怯えながら指揮を執る (haku sen)
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指揮官は恐れ、怯える


独自設定やら独自解釈があるため、首を捻るかもしれません。
後、高雄が好きな方は申し訳ございません。キャラ崩壊しております。少し愛宕もしている気がします。

※ 追記、挿し絵を入れております。イメージなどが崩れる可能性があるので、嫌な方はご注意下さい。



 

 

『──敵艦、沈黙を確認。海域掃討、完了しました』

 

「了解した。第一艦隊、帰投せよ。…‥ご苦労だった。飛龍(ひりゅう)蒼龍(そうりゅう)

 

『……これぐらい、当然です』

 

『僕と姉様が居るんだ。別に大したことじゃない』

 

『まっ! 時雨(しぐれ)様にかかれば楽勝ね!』

 

綾波(あやなみ)も……頑張ったのです』

 

 無線から聞こえてくる彼女たちの声。

 言葉の節々に喜々が滲み出ており、その声色は弾んでいた。

 

 それは、(セイレーン)を打ち倒したことによる昂揚か、それとも、安全が確保された安堵か。

 はたまた、自分たちしか相手できない存在へのカウンターとしての……特別が故の陶酔からくる優越感からか。

 

 何にせよ、彼女たちが無事であり、怪我もせず終わって良かった。

 

 ──なんて、そう単純に思えればどれほど良かったか。

 

「ふぅ……」

 

 無線を切り、彼は大きく身体を椅子に預けて一息吐く。

 そして、背後にある大きな窓から雲一つ無い青空を仰ぎ見て、思う。

 

 『アズールレーン』。通称アズレン。

 

 まさか、画面越しに見ていた世界をこの身で体感することになるとは思いもしなかっただろう。

 今となっては、詳しくストーリーを認識していなかったことが悔やまれる。

 戦況、情勢、経済……この先に起こる世界情勢を知っていたのならば、どれほど有利に立ち回れたかは火を見るより明らかだ。

 

 しかし、嘆いていても仕方ない。

 知恵を蓄え、戦況を読み、如何に彼女たちが沈まないように考えるか。

 それを、四六時中考え続けなければいけない。

 

 青空を見ながら思考を練っていると、扉からコンコンと音がした。

 

「──失礼する。指揮官殿」

 

 ノックと共に入ってきたのは、後ろで一結びにした黒髪を揺らし、白を基調とした制服をお手本のように着こなしている軍人のような出で立ちの女性。

 その黒髪に紛れ生える人外の耳がピクリと動くと同時に、彼女の──高雄(たかお)の鋭い眼光が彼を射貫いた。

 

「休憩するにはまだ早い……と拙者は思うのだが?」

 

「……すまない。今し方、第一艦隊から作戦終了の報告を受けた。いつも通りの成果だ。それで少し気が緩んでしまっていた」

 

 姿勢を正し、真っ直ぐと高雄を見返しながらそう言えば、彼女は少しだけ目尻を下げると、視線を机へと向ける。

 

「ああ、言われていた書類には目を通しておいた。それと、今回の報告書だ。確認してくれ」

 

 高雄の視線に気がついた彼は、手元に用意していた報告書を座ったまま、目の前に差し出す。

 

「……なるほど、ちゃんと仕事をしていたようだ。先ほどの言葉は撤回させてもらおう」

 

 何処か驚いたような表情を浮かべながら報告書を受け取った高雄は、パラパラと軽く目を通して、そう口を零す。

 その際、少しだけ表情を引き攣らせたように見えた。

 

「……うむ、では失礼する」

 

 それだけ言うと、高雄は直ぐに背を向けて執務室を後にする。

 その後ろ姿を見ながら、少しだけ落胆を感じざるを得ない。

 

 正直に言ってしまえば拍子抜けも良いところである。

 会話らしい会話も無く、最低限のコミュニケーションで済ませられる、彼女たちとの関係。

 

 命令は通る、指揮にはちゃんと従う、報告もするし、互いに労いの言葉を告げることもある。

 

 だが、相互理解とはほど遠い関係でもあった。

 

 端的に言えば、上官と部下の関係性であり、それも職場上でしか交流の無い繋がり。

 

 そこに絆も無ければ、情も無い。

 

 画面越しに見ていた彼女たちの好意が、今では酷く偽りの物に思えてきた。

 

 だが、考えて見ればそれもそのはず。

 

 所詮はゲームで、今は現実なのだから。

 

 戦わせて好感度が上がる? そんなもの、ありえない。

 上がるのは精々、恨みか怒り。もしくは、鬱憤だろう。

 

 好意的な感情を抱くのはまず無い。あったとしても、それは生粋の戦闘狂かイカれた奴に違いない。

 

 彼女たちは決して、指揮官(じぶん)のために戦っているわけではないのだから。

 

 家族のため。

 故郷のため。

 大事な存在を守るため。

 そして、延いては自分のため。

 

 それが、普通だろう。

 それが、当たり前なのだ。

 

 誰が、椅子にふんぞり返って安全な所で指揮だけを執る存在を好意的に見れる?

 

 親、姉妹、友人、などと引き離され、硝煙漂う戦場を駆け巡る日々。

 

 明日、死ぬかもしれない。

 今日の出撃で死ぬかもしれない。

 仲間が、姉妹が、目の前で死ぬかもしれない。

 

 それを命令したのは?

 

 出撃させたのは?

 

 こんな指揮をしたのは?

 

 全て、指揮官(じぶん)だ。

 

 自分だって、戦場を経験した身だ。

 能力も才能も、何処も特筆するところが無かった自分は、一兵卒として砲弾降りしきる戦場を駆け巡った。

 

 先ほどまで話していた戦友が死んだ時。

 守るべき民間人が目の前で吹き飛んだ時。

 自分だけが生き残った戦場で佇んでいた時。

 

 恨むのはセイレーン(奴ら)であるのは間違いない。

 だが、その時に思ったのは奴らに対してではなかった。

 

 ──こんな無茶な作戦を実行した奴は誰だ。

 

 そう、恨み辛みを最初に抱いたのは攻撃してきたセイレーンでは無く、自分たちを無謀な戦いに行かせた上官だった。

 

 優秀なのだろう。

 誰よりも成績が良かったのだろう。

 尊敬もされていたかもしれない。

 

 それでも、死ぬ間際に恨むのは奴らも含めた、その時の指揮を執った上官。

 

 ──クソ食らえ。お前の杜撰(ずさん)な作戦で多くが死んだ。

 ──お前が一番に突貫すれば良かったんだ。

 ──お前も砲弾によって吹き飛んでしまえ。

 

 そんな言葉を野戦病院内で聞いていた。

 

 結論から言えば、その上官は悪くはない。

 事実、その作戦が一番の最善の手であり、成果も最良のものであった。

 仮に他の者が指揮を執っても、そう変わりはしなかっただろう。

 場合によってはその作戦が行われず、もっと酷いものになっていた可能性だってある。

 

 ただ、その作戦で犠牲になった者は数知れず。

 中には上記のように、思わずにはいられない者たちも多くいた。

 

 そして、その言葉を自分は内に秘めていたことを否定しない。

 

 友人は爆風で吹き飛び、家族は銃弾の雨に打たれ、共に地獄のような訓練をやり遂げた戦友は呆気なく敵の砲弾によって木っ端みじんとなった。

 

 夢だと思った。夢だと思いたかった。

 

 しかし、ここは現実で、自分は今ここで息を吸っている。

 呼吸をして、心臓を脈動させ、身体を動かして、思考を巡らせている。

 

 そして、気がつけば自分はこの席に座っていた。

 誰が自分を指揮官に抜擢したのかは未だ知らないが、ハッキリと言わせてもらう。

 

 ふざけるな、と。

 

 自分は人の命を預かるに足りるような人物じゃない。

 ましてや、人類の切り札でもある『KAN―SEN』を指揮するなど、無理難題も良い方だ。

 現にこうして交流を取れていない。

 

 中には、笑いかけてくる者もいる。

 身体を寄せてくる者もいる。

 白昼堂々、誘惑をしてくる者もいる。

 

 ゲームで聞いたことのある声と台詞。それに伴う表情や仕草。

 

 だが、その裏に隠された想いを考えると、とてもじゃないが対応出来なかった。

 

 ゲームが、自分の記憶にある彼女たちの姿が都合の良いものであっただけで、現実はこんなものだ。

 

 ──否、こんなものじゃない。

 

 下手をすれば、今この瞬間にここを砲撃されも可笑しくない。

 攻撃機が飛んできて、蜂の巣にされても文句は言えない。

 

 恨まれて当然だ。

 怒りをぶつけられて当然だ。

 

 今は戦時中だ。どう足掻こうと犠牲はある。

 それに、自分のせいで死なせて(・・・・)しまった事実がある。

 彼女たちが自分の考えた作戦と指揮によって、沈んで(死んで)しまう現実はすぐ側にある。

 

 そして、それを命じる自分に必ず順番が回ってくることも……。

 

 彼は微かに震える手を、強く……強く握りしめて恐怖を誤魔化し、大きく息を吐いた。

 

 今日もまた、彼は怯えながら指揮を執る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──はぁ……」

 

「もう、それで何回目? 高雄ちゃん」

 

 溜息と少しだけ鬱陶しそうな声が長く続く廊下に響く。

 書類を片手に落ち込む高雄の横で、愛宕(あたご)はこっちまで溜息を吐きたるような思いに駆られていた。

 

「大体想像出来るけど……いい加減、慣れたら?」

 

「分かっている……分かっているんだが、どうしても指揮官を目の前にすると──」

 

 ぷるぷると震える手を見つめ、ゆっくりとその両手で顔を覆った。

 

「──緊張してしまうんだっ……!」

 

 思い出すのは先ほどの会話。

 どう考えても上官に対する態度ではない。

 ましてや、あの(・・)指揮官に無礼な言葉を言ってしまった。

 

「ああ、拙者は何て不遜で礼儀知らずなことを……っ!」

 

 今にも頭を抱えて叫び出しそうな高雄を無視して、愛宕は廊下に散らばった報告書を拾い集める。

 

「軍人として尊敬し、指揮官として敬愛し、異性として思慕しているがっ! いや、しているからこそ! 緊張で頭が真っ白になってしまう!」

 

 そう、高雄は執務室に入った時から思考がシャットダウンしていた。もっと簡単に言えばグルグル目状態だった。

 

 だが、そこは高雄クオリティ。

 日頃の鍛錬のお陰で、生粋の軍人としての行動が身体に染みついており、役目は確実に全うしている。

 それ故に、あんな態度を取ってしまっていたのだが。

 

「ただ、ただ……っ! 話しがしたいだけなのにっ! というか、優秀過ぎるだろっ!? 何のための書類だ! 何のための口実だ! もういっその事、突貫するべきか……?」

 

「それだけはやめて」

 

 血迷ったことを言い出した姉に対して、愛宕は冷ややかな視線を送りながらハッキリとそう言った。

 それで、もし自分も同じように見られたらどうしてくれる。

 そのときは、高雄を鏡面海域に放り出そうと心に誓う愛宕だった。

 

「大丈夫よ、高雄ちゃん。一旦深呼吸して、心を落ち着かせるの。ねっ?」

 

「そ、そうだな」

 

 すーはー、すーはー、と大袈裟に深呼吸をする高雄。

 そして、少しは落ち着いてきたのだろう。

 他人に厳しく、それ以上に自分に厳しく、己を律し、常に精進し続ける武人としての凜々しい高雄の姿がそこにはあった。

 

「……うむ、次は心頭滅却、明鏡止水──見敵必殺(サーチアンドデストロイ)の精神で行こう!」

 

「一度、海に突き落として頭を冷やすべきね」

 

 ダメだ、早くこの姉をどうにかしないと。

 思わず目尻を押さえる愛宕と情緒不安定な高雄の前に、見知った顔ぶれが現れる。

 

「──あら、蒼龍に飛龍じゃない」

 

「お疲れ様です、お二方」

 

 頭を下げる蒼龍と飛龍に高雄と愛宕は軽く手を挙げて応じた。

 

「二人とも、どうして──ああ、指揮官に報告か?」

 

 何故、こんなところに。と言う言葉が出る前に思い当たる節があった高雄は、二人の目的を直ぐに察した。

 その切り替えの早さが功を奏して、今のところ先ほどの高雄の姿は愛宕しか知らない。

 

 愛宕自身、知りたくも無かったが。

 

「はい、帰還報告を──って、どうしたんですか、そんな恐い顔して!?」

 

 飛龍が笑顔からぎょっとした表情に変えて、高雄を見た。

 そこには、正に鬼のような形相を浮かべている高雄の姿がある。

 今の会話といい、礼儀といい、出会ってから彼女の逆鱗に触れるようなことはしてないはずだが。

 

 どうやら、態度は見繕えても気持ちや表情は隠せないようである。

 

「飛龍、貴方なにかした?」

 

「いやいや、僕は何もやってないよ!?」

 

 蒼龍の指摘を必死に否定する飛龍。

 そんな中、原因を作った高雄は一つ「こほん」と咳払いして、注意を向けさせる。

 

「……いや、気にするな。二人とも報告は聞いている。流石だな」

 

 ヒラヒラ、と先ほど愛宕から受け取った報告書を見せながらそういえば蒼龍と飛龍は互いに顔を見合わせて、気恥ずかしいげに頭を下げた。

 

 そして、その様子を横で見ていた愛宕は何故、その余裕の態度が指揮官の前で出来てないのだろうか、と嘆く。

 

「指揮官とは先ほど話したが、まあ……よろしく言っておいてくれ」

 

「あ、はい! それじゃあ、これで」

 

「お疲れ様です」

 

「ええ、二人ともお疲れ様」

 

 そう言って何処か嬉しそうに歩いて行く蒼龍と飛龍の後ろ姿を見ながら、高雄は言った。

 

「愛宕──拙者はアイツらが恨めしい」

 

「ああうん、そうね……」

 

 めんどくせー、という言葉を飲み込んで、愛宕は血涙を流さんばかりに二人を見つめる高雄を引っ張って行くのだった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 一方、睨み付けられていた蒼龍と飛龍は、背中に刺さる熱い視線を気にすることなく……否、気がつかないほど浮き足立っていた。

 

「こうして、指揮官と顔を合わせるのは久しぶりだなぁ」

 

「久しぶりって……今朝の朝礼で顔を合わせているじゃない」

 

「あー、えっと、そうじゃなくて……こう、ちゃんと顔を合わせて話すって言うかさ」

 

 曖昧な物言いだが、蒼龍は飛龍の言わんとしていることが良く分かった。

 

「……赤城(あかぎ)さんが敷いた規約で、そう簡単に司令部(こちら)へと行けなくなったからね」

 

 かの重桜(じゅうおう)が誇る参謀にして、知将。

 無敵艨艟(むてきもうどう)と讃えられる一航戦──赤城が敷いた厳粛な規約によって、この司令部は武器庫や補給庫よりも、下手をすれば重桜の要たる将軍の城と同等の堅牢さを誇っている。

 まあ、最もそれを司令官である彼は知らないのだが。

 

「とはいえ、それが間違いだとは思わないわ。赤城さんが、ってのもあるけど、今ここで指揮官を失ってしまえば、重桜は大きく傾いてしまうでしょうね」

 

 今でこそセイレーンの力を取り込んではいるが、中にはそれを危惧している者も多数いる。

 

 セイレーンの力を積極的に取り込もうとしている赤城派とセイレーンの力を信用しきれていない三笠(みかさ)派に二分しており、重桜も一枚岩では無かった。

 だが、そこに指揮官が一石投じたことにより、陣営内による分裂は回避された。

 

 仮に、ここで指揮官を失えば両者の溝は決定的になるだろう。

 

「後は単純に指揮官として優秀と言ったところかしらね」

 

「それと、『英雄』っていうところも。三笠大先輩と並ぶ重桜の誇りだよ」

 

 興奮が抑えられないと言わんばかりに、目をキラキラとさせながら凄む飛龍に、蒼龍は微笑を浮かべる。

 

「本当に好きね、その話……ほら、着いたわよ。そのだらしない表情を引き締めなさい」

 

「だ、だらしないって……喝ッ! よし、これで大丈夫だ」

 

「飛龍、貴方って子は……」

 

 扉の前で大きな声を上げるだけならまだしも、両頬を強く打ち鳴らす者が何処にいる。

 ジト目で飛龍を見ながら、蒼龍は執務室の扉をノックする。

 そうすれば、指揮官の了承を示す声が扉越しに聞こえてきた。

 

「──蒼龍、他一名入ります」

 

 二人は逸る思いを抑えながら、ゆっくりと入室していった。

 

 今度こそ、上手く会話を出来るように。

 もっと、仲良く出来るように。

 

 そして、あわよくば……と思いながら、今日もまた彼女たちは喜々として指揮に従う。

 





更新は期待に添えないかと思うので悪しからず……。

※今更ながら、感想の方であったので訂正しておきますが、挿し絵については友人が描いてくれたものです。
私が描いたわけではないです。感想くれた方、勘違いさせてしまって申し訳ありません。


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指揮官は戸惑い、困惑する

感想、評価ありがとうございます。
思っていた以上に多く反響があって、嬉しいと同時に更新頻度がそう早く無いので申し訳ない限りです。
今回も例に漏れず、キャラ崩壊注意。


 

 明朝、まだ日が昇り始めて間もない頃。

 司令部前にて、二人のある『KAN―SEN』がお互いに牽制するように仁王立ちしていた。

 

「──これはこれは、赤城(あかぎ)さんじゃないですかぁ~? 重桜(じゅうおう)の重鎮たる貴方が、こんな朝早くから司令部前(ここで)、一体何を?」

 

 派手な色合いの着物を妖しくはだけさせ、闇夜でも良く見える紅い瞳を爛々と輝かせる彼女──重桜の最新型装甲空母である大鳳(たいほう)は対面に立つ赤城に、間延びした声でそう問いかけた。

 

「ふふっ、ふふふふふっ……決まっていますわぁ? こうして、お邪魔虫(・・・・)が指揮官様のところに行かないように見張っていたのよ?」

 

「へぇー、お邪魔虫(・・・・)……ですか。それはそれは、ご苦労様です。重鎮ともなると大変なのですねぇ?」

 

「別に大したことではないわ。指揮官様のためなら……指揮官様の血と肉になるのならば、ワタシはこの身すら差し出すつもりよ?」

 

