気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!! (味噌村 幸太郎)
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第一章 俺にしか女に見えない男の娘
1プロローグ(挿絵あり) 2最悪のはじまり


1 プロローグ

 

 俺とあいつが出会ったのは桜舞い散る頃だった……。

 

「おい、お前! さっきオレにガン飛ばしたろ?」

 あいつはいわゆるヤンキーで、初対面の俺にケンカを売ってきた。

 俺が勘違いじゃないか? と答えたが、あいつはそんな答えでは満足しない。

 

「じゃあ……じゃあ、なんでオレの方を見てた!」

 あいつは入学式だというのに、肩だしのロンT。中にはタンクトップが見える。そして、ショーパン。

 という……露出の激しい格好で来やがった。

 正直いって俺のどストライクゾーンだった。

 

「かわいいと思ったから」

「……」

 

 一言。そのたったひとことが俺の失敗でもあり、はじまりでもあった。

 

「オレは……オトコだぁぁぁぁぁ!」

「へ?」

 

 そうしてあいつは、俺めがけて奇麗なストレートパンチをお見舞いした。

 

「な、なにをする! 初対面の人間に向かって!」

「うるせぇ! お、お前がオレに……オレにか、かわいいとか言いやがるからだ!」

「かわいいと思ったことが何が悪い!」

 

 あいつが男だとは思えなかった。

 声も女のように甲高いし、見た目は100パーセント、女だ。

 

 俺だけがそう見えていたのかもしれない。

 こいつはまごうことなき、男子だったのだ。

 

 

 ~それから時は少し経ち~

 

 

「あ、あの……わたし……」

 

 

 目の前には妖精、天使、女神……どの言葉でも表現が足りないぐらいの美人が立っていた。

 

 胸元に大きなリボンをつけて、フリルのワンピースをまとった女の子。

 カチューシャにも同系色のリボンがついている。

 美しい金色の髪を肩から流すようにおろしていた。

 時折、風でフワッと揺れる。

 

「キャッ」とスカートの裾を手で必死に押さえる姿はとても女の子らしい仕草だ。

 

 

 

「わたしじゃ……ダメですか?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そう、あいつは女装すると男の娘に変身するヤンキーだったのだ。

 

2 最悪のはじまり

 

 

 桜が舞い散る今日、俺の晴れ舞台……いや、黒歴史の創世とも言えよう。

 なぜこの天才である新宮(しんぐう) 琢人(たくと)がガッコウたる場所へと舞い戻ったのか。

 そして、非凡な俺が劣等人種たちと勉学を共にしなければいけないのか。

 俺には思い当たることは何1つない。

 

 別に勉学が嫌だから、高校受験を避けたわけではない。

 俺には差し当たって、『それ』を選ぶ理由が思い当たらないからだ。

 ガッコウなんてもんはメリットが感じられない。

 言わば、デメリットだらけの場所だからね。

 

 更に付け加えるならば、俺のような天才が、高校という枠に囚われていること自体が罪であり(天才だからね)、一介の教師風情では俺に知識を与えるにふさわしくない。

 

 高等学校というもの……巷ではリア充とかいうやつらが、のさばる場所と聞くではないか。

 非凡な俺がクラスなどに入って見ろ。

 それこそ、教室で浮くというものだ(ぼっち、ぴえん)

 

 そうだ、ほかのリア充の勉学の妨げになる。

 だって、あれだろ? 俺って普通に高校通っていたら3年生の年齢なわけだよ。

 今年でじゅう、はっさい! だからな。

 同級生なのに、年上というとっつきにくいキャラの出来上がり。

 

 俺には既に『居場所』があるんだ。

 肩書は社会人であり、ライトノベル作家、そして新聞配達もしている。

 超社会に貢献している十七歳だよね?

 

 なのに、俺は今こうして、親父から借りたスーツに袖を通し、巨大な白看板の前に立ちすくんでいる。

 なぜかって? べ、別に怖くなんかないんだからね! っと……自らを可愛くも思ったりもするのだが……。

 

 白看板にはでかでかとこう書かれている。

 

『第31回 一ツ橋(ひとつばし)高校 春期 入学式』

 

 そう書かれた看板のうしろには小さな白い建物がある。おそらく入学式会場だろう。

 ガッデム!

 この向こうに地獄が待っている。そうここは悪魔の巣窟に違いない。

 

「はぁ……」

 

 ため息をもらしながら、俺は入口に向かった。



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3 入学式

 

 入口には、目の前に『巨大なメロン』を2つ抱えた長身の女が両腕を組んで、仁王立ちしていた。

 肩まで伸びた長い髪が風と共に揺れ、桜の花びらが彼女の背後で舞う。

 一見すると美人と言える部類なのだろうが、どうにも目が怖い。

 しかも不敵な笑みを浮かべている……。

 次のターンで即死技でも使うんですか?

 

 彼女の服装と言えば、入学式なこともあってか。ジャケットにタイトスカートと至ってフォーマルな装いではあるが、何か違和感がある。

 上着のボタンは閉めておらず、合間から見えるインナーは胸元がざっくりと開いたチューブトップで、豊満なバストが零れ落ちそうだ。

 この人はいわゆるキャバ嬢というものだろう。それとも……いやらしいお店の呼び込みか?

 

「よお! やっと来たな!」

 

 彼女の名前は宗像(むなかた) (らん)

 この一ツ橋高校の責任者兼教師でもある。

 

 俺とこの女が会ったのはまだ2回目だというのに、妙に馴れ馴れしい。

 コミュ力というものが数値化されるのならば、平均値を五十としよう。

 この女は限界値を突破して、53万だろう……。

 

 対する俺は『コミュ障』と自認している。

 十九ぐらいだな。だが、時と場合による……。

 俺は曲がったことが大嫌いなんだ。

 だからその時は穏やかで純粋な心を持つ俺は激しい怒りで『スーパーコミュ人』へと変身してしまう。

 

 

「初日から遅刻とはいい度胸だな、新宮!」

 

 おーい、新宮さん~ 呼んでるよ?

 辺りを見回すが、俺の周りには誰一人としておらず、目に見えるのは校舎の前で駐車している車や、舞い散った桜の花びらがアスファルトを埋めているだけだ。

 

 俺がとぼけていると、女が俺の頭をガッシリと掴み、握力をかける。

「い、いだい……」

「新宮……お前、本当にいい度胸しているよなぁ」

 その目は百獣の王が草食動物を狙っているそれと同じだ。

 

「いえ……俺にそんな鋼のメンタルは持ち合わせていませんよ」

「いやいや、その歪んだ性格は私のお墨付きだ」

「俺ほど真っ当に生きているティーンエイジャーもいませんよ?」

「ふん! 可愛げのないやつだな。もうお前以外、既に集まっているぞ。こうやって若くて美人のセンセイがお前を待ってやっていたんだ。光栄に思え」

 と言いつつ、女の握力は増すばかり。あんまりだ。

 

 この女……以前のご職業はSMの女王様なのでしょうな。

宗像(むなかた)先生、暴力はいけませんよ。昨今、生徒に対する体罰は問題視されていると聞きますが……」

 俺が歯向かうと、自称美人教師の宗像先生は力を更に強めた。

 頭蓋骨が軋む音がする……俺は今日、死ぬのか?

 

「嫌だな~ これは可愛い生徒に対するスキンシップってやつだろ♪」

 といってウインクした。

 きっしょ! ホルスタイン女めが!

 

「わ、わかりました……遅くなったことは謝ります……。と、とりあえず、そのお手を放してから入場させてください……」

「お! 学生らしい良い返事だな。大変よくできました♪」

 ……と、満面の笑みを放っているが、俺の頭蓋骨に対する握力が弱まることはない。

 

「せ、先生? 俺、入りますから手を放していただけないと……」

「な~にを言っているんだ? 担任の私も入るんだからこのままでいいだろうが?」

 不敵な笑みで俺を見下している。

 悪魔だ! 児童虐待だ! あ、青年か?

 

「つべこべ言わずにさっさと入れ!」

 

 宗像先生はまるで俺をゲーセンのUFOキャッチャーの景品のごとく、片手で軽々持ち上げて、ポイッと会場内に投げ込んだ。

 

「うわっ!」

 

 俺の身体は会場内に投げ込まれるとボールのようにコロコロと転がり、途中柱にぶつかると静止した。

 漫画のように頭と両脚で4つん這い(3つん這いというべきか?)になり、お尻だけが宙に浮いているような状態だ。

 

 これが世にいう『リアル尻だけ星人』とでもいうのだろう。

 

 気まずい……なんという高校デビューなのだろうか。それもこれも全部『アイツ』のせいだ。

 『アイツ』とは先ほどの宗像先生のことではない。

 この学校入学を薦めた、クソ編集部のロリババアのことだ。

 忌々しいロリババアのことはまたいずれ話そう。

 (ムカつくから!)

 

 俺が脳内フリーズしていると足音が近くなる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 そう手を差し出したのは、一人の少女だった。

 所謂、ナチュラルボブでめがね女子。ザ・素朴。俺のセンサーではコミュ力は三十五といったころか。

 着ている服は、白いブラウスに紺色のプリーツの入った膝丈スカート。

 まるでJKの制服だな。この高校は私服が認められているのに……なぜだ?

 だが、リア充ではあるまい。安全牌だ。

 

 さっきまでSMプレイを強要されていた俺には、女神のように見える。

 差し出された手を取り、俺が「ありがとう」というと少女は「どういたしまして」と女神の微笑みを見せてくれた。

 暴力教師、宗像よ……見習え! (切実な願いさ)

 

 初回からトラブル続きのスクールライフをおくるのに戸惑う俺は頭を掻きながら、女神少女の隣のイスに座った。

 イスに座ることでようやく会場内を一望できた。

 外から見ると小さな建物ではあったが、意外と中は広く感じる。

 壁一面に紅白幕がかけてあり、中央には『ご入学おめでとうございます! 教師一同』

 なんか見てるだけでこっちが恥ずかしくなる。たかが高校の入学式なのに。

 会場内は宗像先生の言った通り、新入生、保護者、教師、来賓の方々……みんな全員集合! といったところか。

 既に全員着席済みときたもんだ。

 

「おい! 新宮!」

 またお前か……宗像。

 

「今度はなんですか?」

「お前の席はそこではない! お前のは、ほれ……一番前の席だ!」

 なん……だと!

 コミュ力、十九の俺に一番前の席とはなんたる羞恥プレイか!

 

「マ、マジっすか……?」

「マジだ」

 

 宗像先生はまた俺の頭を片手で掴むと、一番前の席まで持っていかれた。(モノ扱い)

 確かにそのイスには俺の名前が書かれていた。

 宗像先生が「な?」と言いつつ、俺をゴミのようにイスにポイッと捨てた……。

 

 

 先生はため息をつきながら、壇上の隣り、おそらく司会と思われる机の前に立ち。

「あー あー、テステス……」

 ふむ、なんか懐かしい光景ですな。

 

「では、全員揃ったところで、今から、第31回、一ツ橋高校、通信制コース。春期入学式を始めます」

 

 そうコミュ力が底辺クラスの俺には通信制高校で十分だ。

 俺には全日制など程遠い。



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4 謎の美少女(挿絵あり)

 

 そう俺ぐらいのコミュ障は全日制などほど遠い。

 何が楽しくて、やかましい教師とリア充の級友、それも年下の少年少女たちと共に、三年もの時を無駄にせねばならぬのか?

 

 通信制ならば、二週間に1回のスクーリングと呼ばれる対面授業だけでいい。

 それ以外は毎日公式のラジオ放送を聞きながらレポートを書き、ポストに投函すれば、あとは人と出会うことなどないのだ。

 

 そうだ、先ほども述べたように俺は選ばれた天才であり、リア充が巣くう学校などという枠に収まる人間ではない。

 などと、俺が持論を心の内で語っているうちに、入学式は着々と進んでいき。

 司会の宗像先生が「全員起立! 校歌斉唱!」と言い放った。

 

「え? 校歌?」

 知らんがな、そんなもの。だって、聞いてないもの……。

 とりあえず俺も皆を真似て立ち上がる。

 

 視線を式のプログラムに合わせると校歌があった。

 まあ真面目な俺はとりあえず、周囲に聞き取れないような、かすれた声で歌って見せた。いわゆる、口パクに近い。

 

 隣りの席を見ると、真面目な俺とは対照的にやる気のなそうな、(ここは同じか)一人の少女がいた。

 てか、全然歌ってねぇ!

 俺だけ真面目に歌って、バカみたいじゃない?

 

 やる気のない少女は小柄で金髪、肌は白く華奢な体形で宗像先生とは大違いなほどに貧乳、いや絶壁ともいえよう。

 長い髪を全て首元で結い、纏まらなかった前髪を左右に垂らしている。

 

 「くだらない」と言った目で、だらしなく立っている。

 入学式だというのに、肩だしのロンT。中にはタンクトップが見える。そして、ショーパン。

 この俺も背が高い方ではない。一七〇センチもないほどなのだが、彼女は小柄すぎて胸が見えそうだ。

 正直いって俺のどストライクゾーンだ。貧乳、マジ大好き。

 俺が下心丸出しで彼女を見下ろしていると、やましい視線に気が付いたようで、目があってしまう。

 

 なんということか、俺はギャルか、ヤンキーなどの類だと思っていたが、この娘は違う。

 外国人かハーフというやつだろう。

 その瞳はエメラルドのように透き通った色で、美術館に飾りたいほどに美しい。

 小柄、色白、華奢な体形、天然の金髪、緑の瞳、そして、貧乳……。

 最高かよ。

 なにこの娘? 天使? リアル天使なの?

 いや~、高校も捨てたもんじゃないですね。

 

「てんめ……なに、さっきからジロジロ見てんだよ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その天使ちゃんは押し殺した声で俺を脅した。

 前言撤回。こやつはやはり、リア充グループであり、俺のセンサーではコミュ力、1万を超えているぜ。

 しかも、言い回しからしてヤンキーなのだろう。

 

「すまない……」

「フンッ!」

 

 ツンデレなのか……。ヤンキーですが、これも中々に萌えますな。

 

 そうこうしているうちに、地獄のような入学式は終わりを迎えた。

 学校関係者や保護者たちが退場していく。

 俺も帰路につこうと、立ち上がろうとするが、宗像先生に呼び止められた。

 

「新宮! まだ帰るなよ! 今から生徒たちは別室で説明会をする」

 

 げっ! まだ終わんねーのかよ……。



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5 説明会

 

 入学式が無事に終わったかと思うと、どS先生の宗像教師に呼び止められた。

 今から説明会があるそうだ。

 宗像先生の案内のもと、会場から校舎に移動させられた。

 入る前に「本校の玄関だ」と宗像先生は言う。

 

「これが?」

 

 学校の玄関と言うにはあまりにも狭く、ただの引き戸式の扉で我が家のベランダのそれと同じやつ、いやそれよりもボロい。

 これって裏口でしょ?

 

 続いて「これがお前らの使う靴箱だ」と歩きながら指差す。

 超ちっせーし、ボロボロ。恐らく金属製なのだろうが、ところどころ錆びている。

 靴箱を抜けると、小さな部屋の前で足を止めた。

 入口のプレートには『自習室』とある。

 

 宗像先生が「この教室は全日制コースの生徒が普段使っているのだが、三ツ橋(みつばし)高校の校長の好意で貸してもらっている」と説明。

 貧しいのね、お宅の学校。

 

「通信制コースだけが校舎を使っているわけではない。全日制コースの生徒も利用している。迷惑をかけないようにしろ」

 全日制ってそんなに偉いの? いじめに近いぜ……。

「それからすぐ上の事務所だけが我が一ツ橋高校が所有するものだ」

「貧乏すぎ……」

 俺が微かな声で呟くと宗像先生がそれを聞き逃さない。

 

「新宮! 何か文句があるなら大きな声で話せ!」

「いえ、滅相もございません」

 宗像先生が怒鳴り声をしかける。こうかはばつぐんだ!

 どこからか失笑が聞こえる。笑いたいやつは笑え。

 

 『借り物』の自習室に各々が入っていく。

 

 俺はそこで1つ気が付いたことがある。

 遅れてきたから他の生徒を見ていなかったのだが、全員、私服だ……。

 いや俺だけスーツとかバカみたいに浮いてるじゃん……。

 

 イスに座って、辺りを見渡すと、明らかに二極化されている。

 教室の真ん中から分断され、非リア充(オタク、根暗)とリア充(ギャル、ヤンキー)

 陰と陽のように対となしている。

 

 俺はその丁度、境界線。分断される席についた。(そこしか空いてなかった)

 つまり非リア充派とリア充派の境目に座っているのだ。

 居心地が悪いったらありゃしない。

 

 宗像先生が教壇につき書類を配り終えると、説明を始めた。

「えー、これでお前たちは晴れて本校に入学できたのだが……皆には伝えておかねばならないことがある」

 ドSな宗像先生が、更に鋭い目で俺たち生徒を睨みつける。

 

「お前らはバカだ! だからシンプルに2つしか言わん!」

 

 え? この人、今バカって言った?

 俺たちついさっき入学したばっかだよ?

 成績も出てないのに、バカにされちゃったよ……ウケる~!

 

 

「1つ、喫煙を認める! 2つ、レポートは絶対に貸し借りするな! 以上!」

 俺は一瞬、この教室。いや生まれ故郷である福岡から飛びぬけ、大気圏さえも突破するほど、頭が真っ白になった。

 レポートの件は良いとして、喫煙って……俺たち未成年やん。法律で禁止されてますがな。

 

「お前ら半グレのようなやつらは約束を守らん! なので、最初から約束を破ってやる! こっちからな!」

 人間不信にも程がありますよ、先生……。

 それにちょい待て! 半グレって俺たち非リア充ってコミュ力は低いけど、基本真面目でしょ?

 一括りにしないでくれる?

 

 

「お前らバカどもは何回言っても、隠れてタバコを吸う! 特にトイレだ!」

 あー、確かに駅とかで大きな方してる時、隣の個室から臭うよね……。

 ウンコしながら吸っては吐いての繰り返し。正直、タバコよりもウンコ吸ってない? って思うけど。

 

「いいか! 本校、一ツ橋高校に校舎はない。あくまで全日制コースの三ツ橋高校の校舎を借りているに過ぎない」

 やっぱ、金がないんじゃん。俺が卒業する前に潰れるんじゃないのか?

 入学金を自分で払っているんですけど。返金制度とかありますかね……。

 

「よって、お前らが隠れて吸うたびに、吸い殻が校舎に捨てられている。スクーリングの度に私が三ツ橋高校の校長に叱られるのだ! それだけは絶対にイヤだ!」

 なんか私情がめっちゃ入り込んでない?

「だから喫煙所を設けている。この自習室の窓から見えるだろう」

 と、先生が窓を指差す。確かに外には手書きで『喫煙所 絶対にここで吸え! by宗像』とダサい看板がある。

 その下には恐らく灰皿代わりなのだろう。ペンキ缶らしきものがあり、隣にはベンチがある。

 

 

「レポートも写してはいかんが、タバコだけはちゃんと決められた場所で吸え!」

 なにここ? 俺、来ちゃいけない所にきたの?

「あと、スクーリングには絶対に来い。ちゃんと来ないと単位をやらんぞ」

 あれ? 今の3つ目じゃない? 先生もバカなの?

 

「では、ここまでで質問があるものはいるか?」

 宗像先生がそう言うと、辺りは静まり返った。

 

 俺は周りを見渡すと非リア充派は『タバコ』というワードで縮こまっている。

 対して、リア充派は宗像先生の話自体聞いておらず、各々がスマホを触ったり私語をしたり、居眠りまでしている。

 

 ここは動物園だ。

 ヤバい、ヤバい、間違いなくヤバい!

 入学先を間違えた。クソ編集の『ロリババア』がここを薦めたから入ったのに、まるで人間として扱われてない。

 やはり俺のような非凡な人間は『あの場所』に還るべきだ。

 

 

「質問、いいっすか?」

 俺の隣りにいた席から手が挙がった。入学式で隣りにいたヤンキー少女だ。

 少女は宗像先生を真っすぐな目で見つめている。

 入学式ではやる気ゼロだったのに、初日から質問とは勇気あるな。やっぱツンデレ娘じゃないか!

 

「なんだ?」

 宗像先生が問うと、少女は黙って席を立ち、教壇にいる宗像先生の前まで歩み寄った。

 その姿はとても堂々としており、ヤンキーでなければ、天使の行進といったところか。

「あの……」

 先ほどの威勢はどこに行ったのか。か細い声で先生に耳打ちする。

 なるほど……天使さまの聖水かな。

 

「はあ!?」

 驚きと共に宗像先生が顔をしかめる。

「ったく、これだからお前らは全日制コースに通えないんだ……」

 ん? どういうことだ? おしっこしたらあかんのか? それともウンコなのか?

「コイツが言うには今タバコを吸いたいんだと」

 ファッ!

「いいぞ、吸ってこい……」

 先生は呆れた顔で少女を手で追い払うように、喫煙を促す。

 少女は宗像先生のことなど気にせず、タバコを片手に自習室から出て行った。

 

 続けて、先生は「他にもタバコ吸いたいヤツいるか?」と生徒に尋ねると、「俺も私も」と生徒の大半が教室から出て行った。

 ま、リア充グループだけだがな!

 

 俺はバカバカしくなっていた。

 なんのために、行きたくもない高校に願書を出し、親父からスーツまで借りて入学式に挑んだのか。

 つくづくこの学校に嫌気がさす。

 

 本当にこんな高校で三年間もやっていけるのだろうか?

 そう思うと俺は席を立っていた。

 

「なんだ? 新宮、お前もタバコか?」

 疑いを俺にまで向けられたことに腹が立つ。

「違いますよ……お手洗いです!」

「ハハハ、そりゃそうだろな! お前にタバコは似合わんからな!」

 

 嫌味のつもりですか?

 ワロスワロス。



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6 出会いは突然に

 

 悪魔のようなニコニコチンな説明会に呆れた俺は、自習室をあとにする。

 

「まったく、クソみたいな高校だ」

 

 教室を出る際、宗像先生にトイレの場所を尋ねると、「中央玄関の隣り」だという。

 

 この一ツ橋高校、いや三ツ橋高校の校舎は三階建て。ちょうどアルファベットでYの形をした校舎で、中央玄関を点にして、3つに分かれている。

 

 北西が特別棟、理科室、音楽室、美術室、パソコン室などの実習室。

 北東が部室棟、主に部活動する際に利用される。

 南が教室棟。平日は三ツ橋高校の生徒の教室であり、休日に俺たちがスクーリングに使う場所だ。

 可も不可もないただの教室だらけの平凡な棟。

 

 

 南側の教室棟は春だというのに肌寒く感じる。スリッパを履いていても床の冷たさを感じる。

 中央玄関の曲がり角が、トイレだ。

 だが、その前に誰か立ちふさがる。

 

「おい、おまえ!」

 甲高い声が俺を呼び止める。

 

「おまえ、さっきオレにガン飛ばしてただろ?」

 そう俺に詰め寄ってきたのはさっきのヤンキー少女だ。

 しかも『オレっ子』キャラか、濃いキャラ立ちだな。

 

「なんのことだ?」

「とぼけてんじゃねーよ! てめえ、式の時も教室でもオレを睨んでただろ!」

 は? この娘は電波系ですか?

 

「いやいや、なんで俺が君を睨まないといけないんだよ? そもそも俺に何のメリットがある」

「メリット!? なんだそりゃ!」

 え? 今ので伝わらない? シャンプーじゃないよ?

「だから俺は君を睨んだりしてないし、君に敵意を向けたつもりはないよ」

 ヤンキー娘は「ぐぬぬ」と俺の言葉にイラついているように見えた。

 まるで腹をすかせた子猫のようだな。かわいいぜ、ちくしょう。

 

「じゃあ……じゃあ、なんでオレの方を見てた!」

 え、自意識過剰なの? そんなに自分のこと「ワタシってカワイイもん☆」とか思っちゃっている子なの?

 残念だな~ 俺、そういう女の子嫌いなんだよね……。

 

 しかし、「なぜだ?」そう言われると確かにそうだな。

 ここは答えてやらねば、俺もこいつも白黒ハッキリできんよな……。

 1回しか言わんからな……。

 

「かわいいと思ったから」

「……」

 

 一言。

 俺はある種性癖を暴露するかのような羞恥プレイを楽しむ。

 ヤンキー娘は黙り込む。

 顔を赤らめて、身体をプルプルと震わせている。

 フッ、やはり俺のような天才はこんなツンデレ娘に惚れられる運命なのか。

 

「オレは……」

 彼女は必死に何かを言いたげそうにしている。

 

「は?」

「オレは……」

 オレオレ詐欺にでもあったのかな。

 

「だからなにが言いたい?」

 

「オレは……オトコだぁぁぁぁぁ!」

「へ?」

 

 刹那、彼女は色白で細い手が拳をつくると、俺の顔面めがけて奇麗なストレートパンチをお見舞いした。

「ふんげっ!」

 

 少女のパンチはその華奢な体形とは思えないぐらい、強烈だった。

 小さな拳からはまるでトラックが衝突してきたかのような威力だ。

 俺は倒れながら人生で初めて鼻血を体験した。いや、殴られたこともない、親父にだって!

 入学式と同じく、床に転がり、またケツを頭にした例の『3つん這い』になる。

 ケツだけぶりぶり~♪ 誰か笑って……。

 

 視界がグラグラと揺れる。床に座りなおすことはできたが、未だに立ち上がることはできない。

 それでも、俺は憤りを堪えることができず、相手に牙を向く。

 

「な、なにをする! 初対面の人間に向かって!」

「うるせぇ! お、おまえがオレに……オレにか、かわいいとか言いやがるからだ!」

「かわいいと思ったことが何が悪い!」

 だが本当にこいつが男だとは思えない。声も女のように甲高いし、見た目は百パーセント、女だ。

 

 そう俺だけがそう見えていたのかもしれない。

 こいつはまごうことなき、男子だったのだ。



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7 赤髪のギャルとハゲ

 

「おまえ! もういっぺんいってみろ!」

 少女のような少年は顔を真っ赤にして激昂している。

 

「だから、かわいいって思ったことが何が悪いんだ?」

「この……」

 拳を振りかざしたその瞬間だった。

 

 

「ミーシャ、こんなことでなにやってんのよ♪」

「おいおい、ミハイル。お前、初日からケンカかよ? 退学すんぞ」

 

 

 片方は赤色に染め上げた長い髪を右側で1つに結んだミニスカギャル。

 スカートの丈がミニすぎる。

 床に腰を下ろしている俺からはチラチラと言うよりはパンモロだ。

 

 もう片方は対照的に髪の毛一本もないスキンヘッド。ガチムチなマッチョで老け顔。

 四十代ぐらいに見える。

 

「ミハイル、こいつ。ヤンキーじゃねーだろ? ダメじゃないか。カタギに手出しちゃ……」

 カタギってあんた……。

「うるせー! こ、こいつはオレのことを……」

「なんだ? ケンカでも売られたのか? そんなヤツには見えんけど」

「それはその……」

 と言って顔を赤らめる。

 いやもう男と分かったからには、俺は萌えないよ。

 

「あんちゃん、大丈夫かい? ほら」

 と言って、俺に手を差し出す。

 あれなにこのデジャブ。なんか今日で2回目じゃない、手を貸されるのって?

 

「あ、ありがとうございます……」

「ハハハ、敬語なんていらねーよ。タメ口でいいっての!」

 そう豪快に笑うハゲは頼もしささえ感じる。

「いや、でも年上の方は敬ないとですね……」

 俺がそう言うと赤髪ギャルが吹き出す。

「年上って! あんたこそ、年いくつ?」

 お前がタメ口かい!

 

「俺は十七だけど」

「あーしもこのハゲも十七だよ」

 と言って腹を抱えて笑っている。

「リキ。あんたがハゲてるからだよ!」

 いや、ハゲは関係なくて老け顔のせいだと思いますけどね。

「ああ? ハゲてねーよ! 俺は剃ってるって言ったろが!」

 タコがゆでダコになる……。

 心中お察しいたします。

 

「まあいいや、俺は千鳥(ちどり) (りき)。そんでこっちのバカ女は花鶴(はなづる) ここあ。そんでお前さんは?」

 いや聞いてもないし、なんなの。この身勝手な暴力からの自己紹介タイム。

 あのパンチはヤンキーになるための通過儀礼なの? 俺、ヤンキーとかなりたくないよ?

 

「俺は新宮。新宮(しんぐう ) 琢人(たくと)です」

「だからタメでいいってんだろ」

 そう言って俺の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。

「はぁ……」

 俺のセンサーではハゲの千鳥がコミュ力、2万5千。

 ギャルの花鶴が3万といったことろか。

 

「ねぇ、琢人ってさ。オタクでしょ?」

 花鶴はニタニタと意地悪そうな顔で俺を見る。

 てか、女子に初めて下の名前で呼ばれたわ。惚れちゃいそう。

「まあオタクとは自覚しているな」

「じゃあさ、今度からオタッキーね」

「それ悪口だろ。やめろ、断る」

「ダメダメ、もうあーしは決めたんだからさ♪」

 決めたんだからさ♪ じゃねー。返せよ、俺の純情。

 

「いや、俺もオタッキーには反対だな」

 なんか嫌な予感。

「俺が思うにオタクで琢人だろ? タクオでいいだろ?」

 よくねー。なんかもっとランク下がっている気がする。

「人の外見で遊ぶな。怒るぞ」

「ハハハ、お前。いい度胸してんな」

「それはこっちのセリフだ」

 なぜ俺は非リア充でありながら、ヤンキーやギャルとトークをしているのだろう。

 こいつらのコミュ力は半端ない。その力が要因か。

 

「そうだ、肝心のこいつを忘れてたぜ。タクオを殴った張本人」

「……」

 未だ女男は顔を赤らめて、うつむいている。

 

「おい、ミハイル。自己紹介して仲直りしろよ?」

「そうだよ、ミーシャ。オタッキーもこれからウチらと同じ高校じゃん」

 いや、一括りにしないで。

 

「……」

「しゃーねーな」

 そう言うと、千鳥は女男の頭を無理やり、下げさせる。

「悪かったな、こいつの名前は古賀(こが) ミハイルってんだ。年は俺らより二個下でまだ十五。これから三年間よろしくな!」

「……」

 黙ってうつむいている。

 こいつもコミュ障なのか?

 

 咳払いして、改めて挨拶した。

「俺にも不手際があったかもしれない(知らんけど)。その事については謝罪する」

「いいってことよ!」

「そうそう、あーしらクラスメイトじゃん!」

 コミュ力たっけー。

「とりあえず、よろしく」

 依然として古賀 ミハイルは顔を赤らめたまま、床を見ている。

 床が友達なのかな?

 笑う千鳥と手まで振ってくれる花鶴を残して俺は教室に戻った。

 そこでやっと気がついた。

 

「トイレ、行き忘れた……」

 こうして、俺の最低最悪の入学式。

 高校生活がはじまったのだ。

 

 

 一ツ橋高校を後にした俺は駅のホームでクソ編集部の『ロリババア』に電話した。

 忘れているかも知らんが、一応俺はライトノベル作家。

『ロリババア』とはこの動物園(一ツ橋高校)を薦めた張本人であり、凶悪犯だ。

 怒りでスマホを持つ手が震えていた。

 しばらくベル音が聞こえはするが、一向に出ない。

 

「クソ、あのロリババアめ!」

 

 俺はメール作成画面に移り『クソ編集、騙しやがったな』と送る。

 するとすぐに返信があり『センセイ、ご入学おめでとうございます! センセイが高校とか、草生える』とあった。

 電話を無視したことにイラついた俺は『お前の身体(特に股間)には草は生えないだろ?』とディスる。

 

 よし、明日にでも退学しよう。



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第二章 壊れたラジオ
8 夢見る少女☆ じゃなかった少年。


 

「ね~え、タッくん……タッくんてば……」

 目の前には一人の少女がいる。

「たっくん、起きてよ☆」

「ああ、ミーちゃんか……おはよう」

 俺がミーちゃんと呼ぶ彼女は緑の瞳を輝かせ、金色の髪はポニーテールにして大きな赤いリボンでまとめている。

 しかも、かわいらしいフリルのエプロンをかけている。

 これで猫耳つければ、最高かよ。

 

「おはよ☆ 朝ご飯できたよ?」

「もうそんな時間か」

「顔を洗っておいでよ。私、リビングで待ってるね☆」

 そう言うと彼女は俺の頬に軽くキスをする。

 

「お、おう……」

 俺は戸惑いながらも、言われるがままに歯磨きと顔洗いを済ませ、リビングに着く。

 

「うん! スッキリしたね☆ 今日もタッくんはタッくんだね☆」

「そういう君はミーちゃんだな」

「「ふふふ」」

 見つめあって互いを確認するとイスに座る。

 

「今日もあっついね~」

 そう言って彼女はエプロンを隣りのイスにかけると、胸元があいたキャミソール姿になった。ちなみにイチゴ柄。

 パタパタと襟元で仰ぐ。その度に透き通った美しい白肌が垣間見える。

 もう少しで胸が見えそうだ。

「……」

 俺が呆然と彼女を見つめていると、「タッくん、早く食べないとお仕事遅れちゃうよ」と朝食を早くとるように促される。

 

「あ、いただきます」

「どうぞ☆」

 テーブルに並べられたのはホットサンド、サラダ。コーヒー。

 ホットサンドに手をつけると、俺好みの卵の味付けだということがわかる。甘いやつ。

 

「おいしい?」

 彼女は俺のことを愛おしそうに両手で頬づいて眺めている。

 

「ミーちゃんは食べないのか?」

「私はあとがいい」

「なんで?」

「だって、タッくん。今からお仕事でしょ? 帰ってくるまで長いこと会えないじゃん、寂しいから目に焼き付けときたいの」

「そ、そうか……」

 

「ほら……ケチャップついてるよ」

 ミーちゃんは俺の口元からケチャップを細い指で拭う。

 それを自身の桜色の唇に運んだ。

「間接キス☆ って、もうこんなのじゃときめかない?」

「……」

 

「ねぇ、タッくん……私のこと、今でも愛している?」

「もちろん……だよ、君ほどかわいい子はこの世で見たことがない」

「もう!」

 そう言うと彼女は頬をふくらませた。

「なんだ?」

「なんだじゃないでしょ? 私の質問に答えてない! もう一度聞くよ? 私のこと愛している?」

 むくれる彼女に俺は苦笑する。

「すまない……言い忘れていたよ。俺はミーちゃんを世界で一番愛している」

「嬉しい☆」

 そう言うと彼女はテーブル越しに俺の唇を奪った。

「ん……」

 

 

 

「だぁぁぁぁぁ!」

 なんだ今のクソみたいな夢は!?

 俺がなぜ、あんなやつと……。

 あいつは……あいつは、まごうことなきヤンキーで正真正銘の男の子!

 古賀(こが) ミハイル。

 俺は「やりますねぇ~」の動画を見すぎた影響が出たのか? と自身を疑った。

 

 

 スマホを見ると午前3時を示していた。

 もう少しでアラームが鳴るところだ。

「仕事、行くか……」

 俺はアラームを解除すると、簡単に着替えを済ませ、家族を起こさないように静かに家を出た。



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9 夜明けの仕事

 

 先ほどまで見ていた悪夢を振り払うかのごとく、自転車のペダルを力いっぱいこぐ。

 なんで、あいつなんかが夢にでるのかね……。

 古賀 ミハイルか。

 正直、今まで俺はノン気だと思っていたのに、まさか両刀使いではあるまいな?

 いかんぞ、琢人。あれは女のように見えるが、ただの男だ。

 認識を改めよ!

 

 

「おはようございます」

 店に入ると、既に何人かの同僚が支度を済ませて、バイクを店から出していた。

 

「おはよう、琢人くん。昨日は入学式だったんだろ? どう、可愛い女の子とかいた?」

 期待を膨らませた『毎々(まいまい)新聞』真島(まじま)店の店長が言う。

「いやぁ……」

 

 一瞬、脳裏にあいつが浮かんだ。

 古賀 ミハイル……確かにあいつは俺が出会った人生でどんな女の子よりもかわいかった。

 天使だ、天使すぎる男の子だ……。

 そんなグレーゾーンな輩は俺の性格が認めることなどないのだよ!

 

「店長……尋常ないぐらいのバカ学校で、ブスばかりでしたよ」

「そ、そう……」

 店長の苦笑いが辛い。

「で、三年間やれそう?」

 そう言いつつ、店長はぎゅうぎゅうに丸めた新聞紙の束をバイクの荷台に積んでいる。

「どうですかね……」

 俺は視線を店長からバイクにそらす。

 

 この毎々新聞の真城店でお世話になって、早6年。

 小学校4年生にして、この世に絶望し「学校なんて俺にはいりません!」と豪語し、まだ白髪の少ない店長にせがんだ。

 店長はあの時「君が学校に行きたくなるまで責任をもって預かるよ」と優しく頭を撫でてくれた。

 いつだって俺の味方でいてくれた。登校刺激もしないし、「うんうん」と俺の話を聞いてくれる恩人だ。

 

「だってさ、僕もずっと思ってたんだよ……琢人くんを小さいな時からここで預かってはいるけど、このままでいいのかな? ってさ」

「なにがです?」

「琢人くん、中学校だってろくに通わなかったでしょ? 正直、休日に映画ばかり見に行く君がね……僕は責任感を感じてしまうんだよ」

 いや、映画館はリア充も行きますよ? 映画を責めないでくださいますか?

 

「……」

「君が小学生の時、この店に来て以来、頑張っているのは知っているよ。けど、同じ年代の子たちは毎日学校に行って、友達と勉強して、帰りなんか天神(てんじん)とかで遊んじゃってさ……」

 最後の言葉に引っかかる俺は、すかさずツッコミを入れる。

 

「天神なら俺もよくいってますよ」

「いや、それって“もう1つ”の仕事でしょ?」

 もう1つの仕事とは小説家のことだ。

 相変わらず的確なツッコミ返しだ……俺は幼いころからこの人のことを掴みづらいところがある。

「それは否定できませんが……」

 

「僕はさ……高校いけてないんだよ」

「店長って中卒だったんですか?」

 教養のありそうな喋り方をするのでてっきり大学までいっているのかと思っていた。

「うん、僕の父が病で倒れてからはこの店を手伝ってさ……恋愛だってろくにできなかったよ……」

「でも、奥さんもお子さんもいらっしゃるじゃないですか?」

 そう言って、店長の自宅でもある、店の二階を指してみる。

「ああ、それはね……」

 そう言うと店長は少し遠い目で、どこか寂しそうに語る。

「実は僕、お見合い結婚なんだよ」

「はぁ……」

「別に妻のことも愛しているし、子供も生まれて幸せだけどさ……」

 それってリア充じゃないのか? なんだ自慢か?

 

「ならいいじゃないですか? 俺もいつかは……とか思いますけど。別にお見合いでも良くないですか?」

「でもさ……君みたいな若い男の子がこう、なんていうかさ。勿体ない気がするわけだよ」

 いや、なんか今日の店長えらく語っちゃってるし、俺の存在もすんげー可哀そうなやつになってるよ?

「青春は1回しかない……そんな気がするんだ。だから君には取り返しのつかないように、高校生活を楽しんでほしいよ」

 

 おっかしいな~ これって何かのフラグ?

 俺は入学式の帰り際。駅のホームでクソ編集のロリババアとメールのやり取りを終えたあと……。

 退学しよっと♪ てへぺろ☆

 みたいな感じで決心してたはずなのに、なんでバイト先の店長にここまでガチガチにマウンティングされているの?

 

 

「店長のお気持ちはありがたいです。ですが、俺は……この新聞のように物事をなんでも白黒ハッキリさせないと落ち着かない性分でして……昨日も入学した高校のバカさ加減に呆れていました。正直、動物園ですよ、あそこは」

 いや、マジで。

「フフ、バカだろうと動物園だろうといいじゃないか。はい、バイクの準備OKだよ」

 そう言って店長がバイクを外に下ろす。

 なんかこのまま「君の高校生活は僕が逃がさない!」てな感じになってない?

 ここは丁重にお断りすべきだ。

 

「俺はあんなところ、絶対にイヤです」

 それを聞いた店長がニッコリと俺に微笑みかける。

「顔を見ればわかるよ。何年君を見ていると思うんだい? だからこそ、僕にはわかる」

 店長は嬉しそうに語る。

「え?」

「入学前の君とは顔つきが違うんだよ。なんだか嬉しそうに見えるよ、僕には」

 そんな人の顔でなにがわかるんだ?

 能力者とでも言いたげだな。

 一時期流行ったよな、俺の右目には邪眼がっ! とか……。

 

「俺の顔がうれしそう……?」

「うん」

 店長は「次は君の番だよ」と微笑むと、バイクの鍵をまるでバトンのように手渡す。

「じゃあ気をつけていっておいで」

「はい、いってきます」

 

 俺はアクセル全開でバイクをぶっ飛ばす。もちろん法定速度でな。

 なんなんだ、みんながみんな。俺をまるで『可哀そうなヤツ』みたいな扱いしやがって……。

 立派な社会人だし、小説家だし……。

 べ、別に収入だってあるんだからね!

 

 そんなに人格破綻者に見えるか?

 友達だって、小学……三年生まではいた……よね? 記憶が曖昧すぎる。

 

 恋人だって、きっと俺の小説がアニメ化さえすれば、アフレコ現場に取材して可愛いアイドル声優に出会い、『先生の大ファンなんです! 抱いて!』と迫れて、今流行りの『授かり婚』も乙な生き方だろう。

 

 まあかく言う俺はそんな不作法な真似はしない。

 ちゃんと声優とSNSで匂わせてからの結婚して、子供を三年後に生むのがベストだ。

 なぜ三年も空白がいるのかというとだな。

 声優の嫁さんとイチャイチャする時間がないだろ?

 子供にとられるまでは俺のもの!

 そう、最高な人生計画、明るい家族計画。

 すべては俺のシナリオ通りなのだ。

 

 

 だから……みんな。そんなに俺を憐れむような目で見ないでくれ。

 俺は今までだって一人でなんでもやってこれた。それなりに楽しめていた。

 あんな動物園だけは絶対に嫌なんだよ。



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10 壊れてないこのラジオ? 11 リアルJK 赤坂ひなた

10 壊れてないこのラジオ?

 

「そろそろか……」

 スマホで時刻を確認すると、『19:00』

 衛星放送でラジオを流しているらしく、自宅にバカでかいアンテナが送られてきた。

 それをテープに録音したり、聞くことで毎日の授業となるらしい。

 これまたアナログなこって。

 

「ったく、なんでこんなおもしろい番組ばっかやっているゴールデンタイムに勉強なんだ? 朝、やれよ」

 文句を言いつつ、机の上にはちゃんと教科書とレポートを用意している。

 俺が見るに空欄を埋めたり、選択式の小テストのようなものだ。

 正直、内容も中学校のおさらいに近い。

 入学前にめっちゃ勉強していた俺がバカらしく思える。

 

 放送が始まり、教師らしき男性が棒読みで授業をはじめる。

 声優学校に通ったら?

 

 

「それではレポートの問一がありますね、これは〇〇です」

「え!?」

 まんま答えじゃん!

 その後もほぼほぼ答えを言って三十分の授業は終わり「また来週~」

 

 他の授業も大半がそれ。

 

「……」

 俺は入学式に配られたプリントを出し、説明を読み直した。

 

『入学したバカどもへ、どうせお前らはラジオ自体を聞かないでレポートを他人から写そうとしているのがバレバレだ』

 写すまでもないんですけど。

『とりあえず、何かわからないことやラジオを聞き逃したり、録音できなかったりとトラブルにあったときは一ツ橋高校の事務所に来い! べ、別に毎日来てもいいからな! 私は暇とか寂しいとかじゃないぞ!』

 最後のセリフ、キモッ!

 

 

 翌日、新聞配達を終えた俺はアポなしで一ツ橋高校に出向いた。

 だって、クソだって判明したんだもの!

 

 

11 リアルJK 赤坂ひなた

 

 

 俺はわざわざ、文句だけ言いに一ツ橋高校へと出向いた。

 電車代はもち自腹、返してくれますかねぇ。

 

 今日は平日なので全日制コースの三ツ橋高校は授業中だ。

 俺が私服なもんで、校舎を歩いていると制服姿のリア充どもが「なんだ、コイツ?」みたいな一瞥しやがる。

 一ツ橋高校の生徒だ! という顔で歩く。

 廊下を何食わぬ顔で歩いていると明らかに校則違反のミニ丈JK。三ツ橋生徒とすれ違う。

 いい生足、痩せすぎず筋肉質なところが健康的で素晴らしい。

 

「ちょっと、そこのきみ!」

 

 振り返るとそこにはボーイッシュなショートカットの女子がいた。

 いかにも部活やってますってかんじの活発そうな子だな。

 日に焼けていて、スクール水着とか着せたらエロそう。

 

「え、俺?」

「そうよ、きみよ!」

 きみとかいってけどさ……お前年下だろ? 敬語使え。

 

「なんか用か?」

 俺は「そのケンカ買ってやる」と彼女と真っ向から向き合う。

 ちょっと照れちゃう。褐色で目も大きいし、筋肉質なせいか胸もあまりない。

 まあまあ好みかも~ 貧乳スク水、大好物!

 

「あのね、言いたいことはたっぷりあるわ! あなた、なんで私服で登校しているの?」

 そう来たか。

「俺は三ツ橋の生徒ではない。通信制の一ツ橋の生徒だ」

 すると彼女は顔を真っ赤にして、うろたえる。

「ウ、ウソよ! そう言ってたまに私服で来る生徒とかいるのよ! あなたは風紀を乱しているわ! それに不法侵入とも限らないわ」

 いや、お前のミニ丈スカートの方がよっぽど男子の風紀を乱しているがな。

 

「あのな、俺は暇じゃないんだ……」

 そう言うと、彼女に背を向けた。

「待ちなさい! 証拠を見せなさい!」

 は? 俺は高校生ですけど、男ですけど、股間でも見たいのか?

「なんだ、俺を小学生と疑っているのか? そんなに俺の股間を確認したいのか?」

 JKは耳まで真っ赤になる。

「バ、バカ! 生徒手帳よ!」

「なんだ、そっちか……」

「普通そうでしょ!」

 俺はからっていたリュックから生徒手帳を出す。

 

 まあなんだ、この生徒手帳とやらに俺は長年苦しめられていたのだが、1つだけ有効利用できるぞ。

 映画館だ。今まで大人料金だったからな。学生として割引されるのが最高だ。

 

「ほれ」

「ん~」

 彼女はじっと俺の生徒手帳を見る。

 そんなに人の証明写真見つめないで、惚れちゃいそう。

「あ!」

 思い出したかのように、彼女は姿勢を正す。まるで軍隊のようだな。

「あ、あの! 年上の方とは思いませんでした! 失礼しました!」

 そう言って気まずそうに、彼女はその場から立ち去ろうとしたが、そうはいかん。

 フェアじゃない。

 

「待てよ……お前、俺にだけ個人情報を晒させる気か」

「な、なんのことでしょう……」

 その振り返り方は錆びたロボットだな。油をさしてやるから服を脱げ!

 色々と確認してやる。

 

「お前も見せろ、生徒手帳。俺に“不法侵入”とかいう疑惑を立てたんだ。お前が不法侵入者だったらどうする?」

「はぁ! 私は見ての通り、正真正銘のリアルJKで、三ツ橋高校の生徒ですよ」

「わからんだろ、ただの通りすがりのJKのコスプレをしたおばさんかもしらん」

「そんなやつどこにいるんですか!」

「俺の知り合いでいるんだよ。アラサーのくせして、子供服を平気で着用しているバカ女が」

 バカ女とは度々、劇中に現る『ロリババア』の担当編集のことだ。

「ええ……」

 

 

「まあとにかく見せろ」

「知ってどうするんですか! ま、まさか私のことを狙って……」

 そうやって、胸を隠すぐらいならミニ丈になぞすんな! 男は勘違いしやすい生き物だということ再確認しろ。

 自意識過剰な子だ。こういう子、ダメネェ~ ワタシ、キライネ~

 

「それは違う。不平等だと言いたいのだ。俺だけ見せて、お前が見せないというのがだ」

「は?」

「俺は物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない性分なのでな」

「白黒って……ま、まさか! 私の……見たんですか!?」

 そう言って、ミニのくせしてスカートの裾を少し下ろす。

 白黒のパンツってなんだろ? シマパン?

 

「お前の脳内はお花畑か? 勘違いだ。立場が平等であるべきだろう。俺とお前はコースさえ違えど、同じ五ツ橋(いつつばし)学園の生徒だ。そこはちゃんとしっかりさせろ」

「わ、わかりました……」

 そう言うと、JKはブレザーの胸ポケットから生徒手帳を取り出した。

「ふむ……」

 証明写真の頃はまだロングヘアーか。今のショートカットの方が俺好みだな。

「な、なんですか? もう良くないですか? 長くないですか?」

「まだ見終わってない」

 名前は1年A組、赤坂(あかさか) ひなた……スリーサイズは書いてないよな……。

 

「赤坂 ひなたか、認識した。今度からは気をつけろよ」

 俺がそう名前を呼ぶと、赤坂はなぜかビクッとした。

「は、はい……」

「お前の性格も中々におもしろいな。いいセンスだ」

 一度でいいから言ってみたかった。

「いい……センス?」

 お前も言いたかったのか。

 

「若いのに大した根性だと褒めている。お前も曲がったことが大嫌いなタイプだろ?」

 赤坂は目を丸くして俺を見つめている。

「なんで……わかったんです?」

「この天才、新宮 琢人がそうだからな……」

「そう、ですか……」

 なぜか彼女は言葉を失っている。

 しおらしいところもあるのね……あ、女の子だから聖水か!?

 これは撤収してやらねば! 俺ってばジェントルマン♪

 

「赤坂、お前は女だ。俺のように衝突ばかりしていたら、いつか身を危険に晒すぞ? もうこういうことはやめとけ」

「な、なんで新宮先輩にそんなこと言われなきゃ……」

 年上って分かったからって、先輩呼ばわりすな! 仮にも身分的には同級生だろが!

「忠告はしたからな、じゃあな!」

 そう言って、俺は振り返らずに手を振った。

 やべっ、今の俺って超カッコよくない? 惚れさせてしまったかも?



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12 女教師、宗像 蘭のアメとムチ(挿絵あり)

 

 一ツ橋高校の事務所にたどり着くとノックを2回ほどする。

 奥から「入れ」と女の声が聞こえる。

 

「失礼します」

 

 事務所のカウンターの後ろで、宗像先生は一人背中を向けて座っていた。

 ボロくて汚いマグカップでコーヒーを啜りながら、レポートに目を通している。

 

「おう、新宮か? なんだ、わからないことでもあったか?」

 

 イスを回した宗像先生はこれまた風紀乱しまくりな格好をしていた。

 全身チェックのボディコン、胸元ザックリ、座っているのでパンツもモロ見え。

 紫のレースか……。

 

「わからない? ……このアホな問題がですか?」

 リュックから昨晩書き上げたレポートを宗像先生の机に放り捨てる。

「ふむ……おお、お前頭いいな! 全問正解だ、よくできました♪」

 なんだろう、褒められているのに、この屈辱感は。

 

「あのですね……ラジオで答え、丸分かりなんですよ。ただ、教師が言ったことを空欄に埋めるだけの作業じゃないですか? バカにしているんですか?」

 

 そう言うと、宗像先生は鬼の形相で立ち上がった。

 ピンヒールをはいているせいもあって、男の俺が見上げてしまう。しかもこの人、元々が女にしては背が高いし……。

 

「新宮……お前。文句だけ言いに、わざわざこの私へと会いにきたのか!」

 こわっ! 生徒を恫喝している教師とか、今時いるんすね。

 

「そ、そうですよ。こんなんじゃ、卒業とか楽勝すぎるでしょ。通う意味あるんですか?」

「何が言いたい?」

 彼女の目はどんどん険しくなる一方だ。

「こんなレベルで高校卒業とかありえんでしょ? それに先生は“レポートを写すな”と強調されていたでしょ? 写すまでもないって言いたいんですよ!」

 宗像先生は俺の問いに睨みを聞かせると、何を思ったのか、棚から汚いマグカップを取り出す。

 その汚いマグカップでコーヒー飲ますの? やめて、俺いらないよ?

 

「新宮……本校で一番、大切なものは何だと思う?」

「ん~、勉強?」

「ばかもん」

 宗像先生は棚から賞味期限のシールも曖昧なインスタントコーヒーを取り出すと、お湯を注ぐ。

 うわっ! 腐ってないの?

「ほら、座れ」

 そう言うと事務所奥のソファーに通される。

 どうやらここが、生徒と会話する場所らしい。

 得体のしれないコーヒーを机に置くと、先生はドスンと反対のソファーに座る。

 パンモロってレベルじゃねーぞ。

 

「いいか、お前のはじめての授業は“継続”だ」

「は、はぁ……」

 これって絶対授業とか言いつつ、説教に入るパターンだろ。

「あのな、全員が全員、ラジオを聞ける環境も多くない」

 今時、ラジオなんてどこでもあるだろ!

 

「新宮、お前は恵まれた環境で育っているだろ?」

 恵まれた? 俺が? 小学生でドロップアウトしたこの俺が!?

「そうは思いませんが……」

「まあ聞け。お前みたいな親御さんが二人そろって健在なのが当たり前……ってのが恵まれているんだ」

「でも、だからって……こんな小学生でも解けるような、(というか、ただ書くだけ)問題で卒業させるとか……」

「だからお前は自身を社会人とかいうのだろ? お前自身が特別な存在であって、『俺はあんな不良どもと違う。これでレポート写すとかどんだけバカなんだ』とかな」

 いやそこまでひどいことは考えてませんが。

「まあ俺の言いたいことはだいだいあってます」

「いいか、お前のようにちゃんと義務教育を受けてきたものばかりではないのだ。だからあいつらには……ラジオがないと知識がないのだよ」

 ん? それってどこの国。

 

「この日本でそんなスラム街があるんですか?」

 

「馬鹿者!!!」

 

 その時ばかりは俺も背筋がピンッと立つ。

「吠えるなよ、若造が! お前のように恵まれた環境でぬくぬくと育ったやつには言われたくないんだよ!」

「う……」

「新宮、お前は不良たちを目の敵にしているが、ちゃんとあいつらと正面から向き合ったことはあるか?」

 なんでそんなことをしないといけないんだ、あいつらは犯罪者予備軍だろ! あ、オタクもか。

 

「この俺がですか? あんなめっちゃグレーゾーンなやつらと仲良くできるわけないじゃないですか? それこそ、喫煙だってするし、下手したら無免許に前科だってあるかもしれない連中でしょ?」

 俺の持論に宗像先生の眉間にはめっちゃしわが寄っている。

 しかも感情的になっているせいか、足を開いてガニ股になっており、おパンツどころの騒ぎではなくなっている。

 

「だからどうした?」

「……俺は真面目でやってますし、物事を白黒ハッキリさせない性分なので奴らとは相容れない立場といいますか……」

「それだけか?」

「はい……」

 宗像先生は不味そうなコーヒーをがぶ飲みすると、ため息をついた。

 

 

「お前、親がいない子供のことを考えたことあるか?」

「それは……なかったです」

「いいか、あいつらだって最初からワルだったわけではない。お前と一緒で何かにぶつかって挫折したにすぎない」

「……」

「もし本校がなくなってみろ? あいつらはどうなる? 行き場を失い、更生するチャンスも持てないだろ?」

「そんなのは甘えでしょ? 己を高めればいいだけであって……」

 俺がそういうと宗像先生は、自身の頭を乱暴にグシャグシャとかく。

「はぁ……ああ言えばこう言うな、お前は。『日葵(ひまり)』も偉い逸材をおくってきたもんだ……」

 日葵というのは俺の担当編集のロリババアだ。

 

「あのな……中卒だと、取れない資格や賃金だって差がでるんだ」

「それがなんですか?」

「お前のように親御さんも健在で実家暮らしなやつはヤンキーには少ない。片親か家族として機能していない家庭が多い」

「……」

「入学した理由が“給料アップ”という不純な動機であろうといいじゃないか。それがきっかけであいつらが犯罪に走ることなく、立派に卒業できたら私は嬉しい。まあ十代で家庭を持っているヤンキーは好かん! だが……それはお前も同じだぞ、新宮」

 なにが? 俺は奥さんいないですよ? アラサーのひがみはやめてくださいな。

 

「あいつらとは……違います」

「私から見れば、全く変わらん。だから少しはお前のその……なんだ? 優しさをあいつらにもわけてやってくれないか?」

 そう言うと宗像先生は俺に優しく微笑みかける。

 

「俺がですか?」

「ああ、お前は私が一番期待しているルーキーだ。歪んだお前ならあいつらとも仲良くやれそうだ。しかもお前には出席番号一番としてリーダーシップを発揮してもらわないとな☆」

「はあ!? なんで俺が一番なんですか?」

「あれ? 知らなかったのか? 出席番号は願書が受理された順番、先着順で決まる。お前が今年一番に出したから、出席番号も同様だ」

 謀ったな! あんのクソ編集めが!

 

「そう……ですか。でも、俺はリーダーなんてまっぴらごめんです!」

 俺がそう言うと宗像先生は巨大なメロンを投げ売りして笑う。

 

 

「だぁはははっははは!」

 

【挿絵表示】

 

 

 下品な笑い方だ。そんなんだから嫁の貰い手がないのだ。

「私にはそうは見えんぞ! お前の性格はかなりお節介なやつだからな!」

「なっ!」

 先生は立ち上がると、俺にそっと近づく。

 

「お前も……苦労したんだな」

 

 そっと宗像先生が俺を優しく抱きしめる。

 先生のふくよかな谷間に顔を埋めると、心臓の音が聞こえる。

 わぁい! バーブー!

 

「な、なにを!」

「照れるな。お前がそうやって、壁にぶつかるたび、私が抱きしめてやる。誰かと比較するな。そんなに自分を責めるな」

 おっぱいで息ができない。窒息死そう……。

 

「は、離してください!」

 俺は突き飛ばすように、宗像先生の腕を離す。

「どうした? 童貞を捨てさせてあげてもいいのに……私はこう見えてテクはもっているつもりだが……」

 キモいわ! 俺はあいにく巨乳が大嫌いなんだよ!

 

「お、俺をおちょくっているんですか!?」

「いいやぁ」

 そう言う先生の笑みはとても大人っぽく、危険な匂いがする。とても甘く、毒々しい。

 

「俺は……今までだって、一人でやれてきたんだ!」

「だからなんだ?」

「……だから俺をそんな憐れむような眼で、見ないでください!」

 そう言い残すと、宗像先生に背を向けた。

 逃げるように、事務所の扉に手を掛けた瞬間。

 

「新宮!」

 

 振り返ると、先生はまた優しく微笑む。

「な、なんですか!?」

「忘れ物だ」と言って、俺に投げキッスを放り投げる。

 

 やめろぉぉぉぉ!!!

 いろんな意味でメンタルがボロボロになる。

 俺は先生の振る舞いを無視して、事務所を後にする。

 

「くっそぉぉぉ! あんのアバズレ教師めが!」

 

 このあと口直しにアイドル声優の『YUIKA』ちゃんのPVをめちゃくちゃ見まくった!



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第三章 はじめてのがっこう
13 はじめてのおつかいてきなやーつ


 

 入学してから早一週間。

 全てのレポートは書き終えた。

 さて、課題はこれからだ。宗像先生の言っていた『継続』……。

 わかってはいるつもりだ。継続に関しては今のところ……大丈夫だ、問題ない!

 

 一ツ橋高校、第1回目のスクーリングがやってきた。

 もちろんこの天才はいつものように、早朝、新聞配達を終えているので眠気はMAXだ。

 いつもなら仮眠を取っている時間だからな。

 

 朝の電車ってのは気にくわない。

 日曜日とはいえ、部活に通う『制服組』がいるし。

 まあ好みのJKがいたら目に焼きつけるけどな!

 

 

 過疎化しつつある赤井(あかい)駅を一人歩く。

 そこでもやはり制服組と一緒に歩く事となり、実質は「一緒にいこう!」的な萌えイベントにも脳内変換できなくもない。

 というか、JKが周りにいるだけで、嬉しいよね!

 

 通称『心臓破りの地獄ロード』を登り終えると、校舎の裏口(玄関のことね)に入る。

 玄関前にはアラサー痴女、宗像(むなかた)先生の姿があった。

 

 え~、本日のファッションですが、これまた酷いですね~

 網目の荒い網タイツ、マイクロミニのタイトスカート、それにレザーぽい黒のノースリーブ。しかもへそ出し。

 どこの映画に出てくるビッチですかね~

 

「おう! 新宮、おはよう!」

 大声で俺を指名するな! 全力でチェンジを要求する!

「お、おはようございます……」

「なんだ? 元気のないやつだな……さては、“自家発電”のしすぎだな!」

 と吐き捨てて、俺の可愛い小尻をブッ叩く。

 

「いって! セクハラですよ、宗像先生!」

「うむ、元気がでたな! それでこそ学生だ! そしてセクハラではない、スキンシップだ」

 それってセクハラの言い訳の代名詞ですよね……。

 

「それに減るもんでもあるまい? お前は男だしな」

「男でもメンタルはすり減りますけど……」

「ハッハハハ! 元気があってよろしい! さあ今日のスケジュール表をとって、自分の教室に上がれ!」

「スケジュール表? なんです、それ?」

「ん? ああ、入学式でも言ったように、本校は校舎がない……ので三ツ橋高校の生徒たちが教室を利用する場合があるわけだ。毎回スクーリングでは授業ごとのスケジュールを組み見立ている。ほれ、あのプリントだ」

 そう言って、宗像先生は背後のカラーボックスを指す。

 箱の上には小さなコピー用紙があった。

 確かに授業ごとに教室がコロコロと変わっている。

 面倒くさい学校だ。

 

 

 俺がため息をついていると、宗像先生が。

「おう! 花鶴(はなづる)千鳥(ちどり)じゃないか!」

 と声をかける。

 

「う……」

 嫌な予感。

 

 続いて。

古賀(こが)も、おはよう!」

 と叫ぶ。

 その名前に俺は酷く悪寒を覚えた。

 

 逃げるように靴箱に向かうと、スリッパに履き替える。

 そして、階段を上ろうとしたその時だった。

 

「あ! オタッキーじゃん!」

「お、タクオ」

 

 クソ! 地雷を踏んでしまったか!

 赤髪ギャルの花鶴(はなづる) ここあ。それにハゲで老け顔の千鳥 力(ちどり りき)

 

「おはにょ~♪」

 なにがにょ~♪ だ。俺は売り出し中のルックス重視の女子アナではない!

「おう……」

「なんだよ、タクオ。元気ねーじゃん」

 そう言って、千鳥が俺の頭をグシャグシャと掻き回す。

 やけに俺の身体を触ってくるやつだ。

 正直、コイツはゲイなのか? と疑ってしまう。

 

「別に……元気がないわけじゃないよ」

「ならどうした? 自家発電のしすぎか?」

 お前もか……どうしてこう十代男子の一日を自家発電のみと短絡的な考えにたどり着くのか。

 

「違うよ……まあ千鳥には関係ない」

「連れないこと言うなよ……ダチだろ?」

「おい、いつ俺とお前たちは交友関係に至ったんだ。この前、会ったばかりだろが」

「は? 自己紹介しただろ?」

「そうじゃん、あーしのことも覚えてっしょ? ならダチじゃん」

 ダチじゃんじゃねー。その前に花鶴よ、お前は女子としてちったぁ恥じらいを持て。

 胸元ザックリ丸なトップスを好み、今日もまたパンモロに近いミニスカか……。

 悪いが範囲外だ、貴様は。

 男ウケするファッションというものをまるでわかってない!

 ちょっと、『い●ご100%』でも読んできなさい!

 

「意味がわからん。俗にいう友達とはだな……」

 

「「ハハハハッハ!」」

 

 花鶴、千鳥の両者が腹を抱えて笑う。

「ダチなんてノリだっつーの!」

「そうだよ? フィーリングっての?」

 なんかそのフィーリングってワード。エロい。

「まあ。お前らがそう思うならそれでいい」

「そうそう、それでいんだよ。タクオ……なあミハイル。お前もそう思うだろ?」

 

「……」

 相も変わらず、無言か。古賀 ミハイル。

 そして、なぜまた顔を真っ赤にさせて床と会話を楽しんでいるのだ?

 

「ミハイル?」

「どしたん? ミーシャ」

「……」

 ここは退散しよう。

 

「じゃあ、俺は先に教室へ向かうぞ」

「おう! あとでな!」

「まったね~ オタッキー」

 本当にコミュ力の塊だな、こいつらは……。



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14 眼鏡女子 北神ほのか

 

 教室に入る際、扉に手を掛けると勝手に扉が開く。

 驚いた俺は思わず、数歩退く。

 

「あっ、きみは……」

 

 開かれた扉の前には、一人の眼鏡少女が立っていた。

 紺色のプリーツスカートに白のブラウス。まるで制服組だな。

 

「俺を知っているのか?」

「あの……入学式で“お尻だけ星人”になったひとだよね?」

「……」

 ん~なんだろっけな? そんなこっとあったけ?

 キミ強いよね? だけど、俺は負けないよ?

 

 

「あいにくだが……そういうあだ名は持ち合わせてないぞ?」

「ふふふ、ごめんなさい……私も今年から一年生になります。北神(きたがみ) ほのかです」

 律儀に斜め四十五度でお辞儀する。まるでデパートの店員だな。

 

「そうか、認識した。俺は新宮。新宮 琢人。頼むから変なあだ名はよしてくれ」

「んふふ……」

 そう言って笑う眼鏡女子、北神 ほのかは口を隠しながらよく笑う。

 まあ眼鏡でJKの制服みたいな格好しちゃってさ、ナチュラルボブがいいよね。

 花鶴とは違い、まあまあタイプかな。

 ただ胸が発達しすぎているのがしゃくだ。

 

「君は……入学式の時に俺を助けてくれた子か?」

「助けるだなんて……んふふ」

 なにがおかしいんだ? またあれか? 箸を落としただけわらう年ごろから抜け出せてないのか、こいつは?

 

「私は手を貸しただけだよ? 新宮くんっておもしろいね」

「何がだ? 俺はただの天才だ」

「そうなんだ……んふふ」

 なんなんだ、この笑い上戸は芸人なら女神なんだろね。

「じゃあ、またね。新宮くん」

「ああ」

 そう言って、北神は可愛らしい白のハンカチを持って、廊下を急ぐ。

 まああれだ。エチケットだが……聖水だろ、草!

 

 

 教室に入るとこれまた異様な空気が流れていた。

 入学説明会の時と似たような状態。

 つまりは境界線が引かれている。そうここは戦場だ。

 非リア充軍、リア充軍、共に戦線を繰り広げいている。

 もちろん俺は前者だが、これはいわゆるお約束なパターンだ。

 

 そう説明会の時と同じ位置に皆座っているために、俺の席はほぼ決まったようなもの。

 俺は仕方なく境界線ギリッギリのイスに座る。

 リュックを机のフックにかけて、一時間目の教科書とノートを取り出す。

 平然を装っていたのに、めまいがしてきた。

 

 動悸がする……中学生時代の『嫌な』思い出がフラッシュバックする。

 

『なんで新宮が学校に来てんだよ?』

『お前なんか、ずっと家にこもってろよ』

『死ねよ、マジで』

 

 息苦しい……。胸が張り裂けそうだ。

 

 

「……おはよ」

 

 

 動悸が治まった。その声で。

 とても弱弱しいが、心地よく暖かい。

 まるで、アイドル声優の『YUIKA』ちゃんのような天使の甘い声。

 右隣りを見ると、以前俺を殴った張本人で、ヤンキーの古賀 ミハイルが座っていた。

 

 

「え?」

 聞き取れないので、思わず反応してしまった。

 

「だから……タクト、おはよう」

「あぁ、おはよう」

 ってか、サラッと下の名前で呼ばれたな……。

「フン!」

 なんで挨拶だけでそんなに怒ってんの? 反抗期かしら?

 

「……悪い。あまりにも小さな声で聞き取れなかったよ」

 そう言うと、ミハイルは顔を真っ赤にさせて立ち上がる。

「なんだと! オレがまるで“もやし”みたいじゃん!」

 ふむ、そのワードは北九州よりの言い回しか?

 もやし? なにそれ、おいしそう……。

 キムチの素でご飯のおともになれそうじゃない? メモしておくわ。

 

 

「は? 聞こえなかったと言っただけだ。そんなに怒ることでもあるまい」

 俺がそう吐き捨てると、ミハイルは「ムキーッ!」まるで子ザルのように床を足で叩きつける。

「オレがタクトみたいなオタクに、挨拶してやったんだ! ありがたく思えよ!」

 いや、なにそれ意味がわからないわ。反抗期だから色々大変ね。

 

「まあオタクだとはほぼ自覚している……だが、古賀。そろそろ席に座れ、チャイムがなるぞ」

「はぁ!?」

 チャイムってわからない? ヤンキー用語に変換するとなんていうの?

 

「おーい、みんな席に着けよ~ 楽しい楽しいホームルームの時間だぞぉ~」

 

 そう言って、教室に入ってきたのはご存じクソビッチの宗像 蘭先生。

 歩く度におっぱいがぼよんぼよん……気色悪いったらありゃしない。

 

「ん? 古賀? どうした? なにを突っ立っている?」

「う……」

 ミハイルはまた顔を真っ赤にさせると席に座って、今度は机がお友達として追加されたようだ。

 

「……覚えてろよ、タクト」

 なにを? 君は早く基礎的な会話を覚えなさい。

 

 

「それじゃ、出席とるぞ~ ちなみに朝と帰りでも出席とるからな~ お前ら見たいなクズは朝だけ点呼とって帰りやがるからな~」

 な! その手があったか!

 

 

「じゃあ、出席番号一番! 新宮 琢人!」

「……はい」

「ああ! 声が小さい! ちゃんと大きな声で返事しろよ、バカヤロー!」

 お前はどこの反社会的勢力だ。

 

「はぁい……」

「チッ! 根性のなってないやつだ……」

 

「てか、オタッキー。一番とかウケる~」

 花鶴か……ハイハイ、ワロタワロタ。

 

「じゃあ、次。二番、古賀 ミハイル!」

「っす……」

「次、三番……」

 ちょい待て、なんでミハイルだけ、小声でもつっこまねーんだよ、ババア!

 

「三番! 北神 ほのか! 北神? あれ……さっきいたけどな?」

 ああ、今あの子は聖水の儀式中だろ。

 ここは紳士である俺が、代わりに出席をとってやるか……。

 

 俺は手をあげてこういった。

「せんせ~い、北神さんはお花を摘みにいってま~す!」

「ああ!? どこにだ?」

 クッ! どこもかしもバカばかりだ!

 しかも周囲の連中も。

 

「花なんてこの辺に咲いているのか?」

「高校生で花摘みとかバカだろ?」

 いや! お前がバカだ!

 

 

「新宮! どういうことだ? なんで、北神がわざわざ授業中に花なんて探しにいくんだ!」

 お前、それでも教師か! しかも女だろが!

「え~、それはですね……女の子、特有の儀式ですよ(知らんけど)」

「ふむ……生理か?」

 女子たちが一斉に俺を睨む。

 んでだよ! 俺は何も悪いことしてないのに!

 

「さ、さあ……」

 するとミハイルが鼻で笑う。

「オタク用語だから、わかんないんじゃねーの?」

「いや、オタクは関係ないだろ……」

 

 廊下をバタバタと走る音が鳴り響くと、扉が開く。

「あ、あの……すいません! 遅れました……」

「おう! 北神、いたのか? ところで花なんてどこに咲いてた?」

「え……」

 顔面蒼白になっているじゃないか! これは公開処刑というものだ。

 北神よ、君は理解しているんだね。よかった常識的な女の子で。

 

「な、なんのことです?」

「新宮がな、お前が『お花を摘みにいっている』と言うのでな」

「……」

 涙目で俺を見つめている。いやぁ、地雷ふんじゃったかな?

 

「あの、お花……ではないです」

 おまっ! 言うのか! 俺のジェントルマンぶりに感動してよかったのに!

「じゃあなんだ? さっさと言え! 三十路前の一分一秒はとても貴重だ。スパ●ボの周回ルートもあるしな」

 いや、最後いらんだろ。俺は1回クリアすれば、満足するけど。

 

「えっと……おトイレです……」

「そうか。今度から五分前には終わらせておけよ! まあ生理現象ならば仕方あるまい。生理だけにな!」

「……」

 ハハハ、誰か冷房つけてます?

 

「あはははっは! 超ウケる、センセイってば」

 花鶴……お前も一応、女だろ?

「お、花鶴。よくこの私のギャグセンスについてこれるな」

「マジ、ウケる!」

 全然うけねー! 寒いよぉ、ここは寒すぎるよ……そして、周囲の女子たちが超怖いのよ。

 

「よし、爆笑も取れたし……北神、席に戻れ」

「はい……」そう言うと、彼女は俺の左隣りの席に座った。

 涙目で必死にこらえている。

 なにこの子、超かわいそう。

 

 

「北神、済まなかった……俺が余計なことをしてしまった」

「ううん、新宮くんは悪くないよ……」

 そんな涙いっぱいで言われてもね。

 

「だから言ったじゃん。オタク用語だからわかんねーんだよ」

 古賀 ミハイル……お前、どんな環境で育ったんだ……。



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15 しょうもない授業

 

 ホームルームは無事終えた。

 数分後に一時間目の授業が始まる。

 どんな怖い教師が来るか、俺はガッチガチに固まっていた。

 

「はい、みんな席について~」

 

 若い男性教師だがやる気なさそうだな。

 教師という立場でありながら、ロン毛だし、無精ひげだし。

 太っちょお兄ちゃんで、汗かきまくっているしね。

 見た目からしてオタク側に近い。

 

「え~、現代社会をはじます。教科書を開いてください」

 とは言ったものの、大半が教師の脱線話で三十分もダラダラと話し続ける。

 結局、なにが言いたいんだ。

 この教師は、大半がニュースで流れている時事ネタばかりじゃないか。

「じゃあ、次回のアメリカ大統領選挙における有力候補は誰だと思う? ニュースとかでトラ●プは否定的だけど、もう一人は?」

 は? なんだそのクイズは? バカにしているのか?

 

「はーい!」

 斜め後ろの花鶴がうれしそうに手をあげる。

「お! きみ、わかる?」

 なんかビッチなギャルが手を挙げて嬉しそうだな、この教師。

「わっかりませ~ん!」

「え……」

「ここあ、お前笑わせるなよ」

 千鳥がツルピカに頭を光らせて笑う。

「だって、流れ的に誰も手をあげなさそうだし~ ここは一本ウケようかな~って」

 おい、教師絶句しているぞ? ウケとれてないけど?

「はい、じゃあ正解は……」

 と、そこでチャイムが鳴り、答えを言いたげな教師は悔しそうに教室をあとにした。

 

 

「はぁ、なんなんだ。このスクリーングってのは?」

 ため息をつきながら、教科書を入れ替える。

「でも……私は安心したよ」とクスクス笑う北神。

「なにが?」

「だってさ、私も中学校あんまりいけてなくてさ……」

「なんだ、お前も不登校か?」

「え? 新宮くんも?」

 目を輝かせて、顔面すれすれまで近寄る。キスしちゃいそう。

 

「ああ……」

「わぁ、嬉しい。ますます大好きになっちゃった」

「……」

 え? 今なんつった、この子?

「な、なにが?」

「この学校♪」

 ですよね~ そこで『新宮くんのこと!』とは言いませんもんね~

 

「なんだ。タクトは、ふとーこうかよ」

 メンチをきかすミハイル。

 不登校で何が悪い!

 さてはお前、いじめっ子だな。

「ご、ごめんなさい……古賀くん」

 おびえる北神の姿はまるで小動物のようだ。

「は? なんでおまえに名前で呼ばれないといけないんだよ」

 いや、それを言うならおまえたちの『ダチ』認定はいつおりるんですか?

 やっぱケンカですか?

 

「ご、ごめんなさい……古賀くん、ハーフでしょ? だから覚えやすくて」

「おまえ……二度とそんなこと言うなよ」

 ドスのきいた声だ。俺でさえ怖い。

 そう言い残すと、席を黙って立ち上がり、教室から出て行った。

 ていうか、どこが怒るポイント? ワタシ、ワカラナイネ~

 

「わ、私……謝ってくる。せっかく仲良くなれそうだって思ったのに……」

 泣いてしまったよ。どうすんのよ、これ。ミーシャさん?

「あ~、今のは北神……なんだっけ?」

 背後から千鳥が声をかけてきた。

「ほのかです……」

「あれは確かにミハイルの前では禁句だよ。俺があとで説明しとくから、もう泣くなよ」

 頼もしいこって。でもどのワードが激オコポイントなの? それ教えておかないとまた地雷踏むよね?

 

「そうそう、あーしもあれはよくないと思うよ」

「ごめんなさい……今度から気をつけます」

 いや気をつけるもなにも、どこを気をつけるの?

「いいってことよ、ほのかちゃん」

 もう下の名前で呼ぶのか、千鳥。

 馴れ馴れしい男は嫌われるって母さんが言ったけどな。

 

「あ、あのお二人は?」

「あーしは花鶴 ここあ。んでこっちのハゲが千鳥 力ね」

「だから俺は剃ってるってんだろ!」

 安いよ~ 安いよ~ 新鮮なゆでダコだよ~

「そいから、あーしもほのかでいい? あーしがここあで、こっちはリキって呼べばいいよ」

「あ、了解です」

 俺をまたいで自己紹介タイムやるのやめてくれるかな?

 

「てかさ、タメでっていいての、ウケるんだけど」

 いや、ウケない。まったくもって。

「そうそう、俺らもうダチじゃん」

 おい! 今の流れでどこからダチ認定なんだよ!

 なんで俺だけミハイルに殴られる必要があったんだ!

 

「うん! じゃあ後でL●NE交換しよ」

「い~ね、ほのかってどこ住んでんの……」

 と、会話が盛り上がっているところで、俺はその場にいるのが耐えられなくなった。

 

 こういう流れが一番、ぼっちにはこたえる。

 黙って席から離れ、廊下に出た。

 あのまま、いれば絶対に「あれ? お前いたの?」という禁句を放たれることになるからな。

 

 さあ、俺がお花を摘みにいきますかね~



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16 伝説のヤンキー『それいけ! ダイコン号』

 

 廊下を歩いていると、どうやら『事後』のミハイルとすれ違う。

 視線をやるとやはり不機嫌らしく「けっ!」と舌打ちしていた。

 や~ね~、反抗期っていつ終わるのかしら?

 

 

 トイレにつくと、先客がいた。

 おかっぱ頭の少年がお花を摘む……じゃなかった放出中。

 俺も隣りに立ち、コトに入る。

 

「……」

「……」

 

 いや、人が隣りにいると出るものも出ませんね~

 

「あ、あの……1つお伺いしても?」

 おかっぱがこっちを見ている。

 目を合わせようとしたが、前髪が邪魔してその目は見えない。

 

「ん? なんだ?」

「あの……氏は奴らとどういう関係で?」

「奴らとは?」

「あいつらですよ、伝説のヤンキー三人組」

 なんのことかサッパリだった。

「……誰だそいつら?」

「あの三人ですよ? 知らないんですか?」

「だからどの三匹だ? どこぞの時代劇の再放送なら平日の朝に見ろ」

「違いますよ! 『剛腕のリキ』、『金色(こんじき)のミハイル』……そして最後が『どビッチのここあ』」

「……」

 

 千鳥だけそれっぽいけど、ミハイルは外見だけ。最後の花鶴に関してはただの悪口だろ。

 センスないな。

 

 

 小便を終えた俺はトイレを出て、廊下で詳しい話を聞く。

 

「それで、その三人……つまりあのアホどもがなんなのだ?」

「何って……怖くないんですか!?」

 おかっぱは必死になって、俺に説明する。

 なにをそんなに焦っているんだか。

 

 

「全然……むしろ、奴らは言語能力において著しく欠落している……かわいそうなバカどもだろう」

「氏はわかっておられない……奴らは、うちの地元ではそれはもう酷い噂ばかりです」

「ふむ……つまりお前の地元では手もつけられないようなヤンキーという認識なのだな?」

「はい、奴らは席内(むしろうち)市において……たった三人で地域一帯の暴走族を潰した伝説のヤンキーです」

 席内(むしろうち)市とは福岡市に隣接する、福岡県内の地域名だ。

 まあ個人的にはご老人が多いイメージはある。

 

「伝説ってお前……なにが伝説なんだよ?」

「いいですか、あいつらは十年前に発足された伝説の暴走族『それいけ! ダイコン号』の後継者です」

「……お前、俺をおちょくっているのか?」

 酷いネーミングだ。笑わせたいのか怖がらせたいのか、意図が読めん。

 

「某は真剣ですよ! いいですか、『それいけ! ダイコン号』は初代から少数精鋭の武闘派で、それはもう酷かったんです」

 なにが? 名前のことだろ?

 

「十年前にグループは消滅したのに、一年前に急遽、復活を遂げ、席内(むしろうち)市を恐怖に陥れています」

 笑いの渦だろ?

「そう……あの三人は本当に手もつけられないようなヤンキーであり、暴走族です。うかつに近づいてはあなたの命が危ぶまれますよ」

 

 一通り、事情を聞かせてもらったことが、何ともしっくりこない。

 奴らが伝説のヤンキーだと、笑わせる。

 俺は鼻で笑うとこう切り出した。

 

「……言いたいことはそれだけか?」

「え?」

「正直、俺はあのバカどもに関しては何の恐怖なぞ感じない。むしろ本当にどうしようもないクズ、バカ、アホというのが第一印象だ」

 まんまだしな。

 

「な! そんなこと口に出したら……」

「いいか、俺は白黒ハッキリさせないと気が済まないんだ。お前の言い分も分かった。だが俺はあのバカたちがそういう犯罪絡みの所業をしていたとしてだな……それをこの目で確かめるまでは『ただのバカ』という認識だ」

「氏はいったい……」

 チャイムが鳴る。

 

 

「じゃあ、これで駄弁りは終わりだ。授業に遅れるぞ? お前、名は?」

「あ、申し遅れました。某も新宮くんと同じ“ニーゼロ”生の日田(ひた) 真一(しんいち)と言います」

 

 ニーゼロ生とは今年の一年生ということだ。

 2020年に入学したからニーゼロ生。

 

 一ツ橋高校は単位制でもあり、通信制でもある。

 また留年する生徒が多いらしく、3年間で卒業を目標にしているものは少ない。

 よって、留年を想定した上で、入学した年で生徒たちを区別する仕組みになっている。

 また入学するのも春だけにとどまらない。

 

 夏から願書を出せば秋にも入学できる。

 その背景には中途退学者の前学校における単位が残っていれば、不足分を補えるというメリットが売りなのだとか。

 気軽に入って卒業。それが売りらしい。

 

 

「日田か……認識した。俺は新宮 琢人だ」

「某は新宮くんのことは存じ上げてます」

「なぜだ?」

「だって入学式であの『金色(こんじき)のミハイル』と大ゲンカしたという噂で……」

 あれがケンカだと! ただの暴行だ!

 

「そんな噂が立っていたのか」

「ええ……では遅れますのでこれにて!」

 そう言うと足早に、日田 真一(ひた しんいち)は廊下を走る。

 俺はこんな時でも急がない。

 まあ急ぎはするのだが、『廊下は走ってはいけません!』なところだからな。

 

 途中、曲がり角で人影を感じた。

 

「……」

 

 またお前か、古賀 ミハイル。なにをそんなに顔を真っ赤にさせて、床と会話している。

 お前の推しメンは床か? 『ゆかちゃん』と名付けてやる。

 

「おい、古賀。もうチャイムなったぞ?」

「わかってるよ……」

「そうか、じゃあ俺は先に行くからな」

 

 言い残すとゆっくりと俺は歩きだす。

 途中振り返ると、ミハイルはやはり『ゆかちゃん』とお話中だ。

 ヤンキーってのはわからんもんだな。



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17 おひるごはん(挿絵あり)

 

 地獄のような授業は一旦、休憩。

 そうおひるごはん!

 まってましたぁ~

 こちとら、十七歳の育ち盛りだからね。

 おまけに夜中に新聞も配達しているわけだ。

 腹なんて減りまくりだわな。

 

「いっただきま~す!」

 

 律儀に弁当箱の前で手を合わせる。

 左を見ると、眼鏡女子の北神ほのかが、黄色の小さな小さな弁当箱を机の上に出している。

 え? マジでそれで足りるの?

 

 俺、いやなんだよね。食事をちゃんと人前でできないヤツってさ。

 だってあれだよ。食事をするってのはその人の家柄がでるわけよ。

 作法だのなんだの……女の子は食事の時が一番、地が出るってね!

 まあ別に俺もそんなに作法的には良い方ではないのだが。

 

 

 しかし、あれだな。

 この一ツ橋高校も中々にブッ飛んだ高校だというのが、よくわかる。

 

 喫煙OK、レポートも丸写し、教師もアホ。

 そして現状もだ。

 俺や北神みたいな非リア充、つまり真面目なやつら……しかも女子のみ!

 が、弁当を持参していて、それ以外の奴らはみんな外食に出た。

 

 赤井駅近隣の定食屋やショッピングモールで昼食をとるのだろう。

 それはリア充グループだけではなく、非リア充の男子共も同様だ。

 今の教室内は俺と数人の女子だけという、とてもさびしいというか、うらやましい環境と言えるね。

 ハーレム、ひゃっほ~い!

 

 しかし、どこでもイレギュラーはいるものだ。

 右だよ、右。

 ムスッとした顔して、座っているのさ。

 

 例の女男のヤンキー、古賀 ミハイル。

「フン」

 飯も食わず、何をイラついているんだ。

 ダイエット中か?

 

「なんかこういうの。久しぶりでテンションあがるよね♪」

 嬉しそうに笑う、北神 ほのか。

「そうか? 正直、ひと段落しただけで、このあとの授業は体育だぞ?」

「あ……私、苦手なんだよね」

 くわえ箸よくないぞ、北神。

 

「まあなんだ、適当にやればいいだろ」

「でも、体育の指導って宗像先生なんでしょ?」

 ファッ!

「あのババアが!?」

「なんか、宗像先生って本当は日本史の先生みたいだけど……人が足りない? とか」

 いやいや、どんだけ貧乏なんだよ、この学校。

「そうか……」

「チッ」

 なぜそこで舌打ちする? ミハイル。

 

「あれ? 古賀くんは弁当食べないの?」

 気にかける北神。

「ほ、ほのかには……関係ないだろ」

 ミハイルさんまで下の名前で呼ぶの!?

「ごめんなさい……朝のこと、まだ気にしてるの?」

 例のミハイルがハーフってことさね。

 

「なんのことだよ?」

「え……だって……」

「北神、放っておけ。こいつはあれだ。いわゆる中二病全盛期なのだよ」

「それって差別じゃ……」

 可哀そうこの子……みたいな顔する北神。

 

「ちゅーにびょう? なんだそれ?」

 やはり理解できていない。かわいそうなミハイルちゃん。

「中二病っていうのはね。えっと、私も詳しくないけど、思春期とか反抗期とかに起こりやすい心境の変化みたいな?」

 北神センセイ! 教えなくていいから!

「日本語で話せよな」

 いや、話しているだろ。

 

「とりあえず、古賀。外でメシ食ったらどうだ?」

 俺の問いに、ミハイルは顔を赤くしてそっぽ向く。

「べ、別にタクトにはかんけーねぇじゃん……」

「おい、体育が次にあるんだ。空腹はよくないぞ」

「そ、そうだよ……」

 それって『何章』の話? 北神。

 野獣的なやつは、どこかでコソコソ話してあげてください。

 

「お財布忘れたんだよ……」

「なるほどな」

 俺が納得すると、彼は頬を赤くして机とにらめっこ。

 

「つまり、お前は金がなくて、俺たちの弁当を食っている様を眺めているわけだな」

「べ、別に見たくて見てるわけじゃないってば……」

「お腹すかない?」

「す、すいてないよ……」

 いや、めっちゃグーグーいっているよ。

 

「おい、古賀。俺のお手製弁当をわけてやる」

「はぁ? なんでタクトが作った弁当なんて!?」

「新宮くん、優しい」

 フッ、これぞ琢人マジック。

 やさしさと見せかけて女の子にアピールしておく。

 

「別にいらないって!」

「いいから食え、味は上手くも不味くもない。なぜなら、卵焼き以外、俺は作れん。その他は全部冷食だ」

「はぁ? タクト。マジでいってんのかよ」

 ミハイルは俺の料理下手がよっぽど気になるのか、食い入るように顔を寄せる。

 2つのグリーンアイズがキラキラと光り輝く。

 いやぁ、女だったらな……ときめくんだろうけど。

 

「そうだ。俺は料理が全くできん」

「ハハハ! 料理できないとか、ダッサ☆」

 今日はじめて見る笑顔だな!

 

「それで、タクトは他に作れないの?」

「ああ、卵焼きだけはプロレベルだ」

「え~ どれどれ……」

 北神が身を乗り出して、俺の弁当箱をのぞき込む。

 ちょっと北神さん、横乳。ひじぱいしているんすけど。

 

「うわっ! ホント、焼き方が超きれい」

「だろ? 俺は卵焼きだけを極めて早十年、もうあれだな。お店出せるレベルだぞ」

「ダッセ、他にもレパートリー増やせよな」

 ミハイルからそんなワードが出るとは……。

 

「いいから、お前も食え」

 弁当箱をミハイルの机に移す。

「やっ、マジでいらないって……」

「なぜそう頑なに拒む?」

 そしてまた顔を赤らめて、今度は俺の弁当箱が友達と追加されたか。

 

「正直、悪いって思うんだよ。タクトの分が減るだろ……」

「構わん。今の行為を止めることで、古賀が体育中に倒れてしまう方が俺は嫌だ」

 ミハイルは目を丸くして、俺を見つめる。

 エメラルドグリーンの瞳が輝く。

 うわぁ、キスしてぇ……。

 

「もういい!」

 そう言って弁当箱を取り上げた。

「あ……」

 ミハイルは取り上げられた弁当箱を名残惜しそうに、目で追う。

 

「こうなったら強硬手段だ」

 俺は箸で卵焼きを掴むと、ミハイルの口元まで持ってきた。

「ほれ、食え」

「なっ!」

 顔を真っ赤にさせて、にらめっこ。

 これってなんの罰ゲーム?

 

「いいから、早く食え。級友としての命令だ」

「わ、わかったよ……」

 

 そう言うと、ミハイルは小さな薄紅の唇で、俺の卵焼きを頬張る。

 なにこれ? 超かわいいんですけど。

 あれだよ……あのグラビアアイドルとかのアメとかアイスとかペロペロしてるやつ、あるじゃん。

 疑似てきなやつ。

 そっくりなんだよね。

 しかも、こいつの口は女の北神より小さいくてさ。

 

「んぐっ、んぐっ……」と食べ方が小動物みたいでめっちゃ可愛い。

 しかも、卵焼きを食べ終えたあと、箸に唾液の糸まで垂らすといういやらしさ。

 こいつは女だったら相当やばい女だったろうな。

 

「うまっ……」

「だろ?」

「ああ! すごくうまい! こんなうまい卵焼き食ったの初めてだ!」

 そういうミハイルは子供のように「もっとくれくれ」と口を開いている。

 やべっ、別のものを入れたくなる。

 

「ほれ、今度は白飯と一緒にくえ」

「うん」

 いや、めっさ素直じゃないすか。古賀さん。

「今度は冷食なんてどうだ?」

「いやだ! 卵焼きがいい」

 駄々をこねるんじゃありません! 好き嫌いする子はダメですよ。

 

「わ、わかった……そんなに気に入ったか?」

「うん! 大好きになった!」

 それって俺のこと? いや、違うよね。違ってください。

 

【挿絵表示】

 

 

「ほれ、これで最後だ」

「うん☆」

 ミハイルは結局、俺の卵焼きを全部平らげてしまった。

 ちくしょー! でもいいもん見られたから許してやろう。

 

 

「その、悪かったよ……」

「何がだ?」

「タクトの弁当、食べちゃってさ……」

 なんかいたずらしたあとの子供みたいに落ち込んでるな。

 

「別に構わん。俺がやりたくてやっただけだ」

「そ、そっかぁ☆」

 おいおい、お前また机と友達になっているぞ。

 

「尊い……」

 

「「は?」」

 

 俺とミハイルは思わず、息がピッタリになってしまう。

 北神 ほのかは頬に手を当て、うっとりと俺たちを見つめている。

 

「な、なんのことだ? 北神」

「お二人の関係が……」

「ほのか。なにを言っているんだ!?」

 席を立ちあがるミハイル。

 

「だって、男子と男子が『お口あ~ん』なんて中々見られるものじゃないもん……」

 こいつは『あっち』サイドだったのか。

 

「ほのか? 具合でも悪いのか?」

 くっ! やはり、リア充のミハイルでは理解できまい。

 

「いいか、古賀。北神は今、悦に入っている」

「えつ? なんか楽しいことでもあったのか?」

「つまりだな……この北神 ほのかというJKは腐っている」

「え? く、くさってんの!?」

 そんな真顔で心配せんでも……もう手遅れだろ。

 

 

「ほ、保健室に連れていこっか?」

 急に取り乱すミハイル。

「落ち着け。腐っているという意味が違う。こいつは女として腐っているのだ」

「え?」

 

「はぁ、尊い……ステキ」

 この高校は、やはりどいつこいつもアホばかりだな。

 

 

「古賀、ちょっと待ってろ。すぐに食べ終わる」

「なんで?」

「お前は知らない方がいい」

 残りの弁当をかっこむと、リュック片手に立ち上がる。

 

「次は体育だ。古賀も早くいこう」

「でも……ほのかの様子が」

「気にするな。あいつにとって俺たちはご褒美なんだよ」

「なんの?」

 

「尊い……」

 そう言いながら、俺たちを腐った目でみつめる北神。

 クッ! こんなところにも生息していたのか。

 

「早く逃げるぞ、古賀」

 ミハイルの細い腕を引っ張って、教室を出る。

 

 廊下に出たところで、「すまんな」と一応あやまっておく。

「べ、べつに……」

 だからなんでそんなに顔を真っ赤にしているんだ?

 

「さあ、武道館に向かうぞ」

「あ……待ってよ」

 非リア充の俺とリア充のミハイル。

 決して相容れない関係だと思っていたのに、まさか初日でここまで関わるとはな。

 まあ手を繋いで感触は悪くなかったけどね。

 小学校の遠足以来でしたけどね!



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18 対決! リアルJK 対 男の娘

 

 俺とミハイルは腐女子の北神 ほのかの『ホモォォォ!』光線から逃れるため、教室棟をあとにした。

 次の授業はみんなが大嫌い体育だ。

 しかも2時間も。

 なんですかね~ やりたくありませんね~

 

 

「なぁ……なんでさっきオレに昼ごはんを分けてくれたんだ?」

 うつむいたまま、時折チラチラと俺の顔を伺う。

「え? だから言っただろ? 俺の気が済まん」

 ミハイルは目を丸くして言う。

「どういうこと?」

「俺は不平等であることが大嫌いだ。なんでも白黒ハッキリさせたい」

「?」

「わかりやすく言うとだな……俺とお前が体育でかけっこするよな?」

「うん」

「それで空腹のお前が本来の力を出せずに負けたら、俺がズルしたみたいだろ?」

「えぇ、そんなことで……」

 めっさひいてるやん、ミハイルさん。

 

「そんなことだから大切なのだ!」

「そ、そっか……」

 だからまた『ゆかちゃん』がお友達になっているよ? いや、今はアスファルトか。

 

 

 二人してとぼとぼ歩く。校舎を抜けて、武道館へと向かった。

 今日は全日制コースの部活動はなく、ありがたく利用していいんだとよ。

 仰々しいまでの入口を抜けると、地下に降りる。

 朝もらったスケジュール表にはそう示されているからだ。

 

 

「えっと……男子はA室か」

「うん」

 俺は一応、マナーとしてノックする。

 特に反応なし。

 入るか、ドアノブを回して扉を開く……。

 

「きゃあああ!」

 

「え?」

 目の前に現れたのは、制服組の女子。

 スカートを太ももの辺りで、静止していた。

 シマシマ、パンティーだ~ わぁい!

 

「なにやってんだよ、タクト! 早く閉めてやれよ!」

 ミハイルの注意がなかったら、30分は見ていたかもしれん。

 扉を閉めた後、とりあえず、深呼吸する。

 こういう時は落ち着いて対処するのが肝心だ。

 あくまでも紳士的に対応すれば、更によろしいですよ。

 

「なあ、俺。部屋、間違ってないよな?」

「オレが知るわけないじゃん! この変態オタク!」

「なんでお前が怒っているんだ? 怒るのは見られた彼女だろ?」

「うるさいっ!」

 超怖いけど、超かわいいなこいつの顔。

 

 俺らが会話を楽しむ間も、更衣室からはキンキン声が扉を叩く。

 しかも、なにかを扉に投げているようだ。

 なんで女ってのはものを投げたがるかね。

 

「おい! そこの女子! ここは男子更衣室だろが!?」

 

「〇☆✖§Δ\~!!!」

 なに言っているか、わかんねぇ。

 

「謝罪はする! だから堪えてくれないか!?」

「……」

 

 しばらくすると、制服を着たボーイッシュな女子が現れた。

 褐色でショートカット。

 しかも校則違反なミニ丈。

 どこかで見た顔だ。

 

「あっ! やっぱり新宮先輩じゃないですか!」

 そう言うと女は俺の頬をビンタする。

 

「いたっ……」

「お、おい! おまえ、何も殴ることないだろ!」

 いや、ミハイルに言われたくないんだけど。

 

「はぁ!? 女の子の裸見たんでしょうが! お嫁にいけなくなったらどうすんのよ!」

「おまえの裸なんて、誰も興味ないよ~ だあっ!」

 ん? そう言えば、なぜ俺以外の生徒たちはミハイルを女の子と間違えないのだ。

 

「なあ、コスプレ女子に問いたい」

「誰がコスプレですか!? この前言ったでしょ! 私は正真正銘のリアルJKです!」

 ああ、確か……赤坂 ひなただったか?

 

「お前……赤坂か?」

「そうですけど! し・ん・ぐ・う先輩!」

「あのな、こいつを見て“可愛い”と思うか?」

 言いながらミハイルの顔を指す。

 

「なっ!」

 ボッと音を立てて、顔が赤くなるミハイル。

 

「はぁ? 私、中性的な男子って嫌いなんですけど?」

 ふむ、やはり女の子としては認識していない……。

「それよりなんなんですか! この前はかっこつけて私のこと『認識した』とか言ってたくせに!」

「いや、覚えているとも……だが、その先ほど見てしまったパンティーの方がインパクト強くてな……」

 

 ダンッ!!!

 

「いっでぇ~!」

 なにこれ、両脚にダブル踏みつけとか信じられます?

 左右からミハイルと赤坂の攻撃、こうかはばつぐんだ!

 

「なんで……古賀まで……」

「タクトが悪いんだろ!」

「そうですよ! 女の子のパ、パ、パ……」

 皆まで言えずに顔を赤らめる。

 

「パンティーだろ?」

「最低っ!」

 そう言って、赤くなってない方の頬をビンタして、足早に去っていった。

 

「なんだったんだ……あいつは」



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19 ミハイルのターン!

 

「おい! タクト、あいつは誰なんだよ!?」

 ミハイルが上目遣いで頬を膨らます。

 なんか、しかも涙目になっている。

 

「タクト! 聞いているのか!?」

「え……あいつは赤坂 ひなた。全日制コースの生徒だ」

「どこで知り合ったんだよ!」

 なんでそこまでムキになるんだ? そんなにあのパンティーのデザインが気に入ったか?

 

「この前、宗像先生に質問があってだな……その時に玄関で『不法侵入者』と因縁をつけられてな」

「んで? それでなんで、タクトの名前を知ってんだよ?」

「なぜと言われてもな……やつも俺と同じ白黒ハッキリさせたい性分らしいのだ。それで互いに生徒手帳を見せあったからな」

「……ッ」

 ミハイルはなぜかその場で顔を真っ赤にして、床を蹴り続ける。

 俺がしばらくその行為を見届けると、何を思ったのか、ミハイルはポケットから何かを取り出した。

 

 

「これ……」

「え?」

 目の前に出されたのはミハイルの生徒手帳。

「なんのつもりだ?」

「タクトがあいつと……その、白黒ハッキリさせたんだろ?」

「まあな」

「だから……オレもダチだから」

 ええ!? いつからダチ認定したの?

 意味わかんな~い。

 

「まあ古賀がそう言うなら……」

 俺は希望通り、まじまじとミハイルの証明写真を見つめてやった。

 ふむ、この時は髪を下ろしているな。やっぱ女にしか見えん。

 抱きたい、マジで。

 

「そんなに見るなよ……タクト。もういいだろ……」

 なぜ目をそらす?

「いや、もう少し見せてくれ」

「も、もういいでしょ……」

 ダーメ!

「いや、まだ見終わってない」

「まだ……なの?」

「もう少し」

「い、いやっ……恥ずかしい……」

 そんなエロゲみたいな声を出すな!

「まだまだ……」

 

 ガンッ!

 

 鈍い音が頭上で響く。

「なにをやっとるか! 馬鹿者が!」

 ズキズキと痛む、頭を摩りながら振り返ると……。

 

「宗像先生……」

 めっさ睨んでるやん。

 そういえば、体育と日本史を兼任しているんだったか?

 恐らくスポーツウェアなのだろうが、正直いって水着に近い。

 スカイブルーのランニング、ブルマ……?

 へそ出し、気持ち悪い巨乳のおまけつきだってばよ。

 これが今流行りの環境型セクハラというやつか。

 

「さっと着替えんか! 新宮、古賀」

「そ、それがですね……ここって男子更衣室ですよね?」

「は? そうだけど」

「なんか、さっき全日制の女子が着替えて、大変だったんですよ」

 

「だぁっはははははは!」

 

 相変わらずの下品な笑い方。

 しかも笑うたびにお乳がボインボインしてるから超キモい。

 

「結構! 結構! ラッキースケベ大勝利だな!」

「いや、顔見てわかりません? 殴られたんですよ? むしろ、こっちが被害者であることを訴えたいですね」

「どうしてだ? 女の裸を見たんだろ? それぐらい、なんてことないだろが!」

 と言って、爆笑する痴女は酒臭い。

 この教師は仕事とか言いつつ、事務所で酒飲んでじゃねーのか?

 あ、わかった。コーヒーに混ぜているな!

 

「とりあえず、着替えろ。たぶん、その女子は時間が間に合わなかったのだろうな」

「間に合わない?」

「ああ、以前も言ったように、我が一ツ橋高校は校舎がなく、更衣室が全日制と逆なんだよ」

「はぁ!? なんでそうなるんですか?」

「知るか! んなもん、こっちが決められる立場じゃないんだよ。だから今度からはあんまり早くに来て更衣室をのぞくなよ~?」

「のぞきませんよ!」

 

 隣りに目をやると、ミハイルは顔をまっかかにしている。

 ふむ、思春期とはわからぬものよ……。



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20 おっ! 体育の時間ですよ! その1

 

 俺とミハイルはぎこちなく更衣室に入る。

 

 全日制コースの赤坂 ひなたのパンティーが気になって仕方ない。

 正直いって人生で、はじめてのラッキースケベだもんな。

 あ、ギャルの花鶴 ここあはチェンジで。

 

 対してミハイルと言えば、顔を赤らめたまま、Tシャツを脱ぐ。

 

「よいしょっと……」

 

 タンクトップとデニム生地のショートパンツ。

 どうやら、動きやすい服装になったようだ。

 だが、一番気になるのはその白い素肌。

 華奢な肩、動く度に胸元がチラチラと俺を誘惑する。

 

「タクト? 早く着替えろよ」

 

 キョトンとした顔でミハイルが俺を見つめている。

 正直、ドキッ! としたぜ。

 こいつが女だったら俺はのぞき魔だな……。

 いかんいかん! 目を覚ませ、琢人!

 

「ああ……ところで、古賀。お前は体操服を所持してないのか?」

「たいそーふく? オレの中学はいつも私服だったぞ?」

「……そうか」

 あえて突っ込むのはやめておこう。

 

 俺もせかせかと着替えだす。

 その間、チラチラとミハイルの視線が気になる。

 俺の中学時代の体操服がそんなに珍しいか?

 ブルマではないけどな……。

 

「じゃ、いくか」

「う、うん……」

 なぜ顔を赤らめる? 床ちゃんと会話するなよ……かわいそうに思っちゃうぜ。

 

 

 武道館には俺とミハイル以外、全員揃っていた。

 いや、あの数分でみんなどんだけ瞬間移動できたの?

 まあ女子はともかく、男子は……。

 

「なるほどな」

 俺は生徒たちを見渡すことで理解できた。

「なにが?」

 ミハイルが上目遣いで尋ねる。

 頼むからそんなに見つめないで……キスしたくなっちゃう。

 

「いやな……体操服を着ているのは俺と女子ぐらいだな」

 そうミハイルと同じく、男子は体操服に着替えておらず、私服のまま授業に参加しているのだ。

 酷いやつは恐らく上履きも履き替えておらず、土で汚れたスニーカー。

 これで体育を受ける態度と言えるのか……。

 

「そんなにおかしいことなのか? タクト」

「おかしいに決まっているだろ……体育とは運動しやすい格好しないと危険なんだぞ?」

「へぇ……」

 珍しく俺の高説に耳を傾けてくれるやん、ミハイルさん。

 

「それにだ。体育館も一見きれいにみえるが、けっこう汚いんだぞ? 私服では汚れが付着し、中々に洗濯しづらいのだ。それからケガのリスクも少しは……」

 

「やっかましい!」

 

 また鈍い音が俺の頭上で聞こえる。

 妙に暖かさを感じるんですが、出血してませんかね?

 

「新宮! さっさと列にならべ!」

 クッ! パワハラ+環境型セクハラ教師の宗像か……。

 教師であるお前がブルマ姿ってどんな罰ゲームだ、バカ野郎!

「うっす……」

 殴られた頭をさする。

 

 

「ミーシャ! こっちこっち~」

「おう! ミハイル!」

 そう呼び止めるのは『それいけ! ダイコン号』のお二人じゃないですか。

 

「あ……」

 ミハイルは俺の顔と、花鶴&千鳥コンビを交互に見つめる。

「この子ぼっちなの……」みたいな顔するな、ミハイルさん。

 なんだよ、俺が可哀そうにみえるだろう?

 

「俺のことは気にするな。一人でも体育はできるからな」

「ご、ごめん……」

 そう言うとミハイルは寂しげに肩を落とした。

 足早に『それいけ! ダイコン号』へとしゅっぱーつ!

 

「さて……」

 俺は一人非リア充グループの列に並んだ。

 ぼっち? フッ、俺クラスになればスナック感覚だぜ!

 ぴえん!



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21 おっ! 体育の時間ですよ! その2

 

「ふむ……」

 授業の時といい、なぜリア充と非リア充はこんなにも分断されるのか……。

 俺たちは紛争状態なのか?

 

「おっほん!」

 

 咳払いしたと同時にセクハラ教師のメロンが、上下左右に踊り出す。

 やめて……きついっす!

 

「今日は初めてのスクリーングの生徒もいるからな……簡単に説明するぞ」

 そう言うと、宗像先生はバレーボールがたくさん詰まったカーゴを持ってきた。

 げっ! よりによってバレーか……。

 俺は自慢じゃないが、生まれつき球技は苦手なんだよ!

「いいか! よく聞けよ、半グレども!」

 だから『俺たち』は半グレじゃねーーー!

 

「今日はこれからこのボールで2時間遊び倒せ!」

「ウソでしょ……」

 呆れる俺とは対照的に、リア充グループから歓声があがる。

 おいおい、お前ら授業ではえらく不真面目なのに、遊びに関しては勤勉なことですね。

 

「ミーシャ♪ 一緒にやろ」

「シャーーー! やるぜ! ミハイル」

「う、うん!」

 

 ミハイルさんまで、えっらい元気じゃないっすか……。

 さすが伝説の『それいけ! ダイコン号』の三忍だとこと。

 

 と……思いにふけている間に、俺は一人ぼっちになっていた。

 しまった!

 クソ……もう既に皆(非リア充)はグループを作ってしまった……。

 このままでは、宗像先生とイチャイチャバレーになってしまう。

 それだけは回避したい。

 

「あの……」

 か細い声が俺を呼ぶ。

 振り返るとそこには見かけたことのあるキノコ! じゃなかったおかっぱ男子が一人。

 

「確か……日田だっか?」

「え? なぜ拙者の名を?」

 男二人で互いの顔を見つめあう。

「おまえ、さっきトイレで話しかけただろ? 日田(ひた)?」

「いえ、拙者は遅刻してきたので、先ほど校舎に着いたばかりですが……」

「いやいや、お前は確かに日田なのだろ? ほら、さっき古賀のことを……」

「なりませぬ!」

 

 日田が俺の口を塞ぐ。

「ふぐぼごご……」

「申し訳ない、がっ! その名を口に出してはなりませぬ。殺されますぞ!」

「ふご、ふご」

 首を縦に振る。

 

「ぶっは! なにをする!? お前は日田 真一だろうが!」

「失礼をば。氏の身を案じたが故の無礼を……ですが、拙者は真一ではありません」

「なんだと!? じゃあお前は?」

「……拙者は日田真二(しんじ)です。真一の弟です。兄ならそちらに」

 そう言って指差した壁に、縮まったおかっぱがもう一人。

 どうやら病欠らしい。つまり見学。

 一ツ橋高校は病弱な生徒も熱心に入学させていると聞いた。

 きっと兄の真一もその類なのだろう。

 

「あ……本当だ」

「拙者たちは一卵性の双子です。日田家が次男、真二と申します。以後よろしく」

 ご丁寧に頭をさげる。

「そうか……真二か。認識した。俺は新宮 琢人だ」

「新宮殿、拙者とバレーボールしませんか?」

「まあ構わんが……」

 

  ~10分後~

 

「ではいきますぞ~」

「来いっ!」

 日田 真一ではなく、弟の真二が「はーい」と律儀にも掛け声とともに優しいサーブ。

 俺も影響を受けたのか「はーい」と返す。

 続けること1時間……なにが楽しいのこれ?

 

「はぁはぁ……やりますな。新宮殿」

「やるもなにも……二人でやってるだけだろ……」

「確かに……では次こそ、本気でやりましょう!」

「構わんが……」

「いきますぞ!」

 真二の強烈なサーブが俺の横っ面をかする。

 見事な豪速球! いや、当たってたらケガしてだろ……。

 本気すぎて、ドン引きだわ。

 

「ああ! 新宮殿!?」

「え?」

 真二の慌てぶりを見て、振り返る。

 豪速球はリア充グループに向かって、一直線!

 やばい……ほぼヤンキー軍団に直撃すること不可避……。

 

「いがん! よでろ!」

 普段大声を出さないせいか、痰がらみで上手いように喉が鳴らない。

 ただ、俺の叫び声に何人かの生徒たちは気がつき、危険ボールを察する。

 

「逃げて!」

「危ない!」

「死ぬぞ!」

 

 人波が掻き分けられ、最後に残ったのは伝説の……金色のミハイル!

 

「ミーシャ! よこ!」

「よけろ、ミハイル!」

 危険を察知した花鶴と千鳥。

 

「え?」

 だが、ミハイルはキョトンとしながら花鶴と千鳥の顔を見つめている。

 なにをやっているんだ!? ミハイルのやつ!

 

「古賀ぁ!!! よけろぉぉぉ!」

「タクト……?」

 振り返った時、遅い……と俺は思わず目をつぶってしまった。

 怖かったんだ、目の前で可愛い子がケガするところを。

 彼女いや……奇麗なミハイルの顔に傷が入るなんて、ましてや出血するところなんてみたくない。

 

「クッ!」

 後悔から唇を噛みしめる。

「新宮殿……見てくだされ」

 真二の声でようやく瞼を開くとそこには、驚愕の映像が俺を釘付けにした。

 

 華奢で、女みたいな顔で、俺より身長も低いのに、古賀 ミハイルは豪速球を片手で静止させていた。

 なんなら、ボールを指上でクルクルと回して遊ぶ余裕っぷりだ。

 

「さすがは、金色のミハイル……」

 隣りにいる真二がそう漏らす。

「なあ、その金色っているか?」

 めっさ笑顔で俺に手を振っているよ……ミハイルさん。



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第四章 オタク訪問
22 キンコーンカンコーン


 

 クソみたいな体育(ただの遊び)が終わり、教室へと戻った。

 

 イスに座るとため息と共に、安堵が生まれる。

 やっと解放されたのだ。

 この一ツ橋高校の校舎。いや、刑務所からな。

 

 各々がリュックサックに荷物をつめ、笑い声が聞こえる。

 そうリア充グループもつまらんのだ、この校舎が。

 彼らも高卒という資格が欲しいだけ。

 つまりは賃金アップや職務上の資格欲しさで入学したに過ぎない。

 まあ俺はちょっと『違う理由』で入学したのだが……。

 

「なあタクト!」

 あれミハイルさん? なんで満面の笑顔で俺を見てんの?

 

「どうした、古賀?」

「あ、あのさ……」

 なにをモジモジしている? また聖水か?

 お花を摘むなら、どこぞの花畑にでもいってこい。

 

「あの……一緒に帰らないか?」

「え……」

 一瞬、ミハイルの『帰らないか?』が『やらないか?』に聞こえたのは、俺が突発性難聴なのか?

 

「まあ……構わんが」

「じゃ、やくそくだゾ!」

 おんめーは小学生か!

 俺のポ●モンはやらんぞ?

 

 バシッ! と雑なドアの音が聞こえると、一人のビッチが現れた。

 

「それでは帰りのホームルームをはじめるぞ~」

 

 ボインボイン言わすな! 宗像!

 乳バンドをしっかりつけて固定しろ!

 つけてその揺れ方なら、整形してこい!

 

「はじめてのスクリーングは楽しかったか? お前ら!」

 なにを嬉しそうに語るのだ? 宗像先生よ。

 

 シーン……としたさっぶい空気。

 これはリア充も非リア充も同じである。

 草!

 

「なんだ? お前ら? 元気がないな? 私はこうやってお前らがスクリーングに来てくれたことが本当にうれしいゾ♪」

 キモいウインク付きか……。

 教育委員会に報告とか可能ですかね?

 

「じゃ、レポート返すぞ! 一番! 新宮!」

「はい……」

 席を立ちあがると、キモい巨乳教師の元へとトボトボ歩く。

 

「声が小さい!」

「はぁい~」

「たくっ! お前はケツを叩いてやらんといかんな、新宮」

 いや、セクハラじゃないですか……。

 

「ほい、よくできました!」

「ありがとうございます」

 

 用紙を覗けば『オールA』

 まあ当然だろな、ラジオでアンサーありきの勉強だからな。

 鼻で笑いながら着席する。

 

「じゃあ二番! 古賀!」

「っす……」

 いや、なんで俺だけ怒られたの? ミハイルも怒れよ! 宗像!

 

「古賀……お前、もうちょっとがんばれよ?」

 なんかめっさ『この子かわいそう……』みたいな憐みの顔で見てはるやん、宗像先生。

「っす……」

 青ざめた顔でレポートを見るミハイル。

 『私の年収低すぎ!』ぐらいの顔だな……。

 どれ突っ込んでやるか。

 

 

 席についたミハイルへ声をかける。

「おい、古賀。レポートどうだった?」

「え……DとかEばっかり……」

 そんな涙目にならんでも……。

 ちなみにD判定はギリギリセーフ。単位はもらえる。

 E判定はやり直しである。

 つまりアウト~! なのだ。

 だが、風にきいた噂だと、E判定はなかなかでないと聞いたが……。

 

「お前、ラジオ聞いたのか?」

「え? なにそれ?」

 驚愕の顔で俺を見つめるんじゃない!

 可愛すぎるんだよ、お前の顔。

 このハーフ美人が!

 

「ラジオ聞いてたら楽勝だぞ?」

「そうなんだ……タクトはどうだったの?」

「俺か? オールAだが」

「す、すごいな! タクトって!」

 え? 驚くところですかね?

 逆にバカにされた気分。

 

「な、なあ今度オレに、べんきょー教えてくれよ☆」

 えー、金もらえないならいやだ~

「ま、構わんが……正直ラジオ聞けば一発だぞ?」

「ラジオ? オレの家にはそんなのないけど?」

「そ、そうか……」

 あえて突っ込むのはやめよう。可哀そうなお家なのかもしれない。

 

 

「じゃあ、お前ら気をつけて帰ろよ!」

 

 気が付けば、レポートは全員に返却され、各々が素早く教室を出る。

 しかし、その動きを止めたのはセクハラ教師、宗像。

 

「あと! 帰りに遊ぶのは構わんが……ラブホ行ったやつはレポート増やすぞ! 絶対にだ!」

 

 みんな一斉に硬直しちゃったじゃないですか……。

 呆れた顔で帰る生徒に、苦笑いするリア充(いくつもりか!)、ドン引きする非リア充。

 

「なあタクト……ラブホってなんだ?」

「え……」

 それ童貞の俺に聞きます?

 ミハイルさん?

 

 

「ミーシャ、帰ろ」

 花鶴ここあか、なぜ俺の机の上に座る?

 お前の臭そうなパンティーが丸見えだ。

 そんなミニスカ、どこで売ってんの?

 

「イヤだ! 俺はタクトと帰る!」

「ミハイル、タクオと帰るんか?」

 千鳥のおっさん、タクオってもう定着しているんですか?

 やめません?

 

「そだね。オタッキーならいいっしょ」

 よくねーし、なにがお前らの中でいいんだ? ミハイルはお前たちの子供か?

 そう言い残すと『それいけ! ダイコン号』のお二人は去っていった。

 あの二人は付き合っているのかな?

 

「じゃあ……タクト、いこ?」

 なぜ上目遣いで誘うような顔をする?

「ああ……」

 なんか下校するのに、級友と一緒に歩くのなんて久しぶり……。

 え? 人生ではじめてか?

 ブッ飛び~!



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23 ミハイルの趣味

 

「なあ、タクトってどこに住んでいるんだ?」

「俺か? 真島(まじま)だ」

「マジか! オレいったことあるぞ!」

「さいでっか……」

 駅のホームで博多行きの下り列車を待つ。

 

 なぜ俺はこの金髪ハーフで天使のような女の子……だったらよかったな。

 の、男の子。古賀 ミハイルと肩を並べているのだろうか?

 隣りに立っているこの子が、本物の女の子なら赤飯ものだが……。

 

 プシューッと列車が動きを止める。

 

 自動ドアが開くと旧式の列車、つまり横並びのイスタイプとわかる。

 こういう席並びは本当に嫌いだ。

 隣りにびっしりと人と人が肩をくっつけ、膝もすり寄せる。

 おまけに反対側の人間ともよく目があう。

 あと、俺が座っているとよく女子は「キモッ!」みたいな顔で座ることをやめ、直立不動を選びがちである。

 

 

「タクト? どうしたんだ? 座ろうよ」

 キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳が俺を誘う。

「ああ……」

 半ば言いなりになると、二人して座る。

 ため息をつき、リュックサックを床にドサッと置く。

 やはり肩がこっているな……。

 

 対してミハイルはリュックサックを隣りの席に置き、俺に膝をすり寄せる。

 なにこれ……噂に聞くキャバクラですか!?

 ピッタリとくっついて、スマホを取り出す。

 

「古賀。お前のスマホケースって……」

「これか? いいだろ☆」

 そう言って「宝物だよ☆」みたいに自慢げに見せるは、クッソ可愛いネズミのキャラだ。

 俗にいう『ネッキー』である。夢の国からきた救世主である。

 ピンクのズボン履いちゃってさ、超かわいいよな。

 こういうのってJKがよくしているヤツだよな。

 なんで男のミハイルがつけているんだ?

 

「お前、それって……『ネッキー』だろ?」

「うん☆ ネッキー大好きだからな」

 めっさ笑ってはるよ……。

「そ、そうか……」

「タクトはどんなケースしているんだ?」

 よくぞ聞いてくれました!

 

「フッ……俺はこれだ!」

 取り出すは、ビジネスマン向け、利便性重視の手帳型ケース。

 色は紺色。ザ・シンプル。

「うわっ……だっさ!」

「なんだと!? これは俺がアマゾンで2時間もかけて選んだコスパ良し、機能性良し、しかもカードが10枚も入るんだぞ!」

「だから? デザインがカワイくない」

「……」

 クッ! この天才少年の琢人様が、おバカなミハイルに論破されるとは!

 

「フン! お前にこの崇高なデザインはわからんのだ!」

「お、怒らなくてもいいじゃん」

 

 腹を立てた俺は、リュックサックからイヤホンを取り出す。

 スマホに接続するとお気に入りのプレイリストを流す。

 疲れた鼓膜にはこの音楽が最高だ。

 『パンプビスケット』『ランキンパーケ』『システムオブアシステム』など……。

 ラウドロックがズラリだ。

 

 日々の怒りが、うっぷんが……彼らのシャウトで俺を癒してくれる。

 重低音こそが聴く『抗うつ剤』だな。

 

「なあ……クト……」

 肩をチョンチョンと、遠慮がちにつつくミハイル。

 

「どうした?」

 片耳を外して、ミハイルの言葉を待つ。

「なに聴いているの?」

「フッ……今、聴いているのは最高のバンドの1つ。‟パンプビスケット”だ」

「ふ~ん。なんかすっごくいい顔で聴いているから気になるなぁ……」

 上目遣いをしてはいけません!

 思わず唇に触れたくなるでしょ!

 

「ほれ」

 片方のイヤホンを差し出す。

「ありがと☆」

 ニッコリ笑って、大事そうにイヤホンを自身の右耳にそっとつける。

 自然と肩と肩がくっつく。

 ミハイルの髪から甘いシャンプーの香りが漂う。

 思わず俺の心臓さんもバックバク……。

 と、余韻に浸っているのも束の間。

 

「うわっ!」

 

 ミハイルはイヤホンを投げ捨てるように放り投げた。

 そのせいで俺のイヤホンまで外れてしまった。

 耳に痛みを感じ、イラつく。

 

「なにをする!」

「わ、わりぃ……うるさすぎて……」

 申し訳なさそうにモジモジしている。

 聖水なら早くお花を摘みにいきなさい。

 

「うるさいだと? この崇高な音楽をお前は『うるさい』だと?」

 怒りの琢人がログイン!

 

「わ、わりぃって……まさかタクトが、こんなうるさい曲聴いているとか思わなくて……」

「おい、また『うるさい』といったな?」

「わりぃってば……」

 少し涙目になってはる。

 

 ギャラリーが『ざわざわ……』と音を立てる。

 

「ねぇ、アイツ。ヒドくない?」

「だよね……ドン引き」

 

 声の持ち主を辿れば、三ツ橋高校の制服組のJKね。

 

「ま、まあ音楽の趣味は人さまざまだからな……」

「う、うん……代わりにオレの曲も聞いてよ☆」

 え? そんなの望んでないから。

「ほら☆ いい曲ばっかり」

 そう言って、イヤホンもなしに音楽を大音量でかける。

 電車の中はおうちじゃないのよ? ミハイルさん。

 

「ん? この曲って……」

「そうだよ☆ 『デブリ』の『ボニョ』!」

 え~、可愛すぎません、オタクの趣味。

 

「ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪」

 ニコニコ笑いながら大声で歌いだすミハイル。

 電車内では静かにしなさい!

 

「カワイイよね、あの子。ホモショタかな?」

「マジ? 尊いやん……」

 

 制服組じゃなくて、腐り組じゃねーか!

 

「なあ……古賀、なんでそんなカワイイもんばっか好きなんだ?」

「だってカワイイじゃん☆」

 んなことは見ればわかる。

 

「一応、お前もティーンエイジャーの一人だろ? もっとなんというか……男ならカッコイイものに憧れないか?」

「うーん……オレは小さい頃からねーちゃんと一緒にいて、ねーちゃんとDVDとか見て育ったからな。あんま、そういうのわかんないな」

 シスコンかよ。

 ねー、ちゃんと風呂入ってんの?

 わからんな……ヤンキーという生態は。

 

 BGM、名作曲家のジョーさん。



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24 ミハイルVS現役JC

 

『次は席内(むしろ)駅~ 席内駅~』

 

「あっ……」

 ミハイルが困った顔で俺を見つめる。

「どうした?」

「オレの駅……」

「そうか。じゃあまた今度な」

「う、うん……」

 

 ドアから降りる金色のミハイルこと、ショーパン男子の白い肌は夕焼けと共にオレンジがかる。

 写真撮っときたい。

 

「じゃ、じゃあな! タクト……」

「おう」

 そう手を振るミハイル。

 なんで、そんな今にも泣きそうな顔で俺を見る?

 そんなに俺ん家でポ●モンでもしたかったか?

 

 プシューッ! と自動ドアの音が鳴る。

 これで彼ともしばしのお別れだな……。

 ん? なぜか胸がざわつく……この気持ちはさびしいのか?

 俺は……。

 

「やだっ!!!」

 その小さな細い手で軽々とドアは開く。

「ミハイル?」

 思わず下の名前でよんでしまった。

 

「オレ、タクトに……」

「俺に?」

「べ、べんきょう習うんだ!」

「は?」

 

 ギャラリーから歓声があがる。

 

「なにあの子? 超積極的! カワイイ!」

「うんうん。別れが惜しいんだよね……すっごくわかる いいな~」

 と騒ぐのは、やはり三ツ橋高校の制服組JKか。

 

「お熱いよね~ 受けか攻めか、知らんけど、相棒は迎えにいけよ! って感じじゃね?」

「それな! ショタコンなのにマジ空気読めねーわ」

 いや、なにが?

 勝手にショタコン扱いしないでください。

 

『ご乗車の方はお早めにお入りください!』

 

 車掌さんめっさ怒ってはるやん……。

 

「古賀! 早く戻れ! 他の乗客に迷惑だ」

「あっ……うん☆」

 目を輝かせて、俺の元へと戻るヤンキー少年。

 なにこの子、超カワイイんですけど。

 抱きしめたいぜ、ちくしょう。

 

「わ、わりぃ……」

「俺は構わんぞ?」

「そ、そっか! なら……タクトん家に行ってもいいか?」

「何故そうなる?」

「だってべんきょう教えてくれるんだろ?」

「あ~、別にええけど?」

「約束な☆」

 ニコニコ笑いながら、俺にピッタリとくっつくミハイル。

 やばいよ~ いろんな意味で……。

 元気になっちゃいそう!

 

「なにあの二人? もう事後じゃね?」

「うんうん、あの子ゾッコンじゃん! このあとむちゃくちゃ……」

 しねーから!

 お前ら腐ったやつらの席ねーから!

 

 ガタゴト揺れること数分、席内駅から3駅ほど通過すると、俺の故郷『真島(まじま)駅』が見えてきた。

 

 真島とは、福岡市の東部にある住宅街だ。

 それもギリギリ福岡市に入る地域で、真島駅も福岡市と福岡県の境目にある。

 かなり中途半端な福岡市民といえよう。

 だが俺はそんな真島という街が大好きだ。

 ここで生を受け、ここで育ち、今の俺がいる。

 感謝しかない。

 

『次は真島駅~!』

 

「おい、古賀おりるぞ?」

「……」

「古賀?」

 スゥスゥと可愛らしい寝息を立てて、お昼寝中でちゅか?

 電車内でお昼寝とは、お行儀がなってませんな。

 チューしてみよっかな?

 

「ねぇねぇ、そろそろ攻めがチャンスじゃね?」

「いけ! いっちまえ!」

 お前らの存在が『イキスギィ~』なんだよ。

 

「古賀、起きろ」

 軽く肩に触れると、本当に華奢な骨格であることが確認できた。

 こんな体格でどうやったらあんな馬鹿力が出せるんだ?

 

「う、う……ん、タクト?」

「真島駅だ、降りるぞ」

「うん☆」

 ミハイルの手をとり、気がつけば真島駅のホームにおりていた。

 その間、手は離さなかった。

 こいつときたらまた何をしでかすか、わからんしな。

 と、いうのは言い訳かもしらんが。

 

「チッ! あの攻めなってねーわ」

「こんのクッソチキンが!」

 

 制服組も真島駅だったのか……。

 去り際になんつーおみやげ捨てていきやがる?

 真島は、腐りはてた街に成り下がってしまったのかもしらんな。

 

「タクト……手」

「ん?」

 まだ手つないだままだった……てへぺろ♪

 

「悪い」

「ううん……」

 なぜ顔を赤らめる?

 今日ってそんなに暑かったか。

 

 真島駅から出ると、商店街へ向かう。

 駅近辺にはさまざまな居酒屋が並ぶ。

 きったない個人店から大手チェーン店。ほかにもさまざまな店舗が細々ある。

 初見の方々は、迷路のように感じるかもしらんな。

 

「まじまだ~ ひっさしぶり~☆」

 背伸びして空気を吸い込むミハイル。

 

「ただの真島だがな」

「なんか前に来たときより……だいぶ店変わった?」

「ああ、ここも時代でな。大手チェーン店に殺された街だ」

「そ、そうなのか!?」

「奴らは怖いぞ? くせの強いレンタルビデオショップ、旨いがクッソ固いパン屋、マダムたちが嗜む衣料店、やっすいのに尋常ないぐらいのスキルを持つ理髪店……全てが奪われた」

 限りなく実話だ。

「それって……ただ単に売り上げがわるかったとかじゃないのか?」

 クッ! ミハイルのくせして、鋭いじゃないか!

「だが未だに残っている店もたくさんあるぞ!」

 手のひらを掲げる。

 

『真島商店街』

 

 ボロボロに錆びた門構えがある。

 車一台通るのがやっとな道路に、びっしりと店が並ぶ。

 主に居酒屋と不動産屋が多く、他には洋菓子店や和菓子店などがある。

 

 メインストリートを歩きだすと、ミハイルは上下左右を丹念に見つめる。

 いや、ただの廃れた商店街なんだが?

 なんかちょっと地元民的に恥ずかしいわ。

 

「おもしろいな、まじまって!」

「そうか?」

 だが、言われると心地よいものだ。

 

「タクくん~!」

 

 甲高い声が響き渡る。

「この声は……」

 嫌な予感がした。

 前を見れば、セーラー服のツインテールが全速力で走ってくる。

 制服を着用しているくせに、宗像先生に負けず劣らずなメロンがバインバインと左右に揺れている。

 キンモッ!

 

「タクくん! おっかえり~」

 甘えた声を出すと思いっきり、抱きしめられる。

 巨大すぎる乳の谷間に俺は沈められた……。

 息ができない、ここは深海か!?

 

「なんだ! おまえ! タクトになにすんだよ!?」

「およ? 私のことですか?」

「ふごごご……」

 ジタバタすればするほど、少女のアームロック……じゃなかったハグが強まる。

 

「はなせ! タクトが苦しそうだろ!」

 見えんがもっと言ってやってくれ、ミハイル。

 乳が気持ち悪いんだよ、鳥肌たってきた。

 

「ええ? どうしてです? 『かなで』はいつものハグで遊んでいるだけですけど?」

「タクトで遊ぶな! いいから離せ!」

 ミハイルが力づくで救出してくれた。

 やはり伝説のヤンキー、金色のミハイルなだけはある。

 この『バカ巨乳』から力で勝つとは。

 

「あっ……タクくん……」

 気がつくと、俺の頭はミハイルの薄っぺらい胸に抱えられていた。

 なにこれ? 超気持ちいい!

 あ~ ずっとこのままでいたい。

 

「タクト、ダチなのか? あの子?」

「いいや。全く持って知らんな」

「ヒッド~い! 毎晩いつも同じ布団で寝ている関係でしょ?」

 オエッ!

 

「ね、寝ているだと! お、お前……ちゅ、ちゅー学生に何をしているんだ!?」

 急に投げ捨てられた俺氏。

「なにを勘違いしているんだ、古賀」

「だって……この子が」

「ふむ、自己紹介しろ。かなで」

 なんだよ……もう少し絶壁海峡を味わいたかったのに!

 

「ハイ、おにーさま♪」

 なーにが兄さまだ!

 スカートの裾を左右に広げると、姫様のように頭を軽く下げる。

 

「私、新宮 かなでと申します。よしなに」

 

「え……どういうこと?」

「つまり俺の妹だ」

 残念なことにな。



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25 進撃のかなでちゃん

 

「タ、タクトに妹がいたのかっ!?」

「ああ」

 驚きすぎだろ。

 

「こんにちは♪ おにーさまが人様を連れてくるなんて、初めてですわね♪」

「おい、かなで……お前、あとで覚えてろよ?」

 女じゃなかったら往復ビンタですぞ。

 

「そ、そっか、タクト……本当にダチがいなかったんだな☆」

 なに笑ってんの? ミハイルさん?

 ひょっとして、これ同情されてない?

 いやいや、やめてね。

 

「はい♪ おにーさまはいっつもぼっちで非リア充で、彼女もなし。夜な夜な『妹を使う』クズ男子です♪」

「つかう? ゲームでもすんの?」

「はい♪ エロゲーですね♪」

 頭痛い……。

 

「ところでまだお名前をうかがってませんね」

「あ、オレはミハイル。タクトのはじめてのダチだゾ☆」

「え!? おにーさまにおっ友達がっ……」

 貴様、そんなアゴが外れぐらいの大口開けやがって!

 

「ちょ、ちょっとお待ちください……ううっ……」

「かなで、お前。なぜ泣いている?」

「だって……おにーさまにおっ友達ができるなんて……奇跡ですわ」

「お前な」

 

「しばしお待ちを! ミハイルさん!」

 なにを思ったのか、スマホを取り出すと電話をかけ出すひなた。

 

「おっ母さま! 大変ですわ! おにーさまが……」

『ど、どうしたの? かなでちゃん! タクくんが痴漢でもしたの!?』

 声が漏れている……。

 

「違いますわ! 痴漢ならまだしも……」

 痴漢はダメだろ!

『いったいどういうことですってばよ!?』

「お、お、お……」

『オ●ニーを学校でしたの?』

 爆ぜろ、この親子。

 

「おっ友達を連れてきたんですのよ!」

『……わかったわ。かなでちゃん、すぐにパーティーの準備よ!』

「御意ですわ!」

 

 ひなたは俺とミハイルに背中を見せると、イケメンばりに親指を立てた。

「あとはこの私、かなでにお任せください!」

「は? お前、どこに行く気だ?」

「決まっていますわ! 駅前5分の『ニコニコデイ』ですわ!」

 近所のスーパーのことだ。

「お二人はお先に我が家に!」

 走り出す妹。

 かえってくんな、永遠に。

 

「なあ今日って、かなでちゃんのお祝いでもすんのか?」

「いや……俺たちを使って遊びたいだけだ」

「そ、そうなのか! オレもあそんでいいのか!?」

 君は勉強にきたんじゃないの?

 

 ミハイルは目を輝かせて、真島商店街を眺めて「あれはなんだ?」「こっちは?」と俺に質問の嵐。

 それに対し、俺は各建物や店の情報を教える。

 答える度にミハイルは「すごいな!」と喜ぶ。

 

 歩くこと数分、我が家についた。

「ここが……タクトのいえか……」

 ミハイルさん、顔が真っ青……。

「悪いがそうだ」

 知人が俺の家へ中々遊びに来ないのは。俺自身の性格、ぼっちだからではない。

 我が家の敷居が高すぎるのだ。

 

貴腐人(きふじん)

 

 ブルーの看板には、裸体の男と男が接吻する寸前の環境型セクハラが描かれている。

 店の中には痛いなんてもんじゃないぐらいのBL雑誌、推しのポスター、コミック、小説、映像作品、同人誌で溢れている。

 ここでオタクショップと思った初見の方は、まだまだである。

 そんな腐れ果てた店内は、なんとただの美容院なのだ。

 

 ドアノブに手を掛けると自動で『どうしてほしいの?』とイケボ声優の甘ったるい声がささやかれる。

 これがその界隈の女性陣からは身震いを起こすらしいのだ。

 俺としては『イキスギィ~』の方がインパクトあっていいと思ったが却下された。

 

「タクくん~!!!」

 

 『かけ算』している痛い自作エプロンをした母が両手を広げて出迎える。

 満面の笑みで眼鏡が光っている。

「母さん……やめないか」

「え? やらないか!?」

 クソがっ!

 

「まあまあ可愛らしい、おっ友達ね! あなたは受けかしら?」

「え? ウケってなんすか?」

 ミハイル。お前まで腐ってしまっては親御さんに謝罪せねば。

「あらあら……最近の子たちは『かけ算』もしらないの?」

「かけ算はガッコウで一応ならったすけど」

「時代ねぇ、最近の学校は進んでいるのね~」

 会話になってねぇ!

 

「母さん、この子は古賀 ミハイル。俺のクラスメイトだ」

「かなでちゃんから話は聞いているわ! ミハイルちゃん! あなた可愛いわね!」

「か、かわいい……」

 顔を赤らめてまた床ちゃんとお話しちゃったよ……。

 ただ我が家の床ちゃんは痛男(イケメン)だがな。

 

「ええ、記念に写真をとりましょ!」

「は? なんでそうなる?」

 ここは入学式会場ですか。

 

「はーい、もっとからんでからんで!」

 息子になにをいってんだ! ババア!

 

「からむ? こうかな?」

 命令通り、俺の左腕を組むミハイル。

「こ、古賀?」

 貧乳……じゃなかった絶壁が俺の肘にあたる。

 

「うひょ~ 尊すぎるぅ~ デヘヘヘ……」

 悦に入るなクソババア!

 

「は、早く撮ってくれ、母さん!」

「なにを怒っているんだ? タクト」

 首をかしげて上目遣いすんな! こんな至近距離だと色々とドキドキキュアキュアだぜ。

 

「はーい! BL!」

 ちな、ピースの意味な。

 どこにログアウトの選択肢があるんでしょうか?



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26 スーパーゴッドマザー 琴音

 

「タクトの母ちゃんって、おもしろいな☆」

「そ、そうか?」

 記念写真を撮り終えた俺とミハイルは、店内のソファに通された。

 今日は客が来ていないようだ。

 

 母さんのBL美容院は人を選ぶ……ため、完全予約制で接客している。

 しかも、一人ひとり丁寧に応対するために、『セットチェア』も鏡も一人分しかない。

 それだけ凝っているのだ。

 『お客様が落ち着いてBLトークできる美容室』をテーマに開店したのが、20年ぐらい前。

 時代を先取りしすぎて、開店当初は近所からのクレームが絶えなかった。

 だが今ではご近所さんも母さんの詐欺師ばりなBLトークで腐りはててしまった。

 

 人はこう呼ぶ、新宮(しんぐう) 琴音(ことね)は『真島のゴッドマザー』と。

 

「さあ、ミハイルくん♪ 召し上がれ」

 母さんがソファーの前のローテーブルにアイスコーヒーと手作りのクッキーを並べてくれた。

 ちな、グラスは『真剣』同士で斬りあうBL侍のイラストだ。

 恐ろしいグラスよな。

「あざーす☆ いただきまーす☆」

「あらあら、ミハイルくんはお行儀がいいわね?」

 え? 俺を入学式に殴った男の子がいい子とは思えませんが?

 

「うまい! すっごいな、タクトの母ちゃん☆」

「そうか? 古賀、口元にクッキーのくずついているぞ?」

「ん? どれ?」

 すかさず、真島のゴッドマザーが動く。

 

「タクくん? 取ってあげなさい」(迫真)

 おい、母上。背後から「ゴゴゴッ」と気味悪い音が聞こえるのだが。

 

「え? タクトが……?」

 なぜ顔を赤らめる、ミハイル。

「はぁ、了解したよ。母さん」

 ミハイルの小さな口元に手を運ぶ、アゴあたりにくっついてたので、小指が思わず、唇に触れる。

「あんっ……」

 そんなエッチな声を出すんじゃない!

 

「ほれ、取れたぞ」

 母さんはすかさずスマホを取り出し、業務連絡をする。

「タクくん、さあミハイルくんからとったクッキーを食べるのです!」(迫真)

 こえーんだよ! クソがっ!

「了解だよ!」

 小石サイズのクッキーを食べると『いつも』の母さんの手作りクッキーと再確認できた。

 だが、それだけではない『古賀 ミハイル』の香りをほのかに感じるのは先入観のせいか?

