を受け取ると、一言二言会話を交わしてから御者台に乗り込み、

 

「スバルくん、こちらへ」

 

「……ぅ、あ?」

 

腕を引き、御者台の隣にスバルを座らせる。二人で腰掛けるとかなり狭く感じてしまうが、そうして密着しながら片腕を彼の腰に回し、もう片方の手でしっかりと手綱を掴んだ。

 

これから長い長い時間、この状態で走り続けなければならない。

スバルにかかる負担も心配であったし、屋敷に辿り着いてからも彼を守らなくてはならない。きっと、ロズワールたちはスバルを歓迎はしてくれないだろう。

 

味方のいなくなってしまうかもしれないスバルの、自分だけは味方でいてあげなくてはならない。

そうでなくては彼は――。

――決意を深く固めるレムが手綱を引くと、地竜が地面を蹴って走り出す。

 

ゆっくりと、次第に早まる車輪の動きは、まるで、今のレムの心のありようを暗示しているような、そんな感覚を手綱越しに彼女に与えているのだった。

 




2021年、振り返れば色んなものを見てきましたね〜

『シン・エヴァンゲリオン』、『ワンダ・ヴィジョン』、『名探偵コナン:緋色の弾丸』、『閃光のハサウェイ』、『ファルコン・アンド・ウィンター・ソルジャー』、『ロキ』、『ホワット・イフ』、『ブラック・ウィドウ』、『シャン・チー』、『エターナルズ』、『劇場版 ソードアート・オンライン-プログレッシブ-星なき夜のアリア』、『ヴェノム:レッド・ゼア・ビー・カーネイジ』、『マトリックス:レザレクションズ』、『劇場版:呪術廻戦』、『キングスマン:ファースト・エージェント』、『ホークアイ』……映画やMCUドラマだけでこんなに色んなものが見られた年は他にないので、とっても充実した一年であったことはもう、言うまでもありません!笑

アニメでは『リゼロ』はもちろん、『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』、『小林さんちのメイドラゴンS』、『五等分の花嫁』、『転スラ』、『無職転生』、などなど映画に負けず劣らず、こちらも色んな作品を見させてもらいました!
あと、初めて『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見させていただいて、とても感動したこともあります笑

2021年で好きになったキャラクターランキングベスト5位作るとしたら、

第5位 シャン・チー 『シャンチー テン・リングスの伝説』
初のアジア人ヒーローで、カンフーがめっちゃかっこ良い!
普段の優しいニコニコお兄さんからの、戦闘時のキリッとした切り替えも好きだし、ケイティの運転にビビるシーンもギャップあって好き!
何より妹思いの良いお兄ちゃんで、最後は親父を改心させて意思でもある腕輪を受け取って、ヒーローとして覚醒するのがカッコいいんじゃ〜笑
これからのヒーローとしての彼にも期待!

第4位 ヴェノム&エディー・ブロック 『ヴェノム:レッド・ゼア・ビー・カーネイジ』
二人の関係性がもうたまらん笑!途中、喧嘩別れしても結局、エディーのところへ戻ってきて、最後は二人でカーネイジに挑むところまでの流れが、とても好きです笑
夫婦みたいしだし、兄弟みたいでもある関係性は見ててニヤニヤが止まりませんでした笑。
「お互いの欠点を愛せるからこそ、愛だ」という名台詞、とてもしっくりしました!

第3位 ギギ・アンダルシア 『閃光のハサウェイ』
もう個人的な趣味なんですけど、めっちゃどストライクな女性です笑 まず、見た目がめっちゃカワイイ!白い肌に金髪の美少女で、声優が上田麗奈さんからなのか、ミステリアスな雰囲気が醸し出されていて、とてもスコです笑
もう少し年が幼かったから、間違いなく初恋はギギになっていたと思うくらい、心奪われました。
妖艶で、だけどミステリアスで、大人の女性な部分もあるけど、どこか子供っぽいところかが、好きです。あと、服装がめっちゃタイプです。

第2位 冬月コウゾウ 『シン・エヴァンゲリオン』
シンエヴァで完全に、個人的に好きなエヴァキャラランキングの一位は、葛城さんから冬月先生に変わりました笑
戦艦3隻を率いて、颯爽と現れる冬月先生。ヴィレを相手に一人で大立ち回りする冬月先生。80代でありながら意地でL結界を耐え抜いたイケオジの冬月先生。ヴィレを翻弄しつつも最後はマリのために必要なモノを揃える先生する冬月先生。もう最高です!散り際も含めて、文句なし!
推せるイケオジは、『リゼロ』のヴィルヘルムと、『オバロ』のセバスと合わせて三人目ですけど、その中ではダントツです!

第1位 ドクター・ストレンジ・スプリーム 『ホワット・イフ』
やっぱり1位はこの人!闇堕ちストレンジこと、ドクター・ストレンジ・スプリームが1番好きなキャラクターです!『ホワット・イフ』第四話では、愛する人を失ってどんどん狂っていく様子にとても心痛めたし、最後の報われない終わり方もとても衝撃だった!
第九話では、正義の道に戻ってきたストレンジが大活躍して、保護呪文や拘束呪文、魔物を召喚する魔術、増殖魔術を駆使してウルトロンと戦っていたけど、これがめっちゃ強い!ウルトロンからもその強さを認められていたし、正直、ストレンジがいなかったらガーディアンズ・オブ・マルチバースは勝てていなかったといっても過言ではない!
ウルトロンの宇宙を滅ぼす攻撃をパックンしていた時は、衝撃すぎて呆然としちゃいました笑 あれは反則!笑


他にも、『シンエヴァ』の碇夫妻、『小林さんちのメイドラゴン』のルコア、『ロキ』のロキ、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のヴァイオレット、『エターナルズ』のドルイグ、『キングスマン』のラスプーチン、などなどランキングには入らなかったものの、魅力あふれるキャラクターが多すぎる!笑
とにかく、色んなキャラクターが出てきて個人的には、とても満足な年でした!

皆様、良いお年をお過ごしください!
2022年もよろしくお願いします!


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三十六話 奇跡と魔術の裏側

遅いですが、あけましておめでとうございます!笑
お正月は皆さん、どうお過ごしになられましたか?

そして今日は、いよいよ3週間の遅れの後、スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームの公開日です!観に行かれましたか?
その感想は後書きに書こうと思います


レムとスバルが予定よりも早く治療を切り上げて、屋敷に戻ってからカルステン邸に安定と平穏が戻ってきたわけではなかった。

以前はよく図書館に篭っていたストレンジが頻繁に屋敷にいることが多くなり、しかも庭先に出ては大掛かりな魔術を行っていることが多くなった。

 

「ドクターは、今日も魔術の実験を?」

 

「ですネ。どんな魔術を使っているのか、聞いてみたんですけど、「邪魔するな。静かに」って言われちゃって〜。フェリちゃん、邪険に扱われてとてもかにゃしいです〜」

 

執務の間のお茶の時間で執務室から、外の様子を眺めていたクルシュは、隣で優雅にお茶をするフェリスにストレンジの近況を尋ねる。

フェリス自身もストレンジのピリピリした雰囲気に踏み込んで質問できず、彼から特に何も情報を聞き出せずにいた。

 

「今度は、何やら謎の文字が刻まれた複数の魔術の輪を展開しているな。盾のような魔術にも同じような魔術が……」

 

庭を半ば占拠して行なっているストレンジの様子は、スバルの様子がイカれ始め屋敷を去ってからというもの、どうもおかしくなっていた。

まるで何か懸念を抱いている時のような深刻な表情を浮かべ、持っている本を漁っては、魔術を展開するのの繰り返し。時折何やら独り言をブツブツ言ったり、夜半に使用人がストレンジの部屋を通りかかると半霊化したストレンジが本を読み耽っているのが見えたりと、以前に増して奇怪な行動が目立っている。

 

「フェリス、どう思う?」

 

「そうですネ〜。スパルきゅんが帰ってから、ドクターの様子がおかしくなった。まるで何か大きな異変が起こることにドクターは対処しようとしている感じにフェリちゃんは見えます。あれだけ真剣な様子で魔術を展開するなんて、ファリックス領で起きたあの一件以来ですヨ」

 

「しかし、王都や王国全体の様子を見れば、特に異常は見られない。ドクターが動く事態が起こっているのなら、既に近衛師団が動いているはずだ」

 

「ですネ。騎士団の方に入ってくるのは魔女教の情報だけ。たくさん入ってきていますが、結局それはいつものこと。どれが本物でどれが偽物か、分かったものじゃないです」

 

「ドクターが言う別次元からの脅威であれば、我々が感知できなくても無理はないが……。しかし、それは非常に厄介な問題だな」

 

ストレンジがあれほど懸念したような顔を見せている、それは自分達では感知できないような存在が攻撃を加えようとしているのか。それからルグニカを守るために彼は一人で戦う気なのか。

 

「もしも、我々の手が届かぬ脅威がこの国を脅かし、それをドクター一人で対処しようとしているのであればこれほど無力感を味わうことはない」

 

「クルシュ様のそのお心遣い、フェリちゃんにはずきゅん!ってきます〜。きっと、ドクターもクルシュ様のお心遣いはありがたいって思うんじゃないかにゃいでしょうか?

それにこの手の専門分野ですヨ、ドクターは。にゃら、彼に任せるしかにゃいと思います」

 

 

 

 

 

 

(異次元からの脅威を感知する魔術に反応なし。次は探知範囲をさらに拡大して調査するか?いや、そもそも異次元からの脅威でなければこの魔術自体意味はなさない。だとすれば、この次元に限定した探知魔術をかけるべきか?)

 

大掛かりな装置を用意し、特殊な道具や本を用いる魔術を繰り返しては、効果がなく失敗を繰り返すストレンジ。

彼の足元には魔術に関する本が大量に積み上げられ、時折彼の魔術によって生じた念力によって持ち上げられている。

 

念力で浮いた特殊な台に特殊な粉を投入し、特殊な魔法陣を浮かべている様子はとても奇妙で近寄り難いオーラを出している。

 

時折、ヴィルヘルムが休憩用のお茶と菓子を持ってきてはいるが、ストレンジはそれに手をつけずひたすら魔術を繰り返している。

 

(邪魔する奴がいないおかげで、魔術に集中できる。手元が狂うだけで、失敗することも多いのが魔術だからな。静かな環境で行えることは、嬉しい限りだ)

 

しかし、誰も邪魔しない最高の環境下でも、彼の魔術は失敗するか、成功しても効果はない様子で、何らかの結果を得ることはできなかった。その様子をクルシュやフェリスは静かに上階から見下ろすだけで、特に介入はせずただ見守るのみ。

 

ストレンジの魔術による調査は日が落ちるまで続けられるも、その成果は芳しくなく、その日は心なしか沈んだ彼の顔が見られていた。

 

 

 

 

 

 

 

ストレンジが迫る危険に気付いたのは、魔術による調査を続けてから3日後、つまり前回の逆行が起こった日の早朝だった。

 

異様な空気の流れと、吹き込むマナの嵐に気が付いたストレンジはクルシュたちには訳を話さず屋敷を飛び出し、外へ確認に行く。

ロズワール邸のある方角から吹き込む不気味で荒々しい風。そして降り始める雪。昨日までは快晴だった空はその姿を消し、厚い雲が接近する様子は嵐の予感を彼に抱かせた。

 

「これは……」

 

周囲を見渡していたストレンジは、すぐに屋敷に戻ると身支度を整え始めていたクルシュ、まだ眠っていたフェリス、朝食の支度を始めていたヴィルヘルムを含めた屋敷全ての住人を一箇所に集めた。

 

「これで全員だな。すまないが、しばらくここに待機していてくれ。異論は認めないが、訳は必ず後で話そう。緊急事態故の措置だ、理解してほしい」

 

「待て。確かに空気の流れが昨晩とは違うのは確かだが、我々としても状況が掴めていない。少しの説明くらい欲しいものだな」

 

屋敷全体に保護魔術をかけるよりも、一箇所に集中したほうが魔術の精度、強度、持続度が上がるため、使用人たちを一部屋に集めたストレンジに対し、彼の事情を知らない殆が理解できずに困惑し、何か良からぬことが起きそうであることを察したクルシュでも、正確な事態の把握はできず、この場で唯一理解しているストレンジに、手身近に説明を促す。

 

「卿は何が起きているのか、理解しているのだろう。だからこそ、迅速に動いた。どうか、詳しい説明をしてはくれないだろうか?」

 

「……まずい状況になった。ロズワール邸の方角から、異様な空気の流れと吹き荒れるマナの嵐を確認している。威力・速度が落ちなければあと数時間でここにも嵐が来る。それは、とてつもないほどの吹雪の嵐だ」

 

ストレンジの告げた内容に室内にどよめきが起きる。眠そうに目を擦っていたフェリスは完全に覚醒し、ヴィルヘルムはその厳しい表情を更に深める。

 

「防ぐことは可能か?」

 

「この屋敷のみを守るのであればまだ簡単だ。が、王都全域を守るとなると、事態への対処との兼ね合いで難しい。王都を守るか、この現象を引き起こした犯人を止めるか。私は後者を選ぶ」

 

「……王都の民を見殺しに?」

 

「今、この現象を止めなければ被害は王都に止まらない。やがてこの嵐は国全体、いや隣国にまでその脅威を広げるだろう。そうなれば最悪、我々は滅ぼされかねない。勿論、王都への被害を防ぐためにベストは尽くすが、より多くの命を救うための多少の犠牲はやむを得ない」

 

「それはちょっと冷たいんじゃにゃいの?」

 

納得できない様子のクルシュの代わりにフェリスが代弁する。

 

「ドクターって、『至高の魔術師』なんでしょ?なら、王都を守りつつ攻撃できることもできるんじゃにゃい?助けられる命なんでしょ?」

 

「他に方法がない。最良の方法を選んだんだ」

 

「でもドクター!」

 

「私だって万能じゃない!神ではないんだ!!」

 

反論するフェリスを遮るように、ストレンジは怒声で叫ぶ。滅多に出さない彼の心からの声に、それまで騒ついていた面々も押し黙る。

 

「私だって出来ることなら、国全体を守りつつ攻撃を行いたい。しかし、私の力では王都全域を魔術で守りつつ、この嵐の張本人を倒すことはできない。この嵐を引き起こした犯人は、世界を揺るがすほどの力を持っている。生半可は力では恐らく私でも押し負けるだろう。だからこそ全力で挑まなければならない」

 

「理解してくれ」と、訴えるストレンジにフェリスはそれ以上何も言うことなく押し黙った。

 

「…… 卿の決断を尊重する。これ以上、決断に口は出さない。が、我々の力不足で卿に非情で辛い決断も強いたのは確かだ。私もその責任を共に負おう」

 

「背負うのは私一人で十分だ」

 

短く告げたストレンジは、保護魔術を屋敷の執務室を中心にかける。部屋全体を覆うようにして橙色の魔術が展開され、それが屋敷を覆うように拡大していく。

 

「これで魔術の展開は終わった。嵐が来たのちは何があろうとも屋敷の玄関扉を開けてはいけない。開けた瞬間、魔術の効果は途切れる。そこだけは注意してほしい」

 

それだけ言うとストレンジは部屋を後にし、正面玄関先の庭に向かう。

そこでポータルを開き、嵐の中心地であるメイザース辺境伯領へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ポータルの先に彼を待ち受けていたのは、極寒の寒さと吹き付ける大量の雪だった。

かつてエンシェント・ワンによって放り出されたエベレストの山頂ほどの過酷さはないものの、常人であれば1時間ともたない気候にメイザース辺境伯領は様変わりしていた。かつて訪れた際の温暖な気候はすっかり消え失せており、まるで別世界のようだ。

 

大きな魔術の盾を展開して、吹き付ける雪と風を防ぎつつゆっくりと歩みを進めていくストレンジ。見通しの悪い森林を通り抜け小さな村らしき場所へ出ると、雪によって覆い隠されつつあるが人が住んでいたと思われる住居に、積み重なり山のようになった何か。

近づいて雪をどかせば、そこにあったのは酷い傷のついた遺体の数々。それが幾つも重なって山を作っていたのだ。老若男女問わず、無造作に放置された遺体の扱いに、ストレンジは思わず胸糞が悪くなる。

 

地獄絵図を通り抜け、ストレンジはさらに強まる嵐の中を進んでいく。向かう先は嵐の中心地、ロズワール邸だ。

 

開きかけていた門を強引に開け、中に進むとより一層嵐は強まる。まるで来る者全てを拒むかのように。

 

 

 

大気まで凍結するような、白い霧がかった冷気が支配する世界。

凍てつく森は風が吹くたびに割れ砕け、マナを強制的に搾り取られた景色は存在を維持することができずに塵に還る。木々が、街並みが、生き物が、世界が、吹き付ける風に白い結晶となって粉々に散らされ、白む終焉が世界をゆっくりと侵していく。

 

 

『ーー遅かったじゃないか、至高の魔術師』

 

低い、大気を鳴動させる声が、納得の響きを乗せて轟いた。

平たく整地された凍てついた森林地帯、その破壊をもたらした原因は見上げるほどの巨躯を持つ四足の獣で、灰色の体毛を伸ばす猫科と思しき生き物だった。

 

「私を知っているのか?」

 

『知っているさ。君のことはずっとリアの水晶越しに見てきた。その力を世の為に使うこと無く、怠惰に過ごしていたこともな!!』

 

獣から発せられるエネルギーは更に強さを増し、ストレンジ諸共吹き飛ばそうとする。

その瞬間、ストレンジの横目には首から上がない膝まづく死体と、その死体に大事そうに抱えられる一回り小さい死体の二つが映った。

獣の息吹で雪が少し払われ、中がジャージを来た男性と、メイド服を着た青髪の少女の遺体。

 

「彼らを殺したのか?」

 

『直接手を下したわけじゃない。それに遅かれ早かれ彼らは殺される運命だったんだ。あの子のいない世界など、存在する価値すらない。あの子を守れないこの身も、あの男も、同罪だーー』

 

「死にたいのならば死ねばいい。勝手に傷心に浸るのも結構だ。だが、世界を巻き込むな。そのエゴに世界を振り回すな」

 

『エゴの塊が何を言う。それに君が阻に来ることは分かっていた。こうすることがこの身の誓いだ』

 

獣は口に収まり切らない牙を向け、剣のような歯の隙間から白い息を吐きながら、爛々と光る金色の瞳を正面へ向ける。

 

「世界を滅ぼすことが、彼女との契約に?」

 

『契約は命に変えられない、彼女とのボクを結ぶ最後の糸だ。彼女との契約を果たし、世界を滅ぼす。これがボクに残された最後の役割だ』

 

「だからといって、その感情を世界にぶつけることの正当化にはならないぞ。お前の行いはこの世界を滅ぼす。世界を守るため役目を担った身として、許容できない」

 

獣が世界を滅ぼすことが最後の主に対する奉公というのであれば、それを阻止するのがストレンジの責務だ。故に、両者は一歩も引かないし引くことはできない。

 

「彼女ーー、エミリアを亡くした無念は分からなくもない。だが、それで世界を滅ぼすのであれば、私が相手をする」

 

ストレンジは両拳にエルドリッチ・ライトを展開し、それを獣へ向ける。

 

『君如きが()の相手を?』

 

「そうだ。こう見えても私は最強の魔術師だ。暴れた猫の世話ぐらいなんとでもなるさ、精霊パック。いや、エミリアのーーー」

 

『ッ!?調子にのるなよ、魔術師如きが!!』

 

屋敷を破壊するほど巨大化したパックの牙と、マントの力で飛び上がったストレンジが展開した魔術が衝突するーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、再び始まる。時間の逆行が。

ありとあらゆる者の意思を無視し、物理法則を超越する全ての物事が逆行する力が、再び牙を剥いた。

ストレンジを再び巻き込みながら、時間は再び逆行を始める。

一度目のループから今日に至るまでの過程を逆行していくストレンジは、再び何もできずに流されることしかできない。

 

そして彼は再び図書館に戻る。以前と同じ日の同じ場所に。




ノー・ウェイ・ホーム……もうね、最高でした。

自分は都内の劇場で見たんですが、シーンごとに笑いが出たり、拍手が起こったり、啜り泣く音が聞こえたり……。2022年のスタートダッシュとして最高でした!もうこれ以上の言葉は必要ありません。
ネタバレになるので詳しいことは言えませんし言いません!笑
この作品だけは劇場で見ないと!
まだ見ていない人は、今週末にも是非劇場で!
ーー全ての運命を見届けろ。



With great power comes great responsibility.


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三十七話 真なる対話

皆さんはすっかりお正月気分は抜けましたか?
自分は、まだ抜け出せずにいます笑

先週は二回ノーウェイホームを見たんですけど、明日は友人と三回目のノーウェイホームを見てきます!
これほど見た映画、過去にはない!笑

それでは本編です


「またか……クソ」

 

時間の逆行で図書館に再び戻ってきたストレンジは吐き気と悪寒に襲われる。

机に突っ伏し息を整えてどうにか吐き気を抑え込んだ彼は、最後の光景を思い出す。

 

「精霊パックが暴走すれば、全てが終わる。奴が世界を滅ぼす前に手を打たねば」

 

精霊パックが暴れ出し、世界を極寒の地に変えてしまえば取れる手段はたった一つ。それは、奴を殺して強制的に嵐を止める。

だがそれは最終手段であり、可能ならばその前に手を打つ必要がある。パックの引き金となるのは、十中八九エミリアの存在。彼女が殺されれば、その時点で世界の崩壊が始まる。

 

「契約書はよく見てからサインするものだぞ。いくら子供だからといって、王選候補者の人物がそんなことすら分かっていないとは……。この国は大丈夫なのか!?」

 

思わず突飛に大声を出したストレンジに周りの人が驚き、思わず彼の方を向く。

大声を出す失態を見せたストレンジは、周りに謝罪すると図書館を退出し、近くにあった噴水広場のベンチに腰掛け再び考え込む。

 

(ロズワール邸にあった死体、あれは間違いなくナツキ・スバルだ。それに、奴が抱えた死体はメイドのレムだろう。屋敷から直で帰ったのであれば、あの場に死体があってもおかしくはない)

 

今回と前回、二回の時間の逆行に共通していることは、ナツキ・スバルがカルステン邸を出て行ってから数日の後に起こっていることだ。

一回目の詳細は不明だが、エミリアへの帰巣本能が異常に強い彼が偶然二回目だけ屋敷に戻ったとは考えにくい。加えて、二回とも彼が屋敷に戻った後に時間の逆行が起こっているということも偶然の一言で片付けられない。

 

(奴が逆行を引き起こしているのは間違いない。直接か間接か、方法は分からないが奴が何かしらのトリガーを引いている可能性は非常に高いだろう)

 

だとすれば、今彼が取る手段は一つ。

 

(奴を見つけ出し、その目的を問いただすだけだ。いい加減、これに付き合わされるのはうんざりだ。もう味わいたくない)

 

 

 

 

 

「ほれ、いこうぜ。俺がどっか行きそうで不安なら、捕まえといてくれ」

 

「え?」

 

「力比べなら絶対勝てねぇし、それなら安全な気がすんだろ?」

 

「ーーはい」

 

レムは微笑みながらその手を取り、半歩ではなくスバルの隣に立った。小さく俯き、じっと握った手を見るレムは口を固く閉じ、なにも言わずにスバルの歩みに速度を合わせる。

いじましい彼女を連れて、王都の下層区を貴族街の方へ進みながら、温かい掌の感触を味わいつつ、殺意をたぎらせ続けていたスバルの心を支配するのはただ一つ。

 

ーー殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、コロス。

 

レムはそんな彼の異様な気配と、強まる匂いを横目にただ歩くことすらできなかった。彼が何かを隠しているのかは知っている、だけどそれを彼が話したくないのであればそれを優先する。自分が惚れた殿方のことを慕い、いつか必ず話してくれることを信じてーー。

 

 

スバルの心配をしつつ、ゆっくりと王都を歩いていたレムの元に突然目の前に光るポータルが現れる。縁から火花を散らして光るという見たことのない魔術から現れたのはーー、

 

「……ドクター・ストレンジ様?」

 

円状のポータルから突然目の前に現れたストレンジに、レムは困惑することしかできない。何故、他陣営であるはずの彼が突然目の前に現れたのか。カルステン邸に居候している間に行った無礼な振る舞いが、彼の癇癪に触れそのことを問い詰めに来たのか。不安そうに身を硬くするレムに、ストレンジは苦笑いしつつ話し始めた。

 

「そう硬くならないでほしいものだ。私が探していたのは、君が思い慕う彼だからな」

 

「俺…‥?」

 

一方、凄まじいほどの殺意を激らせた目でストレンジを睨みつけるように見つめるスバルは、突然の名指しに困惑することしかできない。

 

「そうだ。まさかこうなるとは、思いもしなかったがな。悪いが、拒否権はない。すぐに私と来てほしい」

 

「……今、俺は忙しい。悪いが、後にしてくれよ」

 

「あの、スバルくん……。訳もなくドクター様がスバルくんに話しかけることがあるんでしょうか?邪推かと思いますが、スバルくんとドクター様は犬猿の仲ですから。滅多なことがない限り、こんなことはーー」

 

「レム。俺たちには、やるべきことがあるんだ。こんな奴の話を聞いている暇はないんだよ」

 

強引にレムの手を引っ張り、その場を去ろうとするスバル。元より、レムとは違って記憶を受け継ぐスバルにとって、最悪の仲であるストレンジとの会話などもってのほかだった。自らにはやるべきことがあるのに、それをまるで踏み躙るかのように登場した彼には話す価値すらない。

それ故、急いでストレンジの横を通り過ぎようとした彼だったが、

 

「……あ?」

 

「だから言っただろう、拒否権はないと」

 

いつの間にかレムから引き離されていたスバルは、ストレンジと共に特殊な空間にいた。

現実世界ととても似通った世界だが、どうもまるでおかしい。いつの間にか姿を消してしまったスバルにびっくりして辺りをキョロキョロと見回すレムに、触れようと思っても触れられないのだ。まるで鏡の世界のような空間に一人放り込まれたスバルは、向かい合うストレンジに突っかかる。

 

「……話を聞いてもらえなかったら実力行使で不思議な空間に閉じ込めるなんて、随分と手荒な真似をしてくれるじゃないか。医者ってのは患者のことを第一に考えるべきなんじゃないのか?」

 

「私だってこんなことはしたくなかったが事情が変わった。看過できない事態が立て続けに発生したからな」

 

「へえ、それであんなに歪みあっていた俺のところに来たと……。残念だけどアンタの望みには応えられない、俺にはやるべきことがあるからな。他を当たってくれ。さて、話すべきことは話したし、さっさとレムのところに帰してくれよ」

 

「逃すと思っているのか?」

 

途端にそれまで堂々と、しかし敵意なく構えていたストレンジが魔術を展開する。

そして両手に魔術を展開したストレンジが左右の両手を挙げると同時に、スバルの足元の地面に巨大な穴が開いていく。浮遊する術を持たないスバルは瞬く間にその穴に落ちていき、彼の後を追ってストレンジも穴に降下していく。

 

「うおわあああ!?な、なんだ!?地面に大穴が!!」

 

万華鏡の絵柄のように変形自在にその姿を変える王都の街並み。ストレンジの動きに合わせて、まるで生き物のように建造物が、竜車が物理法則を無視して自在に変形していくその光景に、殺意すら忘れてスバルは刮目する。ストレンジの持つ強力な魔術の一つに、スバルは抵抗することすらできずただ流されていくことしかできない。

 

「何だ!?この場所は!?」

 

「ミラー・ディメンションだ。私が支配している」

 

「へ!?は!?」

 

「……ミラー・ディメンション。私が魔術で支配している空間だ」

 

「いや、そういうわけじゃなくて……。てか、この広大な空間を一人で操ってんの!?」

 

「そうだとさっきから言っているだろ」

 

ストレンジが作った足場に立ち辺りを見渡すスバルは、宙に浮くストレンジに驚きマックスの声で叫んだ。

ストレンジの魔術によって街は更に変化し、空からビルが生えてくる始末だ。もう整備された王都の姿はなく、一人の魔術師の力でカオスな光景に様変わりしていた。

 

「これって……?レムは!レムは大丈夫なのか!?」

 

「安心しろ、現実世界には影響がない。現実を捻じ曲げるほどの魔術は持っていないし、持ちたくもない。試したやつはいるがな」

 

「そう、なのか。てか、アンタ浮けたんだな……まあ、魔術師だから浮遊術ぐらい持ってるか。

ーーんで、何でこんなことを?」

 

「それはこちらも聞こうと思っていたところだ。というよりまずは自己紹介からしよう。もう知っているとは思うが、私はドクター・スティーブン・ストレンジだ。元神経外科医で今はニューヨーク・サンクタムの主として、人類を守っている」

 

「これはどうも。俺の名前はナツキ・スバル。天下不滅の無一文でエミリア様の従者……だった男で……ん?ニューヨーク?」

 

スバルはストレンジの語った言葉の中で、世界的に有名な地名が出てきたことに引っかかる。もしもこの世界の住人であるならば口に出てくるはずのない、この世界には存在しない都市の名前。

ーーもしかして目の前の魔術師は同郷の出身なのではないか。そうでなくてもスバルのいた世界を知っている可能性が高い人物であることは間違いなく、孤独の中戦ってきたスバルの心に僅かに明かりが灯った。

 

「なあ、ストレンジさん」

 

「“ドクター”だ」

 

間髪いれずに訂正するよう要求するストレンジ。僅かな希望を取りこぼしてしまわないよう、すぐに彼の要望通りに直す。

 

「……ドクター・ストレンジさん。アンタ、もしかして地球出身か?」

 

「お前の言う地球が、太陽系第三惑星の地球ならば同じ星の出身だ。お前は……その容姿を見るにアジア、それも日本出身か?」

 

「そう…‥そう!そうだ!俺は日本から来たんだ!だから名前もザ・日本人らしい名前で!……ヤバい、まさかこんな所で運命的な出会いができるなんて……!ていうか、同じ同郷の出身ならなんで話しかけてくんなかったんだよ!」

 

「話していたぞ、ロズワール邸やら王城でな」

 

「あれは話していたというより、ただの喧嘩だろ!?」

 

「お前が王城で見事なまでの無様っぷりを曝け出して以降、私はお前に近づかなかったし、お前も私に近づかなかった。それが全てだ」

 

まさか自分と同じ異世界転生者がいたとはーー。運命的な出会いを果たしたスバルは今までの絶望や、悲しみ、怒り、殺意が薄れていくような感覚を覚えた。これまでの孤軍奮闘の日々が終わりを告げる、絶望の淵に立っていた自分に救いの手が差し伸べられたのような気持ちが彼を覆っていく。

思わず顔が緩むスバルに、ストレンジが続けて問いかけた。

 

「ではお前は知っているな。2012年のチタウリによるニューヨーク侵攻や、2014年のヒドラによる暴動、2015年のウルトロンによるソコヴィア襲撃を」

 

「へ?」

 

「知らないのか?あれだけの大きな事件だぞ。特に2012年は、アベンジャーズが活躍したあの歴史的な年だ。どこか遠い惑星の住人ならいざ知らず、地球出身でその歳なら覚えているだろう」

 

「ちょっと待てって!知らないも何も……。そんなこと、起きてねえよ。ドクター・ストレンジさんこそ大丈夫か?」

 

スバルとストレンジの間に急に広がった大きな溝。同じ地球出身だというのに、どうも意見が食い違う。ストレンジがいた世界では誰もが知る、2012年のチタウリによるニューヨーク侵攻。あのアベンジャーズの初陣であり、宇宙人による地球侵攻を防いだ歴史的事件で、当時メトロポリタン総合病院で外科医として、運び込まれてくる怪我人の治療にあたっていたストレンジも未だによく覚えている。

それを目の前の日本人少年は覚えていないと言う。だとすれば可能性は一つーー。

 

「別のユニバース……マルチバースか」

 

「マルチバース?」

 

「我々の宇宙以外に、無数に存在する別の宇宙のことだ。その構造は私も解明できていない未知の領域だが、まさかこんなところでそのヒントに出くわすとはな」

 

「んー。よく分からないんだけど要するにパラレルワールド、平行世界ってやつか?てことは、俺とドクター・ストレンジさんは別々の宇宙の住人だけど、召喚されて同じ宇宙に招かれたってこと?じゃ、俺やドクター・ストレンジさんみたいた転移者が他にも大勢いるってことか!」

 

「……あり得ない話ではないが、おかしい部分もある」

 

「おかしい部分って?」

 

更に会話を進めようとするスバルには応えずに、ストレンジは次の質問を投げかけようとする。原来、こちらが本命であり今までのやり取りは偶々同じ惑星の出身ということで盛り上がったに過ぎない。

一方、スバルも気配が変わったストレンジに対して緊張感を高めた。先程のまだ柔らかかった彼の気配が、今や完全に戦闘態勢に入ったと素人のスバルでも分かるほど、彼の様子が変化したのだ。

 

「では続きを聞こう。ーーお前は一体何が目的だ?」

 

彼の両手に展開された魔術が光り、建物がまるでスバルを囲むようにジリジリと迫ってくる。

 

「目的?目的……俺はエミリアを王にして、それでーー」

 

「違う。私が知りたいのは、お前が目指す青春丸出しのお花畑な願いではない。あの力だ、世界を揺るがすようなあの大きな力を何のために使う?私をあんな目に遭わせてまで」

 

「お花畑って……そんなことない!俺はエミリアのおおおお!?」

 

スバルが立っていた地面が傾き出し、構えてなかった彼は滑るように落ちていく。彼の手によって再びミラー・ディメンションが動き出したのだ。彼の質問に対してトンチンカンな答えを返してしまった故の報いか。

落下していくスバルに、追いかけるストレンジが追い打ちをかけるように問い詰める。

 

「お前は少なくとも二回使用しているな。どちらもロズワール邸での一件があってから以降か。その力はこのユニバース全体に及ぶ強力なものだ。何故、私を巻き込む?ユニバースに影響を及ぼす力をどこで手に入れた?ーー私を何故このユニバースに呼び寄せた!」

 

「ちょ、たんま!たんまです!!分かった!全部話すから!とにかくこの紐なしバンジーを止めてくれ!!」

 

直後、すぐに出現した足場に思いっきり全身を叩きつけられ痛みに悶えるスバル。

マントの力でゆっくりと降りてくるストレンジは、そんな彼に構うことなく腕を組んで解答を待った。

 

「ま、まず俺はこの世界に飛ばされただけで」

 

「それで?」

 

「え、えと。俺の力はこの世界に来てから何故か使えるようになってた。いや勝手に発動する感じに近いな」

 

「無意識下での能力発現。つまり、意図して時間の逆行に私を巻き込んでいるというわけではないということだな?」

 

「そうそう俺が意図してーーち、ちょっと待ってくれ。ま、まさか経験しているのか?俺の、アレを」

 

スバルにとっては更に驚愕する事実。自身の能力であり、世界をやり直せるほどの強力な力を持つ「死に戻り」の力。他者に語ることすら叶わず、ずっと孤独に世界をやり直してきた彼にとって、「死に戻り」を認識している人物は、まさに欲しかった存在だ。

 

「私は、これまで二回の時間の逆行で、それまでの出来事を全て無駄にされた。お前は知らないだろうが、全てが逆行する経験を私は味わった。ありとあらゆる感覚が、だ。ひどく不快になる」

 

スバルの希望に手をかけかけたような明るい顔に対し、ストレンジの顔に浮かぶのは嫌悪感と怒り。スバルに対し明確に負の感情を見せるストレンジに、スバルは久しぶりに魂が震えるような幻覚を見る。

 

「だが、私にとっての関心はそこではない。聞きたいことは、お前は何故私をこのユニバースに呼び寄せたかだ」

 

「へ?お、俺は何にもーー」

 

「関係ない。そう言いたいのだろうが、お前は関係ありありだ。全ての現象には原因があり、私はそれがお前だと考えている。その身勝手な行いで、私は二度も不快な経験を味わったのだ。だが、それすら許容できる。私も似たような戦い方を用いたことがあるからな」

 

怒りを浮かべるストレンジは、普段の冷静を欠いた様子でスバルに詰め寄った。

 

「最大の問題はお前が故意であろうとそうでなかろうと、別のユニバースの存在を引き寄せる力を持っていることだ。その力が暴走すれば、最悪ユニバース間の均衡が崩れる可能性すらあり、そうなれば三つの世界の崩壊を招くことになる。

もう一度聞こう。何故、私をこのユニバースに呼び寄せた?」

 

「そ、そんなの……分かるわけねえだろ!?俺だって、望んで来たわけじゃない!だけど、あの子に……エミリアに助けられて、あの子に尽くそうと思って、失敗しても足掻いて、だけどまた失敗して、それで俺は「死に戻り」をーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、世界が暗黒に包まれる。

 

 

 

 

ストレンジの目には、目の前の少年のオーラが突然醜悪なものに変わった様に映った。少年の心臓らしき部分から放たれる何と重く暗い感情。だが、そこにあるのは単純な一つの感情のみーー「愛」だ。

禍々しい何かはスバルが身動き一つできないのを良いことに、彼の背後から出てきた黒い手を出現させ、体内に入ろうとする。

 

一方、身動きできたストレンジは咄嗟にミラー・ディメンションを変化させ禍々しい何かを出現させた彼を取り囲みつつ、鞭状のエルドリッチ・ライトを展開し黒い手に巻き付けた。

 

「ーーー!」

 

「悪いが、その手を体から抜いてもらおうか。これ以上事態を悪化させないでほしい」

 

手を拘束されたことでスバルの心臓に触れられなくなった禍々しい何かは、感情の矛先をストレンジに向け、彼の魔術を強引に掴むとスバルの方へ引き寄せようとする。その驚異的な力は、マントの力を借りて引っ張るストレンジでさえも抗えない。

 

(邪魔ヲスルナ!)

 

お互いに引っ張り合う中、突然脳に響いてきたメッセージにストレンジは頭を痛めつつ、瞬時にその黒い禍々しい何かが彼に対して言ったのだと悟った。

同時にストレンジの警戒度も更に上がる。

 

「これは……そうか、あの力はお前の仕業か!」

 

埒が開かないと判断したストレンジはエルドリッチ・ライトを解くと、変形させた大量の建物を一気にスバルに向かわせた。少しでも黒い手に対して隙を作れれば、アストラル体としてあの存在とナツキ・スバルを分裂させることができる。

しかし、スバルの体内からはストレンジの想定を上回る幾つもの手が出現し、力一杯周囲に向けて振るわれたことで、迫り来る建物群は一瞬で散り散りになった。

辺りには鏡のような破片が飛び散り、ディメンション内はその衝撃で大きく振動する。

 

ーーミラー・ディメンションの数多くの建物を一瞬で破壊できるとは。

 

ストレンジは、今相手にしている存在があのドルマムゥと同等かそれ以上であることを改めて実感する。

確かにあれだけの力があれば、別ユニバースから特定の存在を呼び寄せることなど容易いだろう。だがそれはーー、

 

「それだけの力が暴走すればーー!」

 

この世界に来て以降、様々な敵と出会ってきたストレンジでもこれほどの強大な力を持った存在は非常に驚異だ。

仮にこの力がユニバースの均衡を崩せば忽ち世界の崩壊が起こる。その存在をまさか高校生が持っているとは。

 

彼の懸念を他所にストレンジを警戒する禍々しい存在は、一気にストレンジを無力化しようと無数の手を差し向けた。

彼が対処できる量を遥かに上回る数の黒い手が一斉に、彼を捕らえようとその牙を剥けたのだ。

 

「この数は……不味いな!」

 

回避するためミラー・ディメンションを動かそうと、魔術を展開したストレンジはーー。

 

 

 

 

 

その瞬間、世界を色合いを取り戻した。

 




何気にスバルの運命を大きく変えたストレンジ。

本来だと「死に戻り」を理解しているエキドナに会えるまでスバルは一人でその秘密を抱えて生きていかなければならないところ、殺意マシマシのタイミングとはいえストレンジが現れたことで、その負担が減ったことになったわけですから、これは良い兆候なのでは……!?(妄想)

因みに、この時点でスバルのストレンジに対する好感度は最悪から少し上向いてます。(まあ、それも訳あってですが)


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三十八話 幼人からの成長

みなさま、お久しぶりです。

今週は一年で最も寒いといわれる大寒があった日なので、今年一番の体に堪える寒さですね。

さて、世間ではNWHの勢いが止まりませんが、こちらもそれに乗っかっていきらますよ〜!


その瞬間、世界は色合いを取り戻し、世界に明るさが戻る。スバルの身体から出現していた黒い手は、スバルの覚醒と共にその姿を彼の内に隠し彼を呪縛から解放する。

 

「はっ!?はぁ、はぁ……」

 

異様な汗をかきながら荒く息をするスバルに、ストレンジは魔術を展開し再びあの存在が出現しないか警戒しながら、ゆっくりとスバルへ近づく。

あまつさえ、無数の黒い手がミラー・ディメンションとはいえ空間内の建物に干渉し、たった一振りで彼の操る建物群を破壊したのだ。ダーク・ディメンションから力を得ていたカエシリウスやエンシェント・ワンといった魔術師たちは、あくまで建物を操ることに特化しており、破壊には重きを置いていなかった。

魔術師界でも存在しない「化け物」、そしてそれを体内に有しているスバルもストレンジの警戒度を上げるには十分すぎた。

 

「さっきの黒い手は、お前が持つ能力の一部か?」

 

「どう……して……それを……、あれは、俺だけが、感知できるはず……そうか、ドクター・ストレンジさんは俺の能力を知ってるもんな。見えてても不思議じゃないってか」

 

大きく深呼吸して息切れを整えながら、ストレンジの質問に答えていくスバル。彼が自身の体内に潜む正体をよく分かっていないことを答えの端々から推測したストレンジは、改めてその危険性を説く。

 

「実に危険な力だ。破壊が難しいミラー・ディメンションの構造物を()()()()()()で破壊する力を持っている。ディメンション内の空間に干渉できる時点で、既に私と互角の強さを持っているはずだ。しかもあれはまだ全力ではない。全盛期の力を取り戻せば、今の私でも押し負けるだろう」

 

「そんなに強い力なのかよ、これって……。チート級転移特典でも、もうちょいまともなやつが欲しかったぜ……。でも、今「今の私」ってことはドクター・ストレンジさんにも勝つ見込みがあるってこと?」

 

「ああ、可能性はある」

 

「……嘘だろ。それこそチートじゃん」

 

頷きながら肯定するストレンジに、スバルは今までの自分がとんでもない人物に喧嘩を売っていたことを自覚した。自身が震えるあの恐怖を真正面に受けても、勝てる可能性があると言えるだけで、相当な自信が彼にはあることが否応でもスバルには分かる。

彼が誇らしげに語る「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」の称号は伊達ではなく、その名に相応しい実力を持っていることが。

スバルの脳裏に以前のやり取りが浮かぶ。

 

『ドクターは強い。しかも、その強さは人の尺度で測れるものじゃにゃいくらい強大なの。多分だけど、ラインハルトにも片膝つかせることはできるんじゃにゃいかな?』

 

『は?何それ。あんな胡散臭い人がそんな強いわけないじゃん。大体、俺あの人嫌いだし。傲慢で、上から目線で、話面倒臭いし』

 

『にゃははは。スバルきゅんもそう思う?確かに、あの人は傲慢で妙に上から目線で説教すること多いんだよネ〜。フェリちゃんも最初は、何処の馬の骨か分からないドクターをクルシュ様のお側に置くのに反対だった。だけど、彼と話して共に戦って、それで分かったの。

 

ーーあの人は、魔術師の中の魔術師。生まれながらの天才、だってネ』

 

カルステン邸で治療を受けていた時、フェリスが彼のことについて語っていたことを思い出した。その時は嫌いな人の話など聞きたくもなくスルーしていたが、今となってはその話が真実であることを実感できる。

これまで戦ってきたエルザや、ウルガルム、ユリウス、そして()()()()()、その全てよりも目の前の魔術師は断然強い。

 

よく今まで生かされていたと、今更ながら実感しているスバルの態度は急におっかなびっくりになる。マルチバースとはいえ、同じ地球にこれほど強い存在がいたとは。

空間を操ってしまうこれだけの強さ。つまり、エミリアを助けるには絶対に重要な人物であるということをスバルは確信した。今まではヴィルヘルムを借り受けられれば、事足りると考えていたが彼以上に、目の前の魔術師の戦力は必須だ。

今まで高飛車に振る舞っていた自分の態度を改める必要性を理解したスバルは、口をモゴモゴさせながら彼に謝ろうとする。

 

「あ、あのドクター・ストレンジさん」

 

「長いだろう、ドクターでいい。あと“さん”付も不要だ。マルチバース出身とはいえ、同じ地球の出身だ。礼儀正しいのは感心するがね」

 

「……ドクター、その、なんというか……ああちくしょう。こんなこと言いたいわけじゃないのに。俺だってあのとき……」

 

額に手を当ててどうにかスバルは理知的な言葉を口に出そうとするも出てこない。非力な自分にとって、エミリアを助けるには絶対に彼の力は必要になる。以前は癇癪を起こしてしまい、彼との仲は最悪からのスタートになってしまい、あれほど彼とぶつかったのだ。それをもう一度起こしてしまっては今度こそ、本当に見捨てられてしまう。ストレンジであれば、スバルの考えることの一歩二歩先まで読んで行動し、決して彼が「死に戻り」しない未来を描くと思うが、そこに自分の姿はないだろう。

彼の心情を悪くしないように、しかし彼をこの事態に巻き込むためには自ら頭を下げて協力を仰ぐべきだ。なのに自分のプライドがそれを許さない。折角、同郷の転移者を見つけられた場面で、ここは謝罪すべきなのに。

 

「だあああ!!もう!腹を決めろ、俺!言うって決めたんだろ!」

 

「どうした?気が動転して頭のネジでも外れたか?」

 

「そういうわけじゃなくて……その、あの時は俺が、悪かった。生意気な口聞いて、すいませんでした」

 

自分の無礼な行い、非礼な言葉を投げかけてしまったことへの謝罪を絞り出すように口にし、深々とではない、小さくではあるがスバルはストレンジに頭を下げた。

その謝罪を黙って聞いていたストレンジは、一呼吸置くと展開していた魔術を解いた。

 

「少しはまともな考えをするようになったな、少年。だが、謝ったところで根本的な問題は何一つ解決していない。一つ質問だが、もしも私が止めなかったらお前は何をしようとしていた?」

 

「何って……。俺には、エミリアを助けなきゃいけなくて。でも、俺一人じゃ大した戦力にならない。強大な相手だから、お世話になっているクルシュさんの力を借りようと思って……それで奴らを……」

 

「甘いな。日頃世話になっていて、情も生まれている彼女なら協力するだろうと本気で思っているのか?単なる善意で、なんの見返りもなく人助けをしてくれると本気で?性善説もここまでくると、拍手を送りたくなるね」

 

「そんなこと……あるわけーー!」

 

「あるんだ」

 

思わずカッとなって反論しようとしたスバルを、ストレンジが強い言葉で遮る。以前の単なる傲慢だけの言い分でない、一足先に人生の道を歩む先輩として、まるで先生のように続けられる彼の言葉に、スバルは出かけていた反論の言葉を押し戻した。

 

「善意で人助け。報酬なしのボランティアで敵陣営を救う。助け出された方は喜びで涙を流し、その夜にはみんなで和睦のパーティーを開いて仲良しこよしの手繋ぎ。そして、次の日には何事もなかったように、敵として王選を共に戦おうと?