「うふ、ふふふっ……それについては大鳳も同意見ですよぉ~? ──じゃあ、失礼して」

 

「待ちなさい! このアバズレ!」

 

 平然と素通りしようとする大鳳を瞬時に伸ばした尻尾で拘束する赤城。

 

「ねぇ? 今の会話で何処に失礼する要素があったの? 馬鹿なの? 阿呆なの? 頭の中にまでその贅肉が詰まっているのかしら?」

 

「その言葉、そっくりそのまま自分に返ってきているの……分かっています~?」

 

「ふふふふふっ……言うじゃない、大鳳。いいえ──お邪魔虫と言った方が良いかしら?」

 

「うふふふふっ……この場合、どっちがお邪魔虫なんですかねぇ~?」

 

 またもや、睨み合い、互いに牽制し、相手の出方を探り始める両者。

 二人にとって、先ほどの言い合いは軽いジャブのようなものだ。それに、似たようなやり取りをほぼ毎日やっている。

 

 故に、ここからが本番だ。互いの目的は理解(わか)っている。

 

 ──指揮官の寝込みを襲う……起こしに行こうとする側と。

 

 ──指揮官の寝起きを襲う……安眠を妨げる不遜な者を阻もうとする側。

 

 大鳳としては、何とかして寝込みを襲い、この溢れる愛をぶつけたい。

 赤城としては、折角の逢い引きを誰にも邪魔されたくない。

 

 故に、ここに赴いた大鳳。

 故に、ここで待っていた赤城。

 

 それは、最早必然。ぶつかり合って当然の結末。

 両者がぶつからない理由が無かった。

 

「いい加減、どちらが指揮官様に相応しいか……分からせてあげる」

 

「分かるも何も……年増(・・)はお呼びじゃないですよ~?」

 

「ふふふふふふっ」

 

「うふふふふふっ」

 

 今にも互いに艤装を展開しそうな、剣呑な雰囲気が二人を中心に広がる。

 空気が軋み、大気が揺れ、温度が急激に冷えていく……ような、錯覚を覚えるほど、赤城と大鳳の間に重苦しい空気があった。

 それは、少し離れた重桜寮の者たちが気づくほど。

 

「──ひぃっ!? な、なに、この感じ……?」

 

「ぅ……うへ、うへへ…‥島風(しまかぜ)は……はやい、ぞぉー……」

 

「……何か、イラッとする」

 

「──んぎゃぁぁぁぁ!? な、何をするんですか、駿河(するが)!?」

 

 まあ、新人の島風と駿河以外の者たちは既に慣れてしまっており、「ああ、またあの二人か」ぐらいにしか思われていない。

 中には、それを目覚まし代わりにしている五航戦がいるとかいないとか……。

 

 そんな、今まさに式神を展開しそうな殺気立つ両者の間に、凛とした声が響いた。

 

「──朝から司令部前(ここ)で何をしている」

 

「…‥江風(かはかぜ)? 貴女こそ、ここで何を?」

 

 白を基調とし、セーラー服と巫女服を組み合わせたような服装に身を包んだ一人の少女──白露(しらつゆ)型駆逐艦九番艦、江風。

 

 重桜を代表する巫女である長門(ながと)の付き人でもある彼女が、こちらの方に出向くなど滅多にない。

 それ故に、赤城と大鳳は目を細め、嫌な予感がするとばかりに警戒の色を示した。

 

 そもそも、ここに来るまでの道は大鳳の後ろにあり、赤城の後ろには艦隊が出撃するための埠頭がある。

 司令部に来るにはその二つのルートしかないため、必然的に二人の内、どちらかは確実に江風の存在に気がつくはずだ。

 だというのに、二人とも声をかけられるまで気配すら気がつかなかった。

 そして、何より江風は二人の間に入るようにして登場している。

 両者の間にあるのは、司令部へと入る扉(・・・・・・・・)ただ一つ。

 

 つまり、江風は司令部から出てきたということになる。

 

「江風、アナタ──」

 

「ああ、分かっている。無論、規約には反してない」

 

 赤城が言わんとしていることを瞬時に察した江風は、赤城が言うよりか前に口を開き、自身の正当性を示した。

 

「今日は長門(ながと)様との面会の日だ。それ故、私が指揮官を迎えに馳せ参じたというわけだが……赤城さん、まさか貴女が知らないわけではないだろう?」

 

「…………ええ、勿論分かっていたわよ?」

 

「流石にそれは無理があると思うの」

 

 数秒固まった後に薄く笑いながら肯定をした赤城に対して、大鳳は若干引き気味にそう言った。

 余りにも分かりやすく、そして、清々しいほど真っ赤な嘘だった。

 

 それには、思わず江風も軽く溜息を吐く。

 

「はぁ……赤城さん、今日は確か大事な会議を開くとか言っていたが……その準備は済んでいるのか?」

 

「ええ、そっちの準備は万端よ? まあ、加賀に任せたのだけど」

 

 ある意味、赤城がこの場にいる理由だろう。

 

理由(そんなこと)より、指揮官様は? 指揮官様は何処にいるの?」

 

 そんな二人の会話をぶった切るようにして、大鳳は声を上げて指揮官を探す。

 

 折角ここまで来たのだ。

 せめて、その姿を一目みたい。話しがしたい。身を寄せたい。あわよくば、襲いたい。

 

 当初の予定とは違うものの、そのぐらいはしたいと思う大鳳は髪を揺らしながら、首を振り、瞳を動かし、獰猛な肉食獣のように鼻息を荒くする。

 それについては、赤城も同意見なのだろう。何も言わず江風に鋭い視線を向けた。

 

「ああ、指揮官なら武道場にいる。朝食の準備が出来たから、今から呼びに行こうとしていたところだ」

 

 江風が武道場の方を見ながら言えば、二人も同じように木々に被れて見える、武道場の屋根を目視した。

 

「武道場? そう……指揮官様ったら赤城を置いてそんな所に──は?」

 

「ああ、指揮官様! 今すぐにでも大鳳が汗を流して差し上げて──え?」

 

 ほぼ同時に首を回転させ江風を見る赤城と大鳳。

 並のホラー映画より恐怖を掻き立てる二人の動作に、江風は思わず、ビクリと肩を跳ね上げた。

 

「うふ、うふふふふっ! ……大鳳、聞き間違えたかしら~?」

 

「ねぇ、今、朝食って言ったの? 誰の? 何のため? まさか、指揮官様のなんて言わないわよね?」

 

「……なっ!? そっ、そんなわけっ! ……い、いや、そう、なるか……? だが、これは、その、迎えに来た延長というか、役目に含まれるというか……」

 

 何だろう、この溢れ出る初々しさは。

 

 咄嗟に否定をしたと思ったら、今度は少し頬を赤く染めてゴニョゴニョと言い始めた江風。

 羞恥に悶えつつも、満更でもないように少しだけ口角を上げている江風を見ると、何とも言えない気持ちになる二人。

 

 普段の江風からは考えられない様子に、困惑と若干のもどかしさが胸を擽る。

 通常であれば敵意を剥き出しにしていたであろうが、如何せんこんな初心な姿を見ると、逆に複雑な気持ちになる二人であった。

 

「んんっ! ……少し取り乱した。取り敢えず、私は指揮官を迎えに行ってくる」

 

「──いえ、私が迎えに行くわ。元々、用事があったからここに来たの」

 

「……そうか? なら、赤城さんに頼もう」

 

 丁度良い、言わんばかりに薄ら笑みを浮かべてそう提案した赤城に、江風は少し訝しながらも、その提案に乗る。

 

「抜け駆けは許しませんよ~? その役目、この大鳳がしますわぁ~」

 

 無論、そんな会話を大鳳がみすみす見逃すわけもなく、同類だからこそ赤城の意図を理解した大鳳は、赤城の進路を塞ぐようにしてそう言った。

 

「ふふふっ、そこを退きなさい──お邪魔虫?」

 

「それは、こっちの台詞ですよ~? ──女狐が」

 

 またもや、火花を散らし始める二人。

 否、二人が同じ場所に、同じ目的で、同じ考えである以上、二人は必ずぶつかり合うであろう。

 それが、指揮官ともなればきっと際限無く、争い続ける。

 

「結局、どっちなんだ? 時間に余裕はないんだが……やっぱり私が行くぞ?」

 

「ふふふふふっ!!」

 

「うふふふふっ!!」

 

「……後で文句は受け付けないからな」

 

 

 

 

 

 

 

 場所は移って、件の武道場には指揮官が中央にて胡坐をし、目を閉じていた。

 それは、所謂坐禅(ざぜん)と言われるもの。

 本来のものとは違うかもしれないが、指揮官は良く精神統一を図るため、この武道場にはよく坐禅をしに来ていた。

 

 それは、主に考えをリセットするためでもあり、今一度、自分を見つめ直すためでもある。

 

「すぅー、はぁー……すぅー、はぁー」

 

 固定的な考えや既存の考えをしていては、奴ら──セイレーンに太刀打ち出来ない。

 それで、彼女たちに怪我をさせる……最悪の場合は轟沈させた、なんてなれば、自分は一生顔を上げて生きていくことは出来ないだろう。

 

「すぅうう……はぁあ……はぁあ、すぅうう」

 

 ……自分は本当にこのままで良いのだろうか。

 今のところ何も問題ないように見えるが、きっといずれかは浮き出てくるだろう。

 所詮、現状は悪いことを棚上げしているだけに過ぎない。

 これから──

 

「──すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ」

 

「あー……鬼怒(きぬ)、その…‥なんだ」

 

 閉じていた瞼を上げ、気まずそうに横を見れば剣道着を着たまま、同じように坐禅をする彼女──長良(ながら)型軽巡洋艦五番艦、鬼怒も同じように瞳を上げて、こちらを見た。

 

「……ふん、もう集中が解けたか? それでは、あてを……この『鬼』を従わせることは出来んぞ」

 

 だらしない、と呟いてまた坐禅に戻ろうとする鬼怒。

 本当であれば、指揮官もそのままその言葉を受け止め、坐禅に戻っていただろうが、どうも今回は気が散ってしまっているようだった。

 

 無論、それに気がつかないほど鬼怒は鈍感では無い。

 鬼怒は瞼を閉じながら軽く溜息を吐くと、坐禅をしながら問いかけた。

 

「……言いたいことがあるなら、ハッキリ言え」

 

 自分のようにハッキリとモノを言えばいい。

 口籠もり、頭を低くして、こちらの様子を伺う様は指揮官のあるべき姿では無い。

 

 そういった言葉の裏に隠れた意図を指揮官は感じとったのか、彼は覚悟を決め……だが、やっぱり言い出しにくそうに口を開いた。

 

「その、あー……──鼻血、出ているが……大丈夫か?」

 

「……気にするな。名誉の負傷という奴だ」

 

 鼻血に名誉の欠片も無いと思う。

 だが、それを口に出せるほど指揮官は豪胆では無かった。

 そもそも、彼女たちが使う武道場にお邪魔させて貰っている立場で、ああだこうだ言う資格は無いだろう。

 

 ましてや、ここを管理する鬼怒にそんなことでも言えば、きっと横に置いた竹刀が振るわれかねない。

 

 故に、言い出しにくく、及び腰になったのも仕方なかった。

 

 何とも言えない雰囲気が二人の間に……武道場内に広がる。

 方や気まずそうに、方や恥ずかしそうに、二人ともそわそわして落ち着かない。

 

 ──やはり、言うべきではなかったか。

 

 ──ヤバイ、どうしよう。理由がバレなければいいけど。

 

 指揮官は相も変わらず彼女たちの関係性に頭を悩まし、この状況に苦悩する。

 対して、鬼怒は妄想ばかりがフラッシュして、迫り来る煩悩に悶々としていた。

 

 お互いがお互いの出方を見ながら、どう打開するべきか考えていると、正に鶴の一声が武道場に響く。

 

「──指揮官(あなた)……もう、時間だ」

 

 入り口に立つのは睨み合っているであろう赤城と大鳳を置いて、迎えに来た江風だった。

 若干、頬が赤い気がするが、走ってこちらに来たのだろうか。

 

「もう、そんな時間か。今、行こう。鬼怒、鍛錬の邪魔をして悪かった」

 

「……フッ、別にこういう日があっても悪くないだろう。何時でも来ると良い」

 

 お互い、先ほどのことは無かったことにしよう。そうしよう。

 ……そんな言葉が二人の会話から溢れ出ている気がした。

 

 だが、それは二人だけの話し。江風からすればそんな舞台袖のことなど知る由もない。

 

「鬼怒さん。鼻血が出ているが、大丈夫か?」

 

「気にするな。名誉の負傷という奴だ」

 

「鼻血に名誉の欠片も無いと思うが……それより、拭いた方がいい」

 

 何故かぎょっとする指揮官を尻目に、江風は手拭いを鬼怒に差し出した。

 それを、恥ずかしそうに受け取り鼻血を拭き取る鬼怒。

 

 ある意味、江風が一番ハッキリとモノを言うタイプだと分かった瞬間だった。

 

「すまない、助かったぞ……これは、洗って返そう」

 

「別に気にしてない……が、今は時間無い故、助かる。では、行こう、指揮官。朝食が冷めてしまう」

 

「あ、ああ、分かった」

 

 終始、江風を中心としたやり取りは終わりを告げ、武道場にまた静かな時間が訪れる。

 そこで、改めて鍛錬をしようと鬼怒は竹刀を持って立ち上がろうとした瞬間。

 何か慌ただしく武道場に近づいてくる気配を感じた。

 

「──指揮官さまぁ~!! この赤城がお迎えに参上いたしましたわぁ~!!」

 

 衣服を乱れさせ、所々汚れや傷をつけた赤城が凶暴な笑顔を共に武道場に現れる。

 まるでセイレーンと戦闘し終えたような姿に、思わず鬼怒は唖然としたまま固まってしまう。

 

「……指揮官様? ねぇ、指揮官様は何処なの? 赤城が来たのに何で指揮官様がいないの? ねぇ、教えて、鬼怒?」

 

 いや、そんなことを言われても……と、いう言葉を飲み込んで鬼怒は先ほど江風が来たことを話すのだった。

 

 




 赤城発案、重桜司令部の鉄の掟。※一部抜粋。

 一つ・許可無く入るべからず。(許可申請は赤城、もしくは加賀まで)
 二つ・無闇に近づくことべからず。
 三つ・帰還及び委託など、任務以外で入るべからず。
 四つ・必要以上に指揮官に近づくべからず。
 五つ・必要最低限しか指揮官と話すべからず。
 六つ・赤城と指揮官の会話を邪魔するべからず
 七つ・赤城と指揮官の逢い引きを邪魔するべからず
 八つ・赤城と ──いい加減にしろ、この女狐。

 よろしい、ならば戦争だ。


 ──以上、中央掲示板にて貼り出された鉄の掟。


「因みに、後どのくらいあるんですか? 青葉、気になります!」
「そうね……後、五十個ぐらいかしら?」
「……はい?」
「五十個ぐらいよ」



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指揮官は悩み、勘違いする


結末を書いていて、遅くなりました。
多くの感想、評価ありがとうございます。そして、誤字報告も本当にありがとうございます。中々、手直しが出来ないこの身にとっては、感謝しきれません。

今回も例に漏れず、キャラ崩壊注意ですが、そもそも、キャラに違和感があるなと思うところ多々あるかも知れませんので、ご了承下さい。




 

 重桜領内、その中心にある島に聳え立つ巨大な桜の木と、その周囲に広がる豊かな町並み。

 その中でも一際目立つ建物がある。それは、時代錯誤とも言える巨大な『城』だった。

 真下から見上げればその天辺を見ることは叶わず、視界の半分をその城が覆っている。

 まるで、自分が小さくなってしまったかのような……そんな感覚に陥ってしまう。

 

 それと同時に細部まで意匠が施された外装は見惚れるほど。

 土台となる石垣をもってしても、一つ一つが光沢を放っているかのように美しく、寸分の狂いも無い、完璧な造り。

 

 それほど、この『城』は芸術的な要塞を誇っていた。

 

 何度もここには訪れているのに、まだ見惚れてしまうのはこの国の人間性なのか。

 或いは、記憶の奥底に眠る故郷の憧憬が蘇る由縁か。

 

「──官……指揮官! 聞いているか?」

 

 その言葉と一緒に肩に感じるちょっとした重みと、涼やかな匂いが鼻腔を擽る。

 反射的に振り返って見れば、江風(かはかぜ)の端正な顔が間近にあった。

 

「っ、あ、わ、悪い。少し、ぼーっとしていた」

 

 余りにも突然の事に、身体ごと後方へと引いてしまう。

 その反応に江風は、少々怪訝な表情を浮かべた。

 

「……大丈夫か? 私は用があるのでここまでだが……長門様たちのところまで送った方が良いか?」

 

「あ、ああ、いや……大丈夫だ」

 

 一度、落ち着きを取り戻すために一拍置いて、返事をした指揮官。

 その時、大丈夫という言葉に江風の眉が微かに動いたのに気がついたが、余りもの機微で一瞬だったために、気のせいかと内心首を捻る。

 

「……そうか。では、くれぐれも長門(ながと)様と陸奥(むつ)様には粗相(そそう)のないように」

 

 それだけ言うと、江風はくるりと反転して来た道を戻っていく。

 そんな江風の背中を見送りつつ、指揮官は「あっ」と思わず声を上げた。

 

「ああ、江風。朝、言い忘れていたが……その、朝食を用意してくれて、ありがとう。久方ぶりに温かい朝食を食べられたよ」

 

 ふと思い出したかのように、指揮官は柔らかく、一息吐いた後の弛緩しきった状態でそう口を開いた。

 

「────っ……気にしないで。好きでやったことだから」

 

 相も変わらず素っ気ない(・・・・・)江風は、背を向けたままそう言葉を零すと、先ほどと変わらない足並みで歩いて行く。

 

「……そうだった。江風はああいう性格だったな」

 

 記憶の中にある静止画と台詞の数々が疼き、冷静沈着でクールなイメージのある江風が、今の江風の背中と一致する。

 

「まだまだ……先は長そうだ」

 

 溜息とともにそんな言葉が出てくる。

 仮に、ゲームの友好度で表すのならば、きっと『知り合い』という文字が浮かんでいるのに違いない。

 

 改めて現実を突きつけられた気がした指揮官は、少し冴えない表情を浮かべながら、内城へと足を踏み入れていく。

 

 そんな時、ふと思った。

 

 実際、ゲームのような対応になったとして、自分は彼女たちに何を求めているのだろうか?

