約束のケーキ (プロッター)
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第1話:出会いのハンカチ

 授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

 『宿題忘れるなよ~』と言いながら教師が教室を出ると、勉学に勤しんでいた生徒たちは大きく息を吐いたり伸びをしたりと、思い思いに疲れを発散する。

 

「次選択授業だっけ?」

「早く着替えなきゃ・・・」

 

 周りの女子たちは気楽そうに、次の授業のことを話している。その会話を聞きながら、同じく授業を受けていた曙光(しょこう)良己(よしき)もまた、せかせかと次の授業の準備を始める。次の選択授業で、曙光は教室を移動しなければならないため、あまりのんびりとはしていられない。

 

「曙光、行こうぜ」

「ああ」

 

 同じクラスの男子・真壁(まかべ)(さとる)に呼ばれて、準備を終えた曙光は席を立つ。所属が40名弱のこのクラスで、男子は曙光と真壁だけで、他は全員女子だ。思春期の男子からすれば、一見この状況は羨ましいかもしれないが、この学園の実態を考えれば喜ぶことなどできないだろう。

 真壁と共に曙光がクラスを出ると、他にも5~6名ほどの男子が外で待っていた。人数が揃っているのを確認して、全員はまず職員室へと向かう。そこで()を受け取ると、次に向かうのは校舎の2階だ。

 

「あー・・・いやだいやだ・・・」

 

 後ろで心底嫌そうにしている真壁。曙光だって、今から乗り込む場所を思うと気が滅入るが、それも全て自分たちで望んでのことだから仕方がない。

 休み時間でワイワイと賑わう廊下を抜けて、突き当りを右に曲がったところにあるのは、厳かな雰囲気のする鉄の扉だ。壁には窓が取り付けてあり、眼下には道路が伸びている。この扉は渡り廊下の丁度中間に設置されているのだ。渡り廊下は外から陽の光を取り入れているものの、壁や床などは年季が入ってくすんでおり、薄暗い感じがする。

 その鉄の扉に、曙光は職員室で受け取った鍵を差し込み、ゆっくりと回す。重い金属音が廊下に響くと、鍵を仕舞ってから曙光はノブに手を掛ける。

 

「開けるぞ」

 

 後ろにいる男子たちに注意してから、曙光は扉を手前に引く。

 扉の向こうに広がっていたのは、一転して目が眩むほど煌びやかな空間だ。磨かれた大理石の床、繊細な装飾が施された窓枠、新雪のように真っ白な壁紙が、容赦なく曙光たちの目に『高貴さ』を叩き込んでくる。先ほどまで自分たちが歩いてきた木目調の床や業務用の窓、コンクリートにモルタルのくすんだ壁とは比べ物にならない。

 まるで、この鉄扉が何かの境界線のようだ。

 

「目に悪いな、こんな晴れた日は特に」

「全くだ」

 

 曙光が愚痴ると、真壁も大きく頷く。うんざりするほど豪勢な内装に辟易しているのは、曙光だけではないのだ。

 

「今日の授業、何だっけ」

「食品衛生学。昨日言ってただろ?」

「いや、分かってるんだけどさ・・・何か話していないと視線が気になって仕方ないんだよ」

 

 廊下を歩きながら、周りを気にするかのように真壁が話しかけてきた。

 豪勢な造りの校舎を歩き進むにつれ、生徒たちの姿も見えるようになってくる。だが、先ほど通ってきた廊下と違い、それほど騒がしくはなく、また生徒の髪の色もやや日本人離れした色の女子ばかりだ。

 そして、その誰もが、廊下を歩く曙光や真壁たちに、忌避と嫌悪の入り混じった視線を投げかけている。さらには、何かひそひそと陰口も叩いているかのようだ。

 真壁の言う通り、こんな針の筵な場所を歩く間は、何か無駄話でもしていないと気が滅入りそうになる。そんな時曙光たちは、歩調を少しだけ早めてそそくさとその場を去ろうと決めていた。早く教室に行きたい、と普通だったら絶対に思わないようなことを真壁が言ってのけるが、今は同意見だ。

 あちらこちらからの視線と陰口に晒されながら廊下をいくつか曲がると、ようやく本来の目的地である調理実習室が見えてくる。

 ところがその手前で、曙光は廊下の脇に何かが落ちているのを見つけた。

 

「・・・これって」

「ハンカチか?」

 

 曙光が足を止めて拾い上げると、真壁がそれを横から覗き込む。後ろに続いていた男子たちは、足早に調理実習室へと入っていく。そんな彼らを尻目に、曙光は拾ったそれをよく見てみる。花柄のレースに縁どられた真っ白なそれは、紛うことなくハンカチだろう。手触りだけで高価と思えるそれには、隅にオレンジの糸で『Malie』と刺繍が施されている。

 

「まさか・・・」

 

 その刺繍を見て曙光がぽろっと呟いた直後、後ろから話し声が聞こえてきた。

 

「本当にこの辺りなんですか?」

「記憶が確かなら何だけど、ね」

 

 1人は少し低めの声、もう1人はややふわふわと柔らかい感じの声。

 その声に曙光と真壁が振り向くと、その声の主も丁度角を曲がってきたところだった。腰まで届く淡い金髪の女子と、ウェーブがかった明るい金髪の女子の2人組。曙光と真壁もその2人は知っていた。

 

「あっ、貴様!」

 

 そこで曙光を見て指を差してきたのは、明るい金髪の女子。具体的に彼女が指差しているのは、曙光の持っている白いハンカチだった。

 

「それはマリー様のものだぞ!すぐに返せ!」

 

 マリー様、と聞いて曙光は確信した。このハンカチの刺繍は名前だと。

 そんなことを考えていると、金髪の女子はつかつかと曙光に歩み寄ってきてハンカチをふんだくる。

 

「どうぞ、マリー様。見つかりました」

「ありがとう、押田(おしだ)

 

 そして『押田』と呼ばれた女子は、さも自分が見付けたかのように、『マリー様』と呼んだ淡い金髪の女子へ白いハンカチを手渡す。それから、2人はその場にいた曙光と真壁に何も言わず、その場を立ち去ろうと踵を返した。

 その時、先端がロールされたマリーの淡い金髪が翻り、さらに彼女は曙光を一瞥して持っていた扇子をひらひらと振って見せた。

 

「・・・馬鹿にしているのかね」

「考えるだけ無駄だぞ」

 

 その仕草に曙光は肩を竦めるが、真壁は肩を叩いて教室へ行こうと促す。

 

「あれが落とし物拾った相手に対する態度かよ」

「今更だろ、あんなの」

 

 押田の曙光に対するキツイ当たり方に、真壁は憤慨している様子だ。しかし、彼女たちが厳しい視線と言葉と態度を向けてくるのは今に始まったことではない。曙光も完全に達観していた。

 こんなことは、この学校では当たり前なのだから、と。

 

 

―――――――――

 

 

 岡山県に本籍地を置く、BC自由学園。

 この学園は少し特殊な学校であり、元々は『BC高校』と『自由学園』、それぞれタイプの異なる2つの学校だった。しかし、両校の学園艦の老朽化に伴い、新しい学園艦を建造することになったが、学園艦の莫大な維持費を削減するために、行政側の指示でこの2校は合併された。

 

 そんなBC自由学園の雰囲気は、一言で表すと『剣呑』だ。

 

 何故かと言うと、まずは合併前のBC高校が一般校だったのに対し、元自由学園は中高一貫のお嬢様学校だ。この時点で、合併しても息が合わないのは想像に難くない。

 案の定、合併後の元自由学園のお嬢様方は、一般人ばかりの元BC高校生を見下してきた。当然、元BC高校生からしてみれば、それはたまったものではない。学園艦の老朽化は誰のせいでもないし、お上の指示には逆らえないにもかかわらず、望んでもない合併の結果自分たちが蔑まれるのだから、この仕打ちはあんまりだと。

 

 それでも、合併後に学園の主権を握ったのは、元自由学園側だった。その理由は潤沢な資金を持っているからと、それもまた元BC高校にとっては理不尽に思える。

 それから元自由学園側は、露骨なまでに元BC高校側をこき下ろすようになった。

 まず、新たに建造された学園艦は、元自由学園側と元BC高校側で半分に分断され、校舎の造りは『豪勢』と『質素』(当たり前だが前者が元自由学園側で、後者が元BC高校側)の対極にされる。同じ学校のはずなのに、領地と校舎が別の点で不平等だった。

 また、合併前の両校にあったブドウ農園や畑、家畜や水産物の養殖場は全て元BC高校側に押し付けられる。一方で、元自由学園側には、まるで宮殿の庭のように整備された穏やかな緑地が広がり、産業とは無縁の環境が築かれた。

 ここでついに元BC高校側も堪忍袋の緒が切れて、平等な扱いをするように抗議活動を始める。だが、お高く留まった元自由学園側は相手にせず、両者の間には溝が深まるばかりだった。

 

 それから数十年経った今でも、両者の軋轢は改善していない。

 変わったことと言えば、元自由学園側が『エスカレーター組』、元BC高校側が『外部生』と称されるようになったぐらいだ。

 元自由学園は中高一貫のお嬢様校で、女子(特にお金持ち)に限り内部進学ができる。しかし、元BC高校は共学の普通校だったため、入学試験に合格すれば男女とも高校からの入学が認められていた。

 しかし、合併当初から男子の比率は女子より少なかった。さらに両陣営の対立が続く影響か、年々男子の入学人数は減少しており、昨年を持って男子の受け入れは終了。現在BC自由学園に在籍している男子は十数名程度しかいない。

 BC自由学園の内部抗争は周知の事実だが、それでも今まで入学しようとしてきた男子は、もちろん相応の理由を持つ人間がほとんどだ。中には、刺激的な出会いを求めるような猛者もいたが。

 何であれ、どれだけ時が経とうとも、様相が変わっても、エスカレーター組と外部生の対立は続いている。

 十年単位で続くこの諍いが終わる兆しなど、全くなかった。




どうも、こんばんは。
ここまで読んでくださりありがとうございます。

BC自由学園を舞台とした今回の物語、お楽しみいただければ幸いでございます。
感想・ご指摘等がございましたら、お気軽にどうぞ。

最後までお付き合いいただければ幸いでございます。
それでは、今回もどうぞよろしくお願いいたします。


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第2話:挨拶のケーキ

 曙光良己は、争いごとを好まない性質だ。

 それは幼少期の時のことが原因だが、それ以来曙光はできる限り人との衝突を避けようと努めてきた。

 そんな彼が、諍いごとの絶えないBC自由学園に入学したのには、もちろんそれなりの理由がある。外部生とエスカレーター組の抗争を目の当たりにするのも、全て覚悟の上だ。

 だが、いくら自分の意思でここに来たとはいえ、やはりいざこざを近くで見続けていると、心が疲れてしまう。待遇の落差については、確かに曙光も思うところはあるが、かと言って改善を訴える抗議活動に積極的に参加したことはない。その活動は、遠目に見てもエスカレーター組と取っ組み合い寸前になるほどには物騒だから、そんな場所に進んで行きたくはなかった。

 けれど同時に、このままの状態がずっと続くのも良くないとも思う。同じ学園にも関わらず露骨な差別、それをどうにかしようとする抗議、どちらを取っても周囲を疲弊させ、同時に荒ませてしまうのだから。

 最適な解決策は、一方が妥協し、他方の意見が押し通ることではない。お互いに相手の良さを認め、手を取り合うことだ。

 しかし、心の中で何度そう考えていても、曙光にはこの長年にわたる諍いを治められるほどの力はない。それを理解しているから、実際に行動したこともない。

 自分だけでは何もできないからこそ、この対立を遠巻きに見ているしかなかった。

 

 

―――――――――

 

 

 そんな曙光にも、避けられず、譲れない戦いがあった。

 

「・・・じゃ、決めるか」

「ああ」

 

 昼休み。昼食を終えた曙光は、真壁と共に廊下に出て、別のクラスの男子数名と合流する。

 そして、真壁が神妙な顔で切り出すと、曙光含め全員が拳を前に突き出し、数秒ほどの沈黙を挟んでから。

 

『最初はグー!じゃんけんホイ!』

 

 勝負は一瞬で決まった。

 曙光だけがチョキ、他は全員グーだ。

 

「あー・・・畜生」

 

 忌々しげな曙光に、他の連中は安堵した様子だ。そんな中で、真壁が同情するように肩をポンポンと叩く。

 

「それじゃ、『挨拶』よろしくな」

「はいはい・・・」

 

 曙光は肩を落として、エスカレーター組の校舎へと向かう。

 いかに校舎も価値観も違っても、昼休みの時間であることに変わりはなく、廊下を行き来する生徒も多い。その中で感じる視線には、やはり敵意や悪意が見え隠れし、相変わらず胃に優しくなかった。

 そんな視線に晒されながら、曙光は調理実習室へと辿り着く。棚から包装用の箱を用意し、教室の冷蔵庫からケーキを数種類ほど取り出して、丁寧に箱の中へと詰めていく。

 

(早いところ済ませよう・・・)

 

 胃が痛むのを感じながら、曙光はケーキの詰まった箱を携え実習室を後にする。

 用意したこのケーキは、真壁の言う通り『挨拶』のために用意したものだ。

 外部生はエスカレーター組から快く思われていない。元々外部生は『粗忽』『野蛮』などと印象付けられているし、そんな中に混じる男子など、箱入りのお嬢様からすれば嫌悪の対象でしかないだろう。

 そこでこのケーキこそ、そんなお嬢様方の機嫌が少しでも良くなるように用意したものだ。意味合いとしては、『挨拶』というより『ご機嫌取り』の方が正しい。

 しかし、流石にエスカレーター組の女子全員にケーキを用意するほどの余裕はない。なので渡すのは、エスカレーター組の代表である1人の女子。その人物こそ、先日曙光が拾ったハンカチの持ち主であるマリーだ。

 

(さて、どこにいるか・・・)

 

 校舎を歩きながら、マリーの姿を探す。

 マリーという人物が大のスイーツ好きなのは、外部生の間でも知られた話だ。エスカレーター組との闘争に参加しない曙光や真壁でさえ知っているのだから、その信憑性は言うまでもない。

 とにかく、それを知った曙光を含め平穏に過ごしたい人間は、代表のマリーにケーキを渡して機嫌を取りつつ、あわよくば待遇の改善も検討してもらえれば、と考えた。

 しかし、今年の初めからケーキを月に1回程度渡しているが、一向に改善の兆しは見えない。もしやこの取り組みは無駄なのでは、と思わなくもなかったが、一度止めたら何をされるか分からないので、挨拶のケーキを渡すのは続けている。

 だが、マリーにケーキを私に行くまでの間に、エスカレーター組のお嬢様から棘のような視線を向けられるのは心苦しい。なので、このケーキを渡しに行くのは1人だけで1回ずつ、後腐れの無いじゃんけんで決めてきた。今日初めて曙光はじゃんけんで負けたので、挨拶に行くのも初めてだが、前回行った男子がやつれた様子だったので、内心では恐ろしかった。

 

「・・・何でこういう時に見つからないかね」

 

 口の中でボソッと呟く。

 マリーが見当たらない。彼女の見た目は、華やかなビジュアルの多いエスカレーター組の中でも目立つ方だが、今日はなかなか目に入らなかった。あまり長時間うろついていると、比例して周囲の視線を鋭くなるので、早いところ用事を済ませて帰りたい。

 ただ、マリーを探し回る上で避けたいのは、押田だ。エスカレーター組のナンバー2の彼女だが、外部生に対する態度の厳しさはトップクラス。エスカレーター組との抗議活動に参加する生徒たちからも、要注意人物とみなされている。先日のハンカチの件もあり、曙光は押田に対し苦手意識を持っていた。

 それでも曙光は、マリーを探し続ける。まだ昼休みなので、もしかしたら学食にいるのかもしれない。だが、学食なんてエスカレーター組の女子が大勢集うので、そんな場所へ行くのは御免被りたい。もしや、前回の挨拶に行った男子が疲れた様子だったのは、学食に行ったからだろうか。

 そこで、学食に行くのは気が進まない曙光は、連れ立って歩く2人の女子を見つけた。それはマリーでも押田でもなかったが、その2人を見て曙光は『ラッキー』と心の中でガッツポーズを取る。

 

砂部(いさべ)さん、祖父江(そふえ)さん。こんにちは」

「あら、どうも」

「ごきげんよう」

 

 声を掛けると、2人の女子は振り向いて、気に障る様子もなく笑みを返してくれた。

 緩やかなウェーブがかかった明るい茶髪の女子が砂部、ロールのおさげと背中でまとめた淡い金髪の女子が祖父江だ。この2人はエスカレーター組では珍しく、外部生に対して偏見を抱かず普通に接してくれる。移動教室の際に何度か挨拶をしているうちにそれに気付き、こちら側の校舎に来て会った際は一言二言交わす程度には知り合いになっていた。

 そんな2人を見つけたことをラッキーと思ったのは、そうした理由だけではない。

 

「すみません、マリーさんがどこにいるか分かります?」

 

 砂部と祖父江は、マリーの友人であり、同時に付き人として一緒に行動することが多いという。なので、先日マリーと一緒に押田が行動している場面に曙光が出くわしたのは、運とタイミングが悪かったということだ。

 この2人なら、マリーの居場所を知っているだろうと曙光は思った。けれど2人は、揃って表情を曇らせる。

 

「それが、私たちも知らないんです・・・」

「そうなんですか?」

「はい・・・。実はマリー様、『1人になりたい』と仰ることがたまにあるんです。どこにいるかも教えてくださらなくて・・・」

 

 砂部と祖父江の言葉に、曙光も『ほう』と少し疑問を抱く。

 曙光はマリーと話をしたことがなく、どんな人物なのかも具体的には知らない。『ケーキ好き』や、抗議活動に参加するクラスメイトから『高飛車でわがまま』などと噂に聞く程度だ。

 そんなマリーが『1人になりたい』とは、何かの理由があるのか、それともわがままの一環か。

 

「マリー様も『そういう気分なの』としか・・・あまり深入りするのも気が引けまして」

 

 心配そうな砂部。祖父江も同じく、その表情はさほど明るくない。その様子を見ると、マリーに対してあまり良い印象を抱いていない自分を申し訳なく思ってしまう。

 

「曙光さんは、マリー様へ差し入れでしょうか?よろしければ、私たちからマリー様へ渡しておきますよ」

 

 不安な話を変えるように、祖父江が曙光の手にある袋を見て提案する。それは曙光からすれば願ってもないことだ。一刻も早く用事を済ませて、冷たい視線に晒されるここからおさらばしたかったから。

 しかしながら、曙光の中にある良心が、ブレーキを掛ける。

 

「・・・いえ、せっかくですけど、これは自分で渡そうと思います」

「あら、そうですか?」

「はい。ですが、もし昼休みが終わるまでに見つからなかったら、伝言と一緒に渡してもいいですか?」

「ええ、それでしたら」

 

 例え目的がご機嫌取りでも、こうした贈り物は本人に渡すべきだと思っている。その相手が、自分たちにとって目の上のたん瘤のような人であってもだ。でなければ悪い印象を抱かれかねないし、今までケーキを渡してきた男子が直接マリーに渡していたとすれば、卑怯な気もする。

 そんな背景もあって、砂部と祖父江はもしもの時に頼ることにし、一旦別れた。

 だが、その後は本格的にマリーを探さなければならず、またしばらくは周囲から疑念と忌避の目を向けられることになる。

 

(本当、どこにいるんだ・・・?)

 

 自分で渡すと言ったが、どこにいるのかは皆目見当がつかない。お嬢様のマリーは、一般市民の自分とは違う時間の過ごし方をしているのだろうとは思うが、それだけだ。

 あてもなくウロウロとしているだけだと、視線を集めるだけでしかないので、一先ず屋上にでも行くことにした。曙光のクラスメイト曰く、エスカレーター組の校舎も屋上は外部生の校舎同様開放されているらしい。ああした場所をお嬢様は好まないだろう、と曙光と真壁は当初笑っていた。

 その屋上へ、曙光は多くの視線を浴びながら向かう。階段を最上階まで上がると、金メッキの意匠が施された白塗りの扉が現れる。これが屋上の扉だろうが、こんなところにまで金を掛けるとは、と内心呆れた。

 その悪趣味な扉を開けると、太陽の光と、学園艦特有の潮の香りが混ざる風に、曙光の身体が晒される。

 

 そこに、マリーはいた。

 

 まさか、と思わずにはいられない。お嬢様に合わないと思っていた場所にいたのだから。

 しかし、屋上の柵にもたれ掛かるマリーは、ぼーっと遠くを眺めているらしく、曙光に気付いた様子もない。

 その背中からは、寂しさを感じた。

 

「・・・・・・」

 

 温室育ちの世間知らず、鼻につくほど高飛車で、いつも外部生を見下している。砂部や祖父江と言った例外もいるが、それが外部生のエスカレーター組に対する印象だ。マリーのハンカチを拾った際に、小馬鹿にするように扇子をヒラヒラ仰いだ時は曙光もイラっとしたし、先のイメージそのままだとも思った。

 だが、今のマリーからは、そんな印象を少しも感じ取れない。他のエスカレーター組はもちろん、外部生の誰とも違う雰囲気が、今のマリーからは漂っている。

 その姿に、曙光は思考がわずかに止まってしまった。

 パタン、と曙光の後ろで扉が閉まる。その音はマリーにも聞こえただろうに、振り向きもしない。緩やかな潮風に、縦ロールの髪が靡くのも気にしていないように見える。

 探していた目当ての人が見つかったのだが、さっさと声を掛けて用事を済まそう、とは思えなくなった。それでも、マリーに用事があるのは確かなので、慎重に声を掛けることにした。

 

「・・・こんにちは」

 

 静かに近づきながら、声を掛ける。

 するとマリーは、声を掛けられたと認識したのか、ゆっくりと曙光の方を振り向いた。視線が合う直前、曙光にはマリーの表情が気だるげに見えたが、次の瞬間にはふわりとした表情を浮かべていた。

 

「あなたは・・・ハンカチの時の」

 

 ハンカチを拾ったのはつい1週間ほど前だったが、曙光のことは覚えていたらしい。

 

「あの時はありがとう」

 

 お礼を言われた。

 ただでさえエスカレーター組の外部生に対する態度は厳しくて、両者の溝は深い。人としてごく自然な、感謝されることさえ夢のまた夢だと思っていたので、とても意外だ。件のハンカチの時も馬鹿にされたと思っていたから、猶更。

 

「・・・お礼を言われるのが、そんなに意外?」

「あ、いえ・・・」

 

 驚いているのを見透かされたのか、怪訝な目をマリーに向けられる。曙光は思わず視線をそらしてしまうが、マリーは持っていた扇子を口元に添えて、小さく息を吐いた。

 

「私がお嬢様だからって、外部生にお礼を言わないとでも思ったのかしら?」

「・・・すみません」

「まぁ、謝らなくていいわ。そう思われても仕方ないし」

 

 多少の皮肉が混じっていても、不思議と今は嫌悪感を抱かない。むしろ、第一印象とは違うマリーへの驚きが勝っている。

 曙光が驚いているのもさして気にせず、マリーはまだ柵にもたれ掛かる。あまり上品とは言えない仕草に引っ掛かりを覚えつつも、曙光はマリーの横に立つ。

 マリーは、景色ではなく、眼下の校門で繰り広げられている抗議活動を眺めていた。

 当事者は、やはり外部生とエスカレーター組。外部生が抗議の声を上げ、エスカレーター組はそれを冷ややかな目で見つつ自分たちの主張を返す。

 内容は、専ら学食のメニューの改善だ。

 BC自由学園は、食事とナンパのメッカとされるアンツィオ高校に劣るものの、食事にはこだわる校風だ。しかしながら学食のメニューときたら、エスカルゴ定食だのフォアグラ定食だのと、貴族階級の趣味嗜好を反映したものしかない。外部生は、たかが学食にそこまでの高級料理は求めていないし、高い値段の割に量も少ないため、即刻の改善を求めている。もちろんエスカレーター組はその要求を飲まず、今日に至るまで両陣営の小競り合いは続いていた。もっと言えば、現在の外部生とエスカレーター組の軋轢の主な原因はそれだ。

 

「エスカレーター組だとか、外部生だとか・・・そういうのはもう考えないようにしてるの」

 

 そんなお互いの言い争いを見下ろしながら、マリーはつまらなそうに呟く。

 

「なんかもう、疲れちゃったのよ」

 

 ため息交じりに洩らしたマリーの言葉に、曙光の関心が刺激される。その言い草は、何か深いわけがあるようにも聞こえる。

 

「・・・エスカレーター組の代表となれば、そう感じることもあるんですか」

「代表って言うのもねぇ、なろうと思ってなったわけじゃないし」

「そうなんですか?」

 

 曙光が興味を示したことが、マリーにとっては新鮮だったのか、エメラルドグリーンの瞳を向ける。

 

「話、聞きたい?」

「まあ、興味はあります」

「いいわ。それなら話してあげる」

 

 言ってマリーが浮かべた笑みは、ここで最初に見た背中のように寂しそうに見えた。

 

「私のお母様は、BCの出身だったの。だから私も、ここに入学したわけ」

 

 内部抗争などで悪目立ちしているが、BC自由学園は地元でも指折りの名門校だ。裕福な家庭の令嬢は、中等部から入学することが多いらしい。

 資産家の一人娘であるマリーも、例に漏れず中等部から入学したと言う。その前にマリーは、BC自由学園がどんな学校かを母に聞いたところ、『面白い学校よ』と答えてくれた。その表情が微妙に苦笑だったのにも関わらず、マリーは額面通りにその言葉を受け取って、表情を輝かせたそうだ。

 

「でもねぇ、高等部に進学して・・・お母さまの言葉は皮肉なんだって分かったわ」

「・・・内部抗争のことで?」

「それ以外何があるっていうのよ?」

 

 その諍いを目の当たりにして、マリーは真っ先に転校を考えたそうだ。しかし両親からは、見聞を広めるため、『争い』を知るために残りなさいと言われてしまった。マリーは小学校も私立で、いわば箱入り娘。喧嘩や闘争などは知識でしか知らない。それを自分の目で見るよう言われたのだ。

 

「最初はびっくりしたわ。皆いつも睨み合ってるし、ちょっとつついたらすぐ掴み合いになるんだもの」

「そうですね・・・俺も最初は驚きました」

「でしょ?だから、皆仲よくすればいいのに、って思ったわ」

 

 曙光も入学前に、この学校がどんな状況なのかは聞いていた。それでも、実際に見てみたら想像以上で驚いた。人並みに喧嘩などを見てきた曙光でさえそうなのだから、箱入り娘のマリーが驚くのも無理はないだろう。

 

「お母様がやってたって言う戦車道も始めてみたんだけど、そこも同じ感じで」

 

 BC自由学園の特色の一つである戦車道。乙女の嗜みである武芸のそれを曙光は詳しく知らないが、マリーの母も在学中は履修していたとのことだ。それに倣ってマリーも戦車道を始めたが、エスカレーター組と外部生の合同で実施される戦車道も、やはり同じく剣呑な雰囲気だそうだ。

 

「模擬戦でさえ、実弾を使って戦うのよ?普通は練習弾なのに」

「そこまで?」

「そこまで、よ。まるで毎日が革命と鎮圧を繰り返してるみたい」

 

 詳しく知らないからこそ、曙光は戦車道で何をしているのかも分からない。それでも現状を考えれば、マリーの言うような緊張状態にあるのも仕方ないだろう。

 さて、その戦車道だが、そこでマリーの才能は()()()()()開花したという。

 戦況を幅広く見る目や、終始乱れない冷静さ、発想の柔軟さは戦車道にもってこい。その能力に加え、実際に戦車道でも成果を挙げたことで、マリーは戦車道の隊長に選ばれたとのことだ。

 

「それで隊長になって、思ったの。私が隊長になれたなら、皆を仲良くさせられるんじゃないかって」

 

 BC自由学園の特色で、乙女の嗜みである戦車道の隊長に選出されたことで、エスカレーター組の代表格として扱われるようになった。

 それなら、自分の声は鶴の一声となり、長い間続いていたこの諍いを止められるのではないか。そう思わずにはいられなかった。

 

「私だって、あなたたちの言う『温室育ち』とか『世間知らず』なんでしょうね。けど、喧嘩してるのを見るのは嫌だし、仲良くなれればいいのにって思ったのよ」

 

 マリーの言葉に、曙光は頷く。仲良くしてほしいとは、自分も思っていたのだから。

 そして同時に、マリーもまた同じ考えを持っていたということに、驚いた。

 

「けど、甘かったわ。皆ちっとも言うこと聞いてくれないんだもの」

 

 マリーが仲を取り持とうとしても、エスカレーター組も外部生も止まらなかった。

 『仲良くしよう』と言うと、エスカレーター組は『外部生に屈するようだ』『学校の品位が下がる』と拒否し、外部生は『憐れまれているようだ』『結局自分たちの待遇は変わらない』と拒絶した。

 その後も何度も仲直りを試みても、エスカレーター組も外部生も一歩も妥協せず、結局争いは収まらないままだ。何をどう言っても、両者の間の溝はあまりにも深すぎたのだ。

 

「そんなことばっかりで、もう疲れちゃったの」

 

 マリーは、エスカレーター組の代表格にまで上り詰めた。

 だが、それによってより近くでエスカレーター組と外部生のいざこざを目にするようになった。その中でお互いの仲を取り持とうとしても、何も解決せず、進展さえない。

 そうしているうちに、マリーの心は疲弊してしまったのだ。

 

「だからもう、エスカレーター組とか外部生とか、そういうのは難しく考えないようにしたの。だって考えるだけ無駄だから」

 

 つまらなそうに、柵に顎を載せるマリー。

 

「それでも、ああして喧嘩しているのを見ると、『仲良くすればいいのに』とは思うけどね」

 

 未だに諍いを続ける校門近くを見下ろすマリーの視線は、先ほどと同じくつまらなそうだが、話を聞いた今ではその目に宿っている感情はまた違うと、曙光にも分かる。

 曙光は、内部抗争については遠巻きに見ていることしかなかった。巻き込まれるのが嫌だったから。

 だから、わがままで高飛車だと思っていたマリーが、一時的とはいえ最前線でこの争いをどうにかしようとしていたことなど、全く知らなかった。

 他の連中と同じで外部生を見下しているものと思ったが、本当はマリーも外部生のことをちゃんと考えてくれていたのだ。それも、一方が我慢し他方が手を差し伸べるのではなく、お互いに理解して手を取り合うことを望んでいた。

 

「・・・マリーさん、ちゃんと考えてくれていたんですね・・・。誤解してました」

「実際、私は何も成し遂げてなんていないし」

 

 初めて真実を知って、誤解したことを詫びるが、マリーには大して響いていないらしい。それは決して、謙遜などではないだろう。

 

「私だけじゃないかしら。エスカレーター組でこんなこと考えてたのなんて」

 

 他のエスカレーター組には悪いが、その通りだと曙光は思う。今もまだ外部生に冷ややかな視線を向ける連中はもとより、砂部や祖父江のような争いの終わりを求める人はいても、相互理解の末に手を取り合う未来を追求する人などいないのではないだろうか。

 

「だからこの先、お互い仲良くなるなんて無理じゃないかしら?」

 

 それは、自分にはもう何もできることはないと、暗に言っている。曙光もそれは分かった。

 だが、その言葉を聞いた曙光の口から、自然と気持ちが連なり始める。

 

「・・・でも、仲良くしてほしいとは思ってるんですよね」

「それはもちろんよ。だって、周りがギスギスしてると息苦しくてもっと疲れちゃうし」

「だったら、今からでもまだ間に合うんじゃないですか?」

 

 曙光の言葉に、マリーは視線を向けてくる。表情は、疑問を示していた。

 

「マリーさんはエスカレーター組の代表で、まだお互いに仲良くしてほしいと思っているのなら、まだやり直せると思います」

「・・・・・・」

「俺だって、お互いにいがみ合っているのは見ていられないですし、何とか仲良くなってほしいと思っています。俺の力も貸せるだけ貸しますから・・・また、目指してみませんか?」

 

 争いごとを恐れて、極力関わらないようにしてきた。

 しかし心の奥底では、この長年に渡るいざこざが終わり、学園全体が仲良くなれたらと願っている。

 そして今、目の前には自分と同じことを考えて、それが成せる力を持ち、成そうとした人がいる。理想も考えも違うと思っていたエスカレーター組に、だ。そう考えると、もしかしたらそれを実現できる日が来るのではないかと、思わずにはいられない。自分の近くにそれができる人がいるのなら、力を貸すことだって曙光は惜しまないつもりだ。

 

「イヤよ」

 

 けれど、マリーは首を横に振った。

 

「言ったじゃない、もう疲れたって。どうして私がタダでそこまでしなきゃいけないの?」

 

 マリーからすれば、間近で見てきて心が疲れる争いになど、もう関わりたくないのだ。難しく考えるのは止めて、全ては流れのままに、成すがままにと傍観に徹し、あれこれ考えるのも嫌になった。元々マリー自身わがままな性格だから尚更だし、今までどうにかしようとしてきただけでもうたくさんだ。

 曙光も、そんなにうまい話はないか、と肩を落とす。

 

「それより、それケーキよね?頂戴な」

「ああ、はい。どうぞ」

 

 マリーが指差したのは、曙光が手に提げていた紙袋。元々は、この中にあるケーキを渡しに来たのだと、今更ながら目的を思い出した。

 このケーキも、マリーに前向きな対処をして欲しいと願ってのものだったが、先ほどの話を聞いた後ではそれも叶いそうもない。そう思いながら、曙光は紙袋を渡す。受け取ったマリーは、その場で中から包装用の箱を取り出し、器用に蓋を開ける。だが、中に収められているケーキを見て、わずかに眉を下げた。

 

「今日もモンブランは入ってないのね」

「好きなんですか?モンブラン」

「私の一番好きなケーキよ」

 

 ショートケーキやチーズケーキ、カヌレやタルトなどの色とりどりのケーキが詰められているが、マリーの言う通りモンブランはない。

 曙光は、マリーの一番の好物がモンブランと聞いて少し得をした気分だ。同時に、申し訳なくも思う。

 

「モンブランは、俺もですけど、みんな難しいって言うんです」

「そんなに手に入らないものかしら?」

「いや、作るのが難しいんですよ」

「え?」

 

 マリーの表情がぽかんとする。中々お嬢様らしくないその顔に、曙光も思わず笑みが零れそうになる。

 

「そのケーキを作ったの、俺たちですよ」

 

 BC自由学園の特色の一つは戦車道だが、他にも食品関係のカリキュラムが充実しているという面がある。それが、曙光がここへの入学を決めた最大の理由だ。

 その中でも、製菓関係の授業には力を入れており、授業の一環でケーキなどの菓子を作る機会が多い。だからこそ、曙光を含めた食品の授業を選択している生徒たちは、自然と菓子作りの技術が向上していく。そして、それなりの自信もあるからこそ、こうして挨拶のケーキは全て自分たちで作ってきた。これは、砂部や祖父江にも話していない。

 

「そうだったの。知らなかった」

「ただ、モンブランは中々難しくて、作れる奴がいないんです」

「ふーん・・・」

 

 まさか外部生の手作りと思ってはいなかったのか、箱の中のケーキをまじまじと眺めるマリー。曙光の言い訳がましい言葉にも、適当な相槌しか打たない。

 やがてマリーは、何かを思いついたように、曙光の顔を見上げた。

 

「・・・ねぇ、さっきの話なんだけど」

「?」

「外部生とエスカレーター組が仲良くなれるようにするって話よ」

 

 曙光は目を白黒させる。『疲れた』と言ったマリー自ら、その話を蒸し返したのだから。

 

「あなたが私のためにもっとケーキを作ってくれたら、考えてあげてもいいわ」

 

 人差し指を立てて、マリーは提案する。

 なおも曙光は、驚いた。対価を要求されたとはいえ、マリーが本当に動いてくれるとは思わなかったのだから。

 

「どうして、急に?」

「そうねぇ。前に私が何とかしようとしていた時って、私の味方があなたたちの側にいなかったのよ。あなたも、仲良くしてほしいって思っているんでしょ?」

「それは、もちろん」

「だったら、もしかしたらできるのかも?って思って」

 

 マリーは以前、1人で事を成そうとして、失敗した。しかし今、秘かに同じ志を抱いていた人間がいると知り、協力者を作れば状況も変わるのではないかと、思い始めたのだろう。掲げる目標が簡単に達成できないからこそ、誰かの力を借りると言うのは曙光にも理解できる。

 その『誰か』に選ばれたのは、曙光だ。

 

「けど、あの見てて疲れる喧嘩にまた向き直るのは、私もちょっと嫌よ。だから、条件付きなの」

「・・・その条件が、ケーキと」

「そう。それとモンブラン」

 

 付け加えられた事項に、曙光もわずかに口が引き締まる。

 

「私が納得できるモンブランを、1週間で作りなさい」

「・・・1週間」

「もう一度考えてほしいのなら、これぐらいはしてくれなくちゃ」

 

 マリーは、心が疲れたと言って一度目を背けている。そこへまた目を向けるよう曙光が頼んだも同然だから、マリーが相応の対価を要求することは何もおかしくはない。

 曙光としても、それはすぐに理解できた。マリーがまた、和平のために動いてくれるのであれば、いくらでも力を貸す。ケーキを作るぐらい安いものだ。第一条件が挑戦したことのないモンブラン、しかも期限が1週間と言うのが若干ネックだが。

 

「・・・分かりました。必ずや、作ってみせます」

 

 曙光は頷いた。最初の条件をクリアするのは簡単ではないだろうが、この機会を無駄にしたくない。

 返事を聞いたマリーは、改めて曙光の目を見る。

 

「あなた、名前は?」

「曙光です。曙光良己」

 

 そういえば名乗ってなかった、と曙光が思う目の前で、マリーは『よし』と何やら満足げに頷く。

 

「よろしく頼むわね、曙光」

 

 今日初めて、マリーは笑みを浮かべる。

 同時に、予鈴の鐘が鳴り響いた。



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第3話:約束のモンブラン

 BC自由学園全体で、男子の数は1割にも満たない。BC高校と自由学園が合併した当初は、男女比が4:6ほどだったが、それ以降男子の数は減り続けて、現在の状態に落ち着いている。

 男子の数が減ったことで、剣道や柔道などの男子向けの選択授業は撤廃され、今は通常カリキュラムの食品関係の授業をそのまま受ける形になっている。中でも、実際に菓子などの料理を作る実戦形式の授業が多く、今日はまさにその日だ。

 

「では各自、時間内に1つケーキを完成させるように」

『はーい』

 

 エスカレーター組の校舎の、調理実習室。教師の言葉に曙光を含めた男子たちは返事をし、早速準備に取り掛かる。ちなみに今着ているのは、学校の制服ではなく調理用のコックコートだ。

 ちなみに教師陣は、外部生やエスカレーター組の抗争に関しては静観に徹している。昨今の教育体制が『生徒の自主独立性を重んじる』という方針だからであり、教師が介入するのは怪我人沙汰にならない限り無さそうだ。

 

「真壁は今日、何作るんだ?」

「俺は・・・ミルクレープにでもしようかな」

 

 深い意味もなく、曙光は真壁に訊ねる。材料は一通り揃っているので、無駄遣いをしなければ困ることはない。多様なケーキを作ることができるし、直前まで決めていなくてもどうにかなる。食品に力を入れているBCならではだ。

 

「曙光はどうするんだ?」

「モンブラン」

 

 しかし曙光は、それを作ると決めていた。

 業務用の冷蔵庫から必要な材料を取り出す傍ら、真壁が実に意外そうな目を曙光に向けてくる。

 

「珍しいな。あれって結構手間だし作らなかっただろ?」

「ああ・・・ちょっと、挑戦してみようかと思って」

 

 適当に答える曙光。

 真壁は気の置けない友人だが、マリーと手を組むためにモンブランを作るとは、流石にまだ言えない。誤魔化しが通じるかは不安だったが、真壁は深く疑いもせず『まあそんな時もあるか』と、自分のケーキ作りを始めた。

 疑われずに済んだが、材料を前にすると曙光は緊張する。

 モンブランに限らず、初めて挑戦する料理を作る前は、いつもこうして不安で身体が強張ってしまうものだ。失敗したらどうしよう、美味しくできなかったらどうしよう、と尽きない不安が湧き上がってくるから。

 しかし、それよりも純粋に作りたい気持ちが勝って、緊張や不安を振り払って作り始める。加えて今は、期限付きでマリーに作らなければならない義務があるため、取り掛かるのに時間はかからなかった。

 

(・・・どれぐらいかかるかな)

 

 バターを常温に戻しつつ、メレンゲを作りながら曙光は考える。

 マリーはケーキ好きというのもあって、恐らく舌が肥えているだろう。中でも一番の好物のモンブランを渡すとなれば、半端な出来は許されない。それ以前に、曙光の『自信のないものは他人には食わせない』という理念に反する。

 だからこそ、今まで作ったことのないモンブランを、自信を持って完成したと言えるようになるまでは、一朝一夕では済まないだろう。

 しかしこのケーキは、何としても完成させなければならない。曙光自身が『必ずや作る』と言ったし、このモンブランが長年のBC自由学園の因縁を終わらせる足掛かりとなるのかもしれないから。

 メレンゲを混ぜる曙光の手に、力が籠る。

 絶対に完成させよう、と強く思った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「何て言うか、味がぼやけてる感じがする」

 

 完成品を一口食べた真壁の感想は、芳しくなかった。

 授業では、完成品はこうして別の誰かにご馳走し、忌憚のない意見を言ってもらう。曙光もそれに従い、試製モンブランを食べてもらったところ、先のレビューを受けた。

 

「・・・不味いってことか?」

「いや、不味いのか美味いのかも分からん・・・」

 

 この授業の趣旨を分かっていて、かつ付き合いも長いからこそ、率直な感想を述べてくれる。それは曙光としてもありがたいし、憤りなど感じない。

 それにしても、味がはっきりしないのは致命的だ。曙光も真壁も、意欲的に菓子作りに挑戦してきたが故、味覚は確かなものだ。根本的に味覚が破壊されている可能性も低い。

 つまり、曙光の作ったモンブランは失敗に終わったのだ。

 

「・・・やっぱり難しいな」

「けど、見た目はいいじゃん。もうちょっとだろ」

 

 初めて作るから、上手くいかないのは予想していた。しかし、いざ実際に失敗したと知ると、どうしても凹んでしまう。

 真壁がフォローしてくれた見た目に関しては、曙光もそれなりに自信があった。モンブランの最大の特徴でもある何重ものマロンクリームには、一番神経を割いたと思う。この部分に失敗しては、見てくれまで最悪になってしまうと思ったから。

 

「・・・んん、やっぱり味だな」

 

 曙光自身も食べてみるが、真壁の言う通り味が良くない。見た目に反して味が不透明で、いわば有名無実だ。ただ、見た目に関しては問題ないので、課題は味と判明した。

 一方で、曙光もまた真壁の作ったミルクレープも真剣に評価しなければならない。なので、断りを入れてから一口食べてみる。

 

「・・・美味いな」

「そりゃよかった。今日のは自信作だからなあ」

 

 友達として悔しいことに、このミルクレープは美味しかった。ふわりとした食感や間に挟まれたクリームの味、色合いも総じて文句なしだ。

 普段は軽薄な節のある真壁だが、菓子作りの際は絶対の自信を持っている。その自信の強さは、曙光以上だ。かと言ってお高く留まっているのでもなくて、そんな姿勢は曙光も見習いたいところだ。

 そうして食べ終えた後は、使った食器などの後片付けに取り掛かる。いかにここが敵対するエスカレーター組の校舎でも、使うものが共有である以上は綺麗に片付けなければならない。

 その後はコックコートから制服に着替えなおして、自分たちの教室へと向かう。同じタイミングで、昼休みの到来を告げる鐘が鳴った。

 

「あー・・・鳴っちゃったか・・・」

「もっと早くに戻りたかった・・・」

 

 その鐘を聞いた男子たちは、揃って苦い表情になる。早めに教室へ戻って昼休みをゆっくり過ごしたいのもあるが、どちらかと言えばお嬢様たちの冷たい視線を浴びたくなかったからだ。実際、戻るまでの間に強烈な視線を集めてしまっている。

 

「ホントもう、何でこんなに厳しいのかね・・・」

 

 真壁もまた、周囲の視線を気にしながら廊下を歩く。外部生とエスカレーター組の仲が悪い原因は知っているが、それでもなぜ自分たちがこんなことに、と思わずにはいられない。

 曙光もまた、今までは真壁と同じように縮こまって歩いていたものだ。

 

「・・・仕方ない。我慢しよう」

 

 しかし、曙光はそう言うに留めた。

 少し前なら『本当になぁ』とか『嫌だな・・・』と言って同意していた。しかし、昨日マリーと話をして、現状をどうにかしようとした彼女の話を聞いて、曙光の意識も変わりつつある。その事情を知って、あまり彼女たちを悪く言うのも少し気が引けた。

 

「・・・どうしたお前」

「何が?」

「いや、何か大人しいなって」

 

 しかし、友人・真壁は、そんな曙光の心の変化を機敏に感じ取った。

 

「前はもっとさ・・・俺が言うのもなんだけど、俺と同じ感じだっただろ?あちらさんの態度が気に喰わない感じで。だけど今日はさ、何か丸いな」

 

 真壁は、BC自由学園に入学して以来の曙光の友人だ。だから、ちょっとした変化にもすぐ気づけるし、それを当人に指摘することだってできるのだろう。鋭いな、と曙光は感心しつつも答える。

 

「そんな気分なんだよ」

「・・・急にモンブラン作りだしたのもそうだけど、まさか昨日マリーさんと何かあったのか?」

 

 ギクッ、とする。実に勘が鋭い。

 

「・・・いや、そんなことはない。ありがとうな」

「ふーん・・・ま、あまり抱え込まない方がいいぞ」

 

 マリーとのことは、今はまだ秘密にしておきたい。何せ、本当にこの状況が好転する保証もないのだから。隠し通すほかないのだが、それでも何とか真壁を納得させることはできた。

 それからは、刺々しい視線に晒されること以外は特に変わったこともなく、自分たちの教室へと帰り着く。丁度、同じく選択授業で教室を離れていた女子たちも戻ってくるところだった。そしてその中には、曙光たちはもちろん、エスカレーター組にも知られた女子がいる。

 

「くそ~・・・やはり火力が足りないのか・・・」

「すぐ近くまで忍び寄れたのはいいんですが、まさか気付かれたとは・・・」

「全く、普段はのんべんだらりとしているくせに、ああいう時は無駄にいい動きをしてくる」

 

 やや勝気な話し方をするのは、浅黒い肌に三白眼、肩まで伸びるやや癖の強い黒髪の女子・安藤(あんどう)。外部生の中でも、エスカレーター組に対する反抗勢力のリーダー格の存在だ。つまり、マリーや押田とは対極の位置にいる。

 反エスカレーター組の代表となれば、エスカレーター組からもマークされている。特に安藤の性格は、向こうからすれば『粗暴』『野蛮』と捉えられており、お世辞にも印象は良いとは言えない。

 

「安藤、お疲れ」

「お疲れ様~」

「おお、曙光と真壁。そっちもお疲れ」

 

 ただし、安藤は同じ外部生に対しては分け隔てなく気さくに接してくれる。同じクラスの曙光たちも、安藤は普通に仲の良い友達のポジションだ。普通の共学校だったら、男女問わない人気がありそうでもある。

 

「男子は今日は何したんだ?ケーキ作り?」

「そう、俺はミルフィーユを」

「俺はモンブラン・・・失敗したけど」

「へー。完成したら食べさせてくれよ」

 

 話の流れで、ついモンブランを作ったことを洩らしてしまったが、安藤もまた大して気にした様子はない。完成品を食べさせる約束に、つい頷いてしまっても、安藤は『よし』と白い歯を見せて笑う程度だ。

 そんな彼女だが、浅黒い肌や髪に、煤や埃のようなものが付着している。恐らく、彼女たちが履修している戦車道によるものだろう。

 

「大変そうだな。戦車道は」

「ああ、大変も大変だ。我々は今回、奴らに気付かれないように接近したが、ついさっきまでのんびりしていたくせに突然キビキビ動き出して返り討ちにされた。まったく」

 

 忌々しそうな安藤に、曙光と真壁も苦笑する。

 戦車道について、男子たちはそこまで詳しく知らない。と言うのも、戦車道が乙女の嗜みで、男子の入り込む余地がないために、そこまで興味が湧かないのだ。加えて、戦車道でも外部生とエスカレーター組の抗争が起こっていると言うので、近寄りがたい雰囲気もある。

 

「安藤さん、そろそろ」

「ああ、よし。それじゃ、行ってくる」

 

 別のクラスメイトに促され、髪や肌の汚れを濡れタオルで軽く拭うと、安藤は自らの鞄から焼きそばパンを取り出して教室を出ようとする。その前に、安藤は曙光と真壁の方を向いてきた。

 

「2人も参加しないか?抗議の声は少しでも多い方がいい」

 

 抗議とは、他ならぬ外部生の待遇改善活動のことだ。安藤が外部生のリーダーとなってからは、こうして同じクラスの曙光や真壁、他の男子を誘うことが多い。しかしながら、それに対する2人の答えはずっと同じだった。

 

「悪いけど・・・遠慮しておく」

「そうか。分かった、悪かったな」

 

 真壁が首を横に振ると、安藤は軽く手を振って教室を出ていく。

 争いごとを極力避ける曙光と真壁は、こうして断ってきたし、参加したこともない。安藤も、こうして断られることはこの2人だけではないから、その意図を細かく汲めるのだ。

 

「安藤もよくやるよな」

「ホント。屋台だってあるのに」

 

 『屋台』とは、外部生側の敷地内の一角にある食べ物屋台のことだ。これは、学食の無駄に豪勢なメニューにうんざりした外部生が独自に始めたもので、外部生の多くが利用しており、規模もそこそこ大きい。

 その中で、安藤はたい焼きの屋台を営んでいる。曙光たちも、何度か安藤の作ったたい焼きを食べたことはあるが、結構美味しかった。その屋台の営業に加えて抗議活動まで率いているのだから、結構タフだ。

 

「じゃ、俺らもメシにするか」

「ああ」

 

 真壁の言葉に頷き、それぞれ鞄から弁当箱を取り出して、机を合わせて昼食にありつく。

 学食は、曙光も真壁も入学したばかりの頃に一度使ったきりだ。メニューの中に『定食』があっても、高価なうえに上品すぎるイメージの料理は学生の昼食に向かなかった。それ以前に、お嬢様ばかりの空間に行くこと自体嫌なので、節約も兼ねて自作の弁当を持ってくることもある。屋台に行くことも、時々あった。

 

「そうだ、曙光」

「ん?」

「今日の帰り、本屋に寄って行かねえ?」

 

 この学園艦は、敷地が外部生とエスカレーター組で分断されているが、外部生側の敷地には書店やスーパーなど、庶民的な商店は割と揃っている。

 反対に、エスカレーター組の敷地にはそういった店はほとんどない。エスカレーター組の寮は3食保障されるため自炊の必要がなく、買い物に関しても大体取り寄せのため、買い物をする機会自体少ないのだ。

 曙光たちも、学校の帰りに買い物に寄ることはあったので、今回の真壁の誘いも珍しくないことだった。

 

「あー、ごめん。パス」

 

 だが、曙光はその誘いを断った。どちらかの都合で、こうして寄り道が無しになるのもよくあることだ。なので、真壁は『そっかー』と大人しく引いた。

 その後は、それ以上の詮索もなく、適当に駄弁りながら昼食を楽しんだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 放課後、曙光はエスカレーター組の校舎を訪れていた。

 帰り際なので、昼休みと同じかそれ以上にエスカレーター組の生徒とすれ違う機会が多く、それに比例して向けられる視線の()()も高い。加えて、放課後にまでこちら側へ来る男子など今までいなかったのだろう、視線には『忌避』や『軽蔑』の他に『奇異』の感情まで含まれており、中々にしんどい。

 心が押し潰されそうになりながらも、どうにか曙光は調理実習室へと辿り着いた。

 

「よし・・・」

 

 わざわざ真壁からの誘いを蹴り、お嬢様方から集めたくもない注目を集めてまでここへ来たのは、目下最大の課題であるモンブランを完成させるためだ。

 もちろん許可は事前にとってある。元々食品関係には力を入れているし、教師も生徒の自主性や熱意は尊重するため、許可はすんなりと下りた。授業外での練習も、無駄遣いはしないようにと釘を刺されるだけだ。

 ただし、曙光はここに入学してから、一度も時間外の自主練などしたことはない。

 今こうして、自主練に励もうとしているのは、やはりマリーへのモンブランを一刻も早く完成させることに他ならなかった。

 日中に作ったモンブランは話にならず、それが分かった時点で『もっと練習しなければ駄目だ』と思い至った。それも、授業中だけでなく、こうした時間にも取り組まなければならないと。

 材料を買い揃えれば、寮の自室でできないこともないが、ここの方が設備は整っている。さらに若干狡いが、学校の方が材料費を節約できるのだ。なので、この場を借りない手はないし、それを考えればお嬢様の痛い視線など安いものだった。

 

(絶対に下手なものは食べさせられない・・・)

 

 そこまでするのも、モンブランが好きと言ったマリーに不出来なものを食べさせるわけにはいかないからだ。それだけは、外部生やエスカレーター組という枠組みを考慮せず、ただマリーに対して美味しいケーキを食べさせたい、としか考えていない。

 そのために、曙光は練習をするのだ。

 

(マリーさんに、喜んでもらいたいから・・・)

 

 それは、菓子を作る者としての純粋な気持ちの表れだった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 マリーと約束を交わしてから6日目。タイムリミットまで1日。

 毎日調理実習室に通い詰めて密かに練習をし、材料の配分を細かく変えて理想の味に近づけようと努力を重ねてきた。

 そしてこの日、何度も失敗を経たモンブランだが、ようやく真壁から『美味い』と評価をしてもらえた。念のために教師にも食べてもらったところ、同様の感想を貰えたので、これでモンブランは完成だ。ようやく半分クリアと言えるだろう。

 

(後は、渡すだけだ・・・)

 

 さて、今更ながら、曙光はマリーと連絡を取る術を持ち合わせていない。最初に屋上で話を付けた時も、予鈴が鳴って早く教室に戻らなければならなかったため、タイミングを逃してしまった。またエスカレーター組の校舎でマリーを探し回るのも、周囲の視線が痛いので止めておきたい。

 

「それでしたら、私の方からマリー様へ話を通しておきますよ。それと、お会いするというのであれば、お部屋をこちらで用意しておきます」

「すみません、わざわざお手数をおかけしてしまって・・・」

 

 そこで、偶然会った砂部に、マリーと話がしたいことを伝えたところ、快くそう言ってくれた。こういう時は、人脈と言うものがとても重要になる。

 

「・・・やはり、私たちエスカレーター組と、あなたたち外部生が個人的に会うとなると、周りの目も厳しくなってしまいますから」

「・・・ですよね」

 

 部屋を用意するのには、曙光とマリーだけでなく、周りに対しての忖度の意味もあった。その点に対する気遣いも踏まえて、曙光は砂部にお礼の言葉を述べる。

 ただし、砂部にも外部生とエスカレーター組の和解云々の話はしていない。こうしたデリケートかつ重要な話は、おいそれと他人に話していいのかも判断が難しいからだ。なので砂部には、マリーとは超個人的な用事があるとだけ言っておく。それで砂部も、妙な誤解を抱くことなく納得してくれた。

 

「・・・ここか」

 

 そして放課後17時、完成したモンブランを携えて曙光がやってきたのは、エスカレーター組の校舎の一角。教室とは違ういくつもの部屋が並ぶ場所で、『サロン』と呼ばれているらしい。ここは単純に、生徒同士で静かにゆっくりと語らう憩いの場のような扱いだそうだ。普段から調理実習室以外の場所に行くことがなかったから、曙光は『こんな場所があったとは』と思わずにはいられなかった。

 その中にある一室の、繊細な装飾の施された扉を叩くと、中から『どうぞ』とマリーの声が聞こえてくる。

 

「失礼します」

 