 

「タ、タクト……」

 思わず目を背けるミハイル。

 そりゃそうだわな……。

 なにが楽しくておっとこのこ同士で間接キスを促されるなんてドン引きだろうな。

 たぶんミハイルも『もう二度……』我が家には近づけまい。

 なんなら、すぐに帰る……というか逃げるに違いない。

 

「ひゃひゃひゃ! 尊い! 尊すぎるで! ダンナ!」

 ヨダレ垂らしている琴音初号機。

 息子とミハイルをかけ算のネタに使うな!

 

「古賀? 大丈夫か? 気分を悪くしてないか?」

「ううん……オレは楽しいし、クッキーもうまいし……」

 俺はドン引きだし……。

 

「そうだわ! ミハイルくん! せっかくだから、タクくんの部屋にあがっていって♪」

「ええ!? オレがっすか!」

 そんなに嫌なん? 俺の部屋は別にイカ臭くないけど……。

 

「いいでしょ? タクくん?」

「別に構わんが、男同士だしな」

 エロ本なんて余裕だし。

「タクト! おとこ同士じゃねーよ……ダチだろ!」

 固く握られる両手。

 手柔らかいし、女みたいに細いし、ドキがムネムネしちゃいそう。

「……古賀」

 

「なんてことなの!? タクくんがおっ友達から告白されるなんて……母さん、泣いちゃう!」

 本当に泣いてはるし……。

 

「お待たせ致しましたわ!」

 例の『どうしてほしいの?』というイケボと共に、ツインテのJCが店内に入る。

 

「かなでちゃん! 予想外だわ!」

「どうしましたの? おっ母様!」

「タクくんが今、おっ友達のミハイルくんに告白されたのよ?」

「な、なんですって!?」

 床に落ちるスーパー『ニコニコデイ』の袋が2つ。

「おっ母さま! 一大事ですわ! おっ父様にもご一報してきますわ!」

「ええ、今日はタクくんの記念日ね……おっ友達と言う名の……」

 家出しよっかな~

 

「タクト……オレはずーっと、おまえのダチでいてやっからな☆」

「お、おう……」

 なにこれ~ 俺ってこんなに可哀そうな人間だったの?



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27 おっタクトくんのオタク拝見

 

「古賀……大事ないか?」

「なにが?」

 そりゃそうだ、初見が俺の荒んだ環境、家庭を見れば誰もが今までドン引きしていた。

 

『いやないわ~ お前ん家』

『新宮ん家って変態の家だろ? 嫌だよ』

『きみの家って腐ってるんでしょ? デヘヘヘ』

 

 最後のは母さんの友達だが……。

 

 

「だってお前……あんな母親と妹だぞ?」

「え? ふつーに優しいかーちゃんとカワイイ妹じゃね?」

「マジか……」

「うん☆ それより早くタクトの部屋見せてよ☆」

「ふむ、そうだな」

 

 俺は店の奥へとミハイルを通す。

 ちょうど2階へとあがると、『かね折れ』階段がある。

 階段の前には靴箱とマットがある。

 そうこの階段が俺たち新宮家の本玄関なのだ。

 

 靴を脱ぐと、ミハイルにスリッパを用意する。

「よいしょっと」

 ミハイルはバスケットシューズを履いていた。

 かなりサイズが小さいため、もしかしたらレディースを買ったのかもしれない。

 

 しかし、美脚よのう。

 ショーパンのせいか、膝をあげると同時にチラチラと隙間からグレーのカラーパンツが確認できた。

 これは今晩のおかず不可避。

 

「タクト、顔あかいぞ? 熱でもあんのか?」

「む、問題ない……二階が俺の自室だ」

 階段を昇るとすぐにリビングがあり、テーブルには母さんの料理の材料が並べられていた。

 それから個室が3室。枝分かれしている。

 ただお気づきの方もおられるだろうが、上下左右BLで埋め尽くされているのだがな!

 

「ん? タクトん家って店の上なの?」

「そうだ、なにか問題でも?」

「ううん……うちも店やってからさ☆ ちょっとシンパシー感じちゃった☆」

 チンパンジーの間違いじゃないですか?

 

「ほう……やはりあれか? バイクショップとかか?」

 ヤンキーなだけに!

「ううん、ちがうゾ☆ 今度、しょーたいしてやるよ☆」

 なにその上から目線、かっぺむかつく!

 

「これが俺の部屋だ」

 指差した扉にはもちろん痛男がプライバシーを侵害しているが。

「ふーん、フツーの部屋だね」

 え!? これのどこが?

「ま、まあ入りたまえ」

 

 扉を開くと二段ベッドと、小学生時代から使い続けた使い古した学習デスク……が2台。

 そうこの部屋は俺の部屋でもあるのだが、妹のかなでと共有スペースなのである。

 なので、『一人の時間』なんていつもない。夜でさえも……。

 お年頃の男女が常に共有し続ける……という異常な兄妹である。

 まあもう慣れたことなのだがな。

 他の二部屋は母さんと父さんの部屋だ。

 

「な、なんだ、この部屋!!!」

 驚愕のミハイル。思わず後ずさり。

「フッ、これか? 『世界のタケちゃん』だ」

 そう部屋の真ん中を境界線にして左が俺のゾーン、右が妹のかなでのゾーン。

 ちな、左は暴力描写に定評のある映画監督でありお笑い芸人の『世界のタケちゃん』のポスターでびっしり。

「そ、それぐらいわかるよ……そうじゃなくて右のほう!」

 ミハイルが指差したので、解説せねばならなくなった。

 彼がドン引きするのも致し方あるまい。

 男らしいタケちゃんとは対照的に、女性的な顔した男の娘がBL以上に絡んでいるというよりは、いじめられるような愛され方を攻めに受けているのだ。

 

『らめぇ~ お兄ちゃんのおてんてんが……』

『に、妊娠しちゃう~ 受精しちゃう~』

『すっごく大きいね、お兄ちゃんの♪』

 

 とセリフつきのタペストリー。

 俺も夜中にこれを見る度に身震いする。

 

 彼女ら……じゃなかった彼ら、男の娘たちは我が妹の推しである。

 齢14にしてここまで異常な育ち方をしたJCは我が妹ぐらいだろう。

 

「これってだれの趣味なの?」

「すまん……妹のかなでの仕業だ」

 マジでごめん、ミハイルちゃん。

「なあ、かなでちゃんって……変わった女の子だな……」

「それだけか?」

 心広すぎませんか、ミハイルさん。

「うん……オレにはよくわかんないけど、タクトの妹だからな☆」

「すまない! 古賀!」

 いろんな意味で。

 

「狭いがくつろいでくれ」

「うん☆ でも、タクトって『タケシ』が好きなんだな☆」

「ふむ、まあな。中学生の時にタケちゃんの映画を見て以来、衝撃を受けてな……今では『タケノブルー』も買いそろえているほどだ」

 『タケノブルー』とは、タケちゃんのお弟子さんが作られているファッションブランドのことだ。

 

「なにその、タケノブルーって?」

「ほれ、見てみろ」

 クローゼットを開ければ、ズラリと『キマネチ』のロゴ。

「うわっ、すっごいな! カッコイイ☆」

「フッ、だろ?」

 我がコレクションを受け入れられる喜びよ。

 

「おにーさま!」

 

 面倒くさいのがログインしました。

「なんだ、かなで?」

「ズルいですわ! おにーさまだけ、ミハイルさんと『おっとこのこ会』なんて!」

 なにそれ?

「だったら、かなでちゃんもいっしょにあそぼ☆ いいだろタクト?」

「さすがですわ! ミハイルさん♪」

 勉強はどうしたんだ!

「まあいいか……」

 

 変態妹と美少年が仲良くなったぞ?

 俺は知らん!



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28 白熱バトル!

 

「じゃあミハイルさん、ゲームでもしますか?」

「え? ゲーム……なんだそれ?」

 まさかとは思うが、ミハイルの家はそこまで貧しいのか?

 それとも余程の上級家庭なのか……想像に値しない。

 

「古賀、お前ゲームしたことないのか……」

「鬼ごっことか?」

 マジなのか……。

 ミハイルさん家、かわいそすぎ。

 

「なんてことですの!? つまりはミハイルさん『バミコン』や『ブレステ』すら触れたことがないということですか?」

 ならぬ……触れてはならぬぞ、かなでよ。

「うん☆ オレんち、ねーちゃんが『外で遊べ』っていうタイプだからさ」

 あー、クラスでたまにいるよな……。

 そっち系ね。

 

「つーかさ、かなでちゃん……その『ミハイルさん』ってやめてくんねーかな? 年もあんまかわんないし……」

 なにやら歯切れが悪いぞ、ミハイル。

 そんなに巨乳のJCに緊張しているのか?

 

「では、わたくしめはなんとお呼びすれば……」

「じゃ、じゃあ……ダチからは『ミーシャ』って呼ばれてっからさ……」

「ではミーシャちゃんで構いませんね」

 え? なんでちゃん付け?

「う、うん、タクトの妹だから、いい……よ?」

 ミハイルさん、ひょっとしてこのクソきもい巨乳JCにときめいてます?

 もらえるなら、もらってやってください。

 兄の切なる願いくさ。

 

「ではミーシャちゃん、一緒に遊びましょ♪」

「うん☆ ……ただ! タクトは『ミーシャ』って呼ぶなよ!」

「む? なぜだ?」

 なにこれ? いじめってやつを体験しているんですかね。

「そ、それは……かなでちゃんが……女の子だからだ!」

「は?」

 意味がさっぱりわからん……しかし、ミハイルさんよ。

 こいつは女の子というカテゴリ化するには故障しすぎているぞ?

 

「よくわからんが俺は今まで通り、古賀と呼べばいいのか?」

「いやだ!」

 ダダっ子だな……わがままはいけません!

「つまりどうすれば、お前の承認欲求は満たされる?」

「オレのことは……下の名前で……」

 つまり男同士は『ミハイル』。女からは『ミーシャ』で通しているわけか。

 なるほど、府におちた。

 

「認識した、改めよう。では、ミハイル」

「う、うん! なんだよ、タクト……急に……」

 なぜそんなに顔を真っ赤かにしている?

 かなで、喜べ。腐ったお前にようやくモテ期がきたぞ、知らんけど。

 

「じゃあ、かなで。お前が提案者なんだからゲームソフトは自分で選択しろ」

「もちろんですわ。おにーさま」

 そういうと誰でもお気軽に遊べる大人気パズルゲーム『ぶよぶよ』を持ってきたかなで。

「さすがだな、かなでよ。これならゲームのいろはを知らないミハイルでも余裕だろ」

「デヘ♪ ですわ」

 キンモ! ウインクすな。

 

 かなでが『ボレステ4』にディスクを挿入……。

 この時、妹のかなではデヘデヘと笑う。

 ソフトを自動でゲーム機が吸い込む動作がたまらないそうだ。

 我が妹にして最大の変態である。

 

 

「さあていっちょやるか! ですわ♪」

「うん☆ じゃあ、最初はオレとかなでちゃんでいいか?」

「構わんぞ。どうせ優勝はこの天才だからな」

 鼻で笑う俺氏。

「んだと!? かなでちゃん、タクトって強いのか?」

「強いですわ……この御方は……」

 顔を歪ませて拳をつくるかなで。

「フッ、せいぜい足掻いてみろ、ミハイル」

 

 もうすでに、対戦は始まっている。

 かなでは、連鎖まちというやあつである。

 いっぽうのミハイルは、ガチャガチャと乱暴に扱う。

 これは稀に幼少期に見られる子供と同様の行動に近い。

 ビギナーというやつだ。

 だが、なぜかそのプレイでも連鎖がかなで以上に優勢になりつつあった。

 

「うわぁ! 負けましたわ」

「やったぜ☆」

 すまん、今の言い回しだと『別のこと』を考えてしまうのは俺だけだろうか?

 

 すかさず、俺がコントローラーをうけとる。

「真打の登場だ」

「よおし☆ 負けないぞ、タクト」

 

 数分後……。

 

「なん……だと!」

「やりぃ!」

「この天才、琢人が負けただと……」

「どうだ? タクト?」

 ない胸をはるな!

 いちいち、おタッチしたくなるだろ。

 

 そうして夕暮れになると、ノックの音もなく扉が開く。

「晩ご飯できたわよぉ!」

「か、母さん……いつもノックをお願いしているだろ?」

「なに? オナってたの?」

「ちゃうわ!」

 我が母親ながら琴音さんは今日もブッ飛ばしすぎなのである。

 

「ミハイルくんもいっしょに食べていきなさい」

「う、うっす」

「わーい、パーティですわ♪」

 これってなんの罰ゲーム?

 明日、仕事(新聞配達)があるんですけど?



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29 かなでの秘密

 

 なんだかんだあって、俺のクラスメイト……。

 古賀 ミハイルは、初見のお友達の家に図々しくも晩御飯まで食べることとなった。

 まあこの件については我が母である新宮(しんぐう) 琴音(ことね)さんと妹のかなでの陰謀といえよう。

 

 

 4角形のテーブルには、母さんお手製の野菜ギョウザ、からあげ、トマトがふんだんに使われたスライスサラダ。

 俺とミハイルは仲良く隣りに座る。

 反対側に、母さんとかなでがニコニコと笑いながら、俺たちを見つめている。

 何やら嬉しそうだ。

 確かに、俺がこの家に知人や友人を連れてきたことは、あまり経験のないことであった。

 

「じゃあ、ミーシャちゃんとおにーさまの出会いに、かんぱーい♪」

 かなでがオレンジジュースを手にグラスをかかげる。

 と、同時にキモイおっぱいがプルプル震えて、かっぺムカつく。

「フッフ~ フッフ~ ミーシャちゃんも一緒に!」

 母さん、あんたまでちゃん付けかよ……。

 ちな、母さんはハイボール。

 

「あ、あの、かんぱい!」

 釣られるようにミハイルもグラスでご挨拶。

 ミハイルが選んだ飲み物は、アイスココア。

 

「タクト? どうした?」

 10センチほどの至近距離で俺を見つめるな!

 お前のエメラルドグリーンさんが、キラキラと輝いて、チューしたくなるんだよ(怒)

「んん……なにが?」

 平静を装う。

 俺が選んだのは『いつもの』アイスコーヒーだ。

 真島商店街の馴染みの喫茶店から購入している逸品だ。

 

「タクトもかんぱいしろよ☆」

 え? ここミハイルさんのおうちでしたっけ?

「ああ……かんぱーい(やるきゼロ)」

 

「「「かんぱーい」」」

 

「美味しいですわ~♪」

 といつつ、ゲップを豪快にするかなで。

「くわぁ~! このためのBLよねぇ」

 いや、母さんはいつもボーイズでラブラブしているじゃないですか。

「フゥ、おいし……」

 ミハイルさんたら、男のくせしてグラスを大事そうに両手で持っちゃったりして……。

 これって、ほぼほぼ女の子のしぐさなんすけど?

 

「しかし、古賀……お前、親御さんに連絡しなくていいのか?」

「オレ……父ちゃんと母ちゃんは死んでっからさ……」

 あ、これは地雷を踏んでしまったな。

 謝罪せねば。

 

「すまない、古賀……他意はない。謝罪する」

 律儀に頭を下げると、ミハイルが両手を振って慌てだす。

「な、なんでタクトがあやまんだよ! も、もう昔の話だからさ……」

 俺はこの時、一瞬にして思い出した。

 一ツ橋高校の宗像先生にクレームに行った際のこと。

 

『お前みたいな親御さんが二人そろって健在なのが当たり前……ってのが恵まれているんだ』

 

 こういうことか……ヤンキーにもヤンキーなりの事情があったのか。

 

 

「うう……ミーシャちゃん、かわいそうです!」

 泣きじゃくるかなで。

「私のこと『ママ』って呼んでいいのよ?」

 泣いてなくない? あんたのママってさ、BLのだろ?

 

「あ、あの、3人とも、ほんとーに気をつかわないで……オレはまだねーちゃんがいっからさ☆」

 健気にも笑顔でその場をおさめようとするミハイルに、俺は胸が痛む。

「ミハイル。お姉さんがお前を育てているのか?」

「ああ、ねーちゃんはすっげーんだぞ。オレより12歳年上でちょーかっこいいんだ」

 ちょーアホそうな姉上と認識できました。

「なるほど……つまり親代わりということか」

 ミハイルはこう見えて、苦労人というわけだ。

 

「かなで。そのお姉さまとお会いしたいですわ♪」

 まったく何を言いだすのやら。

「そうねぇ、タクくん。あなた今度ミーシャちゃん家にお母さんのお菓子を持っていてちょうだい」

 目を細くして笑う母さん。

 こういうときの琴音さんときたら『いかなったらBL書かせるぞ、オラァ』の意思表示である。

 そんな創作活動まっぴらごめんだ。

 

「了解したよ……」

「なっ! タクト……オレん家に、遊びに来たいの……?」

 おい、今度はテーブルというか『琴音さんのからあげ』がお友達になっているぞ。

「まあ興味はあるな」

「そ、そうか! やくそくな!」

 小学生かよ。

 

「ところでタクトのとーちゃんってまだ帰ってこないのか?」

 

「「「……」」」

 

「ん? どうしたんだ? みんな」

 首をかしげるミハイル。

 

 忘れていたあの男のことを……。

 新宮 六弦(しんぐう ろくげん)。これが俺の最悪のはじまりである。

 

「あいつか……死んだよ」

「そ、そうなの!? ……わりぃ、タクトん家もそっか……」

 泣いてはる。泣いてはるよ、ミハイルさんったら。

 あんな男のために。

 

「ちょっと、タクくん? 六さんはまだ生きてますよ?」

 微笑みが怖い。これは『オラァ! BLじゃボケェ!』と言いたいのである。

「そうです! おっ父様はかなでのヒーローですよ? 絶対におっ父様は死にません! おにーさまが一番知っているくせに……」

 いつになく寂しげな顔をするかなで。

「すまん、悪のりがすぎた。ミハイル、六弦とかいう父は生きているぞ」

 どこかでな。

「そ、そっかぁ……よかったぁ」

 胸を抑えて安堵している。

 え? ミハイルのとーちゃんだったの?

 

「つーかさ、ヒーローってどういうこと?」

 くっ! かなでの馬鹿者が!

 あんなやつを英雄と呼称するのは間違っているのに。

 

「それはですね……お父様、新宮 六弦は私を助けてくれたからですわ!」

 説明になってないぞ、かなで。

「どーいうこと?」

 ミハイルは脳内が8ビットぐらいしか処理能力がない。

 かわいそうだ。

 

「つまりはだな、ミハイル……実は、かなでという妹はな。六弦がよそから拾ってきた『もらい子』だ」

 俺のその一言に今までにみたいことのない表情。

 目を見開いて、大口を開けている。

 

「じゃ、じゃあ……かなでちゃんは他人の子なのか!?」

 なぜか俺の両肩をつかみ、激しく揺さぶる。

 そんなに揺さぶらないでぇ、俺はまだ首が座ってないの~

「そうだ、かなでは震災で孤児になり、そこを六弦とかいうバカが助けにはいったんだ」

「じゃ、じゃあ、タクトとかなでちゃんは血が通ってないのか!?」

 襟元をつかむミハイル。

 なにこれ、ほぼほぼ恫喝じゃないですか。

 

「そういうことですわ♪ だから私とおにーさまはイケナイ関係もアリということですね♪」

 サラッとキモイことをぬかしやがって。

「タクト……おまえ。かなでちゃんと何べん、風呂はいった!?」

 顔真っ赤にしてるぅ~ しかめっ面だし。こ、怖すぎ。

「し、知らん」

「ウソだっ!」

「いやですわ……この前も入ったじゃないですか~ おにーさま♪」

「……」

 沈黙するミハイル。

 

「ち、違うぞ? ミハイル。あの日もあいつが勝手に入ってきたんだ……お、俺にやましい気持ちは一切ないぞ」

「許さない!」

 え? 絶対に?

 

「まあまあ、ミーシャちゃん。なんなら今日は泊まっていけばどうかしら? お風呂も沸かすから、おっとこのこ同士仲良く入りなさい」

「か、母さん!?」

「許す☆」

 めっさ笑顔ですやん、白い歯が芸能人みたい。

「かなでも入っていいですか!?」

 

「「絶対にダメ!」」

 

 この時ばかりは、俺とミハイルの息がピッタリでした。



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30 誘惑のお風呂

 

「あ、あの……ねーちゃん? オレ……うん、あのさ。今日ダチん家に……」

 食事を終えたミハイルは、スマホで誰かと話している。

 きっと、ねーちゃんとかいう12歳も年上のお姉さまなのだろうな。

 

「うん、わかったよ☆ ありがと、ねーちゃん☆」

 え? なんでねーちゃんにはそんな神対応なのミハイルさん?

 

「問題ないか? ミハイル」

「うん☆ 泊まってもいいって! オレ、ダチん家に泊まるのはじめてなんだ☆」

「なに? お前は花鶴(はなづる)千鳥(ちどり)の家には泊まったことないのか?」

 あれだけ、仲のいい3人なのだ。泊まるぐらい、わけないだろうに。

 

「あいつらは近所に住んでっから泊まる距離じゃないよ☆」

 なにをそんなに嬉しそうに笑う?

 こちとら、明日の朝刊配達が午前3時に控えているんだ!

 今すでに午後9時だぞ? いつもなら就寝時間だというのに……。

 

 二人して洗面所……おされに変換すると『脱衣所』に向かう。

 すんげー狭いからな。

 しかし、こいつの裸を見ると思うと、なんだかドキドキしてきた。

 琢人よ、認識を改めよ! ヤツは男だ! 女じゃない!

 

 

「ミーシャちゃん、パジャマはかなでのがサイズ的にいいわね」

 

 脱衣所の前で、母さんがピンク色の女物のパジャマを差し出す。

 なにそれ……フリルとレースまみれのピンクのルームウェア……。

 しかもショーパン。

 母さん、なにか企んでません?

 

「あ、あざーす」

 受け取るんかい!

「はい、タクくんはいつものね♪」

 渡されたのはタケノブルーのパジャマ。

 全身タケちゃんの『キマネチ』ロゴが入ったおされーなものである。

 

「感謝する」

「じゃあミーシャちゃん、ごゆっくり~」

 そう言うと母さんはなぜか、去り際に拳を天井に高々とあげていた。

 母さんUCじゃん。

 

 俺が脱衣所で上着を脱ぎだすと……。

 

「タクト! なにしてんだよ!」

 激昂するミハイル。

 

「なにがだ?」

 ズボンまで手をかけると、ミハイルの怒鳴り声が再び響き渡る。

「なにがじゃない! ふ、ふくは身体を隠しながら脱がないとダメなんだぞ!」

 え? なにを言っているんだ、こいつは……。

 

「ミハイル、お前の言いたいことがさっぱりわからん」

「ガッコウでもそうじゃん? ちゃんとタオルで隠せって、ねーちゃんが言ってたゾ!」

 あーもう、オタクのお姉さんうるさいわね!

 

「了解した。では俺が先に脱いで入る。タオルで股間を隠せば問題ないな?」

「う、うん……」

 なぜ顔を赤らめる? そして床ちゃんの再登場か。

 ミハイルは脱衣所から一旦出て、廊下に背中を合わせているようだ。

 

「ふむ、なぜ恥じらう必要があるのか……」

 いいながらしっかり彼の言う通り、真っ裸になるとタオルを腰にまいた。

 ババンバ、バンバンバン♪

 

 お先に浴室に入ると、いつものルーティンでシャンプーを手にして、頭から洗い出す。

 タケちゃんの『中洲(なかす)キッド』を鼻歌しながら洗うのが俺の日課だ。

 泡でいっぱいになり、目元までシャンプーがかかる。

 慌てて、シャワーを手で探す……目にしみるので。

 手で探っていると、『ぷにゅ』とした柔らかいものを手に取った。

 ふむ、シャワーにしては太いな……。

 

「お、おい! タクトどこさわってんだよ!」

「ん? ミハイルか? どこに触れているんだ?」

「オレの太もも!」

「すまない……が、シャワーを貸してくれ」

 なんだ、『アレ』かと思ったぜ。

 

「任せろ、オレが泡を流してやるよ☆」

「頼む」

 ミハイルはやさーしい水圧で、俺の髪をとかしながら、洗い流してくれた。

 なにこれ……美容師の母さんより、うまい。

 

「どうだ? 気持ちいいだろ?」

 すごく……いいです。

「ミハイル、この技術、誰から習った?」

「ん? ねーちゃんかな?」

 またお姉さまかよ。

 

「ほい、できあがり」

 

 瞼を開けると、そこにはバスタオルを胸元からまいたミハイルがいた。

 浴室の灯りで照らされた金髪がより一層輝く。

 いつも首元で結っているのに、風呂場では下ろしていた。

 本当に女の子みたいだ……。

 ミハイルがもし……いや、この気持ちはグレーゾーンだ。

 

「なに、ヒトの顔をじっと見つめているんだ?」

 ミハイルが俺の眼をのぞき込む。

 いやーちけーから!

 

「な、なんでもない……」

「そっか☆ じゃあ今度は背中洗ってやんよ」

「すまない」

 そう言うと、腰を屈める。

 ボディシャンプーを取ってくれたのだ。

 

 首元から流れる美しい髪。

 そして、タオルで隠れているとはいえ、ミハイルのヒップは男のものとは思えないくらい丸みがあり、女性寄りの体形と再確認できた。

 いかんいかん!

 目をそらす。

 

「じゃあ、かゆいとこあったら、言ってくれよな☆」

 え? オタクが美容師だったんですか?

 じゃあ……股間! とか言ってもいいですか。

 

「よぉし、いっくぞぉ」

 これまた、やさーしく背中を洗ってくれる。

 くすぐったいぐらいの優しさだ。ゆっくりと丁寧に洗ってくれる。

 癒される……なんか眠たくなってきた。

 

「なあミハイル……お前が一ツ橋高校に入った動機はなんだ?」

「オレ? ねーちゃんに言われたから」

「……」

 またねーちゃんかよ!

 

「なぜそうまでお姉さんにこだわる? 他になにか理由はなかったのか?」

「ん~ べつに?」

 ウッソよね~

 

「じゃあ今度はタクトの番だな!」

 む、そうきたか。

「俺は……取材だ」

「え!?」

 驚くのに無理はない。

 俺の本業は、ライトノベル作家。

 常に取材をしないと、作品を書けない傾向がある。

 今度の作品は初めてのラブコメだ。

 よって『ロリババア』ことクソ編集によって、「取材にいってください」と言われたにすぎないのだ。

 

「どういうこと? 取材って……タクトって新聞記者とか目指してんのか?」

「フッ、俺はこうみえて小説家なんだよ」

「す、すごいな!」

 

 ミハイルが感動してくれたところで、俺の身体はピカピカになっていた。

 俺は浴槽につかり、ミハイルに交代する。

 ミハイルは長い髪を洗い出した。

 

 彼は目をつぶりながら、口にした。

 

「なあ、タクトの本ってどこに売っているんだ?」

「フッ、俺のはそんじょそこらの本屋では販売していないぞ」

 事実である。

「じゃあ、どこの本屋?」

 クッ! 痛いところをつきやがる!

 

「ふ、古本屋とか……」

「そっかぁ……」

 なにを察したのか、言葉を失うミハイル。

 

 そう、俺はブームが去ったライトノベル作家なのだ。



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31 ヒーローと小説家

 

 風呂上がり、いつものルーティンでリビングに向かう。

 冷蔵庫のキンキンに冷えたコーヒーをとるためだ。

 もちろん、背後にはミハイルもいる。

 きゃわゆ~い女物のフリルとレースのピンクパジャマ(ショーパン)

 

 俺は「本当に『それ』でよかったのか?」と一度訊ねたがミハイルは「ん? なにが?」とキョトンとしていた。

 意味がわからん。

 自分なら罰ゲームとして屈辱を噛みしめるが……。

 

「ミハイル、お前はなにを飲む?」

「んと……」

 冷蔵庫の中を二人してのぞき込む。

 ミハイルの髪からほのかに甘い香りを感じた。

 頬もくっつきそうなぐらい近距離で、ミハイルは飲み物を物色する。

 こいつ……女だったら最強だったろうな……いろんな意味で。

 

「じゃあ、オレはこれ☆」

 手に取ったのはいちごミルク。

 これまたカワイイご趣味で。

 

「いただきまーす☆」

「ああ」

「うぐっ……ごくっ……」

 なんだ? いやらしい音に聞こえるのは俺だけか?

「プッ、ハァハァ……おいし☆」

 よかったね、満面の笑みが見られて、嬉しいです。

 

 

「ミーシャちゃん! あとでパジャマパーティーですわよ!」

 

 と現れた妹のかなで。

 その姿はブラジャーとパンティーのみ。

 キモい巨乳がブルンブルンと上下に揺れて、身震いが起きそうだ。

 まあ見慣れた格好ではあるのだが。(うちの女性陣は基本裸族)

 

「か、かなでちゃん!?」

 顔を真っ赤にするミハイル。

 フッ、お前も童貞なんだろうな。

 

「タクト! 見るな!」

 眼前がブラックアウト……。

 どういうことだってばよ?

 

 ミハイルが赤面していたのは、恥じらっていたからではない。

 どうやら、怒っていたようだ。

 

「かなでちゃん! 早くお風呂場にいって!」

「なんでですの? これはおにーさまへの今晩のおかず提供ですが?」

「おかず? さっき食べたじゃん!」

 会話になってない。

 

 俺は視界を塞がれたまま口を動かす。

「かなで。お前の裸なんぞ、俺の脳内では生ごみに分類されている」

「ひどい~! ですわ~」

 ドタバタとやかましい足音が響く。

 どうやら、その場をさったようだ。

 だが、依然と俺の視界はブラック企業なんだが?

 

「なあミハイル? もうかなでがいないなら、手を放してくれ」

「あっ……ご、ごめん……」

 視界がしばらくボヤけていた。

 目をこすると、俺の前には一人の可愛らしい少女がいた。

 ……だったらよかったのに!

 

 ミハイルは頬を赤らめてこちらをチラチラと見つめている。

 どうやら俺の顔に触れていたのが、恥ずかしかったようだ。

 

 

「さ、ミハイル。そろそろ寝るぞ」

 アイスコーヒーを一気に飲み干すと、自室へとミハイルを連れていく。

「え? もう寝るの?」

「ああ、俺は明朝に仕事がある」

「タクトって小説家以外にも仕事してんの!?」

 そげんビックリせんでも……。

 

「新聞配達を朝刊、夕刊としているが……」

「それって朝は何時から?」

「明日は午前3時だ」

「わかった!」

 ん? 何がわかったんけ?

 

 

 自室に入るとスマホのランプが点灯していることに気がついた。

 

『一通のメッセージ』

 

 スマホのアドレス帳といえば、母さん、かなで、それか死んだことになっている六弦(ろくげん)とかいう男。

 それ以外は『毎々(まいまい)新聞』の店長、一ツ橋高校。

 あとは……。

 

 スワイプすれば、ゆるキャラのアイコンだ。

 間違いない、ヤツだ。

 

『先生、はじめてのスクリーングどうでしたか? そろそろ好きな子とかできませんでした?』

 

 できるか! ボケェ!

 怒りで手が震える。

 こんの『クソ編集』の思いつきで、俺は一ツ橋高校に通うことになったんだ。

 好きな子だと……。

 

「タクト? 誰からメールなんだ?」

 怪訝な顔つきで俺をのぞき込む、美少女……。

 じゃなかった古賀 ミハイル。

 

「ああ、コイツか? クソきもいババア」

「ば、ばばあ?」

「そうだ、『もう1つの仕事』の相手だ」

「もーひとつ? ん……あ! 小説のほうだな☆」

「そういうことだ」

「すげーんだな、タクトって☆ 1つも仕事こなして」

 そんな羨望の眼差しせんでも、よかろうもん。

 

「でも……どうして、タクトの年で仕事してんだ?」

 よくぞ聞いてくれた。

「さっき夕飯のときにも触れたが、六弦とかいう父親が関係している。我が家はほぼ俺の収入で暮らしている」

「え!?」

「というのもだ……母さんの美容室は人を選ぶし、(BLなだけに)一日に10人も集客できない」

「そうなんだ……でも、六弦さん? とーちゃんが働いているんだろ?」

「うむ、残念だが六弦は無職だ」

「……え?」

 その反応が通常だ。

 

「ヤツのことをかなでが『ヒーロー』と呼称していただろ? まんまだ」

「ど、どういうことだ?」

「六弦はその名の通り、自称『スーパーヒーロー』というボランティア活動をいきがいとしている。だが、その実は無職であり、俺から毎月3万円も無心してくるクズ中のクズだ」

 

 新宮 六弦。36歳にして無職。ボランティア活動を生きがいとし、震災や災害時には現地にかけつける伝説の男。

 助けられた人々からすれば、ヒーロー扱いなのだが、家族の方からすればさっさと「ハローワークいけや!」が第一声なのだが、母さんが許しているのだ。

 

 

「オレ……知らなかった……」

 拳をつくりプルプルと震えるミハイル。

 そうか、お前も怒ってくれるか。

 

「か……カッコイイ!」

 

「え?」

「タクトのとーちゃんって超かっけーのな☆」

 ファッ!

 

「な、なにを言っているんだ? 息子を働かせる父親だぞ?」

「でも……見返りを求めないで、こまっているひとたちを助けているんだろ!?」

 それって美化しすぎてません?

「確かにそうだが……」

「オレ、タクトのとーちゃんに会ってみたい☆」

 そんなに目をキラキラさせんでも。

 

「だがそれは無理だ。ヤツは日本各地を飛び回っていて、冠婚葬祭をのぞいたら年に3回ぐらいしか帰ってこんぞ? 電話もなかなか出ない」

「そっか……」

 ミハイルが肩を落とす。

 ふと、視線を壁に向ける。

 時計の針は、深夜の0時を指そうとしていた。

 いかん! 睡眠時間が大幅に削られていく。

 

「すまんがミハイル。俺は寝るぞ」

「え!? さびし……。な、なんでもない!」

 驚いたり怒ったり忙しいヤツだ。

「でも、かなでちゃんとパジャマパーティーするから安心だゾ☆」

 なにが?

 

「じゃあ、おやすみな」

「うん、タクト……今日はありがとう☆」

 はにかむミハイル。

「どうした? 急に改まって」

「なんでもない☆ おやすみ☆」

 

 俺は二段ベッドの梯子をのぼり、布団に潜った。

 その日は初めてのスクリーングもあってか、五秒で寝落ちした。



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32 二つのコーヒー

 

 スマホのアラームで目が覚める。

 

 瞼を開いた瞬間、俺の目の前にはブロンドの少女が一人……と思いたかったが。

 古賀 ミハイルだ。

 寝息をすぅすぅと立てて、枕元にいる。

 

 元々、シングル用のベッドだ。

 もう少しで唇と唇が重なりそう。

 それぐらい俺に安心しきっている。信頼の証とも言える。

 こいつが本当に女だったら、俺は今頃……。

 

「あっ、おはよ☆」

「お、おはよう……」

 

 目と目が合う。

 やましい気持ちがあっただけに、気まずい思いが宙を舞う。

 だが、それよりも『この時間』に浸っていたい。

 俺は息を呑んだ。

 このまま、こいつの唇に触れたら、きっと。

 

「タクト? 大丈夫か……仕事遅れるよ?」

「あっ! そうだった!」

 ミハイルの言葉がなかったら俺は陽が昇るまで、彼を見つめていたかもしれない。

「すまん、ミハイル。悪いが行ってくる!」

 

 俺の言葉にミハイルは腰をあげた。

 下におりるので、どいてくれたにすぎないが。

 

 かなでを起さないように、静かに二段ベッドからおりる。

 タンスで簡単に着替えをすます。

 腕時計と自転車の鍵を手に取り、階段をおりていく。

 

 一階は当然、閉店している美容室なので、裏口から外へと出る。

 家の壁際に立てかけている自転車のサドルに腰をかけると、誰かが俺を呼びとめた。

 

「タクト……」

 

 振り返れば、ルームウェア姿のミハイル。

 春とはいえ、午前3時だ。冷えるだろうに。(ショーパンなだけに)

 

「どうした?」

「あの……い、いってらっしゃい!」

「お、おう……。いってきます」

 

 ペダルをこぎ出すと、別れ際のミハイルの顔を思い出す。

 彼は微笑んではいたが、寂しげな表情だった……。

 なぜだ?

 そして、俺自身は早く仕事を片づけて、自宅に帰りたいという欲求にかられる。

 

 

 いつもより早く『毎々(まいまい)新聞』真島(まじま)店に着く。

 このことから焦りを感じる。

 店長が驚いた顔をしていた。

 

「どうしたんだい? 琢人くん……元気ないの?」

「え? 俺がですか?」

「うん。なんか大事なものでも落としたような顔しているよ? いつもの、ひねくれた顔じゃないな」

「大事なもの……」

 

 脳裏に浮かんだのはミハイルの顔。

 

「ち、違いますよ!」

「そんな、怒らなくても……ひょっとして好きな子でもできた?」

 

 微笑む店長。

 この人は小学校のときから俺を知っている。

 六弦(ろくげん)とかいう父親よりも、接している時間が長い。

 そのため、母さん以上に俺の心情を見分けるのがうまい……というか鋭い人だ。

 

「好きな子なんて……いるわけ……」

 言葉に詰まる。

「その顔、図星みたいだね。曲がったことが大嫌いな琢人くんを射止めた子。僕もあってみたいな」

 会わせられるか!

 相手は男ぞ?

 店長、ドン引きでしょうが、絶対!

 

「僕は応援しているよ、琢人くんの恋」

 なにそれ? なんか前もそんなプレッシャーかけられなかった?

「ま、まあいってきます……」

「気をつけてね!」

 

 バイクに乗ってから、記憶が飛んでいた。

 ミハイルのことばかり考え、正直どの家に配達したかも、ろくに覚えていなかった。

 気がつけば、自転車に乗って帰路につく。

 

 

 いつもより急いで帰っていた。

 帰り道、コンビニで暖かいコーヒーを2つ買う。

 1つはブラックの無糖。

 だが、残りはミルクたっぷりの甘いカフェオレだ。

 

 それらを買いそろえると、自宅に急ぐ。

 真島商店街の門構えが見えたころ、人影を感じた。

 一人の少年がこちらを向いて、立っている。

 

 

「ま、まさか……」

「おかえり☆」

 

 ミハイルは身体をブルブルと振るわせて、腕を組んでいる。

 その姿を見るなり、俺は自転車から腰を下ろした。

 手で自転車を押しながら、ミハイルとの距離をつめる。

 

「ミハイル……ずっとそこで待っていたのか!?」

「うん☆ 商店街見てたりした」

 

「バカ野郎!」

 思わず、自転車を道端に投げ捨てた。

 ガシャンという音が静かな商店街に響き渡り、ミハイルはビクッとする。

 

「タクト……?」

「夜中は変なヤツがいっぱいうろついているんだ! 危ないだろが!」

 俺は興奮気味に叫んでいた。

 怒鳴っているという表現のほうがあっている。

 

「ミハイル……お前みたいな……カワイイ子がいたら」

「カ、カ、カワイイ?」

 いいかけて気がついた。

 あ、男の子のだから心配ないか!

 俺は一体なにを危惧していたんだ?

 

「すまん……忘れてくれ」

「う、ううん。オレこそごめん……」

 ミハイルは顔を赤くしている。

 寒いのだろうか? いや、そんな表情には感じない。

 

「なあ、冷えただろ? 飲むか?」

 カフェオレを差し出す。

「あっ☆ これって、オレが大好きなやつなんだ☆ ありがと、タクト☆」

 その笑顔で、疲れも怒りもすっ飛びました。

 

「じゃ、乾杯☆」

「コーヒー同士で乾杯か」

「いいじゃん☆」

「まあ……な」

 

 俺とミハイルはコーヒーを飲みながら、日の出を楽しんだ。

 仕事あがりの一杯てのが、こんなに美味いなんてな……。



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33 しばしの別れ

 

 俺とミハイルは二人仲良く『朝帰り』した。

 自転車を壁に立てかけて、裏口から自宅に足を踏み入れれば、そびえたつ2つの影。

 

「なにしてたの~ お兄様? ミーシャちゃん?」

 不敵な笑みを浮かべるかなで。

「ホント~ 二人で夜中にナニをしていたのかしら?」

 BL本を片手になにをいっているんだ、琴音母さん。

「な、なんでもないぞ!」

 

「「え~ ないわ~」」

 

 かなでと母さんは、お互いの顔で『ねぇ』とうなづきあう。

 

「おばちゃん、かなでちゃん! オレがタクトを待っていただけだよ……仕事から」

「仕事ねぇ~」

「お外で待つ必要ありますか? ミーシャちゃん♪」

「そ、それは……」

 もう勘弁してやってくれよ、変態母娘どもが。

 

 

「ミーシャちゃん。せっかくだから、朝ご飯食べていきなさい」

 母さんは痛いBLエプロンをかけると、二階にあがった。

 追うように妹のかなでも階段へと足を運ばせる。

 しかし、なぜか俺たちへ笑顔で親指を立てている。

 意味不明ないいねボタン。

 

「さあ朝飯でも食うか、ミハイル」

「う、うん」

 なんか事後のような、ぎこちなさだな……。

 ただコーヒーを飲んだだけなんだが?

 

「ところでミハイル」

 靴を脱ぎ、階段前の『玄関』で訊ねる。

「なんだ? タクト」

 ミハイルも二階へとあがる。

「その……かなでと『パジャマパーティー』なるものはしたのか?」

「うん、ちょー楽しかったぞ☆」

 普通の妹のパジャマパーティなら、安心なのだが……。

 

「一体なにをしていたんだ?」

 リビングのテーブルに腰をかける。

「んとっ……なんか女の格好した男の子がいて……」

 ミハイルは口に人差し指をあて、視線は天井。

 なにかを思い出しているようだ。

 

「ちょっと待て……それって『かなでのゲーム』か?」

「そうだよ? なんか女みたいな男の子がヒロインのラブストーリーだった」

「……」

 なんてことをしてくれたんだ、妹よ!

 

「すまない……ミハイル。妹に代わって兄の俺が謝る」

 深々と頭を垂れる。テーブルにゴツンとあたるほどだ。

「な、なんで謝るんだよ? けっこうその……エッチなシーンがたくさんだったけど、かなでちゃんの趣味だもんな。オレはいいと思うぞ☆」

 か、神だ……JCがエロゲをやっている時点で、人生積んでいるのに……。

 なんて心広い御方なんじゃ……。

 

「クッ……ミハイル。礼を言うぞ」

「ど、どういうこと?」

「あれも一応女なのでな……」

 なんかちょっと泣けてきた。

 

 

「ミーシャちゃん!!!」

 張本人がキタコレ。

「かなで。お前『パジャマパーティ』したそうだな?」

「ええ、しましたけど」

「初めて家にあがる友人に、貴様はなんてことをしてくれたんだ?」

「なんのことです? かなではただ自分の趣味をミーシャちゃんと分かち合いたいだけですわ」

 分かち合っちゃダメなの!

 

「さあ、朝ご飯の登場よ!」

 今日の朝ご飯は母さんお手製のホットサンドだ。

 

「召し上がれ♪」

 

「「「いただきまーす」」」

 

 俺、ミハイル、かなでの三人はそろって手をあわせる。

 ホットサンドはレタス、厚切りベーコン、きゅうり、薄焼き卵と具だくさんだ。

 パンをギュッと潰すように、握って頬張る。

 かじった反対側からケチャップとマヨネーズが、皿の上にポタポタと零れ落ちた。

 

 ミハイルに目をやると、小さな口でリスがどんぐりをかじるように食べている。

 顎も細いため、食べづらそうだ。

 

「はむっ……うぐっ、うぐっ、んん…」

 なんで、この人の租借音はこんなにもいやらしく聞こえるんですかね?

 

 

 食事を終えると、母さんが「ミーシャちゃんを駅まで送りなさい」と命令。

 ま、命令されなくても、俺も送るつもりだったが。

 

 真島商店街を抜け、すぐに真島駅が見えてくる。

 

 とぼとぼと二人して歩く。

 心なしか、ミハイルは元気がなさそうだ。

 

「なあタクト」

「ん? どうした?」

「タクトのL●NE……教えて」

「すまん、俺はL●NEはやらないんだ」

「そ、そっか……」

 肩を落とすミハイル。

 既に俺たちは駅の改札口の前だ。

 

「じゃ、じゃあ電話番号かメルアドは?」

「それなら構わんぞ?」

「じゃあ、交換しよ!」

 すぐさまスマホを差し出すミハイル。

「そんなに焦らんでも、俺のアドレス帳が増えることはないぞ? 家族と職場以外は誰も登録してないしな」

 事実である。

 

「オレがはじめてなんだな!?」

 妙に食い気味だな。

「まあそうなるな」

「そ、そっか……」

 なぜ笑う?

 お前のアドレス帳も家族だけか?

 

 俺は人生で初めて友達とかいう生き物、存在と連絡先を交換した。

 

「じゃあ、帰ったらすぐ電話すっからな!」

「え……」

「あとでな☆」

 

 ミハイルは満面の笑みで、駅のホームへと去っていく。

 途中、何度も振り返っては、俺に手を振っている。

 しかし、俺も彼が電車に乗るまで見守っていた。

 胸に穴があいたような感覚だ。

 

 これは……さびしいのか……。



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第五章 打ち合わせと待ち合わせ
34 打ち合わせ その1


 

 ミハイルをおくったあと、昨晩から今朝にかけてのことを思い出していた。

 

 あんなにも騒がしい日は生まれてこの方なかった……。

 その騒がしささえ心地よく、それに……今思うと、俺は『それ』がなくなったことを寂しくさえ思っていた。

 

 なぜなんだ。

 ミハイルは俺から言わせれば、リア充、ヤンキーの一派にすぎない。

 そんな非リア充の俺とは、対極な存在の彼と一緒に過ごすことが、こんなにも胸が踊るのか?

 まったくもって解せん……。

 

 自宅に戻ると、朝刊配達の疲れから仮眠に入った。

 眠りに入る途中……ひょっとしてミハイルの方から連絡がかかってくるかもしれない、と期待していた。

 

  ※

 

 スマホのベルで目が覚める。

 

 すぐさま、電話にでると女の子の声だった。

 寝ぼけていた俺はミハイルかと思った……が。

 

『センセイ? 寝てました?』

白金(しろがね)か……」

『ワタシじゃ悪いことでもあります?』

「べつに……」

 

 ミハイルだと思った自分がバカだった。

 しかも相手は女の子とはいえない……三十路手前の成人した女だ。

 

 俺のもう1つの仕事。

 ライトノベル作家。

 白金は俺の担当編集である。

 

「なんのようだ?」

 ミハイルじゃなかったので、めっさイライラしていた。

『そんなに怒らなくても……打合せしましょ!』

「おまえな……俺の予定に配慮しろよ」

『だって、夕刊まで時間あるっしょ! じゃあお昼に編集部で。プロット用意しといてくださいよ』

 一方的に電話を切られた。

 

 

 スマホの時刻を見れば、『10:45』

 仮眠をとって、頭がスッキリした。

 ミハイルからの連絡は、どうやらまだらしい。

 あいつもきっと睡眠が少なかったから、今頃お昼寝でもしているのだろう、知らんけど。

 

 学習デスクの引き出しから、ノートパソコンを取り出す。

 起動すると編集の白金に言われた通り、次作の小説の構成に取り掛かった。

 

「よし、これでいいだろう」

 

 5分で書き終わった。

 そもそも、俺の小説は人を選ぶ。

 売上なんていうほどない。

 

 なので、担当の白金は、俺を作家としてもっと有名にさせたいみたいだが、そうはいかん。

 俺は読者の求めるものなど書かん。

 『やりたいことを優先』が俺のモットーだ。

 

 ちなみに、今回のテーマはラブコメだ。

 しっかり書けたぞ。

 ノートパソコンをリュックサックにしまうと、身支度をすませて、福岡の繁華街、『天神(てんじん)』へと向かった。

 

 

 福岡県福岡市における繁華街、中心部とも言える天神。

 天神なぞコミュ力、十九の俺には無縁の地だ。

 

 あそこはあれだ、JK達がこぞって。

「ねぇ、今からどこいく?」

「天神じゃね?」

 とか言う軽いノリで行くところだ。

 そして、タピオカとかいう芋の茶を飲み、ウインドウショッピングしてプリクラ撮って……しょーもな。

 

 まあ確かに、最近は天神もオタク文化を受け入れ、アニメやマンガ、メイド喫茶など非リア充向けに発展はしているが……。

 俺からしたら、リア充どものスケベな街だよ。

「夜景がキレイだね……もうキッスするしかない!」

 そんなところだぞ?

 

 この俺も仕事のためとはいえ、3年間もの間、天神という街に通っている。

 

「この街は相変わらず、人で溢れかえっているな」

 

 そうつぶやくと、天神のメインストリートともいえる、『渡辺(わたなべ)通り』を歩き出す。

 

 この天神という街は狂っている、地下街では北も南も掴みづらいし、通り名もわけがわからん。

 明治だの昭和だの……めんどくさいから一番とか二番とかに改名しろ、お偉いさんよ。

 

 天神はたくさんのビルで連なっているが、『そのビル』は一際目立つ。

 ビルの壁一面が銀色に塗装されており、鏡のように日光が反射し、下にいる俺はそれを直で食らっている。

 出版業界ではトップの売り上げを誇る『博多(はかた)社』だ。

 

「悪魔城……」

 そう呟くと、自動ドアが開く。

 

 すぐに目に入ったのは、白い半円形の机とデスク上に花瓶。

 その後ろは、これまた白い制服をきた受付のお姉さんがいる。

 

「あら、久しぶりね、琢人くん」

倉石(くらいし)さん、お久しぶりです」

 彼女の名は倉石さん。

 博多社の受付嬢。(年はアラサーなので嬢といえる年なのだろうか?)

 

「今日も打ち合わせ?」

「はい、『アホ』を呼んでください」

「アホ……ああ、白金さんね♪」

 アホで通るのが我が担当編集なのだ。

 倉石さんは手元にあった電話を使い、連絡をとる。

 

 数分後、エントランスに現れたのは、一人の少女。

 

「おっ待たせしました~」

 

 と、ピンク地に白いドッド柄のワンピースを着た、ツインテールのロリッ娘ぽいおばさんが立っている。

 何回見ても気持ち悪いアラサーだ。

 成人しているくせに、身長は120センチほどだ。

 小じわさえ見つけなければ、近所の小学校に不法侵入できそうなババア。

 

「白金、急な呼び出しはやめろ」

「嫌だな~ センセイったら。さあさあ、編集部にいきまちょ♪」

 なあにが、『いきまちょ』だ。

 死んで転生してこい。

 

 エントランスからエレベーターと移動する。

 

「センセイ、一ツ橋高校でいい取材できたでしょ?」

「あ? できるわけないだろ、クソみたいな高校を紹介しやがって」

「え~ あそこは私の出身校ですよ。悪いとこじゃないし、(らん)ちゃんだっているから……」

 蘭って誰? ああ、宗像先生か。

 

 低身長の白金の代わりに、俺がエレベーターのボタンを押してやる。

 

「宗像先生か……思い出したくもない」

「あっ! ひょっとして蘭ちゃんに一目ぼれしました? おかずにしてます?」

 いやらしい顔で笑うJS……じゃなかったロリババア。

 

「お前な……宗像先生の中身は、アル中のおっさんだぞ? どうやって美味しく食べるんだ? アラサーだぞ」

「私も同い年なんですけど!」

「股間に草も生えない、お前がか?」

「なっ! またそういうセクハラ発言するんですか」

 この第二次性徴期の確認は、3年間もやりとりしている。

 

 エレベーターが5階でストップする。

 

「フン! じゃあ、こっち来てください」

 アホがキレながら悪魔城の最深部へといざなう。

 そう、この『ゲゲゲ文庫 編集部』こそ、俺がなりたくもなかったライトノベル作家になった魔王の住処である。

 

 ゲゲゲ文庫……その界隈では、群を抜いた売り上げを誇る。

 ちなみに俺はライトノベルをあまり読まん。

 なので、凄さがよくわからんのだ。

 

「センセイ、なにか飲みます?」

 立ち止まって指をさす白金。

 指先は編集部の前にある自動販売機。

 白金はカエルの形をしたガマ口財布を取りだす。

 今時みない……やっぱババアだな。

「じゃあ“ビッグボス”(アイスコーヒー)で」

「やっぱ男の子ですね♪」

 いや意味がわからん。女も飲むだろ。

 

「うんしょ……」

 小銭を持って、硬貨投入口に手を持ち運ぶ。

 だがビッグボスの決定ボタンは一番上だ。白金の低身長が邪魔をしている。

 

「おい、早くしろ。待たせるな。こちとら、喉が渇いた10代なんだぞ」

「いま……やってますよぉ」

「使えんやつだな」

 そう言って俺がボタンを押し、販売機から出てきたビッグボスを手に取る。

「お前はどうする?」

「私ですか? イチゴミルクでお願いします♪」

「フン、きもいセンスだ」

 彼女の開いたガマ口財布から、無断で小銭を取ると、ボタンを押してやった。

 

「ほれ、礼はいらんぞ」

 イチゴミルクを投げると、彼女は見事にキャッチした。

「あ、ありがとうございま……って、私のお金で買ったんだから、お礼なんていらないでしょ!」

「ガキだから騙される」

「フン! あっかんべー!」

 あっかんべーか……ビッグボス飲んで早く帰ろっと。

 

 編集部内では忙しそうに、大人の社員たちがお仕事をしていらっしゃる。

 白金が「こっちですよ」と通されたのは薄い仕切りで覆われた小さな区画で、机が1つ、対面式にイスが4つ。

 

 ここで数年間もの間、俺は担当編集のロリババアこと白金(しろがね) 日葵(ひまり)にダメ出しばかりを食らっていたトラウマの場所だ。

 

「さあセンセイ、さっそく新作のプロットを♪」

 

 ため息まじりでイスに腰を下ろすと、リュックサックからノートPCを取り出す。

 起動させると、五分で書いたテキストを表示させる。

 一息ついた俺は、ビッグボスで喉を潤わせた。

 白金もイチゴミルク飲みながら、俺のテキストに視線をやる。

 

「えっと、タイトルは……シャ、『シャブ中が転校したら5秒で合体』」

「フッ、タイトルからして書籍化決定だろ」

「センセイ……私をクビにする気ですか?」

 あれ? まだ春だというのに冷房がきき過ぎてません?

 さ、さむぅ~



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35 打ち合わせ その2

 

 タイトル『シャブ中が転校したら5秒で合体』

 俺が初めて手をだしたジャンル、ラブコメ。

 素晴らしいタイトルだ。

 だが担当編集の白金の反応は……目を見開いて身震いしている。

 

「……」

「どうだ? なかなかの作品だろ?」

 俺は胸を張って笑みを浮かべる。

 

「チッ、クソみえてぇだな……」

 小学生にしか見えない童顔が歪む。しわが多くてマジでババアだな。

「は? なんだと!?」

「クソですよ、単純にどこもかしこもクソだらけ……誰が便所の話を描けと言ったんですか?」

 俺は机を激しく叩き、怒りを露わにする。

「貴様! この天才のプロットだけで、なぜそうも言い切れる?」

 白金はため息交じりに答える。

「私が今回、出したテーマってなんでしたっけ?」

 説明すんの、だりぃーってな顔だな。

 それから、人前で鼻をほじるな!

 

「ふっ、この天才が忘れるものか。ラブコメで学園ものだろ?」

「……」

「なんだその沈黙は?」

 

「このクソウンコ小説家!」

 いや、ウンコ2回言ってるぞ、バカなの?

「私は、王道の学園ラブコメを描けって、いったんですよ!」

 王道の学園ラブコメ、なにそれ、おいしいの?

 今まで俺は映画でしか、情報を吸収してない。それも暴力映画やホラー映画などばかり。

 他の作家のライトノベルなんて、1ページも読むはずがない。

 ここは白金の選択が、間違っていたということだろう。

 

「俺は、お前に指示された通り、しっかりと学園ラブコメに仕上げてきたぞ!」

「どこがです!」

 白金は俺の小説に欠かせないノートPCを乱暴に叩く。

「全部……だろ?」

「はぁ、これだから中二病は」

 人の大事なノートPCをぶっ叩くような、言い訳になっていないぞ。聞き捨てならん。

「おい、待て。俺は既に中学校を卒業しているぞ」

「はぁ!? 卒業式もブッチしたくせ? そのコミュ障、治してないからクソみたいな小説しか書けないんですよ」

「う……」

 確かに俺は「第二ボタンください!」という、下級生から絶対言われないであろうイベントが気まずくて、卒業式ですら欠席した。

 

「じゃあなんて言うんですかね。童貞だからじゃないですか?」

「童貞の何が悪い! むしろ結婚するまで取っておいた方が女の子も喜ぶだろ!」

「センセイのを? 誰が喜ぶんすかね~」

「くっ!」

「別に童貞が悪くはないですけど~ このクソストーリーを今から私が整理してみますね」

「おうよ!」

 白金は咳払いすると俺の原稿を、まるで幼い子供が「私のおとうさん」みたいなキモい喋り方で読み始めた。

 

 

 

『シャブ中が転校したら5秒で合体』

 

 僕の名前は薬中の竜二(りゅうじ)! 今日からこの極道都市に転校してきた十七歳だ。

 可愛い女の子とかいるかな、楽しみだな~

 

「いっけね! 初日から遅刻だなんて……」

 焦る僕はがむしゃらに走る。途中、曲がり角で誰かとぶつかった。

 グサッ!

 痛みと共に腹から血が滲む。

 目の前にはM字開脚したJKが倒れていた。

 

「いってぇ! なに、ひとのどてっぱらにドス刺してんだよ!」

「あんたこそ、私のスカートの中をぞいてんじゃないわよ!」

「はぁ? タトゥーの入った『アワビ』なんて興味ねーよ!」

 JKの股間は紫の大きなアゲハ蝶を飼っている。

「言ったわね、もう1回ドスを刺してあげましょうか?」

 どこからか、チャイムの音が鳴り響く。

 

「やべっ、遅刻しそうだ! お前の顔、覚えたからな!」

「フン! こっちこそ、こんどはあんたの十二指腸を引っ張りだしてあげるわよ!」

 急いでいる僕は近くに捨ててあった新聞紙を腹に巻いて止血し、先を急いだ。

 タトゥーアワビ女は気にはなるけど、初日から遅刻はあんまりだ。

 

 

「え~今日は転校生を紹介します」

 傷だらけのスキンヘッド。プリティフェイスの女教師、鉄砲玉の強盗先生が僕を招く。

「どうも、はじめまして。今日から皆さんと同じクラスメイトになる薬中の竜二です!」

「あ~、あんたは!」

 

 そう言って立ち上がったのは、先ほどのノーパンシャブシャブだ。

 転校した初日からちょっとしたアクシデントはあったけど、この高校はなにかと退屈に困ることはなさそうだ。

 ノーパン女はドスを刺したから、絶対いつかシャブ中にしてやりたいけど、どこか憎めない。

 黙ってれば顔は可愛いのに……アイツ。

 アイツのことを思い出すだけで、腹の傷が出血しそうだ。

 この大量出血って……初恋ってやつ?

 

  了

 

 

 読み終えると、白金はため息をつく。

「はぁ……」

「素晴らしいラブコメだ、さすがは俺だな」

「バカですか? これのどこが学園ラブコメなんですか?」

「は? 俺はちゃんと王道にしたぞ? ちゃんと曲がり角でヒロインとぶつからせて、パンチラもさせたし、主人公が教師に紹介されてからのヒロインと再会、その後ちゃんとヒロインを意識しているではないか?」

 白金がうるさいから、俺はわざわざ王道とかいうラブコメマンガを資料として購入したのだ。

 もちろん経費で落とす。

 

 

「こんの……アホぉぉぉぉぉ!」

 

 キンキン声が窓ガラスを激しく震わせる。

 思わず俺は耳を塞ぐ。編集部の社員たちも同様だ。

 

「うるさいぞ、貴様!」

「どこの高校生が薬中になるんですか? しかもぶつかった時にドス刺されるって一体どこのスラム街ですか? あとパンチラじゃなくて、そもそもがパンツ履いてないでしょ、この女。とんだビッチでしょうが! 女先生もスキンヘッドだし、最後の『この大量出血って……初恋ってやつ?』って、どこがときめくんですか! 早く救急車呼べよって話ですよ!」

「主人公が感じた恋のはじまりだ。王道だろ?」

「邪道!」

 

「「……」」

 

 ぜいぜいと肩で息をすると、互いに冷静さを取り戻す。

 かれこれ、こんなやりとりを3年間もやっているから、俺は白金が大嫌いだ。

 

「テコ入れするか?」

「いえ、この原稿はテコ入れどころか、根本的に間違いだらけなので、書き直してもらいます」

「は? 天才の俺に、書き直しを要求する気か?」

「当たり前でしょ! こんなもんがうちから出版された時にゃ私はクビです!」

「じゃあどうする? ジャンル変更するか?」

「ジャンルは、このままでいきましょう……センセイにはまだ取材がたりません」

「お前……まだあきらめてないのか、例の案件」

「そうです! センセイには『LOVE』の取材をしてもらいます!」

 

 

 俺は小説を書く際、取材をしないと白紙にインクを垂らすことができない、今時珍しいアナログタイプなのだ。

 だから、恋愛なぞ経験したことのない俺はラブコメ、つまり学園ものとなれば、自ずと『取材』というかたちになる。

 そう、俺は取材として、一ツ橋高校の門を叩いたのだ。

 

「で、好きな子できました?」

 白金の目つきが鋭くなる。こういう時は大人ぽい。

「う……それは」

 俺が言葉に詰まっていると、スマホのベルがなる。

 名前は『ミハイル』

 バッドタイミング!

 

「センセイ? 電話鳴ってますよ?」

「あ、いや……これは妹だ……その、あのな」

 自分でもなぜこんなに焦っているのかがわからん。

「はぁ? センセイ、暑いんですか? 汗がすごいですよ」

「う、うむ。と、とりあえず、ラブコメのプロットは書き直してくるから!」

 そう言い残すと、俺はノートパソコンを白金から取り上げて、リュックサックを背負い、その場から逃げ出すように立ち去った。

 

「え!? センセイ!」

 

 すまん! 俺は早くこの場から去らないと、なんか色々とヤバそうな気がするのだ。



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36 夕陽の決闘

 

 俺は、担当編集兼、ロリババア兼、アホの白金(しろがね) 日葵(ひまり)から一目散で逃げてきた。

 

「あの女のことだ……絶対にミハイルのことを知れば、きっと……」

 

 こういうのだ。

 

『取材に使えるじゃないですか!!!』

 

 そんなのは、まっぴらごめんだ。

 この天才でライトノベル作家である新宮 琢人の初ジャンル、ラブコメ作品において、まさかヒロインが男の子なんて……。

 母さんや妹のかなでが、絶対にホモォォォォォ光線を浴びせてくるに違いない。

 

 博多社から出て、天神の渡辺通りを急いで歩く。

 

 あてもなく、近くのファッションビル『博多マルコ』に入った。

 地下一階に入り、喫茶店でアイスコーヒーを頼む。

 キンキンに冷えたグラスを受け取ると、おひとり様専用の席につく。

 

 慌ててズボンのポケットからスマホを取り出す。

 不在着信の通知がたかが数分というのに31件……。

 ストーカーかよ。

 しかも全部ミハイル。

 

 ブルルル……。

 

 恐怖を覚えるのも束の間、すぐに次の着信がなった。

 

「もしもし……」

『おっせーぞ、タクト!』

 めっさキレてはるよ……。

「すまん……仕事でアホな女と話していた」

 ちな、白金のことである。

『お、おんなぁ!?』

 そんなに驚かなくても……なんか涙出そう。俺にとって、レアイベントなのでしょうか?

 

「ああ、言っただろ? 俺は作家だ。ただの編集部の人間。しかもババアだ」

『そっか……おばあちゃんなのか☆』

 アラサーを高齢者扱いしちゃいけません!

 

「ところで要件はなんだ? ミハイル」

『あ、あのさ……今日の夜、真島駅で会えない?』

「ん? 夕刊配達が18時ごろに終わる。それからなら構わんが」

 そんなに巨乳JC、かなでが気になるのかな?

 お年頃だし、きっと今まで妹のかなでで、自家発電していたのかもしれん……。

 かなでよ、喜べ。変態なお前にも、ついにモテ期が来たぞ!

 

『そっか☆ じゃあよるの7時に真島駅で待ち合わせな!』

「了解した」

 

 アイスコーヒーをガブ飲みすると、ため息をもらす。

 俺はなぜ、こんなにもミハイルの存在を隠し通すのか……。

 

 しかし、普段着信履歴なんて、買い物とかで母さんやかなでからあるぐらいだ。

 不在着信31件は恐怖を覚えはしたが、なぜか嬉しかった。

 それがミハイルだからなのか……それはわからない。

 ただ、胸の高鳴りが抑えられなかった。

 今も同様だ。

 

 俺は博多マルコの地下から天神地下街に降り、地下街で見かけたパン屋に入ると、メロンパンとクロワッサンを買った。

 電車に乗って、先ほど購入したパンを頬張りながら、地元の真島駅へと向かう。

 

 自宅に着くと、すぐに夕刊配達に向かった。

 ここまでの体感時間、5分もない。

 それぐらい急いでいた。いや、待ち遠しかったのだ。

 ミハイルに会える喜びを。

 

 帰宅すると汗臭くなった身体をシャワーで洗い流し、『タケノブルー』のTシャツとジーンズを着用した。

 スマホに目をやると時刻は『18:50』

 俺は走って家を出る。

 

 商店街を走り抜けることで、せっかく流した汗がもう滲み出る。

 

 真島駅につくと、駅前のコンビニ『真島マート』の前で、一人の少年が立っていた。

 

 その子は、金髪で色白で寂しそうに地面を見つめている。

 服装はヘソだしのチビTと、ダメージデニムのショーパン。

 裾が破れている加工のためか、もう少しで彼のおパンティーが見えそうだ。

 と、いかんいかん。

 あいつは男であり、名は古賀 ミハイル。

 

「あっ、タクト! おーい☆」

 俺を見つけるやいなや、右手を大きく振るミハイル。

 そんなにぼっちがさびしかったのか! クッ、俺がぼっちの楽しみを教えてやるぜ!

 

「はぁはぁ……すまない。待たせか? ミハイル」

「ううん、全然! たった一時間ぐらい☆」

 えええ! やめてぇ~ サラッと怖いこといわないで!

「そ、そんなに待たせたか……すまん」

「気にすんなよ! 暇だから早くついただけだし☆」

 そんなに暇なら勉強しろよ!

 

「そうか。で、要件ってなんだ?」

「えっと……ここじゃ人が多いから、どっか静かなところがいいな……」

 なぜ顔を赤らめる! そしてまたコンビニ前の『ゆか』ちゃんがお友達に追加されたぞ。

 しかも静かなところって……ラブホ!?

 なわけないか。

 

 

「なら、近くに真島公園がある。そこでいいか?」

「うん☆ 公園大好き!」

 おんめーはガキか!

 

 真島公園、幼い頃から俺はここでよく遊んでいた。

 大きくて長い滑り台、ブランコ、シーソー、たいがいの遊具はここにくれば、間に合う。

 だが……、俺は小学高学年の時ぐらいから、足を運ぶのを止めた。

 なぜならば、ぼっちだったし、いじめられて不登校になったのでな。

 

 

 夕陽で薄く赤く染まった公園は、どこかロマンティックだ。

 公園の中央に大きなため池があり、鯉やカモなどが生息している。

 池の前のベンチにミハイルを座らせた。

 俺も隣りに腰を下ろす。

 

「で、要件ってのは?」

「あ、あのさ……タクトってさ……」

 なにをモジモジしている? 聖水か?

 臭くて汚くて虫がいっぱい集まるトイレなら、公園の奥にあるぞ?

 

「俺がどうした?」

「タクトって……カノジョとかいるのか!?」

 ファッ! それを俺に聞く?

 なにこれ? いじめなの?

 かっぺムカつく。

 

「それが要件か?」

 俺は少し苛立ちを覚えていた。

 声のトーンが上がるのが、自分でもわかる。

「お、怒らなくてもいいじゃん……ただ、知りたくて」

 そんなにオタクやぼっちの生態が知りたいのか?

 興味本位で近づくと、お前もぼっちの仲間入りだぞ。

 

「はぁ……いいか、ミハイル。俺は生まれてこの方、恋人なんていたことない」

「そ、そっか! そうだよな! タクトにカノジョなんているわけないもんな☆」

 ミハイルさん、人の不幸がそんなにおもしろいですか?

 あなたが女みたいな顔してなければ、腹パンしたい。

 

「じゃあ、かなでちゃんとかは……好きじゃないの?」

「ハァ!? ミハイル、あいつを女として見たことなんて一度もないぞ?」

「そ、そっか……良かったぁ……。なあ、タクト」

 瞳を揺らしながら、顔を寄せるミハイル。

 夕陽のせいか、ミハイルのほおは赤く染まる。

 

「オレのお願い……聞いてくれるか?」

 きた。きっとアレだ。

 

『おまえの妹に告白していいか?』

 だろ……。

 フッ、かなで。お前に拒否権はない。

 俺が代わりに受諾しておいてやる。

 

「構わんぞ?」

 なぜかニヤニヤが止まらない俺。

 

「オレの……一生のお願いだ! 真剣に聞いてくれ! タクト!」

 妙にマジな顔つきだ。

「わ、わかった。しかと聞くぞ」

 ミハイルは深く息を吸い込む。

 一瞬瞼を閉じて、覚悟を決めたようだった。

 パッと目を見開くと、小さな唇が動く。

 

「あのな……オレと付き合ってくれ」

 聞き間違えか? 誰と誰が付き合うんだ……。

「ん? 妹のかなでとだろ?」

「違う!!!」

 めっさキレてはる。

 

「じゃあミハイルは、誰と付き合いたいんだ?」

「タクトに決まってるだろ!」

 

 

「……」

 パニックパニック! 俺が大パニック!

「ミハイル、お前……俺を茶化してないか?」

 一応、確認をとる。

「ちゃかしてなんかない! 俺はタクトが世界で一番だいすきなんだよ!!!」

 

 

 新宮 琢人、生まれて早17年……まさか初めてのラブイベントが男の子とか……。

 いや、ないわ~

 

 俺は曲がったことが大嫌いだ。

 物事を白黒ハッキリさせないと、気が済まない。

 確かに古賀 ミハイルは、俺が見てきたどの『女の子』よりも可愛いし、美人の部類だ。

 だが、彼女じゃなくて彼だ。

 限りなく、グレーゾーンに近い。

 俺はそんな存在を、受け止められることはできない。

 性格が故に。

 

「ミハイル……すまない。それは無理な願いだ」

「そ、そんな!?」

 涙がすっと落ちる。

 それを見て、俺は胸に何千本ものナイフが、胸に刺さるような激痛を感じた。

 

「なんでだよ! オレのこと……『カワイイ』って言ってくれたじゃん!」

 ボカボカと俺の胸を拳で叩くミハイル。

「確かにそれは事実だ」

「なら……いいじゃん……」

 崩れ落ちるように泣きじゃくる。

 

「悪い、俺は物事を白黒ハッキリさせないとダメな存在なんだ。だから……男のお前とは恋愛関係にはなれない」

「ひどいよ! オレの気持ち、ちゃんと伝えたのに……」

 ミハイルは力なく立ち上がる。

 

「おい、どこにいく。ミハイル?」

「帰る……」

 肩を落としながら、その場を去ろうとする。

「待て。送るぞ」

「いらない! でも……最後にもう1つだけ、聞いていい?」

 振り返るミハイルの顔は、涙でいっぱいだったが、その姿さえも美しく、絵になる。

 

「どうした? なんでも言ってみろ」

 それが精いっぱいの罪滅ぼしだと感じた。

 

「オレが女だったら……付き合ってた?」

 反応に困った。だが仮定の話だし、確かに彼が女だったらなにも問題はない。

 俺の性格がすでに正解を出している。

 

「ああ、ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている」

「そっか……じゃあ生まれ変わったら、付き合ってくれよな☆」

 一瞬、泣き顔が笑顔に変わった。

 だが、すぐに顔をしわくちゃにして、泣きながら走り去っていく。

 

「ミハイル……」

 本当にこれでよかったのか? 俺とミハイルとの関係は今日で終わりなのか?

 なんでこんなにも胸が痛いんだ。

 

 俺は深夜まで、公園のベンチで彼の着信を期待していたが、ベルは一度もならなかった。



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37 鳴らないベル

 

 結局、ミハイルからの着信は『あれから』一切なく、一週間が経った。

 正直いって気まずかった。

 なぜならば、今週の日曜日がスクリーングだからだ。

 一ツ橋高校で出会うことになる。

 その前に謝罪をするべきか? と、毎日スマホを見てはため息をつく。

 だが、「ミハイル」というアドレス帳をタップするほどの勇気は俺にはなかった。

 

 あの日……、もし俺がミハイルと付き合っていたら、どうなっていたんだろう?

 

 そればかりが、頭から離れない。

 ミハイルが去り際、『じゃあ生まれ変わったら、付き合ってくれよな☆』と言い残した。

 生まれ変わる? まさかフラれたことがショックで自殺……なわけないよな。

 こんな俺のために、自殺なんてするか?

 たかが、3回しか会ってない関係なのに。

 

 俺は自室で、編集部の白金から言われたラブコメの設定を考えていた。

 

 主人公は中二病満載のオタク。

 ヒロインはロシア人のハーフの金髪美少女。

 

「あれ?」

 書いていて思った……まんまミハイルがモデルじゃねーか!

 クソ……。

 

「おにーさま!」

 人がタイピングしているというのに、横乳を左腕にのせるんじゃありません!

「かなでか……」

「どうしたんですの? 最近、元気がないですわ。かなでで自家発電しすぎましたの?」

 相変わらずブッ飛んだ妹だ。

「な訳ないだろ……」

「本当に元気ないですわねぇ。ひょっとして……ミーシャちゃんとケンカでもしましたの?」

 ギクッ! こいつ、けっこう鋭いんだよな。

 

「べ、別に関係ないだろ!」

「怒るということは、ほぼ図星ですわよ、おにーさま♪」

「クッ!」

「かなでに相談しませんか?」

 目を輝かせて、モニターの前に顔を出す。

 こいつ、人の仕事を邪魔したいだけだろ。

 

「なぜ、かなでに話す必要性がある? メリットは?」

「メリットですかぁ? ミーシャちゃんの裏情報とか?」

「はぁ!?」

 なにこいつ。ミハイルん家にストーキングでもしているのか?

 

「ソースは?」

「もちろん、かなでちゃんですわ!」

 怪しすぎる。

「かなで……ハッキングとか好きなのか?」

「酷いですわ! ミーシャちゃんとおにーさまは、既におっ友達でございましょ?」

「ん? まあ……確かにそうだな」

「ならば、妹のかなでも、ミーシャちゃんとおっ友達ですわ♪」

「はぁ?」

 

「これを見るですわ!」

 かなでが差し出したのは、18歳未満禁止の男の娘エロゲーの自作スマホケース……。

 じゃなくて中身のスマホ。

 アドレス帳に見慣れた名前がある。

『♪ミーシャちゃん♪』

 

 

「おまっ! どこで手に入れたんだよ!」

「ミーシャちゃんが『パジャマパーティ』の時に、教えてくれたんですの♪」

「この前、ミハイルがうちに泊まったときか!?」

「ええ、おにーさまが寝てたので♪」

 なるほど、こいつ……やりおるわ。

 人が寝ている間に。

 

「で? それでお前とミハイルになんの関係がある?」

「かなでのおっ友達に追加されたから、毎日L●NEしてますわ」

「ま、マジか……」

 俺なんか、電話するのもメールするのもしんどいのに。

 

「ええ、あの日以来、毎日お互いの趣味を暴露しあっていますわよ♪」

「趣味って……かなでのか?」

「もちのロンですわ! かなでは、主に男の娘のエロゲや同人ですわね♪」

 俺の初めての友人に、なんつーもんを暴露してやがんだ、こいつ。

 

「肝心のミハイルの趣味は?」

「そうですわね……主にスタジオデブリのボニョや夢の国ランドのネッキーとか」

「フンッ、その情報ならすでに把握済みだ」

「ん~ 他にはおにーさまの趣味とか、聞かれたので、赤裸々に語ってあげましたわ♪」

「おまっ!? なにを話したんだ?」

 ガグブル……。

 

「そうですわねぇ……まあ、かなでのおっぱいをおかずに自家発電していることは、既にミーシャちゃんもご存じでしたし……」

 全くもってご存じじゃねぇ!

「あとは、確かおにーさまの女の子の好みとか?」

「はぁ? なんでそうなる?」

「かなでにも、わかりませんわ……それだけおにーさまのことを慕っていらっしゃるんですわ」

「なるほどな……で、俺の好みなんて存在するのか?」

 そうだ、俺に女の好みなんてない。

 

「答えるのに困りましたが、強いていうならアイドル声優の『YUIKA』ちゃんみたいな子が、好きと言っておきましたわ」

 ファッ!

 

「それからは、ミーシャちゃんとは毎日、電話で『YUIKA』ちゃんのミュージックビデオやダンス、出演しているアニメ、好むファッションやコスメなんかをずっと話していましたわ♪」

「へ、へぇ……」

 あのヤンキー少年が、ずいぶんとオタク落ちしましたね。

 

「ま、ケンカしても、時間がお二人の関係を治してくれますわよ♪」

「そんなもんか?」

「ええ、かなでも推しの男の娘やBLで腐女子さんたちとよくおケンカしますもの」

 それって友人関係に入るの? 臭そう。

 

「ほら、噂をすれば♪」

 机の上を指すかなで。

 スマホがブーッと揺れている。

 

 名前は『ミハイル』

 

 俺はすぐスワイプして電話に出た。

「もしもし、ミハイルか! 生きているのか!?」

『う、うるさいなぁ……生きているに決まってんだろ。一体どうしたの? タクト』

 いや逆に心配されちゃったよ。

 

「いや、あの……この前はだな……」

『なんだあれか、忘れてくれよ☆』

 忘れる? ウソォォォォォ!

 

「本当に忘れていいのか?」

『うん☆ それより、お前に会わせたいやつがいるんだ』

「は?」

『オレのいとこでさ。タクトのことを話したら、会いたいってうるさいんだよ』

「へ、へぇ……」

 なんか嫌な予感。

 

『ねぇ、土曜日空いてる?』

「スクリーングの前の日か……問題ない」

『じゃあ、土曜日な! またメールすっからさ☆』

 そう言うと、ミハイルは一方的に電話を切った。

「なんだったんだ……」

 視線を左にやれば、ニヤニヤ笑う妹のかなで。

 

「おにーさま、よかったですわね♪」

「かなで……お前、なにか企んでないか?」

「なんのことですの?」

 首をかしげてはいるが、口元がガバガバでゆるゆるだぞ!

 

 まあよしとしよう……。

 ミハイルから電話をかけてきてくれて、俺は心から安心していた。

 



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38 待ち合わせはいつもの場所で(挿絵あり)

 

 ミハイルは俺に告白したあと、フラれたショッックから落ち込んでいた……と、思っていた。

 どうやら、一週間の音沙汰なしは、妹のかなでと裏でなにやら、コソコソと連絡をとりあっていたらしい。

 詳しい経緯については、またかなでから事情聴取するとして……果たして、あの変態妹が俺の問いに正常に答えられるだろうか。

 

 例の電話、(土曜日に会う約束)以来、またピタッとミハイルからの連絡がとまった。

 あいつのことだ……またなにか、良からぬことでも考えているに違いない。

 知らんけど。

 

 

 数日後、金曜日の夜のことだった。

 スマホのアラームが鳴る。着信名はミハイル。

「もしもし」

『あ、オレだけど☆』

 でしょうね。

 

「明日のことか?」

『うん☆ 博多駅のしろだぶしのぞうに朝の10時な☆』

「え? ぞう?」

『じゃあ明日な☆』

 

 ブツッと一方的な切り方が耳障りだった。

 しろだぶしのぞう?

 ……あ、『黒田節の像』のことか。

 バカだから困るわ~ ないわ~

 

 まったくミハイルのやつときたら、必要事項以外は、愛想のないやつだ……。

 と、思っても、別に俺とヤンキーのあいつとでは、交わす言葉なぞないがな。

 

 

 翌日、俺は『世界のタケちゃん』のギャグ(キマネチ)がおしゃれな『タケノブルー』のTシャツとジーンズを着て、真島駅まで向かった。

 もちろん、いつもの小説専用ノートPCが収納されたリュックサックを背負っている。

 

 駅のホームに立ち、スマホに目をやると『8:58』

 

 約束の時刻よりも、一時間も前に列車に乗った。

 フッ、今度こそ、俺が先に待ち合わせ場所につくだろう。

 

 思えば、博多駅なんぞ映画を見に行くこと以外、なにもなかったな。

 しかしなぜ待ち合わせ場所が、わざわざ遠方の博多なんだ?

 俺が住んでいる真島駅からも30分ほどだ。

 ミハイルが住んでいる席内駅から、したら40分もかかる。

 都会に興味でもあんのかな?

 

 

 列車に揺られること数十分、車掌の声が車内に響き渡る。

 

『次は博多~ 博多~ 博多駅です』

 

 列車内の人々は大概この駅で全員おりる。

 福岡市に住んでいる住民は、博多駅に必ずと言ってなにかを求める。

 

 それは博多が福岡市において『入口』や『玄関』ともいえる都市部だからだろう。

 仕事にいく人もいれば、勉学や娯楽、出会い、買い物、その他多種多様なもの、目的が全て揃うのが博多という街だ。

 

 福岡ビギナーの方々には、ぜひとも博多駅に観光にいくべきだ。

 一日あっても遊び足りないぐらいの複合商業施設なのだから!

 

 まあ人間嫌いな俺からしたら、『今』の博多駅は好きではないが。

 むかしのきったねー頃の、博多駅の方がなにかといいな。

 綺麗な建物に建て替えれば、おのずと人も入れ替わる。

 慣れしたしんだ人や店も全て消え失せるのだ。

 

 

 と、個人的な想いにふけるのはさておき、博多駅の改札口を降りれば、西側が表口と思ってもよい、『博多口』が見える。

 そして、反対の東側には裏口と思ってもよい、『筑紫口』がある。

 

 ミハイルが指定したのは、主に待ち合わせ場所として多用される、一番わかりやすい『博多口』だ。

 博多口から出れば、広々としたロータリーやイベント、テレビなんかもよく取材に来る賑やかな場所だ。

 

 駅舎から博多口に足を進める、季節は春から初夏にむけて日差しが強くなってきている。

 だが、いい天気だ。

 こんな日に友人と博多駅を悪くないと思えるのは、相手がミハイルだからだろうか?

 

 しかし、ミハイルのやつ。

 いとこなんて、俺に会わせてどうする気だ?

 まさかとは思うが、いとこと一緒に俺をボコボコにしちまう気か……告白をフッた怨恨で。

 いや、笑えない。

 

 そうこうしているうちに、博多駅のマスコットといえる『黒田節の像』こと、『母里(ぼり)太兵衛(たへえ)』様とご対面。

 俺にはようとわからん存在だが、盃と槍を持つ粋なおっさんだということは理解している。

 

 『彼』の足元には一人の少年が立っていた。

 迷彩柄のショートパンツに、胸元ザックリ開いたタンクトップ。

 金色の髪を首元で束ねている。

 緩やかな風と共に、左右に垂らした前髪がゆれる。

 地面を寂しそうに見つめている。

 まるで、迷子のように心細い顔をしていた。

 

「ミハイル」

 俺が声をかけると、彼はエメラルドグリーンの瞳を見開いて、口元を緩める。

 はにかんだ顔がとても愛らしい。

「タクト~☆」

 そげん大声をださんでもよか!

 

「お前、また早くついたのか?」

 スマホの画面を見れば『9:22』

「え? 遅刻したら悪りぃからさ……ちょっと早く来ちゃった☆」

 来ちゃった☆ じゃねー!

「どれぐらい前からだ?」

「えっと、家を出たのが朝の6時前ぐらい……だから、着いたのは6時半ぐらい☆」

「はぁ!?」

 俺がまだ朝刊配達しているころじゃねーか!

 

「す、すまない……以後気をつける」

 いや気をつけるって……もう俺ではキャパオーバーだがな。

「いいって☆ 待つの楽しいし」

 え? ストーカーですか? 帰ってもいいですか?

 ちょうど、交番が『黒田節の像』の近くにありますけど?

 

「ところでミハイル。お前のいとこってのは?」

「あ……あいつ、もうすぐ着くらしいんだ。ちょっと田舎のやつでさ」

「ほう」

「だから……方向音痴なんだ。オレがちょっと迎えにいってくるからさ。タクトはここで待っててくれよ!」

「へ?」

「すぐ呼んでくっから☆」

 ええ!? 俺ってば放置?

 めっさ笑顔で走り去るミハイル。

 いったい、どういうことだってばよ!?

 

 

 ~1時間後~

 

「おっせぇぇぇぇぇ!」

 どんだけ待たせるんだよ、ミハイル!

 聖水か? それとも、お前が方向音痴で迷子になったのか? 夢の国の『ネッキー』の着ぐるみにでも会えたか?

 

「はぁ……」

 スマホを取り出し、初めて俺からミハイルに電話をかけた。

 

『トゥルルル……おかけの電話番号は……』

 

「出ないな」

 数回電話したが、一向に出る気配がない。

「どういうことだ?」

 

 ピコン! と通知音が鳴る。

 ミハイルからのメールだ。

 

『タクト、わりぃ! オレ、ねーちゃんの手伝いしないといけなくなった。また今度な☆』 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 おめーが呼び出しといて、そりゃねーぜ!

 かっぺムカつく、ぶちムカつく。

 怒りを通り越して、呆れかえっていた。

 ため息をつき、「せっかくだし映画でも見るか」とポジティブな考えにシフトチェンジする。

 

「アホらし」

 そう捨て台詞を吐いて、その場を立ち去ろうとした、その時だった。

 

「あ、あの……」

 

 とてもか細い声だった。

 聞き取りにくく、ひそひそ声のよう。

 

「え?」

「あ、あの……わたし……」

 

 その子は、こちらと地面をチラチラと交互に上下して見つめている。

 どうやらかなり緊張? それとも怖がっているような仕草がうかがえる。

 

「タクトさん……ですよね?」

 

 目の前には妖精、天使、女神……どの言葉でも表現が足りなぐらいの美人が立っていた。

 胸元に大きなリボンをつけて、フリルのワンピースをまとった女の子。

 カチューシャにも、同系色のリボンがついている。

 美しい金色の髪を、肩から流すようにおろしていた。

 時折、風でフワッと揺れる。

「キャッ」とスカートの裾を手で必死に押さえる姿は、とても女の子らしい仕草だ。

 

「あの……ミーシャちゃんから呼ばれてきました」

「え!?」

 

「わたしじゃ……ダメですか?」

 

【挿絵表示】

 

 

 脅えた表情が、また男心をくすぐる。

 守ってあげたい、この子を!

 

「ダメですか?」

 全然!

「いや、ミハイルはどうした?」

「ミーシャちゃんは……おうちのことで帰ったみたいですよ☆」

 

 初めて見る笑顔だ。

 エメラルドグリーンの瞳がとても美しい。

 フリルのワンピースは可愛らしいが、丈が膝上とけっこうミニだ。

 色白の美脚が大いに楽しめるからして、男の俺からしたらなんてご褒美だ。

 この子を見ているだけで、数時間は待ちぼうけしてもいい。

 

「は、はじめまして。わ、わたしは古賀 アンナです☆」

「アンナか、認識した。俺は……」

 

 ていうか、アンナちゃん?

 お前、ミハイルだろ!

 一体どうなってんの?

 まさか死んで転生してきちゃったの?

 

「俺は新宮 琢人だ。よろしく」

 手を差し出すと、彼女が白く細い手で俺を包み込む。

「はい☆ タクトさん、今日は一日、よろしくお願いします☆」

「了解した」

 

 って……なに了解しちゃってんの俺!

 ど、どうしよ~ なにこれ~

 

「ま、まかせろ。博多のことなら、どんとこいだ!」

「嬉しいです☆」

 

 ひょえ~ もう俺は知らん!

 



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第六章 デート! DATE! 
39 初デートいえば……


 

「あの……タクトさんはミーシャちゃんと、どういう関係なんです?」

「え? 俺とミハイル?」

 って、お前が本人なのに、どんな設定なの?

 今日はリア充どもの仮装パーティーなのかもしらんな。

 

 ま、告白をフッた罪悪感もあったことだ。

 一日ぐらいミハイルの戯れに、付き合うのも悪くない。

 

「俺とあいつは友達……かな?」

 なぜか頬が熱くなる。

 

「そうですか☆ ミーシャちゃんにお友達ができて、安心しました☆」

「え?」

「あの子、いつも私とお姉さんとしか、遊びませんから☆」

 それ自分でいう? 悲しくない?

 

「そ、そうか……ところで、今日はこれからどうする?」

「タクトさんの行きたいところが、いいです☆」

 ニッコリと笑う天使……(♂)

 

 なんかドキが、ムネムネするから、やめてくださいますか?

 素のミハイルさんじゃ、ダメだったんですか……。

 

「じゃ、じゃあ『カナルシティ』はどうだ? あそこなら一日遊べる」

 

 カナルシティとは、博多駅から徒歩10分ほどの複合商業施設である。

 ファッションからグルメ、映画など全て揃っている建物だ。

 リア充はこぞって、ここを休日の場所として選ぶことも少なくない。

 それに現在は、外国人の方々もよく遊びに来る。

 

 

「わぁ! 私、『カナルシティ』いったことないんです☆ いきたい!」

「そ、そうか。ならば、俺についてこい」

「うん☆」

 博多駅からまっすぐ『はかた駅前通り』を直進する。

 

 今日はなぜか、ミハイルこと古賀アンナちゃんは、行きかう男どもを釘付けにさせる。

 俺以外の、人間も彼を『女』として認識しているようだ。

 いや、誤認というべきか……。

 

 

「みろよ、あの子! 可愛くね!?」

「うわぁ、俺タイプだわ……」

「つーかさ、連れの男がないわ……」

 最後の一言いるぅ!?

 

 

「あの、タクトさんって『世界のタケちゃん』が好きなんですか?」

 首を傾げるアンナ。

「え? ……ああ。俺がこの世で一番尊敬している人間だ」

 って、お前知っているくせに!

 

 はかた駅前通りをまっすぐ歩くと、緑で覆われた建物が見える。

 これがカナルシティの入口だ。

 数年前に『カナルシティ イーストビル』という別館が作られ、より目立つ建物になった。

 

「うわぁ、キレイな建物ですね☆」

「そうか? それより、アンナ……ちゃん?」

「あ、私は『アンナ』と呼んでください☆」

「む……ま、待て。ならば、敬語はやめてくれ。俺もアンナと呼ぶから『タクトさん』ってのもなんか正直、嫌だ」

 言っていて、自分で恥ずかしくなっちまったよ。

 なにこれ、男同士でなに自己紹介しあってんの?

 

「じゃあ、タクトくん☆ これでいいかな?」

 その笑顔……やめて……。

 食べちゃいたいぐらい、可愛すぎる。

 

「お、おう。じゃあアンナ。カナルシティのどこにいく?」

「タクトくんが決めて☆」

「え?」

「だって私、田舎育ちで全然わかんないもの」

 そういうアンナはどこか寂しげだ。

 ていうか、マジでミハイルさんも、カナルシティ来たこと、ないんけ?

 

「了解した、ならば、映画を見よう」

 これって初デートのテンプレだよな?

「うん☆」

 

 イーストビルのエスカレーターに乗り、2階に上る。

 そのまま歩いていると、本館に繋がる渡り廊下が見えた。

 

 本館に入ると今話題の『アヴァンゲリオン』のフィギュアがお出迎えだ。

 汎用イケメン型決戦機AVA初号機様である。

 近年、リメイクが行われ、またブームが再燃しているようだ。

 

「これって、プラモデル?」

 え? 知らないの? あのAVAだよ!

「アンナはアニメに詳しくないのか?」

「アニメ? アニメはえっと、スタジオ『デブリ』とか、夢の国の『ネッキー』とかなら、知ってるよ☆」

 そこの設定は、そのままなんかい!

「そ、そうか。これはAVAと言ってだな。すごい兵器なんだぞ」

「ふーん。ロボットなの?」

「……」

 なにかと、リア充や非オタクたちは『機械』や『ロボット』という単語で終わらせてしまう。

 説明がダルいので、俺は「映画館にいこう」とアンナを誘う。

 

 

 映画館につくと若者がいっぱいチケット売り場で並んでいた。

 それもそうだ、今日は土曜日。

 学校が休みだったり、授業あがりの制服を着用したままの高校生たちもいる。

 あとは年中暇そうな大学生だな。

 

 これだから、俺は土日の映画館は好かん。

 俺は映画は静かに鑑賞するのを楽しむ。

 よって……“こげん”にわかな映画好きなどという、下等生物と同じ空間で、同じレベルで、俺の大好きな映画を観たくないのだよ!

 

「タクトくん? 映画、なにを見るの?」

「あ、すまん。目の前にリア充どもがいて虫唾が走った」

「リアじゅう? なあにそれ?」

 そこはバカだな!

「アンナは知らなくていいことだ。映画はもう決めているぞ」

「なに見るの?」

 フッ、よくぞ聞いてくれた。

 本日はめでたくも、俺の生涯における師匠である『世界のタケちゃん』の新作、『ヤクザレイジ』の封切り日なのだ!

 

「アンナ、ここは上級者の俺に任せろ」

「うん☆」

 チケット売り場に並ぶと、後ろから何やらヒソヒソ声が聞こえる。

 

「ねぇ、あの二人付き合っていると思う?」

「いや、ないでしょ? 女の子が弱みでも握られてんじゃね?」

「ハーフかな? わたし……あの子だったらいけるかも」

 怖えな! 最後のやつ、ただの変態女だろ!

 

「いらっしゃいませ! 作品はお決まりですか?」

 受付嬢が営業スマイルを見せる。

 

「うむ、『世界のタケちゃん』の『ヤクザレイジ』を高校生2枚!」

「あ、作品名だけで結構ですよ?」

 笑顔で毒つくな! ムカつく店員だ!

 

「タクトくん……私、高校生じゃないよ?」

「え?」

 そうか……ミハイルとばかり思っていたから、その『設定』を忘れていた。

 しかし、ならば身分はどうする気だ、アンナ?

 

「私、プータローだから……」

 アンナも床がお友達になっているぞ。

「あ、そうなのか……。じゃあ高校生一枚と大人一枚」

 なんか地雷を踏んだ気がしたので、俺が二人分支払った。

 

「かしこまりました。では、チケットをお持ちになられて、エスカレーターをお登りください」

 受付嬢からチケットを受け取る。

 

「気にするな、アンナ。無職は悪いことではないぞ? 俺の親父も無職だから安心しろ」

 なんか自分で自分が悲しくなってきたよ……父さん。

「う、うん……でも映画代は払わせて!」

 今日一番強気な顔だ。

 ちょっとミハイルよりな顔つき。

 

「了解した。では1800円だ」

「はい、2000円ね」

 受け取ったお札から、200円のお返しでーす。

 こいつって、結構こういうところ、しっかりしているのね。

 

 

 長い長いエスカレーターを昇る。

 何度来ても、カナルシティの映画館のエスカレーターは楽しい。

 左手を観れば、窓ガラスからカナルシティが一望でき、右手を観れば、ハリウッドスターのアートが壁一面に並んでいる。

 これだけで俺はテンション爆上がりなのである。

 

 エレベーターから降りると、さっそくチケットもぎりの女性スタッフが笑顔でお出迎え。

 

「チケットをお願いします」

 二人分のチケットを手渡すと、半券を返される。

 ちなみに、俺はこの半券をコレクションしてしまうクセがあるのだ。

 

 メインフロアに入ると、香ばしいポップコーンが空腹をあおる。

「うわぁ~ いい匂い☆」

「ふむ、映画にポップコーンは必需品だからな。買っていこう」

 

 俺はアイスコーヒーを選び、ポップコーンはキャラメル味と塩味のハーフ&ハーフを頼んだ。

「アンナはどうする?」

「私は……んと、カフェモカで☆」

 可愛らしいご趣味で。

 

 トレーを受け取ると、『ヤクザレイジ』のスクリーンを探す。

「ここだ。入ろう」

「うん☆ どんな映画か知らないけど、タクトくんの好みなら楽しみ!」

 今、サラッとタケちゃんの映画、ディスってませんか?

 ねぇ、アンナさん!

 

 スクリーンに入ると、休日もあってか、満席に近かった。

 客層といえば、ご老人や本業らしき御仁も確認できた……。

 さすがはタケちゃんだ! 渋いぜ!

 

 俺とアンナは、真ん中あたりの席に腰を下ろした。

 

「ところで、タクトくん。この映画ってどんな内容なの?」

 そこから!?

「ま、まあ……見ていればわかるさ。タケちゃんの映画はイイぞ~」

「そっかぁ、ポップコーン食べてもいい?」

「おう」

 

 ブーッ! という、開幕の音と共に、俺とアンナは仲良く一つのポップコーンを食べはじめた。

 

 そういえば、こういうカップルらしいこと初めてだな……。

 



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40 映画館はいろんな人がいる

 

『さっきからガタガタうるせーんだよ!』

『なんだとバカヤロー!』

 背広姿のおっさん同士でキスする寸前まで、互いに睨みあう。

 一人の男は、金髪の中年。黒いスーツに白シャツでネクタイはしていない。

 この事から金髪は、いわゆるサラリーマンとは言えない。

 ヤクザのそれに近い。

 対するもう一人の男は少し若く、黒髪で、身なりが金髪の男よりきれいだ。

 

 

『だから、さっきからいってんだろー!』

『なにがだよ? 言えよ!』

 金髪がピストルを右手に構え、黒髪のアゴにつきつける。

『俺の歯をさっさと治療しろって言ってんだよ、バカヤロー!』

『やるから銃をどけろよ、バカヤロー!』

 どうやら黒髪は歯医者さんのようだ。

 ドリル。エアタービンが「キィーーーン」という不快な音がこちらにも聞こえてきた。

『いってぇな! バカヤロー!』

『じっとしてろよ! 動くなバカヤロー!』

 

 バン!

 

『いてぇって言っただろが……バカヤロ……』

 血が飛びちる。

 金髪の男は治療途中だというのに、その場を去っていった。

 

 世界のタケちゃんが主演、監督、制作をしている、全く新しいヤクザ映画『ヤクザレイジ』のワンシーンである。

 

 

「おお! さすがタケちゃん、初回からフルスロットルではないか!」

「キャッ!」

 俺の左腕に抱き着くアンナ。

 目をつぶり、必死にしがみついている。

「どうした? アンナ?」

「私……こういう怖い映画、はじめて」

 涙目で俺を見つめるアンナ。

 その距離、僅か10センチほど。

 このままキスしてもいいという、フラグでしょうか?

 

「そ、そうか……見るのやめるか?」

 絶対にやめたくない! 今日はタケちゃんの封切り日だというのに!

「ううん……タクトくんの好きな映画だからがんばる!」

 足ガクガクしてるやん……。

 ホラーじゃないからね! タケちゃんの映画は暴力描写が激しいだけだよ? 芸術だよ?

 なんてたって、世界のタケちゃんなんだから!

「ま、まあ無理はするな、アンナ。気分が悪ければ、いつでも俺に言え」

「やさしいんだね……タクトくん」

 モゾモゾしおってから、聖水ならさっさと行ってきなさい!

 

 ~30分後~

 

『撃てよ! 早く撃てよ!』

 鬼気迫るタケちゃん。

『やってやるよ、バカヤロー』

 

 カキーン!

 

『ヘッ、ファールじゃねぇか』

『うるせー、バカヤロー』

 どうやら、盃を交わした男兄弟とバッティングセンターで戯れているらしい。

 こういうお茶目なところも、タケちゃんの良さである。

 

 

「さすがだぜ! タケちゃんはヤクザ映画でもギャグを忘れてないな!」

 俺が拳を握り、固唾をガブ飲みしていると……。

「タ、タクトくん……わたし……」

「どうした? アンナ」

 隣りを見れば、顔面蒼白の彼女がいた。

「そんなに怖いか?」

「ううん、そうじゃなくて……お腹痛いの」

「ふむ。ならば、トイレに行くか?」

「ごめん、あとで戻ってくるから……」

 そう言うと、アンナは顔色悪く、スクリーンから去っていった。

 

 そんなに腹が痛むとは、昨日、激辛カレーでも食ったのか?

 まあ俺は、ぼっちでもタケちゃんと一緒なら、映画館を楽しめるけどな!

 

 

 ~30分後~

 

 バン! バン! バン!

 

『オヤジ……ゆるぢてください……』

 眼鏡の優男が血だらけになりながら懇願する。

『てめぇが絵図を書いたんだろうが! バカヤロー!』

『お、俺がなにをしたっていうんすか……』

 

 バン!

 

 優男が頭から血を吹き出す。

 目を見開いたまま、床にバタンQだ。

 

『誰がもういっぺん歯医者いくっつったんだ! バカヤロー!』

 

 ~FIN~

 

 

「壮絶なバトルだったぜ……」

 ん? そう言えば、アンナのやつ。

 まだトイレから戻ってこないな……もう終わってしまったぞ、映画。

 もったいない!

 

 俺は少々苛立っていた。

 なぜならば、ミハイルことアンナから、一日遊ぼうと提案したくせに……。

 あの世界のタケちゃんの映画を初見とはいえ、ラストを堪能しなかったことが許せなかった。

 これはお説教しなければな!

 

 アンナの飲みかけの飲み物を手に取る。

 ストローに目をやれば、彼女の口紅がついていた。

 ゴクッ!

 

「あの……早くどいてくれませんか?」

 近くに座っていたカップルの彼氏が「キモッ」て顔で俺を見る。

 べ、別に飲もうなんて思ってないんだからね!

「すまない」

 俺はカップルに促され、そそくさとアンナの飲み物と自分のゴミを持って、その場から去る。

 階段を降りると、スクリーン下で待っていたスタッフにゴミを手渡した。

 そのまま、スタッフが足元の業務用のゴミ箱に捨ててくれるのだ。

 

 

「アンナのやつ、まだトイレか?」

 廊下を歩き、館内の一番奥に向かう。

 

 トイレにつくと、男子たちが女子トイレ付近でスマホをいじって立っている。

 これは、いわゆる『待機彼氏』というやつだ。

 つまり彼女たちが、聖水をしたあとにメイクと言う名の洗礼を受けている最中なのだよ。

 彼氏たちは暇だからスマホがお友達なのさ。

 ま、俺には無関係なことだが……。

 

 

「い、いや……」

 か細い女の声が聞こえた。

「いいじゃないか……」

「イヤです! 私、お友達と一緒だし……」

 なにやら言い争っている。

「可愛いね、ハーフでしょ? キミ」

 視線をやれば、スーツ姿のチビ、ハゲ、デブの中年オヤジが、可憐な女子を無理やり捕まえている。

 キモッ! とJKたちが一斉に阿鼻叫喚しそうな男だ。

 

「イヤッ! 放して!」

「はぁはぁ……おじさん、もう我慢できないよ。早く一緒にいこう」

 どこに行く気だよ。

 言い寄られている女性に目をやれば、見覚えのある姿。

 古賀 アンナ……。

 

 おいおい、まさかのナンパされてはるの? ミハイルさん。

 いや、アンナちゃん。

 

 

「その子をはなせ!」

 俺は怒っていた。

 

「タクトくん!」

 それまで、変態オヤジのいいなりになっていたアンナだったが、俺を見た途端にオヤジをぶっ飛ばす。

 腕力が女じゃねぇ!

 周りにいた待機彼氏たちも、固唾をガブ飲みしていた。

 

「アンナ、すまない! なにかされたのか!?」

 俺は感情をあまり顔に出すタイプではない。いわゆるポーカーフェイスというやつだ。

 だが、この時ばかりは俺も男なのだと思い知った。

「あのね……おじさんが私の……」

 そう言うと、アンナは泣き出した。

「なにをされた? ゆっくりで良いから、教えてくれ」

「私の脚をずっと映画館で触ってきてたの……だからトイレに逃げたのに追っかけてきて……」

「それは本当か!?」

 口調が荒々しくなる。

「うん……嫌だったけど、タクトくんに伝えるのが恥ずかしくて……」

 その場でしくしくと涙を流すアンナ。

 しかし、そこまで『設定』を貫き通すのか、アンナちゃん。

 

「彼氏がいたのか……じゃ、僕はこれで……」

 変態チビハゲデブオヤジがその場を去ろうとした。

「おい、おっさん!」

「うっ! なんだね! 僕はこれから、取引先と大事な打ち合わせがあるんだよ!?」

 これが世にいう、逆ギレというやつか。

 みっともない大人だ。こうはなりたくないものだな。

 

「おっさん、よくも俺の『連れ』に手を出してくれたなぁ!」

 気がつけば、『待機彼氏』たちも円陣を組んでおっさんを逃げられなくしていた。

 ナイスだ、彼氏たち。

 

「そ、そんな! 知らなかったんだよ……ハーフが大好きなんだよ、ぼかぁ」

 俺もです!

「だからといって、痴漢行為が許されると思っているのか! 同じ男として、恥ずかしいぞ!」

「ち、痴漢だなんて! ちょっとキレイで可愛い脚だからツンツンしてただけだよ……」

 おっさんの発言に呆れるギャラリー。

 

 

「ふっざけんなよ! 相手は女の子だぜ?」

「ツンツンじゃねーよ。絶対にさわさわ、もみもみしたんだぜ!」

「ちきしょう! 俺もあんなハーフの子の隣りの席に座りたかった!(泣)」

 ん? 最後のやつおかしくね?

 

 

「おっさん。アンナに手を出した代償は大きいぞ」

 指をポキポキとならす俺氏。

「ひ、ひえぇ! 暴力はやめたまえ!」

「タクトくん、殴っちゃダメだよ」

「安心しろ、アンナ。俺はこう見えて紳士でな」

 親指を立てて、アンナに見せる。

 

「おっさん、お前に一つ言いたいことがある!」

「な、なんだね……」

「お前は、さっき『世界のタケちゃん』の映画を観たのか?」

 

 一斉にずっこける待機彼氏たち。

 

「いや、僕はハーフのアンナちゃんがいたから、同じ映画を選んだにすぎないよ……」

「なん……だと?」

 俺は怒りが頂点に達していた。

 あの世界のタケちゃんの映画を、女の子と同席したいがために選んだだと!

 許せん!

 

「じゃあ、お前は2時間もの貴重な時間をなにをしていた?」

「アンナちゃんを見つめて、それから触っちゃいました……」

 拳をどうにか緩めると、スマホを取り出す。

 

「もしもし、博多警察ですか?」

『緊急ですか』

「めっちゃ緊急です。痴漢の現行犯です。カナルシティの映画館」

『了解でーす。今から現場にいきまーす』

 

 五分後、中年オヤジは、あおーいあおーい制服警察官に手錠をかけられ、連行されていった。

 

 俺とアンナは30分ほどその場で事情聴取を受けて、解放されたのだった。

 

「アンナ、すまない。傷つけてしまった」

「だい……じょぶ。でも、罪滅ぼししてくれる?」

「なんでもする」

「じゃあ……一緒にプリクラ撮って☆」

 

 やっす!

 



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41 プリクラは男子禁制

 

 アンナが痴漢? された罪滅ぼしとして、俺はプリクラを一緒に撮ることにした。

 思えば、プリクラなんざ、人生で一度も撮ったことなかったな。

 

 スクリーンからまた長い長いエスカレーターに乗る。

「ところでアンナ、あのおっさん、アンナをずっと見ていたのか?」

 彼女はうつむきながら答える。

「うん……チケット売り場の時からずっと見てたみたい……」

「すまない、俺がもっと早くに気がつけば」

 拳を強く握るが、アンナの柔らかい手によってほぐされる。

「タクトくんは悪くないよ……私も早くにタクトくんに伝えておけば、私の身体も触られなかったのに」

 どうやら、あの変態親父に触れた場所は、左の太ももらしい。

 アンナが悔やんだ顔でももに触れている。

 

「上映中、ずっと触られていたのか?」

 俺、すごく怒ってるわ。

「ううん、途中から……何回も手をどかしたのに、何度もしつこかった」

 クソッ! 俺が触りたかった!

 

「アンナ、もう二度とお前をそんな目にあわせないと誓うぞ」

「ありがとう!」

 アンナの顔に笑みが戻る。

 

 エスカレーターから左手に入れば、すぐにゲームセンターとプリクラ専用のブースが見える。

 カナルシティは、学生やカップル、外国の方々も御用達の場所なので、プリクラがよく儲かるらしい。

 しかも、コスプレが無料で貸し出し可能だ。

 

「しかし、俺はこういうのは全然わからん」

「タクトくんって、プリクラ撮ったことないの?」

 上目遣いでのぞくアンナ。

 やめてぇ、そんな顔で見られると、撮れなくなっちゃよぉ~

 股間が『がんばれ元気』になっちゃうよぉ~

 

「ないけど?」

 アンナが、エメラルドグリーンの目をまるくする。

 その瞳は妖精のようだ。

「ホントに!?」

「そうだが」

「やったぁ! アンナが、タクトと生まれて、はじめてのプリクラを撮るんだね☆」

 だね☆ じゃねぇ!

 なんか、俺がかわいそうなぼっち人間ってのが、まるわかりじゃねーか!

 

「ま、まあ、そうなるよな」

 苦笑いが辛い。

「ふふ☆ うれしいなぁ」

 今日は笑いながら、床を見つめるんですね。

 なんか人の不幸を、めっさ喜んでいるように感じるんですが?

 

「プリクラの機械は、全身が取れたほうがいいよね?」

「全身? なぜだ?」

 俺の問いに頬を膨らますアンナ。

「だって、二人のはじめてのプリクラだよ? アンナだって、タクトくんの全部撮りたいもん!」

 それプリクラ必要か? スマホで俺を撮っちまえばいいんじゃね?

「了解した。ならば、俺はこの界隈は詳しくない……ので、アンナに任せていいか?」

「うん☆」

 アンナは優しく微笑むと、20台近くはあるプリクラ機を、念入りに一台一台チェックしていった。

 

 これは盛りすぎ、あれは全身が映らない、それはフレームが少ない……だのと文句ばかり垂れて、一向に決まることがない。

 

 エンドレス!

 そういえば、妹のかなでも、男の娘か女体化の同人誌を買う時はいつも迷っていたな……。

 俺からすれば、どちらも同じなのだが、女という生き物は、選択肢を用意されると迷う生き物なのだろう。

 っておい! アンナはミハイル。ミハイルはアンナ!

 男じゃい!

 

「あ、あれが一番いいかも☆」

 アンナが選んだのは、いわゆる『盛り』要素が少ないナチュラルな写真が撮れて、全身も撮影できる一機だ。

 尚且つ、スタンプやフレームも豊富。

 なぜ、こやつはこんなものに詳しいのだ?

 

 だが、プリクラ機の前にはカップルで長蛇の列。

「こんなに人気なのか? プリクラってのは!」

「そうだよ~ カップルさんだけじゃなくて、女子高生とか男の子同士でも撮るからね☆」

「男同士でも!?」

「うん☆ 部活帰りの子たちがよく撮っているよ」

 それって……なんの部活? 相撲部? 空手部? 柔道部? 

 裸体で『あぁぁぁ!』とか、事後のプリクラじゃない?

 

「そうか……そんなに楽しいものなのか、プリクラってのは」

「一人で撮るのは楽しくないけど、お友達とか家族と撮ると楽しいよ☆」

 おい! 俺はお友達もいなかったし、家族なんてプリクラなんざ興味ねーから!

 

 ふと、プリクラのブースを見渡すと『こちらは男性のみの撮影は禁止させて頂いております』とある。

 ん? 俺とアンナは男同士じゃね?

 

「なあ、アンナ。男同士でも撮るっていったよな?」

「ん? いったよ」

「なのに、あの『制限』はなんだ?」

 注意書きを指さすと、アンナが汗を吹き出す。

 

「あ、えっとねぇ……あれはね、痴漢とか盗撮を防止するためだよ☆」

 歯切れが悪い。

「そうか。ならば、男同士で撮るのは限られる……ということか?」

「ん~ アンナは詳しくないな~」

 話をそらすな! 絶対に確信犯だろ!

 

「つ、次、アンナたちの番だよ!」

 腕をつかまれ、強引にプリクラのなかに入った。

 中は思ったよりも、広々としている。

 後部には長いすがあり、座ったシーンも撮れる仕様らしい。

 

「じゃあ、最初はバストアップ撮ろ☆」

 バストってひびきがエロい、と感じたのは俺だけでしょうか?

「ああ」

 アンナはカメラに映し出された自分の顔を、鏡がわりに前髪を整える。

 なんかまんま女の子の仕草だよな。ミハイルのときは気にしてないのに。

 

『じゃあ、一枚目! いっくよぉ~』

 

 某豪華声優が可愛らしいボイスで採用されていて、声豚な俺からしたらツボだった。

 

「タクトくん、もっと寄ってよ」

 アンナが俺の左腕に抱きつく。

 肘が彼女の胸にあたる。

 な、なんだ! 絶壁なのに微かだがふくらみを感じる。

 これが俗にいう『ひじパイ』なるものか!?

 

「そ、そんなに引っ張るなよ……」

「もう照れないで! はい笑って」

 アンナはニッコリ、俺は引きつった笑顔。

 

「タクトくんの下手くそ!」

「仕方ないだろ、生まれてはじめてなんだから」

「そうだった……ごめん」

 謝らないでぇ! 俺がどんどん可哀そうなやつになってるから!

 

「じゃ、じゃあ次は全身ね☆」

「仕切り直しだな」

 俺とアンナは少しうしろに下がると、笑顔をつくる。

 アンナは俺の肩に顔をのせた。

 なにこの子? ビッチなの? 

 

「はいチーズ!」

「ち、チーズ……」

 今回もやはり俺の顔は引きつってしまった。

 アンナは案の定プンスカ怒っていたが、原因は彼女の積極的行動だと思うが。

 

「じゃあラストはこのイスに座って撮ろう☆」

「座ればいいんだな」

 なんか介護されているみたい。俺もいうほどバカじゃないのよ?

 

 二人して長いすに尻と尻を、くっつけて座る。

 

「タクトくん……映画館のとき、おじさんに触られて辛かったよ」

「わ、悪い」

「アンナよごれちゃった?」

「お前は汚れてなんかない。もし汚れたのならば、洗えばいい。例えばこうやって……」

 どさくさに紛れて、俺は彼女の太ももに優しく手をのせた。

 とても柔らかい……そういえば、こいつの太もも触るのって、2回目じゃん。

 ミハイルの時に自宅の風呂場で。

 

「嬉しい……タクトくんの手で、キレイになっていくよ☆」

 うっとりと俺を見つめるアンナ。

 俺もついつい彼女に見とれてしまった。

 互いに見つめあった状態で、『はいチーズ!』とフラッシュがまぶしく光る。

 それがなかったら、俺たちはそのままキスしていたかもしれない……。

 

 慌てて、互いに顔をそらす。

 

「じゃ、じゃあ、次はプリクラをデコろうよ☆」

「そ、そうだな」

 まるでラブホから出てくる事後のカップルのように、俺たちはそそくさとプリクラ機から出て行った。

 

 あとは、ほぼアンナが撮影した写真を決めて、スタンプやら日付をつけていく。

 俺は「なるほどな」と感心しながら、その姿を見つめていた。

 アンナに「タクトくんもする?」と聞かれたので、「タケちゃんスタンプはあるか」と問うと苦笑いされた。

 

 あっという間に、撮影と印刷が完了。

 仕上がったプリクラを、二つにわけると片方を俺がもらった。

 アンナはそれを見て嬉しそうに微笑む。

 

 これってどこに貼ればいいの? テーブル?

 



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42 初デートでおごりはやめとおこう

 

 プリクラを撮り終えたアンナは、満足そうにしていた。

 スマホの時計を見れば、『12:34』

 

 腹が減った……。

 よし店を探そう!

 と、いつもなら『一人のグルメ』を楽しむところだが、本日はアンナちゃんもいるからな。

 ソロプレイはできない。

 

「アンナ、腹すかないか?」

「え? タクトくんにまかせる……」

 なぜ顔を赤らめる?

 普通に「腹が減った……」とつぶやき、ポカーンとすればいいのに。

 

「肉は嫌いか?」

「ううん、アンナは好き嫌いないよ☆」

 へぇ、いい子でしゅねぇ~

 ボクはチーズがきらいでしゅけど……。

 

「ならば、ハンバーガーにしよう」

「アンナ、大好き☆」

 そら、ようござんしたね。

 

 カナルシティの一階に向かう。

 中央部には噴水があり、一時間に一度ぐらいで噴水ショーがおこるらしい。

 正確なことは知らんけど!

 

 噴水広場の目の前にその店はある。

 可愛らしい女の子(JSぐらい?)が看板のハンバーガーショップ。

 

『キャンディーズバーガー』

 

 お財布にも優しく、味も日頃通っている大手チェーン店などに比べれば、うまい。

 

「ここでいいか?」

 アンナに訊ねると「うん」とニコッと笑顔で頷く。

 まったく、ミハイルのときも、これくらい素直であれ!

 

「いらっしゃいませ~」

 

 これまた取り繕ったような笑顔の若い女性店員が、お出迎えである。

 

「店内でお召し上がりですか?」

「ああ、俺はBBQバーガーセットで、飲み物はアイスコーヒー」

「え、タクトくん、もう決めていたの?」

 そげん、驚かんでもよか。

 なぜかと問われれば、俺がいつも映画帰りに寄る店の一つだからだ。

 俺はここでは、これしか頼まん。

 選択肢が広がれば、広がるほど人は時間を無駄にしてしまうものだからな。

 

「え、え……アンナはどうしよっかな」

 あたふたするアンナ。

 困った姿も見ていて、可愛らしいな。

 

「お決まりになっていないのでしたら、ほかの方にお譲りくださいますか?」

 笑顔だが、ことを円滑に進めたいと、睨みをきかせる店員。

 背後を見れば、確かに他にも若者の長蛇の列が……。

 ここは紳士の俺が、どうにかせねば!

 

「アンナ、俺と同じのにしたらどうだ? BBQならば失敗はありえない」

「そ、そうだね☆ タクトくんの同じのください!」

 若干、笑顔がひきつる店員。

 確かにその頼み方はひどいぞ。

「すまんが、BBQセットを二つ。飲み物はどうする?」

「アンナはカフェオレで☆」

「だそうだ」

「かしこまりました」

 笑顔だが、なんか威圧的だぞ?

 まさかと思うが、俺とアンナがイチャこいているカップルにみえるんか?

 

 ~数分後~

 

 一つのトレーに、二人分のハンバーガーとポテト、そして飲み物がのっていた。

 厨房の奥からむさい男性店員が「ういっす」と体育会系な挨拶で、雑に差し出す。

 なぜ男はいつも厨房なのだろうか?

 男女差別じゃないですか!?

 

 ま、そんなことはさておき、トレーは俺が持ち、対面式のテーブルに運ぶ。

 二人分しかなく、いわゆるお見合いするような形でアンナと見つめあう。

 アンナは時折、はにかんで、俺の顔色をうかがっている。

 

「さて、食うか」

「うん☆ いただきまーす☆」

 

 俺はハンバーガーの包装紙をとると、てっぺんのバンズを持ち上げた。

 パティのうえにフライドポテトをならべて、蓋をするようにバンズをのせる。

 完成、『俺流なんちゃってニューヨークバーガー!』

 これは某ハリウッドスターが映画の劇中で、ホットドッグとフライドポテトを、ケチャップとマスタードだらけにしていたシーンがあり、それからインスパイアされた俺流メニューである。

 

「タクトくんってそんな食べ方するの?」

 首をかしげるアンナ。

「ああ、うまいぞ」

 俺はバーガーを、手で軽くつぶしてから、ほおばる。

 これも食べやすくたべるコツのひとつであり、どっかの某日本俳優が映画の劇中で語っていたものだ。

 うろ覚えだがな。

 

「アンナにもしてみて」

 目を輝かせるアンナ。

 まるで、餌をほしがる犬のようだな。

 ちょっと可愛いからほっぺを触らせなさい。

 

 仕方ないからアンナにも『俺流なんちゃってニューヨークバーガー!』を作ってやる。

 というか、はさむだけだから俺がやる必要性があるか?

 

「ほれ、食べるときに少しバーガーをつぶすのがおすすめだ」

「なんで?」

「食べやすいし、そのなんだ……アンナのような、小さな口でも入りやすくだな」

 なんか言い方がエロいと、感じたのは俺だけか?

 

「そっか☆ じゃあやってみる」

 俺の言われるがままに、食べるアンナ。

 瞼をとじて小さな唇で、ハンバーガーをかじる。

 男の俺とは違い、かじった部分が狭い。

 それぐらいアンナの顎が細いということなのだろう。

 

「んぐっ……んぐっ……」とミハイルのときみたいな、エロい音をたてる。

 

「おいしーーー!」

「だろ?」

 ドヤ顔で決める俺氏。

「タクトくんってなんでも知っているんだね☆ アンナの知らないことばっかり」

「そ、そうか?」

 いわゆる、男子をすぐに「すごぉい」とほめちぎる清楚系ビッチにみられる言動である。

 だが、いわれて嫌な気分ではない。

 むしろ、他のメンズからの視線が突き刺さる。

 

「見ろよ? イチャつきやがって」

「ムカつくぜ!」

「金、暴力、せっかちなお母さん!」

 なんか最後のやつは「イキスギィ~」だったな。

 

 思えば、このハンバーガーショップにも、一人でしか食べに来た事ないな。

 俺はアンナを見つめながら、不思議な錯覚に陥っていた。

 目の前のこいつが、本当に彼ではなく、彼女に見える。

 

 ミハイルの遊びに付き合っているとはいえ、俺はなぜ別人として、アンナとして接しているのだろうか?

 

 どうかこの時が、永遠であってほしい。

 そして、このままミハイルがアンナに、男が女に生まれ変わってほしいと願っていた。

 



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43 契約 ハンコはなしで

 

 俺とアンナは、夕暮れまでカナルシティのいろんな店を楽しんだ。

 普段行かないようなアクセサリーショップや雑貨屋、あと夢の国ストア……。

 

 個人的には、この店が一番つらかった……。

 

 アンナが「あれ見て! ネッキーだよ☆」と大興奮。

 俺は終始、温度差を感じながら、彼女の買い物に付き合っていた。

 

 時が流れるのは早く、スマホを見れば『17:22』

 

 一応、女の子の設定なので、そろそろ帰さねばな。

 そういえば、年齢はいくつなんだ?

 

「ところでアンナ、お前は今年いくつなんだ?」

 ネッキーの特大ぬいぐるみを抱えているアンナ。

「アンナ? 今年で16歳だよ? まだ15歳☆」

 そこは設定変換せんのかい!

 

「なるほどな……ならば、そろそろ帰らないか? 親御さんも心配されているだろうし」

「アンナ、親いないよ? ミーシャちゃんと同じで死んじゃった……」

 そこも設定は一緒かよ! 2回も気をつかわせるんじゃないよ、ったく。

「それは済まないことを聞いてしまったな……」

 これも二度目だけどな。

「ううん、私にはミーシャちゃんがいるから」

 それって自分がお友達ってことだよ? 悲しくない?

 

「だが、もう夕方だ。博多駅まで送るよ」

「イヤァッ!」

 彼女の叫び声が行き交う人々の足を止める。

 

「アンナ? またいつか会おう。それじゃダメか?」

「イヤイヤ、絶っ対にイヤ!」

 ダダこねているよ、中身15歳のあんちゃんだろ?

 めんどくせっ。

 

「じゃあ、最後にアンナの願いを一つだけ聞く。それでどうだ?」

「ホント!? なら……最後にあの川を見たい!」

 アンナが指差したのはカナルシティの目の前にある大きな川。

 『博多川』である。

 

「博多川か……別に構わんが?」

「やった☆」

 そんなにでかい川が珍しいか?

 

 

 カナルシティの裏口を出るとすぐに横断歩道があり、2分ほどで川辺につく。

 

 長い川に沿って、ベンチが複数、横並びしている。

 俺とアンナと、ネッキーは『二人と一匹』で座った。

 

「ねぇ、タクトくんってカノジョとかいないの?」

 知っているくせに! 

「俺は生まれてこの方、女と付き合ったことなんぞない」

 事実上の童貞発言である。

 

「そっかぁ……あのね、ミーシャちゃんから聞いたんだけど、タクトくんって小説家なの?」

 ソースはお前な!

「ま、まあ、そうだ。売れないライトノベル作家だ」

「ふぅん。今はどんな作品を書いているの?」

 う! それ聞いちゃう?

 

「今は……はじめてのジャンルに手を出している」

「なぁに?」

 とぼけた顔で食い気味に、身体を寄せるアンナ。

 や、やめて! 博多川の対岸ってラブホ街なのよ!

 このまま、お持ち帰りしたくなるからさ!

 

「ラ、ラブコメだ! それも王道のな」

「そうなんだぁ……ミーシャちゃんとタクトくんって仲いいの?」

 自分で自分のこと聞いてどうすんの?

「まあいいな」

「そっか☆ よかったぁ☆」

 嬉しそうに笑いやがって! そのための女装じゃないだろな!

 

「ねぇ、タクトくんってさ。どうして、ミーシャちゃんと同じ高校に入学したの?」

「そ、それは……」

 

 俺のクソ編集、白金 日葵に言われたからだ。

 

『業務連絡です。取材してきてください!』

 

「取材だ……。ラブコメを書くためには、小説を書くには、『リアルな記憶が残らない』と俺は書けない作家なんだ」

「……」

 なぜか肩を落とすアンナ。

 そこ、俺がやるところだからね? 

 俺だって、なにが悲しくて年下のやつらと勉強してんだって話だよ。

 しかも王道どころから、邪道なデートしちゃってるからね。

 

「ねぇ、タッくん……」

「へ?」

 今、こいつ、あだ名っぽいこと言ったよな?

 

「アンナ……じゃ、ダメ?」

 胸元で祈るように手を合わせるアンナ。

 これは反則的だ。

 女の成せる所業である。

 

「なにがだ?」

「アンナで取材しちゃダメ?」

「なっ!?」

 血迷ったか。古賀 ミハイル。

 クソッ、俺が小説家だということを見こしてのプランなのだろうな。

 

「アンナも、まだ誰とも付き合ったことないの……」

 童貞と訳してもいいですか?

 

「タッくんなら……タクトくんさえ良ければ、アンナを使って!」

 使ってって……あーた。違う意味に聞こえるよ?

 しかし、その表情、真剣。ものすごくイケメン。イケメンすぐる。

 

「つまり、アンナの言いたいことを要約すれば、俺とお前が恋愛関係に至るということか?」

 俺がそう言うと、彼女の顔はボンッと音を立てるかのごとく、真っ赤にさせる。

「付き合うんじゃなくて……その……あくまでも取材、だよ?」

 おい、なにをモゾモゾとしている。

 自分の言っていることが、わかっているのか?

 

「取材費はどうすればいい? 金額は?」

「そんなのいらない!」

 恥ずかしがったと思えば、激怒。女子かよ。

 

「ならば、アンナに対する報酬は?」

「いらない……」

 また床じゃなかった、コンクリートが友達になっているぞ。

「ダメだ。取材対象にはしっかりと報酬を与えるべきだ」

「そんなん、いらんもん!」

 はじめて聞いたわ、お前の博多弁。

 

「いいか、アンナ? 俺は物事を白黒ハッキリさせないと気が済まないんだ。わかるか?」

「じゃ、じゃあ……もし取材が終わって、アンナのことを気に入ったら『ホントのカノジョ』にして」

「……」

 

 なにこれ? 俺ってばハメられた?

 マウントとられまくりじゃん。

 

「分かった」

「約束だよ☆」

 俺とアンナは、小指同士で契約を交わした。

 

 夕陽が彼女の瞳を鮮やかにさせる。

 その瞳は気のせいか、潤って見えた。

 

 これで、よかったのだろうか?

 俺は確かにミハイルをフッてしまった。

 だが、なぜアンナとはこんなにも簡単に、契約を結んでしまったのか?

 疑似恋愛とはいえ、男だとわかっているのに……。

 

 

「あ、タッくんってL●NEやってる?」

 切り替えはやっ!

「いや、やらん。既読スルーとかいう、いじめが横行しているツールの一つだろ?」

 イジメ、ダメ、ゼッタイ!

 

「アンナは既読スルーとか、絶対にしないよ!」

「ふむ……しかし連絡先がサーバーと同期されれば、知り合いなどにバレると聞くが?」

 そんなことになれば、変態母さんとバカ妹の繋がりが、俺にまで繋がっちまうぜ。

 

「設定で、アンナとだけ、L●NEできるようにしてあげる!」

 なにそれ? ちょっと怖い。

「まあ、構わんが……」

「これも取材のうちだよ☆」

 笑顔が可愛いけど、めっさ怖い!

 

 取材って、危険がいっぱい!

 



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44 既読スルーはよくない

 

 勝手にインストールされ、勝手に設定された俺のスマホアプリ。

 その名もL●NE。

 巷では既読スルーが横行していると聞く。

 ので、俺は10代だというのに、このアプリを使うことはなかった。

 というか、断っていたのだ。

 

 担当編集の白金も「ええ! L●NE使わないんですか?」と驚いてた。

 毎々新聞店長も「シフトとかあるからさ、L●NE使おうよ」と新手の詐欺のように、勧誘する始末。

 

 俺は人や時間に縛られるのが嫌いだ。

 だから、今まで使わずにすんでいたのに、この女装男子、アンナにしてやられたのだ。

 

 当の本人といえば、ニコニコ笑いながら、俺のスマホをタップしまくっている。

「はい☆ これでタッくんと繋がれたね☆」

 その繋がりってのがエロくも感じるが、ストーキングにも感じる。

 

「そ、そうか。で、なにを送るんだ、これ?」

「スタンプとか送るんだよ。あとで、アンナからタッくんに送るね☆」

 強制ですか?

「ならば、そろそろ帰ろう」

「うん☆」

 

 アンナを博多駅まで、紳士的に送り届けることにした。

 彼女はどうやら、俺が住んでいる真島(まじま)より遠くに住んでいるらしく、博多駅でお別れだそうだ。

 ま、そりゃ、そうだわな。ミハイルとアンナは、二人で一人。

 

「じゃあ、あとでね☆ タッくん!」

 笑顔で手をふるアンナ。

「おう、またな」

 博多口に一人彼女を残して、俺は改札口に向かった。

 

 駅のホームで次の列車を待つ。

「まったく、なにがしたいんだ? ミハイルのやつは」

 ひと段落ついたことで、何気なくスマホに目をやる。

 通知が偉い数になっている。

 その数、100件以上。

 なにこれ? 新種のウイルスにでも侵入されたんけ?

 

 8割はアンナ。

 

『今日は楽しかったね☆』

『アンナだよ?』

『(*´ω`*)』

『タッくん、いまなにしているの?』

『アンナはネッキーと一緒だから、帰りは心配しないでね☆』

 

 あったま、おかしーんじゃねぇの!?

 

 残りの2割は妹のかなでと母の琴音さん。

 

かなでから、

『ミーシャちゃんと会えましたの? おみやげは、男の娘でおなーしゃすですわ』

琴音から、

『かーさん、“かけ算”するのに材料が足りないの。帰りに本屋で新鮮なネタを買ってきてちょうだい』

 

 クソがっ!

 

 ともかく、俺のスマホが緊急事態宣言を発令しているので、後者の2人は捨て置いて。

 アンナに返信することにした。

 

『今日は楽しかったぞ。気をつけて帰るがよろし』

 

 すぐに既読のマークがつく。

 早すぎてこわっ!

 

「L●NE!」と通知音が鳴る。

 

『タッくん、プリクラ大切にしてね☆ また今度取材しよ☆』

 

「……」

 こ、こぇぇぇぇぇ! 

 

 プリクラを机やテーブルに貼ったら殺されそうだ。

 大切にしまっておこう。

 知らんけど。

 

 そうこうしているうちに、ホームに列車がつく。

 車内は夕方ということもあり、遊び帰りの若者、会社帰りのサラリーマンやOLで、座席は埋まってしまった。

 俺は電車のドアにもたれながら、今日のことを振り返っていた。

 

『タッくんなら……タクトくんさえ良ければ、アンナを使って!』

 

 あの夕暮れでの誓い。

 胸にすごく響いた。

 こんな俺を女装してまで、無理して、頑張って……。

 さぞ辛かったろう。

 

 もう彼女は、立派な取材対象だ。

 アンナというヒロインは、他にいないだろう。

 これでいこう。

 主人公はどうする?

 

 

 その時だった。

 スマホがブブブ……と音を立てる。

 画面に視線を落とせば、『ロリババア』

「チッ、白金かよ」

 人が余韻にひたっていたのに……。

 

「俺だ。なんか用か? 今電車のなかだ」

 ヒソヒソ声で喋るが、周囲の視線を感じる。

『あ、白金ちゃんです!』

「バイバーイ」

『ま、待ってください! ラブコメのプロットは、考えられましたか?』

 クッ! 今考えてたところだよ!

 

「ああ、取材の効果が出た。ヒロインは決まりそうだ」

『本当ですか!? 童貞のセンセイにモテ期が来たんですか!?」

「うるさい! とりあえず、切るぞ」

『わかりました。では、明日打ち合わせしましょう!』

「おまっ、まだプロットはできて……」

 ブツッと、耳障りな切られ方をしたので、スマホを床に叩き割ってやろうと思った。

 

「あ、俺……明日学校じゃん」

 

 そうアンナとのデートで、浮かれていた。

 明日が第二回目のスクーリングであることを、忘れていたのだ。

 

 嫌な予感が不可避。

 



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第七章 パニックパニック!
45 波乱のはじまり


 

 きょうはにちようび、ぼくのなまえは、しんぐう たくと。

 ことしで18さいになる、こうこう1ねんせいだよ。

 ぼくはおしごともやってる、えらーいにんげんなんだぞ!

 

 

「……」

 

 プロットを書いていたら脱線してしまい、アホな文章になってしまった。

 担当編集の白金(しろがね)から、『明日打ち合わせしましょう!』と身勝手な電話があった。

 その後、電話をかけ直したが、着信を無視されているみたいだ。

 メールでも『明日はやめくてれ』と送ったが、返信なし。

 

 というか、日付変わってから、もう『今日』なんだけどな。

 あと5分で午前7時。

 朝刊配達を終えて、今日も眠気マックスだ。

 

 妹のかなでは、まだ夢の中。

 きっと母さんも仕事で疲れて……じゃなくて、ウイスキーでオンラインBL飲み会やってたから、自室で寝落ちしている。

 

 なので、俺は物音を立てないように、静かにリュックサックを手にとった。

 リビングで食パンを焼く。

 地元の真島(まじま)商店街で、買いだめしているコーヒーを淹れる。

 

「いい香りだ……」

 余韻にひたりながら、というか、現実逃避しながら朝食を楽しむ。

 久しぶりに徹夜で小説のプロットを書いていた。

 未完成だが。

 

 ピコン!

 

「またか……」

 徹夜したもう一つの理由はこいつだ。

 

 ピコン!

 

 タップする間にも次々送られるL●NE。

 

 ピコン! ピコッ……ピコン!

 

 見たくない。もうお腹いっぱい。

 アンナちゃん、数秒刻みで送ってくるから、スマホが熱々になっちゃったよ。

 イキスギィな行為だよ。

 

「はぁ、なにやってんだか……」

 

 朝食を終え、スタコラサッサーと真島駅に向かう。

 

 もちろん、アンナのことは放置している。

 付き合ってられん!

 

 電車に乗り込むこと数分。

 |席内(むしろうち)駅についた。

 

 プシューッという音と、共に一人の少年が同じ車両に入る。

 

「よ、よぉ、タクト……」

 目の下、くまで酷いことになってるよ!

「ミハイル……お前、寝てないのか?」

 そう言う俺も、声がいつもより小さい。

「タクトだって、くまがひどいぞ」

「ま、まあな」

 互いに強がる。

 

 だって、朝まで遊んでいたしな。いとこの古賀(こが)アンナと。

 

「ねぇ、いとこのアンナはどうだった? 可愛かっただろ☆」

 それって自分で自分のこと、可愛いってことだぜ。

「ああ……可愛かったよ。ミハイルに似ているな」

 俺がそうツッコミを入れると、彼は苦笑いで答える。

「そっか? あんまり言われねーけど」

 おい、床ちゃんとにらめっこすんじゃない。それに今日も風邪か? 顔が赤い。

「なあ彼女はどこに住んでいるんだ?」

「アンナ? えっとどこだろ……」

 歯切れが悪いな、設定ちゃんと決めておけよ。

 

 ~30分後~

 

 俺とミハイルは、いわゆる寝落ちしていた。

 

赤井(あかい)駅~ 赤井駅~」

 

 車掌のアナウンスが流れて、咄嗟に目を覚ますが、何かが俺の行動を邪魔する。

 視線を横にやれば、ミハイルが俺の腕にからんで「ムニャムニャ……タクトぉ」とニヤついている。

 可愛いけど、起きろ!

 

「おい、ミハイル! 赤井駅だぞ!」

「え? あっ、下りないと……」

 

 時すでに遅し。

 プシューという音と共に、車内の自動ドアが閉まる。

 

「「あっ!」」

 

 この時ばかりは、息がピッタリだった。

 ちこく、ちっこく~

 

「ど、どうしよう……宗像センセって怖いよな?」

 ヤンキーのくせしてビビるな。

「まあ次の駅で折り返そう」

 

 ~更に20分後~

 

 やっと俺とミハイルは赤井駅に到着した。

 

 二人して「ほっ、ほっ、ほっ」と走る。

 赤井駅からランニングだ。

 いい汗をかいている場合ではない。

 あの宗像のことだ。

 きっと鬼モード不可避である。

 

 長い長い上り坂、通称『心臓破りの地獄ロード』も走る、走る、走る!

 これは俺たちが宗像(むなかた)先生への恐怖から成せる所業だ。

 

「み、見えたぞ! ミハイル!」

「うん!」

 

 わざわざ、校門の前に一人の痴女が待ち伏せていた。

 一ツ橋(ひとつばし)に正門など存在しない。

 全日制の三ツ橋高校の正門である。

 一ツ橋高校の正門とは三ツ橋(みつばし)高校の裏口のことだ。

 なので、正門に一ツ橋の教師が立つなんて、よっぽどのことだ。

 

「くらぁぁぁぁぁ!」

 

 鬼の形相で両腕を組む。アラサー痴女、宗像(むなかた) (らん)

 

「遅刻だぞ、お前ら!」

 

 今日のファッションチェック♪

 宗像先生は総レースのスケスケボディコンですね。

 トータルホワイトコーディネート。

 足元もヒールの高い、白のハイヒール

 胸元を開いているわけではありませんが、レースの中が丸見え。

 巨大なメロンが二つもお山を作っています。

 どこの立ちんぼガールですか?

 

「す、すいません! 徹夜だったんで……はぁはぁ」

「オレもっす……ハァハァ」

 さすがのミハイルも息を切らしていた。

 

「お前らぁぁぁぁぁ!」

 これは殴られること不可避。

 覚悟を決めた。

 

「よく来れました♪」

 鬼の形相から一転、優しく微笑む宗像女史。

 ど、どういうことだってばよ!

 

「え?」

「だから遅刻してもよく来れたな、えらいぞ♪」

 そう言うと、先生は俺とミハイルを抱きしめる。

 

「なにを!?」

「センセ!?」

 

「いいからいいから……お前らは本当によく頑張っているな。先生は嬉しいぞ」

 なにが? おっぱいがプニプニ当たってて、キモいのなんのって。

 あ、でも、ミハイルともくっついているから、嬉しいと言えば嬉しいが。

 

「や、やめてぇ……センセッ、そろそろ放してぇ……」

 おいミハイル。声色が女だよ……色っぽいのう。

 

「おう、悪かったな、古賀」

「べ、別にいいっすけど……」

 顔を赤くして、何度か俺の顔をチラチラと確認している。

 

「じゃあ、二人とも元気にスクリーングはじめよー!」

 そう言うと、変態教師、宗像は俺とミハイルのケツをブッ叩く。

 

「いってぇ!」

「あんっ!」

 ミハイルだけ変な声だな!