 

 病的な愛? 無条件の好意? 掛け替えのない伴侶?

 

 最初はそうだったかもしれない。そういった邪な気持ちがあったのは間違いない。

 

 だが、今は違う。

 違うとハッキリと声を上げて言える。

 

 自分が彼女たちに求めているのは────。

 

「……いかんな、気持ちを切り替えなければ」

 

 これから、人に……それも立場上、目上の存在と会合するというのに、沈んだ気持ちのまま会うのは当然、失礼にあたるだろう。

 それこそ、江風が言った「粗相のないように」という忠告を守れていない。

 言い表せない不快感を胸の奥底に押し込み、外面だけでも取り繕うと意識を無理矢理でも上げさせる。

 

 そして、目の前に現れるのは長い、長い──気が遠くなるほど上へと続く昇り階段。

 正直、もうこの時点で外面が剥がれかけていたのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──これより、第五回定例会議を始める。司会進行役は変わらずこの加賀(かが)がやらせていただく……と、言っても一回目の議題から変わらんがな」

 

「あ、書記の青葉(あおば)です。バッチリと記録するんで、よろしく!」

 

 重桜寮にある会議室。そこには重桜所属の精鋭とも言える『KAN―SEN』たちが集結していた。

 

 重桜が誇る航空戦隊を纏める赤城(あかぎ)加賀(かが)を筆頭に、戦艦部隊を纏める金剛(こんごう)伊勢(いせ)

 重巡及び軽巡部隊からは高雄(たかお)神通(じんつう)が来ており、駆逐艦部隊からは時雨(しぐれ)綾波(あやなみ)──の変わりに夕立(ゆうだち)が参加していた。

 

 この錚々(そうそう)たる各艦種の代表格がそれぞれに分かれ、コの字型に並べられた長机を仕切りに膝を向き合わせる風景は、有無も言わさぬ圧があった。

 

「えーっと、加賀先輩ちょっと良いですか?」

 

 正に、これから会議が始まらんとしている雰囲気の中で、おずおずと挙がる手。

 そこにいる全員の視線とまともに受けて、少し気まずそうにする彼女──五航戦、瑞鶴(ずいかく)は困惑気味に司会進行役を務める加賀に問うた。

 

「何だ、瑞鶴。お花でも摘みに行きたくなったか?」

 

「違います! それってトイレ──じゃなくてっ! あの、何で私がここに居るんでしょうか?」

 

 周りを見れば、どう考えても自分がここにいる理由が分からない。

 各艦種の代表でもなければ、並ならぬ戦果を挙げたわけでもない。

 無論、他の航空戦隊に負けず劣らずの実力はあると自負しているが……それとこれとは別だ。

 

「ああ、そうか……そうだったな。というか、翔鶴(しょうかく)から何も聞いてないのか?」

 

「へっ? 翔鶴姉?」

 

 何故、そこで姉の名が出てくる。

 そもそも、この会議と翔鶴()に一体何の関わりがあるというのだろうか。

 

「何処で聞きつけてきたかは知らんが、翔鶴(あいつ)がどうしても……と言うものだから、わざわざ末席を用意してやったのだが……」

 

「……あっ」

 

 本来、そこに座っているのは瑞鶴ではなく、その姉──翔鶴(しょうかく)だった。

 だが、ある出来事(・・・・・)によって翔鶴は風邪を引いてしまう。

 

 折角用意をした末席。一つだけ空席があるのは如何せん違和感を感じる加賀。

 どうしようかと悩んでいれば、翔鶴の妹、瑞鶴がいるではないかと思い当たり、白羽の矢が立った。

 

 そして、理由が分かったと同時に瑞鶴はふと思い出して、ある方向を無意識に見た……見てしまった。

 

「──ふふふっ、どうしたのかしら、瑞鶴?」

 

 サッと目線を横にずらして赤城を視界に入れないように努める瑞鶴。

 その、ある出来事の原因であろう赤城は知らぬ存ぜぬの態度を貫いていた。

 というか、瑞鶴もその場にいたため、ハッキリと犯人は分かっているのだが……如何せん、完全な縦社会である航空戦隊では文句も言えないだろう。

 

「後で、お見舞いにでも行ってあげるわ。後輩の面倒ぐらい(・・・・・)は見ないと……ねぇ?」

 

「いや、それは──……はい、ありがとう、ございます」

 

 両肩に手を乗せられたかのような圧を赤城から感じ、耐えきれなくなった瑞鶴は早々に白旗を揚げる。

 目を伏せながら、ごめん、翔鶴姉。……と、瑞鶴は心の中で今頃、寝込んでいる姉に謝るのだった。

 

「ふん、風邪などと……それでも重桜の航空戦隊か、情けない。会議が終わったら叩き起こしてやろう」

 

 正に、鬼か悪魔……という言葉が出てきそうな加賀の発言ではあるが、この会議後、翔鶴の部屋には献身という言葉が良く似合う加賀の姿があったという。

 

 そんなツンデレ? のような加賀の言葉を最後に、何処からか咳払いが聞こえてくる。

 それを切掛けとして、加賀は話しを本筋に戻すことにした。

 

「さて、瑞鶴以外は分かっていると思うが、改めて今回の議題を伝えておこう。それは──秘書艦についてだ」

 

「秘書、艦……ですか?」

 

 え、そんなことで五回もやるほど長引いているの? と、瑞鶴は第一にそう思う。

 寝込んでしまっているが故に、翔鶴から事前に何も聞けなかった瑞鶴は、この錚々たるメンバーが会合するこの会議をもっと大きいものだと見ていた。

 それこそ、今後の重桜艦隊に関わる……ひいては重桜の未来に直結する話しだと思っていたのだ。

 

 だが、実際蓋を開けてみれば『秘書艦』という役職を決める話し合いだという。それも、第一回目から変わってないらしい。

 

 故に、問う。問わずにはいられない。

 

「あの、もっとスケールの大きい話し合いじゃないんですか? もっと、こう、何て言えばいいんだろう。その、今後を左右する話しとか」

 

「何を言っているの? これほどスケールの大きい話しはないじゃない」

 

「……えっ?」

 

 あたかも当然のようにそう言い切った赤城に、瑞鶴は唖然とした。

 そして、周りを見てみれば赤城と同意見だと言わんばかりの反応を示している。

 中には、瑞鶴に眉をひそめ、怪訝な表情を浮かべている者もいた。

 

 あれ、私が可笑しいの? 秘書艦てそんなスケールの大きい話しだったっけ?

 

 気がつかない内に洗脳ともいえることが始まっているのを、瑞鶴は知らない。

 後に、これと同じようなやり取りを新人の駿河(するが)も味わうのだが……それは、また別の話しだ。

 

 勿論、そんな頭を悩ませる瑞鶴を待っているほど、彼女たちに時間はない。

 故に、加賀はそのままこの議題についての進行を始める。

 

「まず、秘書艦についてだが……まあ、指揮官の身の周りの世話や日頃の業務の手伝いだな。秘書艦の制度自体、もう長門様たちに許可を頂いている。後は誰にするか……という所まで話したが、誰か意見はあるか?」

 

「──一つ、良いでしょうか?」

 

 先ほどの瑞鶴とは違って、自身に満ちた声と真っ直ぐと綺麗に伸びた挙手。

 

神通(じんつう)か、どうした?」

 

 川内型二番艦、神通。二水戦旗艦でもある彼女は知恵にも優れており、このような場において有力な発言を出来る数少ない人物でもあった。

 

「前回、提案させていただいた秘書艦の交代制度……そちらは、どのように?」

 

「ああ、勿論組み込ませて貰った。詳細はこの資料を見てくれ。青葉」

 

「……えっ! 私がやるの!?」

 

「お前の他に誰がやる? 書記兼雑用だろう?」

 

「えー、でも、それは──あー、はいはい。分かった、分かりましたよ! だから、その形代をしまって下さい」

 

 青葉は今にも文句を良いそうな表情を浮かべながら、十枚ほどの束になったA4サイズの紙束を加賀から受け取る。

 その資料が青葉の手によって全員に配られ、手元に渡った者から順次それに目を通していく。

 

「ふむふむ……一週間で交代ですか……まあ、妥当でしょう」

 

 神通は自身の案が良い方向に機能していることを確認出来ると、少し口角を上げた。

 

 最初は代表を一人選んで、その者を秘書艦にするということであったが、各方面から不満と批判の声が続出。

 これに関しては、大鳳(たいほう)隼鷹(じゅんよう)などの我の強い者は勿論のことが、それ以外にも鈴谷(すすや)能代(のしろ)足柄(あしがら)といった、大人しい者からも反発があり、その案は破棄された。

 

 この時、瑞鶴は長年の疑問が晴れた気がした。

 何故、あの時、仲間の多くが重桜寮内で『断固反対』と言ったプラカードを持った、デモ活動紛いのことをしていたのか、ずっと疑問に思っていたのだ。

 というか、姉に手を引かれて困惑しながら参加した覚えがあり、真実を知って何とも言えない気持ちなる。

 

 そんな瑞鶴を除いて、全員が資料の内容に首を縦に振る中、早々に資料を閉じると手を挙げる人物が一人。

 

「あの、私しからも一つ宜しくて?」

 

 高速戦艦として名高い、金剛型巡洋戦艦一番艦──金剛が白手を嵌めた手を伸ばす。

 重桜の装いとは毛色が違う軍服と、輝くような黄金色の髪。

 この中では、際立つほど他の重桜艦たちと差違が目立つ金剛だが、誰もそれを異質などと思っていない。

 

 建造場所は違えど、彼女は立派な重桜艦であり、重桜たらしめる実績と信頼があった。

 そんな彼女が片眉を少し下げて、加賀と赤城がいる方向に視線を向ける。

 

「これ、一週間で変更するのは良いとして……指揮官に負担が増えません? だって、一週間経った後にまた仕事内容を教える必要があるのでは? 各々、優秀であることは存知ありますが、一週間そこらで、やっと秘書艦の仕事に慣れるのではないかと」

 

 金剛の言うことは至極真っ当の事だ。

 いくら、『智』に優れている赤城や神通だとしても、そう簡単に秘書艦としての責務を全う出来るかと言われれば、本人たちも首を縦には振れないだろう。

 

 何せ、誰もやったことがないのだから。

 

 ほんの少し前まで、セイレーンの研究や軍事連合(アズールレーン)への対応に追われ、このような会議を開く余裕すらなかったのだ。

 今となっては、新人教育や重桜の内情に着手出来る余裕があるため、このように秘書艦という言葉も出てきている。

 

「……それなら、最初に選ばれた者がその内容を他の者たちに教える……と、言うのはどうだろうか? 誰しも最初は不慣れだろうが、事前に予習が出来ていれば、そう業務に遅れは取るまい」

 

「ふーん……悪くないんじゃないか? 私もその案は良いと思う。幸い、ウチの指揮官は優秀だしなぁ」

 

 高雄の案を伊勢が後押しするように肯定を示した。

 

 確かに、それならば悪くない。

 多少、不都合が出てくるかもしれないが、そこは随時適応して行けば良いだろう。

 

 伊勢が賛成したのを皮切りに、殆どの者が首を縦に振り始める。

 

 現状、これ以外の妙案が出てこないのを確認した加賀は、これを可決しようと口を開きかけたその時。

 

「──で、その最初(・・)は誰がするんだ? 夕立(ゆうだち)、そういうのは苦手だからパス」

 

 欠伸を零しながら眠たげにそう言ったのは白露(しらつゆ)型四番艦、夕立だった。

 今回、委託に向かった綾波の代理として参加した夕立は【ソロモンの狂犬】という二つ名に恥じない、噛み付いた疑問を提示してみせる。

 

 無論、それに反応を示すのは彼女しかいない。寧ろ、これで反応を示さないわけが無かった。

 

「──ふふっ、ふふふふっ! それは、勿論この赤城よ? 私以外に適任はいるかしら?」

 

 誰よりも指揮官を愛していると豪語する彼女にとって、秘書艦は喉から手が出るほど欲しい立場。

 それを手にするならば、どんな汚い手を使おうとも赤城は躊躇わないだろう。

 現に、猛反発してくるであろう大鳳を含む『やべーやつら』をこの場に呼んでないどころか、何かしら任務を押しつけて近寄ることすらさせてなかった。

 

 そのとばっちりに綾波などが巻き込まれているのだが、そんなこと頭の片隅に追いやられている。

 

 ──ただ。それで決まれば五回もこの会議を開いていない。

 

「──いや、ここは拙者が言い出した手前……責任持って指揮官から秘書艦の仕事を教えて貰う所存だ」

 

 自信に満ちた声が会議室に響く。

 凛とした佇まいに、武人として気迫が伝わってくる力強い彼女の、高雄の出で立ちは思わず首を縦に振りそうになる迫力があった。

 

 しかし、それに臆する者はここにはいない。

 

「──計略定まって、兵動く……最善の選択をするのが私の信条です。だからこそ、その役目は私が、私こそが完璧に出来ると自負しましょう」

 

 何処からともかく取り出した扇子を広げ、不敵な笑みを浮かべながら神通は大胆にも啖呵を切る。

 だが、その言葉は間違っていない。

 それぐらいの成果と実績、そして彼女の圧倒的な指揮能力を持ってすれば、正しく完璧に熟してみせるだろう。

 

 だが、彼女だって黙ってはいない。

 

「──いいえ、私こそが相応しいと思いますわ。何も、書類だけが秘書艦の仕事ではありませんのよ? 紅茶の注ぎ方から出し方まで、一つの所作すらも作法があるのを分かっていまして?」

 

 異例なカンレキを持つ金剛だからこそ、持ちうる唯一無二の武器。

 確かに、と言わざるを得ない説得力がそこにはある……ように思えた。

 

 三者三様、意見が違えばそれは対立しないわけがない。

 そして、女三人寄れば、という言葉がある通り、会議室は違う方向性に姦しいものへと変貌する。

 

「秘書艦になるのは私よ!!」

 

「いや、拙者だ!」

 

「私にお任せ下さい!」

 

「私こそ相応しいですわ!」

 

「──あぁ、もうっ! 聞いちゃいられないわ!」

 

 火花を散らす四人に突如としてバンッ! と強く机が叩かれた音が割って入る。

 流石に会話の中で異音がすればそちらに注意が向かずにはいられない。

 

 四人は、否、全員がその異音へと視線を向ける。

 視線が集まる中心には、今まで沈黙を保っていた白露型二番艦、時雨の姿。

 

 叩きつけた両手を離すと、腰に手を当て溜息と一緒に言葉を零した。

 

「大の大人が揃いも揃って、言い争いをしてんじゃないわよっ。子供じゃないんだから、ここは公平をとって投票制にでもすればいいじゃない」

 

 投票制、その言葉に殆どの者が代表者を決めようとしたときの二の舞になるのでは、と予想をして反論の言葉を言おうとした。

 だが、それよりも前に時雨の言った言葉に違う方向性で捉えた者がいた。

 

「投票制? ……なるほど。つまり、『秘書艦総選挙(・・・・・・)』を行う……ということですね?」

 

「……へっ?」

 

 何を言っているのだろうか、この軍師(じんつう)は。

 

「え、いや、別に選挙とかそういうのじゃなくて──」

 

「──へぇ……私は良いわよ? まあ、結果は分かっているでしょうけど……ふふっ。ねぇ、加賀?」

 

「……まあ、ちゃんと公平に決められるよう考えよう」

 

 赤城の言葉に答えを濁した加賀は、そのまま手を数回打ち鳴らして、注目を集める。

 

「時間がもうない。よって、今回の会議はここまでとする。投票制……『秘書艦総選挙』は前向きに検討させてもらおう。この件は追って連絡するので、今回は解散だ。各自、持ち場に戻るといい」

 

 端的に加賀はそう言うと、足早に会議室を後にした。

 それを皮切りに、他の者たちも会議室から出て行く。

 

 そして、最後に残ったのは自分の発言によって結果的に置いて行かれた時雨と、途中から机にうつ伏せで寝る夕立だけ。

 

 

「──って、夕立(アンタ)! 会議中に寝てんじゃ無いわよ!」

 

「んあっ? ……終わった?」

 

「終わったじゃないわよ! このバカ! アンタのせいで大変なことになったじゃない!」

 

「はぁ? 何言ってんだ? ……てか、終わったんなら帰って良い?」

 

「ああっ!! もう、なんで綾波は委託に行ったのよっ!!」

 

 叫ぶ時雨と、それに耳を塞いで鬱陶しそうに顔を顰める夕立。

 だが、この時、誰も予想だにしなかっただろう。

 

 まさか、この秘書艦選挙が鉄血をも巻き込む一大事になるなど、誰も知るよしも無い。

 

 

 

 




ちょっと、長くなった上に最後の方は少し飛ばし気味になってしまいました。
次回の辺りに鉄血のキャラを出そうと思っていますが、如何せん重桜の出したいキャラが多くて……タグ詐欺にならないよう早急にぶち込みますので、ご容赦を。


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指揮官は考慮し、懸念する


感想、評価ありがとうございます。そして、誤字報告も本当にありがとうございます。
今回はそこまで、キャラ崩壊はしてない……はず。



 

 

 長い、長い……気が遠くなるほど長い階段を上りきると、広々とした空間へと出る。

 まるで、老舗の旅館の玄関を思わせるような構造となっているこの階層が、指揮官が目指していた目的地──天守閣だ。

 

「ふぅ……二十代から衰えてくると言うが……想像以上だな」

 

 首を左右に傾ければ心地の良い音が鳴り、軽く痙攣する太ももに手を置けば、自然と大きく息を吐く。

 

 少なくとも、体力には自信があった。これしきの階段を上った程度でバテるほど、柔に鍛えられてはいない。

 自慢でも何でもないが、これでも砲弾降りしきる中を走り抜けたのだ。

 文字通り、死線をくぐりに抜けてきた事実に偽りはなく、誇張もない。

 

 だが、それも今や過去のことだ。

 

 良く自慢げに過去の栄光をひけらかす者がいるが、所詮、過去は過去。

 今現在でそれに匹敵する、若しくは、その栄光を想起させるような証明をしてこそ、自慢できるだろう。

 

 戦場を忘れたこの身体では、きっと自慢することは出来ない。

 必要に迫られても、かつてのように動けるかどうか……。

 

