過保護なしぽりん(39) (佐倉もち)
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しぽりん(39)暴走する

「この子は……、置いていこうかな」

 

私は今日この家を出て、遠く茨城の大洗へ行く。

といっても、普段から黒森峰の学園艦で暮らしていたのだから大して変わりはない。

この家にいることだって長期休みで帰ってきたときくらいだったのだし。

 

それでも、熊本が寄港地である黒森峰から、大洗女子へ行くというのは、なんだかすごく遠くへ行くような気分だ。

もう、私はこの家に帰ってくることもないんじゃないかと錯覚するくらいに。

 

別に、私はこの家が嫌いなわけではない。

小さい頃からずっと暮らしてきた家だ。私の家というのはここ以外に存在しない。

 

ただ、最近はちょっと居心地が悪く感じるようになってしまっただけだ。

 

だから、私は帰ってくる場所の証として、このボコたちを置いていくことにした。

この子達が私の部屋を守ってくれていれば、私はいつでもこの家に帰ってこられるような気がするから。

 

次に帰ってくるのは、いつになるのだろう。

夏休み?冬休み?それとももっとさきだろうか。

 

戦車道の家に生まれ、戦車道しかしてこなかったこの私が、戦車道をやめるのだ。

お母さんも、お姉ちゃんも、私のことを良くは思っていないに違いない。

今は少しだけ喧嘩みたいになってしまっているけれど、いつか落ち着いて、仲直りができたときには、またこの家でみんなでごはんが食べられたらいいなと思う。

 

「……みほ」

「あ、お姉ちゃん」

 

私が振り向くと、お姉ちゃんは私の部屋の入口で静かに立っていた。

いつもの黒森峰の制服でも、パンツァージャケットでもなく、ゆったりとしたトレーナー姿だ。

私はこの服は見たことがなかった。

最近買ったのだろうか?

 

もしかしたら、学校のお友達と買い物に行ったりしたのかもしれない。

昔はいろんなことを話したり、一緒に買物に行ったりしていたのに、今ではお姉ちゃんが普段どこで買い物をしているのかすらも知らない。

 

「もうそろそろ、出発だろう?」

「うん……」

「そうか……」

 

お姉ちゃんはそれだけ言うと、静かに目を伏せた。

今、お姉ちゃんは何を思っているのだろう。

 

私が転校して、寂しいと思ってくれるかな?

 

そんな自分勝手な思いが浮かんでくる。

お姉ちゃんなら「戦力が減る」とか、「新しい編成を考える必要がある」とか、またきっと黒森峰のためにあれこれ考えているのだろう。

私は邪魔してばっかりだったし、それほど戦力になれていなかったけど。

 

ああ、でも「これで邪魔な隊員がひとり減った」なんて思われていたら嫌だな……。

 

「駅まで送ろうか?」

「え?もしかして、Ⅱ号で?」

「ああ」

 

Ⅱ号線車。

ドイツの初期の戦車で、ちっちゃくて可愛らしい戦車だ。

なぜか、小さい頃から家の庭に置いてあって、よくお姉ちゃんの操縦で色んな所に遊びに行った。

 

私の、一番大好きな戦車だ。

 

「えっと……、ありがとう。けど、お母さんがタクシーを呼んでくれてて……」

「……そうか」

「うん……」

 

最近、一緒にⅡ号に乗ることもなかった。

お姉ちゃんと久しぶりにⅡ号にのれるというの魅力的だったけれど、もうすぐタクシーもつく時間だし、今更キャンセルはできない。

 

「じゃあ、気をつけて」

「わかった、ありがと」

 

別れの言葉にしてはあっさりとしたやり取りだった。

お姉ちゃんはそれだけ言うと、静かに自分の部屋へと帰っていった。

 

お姉ちゃんが来る前と、この部屋は何も変わっていないはずなのに、急に部屋の中が寒々しくて、ぜんぜん違う部屋に来たみたいだ。

 

「やっぱり、送ってもらえばよかったかな?」

 

いまさらそんな事を言ってもどうにもならないけれど、口からその言葉が出ることを止めることはできなかった。

 

言ってみると、急に寂しくなって、お腹の中が寒くなるような気がした。

 

「いってきます」

 

この部屋を守ってくれるボコたちに別れを告げて、私は静かにドアを閉めた。

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

「みほ、はやくなさい」

「……はい」

 

私がカバンを持って玄関へ行くと、そこにはすでにお母さんが待っていた。

お母さんはいつもと同じ黒いスーツに身を包み、背筋を伸ばして私を見下ろしていた。

今日もこれから仕事なのだろうか?

土曜日だというのに……。

 

私が普段は学園艦で暮らしているというのもあるのだが、お母さんが家でゆっくりしているところはあまり見ない。

とくに、私が帰ってきた春休みの間はいつも忙しげにどこかに飛び回っている。

この数日間、お母さんと一緒に食事を摂る機会はついぞ訪れなかった。

 

それが私にはいいことなのか悪いことなのかはわからない。

きっと、いまお母さんとともに食事をしたとしても、気まずさのせいで半分も喉を通らないだろう。

それに、味も何もわからないに違いない。

 

結局、深夜にお腹が減って、人目を盗んでコンビニに行く羽目になるのだ。

 

「しばらくはもどってこられないんです。忘れ物はない?」

「えっと、多分大丈夫。必要なものは黒森峰から直接送ったし……」

 

私が手に持っているのは少し大きめのカバンひとつだけ。

お財布とか携帯と、普段使うものと少しばかりの着替えが入っている。

あとは、全部宅配便で送ってしまっている。

 

「そう、タクシーはもう来ているわ」

 

お母さんはそう言って、玄関を出ていった。

一応、私を見送ってくれるようだ。

てっきり、部屋からも出てこないものかと思っていた。

 

家の門をくぐると、一台のタクシーが停まっていた。

後部座席のドアはすでに開いており、私が乗るのを待っていた。

私にはそれがシンデレラの馬車なんかには見えず、どこかに羊を売り飛ばすための荷車のように感じた。

 

売り飛ばされる、というのはいささか語弊があるけれど、私の気分的には大して変わりないはずだ。

 

私は、お母さんになんと言って乗り込めばいいのだろうか。

 

「いってきます」「またね」「ばいばい」

それとも、「さようなら」だろうか?

 

私には気の利いた言葉が思いつかず、そもままうつむいて無言のままタクシーに乗り込む他なかった。

かろうじて、運転手のおじさんには「よろしくおねがいします」と声をかけたのが、私の小さな頑張りだった。

 

「詰めなさい」

「え?あっ……、ごめんなさい。……え?」

「カバン、後ろに積めばよかったのに。邪魔でしょう?」

「え?あ、ごめん……なさい」

 

このまま無言でお別れかと思っていたお母さんが、後部座席の私の横へと乗り込んだ。

どういうことかわからないまま、私は「ごめんなさい」としか繰り返すことができなかった。

 

混乱する私を一人置き去りにして、お母さんは「駅まで」と運転手さんに告げる。

そうして、運転手さんにシートベルトを締めるようにと言われるまでカバンを胸に抱いたまま固まっていた。

 

「貸しなさい」

「あ、うん……」

 

私がカバンを抱えたままシートベルトを締めるのに苦戦していると、お母さんが私のカバンを取り上げた。

そしてそのまま、私のカバンを自分の膝の上へと置いた。

 

私は慌ててシートベルトをしめ、お母さんにお礼を言い、カバンを返してもらおうとしたのだけれど「構いません」と言われ、結局そのままずっとお母さんの膝の上に置かれたままになった。

 

車がいくつかの信号を超えて行くうちに、私もようやく落ち着いてきた。

そうして、今の状況をゆっくり考える事ができるゆとりが出てきた。

なんてことはない、お母さんも仕事か何かで駅に行くのだろう。

丁度いいからと、タクシーに乗り込んだ。

ただそれだけのことだ。

 

「駅からはバスで空港まで、でしたね?」

「あ、うん。そこから飛行機」

「そう……、やっぱり、遠いわね」

 

お母さんはそう言って窓の外を眺めた。

両手は、私のバッグの上に添えられたままだ。

 

「しばらく、この田舎の風景を見ることもないのかしら」

 

窓の外に広がるのは、田んぼに畑。

まさしく田舎という言葉がふさわしい風景だ。

 

そんな環境だからこそ、子供が戦車に乗って遊び回ることもできたのだけれど。

 

「私は、ずっと黒森峰の学園艦だったから……」

「そうね。けれど、私はもうこれに慣れてしまったから」

 

私が顔を上げると、そこには少し寂しそうなお母さんの横顔があった。

私が遠くに行くことを、少しでも寂しく思ってくれているのだろうか?

そんなことを思うと、たしかに私の胸の中には嬉しいという気持ちがあることに気づいた。

 

そして、これは好機であるとも。

 

今なら、お母さんときちんと話ができるかもしれない。

こんなふうなケンカ別れじゃなく、きちんと「またね」といって旅立つことができるかもしれない。

そうすれば、丸一日かかるこの大洗への旅路も、陰鬱な思いをしながら過ごすこともなくなるだろう。

 

「あのね、お母さん」

「なにかしら?」

 

お母さんは表情も姿勢も変えず、声だけで私の話を聞く姿勢を示した。

 

「えっと……、夏休みには、また帰ってきてもいいかな?」

 

そしてそのときは、お姉ちゃんとお父さんも含めて、家族みんなで仲良くご飯が食べたい。

私のほんのささやかな願いだ。

 

「ええ……、私もその頃には一度帰るつもりですし」

「……えっ?」

 

帰るつもり?

もしかして、お母さんもこのままどこか遠くに行くつもりなのだろうか?