いいか、お前の考えは自己中心的で甘すぎる。今まで人の善意だけで生きてきただけで分からないのだろうが、そう上手く物事は進まない。王選は政治だ、なんの見返りもなしに動く政治家をお前は見たことがあるのか?」

 

「でも俺には奴らが……魔女教がやってくる未来が分かるんだよ!魔女教がやってくれば、エミリアやラム、アーラム村の人たちは殺される。しかも無惨に!彼らが殺されることを知ってて止めないのは悪だ。それは、人命を重んじるドクターなら分かるだろ?ドクターが説得さえしてくれれば状況は動く。俺に協力してくれ!魔女教を倒すのに力を貸してくれよ!」

 

「ならば、その要件は私ではなくロズワール・L・メイザース辺境伯に頼むべきだ。エミリアの後見人は彼であるわけだし、アーラム村は辺境伯領にあったはずだ。統治者として事態の収束は、彼が行うべきでは?」

 

「……ロズワールでもダメなんだ。魔女教は数で攻めてくる。戦力が、数が欲しいんだ」

 

「では聞くが、お前はそれをどうやって証明するんだ?」

 

「何って……それはドクターの口からもクルシュさんに動くよう働きかけをーー」

 

未だに人に寄りかかることしか考えていないスバルにストレンジは頭を痛めながらも根気強く彼に説明する。最早、彼らは運命共同体。スバルがストレンジならば自分がいない未来を作り出すと考えているのに対し、ストレンジは否応でも彼を助けなければ永遠に時間の牢獄に閉じ込められることになると考えていた。ストレンジもそうはなりたくないので、協力せざるを得ないがその手段がよろしくない。

 

「いいか、私の言葉があったところで状況は変わらない。私やクルシュ陣営が態々敵陣営の領内まで押し入って、敵を片付けるメリットがないからだ」

 

「メリットはある……だろ……。例えば、クルシュさんはウチに借を作れるとか」

 

「ではその借を返す代償として、エミリアの王選からの撤退を突きつけられた場合はどうする?Yesと答えた瞬間、お前の一存で彼女の意思は踏み躙られることになる。彼女が生きる目標でもある王への道を、お前の簡単な一存で閉ざしてしまうことへの覚悟が、彼女から別れを切り出される位でへこむお前にあるのか?」

 

ストレンジの口にした言葉の重い内容にスバルは、思わず怯んだ。エミリアを王にすると王城であれだけ言い切ったのに、自らその道を彼女の意思を無視して閉ざすという現実は、彼にはとても重すぎる。

だが、ストレンジ、ヴィルヘルムといった猛者が揃っているクルシュ陣営の力が無ければ、待っているのは魔女教による大虐殺だ。命の天秤が揺らされ、スバルの脳は痛みと軋みが襲う。歯を食いしばりながらしばらく考えた後、決意を固めたスバルはゆっくりと言葉を口にした。

 

「それは……それでも仕方ないだろ。命まで失っちまったら、全てお終いなんだから。俺はその要求を呑む」

 

肩を落とし、落胆と失望を隠せないままスバルは応えた。

頭を下げて屈辱に塗れようとも、彼女が生きていればそれでいいと。しかし、ストレンジに彼の葛藤など気にする必要はなく、容赦ない攻撃は続く。

 

「働かない頭を必死に動かして考えたようだが不合格だ。その条件では魔女教がエミリアを殺害することでも達成されてしまう。つまり、他陣営が手を貸すまでもなくエミリア陣営は滅ぶということだ。我々が手を貸すメリットはない」

 

「だから、知ってて見逃すのは悪なんじゃ……!?」

 

「まずクルシュの考えを察すれば、領地を守れないエミリアに王が務まるはずがないと一蹴されるだろう。

私の考えだが、確かにお前は魔女教がやってくる()()を知っている。しかし、()()を生きる彼女たちに魔女教がやってくることをどうやって証明する?まさか「僕には未来予知能力があって、それを見たら魔女教に襲われた未来が見えたんです〜」とでも言うつもりか?狂人と言われるのがオチだ」

 

「それは……!だから、ドクターの力で証明して……!」

 

「いつまで他人頼りの人生で生き続ける。お前は甘えれば、他人が何でもお膳立てしてくれると勘違いしているようだが、相手は王選に出るような辣腕者揃いだ。お前の甘えが簡単に通ると思っているのなら、それは甘えた考えだ。大きな間違いだぞ。そんな考えでは誰も動かないし、誰も救えない。何よりお前はエミリアの隣に立てる人間ではないと自ら証明するようなものだ。冷静に考えてみろ。誰が、他人頼りの人物を自分の騎士に置こうとする?

 

 

ーーそれに想い人を助けたいと口にしない男を、私は本心から手を貸したいと思わない」

 

高校生だろうと一切の遠慮がないストレンジは、スバルの心に突き刺さる言葉を連発する。それでスバルが壊れるものなら、一層のことエミリアから離れて遠くで暮らしたほうがいい、とストレンジは本気で考えていた。いつまで経っても他人に寄りかかりっぱなしの人生を送るスバルに、大人になれと忠告したのも、彼女を本気で助けたいのであればその頭を動かすしかないことを自覚させるためだ。

 

「そんな……じゃ、どうすればいいんだよ!?エミリアを助けられない!助けようと思っても俺だけじゃ非力だ!誰かに助けを求めても誰も応じてくれない!こうして右往左往している今にも、魔女教はやってきてエミリアや村の人たちを殺す!なんとかしなきゃいけないのに!

ーーでも、俺は誰かに寄りかかることしか知らない!俺はその程度の男なんだ!いつだって口先だけは偉そうに!自分じゃ何もできねえくせに、文句だけは一人前だ!

 

……空っぽなんだよ、俺の中身は。俺は今まで何もしてこなかった……!そうやって生きてきたから、その結果が今のこの様だ……!!俺の無力も、無能も、全部が俺の腐った性根が理由だ……」

 

スバルはストレンジの言葉と、今までの自分の生き方のツケの代償が来たことを嫌と言うほど思い知らされ、思わず泣き崩れてしまう。膝から崩れ落ちるようにへたり込んだスバルは、先程までのイキっていた様子はなく絶望に打ちひしがれた子犬のようだ。

 

「……本当は、分かってたさ。全部俺が悪いってことぐらい。

 

 

 

俺は、最低だ。……俺は、俺が大嫌いだ」

 

泣き崩れ、大声で叫ぶスバルをストレンジは何もすることなく黙って聞いていた。一見すると冷たい様にも見えるが、スバルが自分の欠点を認め誤った道から正しい道に戻る用意ができたことは、彼がようやく第一歩を踏み出す準備ができたということを示している。

本人が自分の欠点を認識できただけでも、今は万々歳だ。だとすれば、次は彼を立ち直らせる存在が必要だ。幸いにも、彼にはその人物に心当たりがある。彼女ならば、現在進行形で泣いているスバルを立ち直らせることができるだろう。

 

未だにへたり込むスバルをそのままにしたまま、ストレンジはレムの目の前にポータルを開ける。

王都の大通りにいたレムの目の前に開かれたポータルに驚くレムは、先程からずっとスバルの行方を探していたのか、衣服や髪が少しばかり乱れており、息も荒い。

突然出てきたストレンジよりも、彼のマントに引きづられるようにして出てきたスバルを見つけ、レムはすぐに崩れ落ちそうな彼を支える。

 

「ドクター・ストレンジ様……これは一体?スバルくんはどうしてこんな状態に……?」

 

「こことは違う次元で、二人っきりで話をしていた。今後の人生や価値観について深くな。私の話を聞いていくうちに、途中でどうも現実に打ちのめされたらしく泣き崩れたらしい。後の世話は任せるぞ。

 

ーー彼を立ち直せることができるのは、お前の専売特権らしいからな」

 

ストレンジはスバルをレムに押し付けるように引き渡すと、その場から去っていく。

彼女ならばスバルを叩き直してマシな男にするだろうという、彼らしからぬ直感というひどく曖昧な根拠の下、レムに託したのだ。

 

ストレンジの思惑などいざ知らず、どういうことか未だに状況が掴めていないレムは、取り敢えずスバルを立たせると見晴らしの良い王都の高台に連れて行った。

 

 




3回目のNWH観賞、今度は吹き替えで見てきました。
いやあ〜、やっぱいいですね〜!ネタバレになるので言えませんが、字幕版と吹き替え版、どちらも最高だったのは保証します笑

皆さんはもうご覧になったかは分かりませんが、次のMCU作品としては3月放送開始のドラマ『ムーンナイト』が控えていますよ〜!1月から約2ヶ月はMCU作品がないので辛いですが、5月にはMOMもあるのでそこに向けて突っ走りましょう!


あの感動の場面はやはり、ストレンジではなくレムにしなくては笑
当初はレムとスバルのあの感動のシーンを、ストレンジとスバルに置き換えようとも考えていましたが、やっぱりレムじゃないといけないと思い、ストレンジとレムの半分半分でスバルを立ち直らせることにしました。


ベネ様か吹き替え担当の三上哲さんが歌う『Wishing』をバックに、ストレンジが「ここから始めよう。一から、いや、ゼロから」って言うあのシーンを再現したら、もはやそれはネタ枠にしか見えないので笑


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三十九話 配られたカード

皆さま、お久しぶりです!

実は最近寝込んでいた作者です。どうもコロナではない普通の冬風邪にやられてしまったようで……少し休んでいました。

それと艦隊決戦のゲームにハマってしまって戦艦を乗り回していたことも投稿が遅れてしまった原因でして……。

失礼、無駄話が過ぎました笑
本編どうぞ!


「ーーお前の惚れた男が、最高にかっこいいヒーローになるんだってところを!」

 

スバルとレムが王都の高台で、レムがスバルを奮い立たせ、スバルが覚悟を決める。

彼の胸の内は熱く、抱きしめるレムが彼の胸に顔を押し付け表情を隠す。

自分が好きになれないスバルに、好きだと言ってくれる子がいるのだ。

 

ーーエミリア()を見てる。レム()が見てる。だから、俯かない。

 

「ーーーー」

 

借り物の勇気だけど、この胸に抱く想いは本物だと信じられるから。

 

ここから、ゼロから始めよう。

 

ナツキ・スバルの物語を。

 

 

ーーゼロから始める、異世界生活を。

 

 

 

 

 

 

 

スバルとレム、二人で抱きしめ合っていたところへ見覚えのあるポータルが出現する。

 

「……あ」

 

「……//」

 

「…………」

 

火花を散らす例のポータルから現れたのは、スバルが覚悟を決めるのを向こう側でずっと待っていたストレンジだった。出てきて開口一番何かを言おうとしていたが、二人で抱きしめ合うというなんとも絶妙なタイミングで現れてしまった彼は、言いかけようとしていた言葉を引っ込め、青春全開なスバルとレムに半ば呆れたような顔をする。

 

「……Oh……邪魔したな。そのまま遠慮なく人目を気にせず抱き合っていていいぞ」

 

「ちょーっとストーップ!待て待て!何も言わずに去ろうとするのはやめてよ!?」

 

「スバル君スバル君。ドクター様からお許しも出たことですし、レムは全然構いません。……寧ろしていたいというか……」

 

「レムさんレムさん!?」

 

空気を読んでスタコラさっさとその場から退場しようとするストレンジを、顔を真っ赤に染め上げ恥ずかしさ全開のスバルが掴み必死にその場に止めようとする。何やら支離滅裂なことを言うレムは置いておいて、振り返るストレンジを見据えてスバルは切り出す。

 

「……どの辺から見てた?」

 

「見ていたのは二人で抱き合っているところからだが、()ていたのはその前の「俺に何が分かる!!」のところからだ。ヒューマンドラマとして、撮影しておきたかったぐらいの光景だったな」

 

「ほとんどじゃねえかよ!?恥ずかしい……」

 

恥ずかしさのあまり、スバルは震えさえも出てくる始末だった。まさかあの光景を見られているとは。プライバシーのへったくれもない。

 

「数時間前の殺意まみれの目を見ている身からすれば、たった一人の女性でこれほどマシに変わることにシンプルに驚くよ。余程彼女への愛が深いんだな」

 

「レムは俺の大事な守るべき存在だからな。常に俺のことを見ていて気にかけてくれる。でも、俺が間違った道に行こうとした時、全力で正しい道に戻してくれるなんて思わなかった。それほどに俺のことを考えてくれているなんて……」

 

「まともじゃなかったお前をまともに戻してくれるありがたい存在に出会えるとは、ラッキーだな。だが気をつけろ、直向きさと妄想は紙一重だ。愛というものは、時に心ではなく精神を蝕む時がある」

 

「??よく分からないけど、了解だぜ」

 

ストレンジの忠告を理解できずとも、胸に留めておくことにするスバル。

ーー後にそれが自身の身に降りかかってくるとも知らず。

 

 

 

 

「さて、照れるのは程々にしてもらおうか。そして示してもらおう、お前が次に何をするのかを。惚れられている女性にあんな大見えを切ったんだ。まさか何も頭にないわけではないだろう?」

 

「ああ、といっても詳しい情報が無い。……ドクター、知恵を貸してほしい」

 

恥ずかしさからようやく解放されたスバルは次の行動に向けての情報提供をストレンジに依頼した。スバルがストレンジに欲しがる情報は二つ。白鯨の出現場所とその位置だ。以前、スバルがロズワール邸に戻る際に日数を要した原因であり、魔女教との対決に必ずぶち当たる障害であると共に、彼らとの決戦にクルシュ陣営を引っ張り出すのに絶好の口実となる存在。

本来であれば白鯨の出現場所と時間を把握した上でカルステン邸に乗り込みたいところだが、生憎それを知らないスバル。本史の世界では、スバルがもう一度死に戻る際にそれらを知り、その上で交渉に臨んだものの、今回はそのアドバンテージがない。

 

「白鯨の出現場所と時間。それを口実にクルシュ陣営を白鯨戦に引き摺り出し、白鯨討伐の名誉を与える代わりに、魔女教討伐への助力を要請する……大胆な計画だな。だが、可能性が無いわけでもない」

 

「お!やったぜ、初めてドクターから高評価をもらえた気がする。んで、ドクターに手伝ってもらいたいのは白鯨の現れる場所と日時を調べてほしい。今はそれだけでいい、後は俺がやるから」

 

「確かに「アガモットの目」の中にあるタイム・ストーンを使用すれば、白鯨の出現場所と時間は教えられるだろう。だが、クルシュ陣営だけでの白鯨攻略は困難だ」

 

ストレンジの鳩尾にかけれている目の形を模したネックレス。独特のデザインのそれの中には、タイム・ストーンと呼ばれる特殊アイテムが眠っているらしく、それを使用すれば日時や場所が特定できるらしい。

「至高の魔術師」と呼ばれる人物に相応しいアイテムだが、それでもストレンジもいるクルシュ陣営が白鯨に勝つのは難しいと言う。

 

「え?ドクターぐらい強い奴がいればクルシュ陣営だけでも倒せるんじゃ?」

 

「……私なら白鯨にダメージを与えられるだろうが、その全てを私に押し付けられても困るな。私はあくまで魔術師だ。シロアリバスターのような害虫駆除業者じゃない」

 

「そうなのか……」

 

「いいか、白鯨というのは空飛ぶ魔獣だ。地上戦を得意とするこの世界の兵士の何人が、食らいついていけると思う?「剣鬼」ヴィルヘルムや「百人一太刀」のクルシュだけではどうにもならない問題だ」

 

「ーーとなるとクルシュさんのところ以外に、白鯨攻略によって利益を得られる組織にも協力してもらう必要があるのか。そんなところあったっけ……ん?ちょっと待てよ」

 

一回目の死に戻りの時、レムと共に王都を出立したスバルは王都の玄関口である正門前を通過しようとした際、傭兵団に護衛されながら移動する王選候補者の一人であるアナスタシアを目撃していた。

白を基調に、黄色のラインが入った目立つ服装に身を包み、獣人が多かった特徴からスバルの脳裏にも鮮明に残っていた。

 

「アナスタシアっていう王選候補者が兵団みたいなのを引き連れていた気がする。彼らに応援を頼むってのは?」

 

「根拠を聞こう」

 

「アナスタシアさんは商人だ。つまり、利益を最大限追求する。白鯨は、神出鬼没に現れる存在だから当然商人たちにも脅威になるし、襲われれば当然損失が出る。となれば、彼女にも白鯨攻略のメリットはあるってことにならないか」

 

「鋭いな。彼女は王選候補者の顔と共に商人の顔を持っている。王城でお前と同じく欲を曝け出す彼女だ。白鯨討伐に旨味を感じないはずはない。彼らの戦力を借り受けるのも戦力の一つとして十分に考慮すべきだろうね。だがそのメリットは確固たるものではない。物的証拠が必要だ。白鯨が現れることを示す物的証拠があれば彼女も参戦するだろう」

 

「物的証拠?そんなものあるわけ?」

 

スバルは思わず疑問の声を上げずにいられない。これまで話してきた内容は、全てスバルが自分の脳に記憶してきたこれまでの世界線が元となっている話だ。

つまりこの世界線では現実となっておらず、故にそれを示す物的証拠もあるはずがない。

そんな状態のスバルにストレンジは右手を翳し、スバルのジャージに入っていたガラケーを念力で抜き取った。

 

「おおっとこれは何だ?ナツキ・スバル」

 

「何って……ガラケーだろ?」

 

「紛れもないガラケーだ。携帯全般に当てはまることだが、これにはアラームと時計機能が付いている。その二つを利用して、白鯨が現れる時刻にアラームなり通知なりを設定しておくことで、さも予測通りに白鯨が出現したという設定なら、一定程度の説得力はある」

 

「おお!なるほど!」

 

「レムには何か分かりませんが、スバル君はこれを予測してその珍奇な機械を持っていたのですね!レムは感服しました!」

 

ガラケーの機能を利用した作戦に思わず脱帽するスバルと、何やら勝手に想像して勝手にスバルに対して敬服するレム。偶々重なりあった事とはいえ、スバルに絶賛感服中のレムにとっては、スバルがここまで策を練り上げていたことに敬意を表しているようだ。

 

と、そんな和気藹々の彼らの横でストレンジは胸の前で親指、人差し指、中指を左右で合わせた後に交差してアガモットの目を開眼させた。中から緑色に鮮やかに光るタイム・ストーンが現れると、気配の流れに敏感なレムは本能でタイム・ストーンが世界を揺るがす危険な力を孕んだ物であることを本能で察する。

地面に胡座をかいたストレンジの身体は浮かび上がり、周囲には緑の独特なオーラが時間の流れを表すかのように彼の身体を囲み、手首には幾つもの独特なデザインの魔法陣が現れる。

 

「……スバルくん、ドクター殿は大丈夫なんでしょうか?」

 

「ん?どうしたの、レム。そんな心配をして」

 

「いえ、大したことではないといいのですが……。あの緑色に光る石のようなもの、レムには危険な物に見えてならないので。ドクター殿はあれを日時使っているのでしょうか?」

 

「うーん。俺にはちょっと分からないけど、レムが言うからには危険なんだろうな。だけど、ドクターなら大丈夫なんじゃないか?その手の専門家だろうし」

 

まるで地蔵のように、地面から浮き上がったストレンジは目を閉じたまま微動だにしない。彼の手首の魔法陣はゆっくりと時計方向に回っているが、スバルとレムにはストレンジが今何をしているのかは分からない。

だが、すぐにストレンジは目を開けると胡座の姿勢から立ち上がると共に、地面にゆっくりと降り立つ。アガモットの目はその瞳を閉じ、手首の魔法陣も消えている。

 

「白鯨の出現場所と日時が分かった。出現場所はリーファウス街道、フリューゲルの大樹の周辺。日時は明日の夜だ。あまり時間はないぞ」

 

「ああ、分かってる。サンキュー、ドクター。それだけ分かれば後は大丈夫だ。こっちで何とかする」

 

「できるのか?」

 

「元々の言い出しっぺは俺だ。それにエミリアを助ける為の道がこれしかないのなら、足掻いてみるしかない。ドクターには、クルシュさんたちを屋敷に留めておくことを最後にお願いしたい」

 

スバルの提案にストレンジはいいだろう、と一言応じる。後は、商売人であるアナスタシアを巻き込みさえすれば、白鯨攻略戦、そして魔女教攻略へクルシュ陣営を引き込むための下準備が整う。

後は全てスバルの交渉次第だ。ここから先は、ストレンジは協力しないだろうしレムの助力もスバルのためにはならない。後は自力で道を切り開くのみだ。

 

先にストレンジはポータルで何処かに移動していき、レムだけが再び残る。スバルは今後、我が身やレム、そしてエミリアに降りかかるであろう魔女教について話した。

無論、レムの死やパックによる無差別殺戮など防がねばならない運命は数多いが、その全てをレムに打ち明けるわけにはいかない。レムもスバルの唐突な魔女教襲来の予告に疑念を抱き、何かスバルが重大な隠し事をしていることを見抜いていた。しかし、それを無闇矢鱈に指摘はしなかった。彼が口にしないということは、それだけ重大であり、話すことよりも話さない方が良いから話さなかったことを彼女なりに理解していたのだ。

 

何よりスバルに対してレムは誠実にあり続けたいと願う。それが彼に勇気を与えると共に、彼女の届かない愛へのせめてもの手向けとして。

 

 

 

 

 

 

 

広間には沈黙が、そして張り詰めた緊張感が満たされていた。

その緊張感を肌で味わいながら、スバルは渇いた唇を舌で湿らせ、まずは状況の第一段階を整えられた行動の結実に、無意識に拳を握る。

 

前提条件として、今この場に参ずる面子が揃うことが今のスバルには肝要だった。

 

力もない。知恵も足りない。能力も人脈も欠けている自分にできることがあるとすれば、それはこれまでの死を無駄にしないことだけなのだから。

 

「ようやく、夕餉を遅らせて集められた趣旨が理解できそうだな」

 

座椅子に腰掛け、膝の上で手を組んだ男装の麗人――クルシュ・カルステンがその沈黙を破り、凛々しい面持ちに理解の色を浮かべてそう呟いた。

その彼女の隣に立つ一の騎士は主の言葉にわずかに目を細め、その愛らしい頬を軽く膨らませると、

 

「そうですかぁ? フェリちゃんは正直まだ眉唾にゃんですけどネ。あれだけへたれてた男の子が、急にどうしたらあんな目をするようににゃるのかなって。それに、あのドクターがスバルきゅんに対してズキズキした態度から急に中立的になるのもちょっとおかしいよネ」

 

口調と顔つきこそ冗談まじりを装っているが、言いながらスバルとストレンジを見る彼――フェリスの視線には油断がない。実力足りずとも、主を危機から遠ざけようという彼の気概だけは十分にそこから伝わってくる。

 

「――――」

 

依然、主従の会話に混ざらずに沈黙を守るのはフェリスの反対、クルシュの左隣で背筋を伸ばすヴィルヘルムである。

腰に帯剣し、瞑目する姿からは研ぎ澄まされた剣気だけが漂ってきており、戻ったスバルとレムを出迎えてくれた際の好々爺めいた雰囲気は微塵も残っていない。今は公人として、主であるクルシュが持つ一振りの剣の役割に没頭しているのだ。

 

「彼は我々に面白い提案をしてくれるそうだ。私はその案を一足先に聞いたのだが、実に興味深かった。今はそれだけで十分だろう」

 

スバルが来るまでクルシュたちを屋敷から出ないよう、遠回しにとはいえスバルに協力したストレンジは、スバルが異世界から来た人物であり「死に戻り」によって世界線を変えることのできる存在であることを、伏せて彼らを説得していた。それ故、急な態度の変化にフェリスは怪訝そうに見ていたのだ。

 

場所は王都貴族街の中でも上層、そこに構えるカルステン家の王都滞在時に利用される別邸。主の意向に沿って極力、華美な装飾が控えられた邸内にあって、来客を出迎えるために相応の飾り立てが為された応接用の広間だ。

その場に前述の四人、屋敷の関係者が並び合っているのは当然の流れ。そして、彼女らを除いた広間の中にいる顔ぶれといえば、

 

「出戻りとはいささか居心地が悪いものです。スバル殿にはこの居心地の悪さを払拭するような、そんなお話を期待させていただきますよ」

 

それとなく全員の顔に目を走らせていることに気付いたのだろう。スバルの横目を受けてそう笑うのは、くすんだ金髪にお洒落顎ヒゲが特徴的な優男。――王都の商業の算盤を弾く辣腕家、ラッセル・フェローだ。

そんなラッセルの牽制ともいえる話の振り方にスバルは肩をすくめ、

 

「今、レムがもうひとりを呼びにいってるんで、もうちょっと待っててくれ。きてくれるか確実じゃないが……勝算は、ある」

 

「お早い到着をお待ちしておりますよ。ちなみに、勝算の根拠をお伺いしても?」

 

おおよそ、スバルの待ち人の素姓に目星が付いているらしいラッセル。彼の問いかけにスバルは「簡単な話さ」と首を横に振ってから、

 

「金の臭いには敏感だ、って自分で発言してたからな。それが本当なら必ず顔を出してくる。ラッセルさんもその口だろ?」

 

「これはこれは……痛いところを突かれました」

 

額に手を当てて、丸め込まれたとでも言いたげに振舞うラッセル。もちろん、お互いの手札がある程度透けているのを見越してのやり取りだ。

額面通りの安心感など虚実に過ぎないだろうし、そもそもスバルの方にはそんな腹芸ができるほどの技術も余裕もありはしない。スバルを支えるのは今はただ、借り物の勇気それだけなのだから。

 

「皆様、大変お待たせしました」

 

それからほんの数分後、広間の扉を開いて姿を見せたのは青い髪の給仕服の少女――レムだ。彼女は室内にいる全員に見えるよう頭を下げ、それからスバルの方へ視線を送ると、

 

「おーけーです」

 

右手の指で小さく丸を作ってそう言って、レムはスバルの隣へ歩み寄るとわずかに背伸びしてこちらの耳へ、

 

「少し到着は遅れるそうですが、必ずきていただけると」

 

「そうか。よし、よくやってくれたぜ、レム」

 

その報告に指を鳴らし、スバルは次善の状況を最善に変える手立てを得たと頷く。それから待ちわびる面々を見渡し、

 

「最後の参加者は少し到着が遅れるって話だけど、とりあえず役者は揃ってる。これ以上待たせるのもなんだ。――始めようか」

 

スバルのその宣言に、各々が状況が変わるのを察してそれぞれの反応を見せる。

 

クルシュがかすかに笑い、フェリスは固く唇を引き結ぶ。ヴィルヘルムはひたすらに沈黙に徹して表情を変えず、ラッセルはゆったりと椅子に腰を沈めた。そしてストレンジは、まるで試験監督のようにスバルの一挙手一投足をじっと見つめている。

彼らの視線を一身に浴びながら、スバルはひとつ高く足を踏み鳴らし、己の気を高く引き締める。

 

心臓が高く、強く鳴るのを感じる。

血が全身にめぐり、同時に大きな不安が首をもたげては目の前が暗くなりそうな感覚を味わう。

だが、

 

「スバルくん」

 

そっと、隣に立つレムが不安でいるスバルを安心させるように袖に触れる。

直接肌に触れず、衣服を介しての接触――なのにスバルはまるで、万の助勢を受けたかのような安心感をそれに抱いた。

 

レムが見ている。格好の悪い真似など、それこそできるはずがない。

不敵に笑い、恐怖をその笑みの裏に隠して、スバルは最初の壁に挑む。

 

針の穴を通すような条件を掻い潜り、ハッピーエンドを紡ぐために。

自分を好きだと言ってくれた女の子が信じる、英雄に一歩でも近づくために。

 

「ひとつ、確認したいところがある、ナツキ・スバル」

 

気合いを入れて前を向くスバルに、指をひとつ立てたクルシュの声がかかった。彼女はその立てた指を左右に振り、スバルの視線を受け止めると、

 

「この集りの趣旨を。――卿の口から、な」

 

肘掛けに腕を立て、その手の上に頬を預けてスバルを見やる怜悧な眼差し。

すでに理解しているだろうに、スバルの口からそれを語らせる彼女の姿勢には一貫して甘さがない。

話の始め方ひとつにとっても、すでに勝負は始まっているのだ。これが辣腕の交渉人であり、ストレンジも一目置いているクルシュ・カルステンの交渉術か。

 

「そら、もちろん――」

 

だからスバルは大きく腕を振り、クルシュの突き刺すような視線に呑まれないように己を維持する。

 

「エミリア陣営とクルシュ陣営の、対等な条件での同盟――そのための、交渉の場面だ」

 

立ちはだかるいくつもの壁――それらの障害を乗り越えるための最初の挑戦が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

「同盟……か」

 

全員の視線を一身に受け、会談の目的を告げたスバルにクルシュがそう呟く。

彼女は考え込むようにわずかに顎を引き、それからちらと最初にレムの方へ、続けてストレンジへ視線を送る。

その探るような眼差しの意味を静かに察し、レムはゆるゆると首を横に振ると、

 

「ロズワール様の言いつけ通り、レムはなにも申し上げていません。――全てはスバルくんが、自分で辿り着いたことです」

 

「私も助言はしていないぞ。これは彼の交渉だからな、彼自身で進めなければ意味はない」

 

「卿らの忠義を疑うわけではない。だが、そうか……」

 

ストレンジの否定の言葉に納得、というより合点がいったというべき形で理解を示すクルシュ。彼女はその理解を浮かべた瞳を今度はスバルに向け、

 

「ならば、此度の交渉役はレムから卿――ナツキ・スバルに権限を委譲されたということだな?」

 

「ああ、そうなる。ロズワール……うちの主人も、底意地の悪い真似してくれたもんだと思うけどな」

 

大仰に吐息を漏らすアクションを入れて、スバルは脳裏に浮かぶ藍色の髪の人物の嫌らしい笑みに舌を鳴らしてやる。

スバルには話さず、内々にレムにだけ下されていた王都での行動方針。そして、それはスバルが自ら気付かない限り、決してレムの口からはスバルに漏れ伝わらないように厳命されていたのだ。

 

「最初から引っかかるところがなかったわけじゃないんだよ。そもそも、うちの陣営が慢性的な人手不足なのは自明の理なわけだしな」

 

スバルの知る限り、エミリアを擁するロズワール陣営の人手不足は致命的だ。

なにせ本邸の時点でラムとレムの姉妹、ロズワール、あとは数に入れていいかも悩まされるベアトリスしか人員がいないのだ。時折、名前を耳にする別の関係者がいるようではあるが、見知っていないそれらをかき集めてもどれほどになるか。

そんな状況下で、限定的な条件であるとはいえ、王都に残るスバルの下にレムを一緒に残したことは常に頭のどこかで違和感となって引っかかっていた。

 

もちろん建前としては、自領の危機を救ったスバルに対し、治療とその他の形の賠償で報いるためにも、王都にひとり残すような無礼はできなかったと考えられるが。

 

「あの変態がそんな慈悲心満載な理由だけで、レムを手放しておくとも思えない。なにかしら裏があるに違いない、と考えを詰めてけば……」

 

「自然、もっとも会見の機会があった当家に白羽の矢が立つ、か」

 

足を組み替えて、クルシュはスバルの言葉を引き継いで結論を述べる。その言葉を肯定するように頷き、スバルは「それに」と前置きして、

 

「夜な夜な、レムとクルシュさんが密会してるらしいのは聞いてたからな。なんの話をしてるのかまで、頭が回ってなかった自分がアホ過ぎて嫌になるけど」

 

どれだけ自分のことしか見えていなかったのだろうか、と自嘲しか浮かばない。レムが本当にそれとなく、スバルが隠された意図に気付くようにヒントをばらまいていたことが、世界を三度まで見直してようやく気付ける鈍感さなのだから。

 

「毎夜の会談の内容は同盟締結について。こっちから差し出してる条件に関しては……一通り、レムから聞いてる」

 

「エリオール大森林の魔鉱石、その採掘権の分譲が主な取引き材料だな」

 

隠すことでもないとばかりに、うっすら匂わすだけで済まそうとしていたスバルの言葉にクルシュが被せる。

途端、それを耳にして目を輝かせたのは他でもない。

 

「それはそれは、聞き逃せないお話ですね」

 

クルシュ同様に座椅子――客人用の皮張りの椅子に腰を沈めていたラッセルが、その瞳を輝かせながらわずかに前のめりになり、

 

「魔鉱石の採掘権はまさに、鉱石の需要が高まりつつある現状ではこれまで以上の価値がある。ましてやそれが、いまだ手つかずの地のものであるならば当然です」

 

予想以上の商人の食いつきに、スバルは内心で驚きを隠せない。

 

「鉱石の需要が高まりつつある、ってのは?」

 

「季節がこれから赤日を終えて黄日、そして青日に入ります。今年は特に水のマナの影響が強く見込まれていますから、暖房設備への利用目的で需要が多いはず」

 

指を立てて、スバルの質問に朗々と応じるラッセル。

彼の口にした青日や赤日というのは、この世界での春夏秋冬を差す言葉だ。聞いた通りに赤日が「夏」で青日が「冬」。黄日が「秋」で緑日は「春」といったところだ。

 

「魔鉱石自体はマナを含有した純粋な魔力の結晶体。その後の加工次第で属性の指向性を付加し、用途に応じて使い分けることが可能となる。強度に優れ、使い方を誤らなければ耐用年数にも信頼が置ける。これほど扱いやすい商品もないでしょう」

 

「その代わりに絶対量が少ない。一度、指向性を付加したあとでのやり直しも利かない。採掘場の多くは土地自体を王国に管理されていて、鉱石はかなりの部分が公共事業の方へと流されている。市井に振舞われるのは極々微量、もっとわかりやすい言葉を使えば、国と富裕層にしか出回っていない」

 

魔鉱石の価値の良い点を列挙したラッセルに対し、クルシュがその価値の使われ方の悪い点を列挙して潰しにかかる。

が、ラッセルはそれにもめげずに「だからこそ」と首を振り、

 

「手つかずの採掘場の発見には飛びつかずにはおれませんよ。それが魔鉱石の出土と取引きで財を為したメイザース卿の使い――付け加えれば王選の候補者であるエミリア様の騎士の言葉です。信憑性、並びに信用は非常に高い」

 

熱のこもった口調で言いながら、ラッセルはスバルを横目にそう語る。

その態度には採掘権に飛びつく浅ましさを装った上で、スバルに対しての牽制が強い意味で含まれているのは明白だった。

つまり彼は、自分がいる場でその材料を持ち出したからには、もはやあとに引くことはできないとこちらの退路を断っているのだ。

もっとも、

 

「ああ、そこは信用してもらって構わない。これから長いことかかる王選の中で、最初に手を組もうって相手にブラフかますほど外れちゃいないはずだ」

 

条件としてロズワールが提示した以上、そこにスバルの意思が介在する部分はない。それは不安が介入する余地がないという意味でもあり、有体に言ってしまえば領主としてのロズワールへの信用があった。とても本人には言えないが。

 

ともあれ、そのスバルの返答にラッセルは「なるほど」と納得を宿した瞳で頷きを入れて、

 

「どうやら、交渉役としての気構えについては心配は不要のようですね。試すような物言い、非礼をお詫びいたします」

 

「いや、いいよ。こっちもこれからの話し合いで、ラッセルさんの口出しにはガンガン力貸してもらうつもりだから」

 

元より、ラッセルのスバルへの印象が高いことへの期待は欠片もない。

今回の初遭遇の時点ですでに、彼はスバルが王選の場で披露したその醜態を知っていた人物だ。当然、会談の場でのスバルの能力に関しても疑問を抱き、その点を確かめにくる機会があるだろうとは踏んでいた。

突っ込みやすい話題を用意し、本題の場面での突っ込みを回避しようと画策してはいたものの、回避し易い場面で食いついてくれたことには安堵を隠せない。

 

もっとも、その安堵があっさりと顔に出てしまうようではお眼鏡に適うまいと、彼の謝罪を受けた上でも大物ぶった返答をせざるを得ないのだが。

 

「とはいえ、こうやって謝ってもらえたからには、一回や二回の失言は見逃してもらいたいとこですけどね?」

 

「それを期待してのラッセル・フェローの参加、というわけか。存外、卿も食えない判断をするものだな」

 

スバルの愛想笑いにそうこぼし、クルシュなりに今のスバルと商人のやり取りを採点したらしい。会談が打ち切られていない以上、赤点ギリギリといったところか。

そんな判断を下しながら、スバルは愛想笑いを継続したまま頭に手をやり、

 

「儲け話ちらつかせた上でアドバイザー確保、ってのももちろん目的ではあるんだが……ラッセルさん呼んだのは、本題の方に関係があるからさ」

 

「ほう、本題か――」

 

その頭を掻きながらのスバルの言葉に、室内の空気が一変する。

それまであくまで会談の場を見定める体でいたクルシュが姿勢を正し、一度だけ静かに目を閉じると、ゆっくりとその鋭い眼光をスバルに浴びせたのだ。

 

風が吹いた、と錯覚するほどの威圧を前に、しかしスバルは怯まず抗う。

暴力的な威圧感にならば、嫌になるほど触れさせられた。それに比べればクルシュの眼光には、こちらを怯え竦ませるような負の感情の一切がない。あるのは背筋を正させ、弛んだ思考を引き締めさせるような威光だけだ。

 

「認めよう、ナツキ・スバル。卿がメイザース卿の名代、並びにエミリアからの正式な使者であると。この交渉の場において、卿と私の間で交わした内容は、そのままエミリアと私の間で交わされたものであると」

 

正面に立って臨むだけで、これほど人間は圧迫されるものなのだ。

クルシュは今、狙ってスバルを威圧しているわけではない。彼女は純粋に、それまでの私人としてのクルシュから、公人としてのクルシュ・カルステンへと意識を切り替えただけのこと。つまり、カルステン公爵家の当主が放つ威圧そのものが、これほどの力を持っていることの証左である。

 

これが、このルグニカ王国で今もっとも、王座に近い女傑の姿――。

 

鳥肌が浮かぶような感嘆の中、佇むスバルの方へと手を差し伸べ、クルシュは始まりを告げた交渉の火蓋を自ら切ってみせる。

 

「すでに聞いているはずだが、改めて問うておこう。私とそちらの従者……レムとの間での交渉は、採掘権の分譲などを含めた上で合意には至っていない。その点は重々、承知しているはずだな?」

 

「……ああ」

 

交渉が難航し、任されている権限だけでは合意に至っていないのはレムの口から聞いている。自分の力のなさを嘆くレムの姿が浮かぶ反面、そんな彼女の苦悩にまるで気付かずにいた自分の見る目のなさにも嘆きが半分。

嘆き二つ合わせて後悔とし、スバルは未来の後悔を先に得たという幸いを存分に利用させてもらう。

 

「こっちも確かめておきたいが、実際、これまでの条件じゃ足りないわけだよな? 互いの陣営への過干渉なしに、エリオール大森林の採掘権の分譲。付け加えて採掘された魔鉱石自体の取り扱いの協定とかのまとめに関しても」

 

「草案はレムの方から提示されている。さすがはメイザース辺境伯、というべきだろうな。自陣の十分な利益を確保した上で、こちらに十二分の恩恵が流れる。常ならば飛びつき、すぐにでも同意の書状を用意するところだが……」

 

そのあたりの数字のやり取りに関して、スバルから口出しできることはない。

 

「今回の場合は取引き相手の側への懸念が大きい。わかるな?」

 

言葉を切ったクルシュが口にしたのはその不安とは別の内容であった。

とはいえ、歓迎すべき内容でないことは確かであり、

 

「ロズワールが信用できない……って、話じゃないんだろうな」

 

それは希望的な見方でしかない。仮にロズワールの素行が問題であるならば、今後は清く正しい生活を送るよう強制していく次第だが、クルシュが問題点として挙げているのはそちらではない。

それは避けることができず、エミリアに延々と付きまとう問題であり、

 

「王選の対立候補。ましてやハーフエルフ……半魔の誹りを受けるエミリアとの取引きだ。後々のことを考えても、慎重にならざるを得ない」

 

低い声でそう述べる彼女に、スバルは意外なものを感じて落胆する。

スバルがクルシュに対して抱いていた印象は、言葉にすれば「威風堂々」と「誠実」といったあたりが相応しい。

王選の場面ではまさしくその単語を体現するような姿勢と、発言を貫き通しただけに、今の彼女の風評を気にするような姿には違和感が――。

 

「まさか、断りを入れる建前、か……?」

 

「スバルきゅーん? 大事な交渉の場面で、ポロっとそゆことこぼすのフェリちゃん良くにゃいにゃーなんて思ったり? 思ったり?」

 

笑顔ながらも額に青筋を浮かべるフェリス。笑顔がおっかない部分に変な男性らしさを感じつつ、スバルが慌てて口を塞いで頭を下げる。

と、そのやり取りを見ていたクルシュがかすかに口の端をゆるめて、

 

「あまりはっきり返されると、建前で応じた私の方が恥ずべき側に思えるな。これは勉強させてもらった。普段から接しているものばかりだと、こうした機会に恵まれることも稀だ」

 

「彼は思ったことをすぐ口にする悪い癖がある。彼は交渉慣れしてないのだろう。対人コミニュケーションをサボってきたツケが回ってきたようなものだ」

 

スバルにはわかり辛い論法でもって無礼は見逃された。とはいえ、温情に縋ってばかりいるのは貸しを作るばかりになって、結果的にこちらの不利を招きかねない。

スバルは小さく頷き、

 

「つまり建前は建前で……本音の部分では、クルシュさんはエミリアと同盟を結ぶこと自体への忌避感はないって考えても?」

 

「ナツキ・スバル、ひとつ考えを正そう」

 

指を立てて、クルシュはその立てた指をこちらに突きつけると、

 

「そのものの価値は、魂の在り様と輝かせ方で決まるのだ。出自と環境がそのものの本質を定める決定的な要因にはならない」

 

もちろん、それが間接的な要因になることを認めないほど、彼女も世間がわかっていないわけではないだろう。

エミリアの環境が、ハーフエルフである現実が彼女にどれだけ理不尽な過酷さを強いてきたのか、思いを巡らせる想像力がないわけでも当然ない。

故にクルシュはひとつ頷き、

 

「あの王選の場で、エミリアが語った言葉に虚実はなかった。そこに確かな覚悟と誇りがあったればこそ、私はエミリアを対立候補の一角であると認めている」

 

「ややこしいな、つまり?」

 

「芝居がかっているのは私の好みの問題だ、許せ」

 

自分の大仰な物言いに自覚があったらしく、クルシュは小さく唇を綻ばせると、それから一度の瞬きのあとに表情を引き締め、

 

「エミリアがハーフエルフである、という点を私が同盟締結を断る根拠とすることはない。むしろ政策的に敵対しているわけでもないエミリアの存在は、私にとっては積極的に相対する必要のない相手であるともいえる。同盟も、吝かではない」

 

「それなら……」

 

「答えを焦るなよ、ナツキ・スバル。卿の申し出を受けるかどうかは、このあとの卿の答えに左右されるといっても過言ではないのだからな」

 

好感触の返答に前のめりになるスバルを制し、クルシュは改めてこちらへ問う。

つまりは、交渉権を譲られたスバルがなにを持ち出すのかを、だ。

 

「エリオール大森林の採掘権、大いにこちらに実りがある。だがその反面、私は王選の事態を急ぎ進める必要もないのでは、と感じている。期限は三年だ。あまり状況を動かすのを早めすぎるのも、後々に禍根を残すこととなろう」

 

「エミリアと同盟を結ぶことのメリットが、そのデメリットに届かないと?」

 

「少し違うな。現状、メリットとデメリットは打ち消し合っている。当家の考えとしては、あと一歩、押し出す口実が欲しいといったところだ」

 

クルシュ自身の意思としては、同盟の締結には乗り気でいるように見える。

一方、彼女の意向で全てが思うままに動かせるほど単純でないのが、公爵家という大きくなりすぎた立場のしがらみでもあるのだろう。

 

だから彼女は求めているのだ。

状況を動かし、周囲の声を黙らせるほどの「なにか」が、もたらされることを。

 

「――――」

 

言葉を吐き出そうとして、スバルは己の喉が詰まるような感覚にわずかに驚く。緊張と不安が胸中で膨らみ、踏み出そうとするスバルの喉を塞いだのだ。

 

一度、息を吸い、改めてこれから口にしようとしている内容を反芻する。

確実性を確かめられるのはストレンジのみ。その彼も今は動かない。

だが、彼女は乗ってくる、とスバルは己の考えを信じる。

 

「同盟締結に向けて、うちから差し出すのは採掘権と……情報だ」

 

「――情報」

 

それを耳にして、クルシュは自身の長い髪に触れながら言葉の先を促す。

まだ、判断はされていない。ここからが、正念場。

 

「ああ、そうだ。俺が差し出せるのは、とある情報ってことになる」

 

「聞かせてもらおう。卿の口にするそれが、はたしてこちらを動かせるものか」

 

髪に触れていた手をこちらへ差し出し、クルシュはスバルの言葉を待つ。

自然、足と指にかすかな震えが生じた。だが、それはかすかに肘あたりに感じる温もりが打ち消してくれる。

レムがスバルの腕に指を添えて、借り物の勇気に火をつけてくれたから、

 

息を吸い、一息にスバルはそれを口にする。

 

 

「――白鯨の出現場所と時間、それが俺が切れるカードだ」

 




NWHのコンセプトアートが現在公開されていますが、その中にミステリオvsドクター・ストレンジとアートがあってびっくりしました!
もしかしたらMCU・異世界のミステリオとストレンジの対決シーンがNWHで描かれていた可能性があると思うと、それはそれで見たかったですね〜笑


それと、ムーンナイトの最新予告編も配信されましたね!
多重人格を持つヒーローなだけに、ダークな物語になる予感。楽しみですねえ



早くドクター・ストレンジMoMが公開される5月にならないかな〜


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四十話 同盟交渉

皆様、お久しぶりです〜。

忙しい日々の中で、どうにか書き上げられました!久しぶりの投稿です!