 断りを入れて、中に入る。

 扉が派手なら中も派手で、学校とは思えないような装飾がなされていた。広さは通常の教室の3分の2程度だが、床には細かい紋様が縫い込まれた赤い絨毯が敷かれている。灯りはコンパクトながら豪勢な雰囲気のシャンデリアで、壁際に置かれている戸棚や時計もアンティーク調のものばかりだ。

 そしてマリーが座る椅子や、その傍に置かれたテーブルも、どこか高級感漂うものだった。マリーのようなお嬢様が座っていると、余計にその品々が美しく見える。

 

「すみません、遅くに」

「別にいいわ。大好きなケーキが食べられるんだもの」

 

 部屋の雰囲気に気圧されつつも、曙光はマリーの下へと歩み寄る。砂部から聞いた話では、この少し前まで戦車道の練習があったらしい。けれど、今のマリーからは戦車道の練習で疲れた様子もなく、肌や髪にも汚れなどは見られなかった。身だしなみに対する意識も、外部生と違う。

 

「それで、例のものは?」

「ここに」

 

 マリーが待ちきれないとばかりに急かすと、曙光は手に提げていた箱をテーブルの上に置き、蓋を開ける。

 中から取り出されたのは、皿に載ったモンブランだ。

 

「あら、美味しそう」

 

 マリーの表情が明るくなる。両手のひらに収まるような程よい大きさ、綺麗な曲線を描くマロンクリーム、その頂点に添えられたマロングラッセの色合いも綺麗だ。さらに、白い粉砂糖も主張が激しくなく、かつ存在感が薄くない程度の量。総じて、盛り付けのバランスは良く、単純に美味しそうなだけではなく、優雅な雰囲気を醸し出している。

 

「どうぞ、お召し上がりください」

 

 マリーから褒められたことに、心躍りつつも曙光は食べるようにマリーに促す。

 マリーは椅子を引き、フォークを手に取る。漂う香りを楽しむようにゆっくりと目を閉じて、唇を緩めた。

 

「いただきます」

 

 フォークでモンブランの一部を切り取り、ゆっくりと口へ運ぶマリー。

 この瞬間こそ、曙光にとっては緊張のひと時だ。一応他人に食べてもらい『美味しい』という評価を貰っても、ケーキを食べて肥えた舌を持つマリーに気に入ってもらえるのかは、今ここでしか分からない。

 そして、恐らくこの機を逃したら、マリーとの取り決めも白紙になるだろう。つまり、せっかく決起した和平交渉も無くなり、外部生とエスカレーター組のいざこざはずっとこのままだ。

 

「・・・・・・」

 

 ゆっくりと、黙々と咀嚼するマリー。

 それを、固唾を呑んで見守る曙光。

 

「・・・美味しい」

 

 ぽつり、とマリーが口にする。その瞬間、曙光の中での緊張感が緩んだ。無意識に引き締めていた口から、安堵の息が漏れ出す。

 

「驚いたわ。苦手って言ってたのに、こんなに美味しいのが作れるなんて」

「正直、苦労はしましたがどうにか出来上がりました。お気に召されたようで、良かったです」

 

 二口目、三口目を口に運ぶことに躊躇いは無いらしく、もぐもぐとモンブランを食べ進める。

 その様子を曙光は静かに眺めるが、その食べる仕草はやはり上品に見える。モンブランはそこまで大きくないが、それをマリーはすぐ完食しようとせず、数回に分けてゆっくりと味わっていた。しかもそれがみみっちくは見えなくて、これも育ちの良さから来るものか。

 

「ご馳走様。美味しかったわ」

「ありがとうございます」

 

 普通なら数分程度で食べ終わるだろうが、マリーは十数分かけてモンブランを食べ終えた。そしてハンカチで口元を拭き、微笑みを浮かべる。その顔を見て、曙光も少し心が温かくなった。

 

「それじゃ、この前の話なんだけどね」

 

 フォークを置いてマリーが切り出すと、曙光はハッとする。無事にモンブランを完成させて、評価もしてもらえたが、そもそもはBC自由学園の因縁にケリをつけようとマリーに動いてもらうためだった。

 マリーは、懐から扇子を取り出してひらひらと自らに向けて煽ぐ。

 

「正直ね、苦手って言ってたあなたが一週間ぐらいでこれだけのものを作れるとは思っていなかったの」

「・・・・・・」

「でも、こうして結果を見せられては、どうもしないわけにはいかない」

 

 言ってマリーは立ち上がり、曙光の目を見据える。

 

「いいわ、曙光。手を組みましょう」

 

 人差し指を立てて、ニコッと笑うマリー。

 直後、曙光の心が昂るかのように、身体の中心が熱くなってきた。自分の作ったケーキであのマリーの腰を上げられたこと、この学園の諍いに終止符を打てるかもしれないこと。この2つのことの重大さにも分からないほど、曙光も愚かではなかった。

 

「もちろん、言い出しっぺの曙光にも協力してもらうから、そのつもりでね?」

「当然です」

 

 曙光もまた、和平を願っているのだ。自分から切り出した話でもあるし、その目標に向けて力を貸してほしいというのなら、協力も吝かではない。むしろ、できることがあれば積極的に引き受けるつもりだった。

 曙光の揺るぎない返事に、マリーも頷く。

 

「で、曙光。あなたのその話し方、作ったものでしょ?」

「気付いてたんですか」

「だってハンカチを拾ってくれた時、クラスメイトとは普通の話し方だったじゃない」

 

 確かに、あの時は真壁と普通の喋り方で話していたが、少し離れていたマリーにはそれが聞こえていたらしい。マリーや砂部、祖父江に敬語で接していたのも、エスカレーター組の実態はともかくとして、身分が違うから敬語で、と無意識にインプットされていたからだ。

 

「だからまずは、その話し方を止めて、ありのままの話し方をして頂戴?」

「それは・・・」

「私はこれが普通の話し方よ?あなたもそうすれば、お互いに歩み寄る一歩になるとは思わない?」

 

 畏まって接していたの人への喋り方を普通に、というのは案外難しい話だ。しかし、マリーの言い分を聞くと、そうも言ってられない。

 やむを得ず、曙光は一度咳払いをして、深呼吸をしてから口を開く。

 

「なら、これでよろしく・・・マリー」

 

 普段の喋り方をするが、若干ぎこちなくなる。

 しかし、マリーは気を悪くした様子もなく微笑んで頷き、右手を差し出してくる。握手を求められていると理解すると、曙光も右手でマリーと握手を交わした。

 

「よろしくね、曙光」

 

 握っているマリーの手は、男の曙光よりも小さい。だが、その繋げた手からは覚悟や意思のようなものを感じ取ることができた。

 

「あ、そうだ。ついでと言ったら何だけど・・・」

 

 手を離してから、曙光はスマートフォンをポケットから取り出しながら話しかける。

 

「これから先、連絡を取ることも多そうだから、アドレス交換しないか?」

「確かにそうね・・・いちいち砂部や祖父江を通してってのも手間だし・・・いいわよ」

 

 納得したマリーも、ポケットから同じくスマートフォンを取り出す。曙光がシンプルなシルバーのものに対し、マリーのはどことなく高級感のするメタリックピンクだ。

 交換し終えると、改めてマリーが曙光を見て笑みを浮かべる。

 

「これからは、同じ志を持つ者同士として、仲良くしましょう」

「ああ」

 

 曙光もその言葉を聞いて、唇を緩める。

 これが、この先両方の陣営が分かり合える一歩となることを、強く願いながら。



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第4話:初めての昼食会

 夜、風呂上がりの曙光は、葡萄ジュースで一息吐いていた。

 BC自由学園は、葡萄の栽培が盛んなマジノ女学園なる別の学校の分校にあたるため、ここでも栽培と加工は主要産業の一つとなっている。葡萄の加工品に関しては、受験組もエスカレーター組も分け隔てなく楽しんでいた。

 ちなみにこの学園艦では、葡萄ジュース以外ではコーヒーもよく飲まれているが、曙光はどちらかと言えば葡萄ジュース派である。

 

「・・・ふー」

 

 冷たいジュースを飲んで、息を吐く。視線は、机に置かれたスマートフォンに向いている。

 今日あったことを思い返すが、どれも曙光にとっては重要なものばかりだ。

 BC自由学園の内乱を止めるために、マリーと結託した。それだけで十分信じられないが、そのために作りあげたモンブランも評価され、これらのことはとても喜ばしい。

 だからこそ、現実味が持てない。

 そして、やり遂げられるかどうかも分からない。

 

(本当に・・・始まるのか・・・)

 

 校外にまで知れている深い因縁を、本当に自分たちで止められるのか分からない。自分たちが蒔いた種ではないし、ずっと昔から埋まらない溝だからこそ、簡単に終わらせるのは難しいだろう。曙光はそれが分かっているし、気がかりだ。

 すると、スマートフォンが電話の着信を告げた。

 

「おっと・・・」

 

 コップを置いて画面を点けると、マリーからの電話だった。迷わずに『応答』をタップする。

 

「もしもし?」

Bonsoir(ボンソワー)、曙光』

 

 電話越しに聞く、夕方ぶりのマリーの声。フランス語で挨拶をしてくるとは、何とも茶目っ気のあるものだ。

 曙光は、こうして女子と電話で話すのは初めてでもない。クラスメイトの安藤や、ほかの仲が良い女子と軽い雑談を交わす程度には慣れっこだ。こういう点は、庶民的な外部生らしいとも言える。

 しかし、エスカレーター組のお嬢様と電話をしたことはない。初めて電話越しに話す今は、物凄く奇妙な感覚だ。決して不快ではないが、どう表現していいのか分からない気持ちでいる。

 

「どうした、こんな夜更けに」

『少し、明日のことを相談したいの』

 

 自分の気持ちを落ち着かせる意味も込めて、マリーに訊ねる。電話越しに聞く声はやや真剣みを帯びており、曙光も次の言葉に意識を集中する。

 

『私とランチを一緒にどう?』

「は?」

 

 集中していたから、突拍子のない提案を聞いて間髪を入れずに返してしまう。

 

『何よ?』

「いや、あまりにも唐突だと思って」

『もちろん、外部生とエスカレーター組を仲良くさせるためよ。こういう時は、まず最初にお互い仲良くしようとする姿勢を見せないと、何も始まらないわ』

 

 説明を受けて、曙光は少し考える。

 いきなり両方の陣営に『仲良くしよう』と言っても、聞く耳を持たない。それは最初にマリーが実践して証明されている。だからまずは、お互いに歩み寄る姿勢を見せて、周りの理解を得ることが先決だと、マリーは判断したのだろう。

 

「ちなみに、場所は?」

『学食よ』

 

 そうだろうな、と思った。

 同時に、一気に不安にもなる。ただでさえエスカレーター組の外部生に対する視線は鋭いのに、そんな彼女たちが集う学食など、ライオンの檻に放たれたウサギ同然。肩身が狭くなるのは目に見えるし、冗談抜きで胃に穴が開きそうだ。想像しただけで冷や汗が止まらない。

 

『このことは、砂部と祖父江にも伝えてあるわ』

「砂部さんたちにも?」

『私以外にもあなたと仲が良い人がいれば皆にも伝わりやすいから。それに、あの2人は信用しているしね』

 

 一対一では、曙光とマリーが同席しても、ただの偶然と捉えられるかもしれない。だが、同席する人の数が多ければその可能性は低くなり、さらに向けられる視線も『拒絶』から『関心』へと変わりやすくなるだろう。その関心の方向がどう向くかは分からないが、この先こともスムーズに運びやすくなるはずだ。

 それならば、と曙光は一つ考える。

 

「なら、俺の友達も1人誘っていいか?外部生も、多い方がいいだろうし・・・」

 

 両陣営の生徒が一緒に食事を摂ることで、周囲の理解を促すのは間違っていないだろう。だが、外部生側が曙光1人だけとなると、『あれは特例』と思われて、効果がいまいち望めないかもしれない。なら、外部生側の人も増やした方がいい。

 

『・・・そうね、その方がいいかも』

 

 その意図を、マリーはちゃんと汲み取ってくれたらしく、納得したようだ。曙光も胸を撫で下ろす。

 

『でも、そうなると分散させた方がいいわね』

「分散?」

『お互いに複数以上だと、エスカレーター組、外部生でグループが分かれちゃうわ。もしお友達を呼ぶのなら、私と曙光、砂部と祖父江とお友達で、分けるべきよ』

 

 自分にとって共通点のある人がいれば、自然とその人と話を多く交わすことになる。それは外部生やエスカレーター組だけでなく、友達、同性など多くの枠組みにも言えることだ。

 

「・・・分かった。それで行こう」

『それじゃあ、明日はよろしくね』

 

 方針が決まったところで、マリーは電話を切る。

 その後もしばしの間、曙光は手の中のスマートフォンを見つめる。

 

(本当に・・・始まるんだな・・・)

 

 ついさっきまで、現実味があまり持てなかった事実を、今度は強く認識する。

 BC自由学園の歴史を変えるかもしれない転換点に、自分は立っているのだ。

 マリーも、電話で話したような策を考えてくれているから、この問題について真剣に取り組んでくれると分かった。さらに、理屈を整然と話してくれたのは、最初にマリーに対し抱いていたイメージとは大きく違う。戦車隊の隊長を務めているのもあるのだろうか。

 ともかく、マリーが真摯に取り組むのであれば、力を貸す曙光も全力で取り組まねばならないと、改めて決意する。

 ぬるくなった飲みかけの葡萄ジュースを飲み干した。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌朝に登校した曙光は、いきなりで申し訳ない気持ちを傍らに、真壁を呼び出した。昨日のうちに電話しておけばよかったが、何分マリーから連絡を受けた後では時間が遅すぎたのだ。

 

「悪いな」

「どうした、朝っぱらから畏まって」

 

 人通りの少ない校舎の一角に呼び出したが、真壁はさして気を悪くした様子もない。

 一方で、曙光はどう話を切り出したものか迷う。この真壁が、外部生とエスカレーター組の諍いをどう思っているのかを考えれば、昼食の同席を頼んでも断られるのは目に見えた。

 どう言うべきかは悩ましいが、一先ず話を始めなければ何もならない。

 

「実は、今日の昼メシなんだけどな・・・」

「昼メシがどうした?」

「向こうの学食で、食べないか?」

「は?」

 

 間抜けのような声を洩らす真壁。その反応も仕方ないと曙光は思う。

 学食と言えば、エスカレーター組の校舎にあるあの悪趣味なメニューの揃う学食以外存在しない。そのメニューだけでなく、周りのお嬢様からの視線が痛くて立つ瀬のない学食など、曙光も真壁も入学当初一度行っただけでそれきりだ。何故今になって、そんな場所へわざわざ行こうとするのか。そんな真壁の疑問がすべて、『は?』に込められていると曙光は理解できた。

 

「すまん、話が急すぎたな」

「急にもほどがあるだろ、どうした?」

 

 理由を聞かれるのは至極当然の流れだ。未だに、自分たちの構想を話すことに若干の抵抗はあったが、マリーは既に砂部と祖父江に計画を明かしている。真壁も曙光の頼みに応じるかどうかはさておき、理由を話さなければ話も進まないから、話すことにした。

 

「実は昨日・・・またマリー、さんと話をしたんだ」

 

 マリーのことは既に呼び捨てにしているが、今はそこまで明かす必要はないと思い、経緯を説明することにした。挨拶のケーキを渡した日のことから、モンブランを作り話をつけ、お互い協力関係を築き、BC自由学園の内乱を止めることを決起したことまで。

 

「マリーさんと・・・」

「ああ。それで、まず何ができるかってことで、お互いに敵意がないことを周りに示すために、外部生とエスカレーター組の人が一緒になって食事をしようってなったんだ」

 

 本来ならば、それをするべきなのはそれぞれの陣営のリーダー格であり、かつ影響力も大きい安藤と押田なのだろう。しかし、あの二人は同じテーブルについたところで、フォーク片手に取っ組み合いを始めかねないので、断念せざるを得ない。

 それに、マリーがエスカレーター組の中で地位が高く注目を集めることが多いのに対し、曙光は外部生の数少ない男子。注目を集めやすいがために、振る舞いに注意すれば周囲にも悪い印象を植え付けることはない。そうすれば、エスカレーター組に対する印象を多少なりとも改善させることはできるはずだ。

 

「・・・なるほどな」

 

 真壁は、そんな曙光の考え―――と言ってもマリーの受け売りもあるが―――を聞き、一応は納得したかのような返事をする。

 

「・・・けど、悪い。ちょっと協力はできそうにないや」

 

 だが、渋い表情で真壁はそう告げた。

 断られることを、曙光はある程度予想していた。真壁は、このBC全体の問題に対して保守的な立場にいる。お互い仲の悪いことに居心地の悪さを感じてはいるものの、自分から進んで関わろうとは思わず、要は現状維持でいいと思っているのだ。付き合いの長い曙光も、その考えはよく分かるし、尊重したい。

 

「そうか・・・悪かったな。変な話して」

「謝る必要なんてねぇよ」

 

 難しい話も終わったことで、お互いの空気も解れる。

 そして真壁の視線は、同情を含むものとなった。

 

「仲良くさせるためとはいえ、災難だな。あの学食で、マリーさんとサシで食べるなんて」

「ああ、いや。サシじゃなくて、砂部さんと祖父江さんも一緒だ」

「何?」

 

 だが、曙光がそう言った途端、またしても真壁が緊張するような面持ちになる。

 

「砂部さんと、食べるのか」

「そうだけど・・・」

 

 確認に曙光が頷くと、先ほど以上に真壁は悩み込む。腕を組み、唸り、ゆっくりと頭を振って考え抜く。

 

「・・・やっぱり無理だ。本当に残念だが」

「お、おう」

 

 たっぷり悩んで、結局答えは変わらなかった。断腸の思いで、と言う点は先ほどと違うが。

 真壁がそこまで迷った理由を、曙光は今更聞き詰めたりはしないが、それでも嫌なものは嫌かと思った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 さて、真壁が同席を断ったことで、曙光は1人でマリーたちと学食で昼食を共にしなければならなくなった。

 調理実習室での授業が終わり昼休みになると、外部生の校舎に戻る真壁たちを見送ってから、曙光は学食へ向かう。

 

(気が重い・・・)

 

 待ち合わせ場所は、学食の目の前。そこまでは当然一人で向かわなければならない。

 マリーにケーキを渡しに行くときもそうだったが、お嬢様たちの視線は痛く、それを自分1人で受け続けるのは相当心に来る。おまけに今から行くのは、そんなお嬢様たちが集う学食と来たものだから、余計に気は進まない。

 また、外部生が学食を全くと言っていいほど使わないのに対し、エスカレーター組はほぼ全員が学食を利用する。昼休みが始まって間もない今、学食へ向かう生徒は多く、その中の曙光は唯一の男子だ。特に悪いことをしているわけではないが、罪悪感は半端ではない。

 

(・・・いた)

 

 そんな中、どうにか学食の近くまで来ると、マリーの姿が見えた。聞いた通り、傍には砂部と祖父江も控えている。

 しかし問題なのは、他の生徒が遠巻きにマリーたちのことを見ていることだった。

 マリーはエスカレーター組の代表格であり、エスカレーター組・外部生の間でも知名度が高いのは知っている。しかしながら、ああして遠巻きに注目を集めているというのは、今の曙光にとっては大きな障害だ。このままマリーに声を掛ければ、周囲からの視線は一層厳しくなるだろうし、ひそひそと陰口を叩かれようものならまず間違いなく胃に穴が開く。学生の身分で胃潰瘍など勘弁してほしい。

 

「あっ、曙光」

 

 だが、そんな曙光などお構いなしに、マリーは曙光の姿を見つけると、声をかけてきた。控えている砂部と祖父江も、笑みを浮かべてくれる。

 けれど、周囲の女子は、怪訝な目を曙光に向ける。内心逃げ出したいが、マリーから声をかけたことで、逆に周囲の疑惑の感情が少し薄れた。マリーほどの人物が親し気に呼んだのだから、『疑惑』よりも『困惑』の方が強いのだろう。

 

「少し遅かったわね?」

「ええ・・・はい」

 

 昨日のように軽い調子で接するマリーだが、それでも曙光は周りの視線を気にし、相槌一つとっても慎重になる。昨日の取り決めも忘れて、つい畏まる形で返事をしてしまった。それに対し、マリーはムッとする。

 

「昨日の話を忘れたの?」

「ええと、忘れてはいないですけど・・・」

 

 口には出せず、周囲の目があるからと、曙光はただ視線で示す。

 そこで砂部と祖父江が、いち早く曙光の視線の意味に気付き、そっとマリーに耳打ちをする。

 

「マリー様、ここは他の方の目もありますから・・・」

「んー・・・それじゃ仕方ないかしら」

 

 祖父江の言葉に、マリーも不承不承であれど一応は納得したように目を閉じる。すると、祖父江と砂部が曙光を見て小さく頷き、曙光も感謝するように笑みを浮かべる。

 そんな挨拶もほどほどに、4人で学食へと足を踏み入れる。

 天井にはけばけばしい装飾のシャンデリアが吊るされているが、食堂全体は柔らかい感じの明るさで満ちている。内装は白をベースとしており、『高貴』『優雅』なエスカレーター組のイメージに拍車をかけている。

 この光景も、曙光には久しく見えるものだ。入学当初に興味本位でやってきて、周りの視線にびくびくした挙句、メニューの高さに辟易していたのを思い出す。

 

「曙光さんは、どうなさいます?」

「ええと・・・」

 

 砂部にメニューを訊かれ、曙光は少し悩んだ末にポトフ定食に決めた。出費は痛いが、必要経費と割り切ることにする。一方で、マリーたちは何の躊躇もなくエスカルゴ定食だのフォアグラ定食だのを頼んでいた。この辺りに、両陣営の価値観の差が垣間見えた気がする。

 そのマリーは、料理も持たず先にテーブルへと向かう。マリーの分は、祖父江が自分の分と併せて持っていくようだが、流石に少し大変そうなので、曙光が脚を動かした。

 

「片方持ちますよ」

「あら・・・ありがとうございます・・・」

 

 断りを入れてから、祖父江が持っていたマリーの分の料理を運ぶ。この程度なら曙光にもできることだ。

 また、この行動が図らずも、ほんの少しだけ周囲の空気を変えた。

 曙光に対するお嬢様のイメージは、他の外部生の例に漏れず『野蛮』『粗忽』だ。しかし、今の曙光の行動が『気遣い』から来るものだとお嬢様は感じ取ることはでき、『一応いいところもある』程度の認識を与えた。

 しかし、そんな空気などお構いなしなエスカレーター組の女子がいる。

 

「おい、貴様!」

 

 マリーや砂部たちと同じ席に着こうとしたところで、穏やかでない声を掛けられた。それはどう考えても自分へのものだと、曙光は即座に把握する。

 無視したかったがそうもいかないので、嫌々振り向くと、案の定押田がいた。いかにも不機嫌そうな顔をしている。

 

「・・・何か、御用でも?」

「御用も何もあるか。なぜ貴様がマリー様と同じテーブルに着こうとする」

 

 もっともな問いかけだろうと思う。

 学食は、別にエスカレーター組専用ではない。外部生にも開けてあるが、メニューがメニューなだけに寄り付かないだけだ。なので押田が指摘したのは、外部生がここにいるからではなく、マリーとのことだ。

 しかし、そこで曙光が何か言おうとする前に、座っていたマリーが押田に話しかけた。

 

「いいのよ、押田。私が個人的に誘っただけなんだから」

「個人的に?」

 

 エスカレーター組の代表・マリーの言葉は説得力があり、内容にも偽りはない。押田にとっても尊敬するマリーの言葉だからか、戸惑いの表情を浮かべつつも疑う様子はない。近くにいる砂部と祖父江の方を見るが、2人とも黙って頷き『本当』と無言で答える。

 しかしながら、押田は解せないらしい。

 

「外部生に個人的な用事とは?」

「この前、ハンカチを拾ってくれたでしょう?その縁もあって、まぁ仲良くしようかしらと思って」

 

 まだ押田には、曙光と結託していることは伝えていないらしい。言ったところで素直に聞き入れないのは分かっているし、特に血の気の多い押田は納得しないだろう。それは曙光も想像がつく。

 

「外部生、しかも男子と仲良くするなんて駄目です」

「なぜ?」

「外部生は皆野蛮、しかも男子はケダモノです。もしマリー様の身に何かあったら」

 

 箱入り娘が集うエスカレーター組らしい意見。周囲で様子を窺っていた一部の女子も、同意するように小さく頷いている。

 押田は、安藤たち外部生の行動派と対立することが多いからこそ、そうしたイメージを強く抱いている。そのような印象は、押田と関りがほとんどない曙光からすれば言いがかりも甚だしく、ムッとする。

 

「心配してくれてありがとう、押田」

 

 しかし、マリーは笑みを崩さないままに、扇子を取り出す。そしてそれを、曙光に向けた。

 

「でも大丈夫よ。彼は悪い人じゃないし、信用もしているから。何も心配する必要は無いわ」

 

 その瞬間、場の空気が静止する。

 エスカレーター組のマリーが、外部生で、男の曙光を、『信用している』と言ったのだ。外部生を信頼するなど、これまでのエスカレーター組ではあり得ないことで、その代表のマリーが言ったものだから、確かな重みがある。周囲の曙光を見る目が、明らかな『驚愕』や『関心』へと変わった。

 流石の押田も、マリーの言葉にどれだけの意味と重要さが含まれているかは理解できたようで、ぐっと言葉に詰まっているようだ。やがて押田は、曙光の方をきっと睨みつける。

 

「・・・マリー様に変な真似をするなよ」

 

 それだけ言って、押田は去って行った。

 すると、緊迫していた空気が緩み、食堂には和やかな空気が戻る。落ち着いたところで、曙光たちもまた席に着いた。マリーの分の食事を持っていた曙光は、注意深くトレーをマリーの前に置く。

 

「気を悪くしないで頂戴ね。押田も悪い子じゃないんだけど」

「まぁ、あれぐらい割と昔も言われてたし」

 

 席に着いたところで、マリーが困った笑みを浮かべるが、曙光はそこまで根に持ちはしない。あの程度の言葉に不信感を抱いても、いちいち憤慨していては本当に気が持たない。ああいう言葉を面と向かって言われるのは初めてだったが、そんな気持ちもあってさほど響いてはいなかった。

 

「あら、マリー様とはそう言った感じで話すんですね」

「・・・あっ」

 

 隣に座る祖父江に指摘されて、気付いた。知らない内に、普通の感じでマリーと言葉を交わしてしまっていた。

 しかし、先ほどのマリーの『信用している』という言葉もあってか、そこまで曙光には厳しい視線を向けられてはいない。同席する祖父江と砂部も同様に、非難しているようではなかった。やはり、エスカレーター組の代表のマリーの言葉は、相当の影響力はあるらしい。

 

「あぁ、責めているわけではないですよ?それだけ曙光さんも緊張してないということですし、こちらとしても安心します」

 

 話をしようにも、食事をしようにも、相手が緊張しているようでは周りも遠慮してしまいがちになる。砂部の言い分も分かる気がした。

 

「マリー様から話は伺っています。私たちと曙光さんたち外部生が仲良くなれるように、協力すると」

 

 祖父江が告げると、正面に座るマリーが頷く。そう言えば昨日の電話でも、2人には既に話をしたと言っていた。

 

「とても良い考えだと思います。私たちも、今の状況をどうしたものかと思っていましたし・・・」

「ええ。お互い仲良くなれるようであれば、できる限りご協力いたします」

 

 祖父江と砂部が積極的な姿勢を見せてくれるのは、とてもありがたい。味方が増えてくれるのは、曙光とマリーにとっては貴重であり、心強くもある。

 また、砂部と祖父江も同様に、BC自由学園の現状を良しとしてはいなかった。同じように胸を痛めてくれているからこそ、この問題により真摯に向き合ってくれるはずだ。

 

「ところで、曙光?あなたのお友達も来るんじゃなかったかしら?」

 

 フォアグラ定食から視線を上げたマリーに問われると、曙光は極まりが悪そうに頭を掻く。

 

「誘ったんだけど、『ちょっと周りの視線が気になる』って言われて・・・」

「あら、残念」

 

 コーヒーを一口飲み、肩を竦めるマリー。

 一方で、砂部と祖父江は形の良い眉を下げて残念な気持ちを示す。

 

「でも、そうですね・・・私たちエスカレーター組の大半は、外部生のことを快くは思っていませんし・・・」

 

 祖父江の言葉に、砂部も頷く。実際曙光も、これまでずっと周囲から容赦ない厳しい視線を浴びせられてきた。今もまだ、曙光のことを訝し気に見る視線をちらほら感じるが、マリーが近くにいるのもあってかさほど厳しくもない。

 

「だからこそ、よ。こうして普通にしていれば、あなたたちがそんなに邪険に扱うような人じゃないってアピールできるわ」

 

 マリーがフォークを手の中でくるくると回す。

 こうして曙光が足を運び、普通にマリーたちと接している姿を見せて、印象を改善させる。先にエスカレーター組の方から改善させるのは、マリーの影響力が大きいからだ。そして、エスカレーター組の意識を改善させた後は、外部生だ。頭ごなしに向こうのやることなすことを否定せず、改めてお互いに理解する場を設ける。

 それが今時点での大まかな計画だ。

 

「今は、地道に積み重ねていくのが一番ってことか」

「そういうこと」

 

 腕を組む曙光に頷くマリー。あまり事を急ぐと逆に失敗してしまうから、堅実に進めていくしかないのだ。

 そこでその話は一旦終いとし、『食べちゃいましょう』とマリーが仕切ると、曙光たちも食事を再開することにした。

 

「・・・・・・」

 

 食品の授業を受けている曙光は、食事のマナーについては一通り心得ている。

 そんな曙光から見ても、やはりマリーや祖父江、砂部の食べ方は上品だ。フォークやナイフが耳障りな音を立てたりせず、咀嚼する音もほぼ聞こえない。食事をする姿勢も整っているし、彼女たちが名実ともに淑女であると思い知らされる。

 

「どうかした?」

「いや・・・3人とも、行儀がいいなって」

「私たちにとっては、これが当たり前なのよ。こういう礼儀作法なんかは、いやでも覚えなきゃいけないし」

 

 マリーの言葉には、曙光も知らないお嬢様の苦労のようなものが見えた気がする。祖父江たちも同意見らしく、こくこくと頷いていた。

 人には人の苦労がある、とはよく聞く言葉だ。曙光も以前は、エスカレーター組に対してそんなことをぽやんと考えた覚えもある。

 この学園艦で、外部生は下に見られる。だが、外部生にとってにっくきエスカレーター組にも、それなりの苦労はあるのだ。良家に生まれたからこそ、仕込まれる礼儀作法、教養、私生活も庶民と大きく異なる。こうして実際に当人から聞くと、改めて実感が湧いてきた。

 今までは敬遠していて気付けなかった事実に、曙光も少し心が締まる思いだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「おう、お帰り」

 

 昼食会が終わり、曙光が外部生側の校舎まで戻ってくると、帰りしなに真壁に声を掛けられた。その声が抑えられているのは、今朝曙光が話したマリーとの結託云々がまだオフレコ段階なのを考慮してだろう。その点の細かい気遣いも、この男はできる。

 

「どうだった?」

「特に大きなトラブルもなかったよ。普通にマリーや祖父江さん、砂部さんと昼メシ食べて、おしまい」

「それだけ?」

「それだけ」

 

 食事の前に押田が突っかかってきたが、あの程度は些末なものだ。エスカレーター組と昼食を共にしたなど、曙光にとって重大な出来事だったのだから。

 どうやら真壁は、何事もなく帰ってきたことが驚きだったらしく、目を丸くしている。

 

「すげぇなぁ。普段を考えれば、全然想像できないぞ」

「そうだな・・・」

 

 話すことはおろか、ただそこにいるだけで痛い視線を投げつけられてきたのだ。そんなエスカレーター組の校舎で、一緒に何事もなく昼食を摂るなどあり得ないことだ。曙光と真壁の立場が逆だったら、同じ反応をしていただろう。

 そこで、今度は真壁がさらに声を潜めて曙光に訊ねる。

 

「・・・砂部さんとも、話したりした?」

「そりゃぁ、同じテーブルにいたし」

「そうか・・・いいなぁ」

 

 羨ましそうに俯く真壁。

 何故にこんな反応をするのか、と言えば答えは単純で、真壁は砂部に気があるのだ。

 砂部が外部生に対して偏見を抱かないのは知られており、その面から彼女が優しい性格なのは窺える。加えて朗らかなのもあって、外部生の男子の間では密かに人気だった。真壁も同じで、エスカレーター組との衝突には保守的であっても、砂部にはそう言う淡い感情を抱いている。

 曙光はと言えば、砂部に対して好印象は抱いても、好意までは抱いていない。単純に、そうした感情を覚えるに至らないだけのことだ。

 

「・・・じゃあ、明日もまた一緒に食べる予定だし、一緒に行くか?」

「ああ、そうだな。行ってみたい」

 

 そんな真壁の気持ちを慮って提案すると、今度は真壁も頷く。

 動機は若干不純かもしれないが、それでもこちら側で味方が増えてくれるのはありがたかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日の放課後、マリーがサロンで寛いでいると、ドアがノックされる。

 

「どうぞ」

「失礼するぞ」

 

 戸を開けて入ってきたのは、他でもない曙光だ。手には、お菓子が入っていると思しき箱を持っている。だが、曙光はマリーにすぐさまその中のものを差し出すでもなく、壁際の棚に置かれたコーヒーメーカーを操作しだす。

 

「コーヒーと一緒の方がいいんだっけ?淹れるよ」

「そうね、お願い」

 

 昨日マリーは、お菓子を食べる時はコーヒーも一緒に嗜む、と話している。それを曙光は覚えていたようで、先にコーヒーから淹れてくれるようだ。手挽きコーヒーの方がマリーは好きだったが、こうして自分から言う前に淹れてくれるだけ上出来だと思う。

 

「今日は何を持ってきてくれたの?」

「フィナンシェって焼き菓子だ」

 

 棚から取り出した皿に、曙光は丁寧に盛り付けをしていく。手のひらに収まるサイズで、内側が少しふっくらとした小麦色の長方形のそれは、仄かに甘い香りがする。

 フィナンシェが載せられた皿がマリーの前に差し出されるのと同時、コーヒーメーカーも完成をアラームで知らせた。それを聞いた曙光は、手際よくコーヒーをカップに注ぐ。その様子を眺めながら、マリーは『ふーん』と感心したように息を吐いた。

 

「割と手慣れてるのね」

「俺たち外部生も、コーヒーを飲むことが多いからなぁ」

 

 外部生の飲食事情はマリーも詳しく知らないが、コーヒーは葡萄ジュース同様この学園艦で分け隔てなく飲まれているようだ。

 そんな事情を新しく知りながら、マリーはフィナンシェを1つ口に含む。

 

「ん、美味しい」

「それはよかった」

 

 口に含み噛んだ瞬間、優しく甘い味が口の中に広まっていく。思わずマリーの表情が綻び、それを見た曙光もまた小さな笑みを浮かべながらコーヒーを傍らに置く。

 ちなみにこのフィナンシェは、曙光が今日の調理実習で作ったものだそうだ。放課後にこうしてマリーと話をするのでせっかくだからと思い、多めに作ったのだという。マリーとしても願ってもないことだった。

 

「・・・なぁ、マリー」

「何?」

 

 コーヒーを一口飲んだところで、曙光が話しかけてくる。

 

「今日の昼に、ああして学食で一緒に昼ご飯を食べたわけだけど・・・進展はあったのか?」

「ええ、一先ずは」

 

 マリーはそこは自信を持って答えた。曙光が視線で根拠を求めてきたので、マリーも一度コーヒーカップを置いて曙光を見る。

 

「あの時、押田には曙光を信用してるって言ったでしょう?」

「・・・ああ」

「あれはきっと、その場にいた他の皆にも聞こえていたはずよ」

 

 マリーがああ言った直後、周りの空気は確かに変わった。『安心』まではいかなかったが、それなりに高い立場にいるマリー自らが信用していると言ったからこそ、曙光の存在はそこまで害あるものとは思われなくなっただろう。それが一過性の可能性もあるが、それはこの先、マリーが曙光といる機会が増えれば改善されるはずだ。

 

「砂部と祖父江も、あなたのことは信用しているし、私も同じよ。普段は姿を見せない外部生のあなたを『信用できる』って言ったんだから、『もしかしたら外部生にもいい人はいるのかも』って、皆に思わせられたと思うわ」

「確実かどうかは・・・分からないよな。そりゃ」

「誰が何をどう思うかなんて、人それぞれだしね」

 

 個人の思考まで完全に把握することなどできない。それに、お互いに染み付いた固定概念のせいで、思考はより凝り固まってしまっている。それを変えるためには、一朝一夕では不可能だ。

 言ってマリーは、フィナンシェをまた1つ食べる。

 

「あなたの他にも、もっと学食を使う外部生の子が多くいれば良いのだけど・・・」

「そりゃ、無理だな・・・お堅いメニューと、雰囲気のせいで」

 

 曙光の言い分も、マリーは分かる。BCの学食のメニューは、一般的なほかの学校とは全然違うと知っているし、値段も高い方なのだろう(マリーたちにとっては何とも思わないが)。そこに庶民的な感性を持つ外部生は納得できず、結果的に校門前で外部生の抗議活動が起きているわけだ。

 そして雰囲気とは、食事だけでなく、エスカレーター組の生徒全体の育ちの良さから来るものもある。曙光が今日の昼食でマリーたちの行儀の良さに少し驚いているのを見て、その部分も影響しているのだろうとは窺える。

 

「雰囲気もメニューも、すぐに変えるのは難しいわねぇ」

「だよなぁ・・・」

 

 いくらマリーが曙光を信用していると言っても、すぐに学食事情を改善させるのは無理だ。言い出したところで反対されるのは目に見える。難色を示すマリーの答えを曙光は分かっていたらしく、苦笑した。

 

「そういえば、普段曙光たちのランチはどうしているの?」

「俺たちは基本、弁当か・・・あるいは屋台だな」

「屋台?」

「あぁ、食事情をどうにかしようと有志がやってるんだ」

 

 外部生の食事情が垣間見えると、マリーの興味が湧いてくる。思わず、フィナンシェに伸ばそうとした手を止めるほどだ。

 

「どんな料理があるの?」

「たい焼きとか豚丼とか、焼き鳥とか・・・ホント、庶民的な料理ばっかりだよ」

「たい焼き・・・豚丼・・・」

 

 曙光から聞かされた料理は、どれもお嬢様としての生活の中で馴染みのないものばかりだ。俄然として興味が湧いてくるし、外部生がどう言ったものを嗜んでいるのかも分かるチャンスだと、マリーは気付く。

 

「曙光、1つ頼まれてもいいかしら」

「?」

「都合のつく時に、その屋台の料理をいくつか私の下へ持ってきてくれる?」

 

 マリーが申し出ると、きょとんとした顔をする曙光。

 しかし彼もバカではないらしく、マリーが外部生側の事情を知ろうとして申し出たことにもすぐに気づいたようだ。『あぁ』と口にして、頷く。

 

「分かった。けど、明日は俺の友達が学食で食べたいって言うから、別の日でもいいか?」

「あら、そうなの?でも、そういうことならいいわ」

「助かる」

 

 マリーも、明日すぐに持ってくるようにとまでは言わない。曙光やその友達と学食で一緒に昼食にするのは、もう少し継続していけばより印象を改善させることにつながるはずだ。すぐに間隔を開けてしまうと、周りには『やっぱり気まぐれだった』と思われるかもしれないから。

 それにしても、とマリーは思う。

 

「断られたって言ったのに、そのお友達は来る気になったのね」

「あー・・・うん」

 

 随分早い気の変わりようだ。曙光もどうしてそうなったのか言わないのが若干気になるが、今はもう少し外部生でつながりを持てる人がいればそれでいい。

 

「そのお友達は、信用できるの?」

「ああ。悪い奴じゃないよ、それは保証する」

「それならいいわ」

 

 唯一と言っていいほどなのは、その『お友達』の性格に難があるかどうかだ。もしも横柄な態度をとるような人だったら、せっかくマリーと曙光が始めた計画が早くもお釈迦になりかねない。それを気にして曙光に聞いたが、どうやら杞憂で済みそうだ。

 だが、答えた曙光は少しばかり不安そうな顔を浮かべている。

 

「何?」

「意外とあっさり信じるんだな・・・その、俺の友達のこと」

 

 そんなことか、とマリーはフィナンシェを飲み込んでから曙光を見る。

 

「言ったでしょう?あなたのことは信用してるって。だから、お友達が悪い人じゃないって言うなら、私はそれを信じるわ」

 

 マリーがその『お友達』を知らないのもあるが、マリー自身は曙光のことを信用している。最初に屋上で和解の道を探ろうと申し出られた時もだが、自分の要望にちゃんと応えて美味しいモンブランを作ってきてくれた。その時点で合格ラインはクリアしている。

 加えて、曙光は若干慎重な面が見られるが、マリーには積極的に協力しようとしてくれている。その姿勢で、十分曙光は信用に足る人物だ。普段見る外部生が、荒っぽい輩が多いため相対的な評価も含んではいるが。

 

「・・・そうか」

 

 しかし曙光は、そんなマリーの評価を聞いて、ほんの少し気恥しそうにはにかむ。

 初めて見るようなその仕草に新鮮さを感じつつも、マリーはまたコーヒーを一口飲んだ。




 学食に向かうまでの間、真壁は居心地の悪さをひしひしと感じていた。
 普段からエスカレーター組の校舎に足を運ぶ時は、どうしても周りの視線を集めてしまいがちになる。おまけに、今から向かう場所は、その視線の主であるお嬢様がうじゃうじゃといる学食だ。早くも心が押しつぶされそうでならない。

「曙光は平気なのか?」
「まぁ、正直緊張はしてる。けど、マリーも砂部さんたちもちゃんと俺たちのこと考えてくれてるし、そこまで怯える必要も無いと思うけどな」

 隣を歩く親友の曙光は、緊張してると言いながらもそんな様子がない。昨日学食でマリーたちと昼メシを食べたと聞いた時は、随分と驚いたものだ。何しろ、それまでは真壁と一緒になってエスカレーター組を敬遠してきたのだから。知らない場所で成長している事実に、若干の嫉妬心を抱いたのも事実だが、それ以上に尊敬の念が今は強い。

「あら、曙光。ごきげんよう」

 そんな風に不安が募る中で、学食の前へと辿り着いた。先に待っていたマリー、そして砂部と祖父江も笑顔を浮かべて真壁たちのことを迎えてくれる。
 だが、案の定周囲の視線は痛い。主に軽蔑と忌避の感情が含まれた視線が、そこかしこから突き刺さるかのようだ。真壁の肝がもう少し小さかったら、この場で胃に穴が開いていたかもしれない。

「言った通り、友達を連れてきたけど、問題ないか?」
「ええ、大丈夫よ。そう言えば、ハンカチを拾ってくれた時、一緒にいたわね」
「・・・真壁です。よろしく」

 柄にもなく、畏まってマリーに挨拶をしてしまう。それぐらいには緊張していた。隣にいる曙光が『お前そんなキャラだったか』と不思議そうな目で見てくるが、知ったことではない。
 さて、学食の入り口は人の行き来が多く人の目も多いので、一同は揃ってまずは席に着くことにした。食べたい定食を注文するのは普通の学食と変わらないが、如何せんメニューが高級感漂うものだし、実際値段も高いせいで判断を鈍らせてくる。結局、迷った末にポトフ定食を頼むことにした。

「じゃあ砂部と祖父江は、真壁と一緒にね」
「分かりました」
「えっ」

 だが、マリーと曙光は別のテーブルに座り、真壁は砂部と祖父江の2人と同席することになったのが、予想外だった。頷いた砂部に反し真壁が声を上げると、説明をし忘れたらしき曙光が『すまん』と顔で謝ってきた。
 気になっている女子と食事を一緒にするのは真壁も嬉しいが、状況が状況なだけに素直に喜べない。これで傍に曙光がいれば多少やりやすいのに、困ったものだ。

「曙光さんと一緒の方がよろしかったかしら?」
「え?いえ、そんなことは・・・」

 あれこれ悩んでいると、砂部から不安そうに訊かれてしまった。思わず手を横に振って否定するが、真壁の気持ちが分かるのか砂部もまた困ったような笑みを浮かべる。

「ですが、マリー様から言われたんです。曙光さんのお友達・・・真壁さんが来た際は、曙光さんと席を離すようにと」
「そうなんですか?」
「ええ。同じ席にしてしまうと、曙光さんと真壁さん、マリー様と私たちでグループが分かれてしまうから、と」

 祖父江にも言われて、真壁は曙光たちを見る。何とも、穏やかな雰囲気でマリーと話をしながら昼食を摂っていた。つい何日か前まで、エスカレーター組の校舎に行くたびにビクビクしていたのが嘘のようだ。

「真壁さんは、曙光さんとは長い付き合いなのですか?」
「あ、はい。ここに入学した時から・・・ですね」

 砂部に問われると、視線を戻しながら答える。この学園では、進級する毎にクラス替えがあるが、偶然にも真壁と曙光はずっと同じクラスだ。
 しかし、同じ受験組の女子と話すのと違って、エスカレーター組のお嬢様と話すのはどうしても緊張する。ましてや、砂部は真壁も気になっている人なので、普通に会話するということ自体が難しかった。

「真壁さんも、そんな緊張しなくていいですよ。確かに私たちは・・・陣営こそ違いますが、あなたたちとも仲良くしたいと思っていますから」

 にこにこと笑う祖父江の言葉に、真壁は少しだけ頭を掻く。祖父江や砂部が、外部生に偏見を抱いていないのは知っていたが、いざ実際に言葉で聞くと少し嬉しい。砂部も同意見のようで、朗らかな笑みを浮かべていた。

「そうですか・・・よかった」

 ようやっと、真壁も安心してポトフ定食に手を付けることにする。砂部と祖父江も、それぞれの定食を食べ始めた。
 だが、こういう時は何か話題の1つでも振らなければならないだろうと、真壁は思う。食事中に雑談をするなど、自分たちの校舎では日常だ。なので今は、相手がほぼ初対面なのもあって、沈黙が気まずい。そしてこういう時、真壁は割とするりと話題が出てくる方だ。

「・・・・・・」

 だが、目の前でエスカルゴ定食を食べる砂部や祖父江の上品な姿を見ると、それができない。集中して絵を描いている人の邪魔ができないように、今の2人の姿を見ると迂闊に話しかけることができなかった。
 すると、もくもくと食べていた砂部が視線を上げて、真壁と視線が合う。

「どうかしました?」
「あ、いや・・・ただ、食べ方がすっごく綺麗だなって」
「あら、ありがとう」

 素直に褒めると、砂部は照れたりはせずにっこりと笑う。祖父江は、ほんの一瞬だけ食べる手を止めたが、すぐに元に戻る。

「私たちは、こうした礼儀作法をずっと教えられてきていたので、それが当たり前だったんです。けれど、いざこうして褒めていただけるのは嬉しいものですよ」
「そうですか・・・」

 その生き方はどこか窮屈な感じがする、と真壁は率直に思う。
 確かにマナーとは、身に付けておいて損は無いし、むしろその方が周りからは評価されやすい。けれど、それを身に付けることを()()()()()()()となれば、心持も変わってくるだろう。

「・・・大変、なんですね。砂部さんたちも・・・」
「まぁ、これが私たちにとっては当たり前ですから」

 フォークを置き、砂部が困ったような笑みを浮かべる。
 その笑みを見て、言葉で聞いて、真壁の中で彼女たちは普段どんな生活を送っているのか、興味が湧いてきた。

「砂部さんたちが受ける授業って、やっぱり普通の学校と違ったりするんですか?」
「基本は普通と同じですよ?ただ、少し変わった授業もあって」
「そうなんですか・・・例えば・・・?」
「そうですねぇ、戦車道は真壁さんたちと同じ外部生の女子も選べますし、後は舞踏や芸術、服飾などでしょうか」

 真壁は、純粋な興味ができたことで、先ほどまで抱いていた緊張を少し忘れられた。
 砂部もまた、真壁の緊張が少しだけ解れたのを感じ取り、だったらと話し相手をし始める。それに、自分たちのことを知ってもらいたいという気持ちがあるからこそ、話は意外とトントンと進められた。
 そして、そんな2人の様子を、祖父江は微笑ましく眺めながら、昼食を続けた。


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第5話:未知の味

 昼休みになると、エスカレーター組の生徒は昼食を学食で摂る。

 しかし受験組は、学食の高価な食事を嫌い、自前の弁当を用意するか、有志が始めた屋台へ赴き庶民的な料理を楽しむ。

 受験組の代表格ともいえる安藤は、基本的に後者だ。エスカレーター組への抗議活動に参加することも多いが、自ら屋台を営む。

 

「はい、お待ちどう」

「ありがとうございまーす」

 

 出来立てのたい焼きを渡すと、買い求めた生徒が笑みを浮かべてお礼を言う。その様子に満足しながら、安藤は次のたい焼きを作り始める。

 

「焼き鳥いかがですか~」

「出来立てのたこ焼き、美味しいですよ~!」

 

 周りから聞こえる、他の屋台の掛け声を聞くと、ここは賑やかでいいものだと心底思える。こうした活気のある喧騒が、安藤は好きだった。

 反対に、エスカレーター組の校舎は静かすぎて落ち着かない。静かすぎると逆にそわそわしてしまうし、それに輪をかけて向こう側の鼻にかけるような高飛車な態度が気に喰わなかった。

 

「どーも、安藤」

 

 そんなことを考えていたら、曙光が顔を見せてきた。つまらないことを考えるのは止めて、安藤も努めて笑みを作る。

 

「よう、曙光。久々な気もするな、こっちに来たのって」

「ああ、そうかもなぁ・・・」

 

 安藤が記憶している限り、これまで曙光は週に2~3回のペースで屋台に足を運んでいた。だが、この1週間ほどは、教室で弁当を食べるでもなく、かと言って別の屋台に行くわけでもない。なので、ここに来たのは随分と久しぶりな感じがする。

 曙光もそんな自覚はあったようだが、『それよか』とポケットから財布を取り出しながら安藤を見る。

 

「たい焼き2つ、いいか?」

「はいよ。100円な」

 

 半ば話題を逸らすような注文だったが、安藤は気にせずたい焼きを用意することにする。

 1個50円のたい焼きは、手間暇を考えればコスト度外視もいいところだ。それは安藤のたい焼きだけでなく、ここの屋台全てに言えることだろう。それでも、安藤を含め全ての屋台の持ち主は、『普通の学生の財布に優しいこと』を第一に考えている。エスカレーター組に対するささやかな反発でもあるこの活動には、赤字など些末な問題だ。

 

「まさかと思うけど、今日の昼をこれだけで済まそうとか言わないよな」

 

 標準的な体形の曙光が、これだけで午後の授業を乗り切れるとは到底思えない。たい焼き二つを渡しながら訊くが、曙光は笑って首を横に振る。

 

「いやいや、それじゃ流石に少ないって。他のもちゃんと買うから、ありがとうな」

「まいどー」

 

 たい焼きを受け取った曙光がお礼を言うと、安藤も挨拶を返す。

 そこで客の流れが少し切れたので、何の気なしに曙光の様子を窺うことにする。丁度、安藤の屋台の2つ隣で、たこ焼きを注文しているところだった。

 

(・・・何でたこ焼きまで2つ買うんだ?)