そんな話は、聞いていなかった。

いや、そもそも、あの転校を決めた日以来、私はお母さんとまともに話して来なかった。

 

「お母さんも、どこかに行くの?」

「……みほ、あなた何を言っているの?」

 

タクシーに乗ってから、初めてお母さんが私の顔を見た。

その顔は、なにかおかしなものでも見るように、怪訝そうに眉が寄っている。

 

「え?だって、今……」

 

次のお母さんの言葉を聞いて、私はタクシーを揺らすほどの驚きの声を上げることになった。

 

「私も、あなたと一緒に大洗に行くのよ?言ってあったでしょう」

 

「言ってないよっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

 

「ん?みほからメール?」

 

私の携帯がなることはあまり多くない。

学校の友人達はそれほど頻繁にメールを送り合うような性格ではない。

用事があれば、直接私のもとを訪ねるか、手っ取り早く電話をかけてくるのがほとんどだ。

 

たまに隊に関する連絡がメールの一斉通信で送られてくるか、あとはエリカがとりとめのない話題を送ってくるか。

それくらいしか、私の携帯に活躍の場はなかった。

 

そして、みほからメールが来るのもだいぶ久しぶりのことだった。

タイトルには何も書かれておらず、無機質に【無題】とだけ表示されている。

 

さっきお母様と一緒に家を出たばかりのみほからのメールだ。

なにか嫌な予感がする。

 

私は少しだけ心を落ち着かせて、覚悟を決めると、そのメールを開いた。

 

「えっと……、『お姉ちゃんおかあさんがくるのしってたの!?』。……なんだこれは?」

 

みほからのメールは、漢字に変換されていない部分も多く、少し読みにくかった。

しかし、最近の女子高生はあえてひらがなを使うこともあると聞く。

『ティーガー』よりも『てぃーがあ』の方が可愛いんだとか。

 

私にはよくわからなかったけれど、選挙のポスターが所々ひらがなで表記され、親しみやすく作られているようなものかと納得した覚えがある。

だが、それとも違う。

なにか焦ってメールを打ったのだろうか?

 

だとしたら、みほはなぜそんなにもお母様と一緒の車に乗ることに驚いているのだろうか?

別に、駅まで同じタクシーに乗るくらい……。

 

そこまで考えて、私には嫌な考えが頭に浮かんでしまった。

 

みほは、それほどまでにお母様と一緒にいたくないのだろうか。

一瞬たりとも、同じ空気を吸いたくないほどに。

 

私は胃の中にじゃりじゃりと7.92㎜の機関銃の弾が入っていくような気がした。

それほどにみほとお母様との中は、険悪で、断絶したものになってしまったのか。

 

そしておそらく、みほは私のことも嫌っているに違いない。

だから、駅まで戦車で送ろうとしたときもにべもなく断られた。

そして、こうして私に恨み言のメールまで送ってきた。

 

『すまない。そのことは私も知らなかったんだ。』

 

そんな言い訳みたいな文面を作ってみる。

なんだか、私がお母様を切り捨てて、一人だけみほにすり寄ろうとするみたいだ。

嫌気が差した私は途中でその文面を削除して、別の言葉を打ち込んだ。

 

『お母様もみほとの時間を少しでも過ごしたいと思ってのことだと思う。できれば、私もついていきたかったんだ。』

 

素直な気持ちを書くことにした。

私は決してみほのことを嫌ってなどいない。

みほのことを思っている。

 

だからこそ、黒森峰の戦車道をやめることだって勧めた。

みほにはあの学校の戦車道は似合わないと思ったかからだ。

 

メールを送信したあと、1分も立たずに返信が来た。

 

『絶対来ちゃだめだよ!!』

 

私は手から力が抜け、携帯を床に落としていた。

落ちた携帯からは大きな音がした。

 

どこか壊れたかもしれない。

けれど、そんなことはどうでもいい。

 

どうせ誰からも連絡なんてこない。

 

それよりも、私の中のなにか大切なものが壊れてしまったような気がする。

 

みほに嫌われた。

 

拒絶された。

 

嫌だ。

 

知らずに涙が溢れて、視界が揺れた。

 

学園鑑に帰ろう。

 

あそこには私の居場所がある。

 

戦車に乗ってさえいれば、この陰鬱とした気分も少しは晴れるかもしれない。

 

そうだ、もう私には戦車しかない。

 

「全部、倒そう」

 

そうすれば少しは気が晴れるかもしれない。

 

私は携帯を床に捨てたまま、カバンを手にとって家を飛び出した。

一秒でも早く、ティーガーに乗るために。

 

 

 

 

 

 

 



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しぽりん(39)買い物へ行く

「みほ。こっちもあなたの荷物みたい」

「わかった。あ、カッター借りていいかな?」

 

私はみほにダンボールを開けるためにカッターを手渡した。

こうして二人で何かをするというのは、すごく久しぶりのような気がしてならない。

 

いや、実際に久しぶりなのだろう。

 

私はこれまで、まほとみほには私と同じ道を歩んでほしいと思っていた。

そのために私ができることは何でもやってきた。

 

彼女たちがいつでも戦車に乗れるよう、庭にⅡ号を置いた。

小さい頃から、戦車道を習わせた。

高校だって、私と同じところに入学させた。

 

そして、その全てがみほを不幸にしていたと知った。

 

「痛っ」

「どうしたの?」

「大丈夫、ちょっとダンボールの端で……」

 

みほの指先には薄っすらと赤い筋ができていて、深くはないけれどなんとも痛そうだった。

 

「少し出てきます」

「え?まだ荷物も途中じゃ……」

「鍵はもっていくわ」

 

私は絆創膏を買うために、財布だけ持って家を飛び出した。

まだ荷解きも始めたばかりで、どこに救急ポーチがあるのかわからない。

であれば、買ってきてしまったほうが早いと判断したからだ。

 

学園艦に乗るのは、何年ぶりだろうか。

高校生以来だから、約20年ぶりくらいか。

 

まほはあの頃の私とそっくりに育っている。

戦車の乗り方まで瓜二つだ。

 

まほに関しては何も心配していない。

彼女からも、この道が自分に合っていると言ってもらえたし、来年はドイツに留学したいと相談も受けている。

 

戦車道が彼女の糧になってくれていると、確信が持てる。

 

けれど、みほは違った。

あの子は優しすぎる。

 

『撃てば必中、守りは堅く、進む姿は乱れなし』

 

西住流では、みほの優しさが、みほ自身を傷つけてしまうだろう。

だから、私はみほを戦車道から引き離すことにした。

そして西住流の枷から解き放つために、西住流を名乗ることすら禁じた。

 

みほもはじめは驚いていたけれど、戦車に乗らなくても良いと言ってからは明らかに肩の荷が下りたような表情をしていた。

きっとこれで良かったんだと思う。

 

「いらっしゃーい」

 

コンビニはすぐに見つかった。

サークルKという、あまり見ないコンビニだった。

 

私はまっすぐに衛生用品の棚に向かい、絆創膏やらガーゼやらをカゴの中に放り込んでいく。

 

「……こっちのほうがいいかしら?」

 

絆創膏の中に、他よりも値の張る商品があった。

傷跡が残らず、きれいに治るらしい。

 

とりあえず、その絆創膏もいくつか放り込んでおく。

 

ついでに、必要なものもいくつか買っていくことにする。

ガスや水道はここに到着すると同時に、開栓してもらい、家具や家電も購入したものが事前に送った荷物と一緒に届いている。

けれど、細々とした日用品はこちらで買おうと思っていたため、まだ揃ってはいなかった。

 

コンビニの店に並ぶそれらは、いくらかは割高になっているけれど、後でもう一度買い出しに行くくらいならここで買ってしまったほうが楽だ。

そう決めて、これらもまた適当にカゴの中に放り込む。

 

コンビニでこれだけ買い込むことなんてそうはない。

普段は眠気覚ましに缶コーヒーやタブレットくらいしか買うものもないし。

 

あっという間に、かごはずっしりとした重さになってきた。

まあ、88㎜の徹甲弾に比べれば、まだまだこんなもの重いうちに入らない。

 

ドリンクのコーナーで自分の缶コーヒーも一つかごに入れた。

機械で淹れた紙コップのコーヒーも売ってはいるけれど、なんとなく好かなくて私はいつも飲み慣れた缶コーヒーを買ってしまう。

 

「……みほは、どんな物がいいのかしら?」

 

昔はとにかく甘いものが好きだった。

それも、華やかなものを特に好んでいた。

 

いちごみるくとか、マカロンとか。

ケーキだって、フルーツがどっさり乗ったものを一番に指差して、「これがいい!」と飛び跳ねていた。

まほも、そういうものが好きなことは知っていたけれど、いつも一番にみほに選ばせてあげていた。

 

あの子達は、今でもそういうものが好きなのだろうか?

 

悩んだ挙げ句、パックのいちご牛乳と、水やお茶も買うことにする。

ついでに、食べながら作業ができるように、甘いものをたくさん。

私がこんなに食べたら、きっとすぐにお腹の回りに肉がつくことだろう。

ただでさえ、これからは仕事で外に出ることも少なくなるのだし。

 

「袋、いりますよね?」

「……お願いします」

 

カゴいっぱいに商品をいれた私に、店員の子も若干ひき気味だった。

この子も学生だろうか?

みほも戦車道がなければ、相当に時間が余るはず。

アルバイトなんかをしたいと言い出すかもしれない。

 

それとも、何か他の部活動でも始めるのだろうか?