 

 俺とミハイルは逃げるように校舎へと向かった。

 

 ブッ飛び~な高校で死にそう……。

 



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46 オワコン授業

 

 鬼教師こと宗像 蘭から、どうにか難を逃れることができた勇者タクトと聖女ミハイル一行。

 果たして、痴女魔王のセクハラから逃れ、一ツ橋高校に平和をもたらすことができるのか!?

 

 

「ふむ……ちがうな」

 俺は机の上に置いていたノートPCに、くだらない文章を書き起こしていた。

 

 隣りのミハイルは可愛らしい寝息とともに夢の中だ。

 

 ちなみに現代社会の授業中である。

 俺とミハイル以外も、各々が好きなことをしている。

 

 当の教壇に立つ若い無精ひげの教師は、コトを見なかったかのように授業を進める。

 そう、無法地帯と化したのだ。

 

 教師の話すことも、ほぼ毎日、ラジオやレポートで習ったことばかりで、『学ぶ』必要性が皆無なのだ。

 

 ので、俺は小説のプロット作成に勤しむ。

 ミハイルは徹夜でL●NEしていたので、安眠す。

 

 だが、まじめに勉強しているものもいた。

 俺の左側に、眼鏡女子の北神 ほのかがいて、慌てて教師のいうことをノートに写している。

 それ、やる必要ある?

 

 また北神の近くには真面目グループ、つまりは非リア充の一派が色薄く存在していた。

 頭を見ればわかる。

 なぜならば、皆、髪の色が地毛。

 つまり、黒なのだ。

 おもしろいぐらいに真っ黒。

 ま、俺もそのうちの一人なのだが。

 

「いやしかし……推しは『YUIKA』で決まりでしょう?」

「兄者。拙者は絶対に『AOI』でござる」

 

 変な口調に話の内容は、おかっぱ頭の日田の双子だ。

 奴らも二回目のスクーリングにして、飽きが来たようで、オタトークに華を咲かせている。

 

 本当に酷いクラスだ。

 俺も勉強なぞ、在宅で十分じゃ! と教師をバカにしている。

 

「で、では……みんなに聞きたいことがあるんだけど」

 現代社会のモブ教師がわざとらしく、咳払いをする。

「きみたちは既に18歳になった人もいるだろう……あと数日で選挙だね」

 なにが言いたいんだ。

 

 俺もキーボードの手をとめる。

 

「このなかで選挙に行く人は?」

 今日初めて見える笑顔だな、モブ教師。

 そんなに選挙に行きたいのか、それとも自分の好きな『美人すぎる政治家』にでも一票、投票させたいのか?

 

 一人が手をあげる。

 俺の隣りにいた北神だった。

「わ、私……今月で18歳なので」

 顔を真っ赤にして手をあげている。

 相変わらずの白ブラウスに、紺のプリーツスカート。

 まんま現役JKだよ。

 全日制の三ツ橋高校の制服組に間違えられそうだ。 

 というか、こいつ。俺とタメだったのか。

 

「そ、そう! えらいね~ センセイ、関心しちゃう」

 鼻のしたを伸ばして、うれしそうに教壇から北神をみつめる。

 キ、キモッ!

 

「そっかぁ♪ ええと、名前は?」

 わざわざ教壇から降りて、北神の席まで近づく。

 

「あ、あの……北神 ほのかですぅ」

「北神さんかぁ、キミ可愛いねぇ♪」

今、容姿を褒める必要性あるか?

生徒として見てないだろ。

 止めるべきシーンでは?

 このままでは、北神の貞操がヤバイってばよ!

 

「おい……」

 俺がいいかけた瞬間だった。

 

「うぃーす」

 見かけたランプ……じゃなかったハゲ。

 千鳥 力だ。

 て、おい。もう授業はじまって、30分は経ったぞ?

 それでも出席のために、途中からログインする気か。

 

「おはにょ~」

 このアホな挨拶は奴しかいない。

 伝説のヤンキー『それいけ! ダイコン号』が一人。

 『どビッチのここあ』

 つまりは花鶴 ここあだ。

 

「あれ? ほのかちゃん、どうしたんだ?」

 困っている北神にハゲが、睨みをきかせる。

 いいぞ、千鳥。もっと凄んでやれ。

 

「あ、おはよ。千鳥くん……」

 ホッとして、膨らんだブラウスの山が揺れる。

 彼女はいわゆる地味巨乳という奴で、俺からしたらどうでもいいスキルの保持者だ。

 

「え? 俺の名前を覚えてくれたの?」

 ハゲが照れくさそうに後頭部をかく。

 てか、後ろもツルッツル! そうめんでも流せそう。

 

 千鳥が北神の席まで足を運ぶと、間に挟まれたモブ教師はうろたえだす。

 公開セクハラを止められて、一安心。

 

「じゃ、じゃあ授業を再開しよ……」

 言いかけた瞬間だった。

 

 キンコーンカンコーン。

 

 この教師はいつもこういう情けない教師なのか?

 

「あっ、俺たち出席カードもらってないっす」

「あーしも♪」

 図々しいやつらだ。

 

「は、はい。二人分ね」

 渡すんかい!

 こいつら、何も習ってねーぞ。

 終わっているなこの高校。

 

 右手に視線をやると、ミハイルはスゥスゥと可愛らしい寝顔を見せてくれる。

 癒されるわ……。

 

 といって、俺はまたプロット作成に励むのであった。

 学級崩壊してて草。

 



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47 雪隠休憩

 

 2時限目は、英語の授業。

 この教師はけっこうまともな方で、勉強してないと出席カードをくれない。

 さすがの俺もノートPCはしまい、真面目に授業を受けた。

 

 まあリア充グループのミハイル、千鳥(ちどり) (りき)花鶴(はなづる)ここあはグースカ寝ていた。

 

 チャイムが鳴り、教師が去る。

 尿意を感じた俺は、お花を摘みにいざ、お花畑へ!

 

 廊下を歩いていると、制服組のグループが群れをなして行く手を阻む。

 邪魔だわ~ 

 この肉の壁どもが!

 

「悪いが通してくれないか?」

 語気が強まる。

 

 一人の男子が振り返って、俺の顔を覗き込む。

 相手の身長は180センチ以上ありそうだ。

 がたいもよく、筋肉の鎧でフル装備。

 たぶん、部活のために日曜日だというのに、わざわざ登校する脳筋野郎だな。

 

「あ? なんか用?」

 いきなりケンカ腰だよ。

 制服組だからって威圧的なのはよくないと思うぞ、わしは。

 

「邪魔になっていると言っているんだ」

「あのさ、お前らこそ、俺たち三ツ橋高校の邪魔なんだわ」

 両腕を組むと、俺の可愛らしいお花摘みを止めに入るガチムチ野郎。

 気がつくと残りの数人も、俺に睨みをきかせ、何か言いたげだ。

 

「そうだよ! お前ら一ツ橋高校は、俺らの面汚しだよ」

 なに便乗してんだ。

「俺らの校舎だべ? おめー達は遠回りでいくべ?」

 どこの出身ですか?

 

「あのな……お前ら。学費は誰が払っている?」

 俺は社会人兼高校生だぞ、えっへん。

 

「「「?」」」

 

 3人共、顔を見つめ合わせると目を丸くしている。

 数秒の沈黙のあと、腹を抱えて笑う。

 

「はっははは! なにいってんだこいつ。親が払うだろ、フツー」

 体格のいいリーダー的存在のやつは、俺に指までさして笑う。

 失礼なやつだ。

 人に指をさしていいのは、某裁判のゲームのときだけだぞ。

 

「お前……いい根性しているな」

 キレるスイッチが入ってしまった。

「あぁんっ?」

 そちら様も同様のようで。

 

「俺の名は新宮(しんぐう) 琢人(たくと)。お前は?」

「タクトだ? オタクみてー」

 なにこれ? 毎回、オタクいじりされるの?

 名前でウケはとりたくないのに、ゲラゲラ笑ってしゃる。

 

「あー、ウケるわ。俺の名前は福間(ふくま) 相馬(そうま)だぜ」

 ニカッと笑う。

 悔しいが清潔感あるイケメンだな。

 身長も180センチ以上で体格もいい。

 肌が少し日焼けしているし、活発そうな男子……ってイメージ。

 オラってはいるが、女子ウケいいんだろうな、チキショウ!

 

「福間 相馬か……認識した。改めて言おう。そこをどけ。俺はこの一ツ橋高校の生徒であり、学費は自ら払っているんだ。文句があるなら、痴女教師の宗像先生に言え!」

「誰だ、そいつ?」

 え? 知らないの?

 あの変態教師を、環境型セクハラな生き物を。

 

宗像(むなかた) (らん)先生だ」

「ハンッ、ババアくせー名前だな」

 な、なんてことを! 俺は知らんぞぉ~

「何を言っている? 宗像先生はまだ20代だぞ」

 一応、フォローしておく。

「アラサーじゃね? 四捨五入したら30代だろ? ババアじゃん、BBA(ビービーエー)

 NO~! 

 

「あっ、センパイ!」

 甲高い声が聞こえた。

 制服組の男子もその声を辿る。

 福間たちの背後に、一人のJKが立っていた。

 

「こんなとこにいたなんて、奇遇ですね♪」

 笑顔で駆け寄るJK。

 なんだ福間の知り合いか。

「おう、奇遇だな」

 嬉しそうに笑う福間。

 俺をチラ見して、勝ち誇った顔をしている。

 ハイハイ、リア充。爆ぜろ。

 

「この前は、よくも私の裸を見てくれましたね!?」

 福間たちを通り過ぎ、俺の胸を人差し指で突っつくJK。

 よく見れば、ボーイッシュなショートカットに校則違反のミニスカ。

 こいつは……。

 

「お前、赤坂(あかさか) ひなたか?」

「あ、新宮センパイ。また私のこと忘れてたでしょ? ひどーい」

 ミハイルくんとアンナちゃんでお腹いっぱいで、あなたという存在を消去していました。

 

「す、すまん。赤坂……なんか用か?」

「この前のこと、私、忘れませんから!」

「なにを顔を真っ赤にしているんだ? 熱でもあるのか?」

 そういうと、胸の前で拳をつくり、顔を更に赤くする。

「だ、だって私のパ、パ、パ……」

「パンティーだろ?」

 

 ダンッ!

 

「いってぇ!」

 また俺の上履きを汚したな! 暴力JKめ!

「なにをする、赤坂!」

「セクハラ先輩! エッチ! ヘンタイ!」

 言葉責めって嫌いじゃありません。

 

「おい、赤坂。こいつと知り合いか?」

 なにやら不機嫌そうな顔で、こっちを眺める福間。

 

「あ、福間先輩。いたんですか?」

 それ一番言っちゃダメなやつ。

「いたよ……ところで、赤坂。今日は部活か?」

「はい、ですよ」

「なあ……ちょっと、いいか?」

「いいですけど?」

 赤坂はきょとんした顔で福間を見上げる。

 

 福間が黙って、俺に首で「早くいけ」とサインを出す。

 なんじゃ? 口説くんけ?

 しゃあないのう、じゃあわしは雪隠(せっちん)休憩じゃ。

 

「あっ、新宮先輩! 今度あったら責任とってくださいよ!」

「なにをだよ……」

 ため息をついて、俺はその場を離れようとした。

 

 その時だった。

 

「なあ赤坂、お前……あのオタクに裸を見られたのか?」

 そんな名前じゃねぇ!

「え!? べ、別に。福間先輩には関係ないでしょ……」

 歯切れが悪いぞ、赤坂。

 まるで俺が盗撮犯みたいじゃないか。

 あれは事故だったろ。

 

「関係ないことないだろ! 俺の可愛い後輩に……」

 可愛いって告白に近いじゃん、バカじゃん。

 不穏な空気が漂う。

 俺はその場から去ろうと足を進める。

 

「だから一ツ橋は嫌いなんだ。生徒もバカ。教師もただのババア」

 聞き捨てならなかった。

 だが、今日の俺は急いでいた。小説の作成も控えている。

 くだらない、相手にしてやるべき存在でもない。

 リア充の戯言だと言いながらも、歯を食いしばった。

 

「だーれが、ババアだって?」

 

 肩まで伸びた髪が、窓から流れる風と共に揺れる。

 鋭い眼つきは獲物を狩る百獣の王のそれと同じだ。

 

「え? だ、誰だ。あんた?」

 その女は身長180センチもある福間より背が低いのに、巨人のように感じる。

「私は一ツ橋のババアでBBA(ビービーエー)の宗像 蘭ちゃんだぁ~」

 二つの大きなメロンがブルンブルン! キモッ!

 不敵な笑みを浮かべている。

 こ、こえええ!

 聞こえてたんだ。

 

「ひ、一ツ橋の先生なら、関係ないっしょ?」

「大ありだぁ~ いいだろう、この機会に、みっちりと女性のすばらしさを教えてやる」

 そう言うと宗像先生は、福間の襟元を掴み引きずって連れ去る。

 

「や、やめてぇぇぇ!」

「うるさい! 黙って私についてこい! 誰が30代はババアだ? 女は死ぬまで女だ、コノヤロー! 校舎でイチャイチャしやがって、クソ野郎が!」

 

「「「……」」」

 

 沈黙で福間先輩を見捨てる赤坂とモブ男子ども。

 

「南無阿弥陀仏」

 俺は手を合わせて、福間先輩が天国(いろんな意味)にいけるように祈った。

 

 みんなを救ってくれた、それが福間 相馬!

 忘れないぜ、この恩を。

 

 この後、めちゃくちゃお花を摘んだ。

 



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48 お弁当、あたためますか?

 

 特に何事もなく、(福間 相馬は天に召されたが)午前の授業は終えた。

 

 さあ楽しい楽しいお弁当タイムのはじまりだぁ!

 

 前回と同じく、多くのリア充グループは教室から退出する。

 きっと赤井駅周辺の飲食店で、外食するのだろう。

 

 花鶴や千鳥もスタコラサッサーと出ていく。

 が、金色のミハイルはまだ夢の中。

 こいつは一日寝ていて、出席カードでさえ、教師が代筆していた。

 L●NEのしすぎだ。

 

 俺は彼らを無視して、リュックサックから弁当箱を取り出す。

 

 リア充たちが出ていくのを待っていたかのように、非リア充グループの男子たちが席から立ち上がる。きっとヤンキーが怖いから待っていたんだろう。

 

 対照的に女子たちは、俺と同様に弁当を取り出し、食べ始めた。

 

 

「真二よ、今日はなにを食べる?」

 双子の片割れが問う。

「兄者よ、ラーメンが無難であろう。学割も使えますし」

 なっ! そうか。生徒手帳を見せれば、そんなメリットがあったか!

 

「おい、日田兄弟」

 ふと声をかけてみた。

「どうした? 新宮殿?」

「お前ら。弁当持ってこないのか?」

「「?」」

 同じ容姿のおかっぱキノコが、互いの顔を見つめあう。

 しばらくの沈黙のあと、兄の真一が答えた。

「拙者たちは料理ができませぬ。両親も共働きで、お昼は外食で済ますのが、暗黙のルールです」

「右に同じく。新宮殿は環境に恵まれておられるご様子」

 いや、この弁当は俺がつくっているんだが?

 作ったのは卵焼きとウインナーだけだ。あとは冷食をぶち込んだテキトー弁当だぞ?

 

「「では、失礼しまする」」

 息がピッタリで草が生えそう。

 

「おう、またな」

 弁当箱を開き、箸を手に取った瞬間だった。

 

「今日も卵焼き?」

 隣りの席の北神 ほのかが微笑む。

 彼女も既に弁当を開いている。

「ああ、卵焼きだけはプロレベルと言っただろ?」

「ふふ、そうだったね」

 卵焼きで何が悪い! コスパよくて超うめーんだぞ!

 

「ほへ? たまごやき……」

 

 夢の中から目を覚ますお姫様、じゃなかった古賀 ミハイル。

 指で瞼をこすりながら、あくびをする。

 お口ちっさい。可愛い。

 

「あっ! もうこんな時間か?」

「ミハイル、お前。なにを習っていたんだ」

「だ、だって……眠かったんだもん」

 頬を膨らますミハイル。

 

「まあいいが……今日は財布忘れてないよな?」

「わ、忘れてねーよ」

 と、言いつつミハイルのぺったんこなお腹から、ギューギューと音が漏れている。

 

「なんだ? また卵焼き食うのか?」

「い、いらねーよ! 外で食べてくる!」

 顔を真っ赤にしたと思ったら、背を向けてしまう。だが、チラチラと俺の卵焼きを名残惜しそうに見つめる。

 もどかしいのう!

 

「そうか……ならば、俺は一人で食うぞ?」

 一応、確認しとく。

「た、食べればいいじゃん!」

 の割に、一歩も前に進んでないぞ。

 

 ガラッとドアが開く音が、教室内に響いた。

 俺もクラスメイトも、一点に視線が集中する。

 見慣れない姿だからだった。

 

「あっ、センパ~イ」

 そう制服組のリアルJKこと赤坂 ひなただ。

 つーか、さっき会ったばかりだろ。

 

「あ! あいつぅ!」

 ミハイルはその場で拳をつくっていた。

 なんだろ? 赤坂のパンティーがシマシマだったのが、ムカついたのかな?

 

「新宮センパイ! 一緒にお昼食べましょ」

 弁当箱を片手に、俺の前の机へと座る。

 そして、俺の机と合体させて、対面式テーブルの完成。

「俺と赤坂が? まあ……構わんが」

 これが彼女のいう『責任』の取り方なのだろうか?

「じゃあ、いっただっきまーす!」

 満面の笑みで俺を見つめる赤坂 ひなた。

 わからん、最近のJKたるもの。これがパンティーを見た復讐とでもいうのか。

 俺にはわからん。

「ふむ、ならば。いただきます」

 俺も便乗する。

 

「うわっ、新宮センパイの卵焼き。超キレイ!」

 目を輝かせる赤坂 ひなた。

「だろ? 俺の卵焼きはプロレベルだ」

「私の唐揚げと交換しません?」

 なん…だと! 俺が卵焼きと同レベルに好むおかずだ。

「その提案、乗った!」

 俺と赤坂は、互いの弁当箱からおかずを交換した。

 

「おいっ! タクト!」

 あれ、外食にいかないの? ミハイルさん。

「どうしたんだ? ミハイル」

「誰です? この子?」

 それ一番言っちゃダメなやつ!

「オレはタクトのダチのミハイルだっ!」

 めっさキレてはるやん。

 

「ミハイル、なにを怒っているんだ? やはり俺の卵焼きが恋しいか?」

「ち、ちげーよ! なんで三ツ橋のやつが、きょーしつに来てんだよ!」

 そこぉ? キレるポイント。

「ハァ? 元々、この校舎は三ツ橋のものですよ? それに私たち同じ学園の生徒じゃない?」

 清ました顔で、俺の卵焼きを食する孤独のJK。

 満足そうに「うーん、おいし~」と頬に手をやる。

 

 その姿を見たミハイルは、いつも大事にしているお友達の床ちゃんをダンダンッと踏み続ける。

 良くないよ? 友達は大事にしないと。

 

「それなら、タクトのおべんとうは、一ツ橋のオレも食べていいじゃん!」

 え? なにそのルール?

 俺の弁当は、一ツ橋のものでも、三ツ橋のものでもねーよ。

 

「タクト! オレにも弁当、この前みたいに食べさせて!」

 その顔、正にイケメン。そして可愛い。

「まあ構わんが……」

「は? ミハイルくんは、自分の弁当を食べたらどうなの?」

 眉間にしわを寄せる赤坂。

「うるせぇ! おまえ、名前は!?」

「赤坂 ひなただけど」

「ひなたか……じゃあ、ひなた。おまえはタクトとダチじゃねぇ!」

 でしょうね。

 

「だから、なんなの? 私とセンパイは、生徒手帳を見せあった仲だけど?」

「フン! オレはタクトん家に泊まったことあるもんね!」

「はぁ? 新宮センパイ。ホントですか!?」

「ホントだよな! タクト!」

 その時なにか、俺のボタンにスイッチが入った。

 

「お前らなぁ……なんでもいいからメシを食え」

 

「「はい」」

 

 

「ほれ、ミハイル。箸がないんだろ。食わせてやる」

 また、あーんして食べさせてやった。

 相変わらず、食べ方がエロい。

 んぐっ、んぐっ……ごっくん! と何かを連想しそうな租借音だ。

「うまい! うまいぞ、タクト☆」

 

「あっ! ずるい! ミハイルくんだけ」

「仕方ないだろ? こいつは箸を持ってないんだから」

「ひなたは自分のあるじゃん。オレは忘れたからさ☆」

 それ誇るところかね?

 

 キーッと顔を真っ赤にさせる赤坂。

 対して満足そうなミハイル。

 次をくれくれと、可愛いお口を開く。

 思わず、俺は生唾をガブ飲みしてしまった。 

 

「尊い……」

 この言葉、どっかで聞いたことある。

 俺とミハイル、それに赤坂の3人は、恐る恐るその声の持ち主を探す。

 

「尊すぎる……男の子同士でお口であーんして、それに怒る女子。『今晩のおかず』になりそう」

 眼鏡が輝く。その名は北神 ほのか。

 

「な、なにをいっているの……あなた?」

 いかん! 赤坂はそういう免疫を持ってないのか。

「ほのかのやつ、また調子悪いの?」

 ミハイルも同様だ。

 ここは俺がしっかり守ってやらんと。

 

「お前ら全力で昼飯を食え!」

 

「「?」」

 

 その時ばかりは、ミハイルと赤坂は首を傾げて、仲良く見つめあっていた。

 



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49 その名も……

 

 第二回目のスクリーングも無事に? 終わりを迎えようとしていた。

 

 生徒全員の顔が明るくなる。

 理由はただ一つ。帰れるからな。

 って、それは非リア充グループやぼっち共たちの定番。

 

 逆にリア充のやつらは『このあとめちゃくちゃゲーセンとかで遊んだ!』とほざくのだろう。

 雑談で各々が盛り上がる。

 

「なあ、タクト☆ 今日はオレん家来いよ」

「は?」

 エメラルドグリーンの瞳を輝かす少年、ミハイル。

「だって『やくそく』したろ?」

「ああ、ミハイルの姉さんに挨拶する……んだったか?」

 そーいや、この前、ミハイルが家に遊びに来た時、うちのブッ飛び~な母さんが提案してきたな。

 

「ねーちゃんと遊ぶんじゃなくて、オレと遊ぶんだろ!」

 なーに顔を真っ赤にさせとるんじゃ、ボケ。

「まあ構わんが……」

 

 ピシャーン! と豪快に教室の扉が開く。

 

 皆が一斉に視線を向けるが、期待した人物ではなかった。

 

 小学生が好んで着るような、可愛らしいさくらんぼ柄のワンピース。

 ツインテールで胸はぺったんこ。

 身長は120センチほどか。

 

「あんのバカ……」

 俺がそう呟くと、その気持ちの悪い生き物は、教壇の前に立つと息を大きく吸った。

 

「センセーーー!」

 

 キンキン声で窓が揺れる。

 俺もミハイルも耳を塞ぐ。

 もちろん、他のみんなも同様の対応。

 

「やかましい!」

 思わず反応してしまった。

 無視したかったのに。

 

「あ♪ DO(ドゥ)センセイ! ここにいましたか」

 そう言うと、低身長のロリババアは、他の生徒など気にせず、俺の席まで足を進める。

「おい、お前。何しにきた?」

「へ? プロットの打ち合わせでしょ」

 首をかしげているので、そのままへし折ってやりたい。

 

「白金……わざわざ学校まで来なくていいだろ」

「ダメです! さっさとプロットぐらい書き上げないと。DOセンセイは我が博多社から追い出されますよ? 実際に編集部の会議でも『あのオワコン作家に払う経費はない』って言われているんですから」

 それ、みんなの前で言う?

 

「タ、タクト! 誰だよ、この子!?」

 気がつけば、拳を作るミハイルさん。

 顔がこえーよ。

「ああ、えっとだな……こいつは」

 

「私、博多社の白金 日葵(しろがね ひまり)と申します♪」

 頭を垂れる社会人。

 律儀に名刺も差し出している。

 

「え? 大人なの……この子?」

 おバカさんのミハイルでは、脳内が大パニックだ。

 受け取った名刺と、白金の顔を交互に見て、真っ青になっている。

 

「一体、誰なんだよ?」

 思わずログインしてしまうハゲのおっさんこと千鳥。

「あーしも気になるぅ」

 歩くパンチラこと花鶴もか。

「あ、あの、私も気になるかも」

 腐女子の北神まで。

 

 気がつけば、俺と白金の周辺にはギャラリーが円陣を組んでいた。

 

「えっへん、生徒諸君! 私は白金 日葵ちゃんですよ? 一ツ橋高校の卒業生ですから、みなさんのちょっと先輩ですね♪」

 ちょっとじゃねぇ、一回りぐらい違うだろ。

 

「おお~」と歓声があがる。

 

「それでタクオとはどんな関係なんすか? 先輩」

 よく素直に受け入れられたたな、千鳥。

 このキモいロリババアを。

「私とDOセンセイは、担当編集と作家様の関係です」

「ドゥ? それがタクオのペンネームか?」

「ノンノン、後輩くん♪ DOセンセイのフルネームは……」

 そう言いかけた瞬間、俺は白金の気持ち悪い小さな唇を塞ぐ。

 

「なにするんだよ、タクオ? 邪魔すんなよ」

 少し不機嫌そうな千鳥。

「あーしも続きが気になる。どんな漫画家なん?」

 マンガとは言ってねーよ、花鶴。

 

「オ、オレも知らないよ……」

 なぜか寂しげに肩を落とすのはミハイル。

 少し涙目だ。

 

「それはな……俺のペンネームはだな……」

 あれぇ? なんか春だというのに暖房入ってません?

 汗が滝のように流れる。

 

「タクオ、あくしろよ!」

 早くって言い直せよ。

「オタッキー、ダチじゃん?」

 あなたみたいな、どビッチとは友達じゃありません。

「オレも聞きたい……よ?」

 だから、なぜ涙目で上目遣い? ミハイルさん。

 

DO(ドゥ)助兵衛(スケベ)!」

 

 その名を叫んだのは一人の少女だった。

 

 俺は一瞬にして汗が止まり、今度は悪寒を覚える。

 

「こんなところにいたなんて! 新宮くんがあの『DO(ドゥ)助兵衛(スケベ)』先生なんて……ハァハァ」

 なぜか息が荒い眼鏡少女、北神 ほのか。

 

「ドゥ・スケベェ……?」

 驚愕の顔でかたまる千鳥。

「スケベって、アッハッハッハ!」

 床に笑い転げる花鶴。パンツ丸見えだから男子諸君は良かったら、どうぞ。

 

「す、すけべ?」

 ミハイルは『この人可哀そう……』みたいな顔して、俺を見つめている。

 

「そうですよ、皆さん! 新宮くんこと、BLライトノベル作家のDO・助兵衛先生ですよ」

 ファッ!

 

「「「……」」」

 

 一瞬にして男子生徒たちは、俺から逃げていった。

 

「ち、違う! 俺はただのライトノベル作家だ! 北神、いい加減にしろ!」

「サインください!」

 俺の発言は無視し、自身の鞄から単行本を取り出してきた北神ほのか。

 

 タイトル『ヤクザの華』。

 

 表紙はガチムチマッチョなおっさんが、上半身裸体で拳銃を構えている。

 イラストからして、確かにBL向けにも見える。

 

「タクオ! お前ソッチだったのかよ!?」

 突っ込む前に、なぜそんなに離れているんだよ、千鳥。

 もうちょっとこっちに近寄れ! 辛いだろ!

「お前は何かを勘違いしているぞ、千鳥!」

「否定しねーから、余計に怖いんだよ!」

 

「なつかしー、しかも、これ初版本ですね♪」

 言い争う俺たちを無視して、白金が北神の単行本を眺める。

「そうなんです♪ 幻の初版本です♪ これで絡めるのがたまらないんです」

「なるほどぉ……DOセンセイにはBLの需要があるのですね。一考してみます」

 白金のやつ、冷静に俺の作品を分析しやがって。

 BLなんて母さんの同人だけでお腹いっぱいなんだよ!

 

「タ、タクト……オレはタクトの書いた本なら読んでみたいな☆」

 その笑顔守りたい!

 ミハイルがこの日ばかりは女神さまに見えた。

「スケベっていう、ペンネームもいい…名前だな」

 口がひくひくしていますよ? ミハイルさん。

 

 なんだろ、涙が……。

 



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50 蘭と日葵

「そのタクト……オレも今度、読んでいいかな?」

 顔を真っ赤にして、北神 ほのかが所持している小説を指差すミハイル。

 おいおい、お前さん。勘違いしてねーか? BL本じゃねーぞ。

 

「古賀くんもBLに興味あるの?」

 ログインすんな腐女子。

「ビーエルってなんだ? ほのか」

 あれ、ミハイルも既に下の名前で呼ぶ仲なの?

「BLとは尊き恋愛作品の総称のことだよ♪」

「ラブストーリーか……おもしろそうだな☆」

 やめろぉぉぉ! 北神、ミハイルの姉さんに謝れよ!

 

「ほうほう、DO先生には、BLのセンスがあるみたいですねぇ」

 メモすんな、ロリババア。

 

「うわぁ、タクオ……今度からトイレ一緒に入るのやめてくれ」

 引きつった顔するなよ、一緒に連れションしろよ、千鳥。

 寂しいだろが!

「あーしも、BLっての興味あるかな~」

 ええ!? ギャルの花鶴まで!

 

「この北神 ほのかにお任せください! DO・助兵衛(どぅ・すけべえ)先生の作品は全て揃えておりますから!」

 俺の作品はBLじゃねー。

 

「お、俺は遠慮しとくわ……」

 強制ログアウト、ユーザーネーム『リキ・チドリ』

「ふーん、帰りに貸してちょ。ほのかちゃん」

 もうやめて……。

 

 教室中で「ホモォォォ」で盛り上がる女性陣と、ドン引きする男性陣。

 ちな、これに関してはリア充と非リア充で別れたのではなく、性別で隔たれた。

 例外として、ミハイルだけは俺と一緒にいる。

 

 盛り上がる女性陣。

「ねえねえ新宮くん、どう絡めてるの?」

「書き専なの?」

「百合は? 百合もやらないの?」

 最後のやつは両刀使いかよ!

 

 それに屈する男性陣。

「やべーよ、新宮ってホモだったのか」

「もうひとりでトイレにいけないよな」

「ハァハァ、新宮くん……」

 モノホンがいるじゃねーか。

 

 クラスは俺の小説でガヤガヤしていると、突然、雷のような怒鳴り声が鳴り響いた。

 

「なーにをやっとるかぁーーー!」

 

 気がつけば、ひとりの痴女が教壇に立っていた。

 その名も宗像 蘭。

 

「ハッ! 蘭ちゃん!?」

 それを見た瞬間、白金の目が怪しく光る。

 宗像先生は顔をしかめた。

日葵(ひまり)か?」

 

 静まり返る教室。

 白金と宗像先生の間に出来ていた人波が左右へと分断され、彼女たちは互いに歩みよる。

 

「なにをしにきた? 日葵?」

「ここであったが百年目! らーんちゃん!」

 何を思ったのか、白金は宗像先生目掛けて、全速力で突っ走した。

 対して、先生は両腕を組んで微動だにしない。

 

「死ねやぁぁぁ、デカパイ!」

 身長差を無くすためか、先生の足元で思い切りジャンプする。

 顔面まで飛び上がり、頭突きをお見舞いする白金。

 

「甘いわ! クソちっぱいが!」

 白金の頭突きが当たる寸前で、宗像先生の左腕が動く。

 ワンチョップ。それだけだ。

 

「グヘッ!」

 脳天を突かれた白金は、空中から一気に床へと叩きつけられる。

「らんちゃんのバ、カ……」

 そう言うと、白金は泡を吹いて気絶した。

 ホラー映画みたいな白目でね。

 

 いい歳したアラサー女史同士でなにやってんねん。

 

「貴様ら! さっさと席につけ! レポートを返却するぞ!」

 宗像先生、足元、足もと! 白金を踏みつけとるがな。

 ピンヒールで背中をグリグリ刺しているけど、穴とかあかないのかな?

 

「「「ヒィッ!」」」

 

 俺たちはすぐに席を整えて、着席した。

 

「いいか、一ツ橋高校に関係のない不審者。こんなクソチビの相手はしてやるなよ。会ったら速攻ブッ飛ばせ」

 あんたそれでも教師か。

 

「「「はーい……」」」

 

 そのあとは静かに(恐怖で)みんな添削済みのレポートを受け取った。

 

 俺は安定のオールA。

 ミハイルといえば、顔色が真っ青。

 こいつは勉強を真面目にしてないのか?

 

「じゃあ、お前ら寄り道せずに帰れよ。ラブホにいったカップルはレポートを増やすぞ! 絶対にだ!」

 それ毎回言うんですか? セクハラでしょ。

 

「宗像先生。さよなら~」

 俺はそそくさと、リュックサックを背負いその場を去る……はずだった。

 リュックのひもを掴んで離さない女が一人。

 宗像先生がするどい眼光で微笑んでいる。

 

「古賀を置いて帰るなよ、新宮……」

 振り返れば、涙目のミハイル。

「は、はいっす……」

「あと、このバカが本校に不法侵入したことも『4人』で話そうじゃないか!」

 ええ……。

 

「タクト☆ なんかわかんないけど、オレは付き合うぞ!」

 マジで……。もう一緒に帰ろうぜ。



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51 恋愛取材

 俺は淫乱痴女教師、宗像先生により、下校することを強制停止された。

 なぜかミハイルも一緒だ。

 そして未だ白目で泡を吹いている白金もだ。

 

 宗像先生は気絶した白金を、ぬいぐるみのように片手で抱えると「ついてこい」と事務所まで案内した。

 一ツ橋高校の事務所には、奥に簡易面談室なるものがある。

 といっても、つい立もなく、事務所に入った者からは丸見えで丸聞こえ。

 プライバシーなんてもんはない。

 所々、破れた一人掛けのソファーが二つ。テーブルを挟んで反対側には二人掛けのソファーが一つ。

 今日はもう下校時間もあってか、事務所には俺たち4人だけだ。

 

 宗像先生は、乱暴に白金を床に投げ捨てる。

 

「げふっ!」

 

 衝撃でやっと目が覚める白金。

 ひどい起こし方だ。

 

 宗像先生はそれを見て舌打ちし、棚から賞味期限の表示も曖昧になりつつあるインスタントコーヒーの瓶を手に取った。

 

「お前ら、砂糖とミルクはいるか?」

「あ、俺はいらねーっす」

 以前飲んだらクソまずかったし、いろんな意味で怖いので。

 

「なんだと? 新宮……この美人教師のコーヒーが飲めないってか?」

 顔、顔! 生徒を見る目じゃねーよ。

 睨みつけるとか、どこの虐待教師だ。

 

「あ、俺はブラックで……」

「よろしい♪」

 その微笑み、脅しですよね。

 

「古賀はどうする?」

「オレはミルクも砂糖もたっぷりで☆」

「古賀は素直でいい子だなぁ♪ 甘ーくておいしいカフェオレをつくってやるぞ」

 センセー、カフェオレの意味わかってます?

 

「あいだだ……蘭ちゃん、わたぢも同じのお願い……」

 白金は地面を這いつくばって、一人掛けのソファーまでどうにか辿り着いた。

 

「日葵。お前は水だ。生徒でもなければ、客人でもあるまい」

 正式名称、不法侵入者だろ。

「蘭ちゃんのアホ」

 

 

 ~数分後~

 

「で? なにしにきた。日葵」

 宗像先生は白金の隣りのソファーに座り、まずそうなコーヒーをすする。

「なにって、私はお仕事だよ、蘭ちゃん」

「仕事……。ああ、新宮のことか?」

「打ち合わせだってば」

 いや、打ち合わせする場所を考えろよ。

 

「はぁ……日葵。お前は仮にも一ツ橋の卒業生だろが。生徒たちの見本になるような、大人の行動をとれ。いつまでも在校生気取りでいるな」

 至極、真っ当な意見だが、宗像先生から言われるとなんかムカつく。

 

「じゃ、さっさと終わらせろ……」

 ため息をつくと、宗像先生はスマホを取り出した。

 おいおい、お前が俺たちを事務所に呼んだ理由はなんなんだよ。

 ネットサーフィンするぐらいなら帰らせろよ。

 わかった! この女、寂しいんだろ。

 俺たちが帰ると、事務所でも家でも一人きりのアラサーだからな。

 

 

「では、DOセンセイ! プロットを拝見してもいいですか?」

「む……それがまだキャラ作りの途中で未完成なんだ」

 俺はミハイルの横顔をチラッと見た。

 ミハイルは得体の知れないコーヒーをおいしそうに飲んでいる。

 

「あら、筆の早いセンセイにしては珍しいですね。未完成でもいいので見せてください」

「か、構わんが……今度、白金と二人きりで打ち合わせじゃダメか?」

 額に汗が滲む。

 

「なんでです?」

 白金はキョトンとした顔でたずねる。

 

「もったいぶるな、新宮!」

 そこへ暴力教師がログイン。

 入ってくんなよ、一生スマホとお友達でいろよ。

 

「そうだよ、タクト!」

 ミハイルまで。しかもめっさ顔を真っ赤にしている。

 どこが怒るポイントだったの?

 

「この女子小学生とそんなに二人きりになりたいのかよ!」

 ダンッとテーブルを拳で叩く。

「ミハイル、勘違いするなよ。白金はこう見えて成人しているんだ」

「ウソだ! こんな大人みたことないもん!」

 ダダをこねるんじゃありません。

 

「失礼な! この白金 日葵ちゃんはれっきとしたレディーですよ」

 自分で自分のことを、ちゃん付けしてる時点で精神面が成人できてないな。

「まあ日葵は、体形がガキなのは見ての通りだ。こんなちっぱい女、放っておけ。それより新宮。なぜお前の小説を出さない? あれか、18禁の作品か?」

 ファッ!

 

「俺の作品はライトノベルです! ライトな作品じゃなくなってますよ」

「じゃあなんだ? 北神がほざいていたBLとかいうやつか?」

 くっ、宗像先生も腐りはじめたのか!

「違いますよ。俺のは真っ当なライトノベル」

「ジャンルは?」

「ら、ラブコメ……」

 

「……」

 なぜ沈黙する宗像女史よ。

 

「蘭ちゃん、今回、センセイが一ツ橋高校に入学した理由は知ってる?」

「は? 勉強だろ?」

 そうか、この人は知らなかったのか。俺の入学動機。

 

「違うよ、蘭ちゃん。センセイが初挑戦するラブコメ……でも、作家『DO・助兵衛』先生は取材しないと書けないタイプなのよ~」

 白金は『うちの子ダメなのよ~』みたいな世間話のように話す。

 かっぺムカつく!

 

「なに? じゃあ新宮は恋愛を体験しに一ツ橋高校に入学したのか?」

 宗像先生……そんなに大きな口開けて驚かないでくださいよ。

 俺に恋愛経験ないのが、おもしろいですか?

 

「タクトは取材対象がいるもんな☆」

 ミハイルが割って入る。

 こいつ……アンナのことは筒抜け設定なのか?

 

「なにを言っているんだ? ミハイル」

 俺が問い返すと、ミハイルは「あっ!」と声を出して、小さな唇を両手でふさいだ。

 誤算だったらしい。

 まったく。

「なにか知っているのか? 古賀」

 宗像先生の目つきが鋭くなる。

 ミハイルはガクブル、こうかはばつぐんだ!

 

「あ、あの……オレのいとこがタクトに恋愛を教えてくれるらしくて……」

 ファッ!

 アンナはそこまで言ってないぞ。

 墓穴を掘りすぎているぞ!

「ほう、古賀のいとこか……可愛いのか?」

 ニヤリと笑うと宗像先生のターゲットはミハイルへ向けられた。

「た、たぶん……」

 だって自分のことだもんな。

 

「センセイ! そんな話聞いてませんよ!」

 思わず身を乗り出す担当編集。

「お、落ち着け! まだ取材すると決まったわけじゃない相手なんだ……」

「なにをいうんだ、タクト! アンナは本気だぞ!」

 

「「アンナ?」」

 宗像先生と白金は息がピッタリ。

 見知らぬ女性の名前を聞いて、二人は目を合わせる。

 無言で「知っているか?」と問いたいのだ。

 

「古賀 アンナ……それがオレのいとこっす」

「ミ、ミハイル」

 もう知らねえぞ、俺は。

 

「よし。恋愛を許そう……」

 お前はどっから目線なんだよ、宗像。

「業務連絡です! 必ず恋愛を成就させてください!」

 その時ばかりは、白金の目は真っ直ぐだった。

 だからさ、その取材対象も彼女候補も男なんだってば。

 この隣りにいるやつ……。

 

「良かったな、タクト☆」

 なにを嬉しそうに笑ってやがんだ。

 可愛いな、ちくしょう!



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52 ヒロインにはモデルがいる

「で? そのラブコメのプロットは?」

 宗像先生が目で殺しにかかる。

 これは出さないとレポートを増やされる……。

「わ、わかりましたよ……てか、宗像先生は関係なくないですか?」

「あぁん!?」

 だからその恐ろしい眼光を放つのをやめてくれよ。

「だ、出します……」

 観念した俺はリュックサックからノートPCを取り出した。

 もち、校則違反だけど。

 

 起動すると、すぐに書きかけのテキストファイルを開く。

 すると白金、宗像先生、ミハイルが顔を寄せてモニターをのぞき込む。

 

 

 タイトル:未定

 

 主人公:オタクの高校生。

 ヒロイン:同級生でハーフ美人の女の子。普段はショーパンにタンクトップとボーイッシュだが、

 デートするときは主人公好みな女の子らしいガーリーなファッションを好む。

 備考:主人公だけが大好き。

 

 

「……」

 ミハイルが顔を真っ赤にして、口を真一文字にする。

 そりゃそうだろな、これってミハイル=アンナのことだからな。

 

「ほう……新宮。お前、女を自分色に染めるタイプか?」

 宗像先生がニタニタと笑う。

 これはいじめだ!

「い、いえ。あくまでもフィクションですよ……やだな、先生」

 苦笑いが言い訳を助長させる。

「DOセンセイ! なんですか、このヒロイン!」

 白金はテーブルを叩いて、眉間にしわを寄せていた。

「なんだ? やはり、ボツか?」

「……いえ、このヒロインは合格です! センセイの作品の中で一番、キャラ立ちしていて、なによりライトノベルの読者がほぼ童貞というリサーチ結果をふんでの構想。実にすばらしいです!」

 おまえ、読者様になんてことを言ってんだ!

 非童貞もいるだろ! 知らんけど。

 

「そ、そうか……じゃあ主人公はどうする?」

「うーん、こんな可愛いヒロインさんが、べた惚れになる男なんてこの世にいます?」

 ここにおるんだが。

 

「日葵。お前、本当に出版社の人間か?」

 横から入る外部の人間。

「なぁに? 蘭ちゃんは素人じゃん。黙っててよ。それともなんかいい案があるの?」

 白金がムキになっていると、それをあざ笑う宗像先生。

 

「だってあれだろ。フィクションだろうと、新宮は取材しないとダメな作家なんだろ?」

「……?」

 なんか嫌な予感。

 

「こうしろ、主人公は新宮本人をモデルにすればいい」

「はぁ? DOセンセイを?」

「ヒロインもモデルがいるんだろ? なら主人公は新宮でいいじゃないか?」

 クッ、俺が一番危惧していた展開だ。

 

「なるほど……DOセンセイ! それでいきましょう! 主人公はDOセンセイ本人で!」

「嫌だと言ったら?」

 俺が震えた声で尋ねる。

 

「断ったら、これまでの数々の経費を却下しますよ!」

 経費、それはなんてすばらしい言葉なのだろう。

 仕事に関わるものであれば、なんだって所属している出版社が支払ってくれるのだ。

 ちなみに俺の今月の経費はほぼ映画の料金だ。

 たぶん3万ぐらい……。

 

「や、やるよ……」

「これで決まりですね! 引き続き、その取材対象の方に恋愛を教わってください♪ これは業務連絡ですからね♪」

 ニコリと笑う白金。しかし、目が笑ってねぇ。

 

「了解した」

 ミハイルに目をやると顔を真っ赤にして、床ちゃんとお友達している。

 ふむ……これは面倒なことになったな。

 

 

 ~帰り道~

 

「なあ本当に良かったのか、ミハイル?」

 うなだれる彼に声をかけた。

「え、え……オレ?」

 額から汗が尋常じゃないぐらい流れているぞ。

「ああ、お前の……いとこに迷惑かけてないか?」

 なんか言葉遊びになってない?

 

「アンナのことか? なら、大丈夫! タクトのこと気に入っているらしいから☆」

 なに、この遠回しな『I・LOVE・YOU』わ。

 

「まあアンナがいいなら構わんが」

「大丈夫だって☆ オレのいとこなんだから」

 お前にいとこがいたら、ヒドイ目にあっているんだろうな。

 

「そうだ☆ 今朝、アンナからオレにL●NEが届いてさ……」

 自分から自分にL●NEって、病んでない?

「タクトとアンナって、一緒にプリクラ撮ったらしいじゃん?」

 可愛らしい夢の国のネッキーがショーパンからニョキッと現れる。

 

「やぁ、ボクの名前はネッキー。今日はとっても天気がいいね! 一緒にひきこもろう!」

 なんていいそうだな。

 

「なに言っているんだ? タクト?」

 ネッキーをおもちゃにしたせいか、ミハイルさんに睨まれた。

 

 スマホを手にとると、スワイプする。

 待ち受け画面がでた瞬間、俺は愕然とした。

 

「タクトの写真だから待ち受けにしちゃった☆」

 しちゃった☆ じゃねー!

 引きつった笑顔の俺と女装したミハイル……つまりはアンナとのツーショット写真。

 情報がダダ漏れじゃないか。

 

「そうか……なあ、その写真、どうやって送られてきたんだ? アンナがスマホでプリクラを撮ったのか?」

 いわゆるデジタルフォトに近いものであったので、興味がわいた。

 

「これ、知らないの。タクト?」

「え? なにがだ」

「プリクラ撮ったらIDとか書いてあるじゃん? バーコードとか」

「そんなものあったか?」

「あったよ! そのIDとかバーコード使うと、無料でサイトからダウンロードできるんだよ☆」

「なるほどな……俺も帰ってダウンロードしてみるか」

 そう言うと、ミハイルは嬉しそうにニッコリ笑った。

 

「オレの写真、メールで転送してやるよ☆」

「す、すまんな……」

 その作業はアンナちゃんにやらせてよくね?

 

 色々と手順が面倒な多重人格さんだな。

 駄弁りながら、俺とミハイルは赤井駅に向かった。

 

 そして電車に乗ると、今回は真島(まじま)駅で降りるのではなく、席内(むしろうち)駅で二人して降りた。

 

「さあ、タクト☆ オレが席内を案内してやるよ☆」

「了解した」

 案内されるまでもないだろ……。



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第八章 ミハイルの家族
53 ねーちゃんは古賀 ヴィクトリア


 席内(むしろうち)駅から降りると、右手に大型のショッピングモール、左手にはさびれた商店街があった。

 

「タクトは席内は初めてか?」

「いや、何回か買い物にきたことある」

 ミハイルの住む、席内市とは福岡市に隣接する町だ。

 福岡県の北東部あたりか。

 個人的にはお年寄りが多い印象だ。

 

「じゃあ席内の『ダンリブ』はいったことあるか?」

 ダンリブとは大型のショッピングモールのことである。

「だって駅の目の前だろ? あそこぐらいしか遊べないだろ」

 俺がツッコむとミハイルはブーッと頬を膨らます。

「そんなことないぞ! ダンリブ以外にも醤油の工場とか、大きな図書館とか、大根川(だいこんがわ)があるんだぞ!」

「へぇ……」

 これはいわゆる福岡市外民の妬みである。

 俺の住んでいる真島(まじま)はギリギリ福岡市内である。

 福岡市と福岡県では都会ぽさが段違いなのだ。

 

「他にもオレが知らないだけで、もっともっといっぱいあるんだからな!」

 郷土愛が強いんだね、知らなかった。

「わかった、落ち着け。とりあえず、お前ん家に行くんだろ?」

「そ、そうだったな☆」

 機嫌を取り戻して、鼻歌まじりで行進するミハイル。

 

 駅から左手に向かい、商店街の門構えが見えてきた。

 

『席内商店街』

 

 何件かシャッターを下ろしている。

 真島と同じく、時代の波か……。

 悲しいものだな。

 

 商店街を歩いているとミハイルは「この店はうまい」とか「あの店はプラモデル屋」とか丁寧に説明してくれた。

 『真島への恩返し』か?

 

「ついたぞ!」

「こ、これがミハイルの家か……」

 俺はバリバリのヤンキーママが立っているスナックかと思っていたが。

 

『パティスリー KOGA』

 

 色とりどりの花々が店の前を囲んでいる。

 一つ一つがよく手入れされている。

 入口の前にはイスが置いてあって大きなクマさんのぬいぐるみが座っている。(リボン付き)

 

 可愛すぎだろ! この店!

 ヤンキーが営む店じゃねぇ!

 

「入れよ、タクト☆」

 目を輝かせながら手招きするミハイル。

「あ、ああ……」

 ギャップに驚かされた俺は戸惑っていた。

 

 チャランと美しい鈴の音が鳴る。

 

 うちの店もこんな可愛らしい音に変えてくんねーかな……。

 腐向けのイケボボイスには毎回、悩まされるからな。

 配達員なんかドン引きだよ。

 

 

 店内に入るとケーキや洋菓子のあま~い香りが漂う。

 ショーケースのなかのケーキはフルーツがふんだんに使われており、宝石のようにキラキラ輝いて見える。

 他にもチョコレート、クッキー、マドレーヌ、などのお菓子が店中に並べられている。

 所々にクマさんのぬいぐるみが置いてある。

 ミハイルの趣味か?

 

「いらっしゃい!」

 

 ハキハキとした声で言われた。

 

 カウンターの前に立っていたのは、コックコートを着た長身の女性。

 ミハイルと同じく金髪でポニーテール。

 そしてエメラルドグリーンのハーフ美人。

 ただ違うところといったら、胸がパンパンに膨れ上がっているところだ。

 ここにも巨乳がいたのか……キモッ!

 

「なんだ、ミーシャか」

「うん、ただいま☆ ねーちゃん!」

 この人がミハイルのお姉さんか。

 

「おかえり。ん? そこのあんちゃんは?」

 鋭い眼つきで威嚇するお姉さま。

 まるで、狩りをする獅子のようだ。

 あれ、この感覚。なんだか誰か似ているような……。

 宗像先生か!

 

「あ、あの。俺、新宮(しんぐう) 琢人(たくと)と申します!」

 一応、姿勢を正して頭をさげる。

「ほう……お前が『噂のタクト』か?」

 顔を上げると、妖しく笑うお姉さまのお顔。

 

「よし、今日は店じまいだ! 酒を買ってこい、ミーシャ!」

「やったぁ~ パーティだな☆ ねーちゃん!」

「ああ、(りき)やここあ以外の人間は初めてだからな!」

 なにそれ? おたくのおねーちゃん、アル中なの?

 

 ミハイルはお姉さまから財布を預かると、「タクトは待っとけよ、ダンリブ行ってくる☆」と言って鼻歌交じりで店を出て行った。

 

「さあ……タクトくんとやらの話を聞こうか?」

 なんだろう、背後から『ゴゴゴゴゴ』というスタンドが見えるの俺だけですか?

 

「あたいの名はヴィクトリアだよ、ピチピチの二十代だぞ」

「ははは、俺は17歳です」

「へぇ、ミーシャの2個上か~ ちょうどいいね~」

 なにがいいの? 怖いよ、ミーシャのお姉ちゃん。

 

「今夜の酒の肴はお前だよ、坊主」

 こ、こえ~

 

「俺ですか?」

「ああ、だってあたいの可愛いミーシャを初めてお泊りさせやがった男なんだからなぁ」

 口からなんか漏れているよ、凍える吹雪じゃないですか?

 

「今日は泊まっていけ、坊主」

 これを拒否れば殺される。

「は、はい。お姉さま!」

「だーれがお姉さまだ? ヴィッキーちゃんと呼べ!」

 ちゃん付けできる年じゃねぇだろ。

「は、はい。ヴィッキー……ちゃん、さん」

「ああん?」

 やっぱりヤンキーだよ、こんなパティシエ存在したらあかん!



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54 お邪魔します

 その女は無言で店のシャッターを閉じると、振り返ってニヤリと笑う。

「さあ、これで時間はたっぷりできたなぁ、坊主」

 こ、こえ~

 なにこれ? 俺ってば今から殺されるの?

 

「は、はあ」

「なんだぁ? 男ならシャキシャキ喋れないのか、バカヤロー!」

 バカヤロー? お前の所属している組はどこだよ?

 

「す、すんません!」

「フン、こっちにこい」

 生唾を飲む。殺されるのかも知らんからな。

 

 お姉さまことヴィクトリアのあとに続く。

 店の裏に回る。

 どんどん奥へと入っていくと、少しさびた外付け階段が見えてきた。

 

「あがれ」

「はいっす……」

 どうやら、俺の家同様に店の二階が自宅のようだ。

 

 階段をあがると、『KOGA』と玄関の標識があった。

 その下には『ヴィッキーちゃんとミーシャ☆』とある。

 ヤンキーのくせして、可愛いことが好きなんだな。この姉弟。

 

 鍵をあけるヴィクトリア。

 だが、ドアノブに手を回すと舌打ちした。

「クソがっ、ポンコツのドアめが!」

 そう言うと、自宅のドアをガンッガンッ! と蹴りまくった。

「な、なにやってんすか?」

 振り向くその顔は鬼のそれと同じだ。

 

「ああん? オヤジが残した家だからボロいんだよ。こうやってたまに蹴らないと開かないんだ、よ!」

 ボカン!と何かが壊れた音がした。

 

「おし、開いたぞ」

 ええ……壊れただろ、絶対。

 

「ほら?」

 ヴィクトリアは「な☆」と言いながら、ドアが開くところを見せてくれた。

 

「じゃ、入れ。私はシャワー浴びるから、坊主は適当にくつろいでくれ」

「え?」

「なんだ? 一緒に入りたいのか、このスケベ坊主~」

 むっかつく女だな、コノヤロー!

「ま、ミーシャの部屋に入ってたらどうだ?」

「は、はあ……」

 

 俺は「お邪魔します」と一応、挨拶してから靴を脱ぐ。

 

 家の中もやはり店と同様のクマのぬいぐるみが一面に並んでいた。

 廊下には夢の国のネッキーのポスターやスタジオデブリのパズルアートが飾ってある。

 本当に男っ気のないところだな。

 

 そのポスターとポスターの間にトイレや洗面所がオセロのように挟まれている。

 ヴィクトリアは客人の俺を残して洗面所へと向かった。

 洗面所の奥は浴室が見える。

 先ほど俺に言った通り、シャワーを浴びるようで、服を脱ぎだした。

 気がつけば、ブラジャーとパンティーのみ。

 俺は思わず、彼女に背を向けた。

 ヴィクトリアは構わず、鼻歌交じりで浴室の扉を開いたようだった。

 

 どうして、俺の周りの女どもはこうも裸族ばかりなのだ?

 

 頬が熱くなるのを確認すると、俺は勝手に廊下の奥へと進む。

 だって、ねーちゃんが「ミーシャの部屋に入ってたらどうだ?」とか言ってたしな。

 

 廊下を抜けるとリビングが中央にあり、左右に二つの部屋があった。

 

 左手の部屋の前には律儀にもネームプレートが貼り付けてあった。

 ハートの形で『ミハイル☆』とある。

 

 これか、ミハイルの部屋は……すまんが勝手に入るぞ。

 

 俺は心で一応謝っておきながら、無断で彼の自室に踏み込む。

 

「なんじゃこりゃ……」

 

 壁紙はピンク色でハートや星の柄入り……。

 なんかいけないホテルじゃねーか?

 

 部屋中、ネッキーやその愉快な仲間たちのぬいぐるみでいっぱい。

 もちろん、デブリのドドロやボニョも欠かせない。

 

 絨毯は安定のネッキーとネニーのチューショット。(キスしているだけに)

 

「どんだけラブリーなんだよ、ミハイル……」

 

 彼の趣味はわかってはいたが、いざ部屋にあがってみるとエグいな。

 だって彼女の部屋じゃないんだぜ?

 しかも、なんか甘ったるい匂いがする……。

 

 俺はリュックサックを床に下ろすと、近くに飾ってあったコルクボードに目をやった。

 たくさんの写真が貼ってある。

 幼いころのミハイル、制服姿のヴィクトリア、そして……。

 

「これは……あいつの」

 一つの写真が気になった。

 

 ヤンキーっぽい男性が中央に立ち、たくましい両手で二人の女性の肩を抱いている。

 眩しいぐらいな笑顔で。

 そして、左には制服姿のヴィクトリアらしき少女。

 最後は優しそうに笑う美しい女性。

 金髪でエメラルドグリーンの瞳。

 

「ミハイルの母さんか……」

 その証拠に女性の両手には生まれて間もない赤ん坊が大事に抱えられている。

 

 

「ただいま~っ☆」

 

 俺は慌てて、コルクボードから離れた。

 別にやましい気持ちがあったわけではない。

 だが、以前ミハイルから親は死別していると聞いた。

 

 勝手に入って、人様の大事なものを土足で踏みにじっているような感覚を覚えたからだ。

 

「お、おかえり。ミハイル……」

 

 ミハイルと目があう。

 彼はボンッ! と顔を真っ赤にさせて、俺を部屋から追い出す。

 

「なんで勝手に入っているんだよ! タクトのバカ!」

「いや、姉さんが入っとけって……」

「冗談に決まってんだろ!」

 

 そう言うと、彼は「ちょっと待ってろ!」と言って、部屋の扉を乱暴に閉めた。

 バタン! という音と共に、可愛らしいネームプレートがカランカランとゆれた。

 

 エロ本でも隠してたんか?

 

 そういうものは共有しようぜ!



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55 見栄と常識

「も、もういいぞ! タクト」

 顔を赤らめて、扉を開くミハイル。

 特段、部屋の見た目は変わってない。

 やはりエロ本の隠し場所でも変更していたのか?

 

「ああ……」

 俺は待つこと5分ほど。やっと許可が下りたので彼の部屋へ入ることにした。

 

「どこにでも座ってくれよ☆」

「すまんな」

 部屋の真ん中あたりに小さなガラス製のちゃぶ台がある。

 ちなみに形はハートである。

 

 ちゃぶ台を挟むようにして、これまたハートのクッションが二つ並んでいた。

 今日はバレンタインデーでしたかな?

 

 俺は右手にあるクッションに腰を下ろした。

 ミハイルが「飲み物はなにがいい?」と聞いてきたので「コーヒー、ブラックで」と答える。

 彼は俺の答えにニカッと微笑み、リビングまで小走りで去っていった。

 

 やけに嬉しそうだな。

 こいつもこう見えて、友達が少ない……可哀そうなやつなんだろうか?

 

 ちゃぶ台の前に目をやった。

 今時、珍しいブラウン管のテレビ。

 ベゼルが太すぎぃ~なせいもあってか、ハートのシールが貼りまくってある。

 これでは映像を見る際、ハートが気になって集中できないのでは?

 

「お待たせ☆ タクトのぶん!」

 ミハイルはネッキーのグラスを差し出した。

 

「あ、ありがとう」

 なんかコーヒーが似合わないよ!

 

 だが、俺好みのアイスコーヒーで旨い。

 スクリーングの疲れが吹っ飛ぶぐらいだ。

 

 ミハイルは俺の対面に腰を下ろすと、なぜか正座している。

 ショーパンを日頃から履いているせいもあってか、ヒップが更に強調され、白くてきれいな太ももが堪能できる。

 くっ! ヤンキーのくせしてお行儀が良すぎかよ!

 

「じゃあオレもいただきまーす!」

 そう言うと、ミハイルはネニーのグラスを両手で持ち上げた。

 俺と違い、いちごミルクでストローつき。

 まあこいつはお口がちっさいからな。

 

「んぐっ……んぐっ……」

 なんで、君が飲み食いしていると違う音に聞こえるかね。

 

「ぶはぁっ! はぁ、はぁ……おいしかった☆」

 それ、本当にいちごミルク?

 別のミルク入ってない?

 

「ところで、ミハイル」

「ん? なんだ?」

「お前の姉さんが『今夜は泊まっていけ』とか言っていたが……本気か?」

「え!?」

 ミハイルはボンッ! と顔を赤くする。

 

「ねーちゃんが、そんなこと言っていたのかよ!?」

「ああ」

「ど、どうしよう! タクトのパジャマがないよ!?」 

 そんなこと俺に言われてもな。

「ならば帰ろう。急に来て迷惑だしな」

 咄嗟に逃避フラグを立てておく俺、グッジョブ。

 

「え? か、帰るの!?」

 顔を赤くしたと思ったら、今度は驚くミハイル。

 表情豊かでいいですね。

 

「だって、母さんやかなでにも伝えてないしな」

「そ、それはそうだけど……かなでちゃんにはオレから電話しておくよ!」

 身を乗り出すミハイル。

 互いの唇が重なりそうなくらいな至近距離。

 

「却下だ。母さんはミハイルが我が家に泊まった時にこう言っていただろ?」

「?」

 俺はわざわざ母さんのものまねで答えてあげた。

「今度ミーシャちゃん家にお母さんのお菓子を持っていってちょうだい☆ ……とな」

「そっか……でも気にしなくていいよ☆」

 くっ、早くしないとおんめーのねーちゃんが風呂から上がるだろうが!

 

「いいか、ミハイル。大人には見栄ってのがあってな。菓子折りぐらい持っていかせるのが大人の常識……」

 と言いかけた瞬間だった。

 ミハイルの部屋の前で仁王立ちしている女を発見。

 

「いらねーよ、そんなもん」

 

 そのお人はまたもやブラジャーとパンティのみという防御力ゼロの装備で、俺の目の前に現れた。

 逃避フラグが折れた……。

 

「だいたい、あたいはパティシエだぞ? 菓子なんぞ、こっちが土産としていくらでもやるよ」

 背後から『ゴゴゴゴゴ』とスタンドが動き出す。

 

 これは……なにか口答えすれば、殺される。

 

「あ、今晩お世話になりまーす」

 苦笑いでごまかした。

「坊主、お前。飲み込みが早いな☆」

 きっしょ!

 

「あぁ!」

 突然、慌てるミハイル。

 そして、俺に飛びついて抱き着く。

 

「な、なにをする? ミハイル」

「だって、ねーちゃんが裸じゃんか!」

 絶壁の胸で俺の視界は真っ暗だ。

 だが、ミハイルの香りが心地よく、また彼の心音が聞けて、BGMは最高だ。

 

「ミーシャ、裸じゃないだろ~ 下着を着てるじゃん」

 ヴィクトリアの顔は見えんが、きっと意地悪そうな顔なのだろう。

「ねーちゃん! タクトは男なんだよ! 早く服を着て!」

 いや、お前もだろ。

 

「は? どうしたんだ、ミーシャ? (りき)だっていつもあたいの身体を見てるけど?」

「力はタクトと違うもん! あいつはちっさいころからねーちゃんの裸見てたもん!」

 ええ……ちょっと、ドン引きだわ。千鳥のやつ。

 

「はぁ? おかしなミーシャだな……ま、あたいは服でも着るべ」

 そう言うと、足音が遠くなる。

 その間、ずっと俺はミハイルの胸で暖められている。

 貧乳、ばんざ~い!

 

「も、もういいぞ……タクト」

 抱擁タイム、終了ですか?

 延長ってお願いできないんですかね。

 

「なんか色々とごめんな……」

 顔を真っ赤にさせて、モジモジしだすミハイル。

 

「まあ我が家もあんな感じだから、気にすんな」

「う、うん……」

 それが大問題なんだがな。

 

「じゃあ、お泊り決定だな! オレがかなでちゃんに電話しておくよ☆」

「いや待て……」

 話している途中だというのに、俺を無視して既にスマホで通話しだした。

 

「あ、かなでちゃん? うん、オレ☆ タクト、今日うちに泊まるからさ」

『了解ですわ。それより、ミーシャちゃん、ハァハァ……今日の下着は何色ですの?』

 隣りにいても聞こえてくる変態の声が(妹)。

「え? ブルーかな?」

『ハァハァ……そ、それでどんな形ですの? リボンは付いてますの?』

「普通だけど」

『ハァハァ、まだまだノーマルですのね。ミーシャちゃんは、デヘヘ……』

 俺はミハイルのスマホを取り上げると、電話をぶち切ってやった。

 人の友人になにを吹き込んでいるんだ、あの変態妹は。



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56 しめはチャンポンで

「さあ食え! 坊主」

「あ、いただきます……」

 目の前にあるのはグツグツと音をあげる鍋。

 博多名物、もつ鍋。

 なんで、暖かくなってきたというか、暑くなりつつある春に?

 こういうのは冬に食うのがうまいと思うんだが……。

 

 リビングには年季の入った大きなローテーブルがある。

 傷やはがれかけのシールがチラホラと……。

 たぶん、ミハイルが幼いころから使っているんだと思う。

 

 ヴィクトリアはあぐらをかき、ストロング缶片手にニカッと歯を見せて笑う。

 ほぼオヤジじゃん。

 ショーパンをはいているんだが、サイズが小さすぎてパンツが『はみパン』しているよ……。

 タンクトップもゆるゆるで、ブラジャー丸見え。着ている意味あんの? ってなる。

「坊主、お前も酒を飲め!」

「いや……俺、まだ未成年っすよ?」

「ち、つまんねーやつだな」

 そこは守ろうぜ?

 

「タクト、乾杯しよう☆」

 俺とミハイルは仲良く、並んで座っている。

 気のせいか、いつも以上にミハイルとの距離が近い。

 太ももがピッタリとくっつけてくるから、それ以上のサービスを期待してしまう。

 

「ああ」

 俺の右手にはアイスコーヒー。ミハイルはいちごミルク。

 グラスとグラスが音を立てて、宴会のベルが鳴る。

 

「「「かんぱーい!」」」

 ヴィクトリアは宙にストロング缶を挙げている。

 

「ところで、ミハイル。お前、どうやって酒を買えたんだ?」

「え? ふつーに買ってきたけど?」

 くわえ箸は良くないぞ、ミハイル。

 

「どうやって? お前はまだ未成年だろ。年齢確認はどうした?」

「は? そんなもん、毎回やってねーよ?」

 なん……だと!?

 

「バカヤロー! 私たちの『ダンリブ』だぞ! 顔パスだ、んなもん」

 ヴィクトリアは一気にストロング缶を飲み干すと、新しい缶を開ける。

 

「いやいや、ミハイルは15歳ですよ?」

「なに言ってんだ、坊主。ヒック……生まれてからこの方、席内で育ってんだ。あたいが成人してるのを『ダンリブ』も知っているから問題ねーの」

 問題大ありだ、バカヤロー! ダンリブに謝れ!

 

「でもですね……」

「しつけーやつだな。ヒック、いいか? あたいの店は生まれる前からオープンしている。席内じゃ、ちょっとした老舗なんだよ……ダンリブより歴史が古いっつーの!」

 つまりコミュティとして、連携が取れていると言いたいのか?

「なるほど……しかし、ヴィクトリアさんが買いにいけば問題ないのでは?」

「ヴィッキーちゃんって言えったろ、坊主!」

「す、すんません! ヴィッキーちゃん!」

 怖いやつにちゃん付けできるかよ……。

 

「うし。ヴィッキーちゃんは毎日パティシエやって疲れているから、ミーシャはお使いするのは当然にゃの☆」

 そして、また新しいストロング缶を開けるヴィクトリア。

 ちなみに500ミリ、リットルのサイズ。

 それをジュースのように飲むおねーちゃん。

 

「オレのねーちゃん、優しいだろ☆」

 わざわざもつ鍋をよそうミハイル。

 あーた、気を使える子だったのね。

「ありがと、ミハイル」

 小皿を受け取ると、彼は嬉しそうに笑う。

 

「なあ……坊主」

 俺とミハイルのやり取りを不機嫌そうに睨むヴィクトリア。

 

「は、はい! なんでしょう?」

「お前、ミーシャとどういう関係だ?」

 なにそれ? 結婚前の親父発言じゃん。

 

「えっと……俺とミハイルは……」

「ダチだよな☆」

 なぜか俺の腕にくっつくミハイル。

 ちょっと、やめてくれる?

 今の流れだと変な関係に見られるじゃん。

 

「ダチ……ねぇ……」

 ストロング缶を一気飲みすると、今度はウイスキーをグラスに注いだ。

「ねーちゃん、タクトっていいやつだろ☆」

「ふーむ……あたいはまだ坊主とはダチじゃねーからな」

 いや、オタクとダチになる必要性あります?

 

「よし、こうしよう! 坊主と野球拳して、あたいに勝ったらダチとして認めてやる!」

 いやいや、根本的に間違っているし、セクハラだし。

「絶対に負けるなよ! タクト!」

 なんか拳つくって「センパイ、ファイト!」みたいな熱意がすごい。

 

「まかせろ、ミハイル」

「言ったな、坊主。てめぇの『ぞうさん』を丸見えにしてやんよ!」

 卑猥なお姉さんだな、もう!

 

 

 ~10分後~

 

「ねーちゃん、もう許して!」

 泣き叫ぶミハイル。

「うるさい! ミーシャは黙ってろ!」

 既にウイスキーはグラスではなく、瓶を直で飲んでいるヴィクトリア。

 

「もうやめにしましょうよ……ヴィッキーちゃん」

「ああ!?」

 凄んでも無駄だよ。今のあんたの姿。

 

「ねーちゃん、もうパンツだけじゃん!」

 そうそう今のあんた、セクハラってレベルじゃねーぞ!

 パンティ一枚で重たそうなおっぱいがぶらんぶらん……。

 

「やかましい! まだ最後がある!」

 見たくないし、誰も得しないよ。この勝負。

 

「「ジャンケン、ポン!」」

 

「だぁ~、なんでそんなに強いんだ、坊主!」

 知らねぇよ、あんたが酔っぱらってからじゃね?

「しゃーねー、あたいの全部を見せてやんよ!」

 と言って、パンティに手をかけるヴィクトリア。

「ダメだよ、ねーちゃん!」

 それを必死に止めにかかる弟。

 健気だ……そして、グッジョブ!

 

「離せ、ミーシャ! 勝負に負けたらルールは守らんと気がすまん!」

「そんなこと守らなくていいよ、ねーちゃん」

 こんな家庭じゃまともに育つわけないよな……。

 

「あたいの名が廃るんだよ!」

 なにをこだわっているんだ。

「すんません、なにが言いたいんです?」

「あたいは『それいけ! ダイコン号』の総長なんだよ!」

「……」

 お前が犯人か!



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57 伝説の3人

「あたいは『それいけ! ダイコン号』の総長なんだよ!」

「……」

 だからなんだって話。

 それより早く服を着てあげて、ミハイルが可哀そうだぜ。

「ねーちゃん! おっぱい丸見えだって!」

「ミーシャ! 勝負は絶対に勝たないとダメなんだ!」

 ただの野球拳じゃん。 

 

 ~1時間後~

 

「ヒック……ミーシャはもう寝ちゃったか?」

 壁にもたれかかって、片足を伸ばすヴィクトリア。

 ミハイルより肉付きはいいが、色白で美脚だ。

 

 俺がおそだしジャンケンで負けてやって、どうにか納得したねーちゃん。

 ミハイルはヴィクトリアの相手に疲れてしまったのか、俺の隣りでスヤスヤ寝ている。

 やはり昨日の『アンナ』や『デート』、それに『徹夜L●NE』がこたえているのかもしらん。

 身体を丸くして寝ている。

 寒そうだな……。

 

「ほれ、これをミーシャにかけてやれ」

 ヴィクトリアがタオルケットを俺に投げた。

 手に取ると、これまた例の可愛らしいクマさん柄。

 このクマさんはお姉さまの推しか?

 

「あ、わかりました……」

 起さないようにそっと、タオルケットをかけてあげる。

「ううん……タクト…」

 寝言なんだろうが、なんだか恥ずかしくなる。

 

「よっぽど、坊主を気に入っているみたいだな?」

 お姉さん、ウイスキー瓶二本目ですよ?

 ラッパ飲みは良くないと思うんです。

「そうですか? 千鳥や花鶴もこんな感じでしょ?」

 俺がそう言うと、ヴィクトリアは眉間にしわを寄せる。

「全然違う!」

 激おこぷんぷん丸だよ。

 

「具体的には?」

「まずミーシャはあたいが可愛く可愛く育てていたんだぞ! おっ死んだ両親に代わってな!」

 これ説教だろ。しかも酔っぱらってから更にめんどくさい。

「は、はぁ……」

「だが、坊主に出会ってからなにやらコソコソとしやがって! つまんねーんだよ!」

 寂しいだけだろ! 思春期なんだからしゃーないよ。

「それはミハイルの年なら普通のことでは?」

 自家発電とかね!

 

「んにゃ! 全然違う! 坊主は劇薬だ!」

 そのお言葉、そのままお返しします。

「そういえば、『それいけ! ダイコン号』の初代総長とか言ってましたよね? ミハイルは2代目なんですか?」

「はぁ? なんでミーシャが関わってくるんだ?」

「なんか、一ツ橋高校で噂になってまして……」

「それはない。ミーシャはあたいが可愛く可愛く育てたんだ。確かにケンカは教えたが、人様の迷惑になるような弟じゃないよ」

 このブラコン姉貴!

 

「じゃあなんで……」

「知るか! あたいも蘭も日葵も『売られたケンカは買う』だけだったからな……」

「え?」

「は?」

 なんか今聞きなれた名前が……。

 

「その……蘭って」

「ああ、蘭は副長だったよ。今は一ツ橋の教師だったよな」

 ファッ!?

 元ヤンが教師かよ……そりゃあんなバカ教師になるわな。

 

「じゃあ白金は?」

「なんだ? 日葵と知り合いか? ヤツはああ見えて特攻隊長だったんだ。ちょっと待ってろ」

 ウイスキー瓶片手に自室へと入るヴィクトリア。

 戻ってくると一枚の写真を俺に差し出した。

 

「こ、これは……」

 俺の目に入ったのは、若かりし頃のヴィクトリア。

 紫色の特攻服を羽織っている。

 もち、『それいけ! ダイコン号』の刺繍入り。

 私たちバカですって言っているようなもんだろ。

 芸人にでもなればよかったのに。

 

 ウンコ座りして大根を担いでいる。

 この時から巨乳なんだな。チューブトップからはみ出る胸の谷間。

 キモッ!

 

「ん? こっちは誰ですか?」

 ショートカットの黒髪の少女。

 目つきがかなり鋭い。

 そして巨乳。

 大根を同じく担いでいる。

 食べ物は粗末にするなよ。

「ああ、それは蘭だ」

 やっぱね……。

 

「うげっ! なんすかこのオ●Qは?」

「それは日葵だ」

 ええ……。

 大根にかじりつく少女。

 顔面白塗りお化け……といったところで、誰かさっぱりわからん。

 しかも目の周りに真っ黒のアイシャドウ。

 パンダかよ。

 

「こ、これで特攻隊長だったんすか……白金の奴」

「ああ。『頭突きのお化け』で席内じゃ有名だったぞ?」

 これはいわゆる黒歴史というやつでは。

 

「白金もヤンキーだったんすか?」

「まあ、あたいたちがやってきたことが『ヤンキー』というのかは知らんが、さっきも言ったけど『売られたケンカは買う』てことだけをしていたからなぁ……」

 ウイスキーをガブ飲みは良くないと思われます。

 

「じゃあ自らケンカすることはなかったと?」

「まあそうだな、あとは弱いものいじめしているヤツらはボコボコにしてやったけど」

 それ、立派といえば立派だけど、ちゃんとしたヤンキー!

 

「なるほど……ところで、ヴィッキーちゃん」

「あん?」

「この写真お借りしてもよろしいですか?」

「なんだ? あたいの写真でおかずにする気か? ヒック……」

 ニヤつくヴィクトリア。

 誰がこんなクソきもい写真で自家発電すっかよ。

 

「いや、ちょっと取材として……」

 これはいい素材だからなぁ~

「取材? 坊主、記者でも目指してんのか?」

 それよく言われるな。

「いえ、俺はこう見えて作家ですんで」

「作家? なるほど、繋がったな。だから、日葵と知り合いなんだな?」

 全部つながったよ、バカヤロー!

 こうなることも見通しての策略か、クソ担当編集、白金 日葵。

 

「ま、まあそうですね……」

「なぁ、坊主」

「はい?」

 ヴィクトリアは俺に近寄り、頭を撫でる。

 俺が彼女を見上げると、優しく微笑んだ。

 

「ミーシャと仲良くしてくれて、ありがとな。最近、よく笑うんだあいつ……」

「え……」

 

 当の本人と言えば……。

「ムニャ……タクトぉ……」

 とさっきから連呼しているんだが。

 気づかれてない? ヴィクトリアに。



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58 徹夜はテンションが高い

「いいがぁ? ぼうず……」

 もう呂律が回ってないよ、ヴィクトリア。

 かれこれ、数時間も俺はこの酔っ払いにからまれている。

 寝ちゃダメなの、俺は?

 スマホをチラ見すると『2:58』。

 

「あの……」

「なんだぁ? あたいとエッヂなことでもじだいのがぁ?」

 はぁ、疲れるな、独身アラサーの酔っ払いは。

 

「俺、そろそろ帰っていいですか?」

 なぜならば、あと一時間で朝刊配達が始まるからだ。

「なんだと!? 泊っていけったろ、坊主!」

 急に立ち上がるヴィクトリア。

 なぜか巨大なクマさんのぬいぐるみを抱えている。

 よっぽど好きなんだな、クマさん。

 

「いや、俺。仕事があるんで……」

「仕事だぁ? こんな時間に働く仕事なんてあるのか?」

 あるわ、ボケェ!

「新聞配達やっているんです。朝刊と夕刊」

「……ほう、坊主。勤労学生だったのか」

 勤労って……。

 

「なら仕方ないな……だが、電車は動いてないぞ?」

 げっ! そうだった!

 ど、どうしよう? タクシー使ってもいいけど、金がかかる。

 ただでさえ、うちは俺の収入でどうにかやっているのに……。

 

「あ、歩いて帰ります……」

 泣きそう!

「席内からか?」

「はい」

 歩いて一時間くらいか。徹夜でウォーキングとか苦行すぎ。

 

「坊主、バイクの免許持っているか?」

「原付なら……」

「ならあたいのバイクを貸してやる」

 そう言うとヴィクトリアはよろけながら立ち上がる。

 

「ヒック……こっちこい」

「はぁ」

 手招きされて、家を出る。

 去り際、ミハイルの寝顔を拝んて行く。

 やはり、こいつは可愛いな……。

 

「ミーシャのことなら後であたいが伝えておくよ」

 見透かされたようにツッコまれる、俺氏。

 ヴィクトリアはミハイルの女装の件を把握しているのだろうか?

 

 家を出ると春先とはいえ、夜中だ。けっこう冷える。

 階段を下りて、裏庭に出ると物置が見えた。

 ヴィクトリアは物置を開くと、ビニールシートで覆われた大きな物体の埃を落とす。

「久しぶりだからな……動くかな?」

 なんか嫌な予感。

 彼女がビニールシートを勢いよく取り払うと、そこに衝撃のバイクが!

 

「こ、これは……」

 バイク全体がピンク色で塗装されており、所々にハートやおなじみのクマさんのステッカーが貼られている。

 痛車? 萌車? なにこれ?

 

「あたいの愛車、『ピンクのクマさん号』だ☆」

 まんまじゃねーか。

「懐かしいなぁ、さっき見せた写真あっただろ? あの頃に乗り回してたんだ」

 族車だった……。

 

「お借りしてもいいんですか?」

「は? やるよ?」

 いらねぇ!

「それはさすがに……」

 絶対にお断りしたい代物だからな。

 

「なんだと、坊主……あたいの宝物が気に食わないってのか!?」

 腰をかかがめて、睨むヴィクトリア。

 あの……キモい巨乳が露わになってます。『中身』も見えそうだから、やめてください。

 

「いえ、宝物ならなおさら……」

 俺がそう言うと、ヴィクトリアはニッコリと微笑む。

「だからだろ☆」

「へ?」

「あたいの宝物はミーシャ。そのダチなんだ……」

 ヴィクトリアは優しく笑いかけて、俺の頭を撫でる。

「だから坊主に託すよ」

 それ俺に託しちゃダメだろ。ミハイルに託せよ。

 

「ガソリンは入っているんすか?」

「ああ、こんな時のためにちょくちょくメンテしていたからな」

 クソッ! 歩いた方がマシじゃねーか。

 

「じゃあお借りします」

「やるっつたろ!」

 クッ、忘れてないのかよ。酔っぱらいのくせして!

 

 俺は痛い族車にまたがる。

 ヴィクトリアは満足そうに微笑む。

「よく似合っているぞ、坊主」

「は、はぁ……」

 バイクに鍵はつけっぱなしだ。

 鍵を回すとエンジンが音を立てて、俺に挨拶する。

 ものは悪くない。しかし、問題は見た目。

 

「また遊びに来いよ? 坊主」

「はい……何からなにまでお世話になりました」

 もう二度とお世話になりたくない。

 

「いいってことよ☆」

 俺はアクセルを回して、ゆっくり裏庭から発進する。

 

 店の前まで来ると、商店街は人っこ一人いないことが確認できた。

 

「坊主!」

 振り返ると、ヴィクトリアがわざわざお見送り。

「はい?」

 

 バイクに乗っている俺に近寄り、耳元でささやく。

「ミーシャを泣かしたら……おめぇ、殺すからな☆」

 一回泣かしたから死刑宣告かな?

 

「はは……俺とミハイルは仲良いですよ?」

「ならいいんだ☆」

 ヴィクトリアは数歩下がり、両手を腰にに回す。

 夜風に吹かれて、美しい金髪が揺れる。

 優しく微笑む彼女はまるで、映画のヒロインのようだ。

 

 やはり姉弟だな……。

 巨乳じゃなかったら惚れていたかもしらん。

 

「じゃあ、また……」

 俺はアクセル全開でエンジンをふかす。

 ヴィクトリアは笑顔で手を振っている。

 

 不思議な女性だ……。

 この人のもとで育ったからこそ、ミハイルはあんなにキラキラと輝く少年になったんだろうな。

 

 俺は夜道を族車で、走る。

 思い起こせば、こんなに人とちゃんと接したことはなかったろうな。

 

『そこの原付! 止まりなさい!』

 

 ミラー越しに背後を確認すれば、パトカーがサイレンを鳴らしている。

 

「あ……ヘルメットしてなかった」



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第九章 スランプ作家
59 人の黒歴史ほど面白いものはない


 俺は警察に減点とられて、めっさ怒られた。

「未成年がこんな時間になにをしているんだ!」

 と激しく迫られ、「仕事です」と答えたが、警察官は「若いうちからちゃんとしてないとダメな大人になるぞ!」と1時間も説教を食らう始末。

 おかげで朝刊配達に30分も遅刻してしまった。

 

 仕事を終えて帰宅すると朝食もとらず、ベッドに直行。泥のように眠った。

 

 

 ピコン!

 

 通知音で目覚めた。

 スマホを見れば、見覚えのある名が……。

 白金 日葵。

 

『センセイ、昨日の今日で悪いですけど、打ち合わせしましょ♪』

 

 クソが!

 勤労学生をこれ以上苦しめるな!

 当然、ムカついた俺はお断りの返事を送ることにした。

 

『無理』

 

 そしてまた眠りにつこうとした瞬間だった。

 アイドル声優『YUIKA』ちゃんの着信音が流れる。

 曲名は『幸せセンセー』。

 これが流れる度に癒されるのだが、着信名を見れば、うつになる。

 名前はロリババア。

 

「はぁ……もしもし?」

『センセイ! 今日は絶対に来てください!』

「うるせーな……こちとら徹夜だったんだ」

『それは私もですよ! それより、昨日のプロット、早く完成させてください!』

「なにをそんなに急ぐ?」

『編集長に話したら、プロットでもいいから早く読ませろって、やる気マンマンなんですよ♪』

 人の苦労を知らずして、ムカつくやっちゃ。

 だが、出版される可能性があるならば、朗報だな。

 

「だいたい状況は把握した。5分で書いてやる」

 そう俺はこう見えて、速筆が早いのが売りなのだ。

『さすがですね、センセイ! じゃあお昼に博多社で♪』

 

 ブチッと雑な切り方が耳障りだった。

 

 俺はベッドから降りると、机にノートPCを置いて開く。

 起動後、改めてミハイルをモデルにヒロインを構成し、主人公は自身とした。

 

 

 ~数時間後~

 

 

 博多社のビルに入ると、受付嬢の倉石(くらいし)さんが笑顔で出迎える。

「こんにちは、琢人くん」

「おつかれさまです。倉石さん……」

「どうしたの? なんか目の下にくまが…」

「昨晩、徹夜で取材してたので」

「た、大変ね……」

「そういえば、倉石さん。あのアホの過去に興味ありませんか?」

「白金さんの?」

 アホで通じるのが、倉石さんの大好きなところだ。

 

「はい……これを見てください」

 俺は昨晩、ヴィクトリアから頂いた例の写真を取り出す。

 倉石さんは身を乗り出して、写真を確認する。

 

「な、なにこれ!? オバケがいる!」

 さすが倉石さん、いい反応だ。

「これ、白金ですよ?」

「え!? 白金さん、ヤンキーだったの!?」

 顔面真っ青になり、両手で口を塞ぐ。

 

「その通りです。席内(むしろうち)じゃ『頭突きのお化け』で有名らしいっすよ」

「マジ?」

「大マジです。しかも特攻隊長だったとか」

 倉石さんは何を思ったのか、スマホを取り出す。

 俺に「これ撮ってもいいかな?」とつぶやく。

 その顔はなにやら悪だくみを考えていそうな形相だ。

 

「どうぞどうぞ」

 この写真はやはりいい素材だな、徹夜したかいがあったというものだ。

 俺と倉石さんが白金の黒歴史写真でキャピキャピ話していると、背後から声をかけられた。

 

「センセイ? なにをやっているんですか?」

 

 振り返ると青色のワンピースを着た白金が立っていた。

 イルカがたくさん泳いでいるデザイン。しかもツインテールのゴム紐もイルカ。

 水族館のお土産か?

 

「これはこれは、噂をすれば特攻隊長の白金さんじゃないですか」

 俺はニヤニヤが止まらない。

 倉石さんもつられて「ブボッ!」と吹き出す。

「な! なぜ、それをセンセイが知っているんですか!?」

 急に慌てだす白金。

 

「え? なんだっけな……ヴィッキーちゃんから写真を提供してもらってな。ほれ」

 俺は例の写真を白金に見せつける。

「そ、そんな! この写真は『それいけ! ダイコン号』解散と共に捨てたはずなのに!」

 やるじゃん、ヴィッキーちゃん。

 

「か、返してください!」

 俺から写真を奪おうとする。

 だが、俺は余裕で白金の攻撃をかわす。

 ぴょんぴょんとウサギのようにジャンプするが、低身長が邪魔して届かない。

 

「返すもなにもこれは俺がヴィッキーちゃんからもらったものだ。なので、俺の所有物だ」

「は!? 私の写真で何をする気です!?」

「なにも? ただ今後の作家活動が円滑に進めるために……な」

 これからなにかと脅しに使えそうだし。

 経費が落としやすくなりそうだし。

 

 白金は唇を噛みしめて悔しそうにこちらを見ている。

 涙目で。

 

「このクソウンコ作家!」

 

 うんこ大好きだよな、こいつ。



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60 イラストレーターと被写体

 白金の黒歴史を晒したことで、俺はメシウマ状態であった。

 激おこぷんぷん丸になった彼女を無視し、編集部へと向かう。

 

 ゲゲゲ文庫、編集部。

 相変わらず社員たちは忙しそうにお仕事をしている。

 この隣りにいるJS体形のロリババアとは違って……。

 

 白金はいつものように自動販売機の前に立つと「なにを飲みます?」と聞く。

 俺は当然のようにコーヒー、「ビッグボス」と答える。

 彼女から缶コーヒーを受け取ると、面談室へと向かった。

 

「あ、DO・助兵衛先生!」

 

 先客がいた。俺から見て奥側のテーブルの前に座っている。

 人間ではなく、正しくは豚だ。可愛い豚ではない。汚らしいブタだ。

 豚は汗をだらだらと流し、萌え絵のハンカチで額を拭いている。

 汗で濡れたシャツは大雨に打たれたようにびしゃびしゃ、肌が透けて乳首まで丸見えだ。

 これって、なんの拷問?

 

「トマトさん……その名で俺を呼ぶのはやめてください」

 彼の名はトマト。

 本名は知らない、売れないイラストレーターで俺の小説の表紙や挿絵を担当している人だ。

 俺がデビューしてかれこれ3年の付き合いか。

 といっても、編集部で仕事の話をするぐらいだが。

 

「すいません、DO先生。白金さんから聞いたんですが、今回はラブコメに手をだすんですか!?」

 彼は驚きのあまり、席を立ちあがって汗を吹き出す。

 

 そう、彼が驚くのはもっともだ。

 なぜなら、俺はライトノベルというには、ダークすぎるノベルが多い。

 ヤクザものが多く、過激な暴力描写で一定のコアなファンがついているが……。

 裏を返せば、万人受けしない作者なので、売れない作家ともいえる。

 

「はい……このロリババアに言われたので」

 指をさして物扱い。

「誰が、ババアですか!? 私はまだ20代のピチピチギャルですよ!」

 ロリも否定しろよ。

「ま、まあ……お二人ともイスに座って。打ち合わせ……しましょ?」

 トマトさんにその場をおさめられ、俺と白金は腰を下ろす。

「じゃあ、DOセンセイ。プロットをさっさと出してください」

 ムカつく女だ。

 

 俺は黙ってリュックサックからノートPCを取り出す。

 テーブルの上に置いて、起動する。

 モニターを白金とトマトさんがのぞき込む。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 タイトル

『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』(仮)

 

 あらすじ

 売れないライトノベル作家、真島 タクトはひょんなことから通信制高校へと入学する。

 彼の入学動悸は取材だ。

 それも恋愛経験のない彼が、気色の悪い担当編集に言われて、ラブコメに手を出したからだ。

 『ラ』の字も知らないタクトは、ラブを知るために通信制高校、通称バカ高校に入学する。

 そこで知り合ったのは可憐な少女……ではなく金髪ハーフのヤンキーの女の子、席内 アンナ。

 アンナはスクリーングに来るときはタンクトップにショーパンというラフな姿で、いつもヤンキーグループとたむろしているような女だ。

 入学式に美人の彼女を見つめていたことで、『ガンつけた』と因縁をつけられる。

 その際、理由を問われたため、タクトは答えた。

「かわいかったから……」

 驚いたアンナはタクトを殴ってしまう……が、その一言で恋に落ちてしまう。

 

 一大決心をしたアンナはタクトに告白をする。

 だが、恋愛経験のないタクトは断ってしまう。

「ヤンキーとは付き合えない」

 涙を流すアンナ。

 別れ際に彼女は問う。

「どんな女の子だったら付き合えたの?」

 タクトは涙を浮かべる彼女を見て、答えに困った。

「もっと普通の女の子だったら……」

 と安易に答えてしまう。 

 

 その日以来、フラれてしまったアンナはもう一度タクトを振り向かせるために、心機一転。

 タクトとデートしたい一心で、彼好みの女の子を研究する。

 そして、今までとは全く違うラブリーなファッションをして、デートに誘うのであった……。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「いいじゃないですか! DOセンセイ!」

 喜ぶ白金。

 てか、これってほぼノンフィクションじゃね?

「すごいです! これはDO先生の実体験によるものですか?」

 トマトさん……それ聞いちゃダメなやつ。

「ま、まあ……多少盛ってますがね」

 多少どころか、アンナが男なのがな……。

 すまん、ミハイル。

 

「この作品の続きは!? もう書いてますか? DOセンセイ!」

 興奮して身を乗り出す白金。

「いや。まだだ」

 だって、デート一回しかしてないもん。

「んで、白金。この作品はボツか?」

 正直言って、ほぼ俺の体験話だからな。

 

「……」

 黙って何度も俺のプロットを読み返す白金。

 その目はいつになく鋭い。

 数分間の沈黙のあと、白金は呟いた。

 

「いよう……採用です」

「え?」

「採用ですよ! DOセンセイ、絶対に採用です!」

 逃れられないフラグが立ったみたい……嫌だわ~怖いわ~

「おめでとうございます! DO先生!」

 脂汗でギトギトの手で握手しやがる豚イラストレーター。

「は、はぁ……」

 

「では略して『気にヤン』。これでいきましょう!」

 拳を天井へ掲げる白金。

 えらく気に入ったみたいだな。

 まあ俺は金さえもらえれば、なんでもいいんだが。

「でも……白金さん、僕……可愛い女の子のイラストは苦手なんですよ」

 トマトさんが肩を落とす。

 そう彼はガチムチなマッチョおじさんを描くことが得意分野である。

 今まで女のイラストと言えば、極道のオンナぐらいだ。

 

「なるほどですね……」

 考え込む白金。

 しばらく、フリーズしたのちに何かをひらめいたようだ。

 手のひらを叩く。

 

「女子高の門前でリアルJKを盗撮したらどうですか?」

「え……」

 顔面ブルースクリーンへとバグるトマトさん。

「業務連絡です、盗撮してきてください!」

「は、はい……」

 了承しちゃダメだろ!

 犯罪じゃねーか!



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61 中途採用

「トマトさん……盗撮はダメですよ」

 俺はバカ編集白金の犯罪ほう助を事前に防いだ。

 そもそも業務連絡で『JKを盗撮』とかバカすぎだろ。

 

「ええ~ トマトさんもモデルがいないと書けないっしょ! だって童貞だし……」

 サラッと人の恋愛経験を晒すな、白金。

「ご、ごもっともです……僕は今年で25歳なんですけど、生まれてこの方、女の子と付き合ったことないので……」

 ちょっと涙目じゃないですか!? トマトさん!

 大丈夫です! 俺も童貞ですから!

 

「ま、まあそれと女の子のイラストを描くのは別なのでは?」

「いえ、僕もやはりモデルがいると、いないとでは全然違いますよ」

 そんなものだろうか?

「なるほど……」

 俺とトマトさんは互いに俯いて、「う~ん」と唸る。

 

「じゃあDOセンセイのモデルを見せてもらったらどうです?」

 白金が人差し指を立てて、提案する。

「はぁ!?」

 思わず、大声を出してしまう。

 だってモデルってミハイルことアンナちゃんだもの。

 

「それはいいですね」

 頷くトマトさん。

「でしょ♪ じゃあDOセンセイはこのヒロインのモデルの方を私たちに連れてきてもらって……」

 と言いかけたところで俺が止めに入る。

「却下だ!」

 拳でテーブルをダンッ!と叩きつける。

 普段、あまり感情的にならないせいか、白金もトマトさんも驚きを隠せなかった。

 

「ど、どうしたんです?」

 目を丸くする白金。

「ヒロインのモデルは訳ありな子なんだよ……だから直接取材は却下する」

 だって男の子なんだもん。

 

「そうですか、困りましたねぇ……」

「ま、まあDO先生の大切なカノジョさんですしね」

 ちょっといやらしい目つきで俺を一瞥するトマト……いや豚か。

 なんか変なことでも想像してんだろうな。

 

「トマトさん、彼……いえ、彼女は立派な取材対象であって恋愛対象ではありません。ですが、先ほども言った通り、彼女は事情があって簡単には紹介できないんですよ」

「そうなんですか?」

「ま、まあ深入りしてほしくないってことです」

 なんかわき汗が滲んできた。

 わしがなんでミハイルをかばわないといけないんじゃ!

 

「……」

 眉間にしわを寄せて、考え込む白金。

 しばしの沈黙の後、口を開いた。

「トマトさんって確か高校中退者じゃないですか?」

「あ、はい。恥ずかしながら2年生の時に……」

 そうだったんだ。

 

「なら、今から高校に入れば、リアルJKと出会えるでしょ♪」

 ファッ!?

「え……僕、25歳ですけど……」

 浮くこと間違いなし!

「関係ないですよ。DOセンセイが今通学している一ツ橋高校に入学すれば、年齢は関係ありません。下手したら死ぬ前のじいさん、ばあさんが通ってますから」

 お前、サラッと高齢者のことディスるなよ!

 かわいそうなこと言いやがって!

 

「は、はぁ……」

「よし! トマトさんは秋から一ツ橋高校に潜入して、盗撮しまくってください!」

 潜入って……カメラは現地調達か?

 

「でも僕、あんまりお金ないです……」

「安心してください!」

 パンツははけよ。

 

「経費で落としますから♪」

「そ、それなら……」

 なん……だと?

 俺は経費で学費を落としてもらってねーぞ!

 新聞配達と少ない印税で払っているというのに!

 この待遇の差はなんじゃい!?

 やはり物書きとイラストレーターでは待遇が違うのか……。

 

「ちょい待て白金!」

「なんです?」

「俺はなんで経費で落とせないんだよ!?」

「だってトマトさんはイラスト一本で食っているプロですよ? DOセンセイみたいな二足の草鞋を履くようなセミプロと違ってお金がないんですもん」

「き、貴様……言わせておけば……」

「それにDOセンセイには色々と経費で落としているでしょ? 先月の領収書一覧見ます?」

 白金は一旦席を外して、編集部奥のデスクからレシートの束を手に戻ってきた。

 

「ほら? 経費で落としているだけでも感謝してくださいよ」

 全部、映画のチケット代。

 

「ええ!? DO先生って経費で映画を見ているんですか!?」

「ま、まあ小説家に映画は必要ですよ……」

「そこは小説じゃないんですね」

「……」

 クソッ! 豚のくせして的確にツッコミ入れやがる……。

 

「先月だけでも3万円以上、払っているんですけど?」

 白金のプレッシャーがパない。

 ロリババアのくせしてこういう時だけ大人っぽいんだよな。

 

「わ、わかったよ!」

「ならトマトさんは秋から一ツ橋高校に入学で決定ですね♪」

「うわぁ、何年も勉強してないけど、大丈夫かなぁ」

 大丈夫だろ、あんなバカ高校。

 

 また今度、映画でも観るか。(もち経費で落とす)



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62 いい映画を鑑賞すると、テンションが上がる

 白金の策略にまんまと引っ掛かり、俺は初のラブコメ作品『気にヤン』の執筆にとりかかった。

 まずは主人公が高校に入学し、アンナと衝撃的な出会いからデートをするまではスラスラと書けた。

 しかし、それ以上は書けなかった。

 なぜならば、実体験を元に小説を書いているために、デートの回数が足りない。

 

「またアンナの力を借りないとな……」

 

 キーボードのタイピングを止めるとノートPCをたたんだ。

 

 スマホの時刻を見れば『17:45』

 もうこんな時間か……。

 

「ダメだ。なにも浮かばない」

 そう……こんなときこそ映画でも観てリラックスせねば!

 

 ダメだ。映画が観たくなってきた……ポカーン。

 よし映画を探そう。

 

 俺は簡単に着替えをすますと、家を出た。

 地元の真島駅から博多駅へと向かう。

 

 目的地はカナルシティ。

 この前、アンナと世界のタケちゃんの作品『ヤクザレイジ』を観たのだが、あの時はアンナの痴漢騒ぎで内容が頭に入らなかったので、もう一度観たいと思ったのだ。

 

 博多駅にも映画館はあるが、俺は昔からカナルシティが好きだ。

 でも一番好きなの中洲にある映画館『中洲サンシャイン』だ。

 

 カナルシティにつくと、平日だというのに若者で溢れかえっていた。

 たぶん学校帰りの学生たちだろう。

 ちらほらと制服を着たままのJKやDKがキャッキャッとアホみたいにはしゃいでいやがる。

 リア充は他にいけ!

 

 軽くイラつきながら映画館へと向かう。

 

 チケット売り場でもやはり学生たちが多い。

 こいつらは制服着たままで遊びやがって……。

 おめーらが、映画の悦びを知るにはまだ早いんだよ!

 と毒づいたところへ、見慣れた制服が。

 あれは三ツ橋高校の生徒だな……。

 

 がたいのいい青年と校則無視のミニスカJK。

 カップルかよ……。

 

「なあ、なにを観たい?」

 青年は親しげにJKへと肩を寄せる。

 JKは何か嫌そうな顔しているな……。

 なんじゃろ、倦怠期か?

「私は別になんでもいいです……福間先輩から誘われたんで」

 福間? どこかで聞いた名だな~

 

「じゃあこうしようぜ。この映画館は13個のスクリーンがある。だからお前の好きな番号で決めよう」

 ファッ!? そんな無茶苦茶な選び方……全ての映画監督に謝れよ!

 

「おもしろそうですね。じゃあ5番で♪」

 女も同調すんな!

「よし、5番か……えっと『ヤクザレイジ』だな」

 そう言うとルーレット感覚で男はチケットを購入し、女を連れて劇場へと向かった。

 

 キレてもよかですか?

 ったく、こんな映画愛が足りない奴らとタケちゃんの崇高なる作品を観なければならないとは……。

 

 俺は激おこぷんぷん丸で、チケットを買う。

「ヤクザレイジ、高校生一枚」

 機嫌の悪さを察したのか受付嬢が苦笑い。

「お席の方はどうしますか?」

「一番前の真ん中で」

 あのバカップルとは並んで観たくない。

 席を一番前にすれば、一緒になることはないだろう。

 

 ~2時間後~

 

「いやぁ、いい映画だったなぁ。公開終了するまで毎日見に来ようかなぁ」

 だって、経費で落とせるからね♪

 俺はタケちゃんの作品を存分に楽しむと、余韻に浸りながら映画館をあとにした。

 

 スマホの時刻を見ると、『19:30』。

 ふむ、腹が減ったな……。

 ラーメンでも食って帰るか。

 俺は『はかた駅前通り』をてくてくと歩く。

 鼻歌交じりで。

 

 歩くこと数分、博多駅の駅舎が見えてくると、俺は右手に曲がり、人気の少ない通りに入った。

 主に居酒屋が多く、サラリーマンなどが帰りに一杯やるところで、知られている。

 そしてラブホが複数あるのだ。

 こんな駅の目の前で『おせっせ』しなくてもよかろうもん。

 

 そして、お目当てのラーメン屋に着く。

「う~ん、いい香りだ」

 豚骨ラーメン独特の濃ゆい香りが漂う。

 

 俺はこのラーメン屋が大好きだ。

 博多駅に来れば、決まってラーメン屋はこの店と決めている。

 その名も『博多亭』。

 

「よし、食うか」

 その時だった。

 

 ラーメン屋のすぐ隣りのビルから叫び声が聞こえた。

 

「いやっ!」

「いいだろ!」

「やめてって言ってるじゃないですか!」

 

 制服を着たJKとDKがラブホの前で揉めている。

 大柄のDKがJKの手を掴み、強引にラブホへと連れ込もうと試みている。

 

 なんじゃ? 痴話げんかか?

 

 トラブルはごめんだ……と願い、俺は叫ぶJKを無視して、再度ラーメン屋に入ろうとする。

 が、甲高い声が俺を呼び止めた。

 

「あ! 新宮センパイ!」

「へ?」

「助けてっ!」

 

 そう言うと彼女は俺の背中に逃げ込んだ。

 

「よかったぁ。新宮センパイがいてくれて……」

 振り返るとそこには安心したかのように胸元で手を握る少女が一人。

 

 ショートカットで三ツ橋高校の制服を着たミニスカJK。

 赤坂 ひなたか……。

 めんどくせっ!



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63 男と女は難しい

「新宮センパイ、助けて!」

 赤坂 ひなたは俺の背中にしがみついている。

 心底、怖がっている様子だ。

 

「赤坂? どういう状況だ?」

「あ、あの……福間先輩が…」

 言葉に詰まる。

 まあラブホの前だしなぁ……。

 皆まで言えずに頬を赤くしている。

 ヤル気だったんじゃろか?

 

「おい! お前!」

 顔面を真っ赤にさせて大柄の男が迫る。

 彼の名は確か、福間(ふくま) 相馬(そうま)

 赤坂 ひなたと同じく制服組の三ツ橋高校の生徒だ。

 

「お前、この前の一ツ橋のやつだろがっ!」

 鬼の形相で俺の襟元を力強く引っ張る。

 鼻息がかなり荒い。

 まあ同じ男として気持ちはわからんでもない。

 寸止めだもんなぁ……。

 

「福間だろ? 俺の名を忘れたか?」

 彼の名前を口にするとイラついた様子で、尚も拳に力が入る。

「新宮とかいってたよな!? 赤坂を返せよ!」

 返すって……。

 

「返すも何も俺は部外者だ。好きにすればいいだろ?」

 THE・無責任。

「え……最低! 新宮センパイ!」

 背中をバシバシと叩く赤坂。

 

「だって性行為を交渉中だったんだろ? 俺の出る幕じゃない。増してや、付き合っているのならば、当の本人同士で話し合って決めろ」

「付き合ってなんかいません!」

 え? 付き合ってんじゃないの?

 

「そうなのか?」

「福間センパイが『部活帰りに映画を観ないか?』って誘われただけです!」

 それってデートなのでは?

 というか、こいつら……さっきチケット売り場にいたカップルじゃねーか。

 

「はぁ!? 赤坂! 俺と付き合ってくれるんじゃねーのかよ!?」

 やっとのことで俺から手を離す福間。

 今度は怒りの矛先が赤坂に向きつつある。

 

「付き合うなんていってません!」

「だって、学校で『俺と付き合ってくれ』って言ったら、『うん』っていたじゃねーか!?」

 痴話げんかかよ。よそでやってくれ。

「付き合うって意味間違えてます! 『映画に付き合う』って意味でしょ!」

「……」

 激しい言い合いから一転して静まり返る。

 

「ふざけんな! デートだろ、今日のは!?」

 福間センパイ、かわいそう。

「違います! ただの映画鑑賞でしょ!」

 あるある~ 男の勘違いってやつね。

 

「とりあえず、新宮から離れろ!」

 俺から赤坂を無理やり引きずりだす福間。

「いやっ!」

 

 俺は一連の騒動を静観したが、一つだけ気になったことがある。

 福間 相馬。こいつはルーレット感覚で、俺が崇拝する世界のタケちゃんの作品を選んだこと。

 それからこいつは赤坂と付き合いたいがために、『ヤクザレイジ』を観たことだ。

 つまり映画なんてどうでもよかったんじゃないか?

 ただの口実に過ぎず、目的といえば、赤坂をラブホにお土産できれば、それでミッションコンプリートだったのだろう……許せん!

 

「おい、福間!」

「んだよ! お前には関係ないだろ!」

「いや関係あるな、赤坂は渡せん」

 俺は赤坂をかばうように福間との間を遮る。

「新宮センパイ! 嬉しい!」

 なぜか満面の笑顔で俺の背中に身を寄せる赤坂。

 

「なんなんだよ!」

 激昂する福間を無視して俺は話を続けた。

「福間……お前。さっき『ヤクザレイジ』観てたよな?」

 拍子抜けした顔で、俺を見つめる福間。

「は? 観てたけど?」

「感想は?」

「なにいってんだ? そんなこと今はどうでもいいだろ? それに覚えてねーよ、あんなチンピラの映画!」

 何かが俺の頭の中で弾けた。

 

「お前、今なんつった?」

「あ? チンピラ映画だろ?」

「福間……赤坂を置いて帰れ!」

「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねーんだよ!?」

「何故かだと? お前は赤坂と性行為をしたいがために映画館に連れていき、ルーレット感覚でタケちゃんの映画を選び、そして『ヤクザレイジ』の感想も言えず、覚えていなかった……」

 

「「え?」」

 ここだけは赤坂と福間の息ぴったり。

 

「許せないんだよ! タケちゃんの映画はそんなチープなもんじゃない!」

 バシッと人差し指を突き付ける。

「……じゃあ、あれか? 俺と赤坂の恋路を邪魔するってんだな?」

「恋路って、私は福間センパイのことなんか、何とも思ってません!」

 それ、一番言っちゃダメなやつ!

 福間がプルプルしだしちゃったよ。

 涙目で……。

 

「新宮! てめぇのせいだ!」

 えぇ!? なんでそうなるの?

「何故だ? どちらにしろ、無理やり性行為に及ぶのは犯罪だぞ?」

 俺がそう言うと、福間はうつむいて拳をつくって震えていた。

 かなり怒っているようだ。 

 

「犯罪だって……? 新宮、お前。初めて会ったときから生意気なんだよ。やっぱり一ツ橋の奴らは俺たち、三ツ橋高校の面汚しだ!」

「言わせておけば……」

 俺が言葉で反撃しようとした瞬間だった。

 

「うるせぇなぁ! その口を塞いでやるよ!」 

 一瞬だった。

 顔面目掛けてストレートパンチ。

 映像がブツンッと消えるように、意識を失った。



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64 初体験はいくつのとき?

「いつっ……」

 激しい頭痛で目が覚めた。

 まだ意識がはっきりしない。

 瞼を開くと、視界がもやがかかったようにフワフワとしている。

 

「ここは一体……」

 耳元で何やら軽快な音楽が流れている。

 どこなんだ?

 視界が次第と定まってきた。

 目を細めてどうにか、把握できた。

 

「星空?」

 一番に目に入ったのが、それだった。

 だが、どこかおかしい。

 だって星が薄い緑色。

 しかも俺との間隔が2メートルほど。

 あれ? 星ってこんなに近くに見えるもんでしたっけ?

 

 今度は首を右に動かす。

 すると誰もいない枕……と布団?

 いや、ベッドか?

 

「誰の家だ?」

 俺はゆっくりと起き上がる。

 その時だった。

 車酔いの時のような感覚を覚えて、姿勢を崩してしまう。

 吐き気を感じた。

 

「う、うえ……」

 吐く寸前で口を手で抑える。

 そうか、そうだったな……。

 俺は福間のやつに殴られたんだ。

 

 頬に手をやると熱を持っていた。

 腫れているな、こりゃあ。

 

 パチン! となにかの音が鳴った。

 と同時に星空は消え失せ、眩しいぐらいの明かりが点く。

 俺は眩しさから手をかざす。

 

「あ、目が覚めたんですね!」

 そこにはバスタオルを胸元から巻いた一人の少女がいた。

 濡れた髪をショートタオルで拭いている。

 

「まだ寝ていてください!」

 押し倒すように俺を布団に寝かせる。

 そして自身は枕元に腰を下ろす。

 俺の額に手をやり、熱を計っているようだ。

 

「……おまえは?」

「え!? 私が誰かわからないんですか!?」

 心配したのか、顔を近づける。

 その距離、キス寸前。

 

「は?」

「ええ!? 記憶喪失ですか? 新宮センパイ!」

「誰が何を喪失したって? 赤坂」

「なんだぁ~ よかったぁ」

 安心したのか、うなだれる。

 

「ところでここはどこだ?」

「ここはですね……その……」

 なぜ顔を赤める?

 

 俺は改めて辺りを見回す。

 右手には壁掛けのテレビ。左手にはソファーと小さなテーブル。

 それから小さな冷蔵庫……のうえには『蜂の巣』のような販売機。

 商品の上にラベルがあり、『クセになる振動』とか、『これがあれば女の子も大喜び!』とか、訳の分からんキャッチコピーが連なっている。

 一体、どういうことだってばよ!?

 

「赤坂、まさか俺たちがいるのは……」

「はい、ラブ…ホテルです」

 頬を紅く染めて、うつむく。

 なんなんだ? 急にしおらしくなりおってからに。

 しかも、なぜこいつの髪は濡れているんだ?

 

「なあ赤坂。お前、なんで風呂に入ってたんだ?」

「え? あ、これは……倒れたセンパイをおんぶしてラブホテルに入ったから、汗かいちゃって」

 ファッ!?

 男の俺を担いでラブホテルに入ったんかい!?

 

「ま、まさかと思うが……俺は記憶だけじゃなく、童貞まで喪失……」

 と言いかけた瞬間、平手ビンタが俺を襲う。

 

「いってぇ!」

「そんなわけないじゃないですか! た、助けてくれたから介抱してただけです……」

 て言いながら、また頬を赤らめるのをやめてくださいます?

 なんかさ、チミがバスタオルだけでいるから事後みたいなんだよ。

 

「そうか、礼を言うぞ」

「セ、センパイがお礼を言わなくてもいいですよ! こっちこそ、その……助けてくれてありがとうございます」

「……ふむ。ところで福間のやつはどうした?」

「新宮センパイがワンパンで倒れたから、私が咄嗟に叫んだんです。そしたら、怖くなったみたいで逃げていきました」

「あ、そ」

 いや、ワンパンで倒されるとか、カッコ悪すぎだろ……。

 しかも赤坂も褒めてんのか、けなしてんのか、どっちなんだよ?

 

「頭、痛みます?」

「いや、頭痛はまだいい。だが、頬が熱い」

「少し腫れてますもんね」

「鏡を見てみる」

「動いたらダメです! 私がスマホで撮ってあげますよ♪」

 いや、撮らんでもカメラを自分に向けるって発想に至らないの?

 

「はい、チーズ♪」

 思わずピースしてしまった。

 

「うわぁ、改めて見ると酷いですね……」

 絶句すんなよ、俺の顔がブサイクみたいじゃないか。

 赤坂からスマホを渡されると、自身の顔を確認できた。

 左の頬が紫色に腫れている。

 ソフトボールのように大きく。

 

「こ、これは母さんに何と言ったものか…」

「すみません! 私、センパイのお母さんに謝ります!」

「いや、別にええけどさ…」

 その時、アイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が聞こえた。

 俺のスマホの着信音だ。

 

「あ、電話みたいですね。私が持ってきます!」

「すまん」

 赤坂はテーブルの隣りに置いてあった俺のリュックサックからスマホを取り出す。

 丁寧に両手で掴んで、俺のもとへ運んでくれた。

 

「はい、どうぞ♪」

「ありがとう」

 着信名を見ると、俺は一気に血の気が引いた。

 古賀 アンナ。

 や、やべっ!

 ラブホテルにいるなんて知られたら、アンナに殺されるぞ。

 ここは電話をスルーしておこう。

 

「あれ? センパイ、出ないんですか?」

「ああ……仕事関係の人でな」

「そうなんですか?」

 YUIKAちゃんの可愛らしい歌声が止む。

 と思ったら、すぐにL●NEの通知音が鳴る。

 

『タッくん、いまどこ?』

『アンナはおうちでクッキー作っているよ☆』

『今から持っていてもいい?』

 

 いや、やめてぇ~ しかもクッキーって、あーたのお家の仕事でしょ?

 

 ピコン!

 

 更に通知音が鳴る。

 

『久しぶりにツインテールにしてみたよ☆』

 

 メッセージの後、自撮り写真が届く。

 

 文章の通り、ミハイル……じゃなかったアンナちゃんがピンクのリボンでツインテールしてる。

 フリルがふんだんに使われたブラウスに、ピンクのジャンバースカート。

 か、かわいい~!

 けど、今は画像保存する暇はねーよ。

 

「なんです? さっきから?」

 不服そうにこちらを伺う赤坂。

「い、いや。ちょっと仕事の取引先とな……」

「高校生が仕事の取引? 何の仕事をやっているんですか?」

「その……俺は小説を書いててな。その取材相手だ」

「え!? センパイって小説家だったんですか!?」

 驚きを隠せない赤坂。

 それはありがたいんだが、この状況から早く逃げ去りたい。

 

「ま、まあな」

「でも、なんの取材しているんですか?」

 質問攻めだな、ちきしょう!

「ら、ラブコメだ……」

「ラブコメ? それって取材する必要あります?」

 す、鋭い。

 

「俺は恋愛経験がない……なのでヒロインのモデルを探していたんだ」

「ってことは相手は女の子ですか!」

 めっさキレてはるやん。

「そういうことだ……」

「……」

 うつむいて黙り込む赤坂。

 

「あの……赤坂さん?」

 視線を戻したかと思うと俺のスマホをぶんどる。

「あ……」

 

 赤坂はキーッ! と猿のように声を上げて怒り狂う。

 人様のスマホを勝手に見てはいけませんってお母さんに習ってないの?

 

「誰です? この可愛い子?」

 目ぇ! 目が怖いって!

 冷たすぎるだろ、恩人に向ける視線かよ。

 

「アンナちゃん……です」

「へえ、私のことは上の名前で呼ぶくせに、『アンナちゃん』ですか?」

 なにこれ? 俺ってば、今から襲われるの?

 

「アンナちゃん、アンナちゃん、アンナちゃん、アンナちゃん、アンナちゃん……」

 ブツブツと念仏のように俺の取材対象の名を連呼している。

 

 怖い~!

 

 

 

 

 



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65 修羅の国

 リアルJKこと赤坂 ひなたはスマホ画面を見つつ、身体をプルプルと震わせている。

 古賀 アンナの自撮り写真を見て、なぜか激怒している。

 

「センパイ! 一体、誰なんですか!? この可愛い女の子!」

 そう言って、アンナの写真を見せつける。

 俺のスマホなんだけどなぁ。

 

「だから言っているだろ。俺の仕事に協力してもらっている相手だ。ただの取材対象に過ぎない」

 まあ事実だからな。

「取材対象にしては可愛くしすぎです! なんなの!? フリルだらけでピンクまみれのファッション! しかもツインテールとか、あざとすぎです!」

 いや、容赦ないな……相手は男なんだから、もうちょっと優しくしようぜ?

 

「なあそろそろスマホ返してくれるか?」

「……」

 今度は無言か。

 女という生き物はわからんな。

 

「ムカつく!」

「へ?」

 なにを思ったのか、赤坂は俺のスマホをポチポチといじり出した。

 おいおい、人様のスマホを勝手にいじってはいけませんよ?

 

「このアンナって子がセンパイの書くラブコメのヒロインなんですよね!? なら……それなら、私だって立派な取材対象ですよ!」

 そう言うと、赤坂は寝ている俺の身体に勢いよく飛び掛かる。

「うっ!」

「これでよし!」

 なにがいいの?

 君の股間と俺の股間がリンクしているんだが?

 

「赤坂! なにをする!?」

「じ・ど・り♪」

「は?」

 馬乗りのまま、スマホを天井に向けて、仲良くツーショット。

 これが世に言う騎乗位というやつか。

 しかも赤坂はバスタオル姿。

 なんかピンクな接待を受けていませんか?

 

「お、おい! お前、裸だろうが!」

「へ? なにを言っているんですか? 下着なら着てますよ?」

「そう言う問題じゃない!」

「ラブコメに重要なドキドキな展開ですよ♪ ヒロインが二人いても良くないですか?」

「はぁ?」

「だいたいアンナとか言う子はハーフという時点でアウトです。チートです」

 人種差別すな!

 

「なので、この赤坂 ひなたがセンパイの恋愛経験に協力させていただきます」

「え……」

 いらないってば! アンナちゃんでお腹いっぱいだもん!

 

「大丈夫ですよ……わ、私だってまだ経験したこと……ないですもん」

 なに人にマウント取りながら、恥ずかしがっていやがるんですか?

 顔を赤らめても、こっちの方が襲われているから怖いよ。

「あ、あのなぁ……」

 俺が困っているのも無視して、赤坂 ひなたは話を勝手に進める。

 

「ので! この写真をアンナちゃんに送信っと!」

 意地悪そうな顔で微笑む赤坂。

「ちょ、ちょっ待てよ!」

「あ、もう送っちゃいました♪」

 詰んだ……。

 もう俺は知らん!

 

 ピコン! 

 

 案の定、0.5秒ほどで返信が来る。

 

「どうぞ、センパイ♪」

 スマホをやっと返す赤坂。なぜか笑顔なのが怖い。

 黙って受け取ると、通知音の嵐。

 

 ピコン! ピコンピコン! ピコピコピコピコピコピコピコピコ……。

 

 通知音さんが激おこぷんぷん丸じゃねーか。

 

『ねぇ、タッくん……さっきの写真なに?』

『妹さん?』

『タッくん、襲われているの?』

『アンナが今から助けにいくよ!』

『今、お家を出たよ。どこにいるの!?』

 

 おいおい、酷いことになってはるやん。

 このまま放置しておけば、警察沙汰になってしまうな。

 それだけは避けたい。

 

「赤坂、ちょっと降りてくれ。電話をしたい」

「嫌でーす。電話ならこのままでもできると思います♪」

 性悪女めが、笑顔が怖いんじゃ!

 

「ったく、静かにしてろよ」

「アンナちゃんに電話するんですか?」

「そうだが?」

「ならいいんです♪」

「は?」

 

 俺は赤坂の言動が気にかかったが、とりあえずアンナに電話することにした。

 

「もしもし、アンナか?」

『あっ! タッくん、一体どうしたの!? 顔が腫れてたし、なんか知らない女の子がタッくんをいじめたの!?』

 よくあの一枚の写真でそこまで情報をインプットできたな……。

「いや、あの子が男に襲われていたところを俺が助けたにすぎない」

『よかったぁ……でも、タッくん……なんで女の子がタッくんとベッドで仲良くしているの?』

 後半、ちとミハイルくんが出てきてドスのきいた声だった。

 

「な、仲良くなんかしてないぞ? あれはその……あれだ…」

『なあに?』

 こ、こえええ。

「あの子が看病してくれていてな?」

『看病するのにまたがる必要あるかな☆』

 こ、怖いっす!

『事情はあとで聞くからその場所を教えて☆』

 乗り込む気や! カチコミや、親分!

 今、この二人が鉢合わせたら流血もんだろ……。

 

「そ、それは無理だ。アンナ……」

『なんで?』

 さ、サイコパスじゃん。

 

「セン~パイ~」

 割り込む赤坂。

「し、静かにしとけったろ!」

『誰?』

 冷たーい声。凍りつきそう。

「私、髪がびしょ濡れなんですぅ。ドライヤーかけてくれません?」

 

 ボカン!!!

 

 何かがブッ壊れる音がした。

 

「ア、アンナ? 大丈夫か?」

『……』

 応答なし、通話終了したんけ?

「セン~パイ~ 早くしてください~ お風呂上がったばっかり、な・ん・だ・か・ら♪」

 

 ドカッ! ボカッ! バキッ! グエッ!

 

 な、何に当たっているんだ? 最後は人の声が……。

 

『タッくん、アンナに何か隠し事してない?』

 優しい口調だが、とても怖いです。アンナさん。

「え……」

『今後のアンナとタッくんの取材にも支障が出たら良くないでしょ? ウソをついちゃダメよ☆』

「りょ、了解……」

『だからぁ……今から会いに行っていい?』

 病んでません?

 

「そ、それはちょっと今は無理だ。明日じゃダメか?」

『ダ・メ☆』

 ひえええ!

 

「センパイ……もう話が長すぎ」

 赤坂は俺に馬乗りのまま、両腕を組んでふんぞり返っている。

「貸して!」

「あっ! まだ話をしている最中……」

 と言いかけたが時すでに遅し。

 スマホをタップして、通話を強制遮断。

 

 そして、歌いだすアイドル声優のYUIKAちゃん。

 曲はおなじみの『幸せセンセー』。

 癒されるぅ~ この修羅場だと……。

 着信音をYUIKAちゃんにしていた数か月前の俺氏、グッジョブ!

 

「あーうるさい」

 冷たい眼で俺のスマホを睨みつける。

「えい♪」

 YUIKAちゃんの歌声がブツン!と途切れる。

 

「おまえ……なにをした?」

「電源切っちゃいました♪ ストーカーはこうやって対処するんですよ? センパイ♪」

 いや、お前の顔を鏡で確かめてみろよ。

 ストーカーだろうが。

 

「さあ今から取材のはじまりですね♪」

 

 か、帰りたい……。



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66 替え玉一杯は無料!

「ふ~ん、ふ~ん♪」

 鼻歌交じりで赤坂 ひなたは洗面所で着替えている。

 もちろん、ドアは閉めてあるのだが……。

 

 なんか気分は童貞を捨てた感がある。

 事後というか……背徳感がパネェ。

 

「お待たせしました!」

 勢いよく引き戸を開く。

 あーら不思議、立派なリアルJKの出来上がり!

 相変わらずの校則違反しまくりなミニ丈。

 このJKが先ほどまで俺の股間とリンクしていたとは……(服の上からだが)

 思わず生唾ゴックン!

 

「じゃ、じゃあ、帰るか」

 俺の身体は回復しつつあった。

 少しの頭痛が残っていたが、赤坂から鎮痛剤をもらい、効きはじめたのだろう。

 

 まさかこの俺が制服を着たJKとラブホに入るとはな……。

 確かに取材の一つになるだろう。

 だが、相手が赤坂というのが引っかかる。

 

「どうしたんですか? センパイ?」

「い、いや……別に」

 なんとなく、頬が熱くなる。

「変なセンパイ」

 

 赤坂にホテルの支払いを聞くと「入るときに払った」という。

 金額を聞き、俺が財布から野口英世さんを数枚渡す。

 なかなか彼女は受け取ろうとしなかった。

 理由を尋ねると「貸しにしておきます」と答える。

 

 なんでじゃろ?

 

 

「本当にいいのか?」

「はい。今度、センパイと取材できる日が楽しみです♪」

「え?」

「だって私も取材対象の一人じゃないですか~」

 笑顔がこわっ!

「そ、そうか……」

 

 俺と赤坂はホテルの部屋から出る。

 細い廊下を真っすぐ歩くとエレベーターが見えた。

 歩きながらいたる所に扉が配置されていることに気がつく。

 各部屋の上には番号が割り振って有り、ナンバープレートが点灯している。

 見たところ、俺たちを含めてこの階は満室のようだった。

 

 そんなにおせっせしたいか!?

 

 エレベーターのボタンを押し、なんとなくドキドキする。

 赤坂をチラ見すると、彼女も同様に頬を赤らめている。

 きっと俺を助けたい一心で、ラブホに入ったのだろう。

 帰るときの恥なんざ、頭になかったんだろうな。

 

 チンッ!

 

 とエレベーターがご到着。

 

「あっ……」

 全く知らないカップルだった。

 大人しそうな若い女性と、ひ弱そうな男。

 

 特に男の方は赤坂が制服を着用しているせいもあって、「変なものを見てしまった」という顔で驚いていた。

 互いにすれ違いざまに「すみません」と会釈し、エレベーターを出入りする。

 

 というか、俺たちが出たばかりなのに、もう入室するのか?

 ラブホってそんなに回転率高いの?

 儲かりそう……よし起業しよう!

 

 ラブホから出ると、『先ほど』の現場に舞い戻った。

 福間と赤坂が揉めていた道路だ。

 アスファルトに目をやると、俺の血痕がわずかに残っていた。

 

 

「腹減らないか?」

「あ、そう……ですね」

 別に腹が減っていたわけじゃない。

 ただ、なんとなく気まずい雰囲気から逃げたかったんだ。

 

 めんどくさいので、俺の行きつけの店にする。

 ラブホの目の前のラーメン屋、『博多亭』

 というか、元々ここで一杯食べていくつもりだったからな。

 

「ここでいいか?」

「え……はじめてなのに、ラーメン?」

 ラーメンじゃ不満ってか!

 

「なんだ? 赤坂は豚骨ラーメン食べたことないのか?」

「ありますよ! 博多っ子なら食べるに決まっているじゃないですか!」

 ならば、純情であれ!

 

「じゃあいいだろ?」

「いいですけど……もっとムードが……」

 ぼそぼそと喋るので、俺はめんどくさくなってきた。

 

「なら帰るか?」

「あっ、待って! 食べます!」

「あー言えばこう言うヤツだな」

「センパイって女子に冷たくないですか?」

「別に」

「いじわる!」

 

 ~10分後~

 

「うーん、ここのラーメン、おいしいですねぇ♪」

 満面の笑みでラーメンをすする赤坂。

 さっきのムード重視発言はどうした?

 良い顔でラーメン食いやがって。

 なんだか、紹介した俺まで嬉しくなっちゃうだろ。

 

「フッ、この天才が見つけた秘境だからな」

「そこセンパイが自慢するところですか? 素直にこのお店のラーメンが美味しいって分かち合えばいいのに……」

 ええ、強要されたくない。

 

「あ、餃子も食べたくなってきちゃった」

「食えばいいだろ?」

「だって……」

 なぜか頬を赤らめる。

 

「大将! 餃子を一つ!」

「ヘイ、ありがとうございます!」

 俺が頼み終えると赤坂は不服そうな顔をする。

 

「どうした?」

「女の子が餃子を食べるときはもっと慎重にしてください!」

「なんで?」

「ホンット! センパイってデリカシーがないんですね」

 なにそれ? 美味しいの?

 

「いいですか? 餃子を食べたらニンニクの匂いがつくでしょ?」

「だったらどうした? ラーメンにもニンニクをたっぷり入れたらうまいぞ?」

 そう言って、俺は近くにあった下ろしニンニクをラーメンへ大量にぶち込む。

「はぁ……センパイに言った私がバカでした」

 

「ヘイ! 餃子お待ち!」

 店の大将が俺たちのテーブルに餃子を置く。

 

「うわぁ! 美味しそう!」

 怒ったり、喜んだり、忙しいやつだな。

 

「ところで赤坂」

「はい? なんでしょ?」

「お前の家はどこだ?」

「ブッ!」

 吹き出す赤坂。麺と汁が俺の顔にブッ掛かる。

 

「きったねぇな!」

「げほっげほっ! だってセンパイ……うちに…来たいんでしょ?」

「アホか」

 俺は持っていたタケノブルーのハンカチで顔を拭く。

 

「もう遅いだろ? 送るっていってんだ」

「え……どうして?」

 目を丸くして箸を止める。

 

「そりゃ、お前が女の子だからな……」

 ラーメンがうまい! うまい!

「女の……子……」

 絶句している赤坂を無視して、俺は大将に「替え玉、バリカタで!」と注文追加。

 

「ズルいですよ……こんなときだけ女の子扱いなんて……」

 なにをモジモジしとるか? 麺が伸びるぞ。

 

「別に。俺はこう見えて紳士だからな。マナーだろ?」

「私はそんな扱いされたことないですから……」

 そうか、こいつも曲がったことが大嫌いな性格だったな。

 まあこんな可愛げのないボーイッシュなJKは女の子扱いされないのも理解できる。

 

「誰と比較しているのか知らんが、俺は赤坂を女の子として対応している」

 言いながらも、大将が湯切りで持ってきたホカホカの替え玉をスタンバイ!

 替え玉をスープに入れてもらい、ズルズルとすする。

 やっぱうめえわ、この店。

 

「赤坂っていうのやめてください……女の子として扱ってくれるなら、下の名前で」

 口に手をやり、頬を赤らめる。

「え?」

「あの……ひなたって呼んでください!」

 いきなり叫ぶので、ラーメンを吹き出しそうになってしまった。

 

「りょ、了解……ところで、早くラーメンを食べろ。伸びるぞ」

「あっ、勿体なか!」

 そこで博多弁使うかね……。

 

 俺と赤坂……じゃなかった。ひなたはこのあとめちゃくちゃ替え玉しまくった。



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67 博多あるある

 俺とひなたは支払いを割り勘で済ますと、博多駅へと足を向けた。

 

 外は既に真っ暗。

 スマホを強制的に電源を切られたため、時間は知らんが20時は超えているだろうな。

 

 博多駅は駅の上に高層ビルが複数連なっている。

 左からバスターミナル、博多シティ、KIDE、JPビルの順だ。

 この三つだけでもかなりの敷地を使っているのだが、まだまだ合体し足りないようだ。

 博多駅を増築しまくる計画があるのだとか……。

 

「随分、変わったな……この街も」

 ふと寂しさを感じる。

 

「なんですか、センパイ。おっさん臭い」

 おらぁ、まだそんな年じゃねぇ!

「いや、博多駅がここまで変わっていくのに……自分は変化がないと思ってな」

「……やだなぁ、センパイは十分変わってますって!」

 といつつ、人の背中をバシバシと叩くひなた。

 

「いってぇ……なあさっき聞きかけたがひなたの家はどこだ?」

「い、今なんて言いました?」

 顔を赤らめるひなた。

「え、家」

「違いますよ! その……な、なま……」

「だから家」

「知らない!」

 こいつは本当に忙しい女だな。

 

「家は梶木(かじき)です」

 梶木とは俺の住む真島から二駅離れた地区だ。(博多寄り)

 

「なるほど。俺と近いな」

「え? センパイはどこなんですか?」

「俺は真島だ」

「うわ! 自転車で行けるレベルじゃないですかぁ~」

 中学生かよ。

「まあそうだな」

 俺は自転車ではいかんが。

 

 改札口を通り、列車に乗る。

 列車は空席が目立つ。

 二人してお見合いの形で対面式に座る。

 

「真島って有名な店がありますよねぇ」

「そんなんあるか?」

「えっと……BLってわかります?」

 わかるよ、嫌気がさすぐらい。

「痛いBLショップがあるって三ツ橋高校では有名なんですよね。店主はガチホモで、その子供もホモガキ。それから、これは裏情報ですけど……店のトイレではハッテン場にもなっているとか?」

 噂に尾ひれ! 尾ひれつけ過ぎィ!

 

「へ、へぇ……その店の名前はなにかな?」

「確か……貴腐人」

「それ、俺のかーさんの店」

「……ウソ」

「ホント」

「「……」」

 

 それからひなたのやつは、なにかを察したのか無言を貫いた。

 

『梶木~ 梶木~』

 

「じゃ、下りるか?」

「え、いいですよ。わざわざ下りなくても……」

「いや、夜道を女子一人で歩かせるのは、俺のルールに反する」

 紳士的判断!

 

「そんな……いつも塾帰りとか…これぐらいの時間になるのに……ブツブツ」

 なにをボソッと喋りよるか。ハッキリ言わんか。

 

 俺とひなたは列車から下りると、梶木駅の改札口を出る。

 

「家は近いのか?」

「歩いて10分ぐらいです」

 頬を紅く染めて、一歩後ろにさがる。

 なんでこんな時は遠慮がちかね?

 

 梶木駅も博多駅まではデカくないが、ビルと駅舎が一体化しており、複数の店がある。

 

 駅ビルを出て、『セピア通り』をしばらくまっすぐ歩く。

 少しすると左手に回り、『梶木キラキラ商店街』に入った。

 

 地元の真島商店街とは違い、道幅も広く、店もオサレ~なのが多い。

 しかも、真島より商店街の規模がデカい。

 商店街の入り口から長~い道のりだ。

 なので、出口がすぐには見えない。

 

「くっ! 真島の負けだ!」

「なにがです? 真島もいいところじゃないですか」

「嫌味に聞こえるが」

「だって同じ福岡市じゃないですか」

 嘲笑すんな。

 かっぺムカつく!

 やはり梶木民は福岡市民としての民度が高い。

 

 俺らが住んでいるギリギリ福岡市内の真島とは大違いだ。

 店もオサレ度も段違いだ。

 

 福岡市民……いや福岡県民は地区ごとにおいて、競争意識や地区によって差別しがちだ。

 博多や天神、大名に近いほどステータスを感じていいのだ。

 

 梶木は博多からそんなに近いわけではない。

 だが、昔から何かとオサレ度が高いことで有名だ。

 居酒屋もレパートリー多いし、オサレな古着屋、もっちゃん饅頭とか……。

 度々、ローカルテレビ局にて取材される街なのだ。

 

「しかし梶木もまた色々と変わったな」

「いちいちおっさん臭いですよ」

 

 梶木キラキラ商店街を抜けると、真島にもあるスーパー『ニコニコデイ 梶木店』が見えた。

 

「ほう、梶木にもニコニコデイが進出しているとは」

「失礼なニコニコデイぐらいありますよ!」

 ぐらいとはなんだ! これだから梶木民は!

 

 ニコニコデイの前には大型道路、国道3号線が流れている。

 

 大型の立体交差点があり、横断歩道がないため、強制的に歩道橋をあがる。

 歩道橋を渡ると、博多湾に隣接する梶木浜方面へと進む。

 

 梶木駅と梶木浜の中間ぐらいに、ひなたの住む家があった。

 比較的新しい建物で、オートロック式のマンション。

 しかもかなりの高層建築。

 

 チッ! なぜ人間は空を飛べないくせに、天空へと近づきたがる?

 お城が宙に浮いているとでも言いたいのか?

 

「あ、ここまでいいですよ♪」

「ふむ、そうか……しかし、デカいマンションだな」

「私は産まれてからずっとこのマンションですよ?」

「お値段のほどは?」

「そ、それは知らないです……パパが買ったので」

 買ったってことはもうローン払いおわってんのか!?

 それとも一括払いですか?

 

「そう言えば、有名人もたくさん住んでいるんですよ」

「は?」

「ミュージシャンとかお笑い芸人とか……」

「どうせローカルだろ」

 これ博多あるある。

 

「違いますってば! 東京の方々ですよ♪」

 めっさ笑ってはる。

 どうせ真島に芸能人は来ませんよ!

 

「じゃあな」

 バリムカついたので背を向ける。

「あっ、待ってください!」

 呼び止められて、振り返るとひなたは手にスマホを握っていた。

 

「あ、あの……L●NE交換しませんか?」

「ダメだ」

「……なんでですか!? アンナちゃんとは交換してたじゃないですか!?」

「L●NEは既読スルーという、いじめが横行しているのを知らんのか?」

 ダメ、ゼッタイ!

 

「しませんよ! そんなこと……」

「まあどちらにしろ、アンナとしか連絡できないように設定している……らしい」

「はぁ!?」

 ブチギレですやん。

「仕方ないだろ。特殊な取材対象でな。電話番号とメルアドなら構わんぞ?」

「今時、電話とかメルアドとか古くないですか!?」

 悪かったな! 古くて!

 

 俺は口頭で、自身の連絡先をひなたに教えた。

 ひなたは不満げにブツブツとぼやきながら、マンションの中に入っていった。

 

 彼女が帰ったことを確認すると、やっとのことでスマホの電源を入れる。

 

 起動した瞬間だった。

 

 YUIKAちゃんの可愛らしい歌声が……あ~癒されるぅ~

 のも束の間。

 着信名、アンナ。

 忘れてた……てへぺろ☆

 

 

 



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第十章 反逆の男の娘
68 アンチ女子、アンナ


『タッくんのバカッ!』

 電話を出た瞬間、アンナからのお叱りを受けた。

 

「す、すまん……」

『なんでスマホの電源切るの!? アンナがそんなに嫌いなの?』

 怒ってはいるが、泣いてもいるようだ。

 声が震えている。

 どうやらかなり心配させてしまったらしい。

 罪悪感が湧く。

 

「ち、違うんだ…アンナ、落ち着いて聞いてくれ」

『バカッ! タッくんのバカちんがっ!』

 あ~、例の熱血先生のものまね?

 

『心配したんだからね!? なんであんな女の子と仲良くしてたの!?』

 フラバるラブホ。

「あれは……その偶然なんだ。そう、事故だよ」

 なんかアタフタしてダサイな、今の俺。

 これが噂に聞く浮気男の言い訳か?

 

『今、どこ!? あの女は!?』

「家まで送ったよ。もういない。俺は今、梶木だ」

『……家まで送ったの? アンナの家にはまだ来てないのに』

 ドス聞いた声で超怖いじゃん、アンナさん。

 それにあーたの家には行ったことあるでしょ? ミハイルさん。

 

「すまない……」

『アンナのタッくんを盗ろうとするなんて、最低っ!』

 ええ……いつからアンナさんの所有物になったんすか?

 

『明日!』

「なにが?」

『明日、アンナと取材して!』

 は? 頭、壊れてない?