 そして、何故、今の技術力でこの城には昇降機(エレベーター)が無いのだろうか、と思わずにはいられない。

 ……まあ、そう言った文明の利器を考えてしまうことが、精神的にも衰えた証拠でもあるだろう。

 

 指揮官は息を整え、姿勢を正すと乱れた衣服を素早く整える。

 ほぼ、平時と変わらない状態へと戻れば天守閣の中心にいるであろう、今回の目的の人物がいる場所へと足を進めた。

 だが、その足取りは少しだけ重い。それは、指揮官がまたも目移りしていたからだった。

 他の階層の内装も豪華であるが、この層は別次元だ。

 豪華さ、優雅さ……そして、奥ゆかしさが奇跡的なバランスで組み込まれており、壁のちょっとした意匠が名画のように見えてくる。

 

 もっと見てみたい、という後ろ髪を引かれる思いを残しながらも、先へと進んでいけば、前方の通路を塞ぐようにして壁に寄りかかる一人女性と、その側にいるもう一人が目に入る。

 

「──あっ、指揮官じゃーん! おっひさー!」

 

 指揮官の姿に気が付くや否や、大手を振ってこちらに駆け出して──

 

「──こら、はしたないぞ」

 

「うっ!? ゲホッ、ちょっ、ゲホっ! っ……スタートする瞬間に襟首を掴むのはオニじゃないっ!?」

 

 天を貫くように額から生えた二本の角と、それに不釣り合いに見える着色されたような金髪。

 かつての女子高校生を思わせるような制服を情欲的に着崩した少女──最上型重巡洋艦四番艦、熊野(くまの)は激しく咳き込みながら、批判の声をあげた。

 

「おっと、すまない。些か強く引きすぎたようだ。まあ、許せ」

 

 喚く熊野に対して、壁に寄りかかっていた彼女は言葉とは裏腹に、悪びれる様子も無く薄い笑みを浮かべる。

 

 熊野とは対照的な真っ黒な旧式の軍服に、その上から羽織るようにして掛かる白い着物。

 そして、何より右腕に着けた『Z旗』が否応なく目に付いた。

 

 重桜において、彼女ほど凛とした佇まいをする者はいない。

 

 かの大海戦で連合艦隊の総旗艦を勤めるとともに、大勝利へと導いた最古参の大英雄。

 

 敷島型一級戦艦・前弩級戦艦──三笠(みかさ)

 

 重桜の全艦船の偉大な先人とも言える彼女が、熊野と一緒に指揮官の前へ立っていた。

 

「熊野? それに、三笠さん(・・)も……どうしてここに?」

 

 何故、という疑問が浮かび思わず挨拶もせずに、要件を聞きに行ってしまう指揮官。

 それに、三笠はムッとした表情を見せる。

 だが、それは言葉や礼儀にではなく、違うものに反応を示していた。

 

「敬称は要らんと言っているだろう。貴方は指揮官であり、我々に指示をする立場なのだ。もっと堂々としないでどうする」

 

 不満げに、口を尖らせながらそういう三笠。

 だが、指揮官から言わせてもらえば、彼女に対して敬意を払わない者などいない。

 隣にいる熊野も同じ気持ちなのか、「うわぁ」と表情を崩していた。

 

 彼女、三笠にはそうせざる(・・・・・)を得ない何かがある。

 思わず頭を下げてしまいたくなるような……カリスマ性が三笠から溢れ出ているのだ。

 重桜も実力主義寄りではあるが、それよりも義を重んじる習慣がある。

 その習慣に則るとすれば、この場において誰よりも重んじられるのは三笠しかいないだろう。

 

「いや、その……すみません。どうも、慣れなくて」

 

「慣れる、慣れないの問題ではないのだが……正直、このやり取りにも飽きたぞ」

 

 焦ったように苦笑いを浮かべる指揮官に、三笠は軽く半目で見ながら、仕方ないと言わんばかりに首を横に振った。

 その様子を真横で見ていた熊野は思わず、と言った具合に口をスベらせる。

 

「いや、ムリっしょ? 大先輩に敬語も使わない奴なんていなし、そもそも、おばあちゃ(・・・・・)──あだだだっ!!? ごめんなさい、ごめんなさい! 素敵なお姉様でしたぁ!」

 

 頭を鷲づかみにされ、ミシミシと三笠の細指が頭皮に食い込んでいく。

 それに、熊野は悲鳴を上げながら必死に許しを懇願するのだった。

 

「はぁ……茶番はここまでにして、指揮官の質問に答えよう」

 

「その茶番で、私の頭蓋が潰れかけたんですけど……?」

 

 目尻に涙を溜めながら三笠を見る熊野。

 だが、その視線も言葉も三笠には届かず、当の本人は苦笑いを浮かべる指揮官へと意識を向けていた。

 

「何故、我らがここにいるか……と、いう話しだったな? 指揮官、質問を返すようで悪いが、予想は出来るだろ?」

 

 両腕を組みながら、値踏みするような視線をその言葉ともに投げかける三笠。

 試されているのか、それとも、単なる確認のようなものか。

 三笠の意図が分からないが、どちらにしろ、質問には答えられるだろう。

 

「──鉄血(てっけつ)と何かありましたか?」

 

「……フッ、些か分かりやすかったか?」

 

「まあ、任務受領の印鑑を直々に押しちゃってるし。寧ろ、分からなかったら反応に困るっていうか?」

 

 ……どうやら、ご期待に添った答えだったらしい。正直に言って当たっては欲しくなかった答えだが。

 

 二人は──正確に言えば、三笠が率いる派遣部隊──定期的に行われる鉄血との情報交換のため、少し前からこの重桜領内から出払っていた。

 

 最も情報交換などというのは建前でしかなく、あくまでも互いに協力関係にある、という確認作業のようなものに近い。

 どの陣営にでも言えることだろうが、一枚岩では決して無いのだ。

 

 『鉄血』と『重桜』。その軍事連合『レッドアクシズ』。

 表向きは協力関係にあるにしろ、その実態は何時しか形骸化したものへと成り果てた。

 根本的な原因は『セイレーン』によるものだろう(・・・)と両者勘づいてはいるが、もう遅い。

 

 今や、互いに粗を探し、隙を突き、どうにか自陣に取り込み、傀儡にしようと目を光らせ合う。

 この遠征任務の本質部分では、互いに冷戦染みた駆け引きが繰り広げられており、それに一枚噛んでいた指揮官は少し苦い表情を浮かべる。

 

 それが余りにも表情に出ていたのだろう。三笠は何処か気遣うようなに声をかける……が。

 

「そう気を落とすな、指揮官……と、言ってやりたいところだが、今回の采配は悪手だったぞ。鉄血(あちら)は私が来て、随分と警戒していた」

 

 それは、声色とは裏腹に叱咤に当たるもの。

 どうやら、過剰な心配が逆に相手を警戒させる判断材料になってしまったようだ。

 彼女たちを出来る限り安全に、という思惑が裏目に出て、鉄血と対立でもすれば目も当てられないだろう。

 

「……それで、何があったんです?」

 

「まあ、待て。これから長門(ながと)のところに行くのだろう? それを聞いて丁度良いと思ってな。詳細は長門も交えて話そう」

 

 なるほど。だから、二人はここにいたのか。

 と、指揮官は当初の疑問に答えが出され、腑に落ちたように納得する。

 

「──ほら、指揮官。早く行こう! てか、指揮官、終わったらお土産話でも聞いてよ! 鉄血(あっち)って、スゴイんだよ! ホント! めっちゃヤバイ!」

 

「お、おい、熊野」

 

 表情が強張る指揮官を熊野は手を引いて、どんどん奥へと進んでいく。

 こちらの気も知らないで、と思うところもあるが、今は無理矢理にでも引っ張ってくれるのは、情けない話し有難かったのも事実だった。

 

 見惚れるようで、見慣れていた内装が目まぐるしく流れていき、長門がいる部屋の前まであっという間に着く。

 

 そして、その前で待機していた二人の付き人が熊野と少し遅れてきた三笠を見て、ほぼ同時に首を傾げた。

 

「──指揮官様。お待ちしておりました。それで、お二方は……何故、こちらに? お連れになるとは聞いておりませんが……」

 

「はわ、はわわっ!? く、熊野ちゃんはともかく、み、三笠様が来るとか聞いてないよ……っ!?」

 

 超弩級戦艦扶桑型一番艦──扶桑(ふそう)が、礼儀正しく三笠と熊野に問いかけると同時に、扶桑型二番艦──山城(やましろ)は思考の範囲外であった三笠の突然の登場に、思考が追いつかず慌て始める。

 

 泰然な扶桑と狼狽する山城。

 その余りにも真逆な反応は、二人の性格を分かりやすいほど表していた。

 

熊野(わたし)はともかくって、どゆこと? ちょっと、山城~?」

 

「ち、違うの、熊野ちゃん! そういう意味じゃなくてぇ~!」

 

 じゃれ合い始めた二人を余所に、三笠と指揮官は扶桑へ近づき事の次第を伝える。

 

「急ですまない。だが、長門にも話しを通しておくべきことだ」

 

「扶桑、俺からもどうか頼む」

 

「あ、いえ、別にそう言った緊急性があることであれば、全く問題ないのですが、ただ……」

 

「「ただ?」」

 

 三笠と指揮官の声が被る。

 そして、扶桑は少しだけ言いづらそうに三笠へと視線を向けた。

 

「ただ、陸奥(むつ)様が……その、三笠様の突然の来訪にどう思われるか心配で……下手をすれば、見た瞬間何処かへ逃げかねないというか……」

 

「逃げる? また、どうして?」

 

 扶桑の発言に指揮官は首を傾げる。

 確か、長門は三笠に対して全幅の信頼を向けており、憧憬も抱いていると聞いている。

 それは、妹の陸奥も同じだろうと思っていたが、扶桑の話しを聞く限り、どうやら違うらしい。

 

 説明を求めようと三笠の方を見れば、少しだけ困ったような表情を浮かべていた。

 

「我は……いや、私は随分と怖がられてたみたいでね。二人の為だと思って、厳しく教育したのが尾を引いているらしい」

 

「……ああ、そういえば、そうか」

 

 三笠は長門たちが今のような立場になる以前から、二人の教育係として傍にいた。

 今は、もう相談役のような立場になってはいるが、それでも二人にとっては──否、多くの重桜艦たちにとっては恩師とも言える存在だろう。

 

 故に、陸奥の気持ちも分からなくもない。

 

 指揮官(じぶん)は直接的に指導をされたことは終ぞ無かったが、それでも彼女の教育方針は厳しいものであっただろうと予想出来る。

 

 こう言ってしまうと悪いだろうが、きっと彼女の教育は旧海軍の教育を基に成されており、今の駿河や島風が受けた教育とは訳が違うだろう。

 

 どちらかと言えば、自分の時とそう変わらないはずだ。

 精神的にも、肉体的にも、追い詰められるギリギリのラインで上手いこと調整が成されている、あの過酷な訓練。思い出しただけでもゾッとする。

 

 無論、そのままとは言わないだろうが、キツさはそう大して変わらないだろう。

 最終的には慣れる(・・・)ものだが、長門はともかく見た目相応の精神性を持つ陸奥にとっては苦痛でしかなく、その元凶たる三笠に余り良い感情を抱かないのも分かる。

 

 だが、それで有耶無耶に出来るほど陳腐な話題ではない。寧ろ、急を有するものだ。

 

「まあ、致し方あるまい。逃げたら逃げたで別にいいさ。今更、怒鳴り散らしたりはしない」

 

「……怒鳴り散らしたことが?」

 

「……いや、言葉の綾というやつだ。流石に、怒鳴り散らしてはない……はずだ」

 

 そこは、きっぱりと言って欲しかったものである。

 

「あ、あはは……では、指揮官様と三笠様。後、熊野様の三人をお通しするということで、宜しいですか?」

 

「あ、私は別にいいよ。ここで待っとくし」

 

ふぁ()! ふぁすへて(助けて)! ふえへさま(姉さま)ぁ!?」

 

 山城の頬を弄くることに夢中になっている熊野は、こちらに視線を向ける事無く同行を辞退。

 そして、被害者である山城は涙目で姉の扶桑に助けを求めていた。

 

「はぁ……まあ、我一人で十分か」

 

 所詮は事の概要説明だ。

 ただ状況を説明するのに、二人も三人も要らないだろう。

 

 扶桑が襖越しにこちらのことを伝えると、中から返事が返ってくる。

 それを、合図に扶桑は一度こちらに頭を下げると、ゆっくりと襖を開けた。

 

「──うむ、良く来た。指揮官、三笠様」

 

 部屋の最も奥の上座に座るは、重桜の魂であり、誇りであり、栄光でもあり……重桜の象徴──長門型戦艦一番艦、長門。

 

 その長門の前に、二人は頭を下げる。

 

「そんな堅苦しくしなくて良い。今は、余と指揮官たちしかおらぬからな」

 

 そう、この場には三人しかいないのだ。本来ならば、長門の横に座っているであろう陸奥がいなかった。

 

「長門、陸奥はどうした?」

 

 キョロキョロと三笠は部屋全体を見渡すように頭を動かした。

 だが、見つからない。陸奥の姿が何処にも見当たらなかった。

 長門の背に隠れている訳でもなく、どこかに隠れようとも隠れられるような場所はこの部屋にはない。

 

 それに、長門は若干申し訳なさそうに言葉を零した。

 

「三笠様、流石にいくら襖と越しとはいえ、あそこまで騒がれると……」

 

「……どうやら、もう逃げた後のようです」

 

「流石にそれは、我でも傷つくぞ……」

 

 思っていた以上に怖がられていた事実に、流石の三笠もガックリと肩を落とした。

 あの天真爛漫という言葉が良く似合う陸奥が声を聞いただけで、逃げ出すのだ。落ち込むのも無理はない。

 

「あっ、そ、それで! 火急の用だと聞こえたが……一体何があった?」

 

 慌てた場を取り直そうと長門はいきなり本題へと入った。

 それに、指揮官は言葉を返す代わりに三笠へと視線を向ける。

 その視線を受けた三笠は顔を上げて一度深呼吸すると、懐に仕舞っていた封書を取り出した。

 

「──それは……」

 

 目を見開く指揮官を余所に、三笠は【黒十字】の封蝋がされた封書を開いて、折り畳まれた二枚に書類を広げる。

 

 そして、前置きもなく三笠は長ったらしい前口上を飛ばして本命を朗読した。

 

「是非とも検討して欲しい。重桜、鉄血、両陣営の『合同演習(・・・・)』を……随分と急な話しだと思わないか? しかも、ここ最近、鉄血はセイレーンと小競り合いをしたばかりだ。──指揮官、長門、これをどう見る?」

 

 

 




本当は、三笠をメンタル弱々の方向性にしていたのですが、何故かしっくりこず、急遽このように変更したため、殆どキャラ崩壊していない……と思っています。

次回、満を持して鉄血の登場です。そんなに多くは出せませんが。


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指揮官は消沈し、策を練る


先ずは謝罪を。

今回、鉄血は出ません。次回予告詐欺をしました。本当に申し訳ないです。




 

 

 鳥が鳴き、清涼な風が吹き始め、水平線から淡い赤色の太陽が昇る。

 陽光が軍港を優しく照らし、今日という一日の始まりを告げる。

 

 そして、そんな光を全身に浴びる彼女は、これまでに無いほど清々しい気分だった。

 濡羽色の黒髪が風に靡き、靡いた髪の一本一本が陽光に照らされて、宝石のように輝いた。

 

 彼女──大鳳(たいほう)は理想郷の朝を迎えたかのように、今日という日の始まりを味わっていた。

 

 味わい──嗤う。はしたないと言われても仕方ないほど、大鳳は口元を歪めて嗤うのだ。

 

「うふふふっ、あはっ──あははははははっ!!」

 

 これほど、清々しい気分はない。

 これほど、甘美な朝はない。

 これほど、歓喜に打ち震えることはない。

 

 大鳳はゆっくりと一歩前へと足を進めた。

 

 その先にあるのは無論、愛の巣(司令部)

 自分と指揮官が愛を育むためにある施設、もしくは、別荘と言っても過言ではない。

 

 悠然と歩き、司令部内部へと続く門の前へと立てば、大鳳は躊躇わず、それこそ、自分の部屋に入るかのように不遜尊大な足取りで司令部へと入っていった。

 

 ──そう。何時もなら邪魔をしてくる赤城(あかぎ)がいないのである。

 

 それもそのはず。

 

 ただの凡愚ならいざ知らず、赤城は重桜の『重鎮』。

 重桜の進路を決め、重桜の在り方を決め、重桜の行く末を決める立場にある一人。

 

 そんな重鎮が果たして『鉄血』とのいざこざで、忙しくなっている今日(こんにち)に、いつも通り門番紛いのことをしているだろうか?

 

 答えは否である。否、否、否だ。

 

 だからこそ、大鳳は──嗤うのだ。

 

 あの女狐はいない。この大鳳を邪魔する者はいない。

 この前いた江風(かはかぜ)も、指揮官を幼馴染みなどと嘯く隼鷹(じゅんよう)も……指揮官に恋慕を寄せる者たちは、この場に誰一人としていやしない。

 

 勝った、と大鳳は内心でほくそ笑み、表ではそれ以上にほくそ嗤う。

 既に把握し尽くした(・・・・・・・)司令部を悠々と歩き、指揮官がまだ寝ているであろう自室を目指して行く。

 その過程にある階段や廊下が、大鳳にはまるでバージンロードに思えて仕方なかった。

 

 そして、遂に大鳳は自室に辿り着く。

 

 この扉越しに指揮官は寝ている。

 寝息を立てて、安らかに眠り、お伽噺のお姫様のように王子様を待っているのだ。

 

 手足が震える。心臓が早く脈打つ。身体も火照り、呼吸も浅くなる。

 

 緊張? ──まさか。これは、興奮しているのだ。

 

 震えているのは歓喜によるもの。

 脈拍が早くなるのは狂喜によるもの。

 火照っているのは発情によるもの。

 呼吸が荒いのは昂揚によるもの。

 

 その全てが、自分を興奮させる。

 

 大鳳はゆっくりとドアノブに手を掛けて捻った。

 ドアノブが簡単に回り、カチャリと音を立てる。

 

 ああ、鍵もしていないなんて……不用心な人だ。

 

 しょうがない、と思いながら大鳳は扉を押し開いていく。

 

 夢にまで見たこの場所。

 思い描いた歓楽の個室。

 

 昂揚が抑えられないのを感じながら大鳳は一歩、室内に足を踏み入れ──

 

「……どう、いう……こと?」

 

 ──あるのは無。虚無とも言うべきか。

 

 ベッドに横たわるのは綺麗に畳まれたシーツ。

 皺一つ無く、完璧にベッドメイキングされており、そもそも部屋自体がビジネスホテル並に整っている。

 

 いや、整い過ぎていた。

 

 生活感はある。確かに、ここには指揮官が住んでおり、手入れも指揮官がしていることは明白だ。

 だが、今この状態はまるで何時の日から時間が止まったかのように、動き(・・)がない。

 

 訳が分からなかった。

 指揮官がここにいない意味が理解出来なかった。

 何かの間違いだ。

 いや、もしかしたら、もう執務室にいるかもしれない。

 

 そうだ。そうに違いない。

 

 ──いない。執務室も同様に時間が止まっているかのように、静寂があるだけだった。

 

 まるで、狐につままれた気分だ。

 

 大鳳はしばらく唖然として、その場に立ち尽くす。

 

 大鳳の失態は一つだけ。

 かの重鎮たる赤城がここにいないのだ。

 

 何時もなら、何が何でもいるはずの赤城がいなかった(・・・・・)

 

 そう、赤城がいない時点で察するべきだった。

 

 赤城が重鎮だとすれば、指揮官は一体どの立場にいるのだろうか?