あの子は運動神経が良いから、どんな部活動でも活躍するに違いない。

 

「ありがとーございましたー」

 

背中越しに元気のいい声を聞きながら、私は大きな袋を手に持って家への道を急いだ。

 

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

 

「ええっ、どうしたの?これ」

「適当に必要そうなものを買ってきただけです。ほら、これ」

 

急に家を飛び出したお母さんは、少しして大きなコンビニの袋を2つ、両手に下げて帰ってきた。

そして、テーブルの上に買ってきたものを並べ、その中から私に小さな箱に入った絆創膏をくれた。

普通の絆創膏じゃなくて、ちょっと高いやつ。

箱の中には4枚しか入っていない。

別に、こんないいヤツじゃなくて普通のでいいのに。

というか、ちょっとダンボールの端で切ったくらい、放っておいてもすぐに治る。

 

「大丈夫だよ、ほら、もう血も出てないし」

「……貸しなさい」

 

お母さんはそう言って私から箱をさっと奪い取り、絆創膏を取り出すと、台紙を剥がして私の指に巻き付けた。

大きいやつを指先に貼るものだから、何度もぐるぐると巻きつけることになり、大怪我をしたみたいになってしまった。

 

そして、お母さんは満足気に残ったゴミを自分のポケットにいれると、さっさと元の開封作業に戻っていった。

 

人差し指にはられた大げさな絆創膏。

これを見ていると、なんだかとても懐かしい気持ちになってくる。

そういえば、お母さんとこうして手を触れるのなんていつぶりだろうか。

 

「そこのお菓子は適宜食べて構いません。飲み物ものみなさい」

「えぇ……、こんなにたくさん?」

 

テーブルの上にはまだ、飲み物やお菓子がどっさり積まれている。

もう一つのビニールには、洗剤とか、日用品が入っていた。

 

「お母さんは、どれ食べるの?」

 

私はなんとなく聞いてみただけだった。

その質問に、お母さんは荷解きの手を止めて不思議そうに私を見た。

 

「私は大丈夫。みほが食べたいものを食べなさい」

「これ、私一人で食べるのっ!?」

 

4、5人でパーティーできそうな量のお菓子を私一人で食べるのは、少々無理がある。

というか、こんなに食べたら絶対にお肌とかお腹とかが大変なことになるに決まっている。

ただでさえ、戦車に乗ることもなくなるというのに。

 

恐る恐るそのお菓子を手に取ると山の下の方に小さなめな可愛らしい袋があるのに気づいた。

中には、ピンクと茶色の可愛らしいマカロンが2つ並んで入っていた。

 

「ねえ、お母さんもこれ食べない?」

「……それ、みほの好きなやつじゃなかったかしら?」

 

私が子供の頃、ケーキ屋さんで「あれが良い!」と駄々をこねて、初めて買ってもらったマカロン。

可愛いし、美味しいし、なんて食べ物なんだと衝撃を受けたのを覚えている。

 

あまりの美味しさに、みんなにも食べてほしくて、お姉ちゃんやお母さんの口に突っ込んで回った。

そして気がつくと、いつの間にか箱は空になってしまっていて、悲しくて泣き出してしまった。

 

お姉ちゃんが必死に食べてしまったことを謝って私をなだめてくれたけど、食べてほしくて配って回ったのは私だ。

そのせいでお姉ちゃんが申し訳無さそうにしているのを見て、余計私は涙が止まらなくなってしまった。

 

結果、お母さんがすぐに新しいのを買って来てくれた。

そして、今度は二人が私の口にマカロンを突っ込んで、泣き止ませてくれた。

そんなドタバタな初マカロンだったけれど、それ以来私の好物になっている。

 

「2つあるんだから、1個お母さんの」

「……また、泣いたりしないでしょうね?」

「……覚えてたんだ」

 

私がそう言うと、かすかにお母さんが笑ったような気がした。

気のせいかとも思うほど、かすかに、一瞬だけだったけれど。

 

「どっちをくれるの?」

「えっと……、じゃあピンクの方かな。お母さんっぽいし」

「ピンク?茶色い方ではなくて?」

 

お母さんは意外そうな顔をした。

そんなに不思議だろうか?

私の中では、お母さんはピンクっ!って感じなんだけど……。

 

「じゃあ、いただくわ」

「はい、どうぞ」

 

私が包を開けて、お母さんに差し出す。

そして、一つずつ手にとって、ほとんど同時にかじりついた。

 

「美味しいっ」

「美味しい……」

 

そして、今度は同時に言った。

 

そして二人して顔を見合わせると、今度は間違いなくお母さんが微笑んだ。

私もなんだか嬉しくなって、くちのところがへにゃってなってしまう。

 

「さあ、急ぎましょう。夕飯は外で食べることになると思うけど、それまでには片付けるわよ」

「うん。私はあと少しだから」

「じゃあ、それが終わったら、キッチンの棚の組み立て、できるかしら?」

「わかった、あのでっかい箱だよね」

 

その後は二人して部屋の片付けを頑張った。

ちょこちょこ手を止めては、お菓子の袋を適当に開けて、二人でつまみながら。

 

お母さんがいちご牛乳を飲んでいるのを見て、やっぱりピンクに合うな-と思ったり、お母さんの荷物の中にパソコンとか、タブレットとかが入っていて意外に思ったり。

はじめはお母さんと一緒に大洗に行くのは不安で仕方なかったけれど、こうして戦車道抜きで過ごす二人の時間は、思ったよりも普通に過ぎていった。

 

あれから、お姉ちゃんからメールの返信は来ないけれど、落ち着いたらお姉ちゃんともこうして仲良く、普通に過ごせるに違いない。

また、こうして家族で一緒に穏やかに過ごせるのも、そう遠くはないかもしれない。

 

「お母さん、これ、美味しいよ」

「ん、本当ね、また買ってきましょう」

 

きっと、このあとご飯を食べに行っても、ふたりともお腹いっぱいであんまり食べられないに違いない。

けど、そんな事も含めて、私の大洗での日々は楽しく穏やかに始まった。

 

 

 

 



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しぽりん(39)浮かれる

「じゃあ、行ってきます!」

「待ちなさい、帰りの時間は?」

「今日は4時頃には終わるから!」

 

私はそれだけ言うと靴をつっかけてドアから飛び出した。

リビングからはお母さんの「気をつけなさい」という声が聞こえた。

閉まるドアの隙間から大きな声で「はぁーい」と返し、私は学校への道を急いだ。

 

お母さんとの二人暮らしは、かれこれ2週間ほどになる。

私はこの暮らしにもようやく慣れてきた。

 

あれからお母さんは、テレワークとか言うので一日中部屋でパソコンとにらめっこをしたり、誰かと電話したりしている。

たまにどこかに出かけることもあるけれど、そんなときも必ず夜までには帰ってくる。

 

この間まで一日中どころか、何日も帰ってこない日だってあったのに。

 

仕事に行かなくて大丈夫なのかと訪ねたことも合ったけれど。

「みほは心配しなくていい」と言われてしまった。

 

私のために不便を強いているようで心苦しくはあるけれど、こうしてお母さんと昔みたいに会話ができていることが嬉しくて、もうしばらくこのままでいたいと思ってしまう。

 

対して、お姉ちゃんの方はいくら携帯にメールをしても帰ってこない。

もう黒森峰でも新学期がはじまっているだろうし、戦車道で忙しいのだろうと思い、それからメールは送らないようにしている。

全国大会が始まれば元気に戦う姿が見られるし、それまでの辛抱だ。

 

そうやって、私生活の方は順風満帆、とは行かないけれど、黒森峰の頃に比べれば心穏やかな生活が送れているのだが、学校生活はいまいちうまく行っているとはいい難い状況だ。

 

なぜなら、新学期が始まって一週間。

私はまだ一人の友達も作れていない。

 

「はぁ……」

 

今日も一人で学食かと思うと気が重くなる。

コンビニで買ったり、家でお弁当を作ってくることも考えたけれど、毎日コンビニによるとそれなりにお金もかかるし、朝早くからドタバタやるのは、仕事で疲れているお母さんに気が引ける。

 

そんなこんなで、私はお昼の時間が……。

 

「へぇーい、彼女っ!私達とらんちでもどぉ?」

 

暗い私の気分を吹き飛ばすかのように、明るい声が降り注いだ。

 

「ふぇっ!?え、ええっ!!」

「沙織さん、西住さんが困っていますよ……」

 

思わず、奇声を上げてしまった私は悪くないと思う。

そんなナンパするみたいな台詞、漫画以外で初めて聞いたもの。

 

私に声をかけてきたのは武部沙織さんと、五十鈴華さんだ。

私はこのクラスの人の、誰と、いつ仲良くなってもいいように、名簿に載っていた名前と誕生日はすべて覚えている。

地形、編成、戦車の特性、隊員のプロフィール。

人数も戦車も多い黒森峰で、いつもそれらと格闘してきた私にとって、名前くらい覚えるのなんて苦労することではなかった。

 

「ってなわけで、一緒に御飯行こうよ?西住さんも学食だよね?」

「あ、えっと」

 

はい。

そう言いたかったのに、驚きのあまり言葉が出てこなかった。

この機会を逃したら、おそらく私は一年間友達なんてできないだろう。

 

今しかない。

けれど、言葉が出てこない。

 

「私達、西住さんとお友達になりたいと思っていたんです。いかがでしょう?」

 

そんな私の心に、五十鈴さんが優しく、穏やかな声が自然と染み込んでいく。

そして私の焦った気持ちはすっと落ち着いて、あれだけ開かなかった口がいとも簡単に開いた。

 

「はい、ぜひ!」

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

「へぇ、じゃあみほはお母さんと二人暮らしなんだ」

「わざわざ熊本から引っ越してこられるなんて、優しいお母様ですね」

 

二人との会話は、とても楽しく、まさに花が咲いたように次から次へと話題が飛び出てきた。 

もう、一日中三人でおしゃべりをしていられるんじゃないかと思うくらいに。

 

「でもお母さん、当日まで一緒に大洗に来ること言わなかったんだよ?「言っておいたでしょう?」なんて、思わず言ってないよっ!って」

 

武部さんと五十鈴さんは、私のことを『みほ』、『みほさん』と呼んでくれる事になった。

まだ会って間もないけれど、とっても仲良くなれた気がする。

 

私も彼女たちのことを、『沙織さん』『華さん』と呼びたい気持ちはあるのだけれど、コミュ力のない私には、それを実行するだけの勇気は持ち合わせていなかった。

 

「そのくせ、荷物とか家具の手配はきちんとしてあって、ついた日には全部揃ってたんだよね。お母さんらしいけど」

 

そして、私はこうして自分のお母さんの話を笑って友達にできているという現状が、とっても不思議だった。

大洗に来る前は、目を合わせることでさえビクビクしていたというのに。

 

「あ、そうだ。今日の放課後、みんなでお茶していかない?もっと一緒にお話しようよ」

「それは名案ですね!みほさん、ご予定はいかがですか?」

 

唐突なお茶の誘いに、私のテンションは一気に高まった。

黒森峰では、そんな女子高生らしいことはしたことがなかったし、もっとこの二人とおしゃべりをしていたいと思っていたところだ。

嬉しい……、いや、すごくすごくすごく嬉しい!