現在、様々な方の意見を受け、第二章を修正・加筆しています。良ければ、ご覧ください。


「――白鯨」

 

スバルが持ち合わせたカードの中で最大の効果を発揮するだろう手札。その単語を耳にして、室内にいるストレンジ以外の面々の顔色が各々変わる。

 

クルシュが興味深げに目を細めて呟き、フェリスはちらと横目に憂いを込めてその主を見つめる。商人肌のラッセルは忌々しい名前に嫌悪感を眉根の皺で表し、そしてなにより――。

 

「――――ッ!」

 

刹那、暗く濃厚な剣気が室内を席巻したのを誰もが肌に感じ取った。武芸に秀でたクルシュ、鬼という種族に属するレム、近衛騎士団に所属するフェリス。武に携わる彼女らはもちろん、魔術師であるストレンジや、スバルやラッセルといった武に縁の少ない二人であっても、その肌を通して内腑に直接触れるような圧迫感を如実に感じた。

そして、その発生源は――、

 

「失礼しました。私もまだまだ、未熟ですな」

 

それまで瞑目していた目を片方開け、表情を変えずに謝罪を口にするヴィルヘルム。部屋の隅々まで研ぎ澄まされた剣気で撫でた老剣士は、全員からの注視に恥を感じたように腰の剣の柄に触れた。

 

ヴィルヘルムが一歩引いた態度を見せたのを確認したクルシュは肘掛けに腕を立て、掌に頬を預けて「それで?」と前置きし、

 

「白鯨とは、またいささか唐突な単語が飛び出したな。卿の語る白鯨というのは、「霧の魔獣」のことで合っているか?」

 

「ああ、合ってるはずだ。霧をばら撒いて、空を泳ぐ巨大な鯨。――その白鯨だ。俺はそいつの次の出現場所と時間、それを知ってる。その情報を、同盟の取引き材料として判断してもらいたい」

 

どうだ? とクルシュに対して首を傾け、スバルは彼女に判断を委ねる。

クルシュは顎に手をやり、しばし熟考の構えを見せーー、

 

「それはドクターを介して得た情報か?」

 

熟考の構えを見せたのも束の間、クルシュはすぐに核心に近い質問をスバルに問うた。

スバルはこの場面で嘘をつくメリットがないことから、首を縦に振り肯定する。

 

「なるほど。それなら情報の信憑性は確かに得ている。だが、そうなると疑問が浮かぶ。

ーードクター、卿に一つ問いたい。何故、その情報を我々ではなくナツキ・スバルに渡した?」

 

クルシュの鋭い目線はスバルから一人用の椅子に腰掛けるストレンジに移った。

彼女の問いは、至ってシンプルだ。何故、白鯨の有力な出現場所と時間に関する情報を彼女らではなく、あくまで客人として扱っているナツキ・スバルに与えたのか。ストレンジほどの人物であれば、お門違いな相手に情報を渡すようなミスはしないと考えていた以上、何故情報を第三者に渡したのか、その理解ができずにいた。

 

「いいだろう。私が彼に情報を渡したのは、この事態を打開する鍵となる存在だからだ」

 

「鍵となる存在?」

 

「ああ。恐らく、そっちの鼻が効く鬼メイドは気付いていると思うが、奴の体臭は獣を寄せ集める性質を持っている。しかも、魔獣を集めやすいという分かりやすい特性付きでな。これを白鯨戦での囮として使えると私は考えた。戦場を駆け巡って白鯨の注意を引ければ、我々も行動しやすくなるからな」

 

「ふむ。ナツキ・スバルの体臭が臭いというのは本当なのか?」

 

クルシュの問いは次にスバルの背後に控えるレムに向けられた。元々、アーラム村にて大量のウルガルムと戦闘した経験を持ち、その時にスバルの匂いに魔獣が引き寄せられていたことを覚えていたレムは当然のように頷く。それを見たスバルが少しショックを受けてはいたが。

 

「ナツキ・スバルという存在が白鯨戦において役に立つことは分かった。だが、彼に白鯨の情報を渡したことに対する理由にはなっていないぞ。私はドクター・ストレンジという戦力があれば我々単独でも討伐は可能と考えていたのだが。その場合、ナツキ・スバルが持ってきた情報は価値を成さないことになる」

 

「ーーそれは、そのプランでは後々面倒なことになるからだ」

 

妙に歯切れの悪いストレンジの言葉に、彼らしくない印象を抱いたクルシュやフェリスは怪訝そうな表情を彼に向けた。スバルやレムも彼の発言の続きに注意を寄せる。

 

「……本来なら、こんな事を言いたいくはなかったんだが……この際断言しよう。ナツキ・スバル無くして()()には勝てない。私はその事を未来を()()()()知ったのだ」

 

胸元に下げられているアガモットの目に手を添えながらストレンジはそう断言した。彼の予言とも言える発言にクルシュやフェリスは驚き、それまで瞑目していたヴィルヘルムも目を開け、スバルやレムもその発言に驚きを隠せない。

 

「未来を体験した、つまり卿はこの先の戦いの結果を知っているということか?」

 

「その通りだ。来たるべき戦いがもたらす全ての可能性を含んだ変化した未来を見てきたからな」

 

彼らしい傲慢な振る舞いの裏に隠された彼しか知らない苦悩の数々。ひた隠そうにも漏れる感情に室内にいる僅かなメンバーはそれに気づいていた。それに気付いている一人であるフェリスは思わず聞かずにはいられなかった。

 

「ーー幾つ見たの?」

 

「654万2106個だ」

 

フェリスの問いに対し、ストレンジが答えた膨大な数。数多と表現するには足りないぐらいの膨大な未来をストレンジは実際に体感したというのだ。スバルの死に戻りの回数が可愛く見えるほどの死をストレンジは経験したことになる。それでも全くメンタルがやられていないことに、スバルは衝撃を受けていた。そして、その言葉に衝撃を受けたのは彼だけではなく、室内全員がその数に驚いていた。

続けてクルシュが核心を問う質問を投げかける。

 

「ーーこちらが勝つのは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………1つだ」

 

沈黙の後に重々しく言ったストレンジ。真っ直ぐクルシュの目を見据えて言う彼の発言は室内に重い空気を漂わせると共に、ストレンジがいたとしても白鯨討伐の可能性がとても低い事を示していた。

 

「……そうか。多くの犠牲の上に得られた勝利を得るために、卿はナツキ・スバルが必要だと」

 

「ああ。つい数日前まで王城で恥を晒していた少年がまさかキーマンとはな。全く面白い展開だ、仕組まれているようにも思える」

 

「ーーお聞きしてよろしいですか?」

 

ストレンジの言葉の後の沈黙を挟んで、手を挙げて質問の権利を求めてきたのはラッセルだった。

 

「ストレンジ殿は白鯨の出現場所と日時を未来を見て知ったと申しておられましたが、その万金の価値も、あくまでその情報の確度が信頼できて初めて意味を持ちます。が、それを証明する手段をお持ちでないのなら、気を持たせるだけの言葉遊びになるだけでは」

 

「ラッセル・フェロー、その根拠はドクターのその首飾りが示してくれる。それは時間を操る事を可能にするミーティアらしく、それを応用すれば未来を見ることも可能だろう」

 

嫌味のない笑みで肩をすくめるラッセルに対し、クルシュはストレンジの提示した情報の真偽には明確な信頼性がある事を裏付ける。

それを聞いたラッセルはアガモットの目に強い関心を抱いたのか、品定めするように凝視し始める。

 

そしてスバルも乗ってきた彼女らに対し、伏せていたカードを切る。

 

「俺が白鯨の出現を知ることができるってのは、ドクターの情報の他にもう一つある。それがこいつだ」

 

言い、懐から抜き出したそれを叩きつけるようにテーブルに置く。

広間の中央、全員が取り囲むテーブルの中央に滑らされたそれを見て、全員の表情がかすかに強張った。――直後、ストレンジの時とは一点変わってその瞳に一様に困惑が浮かぶ。

 

「ナツキ・スバル」

 

「ああ」

 

静かにスバルの名を呼ぶクルシュに応じ、スバルは怖じることなく胸を張る。そんなふてぶてしいまでのスバルの態度に言及せず、クルシュはテーブルの真ん中に鎮座するそれを指差し、

 

「これはいったい、なんだ?」

 

と、万を辞して突き出された白い光沢が鮮やかな異世界アイテム。

――ケータイ電話を指差し、スバルに首を傾げたのだった。

 

 

 

 

 

スバルの持っていたケータイは、異世界召喚の時点で昼夜が一転したことで、通話やメール機能は勿論、時計機能なども機能しなくなっていた。だが、別の場面を区切りとして考えるのであれば、それは大きな意味を持っているのだ。

 

「知らなくても無理ないさ。これは俺の地元で出土した、いわゆる魔法器ってやつでな。こいつが、俺の発言の根拠になる」

 

ストレンジ以外、その出所を知らない携帯電話そのものが、交渉に有用な武器になり得る。更にドクターは、何やらケータイに細工を施してスバルに返していた。

 

スバルの発言に目を見開き、最初に携帯に手を伸ばしたのはやはりラッセルだ。彼はその指が携帯に触れる寸前、気が逸りすぎていることに気付いたように「触っても?」とスバルに許可を求める。頷き、彼が手に取るのを見届けると、

 

「ずいぶんと、不思議な感触の物質ですね。金属のようでありながらそうではない。表面は滑らかで……ここは、開く?」

 

折り畳み式のスバルのケータイを開き、そこから光が漏れ出すのにラッセルは小さく驚きの声を漏らす。画面に表示される待受けは普段ならばアニメキャラの絵だったが、この会談が始まる前にオーソドックスな時計盤のものに切り替えていた。適当に操作しても、出てくるのは登録数の少ないメモリ画面だけだろう。

 

「光って、絵が切り替わる……いえ、しかし、内容は判別できませんね。見たこともない文字が、いや、絵……でしょうか?」

 

ちかちかと、秒針が動くアニメーションを表示する画面だが、時計の姿形が概念から違うこの世界の人間には、表示される時計盤の意味が理解できない。画面下部に出ている時間を示す数字も同様で、幾何学的な紋様がのたくっているように見えるのが関の山である。

 

「特別な文字だし、誰にも読めないと思うぜ?」

 

「だが、卿には使いこなせる……というわけか?」

 

「全部の機能が使いこなせてる、ってわけじゃねぇけどな」

 

クルシュの問いかけに、細心の注意を払いながらスバルは言葉を選ぶ。彼女との相対において――否、クルシュが同席している場面において、絶対に避けなければならない条件がひとつだけある。

その踏んではならない地雷を避けるために、スバルの脳は全霊を傾けながら言葉を選び出していた。

 

「つまり、卿はこう言うわけだ。――この魔法器とやらが、白鯨の接近を報せる「警報石」のような役割を果たすのだと」

 

「その警報石ってのが聞き覚えないけど、そうだと思う」

 

「白鯨の接近に際し、その存在を報せる魔法器か。卿の目利きはどうだ、ラッセル・フェロー」

 

「正直なところ、お手上げですね。魔法器に関しては個体差が大きく、同一のものが出土することも稀です。複製法まで確立されている対話鏡などは、あくまで例外の中の例外ですから。……したがって、この魔法器の使い道の真偽については難しい。

ーーストレンジ殿、この魔法器について何かご存じではないですかな?」

 

自分の知識にない道具への判断を聞かれ、ラッセルは根拠のない推測を口にすること避ける。現状、ラッセルの立場はいまだスバル側にもクルシュ側にもよって立っているわけではなく、あくまで善意の第三者の立場にある。

交渉の推移は彼自身の立ち位置にも大きく影響するのだ。自然、スバルとクルシュのどちらに与するのが自分の利になるのか、見極めの最中である彼の目は厳しい。

そのラッセルもストレンジであれば、何か分かるのではないかという期待を寄せ、彼に問うた。

 

「それはケータイと呼ばれる人の手で作られた魔法通信機だ。電波と呼ばれる特殊な波を用いて人の声を万里離れた相手に届けるという画期的な道具で、世界的な発明であったと記憶している。加えてこいつには色々な機能を搭載することが可能で、獰猛な魔獣の存在を知らせるセンサーのようなものを搭載しておけば、危険な魔獣からも身を守ることが可能となるだろう」

 

クルシュの風を読む加護に引っ掛からないよう、注意を払いながら慎重にケータイについてストレンジは述べた。ケータイについての信憑性を高めつつ、嘘をつかぬように。

結果、ラッセルには回答を拒まれるものの、クルシュはストレンジからそれなりの回答を得ることができていた。

 

「ーーあの」

 

と、小さく納得に似た感慨を込めた声を漏らしたものがいた。誰であろう、それはいまだスバルの袖に指を触れたままのレムである。

 

彼女は会話の中に自分の意思が介在したのを恥じるように口元に手を当てたが、その彼女の謝罪を耳にするより先に、

 

「気になる反応をしたな、レム。心当たりでもあるのか?」

 

クルシュの追及するような声に、レムは一瞬だけスバルの横顔に目を走らせる。そこに謝意と懸念が浮かぶのを見取り、スバルは彼女を安心させるように頷くと、

 

「なにかあるなら話してくれていいぜ?」

 

「――はい。スバルくんがそう仰るなら」

 

許可を受け、一歩を前に出たレムがクルシュに向き直り、テーブルの上の携帯電話を手で示しながら、

 

「領内でのことですので、あまり細かなお話はできませんが……先日、魔獣に絡んでの騒ぎがありました。その中で、いち早く事態の収拾に動いたのがスバルくんだったことは、主であるロズワール様もお認めになられるところです」

 

「魔獣に絡んでの一件――その前触れに、この魔法器で気付いたと?」

 

「なんの理由もなしに気付くには、勘が良すぎる類の問題でしたので」

 

恐々と、レムはかすかに首を傾けてスバルの方をうかがう。

内々で彼女なりに、スバルがアーラム村での一件をどう察知していたのかに関して思いを巡らせていた部分はあった。

その彼女の疑念、というよりは純粋な疑問点が、スバルの提出した『魔法器』によって解消されつつあったのだ。

 

「――――」

 

静かに、レムの答えを聞いたクルシュの視線が彼女に突き刺さる。鋭い眼差しはレムの双眸に意識を注ぎ込み、その内部までつぶさに見透かそうとしているかのような錯覚を味わわせる。

時間にしてみればほんの数秒、しかしドッと体力を奪われるような威圧感を浴びせかける時間が過ぎ去り、

 

「――嘘は、言っていないな」

 

と、クルシュはレムの答えに対し、スバルの発言にも理解と信用を示した。その彼女の言葉を聞き、スバルは露骨な安堵が表情に出ないよう苦慮しつつ、心の内では拳を固く握りしめてガッツポーズを取るのを堪えられない。

 

ケータイのその機能に関して、スバルが口にしたのは出鱈目の大法螺に過ぎなかった。ストレンジのフォローがあったとはいえ、ハッタリを重ねまくった茶番であり、虚偽塗れである事実を知られれば対等の交渉と語った場面での無礼、叩き切られておかしくない蛮行であったといえる。

 

しかしスバルはこの悪状況を、懸命な言葉選びと話題の誘導で乗り切った。

それは無自覚にスバルの味方となる発言をしたレムとドクターが、クルシュの興味を誘導することでどうにか成し遂げた。

ドクターであれば、地球の知識があるため自然と話題は合わせられるし、「魔法器」が魔獣の脅威に反応すると話題にすれば、レムならばアーラム村の一件と結び付けてくれるものとスバルは予測していた。事実、彼らの反応はクルシュの興味を見事に引いた。

 

「まるで相手が嘘言ったかどうかわかるみたいな言い方だな」

 

「自慢させてもらうと、その通りだ。観察眼――といえば聞こえはいいが、実際には我が身に与えられた『風見の加護』の恩恵だな」

 

かまをかけるつもりでのスバルの物言いに、想像外の返答で応じてくるクルシュ。

 

「風を見るということは、目には見えないものを判断材料とするということだ。自然、私の目には相手の取り巻く『風』が見える。嘘偽りを口にするものの下には、当然ながらそういう風が吹くものだ。――ドクターやレムにはそれが一切なかった」

 

「へ、へえ。それは知らなかったなー」

 

「動揺の風が吹いているぞ、ナツキ・スバル。まあ、交渉の場で私の風見の加護を知らないのは不公平も甚だしいからな。今の卿の態度はどうであれ、レムの口にした内容に虚偽はない。少なくとも、卿が魔獣の脅威を事前に察する手段を持ち合わせている、という根拠にはなるだろう」

 

レムの言葉の是非を問い、自らの「風見の加護」に信頼を置くクルシュは、スバルの用意した姑息な抜け道を見過ごした。

高潔な相手に騙しを仕掛ける点にスバルは罪悪感を抱くが、表面上にその内心の痛みは微塵も出さない。根本的な部分で偽りをぶつけるつもりではない、というのが言い訳にもならないことを理解しているからだ。

 

互いに立場を明確にし、交渉の場面で相対すると割り切ったのだ。

ならば切れる手札を、相手に良く見えるよう切る方法を選ぶことに、罪悪感など持ってはならない。ましてや、「嘘」をつき切る覚悟もないなど無礼千万。

 

「魔法器の効果に関して、信じてもらえるか?」

 

「本来であれば、卿の意見だけで判断することは早計に他ならない。が、幸か不幸かドクターの未来を見る魔術が卿の意見の信憑性を大きく高めている。そのケータイなるものの効果は分からないが、ドクターの力はこの部屋の半数はそれを認めているからな。卿もその一人であるはずだが」

 

白鯨の出現情報という信頼度が低く、下手すれば笑い話になるような根拠の薄い話が一人の魔術師のお墨付きを得ることで急速にその信頼度を増している。

スバルの次の一手としては、情報の信頼度を持ち上げ、スバルの望む答えを引き出す必要があったのだがそれすら必要もないように思えた。

 

 

 

 

 

 

「――なんや。その魔法器の商談、ウチも混ぜてもらおうと思うとったのに、もう交渉がまとまりそうやがな」

 

ふいに室内に響いたのは、それまでこの場にいた誰のものとも違う声音だった。

驚き、慌てて振り返るスバルの眼前、開かれた広間の扉に背を預けて、持ち上げた手の甲で戸を叩く素振りを見せる人物がいる。

 

「呼んだ張本人が一番驚いてるって、おかしいなぁ、自分」

 

彼女は唖然とした顔のスバルを見ると、その柔らかな面立ちを意地悪げにゆるめて笑い、己のウェーブがかった薄紫色の髪にそっと指を通した。

腰まで届く柔らかな髪は綿毛のようで、おっとりとした顔立ちは自然と他者へ安らぎの感慨を与える。しかし、笑みを形作る瞳の奥は油断ない輝きでこちらを睥睨し、その頭の内には数字が競い合うように並び立つ経済の世界の魔物。

 

「――アナスタシア・ホーシン」

 

静かに低い声で、その来訪者の名前をクルシュが呟く。それを受け、名を呼ばれたアナスタシアは「おおきに」と微笑み、

 

「なんや呼び出されたから慌てて出てきたのに、ウチ抜きで商談始めてるやなんてずるいやないの。しかも見たところ、もう大詰めやないの。そんな面白そうな儲け話……ウチにも聞かせてや」

 

内容とは裏腹に愉しげに言い、広間を横切ってズカズカと中央へ進むアナスタシア。

その歩く彼女に息を呑み、スバルは一瞬だけ弱気の浮かんだ瞳を彼女の背後へと送る。開かれた扉はゆっくりと閉じ、彼女以外の来訪者は――、

 

「ユリウスならきーへんから、安心してな?」

 

「――っ」

 

そのスバルの内心の焦りを見抜き、スバルの横を抜ける際にそっとアナスタシアがこぼす。彼女はスバルの驚きの眼差しを横顔に受けると、「いやいやぁ」と困ったような態度で肩をすくめ、

 

「ユリウスは団長命令で謹慎期間中。主君の命令もなしに、余所の子ぉにおいたした罰の真っ最中やね。困った騎士様や」

 

「謹慎……」

 

知らなかった事実を知らされて、鸚鵡返しのスバルは驚きを隠せない。あの練兵場での一件は近衛騎士団の総意であり、てっきりスバルは表沙汰にならずに葬られるものと思い込んでいたのだから。

 

ちらと横目でフェリスをうかがえば、彼は素知らぬ顔でスバルに笑い返す。知っていて、それらの話をスバルに伝えていなかったとすれば――ずいぶん手厳しい。

あるいはつい半日前までのスバルであったなら、その話を聞いたところでユリウスの境遇をいい気味だと笑い、己への戒めになど一切考えなかっただろう。

 

「呼び出された……ということは、卿を呼んだのはナツキ・スバルか?」

 

「そのお付きの可愛い女の子やけどね。ホントなら門前払いやけど……王選の関係者で、おまけにあのドクター・ストレンジお墨付きの「白鯨」の情報を売るなんて話聞かされたら、こないわけにはいかないですもん」

 

クルシュの問いかけに応じるアナスタシアがスバルとストレンジを見る。

その彼女の視線に顎を引いて頷きかけ、スバルは状況が大きく動くのを感じた。

 

異なるユニバースとはいえ、同じ地球の出身者で転移者であり、事態打開のキーとなり得るストレンジ。対等な同盟の相手としてクルシュ。そのクルシュと渡り合うため、付け加えて王都の商人を代表してラッセル。さらにはクルシュの対立候補であり、ラッセルとも張り合う立場であるアナスタシア。

 

――これで、この交渉の場に招きたかった全員が一堂に会したことになる。

 

 

 

 

 

「失礼して、お聞きしたいことがあります、スバル殿」

 

「ああ、なんだ、ラッセルさん」

 

手を掲げ、アナスタシアを視界に入れながらラッセルが問いを発する。スバルの頷きに彼は己の顎ヒゲに触れ、「まさかとは思いますが」と前置きし、

 

「この場にアナスタシア様をお呼びした真意をお聞きしたい。王選の候補者、そしてホーシン商会は王都の商家の集まりにも、新興ながら発言力がある。私としてはこの会での立ち位置が不鮮明になる以上、尋ねないわけにはいきません」

 

「天秤にかけるため、とか言ったら怒るか?」

 

片目を閉じ、そう応じるスバルに部屋の中の空気が一気に変わる。ラッセルは懸念が的中したことに不快感を顔に浮かべ、クルシュも瞑目する表情に険しいものを感じさせる。アナスタシアだけはそれまでと雰囲気を変えないが、彼女が最初から持つ獲物を狙う肉食獣のような眼光は欠片も揺るがない。

 

「ナツキ・スバル、卿の主張の意図が分からない。――アナスタシア・ホーシンと当家と、どちらが「白鯨」の情報を高く買うか競わせ、その上で同盟相手を選びたいとでも言う気か。ドクターから勝利を得るための存在と言われ、上がっているのかもしれないがそれは、あまりにも浅虜な選択だと言わざるを得ない」

 

スバルに覇気を叩きつけ、クルシュは椅子から立ち上がってアナスタシアの前に立つ。至高の魔術師を有しているからこそ、正史よりも更に強気に出るクルシュとアナスタシアの立ち会いは身長差のあるアナスタシアが見上げる形になるが、

 

「ああ、ええなぁ、クルシュさん。上に立ってる人間が、下から追い落とされることに怯える……その顔、見ててゾクゾクするわ」

 

「いい趣味とは言えないな。もっとも、己の欲の欲するところを正道とする卿ならばあるいは当然の判断か。……だが、私のありようは変わらない」

 

アナスタシアの挑発めいた言動を真顔で受け流し、クルシュは彼女から視線を外すと鋭い眼光でスバルを射抜き、

 

「聞いての通りだ、ナツキ・スバル。もしも当家とホーシン商会の間で競りが始まることを期待しているのであるとすれば見当違いだと言わせてもらう。当家は商人勢ほど白鯨の情報に固執する理由がない。それに我々は戦力を整えつつある。勝利のためとはいえ、卿の思惑に乗る理由は……」

 

「ああ、早とちり早とちり、二人とも落ち着いてくれって」

 

ばっさりと、そのまま白鯨云々以前に同盟交渉すらも打ち切りそうな勢いのクルシュに掌を向けて、スバルは内心でかなり慌てながらそう告げる。そのスバルの言葉に鼻白んで、思わず口をつぐむクルシュ。その彼女の後ろで、

 

「早とちり、ということは候補者同士に値段を釣り上げさせる目的ではないと?」

 

場を俯瞰し、あわよくば漁夫の利を得ようと目を光らせていたラッセルが首をひねる。その彼の疑問に「ああ」とスバルは頷きで応じて、

 

「誰かをそんな簡単に掌で泳がせるとかできると思ってねぇよ。俺の手が小さいことは俺がよくわかってらぁ。……誰かの手ひとつ、握るだけで精いっぱいだよ」

 

手持無沙汰に空っぽの手を揺らすと、その手がそっと横から温かな掌に包まれる。レムだ。彼女は震えが始まりそうなスバルの指を柔らかに包み、振り向くスバルの横顔にかすかに赤らめた頬をしたまま頷きかける。

 

「と、まぁこんな感じで誰かの手を握るのが精いっぱい……」

 

「お前のイチャイチャを見るためにここに集まっているわけではないぞ少年。話をさっさと始めろ」

 

「はいはい。えっと、つまりだな……」

 

思いを打ち明けてから積極的に肉体的接触が増え始めたレムにドギマギしながら、スバルは掌の温もりに勇気をもらって話題を再開。

 

「白鯨ってカードを切って、王都を代表する商人を二人招いて、こうしてこんな大仰な状況を作り上げたわけだが……その上で、提案したい話があるのさ」

 

指を鳴らし、全員の意識を引きつけながらスバルは歯を剥いて獰猛に笑う。

強気に、勝気に、弱々しいところや及び腰の姿なぞ一切見せずに、スバルはゆっくりと鳴らした指をクルシュへと突きつけ、

 

「聞いて、もらえるか?」

 

「――卿の話を遮り、間違った結論を述べたのは私だ。ならば私には、卿の提案を考慮する義務があろう。述べよ」

 

立ったままの姿勢でクルシュは腕を組み、堂々たる姿でスバルに向き合う。

吹きつける威圧の風は強さを増しており、肌に粟立つように鳥肌が浮かぶのを禁じ得ない。アナスタシアまでも同じようにスバルを見ており、襲いかかるプレッシャーは単純に二倍――ひとりなら、茶化して笑い飛ばして逃げていたはずだ。

 

「――――」

 

きゅっと、握られた掌へ感触が蘇る。

名前を呼ばれたわけでも、ましてやなにか符号を互いに通じ合わせていたわけでもない。ただ純粋に、レムの気持ちがスバルは嬉しかった。

 

考えに、考えて、考え抜いた。数度の世界を幾度も頭に回想し、得てきた情報を寄り集めて、形作った予想絵図がある。

それが自分の都合のいい幻想なのか、それとも二度死んだことを無為にせずに済むような奇跡なのか。

 

「クルシュさん、あんたが」

 

「――――」

 

「あんたが目論んでる「白鯨」の討伐に、俺の、いや()()()の情報は絶対に有用なはずだ」

 

――スバルの持つ未来の情報と、クルシュが抱いていた目的。

 

互いに「白鯨」を狙うもの同士の符号、それこそがスバルが彼女を――クルシュ・カルステンを同盟相手に相応しいと、そう判断した根拠であった。

 

 




ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネスの最新予告編、見ました!

もう、唖然、驚愕、興奮の連続ですよ!
ストレンジ、お前どうしたん!?ウォン、かっけえな!ワンダ、お前まさか……。

予告編を見た脳内はまさにこんな感じでした笑

そして…………

「真実を教えてやろう」、どこか聞き覚えのある声に見覚えのある姿。
あ、あなたは!?


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四十一話 同盟成立

「最近時間が空いていると言ったな……」
「そ、そうだ大佐。助けて……」
「あれは嘘だ」
「アアアアアアアー!!」

最近、進撃の巨人final season2をディズニープラスで見まして。
推しキャラであるピクシス司令の結末に心が締め付けられている作者であります。




――刹那、広間に落ちた沈黙は思考の時間をそれぞれに与えた。

 

ストレンジに、クルシュに、アナスタシアに、フェリスに、ヴィルヘルムに、ラッセル。各々、今のスバルの発言を受け、その内容を吟味するように瞑目する。

 

時間にすれば数秒に過ぎなかっただろうその刹那は、すさまじいプレッシャーとなってスバルの精神を絞り上げにかかった。

胃が軋み、内臓が絶叫し、頭蓋を直接鉄の棒で叩かれるような高い音の痛みが歯の根を震わせる。

 

ここからは、これまでの会話の流れと違って明確にシミュレートできた部分でない。相手の反応が想像できず、場の流れに適応していくしかない流れだ。

 

「ひとつ、考えを問い質そう、ナツキ・スバル」

 

沈黙を破り、最初の一言を放ったのはやはりクルシュだ。組んだ腕を解き、その中から立てた指をひとつだけスバルの方へ向けた彼女は、

 

「その突飛な発想はどこから出てきた? なぜ、当家がそのようなことを目論んでいるのだと、判断する?」

 

抑揚のない声音には動揺も戸惑いも見受けられず、感情が伝わってこない。為政者としての貫禄が重々しい態度に溢れていて、自然とスバルも畏まる態度だ。

 

「そのお話、ウチも聞きたいな。お話、よろしくしてもらってええ?」

 

クルシュの後、スバルが話そうとする直前、側から聞くアナスタシアも王選の場でまとっていたのと同じ毛皮の肩掛けを指でいじりながら問いかけた。

 

「ああ……気遣わせてもらってすまない」

 

ぼそりと、後半は聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。アナスタシアは小さく手を振るだけで応じ、それが聞こえたかには言及しなかった。今の彼女とのやり取りが、スバルが考えをきっちりまとめるだけの時間を稼ぐための計らいであったのは明白だ。クルシュたちに関しては素の可能性が高いが、その厚意に甘えてスバルは一度考えを整理し、口を開く。

 

「最初に妙な感じを覚えたのは、鉄製品――つまるとこ、武具が高値で売買されてるって話を聞いたときだ」

 

ゆっくりと、噛み含めるように、スバルは散らばる情報を拾い集める。

それは一度目の世界と、二度目の世界、そしてストレンジからもたらされた情報の数々。

 

「それまで二束三文だった武具やら防具やらを大量に集めてるところがある。それがクルシュさんのとこだってのは、まぁ商い通りとかうろついてればそれなりにな」

 

王都の行商人が戦争の準備でもしているのか、と笑い、スバルもクルシュは戦争の準備をしていたと読んでいる事実だ。

 

その相手が人間ではなく、強大な魔獣である点が彼らとの考えの違いだ。

 

「市場に影響があるくらいだからけっこうな勢いで集めてると聞いた。そんなに急いで、おまけに自分の領地じゃなくて王都で武器をかき集めてる。なにかあるんじゃないかって、そう考えるのが普通ってもんだ」

 

「それで事を「白鯨」を結びつけるのは突飛すぎるな。卿の話には白鯨の「は」の字も出てきていない。当家が武器を、鉄を集めているのは事実だが、それが白鯨討伐を目的としているとは考えられまい? 純粋に戦力を集めて、王選の成り行きなど無視して武力による国家制圧を目論んでいるかもしれんぞ」

 

「そんな暴挙に出る理由がねぇし、そんな人間じゃないことぐらい俺だってわかる。第一、そんな暴挙はそこにいる「至高の魔術師」さんが許す訳ない」

 

向かい合う人が大きいのなら、それを見誤らない程度に見る目はスバルにはある。クルシュほど、遠目から見ても人物像がぶれない人間もそういるまい。誠実、高潔、それらの単語を具現化したようなありように、そんな疑問など抱けるものか。

 

そのスバルの返答にクルシュは「そうか」と短くこぼし、それから興味深げな視線でスバルを眺めると、

 

「それにしても、少しばかり驚かされる。てっきり卿が日中に下層区に降りているのは、手持無沙汰を誤魔化すための手慰みなどと思っていたのだが――見る目がないのは私の方か。侮ったことを許せ」

 

「ん、ああ、そうなんだよ。俺もほら、別に遊び呆けてたわけじゃねぇんだ」

 

感心したと吐息を漏らすクルシュの姿に罪悪感がちくちくと芽生える。実際、彼女の見立ては非常に正しかった。後出しで正当化しているスバルの人間性は、彼女がそれまで判断していた侮りで十分に肯定されるだろう。

 

首を振り、気を取り直し、スバルはクルシュを見つめながら続ける。

 

「武器を集めてるってわかったとき、考えたのはもちろん戦争準備だ。問題はなにと戦おうとしてたかって部分だが……そこは、ドクターに話してもらうことで合点がいった」

 

「なるほど……そこで卿の観た未来の話と繋がると」

 

スバルはヒントを得た部分について、先程のストレンジの情報と照らし合わせた。

彼の言葉を受けクルシュは片目をつむり、開いている方の目で意味ありげにストレンジを見やる。その視線にストレンジは一度だけ首を縦に動かす。

スバルにクルシュが「白鯨」を狙っていると示したのは、誰であろうストレンジだからだ。

 

「加えて、王選でほぼ単独トップをひた走るクルシュさんなわけだが、どうも商人連中からの受けはそんなによくないそうだとか。馴染みの果物屋がこぼしてたぜ」

 

「否定はしないな。金はあるところから引っ張るのが一番利に適っている。私の領地での商売に、税収がかかるのは認めるところだ」

 

もっとも、と彼女はスバルの言い分を認めた上で言葉を継ぎ、

 

「その分、治安の保障で還元しているつもりではあるが――傍目から見ればその恩恵が伝わり難いのは承知の上だ。が、ドクターによれば卿や彼のいる国では同じやり方で国家を運営していると聞く。故に、卿らには理解してもらえると思っているが」

 

「ああ。実際、クルシュさんとこの領地でその恩恵を受けてる連中や俺やドクターと違って、王都にいる商人勢は上っ面の情報でクルシュさんの人となりを判断するしかないからな」

 

彼女が為政者として、自分の領地をうまく切り盛りしているのは事実だ。が、その手腕を実際に目で確かめることができる立場の人間以外は、その彼女の評価を上辺だけの見聞きした情報で決めるしかない。

 

それは、エミリアがただ、ハーフエルフであるという事実だけで疎まれることと同じように。

彼女もまた、その苛烈な生き方の負の側面だけを見る人間には疎まれる運命にある。

 

「そこで俺はこう考えた。クルシュさんはそういう人を上っ面だけで判断するような連中は好かないと思うが、そんな連中でも味方につけなきゃならないこともある。そうなると、そんな連中の評価を好転させるにはどうすりゃいいか……」

 

「人の上っ面の悪い話で判断するんやったら……その上っ面、良い話で塗り替えたったらええってことやな」

 

スバルの言葉の最後を引き取り、アナスタシアが結論を述べる。それから彼女は今の話を振り返るようにわずかに上を見て、その唇を綻ばせると、

 

「まぁ、都合のいい話やんな。事はそんな簡単にはいかないし、そもそもの見込み違いの可能性も高い。だいぶ、都合のええ曲解とかしとるのと違う?」

 

「否定はできない。クルシュさんが武器集めてんのと、なにかしらでかいことやって商人味方にしようとしてるってのは間違いない。それが白鯨と結びつくかどうかってのは希望的観測だった。だけど今となってはそれが確信になっている。それはドクター・ストレンジの存在だ」

 

スバルが勢いよく指差す方向に一同は目を向ける。多くの視線を受けながらも青い道着の上に赤いマントを羽織った至高の魔術師はスバルを見据えたまま、指差すスバルを見つめ返す。

 

「クルシュさんがドクター程の力を持った魔術師をお抱えとして側に置いておく理由としては、他国との戦争か、内乱による政権奪取か、ロズワールのように後見人としてか。それとも白鯨討伐に向けての戦力か、なんてことが頭に浮かんだ。まず他国との戦争や内乱による政権奪取は真っ先に考えから消えた。ドクターは元医者で命を奪うことにはとても抵抗感があるし、何よりそんなことにドクターは興味なさそうだしな。もしも本気でそんなことを考えているのなら、多分もうこの国は既にドクターの手に落ちてるってもんだ」

 

「確かに、ドクターの力があればこの世界を滅ぼすことなど容易いだろう」

 

クルシュの言葉にストレンジは一瞬、むっとした感情を向けるもすぐにそれを隠した。本人としては口に出して否定したかったが、スバルなりの考えに今は従うことにし、反論はしない。

 

「ロズワールみたいな後見人説もあったが、クルシュさんは既に王選でトップをひた走ってる。人望が厚いクルシュさん程の人物が今更、後見人を立てるというのも考えづらい。となると、後は白鯨攻略に向けての重要な戦力として持ち続けているぐらいしか考えが至らなかった。もしもそれ以外の理由でドクターを置いているなら、それはクルシュさんが一枚上手だったということだ」

 

スバルはクルシュを真っ直ぐに見る。スバルの視線を受けるクルシュの表情には感情が浮かばず、その内心を透かし見ることはできない。しかし、否定の言葉は出てこなかった。そこをスバルは畳み掛ける。

 

「改めて言う。エミリアとクルシュの同盟に関して、エミリア陣営から差し出せるのはエリオール大森林の魔鉱石採掘権の分譲と、白鯨出現の時間と場所の情報。つまるところ、長いこと世界を騒がしてきた魔獣討伐――その栄誉だ!」

 

「――――」

 

「俺の言葉が的外れで、全然意に沿わないってんならばっさり切り捨ててくれ。もし違ってんなら、純粋に白鯨の出現情報だけの取引きにしてもらってもかまわない」

 

あるいはその情報だけでも、この場にいる商人二人ならばうまく利益に繋げ、クルシュの面目を保つことはするだろう。王都の商人たちの見る目も、クルシュに対して好意的に変わる可能性は十分にある。

だが、

 

「けど、もしもあんたの狙いと俺の望みがかち合うなら――」

 

手を広げて前に差し出し、スバルはクルシュへと求める。その手を取り、スバルが見てきた未来の価値を証明し、壁を取り払うことを。

 

「白鯨を、討伐しよう。――ひと狩りいこうぜ」

 

あの異形の存在を、悪夢めいた強大な魔獣を。

行商人たちにとっての災いの象徴を、スバルにとって忌まわしき未来を招く存在を。

霧の魔獣の討伐を、スバルはクルシュに提案する。

 

 

 

 

 

 

 

 

束の間の空白。クルシュは瞑目するその間、考えに耽っていたが長く息を吐くと、スバルに視線を向けた。

 

「――いくらか疑問点はあるが、こちらの思惑を見抜いたのは見事、というべきか」

 

クルシュが観念したように目をつむってそう答える。その答えに最初、スバルはどういった意味があるのかを掴みかねた。が、その言葉がゆっくり脳に沁み込み、形を作るにつれて輪郭が明快になり、

 

「それじゃ……」

 

「疑惑も疑念はある。が、ドクターから提示された勝利へと通ずる道には卿の存在が不可欠ということを示された。ドクターの情報には私も信頼を置いている。その彼が言うのだ、私も信じる」

 

クルシュは指を立てていた手を握ると、その手をそのままスバルの方へ。差し出していた手が彼女の手に上から握られ、

 

「この状況を作った卿の意気、この目、そして『至高の魔術師』を信じることとしよう」

 

交渉は成立した。

その二人の交わす握手を見て、盛大に肩の力を抜いたものがひとり――ラッセルだ。彼は大げさに息をつくと、やれやれとばかりに首を振り、

 

「いくらかヒヤヒヤさせられましたが、成立したようでなによりです。スバル殿も、会談の前のお約束は確かに」

 

「ああ、貧乏くじばっかで悪かったな、ラッセルさん。白鯨の討伐が済んだら、約束通りにケータイはあんたに譲るさ」

 

握手する二人に頬をゆるめるラッセルに、スバルもまた人の悪い笑みで応じる。その会話を聞いて、眼前のクルシュは露骨に顔をしかめると、

 

「やはり通じていたか」

 

「ここに呼んだの俺だぜ? 夕方にクルシュさんとラッセルさんの話し合いが決裂したあと、ラッセルさん訪ねたときにある程度の話は通してあったさ」

 

「悪く思わないでいただきたいところですな。実際、私共としては不自然に肩入れはしていないつもりでしたよ。あくまで、同盟成立後を見据えての関係ですので」

 

しれっと語るスバルとラッセルに、クルシュは瞑目して鼻を鳴らす。

 

ストレンジが去った後のレムとの交渉前の情報交換を終えたあと、スバルはその足でラッセルとの連絡を取った。話し合いが決裂し、彼がクルシュの邸宅を出て自宅へ戻るところを捕まえ、今回の話を持ちかけたというわけだ。

嘘を見抜かれる心配のない相手に、スバルは最初から「クルシュの白鯨討伐」を知っている体で話を進め、王都でも数少ないクルシュ陣営以外でその目論見を知る人物の消極的協力を取りつけた。

 

携帯を利用しての、魔物警報機トークも事前打ち合わせ通り――もっとも、携帯が事実として警報機の役割を果たさない点に関しては、ラッセルにも報せていないが。

 

それらの答えを受け、クルシュは今度はゆっくりとアナスタシアへ視線を向ける。彼女はクルシュの視線に対し、はんなりとした笑みを向け、

 

「どないしました、クルシュさん」

 

「ラッセル・フェローとナツキ・スバルの繋がりは理解した。だが、そうなると卿の立ち位置が不鮮明だ。何故、卿はここへ呼び出された?」

 

「まあ、ひとつは説得力の水増しやろね」

 

楽しげに部屋の中を見回し、アナスタシアは襟巻きの毛に触れながら、

 

「王選の候補者が二人と、王都有数の商人がひとり。同盟交渉の場にそれだけの関係者を集めて、不用意な情報やら発言ができるもんやないもん。せやから、ウチがここにおるだけで、その子の言葉に重みが出るやろ?」

 

違う?とアナスタシアはスバルの思惑を読み取って首を傾げる。

内心、冷や汗かきつつスバルは無言で愛想笑いして誤魔化すしかない。実際、その線を狙っての呼び出しだ。王選の候補者を集めて、まさか嘘八百をぶちまけるような真似はしまい、と少しでも思ってもらえていたのならば思惑通り。そのあたりを読み切って参加されるあたり、アナスタシアもよほど一筋縄ではいかない相手らしい。

 

「ならば、別の理由はなんだ?」

 

「そっちはもっと簡単やん。――ウチ、商人(あきんど)やから」

 

口元に手を当てて嫌らしく笑い、アナスタシアは弾むように前へ出る。

それからいまだ、手を取り合っているスバルとクルシュの手の上に自分の両手の掌もそっと被せると、

 

「白鯨の討伐、大いに応援しますわ。ウチら商人にとって、白鯨の存在は死活問題やし、討ってくれるなら大助かりや。おまけで準備その他、ホーシン商会をご贔屓してくれるんなら言うことなしやし?」

 

「お待ちください。その点に関しては王都の商業組合が優先されるはずです。アナスタシア様も、割り込まれるのならば筋を弁えていただきたい」

 

割って入り、アナスタシアの商魂に物申すのはラッセルだ。商人同士が視線を見合わせ、そこに火花を散らせる中、彼女らの発言を耳にしたクルシュがいくらかの疑念を瞳に宿してスバルを見た。

 

「待て。卿らの話を聞くと、かなり時間の猶予がないようだが?」

 

「肝心なとこまでは聞いてないけど、話の振り方がその感じやったから。実際、ちょい焦っとるのと違う?」

 

細めた流し目に見られて、スバルは思わず息を詰まらせる。

事ここに至って、これ以上に情報を隠匿するのも問題が発生するため、割り切って言おうとしたところで、ストレンジが割り込んだ。

 

「私がアガモットの目で調べたところによると、白鯨が出るのは今から約三十一時間後だ。場所はフリューゲルの大樹、その近辺。恐らく、彼が持つ魔法器も同じ未来を示しているだろう」

 

「三十一時間、か」

 

「フリューゲルの大樹」

 

クルシュが残り時間の少なさにしては冷静に受け答え、アナスタシアが出現場所に首をひねる。

白鯨の出現時間と場所の情報は、その存在が出現する寸前までしか価値を持たない。

白鯨を討伐するのを目的とするならば、

 

「三十一時間以内にリーファウス街道に討伐隊を展開し、出現した直後の白鯨を一瞬で仕留めなければならないということか」

 

「ああ。そのために必要なものは……」

 

状況を呑み込んだクルシュにスバルが応じ、部屋の中の人員を見渡す。と、スバルの言葉を引き継ぐように前に出たのは老齢の剣士――ヴィルヘルムだ。

彼はこれまでの沈黙を破り捨てると、

 

「まず討伐隊の編成。これ自体はすでに数日前より、滞りなく。そもそも、白鯨の出現時期に合わせての準備です。王選の開始とほぼ同時になったのは、クルシュ様の強運の為せる業だと思いますが」

 

「話が早いな!白鯨の出る時期って……」

 

「それはヴィル爺の長年の賜物にゃの。もう十四年も、そればっかり考えて色々とやってきてたんだからネ」

 

言いながら、スバルの疑問の声に答えたのはフェリスだ。彼はヴィルヘルムの隣に並ぶと、その肩幅の広い老人の腕に触れて、

 

「錬度と士気はヴィル爺とドクターがいるから心配にゃい。でも準備不足は否めないかにゃ。クルシュ様が軍勢率いて王都にきたなんて聞いたら、色んなところが騒がしくなっちゃうからこそこそ集まってもらったしネ。白鯨討伐に前向きだったファリックス子爵も、この前の魔獣騒乱による復興で手一杯で参加は難しそうだし」

 

「確かに。いまだ、武器や道具の準備は万全とは言えませんが……」

 

フェリスの言葉にヴィルヘルムが頷く。が、老人はその鋭い瞳をスバルへ、それからアナスタシアとラッセルの二人へ向けると、

 

「そのための、お二人の同席というわけでしょう。スバル殿」

 

「いやまぁ、こういうこともあろうかとってやつ?」

 

頭を掻き、ヴィルヘルムの言葉に弱気ながら謙遜で答えるスバル。そのスバルの消極的な肯定の返事を受け取り、ラッセルが己の顎に触れて、

 

「すでに組合を動かし、準備を進めております。明日の昼過ぎまでには、王都中の商店から必要なものをかき集めてみせましょう」

 

「ホーシン商会も同じく、やね。組合所属以外のとこはウチらの領分やし、他にも売り物ならぎょうさん用意したってるから、期待しててえーよ」

 

ラッセルに続き、アナスタシアも力強い協力を宣言。彼女はそれから物言いたげなクルシュの方へ視線を送ると舌を出し、

 

「商機を見逃さんのが商人言うもんや。これがウチが呼び出しに応じた理由。ああ、やっぱり人に物を売り付ける瞬間はたまらんなぁ」

 

身震いを隠さず、恍惚とした表情でアナスタシアは頬に手を当てて笑う。紅潮した頬と可憐な容姿も相まって、それは非常に絵になる姿であるのだが、根底にあるのが守銭奴根性なのだから微笑ましいとも言っていられない。

 

「物もそうやけど、売るならやっぱり恩が一番。形ないし、損ないし――値札もついてないし」

 

「今味方だからアレだけど、改めて聞くとマジおっかねぇな、この商人!」

 

悲鳴を上げるスバルに、「ええやんええやん」とアナスタシアは上機嫌。そんなやり取りを見て、クルシュは毒気を抜かれたように吐息すると、

 

「交渉の前に道を塞いでいた、か。なるほど。この場面において、覚悟が足りていなかったのは私の方だというわけか。感服したよ、ナツキ・スバル」

 

「予習復習、おまけに問題予想がうまくいったってだけの話さ。ぶっちゃけ心底ホッとしてるぜ、俺」

 

交渉の第一段階、即ち、乗り越えなければならない壁のひとつの突破だ。事前に準備を張り巡らせた結果とはいえ、それでも紙一重の成立だとしか思えない。イレギュラーがスバルに味方したことも、反省点のひとつといえるだろう。

 

「なんとか王都に残った面目は保てたな、レム」

 

「――はい。さすが、スバルくんは素敵です」

 

言って、クルシュたちに差し出すのとは反対の手を、握られっ放しだった方の手をやわらかに握り返して、交渉の勝利をレムと分かち合った。

思えば、この交渉の成就を誰より喜んでいるのは彼女だろう。

 

王都に残った当初、スバルに打ち明けられない彼女は孤独の中、クルシュとの交渉に臨んだはずだ。許された権限いっぱいで交渉に挑み、それでもなお同盟を維持することはできずにいた。不成立となればエミリアの陣営の窮地は変わらず、スバルの治療も目処が見えれば先はどうなるかわからない。

あらゆる不安が、彼女の心身を疲弊させていったことは疑いようがなかった。

 

その不安と、これまでかけてしまった心配に報いるだけのものを、少しは彼女に返せただろうか。

そうだったとしたら、今はそれだけがスバルには嬉しかった。

 

そして――、

 

「――スバル殿」

 

レムと喜びを交換するスバルに、ふいに声がかけられた。見れば、すぐ近くまで歩み寄ったヴィルヘルムが、真剣な眼差しでスバルを見ている。自然、背筋を正される感覚にスバルが彼を見上げると、老人は一呼吸の間を置いて、

 

「感謝を」

 

と、短く告げて、その場に膝をついて礼の形を取った。

その突然の振舞いに、スバルは驚きを隠せない。が、その反応をするのはスバルだけであり、他の面々はそれぞれがヴィルヘルムの行いに一定の理解を示した顔をしていた。レムやアナスタシアですらだ。

 

「我が主君、クルシュ様へのものと同等の感謝を。この至らぬ我が身に、仇打ちの機会を与えてくださったことを感謝いたします」

 

「えっと、その……え?」

 

「すでに賢明なスバル殿は見抜いておいででしょうが、改めて」

 

ヴィルヘルムはスバルの戸惑いを無視し、腰から剣を鞘ごと外す。そして剣を床に置き、その上に手を添える最敬礼の形を取ると、

 

「以前に名乗ったトリアスは、昔の家名です。先代の剣聖、テレシア・ヴァン・アストレアを妻に娶り、剣聖の家系の末席を汚した身――それが私、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアです」

 

息を継ぎ、ヴィルヘルムはその双眸に覇気に満ちた輝きを宿し、

 

「妻を奪った憎き魔獣を討つ機を、この老体に与えてくださる温情に感謝を」

 

深く深く、沁み入るようなヴィルヘルムの言葉。

その言葉に室内の全員が聞き入り、ただスバルの応じる答えを皆が待つ。

 

その期待に背中押されて、スバルは小さく息を吸うと、

 

「あ、ああ。も、もちろん知ってたけど。当然、それ込みでクルシュさんが白鯨討伐に乗っかってくるって思ってたわけで――」

 

「ナツキ・スバル」

 

微妙に噛みながらの答えにクルシュが割り込む。

彼女はたじろぐスバルを見据えて、いまだ手を取り合った姿勢のまま小声で、

 

「嘘の風が吹いているぞ、卿から」

 

「全くだ。嘘が下手だな、少年」

 

初めて繕い切れなかったスバルの嘘を見抜く『風見の加護』の効力を証明してみせたクルシュに加えて、呆れたようなしかしどこか教え子が少しはマシになったことを少しは喜ぶ先生のよろしく、表情が柔らかになったストレンジが彼を見ていた。

 

 

 




返し忘れていた感想へのお答え

ストレンジさんもしかしてサテラRTA討伐中?→ムフフ……。
白鯨のみの話ではなく、ペテ公、レムやクルシュの問題を含めての話?→さあ、どうでしょう。もしかしたら、それほどの犠牲を払わなければ倒せないほど白鯨が強力になっているのかもしれませんよ?