 

 そこで、引っ掛かりを抱く。たい焼きだけならまだ納得できたが、同じ料理を2つずつ買っているのは少し気になった。

 曙光は別に偏食ではないと、友人の安藤は知っている。それに、いくら標準的な体形でも、それなりに腹に溜まりやすいたこ焼きを2つも買うとは、そこそこに食べる方でなければ難しいだろう。彼が健啖家と言う話も聞かない。

 さらに、恐らく繋がりはないだろうが、気掛かりなこともある。それはここ最近、曙光がエスカレーター組の校舎に出入りする機会が多いということだ。

 元々、学年の男子がご機嫌取りのためにケーキをマリーに渡している話は聞いたことがある。食品の授業もあってエスカレーター組の校舎に出入りする機会があるのも知っているが、曙光はさらにそれ以上に頻度が多い。

 今現在、曙光の周りで何かが変わっているのは明らかだった。

 

「すみませーん、たい焼きくださいな」

「あいよ」

 

 しかしそこで、別の生徒がたい焼きを買いに来た。

 そこで安藤も思考は一旦切り離し、屋台の営業に取り組むことにする。安藤も、同じ外部生に対しては邪険にしたりなど絶対にせず、仲良くしたいと思っていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 安藤が疑問を抱いた、昼の曙光の行動。

 答えは至ってシンプルで、マリーから頼まれたのだ。

 

「持ってきたぞ」

「ありがとう」

 

 放課後、いつものサロンにやってきた曙光は、マリーの前に屋台で買った料理をそれぞれ皿に移して差し出す。

 先日マリーから、『外部生の食べる屋台の料理を食べてみたい』と頼まれたので、今日その約束を果たす形で買ってきたのだ。頼まれた翌日に履行しなかったのは、他のエスカレーター組に、エスカレーター組のマリーや砂部たちと、受験組の曙光や真壁の仲が良いということをアピールする必要があったからだ。

 

「出来立てじゃないから味は幾分落ちてるけど、そこは勘弁してくれよ」

「ええ、分かったわ」

 

 料理はすべて、ここへ来る前に調理実習室のレンジで十分に温め直した。当然、できてから時間が経っているので、たとえ温めても質は落ちてしまう。その点はマリーも理解しているのか、とやかくは言わなかった。

 今日だけではないが、放課後にマリーと会うまでは時間を空けるよう言われている。その理由は、放課後になった直後ではまだエスカレーター組の生徒が大勢残っているのと、マリーが戦車道の練習があるからだ。なので、曙光自身はマリーに会うまで時間に余裕があり、その間にケーキやら料理の準備をする時間ができた。

 

「これは何?」

「たい焼きだ」

「へぇ・・・面白い形をしてるのね」

 

 まずマリーが興味を持ったのは、安藤謹製のたい焼き。彼女が作ったとは言っていないが、それでも鯛の形をしたこの菓子は興味をそそられたらしい。

 ただ、大真面目に『ナイフとフォークを頂戴?』と言われた時は失笑してしまった。ただ、それは手で食べるものと説明するのも野暮かなと思い、念のため用意しておいた食器をマリーへと手渡す。

 すると、マリーはまるでステーキでも食べるかのように、ナイフとフォークで上品に尻尾の部分を切り取る。そして静かに口へと運ぶが、そういう食べ方をされると庶民の食べ物までセレブのものに見えてしまうから不思議だ。

 

「・・・不思議な味ね、だけど美味しい」

 

 一口食べたマリーは、じっくりと味わうように目を閉じる。出来立てなら生地もサクサクとしたものだが、一度冷めたものを温め直すとどうしても柔らかくなってしまう。それでもマリーは気に入ってくれたらしく、一口目を食べ終えればすぐにまた一口を食べていた。

 気に入ったようで、一先ずは安心しながら次の料理を準備する。

 

「それは何?」

「たこ焼き」

 

 たい焼きを上品に食べ終えたころ合いを見計らって、曙光はたこ焼きを差し出す。舟を模した器に載ったそれも気になるようで、まじまじと眺めている。『美味しそうな香り・・・』とマリーが呟いたのも、聞き逃さなかった。

 一応、食べるための爪楊枝も添えておいたのだが、マリーはたこ焼きにフォークを差してそのまま口に運ぶ。普段から爪楊枝で差して食べる曙光からすれば、フォークでたこ焼きを食べるマリーがとてもシュールに見えた。

 だが、そこで曙光は『あ』と思い出す。

 

「熱いかもしれないから気を付けて―――」

「あふっ!?」

 

 注意も空しく、マリーは顔を真っ赤にして身悶えた。温める時間はたい焼きと同じぐらいにしたはずだが、一口に収まるサイズでは温まる程度も違うらしい。

 とりあえず、未だ悶絶するマリーに水を差しだし、マリーはそれを一息に飲み切る。あれではたこ焼きの味も分からないだろう。

 

「もっと、早く注意して、頂戴・・・」

「悪い」

 

 今回のことは、曙光のミスなので素直に謝る。コップ一杯の水を飲み、ようやくマリーも落ち着いた様子だ。

 

「マリーは普段、こういう熱い料理とか食べたりしないのか?」

「そうね。大体が『温かい』って感じのものだから、驚いちゃった」

 

 言われてみれば曙光も、ここ最近学食で食べる高級感ある料理は、いずれも『温かい』が主なイメージな気がする。コーヒーは別だろうが、『熱い』とは意外と庶民的な料理でしか味わえない感覚のようだ。

 今度はマリーも、息を吹いて冷ましてから一口食べる。

 

「ん!美味しい!」

 

 今度はちゃんと適温で食べられたらしく、また味も気に入ったようで、ぱっと表情が明るくなった。

 そんな様子を見ていると、曙光も少し気持ちが和む。こうして誰かが、自身に馴染みのない料理を食べて、今のマリーのように嬉しそうな表情を浮かべているのを見ると、自分もまた嬉しくなる。どちらかというと食品を作る側にいる曙光も、その姿に自然と唇が緩む。

 

「でも、ちょっと味が濃いかしら」

「まぁ、屋台の料理は大体そんなもんだ」

 

 屋台の料理に限らず、曙光たちが普段食べる料理の味付けは割と濃い。学食の料理はそこまで濃くないので、ああいった料理に慣れていると、このたこ焼きのような料理は新鮮に感じるのかもしれない。曙光からすれば、逆にこうした料理に慣れ親しんでいたので、学食の料理に物足りなさを抱いたものだ。

 

「曙光たちは、こういうのを普段食べてるのね」

「大半はな。毎日ってわけじゃないが・・・」

「ふーん・・・たまになら、こういうのもいいかも」

 

 最後の1つまで食べ終えたマリーは、満足したように目を細める。

 だが、曙光はそのマリーの口元にソースが付いているのに気付いた。

 

「子供じゃないんだから・・・」

 

 曙光は呆れながらハンカチを取り出し、その口元のソースを拭き取る。

 一方で、拭いてもらったマリーは、何やら驚いた様子で曙光のことを見ている。視線に気づいた曙光は、『どうした?』と訊いてみた。

 

「いつもそうやって拭く時は、砂部や押田は『失礼します』って断りを入れてから拭いてくれるの。だからびっくりしたわ」

「とりあえず、砂部さんたちがどれだけ苦労しているのかは分かった」

 

 これでは『お嬢様』と言うより『お姫様』だと思う。そんな彼女の世話をする砂部たちには同情した。

 そして最後に、マリーに焼き鳥を差し出す。買った時のまま串に刺さっており、それを一目見てマリーはきょとんとしたが、恐る恐る串を手に取って、香ばしい焼き鳥を口へ運んだ。

 

「んー、これも美味しいわ」

「それは何よりだ」

 

 これにもマリーは、微笑みで美味を表現する。これだけ良い反応を見せてくれるのだから、作っている側も知れば嬉しいことだろう。エスカレーター組の代表が食べているという時点で、信じられないかもしれないが。

 そうしてマリーが焼き鳥も食べ終えたところで、曙光は問う。

 

「今日持ってきたのはまだほんの一部だけだけど、美味しかったか?」

「ええ。けど、ちょっと味が濃いのが気になるかしら」

「なら、少し味を薄めれば、エスカレーター組にも受け入れられるかもしれない・・・と」

「私はそう思うわ」

 

 全体的に高評価を貰えたが、ネックになるのはその味の濃さらしい。

 しかし、味を薄める方法はいくらでもあるにせよ、先ほどマリーが食べていたような料理は味が濃くてなんぼのものばかりだ。あまり薄味を希望すると、元々の風味を大事にしたい外部生からは顰蹙を買いかねない。

 

「曙光はこういう料理は作れるの?」

「あまり得意じゃないな・・・菓子類は得意だし、他もまあ作れるけど、こういうのはまたちょっとした技術が要るし」

 

 生活費の節約のために自炊する曙光は、簡単な家庭料理程度なら作れる。菓子を作る技術も、将来を見据えて会得していた。だが、屋台で安藤たちが作るようなたい焼きやたこ焼きなどの特殊な料理は、曙光も作れない。試しに味を薄めたものを作ろうというのも、無理な話だった。

 

「明日はどうする?また持ってこようか?」

「んー・・・明日は普通にまた学食で食べましょうか。もう少し、私たちが平等に接していることをアピールしなくちゃいけないし」

「分かった」

「また今度、別の料理を持ってきて頂戴」

 

 お互いのことを理解し合うのと同時に、周囲にも理解してもらえるように行動しなければならない。その兼ね合いから、明日はまた先日のように学食で食べることになった。

 ただ、マリーが『次』も期待しているのは、それだけ屋台の料理に興味を持ち、また気に入ってくれたのだと、理解した曙光は少し嬉しい気持ちだ。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌朝。

 

「曙光、ちょっといいか?」

 

 登校したばかりの曙光に声を掛けてきたのは、安藤だった。

 しかしその声は、普段接するような気さくなものではなく、やや鋭いもの。穏やかでないのは感じ取れたので、曙光も大人しく従うことにする。

 安藤に連れられて辿り着いたのは、屋上だった。エスカレーター組の校舎と違い、屋上の扉はただの鉄扉だし、塗装も所々剥げている。

 

「珍しいな、安藤が呼び出すなんて」

「いや、なに。少し気になることがあってな」

 

 落ち着いたところで曙光が話しかけると、安藤は振り向いて唇を緩める。

 その態度は普段と変わらないようにも見えるが、彼女の三白眼は曙光の些細な変化も見逃さないとばかりに光っている。最初に呼ばれた時点で分かっていたが、あまり喜ばしい話ではなさそうだ。

 

「気になること?」

「ああ。最近、曙光が昼休みになると姿を消したり、屋台の買い物の量が増えたり。それに、放課後はエスカレーター組の校舎にも割と頻繁に行ってるって噂も聞いたんだ」

 

 口元こそ笑っているし、表情も若干惚けた調子だが、一言一言に疑念が混じっている。

 安藤の『気になること』を聞いて、曙光も息を呑む。自分の行動は、事情を知らない安藤にも察せられてしまうほどに、目立っていた。

 

「で、だ。曙光、単刀直入に訊くぞ。何か企んでないか?」

 

 真っ直ぐに、問われる。嘘や誤魔化しは効かないと、直感で悟る。

 かと言って、正直に答えるのも憚られた。安藤は、外部生組のリーダー格。曙光のやろうとしていることは、待遇改善を目指す彼女とは少し道がズレている。

 それと、マリーに被害が及ぶのも避けたい。自分がマリーに頼んで協力してもらったのに、自分のせいでマリーまで悪く言われてしまうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。かと言って、この状況でだんまりとは得策ではないだろう。

 

「分かった、話す・・・。だけど、約束してほしい」

「?」

 

 だから曙光は、素直に明かすことにした。

 しかしそのうえで、1つだけ条件を示す。

 

「もし責めるのなら、()()()を責めると」

 

 責めるな、とは言わない。この学校の事情と、自分が置かれている立場を考えれば、それは到底無理な話だから。

 だからこそ、それが今できる曙光にとっての最大の妥協だ。

 安藤も、その言葉で曙光が並々ならぬ事情を抱えているのが窺えたのか、静かに頷いた。

 

「・・・分かった」

 

 頷く安藤。それで曙光も、少しだけ気持ちが軽くなる。

 ただ、自分のしていることがグレーラインにあることを考えると、慎重に言葉を選びつつ話すのを念頭に置かなければならない。

 それを踏まえ、曙光は口を開く。

 

「マリーと協力して・・・俺たち受験組とエスカレーター組が、どうにか仲良くできるようにしている」

 

 口にした途端、安藤は目を見開いた。案の定の反応だと思う。

 

「・・・お前、あの人と知り合いだったのか?」

「最近知り合った・・・。まぁ、きっかけは置いといて、あの人も何とかお互いに和解できないかって思っていて、俺はその話を聞いたんだ」

「・・・で、協力することになったと」

 

 曙光は争いごとが好きではないし、この学校の情勢においても中立的な立場を取っていた。安藤だってそれは知っていたはずだし、だからこそその曙光がマリーとコンタクトを取っていたことに、驚きを隠せないのだろう。

 

「エスカレーター組の校舎の出入りが多いのは?」

「マリーと会って話をすることが多いんだ。昼メシの時は、受験組にも大人しいのがいるっていうのと、お互いに仲がいいことをアピールするためにな」

「ほー・・・」

 

 今のところ、安藤は曙光に対して悪い印象を抱いている風には見えない。

 しかし、どことなくムッとしている感じがする。同じ受験組の仲間が隠れてコソコソエスカレーター組と仲良くしているのは、さほど面白くないのだろう。

 

「屋台の料理を多めに買ってたのも、俺たち受験組が普段食べているものの良さを少しでも知ってもらうためだったんだよ」

「なるほどな・・・」

 

 一応、気になっていたところが明らかになったので、安藤は納得したように腕を組んで頷く。

 

「だが、納得がいかん」

 

 そして、そう返した。

 これぐらいで納得してもらえるとは曙光も思っていなかったが、ひりつくような雰囲気を安藤は醸し出している。曙光も口をつぐんだ。

 

「お前が、エスカレーター組に利用されてるって可能性は?受験組の曙光を懐柔して、エスカレーター組の仲間を増やし、より盤石な体制を整えるため、とか」

 

 協力を申し出たのは曙光だが、それはマリーの意思でもある。今こうして協力するまでには、マリーの好物を持ってくるなどの経緯があったが、今の段階で曙光はマリーと対等な関係にあると思っている。

 しかし、安藤の疑念も至極尤もと言える。安藤はエスカレーター組と衝突する機会が多いから、簡単にエスカレーター組を信用できないのだ。2人が協力していると言うより、曙光がマリーに篭絡されたと言う方が考えやすいのだろう。

 

「それと、曙光のやっていることは、言うなら話し合いだろう?そんなので解決するようだったら、今日まで私たちは下に見られてない。結局は私たちが訴え続けないと、変わらないんだよ」

 

 今まで長い間続いている闘争が、話し合いで済めばどれだけいいだろう。

 しかし、それだけで改善されるようであれば、誰も苦労はしない。加えて安藤も、エスカレーター組の連中が自分たちを小ばかにするような視線で見てきたのを、思い知っている。

 この深い因縁が、話し合い程度で済むはずがない。

 

「・・・・・・」

 

 安藤の言い分も、曙光は分かる気がした。

 もっと言えば、曙光は本来安藤たちと同じ立場にいる人間だ。諍いを嫌がる平和主義者でなければ、安藤たちのように抗議活動に勤しんでいたことだろう。

 しかし、今の曙光は安藤のような考えではない。

 

 ―――ああして喧嘩しているのを見ると、『仲良くすればいいのに』とは思うけどね

 

 あの時のマリーの言葉は、裏があるようには聞こえなかった。

 それからも、マリーには曙光をだまくらかして利用しようとしている風にも見えなかった。協力してくれている砂部と祖父江だって、利害得失を考えて動いているようではない。それさえも全て演技なら大したものだが、今の曙光は彼女たちを信じている。

 

「・・・少なくとも、マリーはそうじゃないと思う」

「何?」

「俺を利用して、有利に事を進めようとしているとか、そんな風に俺は見えなかった」

 

 無意識に自分の手が握られている。

 曙光たち外部生の扱いを考えれば、安藤のような言い分も仕方ないとは思っている。けれど、その固定概念こそ改めなければならないと、曙光は考えていた。

 

「・・・・・・」

 

 曙光に言われて、安藤も口を閉じる。

 安藤は、マリーと同じく戦車道を履修している。加えて、受験組のリーダー格なのもあり、戦車隊では受験組で構成された部隊の隊長も務めていた。

 その安藤から見たマリーと言えば、いつもケーキを片手にふわふわとした感じで状況を眺めている。時折下す指示は一応の要領を得ていても、隊長としては威厳が足りない。実績と能力があって隊長に就いたのは知っているから、一概には侮れないし、あんな風体でもエスカレーター組では慕われている。

 そんなマリーのことを、敵対する外部生のはずの曙光も信用している。曙光の目や言葉からは、それが騙されたり篭絡されたからといった盲目的なものではないと、伝わってくる。戦車道で養われた勘も含めて、それを安藤は汲み取れた。

 

「それに、今までと同じでいるのも、駄目だと思う」

「今まで?」

「安藤たちが、俺たちの待遇を改善しようと頑張ってくれているのは分かってる。けど、向こうは全然気にもしない。そうじゃなかったら、受験組の待遇も今とは全然違ったはずだ」

 

 エスカレーター組に少しでも聞く耳と考える頭があれば、毎日のように続く抗議活動にも意味はあるだろう。それこそ、話を聞く姿勢を取ったり、友好条約を結ぼうとしたり、何かしらのアクションを向こうも起こすはずだ。

 だが現実は、双方とも何度代替わりをしても状況は一向に変わらず、エスカレーター組は冷ややかな視線を向け続けるだけ。進捗など無いに等しく、泥沼化している。

 

「だけどマリーは、お互いに仲良くなれるようにって考えているし、実際に行動もしてくれてる。これは、大きなチャンスだと思うんだ」

 

 これまでも、マリーと同じことを考えているエスカレーター組の人間はいたかもしれない。だが、マリーほどの立場でそのことを考えている者は、恐らくいなかったのだろう。

 エスカレーター組の代表が、現状を憂いて協力してくれる。これは受験組にとって考えられないことで、転機と言っても過言ではない。自ら活動の陣頭に立つ安藤も、それがどれだけ重大なことかは分かる。

 安藤は腕を組み、曙光の言葉をよく考える。

 

「・・・できるのか?本当にそんなことが」

「今はまだどうなるか分からない。けど、精いっぱいのことはやりたいと思う」

 

 流石に今の段階から、実現することができるかは自信を持って答えられない。それでも今、できる限りのことを全てやり遂げる覚悟はある。

 

「・・・分かった。そこまで言うのなら、やってみろ」

 

 やがて安藤は、肩を竦めて笑った。

 一応は認めてくれたらしく、曙光も少し緊張がほぐれる。だが、安藤は『ただし』と付け加えた。

 

「私たちはこのまま抗議活動を続ける。だから、曙光は曙光で、マリーさんと話を続けていい」

「・・・助かる。ありがとな」

 

 安藤と曙光のそれぞれが、別の方向からアプローチを仕掛けて事態の改善を図る。それについては曙光も賛成だ。自分の行動がどう転ぶかは分からないので、安藤たちにも抗議活動を続けてもらえると、多少気は楽だ。

 頷くと、安藤は曙光の肩を叩く。

 

「・・・お互い、頑張ろう」

「ああ」

 

 安藤は気さくに笑ってくれる。

 ここが彼女の良いところだなと、曙光も改めて思った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「すまん」

 

 その日の放課後、曙光が平謝りをしてきた。

 いつものサロンでの突然の行動に、マリーはダックワーズと呼ばれる菓子を咥えながら首を傾げる。

 

「俺たちが会って、お互いに仲良くなれないか話してるってこと、安藤に話した」

「あら」

「その・・・俺が色々動いているのがバレて、安藤に訊かれて隠し通せる気がしなくて・・・」

 

 同じ戦車道を履修しているのに加え、安藤は外部生の部隊長だ。だからその人柄をマリーも十分に理解していた。

 なのでマリーは、ダックワーズを食べ終えても、いつも通りのゆったりとした笑みを保つ。

 

「まぁ、私たちのことって、周りから胡散臭くも見えちゃうわよね」

「そうなんだよな・・・けど、安藤からは認めてもらえたから、一先ずは問題ないと思う」

「そ。けど、この先はちょっと難しそうね。もっといろいろ食べてみたかったけど・・・」

 

 マリーとしても、自分たちの行動がただでさえ目立つ上に、屋台の食べ物を持ってきてもらうのは少々リスキーと把握していたらしい。今後、学食で食べるのは続けるにしろ、他の外部生にも目につきやすい屋台へ行くのは、控えた方がよさそうだ。

 

「けど・・・マリーに相談しないで安藤に話したのは、本当に悪かったと思う」

「どうして?」

「真壁と違って安藤は受験組のリーダーで、抗議活動もしてる。そんな立場の奴に話したりしたら・・・マリーにも何か迷惑が掛かるんじゃないかと思ったから。本当に、ごめん」

 

 続く曙光の弁明に、マリーは手を止めた。

 明かした相手の立場を考えれば、謝るのも当然と思う。せっかくの積み重ねがご破算になるかもしれないと案ずるのも仕方ない。

 しかし、マリー1人のことを考えてくれていたのは驚きだ。

 協力するためとは言え、マリーのためにモンブランを作ってきてくれた時もそうだったが、この曙光という男は存外マリーのことを考えてくれている。BC自由学園に和平を、という大きな目的があるのは確かだが、マリー本人を心配しているのが今の言葉で分かった。

 何だか、新鮮な気分だ。

 

「・・・まぁ、いいわ。今回はお咎めなしだったんでしょ?」

「面目ない・・・気を付ける」

 

 反省する曙光の言葉に頷いて、マリーも最後のダックワーズを食べ終える。口元を拭き終えて、マリーは『ご馳走様』と曙光に言葉を掛けた。

 

「ねぇ、曙光」

「ん?」

「今度の日曜、寄港日でしょう?」

 

 マリーが言うと、曙光は棚の上に置かれたカレンダーを見る。その日はマリーの言う通り、学園艦が寄港する日だ。母校ではないが、そこそこ大きな港町で、外部生たちは早くも休日の計画を立てている。

 曙光はカレンダーを見て理解したらしく、『そうだな』と気楽そうに呟いた。

 

「もし曙光さえよかったらなんだけど、その日一緒に出掛けない?」

「え?」

 

 ただ、マリーの言葉は予想外だったらしく、曙光はポカンとした視線を向けてきた。

 

「また急に、どうして?」

「純粋な興味、かしら。ここ最近、受験組のあなたと色々話したりして、少しずつ知ってきているけれど、お休みの日とかはどう過ごしているのか気になったの」

 

 マリーが曙光と知り合ってから、そこそこ日にちは経っている。ただ、話をするにしても、授業の合間の学食や、こうして放課後に会う時だけで、完全なプライベートの時間をどうしているのかは分からない。

 休日一つとっても、身分の差と言うものは出るだろう。マリーはその点が気になる。

 

「後はまぁ、親交を深めるということで」

 

 それに加え、マリーは自分で言うのもなんだが、曙光ともそれなりに仲良くなれたと思っている。仲が良い人同士で休日を一緒に過ごすのは、エスカレーター組でもよく見られるし、それと同じ感覚で曙光と休日を過ごしてみたいと思ったのだ。

 

「まぁ、もう曙光が誰かと約束をしているのなら、無理にとは言わないわ」

「いや、それは大丈夫だけど・・・」

 

 質問に曙光はやや食い気味に答える。それを聞いて、マリーは安心した。

 

「それじゃ、一緒に出掛けましょう?」

「・・・ああ」

 

 改めて約束が決まると、マリーはコーヒーを一口飲む。

 ただ、ほろ苦くて温かいコーヒーを口の中で転がすように味わいながら、マリーは少し考えこむ。

 曙光は、屋台の料理を持ってきたり、ケーキを作ってくれたりと、マリーの期待に応えてくれている。それに対し、マリーは評価すると同時にある程度の感謝の念も抱いていた。

 自分の中に仕舞い込んでいた、お互いに仲良くなってほしいという思いを、曙光は掘り起こした。そのことに責任感もあってか、曙光は自分のために動いてくれている。口だけでなく、行動が伴っていた。

それを見ていると、この学園に和平をもたらすことが『できるのではないか』と思わせてくれる。一分の不安もあるが、一度自分が諦めたその目標を実現させられると思えるようになって、マリーは気持ちが幾分か軽くなっていた。そこに、マリーは感謝しているのだ。

 また、曙光に対して友情や親しみを抱いているのも事実だ。昨日屋台の料理を食べていた時も、曙光はマリーに対し堅苦しい態度で接してはいない。親しい男友達と言うものに縁がなく、また気楽に接し接せられる人間といられるのは、実に心地よい。

 だからこそ、そんな曙光のことをもっと知りたい。

 気が早いかもしれないが、マリーは曙光と出かけられる日が、とても楽しみだった。




 曙光が安藤と屋上で話した日の昼休み。いつも通りに曙光と真壁は学食へ向かい、マリーや砂部、祖父江と待ち合わせて昼食を摂ることになっていた。
 この五人で集まる際、テーブルは最初の予定通り分けており、その組み合わせは日々異なる。この日のテーブルの組み合わせは、曙光とマリー、真壁と砂部と祖父江と分けることになっていた。

「マリー様、お隣失礼しますね」

 だが、席に着こうとするタイミングで、マリーの隣に祖父江が座った。マリーの向かい側に座る曙光は、急にどうしたのかと驚く。

「あの2人は、今は2人きりにさせた方がよさそうで」

 笑みを浮かべて、祖父江は真壁と砂部の方を見る。
 曙光とマリーもそちらを見ると、そこには穏やかな様子で談笑する真壁と砂部の姿が見えた。どうやら2人での会話を楽しんでいるらしく、他人が入り込む余地など無いようにも見える。周りから、軽蔑とも興味とも違う妙な視線を向けられているのにも気づいていないようだ。

「・・・確かに、そっとしておいた方がいいかもですね」
「うん」

 曙光とマリーも頷き、あの二人に関しては今は干渉するべきではないと結論付ける。
 そして、祖父江を含めた3人で食事を始めた。

◆ ◆

 そんな風に(良い意味で)距離を置かれているとは知らず、真壁は砂部との昼食を大いに楽しんでいた。

「じゃあ、真壁さんは菓子職人を目指してここに?」
「まぁ、学費が安いのもあったし、喧嘩については多少目を瞑っていれば我慢できたから・・・」

 1週間程度で、真壁は砂部とかなり打ち解けられた自覚がある。最初は砂部に対して敬語が抜けなかったが、今は砕けた口調で話せていた。だが、曙光のように気の置けない親友相手にするような素の口調はまだ少し怖い。
 そして、話をしている内に、砂部はかなり聞き上手な性格をしているとも分かった。こうして2人で話をして、話題を提供する確率は半々だが、相手の話を聞いて相槌を打つのは砂部の方が上手い。真壁も人の話を聞いていて、反応に困る時は有耶無耶な返事を返してしまうが、砂部はそんなことはなく親身になって聞いてくれる。これも、お嬢様として身に付けた素養なのだろうか。

「・・・やっぱり真壁さんも、この学園の諍いには、胸を痛めてるんですか?」
「そりゃあ、ね。ここにいる以上は嫌でも目にしたり、話に聞いちゃうし・・・」
「そうですよね・・・」

 だが、自分の受け答えで話が悪い雰囲気に流れつつあるのは、流石の真壁でも察せた。
 なのでここは、自分で話の流れを変えるに限る。

「でも、ここに来たから菓子の技術は上達したと思う。ちゃんとしたカリキュラムが組まれてるから、勉強もできるし」
「あぁ、そうですねぇ。それは確かに、この学校を志望する方が多く仰ってます

 その真壁の意図を察してか、砂部も笑顔を見せて話に乗ってくれる。悪い流れは断ち切れたようで安心だ。

「真壁さんも、授業でお菓子を作っているんですよね?どんなお菓子が得意なんですか?」
「うーん・・・洋菓子ならマカロンなんだけど・・・和菓子の方が得意なんだよね」
「和菓子、ですか?」

 率直な意見を聞いて、砂部が首を傾げる。
 BC自由学園は確かに製菓関連に力を入れているが、洋菓子がメインのイメージが強い。なので、真壁が和菓子が得意と言うのも珍しかった。

「洋菓子も得意と言えば得意なんだけど、和菓子の方が性に合ってるって言うかな。ただ、授業は大体ケーキを作ることが多くて、作るのは休みの日の趣味ぐらいなんだけど」
「そうなんですか・・・和菓子を・・・」

 すると砂部は、フォークを置いて実に興味深そうに真壁の方を見る。朗らかな笑身を浮かべている印象が強い砂部からは、少し想像がつかない表情だ。

「恥ずかしい話なんですけど、私・・・お菓子を食べるのが好きなんです」
「そうなんだ?」
「ええ。ケーキも好きなんですけど、真壁さんから和菓子と聞いたらすごく興味が湧いてきて・・・」

 お菓子好きとは、また新しい一面を見て得をした気持ちになる。
 そして、だからと言って何もしないほど真壁も朴念仁ではなかった。

「それだったら、今度作って持ってきてあげるよ?」
「よろしいんですか?」
「もちろん。誰かに食べてもらえるのは嬉しいし、作ること自体はそんなに手間でもないから」

 菓子作りには、真壁は絶対の自信を持っていた。半端な出来のものは他人に食べさせないし、自分で納得がいかなければ納得いくまで技術を磨き続ける。将来職人を目指す者として、そこには一切の妥協を持ち込まない。
 それと同時に、誰かに自分の作った菓子を食べてもらえるのは本当に嬉しい。調理実習の時間もそうだが、誰かに食べてもらって感想を貰うことは、自分の成長にもつながる。相手がお菓子が好きだと言って、かつ意中の人であればなおさらだ。

「では・・・今度、いただいてもいいですか?」
「ああ、もちろん」

 砂部がにこっと笑う。
 その柔らかな、温かい笑みを見ると、真壁の心が掴まれるような感覚になる。改めて、自分が砂部を好きなのだと改めて認識させられる。

「・・・それと、砂部さん」
「はい?」
「その・・・」

 だからこそ、今のような平行線の関係を続けることに、気を揉んでしまう。それを打破するために、こうして昼食の時間に会話をするだけでなく、他の時間も一緒に過ごして仲を深めたいと思う。
 ぶっちゃけ、デートしたい。
 幸いにも、次の日曜は寄港日だ。出掛け先に困ることはないし、デートと言わないにしろ一緒に出掛けるだけなら大丈夫かもしれない。

「・・・ごめん、何でもないや」
「そうですか・・・」

 だが、誘う直前になって怖くなった。
 やはりどれだけ砂部のことが好きでいても、身分の差はどうしても埋まらないし、それを理由に拒絶されることが怖い。分かる限りの砂部の性格からその可能性は低いのだが、性格や理由云々を抜きにしても断られるのが恐ろしい。
 結局、自分から切り出した話を自分で打ち消してしまい、砂部からも怪訝な表情を向けられた。


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第6話:戸惑いの休日

 寄港日を控えた夜、古文の課題を終えた曙光はぼーっと天井を眺めていた。

 明日は休日、久々の寄港もあり生徒たちは港町で買い物なり観光なりを楽しむことなのだろう。曙光も前までは、そう言う過ごし方をしていた。

 しかし明日は、マリーと一緒に、という点で大きく異なる。

 女子と出掛けることは、別に初めてではない。しかし2人だけで、しかも相手がエスカレーター組のお嬢様となれば前例もない。気を揉んでしまうのは、誰にも責められないだろう。

 そんな折、脇に置いていたスマートフォンが電話の着信を告げる。相手は真壁だ。

 

「もしもし?」

『おう、曙光。悪いな夜遅くに』

「いや、大丈夫だ」

 

 挨拶も手早く、真壁は本題を切り出してくる。

 

『明日寄港するし、休みだろ?どこか行かないか?』

「あ・・・悪い。パス」

『ありゃー・・・何か予定でもあったか』

 

 訊かれるが、答えに詰まってしまう。

 真壁は、曙光がマリーと一緒に色々と動いているのを知っている。なので、素直にマリーと出掛けると言っても特に怒ったりもしないだろう。だが、休日に2人きりで出掛けるという点について突かれる可能性が高い。その方がよほど面倒に感じた。

 

「・・・まあ、ちょっと個人的な用事が」

『ふーん・・・じゃあ、仕方ないか』

 

 適当にはぐらかすと、真壁は一応納得してくれた。安心と同時、騙して申し訳ないと思ってしまう。真壁の用件はそれだけだったらしく、電話は『おやすみー』と最後に掛け合い電話は切れた。

 曙光は、今一度溜息を吐く。

 

(どうなることやら・・・)

 

 初めてのこと故に、何が起きるかは分からない。

 しかし、一度約束した以上は取りやめることもできない。マリーから『親交を深める』と言われたし、それは曙光と仲良くなりたいということだろう。そう言われたこと自体は嬉しいし、それは曙光も同じ気持ちだ。

 以前安藤から言われた言葉とも違うが、曙光はマリーが自分のことを単なる『協力者』としか見ていないものと思っていた。だから、そうした関係に言及し、さらにこうして約束を申し出てくれたのは、正直に言って嬉しい。

 だから、明日のことはむしろ楽しみ、という感情が近い。

 そんな気持ちを抱きながら、布団に入ることにした。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 深夜のうちに学園艦は港に着き、日が昇れば乗下船も可能になっていた。

 BC自由学園艦は、乗降口もエスカレーター組と外部生でそれぞれ分かれている。学園艦の土地そのものが分かれているので、別々なのは仕方ないとも言える。

 なのでこの日、曙光とマリーが待ち合わせをするのは、港町の中心にある噴水広場だ。

 

「今日どこ行こっか?」

「モールとかあったっけ」

 

 同じく受験組の女子のグループが、これからの予定を相談しながら下船していく。

 そんな会話を聞き流しながら、曙光は港に足を付ける。いくら学園艦の揺れが少なく地上と変わらないにしても、陸に降りると安心するような気持ちだ。

 それから待ち合わせ場所まで移動する間、曙光は周囲の様子を軽く窺う。今日は日曜で天気も悪くなく、絶好のお出かけ日和。家族連れや友人同士のグループ、カップルなど多く人がいた。普段はどんな人が出歩いているかなど気にもしないが、何分今日は事情が違うせいで余計なことまで気になってしまう。

 

「ふー・・・」

 

 噴水の前に着き時刻を確認すると、今は待ち合わせの10分前。時間前に待ち合わせ場所に着くのは、曙光が自分に課している鉄則なので上々だ。後は、マリーが来るのを待つだけである。

 

(・・・緊張してきた。今頃になって)

 

 無意識に、拳を握ってしまう。

 たまの寄港日に、お嬢様と2人きりで外出。昨夜は楽しみとか暢気に思っていたが、その事実に大事ではないかと今更ながら思う。身分の差はもとより、相手はあのマリーだ。最近は頼りになる面が強いが、元来の彼女の性格を鑑みれば、何事もなく済みそうにない。

 マリーは、親交を深めるのもあるが、曙光のような一般市民がどう過ごしているのか、と言う点も気になっているらしい。とすれば、何事もなく普通に過ごすのが一番だろうが、マリーほどの人と行動するようでは、落ち着くこともできない。

 自分の中で不安が噴出し、待ち合わせ時刻までが非常に長く感じる。

 そんな中で、こつん、と際立つ靴の音が曙光の耳に入ってきた。

 

「お待たせ、曙光」

 

 その柔らかい声に視線を上げると、マリーがそこに立っていた。

 

「・・・おー」

 

 挨拶とも、感嘆とも取れない気の抜けた声を洩らしてしまう。

 淡い金髪の縦ロールはいつもと変わらないが、つばの広い白い帽子は初めて見る。着ているのはフリルの施された薄桃色のワンピースで、その上にソフト・ラベンダーのカーディガンを羽織り、全体的に柔らかい印象を抱く。さらに、アンティーク調の白い小さなパラソルまで差している。

 着ている服のみならず、帽子と日傘と2つのアイテムが、マリーがお嬢様であることを際立たせている気がした。

 

「どうかしたの?」

「いや・・・すごく上品な感じがして。改めてマリーっていいトコのお嬢様なんだなって思った」

「あら、普段はそう見えないって言うのかしら」

「とんでもない」

 

 今日まで、マリーと会う場所と言えば学校、それも昼食と放課後だけで、制服姿しか知らなかった。私服の方が個人の性格やスタイルが反映されやすいため、よりマリーのお嬢様らしさを実感しやすい。ただし、学校でもその髪の色や髪形、立ち居振る舞いだけでも、お嬢様であることは感じ取れるが。

 

「・・・じゃあ、行くか」

「どこか行く予定の場所でも?」

「いや、特にあてはないけど、こういう場所は歩いて楽しみたいし」

 

 実を言うと、曙光は事前に行く先を計画するタイプだ。

 ただし、今日は感性が異なるマリーが一緒だ。加えて、この港町のように特定の観光スポットがあるのではなく、商店が多く点在する町は歩いて楽しむ方がいい。なので今回、ほぼノープランに近い。

 

「あんまり歩くのは嫌よ?」

「まぁ、そんな長距離歩くわけでもないし、マリーも気になる場所とかあったら言っていいから」

 

 一先ずの方針が、自由に回って気になるお店には入るとなり、移動を始める。

 だが、曙光は隣を歩くマリーの姿を見て、焦燥感を抱く。ネイビーブルーのシャツに黒のデニム、グレーのジャケットと『年相応』な自分の服は、マリーと比べるとアンバランスな気がしてならなかった。

 

「曙光、何か言いたいことでもあるの?」

 

 すると、チラチラと視線を向けていたことに気付いたか、マリーが曙光の顔を覗き込む。

 

「俺たちって何か、アンバランスな気がするなって」

「大丈夫よ、私は特に気にしないわ」

 

 曙光は思わず苦笑いを浮かべて零すが、マリーは首を横に振る。

 

「それに、曙光の見た目だってそんなに悪くないわよ?馬子にも衣裳って感じで」

「褒めてないだろ、それ」

 

 軽口を叩き合いながら、街を歩く。こうして話をしていれば、最初に曙光が感じていた緊張や不安も自然と薄れてくる。

 その中で、マリーが日傘を曙光に差し出してきた。

 

「ねぇ、曙光。腕が疲れちゃったわ。日傘持ってくれる?」

「・・・はいはい、お嬢様」

 

 最近はあまり聞かなかったわがままに、曙光は鼻で息を吐きつつ、皮肉を交えて日傘を受け取る。

 するとマリーは、何故か表情を輝かせた。

 

「・・・今の良かったわ。もう1回言って?」

「自分で言っておいてなんだが、絶対嫌だ」

 

 首を横に振ると、『えー』とマリーは不服そうに唇を尖らせる。

 その様に、ほんの少し曙光の表情が緩んだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 今、曙光とマリーが歩く港町は、西洋の街並みをモチーフとしているらしい。建物や歩道はレンガ造りで、街灯は洋風のガス灯で統一されている。店舗も、種類こそまちまちだが、雰囲気を壊さないよう洋風または明るい色合いのものばかりだ。

 

「中々いい街ね」

「そうだな・・・」

 

 そうした洋風の景色に、マリーは溶け込んでいた。本当に彼女が異国の人であると思ってしまいそうなほどに雰囲気が合致し、何よりも綺麗に映っている。その姿に、曙光も少しばかり見惚れてしまう。

 

「あら」

 

 そのマリーは、街の一角にある店の1つに目を付けた。曙光も視線を移すと、そこにあったのはケーキ屋だ。外見は緑を基調としていて、ショーウィンドウからは温かそうな店の中が見える。

 

「寄っていきましょ?」

 

 言うが早いか、マリーの足がケーキ屋に向く。1人で行かせるわけにもいかず、曙光も後に続き店に入る。

 その店は、『木』を基調とした温かみを感じさせる内装だった。壁に掛けられたメニューを見るに、店内で食べるだけでなく、テイクアウトも可能らしい。そして、ショーケースには色とりどりのケーキが並んでおり、それを見たマリーの瞳が輝いているように見えるのは店内の照明のせいだけではないだろう。

 

「・・・食べるのか?」

「当然じゃない」

 

 マリーは視線を逸らさずに答える。

 今はまだ『朝』と言っていい時間帯。こんな時間からケーキを食べるなど、曙光もほとんどない。しかし、マリーは既に食べる気満々だし、店員もお客が来て嬉しいのかニコニコ笑っている。回れ右して店を出るのは気が引けた。

 

「このモンブランと、チーズケーキと、コーヒーを1つくださいな」

「かしこまりました~」

 

 1人注文を進めるマリー。

 こうなると、自分だけ何も頼まずに待つわけにもいかず、それにケーキについては曙光も興味があったので、結局何かを食べることにした。

 

「すみません、モンブランとレモネードを1つずつ」

「ありがとうございます~」

 

 嬉々としてマリーがケーキとコーヒーを受け取った後で、曙光も注文する。店員はにこやかに頷いてくれた。

 朝からケーキ、という初めてのことに罪悪感にも似た何かを抱きつつ、ケーキとレモネードを受け取る。マリーは先んじて、窓際の2人掛けの席に座っていた。

 

「それじゃ、いただきます」

 

 曙光がマリーの向かいに座ったところで、早速マリーがモンブランをフォークで丁寧に切り取り、口に運ぶ。その直後、表情が輝いた。

 

「ん~♪」

 

 言うなれば、至福の表情。見ている曙光まで、釣られて表情が緩んでしまう。マリーのケーキを楽しむ姿は、人を幸せにするようなものだ。

 それを気取られないように、曙光もモンブランを楽しむことにする。

 

「本当、ケーキが好きなんだな」

「?」

「いや、そうやって美味しそうに食べてるのを見るとな」

 

 曙光が笑ってレモネードを飲むと、コーヒーに伸ばそうとした手を止める。

 

「ケーキが好きで、何が悪いのかしら?」

「馬鹿にしてるわけじゃない。むしろ、そうやって美味しそうに食べてるのを見ると作ってる側としては嬉しいよ」

 

 一口分のモンブランを切り取って、曙光は口に運ぶ。その曙光を、マリーは少しの間だけ眺めていた。

 

「・・・思えば、曙光には色々作ってもらってるわね」

「何だ急に」

「いいえ、ただ・・・まだお礼を言っていなかったと思って」

 

 フォークを置くマリーだが、その前に曙光は首を横に振った。

 

「お礼なんて今更いいよ。元々は俺が言い始めたことだし、菓子作りも好きだから」

「好きで、ね」

 

 隠しようのない本心を伝えたが、マリーには引っかかるところがあったらしい。何か聞かれると思い、曙光もモンブランを食べる手を止める。

 

「曙光はどうして、お菓子を作るのが好きなの?」

「どうしてって言われてもな・・・結構単純な理由だけど?」

「いいわ。聞かせて」

 

 本当に興味があるかのように、マリーはニコニコと笑みを向けてくる。これはきっと、正直に話さない限りは興味を持ち続けるだろう。曙光としても、別に墓まで持っていくほど恥ずかしくもないため、レモネードでのどを潤してから話すことにした。

 

「まだ小学校の頃かな。実家の近くのケーキ屋の前を通りがかった時に、ケーキを作ってる人が見えたんだよ」

「ふんふん」

「そのお店って、ケーキを作ってるところが見られるようになってたんだよな。工房に窓ガラスが付けてあるような感じで」

 

 その時の様子は、今も覚えている。

 ケーキを作っていたのは女性だったが、その表情は真剣でありながらも、どこか楽しさを交えているかのように、微笑んでいた。

 

「それで、菓子職人を目指したいって思うようになったんだよ」

 

 ケーキを作っている様子が、カッコよかった。曙光がその夢を目指したのは、そう言う理由だ。周りがサッカー選手や科学者など、男子の夢の花形を目指す中で、菓子職人は正直女子の目指す夢のイメージが強く、最初はバカにされたものだ。

 

「それでも、BCに来たってことは諦めてないのよね」

「ああ、菓子職人になろうと思ってる」

 

 その途中で迷うこともあったが、それでもやはり夢は捨てられなかった。折り合いをつける必要もあって、あのBC自由学園に進学したけれど、それでもその夢のために今もまだ勉強を続けている。

 話し終えてモンブランを食べる曙光だが、マリーは物珍し気に曙光を眺めていた。

 

「いいじゃない、夢があるって」

「そうか?」

「ええ。あなたのこと、少し見直したかも」

「見直されるほど評価低かったのか・・・」

 

 げんなりするが、マリーは『あぁ、違う違う』って手を横に振る。

 

「あなたのことは元々評価してるのよ?私の頼みにはちゃんと応えてくれるし、ケーキも美味しいし」

「・・・・・・」

「それに、さっき聞いたたみたいにちゃんと夢があるんでしょう。そういうしっかりした芯があるのも、私個人としては良いと思う」

 

 曙光からすれば、自分にできることを最大厳努力してやり遂げているに過ぎず、認められこそすれ褒められたものではないと思い込んでいた。

 けれど、今マリーから称賛されたのは意外だし、何よりも素直に嬉しい。残ったモンブランを口に運ぶ曙光の口元が緩んでしまう。

 

「・・・ありがとう」

 

 最後の一口は、少し甘く感じた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 ケーキ屋で一休みした後は、また街の散策を始める。

 だが、ケーキ屋を出て間もなくして、マリーはある場所を見つけて足を止めた。

 

「・・・いやいや、流石に早すぎだろ」

 

 視線の先にあったのは、ケーキバイキングの店だった。ついさっきケーキを2つも食べていたのにもう別の店を見つけるとは、目ざとい上にどこまでケーキが好きなのか。

 

「いいじゃない。好きなものはお腹いっぱい食べたいの」

「だからって時間は開けた方がいいだろ。胃がもたれるぞ」

「私は胃もたれとかしないのよ。これでもお腹は丈夫な方なの」

 

 言いながらマリーはお腹をさする。ケーキを1つや2つ食べるぐらいなら、特に問題はないだろう。しかしそれ以上の数を食べるとなれば、相応に胃も丈夫でなければなるまい。マリーもそれだけの自信があるようだ。

 しかし、曙光はまた別の懸念がある。

 

「胃が丈夫でも、お腹に肉がつきそうだけど」

「戦車道で鍛えてるから大丈夫よ」

 

 戦車道の試合では戦車が激しく動き回り、揺れ動くため自然と身体が鍛えられるらしい。さらに、マリーは隊長として頭を回転させることが多く、糖分もかなり消費する。なので、自然と体調も整えられるそうだ。

 

「とにかく、だ。ケーキバイキングに行きたいなら行くよ。けど、後だ」

「えー?」

 

 それでも曙光は、推し留めると先へ行こうとする。ぶー垂れるマリーだったが、妥協したのか曙光の横に並んで歩くが、名残惜しいのかいつまでも店を見たままだ。その様子に、嘆息する。

 

「俺も行くつもりだったし、後で行くから」

「あら、そうだったの?」

「ああ。けどさっきケーキを食べたばかりで胃が重い。どうせなら、もう少し腹の空く午後の方がいいだろ?マリーだってお腹いっぱい食べたいって言ってたし」

 

 曙光は、バイキング系の店に行く時は、必ず元を取るとは言わずとも、食べられるだけ食べるスタンスだ。なので、胃の容量に若干の不安がある場合は避けたい。

 

「ケーキバイキングに行きたがるのも意外な気がするけど、やっぱりケーキ屋志望だから?」

「だからって程でもないけど、まぁ味の研究とかしたいなぁって」

 

 今はインターネットも便利な時代で、レシピや画像は調べれば見つかる。だが、曙光としては、どれだけ見たところで味の方を知らなければ気が済まない。なので、先ほどのケーキ屋で出来に未だ自信の持てないモンブランを食べ、寄港地でカフェなどがあれば色々食べて研究する。ケーキバイキングもその範疇だ。

 

「・・・仕方ないわね。そこまで言うなら我慢してあげる」

 

 やれやれ、とマリーが渋々納得する。曙光は『悪いな』と一言謝りを入れておいた。

 ケーキバイキングが後回しになったので、それまではまたしばらく街を歩いて楽しむことにする。ただ、何の会話もないのは気まずくなるので、適当な話を振る。

 

「マリーって、普段こういう寄港地に来たらどうするんだ?」

「そうねぇ・・・その時々にもよるかしら。買い物はすることもあるけど、砂部や祖父江が一緒だし・・・でもケーキは必ず食べに行くわ」

 

 ブレないな、と思う。

 

「ただ今日は、曙光と一緒に出掛けるのが目的だし、買いたいものとかは特別無いから、適当に歩いているだけで充分よ?」

「そっか・・・なら、行きたいところがあったら言ってくれよ」

 

 そもそも今日は、親交を深めるという目的もある。なので、結果的に2人で街を散策するだけになったとしても、それで目的は達せられたようなものだ。

 そうして、色々街を見て回っていると、洋風の大きな建物が目についた。一見、何の建物か分からなかったが、付近には映画の予告映像が流れるサイネージがいくつも設置され、家族連れや若い年齢の男女が出入りしている。

 

「映画館か」

「あら、こんな造りの場所があるのね」

 

 寄港した先で映画館を見ることは何度もあったが、いずれもビルの上層階だったり近代的な外見だったりで、今のように西洋風の建物は初めて見る。マリーも同じだったようだ。

 

「あ、この映画やってたのか・・・」

 

 何の気なしに上映作品の一覧を眺めていると、気になっているものがあった。世界的に有名なカーチェイスの映画で、派手なアクションが気に入っている。

 曙光が何を気にしているのか気になったのか、マリーも隣から覗き込んでくる。すると、通常とは違う上映形式に興味を持ったのか、『ねぇ』と曙光を見上げて訊いてくる。

 

「これ、普通とは違う映画なの?」

「これは座席が動いたり、風とか雨とかのエフェクトがあるんだよ。映画の中の世界を体験できるみたいに」

「へぇ~・・・面白そう」

 

 マリーは、曙光が気になっていた映画のポスターも眺める。

 やがて、マリーは頷いた。

 

「これ、観てみたいわ」

「シリーズものだけど?」

「いいわ。曙光も気になってたみたいだし、私もその特別な映画が気になるから」

 

 そう言うとマリーは、曙光を置いて映画館へ入ろうとする。色々と言いたいことはあったが、ああしてずんずんと先へ行くマリーを見ると、もう止める気も起きない。

 恐らくマリーは、純粋にその映画の特殊効果を体験したいのだろう。しかし曙光としては、『観よう』と言ってくれたのが嬉しく思う。学園艦に映画館はなく、この機を逃し次の寄港までに上映期間が終われば、DVDがレンタルで出されるまで待たねばならない。だから、今日観られるのは僥倖だ。

 それと、無邪気に映画を楽しみにしているマリーの姿も意外な一面だ。ケーキぐらいでしかああした態度を見なかったから、新しい姿を見られて得をした気分にもなる。

 

「ねぇ、曙光」

 

 そんな風にありがたみと嬉しさを感じていると、マリーが立ち止まって振り返る。

 どうしたんだろう、と思ったが。

 

「映画のチケットってどうやって買うの?」

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 映画は、無事に観ることができた。

 マリーは映画館に入ること自体初めてではなかったが、チケットはいつも大体友人兼付き人の砂部か祖父江が買うものだから、買い方が分からなかったそうだ。

 そして肝心の映画は、大いに楽しめた。カーチェイスの映画だから、特殊効果で椅子は揺れるし跳ねるし、時には水飛沫や風、匂いまでも全力で襲い掛かってくる。ストーリーも面白かったし、星5のレビューをつけたいところだ。

 しかしそれは、曙光の意見。

 一方でマリーは。

 

「・・・侮ってたわ・・・」

 

 映画館内のベンチに仰向けで横になっていた。

 上映前に特殊効果の説明をした時、マリーは『戦車に乗り慣れてるから大丈夫』と自信ありげだったが、上映が終わればこの有様である。特殊効果はあくまでも疑似的な動作の再現で、実際に戦車に乗っている時とはまた違ったせいで疲れたようだ。

 

「けど、最後までは観るんだな」

「ストーリー自体は嫌いじゃなかったし、特殊効果も楽しかったから」

 

 寝転がるマリーのそばに座りながら、曙光は話しかける。恐らく、上映中は映画本編の楽しさにのめりこんで特殊効果もそれなりに楽しんでいたが、映画の後で身体の疲労を自覚したのだろう。曙光も最初にこの特殊効果を経験した時はそうだったと思い出す。

 

「水飲むか?」

「ええ・・・」

 

 自動販売機で買ったミネラルウォーターを差し出すと、起き上がってマリーは受け取り静かに飲む。どれだけ疲れていても、水を飲む所作さえ優雅に見えるものだから、なんかズルいと思う。あまつさえ、その姿を美しいとも思ってしまった。

 

「ちょうど昼時だけど、どうする?ケーキ食べに行くか?」

 

 館内の時計を見上げると、ちょうど正午を回ったところだ。加えて、特殊効果のおかげでエネルギーもかなり消費している。

 

「・・・ケーキの前に何か食べたいわ」

「そうか・・・なら、行くか」

 

 しかしマリーは、意外にもワンクッション挟むことを望んできた。どうやら、疲労困憊ではなく万全な状態でケーキは楽しみたいらしい。

 ともあれ、曙光としても疲れを感じているので、どこかで身体を休めたいと思い、立ち上がる。だが、マリーは曙光を見上げたままだ。

 

「何か力が上手く入らないわ。立たせて?」

「まったく・・・」

 

 小言を言いたくなるが、わがままなのは今に始まったことではない。やれやれ、と思いながら曙光はマリーの手を掴んで立ち上がらせる。そこまで力を入れずとも、マリーは自分の足で立ち上がった。

 

「ほら」

「ありがとう」

 

 ふわっと笑みを浮かべるマリーに対し、曙光も嘆息する。

 ただ、よく考えてみれば、マリーの手を掴んだのは最初にお互い協力することを約束した時以来だと思う。先ほどは、特に深い意味はなかったが、再認識すると自然と自らの手に視線が落ちる。

 

「どうかした?」

「いや」

 

 マリーに訊かれるが曙光は首を横に振る。特に気にするべきことでもないのだ。

 ともかく、どこで何を食べるかを考えながら、映画館を後にする。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 風に当たりたい、と言うマリーの希望により、昼食はテイクアウトで頼んだものを緑地公園で食べることになった。

 

「前から思ってたけど、箱入りのお嬢様って感じがしないな。マリーは」

「あなたたちの言う『お嬢様』には、私みたいなのもいるってことよ」

 

 どうやら曙光は、マリーがこうして外で手軽にランチを楽しむ風には見えなかったらしい。実際、こうして外で食べることを行儀が悪いと極端に嫌う人もいるにはいるが、マリーはあまり気にしないタイプだ。

 そんな話をしながら、2人でどこか座る場所がないかを探す。マリーとしてはベンチに座って食べるのがベストだったが、晴れの日で家族連れが多いのもあり生憎どこも埋まっていた。

 

「仕方ないし、芝生に座って食べるか」

「まぁ・・・そうなるわよね」

 

 直射日光の射さない木陰に、腰を下ろすことにする。

 しかし、その直前で曙光はポケットから取り出したハンカチを芝生の上に敷いた。

 

「何の足しにもならないだろうけど、高そうな服だし汚すわけにもいかんだろ」

「・・・ありがと」

 

 意外なアシストに、マリーも舌を巻きつつゆっくりと腰を下ろす。

 前々から片鱗が見えていたが、割と曙光はこうした細かな気遣いができるとマリーは思う。外部生の不当な扱いに疑問を抱いているのは確かだが、マリーのことを考えて行動する時は、そうした垣根を考えていないようだ。

 それは言い換えれば、人を気遣う時は固定概念や先入観に囚われず平等に接するということ。その点に関しては、マリーも好感を持てる。

 

「ほら、サンドイッチ」

「ありがとう。曙光はそれだけでいいの?」

「この後ケーキバイキングだし」

 

 マリーの隣に曙光も座り、先ほど移動販売で買ったサンドイッチ(それなりに高い)をマリーに手渡す。一方で曙光は、小ぶりなサイズのおにぎり2つ(高くない)だけで、育ち盛りの男子高校生的には少ない気もする。ただ、この後の予定を考えれば満腹になりたくない気持ちも分かった。でなければ、今朝の二の舞である。

 

「・・・おにぎり、長いこと食べてないかも」

 

 そんな曙光が手に持つおにぎりに、マリーは注目する。白米と味付け海苔のシンプルな見た目のそれは、お嬢様として生活していたマリーから見ると、懐かしい外見だ。

 

「・・・食う?」

「あら、いいの?」

「そりゃ、そんな興味ありげに見られたら」

 

 さすがに露骨すぎたか、曙光がおにぎりを差し出してくる。

 悪いことをした、と思いつつ、目の前の懐かしい感じがする食べ物に対する食欲を抑えられずに、かぶりつく。

 

「あむっ」

 

 おにぎりの上半分ほどを貰い、ゆっくりと味を楽しむ。

 まず感じ取るのは、塩っ気が混じる米と味付け海苔の混じりあう味。かと言って味が濃いなんて感じはせず、なめらかな味わいだ。

 そして次に感じるのは、

 

「あ、梅干しって大丈夫だった?」

「んっ!!?」

 

 口いっぱいに広がる強烈な酸味。一瞬で目に涙が浮かび、口の中が熱くなる。

 さすがに初めて思い知る味には平静を保てず、バシバシと曙光の肩を叩く。今のマリーには上品さも優雅さも欠片もないのは自覚していた。曙光もマリーが梅干しの酸っぱさに悶絶しているのを理解したようで、すぐさまミネラルウォーターを差し出してくる。それをマリーは飲んで、口の中の大災害をどうにか収めることができた。

 

「・・・謀ったわね、曙光」

「・・・説明が遅れたのは悪かった」

 

 落ち着いたところで、マリーは恨みがましい視線を向ける。と言っても、曙光が悪気があってあの梅干しおにぎりを差し出したのではないことは、分かり切っていた。

 

「梅干しはともかく、おにぎりのお米は、何だか懐かしいような味がしたわ」

「まぁ、おにぎりって食べるとそういう気持ちにはなるな。なんかこう、日本人の心が揺さぶられる感じ」

 

 そう言って曙光は、(大半をマリーが食べた)梅干しおにぎりを食べる。

 マリーもずっと昔におにぎりを食べたことがあるが、その時の味は正直言ってほとんど忘れていた。今はその時を思い出すかのようで、同時に自分の中で埃を被っていた感覚が蘇ったかのようだ。

 

「はぁ・・・落ち着く・・・」

 

 その感傷に浸るのもほどほどに、マリーは口直しにサンドイッチを食べる。フレッシュな触感の野菜やハムが、梅干しで乱れた心を穏やかにさせてくれた。

 そうして落ち着いたところで、曙光が話しかけてくる。

 

「酸っぱいものとか苦手なのか?」

「そうね・・・。私たちが食べてる料理って、大体は舌触りが滑らかだし、味付けも濃すぎず薄すぎずなのよ。だから、さっきみたいなすっごく()()()()は随分久々な気もする」

 

 梅干しの味を感じた時、『無理』と言うより『驚いた』という気持ちの方が強かった。

 普段食べる料理・・・例えば学食や曙光が作ってくれるケーキは、『甘い』『苦い』という味は伝わってくる。

 しかし、それらは口の中に長く居座ることはない。先ほどの梅干しや、以前曙光に持ってきてもらった屋台の料理のように、濃い味付けでインパクトのあるものは、ごく少数だ。

 

「曙光も、学食で私たちが普段食べてる料理を何度か経験したと思うけど、ああいうのは嫌い?」

「嫌いではないよ。物足りなさはあるけど」

「それはやっぱり、味付け?」

「かなぁ。普段食べてるのと比べると、どうにも薄く感じてな」

 

 おにぎりを1つ食べ終える曙光を見て、マリーも頷く。

 

「まぁ、私たちも薄めの味付けに慣れてしまったし、あなたたちが食べる料理をすぐに受け入れるのは難しそうだわ」

「学食に庶民の料理が入らないのは、そんな理由だよな・・・」

「そのあたりは、お互いに理解を深めあってからにしましょう」

 

 今すぐにはどうにもならない話だ。仕方ない、とお互いに肩をすくめてマリーはサンドイッチを食べる。横目に曙光が包装を解いたおにぎりを見るが、中身は鮭だそうだ。そっちの方を貰えばよかったと、今更マリーは後悔する。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 昼食の後は、いよいよお待ちかねのケーキバイキングだ。

 最初に見たその店から緑地公園は若干距離が離れていたため、そこに辿り着くまでにはほどよくお腹も空いていた。しかし、時間帯が丁度ティータイムと被ってしまったために、店の前でまた少し待つ羽目になってしまう。

 

「仕方ないわ、待ちましょう」

「だな」

 

 順番待ちのリストに名前を書いて、曙光とマリーは邪魔にならない場所で待つことにする。

 その中でも、曙光たちは異質に見えた。他の客は女性客がほとんどだし、男性客はいたとしても女性と一緒―――恐らくカップルなのだろう―――で、おまけに曙光はマリーに日傘を差しているのだ。あらゆる面で目立っており、ちらちらと視線が向けられる。学園でエスカレーター組から向けられるものとはまた違った恥ずかしさがあった。