 

「取材? どこに?」

『もちろん、あのあざとい女と行ったところ!』

「え……どこのこと?」

『なんか大きなベッドのあるところ!』

「そ、それは……行けないと思うぞ」

『なに? あの子とは行けて、アンナとは行けない場所なの?』

「いや、行けなくはないが……場所が場所なだけにな」

『取材だからいいの! じゃあ明日のお昼ごろに行こうね☆』

 俺が返答する間もなく、一方的に電話を切られてしまった。

 

「……」

 深呼吸したのち……。

 

「えええええ!? 男同士でラブホにいくのおぉ!?」

 

 気がつくと、俺は梶木の夜空に向かって叫んでいた。

 

 

 ~次の日~

 

 俺はアンナにひなたと過ごした場所を、しつこくL●NEで聞かれたが、恥ずかしいというか、罪悪感からラブホであることを伝えらえれずにいた。

 そして、博多駅周辺であることだけは伝えられた。

 アンナはそれを聞いて喜び、「楽しみだね☆」とメッセージ。

 なにを期待しとるんじゃ、この子。

 

 とりあえず、午前11時頃に博多駅に『黒田節の像』で待ち合わせになった。

 

 スマホを見ると現在の時刻は『9:23』。

 まだ時間に余裕があるな。

 自室のデスクの上にノートPCを開き、久々にタイピングする。

 が……昨晩のひなたとの出来事を思い出してしまい、筆がとまる。

 彼女が言った通り、アンナの対抗馬としてサブヒロインとして取材もありかな。

 そうこう考えているうちに頭がぐちゃぐちゃになってしまった。

 

 ふと思う。

 一体、俺はなにをやっているんだろう?

 最近は博多駅にばかり行っている。

 一ツ橋高校へ入学するまではそんなに足を運ばなかったのに……。

 財布を取り出すと野口英世さんが2人。

 金が気になり、担当編集の白金に電話をした。

 

 

「なあ、取材は経費で落ちるか?」

『うーん、取材の内容によりますよ? 映画のDVDとかタケノブルーは自分で買ってくだいねぇ~』

 どうでもいい感じで話しやがる。

 こいつ、鼻をほじってるだろ。

 

「今回のは真面目だ」

『へぇ~ エロゲとか? YUIKAちゃんの新曲?』

 ムカつく!

 俺はエロゲは全部既読関係なしに全スキップするタイプなんだよ!

 YUIKAちゃんの新曲は予約したわ!

 

「違う! その……以前話したヒロインとの取材費だ」

『というと?』

「今回はラブホテルだ……」

『ブッ!』

 どうやら何かを飲んでいたらしい。吹き出す音が聞こえる。

 

『な、なにを言っているんですか! ヤルならてめぇの金で払いなさい!』

 的を得ているのだが、後半は私情が入っているな。

「ヤラないよ。ラブコメのためにラブホテルがどんなところ見てみたいんだ……見るだけだよ」

『本当に見るだけですか?』

 えらく冷たい声だな。見るだけに決まってんだろ。男同士なんだから。

 

「ああ、見るだけだ。取材対象と行く」

『なんだと、このクソウンコ小説家! のろけかよ!?』

 いやいや、のろけるわけにはいかないからね。

 

「勘違いするな。彼女はあくまで俺の取材対象であり、恋愛関係には至らない……というか至れない」

『ど、どういうことです? センセイの童貞を捨てるチャンスなのに!?』

 俺の童貞喪失は俺が決める!

 

「それで、今後の彼女との取材……つまりデートは経費で落ちるか?」

『難しいところですね。だってまだ原稿も書けてないでしょ』

「う……」

『ほら見てください。そうですねぇ~ じゃあ今回の取材に関してはレアイベントなので、経費で落としましょう。センセイにはもう二度と行くことのない場所ですから』

 殺す!

 

「助かる」

『ですが、今回までです。それまでに原稿を短編レベルでいいので書き上げてください。それが編集長のお目にかなうのならば、そのまま来月の『ゲゲゲマガジン』に掲載したいと思います』

 ゲッ!

 

「ま、マジか……」

『大マジです! 正直いってDOセンセイのブームはもう去ったんですよ? オワコン作家なのに編集部の恩情でどうにか経費で落としてあげている存在なんですから。もうこれは最後の賭けなんです』

 俺ってそこまで切羽詰まってたの!?

 

「つまり今回のラブコメが売れなかったら……」

『ええ、博多社ではもうセンセイの面倒は見れません。その時はオンライン小説にでもあげてくださいな』

 サラッと酷いこと言いやがるな……だが、ピンチはチャンス!

 怒りも湧いてくるが、同時に作家としての意地が炎上する。

 燃えてきたぜ。

 

「いいだろう。必ずモノにしてやる」

『へっ、ダンナも物書きの端くれってことっすね』

 うるせー! 人がカッコよく決めたのに!

 

「俺は今から取材に行ってくる、じゃあな」

 そう言って、電話を切ろうとした瞬間、白金のキンキン声が俺を呼び止める。

 

『ま、待ってください!』

「なんだ?」

『もし事に及んだときはちゃんと、避妊しないとダメですよ♪』

 

 ブチッ! 雑に切ってやった。

 

「ふぅ……」

 男同士で赤ちゃんって作れたんですかねぇ~



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69 ボタンを押すのをためらいがち…

 俺は昨日の今日で博多駅に舞い戻っていた。

 一体何回、博多にくれば気が済むんだ?

 

 初デートのときのように黒田節の像の前で待つ。

 遅い……。

 待ち合わせ時間は10時なんだが。

 かれこれ、30分も待っている。

 なぜミハイルのときは俺より1時間ぐらい早くついているストーカー仕様なのに、アンナのときはこんなに時間がかかるんだ?

 

「お、お待たせ!」

「……」

 思わず見とれてしまった。

 

 オフショルダーのブラウスにチェック柄のプリーツミニスカート。

 前回会った時よりもアンナの白く透き通った素肌が、自然と目に入る。

 ドキドキが止まらない。

 

「どうしたの? タッくん?」

 首をかしげて俺の顔をのぞきこむ。

 

「いや……可愛いなって、思って」

「ホント? この服、タッくんが嫌いじゃないかって心配だったんだぁ」

 そっちじゃないって。

 おめーさんだよ。

 

「じゃ、じゃあ行こうか?」

「うん☆ ところでどこにいくの?」

 い、言えね~

 ラブホだよ☆ とでもいえばいいのか?

 

「そうだな……まあ個室だ」

 間違ってはいないぞ、俺。

「個室? ご飯屋さん? カラオケとか?」

 健全すぎて草。

 

「着いてからのお楽しみだ」

「ふーん」

 アンナは何も知らない。

 いや、知らなくてもいいことを知ろうとしているのだ。

 ねーちゃんのヴィッキーちゃんにバレたら殺されそう。

 

 俺はアンナと一緒に例の場所へ向かった。

 

 前回、ひなたと行ったときは俺からラブホに誘ったわけではないので、システムなどまったくわからん。

 初心者。

 わたし……はじめてなの。

 

 ラブホテルの前につくと、アンナの顔は真っ青になっていた。

「これって……」

「ああ、ラブ……ホテルだ」

「そ、そうだったんだ……」

 ドン引きじゃないですか。

 

「誤解するなよ、アンナ。俺はこの前、ひなたというJKを助けて、気絶していたところを介抱するために担ぎ込まれたにすぎない。なにもしていないぞ?」

 アンナが顔をしかめる。

「ひなた?」

 ちょっと、アンナさん? 顔がオコだよ? 可愛い顔しているけどさ。

「ああ、この前助けたJKだよ。俺の通っている一ツ橋高校の全日制コースの生徒だ」

「そうじゃなくて、なんで下の名前?」

 声が冷たい!

 

「いや……赤坂 ひなたって言うんだがな。彼女が下の名前で呼べと言うんだ。なんでもひなたは俺のラブコメ作品の取材対象になりたいそうだ」

 俺がそう言うと、アンナは黙ってうつむく。

 元気がないようには思えない。

 冷たい風が彼女の美しい金色の髪を揺らす。

 拳を作り、なにかを決意したように見える。

 

「許さない……アンナのタッくんを……」

 俺の勘違いだとは思うが、彼女の目から燃え盛る炎を感じた。

 

「いく!」

「へ?」

「ひなたっていう子がタッくんのはじめてを奪っていいわけがない!」

 その言い方だと誤解されません?

 俺、まだ童貞ですよ。キスもしたことないのに。

 

「さ、早く入ろう!」

 アンナは俺の手を強く握りしめる。

 嬉しいんだが、握力よ。痛すぎる。

 こういうところは男だよな。

 

「ちょ、ちょっと待て。アンナ」

「なに?」

 目、目が怖いって。

「わかっているのか? ラブホテルだぞ? 俺とアンナはまだ出会って2回目だ。初回から取材するには早すぎないか?」

 だって2回目でヤッちゃうビッチってことだぜ?

 

「なにか問題ある?」

 サイコパスじゃん。

 俺の意思は?

「さ、早く入りましょ☆」

「は、はい……」

 俺は彼女の圧に耐え切れず、強引にラブホテルの門をくぐった。

 

 中に入ると異様な空気が漂っていた。

 なんというか、ムンムンした感じ?

 熱気を感じる。

 それに換気されてないのか、嫌な臭いがする。

 俗に言うイカ臭いってやつ?

 

 アンナを見ると勢いで入ったはいいが、やはり緊張していて、縮こまっている。

 ガッチガチじゃん。

 

「大丈夫か、アンナ? やはり出ようか?」

「だ、だいじょうぶ……だよ?」

 額から汗が滝のように流れているんだが。

「チェックインしましょ……」

「ふむ…」

 合意のないホテルへの連れ込みはタブーと聞くが、これはアンナの許可をもらったと思っていいのだろうか?

 

 入口近くにタッチパネルがあり、部屋の番号と室内の写真が表示されていた。

 明るく光っている部屋が空いているようで、暗くなっているところは使用中……ということか。

 まあ、昼間から元気ねぇ~

 

 空いている部屋は1つのみ。

 一番上の階でなにやら、豪華な部屋だ。

 ベッドもダブルベッドが二つもあり、ジャグジー、スロット機、大型テレビ完備。

 ちょっとしたホテルより豪華じゃん。

 値段を見ると一万円……。

 マジかよ! ふっざけんなよ。

 貯金下ろしといてよかったぁ。

 

 俺はボタンを押して、少し奥にある受付に向かった。

 受付の人間は見えず、スモークガラスによって従業員の顔も俺たちの顔も互いに確認できないようになっている。

 どうしていいか、わからず突っ立っているとガラスの向こうから声をかけられた。

「一万円になります」

 ガラスの下の部分から手がニョキッと出てきて、トレイが雑に出される。

 感じ悪いな。

「領収書もらえます?」

「はぁ? ないですよ、そんなもん」

 ま、マジかよ。領収書は自分で書いてしまえ!

 一万円も払えるか。

 

 俺は支払いを済ませ、アンナと共にエレベーターへ向かう。

 一番上の階は6階。

 最上階だ。

 

 エレベーターが開いたとき、やはり前回のように別のカップルと鉢合わせする。

 一人は中年のおっさん。パートナーには不釣り合いの若いお姉さん。

 脂ののった中年はかなりダサい。

 対してお姉さんはタイトなミニスカで戦闘力が高い。

 夫婦じゃないな……いけない関係じゃね?

 

「おっと、ごめんね」

 ニヤつくおっさん。

 そう言うと、お姉さんの肩を抱いて立ち去ろうとする。

 だが、すれ違いざま、隣にいたアンナを見て、舌なめずりしていた。

 キモッ!

 だが、こいつは男だぞ?

 

 俺とアンナはエレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。

 アンナはラブホテルに入ってから無言を貫いている。

 顔を真っ赤にしてうつむいているのだ。

 そりゃそうだろ、勢いだもんな。

 

「本当にいいのか? アンナ」

 再度、確認する。

 あとから文句を言われたら、困るしな。

「い、いいよ……タッくんの好きなことは全部、好き…だから」

 俺がいつラブホテルを好きって言ったかね?

「そうか…」

 

 チンッ! とベルが鳴り、目的地についたお知らせを受ける。

 

 6階につくと、前回とは違い、廊下が短いことが確認できた。

 そのことから一万円という高額な意味を一瞬で理解する。

 この部屋、いやこの階を貸し切り状態なのだ。

 広大な敷地を全部、俺たちが一万円で借りたのだ。

 所謂、VIPルームとかいうやつだな。

 

 扉の上の表札がチカチカと点灯している。

「来いよぉ 早くやっちまえよ~」とでも言いたげだな。

 

 俺はドアノブに手を回した。

 扉を開き、固まっているアンナを見つめる。

「さ、入ろう」

「うん……」

 入るときと状態が逆転してしまったな。

 こういうところは俺が率先してやってあげないと。

 

 あれ? 俺、アンナのことをガチで女の子扱いしてない?



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70 男の娘にも衣装

「は、入っちゃったね……」

 そんな床ちゃんとお友達で顔を真っ赤にさせちゃって。

 これじゃミハイルのときと変わらんぜ?

 無理をさせてしまって、なんだか申し訳ない。

「そうだな、まあ取材だからな」

「うん……」

 俺は2回目ということもあってか割と落ち着いていた。

 

「まあ座ろう」

「そうだね……」

 顔が引きつっとるよ? 2回目の取材がラブホとかイキスギィ~なカノジョさんだよね。

 

 アンナをソファーに座らせると俺はリュックサックを床に置いて、一人で部屋を探索することにした。

 

 部屋の中は豪華なシャンデリアにダブルベッドが二つ……4人でするの?

 それからスロット機も2台。大型テレビが一台。

 奥に入るとなぜか風呂が二つもあった。

 一つはごく普通の浴室。もう一方はガラスで室内から丸見えのスケベなジャグジーだ。

 ラブホ初心者が入るべきところじゃなかったな……。

 この部屋はきっと乱交パーティーにでも使われる所なのでは?

 

 一通り部屋を物色すると、アンナの元へ戻る。

 当の本人はガチガチに固まっており、時折「ネッキーが一匹、2匹……」などと呟く。

 壊れちゃったよ。

 

「アンナ、大事ないか?」

「だ、大事にしてね……」

 なにを言っているんだ、この子。

「いいか? アンナが行きたいというから取材として来たが、今日は何もしないぞ?」

 一応、釘を打っておく。

 というか、少しでも安心してほしかった。

 

「な、なにもしないの?」

 ギギギッ……と軋むような音が聞こえる。

 恐らくアンナが首を回しているからだろう。

「ああ、なにもしない。だから安心しろ。俺はこう見えて紳士だ。合意のないそういう……行為は最も嫌いとする」

「タッくん……優しい」

 頬を紅く染めて、彼女はうっとりと俺を見つめる。

 見直してくれたのはありがたいが、男二人でラブホに入るのは二度とごめんだぜ。

 

「普通だろ? 合意なき行為は犯罪だ。俺は物事をハッキリさせたい性格なんだ。そんなグレーどころか真っ黒なコトは絶対にしない」

「か、かっこいい……」

「え?」

「かっこいいよ、タッくん!」

 なぜか俺の両腕を掴み、微笑む。

 こういう場所だぞ? ドキドキしちゃうだろ……。

 その気になっちゃうから、誤解することはやめてね?

 合意と見なすよ。

 

「と、取り合えず、メシでも食うか?」

 目の前のテーブルにメニューが置いてあるのに気がつく。

「うん! アンナ、ホテルでご飯食べるのはじめて☆」

 いや俺もだよ、しかもここは普通のホテルではないからね?

 

 俺はカツカレー。アンナはパスタを選んだ。

 注文を決めたので、俺がフロントに電話をかけようとしたときだった。

「ね、ねぇ……これも頼もうよ」

 振り返るとアンナは頬を赤くしていた。

 

「なんだ?」

 俺が問うと彼女は黙ってラミネートされた用紙を俺に差し出す。

 

『コスプレ 無料貸出♪』

~これでマンネリも撃退!~

 

「……」

 絶句する俺氏。

「か、勘違いしないで……一万円も払ったのに何もしないのは勿体ないでしょ?」

 ええ!? ヤル気マンマンですか!?

 

「ま、待て、アンナ。どういうことだ?」

 思わず生唾をゴックン。

「取材じゃない? アンナとタッくん……。だからこういうのも体験しておかないと小説に書けないかなぁ? って思って。ただそれだけ、何もないからホントに」

 マ、マジっすか!?

「そういうことか…それもそうだな!」

 声が裏返る。

 

「タッくんは何番がいい?」

 ちなみにコスプレの番号のこと。

 

 勇者タクトのターン。

 選択肢は8つ。

 1番喪服、2番ナース、3番セーラー服、4番婦警さん、5番レースクイーン、6番メイドさん、7番体操服(ブルマ)、8番スクール水着(90年度版)

 いや、最後だけ限定されすぎだろ。

 オーナーの趣味か?

 

 迷う……迷っちまうぜ。

 俺色にアンナを染め上げるならどうする?

 メニューと彼女を交互に見比べる。

 その回数、1秒に20回ぐらい。首が折れそう……。

 今日のファッションはとてもガーリーだ。

 なるべく彼女のイメージは壊したくない。

 喪服は絶対にないな。

 ミニスカートだったため、座っていると自然と裾が上がっていた。

 彼女の細くて色白の美しい太ももが嫌でも目に入る。

 

「タッくんの目、何かいやらしい……」

 ジト目で呆れかえるアンナさん。

 いや、ハードルあげたのご自分でしょ?

 こういう時、男ってのはテンパるもんなんすよ!

 

「む、むぅ……どれも捨てがたい」

「フフ…おかしなタッくん☆」

 嬉しそうに笑うアンナはどこか意地悪そうだ。

「俺は真剣だぞ」

 マジと書いて。

 

「ゆっくり考えて」

「そ、そうさせてもらう!」

 鼻息が荒くなる。

 レースクイーンは行き過ぎだろうな。かと言って体操服は見てみたいが彼女……いや彼の『ミハイル』さんが股間からふっくらしそう、という危険性を考慮しなければ。

 

「決めた! 6番で!」

「えっと確か…メイドさん?」

「そうだ! 俺はメイドカフェというものを知らん。だからアンナにはメイドさんになってほしい」

「いいよ☆ アンナがご奉仕してあげる☆」

 アンナさん……天使じゃないですか!

 

 こ、これは何事もなく終われるのか……?

 

 俺は右手に拳を作ると、電話を取る。

『トゥルル……ブチッ。はい、フロントです』

「あ、あの、ろ、6番!」

『は?』

「6番でおなーしゃす!」

 緊張で声がブレッブレ。

 そこへアンナがすっと横から耳打ちする。

 彼女の小さな声が俺をドキドキさせる。

「タッくん、コスプレの6番って言って」

「あ、そうだった。すいません…コスプレの6番で」

 ナイスパス、アンナちゃん。

『メイドさんでよろしかったですか?』

「はい」

『では、お部屋へお持ちいたしますので、少々お待ちください……』

 

「ふぅ……頼めたな。ありがとう、アンナ」

「ううん、私は大したことしてないよ?」

 

 だがこのあと気づくことになる、そう肝心の昼飯を頼み忘れたことを……。



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71 ドキドキファッションショー

 はじめてのラブホ飯はかなりまずかった。

 これならどっかで軽食とった方がマシってレベル。

 俺のカツカレーもうっすいカツで、駄菓子のカツじゃないよね? って怒りの電話を入れたかった。

 アンナもパスタが味が薄いと顔をしかめる始末。

 やはり『行為』優先だから味は無視か?

 

「ふぅ、あまり旨いものではなかったな」

「う、うん……」

 さすがのアンナもドン引き。

 

 しばらくすると、部屋のチャイムが鳴った。

 どうやらコスプレのご到着のようだ。

「はい、こちらです…」

 陰気なおばさんがお届け。

 目も合わさずにブツだけ渡すと足早に去っていった。

 

 やはりアレか? 俺とアンナが行為に及ぶとでも疑っているからか。

 いや、しないし無理だからね。

 

「ん? なんだこれ……」

 渡されたハンガーは二つ。

 俺たちが頼んだのは一つだけなんだが……。

 

 ドアを閉めて部屋に戻るとアンナが、チラチラとこちらをうかがっている。

 

「どうかした? タッくん……」

 頬を赤らめて、上目使い。

 可愛いやっちゃのう。

 

「いやな…頼んだのは一つなのに二つあったんだよ」

 ハンガーには薄い布で覆われていて、中が確認できなかった。

 俺が布を外すとそこには目を疑うものが……。

 

「こ、これは……」

 サテン製のピンクメイド。

 しかもかなりのミニ丈。

 パンモロになるのでは?

 

「すごい! カワイイ~☆」

 手を叩いて喜ぶアンナ。

 ああ、ピンクだからか?

 

「もう一つはなに?」

 首をかしげるアンナ。

「俺は頼んでないぞ」

「開けてみて」

「うむ…」

 俺が最後の一つを開けると、アンナは顔を真っ赤にしていた。

 

 わぁい! やったやった!

 みーんな、だいすき! スクール水着(90年度版)

 

「……」

 絶句するアンナ。

「こ、これは何かの間違いだ、アンナ。着なくていいぞ?」

 俺までうろたえる。

 ホテルの従業員め、なにをやっているんだ!?

 ちょっと嬉しいサプライズじゃないか!

 

「タッくんは……見たい?」

「え?」

「その……水着」

 身体をモジモジとさせて、こちらの顔を伺う。

 

「俺がか?」

「うん……タッくんが見たいならいいよ?」

 マ、マジで!?

 しかし、ええのんか。

 

「見てもいいのか?」

「だって、どうせそのメイドさんもかなりのミニだからパンツ見えちゃいそうだし……水着なら見えても平気だから」

 なるほど!

「ならば、依頼しよう。俺は見たい」

「じゃ、じゃあちょっと待ってて……」

 彼女は静かにハンガーを受け取ると、スッと更衣室へ向かった。

 もう覚悟を決めた顔のようだ。

 

 パタンと引き戸が閉まる音と共に、俺はベッドに腰を下ろす。

 別に行為をするわけではないのだが、胸のドキドキが止まらない。

 口から心臓が飛び出そうだ。

 

「お、落ち着け、琢人……」

 気を紛らわすため、テーブルの上にあったリモコンを取る。

「テ、テレビでも観よう」

 そう言ってボタンをつけた瞬間、モニターには真っ裸の女が……。

 

『あーーーん! すごぉぉい!』

『もっと! もっと!』

『あああ、いぎぞう! ぐるぼじょびええええええ!」

 

 俺はそっと電源を切った。

 更衣室からガタン! と何か鈍い音が聞こえる。

 アンナがこけたのだろうか?

 

「すまない、アンナ。聞こえたか?」

 俺が扉越しに声をかけた。

「ううん! き、聞こえてないよ」

 いや、絶対聞いてただろ?

 

 いかんな、俺もアンナもこの18禁の空気に飲み込まれそうだってばよ。

 

 ~10分後~

 

「お、お待たせ……」

 扉がスッと開くと、そこには可愛らしいメイドさんが立っていた。

 プロも顔負けのルックスでスカートの裾を恥ずかしそうに掴んでいる。

 頭にはプリム、胸元がザックリ開いたミニ丈メイド服、太ももを覆うオーバーニーソックス。

 完璧だ。

 

「どう? 感想は?」

「……」

 あまりの可愛さに俺は言葉を失っていた。

 

「タッくんてば」

「ああ……可愛い。すごく可愛い、世界で一番……」

 すらすらと頭に浮かんだ気持ちが、口からすべる。

「うれしい☆」

 微笑むアンナ。

 

「あれ……俺、いま変なこと言ってなかったか?」

「全然! 嬉しいことだけ☆」

「そ、そうか……なあ、アンナさえ良ければ、写真を撮ってもいいか?」

 これは帰って今夜のおかずに……いや、永久保存不可避である。

 

「え、なんに使うの?」

「それは……」

 ナニかである。

 

 しばらく俺をじっと見つめたあと、アンナはこう言った。

「ねぇ、タッくん? あのひなたって子は、アンナみたいなことしてない?」

 その目は少し意地悪そうだ。

 

「ひ、ひなた? ああ、するわけがないじゃないか!」

 思わず語気が強まる。

 だってひなたなんてどうでもいい。

 それよりも目の前のメイドさん。

 

「そうなんだ☆ じゃあたくさん撮ってね☆」

 アンナは壁の前に立つと、可愛らしくピースする。

 

「ああ、じゃあ、はじめるぞ」

 俺はもう頭のネジがゆるっゆるになっていた。

 興奮で我を忘れて、アンナに次々とポーズを要求。

 それをスマホにおさめる。

 

「じゃあ、メイドさんっぽいポーズで!」

「おかえりなさいませ、旦那様☆」

 礼儀正しく頭を垂れるメイドさん。

 ネコ耳としっぽはオプションでないのか! バカヤロー!

 

「ふ、ふむ、ただいま」

 なんとなくアンナの芝居に乗っかる俺。

「旦那様? お外でアンナ以外の女の子と仲良くしてませんか?」

「するわけないだろう」

 なにをやっているんだろう、男同士で……。

「本当ですか……? 旦那様はモテますもの」

 何を思ったのか。俺の身体に身を寄せるアンナ。

 

「旦那様に近寄る女はアンナがぶっ飛ばしてあげます☆」

 そんな可愛い顔で怖いこと言うなよ……。

 

 俺とアンナはその後も写真大会を楽しんだ。

 

「旦那様、次のポーズはどうします?」

「つ、次はネコのポーズだ!」

「にゃーん☆」

「ちーずにゃん!」

 悪ノリがすぎるだろ、俺たち。

 

「にゃんにゃん☆」

 猫のポーズで思いっきりぶりっ子するアンナ。

「まだ撮るにゃん!」

 なぜ人はネコを選ぶのだろうか?

 俺は犬派だというのに……。

 素晴らしい世界だ。

 

「タクにゃん☆」

 気がつけば、撮り続けた写真は現在105枚。

 連写モードでな。

 そして、ムービーも同時に撮っている。

 

 帰ってPCに保存しなきゃな!



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72 バブリージャグジー

 俺とアンナの悪ノリは1時間にも及んだ。

 写真を大量に連写しまくったので、スマホが熱を持つ。やけどしそうなくらい……。

 故障してもしらね!

 

 撮った写真の中には際どいものも多く、いくら下着じゃないとは言え、ブルーのパンティが丸見えだ。

 まあスク水のことだから、セーフっちゃセーフなんだが。

 

 一通り、撮り終えたところで冷蔵庫から飲み物をとる。

 俺はアイスコーヒー。アンナに聞くと「ココアがいい」と答える。

 二つの缶を持って、ダブルベッドに腰を下ろす。

「ほれ、喉かわいただろ」

「うん☆ でもいい汗かいたぁ」

 額に滲む汗をレースのハンカチで拭うアンナ。

 

 ココアを受け取ると、プシュッといい音を立ててプルタブを開く。

「んぐっんぐっ……ぷっはぁ☆ はぁはぁ、美味しい☆」

 このいやらしい飲み方はミハイルと同一人物ですね。

 

 俺もアイスコーヒーをがぶ飲みして喉を潤す。

 

「はぁ、ちょっと暑いね」

 そういうと彼女は胸元の襟をつまんでパタパタとあおぐ。

 横から見ている俺からすれば、ドキドキが止まらない。

 

「そ、そうだな…エアコンでもつけるか?」

「うーん…それもいいけど……」

 アンナは少し頬を赤くして、うつむいた。

 

「どうした?」

 なんだろう、さっき間違えてつけてしまった『大人の映画』でも観たいのだろうか?

 

「お風呂……入らない?」

「はぁ!?」

 俺は思わず耳を疑った。

「な、何を言っているんだ、アンナ?」

 驚く俺を見てアンナはクスクスと笑う。

 

「勘違いしないで。アンナのメイド服の下は何を着てた?」

「え? あ……水着か」

 アンナさん、ちょっと積極的すぎやせんか?

 

「そう☆ だから二人でジャグジー使おうよ☆」

「でも、俺は水着なんか着てないぞ?」

 フル●ンで入れってか?

 まあこの前『ミハイル』のときに裸で風呂入ったよな。

 俺ってば、完全に女の子扱いしているやん! と自分にツッコミを入れてしまう。

 

「タオルとか巻いたらいいんじゃない?」

「アンナがいいなら構わんが……」

「だってタッくんもたくさん写真撮ったりして汗をかいたでしょ」

 そう言ってアンナは俺のTシャツを指差す。

 彼女の指したところは脇。わき汗で二つの大きな地図が出来上がってた。

 いやん、恥ずかしい!

 

「すまん、汗臭くないか?」

「うーん。ちょっと……するかも」

 そう言ってまたクスクス笑いだす。

 彼女を見て思わず、頬が熱くなる。

「でも、お風呂で洗えばいいよ☆」

「へ?」

「ボディシャンプーとかで洗って干しておこう。エアコンとかでさ」

 部屋にあったハンガーを指す。

 よく気が利く方です、アンナさん。

 

「すまんが俺は家事全般、不得意だし全くやらん」

「そんなこと自慢じゃないよ!」

 俺の背中をバシバシ叩いて笑うアンナ。

 力は男だしあのミハイルだから、痛いのなんのって。

 

「大丈夫、アンナが洗うから。脱いで☆」

 すいません、最後のセリフだけもう一回聞かせてください!

「りょ、了解した」

 俺は素直にTシャツを脱ぐ。

「じゃあアンナがお風呂場で洗っているから、タッくんはズボンも脱いどいてね☆」

 サラッとどビッチ発言じゃないですか……ちょっとドン引き。

 

 アンナは鼻歌交じりに俺のTシャツを抱えて、もう一つの浴室へ向かった。

 俺は部屋の中央に向かい、ジャグジーの前でズボンとパンツを脱いだ。

 ちょうどいいところに手頃のタオルがある。

 それを腰に巻くとジャグジーの蛇口を回す。

 

 このホテルのジャグジーは可愛らしいことにハート型で、二人で入ればちょうど対面式に仲良く浸かれる。

 そしてジャグジー裏にはガラス越しに中庭があり、緑と花々を堪能できる。

 なんてロマンティック!

 ここなら彼女もイチコロだぜ! っと言いたいところだが、相手は男の子だからね。

 

 ~10分後~

 

「ふむいい湯加減だな」

 ジャグジーにお湯が貯まったのを確認したところで、一足お先に浸かる。

「ふぅ……極楽極楽ぅ~」

 ババンバ、バンバンバン!

 

「タッくんたらおじいちゃんみたい☆」

 振り返るとそこには……。

「アンナ!」

 ピチピチのスクール水着を着た少女が立っていた。

 少し恥ずかしそうにこちらを見ている。

 ロングヘアーは首元でまとめられている。

 

「変……じゃない、かな?」

 いやいや、変だよ。

 お前の息子さんはどこにいったんだよ!?

 太ももからお股にかけてグイグイ食い込んでいる。

 のに、肝心の『膨らみ』がない。

 ペッタンコ。

 どうやって隠したんだよ?

 

「……」

 俺は言葉を失っていた。

 だって、マジでミハイルって女の子じゃね? と疑っていたからだ。

 胸も膨らみが少しある。ほんの少しだが。

 微乳サイコー!

 思わず生唾ゴックン☆

 

「なんかタッくんの目、やらしい」

 横目で俺を蔑むアンナ。

 だが、その突き刺さる視線こそ、ご褒美!

 俺はドMなんだって気がついた日。

 

「す、すまん……」

「アンナも入っていい?」

「もちろんだ」

 透き通るような白い太ももが上がると、そっとジャグジーへ脚を入れる。

 お次は可愛らしい小さなヒップが俺の顔面を横切る。

 ここを写真撮ったらダメかな?

 

「はぁ……いいお湯」

 瞼を閉じて、肩に触れるアンナ。

 肩こりが酷いならわしが揉みましょうか? もちろんオプション付きで。

 

「ねぇ、タッくん。それってなあに?」

 アンナが指した方向にはホテルのアメニティーが置いてあった。

「これは……ハーブか?」

 袋詰めされたパックには花びらが複数確認できる。

「せっかくだから入れてみよ☆ 貸して」

 アンナは興味津々といった顔で俺からハーブを受け取り、封を開ける。

 

 花びらが湯船に広がると、無色だったお湯がピンク色に変わる。

 それと同時に赤い花びらが湯の上を泳ぐ。

 なんて幻想的な世界なんだ……。

 

「うわぁ、キレイ~☆」

 アンナは感動しているようだ。目をキラキラさせて喜んでいる。

 そういうお前の方がキレイだぜ! と言いたいところだな。

「タッくん、そこのボタン押してみて」

「ん? これか?」

 俺は近くにあった丸いボタンを言われた通り押してみた。

 

 すると『ゴボゴボッ!』という豪快な音と共にジャグジーが泡を立てる。

 なんとも気持ち良い。

 日頃、新聞配達で肩やら腰やら凝り固まったところがほぐれる。

「これはいいな」

 俺までジャグジーへの感動に便乗する。

「ね☆」

 アンナも超ご機嫌。

 

 笑顔の彼女にこの雰囲気……何か間違いが起こっても仕方ない。

 

 俺はなぜか恥ずかしくなってきた。

 心底、彼女の魅力にやられている。このままでは本当に彼女を、アンナを好きなってしまいそうだ。

 

「タッくん、もうちょっと寄りなよ!」

 手招きされて「うぃっす」とアンナに身を寄せる。

 もう……どうにでもして!

 

「ねぇ、タッくん?」

「ん、なんだ?」

「ちゃんとした取材になってるかな☆」

「も、もちろんだとも……」

 

 これが正真正銘の彼女だったらなぁ……チキショォォォ!



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73 男の娘の嫉妬は怖い

 仲良くアンナと泡風呂を楽しんだあと、俺たちは互いにタオルで身体を拭く。

 水に濡れたスク水は更に彼女の身体のラインが目立ち、思わず興奮してしまう。

 当のアンナと言えば、鼻歌交じりに身体を拭いている。

 あまりに無防備な姿だったので、さすがに「写真撮っていい?」とは言えなかった。

 

「タッくん、アンナ着替えてくるね☆」

 ニコッと優しく笑うとステップを踏むように軽快な足取りで更衣室へと向かう。

 どうやらアンナもラブホテルがえらく気に入ったようだ。

 ただ、この部屋……3時間で1万円だぞ?

 もう二度と来れないだろうな。

 

 扉が閉まるのを確認すると、俺も腰に巻いていたタオルを床に捨てて着替える。

 アンナが洗ってくれたTシャツもいい感じに乾いていた。

 石鹸の甘い香りが漂う。

 あの可愛いアンナが風呂場で丁寧に洗ってくれたところを想像してしまう。

 もちスク水姿の。

 これ、帰って真空パックに入れておこうかな?

 

 ~30分後~

 

 とっくに俺は着替えを済ませてリュックサックも足もとにスタンバイ完了。

 だが、アンナが更衣室から一向に出てこない。

 何度か扉越しに声をかけたが、「ちょっと待ってて」を繰り返される。

 一体中で何をやっているのだろうか?

 『玉直し』か?

 

 やっとのことで、出てきたカノジョさん。

「お待たせ☆」

 そこにはヘアもバッチリ、メイクもバッチリなフル装備なアンナさんのご登場。

 これだけすれば、あんだけ時間が掛かるのも納得ですね。

 

「なんだかお腹すいたね」

「だな」

 昼飯は高いわりに不味くて少ない量だったからな。

 

「ホテル出てから何か食おう」

「うん☆」

 ニッコリ笑っちゃってさ、これで男の子なんだぜ?

 可愛すぎだろ。

 

「あ……ねぇ、タッくん」

 俺の肩にそっと触れたと共に、凄まじい握力がかかる。

 超いてーの、だって相手は男なんだもの。

 まあこの感じは怒ってらっしゃるだろう。

 声も冷たいもの。

 

「な、なんだ? アンナ」

「ひなたちゃんとはラブホのあとどこか行った?」

 笑ってるけど目が笑ってない。

 怖いよ、サイコパスじゃん。

「えっと……目の前にある‟博多亭”」

「なあにそれ?」

 ググッと握力が強まり、爪が俺の肉まで入り込む。

 

「ら、ラーメン屋だよ……」

「そうなの…じゃあそこに行こうよ☆」

 痛いよ、痛いから手の力を緩めません?

 

「同じところでいいのか?」

「だってアンナと行かないと取材にならないじゃない? ひなたちゃんじゃ、きっとタッくんの小説には還元できないもの☆」

 まさかの俺氏、独占宣言。

 ひなたと取材する度に俺は逆インタビューされちまうのかよ。

 怖すぎアンナさん。

 

「了解した。なら、行くか?」

「うん☆」

 

 そうして俺とアンナは初めてのラブホテルを何事もなく取材体験できたのである。

 逆に何かあったら、俺はもう二度と……そっちの世界から帰ってこれなくなっていたのだが。

 まあよしとしよう。

 

 ホテルを出て、道路を挟んで目の前にあるラーメン屋を指差す。

「ここだがいいのか?」

「え? 本当に目の前なの?」

 ちょっと嫌そう。

 だってラブホの前だぜ? ムードなんて何もないからな。

 脂ぎってて、店内も油まみれ。

 本物の女の子のひなたは喜んで食べていたが……。

 

「なあアンナ。無理はしなくていいぞ? 俺はいつも映画帰りにこの店を選ぶんだ。『しめの一杯』というやつだ」

 酒を飲んでいるわけではないがな。

「じゃ、じゃあ、タッくんはいつもこの店に行っているの?」

 どこか焦った様子だ。

「まあそうだな。ここは値段も安く、味もうまい。子供の頃から通っているし……」

 言いかけている途中で、アンナが叫んだ。

 

「イヤァッ!」

 

 彼女の甲高い叫び声に通行人が足を止める。

 

「ど、どうした?」

「イヤッたらイヤァッ!」

 急に泣いて怒り出したよ。

 忙しいやっちゃ。

「泣いていてもわからん。理由を話してくれないか?」

 俺は『キマネチ』が愛らしいタケノブルーのハンカチを彼女に渡す。

 アンナは受け取ると大事そうにハンカチを胸元で抱えている。

 涙をふくわけではなく、落とし物を見つけたような安堵した顔だ。

 

「イヤなの! タッくんとのはじめてを他の女の子に盗られたのがっ!」

 通行人が集まりだし、ギャラリーができる。

 集まったのは全員、野郎ども。

 

「なあアイツ、なに可愛い子泣かしてんだよ?」

「あんな可愛い子がいるのに浮気かよ! 最低じゃん」

「ぼ、ぼかぁ、男の子を食べたいなぁ……はぁはぁ」

 いや、最後のやつガチじゃねーか!

 

 

「アンナ、別に全部を盗られたわけじゃないだろう?」

 ただのラーメンだしな。

「違うもん! 『タッくんとのラーメン』はアンナはまだだもん! 初めてはアンナが良かった!」

 更に号泣。

 めんどくせ!

 

「気持ちはわかるが……(わからんけど)。俺にとってアンナは特別だ」

 だって男の子でしょ?

「とく……べつ?」

「そうだ、アンナは俺にとって大事な取材対象であり、大切な人間だ」

「アンナが?」

 もうその時は涙を止めていた。

 

「だからもう泣くな。ひなたとは偶然だし事故だ。故意ではない。それにひなたとはデートはしてない」

 というかアンナもデートとしてカウントしていいものか。

「アンナが一番なの?」

 え? サッポロ?

 めんどくさい度100パーセントだが、ここは答えるべきだろう。

 

「ああ、間違いなくオンリーワンな存在だよ」

 一番の意味が違うし、わからんけど。

 適当だよ、テキトー。

 

「うれしぃ! タッくん、大好き!」

 俺に飛びつき、人目も気にせず抱きしめるアンナ。

 

 飛び交う歓声。

 

「いいぞ~ 彼氏、グッジョブ!」

「末永くお幸せに!」

「キィー、あの男の子は僕んちに連れていきたかったのにぃ!」

 だれがお前ん家に行くかよ? 犯罪だろうが。

 俺はまだこう見えて未成年だぞ? ピチピチのセブンティーン。

 

 

 機嫌を取り戻したアンナの手を取り、逃げるようにラーメン屋に入った。

 

「いらっしゃい! あれ、琢人くん。昨日の今日なのに……また映画帰りかい?」

 博多亭の大将とはちょっとした顔なじみ。

 

「大将、今日は違うよ……」

 もう色々と疲れたからあんまり突っ込まないでくれる?

 

「今日は?」

 どうやら大将の好奇心はおさまることを知らない。

 

「そちらのお嬢さんは?」

「あ、古賀 アンナっていいます☆ タッくんの……なんだろ?」

 それ自分で自分に聞く?

「友達……でもないし、彼女でもないし……」

 サラッとふられちゃったよ。

 

「ならあれかい? 友達以上彼女未満てことじゃねぇかい?」

 大将は嬉しそうに麺を湯がく。

「ですね☆」

 勝手に決めないでよ、アンナちゃん。

 それ、俺が決めることじゃね?

 

「ところで、昨日も女の子連れてきたね、琢人くん……モテる男はつらいねぇ」

 ニヤニヤしながら俺を見つめる大将。

 恐る恐る隣りを見ると、「ふしゅー!」と怒りの呼吸で我を失うアンナ。

 

「大将さん☆ その子はタッくんが偶然助けた女の子ですよ?」

 ニッコリと笑っているが、身体がめっさ震えている。

 顔も引きつっていて、無理して笑顔を作っている感がパない。

 俺は怖くて数歩後退する。

 

「あれ? そうだったの? 随分仲良さげに話してたからねぇ。おいちゃん、知らなかったよ」

「へ、へぇ、随分仲良かったんです……かぁ?」

 言いかけて俺を睨むアンナ。

 

「しゃ、社交辞令だよ」

 苦笑いでうろたえる。

「ねぇ、タッくん☆」

 優しく微笑むアンナ。

「な、なんだ?」

「アンナ、早くラーメン食べたいな☆」

 

 俺は人生で新記録ってぐらいのスピードで大将に注文した。

「とんこつラーメン、2つ! バリカタで!」

「あいよ!」

 こんな注文、二度とごめんだ……。



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74 にんにくは必須

「ヘイ! ラーメン、バリカタお待ち!」

 俺とアンナはカウンターの席に座り、仲良く横並びしていた。

 スマホを見れば時刻は『15:02』。

 ちょうどお昼の賑わいが済んだ時間だ。

 店内は俺とアンナしかいなかった。

 

 大将はなんだか嬉しそうに俺たちを見つめる。

 

「うわぁ! 美味しそう!」

 手を叩いて喜ぶアンナ。

 目をキラキラと輝かせて子供のようだ。

 まあ15歳だから子供っちゃ子供だよな。

「だろ?」

 俺が作ったわけでもないのに、なぜか店を紹介した俺が自慢げに語る。

 

「「いただきまーす」」

 声を揃えて、いざ実食!

 

 アンナはショルダーバッグからシュシュを取り出すと、長い髪を首元で一つに結った。

 ラーメンを食べる態勢、万全だな。

 

「スルスル……んぐっんぐっ……ゴックン! はぁはぁ……おいし☆」

 相変わらずのいやらしい租借音だな。

 それを初めて見た大将も思わず、生唾を飲む。

 アンナを見る目がいやらしい。

 

「うまそうに食べるねぇ、アンナちゃん」

 美味しいという基準間違えてません? 大将。

 

「だって美味しいんですもん。アンナ、美味しいものを食べているときが一番幸せ☆」

 そう言って頬をさする。

 よっぽど気に入ったようだ。よかったね、大将。

 

「嬉しいこと言っちゃってくれるねぇ。んなら、餃子を焼いてあげるよ」

「え、いいですよ……」

「気にすんな、アンナちゃん。うちの店初めてだろ? なら餃子も食べていってほしいんだよ。これはおいちゃんからのプレゼント」

 そう言って勝手に餃子を焼きだす大将。

 

 なんか勝手に話が盛り上がっているな。

 俺はそんな中、無言でラーメンをすする。

 

「ん?」

 

 あることに気がついた。

 ちょい待て。

 昨日、ひなたと来た時、俺は金払って餃子注文したぞ?

 女のひなたは有料で、男のアンナは無料ってか。

 というか、長年通っている俺ですらそんなサービス受けたことねーぞ!

 

 俺はむしゃくしゃして、カウンターの上に置いてあった小さな容器を手に取る。

 生おろしにんにくがたくさん詰められているものだ。

 やはりラーメンにはこれがなきゃな!

 躊躇なくにんにくをどんぶりの中にぶち込む。

 それに気がついたアンナが口を開いた。

 

「ねぇ、タッくん。それってなあに?」

「これか? にんにくだよ」

「にんにく?」

「ああ、これを入れると入れないとでは、ラーメンの味が『ダンチ』だ」

 思わずキメ顔してみる。

 

「へぇ……」

 アンナは咥え箸しながら俺がラーメンをうまそうにすするところを見つめる。

「タッくん、アンナにも入れてみて」

「マジか?」

 俺は驚きを隠せなかった。

 なぜならば、今のアンナは女の設定だからだ。

 昨晩、正真正銘の女性、ひなたが「にんにくは臭うから」と嫌がっていた。

 口臭を気にしてのことだ。

 なのに、アンナは平然とそれを俺に頼んだのだ。

 

「だって、美味しくなるんでしょ?」

 キョトンとした顔で首をかしげる。

「そ、それはそうだが、にんにくを入れるとだな……口が臭くなるからな」

 俺が言いづらそうに答えると、アンナは高笑いした。

「アハハハ!」

「な、なにがおかしいんだ?」

「だって……そんなのどんな料理だって同じでしょ?」

「え?」

「カレーだってそうだし、チャーハンとか、パスタとか、いろんな料理に使われているし、にんにくが入っていた方がおいしいよ?」

「それはそうだが……」

 清々しいほどに嬉しい回答だった。

 男の俺からしたらな。

 

「ひょっとして、昨日のひなたちゃんはにんにくを気にしてたの?」

 うっ、鋭い。

 ひなたの話題になると目が怖いんだよ、アンナさん。

「ま、まあ……」

 さっきお風呂入ったばっかなのに、またわき汗が噴き出てきたよ。

 

「ねぇ、タッくん」

「ん?」

「アンナと……ひなたちゃんを一緒にしないで」

 箸を止めて、俺に身体の向きを変える。

 すると俺の手を優しく両手で握った。

「あのね、アンナはタッくんが好きなものは全部好き☆ それにタッくんと同じ目線で、なるべく同じ気持ちでいたいの……だから他の女の子とは違うよ」

 瞳は少し潤っていた。

 涙を堪えているようにも見える。

 よっぽど、昨晩のひなたの件が悲しかったのだろうか?

 罪悪感で胸が押し潰れそうだった。

 

「そうか……じゃあ、にんにくはいっぱい入れてもいいのか?」

「もちろん☆ アンナ、美味しいものは絶対にためらわないよ!」

 その自信に満ち溢れた顔、素敵です。

 というか、たまにイケメン面になるんだよな。

 

 俺は要望通り、アンナのラーメンにたっぷりにんにくを入れてあげた。

 それをアンナは「まじぇまじぇ」する。

 へぇ、やるじゃん。

 

「うう……いい彼女を連れてきたじゃねーか、琢人くん」

 気がつくと大将は厨房の中で泣きながら、餃子を焼いていた。

 

「た、大将?」

「あの年がら年中、映画バカの琢人くんが……こんな美人で優しい女の子と付き合うなんて…おいちゃんも泣いちゃうよ」

 サラッと酷いこというなよ!

 俺が可哀そうなやつに聞こえるじゃねーか。

 

「大将さんたら、彼女……だなんて☆ アンナとタッくんはまだそんな仲じゃないのに……」

 いいながらめっさ嬉しそうやん。

 両手で顔をおさえて、左右にブンブン頭を振るアンナさん。

 ご乱心! アンナ様がご乱心じゃあ!

 

「っしゃあ! 替え玉もサービスばい!」

「そんな、悪いですよ」

 ていうか、昨日は?

 昨晩のもサービスにしとけよ、大将。

 アンナってズルくね?

 

「いや、あの根暗オタクの琢人くんがこんないい子を連れてきたんだ。今日はお祝いだよ!」

 てめぇ、俺をどんな人間として認識してたんだよ! ぶち殺すぞ!

「良かったね、タッくん☆」

 なにが?

 

 ねぇ、俺の存在ってここまで悲しい存在だったの?

 まあアンナが嬉しそうにラーメンを食べているから、お釣りが返ってくるレベルなんだが。

 俺たちはその後、腹いっぱいラーメンと餃子を楽しんだ。

 

 なぜだろう、ひなたと食べた時より、すごく楽しく美味しく感じた。

 ひなたといた時は気ばかり使っていた気がする。

 でも男のアンナといるときは息がぴったりというか、話があうんだよな。

 多少、俺に合わせてくれるんだろうが。

 

 でも、アンナの致命傷なところは怒ると鬼になる……ところだな。



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75 女には違いが分かる

 俺とアンナはラーメンをたらふく食べ終えると博多駅へと向かった。

 二人で替え玉を3つも食べてしまった……つまり一人4杯。

 胃袋が互いに10代の男子だからな。

 これで帰って晩飯もしっかり食うんだから末恐ろしい生き物だぜ。

 

 そうこうしているうちに博多シティが見えてきた。

「じゃあ、アンナはここでお別れするね……」

 どこか寂しげで、顔がちょっと引きつっている。

 設定上では福岡のどっかに住んでいるらしく、遠方で田舎らしい。

 あくまで設定ね。

 本当は俺の住んでいる真島の二つ隣りの席内(むしろうち)に住んでいるヤツなんだが……。

「一緒に電車、乗らないのか?」

 俺は敢えて尋ねる。

 だって、寂しそうなんだもん。

 

「あ、アンナはすごく田舎だし……一緒には無理…かな?」

 いや、なんで自分で疑問形?

「そうか、ならば仕方ないな。じゃあ、俺は先に帰るぞ」

 付き合ってられん。

 

 アンナを博多駅の中央口に残してその場を去る。

 背を向けて改札口に向かおうとした時だった。

「待って! タッくん!」

 振り返ると少し涙目になったアンナがいた。

 

「ん?」

「また……また取材しようね!」

「ああ、またな」

「絶対だからね!」

 迷子のように不安げだ。

 そんなに別れ惜しむなら、設定に流されんと一緒に帰ればいいだろうに……。

 

 俺は背を向けて手だけ振ってやった。

 

 あんまり深入りすぎるのも互いのために良くない。

 そう思っていた。

 過剰なまでに彼女の期待に応える……ということは俺には不可能だ。

 アンナはあくまでも虚像のカノジョ。

 取材対象であって、恋愛の対象ではない。

 いや、あってはならないのだ。

 そこだけは俺の『物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない』という性格が邪魔する。

 というか、邪魔してくれ。

 そうじゃないと、俺は完璧そっちの世界にいっちまうよ……。

 

「でも……アンナといる方が楽しい」

 

 ホームに立って珍しく独り言をつぶやく。

 近くにいた若い女が俺を見て不審者を見るような目つきで睨む。

 普段の俺なら「なに見てやがんだ、コノヤロー!」と心の中で叫ぶのだが。

 なぜか今は一人アンナを残してしまったことを悔いている。

 

 ナンパでもされてないだろうか?

 また痴漢にあった時どう対処するのか?

 俺がいなくても帰れるだろうか?

 

 自分でもわからなかった。

 なぜこんなにも彼女のことを心配しているのか。

 

 俺は電車に乗るとすぐにスマホを取り出した。

 スマホはいつもの通り、L●NE通知の嵐。

 別れて10分も経ってないのに、41件。

 どんだけ暇なんだよ、アンナさん。

 

『タッくん、無事に電車に乗れた?』

『アンナの今日の写真、絶対二人の秘密だよ☆』

『またお風呂入りたいね☆』

『そうだ、夏はプールに行こうよ☆』

『アンナは帰ったらデブリのボニョを観るよ☆』

 

 いちいち報告しすぎなんだよ!

 生存報告なら1通でええんじゃ、ボケェ!

 

「フフ……」

 

 気がつくと俺は笑っていた。

 社内の窓に写ったニヤけ顔に嫌気がさす。

 

 なんだかんだ言って、アンナとのやり取りは楽しい。

 俺はアンナにL●NEを返す。

 

『アンナ、今度はいつ取材しようか?』

 

 しばらくするとメッセージではなく、L●NE通話がかかってくる。

 俺はマナーモードにしていなかったため、YUIKAちゃんの「幸せセンセー」の曲にびっくらこく。

 

『もしもし? タッくん!?』

 すごく取り乱した様子だった。

「どうした? 今、電車だぞ」

 小声で応対する。

 

『ご、ごめん……今度は遊園地とかどう?』

「ゆうえんち?」

 ガキっぽいセンスにアホな声で答えてしまう。

 

『うん☆ かじきかえん!』

「ああ、懐かしいな」

 そうそう保育園の遠足で……って何年前の話だよ!

 小学生かよ!

 

 かじきかえんとは、梶木(かじき)駅周辺にある遊園地のことだ。

 都市部にある歴史ある遊園地のため、土地としては規模は小さめ。

 どちらかというと、客は小さなおこちゃまが多いイメージだ。

 そう、10代の子が行く場所ではない。

 何より男の子同士で遊ぶのか?

 

「マジでかじきかえんか?」

『ダメ?』

 甘えた声で聞かれる。

 いやん、ドキドキしちゃう。

 

「いや、構わんが……」

『じゃあ約束ね☆ いつ行く?』

 行動力が半端ない! 早すぎだろ。

 

「そうだな……今週の日曜日でどうだ?」

 スクーリングはないしな。

『日曜日だね☆ お弁当、作っていくね☆』

 そう言うと一方的に電話を切られた。

 何やら忙しそうな様子。

 また良からぬサプライズでも用意する気では?

 

 結局、アンナと電話しているうちに真島駅に着いていた。

 

 通話を終えると近くに座っていた老人に

「こりゃあ! このバカチンがくさ!」

 と変な博多弁で怒られた。

 まあ俺が悪いので、

「すんませんくさ!」

 と謝っておいた。

 

 

 帰宅すると、妹のかなでが仁王立ちしていた。

「お帰りなさい! おにーさま!」

「ただいま。どうした? 推しのキャラでも死んだか?」

「違いますわ! 今までどこに行ってたんですの!?」

 これは説教だな。

 というか、ラブホとでも答える兄貴がどこにいる。

 

「それは言えん」

「なんでですの!? 夕刊配達までブッチする理由ですの!?」

 ヤベッ! アンナとイチャイチャするのが楽しすぎて夕刊配達忘れてた。

「すまん、忘れてた……」

毎々(まいまい)新聞の店長さんが心配してましたわよ! 『根暗映画オタクの琢人くんが休むなんて痴漢冤罪で捕まったんじゃないか?』って!」

 仕事を休む理由かよ!

 店長、俺のことをそんなやつに見てたんかい!

 

「な訳ないだろ」

「じゃあ真面目なおにーさまが仕事をブッチした理由を聞かせてください、ですの!」

 や、やべぇ……かなり怒っているよ、妹ちゃん。

「その……あれだよ。取材、小説の……」

 自分でも説得力に欠ける言い訳だと思った。

 しかし事実だしな。

 ウソは言ってない。

 

「絶対ッ、ウソですわ! 1000パーセント!」

 いや、パーセンテージ高すぎ。

「本当にもう一つの仕事だよ……」

 わき汗が滲み出る。

 

 そこへ痛いBLエプロンをかけた琴音ママが登場。

「あら、タクくん。遅いお帰りねぇ」

 ニヤニヤしながら俺を見つめる。

 

「や、やぁ、母さん。ただいま……」

「あら? タクくん、お風呂に入った?」

 ギクッ!

「え? お風呂?」

 声が裏返ってしまう。

「うん、なんだか石鹸のいい香りがするわね」

「なんでそう思う?」

「だって家の石鹸の香りじゃないわ。うちはそんな高い石鹸買いません」

 ニッコリと微笑む母さん。

 これは「あたいに隠し事するとBL小説書かすぞ、ゴラァ!」という無言のプレッシャーである。

 

「そ、それは……」

 言葉に詰まっていると妹のかなでが俺のTシャツを掴み、鼻でクンクンと嗅ぐ。

 犬かよ。

 

「お母さまの言う通りですわ! うちの石鹸ではありません! おにーさま、まさか……」

 青ざめた顔で絶句し、数歩後退するかなで。

「かなで? お前は何か変なこと考えてないか?」

「おにーさまが童貞を喪失してしまいましたわ!」

 ファッ!?

 

「あらあら……それはお赤飯を炊かないとね♪」

 眼鏡が光る琴音さん。

「あのな、お前らいい加減にしろよ……」

 俺は拳を作って怒りで震えていた。

 だって童貞のままだもの。

 

「ヒドいですわ!」

 泣いて怒鳴るかなで。

「なにがだよ?」

 こっちもキレていた。

「どうせヤるならこのかなでと3Pしてくださったら良かったのに!」

 そう言って、階段を昇っていく妹15歳。

 これでJCなんだぜ? 変態だよな……。

 

「タクくん」

 母さんの背後からは「ゴゴゴゴゴゴッ」と謎のスタンドを感じた。

「なあに、母さん……」

「ヤッちまいな!」

 そう言って二階を指差す。

「はぁ?」

「一度、女とヤッたんだろ? ならかなでちゃんも食べちゃえよ!」

 食べれるか!

 

 

「母さん、誤解だ。俺はまだ童貞のままだ」

 息子になにを告白させるんだよ、この家庭。

 

 その後、かなでと母さんの説得に3時間を要した。



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第十一章 腐女子の乱
76 同人誌はみんなで仲良く読もう!


 俺は焦っていた。

 というのも、ここ最近アンナやひなたとのゴタゴタで肝心の小説を書いていなかったからだ。

 担当編集の白金から短編でいいから書き上げてこいと言われている。

 それを見て編集長が今後の俺の作家としての能力を見極めるのだとか?

 

 まあここはなんでも使っちまえ! と正直、自暴自棄でいた。

 生まれてこの方、女の子と縁なんてなかったのに、一ツ橋高校に入学してから、たくさんの人……女性に出会った。

 そして、童貞のくせしてラブホテルまで経験してしまったのだ。

 テンパるよ、そりゃあ。

 だって、人間だもの……その前に童貞だもの。

 

 俺は名前だけ変えて、ひなたも小説のサブヒロインのモデルとして登場させた。

 もはや、ノンフィクション作家と言ってもいいな。

 映画化でもしたら「これは実話である」なんてエンドロールの前にテロップが出るんだろう。

 ああいう映画が一番カッコイイと思うんだよな、個人的には。

 

 タイピングする速度が上がる。いつも以上に。

 元々、書きだしたら早いほうなんだが、今回のラブコメ作品に限っては実体験をそのまま書いているので、思い出して書く……これを繰り返すだけだ。

 あれ? ブログじゃね?

 

「よし、できた」

 

 テキストを上書き保存する。

 肩をほぐして休憩に入る。

 するとスマホが鳴った。

 着信名、ロリババア。

 

 クソがっ!

 いつも間が良すぎるんだよ。

 俺の家をストーキングしてんじゃねーのか?

 

「もしもし」

『あっ、センセイ! 進捗はどうですか?』

「フッ、できたぞ。王道のラブコメがな」

『ほうほう、それは楽しみですね♪ では、天神でお会いしましょう! ブチッ……ツーツー』

 一方的に切りやがった、あんのロリババアが。

 まあ夕刊配達まで時間はある。

 久々に天神で小説でも物色して帰るか……。

 

 俺はリュックサックにノートPCを入れると、それを背負って真島駅へと向かった。

 

 

 ~1時間後~

 

 俺は天神にある博多社の編集部にいた。

 

「す、すごい……」

 珍しく白金が驚いていた。

「これ……本当に童貞のセンセイが書いたんですか!?」

「失礼なことを言うな!」

 かっぺムカつく。

 

「だって……リアルJKとラブホに入るなんてレアイベントがあって、次の日にヤンキーのヒロインとラブホでコスプレパーティーとか、どんだけリア充なんですか!?」

「う……」

 いざ言葉にされるとこっ恥ずかしいものだな。

 

「これ取材を元に書かれたんでしょ?」

 いつになく真剣な眼差しだ。

「ま、まあな……」

「センセイ、モテ期到来じゃないですか!」

 いや、モテるのは女の子だけでいい。男が含まれているんだよ。

 

「それより、ストーリーはどうだった?」

「さい……こうっ! です!」

 今まで俺の作品でこんなこと言われたことない。

 なんか泣けてきた……。

 だって人が一生懸命書いてきたストーリーより、現実世界のことをちょっと書いただけで編集に褒められるとか、作家として終わりじゃん。

 

「なら……良かったな、はは」

 苦笑いして己を諭す。

「あんまり嬉しそうじゃないですね……でも、これなら絶対編集長からOKもらえますよ!」

「そ、そっか……そう言えば一つ質問していいか?」

「なんです?」

「実はその……前も言ったが、取材費のことだ」

「ああ、前も言われてましたね」

「ラブコメを書くには俺は取材が必要だ。だからデート……じゃなかった取材費用を経費で落としてくれないか?」

 俺がそう言うと白金は腕を組んで難しい顔をしていた。

 

「うーん……ちょっと、編集長と相談させてください。返答は後日連絡しますので」

 かなり困っているようだ。

 なんだかこの時ばかりは白金に罪悪感を感じてしまった。

 だって、取材と言えど、俺ってばしっかりデート楽しんでいるからね。

 白金はアラサーの独身で寂しいやつだから。

 可哀そうなんだよ……草は生えるけど。

 

「じゃあ、センセイ! 経費のことは後回しにして、とことん青春してくださいね♪」

「今、なんて言った?」

「青春ですけど……」

 この俺が青春だと。

「俺は今、青春しているのか?」

「してるじゃないですか♪ 私の言った通り、一ツ橋高校に入学して良かったでしょ♪」

 否定できなかった。

 確かに白金の命令がなければ、俺は永遠にぼっちだったろう。

 

「ああ……そうだな」

 俺はそう言い残すと博多社をあとにした。

 

 悪くないな……青春ってのも。

 

 天神のメインストリート、渡辺通りを歩く。

 北天神へ向かい、一際目立つ真っ赤なビルにたどり着く。

 

 そう。ここはオタクの聖地。

 『オタだらけ』

 7階建ての最強ビルである。

 一階はコミック、二階は男性向け同人誌、三階は女性専用同人誌、四階はコスプレ、五階はゲーム、六階は玩具、七階はヴィンテージもの。

 

 オタクが天神に来たら真っ先にここに向かうものだ。

 ああ、福岡市民でよかったぁとステータスを感じちゃう。

 

 俺はすぐさま2階に向かう。

 やっぱ同人誌だよな!

 

 お目当てのものを探す。

 それは何かというと、タケちゃんのヤクザレイジの同人誌だ。

 きっと新作が上映したばかりだから、どっかのサークルが出しているに違いない。

 

「おっ、これは……」

 手に取ろうとした瞬間だった。

「きゃっ!?」

 華奢な手が俺の手とペッティング……じゃなかった、触れ合う。

 

「すまん」

「いえいえ、私の方こそ……ちゃんと見てなくて」

 手の持ち主を見ると、白いブラウスに紺色のプリーツスカート。

 ん? JKか?

 眼鏡をかけたナチュラルボブ……見たことある顔だ。

 

「お前……北神か?」

「え? あ、新宮くん!?」

 この時、俺は彼女の恐ろしさをまだ知らない。

 声をかけたことをのちのち、後悔するのであった。

 

「新宮くんも買い物?」

 気さくに声をかける同級生、北神 ほのか。

 赤いかごにはどっさりと同人誌が……。

 いや、ここの階って男性向けばっかだよな?

 

「まあな、北神は何かを買いにきたのか?」

 どうせ、腐女子のことだ。BLだろうな。

「んとね……今探しているのは『ギャルパン』の凌辱もの♪」

「は?」

 俺は耳を疑った。

「あと、『俺ギャイル』のNTRとか、『バブライブ』のハーレムものでしょ……」

 おいおい、二次創作の大渋滞じゃないか。

 しかもそれ全部、成人向け。

 

「北神、お前は一体なにを言っているんだ?」

 思わず突っ込んでしまった。

「え? 抜ける同人誌の話でしょ?」

「……」

 か、勝てない……この女には勝てない!

 俺はそう確信したのだった。

 黙って背を向ける俺氏。

 

「あれ、新宮くん? どこへ行くの? 一緒にお買い物しようよ! そして互いに買ったエロ同人を見せ合おうぜ!」

 

 に、逃げられねぇ!



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77 ブッ飛びJK

 俺って何か悪いことでもしたのだろうか?

 罰でも当たったのだろうか?

 そうか、二人も連日で女の子をラブホテルに入るというリア充イベントをクリアしたせいか。

 分不相応なことをしたため、神は言っている。「お前は根暗オタクだろうが!」だと。

 お告げじゃ。

 わしにオタクの神が降臨なさったのじゃー!

 

「ねぇ、新宮くん。こっちなんかどう? 抜けるよね?」

 隣りを見れば、眼鏡を光らす変態さんが一人。

 クッソエロい同人誌持ってはしゃいでいる。

 表紙は触手でぐちゃぐちゃにされたロリっぽいヒロイン。

 お巡りさん、こっちです。

「北神、抜くって何を抜くんだよ?」

 一応聞いてみる。

「そりゃ、自家発電のことでしょ♪」

 笑顔がまぶしい。

 なんて清々しいほどの変態発言。

 こいつが男だったらマブダチになれたかもしらん。

 だが、女だ!

 

 その証拠に成人向け同人誌(男向け)に女子が一人混じっていることで、売り場の紳士たちが困ってらっしゃる。

 なんというか、汗臭いキモオタの周りに咲く一輪の花……といったアホな表現がふさわしい。

 だって、こういうところって本当に独特の臭いがするんだよ。

 みんな必死におかずになることだけ考えて、商品を選んでいるから、なんつーの?

 男性ホルモン? フェロモン? わきが? 

 超くせーんだよ。

 だから俺はあまり好まない、というか、ネットで十分だろ。

 

「新宮くんはエロ同人買わないの?」

 その言葉を聞いてか、周りの男性陣はスタコラサッサーと逃げていった。

「北神、もっと声のトーンを落とそうぜ」

 紳士たちが可哀そうだ、同じ男として。

「なんで? 好きなものに熱中することって大事じゃない?」

 その真剣な眼差し、カッコイイです。

 ですが、TPOって知りません?

「言いたいことはわかる……が、お前は女だろう? ここは男性向け売り場だぞ」

「それって男女差別じゃない?」

 正論だが、なんか違う。

「いや、差別ではなくてな……俺が言いたいのは」

 言いかけたところで、北神は自身の手で俺の口を塞ぐ。

 石鹸の甘い香りがしてちょっぴり嬉しい。

 

「新宮くん、皆まで言うな」

「は?」

「私は可愛い女の子でもイケるし、可愛い男の子でもイケるんだよ!」

 突然のバイセクシャルをカミングアウト。

 記者会見ならどっか他でやれ。

「言っている意味が分からん」

「だって、可愛ければ性別とか関係なくない!?」

 話し方に熱がこもる。

 俺にグイッと顔を近づける。

 北神……黙ってたら可愛いのにな。

 

「お前は腐女子なんじゃないのか?」

「ええ、BLは大好物! でも百合も大好物!」

 キンモッ!

「じゃあノーマルな恋愛ものは?」

「なにそれ、おいしいの?」

「それは知らん」

 未経験の俺に言わすなや!

「だからさっきから言っているでしょ? 可愛さが重要なの。新宮くんだって可愛いければ、男の子でも好きになるかもしれないじゃない」

 言われて、なんか胸焼けおこしそう。

 

「そ、それはない!」

 焦って話したせいで声が裏返る。

「ええ……わかんないよ~ 恋愛なんて惚れたら負けでしょ。掘られてもね♪」

 サラッと酷いことぬかすな!

 

「さ、この階は一通り済んだわね。じゃあ次言ってみよう!」

 北神はかごから溢れんばかりのエロ同人誌を持ってレジへと向かう。

 その後ろ姿は正に猛者だった。

 まるでモンスターをハンティングする大剣使いのよう。

 

 俺はタケちゃんの同人誌を一冊手に取ると彼女に続いてレジへ向かった。

 レジ前は平日の昼間ということもあってか空いていた。

 カウンター上に『今月のオススメ!』と大きなポップが貼られていた。

 

『真剣十代、ヤリ場! らめぇ、お兄ちゃん! ボクは男の娘だよぉ~』

 というタイトル。

 

 そう言えば、かなでのやつ。

 昨日は俺がラブホテルから帰って怒ってたもんな……よし、おみやげに買うか。

 という思考に至る兄の俺もブッ飛んでいると再認識する。

 

「すいません、この同人誌、一つください」

「あざーす! 二つで1200円です」

 支払いを済ませるとデカいキャリーバッグをカラカラと押してくる北神が待っていた。

 どこに隠してたんだ? そんな大きなものを。

 

「あれぇ、新宮くんって男の娘で抜くの?」

 抜かねーよ!

「これは妹のお土産だよ」

「え……」

 絶句する北神。

 そりゃそうだな、どこの妹がエロ同人の男の娘で喜ぶんだって話だよ。

 

 黙って俯く。

「北神……その……うちの家はだな」

 言葉が見つからない。

「……いこう…」

「え?」

「最高じゃない! 新宮くんの妹さん!」

「はぁ!?」

 思わずアホな声が出てしまった。

 

「で、読み専? 書き専?」

 食いつき方、半端ない。

 鼻息も荒いし、やはりキモいなこの女。

 

「確か将来はエロゲを作りたい……とか言ってたな」

 ちな受験を控えたJCだけどな。

「かぁ~ 志高いね、妹さん! 私もエロ漫画家目指してるんだ♪」

 なに言ってんだ、こいつ。

「どっちの?」

 百合か、BLか、男性向けか。

「全部!」

 はぁ……どこもかしこも変態ばかりだよ!

 

 俺たちはエスカレーターで3階に上がり、女性向けの売り場につく。

 

「さあ一狩り行こうぜ!」

 親指を立てる北神。

 こいつ、入学式で初めて会った時はいい子だと思ってたのになあ。

 やはりあれだ。三ツ橋高校の福間が言っていたように、通信制高校の一ツ橋はろくなやつがいないな。

 あれ、俺も入っているじゃん。

 まあ皆色々と事情があるから、通信制という特殊な環境で勉強しているだろうから。

 こいつも変態だけどなにかしら理由があるんだろうけど。

 ただ同じレベルでは見られたくない。

 

「狩るもなにも俺はBLなんぞ、買わんぞ?」

 その時だった。

 スマホからベルが鳴る。

 電話に出ると鼻息の荒い母さんの声が……。

 

『タクくん、今どこ!?』

 何やら焦っている様子だ。

「どうした、母さん。今天神だよ」

『あのね、お客さんと話してたんだけど、新作のBL同人が熱いらしいのよ!』

「は、はぁ……」

『だからね、買ってきて!』

 こんの腐れ外道が!

「わかったよ、んでタイトルは?」

 俺ってば超親孝行。

 

『さすが我が息子ね』

 うるせー。

『タイトルはメールで送っておくわ!』

 そう言うとブチッと電話を切られた。

 

 すぐにメールが送られてきた。

 

『俺のハッテン場はヤリ目だらけ』

 

「酷いタイトルだ……」

「どうしたの?」

 北神が一連のやり取りを見て、ログインしてくる。

「いやな、うちの母親はBL好きで同人買ってこいって」

「なんですって!?」

 口を大きく開く北神。

 かなり驚いた様子だ。

 さすがの北神もここまで変態一家だとドン引きか……。

 

「新宮くん!」

「え?」

「君はサラブレッドよ」

「あぁ!?」

 柄にもなくオラッてしまった。

 

「最高の家庭環境ね!」

 その立てた親指をへし折ってやりたい。

「さ、お母さまのBL同人、一緒に探そうぜ!」

「北神……お前ってそんなキャラだったか?」

 本当、こいつ。黙ってればいいやつなんだけどな。

 

「私は産まれた時からこんな感じよ♪」

 絶対ウソだろ。

 その家庭、機能不全家族だろ?

 

「ねぇ、新宮くん……このあとちょっとお茶しない?」

 なぜかモジモジとする北神。

 可愛いところもあるのね。

「別に構わんが?」

「じゃあ、同人買ってエロゲ買って、エロフィギュア買って、エロポスター買ってからにしましょ!」

「……」

 

 そこまでするぅ?

 俺はこのあと吐き気を感じながら、北神の買い物に付き合わされた。

 なにをやっているんだろう、俺。

 



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78 喫茶店はいつも内緒話

 俺と腐りきった女子高生、北神 ほのかは買い物を済ますと『オタだらけ』を出た。

 北神は満足そうに大きなキャリーバッグをガラガラと引いている。

 

「じゃあ、お茶でもしよっか?」

「ああ、そうだったな……」

 ため息交じりに返答する。

 俺は疲れきっていた。

 というのも、あの後、北神が女性向けや男性向けの成人ものばかり漁りに行っていたからだ。

 その場その場で、オタクや腐女子たちから「あのカップルうぜっ!」みたいな顔をされたよ。

 こいつとカップルとか超ねーから!

 アンナの方が全然マシ! ああ、早くアンナに会えないかな……。

 

「ここなんてどうかな?」

 彼女が選んだ店はごくごく普通の喫茶店。

 全国に展開しているチェーン店、『カフェ・バローチェ』。

 俺も何回か小説の打ち合わせで編集の白金と利用したことがある。

 コスパよし、味よし、あと店員さんが優しい。

 バローチェ大好きだよな、俺。

 なんだったら年間パスとか売ってほしいぜ。

 

「しかし、あれだな。北神がこんな店を選ぶとは驚きだ」

「え? なにが?」

 話しながら二人で店に入る。

 先に注文をするため、カウンターに並ぶ。

「だって、あれだろ? お前のことだからBLコラボカフェとか選ぶんかと思った」

 まあ俺は母さんとよく付き合わされているから、耐性はあるんだが。

「嫌だなぁ、そういうのは別腹だよ」

「は?」

 話の途中で、女性店員が俺たちの番だと声をかける。

 

「いらっしゃいませ! 店内でお召し上がりですか?」

「はい、俺はアイスコーヒー。ブラックで」

「私は抹茶ラテで」

 オサレなもん頼みやがって、北神のくせして。

 

 支払いを済ませるとその場で飲み物を作り出す店員。

 その間、俺と北神は話に戻る。

 

「別腹とはどういうことだ」

「んー、今日は狩りに来ただけだから。軍資金も底をつきたし」

「要は金欠ってことだな」

 店員がキンキンに冷えた飲み物を満面の笑みで手渡してくれる。

 なに、この神対応。この店員さんと結婚て可能ですか?

 

 俺と北神は飲み物を持って、二人掛けの席に座った。

「ところで、北神。お前は一ツ橋に入った理由ってなんだ?」

「私?」

「ああ、お前も俺と同い年だろ? 全日制なら3年生の年齢だ。なぜこんな中途半端な時期に入学した?」

「そ、それはね……深い事情が……」

 急に口ごもる。

 なんだ、いじめか?

 

「言いたくないならいいんだ。俺の場合は小説家だから取材なんだがな」

「そうだったね! なんたって、あのBL作家、DO・助兵衛先生ですもの!」

 ザワつく店内。

 ねぇ、やめて。俺っていじめられているの? 今。

 

「違うだろ、ライトノベル作家だ!」

「またまたぁ~ DO・助兵衛先生は界隈ではライトノベル界に身を置いているけど、実際は腐男子で有名だよ」

 どこの界隈だよ? ソースはどこだ? 特定して訴えてやる!

 

「はぁ……まあどう捉えるかは読者に任せるさ」

 買ってもらえるだけ感謝しないとね。

「あのね…私ってこんな感じじゃない? だからよく誤解されるんだ……」

 俯いて恥ずかしそうにモジモジする。

「ん? 何がだ?」

「新宮くん家はホモ耐性あるじゃん?」

 サラッと酷いこと言うなよ!

 

「だから?」

「私、よく誤解されるの? 真面目でノーマルな女子だって……」

 涙を浮かべている。腐女子も悩む時あるんだな。

 俺はハンカチを渡してやる。

 北神は「ありがとう」と言って涙を拭いた。

 

「誤解ってのは?」

「さっきの質問なんだけど……実は私、昔全日制の高校の中退者なんだ」

「ほう」

「進学校でね、成績もまあまあだったんだけど。ある日、バレちゃって……」

 なんか答えが見えてきたぞ。

「それって……」

「うん、私がBL好きで百合好きで、エロゲ大好きなんだって!」

 大声で叫びやがったよ。

 店内からかなりのお客が去っていった、営業妨害は良くないぞ?

 

「そうか……」

 かくいう俺も引きつった顔で答える。

「バレた後、友達がどんどん離れていっちゃって! 私、何も悪いことしてないのに!」

 号泣しだしちゃったよ……。

 俺の身にもなってね? 喫茶店でBLだの百合だの大声で叫ばれてよ、しんどいって。

 

「一応、確認したいのだが……前の学校で北神の趣味で何かトラブルがあったのか?」

「ん? 女子高だったからつまんなくてね……ちょっと布教したぐらい」

「ちょっとってどのくらいだ?」

「同人誌を500冊ぐらいUSBメモリにぶち込んで、全校生徒に配ったぐらい」

 退学もんだろうが!

「それで、反応はどうだった?」

「みんな何も言ってくれなかった……」

 唇をとんがらせている。不満そうだ。

 

「だから辞めたのか?」

「ううん、その後もエロゲを配布したり、ASMRとか、動画とか……」

「待て、もう聞きたくない」

「え? そう? この後がおもしろかったのに……」

 恐ろしいんじゃ! お前は!

 

「で? どれが決定的だったんだ?」

「一番は大切な変態友達が私から去っていったこと」

 そらそんな事しよったら友達も逃げるだろ。

 しかもサラッと変態とか言うなよ、友達もお前までのレベルじゃなかったんだよ。

 

「なるほど……で、一ツ橋を選んだ理由は?」

「そのあと、プチひきこもりになって、毎日エロゲで遊んでたらママにいつも怒られてて……」

 よくそれだけで済んだよな。

「高校ぐらい卒業してほしいって言われたの……」

 なんかママさんの気持ち、わかるわ。

 こいつが全うな暮らしができるとは思わんもの。

 せめて社会に適合できるような大人に矯正してやらんと。

 

「そんな時、ネットで『BL 高校』で検索したら一ツ橋が引っかかって……」

「はぁ!?」

 どこの検索エンジンだ、バカヤロー!

「え、だって一ツ橋ってハッテン場としても有名なんでしょ?」

「う、うそ……?」

 頼むからウソだって言ってよ、北神さん!

 

「ええ、私の界隈では有名だよ? 昔ね、全日制の三ツ橋の生徒と通信制の一ツ橋の生徒が放送室でヤッちゃってて……」

 なにをだよ!

「その時、マイクのスイッチがONになっててね……全校生徒にバレちゃって」

 気がつくと店内は俺と北神だけが客になっていた。

 

「それからは一ツ橋の男子は三ツ橋の生徒をヤリにいくていう伝説があるんだよ♪」

 頭が痛い……。

「噂の間違いだろ?」

「ううん、ソースはBL界」

 ダークウェブから検索してません?

 

「ま、まあとりあえず、北神はオタバレ(変態)したことで退学したってことか?」

「退学じゃないよ? 自主退学」

 寛容な高校だな、その女子高。

 ほぼテロじゃん。

 

「だから宗像先生には入学する前に面談したとき、言ったの」

「なにを?」

「一ツ橋高校でBL、百合、エロゲを布教してもいいですか?って」

「ブフッ!」

 思わず、アイスコーヒーを吹き出す。

 

「それで……宗像先生はなんて答えた?」

「ん? 怪しい宗教じゃないなら、どんどん布教しろって」

 宗像のバカヤロー!

 

「で、進捗のほどは?」

 恐る恐る聞いてみた。

「クラスの女子は全員、腐ったね♪」

「そ、そっか……」

 終わったな、一ツ橋高校。

 もうあれだね。潰れると思うよ、あの学校。

 

「ねぇ、新宮くんってさ。今度の小説は何を書いているの?」

「ああ、ラブコメだよ。だから取材してんだ」

「相手はもちろん男だよね!?」

 ギクッ!

「い、いや……超カワイイ女子…だぜ?」

「ふーん、つまんない~」

 お前にだけは絶対、アンナちゃんは紹介してやんない!

 

「ねぇ、これは興味本位なんだけど……私でも取材対象になる?」

「はぁ!?」

 アホな声が出てしまった。

「だから、ラブコメのモデル」

「……」

 しばらく沈黙を貫くと、俺はアイスコーヒーを一気に飲み干した。

 

 そしてこう言った。

「考えておこう」

 まあ北神も黙っていれば、可愛いやつだからな。

 

「良かったぁ! これでオタサーを一ツ橋で結成できるね!」

「え?」

「だからサークル!」

「ちなみにジャンルは?」

「BL、百合、凌辱もの!」

「……」

 

 そう、北神 ほのかは黙っていれば、可愛い。

 口を開けば、変態というモンスターへと変身するJKなのだ。



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79 BLの申し子

 北神 ほのかのせいでカフェ・バローチェは客が全員出ていってしまった。

 先ほどの優しい女性店員も顔が真っ青。

 

 なんというテロリスト。

 

「ところで、北神」

「ん? なあに?」

「お前さ、なんでいつもJKの制服みたいな格好ばっかしてんだ?」

 そうこいつは私服がOKな一ツ橋でも制服みたいな姿で登校する。

 プライベートでも着ているとか、JKリフレのバイトでもしているんだろうか?

 

「ああ、これね。よく言われるんだ」

 そう言って苦笑いする。

「よく言われる……ということは、普段からその格好なのか?」

「うん、この服は前の高校の制服」

「なるほどな……しかし、なぜ辞めたのに未だに着ているんだ?」

「だって面倒くさいじゃん。毎日、服を考えるのってさ」

 笑顔で答える北神。

 それって女としてどうかと思うな。

 

「新宮くんだっていつも似たような格好じゃん」

 俺を指差して笑う。

 確かに俺は年がら年中、『タケノブルー』とジーパンだな。

「まあそうだが……俺はちゃんと数種類、持っている。だが、北神は全く同じ制服じゃないか」

 洗濯できないじゃん。

 

「え? 同じじゃないよ?」

 キョトンとした顔で俺を見つめる。

「どういうことだ?」

「この制服はあと5着持っているから毎日洗濯しているよ?」

「はぁ?」

 こいつバカだろう。

 同じ服を365日着るなんて、『いっちょやってみっか!』というセリフが似合う国民的戦士だけだ。

 

「前の高校辞める時に、ついでだからストック買っておいたの」

「へ、へぇ……」

 バカじゃん。

 

 

「ところで、新宮くん!」

 急に身を乗り出す北神。

 白いブラウスから乳袋がブルンと揺れた。

 そうか、こいつもデカパイだったな。

 キモいから近寄るな。

 

「ん? なんだ?」

「あのさ、ラブコメにはやっぱり取材が必須なんでしょ?」

 生き生きとした顔だ。

 こいつがこんな表情の時はろくなことがない。

 

「まあ俺だけかもしらんがな。実際に体験した方が書きやすいってことは事実だ」

「じゃあさ、必要だよね!」

 鼻息が荒い。

 なにを興奮してんだ、この腐り豚。

 

「なにが?」

 俺は冷たい声で、なおかつ汚物を見るような目で聞いてやった。

「BLと百合!」

「……」

 俺、もう帰っていいかな?

 

「なぜそうなる?」

「だってさ、ラブコメでしょ? BLと百合は必須だよ! あとエロゲ! おかずになるような小説を書くんでしょ!?」

「はぁ……」

「来月、『博多ドーム』でコミケやるんだよ!」

 もうこの時点でこいつの答えはわかっている。

 

「だからさ……コミケ取材しようよ!」

「それってラブコメ要素に必要か?」

「普通じゃん」

 おめーの中だけで普通レベルなんだよ、クソが!

 

「じゃあ一緒にいこうね♪」

「あ、いや……俺は」

「約束ね」

 そう言って小指を差し出す北神。

 笑顔が怖い。

 この感覚、BLか!?

 ニュータイプとは恐ろしいものよ……。

 

「いいだろう。しばらく行ってないしな」

 一応、小指で握手を交わす。

「ええ!? 毎回いかないの?」

 そんな当然のように言わないでくれる?

 

「母さんに連れていかれたぐらいだ。自分ではあまり好んで行きはしないな」

「異常だよ、新宮くんの年ならコミケでエロ同人買いまくるでしょうに!」

 あの……異常なのは君だからね?

 公共の場でさっきから18禁用語をベラベラと話してからさ。

 

「人それぞれだろ? 俺は映画が好きだから……別に二次元とか抵抗はないけど、好んで見るタイプじゃないんだよ」

「ええ……ないわ~」

 こいつ超ウゼェって顔で、睨まれる。

 俺ってそんなに悪いこと言ったの?

 

「よし、決めた!」

 胸の前で手をパシンと叩く。

「え?」

「新宮くんはこの北神 ほのかがめっちゃくちゃに腐らしてあげる!」

「……」

 なにこれ? 逃げられないの?

 俺の選択権、どこ。

 

「いや、いいです……」

「ダメだよ、新宮くん! 人の好意を無にしたら!」

 それって悪意じゃないですか?

「だから、俺は…」

「皆まで言わないで! 新宮くんはBL界の救世主にして、サラブレッドなのよ! 言わば、BL界のために生まれてきたと言っても過言ではないわ!」

 なに言ってんだ、このバカ。

「だからこそ、新宮くんには腐ってほしい!」

 拳を作り、苦い顔をする。

 

「ラブコメなんでしょ!? じゃあコミケは絶対に必須イベントよ!」

「は、はぁ……」

 なんだか新種の詐欺にあっているようだ。

「決戦は5月のゴールデンウイークよ!」

「へぇ」

 俺はもう呆れかえっていた。

「軍資金を用意しておいてね♪」

「なんで俺が買うこと前提で話しているんだよ?」

「だって買うでしょ? BL」

 当たり前のように言うなよ、敷居が高すぎる。

 

「あのな、俺は男だぞ? アウェイだろ? その界隈」

「いいえ! そんなことはないわ! そういう風潮こそナンセンスよ!」

「風潮?」

「ええ、そうよ! それって男女差別じゃない?」

「いや、そもそもBLって女性向けだろが」

 というか、読みたくない。

 

「それが間違っているのよ!」

 テーブルをドンッ! と叩く北神。

 こいつ、こんな熱いキャラだったか?

「つまり?」

「じゃあ女の子がエロ本やエロゲを買ったらダメなの?」

「悪くはないさ……しかし、ネットとかで買っちまえばいいじゃないか? 作者の脳内を覗き見るような行為だ。しかも同人会ならば、趣味のうちだろう。作者やサークルが可哀そうだろ」

 知らんけど。

 

「そんなもん、ぶっ壊してまうのよ! 私の夢は国境なき同人活動よ」

 永遠に鎖国してしまえ。

「まあ夢を持つことは悪くないさ」

 儚くも気持ちの悪い夢だが。

 

「そう、可愛ければなんでもいい! 愛さえあれば、どんな壁だって乗り越えられるはずよ!」

 良い言葉なんだけど、動悸がねぇ……。

「わからんでもないが……」

 わかりたくもない。

 

「さあ、一狩り行こうぜ! DO・助兵衛先生!」

「その名前で呼ぶのやめてくれ……」

 こいつと話していると自分のHPがどんどん削られるのがよくわかる。

 

「じゃあこれからはなんて呼べばいい?」

「新宮でも琢人でもいいよ……」

 もうどうでもよくなっていた。

 

「なら琢人くんね♪ 一緒に同人取材しましょ!」

「まあやってみるか……」

 なんだろうな、長時間に渡って軟禁されていたせいか、NOという返答ができなかった。

 言わば、正常な判断ができない状態だったのだ。

 

「じゃあ来月ね♪ L●NE交換しよ」

「あ、それだけは無理」

 キッパリと断っておいた。

 だってアンナに怒られること必須……というか刺されるかもしれない。

 

「ええ…なんで?」

「秘密事項だ。作者としてな。メルアドや電話番号ならばよし」

「じゃあ、それでいいよ……」

 なんだか不服そうだな。

 

 俺と北神は連絡先を交換して、喫茶店を出た。

 

 

「そう言えば、新宮くんって家はどこ?」

「俺か? 真島だよ」

「真島かぁ。私、行ったことないんだよねぇ」

 と言いつつ、空を見て何かを考えている。

 

「あのさ、真島って有名なところがあるよね?」

 嫌な予感。

「前の高校でさ。変態友達が教えてくれたんだ。真島にはすごいBLショップがあるって。店主はガチホモで、その子供もホモガキ。それから店のトイレではハッテン場にもなっているらしいね♪」

 ああ、やっぱりこの展開か。

「それ、俺の家」

「……」

 黙り込む北神。

 

 さすがの変態バカでも俺の家の噂を聞けば、ドン引きだよな。

 

「……ごい」

 ボソッと呟く。

「え?」

「すごすぎる! 新宮くんの家庭! やっぱり、新宮くんはBL界の救世主よ!」

 あの、ちょっといいですか?

 俺は誰を助ける役なの?

 

「今度、遊びに行っていい!?」

 目が血走っているよ、サイコパスじゃん。

「まあ客として来るなら……」

「約束よ!」

 

 はぁ……俺の家はどんどん荒んでいくな。

 そろそろ一人暮らしでも考えるか。



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80 お土産は薄い本

 俺は変態JKこと、北神 ほのかと別れた……というか、逃げてきた。

 あれが世にのさばっている時点でこの国も終わりだな。

 なにが「国境なき同人活動」だよ。

 要は変態同人誌をバラまきたいって言っているようなもんだろうが。

 

 帰宅すると、玄関で不満げにこっちを睨む妹、かなでがいた。

「おかえりなさいですわ……」

 口をとんがらせて、横目でこちらを睨む。

「ただいま。どうした? かなで」

 腕を組んで壁に背を預けているのだが、中学生にしてはデカすぎる胸がモニュッとワンピースから上にはみ出る。

 

「どうしたって……最近のおにーさまは冷たいですわ!」

「なにがだ? 昔からお前には冷たく対応しているつもりだ」

 乳がキモいし、趣味もキモいし、全体的にキモいし。

 

「そういう事じゃないですのよ!?」

 なんだ? 今日はやけに機嫌が悪いな。

「つまり?」

「毎日毎日、遅くまでコソコソと誰かと密会していらっしゃるじゃないですか!?」

「そ、それは……」

「絶対に女ですわ!」

 鋭い……。

 

「どうせ童貞を捨てるなら、そんじょそこらの小便臭い女より、このかなでの処女をもらってくださいまし!」

 なに言ってんだ、この妹。

 それにお前の方が中学生で小便臭そうだし、イカ臭そう。

 

「あのな……かなで。なにか勘違いしていやせんか? 俺は恋愛なんてしてないぞ。確かに複数の女性と会っていたことは事実だが」

「な、なんですって!?」

 顎が外れるぐらい大きな口を開ける。

 のどちんこが丸見え。

 

「おにーさまのハレンチ野郎!」

 うるせーな、こいつ。

「だからといって、恋愛関係に至っているわけではない。あくまでも取材だ。今日もほれ……」

 そう言ってリュックサックから薄い本を取り出す。

「お土産だ」

 

 タイトル

『真剣十代、ヤリ場! らめぇ、お兄ちゃん! ボクは男の娘だよぉ~』

 とかいうクッソやばい同人誌だが。

 

 それを見るや否や、かなでは奪い取るかの如く、同人誌を素早く自身の手にする。

「こ、これは……巷で話題のクッソエロい同人誌!」

 はぁ、中学生の妹が発言することではないな。

 

「おにーさま、だーい好き!」

 さっきまで不機嫌だったくせに、かなでは大喜びして俺に抱きつく。

 キモい乳がプニプニと俺の胸に当たる。

 

「は、離れろ……かなで」

「嫌ですわ~ おにーさまはかなでのことが大好きなんですね♪」

 どうやったらそんな解釈になる?

「だってぇ、こんなクッソエロい男の娘ものを買ってくるお兄さんは世界で一人だけですわ♪」

 え? そう言われるとそうだよな。

 どこの兄貴が妹のおかず本を物色してくるんだよ? って話だぜ……。

 俺の人生、もう終わってる気がする。

 

「あらぁ、楽しそうね、二人とも」

 振り返ると眼鏡を怪しく光らす腐り母が。

「あ、おっ母様! おにーさまがかなでのために、クッソエロい同人誌を買ってきてくれたんですわ!」

「へぇ……タクくん。今晩、かなでちゃんとヤル気? そんなことで腐女子を落とせるとでも思っているの?」

 なにを言っているんだ、このババア。

「嫌ですわ、おっ母様ったら……かなではまだおにーさまと身体を重ねるには心の準備が……」

 エロ同人誌を大事そうに抱いて、ツインテをブンブン左右に振り回すかなで。

 あの、俺は最初から準備なんてしてないからね?

 

「ところでタクくん……例のブツは?」

 ヤクザの取引かよ。

 BLの話になると怖いんだよ、この母親。

「母さんには頼まれたものを買ってきたよ」

 リュックサックからもう一冊同人誌を取り出す。

 

 タイトル

『俺のハッテン場はヤリ目だらけ』

 酷いタイトルだ。

 すべてのホモに謝ってほしい。

 時代はLGBTQプラスだというのに、この界隈は無慈悲だ。

 

「なん……だと!?」

 驚愕するアラフォー女。

「ん? 母さん、間違ってたか?」

「いいえ……噂以上のブツだわ! 今晩はこれでBLママ友とオンライン飲み会できるってもんだわ!」

 目が血走ってるよ……クソキモ!

 同人誌を手に取ると、俺とかなでの存在をなかったかのように熱中して食い入るように読み始める。

 するとブツブツ言いながら去っていった。

 歩く変態だ。

 

「やっぱりうちの家族って仲がいいですわよね♪」

 ニッコリと笑うかなで。

「なあ、俺たちって歪んでないか? 家族として……」

「健全すぎるぐらいですわよ♪」

「そ、そうか……」

 俺は疲れからか、自室に入ると仮眠することにした。

 

 

 ~数時間後~

 

 ピコン!

 

 スマホの通知音で目が覚める。

 画面を見ると見慣れない名前だった。

 北神 ほのか。

 

 メールを開くと

『YO! チェックしときな、ダンナ!』

 と訳のわからんメッセージと共に、何かのファイルが複数、添付されていた。

「なんだ?」

 俺はなにも考えず、ファイルを開く。

「うえ!」

 そこには目を覆いたくなるようなデータが。

 

 俺は忘れていたんだ、北神が普通のJKでなかったことを。

 彼女が俺に送り付けた大量のファイルは全部BLのマンガ。

 だが、お世辞にもあまり上手いイラストだとは思えなかった。

 ストーリーやエロ描写としてはエグい……のでそっちの界隈からしたらおかずになるのだろうが、素人の俺からしても、絵は全体的に下手だった。

 

 作者の名前を見ると『変態女(へんたいおんな)

 誰だよ…。

 そう思っていると、新たな通知音。

 

 メールを開くとまた北神 ほのか。

『忘れてたけど、自作だよ!』

 てめぇの煩悩かよ!?

 

 そう考えると北神の後頭部にチャックがあったとして……それを開いて覗き見しているような妙な感覚を覚えた。

「クッソきめぇ……」

 俺はファイルをそっと閉じた。

 

 するとまた通知音。

『あ、遅くなってもいいから感想ちょうだいね』

 えええ!? 感想を言う前に読みたくない!

 

 更に追い打ちをかける変態女先生。

 

『これも琢人くんの取材のうちだからね! 読まないとダメだよ! ラブコメのためだよ♪』

 ラブコメってBLジャンルのうちなんですか?

 

「どうしたんですの、おにーさま?」

 二段ベッドの下から、かなでが心配そうにこちらを見上げていた。

 ノートPCで絶賛男の娘を楽しんでいらっしゃる。

 ちな、エロゲー。

 ヘッドホンもなしに大音量でプレイしている。

 

『ら、らめぇ! おにーちゃんの太いのがボクのア●ルにぃぃぃ!』

『ボ、ボクとチャンバラごっこしてぇぇぇ!』

『ダメだよ? 外に出してぇ! じゅ、受精しそう!』

 いや、男同士なら妊娠しないから。

 今のところ。

 

「かなで。お前、俺の代わりにBLマンガを読む気はないか?」

 そう…逃げたかったんだよ。

 業務委託。

「ええ……かなでは抜ける男の娘しか、興奮しませんもの」

 その発言も異常。

「だよな」

 

 俺は北神 ほのか基変態女先生のBLマンガを読むことにした。

 しんどっ!



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81 滝行、BLの嵐

 俺はスマホに送られてきた、北神 ほのかの自作BLマンガを読んでいた。

 内容と言えば、これまた酷いストーリーだった。

 

 ノンケの少年と普通の少女が公園をデートしていたら、大柄のおっさんに拉致され、

 少女を縄で縛ると、おっさんが襲った相手は……少年の方。

 

「いや……この時点で何かおかしい」

 

 事を終えたおっさんが「悪く思うなよ、坊主」と言い残し、去る。

 ゴミのように扱われ、心身共にボロボロにされた少年は気がつく。

『自分はホモだったんだ……』と。

 そして、縛られていた少女を残し、襲ってきたおっさんの行方を探しに、夜の街へと繰り出すのだった……。

                   完

 

 

「……なんだ、この胸糞展開」

 俺は自身でも暴力描写が多いライトノベル『ヤクザの華』などを書いていたが、こんな美のない暴力は反対だ。

 しかも、デートしていた少女を助けず、襲ったおっさんを求めている時点でこの少年は終わっているだろう。

 

 正直、読んでいて胃が痛くなってきた……。

 これがラブコメに活かせるのか?

 

 北神がこんなものを夜のおかずにしていると思うとゾッとする。

 

 そのほかの作品もだいたいそんな酷い設定やストーリーばかりで、基本おっさんが襲うものばかりだった。

 決まって狙われるのはノンケ少年。

 

「もう嫌だ!」

 俺は北神が送ってきたマンガを閉じた。

 

 母さんの作品を何度か見てきたが、BLとはここまで奥が深いとは……。

 これは本当に娯楽なのか? 苦行だろう。

 

 まあしかし同じ作者として言うならば、もう少し画力を上げてほしいものだな。

 とりま、感想でも送ろっと。

 

 俺は北神に早速メールでBLマンガの感想を送った。

 

『全部、読んだぞ』

 すぐに返信がくる。

『感想は? どうだった? 抜ける?』

 抜けるか、バカヤロー!

 

『俺はそっちの気もないし、BLもあまり詳しくはないが、まあ凌辱ものとしてはいいんじゃないか? 少年が哀れで……』

 というか、その後が心配。

『でしょ!? ショタを襲うおっさんがいいよね~』

 よかない。

 

『まあ、あとは画力の方だ。少年の方はまだいいとして、おっさんが描写不足だと思う』

 少女マンガとかでありがちだが、男性らしさが欠けていた。

 例えば、青年のキャラにしわだけを足したような男なのだ。

 おっさんというカテゴライズにおいて、汚らしさ、臭そう、ヒゲなどは重要だろう。

 

『そっか……ヒロインのおっさんがか。どうすればいいかな?』

 え!? おっさんがヒロインなの?

 

『俺はマンガ家じゃないからわからん。しかし何においても取材は肝心だと思う。つまり街を歩くおっさん、特にきったねぇなコイツ! って思うオヤジをモデルにしたらどうだ?』

 一体なんのアドバイスをしているんだ、俺は……。

 

『なるほど! さすがDO・助兵衛先生だね! BLの大御所!』

 誰が大御所だ!

 

『今日のところはこれでいいよ。ありがとう、琢人くん。おやすみ』

 なんだろう、下の名前で呼ばれて、変態JKだが、ちとドキッとした。

 

 BL作家、変態女先生の感想を書き終えると、俺はリビングに向かった。

 スマホをテーブルに置き、キッチンに入る。

 喉が渇き、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出す。

 コップに注いで飲んでいると、母さんもリビングに入ってくるのが見えた。

 

「うええ~ タクくん、進捗はどうですが~」

 手に持っているのはジョッキグラス。

 眼鏡が傾いている。

 この様子だとかなり飲んでいるな、この母親。

 

「母さん、また飲んでいるのか?」

「いいでしょ~ かーさん、(ろく)さんいないから寂しいんだもん」

 あ、忘れていた、六さんね。

 六弦(ろくげん)とかいう、無職のクソ親父ね。

 

「ちょっとぉ、いい? 氷、取りたいのぉ」

 足がフラフラしている。これが毎日だ。

 完全にアル中だよな。

 

「貸せよ。俺が入れるから」

 酔っ払いにやらせると後が怖い。

 この前なんか氷と思って、きゅうりをジョッキに入れて「うまい、うまい」言うて朝まで喜んでいたもんな。

 

「優しいのねぇ……タクくんは。本当に六さんに似ているわ……」

 テーブルに腰をかける。

 酔っぱらってはいるが、この様子だとかなり親父のことで落ち込んでいるようだ。

 まあ母さんも一応、女だしな(BLの変態だけど)

 

 冷蔵庫から大きめの氷をジョッキ一杯に入れてやる。

 グラスを雑にテーブルにドンッ! と置く。

「ほれ、入れたぞ」

「うーーん」

 気がつくと母さんはジョッキよりも他のことに関心が移っていたようだ。

 

 その視線は俺のスマホにある。

「な! 母さん、なに人のスマホを見ているんだ! プライバシーの侵害だぞ!」

 それ、思春期の子供に一番やっちゃいけないやつだよ?

「いいじゃん、タクくん~」

 うわぁ、めんどくせーな、酔っ払い。

 

 そう言ってヘラヘラ笑うと俺のスマホをいじり倒す。

「さいぎんさ~ タクくん、毎日のように外で誰かと会っているじゃーん。母さんにも紹介してよ~」

 鋭い……だが、それだけはご勘弁願う。

「母さんには関係ないだろ!」

 語気が強まる。

 これはきっとアンナという隠したい存在が俺を感情的にさせているんだ。

 

「まっ! タクくんたら今頃反抗期なの?」

 ちゃうわ。

「うわーん! 私のBL子をノーマルにする女は誰よ! こうなったらメール見てやるぅ!」

 泣き叫ぶと母さんは俺のメールアプリを開いてしまった。

 そこに写ったのは……北神 ほのかという名。

 

「この子ね! 私が大事に育てたBL子をノンケの世界へと誘惑するどビッチが!」

 いや、北神は限りなくお前の界隈だろ。

 

 メールの内容を見て、沈黙する。

「母さん、もういいか? その子はただの友達だよ、クラスメイト」

 こんな変態JKと誰が恋愛関係になるかよ……。

 死ぬだろ。

 

「……」

 黙り込んで、スマホを凝視する。

「どうしたんだ? 母さん……」

 俺もスマホを覗くとそこはもうメールの文章ではなく、添付されていた北神のBLマンガだった。

 ヤベッ、削除しとけばよかった。

 

「なん……てことなの!?」

 口に手を当てて驚きを隠せない琴音さん。

「これな、酷いマンガだろ? 彼女の自作らしい」

 さすがの母さんもこんな凌辱ものは受け付けないだろう。

 

「…こ、これは……天才よ!」

 傾いていた眼鏡を直し、まじまじとマンガを何度も読み直す。

 急に目がキラキラと輝きだすのが俺でもわかる。

 父親がいなくてさびしかったんじゃないのか?

 

「こんな美しい愛は見たことがないわ! ちょっと、タクくん。スマホ借りるわね」

「え? ちょ、ちょっと。俺のだぞ……」

 そう言った後には、時すでに遅し。

 母さんの動きは早かった。

 

 自室に戻って5分でプリントを終え、ホッチキスで簡易的ではあるが製本を終えていた。

 

「タクくんが買ってきてくれたBL同人も良かったけど、この『変態女』先生の作品は最高だわ!」

 なんて輝かしい笑顔なんだ……。

 まあ落ち込んで酒ばかりに逃げる母さんより、BLで笑ってくれる母さんの方がマシかな。

 

「そ、そうか……勝手に布教すんなよ。それ、俺が書いたやつじゃないし」

 書きたくもないし。

「わかっているわ! この先生はいずれ必ず商業界にまで昇り詰めるお人よ!」

 ええ、俺も一応、商業出ているんすけどね……。

 北神の方が上なのかな、自信無くすわ。

 

「この子をお嫁にもらいなさい!」

 迫真、真島のゴッドマザー。

 顔が怖い。だが断る。

 これ以上、家に変態が増えるのはごめんだ。

 

「なんで母さんが俺の嫁を決めるんだよ?」

 ちょっとイラッとした。

「え? 他に好きな子でもいるの?」

 問われて、戸惑った。

 母さんに言われて、すぐに思い出したのは古賀 アンナ。

 彼女の笑顔が脳裏から離れない。

 

「べ、別にいないよ!」

 そう言うと俺は母さんからスマホを奪い取り、逃げるように自室へと走り去る。

「ちょ、ちょっと、タクくん……」

 母さんの反応は気がかりだが、敢えて無視した。

 

 なぜならば、俺の頬が熱くなっていて、今、母さんに見られるときっと何かを感じ取られると思ったからだ。

 ドアを閉めて、ベッドの梯子に手をかけた瞬間だった。

 

「おにーさま、顔が赤いですわよ?」

 忘れてた、かなでが同室だったんだ……。

「おっ母様に自家発電しているところでも見られたんですの?」

 

 ああ、妹がバカでよかった。



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第十二章 遊園地はハプニングだらけ
82 決戦は日曜日


 きょうはにちようび、ぼくはいまからだいすきなおんなのこ。

 かわいい、かわいい、アンナちゃんとえんそくにいくんだ!

 あー、おひさまがはれててよかったなぁ♪

 

「アホか、俺は……」

 電車内で暇だったのでラブコメ用のプロットを書いていたら、幼稚な日記になっていた。

 

 真島駅から二駅で目的地の梶木駅に着く。

 L●NEでアンナは珍しく先に梶木で待っているとのこと。

 俺は電車から降りて、駅舎から出る。

 

 すると近くから声をかけられた。

「タッくん、おはよう☆」

 振り向くと、アンナの姿が。

 

 今日も戦闘態勢万全だ。

 ブロンドの長髪を三つ編みにして首元で二つに分けている。

 左右にリボンがついたプリーツのミニスカートに、ピンクのレースだらけのブラウス。

 足元はピンクのローファー。

 両手には少し大きなピクニックバスケット。

 

 可愛い。マジ天使。

 毎回だが、見とれてしまう。

 

「ああ、おはよう。アンナ」

「じゃあ、タッくん。さっそくかじきかえんにいこう☆」

 そうだった、今日の取材はなんと遊園地。

 しかも、ただの遊園地じゃない。

 幼児向けの遊園地と言ってもいいだろう。

 

 なんせ幼稚園でどこに遠足に行く? と聞いたら、皆声を大にして言うだろう。

「かじきかえん!」と。

 それぐらい、おこちゃま向けなんだ。

 

 だからして、俺とアンナ……いや、大の男が二人して遊びに行くのはちょっとためらいがある。

 恥ずかしいんだよ、素直に。

 

「さ、いきましょ☆」

 アンナに強引に手を引っ張られて、梶木のセピア通りを歩いた。

 

 その後、通りを抜け、国道に出ると近辺にある女子大のところで細い道へと曲がる。

 女子大の校舎裏を歩いていく。

 左手を見ると線路があり、JRではなく西鉄線の小さな路線だ。

 木々と学び舎に囲まれながらしばらく道を歩いていると、かじきかえんが見えてきた。

 

「うわぁ、かじきかえんだよ! タッくん☆」

 目をキラキラと輝かせて、喜ぶアンナさん。

 あんた、年いくつ?

「かじきかえんだな……」

 まぎれもなく。

 

 遠く離れていても、子供たちの歓声や叫び声が聞こえる。

 ジェットコースターだのコーヒーカップだの……。

 と言っても、遊園地的にはレベルが低い。

 

 なぜならば歴史も古い遊園地だし、かじきかえんと言う名からして、元々は梶木花園という名称だったのだ。

 つまり、園内にある花々を楽しむのがかじきかえんの本来の目的と言えよう。

 だから幼児向きなんだよ。

 幼児は高層からぶっ飛ばすジェットコースターなんて必要ないだろ?

 それに乗れないじゃん。

 

 入口に着くと以外にも長蛇の列。

 ほぼ、家族連れ。

 それも小さな子供を連れた若い夫婦や孫を連れたおばあちゃんなど。

 カップルなんてほぼいない。

 なんか悪目立ちしてね?

 

 俺とアンナは園の入場券とフリーパスを購入し、門をくぐった。

 

 すぐに目に入ったのは観覧車。

 と言っても、大型の遊園地に比べれば、小さなものだ。

 

 アンナと言えば、入場する際にもらったパンフレットを開いて、「まずはどこにいこっかぁ」とワクワクしているようだ。

 

「どれ、俺にも見せてくれ」

 なんせ10年ぶりぐらいだかな。

 子供の時に来た時よりも遊具や施設がだいぶ変わっていた。

 

 地図を見て俺は驚愕した。

「なん……だと!?」

 かじきかえんという名称のあとに書かれていたのだ。

 『バルバニア ガーデン』と。

 バルバニアと言えば、バルバニアファミリーで有名な女の子向け玩具のことだ。

 ウサギやらネコやら可愛いらしい人形たちを、おままごとに遊ぶことを主体としている。

 

 注意、主に女の子が扱います。

 

「どうしたの?」

 アンナがキョトンとした顔で俺を覗く。

「だって……バルバニアファミリーがなんでかじきかえんに?」

 それもそうだ。

 かじきかえんといえば、ハチのマスコットキャラ『ピートくん』が既にいるじゃないか?

 なぜ、バルバニア?

 そんなメジャーキャラだったら、ピートくんが殺されるぞ!

 

「え? バルバニアがあるから来たんだよ?」

 当然のように答えるアンナ。

 マジ? それが目的なの?

「なぜだ?」

「だってバルバニア、可愛いでしょ☆ 昔から大好きだったんだぁ☆」

 あー忘れてた、姉のヴィッキーちゃんの英才教育のこと。

 

「つまりあれか? バルバニアとコラボしたから、かじきかえんで遊びたかったのか?」

「ううん、別にそれだけが目的じゃないよ? かじきかえんって昔はよく家族と来たから、タッくんとも来たくて……」

 どこか遠くを見るような目だ。

 きっと死んだ両親のことを思い出しているのだろう。

 つまり、家族と共有した楽しみを俺とも分かち合いたい……ということかもしれないな。

 

「なるほど……俺は保育園の遠足ぶりだよ。実に10年以上前だ」

 ていうか、小学生になってからは行こうとも思わなかった。

「そうなんだ☆ ならほぼ初めてみたいなもんだよね☆ アンナに任せて! ちょくちょく一人で来てるから☆」

 マジかよ! ミハイルモードでこのおこちゃま遊園地を一人楽しむとかどんだけぼっちなんだよ。

 なんかかわいそう。

 

「そ、そうか……じゃあ、まずどこで遊ぶ?」

「うーん……やっぱり汽車ぽっぽから始めよう!」

「え?」

 なにその遊具、そんなダサい名前の遊具聞いたことないぜ?

 

「ほら、あれだよ☆」

 と言って彼女が指差したところには入口からすぐ右手にある鉄道機関車。

 その名も『森の鉄道』

 いや、全然名前違うじゃん。

 改名すんなよ、アンナ。

 

「ああ、なんか幼い頃に乗ったことがあるような……」

 だから汽車ぽっぽなんておこちゃま用語が出てきたのか?

「そうそう、あれに乗るとテンション爆アゲだよ☆」

「へ、へぇ……」

 俺とアンナが森の鉄道に向かうとすでに先客がいた。

 主に鼻水垂らしているような赤ちゃんとかオムツがズボンからモッコリしているような、がきんちょ共。

 大人と言えば、マザーやファーザー。

 俺たちみたいな大きなお友達なんて、誰もいないぜ。

 

「楽しみだね、タッくん☆」

「そうだな……」

 前を見ると抱っこされた赤ちゃんが俺たちを見て、指をくわえていた。

 無言で見つめている。

 まるで、「てめぇら、来るところ間違えてやせんか?」とでも言いたげだ。

 なんかめっさ恥ずかしいし、罪悪感すら覚える。

 

 俺たちの番になり、大人二人がどうにか入れる機関車の中に入る。

 ギッチギチ。

 アンナの細くて白い太ももがビッタリ俺の足にくっつくほど。

 これはこれでアリだな……。

 恥をしのんで待ったかいがあったってもんだぜ。

 

「それでは、よいこのみなさーん! しゅっぱつしますよ! 立ったり暴れたりしないでくださいね~!」

 スタッフが律儀にも事故のないよう、注意してくれる。

 この年で暴れたら、ヤバいやつだろ……。

 

「しゅっぱーつ! いってらっしゃーい!」

 ポーッという音と共に汽車は走り出した。

 と言っても、ものすごーく緩やかなスピードで。

 

「走ったよ☆ タッくん!」

「そ、そだね」

 正直浮いていた。

 

 走り出すと外で待っている幼い子供たちやお父さんお母さんたちがじーっと俺たちを物珍しそうに見ていた。

 別に悪意なんてないのだろうが、明らかにこの遊具は幼児向けだからな。

 待っている身からしたら、「お前らの遊ぶとこじゃねーだろ」と突っ込みたい気持ちがよくわかる。

 

 そんな俺の葛藤をよそにアンナは嬉しそうに汽車ぽっぽを楽しんでいた。

 

 機関車と言ってもそんなに敷地があるわけでもなく、所々にバルバニアのキャラやピートくんの人形が立っていて、それを子供たちが指差して「あーあー」だの「バルバニ!」だの興奮して叫んでいた。

 そう、やはりここは俺たちのような第二次性徴を終えた人間の遊ぶところではない。

 だがアンナちゃんは違う。

 

「見て見て! バルバニアだよ! 可愛い~」

 そう言って、スマホで写真を撮る。

 やめてぇ、アンナさん。

 なんだか俺の方が恥ずかしくなってきた。

 

 かじきかえん先輩、思った以上に難易度高めです。



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83 わがままなカノジョ

 楽しい楽しい汽車ぽっぽこと森の鉄道を遊び終えると、次なる遊具を探しだすアンナ。

「次はどうしよっか☆」

 めちゃくちゃ楽しそうで何より。

 

 森の鉄道を出てすぐに見えたのが、大きなジェットコースター。

 小規模な遊園地にしてはかなり高い。

 その名もペガサス。

 俺はまだ流星拳も覚えてないのに……。

 

「次はジェットコースターにしようよ☆」

「ま、マジか……」

 俺ってこういうの苦手なんだよなぁ。

 

 アンナに手を握られ、強引にペガサスの乗り場まで連れていかれる。

「早く早く!」

「そんな急がなくても……」

 本当、おこちゃまだな、アンナは。

 

 先ほどの森の鉄道とは違い、ペガサスは年齢制限や身長などの規定があるため、幼児は少なく割と空いていた。

 階段を昇り、すぐにジェットコースターの座席に座る。

 それも一番前。

 

「ドキドキするぅ☆」

 言いながら、めっさ嬉しそうやん。

 俺はと言えば、けっこう緊張していた。

 と言うのも、以前来た時は幼かったため、ジェットコースターは未経験だからだ。

 そう思っているのも束の間、車輪が動き出す。

 不気味にガタガタ……と車体が揺れ、俺の鼓動は早くなる。

 

「アンナは怖くないのか?」

「え? アンナ初めてだから、楽しみ☆」

 マジかよ。

 ジェットコースター童貞同士仲良くしようぜ。

 

 次第にコースターは高く高く空へと昇っていく。

 気がつくと、かじきかえん近くの梶木浜(かじきはま)の海が見える。

「わあ、キレイ……」

「本当だな」

 二人で景色に感動したと思った瞬間、コースターが勢いよく落下。

 風と重圧で押し潰れそうになる。

 

「うおおおおお!」

 思わず、叫んでしまった。

 だが、思っていたより怖くない。

 むしろ、スピードと縦横無尽に暴れまわるジェットコースターが爽快に感じた。

 

「楽しいな、アンナ!」

 ふと隣りの彼女に目をやると先ほどの威勢はどこにいったのか。

 当の本人は目をつぶって歯を食いしばっていた。

「うう……」

 なにかを我慢している様子だ。

 

「いやああああああああ!」

 甲高い叫び声だ。

 まるで女のよう。

 あ、今は一応女の子だったね。

 

「タッくん~ アンナ、怖いいいい!」

 ええ、マジで? 楽しくね、これ。

 気がつくとアンナは俺の左手を握っていた。

 それもかなりの強い力で。

 

「いててて!」

 ジェットコースターよりアンナさんの握力の方が破壊的です。

 

「いやあああああ!」

 彼女の叫び声が大きくなる度に握力も強まる。

 指の骨が折れそうなくらい。

 

「ってええええ!」

 これがエンドレス。

 気がつくとジェットコースターを楽しむ余裕もなく、俺は痛みとの格闘で楽しむどころではなかった。

 

 

「お疲れ様です~!」

 

 スタッフの案内で地獄の拷問ジェットコースターは終わりを迎えた。

 なんて、ヤバイ遊具なんだ。

 二度とごめんだ。

 

「はぁはぁ……」

 アンナは肩で息をしている。

 だが、それは俺も同様だ。

「ぜぇぜぇ……」

 

 二人とも顔色を真っ青にして、ジェットコースターから降りた。

 

「怖かったねぇ」

 いや、あなたが一番怖かったよ。

「そ、そうだな……ジェットコースターはもうやめておこう」

 永遠に。

 

 

 その後、いろんな意味で憔悴しきった俺たちは、「今度は緩めのやつにしよう」と互いに合意し、なるだけ優しい遊具を探した。

 ジェットコースターを出て、しばらく園内中央へと向かうと幼児向けと思われる小さな遊具がたくさん見えてきた。

 

「あれなんかどうかな?」

 アンナが指差したのはとても小さな遊具。

 その名も『ウォーターショット』

 乗り物から水を放出するウォーターガンがあり、時計回りに一周する。

 そして、回っている間に的を水で射る……というとてもシンプルかつおこちゃまな遊具だ。

 まあこれなら先ほどのような拷問はありえないだろう。

 

「よし、これにしよう」

 

 早速、二人して仲良く乗り物に乗る。

 ウォーターガンはふたつある。

 

「勝負だ、アンナ」

「うん☆ 勝ったらどっちのお願いを聞く権利ね☆」

「へ?」

 俺が驚いたときには勝負の幕開け。

 

 アンナはものすごいスピードで銃を構えて撃つ。

 水は勢いよく、可愛らしいゾウさんやらネコちゃんたちのパネルをバシバシと倒していく。

「なっ! アンナ、まさか経験者か?」

「だってこれは来たら必ずやってるもん☆」

 へぇ、ぼっちでこれやってんの? 最強のメンタルじゃん。

 周りの人、見ろよ。

 大半が幼児だぜ?

 

「俺も負けてられん!」

 ウォーターガンを構えて引き金を引く。

 しかし、水は思うように出なかった。

 アンナのように勢いがない。

 引き金をひき続けると、水が自動的に水量を制限する仕組みのようだ。

 ちょぼちょぼ……とまるで、老人の小便のような勢いだ。

 なんて情けない。

 

「なぜだ?」

 するとアンナが勝ち誇った顔で言う。

「これはね、すごくクセがあるんだよ? 一定の間を置きながら引き金を引かないと強く出せないの」

 言いながらも次々、的を倒していくアンナ。

 その姿、まるでキイヌ・リーブスの『ジョン・ヴィック』みたい。

 超イケメン暗殺者じゃん。

 良かったじゃん、就職先決まって。

 アングラだけど。

 

「負けてられるか!」

 俺も負けじと連射するがやはり勢いが足りず、的には当たるが、倒れない。

 なんて高等テクニックなんだ!

 こんな難易度の高い遊具を幼児が遊ぶのか?

 かじきかえん……侮れない。

 

 そうこうしているうちに、一周回ってしまい、バトルは終了。

 アンナが30個以上倒したのに対し、俺は5個ほど。

 完敗だ。

 

 乗り物から降りて、園内を歩く。

 

「くっ! 俺の負けだ!」

 おこちゃま遊戯だと言うのに、なんなんだ? この屈辱は……。

「はい、じゃあアンナのお願いを何でも聞いてくれるんだよね☆」

 優しく微笑むがこの顔、計画犯。

 こいつは事前にウォーターガンのくせを認識していた。

 最初から俺が負けること前提の勝負だったんだ。

 

「う、うむ。負けたのは事実だ。願いを聞こう」

「う~ん、じゃあねぇ……」

 人差し指を顎に当てて、何かを考える。

 

「アンナの好きなところを10個教えて!」

「は?」

 なにそれ……。

「だからタッくんが好きなアンナの好きなところ☆ 容姿でも内面でもいいから」

 ええ、ドン引き罰ゲームじゃないっすか。

 男同士でそんなの言い合うなんて、誰得?

 

「わ、わかった……」

「じゃあ、あそこに座ってから教えて☆」

 アンナが案内したのは円形の壁で覆われた長いす。

 いすも壁同様に円形の形をしていて、10人ぐらいは座れるんじゃないだろうか?

 園内にいる子供や親たちはみんな遊具ばかりに目がいって、こんなオブジェには興味がないようだ。

 ま、ちょっとした休憩場所だな。

 

 壁に覆われているため、前からしか人の目が届かない。

 プライバシー保護されてますやん。

 

 アンナは腰を下ろすと、隣りのスペースをトントンと叩き、無言の笑顔で誘う。

 俺は命令通り、隣りに座るとアンナを上から下までなめまわすように見つめた。

 

 好きなところを10個?

 しんどいわ……どんなプレイだよ。

 

「さ、タッくん☆ アンナの好きなところを教えて☆ ゆっくりでいいよ、ゆーっくりで☆」

 怖い、シンプルにホラーだわ。

 なんか機嫌損ねることでも言ったら、殺されそう。

 

「おほん……そうだな、まずは奇麗な宝石のような瞳」

 自分で言っていて超恥ずかしい。

「うん☆」

 それを嬉しそうに噛みしめるアンナ。

 

「あとは透き通るような白い肌」

「うんうん☆」

 アンナちゃんってけっこうヤバイ子だよな。

 こんなこと外で言わせるとか。

 

「小さな唇」

「この口……好きでいてくれたんだ」

 頬を赤らめる。

 

「ブロンドの髪」

「ふふ☆」

 恥ずかしそうに肩をすくめる。

 

「俺好みのファッションセンス」

「今日の服も可愛いって思ってくれてるんだぁ」

 THE・自画自賛。

 

「優しい」

 本当はちょっと怖いけど。

「タッくんたら☆」

 頭を左右にブンブンと振り回す15歳(♂)

 

「あとは……俺のことを慕ってくれていること」

「タッくん大好きだもん☆」

 

「そうだな、今のところこれぐらいだ……」

「ええ!? 10個じゃないじゃん!」

 めっちゃキレてはる。

 

「仕方ないだろ、まだアンナと出会って3回目だ。残りはこれから見つけさせてくれ」

「え……」

 言葉を失うアンナ。

「だってこれからアンナとは長い付き合いになるんだ。だからまた俺がアンナの好きなところを見つけたら、再度報告するよ」

 俺がそう言うと顔を真っ赤にさせて、地面を見つめる。

 

「タ、タッくんのバカ!」

 え? なんで?

「そ、そんなこと言われたら……」

 

 自分で言わせておいて、バカとは一体なんなんだ?

 めんどくせーな。



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84 おばけだぞ~

 超絶恥ずかしい罰ゲームを終えると、俺とアンナはベンチを出た。

 

「次はどうしよっか?」

「そうだな……あれなんてどうだ?」

 俺が指差したのは入口にフランケンシュタインとミイラ男の人形が設置してあるお化け屋敷。

 

 と言っても、かじきかえんは対象年齢が低いため、二人の怪物もちょっと可愛らしいデザイン。

 

「え……あれに入るの?」

 顔色を変えて絶句するアンナ。

「ん? おもしろうじゃないか?」

「そ、そうだね…タッくんがそう言うならアンナ、がんばる!」

 両手で拳を作り、何かを決意する。

 そんなに覚悟決める必要ある? あーた、元々ヤンキーだったろ?

 もっと気張れよ。

 

「大事ないか?」

「だ、だいじょび!」

 今日日聞かないセリフだね。

 

 俺とアンナはお化け屋敷へと入っていた。

 外から見ても建物は小さく。中に入ると更に狭い入口があった。

 歩いて回るものばかりだと思っていたが、室内には二人乗りのコースターがあった。

 

「かじきお化け屋敷へようこそ! どうぞお乗りください!」

 ハロウィンで仮装しました! ってレベルのチープなミイラ男の仮面を頭につけた女性スタッフが俺たちを手招く。

 俺とアンナはそれに従い、座席に座るとシートベルトを閉めた。

 なんだろう……絶叫マシンなの? これ。

 

 スタッフが機械をコントロールするブースに入るとアナウンスが流れる。

「ほっほっほっ……若く可愛いカップルさん。よくぞ参られた」

 誰がカップルじゃ、ボケェ!

 

「さあ……深淵の闇に飲み込まれるがいい!」

 え? 中二病屋敷だったの?

「ひぃっ!」

 思わず悲鳴をあげるアンナ。

 今ので怖いか?

 俺は痛々しく感じたけど。

 

 ガタンとコースターがゆっくり動き出す。

 

 黒いカーテンが開かれ、暗い奥へと進む。

 お化け屋敷と言えば、自分で歩いて回るのがドキドキして楽しいものだが、これは自動的に進むから、まるで介護されているようで、腹が立つ。

 俺のテンションはだだ滑り。

 

「まあこんなもんか」

 かじきかえんだもんな。

 マジ恐怖だとおこちゃまが二度と来れなくなるトラウマを植え付けられる危険性がある。

 

 入ってもなんのことはない。

 ドラキュラの人形が口からプシューと白い息を吐きだして「食べちゃうぞ~!」

 と身体だけ前のめりに動く。

 けど、俺たちのコースターまでは届かない。

 超遠くない?

 

「いやあああ!」

 その時だった。

 アンナは血相を変えて俺に抱き着く。

「あ、アンナ?」

 なぜだろう……ないはずのふくらみが俺の肘にあたっている。

 微妙なプニプニ感。

 絶壁じゃない……これは未成熟。

 故に微乳だ!

 

「こ、こわい! 助けてぇ、タッくん!」

「は?」

 助けるも何もドラキュラさんは俺たちのところまで手が届かないよ?

 哀れな怪物くんじゃん。

 

「アンナ、こういうのダメなの! だから今はこうさせて!」

 必死に目をつぶって、視界を強制的にシャットアウトしている。

 そして、俺の左腕にグイグイと胸を押しつける。

 まあ正確にはしがみついているに過ぎないのだが……。

「わ、わかった……」

 役得!

 俺は別の意味でドキドキしていた。

 ああ、お化け屋敷最高!

 

「ぐわああ! 狼マンだぞぉぉぉ!」

 所々、ペンキが剥がれた狼男が左右にグルグルと動く。

 ただそれだけ。見ていて逆に可愛く思える。

 シュールだな。

 

「きゃあああ!」

 アンナの力が強まる。

 そして、俺はアンナの微乳を楽しむ。

「アンナ、大丈夫か?」

「ううん! ダメッ、怖い!」

 それでもヤンキーかよ?

 

 半周終えたところで、天井からプシュー! と白くて冷たいガスが俺たちを襲う。

 あー、気持ちいい。ちょっと暑かったからちょうどええわ。

 

「いやあああ! 気持ち悪い! なにこれぇ!」

 いちいち反応良いよな、アンナちゃん。

「ただのガスだろ」

「絶対に違うよ! おばけの息だよぉ!」

 へぇ、まだおばけ信じているんだ。可愛いじゃん。

 

 その後も似たようなシュールかつキュートなおばけ達が俺たちを出迎えてくれた。

 かなり古い人形みたいでけっこうボロボロなのが多かった。

 なんか可哀そうになって涙が出そう。

 このおばけたちも苦労したんだな……。

 

 と俺が哀愁を感じているのを知ってか知らずか。

 アンナは先ほどから一切目を開かず、悲鳴を上げている。

「いやあああ! 来ないでぇ!」

 来ないよ、ていうか、俺たちに近づけない仕様だよ。

 

 そうこうしているうちに、コースターは出口に到着。

 眩しい日差しがお出迎え。

 

 先ほどのスタッフがアナウンスを流す。

「どうだった~? 怖かったかい、お嬢ちゃん」

 ちょっと楽しそうだな、スタッフ~。

「はぁはぁ……」

 息切れするアンナ。

 そんなに疲れたの?

 

「すまない、アンナ。怖がらせたみたいだな」

「ううん……取り乱してごめんね」

 ちょっと涙目じゃん。

 アンナ=ミハイルの弱点、ゲットだぜ!

 

 俺とアンナはお化け屋敷をあとにした。

 

 さすがのアンナもかなり疲弊していたようなので、次は軽めの遊具を選んだ。

 その名も『スーパーチェアー』

 実にシンプルな遊具で、中心に高い柱があり、円を描くようにチェーンで繋がれたイスがたくさんある。

 要はこれに乗って、グルグル回るだけというとこだ。

 ただ少し高く上昇するが。

 

「これなら怖くないだろ?」

「そうだね☆ 楽しそう!」

 アンナの気分も上々。

 

 俺たちは早速、イスに乗り込む。

 ちょうど、二席ずつ並んでいて、仲良く隣りに座った。

 

 スタッフの注意がスピーカーから流れる。

「動き出すと大変危険ですので、暴れたり、前の席を蹴ったりしないでください。しっかりチェーンを手に持ちお楽しみください」

 言い終わるとブザーが鳴り、ガクンと動き出す。

 ゆっくりイスは回り出し、時計回りに回転を始める。

 自然と地面から足が上がる。

 

「うわぁ、気持ちいい☆」

 爽やかな風を感じて、気持ちよさそうにするアンナ。

 俺も笑っているアンナを見て、満足だった。

「ああ、確かにこれは気持ちいいな」

 互いに見つめあって、喜びを分かち合う。

 

「この時が一生、続けばいいのに……」

 

 アンナが聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で呟いた。

 

「え!?」

 俺が聞き返すとアンナは「なんでもない」と笑っていた。

 

「それではただいまから更に高く上がりますので、お気をつけて!」

 スタッフの声がスピーカーから流れると共に更に回転が強まり、身体は斜めになるぐらい上昇する。

 チェーンも回転しだし、俺とアンナは互いにお見合いするような形になった。

「ははは! タッくんが見える!」

「そうだな!」

 

 

 と俺たちが楽しんでいると下が何やら騒がしい。

「なんだ?」

 遊具下にはたくさんのギャラリーができていた。

 主に男。

 スマホを構えて、こちらを見上げている。

 

「へへへ、パンチラゲット!」

「パンモロだろぉ~ これだからスーパーチェアーはやめられないぜ!」

「ぼ、ぼかぁ、ブルマの方が良かったなぁ」

 ファッ!

 

 よく見るとアンナのスカートが強い風でめくれていた。

 それが下から丸見えということなのだ。

 まずい!

 いろんな意味で危険だ!

 モッコリパンティがバレては何かとヤバイ!

 

「アンナ! スカートがめくれているぞ!」

「え?」

 アンナはキョトンとしていて俺の慌てぶりに驚く。

「スカート! パンティだよ!」

「パン……いやあああ!」

 やっと気がつくと彼女は必死にスカートを抑えて、パンモロを回避した。

 まあ中身が男だからスカートの危険性に気がつかなかったんだろうな。

 

「んだよ! 隣りのやつ邪魔しやがって!」

「クッソカワイイぜ、あの子」

「ブルマ、ブルマ、ブルマ……」

 お前ら全員クズだな!

 

 その後アンナは顔を真っ赤にさせて、終始黙り込んでいた。

 せっかく楽しんでいたのに可哀そうだな。

 

 スーパーチェアーは静かに回転を止めた。

 

 イスから降りるとアンナは地面を見つめたまま、黙って出口へ向かう。

 俺は慌てて彼女のあとを追った。

 

「アンナ、大変だったな……」

 振り返った彼女は涙を流していた。

「ひっく……いろんな男の人に見られちゃったよ……」

 男同士だからよくね?

 

「ま、まあ男という生き物はそんなヤツが多いからな」

 かくいう俺もな!

「タッくんにしか見られたくなかった……」

「え?」

「アンナってまた汚れちゃった?」

 そんなこと、俺に聞かれましても。

 

 修正するには俺がスカートの中を確認すればいいのでしょうか?



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85 気分は新婚旅行

 アンナは例のパンモロ事件以来、すっかり落ち込んでしまった。

 

「なあアンナ……そう気を落とすな」

「だって、タッくん以外の人に見られたんだもん!」

 そこ? 落ち込むところ。

 

「ま、まあアクシデントだからして……」

「タッくんのいじわる!」

 プイッと首を横に振る。

 いや、なんで俺が悪いのが前提なの?

 おかしいな、何にもしてないぜ。

 

 しばらく歩いていると、園内の中央部に出る。

 そこは色とりどりの花々が咲き誇っている。

「うわぁ、キレイ☆」

 アンナの表情に笑みが戻る。

 はぁ、よかった。

 

「確かに絶景だな」

 なんてたってかじき花園だからな。

 パンジー、チューリップ、ビオラ、ノースボール、アリッサム、ストック。

 どれも生き生きとしている。

 

 通称フラワーガーデン。

 だが、バルバニアファミリーとコラボしているせいか、所々に等身大の人形があちらこちらに置いてある。

 

 そしガーデン入口ではメインキャラがお出迎え。

 うさぎの女の子、バル。リスの男の子、ニア。

 着ぐるみの二匹が幼い子供たちとタッチしたり、親子で写真を撮影していた。

 

「あ! バルちゃんとニアくん!」

 急にテンションがあがるアンナ。

 あーた、もうそういう年じゃないでしょ? 控えなさい。

「タッくん、アンナたちも二人と遊ぼうよ☆」

「え?」

 マジかよ、周りガキんちょばっかじゃん。

 なにこのクソゲー。

 

 俺はアンナに半ば強引に手を引かれて、キッズの群れに加わる。

 わぁい、おっ友達と並んで待つぞぉ~

 じゃねぇーよ。

 苦行だわ。

 周りの親たちがチラチラとこちらを見る。

 しんど!

 

 そうこうしているうちに、俺とアンナの番になった。

 

 すっかりかじきかえんのマスコットキャラと化したバルちゃんとニアくんが無言のお出迎え。

 なんか喋れよ、バカヤロー。

 身振り手振りで「ようこそ」とか「こっちおいで」とか意思疎通を取る。

 だから喋れよ、寡黙症なの?

 

 隣りにいたスタッフのお姉さんが通訳する。

「どうやらバルちゃんとニアくんはお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に写真を撮りたいみたいだよ~」

 今なんつった?

 お兄ちゃんだと……おめーの方が絶対年上だろう。

 ふざけろ。

 

「いや~ん、可愛い~☆」

 中身を知ってか知らずか、アンナはバルちゃんに抱き着く。

 ちょっと軽く嫉妬。

 残った片割れのニアくんが足でドンドンと地面を蹴りつけるというパフォーマンス。 

 どうやら野郎同士、寂しいようだ。

 

 すると、ニアくんは頭に手を当てて何かを考える。

 しばらく沈黙した後、手のひらをポンと叩く。

 そして俺に手招きしまるで「来いよ~」と言いたげだ。

「いや……俺は」

 

 ためらっていると通訳のお姉さんが横入りする。

「お兄ちゃんもニアくんとギューッてしてね♪」

「は?」

 気がつくと俺はニアくんのモフモフバディに包まれていた。

 あー、癒されるぅ~

 なわけない。

 着ぐるみの中から荒い吐息が聞こえてきた。

 

「はぁはぁ……しんど」

 中身、おっさんで決定。

 低くしゃがれた声の感じからして、中年。

 そこは設定守ろうよ、ニアくん。

 

「も、もういいよ、ニアくん」

 俺は中身のおっさんが心配で離れてやった。

 するとニアくんもそれを素直に受け入れる。

 いや、きついじゃん。この仕事、転職しろよ。

 

 アンナの方を見るとまだバルちゃんと抱擁タイム。

 中身がおっさんかも知らんけど。

 

 だが、まだ幼い子供たちがたくさん後ろに並んでいた。

 それを察してか、通訳のお姉さんが止めに入る。

 

「さあそろそろ写真タイムにしましょう!」

 

 ああ、そうしてくれ。

 早く終わろう。

 

 アンナはちょっとスネた顔でバルちゃんと別れを惜しむ。

 

「じゃあ、お二人ともバルちゃんとニアくんの間に入って写真を撮りましょう! スマホかカメラあります?」

 うまい誘導だな、通訳さん。

 すかさず、アンナがスマホをお姉さんに手渡す。

 

「じゃあ、お二人とも。もうちょっとくっついて~!」

 バルちゃん、アンナ、俺、ニアくんの順でフラワーガーデンをバックに、はいチーズ!

 写真を二枚ほど撮り終えると一安心。

 やっとこの苦行から解放される……と思ったのも束の間。

 

 バルちゃんとニアくんが俺たちに向かって何やらジェスチャーを始める。

 二匹の着ぐるみは「見てて」と手を振ると、互いに顔を合わせる。

 なんと動物のくせしてキッスしやがった。

 そして、俺たちに「ねっ」と首を縦に振る。

 どうやらキス写真を撮れと言いたいらしい。

 

 通訳のお姉さんもそれに乗っかる。

「うわぁ、バルちゃんとニアくんはラブラブだねぇ! じゃあお兄ちゃんとお姉ちゃんもチューしちゃおっか?」

 ニヤニヤと笑うスタッフ(見た目20代後半)

 そして、次を待つ親子連れ。

 無言の圧力を感じる。

 さっさと「キスしちゃえよ」と……。

 

 アンナが俺に身を寄せて、上目遣いでこういった。

「する?」

「え?」

 ナニをするんだよ。

「目をつぶってて」

 ま、マジか。

 俺は覚悟して瞼を閉じる。

 

 そして、通訳のお姉さんが「じゃあ準備はいいかな? お姉ちゃん」と声をかける。

 アンナは「はい……」と力なく答えた。

 

 チュッ。

 

 少し暖かくて柔らかい小さな唇を感じた。

 

「はい、チーズ!」

 

 証拠写真は出来上がってしまった。

 

「もう目を開けてもいいよ」

 瞼を開くと僅かに残る彼女の体温。

 その箇所に触れる。

 口ではなく場所は頬。

 なんだよ、期待させやがって。

 だが、人生初のほっぺキス、ゲットだぜ!

 

 あれ? 男もカウントしていいのかな?

 

「それではスマホを確認してくださーい」

 お姉さんがアンナにスマホを返す。

 撮ってもらった写真を確認すると、俺の異常に気がつく。

 頬にベッタリとアンナさんの口紅が。

 こんなマンガみたいなキスマークあるんすね。

 

「……やったぁ」

 アンナは小さな声で呟いた。

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、あとでタッくんのスマホにもL●NEするからね☆」

 頬は赤いが満足そうに笑う。

 まあ機嫌がよくなったので、よしとしよう。

 

「そうか、なんかしらんが良かったな」

「うん、かじきかえんって最高だよね☆」

 それはちと肯定しかねる、個人的に。

 

 気がつくと待機していた親御さんたちが拍手していた。

 

「いいわねぇ、私たちもあの頃に戻りたいわ~」

「懐かしいな、思い出すよ」

「はぁはぁ……ママ、3人目作ろうか?」

 いや、最後生々しいよ!

 

 俺とアンナはその場を去った。

 

 次に向かったのは小さな木製の家。

 丸太を重ねたバルバニアのおもちゃを実物大にしたような外見だ。

 その名も『森の洋服屋さん』

 なんじゃこれ?

 

「ああ、ここ一度でいいからやってみたかったんだ!」

 テンション爆上げのアンナちゃん。

「ん? 一体なにをするんだ?」

「ここはね、バルちゃんのお洋服を着れるんだよ☆」

「え……」

 まさか、さっきの動物の着ぐるみに入るの?