 

 赤城ほどの立場の人間が忙殺され、身動きが取れないならば、その上に立つ指揮官は忙殺どころでは無い。

 

 直ぐ考えれば分かることだった。

 

 指揮官が、自室で眠ることすら出来ないほど多忙を極めていることに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──三笠を交えた長門との会合から約一週間後の明朝。

 

 水平線から昇ってくる太陽の光が軍港を優しく照らし、今日という一日の始まりを告げる。

 ゆっくりと動く陽光が窓から差し込み、机に広げた資料を淡く光らせたのを見て、彼──指揮官は朝を迎えたことに気がついた。

 

 部屋──城内に併設された『作戦室』──にある電子時計に目を向ければ、朝の五時少し前。

 

 それを、確認した指揮官は深く息を吐き出しながら背もたれに身体を預け、鉛のように重くなった身体を認識する。

 

 早い、朝が来るのが早すぎる。

 今、この時に限っては、あの朝日が忌々しく思えた。

 

 とはいえ、朝一番の陽光を浴びるのは幾分か気持ちが安らぐのも事実だ。

 自然の暖かさを感じながら、凝り固まった身体を動かしていく。

 

 ただ、ずっと脳を、思考を……考えることを止めなかっただけで、全力疾走した後のような疲労感。

 人間の身体とはこうも不便なのか、とあられもない不満が出る。

 

 そして、一通り身体の節々を動かしたら、冷め切った珈琲(コーヒー)を少しだけ口に含む。

 乾ききった舌が苦みと酸味を強く主張し、無理矢理でも微睡んだ思考を明瞭にさせた。

 

 何とかマシになった思考回路で今一度、資料へと目を通そうと背筋を伸ばしたところで、扉から──正確に言うならば扉の外にある廊下から忙しない音が聞こえてきた。

 

 何事か、と腰を少しだけ浮かせた──その瞬間。

 

「指揮官様ぁっ~! ようやっと赤城が──ふぐっ!?」

 

「朝早くからすまない、指揮官。姉様、まだ終わってないぞ。さあ、戻ろう」

 

 赤城が扉を開け放ったと思いきや、次の瞬間には背後から加賀(かが)が素早く口を塞ぎ、尻尾を使って羽交い締めにした後に、何処かへ連れ去っていった。

 

 その間、実に五秒と掛かっていないだろう。

 洗練された動きだった。無駄の無い動きだった。

 赤城が来てから流れるように事が進み、気がつけば先ほどの静寂に戻っている。

 

 先ほどの出来事が連日の徹夜による、疲労から来る幻覚だと言われれば、簡単に信じられるだろう。

 いや、幻覚だったかもしれない。あの加賀が額に『冷えピタ』なるものを貼っているはずが無いのだから。

 

 上げた腰を下ろし、大きく溜息を吐く。

 

 疲れているのだろう、自分は。

 だが、それもまだ準備を終えただけに過ぎない。

 

 『鉄血』との『合同演習』は滞り無く、行われることになっている。

 ただ、その条件として演習場所はこちら、重桜の領海で行われる手筈なった。

 

 そのため、こうして業務に忙殺されている。

 

 重要書類の隠蔽や日程の調整。

 周辺海域の安全確保や鉄血の宿泊施設。並びに、演習を行うための設備の準備などなど……やることを上げればキリが無い。

 

 だが、それは確信めいたものがあったから、こうして徹底的に準備している。

 

 確実に鉄血は何か策があって、この『合同演習』たるものを企画したのだ。

 

 故に先手を打つ。打たねばならぬ。

 

『──何? こちら側で演習をする、と? わざわざ、懐に入れるのか?』

 

『ええ、何かする気であるのであれば、寧ろ目の届く範囲でやってもらいましょう』

 

『……なるほど。敢えて、懐に入れさせ監視する、か。なかなか、どうして……悪くない案じゃないか、指揮官。勿論、監視だけが目的じゃないんだろ?』

 

 長門は難色を示していたが、結局は三笠や後に交えて話した赤城たちに説き伏せられ渋々了承した。

 

 今、思えば半ば無理矢理、首を縦に振らせたようなものだ。故に、その妹たる陸奥が自分たちに文句を言うのも致し方なかっただろう。

 その時、三笠が随分と落ち込んでいたのが印象深い。

 

 それと同時に、もう指揮官という立場になって、何年も経っているというに、彼女たちのことを知らな過ぎると痛感した時でもあった。

 

 もう少し、距離を縮めるべきなのだろう。

 もう少し、話し合ってみるべきなのだろう。

 

 だが、今でもやはり──恐い。

 

 余りにも分かりやすい好意に、疑問を抱くのは必然であろう。

 

 例を挙げるならば、赤城だ。

 赤城は自分の認識とそんな変わりは無いと思ってはいるが、果たしてその裏では何を考えているか。

 

 赤城は、あれでも──否、ああだからこそ、平然と敵を貶める謀略を考え、躊躇いも無く実行に移す。

 そこに、味方が重傷を負うことになっても関係ない。

 

 故に、敵であろうと、仏であろうと──セイレーンであろうと、利用し、利用し尽くす。

 その中に、自分が入っていない確証はない。

 

 改めて、ここはゲームの世界ではない。画面で見ていた世界では無く、今の自分にとって現実の世界だ。

 

 だからこそ、彼女がいざとなれば自分をも切り捨てるのでは無いかと思っている。

 

 それは、他の者たちにも言えることだが──ハッキリといって、底が見えないからだ。

 ゲームのように好感度やらが分かれば、幾分かマシであろうが、この現実ではそんなこと分かりやしない。

 

 言葉の強弱やその時の表情、仕草や感情の起伏を読み解き、随時反応を返して、やっとコミュニケーションは成立する。

 

 そこから、その裏にある考えを読み解くとなれば、至難の業だ。

 

 だからこそ、怯えている。

 死に怯え、それ以上に、彼女たちからの失望に怯えている。

 

 指揮官は、またも大きく溜息を吐いた。

 こうして、ネガティブな思考に陥っているのは何度目だろうか。

 これから、まだ忙しくなる。気持ちを切り替えなければ。

 

 そんな時、ノック音が聞こえてくる。

 その後に、この一週間で随分と聞き慣れた(・・・・・)声が扉越しに聞こえてきた。

 それに、反応を示せばゆっくりと開く扉。

 

「──指揮官。もう起きていたのか」

 

「……ああ、おはよう。江風(かはかぜ)

 

 相も変わらず表情の変化に乏しい江風が、少しだけ目を見開いてこちらを見ていた。

 そんな珍しい表情を見ながら返事を返せば、江風は小っ恥ずかしそうに視線をそらし、誤魔化すように机を見る。

 

「相変わらず職務に忠実だな。まだ、起床時間でも無いというのに」

 

「俺みたいな一兵卒上がりだと、これぐらいしないと間に合わなくてな。もう慣れたよ」

 

 手に持った資料に意識を集中させて話せば、無意識的な自虐を口にしていた。

 だが、それも間違いでは無いだろう。実際、そこまでしなければ指揮官などという大役を果たしきれない。

 その上、『鉄血』との面倒ごとも抱えているのだ。これでは、寝るに眠れない。

 

 そんな無愛想な態度が気に食わなかったのか、江風は無言で距離を詰めてくると指揮官から資料を取り上げた。

 

「──指揮官」

 

「っ、な、なんだ……?」

 

 おい、という言葉を言う前に胸元を掴まれ、江風の方へと引っ張られる。

 白く透き通った江風の端正な顔がすぐ傍まで迫り、心臓が高鳴った。

 

「……寝ていないな?」

 

 その端正な顔に少しだけ怒りを浮かべて、ハッキリと江風はそう口にした。

 

「よく……分かったな」

 

 口籠もりながら指揮官が認めれば、江風は胸ぐらから手を離し、身体も離す。

 

「急に悪かった。だが、その死んだような表情は表に出さない方が良い。全員、何事かと慌てふためいて、朝礼がパニックになるぞ」

 

「そんな、大袈裟な……」

 

 余りにも膨張した表現に指揮官は引き攣った笑みを浮かべる。

 それをどう思ったのか知らないが、江風は何時もよりも増して仏頂面を浮かべると、首を扉の方へと動かした。

 

「朝食だ、指揮官。寝てないなら尚更、食べるべきだ」

 

「……ああ、そうだな。お言葉に甘えるとしよう」

 

 今日も(・・・)朝食を用意してくれた江風には頭が上がらない。

 彼女は、別に気にしなくていいと言うが、それでも負担になっていないか気にしてしまう。

 

 申し訳なさと、暖かい朝食を頂けるありがたさが混じりあった感情の中で、腰を上げれば、またもや忙しない音が扉越しに聞こえてきた。

 

「──た、大変にゃ!! し、しし指揮官! あああ、アレが、ああにゃって、アレがこうにゃって! ──アレにゃ?!」

 

「……落ち着け、明石(あかし)。全く分からんぞ」

 

 重桜唯一無二の工作艦──明石が慌てて入ってきたと思ったら、呂律が回っていない状態で、尚且つ早口で、鳴き喚いた。

 

「んもぉー! その耳は飾りかにゃ!? 良いから耳をかっぽじって聞くにゃ!」

 

 目を吊り上げて垂れた袖を突きつけてくる明石。

 そんな明石に何と理不尽な、と思い江風に助けを求めれば、江風は両肩を竦めるだけだった。

 

「北東からセイレーンが突如として出現! 量産型が多数確認されているけど、正確な数は不明。後、目標も不明にゃ。でも、明石大体予想は着くにゃ……」

 

「──北東か」

 

 指揮官は素早く通信装置の前に行くと、周波数をある部隊に合わせ、マイクのスイッチを入れる。

 

「聞こえるか──摩耶(まや)

 

『──チッ、聞こえてる。セイレーンでしょ?』

 

 スピーカーから聞こえてくるのは不機嫌そうな声色。

 もう既に、重桜領海に入ってきたのかと勘ぐるい、明石を見るが彼女は激しく首を横に振るだけ。

 明石は一番最初にここへ報告しに来たのは間違いないらしい。なら──

 

「──何故、分かった? というか、今どこにいる?」

 

 その問いにスピーカーから聞こえてきたのは風を切る音と、水上を駆ける水の音。

 

『もう、目視した。これから、戦闘に入る』

 

 

 





重桜は魅力的なキャラが多いですね。あれも、これも出したいと思っていたらとてもじゃないけど時間が足りない。

というか、大幅にプロットを組み直しました。本来は、彼女たち主観であくまでも指揮官はただのダシにするつもりで、だから短編で出したのですが、今やこうなりました。

故に、当初予定した十話を超えた場合は短編から連載に切り替える腹積もりです。申し訳ございません。


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指揮官は草臥れ、気が抜ける

遅くなって本当に申し訳ないです。スランプと今の時期は色々と慌ただしく書けなかったというのが、言い訳になります。




 

 

「待て、摩耶(まや)。セイレーン艦隊の様子を──……聞いていないな」

 

 マイクから返ってくる音は言葉ではなく、ノイズのような雑音ばかり。

 こうなってしまえば、いくらこちらから呼びかけても反応は無いだろう。

 寧ろ、もう相対しているのならば気を散らすことはなるべくしない方がいい。

 下手に呼びかけて、彼女たちの注意を引くことは危険だ。

 

「指揮官。摩耶さんたちならば問題はないさ。百戦錬磨の方々だ、心配する方が野暮というものだろう」

 

「明石もバッチリ整備してるにゃ! ……まあ、ウチの奴らは艤装がオマケみたいになってるヤツが多いけど」

 

「フッ……全く困った人たちだ」

 

「……江風(おまえ)もその一人に入ってるにゃ」

 

 本当に心配をしていないのだろう。

 江風と明石は冗談を言い合いながら談笑していた。

 

 確かに、摩耶たちであればそう滅多に負けることはないだろう。

 だが、戦場とは何が起きるかわからないものだ。戦場に絶対などいう言葉は無い。

 

 大丈夫だ、と言うことは分かっていても、やはり不安が指揮官の中に積もり、気がつけば窓から見える海上を睨み付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

「また、ワラワラと……面倒くさい」

 

 前方に見えるは隊列を成して、押し寄せてくる漆黒の艦──セイレーン艦隊。

 まず目に入るは巨大な戦艦と空母。そして、その周りを守るようにして軽巡、重巡を中心に組まれた護衛艦隊。

 その全ての艦砲が、こちらへと向いていた。

 

 銃口を向けられている、などとは比べものにならない。

 時間と弾薬をかければ、大陸を焦土に変えることが出来るモノを向けられている。

 ましてや、相手はセイレーン。それ(・・)をして見せた存在だ。

 

 故に、本来ならば恐怖するはずだ。

 恐怖し、震え、絶望を感じるのが普通だろう。

 

 だが、彼女たちは違う。

 彼女たち──『KAN―SEN』たちは唯一、奴らセイレーンと対抗出来る存在だ。

 

「──全員、抜刀。目標、前方のセイレーン艦隊」

 

 向けられた艦砲に臆すことなく、水上を駆けながら彼女──高雄(たかお)型重巡洋艦三番艦、摩耶は鞘から刀剣を抜くと、その切っ先を前方にいるセイレーン艦隊へと向ける。

 

 それに追従して、彼女たち──摩耶率いる近海警備隊のメンバーは同じく抜剣した。

 

「全部、斬れ。斬って斬って、斬りまくれ。指揮官はそう言っている」

 

「……本当にそう言ったのか?」

 

 隣で同じく抜剣した鬼怒(きぬ)は思わず、構えた刀を少しだけ崩して摩耶を見た。

 

 鬼怒は自分が指揮官の全てを知っているとは思っていない。

 だが、それでも決して短くない年数は一緒に戦ってきた。

 何時しかそれは、心に秘めた思いが芽生させた年数でもあったが、盲目になったつもりはない。

 

 だからこそ、分かる。

 

 あの指揮官がそんなことを言うだろうか? 

 

 鬼怒は指揮官の真意を自分の耳で聞こうと、摩耶から無線機を借り受けようと手を伸ばし、そして──その手を(はた)かれた。

 

「……おい」

 

「……渡せない。今回は僕が旗艦だ。だから、渡せないし、渡さない」

 

「いや、そういうことじゃなくてだな……」

 

 腰に着けた無線機の金具を今一度調整し、イヤホンをもう一層深く耳にねじ込む摩耶。

 

 まるで、駄々をこねる子供だ。

 だからだろうか、何故か鬼怒もムキになって無線機を奪い取ろうと手を伸ばす。

 

 伸ばされた手を摩耶は叩く。

 それに、鬼怒は負けじと無線機へ素早く手を伸ばす。

 

 伸ばす。叩く。

 伸ばす。叩く。

 伸ば────

 

「「──ッ!」」

 

 瞬時に反応した二人は弾かれるように飛び離れた。

 そして、その瞬間に二人の間を裂くように通り過ぎる鉄の塊。

 その鉄の塊はセイレーン艦隊(・・・・・・・)へと飛来していき、その近場で水柱を上がる。

 

「……お二方、じゃれ合っている場合ではないですよ」

 

 二人の後ろには、眼を細め、艤装の砲塔から白煙を漂わせる──阿賀野(あがの)型軽巡洋艦二番艦、能代(のしろ)がいた。

 

「……いや、気持ちは分かるが何も撃つほどじゃないだろう」

 

 冷えた視線を二人に送る能代の横で、若干引き気味な態度を見せながら言う──飛鷹(ひよう)型航空空母一番艦、飛鷹は刀の切っ先を水面へと着ける。

 

「僕は悪くない」

 

「摩耶、お前……っ! ……いや、あても少しムキなっていた。だが、それで全部の非がこちらにあるということにはならないだろう」

 

「先に仕掛けてきたのはそっち」

 

「そうだとしてもだな、そもそも──」

 

「──まあまあ、ちょっと落ち着け二人とも」

 

 今度は言葉の応酬でヒートアップしていく摩耶と鬼怒の間に割って入る飛鷹。

 

「今は言い争ってる場合じゃないだろう。また撃たれるぞ」

 

 飛鷹の視線の先には、相も変わらず冷ややかな視線を二人に向ける能代の姿。

 流石にもう撃ったりしないとは思うが、今度はその手に持った刀で斬りかかってきそうな勢いだ。

 

「……すまない、少し悪ふざけが過ぎ──ッ、たぁ!?」

 

 自らの非を認め、迷惑をかけたことを謝ろうとした鬼怒の言葉を遮るように、目の前を通り過ぎる砲弾。

 正に、紙一重で避けた鬼怒は咄嗟に能代へ視線を向ける。

 

「……今のは、私じゃないですよ?」

 

 能代は、少しばかり困った表情を浮かべて言った。

 

 無論、全員が分かっている。

 この状況で、撃ってくるものなど奴らしかいない。

 

「──本当に悪ふざけが過ぎたみたいだッ! 全員、来るぞ!」

 

 飛鷹の叱責に近い声色を合図に全員が気を引き締め、刀を構えた。

 

 そして、黒い群衆から星の瞬きのような強烈な眩い光が視界を覆う。

 それと、ほぼ同時に聞こえてくるのは腹の底まで響く重低音だった。

 