 

「・・・なぁ、今だけでいいから日傘ぐらい自分で持ってくれないか」

「イヤよ。腕が疲れちゃうじゃない」

「俺はもう既に疲れてるんだけど・・・」

 

 耐えかねてマリーに日傘を返そうとするが却下された。今日は最初によったケーキ屋から映画館、さらにそこから緑地公園を経由してここに至るまで、日傘は一貫して曙光が持ったものだから、腕も悲鳴を上げている。長時間同じ姿勢でいるのは思った以上に辛い。

 それでも、マリーの言葉だから、とあっさり引き下がる自分自身がどうにも情けなく思う。

 そして並び始めてから数十分、ようやく自分たちの順番が回ってきた時には、曙光も歓喜の息を洩らしたほどだ。

 

「こちらへどうぞ~」

 

 店員に導かれるままに席に着き、説明を受ける。ケーキバイキングと謳っているが、ここは食べ放題のコースを決めた後は、席から注文をするシステムになっているらしい。なんでも、以前1種類のケーキを独り占めした客がいたようで、その対策だそうだ。

 何にせよ、ケーキが食べられるだけで、今の曙光とマリーにとっては十分だった。

 

「それじゃ、ここからここまで1つずつくださいな」

 

 そしてあろうことか、メニューの端から端まで1つずつ注文という荒業を、マリーはやってのけた。破天荒とも無計画とも言える注文に、曙光の度肝が抜かれる。

 一方で、店員は嬉しそうな笑みを浮かべる。接客スマイルだろうが、こういう食べ放題の店では逆に売れ残ると損失となるため、マリーのように多く食べる客はありがたいのかもしれない。それでいいなら口出しはしまいが、と曙光は苦笑して自分の分も注文する。

 

「あんな頼み方をする奴、初めて見たよ」

「ご不満?」

「いいや。けど、食べきれなくて泣きついてくれるなよ」

「まさか」

 

 誇らしげに自分の腹に手をやるマリー。その仕草、声音、表情でケーキを心待ちにしているのが窺える。そんなマリーを見ていると、曙光自身気持ちが穏やかになり、笑みが零れる。好きな食べ物を心待ちにしている姿は、見ていて微笑ましいものだ。

 それから少しして、店員がカートに載せたケーキを運んでくる。まとめて頼んだからどうなるかと思ったが、そこは店側も考えているようで、大きめの皿数枚に分けてケーキが載せられ、全体的にコンパクトに収まっていた。

 

「んまっ!」

 

 それを目にした途端、マリーの瞳が宝石のように輝く。色とりどりの大好物のケーキが目の前に並ぶその光景は、感激ものらしい。曙光が日々マリーにケーキを持ってくる時以上に、表情は生き生きとしていた。

 そして曙光とて、心が動かないでもない。好物のケーキを前にし、ケーキの甘い香りが鼻腔をくすぐり、昂るのを感じる。

 

「「いただきます」」

 

 併せて頼んだコーヒーが届いたところで、ようやく食べ始める。頭の中でゴングが鳴り響いた気がした。

 手始めにマリーが食すのは好物のモンブラン。曙光はミルクレープだ。

 お互いほぼ同時に、一口目を食べる。

 

「・・・んふ」

 

 空気が漏れるような笑みを、マリーが見せた。あれだけ楽しみにしていたケーキ、しかも自らの大好物故の反応だろうが、曙光は可笑しくて思わず吹き出してしまう。

 

「何よ?」

「あ、すまん・・・別にバカにしたわけじゃない。マリーの反応が面白くて、な」

「それをバカにしてるって言うんじゃないかしら」

 

 曙光の言い分にも、マリーは釈然としない。美味しいものを、好きなものを食べているだけなのに、笑われたのが不服なようだ。

 

「美味しそうに食べているのは、見ていて楽しいし、嬉しいよ」

「嬉しい?」

「ああ、作っている側からすれば」

 

 ミルクレープを食べ終えて、改めてマリーを見る。

 

「そのケーキを作ったのは俺じゃない。けど、今さっきみたいに、作ったケーキを美味しそうに食べているのを見るのは、嬉しくなるよ」

 

 これまで曙光は、マリーに対して多くのケーキや菓子を振る舞い、マリーはそれらをどれも美味しそうに食べてくれていた。

 曙光はその反応を見ると、純粋に嬉しかった。いつだって曙光は菓子作りには真剣に取り組んでいるし、その成果をマリーは美味しそうに食べてくれる。自分の中にわずかでも残っていた不安や緊張を全て取り払うようだから。

 

「だからきっと、このケーキを作った人も、さっきみたいなマリーの顔を見たら喜ぶと思う」

「そうかしら?」

「ああ、絶対そうだ。俺だって、マリーのそういう顔を見るのは好きだし」

 

 言ってから、今のは踏み込みすぎたと自省する。

 マリーがフォークを咥えたまま、視線をわずかに下に向けた時点で、それは明らかだ。

 

「・・・まぁ、あくまでケーキ作りが好きな一個人の言葉として、適当に流してくれ」

「ん、そうね」

 

 それでも曙光本人は、本当にマリーのケーキを食べて嬉しそうな表情を気に入っていた。だから先ほどの発言は撤回せず、適当にお茶を濁す程度に留めておく。

 

(そういう表情もできるんだな)

 

 そして今の、わずかに動揺したような、妙にもじもじした表情も初めて見た。

 物憂げな表情や、嬉しそうな表情、楽しそうな表情はこれまで何度も見てきたが、今のマリーは見たことがない顔をしている。その表情だけならば、彼女も格式高いお嬢様であれど、中身は1人の女の子であると思わされる。

 

「・・・あの、曙光。あまりじろじろ見られると食べにくいのだけど」

「あぁ、悪い・・・」

 

 どうやら、ほんの少し見惚れてしまっていたらしい。誤って曙光は、誤魔化すようにコーヒーに口をつける。

 ほろ苦く温かいそれを飲むと、曙光も手元のチーズケーキに視線を落とす。今は、マリーと自分の好物であるケーキを存分に堪能することにしよう。そう思い、フォークでチーズケーキを小さく切り取り口に運ぶ。チーズ特有の風味が美味しい。

 そこで、ちらとマリーの様子を伺うが、やはり美味しそうにケーキを食べている。

 

「・・・・・・」

 

 が、そこで不意に視線を上げたマリーと目がかち合った。

 別に悪いことをしたわけでもないが、慌てて曙光は視線をチーズケーキに戻す。無性に気まずい感じがした。

 曙光はそれから店を出るまで、必要以上に視線を上げず、マリーと視線が合わないように努めた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 思う存分、マリーはケーキを堪能した。全てのケーキを2~3回ずつは頼んだと記憶している。その分、お腹は若干膨れているし、少しばかり苦しい気もするが、好きな食べ物を好きなだけ食べての結果だ。悔いはないし、心地よさすらも感じる。

 曙光は、マリーがすぐに動けないのを察し、落ち着くまで帰るのを待ってくれた。

 そして今は、やや陽が傾き始めた街を2人で歩いている途中だ。もちろん、日傘は曙光が持ってくれている。

 

「いつもこれぐらい食べてるのか?」

「そうね。やっぱりこういう時じゃないと、ケーキを好きなだけなんて無理だもの」

 

 学校でもケーキを食べることは多いが、その場合数には限りがある。今日のバイキングのように、時間制限付きだがケーキを食べられる機会は、マリーにとってもそうそう無い。

 

「曙光が私のためにもっとケーキを作ってくれれば、話は別なんだけど」

「それは無理だなー。学校の食材にも限りはあるし」

 

 曙光の答えにマリーは肩を落とす。

 昨今の教育方針は、生徒の自主独立性を尊重するものと、マリーも理解している。前に曙光から聞いた話では、ケーキを作る調理実習室は申請さえすれば自由に使って問題なく、食材も無駄遣いをしなければ良いらしい。かと言って、あまり使い過ぎると学園側に迷惑が掛かり、教師から白い目で見られかねない。あまり出すぎた行動はできなさそうだ。

 

「まぁ、これからマリーが食べたいってケーキがあれば、極力応えるよ」

「本当?なら、期待しておくわね」

 

 曙光の心意気に、マリーもすぐさま嬉しくなる。次はどんなケーキを作ってもらおうか、と心が躍る。

 そんなマリーを傍らに、曙光は傘を差しながら訊ねてきた。

 

「さて、これからどうする?」

「んー・・・疲れちゃったし、もう帰ろうかしら」

「分かった」

 

 時刻は午後4時前で、まだまだ学園艦の乗降締切時刻まで余裕はあるが、色々あってマリーも疲れている。なので、寮に戻って休みたかった。曙光も食い下がりはせずに頷く。だが、マリーに視線を向けたままだ。

 

「何かごめんな。せっかくのお休みの日に、疲れさせて」

「いいわよ、楽しかったし」

 

 梅干しに悶絶し、映画の特殊効果に叩きのめされたりもしたが、それらをマリーは単に『嫌な思い出』と処理はしない。いずれも、庶民の曙光と出掛けたことで経験することができたのだ。『嫌な出来事』として処理したくないし、むしろ楽しかった。

 

「・・・楽しかったのか」

「ええ。ケーキも思いっきり食べられたしね」

「そっちが本音だろ」

 

 曙光は苦笑する。普段のマリーのケーキ好きを考えれば、その反応も当然かもしれない。

 しかしマリーは、曙光を見上げる。

 

「曙光と話をしたり食事をするのも、楽しかったわよ?」

 

 そう言った途端、曙光はまた前を見据える。

 マリーの言葉は、リップサービスなどではない。同じ目的を持つ者同士であり、気心知れた仲の人間とだからこそ、今日の出来事は楽しかった。

 

「・・・そう言ってもらえると、普通に嬉しい。ありがとうな」

 

 そして曙光は、マリーの方を見ずにお礼を告げる。

 エスカレーター組の重鎮・マリーは、男子とこうして一緒に外出したことや、向かい合って話をしたことがほとんどない。彼女もまた箱入り娘の部類に当たり、ずっとお嬢様学校育ちだったから。

 だから今日のことも、曙光の言葉も、どれもマリーにとっては経験したことのないものであり、それが心に穏やかに染み渡っていく。不快な気持ちなど、少しも入り込まない。

 自分の心が、曙光と接している内に変わりつつある。

 それを実感しながら、学園艦への道を曙光と並んで歩いた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 




 休日になると、真壁は割と積極的に出歩くタイプだ。それが寄港日となれば尚更で、よほどのことがない限りは自室に籠ることもない。
 なのでこの日も、真壁は自前の朝食を食べ終えると早速港町へと繰り出した。
 その周囲には、友人や知人の姿はない。

(曙光も用事があるって言ってたし、しょうがないよな・・・)

 こうした休日、真壁は大体曙光をはじめとした友達と過ごすことが多い。だが、前日に誘ったのもあってか、曙光は何か予定があるようで断られてしまった。他もまた、それぞれ用事なり課題なりがあるというわけで、結果今日は1人で過ごすことになった。
 真壁は別にパーティーピーポーでもなく、1人でそれなりに楽しめる人間なので、友達がいなくて寂しいなどとは思わない。それでも、多くの人に断られるのはそれなりに残念だ。

「さて、どうするかな・・・」

 一先ず、西洋風の街の中心まで来て、どうするかを考える。
 真壁は休日に綿密な計画を立てる方ではなく、ノープランで歩き回ることが多い。だが、この港町は初めて来た場所であり、考え無しに歩き回ると迷子にもなる可能性が高い。この年で迷子など避けたかった。
 なのでまずは、大体の地理を把握するために街の簡単な地図を見ておく。

「あら、真壁さん?」

 だが、そこで後ろから突然声を掛けられた。全く予想だにしない場所からの言葉に驚き振り向くと、そこには意外な人がいた。

「あれ・・・砂部さん?」

 ダスティピンクのニットのセーターに、グリーンのマキシ丈スカートと、余所行きの装いの砂部。やや明るめのポシェットを肩に提げており、学校で見る姿とはまた違う落ち着いた印象がした。
 それよりも真壁は、偶然にも砂部と休日にこうして会えたことが嬉しかった。ただ、相手が何か用事の途中の可能性も否めないが。

「どこかへ行くところ?」
「いえ、それが・・・一緒に出掛けるはずだった友人が体調を崩してしまったようで・・・」
「ありゃ・・・」
「それで、仕方なく街まで来たんですが、どうしようかなって」

 どうやら砂部も、1人で手持無沙汰な感じらしい。

「真壁さんはどうしたんですか?」
「あー・・・特に予定もないから、適当に街をぶらぶら歩こうかなって」
「あら、そうでしたか」

 真壁の答えを聞いて、砂部も笑みをこぼす。

(・・・これは)

 『チャンス』ではないか?
 砂部は見る限り1人、真壁自身も同様。おまけに休日とくれば、ここで真壁が砂部と一緒に街を歩こうと誘っても違和感はほとんどない。
 前に昼食を一緒にした時も誘おうとしたが、その時はあれこれ考えて結局日和った。

「あの、砂部さん」
「はい?」

 しかし、また今もぐずぐずしているとこの機を逸してしまう。
 身分の差とか、断られたらどうしようとか、そんな考えても進展しないことは、今だけは考えない。
 振り向いて、きょとんとした砂部に向かって、言葉を投げかける。

「よければだけど・・・今日、一緒に見て回らない?」

 さりげなく提案したつもりだ。表情がいつも通りを保っていられたかは自信がない。
 けれど、真壁の言葉に、砂部は穏やかな笑みを浮かべてくれた。

「・・・いいですよ。私でよろしければ」

 内心、飛び跳ねて喜んだ。しかしその気持ちはおくびにも出さず、『ありがとう』とお礼を告げて、改めてどうしようかと考える。
 誘ったはいいものの、結局はノープランに変わりはない。街を歩くのもいいが、それだと知り合いにばったり会いそうな気がしてならなかった。疚しいことをする気は微塵もないが、同じBC自由学園の生徒・・・特にお嬢様にこの状況を見られると砂部に迷惑が掛かってしまいそうだ。

「砂部さんは・・・どこか行きたいところがあったりします?」
「えーっと、実は一か所・・・」

 とりあえず砂部に希望の場所がないかを確認したところ、どうも候補があったらしい。しかし、どうにも砂部が恥ずかしそうなのはなぜだろうか。

「こちらのお店に・・・」

 スマートフォンを操作して砂部が見せたのは、ケーキバイキングの店だった。ここから距離はさほど離れてもいない。

「ケーキバイキング?いいよ、行こう」
「いいんですか?」
「いいも何も、砂部さんが行きたかったんでしょ?」

 何かと思えば、別に女子なら行きたくてもおかしくない場所だった。なので、真壁は快く頷く。これがランジェリーショップの類だったりしたらどうしようもなかったが。
 ともかく、砂部の希望に従って、真壁は並んでその店へと向かうことにする。
 こうして男女が並んで歩いていると、どうにも気持ちが逸ってしまうのを真壁は抑えられないが、砂部が何か申し訳ないような表情を浮かべているのも気になる。

「どうかした?」
「いえ・・・こんな時間からケーキバイキングに行きたいなんて、少し恥ずかしいなって」

 どうやら、食い意地が張っていると思われるのが嫌だったらしい。それについてどう感じるかは人それぞれだが、少なくとも真壁はそれだけで失笑するような人柄をしていない。それに、砂部がケーキ好きなのは知っていた。

「俺は別に・・・恥ずかしがることはないと思うなぁ」
「ですが・・・私にとっては割とデリケートな問題なのですよ?」

 困ったように笑う砂部。男が軽く考えていることも、女にとっては由々しき事態であることもしばしばある。それはこのケーキ問題についても例外ではなくて、真壁がどう言っても砂部は納得しなさそうだ。

「んー・・・でもさ、砂部さんが一緒にいるマリーさんは、いつもケーキを食べてるでしょ?」
「いつもってほどでもないですけど、まぁそうですね・・・。マリー様はケーキが大好きですし・・・」

 マリーが大のケーキ好きとは、受験組でも知られた話だ。
 また、曙光がマリーと交流を持つようになってから、本人と何度か話をしたこともある。その際、曙光の作るケーキは美味しいとか、試合中でもケーキを食べているとか、彼女を語るにおいてケーキは外せない。

「マリーさんだって、砂部さんと同じ女の子だろ?だから、砂部さんがケーキが好きだって言っても何も不思議じゃないはずだ」

 真壁と砂部は住む世界が違うし、感性のずれも少なからずあるだろう。だが、好きな食べ物を好きな時に好きなだけ食べることに関しては、真壁もとやかく言わないし、賛同する。それに砂部のすぐそばには、同じくケーキ好きのマリーがいるのだから、気負うことも恥ずかしがることもないはずだ。

「そうでしょうか・・・」
「絶対そうだよ」

 砂部はまだ自信が持てないようだが、真壁は自信を持って頷く。
 それでも一応気が晴れたのか、砂部からはその困ったような笑みは消えた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 そのケーキバイキングの店だが、客が一種類のケーキを独占しないように、食べたいケーキを席で注文し、店員に持ってきてもらうシステムらしい。
 時刻はまだ昼前で、客もまだまばらだったため、真壁と砂部は待つことなく席に着くことができた。それから、食べ放題のコースとコーヒーを2人分頼む。

「すみません、私のわがままに付き合ってもらっちゃって」
「謝らなくていいよ。俺も正直、どこへ行こうか悩んでたし、ケーキバイキングも好きだから」

 そう言って真壁はお冷を飲むが、砂部は先の真壁の言葉に興味を持ったらしい。

「好きなんですか、こういうところ」
「ああ。菓子作りにハマったせいでもあるんだけど、割と甘いものも気に入っててね」
「そうでしたか・・・けど、和菓子が好きって仰ってませんでしたっけ」

 以前の話のことを覚えてくれている。それだけで、真壁は嬉しい。
 だが、砂部の言わんとすることも分かる。ここの店では、真壁が好きな羊羹や饅頭などの類は提供していない。

「確かに和菓子は好きだよ。けど、ここみたいに洋風のケーキとかも俺は好きだし」

 するとタイミングよく、頼んでいたケーキとコーヒーを店員が運んできてくれた。砂部が頼んだケーキは3つ、真壁は2つだ。

「「いただきます」」

 食材に対する最大限の礼儀は忘れずに、お互いにそれぞれケーキに舌鼓を打つ。

「さっきの話ね。やっぱり学校の授業だと、和菓子は作りにくいんだよ。材料が用意されてないし、ウチってあんなだから・・・」
「あぁ、そうですね・・・失礼ながら、それは確かに」

 最初のショートケーキを食べ終えたところで話を続けることにする。
 BC自由学園は、全体的に洋風のイメージが強い。なので学食はもとより、授業で作る菓子も自然とケーキ類に寄ってしまいがちになる。また、学校側もそのイメージ的な面を重視しているのか、和菓子を作るのに必要な材料を用意してくれてはいない。なので、和菓子作りを好む真壁も、授業中は洋菓子を作るしかない。

「でもね、洋菓子を作ってると・・・愛着って言うのかな。これも悪くないなって思うようになったんだ」

 和菓子に目覚めるまでは、普通にケーキなどは食べてきた。しかし、病みつきになるほどでもなく、『好きな食べ物は?』と聞かれて悩んだ末に『ケーキ』と答える程度だ。
 けれど、和菓子に目覚めて、学費の関係でBC自由学園に進学し、授業でケーキを作ることが多くなって、洋菓子の魅力にも遅くなったが気づけた。

「だからまぁ・・・こういうところで食べるのも好きだよ。砂部さんも、気にすることなんてないからさ」
「そうですか・・・ありがとうございます」

 そう言う砂部も、モンブランを一つ食べ終えたところだ。
 しかし、何か不安そうに自らのお腹をさする。2つ目のケーキにフォークを伸ばそうとした真壁は、すぐさまそれに気づいた。

「どうかした?」
「いえ、・・・食べ過ぎると、またちょっと怖いなぁって」

 どうやら、女の子のデリケートな問題を今まさに心配しているらしい。ケーキバイキングに行きたかったのに何を今更と思うが、それは愛嬌で中和する。

「俺が思うに、砂部さんは全然そんなの気にしなくていいかなって」
「でも、ちょっと食べすぎるとどうしても不安になってしまいます・・・。いつも、祖父江さんと一緒にいるせいで、比べられやすいというか・・・」

 言われてみれば、真壁も学校で偶然砂部を目にする際は、祖父江と一緒だった覚えがある。ついでに言えば、祖父江は若干細い印象もある。一方で砂部は、髪の色など雰囲気もあってかそういった感じではない。なので、2人並んで立っていると、砂部の方がどうにもそれっぽく見えてしまうのを気にしているようだ。

「大丈夫だって。それに俺個人としては、好きなものは我慢しないで好きなだけ食べてほしいし」
「そういうものでしょうか・・・」
「もちろん。そういう見てくれを気にして、思うように食べられなくて苦しんだり悩んだりするのを見るよりかは、ずっといいよ」

 太るのを気にして食べるのを我慢するのは、個人の自由だ。
 しかし真壁からすれば、好きなものを食べるのは我慢しないでほしい。食品を作る側としては、好きなものを食べて幸せそうな顔を見ていたい。

「・・・あっ、美味しい」

 具体的には、迷った末にチーズケーキを食べて表情を綻ばせる砂部のような姿を。そう言う素顔が、真壁は見たい。
 だがそこで、真壁はあることを思い出す。

「そうだ、和菓子を作って差し入れるって話、したじゃない?」
「あ、そう言えばそうでしたね」
「それなんだけど、次の学校の日に持っていくよ」
「あら・・・よろしいんですか?」

 砂部は申し訳なさそうだが、真壁は素直に『もちろん』と答える。言い出しっぺは自分だし、砂部も楽しみにしているようだったから。

「でも、どうしましょう・・・また食べ過ぎてしまいそうです」
「だったら、今日一日色々な場所を歩いて回ろうよ。そうすれば、エネルギーも消費できるし」

 また苦笑いをする砂部だが、お菓子を食べて摂取するカロリーは、今日の内に消費してしまえばいい。そのために、色々な場所へ行ってみるのが効果的だ。

「・・・そうですね。それでは、この後はどこへ行きましょうか」
「んー・・・この街もそこそこ広そうだし、どこに何があるのかもちょっと分からないからなー・・・」

 何せ初めて来た街なので、勝手が分からない。仕方なく、この店の後は適当に街を歩くということになった。
 だが、そのタイミングで、計らずとも今日一日砂部と行動を共にすることになったと、真壁は思い至る。提案した時はそのことを考えていなかったが、無意識の自分を褒めてやりたい。
 今日は、楽しい休日となりそうだと、真壁は思う。
 同時に、今日予定があって真壁との外出を断った友人たちに、心の中で礼を告げた。


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第7話:初めての戦車道

 真壁は、前から月曜日が憂鬱なものと思っていた。

 苦手な授業、エスカレーター組と受験組の闘争など、頭を悩ませる課題と向き合わなければならぬ一週間の始まり。そして、その先にある貴重な休日まで異様に長く感じさせられる、何とも気が滅入る日だ。

 

「~♪」

 

 だが、鼻歌交じりに校門を抜ける真壁からは、そんな憂鬱さは感じられない。周りを歩く生徒たちから、若干奇異の目で見られていても気にしないほどには上機嫌だった。

 一方で、他の生徒たちは月曜の憂鬱さから目を背けながら、休日どう過ごしたかを話している。やれ話題の映画の出来はどうだっただの、やれ屋台のたこ焼きはついつい買ってしまうだの、コンビニスイーツは当たり外れが大きいだのと、他愛もない話で盛り上がっていた。

 そんな学友たちの話を小耳に挟みながら、真壁はクラスの戸を開ける。

 

「はよーっす」

 

 いつものように気軽な挨拶を誰に向けるでもなくすると、クラスメイト数名から『おはよー』と肩肘張らない返事が返ってくる。

 それを聞きながら真壁は自分の席へ向かうと。

 

「おはよう、曙光」

 

 頬杖を突き、微睡んでいるとも呆けているとも取れない態度の親友がいた。

 それなりに長い付き合いがあるが、今のような姿、さらに挨拶に反応も示さないとは中々に珍しい。

 

「・・・ああ、おはよう」

「おう」

 

 わずかに遅れて反応を示す曙光。何かあったのは明白だと思いつつ、真壁は席に荷物を置く。

 

「で、どうした?朝からそんな腑抜けた感じで。お前らしくもない」

「そう見えたか・・・?」

 

 曙光の前の空席に失礼して、いつもの軽い調子で話しかける。こういう時に何の遠慮もなく話しかけられるのが、親友の利点だ。

 

「休みの日に何か嫌なことでもあったか?」

 

 一先ず考えられるのは、真壁のあずかり知らない場所で、曙光が何かの不幸に見舞われた可能性。特に曙光は、休みの日に『用事がある』と言っていたから、それ関連のことが一番考えられる。

 そしてどうやら図星だったらしく、曙光はわずかに唸る。

 

「何があった?」

「いや・・・別に嫌なことがあったわけじゃないんだ」

「じゃあ、何が?」

「それは・・・あー・・・」

 

 真壁の言葉を否定しつつも、もごもごと何が起きたか言おうとしない。

 親友の意外な一面を面白がりつつ、真壁も少し頭を働かせる。嫌なことではないと言いつつも何があったか言わない点は、少し不思議だ。本当にそんなことはなかったのか、それとも真壁に心配させまいと嘘を吐いたのか。曙光の場合、そのどちらも考えられる。

 ただ、ここ最近で曙光の周りにあった出来事を考えれば、おのずと答えは見えてきた。

 

「マリーさんに関係あったり?」

「・・・まあ、な」

「何、一緒に出掛けたりしたの?」

「なんで分かるんだ」

 

 流石にそこまで聞くと、あっさり曙光は認めた。その表情は、観念したかのような笑みだ。

 しかして真壁も、その事実に笑う。随分自分と似たような休日の過ごし方をしていたものだ、と。

 

「やるじゃないか、あのマリーさんとデートなんて」

「デートじゃない。一緒に出掛けるぐらい、友達同士でよくあることだろ」

 

 真壁のからかいにも正面から反論する曙光。

 当然ながら、この話は声を潜めて交わしている。受験組にはエスカレーター組、あるいはマリーを快く思っていない人も少なからずいるため、お互いに悪いことが起きないよう、声を大にするわけにはいかなかった。

 

「一緒に出掛けただけなら、何でさっきまでボケーっとしてたんだよ」

 

 そう訊ねると、曙光は視線を逸らす。曙光が自分で言ったように、ただ友達同士で出かけただけなら、失礼を働いたりしない限りは後ろ髪を引かれはしないだろう。

 今の曙光は、地に足がついていないようだ。

 

「もしやと思うけど・・・マリーさんに気があるとか?」

「それはない。全くない」

 

 探ってみたが、曙光の答えは間髪入れずに返ってきた。どうやら、流石にそこまでの気持ちは抱いていないらしい。現時点で、であるが。

 そんな真壁の心情を掴んだのか、曙光は『チッ』と舌打ちをする。

 

「この話はやめだ。真壁は、休みは何してた?」

 

 ごく自然な流れで、曙光は同じ質問を真壁に返してきた。

 

「・・・あー、言えん」

 

 だが、曙光がマリーとのことを隠していたように、真壁も隠したいことがあった。なのでここは、ノーコメントを貫かせてもらう。

 しかし、曙光の目がすっと細くなる。

 

「・・・俺の休日を暴いておいて自分は白を切るって、不公平と思うんだ」

 

 隠したい事実があるのに気付いたのは、向こうも同じらしい。それに、確かに真壁は曙光に自白させたわけではなく、ずいずいと深入りしたのもある。ある程度の申し訳なさも拭えなかった。

 

「・・・女子と、出掛けた」

 

 そんなわけで、罪悪感もあり明かすしかなかった。誰と、と明確に言わなかったのは、最後の心の防衛ラインの表れでもあるが。

 

「砂部さんか」

 

 そんな真壁の悪あがきもあえなく崩れ去る。ピンポイントで当てられて、曙光以上に真壁も唸った。

 その通りで、真壁が月曜なのに朝から上機嫌でいられたのも、休日に砂部と出掛けられたからだ。故意に狙ったものではなかったものの、自分にとって好きな人と一緒に過ごす時間とは、それだけで何物にも代えがたい。その経験があれば、辛い一週間も何のそのだ。

 一方曙光は、そこから真壁を突いていじくるような性格ではない。心底感心したかのように、腕を組んで『ほぉ~』と息を洩らした。

 

「意外だよ。まさか、そこまで仲良くなってたなんて」

「いや、違う。出先で偶然会って、砂部さんも1人だからってことで一緒に回ることになっただけだ。誘ったとかじゃない」

「ああ、そういう・・・」

 

 真壁も砂部と仲良くなれた感じはしていたが、やはり身分の差について思うところはある。できることなら、カッコよくデート・・・もとい街歩きに誘いたかったが、その部分が邪魔をした。それだけが、今の真壁にとっては心残りである。

 すると曙光は、『だけど』と付け加えた。

 

「知らない街で偶然会って、一緒に歩くのOKしてくれたんだろ?なら、ある程度お前のこと信頼してるって考えていいんじゃないの?」

 

 その言葉に、真壁の腹の中に何かが落ちるような感覚がした。

 自分の中で引っかかっていたこと、いまいち不安で仕方なかった要素に、納得できた気分だ。

 

「2人とも、おはよう」

 

 だが、そこで後ろから声を掛けられた。登校してきたばかりの安藤だ。曙光と揃って『おはよう』と返すが、今真壁の座る席が元々安藤の席だったと思いだし、慌てて自分の席に戻る。

 あと少しすれば、朝礼が始まり、また一週間が始まりを告げる。

 だが、真壁の心の中は、靄が晴れたかのように晴れやかだ。普段感じる気の重さや憂鬱さなど、少しもない。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 黒板に教師が方程式を書いていき、曙光はそれを余すことなく板書する。

 だが、もはや目で認識したものをそのまま手に持つシャープペンでアウトプットするだけで、心は全く別のことを考えていた。

 

―――曙光と話をしたり食事をするのも、楽しかったわよ?

 

 休日に、マリーと出掛けた時に言われた言葉。

 曙光はあの言葉を、マリーは特に含みなど持たせずに言ったのだと、心では理解している。だが、同時にあの言葉が嬉しかったのも事実だ。

 最初はマリーと出掛けることに戸惑っていたが、蓋を開ければどうと言うことはない、普通に友人同士で出掛けるような内容だった。マリーがお嬢様然としていて最初に面食らったが、それぐらいだ。

 それに何であれ、一緒に出掛けたマリーが楽しんでくれたのなら、それで十分だった。自分と出掛けて不快な思いをさせるのは嫌だったし、多少の災難がマリーにあってもそれを『楽しかった』とまとめてくれたから、それは嬉しい。

 だが、実際言葉でそうした感想を言われるのは、それ以上に嬉しかった。いや、ただ単に嬉しいだけでなく、それ以上に心に響いた。

 そしてその嬉しさが自分の中に残ったまま消え去らず、先日外出したという事実がいつまでも頭に残っている。それで心が何だか浮ついているのだ。

 だが、頭を振って授業に集中する。昨日からずっとこんな調子で、朝になっても中々意識が改善しない。結果、真壁にまで気取られる始末だし、いい加減に気持ちを落ち着かせなければならない。

 

(気分転換・・・か)

 

 この事実を一度棚上げするためにも、何か別のことをしたい。具体的には、一度も経験したことのない何かで、一度リフレッシュしたい。

 何かないか。考えを巡らせていると。

 

(あ、そうだ)

 

 1つ、閃いた。

 同時に、シャープペンの芯がパキッと折れた。

 

◆ ◆

 

 1時限目の終わりを告げる鐘が鳴り、エスカレーター組の教室も空気が少し弛緩する。

 だが、砂部と祖父江だけは、未だに気持ちが張り詰めている。二人だけでなく、クラスの一部の女子も同じだ。

 それもそのはずで、クラスメイトであり、エスカレーター組の代表でもあるマリーがご機嫌斜めな様子だからだ。

 

「あの、マリー様・・・どうかなさったのですか?」

「・・・別に、何でもないわよ」

 

 砂部が不安そうに尋ねる。マリーは何でもないように振舞うが、不調は誰の目に見ても明らかだ。

 今朝からどうにも落ち気味な表情だし、授業中も起きてこそいたが窓の外ばかりを眺めていて、授業を半分も聞いていたか定かではない。

 祖父江と砂部が視線を合わせる。だが、2人にはマリーがなぜこうなったのか理由も分からなかった。

 

「ですが・・・マリー様、見るからに気分が優れていなさそうでしたので・・・」

「私たち、心配です・・・」

 

 祖父江も一緒に、マリーの不調を探る。

 するとマリーは、2人が本当に心配そうなのを察したのか、砂部たちを見て小さく息を吐いた。

 

「身体の方は問題ないわ。ちょっと、気になることがあっただけ」

「気になること、ですか」

「もしよろしければ、私たちがご相談に乗りますよ?」

 

 砂部と祖父江が訊ねる。

 するとマリーは、今日初めて笑みを見せてくれた。

 

「実は昨日、曙光と出掛けたのよ」

「曙光さんと、ですか」

 

 マリーのカミングアウトに、祖父江は意外そうに声を洩らす。砂部もまた、驚いたように目を見開いた。

 祖父江も砂部も、マリーと曙光が協力関係にあることは知っているし、外部生に対して偏見は抱かない。それでも、休日まで一緒に出掛けるとは少々予想外だ。

 

「友達同士だし、普段曙光がどんな感じで出掛けるのかも気になったから、どうせなら一緒にって思ったの。まぁ、お互い適当に見て回るだけになっちゃったんだけど、楽しかったわ」

 

 そう話すマリーの表情は、生き生きとしている。ケーキを食べる時のように。それだけで、マリーはその日は本当に楽しんでいたんだろうなと分かる。

 

「でも、昨日の別れ際にね言われたの・・・」

 

 ―――ちょっと明日の昼は、別でいいか?

 

 エスカレーター組と外部生の相互理解のため、外部生にも善意が存在することを周囲に伝えるために、曙光がマリーと学食で昼食を摂っているのはもちろん知っている。その話を持ち掛けたのはマリーで、曙光はその希望に応えてほぼ毎日同席していた。

 しかし昨日は、初めて曙光から断ったと言う。

 

「それは残念ですが・・・曙光さんにも何か予定があったのでは?」

「ですね・・・。それが一番考えられますけど・・・」

「分かってるの。それは分かってるの。だけど・・・何だかちょっと、モヤっとするの」

「モヤっと・・・ですか」

 

 砂部も祖父江も、この学園で長いことマリーの付き人をしているが、こうして誰かに対して『モヤっと』するのは初めてな気がする。似たようなシチュエーションだと、砂部や祖父江が約束をドタキャンした時、マリーは少しぶー垂れる程度で収まった。だが、こうして誰かに『モヤっと』した感情を抱いたことはないと思う。

 

「どうして、そう思われるのですか?」

「だって、曙光と仲良くなれたと思ったのに・・・。それに、お昼の時間も楽しかったのよ?それなのに・・・」

 

 マリーがやきもきしている理由は、砂部と祖父江からすれば微笑ましいものだ。要するに、仲良くなれたと思った相手から、そっけない態度を取られたのが少しばかり嬉しくなかったということだろう。

 

「まぁ・・・それは今日の放課後にでも聞こうと思うけれど」

「そうですねぇ・・・。理由が何であれ、直接聞いてみるのが良いかと」

 

 放課後に会う約束はしているんだ、と祖父江は心の中で感心する。

 すると、机の上に置かれていたマリーのスマートフォンが、メールの着信を告げた。最初マリーは、気だるげな様子で画面をタップしたが。

 

「・・・あら」

 

 メールを読んだと思しきマリーの表情は、先ほどと打って変わって明るくなる。どうしたんだろう、と砂部と祖父江が様子を窺うが、上機嫌なマリーはすぐに種明かしをしてくれた。

 

「今日の放課後、曙光が戦車道の見学に来るみたい」

「あら、そうなんですか?」

「ええ。気になるからって、メールが来たわ」

 

 言うとマリーは、早速メールの返信にかかる。心なしか、画面をタップする指も軽やかだ。

 その様子を見守りつつも、砂部と祖父江は不思議に思う。

 曙光とのことで一喜一憂する様は、ただ共通の目的を有しているから、ただの友人だから、と単純な理由で片付けられる態度には見えない。普段はふわふわした感じのマリーでも、人間関係で、周囲にも分かるほど態度が変わったこともなかった。

 また、『戦車道を見に来る』だけでここまで嬉しそうにするのも初めて見る。OGや、マリーの噂を聞きつけて見学をしに来る生徒がいると聞いても、普段なら『そう』で済ましていたのに。

 

((もしや・・・))

 

 そこで砂部と祖父江は、ある仮説に辿り着く。年頃の女子的には、ごく自然な仮説に。

 だが、頭の中で即座にそれを否定する。何せ―――やや失礼かもしれないが―――あのマリーだ。そんな気持ちが芽生える可能性は低すぎると、ある種諦観する。

 ともかく、マリーの機嫌が直ったようでまずは一安心だ。

 

「ね、2人はお休みの日はどうしていたの?」

 

 すっかり上機嫌になったマリーは、問いかけてくる。

 先に口を開いたのは祖父江だ。

 

「私は・・・少し体調が優れなくて。寮にいました・・・」

「あら、大丈夫なの?」

「ええ、ゆっくり休んでいたおかげか、今はいつも通りです。御心配には及びません」

 

 笑みを浮かべて、快復したのをアピールする祖父江。マリーも頷いた。

 そしてマリーの視線は、その隣にいる砂部に移る。砂部がどう過ごしたのかも気になるのだろう。

 

「私は・・・港街を散策していました」

「そうだったの。1人で?」

 

 そうマリーが訊ねると、なぜか砂部の耳のあたりが赤くなった。祖父江も気づいたらしく、『?』な顔を浮かべる。

 

「・・・真壁さんと」

「あら」

「まあ」

 

 視線をわずかに逸らしながら答えると、マリーも祖父江も心底びっくりしたように、口元に手を当てた。その反応で余計に照れ臭くなったか、砂部はぎゅっと目を閉じてしまう。

 

「意外・・・そこまで仲が良かったのですね」

「いえ、偶然出会っただけです。それで、真壁さんもお一人とのことでしたので、せっかくだからと・・・」

 

 マリーは『へぇ~』と一定の興味を示すが、祖父江はそれ以上に興味がある。いかに育ちの良いお嬢様でも、男との接点が少ないエスカレーター組では、割とこうした色恋の話に興味を持つ人間は多い。祖父江もその一人だ。

 

(少し前までは、こんなこともなかったんですけどねぇ)

 

 その傍らで、祖父江はふと考える。

 今もまだ、エスカレーター組と外部生の諍いは絶えない。しかし、エスカレーター組の生徒が外部生、しかも男子と外出するなんてことは、前までは考えられなかったことだ。何しろお互いに、必要以上の興味は持とうとせず、関わることさえ論外とされていたのだから。

 マリーや砂部が、エスカレーター組の男子とのことで変わりつつあるのは、驚きも興味もあるが、感慨深さも祖父江は抱いていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 放課後、曙光はマリーに伝えた通り、戦車道の訓練を見学しに来た。と言っても、訓練場のど真ん中に乗り込みはせず、見学用の建屋から遠目に見るだけだ。

 見学用の建屋も、校舎と同じように陣営ごとに分かれている。建屋は大体3階建ての家程度の高さがあり、訓練場を区切る柵のすぐそばに建てられていた。そこからでも肉眼ではまだはっきり見えないため、双眼鏡を用いて見るのだ。

 以前マリーから聞いたが、実際に戦車を動かして行う訓練はほぼ毎日行われているらしい。午前の選択科目の時間と、午後の放課後の2回に分けて行われるとのことだ。午後は大体が模擬戦らしく、今もまたそれらしき訓練が行われていた。

 

「・・・すごいな」

 

 双眼鏡から見る光景に、曙光の口の中で言葉がにじむ。

 戦車道に関しては、曙光はずぶの素人だ。武芸の概要は知っているものの、細かいルールは知らないし、戦略を練る頭も無い。

 そんな曙光では、今行われている訓練に対して陳腐な感想しか述べられない。

 動いている戦車は、大きく分けて3種類。銀の機体の大型の戦車と、薄いグリーンの小ぶりな戦車、そしてひときわ小さなダークグレーの戦車だ。

 見る限りリードしているのは、大きな銀の戦車。その内の1輌から押田が身を乗り出しているのを見るに、あの大きな戦車はすべてエスカレーター組の車輌だろう。受験組とエスカレーター組の緊張状態を鑑みれば、1種類の戦車を両陣営で分けて使うとは考えにくかった。

 そして、大型の戦車はまとまって陣形を構築しているように見えるし、その後方にいるダークグレーの小さな戦車からは、マリーが身を乗り出しているのが見えた。とすれば、必然的にグリーンの戦車は安藤率いる受験組の部隊だろう。

 ただ、素人目に見ても、エスカレーター組の銀の戦車が強そうだし、それと比べ受験組の戦車は弱そうに見える。実際、エスカレーター組はその大きな車体と強そうな主砲に物を言わせ、受験組を押しているような感じになっていた。

 それでもエスカレーター組のワンサイドゲームにならないのは、受験組もそれなりにトリッキーな戦術を駆使しているからだ。受験組の戦車は、車体が小さい分小回りが利くらしく、不規則な動きでエスカレーター組の戦車を攪乱している。さらに、一瞬で速度を上げるとエスカレーター組の戦車に肉薄し、砲台と車体の間に砲身を押し込んでそこを撃ち抜き、行動不能に追いやった。

 

「おー・・・」

 

 エスカレーター組は大型の戦車で悠々と戦い、受験組は小型の戦車で軽やかに戦う。お互いの陣営は、それぞれの戦車の特性を生かして戦っている模様だ。

 それにしたって、チームを両陣営混成にすれば戦力のバランスは均一だし、戦略の幅も広がるだろう。全体的に、効率が悪いような気もする。ここがどんな学園かを考えれば、その実現も不可能に近いが。

 

「おっ」

 

 すると、安藤が身を乗り出す戦車が、エスカレーター組の大型戦車を撃破した。やり方は、先ほど見たような砲台の付け根を狙った一撃だ。どうやら、安藤たちの戦車では、押田たちの戦車の装甲を撃ち抜くのは不可能らしい。

 だが、押田たちもそれは分かっているらしい。安藤の戦車目掛けて別の銀の大型戦車が発砲し、安藤の戦車が撃破される。見れば、それは押田の戦車の砲撃だった。

 

(マリーは後ろで指揮・・・か)

 

 エスカレーター組のリーダーであるマリーは、戦闘が行われている区域から離れた位置にいる。無線で指揮を執っているようにも見えるが、戦闘に参加する意思は見られない。ただし一番小さな戦車で、曙光から見ても性能は低そうに見えるため、撃破される可能性が高いからかもしれなかった。

 そして気付けば、受験組のリーダーである安藤の車輌が撃破されたことで、模擬戦は終了となったらしい。エスカレーター組の銀の大型戦車は悠然とした様子で車庫へと戻り、受験組の連中は地団太を踏んでいるのが見える。おまけに、マリーの言っていた通りで、模擬戦にもかかわらず実弾が使われていたらしく、撃破判定を受けた戦車はピクリともしない。

 曙光は今日初めて、戦車道というものを目にした。しかし、所有する戦車の不平等さや、バランスの取れていない模擬戦など、どうにも腑に落ちないところがいくつもあり、全面的に満足とまではいかなかった。

 だが、その辺りの疑問は後でマリーに訊くとして、今は感傷に浸らず校舎へと戻ることにする。何せこの後は、マリーにケーキを持って行かねばならないのだから。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 マリーの待つサロンへと向かう道中。

 

「ごきげんよう」

「あっ、こんにちは」

 

 名前も知らないエスカレーター組の女子に、挨拶をされた。

 ベリーショートの金髪の人物だが、曙光はその人物と面識がない。記憶を掘り返して見るが、食堂で姿を見かけたことがあるような、と思う程度だ。

 だが、今一番重要なのは『それが誰か』ではなく、『エスカレーター組の女子が挨拶をした』ことだ。

 入学以来、そんなことは一度もない。受験組とエスカレーター組は、少しでも突けば取っ組み合いが始まるほど剣呑な関係だ。それもまだ根本的には解決していないはずだが、受験組の曙光にエスカレーター組のお嬢様が挨拶をした。

 

「・・・え?」

 

 それがどれだけ重要なことか、曙光は挨拶をして数歩でようやく気付いた。

 立ち止まり、慌てて後ろを振り向くが、その挨拶をした女子の姿は既に廊下の先の方にある。まるで、挨拶をしたことに何の後ろめたさも感じていないようだが、それが本来普通なのだ。その『普通のこと』が今までできなかったから、余計に驚いた。

 曙光は、再びサロンへ向けて歩き出す。

 

「ちょっと、遅かったわね?」

「ああ、ごめん。意外なことが起こってさ」

「意外なこと?」

 

 そしてサロンに着くと、既に身支度を整えて待っていたマリーが、不満げな目を曙光に向ける。曙光は持ってきた菓子の皿をマリーの前に置き、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れつつ、先ほどの挨拶の話をした。

 

「それは・・・良い兆候ね」

 

 話を聞き終えたマリーは、満足したように頷く。表情も、心なしか嬉しそうだ。

 

「あなたたちに挨拶をしたってことは、害のない存在と認めているからよ」

「だろうな。それはありがたいことだし、普通のことをしてもらえるってのは嬉しい」

 

 出来上がったコーヒーを、曙光はマリーの下へと運ぶ。そして、持ってきた菓子の皿に被せていた蓋を外すと、中からカヌレが姿を見せた。

 

「確かにここ最近、食堂でも俺や真壁に向けられる視線が、ほんのちょっと少なくなった気もする」

「それは、慣れもあるんじゃないかしら?あなたたちはほぼ毎日、こっちの学食に来てるし」

 

 ただ、慣れにしても、エスカレーター組から刺々しい視線を向けられないのは、大きな進歩だ。それまでは校舎を行き来する度に、胃が縮こまるかのような思いをしてきたのだ。今はそんなことも無くなりつつあるので、曙光も自分たちの行いが決して無駄ではないのを実感している。協力してくれている真壁にも感謝したい。

 だが、そこでマリーは『そういえば』と曙光を見る。

 

「曙光、今日は学食に来てくれなかったわね」

 

 話の流れが変わる。マリーの表情にも、若干の鋭さが滲み出ていた。

 曙光も、そうなってしまうのは当然だと思っている。。自分からそれを言ったくせに、理由も言わなかったのだから。

 ただ、その理由はいくらでも誤魔化しが利くと思っていたのだが、今のマリーはいつになく真剣な顔つきをしている。真実を言わなければ納得してくれなさそうだが、かと言ってそれを正直に言うのは曙光としても恥ずかしい。

 

「まぁ・・・気持ちを整理したかったんだ」

「整理?」

 

 言葉を選びながら、ゆっくりと話し出す。

 いかに自分が恥ずかしくても、マリーから視線をそらしてはならないと思った。

 

「その、マリーと出掛けた日。マリーは楽しかったって言ってくれて、それは嬉しかった。俺も楽しかったからさ」

 

 マリーと反対側にある椅子に、曙光は腰を下ろす。未だマリーの視線は曙光から外されておらず、思わず唾を飲み込む。

 

「けど、マリーから『楽しかった』って面と向かって言われた時・・・何か胸が締め付けられるような感じがしたんだ」

「・・・?」

「だから少し、自分の気持ちを整える時間が欲しかったんだよ」

 

 あの時、笑みとともにその言葉を告げられて、曙光の心の中は温かい気持ちで満たされたようだった。

 しかし同時に、何か得体の知れない奇妙な気持ちに、呑み込まれそうな感覚もあった。それが、胸が締め付けられるような感じの正体であり、そのまま受け入れるのを曙光は拒んだ。

 その感覚は、結局学園艦に戻るまで消えず、かつて抱いたことのない感覚に恐怖した。だから、その発端であるマリーとほんの少しの間だけ距離を置こうと考えた結果、今日だけ昼食は別々にとしたわけである。

 

「何だかいまいち、よく分かんないわ」

「・・・すまん」

 

 説明しても、マリーは首を傾げる。真に納得はしていない様子だ。曙光も、正体不明の感覚が怖かったなんて説明を受けたら、同じような反応を示す自信がある。

 しかしマリーも、あまり難しいことは深く考えない主義のようで、『まぁいいわ』と言いながらカヌレを食べる。表情は一転して明るくなった。

 

「曙光って、意外とそういうの気にするタイプだったのね。私の言葉とか」

「まあ、な」

 

 コーヒーを飲むマリーに向かって、曙光も頷く。

 

「それでも、ケーキの腕は落ちてないんだから大したものよ」

「そりゃ下手なものは食べさせられないし」

 

 どれだけ自分が心に不安や迷いを抱えていても、菓子作りには一切私情を挟まない。それは自らに課している義務でもあった。

 

「まぁ・・・いいわ。ケーキが美味しいし、お昼のことは勘弁してあげる」

「助かる。明日は大丈夫だから、またお昼は一緒にしよう」

「そう?なら、お願いね」

 

 一先ずの許しを得られたので、曙光は安心する。ただ、マリーの微笑みを見ると、やはり曙光の胸はわずかに引き絞られるような思いだ。

 

「ところで今日、曙光は戦車道を見学に来たんでしょ?」

 

 カヌレを1つ食べ終えたマリーが、改まって曙光に訊ねる。頷いて、曙光も自分の分のコーヒーを飲んだ。

 

「どんな感じに見えた?」

「どう・・・って言われても俺は素人だからな・・・。とやかくは言えないけど・・・」

 

 戦車道を初めて見てから、まだそこまで時間が経っていない。所見の整理もままならない状態だったが、それでも見学した模擬戦の色々な感想を、マリーに伝えていく。マリーは、『ふんふん』と頷きながら耳を傾けてくれた。

 

「大きい銀色の戦車はARL44、小振りなグリーンの戦車はソミュア、私のダークグレーの戦車はルノーFTね」

 

 話し終えてから、マリーがまず教えてくれたのは、曙光にとっては分からなかった戦車の種類だ。聞いたところで、名前を覚えるのにも苦労しそうだが。

 

「曙光も言ってたけど、ソミュアは足が速くて、ARLの火力は高い。だから一番いいのは、ソミュアで相手の動きを攪乱しつつ、ARLで撃破することなんだけど・・・」

「そこはBCか」

「ええ。見て分かると思うけど、エスカレーター組のARL、外部生のソミュアの部隊がそれぞれだけで戦っちゃうから、連携できないの」

 

 フォークを一度置き、マリーは溜息を吐く。

 受験組が全体的な性能で劣るソミュアを宛がわれたのは、エスカレーター組の方針によるものだ。プライドの高いエスカレーター組は、戦車道で外部生に劣ることを良しとせず、比較的性能の良いARLを独占して所有してきた。これは、学園が併合されて間もない頃から変わらない。

 受験組も、エスカレーター組の考えは分かっていたし、だからこそ納得できなかった。

 よって、エスカレーター組が扱き下ろす受験組が、性能の低い戦車で、エスカレーター組の高性能な戦車を殲滅させられれば、革命が成し遂げられると信じてやまないのだ。だから、たとえ戦車道の模擬戦であっても、実弾まで使っている。勝てた試しは一度もないらしいが。

 

「流石に公式戦で仲間割れはしないんだろ?」

「それはね。私もその時だけは割と真剣に皆を纏めたわ」

 

 既に終わってしまった、今年の戦車道の全国大会。相手は四強校の一角・聖グロリアーナ女学院と、曙光には聞いただけでも『強そう』としか思えなかった。

 ただ、マリーはそんな相手を前に、いつもの調子では勝てるはずもない、とすぐに悟ったそうだ。

 なので、その時はまだ己の中に残っていた、お互いに仲良くなれるようにという気持ちを全面的に前に出し、どうにかして協力させたと言う。協力と言っても呉越同舟、不承不承と、お互いに牙を剥き合いながら手を組む非常に危なっかしいものだったが。

 結果は、敗退。そのせいで、『手を組んでも勝てない』と皆は思い込んでしまい、ますます仲は悪くなってしまったのだと言う。

 

「そもそも、こんな状態だから大会とかに出ても初戦敗退ばっかりなの」

 

 戦車道で大切なのはチームワークだと、マリーは語る。いくら戦車1輌の練度が高くても、チーム全体で纏まらなければ何にもならない。個々の練度は、模擬戦を見ていた曙光からしても、それなりに高いことは窺えた。

 公式戦で結果を残せないのも頷けてしまう。参戦する他の学校も、戦車の性能はもとより、連携もそれなりに強いはずだ。そんな学校が揃う大会に出ようものなら、簡単には勝てないだろう。

 

「模擬戦が陣営ごとのチームになっているのも、仕方ないか」

「そうね。何度かお互いの戦車を混ぜたチームを作ろうとしたけど、結局仲間割れになっちゃって。練習にならなかったわ」

 

 コーヒーを飲んで、『はぁ』とまた息を吐くマリー。今日見た時は違ったが、仲間割れを起こしたときの有様など、見るに堪えないものだったのだろう。

 

「後さ、ルノー・・・FTだっけ。マリーはあれに乗って後ろで指揮するだけなのか?」

「それはBCの隊長のしきたりみたいなものね。あの戦車で、後方で優雅に指揮を執る・・・ルノーFTの性能自体そこまで高くないのもあるんだけど」

 

 なるほど、と曙光は腕を組む。

 曰く、ルノーFTは学園が所有する戦車で最も小さいものであり、故に特別扱いされている。だから、唯一の隊長が搭乗して戦いに挑むというのだ。しかし性能面では劣るため、後方で指揮に集中すると言う。

 

「曙光は今日、初めて戦車道を見たのよね?どうだった?」

 

 すると、マリーがうきうきとした様子で尋ねてくる。好意的な感想を求めているのは分かるが、曙光は申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「・・・何も知らなかったら、楽しめたと思う。けど、ウチの学校の事情を知ってると・・・素直には楽しめなかった。ごめん」

「・・・まぁ、そんな気は私もしてたわ。謝らなくていいの」

 

 だが、曙光が謝るも、マリーに凹む様子はあまりない。むしろ、否定的な感想も予想していたようだ。

 

「私も、戦車道を始めたばかりの頃は、こんなはずじゃ・・・って思ったの。今はもう慣れてしまったけれど、戦車道を心から楽しいって思ったことは少ないかしら。特に、隊長になってから」

 

 隊長となり、エスカレーター組の代表となったマリーは、現状を良しとしていなかった。だからこそ、一時はお互いの仲を本気で取り持ち、辛うじて共闘させることはできた。しかし、やはり遺恨は深すぎて、現状維持が精いっぱいと悟ったのだ。

 こうした環境で歩む戦車道とは、マリーにとっては心から打ち込めるものとは言えない。楽しいと思ったことも、本当に少なかったのだ。

 

「いつか、マリーが戦車道を楽しいって思えたら、いいな」

「・・・ありがとう」

「こうなった以上、俺も見てみたいし。お互いに仲良くなって、協力して強くなったBCの戦車隊を」

 

 初めて戦車道という武芸を改めて見たが、やはり難解な事情が挟まっているのもあり、心の底から楽しめはしなかった。

 だが、一度この戦車道に触れた以上、一度でいいから爽快な戦いが見てみたい。欲を言えば、BC自由学園の分裂状態の戦車隊が一致団結して、勝利を修める瞬間を見たい。

 それができないことこそが、マリーの悩みの種の1つでもある。

 だが、エスカレーター組と受験組が手を組めば、それも実現できるかもしれない。それを成し遂げるために、曙光はマリーに協力しているのだ。だから、そのために力を貸すことは惜しまない。

 自分にできることがあるのなら、曙光は何でも聞く覚悟だ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 マリーが普段生活する寮は、外部生とは比べ物にならないほど豪勢だ。各部屋には天蓋付きのベッド、応接用のテーブルセットなどが予め設えており、共有スペースにも。お嬢様とはいえ、学生には不釣り合いなほどに揃っていた。

 その豪勢なベッドに、マリーは制服のまま身を投げ出す。およそ優雅とも気品あるとも言えない態度だが、部屋には自分以外誰もいない。何をしても、誰も咎める人はいなかった。