 

「せっかくだから着てみたいなぁ」

「着ればいいじゃないか」

「え? いいの?」

「別に構わんさ。俺が着るわけじゃなし、アンナは女の子だろ」 

 という設定ね、あくまで。

 

「そ、そだよね☆」

 今完璧女装しているの、忘れてたろ。

「じゃあ入ろう!」

 

 中に入ると子供用から大人用までたくさんのドレスがハンガーラックにかかっていた。

 ピンク、ホワイト、ブルー、パープル、レッド。

 おまけにティアラとブーケのオプション付き(別売)

 

「どうしよう、迷っちゃう☆」

 目をキラキラと輝かせて、ドレスを選ぶ。

「ねえタッくんはどれを着てほしい?」

「え? 俺?」

 回答に困った。

 

「アンナはピンクかホワイトで迷っているの」

 そう言って、ドレスのハンガーを二つ手に取り、交互に自身の身体に当てて、俺に見せる。

「どっちがいい?」

 これが世に聞く彼氏チェックというやつか。

 判断を間違えると女性がブチギレるらしいな。

 

 いつものアンナならピンクだな……しかし、純白も見てみたいものだ。

 ここは俺の勘を頼りにしよう。

 

「ホワイトだな」

「そっか……アンナはピンクがいいかなって思ったけど」

 やべ、地雷踏んじゃったよ。

「でもタッくんが着てほしいっていうなら、そっちが一番☆」

 さいでっか。

 返して、俺の選択時間。

 



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86 森の国の男の娘

 アンナはドレスとティアラを手に取ると写真スタジオの中へと入る。

 靴を脱いで、俺にも「ほら、一緒に来て」と手招きする。

 言われるがまま、絨毯の上に足を運ぶ。

 

 スタジオの中はわりと広く、バルバニアファミリーのバルちゃんとニアちゃんの人形が飾ってある。

 二匹の後ろには花々に覆われたお城の写真が背景となっている。

 

 そして、左奥に更衣室があった。

 アンナは「ちょっと待っててね」と言い残し、浮かれた様子で中へ入っていった。

 

 ~10分後~

 

 更衣室のカーテンが開く。

 俺は言葉を失っていた。

 そこには俺がこの世で一番理想とする花嫁……いやお姫様が立っていたからだ。

 

 アンナは純白のドレスを纏い、頭には銀のティアラ。そして手元には花束まで。

 どこから持ってきたの?

 

「へ、変かな?」

 チラチラとこちらを恥ずかしそうに伺う。

「変じゃない! 断じて変じゃないぞ!」

 なぜか語気が強まる。

 だってカワイイんだもん!

 

「タッくんって、こういうのが好きなの?」

 首をかしげる姿も可愛い。

 いますぐ婚姻届を出したいです。

「好き好き! 大好き!」

 事実上の告白である。

「ふふ、タッくんたらおかしいんだ☆」

 いたずらな笑みを浮かべる。

「じゃあアンナの写真撮ってくれる?」

「も、もちのロンだ!」

 俺はスマホを手に取ると、レンズを彼女に向けた。

 

 アンナはバルちゃんとニアくんの間に挟まれる形で、どこか清ました顔でこちらを見つめる。

 ああ、なんか泣けてきた。

 手のつけられないヤンキーがこんなに可愛く育っちゃって……。

 早く結婚しよう。

 

「いくぞ、アンナ~」

「うん☆ 可愛く撮ってね☆」

 俺は連射モードでバシバシ撮りまくった。

 今日のアンナはなぜかポーズに変化がない。

 別に恥ずかしいとかじゃなく、ドレスを着用しているため、きっとお姫様気分なのだろう。

 それがまた愛らしく映る。

 

「いいぞぉ~ 可愛いぞ~」

 俺は様々な角度から彼女を取り続ける。

 その姿はまるでコミケのコスプレイヤーを撮りまくるカメラ小僧のように俊敏な動きだ。

「もう、タッくん。撮りすぎなんじゃない? データなくなるよ☆」

「問題ない! こんなこともあろうかとSDカードは1TB搭載だ!」

 あとクラウドサービスのプレミアム会員だから、バックアップは万全の態勢だ。

 

 俺たちがキャッキャッと写真を撮って遊んでいると、近くの女性スタッフに声をかけられた。

「あの……」

 ヤベッ、悪ノリが過ぎたかな?

 まさかアンナが男だとバレたか……。

 

「え、なんすか?」

「良かったらお二人の写真をお撮りしましょうか? せっかく彼女さんもドレスを着てるので、寂しそうじゃないですか」

「やだぁ☆ 彼女だなんて……」

 頭を獅子舞のように左右にブンブン振り回すアンナちゃん。

 しかし嬉しそうだね。

 

「じゃあ、お願いしていいですか?」

「もちろんです」

 女性スタッフにスマホを渡すと、俺はアンナの隣りに立つ。

 

 アンナは隣りに来た俺を見てすごく嬉しそうだ。

「はい、じゃあ一枚目いきますよ~」

 スタッフがそう言うと、なにを思ったのかアンナは俺の左腕に自身の細い腕を絡める。

 ドレス越しだが、彼女の胸の膨らみが肘に伝わる。

 俺はピシッと背筋を正した。

 そう、まるで結婚式のような気分だった。

 

 シャッター音が鳴り、俺は引きつった笑顔でフラッシュをたかれる。

「もう一枚、撮りますよ~」

 ふとアンナの横顔を見ると彼女は満足そうにカメラ目線で微笑んでいる。

 よっぽど、このスタジオが気に入ったようだ。

 俺も彼女の期待に応えるべき、次は真剣な顔でシャッターを待つ。

 

 バシャッ!

 

 なぜか最後の一枚を撮り終えると、寂しい気持ちが俺の胸を覆う。

 アンナも俺から腕を離すと、しゅんとしている。

 

 そう、俺たちの関係は偽りのカップル。

 どこまで頑張っても所詮は男同士。

 いつか、本当に恋愛関係に至るところなんてない。

 ましてや、結婚なてもってのほかだ。

 儚い夢……わかっていた。

 それでも、この一瞬は少しでも長く続いてほしい。

 俺は間違っているのだろうか?

 でも、この胸の痛みは本物だ。

 

 

「じゃ、じゃあアンナは着替えを済ませてくるね」

「お、おう」

 アンナはそそくさと更衣室へ向かった。

 

「素敵な彼女さんですね」

 そう言ってスマホを返すスタッフ。

「そ、そうですか?」

「はい、大変お似合いだと思いますよ」

「俺たちが?」

 意外だった。

 

「ええ、彼女さん。きっと彼氏さんにゾッコンだと思いますよ」

「なんでわかるんですか?」

「女なら誰だってわかりますよ」

 スタッフはウインクして去っていた。

 いや、ちょっとだけ突っ込んでいいかな?

 アンナは男じゃ、ボケェ!

 

「お、お待たせ……」

 顔を真っ赤にしたアンナさんが再登場。

 わかった、さっきの話を聞いていたな。

 

「うむ、さあ次いくか」

 俺はスタジオから出て靴を履く。

 すると背後から声をかけられる。

「あの……タッくんってさ」

 振り返ると、不安げにこちらを見つめるアンナが。

「どうした?」

「好きな子とか……いないの?」

「え?」

 それ聞きます!?

 

「んー、気になる子はいるかもな」

 返答は敢えて濁した。

「ふ、ふ~ん、そっか」

 何かを察したのか、彼女は笑みを浮かべる。

「じゃあいくぞ」

「あ、待ってよ、タッくん! 恋人を置いていく彼氏とか最低な設定だよ!」

 ええ!? もう付き合っている取材関係なんすか?

 どういう設定だよ!

 

「ああ、悪い」

 俺は彼女に手を差し伸べる。

 アンナは俺の右手に左手をそえると、ローファーに小さな足を入れる。

「ありがと☆」

 紳士的対応する必要あんのかな?

 だって相手も男だし。

 

 

 俺とアンナは『森の洋服屋さん』から出ると、バルバニアガーデンに戻った。

 

 スマホの時刻を見れば『11:45』

「もうこんな時間か……」

 腹が減るわけだ。

「そろそろお昼にしない?」

「だな、じゃあ店を探すか」

 ポカーンとする前に。

 

「その必要はないよ☆」

「え?」

「だってこれがあるもの!」

 彼女は手に持っていたピクニックバスケットを掲げる。

 そう言えば、園内に入ってからずっと持っていたよな。

 

「なんだそれ」

「えぇ、忘れたの?」

 頬を膨らますアンナ。

 ハムスターみたいで可愛いなちきしょう。

 

「なんのことだ?」

 さっぱり記憶にない。

「お弁当作るって約束したじゃん☆」

 そう言えば、そんなこと言っていたような。

「ほう、それは嬉しいな。なら俺が持つよ」

「え? 重たいよ?」

「構わん、こういうのは男が持つというルールがあってだな……」

「じゃあお言葉に甘えて☆」

 アンナからバスケットを渡された瞬間、凄まじい重圧が俺を襲う。

 手に持った瞬間、あまりの重さから地面に落としそうだった。

 10キロ以上はあるな、これ。

 

「なにが入ってんだ?」

 こんなもんを平気で持ち歩いてるとか、さすが伝説のヤンキーだな。

「ん~、ナイショ☆」

 そう言って、人差し指を小さな唇に当てるアンナ。

 へぇ、可愛いじゃん。

 

「ふむ、じゃあどこで食べる?」

「あそこの原っぱで食べよう☆」

 アンナが指した方向はたくさんの木々に覆われた草原。

 きっと桜の木だろう。

 今はもう散ってしまったが、代わりに緑の木漏れ日がお出迎え。

 

 家族連れも既にブルーシートを引いて、食事を楽しんでいた。

 

 俺たちも空いている場所を見つける。

 アンナはバスケットの中から可愛らしいネッキーとネニーのハートがふんだんにデザインされたビニールシートを取り出す。

 こんな可愛いのに野郎二人で座るのかよ。

 

 俺の戸惑いとは裏腹に彼女は鼻歌交じりで、バスケットからお皿を取るとシートの上に置く。

 重たい原因その一、皿が紙製じゃなくて陶器。

 そして大量のサンドイッチが出るわ出るわ。

 

 胃袋は彼女じゃないね。



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87 料理男子はモテる

「たくさんあるから、一杯食べてね☆」

「ああ……」

 いや、たくさんってレベルじゃねーから。

 サンドイッチ、ポテトサラダ、タコさんウインナー、エビフライ、ハンバーグ、フルーツの盛り合わせ。

 これ、全部俺とアンナで食うの?

 まあ若いから食えるけどさ。

 

「デザートもあるからね☆」

 ニッコリと微笑むアンナさん。

 訳すと「お残しは許しませんで!」だろうな。

 頑張って食べ切ろう。

 

「いただきます」

「どうぞ☆」

 俺はまずサンドイッチから手をつけた。

 いくつか種類があって、卵サンド、ツナサンド、レタスサンド。

 どれにするか迷っていると、アンナが弁当箱から三つとも取り出して、皿に移す。

 皿を俺に渡すと、次に水筒から何かをコップに注ぐ。

 

「ん? 飲み物まで用意していたのか?」

「うん☆」

 渡されたコップの中は冷たいアイスコーヒーだった。

「まさか俺のために?」

 だってブラックだし。

「タッくん、いつもブラックコーヒーばかり飲むから☆」

 正直、驚いた。

 あのヤンキーがここまで俺に気を使えるなんて……。

 

「あ、ありがとう」

 なんかこっぱずかしい気持ちで卵サンドにかぶりつく。

 味は少しコショウがきいていて、マスタードの酸味が旨味を引き出している。

「うまい……」

「良かったぁ☆」

 俺は卵サンドを二口で食べ終えると、残りのサンドイッチもペロッと平らげてしまう。

 

「アンナがこんなに料理が上手かったなんてな」

「そ、そう? サンドイッチなんて誰でも出来るよ~」

 頬を赤くして、もじもじする。

「ところでアンナは食べないのか?」

 コーヒーにシロップとミルクをたっぷり入れていたが、取り皿に何ものせてない。

 

「あ、いや別にお腹空いてないとかじゃなくて……タッくんに初めて食べてもらうから緊張しちゃって。アンナ、料理あんまり上手くないし」

 いいえ、すぐにお嫁に行けるレベルです。

「俺は一般的な料理の上手い下手なんて知らない。ただ、俺から言わせてもらえれば、このサンドイッチはうまい。シンプルに上手い。俺は嘘をつけないから、正直に言うぞ。めっちゃ上手い。お店出してもいいぐらいだな」

 あー、俺って『食いログ』のレビュアーになれるんじゃね?

 

「う、嬉しい……」

 驚いたことにアンナは涙を流していた。

 すかさず、ハンカチを渡す。

 男の子が人前でなくもんじゃ、ありません!

 

「アンナ、人に料理なんて食べてもらうの初めてだから、自信なくて怖くて……」

 そこまで謙虚だと嫌味に聞こえるわ。

 俺なんて卵焼きしか作れないし、イン●タにでも上げたら料理下手な女性からネットリンチにあいそう。

 

「俺は正直な感想しか言わんぞ。こんな上手いサンドイッチ食べたの初めてだ」

 また褒め殺してしまった。

 涙が止まらないアンナ。

 さらに泣かしてどうすんだ、俺氏。

 

「良かったぁ」

 涙は止まらないが、口元はずっと優しく緩んでいる。

 そんなに嬉しいのか。

「なあ、次はハンバーグもらっていいか?」

 しれっと話題を変えて、彼女の気分を変えられるように試みる。

「あ、うん。アンナが取るから任せて☆」

 俺の目論見通り、微笑みを取り戻すことに成功した。

 

 弁当箱からハンバーグを箸で取り、取り皿にのせる。

 渡されてただのハンバーグでないことに気がついた。

 デミグラスソースがたっぷりかかった分厚いハンバーグ。

 しかも、ハートの形。

 ラブが注入されてて草。

 

 味を確かめると、中にはコリコリした感触が……。

「ん? なんだこの固いものは?」

 するとアンナが人差し指を立てて、説明する。

「ゴボウだよ☆」

「ほう」

「ゴボウを入れると風味も良くなるし、食感もいいじゃない?」

 知らんがな。初めて食ったんだもの。

「それをグツグツと長時間煮込んでみました☆」

 お母さんかよ!

 この弁当箱、よく見たらクオリティ高すぎだろ。

 徹夜して作ってんじゃねーのか?

 

 

「頭が下がるな……俺だったらそんな面倒くさい料理作らんし、作りたいとも思わん」

「アンナも一人だったらこんなに時間かかる料理作らないよ☆」

「というと?」

「だって食べてくれる人のことを思って作るから料理は楽しいんだよ……」

 そう呟くと頬を赤くして下に目をやる。

 

 あ、なるほど、俺のことを想って徹夜で料理してくれたわけね。

 重い、シンプルに重いよ!

 

 

「タッくんがたくさん食べてくれる姿、見ているだけでお腹いっぱいになりそう☆」

 いや、食えよ。

「アンナ、いいか。料理ってのは一人で食うより、誰かと一緒に食うほうが旨いんだぞ?」

 俺がそう言うとアンナは目を丸くしていた。

「そ、そうだよね☆ アンナもミーシャちゃんと食べてるとき美味しいもん☆」

 ちょっと待て、それってもう一人の人格と食べているだけであって決して二人で食べてないよね?

 ぼっち飯じゃん。

 

「アンナもタッくんといっぱい食べちゃお☆」

 そして、彼女の胃袋にエンジンがかかる。

 後はためらいもなく、二人して弁当を貪るように食い尽くした。

 

 周りで食べていた家族連れからヒソヒソ声が聞こえてきた。

 主にお母さん。

 

「ねぇ、あの子細いのによく食べるよね」

「若いからよ、私たちの年になればメタボよ」

「ブヒー! わだぢも煮込みハンバーグ食べたいブヒー!」

 なんか最後、人外のものがいたような。

 ていうか、ほぼおばさんのひがみじゃん。

 

 俺らこう見えて10代の男の子なんで。

 アンナちゃんは可愛いけど、中身は女子じゃないんで。

 比較しないでください。

 

 全て平らげると、アンナは「美味しかった~」と満面の笑み。

 思い出したかのようにピクニックバスケットから保冷バッグを取り出す。

 そのバスケット、四次元になってません?

 

 保冷バッグの中からは保冷剤がたくさん出てきた。

「ん? なんだそれ?」

「これはね、デザート☆」

 そういえば、さっき言ってたよな。

 

 バッグの底から出てきたのは可愛らしいクマさんがデザインされた紙箱。

 よく見ると『パティスリー KOGA』のロゴが。

 アンナがケーキ箱を開けると中には新鮮なイチゴがふんだんに使われたショートケーキが二個。

「ケーキを買ってきたのか?」

「え? 違うよ、アンナが作ったけど」

 マジかよ!?

 

「でも、その箱。ミハイルん家の店のだろう?」

「だってねーちゃんのみせ……」

 と言いかけたところで、アンナは顔が真っ青になる。

 手で口を隠すが、時すでに遅し。

 ボロが出たな。

 

「ねーちゃん? アンナは独り身だろ?」

 設定を保つため、修正してやる。

「そ、そうだよ!」

 慌てふためく。ちょっとキレ気味だし。

「ミーシャちゃんのお姉ちゃんってこと!」

「ほう」

 ヤベ、ちょっとおもしろくなってきた。

 

「ヴィッキーちゃんの店のキッチンを借りただけなんだからね!」

 なんでツンデレモード入ってんの?

 自分で墓穴掘ったくせに。

「さ、さあいいから食べましょ!」

 

 アンナはケーキを突き出す。

 早くこの話題を変えたいらしい。

 

「ふむ、頂くとしよう」

「うん☆ アンナも☆」

 フォークを渡されて、すくうようにケーキを一口食べる。

 

「うまい……」

 これを素人のアンナ……じゃなかったミハイルが作ったというのか?

 いくら姉がパティシエとはいえ、プロレベルだ。

「美味しい~☆」

 頬に手をやり、悦に入るアンナ。

 

「なあ本当に一人で作ったのか? ヴィッキーちゃんに手伝ってもらってないか?」

 俺がそう言うとアンナはむぅっと頬を膨らます。

「一人で作ったもん! アンナ、ケーキは小さい頃から作ってたもん!」

 鋭い眼つきで俺を睨む。

 こういう時、野郎臭いんだよな。

 

「疑って悪かった。いや……あまりにもレベルの高いケーキに驚いてな」

「え……」

「つまり料理に続いてプロレベルと言いたいんだよ」

「タッくん」

 言葉を失うアンナ。

 

「もう、タッくんたら☆ アンナのこと褒めすぎ!」

 と言って人の肩を全力でバシバシ叩くのやめてくれます?

 

 あーたの力、人並みじゃないから、プロレスラー並みだから。



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88 大きなお友達二人

 昼食を済ますと、俺たちはかじきかえんの一番奥へと向かった。

 今日は日曜日ということもあってイベントが開催されていた。

 その名も『ボリキュア スーパースターズショー』

 ニチアサで長年大人気の少女向けアニメだ。

 と言っても、視聴者の9割は成人男性……という都市伝説もある。

 

「ああ、ボリキュアだぁ☆」

 看板を見てテンションあがる少女じゃなくて少年。

 15歳だから実質、大きなお友達だよな。

 

「ボリキュア見てんのか?」

 俺は少し冷めた目でアンナの横顔を見る。

「うん、小さなころから憧れてたんだ☆ 幼稚園の時、ボリキュアになるのが夢って卒園式で叫んだなぁ」

 いや、痛すぎる黒歴史じゃないすか。

 だって、男の子でしょ?

 

「へぇ……」

 俺は『マスクライダー BLACK』ぐらいしか見てないなぁ。

「そうだ、せっかくだから観ていこうよ☆」

 ファッ!?

「そ、それはちょっと……」

 だって会場見たところ、家族連ればっかじゃん。

 しんどいわ、中に入るの。

 

「なんで? 好きなものを好きだっていうことは悪いこと?」

 アンナは首をかしげて不思議そうな顔をする。

「悪くはないが……ボリキュアは幼児向け、それも女の子向けだろ? 抵抗を覚えるな」

 すると彼女はムッとした。

「アンナだって女の子だよ!」

 忘れてた女装男子だった。

「いやアンナはいいよ。けど俺は男だぜ?」

「それが何か問題? もういいから早く入ろうよ、始まるもん!」

 俺は強引に手を引かれて会場の中へ入った。

 

 会場と言っても野外ステージでそんなに大きくない。

 だが、既に会場は家族連れで埋まりつつある。

 たくさんのお父さんたちがビデオカメラをセッティングして、ボリキュアの登場を待つ。

 俺たちはようやく空いている席を見つけると、二人して仲良く座った。

 

 ステージ両脇に設置されたスピーカーから聞きなれたアニソンが流れだす。

 

「ボリッキュア! ボリッキュア! ふたりはボリキュア~♪」

 

 あー、懐かしい。

 初代か。

 

「かじかえんのみんな~ お待たせ~ ボリキュアのスーパースターズショー、はっじまるよ~!」

 

 アホそうな女性の声がスピーカーから流れる。

 

 するとスタッフのお姉さんとボリキュアの登場。

「黒の使者、ボリブラック!」

 お決まりのセリフと共に、着ぐるみを着たお姉さんの登場。

 しっかりポージングを決める。

 これで中身がオスだったらウケるよな。

 

「白の使者、ボリホワイト!」

 と相方の登場。

 なんだろうな、身体にフィットした着ぐるみなんだけど、サイズがあってないような。

 所々、布が余っている。

 

 そして、次々に出るわ出るわ。

 気がつくとボリキュアシリーズの主役級が30人ほど出てきた。

 いや、飽和状態じゃねーか。

 

「ボリキュア~がんばれぇ!」

 大声で恥も知らずに叫ぶアンナさん。

 やめて、隣りにいる俺がしんどい。

 

 すると明るい空気から一転して不穏なBGMが流れ出す。

 この展開、敵さんの登場だ。

 

「ぐわっははは! ボリキュアどもめ! 駆逐してやるぅ!」

 ステージに現れたのは長身の男。

 肌色が悪く、ロン毛。

 ホストみたい。

 

「負けないわよ! イケメンガー!」

 拳を作るボリブラック。

 ボリホワイトはブラックの背中に身を置く。

 定番のポーズだ。

 

「悪い子はさっさとお家へお借りなさい!」 

 ビシッとイケメンガーに指をさす。

 すると効果音が鳴る。

 

 それからは「エイッ」とか「ヤッ」とか「うわっ」とか声を上げて戦うボリキュアたち。

 よく見ると酷いよな。

 30人対1人だぜ?

 いじめじゃん。

 

 だが、イケメンガーは強い(設定)

 最初は好戦していたボリキュアたちもイケメンガーのチート級な必殺技で全員、お笑い芸人のようにズッコケて倒れてしまった。

 

「フハハハ、これでかじきかえんも私のものだぁ!」

 イケメンガーが両手を掲げて、勝利を確信する。

 

 その時だった。

 イケメンガーは何を思ったのか、ステージから降りる。

 そして、客席を物色しはじめた。

 

「ほう、ここには『アクダマン』になりそうな、いい子供たちがたくさんいるなぁ~」

 うわぁ変態ロリコンだ。

 お巡りさん、ここです。

 

 そして、イケメンガーは数人の女の子をピックアップするとステージへ上がるように命令する。

 ただし、子供たちが壇上に上がる際はしっかり手を繋ぐ神対応。

 優しくね?

 

「まだまだ足りないなぁ! アクダマンになりそうな子はいないかぁ~」

 どうやら、これはボリキュアショーではお決まりの流れのようで、子供たちもイケメンガーに連れ去られることを望んでいるようだ。

 だって、どうせボリキュアが助けてくれるし。

 

「アンナはダメかなぁ」

 ボソッと何かを呟く15歳の女装少年。

 やめて、大きなお友達はステージにあがったらダメでしょ。

 俺の不安はよそにアンナは手を合わせて祈る。

 

「おお、あそこにちょっと大きいけどいい子がいるなぁ~」

 嫌な予感しかしません。

 

 イケメンガーはのしのしと会場を歩きだす。

 どんどん、その足は俺たちへと近づいてくる。

「わ、わ……もしかして」

 興奮しだすアンナさん。

「フハハハ、お嬢さん。人質になってもらおうかぁ~」

 ええ!? 中身おっさんだろ? お前が人質にしようとしているのも男なのわかってる?

 

「いやぁ~!」

 と演技力高めの叫び声。

 だが、イケメンガーの命令に素直に従うアンナさんであった。

 

「タッくん、助けて~」

 俺の名前を出すんじゃねぇ! 恥ずかしいだろ!

 気がつくと周りのお父さんお母さんがクスクス笑っていた。

 アンナは演劇部にでも入れよ。

 

 イケメンガーに連れ去られるのを暖かく見守る俺。

 アンナは依然と必死に演技を続ける。

「やめてぇ、放してぇ!」

 自分から行ったくせに。

「フハハハ、お嬢さん。ボリキュア亡き今、もう私がかじきかえんを掌握したのだぁ!」

「ボリキュアは負けないもん!」

 なにこの三文芝居?

 一応、スマホで録画しとこう。

 

 アンナはステージに連れていかれると、4人の女の子とステージ中央に並べられた。

「いやぁ、怖い~」

 俺の方が恐怖を覚えるよ。

 アンナの隣りにいる子供たちもドン引きじゃん。

 トラウマになりそうでかわいそう。

 

 役者は揃ったことで、司会のお姉さんがマイクを持つ。

「さあ! 会場のみんな、イケメンガーに女の子たちが捕まっちゃったよ! どうする!?」

 一人、男性が混じってますよ。

 

「会場のみんな! 倒れたボリキュアにエールを送って!」

 すると会場の子供たちが叫びだす。

 

「ボリキュア、がんばれぇ!」

「ブラック、たってぇ!」

「はぁはぁ……ブラックたんの倒れているところも可愛いよ」

 ん? 最後のは大友くんでは?

 

 そして会場は熱気を放つ。

 気がつけば、子供たちだけではなく、親たちも一緒に叫ぶ。

「「「ボリキュア、がんばれぇ!」」」

 なるほど、子供のためだもんな。

 パパさんとママさん、休日出勤、お疲れっす。

 

 俺も一応便乗しといた。

「アンナを返せぇ! 助けてくれぇ、ボリキュア~!」

 壇上にあがっていたアンナもそれに合わせる。

「タッくんとのデートを返して~ ボリキュア~!」

 失笑が起こる。

 

 恥じゃん。

 

 俺たちのエールに呼応するかのように、ボリキュア戦士たちはフラフラと重い腰を上げる。

 立ち上がって、戦闘態勢を整え叫ぶ。

「許さないわよ! イケメンガー! 私たちのお友達を傷つけるなんて!」

 なんにもしてないけどね。

 

 その後はボリキュアの必殺技を各シーズンキャラごとに連発。

 イケメンガーは「ぐわっ」「ぐへっ」「うう」とうめきながら倒れる。

 そして倒れたくせに、ムクッと立ち上がるとステージ裏へと逃げていった。

 シュールだ。

 

「私たちは絶対に負けないんだからね!」

 全員でボリキュアの決めポーズ。

 その後、アンナはボリキュアたちと記念写真を撮っていた。

 

 もういや、帰りたい。



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89 お土産でセンスが問われる

 アンナはボリキュアショーを十二分に楽しんだ。

 ショーのあとは握手会や撮影会が全員に行われる。

 幼い子供と親で長蛇の列が出来ている。

 それにも俺とアンナは並んだ。

 

「きゃあ☆ ボリハッピーだぁ☆」

 ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶミニスカ女子(♂)

 可愛いんだけど痛いよ。

「ボリキュア、本当に好きなんだな」

 俺は呆れた顔でアンナを見つめる。

「だって、15周年だよ☆」

 生後間もなく見だしたの?

「ふーん、だから今期キャラだけじゃなく各シーズンの主役も登場しているわけか?」

 なんだかお金の匂いがプンプンするな。

 大人の策略って怖い。

 

「うん☆ だから今度15周年記念の劇場版観に行こうね☆」

「え、それはちょっと……」

 俺って別にアニメとか好き嫌いする方じゃないけど、劇場まで足を運ぶほどガチオタじゃないんだよ。

 

「なんで? 楽しいよ、ボリキュアの劇場版」

 不思議そうに首を傾げる。

「アンナは毎年観ているのか?」

「もちろんだよ☆ 年に2回はあるでしょ?」

 そうなの? 知らんかった。

 アンナさんも大友さんの仲間じゃないですか。

 

「へぇ……」

 ちょっとアンナの趣味にドン引き。

「だから行こうね、取材も兼ねて☆」

 それ、取材になるのかな?

 ラブコメ要素ある?

 

 ふと前の列に目をやった。

 真っ黒に日焼けしていて、望遠レンズ搭載の高そうなカメラを首からかけている。

 随分、気合の入ったお父さんだな。

 しかし、それにしてはちと若い。

 そこで他のお父さん方と比較してみると違和感を覚えた。

 よく見ると子供を連れていない。

 

「あ……」

 俺はすぐに察した。

 大友くんか。

 

 何よりおかしいのが、両腕に恐らく子供用のボリキュア、仮装グッズをつけていた。

 リストバンドのように利用しているが、悪い意味で目立っている。

 そして、頭には玩具のプラスチックで出来たカチューシャ。しかも電池でピンクに光ってやがる。

 

 ガチ勢じゃん。

 こんな紳士が親子連れと並んでいるのか……。

 別に悪い事じゃないんだけど、なんだかな。

 泣けてくる。

 

 列がどんどんステージに近づいていくと、そのオタは黙ってカメラを構えた。

 アンナは俺の隣りで「きゃあ! ブラック~」と叫んでいる。

 言わば陽キャのオタだな。

 

 前列のオタの番になると、その紳士は急にマシンガントークを繰り広げる。

「あ、鈴木さん! お疲れ様です! 夕方の回も観ます! 可愛いっす!」

 え? 誰だよ、鈴木さんって。

 ボリブラックだろ? 夢を壊しちゃダメだよ。

「佐藤さんも! 輝いてました! パネェっす! マジ卍っす!」

 そう言って、次々とボリキュア達と握手していく。

 中身の人たちも彼を分かっている体で、黙って頷く。

 どうやら常連の客らしい。

 

 そして、ついに俺たちの番になった。

「きゃあ、ブラック、ギュウしてぇ~」

 アンナは図々しくも女装キャラを活かして、ボリブラックと抱擁を楽しむ。

 セクハラじゃん。

 俺は仕方ないので隣りのボリホワイトと握手する。

「あ、初代が至高です」

 一応、俺の想いだけは伝えておいた。

 すると、ホワイトも何かを察したのか、うんうんと頷いてくれた。

 

 そして、握手会を終えたアンナは満足そうに笑っていた。

 ま、アンナが喜んでくれるなら俺は何でもいいけど。

 

「はぁ、楽しかったぁ☆」

「まあ俺一人だったら経験できないことだよな」

「でしょ? 取材になったよね☆」

 なってない気がする。

 

 スマホを見れば、時刻は『15;45』

 けっこう長居できたな、小さな遊園地だが。

 

 最後に観覧車に乗って帰ることにした。

 

 そんなに大きな観覧車ではない。すぐに一周を終えそうだ。

 だが、アンナはルンルン気分で乗り込む。

 

 観覧車の中へ入ると互いに向き合うように、座る。

「ねぇ、タッくん」

「ん?」

「今日は楽しかった?」

「ま、まあまあかな」

 カオスだったし。

「そっか☆ ならよかった。また来ようね、二人で☆」

 夕焼けに照らされたアンナの白い肌がオレンジがかる。

 グリーンアイズの瞳が少し潤んでいた。

 

 可愛い。素直にそう思えた。

「そうだな、また二人で来よう」

 互いに見つめあい、観覧車がてっぺんに昇るまで、余韻に浸る。

 ほぼ、景色なんて観てないぐらい、見つめあっていた。

 

「タッくん、次のデートはどこに取材する?」

「うーん、どこがいいかな? ラブコメの王道たる場所がわからん」

 アンナもちょっと考え込んでしまう。

「ラブコメ……福岡でしょ……若者、カップル」

 それ、全部リア充が似合うやつじゃん。

 俺たち野郎二人でなにやってんの?

 

「そうだ! 天神なんてどう?」

 意外だった。

「天神? あんなところにラブコメ要素なんてあるか?」

 だってリア充の街じゃん。

「あるよ! アンナはあんまり行かないからわかんないけど、テレビとか雑誌にも度々取材されているでしょ?」

 それがリア充の証拠じゃん。

「なるほど……まあ俺は仕事でしか、行かないからなぁ」

 いい思い出がないんだよ。

「じゃあ、タッくんも似たもの同士だね☆」

 あのさ、ちょいちょい同じグループに入れないでくれる?

 俺は女装なんてしないから。

 

「今度は天神で決定!」

「わ、わかったよ……」

 次の取材場所が決まったと同時に観覧車はちょうどてっぺんになっていた。

 梶木浜(かじきはま)が一望出来た。

 海が見える。天気も良かったせいか、梶木浜から海の中道までよく見える。

「キレイ」

 アンナは景色に見とれていた。

 俺はこういうものにあまり感動しない。

 だが、彼女といる空間ならば、別だ。

 全てが美しく見える。

 

 

 観覧車が下に戻ってくると、俺たちは園内の出口へと向かった。

 と、その前にお土産コーナーへ。

 

 かじきかえんのお土産は10年前に来た時とは違い、公式キャラのビートくんを差し置いて、バルバニアファミリーに牛耳られていた。

 仕方あるまい、天下のバルバニアファミリーなのだから。

 それを見て、アンナは「きゃあ! カワイイ~」と真っ先に売り場へと突っ込んでいく。

 ちゃんと赤い大きなカゴを持って。

 いっぱい買うつもりなんだろうな。

 

 アンナはバルちゃんやニアくんの限定フィギュアや人形の服や家などを次々とかごへぶち込む。

 あれ? この雰囲気、どこかで似たような光景を見たような……。

 そうか、変態JKの北神 ほのかの同人誌狩りと同じだ。

 だが、アンナの方が可愛い趣味だし、見ていてしんどくない。

 

「タッくんはおうちの人に買わないの?」

 ふとアンナから質問される。

「いや、うちの人間はバルバニアなんて似合わないよ。それにバルちゃんとニアくんに迷惑がかかる」

「どういこと?」

 だって人形つかって、変なことをさせるもん、あの親子は。

 

「まあアンナは知らなくていいことだよ」

「そう? でもお菓子ぐらい買っていけば?」

 アンナはバルバニアのイラストで包装された可愛らしいクッキーを俺に見せる。

「ふむ、クッキーか。まあこれなら有害ではないな」

「有害? おいしいよ、これ?」

 違うんだ、そう意味じゃないんだよ。

 公式に有害なんだよ、うちの母と妹は。

 どうせ二次創作にネタとして使いやがるから。

 

「おいしいならそれにするよ」

 俺は半ばどうでもいいと思っていた。というか超どうでもいい。

 あいつらのお土産は腐りきった同人で十分。

 

「じゃあアンナも同じの買おうっと。ミーシャちゃんにクッキーあげるんだ☆」

 それ、自分プレゼントじゃん。

 一番悲しいよ。

 

 アンナは山ほどバルバニアグッズをカゴに入れるとレジへ並んだ。

 対して俺はクッキーを一つ。

 

 店員がアンナのカゴをレジ打ちしていくと恐ろしい金額に。

「合計で3万5千円になります」

 たっか! 払えるの?

「はい、現金で」

 アンナはごく当たり前のように福沢諭吉を4人も出す。

 いや、デュエルカードじゃないんだから。

 

「アンナ、そんなに金持ってきてたのか?」

「うん☆ 貯金おろしておいたの☆」

 さすがです。

 

 会計を済ますと、俺とアンナは仲良く梶木駅へ向かった。

「楽しかったねぇ☆」

 ニッコリと微笑むアンナ。

 可愛いやつだ。

 しかし、手に山ほどバルバニアのビニール袋を持っているのが痛い。

 

 重たくないの? だが、アンナは中身が普通の彼女じゃないので余裕で持ってましたとさ。



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第十三章 パーティスクール
90 書籍化決定!


 アンナと3回目のデート……ではなく、取材は無事に終えた。

 それから数日後、担当編集の白金から電話がかかってきた。

 

『あ、DOセンセイ! おめでとうございます!』

「は? なにが?」

 祝ってもらうことなんて何もないけど。

 アンナとは付き合ってないし、付き合えないし。

 

『書籍化決定ですよ!』

「え? 俺、なんか書いたっけ?」

『忘れたんですか? この前のラブコメ短編ですよ!』

 あ、マジ忘れてた。

 ブログ感覚で書いた小説とは呼べないもんだからな。

 俺史上、一番クソみたいなストーリーだし。

 

「書籍化ってお前、短編だろうが。単行本にならねーぞ?」

『ああ、それなんですけどね。編集長がやけにあの作品を気に入りまして……』

 気に入るなよ!

『以前、申し上げました通り、来月号のゲゲゲマガジンに掲載して、読者から人気があれば長編小説にしたいそうです!』

「マ、マジかよ……」

 俺が以前書いた、小説『ヤクザの華』はそんなVIP待遇受けてないぞ?

 3巻で打ち切りだったし。

 

『はい! 編集長曰くリアリティがあり、‟とても胸がキュンキュンするラブコメだ☆”らしいですよ』

 オエッ!

 なに人の日常みて胸キュンしてんだよ、おっさん編集長。

 

「そ、そうか……」

『どうしたんです? なんかあんまり喜んでなさそうですけど……』

 正直、全然喜んでなかった。

 俺が本来、書きたいものはヤクザや暴力、任侠、アングラ……などのジャンルだ。

 ラブコメなんて、本当は書きたくなかった。

 書きたいものを書けない……これほど作家として辛いものはない。

 だが、読み手は残酷だ。

 創作者本人がやる気がなくても、おもしろいかつまらないかを非情に判断する。

 俺がつまらない作品だと思っても、読者がおもしろいと思えば、小説家として書き続けなければならない。

 

 葛藤していた。

 このままでいいのだろうか?

 俺は自分で『クソだ』と思っている作品を世に出していいものか……作家としてすごく悩んだ。

 だが、アンナとの取材はとても楽しい。

 ここで白金に掲載をストップさせるのは簡単だ。

 しかし、同時にアンナとの取材が出来なくなるのは辛い。

 

「ところで白金。今後の取材費はどうなる?」

 俺の懸念の一つだ。

 あくまで取材とは言え、学生の俺にはかなりの出費だからな。

 

『それなんですけどね、編集長から許可もらえました』

 グッと拳を立てる。

 ただでデートできるぜ!

『あ、その代わり条件があるそうです』

「え?」

 まさかアンナを紹介しろとか?

『DOセンセイの経費の中で映画代が含まれているじゃないですか? あれを今後全面カットとのことです』

 ガーン!

 ただで映画が観れない……。

 まあアンナのためだ。今後は映画はレンタルで我慢しよう。

 

『じゃあ、来月のゲゲゲマガジンの反応を待ちましょう♪』

 白金の声音は軽く、上機嫌で電話を切った。

 

 まあ商業デビューして3年、編集長が俺を褒めたのは初めてだからな。

 今後、俺がバズれば、白金も出世できるかもしれん。

 その時はガッポリ、ボーナスで焼き肉でもおごってもらおっと。

 

 

 ~それから数日後~

 

 第3回目のスクーリングの日がやってきた。

 いつものように赤井駅方面の車両に乗り込む。

 ゴールデンウイークに入り、学生や若者は少なくなってきた。

 きっと休みに入ったから、みんな博多や天神へ遊びにいくのだろう。

 俺の向かう赤井駅は北九州行きの上り路線に対し、リア充共は逆の博多行きの下り路線。

 だから自然と上り路線は客が減る。

 

 あー人が少なくて気楽だわ。

 だがそれでも、数人ちらほらと制服を着た学生を見かける。

 ゴールデンウイークも部活かよ。

 元気だよな……。

 

 二駅過ぎたところで席内駅に着く。

 ドアが開くと、爽やかな風と共に黄金色の髪を揺らしながら、一人の少年が入ってくる。

「あ、タクト☆」

 嬉しそうに頬を緩ますミハイル。

 こちらに手を振って、朝の挨拶。

 

 もう5月も入ったこともあってか、装いも衣替え。

 いつもならTシャツにタンクトップ姿なのに、胸元がザックリ開いたボーダーのノースリーブ。

 丈が短く、へそ出し。

 ボトムスは平常運転で、ダメージ加工のショーパン。

 透き通った白い肌がより際立ったファッションへと変わっていた。

 

 正直、女装しているより、この格好の方が攻撃力は高いな。

 男装時と言うのもおかしな表現だが、ここで「写真撮っていいか?」なんて聞けば、殴られるんだろうな。

 基本、ミハイルさんて塩対応だもん。

 

「ああ、久しぶりだな、ミハイル」

 指示したわけでもなく、当然のように俺の隣りにベッタリと座る。

「え? この前会ったばっかじゃん☆」

 おいおい、アンナモード抜けてないんじゃないのか?

 ミハイルくんとはかなり久しぶりなんだけどな。

「この前? 俺とミハイルが?」

 俺が怪訝そうに彼をじっと見つめると、ミハイルはハッと何かを思い出したような顔をする。

 

「あ、そうだったよな……オレとタクトはこの前のスクーリング以来だもんな、ハハハ」

 苦笑いでその場を誤魔化すミハイル。

 なにこれ、超おもしろい。

 たまにアンナとミハイルがごっちゃになるのがウケるわ。

 

「そうだろ? ところでアンナはどこに住んでんだ?」

 おもしろいのでしばらくイジる俺。

「え? アンナの住んでいる場所?」

 額に汗を吹き出し、視線をそらす。

 かなり困っているようだ。

「えっとね……どこだったかなぁ。きっと北九州じゃないかな……」

 きっとってなんだよ。

 お前のいとこの設定だろうが。

「ふぅん、ミハイルは遊びに行ったりするのか?」

「オレ? ときどきな……」

 ヤベッ、超楽しくなってきた。

 だがそろそろやめてやらないと、ミハイルの人格が崩壊しそうだ。

 

 俺は話題を変えた。

「なあ千鳥と花鶴は電車で通学してないのか?」

 ふと気になった。

 あいつらとは電車であまり顔を合わせないし、第一遅刻魔だからな。

「ああ、力とここあはバイクだよ。‟2ケツ”して来てるぜ☆」

 ケツなんてはしたない言葉を使っちゃいけませんよ。

「すまん、2ケツってなんだ?」

 おしくらまんじゅうじゃないよね。

 

「え、タクト。2ケツも知らないの? ダッセ!」

 腹を抱えて笑うミハイル。

 なんだろう、バカに馬鹿にされている気分だわ。

 かっぺムカつく。

「すまんが勉強不足だな」

 なんで俺が謝ってんだろう。

「2ケツってのは二人乗りってことだよ☆」

 人差し指を立てて、胸を張るミハイル。

 俺が知らない言葉を教えられるのがよっぽど嬉しいんだろうな。

 今日はその胸でも触って許してやろうか。

 

「なるほど、じゃあ千鳥のバイクに花鶴が跨るってことだよな?」

「そだよ」

 つまり、千鳥の背中にどビッチのパイパイがプニプニしてるってことだよな。

「やはりあいつらは付き合っているのか?」

 以前から気になっていた。

 いつも二人でいるし、というか決まって二人で登場するんだよな、あいつら。

 

 それを聞いたミハイルは目を見開いて、驚いた。

「え!? リキとここあが? そりゃないよ!」

 キッパリと否定された。

「だが、あの二人かなり親密な仲だろう」

「それは昔からのダチだし、あいつらもお互いのことをそんな目で見てないと思うな」

「つまりただの幼馴染ってことか?」

「うん☆ オレもそのうちの一人だし、保育園のころかな☆」

 友達二人か……少なくて可哀そう。

 

「じゃあミハイル。お前はなんで電車で通学しているんだ? お前もバイクとか乗らないのか?」

「え? オレは……まだ免許取れる年じゃないし」

 ヤンキーだから基本、無免許上等だと思ってた。

 けっこう真面目じゃん。

「そ、それに……タクトと電車乗るの好き……だから」

 頬を赤くする15歳男子。

 

 というか、突然の鉄オタ発言。



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91 野郎の嫉妬は執念深い

 俺とミハイルは仲良く、一ツ橋高校へと向かった。

 校舎の入口にはいつも通り、環境型セクハラ痴女教師の宗像先生が立っていた。

 腕を組んでガハガハと下品な笑い声が遠くからも聞こえてくるほどだ。

 

「おはよう! 新宮に古賀!」

 

 えー本日の宗像ファッションチェックと参りましょう。

 今日はかなり攻めてますねぇ。

 下着のような肌の露出が目立つキャミソール。しかもスケスケのレース。

 そして、ヒップにピッチリと食い込む超ミニ丈のショートパンツ。

 ひどい立ちんぼガールですね。

 あ、もうガールて表現がしんどいお年の方でした。

 

 条例違反しているので、さっさと懲戒免職してください、学園長。

 

「おはようございます……」

 俺はめんどくせって感じて挨拶を返す。

「あ、宗像センセ! おはよーございます!」

 ミハイルは律儀にもしっかりと元気な声で挨拶。

 こんな痴女教師に真面目にしなくてもよかろうもん。

 

「おう、古賀は元気だな。新宮は気合が入ってないな。よしケツを叩いてやろう!」

 この教師は何かと俺のケツを叩きたがるな。

 セクハラで訴えよう。

 

「いや、いいですから。そう言うの」

 キッパリと断る。

 セクハラはしっかり拒絶するのが一番効果的な対処法である。

「連れないなやつだな……というか、新宮と古賀はいつも一緒だな、仲良いな」

 顎に手をやって、俺とミハイルを交互に眺める。

 俺は脳裏にアンナが浮かんで、どこか居心地が悪かった。

 ふとミハイルの方を見ると、顔を真っ赤にさせていた。

 

「ダ、ダチだからっすよ!」

「ほう、そんなもんか? ま、仲良き級友ができることは先生としても嬉しいゾ!」

 なにを思ったのか、笑顔で俺とミハイルの頭をぐしゃぐしゃ撫でまわす。

 これもセクハラとカウントしてもよろしいでしょうか?

 

「先生、ガキ扱いやめてください」

「センセ、ちょ、ちょっと……」

「お前らは今期入学生の中で一番気にかけている子たちだからなぁ。中退とか絶対許さないゾ!」

 笑っているけど、謎の圧力を感じる。

 つまり卒業するまで、宗像先生からは逃げられないってことだよな。

 

「じゃ、元気にいってみよう!」

 そう言うと、俺とミハイルの尻を思いっきりブッ叩く。

 

「いって!」

「キャッ!」

 ミハイルくん、たまにアンナちゃんが出てきてない?

 

 俺とミハイルは叩かれた尻を摩りつつ、下駄箱に向かった。

 

 上靴に履き替えて、階段を上る。

 教室へ入ろうとした時だった。

 ミハイルが俺に声をかける。

「タクト、ちょっと先に入ってて」

 顔を赤らめてモジモジしている。

「ん? どうした? 忘れもんか?」

「いや、ちょっとトイレに……」

 あ、ガチのモジモジだったのね。

 

「わかった、行って来いよ。俺は教室で待っているから」

「うん☆ 待っててね☆」

 ミハイルは嬉しそうに小走りで廊下の奥へと去っていった。

 ちょいちょい、ミハイルとアンナの境界線が曖昧になっていくと感じるのは俺だけだろうか。

 

 

 教室に入った瞬間、俺の目に映ったのは衝撃の光景だった。

 クラスの女子全員が薄いBL同人誌(18禁)を教科書のように机の上で広げていたからだ。

 みんな真剣な顔で食い入るように眺めている。

 

 これは間違いない。

 変態JK、北神 ほのかの影響だろう。

 前回の布教でここまでクラスの女子を腐らせるとは……。

 

「おはよう! 琢人くん!」

 笑顔が眩しい。

 だが、どうしても目が手元に行く。

 机の上にはBL同人誌が大量に置かれていたからだ。

 

「ああ、おはよう。ほのか」

 今日も相変わらず、中退した高校の制服で通学している。

 

「あ、この前の私のマンガどうだった? 抜けた?」

 なんで俺がBLで抜くんだよ?

「朝から頭が痛くなるからやめてくれよ……」

 家でも散々な思いをさせられていたるのに、学校でもBLかよ。

 どうか俺を休ませてください。

 

 ほのかはそんな俺の苦労を知ってか知らずか、同人誌を恥じることもせずに「これなんかどう?」と開いて見せつけてくる。

 俺がため息をついたその時だった。

 

「新宮はいるか!」

 

 全日制コースの制服を着たがたいの良い男子学生が教室に現れた。

 一ツ橋高校に三ツ橋の生徒が現れるのは珍しい。

 

「俺のことか?」

「ちょっと面貸せ!」

 ずかずかと教室に入り、俺の胸ぐらを掴むと無理やり立たせた。

 かなり興奮した様子に見える。

 どこかで見た顔だな。

 えっと、確か……。

「お前、福間か?」

 そうそう、俺この前こいつに赤坂 ひなたを助けるために殴られたんだったよな。

 連日ラブホテルのことばっかで忘れてたわ。

 

「てめぇ、また俺のことを忘れてたのかよ!」

「いや、なんかすまんな……」

 覚えはいい方なんだけど、野郎のことは基本どうでもいいかな。

 

「た、琢人くん! 大丈夫なの?」

 心配そうにこちらを見つめるほのか。

「大事ない、福間とは知らない仲じゃないんだよ」

 一応、ほのかも女子なので安心させておく。

 

「いいからついてこい!」

「お、おいおい……」

 俺は福間に力づくで教室から連れていかれた。

「こっちだ」

 かなり怒っているようだったので、俺は素直に従う。

 また殴られるのは勘弁だしな。

 

 普段は行かない3階へと向かう。

 一ツ橋高校は元々生徒が少ないし、2階の教室だけで事足りるのだ。

 3階の教室は日曜日なので滅多に人がいない。

 全日制コースの連中も基本は部活棟にたむろしているし。

 

 3階に入ってすぐの教室に入る。

 すると以前見たことがある男子生徒が二人、待ち構えていた。

 

「こいつかよ、相馬くん!」

「オイラの姫たちを奪ったてのはおめーだべか!?」

 誰だよ。

 

「ああ、そうだ。こいつが女ったらしの新宮だよ!」

 ビシッと俺の顔面めがけて指を指す。

 なにこれ、俺ってなんか犯罪でも犯したのかな?

 

「どういうことだ? 福間」

「とぼけるんじゃねぇ! 人の女に手を出しといて!」

 え? もしかして、赤坂 ひなたのことを言ってんのかな?

 あれは福間くんの勝手な思い込みで「付き合ってない」って言われてたじゃん。

 まだ勘違いしてんの。残念なDKくんだ。

 

「あのな、俺はひなたとは恋愛関係に至ってないぞ?」

「ひなただ? てめぇ、もう下の名前で呼びやがって! あのあと、何発ヤリやがった!?」

「へ?」

「俺はあの後見てたんだよ! 赤坂をラブホに連れ込むお前をな!」

 ちょっと待って。あれ、俺気絶してたんだよ?

 俺が赤坂にラブホへ連れ込まれたのが正解だぜ。

 というかずっと見てたの?

 

「それは誤解だ、福間」

「じゃあなんでラブホになんか連れていったんだよ!」

 鼻息荒く俺に詰め寄る。

 

 福間に便乗するようにモブDKも加わる。

「そうだそうだ! 答えろよ、一ツ橋のクズが!」

「赤坂ちゃんは水泳部の姫だべよ! 王子様の福間くんのもんだべ!」

 オタサーの姫の間違いじゃない?

 

「お前らな……俺は福間がひなたを無理やりラブホに連れ込むところを助けたんだぞ? それに福間が俺を殴りやがったから、気を失った俺をひなたが担いで、ラブホで介抱してくれてに過ぎない」

「あれは合意のもとだろうが! 新宮が邪魔しなければ、俺は今頃……童貞を」

 犯罪だよ、チェリーボーイ。

「安心しろ、福間。俺も列記とした童貞の一人だ」

 胸を張って告白することでもないのだけど。

 

「じゃあ、何もしてないっていうのかよ!」

 それでも疑いが晴れることはないようだ。

 まあ理由が正当であれ、ラブホに入った事実は変わりないからな。

「そればっかりは信じてくれ。なんならひなた本人に確認しろよ」

「なんだと!? じゃ、じゃあ、次の日のカワイイ子はなんなんだよ!?」

「え……」

 俺は脳内が完全に静止してしまった。

 

「次の日? な、なんのことだっけ?」

 わき汗が吹き出る。

「おかしいと思ったからあの日からお前を見張ってたんだ!」

 はぁ……ここにもストーカーが。

 

「見てたんだよ! 次の日、めちゃんこ可愛いハーフの女の子とラブホに入ったろうが! 赤坂と入ったくせに!」

 それアンナじゃん。男だよ。

 性別、間違ってるぜ。

 なんか恥ずかしくなってきた。



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92 恋の敵は友達

「答えろ! あの可愛いハーフ美人は誰なんだ!? 付き合っているのかよ!」

 福間 相馬は鬼の形相で俺に迫る。

 なんだ、こいつ。

 女装したミハイルに恋でもしたか?

 

「付き合ってはいないよ……彼女は俺のビジネスパートナーだ」

 俺がそう答えると福間は更に激昂した。

「んだと!? セフレってことかよ!」

 いやそういうお仕事じゃないよ。

「あのな……彼女はちょっと特別なんだ」

「特別ってことは赤坂は遊びってことかよ!」

 うーん、なんか言い訳する度に話がこんがらがってくるな。

 

「そういうことじゃない、ひなたとも別にラブホテルで何かをしたわけじゃない。アンナも同様だ」

「アンナちゃんていうのかよ!」

 いや、お前にちゃん付けされるのはちとムカつく。

「とにかく、ラブホテルに入ったのは事実だが、赤坂は事故で、アンナは仕事の……ことかな?」

 自分で言っておいて、なぜか疑問形。

「はぁ? 仕事でラブホとかアンナちゃんはそう言う店の子かよ?」

 おい、アンナに謝れよ。

 

 福間は俺の答えに納得することはせず、一向に怒りが治まる気配がない。

 互いに睨みあって、奥歯に力を入れる。

 

 その時だった。

 

「ここにいたのか、タクト!」

 ヤベッ、当のご本人登場しちゃった。

 

「ミハイル……」

「教室で待っているって言ったんじゃんか! ずっと待ってたのに!」

 めっさ怒ってはる。

 寂しがり屋なんだな。

 

 ずかずかと教室に入ると俺の手を掴む。

 それを見た福間が止めに入る。

「おい、なんだお前! 俺は今、新宮に話があるんだ!」

 言われて、ミハイルは福間を鋭い眼光で睨みつける。

 俺に見せたこともないような顔つきだ。

 

「あぁ? 誰だよ、お前」

 ミハイルくん、それ一番いっちゃダメなヤツだよ。

「俺は三ツ橋高校の福間だ!」

「だから?」

 冷めきった声で凄む。

 その間、俺の手を握り締めたままだが。

 

「あのな、こいつは俺の彼女に手を出したんだよ!」

 ちょっと待って語弊が生まれます。

「ええ!? お前のカノジョにタクトが手を出したって!?」

 口を大きく開けて、信じられないと言った顔で俺を見る。

 酷くない?

 

「どういうことだよ! タクト、お前にはアンナがいるだろ!」

 はぁ……もっとめんどくさい事になったよ。

 ミハイルの怒りがこっちに向いちゃった。

「だろ? こいつはアンナちゃんがいるのに、俺の彼女、赤坂に手を出したんだよ!」

 便乗する福間。

 流れが変わってしまったよ。

 

「いや、ちょっと待ってよ、お前ら……」

 ミハイルは握っていた俺の手をバシッと叩くように手を離す。

「説明しろ、タクト!」

「あのな、俺は福間が強引にひなたをラブホテルに連れ込もうとしたのを阻止したに過ぎない」

 この説明、何回するの?

「違う! 合意のもとだろ!」

 お前はまだ犯罪を犯したいのか。

 

「ん? ひなたをタクトが助けた……?」

 首をかしげるミハイル。

「そうだ、その時に福間が……」

 言いかけて、ミハイルの顔色が曇り出す。

「殴った」

 俺の代わりに答える。

 

 時すでに遅し、彼の拳はグッと力強く握られ、俺に背を向ける。

 ミハイルの背中からは見えないはずの地獄のような赤く燃え上がった炎が見える。

 気のせいか、金色の髪がざわざわと揺れ動く。

 

「お前か! タクトを殴ったヤツはぁ!」

 ギロッと睨みつける。

 その姿は俺がミハイルと初めて出会った入学式の時のような剣幕。

 彼本来の姿、ヤンキーそのものだ。

 ケンカを売っている。

 

「ああ!? あれは新宮が悪いんだ! 俺の邪魔したから……」

「うるせー! オレのタクトに手を出しといて、タダで帰すかよ、ボコボコにしてやる!」

 退学するぞ、ミハイル。

 止めた方がよさそうだな。

 

「はん、お前みたいな中性的なヤツがこの水泳部エースの俺にケンカ売るのかよ?」

 福間は指をポキポキと鳴らし、どこからでもかかっこていと言わんばかりに挑発する。

 確かに福間の方がミハイルより身長や体型は遥かに超える。

 だが、ミハイルも見た目にそぐわずかなりの怪力だ。

 

「お前みたいなもやし野郎、ワンパンだ!」

 久しぶりに聞いたな、ミハイルのおすすめのメニュー。

 キムチの素で作るもやしだろ?

 

「誰がもやしだ! だいたい、ミハイルだっけか? お前になんで関係あるんだよ?」

 まあ正論だよな。

「は? オレはタクトの唯一のダチだから……」

 唯一とか言うな。ぼっちが目立つだろ。

 

「ダチってこんなヤリ●ンがか? ミハイルも友達を選べよ」

「お前にタクトのなにがわかる!?」

 あれ、ケンカするんじゃなかったの……。

 なんか話が俺のことだけになっているよ?

 ひなたがかわいそう。

 

 そこへモブDK達もヤジを飛ばす。

「そうだぜ? 新宮は福間くんの女に手を出しといて、ハーフ美人が本命らしいし」

「だべよ、水泳部の姫をホテルに連れ込んで、次の日にはめちゃんこ可愛い子としっぽりだべ」

 おいおい、お前らもアンナを褒めてない?

 水泳部の姫が置き去りじゃん。

 

「え……美人? 可愛い?」

 ミハイルはカチンコチンに固まってしまった。

「そうさ、あいつらの言う通り、新宮は赤坂とラブホテルに行ったくせに翌日にはハーフで美人で可愛くて、妖精みたいな女の子と仲良くしてたんだ!」

 力強い口調でミハイルに抗議しているようだが、実質は彼自身を褒めまくっている。

「よ、妖精……」

 あらあら、耐性が少ないせいか、顔を真っ赤にして床ちゃんがお友達になっちゃったよ。

 

「妖精なんてもんじゃない! 天使だよ! 芸能人なんて目じゃないぐらい可愛かった!」

 その言葉さ、ひなたに使ってやれよ。

「そ、そんなこと……ないだろ?」

 ブツブツと小さく床ちゃんとお話中。

「いや、あるね! 俺はずっと福岡に住んでるけど、あんな美人みたことない!」

 ねぇ、ひなたとアンナ、どっちが好きなの?

 

「……」

 黙り込んで顔を真っ赤にさせるミハイル。

 恥ずかしいったら、ありゃしないよな。

 女装しといて、現役DKにここまで褒められるなんて。

 目の前に本人がいるのに、気がついてないってのも奇跡と言うべきか、ただのバカと言うべきか。

 

「俺がもし赤坂を好きになる前にアンナちゃんと出会ってたら、恋してたかもしらんぜ……」

 拳を作ってどこか悔し気に語る福間。

 現役JKが女装男子に負けちゃったよ。

 

「お、お前ら……」

 ミハイルは身体をガタガタと震わせている。

「言わせておけば」

 ん? キレるんかな?

 暴力する前に俺が止めに入るか。

 はーめんどくさ。

 

「あの、ミハイル。もうやめてやったら……」

 俺がそう言った時だった。

 

「お前ら、すっごくいいヤツらだな☆」

 満面の笑顔で福間の手を両手で握るミハイルさん。

「え……」

 絶句する福間。

 

「アンナのことを褒めてくれてありがとな☆ あいつ、俺のいとこなんだよ☆」

 照れ笑いして、頬をかく。

「お前のいとこだったのか」

 納得したらダメだよ、福間くん。

「そうなんだ! だからこれからもタクトとアンナのことを見守ってくれよ☆」

 ちょっとなに勝手に話を盛り上げてんの?

「ああ、赤坂に手を出さないってんなら、別に構わんけど……」

 おいおい、さっきまでの怒りはどこへ消えたんだ。

「大丈夫! 福間、タクトはアンナにぞっこんだから、ひなたに手は出さないよ、絶対に!」

 俺の意思ってどこに行ったんだろう。

 

 

「そっか……じゃあ、ひなたはラブホテルで何もされてないのかな?」

 いや、恋愛相談始まっちゃったよ。

「ないない! タクトに限ってそんな度胸ないよ☆」

 酷いな、俺も男なんだけど。

「だよな……俺にワンパンで倒れるクソ弱い男だし」

「そうそう! オレがいないとタクトは生きていけないし」

 お前らなに結託してんだよ。

「オレ、福間とひなたの恋愛をめっちゃ応援するよ! なにかあったら手伝うぜ☆」

 ニカッと白い歯を見せて、親指を立てる。

 

「ミハイル、いいやつだな、お前。一ツ橋を差別していた自分が恥ずかしいよ」

 

 気がつけば、モブDK二人も涙ながらに頷いていた。

 ああ、優しい世界だ。

 俺だけのぞいて。



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93 芸能人は歯が命

 ミハイルのお節介が上手くいったのか、俺は福間から解放された。

 最後なんか、あいつら手まで振ってバイバイしたよ。

 なんか知らんが、俺とアンナのことを応援することで利害が一致したらしい。

 

 教室に戻ると、何やら騒がしい。

 一人の生徒に円をなして取り囲む。

「なんの騒ぎだ?」

「さあ?」

 俺とミハイルがポカーンとその景色を眺めていると、ほのかが声をかける。

 

「ねえねえ、知ってた?」

 知らんがな。

「なんのことだ?」

 

 するとほのかは人だかりを指差して、興奮する。

「芸能人だよ! 一ツ橋高校に入学してたらしいよ!」

「は、なんで芸能人がうちの高校にいるんだよ?」

「だって、通信制じゃない? だからでしょ」

「なるほどな、芸能活動をする際で全日制コースでは支障をきたすというわけか」

 納得、というかそんな有名人が福岡にいたっけ?

 

「で、誰なんだよ?」

「アイドルの‟もつ鍋水炊きガールズ”のあすかちゃんだよ!」

 なにその胃もたれしそうなグループ。

「誰だよ。ミハイル、知ってるか?」

「ううん、オレはアイドルとか知らないもん」

 素晴らしい回答だ。

 俺もアイドルは好きなほうだけど、そんなローカルアイドルは興味ない。

 というか、存在を知らないんだからどうしようもない。

 

 

 俺とミハイルの反応に不満そうなほのか。

「ええ、博多じゃ有名だよ?」

「博多だけだろ? 地元民の俺とミハイルが知らないってことは極々、狭い中で活動してんじゃないのか」

「琢人くんとミハイルくんが疎いだけだよ」

 まあ俺ら歪な関係だし、変わっていることは認めるけど。

 知らんもんは知らん。

 

 

「あ、ほのか! 今、タクトのこと、名前で呼んだろ!」

 なんか今日は感情的ですね、ミハイルさん。

「うん、この前、琢人くんと天神の‟オタだらけ”で一緒に買い物してから仲良くなったんだよね」

 いや絶対に仲良くなってない。

 一方的に凌辱マンガを送られただけです。

 

「はあ!? 聞いてないぞ、タクト!」

 怒りの矛先が俺に向けられる。

「ん? なんで俺がミハイルにいちいち報告しないといけないんだ?」

「そ、それは……オレだって天神に行ったことないのに、ほのかと遊んだからだよ!」

 涙目でブチギレる。

 ガキかよ。

 そう言えば、今度のアンナとのデートは天神だったよな。

 嫉妬ですか、みっともない。

 

 

「ほのかと出会ったのは偶然だよ」

「あっ! タクトもほのかのこと下の名前で呼んでる!」

 いちいち、リアクションが忙しいな、こいつ。

「まあまあ、私と琢人くんとはただのホモダチだからね」

 なにを言ってんだこのバカJK。

「ホモダチ?」

 興味を持ったらいかんよ、ミハイル。

「そうそう、BL、百合、エロゲーを差別なく世界に布教するための同志ってことだよ。琢人くんの小説に必要なことなんだって」

 勝手に話をまとめんなよ。

 全然、俺の小説には必要ないジャンルだよ、バカヤロー!

 

「そっか……タクトの小説に必要なことなんだ」

 納得しないで、ミハイルくん。

「うん、だから琢人くんとはただのホモダチ」

「ならいいぜ☆ ダチなんだろ? ホモダチってのがわかんないけど」

 はぁ、ミハイルはどうしてこんなにも無知なんだろうか。

 

 

 3人で話が盛り上がっていると、そこへ一人の少女が割り込む。

 

「あなたたち! アタシを差し置いてなにを盛り上がってんのよ!」

 

 そこにはゴスロリファッションの痛々しい女の子が立っていた。

 艶がかった黒い髪で肩まで流すように下ろしている。

 前髪はちょうど眉毛の上で奇麗に揃えられている。

 顔立ちはいい方だが、それよりも表情がきつい。

 美人の部類なのだろうが、我の強い人間だということが一瞬にしてわかる。

 

 

「誰だおまえ?」

「はぁ!? アタシを知らないの?」

「知らん」

「オレも初めてみた」

 ポカーンとゴスロリガールを眺める底辺作家とヤンキー。

 超興味ない。

 

「琢人くん、ミハイルくん……それは酷いよ」

 フォローに入るほのか。

 だが、俺は曲がったことが大嫌いだ。

 知らんやつは知らんと言ってあげたほうがいいだろう。

 

「アタシは……」

 俯いて肩を震わせる。

 どうやら癪に触れてしまったようだ。

 

「アタシは芸能人の長浜(ながはま) あすかよ!」

「「……」」

 俺とミハイルは互いに顔を見つめあい「ねぇ、知ってる?」と問う。

 

「なによ、その反応!」

「すまんが、知らんな」

「オレも」

 俺たちの一言が彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。

「なんですって!?」

 顔を真っ赤にして睨みつける。

 

 そこへ宗像先生が教室に入ってくる。

「おーい、楽しい楽しいホームルームやるぞ~」

 相変わらず、無駄にデカい乳をブルンブルンと揺らせながら入ってくる。

 

「ん? 久しぶりだな、長浜」

 どうやら宗像先生は彼女のことを知っているらしい。

 ま、生徒だから当然だよな。

「あ、先生……」

 バツが悪そうに視線を落とす長浜。

 

「芸能活動も大変だろうが、ちゃんとスクーリングには来いよな」

 ニカッと笑って長浜の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「は、はい……」

 さっきまでの勢いはどうしたもんか、大人しくなる芸能人。

 

「さ、席につけ~」

 俺たちは宗像先生に言われて黙って各々の席に散らばる。

 長浜とすれ違いざまに、俺にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。

「覚えておきなさいよ…」

「え?」

 俺が振り返ると、長浜は足早に去っていった。

 

 一ツ橋って本当に変な高校だよな。

 

 

 席に着くと宗像先生が何やら嬉しそうに話を始める。

「ところで今週からゴールデンウイークだよな!」

 クラスの生徒たちはどこか冷めた様子で聞く。

 きっとアラサー女子の寂しい生活でも想像したんだろ。

 

「だからしてだな、ゴホン!」

 わざとらしい咳払い。

「今日は放課後、みんなでパーティをするぞ!」

 唐突だし、なにを言いだすんだ?

 そんなもん予定に入ってないだろ。

 

「全員参加だ! 逃げたやつは今日のスクーリングの出席を欠席扱いとする!」

 なんて酷いブラック校則だ。

 じゃあこのまま帰ろうかな。

 

「以上、朝のホームルーム終了だ!」

 ホームルームって必要?

 この人の愚痴とかわがままに生徒が振り回されているだけじゃん。

 

 

 宗像先生が教室から去っていくと俺は授業が始まる前に、トイレに向かおうと思った。

 席を立つ際、先ほどのように長浜にたくさんの生徒が群がっていた。

 

「ねぇねぇ、あすかちゃん、この前のテレビ観たよ」

「長浜さんって本当にキレイだよね、モデルもやってるし」

「はぁはぁ、あすかちゃん、カワイイよ、カワイイよ……」

 あれ、ガチオタがいるな。

 

 遠目から見ても確かに美人だが、俺からしたら「あいつが芸能人?」ってレベルに感じる。

 そんな思いで長浜を見つめていたせいか、彼女は俺に感づいてギロッと睨みをきかせる。

 変わったやつだ。

 

 俺は鼻で笑って、教室を出た。

 

 トイレに入り、小便器の前に立ってチャックを下ろすと長いため息が出る。

 事に移すと朝からトラブル続きでもう既にクタクタだ。

 

「朝から元気なやつばかりだ」

 珍しく独り言も出る。

 

「元気で悪かったわね!」

 空耳かな? なんか女の声が聞こえるんだけど。

 ここって女子トイレじゃないよね?

 

 左に目を向けると間違いなく女子生徒が仁王立ちしていた。

 その際も俺はまだ放尿中だ。

 やけに今日は水量が多い。

 コーヒー飲み過ぎたかな?

 

「お、おい……ここは男子トイレだぞ?」

「だからなによ!? あなた、さっきアタシのことを見下してたでしょ!」

 正解だ、だって自称芸能人の長浜さんじゃないですか。

「長浜、とりあえずここから出てっくれよ。お前が今やっていること犯罪に近いぞ」

 だってずっと人が小便しているのに話を続けるんだもん。

「関係ないわ! アタシは‟もつ鍋水炊きガールズ”のセンターで芸能人の長浜 あすかなんだから!」

 なにその傲慢な理由。

 

「認めなさい! アタシがトップアイドルだってことを!」

「なあ、話の最中で悪いんだけど、あとにしてくんない?」

 

 俺の小便は延々終わることがなく、女子生徒に局部を見られるという羞恥プレイを強要された。

 もうお嫁にいけない……。



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94 アイドル、長浜 あすか

 俺の小便は止まることなく、トップアイドルの長浜 あすかちゃんに放尿行為を見つめ続けられるという羞恥プレイは続行中だ。

 

「アタシは福岡でも……いや九州で一番有名なアイドルなのよ!」

 まだ言うか、知らんのだから仕方ないだろう。

 トップアイドルなのに九州限定なんすね。

 観光客の方にお土産としていいんじゃないですか?

 

 

「あのな、長浜だったか? 俺はお前をテレビやネットで見たことなもない、芸能人と言えばタケちゃんぐらいのビッグネームを出されないとピンと来ないな」

 そう言うと、長浜は更にブチギレる。

「はぁ? タケちゃんとかBIG3じゃん!」

 うむ、いい子だ。

 

「お前が福岡を歩くとして何人が芸能人として把握できる? 身内である一ツ橋や近所のおばさんぐらいじゃないか?」

「言わせておけば……じゃあ一回芸能人やってみなさいよ!」

 なんでそうなる?

 俺はただの作家だよ。

 

 というか、小便止まらないな。

 

 その時だった。

「なにしてんだよ! お前!」

 男子トイレに入ってきたもう一人の女子……じゃなかったミハイルさん。

 顔を真っ赤にして激おこぷんぷん丸じゃん。

 

「アタシ? アタシはトップアイドルの長浜 あすかよ!」

 こいつ、いちいち自己紹介したがるよな。

 よっぽど売れたいんだろう。

「そんなこと聞いてないだろ! ここは男子トイレだぞ!」

 ミハイルにしては実に正論だ。

「関係ないわよ、芸能人はどこにいようと芸能人でいられるんだから」

 なんか芸能人がみんなブラックな人に見えてくる発言だ。

 

 

「オレが言いたいのは、その……タクトの…お、おしっこ中になにしてんだって言いたいんだよ!」

 叫びながら照れてやんの。

 そう言えば、こいつとは風呂まで入った仲だが、局部を見られたのは初めてだった。

 いやん。

「フン、アタシは悪くないわよ! この男が勝手におしっこしているんじゃない」

 酷い言い様だ。俺の人権はどこにいったんだ。

 

 

 ミハイルが長浜とケンカしてくれている間、おかげさまで小便がやっと終わり、チャックを閉める。

「なあお前ら、トイレに用がないなら出てけよ」

 すると二人は息ぴったりで答えた。

「「あるよ!」」

 じゃあ用をたせよ!

 

「だいたい、この女、変態じゃん! タクトの……その……お、おち、おちん……」

 最後までは言えずにトイレの床ちゃんとにらめっこしてるよ、可愛いヤツだ。

「アタシはアイドルでもあって女優もやってんのよ! そんじょそこらの男の裸を見てもなんとも思わないわ!」

 芸能人ならのぞきしてもいいってことですか。やっぱ変態じゃん。

 俺は呆れてハンカチを咥えながら手を洗う。

 

 その間も、後ろで二人のバトルは続く。

 

「タクトはオレのダチなんだ! お前なんかアイドルのくせに女らしくないし、全然可愛くないぞ!」

「言ったわね、アタシはこの前『福岡JKコンテスト』でも優勝したこともあるのよ! つまり全福岡民が認めた可愛さよ!」

 今知ったよ、そんな犯罪めいたコンテスト。

 というか、福岡にこだわるやつだ。郷土愛があるんだな。

 

「なんだそれ?」

 ああ、ミハイルくん。その言葉が一番ダメージデカいと思うな。

「知らないの!? なんであの男もあなたもアタシのことを知らないのよ! こんなに可愛いのに!」

 自己主張が激しいな。もうお腹いっぱい。

 

 俺は手を拭きながら、あほらしいと思いながら彼女と彼の口論を見守っていた。

 

「じゃあタクト本人に聞けよ! お前が可愛いかを!」

 ちょ、なにこっちに話を振ってんだよ。

「それはいい考えね」

 便乗すんな。

 

「タクト、こいつ可愛いか?」

 新鮮な質問ですね。

 だが、そう言われても困る。

 正直美人な部類なのだろうが、それよりも気の強さが先んじていて、見ていてうんざりする。

 

「それは見た目だけで決めればいいのか?」

「何を言ってんのよ、全部よ! ルックスも内面も!」

 ねぇ、会ったのついさっきだよ。

 そんな一時間も会話したことないのに、内面も見えるとかメンタリストじゃん。

 

「トータルでか? なら……フツー」

「……」

 黙り込む長浜。

 涙目で鼻をすすっている。

 傷つけちゃったかな、てへぺろ。

「ほら見ろ、タクトは嘘をつけないヤツだからな」

 なぜお前が自慢げに語る。

 

 

「ただ、顔は可愛いんじゃないのか? まあ黙ってればの話だがな」

 一応フォローしておく。

 まあお世辞は嫌いだが、ウソは言ってないので。

 

「可愛い……」

 目を丸くして俺の方を見つめる長浜。

 意外だったようだ。かなり驚いている。

「あくまで見た目だけだよ」

「そ、そう……」

 珍しくしおらしくなっちゃって、顔を赤く染めて視線を落とす。

 

 

「タクト! お、お前、なに言ってんだよ!」

 今度はミハイルがキレちゃった。

「なにが? ミハイルが言えっていったんだろ? 率直な感想を述べたにすぎん」

 黙っていれば可愛いということは、人格を否定していることでもあるんすけどね。

 

「だからって女の子に可愛い……とか、告白じゃんか!」

「え?」

 そうなの? 誰も好きとか言ってないじゃん。

「タクトにはアンナがいるだろ! アンナより……ひっぐ、可愛いのかよ!」

 今度はあなたが泣き出すんですか?

 この学校、情緒不安定な方が多いですね。

 

「はぁ……今はアンナは関係ないだろ」

「あるよ! タクトのアンナとあの女、どっちが可愛いんだよ!」

 通訳すると「オレと長浜、どっちが可愛いか」ってことですよね。

 こんなところでも俺は公開処刑にあうのか。

 

 

 俺は呆れながらも答えてやった。

「それは俺の個人的な趣味でいいんだな?」

「う、うん……タクトの好みとかタイプとかってことだもんな」

 言いながらどこか不安気なミハイル。

 

「ま、俺はアンナの方が可愛いな。見た目も天使だし、優しいし、遊んでいて楽しいし、料理も上手いし、なんだって俺好みの女の子だし」

「タクトぉ☆」

 涙を流しながら両手を合わせて喜ぶ。

 ってか、トイレの中でなにを言わすんだよ。

 女の子の前で。

 

 それを聞いていた長浜がすかさず、話に割り込む。

「なんですって!? 芸能人のアタシより可愛い子がいるの?」

 めっちゃキレてる。

 まあこんだけ芸能人にコンプレックスを抱いているのなら当然か。

 

「そうだ、タクトには可愛い彼女がいるんだぞ☆」

 ない胸をはるな、女装男子めが。

「証拠を見せなさい! 写真とかないの?」

 俺に詰め寄る長浜。

 ちょっと近くね? 主張が激しい子だってのはわかってんだけど、至近距離で見つめられるとちょっと照れちゃう。

 それからよく見ると長浜って胸がデカいんだな、キモッ。

 

「見せてやれよ、タクト」

 なぜか完全勝利UCと化すミハイルくん。

「さあ早く見せなさい!」

 なんで上から目線なんだよ、こいつの年っていくつだ?

 

「わかったよ」

 俺はジーンズのポケットからスマホを取り出して、以前アンナとプリクラで撮った画像を長浜に見せてやった。

 すると長浜は肩を震わせて、顔を真っ赤にしていた。

「なによこれ……ハーフとかチート級に可愛いじゃない!」

 あれ、なにこのデジャブ。

 いつだったか、どこかのボーイッシュJKがアンナを見た時に反応したコメントに似ているような。

 ああ、赤坂 ひなたちゃんか。

 

「ふ、ふふ……ど、どうだ!? 可愛いだろ?」

 言いながらめっちゃ嬉しそうじゃん、ミハイルさん兼アンナちゃん。

 これで満足ですか?

「ええ、芸能人レベルで可愛いわ……」

 認めるんかい。

「で、でもハーフってことは言っちゃダメだぞ。その子はハーフで小さなころからその事で辛い思いしてたんだからな」

 急に辛い過去を暴露するハーフさん。

 だから以前、北神 ほのかにハーフであることにキレていたのか。

 納得である。

 

 

「でも、ハーフってことは誇っていいんじゃないの?」

「ど、どうして?」

「人間誰だって、ハーフじゃない? 他人同士が結婚して子供を産めばハーフよ。今の時代、俗に言うハーフはルックスや身体能力、全てにおいて私たち日本人からしたらすごい人たちよ」

 先生みたいに語ってて草。

 道徳の授業かな。

「あなたは生んでくれたお母さんに感謝すべきよ」

「そ、そうだよな……」

 

 激しいケンカしたと思ったら、急に友情が芽生えだしたよ。

 忙しいやつらだ。



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95 フリースクール

 ミハイルと自称芸能人の長浜 あすかはケンカしたかと思えば、なぜか意気投合していた。

 

「このアンナって子紹介できないかしら?」

「え、どうして?」

 嫌な予感。

 

「この子、本当に芸能人向きな顔だわ、アタシの『もつ鍋水炊きガールズ』に入れたいわね、ハーフ枠は今空席だもの」

 そんな地下アイドルにアンナをくれてやるか。

「む、無理だよ。アンナは田舎の子で遠いし、内気な子だし……」

 どこがだよ! ストーカー大好きでアグレッシブな子じゃないか。

 

「そうかしら? アタシにはけっこう芯の強い子に見えるわ」

 当たってます。

「とにかく、アンナは芸能活動とか興味ねーから!」

 顔を真っ赤にして恥ずかしがるミハイル。

 

 

 ここは少し助け船を出しておくか。

「長浜、とりあえず、その辺にしておいてくれないか?」

「はぁ? なんであんたに名前で呼ばれないといけないのよ!」

 てめぇが何回も自己紹介をするから嫌でも覚えただんだ、バカヤロー。

 

「じゃあアレか、名無しか? それともジェーン・ドゥと呼べばいいか?」

「それって死人の呼び方でしょう!」

 察しがいいね。

「だいたいあなたたちの名前は? 聞いてないわよ!」

 お前が自己主張が激しすぎるから人の話を聞かないんだろう。

 

 

「俺は新宮 琢人。んでこっちの金髪っ子が古賀 ミハイルだよ」

 やる気ゼロで自己紹介。

「覚えておいてあげたわ!」

 なんでこうも上から目線なんだよ。

 

 そうこうしているうちに始業のチャイムが鳴る。

 

「お、一時間目が始まるぞ」

「あら、もうそんな時間? じゃあアタシは帰るわね」

 ファッ!?

 

 

「お前、何しに来たんだよ! まだ授業受けてないだろが!」

「はぁ、バッカじゃない!」

 ふてぶてしく肩まで下りた長い髪を手ではらう。

 

「言ったでしょ! アタシはトップアイドルの長浜 あすかよ! 今から仕事に決まってんじゃない。一般人のあんたたちとは住んでいる世界が違うのよ!」

「長浜、お前。そんなんでよく一ツ橋にいられるな、単位取れているか?」

「単位? そんなもん芸能活動に必要?」

 質問を質問で返されたよ。

 その通り、芸能活動には必要ない、けど学生としては必要じゃん。

 

 

「待て、お前。今いくつだ?」

「そんなこともしらないの! 長浜 あすかでググリなさいよ!」

 クソが! めんどくせーなこいつ。

 俺は言われた通り、スマホで検索する。

 奇跡的にヒットした。

 

「あ、俺より一つ下か」

 つまり17歳。

 本来なら高校2年生の年齢だ。

「そうよ! まだピチピチのセブンティーンなんだからね!」

 ググる必要あった?

 

 

「お前はいつから一ツ橋に入学している?」

「ググりなさいよ!」

 そんな個人情報までネットに出てたら大問題だろ。

 

「仕方ないわね、2年前かしら? 芸能活動しながら高校生やれるって聞いて入ったのよ」

「なるほどな」

 話を続けていると思いだしたかのように、腕時計を見て慌てだす長浜。

 

「もうやだ! あんたがバカだから説明してやってたらこんな時間! 今日は生中継が入ってんだから、アタシはもう行くわよ!」

「ああ、なんかすまんな」

 俺は悪くない。

 

 

「じゃあお昼の12時ごろ、ネットでも見れるからこのトップアイドルのご尊顔を拝見しなさいよね!」

 お前は何様だ!

「ま、見れたらな」

「はあ、急がし急がし」

 とボヤきながら慌てて長浜は去っていった。

 

 

 取り残されたミハイルに視線をやると、床とにらめっこしながら何やらブツブツと呟いている。

「どうした? もう授業始まってるからいこうぜ?」

 するとミハイルは困った顔をして、俺にこう言った。

「芸能人ってラブコメの取材になるのかな? アンナに芸能人すすめたほうがいい?」

 なに真に受けてんだよ、こいつ。

 

「やめとけ、アンナには向いてない。確かに長浜より可愛いことは認めるが、アンナは優しい子だからな。あれだけ自己主張の激しい人間じゃなきゃ務まらんよ」

「だ、だよな☆ アンナはタクトで忙しいし」

 うん、俺も忙しいよ。

 

 俺たちは急いで、教室へ戻った。

 

 

 一時間目の授業は英語。

 教壇には既に中年の女性教師が立っていた。

 少し太っていて、眉毛がキリッとした表情から気の強さが現れていた。

「あなたたち! もうチャイムなってたでしょ!」

「すんません」

 一応、頭を下げておく。

 なるほど、他の教師と違い、けっこうまともな人だなと思えた。

 

 一ツ橋高校は単位制なので、出席はカードで自分の名を書き、それを終業後に教師に渡すことでスクリーングとして成り立つ。

 だが、実際は授業の途中からヤンキーとかが平気で入ってきても教師はほぼ必ずといって、苦笑いしては出席カードを手渡す。

 それが例え授業が終わる5分前でもだ。

 真面目にやっている俺たちからするとバカみたいに思えてくる。

 

 

「さ、席に座って」

「はい」

「ちっす」

 俺とミハイルはピリッとした空気の中、気まずそうに自分の席に座る。

 教室に座っていたヤンキーたちもどこかいつもと違う様子だ。

 

 いつもならもっとだらしない格好で駄弁っていたり、平気でスマホを触ったり、授業を真面目にうける姿を見ないのに、皆が真面目に教科書を開いてノートまで出している。

 それだけこの教師は厳しいということか?

 

「はい、では、エブリワン? ハワユー?」

 なにそのへったくそな英語。

 

「「「アイムファイン!」」」

 

 クラス全員で叫ぶ。

 なんだろう、真面目に授業やっているんだけど、幼児向けの英会話教室レベルに感じる。

 

「イエス、イエース! では教科書を開いてください」

 教師は嬉しそうに話す。

 教科書を開くと俺は驚きで口が開いたまま、言葉を失う。

「今日はアッポーとアンットゥについて勉強しましょう」

 小学生以下じゃねーか!

 

「「「はーい!」」」

 そこは日本語かよ!

 

「では、ミスター古賀? 英語でリンゴは?」

 バカにしてんのか?

 ミハイルは少しうろたえながら席を立つ。

 

「ど、どうしよう、タクト」

 かなり困っているミハイルくん(15歳)

「わかるだろ?」

 俺はミハイルがそこまでバカだと信じたくない。

 

「ミスター古賀? ワカラナイデスカァ?」

 なんでお前が外国人風な日本語してんの。

 

「えーと、アップルジュース?」

 おしい!

 信じた俺が浅はかでした。

 さすがヴィッキーちゃんの弟。

 

「ノンノー! 正解はアッポーです」

「あ、そっか。アッポーだったのか……」

 なんか違くね?

 

 それからしばらく俺は低次元な英会話をただ黙って聞いていた。

 ここは高校じゃなくて、幼稚園じゃないですかね?

 

 チャイムが鳴ると、ミハイルは胸を撫でおろしていた。

「むずかしかったよ……タクト」

「そうか、大変だったな」

 バカで。

 

 左に座っていた北神 ほのかが俺に話しかける。

「ねぇ、あすかちゃんと話してたの?」

 目をキラキラと輝かせるほのか。

 

「話してた……というかあいつが一方的に喋り倒した感じかな」

「すごいねぇ、芸能人が同じ高校にいるなんて!」

 俺は今日初めて知ったよ、長浜 あすかって芸能人のことを。

 ウィキペディアに登録されているぐらいのガチオタがいることも。

 

「そうか? あいつただのローカルタレントだろ?」

「けっこう有名だよ? あすかちゃんって」

 少し不満げなほのか。

 

「じゃああいつの出てる番組ってなんだ?」

「えっと、深夜にやっているやつで『ボインボイン』ってのがあってね……」

 すごく卑猥な番組に聞こえる。

 

「なあ、長浜って水着でテレビに出てんのか?」

 心配になってくる。

「違うよ! ただのバラエティー番組」

「へぇ、深夜なら俺は寝ているから観たことないな。ミハイルは知っているか?」

「オレ? オレは毎日ネッキーとかデブリのDVDばっか観ているからテレビは興味ないかな」

 そうだったね、君はやることなすこと全部可愛いもんね。

 

「二人とも酷くない? 福岡で有名な子なのに……」

 福岡限定の時点で有名とは言えないような。

 

「ま、昼に生中継やるとか言ってたからあとで観てみるか」

「ホント? じゃあお昼ご飯食べながら3人で観ようね」

「オレも観るの?」

 ミハイルは超興味なさそう。

 まあ俺もすごくどうでもいい。



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96 生中継は難しい

 午前の授業は全部終了し、昼休憩に入る。

 いつものごとく、俺は自分で作った弁当を取り出す。

 ミハイルは珍しく弁当を持ってきていた。

 可愛らしいネッキーとネニーのプリントが入った弁当袋。

 そこからハート型の弁当箱が出てくる。

 

「珍しいな、ミハイルが弁当を持ってくるとか」

 すると彼はどこか自信たっぷりな顔で語り出す。

「今日は朝早く起きて作ったんだぞ☆」

 偉いじゃん。

「なら今回は俺の弁当はやらなくてもいいわけだ」

 毎度、卵焼きをアーンしてやっていたもんな。

「そ、そのことなんだけど……」

 顔を赤くしてモジモジしだす。

 

「なんだ?」

「オレの弁当とタクトの弁当、交換しない?」

「え?」

「だ、ダメかな?」

 潤んだ瞳で見つめるその姿にアンナを重ねてしまう。

 思わずドキッとしてしまった。

「まあ構わんけど」

「やった☆」

 俺はミハイルの可愛らしい弁当と自分の素っ気ない弁当を交換した。

 

 蓋を開けると、俺はドン引きした。

「こ、これは……」

 白飯にでっかいハートで桜でんぷでデコってある。

 おかずはタコさんウインナー、ハートの形のニンジン、ポテトサラダ、スパゲティ、ミニトマト、ピーマンの肉詰め。

 色どりが良すぎ。

 

「ミハイルが作ったのか?」

「そだよ☆」

 そう言えば、アンナモードも料理上手かったもんね。

 忘れてました。

「じゃあいただきます」

「あ、スープもあるぞ☆」

 ミハイルは水筒を取り出すと、コップに何かを注ぐ。

 渡されると温かみを感じた。

「これは?」

「トマトスープだよ☆ 身体があったまるしリコピンも取れるし」

 OLかよ。

 

「ああ、すまんな。ありがとう」

「これぐらい、なんてこないよ☆ タクトが料理苦手なだけだろ」

 いや、あなたが意識高すぎなんでしょ。

 

 俺はスープをふうふうと冷ましながらすする。

 ほのかな酸味と甘みが俺の疲れを癒す。

 スープが喉に入ると全身が暖まっていく。

 

「うん、うまいな」

「よかった……」

 ミハイルはなぜかまたモジモジしながら恥ずかしがっている。

「じゃあオレもタクトのご飯いただきまーす☆」

 俺の弁当は相変わらず卵焼き以外は全部冷食の手抜きなんだけどな。

 めっさ嬉しそうに食べるミハイル。

 やだ、なんか泣けてきた。

 

「おいしー☆」

 ダメなお母さんでごめんなさい……。

 俺は半分涙目でミハイルの弁当を食べだした。

 

 すると左隣りに座っていた北神が話しかける。

「ねぇ、お昼にあすかちゃんの生中継あるんでしょ? 見ようよ」

 あ、すっかり忘れてた。

 ミハイルの弁当が美味しすぎて、超どうでもいい。

 

「ああ、そうだったな」

 すごく冷めきった声で囁いた。

「あすかってアイドルなんだよね?」

 え、ミハイルさん、もう呼び捨ての仲になったの?

 

「そうそう、福岡で有名なアイドルグループ『もつ鍋水炊きガールズ』のセンターをやっているんだよ」

 北神が説明するけど、もう嫌なぐらい覚えているよ。そのダサいユニット。

「ふーん」

 ミハイルも聞いといて大して興味なさそう。

 

「じゃあそんな有名人を生で見てみるか」

 俺はスマホを取り出して、横向きにして机に立てる。

 テレビモードにしてチャンネルをポチポチと適当に変えていく。

 一つの番組が目に入った。

 

『日曜日の午後は天神野郎! はじまります~!』

 

 やけにテンションが高いローカル芸人が司会をはじめる。

 隣りには笑顔の女子アナ。

 天神のメインストリート、渡辺通り近くにある公園。

 警固(けご)公園でロケをしている。

 何人かのギャラリーがカメラを見ている。

 まあ大半がテレビに映りたいという輩ばかりだが。

 

『今日はゲストに福岡発のアイドル、もつ鍋水炊きガールズの皆さんに来てもらいました!』

 

「きたきた!」

 興奮する北神。

「ほう、本当にテレビで出演するのか。俺はケーブルテレビとかだと思ってたが」

「この番組、初めて見た」

 ミハイルはボーッと画面を見ている。

 ていうか、この人本当にテレビ見ないんだな。

 

『では、自己紹介をどうぞ!』

 司会の芸人に振られ、カメラがアイドル達に向けられる。

 そこには3人の女の子が立っていた。

 ミニ丈のワンピースタイプの衣装を着ていて、もつ鍋のプリントがされている。

 頭にはカチューシャをしているんだが、水炊きの装飾があった。

 ピアスは左がもつ鍋、右が水炊き。

 こいつらのスポンサーは福岡の鍋業界じゃないか?

 

『あ、あの……もつ鍋、み、水炊きガールズです!』

 噛みまくりの幸先悪いスタート。

 長浜 あすかは俺と話している時とは違い、かなり緊張しているようで、お得意の自己紹介ができていない。

 

「なんだ、長浜のやつ。緊張してんのか?」

 トップアイドルじゃなかったのかよ。

 

『もつもつ、グツグツしちゃうぞ! 福岡生まれ福岡育ち、明太子大好き、あすかちゃんでーす!』

 額の前で可愛らしくピースしてウインク。

 痛々しいな。

 

『おお、さすがアイドルですねぇ、可愛いですね』

 この司会、本当にそう思っているんだろうか?

『あ、よく言われますぅ~』

 そこは否定しとけ。

『じゃあ、今日はあすかちゃんたちの新曲を披露してくれるんだよね?』

『はい、今週発売の15thシングル、シメはチャンポンor雑炊です!』

 

「ブフッ!」

 思わず吹き出してしまった。

 クソみたいな曲名だ。

 

『じゃあ、もつ鍋水炊きガールズの皆さんで、シメはチャンポンor雑炊でーす』

 司会の芸人は特に突っ込むこともなく、さらっと曲紹介。

 

 すると天神のど真ん中で歌いだす。

 スピーカーが用意されていたが、かなり音が悪く割れている。

 長浜とその二人が音楽と共にダンスを始めるが、かなりキレが悪い。

 

 歌いだすとこれまた下手くそな歌声、クオリティが全体的に低い。

 よくこんなんでデビューしているよな。

 

 何よりも観ていて辛いのは彼女たちの歌っているバックが気になる。

 警固公園を何人もの人が長浜を目にとめるわけでもなく、素通りしていく。

 たまに足を止めてチラッと数秒ぐらいは見てくれるけど途中で飽きて、どこかへ行ってしまう。

 本当にトップアイドルなの?

 ファンがいないじゃん。

 

「いや、なんか見ていて辛いな……」

 見ちゃいけないものを見ている気がする。

「ええ、なんで可愛いじゃん。おかずになりそうな子たちじゃん」

 お前はそれしか考えてないのかよ。キモいから近寄るな。

「ミハイルはどう思う?」

「ん、オレはアイドルとか詳しくないからわかんないけど、いいんじゃない?」

 超適当じゃん。

 

 数分間の地獄のようなパフォーマンスを終えると、息を切らして汗だくの長浜のアップ画面でCMに入った。

 放送事故じゃん。

 こんなレベルで公共の電波を汚すんじゃないよ。

 

「すごいねぇ、さっきまで一緒に勉強をしていた子がテレビに出てたんだよ」

 ほのかはえらく感動しているようだ。

 俺と言えば、黙ってスマホを閉じた。

「どうだった、あすかちゃんのテレビ?」

「どうもこうもないだろ……あれで芸能人なのかよ。シングルを15枚も出しておいてあのレベルじゃ売れないだろ」

 というか、事務所が太っ腹すぎだろ、あんな下手くそな地下アイドルにそこまで金を使うとか。

 俺が社長なら即契約解除だ。

 

「ええ、可愛いからいいんだよ」

 出たよ、アイドル養護発言。

「だがな、あのレベルならもっと上がいるだろ? ルックスも歌もダンスも……」

「それはそうだけど……ミハイルくんはどう思う?」

「ん? ごめん、聞いてなかった」

 酷い、残酷すぎるミハイルさん。

 

「だいたい長浜の目標ってなんなんだ? 福岡でてっぺん獲るのが夢か?」

「えっと……」

 そう言うとほのかはスマホで何やら検索しだす。

「オフィシャルホームページにはあすかちゃんの夢が書いてあるよ」

「ほう」

「んとね、レコード大賞、紅白、月9ドラマ、朝の連ドラ、アカデミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、あと……」

 強欲すぎるだろ。

 海外にいけるか、あんな奴。

「もういいわ、とりあえず志が高いアイドルだってのはよくわかった」

 

「タクトの弁当おいしかった~☆」

 ミハイルの笑顔の方が一番輝いて見えます。



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97 グラビアは専業に限る

 アイドルグループ、もつ鍋水炊きガールズの生中継は見るに耐えないものだった。

 俺は呆れかえり、ミハイルは興味さえ持たない始末だ。

 だが、テレビを見ていたほのかは未だに興奮が止まない様子。

 

 

「芸能人かぁ~ 憧れるよねぇ」

 いやお前みたいな変態が芸能人になると布教活動が活発になるから絶対にやめろ。

 

「そうか? プライバシーがなくなって大変だろう」

「でも、たくさんの人に注目されたいって言う願望はあるでしょ? だから琢人くんは作家なんじゃない?」

「う、まあ確かに読者からの感想は嬉しいな。しかし、低評価の輩には殺意さえ覚える」

 ウェブ作家時代のトラウマだ。

 評価ボタンを全部星5だけにしてほしい。

 

 

「そ、それは琢人くんが変わっているからじゃない?」

「んなことない! すべての作家たちは低評価する奴らを断じて許さん!」

「器、小さいねぇ……」

「何とでも言え、これだけは作家のプライドが許さん」

 と、芸能話から作家の話題に脱線したところへ、二人の少年が現れた。

 

 

 おかっぱ頭に丸眼鏡。

 双子の日田だ。

 容姿が同一だからどっちが来たかわからん。

「話は聞いていましたぞ、新宮氏」

「お前は弟の真二か?」

「いえ、兄の真一です。あすかちゃんは拙者たちも推しているところです」

 いや俺は推してないから。

 

 

「なんだ、真一も長浜に興味があるのか?」

 冷めた目で見つめる。

「もちろんですぞ! 毎回ライブに行ってますし、CDは最低50枚買いますぞ」

 集団詐欺にあってない? 早く目を覚ました方がいいよ。

「それに我ら兄弟はあすかちゃんに会いたいがために一ツ橋高校に入学したんですから」

 ファッ!?

「マジかよ……」

 あんな地下アイドルのために入学とか。

 ガチオタの神だな。

 

 

「ところで今週の『博多ウォーカー』はご覧になりましたかな?」

「いや、どうしてだ?」

 日田はフフッと笑みを浮かべると眼鏡を光らせる。

「なんとあすかちゃんたち、もつ鍋水炊きガールズのグラビアが特集されているのです」

「へぇ……」

 興味ねーな。

「ホント!?」

 思わず身を乗り出すほのか。

 

「ええ、こちらをご覧ください」

 日田が頼んでもないのに俺の机の上に一冊の雑誌を置く。

『博多ウォーカー』とはその名の通り、地域に密着した情報を扱っている週刊誌のことだ。

 俺は主に映画の情報ぐらいしか読まんが。

 

 

 ページをパラパラめくると、日田の言う通り、かなり後ろの方にグラビアページが5枚ぐらいあった。

 もつ鍋水炊きガールズの3人のショットが一枚。

 みんな先ほどテレビに出演した時と同様にダサい衣装でポージング。

 

「普通だな」

「いえいえ、このあとが肝心ですぞ、新宮氏」

「な、なにが待っているの!?」

 生唾を飲むほのか。

 

 俺は恐る恐る2枚目を開くとそこには閲覧注意な被写体が。

「これは……」

「フフ、このグラビアは保存用と閲覧用と布教用に100冊は買いましたぞ」

「ハァハァ……」

 息遣いが荒くなるほのか。

 

 そう、長浜 あすかは際どいビキニ姿で写っていた。

 両腕でふくよかな胸をさらに強調させている。

 ちょっと恥ずかしそうな顔で。

 

 

「マジか……」

 嫌なもん見ちまったぜ。

「くぅ~、何回見てもビンビンきますね」

 するか!

「うう……」

 ほのかの方を見るとなんと鼻血を漏らしていた。

「あ、あすかちゃんのパイオツ、最高っす……」

 こいつは男でも女でもいけるのかよ。

 さすがの俺もドン引きだわ。

 

 

 その後のページもあすかが独占していた。

 寝そべったり、胸をイスの上にのせたり、バランスボールの上に尻を置いたり、水をぶっかけられたり……。

 センターだから事務所に強いられたんだろうか?

 可哀そうになってきた。

 

 

「ああ! なにやっているんだよ、タクト!」

 気がつくと俺の視界はブラックアウト。

 なにも見えない。

 だが、ほのかに甘い香りを感じる。

 この柔らかい感覚、ミハイルの手だ。

 

「こんなエッチな本を持ってくるなよ! タクトに悪影響だろ!」

 お前はお母さんかよ。

「な、なにを言われます、古賀氏」

 かなり声が震えている。ヤンキーとして怖がっているんだろう。

 

「これ、エロ本だろ!? 18歳にならないと買っちゃダメなんだぞ!」

 いや普通に一般コーナーに並べられている本ですけど。

「そんな……某はあすかちゃんの素晴らしさを新宮氏に伝えたかっだけで……」

「ダメだ! 法律は守れよ、ねーちゃんが『水着の女の子が出てる本は大人になってから』て言ってたぞ!」

 それ何年前の話? ちゃんと教育方針を更新してあげてます?

 ヴィッキーちゃん。

 

「うう……」

 日田の顔は見えないが、どこか悔しそうだ。

「じゃあ、このエロ本はオレが有害指定のポストに入れておくよ」

 酷い、長浜のやつ、有害になっちゃったよ。

「そ、そんな殺生な!」

 うろたえる日田。

「エッチなことはダメなんだからな!」

 女装して俺とラブホに行ったやつに言われたくないよな。

 

 

「ちょっと待って、ミハイルくん」

 ほのかが止めに入る。

「あ、ほのか……鼻から血が出てる。またいつもの病気?」

 腐女子が病気になってる……。

「これは大丈夫…だけど、その本は私にちょうだい。今晩のおかずに必要だし」

 ただの変態だった。

 

「え、おかず? 食べるの?」

「そうよ、美味しく料理して食べるの、女の私なら安心できるでしょ?」

 お前が一番危険だよ。

「うーん、そだな。ほのかなら大丈夫だろ☆」

 納得しちゃったよ……。

 

 

 何やらガサゴソと音がした後、(恐らくほのかが本をもらった)俺はようやくミハイルから手を離してもらった。

「もういいぞ、タクト☆」

「え?」

「タクトも法律は守れよ☆」

 俺、もうすぐ18歳だし、あれは健全な本だし。

 きみにとやかく言われる筋合いはない。

 

 

 日田は「まあ布教できたならいいでしょう」となぜか腑に落ちた様子で去っていった。

 ほのかと言えば、本を鞄になおしたにもかかわらず、興奮が止まないようだ。

「ハァハァ……早く帰って、料理しないと」

 溢れ出る鼻血をティッシュで抑えるが、止まりそうもない。

 

 

 そこへガラッと教室のドアが開く音が聞こえた。

「ちーす」

「おはにょ~」

 重役出勤かよ、千鳥と花鶴コンビ。

 というか、もうお昼だぞ。

 

 

「あ、千鳥くんにここあちゃん!」

「よう、ほのかちゃん。あれ、なんで鼻血出してんの?」

 心配そうに近寄る千鳥。

「これ? 料理しようと思ったらケガしちゃって」

 嘘つけ。

「そっか、女の子だもんね」

 納得すんなハゲ。

 

 

「ところでさ、ミーシャ」

 ここあがミハイルへ近寄る。

「あんさ、最近どしたん?」

「え? なんのこと?」

「なんつーの、なんかコソコソしてるつーかさ。付き合い悪くない?」

 腰をかがめて俺の隣りに座っているミハイルを見つめる。

 こちらからするとミニすぎるスカートがまくり上げ、パンモロどころか尻が丸見え。

 花鶴の存在の方が18禁に感じる。

 

 

「そ、そんなことねーよ……」

 歯切れが悪い。そりゃ女装して俺とデートばっかしてたもんな。

「んならさ、たまには一緒にタバコでも吸おうよ」

 忘れてた……ここ一ツ橋高校は無責任教師、宗像先生の公認で喫煙可な所だった。

 そして入学式でタバコをいち早く吸いたいと言ったのはこのミハイルであったことを。

 最近はいつも俺と一緒にいたがるばかりでタバコを吸う姿は見たことなかったな。

 

 

「え、あの……オレは」

 回答に困っているようだ。

「前は3人で吸ってたじゃん?」

 さっきのミハイルが言っていた「法律は守れよ」が華麗なるブーメランになったな。

 

「タクト、オレ……」

 泣きそうな顔で俺を見つめる。

「吸ってきたらどうだ?」

 どうせ止めたって吸うんだ、こういう人種は。

 

「ところでオタッキーはなんで吸わないのん?」

 バカ発言するなよ、花鶴。

「はぁ? なんで俺がタバコを吸う前提なんだよ。俺はな法律を守らない人間は大嫌いだ。それにタバコなんて吸って入って何が楽しいんだ? 百害あって一利なしだぞ」

「ふーん……」

 どこか納得していないという顔だ。

 

 

「じゃ、じゃあタバコ吸う女の子嫌いなのか?」

 なぜかミハイルが俺に聞く。

「そりゃそうだな。女の子とか言う前にタバコの煙が嫌いだ。単純に臭い。タバコくさいヤツは男女問わず嫌いだ」

「……そうなんだ」

 ミハイルはポケットからタバコを取り出すと、立ち上がる。

 

「決めた!」

 何を思ったのか、日田の方へズカズカと向かう。

 

 そして持っていたタバコを彼の机の上に叩きつける。

「お前にやるよ!」

「え……タバコ?」

 絶句する日田。

「オレはタバコ吸うやつ嫌いだからな☆」

「某が嫌いということですか?」

 かわいそすぎる。



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98 急遽変更しても驚かない

 昼飯を終えるころ、午後の授業を確認した。

 一ツ橋の午後授業はほぼ体育(遊び)で終わるのだが、今日は選択科目だ。

 音楽と習字があり、俺は字が汚いので音楽にした。

 

 

 授業表には教室は特別棟の視聴覚室とある。

「なあタクトは何の授業にする?」

 目を輝かすミハイル。

「え? 音楽だけど」

「じゃあオレもそっちにしようっと☆」

「は、今から授業を変えられるのか?」

 俺がそう問うと代わりに左隣りの北神が説明してくれた。

「今日はお試しなんだよ」

「お試しだ?」

 スーパーの試食じゃねーんだから。

 

 

「ううん、選択科目だから今日の科目を試しに受けて、どっちかを選べってことみたい」

「いや、その選考方法なら二回は試さないと比較にならんだろうが……」

 宗像の仕業だな。

「そんな長い時間とってたらスクーリングがすぐに終わっちゃうよ。もう3回目でしょ? 今学期はあと4回ぐらいしかないよ」

 マジ、もう折り返し地点なの?

 超テンション上がるわ。

「ま、どうでもいいさ。一ツ橋の教師はやる気のなさでは全国一だからな」

 学級崩壊なんてレベルじゃねーからな。

 

 

「だからいいんじゃん、オタッキー」

 知らない生徒の机の上に勝手に座って片膝を立てるミニスカ女、花鶴 ここあ。

 棒つきのキャンディをレロレロなめながら、アホそうな顔で俺に言う。

 パンツ丸見えだから数人の陰キャ男子がパシャパシャと盗撮していた。

 もちろん俺はどうでもいいので、彼らの犯罪を無視する。

 

「どこがだよ?」

「あーしらバカじゃん? そんな子たちが通う高校は先生もバカじゃないと気持ちわかんないじゃん」

 俺はお前らとは違う!

 

「なんでそうなるんだよ」

「じゃあさ、オタッキーはバカの気持ちになって教えられる?」

 なに、そのハイレベルなティーチャー。

「バカの気持ち?」

 チュポンとあめを口から離すとそれを近くに座っていた陰キャ男子に手渡す。

 男子はハアハア言わせながら「あ、ありがとう……花鶴さん」と礼を言い、高速舌ベロベロで味わいだす。

 すごい餌付けだ。

 

 

「そーっしょ、1+1が2でわかりませんって言う子をオタッキーならどうやって説明すんのさ」

「う……」

 もうそんな奴は動物園の檻にでも入れておけばいいのでは?

「ほら、できないじゃん? だからバカな先生が一番だって♪」

 俺の机に両手を置いてニッコリ微笑む。

 Vネックの胸元からヒョウ柄のブラジャーがチラっと見える。

 キモッ。

 

 

「ここあ、タクトにあんま近づくなよ!」

 頬を膨らませて、注意するミハイルかーちゃん。

「なんで? あーしとオタッキーはダチじゃん?」

「そ、そうだけど……タクトは女が苦手なんだよ」

 いや、そんな表現されたら、俺がゲイみたいじゃん。

 

 その言葉をすかさず反応するハゲこと千鳥 力。

「うげっ、確かにタクオはホモ小説書いていたしな……ダチだけど、俺は遠慮しとくわ」

 遠慮すんな! 俺の横にこいよ!

 後ずさりして、北神 ほのかの後ろに回る。

 

「あのな……」

 呆れていると花鶴が微笑む。

「あーしはオタッキーの……なんつーの? ホモ恋愛応援するよ♪」

 すんなボケェ!

「そ、そんな……ここあ、やっぱいいやつだな☆」

 ホモ恋愛って言われて喜んでいるよ、ミハイルのやつ。

 

 俺は逃げるように話題を元に戻す。

 

 

「しかし、それにしても一ツ橋の教師はやる気が全くないように感じるな。今日の英語教師は少しまともだったが」

 俺の疑問に答えてくれたのは北神。

「それはね、噂なんだけど、一ツ橋専属の先生は一ツ橋の卒業生だかららしいよ」

 ずぶずぶな天下りじゃねーか。

 

「マジ?」

「うん、だからさっきの英語教師の人は普段三ツ橋高校で先生をやっている兼任教師。ゆるっとした授業をしているのが専属教師だよ。だから兼任教師の人はけっこう厳しい人が多いらしいよ。だって休日出勤するようなもんじゃない? それだけ熱血教師なんだよ」

「なるほどな……温度差があるということか」

 

「だから私もいつか一ツ橋の教師を目指そうかなって密かに思ったりするんだ」

 笑顔が怖い。

 どうせ、ほのかのことだ。布教目的に違いない。

「それはちょっとやめておこう、ほのか。お前は漫画家目指すんだろ?」

「兼業作家でいいぜ!」

 親指を立てる変態JK。

 

 それから俺たちは各選択科目に分かれた。

 俺とミハイル、ほのか、それから花鶴が音楽。

 千鳥や日田兄弟などが習字に向かう。

 

 教室棟から特別棟に向けて4人で廊下を歩く。

 すると何人かの制服を着た三ツ橋生徒がこちらを睨むように見つめる。

 どうやら私服の俺たちが気に入らないようだ。

 

 確かに全日制コースの彼らはみんな黒髪で校則を守った身なりだ。

 だが、俺たちは髪を金髪に染めている者もいれば、超ミニのギャルやピアスだらけのやつ、ダボダボパンツのヤンキーとか、個性豊かだ。

 きっと嫉妬も少し入っているのだろう。

 同い年で自由に生活できていることが。

 

 実際はあちら側の方がよっぽど自由と思うがな。

 一ツ橋の生徒は働いている者が多いときく。

 所詮はガキの身勝手な妄想だ。

 

 

 そこへ一際目立つ軍団が現れた。シャキシャキと規則正しく歩き、男女共に戦前か? というぐらいの髪型、坊主と三つ編みのグループ。

 胸元には生徒会長と名札がある。

 

「こんにちはー!」

 ムダにデカい挨拶だ。

 そしてニコニコと怪しい宗教の勧誘のような笑顔。

 

「お、俺たち?」

「はい、一ツ橋の皆さん、日曜日なのにお疲れ様でーーーす!」

 男の声にエコーがかかるように、真面目な取り巻きが叫ぶ。

 

「「「お疲れ様でーーーす!」」」

 

 うるせー! 応援団じゃねーんだぞ。

 思わず耳を塞ぐ一ツ橋の生徒たち。

 なんだ、こいつら?

 

「僕は三ツ橋高校の生徒会長、石頭(いしあたま) 留太郎(とめたろう)でーーーす!」

 自己紹介もうるせー!

「そ、そうか……石頭くんか、認識した」

 柄にもなく、君付けする俺氏。

「あなたの名前はなんですかーーー!?」

「俺は新宮、新宮 琢人だ」

「覚えましたーーー! では午後の授業も頑張ってくださーーーい!」

 

「「「くださーーーい!」」」

 

 実にやかましい生徒たちだ。

 周りにいた全員が顔をしかめて耳を塞ぐ。

 それは一ツ橋も三ツ橋も関係ない。

 

 

「あ、ありがとう……石頭くん」

「失礼しまーーーす、新宮センパイ!」

 

「「「失礼しまーーーす!」

 

 うるせーし、勝手に先輩扱いすんなよ、コラァ!

 

 そうして石頭くん率いる生徒会軍団は嵐のように去っていった。

 なんだったんだ、あいつら。

 

 

 ミハイルだけは耳を塞がずニコニコ笑っていた。

「なんか元気なヤツだな☆」

「そういう表現もあるよな……」

 もう今度から石頭くんには要注意だ。

 礼儀が良い子だが、うるさすぎる。

 二度と会いたくない。

 

       ※

 

 俺たちは視聴覚室にたどり着くと、ドアを開く。

 中に入ると黒板に白い字でデカデカとメッセージが残されていた。

『一ツ橋生徒の諸君へ、部活棟の音楽室に来るべし!!!』

 

「ん? 視聴覚室じゃなかったのか?」

「変更されたんじゃない? 一ツ橋ってちょこちょこ変更の時が多いらしいよ、三ツ橋のお客さんとかイベントで変わるって噂で聞いたな」

 やけに一ツ橋に詳しいよな、ほのかって。

 まさか留年してる?

 

「俺たちは学費を払ってんだぞ? ちゃんとやれよ」

「まーいいじゃん、オタッキー。テキトーだよ、テキトー」

 花鶴はバカだが寛容な性格らしい。

 

 俺たちは視聴覚室を出て、指示通り部活棟へ向かった。

 3階に上り、音楽室へと向かう。

 部活棟の一番奥にある教室だ。

 何やらプープーと一定の調子で音が流れている。

 

 俺がコンコンとドアをノックすると、中から野太い男の声が返ってくる。

「入りたまえ!」

「失礼します」

 音楽室に入るとそこにはなぜか大勢の制服組の生徒たちが座っていた。

 そして中央に立つのは中年の男性教師。

 

「なにをしている、早くそこの席につきたまえ」

 教師が指差すのは生徒組の反対側にある窓側に設置されたパイプイス。

 急遽並べたような感覚を覚える。

 

「は、はあ……」

 俺たちは言われるがまま、パイプイスに座ると、制服組の生徒たちと対面するように目を合わせる。

 どこか気まずい。

 制服組の子たちはどこかピリッとした空気が漂う。

 対して、俺たちは「一体なにがはじまるんだ?」と動揺を隠せない。

 

 その時だった。教師が大きな声で叫んだ。

「今からコンクールの練習を始める! 用意はいいか、お前ら!」

 俺たちに背を向けて、三ツ橋生徒に激を飛ばす。

 そして振り返ると、俺たちにこういった。

「君たちはそこにある出席カードを取って、練習姿を見ててね」

 と優しく微笑む。

 ところでなんの授業?



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99 裸の指揮者

 辺りは静まり帰っていた。

 一ツ橋の生徒たちは授業を受けに来たのに、なぜか全日制コースの三ツ橋生徒たちがいた。

 イスを半円形に並べて、各々が楽器を持ち、教師の指示を待つ。

 

「なあタクト、なにがはじまるの?」

 ミハイルが不思議そうにたずねる。

「俺にもわからん」

 

 すると、教師がなにを思ったのか、服を脱ぎだす。

 

「うげっ」

 ワイシャツを脱ぎ、床に放り投げる。

 体つきはいい方だが、かなりの剛毛。

 中年なので仕方ないが、たるみきった腹なんぞ見たくない。

 

 そこで終わるかと思いきや、教師はズボンのベルトにまで手をかけた。

「な、なにやってんすか!?」

 顔を赤くして立ち上がるミハイル。

「ん? ああ、君たちは私の授業は初めてだね? 私は裸にならないと上手く指導ができないんだ」

 教師はニカッと笑うと謎の言い訳でミハイルを諭す。

 

「し、しどう?」

 ミハイルはバカだが、困惑するのも無理はない。

 かく言う俺も脳内が大パニックだ。

 

「パンツは履いているから問題ないよ」

 優しく微笑むと教師はズボンを豪快に脱ぎすてる。

 そこにあったのは黄金。

 ゴールデンブーメランパンツ。

 しかも尻がTバック気味。

 しんどっ!

 

「では、一ツ橋、三ツ橋合同授業を始めます!」

 そんな格好つけてもどうしても尻が気になる。

 一ツ橋の生徒たちは何人かクスクスと笑っている。

 ミハイルは顔面真っ青で吐きそうな顔をしていた。

 かわいそうに。

 

 花鶴 ここあはおっさんの生ケツを見て、指差してゲラゲラ笑う。

「ヤベッ、ちょーウケる」

 あかん、俺も笑いそうになってきた。

 北神 ほのかと言えば、なぜかスマホで教師の後ろ姿をパシャパシャ撮っていた。

 

「ほのか、何してんだ?」

「え? 同人のネタに使いそうでしょ? リアルでキモいし」

「ああ……取材ね」

 確かに変態女先生には逸材です。

 

 ここで一つ気がついた。

 音楽を専攻しているのは皆、女子ばかりであった。

 男と言えば、俺とミハイルぐらい。

 セクハラじゃないですか? この授業。

 

 だが、俺たちと違い、三ツ橋の生徒たちは教師がパンツ一丁になっても至って真面目な顔でいる。

 真剣そのものだ。

「じゃ、はじめるぞ! お前ら、覚悟はできているかぁ!?」

 熱血教師だな、変態だけど。

 

「「「はい!」」」

 

 すると凄まじい爆音が狭い教室に響き渡る。

 オーケストラがやる場所ではない。

 反響音が半端なくて、俺たちは耳を塞ぐ。

 

「うるせぇ……」

 

 だが、三ツ橋の生徒たちは気にせず、練習を続ける。

 指揮者の教師は汗をかきながら、タクトをぶんぶん振り回す。

 その度に、中年の尻に食い込んだTバックが踊り出す。

 

 この音楽の授業としては三ツ橋の吹奏楽部の練習を見せることで、俺たちに単位を与えたいようだ。

 つまり、見るべき対象は演奏する生徒たちなのだろうが、それよりもとにかく教師のケツが気になってしかたない。

 

 さっきから激しく左右に腰をふるもんだから……。

 誘っているんですかね? ノンケなのでお断りです。

 授業と称しているが、これはゲイのストリップショーのようだ。

 

「ストーーーップ!」

 急に教師が演奏を止める。

 そして、数人の生徒の名前を呼ぶ。

 

「おい、お前ら! ちゃんと練習したのか!?」

 ものすごい気迫だ。

 まあ後ろから見ている俺からしたら、コントのようだが。

 

「あ、一応してきました……」

 ビビるJK。

 なんだろう、吹奏楽部じゃなかったら事案もの、いや事件レベルの場面ですよね。

 

「一応だと、この野郎! お前、そんな根性で全国コンクール目指す気か!?」

 至極真っ当な答えなのだが、裸の指揮者の方がコンクール向きではない。

 異常者だ。

 

「す、すみません!」

「いいか? お前、3年生は今年が最後なんだぞ! そんな気持ちなら出てけ!」

 すごく熱意は感じる。だが、その前にあんたの方こそ、3年生を想うなら服を着ろ。

「嫌です、私も先輩たちとコンクール目指します!」

 涙目で訴える女子高生。

「よし、その意気だ! しっかり来週まで仕上げてこいよ、絶対だからな!」

「はい、先生!」

 青春だなぁ……一人の教師を除いて。

 

 

 そんなやり取りが延々と、2時間も続いた。

 熱血教師は度々、三ツ橋の生徒たちに激を飛ばし、演奏を繰り返す。

 何とも言えない緊張感がある反面、一ツ橋の俺たちは笑いを堪えるのに必死だった。

 花鶴は腹を抱えてゲラゲラ笑い、足をバタバタさせて、スカートの裾が上がっていた。

 ので、パンツが丸見え。

 数人の三ツ橋男子が演奏しながら花鶴のパンティーに気を取られて、教師に注意される。

 

 まあ中年の黄金パンツより、ギャルのパンツの方がいいよな、知らんけど。

 

 終業のチャイムが鳴ると、音楽の先生は汗でびっしょりだった。

 息も荒く、はあはあ言いながら「今日はここまで!」と閉めに入る。

 振り返って俺たちを見ると、ニッコリ笑った。

 

「はい、一ツ橋のみんなもお疲れ様。出席カードはイスに置いといてね」

 なんでか俺たちには優しいんだよな、変態だけど。

 

 地獄のような授業を終え、各自廊下に出る。

「いやあ、カオスだったな」

「オレ、気持ち悪い……」

 口に手を当てるミハイル。

 男の裸に免疫ないもんな、アンナちゃん。

 清純だし。

 

「大丈夫か? 選択科目は習字にしたらどうだ?」

「う、うん……考えてみるよ」

 かなり参っている。かわいそうに。

 

「あーしは超おもしろかった! 音楽にしよっと」

 何かを思い出しようでまだゲラゲラ笑う花鶴。

 まあ俺もけっこうあのケツがおもしろかった。

 

「私も絶対、音楽にする! あんなきっしょいおっさんは中々いないもんね」

 授業中にもかかわらず、北神 ほのかは連写しまくっていたらしい。

 持っているスマホの画面をチラッと横から見ると、教師の裸体ばかり。

 肖像権とか大丈夫ですかね。

 

「オタッキーとミーシャはどうするん?」

「ふむ、習字を専攻した千鳥や日田兄弟の感想を聞いてから決めるかな……」

「オレも……」

 

 階段を降りていくと、ちょうど千鳥と日田兄弟と出会った。

 3人共、なぜか肩を落とし、元気なく歩いていた。

 それもそのはず、顔に何やら黒く墨が塗られていた。

 

 千鳥は「バカ」「ハゲ」「田舎者」

 日田の兄、真一は「力量不足」「どっちかわからん」「真面目系クズ」

 弟の真二は「メガネ」「ゲーオタ」「ドルオタ」

 ひどい……ただの悪口ばかりだ。

 

「お前ら、どうしたんだ? その顔」

 すると千鳥が答えてくれた。

「やべーよ、習字のじじいのやつ。ちょっと間違えただけで、顔に落書きしやがるんだ」

「ですな、酷い授業でした」

「ドルオタは悪くないでござる!」

 まあね。

 

 音楽も習字もどちらも酷い科目のようだ。

 だが、必須科目であり、どちらかを受けないと卒業できない。

「タクオは音楽どうだった? 俺たちも音楽にすりゃーよかったかな……」

 スキンヘッドをぼりぼりとかく千鳥。

「いや、やめておいた方がいい。音楽は音楽で相当カオスだぞ? 中年の生ケツを2時間も拝むんだから」

「ええ……マジ?」

 かなりショックだったようだ。

 どちらかというと「まだ俺たちの習字のほうがマシだ」とでも言いたげだ。

 

「俺、習字にするわ」

「拙者も」

「某も」

 

 マジかよ……どうしよっかな。

「はあ、めんどくさいし、俺は音楽にするかな」

 毎回、顔を汚されるのも癪だ。

 それに比べたら2時間何もせず、ケツを見ているのも一興だろう。

 

「ええ、タクト。もう決めちゃうの?」

 顔面ブルースクリーンで震えるミハイル。

「ああ、ミハイルは習字にしたらどうだ」

「ううん……タクトと一緒じゃなきゃ……」

 言いながら目が死んでますよ。

 

 結局、みんな最初に試した科目を選んでいる生徒が多かった。

 本当に卒業に必須な授業なんすかね?



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第十四章 アフタースクール
100 破天荒教師


 俺たちは各選択科目の授業(地獄)を終えて、教室に戻った。

 みんなクタクタのようで、机の上に頭を乗せる。

 

「疲れたぁ……」

 

 右隣を見れば、ミハイルが妊娠初期に見られるようなマタニティーブルーを発症していた。

 まあ2時間も中年オヤジの生ケツを拝んでいたんだ。

 俺でさえ、思い出すだけで吐き気を感じる。

 

 そこへ、教室の扉がガンッ! と勢いよく開く。

 

「よぉーし、みんな最後まで授業受けられたな! いい子いい子」

 

 満足に笑う痴女教師、宗像 蘭(独身、アラサー)

 褒められているんだろうが、けなされているようにも感じるのは疲れたからでしょうか?

 

「さあレポートを返却するぞぉ~」

 

 そもそもレポートって返却する必要あんのかな?

 いらねーし、邪魔だし捨てたい。

 

「一番、新宮!」

「はぁい」

 弱弱しい声で返事すると、またいつもの如くキレる宗像。

 

「なんだ!? その覇気のない声は腹から声を出せ!」

 うるせぇ、俺はさっきまで尻から声を出していた音楽教師を見ていて、吐きそうなんだよ!

「はぁい……」

「なんだ? 本当に元気ないな。よし尻を叩いてやろう」

 宣告通り、10代男子のケツをブッ叩くセクハラ教師。

「いって!」

 返却されたレポートはいつも通りの満点オールA。

 

「2番、古賀!」

「は、はい……」

 ミハイルは本当に先ほどの音楽が辛かったようでPTSDを発症している。

 今にも吐きそうな顔色だった。

 

「なんだ? 古賀まで元気ないな……よし尻を叩いてやろう」

 お前はただの尻フェチだろ!

 俺にしたように思いきりケツをブッ叩く宗像先生。

「キャッ!」

 相変わらず、可愛い声だ。

 桃のような小尻をさすりながらトボトボ戻ってくる。

 

「ミハイル、今回は成績どうだった?」

「あ、えっと……少し上がってた」

 頬を赤く染める金髪少年。

「ほう、Dか?」

 下から2番目てことです。

 

「ううん、BとかC……」

「なん……だと!?」

 あのおバカなミハイルちゃんが成績アップとか、お母さん泣いちゃう。

 

 

「あ、アンナのやつがさ、勉強しないとダメだって言うからさ……」

 それ多重人格じゃないですか?

 お友達少ないんですね。

 

「ほう、アンナがミハイルに勉強を薦めたと?」

「うん、タクトと一緒に卒業したいし……」

 チラチラと俺の顔色を伺う。

「頑張ったな、ミハイル。これからもその調子だ」

「うん! 頑張る☆」

 入学したときより、随分丸くなったわね。ヤンキーのくせして。

 

 

 そうこうしているうちにレポートは生徒全員に返却し終わっていた。

 やっとスクーリングが終わると思うとみんな安堵のため息が漏れる。

「さ、帰るか」

「うん☆ 一緒に帰ろうぜ、タクト☆」

 俺とミハイルが立ち上がろうとしたその瞬間だった。

 

 

 バーン! という衝撃音が教室中に響き渡る。

 

「な~にをやっとるか! 新宮、古賀!」

 

 鬼の形相で黒板を叩いていたのは宗像先生。

 

 

「え? もう帰っていいでしょ?」

「バカモン! 朝のホームルームで放課後はパーティをすると言っただろうがっ!」

 そげん怒らんでもよかばい。

 

「パーティ?」

「そうだ、一ツ橋の生徒たちは今から三ツ橋のグラウンドに集合だ! 帰ろうとしたやつは今日の出席をノーカンとする!」

 パワハラだ。

 

 

 俺たちは宗像先生の圧(脅し)のせいで、授業を終えたのに三ツ橋高校のグラウンドに向かった。

 グラウンドには野球部や陸上部、サッカー部の生徒たちが練習している。

 そのど真ん中にテントが二つ組み立てられていた。

 テントには『三ツ橋高校』と書いてある。

 

 先客がいた。

 一ツ橋高校の若い男性教師たちが2人ほど。

 テントの中でバーベキューを始めている。

 

「あ、おつかれさま。どこでも好きに座っていいよ」

 汗だくになりながら、肉と野菜を包丁で切り分けている。

 

「は、はぁ……宗像先生にパーティだって聞いたんすけど」

「ああ、新入生の歓迎会だよ」

 酷い歓迎会だぜ…。

 だって、全日制コースの連中が汗だくになりながら、部活やっているなかで俺たちはパーティとか、居心地が悪いったらありゃしない。

 

 そこへバカでかいクーラーボックスを4つも抱えた宗像先生が現れる。

 サングラス姿で、海でナンパ待ちするヤ●マン女みたい。

 

「うーし、好きなの飲めよ!」

 

 ドカンと地面にクーラーボックスを落とすと、蓋をあける。

 中にはたくさんの氷と缶が。

 しかし、全て酒ばかり……。

 飲めるか!

 

 と、俺が躊躇していると、ヤンキーやリア充集団が我も我もと群がってくる。

 キンキンに冷えたビールを手に取る。

 

 おいおい、こいつら未成年じゃないのか?

「宗像先生、さすがに酒はダメなんじゃ……」

 俺が声をかけているが時既に遅し。

 宗像先生はゴクゴクとハイボールを喉に流し込んでいた。

 

「プヘーーーッ! うまいな、仕事あがりの一杯は!」

 

 人の話を聞けよ、バカヤロー!

 だいたい、お前はまだ仕事中だろうが。

 

「先生、話聞いてます?」

「あ、新宮。どうした? お前も飲めよ」

 だから未成年だってんだろ!

「いや法律は守りましょうよ」

「なにを言っているんだ、お前は? 周りをよく見ろ、みんな飲んでいるだろうが?」

 まるで俺が間違っているような言いぐさだ。

 だが、宗像先生の言う通り周りの生徒たちは皆、ビールを飲み始めている。

 ハゲの千鳥なんかは焼酎を嗜んでらっしゃる。

 

「かぁー、やっぱ焼酎は芋だわ~」

 既にアル中じゃねーか。

 

 異常だ、イカれてやがるぜ、この高校。

 その証拠に部活動に励んでいた三ツ橋高校の生徒たちは練習を止めて、こちらに釘付けだ。

 

「さ、新宮も飲め!」

 ビールを差し出すバカ教師。

「飲めませんて! 俺は未成年ですよ?」

「あぁ!? たっく、ノリの悪いやつだ……」

 タバコも飲酒もOKな高校とかどうなっているんですか?

 

「仕方ない、酒の飲めないやつは近くの自動販売機でジュースでも買ってこい」

 未成年たくさんいるのに酒しか用意してないとか、バカだろう。

「ええ……」

「文句言うな! 金なら払ってやる!」

「それならいいっすけど……」

 当然、俺は酒を飲まないし飲めないので、グラウンドから出て自動販売機に向かう。

 

 俺以外にもけっこうというか、かなりの人数で飲み物を買いに行く。

 よかった、俺だけがまともな生徒かと思っていたから……。

 見れば、ヤンキーやリア充グループを除く陰キャメンバーばかりだった。

 北神 ほのかや日田兄弟などの真面目なメンツ。

 

「待ってよ、タクト!」

 慌てて俺の元へと走るミハイル。

「どうした? お前は酒を飲まないのか?」

 タバコも吸っていたんだから、飲めるのかと思ってたいたが。

「え? オレは酒飲まないよ? ねーちゃんがお酒は二十歳になってからって言ってたし……」

 じゃあタバコも教育しとけよ、あのバカ姉貴。

 

「そ、そうか。なら一緒に買いに行くか?」

「うん、オレはいちごミルクがいいな☆」

 相変わらず可愛いご趣味で。

「タクトはいつものブラックコーヒーだろ☆」

「まあな」

 

 自販機につくと軽く行列ができていた。

 無能な教師のせいでパシリにされる生徒たち。

 大半が一ツ橋の陰キャどもだが。

 

 俺とミハイルが駄弁っているとそこへ一人の少女が声をかけてきた。

「あ、新宮センパイ! こんなところでなにをしているんですか?」

 振り返ると体操服にブルマ姿のJKが。

 小麦色に焼けた細い太ももが拝めるオプション付きだ。

 

「ん? お前は……」

「あ、また忘れてたでしょ!?」

 ボーイッシュなショートカットに活発な少女。

 そうだ、三ツ橋高校の赤坂 ひなただ。

 

「おお、ひなただろ? 忘れてないよ」

「もう! ところで一ツ橋高校は何かイベントですか?」

「歓迎会だそうだ、今からみんなでパーティだと」

「へぇ……いいなぁ」

 いや、ただの酒好きな教師の自己満足だから、期待しないで。

 

「一ツ橋のパーティなんだから、ひなたは入れないぞ☆」

 何やら嬉しそうに語るよな、ミハイルくん。

 

「はぁ? 三ツ橋だって関係者でしょ? 私、一ツ橋の先生に直訴してきます!」

 やめろ! あんな無責任教師に一般生徒を巻き込みたくない。

 赤坂 ひなたは顔を真っ赤にしてズカズカとグラウンドの方へ向かっていた。

 忙しいヤツだ。



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101 あってはならない放課後

 俺たち真面目組がジュースを買ってグラウンドに戻ると、パーティ会場はかなり盛り上げっていた。

 そして、周りで部活している三ツ橋高校の生徒たちは口を開いたまま、中央のテントに目が釘付けだ。

 悪目立ちしている。

 なんか真面目に青春されているのに申し訳ないです。

 うちのバカ教師のせいで。

 

 テントに入ると先ほど話していた制服組の赤坂 ひなたが宗像先生と何やら話している。

 

「あの、私。三ツ橋の生徒なんですけど、途中参加してもいいですか?」

「え、別に構わんぞ? だって今日のパーティは全部経費で落ちるし」

「良かったぁ」

 

 おいおい、経費ってどこから出てるんですか?

 まさか俺たちの学費から落ちてるんじゃないのか。

 だとしたら、三ツ橋の生徒に奢ってやるどおりはない。

 

「ちょっと待ってよ、宗像センセー! ひなたは一ツ橋の生徒じゃないっすよ!」

 もっと言ってやって、ミハイルくん。

「はぁ? 別にどうだっていいだろ。人が多ければその分、酒はうまい!」

 と言ってハイボールを一気飲みする宗像先生。

 

 すっかりリラックスしていて、アウトドアチェアに腰を深く落とし、地面には既に10缶も転がっていた。

 

「でも……」

 唇をとんがらせるミハイル。

「まあ固いこと言うな、古賀。お前はほれ、そこのシートに新宮と座れ」

「え……タクトと一緒に?」

 なぜか頬を赤く染める。

 

「だってお前らいつも一緒じゃないか? 仲良しなんだろ?」

 言いながらスルメを咥える。

「ですよね! オレたち、ダチなんで☆」

 ただのダチではないけどね。

「だろ? ほれ、早くみんな座ってバーベキューを始めるぞ!」

 俺たちは宗像先生に指示された通り、広げられた大きなブルーシートに腰を下ろす。

 既に酒を飲んでいた不真面目組はギャーギャー言いながらはしゃいでいる。

 

 シートの隣りでは若い男性教師が汗だくになりながら、バーベキューコンロで肉を焼いている。

 責任者である宗像教師は一人、酒を楽しんでいる。

 この男性教師たちは宗像先生に弱みでも握られているのだろうか?

 

 

「さあ焼けたよ~」

 焼き係の教師が、こんがり焼けた肉を紙皿に移して皆に配る。

 俺の元へたどり着いたが、焼き肉用の肉にしてはどこか違和感を覚える。

 

「なんかこの肉、小さくないか?」

 近くいた北神 ほのかにたずねる。

「確かに焼き肉用にしては小さく切ってあるよね」

 そこへ料理上手なミハイルさんが解説を始める。

 

「きっとこれは焼き肉用のカルビじゃなくて、こま切れ肉だな☆」

 頼んでもない説明をどうもありがとう。

 おかげでメシが不味くなりました。

 

 

「まあただでさえ三ツ橋より、生徒の人数も少ないから金がないんだろな」

 俺がそう言うと、宗像先生がイスから立ち上がった。

「新宮! 失礼なことを言うな! 今回の焼き肉は三ツ橋高校から提供してもらっているんだぞ!」

「え? つまり、三ツ橋高校の校長先生が俺たちのために?」

「バカモン! 私が昨日の晩に三ツ橋高校の食堂からかっぱらってきたに決まってんだろが!」

 犯罪じゃねーか。

 

「じゃ、経費で何を使ったんですか?」

「全部、酒とつまみだ」

 宗像先生はテントの奥からスーパーのビニール袋をたくさん持ってきた。

 ブルーシートにつまみをぶちまける。

 と言ってもほとんどが豆だの干物とか、缶詰、キムチ、たくわん……。

 上級者向けのおやつですね。

 

 

 こんなもんに俺たちの学費は使われたのか……。

 退学をそろそろ申請したい。

 

 

「ま、良くないですか?」

 そう声を上げたのはブルマ姿の赤坂 ひなた。

 ちゃっかり、俺の左隣に座っている。

 しれっと太ももが俺の足にピッタリくっついて、思わずドキっとしてしまう。

 

「良くないだろ? 三ツ橋の食堂から食材を無断で使うとか。宗像先生、懲戒免職処分食らうんじゃないか?」

 現実になったらいいのにな~

「大丈夫ですよ、うちの校長先生ってけっこう心広いですし」

 神対応で草。

 

「そうだぞ、新宮! 滅多なことを言うんじゃない! だから黙って食え!」

 お前の職に関わることだから、必死になっているんだろうが。

「ですが、宗像先生。さすがに酒はまずくないですか? 一ツ橋の生徒たちは未成年も多いでしょ?」

「ああん?」

 顔をしかめて、俺の目の前にドシン! と座ってあぐらをかく。

 

「いいか、新宮。大半の生徒たちは既に職についている学生が多い。よって学費は自腹だ。お前もその一人だろ?」

「まあ、そうですけど」

「なら未成年だろうと喫煙や飲酒は私たち教師では止められない」

 それ重症の中毒患者ですよ。

 アル中病棟、紹介しましょうか?

 

「それは人によりけりでしょ?」

「確かに新宮のようなぼっちで根暗な仕事をしているやつじゃ、わからんだろうな」

 頭を抱える宗像教師。

 

 というか、新聞配達をディスするな!

 店長に謝れ!

 夜中に一回、配ってみろ! 誰もいない住宅街は超怖いんだぞ、暗くて。

 

「そんな俺だけが珍しいみたいな言い方……」

「あのな、新宮。わかってやれよ、あいつらのことも」

 そう言うと、既に顔を赤くして出来上がっている不真面目組を指差す。

 

 千鳥 力に至っては裸踊りを始めていた。

 マッチョでいいケツしてんなー ってその気がある方なら嬉しいでしょうね。

 

 隣りでギャルの花鶴 ここあはテントを支えているパイプを使ってポールダンスを始めていた。

 パンツ丸見えで周りのヤンキーたちがヒューヒュー口笛をならす。

 

 無法地帯。半グレ集団の集まりじゃないですか?

「アレのことですか?」

 俺は呆れながら、答えた。

「そうだ、あんなバカな奴らだって苦労してんだよ。毎日重労働して、たまに勉強してだな……」

 今、たまに言ったよね? 毎日しろよ。

 

「だからな、仕事していたら、成人の先輩や上司、同僚と飲んだりする機会も増えるわけだ」

「つまり付き合いで飲んでいると?」

 ブラック企業じゃないですか。そこは社内で厳しくしましょうよ。

「ま、そんなとこだ。だから、未成年であろうと奴らは必死に毎日働いて自分の金でメシを食っているやつらだぞ? 立派な社会人だろう」

 宗像先生の言いたいことは衣食住を全て自分で払っているので、大人として認識しろと言う事なのだろう。

 

「なるほど……」

「だいたい、お前も大学とか言ってみろ。18歳で普通にコンパで酒飲ませられるぞ?」

「え、そうなんですか?」

「そうだぞ、先輩の言うことを聞かないとハブられるしな」

 うわぁ、大学に行かないようにしよっと。

 

「タクト、二十歳になったら一緒にお酒飲もうぜ☆」

 ミハイルが言う。

「は? 俺は別に酒を飲みたいわけじゃないぞ?」

「え、同い年の力やここあが飲んでいるから、うらやましいんじゃないの?」

 一緒にするな、あんな奴らと。

 

「いいや、俺は物事を白黒ハッキリさせないとダメな性分だと言っただろ。だからああいうのは嫌いなんだよ」

「じゃ、アンナが大人になったら……一緒に飲んでくれないの?」

 瞳を潤わせて、上目遣いで見つめる。

「まあアンナが二十歳になるまで待つよ。2歳下だしな」

「そ、そっか……同級生だから年の差、忘れてたや☆」

 おいおい、今度はブルーシートがお友達に追加されたぞ。

 顔を赤くしてモジモジしながら、ウインナーを咥える。

「あむっ、んぐっんぐっ……ハァハァ、おいし☆」

 わざとやってない? そのいやらしいASMR。

 

 

「さっきから聞いてりゃ、男同士でなにやってんのよ!」

 振り返ると顔を真っ赤にしてこちらを睨む北神 ほのかがいた。

「ど、どうした? ほのか」

「うるせぇ! さっさと絡めってんだよ、バカヤロー!」

「バ、バカヤロー?」

 一体どうしたんだ、ほのかのやつ。

 

「そうっすよ、センパイ! アンナとか言うチートハーフ女、どこにいるんすか? ぶっ飛ばしてやるよ、コノヤロー!」

 先ほどまで静かにジュースを飲んでいた赤坂 ひなたまで顔が真っ赤だ。

「コ、コノヤロー?」

 こいつらどうしたんだ?