時間が空いてきたので、新たなアメコミと何かのクロスオーバーの小説と書きたい欲が高まっております。
以前書いた鬼滅の刃と東方projectの小説も書きたい……。どれを優先して書こう……?

候補としては呪術廻戦、進撃の巨人、鬼滅の刃、魔法科高校の劣等生の4つがありましてですね、呪術廻戦と進撃の巨人はアメコミとの、魔法科はエヴァとの、鬼滅の刃は東方projectとのクロスオーバーというアイデアが出来上がっています。


第二章の加筆が最後まで終わりました。良かったらご覧ください!


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四十二話 前哨

最近、暖かい日が増えてきて嬉しい限りです。

今日は東日本大震災から11年と言うことで、震災を経験した身として黙祷させていただきました。


白鯨討伐までのタイムリミット――十五時間半。

 

「よろしゅう頼んまっせ、兄ちゃん!!」

 

早朝の冷たい空気の残るクルシュ邸の庭園に、その陽気な声は大音量で響き渡った。

一方、それを目の前で、それも至近距離から浴びせられたスバルの方はたまったものではない。耳に手を当てて顔を盛大にしかめ、抗議を込めて睨みを利かせるが、

 

「お嬢から話は聞いとるさかい!今日はワイらも鯨狩りに混ぜてもらいますよって、あんじょう頼んますわ!!」

 

「声がでけぇよ!!俺のアクションがそのつぶらな瞳に入ってねぇのか!?」

 

豪風が吹きつけるような声で話しかけられ、対抗するスバルの声も思わず大きくなる。そのスバルの精いっぱいの発声を心地よさげに受け、その鋭い牙の並ぶ口を全開にして笑うのは犬の顔をした獣人だ。

 

赤茶けた短い体毛で全身をびっしり覆い、やや色の濃い焦げ茶の毛がモヒカンのように縦長の頭部を飾っている。目つきは鋭く、口には刃のような犬歯がずらりと光っているが、目尻をゆるめてバカ笑いする姿には愛嬌があった。

ただしその上背は軽く二メートルほどあり、筋骨隆々の肉体を革製と思しき黒の衣服に包む姿は野生と文明が殴り合いの果てに和解した感が溢れている。

 

「あかんでー、ナツキくん。リカードは都合の悪いことは聞こえん耳の持ち主やから。うまく付き合うコツは、ちゃんと距離開けて話すこと」

 

「だから紹介した側なのにそんな離れたとこ立ってんのか!せっかくセットした俺の髪型が乱れに乱れる!セットするほど長くないけどな!」

 

己の短髪を前後に撫でくりしながら絶叫し、スバルは離れたところで含み笑いを隠さないアナスタシアへ不服を申し立てる。

そのスバルの様子に獣人――リカードはその大きな掌でこちらの肩を小突き、

 

「お嬢になんて口利いとんねん、兄ちゃん!ワイの雇い主やねんからもうちょい優しくしたってや!!基本、誰相手でも銭勘定抜きで話せんから普通のお友達に飢えてんねや、今ならちょろいで!」

 

「リカード。自分、隠しごとに向かないんやから悪口は言わん方がえーよ?」

 

「悪口違うやん!!お嬢心配しとんねや、ワイ! カララギからこっち出てきて知り合いも少なくて心細いやろ!?せやからここに!ほら!友達一号くんやでー!!」

 

「人を間に挟んでぺちゃくちゃ喋るな! あとあんまし人の頭ガクガクやるんじゃねぇよ! 首がもげる!」

 

常人外れ――人外の腕力で頭を振り回され、首の関節が奇妙な音を立てるので、スバルはその場から離脱。転がるようにしてリカードの射程距離から逃れると無理やりに回された首の角度をいじって筋を確認し、

 

「危ねぇ危ねぇ、決戦前なのに雑談してて負傷離脱とか笑えねぇよ。さしもの俺もこれだけ気分盛り上がっててそのオチは受け入れらんないぜ……!」

 

「なんや、けったいな兄ちゃんやなあ。仲良ぉやろう言うてるだけやのに」

 

「実力行使伴ってんだろうが、俺は俺よりアクが強い奴とか苦手なんだよ!」

 

ピーカブースタイルで頭を振りながら、スバルは近づいてくるリカードから円運動を利用しながら距離を保つ。

じりじりと、距離が縮まらないまま睨み合いを続ける二人。その二人のやり取りを円の外から傍観するアナスタシアがおり、傍目にはわけのわからない状況だ。

 

「お!そっちにおんのがめっちゃ強いって評判の魔術師か!」

 

スバルの頭を強引に掻きむしるように撫でていたリカードは、スバルたちの方へ歩み寄ってくるストレンジを見つけると、スバルの頭に置いた手を離してスバルを退けるように半ば強引に歩み寄る。

 

「話は聞いとるさかい!この前の魔獣の一件ではめっさ活躍されたとか。そんな強い人がワイらの仲間なんて頼もしい話や。是非とも頼りにさせてもらうで!」

 

「お前がアナスタシアお付きの傭兵集団「鉄の牙」の団長、リカード・ウェルキンか。私はドクター・スティーブン・ストレンジた」

 

顔を上げて巨体を見上げることが嫌いなストレンジは、マントの力でリカードと同じ目線の高さに浮かび上がると、腕を組みながら名乗り出た。ある種挑発的とも言える行動にもリカードは目を輝かせて面白がる。

 

「おお!急に浮かび上がった!面白い魔術やな!道化としても売れそうや!」

 

「……人を喜ばせる魔術ではないんだがな」

 

「怖い怖い、そんな怖い顔で睨まないでくれや。ワイの本能が泣き叫んでまう。ーーとと、自己紹介をまさか相手にしてもらうとは変な気分や。それにしてもよくワイの名前が分かったな。もしかしてそれも魔術ってやつか?」

 

「いや。事前にクルシュから見せられた資料であらかた把握していた」

 

自己紹介を相手からされてしまい、あちゃーと言いながら頭を軽く抱えるリカードは、魔術の力だと思っていた予想に反し、意外にも現実的だったストレンジの答えに少々がっくりしたように肩を落とした。あまりストレンジのことを知らないこの世界の住人にとって、ストレンジの魔術は万能と勘違いされていることがたまにあり、今回のリカードのような一件も珍しいことではない。

 

「その様子を見ると、顔合わせは済んでいるようだな」

 

そう言いながら、現れたのはクルシュ・カルステンだ。彼女は普段の礼装ではなく、以前にも着用した装飾を極端に減らした薄手の甲冑姿である。

 

「戦装束は動きやすい方がいい。心配せずとも、土の加護が刻まれた鎧だ。私のマナが尽きぬ限り、見た目以上の頑健さを発揮する」

 

「相変わらず魔法と加護がチートがかってる世界だよな……俺もまだ目覚めてないだけで、加護とか眠ってないもんかしら」

 

「どれだけ長く眠っても呼吸の仕方は忘れまい? 加護持ちにとっての加護はそれと同じだ。自覚がないのであれば諦めるがいい」

 

ずいぶん前にも誰かに似たような否定をされた経験があり、スバルは唇を尖らせると舌を鳴らして願望を投げ捨てる。

そのスバルの子どもじみた反応を横目に、クルシュはスバルの正面に立って頭を掻いている獣人を見上げ、

 

「なるほど。話には聞いていたが、噂以上の兵だな。卿がアナスタシア・ホーシンの……」

 

「ワイは雇われですわ。クルシュはんの方こそ、実物はまた……」

 

腕を組んで巨体を見上げるクルシュを、リカードが鼻を鳴らして見下ろし返す。彼は鼻面に皺を寄せ、絞るように喉を鳴らして笑うと、

 

「傑物やな。さっきの魔術師といい、これは王選けっこうしんどいのとちゃいますか、お嬢!!」

 

「そやからこうやって恩とか売りつけとるとこやないの。値札にいくら書いてもらえるか、リカードの仕事ぶり次第やからね」

 

肩をすくめるアナスタシアに、盛大に音を爆発させてリカードが爆笑。スバルはそのあけすけなリカードの態度がクルシュの不興を買わないか不安になるが、相対するクルシュはそんなリカードの様子を気に留める素振りもない。

彼女はスバルの方をちらと見て、

 

「昨晩は休めたか?」

 

「おかげさまで、な。クルシュさんたちが動き回ってる中、呑気に寝てたみたいで寝心地はあんまよくなかったけど」

 

「適材適所だ。卿の仕事としては、昨晩に私やラッセル・フェロー、アナスタシア・ホーシンを集めて白鯨討伐を結論付けた時点で果たされている。もっとも、ここで終わりにするつもりもないようだがな」

 

振り返り、真正面からスバルを見つめるクルシュ。その真っ直ぐな視線に居心地悪く、スバルは身をすくめてみせるが、

 

「討伐戦に参加する、とのことだが……卿は戦えるのか?」

 

「戦えねぇよ? 戦力として俺を数えるなら、それはちょっと猫の手を借りたいにしても切羽詰まりすぎって言っておく。犬の手にしな、大きいけど」

 

「今、ワイの話してへんかった!?」

 

「してねぇよ! ホントに都合のいい耳だな、オイ!」

 

話の途中に割り込んだリカードに怒鳴り返し、スバルは気を取り直すように額を掻きながら、「ただ」と前置きして、

 

「白鯨相手なら、俺って人間がわりと役に立つ……と思う」

 

「聞こう。その根拠は」

 

「あんまし、俺自身も信じたくないんだが……どうも俺の体臭って、魔獣を引き寄せる性質があるっぽいんだよね」

 

微妙にニュアンスを変えつつ、スバルは自分が参戦した際のプランを伝える。スバルの体から発される魔女の残り香――どういう経緯でそれがスバルの肉体に沁みついているのか不明だが、ジャガーノートのときと同じでこれが白鯨を引きつける役割を果たすことは期待できるだろう。

問題は白鯨の脅威がジャガーノートを数十倍したものであり、かつスバル単独では白鯨の接近を回避することも、ましてや迎撃などもっての外という点だ。

 

「だから足の速い竜車かなんかに乗せてもらって、白鯨の鼻先を走り抜けまくって気を引く……とかが被害出さず、かつ有効的な使い方じゃねぇかと」

 

正直、スバル自身も口にしていてどうかと思うプランである。戦力として期待できないけれど、生餌として役立つから戦場を振り回してくれ。と申し出ているのだ。自殺願望持ちも青ざめる役割分担だが、

 

「驚くべきことに、嘘の気配はないのだな」

 

顎に手をやり、半信半疑といった眼差しだったクルシュが肩の力を抜く。「風見の加護」がスバルの発言の真偽を暴き、その作戦の有効性を考慮するに至ったのだろう。

彼女はひとつ頷き、

 

「ならば、足の速さと持久力に優れた地竜を卿に使わせよう。レムと相乗りすれば移動に関しては問題ないだろうからな。ただし、基本は私の指示に従ってもらうぞ」

 

「あ、やっぱりクルシュさんも戦場に出るのか」

 

「屋敷で椅子に深々と座って、吉報を待つのが私にできると思うか?」

 

甲冑の金具を指で弾き、クルシュは凛々しい面立ちに精悍な笑みを浮かべる。その男前な姿にスバルは首を横に振り、わかり切ったことを聞いたと小さく謝罪を口にした。

 

「――そろそろだな」

 

スバルの謝意を受け取り、クルシュが片目をつむってそう呟く。その言葉を切っ掛けにしたように、庭園に次々と関係者が集まり始める。

 

先頭を切り、姿を見せたのは戦着に衣を変えたヴィルヘルムだ。軽装備の老剣士は急所のみを守る最低限の防具だけを身につけ、腰には左右に計六本の細身の剣を携えての姿。

後ろに続くフェリスは王城でも着ていた騎士服を着ており、武装はといえば短剣が腰に備えつけてあるのみ。自身の能力を鑑みて、後方支援に徹すると割り切っているからこその姿勢といえる。

 

遅れて入ってきたのはくすんだ金髪の持ち主、ラッセルである。徹夜明けの表情には疲労があるが、双眸だけが爛々と輝いていて意気込みの程がうかがえよう。

すでに先んじて庭園に到着していたアナスタシアとラッセルが合流し、なにがしかの会話を始めるのを横目に、巨躯を揺らすリカードが獰猛に口を歪めて笑う。

 

主要の人物たちが揃い始めると、続々と続くのはスバルが名前を知らない歴戦の兵たちだ。クルシュが編成した討伐隊のメンバーなのだろう。主だった面子だけがここに呼び出されたのか、その人数は十名ほどとかなり少ない。それも、

 

「なんかずいぶん、若さの足りないメンバーに見えるな」

 

ぼそり、と思い浮かんだ感想をそのまま口にするスバル。目の前、討伐隊のメンバーがずらりとヴィルヘルムの後ろに列を為しているのだが、その彼らの平均年齢がだいぶ高めに思えるのだ。筆頭のヴィルヘルムをして六十を越えているのだが、付き従う騎士たちも五十代を下回ってはいまい。

ヴィルヘルムの強さを身を持って知る身として、彼の老剣士の技量への不安はないつもりだが、他の面々まではどうなのか――。

 

「全員、白鯨に縁のある方々だそうですよ」

 

「レムか」

 

「はい。スバルくんのレムです」

 

言いながら、ふいに湧くようにスバルの隣に舞い戻ったレムに彼は視線を向ける。常と同じ無表情、戦に出向くというのに変わらない格好はメイド服のままで、朝の合流時にその点を指摘してみれば、

 

「この給仕服はロズワール様の手製で、防護の加護がある戦闘用メイド服です。ですからなんの心配もありませんよ」

 

メイド服は余所行き用、炊事用、雑務用、遊興用に戦闘用と幅広い。なのに選択肢はメイド服一択なのだから、ロズワールの性癖はなんたるもの。

ともあれ、

 

「白鯨に縁ってことは……過去の討伐隊の関係者とか、そのへんか」

 

「一戦を退いている方が多いようですけど、ヴィルヘルム様の呼びかけに従って集まられたとか。錬度も士気も、十分以上に感じられます」

 

「復讐に燃える老兵たちってシチュエーションか……燃えるな」

 

そう口にする反面で、過去に白鯨との因縁を持つ彼らが今回の討伐隊に加わっていることも、昨夜のフェリスが口にしたクルシュの「優しさ」なのだろうか。それで作戦自体の雲行きが危うくなるなら本末転倒だろうが、そのあたりの部分に関して妥協するような性格ではあるまい。ヴィルヘルムの執念もまた、足手まといを軽々しく戦場に連れ出すような生易しいものではないはずだ。

場合によっては戦場に辿り着く前に、余計な足枷は間引くぐらいしかねない。

 

慄然と唇を震わせるスバルをさて置き、レムが気にするのは討伐隊の老兵と反対側。庭園の端に展開し、先ほどから別空間のような雰囲気を醸し出す一団だ。

レムの視線を追ってその一団を目に入れて、スバルは「ああ」と納得の息を吐き、

 

「アナスタシアの私兵……ってか、雇ってる傭兵団って話だ。カララギ出身らしくて喋り方が独特なのと、見た目が独特だな」

 

「独特だらけですね。ですが、アレがそうですか」

 

関西弁じみた喋り方にはその内慣れるだろうが、スバル的にはなかなか慣れない見た目の問題。

アナスタシア率いる傭兵団はまとめ役であるリカードを始めとして、全員が二足歩行する動物――つまりは獣人で固められた兵団なのだ。

 

一見して戦闘力の高いリカード。それに匹敵しそうな体躯の持ち主から、スバルの腰ほどまでしか背丈のない、白の体毛がふわっふわな熊っぽい獣人などもいる。杖を持っているところを見ると、直接戦闘より魔法的な方向に特化しているのだろう。

そんな彼らが三十人ほど並んでいて、スバルにとっての異世界ファンタジー性を良い感じに煽ってくれている。

 

「アナスタシア当人が戦えない分、金の力は貸してくれるってことらしい。リカードはなんか俺の周りをうろちょろしてるって話だから、ケンカしないようにな」

 

「スバルくんになにも危害を加えないなら、レムの方から事を荒立てるようなつもりはありませんよ」

 

レムとスバルの戦いの前の和やかな会話の間にもすでに整列している討伐隊にならって次々と関係者たちも姿勢を正し始めるている。前に出るクルシュが、出発前の口上を始める雰囲気が流れてきた。

その合間を掻い潜り、スバルはレムをお供に会話する商人二人の下へ。

 

「二人を商人――金払いさえよければとりあえず話聞いてくれる心の持ち主だと見込んで、ちょいと話があるんだけどさ」

 

ひとつ、白鯨狩りの前に「布石」を打っておくことにした。

 

 

 

 

 

「――四百年だ」

 

定刻となり、集った戦士たちの前でその言葉が始まりを告げた。

 

重々しい響き、張り詰めた空気。伸ばした背筋に痛みが走るような鋭い感覚の中で、場に集まる全員からの注視を浴びるクルシュが堂々と胸を張る。

カルステン家の刻印が刻まれた宝剣を地に突き立て、柄尻に手を置くクルシュは一息の間に全員の顔を見渡し、

 

「世界を襲った最悪の災厄。「嫉妬の魔女」の跋扈、その魔女の手で生み出された白鯨が世界を狩り場とし、我が物顔で弱者を蹂躙して、それほどの月日が過ぎた」

 

過去に世界の半分を滅ぼし、いまだに恐怖の語り草を残される嫉妬の魔女。その魔女の僕にして、主が倒された今となってもなおも自由を謳歌する霧の魔獣。あまりに多くの犠牲を生み、数多の戦意を呑み下した本物の怪物。

 

「白鯨により、奪われた命の数は数え切れない。その霧の性質の悪辣さも相まって、犠牲者の数は正確には誰にもわからないというべきだろう。四百年の時間を経て、銘の刻まれた墓碑と、銘すら残すことのできない墓碑の数は増えるばかりだ」

 

クルシュの言葉に下を向き、歯を食い縛って嗚咽を堪える老兵がいる。握り固めた拳に爪を突き立て、血をにじませる老兵がいる。その胸の内側に尽きることのない激情を溜め込み、なおも静かにその怒りを爆発させる機会を待ち続けた老剣士がいる。

 

彼らの無念が、積み上げられてきた屍の数だけの怨念が、庭園の空気に暗く澱んだ闇を取り巻き始めている。――だが、

 

「だが、その無念の日々は今日をもって終わる」

 

「――――」

 

「我らが終わらせる。白鯨を討ち、数多の悲しみを終わらせよう。悲しみにすら辿り着けなかった悲しみに、正しく涙の機会を与えよう」

 

「――――ッ」

 

「すでに主を失った身で、なおも終わらぬ命令に従う哀れな魔獣を終わらせよう」

 

胸が熱くなる。

無言で、スバルと同様の感慨を誰もが胸に抱いているのが伝わってくる。

 

下を向いていた老兵が、拳を固めていた老兵が、目をつむっていた老剣士が、今はその眼を開いて、正面に立つクルシュを見つめている。

それらの視線の熱を受け、クルシュは手を前に突き出し、声を大にする。

 

「出陣だ! ――場所はリーファウス街道、フリューゲルの大樹!」

 

「――おう!!」

 

応じる声が重なり、地を踏み鳴らす轟音が庭園を揺るがした錯覚を生む。噴き上がる戦意の熱に浮かされ、スバルも大声で唱和する。

その中で一際強く、高く、クルシュが抜き放った剣を空に向けて突き上げ、

 

「今宵、我らの手で――白鯨を、討つ!!」

 

 

 

白鯨討伐戦――異世界召喚されて以来、最大の作戦が今、始まろうとしていた。




いよいよ、次回から白鯨戦です!

第三章の一大イベントにして、リゼロの中でのターニングポイントでもある戦いを書ける段階までこれたこと、とても嬉しく思います。

原作では多くの犠牲者を出した白鯨戦ですが、ストレンジが加わることでどのような展開を見せるのか、書いている自分も想像を膨らませながら楽しく書いていこうと思います。


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四十三話 決戦の火蓋

裂光雷光ビカッと閃光裂光雷光レェーオ!

↑最近ハマっているネタです笑
初めて見た時、それはそれは大爆笑しました笑

マーベル関連の新ニュースといえば、いよいよミズマーベルの予告編が公開されましたね。妄想全開のオタク女子っていう感じですこです。



クルシュ・カルステンを筆頭に、行われる今回の「白鯨討伐」の遠征。

 

リーダーのクルシュが編成した討伐隊の指揮権は彼女にあり、討伐隊の隊長を務めるのは剣聖の家系――「剣鬼」ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。

ヴィルヘルムに従う討伐隊は十ほどの小隊に分かれ、その小隊長を庭園での演説に参加していた老兵たちがそれぞれ請け負っている。

小隊の構成員はおおよそ十五名前後であり、クルシュの率いる討伐隊の総数は約百五十といったところだ。

 

一方、総兵力はそれだけにとどまらず、アナスタシアより貸し出されたリカード率いる獣人の傭兵団――通称「鉄の牙」が三十名。こちらは全体をリカードが仕切り、その下に副団長であるミミ・パールバトンとヘータロー・パールバトンの二人を据えている形だ。

 

そして、戦況をひっくり返す程の強大な力を持つ「至高の魔術師」としてのドクター・ストレンジ。自由に魔術を扱うため、そして展開される魔術に他の討伐隊の面々を巻き込まないため、彼はどの部隊にも所属せず独自行動がクルシュより許されている。彼女の合図と共にストレンジには、敵を倒すか部隊が全滅するかのどちらかに至るまで一切の自由が与えられる予定だ。

 

 

 

 

 

「ミミなのだー、よろしくー!」

 

「ヘータローです、よろしくお願いします」

 

庭にて魔術書を片手にリンゴを頬張るストレンジに向かってぺこりと小さく頭を下げる二匹――否、二人の猫型の獣人だ。

短い毛並みはオレンジ色をしていて、ストレンジの腰ほどまでしかない背丈はまさに小人型獣人のそれだ。

また、非常に愛らしい顔立ちをしており、頭部以外をすっぽりと覆う純白のローブもお似合いである。

 

「なるほど。アナスタシアが側に置いて愛でる理由はそれか。確かに、獣人好きにはたまらないだろうな。私には分からないが」

 

「ミミ、よくそれ言われる。おじちゃんの言うとおり」

 

「お姉ちゃん、またそんなこと言って……」

 

ストレンジの感想にミミと名乗った少女の方が頷き、それを微妙に慌てた様子でヘータローと名乗った少年がたしなめる。そっくりな見た目といい双子らしい。

子供が苦手なストレンジは、歳の割には大人しいヘータローにはともかく、無邪気さ全開で大人を振り回すだろうミミには、おじさん呼ばわりされたこともあり難しい顔を見せる。

 

「副団長という話だが、二人は腕が立つのか?」

 

「もちろん。二人揃えばサイキョーだよ!サイキョー!」

 

「え……あ、うん。そうです。お姉ちゃんと二人、頑張ります」

 

自己主張の強い姉を、消極的で慎重派な弟が手綱を引く、という関係なのだろうか。フォローを任せる姉しかいないのかという疑問もある。

 

「ダンチョーは長なんだけど、戦が始まると先走って全然周りとか見ないから」

 

「ボクたちがその団長の代わりに、みんなに指示出したりするんです」

 

「ほお。見かけによらず、随分と優秀そうな口振りだな。期待している。……後先考えない上司を持つと部下は苦労するものだな」

 

「あはは、そうなんです」

 

豪快に笑い、好戦的に戦場の中央へ駆け込んでいく巨躯の姿がストレンジの脳裏に浮かぶ。その想像に二人の意見も一致を見たのか、「そうなんです」とヘータローがその小さな肩をしょんぼりと落とし、

 

「クルシュ様の指揮に従いますけど、ボクたちはボクたちのやり方を交えて白鯨と戦います。その点で、ストレンジさんにはなるべくボクたちを魔術の巻き添えにしないよう注意してほしいんです」

 

「勿論だ。君たちが不用意に突っ込まなければ私の魔術の巻き添えになることはまずないだろう。だが、団長のように先走ったりすれば……その時の責任は持てない」

 

「分かったー!おじちゃんのデッカい魔法に期待してるー!」

 

「お姉ちゃんはまたすぐに調子に乗っちゃうんだから。……可愛い」

 

まっとうな理由で顔見せしてくれたらしきヘータローを褒めると、なぜか鼻高々になって胸を張るミミ。そして、そんなミミをたしなめつつ、ぼそりと最後に本音が漏れるヘータロー。彼女の増長は弟にも原因がありそうである。心理学者ではないが、多くのヒーローの相談相手であるストレンジはそう判断した。

 

「なあ、クルシュはんよ。あんだけ演説で大見え切ったのに、こんなところでのんびりしていてええのか?白鯨出現まであと10時間切っとるんやろ?はよ移動せぇへんとまずいんちゃうん?」

 

ストレンジとミミ、ヘータローが話し込む中、クルシュの邸宅での前哨演説が終わったのにも関わらず、討伐隊はその後カルステン邸から出ることなくその場に留まり続けていることに剛を煮やしたリカードがクルシュに声をかけた。リーダーであるクルシュや隊長のヴィルヘルムは庭に置かれた机に地図を広げ、作戦の確認を未だに行っており、出陣の気配すらない。既に「鉄の牙」や討伐隊の一部からは出陣しないことへの疑問や、クルシュやヴィルヘルムの演説がまやかしであったかもしれないと不信がる声が出ており、リカードらは説得に回って宥めている真っ最中であった。約半日の道のりを急がずにどうしてゆっくりしていられようか。

既に白鯨が出現する定刻まで、携帯で確認した残り時間は半日といったところだ。すでに出陣式からは五時間ほどが経過しており、白鯨との決戦前に、一息つく余裕にしては取りすぎている。

 

「ぼちぼち何ぞ行動してくれへんとワイらも結構厳しいねん。せめて見通しだけでも」

 

「ん?ああ、そのことならドクターに聞くといい。卿は聞いて驚くかもしれないが、彼には目的地まで一瞬で、正確に道をつなげる魔術を扱えるこの世界唯一の魔術師なのだ」

 

「んな!?んなアホな!そんな魔術、今までどんな魔道士でも使いこなせて来んかった夢の魔術やで!」

 

「私も最初はそう思った。現にあのロズワール辺境伯でさえ、転移魔法は扱えないと聞く。単に聞けば、御伽噺に聞こえるだろう。ところが、ドクターはそれを可能にし、私やヴィルヘルムもそれを目にした。今に、卿も信じざるを得なくなるだろう」

 

「マジか……そんな魔術がほんまに扱えるなら、、世界を変える発見や」

 

クルシュの口から飛び出した信じられないような内容。嘘を見抜くことに関しては、王選候補者の中では唯一無二の存在であるクルシュが言うのだから信じざるを得ない。現に彼女は嘘をつくことが嫌いな性分であり、その彼女がまして戦場が近いこの場で嘘をつくとは到底考えられなかった。

しかし、商人として一人の口から出た話を簡単に信じるほどリカードも抜けていない。

 

リカードはミミ、ヘータローと話し込むストレンジにガツガツと歩み寄るとストレンジに詰め寄った。

 

「なあ、ストレンジはん。ぼちぼち決戦の場に行かへんとまずいんとちゃうん?ここからフリューゲルの大樹まで地竜やライガーを飛ばしても5時間はかかる。あんまりのんびりしていると、間に合えへんんちゃうん?」

 

「随分と厳しい顔をして歩み寄って来たと思えばそんな心配か。それなら必要ない。私の魔術でフリューゲルの大樹まで一瞬で到達できる」

 

「それはクルシュはんにも言われたさ。せやけど、口だけで信用するほど商人は単純やない。商人は疑り深くないと生きていけない性分でな。ストレンジはん。良ければもの目的地まで一瞬で繋げるっちゅう、魔術を見せてくれないか?」

 

「ああ、いいだろう」

 

リカードの提案に二の次に応じたストレンジ。魔術の展開に長い準備を要すると考えていたリカードは、その素早い返答に思わずキョトンとしてしまう。

一方、魔術を見せることでそれまでストレンジの実力を知らない「鉄の牙」の面々にも自身の力を誇示することができると考えたストレンジは左手にスリング・リングを通し、門の方向へ両手を向けた。そして、右手をゆっくり回すと彼の手の動きに合わせて、門の目の前に縁を火花で散らす2階ほどの高さで、横幅も広い巨大なポータルが現れた。

 

「な!?ホンマだったんか!」

 

「おおー!おじちゃん、すごいねー!ミミ、関心関心!」

 

「これは……これは戦いを根本から変える魔術ですよ!ストレンジさん!」

 

驚愕するリカード、理屈は分からないものの凄いことは分かり興奮するミミ、ストレンジの魔術の有用性に目を光らせるヘータローと、三者三様の反応を見せる。彼らだけではなく、討伐隊の老騎士や「鉄の牙団」の他の面々も目を丸くし、ストレンジの未知な魔術に驚いていた。

 

「さて、これで納得していただけたかな?」

 

「あ、ああ。ありがとうな、ストレンジはん」

 

ご満悦に浸りながら三人の前から立ち去るストレンジは、リカードの肩に手を置きながら去り際に彼に尋ねた。呆然とポータルを見つめる彼は、曖昧に返答するのが限界で、ポータルの方へ釘付けになったままだ。

 

「派手にやったな」

 

「頭で理解できない奴には、言葉よりも実物を見せたほうが早いと思ったまでだ」

 

リカード達から離れたストレンジはそのまま作戦会議に耽っていたクルシュ達のいる場所に向かった。

開口一番、屋敷の門の前に開いた巨大なポータルを見たクルシュは半ば呆れたように、苦笑いを浮かべながらストレンジに問いかけた。

 

「やはり卿の移動魔術には目を見開くものがあるな。あのように簡単に目的地へと続く道を繋げてしまうとは。しかし、あれでは地竜やライガーを用いて物資の運送を行う者たちは不憫だろう。彼らの存在意義を奪う魔術が卿のそれなのだからな」

 

「だとしたら彼らは安心だ。あのポータルは私なら最も簡単に開けるが、魔術に適性のない者はそもそも開くことができない。それにあれはスリング・リングを使わなければならず、ここにはそれの代用品はない。彼らがホームレスになるようなことはないだろう。多分」

 

「卿の魔術はあくまでイレギュラーなものであって、使用できる人間が少ない以上、地竜の存在は保証されるということだな。彼らもその方が安心だろう」

 

 

 

 

 

それから暫くしてストレンジがフリューゲルの大樹根元に繋げたポータルを通って次々と討伐隊が戦場となるリーファウス街道に入っていき、それと同時に戦略物資も次々と運ばれていった。トラブルなく人員・物資輸送は予定通りに進められたが、リカードはその光景を複雑な目で見つめていたのを何人かが目撃していたのだとか。

 

「デカいな……」

 

人員と物資の輸送が完了するまでポータルを開けておく必要があり、一度開いてしまえば術者が再度閉じるまで永遠に開き続けるのがストレンジのポータルのため、特にやることがないストレンジはその足でフリューゲルの大樹根元までやってきていた。

 

そのすぐ裏ではスバルとレムが何やら二人っきりで話し込んでおり、その会話に邪魔することが直感で吝かであると感じたストレンジは、彼らの所へは行かず近場から木を見上げる。

 

その高さに只々感心していると、ふと横を見ればヴィルヘルムがただ一人静かに眼前に広がる黄色の小さな花畑を前に立ち尽くしているのが目に入った。

そこから微動だにせず、ただ立っているその姿だけでも絵になるが、隊長である彼が一人ここに来るのはそれなりの理由がある。その理由を知りたくなったストレンジは、彼へ足を伸ばした。

 

「ヴィルヘルム。ここで何をしてる?戦いはもうすぐ始まるぞ」

 

「分かっております。ただ、妻が好きだったこの花を戦いの前に、最後目に入れておこうと思いましてな。お気に障りましたかな?」

 

「いや。ただ気になっただけだ。気にしないでくれ」

 

ヴィルヘルムの横に立ったストレンジは、眼前の花畑を彼と同じように見つめる。その花を手に取ってみれば、ストレンジの掌に収まるほどの大きさだが、女性が好みそうな色と形をしている。これは、ヴィルヘルムが最も愛していた妻テレシアが最も好きだった花なのだろうか。

 

「今日の戦いで妻の仇である白鯨を追い続けたその努力が報われるな」

 

「ドクター殿にまでその話は及んでいましたか。どうかお忘れください。老僕のつまらぬ妄執と、無意に過ごした時間です」

 

「そんなことはない。私だって彼女を失えば、その妄執に取り憑かれる。お前の気持ちは否定しない。ーー妻を愛しているんだな」

 

その言葉にゆっくりとヴィルヘルムは首をストレンジの方へ向けた。そこには「剣鬼」と呼ばれた剣士でも礼儀正しい堅物の執事でもない、ただ一人の女性を愛した普通の男がいた。

 

「ええ、妻を愛しております。誰よりも、どれほど時間が過ぎようと」

 

ヴィルヘルムは再び顔を花畑の方へ戻すと、独白する。

 

「妻は、花を愛でることが好きな女性でした。剣を振ることを好まず、しかし誰よりも剣に愛された。剣に生きることしか許されず、妻もまたその運命を受け入れておりました。私は彼女から剣を奪い、「剣聖」の名を捨てさせ彼女を妻とした。ですが、剣は彼女を許してなどいませんでした」

 

思わず聞いている方も顔を赤らめてしまうような妻への愛を隠さず、そして堂々と口にするヴィルヘルム。常人であれば思わず顔を赤らめてしまうような話だが、意外にもストレンジはその言葉を普通に受け入れた。彼自身も愛するクリスティーンという存在がおり、ヴィルヘルムの気持ちが理解できたからだ。ストレンジとて、傲慢だけが目立つ男ではなく、一人の女性を愛した良き男性でもあった。

 

「ストレンジ殿、改めて感謝を。この戦いで私は私の剣に答えを見出せる。妻の墓前にも、やっと足を向けることができましょう。やっと、妻に会いに行くことができる」

 

「その愛を必ず妻に見せられるよう私も最善を尽くそう。お前を妻の隣の墓前に埋めるにはまだ少し早い。必ず勝利へ、唯一の道へとお前たちを送り届ける」

 

 

 

 

 

 

――定刻が迫り、大樹の根元には戦前の張り詰めた緊迫感が満ち始めていた。

 

交代で食事と仮眠をとり、場に集った討伐隊のコンディションは万全だ。討伐隊の攻撃手段の一つとして連れて来られている地竜とライガーも十分な休息を得て、今は背に乗せる騎手の指示を今か今かと待ち構えている様子だった。

 

息を殺し、心を落ち着けて、全員がその時を待っている。

 

止める必要もないのに呼吸を止め、剣が鞘を走る音すらもなにかに影響を与えてしまうのではとばかりに、誰もが音を殺して時間が過ぎるのを待ち望む。

 

リーファウス街道の空、風の強い今宵は雲の流れる動きが速い。

月明かりの光源が雲に遮られるたび、まるで巨獣が光を閉ざしたのではと視線を上げるものが後を絶たない。それだけ、警戒心を呼び込んでいるのだ。

 

「定刻まで、あと数分だな」

 

静かにそう呟き、クルシュは横に立つフェリスが小さく頷くのをちらと見る。

クルシュの隣に長年侍り、こういった事態に慣れているはずのフェリスですらも、今は常の諧謔を優先するような素振りが一切ない。

彼は自分がこの討伐隊の一種の生命線であることを理解し、その役割に従事しようとしているのだ。

 

フェリスや同じくクルシュの側に控え、エルドリッチ・ライトを両拳に展開するストレンジの活躍如何で、この戦における最終的な勝者の数は変わるだろう。

クルシュは自分の陣営の勝利を疑ってはいないが、それでも犠牲なしに白鯨を討てると考えるほど自惚れてもいない。しかし、その生まれる必要な犠牲の数を、確実に少なくすることはできると考える程度には自信を持っている。

それが自分の従者であるフェリスと、その力を存分に振るう初めての舞台が用意されたストレンジへの信頼であるのだから、自信と呼ぶべきかどうかはいささか疑問ではあったが。

 

ヴィルヘルムはすでに腰から二本の剣を抜き、両手に構えていつでも走り出せる準備を終えている。

彼のまとう静かな剣気は研ぎ澄まされた領域にあり、悲願のときを迎えようとしているこの瞬間ですら洗練されたものだ。

その純粋なまでの剣鬼のありように、クルシュは惚れ惚れするような感嘆を覚えることを止められない。

 

人とはただひたすらに純粋に、ここまで魂を昇華することができるものなのだ。

いつか自分もまた、その領域に至りたいと心から思う。

 

ヴィルヘルムに並び、各々の表情に緊張を走らせる討伐隊の面々も士気は高い。クルシュの命に従い、先制攻撃を仕掛ける準備も黙々とすでに終えている。彼らとて、今夜の出撃には疑問はあろう。肝心の細かい部分の詰めにおいて、情報の信頼度を確立させるための関係を築くには、彼らとスバルの間には時間がなさすぎた。

それでもなお彼らが異を口にしないのは、それがクルシュの判断を尊重してのことであると、その責任を果たす義務があることをクルシュは自覚している。

 

じりじりと、心地の良い戦意が自分を焦がしていくのがわかる。

刻限が近づき、死と火と血の香りが間近に迫るにつれて、クルシュは己の生きている感覚を実感し始めていた。

 

為政者として、尊くあろうと己を戒め、努力をしているつもりだ。

しかし、心の内に根付く、変わりようのない本質を否定することもまたしない。

それは――、

 

「――――ッ!」

 

唐突に、それは闇夜に沈むリーファウス街道に響き渡った。

 

軽やかな音が連鎖し、重なり合うそれは自然と音楽となって鼓膜を震わせる。

音の発生源に目を向ければ、輝く魔法器を手にするスバルの姿が彼女からは見えた。その手元の魔法器から、その音楽が流れ出していることも。

つまり――、

 

「総員、警戒だ――」

 

ストレンジの観た未来によれば、魔法器が鳴って一分以内に白鯨が出現するとのこと。

彼の魔術を信じるのであれば、今この瞬間にその巨体が空を泳ぎ始めても不思議ではない。場所も、魔法器が鳴った以上はここで正しいのだろう。

自然、クルシュは神経を研ぎ澄ませ、その存在が現れるのを待ち構える。

しかし、

 

「――――」

 

静寂の中に、その強大な魔獣が現れる気配が一切感じられなかった。

 

拍子抜けした、という表現は正しくないが、一分が経過してもなにも起こらない事実に、クルシュにとっては珍しく動揺の前兆を禁じ得ない。

まさか謀られたか、とは思いたくないが。

 

リーファウス街道に落ちる静けさは変わらず、周囲の景色にも変化はない。

今もまた、空を泳ぐ雲によって月明かりが遮られ、暗く大きな影が視界を覆い尽くしているが――。

 

「――――っ」

 

見上げ、クルシュはその自分の浅はかな考えを即座に呪った。

 

月明かりが遮られ、影が落ちている。

その光を遮断した雲霞がゆっくりと高度を下げ、目の前に迫る。

 

それは、あまりにも大きな魚影を空に浮かべる魔獣であった。

 

クルシュが息を呑んだのと同時、ほとんど全ての討伐隊の面々が同じ事実を察した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへと投げかけられる。

 

――先制攻撃、その命令を待っているのだ。

 

機先を制し、白鯨の出現の頭を押さえることには成功した。

あとは手筈通りに奇襲を打ち込み、戦線を支配するだけだ。

 

「――――」

 

息を吸い、クルシュは最初の号令を発しようと心を決める。

白鯨はいまだ、矮小なこちらの存在には気付いていない。静かに頭を巡らせて、まるで自分がどこにいるのかを確かめようとしているかのように、その動きは頼りなげで、なにより隙だらけであった。

 

「――総員」

 

総攻撃、とそれを口にしようとして、

 

「――ぶちかませぇッ!!」

 

「――アルヒューマ!!」

 

クルシュを乗り越えて号令が発され、同時に魔法の詠唱によりマナが展開。

 

すさまじい密度で練り上げられた超級の強大さを誇る氷柱が、立て続けに四本一斉に世界に具現化――射出されたそれが白鯨の胴体に撃ち込まれ、一拍遅れて白鯨の絶叫と噴出した血が大地に降り注ぐ。

 

慌てて見れば、そこには地竜に相乗りするスバルとレムが駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがガッツポーズし、詠唱による先制攻撃を果たしたレムは自らの役割を全うしたとばかりに会心の表情だ。

 

その二人の先走り――もとい、先陣を切る姿に討伐隊が動揺。

それを見て、クルシュは自分の口が大きく歪むのを堪えられない。

 

怒り、ではない。笑いによってだ。

 

「総員――あの馬鹿共に続け!!」

 

動揺をかき消すようなクルシュの号令がかかり、討伐隊の面々が反射的に応じて攻撃を開始する。

 

すさまじい土埃が巻き上がり、その向こうで白鯨の絶叫が再度高らかに、リーファウス街道の夜空へ木霊していく。

 

 

――白鯨討伐戦が満を持して、火蓋を切った。




いよいよ白鯨戦じゃー!!やっとMCU作品らしい戦いが描けるZOY!
ストレンジらしい魔術大戦みたいな戦いになったりならなかったり?(ストレンジがミラー・ディメンション操り出したら他の面々は上に行ったり、下に行ったり、横に振り回されたり……うーん、振り回されそう)



先日、ロス長官を演じられたウィリアム・ハート氏が亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。安らかに、ロス長官。


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四十四話 白鯨攻略戦

皆さま、お久しぶりです。

世間は地震に、雪に、紛争と、まるで世紀末の世界とでも言わんばかりの状況ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか?
どうか、お身体だけにはお気をつけください。


それはそれとして、本編ではいよいよ白鯨攻略戦開始です!