 ただ、普段からマリーは制服のままベッドに寝転がるような真似はしない。髪が乱れるし、制服に皺がつくし、それを直すように頼むのも億劫だ。では、なぜ今日はそのリスクを負ってまでこんなことをしたかというと、自分の心の中に多くのものが重なって、疲れてしまったからだ。

 

 ―――気持ちを整理したかったんだよ

 

 今日、理由もなく昼食の同席を断った理由。

 出掛けた際にマリーが曙光に向けた言葉は、そこまで深い意味を込めたものではない。だが、曙光はマリーの言葉を深く受け止めていた。正確には、好意的に受け止めてはいたものの、曙光自身の気持ちに収拾がつかなくなってしまったのだが、それがマリーは嬉しかった。

 自分の言葉を真剣に考えてくれるのは、聞き流されるのと比べれば嬉しい。特に相手は、マリーたちエスカレーター組と対極の存在である外部生、ここまで仲良くなれると思わなかった人間だ。エスカレーター組の言葉をまともに聞き入れてくれる者ばかりな外部生だったから、曙光という存在は貴重でもある。

 

 ―――そう言ってもらえると、普通に嬉しい。ありがとうな

 

 ただ、あの外出した時に聞いた言葉は、マリーの中で鐘の音のように長く響いていた。

 あれはきっと、曙光の本心だったのだろう。その時の曙光は、軽口を叩いている風には見えなかったし、曙光はそういう感謝の気持ちを冗談や皮肉で言ったことはない。その辺りに信頼はしている。

 

「・・・・・・」

 

 信頼。

 協力関係を築く上では欠かせないもの。BC自由学園においては、エスカレーター組、外部生のそれぞれの枠組みでは存在していても、お互いの陣営の間にそんなものはなかった。

 けれど、マリーは曙光のことを信頼している。これまで積み重ねてきたものがあるからこそ、そう思っていた。

 だが、曙光の言葉を聞いて、自分の胸に強く響いているこの感覚は、ただ信頼しているだけでは得られないものではないかと思う。

 

 ―――いつか、マリーが戦車道を楽しいって思えたら、いいな

 

「ふぅ・・・」

 

 そして今日言われたことも、マリーは嬉しかった。戦車道を心から楽しんだことがまだ少ないと嘆き、そんな自分を曙光は案じてくれていた。

 それもまた、ただ嬉しいと思うだけではなくて、同じように心に深く刻まれている。

 ただ協力関係だから信頼しているというだけでは、こうはならないのではないか。

 自分の心の中で何かが燻っている。単に手を組んでいるだけだった曙光との関係が、変わりつつある。

 それが分かっていても、マリーは自分の感情が分からない。何せ、こんな気持ちになることなど初めてだから。

 

(曙光、ね・・・)

 

 一度目を閉じて、集中して考えようとする。

 だが、それはドアのノックで遮られた。

 

「誰?」

『祖父江です。遅くに失礼いたします』

「入って」

 

 答えつつ、身だしなみを手早く整える。起き上がったところで、祖父江が恭しく頭を下げて入ってきた。

 

「すみません、お休みでしたでしょうか?」

「いいえ、大丈夫。何かしら?」

「戦車道連盟から、こちらの封筒が届いておりました」

 

 制服のまま寛いでいたことは言及せず、祖父江は脇に携えていた茶封筒を差し出す。

 戦車道連盟から直接、となれば何かしら重要な連絡と考えられる。これまでも、夏の全国大会の時や、()()()()()()()()()()()()など何度も送られてきていた。

 仕方なく、曙光のことはいったん頭から外し、茶封筒の封を解く。

 中に入っていたのは数枚の書類と、1枚のチラシだ。

 

「・・・冬季、無限軌道杯・・・」

 

 書類に目を通したマリーは、その新たに開催される大会の名をぽつりと口にした。




『放課後、学食で会おう』

 休日に真壁とアドレスを交換した砂部は、そのメールを読んで心が躍るような気分だ。
 以前から、真壁が和菓子作りを得意としていることは聞いており、一緒に出掛けた時に持ってくると約束してくれた。その証拠に、昨日は作っている途中と思しき写真を、砂部に送ってくれたのだ。
 マリーほどではないにせよ、お菓子が好きな砂部にとってはとても嬉しいことである。おかげで朝にメールが来てから、授業中も、戦車道の訓練でも、ミーティングやシャワーの間もずっとそのことを考えていたぐらいだ。
 わずかに楽しさを滲ませながら学食にたどり着くが、まだ真壁の姿はない。この時間になると、食品の提供は行われないが、一応自由に使えるように開放されている。今もまた、数組のエスカレーター組の女子がテーブルに着いて談笑しているのが目に入った。
 砂部は適当な席について、真壁を待つことにする。

「お待たせ、砂部さん」

 それから数分と経った頃に、真壁は姿を見せた。手には、お菓子が入っていると思しき紙袋を持っている。

「ごめんね。待たせちゃった?」
「いえ、私も先ほど来たばかりですし」

 そして、デートの前のような挨拶を交わしたところで、可笑しくなってしまう。思わず砂部がニコッと笑う一方、真壁は若干恥ずかしそうに項垂れた。

「ところで、約束のものなんだけどさ」

 そこで、話の流れを無理やり変えるように、真壁は紙袋をテーブルの上に置く。照れ隠しかな、と砂部は思ったが口にはしない。

「おはぎでよかった?」
「はい、ありがとうございます」

 袋から取り出した箱の中には、ふっくらとした小豆色のおはぎがいくつも並んでいた。『美味しそうですね』と言わずにはいられない。

「お茶も持ってきたし、よかったら」
「ありがとうございます・・・」

 袋から水筒を取り出す真壁。カップに注がれたのは、温かいほうじ茶だった。おはぎだけでは口の中が少しねばついてしまうので、飲み物の用意をしていなかった砂部としてはありがたい。

「それでは、いただきますね」
「召し上がれ」

 一つおはぎを手に取り、砂部は早速口に運ぶ。
 途端、自分の表情が緩んでしまうのを堪えられなくなった。

「美味しい・・・です・・・!」

 口の中に広がる餡子の風味に舌鼓を打つ。その砂部の反応に安心したか、真壁も『ありがとう』と笑ってお礼を告げる。
 一つ目をじっくり味わってから、砂部は改め真壁を見る。

「本当においしくて・・・お店で出されても不思議ではないぐらいです・・・」
「それならよかった・・・。もし美味しくなかったらどうしよう、ってよく思っていたし」

 どうやら、持ってきたおはぎは全て砂部に食べさせるつもりらしく、真壁は手を伸ばそうとしない。それを申し訳なく思うが、同時に美味しくてすぐに次のが食べたくて仕方ない自分も、些か食い意地が張っていると砂部は思う。

「作った甲斐があったよ。それだけ喜んでくれるのを見るとさ」

 2つ目のおはぎに口を付けたところで、真壁が告げる。途端、目に見えるレベルで喜んでいたと今頃に気づき、恥ずかしくなってしまう。なので、2つ目を食べ終えると、おはぎの箱の蓋をそっと閉めることにした。

「あれ、もういいの?」
「残りは寮で食べようかなと・・・」

 真壁が訊ねるが、砂部はこれ以上恥ずかしい顔を見られたくないという本心を隠す。

「また何か、作ってほしいお菓子があったら言ってよ。作るからさ」
「いえ、そんな・・・申し訳ないですよ」
「いいって。美味しそうに食べてくれるんだし、作り甲斐もあるよ」

 だが、先ほどの砂部の表情を、真壁は本当に微笑ましく見ていただけらしい。そう思うと、恥ずかしがっていた自分が独り相撲を取っていただけのような気がした。一先ず、真壁が差しだしてくれたほうじ茶で気持ちを落ち着かせることにする。

「ところで、さ。ここに来る途中なんだけど・・・」

 そこで真壁は、話の流れを自分から変えてくれた。これは砂部としてもありがたい。

「実はさ、エスカレーター組の子に挨拶されたんだ」
「えっ?」

 しかしながら、真壁の切り出した話はとても雑談程度で済まされない。

「どなたか、お知り合いの方でしたか?」
「ううん、知らない人。短い金髪の人だったけど、フツーに挨拶してくれたよ」

 元来、エスカレーター組は受験組に対し、排他的な態度を取っている。常日頃から厳しい視線を向けており、挨拶などもってのほかだ。だから、見ず知らずのエスカレーター組の女子が、受験組の男子に挨拶をするなど異常事態と言っても過言ではない。

「真壁さんはどう思われました?」
「そりゃ、驚きはしたけど、もちろん嬉しかったよ。だって、それだけ俺たちのことを信用してくれてるんだから」

 挨拶をするのは社交辞令もあるだろうが、この学園においてはそうとは限らない。身分の違うものに対して、厭味ったらしくない挨拶をすれば、それはすなわち信頼と取ることができる。真壁も、その点は分かっていた。

「いや、本当・・・嬉しかった。だって今まで、コケにされてたんだからさ・・・」

 鼻を掻く真壁を見て、砂部も同様に嬉しくなる。砂部は受験組に対してそうした態度はとらないでいたが、自分以外の誰かがそうしてくれたのを思うと、身内だからなのもあるが気持ちが穏やかになる。受験組に対する意識が変わりつつあるのだ。

「真壁さんは人当たりも良いと思いますし、それこそ今の状況が変われば、仲良くなれると思いますよ」
「えー?俺は別にそんなんじゃないって」

 口では否定するものの、真壁は満更でもなさそうだ。
 砂部から見ても、真壁は割と気さくな性格で、接することに緊張などは不要だ。比べると少し申し訳ないが、マリーとつながりが深い曙光より明るいイメージがある。エスカレーター組と外部生の隔たりが無くなった暁には、交友関係も広がりそうだ。

「・・・・・・」

 そうなることは、喜ばしいことのはずだ。
 だと言うのに、その時を思い浮かべた砂部は、わずかに寂しさを覚えてしまう。まるで、胸に小さな針が突き刺さったような、胸がつかえるような思いになる。

「砂部さん、どうかした?」
「へっ・・・?いえ、何でも・・・」

 不意に真壁から声を掛けられて、砂部は慌てて否定する。
 その自分でもよく分からない感情を振り切るように、ほうじ茶を一杯飲む。
 それでも胸のつかえは、取れなかった。


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第8話:革命のたい焼き

 無限軌道杯は、元々は毎年開催されていた戦車道の大会だ。だが、戦車道の競技人口の減少に伴い、20年前から開催されなくなった。しかし昨今、国内で戦車道の人気が高まり、競技人口も上昇傾向になったため今年から復活したと言う。

 戦車道に注目が集まっている理由は、大洗女子学園なる学校が見せた奇跡の試合の数々だろう。数十年ぶりに参戦し、戦力もままならないにも関わらず、全国大会では強豪校を次々と撃破し、夏の終わりには大学選抜チームとの試合も制した。それから武芸『戦車道』の知名度はうなぎのぼりだ。

 しかしマリーにとって、戦車道が人気を取り戻した理由は些末な問題だった。大洗女子学園が奇跡の全国優勝を成したのも、大学選抜に勝ったことも、『すごい』程度にしか思っていない。

 第一に考えているのは、BC自由学園が公式戦に参加する機会ができた点だ。

 目下最大の目標は、エスカレーター組と外部生の完全なる和解。全国大会の時は、1人でそれを実現しようとし、結果挫けてしまった。だが、今は協力者がいて、状況も少しずつではあるが好転しつつある。今、大会に参加して両陣営が協力して結果を挙げれば、目標を達成する日がまた一歩近づくだろう。

 だから、無限軌道杯に参加するのは即決だった。

 

「くじは私が引く」

「外部生にそんな大役が務まるか。私が引く」

「対戦相手を決めるだけのくじに外部生も何もあるか。器の小さい奴め」

「大雑把な貴様らに言われたくはないな、ん?」

 

 そして、早くもトラブルが起きた。

 ここは首都圏にある、無限軌道杯のトーナメント表を決める抽選会場。太平洋を航行する学園艦からはるばる出向いたが、抽選のくじを誰が引くかで、同行した押田と安藤が小競り合いを始めたのだ。

 

「はい、そこまで」

 

 そこでマリーは、曙光が持たせたケーキを傍らに置き、仲裁に入る。掴み合いになりそうだった2人も、そこで動きを止めた。

 マリーは、安藤に目を向ける。

 

「安藤、あなたが引いて」

「マリー様、外部生にそんな重要な役を任せるなんて!」

 

 マリーの提案に、押田は案の定難色を示す。目の前で貶された安藤もムッとした顔を押田に向けた。

 

「くじを引くのに外部生も何もないじゃない。結局は運でしょう?」

 

 しかしマリーは、肩目を瞑って優しく言い聞かせる。押田は『ぐぬぬ』と納得いかない様子だが、やがて乱暴に溜息を吐く。

 

「いい結果を出さないとただじゃ済まさないからな」

 

 安藤を指差して告げる押田。所詮運なのだからいい結果も何もないのだが、やはり押田は初戦の相手を決める重要な役目を外部生に任せることが、未だに解せないようだ。

 そんな押田の態度に、安藤もまた歯ぎしりをするが、すぐに壇上へと向かう。いい加減周囲の学校から向けられる戸惑いの視線も増えてきたので、ようやく話が進んだことにマリーは一安心した。

 

『BC自由学園、3番』

 

 やがて壇上で安藤がくじを引き、掲げる。

 アナウンスと共に、トーナメント表の左から3番目の空欄に校名が浮かび上がった。対戦相手はまだ決まっておらず、それを見てマリーの隣の押田は『ふん』と鼻息を吐く。一方の安藤は、さして動揺もせず戻って来た。その結果を見て、マリーもとりあえずは安心してケーキを食べる。

 その対戦相手は、思ったより早く決まった。

 

『大洗女子学園、4番』

 

 壇上に上がった、大洗女子学園の制服を着た女子―――西住流の隊長ではなかった―――がおっかなびっくりくじを掲げると、アナウンスが告げる。途端、会場の至る所から安堵の声や溜息が聞こえてきた。

 トーナメント表に、大洗女子学園の名前が浮かび上がる。その位置は、BC自由学園の右隣。つまり、一回戦の相手だった。

 

「夏の優勝校と当たってしまったではないか!」

 

 その直後、安藤が立ち上がりマリーに向かって怒鳴る。大方、にっくきエスカレーター組のマリーが自分にくじを引かせたから責めているのだろうが、それは逆恨みだとマリーは思う。

 

「くじ引いたのは君だろう!」

 

 そして押田も、安藤の言い分を不服と理解しているから、立ち上がって指を差し指摘する。

 だが、安藤はその押田の腕を掴んだ。

 

「人に責任を擦り付ける気か!」

「擦り付けてなどいない!全く受験組の連中はこすっからい奴ばかりだな!」

「エスカレーター組の奴らは上から目線過ぎるぞ!」

「何をこの外様が!」

 

 そうしてまたいつものように、人目も憚らず取っ組み合いを始める2人。

 その様子にマリーは辟易しつつも、ケーキを食べながらトーナメント表を見る。

 一回戦から、あの大洗女子学園といきなり戦うことになってしまった。これは運なので、マリーには誰を責めるつもりもない。過去の相手の戦いを実際に見たことはないが、それでもどれだけ強いかは知っているし、だからこそ油断のならない相手だと思う。

 しかし、これは逆に大きなチャンスだ。

 分裂したエスカレーター組と外部生が手を組み、大洗との戦いで勝利できれば、かつて叶ったベスト4入りができるかもしれない。ともすれば、優勝だってできるかもしれない。

 そうなれば、長年続くエスカレーター組と外部生の争いに終止符を打つことだって、できるはずだ。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「まさか、いきなり大洗と当たるなんてね・・・」

 

 日を改めて、BC自由学園の学食。

 マリー、押田、安藤の3人を前に難しい表情を浮かべているのは、このBC自由学園のOGであるり、現在は大学選抜チームで副官を務めているアズミだ。彼女は今、グレーのジャケットに黒のタイトスカートと大学選抜チームのユニフォームを着ている。

 

「先輩は、大洗を知っているんですか?」

「知ってるも何も、実際に戦ったんだもの」

 

 安藤が訊ねると、アズミは苦笑して肩を竦める。彼女を含め、大学選抜チームは件の大洗女子学園―――正確には大洗()()だが―――と戦い、そして敗北した。特に、アズミの駆るM26パーシングは、大洗の隊長・西住みほの車輌に直接撃破され、大洗の戦いを間近に見ている。十分、その強さは分かっていた。

 

「だからこそ言えるのは、生半可な覚悟で挑んでは駄目ってこと。仲間割れなんてしていたら、勝つことなんてできないわよ。あなたたちは、協力すれば強くなれるんだから」

 

 OGでもあるアズミもまた、BC自由学園の内部抗争をその目で見てきた。だからこそ、それが大きな弱点であり、それさえ克服できれば強くなれるはずだと思っている。

 しかし、それを理解して即実行に移せれば苦労はしない。

 

「「・・・・・・」」

 

 マリーを挟んで安藤と押田は睨み合っており、『誰がこんな奴と』と雄弁に顔が語っている。アズミはそれを見て、思わず溜息を吐きそうになった。

 

「・・・そうね、その通りだわ」

 

 だが、マリーがそう告げると、溜息が口の中で消え去る。

 アズミは今日に限らず、しばしばBC自由学園に顔を見せに来ていた。マリーが隊長に就いた時も訪れており、だからこそ『こんな子が隊長で大丈夫だろうか』と不安になっていたものだ。何せ、わがままで自由奔放なイメージが強く、隊長に不向きな性格だったのだから。

 そのマリーが今、両陣営の協力に対して意欲的な姿勢を見せている。それも、この学園が抱える大きな課題を前にして。

 

「だからあなたたちも、仲良くなさい」

「・・・はい」

「・・・分かりました」

 

 マリーがそうした態度を見せたので、押田も安藤も先輩を前にして喧嘩などしていられなくなる。不承不承という形でも、頭を下げた。

 一見普通そうに見えて、BC自由学園では単純には見られない光景に、アズミも思わず唇が緩んでしまう。後輩たちが成長することは、とても嬉しいものだ。

 そしてアズミは、可愛い後輩たちの勝利のために、早速知恵を貸すことにする。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「ありがとう、アズミ。今日は勉強になったわ」

「あのね・・・仮にも私が年上なんだし、せめて『先輩』ぐらい付けなさい」

 

 話し合いは2時間ほどで終わり、マリーはアズミを送るために校門へと向かう。押田と安藤は、それぞれの陣営の戦車隊を呼集し、大洗女子学園との試合に向けて話を詰めていた。

 アズミを送る途中で、マリーは感謝の言葉を述べるが、年上への敬意に欠ける言葉にアズミは苦笑する。マリーからすれば、アズミは気心知れた先輩後輩のような印象があったので、呼び捨てにしている。

 

「それにしても、あなたも変わったものね。ああして、エスカレーター組と受験組の仲を取り持とうとするなんて」

 

 先ほどの話し合いの中でも、事あるごとに押田と安藤はマウントを取り合い、口喧嘩が始まりそうになった。その度に、マリーは押田や安藤を宥めて、その場を収めた。アズミからすれば、どうもマリーのそんな様は新鮮に見えたらしく、不思議に思ったらしい。

 訊かれたマリーは、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「・・・ちょっと、ね。気が変わったの」

「ふーん・・・?」

 

 適当にぼかした答えでも、アズミは一応は納得してくれた。マリーの元の性格を知っているからかもしれない。

 

「そう言えば思ったのだけれど・・・」

「?」

「アズミがいた頃は、ウチの学校もベスト4入りしていたみたいだけど、何か特別なことをしていたの?」

 

 マリーが訊ねる。アズミは『だから先輩を付けなさいって・・・』とブツブツ言いつつも、腕を組んで思考する仕草を取る。

 アズミもまた、BC自由学園で戦車道を履修していた。だが、彼女が在籍した3年の間、BC自由学園は初戦敗退もなく、準決勝まで進んだこともあったのだ。その前も後も初戦敗退を重ねているため、その時代に在籍していたアズミが何かを知っているのではないかと思って訊いてみた。

 

「・・・私は受験組だったけど、無理にお互いを協力させようとしたわけじゃないの」

「?」

「ただ受験組の皆に、『嫌なのは分かるけどエスカレーター組のフォローに徹して』って言っただけよ」

 

 エスカレーター組の戦車はARL44、外部生の戦車はソミュア。敵戦車を余裕で撃破できる火力を持つのはARL44であり、ソミュアでは囮程度にしかならないと、アズミは理解していた。

 だからこそ、無理に前に出てエスカレーター組の鼻を明かそうとはせず、できることをやろうと方針を仲間に示したのだ。もちろん、外部生の中には『エスカレーター組の尻拭いなんて』と嫌がる人もいたが、そう言う人には前線で攪乱を任せた。他の『エスカレーター組は嫌いだけど勝つためなら吝かではない』と思う人には、フォローを任せた。要は、適材適所を選んだのだ。

 

「それでも、準決勝は駄目だったわ。やっぱり、チーム全体が協力してくれないと勝つのは無理だった・・・」

 

 結果、アズミの代でも優勝はできなかった。しかし、そのチームの個性を見抜き適切な指示を出した功績が認められて、大学選抜チームにスカウトされ、今は中隊長を務めている。

 

「ただし、これはあくまで私がいた頃の話よ。今はメンバーも全員変わっているし、同じ方法ができるかは分からない。やっぱり一番なのは、お互いに手を取り合って戦うことね」

 

 アズミの言ったやり方は、きっとアズミの代だからこそできたのだろう。今のマリーの代でそれができるとは、押田と安藤の普段の様子を見れば思えない。

 だからこそマリーは、お互いに理解し合って和解することが大切だと思った。

 

「今日はありがとう、アズミ。色々訊けて良かったわ」

「せ・ん・ぱ・い、でしょ。まぁ、また何かあったら連絡しなさい」

「ええ、分かったわ」

 

 そして校門まで着き、マリーは挨拶をする。アズミはやはりマリーの呼び方に若干不服そうだったが、最後には笑って手を振り校門を抜ける。そして、外で待っていたカメラを提げた同い年ぐらいの男と一言二言話を交わし、一緒に連絡船の乗り場へと向かって行った。

 その後ろ姿を、マリーは少しの間眺めていた。アズミの隣を歩くあの男は、友人だろうか。はたまた恋人だろうか。アズミが男と縁の無いことは知っていたし、今までは大して興味もなかったが、今は不思議とそう言うことが気になった。

 

(・・・何でかしら)

 

 自分でも、興味の無かった事柄に興味を持つようになった理由が、分からない。いや、何となく理由は分かるが、確証が持てないでいる。

 ここ最近で親しくなった曙光。彼の存在が、マリーの中で大きくなっている。

 それは果たして、同じ目的を志す協力者だからか。それとも別の要因があるのか。

 少し前から考えているこの疑問は、今のマリーにとって第二に重要なことだった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 その翌日の放課後、曙光は屋台の料理を持ってマリーのいるサロンへと出向いた。屋台の料理は、マリーが久しぶりに食べたいと事前にメールで伝えてきたので、昼休みに買っておいたものだ。持ってきたのは、たい焼きとたこ焼きである。

 

「そうか・・・最初から厳しそうなのか」

「ええ。アズミも、半端な覚悟じゃ勝てないって」

 

 コーヒーを淹れながら、マリーから無限軌道杯の話を聞く。一昨日は抽選会場に行き、昨日はOGのアズミとの話し合いが長引いたため、曙光がマリーと顔を合わせるのは実に3日ぶりだ。

 

「大丈夫なのか?」

「まぁ、皆が協力してくれれば、イケると思うわ」

「それができないから悩んでるわけだけど・・・」

 

 勝つために要求されているのは、普通ならそこまで難しくないものだ。しかし、この学園に限ってはそれも実現不可能に近い。

 しかし、憂う曙光とは違って、たい焼きをナイフとフォークで食べるマリーは、特に不安そうにしていない。どころか、むしろ微笑んでいた。

 

「それでも、前よりは仲良くするのも難しくないと思うわ。少しずつだけど、お互いに仲良くなってきてはいるし」

 

 その点については、曙光も同意見だ。お互いの校舎を行き来する間、曙光たちが厳しい視線を向けられることも少なくなってきたし、曙光や真壁以外も学食で昼食を摂る受験組もぽつぽつと増えつつある。恐らくは気分転換だろうが、嬉しい傾向だ。

 

「でも、まだ完全に協力するには至らないだろ」

「けど、無理な話ではなくなっているわ」

 

 たい焼きを一口食べて、マリーの唇が綻ぶ。

 戦車隊長のマリーとしては、無限軌道杯での優勝よりも、両陣営が協力して勝利することに重きを置いているらしい。もちろん優勝できれば御の字だが、お互いに手を取り合って勝利できれば、マリーと曙光が願う和解への道もぐっと縮まる。

 曙光は、マリーの方針を聞いて尤もだと思う。自分たちの目的が近づくであろう無限軌道杯の開催は、願ってもないことだ。しかし、曙光は男で戦車に乗れず、戦車道の知識も素人なので、これに関してはマリーに一任するしかなかった。

 

「で、曙光。試合の時はケーキをたくさん用意してね」

「ん、試合の後に食べるのか?」

「いいえ、試合中に食べるの。試合中は糖分が足りなくなるから、ケーキが欲しくなるのよ」

 

 マリーは隊長で、試合中は常に作戦を考えつつ指揮をしているので、糖分が足りなくなるらしい。それを補うために、試合中でもケーキを食べていると言うのだ。理に適っているような気がしたが、それって結局ケーキが食べたいのを誤魔化しているだけなのでは、と思わなくもなかった。

 

「前までは祖父江とかに作ってもらってたんだけど、曙光のケーキが食べたいわ」

「・・・分かったよ、用意しておく」

「レパートリーは豊富にね」

「はいはい」

 

 注文が多いな、と思う。だが、マリーが心から望んでいるように首を傾げて笑みを浮かべると、反論する気も起きなくなった。

 しかし、マリーがたい焼きの最後の一切れを食べた直後、サロンの扉がノックもなしに開いた。それも、勢いよく。

 

「おい、貴様!」

 

 数名のエスカレーター組のお嬢様を伴って入って来たのは、押田。揃って厳しい表情を浮かべており、その視線は全て曙光へ向けられている。用があるのは自分だと分かったが、まさかマリーが呼んだのかと、思わず視線を向ける。だが、マリーは何も知らないと首を横に振った。

 

「俺に何か用が?」

「ああ、大アリだ。貴様、マリー様に取り入ろうとしているようだな」

 

 取り入る。思ってもいない、見当違いもいいところな指摘だ。

 しかし、押田の後ろにいる女子たちが、そうだそうだと頷いている。なるほど、どうやら彼女たちがチクったらしい。

 

「何をもって、取り入ろうと?」

「それだ、それ」

 

 曙光は訊き返すが、押田はテーブルの上に置かれた皿を指差す。具体的には、曙光が持ってきた屋台の料理だ。

 

「貴様は庶民の料理をマリー様に渡して篭絡し、由緒ある我々BC学園側を内側から侵略しようとしている!」

「ちょっと待ちなさい」

 

 いわれのない罪を押し付けようとする押田に、横槍を入れたのはマリーだ。

 

「それは私が持ってくるように言ったの。彼らが普段どんなものを食べているのか気になって」

 

 曙光は醜く保身に走るつもりもないが、マリーの話は本当だ。基本学食に行かない受験組が昼食をどうしているのか、という話で曙光が屋台の存在を教えて、マリーが興味を持ったから持ってきた。それだけの話だ。

 マリーは、曙光たちのことを理解しようとしていた。曙光には、マリーを騙すつもりなど少しもない。

 

「マリー様は騙されているんです。外部生は狡い連中で、綺麗ごとを並べて虎視眈々と革命の時を窺っているのです!」

 

 だが、押田は曲解したままマリーに告げる。後ろにいる女子たちも『そうよそうよ』と賛同した。こういう時に結束した女子の集団とは七面倒くさいものだ。

 

「それに、気品あるマリー様が庶民の味に染まってしまうなど、あってはなりません」

「でも、こういう料理も美味しいのよ?美味しいものに貴賤はないわ」

「ですが、それはマリー様・・・ひいては我々エスカレーター組の品格が損なわれます。そしてそれこそが、奴らの狙いです!」

 

 再び押田が、曙光を指差す。

 

「我々の気品が下がれば、奴らもこちらに文句をつけやすい。そこを狙って、貴様らは革命を謀っている!」

 

 押田の推理は、冷静に考えれば根拠がない。根底にあるのは、『外部生が嫌い』という感情だけだ。しかしその感情が厄介なもので、何年にも渡って染み付いたせいで中々解れない。その固定概念を取っ払い手を取り合うことこそ、曙光とマリーが求めていたものだ。

 ここ最近で態度がやや軟化してきたエスカレーター組の生徒は、まだそうした感情が『薄かった』のだろう。それはエスカレーター組でも少数派で、多数を占めるのは、今目の前にいる押田たちのように、排他的な思想がこびりついている人が多いのだ。

 

「押田、あなた糖分足りてないんじゃないかしら?曙光は私たちを出し抜こうとして近づいたわけじゃないの」

 

 しかし、異を唱えたのは、そのエスカレーター組のマリーだ。

 押田たちの視線がマリーに向けられる。例え忠誠を誓っていても、その視線には疑いが含まれていた。

 

「曙光はね、私と協力しているの。私たちエスカレーター組と、曙光たち外部生が仲良くなれるようにね」

 

 できればこんな形で明かしたくなかったが、自分たちの目的をマリーは押田たちに話した。しかし、向こうも一筋縄では納得しない。

 

「マリー様、向こうがそんなことを本気で考えていると思っているんですか?普段から奴らは待遇の改善を訴えていますが、それは完全なる和解と程遠いものです」

 

 ここにいない受験組代表の安藤含め、受験組の生徒が校門で待遇の改善(主に食事関係)を訴えている様子は、曙光も何度も見てきている。戦車道でも、武芸であっても受験組はエスカレーター組を打ち負かして革命の時を狙っているとされていた。

 今この場にいる受験組は曙光のみ。マリーを除くエスカレーター組は、全員が曙光及び受験組に良いイメージを抱いていない。多勢に無勢で、何をどう言っても押田たちは否定的なイメージにしか捉えないだろう。例えそれが、エスカレーター組の代表のマリーの言葉でも。

 この状況を、曙光はまだ冷静に捉えられた。

 

「・・・分かった」

 

 横に入るように、曙光が声を発する。全員の視線が集中した。

 

「で、俺にどうしろと?」

「金輪際、マリー様に近づくな」

 

 押田の突き付けてきた勧告は、今の曙光にとって非常に聞き入れがたいものだった。

 曙光は、ちらっとマリーの様子を窺う。何かに縋るような、見ようによっては不安そうな表情を向けていた。できれば、そんな顔は見たくなかった。

 

「・・・ふぅ」

 

 そんなマリーに対し、曙光は肩を竦めて見せる。

 そして、テーブルの上に置いていたたこ焼きの袋を持って、消え入るような溜息を吐くとその場を後にした。

 

(これしかないんだ、今は)

 

 あの場では、何をどう言っても曙光の立場は変わらなかっただろう。受験組は1人だけで、マリーの言ったことも全て真実だったが、頭に血の上った押田たちは聞く耳を持たなかった。加えて、エスカレーター組は受験組に対し、基本的に校門で抗議活動をしたり、戦車道の時のような過激なイメージを抱いている。だから、曙光に対するイメージもそれと同じだったのだ。そんな奴が『和解を目指す』と言っても、エスカレーター組には穏便なものに聞こえるはずもない。

 つまり、あの場での最適解は撤退することだけだ。

 

「これからどうするかな・・・」

 

 受験組の校舎へ向かいながら、独り言つ。

 あの場では戦略的撤退をするほかなかったが、本当にこれで和解を諦めたわけではない。マリーから教わった無限軌道杯のプランもあるし、一部のエスカレーター組の受験組への態度も変わりつつある。学食に来る受験組も増えているし、成果は見えてきていた。つまり、あと少しだったのだ。

 

「はぁ・・・」

 

 境界線の鉄扉を開けて、受験組の校舎に戻ってくる。

 扉を閉じたところで、マリーに渡すはずだったたこ焼きがあるのを思い出す。丁度小腹も空いていたので、その場で食べることにした。

 

 ―――試合中は糖分が足りなくなるから、ケーキが欲しくなるのよ

 

 ついさっきのマリーの言葉を思い出す。あの話を聞いてから1時間と経っていないのに、随分と昔のことに感じる。押田たちとの不毛な押し問答のせいだろう。

 疲れた時にものを食べるとは、自分もマリーに似てきたと思わず笑ってしまう。食べるのはケーキではないが、そんなことを考えながらたこ焼きを1つ口に放り込む。

 時間が経ち、冷めてしまったそれは、お世辞にも美味しいとは言えなかった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌日、曙光が登校してクラスに着くと、いつになくざわついていた。

 そのざわめきの中心にいたのは、安藤だ。

 

「どうかしたのか?」

「どうもこうもあるか。エスカレーター組の連中、ついに我々のソウルフードにまでケチをつけてきやがった」

 

 安藤が不満を露にすると、曙光の口が引き締まる。

 話を聞くと、昨日の放課後にエスカレーター組の押田が取り巻きを数人従えて、受験組の屋台街にやって来たそうだ。普段から受験組の敷地に入ってこない向こうから来ただけで驚きだったが、向こうは『みすぼらしい』『衛生環境が悪い』『庶民の味はBCにそぐわない』などと扱き下ろし、終いには全ての屋台を七日以内に撤去せよと命令してきたと言う。

 

「あいつは、マリーさんの言ってた『協力し合うことが大切』って言葉を思いっきり履き違えてるんだ」

「?」

「押田たちの言う『協力』ってのは、我々が完全にエスカレーター組の麾下に収まることなんだよ。平等なんかじゃない」

 

 腕を組んで、荒っぽく息を吐く安藤。周りにいるクラスメイト・・・特に屋台を営む女子たちも安藤と同意見らしい。

 マリーが受験組とエスカレーター組の協力を示唆したことは、それは押田と安藤にとっては初めてだった。しかしながら、押田にとってのエスカレーター組との協力とは、完全な支配下に置くことと思っているようだ。だから昨日、押田が曙光やマリーに対し聞く耳を持たなかったのか。

 曙光は、胸に不安を抱えたまま安藤に問う。

 

「・・・それで、これからどうするんだ?」

「当然向こうの要求は呑まん。こうなった以上、徹底抗戦しかあるまい!」

 

 安藤が高らかに宣言すると、周りの女子たちが『おー!』と従うように腕を挙げ、声を上げる。

 徹底抗戦となれば、これまでの抗議活動とはまた違ったものとなるだろう。押田たちも、わざわざ受験組の敷地まで来たとなれば、今までと違いそれだけ本気という意思の表れでもある。

 

「・・・安藤」

「なんだ。曙光も今回ばかりは参加するか?」

「いや・・・少しだけ、話したいことがあって」

 

 しかしながら、曙光はどうしても安藤に言っておきたいことがあった。それは、あまり人に聞かれたくないことだったので、安藤と二人で屋上へと向かう。

 

「・・・俺のせいかもしれない。こんなことになったのは」

「何?」

 

 マリーが受験組の食事情を理解するために、曙光は屋台の料理をマリーにこっそりと持って行っていた。しかし、それがエスカレーター組の別の女子に見られ、押田に伝わってしまいこんな事態になってしまったのだろう。

 安藤には、前もって曙光とマリーが個人的なつながりがあることを伝えてある。屋台の料理を持って行っていることも、和平に向けて動いていることも言っていた。

だから、曙光は今回のことで自分に責が飛ぶことを覚悟している。それでも、隠したままでいるのが辛くて、言っておきたかった。

 

「・・・そうか」

 

 曙光が経緯を話し終えると、安藤は神妙な表情で頷く。

 複雑な気持ちになっているのは、曙光にも分かる。だが、それでも安藤は、曙光を責めはしなかった。

 

「曙光は曙光で、この問題をどうにかしようとしてただけだ。結果としては残念だが、責めはしない」

「それは・・・ありがたい」

 

 安藤の気遣いに、曙光は頭を下げる。

 だが、安藤は未だに厳しい表情だ。

 

「しかし、これでハッキリした。奴ら相手に話し合いで和解なんて生ぬるい。やはり強く出なければ」

 

 安藤の言葉に、曙光は心が痛む。自分のしてきたことが無駄と言われたようなのもあるが、争いごとが苦手だからこそそれを避けようとしてきたから、こうした結果になってしまったのが辛い。徐々に成果が見えてきていたからこそ、水泡に帰した結末が辛かった。

 

「徹底抗戦って言っても、具体的にどうするんだ?」

「向こうがこちらの敷地に入って来たんだ。なら、こっちも同じことをするまでだ」

 

 今の時点で安藤が計画しているのは、エスカレーター組の領地に直接乗り込み、向こうが使用している施設の前に陣取って直接抗議の声をぶつける。今まで自分たちの敷地から出なかったことを考えれば、踏み切った判断だ。

 

「これぐらいやらねば、奴らは聞く耳を持たん」

「・・・・・・」

「曙光も、参加したくなったらいつでも言ってくれ」

 

 そう言って、安藤は踵を返して屋上を後にする。恐らくこれから、仲間たちとより綿密な計画を企てるのだろう。

 曙光は自分の無力さに溜息が出そうになるが、そこでポケットの中のスマートフォンがメールの着信を告げる。今は無視したい気分だったが、何の連絡かも分からないので一応確認はしておく。

 その送り主は、マリーだった。

 

『今宵、学校の前で』

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 夜に、マリーのメールの指示通りに、曙光は校門の前に立っていた。昼間は抗議活動をする受験組と、それを冷ややかに見るエスカレーター組が行き交い何だかんだで賑やかだが、今は非常に静かだ。自分以外に生徒などいない。

 ポケットに手を突っ込み、肌寒さをどうにか凌ぎながら、曙光は何故呼び出されたのかを考える。

 考えられる理由は、大きく分けて2つだ。

 1つは、完全なる決別。

 マリーはエスカレーター組の代表として、この状況でも冷静な決断をしなければならないはずだ。今や大々的に敵対する関係になってしまった受験組の曙光とは、もう共存の道を探れない。そうなれば、この先曙光は最低限しかエスカレーター組の校舎に入ることができず、マリーと会うこともないだろう。

 あるいは、協力関係は継続。ただし、今まで以上に表立った行動は控え、完全なる水面下で活動を続けること。その場合も、マリーとは直接会わずメールや電話でやり取りを交わすだけになるかもしれない。

 できれば、と曙光が願うのは後者だ。自分とマリーの協力関係は強いものとなっているし、まだ穏便な方法での和解に未練が残っている。

 そして、決別を恐れているのは、()()()()()()()()もあるが、それよりもマリーとこれっきりという事実に、不安を感じているからだ。

 

「?」

 

 すると、何か重々しい音が遠くからじわじわと聞こえてきた。

 明かりの消えた道の向こうへと視線を巡らせるが、音の出所が分からない。乗り物のような音だが、自動車ではない。だが、聞き覚えがある音だった。

 音はどんどん大きくなり、やがて曲がり角から姿を見せたのは、1輌の戦車だった。明かりもないが、見たことがあるその車輌は、マリーの乗るBC自由学園の隊長車・ルノーFTだ。

 そのルノーFTは、曙光の前で静かに停車した。そして、前面のハッチが開くと。

 

「乗って!」

 

 顔を出したのは祖父江。お嬢様らしからぬ慌てぶりで、戦車の後ろを指差す。声量は抑えているようだが、どうにも急いでいる様子だったので、言われた通り曙光はルノーFTの後部に乗る。

 

「中に入ってください!」

 

 だが、上に乗るだけではダメなようで、仕方なく曙光は後ろのハッチを開けて中へ滑り込む。すると、それを確認した祖父江は、操縦桿を動かしてその場でルノーFTを180度ターンさせ、発進させた。

 

「・・・どうして、祖父江さんが?」

 

 揺れる戦車の中で、曙光は祖父江に訊ねる。初めて戦車に乗るという貴重な体験もさることながら、いきなり祖父江が戦車に乗ってきたのも気になる。恐らくは、何らかの事情を知っているに違いない。

 

「マリー様から、曙光さんを迎えに行くようにと仰せつかったんです」

 

 案の定、付き人として祖父江が従うマリーの命だった。マリーの名が出て、曙光も少し嬉しくなる。

 祖父江は操縦しながら、話を続ける。戦車という武骨な物体を、焦る様子もなく優雅にゆったりと動かすその様は、やはりお嬢様らしいところを感じさせた。

 

「・・・今回の件は、伺っています。私たちエスカレーター組の一部が、強硬策に出たと・・・」

 

 祖父江の語調から察するに、彼女も押田たちの横暴とも言える手段には素直に頷けないらしい。元々、受験組に対しても偏見を抱かない良心とも言えるから、やはり弾圧などの強気な姿勢は嫌うようだ。曙光も表情が曇るが、こうして心配してくれていると分かっただけでありがたい。

 

「けれどそれは、どうか私たち全員の総意ではないということだけは、どうかご理解ください」

 

 操縦桿を動かすと、ルノーFTが左に曲がる。そして、地面から伝わる振動で、レンガ敷きの道から土や草などの上を走っているのが分かった。

 

「決して多くはありませんが、私たちの中にも抗争を望まない人がいるんです。と言っても、マリー様や曙光さんのように本当の意味での和解を求める人がいるかは、正直分かりませんが・・・」

 

 言われて曙光は、以前曙光に挨拶をしてくれたエスカレーター組の女子を思い出す。恐らくは、ああいう人物こそ、祖父江の言う『抗争を望まない人』なのだろう。今までこびりついていた受験組のイメージを、曙光や真壁が少しずつ剥がして、害意がないことをアピールした結果、そうした人もは少しずつ接してくれたのだ。

 言い換えれば、そういう人たちはいわゆる『事なかれ主義』なのだ。曙光だってそんな自覚があるから、それを責める気は全くない。

 

「マリー様と曙光さんが、お互いのことを考えて動いてくれていたのはよく分かっております。だからこそ・・・このような形で終わりを迎えるのは辛いですから。できる限りの力を貸します」

「・・・ありがとうございます」

 

 祖父江の言葉に、曙光は静かにお礼を告げる。

 やがてルノーFTは、ゆっくりと停車した。外の様子が分からなかったが、ハッチを開いて降りるとそこは格納庫のようだった。壁には工具が掛けられ、壁際には戦車のパーツなどを仕舞う棚が並んでいる。

 

「こちらへ」

 

 電動式のシャッターを閉めた祖父江は、エスカレーター組の校舎へと曙光を導く。校門前の大通りと同様、この時間帯に校舎をうろつく生徒は他におらず、誰ともすれ違うことはなかった。

 通用門から校舎へ入り、連れてこられたのは見慣れたサロンだ。

 

「こんばんは、曙光」

 

 戸を開けると、中にいたマリーは穏やかに出迎えてくれた。

 シャンデリアの明かりは点いていない。光源は、テーブルの上に載った華奢な装飾が施されたランプのみだ。恐らく、密会していることを万に一つも他の生徒に気付かれないようにするためだろう。

 マリーは椅子に悠然と座りコーヒーを飲んでいるが、表情は凛々しいものだった。曙光の前で見せるふわふわした笑みや、少しばかり不機嫌そうな顔ではない。珍しいその表情に、曙光は唾を飲み込む。

 

「・・・夜更けに呼び出すほどの用事が?」

「ええ」

 

 曙光が訊ねると、マリーはコーヒーカップをテーブルに置く。

 

「押田たちが何をしたかは、知ってるわよね?」

「ああ」

「それで、安藤たちが大きな抗議活動を企てていることも?」

 

 曙光は頷く。同時に、情報が早いと思った。安藤がわざわざその情報を洩らすヘマをするとは思えないし、一体どこからその情報を入手したんだろうか。しかし、それは今の論点ではない。

 

「今、エスカレーター組と外部生の関係は、合併した時以来の緊張状態と言っていいわ」

「ああ・・・今まで以上に仲が悪くなってる」

 

 ただでさえ受験組の待遇は悪いのに、その上押し合いへし合いどうにか続けてきた庶民の味まで取り上げられるのだ。食べ物の恨みは深いとよく言うが、それを実際この目で見ることになるとは思わなかった。

 

「私は、このまま全部終わりになるのは嫌よ。曙光と2人で始めたことだもの」

「・・・・・・」

「だから、またあなたの力を借りたいの」

 

 呼び出された理由は、曙光が『そうであれ』と予想していた、協力関係の継続。

 それ自体は曙光にとっても嬉しいし、協力することは吝かではなかったが。

 

「・・・いいのか」

「え?」

「俺のせいで、今回のことが起きたようなものなのに」

 

 元はと言えば、曙光が受験組の料理をマリーに持ってきたことが原因だ。その行動が押田の配下の強硬派に見られ、今回の弾圧と革命の騒ぎに発展した。世が世なら、戦犯の烙印を押されてもおかしくない。

 

「気にしていないわ。それに、元を辿ればそれは私があなたに指示したことだし」

 

 けれど、マリーには曙光を責める姿勢が見られない。どころか、自分にも非があると認めた。これは滅多に無いことらしく、後ろに控えている祖父江が驚いた様子が見える。

 

「もしかして、凹んでるの?自分のせいでって」

「そりゃ落ち込みもするさ。良かれと思ってやったことが、却って最悪の結果を生み出したんだから」

 

 エスカレーター組の校舎に何度も出入りし、猜疑心にまみれた視線に晒され続けた曙光だが、結局心の強さは人並みだ。自分の灯した一本のマッチが町全体を巻き込む大火事を引き起こしたような事実に、総毛立ってしまいそうになる。

 

「けれどこれは、大きなチャンスよ」

「チャンス?」

「お互いが近い距離で喧嘩をしているからこそ、それぞれの訴えは届きやすくなるでしょう。聞き入れるかは別だけど、だったら私たちの考えだってずっと聞こえやすくなるはずだわ」

 

 今までの受験組とエスカレーター組の抗争は、それぞれの陣地からそれぞれの主張をぶつけるだけだった。戦車道の時は直接対決の様相だったが、話し合いの場もない。

 けれど今は、お互いがお互いの陣地に踏み込んで、自分たちの主張をぶつけようとしている。両者の間にある距離は、悪い意味でだが近くなった。緊張感ですさまじいが、これはマリーの言った通り確かにチャンスだ。

 

「・・・・・・」

 

 曙光はマリーの言葉を頭では理解しているが、やはり起こした事の重大さによるショックが未だ抜け切れていない。マリーは結果オーライと言ってくれているが、心に突き刺さった罪悪感は簡単には消えないものだ。

 そんな及び腰な態度が目に見えたか、マリーは呆れたように息を吐く。

 

「あなたって、意外と小心者だったのね」

「俺は元々こんなだよ・・・そうじゃなかったら、マリーと会うまでビクビクしながらここに通ってない」

「私と会うまで、ね」

 

 マリーと会って、本心を話し合って、同じ志を抱いた者同士手を取り合ってから、曙光も変わったのだ。それまでの曙光は、エスカレーター組の校舎に出入りする度に胃が縮み、何事もなくこの学園で3年間を過ごしたいと願っていたチキンだった。

 

「曙光、お願い」

 

 そんな曙光に向けて、マリーは改めて一歩踏み出す。

 

「私とあなたでやってきたことを、無駄にしたくないの」

 

 真っ直ぐな言葉を、真っ直ぐな視線と共に向けられる。

 それで、曙光の中で渦巻いていた不安や緊張が、消え去った。

 

「・・・分かった。で、何をすればいい?」

 

 決心がつき、マリーに訊ねる。すると、またいつものようにふわふわした笑みを浮かべてくれた。

 

「お菓子を作ってほしいの。1つ、特別な」

 

 その特別なお菓子がどんなものかを聞かされて、曙光は腕を組む。

 それがどういうものかのイメージはできるし、そこまで複雑ではないと思う。だが、それは意外とも言えるもので、かつ普通に作っては失敗することは予想できた。

 しかしマリーは、エスカレーター組と受験組が分かり合うのに、これ以上のものはないと言う。

 

「できる?」

 

 最後にマリーはが問う。

 曙光の表情は、渋かった。

 

「・・・すぐには作れない」

 

 けれど、決して首を横には振らなかった。

 

「だけど、必ず作ってみせる」

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 モンブランを完成させるのに1週間程度かかったが、今回作る菓子もまた同じぐらいの時間がかかると、曙光は見込んでいた。しかも、昼間はエスカレーター組と受験組の抗争が激化しており、おまけに曙光は表向きマリーと接することができないため、練習時間は陽が落ちてからの短い時間しかなかった。

 

「どう思う?」

「うーん・・・ちょっと微妙」

「そうですね・・・何というか、口どけが少し良くないと言いますか・・・」

 

 練習にはマリーだけでなく、事情を理解する祖父江と砂部も同席してくれている。今回作る菓子は、舌の肥えたマリーのお眼鏡に適わなければならない。また、他の人からも意見を貰いたくて、祖父江たちにも協力を求めた。最低でもこの3人から高い評価を得られなければ、完成とは言えないだろう。

 ただ、モンブランの時もクラスメイトや教師に感想を求めていたが、マリーたちは根っからのお嬢様だ。真摯な感想をと曙光は言っておいたが、味覚も庶民と違うため、道は険しそうだと曙光は考えている。

 

「そう言えば、祖父江も砂部も、曙光の菓子を食べるのは初めてだったかしら」

 

 曙光が次を準備する後ろで、マリーが祖父江と砂部に話しかける。『そうですねぇ』と応えたのは祖父江だ。

 

「ケーキは食べますけど、大体は同じエスカレーター組の方が作ったものばかりですしね」

「エスカレーター組も作ってるんですか?」

「ええ。授業で余ったものをお裾分けしたり、戦車道の際に用意してくれるんですよ。あるいは、趣味でケーキを作っている方も多くて」

 

 戦車道云々については、マリーから聞いていた。また、祖父江曰く、菓子作りを趣味としているお嬢様はそれなりにいるらしい。プライベートでも、完成した品を分けてもらうことが多いようだ。

 

「何だか、すみませんね。最初に食べさせるのが試作品で」

「いえいえ、お気になさらず」

「今度他のケーキを作ってあげたら?」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 マリーに言われて、曙光は答える。流石に試作品しか食べさせないのは忍びないので、いつかは普通のケーキを贈ろうと思う。尤も、それも受験組とエスカレーター組が和解できなければ叶わないが。

 

「砂部さんもですか?受験組のケーキを食べたことは・・・」

「私は・・・ええと、真壁さんが作ったおはぎを食べたことは・・・あります」

「「「ほう」」」

 

 砂部の言葉に、曙光だけでなくマリーと祖父江も関心を示す。曙光は真壁と親友だし、マリーと祖父江も砂部とは親交が深い。おまけに、2人はそれなりに仲が良さそうな様子なのは昼食の席で知っていた。だが、自分たちのあずかり知らぬ場所で、お菓子を渡し渡される関係にまで発展していたのまでは予想外だ。

 

「いえ、別に特別な関係とかではないですよ?ただ、前にお話しした時に気になるって言ったら、真壁さんが作ってきてくれて・・・」

 

 3人の反応に、慌てて砂部があたふたと弁明するが、曙光たちからすればそれは照れ隠しにしか見えない。そんな反応をする時点で、どんな関係なのかはおおよそ見当がついた。

 その砂部を傍らに、祖父江はマリーに訊き返す。

 

「マリー様は、曙光さんのケーキを食べることが多いんですよね」

「そうよ。ほとんど毎日ぐらいかしら」

「毎日・・・ですか」

 

 何でもないようなマリーの声に、祖父江と砂部はぎょっとした様子だ。曙光とマリーが協力していたのを知っていても、流石に毎日は予想外だったらしい。よく考えれば、特定の誰かのためにケーキを毎日作っているなど、普通に考えてもペースがおかしいと思う。

 砂部も、普通ではないと思ったのか、曙光の方を向いた。

 

「えっと、曙光さんは本当にマリー様に・・・?」

「協力する見返りに、マリーが欲しいって言ってきたんです。俺としては、ケーキを作ること自体は別に苦じゃないからいいんですけど」

「曙光の作るケーキってみんな美味しいのよ?」

 

 マリーが評価すると、曙光は3人に見えないように笑みを浮かべる。力量を褒められると悪い気はしないが、それで表情が緩むとなると他人にその顔を見せたくはなかった。

 

「マリー様、曙光さんのケーキが好きなんですね」

「ええ。もう私専属のパティシエにしたいくらい」

「もう半ばそうなってるんだけどな」

 

 マリーの願望に、曙光は辟易する。

 一方で、祖父江はマリーの答えに対して、何かに感付いたように一層笑みを深めた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 そして、エスカレーター組が宣告した、受験組の屋台撤去の期限の日。

 

「我々庶民の味を奪う権利などお前たちにはない!」

「貴様らが手に持って食べている低俗な料理などBCにはそぐわないのだ!」

「お前たちだってフランスパンを手に持って食べてるだろ!」

「それとこれとは話が別だ!」

 

 安藤を筆頭とする受験組は、計画通りエスカレーター組の施設の前に陣取り、声を大に抗議活動をしていた。一方で、押田を先頭にエスカレーター組の女子たちも、暴徒鎮圧のために用意した制服を着用しシールドまで持ち出して、全面的に争う姿勢を見せている。

 両陣営の状況は、まさに一触即発。受験組は声高に主張し、エスカレーター組はそれを牽制。いつ大規模な掴み合いが始まってもおかしくなかった。遠巻きにその様子を見ている生徒たちも、それは分かっているようで不安そうな顔つきだ。

 

「お待ちなさい」

 

 そこへ、凛として透き通った声が響く。

 全員がその声がした場所へと視線を移す。そこにいたのは、エスカレーター組の代表であるマリーだ。その脇には砂部と祖父江、そして何かが載ったワゴンを押す曙光が控えている。

 

「あっ、貴様!」

 

 だが、曙光の姿を認めた途端、押田の表情が一層険しくなる。『金輪際マリーに近づくな』と言っていたのに、曙光はそれを破ったのだから。だが、曙光の言い分としては、その時の押田の言葉に曙光は何の返事もしなかったので、要求を呑んだわけではない。

 そして、今重要なのはそんな約束どうこうではない。

 

「本日は皆さまに、あるお菓子をご用意いたしました」

 

 祖父江がそう告げる横で、曙光と砂部でパラソルとテーブル、椅子を準備する。セットが整うと、マリーはゆっくりと椅子に座り、曙光は台車からクローシュが被せられた皿をテーブルに移す。

 

「あっ、あれは・・・」

「たい焼き・・・?」

 

 そのクローシュを曙光がゆっくりと外し、皿の上に載っていた料理が露になると、安藤含め受験組の生徒たちが驚きの声を上げる。エスカレーター組の女子たちも、目を見張った。

 それは確かに、受験組の言う通りたい焼きだ。

 だが、エスカレーター組はそれを『たい焼き』とは認識しない。

 

「マリー様!そんな庶民の料理を・・・」

 

 押田が嘆かわしいような声を上げるが、それをマリーは無視してたい焼きにフォークとナイフを音もなく入れる。その様子に、受験組は『げっ』と言いたげな表情になった。

 しかし、たい焼きが切り取られ、中身が明らかになった瞬間、またしても受験組とエスカレーター組の生徒たちは驚愕の顔を浮かべる。

 

「チョコ?」

 

 安藤が、中身を見てぽかんとした顔でそう発した。

 餡子の代わりに生のチョコレートを詰めたたい焼き。これこそが、曙光がマリーから頼まれた菓子だ。型を作るのはもとより、中にチョコレートを入れて焼き上げる間に全て溶け切らないように温度調整をするのも、一苦労した。技術的な面では、モンブラン以上に苦労したと思う。

 そんな曙光の苦労を知ってか知らずか、マリーは切り取ったチョコレートたい焼きを優雅に口に運ぶ。

 

「ん、美味しいわ」

「ありがとう」

 

 マリーの称賛に、曙光は()()()恭しくお辞儀を返す。

 それを見て、祖父江がワゴンを前に動かす。

 

「よろしければ、皆さんもどうぞ」

 

 砂部がそう言いながら、クロスを取るとその下には同じチョコレートたい焼きが、いくつも皿の上に並んでいた。

 最初に動いたのは、一番前で威嚇し合っていた安藤と押田。半信半疑でチョコレートたい焼きへと近づき、それぞれ1つずつ手に取って口にする。

 