 

「もっ!もちろん行くっ!」

 

私は椅子を倒す勢いで立ち上がって言った。

慌てて椅子を支えたから、ガタンと大きな音を立てるのはなんとか回避できたけれど、それなりに大きな声を出してしまい、周りの幾人かの視線を集めることになってしまった。

そのため、私は視線から逃れるためにそろそろと椅子に戻ることになった。

 

「あっ……、でも……」

 

勢いで行くと言ってしまってから、私は朝のやり取りを思い出した。

お母さんには、四時頃に学校は終わると言ってある。

あまり遅くなってしまえば、心配……、するかどうかはわからないけれど、怒られる可能性は高いだろう。

 

せっかくお母さんとの仲が良好なのに、ここで水を差す自体になるのは嫌だった。

 

「お母さんに、四時頃帰るって言っちゃって……」

「そっかー、私達は一人暮らしだからいいけど、急には困るよね」

「また、日を改めてというのでいかがでしょう?」

 

二人はそう言ってくれたけれど、私はどうしてもこの機会を逃したくなかった。

だって、学校帰りに新しくできた友達とお茶して帰るなんて、そんな楽しいことを見逃せるわけがない。

 

「武部さん、五十鈴さん。私、決めたよ」

「なにを?」

 

私はポケットから携帯を取り出した。

携帯のアドレス帳にはお母さんの電話番号も入っている。

 

いまから私は、この番号に電話を掛けるのだ。

 

「お母さんに、ちょっと遅くなってもいいか聞いてみるっ!」

「あ、うん。でもみほ、なんでそんなに気合い入れてるの?」

 

気合を入れるに決まっている。

お母さんに電話なんて、携帯を買ってもらってからほとんどしたことがない。

まして、その電話であのお母さんにお願いをするなんて、気合をいれずにできるわけがない。

 

「よし……」

 

気合がどこかに霧散してしまう前に、アドレス帳のお母さんを選択する。

あとは、通話ボタンを押すだけ。

 

ふうっと一つ息を吐いてから、両手で携帯を握りしめてボタンを押す。

心臓が変な高揚感と緊張感でバクバク言っている。

どんな戦いの前でもここまで緊張したことなんてない。

 

『もしもし』

「え、あっ……、えっと」

 

2コールなり終わるかといったタイミングで、お母さんの声が聞こえた。

こんなに早くつながるとは思っていなかったから、私は動揺して言葉が出てこなかった。

 

『……どうかしたの?まだ、学校の時間よね』

「あ、あのね、お母さんに、お願いがあって……」

 

電話越しでお母さんと話してみると、一つ気づいたことがある。

なぜだか、いつもお母さんから漂ってくる怖い感じがしない。

顔が見えない分、あのじっと見つめてくるような鋭い視線がないからかもしれない。

 

「今日、学校のお友達とお茶をして帰りたくて……」

 

そのせいか、私はすんなりと自分のお願いをお母さんに伝えることができた。

 

『わかりました。夕食までには帰ること。良いですね?』

「え?あ、うん」

 

そして、私のお願いは思ったよりもすんなりと受け入れられた。

特に怒った様子もなく、むしろ、いつもよりも声が明るいような気がする。

 

『ああ、お金はもってる?お小遣いもあんまり渡していなかったけれど』

「あ、うん、そんなに使ってないから大丈夫」

『足りなくなったら言いなさい』

「え?あ、ありがとう」

 

いつも、学食でご飯を食べる分くらいしか使っていないし、女子高生のお小遣いにしては割と多めの金額をもらっている。

それは、昨年までは戦車道の合宿とか、いろいろと入用だったからだ。

 

今年は、そういった出費はないし、朝と夜のご飯はお母さんが買っておいてくれる。

日用品も自分で使うものをちょこちょこ買い足すだけで済む。

 

そのせいで、私のお財布には今現在、そこそこの額が入っている。

 

それでも、お母さんは私のお財布を心配していた。

どれだけ私は浪費家だと思われているのだろう?

いや、たしかにボコの限定グッズなら即買いするけれど。

 

「……うん、じゃあまた」

 

いくつかの言葉をかわしたあと、私はそう言って電話を切った。

ほとんど初めてとも言える、お母さんとの電話での交渉は思ったよりもあっさりと、というよりもなんの障害もなく終わった。

 

「お母様はいかがでしたか?」

「行ってきてもいいって!」

「やったねみほ!じゃあ、どこ行くか相談しよっか!」

「あ、でも夕ご飯までには帰るようにって言われてるから、なるべく近めが良いかな」

 

そうして私達はどこへ行くか、何を食べるかを話し合った。

事あるごとに脱線をしたり、お腹を抱えて笑ったりしながら。

このときは間違いなくこの大洗女子での生活が、私の理想の高校生活だと思っていた。

 

 

彼女たちが現れるまでは。

 

 

「っていうことだからさ、西住ちゃん。絶対に戦車道とってよねー」

 

 

私の夢の終わりは、案外すぐに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

 

 

「そう、じゃあ、気をつけて」

 

私はそう言ってみほとの通話を終えた。

みほから電話がかかってくるなんて珍しい。

 

思わず、『彼女』との打ち合わせを放り投げて携帯に飛びついてしまった。

急にPCの画面を閉じてしまったし、彼女は今頃怒っているかもしれない。

けれどまあ、次の飲み会で私がおごるくらいで済むだろう。

 

そんな小さな出費に比べれば、今のみほとの電話にはもっと大きな価値もあった。

 

みほは、私にあまり学校の話をしなかった。

話したとしても、授業のこととか、行事の予定だとか。

 

友人の話題がみほの口から出てこないことを、私は言葉には出さなかったけれどもずっと心配をしていた。

前の学校でも、友人とはあまりうまくいっていなかった。

 

まして、今度は転校生という特異な立場だ。

いじめられているとまでは行かなくても、敬遠されているのではないだろうか、と。

 

「まあ、一安心かしらね」

 

今日、みほには新しい友人ができたらしい。

学校帰りにカフェに寄る程度には、仲良くなれたみたいだ。

 

みほにもまほにも、お金で苦労しない程度には小遣いを渡しているけれど、これからこうして遊びに行ったりすることが増えるようであれば、渡す額なんかも相談したほうが良いかもしれない。

まほの方だって、今年は最上級生だ。いろいろと必要なときもあるかもしれない。

こういう場合、どれくらいの小遣いが適切なのだろうか?

 

「とりあえず、謝るついでにちよきちに聞いてみましょう」

 

私は閉じていたノートパソコンをもう一度立ち上げ、子育て相談と、ついでに次の仕事の打ち合わせの続きのため、西住流と並ぶ戦車道の大家、島田流の島田千代へとオンラインの通話をつないだ。

 

もちろん、彼女の第一声は急に切ったことに対する嫌味だったし、想定通り、次の飲み会でおごらされることとなった。

 

そしてその後はずっと娘たちのことについて話し合っていた。

 

結局、私達は次の仕事の予定を決めるのをすっかりと忘れてしまっていたのに気づいたのは、彼女との通話を切った直後のことだった。

 

本当なら、すぐにでも通話つなぎ直すところだが、そんなことがどうでも良くなるような事件が私を待っていた。

 

「……ただいま」

 

まだ四時過ぎだと言うのに、みほが家へ帰ってきた。

 

友人と遊んでから帰ってくると言っていたのに。

 

そして、みほの目には……。

 

「お母さん……、どうしよう」

 

大粒の涙が浮かんでいた。



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しぽりん(39)激怒する

大洗女子学園戦車道隊。

 

彼女たちの記憶は、たしかに私の中に残っている。

戦車道の大家である西住の家に生まれた私から見れば、彼女たちは決して強くはなかったし、才能と呼べるものも感じることはできなかった。

 

どちらかといえば普通の女子高生たちで、学校帰りにショッピングモールで買い物でもしている方が、よっぽど様になっていただろう。

 

けれど、彼女たちの乗る戦車は、今でも私の記憶に強く残っている。

 

大砲が大きいわけではない。

装甲が堅いわけでもない。

車両もバラバラで、足並みすら揃っているように見えなかった。

 

まるで、西住流の対極にいるような戦車たち。

 

踊るように走り、笑うように砲音をあげる戦車たち。

こちらの装甲なんて抜けやしないのに、砲弾をぶち当てて愉快げに逃げていくさまは、戦車が生きているんじゃないかと錯覚したほどだ。

 

なんというか、彼女たちは心から戦車を楽しんでいた。

 

そして、もう一つ記憶に残っている姿は、あの夏の日の彼女たち。

あの日をさかいに、大洗女子戦車道隊はその歴史に幕を閉じた。

あのときに見た彼女たちの、泣き顔が、笑顔が、私には忘れることができない。

 

あれから20年たった今、この学園鑑からは戦車の気配は感じない。

 

それが、今年の春にその歴史を再開させようとしているらしい。

 

戦車道に携わるものとして、私はそれを喜ぶべきだと思う。

戦車道の競技人口が増え、プロリーグに向けて若手を育てる土壌が豊かになる。

なによりも、あの子達の意思を受け継ぐ後輩ができる。

 

けれど、今の私は戦車道の大家、西住流の師範西住しほではない。

 

西住みほの母なのだ。

 

「……なんと、不躾な」

 

みほは戦車道がないからこの学校に転向してきたのだ。

それを、「復活させる事になったから、お前も戦車道を履修しろ」だなどと。

 

みほは、上級生に対しても、勇気を出して反論をしたらしい。

しかし、生徒会の者たちはそれを、恫喝し、脅し、一方的に言うだけ言って去っていったという。

 

そんな者たちが、あの子たちが大事にしていた戦車に乗る?

大洗の戦車道の名を背負う?