 

「――ぶちかませぇッ!!」

 

「――アルヒューマ!!」

 

スバルの叫びに呼応するように、レムがすでに練り始めていたマナに詠唱による指向性が与えられた四本の長大な氷槍は、大木を束ねたような凶悪さを誇り、それが風を穿つ勢いで巨体の胴体へと突き込まれる。

 

氷柱の先端が固いものに押し潰される音が響き、しかし砕き切られる直前に先端が魔獣の腹にわずかに埋まり、傷口を押し広げて内部へ穿孔――血をぶちまける。

 

白鯨の絶叫が平原に轟き渡り、鼓膜を痺れさせるような大気の震えが周辺を覆う中、スバルとレムは地竜と共に一気に駆け出していた。

 

 

 

 

刹那の間こそ分水嶺。瞬間に動けていなければ、コンマでも動きが遅れていたのであれば、先制攻撃は白鯨に悟られたかもしれない。

そのほんのわずかな躊躇いが生死を分けると分かっていながら、クルシュほどの傑物でも白鯨の威容の前には息を呑んだのだ。

 

来るものと半ば確信的に考えていたとしても、実際に起きれば人の心には波が生まれる。波はささやかでも思考に歪みを生み、歪みは停滞を、そして停滞は敗北を招き寄せる――戦端は危うく、クルシュたちの不利で始まる寸前だった。

 

 

 

クルシュたちの判断がコンマ遅れた点には、ストレンジの予言があるとはいえ、魔法器への確実とまではいえない不信感があった。姿を見せない魔獣に対する焦れもあり、その判断にささやかな陰りを差し込んだのも無理はない。

だが、レムだけはスバルの言葉を、白鯨がこの瞬間に現れるという発言を、一点の曇りもなく、欠片も疑っていなかった。だからこそ彼女はスバルが提示した時間に合わせ、白鯨へのピンポイント攻撃を実行できたのであった。

 

「スバルくん、もっとしっかりしがみついてください。振り落とされます!」

 

頭で戦端の切り方を自分なりに分析するスバルに対し、地竜の手綱を握るレムがそう叫ぶ。彼女の言葉は作戦の一部――先制攻撃炸裂後の、第二段階を示していた。

 

「総員――あの馬鹿共に続け!!」

 

背後、駆け出すスバルたちに遅れること半歩、号令をかけるクルシュに応じて討伐隊が次々と砲筒に着火――込められた魔鉱石が射出され、中空で弾けるとそれが色に呼応した破壊の力へと変換され、白鯨の胴体へ立て続けに着弾する。

 

同時にストレンジの両手に展開されたエルドリッチ・ライトが合体される。合わせた両手を勢いよく前に突き出すと共に、背後に出現した巨大な魔術が現れる。そしてそこから巨大な一本の光線が放たれ、高速で白鯨に衝突する。

 

炎が、氷が、土塊が、そして魔術が刃に、槍に、槌になって叩きつけられ、レムが作った傷口を押し広げ、悶える巨躯から血霧が噴出し、街道にどす黒い雨を降らせる。

霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、地竜が機敏な動きで白鯨を大きく迂回するように背後を目指す。

 

「俺の存在を意識させて、討伐隊に基本背中を取らせるように立ち回る――!」

 

「夜払いの結晶が砕けます、目をつむってください!!」

 

すでに戦闘状態に入っていることを示す、鬼の角がレムの額に輝いている。

上を見上げ、歯を剥き出すレムの指示に慌てて従い、スバルは下を向いて目をつむり――次の瞬間、世界が瞬く。

 

白光は空で爆発し、一瞬で世界を白い輝きで焼き尽くす。

閉じた瞼をなお貫き、視神経を犯すほどの光の強さにスバルの喉が驚きに詰まる。そして数秒後、恐る恐る開いた眼を周りに向ければ、

 

「うおお!聞いてた通りだすげえ!」

 

夜の闇が切り払われて、まるで真昼のように視界を確保された世界が展開されていた。

彼らの頭上、沈んだ太陽の代わりに輝くのは、白鯨への先制攻撃と同時に射出された「夜払いの結晶石」。砕かれることで疑似的な光源を生み出し、闇を照らす効果を持つ結晶であり、本来ならば極々わずかな輝きで薄闇を照らす程だがーー、

 

「金とコネで山ほど買い込んだやつを一斉に粉砕、疑似太陽の出来上がりってわけか」

 

「夜にもぐられては、白鯨の巨体であっても簡単には見つけ出せませんから。――ここからですよ!」

 

王都に存在する大商人の二人が手を組み、更にストレンジの錬金術魔術で精製された結晶石の効果。

夜に沈んでいたリーファウス街道には日中の輝きが満たされており、それまで月明かりだけが頼りだった世界を鮮明に浮かび上がらせている。

つまり、それは同時に――、

 

「あれが……白鯨ッ!」

 

――これまではっきりと日差しの下で目にすることのなかった、「白鯨」と呼ばれる魔獣の全容を世界に知らしめたのだ。

 

「――――ッッッッ!!!」

 

白日の下に晒し出されたことに怒りを覚えているのか、その巨大な口を開いて咆哮を上げる白鯨。発される轟音はすでに音の次元に留まらず、一種の破壊行為に近い。大気が鳴動し、訓練された地竜の野生にすら恐怖の感情を生む暴力的な雄叫び。ヴィルヘルム以下、討伐隊の地竜もその動きを思わず止める程だ。

 

その異貌は巨躯のあちこちから血をこぼし、しかしその動きに一切の精彩さを欠かず、自分に挑みかかる人間たちを見下ろしていた。

 

「なんて、でかさだ……」

 

震わせるつもりのない喉が震えて、初めてその全貌をその目に焼き付けたスバルは手足が痺れたように動かなくなる感覚を止められない。

 

白鯨――その異名で呼ばれるだけあって、その魔獣の姿は白に覆われていた。

岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。

 

全長三十メートル前後はある世界最大の哺乳類、シロナガスクジラよりも遥かに大きい、五十メートルに迫ろうかという規模の大きさだ。ここまでくると、それは生き物であるというよりはひとつの山に近い。

ひとつの白い岩山が、なんの冗談か空を悠々と泳いでいるのだ。

 

(奴の体はデカいが、だからこそ的も大きい。厄介な相手になるが、良い鯨狩りができそうだ)

 

マントを靡かせ、討伐隊の上空にただ一人浮かぶストレンジは、警戒を緩めることなく、白鯨の巨大な体を睨む。

彼の足元にはクルシュが移動してきており、上空に浮かぶストレンジへ顔を上げた。

 

「ドクター!奴の力をどう判断する?」

 

「良い鯨狩りができそうだ。奴の力は手に負えないほどではないにせよ、常人では苦戦は免れない。だが手が全く出せない敵ではない!」

 

「そうか!感謝する!」

 

クルシュとの会話の間にも、計画通りに白鯨の鼻先に回ったスバルとレムに、白鯨の巨大な瞳が向けられ、完全に討伐隊の方へは見向きもしていない。これだけ人がいるというのに、それでも一人の異形の気配を漂わせる一人の人間に白鯨の注意がいくあたり、余程彼の気配は禍々しいものだと言える。

一軒家でも丸ごと呑み込みそうな顎が開かれ、石臼のような歯の並ぶ口腔が大気を吸い上げ、咆哮を彼らへと放とうとしている。

先ほどの、出鼻をくじいた咆哮が再びくると、身構えるスバルたち――その頭上に向けてクルシュの剣が振るわれた。

 

「はああぁぁぁっっっ!!!」

 

目には見えない刃が横薙ぎに一閃し、口を開いていた白鯨の頭部を真一文字に浅く切り裂いた。

刃と岩の触れ合う擦過音すらせず、強固な岩肌を撫で切る斬撃に白鯨の巨体から再び血が噴出する。

 

「余所見とはずいぶんと、安く見られたものだ!!」

 

討伐隊の先頭に陣取るクルシュの手には一本の剣のみが握られている。先程の白鯨への攻撃が誰によるものなのか、検討もつかないスバルに対し、手綱を握るレムが彼の心中を察し、低い答える。

 

「射程を無視した無形の剣――百人一太刀で有名な、クルシュ様の剣技です」

 

彼女の口にした逸話に関しては寡聞にして知らないが、その字面だけでスバルはおおよそ事態を理解した。クルシュの戦闘力の、その納得の高さも。

 

目に見えない斬撃に初動を潰され、動きの停滞した白鯨へ追撃が入る。

討伐隊の面々の魔鉱石による大火力砲撃だけでなく、人差し指と中指のみを立た左右の手を縦直線に置き、続けてクロスさせた際に赤い縦状の光線を創るストレンジの魔術がそれに続く。地面に勢いよくぶつけたことで発生した二筋の赤いエネルギー波は地面を跳躍しながら勢いよく移動する。続けて白鯨の斜め下の地面に展開された大きな盾に到達したエネルギー波は、反射で空中に向かい、魔鉱石による攻撃に続けて傷口を抉るように攻撃の傷跡に直撃する。

白鯨の巨体に次々と集中的にダメージが通り、悶える巨体が高度を下げていく。

 

「散開!」

 

高度を下げた白鯨が次に狙うは、囮役のスバルたちよりも、直接ダメージを与えた魔鉱石の砲台と、同じように空中に浮かぶストレンジだ。特に、未知の攻撃を仕掛けてきたストレンジに対して白鯨はより警戒を強めたのか、彼が浮かぶ高度に到達した白鯨はそのまま直進してくる。

 

クルシュの合図により、彼女とストレンジを除いた他の面々は白鯨の突撃を避けるため、左右に散開し、白鯨から距離をとり始める。

その中央、開けた一本道を貫くように進み、クルシュの横を稲妻のように過ぎ去る存在が一人。

 

それまで雲と同じ高さにあった白鯨の巨躯が沈み、その高度が首を真上に傾けるほどでなくなればそこは――、

 

「――っ!」

 

地竜が跳ねるように跳躍し、その巨体に見合わぬ軽やかさで空へと駆け上がる。それでもなお、強大さを誇る白鯨と比較すれば質量差は明白だ。鼻先に浮かぶ地竜の姿はまるで、白鯨からすればまさしく虫けらのようなものであった。

 

やがて地竜から一人の存在が飛び降りる。空中で剣を抜きながら迫る白鯨の前に立ち塞がるように立つ一人の男は、愛する妻を奪った巨大な怪物を鋭い眼光で見つめる。

 

長きにわたる人生の、その大半を費やした人間の境地が、霧を生み世界を白く染め上げる魔獣の鼻先に今まさに届くというその瞬間、戦場は一瞬静寂に包まれた。

 

「――十四年、ただひたすらにこの日を夢見てきた」

 

迫り来る白鯨の鼻先。地面を抉りながら迫るその姿はまさに伝説に描かれる巨大ダコ(クラーケン)のようだ。それでもヴィルヘルムは動じることなく白鯨を見据える。

 

「ここで落ち、屍を晒せ」

 

その刹那、彼の脳裏に浮かぶのは若かりし頃の自分と少女だった妻の姿。妻が好きな花畑の前で、花など嫌いだと言わんばかりに剣を振るう自らの姿。剣一筋で人生を生きてきた彼には、それしか生きる意義を見出せなかったから。

しかし、そんな自分を常に彼女は笑ってくれた。そう、眼前に広がる花畑の満開の花のように。不器用な自分を常に笑いながら、見ていてくれていた。

 

彼が生涯をかけて愛すると誓った女性の命を奪った存在が、もう目と鼻の先の距離まで迫ってきていた。――剣鬼がにやりと、その皺の浮かぶ頬を酷薄に歪める。

 

「――化物風情がああ!!!」

 

勢いよく飛び上がったヴィルヘルムは、その剣の一突きを白鯨の頭上に浴びせた。振り切った剣を突き立てて姿勢を維持し、斬撃を与えて刀身を濡らす血を払う鍛えられた背中――そこに、大気が歪むほど迸る剣気をまとい、背を伸ばす影に白鯨が身をよじる。自身の鼻の先端に乗るそれを振り落とそうとするように、中空で身をひねる白鯨の巨体が大気を薙ぐ。

豪風が街道の空を吹き荒び、巨躯の遊泳の結果に誰もが息を呑んで目を見開いた。

だが、ひねった身を先の位置に戻した白鯨が痛みに喉を震わせ、尾を振り乱しながら鮮血をこぼす。先ほど縦に割られた傷には追加で横に一文字の傷が加えられ、十字の傷口を額に生んだ白鯨の背を、軽い足音を立てて影が踏む。

 

剣を片手に構えるヴィルヘルムの体が風を切り、

頭部側から尾の方へ背中を駆け抜け、その途上の白鯨の岩肌を振り回される刃が滅多切りにしていく。固く、強靭なはずの岩肌をなんなく切り裂き、どす黒い血霧を空にばら撒きながら疾走するその姿、まさに「剣鬼」。

 

体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効打を持たない。軽やかに走る老剣士を振り落とさんと、再び颶風をまとう旋回で空を泳ぐも、

 

「わざわざ斬られにくるとは!協力的で結構っ!!」

 

宙で白鯨の身が回転する寸前、短く跳躍するヴィルヘルムが剣を突き立てて身を浮かせる。と、その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走り、白鯨は自ら自分の体を刃に対して献上した形になる。

噴き出す血霧を半身に浴び、その体を斑の赤に染める剣鬼が笑う。老躯が剣を上に振り被って巨体の側部へ。振り下ろす刃が側面の岩肌を縦に削り、振り切られると肉を削ぎ落す。

空をつんざく絶叫が走り、落下するヴィルヘルムを白鯨の尾が横殴りに襲う。が、その直撃の寸前、駆け込んできた彼の地竜が老剣士を拾い上げ、その攻撃の範囲から滑るようにして逃れる。そして白鯨が怒りに任せてヴィルヘルムを追おうとすれば、

 

「余所見すんなや、ボケ!自分の相手にはワイらもおんねや!!」

 

空中に出現したポータルから現れたライガーに乗ったリカードの大ナタの一発が口腔内に侵入、抱え込むような大きさのある白鯨の歯を根本から抉り、鈍い音を立てて黄色がかった奥歯が吹っ飛ぶ。

地竜に比べて身軽と称された大犬は、白鯨の顔面を斜めに移動しながらその俊敏さを遺憾なく発揮し、背に主を乗せたまま上空を行く白鯨の体を駆け回る。

 

「そらそらあ!まだまだ終わらんでぇッ!!!」

 

走るライガーの背の上で、唾と罵声を飛ばすリカードの大ナタが、更に振り下ろされる。岩盤を砕き、その下の肉を抉って血をまき散らす獣人。付き従うライガーもその牙を爪をふんだんに使い、生じた傷口を深く鋭く広げていく。

そしてリカードの奮迅に続くように、

 

「そりゃー、いっくぞー!!」

 

「お姉ちゃんは前に出過ぎないで! みんな、今だよ!」

 

白鯨のガラ空きの側面に、幾つも開けられたポータルから出現した双子の副団長が散開しながら指示を出すと、彼らを筆頭に獣人傭兵団のライガーが次々とポータルから白鯨の体に取りつき、その広大な肉体を駆け回り、蹂躙し始める。

 

槍や剣が打ち振るわれ、大半が岩肌に弾かれながらも、砕ける外皮を通って確実にダメージが通っていく。その姿はまるで、毒虫に群がられる獣だ。

体のあちこちにしがみつき、微小ながらも傷口を増やしていく敵に身を振り回し、白鯨がその巨体の小回りの利かない弱点を露呈する最中、

 

「――総員、離れろ!!」

 

戦場を貫くクルシュの怒号がかかり、取りついていた傭兵団が一斉に白鯨の体から飛び退く。宙を行くライガーは軽やかに地に降り立ち、それを見た白鯨はそこから反撃に出ようと大きく旋回したが――その判断は誤りだ。

 

「横腹を、さらしたな――!」

 

大上段からのクルシュの二撃目――袈裟切りに襲いかかる斬撃が白鯨の側面を斜めに切り裂き、その一太刀に遅れて追撃が再び加わる。

 

「放て!横腹だ!」

 

続けてここまで攻撃に参加せず、ひたすらに魔法の詠唱に集中していた部隊の攻撃が、白鯨をたたみかける。

 

「アル・ゴーアッ!!」

 

詠唱が重なり、生み出されるのは練り上げられたマナによる破壊の具現。空に太陽と月が同時に存在する矛盾の景色の中、低い空に第二の太陽が出現する。

それが火の魔法の火力を束ねたものだと理解してなお、高熱によって即座に炙られる世界の壮絶さから目を離すことができない。

 

大火球から逃れようとする白鯨だが、その体をいくつもの橙色の縄が縛り付ける。上空にいるストレンジがその掌を白鯨に向けると同時に、白鯨の体を拘束するかのように、縄状の魔術が次々に縛り付いたのだ。白鯨はその拘束から逃れようとするも、逃れれば逃れるほど体にきつく縛り付いていく魔術を解くのは至難の業だ。

 

ストレンジの魔術によって拘束された白鯨に向けて、直径十メートル以上に及ぶ大火球は瞼の内にある眼球の水分を奪い尽くそうと燃え盛りながら、その火球がゆらりと揺らめく初速を得ると、

 

「――うおおおおお!!」

 

即座に初速は加速へ変わり、大火球が横腹を向ける白鯨の胴体へ直撃――生まれた傷口から肉を焼き、熱を通して内臓を沸騰させ、白鯨の絶叫と爆音が明るい夜空へと轟き渡る。

 

砕け散った火球が燃える破片を平原に散らし、下を走る傭兵たちが慌てて避難。スバルとレムもそれに混じって遠ざかりながら、白い体毛を燃え上がらせる白鯨の姿を目で追い続ける。

その圧倒的な戦果――これ以上ない奇襲の成功に、白鯨は反撃すらままならない。このまま、なにも手出しさせずに被害ゼロで切り抜けられるのではあるまいか。

 

「かなり効いた感じがするぜ! このままいけるんじゃねぇか!?」

 

炎の余波が届かないところまで距離を開け、土煙を上げて停止する地竜の背中でスバルが快哉に拳を握る。

実際、ここまで白鯨を完全に押さえ込み、少なくないダメージを与えている。以前に編成された討伐隊の実力が足りなかったか、純粋にこちらの準備が万端でこのときを迎えられたからかは不明だが、早くも勝利を目前にしているような高揚感があった。

が、そんなスバルの言葉に対して、

 

「いいえ。――本当なら、今の奇襲で地に落としてしまいたかったです」

 

首を振るレムが悔しげに、空に浮かぶ燃えるケダモノを睨みつける。

彼女の言葉につられて顔を上げ、スバルは訝しげに目を細めながら白鯨を観察。白い体毛に燃え移った炎で全身を炙られ、身をよじっているが鎮火の気配はない。全身の至るところに斬撃や魔鉱石による負傷が広がっており、血を滴らせる姿は目に見えて痛々しいものがあった。しかし、

 

「高度が……下がってねぇ」

 

依然、白鯨の肉体は見上げた空の中にある。

ライガーの跳躍で届かない距離ではないが、それでも単身人が挑むにははるか高み。なにより、地に引き落とさなくては次の作戦に移ることができない。

 

「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったった。それでも落ちんゆうことなら、こら向こうのタフさが一枚上手やっちゅう話やな」

 

大ナタを肩に担ぎ、返り血に体毛を濡らすリカードが隣にくる。彼は犬面の鼻を鳴らし、ヒゲを震わせて白鯨を見上げながら、

 

「ひと当たりしてみた感じやと、分厚い肌の下に攻撃通すんは楽やないな。ワイの獲物みたいに力ずくか、ストレンジはんのごっつい高火力魔術か、ヴィルはんぐらいの技量がないとじり貧や」

 

「物理攻撃はそうかもだけど、ドクター以外の魔法攻撃も効いてる感じに見えるぜ?」

 

「それも微妙なところです。一見、派手に攻撃が当たっているように見えますけど、肌に生えている白い毛がマナを散らして威力を減衰させています。見た目ほど、レムの魔法も効いていません」

 

レムは口惜しげに、自分の最大火力の魔法が通じていないことを口にする。確かに白鯨の肉体には浅い傷が多数あっても、即戦闘に支障をきたす類のものがあまり生じていないのが見て取れた。だが少なくとも、

 

「さっきの火の魔法とドクターの魔術なら、白い毛を焼いて通ってるように見えるな。特にドクターの魔術、あれはマナのデバフを受けてないのか、かなり効いてる感じがする」

 

「魔力散らす毛ぇ焼いて、その下の炙った肌なら刃物で削れる――単純やな」

 

スバルの洞察にリカードが獰猛に牙を剥いて同意。既に上空の白鯨には真鉱石による第三波の砲撃が繰り出されている。

彼はそのまま大ナタを手に下げるとライガーの背を叩き、首をぐるりと巡らせて再び加速を得ながら最前線へ向かう。そのまま、

 

「第二陣や!とにかく、さっきとおんなじ感じで余力削るわ!クルシュはんにも、要所であのでっかい一発ぶち込むよう頼んどいてなぁ!!」

 

勝手な注文をつけてリカードは白鯨の下へ潜り込み、ストレンジが開けるポータルを潜って、白鯨の横腹にへばりつく。

見れば、一度は距離を開けたはずのヴィルヘルムも尾の方から白鯨の上を目指しており、スバルたちと同じ結論に達した討伐隊も速やかに行動に移っている。

即ち、総攻撃の継続だ。

 

「現状だと火力が集中してっから、近づいてくと逆に俺らが邪魔になるな。レム、魔法はぶち込めねぇのか?」

 

「さっきと同規模だと詠唱に時間がかかるのと……やっぱり、マナが散らされてレムの魔法ではダメージが通りません。あれ以下の威力ではそもそも火力不足ですから」

 

先ほどのリカードにならえば、レムもまたモーニングスター片手に最前線へ飛び込み、力ずくで岩盤じみた肉体に物理攻撃を加える方が可能性があるだろう。

しかし、それをさせるにはスバルが枷となり、そしてこのあとのスバルの立案した作戦行動に沿うのであれば、ここでレムとスバルが分断されるわけにはいかない。

 

「悔しいけど、動きがあるまで見てるしかねぇのか……!」

 

「歯がゆいのはこっちもおんにゃじにゃんだけどネ」

 

言いながら、スローペースで走るスバルたちの地竜の隣に別の地竜が並ぶ。地竜用の装甲を装着し、重装備の地竜にまたがるのはフェリスだ。

彼は悪戯に目を細めてスバルを見つめながら、

 

「攻撃手段に乏しいフェリちゃんは基本見てるだけだし? 慣れてるって言えば慣れてるんだけどー、歯がゆい気持ちはいつもあるよネ」

 

「その分、お前は回復特化の討伐隊の生命線だ。前に出てもらっちゃ困る。その役割だけびしっとこなしてくれ!頼むからよ」

 

この期に及んで普段の態度を崩さないフェリスにスバルはそう応じる。そのスバルの答えにフェリスは「およ?」と少し驚いたように首を傾け、

 

「心境に変化とかあった感じがするネ、スバルきゅんてばなにがあったの?」

 

「しいて言えば、傲慢な誰かさんのおかげでちょっとマシな男になったんだよ」

 

動く戦況に目を走らせながら、スバルは苦い思いを噛んで仏頂面で答える。フェリスはその答えに「ふーん」と唇に指を当てて頷き、

 

「ドクターとレムちゃんがひょっとして、スバルきゅんをまともにしたのかにゃ?」

 

フェリスが親指を立てて下品に笑う姿にスバルはムッとする。そんな場合か、と騎士を怒鳴りつけようかとスバルは口を開きかけたが、

 

「ヴィルヘルム様が――!!」

 

レムの叫びに視線が慌てて前へ戻り、白鯨の背を走る老剣士の姿を捉える。

 

剣を下に向けて縦に構えたヴィルヘルムが、その刃で白鯨の背を縦に裂いていく。尾から背にかけてを駆けるヴィルヘルムの影を、遅れて噴き出す鮮血がまるで噴水のように追いかけていくのが見えた。

 

獅子奮迅の活躍とはまさにこれであり、ヴィルヘルムの単身とは思えない斬撃の冴えに討伐隊の士気が高まり、連続する魔鉱石の投擲と傭兵団のライガーによる集団戦術が勢いを増す。

 

加えて、白鯨の進行する先にはいくつかの魔法円を展開するストレンジがいる。彼が両腕をクロスさせた後、左手を引くと同時に突き出す同時に突き出した右手の動きに合わせて長剣が魔法円から大量に出現し、高速で白鯨の鼻先に向かう。

 

避けることができない剣は、白鯨の毛を貫きその下の皮膚に突き刺さった。マルチバースからエネルギーを得ることで形成される魔術は白鯨のマナを散らす効果をものともせず、確実に白鯨に出血を与えたのだ。

加えて突き刺さった剣は、すぐに魔術が解けるようになっていたため、剣が消えることで開いた傷口から更に出血をもたらす。

 

中空で痛みに悶えて、途切れ途切れの鳴き声を上げる白鯨はまったくそれらに対応できていない。

霧の魔獣――長きにわたって世界を苦しめ続けてきた異形のその哀れな姿に、スバルは風向きがこちらへの追い風となっているのを確信した。

 

「ちぇぇぇぇぇぃぃぃっ!!」

 

気合い一閃、ヴィルヘルムの剣撃が白鯨の頭部までを縦に割り、駆け抜ける老躯が白鯨の先端から軽やかに飛び立つ。そして白鯨の巨大な左目に深々と剣を突き刺したことで、眼球の奥からは水晶体が流れ出した。

眼球が潰されたことによる激痛に悶える白鯨に対し、ヴィルヘルムはそのまま中空で身を回すと、剣を地面に向けて頭から突っ込む。

 

スバルが思わず地面にぶつかると、目を逸らす直前、地面にポータルが開くとと共に、白鯨の潰された左眼球と同じ高さの空中にも、同じようにポータルが現れる。

 

「はぁぁぁぁっっっっっっ!!!」

 

地面に開かれたポータルを通過したと思えば、その直後、空中に開かれたポータルからヴィルヘルムの体が射出される。落下時に加速された速度に乗ったヴィルヘルムはそのままなんの抵抗もないまま、再び白鯨に襲い掛かった。左目が潰されている白鯨からすれば、突如あり得ない側面からの攻撃に遭うのだから溜まったものではない。

右手に構えた剣が白鯨の眼球を抉るべく荒れ狂う。

 

「――――ッ!!」

 

高速で白鯨の眼の淵に剣を突き刺したヴィルヘルムは、瞬時に眼の淵を回るように斬り裂いた。即翻る刃がその傷口を深く削り、

 

「左目が落ちる――!」

 

四隅を深々と抉られ、遂に白鯨の左の目が切り落とされた。

誰かが口にしたそれが現実になり、落下する目は赤い血と白い体液をぶちまけながら、すさまじい轟音を立てて地面を砕いて着弾する。

半瞬遅れて、その地に落ちた眼球の真横にヴィルヘルムが着地。彼はそのまま転がる眼球に剣を突き立て、それを真上にいる白鯨に見えるよう持ち上げると、

 

「――無様!」

 

と、口の端を持ち上げて凄惨な笑みで一言を告げた。

 

剣鬼の壮絶な戦いぶりに、翻弄される白鯨には為す術もない。見事に眼球ひとつ抉られ、その戦闘力の差は肉体の大きさに左右されていないのが歴然だ。

だが、その挑発行為は、

 

「白鯨の目の色が……!」

 

「くるよ!!」

 

「スバルくん、頭を下げていてください――!!」

 

その変化に気付いた瞬間、フェリスが叫び、レムが地竜を加速させる。

風を浴び、急加速に振られる体を慌てて固定し、スバルは激しい揺れの上で白鯨の姿を目に焼き付ける。――その変化、その変貌、それは。

 

「――――!!」

 

咆哮を上げ、片目を抉られた怒りに残る隻眼が真っ赤に染まる。その咆哮は討伐隊の耳を貫く轟音となって周囲に響き渡り、スバルやレム、ヴィルヘルムは勿論、後方にいるクルシュや防御用の盾を展開しながら空中に待機するストレンジにも、鼓膜を破るように耳に届いた。

 

血色に染まった目で眼下を睥睨し、轟音に耳を塞ぐ討伐隊の方へと体を傾ける白鯨。そして、白鯨の肉体に変化が生まれる。

 

――最初にそれが生じた瞬間、スバルは言葉にし難い嫌悪感を堪え切れなかった。

 

白鯨の口が開いたのだ。

否、その言葉は正しいようで正しくない。事実を正確に告げるなら、こうだ。

 

――白鯨の全身から無数の口が生じ、それが一斉に歯を剥き出して開いたのだ。

 

「――――ッ!!」

 

金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。

その咆哮に人間はもちろん、地竜やライガーといった動物たちまでも背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませ、自然、無防備をさらす獲物へと変える。

 

そして、

 

「――――ぁ」

 

 

白鯨の全身の口という口から、世界を白に染め上げる「霧」が放出される。

それは瞬く間に見渡す限りの平原に降り注ぎ、確保したはずの光を世界から奪い、真っ白に塗り潰していくーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はずであった。

 

「な!?」

 

「ドクター!何する気!?」

 

スバルやフェリスが驚くその先。危機的な事態に陥ると察知し、空中から地上に降り立ったストレンジがいる。

討伐隊と白鯨の中間地点に降り立った彼は迫り来る霧に向かうと、クロスさせた両腕を勢いよく展開し、その掌を霧に向けた。両手首に回転する3つの魔法陣を出現させたストレンジは、展開した右手を霧に向けたまま、左手を掬い上げるようにゆっくりと持ち上げ始める。

掌から強力な風を送る彼の魔術は、迫り来る霧を捉えると、巨大な竜巻の中に霧を取り込み始めた。

魔術と同じオレンジ色の光が迸る竜巻に吸い込まれた白鯨の霧は、ゆっくりと白鯨に向けて接近する。それは討伐隊の面々は勿論、霧を生み出す白鯨さえも驚かした。

 

それまで誰も制御できなかった白鯨の霧を、簡単に出現させた竜巻に巻き込むという前代未聞の方法で操ったのだ。驚かないという方が無理な話である。

 

「なるほど……卿の力は知っているつもりでいたが、まさかここまでとは……!」

 

クルシュは自身の体が震えていることに気づく。それは恐怖や驚きからではなく、最大の脅威である白鯨の霧を操るという前人未到なことをやってのけてしまったストレンジへの興奮からだ。

 

「最大の脅威である白鯨の霧を抑え込めることができるということは、奴は霧に紛れることはできず、その体を空間にさらけ出し続けることになる。ならば、我々はドクターが霧を抑え込んでいる間に攻撃を続けるまでだ。総員、攻撃を続行しろ!我々はまだ絶望の淵に立たされたわけではない!」

 

 

――「霧」の魔獣の咆哮と、討伐隊の鬨の声が戦場にこだまし、より討伐戦は苛烈化する。

 

 

白鯨討伐戦、その優勢はいまだに消えず――。




さて、白鯨攻略戦第一弾でしたがどうでしたか?

皆様のご期待に添えたものを作れたか不安ですが、もしも喜んでいただけたのならこれ以上名誉なことはありません。

もしも白鯨攻略戦や、その後の展開、ストレンジの魔術について何かアイデアがありましたら、遠慮なくご寄せください。参考になる意見がありましたら、それらを採用していこうとも考えています!
特にストレンジの魔術に関しては、一人で考えているといずれかはネタ切れを起こしそうなので(てか、ストレンジの魔術を、モーションを含めた上で考えている脚本家さんって、やはり偉大なんですね)

次回も続きます、それでは!


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四十五話 霧と強大なる脅威

皆さん、こんにちは!

モービウスにムーンナイト、巷ではファンタスティック・ビーストにコナン、そして1ヶ月後にはドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネスが公開を控えています。

いやー、楽しみですねえ〜。


白鯨が切り札の一つである「霧」の放出を実行してなお、戦況は討伐隊の優勢で進んでいた。

本来であれば、体から放出される無数の霧が街道を覆い尽くすとともに、それに身を隠し討伐隊の目を眩まそうとしていたにも関わらず、白鯨の作戦は見事に失敗したのだ。

白鯨の思惑を打ち砕いたのは、誰であろうストレンジの風を操る魔術だ。手から放たれる波動によって風を起こすこの魔術は、嵐を沈め激流を操るのが本来の使い道なのだが、それを応用し今回の白鯨の霧にも使用したのだ。

 

彼の手から放たれる波動によって送り込まれた風が霧を捉え、風の柱の中に霧を抑え込んでいく。その光景に討伐隊の面々は、鬨の声を上げ再び白鯨に向かって立ち向かっていった。

 

四度目の魔鉱石による砲撃が、固まる白鯨に直撃しヴィルヘルムやリカードに率いられた軍団が再び白鯨に喰らいつく。

ストレンジのサポートがなくとも超人的な身体能力を持つヴィルヘルムや、跳躍力に優れたライガーを乗りこなすリカード達は、自力で白鯨まで飛ぶと剣を白鯨の体に突き刺し、そして切り刻んでいく。

 

「まさかあの厄介な霧まで操るとは!誰にも出来ないことをやってのけたその力、まさに「至高」でしょうな!」

 

「全くや!やっぱ噂に漏れず、中々にええ腕しとるな!お嬢がこの光景を見とったら、喉から手出るほど欲しがるはずや!」

 

白鯨の体を全速力で駆け抜けるヴィルヘルムと、ライガーに乗りながら彼に並走するリカードは、頭部から尾にかけてを一直線に切り刻みながら進んでいく。

特にヴィルヘルムは、ストレンジの魔術に動揺し、一瞬の隙を生んだ白鯨の体を獰猛な笑みを浮かべがながら切り裂いていった。

 

「どうした、あの方の魔術に魅了でもされたか?だとしたら実に結構!そのまま体を晒し、遠慮なく切り刻まれていくといい!」

 

 

 

 

 

「すっげえ!あの霧を抑え込みやがったぞ!」

 

「……信じられません。あの量の霧をどうやって……?あの竜巻のような魔術、あれを発動するだけでもかなりのマナを消費するはず……」

 

白鯨の鼻先を回って攪拌する作業を続けるスバルとレム。ストレンジの魔術に眼前に見て、興奮冷めないスバルはずっとストレンジと、彼が操る白鯨の霧から目を離せずにいる一方、地竜の縄を握るレムは時折ストレンジに目を向けてはあり得ないと言わんばかりの驚きの表情で見つめていた。

 

「ドクター様はエミリア様のようにマナを操ることを得意としている……?だとしても、大量のマナを酷使し続ければハーフエルフのエミリア様は兎も角、人間であるドクター様のゲートは崩壊するはず。しかも、既に魔術を行使してもなおーー」

 

「レム?大丈夫か?」

 

「い、いえ、なんでもありませんスバルくん。今は白鯨との闘いに集中すべきですね」

 

縄を握りながら何やらブツブツと自問自答しているレムを心配になったスバルが声をかけた。すぐに笑顔になったレムは勢いよく手綱を引き、地竜を勢いよく走らせた。レムの言っていたことを聞き取れなかったスバルだが、白鯨の霧を取り込み続けるストレンジの魔術の許容限界がそろそろ近づいていることも認識していた。

 

「白鯨の霧を操るってことは、相当MPを削ってるはずだ。だとしたら、いくら魔術に優れたドクターでも限界が来る。魔術が解かれれば、竜巻の中に閉じ込められている霧が一気にこの戦場に流れることになって、俺たちは霧の中に閉じ込められることになる。それまでに短期決戦で済ませなきゃ行けないってことか……!」

 

「はい。……ですが、それまで白鯨が待ってくれるか」

 

現在、白鯨はストレンジの魔術によって霧が封じ込まれ、その隙を突く形で切り掛かったヴィルヘルムやリカードらによって体を蹂躙されている真っ最中だ。だが、400年も討伐されずに世界を恐怖に陥れてきた白鯨がこの程度でやられるはずがない。恐らく早めに次の一手を打ってくるはずだ。

 

「頼むぜドクター、もう少しだけ踏ん張ってくれよ……!」

 

 

 

 

 

白鯨の霧を抑え込むストレンジだが、その表情は険しいものがあった。元々、嵐を沈める効果がある「ワトゥームの風」の力は強大であるが故、行使者の消耗も大きく、加えて白鯨の隙を突く形で攻撃するヴィルヘルムやリカード、討伐隊の副隊長を務めるコンラッドの攻撃以外、他の討伐隊の面々の攻撃が届きにくく与えられるダメージが少ないことから、彼らの攻撃タイミングを作り続けるため、余計に長く魔術を維持しなくてはならなくなっていた。

 

彼の表情は次第に厳しくなり、それは近くで戦っているクルシュにも伝わっていた。

 

(ドクターの魔術の限界も近い。やはり、あれだけの霧を閉じ込めるには限界があるということか。だとすれば早期に決着を図る以外道はないが……現状の戦力では決定的なダメージを与えられる者は限られている。どうするか)

 

霧を捉える竜巻は、取り込む霧の量と共に次第に拡大しており、魔術を維持するストレンジの表情の険しさが増しているのは、拡大する竜巻を魔術で維持することが厳しくなっているためだ。

 

ふと、正面に対峙する白鯨の体が竜巻によって覆い隠されたその時ーー、

 

「退避だ!今すぐこの場から全員離れろ!」

 

魔術を展開していたストレンジの怒号が戦場に響いた。彼の叫ぶような尋常ではない声に即座に反応したのは彼の後方で指揮を執るクルシュと、白鯨の体を切り裂いていたヴィルヘルムだ。

言い知れぬ不穏な気配、そして事態が大きく変化することを本能で察したクルシュは直ちに退避の号令を出そうとする。

 

「総員、退避ーー」

 

「見ろ!白鯨の体が!」

 

討伐隊の誰かの声に一同が顔を上げたその瞬間、白鯨の体が膨らんだかと思えば、白鯨の大地を揺るがす咆哮と共に白鯨の全身から、霧が勢いよく噴き出した。

 

「ぬっ!霧の一斉噴射か!」

 

「いかん!退避や!退避しろーー!」

 

白鯨の異常をすぐ近くで感じ取ったヴィルヘルムとリカードは霧の噴射直前の体の膨らみに気づくと、急いで白鯨の体から飛び降り地上へ降下した。リカードの号令で白鯨に飛びついていた他の傭兵団の面々も飛び降りるが、そのコンマ1秒遅れる形で噴き出した霧の噴射が彼らを襲った。

 

それと同時に白鯨は口膣から霧のブレスを勢いよくストレンジ達のいる前面へ吐き出された。白鯨の渾身たる一撃は、「ワトゥームの風」によって作られた竜巻を貫通し、霧を通り抜ける形でストレンジやクルシュ達を直撃した。

クルシュらは咄嗟に退避行動するも、逃げきれなかった何人かは白鯨のブレスに巻き込まれる。

そしてストレンジは、彼自身は盾を生成し白鯨の攻撃はやり過ごすも、波動を送り込む「ワトゥームの風」が白鯨の邪魔によって解かれてしまったことで竜巻が消失し、中に閉じ込められていた霧が一気に解放されることになった。

 

魔術による制御を失った霧は瞬時に、周囲一帯を埋め尽くし始める。それまで明るかった空や周りの景色は厚い霧に覆われていき、夜払いの効果も薄くなっていった。また、周囲は霧のせいで視界が一気に狭まり、ろくに仲間の状況も確認できなくない。

ここに、討伐隊に白鯨討伐の難易度が一気に上がることを指し示したのだ。一方、反撃に成功した白鯨は霧の中にその巨大な身を隠し、討伐隊の視界から姿を消すことに成功する。

 

 

 

 

 

「やべ!霧が……ッ!」

 

金切り声を発しながら、同時にストレンジに隙を生ませた白鯨の無数の口から「霧」を吐き散らされる。街道の広範囲にわたり、空から降り積もる霧の浸食が世界を侵し、その視界を徐々に徐々に白みがかったものへ塗り替えていった。

 

今まで抑え込まれていた「霧」の魔獣の本領発揮がついに始まった。街道に霧が満ち、視界が覆われて個々の連携が噛み合わなくなる。なにより、その白い体は見上げるほどの巨躯でありながら、霧が生む白い海の中に溶け込むように消えていくのだ。

 

「くそっ!想像よりも早く仕掛けてきたか!」

 

「――スバルくん、レムに命を預けてください!!」

 

空を睨みながら語気を強めるスバルの前で、身を前に傾けるレムが叫ぶ。スバルはそれに対する答えとして、前に座る彼女の腰に深々と身を沈めて抱き着いた。

地竜がレムの素早い手綱さばきに従って身を回し、地を削りながら疾走を開始。白鯨がストレンジの魔術を無理矢理解き、戦闘状態に入ったとなれば反撃は必至。当然、負傷者が出ることは避けられない。

 

「多分ドクターは生きてるだろうけど、他の討伐隊の面々はーー!」

 

「――総員、退避!!!」

 

霧の向こう側から怒号が響き、白い闇に飛び込もうとしていたこちらを牽制する。聞こえた声は聞き間違いようのないクルシュの声だ。なにを、とスバルが顔を上げようとするより早く、

 

「うお!?」

 

一瞬の判断で地竜の進行方向を変え、遠心力に振り回される身が左へ移動する。その右を――濃密な質量を伴う霧が一気に吹き抜ける。先程、ストレンジの魔術を強引に解かせることに成功した白鯨が続けて第二射を行ったことで、目を封じられ逃げ場を失った討伐隊は次々とその攻撃に遭っていた。

 

押し寄せる霧の範囲は視界を覆うほどで、回避が一瞬でも遅れれば地竜もろともにスバルたちを呑み込んでいたことは間違いない。

 

霧は撫でた平原の地面を溶かすように抉り、その進路上のものを根こそぎ腹に収めて文字通りに霧散している。

もしもアレを浴びていれば、この世のどこでもないところへ消されていただろう。

 

「これがマジもんの「霧」……ッ」

 

白鯨の恐ろしさについて、事前に討伐隊のブリーフィングで知らされた幾つかの内容。そのひとつが、この破壊を伴う「霧」の威力だ。

白鯨の口腔より放出される霧は二種類あり、ひとつは純粋に視界を覆い、自身の行動範囲を拡大させるための拡散型の霧。そしてもうひとつが、たった今、目の前でごっそりと大地を消失させた消滅型の霧だ。

 

攻撃手段として白鯨が利用するのが後者であり、その霧の恐ろしさはストレンジの魔術でも防ぐことが難しい威力と甚大な被害はもちろんだが、真の脅威は別のところにある。

 

「――――せぇい!!」

 

気合い一閃、勇ましい声が霧の彼方から届き、次の瞬間に視界を覆っていた霧が打ち払われる。

晴れた視界の向こう、地竜の背に立つクルシュが剣を握った腕を振り切った姿勢でいた。加護の応用で、充満した霧を切り裂いて視界を確保したのだ。

 

彼女は汗の張り付いた額を乱暴に拭い、走る地竜の背に腰を落とすと周囲を見回す。その彼女を目印としたように、散り散りになっていた討伐隊が集まってくると、その先頭を走る面々にクルシュが口を開き、

 

「――何人がやられた?」

 

「我が隊の隊員数は十三名――二人、足りませぬ」

 

「……誰がやられた」

 

「わかりませぬ……!」

 

クルシュの問いかけにコンラッドが応じ、続く問いかけに首を振る。隊員の数を把握しているであろうコンラッドが、それでもなお脱落した隊員の素姓がわからないと言うのだから。

 

「こちらは十四名、一名が脱落」

 

「五名が不明です、申し訳ありません! 位置深く、霧を避けられませんでしだ……!」

 

同様の報告が他から次々と上がり、いずれの小隊長も消えた仲間の名前が出てこない。

その異常事態こそが、白鯨の操る「霧」の本当に恐ろしい部分だ。

 

「これが……消滅の霧……!!」

 

文字通り、「霧」を浴びて消失した存在は、その存在ごと世界から消えてしまう。

誰が消失してしまったのか、事実は残っても誰の記憶にもそれは残っていない。クルシュが討伐隊の各小隊を、ぴったり十五名ずつに揃えた真意はそこにあった。

「霧」を浴びて小隊が欠員した場合、誰がやられたのかすらもはや分からない。その欠けた事実だけは認識するために、小隊の数は揃えられている。

 

「なんで……俺だけが、覚えてる……」

 

にも関わらず、スバルはその疑いようのない現実を口にした。白鯨によってこの世から存在自体が消されたのにも関わらず、彼だけが消された人々の存在を確固に覚えていたのだ。世界の理から外れたように、一人覚えていることにスバルは疑問を思わざるを得ない。

 

「霧にもぐられた以上、奴がどこからまた消しに来るかは分からない。密集しているのも下策だ。――散開し、霧払いの結晶石を使うぞ」

 

集合する討伐隊の面々を見回し、クルシュが手短に話し合いを区切る。全員がそれに首肯するのを見届けながら、スバルはその場にヴィルヘルムやリカード、それにストレンジらの姿がないことに気付いて目を見張った。

 

――まさか、あの三人までも消失したのではあるまいか。

 

「戻ったか、ヴィルヘルム」

 

が、そんな彼の内心の戦慄は、霧の向こうから姿を現した影に否定される。

濃霧の奥から、地竜の背で血に濡れる剣を振るうヴィルヘルムと、彼の背後にいるライガーの群れが姿を現した。白鯨の体に取り付いて戦っていたが故に、かえって被害を少なくこの場に帰還していたのだ。そして、上空からもマントを靡かせたストレンジが降下してきた。彼も、白鯨の奇襲を受けたとはいえ、攻撃直前に察知し魔術を展開して防御したことで、消滅の霧の攻撃を凌ぎきっていた。

 

「先走り過ぎました。――被害の程は?」

 

「合わせて十二名……小隊の半分が消滅した形だ。倒れた者達の名誉すら、もはや正しく守ることは叶わない」

 

消失は文字通り、存在の抹消。それは例え、「至高の魔術師」であろうと逃れられない運命だ。誰の記憶にも残らない人々が、そこにいたのだろうという空白だけ残る。

そこにそれまであったはずの絆や想い、愛はどこへ消えるのか。

 

「厄介な霧が出てしもたな。霧払いの結晶石の数は心もとない。……ストレンジはん、この霧を払えるような魔法はあるかい?」

 

「ああ。元々、「ワトゥームの風」は嵐を沈めるための魔術だ。この周辺の霧なら、問題なく払えるだろう。だが、白鯨の居場所を見つけ出すことまでは出来ない。あとは、人の目だけが頼りだ」

 

「ドクターのその魔術は霧を払うだけでいい。恐らくもう一度、同じだけの集中攻撃が通れば地に落ちるはずだ。姿を見失っている以上、奇襲を避ける意味でもここが使いどころだろう」

 

クルシュの言葉に全員が無言で肯定を表明。それらを受けて彼女が頷き、

 

「ここからが正念場だ! 白鯨に我らの攻撃が通じるのは卿らの手の中に残る手応えが証明している! 確かに奴は強大だ。得体が知れぬ。我らの死は最悪、誰の記憶にも残らぬかもしれぬ。だが!」

 

カルステン家の宝剣を空にかざすクルシュが声を高らかに叫ぶ。

 

「墓標に名を残せなかった死者のためにも、この先の世界で霧の脅威にさらされるだろう弱者のためにも、我らは犠牲を払おうとも奴を討つ――ついてこい!!」

 

「――――おお!!」

 

各々が武器を空に掲げて、一斉に快哉を叫ぶ。

すさまじい士気の高まりが霧を震わせ、沈みかけた戦意に着火して猛らせる。

 

続けてストレンジが、先程と同じように手首に三本の魔法陣を出現させ、今度は左手の上で右手を複数回回し始める。そして左手の上にある程度波動が溜まったのを確認した彼は、それを一気に上空に解き放った。

 

「霧が、晴れる――!!」

 

オレンジ色の波動が周囲の空間を伝わると、霧は巻き上げられるように上空に上がっていく。波動が霧を押し上げ、周囲を覆っていた霧を徐々に遠ざけた。だが、平原の四方を覆い尽くした霧全てを払うことができたわけではない。

周囲の霧を払い、視界確保すら難儀にした状態を解消したに過ぎない。が、それだけでも十分な効果だ。

 

「ドクターの魔術でも霧全部を消すには足りない、か」

 

「代わりに、こちらの魔法には影響ありません。レムも万全です」

 

小さく拳を固めるレムが、額の上にある角を光らせてそう答える。彼女を取り巻くマナが満ちる感覚を肌に味わい、スバルはレムが再び魔力を練り始めていることに顎を引いて、

 

「――っしゃぁ! ビビってられねぇ。ここまでなんの役にも立ってねぇんだ。そろそろ俺らの出番といこうじゃねぇか!」

 

「はい! 行きます!」

 

地竜の首下で手綱が鳴り、嘶きに合わせて揺れが弾む。

走り出す地竜の背中でレムの腰に掴まり、霧の薄れた頭上を白鯨を求めて視線をさまよわせる。

 

クルシュの号令で再び上空に舞い上がったストレンジや、地竜に乗る他の討伐隊もそれぞれ散開しながら巨躯を探して視線を走らせ、いつ戦端が切られるかわからない緊張感の中、白鯨の出現に備える。

白鯨の出現が依然わからない。それは戦いが始まる前の、深淵の闇の中で白鯨の出現を待ち構えていたときの感覚にも似ていて、

 

「――霧」

 

嫌な予感がクルシュ、ストレンジ、そしてスバルの脳裏に走った。

スバルやクルシュにとってその予感にこれと言った根拠があったわけではない。様々な原因やこれまでの事象を含めて、その不安は降って湧いたのだ。

 

一方、ストレンジにとって、予想した勝利へと辿り着く過程において、彼らの前に立ち塞がるであろう攻撃に警戒を強めていた。

精神耐性の強いストレンジやスバルは兎も角、他の面々に、白鯨の精神を蝕む攻撃に耐えられるかは天性の問題であり、どうこうできる問題ではない。来るであろう攻撃に念のため、防御用の魔法盾を展開しようとしたその時ーー、

 

「――――ッ!!!」

 

霧の薄まったリーファウス街道に、高い高い咆哮が響き渡る方が速かった。

そして、狂気が伝染し始める。

 

 

 

 

 

最初に異変が生じたのは、スバルの隣を並走していた地竜の一団だ。

 

甲高い咆哮はそれまでの白鯨のものと違い、低く大気を鳴動させるものではなく、鼓膜を尖った爪でメチャクチャに掻き毟るような不快感を伴っていた。

背中に鳥肌が浮かぶような音の暴力にスバルが喉を鳴らし、レムすらも体を強張らせる中、ふいにスバルはその異変に気付く。

 

「おい! どうした!?」

 

隣や後ろを走る地竜から、バタバタと騎乗者が振り落とされているのだ。

異変に気付いたレムが地竜をUターンさせ、騎手を失って右往左往する地竜の中を抜けて、スバルは転落した男たちのところへ向かう。

 

「大丈夫か!? 落馬するとただのケガじゃ済まねぇって……」

 

その負傷の度合いを憂慮して声をかけ、スバルは言葉を思わず途切れさせる。彼らの状態が、負傷の深度をうかがうといった次元になかったからだ。

 

泡を吹き、白目を剥いて痙攣している者、呻き声を上げて涎を垂らし、必死に自分の腕を掻き毟って血を流す者、痛みに耐えるように歯が砕けるまで食い縛り、頭を地面に打ち付ける者がいる。

 

正に狂気に苛まれた地獄絵図がそこに広がっていた。

 

「これは……どうなってんだッ!?」

 

「精神に、直接……マナ酔いに似ていますけど、もっと悪質な……!ひどい……!」

 

額に手をやりそう答える少なからず害を受けているのか、苦しい表情をしている。

その言葉にスバルは「マナ酔い……」と小さく口にして、それからハッと顔を上げると周囲を――霧を見やり、

 

「まさか、この霧の効果か……!?」

 

視界を埋め尽くすほどの霧で敵勢を取り囲み、回避不能の状態から全体異常魔法。その威力は予想を凌駕する凄まじいものだ。

 

被害を受けたのがスバルたちの周り数名であるとは思えない。事実、視界に届く限りを見渡せば、あちこちの一団も同じように足を止めている。

 

「純粋な火力では勝てないと踏んだでの精神への攻撃か。単純に突っ込むだけの能無しと思っていたが、厄介だが多少の知恵は持っているようだ」

 

「ドクター!そっちも無事だったんだな!」

 

「ああ、……なるほど、精神が図太い人間は大丈夫なようだな」

 

「それはドクターにも言えてるっての。それよりも、この攻撃には耐性のある奴とない奴がいるんだな。俺もなにも感じねぇけど」

 

「レムは過剰なマナの密度で少し……今、落ち着きます」

 

降りてきたストレンジは何ともないのか、スバルと同じく平然と辺りを見回している。だが、その表情には楽観的なものは一切ない。

苦しんでいたレムは、深呼吸で落ち着くとスバルは地竜から降り霧の影響下にある彼らの下へ。せめて、自傷行為だけでも止めさせようとするが、

 

「おい! それ以上はやめろ! 傷が……うお!」

 

「あああ! あひひひああああ!」

 

止めようと腕を差し伸べたスバルだが、その二の腕あたりを手加減なしに引っ掻かれる。肉が浅く抉られる痛みに呻き、スバルはとっさに飛び退いて距離を取った。

男はそれ以上追わずに自身への攻撃を再開し始めた。血が散り、すすり泣くような声が連鎖する。

 

「これはかなりヤバいんじゃねぇのか? 下手すると死ぬまでやめないぞ、これ!」

 

「スバルくん! 傷は!?」

 