 無数の砲弾が摩耶たちに迫る。一つでも当たれば吹き飛ぶような鉄の塊が前方全面に広がっているのだ。

 全て避けることは不可能。

 今更、何か策を講じようとも、もう遅い。

 

 ──だが、しかし。彼女たちはあろうことか、その砲弾の弾幕に全速前進した。

 

 迫り来る砲弾に刀を合わせ──斬る。

 鉄の塊を、豆腐を切るのとそう大して変わらないかのように、容易く切り裂いて前へと進む。

 

 迫り来る砲弾を紙一重で避け、避けきれないものは刀で斬り、

その先にいるセイレーン艦隊へと全速力で駆けていく。

 

 近づけば近づくほど激しくなる弾幕の嵐。

 だが、彼女たちにとってはそれすらもどこ吹く風。虫を払うかのように手にした刀で砲弾の嵐を払いのけていく。

 その先にいるセイレーンを斬らんが為に、常に前へ。

 

「摩耶! 突っ切れ! 露払いは任せろ!」

 

「合わせます!」

 

 摩耶の前へと躍り出た鬼怒と背を追うようにして続く能代。

 だが、狭い範囲で三人も集まれば攻撃が集中するは必然だ。

 セイレーン艦隊の殆どの砲塔が旋回し、螺旋状(ライフリング)の溝が視認出来るほど、真っ直ぐこちらを狙う。

 

 そして、放たれる鉄の塊。

 

 先ほどよりも密度が高く、初速も落ちていない。

 

 ──加えて、水上(・・)には水しぶきを上げて滑走してくる爆弾(魚雷)

 

 更に、もう一押しと言わんばかりに放たれた鉄の群衆(爆撃機)唸り声(エンジン音)を響かせて、三人に集中するのだった。

 

 絶対絶命だ。

 最早、助かる見込みはない。

 

 ──だが、それは。

 

 摩耶たちでは無く、セイレーン側である。

 

「天翔る翼の名のもとに──発艦せよ!」

 

 最初に墜ちたのはセイレーン側の爆撃機だった。

 飛鷹が広げた特殊な飛行甲板から躍り出た式神──戦闘機が瞬く間に爆撃機を強襲。

 セイレーンの爆撃機は爆弾ではなく、機体自体が無惨にも墜ちていくはめとなった。

 

「──今です!」

 

 爆撃機が海の藻屑となっていく中で、能代は一番前へと踊り出れば刀を大きく横薙ぎに振るった。

 その刀の軌跡は迫り来ていた魚雷を綺麗に捉えており、激しい水柱を上げながら、魚雷は何のために発射されたかすら分からず、その役目を終える。

 

「ははは! ──真なる鬼をお前たちに見せてやる!」

 

 そして、水柱をぶった切りながら飛び出してきたのは正しく“鬼”と化した鬼怒。

 セイレーンの駆逐艦を意図も容易く斬り裂き、斬り刻み、斬り散らかす。

 

 駆逐艦や重巡洋艦などの残骸が水面に漂う中、一直線に切り開かれた──道。

 

 その道を、堂々と駆けるは──

 

「──我が刃で……朽ち果てろ……っ!」

 

 白いマフラーを風に靡かせながら、刀を振るう摩耶。

 その先にいるのはセイレーン艦隊の旗艦を務めているであろう巨大な空母だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ……また派手にやってるにゃ……あれ、片付けるのは誰だか分かってるのかにゃ?」

 

 明石は──指揮官から掠め取った──双眼鏡越しに見える水平線の向こうから、立ちこめる黒煙を見ながらそう呟いた。

 

「……まあ、そうふて腐れるな明石。人手はこちらで招集しておく」

 

 戦果としては大勝利、と言えるだろう。

 だが、中身を精査してみれば大勝利して当たり前とも言える。

 

 所詮は、量産型を中心にして組まれた艦隊。

 そこに人型のセイレーンがいれば、少しは違っていたかも知れないが、摩耶たちが相手とったのは平均的(・・・)な存在だ。

 

 もっと簡潔に言えば、作戦海域等にいる雑魚敵(・・・)と言えるだろう。

 

 ──故に、解せない。

 

 こちらが危険海域に出向いて小競り合いすることがあっても、あちらがわざわざこの海域まで出向いて来る理由が分からなかった。

 仮に、何かしら狙いがあったとしても、あの量産型艦隊で何が出来るというのだ。

 

 こうして、重桜領海の藻屑になるのは分かりきっていたはず。

 

 あれも、これも、と思考を練っていれば江風が「指揮官」と呼ぶ声。

 どうやら無線機が部隊からの通信を受信したようで、江風は指揮官の注意がこちらに向いたのを見計らって、無線機の前にある操作パネルのスイッチを押した。

 

『──事態。緊急事態発生だ、指揮官。南西からセイレーン艦隊多数。しかも、人型セイレーン──【スマッシャー】や【チェイサー】の姿も確認されている』

 

 無線機から聞こえてきたのは信じがたい情報だった。

 

 恐らく、摩耶たちの方は陽動。

 本命は、多くの小島が影となって身を隠しやすい南西方面から侵攻か。

 

『どうする指揮官? あたしたちは何時でも暴れられるよ。なっ、日向(ひゅうが)!』

 

『ちょ、いたッ! イタいって、姉さん! そんなに強く叩かなくたっていいじゃないか!』

 

 セイレーンが出現するに当たって、念のため、伊勢(いせ)神通(じんつう)を旗艦とした哨戒部隊を展開していた。

 その内、伊勢率いる哨戒部隊の網に掛かったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 

「伊勢、神通と合流してくれ。多少領海内に侵入されても構わない。とにかく、堅実に──」

 

『──割り込み失礼するわよ。そのセイレーン……こっちでどうにかするから』

 

「……何? いや、それより誰だ?」

 

 突如として無線に割り込んできた第三者。

 秘匿されているはずの無線を傍受し、(あまつさ)えセイレーンをこちらで対処する、などと言われれば警戒するなという方が無理な話しだ。

 

 だが、しかし。

 その第三者は躊躇いも無く名乗る。

 

『ふふん! 誰かと聞かれたら! 答えてあげましょう! 私はP級装甲艦──プリンツ・ハインリヒ! あっ! 後、アイゼン(・・・・)くん!』

 

『このバカ! 何でアンタが名乗ってるのよ!?』

 

『はぁ、ハインリヒ……やってくれたわね』

 

『え? もしかして変だった? あれぇ、おっかしーなぁー?』

 

「……何というか、随分と、こう……賑やかだな」

 

 無線の内容を聞いていた江風は毒気が抜けてしまったのか、険しい表情を一転させて、何とも言えない表情を浮かべた。

 

「ああ……そうだな。だが、おかげ彼女たちの正体が分かった。セイレーンは任せていいんだな──グラーフ」

 

『──ふん……オイゲン、ペーター、ハインリヒ──始めるとしよう。我らの戦争(はかい)を』

 

『時間が惜しい、早く終わらせましょう』

 

『よぉーし、やっちゃうぞぉー!』

 

『ハインリヒ、恐らくだけど私たち(前衛)の仕事は多分無いわよ』

 

 その言葉を最後に無線機から聞こえてくるのはノイズ音のみ。

 そして、少ししてから聞こえてきたのは、先ほどまでチャンネルを合わせていた伊勢率いる哨戒部隊の声だった。

 

『おい、おーい! 聞こえてるかー!?』

 

「伊勢か? 状況を教えてくれ。詳しくは後で話す」

 

『やっと通じたと思ったら……後で晩酌に付き合えよ、指揮官。 取り敢えず、神通たちとは合流したが……』

 

『こちら、神通です。伊勢さんたちと合流しましたが、指揮官と連絡が取れず立ち往生していました。すみませんが、状況の説明を求めます』

 

「今し方、グラーフ……鉄血(てっけつ)艦隊から連絡があった。そちらに現れたセイレーンは任せろ、と」

 

『鉄血……? 何故、南西から……いえ、了解しました。念のため、索敵陣形を組んで警戒にあたっておきます』

 

「頼む」

 

 神通との無線を終えたその直後。

 ここまで聞こえてくる巨大な爆雷の音。

 この部屋からは見えないが、恐らく鉄血の攻撃がセイレーン艦隊に直撃したのだろう。

 

 普通はあり得ない。

 こんなところまで音や振動が届くことなど、合っては成らない。

 

 だが、あの鉄血が扱う艤装ならば、それも可能にするだろう。

 

 重桜が『化学』であるならば、鉄血は『科学』だ。

 身体的にセイレーンの技術を取り込んだ重桜と、艤装にセイレーン技術を取り入れた鉄血。

 

 重桜が刀という棒きれ一本でセイレーン艦隊を殲滅出来るように、鉄血もたった一発の弾丸でセイレーン艦隊を殲滅することが出来る。

 

 近接戦において右に出るものなどいない重桜と、砲雷撃戦で全てを消し飛ばせる鉄血。

 

 その二つの国家が手を組んでいながらも、軍事連合(アズールレーン)との小競り合いが続いているのは、重桜と鉄血が互いに牽制しあっているからに過ぎない。

 

 だが、仮にこれを纏めることが出来れば、或いは…………。

 

「──指揮官」

 

「──指揮官様」

 

「赤城、三笠さん……そうか、終わったか」

 

 重桜の誇る二人の重鎮が神妙な顔つきでここに現れた理由を瞬時に察した指揮官は、江風に人数を集めて明石と手伝いをするように伝えると、二人を連なって埠頭へ向かった。

 

 朝日が上がりきり、色も淡い赤から白へと変わった午前中の中頃。

 三人は埠頭でその先の水平線を見ていれば、その太陽をバックに現れる四つの影。

 汚れ一つすらない身なりで重桜の大地へと上がり込んだ彼女たちに、赤城は一歩前へ出た。

 

「──ようこそ、鉄血の皆様。我ら重桜は貴方たちを歓迎致しますわ」

 

「ご丁寧にどうも。って、言っても私たちは先遣隊だけどね。アドミラル・ヒッパーよ。……あんた(・・・)も久しぶりじゃない」

 

 ピクリ、と赤城の尻尾が動いた。

 

「あ、ああ。久しいな、ヒッパー」

 

「──キミが指揮官くん? へぇ……あっ、ごめん! 私はプリンツ・ハインリヒ! アイゼンくん共々、よろしくね!」

 

「ハインリヒ、少しは空気を読みなさい」

 

「うげっ、ちょっ、ペーター! 髪を引っ張らないで!?」

 

 また、赤城の尻尾がピクリと揺れ動いた。

 

「はぁ、ハインリヒのことは気にしないで良いわよ。それより、部屋に案内してちょうだい。こっちは長期航行とさっきの戦闘で疲れてんの」

 

「……指揮官、私が案内しよう。だから……後は、頼むぞ」

 

 三笠がそう言ってヒッパーたちを誘導し始める。

 それに少しだけ騒ぎながらも、ヒッパーたちは大人しく着いていった。

 

 その途中、最後尾に歩いていたグラーフ・ツェッペリンがぼそりと呟く。

 

「……ではな、赤城。それと、卿よ……精々、機嫌を損ねないことだ」

 

 彼女がどういった意味でそう言ったのかは分からない。

 単純に挨拶であったのか、それとも何か含んでいたのか……もしくは両方か。

 

「……取り敢えず戻るか、赤城。……赤城?」

 

「フフッ、ふふふっ──ええ、ええ、戻りましょう、指揮官様。赤城は何処までもお供致しますわ」

 

 何であれ、鉄血の来訪は波乱の幕開けであることは変わりないだろう。

 




※追記、一話の『指揮官は恐れ、怯える』に高雄の挿絵を入れました。ご期待に添えるようなものではありませんが、一度やってみたかったんです……。
因みに、絵は友人が描いてくれました。



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指揮官は熟考し、苦慮する

 

 

「──摩耶(まや)……何でこの場に呼ばれたか分かってる?」

 

 指揮官が座る机を隔てた向こう側には、バツが悪そうに視線を反らしている摩耶の姿があった。

 

「結果はどうあれ、違反は違反。それも命令違反ともなれば……どうなるかは分かっているわよね、摩耶?」

 

 ゆらり、と揺れる赤城(あかぎ)の尻尾。

 艶やかで、温和な声色ではあるが、その目は一切笑っていない。

 

「……僕は間違ったことをしたとは思っていない。セイレーンは殲滅するべき」

 

「状況を考えなさい、と私は言っているの。指揮官様の采配があったからこそ、大事には至らなかったのよ? アナタが重桜のため、指揮官様のためを思うのなら、ちゃんと反省しなさい」

 

「……だけど──」

 

「──言い訳無用。しばらくは謹慎してなさい」

 

 ぴしゃり、と摩耶の言い分を切った赤城は静かに目を伏せた。

 そこには、先ほどのような怒りは感じられない。

 

 それは、もう摩耶の件は終わったことを示しており、この場所から退室しろという意味でもあった。

 

「……了解。大人しく秘書艦でもしておく」

 

「謹慎という言葉を調べなさい。僻地に飛ばすわよ」

 

 赤城の怒りを買うような言葉を残して摩耶は逃げるように部屋から退出していった。

 

「……結果的には良かったんだ。そんなに摩耶を責めることはないんじゃないか?」

 

 今まで沈黙していた指揮官は、摩耶が出て行ったのを見送ってから、横に立つ赤城を見てそう言った。

 それに対して赤城は疲れたように溜息を吐く。

 

「指揮官様は甘すぎますわ。違反者には罰を。武勲を立てた者には勲章を。組織として大切な事です」

 

「それは、そうだが……」

 

 赤城の言うことは正しい。

 それは、よく分かっているし、実際そうしなければ他の者に示しがつかないだろう。

 

 言ってしまえば、これは個人的な感情だ。

 どうしても甘く、優しく、できる限り自由にしてもらいたいと思っている。

 

 だが、その感情は彼女たちの顔色を伺い、媚びへつらう、無意識な潜在的意識から来ているものだと、今の指揮官は知らない。

 

 言葉を淀ませ、何か言葉を言おうと指揮官が口を開いたその瞬間。

 コンコン、と扉をノックする音が響く。

 

 赤城が入室の許可を示す言葉を扉越しにかければ、「失礼します」という言葉と一緒に入室してくる二名。

 

「──第二部隊、旗艦神通(じんつう)及び、第三部隊、旗艦伊勢(いせ)、両名。先ほどの出撃の報告にあがりました」

 

「ご苦労、二人とも。楽にしてくれ」

 

「はい。では、まず────」

 

 哨戒部隊として出撃していた神通率いる第二部隊と、伊勢率いる第三部隊の報告を聞きながら、指揮官は先ほどのセイレーンの動きを思い出す。

 

 陽動や囮を使った侵攻作戦。

 ただ、艦隊や人型セイレーン艦隊を使ったにしては随分と杜撰な作戦にも思える。

 確かに、陽動は成功。本命も小島等に隠れて発見が遅れている。

 

 だが、重桜の重要拠点などを落とすには余りにも戦力が足りていない。

 

「──以上が報告になります。ただ一つ、気になることが……」

 

「気になること?」

 

「はい。本命と思われるセイレーン部隊の来た方向です」

 

 神通は「失礼」と一言いうと、机に広げていた海図に指を置いた。

 

「今回、摩耶率いる近海警備隊は北東に出現した量産型セイレーン艦隊と戦闘。しかし、これは陽動でした。本命は南西より出現したセイレーン艦隊。【スマッシャー】や【チェイサー】がいたため、間違いないかと思われます。ただ、問題はこの後」

 

「──鉄血(グラーフ)たちか?」

 

「その通りです、指揮官」

 

 神通は指を滑らせ、セイレーン艦隊と鉄血がきたルートを照らし合わせるように円を描いた。

 

「……少し可笑しいわね。ルートを考えれば鉄血が来るのは真北からの方が一番近いはず。南西からなんて遠回りもいいところよ」

 

 赤城の言うとおりだ。何かを避けて、遠回りするならばともかく、こう大きく迂回してくる理由は、彼女(グラーフ)たちには無いはず。

 

「なら、あれか? 今回の襲撃は鉄血の仕業ってことか?」

 

「ありえない、とは言い切れないが……自分たちでそれを台無しにする理由はないだろう」

 

 伊勢の言葉に指揮官は否定をした。

 

 あのまま、セイレーン艦隊に攻撃させておいた方が良いに決まっている。

 それを、わざわざ自分たちで破壊する理由はないだろう。

 

 証拠の隠滅?

 何らかの痕跡を消すため?