「「美味い!?」」

 

 口ではそう言うが、顔は驚きに染まっている。それは、外見と中身がタイプの違う両陣営のもので構成されているのだから、当然の反応だろう。

 その反応を皮切りに、他の生徒たちも掲げていたプラカードやシールドを捨てて、チョコレートたい焼きへと手を伸ばす。

 

「ホントだ、美味しい!」

「チョコレートってこういうのと合うんですね・・・」

 

 そして口にした人は皆、笑みを浮かべて味を楽しんでいた。その様子を見て、曙光とマリーは視線を合わせて頷く。

 今、受験組とエスカレーター組は、お互いの立場を気にせずに、チョコレートたい焼きに舌鼓を打って笑い合っている。その様子は、普段から牽制し、反発し合うほど剣呑な関係だったとは思えない。これこそ、曙光とマリーが望んでいた光景だ。

 

「もしやマリー様は、私たちに力を合わせるように説いている・・・?」

 

 そんな中で、押田が気付いたかのようにマリーの方を見る。それに併せて、周囲の喧騒も少しばかり収まってくる。

 一方でマリーは、よくぞ気付いたとばかりに大きく頷いた。

 そのマリーの反応に、安藤も自分の手の中のチョコレートたい焼きへ視線を落とす。

 

「このチョコレートたい焼きのように、お互いの良いところを組み合わせれば、我々もまた協力すればより良い関係になれると・・・」

「そういうことよ」

 

 チョコレートたい焼きを食べ終えたマリーが立ち上がり、押田と安藤の前に歩み出る。

 

「アズミも言ってたでしょう?力を合わせれば強くなるって。それは戦車道だけじゃなくて、この学校も同じなの」

 

 いがみ合っていた両陣営が黙り込む。

 

「私たちそれぞれの良いところを合わせれば、認め合えば、私たちは強くなれるし、この学校も素晴らしい場所になるはずよ」

 

 マリーが扇子を広げて告げると、エスカレーター組も受験組も

 お互いが分かり合うのに、革命は逆効果で、相互理解は時間が足りない。そして、緊張状態となった今になって曙光とマリーが辿り着いた結論は、お互いが協力した成果を示すことだった。

 それが、エスカレーター組のマリーのアイデアを基に、受験組の曙光が作り上げた、このチョコレートたい焼きだ。見た目は受験組のソウルフードで、中身はエスカレーター組の嗜好品。かなりの手間と時間を要したが、その完成品は曙光とマリー、砂部と祖父江も納得の出来となった。

 そして、それを振舞った皆の反応も大方狙った通り。自分たちのアイデアと成果は間違っていなかったと、改めて実感できる。

 

「・・・確かに、そうかもしれん」

 

 そして、重々しく押田はそう言うと、安藤の方を見た。

 

「安藤くん。君さえよければなんだが・・・これからはまた一からやり直さないか?」

 

 その言葉に、安藤は。

 

「・・・分かったよ、押田くん。私でよければ、力を貸そう」

 

 そう言って、お互いに笑みを浮かべる。何故か二人の周囲が微妙に煌めいて見えるのは、陽の光のせいだろうか。

 だが、周囲はその2人が和解した様子に、『おお・・・!』と感嘆の声を上げる。異論はないらしい。

受験組とエスカレーター組の仲が悪い理由は、合併当初の露骨な扱いの差だ。

 しかし、曙光やマリーを含め今の世代は、入学した当初からそれぞれの環境が当たり前のものと認識している。事情を何も知らなければ、元々自由学園側がBC高校側に圧制を強いていたなど知りもしなかっただろう。

 それでも今までこの諍いが続いているのは、誰かがこの学園の因縁を語り継ぎ、相手側は忌み嫌う存在だと吹き込まれてきたから。誰かの教えによって、相手を流れで嫌っているようなものだった。その中で相手の素行や態度の悪さが露見して、嫌悪感も一層増しただろう。

 だが、その根本的な原因である受験組とエスカレーター組の争いが治まれば、歴史を語り継がれただけで嫌っていた周囲も同様に、争いに価値を見出しにくくなる。特に今回、現状で両陣営のリーダー格の押田と安藤が協力する姿勢を見せたのが、その効果をより強くしていた。

 以前にマリーが1人でお互いを仲良くさせようとしてもできなかったのは、ただ仲良くするように説いただけだから。仲良くすればどうなるのかを示さなかったからだ。しかし、協力者と共に、仲良くすればどうなるかの縮図をチョコレートたい焼きという形で見せることで、同意を得ることができた。

 

「マリー様」

 

 しかし、BC自由学園の歴史が動いた感動に浸る間もなく、砂部がマリーに耳打ちをする。

 

「スパイですって?」

 

 マリーの発した言葉に、その場が凍り付く。

 どうやら、無限軌道杯の1回戦で対戦する大洗女子学園が、情報を盗むためにスパイを送り込んでくるらしい。全国大会で優勝できるほどの実力があるのにスパイとは、抜け目ないと言うべきか。

 

「・・・なら、こういうのはどうかしら?」

 

 だが、スパイに動じることもなく、マリーは人差し指を立てて提案をした。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日の夕方、前と同じように曙光はサロンでマリーにケーキを振舞っていた。今日はショートケーキだ。やはり、押田も安藤と協力する意思を示したからか、マリーとまた会うことに何の反論もなかった。

 

「スパイに効果はあるのか?」

「確実よ。何せ向こうも、ついさっきBCの内乱が終息したなんて信じないでしょうし」

 

 マリーの思いついた作戦は、エスカレーター組と受験組が喧嘩したフリをするというもの。喧嘩を大洗のスパイの前で演じることで、未だにBC自由学園のいざこざが続いていると思わせる。それは、昨日までいがみ合っていたお互いにとっては朝飯前だった。

 連絡ヘリが来て、スパイと思しき人物が降りてきてから、演技はスタートした。大洗のスパイは隊長車の乗員だったらしく、面が割れていたためマリーや安藤たちはすぐに分かったと言う。

 そしてスパイは、受験組を装い学園と戦車庫を一通り視察し、最終的に『チームは分裂状態』と結論付けて撤収していった。

 

「後は、試合でチームプレイで大洗を打ち負かせば完璧よ」

「何と言うか・・・ようやくここまで来たって感じだな」

「そうねぇ」

 

 曙光は感慨深く告げるが、マリーはさして気にもしていない風にショートケーキを食べる。反応が薄い理由は、曙光も想像がついている。

 

「でも、まだ少し脆いわ」

「脆い、か」

 

 お互いが手を組むことの有用性は示したし、押田と安藤は手を組み、受験組とエスカレーター組の諍いも一旦終わった。

 けれど、まだ足りない。表面上は落ち着いているが、この関係がまた崩れてしまう可能性もある。お互いにいがみ合う時期が長かったせいで、まだ安心できていなかった。

 

「そのための無限軌道杯か」

「その通り。力を合わせて勝利すれば、それがどれだけの結果を出せるか証明できるものね」

 

 そこに至るまでの道は想定と少し違うが、今はお互いの敷居が低くなっている。この状況で成果を挙げれば、今日以上にお互いの関係も改善されるだろう。曙光とマリーが望んでいる、両者の間の壁を完全に取り払うことだってできるはずだ。

 

「で、それはマリーの腕に懸かってると」

「そういうこと」

 

最後の一口を食べ終えて、コーヒーを飲むマリー。

 そこで、曙光のことを見上げた。

 

「ねぇ、曙光。試合にケーキを用意してほしいって約束、覚えてる?」

「ああ、もちろん」

「それとは別に、1つケーキを頼んでもいいかしら?」

 

 瞳を輝かせて、マリーは頼んでくる。

 

「どんなケーキ?」

「とっても大きなモンブランを」

 

 実にマリーらしい注文だった。

 しかし、注文の内容がどうであれ、断る気はなかった。

 

「・・・そうだな。マリーにはここまで頑張ってもらったし、そのお礼も兼ねて作らせてもらうよ」

「ええ、その通りよ。ここまで頑張ったご褒美が欲しいの」

「自分で言うか」

 

 曙光は一笑するが、同時にその通りだと思う。

 元々、自分がマリーに対して協力を持ち掛けたのが事の発端だ。それまでマリーは協力、と言うよりも指針を示してくれていた。わがままと言われていたマリーにここまでしてもらったのだから、当然そのお礼は返したい。普段作っているケーキで借りを返したとは、曙光も思っていない。

 

「それじゃ、お願いね」

「ああ」

 

 また曙光は、ただマリーの期待に応えたい、マリーの願いを断りたくないと思っている。

 お礼の気持ちもあるが、それだけでなく、マリーのためにケーキを作りたいという気持ちが、自分を衝き動かしていた。それは決して、義務感や正義感ではない。

 だが、曙光を衝き動かすのはなぜなのかは、自分自身では未だ掴めないでいる。




 風呂上がりに、髪を梳かし終えた砂部は溜息を吐く。何とも憂鬱な気持ちだった。
 それは、先ほどマリーから『曙光が押田に非難された』と聞かされたからだ。
外部生とエスカレーター組の橋渡しとなるために、曙光がマリーと協力しているのは、砂部も知っているがそれは秘密裏に行われていたこと。だが、どこからかその情報が洩れてしまい、外部生と常日頃から対立する押田に伝わってしまったという。
 しかも、押田たちが抑えた現場は、マリーが外部生のことを理解するために曙光に持ってこさせた、外部生の屋台の料理を食べているところ。そこでなければまだ言い訳はできただろうに、何とも間が悪い。
 だが、それはともかく、この状況は由々しき事態だった。何せ、ようやくエスカレーター組の態度も(一部だが)軟化してきたのに、また振出しに戻ってしまったのだから。しかも曙光は、押田からマリーに近づかないよう言われたので、何とか改善させられるとは考えにくい。

「ふぅ・・・」

 マリーの付き人故、そうした情報はいち早く伝わってくるのだが、知ったところでどうにもならない。こうなった以上、押田を含めタカ派は何を言っても止まらないだろう。今回のことが公になれば、せっかく上向きになってきた外部生に対するイメージもまた地に落ちる。
 しかし、それでも砂部たちにはできることがない。少なくとも、この状況を打破する手が砂部には考え付かない。それが、砂部の気持ちを鬱屈とさせている。
 そして同時に、この気持ちを誰かに零したいとも思っていた。

(・・・真壁さんに言っても、多分迷惑かもしれないし)

 そこで真っ先に浮かんだのは、最近になって親しくなった外部生の真壁だ。
彼とは知り合ってそこそこ時間も経ち、仲もそれなりに良くなっている。お嬢様あるあるな愚痴を若干零しても、笑ってくれるような人だ。
 しかし今回ばかりは、愚痴の範疇を超えている。個人が零したところで受け止めきれないようなことだ。言ったところで向こうが反応に困るのは目に見える。
 机の上には、真壁と唯一連絡が取れるスマートフォンが置いてあるが、そこまでの距離が随分と遠く感じた。
 が、不意にそのスマートフォンが電話の着信を告げた。『ふやっ!?』と謎の驚きの声を挙げつつも、画面を見る。

『着信:真壁さん』

 一も二もなく、『応答』をタップした。

「もしもし?」
『もしもし、砂部さん?ゴメンね、こんな遅くに』
「いえ、大丈夫ですよ」

 居ずまいを正して、何でもない風を取り繕う。

「それで、どうしたんですか?」
『いや、ちょっと・・・話したいことがあってね』
「話したいこと、ですか」

 実に奇遇だ。砂部も丁度、話そうか迷っているところだったのだから。狙ったわけでもないが、自分と思考が同じと思うと少し気持ちが軽くなる。
 さて、幸いにも同室の祖父江は現在風呂だ。今、部屋にいるのは砂部1人。特に問題はない。

「いいですよ。私でよろしければ」
『ありがとう、助かるよ・・・。けど、どう言えばいいのかな・・・』

 電話の向こう側の真壁は、何やら言葉選びに悩んでいる様子。しかし砂部は、それを静かに待つことにした。

『実は今日・・・受験組が有志でやってる屋台街に、エスカレーター組の人が来てさ・・・』

 やがて紡がれた話に、砂部の身が硬くなる。ついさっきまで、砂部が悩んでいた問題と関係があるのは明らかだ。

『7日以内に屋台を全部撤去しろ、って言われて』
「・・・はい」
『で、ウチのクラスの安藤たちが怒ってね・・・』

 そこで、真壁がまた口を閉ざしてしまう。何か重大なことを言いあぐねていると、砂部には分かった。
 真壁は、砂部と親しくても元々外部生だ。本来なら、自分たちの事情をあれこれ言ってはならないはずだろう。しかしそれでも、真壁は『話したい』と言って砂部に連絡を取ってきたわけだ。だとすれば、リスクを負ってまで何を砂部に伝えたいのだろうか。

『・・・受験組は、大きな抗議活動を計画してる』
「・・・・・・」
『きっと、そっちの陣地に乗り込む気だ』

 その情報を、告げた。
 瞬間、砂部の目は細くなる。

「・・・なるほど」
『この情報をどうするかは、砂部さんに任せるよ。誰にも言わなくていいし、誰かにチクってもいい』

 単なる愚痴やリークで終わらせるつもりは無かったらしい。今の砂部と同じで、自分の中で処理しきれなくなった気持ちを、誰かに吐き出したかったのだ。

「・・・どうして、そのことを私に言ったんですか?」

 だが、この情報を砂部がどうするかは、真壁も知らないはず。仮にもし、このことを押田に伝えれば、きっと外部生もただでは済まないだろう。例え事の重大さに耐えられなかったとしても、そのリスクを負ってまで砂部に話したかった理由は何なのか。

『もしかしたら、もう話せなくなるかもしれないと思ってさ』

 しんみりとした様子で、真壁は話し出す。

『今まで以上に受験組とエスカレーター組の喧嘩が激しくなったら・・・もう砂部さんと話したり、お菓子を渡したりすることもできなくなると思うと、少し寂しくなってね』

 悲しそうな真壁の言葉だが、反対に砂部の心は妙に熱を帯び始めている。

『それに、その大規模な抗議活動って情報を知ったまま何も言わないでいると、砂部さんたちを裏切るような気がしてね』
「そんなこと・・・」

 少なくとも、砂部はそう思っていない。
 だが、裏切るかもと真壁が思う理由は、それだけ真壁がエスカレーター組の砂部と親しくて、曙光とマリーの計画を知っているから。このBC自由学園の問題に、関わってしまっているからだろう。

「・・・教えてくださって、ありがとうございます」
『お礼を言われることじゃないよ。俺のやったことなんて・・・こっちからすれば戦犯みたいなものだし』
「いえ・・・私はそうは思いませんよ」

 いつになく、弱気になってしまってる真壁。そんな彼に、砂部は何か気の利いた言葉を掛けたかった。

「真壁さんが気に病む必要はありません。あなたが教えてくれたことは、必ずや役立てて見せます」

 無意識に、スマートフォンを握る手に力が籠っていた。だけど、気にするものか。

「真壁さんのしたことが決して裏切りとならないよう、私は努めます」

 膝の上で、拳が握られる。
 電話の向こうの真壁が、息を呑む気配を感じ取った。

『・・・ありがとう、砂部さん』

 今日初めて聞いた、安心したような声色だ。それを聞いて、砂部も少し唇が緩む。
 最後に真壁は、『おやすみ』と告げて、電話が終わった。

「・・・・・・」

 電話を掛ける前と違い、砂部の心はもう萎れてはいない。
 真壁が伝えてくれたことを、決して無駄にしてはならないと、自分の心に火がついている。折角マリーや曙光が、ここまでしてくれたのだから、ここで全てを無にするわけにもいかなかった。
 だが、そこで1つ思ったことがある。

(私、真壁さんのことどう思ってるんだろう・・・)

 電話を掛ける前から、自分の中の鬱屈とした気持ちをこぼしたいと一番に考えてしまい、電話の最中では言葉に籠められた感情を機微に感じ取ろうと努めていた。
 今までは、真壁のことは仲の良い友人だと思っていた。
 しかし、改めて考えようとすると、そう結論付けることができなくなる。と同時に、妙に顔が熱くなってきてしまう。

「どうかしたんですか?」

 だが、突然後ろから声を掛けられてしまい、思考がぶつ切りになる。見れば、風呂上りと思しき祖父江が心配そうに見ていた。
 そこで砂部は、妙に心に纏う悩みを振り払い、咳払いを1つする。

「祖父江さん」
「はい?」
「実はさっき、真壁さんから連絡がありまして・・・」

 尊敬するマリー、曙光、そして真壁のしたことを無駄にするわけにはいかない。
 そのためにまずは、祖父江に話をすることにした。


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第9話:マリーの涙

 迎えた大洗女子学園との試合の日。天候は快晴とはいかなかったが、雨でないだけまだマシだ。

 観戦席には多くの観客が座っており、中にはBC自由学園でも大洗女子学園でもない学校の生徒もいる。それだけ、伝説を打ち立てた大洗女子学園に興味のある学校が多いのだろう。

 その観客たちに混じり、曙光と真壁は座っていた。

 

「意外だな、真壁も戦車道を観るなんて」

「まぁ、ちょっと気になるところがあってな」

 

 曙光の記憶では、真壁は戦車道に対して別段興味を示してもいなかった。どういう心境の変化かと思ったが、恐らくはここ最近で親しくなった砂部のことがあるのだろう。そこに関しては、親友として深く聞かないでおく。

 さて、試合開始を待つ間、仕方なく周囲を軽く見回すが、やはり観客は多い。

 

「戦車道の試合って初めて来たけど、結構人気なんだな」

「何か、少し前まではこんなに多くはなかったらしいぞ」

「そうなのか?」

「ああ。何か、戦車道はマイナーな武芸で人気も落ち気味だったらしい」

 

 真壁がどこからから仕入れた情報を聞いて、曙光も感心したように頷く。そう言えば、そんな感じのことをマリーも言っていたような気がした。

 そんな曙光たちは、物見遊山で試合を観に来たのではない。マリーが試合中に食べるケーキを運んできたのに加え、この試合の出来次第ではBC自由学園の行く末が変わるのもあり、見届けたかったからだ。

 

「で、ウチのチームはまだ来てないんだな」

 

 観戦席の正面に据えられたモニターを見て、真壁が呟く。ディスプレイが左右で二分されており、右側には大洗女子学園のチームが戦車と共に映っているが、左側のBC自由学園の枠には芝生以外映っていない。まだ、戦車も乗員も来ていないのだ。

 

「ああ、予定通りらしい」

 

 大洗のスパイには、BC自由学園は分裂状態と嘘の情報を掴ませた。その情報はギリギリまで本当と思い込ませたいので、マリーたちもまた試合が始まるまでは芝居を続ける。それを今、試合会場に遅れて来るという形で示しているのだ。

 

「勝てるのかねぇ、全国優勝校に・・・」

「それは、信じるしかない」

 

 マリーによれば、内乱が収まった後で再度OGのアズミと言う人を呼び、作戦の立て直しを協力してもらったらしい。チームがまとまったために、戦略の幅も広がったからだ。なので、より勝てる可能性の高い作戦を遂行すると言う。

 しかし、いくら協力した強さが未知数とはいえ、相手は全国大会のチャンピオン。こちらの作戦がどこまで通用するかは分からないし、戦車に乗らない曙光や真壁には予測もできない。出来るのは、ただ勝てるようにと祈るだけだ。

 

「おっ、来た」

 

 ディスプレイに、BC自由学園の戦車が映る。だが、先頭を走る2輌―――ARLとソミュアは車体をぶつけ合ったり砲撃したりと、醜い小競り合いを見せている。

 それを見た観客たちは、ざわついている。噂には聞いていた、BC自由学園の内部抗争を目の当たりにして、驚きを隠せないのだろう。しかし、既に内部抗争は収束している。つまり観客まで騙せているわけだ。

 

((・・・不安だ))

 

 一方、その様子を見た曙光と真壁は、心配になってきた。

 確かに内部抗争は一応の終わりを見せたし、曙光や真壁はそれを自分の目で見て知っている。

 だが、例え演技と分かっていても、ああして喧嘩している様子を見ると不安になる。長い間、本当の意味で争っていた光景を見てきたからかもしれないが、不安なのに変わりはなかった。

 それと同時に、今日の試合のどこかで、何かのアクシデントをきっかけにそれが再発しないかと、気がかりでもある。疑うわけではないが、あのいざこざを見てきた人間として、心配になるのは仕方なかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 試合を行うのは、山岳エリアと田園エリアを擁す広大な土地。

 挨拶を終えた後、BC自由学園と大洗女子学園は、それぞれのスタート地点へと移動する。

 

「果たして、奴らは上手く引っかかるだろうか・・・」

 

 移動中に、ソミュアから身を乗り出す安藤が思案する。偽の情報を掴ませて、挨拶の場でも一芝居打ったが、向こうの勘が鋭かったらすぐに演技とバレてしまうかもしれない。

 

「大丈夫よ。向こうは私たちのこと、本当に仲が悪いって思っている感じだし」

「マリー様が大丈夫と言えば大丈夫だ。我々が心配することもなかろう」

「・・・そうだな」

 

 マリーが安心させるように告げると、押田も同調する。ほんの少し前なら、このやり取りだけで充分諍いの原因になり得たが、押田の言葉に安藤が大人しく同意した時点でかなりの進歩だ。

 

「さて、それじゃおさらいをしましょうか」

「「はい」」

 

 スタート地点までの間に、マリーと押田、安藤で作戦を再度確認する。

 相手はまだ、こちらのチームが分裂していると思っているので、この状況を活用しない手はない。

 なのでまずは、フラッグ車のマリーのルノーFTが護衛にARLを1輌連れて丘の上へ移動。その後は、安藤率いるソミュア部隊と、押田率いるARL部隊がそれぞれ別方向から大洗チームの後方へと迂回しながら向かう。

 丘の上に待機するマリーたちが相手の動きを監視し、頃合いを見て安藤・押田の両部隊が攻撃ポイントまで移動し、そこで一気に叩く。

 

「その攻撃ポイントが、川に架かる橋ですね?」

「そうよ」

「きっと向こうは、マリーさんのフラッグ車が丘にいると思い込むだろう。そして、丘まで最短で行くには橋を渡るしかない。周りは急な斜面だし、迂回ルートは私たちが塞ぐ」

 

 地図によれば、マリーの待機する丘近くには川があり、そこに橋が架かっている。大洗側から丘まで最短で向かう道はそこしかなく、それ以外のルートは安藤と押田の部隊がそれぞれ大洗の後方へ回り込みつつ牽制するのだ。

 安藤の説明に、押田は頷く。

 

「我々がそれぞれ、別方向から二手に分かれて移動するのも、ルートを塞ぐのと同時に、私たちがまだチームワークができないと思い込ませるためだな」

「そういうこと」

 

 マリーは押田の言葉に頷き、手に持つ扇子で砲手席に座る砂部の頭を軽く撫でる。すると、砂部は意図を察し、車内のクーラーボックスからショートケーキを取り出して皿に載せ、フォークを添えてマリーに差し出す。試合前に曙光から渡されたそのクーラーボックスの中には、試合中にマリーが食べるためのケーキが詰まっている。

 

「驚いた。まさか、安藤さんたち外部生が、こんな綿密な作戦を考えられるとは」

「それほどでもないさ。押田くんたちエスカレーター組の連携に比べれば」

 

 今回の作戦だが、大まかな方針はマリーと押田をはじめとしたエスカレーター組が決め、OGのアズミが助言をしつつ、安藤含め外部生が細かいところを詰めた感じだ。なので今回の作戦も、エスカレーター組と外部生が協力して立てた作戦ということになる。特に外部生は、伊達に受験戦争を勝ち抜いてBC自由学園に入学してはいない。こうして頭を使うことは得意だった。

 

「さあ、今日は私たちの強さを見せつけて、大洗をぎゃふんと言わしめましょう」

 

 ショートケーキを一口食べる。いつもながら、曙光の作るケーキは美味しかった。

 マリーはにこっと笑い、手の中でフォークを回す。

 

「Vive la」

「「BC!」」

『Allez!!』

 

 マリーの宣言に押田と安藤が続き、さらには隊員全員が応える。

 戦車の上で風を感じながら、マリーはショートケーキの二口目を食べる。

 

(せっかく彼とここまで来たんだもの。ちゃんとしなきゃね)

 

 紆余曲折を経たが、曙光と協力して両陣営の関係を改善させることはできた。それに今日は、その曙光も観に来てくれている。それならば、格好いいところを見せたい。

 そして何より、今のマリーは心が高鳴っている。

 何せ、危なっかしかったこのチームが、初めてちゃんと連携して試合に挑めるのだ。

 今まではマリーも、戦車道に向き合う際は、如何にして分裂状態だったチームをまとめるかを第一に考え、心から楽しいとは思えなかった。

 しかし、今は違う。反りが合わなかったお互いは手を取り合い、本気で大洗に勝とうとしている。それならば、ようやくマリーも戦車道に真剣に打ち込むことができるのだ。心躍らないはずもない。

 

 ―――いつか、マリーが戦車道を楽しいって思えたら、いいな

 

 曙光の言葉が蘇る。

 今日の試合がまさにそうなると、マリーは自信を持って言えた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 試合序盤は、まだ両者の間に距離があるため、いきなり砲撃が始まったりもしない。

 BCチームは、フラッグ車のルノーFTとARL1輌が丘へ向かい、残りのソミュアとARLは車種ごとに部隊を形成し別方向へ進軍を開始。

 一方の大洗チームは、スタートして少ししてから、偵察のため八九式中戦車とポルシェティーガーを先行させる。戦車道に明るくない曙光や真壁は、戦車の名前はディスプレイに表示される情報を頼りにするしかない。

 やがて八九式は安藤率いるソミュア部隊、ポルシェティーガーは押田率いるARL部隊をそれぞれ発見。各部隊の進路からして、チームワークではなくそれぞれが大洗の後方からの包囲殲滅を狙っていると判断したらしい。そして、本隊は浅瀬を経由してBCチームのフラッグ車がいるであろう丘へと向かい、偵察に出た2輌はそれぞれの部隊を尾行して動向を監視することにしたようだ。

 もちろん、これはマリーたちにとって予想通りの動きである。

 

「上手くいくかね・・・」

「作戦自体は悪くない、と思う。素人目線だけど」

 

 一応、マリーからどんな感じの作戦なのかは大まかに説明をしてもらったが、門外漢の曙光には作戦の良し悪しも判別できないでいる。なので、素人なりにどうなのかを考えた結果『悪くない』と判断したまでだ。

 だが、大洗チームは狙い通り浅瀬を渡り、当初のBCの攻撃ポイントである橋へと順調に向かっている。

 そこで、動きがあった。

 

「おっ」

 

 小さな農村のようなエリアを移動していたソミュア部隊が、突如動きを止める。そして、尾行していた八九式に向かって発砲を始めたのだ。さらに、ほぼ時を同じくして、ARL部隊も田園地帯で、監視していたポルシェティーガーに向かって発砲。交戦状態に陥る。

 観客たちは、ようやく砲撃が始まったことに歓声を上げる。曙光と真壁も、戦車同士の本格的な撃ち合いを見るのは初めてだったので、昂りを感じる。

 しかして、試合の方は順調に流れている。戦闘を始めたソミュア部隊とARL部隊だが、それぞれ1輌ずつその場に残して尾行を足止めしつつ、残りの車輌は前進を再開。そして、大洗チーム本隊の後方およそ数キロの地点で両部隊が合流した。

 

「あんな動きもできるんだ」

 

 曙光がポツリと零す。

 東西からやってきた両部隊が、真正面から接近する。ぶつかりらないかと冷や冷やしたが、計6輌の戦車は車体を擦りもせず、華麗なすれ違いを見せ合流を果たし、大洗の目指す川へと向かう。これには、曙光や真壁だけでなく、周りの観客たちも『おお~』と感嘆の声を挙げる。会場に来るまでは仲が悪そうだったから、意表を突かれたのあるだろう。

 

「大洗、どんどん近づいているな・・・」

「きっと、マリーたちも気付いていると思う」

 

 曙光も真壁も、のめり込むように試合を注視している。

 モニターには、フラッグ車・ルノーFTがいる丘に順調に近づいている大洗チーム本隊の映像が流れている。

 一方で、肝心のルノーFTと護衛のARLだが、その乗員が戦車を降りて『ペタンク』というフランス発祥の遊戯に興じている映像が出てきた。おまけに、隊長のマリーはルノーFTの上で居眠りをしている。その傍で、砂部が直射日光がマリーに射さないよう日傘を差していた。

 

「・・・本当に大丈夫なのか?」

「・・・大丈夫、なはず」

 

 いくら相手を油断させるにしろ、ちょっとばかし演技が過ぎやしないかと、曙光も真壁も心配になってくる。そういう作戦なのは分かっているが、不安が拭えない。

 しかし、映像が切り替わり、ソミュア部隊とARL部隊が大洗チームに気付かれないよう川に向かっている様子が映し出される。その瞬間、試合の流れが読めなくなってきたのか、観客たちはどよめき始めた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「こちら安藤隊、位置についた」

『了解。押田隊も配置完了、指示を待つ』

 

 攻撃ポイントの橋からおよそ300メートルあたりで、岩陰に隠れるように安藤のソミュア部隊が展開を終える。無線で押田にそれを伝えると、向こうも丁度展開を終えたようだ。

 今のところ、大洗チームはフラッグ車・ルノーFTとその護衛・ARLに気付かれないように、そろりそろりと橋を渡っている。ソミュア部隊には、大洗チームが奇妙な動きを見せたらすぐに伝えるように言ってあるが、このまま大洗チームが橋を渡りきるようであれば、その直前で砲撃を開始するつもりだ。

 

「エスカレーター組は、上手くやってくれるでしょうか・・・」

「案ずるな。向こうの連携力も中々のものだ」

 

 不安そうな操縦手だが、安藤は安心させるように告げる。

 いがみ合っていた時は腹立たしかったが、エスカレーター組の戦車は連携力が強い。元々プライドが高いからか、自分たちの戦いを華麗に仕立てようという共通意識があり、エスカレーター組の部隊は統率が取れている。受験組もそれなりのものと思ったが、向こうはそれ以上だ。

 

「今は状況が違う。信じてみよう」

 

 安藤が言うと、砲手と操縦手も頷く。

 と、その時。照準器越しに大洗チームの様子を窺っていた砲手が声を上げる。

 

「大洗、増速!気づかれたかもしれません」

 

 それを聞いた安藤は、無線機を手に取る。

 

「総員、砲撃開始!」

 

◆ ◆

 

 安藤からの指示の直後、待機していたソミュア部隊とARL部隊が発砲を始める。

 狙っているのはもちろん戦車だが、より重点的に狙っているのは、その大洗チームの戦車が渡る木製の橋だ。あの橋を崩せば、フラッグ車を含めた大洗チームの戦車は川に落ち、横転などすれば即刻行動不能で白旗判定になる。

 

「よし、進路は断った!退路も狙え!」

 

 ARLから戦況を窺う押田は、丘側の橋が崩落したのを確認した。次は、大洗チームが渡ってきた方も狙う。

 

「外部生の作戦、ドンピシャでしたね」

「ああ。流石は、受験戦争を勝ち抜いてきた者と言ったところか」

 

 装填手が砲弾を装填しながら話しかけると、押田も力強く頷く。

 争っていた頃、受験組は自分たちの頭の良さを引き合いに出してきたが、こうして今回の作戦が上手くいったのを見ると、それも認めざるを得なくなる。口惜しいことに、地頭の良さで言えば、受験組の方が一枚上手だ。

 すると、橋の反対側も崩れ落ちる。これで大洗チームは橋の上で立ち往生だ。

 

(砲手の腕も、中々悪くないな)

 

 押田は自分の部隊に指示を出しながら、蜂の巣状態の大洗チームと橋を観察する。

 ARL部隊が大洗チームの戦車を狙っているのに対し、安藤率いるソミュア部隊は橋脚や底面部を積極的に狙っているように見える。ソミュアの火力では戦車の装甲を抜けないため、橋を狙うのは合理的な手段だ。それでもなお、戦車よりも狙うのが難しい丸太を組んでできた橋脚を撃ち抜くのは、相当な腕がなければできない。普段の模擬戦で、ARLのターレットリングを狙い撃つほどだし、小さなウィークポイントを狙うのは向こうにとってお手の物なのかもしれなかった。

 精緻さ、計算高さについては、押田も安藤たちを認めている。その成果を見せつけられて、外部生なりの強さも同時に実感した。

 

「流石、外部生だ」

 

 敵対していた時は鬱陶しかったが、味方になると頼もしくなる。

 そのことに、押田は笑った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 一転して、大洗が窮地に陥った。

 今の状況に、観戦席は大いに湧きあがっている。まともに戦えるか不安だったBCが、全国大会優勝校の大洗を追い詰めているのだ。下馬評を覆す目の前の試合に、誰もが驚きを隠せずにいた。

 曙光と真壁は、緊張と興奮のあまり無意識に拳を膝の上で握り、鼓動も早まっている。

 大洗チームは、どうすることもできずBCの砲撃に晒されている。反撃するように撃ち返してはいるが、砲撃を受けて不安定な橋の上では狙うのもままならず、気休めにしかなっていない。足止めを受けていた偵察の八九式とポルシェティーガーも本隊との合流を図るが、戦域マップを見る限り距離が離れすぎていた。この調子では、到着するまでに橋が崩落する。

 

(行ける・・・!)

 

 度重なる砲撃で橋脚がぐらつき始め、崩壊も秒読みに近い。そうなれば、もはや勝利したも同然だ。

 心の中で、曙光は叫ぶ。拳を握る。

 だが、流石は全国大会優勝校。ただでやられるつもりはなさそうだ。

 

「お・・・?」

 

 橋の上の1輌の戦車が動き出す。それは、この試合から新たに追加されたらしい、Mk-Ⅳという戦車だ。その戦車は前へと進み、崩落した橋の先端から岸辺に降りようとする。本来ならそのまま縦にひっくり返るはずだが、Mk-Ⅳは全長が長いため、そのまま橋と岸辺を繋ぐ梯子のような状態で止まった。

 観客たちはざわつく。曙光も大洗が血迷ったかと思う。

 だが、驚くべきことに、橋の上の大洗の戦車たちは、その梯子のようになったMk-Ⅳの上を渡って橋からの脱出を始めたのだ。

 

「「なっ・・・!?」」

 

 曙光と真壁は揃って声を上げる。観客たちは、この絶体絶命の状況を打破する奇策に歓声を上げる。

 BCチームも大洗が脱出を図ろうとしているのを見て、前進して戦車の撃破と橋の破壊を急ごうとする。だが、橋の半分を落とすよりも大洗チームが退避するのが一歩早かった。

 

「ああっ・・・」

 

 悔しそうに真壁が声を洩らす。

 だが、曙光は未だモニターから視線を逸らさない。まだ橋の半分に大洗の戦車は残っており、BCチームも前進して戦車を狙いつつ、残った橋の崩壊も狙う。しかしそれでも間に合わず、大洗の戦車が先に全て岸辺に降り、その直後に橋が爆散した。

 

「惜しい・・・!」

 

 歯ぎしりする曙光。

 それでも攻撃の手を止めないBCだが、大洗も足場が安定したことで本格的に反撃を始める。また、偵察に出ていた八九式とポルシェティーガーが合流し、逆にBCチームの後ろから攻撃を仕掛けてきた。

 やがて、川の近くで上手く戦えないのもあり、形成が悪いと踏んだのかBCチームは一時撤退を始める。大洗チームも深追いすることはなく、戦いは一度仕切り直しとなった。

 

「惜しかったな・・・」

 

 無意識に緊張していたが、曙光は溜息をついてそれを解す。真壁も大きく唸る。

一方観客たちは、BCチームが予想外の戦いを見せたこと、大洗チームがそれ以上の奇策で窮地を脱したこと、2つの意外な出来事に胸を打たれたのか、拍手を贈っている。曙光と真壁も、軽く拍手をした。

 橋の上で戦車を一網打尽にする作戦は良いと思ったが、流石は優勝校。一筋縄ではいかなかった。

 しかしこれで、受験組とエスカレーター組が協力すれば、あのように優勝校であっても追い詰められると証明できた。今後の試合にも、この成果は必ずや作用するだろう。状況は仕切り直しだが、今はBCチームの方が一歩リードしていると思うし、このペースを保ったまま試合に勝ってほしい。曙光は、『がんばれ』と念を飛ばした。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 戦略的撤退を決めたBCチームが向かうのは、田園エリアの中でも入り組んだ地形のボカージュ地帯。しかしながら、BC自由学園艦にもボカージュ地帯を模した訓練場があり、こうした場所も慣れたものだ。

 地形はもちろん、試合の流れも握っているので、落ち着いて慎重に戦えば大丈夫なはずだ。

 

「ここからはどうするんだろうな」

「分からない・・・元々、あの橋で勝負を決められれば決められるつもりだったしな・・・」

 

 隣に座る真壁は、BCチームがボカージュ地帯に展開する様子を眺めながら訊ねてくる。曙光も、これから先の作戦はマリーからは聞いていなかった。言った通り、あの橋で決着をつけるつもりだったので、ここから先は手堅く戦うしかないのだろう。

 だが、ボカージュ地帯に展開している様子を見る限り、役割分担はできているように見える。機動力に優れたソミュアが周囲に展開して哨戒、火力の高いARLはボカージュの内側に据えて逐一敵を撃破する態勢を敷いていた。

 

「・・・マリーたちは、割とのんびりしてるんだな」

 

 ディスプレイに、フラッグ車の様子が映し出されるが、そこで真壁が呆れたように笑う。

 ルノーFTに載るマリーと砂部、祖父江の3人は、ボカージュ地帯の深部に当たる場所に護衛のARL1輌と共に陣取ると、シートを広げてお茶会を始めた。取り出したケーキは、紛うことなく曙光が持たせたものだ。他にも、コーヒーを淹れるための簡易的なコンロやコーヒーサイフォンまで持ち出している。

 

「まぁ、そう簡単に攻められる位置じゃないから大丈夫とは思うけど、相変わらずだな・・・」

 

 その様子に、曙光も呆れつつも安心感を抱く。

 しかし忘れてはならないが、今はまだ試合中。大洗も試合を諦めてはいない。

 ほどなくして、大洗チームもボカージュ地帯へとやってきた。装甲が厚いとされるポルシェティーガーを先頭に隊列を組み、中央の広い通りを進む。しかし、そこはBCもマークしていた場所であり、ソミュアとARLが協力して迎撃を始める。

 だが、戦闘が始まると、その場でも砲撃は数輌に任せ、残りの車輌―――主に車高が低い戦車―――は、脇道に逸れて、別方向から侵攻を開始した。

 

「あれ、いいのか?」

「いや、あの先にはまだ別の部隊がいるし、マリーたちはそれよりさらに奥にいる。心配ないんじゃないか」

 

 時折モニターに表示される俯瞰図を観ながら、曙光と真壁は試合の行く末を見守る。素人なりに、どこでどう動くのか、どういう状況なのか考えてはいた。とりあえず今の段階では、まだ大丈夫だと思っている。

 しかし、進路を逸れた大洗チームの中からある戦車―――ルノーB1bisというらしい―――が、1輌だけさらに別行動を始めたのを見て、曙光と真壁は眉を顰めた。

 

◆ ◆

 

Mon amie(我が友よ)! 敵がNord-est(北東)に進出中!防いでくれ!』

「心得た、Mon amie!」

 

 押田の無線に、安藤から援護を求める通信が入る。

 安藤のソミュア部隊とARL数輌は、先ほど大洗チームと交戦を始めたと報告が入った。だが、流石に大洗も一点突破ではなく別方向からの侵略を企てたらしい。安藤たちの戦力ではそこまで手が回らないから、押田たちが対処するしかない。

 

「押田隊、12時半の方向!撃て!!」

 

 冷静に方角を見極めて、押田は自分のARL部隊に発砲指示を出す。

 流石に最初の砲撃で命中することは滅多にないので、相手の動きを観察しつつ、次の砲撃準備に取り掛かろうとする。

 だが。

 

『押田隊長!ソミュアに攻撃されました!』

 

 ARL部隊の1輌からそんな報告が入ってきた。

 声の主は、東側に展開させていたARL2号車の車長。だが、その東側にソミュアは配備させていなかったはずだ。

 

「寝ぼけたこと言うな!」

 

 だから押田はそう返す。少し前だったら、すぐに外部生が勝手なことをしたと勘繰ったが、外部生との争いも既に終わり、押田も外部生のことを信頼している。そんなことをするとは考えられなかったし、今は大事な試合中だ。

 ところが、その直後に押田のARLも後方から攻撃される。命中はせず、砲塔を掠めただけのものだ。

 即座に押田は周囲の様子を窺うが、自車の後方を走る巡回中の()()()()の姿を見た。それ以外の戦車の姿は見えない。

 

「何だと!?」

 

 戦車の位置関係からして、今攻撃したのはそのソミュア以外には考えられない。押田はすぐに、操縦手と砲手にそちらを狙う様に指示する。だが、まずは警告の意図を籠めて、そのソミュアの進路を狙い発砲させた。

 

『ちょっとちょっと!何するんですか!』

「それはこっちのセリフだ!こっち狙ってきただろうが!」

 

 停止して不満げな反応を見せるソミュアに対し、押田も身を乗り出して抗議する。

 

『はぁ!?んなワケあるわけないじゃないですか!半月前ならともかく今は仲間でしょうに!』

 

 しかし、なおもソミュアの乗員は否定する。その剣幕からして、はったりを噛ましているようには聞こえない。それに、ソミュア乗員の言う通り、今は半月前と状況は違ってちゃんとしたチームメイトだ。試合中に仲間を攻撃するメリットもない。

 

「それもそうだな・・・」

 

 冷静になった押田は、ソミュアの乗員の言葉を信じることにした。

 

「よーし、戻れ。流れ弾か見間違いだろう。疑って済まなかったな!」

『分かりゃいいんです~』

 

 押田が謝ると、ソミュアの乗員も大して傷ついていないノリで返事をし、その場を離れていく。

 だがその直後、押田のARLはまた後方から攻撃された。しかも、こちらにちょっかいを掛けるような、同じ掠り傷。

 

「やっぱやりやがったな!惚けやがって!」

 

 今度ばかりは頭に来た。近くにいるのは、やはり先ほどのソミュアのみ。さっきの言葉も嘘っぱちだ。

 戦車の天板を叩き、即座に信地展開させて先ほどのソミュアを狙うよう指示する。

 そして、そのARLの攻撃は見事にソミュアに命中し、白旗判定となってしまった。

 

◆ ◆

 

「あっ、見たぞ!何てことしやがる!」

 

 その様子を遠巻きに見ていた別のソミュアが、巡回ルート近くにいる1輌のARLに接近する。

 ようやく仲良くなれたと思ったエスカレーター組が、理不尽に同じ受験組の戦車を撃破したのだ。しかも、気を抜けない試合中に。憤るなという方が無理な話だ。

 なので、報復として、手近な場所にいたARLに素早く接近。模擬戦の時のようにターレットリングを撃ち抜き、白旗判定をもぎ取る。ARLは動きがそこまで速くないので、接近も狙撃も容易だった。

 だが、近くにいたもう1輌のARLがソミュアを砲撃を開始する。ソミュアは小回りの利く車体を生かして逃げながら応戦しつつ、部隊長に報告する。

 

「安藤隊長!エスカレーター組、謀反乱心!押田隊と交戦中!なお3号車が奴らに撃破されました!」

 

◆ ◆

 

「ぬ・・・っ!?この・・・やはり化けの皮が剥がれたか・・・!」

 

 仲間からの報告に、安藤は歯ぎしりをする。

 長い間続いた諍いも終わり、一致団結してこの試合に臨み、一時は大洗を窮地に追い詰めた仲というのに。さては、大洗を追い詰めたことで、逆にこちらの実力を知って危険視したのだろうか。

 何にせよエスカレーター組は、やはり受験組を快く思っていなかった。だから、試合のどさくさに紛れて自分たちを弾圧しにかかったのだ。

 

「敵は大洗じゃない!身内だ!!」

 

 安藤が声高に宣言すると、ソミュア部隊はARLが集う地点へと移動を始める。

 

◆ ◆

 

 曙光と真壁は、揃って頭を抱えた。

 せっかく大洗を出し抜いて試合の流れを掴み、連携も高まっていたというのに、こんなことになってしまうとは。

 モニターで戦況を見ていた曙光と真壁には、押田たちのARLにちょっかいを出していたのは、大洗チームで別行動をとっていたルノーB1bisだと分かっている。しかし、その砲塔のカラーリングはBCチームのソミュアと同じものに変わっていた。それが、BCチームがソミュアと見間違えた原因だ。

 大洗チームの狙いは、見ての通りBCチームの連携を崩すためだろう。先ほどの橋の戦いで、協力したBCチームがどれだけ強いかは向こうも思い知ったはずだ。しかし、元々BC自由学園の内部抗争は向こうも知っていただろうし、それが収束してからまだ日にちはそこまで経っていない。マリーも懸念していた、その脆い協力関係を大洗チームは突いてきた。

 鉄壁の連携を突破できないなら、その根元を突いて仲間同士で争わせればいい。悔しいが、その目論見は見事としか言えない。

 

(マリー、早く気付いてくれ・・・)

 

 モニターでは、大洗そっちのけでソミュア部隊とARL部隊は派手な砲撃戦を始めている。

 だが、最悪なのは隊長のマリーがこの状況に気付いていないことだ。彼女が早く気付けば、被害を最小限に食い止められる。けれど、ボカージュ地帯の奥の方にいるせいで、前線の状況が見えていない。そのせいで、仲間割れしている現状に気付けず、気づけばソミュアとARLがさらに1輌ずつ撃破されていた。このままでは、全員同士討ちで脱落する。

 他の観客たちは、呆れて笑ったり、勝負はついたと離席し始める。

 早く気付いてほしい、と曙光と真壁は手を合わせて祈る。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 ソミュアとARLがそれぞれ2輌撃破されて少し経った後のこと。

 

「「?」」

 

 砂部と祖父江が、コーヒーを飲む手を止める。自分たちがいる区画で、急に地面が揺れ始めた。戦車の振動によるものだろうが、相手チームの侵攻でもフラッグ車に何の連絡もないのはおかしい。マリーも、ケーキを食べる手を止める。

 すると次の瞬間、護衛についていたARLの近くに、どこからかの砲撃が着弾する。すると、即座にその場を離れようとした。

 

「あなた!勝手に持ち場を離れるとは何事ですの?」

「いいのよ。()()の奮戦にいても立ってもいられなくなったんでしょう?」

 

 祖父江がすぐに無線機を取って叱責の言葉を飛ばす。砂部もケーキを食べながら、そのARLの方を向く。

 だが、マリーは大して気にしない。ここまで敵が接近しているのに何の連絡もないのは、隊長のマリーに心配を掛けさせないためだと思った。

 

『ありがとうございます。遠慮なく叩き潰させていただきます』

 

 護衛のARLは、マリーの言葉に嬉しそうな語調で応えて、前線に赴いた。

 

『安藤部隊を!!』

 

 最後に不穏な言葉を残して。

 

「「「!?」」」

 

 途端、マリーたちはくつろぎムードを放り投げて、戦闘に参加する準備を始めた。

 先んじて祖父江がルノーFTに乗り込みエンジンを点け、砂部が砲撃準備を整える。そして祖父江が発進させたルノーFTにマリーは飛び乗り、ボカージュの向こう側から聞こえるエンジン音を頼りに進路を取る。

 マリーが、ボカージュの一角を撃ち抜くように砂部に指示すると、狙い通りにボカージュに穴が開くと外へと飛び出す。丁度、押田のARLと安藤のソミュアが真正面からかち合う寸前だった。

 

「「な・・・っ」」

 

 突然フラッグ車のルノーFTが飛び出たことに、押田も安藤も驚いた様子だ。両方の戦車の操縦手も驚いたのか、戦車を停止させている。

 

「あなたたち、仲の悪いお芝居はもういいから!」

「お芝居ではない!」

 

 マリーが宥めようとする。だが、押田と安藤はまた以前のように剣呑な雰囲気で言い争いを始めてしまう。

 

「やっぱり外部生とは協力できません、こいつらは敵だ!」

「それはこっちのセリフだ!このマルモン元帥!」

「何だと!?手を出してきたのはそちらではないか、このヤギの乳!」

「人のせいにするな、この傀儡ポンコツチーム!」

 

 ヒートアップした2人は、マリーなどそっちのけで言い争いをする。

 しかしマリーもまた、何故このような状況になってしまったのか、周囲の状況を確認した。

 

「!?」

 

 するとその時、押田の後方にいたARLの1輌を砲弾が掠める。全員がそちらを見ると、ボカージュの隙間から()()()()()()()が見えた。それを見た押田が、それ見たことかと安藤たちを指差す。

 

「見ましたかマリー様!今のが動かぬ証拠です、砲撃用意!」

「もう、まったく!」

 

 押田の指示で、ARLは一度後退し、ソミュアに狙いを定め直そうとする。だが、そこでマリーはARLの砲身をバランスを取りながら渡り、押田に近づく。押田も、隊長のマリーが危ない位置にいるので迂闊に戦車を動かせず、操縦手に停止するよう告げた。

 

「あのねぇ。一体何輌のソミュアをやっつけちゃったわけ?」

「2輌です!」

 

 憮然とした態度で質問に答える押田。そんな彼女に、マリーは扇子を向けてさらに問う。

 

「じゃ、残りは?」

「決まってるじゃないですか!残りは2輌に決まって・・・」

 

 子供でも分かる引き算に反発する押田。

だが、自分で答えてどうやら今の状況に気付いたらしい。

 この試合に投入されたソミュアは全部で4輌。自分たちが裏切りと判断して粛清したのも2輌だから、残りのソミュアは2輌で間違いない。

そして今、自分たちの目の前にいるソミュアは2輌。

 しかし、先ほど見えた()()()()()()()は、別方向から攻撃を仕掛けていたではないか。

 

「あれっ?じゃあさっきのは・・・」

「あなた糖分足りてないんじゃありませんこと!?」

 

 ようやく間違いに気づき、呆けた顔をする押田を割と本気で叱るマリー。しかし、過ぎたことを試合中に責めても仕方がないので、今はまずあの謎の()()()()()()()の正体を探るよう指示を下し、マリーも自分の戦車に戻る。

 入り組んだボカージュ地帯を走り回るが、やがてマリーは交差点で1輌の戦車を発見した。それは、上部砲塔だけカラーリングを変えていた、大洗のルノーB1bisだ。間違いなく、この車輌が混乱を引き起こした真犯人だろう。

 即座に押田と安藤にここへ来るよう告げると、すぐに2人の車輌はルノーB1bisの前に姿を見せた。対してルノーB1bisは、もはや勝ち目がないと悟ったのか、何もしてこなかった。

 生憎、無抵抗の相手は撃たないなどの義理をBC自由学園は持ち合わせていない。なので、容赦なくARLとソミュアは発砲し、ルノーB1bisを撃破する。

 そして、押田と安藤はそれぞれ向かい合い、帽子を取る。

 

「安藤くん・・・疑って済まなかった。許してくれ・・・」

「押田くん・・・分かってくれればいいんだ」

 

 真剣に自らの非を認め合う2人。その様子をマリーは眺めながら、新しく取り出したティラミスを一口食べる。

 そしてマリーは、BCチームの生き残った全ての車輌を自分の下に呼び寄せて、周囲に配置させつつ移動を開始する。仲間割れで4輌失い、その隙に大洗チームの展開を許してしまった。

 

「完全に囲まれている!ボカージュを脱出して、仕切り直しだ!」

 

 押田の言葉と共に、BCチームの車輌がエンジン音を上げた。

 

◆ ◆

 

 ボカージュ地帯は、BCチームにとっては庭のような場所であり、有利に試合を進められるはずだった。

 しかし今や、大洗チームに包囲され、有利なはずの地形は大洗の掌中のものとなっている。恐らくは、BCチームが仲間割れをしている間に、地形を把握したのだろう。

 どうにかしてボカージュから脱出を図るBCチームだが、曲がり角を曲がる度に大洗チームと遭遇し、不意の一撃を喰らって撃破、迎撃、進路変更や撤退を余儀なくされる。それでも、どうにか巻き返そうと反撃して、戦車を数輌撃破することは成功していた。だが、状況はややBCチームが不利なうえでの一進一退となっており、1輌撃破する度に自分たちも1輌撃破されている。

 そしてついに、BCチームの残りがマリー、押田、安藤の3人の戦車だけになった。

 対して、大洗チームはまだ7輌も残っている。

 

「「・・・・・・」」

 

 素人の曙光と真壁でも、この状況は絶体絶命だと分かる。

 しかしそれでも、マリーたちは勝負を諦めていない。まず、押田のARLと安藤のソミュアが八九式を前後から挟み、マリーのルノーFTが撃破する。そして、そのまま大洗チームのフラッグ車を探しだす。

 そこで、大洗のフラッグ車―――ヘッツァーというらしい―――が姿を現し、マリーたちの戦車が3輌で追う。

 しかし、角を曲がった先で別の戦車―――Ⅲ号突撃砲とのことだ―――が待ち伏せをしており、先頭を走っていた押田のARLと相討ちになる。ARLが撃破され立ち往生したため、マリーと安藤は別方向からフラッグ車を狙うことにした。その際、押田はマリーたちに激励のジェスチャーを送る。

 

「あっ・・・!」

 

 曙光が声を上げかける。

 転進した先には別の大洗の戦車―――今度は三式中戦車―――がいて、マリーのルノーFTを狙っていた。しかし、ルノーFTは逆に三式中戦車との間合いを詰め、砲身の向きを見定めてから回避する。あえなく三式中戦車の攻撃は外れ、後続の安藤のソミュアが三式中戦車の動力部を狙撃し、撃破に成功した。

 それでも、今度はポルシェティーガーが角から姿を現した。

 途端、ルノーFTの後ろを行くソミュアが増速し、ルノーFT後部にある橇を突き飛ばし、無理矢理ルノーFTの進路を変える。だが、ソミュアはそのままポルシェティーガーへと突っ込み、砲撃を受けて撃破されてしまった。

 安藤のソミュアの行動は、マリーのルノーFTを庇うためのものだ。つまり、少なくとも安藤はまだ試合を諦めておらず、勝敗を最後に残ったマリーに託したのだ。

 

「頑張れ、マリー・・・」

 

 試合を悲観せずに、曙光はモニターを注視したまま口にする。隣に座る真壁や、周りの観客など今は気にもしなかった。

 ただ、モニターの中でマリーのルノーFTは、追跡してきた大洗チームの戦車―――Ⅳ号戦車―――を回避し、フラッグ車のヘッツァーを探す。ほどなくしてヘッツァーは見つかり、ルノーFTはそれを追う。正直、ルノーFTの性能でヘッツァーを撃破できるかは微妙なところだったが、ただ無様に敗北をするよりも挑戦する方が価値はある。

 

「あ」

 

 だが、そのルノーFTの前方に、巨大な何かが横から飛び出してきた。

 それは、最初の橋での攻防でも活躍していた、Mk-Ⅳ戦車だ。その大きな車体にルノーFTは真横からぶつかり、一歩も前に進めなくなってしまう。

 そして、その背後からは、Ⅳ号戦車とポルシェティーガーがルノーFTを狙っている。

 

「・・・・・・」

 

 唇を噛む曙光。

 次の瞬間、砲声が試合会場に響いた。

 

『大洗女子学園の勝利!』

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 戦車の撤収作業と、マリーが気まぐれに開いた大洗とのケーキパーティを終え、学園艦に戻ったのは夜だった。

 曙光は、早く休みたかった。初めて公式戦を生観戦して興奮が冷めないのもあるし、多くの意義があるはずの試合で負けてしまい、自分の中の悔しい気持ちをどうにかしたかった。

 しかし、返る途中でマリーに呼び出しを喰らい、今はBC自由学園の普段使うサロンへと向かっている。当事者のマリーだって疲れているだろうに、どういうつもりだろうか。

 

「失礼するよ」

 

 断りを入れてから、サロンに入る。

 窓の近くに、マリーは立っていた。しかし、部屋の明かりは点いておらず、マリーは窓の外を眺めている。一目見ただけで、異様だと思った。

 

「悪いわね、遅くに呼び出して」

「いや、気にしなくていい」

 