「ちびっと泣きそうに痛いけど大したことない! それより、これをどうにかしないとみんな自滅しちまう!どうにかならないか?」

 

気を落ち着けたレムにそう聞くが、彼女は地で悶える騎士たちを見ると難しい顔で首を横に振り、

 

「残念ですが、レムの治療では効果はどこまであるか……。単純な外傷だけならともかく、ゲートを通して直接内側に干渉しています。ここまで強力なマナ汚染は、フェリックス様ぐらいの腕がないと……」

 

「そもそも、この精神汚染ってどれぐらいレジストできてんだ? こっちは俺とレム、それにドクター以外はほぼ全滅だぞ!?」

 

スバルたちと同じ方向に向かっていた一隊はほぼ壊滅――小隊長と二名だけが無事の様子で、スバルたちと同じように自傷する仲間を止めようと躍起になっている。十名ほどの半数以上が汚染されたとなると、その効果の程は、

 

「肝心のフェリスが汚染食らってたら完全に詰みだぞ、どうする……」

 

「ーーここは、私に任せろ」

 

不味い状況に顔を顰めるスバルの背後から、ゆっくりと歩み寄っていたストレンジが語りかけた。振り返ると、彼の右手には複雑な紋様が描かれた魔法円が浮かんでおり、何やら特殊な魔術を準備している。

 

「ドクター、それは?」

 

「「セラトムの魔法陣」。人の精神を強制的に安定化させ、対象を眠らせることのできる魔術だ。白鯨の気味が悪い霧にも対抗できるだろう。これを使って今、発狂状態にある兵士たちを眠らせる」

 

そう言い、ストレンジは自身の周囲を囲うように魔法陣を出現させると手を上下左右規則性に動かす。それと共に魔法陣は輝き始め、周囲を橙色に照らし始める。

 

「動けるものは負傷者を大樹の根に! 多少の実力行使はやむを得ん!」

 

ストレンジの魔術が展開される傍ら、濃霧の向こうでクルシュの声が上がり、応じる声も立て続けに聞こえる。彼女は汚染の影響を受けていないらしいが、それでも事態を収めるのに懸命になっているのが声から分かる。

全体攻撃の指示の直後の方針転換だ。歯がゆい感情が声ににじみ出ているのが伝わり、スバルは即座に戦闘不能状態に追い込むでもない白鯨のやり口に怒りすら抱く。

 

「殺すよりケガ人出す方が戦線を崩壊させやすいってのは聞いたことあるが……それを怪物がやりやがるかよ……!」

 

「フェリス様は無事のようです。あの方の治療が全体に回れば、少なくとも汚染の効果は剥がせるはずですが……」

 

口ごもるレムの言いたいことはスバルにもわかる。

重要なのはそれでフェリスや、今正に負傷者の狂気を止めようとしているストレンジの手が塞がってしまうことと、負傷者を回収するために手が割かれること。そしてなにより――、

 

「時間が足りない。フェリスの治療が全員に回るまで、そしてドクターの魔術が完成するまでの間、ずっと無防備に鯨の攻撃を待ってるわけにはいかねぇぞ」

 

「最悪、白鯨は集まったこちらを丸ごと霧で呑み込むかもしれません。そこまで知能があるとは思いたくありませんが……この状況を作ってきた以上、楽観は」

 

「本能でやらかしてきてる可能性もあるが……いや、どっちにしろ、野生の狩りのやり方は舐めてかかれねぇ」

 

危険覚悟でクルシュは討伐隊をまとめ、フェリスに治させる覚悟だ。当然、ストレンジも魔法陣を完成させられれば、負傷者の運搬は他の者に任せることですぐに現場に戻ってこれる。

だが、それまでの時間稼ぎになにかしらの打開策を放たなければならないことは誰もが理解している。

 

「――ふぅ」

 

スバルは息を深く吐き、肺の中を空っぽにする。限界まで酸素を体から取り除くと、自然と窮屈になる胸の中――心臓の鼓動がゆっくりと、確かなリズムを刻んでいるのが自分でわかった。

 

意外なほど、落ち着いているの自分。いつだって状況に流されるままで、目の前の事態に翻弄されては、スバルの心情を反映するかのように鼓動は暴走を繰り返していたものだ。

それがどうして今、決断を前にこれほど落ち着けているのか。

 

「……借り物でも、勇気は勇気ってことか」

 

胸を叩き、スバルは大きく息を吸い込む。一度止めて、目をつむり、それから息を吐きながら目を開く。前を向く。正面、地竜に乗るレムがスバルを見下ろしている。

彼がなにを言うのか、なにを望むのか、待ち望むように。

 

「レム、一番危ないところに付き合ってくれ」

 

「はい。――どこまででも」

 

スバルの頼みにレムは躊躇なく、微笑みすら浮かべて受け入れた。それを受けてスバルは地竜に駆け寄り、その背に飛ぶようにまたがると、地に残って暴れる仲間たちを制する騎士たちへ、

 

「俺とレムが白鯨を引きつける。その間にあんたらはフェリスの治療を受けてくれ。大丈夫そうな奴らはフェリスに預けたあと、合流してくれ!」

 

「引きつける!? いったい、どうやって……」

 

「こうやるんだよ」

 

疑惑の声を上げる老兵に笑いかけ、スバルは息を吸い込んで喉を開け、

 

「――聞こえる奴らは耳を塞げ!! それどころじゃない奴らはそのままで!!」

 

全力の発声が霧の中に響き渡る。

そのスバルの怒号をレムは心地よさげに聞き、それから両耳に手を当てる。手近なところにいた騎士たちも慌てて耳を塞ぎ、おそらくはスバルの声が届くところにいた討伐隊の面々も同じように耳を塞いだはずだ。

 

作戦前のブリーフィングで、スバルが頼み込んだ通りに。

 

「――俺は「死にーー」

 

それを口にする瞬間、湧き上がる恐怖がスバルの心胆を絡め取る。目論見が外れて、もしもあの黒い魔手が周囲の仲間に、目の前のレムに手を伸ばすようなことがあれば――。

 

「愛してる」

 

それは耳元で囁きかけられるような、弱々しい小さなか細い声。しかし、そこに込められた胸を震わせるような、熱のこもった情は何か。

思わず目の端に涙が浮かぶような、そんな情動をスバルは堪えられない。遠のく声の影を追い、今すぐにそれを腕の中に抱き止めたい衝動に駆られる。

愛おしさが全身を埋め尽くす圧倒的な熱の中、意識は真っ白に燃え上がり――、

 

「――戻っっって、きた!」

 

刹那の邂逅の後、スバルの意識は現実世界へ覚醒する。

寸前までスバルの意識を支配していた感覚が遠ざかり、そこでどんな感慨を得ていたのかも思い出せなくなる。ただ、覚悟していたはずの激痛が訪れなかったような、そんな不可思議な感覚だけが残る。それでもーー、

 

「レム、どうだ。俺から魔女の臭いは……」

 

「はい、臭いです!」

 

「狙い通りだけど言い方悪くねぇ!?」

 

レムのお墨付きを受けて、釈然としないながらも狙いは成就。スバルは拳を固めて周りを見渡し、

 

「俺たちはすぐにここを離れる! なるたけ根の近くには寄らないようにするから、クルシュたちとうまく落ち合ってくれ!」

 

「わ、わかった! 武運を祈る!」

 

「お互いにな!」

 

送り出され、スバルが肩を叩くとレムが地竜を走らせる。恐らく、彼の体からは新鮮な魔女の残り香がこれまで以上に漂い始めるはずである。

それが、どれほどの効果を持つのか。

 

また、時を同じくて魔法陣が完成したのか、ストレンジが両手を勢いよく上空に展開された魔法陣に突き出すと同時に、更に魔法陣の輝きが増し始める。そして、一段と明るい光が辺り一体を覆ったと思えば、円状の魔法陣は四方に向けて一気に広がっていった。

 

「おお、ドクターの魔術も完成したっぽいな。それで、ジャガーノートのときを思い出すと、森全体をカバーくらいの効果があったけど今回はどうだ……正直、未知数なんだが――!?」

 

前進していた地竜がなにかに気付いたように鋭く首をもたげ、そのまま自身の判断で一気に旋回――遠心力に吹っ飛ばされそうになるスバルが「うげぇ!」と悲鳴を上げ、慌てて目の前のレムを縋るようにかき抱き、

 

「なにが……ッ」

 

「白鯨です!!」

 

密着するレムが叫ぶ真横を、ふいに霧を突き破って巨大な口腔が姿を現す。間一髪、進路上から外れていたスバルたちを避け、わずか左を滑るようにゆく白鯨の顎が大地を咀嚼し、途上にあった草原を丸呑みにしていく。

 

岩肌のような頑健な外皮をかすめるように駆け抜け、真横を抜けるスバルたちの背後で顎を持ち上げた白鯨が口内のものを一気に胃に下す。

それから魔獣はその咀嚼に狙いのものがまじっていないのを確認し、その巨体を翻すと、全力で遠ざかるスバルたちの方へとその首を向けた。

そして、咆哮が追いかけてくる。

 

「うおおおおおお!?」

 

彼らの背後から迫ってくる圧倒的な質量によるプレッシャー。

押し潰されそうな圧迫感に背を追われながら、叫ぶスバルを乗せた地竜が懸命に大地を蹴る。しかし、追い縋る白鯨の速度は尋常ではない。

山のような巨体で空を泳がせ、風を追い越すような勢いで距離が一気に詰まる。

 

ぐんぐんと、世界を呑み下す勢いで白鯨が近づく。その鼻面がすぐ間近に、息遣いが背中にまで届くような距離まで来てーー、

 

「ウルヒューマ!!」

 

レムの詠唱に呼応して、三本の氷の槍が大地から一斉に突き出してくる。

それは狙い違わず、スバルたちを追っていた白鯨を真下から穿ち、その固い外皮の中でも比較的柔らかい下腹へ命中――串刺しにして動きを止めようとする。

だが、

 

「なんで!止まらねぇ――――!!」

 

槍百本を束ねたような太さの氷槍が根元からへし折られ、甲高い音を立てて結晶が砕け散る音が鳴り響く。破壊と同時に氷槍はマナへと還元され、傷口を塞ぐものを失った白鯨の傷口から血が噴出するが、その動きに停滞はない。

あれほど負傷し、血を流し、それでも精彩を欠かない耐久力の果てはどこにあるのか。

 

「ジャガーノートのときと違って、こっちゃタイマンじゃねぇんだよ!!」

 

「――――!!」

 

中指を立てて距離の開いた白鯨を挑発するスバル。白鯨はスバルのその仕草の意味がわからずとも、怒りを感じているかのように口を開いて咆哮を上げる。

その巨体を、

 

「りぁぁぁぁぁ――ッ!!」

 

白鯨の頭頂部に開けられたポータルから出現したヴィルヘルムの斬撃が、頭部を縦に割った。

白鯨の頭上真ん中に着地したヴィルヘルムの刃が深々と肉を穿ち、開いた傷口から噴き出す鮮血が血霧を生む。

そして、その血に濡れる白鯨の背の上を目指す二頭のライガー。その背に乗るのは見た目そっくりな愛らしい子猫の獣人――。

 

「お姉ちゃん、合わせて!」

「いっくぞぉー、ヘータロー!!」

 

左右から交差するように背に上がったライガー、その背からミミとヘータローの二人が飛び下り、互いに手を取るとヴィルヘルムが作った傷口の上へ。そして、二人は顔を見合わせて同時に口を開くと、

 

「わ――!」

「は――!!」

 

直後、白鯨が全身の傷という傷から再度出血し、その巨体を激しく震わせて高度を一気に落とす。

苦しげに悶え、痛みに堪えるような声を上げ、かろうじて墜落を逃れる白鯨。その背からライガーにまたがる双子が飛び下り、息を切らしながら、

 

「切り札しゅーりょー!」

「団長、お願いします!!」

 

「おうおう、任せぃ! チビ共が頑張ったんなら、ワイもやらなあかんわなぁ!!」

 

降りる二人と交代し、大型のライガーが尾の方から白鯨の体によじ登る。

途上の岩肌を大ナタでめくって傷を生みながら、風のように走るリカードのライガーに霧が迫る。

体の上に乗るヴィルヘルムとリカードを狙うのは、白鯨の体に無数に開く口から吐き出される濃霧だ。

 

速度自体はかわせないほど速くはないが、なにより口の数だけ弾幕が開かれる。苦心するようにリカードのライガーが身をよじり、ヴィルヘルムも素早い身のこなしで霧を避け、大ナタの一撃と剣の斬撃が白鯨の背の上で踊り続ける。

 

歪な哄笑を上げる口を縦の斬撃が切り潰し、大ナタが口腔の中を蹂躙して機能を叩き潰す。ライガーの爪も微力ながら攻撃を牽制しており、なにより追いついてきた獣人傭兵団の砲筒が、全身に再び魔鉱石による爆撃の攻勢をかけ始めた。

 

討伐隊の攻撃力に再び押され始める白鯨。その巨体をよじり、口腔が霧を吐くための準備を始めたと見れば、

 

「レム!!」

 

スバルの呼びかけよりも早く地竜を巡らせたレムにより、魔女の臭いを漂わせるスバルが白鯨の鼻先を駆け回る。と、それに集中力を乱された白鯨が反射的にスバルたちの方へと首を向け――斬撃に、その目論見を阻まれる。

 

「――――ッ!!」

 

「余所見など、つれないことをしてくれるな。私は十四年前からついぞ、貴様に首ったけだというのにっ!」

 

刺突が白鯨の額に突き刺さり、固い部分にめり込む刃にヴィルヘルムの動きが止まる。が、彼は即座に三本目の剣を見限ると、手放した剣の柄を思い切りに蹴りつけてさらに深々と刃を突き立て、抜き放った五本目の剣を右に持ち、両手の刃で白鯨の頭部を滅多切りにしながら背に向かう。

 

途上にある口も次々と刃で文字通りに黙らせ、ライガーを縦横無尽に走らせて暴れ回るリカードと合流。犬の顔の獣人は血に酔うような顔つきで楽しげに笑い、

 

「楽しなってきたわ! 思ったより頑丈やけど、大したことないわ!」

 

「いや……少々、手応えがなさすぎる」

 

快哉を上げるリカードに低く応じ、軽いステップを踏みながら背を刻み続けるヴィルヘルムが唇を噛む。

 

「この程度の魔獣に妻が……剣聖が遅れを取ったとは考え難い。機先を制せたことや、最初の時点の霧で分断されなかったことを考慮しても……」

 

ヴィルヘルムが刃を振りながら考察する最中、ふいに白鯨が大きく動く。

それまで背に取りつくヴィルヘルムたちを引き剥がそうと、身悶えしていた動きが突如として変化。白鯨はその頭を上へ向けると、一気に高度を上げて空へ向かう。

 

急激に傾く足場の中、リカードはライガーに指示して器用に岩肌を駆け下り、危険な高度に達する前にどうにか離脱。そして、ヴィルヘルムは、

 

「降りる前に、もうひとつ貰うぞ――!」

 

身を回し、軽快な動きで老剣士が巨体の上を跳躍する。

上へ昇る白鯨の体を、下へ飛び込むヴィルヘルムが逆さまに登っていくのだ。体重移動と、刃を突き立てる強引な姿勢制御。長年の経験の蓄積による体さばきで白鯨の体を駆け下り、ヴィルヘルムの斬撃が到達点で大きく縦に振られ――白鯨の背びれのひとつが、いくつもの口を表面に浮かべたそれが根元から吹き飛ぶ。

 

「――――ッ!!」

 

白鯨の絶叫を聞きながら、落下するヴィルヘルムだが、地面に着く直前に地竜がその落下地点に滑り込み、彼を背中に乗せるとすぐ様戦線を離脱する。

 

「ヴィルヘルムさん!!」

 

「警戒を!何処から来るか分かりません!」

 

無事を確認しようと声を上げるスバル。ヴィルヘルムは、前方を見たまま警戒を緩めぬよう警告を続けるよう、スバルを促した。

つられて上を見るスバルは、そのはるか上空を泳ぐ白鯨の尾を視界に捉える。

切り取られた背びれの部分から滴る血が、暴力的な勢いを受けて雨のように降り注ぎ、平原の草を朱色に染める傍ら、無言のヴィルヘルムから戦意は衰えない。

 

まさかスバルも、このまま白鯨が逃亡するものとは思わないが、上空へ向かった白鯨の狙いは今のところ不明だ。

獣人傭兵団も各々が集まり出し、大樹の根元に集まる負傷者勢の状況が危ぶまれるところだが――。

 

「なんや、追ってこんのか?」

 

「ーーくる!」

 

リカードの呟きを否定するように小さく、空を見上げるヴィルヘルムが呟く。

目を細めて、両手の剣を持ち直す老剣士の姿に全員の警戒心が一気に最大まで引き上げられた。そして、固唾を呑んで動きを待ち――後悔する。

 

頭上に浮かぶ白鯨の行動など待たず、即座に散開すべきだったのだと。

 

「――霧が落ちてきやがるぞぉ!!」

 

声の限りに叫び、もはや無言でレムが地竜を一気に反転させ、戦線を離脱する。

周囲の地竜やライガーも同じように駆け出すが、もはや他のものの無事を確認するために顔を上げている余裕すらない。

 

――空を一面、覆うような勢いで膨れ上がる「消失の霧」が、彼ら目掛けて落ちてきている。

 

雲そのものが落ちてくるような長大なそれは、回避するには範囲から逃れる以外にない。岩や木々を盾にしようと、それごと呑み込む破壊の前に抵抗は無力だ。

駆け出し、間に合えと祈りながら走るしかない。

 

頭上を見上げることすら恐ろしく、音のない終焉が真上から迫る圧迫感だけがある。

懸命に地竜の背にしがみつき、姿勢を低くして限界まで駆け抜け――、

 

「抜けたか!?」

 

黒雲の下を抜けたような明るさが差し込み、背後に首を向けるスバルは見た。

霧に押し潰される大地の上、間に合わずに呑まれる複数の影がある。

 

懸命に、その形相に恐怖と怒りを刻み込んだ人間が、頭から霧に呑まれて消える。

地竜ごと消失し、地面に落ちて霧散する後にはなにも残らない。誰の記憶にも、名前すらも残らない。ただ、スバルだけがその死を覚えているだけで。

 

「ぅ……あ」

 

小さく呻き声を漏らすスバルの正面、霧で散り散りにばらけた面々が遠い。

その数も明らかに、先の攻勢のときより数をずいぶん減らしてしまっている。討伐隊の面々はもちろん、獣人傭兵団も無傷とはいかない。

 

せめて主力だけは、とスバルは視線を巡らせ、

 

「ヴィル……」

 

その視線の先には地竜から弾き飛ばされるも、持っていた剣でどうにか勢いを殺して膝と肘を地面につける形のヴィルヘルムの姿があった。彼はたまたま目の前にあった小さな黄色い花ーー出陣前に一人見ていた花畑に咲く花と同じ花ーーを見ていた。

刹那、彼の脳裏に横切るのは青年期であった自分と幼さが残る妻との逢瀬の日々。

 

だが、それが彼に一瞬の隙を生ませた。

 

「逃げろ――!!」

 

「ぬ――!?」

 

スバルの叫びと、ヴィルヘルムが背後に迫る大口を開いた白鯨が迫っていることに気付いたのはほぼ同時。だが、それはすでに間に合わないタイミングでの反応に過ぎなかった。

 

音もなく接近した白鯨の口腔が、大地ごとヴィルヘルムを呑み込む。地を削り、五メートル四方の地面が丸ごと抉られ、全て白鯨の口の中だ。

 

「あ……」

 

その衝撃的な光景を前に、スバルだけでなくレムすらも驚きに声を失う。

彼の老人の執念を知っていたが故に、その喪失感は尋常ではない。なにより、主戦力が失われる事態に状況は悪化の一途をたどり、

 

「あかんぞ!!」

 

と、今度は間近で別の人物の声が上がった。

スバルたちの地竜が横合いから迫っていたリカードの乗るライガーが突っ込んでくる。が、それよりも更に早く移動してきた赤いマントが地竜ごと彼らを吹き飛ばした。

 

「うおお!?」

 

苦鳴を上げる地竜ごと地面に倒れ込み、あちこち打ちつけて痛みに顔をしかめる。突然の暴挙の下手人はリカードーー、ではなく見覚えのあるマントだが、その真意を問う前に、

 

「お、お前は……」

 

用が済んだと言わんばかりに、スバルとレム、それに地竜を凄い勢いで弾き飛ばした赤マントは、すぐ様その場から離脱していった。あと少し遅ければ白鯨に喰われていたーー、マントが通過した直後に白鯨の大口によってできた巨大な窪みで理解できる。

 

意図しない所で救われたリカードであるが、状況は更に悪化していた。

三人の目線の先にはーー、

 

「嘘、だろ……」

 

振り返り、ヴィルヘルムを地ごと呑み込んだ白鯨が咀嚼を始めているのが見える。

目の前と、背後――見上げた上空にはいまだ、空を陰らせる魚影があり、

 

 

――五体の白鯨がその全身の口を震わせ、哄笑を上げて絶望を掻き立てた。

 




第三の目が開眼した闇ストレンジを見た瞬間、思わずゾッとしました。
あれは……ヤバいです


トミーとビリーが予告編に映っていたり、謎の怪物が現れるし、もう訳分かんねえな、MoMって。




モービウス、見てきました。個人的には初見さん歓迎の作品って感じがしました。
もうちょい、サプライズ要素が欲しかったような気がします。

因みに、初日の新宿に自分は出没してました。気付いた人いるかな?いないよね?(いたら怖い)


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幕間 悔め、その選択をーー

見慣れた王都の景色。それを屋敷の一角から見つめる一人の女性。

 

 

 

 

 

 

「記憶を奪われたあの日からーー、

 

 

ほんのひと時だけ

 

 

本当の私でいられた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェリス、あなたのおかげで」

 

 

常に彼女を支えてくれる一人の騎士が常にそこにいた。

 

 

 

 

『KADOKAWA』

 

 

 

 

『MARVEL STUDIOS』

 

 

 

 

 

 

新たに建設されたサンクタムを訪れる女性と騎士。

 

 

 

 

「君の記憶を暴食の大罪司教から取り戻そうとしてーー」

 

 

 

 

 

 

 

魔術師の手を離れ、暴走する魔術。そして壊れるはずのなかった境界の崩壊。

 

 

 

 

 

 

 

「彼らを呼び寄せてしまった」

 

 

 

それが誤りであることに気づくには遅すぎた。

 

 

 

 

 

 

 

「ありとあらゆるユニバースから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王都の大通りを爆破する謎の剣、そしてーー

 

 

 

 

 

 

 

「きゃはははははっ!久しぶりだな、クソ女貴族が!」

 

 

 

 

 

 

 

放置された竜車を破壊して進む「色欲」の大罪司教の姿。

 

 

 

戦う女性と大罪司教。しかし、大罪司教は知らなかった。彼女が護られていたことに。

 

 

 

 

「ーークズ肉が……!てめーのその力はなんだ……!」

 

 

 

 

「すまないが、名前を聞いてもいいか」

 

 

「アタクシはカペラ・エメラダ・ルグニカちゃん様だ!」

 

 

監禁した地下牢で尋問する女性と騎士、そして主人公。

女性はその名に聞き覚えがあるのか、驚愕する。

 

 

 

「まさかその名は……!」

 

 

 

 

 

 

 

「彼らを元のユニバースに送り返さなければ」

 

 

 

 

「だからーーお前たちも手伝うんだ!」

 

 

 

言い付けるように怒鳴る魔術師。しかし、そこに待ったをかける存在。

 

 

 

「これはドクターの真似いた一因もあるヨ。なら、フェリちゃんたちにお願いのしかたがあるんじゃにゃい?

 

 

 

“してください”ってネ」

 

 

 

暫しの沈黙の後、魔術師はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「……手伝って“ください”」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じく地下牢に監禁された白髪の青年。

 

 

「闇夜を駆け抜けーー、

 

 

 

 

亡霊を見つけ出すといい」

 

 

 

「どう言う意味だ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼らは君たちと戦い、命を落とす。そう言う運命だ」

 

 

 

 

 

 

 

「残念だ、エミリア」

 

 

 

 

銀髪のハーフエルフは彼らの運命に心を痛めーー、

 

 

 

 

 

「そんなの、酷すぎるわ」

 

 

 

 

彼と対立することを選ぶ。

 

 

 

 

「……ッ、よせ!」

 

 

少女は魔術師の管理していた箱を持って逃げる。

 

 

 

 

押し出される彼女のアストラル体。

 

 

 

 

歪む王都の街並み。

とある箱を巡った壮絶な戦いが始まる。

 

 

 

「他の方法は無いのか!」

 

 

 

 

 

「諦めろ!」

 

 

 

 

 

「彼らの存在がこのユニバースを危うくする」

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔しないでもらいたいデスネェェェェ!!!」

 

 

王都に浮かび上がる「怠惰」の大罪司教の姿、

 

 

 

その猛攻に苦しむ主人公の姿。

 

 

 

「クルシュよーー

 

 

 

 

悩み苦しめ」

 

 

 

 

「悲願である望みを叶えたお前が何を望むのかーー、

 

 

 

 

世界が見ているぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全て私の責任だ。この手で全てを終わらせる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Re:ゼロから始める異世界生活 エイジ・オブ・ルグニカ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が起こっているーー!?」

 

 

 

王都の空にヒビが入り、紫色の新たなユニバースが姿を見せる。

 

 

 

 

「他のユニバースが侵食してくる……!

 

 

 

止められない……!」

 

 

 

 

 

 

         COMING SOON




エイプリフールネタですよん

What if、もしものお話です。



投稿し忘れました。本当は1日に投稿するはずだったのに……!


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四十六話 絶望に抗う賭け

皆様、お久しぶりです。

実は私、国家資格の勉強に励んでおりまして、中々書く時間を確保できず、このような時期まで更新が遅れてしまいました。

なんだかんだでドクターストレンジMoMも公開されてしまい、気づけばもうディズニープラスで配信されているとか……!
時の流れって早いものですね。感想は後書きの方で、では本編を!


ヴィルヘルムにとって、とある少女との逢瀬の日々は、彼にとって忘れ得ぬものだった。

 

 

ある日の朝に偶然出会った赤髪の美しい一人の少女。彼女とはそれ以来、休暇を得て開発区画へ足を運べば、必ずと言っていいほど顔を合わせていた。今日も、彼女は彼より早くその場所に辿り着き、ひとり静かに風を浴びながら花畑を眺めている。

 

「花、好きになった?」

 

ヴィルヘルムが近付いていたことに気付いた少女は、いつものように耳に残る鈴音のような声で聞いてきた。

 

その問いに無言で首を横に振った彼は、彼女の存在など忘れたように剣を振ることに没頭する。

汗を流し、思考の中の殺し合いに沈み、終えて顔を上げれば、いまだその場に留まる彼女の姿がある。

 

「ずいぶんと、お前は暇していやがるんだな」

 

口から思わず出てしまった皮肉の声。だがそれも、常に笑みを返してくる彼女との慣例だ。

 

 

 

 

時が経つにつれ、少しずつだが会話をする時間は少しずつ増えていった。

剣を振ったあとだけだった会話が、剣を振る前にも少し交わされるようになり、剣を振ったあとの会話も少しだけ伸びたのだ。

次第に、その場所に足を運ぶ時間が早くなり、時には少女よりも先に均した地面の上に足を踏み、「あ、今日は早いんだ」と悔しげに少女が言うのに笑みが浮かぶぐらいの情動を得るようになっていた。

 

――名前の交換をしたのは、そうして出会って三カ月ほどたったある日のこと。

 

テレシア、と名乗った少女は「今さらだね」と小さく舌を出す。名乗った彼女に名乗り返し、「今までは花女って頭で呼んでた」と返していたことを話した彼に、彼女は可愛らしく頬を膨らませた。

互いの名前を知るようになって、少しだけお互いの深いところに踏み込むようになったと彼は思う。

それまで、差し障りのない言葉のやり取りだったものが、その質を次第に変えていく。

 

ある日のこと。なぜ剣を振るのか、とテレシアに聞かれた。ヴィルヘルムは思い悩むこともなく、それしかないからだと答えた。

 

軍に所属する限りは血生臭い日々が続いていく。

亜人との戦争は激化の一途をたどり、魔法を掻い潜って相手の懐に潜り込み、股下から顎までを掻っ捌く作業が淡々と繰り返される。

地を駆け、風を破り、敵陣に飛び込んで大将首を跳ね飛ばす。首を突き刺した剣を片手に自陣に戻り、畏怖と畏敬が入り混じる賞賛を受け、息を吐く。

 

彼の手は血で穢れていく。この生き方しか己は生きられないのかと、自問自答する日さえあった。

そんな時、戦場の足下、血に濡れながらも風に揺れる花を踏まないようにしている自分がいることに、いつしか気付く。

 

 

 

「花、好きになった?」

 

「ーーいや、嫌いだな」

 

「どうして、剣を振るの?」

 

「俺にはこれしかないからだ」

 

テレシアとのお決まりのやり取り――花について話すとき、ヴィルヘルムは笑みすら浮かべて応じることができた。しかし、剣について話すとき、いつしか決まり切った文句を口にすることに苦痛を覚えていることに彼の心が痛む。

 

(なぜ、剣を振るうのか)

 

それしかない、と思考停止してきた日々を思う。真剣に、その問いかけに対する答えを探し始めて、ヴィルヘルムは一番最初に剣を握った日までの記憶の道を辿る。

幼少期、ヴィルヘルムの手の中で血を浴びることもなく、曇りない刀身を輝かせていた剣を見上げ、小さな掌には大きすぎる剣に光を映し、なにを思ったのか。

 

 

答えの出ない思考の渦をさまよったまま、今日もいつもの場所に足を運んだ。

 

足取りは重く、向かう先に待ち受けるものと相対するのが彼にとっては憂鬱だった。

これほどに頭を悩ませるのは生まれて初めてかもしれない。なにも考えずに済むからこそ、剣を振り続けてきたのではなかったか、と短絡的な答えを得かけて、

 

「――ねぇ、ヴィルヘルム」

 

先にその場所にいた少女がこちらを振り返り、微笑みながら名前を呼んだ。

 

――魂を揺さぶられる感覚。

 

ああ、まただ。

また、足が止まり、込み上げてくるものが堪え切れなくなる。

ふいの自覚がヴィルヘルムの全身に襲いかかり、その体を押し潰そうとしてきた。

 

無心で剣を振ることに全てをなげうつことで、思考停止して置き去りにしてきたあらゆるものが噴き出してきた。

理由なんてわからない。切っ掛けも定かではないのだ。それはずっと、張り詰めていた堤防を切りかけていて、ふいにこの瞬間に限界を迎えたのだ。

 

なぜ剣を振るうのか。

なぜ、剣を振り始めたのか。

 

剣の輝きに、その力強さに、刃として生きることの潔さに、己は憧れた。

それもある。が、始まりは違っていたはずでーー、

 

「兄さんたちのできないことを、俺はできなきゃいけない」

 

剣を振ることにとんと疎い兄たちだった。

それでも、彼らは彼らなりに家を守ろうとしていたから、そんな兄たちの役に立ちたくて、違う方法で守るやり方を探そうとして。

そうして、剣の輝きと力強さに魅了されたのではなかったか。

 

 

「花は、好きになった?」

 

「……嫌いじゃ、ない」

 

「どうして、剣を振るの?」

 

「俺にはこれしか……守る方法を思いつかなかったからだ」

 

 

 

それ以降、そのお決まりのやり取りが交わされることはなくなった。

その代わり、彼から話題を振ることが多くなった。

剣を振りにいくよりも、テレシアと話にいくことを目的としている彼がいた。

無心で剣を振るはずだった場所は、足りない頭を回転させて、剣ではなく話題を振る場所へと変わっていっていた。

 

戦場での「剣鬼」の振舞いが変わり始めたのも、この頃からだった。

それまで、いかに早く相手の懐に飛び込み、どれだけ多くの敵の命を刈り取るか。そればかりを考えて動いていた彼の体は、いつしかいかに味方に損害を出さずに戦えるか、という方向へとシフトしていった。

息の根を止めることよりも戦闘不能を優先し、深追いより味方の援護に回ることの方が多くなる。自然、周囲の見る目が変わり始めた。

 

声をかけられることも、彼から声をかけることも多くなる。

それまでまったく無縁であった騎士叙勲の話が出て、それを受けることに少しばかりの打算が考えられるようにもなった。

それなりに名誉があった方が、下心にも箔がつくと。

 

「叙勲の話が出て、騎士になった」

 

「そう、おめでとう。一歩、夢に近づいたじゃない」

 

「夢?」

 

「守るために剣を握ったんでしょう? 騎士は、誰かを守る人のことですもの」

 

その守りたいものの中に、その笑顔が焼き付けられた気がした。

 

 

 

 

 

また時は流れる。

騎士としての立場を得て、軍内で接する人間が増えてくると、自然と情報も入り始める。亜人との内戦は深刻化する一方で、いくつもの戦線で一進一退を繰り返し続けている。ヴィルヘルムもまた、勝ち戦ばかりでなく負け戦をいくつも経験した。

そのたび、剣の届く範囲だけでも守ろうと足掻き、届かないことに悔しい思いを噛みしめる日々が続いた。

 

 

そんな時、トリアス家の領地に内戦の火が燃え移ったことが耳に入った。

 

国土の東部を起点として始まった内紛は拡大し、その広がった北方への取っ掛かりの一部が、トリアス家の領地にまでわずか届いたということだった。

 

命令はなかった。与えられた騎士としての立場を、所属する王国軍に対する忠節を忘れていないのであれば、勝手な行動は許されなかった。

だが、初めて剣を握ったときの思いを再び胸に抱いていたヴィルヘルムに、それらのしがらみはなんの意味も持たなかった。

 

駆けつけた懐かしの領地は、すでに敵方の侵攻に大半を奪い尽くされたあとだった。

五年以上も前に置き去りにした光景が、見慣れていた景色が色褪せていく現実を前に、ヴィルヘルムは剣を抜き、声を上げ、血霧の中に飛び込んでいった。

 

敵を切り倒し、屍を踏み越えて、喉が嗄れるほどに叫び、返り血を浴びる。

剣に生き、剣で生かし、剣にしか生きる意味を見出せない男の戦いがあった。

 

多勢に無勢であった。援軍もなく、もともとの戦力も脆弱。

そして戦友と轡を並べて戦う戦闘と違い、ヴィルヘルムは単身で引き際も与えられていない。今までいかに、自分だけの力で戦っているつもりになっていたのかを思い知らされながら、ひとつ、またひとつと手傷が増え――動けなくなる。

 

積み上げた屍の上に自身もまた倒れ込む。ヴィルヘルムは目前に死が迫るのを理解した。

長い付き合いであった愛剣が傍らに落ち、指先の引っかかるそれを掴み上げる気力もない。瞼を閉じれば半生が思い出され、そこに剣を振り続けるばかりの己がいる。

 

寂しく、なにもない人生だった、と結論付けそうになる一瞬の光景――その途上に次々と思い浮かぶ人々の顔。

両親が、二人の兄が、領地で共に悪さした悪友が、王国軍で一緒に戦った同僚たちが、次々に思い出され――花を背にするテレシアが、最後に浮かんだ。

 

「死にたく、ない……」

 

剣に生き、剣に死ぬ道こそ本望だったはず。

しかし実際にそうして刃に全てを預ける生き方の果て、望んだはずの終わりを目の前にしたヴィルヘルムを襲ったのは、耐え難い寂寥感のみ。

 

そんな掠れた最後の言葉を、多数の仲間を切り殺された敵兵は許しはしない。

人並み外れて大きな体躯を持つ緑の鱗をした亜人が、手にした大剣をヴィルヘルム目掛けて容赦なく振り下ろす――。

 

「――――」

 

迸った斬撃の美しさは、目に焼き付いて永劫に彼のあらゆる部位に焼き付いた。

 

剣風が吹き荒び、そのたびに亜人族の手足が、首が、胴体が撫で切られる。

どよめきが敵勢に怒涛のように広がるが、駆け抜ける刃の走りの方がそれよりはるか格段に早く、死が量産されていく。

 

眼前で繰り広げられる、まるで悪夢のような光景。

血飛沫が上がり、悲鳴さえ口にすることができず、亜人の命が刈られていく。鮮やかすぎる斬撃は命を奪われた当人にすら、その事実を報せることなく命の灯火を吹き消していくのだ。

それが残酷であるのか慈悲であるのか、もはや誰にもわからない。

わかることがあるとすれば、それはたったひとつだけ。

 

――あの剣の領域には生涯、永遠に届くことのみ。

 

剣を振るものとしての生き方を、そう長くない人生の大半をそれこそ惜しみなく捧げて生きてきた。そんな彼であったればこそ、目の前で容赦なく振られる剣戟の高みがいかほどにあるのか、理解できた。

それが非才の自身には、決して届かない領域であるという事実もまた。

 

ヴィルヘルムの生んだそれが血霧の谷であったとすれば、目の前に広がったそれはまさしく血の海だ。積んだ屍の山の大きさも、比べるべくもない。

トリアス領地に侵攻した亜人族が根絶やしにされるまで、その剣戟は止まらなかった。

 

圧倒的な殺戮を見届け、遅れて到着した仲間たちに担ぎ起こされて、ヴィルヘルムは負傷を治療されながら――その姿から目が離せなかった。

長剣を揺らし、悠然と歩き去る姿。その身に返り血の一滴も浴びていないのを見取り、戦慄がヴィルヘルムの全身を貫いた。

あの場所には永遠に、届かないのだと。

 

「剣聖」の名前を聞かされたのは、王都に戻ってからのことだ。剣鬼ヴィルヘルムの代わりに、剣聖の名前が各地に響き始めた頃と時同じくして。

 

「剣聖」――それは、かつて魔女を斬った伝説の存在。

 

加護のみが今も血に残り、一族に受け継がれ超越者として、この世界(ユニバース)を守り続ける。それが彼らの運命だ。

今代の剣聖の名はそれまで一度も表に出なかったが――それも、このときまでのこと。

 

 

 

傷が癒えて、いつもの場所に足を運べたのは数日後のことだった。

 

愛剣を握りしめて、ゆっくりと地を踏みしめながら、ヴィルヘルムはそこを目指す。

いる、という確信があった。そしてその確信した通り、テレシアは変わらない様子でその場所に座っていた。

 

彼女が振り向くより早く、鞘から剣を引き抜いて飛びかかっていた。

唐竹割りに落ちる刃が彼女の頭を二つにする直前――指先二本で、剣先が挟み止められた。驚嘆が喉を詰まらせ、口の端に笑みが上る。

 

「屈辱だ」

 

「――そう」

 

「俺を、笑っていたのか」

 

「――――」

 

「答えろよ、テレシア……いや、剣聖テレシア・ヴァン・アストレア!!」

 

力任せに剣を取り上げ、再び斬りかかるも、髪ひとつ乱さない動きで避けられる。素早い動きで剣を奪われ、鳩尾に柄頭を落とされる。

どうしようもない壁が、途方もない差が、二人の間には存在していた。

 

「もう、ここにはこないわ」

 

遠い。あまりにも弱い。届かない。足りない。

 

「そんな、顔をして……剣なんて握ってるんじゃねえ……!」

 

「私は、剣聖だから。その理由がわからないでいたけど、わかったから」

 

「理由、だと?」

 

「誰かを守るために剣を振る。それ、私もいいと思うわ」

 

――花を愛でるのが好きで、剣を握ることの意味を見出せないでいた彼女に、理由を与えたのは誰であろう彼だ。

 

誰よりも強くて、誰よりも剣の届く距離の大きな彼女だから、余計に。

ならば、自分が与えてしまった罪を清算するには――、

 

「待って、いろ、テレシア……」

 

「…………」

 

「俺が、お前から剣を奪ってやる。与えられた加護も役割も知ったことか……!剣を振ることを……刃の、鋼の美しさを舐めるなよ!剣聖!!」

 

遠ざかる背中に、剣に愛された剣聖に剣を語る愚かな鬼がひとり。

それきり、二人がこの場所で会うことは二度となかった。

 

 

 

 

 

白鯨の口に収まる直前、走馬灯のようにテレシアとの過去の逢瀬が脳内に映ったヴィルヘルムは、大した抵抗ができず白鯨に喰われた。

その仇を討とうにも、上空には五体の白鯨が眼下にいる人間たちを嘲笑うように空中を泳いでいる。

 

「もうダメだ……」

 

「お終いだ……殺される」

 

頭上に浮かぶ白鯨の巨躯を見上げ、誰かが膝を着く音が小さく届く。次第にそれは連続し、高い音を立てて武器を取り落とす音も続いた。

討伐隊に参加していた騎士たちが、ぐったりと肩を落とし、下を向いて顔を覆いながら蹲っている。肩を震わせ、喉を嗚咽が駆け上がるのを誰にも止めることはできない。

 

念入りに万全の装備を持ち込み、機先を制して火力を叩き込み、「至高の魔術師(ソーサラー・スプリーム)」の援護も加わったこれ以上ない攻勢をかけた上での――この理不尽な状況だ。

 

精神汚染による兵力の半減は深刻で、残った戦力もまた、新たに出現した白鯨の奇襲により粉砕されてしまった。

残る力を結集しても、それは最初のこちらの戦力の半分にも満たない。その上で相手にしなくてはならない魔獣の数は五倍――勝ち目など、あるはずがない。

 

誰もが一瞬でそれを悟り、自分たちの命が、目的が、ここで潰えるのだと思い知らされた。

魔獣の恐ろしさとおぞましさ。そしてその魔獣に奪われた大切な絆の重み。その絆に報いることのできない、自分たちの無力さに、どうしようもなく。

 

「――呑み込ませるな!!」

 

絶望に打ちひしがれた戦場。ふいに、怒号が沈黙の落ちかけた平原に轟き渡る。

響く声に思わず顔を上げれば、地を蹴って白鯨の一体に飛びかかる影――給仕服の裾を翻し、手に凶悪な棘付きの鉄球を握る少女の姿が見えた。

 

豪風をまとい、うなる鉄球が動きを止めていた白鯨の鼻面を直撃する。固い外皮を易々と打ち砕き、露出する骨と肉を抉って貫いて、なおも破壊を伝播する。

絶叫が上がり、首を持ち上げて空へ上がろうと尾を振る白鯨。その白鯨の尾が地面から延びる氷の刃に貫かれ、停滞したところを旋回してくる鉄球が再び殴打。小柄な少女の一発に、白鯨の巨躯が大きく揺らいで血がぶちまけられる。

 

「腹に呑み込まれる前なら、まだ助け出せるはずだ――!」

 

痛む肩を押さえて、地竜を走らせる一人の少年。

 

諦めに支配された騎士たちの前で、己の心を奮い立たせるように、顔を上げて、歯を剥き出し、目を見開いて、白鯨を睨みつけて、少年は叫んだ。

 

「――このぐらいの絶望で、俺が止まると思うなよ!!