 

 それなら、セイレーン艦隊を追って南西から来たという理由がつく。

 だが、それはこうして疑われる理由にもなるだろう。それが、分からないほど鉄血は馬鹿ではあるまい。

 

「鉄血も利用されている、と考えてみるのはどうでしょうか?」

 

「それは、時期尚早よ、神通。そもそも、今回の演習自体、随分ときな臭いじゃない……敵の攻撃はもう既に始まっている」

 

「そう見る方が──得策か」

 

 指揮官は机に置かれた固定電話の受話器を手に取って、ある電話番号が登録されているボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『旧重桜寮』。

 森と山、そして海に囲まれたかつての居住区は未だに使用用途が多く、内室は勿論のこと、外壁や水道管といったライフラインすらも整備されており、鉄血(てっけつ)といった外来などが宿泊するには持ってこいの場所であった。

 

「──ええ、問題無く(・・・・)着いたわ。……はぁ? 遅れるって……あっそ、分かった。ビスマルク(あんた)も気をつけなさいよね。ああ、それとオイゲンに言っておいて。サボるな、って……了解。じゃあね」

 

 彼女──アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦ネームシップ、アドミラル・ヒッパーは机に設置された携帯型無線機の電源を切ると、背もたれに身体を預けた。

 

 そんな彼女の目の前に差し出されるカップ。

 空気中に溶けていく白い湯気と、嗅ぎ慣れた芳醇な珈琲の匂いが鼻先を擽った。

 

「首尾の方はどうだ?」

 

「首尾もこうも無いわ。本隊(ビスマルク)たちは予定より遅れるらしいわよ。上層部(ジジイ)どもは未だに言い争ってるらしいわ。ホント、バカみたいにね」

 

 隣に座った彼女──グラーフ・ツェッペリン級航空母艦ネームシップ、グラーフ・ツェッペリンより渡されたカップを受け取ったヒッパーは、心底どうでもよくなったのだろう。

 言葉の節々から不満や呆れが滲み出ており、言葉も投げやり気味だった。

 

「……そうか。なら、我々は待つしか無いということだな」

 

「そうね。……まあ、でも退屈はしないんじゃない? 観光もそうだけど、随分と賑やか(・・・)なところみたいよ」

 

 ヒッパーは鉄格子が張られた窓から見える、森で覆われた眼下の景色を見ながらそう言った。

 

「……フン、確かにそのようだな」

 

 二人はお互いに向き合いながら座り、珈琲の香りを楽しみながら一時の休憩を甘受する。

 そのとき、ふと扉が開いたと思いきや、眉を顰め、何処か険しい表情を浮かべた彼女──グラーフ・ツェッペリン級航空母艦二番艦、ペーター・シュトラッサーが入ってきた。

 

「どうしたのよ、ペーター? そんな何時に増して仏頂面で」

 

「仏頂面は余計よ。それより、二人ともハインリヒ知らない? さっきから見当たらないんだけど」

 

 ヒッパーはペーターの問いかけに首を横に振って否定し、そのままグラーフへと視線を向ける。

 対して、二人の視線を受けたグラーフは、無視するかのようにカップの縁に唇を当てた。

 

「まさか、もう観光にでも行った……とか無いわよね?」

 

「いや、流石にそれは……」

 

 ない、とは言い切れなかった。

 信頼できて、背中を預けられる仲間ではあるが、如何せん行動などは読めない。

 それは、ヒッパーやグラーフとて同じだが、その中でも群を抜いて予測不能なのはハインリヒだろう。

 

「……心配することでもないだろう。観光だろうと、偵察だろうと、ハインリヒもそこまで愚かではあるまい」

 

「まあ、そうね。ペーター、あんたも珈琲でも飲んでゆっくりしなさい。どうせ、何かあれば一報ぐらいあるでしょ」

 

「……ありがとう。私も少し疲れたわ」

 

 ヒッパーやグラーフに促されたペーターは、両肩を脱力させると倒れ込むように椅子に腰掛けた。

 

 そして、少ししないうちに差し出される珈琲。

 安物のインスタントとはいえ、その独特な匂いは気を張っていた身体に安息を与えるのには十分な効力だった。

 

「ふぅ……それで、ビスマルクたちは何時来るって?」

 

「え? ああ、直ぐには来ないわよ」

 

 ヒッパーの要領を得ない説明にペーターは少しだけ考え、そして直ぐにでも察したのだろう。

 簡素な返事を返し、表情を顰める。

 

 彼女たち──鉄血の艦たちも上の意図が全く読めていなかった。

 

 突然、合同演習を決行すると言い出したと思ったら、今度は土壇場で待ったをかける。

 上層部は何がしたのか、何か考えがあるのか、上で意見が割れているのか……何であれ、実際に動くこちら側としては堪ったものではなない。

 

「頭が痛くなる話しね。いっその事、ストライキでもしようかしら?」

 

「ロクな結果にならなわいよ、それ」

 

「時間の無駄かしら……どう思う、グラーフ?」

 

「──さてな。たが、今回の『遊戯』は存外に楽しめそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──はい、指揮官殿。目立った異常は見当たりません。……はい、任務を継続します」

 

 耳に当てていた携帯電話から聞こえてくるのは、機械的な音。

 それが、相手との通話が切れたことを意味しているのを知っている彼女──妙高(みょうこう)型重巡洋艦三番艦、足柄(あしがら)は、携帯電話を制服のポケットにしまった。

 

「……ん? んん? ……あれ?」

 

 だが、その直後。葉や枝が擦れ合う音に混じって唸る声が響く。

 

 森の中(・・・)から双眼鏡で見ていた『旧重桜寮』から視線を外し、首を傾げる。

 

「どうした、足柄? 異常事態でも発生したか」

 

 そんな足柄の様子にいち早く気がついた彼女──川内(せんだい)型軽巡洋艦一番艦、川内は木の上から気怠そうに問いかけた。

 

「あっ、いえ、そんな異常事態というほどではないのですが……一人、姿が見えないんですよね」

 

「ふーん……トイレでもいったんじゃねぇか?」

 

 川内は欠伸を交えながら楽観的に言葉を紡ぐ。

 そして、そのまま瞳を閉じて木の幹に身体を預け、眠る準備へと入った。

 

「ちょ、川内さん? 今、監視任務中ですよ?」

 

「ハッ、それに関しては明らかに人選ミスだな。俺にこんな任務向いてねぇ」

 

「えぇ……」

 

 逆に、そこまで堂々と開き直られると呆れを通り越して、感心すら覚える。

 ただ、優等生を地で行く足柄にとって、それは大したことではない。

 寧ろ、そう言った輩が周りに多いからか、足柄は随分と慣れてしまっていた。

 

「何かあったら直ぐにでも起こしますからね」

 

「はいよ」

 

 一応、念を押しておいた足柄は手に持った双眼鏡をまた目元に近づけ、拡大するレンズ越しに鉄血を見張り始める。

 

 そのレンズ越しには、随分とリラックスした様子で珈琲を楽しむ鉄血の姿が映っていた。

 

 その様子を見て、足柄は鉄血の豪胆さに驚き、首を傾げるほど不思議に思う。

 

 確かに、重桜と鉄血は同盟国ではある。定義的には味方とみて間違いはないだろう。

 だが、それはある日を境に最早外観的なものでしかなくなった。

 

 表面上では、お互いに手を握り合っているかも知れない。笑みを携え語りあっているかも知れない。

 

 だが、その見えない机の下ではお互いに脛を蹴り合っている。

 時には足を踏みつける事だってあるだろう。

 

 それは、最早自分たちも知っている事実だ。それを、鉄血艦(かのじょたち)が知らないはずがない。

 

 それなのに、どうして、ああも隙を晒されるだろうか。

 分かっているのか、それとも分かっていないのか。

 

 ただ、こちらから手を出すことはない。

 あくまでも監視に徹して、何かあれば直ぐにでも報告するのが自分の任務である。

 

 直ぐにでも、折り返しの電話を掛けるのは少し気が引けたが、任務は任務。

 足柄はまたポケットから携帯電話を取りだして──止まる。

 

 その視線を旧重桜寮ではなく、それから少し離れたところにある噴水広場の方へと向けられていた。

 そして、携帯電話を手放すほど大慌てで木の上にいる川内へと声をかけた。

 

「あ、ああれっ! ちょっと、神通さんっ!? あれ、ヤバくないですかっ!?」

 

「おい、そんな大きな声だすなよ。バレたらどうするんだ?」

 

「そ、そんなこと言ってる場合じゃないんです! あそこを見てください!」

 

 珍しく焦燥する足柄に言われ、流石の川内も事態を重くみたのか、素早く木から下りると、神通が言われる方向を見た。

 

「──あー、これは……少し、ヤバイか?」

 

「いや、絶対少しどころじゃないですよっ!?」

 

 

 

 

 

 

「──こんにちは、今日は良い天気よね。それは、そうと……アナタ、私の指揮官(オサナナジミ)知らない?」

 

Guten Tag(こんにちは)! 私はプリンツ・ハインリヒ! よろしくね!」

 

 少し早い、鉄血と重桜(やべーやつ)の会合が行われようとしていた。

 




次はもっと早く更新できるよう頑張ります……。


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指揮官は邪推し、渋い顔をする


誤字、脱字報告ありがとうございます。大変、助かっています。
それと、感想、評価ありがとうございます。励みになりますし、参考になります。


 

 

 相対する両者の間にあるのは──笑顔だった。

 

 端正な顔を微かに歪めて、皮肉な笑み、とも取れる笑顔を浮かべる──飛鷹(ひよう)型航空母艦二番艦、隼鷹(じゅんよう)

 

 まさに、曇りも無い、屈託の無い……晴れやかで、溢れんばかりの笑顔を浮かべるのは──P級装甲艦、プリンツ・ハインリヒ。

 

 だが、時に笑顔とは相手を威嚇する、遠ざける、流すためにも使われることがある。

 

 果たして、二人の笑顔はなんの意味を持っているのだろうか。

 

 そこにあるのは、親愛か。

 

 それとも、敵意か。

 

「ねぇ、アナタ。私の指揮官(オサナナジミ)知らない? ここ最近、姿が見えなくて……」

 

「えっと、その、オサ、オサ──オサカナ? って、何のこと?」

 

「──アナタ、オサナナジミを知らないの?」

 

 隼鷹は衝撃を受けたかのように目を見開いた。

 彼女とって、【オサナナジミ】とは日常にあって当たり前のことだからだ。

 

 何をするにしても必ず【オサナナジミ】がいる。

 

 朝起きて、隣にいるのは勿論【オサナナジミ】だ。

 一緒に朝食を食べるのも【オサナナジミ】。

 顔を洗い、歯を磨いて、身支度をする瞬間も【オサナナジミ】と一緒。

 お互いに職場が違っても近くまで【オサナナジミ】と一緒に出勤する。

 出勤して、抜錨して、訓練をして、そして、出迎えてくれるのは【オサナナジミ】。

 退勤する時間も【オサナナジミ】と一緒で、二人肩を並べて帰る。

 一緒に夕飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に趣味をして、一緒に肩を並べて、一緒に、一緒に、一緒に……。

 

 【オサナナジミ】とは、いわば自身の半身だ。いや、心臓と言っても良いかもしれない。

 

 そこにあって当たり前。

 無いと生きていけない存在。

 

 それが、隼鷹にとっての【オサナナジミ】。この世の全てだ。

 

「──つまり、指揮官(オサナナジミ)は私の大切な人……。ずっと、ずっと、ずぅーっと前から一緒にいたわ」

 

 遠い記憶に思いを馳せる隼鷹の姿は健気で、儚く、それで情熱を感じさせるものがあった。

 事情を知らないものからすれば、それは……それは、もう美しく見えたであろう。

 

 だが、隼鷹(・・)だ。

 あの、隼鷹(・・)なのだ。

 

 ちょっと考えれば誰にでも分かることだろう。

 そもそも、彼女たち『KAN―SEN』は『キューブ』と呼ばれる特殊な物質から生まれてくる。

 故に、彼女が語る【オサナナジミ】という存在は無理があった。

 

 大半の者はそれで察する。察せて当然とも言える。

 あ、関わらない方がいいな、と。

 

 だが、ハインリヒは『幼馴染み』というのを知らない。

 故に間違いにも気が付かないし、違和感というのを感じない。

 

 今、ハインリヒが知っているのは隼鷹が語る【オサナナジミ】というものだけ。

 

 だからこそ、純情で純粋の塊のようなハインリヒは隼鷹の両手を掴み、目元を潤ませながら迫った。

 

「──ぜッ~~ったい! 見つけようね! いや、見つけなくちゃ! そんなの、一緒にいなきゃダメだよっ!!」

 

 ああ、何と素晴らしいんだろうか【オサナナジミ】とは。

 それは、一緒にいなければダメだ。一緒にいることが正しい(・・・)ことだ。

 

 両想いの結ばれて当然のカップル。

 昔の甘酸っぱい婚約の約束。

 苦難を越えて、逆境をはね除けて、遂に結ばれる二人。

 

 恋とはグッドエンディングで無ければならない。

 

 愛とはハッピーエンドで無ければならない。

 

 そのために……その再会(ものがたり)に一役買えるのならば本望だ。

 

「……ええ、ありがとう。そうよね、片時も離れてはダメよね」

 

 一瞬、ハインリヒに気圧されかけた隼鷹ではあったが、その言葉を聞いて目を伏せる。

 そして、これまでにない晴れやかな笑顔を浮かべた。

 

「──だって、私たちは【オサナナジミ】だから」

 

 記憶が無かろうと。

 思い出を忘れていようと。

 あの時の約束を忘れていようと。

 

 自分と指揮官が【オサナナジミ】という事実に変わりない。

 

「ジュンヨウ! 急いで探そう! きっと【オサナナジミ】くん? 多分、待ってるよ!」

 

「そうよ、待っているわ。今、行くから……指揮官(オサナナジミ)

 

 二人は連なって賑わいを見せる町中の方へと足を進め始めた。

 

 

 

 そんな、一部始終を少し離れたところから見ていた足柄(あしがら)川内(せんだい)の二人は、お互いに顔を見合わせる。

 

「……あれ? なんか、割と普通に……というか、仲良さげに歩いて行きましたね」

 

「ああ。会話は聞こえなかったが、なんか意気投合してたな、アイツら」

 

 別に言葉が通じないとは思っていない。

 だが、会話自体が通じないと二人は思っていた。

 

 何故なら、日頃から隼鷹のことを知っているからだ。

 

 平時はそこまで酷くはない。

 一応、普通に意思疎通は出来るし、戦場においても頼りになる存在だ。

 

 だが、そこに指揮官が絡んでくると、それはもう別人のように人が変わる。

 否、変わるというよりかは本性を現す、といった方が良いかもしれない。

 

 指揮官を【オサナナジミ】と思っているのは勿論のこと、時には空想がこちらにも飛び火することがあった。

 

『あの時、私と指揮官が一緒に過ごしていたのをアナタは見ていたでしょ?』なんて、言われてどう答えればいいのやら。

 

 そんな隼鷹とあの鉄血の彼女は平然と会話をし、剰え一緒に行動して見せている。

 

 余程、カリスマ性があるのか。……もしくは、同類か。

 

 何であれ、持ち場を離れて追うべきか、それとも、隼鷹を放っておいてこのまま監視を続けるか。

 

「私、二人を追いかけます。川内さんは引き続き監視任務の方を」

 

「そりゃあ、別にいいけどよ……もしもの時、お前は隼鷹(アイツ)を抑えられるのかよ?」

 

「それは……」

 

 出来ない、とは言わない。

 ただ、出来るとも言えなかった。

 

 暴走した隼鷹を抑えている風景は何度も見たし、実際に手を貸したこともある。

 だが、それを一人で抑えられるかと聞かれれば、すんなり首を縦には振れない。

 加えて、あの隼鷹と意気投合したと思われる鉄血の彼女が、その同類ならば、もう抑えることなど叶わないだろう。

 

 それは、川内も同じこと。

 隼鷹一人ならば抑えることも出来ただろうが、重巡洋艦であり、しかも鉄血という過剰(バケモノ)艤装を装備した彼女──ハインリヒが隣にいるとなれば、その難度は格段に跳ね上がる。

 

 故に、川内は口籠もる足柄に言った。

 

「いるだろ、適任が」

 

「え?」

 

 適任? あの隼鷹をどうにか出来る適任がいただろうか。

 

 首を傾げる足柄を尻目に、川内は意気揚々と携帯を取り出すと慣れた手つきで画面をタップした。

 

「……あ、もしもし。ああ、俺だ。ちょっと隼鷹をどうにかして欲しいんだが」

 

『──えっ』

 

 携帯越しから聞こえてくる間抜けな声。

 

「アイツの姉だろ? どうにかしろよ」

 

 川内が掛けたのは隼鷹の姉──飛鷹(ひよう)だった。

 まあ、飛鷹だから隼鷹を抑えられるかと言えば、全くもってそんなことはない。

 要は、面倒事を押しつけたかっただけである。

 

『いやいや、いきなりどうしたんですか、川内さん? 話しが見えてこないんですけど……』

 

「だから、お前の妹が何やかんやあって、鉄血のヤツと町の方へ行ったんだわ。もし何かあったとき、お前が責任とれよ」

 

『何やかんやってなにっ!? そもそも、その理屈は可笑しいでしょ!? というか、どういう状況ですか、ソレ!?』

 

 隼鷹が鉄血の人と町に? 訳が分からない。

 いや、そもそも仲良く一緒に行っている風景が思いつかない。

 良くて敵意、悪くて攻撃の二択しかしないようなあの隼鷹が……。

 

 飛鷹の脳裏に浮かび上がるここ最近の隼鷹の姿。

 以前から少々、危ない子ではあったものの、ここ最近はそれに拍車が掛かっている。

 

 ぶつぶつと譫言のように独り言を零すのは勿論のこと、夜中にふらりと消えては、赤城に首根っこを掴まれ部屋に投げ捨てられる毎夜。

 時折、目の焦点が合わないままこちらをじっと見つめてきて……流石に姉としての同情とヤバイという恐怖が入り交じる。

 

 今の隼鷹を指揮官に預ければ悲惨なことになるのは目に見えているが、自分が楽をするならばそれが手っ取り早いな、とこの頃思ってたり、思ってなかったり。

 

『って、あの、鉄血の人たちってもう出歩いて良いんでしたっけ? 許可が下りるのは指揮官との事前──』

 

「んじゃあ、俺たち監視に任務に戻るから。よろしくな」

 

『あっ、ちょ、川内さ──』

 

 容赦無く通話を切った川内は、そのまま携帯の電源も切ると「よしっ」と満足げに息を吐いた。

 

「なっ?」

 

「なっ? じゃないですよ。明らかに問題を押しつけただけじゃないですか!」

 

「んだよ、じゃあ、鉄血(あっち)はほっといてもいいのかよ」

 

「い、いや、そういうわけではないんですけど……」

 

 足柄にとってはどっちもどっち。

 緊急性を考えれば隼鷹の方を直ぐにでも対応すべきだと思っている。

 だが、与えられた監視任務を放棄することは得策ではないし、これが陽動というものであれば、なおのことである。

 

「と、取り合えず指揮官に連絡しますっ! それから指示を仰ぎましょう!」

 

「……まあ、そうなるよな」

 

 事態がややこしくなると思っていた川内は、できる限り指揮官の与り知らぬところで済ませたかった。

 何故なら、指揮官が絡めば更に入り組み、絡まり、解けなくなる問題へと昇華されることが分かっているからだ。

 

 ……まあ、でも自分にはそんな関係のないことか。

 

 と、川内は楽観的に思いながら昼下がりとなった青空を見上げた。

 

 

 

 一方、川内から連絡を受けた飛鷹は急いで準備すると、部屋から飛び出した。

 今さら責任を取らされる、なんて事に臆したのでは無く、単純に隼鷹が何をしでかすのか不安なのと、その近くに鉄血がいるということが飛鷹の焦燥感を煽っていた。

 

 まだ、隼鷹単身がしでかすのなら何時ものことだ、と言い含められる。

 だが、鉄血の艦に何かあれば、そのしでかしは外交問題へと発展しかねない。

 ただでさえ、今回の合同演習でピリピリしているというのに、初日から問題が発生したともなれば目を当てられない。

 