 窓の向こうの夜空には、雲が広がっていて満天の星も月も見えない。だが、マリーはそこをじっと見ている。

 曙光は、そのマリーの横に立とうとはせず、ほんのわずかに距離を開けて後ろに立つ。

 

「ケーキも用意できていないけど・・・」

「いらないわ」

 

 マリーをもてなす時は欠かさないケーキ。それをマリーは、『いらない』と言ってのけた。これだけでもう十分な異常事態だ。

 

「ただ、ちょっと話がしたいの」

 

 マリーは振り向くと、硬い表情を見せた。普段見せることのない表情に疑問を抱きつつも、曙光は話を聞くことにした。

 

「試合・・・負けちゃったわ」

「・・・観てたよ。惜しかったな」

 

 曙光が言うと、マリーはおどけるように笑う。その笑みを見ると、曙光の胸が痛む。

 

「流石、全国優勝校ってところかしら」

「あの戦車の上を渡るのはすごかったな」

「ええ、私もびっくりしちゃった」

 

 BCチームの作戦が成功して、あと一歩のところまで追い詰めた時は、マリーも曙光も勝利を確信していた。だが、それも大洗の奇策によって叶わず、またその作戦の破天荒ぶりに驚いたものだ。

 

「でも、あの時は外部生もエスカレーター組も協力していたわ。その後も、押田も安藤も今までのこと謝ったのよ?考えられないわ」

「それは・・・確かにな」

 

 今までの仲の悪さを考えれば、お互いに協力し、あまつさえ非礼を詫びるなどあり得ないことだ。それができるほどに、マリーと曙光で仲を取り持てたことは大きかった。そうして築けた信頼関係を持って、大洗にも勝てると思ったのだが、結果はあの通りだ。

 

「・・・でもねぇ、盲点だったわ。まさか、その根っこを突かれてチームワークを崩されちゃうなんて」

 

 試合のことに触れると、そこは避けて通れない。

 タイプの違う2つの陣営が協力すると、鉄壁のチームワークが組めることは証明された。だが、お互いに和解してからまだ日が浅いせいで、そこを相手に見抜かれてしまった。その部分については、向こうの方の観察眼が鋭かったと言わざるを得ない。

 

「でも、試合自体は楽しかったわ」

「そりゃよかった。マリーだって、楽しい試合がしたかったんだろ?」

「ええ。本当に良かった」

 

 試合の後で、大洗チームと気まぐれにケーキパーティを開いたマリー。その付き人の砂部と祖父江に加えて、彼女たちの分のケーキを持ってきた曙光と真壁も手伝いに駆り出されたのだ。

 その際、マリーは大洗チームの()隊長と話をして、その際に『革命が起きたかのような戦いだった』とコメントしていた。マリーなりに楽しかったのを表現しているのは、あの場で聞いていた曙光にも分かっていた。

 観ていた曙光も、BCチームが一歩リードしていた時も、最終盤でマリーたちがフラッグ車を追跡していた時も、楽しいと思った。仲間割れした時は残念だったが、初めて見た試合としては面白かったと思う。

 

「・・・でね」

 

 そこで、マリーの表情が翳りを帯びる。

 空気が変わったのを、曙光は感じ取った。

 

「もっと早く、私が気付けば、試合の結果も変わってたんじゃないかって思うの」

 

 仲間割れが起きた時、マリーは砂部、祖父江と共にケーキタイムを続けていた。事態に気付いたのは、護衛のARL車長が偶然にも発した言葉のおかげだが、あれが無ければBCは共倒れだったかもしれない。

 何とか最悪の事態は避けられたが、もっと早く気付いていれば、マリーの言う通り試合の流れも違ったのかもしれない。それこそ、勝つことだってできたはずだ。

 

「・・・はぁ」

 

 溜息と共に、マリーは曙光に寄り掛かる。倒れるほど軟でもないが、唐突なマリーの行動に驚く。

 

「・・・負けちゃった」

 

 夜風のように冷たい声。

 それでようやく、マリーも悔しがっているのだと気づいた。ケーキパーティで、大洗のメンバー相手にはにこやかに振舞っていたが、それも強がりだったのだろう。

 

「・・・マリーは頑張ったと思う。俺は戦車道にはそんな詳しくないし、観てただけだけど・・・」

「・・・・・・」

「戦車に乗ってるマリーはカッコよかった」

 

 ボカージュ地帯で安藤、押田と協力して戦車を撃破したり、フラッグ車を追跡する様子を、曙光はその目で見ていた。それはハラハラすると共に、戦車を駆るその姿をカッコいいと本気で思ったものだ。

 結果がどれだけのものであっても、そこは確信を持って言える。

 曙光の目に、マリーはとても輝いて映っていた。

 

「・・・そう」

 

 身体を預けるかのように、マリーの重みを感じる。曙光の胸板に顔を埋めたまま、顔を上げようとはしない。

 こうなると、棒立ちでいるのも少し気まずくなる。だが、突き放すのは気が引けるし、逆に背中に手を回すのも馴れ馴れしい。

 その末に、曙光はマリーの頭にそっと手を置いた。

 

「・・・っ」

 

 ほんの少し、マリーの身体が強張る。

 だが、すぐに力が抜けて、曙光に身体を預けてくる。そして、曙光の背中に腕を回してきた。

 

「・・・・・・」

 

 強く抱き締めるように、曙光の服を掴むと、マリーの身体が震えているのが分かる。

 マリーはずっと、『我慢』していたんだろう。

 それを理解すると、自分の中にある悔しさや未練が薄れて、今はただ目の前にいるマリーを労いたいと思う気持ちが強くなる。

 今だけは、エスカレーター組の代表でも、BC自由学園戦車隊の隊長でもない。

 マリーという、1人の少女を癒したい。

 

「・・・よく頑張ったよ、マリー」

 

 静かに曙光は、頭に載せていた手でゆっくりと髪を撫で、もう片方の手をマリーの背中に回す。

 他に誰もいないサロンに、少しだけ乱れた息遣いが聞こえてくる。頑なに視線を上げないマリーが今どうしているのか、曙光にはよく分かった。

 

「・・・・・・」

 

 曙光は静かに、マリーの髪を撫でながら、背中をさする。

 腕の中で、マリーが震えている。

 今この場にいるのは、曙光とマリーだけ。誰かの目を気にすることもなく、ただ自分がやりたいことをすればいい。

 庶民の曙光が、お嬢様のマリーを慰めても、許されるだろう。

 

「・・・お疲れ様」

 

 静かに告げると、マリーを抱きとめる力を少し強くする。

 それで、マリーが曙光の背中に回す腕にも力が入ったけれど、少しも痛くない。マリーが肩を震わせ、曙光の胸の辺りに熱を感じるのは、そう言うことだろう。

 そんなマリーを何も言わずに抱き留めながら、曙光は目を閉じる。

 今になって、ようやく自分がマリーのことをどう思っているのか、理解することができた。

 だけど今は、その言葉を伝えるに相応しくない。

 自分の腕の中で、静かに涙を流しているマリーを気遣うことだけに、今はただ集中したかった。




 学園艦に乗ってから、曙光は寄るところがあると言ったので、真壁は大人しく1人で寮に戻ることにした。
 ただ、寮へと向かう真壁の足取りは軽くない。人生で初めて戦車道の試合を目の当たりにして、心が昂り疲れたのと同時、その試合に負けてしまって悔しさが心を支配しているのもあるからだ。
 しかしそれでも、ねぎらいの言葉を贈るのは欠かさない。

「送信、と・・・」

 メールを送信して、真壁は一息吐く。
 送った相手は砂部と祖父江だ。内容はもちろん、試合の感想と励ましの言葉である。試合後にマリーが開いたケーキパーティで砂部や曙光たちと手伝いをしていたが、その際はそう言った言葉を掛ける雰囲気でもなかったので、結局は言えなかった。
 試合の当事者として、経緯がどうであっても、敗北という結果にマリーたちは大いに悔しがっただろう。そこへ、素人の真壁が四の五の言っても逆に傷つけてしまうかもしれないから、無難にメールで伝えることにした。
 できれば、男として何か気の利いた言葉でもビシッと掛けてやりたかった。しかし、今回は門外漢であるが故に迂闊なことが言えない。自分は結構チキンだよな、と思いつつ寮へと足を速めたが、ほどなくしてメールの着信があった。送り主は、祖父江だ。

『真壁さん、ありがとうございます。
 今日はわざわざ試合を観に来てくださったのに、あのような結果になってしまい、恥ずかしい限りです。
 けれど今回の試合は、とても実りの多いものでしたので、これをまた次へ生かそうと思います』

 前向きだな、と真壁は思いつつ、『頑張ってね』と返事をする。
 すると、またしてもメールが来た。今度は砂部からだったが。

『今、電話してもいいですか』

 即決即断。『OK』とメールを返した。
 それから1分と経たずに、電話がかかってくる。砂部からと確認するや否や、『応答』をタップした。

「もしもし?」
『もしもし、真壁さんですか・・・?すみません、こんな遅くに・・・』
「いやいや、大丈夫。問題ないよ」

 電話の向こうの砂部は、聞いた限りでは落ち込んでいる様子が無い。真壁は、向こうの声に注意をしながら、慎重に口を開く。

「今日は、試合お疲れ様。観ていたよ」
『お恥ずかしいです・・・あのようなことになってしまって・・・』

 電話口の砂部は、申し訳なさそうだった。真壁も試合前には見に行くと言っていたので、せっかくの試合があの結果だから、当事者としても申し訳ないんだろう。

「でも、観ていて面白かったよ」
『そうですか・・・?』
「ああ。結果としては残念だったけど、戦車道の試合は初めてで楽しかったよ」

 決して真壁は、砂部を励ますためにそう言ったわけではない。本当にあの試合は観ていて楽しかった。途中で仲間割れが起きたのは惜しいが、受験組とエスカレーター組が協力して大洗チームを追い詰めたのは観ていて爽快だった。
 何しろ真壁は、ずっと受験組とエスカレーター組がいがみ合っている所しか見なかった。協力するなど、少なくとも自分が在学中は実現しないと思っていたから、自分の目で協力してる様子を見られたことに、感動すら覚えたものだ。

『そう言ってもらえると・・・嬉しいです』

 だが、真壁が言っても砂部の気はまだ晴れないらしい。

「・・・あのさ、砂部さん」
『はい?』

 そんな砂部に、真壁は言いたいことがある。

「前に俺が、受験組が大きな抗議活動を計画してるって情報、伝えたでしょ?」
『ええ・・・』
「それで、砂部さんはそれをマリーさんに言ったんだよね」

 実際、あの時の真壁の予想は当たり、安藤をはじめとしたタカ派はその7日後に、エスカレーター組の陣地に乗り込んだ。
 だが、その際にマリーや曙光たちが仲裁し、その場どころか両陣営の諍いまで収めたという。その場に真壁はいなかったが、後になって曙光から話を聞いた。

「だったらさ、今日の試合で受験組とエスカレーター組が協力できたのも、砂部さんが力を貸したからでもあるんじゃないかな」
『・・・どうしてですか?』
「俺は曙光とマリーさんの間に何があったのか知らないけど、きっと早いうちにマリーさんにその情報を伝えられたから、あの日までに準備する時間ができたんじゃないかなって思う」

 曙光と話をした時、『6日あって良かった』とぼやいていたのを思い出す。聞いた話では、両陣営を納得させるためにマリーと協力して、『チョコレートたい焼き』なるお菓子を作っていたらしい。
 恐らく砂部は、真壁が情報を伝えたその翌日にはマリーに伝えていたのだろう。そして、決して真壁の渡した情報を押田たちのような受験組を嫌う勢力には渡さなかった。砂部が穏健派なのは知っているが、真壁は砂部が状況を好転させようとして動いたのだと信じている。

「だから、砂部さんのおかげでもあるんだと思うよ。お互い協力できたのは」
『・・・それはちょっと、買い被りすぎですよ』
「でも俺は、そう思ってる。だからさ・・・」

 一度真壁は、区切ってから伝える。

「あまり、自信をなくさなくていいんだよ。少なくとも俺は、砂部さんは頑張ってたと思っているからさ」

 たとえ相手がどう思っていても、それだけは伝えたい。
 すると、電話の向こうの砂部は、少しだけこちらの言葉を理解するのに時間を要したらしい。やがて、『ええと・・・』と言葉を選びながら返した。

『すみませんでした・・・何だか、試合があんなことになってしまって、ネガティブな気持ちになってしまってました』
「ああ、分かるよ。そう言う気持ちになるの、俺だってあるし」
『ええ・・・ですが、真壁さんとお話しできて、気持ちが楽になりました。ありがとうございます』
「いやいや、元気になったようで良かったよ」

 口ではそこまで気にしない風を取るが、内心は飛び跳ねて喜んでいる。自分のおかげで気持ちを上向きにできたのなら、それはとても嬉しい。

『それではまた、学校でお会いしましょう』
「うん、分かった。それじゃ、お休み」
『はい、おやすみなさい』

 心なしか、砂部の語調はとても軽やかだった。真壁の励ましの言葉は届いたようで、一安心である。
 そして、また明日学校で会えるのだとすれば、それもまた楽しみだ。抗議活動が活発化した際は、両方の校舎の往来も憚られたし、チョコレートたい焼きの件以降も大事を取って会わないでいた。つまり、会うのは少し日数が開いている。
 久方ぶりとは言い過ぎだが、また会えるのがとても嬉しくて、楽しみで仕方ない。
 寮へと向かう真壁の足取りも、自然と軽くなっていた。


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第10話:約束のケーキ

 試合から一夜明けたBC自由学園だが、そこまで険悪な雰囲気ではない。と言っても、勘のいい人間であれば、ひりついているのが分かるレベルだ。

 無理もない。何せ、試合前には一致団結して勝利しようと意気込んでいたのに、肝心の試合は途中で仲間割れが起き、挙句に敗北した。あの試合を一部始終見たのは、BC自由学園の全生徒ではないにしろ、噂に聞いた話で仲間割れが起きたことについては知られてしまっているだろう。

 

「大丈夫かな・・・」

「それは実際見ないと分からん」

 

 昼休みを迎え、エスカレーター組の校舎に向かう曙光と真壁は、気が重かった。昨日の試合を見届けており、空気の変化も感じている。だからこそ、どうなるかが不安だった。

 それでも、こうして出張っているのは、それぞれマリーや砂部、祖父江と昼食を一緒にする約束をしているのだ。この先どう転ぶにしろ、今までの関係は続けた方がいいと思ったからだ。

 それでも、あまり穏やかではない空気に、2人の胃に負担がかかっている。

 

「よう、2人とも」

 

 だが、鉄扉を開けようとしたところで、不意に後ろから声を掛けられた。誰だと振り向くと、そこにいたのは安藤だった。

 

「安藤・・・どうした、こんなトコまで」

「ああ、エスカレーター組にちょっと用事がな」

 

 真壁の問いに応えながら、安藤が曙光に代わり鉄扉を開ける。あまりにもあっさりと敵地(?)に脚を踏み入れたことに、曙光も真壁も意外に思いつつも後に続いた。

 

「用って・・・まさか、いきなりエスカレーター組にカチコミかけようとはしないよな」

「そんなことは()()しない」

 

 『用』について曙光が探りを入れるが、安藤は快活に笑って答えた。

 そこからは、流れで3人一緒に歩き出す。安藤の行き先は分からないが、学食ではなかろうか、と曙光と真壁は思う。

 

「昨日の試合の後、押田と一緒にOGの先輩のところへ行ったんだ」

「OGって・・・アズミさんって人?」

「知ってたのか」

「マリーから聞いた」

 

 戦車道だけでなく、OGのことまで知っているのに安藤は驚くが、マリーからの情報と聞くと納得した表情を見せる。前からマリーとつながりがあったことは知っていたので、今さら驚きはしないだろう。

 

「ああ。それでアズミ先輩から、私たちが協力すれば大洗みたいな強豪校の鼻を明かせるって分かったし、優勝だって狙えるって言われたんだ」

「・・・・・・」

「あのたい焼き革命の日に、私たちが分かり合えた時は嬉しかったよ。それまでは、エスカレーター組の連中を出し抜いてやろうとか、下克上を起こしてやるって息巻いてたけど、あの時はそんなこと思わなかった」

 

 受験組がエスカレーター組の陣地を占拠し、チョコレートたい焼きによって諍いが収束したあの日を、誰かが『たい焼き革命』と名付けた。何とも面白響きだと、曙光と真壁は思う。

 角を曲がり、お嬢様たちのクラスの前を通る。お昼時で視線も多く、自分たちのことも見えているだろうが、曙光は感じる視線が気持ち少ないと感じる。以前のように、突き刺さるような、忌避感に溢れた視線はない。

 

「あの時・・・分かり合えて嬉しいって純粋な気持ちは、失くしたくない。だから、もうこの先争うのは止めようと思ってる」

 

 安藤の、受験組の代表の言葉に、曙光と真壁は目を見開く。

 今まで散々虚仮にされてきて、不満を露にしていた受験組の方から、これ以上の争いはしないと方針を決めた。特に、一番その事実に苦汁を嘗めていた安藤からそう決めたのがまた驚きだ。

 

「まぁ、向こうに仲良くする気がなければ、その限りじゃないけどな」

 

 だが、ちょっと付け足した安藤の言葉に、曙光も真壁も苦笑する。

 その通りで、エスカレーター組が態度を改めなければ、事態は変わらない。安藤は歩み寄る姿勢を見せるつもりだし、向こうもそれなりの態度を示してほしいと、曙光と真壁はただ願った。

 さて、廊下を過ぎて階段を降りる曙光と真壁だが、安藤はやはり2人と同じ方角を目指しているらしい。だとすれば、安藤の目的地はほとんど分かった同然だ。

 

「曙光~」

 

 やがて学食までやってくると、先に待っていたマリーが手を振っていた。自分の隣には真壁と安藤もいるのに、自分にしか声を掛けないのがすごい恥ずかしい。

 マリーのそばには、砂部と祖父江、そして押田もいた。マリーが曙光に向けて声を掛けたのに、押田は若干不服そうな顔を見せているが、彼女は彼女で安藤に用があるらしく、朗らかに挨拶を交わしている。砂部と祖父江も、真壁と話をするようだ。

 

「あー・・・曙光と言ったか」

 

 すると、安藤と挨拶を終えた押田が、曙光に話しかけてきた。初めて押田に名を呼ばれたものだから驚いたが、何か少し気まずそうな感じなのが尚更奇妙に思う。

 

「その・・・この間は、すまなかった。確証もなく色々と言ってしまって・・・」

 

 何と、謝ってきた。それは恐らく、あの時マリーのいたサロンで取り巻きと共に曙光を糾弾したことに対してだろう。普段だったらエスカレーター組が受験組に謝罪するなど、絶対にない。特に、受験組を毛嫌いしていた押田から謝られるなんて、夢にも思っていなかった。

 ただ、こうして謝ってくれたのは、押田たちも認識を改めたからだろう。それは曙光としても嬉しいし、押田も嫌々ではなく真摯に謝ってくれているのは分かる。根は悪い人ではないのかもしれない。

 

「・・・いいよ、過ぎたことは責めないし、謝ってくれればそれで十分だからさ」

「そうか・・・。いや、本当にすまなかったな。これからは、仲良くやろう」

 

 曙光も押田のことを責める気はなかった。だから、押田の謝罪を笑って受け入れると、押田も安心したように頷く。そして安藤と共に、学食へと入っていく。

 

「・・・あの2人、仲良くなったんだな」

「昨日の試合の後でね、2人で仲良くしてチームを立て直そうって決めたみたいなの」

 

 安藤と押田の様子を見て訊くと、マリーも少し嬉しそうに答える。同胞もまた仲良くする姿勢を見せてくれて、マリーとしても鼻が高いようだ。

 それから曙光とマリー、真壁と砂部と祖父江も学食へ入る。やはり、学食にいるのは観る限り全員がエスカレーター組のお嬢様だ。受験組の安藤や曙光、真壁はどうしても目立ってしまう。

 しかし、今までと比べると、やはり突き刺さるような視線は圧倒的に減った気がする。曙光や真壁が今まで割と頻繁に出入りしていたのもあるだろうが、大きいのは受験組に対して厳しい態度だった押田が、その受験組の安藤と親しくしているのもあるだろう。押田が安藤たちに対し強気な姿勢を崩さないでいたのは周知の事実だから、今のように穏やかに接していることが、エスカレーター組にとってどれほど重大なことか伝わりやすい。

 

「私たちも食べましょう」

「ああ」

 

 マリーに促され、曙光もマリーと同じテーブルに着くことにする。マリーはフォアグラ定食、曙光はポトフ定食と、初めて昼食を共にした時と同じラインナップだった。決して、必然ではない。

 

「昨日はありがとうね、曙光」

「ん、何が?」

「話を聞いてくれて」

 

 食べ始めようとしたところで、静かにマリーが話しかけてくる。

 昨日のこと、と言えば試合もあるが、サロンでマリーの話を聞いたことの方だろう。すぐに思い当っても、曙光はそれを思い出すと少し恥ずかしくなる。今思えばかなり大胆なことを言ったりやったりしたし、何より自分の気持ちにようやく気付けたのだから。

 

「・・・あれぐらいのこと、礼を言われるまでもないよ」

「でも、ああした不安とか悔しさを全部話すのって、難しいのよ。特に『私たち』は」

 

 忘れてはいないが、マリーや砂部たちは曙光とは違い、お嬢様として思うように振舞えないことも多々あるだろう。さっきマリーが言ったように、言いたいことを素直に誰かに言うことすら、難しいのかもしれない。

 

「砂部さんや祖父江さんにも、ああいうことは言わないのか?」

「ええ、言わないわ」

 

 フォアグラを食べるフォークを置き、マリーは曙光を見る。

 

「だから、あなたが初めてよ。今までもだけど、私が言いたいことをそのまま言えるなんて人は」

 

 穏やかな笑みに、曙光の心が温かくなる。

 だが、その言葉に曙光は小さく笑う。

 

「それ、褒めてるってこと?」

「ええ。とっても」

「そうか・・・ありがとうな」

 

 曙光はポトフからじゃがいもを一欠けら掬い上げて、小さく頭を下げる。慣れ親しんだ庶民の味と比べて若干薄味のそれを楽しみつつ、曙光はマリーに話しかける。

 

「今日もまた、放課後にサロンか?」

「ええ、ケーキを用意して頂戴ね」

「了解」

 

 放課後の予定が決まったところで、学食の入口の方を見る。

 すると、受験組と思しき数組のグループが、おっかなびっくり学食に入ってくるのが見えた。今までは、そんな人たちはほとんどいなかったのに。

 そして気付いたのは曙光とマリーだけでなく、他のお嬢様たちも同じだ。それでもとやかく騒いだりあからさまな目を向けることがないのは、やはり意識が大きく変わったからなのだろう。あのたい焼き革命のことや、代表の押田と安藤が連れ立っていたり、マリーと曙光でコツコツ積み立ててきたことが、ようやく実を結んだかのようだ。

 

「・・・少しずつ、変わっていきそうだな」

「そうね」

 

 悩んだ末にエスカルゴ定食を持ってテーブルに着く受験組グループを見届けながら、2人で頷き合う。その近くに座っていたエスカレーター組の女子たちは、ぎごちなくも挨拶をしているようで、いきなり掴み合いなどに発展しそうな空気もない。

 自分たちのしてきたことは、無駄にならずに済んだ。

 その結末を見届けながら、曙光とマリーは昼食を再開する。

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 夕方になり、曙光はマリーが待っているいつものサロンへと向かっていた。最初の内は、ここまでの道さえも縮こまっていたものだが、事情が変わった今は何の憂いもなく歩くことができる。

 

「ごきげんよう」

「どうも」

 

 行く途中で、この前とはまた別の、名前を知らないお嬢様とすれ違う際に挨拶を交わす。初めての時は実に驚いたが、今後はこうして身分の差など関係なしに挨拶をするのが当たり前になっていくのだろう。そう思うと、心が躍る。

 

「お待たせ」

「待ってたわ」

 

 辿り着いたサロンの戸を開けると、やはりマリーは待っていた。

 早速、曙光はコーヒーを淹れる準備を始め、さらに持ってきた特別仕立てのケーキをマリーの前に差し出す。

 

「あら、これって」

 

 その差し出されたケーキを見て、マリーの唇が緩む。

 それは、試合の前にマリーから作ってほしいと頼まれていた、大きなモンブランだ。通常の3倍ほどの高さがあるそれは、盛り付けにかなり苦労した。

 

「言ってただろ?食べたいって」

 

 曙光は出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、それをマリーの下へと静かに運ぶ。前までは多少音などを立てても特に気にしなかったが、マリーと接するうちにそうした所作にまで気を遣うようになってしまった。嬉しいような、悲しいような成長だ。

 

「それじゃ、遠慮なくいただこうかしら」

「ああ、召し上がれ」

 

 フォークを手に、マリーは器用に山盛りモンブランの頂点を切り取る。これだけの大きさとなれば、ちょっとした拍子にすぐ倒れてしまいそうだが、マリーならその心配もなさそうだ。

 

「はむっ」

 

 上品に、けれど心待ちにしていたように、マリーはモンブランを口に運ぶ。

 普段から言動がふわふわしたり時にわがままだったりと、振る舞いに育ちの良さが垣間見える時もある。それでも、好物のケーキを前にする際は、子供のような純粋な表情を見せる。曙光は、その表情に変わるのを見るのが好きだった。

 

「んっ、美味しい♪」

「それはよかった」

 

 そして満足そうに目を細めるマリー。苦心の末にできたものなので、曙光もそうした感想を貰えて嬉しい限りだ。

 

「でも、もうちょっと大きいのがよかったわ」

「無理言うな。それでも精一杯頑張ったんだぞ」

 

 マリーとしては、さらに大きめのサイズを所望していたらしい。しかし、そのサイズにするまでにも、分量の計算やら高さの研究やらで大変だったのだ。それ以上の高さなど勘弁してほしい。

 しかし、マリーは美味しければそれでいいのか、パクパクと特製モンブランを食べ進める。

 

「ん、美味しかったわ」

 

 5分と少し程度で、マリーはモンブランを食べ終えた。作るのに数時間もかけたのに、あっけなく食べられてしまったと思うと物悲しいが、料理とはそういうものだ。そこは仕方ないと割り切る。

 

「ごちそうさま、曙光。ありがとうね」

「どういたしまして」

「これだけじゃなくて、いつもケーキを作ってくれて」

 

 カップを手に、マリーが曙光にお礼を告げる。その口ぶりが、先ほどのモンブランだけではなく、これまでマリーのためにケーキを作ってきたことに対するものと、曙光も遅れて気付いた。

 

「・・・昼休みのこと、覚えてる?」

「?」

「ほら、外部生の子たちが学食に来たでしょう?それで、私たちの方からも挨拶をして。あんなの、少し前は見られなかったわ」

「・・・ああ、確かにな。俺だって前はずっと屋台か弁当だったし」

 

 あの日、マリーと出会わなければ、曙光はずっと学食に行くことはなかっただろう。それどころか、受験組とエスカレーター組は未だに争い続けているはずだ。

 

「やっとここまで来られたのも、あなたが力を貸してくれたからよ」

「俺はただ・・・言われただけのことをやっただけだし」

「その言われた通りのことも全部できなきゃ、今みたいにはならなかった」

 

 曙光は、受験戦争を経てこの学園に入学していても、身分の差なんて大きな問題を解決する方法なんて考えもつかなかった。ただ仲良くなればいいのにと思うだけで、何一つ行動を起こそうとはしなかった。

 だから、同じ考えだったマリーと協力関係になるのが決まってから、曙光は自分にできることは何でもやると決心したのだ。それが今の自分にできる精一杯のことと思って。

 

「これでも、あなたには感謝してるのよ?ついに、願ってたことが実現できたんだから」

「・・・そうだな。まさか、こうなるとは俺も思わなかった」

 

 無理だと思っていた『和解』という目標が、実現しつつある。その過程には色々あったが、あのマリーと手を組んだことだけでも十分驚きであり、何が起きるか分かったものではない。

 ここまでの道のりを思い返して、曙光は小さく息を吐く。

 

「・・・ここに来るまで色々あったけどさ」

「?」

「マリーと話をしたり出掛けたりして、いけ好かないと思ってたエスカレーター組の見方も大きく変わった。それに、マリーの印象も随分変わったよ」

 

 それに、曙光自身がマリーに対して別の感情を抱くとも、思わなかった。

 曙光の言葉に、マリーは笑う。

 

「ふーん・・・最初は私のこと、どんな風に思ってたの?」

「ケーキ好きで高飛車で、わがままな人」

「あらひどい」

「最初はな。けど、今は違う」

 

 歯に衣着せない曙光の評価に、マリーも顔が若干曇るが、その印象もかつての話だ。マリーのことを全く知らなかった時に抱いていた、イメージだ。

 

「今もたまにわがままなところはあるけど、ちゃんとこの学校のことを考えているのは分かった」

「・・・・・・」

「それと、ケーキが好きなのは前から変わってない。いつも、美味しそうにケーキを食べてる」

 

 わがままなのは、今も変わらない。ケーキが好きなのも、ブレていない。

 けれど、受験組とエスカレーター組が仲良くなってほしいと思う程度には、優しい心を持っているのが新たに分かった。人は見かけによらないと、マリーを見ると強く感じる。

 そして昨日の試合の後、このサロンで曙光が見たマリーの別の一面。試合に負けたことの悔しさ、自分の油断からくる後悔を抑えきれずに、涙を流した。その様子は、彼女がエスカレーター組の代表でも、BC自由学園戦車隊の隊長でも、気品あるお嬢様でもなく、1人の少女であることを痛感させられた。

 

「そんなマリーのことが、俺は好きだ」

 

 マリーの手が止まる。

 曙光の言葉の意味を理解しようとしているのか、表情がぽかんとしている。曙光だって、人生初の告白をしたものだから、心臓が身体を突き破りそうなぐらい跳ねている。取り繕って笑顔を浮かべるのがやっとだ。

 

「・・・ふ~ん」

 

 1分か、10分か。分からないが、それぐらい曙光にとっては長い時間を経て、マリーは笑みを見せた。

 

「私のこと、好きなの」

「ああ」

「友人ではなく異性として?」

「ああ」

 

 改めて聞き返されると、非常に恥ずかしい。しかし、嘘偽りのない気持ちだから、自信を持って頷き返す。

 やがてマリーは、カップを置く。

 

「・・・私ね、よく分からないの。恋とかそういうのが」

「え?」

「だって、男の人とこんなに仲良くなったことなんてないし、誰かにときめいたことだってなかったもの」

 

 とてつもなく、不安を煽られる。背中に汗が浮かぶ。

これは、言外にフラれているのではないだろうか。

 

「でも・・・曙光、ちょっとそこに立ってくれる?」

「あ、ああ・・・」

 

 唐突なマリーの頼みに、曙光は応じてマリーのそばに立つ。

 すると、マリーもまた同じように立ち上がると。

 

「えいっ」

 

 ぽふっ、とマリーは曙光に抱き着いてきた。

 昨日とは違い、気軽な調子だ。そうであっても、突然すぎて曙光は感情の整理がつかない。

 

「今の私は・・・こうしたい気分なの」

 

 芯のあるような響きの言葉を、身体を預けたままマリーは告げる。そのまま背中に腕を回してきたので、曙光も同じようにする。今度は、そこまで時間はかからなかった。

 

「・・・だから私も、あなたのことが好きなのかも」

 

 腕の中でマリーは、楽しそうに、嬉しそうに気持ちを伝えてくれる。

 自然と、曙光がマリーを抱きしめる力も強くなった。

 

「ありがとう、マリー」

 

 マリーは嫌がる素振りも見せず、静かに身を委ねている。自分も離れたくないのか、曙光を抱きしめる腕にも少し力が籠っていた。

 

 

「これからも、よろしくね?曙光」

「ああ、もちろん」

「当然、ケーキもよろしくね」

「当たり前だろ」

 

 腕の中で告げるマリーの言葉に、曙光は頷き返す。

 これまで作ってきたケーキは、最初はご機嫌取りのため、それからは協力してくれるお礼の気持ちも込めてのものだ。しかし、問題が解消されつつあるのなら、それもいずれ不要になるだろう。

 それでも曙光は、これからもケーキをマリーのために作り続けるつもりだ。

 なぜなら、ケーキのことが大好きなマリーのことが、曙光は好きなのだから。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 数日後、マリーは安藤、押田とともに、アズミに連れられて無限軌道杯の2回戦を観に行くことになった。これはマリーたちが教えを乞うたアズミの提案で、自分たちが敗れた大洗女子学園の戦い方を学ぶためだ。

 

「準備はできた?」

「はい、大丈夫です。アズミ先輩」

「後は、マリー様を待つだけです」

 

 ヘリポートでアズミが訊くと、安藤と押田が返事をする。

 その答えに頷きつつ、アズミはヘリポートの端に立っているマリーに目をやる。アズミは、マリーが自由気ままな性格をしているのは知っているが、今はヘリを待たせているのであまり時間をかけたくもない。

 そのマリーは、校舎の方を眺めている。まるで、何かを待っているかのようだ。

 そんな様子を疑問に思っていると、そのマリーが眺める方から誰かがやってきた。

 

「すまん、遅くなった」

「本当、遅いわよ?」

 

 駆けてきた男子は、まずマリーに詫びを入れる。マリーも少しご立腹な感じではあるが、それでもその男子の姿を見ると声に弾みが含まれたと、アズミは感じ取った。

 どうやら、マリーが待っていたのは彼らしく、その男子と並んでアズミたちの下へと向かってきた。

 

(なんだか、あの子のあんな顔・・・見たことないかも)

 

 マリーの表情が、自分の記憶にはないような、穏やかな風だ。ケーキを前にする時のようなパッと明るい感じでも、戦車道の試合の際に見せたキリっとしたものでもない。始めて見る新鮮な顔だ。

 すると、そのマリーに珍しい顔をさせた男子がアズミの方へと歩いてきた。

 

「アズミさん、ですよね?マリーから聞いています。BCの曙光です」

「あら、ご丁寧にどうも」

 

 挨拶に面食らうアズミ。BC自由学園がすでに男子の受け入れを終了しており、今は学園に男子もほとんど残っていないのは知っていた。なので、もはや絶滅危惧種と言っていいぐらいのBC男子を前にして、何か珍しい戦車を前にした気分だ。

 その曙光と名乗った男子は、肩に提げていたクーラーボックスを差し出してくる。

 

「これ、中にケーキが入っていますので。向こうで皆さんと食べてください」

「あら、いいのかしら」

「ええ。元々マリーから頼まれてたんですけど、せっかくだからと思いまして」

 

 曙光の口ぶりに、アズミの食指が動く。

 マリーのことは親しげに呼んでいるし、大のケーキ好きのマリーがわざわざ受験組の個人に頼んでいるのだから、かなりの信頼を寄せられているのだろう。あのマリーからそんな信頼を勝ち得た曙光がどれほどのタマかは、アズミにも分かる気がする。

 

「ありがとう、いただくわね」

 

 その曙光から、クーラーボックスを受け取る。この曙光がどんな人かは気になるが、アズミもケーキはそれなりに好きなので、この中のケーキには期待していた。あのマリーが贔屓にしているようだし、何なら写真にでも撮っておきたい。

 

「・・・・・・」

 

 一方で、曙光の横にいるマリーの様子を伺うと、若干不満そうな顔をしている。具体的には、曙光に対してそんな顔を向けていた。これもまた、マリーにとっては珍しい表情。だが、彼女よりも少々長く生きて世間の酸いも甘いも知っているアズミには、マリーが嫉妬心を持っているであろうことが窺える。

 なるほど、どうやらマリーと曙光はそれなりに親しい間柄のようだ。

 

「さ、それじゃ行きましょうか」

 

 アズミが告げると、試合の内容を確認していた安藤と押田、それからマリーがアズミの方を見る。

 どうやら曙光は、ここまでケーキ運び兼見送りに来ただけのようだ。今回の観戦はあくまで戦車道の一環なので、戦車に乗れない男の曙光は当然お呼びではない。忘れてはならないが、学校の授業もあるので行けたとしても欠席扱いになる。名残惜しそうな表情だが、ここでお別れだ。

 

「気を付けて」

「ああ」

「当然だ」

 

 曙光が声をかけると、安藤と押田が頷く。特に、押田は強気な返事をして見せたが、曙光には気を悪くした様子もない。彼女の物言いには慣れっこのようだ。

 そしてマリーはというと。

 

「ねぇ、曙光」

「ん?」

 

 曙光を呼び止める。

 そして意識が向けられた直後、マリーは少しばかり背を伸ばして、キスを交わした。

 

「あら」

「おっ」

 

 意外なものが見られたと、アズミと安藤は唇が緩む。

 

「曙光貴様ァ!何をマリー様と不埒な真似をォ!!」

 

 一方押田は、尊敬するマリーの行動を受け入れた曙光に対してお冠だ。まるで親の仇を前にするかのような剣幕だが、当の曙光は驚きのあまり、マリーが唇を離した後も表情が驚愕に染まったまま動かない。

 

「さ、行きましょう?ケーキが不味くなっちゃうわ」

 

 そんな風に場の空気を思いっきり崩したマリーは、軽やかな足取りでヘリへと向かう。怒りに震える押田は安藤が押さえてヘリへと連行される。アズミは、曙光に向けて『見せつけてくれるじゃない』と笑顔だけで伝え、ヘリに乗り込む。

 

◆ ◆

 

「行ったのか?」

「ああ」

 

 飛び立ったヘリを見上げていると、後ろから真壁がやってきた。どうやら、普段使わないヘリポートに曙光が向かっていくのが見えて気になったらしい。

 

「みんなは、戦車道の試合に?」

「観に行くだけだがな」

「で、お前は見送りか」

「マリーにケーキを頼まれてな」

 

 踵を返し、校舎へと戻ることにする。だが、隣を歩く真壁がニヤついているのが、少し気になった。

 

「何だよ」

「いやぁ、まさかなぁ。人前でああもイチャつくとは、意外と仲良かったんだな」

「な・・・っ」

 

 指摘され、言葉に詰まる。まさか、あの現場を見られてしまっていたとは。安藤たちの前だったからただでさえ恥ずかしかったのに、おまけに親友にまでバレているとは、穴があったら入りたい。

 

「・・・一応言っておくが、あれは俺も予想外だったんだからな」

「じゃ、それだけマリーさんがお前のこと好きってことだろ」

 

 弁明するが、それは逆にマリーの曙光に対する気持ちの証明にしかならなかった。こういう面に関しては、真壁は妙に敏いと思う。とはいえ、マリーからそう思われているのは嬉しいので、悪い気はしない。

 

「照れてやんの」

「やかまし」

 

 揶揄ってくる真壁を肘で突く。

 そこで、曙光は一度立ち止まり、振り返って空を見る。既にヘリは、ゴマ粒程度の大きさにしか見えなかった。

 聞いた話では、試合会場は戦車道連盟が所有している南半球の土地らしい。だとすれば、今の季節でも会場は暑いだろうし、いかに戦車道でそこそこ鍛えていてもマリーはばててしまうかもしれない。頼まれてケーキを持たせたが、早いうちに食べないと傷むだろう。もし不満だったら、またケーキを作るだけだが。

 そこまで考えて、自然とマリーのことを考えてしまっている事実に、自分で可笑しくなる。どうやら自分は、かなりマリーのことを強く想っているようだ。

 

「・・・・・・」

 

 ふと、先ほどマリーと触れた自分の唇に手をやる。

 あの時、ほんのわずかの間だけでも感じた温もりは、覚えてしまっている。

 

「初めてのキスの味はどうだった?」

 

 そんな曙光を真壁が茶化したので、報復として膝の裏を軽く蹴ってやる。

 キスがケーキのように甘く感じたのは、秘密にしておいた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「―――ってことがあって」

「へぇ・・・マリー様が」

 

 校舎の前で曙光と別れた真壁は、エスカレーター組の敷地にある庭園を砂部と歩いていた。

 少し前だったら、砂部がいたとしても、こうして公にエスカレーター組の敷地を出歩くことはできなかった。それができる程度には、関係も改善されてきているのだ。

 それに、この庭園は芝生や植え込み、舗装されたレンガの小路など見どころが多い。ガサツなイメージの強い受験組を今まで頑なに招かなかった理由も、分かる気がした。

 

「なんだか、イメージがつかないですね。マリー様って、そういうのとは縁遠いような気もして」

「あぁ、それは分かるかも。たまに話すときも、何だかなぁって思うことがあったし」

 

 曙光と一緒に学食で昼食を摂る際、真壁もマリーと同席することは何度かあった。しかし、マリー自身ふわふわしているというか、言葉に掴みどころがないような感じがして、うまく話ができなかった記憶がある。

 そんなマリーの心を射止めるとは、随分なことだと真壁は思った。

 

「そう言えば、砂部さんは試合を観に行かないの?」

「ええ。今回は、押田さんと安藤さんが後進の育成の参考にするために試合を観に行くようなものですし」

 

 隊長車に乗る砂部と祖父江は、厳密には副隊長などの役職は持たない。マリーの付き人としての使命も、どうやらアズミという先輩が受け持つらしく―――甘やかしはしないだろうが―――今回砂部と祖父江に出番はないと言う。

 

「・・・あの、真壁さん」

「ん?」

 

 石造りのガゼボに着いたところで、砂部が笑みを浮かべる。

 

「昨日は、本当にありがとうございました。突然電話したのに、お話を聞いてくれて・・・」

「あぁ、あのこと?いいよいいよ、気にしないで。負けた後でナイーブになっちゃうのは分かるし」

 

 どうやら、夜更けに自分の都合で電話を掛けたことを未だ悔やんでいるらしい。真壁からすれば、試合に負けたことに対して気が重くなる気持ちは分かるし、そうして頼ってくれるのも個人的には嬉しかった。マイナス要素など、真壁には1つもない。

 

「・・・昨日。真壁さんに電話をしたのは・・・あなたと話がしたかったからなんです」

 

 しかし今、そう告げた砂部の雰囲気は、普段よりも静かなイメージがする。決して、悲しみや苦しみなどの暗い印象はない。

 

「前に、曙光さんが責め立てられ、マリー様との関係もなくなった時もなんですけど・・・無意識に私は、あなたと少し話がしたいって思ってたんです」

「え?」

「自分の中で整理がつかないほどの悩みとかを抱えてしまうと、押し潰されそうになってしまって・・・そんな時、ふとあなたに話したいって、思ってしまったんですよ」

 

 砂部が笑みを浮かべて、真壁の顔を見上げる。

 だが、真壁はその笑みに意識を割くことができず、ただその耳に入ってくる言葉の意図を汲もうと必死だ。何故に今その話をするのか、それよりも自分のことをそこまで頼ってくれていたのか。

 

「もちろん、自分の都合だけであなたに話をするなんてことは、無礼だとは思っていますけども・・・」

「・・・無礼なんかじゃないよ。頼られるのは、嬉しいし。砂部さんを放っておくわけにもいかないから」

 

 昨日の試合の後は、恐らく落ち込んでいるだろうと予想はしていたが、砂部の『電話したい』というサインがなければ、その落ち込みの度合いも分からなかった。

自分たちの立場や、戦車道ができるできないの差もあって、迂闊に声を掛けられなかった。しかし、砂部の方からそうした助けを求められれば、必ずそれに応える覚悟はある。それぐらいには砂部が好きだし、それ以前にそういう性格だ。

 

「それは・・・本心でしょうか?」

「もちろんだともさ」

「・・・そうですか」

 

 砂部の瞳が、わずかに揺れた。

 どきりと、真壁の心臓が跳ねる。魅惑的というか煽情的というかで、直視するのが若干憚られてしまう。

 

「・・・あの、真壁さん」

「?」

「マリー様と曙光さんの提案で、こうして話す機会も増えたんですけど・・・ね」

 

 視線を一旦落とし、先ほどと違って妙にもじもじとしながら言葉を紡いでいく。

 決して真壁はナルシストではないが、『まさか』と砂部の行動を()()()()方向に推察してしまう。

 

「真壁さんは、私にお菓子を作ったり、色々言葉を掛けてくれたり、話を聞いてくれたり・・・頼ってほしいって自信満々に言ってくれて」

「・・・うん」

「それって・・・私にとってはどれも新鮮なことだったんです。育ちの環境もあって、親しい男の方も真壁さんが初めてなんですけど・・・」

 

 すると、砂部は顔を上げて真壁の目を真っ直ぐに見つめてくる。

 この場だけは、視線をそらしてはならないと、真壁の本能が警告していた。

 

「だから、私は真壁さんのことが・・・その・・・」

 

 しかし、言葉の勢いは尻すぼみ、視線もだんだん落ちていく。

 それなりに察しがいい真壁も、きっと自信がなくなってきてしまったんだろうとすぐに分かった。

 だとすれば、真壁のすべきことは一つだし、()()は自分が先に言っておきたい。

 

「俺は砂部さんのこと、好きだよ」

 

 いずれは伝えようと思っていた気持ち。聞いた瞬間、砂部も視線が上がった。

 

「優しく笑うところとか、お菓子が好きっていうのもそうだし、内部分裂してた時は俺たちにも普通に接してくれていた。それだけ優しい砂部さんが、好きだ」

 

 言えるだけの気持ちを伝える。それでもう、悔いはない。

 砂部は、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「・・・真壁さん、ありがとうございます」

「・・・・・・」

「おかげで、私も自分の気持ちに正直になれそうです」

 

 そして砂部は、真壁の空いている右手をそっと両手で静かに握った。

 

「私も、真壁さんのことが好きです」

 

 告げられたその言葉に、真壁は砂部の手を握り返して自分の気持ちを示し伝える。

 それから少しの間は、何も言わずに笑って見つめ合った。

 

「・・・ありがとう、砂部さん」

「私こそ・・・お礼を言いたいですよ」

「これから、よろしくね」

「こちらこそ」

 

 そうして、お互いの気持ちを認め合うと、握っていた手を放す。

 そこで真壁は、視線を横に逸らした。

 

「・・・曙光とマリーさんが何をしたってのは、話したよね」

「ああ、そうでしたね・・・」

 

 関係が進んでいたのは、2人にとってもなじみ深い曙光とマリーの方が先だった。それが微妙に、真壁は悔しい。

 だが、それを抜きにしても、真壁は砂部と恋人同士になれたという確証が欲しかった。

 

「・・・もし、砂部さんが嫌じゃなければ・・・なんだけどさ」

「いいですよ」

 

 だが、まだ訊いている途中だが、砂部は頷いた。何を訊こうとしたのかなど、話の流れでお見通しらしい。明け透けだった自分の思考が恥ずかしくなる。

 しかし、砂部は既に覚悟を決めているのか、ほんの少しだけ顔を上にあげて、目を閉じている。確実に、『待っている』顔だ。

 ここまでされて、躊躇いや遠慮など無粋でしかない。

なので真壁は、静かに自らの顔を近づけていく。

 やがて、お互いの距離がゼロになる直前。

 ガサッ、と草木のゆれる音が近くでした。

 

「「!?」」

 

 思わず、2人揃って体勢を崩してその音の出所を確かめようとする。

 その先には、茂みに隠れて様子を窺っていた、曙光と祖父江がいた。視線を向けられたその2人は、決まりが悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「・・・ケーキを、祖父江さんたちにも用意していて」

「せっかくだから砂部さんも呼んで、と思ったんですけど・・・」

 

 言い分から察するに、曙光たちは最初から2人のことを尾行していたのではないらしい。大方、真壁たちを見つけたが雰囲気がいつもと少し違って様子を窺っていたということだろう。

 

「・・・なんかお邪魔しちゃいけないみたいですし、出直しましょうか祖父江さん」

「そうですね曙光さん。それでは、ごゆっくり~・・・」

 

 そして2人は、本当に申し訳なさそうに、その場をいそいそと離れる。

 全くもう、と真壁は思う。2人に悪意がないのは分かるが、寄りにもよって肝心かなめの場面で水を差されるとは思わなかった。こういう雰囲気はそう何度も来るわけではないのだし、大概にしてほしい。

 

「・・・ゴメンね、砂部さん。何か―――」

 

 いたたまれずに謝ろうとする真壁。

しかし謝罪の言葉は、砂部が先んじて唇で口を塞いできたせいで、最後までは言えなかった。

 

「・・・今、この時を逃したら、いけないと思って」

 

 唇を離した砂部の顔は真っ赤だ。

 その反応は実に可愛らしいが、不意打ちにキスを受けたところで、真壁の心に火が点く。ここまでされて何もしないほど、真壁は消極的ではない。それに、不意打ちではちゃんと気持ちの準備が整っていなかった。

 

「俺の方からしてもいい?」

「・・・はい」

 

 だから今度こそ、もう一度場と気持ちを整えて、砂部と唇を重ねる。

 少しだけ、ほろ苦かった。



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第11話:家族の話

 惜しい結果になった無限軌道杯も終わり、世間は本格的に冬一色だ。

 BC自由学園も冬休みに突入している。以前なら、寒い上に、いざこざには事欠かないこの学園で過ごす冬など、曙光にとってはただの心労の種でしかなかった。

 しかし今は、状況が今までと違う。受験組とエスカレーター組の溝は、ほぼ完全に埋まったと言っていい。おかげで、在学中の最大の悩みは解消され、幾分か過ごしやすくなったと言える。

 

「ここからここまで、全部くださいな」

「かしこまりました」

 

 そして、寄港地のケーキ屋でブルジョアな注文をするマリー。彼女の存在もまた、今の曙光が心穏やかでいられる要因の1つだ。

 

「好きだね、マリーも」

「何を食べるか悩むなら、全部頼めばいいじゃない」

 

 ふふんと得意げなマリーに、曙光は可愛らしさを抱きつつコーヒーを飲む。

 マリーと付き合い始めてから何度かデートを重ねているが、大体マリーはケーキを食べたがる。そして決まって、先ほどのように食べられるケーキは全て頼んでいた。その一見お嬢様らしそうでらしくない行動に、今や曙光はいちいち驚かなくなった。

 

「曙光だっていつも結構頼んでるじゃない」

「それでもマリーみたいに、あんなペースで食べないさ」

 

 いくらケーキが食べ放題でも、ケーキが好きでも、曙光はそんなにポンポンと頼みはしない。自分の胃の容量は弁えているし、1つ1つゆっくりと味わいたい気分だ。一方のマリーは、とにかく様々なケーキを早く食べたいタイプのようで、同じケーキ好きでも楽しみ方に違いがあった。

 そんな小さな違いに気づけるのも、こうして付き合うことができたからだと思う。

 協力関係だった時よりも近い距離で接している中で、自分たちの小さな違いにも気付きやすくなった。そして、それを拒絶せずに受け入れることも重要だと、あの内部抗争に干渉して理解しているから、マリーのスタイルにも口出しはしない。

 

「お待たせしましたぁ」

 

 やがて、色とりどりのケーキがマリーの前に並べられていき、マリーの瞳の輝きも増していく。その様子を眺めながら、曙光もケーキを受け取った。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます♪」

 

 いつも通り、食材に対する最大限の敬意を払ってから、ケーキを楽しむことにする。マリーは、やはり一番の好物のモンブランから、曙光はレアチーズケーキからだ。

 

「すっかり冬になったな」

「ホントねぇ。こうも寒いと、温かいコーヒーとケーキが手放せないわ」

「いつもそうじゃないか」

 

 窓の外を眺めながら、のんびりと話す。雪こそ降っていないが、道行く人はコートやマフラーを身に纏い、どうにか寒さをしのごうとしている。かくいう曙光も今日はコート着用で、マリーだってダッフルコートとストールの防寒装備だ。

 冬になると温かい料理が恋しくなるが、マリーはいつも通りでの組み合わせを好むらしい。

 

「冬になると、マリーたちはどう過ごすんだ?」

「私の場合だと、そうね・・・家族で過ごす感じよ」

「そうなのか・・・意外とシンプルなんだな」

「年がら年中パーティとか舞踏会とか開いていたら疲れちゃうもの」

 

 ため息をつきながら、マリーはカヌレを食べる。一般市民としては馴染もないが、名家なりの苦労があるのだろう。尤も、それも曙光にとって他人事にはならなさそうだが。

 

「そうだ、曙光」

 

 カヌレを食べ終えたマリーは、コーヒーで口を潤すと、曙光のことを見る。

 

「私たちのこと、いつ家族に伝えたらいいのかしら」

 

 決して、軽い話ではないそれに、曙光もフォークを止める。

 マリーと付き合ってから少し経つが、未だそれは家族には伝えていない。だが、こうした深い関係は隠し通せるものでもなく、遅かれ早かれきちんと話を付けねばならない。それは曙光もマリーも分かっている。

 その過程で、主にマリーの家族とひと悶着起きることを、曙光は覚悟していた。何せ自分は、相手先からすればただの一般市民であり、マリーとは住む世界が違う。それに、自分の娘が通っている学校がどこかを考えれば、当然曙光含む受験組の印象も耳に入っているだろう。それも今は改善されつつあるとはいえ、そう簡単に染み付いたイメージは払拭されないはずだ。

 

「・・・まぁ、なるべく早い内がいいよな」

 

 だが曙光は、そう答えた。

 不確定要素が多すぎる挨拶など気が重いが、避けては通れない。後回しにすれば、億劫な気持ちが積もってますます打ち明けるのに抵抗してしまう。自分だけでなくマリーにも関係していることだから、決断も遅くては駄目だ。

 

「じゃあ、この冬休みの間に済ませましょうか」

「・・・ああ」

 

 それでも、マリーからはあまり気が進まなそうな感じがしない。どころか、むしろ嬉しそうな感じさえする。曙光の家族に会うのが楽しみなのか、それとも自分の家族に早く会わせたいのか。

 

「聞いておきたいんだけど、マリーの家族ってどんな人?」

「そうね・・・お父様はちょっと厳しいけど、根は優しい人よ。お母様は元戦車乗りで、穏やかって感じかしら」

「なるほど・・・不安だ」

 

 信用していないわけではないが、心理的なハードルは上がった。特に、父が厳しいという情報は聞き捨てならず、如何にして納得させるかが大きな課題となるだろう。弱音を吐きたくはないが、どうにか穏便に済ませたい。

 

「曙光のご両親はどんな人なのかしら?」

 

 カヌレを食べ終えたマリーが訊いてくる。曙光も一旦、コーヒーカップを手にするのを止めた。

 

「父さんは、まぁ結構優しい人だよ。俺のことは、のびのびと育ててくれたけど、ちゃんとしてるところもある」

「ふ~ん・・・お母様は?」

 

 続くマリーの質問に、曙光は一度コーヒーを飲む。渋い表情を浮かべるが、それは決してコーヒーが苦いせいではない。

 

「・・・それは後で話すよ」

「どうして?」

「今話すとケーキが不味くなるし」

 

 ケーキが不味くなるのは困るのか、マリーも深く訊ねてくるのを止めて、サクランボが載ったフォレノワールを食べ始める。

 そのマリーに感謝しながら、曙光も次のケーキはどれにするかとメニューを眺めた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 マリーが心行くまでケーキを食べ終えてから、曙光たちは店を出る。

 ケーキ食べ放題系の店に行って、最初にギブアップをするのは決まって曙光だ。マリーは満足いくまで食べ終えても、苦しそうにもせず余裕の表情で店を出る。果たして、食べたケーキがどこへ行くのか不思議でならない。

 

「ねぇ、曙光。さっき話さなかったご家族のこと、聞かせてくれる?」

 

 店を出て少ししたところで、マリーは改めて訊ねてくる。ケーキを楽しんで忘れていたかと思ったが、やはりマリーにとっても大事なことだからか、しっかりと覚えていた。

 問われた以上、答えねばならないので、曙光は小さく息を吐く。

 

「俺の父さんと母さん・・・離婚したんだよ。だから、今の俺に母親はいないんだ」

 

 周囲の人が少なくなったのを確認してから、明かす。マリーも、この手の話題がデリケートなものと分かったらしく、表情が暗くなる。

 

「・・・ごめんなさいね」

「いや、謝ることじゃない。教育方針のすれ違いからの離婚なんて、腐るほどある話だし」

 

 マリーに言った通り、曙光の父は物腰柔らかな性格だが、母は対照的にきっちりした性格だった。それでも、当初は仲良くやっていたのだから、いい意味で釣り合いが取れていたのだろう。