想像しただけでも……。

 

「虫酸が走る」

 

私は吐き捨てた言葉の代わりに、グラスの酒を飲み干した。

ここに来てからというもの、仕事の付き合い以外ではお酒をのむことはなかった。

家ではみほがいる。

一人で飲むよりは、あの子と会話をしたかったからだ。

 

けれど、今日ばかりは飲まなければやっていられない。

みほはひとまず落ち着きはしたが、今は疲れ切って眠っている。

静かな家に一人で過ごすには、こういった手段しか私は知らない。

 

母として、大人として。

戦車道を導くものとして。

私にできることはなんだろうか。

 

ぐるぐると考えるうちに、夜は更けていった。

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

『わ、たしは……、戦車には乗りません』

 

私にしては、勇気を振り絞ったほうだと思う。

この学校でも戦車道が始まると聞いて、はじめは確かに呆然とした。

絶望したって言い方でもいいと思う。

あの人の言葉は、私にとってそれくらいの衝撃だった。

 

けれど、一瞬真っ白になった私の頭の中に浮かんできたのは、「どうしよう、お母さんに怒られる……」だった。

せっかく戦車道から離れて、お母さんとは仲直りができたと思ったのに、ここで私が戦車に乗ったら、また前の冷え切った状態になってしまうのではないか。

 

それだけは嫌だ。

 

そう思うと、自然と声が出ていた。

 

『私は、戦車道がないからこの学校に来たんです』

 

けれど、向こうは私の話なんて聞いてくれなかった。

生徒会長と名乗った人は、必死に言い返した私のことを冷たい目で見て言った。

 

『そんなことはどっちでもいいんだよ。ねえ、とってくれるよね?戦車道』

 

お前の意見なんて聞いていない。黙って従え。

生徒会長の目は、静かにそう言っていた。

 

私の目から涙が滲み、零れ落ちそうになったその時、私の肩に2つの温かい何かが触れた。

 

『みほさんは嫌がっています』

『そんなに自分勝手だと、彼氏にも愛想つかされちゃいますよ』

 

私の肩に手を添えて、二人は諦めかけていた私の代わりに、生徒会の人達に向かって抗議してくれた。

いつも一人だった私にとって、こんなに心強いことなんてなかった。

 

その後もいくつかの言葉を交わしたけれど、向こうは頑なに私に戦車道をやらせようとした。

とってくれるなら便宜を図るとか、その逆に取らなければ……、なんてことも言われた。

 

けれど、教室内の他の生徒もだんだんと私達の会話に耳を済ませるようになってきた。これ以上教室でこんな遣り取りをするのは流石にまずいと思ったようで、『明日、答えを聞かせてよ』と言って、彼女たちは退散していった。

 

私なんかよりも、武部さんや五十鈴さんの方が憤慨していたようで、生徒会が去っていったあとも、二人して生徒会への文句を言い合っていた。

けれど、武部さんの『あんな変なメガネかけてっ!絶対モテないよね、あの人!』という言葉には、それまでの緊張感も忘れて思わず笑ってしまった。

 

二人は予定通りにどこかのカフェにでも行って、生徒会の悪口と、対策を話し合おうと行ってくれたけれど、私はそれを断ることにした。

まずは、お母さんに相談しなければと感じたからだ。

 

武部さんと五十鈴さんにはまた今度と約束をして、放課後、私は家への道を急いだ。

 

しかし、家に近づけば近づくほどに、私の胸は不安がじくじくと押し寄せて、息苦しくて、鼻の奥がつんと痛くなっていった。

またお母さんと喧嘩したらどうしよう。

それだけが頭の中をぐるぐるぐるぐると回っていた。

 

家の鍵を開けたとき、私は自分が呼吸をしているのかどいうかすらわからなかった。

 

「おかえりなさい……、みほ?」

 

お母さんの顔を見て、お母さんの声を聞いた途端に、なんとか水際でせき止めていたものがすべて決壊した。

 

「おかあさん……どうしよう」

 

そこまで言ったときには、私はお母さんにおもいっきり抱きしめられていた。

 

あったくて、うれしくて、なつかしくて、やさしくて、ちょっと痛くて……、すごくうれしかった。

 

お母さんの腕が背中に回され、頭にはお母さんのほっぺたの感触がする。

ながいきれいなお母さんの髪が、私の肌にさらさらと触れる。

 

私もお母さんの背中に手を回して、服をぎゅっと摘むと、もっと強い力で抱きしめ返された。

 

お母さんは何も言わずに、ただただ抱きしめてくれた。

私が泣き止むまでずっと。

 

そして、私が落ち着いたのを見計らって、お母さんはリビングで紅茶をいれてくれた。

淹れたばかりの紅茶はすごく熱くて、茶葉の味もよくわからなかったけれど、お砂糖がたくさん入っていてすごく甘いのだけはわかった。

 

紅茶のカップを両手で持って、私はちびちびと大事に飲んだ。

 

その間もお母さんは何も言わなかった。

ただ私の向かいに座って、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。

 

私は意を決してお母さんに今日あったことを話した。

お母さんはそれを黙って聞き、全て聞き終えると一言『大丈夫』と言ってくれた。

 

何が大丈夫なのかはよくわからないけれど、私はその言葉で、心の底から安心した。

 

けれどそこまで話したあと、色々あって疲れ切ってしまった私は、お母さんにうながされるまま自分の部屋に戻った。

 

頭の中はごちゃごちゃだけれど、家に帰ってくる前みたいな不安はなかった。

 

そしてベッドに倒れ込むなり、私は眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

「会長……。西住さんの件ですが、やはりアレはやりすぎでは……」

 

小山は私の机に淹れたてのお茶の入った湯呑を置くと、そう言った。

私が顔を上げれば、小山は困ったような顔をして私を見つめていた。

胸元には、湯呑がさっきまで乗っていたであろうお盆を抱えている。

 

「ああ言うしかないでしょ。じゃないと、学校自体がなくなっちゃうんだから」

「そうですけどぉ……」

 

そう。

大洗女子学園は今年いっぱいで廃校になる予定だ。

つい先日決定したばかりのことで、一部の教職員と私達生徒会のメンバー3人しか知らない事実。

 

おそらく、学園の生徒たちにこのことが告げられるのは年が開けた頃。

今から半年以上は先のことになるだろう。

 

もちろん、そこまで隠しておくのには理由がある。

その中でも最も大きい理由は、この学園鑑が生徒たちの手によって運営されているという点にある。

 

もし、この地球があと1年で滅ぶとしたら……。

真面目に学校で勉強したり、つらい思いをして仕事に行く人が一体どれだけいるだろうか。

 

同様に、もうすぐ取り壊される予定の学園艦の整備や点検を進んでやりたがる生徒がいるだろうか?

あと半年だし。直してもどうせ壊されるんだし。

 

そんな状況になってしまえば、生徒たちに安全な航海を保証することはできなくなってしまう。

ほかにも、いろいろなところで問題が生じてくることだろう。

 

だから、教職員とも協議の上、このことはしばらく生徒たちには伏せておくことになった。

 

「西住さん、いい子そうだったし、ちゃんとお話すれば手伝ってくれるかもしれませんよ?」

「……そうだね。けど、いい子そうだからこそ、あの子に全部背負わせるのは酷ってもんでしょ。わるもんは私らだけで十分だよ」

 

この学校が戦車道を始めるのは、その廃校騒動と関係がある。

この夏に行われる高校戦車道全国大会で大洗女子が優勝すれば、廃校は撤回されるのだ。

 

なぜそんなことになったかといえば、廃校になるって聞いた私が頭に血が登って、ついうっかり文科省に殴り込みをかけたからだ。

その時、どんな話をしたのかはよく覚えていないけれど、眼鏡の役人が戦車道がどうのこうのと言っていて、その流れで優勝すれば廃校撤回との言質をとったのだ。

 

今思えばよくも、まあそんな無謀なことをと思うのだが、その反面、約束を取り付けてきた自分自身をよくやったと褒めてやりたい。

 

そういうわけで、春休みから学校の選択授業に戦車道を増やすためにあれこれやっていたわけなのだが、そんなところに折りよく戦車道の名門から転校生がやってきた。

しかも、実家が戦車道の大家で、その上、大会で準優勝したときの副隊長だったという。

 

渡りに船。どころか、軍艦が名鑑長を乗せてやってきたような気分だ。

 

けれど、彼女に事実を話すわけには行かなかった。

おそらく、あの子は廃校のことを伝えればいやいやだったとしても戦車に乗ってくれるだろう。

けれど、もし負けたら?

 

あの人の良さそうな女の子が、自分のせいで廃校になると思い悩まないわけがない。

 

自然と、私達の対応は一つに絞られた。

 

「私、あんなふうに脅かすなんて聞いてませんでしたよ」

「しょうがないじゃん。他に手はないんだし」

「私達、絶対に嫌われてますよね……」

「まあ、全部終わったら土下座で謝ろっか」

 

そういうわけで、私たちはあの子を脅して、買収して、これでもかと悪役に徹して戦車道に引き込もうとした。

けれど、西住ちゃんの決意は硬かった。

 

彼女が何を抱えているのかはわからないけれど、彼女は「戦車には乗りません」と頑なに拒絶し続けた。

目をうるませて、涙が溢れそうになりながらも、手を強く握りしめて怖い先輩であろう私達に精一杯抗った。

 

「履修してくれないですかね……。戦車道」

「まあ、今日の履修アンケートを集めてみてじゃない?どっちにしろ、西住ちゃん以外にもメンバーが集まるかだってかけみたいなもんだし」

 

単位とか、学食の食券だとかで、どうにか履修してくれる生徒を増やそうとはしてみたけれど、結局みんなが履修してくれるかどうかは賭けになる。

西住ちゃん以外にも何人か戦車道をとってもらいたい子はいるけれど、全員が来てくれるというのは高望みでしかない。

 

「冷泉さんの方にも、直接声をかけてみますか?」

 

冷泉麻子。

常に試験で最高得点を取り続ける天才少女だ。

私達は、彼女にも戦車道を履修してもらいたいと考えている。

そのために、特典のうちの一つとして遅刻見逃し200日なんてものまで風紀委員に認めさせたのだから。

 

「まあ、そっちはとりあえず待ちかなー。来なかったら、後で会いに行ってみようよ」

「……わかりました」

 

そろそろ、全クラスの履修アンケートを集めている河嶋も戻ってくる頃合いだ。

一体、何人いるか。

西住ちゃんは、やはりだめだろうか。

 

「かぁいちょぉおおおおっ!」

 

ドアを勢いよく開けるとともに、大声で私のことを呼びながら河嶋が生徒会室に駆け込んできた。

河嶋の顔はなんでか知らないけれど、涙や鼻水でベチョベチョになっており、私の座る椅子のところまで駆け寄ると、床に座り込んで私の足にすがりついた。

 

「どーかした?」

「もう無理です!私達は終わりです!」

「はぁ?」

「桃ちゃん、ちょっと落ち着いたら?」

 

終わりだとか、死ぬだとか、取り乱した河嶋は意味不明なことを言って泣きわめいている。

河嶋がこんなふうにテンパるのはいつものことだ。

基本、こいつのメンタルはガラス以下なのだ。

 

「あれ?誰かいらしたようですね?」

 

小山がそう言ってドアの方に目をやった。

耳を傾ければ、河嶋が開けっ放しにしたドアの向こうから、誰かが近づいてくる足音が聞こえる。

もしかして、この足音の正体が河嶋をこんなポンコツ状態にした当人だろうか?