 

 俺に詰め寄るほのかとひなた。

 気がつけば、二人に抱きしめられていた。

 わぁーい、おっぱいとおっぱいがほっぺに当たって気持ちいいな~

 とか思うか、バカヤロー!

 



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102 このあとどうする?

「うーん、琢人くん~ 尊いやつめ」

「らめらめ! センパイは私の取材相手なんだから!」

 俺の耳元でギャーギャー騒ぐメスが二人。

 北神 ほのかと赤坂 ひなただ。

 

「なによ! 私だって取材相手なんだからね! BLと百合とエロゲーの!」

 頼んでないし、お前のは強要だからね。

「ハァ!? それを言うならこっちはリアルJKの取材よ、制服デートもできるわよ!」

 なんか限りなくグレーなリフレに聞こえます。

 

 言い合いになっている間もほのかのふくよかな胸と、ひなたの微乳が俺の顔を左右からプニプニ押し付けあう。

 おしくらおっぱいまんじゅうでしょうか?

 巨乳嫌いな俺からしたら、ひなたの微乳が圧勝です。

 

 だが、それを『彼』が黙って見ているわけがない。

「おい、ほのか、ひなた! タクトから離れろよ!」

 ミハイルはかなり興奮しているようで、思わず立ち上がる。

 急いでほのかとひなたを俺から力づくで引き離す。

 

「二人ともどうしたんだよ!」

 すると口火を切ったのはほのかの方だった。

「あー? うるせぇんだよ、せっかくミハイルくんと琢人くんをキスさせようとしてたのに!」

 さすが変態女先生。

「キ、キス!?」

 思わぬ返答で脳内パニックが起きるミハイル。

 今までにないくらい、顔を真っ赤にさせている。煙が出そうだ。

 

「そうよ! あなたたちが尊いから、キスするところみたいの!」

 セクハラかつジェンダー差別です。

「オ、オレとタクトが? 男同士だからできないよ……」

 急にトーンダウンしたな、ミハイルくん。

「いいえ、性別なんて関係ないわよ、バカヤロー!」

 怖いな、宗像先生の影響かしら。

「そうなの?」

 納得したらあかんで、ミーシャ!

「当たり前でしょ! 可愛いが正義。私は琢人くんとミハイルくんが絡まっている姿を見るのが楽しいよ!」

 結局はてめえの創作活動や偏った性欲を俺とミハイルにぶつけているだけである。

「からめる? なにを?」

 いかん、その言葉を理解しては善良な学生が腐ってしまう。

 ここは俺が阻止せねば。

 

 咳払いをして、俺が間に入る。

「いいか、ミハイル。その言葉は知らなくていい。それよりもほのかにひなた。お前ら今日は一体どうしたんだ? さっきから言動が支離滅裂だ」

 するとひなたが何を思ったのか、体操服を脱ぎだした。

 小麦色の焼けた素肌とドット柄の可愛らしいブラジャーが露わになる。

「あー、あつい!」

「ひなた、お前なにしてんだ?」

「センパイだにゃ~ん ゴロにゃーん」

 といって、俺の股間に顔を埋める。

「ん~ センパイのにおいがするにゃーん」

 グリグリと鼻を俺のデリケートゾーンにこすりつける。

 やめて、なんかその言い方だと、俺が小便臭いみたい。

 

「ああ! タクト、女の子になにをさせてんだよ!」

 ナニをと言われても、返答に困りますよ、ミハイルさん。

 誤解されるじゃないですか。

「ミハイル、勘違いするな。ひなたのやつが勝手に……」

 そこへほのかがまた近寄ってくる。

「うへぇ~ 生JKのブラジャーだぁ」

 鼻血を垂らしながら、赤坂の裸を食い入るように眺める。

「ほのか、見てないで助けてくれよ。お前らどうしたんだよ?」

 俺は二人のキテレツな行動に違和感を感じていた。

 

「にゃーん、センパイ。またデートするにゃーん」

「デヘヘ、JKのブラ、ブルマ……おかずだ~」

 

 これは……あれだ。

 酔っぱらった母さんやミハイルの姉貴、ヴィッキーちゃんと同じような症状だ。

 つまり、酒を飲んでいるな?

 

「ミハイル、お前こいつらなにを飲んでいたか、知っているか?」

「え? ジュースだろ」

「いや、こいつら酒を飲んでいるぞ」

「ええ!? そんな……」

 俺とミハイルは辺りを見渡した。

 

 するとそこには地獄絵図が……。

 

「デヘヘヘ……あすかちゃーん!」

「あ・す・か!」

 大ボリュームでアイドルの曲を流しながら、オタ芸を始める日田兄弟。

 他にも真面目組の奴らが口喧嘩したり、掴み合い、殴り合い、泣き出すものまで。

 ここはどこの安い居酒屋でしょうか?

 

 

「いったい……どうなっているんだ?」

「わかんないよ、タクト。なんでオレたちだけ平気なの?」

 ミハイルはこの世の終わりを見てしまったかのような顔で震えている。

「わからん、宗像先生はどこに行った?」

「うーん、さっきまでいたけど」

 しばらくテントの中を探していると、バーベキューを担当していた男性教師たちが宗像先生にからまれていた。

 

「おい、こら! じゃんじゃん肉を焼け! つまみが足らん! そして、お前らも飲まんか!」

「ひぃ、勘弁してくださいよ、宗像先生……」

「ああ? お前らを大学まで入れてやったのはこの私だぞ! 雇われたからには黙って肉を焼け!」

 

 たしか、ほのかのやつが言っていたな。

 一ツ橋のスクーリングに来る教師はOBが多いと。

 つまり宗像先生の元教え子でもあるのか。

 ブラック校則でブラック企業か。

 俺は進学をあきらめよう。

 

「ったく、お前らは生徒時代からノリが悪いな! ほら、酒を飲まんか!」

 ハイボールを無理やり男性教師の口に押し付け、強制一気飲み。

「うぐぐぐ……」

「へへ、飲めるじゃないか、バカヤロー!」

 苦しんでいる姿に笑みを浮かべる宗像先生は恐怖しか感じない。

 いや、狂気だ。

 

 するとあら不思議、さっきまでうろたえていた男性教師が叫び出す。

「あークソが! やっすい給料で日曜日出勤とかやってられっか!」

 酒の力でブチギレると肉をコンロの上に目一杯乗せると火力を上げて、焼きだす。

 ヤケクソなんだろうな……。 

「ほぉ、いい感じだな。それでこそ、私の教え子だ」

 なぜか満足そうにその姿を見つめる宗像先生。

 

 気がつけば、俺とミハイル以外は全員、酔っぱらっていた。

 真面目な生徒たちもヤンキーグループも教師も……。

 なぜこうなった?

 

 宗像先生が半焼けの肉を持ってくると俺たちの前に座った。

「よっこらっしょと。あれ、新宮。三ツ橋の生徒にナニをさせているんだ?」

 この人は少し頬は赤いがあまり酔っていない様子だ。

 普段からコーヒーにウイスキーを混ぜている疑惑もある。

 アル中で耐性ができているのかもしらん。

 

「ナニもさせてませんよ! 酔っぱらってんですよ、ひなたも。先生、なんでみんな酔っぱらってるんです? 俺たちはジュースを飲んでいたのに」

「ありゃりゃ、本当だな」

 宗像先生も知らないようだ。

「なにか心当たり、ありません?」

「ふむ、そう言えば、さっき生徒たちがジュースがなくなったっていうんでな。私が持っていたみかんジュースを注いでやったな」

「先生が持っていたジュース?」

 こいつがノンアルコール持っているとか、既におかしい。

 

「それ、いつから持ってます?」

「ああ、一か月前にウイスキーで割ろうとして近所のスーパーで買っておいたんだよ。安かったからな」

「あの何回か、そのみかんジュースで割ってません?」

「そう言えば……やったかも」

 お前が犯人だ!

 ジュースにウイスキーを入れておいて、忘れたままだったんだよ!

 

「ミハイル、お前はみかんジュース飲んでないか?」

「うん、オレはいちごミルクが好きだから」

 こういう時、いい子なんだよ、ミハイルちゃん。

 俺は胸を撫でおろした。

 ミハイルが酔っぱらっていたら、第二人格のアンナちゃんが出てくる危険性があるからだ。

 

「宗像先生、どうするんですか? みんな酔っぱらってますよ。このまま返したら親御さんに叱られません?」

 俺が指摘すると宗像先生は急に顔を真っ青にして、慌てだした。

「ど、どうしよう! 新宮、私解雇されたくない!」

 知るか、クビになっちまえよ。

 

 それよりも俺がずっと気にしているのは股間に顔を埋める現役JKの赤坂 ひなたのことだ。

「にゃーん、センパイ。ぐひひにゃーん」

 ネコ科だったのか、残念、俺は犬派でした。



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103 二次会は荒れぎみ

 無能教師、宗像 蘭によって一ツ橋の生徒たちは全員酔っぱらってしまった。

 自ら飲んだものがいるが、宗像先生の持参してきたみかんジュースにウイスキーが混入していた疑惑があり、真面目な生徒たちまで被害にあってしまった。

 これはちょっとした無差別テロではなかろうか?

 

 大半の真面目な生徒たちは酒を飲んだことがないので、倒れるように寝込んでしまった。

 ヤンキーグループは逆に飲み過ぎて、いびきをかいている。

 かろうじて、意識を保っているのはギャルの花鶴 ここあぐらいだ。

「ちょっとさ、あーしに勝てる男とかいないわけ?」

 その前にお前は未成年であることを自覚しろ。

 

 バーベキューを担当していた男性教師たちまで、居眠りしながら肉を焼いていた。

 というか、焦がしているだけなんだけど。

 

 俺とミハイルだけはみかんジュースを飲まなかったので、被害にあわずにすんだ。

「なあ、タクト。みんな寝ちゃったけど、どうしよっか?」

 うろたえて、おろおろと辺りを見回すミハイル。

 こいつ、けっこうお節介焼きというか心配症だよな。

 

「そ、そうだぞ、新宮。どうしたらいい?」

 涙目で俺の両手を握ってくる宗像先生。

 お前が主犯なんだから、警察に出頭してください。

 

「ふーむ、このままみんなを家に帰したら、親御さんにクレーム入れられますね。というか、三ツ橋にも怒られます」

 俺が冷静に分析していると、隣りで宗像先生が見たことないぐらいキョドッている。

 ヤベッ、ちょっとおもしろくなってきた。

「ヤダヤダ! 蘭、三ツ橋の校長には知られたくないよ! あのおっさん、めんどくさいもん!」

 酒を飲むと幼児退行するのか、このおばさん。

 

「ですが、もうバレてません? グラウンドの周りをよく見てください」

 そう既に部活の練習をしていた三ツ橋の生徒たちがずっとこちらを不思議そうに見ているからだ。

「ぐえっ! あいつら、なんでこんなところで部活なんかやってんだ!」

 いや、あなたがこんなところでバーベキューしたからでしょうが。

「グラウンドなんだから当然でしょ」

「三ツ橋の校長にバレたら嫌だ! ちょっとあいつらシメてくるわ」

 そう言って、宗像先生は真面目に部活をしている生徒たちに突進していった。

 モンスターティーチャーだ。

 

 

 宗像先生は大声で叫んだ。

「おい、お前ら! 集合!」

 顧問の先生でもないのに、三ツ橋生徒を気迫だけで強引に集めさせる。

 健気にも彼らは横暴な教師の命令に従い、宗像先生の元へと群がる。

「いいか! 一ツ橋の生徒たちはみんなお昼寝中だ! だからこのことは黙っていろよ!」

 酷い言い訳だ。

 

「「「はーい」」」

 お前らもそれで納得するの。

 

「一ツ橋の子供たちはな、毎日働いて休日に学校にくる勤勉な学生たちだ。日頃の疲れが出てしまったんだよ……」

 話が変な方向にむいているぞ。

 宗像先生のとってつけたような説明にもかかわらず、数人の生徒たちは何人か泣いていた。

 

「うう……私たち一ツ橋の人のこと誤解してました」

「毎日働いて休みに学校で勉強するなんて、マジリスペクトっす」

「俺も編入しよっかな」

 最後の人、惑わされたらアカンで!

 

 こうして、どうにか三ツ橋の生徒たちを洗脳することに成功した宗像 蘭であった。

 

「しかし、どうしたものか……このまま、家に帰すわけにはいかんぞ」

 尚も俺の股間に顔を埋める赤坂 ひなたを見下ろしながら呟いた。

 背中のブラのホック、取ってやろうかな。

 

 俺がそんなよこしまな考えを抱いていると、ミハイルがひなたの背中に体操服をかける。

「ひなた、起きろよ。タクトにくっつきすぎ!」

 ミハイルがひなたの肩をゆするが、びくともしない。

「にゃーん……」

 新種のウイルスにかかったようにネコ語が抜けてない。

 

 

「ところで、タクト。なんでお家に帰したらダメなんだ?」

「そりゃそうだろよ。だって未成年を飲酒させている時点で大問題だ。ヤンキーグループは日頃から飲んでいるみたいだから、あまり問題にならんかもしらんが……」

「そうなの? 力とここあは小学生のころから飲んでいたよ」

 それって虐待じゃないですか?

 

「ま、まあ人の家庭なので、聞かなったことにしておこう……。だが、千鳥や花鶴なんかはバイク通学だろ? 飲酒運転したら逮捕されるぞ」

「ええ!? そうなの?」

 口をあんぐりと大きく広げて驚くミハイルさん。

 この人の常識とかアップデートされないんですかね?

「当たり前だろ。そういう法律だし、事故って死ぬ可能性だってある。逆に誰かを死なせる危険な行為だ」

「知らなかった。物知りなんだな☆ タクトってやっぱすごい!」

 あなたがおかしいんです。

 

 そうこうしているうちに宗像先生が戻ってきた。

「名案を思いついたぞ、新宮、古賀」

 何やら不敵な笑みで俺とミハイルを交互に見つめる。

「どうするんですか、こんなにたくさんの酔っ払い学生たちを」

「フッ、この名教師、蘭ちゃんからしたらお茶の子さいさいだ!」

 今日日聞かない言い方ですね。

 自信満々の笑顔で宗像先生はこう言った。

 

「このまま全員、学校に泊まらせよう!」

 

「……」

 やはりバカはバカでした。

 期待した僕が無知でごめんさい。

「わーい! 遠足みたいだ☆」

 ジャンプして喜ぶ15歳、高校生。ちなみにヤンキーです。

 

「ははは、古賀は偉いな。さっそく寝ている連中を三ツ橋の食堂に連れていこう。あそこなら晩飯もあるしな」

 この人、食堂で毎回晩飯パクってるんじゃないか?

「あ、オレ、力には自信あるんで連れていきます☆」

 自ら手をあげるミハイル。

 やけに乗り気だな。

「うむ、じゃあ古賀と新宮で手分けして生徒たちを連れていってくれ。私はテントとバーベキューとかの後片付けをするからな」

 歓迎会じゃなかったの?

 放課後に重労働とか、ブラック校則じゃないですか。

 勤労学生ですよ、俺たち。

 

「仕方ない、やるか。ミハイル」

「うん☆ 学校に泊まれるなんてレアだよな☆」

 レアなんてもんじゃない。前代未聞の出来事だよ。

 俺はとりあえず、ひなたに服を着せてあげて、彼女をおんぶしてあげる。

 ミハイルはほのかと日田の兄弟をひょいひょいとおもちゃのように軽々と持ち上げる。

「よし、行こうぜ☆」

 たくましい。

 俺なんか細い身体の女子を一人おんぶするだけでしんどいのに。

 

 

 そこへ花鶴が声をかけてきた。

「おもしろそうだから、あーしもやっていい?」

 あれだけ酒を飲んでピンピンしてんな。

 酒豪だわ。

「んじゃ、花鶴は千鳥とかを頼むよ」

「りょーかいだぴょーん!」

 アホな返事をすると、これまた花鶴 ここあはひょいひょいと千鳥のほかにがたいのよいヤンキーたちを4人もかつぐ。

 お米じゃないんだから。

 さすが伝説のヤンキーだわ。

 

 

 グラウンドと食堂を行き来すること、30分ほどで一ツ橋の生徒たちを無事にテントから脱出させることができた。

 三ツ橋の食堂は俺たちがスクーリングで使っている教室棟から出て、駐車場の目の前にある。

 全日制コースの生徒たちが昼飯を食べているところだけあって、敷地はかなり広い。

 フローリングで冷たい床に、一ツ橋の生徒たちを寝かせた。

 

 

「はぁ、疲れた」

「そうか? オレは楽しかった!」

 あなたは規格外の体つきなんでしょうよ。

「あーし、飲みなおしたいな~」

 もういい加減にしてください。

 

 俺たち3人は一仕事終えると、縦長テーブルのイスに腰を下ろした。

「てかさ、布団とかどうすんのかな?」

 花鶴がスマホをいじりながら言う。

「さあ? 宗像先生のことだ。なにかしら持ってくるだろさ」

「ワクワクすんな、タクト☆」

 そのポジティブな性格、ちょっと尊敬できます。

「あ、家に連絡しなきゃな…」

 なんて言い訳すれば、いいんだろうか?

「あーしは親が無関心だからパスで」

 荒れているんですね。心中お察しします。

 

「オレはあとでねーちゃんに電話するよ☆ でもさ、寝ちゃっているやつらの親には誰が電話すんの?」

 ミハイルに言われて気がついた。

 どうしたらいいもんか。

 

 その後俺とミハイル、花鶴の3人は、眠っている生徒たちのスマホを拝借して各自の家に「オレオレ」とか「あたしあたし」とか言ってどうにかごまかした。

 まさか俺たちがこんな詐欺に手を染めることになるとは……。



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104 今夜うちに泊まる?

 俺とミハイル、花鶴 ここあの三人で各生徒のスマホを無断で使用し、本人を偽って、『学校に泊まる』と連絡した。

 

 その後、宗像先生が食堂に来ると、両手にたくさんのスーパーの袋を手にしていた。

「よう、おつかれさん! 差し入れ持ってきたぞ!」

 ビニール袋を食堂のテーブルに置く。

 中身をのぞくと大半が酒とつまみ。

 

「宗像先生、まだ飲む気ですか?」

「バカモン! 夜通し飲むのがいいんじゃないか」

 よくねーよ。

 生徒たちを急性アルコール中毒にしやがって。

 

「でも、宗像センセ。晩ご飯とかお布団とかどうするんすか?」

 ミハイルがお母さんに見えてきた。

「ああ、それなら問題ない」

 と言いつつ、ハイボールをガブ飲みする。

「晩ご飯は食堂の冷蔵庫から適当に使え。布団なら私があとで持ってくるからな」

 こいつは、学校をなんだと思っているんだ。

「じゃあ、オレがみんなのご飯作ってもいいっすか?」

 やけにノリ気ですね、ミハイルママ。

「お、古賀は料理ができるのか。ついでに先生にもなんかつまみを作ってくれるか?」

 こんの野郎、てめぇは反省しとけ。

「了解っす☆ 嫌いなものはないですか?」

 嫁にしたい。

「ああ、ないぞ。古賀の作った料理楽しみにしておくからな」

 ニカッと歯を見せて笑う残念アラサー女子。

 一応、ミハイルは男の子なんですよ?

 花嫁修業としてあなたが作るべきじゃないですか。

「楽しみに待ってくださいっす☆」

 そう言うと彼は鼻歌交じりに厨房へと入っていた。

 というか、無断で食材を使って料理するのって窃盗罪及び不法侵入に該当しませんか。

 

 隣りのギャルと言えば、スマホをずっといじっている。

「花鶴、お前は料理とかするのか?」

 俺がたずねると顔をしかめた。

「はぁ? あーしが料理とかするわけねーじゃん。料理って男が作るもんだべ」

 え、近代的な回答。

 私が間違っていました。

 

「なるほど……さっきお前のご両親は子供に無関心みたいなこと言ってたよな?」

「うん、そだね。あーしが深夜に遊んでも友達ん家に泊まっても全然心配されないっしょ」

 超ポジティブに家庭問題を語るギャルちゃん。

「それ問題じゃないのか? お前のお父さんお母さんは普段なにをしているんだ?」

「は? そんなんフツーは知らないっしょ」

 普通の解釈に僕と誤差が感じられます。

「マジか」

「うん、生まれてからずっとそんなんだったからさ。ミーシャの家とかでメシ食べさせてもらってたなぁ。というか、ミーシャがよく料理を持ってきてくれてたし……」

 最強お母さん、ミハイル。

 優しい世界だ。

「千鳥もそんな感じか?」

 床でいびきをかいているハゲを指差す。

「うーん、力はちょっと違うかな。あそこは父子家庭でおっちゃんは優しいハゲだよ?」

 劣性遺伝子を受け継いでしまったのか。可哀そうなハゲ。

 

 俺らが駄弁っているとミハイルが厨房から大きな鍋を持ってきた。

「晩ご飯作っておいたぞ☆ 今日は大勢だからバターチキンカレーな☆」

 この短時間でどうやって本場インドカレー作ったんだ?

「今から宗像センセのおつまみ作るぞ☆」

 笑顔でキッチンに戻る。その後ろ姿、早く嫁に欲しい。

 

「さっすが、ミーシャ。男の子だよね」

 失われる日本男子たちよ。

「ミハイルは特別だろ……」

 

 ~数時間後~

 

 ようやく酔いが覚めたようで、床に転がっていた生徒たちがチラホラと目を覚ます。

 みんな頭を抱えて、しかめっ面で起き上がる。

「いったーい、ここどこ?」

 未だにブルマ姿の赤坂 ひなた。

「おお、ひなた。目が覚めたか」

「センパイ!? 私、今までなにしてましたっけ?」

 さすがに酔っぱらって俺のナニに顔を突っ込んでいたとは言えない。

 

「ん? そのあれだ。みんな宗像先生が間違えてジュースに酒を混入させて振舞っちゃって……で倒れてた」

 言葉に出すと事件性が悪質であることを再確認できる。

「ええ、私倒れてたんですか……ってか、ここ三ツ橋の食堂ですよね? 誰がここまで私を運んでくれたんですか?」

 首をかしげるひなた。

「俺だよ」

 そう答えるとひなたは顔を真っ赤にして、モジモジしだす。

「セ、センパイが? 嫌だな、ヨダレとか出してませんでした? 恥ずかし」

 いや、あなたの場合、そんな可愛らしい寝相とかそういう次元じゃないんで。

 露出ぐせがパなかったです。

「その件なら問題ないさ」

「良かったぁ」

 胸をなでおろすひなた。

 事実を知ったら不登校になり兼ねないので、事実は隠ぺいしておく。

 

 そこへミハイルが現れる。

「ひなた、起きたか? ほら、水飲めよ☆」

 ミハイルはいい嫁になりますね。

「あ、ありがとう……ミハイルくんは大丈夫だったの?」

「うん☆ オレとタクトは大丈夫☆」

 花鶴はノーカンか、かわいそうに。

「腹減ったろ? 今、カレーあたためてってからな」

 ミハイルがどんどんみんなのお母さんになっちゃう。

 

 そして、次々と生徒が目を覚まし、起きる度にミハイルがコップに水を入れて持っていくその姿は正に聖母である。

 

 全員、目が覚めたところでテーブルに一列に並ぶ。

 ミハイルは一人ひとりにランチョンマットとスプーン、フォークを置き、最後に白い大きな皿を配る。

 スパイシーな香りが漂う。

「じゃあ、おかわりもたくさんあるし、あとタンドリーチキンも別に作ったから、みんなたくさん食ってくれよ☆」

 おいおい、タンドリーチキンがつまみかよ。

 ミハイルの高性能ぶりに多くの女子たちがガクブルしていた。

 

「ちょ、ちょっと古賀くんってあんなに女子力高かった?」

「女子より女子じゃん。プロレベルだし」

「くやしー! 私もこんなに料理上手かったら彼氏にフラれなかったかも!」

 ドンマイ!

 

 その後はみんな「うまいうまい!」と連呼しながら、ミハイルの料理を味わった。

 時には涙を流すヤンキーまでいた。

「うめぇ、死んだおふくろの味だぜ」

 嘘をつけ! お前は絶対日本人だろ!

 

 俺も料理を食べ始めるとミハイルが隣りに腰をかける。

「タクト、うまいか?」

「ああ、安定のプロレベルだな」

「そっかそっか、良かったぁ☆」

 自分は食べずに俺の食う姿をニコニコと笑って見つめる。

 食っている姿を見られるのもこっぱ小恥ずかしいもんだ。

 

「あれ、オタッキーってミーシャの料理食べたことあんの?」

 スプーンを口に加えたまま、喋る花鶴。

「え……」

 ヤベッ、アンナとミハイルがごっちゃになりつつあるな。

「いや、お昼に弁当もらったし、それでな」

「ふーん、ミーシャと仲良いんだねぇ」

 どこか不服そうだ。

 

「そう言えば、宗像センセはどうしたの? オレ、つまみ作ったのに」

「あんなバカ教師、放っておけ。つまみなんて作ってやる義理はない」

 至極当然な答えだ。

 

「誰がバカだって? 新宮」

 振り返るとそこには鬼の形相で見下ろす宗像先生が。

「あ、いや……宗像先生。ミハイルがつまみにタンドリーチキン作ったらしいっすよ」

「え、マジ!? やったー!」

 ほら、やっぱバカじゃん。

 

 しばしの夕餉を各々が楽しんだ後、時計の針は『22:21』に。

「さあ、そろそろ寝るぞ。みんな!」

 と宗像先生はタンドリーチキンを片手に叫ぶ。

 こいつはミハイルの味をしめやがって。

「寝るってどこに寝るんですか? 床は汚いし冷たいですよ」

 俺がそう言うと、宗像先生は「へへん」とどこか自信ありげに答えた。

「布団を持ってきたぞ!」

 

 そう言って、先生はどこから持ってきたのか、薄汚れた体育マットを何枚も食堂に持ってきた。

「どれでも使え!」

 それを見た生徒たちは一斉に静まり返る。

 

「先生、帰ってもいいですか?」

「バカモン! まだ酒くさいやつもいるだろが! 証拠隠滅に手を貸せ」

 こんの野郎が。

 

「タクト、オレこんな布団で寝るの初めてだよ☆」

 いや俺だって初体験だわ。

 クソが。



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105 マットレスだけで充分

 俺たちは食堂の重たいテーブルをみんなで壁に寄せた。

 スペースを確保して後、宗像先生が用意したきったねぇ体育マットを床に広げる。

 正直、毎日掃除されてそうなフローリングの方がキレイに感じる。

 だが、床に寝るのも肩や腰を痛めそうだし、我慢しよう。

 

「あの、先生」

 宗像先生の方を見ると食堂のカウンターで立ち飲みしていた。

 ミハイルが作ったタンドリーチキンをうまそうに頬張る。

「うめっうめっ……」

 泣きながら食してらっしゃる。

 よっぽど普段から貧しい食事を摂取しているようだ。

 ハイボールを一気飲みすると俺に気がついた。

「どうした? 新宮」

「いや、枕とかないんですか?」

 俺の質問に宗像先生は顔をしかめた。

「あ? 枕だぁ? 私なんか毎日事務所のソファーで寝ているんだぞ? そんな高価なものはお前らには必要ない!」

 枕うんぬんの前にお前の家がないことに驚きだよ。

 事務所を自宅にするな!

「じゃあどうしたら……」

「カバンとかリュックサックでも使ったらどうだ? 私は毎日教科書を束ねて枕にしているぞ」

 お前はそれでも教師か!

「わ、わかりました……」

 聞いた俺がバカだった。

 

 肩を落として、自分の寝るマットを探す。

 するとミハイルが俺の左腕を掴む。

「タクト☆ 一緒に寝ようぜ」

 グリーンアイズをキラキラと輝かせて、迫る可愛い子。

 夜這いOKってことすか?

「ああ、かまわんけど」

 こいつとは自宅でも一緒に寝たことあるしな。

 

「ズルい! 私もいれてください」

 そこへ茶々を入れるのは赤坂 ひなた。

 着替えがないのか、未だに体操服姿にブルマだ。

「いや、ひなた。お前は一ツ橋の生徒じゃないし、酔いも冷めただろ? 家に帰ったらどうだ?」

「はぁ? 嫌ですよ! 私だって同じ学園の仲間ですよ! 私も一緒に寝かせてください。心細いんです……」

 確かに一人だけ全日制コースの生徒だからな。

 寂しいんだろう。

 

「だが、ひなたは女子だろ? 一緒には寝れないよ」

 寝たいけどね。

「ええ……前に寝たことあるくせに」

 口をとんがらせる。

 誤解を生むような発言はやめてください。

 

 その言葉を見逃すことはないミハイルさん。

「ダメダメ! ひなたはここあかほのかと寝ろよ! それにタクトとラブホで寝たのは偶然だろ」

 おい、お前が失言してどうするんだ。

「え……なんでミハイルくんがあのこと知っているの?」

 顔を真っ赤にして、動揺するひなた。

 そりゃそうだ、あのラブホ事件を知っているのは俺とひなた、福間。それにアンナぐらいだ。

 あくまで女装中のアンナちゃんだぜ。

 ごっちゃになってるよ、ミハイルくん。

 

「え、だって……あ!?」

 思い出したかのように、口に手を当てて隠すミハイル。

 だがもう遅い。

 ラブホという言葉に何人かの生徒たちが耳を立てていた。

 

「オタッキー、この子とヤッたの?」

 花鶴 ここあがなんとも下品なことを聞いてくる。

「ヤッてねーよ」

「そうなん? じゃあラブホで断られた的な?」

「あれは事故だ……説明が面倒だ。とりあえず、ただ入っただけだよ」

 事実だし。

「ふーん、ひなたんだっけ? マジでヤッてないの?」

 勝手にあだ名つけてるよ、この人。

 

 話を振られて、顔を真っ赤にする赤坂 ひなた。

「し、してないかな……」

 なんで疑問形?

 やめてよ、あなたとはそういう関係じゃないでしょ。

「なんかスッキリしなーい。ラブホ入ってさ、ヤラないカップルとかいんの?」

 いるだろう、口説くのに失敗した人とか。

「カップルだなんて…私と新宮センパイはまだそんな仲じゃ……」

 おいおい、やめてよ。勝手に盛り上がるのは。

 

「ここあ! タクトとひなたはただの知人。ダチでもないの!」

 ブチギレるミハイル。

 ダチ認定は俺が決めるんで、あなたにはそんな権利ないっすよ。

「そうなん? ひなたんはどうなん? タクトとワンチャンありそうなん?」

 それってどっちにチャンスがあるんですか?

「えっと、私は新宮センパイのこと、前から尊敬できる人だって思ってます」

 モジモジしだす赤坂 ひなた。

「へぇ、てことはヤッてもいい男ってことっしょ」

 こいつはヤるかヤラないかでしか、関係を築くことができないのか?

 

「もうやめろよ、ここあ! タクトが困っているだろ!」

 おともだちの床をダンダンっと踏みつけるミハイル。

「別によくね? オタッキーは他にヤリたい女でもいるん?」

 あの、そこは『好きな人』とかで良くないっすか。

 言われて回答に困った。

「そ、それは……」

 俺が口ごもっていると、ミハイルとひなたが左右から詰め寄る。

 

「いるよな! タクト!」

「そんなビッチがいるんですか? センパイ!」

 

 ちょっと待てい。ミハイルはヤるって意味わかってないだろ。

 それからひなたはアンナに謝れ。

 

 俺たち4人で恋愛トークならぬヤリトークで盛り上がっていると、宗像先生がやってきて、「やかましい」と全員の頭をブッ叩いた。

 

「いって」

「キャッ」

 相変わらず可愛い声だミハイル。

「ゲフン」

「ってぇ」

 女子陣は可愛げもない。

 

「なーにをヤるだヤラないだってピーチクパーチク言っているんだ! 学生の本分は勉学だろ!」

 教科書を枕にしているようなあなたには絶対に言われたくない。

「さっさと寝ろ!」

「それなんすけど、赤坂 ひなたが俺と一緒に寝たいって言うんです。さすがにまずくないですか?」

 俺がそう言うと宗像先生は鼻で笑った。

「いいじゃないか、ガキ同士仲良く寝ちまえ。間違いはおこらんよ。私が見ているしな」

 そう言う問題ですか?

 

「やったぁ!」

 ジャンプして喜ぶひなた。

「んならあーしも一緒に寝るべ」

 どビッチのギャルがログイン。

「なんでここあまで……」

 涙目で悔しがるミハイル。

 

 結局、花鶴 ここあ、赤坂ひなた、俺、ミハイルの順に一つの体育マットで寝ることになった。

 

「タクト、もっとこっちに寄れよ」

「ちょっと! センパイが狭くなるでしょ?」

「いいんだよ、タクトがひなたに変な気起こしたら教育上良くないだろ」

「別になにもしないわよ。ミハイルくんってなんでそんなに新宮センパイにこだわるの? なんかお母さんみたい」

 だってお母さんだもの。家事ができる高スペックママ。

 

「オ、オレは……ただアンナのためにタクトを守っているんだ」

「え? アンナちゃんの知り合いなの?」

 口論が続いているが、俺は沈黙を貫く。

 なぜならば、左右からミハイルとひなたに両腕をちぎれるぐらいの力で引っ張られているからだ。

 マジいってーな。

 花鶴 ここあはいびきをかいて寝てしまった。

 腹をかきながら夢の中。スカートがめくれてパンツはモロだし。

 

「アンナはオレのいとこだよ」

「だからね、身内のために私とセンパイの仲を裂こうってわけ?」

「そんなんじゃないって……タクトとアンナは仕事で取材してるから…」

「私もセンパイと取材してるけど?」

 あーうるせ、こいつら。さっさと寝ろよ。

 

「と、とにかくタクトはオレしかマブダチがいないの! だから今もこうやって優しくしてあげないとかわいそうだろ」

 なにそれ、頼んでない。それに俺はそんなことじゃ寂しくならない。

 むしろ、二人に抱き着かれて暑苦しい。

「それもそうね。なら二人でセンパイを優しくしてあげましょ。かわいそうだもの。一人で毎晩シクシク泣いているんだよね……」

 納得すんなよ。

「じゃあ、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 そう言うと二人とも落ち着いたようで、寝息を立てながら眠りについた。

 

 当の俺と言えば、目がギンギンだ。

 なぜならば、左から微乳がプニプニ、右からは絶壁がグリグリ。

 俺の性癖が絡み合っているのだから。

 

「ムニャムニャ、タクトぉ……」

「しぇんぱい……」

 

 暗い食堂の中、俺は興奮して一向に眠ることができなかった。

 なんだったら下半身が元気になりそうで困っていた。

 

 そこへ足音が近づいてくる。

「新宮、自家発電なら便所に行ってこい。黙っておいてやる」

 汚物を見るように見下す宗像先生だった。



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106 朝は弱いが元気!

 目が覚めてまず視界に入ったのはミハイルの寝顔。

 すぅすぅと寝息を立てて、まだ夢の中。

 俺の胸の中で。

 

 やけに肩がこるな…と思っていたら左腕にコアラのようにしがみつく赤坂 ひなたが。

 一晩中、腕をしめられていたので、血流が悪くなっているようだ。

 しびれて痛む。

 

 尿意を感じ、起き上がろうとする。

 

 するとミハイルがそれに気がつき、瞼をパチッと開いた。

 朝焼けと共に彼のグリーンアイズがキラキラと宝石のように輝く。

「おはよ、タクト☆」

「ああ、おはよう」

 フフッと笑みを浮かべると、俺の胸を軽くトントンと指で叩いてみせた。

「よく眠れた?」

 この状況でそれ言います?

 薄汚いマットのせいで腰も痛いし、あなたに胸部を圧迫されてたし、左腕はひなたのせいでしびれているんですよ。

 しんどいです。

「まあな。ところでトイレ行きたいからどいてくれるか?」

「あ、ごめん。今どくよ」

 ミハイルが俺の身体から離れると、それに呼応したかのように赤坂 ひなたが目を覚ます。

 

「ううん……あ、センパイ! なんで私のうちにいるんですか!」

 そう言い放つと朝も早くから力強いビンタをお見舞い。

「いってぇ!」

 危うくおしっこ、漏らすところだったよ。

 

「あ、ごめんなさい。昨日はみんなで一緒に寝たんでしたね。ははは……」

 笑ってごまかすひなた。

 慰謝料として、朝のパイ揉みさせてください。

「そうだぞ、ひなた! タクトにくっつきすぎ! タクトの腕が痛くなるだろ」

 いや、ミハイルも人のこと言えません。

「はぁ? ミハイルくんだって新宮センパイにベタベタしながら寝てたじゃん!」

 朝から元気なやつらだ。

「べ、別にダチだからいいんだよ!」

 それホモダチ?

「友達だからってなにをしてもいいわけじゃないのよ!」

 ナニをしたらダメなの、教えてひなた先生。

 

「ところで、タクト。ここあはどこに行ったの?」

「そう言えば、花鶴さんでしたっけ? 見ませんね」

 タバコでも吸ってんじゃない、知らんけど。

「どっかにいるだろ。とりあえず、トイレに行かせてくれ……」

「あ、そうだったな。オレと一緒に行こうぜ☆」

「じゃあ私も同行します!」

 お前らはいい年こいて連れションかよ。

 

「わかったわかった」

 呆れながら、身体を起すと何か見慣れない風景が。

「お、おい……なにやってんだ。花鶴」

 見当たらないと思っていたら、俺の下半身に顔を埋めていた。

 しかも『もう一人の琢人くん』に唇をあてるような感じで。

 

「ここあ! なにしてんだよ!」

 気がついたミハイルが花鶴を力づくてどかせようと試みるが、なかなか動かせない。

 あの力自慢の彼ですら、花鶴は微動だにしない。

 体重が100キロぐらいあるんじゃないのかな。

 

「そうですよ! 花鶴さん、新宮センパイから離れてください!」

 ミハイルに加勢するひなた。

 だが、一般女子が力を貸したところで伝説のヤンキー『どビッチのここあ』はビクともしない。

 むしろ、俺の股間にグイグイと突き進む。

 まるでモグラのようだ。

 やだ、俺まだバージンなのに膜が破られちゃう。

 

「ううん……もうちょっと寝かせてよぉ~」

 花鶴は朝がかなり弱いようだ。

「困ったやつだ」

 俺は呟いたあと、ある異変に気がついた。

 異変というか、男子ならば正常な出来事なのだが。

 尿意を感じているなら、わかるだろう。

 秘剣『朝の太刀』だ。

 

 直立した俺の真剣に女の花鶴が口づけしている……これはどう言い訳したものか。

 だがアクシデントだ。

 平常心、平常心。

 必殺技というものは常に明鏡止水を保っていないと発動できないのだ。

 ここは剣に鞘が収まるまで待とう。

 

「ふぅ~」

 ミハイルとひなたに気がつかないように息を整える。

「もうタクトのほうを引き離そうぜ、ひなた」

「そうだよね、センパイ軽そうだし、名案だよ。ミハイルくん♪」

 こういう時だけ、結託しないでください。

「ま、待て……花鶴を起こしてしまうじゃないか」

 言いながら、非常に苦しい言い訳だと思った。

「なにをいってんだよ、タクト。おしっこ漏れちゃうぞ」

 あなたも男の子なんだから察してよ、この生理現象。

「そうですよ、センパイ。我慢しすぎると膀胱炎になっちゃいますよ」

 お母さんかよ。

「いや、あの……そうじゃなくてですね。なんと言ったらいいでしょうか」

 なぜか俺が敬語。

 

「何が言いたいんだよ、タクト。男ならハッキリ言えよ」

 お前も男だろ、わかってよ。

「もう早くセンパイと花鶴さんを引き離しましょ。ミハイルくん」

「そうだな☆」

 二人して、俺の両肩を持つとスタンバイOK。

「「せーの!」」

 スポン! と花鶴から引き離された。

 俺氏、軽すぎ。 

 

 ほんぎゃぁー!

 元気な赤ちゃんが生まれましたよぉ~

 大きな男の子です、ほら証拠に立派なものがついているでしょ?

「「……」」

 お産が無事に済んだというのに、助産師のお二人は赤ちゃんを見て絶句。

 

「あ、あのお二人さん? これ、違うからね。ミハイルならわかるよね?」

 見上げるとミハイルは見たこともないような冷たい顔で俺を見つめていた。

 あれ、おかしいな。

 寝る前もこんなことがあったような……。

「タクト、ここあにそういう気持ち持ってんだ……」

「ち、違う! わかるだろ、男のお前なら!」

「わかるわけないじゃん! タクトのヘンタイ! 見損なった!」

 怒りながら泣いてるよ、この人。

 

「センパイ……ラブホで助けてくれたときは尊敬してましたけど、今減点になりました」

 凍えるような冷たい声を投げかけるのは赤坂 ひなた。

「ひなた、お前はなんか勘違いしているぞ? 女のお前はわからないだろうけど……」

「わかりたくもありません! 結局、男の人って女の子だったら誰でもいいんでしょ!」

 あの、人を性犯罪者みたいな扱いしないでください。

 

「ミハイル、ひなた、落ち着け。これはだな、保健の授業とかで習ってないか?」

 俺が弁明すると二人は声を揃えて、叫んだ。

「「ない!」」

 マジ? 教科書に追加しといて、秘剣『朝の太刀』を。

 

「ううん……さっきからなにをいってんの?」

 瞼をこすりながら、花鶴 ここあが目を覚ました。

 彼女の目の前には立派な真剣十代が構えられていた。

「ああ! オタッキーってば、朝からゲンキじゃん!」

 ニヤニヤ笑って、俺の真剣と顔を交互に見比べる。

 まるで「へぇ、こんなサイズなんだ」とでもいいだけだ。

 だが、こいつは秘剣『朝の太刀』の存在を知っているかのような口ぶりだ。

 

「ここあ! タクトから離れろよ! お前のせいで、タ、タクトの……おち、おち……」

 落ち着いて!

「そうですよ! 花鶴さんがセンパイのこ、股間に……その……顔を」

 皆まで言うな。

「は? あーし、なんか悪い事したん?」

 やっとのことで起き上がる花鶴。

 だが彼女の言い分も確かに一理ある。

 もちろん、俺の生理現象もだ。

 

「そ、それは……ここあがタクトのおち……おち…」

 だから落ち着けよ、ミハイル。

「花鶴さんがセンパイにくっついたから、センパイが興奮しちゃったんです!」

 してないから、一ミリもしてません。断言します。

 あるとするのなら微乳のあなたの方に武があります。

 

「えぇ、あーしが悪いん? オタッキーのこれはフツーのことっしょ」

 なぜバカでビッチな彼女に養護されているのでしょうか?

 常識を持ち合わせているなんて予想外です。

 

「ふ、フツー!?」

 目を見開いて絶句するミハイルさん。

「普通なわけないでしょ!」

 解釈を間違ってますよ、ひなたちゃん。

「え? うちのパパも毎朝こんなんだよ?」

 聞きたくない人の親のことなんて……。

「「ウソだ!」」

 絶対に認めたくない彼と彼女。

 

「おう! お前ら早いな!」

 そこへ現れたのは宗像先生。

「あ、宗像センセー! タクトのお股がこんなんになってんの、普通なんすか?」

 人を標本にしないで。

「絶対に違いますよね? 花鶴さんに興奮したからですよね?」

 急に始まっちゃったよ、保健体育の授業。

 

 しばらくの沈黙の後、宗像先生はこう言った。

「なんだ、健康な男子の証拠だな。これは秘剣、朝の太刀というやつだ。朝太刀ともいうな」

「「……」」

 黙り込むお二人さん。

 

 それより、そろそろ膀胱が決壊しそうなので、トイレに行かせてください……。



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107 みんなで帰れば怖くない

 どうにかミハイルとひなたの目を盗んで用を済ました。

 

 トイレから戻ってくると食堂に寝ていた生徒たちがぼちぼち起き出す。

 皆、足腰をさすりながら、起き上がる。

 まああんな薄いマットで一夜を過ごせばな……。

 

 食堂の時計の針を見れば、まだ朝の6時前だ。

 

 俺が戻ってくるのを待っていたかのように、宗像先生が慌てて駆けてくる。

「新宮、ちょうどいいとこに来たな! こいつら早く食堂から連れ出してくれ!」

 必死の形相で言う。

「え、なんですっか? まだゆっくりしても……」

「バカモン! もう少ししたら三ツ橋の校長が出勤してくるんだよ!」

 なにを思ったのか、俺の両肩を掴むと力強く揺さぶる。

 首がすわってなかったら、折れそう。

「それが何の問題なんですか?」

「怒られるだろ! あの校長、超めんどくさいんだよ! 特に一ツ橋のスクリーング後はタバコの吸い殻がないか、荒さがしするんだよ、アイツ!」

 校長をアイツ呼ばわりとか。それに喫煙を公認してんのはあんただろ。

 俺はタバコ吸ってないし、昨日のことはお前が招いた失態だ。

 

「とりあえず、三ツ橋の校長先生に見つかる前に帰れってことですか?」

 ゴミを見るかのような目で呆れる俺。

「そ、そうだ! 新宮は新入生の中でリーダー的存在だろ? さ、帰れ帰れ」

 こんのクソ教師が。

「わかりましたよ……」

 俺は渋々、宗像先生の要請を受領する。

「よ、よし! さすが我が校の生徒だな!」

 もう生徒じゃありません。退学したいので。

 

 宗像先生はまだ寝ていた生徒も無慈悲に蹴り起こす。

「こら! お前らさっさと起きろ! そして出ていけ!」

 自分で勝手に寝かせておいて、酷い扱いだ。

 

「えぇ? まだ早いじゃないっすか?」

 千鳥 力がスキンヘッドの頭をボリボリかく。

「やかましい! 昨日の出席を欠席扱いにするぞ、コノヤロー!」

 恐喝じゃん。

「ひでぇな、先生……」

 

 宗像先生は用なしと見なすと一ツ橋の生徒たちを食堂から文字通り叩きだした。

 食堂前の駐車場にみんな集まった。

「いいか、三ツ橋の教師にバレないようにコソコソ帰るんだぞ? 物音を立てず決して声は出すなよ?」

 まるで俺たちは不法侵入者のようだ。

「私、三ツ橋の生徒なんですけど?」 

 イレギュラーが一人いた。

 全日制コースの赤坂 ひなただ。

 

 未だに昨日の体操服姿のまま。これはこれで発見されたらまずいのでは?

 ひなたを見てうろたえる宗像先生。

「う! お前は『あらやだ、私ったら教室で寝ちゃった♪』ってことにしとけ」

 酷い言い訳だ。

「ええ……家に帰っちゃダメなんですか? お風呂にも入ってないし……」

「バカモン! 手洗い場かトイレで洗っちまえ! 石鹸も無料であるし」

 ホームレスじゃん。

「そんな! トリートメントとかしないと髪、痛みますよ?」

 女子特有の悩みですね。

「トリートメントだぁ? 上品ぶってんじゃねーぞ、ガキのくせして! 来い、私が隅からすみまで洗ってやらぁ!」

 導火線に火がついたようで、ひなたの頭をおもちゃのように片手で掴むと校舎へ連れ込む。

「いやぁ! 新宮センパイと一緒に帰りたい~!」

 宙で足をバタバタさせる。

「やかましい! 学生は学校の石鹸で充分だ!」

 酷い校則だ、この時ばかりは通信制で良かったと思えた。

「センパイ~ 助けて~!」

 涙目で俺に助けを呼ぶひなた。だが、俺も早く帰りたい。

 

「悪いな、ひなた。ブルマのまま授業を受けてくれ」

「センパイのいじわる! 薄情者!」

 なんとでも言うがいい。

 俺は彼女に背を向けた。

 

「さ、帰るか。ミハイル」

「そだな、一緒に帰ろうぜ☆」

 ミハイルってどんなときも落ち着いて対処できるよな。

 感心します。

 

 俺たちは宗像先生から言われたように、三ツ橋の関係者にバレないよう、正門からではなく裏門からコソコソ帰っていった。

 

 なんやかんやで初めてのお泊り。というか未成年拉致事案だと思うのだが。

 第一回一ツ橋高校、歓迎会及び合宿は終了した。

 

 

    ※

 

 最寄りの駅、赤井駅にぞろぞろと一ツ橋の生徒たちが集まる。

 これはこれでかなり悪目立ちしている。

 田舎の駅に朝早くから若者が集合しているからな。

 謎の集団と思われているだろう。

 

 駅のホームにミハイルと仲良く並ぶ。

「楽しかったな☆ パーティとお泊り会☆」

「そうか? 宗像先生が一人でパーリィしてただけだろ……」

 早くクビになんないかな、あのバカ教師。

 

「お二人さん♪ 私も混ぜてよ」

 振り返ると後ろにはナチュラルボブの眼鏡女子、北神 ほのかが立っていた。

 すっかり酒も抜けているようで、血色もよい。

「ほのかか。二日酔いとかないか?」

「うん、あれぐらい徹夜の同人制作に比べたら問題ないっす!」

 親指立てて笑顔で答える。

「そうか、よかったな……」

 そうこうしているうちに電車が到着。

 

 三人で同じ車両に並んで座った。

 朝早いこともあって、車内はガラガラ。

「ところで琢人くん、明日何時に待ち合わせする?」

「え? なんのことだ?」

「何って取材でしょ。コミケだよ」

 ファッ!?

 忘れてた……変態女先生に取材と言う名の拷問を強要されていたんだ。

 

 それを隣りで聞いて黙っているミハイルくんではない。

「なんだよ、それ! タクトはアンナと取材するんだぞ!」

 拳を作って、怒りで震えている。

「ええ? 私が先約だよぉ。ねぇ琢人くん?」

 俺に振るなよ。

「そうなのか!? タクト、アンナがいるのにほのかとデートすんのかよ!」

 ギロッと俺を睨みつける。

「ま、待てミハイル。ほのかとはデートじゃない。あいつの趣味に付き合ってるだけだよ」

「趣味ってなんだよ!」

 朝からBLの説明はしんどいです。

 

「なんだ、ミハイルくんも私の同人活動に興味あるの?」

 目を輝かせる腐女子。

「え? 興味っていうか……そのタクトがやることなら知りたい…かな?」

 頬を赤く染めるヤンキー。

 だが、お前が知りたいのものは恥じるものではない。

 全力で逃げるべきものだ。

 興味本位で立ち入るな、死ぬぞ。

 

「フフッ、ミハイルくんも私の『国境なき同人活動』に参加したいのね!」

 眼鏡が怪しく光る。

「ほ、ほのか? なんか怖いよ?」

 伝説のヤンキーも腐女子の変態オーラには勝てないようだ。

「なら、3人で行きましょ! コミケに!」

「こ、こみけ? なにそれ?」

 ほらぁ、この子はピュアなんだからやめてくれる?

 うちの子はまだ汚れてないのよ、どっかほかでやってくれないかしら。

 

「大丈夫、私に任せて。幼稚園のころからコミケに出入りしてるからね」

 ヤバいよ、この人イッちゃってるんですけど。

「ふーん、小さな子でも気軽に遊びにいけるところなんだ……」

 ダメだって! それ幼児虐待!

「そうそう、なんだったら妊婦さんにもオススメ!」

 酷い胎教だ。

「じゃあ遊園地みたいなところ?」

 首をかしげるミハイル。

「いい例えだね。そうだよ、ミハイルくん。君も行けばわかるよ。コミケの素晴らしさが!」

 頭痛い。

「タクト、もちろんオレも行っていいよな☆」

 テンション高いな。

 どうしたものか……。

「止めてもついてくるんだろ? 俺は構わんよ、正しヴィッキーちゃんに許可をもらえ」

 あのねーちゃんがコミケの存在を知っているとは思えんが。

「わかった! 帰ったらねーちゃんに頼むよ!」

「フッ、これでまた一人、落ちたか……」

 なに格好つけてるんだ。この変態が。

 

 しばらく電車に揺られてその後もほのかとミハイルは雑談で盛り上がっていた。

 というか、ほのかが一方的にコミケの知識をひけらかしてるだけだが。

 

 ズボンのポケットに入っていたスマホが振動する。

 メールが一件。

 宗像先生と学校に残った赤坂 ひなただった。

 

『センパイ、酷いじゃないですか! トイレで全身洗われましたよ!』

 草。マジでやられたんだ。

 さらにもう一件。

『罪滅ぼししてください! 明後日、一緒に博多どんたくに行きますよ! 取材です!』

 ええ……ゴールデンウィークなのに俺には休みがないんですか?



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第十五章 夢のアトラクション
108 ようこそ!夢の国へ!


 地獄のようなスクリーングはなんとか終わりを迎えた。

 

 翌日、俺は朝刊配達を終えると家族を起さないように静かーに食事を済ませ、支度を終える。

 なぜならば、奴らに気づかれる危険性があるからだ。

 階段を足音立てずに玄関までたどり着けた。

 スニーカーに足を入れ、紐を結ぼうとしたその時だった。

 背後に人影を感じる。

 

「タクくん? こんな朝からどこへ行くの?」

 振り返るとそこには、裸の男たちが絡み合っているBLパジャマを着た母さん、琴音が立っていた。

「え……ちょっと、友達と遊びに」

「タクくんがゴールデンウィークにお友達と? 何か隠してない? そうねぇ、例えば同人とか」

 眼鏡をかけなおして、微笑を浮かべる。

 こ、こえぇ。

 

「嫌だな、母さんったら。俺は博多ドームで野球観戦するだけだよ」

「タクくんって野球に興味あったかしら? それに今日は博多ドームは違うイベントがあるみたいねぇ」

 スマホを取り出し、何やら検索しだす。

「あらあら、今日はコミケの日じゃない~♪ 母さんも行こうかしら?」

 ヤバイ! この人とだけは行きたくない。

「か、母さん。お店があるだろ? 予約ドタキャンしたらダメじゃないか」

「ええ、そんなのお客さんも一緒に連れていけばいいじゃない?」

 そうだった、俺の育った真島はこのゴッドマザーによって腐りきってしまったのだった……。

 

「と、とにかく! 俺は仕事で行くんだよ! だから母さんとは行けないよ」

「なにその天職? ひょっとしてタクくんたらBL作家に転向したの?」

 そんな仕事、こっちからごめんだ!

「違うよ……ミハイルとそれから、前に話した変態女先生と取材に行くんだ」

「なんですって! あのBL界隈で期待のエース、変態女様と現地調達するわけね! それなら母さんんは邪魔になるわ……いってきなさい! そして変態女先生のお力になるのよ!」

 急に態度が変わりやがった。

「あ、そうそう。今日のコミケに母さんの推しているサークルも出展するのよ。お金あげるから買ってきてちょうだい。保存用、閲覧用、配布用に50部ほど」

 と言って、諭吉さんを3人ももらえた。

「わかった……善処するよ」

 

 俺はリュックサックを背負って、家を出た。

 50冊持って帰るとかしんどいな。

 

    ※

 

 朝早くだというのに、ゴールデンウィークという時期も重なってか、電車の中は人混みでいっぱい。

 博多駅に降りてもたくさんの人で溢れかえっていた。

 事前に待ち合わせ場所はミハイルとほのかの三人で決めていた。

 『黒田節の像』の前。

 

「おーい、タクト☆」

 両手を振って、元気いっぱいなミハイルきゅん。

 相も変わらず露出度の高い服装だ。

 可愛らしいネッキーがデカデカとプリントされたチビTとショーパン。

 珍しくキャップ帽を被っていた。

 ネッキーの耳つきね。

 今からどこに行くのかわかってんの、こいつ?

 

「おう、ほのかはまだか?」

「そだな☆ オレが一番乗りだぞ☆ 朝の5時半から待っていたからな」

 ない胸をはるな! そして怖いわ!

「またそんな早くから……ヴィッキーちゃんにはなんて言ってきたんだ?」

「え? ねーちゃんには遊園地みたいなところって伝えといたけど」

 お前が今から行くところは地獄だよ。

 片道きっぷだけのな。

 

「ミハイル、今から行く場所なんだけどな。ビニール袋を常に携帯しておけ」

「ん、どうして?」

「吐き気を感じることも多々あるだろう」

 酒池肉林だからな。

「ふーん。絶叫系てことかな?」

 ある意味、スクリームだよ。

「わかった☆ タクトがそう言うなら気を付けるよ」

 十二分に気を付けてください。

 

 しばらく、俺とミハイルが雑談していると、北神 ほのかが現れた。

 汗だくになって、ドデカいキャリーバッグを二つも転がしていた。

「お、お待たせ! 戦闘準備、完了であります!」

 普段通りのJK制服を着ているのだが、なぜか額にはハチマキが。

『BL・百合・エロゲー募集中!』

 と書いてある。

 力寄らないでください。変態がうつりそう。

 

「おはよう☆ ほのか、今日の遊園地はどこなの?」

 屈託のない笑顔で問いかける少年。

「フフッ、よくぞ聞いてくれました。ミハイルくん! 遊園地は博多ドームよ! 今日だけのね」

 あの、もう遊園地って表現するのやめません?

 うちのミハイルくん、ピュアなんで、汚さないでください。

「おお! 一日だけの遊園地とかすごいな☆」

 ほら見ろよ、勘違いしてテンション爆上げじゃん。

「ええ、年に4回はあるから、ミハイルくんも今日で慣れてね」

 慣れるな!

「うん、頑張る☆」

 頑張っちゃダメだよ。

「さ、行きましょう! 博多ドームへ!」

「えいえいおー☆」

「おぉ……」

 オーノー!

 

   ※

 

 博多駅の隣りにあるバスセンターから百道(ももち)行きのバスに乗る。

 車内の中をよく見ると、ほぼというか全員オタク。

 痛Tシャツを着る猛者や既にコスプレをしている女子まで。

 こいつら、全員コミケ目的か。

 地獄へのバスだな……。

 バスで揺られること30分ほど。

 

 ドーム近くの百道浜(ももちはま)のバス停に到着した瞬間だった。

 

「おらぁ! ドケやぁ!」

「わしが先じゃボケェ!」

「どかんとぶち殺すぞ、ゴラァ!」

 注意:全員女性の方です。

 

 奥から婦女子の皆さんが無理やり前の乗客を押し出す。

 俺たちは文字通り、バスから叩きだされた。

 料金も払えずに……。

「あっ、ちょっと俺、払ってないんすけど」

 そう言いかけたがバス内は怒号で荒れていた。

 俺が必死に金と切符を空にかかげる。

 それに気がついた運転手がマイクでこういった。

「あんちゃん、今日はもういいよ。帰りのバスの運転手に渡しておいてや。今日はダメや……」

 首を横に振る中年のおじさん。

 かわいそう。

 

「で、でも……」

 俺が戸惑っているのを静止したのは北神 ほのかの手だった。

 肩にポンポンと優しくたたく。

「琢人くん、察してあげなさい。今日はお祭りなんだから……」

 無駄に優しい顔で微笑まれたんすけど。

 女じゃなかったら、ブン殴りたい。

 

「わ、わかったよ……じゃあ帰りの運転手さんに事情を伝えて払っておこう」

「そうそう、そんなことより会場までダッシュだぜ!」

 親指を立ててウインクする変態女先生。

「遊園地なのにお祭り……?」

 未だにイベントの内容を把握されておられないミハイル氏。

「ミハイルくん、私についてきて! 博多ドームまでかけっこよ!」

 ほのかはそう言うと重たそうなキャリーバッグをガラガラと音を立てて走り出した。

 火事場のクソ力である。

 いや、変態パワーか。

「あ、ほのか。ちょっと置いてかないでよ」

 ミハイルは何が起こっているのか、わからずにいる。

 あたふたして、ほのかのあとを急いで追っかける。

「はぁ…急ぐ必要性あるか?」

 二人からはぐれないように俺も走った。

 

「ほっ、ほっ、ほっ!」

 帰ってくる、オタクと腐女子たちが福岡に帰ってくる!

 がんばれ同人界!

 

 博多ドームの地下駐車場に皆集まっていた。

 大きな看板が立っていた。

『第41回 めんたいコミケ』

 俺はこのコミケに何度も来たことがある。

 嫌って言うほど叩きこまれていた。

 まだ右も左もわからないうちに真島のゴッドマザーから英才教育を受けていたのだから。

 

 入場料を払い終えると、長蛇の列が待っていた。

 開館するまでまだ2時間もあるというのに、もう何千人という人だかり。

「すっげーな、こんなに人が集まるなんて……どんなアトラクションが待っているの? ほのか」

 目をキラキラと輝かせる無垢な少年。

「それはもう血湧き肉躍るパーリーだぜ!」

 なぜか両腕組んで仁王立ちするほのか。

「だろ、DO先生よ!?」

 俺に振るな。

 

「まあ界隈の人間からしたら、そんなもんかな」

 正直どうでもいい。

「一狩り行こうぜ!」

 お前だけ戦場に行って死んで来い。

「ワクワクしてきたよ、タクト☆」

 かわいそうなミハイルくん……大丈夫、俺が守ってやっからよ。



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109 煩悩の世界

「ええ、あと3分後にを開場しまーす」

 メガホンを持った若い男性スタッフが、大きな声で叫ぶと歓声がわく。

 

「ヒャッハー! ショタ狩りじゃあ!」

「ヒョォォォ! 今期の薄い本はたまらねぇぜ」

「てめーら、他の組の奴らに取られるんじゃねーぞ! タマ獲る覚悟で行けや!」

 注意:全員女性の方です。

 

 

「な、なにが始まるんだ? タクト……」

 ヤンキーでもこの狂乱を見れば、後退りしてしまうのだな。

「ふむ、これは彼女たちの戦争だからな」

 間違いではない。

「戦うの? 激しいアトラクションなんだな……」

 顔面真っ青で辺りの女性陣にドン引きするミハイル。

 

「フッフフ……ハッハハハハ! 時は来た!」

 股を広げて、両手を宙にかかげる北神 ほのか。

「おめぇら、死ぬんじゃねーぞ」

 眼鏡をかけなおし、ドヤ顔で拳をつくる。

 どうぞ、あなただけで死んできてください。

 

 アナウンスがかかる。

『ただいまより、第41回めんたいコミケを開始します。どうか慌てずに入場してくださ……』

 

 だが、そんな注意を気にするハンターは誰もいない。

 

「グオオオオオ!」

「ガルルルルル!」

「ワンワンワン!」

 注意:人間です。

 

 北神 ほのかも例外ではない。

「キシャアアアア!」

 ビーストモードに変身されたようです。

 

「タクト、怖いよ。周りの女の子たち、病気なの?」

 永遠に治らない不治の病なので、そっとしてあげておいてください。

 彼女たちには認知療法も有効ではないのです。

 今、現在症状を緩和したり、ワクチンなどないに等しいのです。

 

「まあ俺にしがみついとけ。ここは修羅場と化す」

「え……」

 絶句するミハイル。

「辺りをよく見てみろ。彼ら彼女たちは普段は大人しいが、一たび同人界に現れると皆バケモノと化す。そう、ここは戦場なのだよ。オタクにとってな」

 俺に言われてミハイルは周りの紳士や淑女を眺める。

 皆、目が血走り、息が荒い。

 手負いの獣のように。

 

「なんか怖い……みんな病院行かなくてもいいの?」

 俺の左腕にしがみつき、身体をブルブル震わせる。

「もう手遅れさ。ここが奴らにとっての一番の治療方法だ」

 

 前列から奇声と共に、人波がドバァッと流れ出す。

 もちろん俺たちが前に進もうとするが、その前に後列の人たちが無理やり押し出す。

 

「止まってんじゃねーぞ! ゴラァ!」

「早く行けよ、バカヤロー!」

「チンタラしてんじゃねー、ぶち殺すぞ!」

 注意:全員女性です。

 

「ご、ごめんなさい……」

 謝る伝説のヤンキー『金色のミハイル』

「ミハイル、謝るぐらい暇があったら早く進め。それがここのマナーだ」

「う、うん」

 健気にも俺の指示に従うミハイル。

 そうだ、ミハイルは俺が守る。

 命に代えても。

 

「どけどけ! ワシの邪魔する奴は許さんのじゃあ!」

 白目をむきながら、口から泡を吹きだす北神 ほのか。

 新種の危険ドラッグでも使用されてません?

 

    ※

 

 会場内に入るとあっという間にオタクや腐女子たちがドーム内の各ブースに散らばる。

 お目当てのサークルや人気アニメコーナーに走り出す。

 全員、手には複数の野口英世を手に握りしめている。

 

 北神 ほのかも俺たちを残して、一人で勝手に狩りをはじめだした。

 

 博多ドーム、本来は野球を主に利用される施設だ。

 だから球場の中は客とサークルで埋め尽くされているが、観客席は誰もいない。

 この混乱の戦場に初心者のミハイルを連れていくのは至難の業だ。

 少しほとぼりが冷めるまで待とう。

 

「なあミハイル、お前買うものか決めているのか?」

「え? 今日は遊園地で遊ぶんでしょ」

 まだ騙されていたのか。

「いいか、このアトラクションは健全なものではない。よって幼い子供が気軽に近づいてところじゃないんだ」

 言うて俺も赤ん坊の頃からおんぶされて来ていたんだけどね。

 

「そうなの? 危険なの?」

「当たり前だ、ちゃんと資格を持った人だけが許される。甲乙丙(こうおつへい)、全ての危険物を取り扱いできる人だけだ」

「そっかぁ……すごいんだな、コミケの人たちって!」

 いや感動しちゃダメでしょ。

「まあとりあえず、買うものは決まっているわけでもあるまい。しばらく俺たちは観客席で休もう」

「やったぁ! オレ、博多ドームに来たの初めてなんだ☆」

 ヤダ、泣けてきたわ……こんなところに純情な少年を連れてきてしまった自分が愚かであることに。

 

 俺たちはオタクや腐女子たちとは逆行して、観客席の方へ進む。

 その際、近くにいたスタッフから今日の参加サークルやイベントが記されたマップやスケジュールをもらった。

 今日は野球もライブもない。内野席も取り放題だ。 

 誰もいない席に二人して仲良く座る。

 

 

「なあ、なんであの人たちってあんなに必死なの? なにを買っているの?」

 ナニかを買っているんだよ。言わせるなよ、恥ずかしい。

「ミハイルは知らなくていいと思うぞ。ま、しばらくすれば人は減る」

 俺はあほらしいとドームの上を見上げた。

 博多ドームは開閉式の屋根だ。だが、普段は閉まっている。

 天候がいい時や地元の球団『南海(なんかい)ホークス』が勝利したときは青空やたくさんの星が拝めるのだが。

 コミケの時はどこか空気がどんよりしている。

 というかむさ苦しい。

 

「タクト、さっきのマップ見せて☆」

「おお、ほれ」

 ミハイルは目をキラキラ輝かせて、マップを見る。

「うーん、ギャルパン? 俺ギャイル? キメセク? なんのことだろう……」

 作品自体は興味を持っていいが、ここのは二次なんで聞かないであげておいてください。

 

「あっ、見て見て、タクト!」

「どうした?」

「これ、オレの大好きな『ボリキュア』がある!」

 ミハイルが指差したマップの中には確かにその名があった。

「ああ、それな……」

 どう説明したもんか。

 

「抱き枕が売っているんだって☆」

 急にテンションあがったな。

 だが、お前の知っているボリキュアではないと思う。

「ミハイル、あんまり期待するな……公式が売っているわけではないんだよ」

 というかお前、抱き枕で寝たいの? ガチオタじゃん。

「そうなの? ボリキュアストアが出展してるんじゃないの?」

 首をかしげるミハイル。

「公式が出展できるわけないだろ。社内問題だし著作権侵害だよ」

「ふーん、じゃあファンの人が好きで作ってんの?」

「そう言うことだ。ここは無法地帯、一歩でも足を踏み外してみろ、作品にトラウマができちゃうぞ」

 ソースは俺。

 というか、かーちゃん。

 

「よくわかんないな。でも、ボリキュアなら見てみたい!」

 ヤバい、連れてくるんじゃなかった……。

「ま、まあいいんじゃないか? 実際の商品が見本として飾られていると思うからあとで行ってみるか」

「うん、いこいこ☆」

 しーらないっと。

 

 

 ミハイルの熱意に負けてしまい、俺たちはボリキュアのブースに行くことにした。

 マップに載っていたサークルを見つけると、既に長蛇の列。

 

「すごいな! さすがボリキュアだよ、タクト☆」

 いや、真のボリキュアファンなら公式で買えよ。

 ミハイルは何も知らず、紳士たちの後ろに並ぶ。

 

 俺はしれっと前の方に飾ってあった抱き枕を覗いてみる。

 やはり不安が的中した。

 

 ボリキュアのラブリーな戦士たちがぐっしょぐっしょに濡れており、衣装が破れていた。

 18禁か……ミハイルにはハードルが高すぎる。

 

 どうしたものか、俺が頭を抱えて悩んでいるその時だった。

 

「すいませーん。ただいまで売り切れになりました! ありがとうございます! ネットでも販売してますので!」

 良かったぁ、なくなって。

 

「ええ! 売り切れちゃったよぉ、タクトぉ」

 唇をとんがらせるミハイル。

「そう落ち込むな、今度ボリキュアストアに連れてってやるから」

「ホント!? なら許す☆」

 許されてよかった……。

 

 在庫がなくなったことを知って、ため息や舌打ちをする紳士たち。

 皆、肩を落として散らばる。

 その中に見慣れた姿が……。

 

「あ、トマトさん」

 そう俺の小説のイラストを担当している絵師、トマトさん(25歳、童貞)

「げっ! DO先生! なんでこんなところに!?」

 こういう時なんて答えを返したら良いのでしょうか。

「ボリキュア、好きだったんすね……」

 汚物を見るように見下す。

「こ、これはイラストの勉強のためにですね…」

 抱き枕で?



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110 ブヒブヒブヒ、ブヒィーーー!

「トマトさん……ボリキュア、残念でしたね」

 俺は言葉に詰まっていた。

 普段、トマトさんが描くイラストは硬派な男キャラが多く、女の子キャラや女性キャラを不得意とする絵師さんだ。

 勝手なイメージだが、彼はアクションものの作品とか好きそうと思っていたのに。

 まさかゴリゴリのロリコンだったとは。

 別に差別しているわけではないが、見ちゃいけないものを見た気がした。

 

 

「あ、いや違うんだよ? DO先生、抱き枕は…そう! 今度の先生のイラストのために」

 おいおい、裸体を描く気だったの?

「へぇ……」

 苦笑いで答える。

「ところで、DO先生は何しにきたの?」

 こいつ、絶対矛先を変えるために話題を変えているな。

 

「俺は……なんと言ったらいいか、ま、取材ですよ」

 奇しくもトマトさんと同じ理由じゃん。

「コミケに取材!? それ必要あります?」

 至極当然なリアクションであった。

「ま、まあ今は他のサークル漁っていると思うんですけど、腐女子のJKに強引に連れてこられたのが本音ですよ」

「じぇ、じぇ、じぇ……JK!?」

 そこだけ食いつきすごいな。

 はい、お巡りさんここです。

 

「おい、タクト! オレを忘れるなよ!」

 隣りを見下ろすと腰に両手をやって、頬を膨らますミハイル。

「ああ、そうだったな。こいつ、ミハイルっていうんです。高校の同級生で」

 俺が紹介するとミハイルは絶壁の胸を張る。

「ふふん、オレがタクトのダチだぞ! この世で一人だけのな☆」

 なにを勝手にアピールしてやがるんだ、こいつ。

 それに俺のダチはまだ一人と決まってないんだからね!

「なるほど、ミハイルくんですね。僕はフリーのイラストレーターのトマトです。DO先生の表紙や挿絵を担当してます」

 笑顔がとても眩しい。

 しかし、それよりも額に巻いているバンダナの方が気になる。

 2頭身の萌えキャラがパンチラ全開なんだもの。

 

「DO先生のお友達とは珍しい」

「だろ☆」

 あの、トマトさんも俺のことそんな可哀そうな人間だって思ってたんですか?

 それからミハイル、お前は敬語を使え。

 彼は豚だが年上だ!

 

「ところでミハイルくんは今期アニメで何が推しですか?」

「え? こんき? 結婚のこと?」

 それ婚期だから。

 俺がすかさず説明を入れてあげる。

「今放送しているアニメで好きなものはないか? とトマトさんは言いたいんだよ」

「うーん、オレはデブリとネッキーが一番好き☆」

 そこの企業、二次創作したら訴えられません?

「ほほう、ミハイルくんはいいセンスしてますねぇ。僕ので良かったら今度薄い本お貸しましょうか?」

 え!? マジであるの?

「うすい本? なんのこと…」

 首をかしげるミハイル。

 その辺で勘弁してあげてください、この子まだコミケ処女なんで。

「同人誌のことですよ。ミハイルくんはコミケ初めてですか?」

「うん、なんか楽しいってほのかが言ってたからついてきた☆」

 満面の笑みで答えるミハイル。

 何も知らないっていいですねぇ。彼の笑顔が太陽に見えます。

 このむせ返るような18禁コーナーでは。

 

「ほほう、ならば僕で良ければ、コミケを紹介しましょうか?」

 トマトさんの眼鏡が怪しく光る。

 こ、こいつ、布教する気だな。

 危険を察知した俺はすかさず止めに入る。

 ミハイルの操はこの琢人くんしか守れないのだから!

 

「い、いえ、ミハイルは俺が案内するので、でーじょぶです!」

「そうですか……それは残念。ミハイルくんとは同志になれそうな気がするのですが……」

 うちの子はあんたとは違うのよ、この萌え豚が!

「では、僕はそろそろ他のサークルに向かいますね」

 そう言って背を向ける汗だくのおデブ紳士。

 既にTシャツはびっちょびっちょでピンクの乳首が丸見え。

 相変わらずの破壊力だ。

 

 その場を去ろうとしたその時だった。

 何かを思い出したかのように振り返る。

「あ、そうそう。ミハイルくん、今度会える時があったら、ネッキーとネニーのNTR本貸してあげますよ♪」

 親指を立てる変態絵師。

 一生家から持ち出すんなよ、そんな危険な本。

「ネトラレ? なんかわかんないけど、ありがとう☆」

 お礼しなくていいのよ、ミハイルちゃん。

 トマトさんは背を向けたまま、「同人界に幸あれ」と手を振って去る。

 

「おもしろいヤツだな、トマトって」

 だから、あれでも年上だからね? 見たらわかるじゃん。おっさんだもん。

 一応、敬ってあげてね……。

「ま、まあな。ところでボリキュア以外で好きな作品はないのか? もちろん、デブリとネッキー系以外でだ」

 彼の夢を壊してはいけないので。

「うーん、そうだなぁ。たまにレンタルで『セーラ美少女戦士』とか観るぐらいかな」

 それ、めっちゃありそう。1990年代ぐらいから。

 ていうか、ボリキュアとあんま変わらないジャンルでしょ?

 18禁の臭いがプンプンするので、却下で。

 

「それはやめておこう。1次創作もあるかもしれん。ちょっとブラブラしてみるか?」

「うん☆」

 

 俺はなるだけミハイルを18禁コーナーから遠ざけるようにコミケを案内した。

 

 

 アクセサリーコーナーや手作りのぬいぐるみなどを見てまわった。

「うわぁ、カワイイ☆ このネコちゃん!」

 ミハイルが手に取ったのは大きなぬいぐるみ。

「ほう、コミケにもこんな健全な商品があったんだな……」

 いつも母さんと妹のかなでに淫らなコーナーにばかり連れていかれたからな。

 

「可愛いでしょ? それ大きくて中々売れないのよね」

 売り子のお姉さんが苦笑いする。

「ええ? こんなにカワイイのに!?」

 いや、そんなもんでしょ。

 言うて素人が作ったもんだし。

「小さいのはキーホルダーとして売れたけど、大きすぎたみたい。もし引き取ってもらえるなら安くしておくよ?」

 出たよ、そう言って在庫処分する気だな。

「いくらっすか?」

「1万円するところを半額の5千円にしてあげるよ♪」

 元値が高すぎだろ。

「ええ、そんなに安くしてくれるの!? 買う、買います!」

 慌てて財布を取り出すミハイル。

 別に今更なのだが、財布も可愛らしいもので、スタジオデブリの『ドドロ』のがま口財布。

 

 というか、騙されているのに気がついてない。

 売り子のお姉さんは「占めた!」という感じで拳を小さく作って勝利を確信する。

 笑いをこらえているようだ。

 あくどいやっちゃ。

 

 そして、ミハイルは野口英世さんを5人差し出すと、バカでかい猫のぬいぐるみを抱きかかえる。

「カワイイ~ 今日からオレの家族だぞ~」

 モフモフを楽しんでらっしゃる。

 まあ健全なものだし、これで良かったのかもな。

 

 

「ところでタクトはなんか買わないの?」

 あ、忘れてた。母さんに頼まれてたな。

「母さんに同人誌を頼まれてたな……」

 肝心のタイトルとサークル名を聞きそびれた。

 その時だった。

 アイドル声優のYUIKAちゃんの曲が流れる。

 俺の着信音だ。

 着信名は母さん。

 

「もしもし?」

『あ、よかったわ。タッくん、言い忘れたけど、サークル名は“ヤりたいならヤれば”で作品名は“今宵は多目的トイレで……”っていうのよ』

 相変わらず、母さんのチョイスは酷いものばかりだ。

「わかった……買ってくる」

『あ、そうそう。サークルの人に言っておいて。いつも“ツボッター”でリプしまくっている“ケツ穴裂子”ですって』

 誰だよ、そのふざけたアカウント名。

「りょ、了解」

 まったく、あの母親ときたら自分の性癖を息子におしつけるんだから、たちが悪い。



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111 目覚めたミハイル

 俺はミハイルを連れて、ついに禁忌の地へとたどり着いた。

 そう、18歳未満立ち入り禁止のBLコーナーだ。

 昔からこのブースは地獄門と呼んでいる。

 赤子の頃からくぐってきた修羅の道だ。この先は死ぬ覚悟をした者だけがくぐれる門だ。

 

「ミハイル、いいか。うかつに知らないサークルに近寄るなよ?」

 俺は左右に出店しているサークルのご婦人たちを指差す。

「え、なんで?」

 見てわからんのか……各ブースには裸体の男たちが絡み合っているポスターがデカデカと貼っているというのに。

 

「まあ俺から離れるな。絶対だぞ?」

「タクト……そんなにオレが心配なのか☆」

 笑顔で喜ぶミハイル。

 けど違うからね。

 俺はあくまでもあなたを守っているだけなの。

 

「よし、行くぞ!」

 生唾をゴックン。

 ここはいつ来てもピリッとした空気が流れる。

 だって、俺が男子だからね。

 100パーセント女子の中に男が二人。

 完全にアウェイ。

 

 目的のサークルまで何人もの腐女子に睨まれたり、クスクス笑われたりする。

 

 

「なんやあいつ……なめんとかぁ!」

「ワシらのシマに入っといて、ただじゃすまさんぞ、ゴラァ!」

「うふふ……隣りのハーフの子、使えそうじゃね? 写メっとこ♪」

 だから嫌だったんだ。

 

 

 鬼のような目をしたご婦人たちをかいくぐり、どうにか母さんの言っていたサークル“ヤりたいならヤれば”に着いた。

「こ、これは……」

 今まで見たブースの中で一番酷い。

 デカデカと看板が立てられており、『ようこそ! 抜いていってください!』とメッセージ。

 それに左右には等身大のフィギュアが飾られている。

 もちろん、裸体の美青年だ。

 しかもスピーカー装備で常に「あぁぁぁぁ!」「兄ぃさん!」「ぼく、もう我慢できないよぉ!」などというセリフが爆音で流されている。

 

「いらっしゃいませ! ゲイの方ですか?」

 30代ぐらいの大人の女性で、地味な格好だが、言葉は桁違いだ。

「違います、ノンケです」

「あらぁ、残念ですね♪ お似合いのお二人なのに」

 ニッコリ笑うが底知れぬ闇を感じる。

 ヤベェよ、サイコパスじゃん。

 

「え? オレとタクトがお似合い……」

 頬を赤く染めるミハイル。

 真に受けちゃダメですよ。

「ええ、とってもお似合いですわ。絡み合っている姿を想像すると久々に生モノへとまた手を出したくなりますわ」

「生モノ……?」

 危険、危険! それ以上はダメ!

 俺が助け舟を出す。

 

「すいません、“今宵は多目的トイレで……”っていう作品を50部ほどください」

 その発言に今までクールだったサークルの女性が慌てだす。

「ご、50部っ!? な、なぜそんなに……」

 気がつけば、他のサークルの女性陣も身を乗り出してざわつく。

 

 

「なんなの、あのガキ。まさかガチホモ?」

「ガチよ、絶対。教本として買う気ね!」

「この後二人でめちゃくちゃ……」

 やらねーよ、バカヤロー!

 

 

「いえ、俺は母さんに頼まれて買いに来たにすぎないんすよ」

 一応、言い訳しとかないと汚名を被ったままは嫌だからな。

「お母さん…? ひょっとして私のサークルのファンの方ですか?」

「そう言えば、ツボッターでいつもお世話になっているケツ穴裂子っていうバカです」

 言っていて自分で顔から火が出そうだ。

 クソみたいなアカウント名にしやがって。

 

「なんですって!? あの伝説の……ケツ穴さんが私なんかの同人誌をっ!?」

 驚きを隠せない腐女子。

 

 

 周りの女性たちも群がりだす。

「ウッソ! 界隈でケツ穴さんに目をつけられるとバズるっていう伝説の!」

「マジ? 裂子さんに宣伝されると書籍化率、100パーセントらしいね」

「つまり、あの子はサラブレッドね。BL界の王子よ」

 いらない、そんな称号。

 

 

「ちょ、ちょっとお待ちください! ただちにBL本を揃えますので!」

 席から立ち上がると、後ろにあるダンボールをガサゴソ探し出す。

「あの、急いでないんで。慌てなくても大丈夫ですよ?」

 一応声をかけたのだが、耳に入っていないようだ。

 

「ヤ、ヤバッ! ケツ穴さんに認められちゃったよ! あのBL四天王の一人に!」

 あんな気持ち悪い女性がまだ3人もいるんですか?

 しんどいです。

 

「タクト……これって」

 気がつくとミハイルはテーブルに置いてあったサンプル本を手に取っていた。

 いかん! 見てしまったのか!?

「ミハイル、すぐに元に戻せ。今なら引き返せる」

 思わず、声が震える。

 18禁のBL本をまじまじと見つめるミハイル。

 顔は赤いが真剣そのものだ。

 

「男同士なのに、なんで裸で抱き合っているの……」

 くっ! 守れなかった、ミハイルの操をっ!

「それはだな、あくまでもフィクションだからな? だから、もう読むのはやめておけ、なっ」

 俺が彼の肩をポンッと軽く叩いたが、ミハイルは気にも触れない。

 BL本に熱中しているヤンキー少年。

「なんか胸が…ドキドキしてきた……」

 ダメダメ、したらアカンて!

 

「あらぁ、そっちの彼は私の作品に興味がありますか?」

 ニヤニヤ笑う腐女子。

 両手には大量の薄い本。全部、俺が持って帰ることになるんだよね。

「え? 興味があるっていうか。なんか男同士なのになんでその…キ、キスとかしてんのかなって……」

 言いながら途中で恥ずかしくなったようで、サンプル本をテーブルに戻す。

「それは至極当たり前のことです。好きになった人がタマタマ同性だったのです。男だけにですね♪」

 うまくないから、ただの下ネタだから。

「そんなのおかしいよ! だって男は女しか好きにならないじゃん……」

 その話し方にはどこか悔し気に感じる。

 時折、俺をチラチラ見て。

 

「あらあら、見たところ、金髪のあなたは未成年ですよね? まだ本当の愛を知らないんですね」

 さっきまで生モノ発言していた人に言われたくない。

「じゃ、じゃあ……男同士がキスしたり…好きになってもいいの?」

 ミハイルは悲痛な叫びをあげる。

 やはり以前俺が彼に「男のお前とは恋愛関係にはなれない」と言ったことを気にしているのだろうか。

 

「いい、ボク。この世はすべてにおいて愛で包まれた世界なんですよ。そこに性別や人種、年齢。全て関係ありません。あなたが『スキ』になった気持ちがあるのなら、それは本物の愛です」

 おいおい、ここは同人誌の売り場だよね?

 痛々しいBLのポスターやフィギュアの前でなに語っているの? コイツ。

 怪しい宗教の勧誘みたい。

 ま、教祖っぽいよね。

 

「スキ…ホンモノ?」

 言葉を失って、腐女子のお姉さんの洗礼を受ける信者。

「そうです、BLの神は言っています。あなたが自然体であられることを……」

 どこどこ? その腐って生臭い神様、おっさん? おばさん?

「そっか……オレの知らない神様はそんなことを言っているんだ」

 鵜呑みにしちゃダメ。でたらめだよ。

「きっと、あなたも真実の愛に気がついたのでしょう。ならばこそ、この本をあなたに」

 と言って、目を覆いたくなるような薄い聖書が。

「いや、オレは……そんなつもりじゃなくて」

 腐女子のお姉さん、いや教祖は優しく微笑んでこういった。

 

「これも何かの縁です。ケツ穴裂子さんに在庫全部買ってもらえたので、そのサンプルはあなたに差し上げます」

 いや、俺の母さんのせいなの?

「あ、ありがとう……大事に勉強します」

 顔を赤くして薄い本を受け取るミハイル。

 勉強しなくていいから、君は早く一ツ橋のレポートをやりなさい。

 

「はい、良い心掛けですね。私の作品はネット上にもあるので是非チェックされてください。きっとあなたの愛に対する考えが変わるでしょう」

「うん。スマホで見てみるよ☆」

 知らね、もう俺は知らん。

 

「あ、ケツ穴さんによろしく言っておいてください。袋はサービスしておきますね♪」

 ドシンッとテーブルに出されたのは痛々しいBL紙袋が4つ。

 これ持って帰るの? しんどい。

 

「良かったな、タクト☆」

「うん……」

 俺の頭は真っ白になっちまった。

 燃え尽きた、殺されたのさ。腐女子の皆さんに。



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112 漫画なら持ち込みOK

 ミハイルはBL神によって洗礼されてしまい、神の子として生まれ変わったのである……。

「こ、これ帰ってねーちゃんにも見せていいかな?」

 なにやら嬉しそうに語る15歳。

 それ、言っとくけど成人指定食らってるから。

 見せたら捨てられるんじゃない?

 

「やめとけ。そう言うものはコソコソ見るもんだ」

 古来からベッドの下、机の引き出しの隙間、押し入れ、本棚にまぎらせる。

 などのテクニックがあるが、お母さんというバケモノにかかると掃除ついでに整理整頓されてしまう。

 

「そうなの? でもさっきの女の人は堂々と売っていたよ?」

「アレはもうこの世の理から外れた人外のものだ……俺らと一緒の目線で生きてない」

 人として終わっているんだ。

「ふーん。じゃあさ、ここで店を出している人ってお父さんとお母さんには伝えてないの?」

 ファッ!?

 それ、一番ダメなやつじゃん。

「あ、あのな……全部が“オトナの商品”ってわけじゃないが、両親に作品を見られるほど屈辱はないと思うぞ。特にコミケなんてもんは」

 ウェブ小説時代に母さんが必死にググって俺の作品にたどり着いた時は恐怖すら覚えた。

 

「でも、いいものは自慢して良いと思うけどな……」

 ミハイルは納得していないようで、不満げだ。

「その“良い”っていう表現が限定的すぎるんだよ。いくら素晴らしい作品でも人によっては楽しめないものだ。ミハイルにも好みってのがあるだろ?」

 俺がそう言うとミハイルは手のひらをポンと叩いた。

「そっか! タクトがブラックコーヒー好きだけど、オレは飲めないもんな。イチゴミルクとブラックコーヒーの違いみたいなもんか☆」

 レベルが段違いですよ。

 そんな健全なもので比較しないでください。

 ブラックコーヒーに謝って。

 

 BLコーナーを抜けて、俺とミハイルは「次どこに行こうか?」と相談していた。

 すると、背後から何やら「ハァハァ……」と荒い息遣いが聞こえた。

 振り返ると、すっかり忘れ去っていた腐女子の北神 ほのかが立っていた。

 大きな紙袋を6つも両肩にかけ、重そうなキャリーバッグを二つも握っていた。

 ちなみにキャリーバッグからポスターやらタペストリーがはみ出ている。

 顔色が悪く、真っ青だ。

 

「ビックリした……ほのかか。お前、大丈夫か?」

「ええ……狩りは終了したわ」

 その前にあなた死にそうだよ。

「だ、大丈夫? ほのか。またいつものビョーキ?」

 心配して優しく声をかけるミハイル。

 というか、BLが病気になってて草。

「だいじょうぶよ……ミハイルくん。いつものことだから…」

 毎回そこまで自分を追い詰めてまで、買ってるんですか?

 ちょっとバカじゃないですか。

「なんか、キツそうじゃん。オレ、水買ってくるよ!」

 そう言って、ミハイルは先ほど買った大きな猫のぬいぐるみを抱えて、去っていった。

 

 放っておけばいいのに、こんなアホ。

 

 

 ~10分後~

 

「プッハーーー! 生き返ったぁ!」

 ミハイルが持ってきたペットボトルを飲み干すとベコベコと握りつぶす。

「良かったぁ、ほのか。病気治った?」

 いや一生完治しないから。

「ええ、これで持ち直せたわ。さあ、今度は私のターンよ!」

 拳を作って立ち上がるほのか。

 

「おい、お前もコミケで出店するつもりなのか?」

「ううん、私は商業狙っているから!」

 無理だろ。

「しょーぎょう? 学校でも変えるの?」

 首をかしげるミハイル。

 それ高校ね。

「ミハイル、ほのかが狙っているのはプロ。つまり書籍化だな」

 俺が説明に入る。

「タクトみたいな作家さんになりたいってこと?」

「そうだな、俺はこう見えて既にプロ作家だからな」

 フッ、コミケに参加している奴らとは格が違うんだよ。

 俺が自慢げに語っていると、誰かがこう言った。

 

「明日は我が身ですよ……」

 

 な、なんだ!? この薄気味悪い声は……。

 幽霊か? コミケの落武者? 生霊?

 

 恐る恐るその声の主へと目を向ける。

 そこにはコミケにふさわしくない一人の幼女が立っていた。

 

 どうやらコスプレイヤーのようで、日本が誇る国営放送で絶大な人気を誇ったアニメ。

『手札キャプター、うめこ』のコスチュームを身に纏っていた。

 左手には大きなピンクのステッキを握っている。

 

 だが、一つだけ訂正がある。

 その生き物は幼女ではない、ロリババアが正確な表現だ。

 

「おい、アラサーがなにコス楽しんでだよ?」

 俺は笑いをこらえるのに必死だ。

「誰も好きでやっていませんよ!」

「怒った怒った。うめこのくせして、怒ってやんの」

 すかさず、スマホで写真撮っておいた。

「なに勝手に撮ってんすか!? ちゃんと許可とってくださいよ!」

 ブチギレる白金 日葵(アラサー)

 

 そこへ通りがかったオタクが白金に声をかける。

「あの、一枚いいですか?」

 さっきまでの怒りはどこに行ったのやら。

 白金はオタクに顔を向けると笑顔で答える。

「いいですよ~♪ ネットにあげるときは一番カワイイ写真にしてね♪」

 そして数枚撮り終えるとオタクは「あざーす」と去っていった。

 

「大変だな、コスプレイヤーも……」

 俺は汚物を見るかのような目でうめこちゃんを見つめる。

「だから違いますって! 仕事です!」

「わかってるよ、博多社の人間には黙っておいてやる」

「このクソウンコ小説家!」

 キンキン声が博多ドーム内に響き渡る。

 

「どうしたの、タクト? この子、迷子なの?」

 出た、お母さんモードのミハイルきゅん。

「誰が子供ですか!? ていうか、そんなに若く見えますぅ?」

 キレたくせに後半、嬉しそうじゃん。

「若いていうか、低身長で胸がぺちゃんこだから……かな」

 それただの悪口だよ、ミハイルママ。

「キーーーッ!」

 ほら、怒っちゃったよ。本当のことを言っちゃダメだぜ。

 

 

「ところで仕事ってなんだよ? もっとマシな言い訳しろよ」

「いや、本当に今日は仕事で来たんですよ!」

 と言って一枚のチラシを手渡す。

 俺とミハイルはそれに目を通す。

 

『急募! 望む、卑猥なBL! その煩悩を書籍化しないか?』

 とキャッチコピーと共に裸体の男たちが「アーーーッ!」している。

 

 それを見て俺は吐き気を感じた。

「なんだ……このヤバい代物は?」

「我が博多社にも創設されたんですよ、BL編集部がね」

「ウソ……だろ?」

 あの硬派な出版社がついに腐りだしたのか。

「本当ですよ。と言ってもまだ作家さんたちが少なくて、コミケでアマチュアの作家さんたちに声をかけているんです」

「なるほど……ヘッドハンティングか?」

 というか下層ハント?

「ま、波に乗るしかないでしょ。このBLウェーブに」

 そんな荒れきった津波知りません。

 

 そこへ不気味な笑い声が聞こえてくる。

 

「フッフフフ……待っていたこの時を」

 振り返ると、うつむいて笑みをうかべる北神 ほのかが。

 大きな茶封筒を手に。

 

「この、ビィーーーエル作家の変態女にお任せあれ!」

 なぜかジョ●ョ立ち。

 

 マジか、ついにコイツの作品がプロ編集に持ち込みするときがきたのか。

 あー、良かった。これで俺はもう変態女先生のネームチェックしなくていいんだよな。

 合格しろ、絶対にだ。

 

「ん? 持ち込みの方ですか?」

「ハイッ! ぜひ、わ、わ、私の作品みでぐだざぁいぃぃぃ」

 ゾンビみたい。

「ハイハイ、じゃあ奥のブースにお通ししますね」

 白金に案内されて、変態女先生は「ウヒウヒ」言いながら背を向ける。

 

「これで良かったんだ……。ミハイル、そろそろ帰るか?」

「え? でもほのかも一緒じゃないとかわいそうじゃん」

 クッ! 忘れていた。ミハイルが聖母だったことを。

「かわいそうじゃないぞ? ほのかは天国にいけるのだから」

 いろんな意味で。

 俺が悪だくみを企てようとしていたのが、ダダ洩れだったのか。

 白金が声をかけてきた。

 

「なにやっているんですか? DOセンセイもこの際ですから見学していってください」

「ハア!? お、俺はもうプロデビューしてるしっ!」

 言いながらも声が震える。

「今度のラブコメが売れなかったら、BL作家に転身しなくちゃいけないかもですよ? 勉強していってください。これは業務命令ですよ!」

 なにそれ、パワハラで訴えてもいいですか?

 

「よくわかんないけど、これも取材ってやつだろ☆」

 隣りを見るとそこには天使の笑顔が……。



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113 拝読させていただきます

 俺は無理やり、博多社のブースに連れていかれた。

 小規模だが企業として出展しているようだ。

 ラノベのポスターやアニメ化決定などの告知。

 宣伝も兼ねてのマンガ持ち込み企画らしい。

 

 パイプイスが並べられて、奥に一人の女性スタッフが机の前に座っていた。

 どうやらあの女性が原稿をチェックするらしい。

 俺とミハイル、それに変態女先生こと北神 ほのかの3人は白金 日葵に誘導されてイスに座る。

 博多社創設以来のBLマンガ雑誌が創刊されることもあって、かなりの人だかりだ。

 というか、全員女性の作家さん。

 

「なんで俺までここにいなきゃならないんだよ……」

 そう愚痴をこぼすと、そばで立っていた白金が言う。

「だってDOセンセイは取材しないとダメなタイプでしょ? 今後、マンガ家のキャラとか書くのに勉強しておいたほうがいいですよ。小説は持ち込みとかないですしね~」

 すいません、マンガ家だけ優遇するのやめてもらえます?

 同じ作家なんだから、小説も持ち込みOKにしてつかーさい。

 

「でも俺は原稿なんて持ってきてないぞ? そもそも絵心ないし、マンガ家目指してないし」

「DOセンセイは黙ってこの風景を目に焼き付けてください。それが小説家としての仕事でしょ!」

 ええ……そんなお仕事はじめて聞いたんすけど。

 だが、白金の言うとおり、俺はマンガ家さんが持ち込みする光景はテレビでしか見たことがない。

 まあいい機会だ。見せてもらおうか、新人マンガ家の性能とやらを!

 

 俺はイスで待機している女性陣を一望した。

 見渡す限りに真っ黒! ウーメン・イン・ブラック。

 何がって? 髪の色も然り、服装も然り、全てが黒づくめ。

 悪の組織かってぐらいに全員、闇落ち。

 皆、大人しそうな人ばかりで、とてもBLマンガを描いているような人たちには見えない。

 

 だが、微かに声が聞こえてくる。

 

「シュルルル……殺す、この原稿で他の作家を殺す!」

「フッ、どんな手を使ってもこいつらを蹴落としてやる」

「お父さんごめんなさい……勝手に親戚のおじさんと絡めちゃった」

 え? 最後だけノンフィクション作家がいたけど。

 肖像権、大丈夫ですか。

 

 

 しばらく待っていると、俺たち……じゃなくて、変態女先生の番が回ってきた。

「では、次の方どうぞ!」

 ハキハキとした物言い。

 スーツ姿に眼鏡の女性が言った。

 どこかで見た顔だな。

 まあ博多社の社員だから会ったことかあるかもな。

 

「は、はいぃぃぃ!」

 原稿を抱えてピンコ立ちするほのか。

 さすがの変態女先生も緊張されているようだ。

「大丈夫、ほのか?」

 心配そうに見上げるミハイル。

「だ、だ、だ、大丈夫だってばよ!」

 全然、だいじょばない。

 岸影先生に謝ってください。

 

「ほれ、行くぞ。ほのか、緊張するのはわかるが見せないことには評価はつけられんぞ?」

「う、うん……」

 いつになく元気ないな。

「ファイト! ほのか☆」

 

 そして、小学校の親子受験みたいに、左から俺、ほのか、ミハイルが同伴者として並んで座った。

 

 長い机を隔てて、編集部の女性が眼鏡を光らせている。

 ほのかはぎこちなく茶封筒から原稿を机の上に置くと「お願いします」と呟いた。

 女性が原稿を受け取った際、ほのかを囲んでいる俺とミハイルに気がついたのか、いぶかし気に交互に睨む。

 そして、俺を見つめてこう言った。

 

「あら? 琢人くんじゃない」

「え? なんで俺のことを……」

「私よ、倉石」

 そう言うと眼鏡を取って、笑顔を見せる。

「あ、倉石さん!? なんであなたがこんなことを?」

 倉石さんは博多社の受付嬢である。

 俺の担当編集の白金とは同期らしいので、アラサーだ。

 普段、眼鏡をかけてないので気がつかなかった。

 

「私、来月付けで転属することになったのよ。しかも編集長よ!」

 なにやら嬉し気だ。

「へぇ……」

 けど、BLマンガ雑誌の編集ですよね? すぐに廃刊しませんか?

 

 そこへ白金が入ってくる。

「そうなんですよ、この白金を差し置いて、イッシーが編集長とかムカつきますよ」

「あらあら、ガッネーたら、嫉妬なんてみっともないわよ。そんなんだから独身なんじゃない?」

 睨みあうアラサー女子たち。醜い光景だ。

 イッシーとかガッネーとかあだ名がダサすぎる。

 

「DOセンセイ、イッシーが今回創設された"ハッテン都市 FUKUOKA”の編集長に抜擢された理由知ってます?」

 いや、その前に雑誌名酷くない? 売る気ある?

「知らないよ」

 超どうでもいい。

 

「イッシーって万年受付嬢じゃないですか。電話とお茶くみと案内ぐらいしかできない無能のくせに」

 おいおい、そりゃ女性蔑視ってもんだろう。

 昭和か。

「ガッネーだっていつまでも”ゲゲゲ文庫”売れっ子作者出せてないじゃない!」

 倉石さん、それって俺のことですか?

「フン、DOセンセイの次回作でぼろ儲けしてやんよ!」

 責任重大、こんなアラサーの出世に力を貸したくない。

 ていうかさっさと原稿読んでやれよ。

 

 

「白金、それで倉石さんが編集長に抜擢された理由とは?」

「あっそうそう、ガッネーっていつも一階のカウンターで暇じゃないですか。だから受付でずっとBLマンガばっか読んでたんですよ」

 職務怠慢、解雇しては?

「それに社長が目をつけて編集長になったわけです」

 おたくの会社、もう終わってんだろ。

 

「それもスキルのうちよ。さ、ガッネーはチラシ配りを再開してね♪」

「チッ、あとでハイボール奢れよ、クソが!」

 と唾を吐きながら去っていく幼児体形。

 なんとも大人げない二人だ。

 

「部下がごめんなさいね、あとできつく叱っとくわ♪」

 ええ、もう下剋上始まってんすか?

「は、はぁ……」

 倉石さんは笑顔だが、怖い。

「じゃ、原稿読ませていただきますね」

「お、おなーしゃす!」

 テンパりすぎだろ、ほのかのやつ。

「あの、ほのかはいいヤツなんでよろしくっす!」

 お母さんじゃん、ミハイル。

 じゃあ俺がお父さん?

 嫌だよ、こんな腐った娘。

 

 倉石さんは眼鏡をかけなおすとじっくり原稿を一枚一枚読む。

 その目は真剣そのものだ。

 時折、「ん?」と言って手が止まったりしている。

 それが是か非かはわからないが。

 

 なんだか俺までドキドキしてきたな。

 小説家としての『DO・助兵衛』は白金によってウェブからスカウトされたから、俺はこういうピリッとした空気に慣れてない。

 倉石さんは原稿を最後まで読み終えると、深い息を吐きだした。

 

「これ……本当にあなたが描いたんですか?」

 ギロッとほのかを睨みつける。

「あ、はい!」

 声をあげたと同時にふくよかな胸がブルンと震えた。

 

「評価から言いますと中の下です」

 普段、受付でニコニコ笑っている倉石さんとは思えないぐらい冷たい顔で言った。

「そう……ですか」

 肩を落とすほのか。

 

「ほのか、元気だせよ。次があるって、お前ならやれるよ」

 背中をさするミハイルママ。

 過保護は良くない。

「わ、私なんかどうせ読み専腐女子よ……」

 それもいいんじゃない?

「ヨミセン? なんのこと? とにかくあきめらちゃダメだぞ、ほのか」

 ほらぁ、ママを困らせちゃダメでしょ、腐女子のくせして。

 

「ゴホン」

 わざとらしく咳払いでほのかとミハイルの会話を静止させる倉石編集長。

「あくまでも全体的な評価です。勘違いしないでください」

「どういうことです、倉石さん?」

 俺がたずねると彼女はニッコリ笑った。

 

「結論から言いますとスッゲー抜けそうなマンガです♪」

「あぁ!?」

 年上なのに思わずキレてしまった。

 

「絵の方はお世辞にも上手いほうではありません。ですが、ストーリーが実に素晴らしい。特にメインヒロインのキモいおっさんが最高ですね♪」

 え? おっさんがヒロインってよくわかったね。

「じゃ、じゃあ……」

 ほのかは生唾をゴクンと飲み込んで次の言葉を待った。

「残念ながら今回は見送りです」

「やっぱり……」

 涙目になるほのか。この時ばかりは少し同情した作家として。

 

「ですが、この才能をよその編集部に獲られるのは癪です。ぜひこれからもうちの編集部に持ち込みしませんか? あなたはきっと磨けばダイヤモンドより輝くでしょう♪」

 なんかその宝石、臭そう。

「やったな、ほのか!」

「うん、私これからも抜けるBL本書き続ける! ありがとう、ミハイルくん、琢人くん!」

 大粒の涙を流しながら、彼女は俺とミハイルを抱きしめた。

 

 ちょっといいですか?

 おたくのデカい乳がボインボイン当たってキモいんでやめてください。



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114 祭りのあと

 変態女こと北神 ほのかの初原稿は却下されたものの、倉石編集長の薦めでこれからも編集部に出入りすることになった。

 帰り際、倉石さんは「変態女先生は原作向きかも?」とアドバイスをもらった。

 要はもっと画力の高い人に描いてもらうということだ。

 なんかマンガ家さんの方が書籍化のチャンス高くね? と思うのは俺だけだろうか。

 

 そんなことはさておき、ほのかは嬉しそうに笑っている。

「よかったぁ。琢人くんとミハイルくんのおかげだよぉ」

 いや、俺たち何もしてないからね?

 実力じゃん、良かったね。

「まあとりあえず、一歩前進といったところだろ。商業デビューしてからが地獄だぞ?」

 ソースは俺。

 デビューして3年も経ったのに売れない作家ですもん。

 

「オレ、ほのかがデビューできたら絶対に買うよ☆」

 目をキラキラ輝かせるミハイル。

 やめておけ、目が腐る。

「ありがとう! ミハイルくん」

 

 あほらし、今日って俺のラブコメの取材じゃなかったけ?

「じゃあボチボチ帰るか?」

「そうだね、今晩のおかずは全部買えたし♪」

 と言って大量の薄い本を見せつける。

 大半がモザイク必須である。

「オレも楽しかったぁ☆ コミケまたきたいな☆」

 そう言って可愛らしいネコのぬいぐるみを大事そうに抱えるミハイル。

 もう来ない方がいいよ、君は無垢なままが素敵だから。

 

 

 そんなこんなでなんとか、ミハイルちゃんの初めてのコミケデビューは幕を閉じた。

 バスに乗って博多駅に着くと、ほのかは「私、反対方向だから」と別れを告げた。

「またな、ほのか☆」

「うん、ミハイルくんもBL漁るの頑張ってね!」

 去り際にさらっと洗脳すんな!

「よくわかんないけど、頑張るよ☆」

 頑張らなくていいから。

 

 ほのかの後ろ姿を見送ると、俺とミハイルは二人っきりになった。

 なんだかこっぱずかしい気持ちになった。

 最近はミハイルと一緒にいることが少なかった。

 どちらかというと女装したアンナといることが多い気がする。

 

「なあミハイル、小腹でも空かないか?」

 何となく、会話が途切れそうで怖かった。

 話題なんてどうでもよく、腹も別に空いてないのだが。

「オレ? そうだなぁ、じゃあどっかでお菓子でも買う?」

 首をかしげるミハイル。

 あの、お菓子って遠足じゃないんだから……。

 

「お菓子……。そうだな、この辺でアイスでも買って電車で食うか」

「それいい☆」

 えらくご機嫌だな。

 まあ俺もミハイルの笑顔が見れて嬉しかった。

 

 博多駅前広場には季節限定の屋台がたくさん並んでいた。

 ゴールデンウィークということもあって、北海道の物産展が開かれていた。

「あ、白いミルクをたくさん使ったソフトクリームだってよ☆ タクト!」

 のぼりを指差してテンション爆上げミハイルさん。

「なるほど、限定ものか。あれにしよう」

「うん☆」

 お目当ての店についたが、若い女性やカップルで長蛇の列だ。

 かなり待たないといけないな。

 

 ~10分後~

 

 ようやく、俺たちの番だ。

 そう思ったその時、若い女性店員が申し訳なさそうな顔でこういった。

「お客様、申し訳ございません。もう在庫がなくて、あとお一人様分しか販売できません。どうされます?」

「え、マジか……」

 さすがに男同士でアイスを共有するのはしんどい。

 ミハイルには悪いが断っておこう。

 

 俺が店員に返答しようとしたその時だった。

「全然OKっすよ☆ オレらダチなんで☆」

 隣りを見れば満面の笑顔で答えるミハイルの姿が。

「ああ、助かります。では、380円になります」

 俺が呆気に取られているとミハイルが財布から小銭を取り出し、支払いを済ませる。

 気がつけば、彼の手には真っ白な北海道産ミルクで作られたソフトクリームが。

 

「さ、食いながら帰ろうぜ☆」

「え……」

 さすがにその発想はなく、俺の頭がフリーズしていた。

「一つしかないんだから、一緒に食べるしかないじゃん☆」

「ま、まあそうだが……いいのか? 俺とその…食べることに抵抗はないのか?」

 俺の疑問を吹っ飛ばすかのように、ミハイルは高笑いした。

「アハハハ! ダチなんだからこんなことフツーじゃん☆」

「そうなのか…」

 

 俺は依然と彼の行動に驚きを隠せずにいた。

 女装時のアンナならここまで積極的なこともできそうだが、男装時のミハイルがこんなに優しいなんてな。

 意外だ。

 

「はい、タクトから舐めていいよ☆」

 小さくて細い指で大事そうにソフトクリームを俺の口の前に差し出す。

「お、おう」

 俺は遠慮がちに一口パクッと食べた。

「おいしい?」

「そうだな、濃厚なミルクの味がなんとも……」

 と俺がグルメインタビューに答えようとしていたら、ミハイルはソフトクリームをペロリンと舌でひとなめ。

「ペロ…ペロペロ……んぐっ、んぐっ。ふぅ大きくて太いから顎が疲れちゃいそう☆」

 あの、そういう表現やめてもらえません?

 

「じゃあ電車に向かうか?」

「うん、タクトも遠慮しないでちゃんと食えよ☆」

 そう言って、彼がなめまわした部分を口に寄せられる。

 思わず、生唾を飲んでしまった。

 間接キスになるまいか?

「ほら、早く食えよ? 溶けちゃうぞ?」

 ええい、ままよ!

 俺はあむっと一口でいっぱい食べてしまう。

 恥ずかしさもあってかだろう。

「ああ、タクト。ずっこいぞ! オレは口が小さいからゆっくりなめるのが好きなのに!」

 頬をふくらますミハイルも可愛い。

「わ、悪い」

 

 俺とミハイルはそのまま電車に乗ると、車内で立ったまま、交互にソフトクリームを舐めあう。

「ペロペロ……チュパッ。はい、タクトの番☆」

 おちつけ、落ち着くんだ琢人。

 こいつはミハイル。俺の男友達。アンナちゃんじゃないのよ!

 

「ああ……」

 俺も恥ずかしながら、レロレロなめる。

「ハハハ、タクト。唇にクリームがいっぱいついちゃったな☆」

 ミハイルはそう言うとピンク色のレースのハンカチで俺の口を拭う。

「あ、ありがとう」

「いいって。それより早く食べちゃおうよ☆」

 そして、また俺がレロレロ、ミハイルがペロペロ……が延々と続いた。

 

 辺りに立っていた若い女性たちがこちらを見て何やら囁いていた。

 

「ちょっ、あの二人やばくね? 車内でなめあうとかホテル帰りじゃね?」

「絶対、抜きあったあとだよ。そのあと、栄養補給にミルク摂取とか、どんだけ元気なんだか」

「どっちがタチでネコかな?」

 貴様ら! 勝手に想像すな!

 

 俺が腐り疑惑のある女性陣に目を取られたその時。

 電車が急ブレーキで激しく揺れた。

「うぉっ」

「キャッ!」

 咄嗟にミハイルの身体を抱きしめた。

 身体の軽いでは倒れそうだと不安だったからだ。

 

 時間としてはたった数秒だったのだが、何時間にも感じた。

 俺の首元に伝わる彼の唇はほのかに冷たい。

 だが、とても心地よかった。

 小さくて少しこそばゆいミハイルのやわらかくて小さな唇。

 そして微かに感じる体温。

 

 このまま抱きしめていたい……そう思っている俺は頭がおかしくなってしまったのではないか?

 

 そう思っていると車内にアナウンスが流れる。

『大変申し訳ございません。踏切の前に猫が入ってきまして、なんとか事故は防げました。お客様にはご迷惑をおかけしております』

 

 車掌の声で俺は我を取り戻す。

 

 ミハイルから身を離すと、彼は顔を真っ赤にしていた。

「あ、あの……守ってくれたの?」

 上目遣いでどこか恥ずかしそうに俺を見つめる。

「いや、その咄嗟で悪かった…」

 俺もどこか歯切れが悪い。

「いいよ……タクトがオレのこと大事に思ってくれたんだよな? ダチとして」

「まあ…な」

 先ほどまで仲良くソフトクリームをシェアしていたというのに、ぎこちなくなってしまう。

 

 しばらくの沈黙のあと、彼はこう言った。

「なあタクト……一つだけ言っていいか?」

「お、おう。なんだ? 何でも言ってみろ」

 彼の答えに俺は密かに期待と不安を覚えた。

 

「言いにくいんだけど……」

 顔を赤くしちゃって、可愛いやつだ。

「ダチだろ? 何でも言え」

 ミハイルのことだ。「もう一回抱きしめて」なんて言うんじゃないのか?

 

「あのな……タクトのTシャツにソフトクリームぶつけちゃった……」

「え?」

 俺は自身の胸元を見ると、べったりと白く染まったTシャツに気がつく。

 その後、肌にぬるくて気持ち悪いの感触が伝わってきた。



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第十六章 タイフーンパレード
115 嵐の予感


 列車が真島(まじま)駅に着く。

「じゃ、俺帰るわ」

 ちなみにTシャツが白濁液(ソフトクリーム)でびちゃびちゃなんだけどね。

 

 ミハイルが申し訳なさそうに言う。

「あ、あの、タクト。ご、ごめんな」

「気にするな。それより、気を付けて帰れよ」

「う、うん……またな☆」

 俺が列車から降りると、ドアがプシューと音を立てて閉まる。

 振り返るとミハイルが胸元で手を組み、今生の別れを惜しむように俺を見つめていた。

 

 

 俺は大量のBL本をえっさほいさと自宅に持って帰る。

 自宅兼美容室である『貴腐人』のドアノブに手を掛けると例のイケボ声優の甘ったるい声が流れる。

「ここが……いいの?」

 セリフ変わってやがる。

 

 店に入ると珍しくたくさんのお客さんでごった返していた。

 狭い店内に10人ぐらいは集まっていた。

 全員マダム。

 母さんの美容室は基本一人ひとり丁寧に対応することを売りにしているため、客は完全予約制、こんなに人がいるのはおかしい。

 

「あら、おかえり♪ で……例のブツは?」

 眼鏡を鋭く光らせる真島のゴッドマザー。

 なるほど、そういうことか。

「ただいま……これだろ」

 やっとのことでクソ重いBL本を手から離すことができた。

 俺が床に紙袋を置いた瞬間だった。

 

 近くに立っていたマダムだちが豹変する。

 さっきまでニコニコ笑っていたのに、奇声をあげる。

「きしぇぇぇ!」

「グルァァァ!」

「あは……アハハハ!」

 ヤクでもキメてます?

 

 それからは餌にむらがる獣のようにBL本を漁りまくる。

 もちろん、俺の母親も例外ではない。

 その醜態を確認すると、俺はどっと疲れが出た。

 

 腐った女性陣をあとに階段を昇り、自宅である2階へと向かう。

 シャワーを浴びて、汗を流すとエアコンをつけて涼しい部屋で泥のように眠った。

 

 

 ~次の日~

 

 夜明けにスマホのアラームで目が覚める。

 朝刊配達へと向かうのだ。

 

 自宅の扉を開けようとしたそのときだった。

 吹き飛ばされそうな強風が襲う。

「うわっ!」

 思わず声が出てしまうほどだ。

 おまけに頬に叩きつけるような大雨。

 

「こりゃ今日は荒れるな……」

 嫌な予感がする。

 長年、新聞配達をしていると嵐の日ほど苦労するものだと熟知している。

 とにかく、朝刊配達というものはどんなことがあっても休みなどないのだ。

 自身の身体が壊れない限り……。

 なんてブラック企業。

 

 俺は暴風と大雨に身体を揺さぶられながら、自転車のペダルをこぎ出す。

 といっても道中何回もこけるので、途中から下りて押して歩いた。

 いつもより3倍も時間をかけて、毎々(まいまい)新聞の真島店にたどり着く。

 

 中に入ると店長があたふたしながら新聞を大型の機械に入れていた。

 この機械は新聞紙をビニール包装するものだ。

 そして奥では別の配達員が新聞紙の間にチラシを素早く織り込んでいく。

 

「あ、琢人くん! よく来れたね!」

 配達店についたときは既に全身びちゃびちゃに濡れていた。

「まあ、いつものことですから」

 大雪に比べたらましだ。

「さすが琢人くん。今日は一日台風みたいだよ?」

「え、マジっすか? 昨日まで天気よかったのに……」

 ここで俺はなにかを忘れているような気がした。

 

 ん? 今日って何か予定があったような……。

 俺が必死に思い出そうとしたその時だった。

 店長が奥からバイクを出してきた。

「はい、琢人くんの分! 真島は海が近いから波に飲まれて死なないようにね♪」

 優しい笑顔で怖い事いうのやめてくれます?

「じゃ、いってきまーす」

 

 俺はバイクのエンジンを吹かすと出発した。

 配達中ゴミ袋が風に乗ってブッ飛んできたり、木が折れたり、この世の終わりのような風景を目の当たりにした。

 例年にないような台風だな……。

 

   ※

 

 何度もバイクを倒したりしたが、無事に配達を終えることができた。

 だが、その間もずっと嵐はおさまることがない。

 なんとか帰宅すると、シャワーを浴びる。

 

 そして、スマホの通知画面を見ると41件もあることに驚いた。

「誰だ?」

 メールとL●NEのコンボ。

 ミハイルとアンナの二人からだ。

 というか、ひとりでよく使い分けるよな。

 

『大丈夫か、タクト死んでないか?』

『新聞配達気をつけろよ!』

『オレも一緒に配達しようか?』

 その前にきみが真島までこれないでしょ。

 

 お次はアンナさん。

『タッくん、台風だいじょうぶ?』

『お仕事終わったらホットミルクでも飲んで身体を暖めてね』

『アンナ、泣いてるよ。タッくんが上半身裸でバイクに乗っているところを想像すると……』

 ちょっと、なんで卑猥な妄想入ってるんすか?

 さては昨日のBL本を読んだせいだな……。

 

 俺はため息と共に苦笑する。

 なんだかんだ言って、こいつ……いや、こいつらは俺のことを慕ってくれているんだな。

 悪い気分じゃない。

 無事に仕事を終えたことを"ふたり”に返信しておく。

 

 すると一秒もしないでほぼ同時にメールとL●NEが送信されてきた。

 ハッカー並みのタイピングでもしているんですかね?

 

『おつかれ! タクト☆』

『えらいね、タッくんってば☆』

 

 ちょっとここまで来ると恐怖を感じますねぇ……。

 

 それからしばらくミハイルとアンナの順に交互に連絡を取り合う。

 リビングに来ると母さんが朝食の準備をしていた。

 妹のかなでも眠そうにテーブルの前に座っている。

 ちなみにノートPCを置いて朝から大ボリュームで男の娘もののASMRを流していた。

 

『はあああん! お兄ちゃ~ん、ボクなんかで……あああああ!』

 

 これだからこの家は嫌なんだ。

「かなで。いつも言っているだろ。ノートPCは自室だけにしろと」

「なんでですの? BGMに最適でしょ?」

 屈託のない笑顔で返すかなで。

「アホか、死ぬわ」

 俺はコーヒーを淹れながら汚物を見るような目で見下す。

 

「そう言えば、死ぬといえば……タクくん大丈夫だったの?」

 キッチンから母さんが目玉焼きを乗せた皿を二つ持って現れる。

「ん? なんのことだ?」

「あれよ」

 そう言うと母さんはリビングの奥にあったテレビを指差す。

 

 ちょうどローカル番組が放送されていて、若い女子アナが暴風のなか、ヘルメットにレインコート姿で映っていた。

 

『今年初めてとも言っていい……台風5号ですが、きょ、きょう…一日続くようです』

 細い身体の女性は何度も身体を強風で揺さぶられ、フラフラしていた。

 それはカメラも同様だ。映像がグラグラと不安定だ。

 モニター越しでもヤバい天気だということがよくわかる。

 

『視聴者のみなさんは……不要不急の外出はおやめください……それではスタジオにお返しします』

 中継先から静かなスタジオに映像が移り変わると、福岡では有名な男子アナ、島々浩二(しましま こうじ)がこう言った。

『今日は‟博多どんたく”ですが中止でしょうね……』

 

「ん……」

 俺は博多どんたくという言葉が引っかかった。

「残念ですわね、どんたくの男の娘パレード楽しみにしてたのに」

「そんなものやるか」

 ツッコミを入れたが、今のご時世ならあるかも。

「あらあら、ゴールデンウィークの醍醐味だというのにね……」

 母さんがそう言うと俺は微かな記憶がよみがえる。

 

 

 そうだった。

 今日は三ツ橋高校のJK、赤坂 ひなたと博多どんたくをデートするという取材の日だった。

 

「フッ、勝ったな」

 俺は小さく拳を作り、ガッツポーズを決める。

 めんどうくさいあのJKとのデートは台風という一大イベントで潰れたのだ。

 

 すると、そのときスマホにメールが入る。

 噂をすれば、赤坂 ひなただ。

『センパイ、台風ですね。でもどんたくは中止したとしても取材はしましょうね♪』

 ファッ!?

 命がけのデートですか……。

 ちょっと、僕。遺書書いときますね。



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116 デートは命がけ

「それじゃ行ってくる……」

 そう言うと俺はリュックサックを背負い、スニーカーを履く。

 

 珍しく一階の玄関には妹のかなでと母さんが見送りに来ていた。

「タクくん…本当に行く気? 電車も動いてないかもよ」

 滅多なことじゃ動じない母さんがここまで心配するとは…今回の台風が凄まじいことを表している。

「おにーさま! 死なないで!」

 かなでに至っては泣きながら俺の腕を掴む。

「死なないよ、たかが台風だろ? 新聞配達している方がヤバイんだぞ?」

 ソースは俺。

 バイクが倒れるほどの強風だぞ。しかも生身なんだから。

 ガチで死ぬ危険性考えたら、配達しているほうが危ない。

 

「でも、せめて死ぬ前に、かなでで童貞を捨ててくださいな!」

 そう言って、無駄にデカい乳を押し当ててくるJC。

 鳥肌立ってきた。

「人を死ぬ前提で見送るんじゃない!」

 俺は少し乱暴にかなでを振り切ると立ち上がった。

 

「あ……おにーさま」

「じゃ、行ってくる」

 

 雨傘を持って玄関をあけた瞬間だった。

 暴風で扉が吹っ飛び、右側の外壁にガンッと当たった。

「うわ……」

 風と共に激しい雨粒がビシビシと頬にあたる。

 

「タクくん、真島(まじま)駅まで歩けないんじゃない?」

「これぐらい……いつものことだ」

 なんか俺も死ぬ覚悟をしつつある。

 こんなところでまだ死にたくない。

 直木賞と芥川賞取ってから死にたい。

 

「おにーさま、生きてかえっておくんなまし……」

 まるで戦場に出向く武将に声をかける妹君だな。

「お、おう」

 自信ない声で呟くと開きっぱなしの扉を無理やり閉めて、自宅をあとにした。

 

 家から最寄りの真島駅までは普段なら5分とかからない近距離なのだが、今日は違った。

 傘をさして歩きだすがものの数秒でぶっ壊れ、既にびしょびしょ。

 迫りくる強い風が、前へと進む俺の足を邪魔する。

 

「死んでたまるかぁ!」

 

 なぜか俺はブチギレていた。

 新聞配達でもこういうことはよくある。

 バイクのエンジンが起動しなくなったり、倒れて新聞紙がぐちゃぐちゃになって、「あーもうどうにでもしやがれ!」と自暴自棄になるのだ。

 だって天候だから仕方ないよなって。

 

 真島駅にやっとのことで着いた。

 徒歩で20分。

 あれ、おかしいな。

 俺ん家、少し遠くなった?

 

 

 エスカレーターに乗り、二階で乗車拳を買う。

 改札口にはたくさんの人だかりができており、駅員のアナウンスがひっきりなしに流れている。

 ダイヤが大幅に遅れており、現在の時間は『10:12』なのだが、二時間前の列車が未だに到着していないそうだ。

「マジかよ…」

 思わず絶句する俺氏。

 周りに立っていた人たちを眺めると大半がスーツを着たサラリーマンばかりだった。

 

「もう職場に電話して休むわ」

「これ行っても帰れないだろ」

「台風の中で……ハァハァ。濡れたキミが、‟ソニック”がス・テ・キ」

 いや最後の歪んだ撮り鉄だろ。ちな『ソニック』てのは九州の特急列車ね。

 

 一応、赤坂 ひなたに電話してみた。

 彼女も真島駅から近い梶木駅にいるだろうから乗るとしたら同じ列車だろうから。

 だって2時間前の電車が動いてないんだぜ?

 

「もしもし、ひなたか?」

『ブフォーーー! も、もし……もし。バハァーーー!』

 ダメだ、風の音で全然聞こえん。

 電話を切ってメールで連絡をとる。

 

『今どこだ? 梶木駅か?』

 とメッセージを書いて送信するもなかなか完了できない。

 よっぽど電波が悪いのか?

 数分後、送信完了するとこれまた十分後ぐらいに返事が来る。

 ダイヤル回線ですか?

 

 ひなたからはこう返事が返ってきた。

『今、梶木(かじき)です。真島も動いてないですよね?』

 やはりそうか。

 俺が同じ状況だということを伝え、「中止にするか?」とメールで提案したが、ひなたは断固として「博多にいきます!」と宣言した。

 いや、明日でよくね? と思ってしまう俺だった。

 

 ~30分後~

 

 奇跡的に電車が真島駅に到着するというアナウンスが流れた。

 その時はもう既に改札口で待っているのは俺だけだった。

 切符を自動改札機に通して、博多方面のホームへと降りる。

 すると凄まじい雨風がまたしても襲ってくる。

 

 傘はぶっ壊れたので邪魔なだけだ。

 ホームにあったゴミ箱に捨ててやった。

 ようやく来た列車はものすご~くゆっくりとホームへ入ってきた。

 おじいちゃんかよ。

 

 どうにかして車内に入るとガラッガラで席は座り放題。

 わぁい!

 ぼく、ひとりだけだぁ♪

 なんてガキみたいな思考へと頭がバグり出す。

 

 真島から列車がこれまたゆっくりと出発する。

 ホームを出てもその速度は全然上がらない。

 徒歩か? ってレベルだよ。

 

 真島から梶木までは二駅で5分ぐらいの時間なのだが、こんなよちよち運転なのだ。

 30分はかかった。

 梶木駅に着くと俺と同様にびしょびしょに濡れた現役JKこと赤坂 ひなたが同じ車両に入ってくる。

 一人だけね。

 

「あっ新宮センパイ!」

 荒れ狂った天候とは違い、彼女の表情は日本晴れのようだ。

 満面の笑みで手を振る。

 迷彩柄のミニスカにタンクトップとキャミソールを重ね着している。

 小麦色に焼けた素肌が露わになっている。

 びちょびちょに濡れているオプション付き。

 

「おう、来れたか……」

 なぜか彼女の姿を見るなりため息が漏れた。

 だって博多駅に行ってなにすんの?

 どんたくもやれんだろうし、果たして無事に帰れるのか。

 

「あ、なんで私のこと見てため息つくんです?」

 頬を膨らますひなた。

「悪い悪い、この天気じゃな」

 そういいながらとりあえず空いている隣りの席をポンポンと叩き、誘導する。

 ひなたは「私みたいなピチピチJKとデートなんですよ!」と文句を垂れながらちゃっかり隣りに座る。

 

 どうでもいいことなんだが、互いにパンツまで濡れているだろうから、自然と座っているモケットもびしょびしょだ。

 JRがかわいそう。

 

 そしてまたよちよち運転が始まる。

 列車が動きだしたことを確認して、ひなたに問う。

「なあ今日ところでどんたくやるのか?」

「やるみたいですよ」

 ファッ!?

 死人が出やしないか。

 

 

 博多どんたくというのは福岡を代表するお祭りの一つだ。

 個人的にはどんたくには何の思い入れは何もない。

 歴史なんぞはよくわからんが、素人が歩行者天国でパレードしてるって認識だからな。

 まあ若いJKがミニスカなどで行進する姿は嫌いじゃない。

 

 

「マジかよ……」

「そりゃやるでしょうよ。一年に一回のお祭りですよ? みんなこの日のために練習したんですから!」

 文字通り、命がけじゃん。

 祭りで死ぬなよ。

 ハッピーエンドであれ。

「解せないな…」

 

 

 1時間もかかったのち、やっとのことで博多駅に着く。

 圧倒的人気を誇るJR博多シティだが、今日ばかりは人っ子一人いない。

 災害レベルで草。

 

「誰もいませんね……」

「だろうな」

 改札口を出たところで、液晶モニターにこう書かれていた。

 

『本日の博多どんたくは中止となりました』

 

「ええ!? せっかく来たのに!」

 顎が外れるぐらい大きな口を開けて驚くひなた。

 いや、当たり前だろ。

「どうする、帰るか?」

 というか帰りの電車、動いてないよね。

 

 するとひなたは何を思ったのか、俺の左腕を強く掴むと「行きますよ!」と顔を真っ赤にして叫んだ。

 細い女の子の腕とは思えないぐらいの強い力だ。

 俺は引きずられるように引っ張られる。

 ミハイルまではないが俺よりは力があるな。

 さすが水泳部の姫。

 

「どこに行くんだよ……」

「そんなの博多駅なんだからどこでも遊べるでしょ!」

 ひなたはそうは言うが、JR博多シティのお土産店や飲食店も軒並み臨時休業のお知らせが……。

 

 それを見るなり、ひなたは「まだまだ他にも店があるんだから!」と俺を引きずり回す。

 

 なにこのアホみたいな取材?



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117 アウトロー系女子高生

「ああ、なんでどっこもこっこも休みなのよ!」

 がら~んとしたJR博多シティでブチギレる赤坂 ひなた。

 大声で叫んだ声すら、やまびこのように反響して聞こえるのは幻聴か?

 

 

「仕方ないだろ。例年に見ない大型の台風らしいぞ」

 俺は冷静にスマホで災害情報を確認する。

「じゃあ新宮センパイは今日のデート…取材はしなくてもいいっていうんですか!?」

 顔を真っ赤にして怒鳴る。

 だが、それよりも気になるのがびしょびしょに濡れて、ブラジャーが透けている。

 色は白と黒のボーダー。

 

「もう今日にこだわらなくてもいいだろ?」

 別に明日で世界が終わるわけでもあるまいし。

「ダメです! センパイを放っておくとあの…忌々しいチート女が…」

「ん? 誰のことだ?」

 オンラインゲームでチートはよくないが。

 俺がそうたずねるとひなたは口を濁らせる。

 

「そ、それは……あの…センパイには関係ないです!」

 いやなんでブチギレ?

「わかった。だが、このままじゃ帰ることもできないかもしれないぞ」

 スマホでJRの運行状況を確認すると全て運休状態が続いている。

 JR博多シティのアナウンスでも「ただいま全線運転見合わせとなっております」と流れる。

 

 俺がそれを聞いてひなたに

「な、バスでもタクシーでもいいから早めに帰ろう」

 と言うとまたもやブギギレ。

「なにもヤラないで帰れますか!? 取材になりません!」

 いや台風の中、博多駅にこれただけでも奇跡じゃん。

 十分取材になりました。

 なんかのエッセイにでも書いときますよ。

 というか、なにをヤル気?

 

 

「しかしだな、店も開いてない。外は猛烈な強風に大雨。このJR博多シティですら閉店状態だぞ? どこを見たり、遊んだりするんだ?」

 俺が改めて周囲の店を見渡すがどこも開いてないし、ほぼシャッター街。

「うう……もう開いてさえいたら、なんでもいいですよ!」

 ひなたはそう啖呵をきるとスマホで近隣の店をネットで探しだす。

 

 俺はそれをしばらく隣りで見守るという……なんともシュールな光景。

 おまけに濡れた服が乾くこともなく、なんだか身体が冷えてきた。

 スマホとにらめっこしているひなたも例外ではない。

 歯をカチカチと言わせながら全身ガタガタと震えている。

 

 聞き分けのない女だな……とため息をついていると俺のスマホが鳴った。

 アイドル声優のYUIKAちゃんが唄う『幸せセンセー』だ。

 ああ、こんなときも彼女の可愛らしい歌声は俺を癒してくれる。

 着信名を見れば、アンナちゃん。

 

 

「もしもし」

 俺が電話に出るとアンナはかなり動揺している様子だった。

『あっ! やっと繋がった! 良かったぁ……』

 後半、少し鼻をすする音が聞こえる。

 泣いているのだろうか?

 

「アンナ。どうしたんだ?」

『心配したんだよ! ミーシャちゃんから聞いたの』

 また自分と自分で対話ですか。

 元々の人格と乖離してません?

 

「なにをだ?」

『ミーシャちゃんが言うにはタッくんが博多駅に行ったって言うから……』

 俺、ミハイルにそんなこと言ったか?

「ん? 確かに博多駅には来たが、俺は誰にも伝えてないが?」

 俺がそうたずねるとアンナはかなりあたふたしながら答えた。

『え、えっとね……あのアレよ! そ、そう! ミーシャちゃんがお友達のかなでちゃんていう子から聞いたらしいのよ!』

 長い言い訳だこと。

 というか、かなでのやつ、帰ったらおしりペンペンだな。

 個人情報がダダ漏れじゃないか。

 

「なるほどな」

 アンナは電話のむこうでわざとらしく咳払いをして、話題を無理やり変えようとする。

『そ、それより大丈夫なの? 大型の台風が福岡に直撃だってニュースで言ってたよ? 博多駅も危ないんじゃない。帰れるの』

「そうなんだが、今日は実はちと仕事で来たんだよ」

 敢えて、ひなたの存在は隠しておいた。

 あとあと面倒くさいので。

 

『仕事? こんな嵐の中で……? 出版社とか?』

 う、こっちもこっちで言い訳考えないとな……。

「アレだ、取材だよ、取材…」

 今度はアンナのターンになる。

 さっきとは打って変わって俺があたふたする。

『取材? タッくんがアンナ以外と取材することなんて必要性ある?』

 凍えるような冷たい声で問い詰められる。

 や、やばい! このままでは俺は殺されてしまう。

 

「あ、いや……アンナの取材は特別だよ。今日は別件だ…」

 自分で言っていて、かなり苦しい言い訳だった。

『ふーん。じゃあアンナも一緒についていっていいのかな?』

「そ、それはちょっと……危ないだろ」

『タッくんだって博多駅まで命がけで行ったでしょ? ならアンナもいっしょ☆』

 優しい声で萌えそうだけど、なんかメンヘラ全開で怖いです。

 

 俺が言葉に詰まっているその時だった。

 

「あーあ、やっぱりチート女だ」

 

 振り返るとスマホをメキメキと握り潰す、ずぶ濡れのひなたの姿が……。

 濡れた前髪がダランと下りていて、目が隠れている。

 だが確かに感じる、彼女の燃え盛る炎を宿した眼球を。

 まるでモンスターだ。

 

 俺が彼女の姿を見て恐怖に震えあがっていると、スマホの受話器からアンナの声が聞こえる。

『タッくん? もしもし? 大丈夫?』

 だいじょばない。

 死ぬかも!

 

 ゆらりゆらりとこちらへ近づいてくるひなた。

 手の力を抜いて、ぶらぶら左右に揺らせながらゆっくり近づいてくる。

 

 こ、これは! ノーガード戦法!?

 

 俺がそう思った時は既に遅かった。

 ひなたの左腕がムチのようにしなりをかけて、一瞬でジャブを繰り出す。

 気がつくと俺のスマホはひなたにブン獲られていた。

 

 なにを思ったのか、ひなたは俺のスマホを頬につけると勝手に話しはじめた。

 かなりドスのきいた低い声で。

 

「おう、アンナか? 俺はよぉ。今、仕事で忙しいんだよ……」

 

 まさかのモノマネである。

 ちょっと俺に寄せてはいるが、オラりすぎだろ。

 俺ってそんなヤンキーみたいなやつに見えてたの?

 悲しい。

 

「わかったら、もうかけてくんじゃねぇぞ! いくらアンナでも俺様もオコだぞ?」

 バカそうなキレかただ。

 

「あ? 博多に来るだ? 来れるわけねーだろ! バカかおめぇは! ニュース見てねーのか? 電車も動いてねーんだわ!」

 いや、もうヤクザレベルじゃん。

 俺のアンナちゃんをいじめないで。

 

「ヘッ、来れたら褒めてやんよ。じゃあな!」

 ちょっと! なに勝手にアンナを煽ってんのよ!

 しかも一方的に切りやがって。

 

 そして前髪を奇麗に整えてから、スマイリーひなたが現れる。

「ハイ、センパイお返ししますね♪ 前も言ったじゃないですか? ストーカーを相手にしたらダメだって♪」

 お前はストーカーより怖いアウトローだよ。

 

「ひなた……勝手に人の電話をとるな!」

 アンナのことが気になってスマホを再度確認しようとすると、ひなたがグッと強い力で俺の指先を止める。

「センパイ♪ デート中はスマホお触り禁止だぞ♪」

 そして、スマホのスイッチを長押ししてシャットダウン。

 またこの展開かよ……。

 

 あとが怖いんだってば。

 アンナのやつ真に受けてないといいが……。

 

「ところでセンパイ、さっきネットで一つだけ開いている店を見つけましたよ♪」

「え、そうなの?」

 アンナとひなたの恐怖のやり取りを見ていてすっかり忘れていたよ。

 

「はい♪ JR博多シティの隣りにある博多バスターミナルにネカフェがあるんです。そこなら時間も潰せるし、ご飯もマンガもシャワーだってあるんですから♪」

「は、はぁ……」

 

 これってひょっとして徹夜コースですか?



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118 個室が一番♪

 俺はひなたに連れられて、しぶしぶ博多駅隣りにあるバスターミナルに向かった。

 

 1階から2階まではバスの発着場なのだが、3階からは専門店街、全国チェーンの本屋や衣料店、飲食店、100均、ゲーセンなどの施設が8階までびっしり充実している。

 JR博多シティよりは敷地が狭いけど、ここだけでも一日時間を潰せそうなビルだ。

 

 といっても今日は例の台風によってほとんど休業中だが……。

 バスターミナルに入るとすぐにエレベーターへ向かった。

 最上階である8階へと向かう。

 8階は複数の飲食店と献血ルーム、それにお目当てのネカフェがある。

 

 チンと音を立てて目的地へついたことをお知らせ。

 自動ドアが左右に開き、迷うことなくネカフェに一直線。

 

「さ、つきましたよ! センパイ、ネカフェ来たことあります?」

「いや、ないな」

「はじめてなんですね!? 良かったぁ♪」

 手を叩いて喜ぶひなた。

 なにがそんなに嬉しいの? わしにはさっぱりわからん。

 

 

 店内に入ると根暗そうな眼鏡の若い男性店員がお出迎え。

 出っ歯で眼鏡、おまけに脂ぎった長髪を額の中央でセンター分け。

 雨の日だからカッパが出没したのかと思った。

 

「らっしゃい。この店は初めて?」

 超やるきねーし、なんか感じ悪いな。

 

 俺が店員の対応にイラッとしていると、ひなたは気にする素振りも見せず、笑顔で答える。

「はい、初めてなんです♪」

 びしょ濡れのJKのスマイルだ。

 これには陰気な店員も少しヘラヘラ笑っている。

 だってブラ透けてるし。

 

「へ、へぇ……じゃあ会員手続きしてね。あと時間と席を指定して」

「わかりました」

 先ほどのやる気ゼロ対応はどこにいったのか?

 顔を赤くしてデレデレしながら、大きなチラシをカウンターに取り出す。

「な、何時間いたいの?」

「うーん……どうしよっかなぁ」

 なんか俺抜きで盛り上がってるから帰ってもいいかな?

 

「き、キミ、台風で帰れなくなるかもよ? ここならシャワーもあるし着替えもあるから泊まってけば……」

 ハァハァと気持ち悪い吐息を漏らしながら、ひなたの胸元をガン見する店員。

 これ事件の危険性ありっすかね。

「ん~、そうしよっかな」

 勝手に決めるひなた。

 俺の同意は?