 曙光はその間を取ったような、まさに2人の子供といった感じの性格である。

 しかし、袂を分かつきっかけとなったのは、その曙光が幼い時分に『菓子職人になりたい』と言ったことだ。

 それに対し父は賛成し、母は反対。反対したのは、『職人』とは確実性に乏しくて、安定しているとは言い切れないからだった。幼い曙光にはそれがまだ理解できなかったが、今はその言葉も間違っていないと分かる。

 けれど、父はその夢を諦めさせることもできずに、意見が衝突。母も譲れずに口論になった末、離婚した。手が出なかっただけ、まだよかったと思う。

 

「俺はあの時、自分で夢を諦めることもできた。そうすれば、父さんと母さんが喧嘩することもなかったんだから」

「・・・・・・」

「けど父さんは、喧嘩している時も、離婚してからも、俺にその夢を諦めるなって言った。子供の夢を大人の都合で諦めさせたくはないって」

 

 父の言葉もあって、菓子職人の夢は諦めなかった。だが、自分のことを考えてくれる父の負担を極力抑えるため、カリキュラムが充実し、外部入学なら学費がさほど高くないBC自由学園に進学を決めたのだ。

 両親の離婚は意見のすれ違いが原因だが、よくよく考えればそれは曙光が原因でもある。それこそが、曙光が争いごとを好まなくなったきっかけだ。目の前で、自分にとっては大切な親同士が、自分のせいで争っているのを見てしまったからこそ、諍いは見るに堪えず、参加しようとも思えない。それでもあのBC自由学園に入学したのは、自分の主義より父のことを考えた結果だった。

 

「・・・それは、確かにケーキが不味くなっちゃう話ね」

「だろ?」

 

 マリーが困ったように笑うと、曙光も頷く。両親の離婚は確かに辛いが、今はある程度気持ちの整理はできている。それでも、ものを食べながら―――ましてやお互いの好物のケーキを食べながら話すものではない。

 その話を聞き終えたマリーは、大きく頷く。

 

「曙光が話してくれたおかげで、何の心配も無くなったわ」

「心配?」

「だって、曙光のお父様とお話しするまで知らなかったら、ショックが大きかったでしょうし。今曙光から話を聞いたから、気の持ち方も変わるわ」

 

 言って、マリーは歩きながら曙光の手を握る。

 

「それでも、全部が上手くいくってことはないと思うわ。特に私の家族とのことは、ね」

「・・・・・・」

「だから曙光にも、ちゃんと言いたいことを考えて、そして全部を伝えてほしい。私だって、曙光とはこの先一緒にいたいもの」

 

 見上げてくるマリーは、自信に満ちているように笑う。

 今までも、マリーと行動を共にして、幾度となくその言葉や姿勢に曙光は背中を押されてきた。マリーの言動は、今や曙光にとっては自分を支える大きな柱となっている。

 

「・・・ありがとう、マリー。俺も、認めてもらえるように頑張るよ」

 

 マリーが握ってきた手を、強く握り返す。

 すべてが思い通りに進むなどと、曙光も楽観的にはなれない。

 しかし今や、マリーは自分にとって大きな存在であり、マリーもまた曙光のことを信頼してくれている。その思いには、何としても応えなければならない。簡単にはこの関係を終わらせたくもない。

 だからこそ、相手に認められなくても、住む世界が違っても、やれるだけのことはやり遂げる。元々決めていた覚悟を、より強固にすることができた。

 

 そして、マリーの実家への挨拶は、冬休みの間で年末を迎える前と決まった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「結論から言うと、2人の交際は認められない」

 

 当日、マリーの父からそう言われた曙光の心はへし折れそうになった。

 屋敷と評すに値するマリーの実家に着いた時、マリーの母と使用人は温かく迎えてくれたが、マリーの父に限ってはどうも厳しい視線を向けていたので、嫌な予感はしていた。それでも、覚悟を決めていても、言われて悲しいものは悲しい。

 

「・・・理由を聞かせていただいても、よろしいでしょうか」

 

 そう尋ねる曙光は、少しでも自分をよく見せようと学園の制服を着用し、礼儀作法についても一通り勉強済みだ。

 

「君はマリーと同じBCに通っているが、俗に言う外部生なのだろう。だとすれば、君は一般家庭の出であり、マリーとはまた住む世界が違うわけだ」

 

 確かに、曙光の父は何の変哲もないサラリーマンだ。特別実家がお金持ちでも何でもない。

 言われたことは全て事実なせいで、何も反論できない。しかも、どうあがいても解決できない問題であり、曙光自身今まで何度も痛感してきたことだから、言葉の重さは相当だ。

 

「住む世界が違えば、価値観、思想、方法・・・とにかく多くのことに差がある。それが原因で、衝突することだってあるだろう。その可能性がある時点で、頷くことはできない」

 

 もちろん、それは分かっている。両親は価値観の違いで離婚し、BC自由学園だって、多くのすれ違いのせいでずっと争い続けてきた。

 

「それに外部生は、常々革命を目論んでいたと聞いている。だとすれば、君は本来マリーとは相容れない、敵対する人間だろう」

 

 傍から見れば、育ちが違う曙光とマリーは、BC自由学園においては敵対関係にある。父からすれば、外部生の曙光は、大事な娘のマリーにとって敵だ。曙光が穏健派だったことなど、向こうは知る由もない。

 しかし、そこで口を挟んできたのは、曙光の隣に座るマリーだ。

 

「でも、お父様。BCの抗争は終わったの」

「終わった?」

「ええ。私と曙光で、止めて見せたわ」

「あなたたちで・・・あの内乱を?」

 

 マリーの言葉に、両親ともども目を見開く。特にマリーの母は、BC自由学園のOGで、内部抗争についても目にしていただろうから、驚きはひとしおのようだ。

 そこで曙光も、閉ざすしかなかった口を開いて、自分の考えを伝える。

 

「確かに自分は外部生で、マリーとも分かり合えないと最初は思っていました」

「ふむ」

「ですが、マリーは本当は、俺たち外部生と自分たち内部進学生が分かり合えることを望んでいたんです。自分は行動こそ1人で起こすことはできませんでしたが、同じことを考えていたので、その気持ちはよく分かりました」

 

 自分の全てを、正直に伝える。おべんちゃらを並べたり、詳しいことをぼかすのは意味を成さないと分かっている。

 そして何より、自分の全てを知ってほしい。そのうえで、自分がマリーの隣を歩くに相応しいと認めてほしい。だから、最初は分かり合えるとは思わなかったことも、話した。

 

「お互いに同じ考えだったからこそ、自分が何か力になれればと思い、協力を申し出ました」

「曙光は私のために、私が好きなケーキを作ってくれたの。それは、本当にBCの争いをどうにかしようと思っていたからこそなの。それからも、外部生なりの意見を伝えてくれたし、私の頼みにも答えてくれたわ」

 

 曙光の意見に、マリーが付け加えてくれる。曙光だけの問題ではなかったので、同じく当事者のマリーの言葉があるのはとてもありがたい。

 そこで、黙って話を聞いていたマリーの父が、軽く手を挙げて話を止めさせる。

 

「・・・ケーキを作ってくれたとマリーは言ったが、本当かね?」

「はい。自分は将来菓子職人を目指していて、BCではその技術も学んでいます。味も、マリーのお墨付きをもらっています」

 

 問われると、曙光はその目をまっすぐに見据えて答える。マリーも頷くと、マリーの母は喜ばしそうに笑って頷いた。

 一方、父の方は未だに険しい視線を向けたままで、打ち解けられる様子がない。目で、話を続けるように訴えてくる。

 

「最初は、協力してくれたことのお礼として、ケーキを作っていました。それと同時に、どうすればお互いの陣営が仲良くできるかも、考えていました」

「・・・・・・」

「けれどその内、自分は協力してくれているからとか、お礼とか、そんなことは関係なくて・・・ただマリーにケーキを作ってあげたいと思うようになったんです」

 

 曙光は、隣に座るマリーのことを見る。今初めて、父から視線を外した。

 

「だた自分は、マリーのために尽くしたい。本当は優しくて、大きな心を持っていて、ケーキを食べると嬉しそうな笑顔を見せてくれるマリーと一緒にいたい。そんな彼女のことが、俺は好きです」

 

 今一度、視線をマリーの両親に向ける。

 その言葉に、マリーの母は小さく頷く。気持ちは分かった、と言っているようだ。

 マリーの父もまた、同じような反応を示す。

 

「・・・感情だけでは、人を支えることはできない」

 

 それでも、やはり否定的な意見を浴びせられる。

 

「君は菓子職人を目指していると言っただろう?その夢自体は素晴らしいものだとは思う。しかし、職人という道はどうにも安定しない、そんな印象を抱いてしまうがね」

 

 感情だけではどうにもならないのは、知っている。BC自由学園の内乱も、ただ平和を願っているだけでは何の進展もなかった。実際に行動に出なければ、何も変わらなかった。

 自分の目指す道が簡単ではないことも、分かっている。職人とは、基礎となる技術はもちろんのこと、時の流れに応じて新しい要素を吸収し続け、それを自らの作品に組み込んで昇華させる技術が要る。安定する印象は正直薄い。

 

「でも、お父様。私は、曙光のお菓子作りの腕は確かだって思うの」

 

 マリーは、毅然とした態度で口を開く。

 

「自分で言うのもなんだけど、私は今までたくさんケーキを食べてきて、舌にもそれなりの自信があるわ。でも、曙光が作るケーキはどれも美味しくて、口に合わない、美味しくないものなんて1つもなかった」

「・・・・・・」

「分裂していたBCの2つの陣営を納得させたのも、曙光の作ったお菓子だった。それができた曙光なら、この先も大丈夫だって私は信じてるの」

 

 長年BC自由学園の悩みの種だった内部分裂に終止符を打つきっかけとなった、チョコレートたい焼き。アイデアをマリーが発案し、曙光がそれを形にして評価を得られる出来にした。考えも、好みの味も違う両陣営を納得させられるものを作れたのは、曙光としても結構な自信になった。

 そしてそれは、ケーキが好きで、曙光のケーキをこれまで多く食べて来たマリーにとっても嬉しいことであり、かつ曙光に大きな信頼を置くことができる事実のようだ。

 

「・・・マリーは、彼のことを大切に思っていると」

「ええ。私にとって、美味しいケーキは確かに大切。だけど曙光は、やると決めたら必ずやり遂げる、誠実な人よ。努力をして必ず自分の夢を実現し、そして私のことを幸せにしてくれるはずなの」

 

 これまで曙光は、何度もマリーの頼みを聞いてきた。

 だが、一度も曙光はマリーの頼みを断ったことはない。途中で挫折して、取り下げたこともない。マリーの希望に応えようと努力を積み重ね、多くの約束を今まで果たしてきた。

 それは曙光自身、誰かの頼みを断りたくないからであり、約束は守るべきものと理解しているからだ。それを特別なことと思ったことはないが、それでもマリーは自分のそう言うところを好きでいてくれているらしい。それはとても、誇らしかった。

 

「・・・なるほど」

 

 そこでマリーの父は、納得するかのような仕草を取る。

 それを見て、曙光とマリーの気が一瞬緩むが、『だが』と続くと再び神経が引き絞られる。

 

「どれだけの信頼を寄せても、言葉と意思を持ち合わせていても・・・実際にどうなるのかは分からない。不安定なことに、変わりはない」

 

 その言葉は、曙光にもマリーにも『賛成』とは取れなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 結局、その日はマリーの父から交際を認められることはなかった。

 荘厳な雰囲気の夕食を気圧されながらもやり過ごし、曙光は割り振られた来客用の部屋で静かに休む。来客用の割に、部屋は曙光の実家の私室の倍以上は優にあるし、調度品もそれなりに値が張りそうに見えるので、マリーの実家が如何ほどのものかは窺える。

 

(参ったな・・・)

 

 思い出すのは、マリーの父との話のことだ。

 ああ言えばこう言う、とばかりに何を言っても納得してもらえなかった。マリーも助け船を出してくれたけれど、それでも無理だった。

 冷静に考えれば仕方ないと、理解はしている。自分は庶民で、マリーとは雲泥の差がある。お嬢様と庶民が付き合うこと自体異例で、故に全てを疑ってかかるべきことなのだ。マリーの父の態度も、その面を鑑みれば当然の反応だろう。

 曙光も、こうなることは予想していた。しかし、実際に当人から言葉を投げつけられると、ダメージは大きい。自分はどうあがいても庶民の枠を越えられず、自分とマリーは釣り合わないと思い知らされているような感覚だ。

 

(どうする・・・)

 

 ここまで来て、諦めるつもりはない。納得してもらえないから諦めるなど、許せない。

 かと言って、どうすればいいのかはすぐには思いつかない。舌戦では勝てないのは今日で分かったし、相手が大人で人生経験も豊富だからこそ、それこそ二十年も生きていない曙光が説得力のある言葉をぶつけるのは難しい。

 それに、気になることもある。

 まず1つは、認めてなかったのにこうして曙光を泊めたこと。こんな事態になっては、泊まることさえ許さないと思ったのだが、意外にも泊まっていいと言ってくれた。曙光としては願ったり叶ったりだったが、今思うと少し頭に引っかかる。

 また、マリーの母の方も、曙光に対しては好意的でも否定的でもない態度で接していた。特に、昼に4人で話した時も、気になることに対しては問いかけたが、それ以外ではあまり口を挟まなかった。中立的な態度でいたのも、少し気になる。

 頭の中でぐるぐる考えると、サイドテーブルに置いていたスマートフォンが電話の着信を知らせる。相手はマリーだった。

 

「もしもし?」

『こんばんは、曙光』

 

 電話に出ると、普段と同じ調子のマリーの声が返ってくる。

 直接来ればいいのだが、どうもマリーの両親にそれが許されている雰囲気ではない。同じ屋敷の中にいるはずなのに、こうして会えずに電話でしか話せないのは少し物悲しい。

 

「・・・今日は、すまなかったな。親御さんのこと、納得させられなくて」

『まぁ、仕方ないわ。あれぐらいは想定の範囲内よ』

 

 今日で話をつけることができなかったのを謝るが、親の性格を知っているマリーは今日のようになると分かっていたらしい。自分と曙光の身分の差も、十分に理解しているのだろう。曙光としては不甲斐ないことこの上なかった。

 

『で、曙光はどうする?』

「・・・検討中」

 

 力なく曙光が答えると、電話の向こうでマリーは『うーん』と少し考えるように唸った。

 

『言うほど悩むことかしら』

 

 ところが、続く言葉は思いのほか軽い調子のものだった。思わず、曙光も『え?』と口にしてしまう。

 

『曙光は認めてもらうまで諦めはしないんでしょう?』

「それはもちろん」

『曙光も今日は、言いたいことを言い切ったのかもしれない。それでも、お父様は納得してくれなかった・・・』

「ああ」

『なら、どうするかなんて決まってるようなものじゃない』

 

 一つ一つ言われて、曙光は気づかされる。

 言葉を全て出し尽くしたのであれば、後は行動で示すほかない。その行動を示すことができる、自分の得意とする武器をマリーに気付かされるとは、自分もまだまだだと思う。

 

「ケーキか」

『そ。その腕で、納得させるしかないじゃない』

 

 職人の道は、確かに安定しないだろう。だが、その不安を打ち消すほどの実力を見せれば、その印象を変えられるかもしれなかった。曙光の作るケーキが、マリーや、対立していた生徒たちをの意識を変える一手となったのは事実だが、それをマリーの両親は知らないからこそ、これしか打つ手はない。

 本当なら、今日それができればよかった。しかし、話をしたのは午後からだったので、時間が足りなかった。それに、いきなりキッチンを使わせてほしいなどと言うのは、あまりにもおこがましいだろう。

 

「・・・そうだな、それしかない」

 

 自分の実力は口で説明するよりも見せた方がいい。

 先ほどまで手詰まりだった思考は、ようやく答えを見つけたことで晴れやかな感じだ。

 

「ありがとう、マリー・・・。おかげで、やるべきことが分かった」

『それなら、良かったわ。でも、前とは違って今日はすぐに決断できたのね』

 

 前、とはあのたい焼き革命前にマリーからチョコレートたい焼きを作るよう頼まれた際、判断を渋った時のことを言っているのだろう。

 揶揄うような感じのマリーだが、それでも曙光は全く動じずに答える。

 

「あの時は、俺のせいで厄介なことになったって思ってたからな」

『言ったでしょ?それは元はと言えば私のお願いもあったって』

「ああ、だからそれはもう解決してる」

 

 ただ、と口にしたところで曙光は無性に恥ずかしくなってきた。

 さっきすぐに結論を出せたのは、確かにあの時とは事情が違うからだ。しかし、それとは別にもう1つ、決定的な違いがある。

 

「これは、俺だけじゃなくてマリーにとっても大切なことだし、グズグズしてられないだろ」

 

 BC自由学園の内乱と同等かそれ以上に、マリーとの交際がどうなるかは曙光にとって重要なことだ。特に、マリーという掛け替えのない人間の人生も懸かっている。判断を渋るのはあの1回きりで充分だし、二の足を踏む時間も残されていない。

 

『・・・曙光って』

 

 すると、電話越しのマリーはゆっくりと話しかけてくる。まるで、何かに呑まれたかのように。

 

『意外と、言う時は言うのね』

「そりゃあ、な。ここまで来て全部ナシなんて嫌だろ?マリーも」

『・・・ええ』

 

 電話越しにも、マリーが少し不安そうな様子が窺える。学校では肝が据わっている印象の強いマリーだが、今は恐らく経験したことがなく、かつ今後を左右する状況だからこそ、マリーとしても気が気でないのだろう。

 

「じゃあ明日・・・ケーキを作ってみるよ。厨房は借りられるのか?」

『ええ、私が言えば貸してくれるし、材料も一通りあると思うから大丈夫よ』

 

 聞いた話では、屋敷にも専門のケーキ職人がいるらしい。それはマリーだけでなく、マリーの母もまたケーキが好きだからと言うが、それは曙光にとっては安心と不安の両方の材料になった。マリーの親でケーキが好きとなれば、相応に舌も肥えているだろう。一方で父は、甘いものは特別好きでなければ、嫌いでもないらしい。

 ちなみに、使用人たちは曙光に好印象を抱いている、とマリーから聞かされた時、曙光は鼻の頭を軽く掻いた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌日、厨房を借りて曙光が作ったのは、モンブランだった。最初は難しそうという印象で作らなかったこれも、今やマリーの好物で、曙光の十八番だ。ただ、高さは普通のものと同じで、下手な出来のものを作る気はなかった。

 

「あら、美味しい」

 

 マリーの反応は言わずもがな、マリーの母からは好評価を貰えた。口にした途端に笑みを浮かべ、『美味しいですよ』と優しく声を掛けてくれる。こうした感想を貰えると、とても嬉しい気持ちになれた。

 

「・・・・・・ふ」

 

 気になる反応を見せたのは、マリーの父だ。モンブランを一口食べると、空気が抜けたような息を洩らした。失笑とも呆れとも違うし、露骨に美味いと顔に表すでもない。

 だが、娘であるマリーと、何度も食品を人に振舞う曙光には、分かっていた。あれは、美味いと思っているのを必死に隠そうとしている顔だ。

 

「・・・君のケーキの腕が悪くないことは、認めよう」

 

 半分ほどモンブランを食べ終えたマリーの父は、フォークを置く。だが、その言い方に含みがあって、曙光はまだ納得ができない。

 

「けれど、やはり不安は尽きない。自分の技術1つでこの先立ち行くかどうか、とね」

 

 腕を認めても、安定性が低いことに変わりはない。技術の高さは安心材料の1つでしかなく、これだけあれば大丈夫というわけでもないのだ。曙光も眉尻が下がる。

 

「君のケーキは確かに美味しい。マリーの言うことが本当なら、大多数の人を認められるだけの技量はあるのだろう」

「・・・・・・」

「しかし、世間は広い。同じ技術が通用するかも、分からない」

 

 正論に正論を重ねられて、曙光は小さくなるような思いだ。ケーキを作って褒められなかった経験はあるが、『美味しい』と言われたのに何一つ喜べないのは初めてだった。

 曙光の自信も、どんどん無くなってきてしまう。もちろん、最初から生半可な覚悟を抱いてきたわけではない。だが、言葉でも技術でも響かないとなれば、本当に曙光に打つ手はなくなってしまう。逃避行なんて選択肢も、最初から存在しない。

ここまで来てしまうと、道は2つ。マリーを諦めるか、自分の夢を諦めるかだ。

 

「そろそろいいんじゃない、あなた?」

 

 だが、そこで口を挟んできたのは、マリーの母だった。下がり気味だった曙光の視線が映ると、申し訳なさそうな視線をマリーの母は返した。

 

「ごめんなさいね、曙光さん。お父さんは、あなたのことを心配していたの」

「おい、お前・・・」

「いいえ、言わせてもらいます」

 

 父が何かを言おうとする前に、母は押し通す。昨日はあまり自己主張をしなかったが、存外押しが強い性格なのかもしれない。

 しかして、心配していたとはどういう意味だろう。曙光の隣のマリーも、首を傾げている。どうやら真意を知っているのは、マリーの母だけのようだ。

 

「実は、主人も曙光さんと同じでね。名家に生まれたわけじゃないのよ」

「え?それでは・・・」

「あなたと同じ、一般家庭の出身だったの」

 

 ばつが悪そうに、マリーの父は腕を組んで視線を逸らす。

 ただ、マリーもその事実は知らなかったようで、是非とも聞いてみたいとばかりに身を乗り出す。

 

「あれは、私がBCの高等部に進学して少しの頃かしら」

 

 2人の出会いは、戦車乗りだったマリー母の姿を、父が偶然にも見つけたことがきっかけらしい。その頃もBC自由学園の内部分裂は変わらず、戦車道チームはギリギリの協力関係を保つのが精いっぱいだったという。マリーの母の乗る車輌は、ARL44だったそうだ。

 マリーの父が試合を観に来たのも、物見遊山だった。かの有名なBC自由学園がどれほどのものかと。

 しかし、戦車に乗るマリーの母の姿を見て一目惚れし、手紙のやり取りを交わしつつアタックを仕掛けた結果、どうにか付き合うことまではできたらしい。

 

「でも、厳しい私の父は反対だった。相手は私たちも知らない一般家庭の人だし、『どこの馬の骨とも知れん奴に娘の相手が務まるか』って。文字通り、門前払いされてたわ」

 

 よもや、そんなセリフを現実で聞くとは曙光も思わなかった。ただ、マリーたちのような上の階級の人間にとって、曙光を含め一般家庭の人間など有象無象にしか見えないのだろう。だからこそ、自分たちには釣り合わないと思っている。

 

「けど、諦めなかった。それから、『認めてください』『駄目だ』の押し問答・・・」

「・・・・・・」

「それでもこの人は、私に釣り合うようにって、教養や立ち居振る舞いを血の滲むような努力を重ねて身に付けて、一度だって私を諦めようとはしなかった」

 

 目を細めるマリーの母に対し、マリーの父はやきもきするように指をで自らの腕を叩いている。自分の過去を語られるのが好きではないのか、それとも照れ隠しか。

 

「それで私の父も・・・根負けに近い形で、認めてくれたわ」

「・・・良かったですね」

「ええ。でも・・・」

 

 表情が曇る。

 

「結婚した後も大変だったの。会社を引き継いだけれど、心労とかがひどくて。胃に穴が開いたこともあった」

「・・・・・・」

「同じ一般家庭の出身で、苦労をしてきたからこそ、曙光さんには厳しく接していたの」

 

 事前にマリーから、父は厳しい人だと聞いていた。だが、それは他人に対してだけでなく、自分自身に対しても同じなのだろう。

 人並みの知識と生活しか持たない人間が、住む世界の違う人を好きになれば、自分に鞭打ってでも努力をする。だが、結ばれるのが終着点ではなく、その後こそが本当に厳しいのだと、マリーの父は理解していた。

 

「・・・大体は、妻の言う通りだ。私の過去も、結婚してからも」

 

 そこでようやく、沈黙を保っていたマリーの父が口を開く。先ほどと比べて、視線も言葉も、曙光に向けるそれらはわずかに柔らかくなっているように感じた。

 

「同じだからこそ、君のことは本当は応援したい」

「・・・・・・」

「しかし同時に・・・君たちが不安だ。君の目指す夢は、私と同じかそれ以上に厳しいものになるだろう。それで君がどこかで押し潰され、君たちの関係も崩れてしまわないかと、思わずにはいられない」

 

 曙光の未来は、今の時点ではまだ不安定なままだ。自分の弱さ、力の足りなさに打ちのめされるかもしれない。それでも曙光が、マリーの父のように、成長しても自分を保っていられる保証は、今のところは存在しない。

 

「・・・これから先、どうなるかは自分にも分かりません。自分が目指す道がどれだけ険しいかは、理解していますから」

「なら・・・」

「でも、分からないなりに努力はしたい。この先自分の夢を叶えるうえで必要な技術も知識も、今のままでは十分とは言い切れない・・・。だから自分は、それを必ず身に付けて、マリーを幸せにしてみせます」

 

 人生何が起きるか分からない、とはよく言ったものだ。まさか曙光も、自分たちでBC自由学園の諍いを止めたなど、入学当初は予想しなかった。

 だが、何が起きるか分からないからこそ、自分の人生がどう転ぶかもわからない。だから、少しでも不安になる要素は自分の手で消していく。

 

「マリーを幸せにするためなら、どんな苦労も厭わない覚悟です」

 

 曙光は、真っ直ぐにマリーの父の目を見る。

 マリーの父もまた一般家庭出身と分かった今は、親近感を抱くと共に、この人のようになりたいと思う。自分に足りないものを吸収し、補い続けて、自分の愛している人の隣に立つに相応しくなれるよう努力する。それは曙光にとっても見習うべき姿勢、目指すべき人物像だ。

 

「・・・マリーは、迷いはないんだね?」

「ええ」

 

 父は、マリーへと視線を移す。マリーの意思も固いのが、言葉だけで伝わる。

 ほんの少しの間だけ、部屋の中が静かになる。

 

「・・・分かった」

 

 マリーの父は母と視線を合わせて、頷く。

 そして、曙光に右手を差し出してきた。

 

「曙光くん。君がマリーを幸せにすると信じて・・・託そう」

 

 その言葉に、自分の中から感情が溢れ出そうになるのを今はぐっと堪え、同じく右手を差し出し、握手をする。

 マリーと母は、その様子を静かに見守っていた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日は、昨日と比べれば比較的穏やかに過ごすことができた。改めて、曙光とマリーの馴れ初めや思い出を話すことになり、つい先ほどまでは圧迫面接さながらの雰囲気だったのが嘘のようだ。

 

「やったわね」

「生きた心地がしなかったけどな・・・」

 

 その日の夜、曙光はマリーの部屋を訪れていた。昨日は会うこともできなかったが、交際を認められたことでそれも許可されたのだ。

 マリーの部屋は、やはり屋敷の住人用だからか、設えは来客用より豪勢に見える。マリーは既に慣れているようだが、曙光などここに泊まれば2日で音を上げそうだ。天蓋付きのベッドや、金の装飾が施された棚など、女子高生1人に対しては不釣り合い、と思うのは庶民の感覚だろう。

 

「あれだけ真剣そうな曙光は、あまり見たことがないわ」

「と言っても、目の前のことに集中しすぎただけなんだけどな・・・」

 

 ベッドに腰掛けるマリーが微笑むと、向き合って椅子に座る曙光は肩を竦める。2人の傍らには、コーヒーとモンブランが2人分置かれている。用意したのは、厨房を借りた曙光だった。

 

「・・・マリーの言う通りだったな、お父さん」

「厳しいけど根は優しいってとこ?」

「ああ。最初に正論をぶつけられた時は大分凹んだけど、俺を排除したかったからじゃなくて、結局俺のことを心配していただけだって」

 

 自分が大変な思いをしていたからこそ、不安定な道を歩もうとする曙光を簡単には認められなかった。その伝わりづらい思いやり、慎重な判断は、恐らく曙光が同じ立場だったら恐らくは同じ思いをしていただろう。そして、やはり簡単に納得もできなかったはずだ。

 

「マリーのお母さんは、俺のことどう思ってたんだろう?」

「さっき聞いたけど、最初からいい人と思ってたみたいよ。それでも、お父さんが苦労したのを知ってたから、やっぱりすぐに背中を押せなかったみたい」

「まぁ、その気持ちは分かる気がするからなぁ」

 

 曙光は安堵の息をついて、モンブランを食べる。自分で作っておいてなんだが、やはり美味しい。マリーも、最後の一口をぱくりと食べて、笑みを浮かべた。

 

「そう言えば、何で使用人は俺のこと好く思ってたんだ?ほとんど話もしてないのに」

「みんな大体が一般家庭の出身だからじゃないかしら?」

「ああ、そういうこと・・・」

 

 どうやら、自分たちと同じ立場の曙光が、マリーの彼氏としてここに来たことに驚いていたらしい。同時に、平民の曙光にシンパシーを抱き、またお嬢様のマリーの心を射止めたことを喜ばしく思っていたのだろう。そう考えると、使用人たちとも仲良くなれそうな気がした。

 

「何はともあれ・・・どうにか無事に済んで良かったよ」

「本当ね。話してる間、私もドキドキしちゃった」

 

 コーヒーを飲み干すマリーは、話をしていた時よりも生き生きとしているように曙光には見える。さしものマリーも、やはり自分の人生を左右するような場では緊張していたようだ。

 

「だから・・・今の私は、とっても嬉しいの。私たちのことが認められて、もう心配することはないんだって」

「それでもやっぱり・・・俺の目指してるものはやっぱり不安定なのに変わりはないし、この先不安にさせることもあると思う」

「その不安を私に感じさせないように、頑張るんでしょう?」

「もちろん」

 

 曙光は、力強く頷く。この先、自分の人生がどうなるか分からないが、マリーには不安な思いをさせてはならない。そうならないようにするために、曙光は全力を尽くすと親の前で誓ったのだ。

 

「これから・・・一緒にいてくれるか?」

「ええ」

 

 曙光の問いに、マリーは迷わずに頷いてくれる。

 その反応に曙光は安心したが、マリーは立ち上がって部屋の隅へと向かう。

 

「時に曙光、知ってる?私たちエスカレーター組には、舞踏の授業があるって」

「ああ・・・前に聞いた覚えがある」

 

 BC自由学園は、受験組とエスカレーター組で授業内容に若干の差がある。特にお嬢様が集うエスカレーター組では、礼儀作法に関する授業や、先ほどマリーが言っていた舞踏の授業まであるというのだ。

 何のためにとは思うが、お嬢様の大半は将来は社交界に進出し、多くの人間と交流するのだろう。その時に備えた練習、いわば体育の発展形だ。そうした社交界を見据えての授業は、お嬢様校として名高い聖グロリアーナ女学院にも存在するらしい。

 

「それで曙光も、私とこの先一緒にいるのなら、相応の振る舞いをしてもらわなきゃ」

 

 今日、マリーの父と話したことを思い出す。詳しく話してはいなかったが、きっとこういう舞踏についても、あの父は学んでいたのだろう。

 

「つまり、今から踊ろうと」

「そう言うこと」

 

 言いながら、マリーは棚からレコードを取り出す。まさか、お嬢様がこのご時世にレコードプレーヤーを現役で使っているとは思わなかったが、逆に格式高い名家だからこそなのかもしれなかった。

 また、部屋もそれなりに広いので、踊るスペースは一応確保されてはいる。

 

「・・・踊り方なんて、分からないけど」

「動きながら教えた方が効率がいいわ。口で説明するのはちょっと面倒だし」

 

 前もって言ったが、それでもマリーはいつになくやる気満々らしく、お構いなしだ。

 その理由は、問わずとも自分から言ってくれた。

 

「今はとても嬉しくて、曙光と踊りたい気分なのよ」

 

 その言葉だけで、踊らない理由も消え失せる。

 曙光は椅子から立ち上がり、マリーの元へと歩み寄る。すると、マリーが手を差し出してきたので、曙光は静かにその手を取る。

 

「で、この後はどうすれば・・・?」

「私に合わせるように踊れば大丈夫よ。それじゃ、始めましょう?」

 

 そうしてマリーは、片手でレコードプレーヤーをスタートさせる。

 すると、普通の音楽プレーヤーなどとは違う音質の曲が滑らかに流れ始める。当然流れるのは歌謡曲などではなく、優雅な雰囲気のする舞曲だ。

 そしてマリーが、軽やかに足を動かし、体を捻り、踊り出す。曙光はそれに引っ張られる形で、どうにかついて行こうと足を動かす。

 当然、舞踏会で踊るような踊りなど曙光は経験したことがないので動きはどうしてもぎこちなくなってしまう。だが、それでもマリーは楽しそうに踊っており、無垢な笑みを曙光に向けている。

 その笑みに心が満たされるような思いを抱えながら、曙光もまたマリーとのひと時を楽しむことにする。踊りはもちろん後でちゃんと覚えるが、今この瞬間の踊りに集中していたい。

 今日という特別な日の、2人だけの舞踏会を、心に刻んでおきたかった。



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第12話:未来の約束

 冬休みが開け、学校生活がまた始まる。

 これまでは、長期休業明けに加え、またいつものように剣呑とした雰囲気に戻るんだろうと憂鬱になっていた曙光だったが、今はそんな心配もない。

 

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 

 登校途中で、曙光は真壁に声を掛けられた。新雪に脚を取られないように、慎重に近づいてくる。

 冬休み中は、帰省する生徒のことを考えて学園艦も母港付近に停泊していたが、今年はかなり冷えたせいか学園艦にも浅く雪が積もっていた。普段は雪なんて降らないものだから、見慣れない景色に心躍る。

 

「冬休み、どうだった?」

「ん、まぁつつがなく終わったよ。真壁は?」

「ああ、こっちもな」

 

 冬休み中、何度かメールや電話でやり取りはしていた。新年を迎えた時もメールで挨拶を交わしたが、こうして顔を合わせるのは新年に入って初めてだ。

 しかし曙光は、マリーの両親の下へ挨拶に行ったことは、まだ明かしていない。曙光とマリーが並々ならぬ関係なのは真壁も知るところだろうが、電話やメールで話すような内容でもなかった。

 

「マリーさんと会ったりは?」

「したよ。一緒に出掛けたりもした」

「へぇ~。順調に付き合ってるんだな」

 

 実際デートをしたのは本当だし、その程度であれば話しても問題ないと判断したので、そこは素直に明かした。

 

「お前は?砂部さんとどうなんだ」

「あ~、実家に挨拶に行った」

「何?」

 

 雑談のように語るが、それは相当に重要なことではないだろうか。思わず曙光が視線を向けるが、真壁は照れくさそうな表情だ。

 

「いやさ、俺みたいな平民がお嬢様と付き合うって、そこまで隠せないだろ?だから、早いうちに言っておこうかと思ってな」

 

 しかも、話した理由は曙光たちとほぼ同じだった。やはり身分の差に関しては、真壁も考えていたらしく、やはりその点はどうしても避けられない課題となっていたようだ。

 

「・・・で、結果は?」

「快く、OKしてくれたよ」

 

 聞いた話では、BC自由学園で彼氏ができたと聞いた時、砂部の両親は大層驚いたという。真壁が受験組ということで、向こうの家族からは最初疑われたが、真壁本来の気さくな性格が幸いし、打ち解けるのに時間はかからなかったそうだ。

 また、砂部が受験組に対して偏見を抱いていなかったのと同じように、砂部の家族も受験組だからという理由で厳しい態度を取ることはなかったらしい。結果、真壁と砂部両人の気持ちを聞き、それを慮った結果交際は認められたのだ。

 

「いやぁ、助かった。門前払いされたらどうしようかと」

「お前はスムーズに話ができたんだな。ともかく、良かったよ」

 

 曲がり角を曲がり、校舎が見えてくる。

 そこで、真壁が曙光を見る。

 

「『お前は』って・・・」

「まぁ、こっちもマリーの家族と・・・な」

 

 曙光の言葉から、真壁はわずかな情報を嗅ぎ取った。つくづくこの男は、そういうところに気づきやすいと思う。ただ、曙光の様子から、それがどれほど厳しかったものかも感じ取ったようで、あまり多くを追究しようとはしてこない。

 

「・・・でも、そんなに落ち込んでない辺り、悪い結果にはならなかったんだろ?」

「ああ、一応は認められた」

「なら、よかったじゃねえか」

「本当にな」

 

 冬休み明けから友のいい話を聞けたと、お互いいい気分になりながら校門を抜けた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 せっかく受験組もエスカレーター組も和解できたが、長い休みを経て再び関係が悪化してしまった、何てことにはならなかった。

 

「食器は、音を立てずに使うものですよ?」

「あっ、ごめんなさい・・・使うのに慣れてなくて」

 

 昼食の時間、エスカレーター組が大半を占める学食には、受験組の女子たちもちらほらと見える。未だに学食のメニューは変わっていないが、それでも受験組は文句を言わずに食べている。

 ただ、やはり箸で食べる料理に慣れ親しむ受験組の女子は、ナイフとフォークの使い方がおぼつかない。そこで、近くに座るエスカレーター組の女子が()()()注意するというのだから、驚きだ。

 

「それで、親戚のおばちゃんに電話したら、野菜送ってくれるって」

「あら、とても優しい方なんですねぇ」

 

 それだけでなく、エスカレーター組の女子と軽い雑談をする生徒も一部いる。お互いに身分が違うからこそ、認め合えば話をすることにも抵抗はなく、また聞く話も知らないことばかりだから、興味が尽きない。

 今までは、受験組がここに足を踏み入れることなどほぼ全くなかったのだから、今の光景は十二分に珍しいと言える。

 その様子を眺めながら、エスカルゴ定食を淑やかに食べるマリーは、ぽつりとつぶやく。

 

「変わったわねぇ、ここも」

「そうですね。これまで外部生は、曙光ぐらいしかいませんでしたから」

 

 隣に座る押田もまた同意する。内部分裂をしていた頃は、受験組が出入りすることに難色を示していただろうが、今は不快に思っている様子もない。彼女自身、受験組の安藤たちと昼食にしているし、もう受験組のことを排除しようとは思っていない。初対面でいろいろ言われた曙光から見ても、大分丸くなったと思う。

 今日は冬休み明けで、授業も午前中だけだったが、どうせだからと学食で昼食を摂る生徒も多い。曙光も、マリーや真壁、砂部と祖父江に加えて、安藤と押田も同席している。大所帯で食べているので、周りから注目を集めることもあるが、悪いことはしていないので気にしない。

 

「そういや、押田たちは正月はどう過ごしたんだ?」

「あぁ、正月は親族が揃って食事会を開くんだ」

「へぇ、その辺は俺たちと同じなんだな。ウチの実家は親戚揃っておせちをつついたもんだけど」

「そこは食べる料理の違いだろうな」

 

 真壁の質問には押田が答える。具体的にどんな料理かは、庶民の自分たちには見当もつかないものだろうと思い、聞かないでおく。曙光も、マリーの実家へ挨拶に行った際に出された食事は、食べたことはないが美味しかったことを覚えている。きっとあれ以上に豪華なものだろうと、適当に推測を立てておいた。

 

「どこもそんな感じ、というわけではないですよ?ほら、真壁さんがウチに来た時はそこまで豪勢でもなかったでしょう?」

「いや、あれでも俺は十分だと思ったけど・・・」

 

 そこでフォローするように、真壁の正面の砂部が話す。

 しかし、安藤や押田、祖父江が聞き捨てならないことを聞いたように、視線をそちらへ向ける。

 

「あら、真壁さんは砂部さんの実家へ?」

「あ・・・。いや、それは・・・」

 

 試すように祖父江が訊くが、真壁はどもり、砂部は頬が紅くなる。なるほど、どうやら真壁が挨拶に行ったのは年の瀬か、と曙光は理解した。

 祖父江は、元々2人がそういう雰囲気なのは曙光と共に知っていたので、大して驚きはせずに2人がまごつく様子を楽しみながら昼食を続ける。一方、安藤はにやにや笑っているし、押田はふんと鼻息を吐く。

 

「あら、2人ともお付き合いしてたの?」

「・・・はい」

 

 ただ、マリーだけは、真壁と砂部が付き合ってるのは知らなかったし、それを敢えて聞かないなんて遠慮もない。結果、改めて関係性を明らかにされた砂部は、恥ずかしく思いつつもどうにか笑みを取り繕い、か細く答える。真壁も道連れに、真っ赤になっていた。

 つるし上げられて可哀想に、と思いつつ曙光はポトフ定食を口にするが。

 

「別に隠すことはないんじゃないかしら?私だって曙光と付き合ってるんだし」

 

 飛び火した。

 今度は視線が曙光へと集中する。特に、マリーを慕う押田の視線はやはり険しいものだ。以前のエスカレーター組が受験組に向けるような差別的なものではなく、単純に『何でお前みたいなやつが』と嫉妬に近いものに見える。他の人は好奇心の意味合いが強い。

 

「何だ、マリーさんと付き合ってたのか」

「・・・ああ」

「ってことは、やっぱり曙光も冬休みはマリーさんの家に?」

「行ってきた。親御さんと話もしてきたよ」

 

 安藤が訊ねてくるが、明らかに全部分かったうえで聞いてきているのが、含み笑いで丸わかりだ。

 一方で、押田はマリーに目を向けた。

 

 

「マリー様、曙光に何をされたんですか?」

「なぁ、その聞き方はどうなんだ」

 

 何かをしたこと前提で物を訊く押田に、曙光は冷静にツッコむ。

 ただ、マリーは動じなかった。

 

「別に、変なことはされていないわ」

 

 その答えに、押田は安心したように息を吐く。

 しかしマリーは、曙光の方を見て。

 

「ただ、愛の告白を誓ってもらっただけよ」

「曙光ォ!!」

 

 笑って告げた直後、曙光は額を押さえる。言い方はともかく、大体そんな感じのことをしたので否定できない。案の定、押田は憤慨して曙光に噛み付こうとしたが、安藤がそれを宥めた。砂部たちは、何とも微笑ましいものを見る目で曙光を見ている。

 そんな中で、曙光はマリーを見るが、素知らぬ顔で食後のデザートのショートケーキを楽しんでいる。曙光と視線が合うと、マリーは片眼をつむって見せた。まるで、『なにも間違ったことは言ってないでしょう?』とでも言うかのように。

 実際、その通りだったので、曙光は何も言えなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 授業は午前中だけだったが、戦車道の練習は行うらしく、放課後には演習場に戦車が出てきた。マリー曰く、押田と安藤が戦車道チームも立て直すと躍起になっているらしい。

 その訓練を見に、曙光は見学用の建屋で訓練を観察していた。

 以前は陣営別のチームに分かれ、戦力も平等とは言えなかったが、今は両陣営の車輌が合同でそれぞれチームを組み、戦力の差もほぼなくなっている。

また、タイプの違う車輌がチームを組んだことで、素人目だが戦い方も今までと違うように見えた。以前はエスカレーター組のARLが悠然と構え、受験組のソミュアは細かく動いて接近戦を図っていた。しかし今は、ARLも積極的に動いて交え、ソミュアはそのARLを守りつつ攪乱のために動き回っている。あれが、以前マリーが言っていた、理想的なBCチームの戦い方だろう。

 

(やればできるもんなんだなぁ)

 

 模擬戦を双眼鏡で見ながら、曙光は感心する。以前観た時はひどいものだと思ったチームが、意識を変えるだけでここまで戦い方も変わるのだ。陣営同士の諍いを止めることを望んでいて、戦車隊の現状もどうにかしたいと思っていたマリーも、さぞ嬉しいことだろう。

 そのマリーは、やはりルノーFTに乗って後方からの指揮に徹している。それは伝統のようなものと言っていたので、仕方なかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 戦車道の訓練の後、マリーがサロンに出向くのはすっかり習慣となっていた。

 そして、曙光がケーキを持ってきて、コーヒーを淹れてくれるのもまたいつもの流れになっている。

 

「戦車道チームも変わったな」

「観ていて分かったかしら?」

「ああ。ド素人の俺でも分かったんだから、相当だぞ」

 

 コーヒーとモンブランを差し出してきた曙光は、今日の戦車道の訓練を観て嬉しそうだ。マリーもまた、今日の訓練は一味違うと分かっていたので、それが誰かにも伝わったのなら喜ばしい。

 フォークでモンブランを切り取り、口へと運ぶ。甘い香りと味が口の中に広がって、とても幸せな気持ちだ。

 

「美味しいわ」

「ありがとう」

 

 素直に感想を伝えると、曙光は謙遜もせず笑う。

 すると曙光は、マリーの正面に座り話しかけてきた。

 

「1つ気になったんだけど、マリーは戦車道をどこまで続けるつもりなんだ?」

 

 問われて、マリーは一旦フォークを置いてコーヒーで口を潤す。けれどその答えは、前からずっと決まっていた。

 

「とりあえず、私の気が逸れるまでかしら」

「・・・何というか、マリーらしいな」

 

 気まぐれな答えでも、曙光は苦笑して頷いた。しかし、曙光はまだ気になるところがあったのか、マリーから視線を離さないでいる。

 

「でも、よくこのBCでは辞めようとしなかったな」

「素質を認められて隊長になれたのは、悪い気はしなかったの。それに、特権でケーキも食べられるからいいかなって」

「本当ブレないな」

 

 戦車道の試合に食べ物を持ち込むこと自体は禁止されていない。試合が長引びき空腹になり、士気が下がるのを避けるためだ。マリーはそこで、隊長の特権でケーキを作ってもらえるようにしただけだ。

 試合中に自分がケーキを食べられるのは、頭を使う隊長としても、ケーキが大好きなマリー個人としても非常に有益だったので、今まで隊長の座は降りなかった。

 

「けど、それもBCにいる間だけだろ?」

「そうよ。だから卒業したら、あなたにケーキを作ってほしいの」

 

 言うと、曙光は肩を竦めた。

 曙光と知り合ってから今日に至るまで、曙光の作るケーキはマリーにとってはいつも特別なものだった。こうして戦車道の後サロンで食べたり、大事な晴れ舞台となった大洗女子学園との試合に持ち込んだりと、いずれも普段とは違うシチュエーションだ。

 けれどこれからは、今まで特別な意味を含んでいたケーキをいつも食べていたい。

 ようやくBC自由学園はまとまりを見せ、戦車道チームも改善しつつある。先の大洗女子学園との試合で、久方ぶりに楽しい試合を体験できたのも、マリーのモチベーションが上がった要因の一つだ。

 

「・・・分かった。ケーキを作るのは嫌じゃないし、それでマリーが頑張れるんなら」

 

 そして曙光は、頷いた。

 

「ありがとう、曙光。あなたのそういうところ、私好きよ」

 

 自然と口にする、曙光への気持ち。

 ケーキはマリーにとって大事だが、それと同等かそれ以上に曙光のことも大事に思っている。

 最初に会って話をした日、分裂しているBC自由学園の現状を憂い、マリーと同じ望みを持っていると知り、今まで協力していた。その中で、曙光は約束を破ったことは一度もない。そして、その曙光のマリーに対する小さな思いやりや正直な気持ちが、マリーの心を大きく揺るがした。

 

「・・・よかった。てっきりマリーが好きになったのは、ケーキの腕だけかと思ったから」

「あら、失礼ねぇ」

「冗談だ。それに、ケーキが好きなマリーが俺は好きだし、気にするなよ」

 

 曙光が笑うと、マリーもつられて微笑む。

 自分で相手のことを好きというのはそこまで恥ずかしくないが、逆に相手から言われると気恥ずかしくなってしまう。同じ言葉を告げただけなのに、この感情はどうも一筋縄ではいかないようだ。

 けれど、曙光に対して抱くこの気持ちは、実感するととても心地よい。

 そして愛しいというこの感情は、この先尽きることはないのだろうと、不思議と自信をもって言うことができた。

 

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 

 ケーキを作るうえで、味はもちろん大切だが、見た目も重要だと思う。雑然とした見た目では、食べる気が起きないし、食べなくても『不味い』と印象付けてしまうから。一職人としても、情けない。

 だから、調味料や材料を混ぜ合わせたり、焼き上がるのを待つよりも、盛り付けにはかなり神経を尖らせて取り組んでいる。

 

「・・・じーっ」

 

 しかし、俺がそんな風に集中していることにも気付かずに、愛娘はモンブランが出来上がる様子をじっと眺めている。マロンクリームを何重にも重ねていく様が面白いのだろう。

 だが、隣に誰がいようとも集中は途絶えさせず、やがてクリームの絞り器を完成したモンブランから離し、仕上げに天辺に栗の実を載せる。これが、彼女が一番好きな味付だ。

 

「よし、完成だ」

「わーい!」

 

 完成した途端、娘は手を挙げて喜ぶ。思い返せば、ケーキを作っている間はずっと傍で様子を眺めていた気がした。

 

「私が持っていくね」

「あぁ、お願い」

 

 率先して娘はモンブランの皿をリビングへ持って行く。それを見送りながら、今度はコーヒーを淹れる準備をする。ケーキほどではないにせよ、コーヒーに対するこだわりもあるので、こちらも丁寧に淹れねばならない。

 

「お母さんが、コーヒーも欲しいって」

「あぁ、言うと思ったよ」

 

 娘の伝言に苦笑したところで、コーヒーは出来上がった。自分の分、そして娘用のココアと一緒にリビングに持って行く。

 

「できたのね。待ってたわ♪」

 

 リビングのソファに座っていたのは、マリーだ。出会ったBC自由学園にいた時から変わらずケーキが好きで、こうして食べる時間を楽しみにしている。背丈も大きくなって、大人になったと実感するけど、そこだけは変わらない。

 ただ、そんなケーキ好きな面が俺は好きだし、そんな彼女と結ばれたのだから、十二分に幸せだ。

 

「なんだ、まだ食べてなかったんだ?」

「一緒に食べたかったからよ」

 

 ローテーブルの上に置かれたモンブランには、まだ口をつけていない。昔はコーヒーを出す前にケーキを食べていたが、家族ができてからは3人で一緒に食べるようになった。それは俺としても、嬉しいことだ。

 慎重に、完成したモンブラン2つと2杯のコーヒー、そして1杯のココアをローテーブルに置いて、ソファに着く。

 

「それじゃ、いただきましょう」

 

 マリーが告げると、3人で頷きフォークを手に取る。

 マリーも俺も、モンブランを食べるのにはかなり慣れたので、フォークで食べたいところを綺麗に切り取ることは簡単だ。

 けれど、まだ娘は慣れていないので、切り取るのにモンブランを少し潰してしまっている。『むー』と難しそうな表情だが、こればかりは慣れだ。ただし、どうにか切り取って一口食べると『美味しい!』と無邪気に笑ってくれる。それだけで、俺の心はとても温かくなる。

 

「ん~、美味しい♪」

「それは良かった」

 

 そしてマリーも、美味しいと言ってくれる。評価の仕方は具体的ではなく、端的だ。マリーからすれば、食べるのに集中したいから感想が若干疎かになってしまうのだろうし、それは俺も分かっている。

 ちなみに、こうしてケーキを作るのは俺だが、朝食や夕食は基本分担して作っている。最初にマリーが作ると言った時はかなり恐ろしかったが、意外にも腕は良かった。恐らく、両家の娘として叩き込まれていたのかもしれない。

 

「そう言えば、この前の品評会の結果、来たの?」

「ああ、来たよ。それなりに高い評価はもらえた」

 

 マリーの言う品評会は、それぞれの地域から推薦を受けたパティシエが参加して、それぞれテーマに合った菓子を作り評価をしてもらうものだ。俺の作ったケーキはそこそこの評価を貰えたが、それ以上の評価を受けた人も多くいるので手放しには喜べない。

 ただ、勤め先の専門店の人たちから推薦を受けて、その期待に応えようとアイデアを考えてから作り上げるまでは、苦しくもあり楽しくもあった。あーでもないこーでもないと知恵を絞り、味も見た目も満足してもらえるように試行錯誤するのは、自分の成長にも繋がる。

 

「お店の人から、お祝いとかは貰ったの?」

「おめでとうって、言われたよ。それと、()()たちが今度食事でもどうだって」

「あら、それはいいわね」

 

 砂部・・・旧姓真壁は、自分の夢だった小さな和菓子店を営んでいる。経営するための知識と技能、経験を全て身に付けたとはいえ、随分と思い切った決断をしたものだと思う。

 俺としても、最終的には自分の店を持ちたい。しかし、マリーはもちろん、お義父さんたちにも心配を掛けたくない。だから今は、独立を視野に入れつつ地道に経験を重ねていく。だから、今回の品評会で評価を貰えたのは嬉しいし、店長からも独り立ちも間近だとお墨付きを貰えているので、そこまで悲観していなかった。

 

「砂部たちも、仲良くやってるみたいね」

「ああ、そうみたいだな」

 

 長い付き合いの友が今も元気に暮らしているのを聞くと、嬉しくなる。それはマリーも同じらしい。

 すると、蚊帳の外だった娘が俺の方を見る。

 

「いさべさん・・・って?」

「あぁ、俺と母さんの古い知り合い。特に、お母さんとは戦車道の試合で会うことが多いんだよ」

 

 口元についていたマロンクリームを拭いてあげながら答える。そこで、思い出した。

 

「戦車道と言えばだけど、もうすぐイギリス代表との試合が近いんだっけ?」

「ええ。けど、心配いらないと思うわ」

 

 コーヒーを一口飲むマリーは、大きな試合を前に緊張した様子はない。

 けれど、今までを思い出してみると、マリーは試合を前にして緊張したり浮足立ったりすることが、全くと言っていいほどなかった。それはちょっとやそっとのことに動じない胆力によるもので、そう言う性格が戦車道に向いているのだろう。

 

「試合なら、またケーキを作らないとな」

「そうね、お願い。でも、あなたのプライベートもあるし、無理はしないでいいからね」

 

 プロ戦車道選手となっても、試合にケーキを持ち込むスタンスは変わっていない。

 そして、そのケーキを作っているのはいつも俺だ。

 だが、以前と比べて変わったのは、こうしてマリーが俺のことをちゃんと気遣うようになったという点。学生の時は堂々とねだってきたが、結婚してお互いのことをより強く考えるようになってから、変わったのだと思う。

 そしてその心配も、杞憂だ。

 

「ありがとう。けど、言っただろ?ケーキを作るのは苦じゃないって。それに、マリーがケーキを食べて頑張れるなら、俺は喜んで作るよ」

「・・・それなら、よろしくお願いするわ」

 

 BC自由学園にいた頃から今日まで、ケーキを作ることを苦行と思ったことはない。それに、俺がケーキを作らなかったら、誰もマリーのためにケーキを作らなくなる。そうなれば、当然マリーはがっかりするだろうから、作らない手はなかった。

 

「試合、一緒に観に行こうか。お弁当持って」

「うん!戦車道、楽しみだなぁ~」

「それなら、応援よろしくね」

 

 ケーキを届けるのだから、試合だって当然観たい。娘もまだ戦車道のことはあまり知らないけど、どんなものかと興味は持ち始めている。観戦には笑って頷いてくれたので、観に行くのは最早決定事項。マリーもそれが嬉しいのか、にこっと笑ってくれた。

 

「戦車道が気になるなら・・・将来は母さんみたいになりたい?」

 

 愛娘に訊いてみる。そろそろ将来のことを考え始める―――真剣なものではなくて大まかにだが―――頃だし、戦車道の試合が楽しみと言っていたので、少し気になった。

 

「んー・・・でも・・・」

 

 しかし、どうもそうではないようで、俺とマリーを交互に見る

 そして何かを閃いたかのように、ぱっと表情が明るくなった。

 

「お母さんみたいな戦車乗りになって、お父さんみたいにケーキを作れるようになりたいな」

 

 その答えに、俺とマリーは顔を見合わせると、同時に吹き出す。

 きっとそうなるんだろうな、と半ば希望を持ちながら。




これにてマリーの物語は完結でございます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

今回の舞台のBC自由学園ですが、生徒同士で内部分裂が起きており、またヒロインとしたマリーの立場も踏まえ、この抗争をどうするかが作品の鍵としておりました。
また、マリーがケーキ好きであることもあり、それをどのようにして作品に組み込むかに重きを置き、今回の物語を書き上げました。

マリーを描くのは簡単なようで難しく、この作品も苦心の末に完成しましたが、いかがでしたでしょうか。もし、お楽しみいただけたようであれば幸いでございます。

重ねて申し上げますが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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