 

「小山ー、かーしま連れてどっか行っといてくんない?」

「わかりました……。ほら、桃ちゃん、立って」

 

小山は泣きわめく河嶋を連れて、廊下に面したドアとは別の、事務室の方へ続くもう一方のドアから出ていった。

お客様と、この状態の河嶋を合わせないようにそちらから移動してくれたようだ。

 

そして、小山がドアを静かに閉じるとともに、足音の主が廊下から姿を表した。

 

「ここが、生徒会室でよろしかったでしょうか」

「……」

 

河嶋が取り乱すのも納得した。

私も、一瞬目を見ただけでこの化け物みたいな人物に飲み込まれてしまった。

身動きができない。

言葉が出てこない。

視線をそらすことですら、できない。

 

「先程、廊下で出会った生徒に案内を頼んだのですが、なぜか走ってどこかに行ってしまったので」

 

河嶋もかわいそうに。

いきなりこんなのに呼び止められたら、泣いて逃げ出すのも納得だ。

 

「西、住ちゃんの……」

「おや、ご存知でしたか」

 

あの西住流の師範。

戦車道の元トッププレイヤー。

そして、西住みほの……。

 

「普通科2年。西住みほの母です。いくつかお尋ねしたいことがあり伺いました」

 

当然、西住ちゃんのことを調べるに当たり、その家のことも調べてはいた。

戦車道の大家だ。その情報は、知っておいて損はなかった。

けれど、資料で目にした顔が、こんなふうにやってくるとは想像もしなかった。

 

「お時間、いただけますね?」

 

何よりも、格が違うと感じた。

人間としての立っている場所が違う。

私は何をしても、どんな手を使っても、どんな些細なことですら、この人には勝てないと本能でわかる。

 

「私は、戦車の上では【鬼】とか【悪魔】とか散々言われてきました。けれど、今の私はそのどれもと違う」

 

彼女が一歩私に近づくたびに、走って逃げ出したい気持ちが魂から溢れ出してくる。

目をそらせば、死ぬ。

動けば、死ぬ。

いや、何もしなくても、私はここで死ぬ。

 

「学校に乗り込んでくる親のことを、モンスターペアレントと言うそうですね……。さすがの私も、自分から【怪物】を名乗るのは初めての経験です」

 

 



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しぽりん(39)大洗を去る

「普通科二年っ、西住みほっ!今すぐ生徒会室に来い!!いや、来てくれっ!頼む西住ぃいい!!」

 

そんな悲鳴のような放送が校内に響き渡った。

スピーカーから流れた声はひび割れて聞き取りづらかったけれど、おそらく昨日の生徒会の人だと思う。

それもとっても焦っているようだった。

 

「みほ、これって昨日の人だよね?」

「また戦車道の話でしょうか?」

 

武部さんと五十鈴さんが私のことを案じて声をかけに来てくれた。

二人共、昨日のやり取りのせいで私と同様に生徒会の人たちのことをあまり良く思っていないみたいだ。

特に武部さんは明らかに不機嫌そうに眉をよせている。

 

「行く必要ないって!あんな失礼な人たちのとこなんて!」

「え、でもなんかすごく必死そうだったし……」

「たしかに、なんだかとっても焦っていましたね。『タノムニシズミイー』って」

 

五十鈴さんのこれはモノマネのつもりなのだろうか。

あまりに棒読みすぎて、真似する気が有るのかすら微妙なところだけれど……。

 

「もうっ!あんなのほっとけばいいの!」

 

武部さんは腰に手を当てて、プリプリと言った表現がぴったり似合いそうな感じで怒っている。

けれど、昨日あんなに居丈高だった人たちがあんなふうに言ってくるのは少し気になる。

それに、このまま無視をするのも何となく気がとがめるのも確かだ。

 

「一応、様子だけ見に行くっていうのは?」

 

私がそう言うと、武部さんは「このお人好しぃ!」とひとしきりプリプリしたあと、「ほら、さっさと終わらせよっ!」と、私の手を握って引いていってくれた。

 

生徒会室までの道中も、「みほは優しすぎ!」とか、「悪い男に騙される!」とかさんざんなことを言われたけれど、それが私を心配しての言葉だというのは痛いくらいに伝わってきた。

五十鈴さんも「うふふ」と笑いながら私の後ろをついてきてくれ?。

生徒会と会うのはちょっと怖いけれど、こうして二人がついてきてくれるのならとっても心強い。

 

「……いくよ、みほ。ほんとにいいの?」

「うん」

「きっちりお話がついたら、今日こそ三人でお茶しましょうね?」

「華、その案採用!」

「わ、私も賛成!」

 

三人で顔を見合わせ、武部さんが生徒会室のドアを三度ノックする。

もう一方の手は私の手を握ったままだ。

ぎゅっと握られた手があったかくって、ずっと離したくないと思ってしまう。

 

『どうぞ、入ってください』

「……え?」

 

生徒会室から聞こえた声に、私はとても聞き覚えがあった。

毎日聞く声、すごく怖いけれど、やさしい声。

 

私の理解が追いつく前に、武部さんが生徒会室のドアを開ける。

 

「ええぇっ!?おかっ、なんでっ!?」

 

私達の目に飛び込んできたのは、生徒会室のソファーに腰掛けるお母さんと、その前で同じくソファに座り、真面目な顔をしている生徒長の姿だった。

 

「ようやく来ましたね……」

「待って、どうしてお母さんがいるの!?」

 

お母さんはソファーから立ち上がり、私達の方へ歩み寄ってきた。

なんでお母さんがこんなところにいるのかとか、どうして生徒会長は黙っているのかとか、聞きたいことが多すぎて私の頭はパンク寸前だ。

 

「みほの母です。みほがいつもお世話になっているそうですね」

「え?みほのお母さん?」

「まあ、凛々しい素敵なお母様ですね」

 

二人共、お母さんの突然の出現に面食らっているようだ。

いや、一番衝撃を受けているのは紛れもない私なのだけれど。

 

「武部沙織です!みほさんには末永くお世話になっております!」

「沙織さん、間違ってますよ?はじめまして、クラスメイトの五十鈴華です」

 

二人がそれぞれお母さんにむかって頭を下げた。

普通ならお母さんに友達を紹介するなんてちょっと恥ずかしいというか、照れくさいところなんだろうけれど、ほんとに今はそれどころじゃない。

 

「じゃなくて!お母さんがどうして学校にいるの!?しかも、生徒会室にっ!」

 

私が黙ってうつむく生徒長を指差すと、お母さんはちらりとそちらを一瞥しただけで、視線をすぐにこちらに戻した。

 

そして、武部さんとつないだままの私の手に視線をおとし、じっと見つめた。

そしてお母さんは静かにゆっくと目をつむると、ちいさく何かを口の中でつぶやいた。

 

なんと言ったのかは聞こえなかったけれど、お母さんはとってもつらそうな顔をしている。

この顔は見覚えがある。

いつ、どこでみた表情だったろうか?

 

「みほ……」

「え?なに?」

 

お母さんは何かを決意したかのようにゆっくりと目を開けた。

そして、私にすごく真剣に、そして苦しそうな顔でこう告げた。

 

「みほ。この学校を選んだのは私の失敗でした。転校したければ、今すぐにでも次の学校を探しましょう」

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

「ごめん、西住ちゃん……。それから、そっちの二人にも。本当にごめん」

 

話の最後に生徒会長はそういってもう一度私に頭を下げた。

それに合わせて、あとから合流した残りの生徒会の二人も私に頭を下げる。

 

あれから、私達は会長からことのあらましを全部聞いた。

 

この学校が廃校になってしまうということ。

それを唯一阻止する方法が、戦車道の全国大会で優勝するということ。

いち生徒である私にそれを伝えることができず、あんな手段をとってしまったこと。

 

後悔の表情を浮かべながら、会長は真剣に語ってくれた。

 

それらを全部私に伝えたあと、会長たちは私と、武部さん、五十鈴さんの三人に向かって「ごめん」と言った。

会長の告白を、私達は何も言うことができずにただただ黙って聞いていた。

 

私はまだこの学校に来てからたったの2週間だけれど、一年以上ここに通っている武部さんたちは一体どう感じたのだろうか。

さほど長い時間を過ごしていない私でさえ、この学校には愛着がある。

 

お母さんと暮らし、新しい友人ができ、色んなものが光って見えるこの学園鑑での暮らし。

それをずっと見てきたこの二人は……。

 

「みほ、ごめん」

「武部、さん?」

 

武部さんはそう言って一歩前に出た。

それまでずっと握ってくれていた手のひらが、すっと解けてすり抜けていった。

思わずすがろうとした私の手が、掴みそこなってなにもないところをさまよった。

 

「私も、ごめんなさい」

「五十鈴さん……」

 