「もうっ、勘弁してくれっ……!」

 

 先ほど、任務を終えたばっかりだというのに。

 思わず本音が零れ出る。正直、泣きたいぐらいだ。

 だが、それを我慢して飛鷹は空母寮舎から出ると同時に式神を空へと放った。

 

 雑多に形取った紙は空を切りながら、姿形を偵察機へ変えて、空へと羽ばたいていく。

 

 一機は指揮官がいる方へ。もう三機は飛鷹が向かわんとしている町の方へ。

 これで直ぐにでも見つかってくれれば僥倖──ではなく、問題は見つけた後だ。

 

 どう説得すればいい。というか、状況がどうなっているのかも分からない。

 隼鷹が暴走気味なのか、それともまだ大丈夫な状態なのか、それすらも分かっていない。

 

 そんな、今にも絶叫したいぐらいに精神的に追い詰められ始めている飛鷹の前にふらりと出てくる人影。

 

「──あら、飛鷹さん。そんなに急いでどうしたんです? え? 大鳳(わたし)ですか? ……フッ、大鳳は間抜けも間抜け。大間抜けでした。所詮、私は頭の抜けた装甲空母。今から部屋に引き籠もろうかと思っていたところ何です。ああ……指揮官様に会いたい。会いたくて、会いたくて、大鳳どうにかなっちゃいそう……。でも、こんな大鳳を指揮官様に見せられない……。ああっ、指揮官様! 大鳳はっ、大鳳はっ! ……そう思いますよね、飛鷹さん?」

 

 飛鷹は絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ヤバっ、これチョー可愛くない?」

 

「へぇ、素敵なヘアピン……あっ、でもこっちの方が熊野(くまの)には似合いそう」

 

「えーっ、ちょっと地味過ぎじゃない? まあ、着けてみるけど……どう? 似合う?」

 

「んー……あー、やっぱりちょっと合わないかも。あっ、こっちは?」

 

「いや、鈴谷(すずや)。それさっき私が選んだヤツじゃん」

 

 露店が立ち並ぶ街中の一角で、最上(もがみ)型重巡洋艦三番艦、鈴谷と同じく最上型の四番艦、熊野が二人で楽しそうにショッピングを楽しんでいた。

 

 これから忙しくなる前に少しでも、と以前から計画を立てていた二人は、思う存分ノビノビと休日を過ごす。

 ショッピングを楽しんで、最近出てきた甘味を味わって、また店を回って。

 

 だが、二人は近くで町の人がざわつき始めたのに気が付いた。

 

「んっ、今日なんかイベントでもあったっけ?」

 

「そういったのは聞いてないけど……」

 

 二人にとっては休日ではあるが、普通に人にとっては平日。

 そんな休日でもなければ、祝日でも無い今日にイベントなど起こしはしないだろう。

 

 だからこそ、二人は疑問に思って、ざわついている方向へ視線を向ける。

 そこには、ある一角を町の人が早足で横切ったり、壁際に寄って少しでも避けようとしている空間があった。

 

 そして、そこをよく見てみれば、余りにも町の雰囲気にはそぐわない鉄の塊が動いている。

 いや、アレは艤装の類い。そして、熊野にとっては随分と見覚えのある鉄の塊でもあった。

 

「──はぁ? 何であんなところにアイゼンくんがいるわけ? っていうか、ハインリヒ? なんで?」

 

「熊野、その横にいるのって……隼鷹さんじゃない?」

 

「……マジ?」

 

 鈴谷と熊野はお互いに見合った。

 

 

 




勝手ながら短編から連載に変更しました。下手にストーリー性を加えたのが悪かったと思っています。


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指揮官は知らず、執務をする

大変、遅れてしまって申し訳ございません。
でも、頑張ります。どうにか、完結まで頑張ります。



 鈴谷(すずや)熊野(くまの)は互いに見合わせる。

 余りにも異質で奇妙。誰がこんな状況を予想出来ただろうか。

 

 二人の視界の先にいるのは、同じ重桜艦隊所属の飛鷹(ひよう)型航空母艦二番艦──隼鷹(じゅんよう)

 それに並び立つのは、鉄血艦隊所属のP級装甲艦──プリンツ・ハインリヒ。

 

 一体全体、何の巡り合わせでその二人が一緒にいることになる?

 

 鈴谷は分からないだろうが、熊野はついこの前まで使節部隊の一員として、ハインリヒとは顔を合わせている。

 顔を合わせ、言葉を交わし、そして意気投合。話してみて分かった。

 

 彼女は、誰とでも仲良くなれる。

 

 熊野自身、コミュニケーション能力は高いと自負していたが、ハインリヒのそれは群を抜いて高いと言わずにはいられない。

 流石に抜きすぎて、少々ヤバイのでは? と思う場面もあったのは言わぬが花というヤツか。

 ただ、ビスマルクやペーターの苦労は計り知れないだろう。

 

 底なしに明るく、表裏が無いハインリヒ。

 だからこそ、ハインリヒが重桜(こちら)の誰かしらと一緒に出歩いていることは、割と予想できたことだ。

 まあ、まさか初日から出歩いているのは度肝を抜いたが、それは一旦置いておいて。

 

 問題は、その横にいるが隼鷹だということ。

 

 何故、隼鷹。何故に、彼女。

 

 指揮官が関わらない状態でも、何処か病的なヤバさを感じるのが隼鷹だ。

 

 筆頭として赤城や大鳳、他にも見え隠れしている存在はいるだろうが、それでも、指揮官が関わらなければ大人しく、頼りになる存在であるには違いない。

 

 それこそ、赤城などが良い例だ。

 重鎮にして、知将。無敵艨艟(むてきもうどう)と謳われる第一航空戦隊であり、重桜の要たる航空隊を纏める鬼才。

 もし仮に、指揮官という存在がいなければ、きっとその立場は赤城が務めていただろう。

 

 一応、隼鷹も頭が上がらない存在であると認識しているらしいが……そこに指揮官の指揮の字でも関われば豹変してしまう。

 

 重桜でも手がつけられない存在である隼鷹が、一体全体どうしてハインリヒとショッピングするような事態になるのか。

 というか、そもそもああいう風にショッピングしていること自体、初めてみる。

 

 いやいや、そういうことを考えている場合ではなく。

 

「鈴谷、一応指揮官に連絡しといてくんない? 後、三笠大先輩にもヨロ」

 

「あ、うん。それは構わないけど……もしかして、熊野。話しかけるつもり?」

 

「そりゃあ、見過ごせないっしょ? 今のところは仲良さげだけどさ……いつ爆発しても可笑しくないじゃん?」

 

 今のところ、問題なさそうに見えるが、何らかの切っ掛けで隼鷹が暴走しても可笑しくない。

 そこに、鉄血(てっけつ)との確執でも知られてしまえば、表向きには同盟国となっている鉄血にも攻撃しかねない。

 

 もし、そうなれば鉄血との戦争は避けられないはずだ。

 

 ……冷静に考えてみると、想像以上にヤバイ状況なのでは?

 

「爆発って、そんな……まあ、でも気をつけてね? 報告が終わったら直ぐに行くから」

 

「うん、ヨロシクー」

 

 携帯電話を取り出す鈴谷を背にして、熊野は軽々しい足取りで二人に近づいていく。

 ただ、その足取りに対して内心は不安と、どうやって声をかけようか、という悩みが渦巻いていた。

 

 下手をすれば戦争。下手をしなくとも外交問題。

 

 想像以上に困難な状況に陥ってしまった気がしてきた熊野は、一旦様子見をしようと、人の流れに混ざって二人に近づいた。

 

 明らかに目立つ格好の熊野ではあるが、人混みに紛れて死角に行けば、余程のことがない限りバレることは無いだろう。

 

 声が聞こえる範囲まで近づき、聞き耳を立てる。

 

「──これ、何て言うの?」

 

「それは、扇子よ。こうやって……扇いで風を起こすの」

 

「うわぁ……! 私、この魚の模様が付いてるのが良い!」

 

「えっ……別に買わないけど」

 

「えぇっ!? なんでっ!?」

 

 あれ? 思っていたのと全然違う。

 

 会話を聞いた熊野は不躾な視線を向ける通行人のことなど気にせず、表情を歪めて頭を抑えた。

 

 もっと、こう……何て言えばいいのか。

 あの隼鷹だ。あの隼鷹で間違いないのであれば……もっと、トチ狂った言動をするのではないのか。

 指揮官を【オサナナジミ】などと妄言し、もう過去の遺物とかした都合の良い創作の世界のような妄想を喚き散らす……そんな人物だったハズだ。

 

 なのに、何で普通に会話をしているのだろうか。それも、今日あったばかりの鉄血艦(ハインリヒ)と。

 

 いや、確かに隼鷹は狂ってはいるが、一番狂ってはいるが、それでも彼女なりの線引きがあるのを熊野は思い出した。

 

 戦場においては味方として、戦友として、頼りになる。姉である飛鷹と一緒に出撃するものなら、百戦錬磨と名高い重桜の航空戦隊としての実力を遺憾なく発揮するだろう。

 

 そして、コミュニケーション自体は普通に問題ない。ある程度、地雷を踏まないように言葉を選ばないといけないが、そこまで酷いわけではなかった。

 何より、睦月(むつき)型の園児()たちが怖がらず、普通に対話及び一緒に遊んでいる瞬間を何度も目撃されている。

 

 つまり、人格や表面的な性格はまだ大丈夫だと判断出来るのだ。

 ただ、指揮官が絡むとヤバくなるだけで、本当に関係が無い場面なら問題ない……のかもしれない。

 

 と、なれば納得が行く。

 隼鷹にとって、今のこの状況は大丈夫な分類に入っているのだろう。

 ならば、後は上手く誘導しつつ、鉄血が指揮官と何ら関わりの無いことだと……鉄血は味方だと、教え込まなければ。

 

 あくまで推測に域を出ないが、幾分かマシになった表情を浮かべて、熊野は顔を上げた。

 顔を上げて固まる。

 

 ──炎が揺らめいたような光を持つ四つ目の機械と目があった。

 

「……あっ」

 

 蛇のような形をした鉄の塊がゆっくりと動き、首を斜めに傾ける。

 その動作はまるで、人が首を傾げるのと同じように思えた。

 

「ん? どうしたの、アイゼンくん──クマノ!? うわぁ! クマノっ~!」

 

「ちょ、まっ──ぐぇっ!」

 

 アイゼンの様子に気が付いたハインリヒは視線の先にいた熊野に気が付くや否や、喜色満面の表情を浮かべて熊野を抱きしめた。

 

 自身よりも遙かに大きいと思われる二つの塊が顔を覆い隠し、口や鼻を塞ぐ。

 息が出来ない。いや、何とか出来ているが圧倒的に足りていないのは確かだ。

それに、ただでさえ少ない酸素に混じってイイ匂いが脳内を犯し、思考を惑わせる。

 

 だが、熊野がどうにかしようとするよりかも先に。

 

「~~~~っ!? いっ~たぁ~~!!?」

 

 突如としてこめかみを抑えながら、痛みに悶え苦しむハインリヒ。

 どうして、苦しみだしたのか分かっている熊野は咳き込みながらも、どうにか呼吸を整えて、ため息交じりに言った。

 

「げほっ……ん、あぁ、んっ……だから、前も言ったじゃん? 角には気をつけな(・・・・・・・・)って」

 

 熊野は自身の頭から伸びる角の先を触りながら、困った表情を浮かべる。

 視線の先に、涙目になりながら頬を膨らませて、こちらを睨め付けるハインリヒの姿があったからだ。

 

「もうっ、角なんて反対! そんなもの外すべきだよっ!」

 

「いや、取り外せるものじゃないからね? てか、(コレ)は私のチャームポイントでもあるんだし、マジ外すとかあり得ないから」

 

 仮に外せるとしても絶対に外さない。何が何でも外してなるものか。

 と、そんなことよりも。

 

「あー、えっと……久しぶり、じゃん? 隼鷹さん」

 

 先ほどから、こちらの様子を探っているような視線をハインリヒの背後から向ける隼鷹。

 そんな親しいわけでも、語り合ったわけでも無いが、それでも同じ重桜艦隊の仲間。

 それなりに顔を合わせているし、一緒に任務も何度か行っている。

 

 故に、敵意などは無いはずだが……果たして。

 

「……ええ、久しぶりね。派遣前の任務以来かしら」

 

 意外と普通だった。

 少し言い淀んだような気もしたが、さして気になるようなことでも無い。

 というか、派遣前に行った安全航路確認任務でのことを覚えていることに驚いた。

 

 そこで、熊野は思う。

 

 隼鷹は自身が思い描いていたような人では無いのかも知れない、と。

 

 上面や噂に惑わされて、彼女のことを無意識のうちにそう思っていたのかもしれない。

 今、考えれば彼女の好きな物や趣味嗜好など、全く知らないのだ。

 それで、皆が言っているから彼女はそうなんだ、と決めつけるのは間違いだ。

 

 熊野は、表に出さないように反省する。心の中で自分自身を戒めて、考えを改める。

 

「ねぇ、隼鷹さん。今、何してんの? てか、二人はどういう関係?」

 

 幾分か砕けた口調と態度。

 さっきとは打って変わって馴れ馴れしい態度で問いかけたのだ。

 敢えて、そう言った態度を取ってみた熊野に対して、隼鷹はさして気にした様子もなく答えた。

 

「今? 今は指揮官(オサナナジミ)を探しているの。ハインリヒはそれを手伝ってくれているのよ」

 

「……ん? え?」

 

 あれ、何だろう。少し雲行きが怪しくなってきた気がした。

 

「そうそう、そうなの! えっと、ジュンヨウがいう、そのオサナナジミ? っていう人を探しているの!」

 

 熊野は自身の直感が、もの凄い勢いで警報を鳴らしているのが分かった。

 何か、取り返しの付かないようなことが起こりそうな気がして堪らない。

 

「小さい頃にした結婚の約束とか、永遠の愛を誓ったとか……とにかく、こっちでいうフィアンセみたいなもの何でしょう? 道すがらいっぱい思い出を聞いたの! もう、聞けば聞くほどキュンキュンしちゃって! こんなの応援しないわけには行かないよね!」

 

 鼻息を荒くし、何処か純情な乙女のような表情を浮かべるハインリヒ。

 それには、アイゼン君も引き気味なのか、少しだけ距離が開いた気がした。

 

「フフッ……ちょっと恥ずかしいから、余り大声で言わないで」

 

「あ、ごめん。でもでも! 何か嬉しくなっちゃって!」

 

 ここだけ見れば、仲睦まじい友人同士との恋バナに花を咲かせる純情乙女の会話に聞こえる。

 しかも、その二人は同盟とはいえ異国同士。

 もし仮に、両国の仲を周囲に表すというのならば、これほど良いモデルケースは無いだろう。

 

 だが、違う。決定的に何かがズレている。

 

 いや、もう完全に洗脳されてない、これ?

 

 熊野は思う。これ、絶対にヤバイヤツだ、と。

 

 出来るのならば、今すぐにでもここから逃げ出したい。何もかも投げ出してしまいたい。だって、今日休みなんだし。

 

 仮に休みじゃないとしても、こんなのに関わりたく無いと心底思う。どう考えても面倒事になるのは目に見えているんだから。

 

 もしかすれば、ハインリヒの誤解を解ければどうにかなるかも知れないが、どう誤解を解けば良い?

 

 隼鷹が言っていることは全て妄言だと言えばいいのだろうか。

 隼鷹が言っているオサナナジミとは指揮官のことで、そもそも自分たちにオサナナジミなどいう概念はあり得ない、と言うべきなのだろうか。

 

 いや、これがまだペーターやヒッパーならば直ぐにでも勘づいて、こんな風には成っていなかっただろう。

 それはそれで、余りいい方向には行ってないだろうが。

 

 どうする、どうすればいい? 

 

 このまま、指揮官のところに連れて行くべきか? いや、それだと内輪揉めをハインリヒに見せることになる。

 そんな痴態を鉄血側に知られるわけには行かない。

 

 そもそも、指揮官ありきで重桜内部の関係性が成り立っているという状況を知られるのはマズイ。

 もし仮に、指揮官が人質にでも取られれば……いや、寧ろ一致団結しそうな気もしなくも無いが、余り弱点をさらけ出すのは良くないだろう。

 

 なら、この状況をどうにか出来るかと言えば、自分には無理だと熊野は思う。

 そもそも、どうやってこれを収拾つければ良い?

 

 もう適当に理由をつけて逃げ出してしまおうか、と考えていた熊野だったが、近づいてくる気配に顔を向けて絶句する。

 

「──あらあら、隼鷹さんと熊野さんじゃないですか~? こんな所で何をしてらっしゃるんですぅ? それに、アナタは……鉄血の人ですよね~?」

 

 妖艶に着崩した派手な色の着物を身に纏った黒髪の美女。

 間延びした男性に媚びるような口調で話す人物など重桜においてただ一人しかいない。

 

大鳳(たいほう)……っ」

 

 すっと隼鷹の目が細められる。

 そこにあるのは間違いなく敵意だった。

 

「隼鷹さん、もしかして、またアレ(・・)ですか? もう勘弁してくださいよ~? それに、客人まで巻き込んで……ああ、指揮官様もきっと頭を悩ませていることでしょうに……」

 

「……チッ、頭の軽い雌鳥が。私たちの邪魔をしないでくれる?」

 

「どちらかと言えば、その言葉はそっちでしょう? トチ狂ったお馬鹿さん?」

 

 突然として現れた大鳳。

 そして、そうそうに始まった二人の罵り合い。

 ぽかーんとしているハインリヒを余所に、熊野は事態が更にややこしくなるのを予期した。

 

 そんな時、ふと大鳳の後ろでこちらの様子を見守るようにしている人物を発見する。

 

 その人物──何処か窶れた様子の飛鷹(ひよう)はこちらの視線に気が付くと、心底申し訳なさそうな表情を浮かべて、目を伏せた。

 

 何があったかは知らない。だが、そこはどうにかしてでも止めて欲しかった。

 

 睨み合う両者。その間に挟まるように立つ熊野。

 

 もう、どうしていいのか分からず混乱していると、唐突にハインリヒが手を叩き、声を上げた。

 

「分かった! 彼女は──恋敵ねっ!?」

 

「早く、鈴谷、早く! てか、助けて!? 三笠大先輩呼んできて!!」

 

 

 



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