 

「ヘヘヘ、そうしなよ。この店は部屋にカギもついているし防音だからね。くししし…」

 ええ!? なんかヤバくない? この店。

 防音って……。

「じゃあそうします。明日の朝までお願いします♪」

 勝手に決められちゃったよ。

 

 すかさず俺がツッコミに回る。

「な、なあ、ひなた。さすがにお泊りはよろしくないだろ」

 俺がそう言うと店員は舌打ちして睨む。

「邪魔すんなよ、モブが…」

 小声でそう呟いた。

 誰がモブじゃ!

 

「別に問題ないでしょ?」

 目を丸くして答えるひなた。

「大ありだ。お前の親御さんにはなんて伝える気だ? 結婚前の若い女子がお泊りなんて怒られるだろう」

 俺がそう言うとひなたはケラケラ笑い出した。

「センパイって結構、昭和!」

 悪かったな、令和ぽくなくて!

「でも大丈夫ですよ。うちはパパとママが共働きでほとんど家にいないし、連絡さえしとけば大丈夫です。女の子なんてけっこう女友達の家に頻繁に泊まるし」

「なるほど……しかしだな」

「もうセンパイってば、説教くさい!」

 なんで俺が怒られるの?

 

 ひなたは話の途中だというのに俺に背を向けて、また例の店員と話し出す。

「えっと部屋は……」

「フフッ、女の子ならこのピンクの部屋はどうだい? 今なら入会特典でたこ焼きをプレゼント中だから、僕が部屋まで持っていてあげるよ…」

 この店員、前科あるよね。

 

「ん~カワイイけどシングルシートだからナシで」

「えっ!? まさか隣りのヤツがキミの彼氏なの?」

 またまた俺を睨む。

「か、彼氏!? 違います!」

 顔を真っ赤にして全力で否定するひなた。

「だ、だよね……じゃあただの知人だ、グフフ」

 あの俺を置き去りにするの、やめてもらっていいですか?

 

「知人でもなくて、お仕事の相手です!」

「え……」

 思わず絶句する店員。

 なんか別の意味のお仕事として捉えてない? ピンクジョブ。

「センパイは何も知らないから、経験豊富な私が相手になって色々教えてあげないとダメなんです」

 話がどんどん歪んでいく。

「経験豊富だって? キミ、いくつ? ハァハァ…」

 息遣いが荒くなるカッパ店員。

「私ですか? 16歳ですけど? ま、私もただのJKだから人並みにしか、知らないですけどね。友達とかもわりと多いほうだし、知識としてはちゃんとインプットしてるっていうか…」

「つ、つまり、キミは不特定多数の人と交流が好きなんだね。グフフ」

 話が嚙み合ってない。

 

「ま、そうかもですね♪ 放っておけないタイプって感じ?」

「そっか……優しいんだね。無知なあの男の子に色々教えてあげるなんて…僕も教えてほしいな」

 頭痛い。

 両者、平行線のまま話は進み、やっとのことで部屋の選別に入る。

 

 

「じゃ、このフラットシートで♪」

「わ、わかったよ。もしなにかわからないことがあったらなんでも言って。ぼ、僕もキミに教えてほしいことあるし……フフフ」

 こんなところに一泊したくない。

 

「りょーかいです♪」

「じゃ、じゃあ……明日の朝6時まで部屋を使えるからね」

 といってカウンターにカギと受付したレシートを差し出す。

 ひなたはそれらを受け取ると、俺の手を取り「いきましょ」と引っ張る。

 

 カウンターから離れる際にカッパ店員がこう囁いた。

「3人でもアリかもね?」

 意味深な言葉を吐き、不敵な笑みを浮かべていた。

 背筋に悪寒を覚え、ブルっと震えた。

 気持ち悪い店だなぁ。

 

 そんな俺の不安をよそに、ひなたは終始ご機嫌だ。

 鼻歌交じりに奥へと進んで途中、ドリンクバーを見つけ「部屋に持っていきましょ」と俺に促す。

 こんなときでも俺は安定のブラックコーヒー。

 しかし今日は雨で濡れていたのでホットで。

 ひなたはメロンソーダにソフトクリームを入れて、クリームソーダにしていた。

 

    ※

 

 俺たちの部屋はフラットシートと呼ばれ、他の個室とはちょっと違ってかなり大きな部屋だった。

 カギを開けるとその広さに驚きを隠せなかった。

 6畳はある部屋の中にはローデスクの上に大きなテレビが1台。パソコンが1台とゲーム機があった。

 それからマットの上にリクライニングシートが二つ。

 

「これはかなり時間を潰せるな」

 俺が感心しているとひなたは何かに気づいたようで、あたふたしていた。

「ちょ、ちょっと! センパイ、なんで言ってくれなかったんですか?」

 顔を真っ赤にして何やら怒っている。

「なにがだ?」

「私の服ってスケスケだったんですか!?」

「え、そうだけど」

 わかっていたのだと思っていたんだけどな。

 

「バカッ!」

 

 次の瞬間、俺の首は左に吹っ飛んだ……かと思うぐらい強い平手ビンタ。

 

「私、シャワー浴びてきます!」

 そう言うと部屋から出ていった。

「忙しいやつだ……」

 

 俺は改めて、リクライニングシートに腰を下ろすと、どっと疲れが出た。

 家から出てまだ2時間ぐらいだが、こんなに疲労する外出は初めてだ。

 ひなたが不在なのをいいことに、スマホの電源を入れなおす。

 

 どうしてもアンナのことが気にかかっていたからだ。

 

 起動するとやはり着信履歴は213件。

 全部アンナちゃん。

 L●NEも未読のメッセージが1002通。

 腱鞘炎にならないのかな?

 

 とりあえず、アンナに電話をかけてみる。

 が、彼女にしては珍しく10秒以上ベル音だけが鳴り響く。

 それがエンドレス。

 つまり出てくれないのだ。

 

「あれ、ひょっとして無視られているのか?」

 そう思ってL●NEでも返信を送ったが、既読にならない。

 一体どういうことだ?

 俺はとりあえず、ひなたにはバレないようにスマホを起動したままにしておく。

 サイレントモードだ。

 

「まさか……な」

 一つの不安が俺の脳裏をよぎる。



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119 嫌な予感ほど当たるもの

「ぷはー、美味しいですねぇ♪ クリームソーダ」

 と言って、湯上りの赤坂 ひなたはドロドロに溶けたソフトクリーム入りのメロンソーダをがぶ飲みする。

 着替えがあったようで、ネカフェのパジャマを着てきた。

 半袖にショーパン。

 

「センパイも入ってきたらどうですか?」と促され、確かに濡れたまま部屋にいるのも気持ちが悪い。

 ひなたに続いて俺もシャワールームへと向かった。

 個室を出て、大量のマンガ棚を左右にして通路を奥へと進む。

 突き当たってトイレがある。その隣りにシャワールームがあった。

 

 男性用と女性用のパジャマがあり、俺はもちろん男! なので、野郎用を取る。

 脱衣所には乾燥機があったので、服を全部脱いでぶち込んでおいた。

 そこで気がつく。

「ん、これがあるならパジャマいらなくないか?」

 まあいいか、と俺は全裸で浴室へと入る。

 薄い壁で仕切られたブースが横並びに3つほどあった。

 中には誰もいない。

 貸し切り状態だな。

 

 蛇口を回し、温かいお湯を肌で感じる。

 冷たくなった身体が暖まっていく。

 近くに備え付けのシャンプーとボディシャンプーがあったので、ついでに洗い出す。

 頭をゴシゴシ洗っていると、一つのことがどうしても気になる。

 アンナのことだ。

 

 俺が電話やL●NEしたときは必ず秒で反応がするのがアンナであり、ミハイルでもある。

 そんな彼女と話すことができなかったのが、すごく心配だった。

 台風のせいで電波でも悪かったのだろうか?

 にしても、アンナのことなら必ず着信履歴から何らかの手段で連絡を取ってくるはずだ。

 

 ひなたがシャワーを浴びている間、30分以上も部屋で彼女からの反応を待っていたが、スマホは微動だにしなかった。

 その静けさが恐い。

 彼女の身になにかあったのでは? と……。

 

 そんなことを考えていると、俺は既に全身洗い終え、ピカピカの身体になっていた。

 脱衣所に戻り、濡れた身体をタオルで拭いている間もアンナのことで頭がいっぱいだった。

 パジャマはボタン式だったが、考え事をしていたせいか、何度もボタンをかけちがえてしまう。

 鏡があったので、自分の顔をよく見てみるとなんてしまりのない顔なんだ……と自ら落胆してしまう。

 

「アンナ……」

 

 そう一言だけ、名前を呟くと俺は乾燥機でホカホカに暖まった自分の服をカゴに入れて、シャワールームを出た。

 

 

「あ、早かったですね♪」

 個室に戻るとひなたは足を崩して、女の子座りで少女マンガを読んでいた。

 めっちゃくつろいでるやん。

「まあな。ところで、パジャマ使う必要性あったか?」

 俺がそうたずねるとひなたは眉間にしわをよせた。

「ええ? そりゃ使うでしょ。だって乾燥機に入れたらかわいい服が縮みますもん……」

「そうなのか。俺は普通に乾燥させたけど」

 と言って、左手に持っていたカゴの中の服を見る。

 

「やっちゃったんですか? センパイの服、絶対もうダメになってますよ!」

 焦るひなた。

「マジでか?」

 俺はカゴを床に下ろすと自身のお気に入り、『タケノブルー』のキマネチTシャツを取り出す。

「うわ……」

 女の子が着れるってぐらいのチビTに縮んでしまっていた。

 ぴえん。

 

「あらら……もうそれ着れなくないですか?」

 苦笑いで俺のTシャツを指差す。

「伸びないのか、これ?」

「無理ですよ~ 明日になれば、バスターミナルで服屋さんも開きますから、新しいの買ったらどうです? そのTシャツ、あんまり可愛くないですもん」

 と言って口に手を当てて、クスクス笑いだす。

 かっぺムカつく。

 ふざけんな、この崇高なるタケちゃんのオフィシャルグッズに!

「おい、俺のファッションセンスをどう言おうが構わんが、タケちゃんのロゴをバカにするのは許さんぞ?」

 ちと凄んでおく。

 タケちゃんを軽蔑するやつらは、お弟子さんと共に襲撃せねばな。

 

「そ、そんな冗談ですよ……」

 あまり俺が女子に怒らないせいか、ひなたも少しうろたえる。

「わかってもらえればいいのだ」

 もう着れなくなっちゃって……ごめんよタケちゃん…。

 と半分涙目できれいにTシャツを畳む。

 

 その姿を見てか、ひなたは居心地悪そうにしていた。

「あの…私が先に言っておけばよかったですね」

「別にひなたのせいじゃないだろう。無知な俺が悪い」

 と言いつつも、「それ早く言ってよぉ」と心の中で嘆いた。

 

「でも、もうセンパイには着れそうにないですね。けっこう華奢な女の子が着れるかも?」

 ひなたがそう言うので、俺は改めて彼女の身体を下から上まで眺める。

 確かに彼女も細い体つきではあるが、少し筋肉質だし、丈も短くなったので無理かもしらんな。

 

 俺がひなたの顔をまじまじと見つめていると、ひなたの顔がボンッと真っ赤になる。

「な、なにさっきからじっと人の顔を見ているんですか!? やらしぃ!」

 と言って、本日2発目のビンタ。

 こいつ、宗像先生より暴力が多いような……。

 

 赤く腫れた頬をさすりながら、話題を変える。

「ところでマンガ読んでいたのか?」

「あ、これですか。超おもしろいんですよ!」

 そう言って、俺に手渡してきたのは普段見慣れない少女マンガ。

 

 タイトルは『おめぇに届きやがれ』

 

 渡されたので適当にパラパラとめくる。

 王道の恋愛マンガか……あんまりピンと来ないな。

 俺はマンガもどちらかというとアングラ系が好きだし、こういうのは家に一冊もないので。

 だって、少女と女性は家にいるけど、こんな健全としたマンガ興味ないもん。

 あいつら……。

 

「どうですか、おもしろいでしょ? こうなんていうか、胸がキュンキュンしてきません♪ あー思い出すだけで心がポカポカしてきちゃう……」

 肺炎じゃないですか?

「ふーん」

「なんですか、その反応……つまんなぁい!」

 頬をふくらませて、不機嫌そうに俺を睨む。

 

「いや、こういうの……苦手ってわけじゃないんだがな。俺は映画専門なんだよ」

 そう言い訳して逃げようとする俺氏。

「じゃあこうしましょ♪ 実写化もされてますし、今から映画を観ましょう!」

「え……」

 いらんこと言わなきゃよかった。

 

 俺が「邦画はタケちゃんしか観ない……」と言ったが、ひなたは聞く耳を持たず、鼻歌交じりでパソコンをいじり出す。

 どうやら、このネカフェは動画の定額サービスと契約しているようだ。

 ひなたがキーボードでタイトルを打つと、すぐさま作品がヒットする。

 

「センパイ! これ全3部作で合計6時間ありますからちょうどいいですね♪」

 なにが?

 ふと時計の針を見ると既に『13:56』

 腹も減るわけだ。

 てか終わったら、夜じゃん。

 

「まあそれもいいが腹が減らないか?」

 空腹の時、人はみな自分勝手になる……とグルメ感出しておく。

 つまりはメシで逃げようって話だ。

 

「あ、それなら問題ないですよ♪」

 ニッコリと微笑むひなた。

「え…なんで?」

「センパイがシャワー浴びてるときにご飯頼んでおきましたから♪」

 勝手に頼みやがって!

 注文するときは俺を待てよ! メニューを眺めるのが楽しいのに!

 

 俺が少しキレ気味に「了解」と答えた瞬間、個室のドアがノックされた。

 ドアを開けると先ほどのカッパ店員が大きな皿を3つ持って現れた。

 

「フフフ、楽しんでいるかい? ご、ご飯しっかり食べて体力つけといてね……」

 なぜかきしょいウインク付き。

「ありがとうございます」

 そう言ってひなたはキモい妖怪から皿を受け取る。

「こ、これ僕が作ったんだぁ……」

 めっちゃニヤニヤしてるよ。変なもん入れてない?

「わぁ、お疲れ様です。食べるのが楽しみ♪」

 恐らく0円のスマイルをカッパに提供するとひなたは扉を無慈悲にバタン! と大きな音を立てて閉めた。

 言っていることとやっていることが違いすぎて怖い。

 

「さ、センパイ、"おめとど”みましょ♪」

 笑顔でプレッシャーをかけてくる。

「おう……」

 俺ってば監禁されてる?



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120 男の娘のためならえんりゃこりゃ

 少女マンガを原作にした『おめぇに届きやがれ』

 略して『おめとど』の実写映画を観ることやく6時間。

 既に夜になろうとしていた。

 

 隣りをみれば、赤坂 ひなたはクライマックスシーンということもあってか、号泣していた。

 鼻水をすすりながらハンカチを両手に持つ。

「うう……良かったぁ。二人がくっついて……」

 俺はといえば、終始無言、無反応。

 なぜならば、恋愛映画が嫌いというか興味がないからだ。

 特に邦画はタケちゃんの映画しかみない。

 

「センパイも良かったでしょ? ‟おめとど”」

 ティッシュで鼻をチーンとかみながら話を振ってくる。

 きったねぇな。

 

「え? ごめん、あんまり頭に入らなかったわ」

 俺がそう言うとひなたはブチギレ。

「はぁ!? この名作でキュンキュンしないなんて……センパイ、頭おかしいんじゃないですか!」

 酷い、強引に見せられておいてサイコパスとして脅威にされちゃったよ。

 

「あのな……俺は恋愛もの苦手なんだよ」

 むしろ6時間も付き合ってあげたんだから褒めてほしいところです。

「じゃあなんでセンパイはラブコメの小説書いているんです?」

 ジロッと睨まれた。

「あくまで仕事だからな。商業に出れば、書きたくないものも書かないとダメなんだよ」

 楽しさで言えばウェブ作家時代の方が良かったかも?

 大人の事情で前作『ヤクザの華』も打ち切りになったし。

 不完全燃焼だよ。

 自家発電しようとして、おっ立った割には出させないみたいな?

 

 

「ふーん……なら勉強になるでしょ。名作ラブストーリーなんだし……」

 不服そうに口をとんがらせる。

「どうだろうな。俺は直接人や物事を目に焼きつけるタイプでな。インパクトが強ければつよいほど作品に還元できるんだ。この作品が仮に名作だとしてもフィクションだろ? 俺はノンフィクションの方が好きだな」

 リアル重視で。

「インパクト……じゃ、じゃあ…」

 なにを頭に浮かべたのかはわからないが、ひなたは言いかけて黙り込んでしまった。

 顔を真っ赤にして。

 

「どうした?」

「センパイがドキドキしたら小説にも影響があるんですよね……ヒロインとして」

 気がつくとひなたは俺に身を寄せていた。

 俺の両肩を掴み、じっと見つめる。

「ひなた?」

「キス……しませんか?」

 ファッ!?

 

「何を言っているんだ! な、なぜそうなる?」

 思わず声が裏返ってしまった。

「だって……これも取材…でしょ?」

 瞳を潤わせ、頬を朱に染める。

 小さなピンク色の唇が輝いて見えた。

 

「ま、待て! こういうことは付き合ったもの同士でないと……」

「センパイ、怖いんですか?」

「べ、別にこわくなんかないんだからね!」

 なぜかツンデレキャラで答えてしまった。

「じゃあいいでしょ……」

 両肩への手の力が強くなり、俺は床に押し倒されてしまった。

 自然とひなたも俺に覆いかぶさる。

 彼女の太ももが股間に当たった。

 

 胸が破裂しそうなぐらい鼓動が早くなる。

 ひなたは尚もぐりぐりと膝を押し当ててくる。

「センパイ、私も初めてだから……」

 垂れた前髪が俺の頬にかかり、くすぐったい。

「ひ、ひなた……おまえ」

「何も言わないで…」

 そう呟くとひなたは目をつぶり、首を少し右に曲げるとゆっくり唇を近づける。

 俺は黙ってその光景を見守ることしかできなかった。

 ひなたの積極的な行動に圧倒していた。

 腕力なら俺の方が勝つ。

 だが、彼女のシャンプーの甘い香り、小麦色に焼けた素肌、細くて少し筋肉質な腕。

 

 全てが女性として魅力的だった。

 俺はひなたのことをまだ好きではない。

 だが経験としてなら、『取材』と言い訳してこのままキスしてもいいんじゃないだろうか?

 そう思えた。

 

 人生で一番長く感じる数秒間だった。

 あと数センチ、1ミリ……で、俺の唇とひたなの唇が触れ合う。

 俺もひなたと同様に目をつぶったその時だった。

 

 ブーーーッ!

 

 何かが俺たちの行動を制止した。

 俺は瞼をパチッと開く。

 ひなたも同時に目を開いていた。

 

 ブーーーッブーーーッ!

 

 俺のスマホが床で振動を立てながら踊っていた。

 画面は見てないがすぐに相手がわかった。

「アンナだ!」

 ずっと心配していたアンナからやっと着信が入ったんだ。

 

 我を忘れて衝動に駆られようとしていた俺は自分を自分で呪った。

 正直殴ってやりたかった。

 俺自身を。

 

「ひなた、ちょっとどいてくれ!」

 語気が強まる。

「ええ? 続きは…」

 しおらしくなるひなたを無理やり引っ剥がして、俺はスマホを取る。

 

 予想通り、電話をかけてきたのはアンナ本人だった。

 すぐに電話に出る。

「もしもし、アンナか!?」

『タッくん……』

 声にもならないようなか細い声でアンナは答えた。

 それと違和感を感じた。

 彼女の近くから聞こえる音だ。

 ザザーっと雑音が酷い。

 雨や風のそれに近い。

 

「おい、アンナ! 今どこだ!?」

 悪い予感が俺の脳裏をよぎる。

『しろ……だぶし……』

 暗号のような言葉を聞いて、俺は必死に脳内で考えまくる。ありとあらゆる知識を活用して。

「しろだぶし……? ハッ! まさか‟黒田節の像”か!?」

『ザザザ……』

 彼女からの反応はない。

 ただただ強い雨風の音だけが耳元に伝わってくる。

 

 

 俺はすぐさま立ち上がった。

 ネットカフェのパジャマを着たまま、洗濯し終えた着替えを持って部屋を出ようとする。

 すると背後からひなたの声が。

「センパイ! どこに行くんですか!? 外はまだ嵐なんですよ!」 

「悪い……ひなた。それでも俺は行かないと」

 女の子に恥をかかせて申し訳ないが、それよりもアンナの身が心配だ。

 謝罪ならいくらでもあとでしてやる。

 だから俺を早く行かせてくれ!

 

「わかり……ました」

 俺は背を向けたまま、「お前は明日帰れ」と言い残して走り出した。

 全速力で廊下を駆け抜ける。

 出入口付近のカウンターに立っていたカッパ店員に呼び止められる。

「お客さん! お金、お金!」

 いつもだったらキレているところだが、俺はなんとも思わなかった。

 黙って福沢諭吉を店員の顔に投げつけ「つりはいらん!」と叫び、店をあとにした。

 

 エレベーターを使うのも時間が惜しい。

 階段を使って8階から1階まで飛び降りるように下りていく。

 何段もある階段をうさぎのようにピョンピョンと跳ねまわる。

 着地する度に激痛が走ったが、アドレナリンが痛みを緩和する。

 

 一階におりたら、すぐさまバスターミナルを飛び出てタクシー乗り場を抜け、博多駅の中央広場に向かう。

 そして一番奥のビル前に見慣れたオブジェが……。

 黒田節の像、母里太兵衛が大雨で顔が濡れていた。

 まるで涙を流しているようだ。

 

 その下に彼女はいた。

 正確には倒れている……。

「アンナ!」

 すかさず彼女を抱きかかえる。

 

 いつものように俺とデートをしたかったのかもしれない。

 大きなリボンのついたピンクのワンピースを着ていた。

 ただ、その準備も虚しく、可愛らしい装いは雨と土で汚れている。

 メイクもしっかりしていたが、口紅があごに流れている。

 まるで吐血しているかのようだ。

 

「アンナ、アンナ! しっかりしろ!」

 俺は力強く彼女を揺さぶった。

「あ、タッくん…」

 冷たくなった手を俺の頬にやる。

 気がつくと俺は視界があやふやになっていた。

 雨のせいか、それとも涙を流しているのか……。

 

「アンナ……すまない!」

「来てくれるって……信じてたよ」

 そう言うと力なく笑って見せた。

「だから、そんな顔しないで」

 細く白い指で俺のまぶたを拭う。

 

「しゅ…ざい……」

 いいかけてアンナは気を失った。

「アンナぁ!」

 

 ど、どうすればいい?

 そうだ、救急車!

 

 スマホを取り出そうとしたが、雨で滑って手から転げ落ちた。

 カラカラっと地面を滑って、俺から離れていく。

 クソがっ!

 なんでこんなときに……。

 

 そうこうしているうちにもアンナには容赦なく大雨が襲ってくる。

 スマホを取りに戻りたいが、このままアンナを地面に寝かせるのも嫌だ。

 俺が彼女から離れることをためらい、うずくまっていると目の前に汚いブーツが現れた。

 見上げると肩まで伸びた長い髪の背の高い男が……。

 

「お困りのようだな。ヒーローの出番だ!」

 そう言うと白い歯をニカッと見せて笑顔を見せた。



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第十七章 新宮ファミリー
121 ヒーロー参上!


「お、おまえは……」

 俺は言葉を失っていた。

「よう、タク! ひとりの女の子も助けられないのか?」

 黄ばんだタンクトップにボロボロのジーンズ。

 つぎはぎの肩掛けリュックを背負っている。

 身長は180センチほど。

 黒くて長い髪を首の後ろでくくっている。輪ゴムで。

 見るからにホームレスといった風貌だ。

 

「オヤジ……」

 そうこの汚いおっさんが俺の父親、新宮 六弦(しんぐう ろくげん)だ。

 実に数年ぶりの再会だった。

「話はあとだ。とりあえず、その娘を助けるぞ!」

 俺が抱きかかえているアンナに身を寄せ、おでこに手を当てた。

 同時に左腕の脈も計っている。

「かなりの熱だな……脈も乱れている…」

 親父は至って冷静だった。

 俺はなにもできず、黙ってアンナを抱えていることしかできないでいた。

 

「タク、俺が車を用意してくる! その間、お前はこの子を雨風をしのげる場所まで移動させておけ!」

 親父の指示はもっともだった。

 アンナの変わりはてた姿を見て、パニックになっていた俺は彼女をずっとびしょ濡れのままにしていた。

 熱もあるらしいし、早く移動させねば。

 黒田節の像の近くには交番があった。

 すぐにアンナを抱えて中に入る。

 

 交番の中は誰もいなかった。

 何回か声をかけたが、反応なし。

 きっとパトロールにでも出ていっているのだろう。

 ひとまず、彼女を長いすに寝かせた。

 

 受付の前に『ご用の方は電話してください』とプレートがおいてあり、電話機もある。

「あれ、これ使って救急車呼べばいいんじゃないか?」

 俺がそう思っているうちに、親父が戻ってきた。

 

「タク! 車を回しておいた! 早く彼女を連れてこい!」

「でも……救急車とか呼べば…」

 そう言いかけると親父は激怒した。

「バカヤロー! 救急車なんておせーんだよ! とりあえず、家に連れていくぞ!」

「えぇ……」

 俺は親父の勢いに圧倒されて、言われるがまま、アンナを交番から連れ出した。

 

 親父の言った通り、博多駅のロータリーに一台の車が用意されていた。

「お、おい……この車」

「早く彼女を後部座席に寝かせろ!」

「い、いや、さすがにこの車はダメだろ……」

 みーんな大好き正義の味方。パトカーだよ、しかもサイレン付き。

 

「バカヤロー! お前の彼女と警察どっちが大事なんだ!」

 と叫びながら公用車をドカン! と拳で叩く。

 非常識なやつだとは思っていたが、ここまでとは……。

「わ、わかったよ」

 俺はしぶしぶアンナを後ろのシートに寝かせる。

 それを確認すると俺は助手席へ座ろうとした。

 だが、また親父に叱られる。

 

「おい、なにやってんだ! 急いで運転するんだぞ! お前は彼女をしっかりおさえていろ!」

「で、でも俺が座れないだろ?」

「バカ! 膝枕すれば問題ないねーだろ!」

「なるほど……」

「そんなチキンに育てた覚えはないぞ、タクッ!」

 いやあなた年がら年中、家にいないじゃないですか。

 そもそも育ててもらった覚えがないのはこっちですよ。

 

 俺はアンナの頭を自身の膝に乗せると、彼女が落ちないようにしっかりと抱きしめた。

 冷たい……こんなになるまで俺を待ち続けたのか?

 バカだな…。

「クソ」

 気がつくと頬に熱い涙が流れていた。

 

 親父が運転席に乗ると「急ぐからな」と言って、慣れた手つきでパトカーのボタンをいじりだす。

 するとけたたましいサイレンが「ウーウー!」鳴りだす。

「しっかり捕まってろよ!」

 エンジンをかけると文字通り猛スピードで出発。

 博多駅を出ると大博(たいはく)通りを突っ切る。

 メーターを見ると時速120キロ。

 走り屋じゃねぇか。

 

「このパトカー、古い型だな。おせーな」

 いや充分すぎるほどに速度オーバーだよ。

 よく捕まらないね。

 

 大博通りをすぎるとハンドルを思いっきり回して、急カーブ。

 アンナの細い脚がゴロンと落ちた。

「しっかり支えておけ!」

 言いながら親父はアクセル全開で都市高速に入る。

 

 料金所が見えたがETC側に入りすっ飛ばす。

 高速に入ると更にスピードは加速した。

 気がつけば150キロオーバー。

 アンナは脚をバタバタさせている。

 さすがにかわいそう。

 

 数分で博多インターから梶木(かじき)インターへたどり着くと国道に降りる。

 だが、それでも親父の運転は荒々しい。

 台風が幸か不幸か、車が少ないのが災いして、事故を起こしてないのが奇跡だ。

 

 博多駅を出て10分で我が地元、真島(まじま)につき、商店街にサイレンが鳴り響く。

 自宅兼美容院の『貴腐人(きふじん)』にパトカーを止めると、親父からすぐさまアンナを家に入れるように指示される。

 久しぶりにあった親父には圧倒されっぱなしだったが、なんとも頼もしい男だと痛感した。

 さすが自称ヒーローだな。無職だけど。

 

 家の扉を開こうとしたら、向こう側から開く。

 サイレンの音に気がついてか、母さんと妹のかなでが玄関まで出てきたのだ。

「タクくん! 一体どうしたのその女の子……」

 いつも物事にどうじない母だが、俺が初めてつれてきた『カノジョ』に動揺していた。

 ていうか、彼なんだけども。

「大変ですわ! その子、キツそう……」

 かなではすぐに危険を察知し、俺に「さ、早く二階へ」と誘導してくれた。

「ああ」

 

 戸惑う母さんを置いて、かなでと共に自室へ向かう。

 病院という二文字は頭になかった。

 

 自室に入るとかなでが二段ベッドの下に「アンナを寝かせるように」と促す。

 俺は言われるがまま、アンナをそっと寝かせる。

 アンナを見れば、息遣いがかなり荒くなっていた。

 熱がさらに上がっているのかもしれない。

 

「さ、おにーさまは部屋から出ていってくださいまし!」

「は? なんで?」

 

 俺がそう問いかけるとかなではブチギレた。

「女の子の着替えを見る気ですの? 許しませんよ!」

 そうだった……今はアンナという女の子の設定だった。

 かなでは彼女の正体をまだ知らないからな。

 このまま脱がされたら「おてんてん」にビックリしてしまうだろう。

 

「あ、いや、あのな……かなで。この娘はお前が思うような女の子じゃないんだよ」

 言いながらすごく困った。

 なんと説明したらいいものか。

 この子はミハイルだよーんとでも言えばいいの?

 

「おにーさま! 気をしっかり持ってください! 今はかなでに全てお任せください!」

「いや、そういうことじゃなくてだな…」

「大切な彼女様なんですよね? かなではおっ父様に看護の知識を習っています! 安心してくださいな!」

「だからそうじゃなくて……」

 俺とかなでで押し問答していると、部屋の扉がダーン! と勢いよく開く。

 

「タク! なにやってんだ! 女の子に恥をかかすな! そんなにその子の裸を見たいか!」

 

 六弦さんの登場である。

 ていうか、もうミハイルの裸なんて見たことあるし。

 

「親父、勘違いしてないか? 俺はただ……」

 と言い訳していると親父に首根っこを掴まれ、強制的に部屋から追い出される。

 親父は去り際にかなでへ「あとは頼むぞ」と言い、かなでは「ラジャッ!」と答えた。

 さすが震災や災害を生き抜いたふたりである。

 連携プレーがすごい。

 

 扉が閉まると、俺は廊下にボトン! と身体を落とされる。

「いってぇ」

 尻もちをついてしまった。

 

「タク、ところでお前、なんでそんな寝巻き来てんだ?」

 言われて自身の身体を眺めるとネットカフェのパジャマを着たままだった。

 いやん、恥ずかしい。

「こ、これは……」

 俺が口ごもっていると親父がニヤニヤ笑いだす。

「なんだぁ? あの子とお楽しみだったか? 色気づきやがって」

 違うわ!

 

「断じて違う!」

「ハハハッ、我が家はいいなぁ。タクも元気だし、かなでも相変わらず巨乳だし!」

 最低パパ。

 

「あとこれ忘れもんだぞ」

 そう言ってカゴを出された。

「俺の着替え……」

 ネットカフェで乾燥機にかけて使い物にならなくなったTシャツ。

 

「タク、こんなこと言いたくないが、アオ●ンやるなら天気のいい日にしろよな……」

 親父は俺を汚物をみるような目で見下していた。

 もうどうでもいいです……。



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122 間を置くと燃え上がる

 アンナが俺の自室に入って数時間が経とうとしていた。

 リビングの時計の針を見れば、既に夜の11時。

 空腹すら忘れていた。

 なぜならアンナの身が心配だし、何より妹のかなでが彼女の正体に気がつくことが一番の懸念だ。

 

 俺はひたすらリビングと廊下をウロウロしていた。

 座っている気分ではないからだ。

 まだか、まだか……とまるで出産を待つ夫のようだ。

 

 それを見兼ねてか、風呂上りの親父が上半身裸でこう言った。

「タク……みっともないぞ。男だろ」

「男は関係ないだろ…」

 突っ込む余裕すらなくなっていた。

 

 俺のせいでアンナが高熱を出すまで博多駅でひとり……暴風雨の中、待ち続けたんだ。

 責任は重々感じている。

 

「いいか、タク。こういう時は酒でも飲むに限るぞ? なあ、琴音ちゃん」

「そうよね、六さん♪」

 と言って互いに微笑んで見つめあうアラフォー夫婦。

 いい歳なんで、イチャつくのやめてください。

 

 母さんはいつもよりか化粧が濃い。痛いBLエプロンではなく、花柄の可愛らしいエプロンを着用していた。

 そして、なぜかデニムのミニスカート。

 女感がパない。

 

「タク、なにも食ってないんだろ? 琴音ちゃんのメシを食って待とう」

 親父はそう言うとテーブルにどっしり座り込む。

 笑顔の琴音ちゃんがビール瓶をおぼんにのせて、六さんのところまで持ってくる。

 おぼんの上には枝豆もある。

 無職の旦那にVIP待遇でかっぺムカつく。

 

「タクくん、六さんの言う通り、一緒にご飯でも食べましょ♪」

 なんかアンナのこと置き去りにしてません?

 お宅ら夫婦水入らずで食べれば?

 

 俺が舌打ちしてイラついていると、親父がブチギレる。

 

「タク! なんだその態度は!? 琴音ちゃんのメシが食えないってか! 反抗期か?」

 なわけないだろ、バカが!

「違うよ……彼女が…アンナが心配で」

 俺がそうもらすと親父は「ガハハハ」と口を大きく開けて笑った。

「あの童貞のタクもついに彼女デビューか!? こりゃ赤飯ものだな、琴音ちゃん?」

「そうね、六さん♪」

 気がつけば、母さんはなぜか親父の膝の上に尻を乗っけていた。

 そして、そのままビールをグラスに注ぐ。

 どこのキャバ嬢ですか?

 

「ハァ……この夫婦は」

 俺が呆れていると自室のドアが開く音がした。

 

 ハッとして、廊下に駆け寄る。

 かなでは疲れた顔をしていたが、笑っていた。

 思わず詰め寄る。

 妹の両肩を強く掴んで、揺さぶる。

 

「かなで! どうなんだ? アンナの様子は!?」

「お、落ち着いてくださいませ。おにーさま」

 驚くかなでを見て我に返る。

「す、すまない……」

「彼女でしたら、もう大丈夫です♪ 解熱剤をお尻からぶっすり指しておいたので」

「え……」

 絶句する俺氏。

 お尻から入れたの?

 てことは、パンティ脱がせたんだよね……見ちゃった?

 

「それから濡れていた服は脱がせて暖かいタオルで拭いてあげました。着替えはかなでのものを代用させてもらいましたわ♪」

「ま、マジか?」

「ええ、とってもキレイな方ですわね」

 笑顔が怖い。

 いつもなら「キーーーッ!」とブチギレる反応を示すのに(特に女関係は)

 今日はいつになく嬉しそうだ。

 

「そ、そのかなで……彼女のことなんだが…」

 妹のかなでにならバレても仕方ないと腹をくくった。

 続けて正体を告白しようとしたその時だった。

 かなでが人差し指を立てて、俺の口元に当てる。

「しーっ、おにーさま。おっ父様やおっ母様がいますわ……」

 小声で呟く。

 その目は真剣そのもので、全てを知っている上で語っていた。

「かなで…おまえ」

「とにかくかなでも疲れましたわ♪ 彼女が目を覚まされるまでご飯をいただきましょ」

 そう言って笑顔で俺の手を引っ張る。

 なんとも頼もしい妹だ。

 

 

 俺は強引にリビングへと戻され、数年ぶりに家族4人そろって食卓を囲むことになった。

 いつになく、食事が豪勢に見える。

 普段見慣れない巨大なエビ、イカの活け造り、鯛の塩焼き、下駄サイズのステーキ、キャビア……などなど、テーブルに乗り切れないぐらいの高級食材。

 

「母さん、まさかと思うがこの食材は親父が帰ってきたからか?」

 ちょっと睨んで言ってやった。

「もう~タクくんたらいつもこんな感じでしょ~ 六さんに嫉妬しないでぇ」

 するかぁ!

 そう言う母さんはずっと親父の膝の上だ。

 親父は当然のようにそれを受け入れ、なんなら母さんの腰に左手を回している。

 反対の右手で器用にビールをジョッキグラスで一気飲み。

 

「プッハー! 琴音ちゃんの作ったビールはいつもうまいなぁ!」

「やだぁ、六さんったらぁ」

 と言って年がないもなく頬を赤らめ、頭を左右にブンブン振り回す。

 ていうかさ、ビールは工場で作ったやつに決まってんじゃん。

 

「いつ見ても羨ましいですわ、おっ母様」

 俺の隣りに座るかなでに目をやると、反対側に座るラブラブ夫婦をじっと見つめていた。

 頬がピクピクと痙攣し、心なしか眉間に皺が寄っている。

「かなで、嫉妬しているのか?」

 俺がそう言うとかなではギギギッと軋んだような音を立てて首を回す。

「なんのことですの? おにーさま」

 引きつった笑顔で答える。

「いや、なんでもない……」

 

 かなでは家族であり、俺の妹なのだが、大前提として血がつながっていない。

 震災孤児のかなでは幼いころ、目の前でイチャこいている親父に助けられ、しばらくの間、避難所で一緒に暮らしていたと聞いたことがある。

 自称ヒーローで無職の六弦だが、かなでにとっては世界で一番尊敬している人間であり、また淡い恋心を寄せている男でもあるのだ。

 

 俺は父親似だ。

 きっとかなでにとって俺は六弦の代替えのようなものだろう。

 親父が帰ってきてはこの夫婦のやりとりを見て憤慨している。

 それを表すかのように今も握った箸を片手でへし折る。

 いつもバカな妹だが、六弦がいるときだけは怖い。

 

「そう言えば、タク。あの子の名前はなんていうんだ?」

「ああ、あの子はアンナだ」

「金髪だったが外国人か?」

「違うよ、ハーフだ」

「ほう、そりゃカワイイわけだ」

 親父が枝豆をつまみながら微笑む。

 

「ちょっと六さん? 私が世界で一番カワイイんじゃなかったけ?」

 眼鏡が怪しく光る琴音ちゃん。

 六弦のほっぺをギューっとひねる。

「いてて、違うよ、琴音ちゃん。‟カワイイ”の意味が違うよ。ペットとかお花的な意味だよ」

「なぁんだ、六さんは優しい人だものね」

 言いながら自身がつねって赤くなった頬にキスする。

 うぉえ! しんどっ!

 

 俺が吐き気をもよおしていると、隣りに座っていたかなでがグラスを床に落とす。

 ガシャンと割れる音がした。

「あらやだぁ、かなでったら粗相ですわぁ」

 謝ってはいるがキレている。

「おっちょこちょいだなぁ、かなでは」

 親父がそう言うと、かなではやっと嬉しそうに笑った。

「ごめんなさい、おっ父様」

「気にするな、かなでは相変わらず無駄に乳がデカいな」

 と言って高笑いする。

 義理の娘とは言え、堂々とセクハラ発言すな。

 

「おっ父様たら……」

 え? めっさ嬉しそうやん、妹ちゃん。

 

 

 そして束の間の団らんを家族で楽しんだ。

 と、言っても俺はアンナのことで頭がいっぱいだったんだが……。

 今は彼女が目を覚ますまで、問題はあとにしておこう。

 色々とアンナにも聞くことがあるし、かなでが真実を知ってしまったことも。

 

 ピンポーン!

 

 チャイムが鳴った。

「あら誰かしら?」

 母さんがインターホンに出ると、うろたえた。

「琴音ちゃん誰?」

 後ろから親父が問うと母さんは「警察の人」と答えた。

 

 忘れてた、博多駅で親父が盗んだパトカーを自宅の前に放置していたことを……。

 

「親父、どうすんだ?」

「なんだ、ポリ公か……ちょっくら片づけてくるわ」

 そう言って六弦は肩をブンブン振り回して一階へ降りていった。

 まさかとは思うが、警察官をブッ倒す気じゃないよね?

 マジで捕まるよ? 六さん……。



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123 なんだかんだ言ってもみんなコネ入社

 警察官が我が家に、恐らく初めて足を踏み入れた。

 応対する親父がどうしても心配…というかおっかないので、俺は階段を降りて一階の様子を見てみることにした。

 制服を着た警察官が二人。

 屈強な身体をしている男たちだ。

 

 一人の警察官が威圧的に物を言う。

「あなた、パトカーを盗むとか立派な犯罪ですよ!」

 と怒鳴り散らす。

 

 するともう片方の警察官は手錠を既に用意していた。

 

 マジか……親父ってばブタ箱行きか。

 ま、それはそれでいいかも。

 無職のごくつぶしだからね。

 

 だが肝心の親父は彼らの罵声にうろたえることなく、逆に怒鳴り返す。

 

「うるせぇな! お前らこそ仕事しろよ、バカヤロー!」

 ヤクザかな?

 警察官の方こそ、親父に圧倒されつつある。

 

「ちょ、ちょっと私たち警察ですよ?」

「あぁ!? 見りゃわかるよ。威張るだけがポリ公の仕事か!?」

「そういうわけでは……」

「逮捕するなら早くしちまえ。ただお前らあとで後悔することになるぞ」

 親父はなぜかほくそ笑む。

 なにか裏がありそうだ。

 

「後悔するのはあなたでしょ!? 窃盗罪で逮捕します!」

 警察官は啖呵を切ると親父に手錠をかけた。

 

 それを見て、俺は慌てて階段を駆け下りる。

「お、親父!」

 うろたえる俺を見て親父はニカッと歯を見せて笑う。

 

「心配するな、タク。秒で帰ってくるぜ」

 なぜか自信満々でお縄にかかる毒親だった。

「俺のせいで……」

「バカヤロー、てめぇの女を守ることに理由なんていらねぇんだよ」

 格好つけてるけど、あなた今逮捕されているからね?

 

 

 親父は警察官たちにパトカーへ連れ込まれ、サイレンと共に行ってしまった。

 数年ぶりに帰ってきたかと思えば、嵐のように去っていったな……。

 

「ま、犯罪はよくないからな……」

 と呟いて俺は二階に戻る。

 

 リビングでは母さんとかなでが何事もなかったかのように食事を楽しんでいた。

 時折、笑顔も見える。

 夫が捕まったというのになぜか笑っている琴音ちゃん。

 さっきまでイチャイチャしてたのに。

 

「六さんったら相変わらずヤンチャなんだから」

「おっ父様ですもの」

 そう言って互いを見つめっては思い出し笑いする二人。

 いや、少しは心配してやれよ。

 

「母さん、親父が逮捕されたぞ?」

 一応、情報提供しておく。

「あら、やっぱり捕まったの? ま、すぐに戻ってくるでしょ。今に始まったことじゃないし」

 ええ!? 前科あるの?

 

「パトカーを盗んだんだ。すぐに出所できないだろ……」

 俺がそう呟くと母さんは笑って答えた。

「大丈夫よ、六さんのお父様がいるからね」

「親父の? つまり俺のじいちゃんか?」

 そう言えば、俺は親父側の祖父と祖母に会ったことがない。

 母方の祖母ならたまに会うのだが。

 

「ええ、六さんのお父様は警視総監だからね。すぐにお父様の計らいで揉み消してくれるわよ」

 ファッ!?

 

「おい初耳だぞ、俺のじいちゃんとか……」

 母さんは味噌汁をずずっと飲みながら答える。

「だって私と六さんは駆け落ちしたからね」

「な、なるほど…。だから俺とじいちゃんは会ったことがないのか」

「そうね、でもおじい様はこっそり部下を使ってあなたを常時監視しているらしいわよ」

「……なにそれ」

 こわっ!

 聞かなかったことにしよう。

 

 

 俺はあほらしいとため息をついて、食事をとった。

 

 それからしばらくして、親父は宣言通り無事に帰宅した。

 帰ってきたと同時に最愛の妻である琴音ちゃんとあつ~い接吻。

 しかもディープなやつ。

 エグい。

 

「おい、あんたらちょっとは人目を気にしろよ。年頃の子供たちがいるんだぞ?」

 俺がそう言っても六弦と琴音は瞼を閉じて……レロレロレロレロ。

 いい加減にしてくれ。

 

「おにーさま、ちょっといいかしら?」

 真剣な眼差しでかなでが俺の袖を引っ張る。

「ん? どうした?」

「アンナちゃんのことで…」

「ああ…」

 すぐに察した。

 

 親父と母さんが書斎に入るのを確認してから、かなでとヒソヒソ声で話し始める。

 

 

「アンナちゃん……彼女、いえ彼ですよね?」

 かなでの言葉がグサッと胸に刺さる。 

「そ、そうだ……女のお前に看病させて悪かったな」

 俺が頭を垂れるとかなでは「気にしてませんよ」と笑ってくれた。

「ミーシャちゃんですよね」

「なぜわかった?」

 かなでは咳払いをしたあと、話を続ける。

 

「とにかくアンナちゃんのことは、かなでとおにーさまの秘密にしておきましょう」

 そう言って小指を差し出す。

「なぜだ?」

「はぁ……おにーさま。アンナちゃん…いやミーシャちゃんがどんな想いで女の子の格好をしていると思っているんですか?」

 かなでに言われて、思い出した。

 

 数週間前、告白して俺がふったあと……。

 泣きながらいったミハイルの言葉を。

 

『オレが女だったら……付き合ってたか?』

 

『じゃあ生まれ変わったら、付き合ってくれよな』

 

 そうだ、ミハイルはあくまで女として生まれ変わったら、俺と付き合うと約束したんだ。

 つまり俺に正体がバレていることを知ったら……。

 俺の元から……この世界から消えてしまうかもしれない。

 

 改めて俺は自分自身を呪った。

 ミハイルがアンナであることはきっと墓場まで持っていかないとダメな気がする。

 

 

「わかった……かなで、悪いが付き合ってくれ」

 そう言って俺も小指を出す。

「ふふ、二人だけの秘密ですわ」

 優しく微笑むとかなでは小指を絡めて約束してくれた。

 

 ただ一つ気になることがある。

 アンナが男だというのは裸にすれば、そりゃ誰だってわかるだろう。

 しかしミハイルだと断定できたのはなぜだ?

 初対面の親父なら仕方ないが、母さんも気がつかなかった。

 

「なあ、かなで。何故アンナがミハイルだとわかった?」

 俺がそう言うとかなでは尋常ないぐらいの汗を大量に吹き出した。

「そ、それはアレですわ……女の勘ってやつですわ」

 なんか怪しいな。

「ふむ……まあそういうことにしておこう」

「それより、アンナちゃんの顔を見にいってあげたらどうですか?」

 無理やり話題を変えられた気がする。

 だが確かにアンナを心配だったのは事実だ。

 

「わかった。ちょっと見てくる…」

「かなではおっ母様の部屋で寝ますから、お二人で仲良くされてくださいな」

「え……」

「アンナちゃんとは一回一緒に寝ているから問題ないでしょ?」

「それミハイルだろ……」

 頭がこんがらがってきた。

 

 

 俺はかなでをリビングに残して、自室の扉を静かに開く。

 二段ベッドの下でアンナは可愛らしいピンクのパジャマを着て寝息を立てていた。

 おでこに手をやるとだいぶ熱が引いているのが確認できた。

「寝顔もかわいいな」

 俺がそう呟くと、瞼がパチッと開いた。

 思わずのけぞってしまう。

 

「タッくん……?」

 アンナが目を覚ました。

 しまった、聞かれたか?

 

「アンナ、大丈夫か?」

「うん……ここはどこ?」

 まだ声に元気がない。

「俺の家だ。いきなり連れてきてしまってすまない……」

 一応、初めてきたことになっている設定だからね。

 貫き通さないと……。

 

「そっかぁ、夢にまで見たタッくんのお部屋かぁ」

 よくそこまでウソつけますね。

「まあこのベッドは妹のなんだけども…」

「妹さんの?」

「そうだ、着替えも看病も俺の妹。かなでがしたから安心してくれ」

 女の子の設定だから紳士的にふるまう。

 俺がそう言うとアンナは目を見開いて驚いていた。

 

 

「そっかぁ……妹さんがしてくれたんだね。お礼を言わなきゃ……」

 アンナは身体を起そうとしたが、まだフラついている。

 それを見た俺はすぐさま彼女を枕に戻す。

「まだ寝ていろ。嵐の中ずっと雨風に打たれていたんだ」

 俺はそう言うと改めて自分のやったことを後悔する。

 うなだれた俺にアンナがそっと手を握る。

 

「でもタッくんは来てくれた。それだけで待ったかいはあったよね☆」

 はにかむ彼女の笑顔を見ると俺は涙を流していた。

「す、すまない……アンナ。こんな思いはもうさせないから」

 俺は人前で泣いたことなんてあまりないが、安心したせいか大声で泣きじゃくった。

 するとアンナが優しく俺の頭を撫でる。

 

「タッくんの初めてまたもらっちゃった☆」

「え?」

「泣き顔☆」



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124 プロレスごっこは内緒にしてあげよう

 俺はしばらくアンナの手を取り、泣いていた。

 それをアンナが見つめて優しく微笑む。

 彼女の方がキツいはずなのに、まるで俺の方が看病されているようだ。

 

「タッくん……」

 まだアンナの声は元気がない。

「どうした?」

「ちょっと寝てても……いいかな?」

 そう言うアンナはかなり無理していたようで息遣いが荒い。

 熱がまた出てきたのかもしれない。

 

 

 俺は「休んでくれ」と言い、彼女から手を離そうとした。

 だが、アンナが強く引き止める。

「タッくんがいいならこのままがいい……」

「わかった……安心しろ。このままアンナを見守っているから」

 俺は改めて彼女の手を両手で握りなおす。

 時折、親指でアンナの指を愛らしく触れる。

 

「わがまま言ってごめんね……」

 アンナはそう言うと、こと切れたかのように眠りに入った。

「ふぅ……」

 まだ安静にしておかないと、いけないのかもしれないな。

 

 

 自室の時計を見れば深夜の2時を迎えようとしていた。

 俺は静かにアンナの寝顔を見つめる。

 

 まだ苦しそうで、「ハァハァ」と息が荒く、頬も赤い。

 その時、部屋の扉がノックされた。

 俺が答える前にドアは開き、暗い部屋の中に現れたのは妹のかなでだった。

 

 

 小声で俺に話しかける。

「おにーさま、アンナちゃんの様子はどうですか?」

「解熱剤の効果が切れたようだ。熱がまた高くなったのかもしらん」

 

 俺がそう言うとかなでは体温計を持ってきて、「ちょっといいですか?」と俺の隣りに座る。

 そしてアンナのパジャマのボタンを少し外す。

 思わず俺は視線を外す。

 今のアンナはあくまでも女の子なので……。

 

 それを見てか、かなでがクスッと笑う。

「おにーさまはやっぱり、まだまだ童貞臭いですね♪」

「悪かったな」

 言いながら頬が熱くなる。

 

 

 かなでは熱を計り終え「39度ありますわ……」と教えてくれた。

「やはり病院に行くべきだったんじゃないのか?」

 俺がそう苦言を呈すると、かなでは首を横に振る。

「確かに一理ありますが、見たところ大雨に打たれての発熱でしょうから。一時的なものですわ」

 医者かよ。

 

 かなでは人差し指を立てて、うんちくを話し出す。

「それに……この時間だと深夜の受付になりますわ。待たされるだけ待たされて出されるのは解熱剤だけですもの。患者さんからしたら横になって平日の時間帯に受診するのが一番ですことよ」

「なるほどな…」

 てか、なんでこいつそんなこと知ってんの?

 

「さ、氷枕を準備してきましたので変えましょう」

「用意いいな、かなで」

 我が妹ながら高スペックナースである。

 かなではそっとアンナの枕を取り換え、冷えピタをおでこに貼る。

 その間も俺はずっとアンナの手を握ったままだ。

 

「随分、大事なんですね。アンナちゃんのこと」

 かなでは嬉しそうに笑った。

「ま、まあな。カノジョではないぞ、あくまで取材対象だからな」

 念を押しておく、正体がミハイルとバレているだけに。

「そういうことにしておきますわ♪」

 クッ! 弱みを握られてしまった……。

 

 

「ところで、かなで。お前こんな時間なのにまだ起きてたのか?」

 俺がそう問いかけるとかなでは、急に態度を変えてムスッとした。

「うるさくて眠れないんですのよ……」

 眉間に皺を寄せて、扉の向こうを首でクイッとさす。

「うるさい?」

 俺がかなでの答えに首を傾げいていると、ガタガタッとベッドが揺れた。

 

「なんだ!? 地震か?」

 すかさずアンナを抱きしめて守りに入る。

 ほのかな甘い香りが漂い、ハプニングとはいえ、興奮してしまいそう。

 

 だがかなでが俺の襟を掴んで強制的に戻される。

「グヘッ!」

「なにどさくさに紛れてアンナちゃんに襲ってるんですの? 病人をレ●プとかマジ鬼畜ですわ!」

 いや、してないし。

 

「地震と思ったから……」

「そんなご大層なもんじゃありませんわ」

 腕を組んで「フン!」とキレるかなでさん。

「どういうことだ?」

「おにーさまも察しが悪いですわね……おっ父様が久しぶりに帰ってきたのですわよ?」

「……まさか」

 俺は一旦アンナから離れて扉に耳を当てる。

 扉の向こう側、つまり廊下からなにやら騒がしく聞こえてくる。

 

 

「あーーーん! 六さぁん! すごぉい!」

「オラオラァ! 琴音ちゃん、どうだぁ! 感じているかぁ!?」

「か、快感!」

 

 

「……」

 俺はすっとアンナの元に戻り、手を優しく握ってあげた。

 その間もベッドというか、部屋全体に激しい振動が伝わってくる。

「かなで、母さんは親父の部屋か?」

「ええ、かれこれ3時間ほどですわ……」

「タフだな……」

 年頃の息子は血の気が引き、義理の娘は激おこぷんぷん丸だった。

 

「おにーさまさえ良ければ、この部屋にいてもいいですか?」

「構わんぞ、なんか俺の両親が悪いな」

「いえ、かなでの両親でもありますので……」

 と答えつつも声が冷たい。

 

 

 ~それから夜明けを迎え~

 

 

 カーテンの切れ目から日差しが入り込む。

 眩しい明かりで、俺は目が覚める。

 気がつくと、俺はかなでと隣り合わせで仲良く毛布にうずくまっていた。

 目の前のベッドを見ると彼女の姿がない。

 

「アンナ!?」

 俺が急に立ち上がったため、もたれかかっていたかなでが床にゴロンと倒れる。

「いったい! ですわ……」

 頭をさするかなでを無視して部屋を出る。

 廊下に出たが人気はなくトイレかと思い、ノックしたが応答はない。

 次に風呂かと思って、脱衣所をチラっと確認したがやはり誰もいない。

 

 もしや、正体がバレたことにショックを受けて……。

 最悪の予感が俺を襲う。

 

 その時だった。

 リビングの方からトントントンと、一定の拍子で何かを叩くような音がする。

 俺が恐る恐る近づくと、そこにはエプロンをかけた彼女の後ろ姿が。

 ピンクのパーカーとショートパンツのパジャマ。

 金色の長い髪を首元で左にくくっている。大きなリボンで。

 何かを鍋でぐつぐつと煮ていて、お玉で小皿に注ぐと味見していた。

 

「アンナ……」

 俺がそう呟くと、彼女はそれに気がつき振り返る。

 するとそこには満面の笑みで、元気な彼女が答えてくれた。

 

「タッくん! おはよう☆」

「ああ……」

 俺は言葉を失っていた。

 

 心配していたことよりも以前『夢』に出てきたような光景に。

 朝早くから俺のために料理をして、可愛らしく微笑む彼女が『夢のミーちゃん』にそっくりだったからだ。

 ただし違和感があるとすれば、エプロンだ。

 母さん愛用の裸体男たちが「アーーーッ!」している痛いBLエプロンを着用していた……。

 

 

「もういいのか? アンナ……」

「うん、ぐっすり寝たら元気になったよ☆」

「そ、そうか……」

「ちょっと待っててね、今お味噌汁作ってるから……」

 そう言うと彼女は俺に背を向けた。

 鼻歌交じりにお玉で鍋を回す。

 同時進行で隣りのガステーブルで卵焼きを作っていた。

 

 

 俺がその姿に言葉を失い突っ立っていると、アンナは苦笑いして「テーブルに座ってて」と諭す。

「ああ……」

 なんて美しい姿なんだろう。

 確かに今までアンナがカワイイと何度も思ったことはある。

 だが俺の自宅で、普段母さんや妹のかなでがいるだけのこの空間にアンナという一輪の華がそえられただけで世界が変わってしまった。

 

 まるで……そうまるで…俺とアンナだけの二人きりの世界。

 同棲、いや結婚しているようだ。

 

「うん、いい出来かな☆」

 彼女は味噌汁の入った鍋に蓋をし、卵焼きを皿に移す。

 すると冷蔵庫から新しい卵を取り出して、また焼きだす。

 どうやら俺たち家族全員分を作ってくれているようだ。

 

 その際、何かを思い出したかのように、俺にたずねる。

「タッくん、睡眠不足じゃない? コーヒー飲むでしょ☆」

「そ、そうだな……」

 コーヒーポッドで淹れた温かいブラックコーヒーをマグカップに注ぐ。

 

「ハイ☆ これ飲んでもうしばらく待っててね☆」

「ああ…いただきます…」

 なんだろう……このまま時間止めてもらってもいいですか?



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125 家族団らん

 気がつくとアンナは、テーブルに乗りきれないぐらいのおかずを並べていた。

 鮭、卵焼き、ウインナー、サラダ、味噌汁、ひじき、きんぴらごぼう……。

 一体、この短時間でどこまで仕込んでいたんだ。

 

「ふぁあ……おっ! なんだこのメシは!?」

 親父はタンクトップにトランクス姿という、だらしのない格好で現れた。

「キャッ!」

 思わずアンナが目を手で覆う。

「おっと。彼女ちゃんがいたか、悪い悪い」

 とヘラヘラ笑いながら一旦部屋に戻る。

 

 

「すまない、アンナ。親父はデリカシーなくてな」

 てか、あなたも男だから寛大になりなよ。

 どこまで乙女なの?

「ご、ごめん。あの人、タッくんのパパさんなの?」

 なんか言い方がいやらしく聞こえるのは俺だけですか。

 パパ活しちゃダメよ。

 

「ああ、そうだ。無職だが」

「そうなんだぁ……タッくんに似ているね☆」

 え、あんまり嬉しくない。

「よく言われるよ、不本意ながら」

 テーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せていると、誰かが頭のてっぺんをブッ叩く。

 

「誰が無職だ! いつも言っているだろ、俺はヒーローだと!」

 犯人は自称ヒーロー。

 英雄なら暴力しちゃダメでしょ。

「いってぇ……」

「ところでタク。このお嬢さんのお名前は?」

 親父がそう手のひらをアンナに向ける。

 するとアンナはカチコチに固まってしまった。

 こんな親父に緊張しなくてもいいのに。

 

「ああ、古賀 アンナだ」

「ど、どうもお父様。アンナです。タッくん……いや琢人くんとは日頃から仲良くさせていただいてます」

 かしこまりすぎ。

「そうかそうか、アンナちゃんか。君はタクと付き合っているんだろ? タクのことをこれからもよろしくな。こいつバカで変態だけど」

 おい! 最後の一言、人格否定だぞ!

 

「あ、あの……そのアンナとタッくんは…そのぉ」

 頬を赤くして、しどろもどろになる。

 どうやら付き合っていることを否定したいみたいだが、説明に困っているようだ。

 何度か俺のほうをチラチラと見ては助けを求める。

 

「あのな親父。俺とアンナはそういう仲じゃないんだよ」

 そう言うと、親父は目を丸くした。

「は? お前さんたちどう見ても付き合ってるだろ? 雨の中でびしょ濡れになるまでお互いを気にし続けるような仲じゃないか……って言っているこっちが恥ずかしいわ」

 改めて親父にそう回想されると、俺もなんだかめっちゃはずい。

 

「あ、あのひょっとしてお父様がアンナを助けてくれたんですか?」

 アンナがそう聞くと、親父はニカッと歯を見せて笑う。

「助けたのはタクだよ。俺は少し車を運転しただけだ」

 違う、そうじゃない。

 正しくは窃盗したパトカーを無断で運転しただけ。

「そうだったんですね……でもありがとうございます!」

 アンナはその場で深々と頭を下げた。

 

「良いって良いって、俺は人を助けるのが趣味みたいなもんだから」

 若い女子に褒められたもんだから、鼻の下を伸ばして頭をかく。

 アンナは顔を上げると俺の方をチラッと見て、優しく微笑んだ。

 

「それからタッくんも……」

「お、おう……」

 俺はアンナに釘付けだった。

 親父の存在は無視して、アンナのグリーンアイズに引き込まれる。

 彼女も俺を見つめ、声には出さなかったが唇だけを動かした。

「あ・り・が・と」

 頬が熱くなるのがわかる。

 

 俺とアンナの甘い二人だけの時を遮断したのは気色の悪い無駄乳だった。

「アンナちゃーーーん!」

 妹のかなでが彼女に飛び掛かる。

 そして中学生には似合わない巨乳をアンナの顔にゴリゴリとなすりつける。

 

「うぶ……」

 息できてない!

「はぁん、カワイイ、カワイイよん。アンナちゃんってば~」

 そう言うとアンナの白くて柔らかそうなほっぺに自身の頬をすりすり。

「あっ!」

 思わず声が出てしまった。

 俺でさえしたことないのに!

 

「く、くるし……」

 本当に苦しそうだったので、さすがに止めに入る。

「おい、かなで。アンナが苦しそうだ。そろそろやめてやれ」

 俺がそう言うとかなでは「ハッ」と我に返る。

「おいたが過ぎましたわね……ごめんなさいまし」

 かなではやっとのことで彼女から離れると、スカートの裾を軽くたくし上げて、頭を下げる。

 

「はじめまして。私、おにーさまの妹、かなでと申しますわ」

 言うて二回目の自己紹介だけどね…。

「え……何を言っているの? かなでちゃ……」

 とアンナも設定を忘れていたようで、言いかけた途中で口に手をあてる。

 

 それを見ていた親父が、すかさずつっこむ。

「おん? アンナちゃんはかなでと知り合いか?」

 ヤバい、もうボロが出だした。

「あ、いえ、その……」

 尋常じゃないぐらいの大量の汗が、額から吹き出すアンナ。

 俺が助け舟を出す。

「違うんだよ、親父。アンナのいとこに俺のダチがいてな。そいつからかなでのことを聞いてたらしい」

 アンナ=ミハイルなんだよなぁ。

「なるほど……」

 いとも簡単に納得してくれたバカ。

 

 

 しばしの沈黙のあと、お袋がよろよろしながらリビングに現れた。

 腰が曲がっていてなんか逝く前の老人みたい。

 

「六さんや……私を座らせておくれ……」

 いや話し方まで老けちゃったよ。

「おお、琴音ちゃん。腰がブッ壊れたか」

「え、腰?」

 俺はそのワードにしばらく囚われた。

 かなでがそれにいち早く気がつき、俺に耳打ちする。

「おにーさま、昨晩の例のやつですわよ……」

 そういうかなでの声は凍えるような冷たい声だった。

 あ……察し。

 

 母さんは親父に介護されながらテーブルのイスに座った。

 ヤリすぎて腰をぶっ壊したらしい。

 

「いやぁ、昨日はスッキリしたなぁ」

 親父はゲラゲラと品のない大声で笑い、それを見たかなでは「フン」と不機嫌そうに首を横にやる。

「そうですねぇ……六さんはまだまだ若いですからねぇ……」

 琴音おばあちゃん、認知症入った?

「なんかすごくいいご家族ですね☆」

 何も知らないアンナが屈託のない笑顔でそう言った。

 事実を知っている俺とかなでは苦笑い。

「そうか?」

「……」

 無言の圧力をかけてくる妹氏。

 

「だろ、俺の自慢の家族だよ! いつまでもカワイイ琴音ちゃん」

 と言って、ヨボヨボ母さんにほっぺチュー。

「うわぁ大胆☆」

 アンナはなぜか嬉しそうだ。

 

「それにオタクのタク!」

 と言って失礼な紹介をするクソ親父。

「うんうん」

 なぜか納得するアンナちゃん。

 

「最後は無駄に乳がデカいかなで!」

 と言ってかなでの顔ではなく乳を指差す。

「え……」

 これには絶句するアンナだったが、例外が一人。

 かなでだ。

「も~う! おっ父様ったら~!」

 

 

「じゃあ自己紹介が済んだところで、アンナちゃんお手製の朝ご飯をいただくとするか!」

 なぜお前が仕切っている六弦?

 仕方ないので俺は親父に従って、長いすにアンナ、俺、かなでの順で座る。

 反対側には弱り切った母さんと親父。

 

「よしみんな手を合わせて~」

 一人、合掌したら死にそうなご婦人がいるんだけど。 

 

「「「「いただきまーす!」」」」

 

 俺はアンナが愛情たっぷり注いで作ってくれたご飯を堪能する。

「うむ、アンナの料理はいつ食べてもうまいな」

「ただの卵焼きだよ、それ☆」

 言いながらも嬉しそうに笑うアンナ。

 

「いや、俺好みの甘い卵焼きだ……俺は卵焼きのプロだが、それを凌ぐ腕だな」

 ソースは俺。

 卵焼きだけを焼き続けて早十年。

 この境地に至るまでにどれだけのひよこたちを犠牲にしたのやら。

 悔しいがアンナは俺と同等かそれ以上だ。

 

 かなでも「う~ん、おっ母様よりもおいしいかも~」とアル中のように喜ぶ。

 

 ふと反対側を見ると、親父が母さんに「あーん」と鮭を口に運んでいた。

 いつもなら、こんなことはないのだが……。

 逆に母さんが親父に「あーん」してあげることは多い。特に夜。

 だが今日の母さんは弱りきっているため、ただの介護だ。

 

「もしゃもしゃ……アンナちゃんはこんなおいしいご飯作れるんだねぇ。タクくんを……お嫁さんにしておくれぇ」

 いや、逆だろ? 俺がアンナを嫁にしないと。

 マジでボケた……?

 

「は、はい! お母さま、必ずや!」

 なぜか真に受けるアンナ。

 そして、何を思ったのか、鮭を箸で取り俺の口元へ。

「ん? どした?」

 

「あ、あ~ん……」

 頬を赤くしながら上目遣いで、箸を俺に向ける。

 

 しばらく俺はその行動に困惑していた。

 すると隣に座っていた、かなでから肘うちを食らう。

「グヘッ!」

 かなでは味噌汁を啜りながら呟いた。

「女の子に恥をかかせないで」

 

 

 俺は従うしかなかった。

「あむっ」

「ど、どう?」

「うまい……」

「良かったぁ」

 緊張がほぐれるアンナ。

 しかし俺が懸念していることは鮭の中に骨があったことだ。

 出したいが失礼かと思い飲み込んだ。



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126 さらば、息子よ!

 俺はアンナお手製の料理を、終始お口に「あーん」してもらっていた。

 まあ対面の熟年夫婦も同じことしてたんだけど。

 例外なのは妹のかなでだけ。

 ひとりイライラしながら黙々と食べていた。

 

 あれほどテーブルに乗り切れなかった豪勢な食事を5人でペロッと食べてしまった。

 

「アンナちゃん、ごちそうさま!」

 親父が豪快に手をパチンと叩いて礼を言う。

「うう……おいしかったですよ…アンナちゃんや」

 腰が曲がった母上も。

「ホントですわ♪ 毎日アンナちゃんに作ってもらいたいぐらいですわ! おにーさまのお嫁さんになっていただけたら一番です♪」

 かなでがそう褒めちぎると、アンナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 

「あ、あのお粗末様でした……」

 と呟いたあと、隣りの俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。

「お嫁さん、か……」

 間に受けているぅ~!

 

 

 食事を終え、アンナはボロボロの母さんを見て、「食器の片付けしておきます」と言い、俺たちが食い散らかした皿を全てキッチンのシンクに入れる。

 そして洗剤をスポンジにつけて泡立てると、器用に洗い出す。

「随分、慣れているんだな……」

 俺はテーブルで食後のコーヒーを楽しみながら、アンナの後ろ姿を見つめる。

 

 彼女は洗いながら上半身だけ振り返る。

「うん☆ パパとママがいなかったから、どうしてもアンナがやらないといけなかったし、それにこういうの大好きだから☆」

 と満面の笑顔で答える。

 ヤバい、有能すぎるこの子。

 早く嫁に欲しい。

 

「そうか……アンナは頑張り屋だな」

 俺が感心していると、母さんが「私は横になりますよぉ……」と曲がった腰に手を当てて、自室へと戻る。

 かなでも「アンナの服を洗濯してくる」と去っていった。

 リビングに残ったのは俺とアンナ……それにニコニコ笑っている親父。

 邪魔だな、こいつ。

 

 

「なあタク」

「ん?」

 俺に用があるときは決まっている。

 一つしかない。

 

「お父さん、今からまた旅に出ないといけないんだ……たくさんの人々を助けるからな」

 と言いながらどこか遠い目をして、格好つける。

「はぁ……金か?」

 俺がため息交じりに答えると、親父は目の色を変えて喜んだ。

 

「そうなんだよ! 金がないとさ、どうしてもヒーローはやってられないからなぁ」

 やめちまえ。そしてさっさとハローワークに登録してこい!

「はぁ……いくらだ?」

 情けない、実の子に金を無心するとは。

「10万ぐらいあったら……」

 神頼みするように手を合わせて、目をつぶる。

 俺は汚物を見るかのように、六弦というクズを見下す。

 

「高い!」

 無職にくれてやる金額ではない。

「じゃあ、8万で……」

 どんどん親父としての威厳がなくなっていく。

 これではどちらが子供かわからない。

 

「はぁ……こっちも親父が無職だから、家庭は火の車なんだよ」

 主な収入源は母さんの美容院と俺の新聞配達から成り立っている。

 それでもカツカツ。

 たまに少ないライトノベルの印税が入るぐらいだ。

 

「いつも苦労かけてすまんな、タク! だがさすが俺の息子だ、父さんがいなくてもしっかり母さんを守ってくれるし、可愛い妹のかなでをおかずにするし……」

 してねぇ!

 

 それまで黙って皿を洗っていたアンナが、話を聞いてガシャン! と何かを落としてしまう。

「ご、ごめんなさい……」

「大事ないか? ケガは?」

「だ、大丈夫……」

 平常心を装っているようだが、苦笑い。

 おかずの意味をしってしまったのかね?

 

 親父はそれには構わず、話を続ける。

「頼む! 7万ぐらいくれ! この通りだ!」

 そう叫ぶとなにを思ったのか、親父はテーブルから飛び降りるようにして、フライング土下座をかます。

 額を床にゴリゴリとなすりつけて。

 

 アンナもその姿を見てドン引きしていた。

 何が起こっているのかわからず、動揺している様子だ。

 

 アンナがいなければ、1万しかやらんが彼女のためだ。

 許してやるか。

 いつもならこんなに寛大ではないぞ、親父。

 彼女に感謝するんだな。

 

「わかったわかった……もう頭を上げてくれ、六弦」

 既に名前を呼び捨て。

「おお! さすが俺の息子だ!」

 泣いて喜ぶ親父。

 本当に俺とあなたは血が繋がってます?

 繋がってないからこんなにも非情なことができるんじゃないですか?

 

    ※

 

 自室の机から福沢諭吉を7人連れてくると、親父に差し出す。

 それを奪い取るかのごとく、バシッと手にするクズ。

「おお! これでしばらくはヒーロー業を続けられるよ!」

 7枚揃った万札をうちわのように広げて、目を輝かす。

 

「無駄遣いするなよ……」

 いや、俺ってお母さんかよ。

「ああしないよ!」

 親父はそう言うと、大金をぐしゃぐしゃと丸めて、雑にズボンのポケットに突っ込む。

 そして、自身の書斎に戻り、クタクタになった肩掛けバッグを背負ってきた。

 

「じゃ、お父さんはそろそろ出発するわ!」

 ファッ!?

「もう行くのか? 母さんに挨拶したらどうだ?」

「え、お父様、もうお仕事に行かれるんですか」

 アンナはタオルで手を拭きながら、親父のもとへ駆け寄る。

 

「ああ、俺の仕事は休みがなくてな……」

 いや年がら年中、お前は休みだろ。

「そうなんですかぁ…せっかく素敵なお父様に会えたのに」

 心なしかアンナは寂しそうな顔をした。

 こんなやつにそんな顔をするなよ、もったいない。

 俺に使って?

 

「アンナちゃん……タクのことをよろしくな!」

 そう言って彼女の華奢な肩に手を触れる。

 どさくさに紛れて触るんじゃねぇ!

「は、はい☆」

 天使の笑顔でお見送り。

 

「タクはオタクで変態だけど、いい奴だからさ」

 ねぇ、けなしてる?

「あ、わかっているんで大丈夫です、お父様☆」

 アンナちゃんまで!

 

「改めて見るとデラぁべっぴんさんだなぁ……タクにはもったいないぐらいだ!」

 変な褒め方しないでください。

「や、やだぁ。お父様ったら……」

 頭を左右にブンブンと振り回すべっぴんちゃん。

「じゃ、タクの子供を期待しているぜ?」

「へ……?」

 絶句するアンナ。

 なんて酷いセクハラ親父だ。

 

「タク! ちょっくら、いってくらぁ!」

「おお……」

 もう帰ってくんな、このごくつぶしが。

 

「こ、こ、こ……」

 アンナは先ほどの親父の言葉でバグっているようだ。

 

 親父は文字通り、台風のように帰ってきて半日もしないうちに旅に出た。

 母さんやかなでにも挨拶もせずに。

 あんな大人だけにはなりたくない。

 

「タッくん……赤ちゃんもラブコメに必要……かな?」

「え……」

 そもそもあなたとは作れないじゃないですか。いまのところ。

 ラブコメには関係ないと思われます。

 

 

 アンナが食器を洗い終わり、乾燥機のスイッチを押す。

 台拭きでテーブルまできれいにしてくれる。

 なんて万能な嫁候補なんだ……。

 

 そうこうしていると洗濯機を回し終えた妹のかなでが戻ってきた。

「あれ、おっ父様は?」

 俺は呆れなら答えた。

「さっき出ていったよ。また救いの旅だとよ……」

 救うなら家族からにしろよって話。

 

 かなでは特に驚くこともなく、「あ、そうでしたか」と受け流すように答える。

「それより、アンナちゃん。この後どうしますの?」

 鼻歌でテーブルを拭いていたアンナが手の動きを止める。

「え? このあと?」

「そうですわ。アンナちゃんの着ていた服は、びしょ濡れだったので今外に干しています。乾くまでには一日かかりますよ?」

 かなでがそう教えるとアンナは「ハッ」と驚いて口に手をやる。

 

「あ、そっか。かなでちゃんのパジャマじゃ、お家に帰れない……」

 そういう事か、盲点だった。

「お二人とも、今日のご予定は?」

「ん? 俺は別に」

「アンナはタッくんと……昨日のデートのやり直しをしたいかな」

 あなた、つい数時間前まで高熱だったの忘れてます?

 タフですね。

 

「しかし、服がないのだろう?」

「う、うん……」

 正直、今彼女が着ているかなでの服もかなり余裕がある。

 女のかなでより、細い体つきということだ。

 

「いい案がありますわ!」

 人差し指を立てて、胸を張るかなで。

 より巨乳が目立ち気持ち悪いです。

 

「なんだ?」

 

「これですわ!」

 かなでが後ろから取り出したのは、使えなくなった俺の愛用グッズ、タケノブルーのキマネチTシャツだった。

「小さくなったからアンナちゃんにピッタリ♪」



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第十八章 危険なペア
127 最強のペア


「に、似合っているかな?」

 そう言うと、天使は恥ずかしそうにTシャツの裾をつかむ。

 丈が短く、へそが丸出し。

 そして、俺がこの世で一番尊敬するお笑い芸人であり、映画監督でもある世界のタケちゃんの伝説ギャグ‟キマネチ”のロゴが入っている。

 ブルーのTシャツとは対照的に、下はピンクのチェック柄のミニスカートをはいていた。

 

 ギャップ萌えである。

 

「か、かわいい……」

 なんということだ。

 俺の尊敬するタケちゃんと天使のコラボである。

 ついでに、俺自身も同じロゴのTシャツを着ている。

 彼女とは違い、色はブラック地だが。

「フフッ、タッくんとおんなじだね☆」

 そう言うアンナは、恥ずかしそうに笑う。

 

 俺とアンナのやり取りをそばで見ていた妹のかなでが頷く。

「うんうん、若いってのは、いいですわねぇ~」

 いや、中学生のお前に言われたくない。

 

 朝ご飯を食べ終えたアンナは、妹のかなでが用意した服を着て現れた。

 別に狙ったわけではないが、俺もタケノブルーのブランドしか着ないため、自ずとペアルックになってしまったのである。

 

「しかしペアルック……てのは恥ずかしくないのか、アンナ?」

 言っていて、俺も頬が熱くなる。

「ううん、タッくんが嫌じゃなければ、アンナは嬉しいかも……」

 顔を赤らめて、リビングの床を見つめる。

「ならばいいのだが……」

 男同士でペアルックってしんどくない? って意味でもあったのだが、アンナが良いのだからいいんだろう。知らんけど。

 

 かなでが俺とアンナの肩を、トントンと交互に叩く。

「これは……アレですわ!」

 眉間に皺をよせて、なにかを考えている。

「なんだ?」

 嫌な予感がするが、一応聞いてみた。

 するとかなでは、太陽のようなすがすがしい笑顔でこう答えた。

「取材ですわ!」

 それ、言うかと思ったぁ。

 

「そ、そうだよね! さすがはかなでちゃん☆」

 便乗すんなよ、アンナ。

「ですわ、ですわ! 童貞のおにーさまにはペアルックも経験させておかないと、小説に使えませんもの」

 女の子の前で、童貞言わないでください。

 いや、かなで以外に女の子はいなかったね……。

 

「ふむ……ま、それもいいかもな」

 俺も何気にノリ気だった。

 なんていうか、今までは取材対象としてアンナと街をふたりで仲良く歩いているはいるが、傍から見たら知人や友人に見られることもあるだろうと思っていた。

 だが、ペアルックなら別だろう。

 取材相手とはレベルが違う。

 ほぼ100%、恋人として認識されるのだ。

 

 アンナは俺のもの、俺はアンナのものという仲良しガキ大将的な発想に至る。

 

    ※

 

 俺とアンナは貴重品だけ持つと一階の玄関に向かった。

 なぜなら、昨晩、俺の所持品も彼女のバッグなどもびしょ濡れだったからだ。

 一階に降りると、俺のスニーカーも濡れていたことに気がつく。

 アンナも同様だ。

 俺は自宅なので他の靴があるのだが……。

 

「あ、どうしよう。パンプスびしょ濡れだ…」

 肩を落とすアンナ。

 そこへ妹のかなでが、階段を降りてくる。

「これを使ってくださいな、アンナちゃん」

 かなでが持ってきたのは、少し大きめの白い箱だった。

 

「なんだそれ?」

 俺がそう言うと、かなでは胸を張って自信満々で答えた。

「フフン、よくぞ聞いてくれましたわ! こんなこともあろうかと、アンナちゃんに似合いそうなパンプスを買っておきましたの」

「はぁ?」

 思わずアホな声が出てしまった。

「え、でもサイズ合わないんじゃない? アンナ、足けっこう小さいから……」

 確かにアンナは女の子……いや男にしては小さな脚だ。

 かなでも、別に大きいほうではないのだが。

 

「心配ご無用ですわ!」

 自身の胸をポンと勢いよく叩く。

 すると無駄にデカい乳がブルンと揺れた。

「ちゃんとアンナちゃんのサイズを計測したうえで買いましたもの!」

「え……」

 絶句するアンナ。

 そりゃそうだろ、初対面の設定だよ?

 気持ち悪いよ……。

 

「なんで会ったばかりのアンナの足のサイズを知っているんだ、おまえ……」

 肘でかなでの腹を小突く。

 設定を忘れてないか? という意味をこめて。

 すると、かなでは「ハッ」とした顔で目を見開く。

 

「こ、これは……アレですわ。アンナちゃんのいとこのミーシャちゃんから聞いていて……それで買っておいたんですわ!」

 いや、最後、無理やりすぎる言い訳だろ。

「そ、そうなんだ! うわぁ、アンナ嬉しいな☆」

 苦笑いでその場をなんとか、おさめようとするアンナ。

 時折「ねぇ」と女子同士で謎のウインクをかわす。

 

 こいつら、やはり裏で繋がっているんじゃないのか?

 

「まあ細かい説明はいらんだろう。すまないな、かなで。その靴代は俺があとで払うよ」

「いいえ、かなでが勝手にやったことですので……」

 珍しく遠慮するかなで。

「いや、アンナが払うよ!」

 なすりつけあいが始まろうとしたので、俺が左右に立っていた二人に両手を差し出し黙らせる。

 

「ここは男の、俺の面子を立ててくれ。取材対象とはいえ、仮にも大事な女性のものだ。パートナーの俺が払う……いや、払いたいんだ」

 そう言うと、アンナは驚いた様子だった。

「タッくん…」

 アンナは俺の男気に圧倒され、頬を赤く染めていた。

 

「おにーさま、了解ですわ! ではあとで1万2千円くださいな!」

 たかっ! 言わなきゃよかった……。

「オーライ、ローンでおけ?」

「ノン、キャッシュで一括ですわ!」

「オーノー」

 

    ※

 

 昨日の台風はどこへやら。

 地元の真島商店街は雲、一つない穏やかな空で、日差しがポカポカと俺たちをあたためる。

 

「うわぁ天気よくなったね☆ デート日和だね」

 アンナは俺より一歩先に進んで、腰だけひねって俺に顔を見せた。

「ああ、そうだな」

 俺も安心しきっていた。

 昨日は本当に天気だけじゃなく、波乱の一日だったからな。

 天気まで俺たちのデートを祝福してくれているかのようだった。

 

 二人して仲良く商店街を抜けて、JR真島駅へ着く。

 まだゴールデンウィークということもあって、人の出入りは激しく、みなどこかへ遊びに行く風貌だった。

 

 ふとスマホを取り出し、ニュースを確認する。

 博多どんたくが再開されたかを知りたかったからだ。

 しかし、俺の思惑とは相反して、別の通知が激しく点滅していた。

「あ……やべ」

 忘れていた、アンナの救助と看病で存在を忘れていたというか、脳内から消し去っていた。

 

 通知画面にはメールと電話の履歴が200件以上。

 全部、三ツ橋高校のリアルJKこと赤坂 ひなた、その人である。

 

 メールを最後のほうを確認すると……。

『‟おめとど”のコミックス全巻読み終わりましたけど?』

『ここのたこ焼きおいしいですね』

『朝になったので、いま帰ります……』

 最後のメッセージ、病んでる……。

 ど、どうしよう!?

 

 俺が駅のホームでスマホと格闘していると、アンナが声をかける。

「どうしたの? タッくん……」

 ヤバい。ひなたのことを知られると、また修羅場だ。

 ここは話題を変えよう。

 考えろ、俺氏……。

 

「そ、そうだ! 今日はところで、どこに行くんだ?」

 俺がそう言うと、アンナはムッと頬を膨らます。

「もう! 天神に行くって約束してたでしょ?」

「あ、そうそう! 天神、天神!」

 とバカみたいに、知育玩具のCMのような発言を連呼してしまった。

 

「そうだよ、アンナは初めてだから、しっかりエスコートしてね☆」

 どうやら話をそらすことに成功した。

 俺はこっそりとスマホでメールを素早く打つ。

 

『ひなた、本当にすまない。この埋め合わせは必ず』

 とだけ返信した。

 するとすぐに「ブーッ」と振動した。

『了解』

 ひとこと……その一言が怖い。

 絶対怒っているよね…。

 

 俺が冷や汗を流していると、アンナが腰を曲げ、俺の顔をのぞく。

 元々、メンズのTシャツだったこともあって、胸元ザックリと開いている作りだ。

 彼女のブラジャーがチラっと見える。

 

「もーう! 誰か他の女の子とメールしてるぅ」

「アハハ、前に話したことあるかな? 出版社のロリババアだよ」

 すまん白金。

「なぁんだ、出版社の人か」

 安心するアンナ。

 

 だが、彼女も何気なくスマホを見ると、顔色が一変し真っ青になる。

 スマホを持つ指が、めっさ震えてる。

「どうした、アンナ?」

「あ……あ、いや、あのアンナ、夜に帰らなかったから、ヴィッキーちゃんから連絡が入ってて……」

 ファッ!? そうだった、アンナの不在はミハイルの不在だった!

 

「なぜミハイルんとこのヴィッキーちゃんがアンナに電話を?」

 設定、設定!

「あ、それはね、ミーシャちゃんがアンナと仲良し……だからかな?」

 なぜ疑問形?



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128 TENJIN!

 あのあと、アンナは俺に背を向けると口元を手で隠しながら電話をしていた。

 ヒソヒソ声だが、受話器から相手の怒鳴り声が漏れている。

 

「あ、あのね…。ねーちゃん、だからさ…」

 女装しているが、声がワントーン下がったミハイルくんに戻っていた。

『あぁ!? ミーシャ、おめぇは今どこにいるんだぁ!』

 

 スピーカーモードにしているわけではないのに、ミハイルの姉のヴィクトリアがその場にいるようだ。

 大声で叫んでいるため、ホームのまわりの人々がアンナに釘付けだ。

 

「ご、ごめん、ねーちゃん……わけはあとで話すからさ…」

 あたふたしながら言い訳をするアンナ(♂)

『ミーシャ、お泊りは二十歳になるまでダメったろぉ!』

 どこのお母さんですか?

 なら喫煙とかも注意しとかないと……。

 

 アンナが叱られている姿を見るのも心苦しかった。

 やはり俺がちゃんと対応していれば、こんなことにならなかったしな。

 責任は俺にもある。

 姉のヴィッキーちゃんにも俺から一言謝りたい。

 

 心配した俺はアンナの肩をトントンと軽く叩いた。

 振り返った彼女は涙目。

 今にも泣き崩れそうだ。

 スパルタママなんだろうね、おねーちゃんだけど。

 

「アンナ、俺に代わってくれないか? ヴィッキーちゃんに説明させてくれ」

「え、タッくんが? どうして……」

「まあ、俺にも任せろ」

 俺がスマホに手を伸ばそうとしたその時だった。

 

「だ、ダメェェェ!!!」

 

 優しいアンナが初めて俺を拒絶した。

 俺の手を振り払い、スマホを隠す。

 

「し、しかし……」

 俺がうろたえていると、アンナはすかさずスマホの電源を切ってしまった。

 スマホがブラックアウトする寸前で、断末魔のようにヴィッキーちゃんの声が。

 

『お、おい、話はまだ……ブツッ』

 知らねーぞ、あとが怖いやつだろ、これ。

 

「ハァハァ……」

 肩で息をするアンナ。

 尋常ないぐらい大量の汗を吹き出し、顔が真っ青だ。

 

 やはり女装しているときに、ヴィクトリアと接触するのは良くないようだ。

 すなわち、ミハイルとアンナが同一人物であることを、俺に証明してしまうことになるからだ。

 それにアンナの存在自体を、姉に隠している様子だったし。

 俺が電話に出るのも、なにかと都合が悪いのだろうな。

 

「ヴィッキーちゃんと電話したいときは、ミーシャちゃんといるときにしてね……」

 目の色が真っ赤になっていた。

 よっぽどヴィクトリアに正体がバレるのが嫌らしい。

 俺にはバレているんだけど、知らないのは本人だけだしな。

 ついでに妹にもバレている。

 

「わかったよ……。だから落ち着いてくれ、アンナ」

「う、うん」

 頷くとスマホをバッグに隠すようになおした。

 

 そうこうしているうちに、駅に博多行きの列車が到着する。

 俺たちはヴィッキーちゃんの恐ろしさを互いに知っているため、電話のことには一切触れず、車内に乗り込んだ。

 博多につくまでしばらく無言のままだった。

 このデートのあとが怖いからだ。

 

 

 博多駅につくとすぐに天神行きのバスに乗りこむ。

 天神までは片道100円でいけるから西鉄バスのほうがお得だ。

 

 バスに乗る際、入口でICカードをかざす。

 するとアンナが物珍しそうに言った。

「それなあに?」

「ん? ニモカだ。これがあれば出入りが楽だしポイントも貯まるたからな。もっているとなにかと便利なんだ」

 おいおい、まさかICカードも知らないのか、この子は。

 昭和からタイムスリップしてきたのかな?

 

「アンナ、持ってないんだ……」

 寂しそうにアヒル口でこちらを睨む。

「それなら問題ない、俺が二人分支払っておく」

「ええ!? そんなことできるの?」

「ああ、降りるときに運転手に言えば可能だ」

「じゃあお願いしてもいいかな? あとでちゃんと払うから☆」

「おう」

 ていうか、100円ぐらいおごらせろよ。

 

    ※ 

 

 博多駅から5分ほどで、すぐに天神の渡辺通りに到着。

 バスから降りるときに「二人分」と運転手に告げる。

 運転手が「はいよ」と答え、機械のボタンを押す。

 そして、ICカードをかざして降りようとしたそのときだった。

 アンナが手を叩いて喜ぶ。

 

「すごぉい、さすがはタッくん☆」

 後ろを振り返ると、アンナが首を右に傾けてニコニコ笑っていた。

 なんかバカにされているような……。

「そうか?」

「うん☆ 二人で一緒にピッ、とか。夫婦みたい☆」

「え……」

 その発想はなかった。

 

 俺とアンナのやり取りを見て、車内からクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 

「ヤバッ、あのふたりバカップルじゃん」

「だってペアルックだし」

「二人ともどっちも好みだ! ハァハァ……お持ち帰りしたい」

 いや、最後のバイセクシャルじゃん。

 

 無垢な顔で微笑むアンナを見て、俺は頬が熱くなる。

「夫婦……」

 言われてドキドキしてしまった。

 

 バスの階段下から俺は彼女を見つめ、少し上で微笑むアンナ。

 まるでロミオとジュリエット。

 そうだ、俺がひざまついて婚約指輪を出してしまえば、すぐさまOKをもらえそうな空間だった。

 

 そんなひと時を壊したのはおっさんの咳払い。

「おっほん! あとがつかえているので、早く降りてください」

 

 その一言で俺は我に返った。

 

「あ、すいません。アンナ早く降りよう」

 俺はアンナに手を伸ばす。

「うん☆」

 アンナは嬉しそうに俺の手を掴む。

 彼女の細く白い小さな指を握ると優しく手を引く。

 相変わらず、華奢な体型のせいか、軽々と身を俺にゆだねる。

 フワッと宙を飛ぶように、俺へ飛び込む。

 まるで天使が空を舞うかのように……。

 

 アンナを抱きかかえるようにキャッチすると、俺は優しく地面に下ろす。

「よいしょっと☆」

 何事もなかったかのように、アンナは天神の空を見上げる。

 

 まったく、こいつが女だったらめちゃくちゃあざといやつだ。



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129 天神サブカルビッグバーン

「タッくん、まずはどこに行く?」

 目をキラキラ輝かせて、俺を見つめるアンナ。

 腰を屈めているため、自然と胸元が露わになる。

 男性もののTシャツを着ているから、ブラジャーが丸見え。

 というか、アンナが男なのにおかしな表現だわな。

 

「ふむ」

 俺は無防備な彼女に少しドキドキしながら、考えにふける。

 かくいうこの俺も福岡の繫華街、天神には仕事ぐらいで来たことしかなく、あまり店も知らない。

 とりあえず、メインストリートである大通の渡辺通りを歩くことにした。

 

 まず目に入った建物は『福岡マルコ』だ。

 比較的新しいビルで、本館と新館あり、それらが連なって一つのビルだ。

 本館が8階建て、新館が6階建てでかなり入り組んだ設計。

 

「そういえば、ここには『ボリキュア』の店があったな……」

 ポツリと呟くと、アンナが俺の手を強く引っ張る。

「タッくん! それってホント?」

 えらい食いつきようだ。

 真剣な眼差しで俺を見つめる。

 

「ああ、公式のやつだ」

「ウソ~!? 行きた~い☆」

 年がないもなく、地面の上でピョンピョンと飛び跳ねる女装男子。

 忘れてた、アンナちゃんは大きなお友達の一人だった……。

 

「そうか、アンナはボリキュア好きだったな……」

 ガチオタのカノジョって、ラブコメ的に取材価値あるのか?

「うんうん、アンナ大好き☆」

 ニコニコ笑って、今か今かとビルの中に入りたがっている。

「よし、じゃあまずはマルコに入ってみるか」

「やったぁ!」

 これまた両手を広げて、大喜びするアンナ。

 なんだろう、子供みたい。

 

 

 俺とアンナはマルコの本館に入り、エレベーターで7階へと直行する。

 7階はアンナのような可愛らしい女子はあまりおらず、どちらかというと男性の客が多い。

 それもそのはず、加入しているテナントがオタク向けが多いからだ。

 ボリキュアストアの他に、模型店、アニメグッズ専門店、それからいろんな痛い萌えTシャツなどを扱っている服屋などなど……。

 かなり上級者向けといえる階層となっている。

 

 ちなみに6階まではわりと一般向けで、可愛い雑貨やおしゃれなファッションショップ、靴屋など。

 若い女子高生やカップルで賑わっていた。

 そう6階まではだ。

 一個上にあがっただけで、急に景色が汚くなる。

 煌びやかな人々がランクダウンし、くたびれたTシャツにボロボロのジーンズ、リュックサックというテンプレのようなオタク紳士で溢れかえっている。

 

 

「もふぅ~ 今日も大収穫でござった」

「次はどうするでありますか? 『2番くじ』でもコンプするでありますか?」

「奴らが来る前にいくじぇ! 転売ヤー、殺す!」

 猛者たちとすれ違う。

 作品への愛と一部の人間たちに対する憎悪のオーラを纏って……。

 

 

「タッくんはボリキュアストアに行ったことあるの?」

 アンナが目を輝かせていう。

「ん? 俺か? いや、ないな」

 俺がそう答えると、なぜかアンナは嬉しそうに笑った。

「良かったぁ、タッくんもはじめてなんだね☆」

「まあな」

 そうか。アンナは俺と一緒に初めてを経験することにこだわっている傾向があったな。

 しかし、その初体験ってのがボリキュアストアでいいんだろうか?

 一応デートという設定なのだから、もっとおしゃれなレストランとか、可愛らしい服とか、そんなのが鉄板な気がするのだが……。

 

 

 そうこうしているうちに、当の目的地へとたどり着く。

 壁いっぱいにボリキュア戦士がプリントされていて、甲高い声のアニソンが爆音で流れていた。

 店の前には今期ボリキュア『ロケッとボリキュア』の等身大パネルが飾られていた。

 

「うわぁ、ボリエールちゃんだ! カワイイ~!」

 アンナは一人突っ走る。

 俺は彼女の行動に驚いていた、というか引いていた。

「カワイイ、カワイイよ~ エールちゃん」

 パネルに頬をすりつけるアンナ。

 汚いよ、いろんな人が触ったんだろうから。

 

「ねぇ、タッくん! 見て見て、ボリエトワールもいるよ!」

 大声で手を振るアンナ。

 見ていて、少し恥ずかしいカノジョです……。

 

 もうその世界に入り込んでしまって抜け出せないようだ。

 今の彼、つまりミハイルは女装しているため、かなり目立つ。

 他の紳士たちも彼女の行動に圧倒されていた。

 

「な! あの淑女は!?」

「まるでボリキュアの世界から飛び出したような天使じゃ!」

「ハァハァ……エトワールのコスプレ似合いそう、金髪だし」

 ゴラァ! 人の彼女を視姦すな!

 

 

 人だかりができてしまい、俺は頬が熱くなるのを覚えながらアンナの元へ近寄る。

「良かったな、念願の公式ストアに来れて」

 少し引いたけど、アンナの喜んでいる姿を見れば、俺の恥じらいなど吹っ飛ぶというものだ。

「うん☆ タッくんが天神に連れてきてくれたおかげだよ、ありがとう!」

 はにかんで見せるアンナ。

「いや、そこまで褒められることはしてないさ」

 ん? というか、天神ってこんなディープな街だっけ?

 なにかを間違えているような気が……。

 

「ねぇねぇ、タッくん」

「どうした?」

「デートの記念にボリキュアたちと一緒に写真を撮ろうよ☆」

「え?」

 俺は思わず固まってしまった。

 

「誰かに撮ってもらお☆」

 いや、遊園地じゃないんだよ?

「それはちょっと……俺がアンナとボリキュアを撮ればいいのでは?」

「ダメだよ!」

 アンナは頬をプクッと膨らませる。

「なぜだ?」

「タッくんとの初めては、アンナにとっての記念なの!」

 それ記念になります? 恥とか黒歴史の部類じゃないですか?

「わ、わかった……」

 俺は渋々、彼女の要望をのんだ。

 

 アンナはそうと決まると行動が早かった。

 近くに立っていた一人の超巨漢紳士に声をかける。

「あの、すみません」

 コミュ障なのか、いきなりハーフ美人のアンナに声をかけられて、かなり驚いていた。

「ぶ、ぶへ? おでのごと?」

 なんだ豚じゃないか、声豚。

「はい☆ あのボリキュアちゃんたちと一緒に写真を撮ってもらえますか?」

 ニッコリと微笑むとその豚くんは「ブヒィ」と声をあげて喜んだ。

「仰せのままに~ 神ぃ!」

 神じゃない、天使の間違い。

 

 

 結局、俺とアンナはボリキュアの足元に腰をかがめて、二人で仲良くピースした。

 

「おでが『ロケッと』っでいっだら、『ボリキュア』で写真をとるど!」

 なにそれ。

 俺が首を傾げていると、アンナはそれを自然に受け入れるように「OKです☆」と答えた。

 

「ロケッと?」

 

「「ボリキュア~!!!」」

 

 また俺の人生に黒歴史が生まれてしまったな……。



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130 転売ヤーキラー

 仲良くというか、恥をしのんでボリキュアたちと仲良くツーショットを撮る。

 

「これでいい取材になれそうだね☆」

 スマホの写真を見て嬉しそうに笑うアンナ(15歳・♂)

「そ、そうか?」

 どこにラブコメの要素があるのだろうか?

 俺にはさっぱりわからん。

 というか、リア充のやつらがこの店に来るとは思えんが……。

 

 撮影タイムも無事に終えたので、さっそくボリキュアストアに入ることにする。

 

 店内は狭い敷地ではあったが、たくさんボリキュアグッズがあった。

 アクリルキーホルダーやぬいぐるみ、下敷き、クリアファイル、マグカップ、皿などなど……。

 今期のボリキュア『ロケッとボリキュア』が主なメインカラーとして陳列されていた。

 だが、それ以外にも歴代のボリキュアたちが季節限定のデザインでお菓子やバッジなどになって発売されている。

 

 しかも今年はボリキュア生誕15周年ということもあり、初代ボリキュアである『ふたりはボリキュア』が一際注目されていた。

 ウェディングドレスのようなピンクと白のドレスを纏ったボリブラックとボリホワイトがデザインされた商品が特設コーナーに並べられている。

 

「うわぁ! 全部欲しい!」

 

 俊敏な動きでアンナはボリホワイトに飛びつく。

 キラキラと目を輝かせて下敷きを手にする。

 腰をかがめていることもあって、横から彼女を見るとパンツが見えそうだ。

 

 というかホワイト派だったんだね。

 俺はブラック派。

 

「見て見てタッくん! 15周年の限定グッズだって! この店でしか買えないんだって!」

 息が荒い。

 興奮してますか?

 あなた女装しているからまだいいけど、普通の男子として来ていたらヤバい人ですよ?

 

「あぁ、そうなの?」

 俺はどうでもよさげな声で答えた。

「そうだよ! これは絶対に小説の取材に必要でしょ!」

 いや、ないな。

 著作権侵害で訴えられるから。

「ふーむ、俺も嫌いな方ではないが、買うほどのファンでは……」

 そう言いかけると、アンナが俺の両肩を強い力で掴む。

「ダメ! 一つぐらい買いなさい!」

 怒るアンナの姿って、あんまり見たことないんだけども。

 その怒りの沸点がボリキュアって……。

 

「わ、わかったよ。じゃあ俺もなにか一つぐらい買うよ」

 どうか経費で落とせますように。

 アンナと仲良く15周年の特設コーナーを物色する。

 

 今気がついたが、彼女は既に店の奥から大きなカゴを持ってきていた。

 スーパーの安売りでつかみ取りしている主婦みたいに商品を選ぶ間もなく、ガシガシとグッズを掴んでカゴにぶち込む。

 狂気の沙汰で草。

 

「アンナ、そんなに入れて大丈夫か? けっこう一つの値段が高いけど」

 キーホルダー、一つにしても千円ぐらいする。

「だって15周年だよ? 次は5年後じゃない? 今買わないともう絶対になくなるよ!」

「そ、そうなの……」

 圧倒される俺氏。

「こういうのって転売ヤーっていうの? そう言う悪い人たちが買い占めては、ネットオークションとかで高値で売るんだから!」

 めっさ怒ってる。

 確かに転売行為はあまり良くないが、表現が反社会的勢力のように聞こえる。

 

「な、なるほど……だから定価で買う方が安く済むということか」

「そう☆ 転売ヤーはこ・ろ・すが合言葉だよ☆」

 こわっ!

 

 

 俺もなにか一つ記念にと、商品をながめる。

 一つ実用的なものを見つけた。

 それは写真立てだ。

 といっても、ボリブラックとボリホワイトが上下にプリントされている痛いものだが。

 これならばアンナとの写真を自室の部屋に飾れるかな? と思えた。

 

「よし、俺はこれにするよ」

「あ、それいいね☆ アンナも買おうっと☆」

 ねぇねぇ、あなた破産しません?

「タッくんとの写真を飾るんだ☆」

 同じこと考えていて、思わず顔が熱くなる。

 

「どうしたの? タッくん、顔が赤いよ?」

「い、いや、なんでもない……」

 俺があたふたして答えると、アンナはどこか意地悪そうな顔をして笑った。

「ふふっ、おかしなタッくんなんだ☆」

 首をかしげて俺の顔を覗き込む。

 悪魔的な可愛さだ。

 

 俺は咄嗟に話題を変える。

「な、なあ。ところでアンナはもう買い終えたのか?」

 山盛りになったカゴを指差す。

「うーん、もうちょっと店の中を見てみたいなぁ」

 まだ買うのかよ……。

「じゃあ、もうちょっと見てみるか」

「うん☆」

 

 

 俺とアンナは店の奥へと向かう。

 そこで何やら異変を感じた。

 レジ周辺にたくさんの大きなお友達が、ざわざわと行列を作っていたからだ。

 

「なんだろう、あの人たち」

「限定ものじゃないか?」

 俺がそう答えると、レジの奥からスタッフのお姉さんが大きな段ボールを持ってきた。

 

 それを見た紳士たちが高らかに声を上げる。

 

「うぉお! キターーー!」

「しゃっあ! 間に合ったでごじゃる!」

「ムホムホ、ウキキ!」

 え? 最後人間?

 

「一体なんの騒ぎだ?」

「あっ!?」

 アンナが大声で叫ぶ。

「どうした、アンナ?」

「あれ……見て」

 彼女が指差す方向には店のお姉さんが……いや、正しくはカウンターに載せられた商品だ。

 

 ボリキュアの公式抱き枕カバーである。

 

「あ……」

 察した。

 そうか、前回『ミハイル』時にコミケで、非公式の成人向け抱き枕を買えなくてショック受けてたもんな。

 

「タッくん、行こう! 絶対にゲットしようね!」

 その時ばかりはアンナではなく、完全にヤンキーのミハイルの目だった。

 誰かを殺しかねない、炎で紅く包まれた獅子の眼だ。

 これは必ずゲットせねば、俺まで殺されそう。

「りょ、了解……任務を遂行する」

 命をかけてでも手に入れろ、抱き枕を!

 

 その時だった。

 ボリキュアストアのお姉さんがこう叫んだ。

 

「ただいまより、抱き枕の販売をはじめまーす! 先着順ですので、今から並んでください!」

 そう説明すると、オタクたちが一斉にレジへと直行する。

 

 俺も狭い店内を、人並み掻き分けて前へと進む。

 気がつくと、隣りにアンナはいなかった。

「アンナ? どこだ?」

 列から顔をひょっこりと出し前後を探す。

 

「タッくん~! ここだよ~!」

「なっ!?」

 どうやってあんなところに……。

 なんと彼女は一番前にいた。

 

 あの数秒でどうやって移動したんだ?

 

「一番乗り~☆」

 

 さすが伝説のヤンキー。いや今日から、伝説の大きなお友達と改名しておきます。



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131 買う時はセットに決まってるじゃないですか!

 アンナは俺が知らぬ間に、レジカウンターの一番前に立っていた。

 そこであることに気がつく。

 

 あれ? 俺は抱き枕なんて買う必要ないから、列に並んでる意味なくね?

 

 後列から抜け出し「ちょっとすいません」と言いながらアンナの元へ行く。

 その際、数々の紳士が怒鳴り声をあげる。

 

「なんですとぉ!? ちゃんと並びなさいよぉ!」

 全身から汗を吹き出す巨漢紳士に怒られた。

 ので一応釈明しとく。

「いや、俺あの子の連れなんで。買いませんよ」

 そう言い訳すると、さっきまでの怒りはどこへやら。

 ニッコリと笑って前へと譲ってくれた。

「なんだぁ、あの天使ちゃんの彼氏さんですかぁ ボリエトワールに似ていて可愛いですよねぇ」

 キモッ!

「は、はぁ……ありがとうございます」

 俺はそのデブの笑顔に寒気を感じた。

 

 

 やっとのことで、アンナの元へたどり着く。

「タッくん、ごめんね。アンナ、どうしても抱き枕欲しくて一人で来ちゃった☆」

 どうやって? 瞬身の術でも使ったんですか?

「まあ構わんさ」

 思わず苦笑い。

 

「それでは販売開始しまーす!」

 

 ボリキュアのエプロンを着たストアのお姉さんが大きな声で発表する。

 

 するとまたもや歓声があがる。

 

「ヒャッハー! これで夜も寂しくないぜぇ!」

「グフフ……魔改造」

「ハーレム革命ですな。我らのベッドにボリキュアが添い寝してくれる日がくるなんて……リア充ですら不可能なこと」

 そりゃ無理でしょうよ、リア充ならね。

 

 俺の隣りの彼女、アンナもそのうちの一人だ。

「やったぁ!」

 良かったね、君のベッドも痛くなるわけだ、ミハイルくん。

 

 

「それでは最初の方からどうぞ」

 お姉さんがニッコリと笑ってお出迎え。

「ハイ☆」

 アンナも負けじと神々しいほどにキラキラと輝く笑顔で対応。

 

「商品はどれになさいますか?」

「えっと何があるんです?」

「今期のボリキュアからボリエール、ボリアンジュ、ボリエトワール。それから15周年記念としてボリブラックとボリホワイトの計五点になります」

「じゃあ全部ください☆」

 ファッ!?

 金額も聞かずに全部買うとか、一体いくらになるんだ?

 それにさっき山ほどカゴに入れたグッズもあるんだぞ。

 ここは俺が一応「待った」をいれる。

 

「あの、ちょっといいですか?」

 俺が二人の間に入って店員に質問する。

「はい、なんでしょう?」

「その抱き枕って一つの値段はいくらですか?」

「ああ、お値段は各8千円になります。五点にお買い求めになられると4万円ですね♪」

「よ、4万……」

 顎が抜けるぐらい口を開いてしまった。

 こんなものが4万円だと!?

 映画が何十回見れる?

 思わず後退りした。

 

 すると後ろの客から罵声が上がる。

「早くしろよ! 転売ヤーたちが来るだろうが!」

「そうだそうだ!」

「こちとら早く買って家でキュアキュアしたいんだよ!」

 公式グッズでそれは良くないと思われます。

 

「タッくん? お金なら心配いらないよ☆」

「えっ?」

「天神に来るからたくさんお金持ってきたもん☆」

「あ、そうなの……」

 

 それからは早かった。

 アンナは大きなカゴに山盛りになったグッズと抱き枕を5つも会計に回す。

 レジ奥から別の店員が来て、慌ててヘルプに入る。

 ピッピッとどんどん商品をレジ打ちしていくと金額がすごいことに……。

 

「合計で7万3千円です」

「ハイ☆」

 アンナは何事もなかったかのように、財布から諭吉さんを7人もトレーに差し出す。

 あなた、前もやってだけど、お金はデュエルカードじゃないんだよ?

 本当に好きなものには惜しげもなく使い込むんだなぁ。

 散財カノジョじゃん。

 

「あ! すみません、あれもお願いします」

 アンナが指差したのはカウンター近くにあった女児用のパンツセット3枚。

 もちろん、可愛らしいボリキュアのプリント入りだ。

「アンナ、それは子供用だぞ?」

「え? アンナは割りと小さいから履けるよ?」

 無垢な目で俺を見つめる。

 ちょっと待ってね。

 あなたミハイルくんだよね?

 そのパンティは、幼い女の子のパンティなんですよ。

 しかも今、仮にとはいえ俺の彼女の設定じゃないですか。

 

 いやぁ、彼氏の前で下着を恥じらいもなく買うのもおかしいと思うし……。

 なによりドン引きです。

 軽く変態だってことに気がつきました。

 

「変なタッくん……そんなに驚いちゃって」

 そりゃ驚きますよ。

 

「どうされます? サイズやお色は」

 俺が固まっていると店員がそれを無視して話を進める。

 店員は驚くこともない。

「えっとサイズはいくつまであります?」

「130までですね」

「じゃあそれでお願いします。カラーはピンクで☆」

「かしこまりました」

 かしこまるな! 販売しないでやってくれ!

 ウソだと言って!

 

「あ、お客様、当店のスタンプカードお持ちですか?」

「いえ持ってないです」

「じゃあお作りしますねぇ」

 と言って、カウンター横にあったカードを5枚も取り出し、ポンポンと連続押しまくる。

 気がつけば、4枚は全部埋まっていた。

 一回の会計で大勢のスタンプ集まったということはそれだけ散財した証拠である。

 あー、こわっ。

 

「はい、こちらが商品になりますねぇ。またのご来店をお待ちしておりまーす」

 そう言って痛いボリキュアが全面にプリントされた大きなビニール袋が6つもカウンターにドシン! と豪快な音を立てて現れた。

 ビニール袋がパツパツになるぐらいで、中に抱き枕のボリキュア戦士たちが丸見え。

 

「やったぁ☆ ゲットできたね、タッくん☆」

 軽々と巨大なビニール袋を手にし、微笑む俺の彼女。

「うーん、幸せぇ~☆」

 大事そうに袋を抱えるアンナ。

 その姿、もうただのガチオタじゃん。

 

「良かったな、買えて……」

 さすがの俺もここまで彼女がボリキュア好きとは思わなかったため、うろたえていた。

「うん、タッくんが天神に連れてきてくれたおかげだよ☆」

「そっか……」

 

 ごめん、たぶんこの買い物って天神という土地は関係ないよ……。

 

 



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132 怪しい人についていかない

 俺はアンナの異常なまでのボリキュアへの愛情表現にドン引きしていた。

 驚いていたせいで、自分が買おうとしていた写真立てをレジに出し忘れていた。

 危うく万引きしそうになって、店員に声をかけられて気がつく。

 

 アンナに続いて、俺もボリキュアストアのスタンプカードを作ってもらったが、押されたスタンプはたった一個。

 作る必要なくね? と思いながら、俺は店員から小さなボリキュアがプリントされたレジ袋を受け取る。

 

「よかったね、タッくん☆ お揃いの袋だね☆」

 嬉しそうにめっさ重たそうなビニール袋を6つも両手に持つアンナ。

 軽々と持っていて草。

「お揃い?」

「うん☆ 同じボリキュアの袋だもん。今日は何でもお揃いでペアルックで恋人ぽいよね☆」

「あ、そだね」

 いや、そんなペアルックの恋人見たことない。

 

 

 ボリキュアストアで無事に買い物を終え、福岡マルコのビルから出た。

 再び、外の渡辺通りに戻り、目的もなくただ歩き出す。

 

「少し腹が減ったな。アンナ、そろそろメシにするか?」

「そうだね☆」

「ふむ、どこで食うかな……」

 

 俺は天神の様々なビルをながめる。

 巨大な建物がたくさん並んでいて、どこにどんな店があるかがわからない。

 スマホでアンナの好きそうな店でも検索しようかな? と思っている時だった。

 誰かが俺の肩をポンポンと叩く。

 

 振り返るとそこには、このおしゃれな若者の街、天神に似合わない格好をした女が立っていた。

 

「ねぇねぇ、そこのカップルさん。お昼ご飯探している感じかしら?」

 

 そこにはスラッとした細身の紅い眼鏡をかけたお姉さんがいた。

 サテン生地のブラウスにキュッとしたタイトスカート、それもかなり丈が短い。

 

 俺は一瞬にしてその女性を危険視した。

 こいつ、絶対ピンク系の勧誘だろ。

 天神の店じゃない、絶対に中洲(なかす)だ。

 

「なんすか?」

 ちょっと威嚇気味に答える。

 だって俺ってば、中洲みたいな成人向けの街にいったことないし。

 正直怖いよぉ。

 

 俺がそんな対応したもんだから、その女性はちょっとうろたえていた。

「あ、いや、そのキミたち天神にあんまり詳しくなさそうだったから……」

 やはり中洲か!?

「それがなにか?」

 既に臨戦態勢をとった俺氏。

「ちょ、ちょっと。そんな怪しいお店の人間じゃないのよ?」

 苦笑いがさらに怪しさを加速させる。

 

 そこへアンナが俺に話しかける。

「タッくん、お姉さんが困ってるよ? お話だけでも聞いてあげて。かわいそうでしょ」

 可愛い顔して俺の左腕を引っ張るもんだからドキドキしてしまった。

 なんか今の俺ってば超彼氏感でてない?

 

「さすがカノジョさん! 話がわかるぅ~」

 便乗する眼鏡女子。

「カノジョだなんて……そんな風に見えます?」

 ボンッと音を立てて顔を真っ赤にするアンナ。

「見える見える! だってペアルックじゃん、お二人さん♪」

 そう言ってお互いのTシャツを交互に指差してみる。

 

「恥ずかしいけど、うれしいかも~☆」

 俺はクッソ恥ずかしいかも~

 

「ところで、そんなお似合いのお二人にウチのお店で、素敵なお昼なんてどうかしら?」

 眼鏡をクイッとなおして、ビラを差し出す。

 アンナは絶賛妄想中で、頭を左右にブンブン振り回している。ので代わりに俺がビラを受け取った。

 

「ん? メイドカフェ?」

「そう! 今月オープンしたばかりのメイドカフェ『膝上15センチ』よ♪」

 なにその店名……やっぱり中洲だろ。

「えぇ……それってカップルで行くところっすかね?」

 俺が怪訝そうにじろじろと見つめると、呼び込みの女性は首を横に振る。

「そんなわけないでしょ? ここは天神で若者の街なんだから♪」

「は、はぁ……」

 返答に困っていると、冷静さを取り戻したアンナがビラに食い入る。

 

「なにこれ? カワイイ☆」

 ビラに描かれたメイドさんに惹かれたようだ。

 アンナは基本かわいいものが大好きだからな。

「気になるのか?」

「うん! 行ってみたい☆」

 目をキラキラと輝かせて俺を見つめる。

 そんな顔されたら、彼氏役の俺は黙っているわけもいくまい。

 ま、俺もメイドカフェなんて行ったことないし、取材になるかな。

 ここは一つ経験してみることにしよう。

 

「すんません、この店まで連れて行ってもらっていいすか?」

 俺がそう言うと呼び込みの女性は拳を作って喜びをかみしめた。

「しゃっあ! 新規ゲッツ!」

 詐欺ぽいなコイツ。

 

「じゃあ、ペアルックのカップルさんご案内~♪」

 人気の多い渡辺通りで大声で叫ぶ眼鏡女。

 クソが、目立つからやめろ。

 

 

   ※

 

 眼鏡女が先頭に立ち、渡辺通りを歩く。

 先ほどいた福岡マルコより、港よりの北天神へと向かう。

 この辺なら俺でも少しわかるな。

 前にほのかと中古ショップ『オタだらけ』に買い物にいったし。

 

 

「さ、ここよ!」

 眼鏡女が立ち止まった場所はオタだらけのすぐ隣りにあった。

「案内されるまでもなかったな……」

 だってオタだらけとか、俺のホームじゃん。

「え、知ってたの? 彼氏さん」

 目をキョトンとさせる呼び込み。

「いや、店は知らないっすけど、場所的には……」

「ならさっそくお店に入って『食いログ』とかに高評価をお願いね♪」

 そう言うと呼び込みのお姉さんはスタコラサッサーと去っていった。

 ていうか、高評価するかは俺が決めることなんだわ。

 誰がお前の指示に従ってやるもんか。

 

「すごーい、これがメイドカフェなんだね☆」

 何やらテンションが高いアンナさん。

「みたいだな」

「タッくんはメイドさんと会うの、初めてかな?」

 どこが不安そうに俺を下から見つめる。

「ん? 初めてだが」

 俺がそう答えるとアンナはホッとしたようで、嬉しそうに微笑んだ。

「よかったぁ」

「なにがだ?」

「タッくんの初めてはアンナと一緒がいいもん☆」

「あ、そうなの……」

 

 その思い出って別に誰でも良くないっすか?

 だって仮にもデートですよ。

 ボリキュアストアといい、なんか天神ぽくないし、カップルぽいことなにもしてないよ。

 これ取材になってんのかなぁ……。



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133 法律は守りましょ!

 俺とアンナはさっそくメイドカフェに入ることにした。

 

 空高くそびえたつ高層ビル、オタだらけのすぐ隣り。

 オタだらけに比べるとかなり小さな建物だ。

 三階建てで、一階が健康食品を取り扱っている店で、その隣に螺旋階段がある。

 階段を上った二階にメイドカフェがあった。

 

 先ほど案内してくれた呼び込みのお姉さんが言った通り、新規開店したところだけあって、外見からして真新しい。

 ガラス越しに店内をのぞくと、小規模な店舗のわりに結構にぎわっていた。

 ほぼというか全員男で基本オタクたち。

 

「とりあえず、入るか」

「うん、楽しみぃ~☆」

 どこがそんなに楽しいのだろうか?

 仮にもアンナは女の子……って女装男子だった。

 じゃあ客は相も変わらず野郎ばかりということか…。

 

 ドアノブに手を掛ける。

 少なからずとも期待はしていた。

 このドアを開いたら、フリフリのメイド服を着たお姉さんたちがそろって頭を下げ「おかえりなさいませ、ご主人様♪」というテンプレの名セリフが待っているのだろうから。

 

 生唾をのみ込んで、勢いよくドアを開く。

 すると……。

 

「あ、らっしゃい」

 

 ガムをくちゃくちゃと音をたて、トレーを片手にご挨拶。

 確かにフリフリのメイド服を着ているお姉さんだ。

 左手を腰に当ててだらーんと立っている。

 やる気ゼロだ。

 

 俺がそのメイドさんに呆気を取られていると、後ろから罵声を上げられる。

 

「ねぇ、邪魔でしょ? 入るなら早く入れば」

 恐らく厨房から出てきたであろう他のメイドさんがパフェを持って、俺を睨む。

 こわっ!

 

「す、すんません……」

 なぜか俺が謝ってしまう。

「タッくん、メイドさんたち忙しいみたいだから早く座ってあげよ」

 アンナが俺の肩を優しくポンッと叩き、席へと促す。

 あなたの方がメイドさんらしいんですけど。

 

 

 俺はこの店にかなりの違和感を持ちながら、空いていたテーブルに腰を下ろす。

 二人掛けのテーブルで、アンナとは対面するかたちで座っている。

 

「うーん、なにを頼もっか?」

 アンナがテーブルの上に置いてあったメニューを手に悩んでいる。

「そうだな、ここはやはりテンプレ通りのオムライスでどうだ?」

 先ほどのメイドたちもさすがにオムライスを頼めば、デレるかもしれんし。

 いや、そうであってくれ。

 

「じゃあそれにしよっか☆」

 アンナがメニューをなおそうとしたので、俺が途中で声をかけメニューを自分でも確認してみる。

 頼もうとしたオムライスの値段をチェックしてみると、そこには驚愕の金額が。

 千六百円……。

 たかっ!

 

 しかもワンドリンク頼まないといけないらしい。

 アイスコーヒーだけでも七百円もする。

 どんな高級レストランですか?

 

「まあいいか……経費で落ちるし」

「なんのこと、タッくん?」

「あ、いや、なんでもないさ」

 彼女にダサイところは見せたくないしな。

 気持ちを切り替えて、近くにいたメイドさんに声をかける。

 

「すいませーん」

 俺がそう言うと、なぜかメイドさんは舌打ちをしてから、こちらに歩み寄る。

「なに、もう決まったの?」

 すんごい冷たい目で見下ろされているんだけど?

 女王様カフェ?

 

「あ、あの……オムライスを二つください」

「あいよ…りょーかい」

 おめぇはちったぁやる気だせ。

 仮にも給料もらってんだろ。

「飲み物はアイスコーヒーのブラックと……アンナはどうする?」

「うーん、アンナはねぇ…」

 アンナがもう一回メニューを取って飲み物を選んでいると、それを待っていたメイドさんがまた舌打ちする。

「チッ、あくしろよ」

 ちょっと! 悪態ついているよ、このメイドさん。

 その不機嫌さと言ったら、酷いもんだ。

 どっちが客で店員かわからなくなってしまいそうだ。

 

 俺は終始メイドさんの塩対応……いや鬼対応にブルっていた。

 だが、アンナはそれを気にもせず、鼻歌交じりで飲み物を選んでいる。

「カフェモカにしよっと☆」

 マイペースだな。さすがヤンキーだ。

 

「じゃあアンナはカフェモカでお願いします☆」

 ニッコニコ笑って注文している。

「あいよ……」

 伝票へ乱暴に書きなぐるメイドさん。

 書き終えるとなぜかまた舌打ちして、厨房へと去っていった。

 なにをあんなに怒っているんだ?

 

 俺は注文を終えると、殺伐としたメイドさんたちの空気に押しつぶされそうになった。

 ため息を吐いて、アンナの方に目をやる。

「なあこのメイドカフェ、なんかおかしくないか?」

 根本的に。

「そう? アンナはメイドさんたちの服、可愛いから見ているだけで楽しいなぁ☆ アンナもああいうの着てみたい☆」

 ぶれないな、アンナちゃん。

 

 俺の違和感とは裏腹に客は大勢いる。

 ゴールデンウィークのせいか、新規開店のせいかはわからんが、奥の大きなテーブルには6人ぐらいのオタクたちが大きな声をあげて騒いでいる。

 

「ランカちゃん、カワイイでごじゃる!」

「今期アニメはなにが好きでありますか?」

「……俺のターン……ずっと俺のターン」

 いや最後のやつ、メイド見てないでひとりデュエルしてるよ。

 

 だが、そんな喜びもむなしく、ランカちゃんと呼ばれたメイドさんは、それを見て汚物をみるような目で睨んだ。

「うるせぇな、早く食って帰れよ、キモオタがっ!」

 こわっ!

 なにこの店、ツンデレ娘のイベントでもやってんの?

 

 

  ~数分後~

 

 やっとのことで注文したものが届く。

 頭の上で器用に大きなトレーを二つ、軽々と持って歩くメイドさん。

 しかし相変わらず、連続で「チッ、チッ」と舌打ちを続けている。

 もうここまで行くと病気とかチックなのではないかな?

 

「おまちど!」

 そう言うとオムライスを二つ、雑にテーブルへと叩き落とす。

 乱暴なメイドさんだなぁ。

「それから、飲み物な!」

 ガンッという嫌な音を立てて、グラスが置かれた。

 弾みでグラスからコーヒーが少しこぼれる。

 なんなんだよ、この店。雑すぎるだろう。

 

「あ、ケチャップいる?」

 忘れていたかのような発言。

 いるに決まっているだろう。

 というか、そのためにオムライスを頼んだ。

 例の美味しくなる魔法の呪文ってやつさ。

 

「い、いります」

 俺がそう答えるとまた舌打ちで返される。

「チッ、ほらよ」

 またしても乱暴にケチャップを置かれた。

 そしてメイドさんはポケットから伝票を取り出し、テーブルに残すと背を向ける。

 

 俺は慌ててメイドさんを呼び止める。

「あ、あのう、例のやつはないんですか?」

 振り返ったメイドさんは鬼のような険しい顔つきで「あぁ?」と言う。

「んだよ、こっちは忙しいんだけど?」

 頭をボリボリかきながら、めんどくせっと言った感じでテーブルに足を戻す。

 

「その、あれですよ。メイドさんと言ったらお決まりのオムライスに絵文字とか『美味しくなあれ』とかやるじゃないですか?」

 恐る恐る聞いてみる。

「え、メイドさんってそんなサービスがあるの?」

 隣りにいたアンナは知らなかったようだ。

「ああ、よくテレビやアニメでも見る定番のやつだよ」

「へぇ~ そうなんだ、楽しそう☆」

 アンナが嬉しそうに笑うが、目の前に立つメイドさんは舌打ちの頻度がかなりあがっていた。

 

「チッチッチッ……」

 舌かまない?

 そして、こう繰り出した。

「あのさ、なんかたまに勘違いしてくるキモオタいんだけどぉ。ここはただの喫茶店。んで、働いている女の子はたまたまメイド服を着ているだけなの」

「え?」

 俺がアホみたいな声で聞き返すと、更に不機嫌そうに舌打ちを繰り返す。

「わっかんねーかな……あのさ、あんたまだ十代だろ? 勉強不足だよ」

「す、すんません」

 なんで俺が謝っているんだろう。

「そういう『美味しくなあれ』とか、絵文字とかは接待にあたるんだわ。風営法違反になんの。だからメイドさんと基本お話もダメ、お触りもダメ。さっきも言ったけど、たまたまメイド服を着た女の子が営業してる喫茶店てこと」

 ファッ!?

 

「そ、そうなんですか……勉強しときます」

「わかればいいよ、ケチャップはセルフだから。早く食って帰れよ」

 ヤクザみたいなメイドさんだ……。

 

 俺はメンタルがボロボロになっていた。

 メイドさんと言えば、癒しの代名詞みたいなんもんなのに。

 なぜこんな罵倒を繰り返されるのか?

 デレの要素が皆無だ。

 

 落ち込んでいる俺を見て、アンナが心配そうに声をかけてきた。

「タッくん、大丈夫? そんなに期待してたの?」

「ま、まあな……とにかく食べよう」

 俺がテーブルに置かれたケチャップに手を伸ばしたその時だった。

 アンナがそれを止める。

「待って」

「え?」

 

 アンナは深呼吸した後、俺にニッコリと微笑む。

「ご主人様☆ オムライスにケチャップをかけるんですけど、リクエストの言葉はありますか?」

 なにかのスイッチが入ったかのように演技を始めるアンナ。

「あ……じゃあ、『だいすき』で」

 流れでリクエストしてしまった。

「かしこまりましたぁ☆」

 そう言うと黄色い卵の上に赤い字で『だ・い・す・き』と描かれた。

 更にそれらを囲うように大きなハートつき。

 

 書き終えるとアンナは手でハートを作りながらこう言った。

「美味しくなあれ、美味しくなあれ☆ タッくんのオムライスが世界でいちば~ん美味しくなあれ☆」

 なんという神対応。

 泣けてきた……。

「萌え萌えきゅーん☆」

 最後にウインクでとどめ。

 

 俺のハートはその一言で射抜かれてしまった。

 メイド喫茶、来てよかったぁ。



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134 お持ち帰りしたときはとりあえず謝ろう

 アンナの超絶カワイイ、メイドさんのおかげで俺のオムライスは世界で一番美味しくなれた。

 そのあと、二人で談笑しながら昼食を楽しむ。

 

 店員が最悪な態度のメイドカフェだったが、アンナの萌え度が爆上がりしたので、これはこれで良しとしよう。

 

 食べ終わって店を出るときも、メイドさんは舌打ちしながら「ありやとやしたぁ」とキレ気味にご挨拶。

 いったいどんなコンセプトなんだ、このメイドカフェ……。

 

 

 とりあえず、店を出てまた天神を歩く。

 今度はどこに行こうか? なんて二人で話していると突然俺のスマホが鳴った。

 

「誰だろう?」

 着信画面を見ると見知らぬ電話番号が。

 見たことない市外局番だ。

 所謂サギっぽい番号ではない。

 まあ変なやつだったら速攻で切ってやろう。

 

「もしもし?」

『おい、坊主か』

 ドスの聞いた若い女性の声だった。

 坊主? 俺は出家した覚えはない。

 間違い電話では。

 

「あの、失礼ですがどちらさまですか?」

『あたいだよ! 忘れたのか!?』

 名乗れよ、あたいってどこの田舎もんだ。

 うーん、誰だっけ?

「すいません、ちょっとわからないですね」

『バカヤロー! ヴィッキーちゃんだよ!』

 怒鳴りつけられて、一瞬で思い出した。

 そうだ、ミハイルの姉であり、アンナのいとこという設定のお姉さん。

 古賀 ヴィクトリアだ。

 

「あ、お久しぶりっす」

 目の前にいるわけでもないのに、背筋がピンっとする。

『おう、思い出したか。ところで坊主はミーシャが今どこにいるか知ってるか?』

 ギクッ! 隣りにいますよ。女装した弟が……。

 

 俺がアンナと目を合わせると、彼女はなにもしらずニコッと笑う。

「どうしたの、タッくん?」

 あなたのお姉さんが探しているんですよ。

 

 慌てて受話器を手で覆う。

 アンナの声が聞こえないように。

 だが最近のスマホは性能が高いようだ。いや、ハイスペックすぎる。

 

『おい、今ミーシャの声が聞こえたな……坊主、もしかして一緒にいるのか?』

「うっ……」

 なにも答えられない。

 言い訳が思いつかないからだ。

『聞いてんのか? あのよ、ウチではお泊りするときはよ。ちゃんと一言連絡するっつうルールがあんだわ』

 こ、こわい。

「は、はい…」

 ヴィクトリアはため息を吐きだすと、呆れた声でこういった。

『ミーシャと夜遊びしたんなら、それはそれでいいけどよ。ちゃんと連絡はよこしてくれやぁ!』

 もう説教に変わっていた。

 俺はとりあえず、相槌するしかない。

『まあなにがあったか知らんけど……今すぐミーシャをとっと帰せ!』

「いや、しかしですね……」

『隣りにいるんだろうがっ! 電話に変われ! あいつスマホの電源切ってやがんだ!』

 そうだった。

 だが、なぜヴィクトリアは俺の番号を知っていたんだろうか?

 

 しかし、変われと言われても、今のミハイルはミハイルではない。

 あくまでもアンナの設定だ。

 ここで電話に変わってしまうと、彼女の正体がヴィクトリアにバレてしまう。

 そしてミハイルが一番隠したい相手、そうこの‟俺自身が気がついている”ということも暴かれる。

 なるべく傷つけたくはない。

 

「あ…なんですか……。声が……途切れて…」

 一芝居うって逃げる方法を選んだ。

『こらぁ、坊主! ふざけてんのかぁ!』

「あれ? 聞こえない? どうしよう……」

 そう言って、俺もアンナと同様にスマホの電源を切ろうとした。

 すると断末魔のようにヴィクトリアの叫び声が受話器から漏れる。

『おい! まだ話は終わって……ブチッ』

「……ふむ、これでよし」

 と自分に言い聞かせるように呟く。

 

 気がつくとアンナは近くのデパートに設置されたショーケースを眺めていた。

 フリルがふんだんに使われたワンピースが人形に着せられて、飾ってある。

「かわいい~」

 

 まったく本人は何も知らないんだな。

 しかし、このままデートを続けると姉のヴィクトリアが俺の家に突撃してくるかもしれない。

 ここは名残惜しいが、彼女をすぐに家へ帰そう。

 そうしないと、なんかヤバそう……。

 

 

「アンナ、悪いが今日の取材はここまでにしよう」

 俺がそう言うと彼女は寂しそうに眉をひそめる。

「えぇ、まだおやつ前の時間だよ?」

 あなた、もうそんな年じゃないでしょうが。

「いや、そういうことじゃなくてだな……」

 俺が言葉に詰まっていると、彼女がその理由を代弁してくれた。

「もしかして、さっきの電話の相手のこと?」

 察しがいいな。

 

「そうだ、俺は急遽、小説の編集と打ち合わせが出来てな……悪いが仕事なんだ」

 よし、この流れだ。

「そっかぁ……お仕事なら仕方ないよね…」

 シュンとするアンナもカワイイ。

「だから今から編集のロリババアと会うから、アンナは先に帰ってくれ」

「うん……でもまだ遊び足りないよぉ」

 唇をとんがらせて、上目遣いで俺に詰め寄る。

 胸の前で祈るように両手を握っちゃったりして……。

 クッ、なんて可愛い仕草なんだ。

 俺だってまだ遊びたいわ!

 

「急用なんだ、すまんが分かってくれ……」

「じゃあ、また今度埋め合わせしてよね?」

 俺の心臓あたりを人差し指でピンと当てる。

 頬を膨らませて怒っているようだが、なんとも愛くるしい顔つきだ。

 その証拠に持ち前のグリーンアイズが潤ってキラキラ輝いてる。

 泣くのを我慢しているようだ。

 

「ああ、約束だ」

「やくそく☆」

 そう言って小指と小指で誓いを交わす。

 

 俺は「またな」と言って彼女に背を向ける。

 だが、その前に釘を打っておかねば……。

 振り返ると、寂しげに縮こまっているアンナがじっと俺を見つめていた。

 

「どうしたの、タッくん。忘れ物?」

 なぜか嬉しそうに話す。

「あのな……悪いことはいわんから、すぐに家に帰るんだ!」

 語気を強めて忠告する。

「アンナの家? なんで?」

 言えないよ。

「と、とりあえず、早く家に帰るんだ! これは彼氏命令だ!」

「え……カレシ?」

 ヤベッ、勢いにまかせて自ら彼氏発言してしまった。

 アンナといえば、驚きを隠せないようで口を大きく開いていた。

 頬を朱に染め、俺の顔をじっと見つめている。

 

「ア、アンナは大事な取材対象だからだ!」

 無理やりなこじつけだった。

「うん……アンナのことが心配だからだよね」

 ポジティブに受け取ってしまったようだ。

 まあそれでいいや。

「そういうことだ。じゃあ、すぐに帰れよ、帰宅したら連絡をくれ!」

 俺はそう言うと改めて彼女に背を向け、人通りの多い渡辺通りを走り出した。

 振り返りはしなかった……。

 なぜならば、今の俺は赤ダルマのように顔が真っ赤だろうから。

 

「彼氏って言っちゃったよぉ」

 恥を忘れるかのように、天神を猛スピードで走り抜けた。

 ゴールなんてないのにね。



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135 ミニシアター系は意識高い系

 アンナとのペアルックデート(取材)は無事に終えた。

 撮れ高充分だったのだけど、途中で姉のヴィクトリアが「早く帰せ」と鬼姑のように激怒するので、彼女とは早めに別れた。

 

 その後、俺はアンナに「仕事で急用ができた」とウソをついたので、天神で時間を潰そうと考えた。

 メインストリートの渡辺通りから少し離れて、親不孝(おやふこう)通りに向かう。

 そこにミニシアター系の映画館『シネテリエ親不孝』に入った。

 

 この映画館は映画通なら必ず来る聖地と言ってもいいだろう。

 狭い親不孝通りの一角にあって、存在を知らないと通り過ぎてしまいそうな、小さい置き看板のみが設置されている。

 人ひとり通れそうなぐらい細い階段を地下へとおりる。

 ドアを開けると薄暗くて怪しげな雰囲気が漂う。

 カウンターに近づくと大人しい女性が小さな声で囁くように言った。

「いらっしゃいませ……」

 俺はもう慣れているが、初めて来たときは幽霊屋敷かと思った。

 

「あ、今の時間、映画なにやっているんすか?」

 ここシネテリエ親不孝は数多くのミニシアター作品やその他海外で上映禁止されたようなコアな作品もリバイバル上映していてる。

 20人ぐらいしか席がないにもかかわらず、ものすごい数の作品を一つのスクリーンで上映しているのだ。

 昨今の流行であるシネコンとは逆行している粋な映画館だ。

 だから、数時間単位で作品がコロコロ変わる。

 

「今は……『コンドーム殺し』です……」

「えぇ?」

 俺は耳を疑った。

 控えめなお姉さんが、急に卑猥な言葉を発したからだ。

 

「そ、それってジャンルはなんですか?」

「ホラーですよぉ……けっこう売れているんですぅ……」

 いや、あんたがホラーだわ。

 しかしシネテリエ親不孝のお姉さんがここまでプッシュしているんだ。

 名画に違いない。

 俺は「じゃあ高校生一枚」と言ってさっそく映画を観ることにした。

 

   

   ~2時間後~

 

 ブーッ! と言う音と共にカーテンが閉まる。

 上映が終わりを迎えたということだ。

 次の作品に入れ替わるから早くここから出たいのだが……。

 イスから腰があがらん。

 

「なんだったんだ……この映画は…」

 受付のお姉さんが言うにはジャンルがホラーということだった。

 冒頭はコンドーム工場にバケモノが紛れ込んで、数々のカップルの行為中にコンドーム殺しというモンスターが男の大事なモノを食い散らかすという……男の子にとっては確かにホラーだった。

 主人公は二メートルもあるモノを食われたが、半分は残っていて一メールあるからセーフとかいうわけのわからないヒーローで、前半はコンドーム殺しを追うバトルホラーだったのが、後半はなぜか主人公と男娼が恋に落ちるというラブストーリーで、濃厚なキスとともにハッピーエンド……。

 

 凄まじい展開だった。

 ラブホラーという新しいジャンルだ。

 これは間違いなく10年に一本の名作、いや迷作に間違いない。

 忘れることができなくなってしまったよ。

 

 だが、一つだけラストで気になったシーンがあった。

 男同士がディープキスしていた情景だ。

 観ていて俺は気持ちが悪いという感覚よりも、なにかこう胸がしめつけられる想いを覚えた。

 ヒロインである男娼がキレイな顔立ちをした金髪の白人ということもあって、ミハイルが重なってしまったからだ。

 

 グレーゾーンが大嫌いな俺からしたら、こういう恋愛は受けつけられないのに……。

 なぜか感情移入してしまう。

 わからない。

 俺はこの作品とミハイルの関係を重ねてしまったのだろうか?