諦めるのは似合わねえ!俺も、お前もーー誰にでも!」

 

白鯨の咆哮を眼前にただ一人、臆することなく立ち向かう存在が一人。地竜を走らせるナツキ・スバルの根性はこの時もなお、折れることはなかった。

 

 

 

 

 

吠えたけるレムが白鯨に猛然と飛びかかり、右の拳を岩肌に突き刺して体をよじ登る。途上で振り回される鉄球が激しい音を立てて削岩し、血飛沫を散らせながらの猛攻に大きな体をよじって、白鯨が苦鳴を上げている。

 

レムが飛びかかるのは、背後からヴィルヘルムをひと呑みにした白鯨だ。まだ彼は喉を通す場面まではいっていないはず。

最悪の場合、あの石臼のような歯に引き潰された可能性があるが――、今ならまだ助け出せる。

 

「頭が潰れてなけりゃ、どうにか引っ張り出してやらぁ――!」

 

手綱を引き、スバルはあまりに頼りない感覚の中で地竜の背に体重を預ける。スバルが手綱を手繰るのはぶっつけ本番。戦場に到着してからの僅かな時間が、スバルが地竜をひとりで扱うのに練習できたわずかな時間がそれだ。

 

方向と速度を指示し、あとは振り落とされないようしがみつくのが精いっぱいだ。それでも知能の高い地竜はスバルの意図と実力を把握して、背に乗る未熟な騎乗者を落とすまいと気遣ってくれているのがわかる。

 

「行くぜ、パトラッシュ! 鯨の鼻先でくるくる回れ!」

 

スバルは高らかに叫び、手綱を弾いて地竜を走らせる。応じるパトラッシュが前のめりに駆け出し、強大な白鯨目掛けて本能を押さえ込んで突っ込んでくれる。

 

体に取りつくレムを振り落とそうと必死に身をよじっていた白鯨とは、別に上空を漂っていた別の白鯨がスバルの接近を察知して首をこちらへ思わず向ける。

 

スバルのすぐ背後まで接近していた白鯨であったがーー、

 

「ーーーーッ!」

 

突如飛来した大地のかけらが白鯨の頭に直撃し、脳を揺さぶり思わず白鯨は咆哮する。

それを筆頭に一個や二個ではなく、何百個の大地のかけらが白鯨の体を押さえつけるように囲っていく。

リーファウス街道に広がる広大な土地の表面が、文字通り抉られているのだ。大地が飛翔する方へスバルが思わず顔を上げると、広大な空に浮かび上がり両手首に何重もの魔法陣を展開するストレンジの姿があった

 

やがて白鯨の身体全体が岩で覆われると、その上から網状の魔術が展開され、白鯨の体全体を固く拘束する。だが、手元に小さな魔法陣を浮かべるストレンジの顔は芳しくない。

 

「ーー長くは持たない!早く行け!」

 

苦しい表情を見せながらのストレンジの叫びに背中を押されるようにスバルは、再びパトラッシュと名付けた地竜を走らせる。

レムの攻撃を受けていた白鯨は、走り出したスバルを捉えると、別の白鯨の拘束に文字通り手一杯であるストレンジの上空を通過し、再びスバルを追いかけ始める。

 

「スバルくんの臭いを嗅ぐのはレムの特権です――!」

 

その白鯨の体をレムは飛び上がり、砲弾のような威力の蹴りを喰らわせる。巨大な顔面がわずかにぶれ、そこに追撃の鉄球が大気を押し退けて飛来――頬をぶち抜いて口内を蹂躙し、反対側の頬を数本の歯を巻き添えにして突き抜ける。

黄色い体液と鮮血を大量に吹きこぼし、絶叫を上げる白鯨。その身がついに地に落ちると、まるで陸に上がった魚のように見境なしに暴れ回る。

 

大地が抉られ、土塊が激しく散乱する。振り乱される尾が地を割り、風を薙ぎ、不意打ち気味にスバルの真横へと接近――あわや直撃というところで、

 

「ばばんとミミさんじょー!!」

 

「簡単にはやられへんで!」

 

獣人たちの影が打撃の寸前に割り込み、手にした杖を振ると魔力の防壁が展開。

黄色の輝きが打撃を跳ね返し、生まれた間隙をライガーと地竜が一気に駆け抜ける。

 

息をつき、スバルはすんでで救ってくれた存在――ミミとリカードを振り返り、

 

「助かった! 反撃開始とかかっこいいこと言っていきなり終わるとこだぜ!リカードも無事で何よりだ!」

 

「ふふーん、もっと褒めてもいいよー! でも、きょーのところはおにーさんが頑張ったからおあいこにしてあげる!」

 

「頑張った……?」

 

胸を張って、それからスバルに笑いかけてくるミミに首をひねる。

 

「あんだけぎょうさん兵を集めたっちゅうのに、みんなブルって立てなくなったところに、一番早く立ち直ったのは兄ちゃんやで?まあワイもストレンジはんに、どうにか助けられた身さかい、少しブルっていたことは事実やけどな」

 

「大したことじゃねぇよ。このぐらいで絶望なんて、してやれねぇってだけだ」

 

大声で賞賛してくるリカードにそう応じて、スバルは唇を噛みしめる。それまでの抗えない絶望と比べれば、まだまだ戦いようのある現状――どうして、諦めに浸っている余裕などあるだろうか。

 

諦めと遊んでいる暇があるなら、希望を探して血反吐を吐いている方がいい。

 

諦めるより抗う方が、ずっとずっと、楽なのだから。

 

 

 

 

 

「クッ!ぬぉぉぉぉぉ!!」

 

拘束魔術の中で白鯨が暴れまわり、岩を破壊しようともがく中、ストレンジはその拘束に限界を感じていた。白鯨の身体を覆っていた岩が徐々に破壊され、拘束が緩みつつあることに、ストレンジが気づいていないわけではない。

しかし、彼にできることは少なかった。魔術の拘束を蹴破るように鰭や尾鰭を動かす白鯨によって、拘束魔術には穴が開き始めており、既に一部の部位は既に魔術外に出ている。

このままでは魔術は破られてしまい、解放された白鯨が再び戦場に舞い戻ることになるだろう。そう慣れば眼下の戦場は大混乱になり、討伐隊は逃げるのも精一杯になる。

全員を強制的にポータルで王都に移すことも考えたが、戦略を立て直し再びここに戻ったとしても、白鯨はここにはいない。また、何十年にも及ぶ追いかけが始まるのだ。それに、勝利に繋がらない。

 

最も価値ある勝利は、例えこの場で自分を含め全員が倒れたとしても、相打ち覚悟で白鯨を堕とすこと。そして、ナツキ・スバルを生かし続けること。 

 

(何が起こるか明かせば、実現しない。そのために、私はこれから起こるであろう犠牲に、目を瞑らなければならない。元医師として、救える命を見殺しにするのはこの上ない苦痛だが……。

これから散るであろう、無数の戦士たちよ。お前たちの命を、勝利のために犠牲にする私を許してくれ。そして、この戦いの運命をお前に託すのは、この上ない癪だが……お前が鍵だ。マルチバースの運命がかかっている)

 

眼下では、地竜を乗り回しながら逃げ回るスバルと、スバルを追いかける白鯨に対して鉄球を振り回して攻撃するレムの二人が彼の目に映る。その後方からはミミとヘータロー、そしてマントによって攻撃の被害を免れたリカードが追尾しており、時折彼らの攻撃も行われている。

脳筋だが、恐れ知らずの彼らはこの戦場において、数少ない戦力となるだろう。何よりあのスバルが心が折れていないのが安心だ。

 

(馬鹿正直な奴ほど、恐れ知らずでこの戦場では戦えている。それに比べ……)

 

彼ら以外の討伐隊の面々は、殆どが脚がすくんでいるのか動けておらず、ただただ絶望に打ちひしがれたような表情を顔に浮かべている。

威勢の良かった出陣式とは打って変わり、誰も彼もがその場から動けず、白鯨の群れを見続けるのみだ。

 

威勢がいいだけで実力を伴わない人物が現場(手術)や戦場をかき乱すことは、それ即ち死に直結してしまう。こう考えるストレンジは、彼らの境遇を理解しつつも、死を覚悟でこの戦場にやってきた覚悟があまりにも脆いことに呆れてしまう。これほど脆い程なら、この場にいないほうがより犠牲者が少なく済むというに。

今のストレンジに、白鯨の行動を抑えつつ味方を援護することなど不可能だ。彼らがもし、このまま何もできないままならば、彼らは何れ白鯨の胃袋に収まることになる。彼らの心を揺さぶるものがなければーー、

 

「――――うッ!!」

 

手元に展開した魔法陣が内側から押されるように膨らむ。白鯨の暴走に拘束していた魔術が押され始めたのだ。ストレンジも更に力を込めて抵抗するが、白鯨の抵抗と共に魔術は押し切られるように内部から崩壊していく。

流石のストレンジの魔術といえども、伝説の魔獣相手に長時間保たせることは叶わない。

そして、白鯨と不意に目が合ったその時ーー、白鯨の顔がニヤッと嗤う幻覚をストレンジは見る。何世紀にもわたって、人を喰らい続けてきた邪悪な存在が見せた瞳の奥ーー、更に邪悪な何かが奥からを見据えたように見つめる感覚だ。敵としてはあのドルマムゥに匹敵するナニカだ。

その直後、白鯨から最大出力をもってして霧が放たれる。体内の全てのマナを消費し、存在ごと消えてしまう捨身の攻撃と引き換えに、魔術の拘束を、そしてあわよくばストレンジの身体ごと消し飛ばそうとした白鯨の最後の足掻きだ。

 

高速で噴射された霧は魔術を食い破り、被害を押さえ込もうとストレンジが移動させてきた大地のかけらさえも貫いた。

 

白鯨の渾身の一撃による攻撃による衝撃波でストレンジの体勢は揺らぎ、更に溢れ出た霧によって彼の身体は吹き飛ばされる。

マントを使った強制的な安定術によって体制を整えた彼は「ワトゥームの風」を使い、迫り来る霧を打ち払った。

 

やがて露わになる一帯に、彼が閉じ込めていた白鯨の姿を見ることはなかった。上空で戦っていたこともあり、一人の犠牲者も出すことなく白鯨の分体とストレンジの戦いは、彼の勝利で終わった。

 

 

 

 

大地を蹴り、真っ直ぐに駆けるパトラッシュの正面。スバルの眼前に唐突に現れる魚影が大口を開いた。上を見上げれば、ストレンジと白鯨による魔術大戦さながらの戦いが繰り広げられている。

有象無象が蠢く戦場の中、喉の奥、赤黒いグロテスクな内臓まで見えそうな至近で、スバルはとっさの回避行動をとろうと身を傾ける。が、その行動よりも白鯨の口腔に充満する霧が噴き出される方がわずかに――、

 

「口を閉じろ――!!」

 

大上段から振り下ろされる刃が、横合いから白鯨の大口を縦に切り潰す。斬撃の威力に口を閉じ、悶えながら地を滑る白鯨の横をスバルとミミが抜ける。間一髪の危機回避に顔を上げれば、戦場の向こうから駆けてくるクルシュの姿がある。

彼女は走るスバルに並ぶと、白鯨を忌々しげに見ながら、

 

「一見して、事態は最悪にあるな。ヴィルヘルムは?」

 

「あんたが覚えてるってことは、少なくとも霧に消されちゃいねぇ。……レムの奮戦次第ってとこだ」

 

首をめぐらせ、反転してこちらを追おうとする白鯨を警戒しながらスバルは答える。それを受け、同じように視界をさまよわせるクルシュ。彼女の視線が止まった先にあるのは、地響きを立てて跳ねている白鯨と、その上で懸命に鉄球を振るって血の海を作り出しているレムの姿だ。

 

「どう見る、ナツキ・スバル」

 

「どう見るってのは、どういう意味だ? 勝ち目って意味なら、俺の生死が色々と分けるって自分可愛さまじりに言ってみるが」

 

「そうではない。おかしいとは思わないか?」

 

背後から近づこうとする白鯨の鼻先に、腕を振るうクルシュの斬撃が入る。咆哮が上がり、大気の鳴動を背中に感じながら、スバルは「おかしい?」と彼女を見る。

 

「白鯨の数が五体……いや、ドクターが一体を倒したため四体であるが、いずれにせよ絶望的な状況に変わりはない。だが、もし仮に白鯨が群れを為す魔獣であるのだとすれば、いくらなんでもそのことが誰にも伝わっていないなどあるものか?」

 

「ーーッ!」

 

「なにか、カラクリがあるはずだ」

 

はっきりと断言し、クルシュはその凛々しい面差しをスバルへ向ける。

自然、その強い眼差しに射抜かれて、スバルは背筋を伸ばし、

 

「ようは、それを見つけろってことか」

 

「時間稼ぎは卿の逃げ足と、それを援護する形で我々が行う。いずれにせよ、そう長くはもたない。なんとかするぞ――撤退など、もはや選択肢にないのだから」

 

そう言い切り、クルシュの地竜が方向を変えてスバルから離れていった。

 

 

 

「ーー生きていたか」

 

「ああ、こういうのは慣れている。それにしても、威勢が良い連中だと思っていたが、まさかこれほどで屈するとはな。かませ犬程度の役回りはあるだろうが、あれでは蛇足もいいところだ」

 

地竜の向きを変えたクルシュは、体制を整え上空に浮かぶストレンジの方へ向かった。

彼女の存在に気づいて降りてきた彼は、その問いかけに軽い愚痴と共に返す。彼が首を向ける方へ視線を移せば、顔面蒼白に震える魔導師達の姿がある。

 

「その口ぶりからして、卿は随分と平気なのだな。これほどの脅威は卿にしてみれば、序の口なのか?」

 

「強さでいうならば、奴は上の下程度だ。我々はこれよりもっと強い敵との戦闘を経験し、それを超えてきた。それこそ、世界を滅ぼすほどの脅威と戦ったこともある」

 

「ーーならば、どうして卿は一刻も早く奴を仕留めない?本当は、奴の弱点すらも見抜いているのではないか?」

 

「至高の魔術師」を名乗るほど、強力な彼が未だに白鯨に対する有効打を見つけられていないとはおかしい。ストレンジとの関わりがこの中では長いクルシュは、戦いの中でそう感じていた。

無論、白鯨が苦労しない敵といえば嘘になり、実際に現在も死傷者は増え続けている。だが、時間を操るほどの力を持つ彼がそう苦戦するとは考えられなかった。何より、彼はこの戦いに勝利を見出している。とすれば、何故手を打たないのかーー。

そう考えるクルシュは、礼を欠くことを承知でそうストレンジに問うた。

 

「聞こう、クルシュ。それは、何か根拠があってそう言っているのか?それとも単なる勘か?」

 

「……根拠はない。勘でそう感じているだけだ。卿ならば、もっと簡単に戦えるのではないかと。この場にいる皆の中で、卿と最も長く時を共にしていると自負しているが故に出てきた突拍子もない話なのだが、おかしいだろうか?」

 

彼とは、フェリスやヴィルヘルムの様に長い時を過ごしたわけではない。それこそ、今戦場を駆けているスバルとレムの付き合いよりも短いことだろう。それでも戦いを通して、それなりの信頼を置いていた立場だ。何より、あのロズワールをも上回るかもしれない男であり、上から目線が気にならない実力も兼ね備えている。

クルシュはこの時ばかりは彼が何かを隠しており、それはこの戦いに関わる重要なことではないかと疑っていた。

 

「ーー奴だ」

 

「奴?」

 

上空を移動するストレンジの目線を追って、クルシュもその方角を見る。二人の視線の先には、白鯨に追われながらも地竜を操り走り回る少年、ナツキ・スバルの姿が。

 

「奴が、あの少年が()()()()()()におけるキーマンだ。奴活躍無くして勝利はあり得ない。自らの手で白鯨に対する有効打を見つけ出す。このことが、勝利への大前提だ」

 

「では、ナツキ・スバルが次なる一手を打つまで……」

 

「文字通り、粘るしかない。どれほどの犠牲が出ようとも、どれほどの命が失われようと、それを我々は甘んじて受け入れる以外に道はない。気に触るが、奴を……彼を信じるしかない」

 

「卿は口では彼を罵ってもいたが、本音ではあの男を買っているのだな」

 

ストレンジの上から目線な性格と傲慢な振る舞いの裏に隠れた、彼の本音。それは何より、人の命を救えるのは力と才能に恵まれた己しかいないという信念、そして命が失われることへの恐怖だ。

しかし、今はそれを収める形でスバルに運命を託している。

 

「それほどまでに、あの男は大きな存在なのか。ナツキ・スバルという少年は……」

 

「ああ。今後、彼には多くの厄災が降りかかることになる。そして多くの命が失われ、多くが穢されることだろう。彼が歩むことになる道はとても険しく辛い、謂わば茨の道だ。挫けてしまえば、その先には深く誰しもが報われない、残酷な闇が待っている。良き未来のためには、彼が彼自身の殻を破ることが重要なのだ」

 

「“殻”か……。私としては、この数日で彼は大きく変わったように見えるのだが」

 

「確かに今の彼の状態は波に乗っている。だが、あれはまだ殻を破ってはいない。彼が真に殻を破る時、それは彼が大切な存在を喪った時だ。だが、それは私の想像を絶する程の、身を引き裂かれるような惨劇だ。恐らく、彼は受け入れるのに苦労するだろう。

しかし、彼がそれを乗り越えてこそ、真なるヒーロー(英雄)となる。我々の勝利に通ずるには絶対の条件だ。最も、その時に彼が道を踏み外すリスクも大きくなるが」

 

ナツキ・スバルにとって大切な存在ーー、その存在に見当がたいたクルシュはまさか、と目を見開く。

 

「卿は、まさかーー」

 

「何が起こるか明かせば、それは更なる混沌をもたらす。良き未来は実現しない。すまない、クルシュ。私は、世界を守るために必要な犠牲を払う。それは君たちにとって受け入れ難いだろう。恐らく、私を怒り罵ることになる。それでも進まなければならない。

 

 

言えることは一つーー私を信じろ」

 

そう言うと、次なる標的に向けてストレンジは高度を上げて上空へと消えていった。

 

 

 

 

 

(“必要な犠牲”……ドクターはそう言っていたが、他に道はあるはずだ。私が、彼が苦しまないよう別の選択肢を与えなければ)

 

ストレンジから告げられた重い言葉を胸に、彼女は大きく迂回すると、睥睨する白鯨を回り込みながら、フリューゲルの大樹の下で震える討伐隊の下へとめぐり、声を上げる。

 

「立て!顔を上げろ!武器を持て!!」

 

絶望と悲嘆に暮れて、顔を俯けていた男たちが視線を上げる。

彼らの前でクルシュは堂々と、抜き放った宝剣を天にかざしながら、

 

「あの男を見ろ!あれは武器もなく、非力で、吹けば飛ぶような弱者だ。打ち倒されるところを、私もこの目で見た無力な男だ!」

 

剣で走る背中――地竜にまたがるスバルを示し、クルシュは声をさらに高く上げる。

 

「他の誰よりも、あの男が一番弱い。戦う力がない。生き残るだけの能力もない。何度も何度も挫かれて、そのたびに打ちひしがれてきた敗北だらけの男だ。

ーーそんな男が、まだやれると誰よりも早く吠えている!」

 

この場の誰よりも無力な男が、まだ戦えると歯を食い縛り、痛みに耐えて、涙を堪えて、血反吐を吐きながら、それでもまだ抗おうと上を見ている。

 

「それでどうして我らが下を向いていられる!もっとも弱い男が諦めていないのに、どうして我らに膝を折ることが許される!」

 

「ーーッ!」

 

士気を折られた男たちが顔を見合わせ、震える膝を鼓舞して立ち上がる。

取り落とした武器を手に持ち、主の騎乗を待つ地竜がその傍らに寄り添った。

 

「卿らは恥に溺れるためだけにーー、」

 

手を伸ばし、手綱を握り、膝を屈したはずの騎士たちが地竜の背にまたがる。地竜が嘶き、その背の上で騎士たちもまた、剣を抜いて喉を嗄らした。

雄叫びが上がる。自らの心を奮い立たせるように、己の魂を誇るために。

 

「ーーここまで来たのか!」

 

刹那、クルシュの横を通り過ぎていく鉄球が一つ。コンラッドが投げたそれは、真っ直ぐに白鯨の眉間に向かい飛んでいく。戦う弱い少年の後ろで、蹲って下を向くことの愚かしさを恥じ、己を奮い立たせてそれをふり投げたのだ。

その感情を「恥」という。「恥」が恐れを、諦めを、負感情を切り開き、騎士たちに顔を上げさせ、前へ踏み出す力を与える。

 

「続け――!総員、突撃!!」

 

「おおお――!!!」

 

続けて放たれるクルシュの斬撃。彼女の咆哮を合図に、屈したはずの魂にかけて、騎士たちが再び前進する。

地を蹴る地竜の足に土煙が立ち上り、総勢で五十を下回る数になった討伐隊が街道を突き抜け、刃の届く位置を泳ぐ二体の白鯨に猛然と襲いかかった。

 

 

 

 

「あそこまで低かった士気を最も簡単に上げるとは。流石、王候補の筆頭格だ。あれだけの力量ならば、それこそアベンジャーズでも埋もれないだろう。お前もそう思うだろ?」

 

クルシュ達が咆哮を上げ、白鯨に突撃している頃と時同じくして、地上に被害が及ばない上空で白鯨と戦っていたストレンジは、大きな口を開け迫ってくる白鯨にそう呼びかける。

 

「ーーーッ!」

 

「霧か。だが、私には届かないぞ!」

 

大きく開かれた口から放たれる霧の攻撃。ストレンジに向かって一直線に放たれたそれだが、彼に届くことはない。

霧が彼を飲み込もうと迫った直前、開かれたポータルに白鯨の霧は吸い込まれていった。そして、その直後。

 

「ーーーーッ!!?」

 

「喜べ。常に腹を空かしているお前を憐れんで、胃袋に霧をつめてやる。飢餓に苦しむお前にとって、満腹で死ねるというのはこの上ない幸福だろう」

 

徐々に膨張を始める白鯨の身体。ストレンジが開けたポータルの先、暗く底が見えないそれは、なんと白鯨の胃袋だった。

外部からの衝撃には強くとも、内部からの攻撃には脆いと考えたストレンジは、どこかの陽気な銀河の守護者たちの集い(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)の脳筋よろしく、内側から破壊すると言う手法を使ったのだ。

 

自らの霧の直撃を受けた白鯨の身体は、許容範囲を超え徐々に内側から崩れていく。

身体の至る所から穴が開き、霧が漏れ出ていく。充血した目や苦しく開かれた口からは、体内に収まりきれなくなった霧が溢れており、苦しい白鯨の咆哮が聞こえてくる。

 

「ーーーーッ!!」

 

「だが、私には動物を痛ぶる趣味はない。偏に止めを刺す」

 

ストレンジが片手を上げると、白鯨の目が大きく開かれ、恐怖の色が浮かぶ。

 

その直後、まるで火山の噴火の如く、膨れ上がる白鯨の背鰭。彼の念力によって体内で一束に集められた霧は、勢いよく白鯨の身体を突き破った。上空へ勢いよく飛び出した霧は、白鯨の内蔵物や血を周囲に撒き散らしながら、天高くへと昇っていく。内部から圧縮された空気が勢いよく飛び出たその反動は目玉を抉り出し、顎を崩壊させ、白鯨の白い身体を血で染める。

 

やがて、噴き出る霧でマナを制御できず、身体を維持できなくなった白鯨は、まるで霧のようにその姿を消した。それと共に、上空を貫くばかりに高らかと聳え立っていた霧の塔も、刹那のうちに消えていく。

その場に残るのは、盾状のエルドリッチ・ライトを展開したまま、空中に佇むストレンジただ一人。

 

敵を倒したストレンジは、丁度直下を走り抜けるスバルを発見し、彼を目指して降下する。

 

 

 

 

 

 

 

「非力で無力で負け犬のナツキ・スバル。まだ生きているようで、良かった。流石、世間から逃げ続けてきただけのことはある」

 

「こんなヤバイ戦場でも嫌味かよ!いや、そうなんだけどさ…‥アンタは随分余裕そうだな!ドクター!」

 

「ああ。今上で呑気に泳いでいる敵よりももっと強い敵と戦ってきたからな。この程度など序の口だ」

 

「その序の口に、俺らは殺されかけてるんだけど、なっ!」

 

上空から降りてきたストレンジに開口一番、神経を逆撫でる言葉を浴びせられるも、地竜の操作で手一杯のスバルは、どうにか彼に言葉を返すだけで精一杯だ。残りの白鯨が迫る中で、既に白鯨を二体も倒しているストレンジは、既に英雄級の働きをしていると言っても過言ではなく、その様子を地上から見ていたスバルもその実力だけは悔しいが、認めていた。

 

「んで、エース級の活躍をしているアンタが、態々空から降りてきて何の用?早く白鯨を倒せっていうなら、今やってるからさ!アンタも引き続き、その魔術で頑張ってくれ!」

 

「威勢はいいな。あの少女がいるからか。愛する女がいると、男は舞い上がってしまうものだな」

 

「お、俺とレムはそんな関係じゃ……ん?今なんて?」

 

「さて、だが白鯨を倒す策は今手元にない、違うか?」

 

ストレンジの指摘は的を得ている。事実、これだけ戦っても未だなお、誰も勝利への道を掴めていない。スバルこそ、この白鯨討伐のきっかけを作った一人であるというのに、白鯨から逃げ回ることしかできない。力不足故の行動だが、とても歯痒いことに変わりない。

 

「……ああ。悔しいけど、白鯨が増えた理由が分からねぇ。それで、これといった対策も立てられずにいる。クルシュさんやレムの……勿論、アンタの奮戦あってどうにか五分五分の戦況だ。早く倒し方を見つけないと、みんなやられちまう」

 

彼らの眼前、体に取りつくレムを振り落とそうと躍起になる白鯨に、クルシュと別れた混成小隊が援護の攻撃を入れている。騎士剣で火花を上げて白鯨の外皮を削り、距離をとりながら巨躯と並走する騎兵が魔鉱石による爆撃を加える。

 

絶叫を上げ、地べたを白鯨がのたうち回る。その痛みに悶える挙動ですら、間近にいる人間にとっては避け難い暴力だ。白鯨の力によって、一組の地竜と騎手がその一撃に吹き飛ばされる。死が待ち受けていると重わず目を瞑る彼らだが、ふと謎の浮遊感と何かに収まるような感覚を味わう。ストレンジが召喚した魔獣の如き生命体が彼らを口に入れ、フェリスのいる安全地帯まで送ったのだ。

一方、突如召喚された魔獣の存在を感知した白鯨は、ストレンジと共にスバルの接近を察して全身の口を開けた。

ゾッと血の気が引く感覚を味わいながら、地竜の全力に信頼を預けて風を切る。――その真横を、無数の口から放たれる「消失の霧」がかすめていく。

仮に指一本にでも触れれば、そこから掻き消されてスバルの存在は終わりだ。全身を「死」とは異なる、喪失感に取り巻かれる想像が心胆を震え上がらせる。

 

走る順路は地竜に任せ、地竜の背の上でスバルの肉体が回避運動。腕を跳ね上げてプッシュアップ。地竜の背の上で倒立するように後ろから迫る霧を避け、完全にバランスを崩して背から落ちるが――、

 

「こん……じょぉおおおおお!!!??」

 

握りしめた手綱と共に、身体に巻き付いた橙色に輝く縄によって身体が元の位置に戻される。元から少ない体力の上限をさらに減らし、そのまま今度はもう一方――クルシュたちが攻勢をかける白鯨へと足を向けた。

 

「ナツキ・スバル!身体だけじゃなく、頭も回せ!このままではその地竜もお前も、白鯨のいい餌になるぞ!」

 

スバルを上空から叱咤するストレンジは、まるで観音菩薩のように、腕を無数に出現させた。彼の身体は、腕を胸元でクロスさせた腕を広げると共に無数に分裂する。分裂したストレンジの身体が一様に同じ行動を取りながら白鯨に近づくと、鞭状のエルドリッチ・ライトを手元に出現させ、それを白鯨に巻きつけた。数多くのエルドリッチ・ライトに巻き付けられた白鯨は咆哮を上げ、脱出しようともがく。

荒い息を吐き、再び命懸けの囮行為に身をさらしながら、スバルは先ほどのクルシュとの会話で持ち上がった「カラクリ」ついて思考をめぐらせた。

 

「掻き回して……はぁっ。クソ、言う通りだ!命張ってるばっかりじゃねぇぞ、頭も回せ!どうして急に増えた……もとから五匹、なのは前提に合わねぇ……!」

 

なにか、とっかかりが掴めそうな気がする。が、その前にパトラッシュの懸命な疾走が白鯨の嗅覚範囲に到達。

宝剣の斬撃で下腹を切り裂くクルシュを追っていた白鯨の視線が、ぐるりと大きくめぐってスバルの方へと向けられる。同時、開かれた口腔に溜め込まれた濃霧が、大気を打ち破る咆哮とともに膨大な破壊となって吐き出された。

 

鋭く角度を変えて踏み込むパトラッシュ。迫る霧の暴威からその体を逃れさせるが、勢力範囲から逃れるには半歩足りない。――そのスバルたちの足りない半歩を、割り込んできたミミとヘータローの二人が稼ぐ。

逃れ切れないスバルの隣で、双子の獣人が口を開き、「わ」と「は」の咆哮を重ねて放つ――高い音同士の交わりが波紋を生み、それは距離をとって破壊に変換、膨大な震動破が波打つように平原の大地を耕し、迫る霧すらをも正面から吹き散らす。

 

「うおおおお!! すっっげええええええ!!」

 

「そーだろーそーだろー! もっと褒めろー!」

 

スバルの端的な賞賛に、ミミが胸を張って満足げに頬をゆるめる。その隣で息を切らすヘータローが「お姉ちゃんてば……」と小さくこぼし、それから駆けるライガーでこちらの左右を囲みながら、

 

「援護します。スバルさんの存在がないと……この戦いの勝ち筋が見えませんから」

 

「ばーっとやって、どかーんってやって、ずばばんばーんってやるんじゃダメなの?」

 

「ばーどかずばばーんってやるのに、スバルさんの協力が必要なんだよ、お姉ちゃん」

 

「へー」

 

と、スバルを挟んで緊張感に欠ける会話を続ける双子。

スバルは事態の困窮ぶりの触りも理解していなさそうなミミをさて置き、話の通じそうなヘータローの方へ顔を向けると、

 

「さっきの合体攻撃、途中で白鯨にぶち込んだやつだよな。まだいけんのか?」

 

「ーーあんな、兄ちゃん。ミミとヘータローはギリギリまでマナを絞ってやっとるんや。せいぜい、あと一回やで。――まあ、心配せんといてくれや。ワイらが兄ちゃんをしっかり守ってやるさかい。そや、兄ちゃんには妙な感覚があったことを伝え忘れるところやった」

 

更にスバルに合流する影が一つ。ライガーを軽く乗りこなす犬の獣人。ストレンジのマントによって命を救われたリカードだ。

彼のいつも通りの態度にスバルの内心に安堵が広がる。

 

「忘れるって……そんな大事なことなら忘れんなよ」

 

「すまんすまん。ほんで、その話やけどな、あの身体、なんや軽ぅなっとるで。斬る時から違和感はあったんやが、どうもおかしい。まるで実態のないモンを斬っとるみたいやった」

 

「軽く……?」

 

軽く空を見上げるスバル。二手に分かれた討伐隊と揉み合い、いまだ激戦を繰り広げる二頭の白鯨。

空に浮かぶ白鯨は五頭の魔獣の中でも最初に出現し、猛攻の前に上空へ逃れた一匹だ。依然、戦いに加わるでもなく高空からスバルたちを見下ろしている。

 

その態度がどこか不自然にスバルには思えた。

戦力が減少し、減らした数をさらに二つに分けて抗っているのが現状の戦局だ。スバルによる撹乱の効果があるとはいえ、空に浮かぶ白鯨がどちらかの戦場に加勢すれば、それだけで戦局は一気に傾く。ましてストレンジによって既に二体の白鯨が屠られているのだ。片方が食い破られれば、それで終わりなはずだ。

 

地竜の揺れに身を預け、再び白鯨の鼻先を突っ切る。クルシュたちと無数のストレンジ軍団に取りつかれていた白鯨が口腔をこちらに向けるが、開いた口の中にクルシュの見えない斬撃が、魔鉱石が投げ込まれて血霧が飛び散る。

騎士たちの雄叫びが上がる。ひとり、またひとりと確実に数を減らされながら、尽きることのない士気だけが今や戦線を支えていた。

 

「いくらなんでも、意思の力万能説は言い過ぎだろ」

 

そこまで考えて、スバルはハッと顔を上げる。背後、置き去りにしてきた白鯨、そして群がるストレンジの大群を振り返り、目を凝らして遠ざかる魔獣の顔面を見据えた。そして、ストレンジが倒した白鯨の死体がこの場にないことに気付く。

 

「だとしたら……!分かったぞ!」

 

歯を噛み、わき上がった可能性の奔流にスバルの全身を震えが走る。

意思を握る手綱に伝え、パトラッシュが鋭い切り返しで猛然ともう一頭の白鯨へ。奮戦するレムが鬼の力を解放し、鉄球で白鯨の胴体に次々と風穴を作っている。彼女はそのエプロンドレスを魔獣の返り血でドロドロにしながらも、接近するスバルに気付くと気丈にも微笑む。

鮮血に彩られた微笑みはただただ凄惨さを際立てていたが、レムのその姿は気高く、スバルには愛おしくてたまらなかった。

 

白鯨の頭部側へ回り込むと、スバルの接近に気付く魔獣が頭をこちらへ向けた。頭部の真横、目の下あたりに出現する複数の口が牙を剥き出し、涎を垂らしながら白い霧を噴出する。しかし、それはひどく遅い。

 

「どどーん! ばばーん! ずんばらばー!」

 

八の字にパトラッシュをまたぎながら、ミミの操るライガーが縦横無尽に飛び回る。大犬の背中で決めポーズをとるミミが、抜けた効果音を口にするたびに掌の中の杖の先端が輝き、生じる魔法壁が霧を遮断。スバルへの着弾までの時間を稼ぐ。

 

「これはたかくつくんだぞー、おにーさん!」

 

「これが終わったら百回ぐらいありがとうって言ってやらぁ!」

 

「ならよーし!」

 

安上がりなミミの返答に背を任せ、並走する白鯨を追い抜き、追い越し、前へ出たスバルは首を傾けて魔獣を睨みつける。スバルの方へぎょろりと、「隻眼」を向けてくる白鯨を確認し、スバルは間違いないと確信に頬を歪めた。

 

「思った通りだ。てめぇら、五匹いたんじゃなくて――分裂してやがるな!」

 

クルシュたちと一戦を交える白鯨にも、左目が存在していなかった。

今、こうして真横を駆け抜けた白鯨もそれは同じ。当然、その傷を負った空に浮かぶ最後の一匹も同様だろう。――左目の欠落は、即ちヴィルヘルムの斬撃だ。

 

同じ傷を一匹だけでなく、他の二匹も共有している理由など、はっきりしている。

先程のストレンジの魔術のように、空に浮かぶ一匹が分裂し、もう四匹を生み出したからに他ならない。

 

「一発が軽いのも、ある程度戦えちまってるのも、そういうカラクリだろうが!」

 

あれほどの戦力で拮抗していたはずの白鯨が、兵力の激減した討伐隊である程度戦えてしまっていること。

――奇跡や意思の力といったご都合主義を信じられない、捻くれ者のスバルはそこにこそ複数の白鯨の出現の根幹を見た。

 

「消失の霧」という一撃必殺を持つが故に、白鯨は耐久力を犠牲にして手数を優先した。数の暴力――その威容が増えたことで、討伐隊の心が折れるのであればそれで戦いそのものすら終わっていただろう。

魔獣という存在が人間の機微を理解してそんな作戦を打ったとも考え難いが、事実としてそれだけの効果が「分裂」には存在した。

 

「――なんだ!?」

 

ひとつの結論に結びついたスバルの前で、こちらを追おうとしていた白鯨の動きに変化が生じる。宙に浮かぶ体を地に擦りつけて、下腹で地面を削りながら滑空。まるで異物感に耐え切れずにいるような仕草に、

 

「お姉ちゃん、今!」

 

「痒いのに手がないなんて大変だぁー!」

 

好機と見たヘータローが飛び出し、囲むように動いたミミが白鯨の動きに誤解した感想を漏らす。双子は意思の疎通はともあれ、息の合った動きで左右から白鯨の胴体を挟み込み、同時に口を開くと――、

 

「わ――!」

「は――!!」

 

左右からの共振攻撃に白鯨の胴体が大きくたわみ、くびれの生まれた白鯨の体内で圧迫感に耐えかねた内臓がいくつも押し潰される。硬質の外皮も歪み、亀裂が走り、傷口の至るところから再出血し、白鯨にこれまでで最大のダメージ――そして、

 

「――ずぁぁぁああああ!!」

 

地面に擦りつけられていた下腹の一部が内側から膨らみ、血肉をぶちまけて切り開かれた。赤黒い体液が地面に濁流のように噴出する中、その流れに乗って外に吐き出されるのは――、

 

「ヴィルヘルムさん!?」

 

白鯨の顎にひと呑みにされ、そのまま生存が絶望視されていた老剣士の帰還だ。

暴れる白鯨を討伐隊が押さえる中、駆け戻るスバルは倒れ込むヴィルヘルムの下へ。全身をおびただしい血で汚すヴィルヘルムは、消えそうな意識で覗き込むスバルに口を開く。

 

「……未熟、油断を……」

 

そこまで言いかけたヴィルヘルムは、それ以上の言葉を吐くことなく気絶する。

 

「おじーさんが出てきたぞー!」

 

「ヴィルヘルムさん、生きてるんですか!?」

 

彼が気絶すると同時に駆け寄ってきた三人がすぐ傍らまでやってくる。彼らは顔を見合わせて頷き合うと、

 

「ヴィルヘルムはん……白鯨の腹ん中に収まるような男ではないと思うとったがが。とにかく、生きていてくれただけで、ワイらにとってはこの上ないっちゅうことや」

 

「スバルさん。ヴィルヘルムさんをフェリックスさんのところまで?」

 

「ふぇりっく……ああ、フェリスか。そうだよ。瀕死の状態で今にもヤバい。ホントなら俺が連れていきてぇんだが……」

 

首を傾け、スバルは再起動を始めようとしている白鯨を睨みつける。

腹の傷は深く、そこからとめどない体液の流出はあるものの、全身の口を開閉して淡い霧を生み出す魔獣の姿からは戦意が喪失する気配がない。

 

「今、俺が動けば下手したらケガ人集まってるとこに鯨を引っ張っていきかねねぇ。リカード、ヴィルヘルムさんを、任していいか?」

 

「もちろんや。ワイらのライガーで責任持って送り届けるさかい。……なにか、思いついたんか?」

 

スバルからヴィルヘルムを受け取り、軽々と大犬の背中に乗せるリカード。彼はそれからスバルを見下ろすと、能天気に「がんばんなきゃー」と手を叩いているミミと彼女の相手をするヘータローを呼び出し、

 

「勝算があるなら聞かせてくれや。もしもダメやら、ワイ以外のヤツはここから逃してやらんといかん」

 

「えー、どーしてだよー。まだあいつをやっつけてないのに……」

 

「お姉ちゃんは黙ってて」

 

ぴしゃりと告げる弟にミミが不満そうに唇を尖らせる。

そんな双子のやり取りを目にしながら、スバルは「そうだよな」と納得の頷き。

 

「お前らは傭兵だ。俺やドクター、クルシュ、鯨に恨みがある騎士たちと違って金で雇われてるに過ぎない。……命まで賭ける義理はねぇよな」

 

「スバルさん。ボクらは命を捨てる義理がないだけです。誤解されたく、ないので」

 

気弱そうな顔と態度だが、毅然と言わなくてはならないことを言うヘータロー。自分の腰ほどまでしかない小さな獣人を見下ろし、スバルは「悪い」と前置きしてから、

 

「時間がねぇ。勝算は、あると思う。とりあえず、ヴィルヘルムさんを後方送りにして……レムとクルシュ、それにドクターか。主だった奴らに声をかけなきゃな」

 

傍らのパトラッシュの背に飛ぶようにまたがり、スバルは顔を上げる。 

見上げた空、悠々と泳ぐ魚影を忌々しげに睨みつけて。

 




ドクター・ストレンジMoMの感想を一言で言えば、まさに「マッドネス」!でした。

ストレンジとアメリカ・チャベスが経験する物語もマッドネスだし、ワンダもマッドネスだし、イルミナティもマッドネスだし……

とにかくマッドネス尽くしで2時間があっという間に過ぎてしまうほど、面白かったです!
新旧の魔術や、クリスティーンとの恋物語、そして新たに紡ぎ出ささるであろう新たな物語など、見どころポイントはたくさんです!

色々語るのはネタバレになるので、あまり言えませんが、ベネ様の魅力が一段と引き上げられたのが今作だと思ってます!

皆様のご感想も是非お聞かせください!


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四十七話 終結

お久しぶりです、皆様。
あまりに時間が経ってしまったので、忘れてる方もあるかもしれません。
覚えてますでしょうか?笑

ここ最近、リアルがクソみたいに忙しく中々更新できていませんでした。
久しぶりの投稿です!


「白鯨の分裂か……怠惰な生活で腐った脳にしては、随分まともな答えが出たな」

 

「悪いな、こんなに時間がかかっちまって。それで、何で見分けられたかと言うと傷の位置と、その強さだな。ぶっちゃけた話、多少なりとも直接やり合ってるそっちの方が感じてるだろ?」

 

「レムは無我夢中でしたけど……でも、確かにそうかもしれません」

 

レム、クルシュ、それにストレンジは合流すると、スバルの説明の前に首肯して納得を表明した。

 

白鯨二体との戦闘が討伐隊と獣人傭兵団に委ねられている状況だが、士気の高さと連携が主力の欠如をかろうじて補っている状態であり、この三人が長時間戦線を離れるのは許されない。

 

「奴が元の一体より弱っている、というのは同意する。だが、それを理解したところで、焼石に水だ。ドクターの魔術と我々の攻撃で弱体化しているとはいえ、その脅威は依然こちらを上回っている。いかにフェリスの治療といえど、下がったものの戦線復帰は望めないぞ」

 

「ヴィルヘルムさんの合流がないのは痛いが、無茶は言えねぇよ。それは抜きで勝ちにかかるしかない」

 

「大きく出たな。三頭の白鯨を殺す。口で言うのは易いが、高い壁だ」

 

「三匹も殺す必要はねぇよ。――一匹だけで、いいはずだ。なあ、ドクター」

 

ぴくり、とスバルの言葉にクルシュが眉を上げ、ストレンジは初めてスバルへ満足げに笑みを浮かべる。初めて見せるストレンジの嫌味のない賞賛をも含んだ笑みに、思わず気恥ずかしさを覚えたスバルは指を天に差し向け、

 

「自分の分身の二匹にバシバシ戦わせて、高みの見物決め込んでやがるあの野郎は、いったいなにをしてやがるんだと思う?」

 

「加勢もしないで、傷を癒している……?」

 

スバルの言葉に自信なさげにレムが答えるが、スバルは首を横に振る。魔獣といったところでその生体機能に関しては通常の生物から逸脱し切ってはいない。高速の自動治癒などの機能は少なくとも、存在していない様に見える。

 

「奴が本体、か」

 

「そうだと、俺は睨んでる」

 

思い当たった、とクルシュが顔を上げる答えに、スバルも同意を頷きで示す。

 

「私も同意見だ。400年も生に拘る魔獣と、たかが数十年しか生きていない我々が対等に戦えているのはおかしい。過去に行われた白鯨討伐……ヴィルヘルムの妻である「剣聖」も参加した戦いの文献から察するに、「剣聖」も敗れた相手に我々が戦えてるのも、違和感を感じる」

 

「あいつが降りてこないのは、どっちの自分にも加勢したりしてこないのは、自分がやられるわけにはいかねぇからだと俺は思う」

 

「道理には合っている。しかし、逆を言うなら……」

 

「下にいる二匹は、殺しても本体の痛手にならないかもしれない。現に、ドクターが倒してもあいつは何ともなってねえ」

 

苦労して白鯨を倒したとしても、その屍が霧となって霧散し、すぐさまに新たな個体となって複製されないとも限らない。そうなれば終わりのない無限ループ、制限のあるこちらが早々に音を上げるのは目に見えている。

 

「白鯨が降りてこない理由と、倒し方は繋がりました。でも、それでどうするんですか?あそこまで高いところに飛ばれると、レムでも攻撃できません」

 

「私の加護でも、あそこまで届かせるのは並大抵ではない。一太刀ならばあるいはと思うが……それで落とせるなどとは思えない」

 

レムやクルシュの言うとおり、上空へ逃れた白鯨の高度はおおよそ雲と同じ高さまで達している。

最初の出現時よりさらに高いその場所取りに、白鯨の性質の嫌らしさが表れているようでスバルは苦い顔を堪えられない。

あの位置では砲筒を利用した魔鉱石の砲撃も、命中率を大きく下げるだろう。

 

「空中に引きずり下ろすのは、餌が必要だろう。だが、幸いにもそれは存在する。後は、どのように奴を地上に下ろすかだ」

 

ストレンジの答えを聞いてスバルは用意していた作戦を披露する。ぶっつけ本番であり、リスクのある採用したくなかった次善策が。

 

「ならちっとばかし、賭けの要素が強すぎる作戦があるけど……乗るか?」

 

 

 

 

 

――はるか高空から、眼下の争いを白鯨は静かに見下ろしていた。

 

戦場を左右に分けて観察するのであれば、平原を二つに割る戦いはちょうど、天を突くような大木を頂点に綺麗に分断されている。

どちらの戦場でも、小さな人間たちが魔獣の巨躯に取りつき、その手に握った鋼を突き立て、炎を生み出す石を振りかざし、小賢しく抗っている。

 

炎が立ち上り、魔獣の苦鳴が下から届くたびに、空を泳ぐ白鯨は白い霧を吐く。

戦場に立ち込める霧は眼下の同位存在に味方し、争う小さな存在たちを確実に劣勢へと追いやっていた。

 

たが気掛かりもある。あのマントを靡かせる魔術師だ。見たことのない多彩な魔術で戦場を飛び回るあの男は、念には念を入れ生み出した二体を既に屠っている。加えて、犠牲者を出さないためのフォローも行っており、怪我人こそいるが、死者はかなり少ない。

だが、それもこれまで。ちょこまかと動き回る影は時間の経過につれて、ひとつ、またひとつと確実に数を減らしている。全てを呑み尽し、この無益な戦いが終わるのもそう遠いことではない。

 

白鯨が人並みの狡猾さを持っていればそう考え、自身の勝利を確信したことだろう。

だが、実際には白鯨にはそのような知能はない。ただ白鯨はその本能に従い、自身が滅ぼされずに済むための、相手を滅ぼし尽くすための行動をするだけ。

 

「――――」

 

霧を吐き、地上を白く染め上げる。。何度も邪魔が入っているが、霧を広げて眼下の世界を覆い尽くさなければならない。それもまた本能の指令であり、そうすることが生きる意味だ。

 

そうして、眼下の光景から意識を切り離していた白鯨は、ふいにその巨大な隻眼をぎょろりと動かし、下に意識を向け直す。

すさまじい勢いで収束するマナを感知し、その流れの根本を見た。

 

「アルヒューマ!」

 

膨大なマナの渦、その中心に立つのは青い髪の少女であった。

跪き、時間をかけて練り上げたマナに指向性を与える少女の傍らで、ゆっくりと構築されるのは鋭い先端を覗かせる長大な氷の槍だ。

 

十メートル級の凍てつく凶器が、その鋭い穂先を白鯨の下腹へ向けている。

その狙いは明らかで、そしてそれを目に見える形で行ったのは致命的な失敗だ。

 

「――お願い!」

 

少女の祈るような叫びを受けて、氷の槍が地上から空へ向けて打ち上げられる。

穂先が狙うのは当然、宙を行く白鯨の胴体の中心だ。

 

ぐんぐんと加速し、空を突き破る勢いで迫る氷の殺意――だが、それは加速を得るための距離と、発射の瞬間を見られていた失策により、呆気なく頓挫する。

 

いよいよ正念場だな(We're in the endgame now.)