そう言って同じように五十鈴さんも武部さんの隣に並んだ。

私からは二人の背中しか見えなくて、今どんな顔をしているのかなんてわからない。

……友達なのに。

それが、無性に悲しかった。

 

「会長。普通科2年、武部沙織。みほの代わりに、私が戦車道やります」

「同じく、五十鈴華です。この学校を守りたいのは、私も一緒です」

「え……」

 

二人はまっすぐ会長に向かってそういった。

 

「みほ。みほが戦車道が嫌いなのは知ってる。だから、私達が代わりにやるよ」

「せっかくみほさんとお友達になれたのですから、卒業式まで一緒にいたいですからね」

「二人共……」

 

二人は私の代わりに戦車道をするという。

学校を守るため、もっと一緒にいるため……。

 

私だって、武部さんと五十鈴さんともっと一緒にいたい。

この学校にだってなくなってほしくない。

 

けど、私が戦車道をやったら、またみんなに迷惑をかけてしまう。

前の学校のときみたいに二人にも嫌われてしまうかもしれない……。

それに、お母さんだって……。

 

「あなたは、どうしたいのですか?みほ」

 

それまで、一貫して無言でいたお母さんが、不意に私に声をかけた。

どうしてお母さんがここにいるのかとか、生徒会とどんな関係があるのかとか、いろいろ聞きたいことが頭に浮かんだ。

けれど、今私が言うべきことはそんなことじゃないとわかっている。

 

「あ、あの……」

 

心臓が痛い。

お腹が重い。

手が、冷たい。

 

けれど、言わなくちゃ。

 

「お母さん、私、お母さんとの暮らし、すごく楽しいよ。二人でごはん食べるのも、テレビ見るのも、一緒に掃除するのだって……」

 

この数週間、本当に、楽しかった。

私が戦車道から離れたから。

戦車に乗るのを辞めたから。

お母さんとこうして仲良くなれた。

 

それは紛れもない事実だ。

 

けど、私はもうわかっている。

それはただの『きっかけ』に過ぎないって。

だから、大丈夫なんだって。

 

「わがままを、言ってもいいかな?」

「……ええ」

 

もしかしたら、お母さんは怒るかもしれない。

嫌がるかもしれない。

けど、また前みたいに冷たい関係に戻ることはない。

 

もう、私は……。

私達は大丈夫。

 

「普通科2年、西住みほ、です」

 

私は前を向いて、武部さんと五十鈴さんの間に割り込んだ。

背中を見るんじゃなくて、隣に立ちたいと思ったから。

守られるんじゃなくて、一緒に戦いたいと思ったから。

 

二人は間に入った私の手を握って、笑ってくれた。

 

「私、戦車道やりますっ!」

 

 

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

『普通科2年、西住みほ、です!』

『私、戦車道やりますっ!』

 

みほは、自分の意思で戦車道をやることに決めた。

 

はじめ、戦車道しかしてこなかったあの子のことが心配で、私はこの学園艦までみほにくっついて来た。

けれど、きちんと料理をし、学校に通い、友達まで作ってみせた。

 

元来、明るく元気な子なのだから、これくらいできて当然だ。

私の西住流としての教えが、彼女に合わなかっただけなのだ。

 

だから私は、あの場でみほに条件を出した。

 

『西住流ではなく、貴女自身の戦車道を見つけなさい』

 

あの子と、あの子の友達には鉄の掟も必要ない。

それ以上に固い絆が、すぐに結ばれるだろう。

 

『貴女が正しいと思ったことをなさい』

 

西住流としては間違っているけれど、あのとき友人を助けようと動いた彼女を、私は母親として正しいと思った。

あのときは、立場としがらみに縛られた私は、褒めてあげることができなかったけれど、今ならそんなもの全部捨てて言ってあげられる。

 

『友達を、大切になさい』

 

言うまでもなく、みほはこの学校での出会いを大切にするだろう。

 

だから、もう私がいなくても大丈夫。

きっとあの子は一人でもきちんとやっていけるだろう。

 

むしろ、自分の戦車道をみつけるのには、私がそばにいてはじゃまになる。

私は西住流しか知らない。

西住流でしか見ることができない。

西住流しか、あの子に教えてあげることができない。

 

だから、私はこの学園鑑を去ることにした。

あの子が学校から帰ってくる前に、あまり多くない荷物をまとめ、カバンひとつを抱えて。

大きなものは後で送ってもらえばいい。

 

この学園艦に来たときは、あの子もそうだろうけれど、私だって不安が大きかった。

今までろくに会話をしてこなかったツケが回ってきたと、自分を恨んだりもした。

あのとき、そんな心境で降り立ったこの発着場も、今ではすこし違って見える。

 

あの子は、私との二人暮らしを楽しいと言ってくれた。

 

私だって、楽しくないわけがなかった。

 

本当に、楽しかった。

 

できることなら、ずっとこうしていたいと思うほどに。

 

連絡船の煙が遠くに見える。

これで、楽しい日々も一旦の終わりだ。

 

夏休みにでもあの子が帰ってきたときに、また一緒に料理でもしよう。

次はまほも一緒に。

 

きっと、またあったときも今日までと何も変わらずに楽しく過ごせる。

私達は、家族なのだから。

 

「お母さんっ!」

 

背中に、大きななにかがぶつかった。

抱きつかれた、それも、抱きついてきたのがみほなんだ、そうわかるまでに少し時間がかかった。

みほはいま学校で授業を受けている時間だったし、何も言わずに出てきたのだ、私がここにいることだってわかるはずがない。

 

「聞いたよ。お母さんが、私のために怒ってくれたこと。私に説明するように言ってくれたことも」

 

後ろを振り返ろうとしたけれど、強い力で抱きつかれて、みほの顔を見ることができない。

 

みほたちが生徒会室にやってくる前に、私は生徒会長の角谷さんからすべてを聞いていた。

もちろん、みほの母としてひとしきり【文句】を言わせてもらってからの話だったけれど。

 

その後、みほにもきちんと説明し、謝ることを約束させた。

そして、彼女の事情と反省の態度をみて、戦車道を行うかも含めて、みほの選択に任せることにした。

もちろん、みほがどの道を選ぶにせよ、多少の支援はしようと思っている。

 

その結果、みほは戦車に乗ることを選んだ。

 

「私、わがまま言うって言ったよね」

 

みほはいつの間にこんなに力強くなったのだろう。

体だけでなく、心まで強く。

 

「お母さんと一緒にいたい!きっと、戦車道をはじめたら色々迷惑かけちゃうと思う。帰りも遅くなるし、お手伝いとかもできなくなっちゃう……」

 

背中越しで良かったと思った。

 

「けど、お母さんに一緒にいてほしい。私は弱虫で、臆病で、すぐに逃げ出すだめな子だけど!」

 

泣いている顔なんて、娘に見せるものじゃない。

 

「お母さんがいてくれれば、どんなことでも頑張れるから。全国大会だって優勝して、武部さんや五十鈴さんと一緒にちゃんと卒業してみせるから……」

 

そう言われてしまえば、私にはどうしようもない。

娘のわがまま一つ聞けずして、何が母親か。

 

「みほが小さな頃、やんちゃなあなたのわがままにはいつも手を焼かされてきましたね」

「……ごめん、なさい」

 

みほは小さな声で言った。

 

「謝る必要はありません。わがままを言うのは子どもの特権です。そして、それを聞いてあげるのも、親の役目です」

「おかあさん…」

 

連絡船の姿は、もうすぐそこまで来ている。

もう、私がアレを待つ必要もなくなってしまった。

 

「帰りましょう、私達の家へ」

「うんっ!」

 

 

 

 

 



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しぽりん(39)照れる

「今日、学校の、あと、カフェに、行きま、せんか……。逸見……っと」

 

メールの本文に、なるべく簡潔に要件だけを打ち込んだ。

本当はもっと色々と書きたいことも有るし、装飾だってつけたいところだけれど、隊長はこういうわかりやすい方が好きなんだと思う。

隊長から届くメールはいつも短いものばかりで、要件だけがきちんとまとめて送られてくる。

 

「とうっ」

 

送信ボタンを押して、メールが送信されるのを見届けた。

後は隊長が携帯を見てくれるのを祈るだけだ。

 

「西住隊長、来てくれるかなぁ……」

 

最近の隊長は少し様子がおかしい。

これは私だけではなく、隊の仲間のなかにも同じように思っている者がいる。

見た目も言動も去年までと何一つ変わっていない。

けれど、戦車に乗っているときだけは別人のようになってしまった。

 

冷静ではなく冷徹に。

用心深くではなく執拗に。

 

ずっと後ろで隊長を見ていた私たちだからこそ気づくくらい、曖昧な変化だけれど、確実に何かが変わっている。

それに、練習量もかなり増えている。

 

最上級生になったからとか、全国大会が近づいてきたからとか、そんな風でなく、何かに追われるように戦車に乗り続けている。

戦車道の訓練が終わった後も、一人でトレーニングをしているところも見たことが有る。

 

あんな風に一心不乱に戦車道に打ち込む隊長を、盲目に尊敬するほど、私の目は腐っていない。

 

そういうわけで、隊長の息抜きと、もし何か隊長の抱えている物があるのだとすれば、私なりに相談に乗ろうと思い、隊長をお茶に誘ったのだ。

 

もちろん、隊長と二人っきりでお茶をして帰るなんてビッグイベントに心が踊っていないとは言わないけれど。

隊長と副隊長として親睦を深めつつ、私が頼れることを隊長にアピールする。

そのうち、プライベートでも遊びに行ったりなんかしたりして……。

 

「エリカ、ここにいたのか」

「うわっひゃっ!た、隊長っ!」

 

突如現れた隊長に、私は変な悲鳴を上げて飛び上がった。

そりゃあ、いろいろ妄想していた相手がいきなり背後に現れれば、驚くに決まっている。

 

「すまない、驚かせたか?」

「い、いえ!ちょっとびっくりしたけど問題ありません!」

 

隊長は私に対して申し訳無さそうな表情を浮かべた。

私は慌てて否定したけど、どことなくシュンとしている。

直接口には出せないけれど、こんな隊長もちょっと良いなと不覚にも思ってしまった。

 

「そ、それで、私になにかごようでしょうか?」

 

もしかして、さっきのメールを見て私に直接返事をしに来てくれたのだろうか?