 

白鯨が尾を振り、風を薙ぎながら空を泳ぐ。

それだけでその巨躯は氷の槍の射程から外れ、白鯨の体を外れた氷槍はすぐ横を通過し、その狙いをあっさりと取りこぼした。

 

巨体をくねらせ、その行き過ぎる氷の槍を見送る白鯨。

ついにその氷柱の尻部分までもが真横を抜け――ほんのささやかな、なにかが砕け散る音が白鯨に聞こえたのは、まさに奇跡であったといえるだろう。

 

――それが取り返しのつかない音であったと報せるための、神の悪魔めいた奇跡だ。

 

「――よぉ。間近で改めて見ると超気持ち悪ぃな、お前」

 

巨躯の岩肌に、あまりの軽い感触が圧し掛かる。

頭部の先端に着地したそれの存在を感じ取るのと同時、白鯨は通り過ぎるはずだった氷柱が跡形もなく消失、マナの拡散する波動を嗅ぎ取った。

 

――ついで、鼻先に浮かぶ、堪え難い悪臭の源にも。

 

「ついてこいや。――言っとくが、俺はシカトできねぇほどウザさに定評のある男だぜ?」

 

悪臭が、悪意に満ちた笑みを浮かべて、そうこぼすのを白鯨は聞いた。

 

 

 

 

 

 

レムが作り出した氷の槍を囮に、ストレンジのポータルで白鯨の鼻先に取り付く、というのがスバルの立てた乱暴な作戦の序章であり、レムの反対を受けたものの、ストレンジの賛意で押し切った形だ。

いきなり白鯨に接近すれば、最も簡単にバレてしまう。そこで敢えて、見え見えの必殺技ならば白鯨は軽々と避けるだろうと予測し、その隙にスバルが白鯨に接近する。万が一、白鯨が避けなかった場合、マントが落下するスバルを救出するという、乱暴かつ粗さが目立つ計画。

 

「てか、よくドクターは許したな!?こんな無茶な作戦、反対しそうなものなのに!」

 

白鯨の鼻先に必死にしがみつき、スバルはそのざらつく肌と体毛の感触を掌に味わいながら、高空の風と強大な生き物の生臭さに拒絶感を露わにしていた。

 

取りついたスバル――つまり、魔女の残り香を放つ存在に、白鯨の様子はみるみる変貌する。それまで静観を保っていたはずの魔獣は明らかに興奮状態に入り、全身の口から霧と涎、哄笑を垂れ流して荒々しくスバルを歓迎していた。

 

もちろん、このまま白鯨に身を預けたまま、スバルがこの巨体を墜落させるための必殺技を放てるわけではない。覚悟ひとつで覚醒できるほど現実は甘くないし、この場で身を削る覚悟でシャマクをぶちかましたところで、前後不覚になった間抜けが手を滑らせて墜落死するだけの話だ。

だから、スバルが白鯨に取りついてすることはーー、

 

「んじゃ、いっちょいくか!」

 

手を離し、白鯨の攻撃行動が始まるより前に、スバルの体が岩肌を滑り――自由落下の軌道に入った。前後不覚ではない間抜けが、地上へ向けて墜落を始める。

 

白鯨はその大がかりな自殺を行うスバルの姿に首を向け、それを追いかけようとわずかに身を動かしたが、なにかを躊躇うようにその尾の動きを止める。

このままスバルを見過ごしてしまえば、自分に対して先ほどまでと同じアクションしか起こせないであろうことを、おそらくは本能で察しているのだ。ならばーー、

 

 

「大サービスだ、よく聞けや! てめぇのせいでレムが死んで、俺はすげぇトラウマ背負ったぞコラァ!!」

 

言い切った瞬間、風を受けていたスバルの肉体が世界から切り離された。

全身の感覚が遠ざかり、それまで内臓が上へ持っていかれそうになる浮遊感に支配されていた意識が現実を見失い、時間の概念が存在しない場所へ誘われる。

 

『愛してる』

 

なにか、耳元で囁かれたような気がした。

次の瞬間――激痛がスバルの全身を、稲妻で焦がすように駆け抜けた。

 

見えない位置、背中側から侵入した掌がスバルの胸骨をすり抜けて心臓を掴み、荒々しく、しかし大切なものを確かめるかのように、きつくきつく締め上げる。

血のめぐりを司る命の器官が手荒に扱われる現実感のなさ。致命的な部分を他人に自由にされることの異物感――絶叫を上げることすら叶わない世界の終焉は、風の音と自分の苦鳴によって知らされる。

そして、

 

「戻って……きたぁぁぁぁぁ!!」

 

「――――ッ!!」

 

眼前、大口を開いた白鯨が猛然と、スバル目掛けて直滑降してくる。

 

増大した魔女の香りに誘われ、魔獣の本能がそれを上回る憎悪によって塗り替えられた。咆哮を上げ、もはや眼下の争いなど失念したかのように正気を逸した目で、白鯨はスバルの存在だけを消し去ろうとばかりに襲いくる。

 

風を穿ち、間にあった距離をぐんぐんと埋めてくる白鯨に恐怖するスバル。

自由落下に任せる他にない状態で、この突進をかわす術はスバルにはない。このままでは地面到達前に白鯨の顎に咀嚼される。このまま、では。

 

「ドクター!!頼む」

 

風にかき消されそうなスバルの怒号に応えるように、光る鞭状の魔術がスバルの身体に巻きつく。

 

白鯨が油断したその隙を突き、自由落下の途上にあったスバルの体を、鞭状の魔術が絡みつく。

 

腰あたりを締めつけられ、強引に軌道を変えられる感触に「ぐげ!」とスバルは苦鳴を上げたのは王都に向かう途中の竜車での悪ふざけ以来で、彼にとっては懐かしい感覚だ。

 

「助かった!……けど、おっさんにお姫様抱っこされるというのは何だか変な気分だぜ」

 

「言い出したのはお前だ、クソ野郎。ならば下で待っている愛しのメイドにでも拾ってもらえ」

 

「いや、別にドクターが嫌という訳じゃなくて……え?ちょ、ちょっとー!?」

 

ポータルを開けたストレンジによって、半ば強引にレムの身体に収められるスバル。

レムの真正面から落とされたスバルは、そのまま彼女の胸に収まる。

 

「ごちそうさまです!」

 

「レムさん、あなた何言ってるのさ!」

 

手を合わせて礼を述べるレムに端的に突っ込み、スバルは顔を上げる。

すぐ傍らを、白鯨の顔面が通り過ぎ――、

 

「――――ッ!!」

 

勢いを殺し切れず、白鯨が頭部から地面に激突。轟音と土煙が爆砕された地面から立ち上り、その威力に大地が大きく弾むように揺れる。

それを背に受けながら、スバルはパトラッシュに指示して全力前進――その背後から、土煙をぶち破って白鯨が飛び出してくる。

 

すさまじい威力に頭部をぐちゃぐちゃにして、なおも白鯨は我を忘れた絶叫を上げながらスバルに追いすがる。あまりの勢いに悠然としていた泳ぎはむちゃくちゃになり、風を追い越すようだった速度は見る影もない。だが、気迫だけは圧倒的だった。

 

地面を削り、尾で大地をはたきながら、猛然と白鯨が迫る。前傾姿勢で体重を預け、スバルはパトラッシュの底力に命をかけた。短時間ではあるが、命を乗せて走ってもらうにふさわしいだけの信頼を彼は持っていた。

 

「頼むぜ、パトラッシュ! ドラゴンなんだろ!? かっこいいとこ見せてくれ――!!」

 

「――――ッ!!」

 

パトラッシュが嘶き、速度が一段と上がったのを風に感じる。白鯨の咆哮が轟き、鼓膜が乱暴に揺すられて世界がぼやけるのがわかった。

 

真っ直ぐ、真っ直ぐ、ただひたすらに走り、走り、駆け抜け。

泳ぎ、泳ぎ、猛然とスバルを食らい尽くそうと迫りくる白鯨。

そして――、

 

「食らい、やがれぇ――!!」

 

「――――ッ!!」

 

轟音が二連発で鳴り響き、直後に続くのはなにかを引き剥がすような音の連鎖。無視できない音の間隔は狭まり、近づき、やがてそれは、

 

強大な影を生み、真っ直ぐに白鯨へと――フリューゲルの大樹が倒れ込む。

 

「――――ッ!!!」

 

魔鉱石による砲撃、クルシュの見えない刃、鉄の牙団の振動破砕、ストレンジによる幹への集中攻撃――束ねた破壊の力に根本を抉られて、賢者の植えた大木が数百年の月日を経て、人に仇なす魔獣の巨躯を押し潰す。

 

樹齢千年クラスを上回る大木の重量に、真っ直ぐ突っ込んだ白鯨が真上から叩き潰された。それまで受けた破壊とは根本的に異なる次元の威力に、その巨躯を覆う強靭な外皮すらも防御の意味を持たない。

 

絶叫が上がり、すさまじい衝撃波がリーファウス街道を駆け抜け、霧を爆風が打ち払う。

大樹の下敷きになり、身動きを封じられた白鯨の苦しげな雄叫びが尾を引く。しかし、それだけの威力を身に受けて、なおも命を潰えることのない生命力。

 

もがき、超重量から逃れようとする白鯨、その鼻先に――。

 

 

「――我が妻、テレシア・ヴァン・アストレアに捧ぐ」

 

 

主より借り受けた宝剣をかざし、ひとりの剣鬼が舞い降りていた。

 

この生死を賭けた激闘と、十四年にわたる執念と、四百年にも及ぶ人と白鯨の争いの歴史に、幕を下ろす――そのために。

 

 

 

 

 

 

ヴィルヘルムの下からテレシアが姿を消して間もなくーー、剣鬼の姿が王国軍から消え人々から忘れられた代わりに、剣聖が軍内に名を広めることとなる。

 

一騎当千――その言葉を体現するかのようなテレシアの奮戦に、戦況は見る間に傾いていった。個人でありながら、その武勇はもはや個人の域になく、轟く「剣聖」の異名はかつての伝説を知る亜人たちにとっても絶望的ですらあった。

 

内戦の終わりは、彼女(剣聖)が戦場に出てから二年ほどの月日でなった。

落とし所は互いのトップによる会談に持ち越され、少なくとも剣を持つものたちの戦いは終わりを告げた。

 

戦いの終わりを祝し、王都では華やかな催しが開かれた。美しく、なにより力強い剣聖への勲章の授与などがいくつも予定されたセレモニー。

彼女の姿を一目見ようと、国中の人間が王都へ、王城へ足を運び、熱狂が戦争を終わらせた英雄であるひとりの少女を包み込む。

 

受勲式当日。式典が開かれた王城の大広間。騎士や文官、招かれた来賓客へ熱狂的な拍手が送られるその先にいるのは、王より勲章と褒美の宝剣を授与される剣聖テレシア。

そこへ、ふらりとその熱狂を断ち切るように剣鬼が舞い降りた。

 

晴れ舞台にも関わらず、剣を抜いた不逞の輩を前に、騎士や衛兵たちは色めき立つ。が、それらを制して前に出たのは誰であろう、叙勲を受けた剣聖であった。

同じく剣を抜き放ち、侵入者(剣鬼)と向かい合う少女の姿に誰もが息を呑む。

 

その立ち姿の美しさは洗練されていて、言葉にすることすら躊躇われた。

一方で、褐色の上着を羽織り、見える限りの肌は雨水や泥が渇き切って張りついている彼の姿は場にそぐわない。手にした剣も儀礼用の剣聖のものと比べれば貧相なもので、拵えこそ立派ではあるが刀身は歪み、赤茶けた錆が浮いている始末。

 

壇上の王が剣聖に助勢しようとする騎士たちを止める。顎を引き、前に出る剣聖の剣戟が閃くのを、誰もが声を殺して見守り続けた。

 

振り切られた刃と刃が重なり合い、甲高い音が観衆の間を突き抜ける。

煌めきが連鎖し、風を巻き、めまぐるしい速度で二つの影が駆け巡り始めた。

その光景を前に、声を失っていた人々の心に去来したのは、ただただ圧倒されるばかりの膨大な感動であった。

 

攻守がすさまじい勢いで入れ替わり、立ち位置を地に、宙に、壁に、空に置きながら二人の剣士が剣戟を重ねる。その姿に、気付けば涙を流すものすらいた。

 

 

剣戟が交錯し、鍔迫り合い、切っ先が閃き、幾度も打ち合う。

そしてついに、

 

「――――ッ」

 

赤茶けた刃が半ばでへし折れて、先端がくるくると宙を舞って飛んでいく。

そして、剣聖が手にしていた儀礼用の剣が、

 

「…………」

 

「俺の、勝ちだ」

 

飾り立てられた宝剣が音を立てて地に落ち、折れた剣の先端が剣聖の喉の寸前に迫る。

時が止まり、誰もがそれを知る。――剣聖の、敗北を。

 

「俺より弱いお前に、剣を持つ理由はもうない」

 

「私が、剣を持たないなら……誰が?」

 

「お前が剣を振る理由は、俺が継ぐ。お前は、俺が剣を振る理由になればいい」

 

上着のフードを跳ね上げる。赤茶けた汚れの下で、ヴィルヘルムが仏頂面でテレシアを睨んでいた。

彼女はそんなヴィルヘルムの態度に小さく首を振り、

 

「ひどい人。人の覚悟も決意も全部、無駄にして」

 

「それも全部、俺が継ぐさ。お前は剣を握っていたことなんて忘れて呑気に……そうだな。花でも育てながら、俺の後ろで安穏と暮らしていればいい」

 

「あなたの剣に、守られながら?」

 

「そうだ」

 

「守ってくれるの?」

 

「そうだ」

 

突きつけた剣の腹に手を当てて、テレシアが一歩前に出る。

息遣いさえ届き合う距離に二人、顔を見合わせる。潤んだ瞳に溜まった涙が、テレシアの微笑みを伝って落ちていき、

 

「花は、好き?」

 

「嫌いじゃなくなった」

 

「どうして、剣を振るの?」

 

「お前を、守るために」

 

 互いの顔が近づき、距離が縮まり、やがて消える。

 至近で触れた唇を離し、テレシアは頬を染めて、ヴィルヘルムを見上げ、

 

「私のこと、愛してる?」

 

「――分かれ」

 

顔を背け、ぶっきらぼうに言い放つ。観衆の時間の静止が解けて、衛兵がこちらへ大挙して押し寄せてくる。その中にいつか肩を並べていた面々がいるのが見えて、ヴィルヘルムは肩をすくめた。

そんな彼のすげない態度にテレシアは頬を膨らませる。あの場所で二人、花畑を前に笑い合っていた日々の一枚のように。

 

「言葉にしてほしいことだってあるのよ」

 

「あー」

 

頭を掻き、罰の悪さに顔をしかめながら、仕方ないとヴィルヘルムはテレシアを振り返ると、その耳元に顔を寄せて、

 

「いつか、気が向いたときにな」

 

と、恥ずかしさを言葉で誤魔化したのだった。

 

 

 

 

 

 

――煌めく宝剣が岩のような外皮を易々と切り裂き、風が走り抜ける。

 

 

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ――!!」

 

雄叫びを上げながら駆ける老剣士のあとを追いかけるように、生じた刃の傷から噴出する血が空を朱色に染めていく。

 

満身創痍の姿であることは誰の目にも見えていた。

左腕は肩から先が今にも落ちそうで、全身を濡らす血は返り血と自身の血が混ざり合ってどす黒く色を変えている。ほんのわずかな時間の治癒魔法の効果など、傷の止血と幾許かの体力の回復しか見込めない。依然、安静にしているべき重篤な状態であることに変わりはない。

 

だが、今のヴィルヘルムの姿を見て、誰が彼を瀕死の老人だと笑えるだろうか。

双眸の輝きを見れば、駆け抜ける足取りの力強さを見れば、握る刃の剣撃の鮮やかさを見れば、響き渡る裂帛の気合いを耳にすれば、その魂の輝きを目前にすれば、誰がその老人の人生の集約を愚かであると笑えるのだ。

 

刃が走り、絶叫を上げて、悶える白鯨の身が激痛に打ち震える。大樹の下敷きになって身動きの取れない魔獣の背を、駆け抜ける剣鬼の刃に躊躇いはない。頭部の先端から入る刃が背を抜け、尾に至り、地に降り立つと再び頭を目指して下腹を裂きながら舞い戻る。

 

一振り――長く長く、深く鋭い、斬撃が一周して白鯨を両断する。

 

跳躍し、動きの止まる白鯨の鼻先に再び剣鬼が降り立つ。その鬼気迫る姿に、初めて白鯨の目に「怯え」という感情が芽生える。今まで道中に転がる石同然に人間を消しとばしてきた己が、馬鹿にしてきた人間の手によって殺される。間近に迫った「死」への恐怖は、例え白鯨であっても拭えるものではない。

血に濡れた刃を振り払い、剣鬼は自分をジッと見つめる白鯨の右目――片方だけ残るそちらに自身の姿を映しながら、

 

「貴様を悪と罵るつもりはない。獣に善悪を説くだけ無駄。ただただ、貴様と私の間にあるのは、強者が弱者を刈り取る絶対の死生の理のみ」

 

「――――」

 

「眠れ。――永久(とこしえ)に」

 

白鯨の頭上に剣を突き刺す。最後に小さな嘶きを残し、白鯨の瞳から光が失われた。

自然、その巨体からふいに力が抜け、落ちる体と滴る鮮血が地響きと朱色の濁流を作り出す。

 

足下を伝う血の感触に、誰もが言葉を発することができない。

静寂がリーファウス街道に落ち、そして――、

 

「終わったぞ、テレシア」

 

動かなくなった白鯨の頭上で、ヴィルヘルムが空を仰ぐ。白鯨に止めを刺した剣を握りしめ、堪えても零れ落ちる雫を手で覆い隠しながら、ヴィルヘルムは声を絞り出す。

 

「テレシア、やっと……私は……」

 

掠れた声で、しかしそこには薄れることのない万感の愛が。

 

「俺は、お前を愛しているッ!!」

 

ヴィルヘルムだけが知る、告げられなかった愛の言葉。

最愛の人を失うその日まで、一度たりとも言葉にできなかった感情の昂ぶり。

 

かつて彼女に問われたとき、本来ならば告げておくべきだった言葉を、ヴィルヘルムは数十年の時間を経てやっと口にする。

 

白鯨の屍の上で、剣を取り落とした剣鬼が涙し、亡き妻への愛を叫んだ。

 

 

「――ここに、白鯨は沈んだ!」

 

ぽつりと、凛とした声音が平原の夜に静かに響く。

その声に言葉をなくしていた男たちが顔を上げ、地竜を歩かせて前へ進み出る少女を誰もが目にした。

 

長い緑髪はほつれ、戦いの最中に受けた傷で装飾の類は無残になり、その顔を自身の血で汚した、あまりにみすぼらしい格好の人物だ。

しかしその少女の姿は彼らの目に、これまでのどんな瞬間より輝いて見えた。

 

魂の輝きが人の価値を決めるのであれば、それは当然のことだ。

持っていた剣を天に差し向け全員に見えるようにし、

 

「四百年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣――ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアが、討ち取ったり!!」

 

「――――おおおおお!!!!」

 

「この戦い、我々の勝利だ!!」

 

高らかに勝利の宣告が主君から上がり、生き残った騎士たちが歓声を上げる。それは、例え成り行きで運命を共にした魔術師とて変わりなく、額に傷を受け、道着やマントが汚しながら、この戦いにおいて重要な役割を果たした彼も、騎士のように歓声を上げることはせずとも、笑みを浮かべ拳を握りしめる。

 

霧の晴れた平原に、再び夜の兆しが舞い戻る。月の光があまねく地上の人々を照らす、あるべき正しい夜の姿として。

――ここに数百年の時間をまたぎ、白鯨戦が終結した。

 




前書きにもありましたが、今クソみたいにリアルが忙しく中々書ける時間がありません。
あと、個人的にブームがリゼロから、ワンピースに移ってそれを見まくっていたのも理由の一つですが(笑)。

ストレンジ先生への思いは以前強いのですが、リゼロに関しては徐々にモチベが落ちていまして……。何とか続けますが、更新ペースはかなり落ちてしまうかもしれません。一様、第5章までの構想はあるのですが……。

気長に待ってもらえるとありがたいです。


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四十八話 新たなる戦いへの旅立ち

皆様、お久しぶりです。私、しっかりと生存しております。

白鯨戦が終わり、いよいよ次は魔女教討伐戦。今回はその前の準備段階のお話です。


掲げられた剣がその月光を映し、反射する光景は美しくすらあった。

白鯨の巨躯がフリューゲルの大樹の下に横たわり、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。

 

「終わったな」

 

「ああ、ようやくだ。人々を苦しみ蝕み続けてきた厄災は今日遂にここに倒れた」

 

白鯨の死体を眼前にして、感無量な気持ちに浸るクルシュの横に、マントを靡かせたストレンジが並ぶ。彼にとってはこの巨大な生物が持つ魔力に興味を惹かれるものの、それを口にするような無粋な真似はしない。

 

「卿の力無くして白鯨は討ち取れなかった。改めて礼を言わせてもらう。ドクター・ストレンジ、此度の卿の働きは他に類を見ない偉大なものだ。討伐隊の指揮を執った身として心から感謝を」

 

「ありがたく受け取ろう。だが、当然の務めを果たしたまでだ。礼を言われるまでもない」

 

「そう謙遜するな。卿の活躍はこの戦場において、多大なものだったぞ」

 

微笑するクルシュの顔は達成感に満ち溢れている。戦いは終わった、しかし喜ぶ面々とは裏腹に、彼は浮かばれない顔をしていた。

 

「この戦い、得たものは大きいが失ったものも大きい。やるべきことをやったが、それでもこの結果には……納得がいかない部分もある」

 

アガモットの目を持ちながら、何処か悲しそうな表情を浮かべるストレンジに、クルシュは声をかけなかった。

 

ーー最善の策。ストレンジがタイム・ストーンを通して見た未来において、彼は勝利のために幾つかの犠牲を払うことを余儀なくされていた。それは、今回の白鯨戦だけでなく、この先の戦いにおいても変わらない。これから、どんな犠牲が起ころうとも、このユニバースを良き未来へ導くための通過点となる。

 

「卿の見た未来ーー、良ければ私に話してくれないだろうか。私も、卿の苦痛を少しでも分かち合いたい」

 

「前にも言ったはずだ、クルシュ。何が起こるか明かせば、その未来は実現しない。それどころか、予期せぬ現実を生む。タイム・パラドックスはそれだけ危険なんだ」

 

「……そうか。卿が見た唯一の勝ち筋。それが揺らぐことはあってはならない。その言葉を信じよう」

 

「すまない。こればかりはどうしても言えないんだ」

 

真剣な顔で否定するストレンジの気迫に、クルシュはこれ以上追及できなかった。以前、彼も語っていたが未来に何が起こるかを明かせば、その未来は来ない。そのことをクルシュは理解できていない。

一つの選択肢から、無数の世界が生まれる多次元宇宙(マルチバース)の誕生は、この世界にとっても良くないのだから。

 

「これからの戦い、少なからず犠牲は出てしまうだろう。無論、その大半は救えるが救えない命もある。ーーこれほど自分の弱さを痛感したのは、あの日以来だ」

 

そう告げるストレンジの顔は何処か暗い。白鯨の勝利に浮かれる大多数の面々とは異なり、彼は失った命を大きさに心を痛めていたのだ。

そして、クルシュはその一瞬を見逃さなかった。

 

その言葉を吐くストレンジの表情が、悲壮なものに満ちていたことに。

 

「ドクター?」

 

彼女は加護の直感で感じ取る。彼が、重大な事を隠していることに。そして、それはあのドクター・ストレンジをして、これほどの顔をさせることになる出来事であること、それが必ず未来で起こることを確信したのだ。

 

「いや、何でもない。さて、あそこで熱愛を繰り広げているバカップルの様子でも見てくるか。人目を憚らず、イチャコラするのは気に障るが、最大の功労者を労わないわけにはいかない。少しばかりは褒めても、奴はアガらないだろう」

 

そそくさと離れていくストレンジの背をクルシュはじっと見つめる。

 

(卿を追い詰めるものとは、一体なんだと言うのだ……?あのような顔をするのは、それほど多大な犠牲を伴う戦いがこの先に控えていると言いたいのだろう。この白鯨との戦いにおいてもそのような表情をしなかった卿が、これから先の未来にそこまでの表情するとは)

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、絶対に死んでしまったりはできませんね」

 

「たりめーだ。死んでも、死なせたりしない」

 

顔を近づけて、その額に額を押しつけて至近で見つめ合う。

レムはそんなスバルの仕草を愛おしげに見つめ、息遣いさえ触れ合う距離に少女の姿があることがスバルにはむず痒い。自然、視線がその桃色の唇に引き寄せられ、心臓の鼓動がかすかに早まるのを感じ――、

 

「――お二人さん、もうそろそろいいんじゃにゃいかにゃ?」

 

「イチャつくのは別の場所にしてくれ。デリカシーがなさすぎだ。……ああ、ゲームオタクとヤンデレには求めても無駄か」

 

それまでいちゃつきを遠巻きに見ていたフェリスと、合流したストレンジの二人が呆れた様子で、肝心の場面に割り込んで盛大に邪魔をしたのだった。

 

「あんにゃに必死になって呼びかけちゃって、スバルきゅんてば可愛いよネ。「お前がいなくちゃ、俺は生きていけない……!」だって!にゃんともまぁ、胸が熱くなるお話だよネ〜。ストレンジ先生はどう見ますかにゃ?」

 

「若いな、実に若い。私の知人にも若い高校生カップルの二人がいたが、この二人のようなザ・青春という感じだったな。フェリス、苦さ濃いめのブラックコーヒーを頼む」

 

「うるせぇ、黙れ!じろじろ見てるとか、てめぇらの趣味の悪さを省みろ!」

 

「何も見たくて見たわけではないさ。我々の趣味の悪さを言いたいのであれば、せめて人目につかないところでやってくれ。それとも、見られて喜ぶ露出癖でもあるのか?」

 

「そもそも、冷静になればわかるじゃにゃい。負傷者の傷の手当てして回ってるフェリちゃんがすぐに行かなかった時点で、レムちゃんの傷が命に関わるほどのものじゃにゃいみたいにゃことにさぁー」

 

「冷静になれる場面かぁ!好い……!惚れ……!大事な女の子がケガして意識ないんだぞ、混乱して当たり前だろうが!」

 

怒鳴りつけるスバルにどこ吹く風で、フェリスは掌に浮かぶ青い輝きをレムへと向けながらへらへらと笑っている。その横顔に収まらない苛立ちを叩きつけながらも、スバルは徐々に和らいでいくレムの表情に安堵の気持ちを隠せないでいた。

 

フェリスの言には素直に頷けない部分も多いが、重傷者から順番に治療を施していた彼やストレンジがレムを後回しにしたということは、彼女の怪我が然程、酷くない事を示している。白鯨討伐の功労者であり、余所の陣営の戦力であるレムやスバルを軽々しく扱うことなど彼の主が決して許すまい。

 

「無事か、ナツキ・スバル」

 

と、件のフェリスの主――クルシュがゆったりと草を踏みながら現れる。

血や泥で各所を汚しながらも、真っ直ぐに背筋を伸ばすクルシュの立ち姿は美しかった。

 

「どうにかこうにか、な。クルシュさんも無事そうでなによりだ」

 

「私はな。だが、討伐隊の方の損耗は決して少なくない。白鯨を討ってなお、消えたものたちは戻らないのだから」

 

手を掲げて応じるスバルに顎を引き、しかしクルシュはその表情に沈痛なものを浮かべて首をめぐらせる。彼女の視線が向くのは、いまだ大樹の下敷きになったまま動かさずにある白鯨の屍だ。時折、ストレンジもそちらを気にしてか、目線をそこへ向けていた。彼のその心情を正確に読み取れないが、表情は沈痛さを隠せないでいる。

 

そのすぐ近くでは、視線の先では生き残った討伐隊の、比較的負傷の少ない面々が寄り集まり、白鯨の上から大樹を退けようとしているようであった。

 

「なにをやってんだ、ありゃ」

 

「白鯨の屍を運び出さなくてはならない。作戦の犠牲になったフリューゲルの大樹に対しても、なにかしらの処置は必要だ。戦いのあとにこそ、気が休まらない」

 

「運び出すって……あのでかい死体を?」

 

聞き間違いかと確かめるが、クルシュの態度は変わらなかった。スバルは慌てて視線を白鯨に戻し、その全長五十メートルにも及ぶ巨躯を眺める。

 

「できない、では話にならない。四百年、世界の空を泳ぎ続けた脅威だ。その屍という確かな証拠があってこそ、人心は真の安堵を得る。最悪、頭部だけとなる可能性もあるが」

 

口惜しげに語るクルシュの言葉を聞きながら、スバルは思い直す。もともと白鯨の討伐はクルシュにとって、商人方へのアピールの意味が大きい。最有力候補として国民からの支持も高く、そして懸念されていた商人からの好感度をも稼いだとなれば、彼女の立ち位置は盤石であり――、

 

「あれ、ひょっとしてけっこうまずい後押ししてねぇ?」

 

他陣営への肩入れという意味では取り返しがつかないぐらいの功績をやらかした気がしてならなくなってきたスバル。自然、自分の立つ陣営の不利さに拍車をかけた感がスバルの背を冷や汗が伝った。

 

「ずいぶんと暗い顔をするものだな。――白鯨を落とした英雄の顔には見えん」

 

「エミリアたんに開口一番裏切り者って罵られ……え、今なんて言った?」

 

「白鯨を落とした英雄、だ。――卿の功績を、そのまま当家の手柄の全てにするほど恥知らずではありたくない」

 

白鯨の方から視線を戻し、クルシュは剣のように鋭い眼差しでスバルを射抜く。姿勢を正されるような輝きに瞬きして、スバルもそれと向かい合った。

そうするスバルにクルシュはゆっくりと、胸に手を当てると、

 

「此度の協力、感謝に堪えない。卿がいなければ白鯨の討伐は苦戦を強いられていた」

 

そう言いながら、深々とスバルに対して礼の姿勢をとったのだ。

その高潔な人間から向けられる真摯な謝意に、スバルや側で見ていたストレンジをも感嘆した。

 

「い、いや……やめてくれって。俺、ドクターと違ってそんな大したことしてねぇし……」

 

「白鯨の出現の時と場所を確定させ、足りぬ戦力を整えるのに奔走、士気が折れかけた騎士たちの覚悟を奮い立たせ、自らの身が危うくなる起死回生の献策をし、その上で見事にそれをやり遂げてみせた」

 

途切れ途切れに言葉を返すスバルに、クルシュはこの戦いにおけるスバルの行動の結果を羅列してみせる。そうして整然と語られた自分の行いの帰結を見ると、それはまさしく、

 

「我ながら頭おかしいとしか思えない活躍してんな……」

 

「獅子奮迅ではないが、卿はこの戦いにおける立役者の一人だ。その行いが軽んじられるのであれば、私は私の名誉に誓ってそれを正すだろう」

 

スバルを真剣な目で射抜き、真っ直ぐな言葉を投げてくるクルシュの賞賛には一切の打算も躊躇もない。誠実、の二文字を体現したかのような人物だけに、その口が紡ぎ出す感謝の念には嘘の欠片もないだろう。

 

(その姿、やはりキャプテン・アメリカによく似ている。彼とは共闘したことはないが、YouTubeの映像に残る彼にそっくりだ。高潔を体現したような彼と戦えば、気が合うだろうな)

 

彼女の言動、振る舞い、能力を見て元いた世界にいた彼の姿をストレンジは連想した。ニューヨーク、ワシントン、ソコヴィア……ラフト刑務所から脱獄し、以後消息が分かっていない彼とクルシュは意気投合するに違いない。もしかすると……

 

「……クター?ドクター?大丈夫か?」

 

「ん?ああ、気にしないでくれ。昔を思い出していただけだ」

 

思考の世界から帰還したストレンジは、決意を固めたスバルに視線を移す。様子から察するに、クルシュが陣営に誘ったもののフラれてしまうところか」

 

「――俺は、エミリアを王にするよ。誰のためでもなく、俺がそれをしたいんだ」

 

「……わかっていたことではあるが、それなりに堪えるものだな」

 

「だがその気持ちも分からないこともない。私も愛する女性になら全てを捧げてもいいと考えるからな。彼女への思い、決して無駄にするなよ。少年」

 

スバルの答えを受け、クルシュはその唇を綻ばせると顎を引いた。彼が異世界に来て以降、ずっと心に抱き続けているエミリアへの想い。拒絶された今でも変わらぬ想いは必ず彼女に届く。

一度は離れ離れになるも、一人の女性を思い続けるストレンジにとって、理解できる感情だ。

 

「良いだろう。卿の功績には別の形で報いる。クルシュ・カルステンの名に誓い、その約束は果たされよう」

 

厳かに言い切り、クルシュは握り固めた拳を解いて自分の掌を見る。

それからわずかにその声の調子を落とし、

 

「思えばこれほど気持ちよく、誘いかけを断られるのは初めての経験だな。悩む素振りすら見せられないとは、いっそ清々しい敗北感だ」

 

「……クルシュさんやドクターはすげぇ奴だと思う。俺だってふらふらひとりなら間違いなく、その手を支えにしようって思うだろうさ」

 

寄る辺もない状態で、なにひとつ定まっていない状況で、クルシュ程の人物にそうやって手を差し伸べられたとしたら、きっと迷うことなく飛びついて、縋りついて、全てを委ねてしまうに違いない。現に、ストレンジと話し境遇が似たもの同士であると感じた時、スバルは一気に孤独感から解放されたのだから。

だけど、今のスバルは手を伸ばして掴まっていたい相手がいて、ふらふらと揺れる背中を支えてくれる掌の持ち主がいて。

 

「同盟の件は、よろしく頼む。最終的にどんな状態になって敵対することになっても、それまではきっと仲良くやっていこうぜ」

 

「ナツキ・スバル。ひとつ、考えを正そう」

 

スバルの言葉にクルシュは首を横に振り、唇を引き結ぶと厳しい表情を作る。再び張り詰めるような気配が彼女から発され、スバルは背筋に痺れるような感触を覚えて目を見開いた。

クルシュは指をひとつ立て、それをスバルの顔の前に突きつける。

 

「雌雄を決する機会がきたとしても、私は卿に対して友好的であろう」

 

「――――」

 

「いずれ必ず来たる決別の日にあっても、今日の日の卿への恩義を私は忘れまい。故に敵対するときがきたとて、私は卿に最後まで敬意を払い、友好的である」

 

指を立てた腕を振り下ろし、クルシュは凛とした声音ではっきり断言する。

その彼女の振舞いに、今度こそスバルの背筋を寒気が走り抜けた。それは負感情を発端とするものではなく、ただただ偉大なものに圧倒されたが故のものだ。

 

――これがカルステン公爵。あのドクター・ストレンジをも従える素質を持ち、高潔さを体現したクルシュ・カルステンという人物なのだ。

 

「俺の心の一番目と二番目が埋まってなかったら、かなり危ないとこだった」

 

「女として、卿をどうこうというところまでは考えていない。いくらか琴線に触れる場面がないではなかったが、私自身の意思とは無関係にそれなりに高値なのでな」

 

動揺する心を誤魔化すスバルの軽口に、それこそ軽口で応じてクルシュは薄く笑う。それから彼女は表情を切り替え、ひどく冷静な目をすると、「して」と前置きし、

 

「できるなら私はこのまま、負傷者と白鯨の屍を王都へ運びたいところだ。が、卿にはまだなにか使命が残っているようだな」

 

「……やっぱ、加護持ちにはわかるか」

 

「その目を見ればようと知れる。加護の力など必要あるまい」

 

スバルの黒瞳をジッと見ながら、クルシュは片目をつむるとそう答える。それから彼女はスバルの姿を上から下まで流し見て、

 

「卿も無傷ではないはずだ。それを押して、やらなければならないことか」

 

「重傷でもやらなきゃならねぇことだな。それをやってのけるための、鯨狩りだ」

 

「ほう、この白鯨討伐がついでときたか」

 

聞こえの悪いだろう言い方に、しかしクルシュが腹を立てる様子はない。

彼女はそこまで言うスバルの目的とやらに興味を持った様子だ。

 

「当家との同盟も、それを考慮してのものだろう。なれば、求められている役割も思い当たらないでもない。……手が必要か」

 

「必要だ。けど……正直、ここまでキツイとは思ってなかった」

 

力なく応じて、スバルは負傷者だらけのこの状況を見渡して肩をすくめる。白鯨討伐を終えたスバルを待つのは、エミリアの待つメイザース領への帰参であり、それは忌まわしき集団との相対を意味する。

その憎き相手との戦いにおいて、できればクルシュ陣営の力を借りることができるのが理想であったのだが――、

 

「こんだけケガ人が出てんのに、無茶は言えねぇ。クルシュさんにだって感情じゃなくて、当主としての意見があるだろ。この上で、手ぇ貸してくれとは……」

 

「私は行くつもりだ」

 

「この老躯、使い潰されるがよろしいでしょう」

 

ストレンジの後に続けて聞こえてくる老声。静かな語調で歩み寄ってくる長身の影――全身に返り血を浴び、今もなお左腕の負傷が痛々しい老剣士、ヴィルヘルムだ。

彼はその負傷の影響を微塵も感じさせない足取りでこちらへくると、右手に握っていた宝剣をクルシュの方へと差し出し、

 

「クルシュ様、お貸しいただいたものをお返しいたします。ならびに、此度の件、心より感謝を申し上げます。我が身の悲願が叶いましたのも、クルシュ様のご協力があればこそ。――ありがとう、ございます」

 

「私の目的と卿の悲願、互いに利害が一致しただけのことだ。――その剣は、今しばらくは卿が持っているがいい。このあと、丸腰では役に立つまい」

 

「は。ありがたく」

 

ヴィルヘルムの絞るような感謝の言葉に短く応じ、クルシュが顎で示すと、彼はスバルを振り返る。

改めて間近にすると、その身から漂う血臭はすさまじく、迸る剣気は意図せずしてスバルの細い肝に刃を突きつけるような緊迫感をもたらしていた。ただ、戦いの前にあった張り詰めるような雰囲気――そこからは解放されて、今のヴィルヘルムは晴れやかな様子であるのは事実だった。

 

「ナツキ・スバル殿。此度の白鯨討伐、成りましたのは貴殿の協力あらばこそ。この身が今日この日まで、生きてきた意味を全うすること叶いましたのは、貴殿あってのことです。感謝を。――私の全てにかけ、感謝を申し上げる」

 

「――――」

 

敬意を表するヴィルヘルムの姿。剣に捧げた半生の、そして十余年の時間をかけて、復讐をやり遂げたその彼から向けられる感謝の言葉に、その膨大な情熱の波に呑まれながら、しかしスバルは口ごもることを恐れて言葉を発することができない。

しばし気を落ち着かせ、目の前の老人の言葉へ正しく発声する気が整うのを待つ。彼の覚悟に対し、みっともない姿を見せることなど、それこそあってはならないのだから。

 

「やれたのは、ヴィルヘルムさん自身の力ですよ。あの白鯨を倒そうって考えて、調べて、鍛えて、諦めないで戦って……」

 

スバルは言葉を続ける。

 

「奥さんをすっげぇ愛してたから、白鯨を倒すまでいけた。その手伝いが少しでもできたってんなら、なによりです。こう言っていいのかわかんないッスけど……おめでとうございます。あと――お疲れ様でした」

 

「――――」

 

スバルの言葉に顔を上げて、ヴィルヘルムはその皺だらけの顔の中の瞳を大きく見開く。スバルが感じた思いや感動は、彼が勝手にヴィルヘルムに共感して思い描いたものだ。それが今の短い言葉で伝え切れるとは思わないし、わかったような口を利かれるのはヴィルヘルムも面白くないだろう。

しかし、それでも言いたい気持ちを堪えられなかった。十四年も、亡くした妻への愛を燃やし続け、ここまで走り続けてきた、運命と戦った先達に、労いの言葉を。

 

「――感謝を」

 

短く、声を震わせてヴィルヘルムがそう答えた。

 

 

 

 

ヴィルヘルムの他にフェリス、そしてストレンジも魔女教狩りに加わることになり、スバルとしては心強い味方の参戦に内心ホッとしていた。だが、愛する人は納得いかない様子だ。

 

「駄目だ。そのような身体で次の戦いには行かせられない。大人しく、王都に戻ってほしい」

 

「――どうしてですか!」

 

ストレンジの言葉に、強い語調で否定を発する声が響く。レムは、半身を起こした彼女は恨めしい目でストレンジとフェリスを睨みつけ、

 

「レムなら、レムなら大丈夫です。スバルくんがこれからまだ危ないところに行くっていうのに、レムがいなくてどうして……」

 

「そんにゃこと言っても、体、動かないでしょ? ほとんどひとりで白鯨を迎え撃って、おまけに最上級の魔法まで何度も使って……レムちゃんのお体は今、限りなく消耗してスカスカ状態にゃの。治癒術師として、これ以上の無理をさせることはできませーん。おわかりかにゃ?」

 

「でも!」

 

納得いかない、とばかりにレムは立ち上がって言い募ろうとする。が、起き上がろうと立てた腕に力が入らず、震える体を支え切れずにその場に倒れ込みそうになる。と、その崩れ落ちる彼女の体を駆け寄ったスバルが慌てて支え、

 

「危ね。――おい、頼むからドクターやフェリスの言う通り、あんまし無茶すんなよ」

 

「でも! 嫌なんです、苦しいんです。耐えられないんです」

 

間近に迫ったスバルを見返し、レムはその瞳に大粒の涙をたたえていた。置き去りにされることよりもなによりも、彼女が恐れていることは、

 

「スバルくんが困っているとき、誰よりも先に手を差し伸べるのはレムでありたい。スバルくんが道に迷っているとき、背中を押してあげる存在でいたい。スバルくんがなにかに挑むとき、隣にいて震えを止めてあげたい。それだけがレムの、それだけがレムの望みなんです。ですから……」

 

「それなら心配なんか、いらねぇよ」

 

「え?」

 

泣きそうな彼女の声に、その愛しさ募る言葉をぶつけられて、スバルは自然と面映ゆいものに唇がゆるめられるのを感じながら、

 

「手はいつだって繋いだままだし、背中なら何度も押してもらった。震えるのだって、お前を思うだけでどうとでもなる。――俺はお前にもう、ずっと救われてる」

 

「……ぁ」

 

「大丈夫だ、レム。全部丸ごと、俺がどうにかしてきてやる。俺はお前の英雄だ。その一歩を踏むと、そう決めたんだ。だから、なにも心配いらない」

 

震える瞳がスバルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。そんな彼女にスバルは笑顔を向けて、歯を剥くように獰猛に笑い、

 

「鯨狩りもやってのけた。お前の英雄は超、鬼がかってんだろうが」

 

「スバル、く……」

 

込み上げてくるものが堪え切れなくなったように、スバルを呼ぼうとしたレムの言葉が途中で途切れる。それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し、幾度も息を呑んだあと、抑えられなかった溢れるものを瞳の端からぽろぽろこぼし、

 

「――はい。レムの英雄は、世界一です」

 

と、泣きながら微笑んだのだった。

 

 

 

「クルシュ、少しいいか?」

 

王都への帰還準備を整えるクルシュの下に、ストレンジが歩み寄ってきた。真剣な表情で見つめる彼は、場所を変えて話し合おうとクルシュに提案する。それに応じた彼女は、二人でフリューゲルの大樹跡までやってきていた。

 

「これから簡単な保護呪文を、その身体と剣に刻む。『ヴィシャンティの呪文』だ」

 

「『ヴィシャンティの呪文』……?」

 

「簡単ながら強力な魔術だ。そうだな、例えるとするならばあの化け物騎士、ラインハルトの攻撃を2度は防げる」

 

彼の口から放たれた驚きの事実。あのラインハルトの攻撃さえも一時的には耐えられる魔術だと彼は言う。

 

「ならば、白鯨戦の時はなぜ使わなかった?これほど強力な魔法を使えば、より多くの同士を生かせられたのではなかったのか?」

 

「残念ながら、強力であるこの魔術は一人を対象にすることが精一杯だ。私の今の力ではこの場の全員にかけることはできない」 

 

クルシュはそれ以上の言葉を噤んだ。彼がそこまで言うのならば、その通りなのだろう。事実、彼に嘘の風は吹いていなかった。

 

「だが、その魔術をなぜ私に?」

 

「よくあるだろう?『一難去ってまた一難』と。これほど疲弊している討伐隊の残党。奇襲でも受けようものなら、恐らく助かる人間はいない。その中で、比較的戦闘力の高いクルシュには、何としてでも戦ってもらわなければならなくなる」

 

ストレンジによって次々とルーン文字が展開されていく。この文字の存在を知らないクルシュにとっては解読不能な文字になる。

100を超える文字が展開されると、それはクルシュの身体に貼り付くように纏わりつき、そして消えていく。

 

「これは……」

 

「これで終わりだ。どうだ?予防注射よりも早かっただろ?」

 

身体には変化がない。だが、心なしか白鯨戦の疲れが軽減されているような感覚をクルシュは覚える。

 

「念の為だ。もしこの魔術が無駄になるようなことがあれば、それは嬉しい限りだかな」

 

そう語るストレンジの顔には、珍しく心配そうな眼色が浮かぶ。

 

「疲れが軽減されている?不思議な魔術だ。だが、邪気はないな」

 

「これには欠点もあり、長期戦には向かない。もしも敵に見つかるようなことがあれば即座に逃げる、もしくは短期決戦で敵を倒してくれ」

 

「……分かった。どの戦でも、常に万全の準備をしておくことは大切だ。心に留めておこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「布石は打った。あとは、彼らに賭けるしかない。

 

ーーさらばだ、レム(So long, Rem)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レムや他の負傷者と王都へ帰参するクルシュに護衛を半数残し、残る討伐隊を連れてスバルは一路、メイザース領を目指す。

 

ヴィルヘルムやフェリス、ストレンジを代表に、スバルと同行する討伐隊の数は三十六名。想定した数よりは減ってしまったが、大事な戦力には変わりない。

 

「あー、それにしてもえーとこはみぃんな、兄ちゃんに持ってかれてしもうたな!」

 

「ダンチョー!ミミも!ミミもがんばった!ちょーすっごいがんばったー!」

 

リカードとミミの二人はこの戦いにおいて、ほぼ無傷で生還した数少ない戦力だ。それだけでなく、生き残った獣人傭兵団の十名ほども同行している。残った負傷者たちはもうひとりの副隊長である、ヘータローが率いて王都へ戻るそうだ。

 

「それにしても、弟があんだけ息切らしてたのにどうしてそんなお前は元気なの?」

 

「ヘータローはひんじゃくー。きたえてるミミとはちがって、なんじゃくくんなんだよ。なさけなーい!」

 

けらけらと、笑いながら弟の貧弱ぶりを笑い飛ばしている。が、スバル判断としてはおそらく姉の方が体力馬鹿なだけだろうと思う。戦いが楽しくてしょうがない、バーサーカータイプなのだ。姿が愛らしい子猫型の獣人だけに、逆にそういった姿であるのが不憫にすら思える。

 

「ま、あんましやったけど心配せんでえーで。ちゃんとお嬢に頼まれてるさかい、兄ちゃんの目的には協力したるから」

 

「目的の協力つったって、お前、俺がなにしようとしてるのか知って……」

 

「魔女教と、事構えるんやろ?」

 

ふっと、声を低くするリカードの言葉にスバルは声を詰まらせる。強張るスバルの横顔にリカードは「驚かんでもええやろ」と歯を剥き、

 

「商人は情報の鮮度が第一で、ワイらはお嬢に雇われとる身や。背景事情やら含めてある程度は目と耳を利かせてるっちゅーわけやな。伊達に耳がでかいのと違うんやで」

 

「そうだー! ミミはでっかいぞー!」

 

「お前のこととちゃうわ、ちびっ子」

 

リカードの冗談にミミが斜め方向から反応し、彼の苦笑を買っている横で、スバルは小さく息を呑み、アナスタシアの手の伸ばし方を甘く見ていたことを思い知る。とはいえ、目的に協力してもらう以上、黙っているわけにもいかない部分であり、その情報を開示するのは当然の流れだ。

もっとも、それらのことはスバルの保険――王都を出る前の時点で張っていた、それらの結果を見届けてからにしたいのだが。

 

「おっと、合流できそうやな」

 

「あ?」

 

ふと、前を見るリカードが遠い目をするのにスバルは気付き、その視線の方向を慌てて追いかける。目を凝らし、それでもなにも見えずに苦心しているスバルに、リカードは小さく含み笑いをしながら、

 

「そんな必死こかんでも、ちゃんと待っとけばわかる。安心しい」

 

「不確定要素はなるたけ早めに排除しときたいんだよ。もったいぶんな」

 

「せやな、したらもったいぶらん。――ちょい遠いんやけど、向こうからくるのはワイら傭兵団の、もう半分や」

 

「半分?」

 

リカードの言っている意味がわからず、スバルは首を傾げて聞き返す。半分、というか負傷者などはそのまま、クルシュたち共々王都への帰路に同行しているはずだが。

 

「半分っちゅーのは、そのままの意味や。もともと、ワイら『鉄の爪』は白鯨の討伐に半分の人員しか出しとらんかった。残りの半分は半分で、やることがあったんでな」

 

「やること、っつーと」

 

「街道に他の人間が入り込んで、戦いに巻き込まれんようにせなあかんやろ? せやから、街道の向こう側をあらかじめ封鎖しとく役割や。昨晩の内に出発しとったから、兄ちゃんと顔合わせる機会はなかったんやけどな」

 

リカードの説明に耳を傾けながら、スバルは納得に顎を引く。もっとも、白鯨討伐に全力を傾けていなかった、という点にはなかなか頷き難いところはあるが、クルシュの白鯨討伐が万が一失敗する可能性がないでもなかった。その場合、貴重な戦力を全て失うことを避けたアナスタシアの判断も間違いではないだろう。

 

「じゃ、今からくるってのが、残りの仲間なのか。そっちにもリーダーが?」

 

「ミミのおとーとのティビーがやってる。ヘータローの代わりに、ミミと合体技もできるスゴイ奴だぞー!」

 

スバルの質問に誇らしげに答えてミミが胸を張る。彼女の返答を聞いただけで、その残りの仲間への期待値が若干下がるが、

 

「いや、でも弟はまともだったしな。こっち側の弟も、それと同じでまともな可能性が微レ存……?」

 

「心配しとるとこあれやけど、ティビーはワイらの中やとかなり賢い子ぉやぞ。金勘定やら交渉も担当しとるし、ミミの扱いもうまい。ヘータローの上位互換やな」

 

「言ってやるなよ、ヘータローが不憫になんだろ……」

 

戦力外で置いていかれた点も含めて、ヘータローが哀れになりすぎる。それらの哀れみはさて置き、そういう面子が合流して戦力がさらに拡充されるのであれば儲けものだ。彼らの合流を待って、改めて話し合いの機を作るべきだろう。そのスバルの眼前に、リカードが言った通りに徐々に徐々に、合流を目指すライガーの群れが土煙を上げて近づいてきて、

 

「――ん?」

 

ふと、違和感に気付いたスバルが小さく声を上げる。目の前、走り寄ってくる複数のライガーの群れの中、ひとつだけ特徴が違う影が紛れているのが見えたのだ。

次第に距離が近づき、その輪郭がおぼろげなものからはっきりしたものに変わるにつれて、明快になり出したビジョンに地竜の姿が浮かび上がる。

 

そして、その地竜の背にまたがっているのは、

 

「――なんで、てめぇが」

 

「援軍に対して、ずいぶんな物言いをするものだな。相変わらず、君は」

 

立ち止まった地竜を互いに向かい合わせ、スバルとその人物は対峙する。紫色の髪を丁寧に撫でつけ、荘厳な近衛騎士団の兵装に身を包み、悠然とした微笑みを口の端に上らせる男。

 

 

――因縁の人物、ユリウス・ユークリウスが優雅な佇まいでスバルを見つめていた。

 




白鯨戦の後の分岐点であるクルシュやレムとの別れ。
ですが、クルシュ様の運命が原作から大きく変わりましたね。これが果たしてどのような波をもたらすのか。
この時、ストレンジが使った『ヴィシャンティの呪文』は、『What if』のエピソード8話でドクター・ストレンジ・スプリームが対ウルトロン戦で使っていた呪文と同一のものです。私の自己解釈でこのように判断しました。


ストレンジが言った「So long, Rem」は『ノー・ウェイ・ホーム』のセリフである「So long, kid」のオマージュです(日本語訳では「さらば少年」)。
なぜ、「See you」や「Bye」ではないのか。その重さや参考にした『ノー・ウェイ・ホーム』から察することができるかも……?


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