だとしたら、OK?

ならさっそくこのまま……。

 

「エリカに頼みがあってな。練習予定を隊員たちにメールで送っておいてほしいんだ」

「え?あ、ああ、はい!了解しました!」

 

隊長はそういって私に手書きのメモで予定表を手渡した。

メモには、隊長のきれいな文字で、細かく予定が書き込まれていた。

やはり、以前よりも練習量が増えている。

 

「わざわざ来ていただかなくとも、連絡してもらえれば私から伺ったのに」

 

こんな雑事で隊長の手を煩わせてしまったことに、申し訳のなさを感じてしまう。

ただでさえ、練習ばかりで時間がかつかつだと言うのに。

 

「いや……実は今、携帯を持っていなくてな」

「……え?」

 

携帯を持っていない?

寮に忘れたとか?

じゃあ、私がさっき送ったメールは届いていないのか。

 

「実は、春休みに実家に戻ったとき、そのまま置いてきてしまったんだ」

 

じゃあ、隊長は新学期が始まってから携帯を持たずに過ごしているのか。

今どき携帯を持たずに生活をすることができるのだろうか。

私だったら、3日くらいでギブアップするに違いない。

なにせ、趣味インターネットの、携帯依存だ。

 

「不便じゃないのですか?」

「まあ、私に連絡してくる人はいないからな。こうして部隊に連絡を回すのに、エリカに任せるのは申し訳ないけれど」

「いえ!このくらい喜んでやります!」

 

隊長にものを頼まれるなんて、めったに無い。

ほんの小さな雑用だけど、こうして頼りにされるのはとても嬉しい。

 

「あの!隊長、この後お時間ありますか?」

「私か?訓練はないから、少し戦術の資料を漁ろうと思っていたところだ」

 

やはり、この人に休むという考えはないらしい。

であれば、ここは私が強気にいくしかないだろう。

 

「でしたら、私とお茶しに行きませんか?……えっと、学校の近くにあるカフェのコーヒーが美味しいと隊の皆が話していまして……」

 

私の必死のアピールに、隊長は少し何かを考える仕草を見せる。

私のカフェへの誘いは、戦術資料に負けるのか?

さすがに、それは凹む……。

 

「わかった。実は、少し懐も温かいんだ。3年になってから、お母様からの仕送りが増えていてな」

「ほ、本当ですか!」

 

遠目からしか見たことはないが、隊長のお母様に全力で感謝の念を送る。

おかげで私は当初の計画を進められそうだ。

 

後は、コーヒーを飲みながら自然に体調のことをいろいろと聞いていけばいい。

ついでに、ケーキとかも食べながら。

 

「じゃあ、私は教室にカバンを取ってくる。隊の皆への連絡は任せた」

「はい!すぐにやっておきます」

 

隊長は私の返事を聞くと、自分の教室に向かって踵を返した。

隊長はすぐに戻ってくるだろう、今のうちに頼まれた要件を……。

 

「ん?」

 

私がメールを送るよりも先に、隊の一斉送信で連絡メールが回ってきた。

件名には『緊急連絡』と書かれている。

 

私はこれをチャンスだと思った。

隊長は今携帯電話を持っていない。

であれば、すぐさまこの内容を隊長に伝えてあげれば、私が使える奴だとアピールすることができるのではないだろうか。

 

そう考え、私はメールを開いた。

そこには一枚の画像ファイルが添付されていた。

 

「っ!!なによ、これ!!」

 

画像は一枚の新聞記事。

携帯で写真を撮ったのだろう、細かい文字はよく見えない。

けれど、見出しと写真だけでも十分内容はわかる。

これは……、こんなものは……。

 

「みほ……。私はあんたを絶対に許さないっ!」

 

 

 

 

 

 

 

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 

 

 

「誰がこんな記事の許可を出したんです」

 

 

『大洗で戦車道復活!西住流の親子がタッグを組んで全国大会に挑む!』

 

『真の西住流は大洗にあり!』

 

私が生徒会室のテーブルに叩きつけた新聞記事には、一面にそんな見出しが踊っている。

ご丁寧に、私とみほがⅣ号の前で会話をしているところまで写真に収められている。

こんな記事を許可した覚えも、写真を取られた覚えもなかった。

 

私達は、西住流の名前を出さないと言うことを事前に取り決めていた。

それを、3日も立たないうちにこんな風に学校新聞として取り上げられるとは思ってもみなかった。

 

「すみません。放送部の仕業です……」

 

そう言って、小山さんは放送部のことを説明してくれた。

 

大洗女子の正式な部活動で、それなりに歴史のある部らしい。

そこの王大河という生徒が、事あるごとに学園館内のスクープを狙って走り回っているとのこと。

今回は私がその対象となったそうだ。

 

「すぐに回収の手配をしてきます」

「……よろしくおねがいします」

 

小山さんは申し訳無さそうに言って、駆け足で生徒会室を出ていった。

学園艦のなかでしか流通していないローカル紙だといえど、回収はそこそこ大変な作業だろう。

 

「すみません。こちらでも把握しきれていませんでした」

 

生徒会長の角谷さんがそう言って頭を下げた。

一部活動が勝手にやったことだ。

流石に、そんなところまで責任を取れというのは筋違いだとわかっている。

 

「西住ちゃんの家の名前は出さないって約束だったのに……」

「まあ、遅かれ早かれ知られることです。今回は仕方がないでしょう」

 

私達は、西住流の名前をださないという方針で一致していたのには理由がある。

私が支援すると言っても、西住流の師範として直接指導を行うわけではない。

多少、経験者として練習の方針などにアドバイスをするくらいだ。

 

それに、一つの学校のバックに戦車道の流派の一つが付いているとなれば、不平等だと中傷されかねない。

そういった事態を防ぐための配慮でもある。

今日だって、わざわざ外部から指導者を招き、その人に初めての指導を一任するつもりでいる。

 

「まあ、おかげで関係各所からの電話が鳴り止みませんけど」

「……学園鑑でしか配布されていないはずなんですが」

 

今日の朝イチで千代から電話がかかってきて、その電話で新聞記事の存在を知った。

学園艦で生活する私よりも、外部の千代のほうが早く情報を手に入れていたのはどういうことなのかと疑問に思ったけれど、そのおかげで対応の準備をすることができた。

 

千代には「どうしてそんな面白そうなことに私を誘ってくださらなかったんです」とか「一人だけ女子高生に囲まれて若い気になって」とか散々ないわれようだったのだけれど……。

 

「それにしても、西住ちゃんとしほさんの写真、よくとれてますねー」

 

角谷さんの一言で、初めてじっくりと写真を見た。

今までバタバタしていて、こうしてよく見ようとはしていなかった。

 

「……写真の腕は、いいようですね」

 

Ⅳ号戦車の前で談笑する私とみほ。

みほは優しそうに笑っている。

周りにはみほの友人も写っていた。

 

「しほさん、いい顔ですね」

「……私が?」

 

自分の写真写りが良くないことくらい、よく知っている。

雑誌の取材なんかで取られるときも、目つきの悪さで何度も取り直しになるくらいだ。

 

「……」

 

自分の顔を見て驚いた。

私が笑っている。

これは本当に私なのだろうか?

 

私とみほが、親子だけでなく、年の離れた友人のようにも見える。

こんなことって……。

 

「……しい」

 

恥ずかしい、と。

思わず口からこぼれ落ちた。

こんなものが世間に出回ってしまっているなんて。

 

千代があんなふうに私をいじった理由がようやくわかった。

 

「この王大河という生徒、すくなくとも私に気づかれずに写真を撮れる程度には腕が立つようです。戦車道に引き入れれば、役に立つかも知れませんね」

 

恥ずかしさをごまかすため、私はそんなことをまくし立てた。

実際、こんな風に遠方から狙われていたとしたら、戦車道だったら確実に撃破されている。

私のすきをつけるものはそうはいない。

 

「じゃあ、大河ちゃんも候補に入れるってことで」

「戦車道に来たら、まずは砲弾を担いで学園鑑を一周してもらうとしましょう」

 

私はこの騒ぎの被害者なのだ。

練習には関与しないという約束だったけれど、少しくらい口を出してもいいだろう。

 

「お、いーですね。騒がせた罰くらいは受けてもらわないと。な、かーしま」

 

角谷さんが、これまで生徒会室の片隅で置物とかしていた河嶋さんにそう投げかけた。

いつもならあーじゃないこーじゃないと口をはさみたがるのに、今日はやけに静かだ。

 

「ひゃっ!はやうい!そ、そうですね!」

「……」

「……」

 

河嶋さんは声を裏返して、明後日の方に視線を裏返しながら返事をした。

その瞬間、私と角谷さんの視線が交差して、二人の見解が一致した。

 

「かーしま。怒んないから言ってみ?」

「にゃ、にゃにをでしょう?」

 

私は冷や汗をダラダラと流す彼女を横目に、件の新聞記事を手にとった。

その瞬間、彼女の顔に「まずいっ!」という文字が浮かんで見えた。

 

私は記事を端から流し読んだ。

内容は非常に詳しく、戦車の種類と特徴だとか、戦車を見つけた経緯だとかが詳しく書かれいる。

内部の誰かが情報をリークしない限り、こんなものはかけないだろう。

 

そして、記事の後ろの方に小さく書かれているその文字を見つけた。

 

『インタビュー協力・河嶋桃』

 

「すみませんでしたああああっ!こんな記事に使われるとは思ってませんでしたぁああっ!」

 

河嶋さんの大きな声が生徒会室に響き渡った。

 

「だって、王のやつが『河嶋さんの活躍を記事にするんで』とか言うもんだから!」

 

必死に言い訳をする河嶋さん。

 

「かーしま、ペナルティー」

「砲弾担いで学園鑑一周ってところかしら」

 

「そんなぁあああ!!!」

 

 

 

 



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