 

 

 映画の余韻に浸っていると、薄暗い中で「ふぅふぅ…」と不気味な吐息が聞こえてくる。

 俺の首元に冷ややかな風が吹いてきた。

 悪寒が走ったそのとき、右側を見るとそこには……。

 

「お客さまぁ……申し訳ないのですが…入れ替えの時間ですのでぇ」

 懐中電灯で自らの顔を照らした色白の女性が立っていた。

 

「ぎゃあああ!」

 おばけかと思ってしまった。

 正体は受付のお姉さんだ。

 

「あ……驚かせてすみませぇん……」

 ニヤッと笑みを浮かべると更に恐怖を感じた。

 怖がっている俺を和ませようとして笑ったのだろうだけど。

「い、いや、大丈夫っす」

 俺はうろたえながらも、席を立ちあがる。

 

 時間は十分に潰した。

 アンナことミハイルもそろそろ帰宅している頃合いだろう。

 背伸びをしてスクリーンから立ち去ろうとしたその時だった。

 お姉さんに再び声をかけられる。

 

「あのぅ……さっきの映画…」

「え?」

「すごくいい…映画だったでしょ?」

 未だに自分の顔を懐中電灯で明るくしている。

 この人は怖がらせるのが好きなのだろうか。

 

「そう、ですね…単なるホラーかと思ったらラストがけっこう考えらせられる内容でした」

 また頭の中にミハイルが浮かぶ。

「うふふ……よかったぁ…」

 あの余韻に浸れないんで、早く懐中電灯下ろしてください。

 

 

      ※

 

 

 映画館から出ると、既に空は暗くなっていた。

「俺もそろそろ帰るか…」

 隠れた名作に出会えた喜びをかみしめながら天神の地下街におりる。

 疲れたから、帰りはバスより地下鉄を使って博多に帰ろうと思ったからだ。

 切符を買って、改札機を通り過ぎるとスマホのブザーが鳴る。

 

「ん?」

 スマホを手に取ると着信名はミハイル。

 

「もしもし」

 俺が電話に出るとかなり取り乱した彼が出た。

『あ! タクト! やっと出てくれた! 何回もかけてたのになんで出てくれないんだよ!』

 かなり怒っている…。

「すまん、ちょっと映画をな……」

 と言いかけてヤバイと思った。

 女装時の彼に、仕事とウソをついていたことを思いだす。

『映画?』

「あ、いや違うんだ。出版社の話でな。取材として映画を勧められたんだ」

『そっかぁ……じゃあ、今度オレと一緒に観に行こうよ☆』

 行くか!

 あなたにはあの映画はまだ早すぎる!

 

 俺は逃げるために話題を変えた。

「ところでなんの用だったんだ?」

『あ、そうだった! あのさ……実はオレ昨日ちょっとプチ家出しちゃってさ……」

 うん、知ってる。

 家出先、俺の自宅だもんね。

「ほう…」

 知らぬふりして聞いてやった。

『ねーちゃんに連絡してなかったから、いまスッゲー怒ってんの……』

 泣きながら話している。よっぽど怒ってたんだな、ヴィッキーちゃん。

 

「なるほどな」

『でさ…どこに行ってたかってしつこく聞いてくんの……』

 過保護なお姉さん。

「それで?」

『だから、ウソつくの嫌いなタクトには悪いんだけどさ…オレが泊ってたのタクトん家にしてくんない?』

「いいよ」

 俺は呆れていた。

 だってウソじゃないもん。限りなく真実じゃん、それって。

 ウソついているのはミハイルくん、あなたでしょ。

 

『やったぁ! じゃあ悪いけど明日オレん家に来てくんない?」

「え?」

『ねーちゃんが怒ってるから一緒に謝ってよ☆』

 ファッ!?

 なんで俺がそこまでしなきゃいけないんだ。

 ま、泊まらせたのは俺だし、事実だから親代わりのヴィクトリアには一つ謝罪しておくか。

 

「わかった。明日だな」

『ありがとぉ、タクト! さすがダチだな☆』

 普通のダチがここまでしてくれるか!

 だが、俺はミハイルと話しながら自然と頬が緩んでいた。

 

 明日もまたアイツに会えるんだな……。



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第十九章 謝罪と贖罪と……食材?
136 謝罪するときはだいたい許してくれない


 ゴールデンウィークも最後の日となった。

 全然休めない大型連休は人生で初めてだ。

 今日だってアンナのために、ミハイルの自宅に足を運ぶというわけのわからないイベントが予定されている。

 

 

 ため息を漏らしながら、スニーカーにかかとを入れ込む。

 膝に手をついて、立ち上がろうとしたその時だった。

 俺のすぐ後ろ、つまり二階へあがる階段からドタバタと足音が聞こえてくる。

 こんなに騒がしくする人間は一人しかいない。

 

「おにーさまぁ!」

 

 やはり妹のかなでか……。

 めんどくさいこと言ってきてそうで嫌だなぁ。

 

「どうした、かなで?」

「忘れ物ですわ♪」

 乱れた息を整えながら、笑うかなで。

 胸元が開いたワンピースを着ていて、汗だくのおっぱいが今日も無駄にデカくてきもい。

 息が荒いせいか、巨乳がブルブルと震えていた。

 

「忘れ物?」

「はい、アンナちゃんのことで謝罪に行かれるのですよね?」

 こいつと彼女、いや彼とは情報がダダ漏れのようだな。

「そうだが」

「では、女の子を黙ってお泊りさせた罰として、菓子折りの一つぐらい持っていくのが礼儀ですわ」

 女ではないけどね。

「悪いが用意してないぞ? それに俺も最近、金遣いが荒くてな……そんな余裕はないよ」

「ご安心くださいませ。そう思ってこのかなでが用意しておきましたわ!」

 

 かなではそう言うと、一つの紙袋を差し出した。

 白い袋から何かを取り出す。

 そこには目を覆いたくなるような品物が……。

 かなでの手の上にある四角形の箱。

 箱に罪はない。

 あるとすれば、それを包んでいる紙だ。

 

 ピンク色の下地にデカデカと童顔のロリッ子が苦悶の顔で、膨らんだ股間を手で見えないように隠している。

 商品名、博多名物『男の娘のバナナ』

 

 俺は急に気分が悪くなってきた。

 

「はぁ……かなで。お前、これどこで買ってきたんだよ?」

 こんな卑猥なお土産が博多の名物入りしていたのが驚きだよ。

「え、普通に近所のスーパー、ニコニコデイで売ってましたわよ♪」

 ウソをつけ!

 そんなテナント、ニコニコデイが許すわけないだろう。

 もうニコニコできなくて、ギンギンじゃないか。

 

「これを俺が、アンナの親族に持っていくのか……」

 鬼のヴィッキーちゃんだぞ。絶対キレること間違いないだろう。

 謝罪する前に殴られそう。

 

「ええ? これ、真島に工場があって、ご近所のおばさんたちの間でも評判なんですよ?」

 マジかよ、俺の故郷もう終わったな。

 開いた口が塞がらない。

 その間もかなでは卑猥な土産を片手に、説明を続ける。

「柔らか~いスポンジケーキに、ドロッとした白濁液……じゃなかった甘いホイップクリームが入っていて最高なんですのよ」

 それ…本当にホイップクリームだろうな?

 工場見学行ったら、別の物が注入されていそうだ。

 俺は食わないでおこう。

 

「わ、わかったよ。とりあえず、頂いておく」

 俺は渋々、かなでが用意した菓子折りを手に取った。

「ハイ、ではお気をつけて♪」

「いってきます……」

 

 なんだか、いつもより足どりが重く感じるよ……。

 

 

    ※

 

 俺はJRで小倉行きの列車に乗り込み、ミハイルの住む席内駅で降りた。

 席内駅のロータリーに出るとタクシー乗り場の前で、壁にもたれる見慣れた少年が立っていた。

 ブロンドの長い髪を首元でくくって、エメラルドグリーンの瞳を潤せて地面を眺めている。

 どこか寂しそうに感じる様子だ。

 ワインレッドのタンクトップに、白のショートパンツ。

 透き通るような白い素肌が強調されたファッションだ。

 

 美しい……俺は言葉を失い、見とれてしまった。

 

 隣りに立っている俺に、なぜか気がつかない彼。

 唇をとんがらせ、アスファルトの小石を蹴る。

 それをいいことに俺はじっと見つめ続けた。

 

 数秒の間だったが、体感では1時間ぐらい見ていたように思える。

 

 まだこの瞬間を味わっていたいと思う俺の気持ちを、風が邪魔する。

 ビュッと強い春風が舞うと、ロータリーの周辺にある木々が踊りだす。

 まだ幼い若葉が一枚、俺の足元に落ちた。

 

 すると彼が俺に気づく。

 

「あ、タクト! もう来てたんだ☆」

 さっきまでの寂しげな顔が一変し、太陽のような明るい顔になる。

 俺に飛びつくように距離を詰め、手のひらを握った。

「お、おう……コミケ以来だな」

「うん、楽しかったよな! コミケ」

 目を細めて嬉しそうに微笑む。

 彼の白くて小さな指が、俺の右手を暖かく包んでいる。

 キラキラとした大きな瞳で上目遣い。それにやけに今日はスキンシップが激しい。

 アンナの時はまた違う魅力だ。

 俺は心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしていた。

 鼓動が早い。

 

「じゃあ、さっそくオレん家に行こうぜ☆」

「ああ……」

 積極的な彼に俺は圧倒されていた。

 手を握られたまま、席内の商店街を歩く。

 いつものミハイルなら男装時はもっとこうツンツンしたり、恥ずかしがっていることが多いのだが……。

 どうも調子が狂うな。

 この前のアンナとのデートで俺が「彼氏命令だ」なんて言ったせいかな?

 いや、思い過ごしだろう。

 

 

 そしてしばらく商店街を歩くこと数分で、目的地に着く。

 パティスリー、KOGA。

 彼の姉が経営するスイーツショップ。

 以前、遊びに来た時はたくさんの花々や可愛らしい大きなくまのぬいぐるみがあったのだが。

 今日はシャッターが閉まっている。

 

 張り紙があってきれいな文字でこう書いてあった。

『ゴールデンウィーク中は昼から飲酒しているので連絡は取れません。ご迷惑をおかけします』

 丁寧にアル中宣言していて、すがすがしいほどにバカだ。

 

「今日は休みなんだな?」

「うん☆ ねーちゃん、いつもオレのために頑張っているからな。連休ぐらいは休ませてあげないと☆」

 いや、あなたのお姉さまって平日もがぶがぶお酒を楽しんでいらっしゃいますよね?

 肝臓の休日がないじゃないですか……。

 

 

 俺が呆然と突っ立っていると、なにやら空から重たい威圧感が。

 この感覚……ヤツか!?

 見上げると、二階の窓からブラジャー姿の痴女が俺を睨みつけていた。

 右手にはウイスキーの瓶、左手にはストロング缶。

 

「おぉい、早くあがってこいよ……コノヤロー!!!」

 やはり不安は的中した。

 しっかり出来上がっている。これは謝罪どころじゃないだろう。

 ただ説教されるだけだな、きっと。

「う、ういっす……」

 俺がブルっていると隣りにはニコニコ笑う天使の姿が。

「ねーちゃん、タクトが来て嬉しそうだな☆」

 いや、ただ酒に溺れてるだけでしょ?



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137 菓子折りは渡しても渡さなくても文句言われる

 ミハイルの案内でパティスリー KOGAの裏に回り、庭先で階段を昇る。

 扉を彼が開こうとしたその瞬間、ギギッと軋んだ音を立ててドアは自ら動いた。

 

「よぉ、坊主。てめぇ、この前はよくも電話ブッチしやがったなぁ、コノヤロー!」

 

 靴もはかずに素足で表に現れた店長のヴィクトリアさん。

 頬が赤いのは彼女が恥ずかしがり屋なんていう可愛らしい人柄だからではない。

 その答えはヴィクトリアの両手にある。

 右手にウイスキーの角瓶、左手にはチューハイのストロング缶、500ミリリットルが握られている。

 飲酒によって起こる症状で、血行がよくなり体温が上昇するといった結果でしょうね。

 

「うわぁ……」

 こんな大人になりたくないな。

 だって玄関開けたら、他人がいるかもしれないじゃないですか。

 なのに、この人グリーンのレースが刺繍されたブラジャーで、下はなぜかボクサーパンツ履いているんだよね。

 歩く痴女だな。

 俺がその姿に呆気を取られていると、それを気にもせず、ヴィクトリアはズカズカと俺に詰め寄る。

 

「聞いてんのか! このクソ坊主!」

 ツバ飛ばしながら顔面で怒鳴られる人の気持ちになってください。

 しかも酒くさい。

「いや、聞いてますけど……」

 鬼の形相で俺のおでこにグリグリと自身の額をこすりつける。

 忘れてた、ヤンキーだったな、この家。

 もう少しでキスできそうなぐらいの至近距離なんすけど、羞恥心とかないんですかね、この人。

 

 酔っ払いの相手なんて面倒だなと、思っているとミハイルが助けに入る。

「ねーちゃん! ちかい近い!」

 そう言って俺とヴィクトリアの間に入る。

 彼女をひきはがそうと家の中に押し戻す……が力自慢のミハイルでもヴィクトリアはなかなか動かない。

「ミーシャ! お前は黙ってろ! 親代わりの姉として、あたいはミーシャをしっかりいい子に育てないといけないんだよぉ!」

 いい子って……子供じゃないんだから。

 それにミーシャの方が大人っぽく感じます。

 あなたの方が精神的に成長が足りない気がします。

 

「違うんだってぇ! ねーちゃん、タクトは悪くないって言ったじゃん!」

 おお、ねーちゃんファーストのミハイルからしたら珍しく反抗するな。

「バカヤロー! 無断でお泊りを許した覚えはねぇー!」

「そ、それはそうだけどぉ」

 なんだろう、別に俺が謝罪に来なくても家庭内で会議したら解決する話じゃないのかな?

 帰りたい。

 

 数分間、ミハイルとヴィクトリアはもみくちゃになる。

 その際ヴィクトリアのブラジャーが乱れ、ピンクの色の何かがチラチラと垣間見える。

 ウォエッ!

 

 もうこれ以上、アラサーの醜態は見たくない。

 ので、とりあえず俺が場をおさめるために、一歩後ろに後退し、深々と頭を下げた。

 

「この度は、大事な古賀さん家のミハイルくんを無断で外泊させて申し訳ございまんでした」

 俺が礼儀正しく謝罪の儀を終えると、しばしの沈黙が訪れる。

 

「ほう……」

 こうかはばつぐんだ!

 よし、このままたたみかけよう。

 妹のかなでにもらったお土産を差し出す。

「あの、つまらないものですが、どうかお納めください」

 ヴィクトリアは黙って俺の紙袋を受け取る。

 そこで俺はやっと顔を上げた。

 もう安心だろう。

 正式に謝罪もしたし、菓子折りも渡した。

 これなら彼女の怒りもおさまるに違いない。

 

「若いのにこういう気の使い方もできるんだなぁ、ええ? 坊主」

 怪しくニヤリと笑う。

 そして紙袋の中から菓子折りを取り出した。

 ヴィクトリアは箱にプリントされた卑猥な男の娘を見て、口を真一文字にする。

「……」

 無言で固まってしまった。

 隣りに立っていたミハイルはそれを見てこういった。

「な、なんだよ、このエッチなやつ…」

 顔を真っ赤にして、口に手をやる。

 

 ヤベッ、かなでの趣味が全面的に出たおみやげだった。

 だがうまいと評判と言ってたし、大丈夫じゃね?

 

 ヴィクトリアは紙袋に男の娘をスッと戻すと、ふぅと深いため息を吐く。

 そして、なにを思ったのか、渡したばかりの菓子折りを空高くかかげた。

「え?」

 その光景に驚いていると、それは一瞬で俺の頭上に突き刺さる。

「ぎゃあ!」

 あまりの力で俺は地面に叩きつけられる。

 

 ヴィクトリアは這いつくばってる俺に向かって、怒鳴り散らす。

「てめぇ! なんてもん、持ってきてんだよ、コノヤロー!」

 めっちゃ怒ってて草も生えない。

 俺はすかさず弁明に入る。もちろん、口元は土まみれなのだが。

「そ、それは俺の地元ではうまいと評判の洋菓子でして……」

「やかましい!」

 下から見上げるとヴィクトリアのスラッと長いきれいな脚が拝めた。

 だがそんなことよりも彼女の形相だ。

 それは正にSMの女王様と言っていいだろう。

 

 ていうか、隣りに立っているミハイルの方が目につく。ショーパンの裾から見えるスカイブルーのパンツが個人的に気になります。

 

 邪な考えを巡らせていたのが、バレたのか俺の視界は強制的にシャットダウンされる。

 というのも、ヴィクトリアの素足が俺の顔面めがけてブッ飛んできたからだ。

「ふげっ!」

「てんめ……前にも言ったけどな。あたいはパティシエだぞ、コノヤロー! こんなちんけな工場で作った洋菓子をうまいなんて言うと思ったか? 菓子折りを持ってきている時点で、プロのあたいにケンカ売ってんだよ」

 尚も彼女の足は俺の顔面をグリグリと踏み続ける。

 ここで気がついたが、割とこの人の足って臭くない。

 石鹸の香りがして、ちょっと心地よいかも。

 

「ず、ずんまぜん……」

 鼻を抑えられているので、思うように声が出ない。

「今度あたいに謝罪に来るときは、酒にしろよ、バカヤローがっ! けっ!」

 もうヤンキーを通り越して、ヤクザの方ですよね。

 次は指を落とす覚悟で来ます。

「は、はい…」

 

 そこへミハイルが止めに入る。

「ねーちゃん! オレのダチなんだぞ! ぼーりょくはよくないよ!」

 初対面で俺の顔殴った人に言われたくない。

「おお、まあこのぐらいで許したらぁ……坊主、次からはちゃんと連絡入れろよ」

 ようやく足を離してくれた。

 

 ヴィクトリアが背を向け、家に入る。

 一安心したところで、俺は立ち上がろうとした。

 すかさずミハイルが手を貸してくれる。

「大丈夫か? タクト」

「う、うむ。まあこのぐらい大丈夫だ」

 全然だいじょばない。なんだったら警察呼んで逮捕してほしい。

「ねーちゃん。よっぽど心配だったみたい……タクト、許してあげて」

 涙を浮かべるミハイル。

「ああ、ダチの頼みだ。許すもなにもないよ」

 だが俺の人生で『いつか小説のネタにしてやるリスト』に追加したがな。

 

「さっすがタクト☆ やっぱダチだよな☆」

 いやそんないいもんじゃない。

 

 やっとのことで、俺は彼の自宅に入ることを許された。

 玄関で靴を脱ぐと、先ほど俺がヴィクトリアに渡した紙袋がグシャグシャになって、廊下に落ちていた。

 

 ミハイルが「さっ、あがってあがって☆」と俺を促す。

 

 リビングに入ると、以前遊びに来た時のように大きなローテーブルが置かれていた。

 ただ少し違うところがあるといえば、テーブルの上にピラミッドが築かれていたことか。

 ストロング缶で出来たゴミの山。

 天井にまで届きそう。

 

 ヴィクトリアと言えば、テーブルの前でプシュッと音を立てて新しいストロング缶を開ける。

「ういしょっと……」

 そして、見たことのある四角形の箱を取り出す。

 包み紙を雑に破ると、中に入っていた菓子を手にする。

「あむっ、もしゃもしゃ……わりかしイケるなぁ」

 いやそれ、さっき俺が渡したやつ。あなたいらないんじゃなかったの?

 

 スポンジケーキを一口かじるとストロング缶で流し込む。

「プヘーーー! 昼から飲む酒は最高だぁ!」

 ダメだ、こいつ……。



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138 あんまり詮索すると、グレますよ?

 俺はその光景を見て、あいた口が塞がらなかった……。

 部屋中が空になったストロング缶とウイスキーの角瓶で、壁が覆われている。

 酒くさいったらありゃしない。

 あ、これならアルコール消毒しなくてもいいかもね。

 

「おい、なに突っ立ってんだよ、坊主」

 ヴィクトリアはあぐらをかいている。

 せめてそのブラジャーぐらいは隠してください。

 無駄にデカイ乳が露わになっていて、とても見ていて苦痛です。

 

 俺は「はい」とうなだれて、床に腰を下ろす。

 ミハイルと言えば、ヴィクトリアが飲み干した空き缶や瓶をゴミ袋に入れている。

 ポイポイおもちゃのように回収しているが、姉が飲み散らかした数は尋常じゃない。

 彼の頑張りもむなしく、ヴィクトリアはまた空になった瓶をテーブルの上に投げ捨てる。

 なんかこういう光景、テレビで見たことあるな。

 ニートのアル中がお母さんに世話されてるドキュメント。

 切ない、ミハイルママ頑張って!

 

 そんな考えを巡らせていると、ヴィクトリアが俺の方をギロッと睨む。

「なあ、あたいになんか隠していることねーか?」

 ギクッ!

 確かに最近はアンナとよくデートしているからな。

 さすがに一緒に暮らしている姉なら、ミハイルの変化に気がつくのも時間の問題か。

 

「あはは……なにもないですよ?」

 苦笑いでごまかす。

「ほーん」

 納得のいかない顔をしている。

 まるで蛇に睨まれているようだ。生きた心地がしない。

 

 ヴィクトリアはミハイルに声をかける。

「ミーシャ。そのゴミさ。庭の物置に捨ててきてくれや」

「え? いいけど……今すぐ?」

 ミハイルの両手には既にパンパンになったゴミ袋が4つもあった。

 それでもまだまだ部屋の空き缶や瓶はなくならない。

「ああ、今すぐだ」

 と言ってはいるが、視線はずっと俺から離さない。

 そしてニヤリと笑う。

「わかったよ、ねーちゃん☆」

 ミハイルは鼻歌交じりで、ゴミ袋を捨てにいった。

 

 

「……」

 空気が重い。

 なんなんだ、このプレッシャーは。

 ミハイル、早く帰ってきてくれ。沈黙が怖い。

 あなたのお姉さんってば、ずっと俺のことを睨みつけているんだもん。

 

 先に沈黙を破ったのはヴィクトリアの方だった。

「あのよ……最近ミーシャが変なんだよ…」

「へ、変?」

 元々、あなたの弟さんって基本、変態の部類じゃないですか。

 ボリキュア大好きだし、女装するし、女児用のパンティ買うし……。

 

 ヴィクトリアは咳払いするとこう切り出した。

「なんかさ、ミーシャの部屋にどんどん見慣れないものが増えてくんだよ」

「見慣れないものですか?」

「うん……まあこの前、ボリキュアの抱き枕とパンツは買ってきたけど……あれは前から好きだしなぁ」

 いや、そっちの方が変だろ!

 姉として心配しやがれ、仮にも親代わりだろ。

「そ、そうなんですか……」

「ああ、で変なモノってのはな。これなんだよ」

 そう言ってヴィクトリアが取り出したのは、とてもうすーい本。

 俺かしたら見慣れたものと確認できた。

 

 その名も『今宵は多目的トイレで……』

 

「「……」」

 

 俺とヴィクトリアは無言でそれを見つめる。

 

 なんて説明すればいいのだろうか。

 

「あたいも表紙を見た時はビックリしちまったよ……」

 どこか遠くを見るような目で、その腐った本を見る。

 確かにヤンキーの彼女からしたら、このブツは異世界レベルだろう。

「それ……オレの母のせいなんすよ」

「坊主の母ちゃんが関係してんのか?」

 だって俺がこの前のコミケでBLコーナーに連れて行ったから、もれなく腐女子がミハイルにサンプルをあげちゃったんだもん。

 申し訳ない。

 

「はい……すみません」

 俺が謝るとヴィクトリアは少し驚いていた。

「なんで坊主が謝るんだ?」

「へ?」

「あたいは別に怒ってないぞ。中身見たけど、エロ本だろ、これ」

「まあ……それに近いかと」

 BLはエロ本と例えていいのだろうか?

 

「ミーシャも年頃なんだ。仕方ねーよな、ダハハハ!」

 品のない笑い声。

 隠していた弟の秘蔵本を見て、笑いのネタにするとか酷い親代わりだ。

「あはは……」

 笑うしかなかった。

 

 

「だがよ、他にもなにか隠してるような気がすんだわ」

 一瞬で笑みは消え失せ、ギロリと俺を睨みつける。

 背筋がピンッと伸びた。

「まだなにか?」

「ミーシャが最近、ネットでよ。なにか注文してんだわ。毎日のように段ボールが送られてきやがる」

「それは……俺も知らないことですけど…」

「だろうな。さすがにあたいも勝手に開けるなんてダセェことはしねーよ。ただ伝票の品名見たらよ……全部衣料品なんだわ」

 あ、わかっちゃった。

 女装するときの可愛らしい服をネットで買ってんだろう。

 さすがに一人で女物を買いにいくのは恥ずかしいし。

 

「服ぐらい買うんじゃないですか、ミハイルも年頃の男の子ですし……」

 俺が笑ってごまかすと、ヴィクトリアはテーブルを拳でダンッ! と殴った。

「あたいが見るにその送り主はレディースファッションの店なんだけど!?」

 うう……どうしよう。

 このままではヴィクトリアに弟の女装癖がバレてしまう。

 俺が守らないと!

 

「きっと……あれですよ」

 苦肉の策だが致し方あるまい。

 許せミハイル。

「ん? なんだ?」

 ヴィクトリアが眉をひそめる。

 

 俺は「絶対にミハイルには内緒ですよ」と前置きしてから、語り出した。

 

「ヴィッキーちゃん。先ほども申し上げた通り、彼も年頃の男の子ですよね?」

「ああ、そうだな」

「つまり、お母さんとかにバレたくないものだってあるんです……」

「でもエロ本じゃねーぞ? 服じゃねーか」

 ふうと大きく息を吐く。

 覚悟を決めるために……。

 

「世の中にはいろんな性癖をもった方がおられるのはご存じですか?」

「んん? なんだって!?」

 食いつくお姉ちゃん。

「きっとアレですよ。お姉さんであるヴィッキーちゃんには見られたくない‟カノジョ”が、この家のどこかに潜んでいるのです!」

 俺はビシッと背後にあるミハイルの自室を指す。

「なにぃ!? あたいの家にかよ! ミーシャにカノジョができたのか!?」

 よし、いい流れだ。

 

「そうです。しかし、それはカノジョというにはきっとお姉さんには紹介できないような女の子なんです」

「ブスってことか?」

 真顔で聞いてきたので、思わず吹き出しそうになる。

「違います。カノジョが人間ではなく、人形だとしたら……?」

「まさか……」

 なにかを察した姉である。

「そう、等身大のお人形さんなら可愛い女の子の服を着せ放題ですよね」

 俺がそう言い終えると、ヴィクトリアは涙を浮かべる。

 

「……あたいはあの子を可愛く可愛く大事に育ててきたんだぞ。なのに、そんな根暗なオタクになりやがったのがぁ」

 すまん、ミハイル。本当にごめん。

 これしか思いつかなかった。

「ヴィッキーちゃんのお気持ちは痛いようにわかります。ですが、彼にこのことは絶対に話してはいけませんよ……もしバレたらその時は…」

 うろたえるヴィクトリア。

「そ、その時はどうなるんだ! 教えろ、坊主!」

「彼の中でトラウマとなり、一生消えない心の傷として刻まれるでしょう。この前みたいな、家出なんて可愛いもんですよ。バレたらもう二度とお姉さんとは口もきかずに、ひきこもるでしょう」

「……そ、そんなぁ」

 ヴィクトリアは頭を抱えている。

 

「なので、そのネットのお買い物のことは触れないであげてください。男の子ってけっこう繊細な生き物なんですよ」

 知らんけど。

「わ、わかった! 約束は守る! 『それいけ! ダイコン号』総長の名にかけて!」

 いや、それはいらないです。

 

 ヴィクトリアはやっと最近のミハイルの奇行に納得がいったようで、しばらくシクシクと泣いていた。

 俺はそれを優しく見守り、時折、彼女が「わかってくれるか、あたいの気持ち」と言うので、「わかります」とうなづいてあげる。

 

 

 しばらくすると、当の本人が戻ってきた。満面の笑顔で。

 

「ねーちゃん! ゴミ全部捨ててきたよぉ☆」

 ヴィクトリアは何を思ったのか、ミハイルを見るや否や、彼をギュッと抱きしめた。

「ミーシャ! 死んじまった親父とお袋がいなくてさびしいよなぁ……」

「え、いや、別にオレはねーちゃんがいるからそんなに……」

「みなまでいうな! あたいがその分、可愛がってやるから!」

「ど、どうしたの……ねーちゃん」

 そう言って、ミハイルは俺に視線を向ける。

 

 だが、俺は知らぬふりをして目を背ける。

 罪悪感が半端ないけど、これからもアンナちゃんをやるためにはこれぐらい、訳ないだろう。

 

 



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139 スーパーは高くても近所が一番

 ミハイルは姉のヴィクトリアから。あらぬ疑いをかけられ、困惑していた。

 号泣するヴィッキーちゃんが彼にこう言う。

「あたいは飲みなおすから、酒を買ってきてくれ。お前らも‟ダンリブ”で好きなもの買ってきていいぞぉ……」

 

 いやミハイルに同情するのは構わないが、動機が不純。

 まだ飲むのかよ、このクソ姉が。

 

「あ、ついでにこのメモのやつも全部買ってくれよぉ」

 そう言って泣きながら白い用紙をミハイルに渡す。

「うん、わかった☆」

 満面の笑みで頷くミハイル。

「ミーシャはいい子だなぁ」

 まだ泣いているよ。

 よっぽど、弟のラブドール所持疑惑がショックだったんだなぁ。

 でも、たぶん持ってないから安心しろよな!

 

「タクト、オレがダンリブに案内してやるぜ☆」

 白い歯をニカッと見せつける。

「ああ……」

 というか、ダンリブって席内駅の目の前だし、案内されるまでもないよ。

 過去に何回か来たことあるし。

 

 

     ※

 

 俺とミハイルはヴィクトリアから財布をかりて、近所のスーパー、ダンリブに向かった。

 スーパーというにはかなり大型のショッピングモールだ。

 ダンリブの店舗自体は敷地の半分ぐらいで、あとはテナントがたくさん入っている。

 昨今流行っている、ショッピングモールより何十年も前からこの席内市に出店している老舗と言ってもいいだろう。

 

 席内駅から徒歩3分ほど。

 福岡市外である席内は元々、市ではなく粕屋郡席内町であった。

 

 住宅街が多く、店の少ないこの街ではちょっとした‟天神”といえる。

 

 二階には若者向けの服屋も多数あるし、雑貨、本屋、ゲーセン、小規模だが映画館まである。

 これだけで半日は遊べそう。

 小腹が空けば、一階のフードコートで食事をとれる。

 

 そうダンリブは地元に愛され続け、はや30年……。席内の顔といっても過言ではないだろう。

 

 

 俺たちは南側の入口から入っていった。

 すぐにポップで明るいBGMが聞こえてくる。

 

『ダンダン♪ ダンリ~ブゥ~♪ ダルマのダンリ~ブ♪』

 

「懐かしいな、この曲」

 俺の地元、真島もニコニコデイがオープンするまでは、けっこうダンリブに買い物に来てたし。

「だろ☆ この歌、オレも超好き! ダンダン、ダンリ~ブ♪」

 年甲斐もなく、腕を振って歌いだすミハイル。

「まあな」

 子供のように無邪気に歌う彼が少し愛おしく思えた。

 自然と笑みがこぼれる。

 

 カートを手に取り、カゴを入れる。

「それでヴィッキーちゃんのおつかいって何を買うんだ?」

 ミハイルがショーパンの後ろポケットからメモを取り出す。

「んとね……ウイスキーが6本、レモンストロングが20本で…」

 ファッ!?

 あんのクソ野郎、俺たちをタダのパシリにしやがったな!

 しかも、それだけの量を持って帰るとか地獄じゃねーか。

 一体何キロになるんだ……。

 

「あとつまみに……ミックスナッツ、とりの唐揚げ、イカゲソ、焼き鳥5種類セット、豚足、刺身セット、おからコロッケぐらいかな☆」

 ぐらいじゃねー!

 惣菜ばっかじゃねーか。

 金使いすぎだろ……もう作れよ。

 

「ミハイル…それ持って帰れるのか?」

「うん☆ いつものことだよ☆」

 あなた虐待されてません?

「そうか…しかしだな、そもそも金は足りるのか?」

「大丈夫だよ☆ オレん家ってダンリブとは顔見知りで、足りなかったらつけてくれるし」

 破産しそうで怖い。

「なるほど……」

「心配すんなよ、タクト☆ ねーちゃんの店ってけっこう有名なんだゾ?」

「そうなのか?」

 アル中で悪評たっているだけだろ。

 

「ああ、ねーちゃんのケーキは‟食いログ”でも星5だし、博多駅にもたまに商品を卸しているぐらい人気なんだ☆」

「マジ?」

「うん、だからねーちゃんはすごいんだゾ☆ えっへん!」

 ない胸をはるな!

 だが、気になる。そんなに売れっ子のパティシエなら古い自宅も建て直したり、もっと裕福な家庭になりそうだが……あ、もしかして。

 

「ヴィッキーちゃんから借りた財布って今、いくらあるんだ?」

 勝手に見るのはよくないと思ったが、どうしても気になる。

「ん? ねーちゃんの金を見たいのか? いいゾ」

 ミハイルはポケットから紫色の大きな長財布を取り出し、中を見せてくれた。

 そこには見たことのないぐらいの大金が……。

 

「ゆ、諭吉が何十人も……」

 見たところ、30人以上は福沢諭吉さんが、ニコニコと笑っていた。

 ここまで金持ちだったのか。

 だからミハイルもあんなに金遣いが荒いのか……。

「な、安心しろよ☆ ねーちゃんはお酒を切らすのが嫌いだから、いつもたくさん金を持っているんだ☆」

 全部、酒に使ってんのか、アイツ!

 もったいない!

 俺にもめぐんでほしいぐらいだぜ。

 

 新聞配達の朝刊、夕刊がんばって、それに小説を長編かいても、毎月こんなに金を手にしたことは一度もない。

 なんという格差社会……泣けてきた。

 

「そこまで大金を毎回持っているなら、確かにスーパーもつけとくよなぁ」

 金を酒に溶かしてくれるお得意様だもん。

 手放したくないよね、ダンリブも。

「うん☆ だから安心してお買い物しようぜ☆」

「そだね……」

 毎回、そんな危ない財布持たせておつかいに行かせるヴィクトリアの気が知れない。

 

 

 俺たちはヴィクトリアに頼まれた品物を、次々とカートに入れていく。

 既に上下のカゴは酒とつまみで溢れかえっていた。

「タクトはなにか欲しいものなぁい?」

 重そうなカートを軽々と押すミハイル。

 上目遣いで俺にたずねるその姿を見て、なんだか新婚の夫婦がショッピングを楽しんでいるような錯覚に陥る。

 なんてことない買い物なのだが、隣りに美しいグリーンアイズがキラキラと輝いているだけで、妄想が膨らんでしまう。

 

「ねぇ……タクト、聞いてるのぉ?」

 ムッと頬を膨らませて、肘で俺の腹を小突く。

「ああ、すまない。じゃ、俺はブラックコーヒーで」

 そう答えるとミハイルは嬉しそうに頷く。

「わかったぁ☆ メーカーは‟ビッグボス”だよな☆ オレがとってあげる☆」

 背を向けると、小走りでフリーザーへと向かう。

 ふと目で彼を追った。

 小さくて桃のようなキレイな形の尻が、プルプルと震える姿を確認できる。

 

「ふぅ……」

 しれっとその後ろ姿をスマホのカメラでパシャリ。

 大丈夫、これは盗撮には入らない。

 彼は俺のマブダチだし、今度書く小説の資料に残しているだけだ。

 

 俺の隠し撮りに気がついたのか、ミハイルが急に立ち止まって振り返る。

「タクトぉ! なんかあっちでやってるよ!」

「ん?」

 彼が手を振るので、俺はクソ重たいカートを死ぬ思いで押した。

 よくこんな重量級のカートをあいつは軽々と片手で押せたな……。

 

 ミハイルはレジ前に立っていた。

 ようやく、俺も彼の隣りに追いつく。

「どうした? ミハイル」

「なんかスゲー人が集まっているんだよ」

「タイムセールとかじゃないのか?」

「ううん。そういう時、ダンリブはおじいちゃんやおばあちゃんたちがオープン前に買い込んでなくなっちゃうから、この時間じゃありえないよ」

 なにをそんな買い込むんだ、老人は。

 

「じゃあ一体なんだ?」

 人だかりを背伸びして、のぞいてみる。

 するとそこには見たことのある顔ぶれが。

 

「レッツゴー! な・が・は・ま!」

「ハイハイ、あ・す・か!」

 

 オタ芸しているキノコが二つ。

 いや、違うな。

 あれは一ツ橋高校の生徒で、双子の日田兄弟だ。

 

「あいつらなにやっているんだ?」

 日田兄弟の他にもオタクらしい地味な奴らが一緒になってオタ芸をしている。

 みな、色鮮やかなペンライトを持って、必死に踊る。

 

「ブヒィィィ! も・つ・な・べ!」

「オラオラオラ! み・ず・た・き!」

「キタキタキタ! ガールズ!」

 

 なんだ、この胃もたれしそうなフレーズは。

 どこかで聞いたことあるような……。

 

「あ、タクト。あれ見て!」

 ミハイルが指差した方向には一人の少女が。

 もつ鍋がプリントされたワンピース、頭には水炊きが装飾されたカチューシャ。

 そうだ、彼女こそが博多のアイドル。

「長浜 あすかか……」

 俺はくだらねぇと思いながら、その光景を眺めた。

 

 当の本人はレジカウンターに土足で乗って、マイクを片手にこう叫んだ。

「席内のみんなぁ! あたしが誰だかわかるぅ!?」

 長浜がそう言うと、周りにいたオタクたちが一斉にカメラを向ける。

 ただ、普通に撮影するわけではない。

 レジ台に乗った彼女をいいことにローアングルで連写撮影している。

 ほぼ、スカートの中だけだ。

 顔を撮っているやつはほぼいない。

 

 この騒動を見たおじいちゃんが俺にこう言った。

「ありゃ、なんの騒ぎじゃ? お兄ちゃん、あの女の子知っとるか?」

 知り合いだが、芸能人としては無知です。

「いや、知らないっすね……」

 俺がそう答えると、おじいちゃんが顔をしかめてこう言った。

「かぁー、若いお姉ちゃんがあげなことしてから……恥ずかしか~」

 激しく同意します。

 よかったね、あすかちゃん。

 席内の住民に噂が広がりそうだよ。

 悪い意味で。



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140 握手するのを嫌がらないアイドルは売れる

 俺とミハイルは、しばらくそのアホな光景を黙って見ていた。

 キモオタたちが自称芸能人である長浜 あすかに群がり、スーパーのレジだというのにちょっとしたステージと化している。

 

「みんな~ 今日はアタシのために来てくれてありがとう~!」

 長浜がそう焚きつけると、オタクたちが歓声をあげる。

 

 と言っても、ファンの人数はかなり少数だ。

 両手で数えられるぐらい。

 日田の兄弟を合わせても10人ほど。

 

 なんだ、良かったぁ。

 一ツ橋高校で会った時はみんなが芸能人だってスゲー騒いでたけど、俺とミハイルは彼女の存在を知らなかったから、情報不足とか思っちゃった。

 普通にファン少ないから、人気のない地下アイドルだったんだね。

 

 その証拠にダンリブ席内店で公演してるぐらいだもん。

 別に地域差別しているわけじゃないけど、福岡市外だからね……。

 

 俺はあほらし……と、ため息をもらす。

 すると、長浜 あすかがお立ち台からこちらをギロッと睨んだ。

 どうやら俺だと気がついたらしい。

 ビシッと指を突き刺して、マイクを使って叫ぶ。

 

「そこのファンの人! ちゃんと列に並びなさい!」

「え……俺のこと?」

 長浜 あすかが勝手に指名してきたので、オタたちが一斉に振り返る。

 

「誰でござるか?」

「新規なら歓迎でありますね!」

「ぼ、ぼくが…も、持っている…秘蔵の写真見る? いいアングルだよ…」

 最後のやつ、長浜のファンじゃないよね。ただの盗撮魔じゃん。

 

 ざわつくファンたち。

 そこへダンリブのエプロンを着用した中年の男性が割って入る。

 

「ええ、ただいまからもつ鍋水炊きガールズ。長浜 あすか様による握手会及び撮影会を行いたいと思います。ダンリブの商品を5千円以上のお会計ごとにチェキ1枚と握手を2秒、特典として差し上げます」

 なんてあくどい商法だ。

 5千円も使って、あんなローカルアイドルのチェキと握手なんてしたくもない。

 

 俺の考えとは裏腹にオタたちは盛り上がりを見せる。

 

「なんですとぉ! これは知らなかった情報でござる!」

「みんな! 早く店内の商品を買い集めるであります!」

「ぼ、ぼかぁ……正面より下から撮る方が好きかなぁ」

 だから最後のやつ、もう警察に連れて行ってやれよ。

 

 各々がカゴを手に取ると、一斉に散らばる。

 ものすごい全速力で走っていく。

 高齢者や小さなお子さんもいるから、スーパーの中を走っちゃダメだよ……。

 

 そして、あとに残ったのは俺とミハイル。それにレジ台の上で土足で立つ長浜 あすか。

 モブとしてダンリブの店員。

 

 急に静かになってしまった。

 なんか地下アイドルとはいえ、誰も興味をしめさない芸能人はかわいそうだな。

 さっきのファン以外の客はみんな彼女を見向きもしない。

 普通に買い物してらっしゃる。

 空気じゃん。

 

 

 見ちゃいけないものを見た気がするので、俺はミハイルに視線を戻す。

「なあ、もう買い物は終わりか?」

「うん☆ タクトのブラックコーヒーもカゴに入れたし、オレはいちごミルクとったから☆」

 可愛らしいイチゴがプリントされたペットボトルを頬にくっつけて、満面の笑み。

 ふむ、ミハイルの方がよっぽど芸能人らしい振る舞いをするな。

 CMに起用したくなる。

 

「じゃあ、会計済まそうぜ」

「うん☆」

 俺たちは長浜 あすかを無視して、隣りのレジにカートを押そうとした……その時だった。

 

「待ちなさいよ!」

 

 キンキン声が店内のスピーカーを通して反響する。

 鼓膜が破れそうなぐらいうるさい。

 その声の主は、空気の長浜さん。

 

「なんだよ、うるさいなぁ」

「あの子。なにを怒ってんだ?」

 ミハイルに限っては、長浜の存在を忘れてやせんか。

 残酷すぎる現実。

 

 俺たち二人が興味ないことを知ってか、長浜はレジ台をダンダンと踏みつけって、怒りを露わにする。

 

「こっちのレジに来なさいよ! この芸能人の長浜 あすかが握手とチェキしてやるっていうのよ!」

 えぇ、いらなーい。

 というか、店内のマイク使って話すなよ。

 他のお客様に迷惑だろ。

 

「いや、別にいいです……」

 恥ずかしいので他人のふりをし、敬語で対応してやる。

「なんですって! この福岡でトップアイドルのアタシにお金を使いなさいよ!」

 絶対にしません。金をドブに捨てる行為と同じじゃないですか。

 

 長浜がプンスカ怒っていると、隣りにいたミハイルが何かを思い出したかのように、手のひらをポンと叩く。

「あっ! 確かこの前、一ツ橋にいた女の子か……」

 今ごろ思い出したんかい!

 無垢なミハイルの言動を見て、長浜 あすかはムキーッと猿のようにキレる。

 

「あなたたち、一ツ橋で自己紹介してあげたでしょ! ならもうアタシのファンでしょうがっ!」

 酷い、このアイドルは脅してファンを獲得するタイプなのだろうか。

 

「なあ、タクト」

「ん?」

「オレにはよくわからないけど、あの子、困ってるんだろ? かわいそうじゃん。こっちのレジで会計してやろうよ」

 あなたの発言が一番、彼女に対する侮辱ですよ。

「まあミハイルがそう言うならいいけど……」

 

 そしてカートを長浜のレジに向けると、なぜか彼女は「フフン」と笑って腕を組む。

 なんともふてぶてしいアイドルだ。

 

 一旦、長浜はレジ台からひょいっとおりる。

 そして俺たちが会計を済ますのを、奥で待っている。

 

 次々とバーコードチェックされる大量のウイスキーにストロング缶……。

 品数が多すぎるため、中々会計が終わらない。

 

 それを見てレジの後ろにいた長浜がキレる。

「ちょっとぉ! いつまで待たせる気なのよ!」

 いやそれ、店員に文句言ってるじゃん。

 ダメだよ……働いている人の邪魔したら。

 今もレジ打ってるおばちゃんが舌打ちしたよ。

 真面目に働いてるんだから。

 

 クソみたいな姉が大量に注文した重たい酒瓶を何度もレジに通しているんだぜ?

 手首を痛めないか、心配になってくるじゃん。

 

 俺が変わりにレジのおばちゃんに謝る。

「すんません、焦らせちゃって……」

 そう言うとおばちゃんは「いえいえ」と俺の顔を見る。隣りにいたミハイルに気がつくと優しく笑いかけた。

「あら、ミーシャちゃんじゃない! 隣りの子はお友達?」

「うん☆ オレのマブダチ!」

 どうやら顔なじみのようだ。

 そりゃそうだろな。

 こんだけ毎回大量の酒を買う未成年は他にいないだろう。

 

「良かったわね、ミーシャちゃん。お友達も仲良くしてあげてね」

「あ、はい」

 すごく優しい世界。

 束の間の休息。

 ミハイルと二人で買い物も悪くないなぁ……。

 

 余韻に浸っていると、レジ奥からまた例のアイドルが罵声をあげる。

「まだなの!? いつまで芸能人を待たせる気!?」

 うるせぇー!

 もうお前は買い物の邪魔をするんじゃない!

 

 レジのおばちゃんは長浜をチラっと見ると、小声でこう囁いた。

「あの子、親がいないのかねぇ。芸能人の前に人としてお行儀が悪いわ……」

 勝手にご両親死んでいる設定で草。

 

 やっとレジを打ち終え、価格が表示される。

 その合計額、なんと3万円。

 ミハイルは別に驚いた顔もせず、慣れた手つきで姉の財布から支払いを済ませる。

「いつもご苦労様ね、ミーシャちゃん。お姉ちゃんによろしくね」

「うん、また明日も買いにくるよ☆」

 は? こんな買い物を毎日してるの? ミハイルったら……。

 そりゃ金銭感覚もおかしくなるよ。

 

 

 俺たちがレジ袋に酒やらつまみやらをぎゅうぎゅうに詰めていると、その間も長浜 あすかは「まだかまだか」とうるさい。

 

 大量の袋を持って、ようやく彼女のもとへたどり着く。

 ステージにいると思ったら、人ひとり座れるぐらいの小さなカゴの上に立っていた。

 牛乳瓶を搬入する際に使われるカゴが彼女のステージ。

 

 かわいそう……。

 

「さ、早く写真撮ってあげるから、来なさい」

 

 こいつ、本当にデビューしているんだろうか?

 売れそうにない……。



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141 インスタントカメラは現像すると恥ずかしい

 長浜 あすかは、ふてぶてしく腕を組んで立ちふさがる。

 こんなにオラっているアイドルは初めてみた。

 

「なにをやってんのよ、早くいらっしゃい!」

 

 ちきしょう、なんでこいつと一緒に写真なんか撮らないといけないんだ。

 全然うれしくねえよ。

 どうせならアンナとプリクラを撮影した方がいい思い出になるわ。

 

「はぁ……んじゃ、ミハイル撮ってやるか」

「そだな☆」

 気がつけば、こっちが撮影してやる身分に立場が逆転していた。

 

 

 近くにいた男性店員が、インスタントカメラを手に持ってこういった。

「では、3万円分ですので、6枚のチェキを撮影できます」

 そんなにいらねぇ!

 

「フン! なんだかんだ言ってアタシを推しているんじゃない。散財するオタと変わらないわ」

 違う。ただアル中の姉が酒を買いすぎただけだ。

 思考がポジティブすぎだろ。

 

 

 俺とミハイルは、長浜 あすかを挟んで両側に立つ。

 

「では、一枚目いきまーす!」

 といって店員がカメラを構える。

 

 長浜と言えば、この時ばかりはブリッ子のアイドル顔に豹変する。

 あざといやつだ。

 

 店員が「ハイ……チーズ」と言う直前だった。

 なにを思ったのか、ミハイルが間を詰め、俺の左腕にくっつく。

 

「お、おい……」

「チーズ!」

 驚く俺をよそに、笑顔でパシャリ。

 

「ちょっとぉ! 被っちゃったじゃない!」

 アイドル顔をやめてブチギレる長浜。

 当のミハイルは悪ぶった素振りもせず「え、ダメなの?」と聞いてる始末。

 彼はアイドルキラーだな。

 

 店員が「一枚目の確認お願いします」とチェキを持ってきた。

 

 写真を見ると、ミハイルと俺が中心となって撮影されていた。

 俺たちの方がアイドルの長浜より目立つ形となっててしまう。

 

 なんかアレだよ。

 地方の旅行にいったとき、現地の偉人とかいるじゃん。

 その銅像をバックにして記念写真とった感じ。

 完全にミハイルの方が、長浜を食ってしまった。

 

「ほう、よく撮れているな」

「うん☆ いい記念になったよな☆」

 俺とミハイルは腕と腕をくっつかせて、仲良く写真を楽しむ。

 それを背後から見ていた長浜が、怒りの声をあげる。

 

「ちょっと! アタシがメインじゃなきゃダメでしょうが!」

「あ、なんかすまん……」

 ミハイルとイチャこいてしまって、存在を忘れていたので、一応謝っとく。

「どうしたの? 写真は撮ったからいいじゃん」

 この人は本当に空気を読めないな。

 素で言っているところが、また彼女を傷つけてしまう。

 

「良くないわよ! さ、撮りなおすわよ!」

 

 そして二回目を撮りなおすことになったのだが、またもミハイルが俺とくっつきたがるので、同様の現象が起こってしまう……。

 ミハイルは彼女のことを空気として、扱っているようだ。

 なんて恐ろしいお人なんだ、無惨。

 

「ちょっとぉ! あんた、芸能人のアタシより目立たないでよ!」

 そりゃそうだ。

「でも、3人で一緒に撮ってることに変わりないじゃん」

 間違ってはない。

 だがアイドルと写真を撮っているというよりは、ただただ、俺とミハイルの仲良さを記念にしているような撮影会だ。

 

「キーーーッ! もう頭にきた!」

 長浜 あすかは顔を真っ赤にさせると、なにを思ったのか、ステージ(牛乳瓶のケース)から飛び降りた。

 そして、ミハイルとは逆の方向、つまり俺の右側に立つ。

 だが、それだけではなかった。

 彼女は俺の腕に抱き着くように身を寄せる。

 

 ふくよかな胸が、プニプニと腕に伝わってきた。

 ウオェッ!

 

「さ、これであたしが目立つわね♪」

 満足そうにおでこの上でピースする。

「あぁ! なんでタクトにくっつくんだよ! 離れろよ!」

 今度はミハイルが怒り出す。

 彼女を俺から盗られまいと、左腕を引っ張る。

「いててて!」

 あなた、馬鹿力なんだから勘弁してよ。

 

「は? あなたさっき言ったじゃない? 三人で一緒に撮れるなら問題ないでしょ」

 と言って、いじわるそうにニタリと微笑む。

「クッソ! 卑怯だぞ!」

 いや、別に間違ってはないよ。

 それより、ひっぱるのやめてね。すごく痛いから。

 

 ミハイルはボンッ! と音を立て、顔を真っ赤にする。

 しばらく「ウーッ」と長浜を威嚇していたが、何かを思いついたようで、引っ張ていた腕の力を緩める。

 と思ったのも束の間、今度は逆に俺の胸に飛び込んできた。

 文字通り、胸に両手でしがみつく。

 まるでコアラのようだ。

 じゃあ、あれか? 俺はただの木か?

 

「ちょっと! あなた。そんなに芸能人より目立ちたいの?」

 長浜さん、違いますよ。

 彼の目的はカメラを自分に注目させることではなくて、俺の視線を釘付けにしたいだけの変態さんです。

「違うもん! このまま撮りたいだけ! じゃあ写真、撮ってくださ~い☆ 連写でいいでーす!」

「ちょ、まっ……」

 彼女が止めようとしたが、時すでに遅し。

 

 店員さんがミハイルの注文を了承し、バシャバシャと連写してしまった。

 

「おつかれさまでーす。確認お願いします」

 

 そして集まったのは、残り5枚もの俺とミハイルのイチャこいたチェキ。

 トランプのように手の上で広げるミハイル。

「やったぁ! キレイに撮れてる☆」

 酷い……。

 

「キーッ! なんなのよ、あなたたち! 本当にアタシを推しているの?」

 だからなんで俺たちが推している前提で話すんだ。

「え? 押すってなにを?」

 ミハイルに限っては、文字変換ができてない。脳内で誤字している。

「あたしを応援しているってことよ!」

 長浜がそう説明すると、ミハイルは「ああ…」と納得していた。

「まあ応援はしてるよ……同じ高校の子だし」

 それは推しとはいえないレベルなんですけど。

「フン! ならいいわ! 今日は許してあげる」

 と言って、長い黒髪を手ではらう。

 

 てか、それで納得できるあなたも中々におバカでポジティブな人なんですね。

 さすが芸能人、メンタルが最強だ。

 

 

 長浜 あすかがやっと落ち着いてくれたところで、俺たちは写真を持ってその場を去ろうとする……そのときだった。

 彼女が俺たちをひきとめる。

「待ちなさいよ! 握手は!?」

 あ、忘れてた。

「もう写真だけで良くないか」

 俺がそう言うと逆鱗に触れたようで、再度、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。

「なんですって!? この長浜 あすかと握手できるのよ! あなたたちみたいなキモオタは金を払わないと女の子に触れることなんてできないでしょ! またとないチャンスなんだから!」

 この人、ファンを大事にしてないよね。

 

「まあ……確かに権利は買っちゃったから握手しとくか」

 ついでだし。

 俺がそう言って手を差し伸ばすと、隣りに立っていたミハイルがその手を叩き落とす。

「いって!」

「ダーメ、タクトは女の子に触れるとオオカミさんになっちゃうから」

 なんだよ、その偏見は……まるで俺が暴漢みたいじゃないか。

 

「だから代わりにオレが握手してやるよ☆」

「ええ……」

 もうミハイルくんってば度が過ぎるよ。

「あら、あなたはよっぽどこのアタシを推しているみたいね」

 ポジティブだなぁ。

 これだけ、図太いなら芸能界のてっぺん獲れるかも。

 

「うん☆ じゃあ握手しようぜ☆」

「そうね♪」

 なぜか意気投合して、お互いニコニコ笑いながら握手を交わす。

 もうこれ握手会じゃなくて、ただの別れの挨拶じゃないか?

 

 握手をすること、12秒。

 店員が「そこまでです!」とタイムウォッチを止めた。

 

 計るまでもないと思うのだが。

 

「じゃあ、ボランティア活動がんばれよ☆」

「フン! あなたも今度アタシの曲を聴きなさい♪」

 この二人は話が噛み合ってないな……。

 

 

 そして、俺たちは大量のビニール袋を持ってヴィクトリアが待つ家に戻っていった。

 

 帰ってくると、ヴィクトリアは腹を出して、いびきをかいていた。

「フガガガッ……ミーシャ…ねーちゃんがカノジョ探してやるからなぁ」

 例のラブドール疑惑を夢の中にまで持ち込んでいるのか。

 

 それを聞いたミハイルが苦笑いする。

「変なねーちゃん☆ オレはダチのタクトがいるから、カノジョなんていらないのにな☆」

「え……」

 一生、童貞でいたいってことでいいんですか?

 俺が絶句していると、ミハイルが問いかけた。

「タクトも一緒だろ?」

 つまり俺たち一生、童貞でいないといけないんですか……。

「まあ、友達は大切にしないと、な……」

「だよな☆」

 

 

 結局、今年のゴールデンウィークはほぼ休むこともなく、怒涛のスケジュールで終わりを迎えた。

 余談だが、このあと酔っぱらったヴィクトリアの相手をするのだが、深夜まで帰してもらえないのは言うまでもないだろう。

 誰か、モチベーションをあげるために、お給料ください……。



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142 早朝ウォーキングデッド

 俺は人生で初めてクッソ忙しいゴールデンウィークを味わった。

 というか、ほぼほぼ巻き込まれたといったほうが正しい表現かもしれない。

 

 そこで、今回起こった出来事をなるべく忘れないうちに、ノートパソコンにデータ入力する作業を行っていた。

 ミハイルの姉、ヴィクトリアから解放されて帰宅したのも深夜12時を超えていたのだが、この興奮をなるべく早くタイピングしておきたかった。

 夢中でキーボードを打っていると、スマホのアラームが鳴る。

 

「もうこんな時間か……久しぶりの徹夜だな」

 

 朝刊配達に行かないと。

 俺は家族を起さないように静かに、家を出た。

 

 

 毎々新聞、真島店に着くと、店長が朝もはよから元気な声で挨拶してきた。

「ああ、琢人くん! おっは~」

 今日び聞かないあいさつだね。

「おはようございます」

 そう言うと、店長が目を丸くして俺の顔をまじまじと見つめる。

「琢人くん、何かあった?」

「え……」

「きみ、すごく顔が赤いよ」

「お、俺が?」

 配達店の中にあった鏡で自身を見つめる。

 確かに店長の言うように、頬が赤い。

 

「熱でもある?」

 心配そうに店長が俺のおでこを触る。

「ないねぇ……興奮してるの?」

 ギクッ!

 というか、なんでこの人は俺の心情を必ず当てにきやがるんだ。

 心理学でも学んでのか?

 

「ちょ、ちょっと小説を書いていたら、徹夜しちゃって……」

 頭の中を駆け巡るアンナちゃん。

 ずっと彼女が脳内で、可愛くダンスしているのが止まらないんです。

 重症ですね。

 

「そうなんだ。よかったね! きっといい取材ができたんだよ」

 ニカッと目をつぶり、自分のように喜んでくれた。

 マジでこの人の方がお父さんぽいよな。

 付き合いも長いし、俺のダディになってほしいわ。

「そっすね……じゃあそろそろ配達いってきます」

「うん、興奮しすぎてスピードあげたらダメだよ~」

 なんか俺が変態みたいな表現だな……。

 

 俺は火照った身体を冷ますように、バイクを飛ばす。

 もちろん法定速度で。

 

 5月に入ったとはいえ、まだ夜明けは肌寒い日が続く。

 

 

 しかし、あれだな。

 もう何年も朝刊配達やっているんだけども、真っ暗な住宅街をバイクで一人走るのはゾッとする。

 小学生の時なんかはおばけとか信じちゃって、そういう怖さがあったけど。

 今はそんな可愛らしい恐怖じゃなくて、ひとが一番怖いよな。

 

 だってたまに暴走族に出くわしたりしたときなんかは、からまれるんじゃないかって、ブルっちゃうぜ。

 24時間営業の店の前にあいつらはたむろして、ケラケラ笑っているんだもん。

 

 そう人間が一番この世で怖いんだよ。

 とある家のポストに新聞を入れ込んだ瞬間、パンツ一丁のおじさんが出てきたりするんだぜ。

 俺がビックリして「ギャーッ!」って悲鳴をあげたら、おじさんが暗闇の中でこう囁くんだ。

「若いのに偉いね。おつかれさん」

 ただの優しいおじさんで草も生えそうなのだけど、心臓が破裂しそうだから、もうちょっと派手に出現してほしいものだ。

 

 

 そうこうしているうちに、配達ルートの折り返し地点まで来た。

 真島という地域はけっこう坂道が多くて、バイクでも坂を上るのに苦労する。

「トットット……」と音は立てるがあくまでも原動機付のチャリだからな。

 狭い路地へと曲がろうとしたその時だった。

 

「誰かが見ている……」

 

 確かに感じるぞ、視線を。

 恐る恐る、振り返る。

 電柱の後ろに人影が見えた。

 

 心臓の鼓動が早くなる。

 こういう時は落ち着いて行動すべきだ。

 相手は見たところ、徒歩だ。

 だが俺は原チャリに乗っている。

 逃げるが勝ちだ!

 

 とりあえず、配達は一時中断して、店長のところまで逃げよう。

 

 俺はそう決断するとアクセルを吹かす。

 エンジンの音で威嚇する意味もある。

 

 そうして、発進しようとした瞬間、人影もササッと動き始めた。

 

「う、うひゃあ!」

 恐怖から思わず、アホな声で叫んでしまう。

 だが、マジで怖い。

 殺人鬼だったらどうしよう。

 まだ死にたくないぞ、俺は。

 

 バイクを猛スピードで走らせたが、例の坂道のせいで思うように速度が上がらない。

 

「はぁはぁ……早く進みなさいよぉ!」

 ビビりすぎてオネェ言葉になってしまう。

 

 怖くて後ろを見ることはできないが、確かにその足音は近いづいてくる。

「タタッ…タタッ…」

 と俊敏な動きでこちらへ着実に向かってきた。

 

「ひ、ひぃぃぃ!」

 もうダメだと思い、目をつぶって死を覚悟した。

 母さん、今までありがとう。

 かなでも元気でな。

 六弦は無視で。

 最後に、一目アンナの笑顔を見たかった。

「アンナ……」

 涙がこぼれおちる。

 

「止まってください……」

「え…」

 目を開くと、時速40キロは出しているバイクに並んで走っている人間が。

 俺は暴漢か何かと思っていたが。

 そいつは華奢な細い身体の女性だった。

 ただ、めっちゃ両手を振って、全速力でマラソンしている。

「センパ~イ……」

「ぎゃあああ!」

 別の意味でホラーだった。

 

 だって三ツ橋高校の現役JK、赤坂 ひなただったから。

 こんなところにいるなんて思いもしなかった。

 ひなたは真島からJRで2駅も離れている梶木に住んでいる。

 なのに、こいつは今ここにいる。

 奇跡という名の恐怖。

 つまりはストーカーである。

 

 とりあえず、俺はバイクを止めた。

「はぁはぁ……驚かすなよ、ひなた…」

 ひなたも足をとめるが、全然呼吸が乱れてない。

 こいつはバケモノか?

「センパイ。酷くないですか……この前の取材…」

 ああ、そうだった。あのあと放置してたし、忘れてた。

 長い前髪で目を隠し、だらんと立ちふさがる。

 しかも電柱に潜んでいたという時点で通報レベルだ。

 

「あ、あれか……本当にすまない」

 とりあえず、頭を下げる。

「いいんですよぉ。私は別に怒ってませんから」

 冷たい……なんて声だ。

 悪寒が走って、膝が震えだす。

 この子、こんなに怖い女子高生だったけ?

 

「つぐない……してください」

 なにそれ? まさか命で償えってこと?

 ナイフとか持ってないよね……。

「わ、わかった! なんでも言ってみろ」

 彼女の行為はほぼ脅迫に近かった。

「じゃあ……このまま一緒に新聞配達しましょ♪」

 急に笑みを浮かべる。

 声も優しくなった。

 その豹変ぶりが、更にサイコパスだ。

「へ? 配達?」

「はい! 仲良く朝のデートを楽しみましょうよ♪」

 デートになるの?

 君には賃金発生しないよ。

 

 

 俺はかなり動揺したが、追ってきた相手がひなただとわかってから、徐々に落ち着きを取り戻した。

 そして彼女にこう切り出す。

 

「なあ俺はバイクで配達するんだぞ? お前は徒歩じゃないか……ついてこれんだろう」

「センパイったら♪ 私は水泳部のエースなんですよ。余裕ですってば♪ 梶木から走ってきたんですよ?」

 夜中にランニングすな!

 マジで怖いわ。

「わ、わかった。じゃあ一緒に配達するか」

「はい♪」

 そして前髪をかきあげると、笑顔のひなたが確認できた。

 

 

 俺はバイクにまたがり、ひなたはそれに平行して走る。

 彼女の凄さというか怖さは、笑顔で「何部配達するんですか?」と全速力で走りながら質問してくるところだ。

 息も乱さず。

 時速30キロは出しているんだぞ……。

 

 

 やっとのことで配達を終え、俺はバイクを店に返しにいった。

 その間、ひなたは近くの自動販売機で待機してくれた。

 

 震える手でバイクの鍵を店長に渡すと、「大丈夫? 興奮のしすぎじゃない?」と聞かれた。

 確かに興奮したよね、怖すぎて。

 

 

 自動販売機にもたれかかるひなたを呼び止める。

「待たせたな」

「ううん、全然大丈夫ですよ♪」

 屈託のない笑顔で俺を迎える。

 前回のひなたとのデートは、確かに俺のせいで彼女を悲しめることになった。

 

 ズボンのポケットから財布を取り出し、小銭を自動販売機に入れる。

「なあ、何か飲まないか?」

「いいんですかぁ。じゃあ、ホットココアで♪」

「わかった」

 彼女の分と俺のコーヒーを買い、二人で道を歩き出す。

 朝陽がアスファルトを明るく照らす。

 

 ひなたに暖かいココアを渡すと、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。

 頬に缶を当てて、うっとりしていた。

「あったかい……センパイが私にくれた初めてのプレゼント」

 俺はコーヒーを飲みながら、思った。

 この子、病んでる。

 

 

 真島駅までたどり着くと、ひなたは満足したようで「JRで帰る」と別れを告げる。

「今日のデート、絶対ラブコメに使えますよね♪」

 そう言って、出勤するサラリーマンたちにまぎれて去っていった。

 

 いや、絶対に使えないよ……今日の取材は……。



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第二十章 夜の大運動会
143 上司からの急な連絡ほど怖いものはない


 何かとトラブル続きの日々が多かったが、平日になれば、また静かな日々に戻る。

 これはこれで、寂しいというか、つまらない毎日でもあるのだが、身体を休めるのにいい機会だ。

 

 俺は溜まった疲れを昼寝で回復させていた。

 勉強と仕事以外は。

 

 それから数日が経ち、この日も俺はベッドで寝込んでいた。

 だが、完全には休みきれていない。

 原因はスマホだ。

 アラームが数分置きに鳴り続ける。

 

 ミハイルとアンナのダブルL●NE攻撃。

 腐女子の北神 ほのかによるEメール。臭そうなデータ付き。

 それからちょっと病みだした三ツ橋高校のJK、赤坂 ひなたの執拗な「今なにしてますか?」という連続攻撃(闇属性)

 

「はぁ……」

 心身、疲れ果てた俺は二段ベッドの上でため息をつく。

 

 そこへ、妹のかなでがひょっこり顔を出す。

 ベッドの柵にあごをひっかけて、「おにーさま、大丈夫ですか?」と聞いてくる。

 

「いやぁ……ちょっと人間関係に疲れた」

 マジでリセットしたい。

「そうですか? 万年ぼっちで妹でシコる童貞のおにーさまよりマシじゃないですか♪」

 こんのやろう……。

「なにか用か?」

「あ、そうでしたわ。おにーさま宛てにお手紙ですの」

 そう言うとベッドの上に茶色の封筒を置く。

 

 寝転がったまま、俺は封を切った。

 中身を見ると怪文書のようなきったねー字で書かれた手紙が。

 A4用紙をまるまる一枚使って、デカデカとこう書いてあった。

 

『今度のスクリーングは夕方6時に来るように!』

 宗像 蘭より。

 

 読み終えるともう一枚、何かが便せんの裏にあることに気がつく。

 

 パラッと布団の上に落ちたのは一枚の写真。

 

 青く透き通った海、白い砂浜、そこに寝転ぶ一人の女性。

 際どいマイクロビキニで、大事なナニかがもう少しで見えそうだ。

 黒い長髪をなびかせ、妖しく微笑むその女は……手紙の送り主じゃ! ボケェ!

 

「うぉえっ!」

 俺は急いで写真を封筒に戻すと、かなでに「これ捨てといて」と手渡した。

 

 かなでは首をかしげながら、部屋のゴミ箱にそっと入れた。

 グッジョブ、我が妹よ。

 

「しかし……なんでスクリーングが夕方の6時なんだ?」

 もう一度、便せんを確かめたが、やはり間違ってない。

 

 俺が困っていると、スマホからアイドル声優のYUIKAちゃんが可愛らしい歌声を流す。

 毎度おなじみの『幸せセンセー』

 何回、聞いてもいい曲だ。

 癒される、過去にこれを着信に設定した俺氏、最高かよ。

 

 画面を見ると着信主は古賀 ミハイル。

 

「もしもし?」

『あ、タクト。久しぶり☆』

 おかしいなぁ、YUIKAちゃんみたいな甲高くて可愛い声がここにもいるよ?

「久しぶりだな」

 ていうか毎分、L●NEしてくるのやめて。

 もうアプリがバグりそうだよ。

『タクトのところにも宗像先生から手紙きた?』

「ああ、来たぞ」

 キモいセクハラ写真と一緒に。

 

『なんか今度のスクリーングって夕方にやるの? 朝の六時の間違いじゃないの、これ』

「いや、わざわざ、あのオバサンが手紙を送ってきたぐらいだ。確かなのだろう」

『そっかぁ……じゃあ、いつもの電車の時間じゃなくて、夕方に一緒に行こうぜ☆』

 なるほど、ミハイルは一緒に学校に行きたかったから連絡してきたわけか。

 

「かまわんぞ」

『うん、約束☆』

「ああ」

『ところで、タクトにも写真って送られてきた?』

「ブフッ!」

 思わず唾を吐きだしてしまった。

 近くにいたかなでの顔にかかり「なにをしますのよ!」と怒られてしまった。

 

「ミハイルのところにも来たのか?」

『オレは見てないけど、封筒に名前がなかったからねーちゃんが怪しい人かもって先に見たんだ。そしたらねーちゃんが顔を真っ赤にして写真ビリビリに破っちゃった。だからオレは見れてない』

 見なくてよかったです。

 ヴィッキーちゃん、ナイス。

「ああ、アレな。きっと異物混入だから見なくて正解だったと思うぞ」

『ふーん。タクトとねーちゃんだけって……なんかずっこいぞ!』

 全然ずるくありません。

 お姉さんは君を守ったんですよ。

 

 

「じゃあ、5時半ぐらいの列車に乗るからそれでいいか?」

『うん、スクリーング楽しみにしてるよ☆』

 そうして別れを告げた。

 

 だが、一体宗像先生はなにを考えているんだ。

 ま、どうせくだらないことだろ。

 

 

  ~数日後~

 

 

 俺は日が暮れるころになって、家を出た。

 列車に乗り、途中でミハイルと同車する。

 彼はいつも通り、タンクトップにダメージ加工のされたショーパン。

 小さなお尻がキュッと際立つタイトなデニム。

 

 夜が近づいていることもあってか、俺の太ももにピッタリと並べるその白くて華奢な細い美脚は思わず生唾を飲み込む。

「ゴクン!」

 ミハイルはそんな俺の心を知ってか知らずか、もっと顔を近づけ、俺の目の中をじっと眺める。

 

「タクト? 大丈夫か? 顔が赤いけど」

 ピンク色の唇が潤っている。

 小さな唇が少し開くと、唾液の細い糸が光る。

「いや、なんでもない……」

「調子悪いならちゃんと言えよ」

 何故だ……アンナモードでないのに、こんなにも魅力的に感じてしまうのは。

 いかんいかん、こいつは古賀 ミハイルだ。

 おとこ、おとこ!

 

 そう自分に言い聞かせて、邪心を払うかのように頭を横に振る。

「なあ、タクトぉ。どうしてこっち見てくんないだよぉ! さびしいじゃ~ん」

 俺は熱くなった頬を隠すかのように、窓の景色を楽しんだ。

 

 

 電車に揺られること30分。

 目的地の赤井駅に着く。

「久しぶりだな……」

 

 赤井という土地は都市部からかなり離れた土地で、大きな山々に囲まれた盆地だ。

 住宅街ばかりで、あまり店や高層ビルも少ない。

 だから天神や博多ほど、人口も少ないため、自ずと空気が清んでおいしく感じる。

 

 背伸びをして、一ツ橋高校へと向かった。

 大きな校門を抜けると長い坂道、通称『心臓破りの地獄ロード』のお出迎え。

 相変わらず、この坂道は膝にくる。

 

 俺とミハイルが黙って、坂道をのぼっていると隣りの車道をバイクが追い抜いていく。

 

「ひゃっほ~ ミーシャ♪」

「ミハイル、先に行っているぜ!」

 

 二人乗りの花鶴 ここあに千鳥 力。

 千鳥が運転していて、ハゲを隠すかのようにヘルメットとサングラス。

 

 後部座席に腰を下ろす花鶴は相変わらずの超ミニスカートを履いていた。

 もちろん、追い風でスカートはめくれあがっている。

 ヒョウ柄のパンティが丸見えだ。

 この人はもうスカートを履く必要性がないんじゃないかと思えてしまう。

 

「うん、あとでな! オレはタクトと一緒だから☆」

 といって、笑顔で彼らに手を振る。

 当の俺は隣りで「ぜぇぜぇ」を息を荒くしているのに、ミハイルはケロッとしている。

 

 

 やっとのことで、長い坂道を昇り終えると、そこには一人の女が立ちふさがっていた。

 キッとこちらを睨みつけ、俺とミハイルを交互に見つめると、妖しく微笑んだ。

 

「だぁっははは! よくぞ来たな! 新宮、古賀!」

 赤い夕陽をバックに下品な笑い声をあげる。

 

「宗像先生……その前にその格好、なんですか?」

 俺が指差す方向には、結婚前のアラサー女子とは思えない服をまとったお人が……。

 

 靴はバッシュ、紺色のニーハイ、ブルマ、そして名前の刺繍が入った体操服。

 ひらがなでこう書かれていた。

『3-1 むなかた らん』

 ファッ!?

 

「ああ、これか? だって今日運動会だろ? 先生だってジャージぐらい着るにきまっているだろ」

 そう言って、また大きく口を開き豪快に笑いだす。

 あの……ジャージじゃないです。

 完璧コスプレですよね?

 

 だってもう立派に育ちすぎた巨乳で体操服がパッツパツですよ。

 アラサーのブルマなんて見たくないです。

 どこかの大人向きな映画にでも出演してきたらどうですか?

 

「さあ! 始めるぞ!」

「ナニをですか?」

「夜の大運動会だぁ!」

「……」

 聞いてねぇ!

 

「やったぁ! 楽しそう!」

 隣りを見ると、ミハイルがピョンピョンとその場で飛び跳ねていた。

 時折タンクトップがめくれ、胸元がチラチラと見えてしまう。

 彼の方が個人的にはとても可愛らしく、魅力的に感じます。

 これは病気でしょうか?

 

 

 

 

 



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144 服をネットで買うとサイズはほぼあわない

 俺たち一ツ橋高校の生徒は、いつもならこの時間下校しているはずなのだが……。

 無責任教師、宗像 蘭によって教室へみんな集められた。

 

 夕方に授業開始ということもあって、クラスの中はざわざわしていた。

 

「なあ、今からなにやるんだよ」

「えぇ……すぐ帰れないのかな」

「それより、お前ら宗像先生のムフフ写真見たかよ? あのせいで俺は右手が大忙しだったぜ……」

 ん? 最後の人、なんかやつれているよ。

 病欠しといたら。

 

 皆が皆、初めての出来事にうろたえる。

 そこへ先ほど、目にした汚物……アラサーの体操服(ブルマ)の宗像先生が現れる。

 

 ブルンブルンと無駄にデカい乳を上下に揺らせながら、教壇に向かう。

 何も言わずに背を向ける。

 俺はそこで、「ウオェッ」とえづく。

 なぜかというと、ブルマから紫のレースがはみパンしていたからだ……。

 きったねぇな、ちゃんとしまえよ!

 絶対サイズあってないだろ……。

 

 隣りに座っていたミハイルが俺を気づかう。

「タクト、大丈夫か? 気持ち悪いの?」

 緑の瞳を潤わせて、俺の顔をしたからのぞき込む。

 するとタンクトップの襟が重力によって、下に垂れる。

 彼の素肌が自然と露わになる。

 女子と違って下着をつけているわけではないので、思わず瞼を閉じてしまった。

 別に気をつかう必要性なんてないのに……。

 

 顔が熱くなるのを感じると、ミハイルとは反対側に首を向ける。

 早く首を曲げすぎたせいで「グキッ」という鈍い音がした。

「いつつ……」

 痛めたかもしらん。

 

 反対方向には、紺色のプリーツスカートに白いブラウスの制服。

 私服が許されている一ツ橋高校には似合わない姿。

 眼鏡をかけたナチュラルボブの女子、北神 ほのかだ。

 あくまでも外面の表現だからね。

 内面はこの人、超ド級の変態さんだから、近づいちゃダメだよ。

 

 彼女なら恥じる必要もないと、閉じていたまぶたを開く。

 そして、じーっと北神を見つめた。

 いや、別に見たくてみているわけではない。

 ミハイルの胸元があまりにも刺激的すぎて、一時的に視線をそらしたにすぎない。

 

 その状態を維持していると、自ずとほのかが俺の視線に気がつく。

「あれ? どうしたの。琢人くんたらっ……。私の顔にナニかついている? おてんてんとか?」

 ついてるか!

「いや、ちょっと首が回らなくて……」

 咄嗟にウソをつく。

「そうなんだぁ。新作のBLをダウンロードして、自家発電、連発して寝違えちゃったとか?」

 誰がそんなことで寝違えるんだよ。

「いや、それはその……」

 言葉に詰まっていると、背を向けたミハイルが後ろから叫ぶ。

 

「タクト! なんでほのかばっかり見てんだよ! こっち向けよ、心配してんのに!」

 そう言うと、ミハイルは俺の頭に両手をそえた。

 細い指が耳の辺りにくる。ちょっと冷たい。

 思わず、ゾクッとした。

 微かに石鹸の甘い香りが漂う。

 この柔らかい手の感触、匂い、アンナと同じだ。

 ますます動揺してしまう。

 体温と鼓動の速さが急上昇。

 

「タクト? やっぱ熱あんじゃないのか? こっち向け、よ!」

 俺は強制的に視線を戻される。

 さっきよりも、ものすごい速さと力で、「ボキッボキッ!」と音を立てて。

「いっつ!」

 ヤバい、本当に首を壊しちゃったかも……。

 

 あまりの激痛に、恥など吹っ飛んでしまった。

 ミハイルは「むぅ」と唸らせて、俺の両目をのぞき込む。

 もうキスしちゃいそうなぐらい至近距離。

「別に熱はなさそうだな……ホームルーム中はちゃんと黒板見ろよ」

 いや、おまえに無理やり釘付けにされたんだよ。

 しかも、首が本当に回らなくてしまった。

 どうすんだよ、これ。

 

 

 俺たちがそんなことで戯れていると、宗像先生が何やら「カッカッ」と音を立てている。

 見えないが、きっと黒板にチョークで文字を書いているのだろう。

 書き終えると、こう叫んだ。

 

「よしお前ら! 今日集まってもらったのは他でもない!」

 

 俺は宗像先生を見ることができず、ずっとミハイルの横顔を拝んでいた。

 なに、この羞恥プレイ……。

 

「五月といったらなんだっ!?」

 知らんがな。

 

「そう! 運動会だっ!」

 俺はそれを聞いて、ボソッと呟く。

「普通、秋だろ……」

 地獄耳にその言葉が届いたのか、宗像先生が「なんだと! 新宮!」と言って激怒する。

 顔は見えんからわからんけど。

 ところで、俺はいつまでミハイルをガン見してればいいんだ?

 

「福岡は五月にやるんだよ、バカヤロー!」

 だから、知らないって。

「ていうか、なんでお前はこっちを向いてないんだよ! この蘭ちゃんがブルマ姿でいるというのに!」

 いや、結構です。

 

 そうは言いたくても俺自身、首が回らないから困っていた。

 すると、北神 ほのかが代わりに答える。

「先生っ。新宮くんは自家発電のしすぎで寝違えているみたいです!」

 違うわ! 断固として否定する。

 自家発電も最近してないし、寝違えたのもウソだ。

 ミハイルのせいで、首がおかしくなっただけ。

 

 ざわつく教室。

 

「おい、新宮のやつ、どんだけしたんだよ……」

「あれじゃね? 一日何発できるか極限にチャレンジしたとか?」

「ハァハァ……ぼかぁ、最高十回だよ」

 だから誰もそんなことで競ってねーよ。

 

 騒然とするなか、後ろの席の千鳥と花鶴はゲラゲラと下品な笑い声をあげている。

 

「ハッハハ! タクオも元気だなぁ。相変わらず」

 なんか俺ってそんなイメージ固定してんの?

「超ウケる! あーしのオヤジみてぇ」

 え、花鶴さんのお父さんってそんなに元気なんですか……軽く引きました。

 

 そんなカオスな空間の中、ミハイルだけがキョトンとした顔で俺を見つめる。

「タクト……自家発電ってレンジでケーキでも焼いてたのか?」

 首をかしげる。

 君は本当に無知だね。そして言っていることが、いちいち可愛すぎるんだよ。

 

「いや、ミハイル。そうじゃなくて……」

 言いかけた瞬間だった。

 何か硬いものが俺の頭をガシっと当たる。

 これは人の手だ。

 先ほどのミハイルより、ゴツくて太い指。

 指に力が入ると、激痛が走る。

「いってぇ!」

 

「ふむ、確かに寝違えているようだな……」

 姿は見えないが、その声の主は、女性。

 ミハイルが心配そうに俺を見つめている。

「タクト……やっぱりケガしてるじゃんか。早く言えよな」

 お前がケガさせたんだよ!

 

「新宮、先生に任せろ。こんな首じゃ、運動会も頑張れないもんな♪」

「え……」

 俺は相手が言っていることを、理解できなかった。

 そして、「フンッ!」というおっさんのような低い声がする。

 一瞬だった。

 

 目の前には小顔のミハイルがいたのに、「バキッバキッバキッ!」と音を立てると、映像が天使からゲテモノおばさんに切り替わってしまう。

 上から鋭い目つきで、俺の頬を両手で掴んでいる。

 宗像先生だ。

 

「ふむ、これでよし♪」

 

 先生はそう言うと、俺に優しく微笑む。

 気を使ってくれて、とてもありがたいんですけど、僕の首壊れてません?

 

 

    ※

 

「えー、ではホームルームに戻る。先ほども言った通り、本日は第一回ドキドキ深夜の大運動会だ」

 そんなこと、さっきは言ってないだろう。

「各々ちゃんと体操服は持ってきたか?」

 持ってきてるわけないだろ!

 あの少ない情報量で、どうやって体操服って思いつくんだよ。

 ちゃんと手紙に必要事項は書け!

 

「先生、俺は持ってきませんよ」

 手を挙げていうと、他の生徒たちも「私も」「僕も」とほぼ全員が挙手する。

 それを見た宗像先生は「なにぃ!?」と顔をしかめる。

「忘れたのか……。ちゃんと手紙出したのに」

 うん、手紙だけは送られてきたけど、情報は出してないね。

「しゃーない。この教室に全日制コースの奴らが置いてる体操服があるはずだ。それを着ろ」

 ファッ!?

 

 なんで人の物を着ないといけないんだ。

 絶対に汗臭いやつだろ。

 

「先生、さすがにそれはちょっと……」

 俺が苦言を申し出ると、宗像先生は「だぁっははは!」と口を大きく開いて笑いだす。

「なんだ? ブルマの方がいいか?」

「俺にそんな趣味はありませんよ……」

 

 

 宗像先生の提案で、急遽、各自机のフックにかけてある、体操服の入った袋を手にする。

 俺が勝手に借りた人の名前は『漆黒の騎士、ヒロシ・デ・ヤマーダ』

 中二病のやつか。

 

「あ、これじゃ。オレは着れそうにないや」

 隣りを見ると、ミハイルが5Lぐらいはありそうなデカい短パンを両手に広げていた。

 お相撲さんかよ。

「そうだな……ミハイルには無理があるだろ」

「どうしよ。宗像センセー! オレだけ体操服大きいんで、私服でいいっすか?」

 彼がそう言うと、先生は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「バカモン! 運動会には体操服は絶対必要だ!」

 じゃあ体育の授業もちゃんとやれよ!

「でも……サイズがあわないし…パンツでちゃうよ」

 ミハイルがうなだれていると、何やら「ドシンドシン」と地震のような大きな音と揺れを感じた。

 

「古賀ぐぅ~ん!」

 振り返ると、そこには巨体の女の子が……。

 こんなお相撲さん、クラスにいたっけ。

「わだぢのとよがったら、交換ぢない?」

 そう言うと彼女は、女子用の体操服を持ってきた。

「うん、いいよ☆」

 ミハイルは別に拒むこともなく、体操服を交換した。

 

 そして両手に広げるのは、ちいさな小さな紺色のパンツ型ブルマ……。

「よし、これなら着れそう☆」



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145 下着でその人の家柄がわかる

 宗像先生の無茶な提案により、俺たちは急遽、全日制コースの三ツ橋生徒が使用している体操服を無断で借りることになった。

 

「よぉし。みんな体操服はちゃんとゲットできたな」

 

 教室を見渡し、満足するアホ教師。

 ていうか、ゲットじゃなくてパクッてんだろ。

 

「じゃあ、今から体操服に着替えてグラウンドに集合な!」

 

 ん? グラウンド?

 確か通信制コースの一ツ橋高校は、グラウンドの使用が許可されなかった話を聞いたことがある。

 

「宗像先生。武道館じゃないんですか?」

 手をあげて質問する。

「武道館? 使えないぞ。あそこは今の時間は閉鎖中だ。いつもグラウンドは部活しているガキたちが邪魔でよ。昼間使えないから夕方に運動会するんだろうが」

 なんかまるで俺がバカみたいな扱いされている。

 その証拠にやれやれと肩をすくめて、深くため息を吐く。

 

 武道館が使えないとなると、更衣室はどうするんだ?

 地下にある更衣室で、前は着替えたのだが。

 

 再度、俺が質問をする。

「先生~! じゃあ、着替えはどこでしたらいいんすか?」

「あぁ? この教室でやればいいだろ」

 キョトンした顔で悪びれることもなく、言う。

 ウッソ~!

 小学生たちの体育じゃないんですよ、先生。

 もう出るとこ出てるし、モジャモジャなんだから……。

 

 宗像先生の発言にざわつく生徒たち。特に女子。

 

「信じられな~い! 男子に見られるのイヤ!」

「ひどい、宗像先生ったら……お嫁にいけなくなるよ」

「私は…見られる方が好き、かな?」

 かなじゃねぇ!

 誰だ、変態を入学させたやつは……。

 

 盛大にブーイングが起きる。

 それを見た宗像先生は教壇をバンッ! と叩きつける。

 

「やかましいわっ! お前らみたいな、ちんちくりんの裸なんて誰も見るか! 先生だって毎日、事務所で着替えているんだぞ! たまに三ツ橋高校の校長に見られるがなんとも思わん!」

 それはそれで、羞恥心がぶっ壊れているのでは?

 

 ふと、隣りにいたミハイルに目をやる。

 彼は頬を赤くして、うつむいていた。

 そして何やらボソボソと呟いている。

 

「タクト以外に見られるのはイヤだなぁ……」

 そう言って、小さな胸に手を当てる。

 俺はドキッとしてしまった。

 ミハイルとアンナが被って見えたからだ。

 

 守らないと!

 そう本能的に思った俺は、再度、挙手する。

 

「宗像先生! 隣りの教室とこの教室で、男女分けて着替えたらどうですか?」

 俺がそう言うと、女子たちが歓声をあげる。

 

「それいい!」

「名案!」

「チッ、せっかく露出できるチャンスだったのに」

 最後の人、退学してください。

 

 宗像先生は若干、不機嫌そうだが、女子たちの反応を見て、渋々頷いた。

 

「わかったわかった! なら、そうしろ! 先生は先にグラウンドで待っているからな」

 

 そう言うとどこか悔しげな顔をして、去っていった。

 去り際、後ろ姿を確認すると、未だにはみパンしていた。

 吐き気を感じ、口に手をやる俺妊婦。

「ウォエッ!」

 えづくと、ミハイルが背中をさすってくれた。

 

「大丈夫か、タクト? なんか悪いもんでも食べたのか?」

 非常に悪いモノを見て、吐きそうです。

「も、問題ない……」

 

 

 宗像先生がどうにか、俺の提案をのんでくれたので、女子たちは安心して隣りの教室に移動する。

 

 残ったのはむさ苦しい男子たち。

 ハゲの千鳥 力は既に上半身素っ裸だ。

 鍛え上げられた筋肉を披露する。

「フンッ!」

 誰も見てないのが、いたたまれない。

 

 女子たちが教室から全員出ていくのを確認し終えると、俺も服を脱ぐ。

 まずはズボンから手にかけた。

 すると隣りにいたミハイルが甲高い声で悲鳴をあげる。

「イヤァッ!」

 一瞬、アンナがいるのかと思った。

 

「ん? どうした、ミハイル?」

 何を思ったのか、彼は目を両手で隠し、頬を赤くしている。

 いないいないばあっ! がしたいのかな?

「タ、タクト! なんで脱ぐんだよ!」

「なんでってそりゃ着替えるからだろう……」

「あ、そうだったな…アハハ、オレ、何を勘違いしてたんだろ」

 笑ってごまかす女装癖の少年。

 きっとあれだな、アンナモードが抜けてないんだろう。

 思わず女子の反応をしてしまったに違いない。

 

「じゃあオレも着替えよっと」

 そう言って、ミハイルは机の上に体操服を出す。

 もちろん、女子のブルマもだ。

 名前が入れてあったから見ちゃったけど、『雲母(きらら) くらら』

 どっちが苗字で名前かわからない。

 

 俺はささっと着替えを済ます。

 久しぶりに真っ白な体操服を着用した。

 おまけに赤白帽つきだ。

 こんなの小学生以来。なんか懐かしく感じるぜ。

 

 隣りを見ると、ミハイルが「うーん」とタンクトップの上から体操服を着ようとしていた。

 チッ、脱がないのか!

 なんか残念だし、憤りを感じる。

 

 上着を着ると、次に彼が手を出したのは紺色のパンツ型ブルマ。

 思わず生唾を飲み込む。

 つ、ついにそれを履くのか……。

 

 ショートパンツのボタンを外し、チャックをスルスルと下ろす。

 横から見ている俺からすれば、何という背徳感。

 彼は男だというのに、まるで女の子がお着換えしているところをタダ見しちゃっている気がする。

 

 息を潜み、その姿を己が眼に焼きつける。

 

「よいしょっと……」

 頬を赤くしてショートパンツを太ももから下ろす。

 その瞬間、俺は目を疑った。

 

 なぜならば、男の彼からしたら見慣れぬ色が出現したからだ。

 淡いピンク色のパンツ……いや、この場合パンティーが正式名称だ。

 幼い女児に大人気のアニメ『ボリキュア』がプリントされた下着。

 

 それ、この前、アンナの時に買ったやつだろ!

 マジで履いてたんかい!

 俺は絶句していた。

 

 まさか、本当に普段から使っていたとは……。

 もうこいつ女装のしすぎで、男装時と区別できなくなったのでは? と心配になる。

 

 俺はそのボリキュアちゃんに、しばらく釘付けだった。

 

 すると誰かが背後から頭を叩く。

「いってぇ!」

「なーに、ミーシャのことばっか見てるん? オタッキー」

 振り返ると、なぜかそこには、ここにいるべきでない女性が。

 

 ヒョウ柄のブラジャーとパンティー、上下丸出しで俺に注意する。

 

「花鶴!? なんで女子のお前がここにいるんだよ!」

「は? だって移動するんのもめんどいじゃん」

「もういいから下着を隠せよ!」

「別にいいじゃん♪ あーしたちダチじゃんか♪」

 そう言って、なぜか俺に肩を組んでくる。

 自然と彼女の柔らかい胸が、頬にプニプニとくっついてくる。

 

「うっ、ぐるしい……」

「ほれほれ~ ダチなんだからかたい事を言わずに仲良く着替えるっしょ~♪」

 ここはストリップ劇場でしょうか?

 僕は踊り子さんにチップを渡した覚えはありませんけど。

 

 花鶴 ここあは驚く俺を見て、ゲラゲラ笑う。

「ハッハハ、あーしにブルマはかせてよ。オタッキー♪」

 ここはそういうお店じゃありません!

「こ、断る!」

 キモいから。

 花鶴は俺にアームロックをかけて逃げられないようにする。

「まだ言うか! ダチならブルマはかせよ~ん♪」

「うぐぐ……」

 こいつ、女だっていうのになんて馬鹿力なんだ。

 ミハイルに引けを取らない腕力だ。

 さすが伝説のヤンキーの一人か。

 

 花鶴に腕で締められ、俺は足をバタバタさせながら、もがきくるしむ。

 するとそれに気がついた男子たちが、騒ぎ出す。

 

「あ、ブラジャー!」

「お、パンティー!」

「パシャパシャッ!」

 いや、最後のやつ盗撮魔だろ。

 しかも全員、身体しか見ていない。

 

 

「オイ! ここあ! なにやってんだよ! 女子は隣の教室だゾ!」

 と顔を真っ赤にして怒鳴る彼こそ、この教室に似合わぬ格好だ。

 

 白い体操服に、紺色のブルマ。

 小さな桃のような尻にフィットしたパンツ……じゃなかった。あくまでもブルマ。

 太ももに食い込み、股間が少し膨らんでいる。

 うん、これでようやく確認できたよ。

 彼が男の子だってね!

 

 両腕を腰に当て、花鶴に注意する。

「タクトから離れろ!」

 真面目に赤い帽子をかぶって、ゴム紐まであごにかけている。

 なんか、小学生時代の体育時間に戻ったみたい。

 

 男子がふざけていると、怒ってくれる委員長タイプの女子。

 ただし、股間が若干、膨らんでいる子なんだけど。

 

「ハァ? 別によくね? あーしらダチじゃん」

「タクトはオレのマブダチなんだよ! とにかく女のここあは、この教室から出ていけ!」

 

 ミハイル委員長はそう言うと、花鶴さんを俺から力づくで引きはがす。

 そして、まだ着替えを終えていない彼女を教室から廊下へと叩きだした。

 

「男子以外はこの教室使用禁止だゾ!」

 そう吐き捨てると、体操服を廊下に投げ捨て、ピシャンと教室の扉を閉めた。

 

 俺を見てニッコリ笑う。

「タクト! このたいそーふく、動きやすいよ☆」

 

 だろうね。そういう設計なんだから。

 ただ、それって女の子のブルマなんだけど。

 わかってて、やってないよね?

 

 



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146 決戦! 半グレ高校VSリア充高校

 体操服に着替えた一ツ橋高校の生徒たちは、グラウンドに集まった。

 日頃は中々使わせてもらえない大きな運動場。

 いつもはここで、全日制コースの部活動が行われている。

 だが、今日はもう夜の7時を迎えようとしている。

 三ツ橋の生徒たちは、着替えを済ませて、俺たちとは反対にグラウンドから退場していく。

 

「まったくこんな時間から授業を始めるなんて、宗像先生は一体どんな思考回路をしているんだ? 終わるころには深夜だろ。未成年が帰る時間じゃないぞ……」

 そう言いながら、運動場の真ん中に立つ。

 俺の隣りにはミハイルがニコニコ笑って並んでいた。

「でも、こんな遅い時間に遊べる授業なんて楽しいじゃん☆ オレ、ワクワクすっぞ!」

 え? 聞き間違えかな。

 君はそんなこと言う人じゃないでしょ。著作権侵害で訴えられるからやめてね。

 

 

 他の生徒たちはバラバラに散らばり、各々が好きな場所で座ったり、談笑したりしていた。

 酷い奴らなんか、近くにあったサッカーボールで勝手に遊んでやがる。

 なんともしまりのない運動会なんだ。

 

 そこへ「ピーーッ」とグラウンドに設置されていた無数のスピーカーがハウリングを起す。

 

 俺とミハイルは慌てて、耳を塞ぐ。

「うるせぇ」

「キャッ!」

 いや、だからなんで君はいつも不意を突かれると女子になるの?

 

 

 俺の目の前には朝礼台がある。

 見上げると、目を覆いたくなるような光景が……。

 

 もう何度も見ているけど、アラサー教師、宗像 蘭 (体操服とブルマとニーハイ)

 エグい。

 

「あーあー、テステス」

 わざとらしく咳払いすると、先生はこういった。

 

「これより、第一回ドキドキ深夜の大運動会を開始する! 全員、前にならえ!」

 静まり返る運動場。

 グラウンドに紛れ込んだカラスが虚しく鳴き声をあげる。

 

 前にならえと言われても、誰も列を作ってないんだよね。

 

 ミハイルが、なにを思ったのか、俺の前に立ち。

 腰に両手をやる。

 どうやら、背の低い彼が一番前ということらしい。

 ふむ、ならば俺もミハイルの行動に従うか。

 

 俺は前に腕をピシッと真っすぐに伸ばす。

 ミハイルの背中に人差し指が触れると、彼は「アンッ」といやらしい声をあげた。

 後ろに立っている俺からすると、この位置はとても素晴らしい。

 なぜならば、クイッと小さなお尻に食い込むブルマが拝めるからだ。

 普通、男子と女子は一緒に並ばないはずなのだが……あ、男同士だったね。

 

 

 ミハイルと俺が二人して、朝礼台の前にピッタリ並ぶと宗像先生が嬉しそうに笑った。

「おお! 古賀は偉いなぁ。お前らも古賀を見ならえ! ちゃんと列に並ばないと欠席扱いにするぞ、バカヤロー!」

 怒鳴る宗像先生の大声は、小型のマイクじゃおさまりきれず、またもや激しくハウリングを起こす。

 

 それに驚いたというか、恐怖を感じた生徒たちがあれよあれよと、俺たちの後ろに集まる。

 いい年こいた高校生たちがミハイルを先頭に、両手を伸ばし、前の人のとの距離を調整する。

 なにこれ? ガキじゃん。

 というか、生徒の集まりが少ないから一列しか、できてない。

 

 通信制の一ツ橋高校は、入学している生徒数が100人以上いるが、スクリーングにちゃんと顔を出すものは限られている。

 籍だけ置いといて、レポートも出さずにとりあえず身分だけ確保している、なんて輩もいるらしい。

 だから、せいぜい集まっても30人ばかり。

 

 この人数で運動会なんてできるのだろうか?

 

「よし、ちゃんと並んだな。それでは、我ら一ツ橋高校に牙を向く、クソどもの入場だ!」

「ク、クソぉ!?」

 俺がアホな声でリアクションをとっていると、スピーカーから音楽が流れ出す。

 

『あか~い、あか~い、山に囲まれたぁ~ 我ら我ら~ あぁ~ あか~い、あか~い……』

 もう赤いのは分かったから早く唄えよ!

『赤井のぉ~赤井のぉ~ 山にそびえたつ~ 我らが我らが~ 母校ぅ~』

 うるせぇ、そしてしつこい。

『みっつ、みっつ、三ツ橋高校ぅ~』

 あ、これ三ツ橋の校歌だったのか。

 作詞家はクビにしたほうがいいと思う。

 

 

 ピッピッピッと一定の調子で、笛を鳴らしながら行進する軍団が運動場に現れた。

 先頭に立って、指揮しているのは黄金。

 金ぴかに光るゴールデンブーメランパンツ。

 たるんだ腹と胸をブルンブルンと上下に振るわせ、剛毛の手足、オプションで大量の汗を散らしながら、こちらへ向かってくる。

「あ、あのおっさんは……」

 忘れることなんてできない。

 そうだ、彼は一ツ橋高校の音楽を担当している教師。

 名はまだ知らない。

 ただ、言えるとしたら裸の指揮者。

 

 それを目にしたミハイルが「うっ!」と拒絶反応を起こす。

「また、あのおじさんだぁ……」

 どうやら、彼は前回のスクリーングで、あの裸体を見てからトラウマになってしまったらしい。

 

 

「こぉーしん! やめぇ!」

 そう叫ぶと、裸教師の後ろに並んでいた生徒たちが、一斉に足を止める。

 俺たちの隣りに列を作る。

 よく見れば、みんな見たことのある奴らばかりだ。

 

 三ツ橋高校の生徒たちだった。

 水泳部の赤坂 ひなた、福間 相馬。

 音楽の授業で叱られまくっていた吹奏楽部の生徒たち。

 それから、以前、廊下で出会った生徒会メンバー。

 

 全員が俺たちと同様の体操服を着用している。

 ていうか、こっちがパクッている身なんだけども。

 

 ちょうど、隣りに並んだ赤坂 ひなたに声をかける。

「おい、ひなた。なんでお前がここにいるんだ?」

 俺に気がつくと、手を振って笑う。

「あ、新宮センパ~イ! この前は夜明けにお世話になりましたぁ!」

 変な言い方するんじゃない!

 君が一方的にストーキングしにきただけだろがっ!

 

 それを聞き逃すミハイルではない。

「夜明け? タクト……聞いてねぇんだけどさ」

 顔を半分だけこちらに向け、睨みをきかせる。

 おお、こわっ。

「ご、誤解だよ。あとでちゃんと説明するから……」

 って、なんで俺が悪い前提で話しているんだ?

「絶対だかんな!」

 そう言うと、ミハイルは「フンッ!」と視線を元に戻す。

 怒っているのは理解できるんだけど、それよりも気になるのはあなたのお尻です。

 だって、なんか睨みきかしたりしているけど、女の子のブルマはいているもん。

 可愛いし、触りたくなるじゃん。

 なんだったら、顔を埋めたい。

 

 俺がジッとミハイルの小尻を後ろから見つめていると、ひなたが叫ぶ。

「ちょっとぉ! なんでミハイルくんがブルマしてんのよ! 女の子しか履いちゃいけないんだよ!」

 た、確かに……。

 ビシッと人差し指をさすひなた。

 彼女もブルマ姿で、小麦色に焼けた素足がいつもより良く見える。

 

 ミハイルがひなたに気がつき、振り返る。

「別にいいじゃん。だってオレってさ、身体が細いから男子の服じゃデカすぎるんだもんっ!」

 そんなことで、ない胸をはるな!

「ハァ!? なによ! 男の子のくせして、痩せていることを女の子の私に自慢する気!?」

 地面をドカドカ蹴りだす、ひなた。

 ミハイルは鼻で笑って、首元にかかっていた髪の毛を払う。

「たぶん、ひなたのブルマじゃ大きくて、オレは着れないもん」

 それは彼女がデカ尻だと言いたいのか。

「キーッ! 言わせておけばっ!」

 ひなたのやつ、男のミハイルに嫉妬してやがるぜ。

 アホくさ。

 

     ※

 

 朝礼台の上には、ブルマ姿の宗像先生とゴールデンパンツの中年教師が立っている。

 なんともカオスな光景だ。

「えー、では三ツ橋高校のみなさんに集まってもらったところで、開会式を始めようと思う! 互いのリーダーは前へ!」

 宗像先生がそう言うと、事前に打ち合わせしていたかのように、三ツ橋からは坊主頭の生徒会長、石頭(いしあたま) 留太郎(とめたろう)くんが出てきた。

 

 肝心の一ツ橋高校からは誰も前に出ない。

 だって、そんな話聞いてないもの……。

 

 宗像先生が、しびれをきらしたかのように、マイクに向かって叫ぶ。

 

「なーにをやっとるか! 一ツ橋の代表は新宮! お前だろうが!」

 聞いてねーよ!

「俺?」

 自身の顔を指してみる。

「今期の入学生で一番期待しているって言っただろがっ!」

 それめっちゃ前に言われたことじゃん。

 なに引きずってんの。

 

 俺はため息をはく。するとミハイルが振り返って、胸の前で拳を作る。

「ファイト、タクト☆」

 ふむ……ブルマ姿の可愛い子に頼まれちゃ、断りきれないよな。

 

 渋々、前に出る。

 隣りに立つ石頭くんが俺を見てこういった。

「新宮くーーーん! 元気ですかーーー!? 正々堂々とがんばりましょーーー!」

 うるせぇーーー!

「りょ、了解……」

 

 もう欠席扱いでいいから、早く帰りたい。

 



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147 ギャンブラー、蘭ちゃん

 俺と坊主頭の好青年、石頭くんは朝礼台の前に並び立つ。

 一本のマイクが置かれていた。

 

「えー、では開会式を始める!」

 デカデカと大きな声で叫ぶ宗像先生。

 隣りには眼鏡をかけた裸体の中年教師が……。

 ブルマ着たアラサーとゴールデンパンツのおっさん。

 変態同士、このまま結婚したら?

 お似合いだよ。

 

「今回は三ツ橋高校の光野(みつの)先生と全日制コースの生徒たちが複数参加してくれた……それにはちょっとした訳があるのだが……」

 あの裸先生の名前って、光野って言うんだ。

 ゴールデンパンツと言い、ピッカピカな人だね。

「本大会はバトルロワイアル形式で、行われる。つまり……今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」

 ファッ!?

 一体、何十年前のネタだよ!

 しかも、俺の大好きなタケちゃんをブルマで汚すな!

 せめてジャージ着てやりなおせ!

 

 ざわつく運動場。

 ただ、驚いているのは通信制コースの生徒たちだけだ。

 全日制コースの学生たちは別に驚くこともない。

 どうやら、事前に情報を仕入れていたようだ。

 俺の隣りに立っている生徒会長、石頭くんはピシッと背筋を伸ばして、光野先生の股間を見つめていた。

 うーん、石頭くんって片思いしちゃってる?

 

 

 しかし、宗像先生の思いつきというか、お遊びにも程があるってもんだ。

 俺たち未成年を集めて、こんな夜から殺し合いとか……ちょっと教育委員会が黙ってませんよ。

 悪い冗談だ。

 俺は一ツ橋代表として、マイクを使い、訴える。

 

「質問いいでしょうか?」

「新宮! 私語してんじゃねぇ!」

 ちゃんと手をあげて質問してやっただろうが。

 いつまであの映画好きなんだよ。

「すみません……」

「てめーら、大人なめてんじゃねーぞ!」

 なめてねーよ。ちゃんと敬語使ってるだろが。

 

 宗像先生は意外とタケちゃんのファンだったのか。

 ま、それはいいけど、ちゃんと授業やれよ。

 

「質問は一個までだ! 二個言ったら欠席扱いするぞ、コノヤロー!」

 酷い……なんてブラックな運動会だ。

 

「あ、あの……バトルロワイヤル形式でしたっけ? 勝者には一体のなんのメリットがあるんですか?」

「質問は一個にしとけったろ!」

 もうどうでもいいわ…。

 宗像先生は「まあいい」と咳払いして、改めて説明を始めた。

 

「今、我が校のホープ。新宮 琢人が質問してくれたことだが……」

 人を勝手に希望にすんな!

「バトルロワイヤル形式で、最後まで生き残った者には、一年分の単位をやろうと思う」

 ファッ!?

 なにを言ってんだ、コイツ。

 運動会でMVPとったら、一年間、学校通わなくてもいいのかよ……。

 とんだ教師だな。

 

 宗像先生の発表に歓声をあげる生徒たち。主に一ツ橋のヤンキーたちだ。

 

「ヒャッハー! これで勝てば一年間遊べるぜ!」

「シャッアー! 単位ヤバかったらラッキー♪」

「ぼ、ぼかぁ、それよりも宗像先生の追加写真が欲しいな、ハァハァ……」

 あれ? 最後はヤンキーくんじゃないね。

 

 反して、一ツ橋の真面目組は正直、嬉しそうじゃない。

 そりゃそうだろ。

 毎日、コツコツとレポート書いて提出して、スクリーングにも真面目に通っている身分からしたら。

 こんなこと、前代未聞だし。

 バカバカしくなってくる。

 俺もそのうちの一人だ。

 

 

「あ、あと、これは通信制コースの一ツ橋高校の諸君のみだ。全日制コースのみんなには悪いが、単位はやれない。だってあのクソバカ校長が許さないからな」

 えぇっ、かわいそう。

 なんのために集められたんだよ。

「その変わりと言ってはなんだが、本大会で優勝をおさめたのものは『なんでも一つだけ叶えちゃう権』を授与する!」

 な、なにを言いだすんだ……。

 七つのボールでも探したあとみたいな、サプライズじゃないか。

 宗像 蘭、お前にそんな神的権限はないだろう。

 

 

 ふと後ろを振り返ると、三ツ橋高校の生徒たちが何やら不敵な笑みを浮かべていた。

 一番最初に目が行ったのは、赤坂 ひなた。

 

「フフッ……絶対に生き残ってセンパイと毎日、新聞配達させてもらうんだから…」

 いや、あなたこの前、一緒に配達したやん。

 それにただの仕事だから、願うことじゃない。

 

 その次は赤坂 ひなたの背後にいた福間 相馬。

「うっし! 俺は赤坂とラブホっ!」

 それはダメ。ただの犯罪。合意の元でじゃないと、法で裁かれるよ?

 

 最後は光野先生率いる吹奏楽部。

「全国優勝をこの大会で勝ち取るチャンスよ! 3年の先輩たちと光野先生のためにも絶対生き残るわよ!」

「「「おお!!!」」」

 ちょっと、待って。

 音楽コンクールは実力で勝てよ。

 他力本願だったら、もう出場するな。

 

 

 俺はため息をついて、頭を抱える。

「なんなんだ、このバカみたいな運動会は……」

 呆れていると、石頭くんがこういった。

「新宮くんは負けるのが怖いのですか?」

 彼の瞳は光りこそなかったが、その眼差しはとてもまっすぐだ。

「いや、別にそういうわけでは……」

「ならば、僕と真剣勝負しませんか? 一ツ橋の皆さんにも『なんでも一つだけ叶えちゃう権』はもらえるそうですよ」

 あのさ、君。仮にも生徒会長だよね?

 そんな子供じみたこと、マジで信じてるの……バカじゃん。

 

「は、はぁ……」

「もし新宮くんに好きな子がいたとしたら……。僕が優勝して『その子と付き合いたい』なんて宗像先生に願ったらどうします?」

 こいつ…俺を煽る気か。

「俺に好きな子なんて……」

 いいかけた瞬間、脳裏をよぎる。

 イガグリ頭の石頭くんとミハイル、いやアンナが口づけを交わす光景が。

 胸にグサリと、槍が刺さった気分。

 

 ふと、振り返る。

 ミハイルが立っていた。

 体操服にブルマ姿の可愛いアイツ。

 俺の視線に気がつき、笑顔で手を振る。

 

「タクトォ! がんばれよ~」

 あんな無垢な顔をしたヤツの唇を奪われるなんて……。

 ミハイルの隣りにいていいのは、俺だけだ!

 

 

 歯を食いしばって、覚悟を決める。

「いいだろう。石頭君、俺と真剣勝負だ」

「やはり君は一ツ橋のホープですね。いい殺し合いを期待してます」

 そう言って拳と拳で、無音のゴングを鳴らす。

 ていうか、命はかけないからね。

 殺しちゃダメ。

 

 

 俺と石頭くんの姿を見て、宗像先生が高らかに笑い声をあげる。

 

「だあっはははは!」

 相変わらず、品のない笑い声だ。

 アゴが抜けるぐらい大きく口を開いてる。

 のどちんこが丸見え。

 こんな体たらくだから、嫁の貰い手がないんだ。

 

「その意気やよし! さすが、私の弟子だ! 新宮!」

 お前のところに入門するバカはいない!

 

「あと、言い忘れたが、これだけの優勝賞品を準備しているんだ。負けた高校には罰があるからな」

「え……」

 思わず、背筋が凍る。

「負けた高校は全体責任として、運動会のあと、一晩かけて校舎、武道館、食堂、それから同じ系列の保育園、短大を掃除してもらう」

「ハァッ!?」

 なにそれ、絶対に負けたくない。

 

 それに対して、生徒会長の石頭くんが手を挙げる。

「宗像先生、よろしいでしょうか?」

「うむ、なんでもいいたまえ」

「その罰として掃除する際は、未成年の僕らだけが掃除するのでしょうか? さすがに未成年だけで残るのは良くないかと……」

 さすが、生徒会長。

 間違ってない、偉いぞ!

 

「ああ、それについては問題ない。負けた方の教師が一緒になって掃除するからな。保護者の人にも先ほど許可をもらっている」

 おかあさーん! 認めちゃダメだよぉ!

「そうですか。ならいいんです」

 ニコリと笑って納得する、無能な生徒会長。

 

 

 しかし、引っかかる。

 このバカ教師が負けたら徹夜で掃除する、なんて発想をするのはおかしい。

 何か裏がありそうだ。

 先生たちにとっては、デメリットしかない。

 

 そこで俺がもう一度手をあげる。

「すいません。少しいいですか?」

「新宮!」

 と叫んだあと、ブルマの中に手を突っ込む。

 股間から小さな何かをつかみ取ると、俺の顔に目掛けてぶん投げた。

 

 その行為に俺は驚き、思わず口を開いてしまった。

 謎の物体は超速球でスポンと、俺の口内へストライク。

 なんか暖かくて、フニャフニャしている。

 恐る恐る、舌先で確かめると、微かに甘い。

 グミか。

 

「私語は慎めったろ! で、質問はなんだ」

 こんのやろうが、きたねぇもん食わせやがって。

 グミを飲み込んでから、こう言った。

「失礼ですが、先生たちにとっては何もいいことないじゃですか?」

 俺がそう質問すると、宗像先生はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、妖しく微笑む。

 

「だあっはははは! それなら心配ご無用だ! 私たち一ツ橋高校の教師たちはみんな、お前らに今月の給料をぶっこんでやったからな!」

「は?」

 ちょっと、言っている意味がわかんない。

「つまりだな。この運動会は賭け試合だ。勝った高校の教師は今月の給料が二倍になっちゃうんだ!」

 クソじゃねーか。違法だ!

 

 俺は開いた口が塞がらなかった。 

 宗像先生は「だからお前ら絶対に勝てよ」と脅しをかける。

 

 それまで沈黙していた光野先生がやっと口を開く。

 

「えー、宗像先生のおっしゃった通りだ。私もこの前、高額な楽器を借金してまで購入したからな……。すまんが、三ツ橋の諸君には死ぬ思いで頑張って頂きたい」

 うん、こいつもクソ教師だったのか。

 終わってんね、この学校。

 

 

 

 



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148 第一種目

 一通りのブッ飛んだ説明を受けると、生徒会長の石頭君が俺に言う。

「さ、選手宣誓をしましょう。新宮くんは僕に合わせてくれればいいので」

「ああ、了解した」

 なんで俺たち、一ツ橋の奴らには事前情報がないんだ?

 三ツ橋の奴らだけ、把握してるのがムカつく。

 きっと、宗像先生のことだから、俺たちに伝えるのを忘れてんだろうな。

 

 

 石頭くんが一歩前に出る。マイクの前で手を掲げる。

 俺も慌てて、彼の隣りに立ち、同様の行動をとった。

「宣誓! 僕たち~」

 と彼が叫ぶ。

 あ、次は俺が言うのか。

「私たち~」

 ちょっと待て。このセリフは女の子の役だろ。

 俺のそんな疑問を無視して、石頭くんが続ける。

「生徒たちみんなは~ 日頃の練習の成果を~」

 あれ? また俺がつなげるの?

 どう言えばいいかな?

 

「仲間たちと協力し~」

 うむ、こんなもんだろ。定型文は。

 すると石頭くんが俺を見て、ニヤリと笑った。

 きっと「グッジョブ」と伝えたかったのだろう。

 

「裏切り、騙しあい、滅多糞にぶん殴り、蹴っ飛ばして……」

 おいおい、なにを言いだすんだよ。

「誠心誠意、殺し合いすることを誓いますっ!」

 石頭くんが壊れた。

 なに恐ろしいことを言ってんだよ……。

 

 言い終えると、ヒューッと冷たい横風が俺たちの前を通り過ぎる。

 砂が目に入った。

 殺伐とした空気の中、宗像先生は腕を組んで、上から俺をギロッと睨んだ。

 

「よくぞ言った! お前ら、最後の一人になるまで殺し合え!」

 教師のいう事じゃねー!

 

「では、これにて開会式を終了する」

 こんな世紀末な式典は初めてだよ。

 

 

    ※

 

 とりあえず、式を終えると、俺たち一ツ橋の生徒たち、それから全日制コースの三ツ橋の生徒たちは二つにグループ分けされた。

 一ツ橋が紅組、三ツ橋が白組。

 その証拠に俺たちは帽子を全部、赤色にそろえる。

 

 運動場に白いラインが楕円形に描かれる。

 光野先生がTバック姿で、引いてくれた。

 

 紅組が左側、白組は右側。

 双方、白線の外側で固まって座る。

 次の指示が出るまで、各々先ほどの話で盛り上がる。

 

「なあ、タクト。本当に人を殺さないとダメなの?」

 涙を浮かべて、俺に相談してくるミハイル。

「そんな訳ないだろう……間に受けるな、ミハイル。普通に勝て」

 悪ノリがすぎて、純朴なミーシャが困っているんだろうが。

 

「ねぇ、琢人くん。優勝したらなんでも願いが叶うんだよね!?」

 鼻息を荒くして、興奮するのは北神 ほのか。

 体操服が小さいようで、胸がパツパツだ。

 キモッ。

「あれは、宗像先生が俺たちを勝たせたいがために言ったウソだろ」

 誰が信じるか、生徒たちを賭け試合にするクソ教師のことを。

「わかんないじゃん! 私だったら、図書館にBL本を大量にぶち込みたいって願いにするわっ!」

 ナニ言ってんだ、コイツ。そんな生臭い書物は学校が許すわけないだろうに。

 

「あーしは彼氏が欲しいかな~」

 驚いた。『どビッチのここあ』らしからぬ、可愛らしい発言だ。

「なんだ? 花鶴はそんな願いでいいのか?」

 おめーさんは、いつでもパンツをモロ出しだから、きっとそういう悩みごとはないと思ってたよ。

 セ●レには苦労しないだろう。

「そりゃ、あーしだって彼氏欲しいっしょ。男らしい野郎がいいかな~」

「へ~」

 どうでもいいと、鼻をほじる。

 

 それを横で聞いていたミハイルが、急に立ち上がる。

「タクトは男らしくないよ。ものすごく汚くて女々しいヤツだからな! ここあは狙っちゃダメだゾ!」

「ブッ!」

 思わず、唾を吐きだす。

 近くにいた日田の兄弟に顔射してしまった。

「なに、マジになってんの? ミーシャってば」

 花鶴は腕を頭の後ろにやり、腰を伸ばす。

 丈があってない体操服がめくりあがり、ブラジャーが露わになる。

「ちゅーこく! タクトは変態だから願うなよ!」

 オレってアンナちゃんを含めて、ミハイルにそんな風に見られてたんだ。

 ちょっと軽くショックだわ。

「ハァ? 変なミーシャ。それに願いごとを決めるのはあーしっしょ♪」

 鼻歌交じりで去っていく。

 後ろ姿を見せると、俺はため息をつく。

 こいつもはみパンしてらぁ。ブルマは身体が大きい人には向いてないな。

 

 

 宗像先生の言った『願い事』でガヤガヤとにぎわう。

 そんなことをしていると、準備が整ったのようで、運動場に白いテントが設置されていた。

 テントの中には横長のテーブルにパイプイス。

 一列になって、宗像先生、光野先生が座っていた。

 

 スピーカーから酒やけしたガラガラ声が流れる。

 

「あー、では第一種目、『ファイナルデッド二人三脚』を行う!」

 なんだよそれ。ただの二人三脚だろ。

 

「すぐにペアを作るように! 尚、本種目は早いもの勝ちだ。四つのペアを走らせ、一番最初にゴールしたものが次の試合に進める。その他の奴らは脱落、つまり死亡だ」

 だから死なないだろうが。

 

「なるほど、二人で勝ち残ればいいわけか……」

 俺が情報を整理していると、ミハイルが俺の腕に抱き着く。

「タクト! オレとペアを組もうぜ☆」

「ああ……」

 組まないと殴られそうだもんね。

 

 

    ※

 

 俺はミハイルの細くて白い脚に、紐を通す。

「あひゃっ、くすぐったいよ☆」

 変な声を出すな。ドキッとするだろうが。

 彼の右足と俺の左足を密着させ、紐で固定する。

 

「勝つぞ、ミハイル」

「うん☆」

 

 俺たち以外にレースに出場したのは、一ツ橋から日田兄弟。

 それから三ツ橋の吹奏楽部の女子二人、あとは生徒会のおかっぱ女子組。

 

 光野先生がスタートラインに立つ。

 もちろん、パンツ一丁で。

 夕陽が落ち、辺りは暗くなりだす。

 

「よおい……」

 ピストルの音が運動場に鳴り響く。

「ドン!」

 

「いくぞ、ミハ……」

 言いかけた時は既に遅かった。

「うぉおお!」

 ミハイルは全速力で、走り抜ける。

 他の連中なんか、全然追いつけないほど。

 もちろん、この俺もだ。

 

 つまり、どういう状態かというと、馬にロープをかけて引きずり回されているようなものだ。

 ミハイルの速度についていけなかった俺は、地面に顔を叩きつけられる。

「いってぇ! ちょっ……グヘッ…待って!」

 だが、俺のそんな叫びもむなしく、彼の耳には届いてない。

「負けないゾぉ!」

 両腕をブンブン振り回して、走り抜ける。

 その度に、俺の頭が上空にバウンドしてはまた地面に直撃する。

 なんて馬力だ。

 

 もう処刑に近い。

 

 口の中が土でいっぱいになった頃、やっとのことで彼が足を止める。

 俺はよろよろと立ち上がった。

「ゴールしたのか?」

 土をペッペッと吐きだしながら、ミハイルに聞く。

「ううん! まだだよ! 変な箱が置いてある」

「箱?」

 目の前を見ると、机の上に青いプラスチックのケースが。

 箱の中は白い粉で埋もれていた。

 

「なんだこれ?」

「ああ、こりゃアレだな。アメ食いだ。この砂の中にアメが入っているから、手を使わずに口で探せ」

「わかった!」

 俺とミハイルは同時に顔を突っ込む。

 目をつぶると、唇の感触だけで固形物を探し出す。

 

 ミハイルの行動は確認できないが、きっと彼なら大丈夫だろう。

 

「ペロッ、チュッチュッ……んんっ…プハッ! ハァハァ…」

 なんだ? 隣りからめっちゃいやらしい音が聞こえてくる。

「んん……も~う、なにこれぇ。んん、チュッチュッ…」

 俺はアメ探しどころでは、なくなっていた。

 耳をすませば、聞こえてくる。このエロチックな咀嚼音。

 

「んちゅっ、ぱぁ……レロレロ、んっ、ちゅちゅ……」

 なんか音がどんどん俺の方へ近づいてくる。

 まさかな…嫌な予感が走る。

 俺だけでも先にアメをゲットして、顔を上げようと急ぐ。

 

 負けじと、その音も早くなる

「レロレロ……」

 クッソ! 中々、見つからないな。

「んっ、ハァハァ……チュッチュッ」

 迫りくる可愛い声。

 ヤバい!

 

 カプッ!

 

 やっと見つけた。

 前歯でしっかり固定すると、勢いよく顔をあげる。

「プハッ!」

 どうにか、彼が近づく前にアメをゲットできたな。

 ん? なんかアメが重たく感じる。

 何かこう、横に引っ張られるような……。

 

 白い粉で視界が覆われていたので、よくわからなかったが、微かに「ハァハァ」と誰かの吐息を感じる。

 瞼をパチパチさせて、粉を落とす。

 すると徐々に、視界が回復してきた。

 

「タ、タクトぉ?」

「あ……」

 

 寸前だった。

 俺とミハイルは接吻する直前で、静止していた。

 そう、一つのアメを二人でかじっていた。

 

 気がついたミハイルは驚いて、歯の力を緩める。

 自然とアメは俺の口に入り込んだ。

 ビックリしていたのは、彼だけではない。

 

 俺は思わず、アメを飲み込んでしまった。

 

「食べ、ちゃったんだ……」

 彼は頬を赤くして、俺を見つめる。

 これは事故だ。

 だが、彼と唾液交換してしまったことも事実だ。

 

 

 その後、俺とミハイルはめちゃくちゃ突っ走って、首位を獲得できた。

 まるで全てを忘れたいがために……。

 



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149 第二種目

 二人三脚のレースは終了し、勝利したペアが次の種目へと出場できることになった。

 生徒の三分の一ぐらいが脱落。

 テント前にはスコアボードが立てられている。

 白組である三ツ橋が9点。紅組である一ツ橋が8点。

 五分だな……。

 

 宗像先生がマイクを手に持つ。

「続いて~ 第二種目! 『死ぬまで帰れ騎馬戦』を始める!」

 だから、なんで戦って天国にいかないといけないんだよ。

 死ぬのが前提とか、ヴァルハラか?

 

「先ほどとは違い、四人でグループを作れ!」

 

「またか……めんどくさいなぁ」

 ふと後ろを振り返る。

 そこには赤い帽子を被った華奢なブルマ姿の少女……じゃなかったミハイルが。

 何やらニコニコ嬉しそうに笑っている。

 しかも、俺の背中にぴったりと胸をくっつけている。

 ドキドキしちゃうからやめてね。

 

「タクト! もちろん、オレと組むよな☆」

 目をキラキラと輝かせて上目遣い。

「ああ……」

 どうせ断ったら怒るんだろ。

 

「はいはーい! あーしも混ぜてまぜて~♪」

 そう言って手を振るのは、花鶴 ここあ。

「えー。オレとタクトの二人でじゅーぶんだっつーの」

 いや、騎馬戦はふたりじゃ無理だってーの。

「いいじゃん、ダチだろ~ ミーシャってば~」

 そう言うと花鶴はニヤニヤ笑って、自身の胸をミハイルの顔にグリグリとくっつける。

 やられた本人はすごく嫌そう。

「やめろよ、ここあ! キモい!」

 ひどっ! 仮にも幼馴染の間柄なのに。

「あ、年上のあーしをそんなん言うのはこの口かぁ~?」

 花鶴は何を思ったのか、ミハイルの頬を片手で掴み、力を入れる。

 するとあら不思議、彼の小さな唇がぶに~っと前に出る。

 おちょぼ口してるみたい。

 ちょっと、かわいいかも。

 いいなぁ、俺もやりたいわ。

 

「だに、ずずんだよぉ! ごごあ!」

 両腕をブンブン振り回すが、彼の手が花鶴に当たることはない。

 身長の差だ。

「ハハハッ! あーしを仲間外れにしようとするからっしょ♪」

 あのミハイルを片手で制御するとは……さすがどビッチのここあさん。

 

 そこへ一人の巨人が現れる。

 頭が禿げあがったおっさん。

 

「お前ら、仲間割れしてる場合じゃねぇだろ!」

 コツン! と二人の頭を小突く。

「キャッ」

「いってぇな」

 ミハイルの方が女らしくて草。

 

「タクオ! 俺も加勢するぜ」

 そう言って、親指を立てるのは千鳥 力。

「リキ! お前までオレたちの邪魔すんのかよ! 二人でじゅーぶんなのにっ!」

 いや、だから無理だって。

 ルール、わかってんの? この人。

 

「ああ、これでちょうど四人だな。そうしてくれ」

 半ばどうでもいいと言った感じで答えた。

 人に声をかけてメンバーを集めるのも一苦労だしな。

 ミハイルと昔から仲の良いこの二人なら、連携も取りやすいだろう。

 

「もう、タクトのバカッ!」

 俺の思惑とは裏腹に、ミハイルは不機嫌そうに地面を蹴り上げる。

 なんで怒ってんだ?

 あれか、女子の北神 ほのかとか欲しかったのか?

 一応、あいつも可愛いし。一応、おっぱいもデカいし。ただ、変態だけど。

 

    ※

 

 俺たちは役決めをするまでもなく、配置は自ずと決まる。

 先頭の騎馬が千鳥、そして後尾の騎馬役が俺と花鶴。

 そして肝心の騎手はミハイルだ。

 

 各々、準備が整ったところで、宗像先生からルールが説明される。

 

「この競技に関してだが、至ってシンプルだ。一つでも相手の帽子を奪ったグループは勝ち。そのまま三種目に出場できる! 勝負がついた時点で勝っても負けても退場してもらう!」

 

「ふむ、本来の騎馬戦とは違って、団体戦ではないのか……」

 あごに手をやり、作戦を考える。

 すると、誰が俺の肩をポンッと叩く。

「タクト☆ オレがついってから負けないって☆」

 ウインクする天使が一人。

「わかった、頼んだぞ。ミハイル」

「うん☆」

 

 俺は前から見て、左側の騎馬役になった。

 右手を先頭の千鳥と繋ぎ、鐙をつくる。

 反対側の手で彼の肩に手を当て、騎手役のミハイル様の鞍が出来上がり。

 

「よぉし、三人とも! 気合入れろよな☆」

 そう意気込み、彼は軽々と地面から跳ね上がる。

 ストッと腰を下ろし「立っていいゾ☆」と叫ぶ。

 命令された通り、俺たちはミハイルを乗せて立ち上がった。

 

 そこでやっと気がつく。

 彼のブルマが……いや、小さな桃のような尻が、俺の左腕にぴったりくっついていることに。

 思わず、生唾を飲み込む。

 だって目の前に女子のブルマが……あ、いや男だった。

 

 俺の邪な考えを察知したのか、ミハイルが振り返る。

「タクト!」

「え……」

「気張れよな☆」

「あ、はい」

 なぜか敬語。

 だって別の意味で緊張して、ドキドキしちゃうもん。

 試合どころではない。

 

 

 そうこうしているうちに、ピストルの音が鳴り響く。

 

「はじめぇい!」

 

 

「リキ! あそこのグループに向かってくれ!」

 ミハイルが指をさして、千鳥に命令する。

「おし、まかせろ! タクオ、飛ばすからちゃんとついてこいよ」

「ああ……」

 俺はどこか上の空だった。

 頭の中はミハイルちゃんのブルマとお尻でいっぱい。

 

「いっけぇ!」

 ミハイルの叫び声と共に、千鳥の手に力が入る。

 瞬間、激しい豪風が目の前を舞う。

 気がつくと、俺は一人で立っていた。

 

 というのも先頭の千鳥が先走りしすぎて、俺だけついていけず、伝説のヤンキー三人だけで敵陣に突っ込んでいく。

「あらら……」

 一人、運動場で置いてけぼり。

 

 こんなところでも俺はぼっち、放置プレイを楽しまないといけないのか?

 

 ミハイルたちはもう遠いところで、頑張ってらっしゃる。

 騎馬戦って3人でもやれたんすね。

 初めて知りました。

 

 俺はその場で体操座りする。

 半分、涙目だけどな。

 

 

 数分後、ミハイルたちが帰ってきた。

「あれ、タクト。そんなところにいたの?」

 片手に白い帽子を持って。

 

 見上げると、ミハイルの金色に輝く長い髪が眩しく感じた。

「すまん、力不足だったな……」

 完全にすねていた。

 置いていかれたことに。

 

「アハハ……気にすんなよ、タクト。勝てたからいいじゃん☆」

「そうだぜ、タクオ! 無能もスキルの一つだぜ?」

 おい、ハゲ。お前いま俺のこと無能って言ったか。

 ぶち殺すぞ!

「オタッキーてば、あれじゃね。自家発電のしすぎでバテてたんじゃね?」

 違うわ! Me Too運動起こすぞ!

「え? タクトってば、こんな時もレンジでお菓子作りしたかったのか」

 頭痛い……。

 

「ミーシャ、オタッキーはあれだよ。ブルマで興奮したんっしょ♪」

 ケラケラと品のない笑い方だ。

 しかし、当たっている。

 見ていたのは女子じゃなく、男子のミハイルだが。

「えぇ、ブルマって、ただのたいそーふくだゾ?」

 純真無垢なミハイルちゃんには、ブルマの尊さが理解できてない。

 

「あーしが魅力的すぎんしょ♪」

 頼んでもないのに、尻を突き出す。

 いや、断じてお前じゃない。

 それを聞いたミハイル殿が顔を真っ赤にする。

「なんだと! タクト、ここあのブルマをそんな目で見てたのかよ!」

 違うって、あなたの見てたんだよ。

 それを面と向かって、言えってのか?

 

「違うよ……」

「じゃあ誰のブルマ見てたんだ!?」

 なにこの尋問、死にたい。

「言ってやれよ。タクオ……おめーも男だろが」

 千鳥、男だからこそ、言えないよ。

 

 俺は立ち上がって、ズボンについた砂を手ではらう。

 ミハイルは未だ、千鳥と花鶴たちの上に乗っかっている。

 

 聞こえるか聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。

 

「見てたのはお前……だよ」

 頬が熱くなるの感じた、と同時に背を向けて退場する。

 

 チラッと、彼を見たが「へ?」といった顔して、首をかしげていた。

 

「おまえってことは……オレ?」

 自身の顔を指差してはいるが、理解できてないようだった。

 お馬さんの二人は、顔を見合わせて答えを探る。

「タクオは一体誰の尻を見てたんだ」

「リキのケツじゃね?」

 

 それはない。

 

 

 

 



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150 第三種目

 第二種目の騎馬戦は俺抜きで、勝利してしまった……。

 スコアボードを見ると、我が一ツ橋がリードしていることが確認できた。

 白組の三ツ橋が13点、対して紅組の一ツ橋は15点。

 

 どうやらヤンキーたちが、かなり頑張ってくれているようだ。

 それもそのはず、なんたってMVPには一年分の単位贈呈だからな。

 反則すれすれの行為もいとわない。

 時には殴ったり蹴ったりして、勝利を手にする。

 極悪非道な生徒たちだもの、相手選手がかわいそうに思える。

 

 その甲斐もあってか、真面目な三ツ橋の生徒たちは騎馬戦でかなり脱落していた。

 

 

「おお、この調子なら勝てるかもな……」

「うん☆ 正義は勝つもんな☆」

 屈託のない笑顔で拳を握るミハイル。

 いや、悪は絶対こっち側だと思う。

 三ツ橋の学生が、いたたまれない。

 

 

 宗像先生がマイクを握る。

「えー、次はまたペア種目だ」

 

 またかよ。

 バトルロワイヤル形式はどうなったんだ?

 基本、個人プレイだろ。

 

「第三の種目は題して、『地獄の頭かち割っちゃうよ、逆立ちロワイヤル』だ!』

 まーたアホな名前つけやがって。

 いちいち死を連想させるような名称にすんな。

 

 残った生徒たちは、互いの高校合わせて半々ぐらい。

 この試合に勝てば、団体戦では一ツ橋が自ずと勝利するだろう。

 今回もヤンキーたちが、暴力行為を働くのは間違いない。

 まさか、これらを見越しての賭け試合なのでは?

 

 

 そんな考えにふけっていると、誰かが袖を引っ張る。

「タクト! また二人で組もうぜ☆」

 振り返ると、何やら嬉しそうな天然の金髪ヤンキー少年が。

 てか、運動会始まってから、ずっとこいつと一緒にペア組んでるよな。

 ま、いいけど。

「ああ、そうだな…」

 断ると殴られそうだから。脅迫に近いよね。

「頑張ろうぜ!」

「お、おお……」

 超やる気ゼロ。

 

 

 各自ペアを組んで、グラウンドに集合した。

 

 俺とミハイル。花鶴と千鳥。それから先ほどの騎馬戦で暴力行為が目立ったヤンキーたちが数組。

「ほぼヤンキー組が勝ち残ったか……そりゃそうだよな」

 よく見ると、一ツ橋の真面目な生徒は俺だけじゃないか。

 ため息をついて、その光景に呆れる。

 すると、誰かが声をかけてきた。

 

「琢人くん! 良かった。私たち勝ってるね♪」

 振り返ると、そこにはパツパツの体操服を着た巨乳眼鏡が。

 北神 ほのか。

 こんな奴が勝ち残っているとは、同じ真面目組として屈辱だ。

「ほのか、お前もか」

「あったり前じゃん! 『なんでも一つだけ叶えちゃう権』でこの高校をBL本まみれにするまで私は……死ねない!」

 いや、お前は一度、頭かち割って死んで来い。

 そんな18禁を、高等学校に入れるわけにはいかん。

 

「そ、そうか……ところで、ほのか。お前ペア組む相手いないじゃないか?」

 ほのかは一人で立っている。

 連れの姿が見えない。

「それなら、大丈夫! すごい人と組んだから♪」

 胸を張って偉ぶる。

「誰だ?」

 俺がそう言った瞬間だった。

 

「アタシよ!」

 

 キンキン声が耳の中に鳴り響く。

 うるせぇ。

 誰かと思って、辺りを見渡す。

 

 砂埃が舞う中、一人の少女がこちらへとゆっくり向かってくる。

 前髪パッツンで揃えた、日本人形のような長い黒髪を揺らせて歩く。

 美人の部類なのだろうが、それよりも表情がきつい。

 誰だっけ?

 

「このアタシ、芸能人の長浜 あすかが来たからには安心しなさい!」

 あ、そうだ。

 自称、芸能人の痛い子だ。

 

「ああ……」

 俺はすごくどうでもいいと言う顔で、反応した。

「ちょっと! ああってなによ! あなた、この前アタシの握手会に来たでしょうが!」

「いや、あれはたまたまだろ?」

「キーッ! アタシのガチオタのくせして!」

 違います、事実を湾曲しないで下さい。

 

 

「つまり、ほのかは長浜と組むのか?」

「ええ。トップアイドルのあすかちゃんがいるなら百人力よ!」

 一人の力にも満たないと思われます。

「そうよ! こう見えてアタシは中学校で体育の成績いいんだから」

「へぇ~」

 どこまで本当の話なんだか。

「ちょっとぉ! 疑う気なの!? なんならググりなさいよ!」

 だから、なんでもググって個人情報出たら怖いだろ。

 あなたはほぼ素人レベルの認知度なんだから。

 

 

       ※

 

 相手側の選手は……。

 水泳部から姫と王子ペアの赤坂と福間、それに生徒会長の石頭くんとおかっぱの女子、吹奏楽部の女子生徒が二人。

 かなり人数、減らされたな。

 もうこっちの勝ちでいいんじゃないか?

 

 

「では、皆の者! 準備はいいかぁ!?」

 よくねーよ、なんで毎回、説明を受けるんだよ。

 事前に情報をちゃんとくれや。

 勝てるもんも勝てないぜ。

 

「本種目は持久戦だ。一人が逆立ちをして、相方が両足を持ち支えろ! 力尽きたら脱落だ! 残った二組が決勝へといける!」

 なるほど、やっとアホみたいな運動会ともおさらばか。

 さっさと勝って終わっちまおう。

 

 だが、残念ながら俺は体力に自信がない。

 自然とミハイルが、逆立ちすることになった。

 俺は彼の細い脚を持てばいいだけなのだから、こりゃ楽だ。

 

「よーい……はじめいっ!」

 

 宗像先生の掛け声と共に、一斉に皆、逆立ちを始めた。

 支え手はほぼ、男子。

 やはり体重が軽い方が、逆立ちを選ぶようだ。

 

「うん……しょっ!」

 ミハイルが俺に向かって両脚を放り投げる。

 それを上手くキャッチした。

 彼の白く透き通った美しい素肌を拝めた。

 

 しばらくすると、ミハイルの身体がふらつく。

「んん……けっこう、キツッ……ああっん!」

 変な声を出すんじゃない!

 なんだか別の意味でドキドキしてきた。

 

 ふと隣りの奴らを見る。

 花鶴と千鳥コンビだ。

 だが、彼らにはどこか違和感を感じる。

 それもそのはず。

 逆立ちしているのが、男の千鳥。

 その太くてゴツい足を、女の花鶴が細い手で軽々と支える。

 

「ふお~ 頭に血がのぼっちまうぜぇ~」

 ホントだ。つるっぱげが、ゆでダコになってる。

「ハハハッ! 頑張るっしょ、ハゲ野郎」

 花鶴は時折、片手だけで支え、反対の手で脇をかいている。

 なんて酷い扱いだ。

 

 そのまた隣りを見れば、異様な光景が……。

 アイドルの長浜 あすかが支え手になり、北神 ほのかが逆立ちしている。

 そこまでは普通なのだが。

 ミハイルや千鳥が苦戦しているなか、ほのかは平然としている。

 むしろ、どこか楽しそうだ。

 

「うへへっ……あすかちゃんのブルマがタダ見できるなんてぇ……」

 彼女は顔を赤くすることはない。が、鼻から大量の血を吹き出している。

「うーん、まだなの~ アタシは芸能人なんだから、こんな力仕事向いてないのよ!」

 支えている長浜の方が辛そうだ。

 目を閉じて、必死にもがいている。

「ハァハァ……」

 相方のほのかと言えば、逆立ちしながら、長浜 あすかのブルマを下からのぞいていた。

 変態だ。

 

 

 ~それから10分後~

 

 次第に、みんな力尽きていく。

 隣りの千鳥は花鶴が飽きて、両手を離してしまい棄権。

 変態行為に走った北神 ほのかが大量出血で、退場。

 他のヤンキー達も持久戦には弱いようで、お得意の暴力で相手をねじ伏せるわけにもいかないから、早いうちに脱落してしまった。

 

 今回の試合の方が、全日制コースの三ツ橋に分があるようだ。

 瞬発力に長けたヤンキーたちよりも、日頃から部活で鍛えている真面目な子たちの方が体力がある。

 気がつけば、一ツ橋のペアは俺とミハイルのみだ。

 

 相手側は水泳部コンビと、生徒会の二組。

 

「ただいま、15分経過~」

 宗像先生は非情にも生徒たちの顔が真っ赤になっても、一向に辞める気配がない。

 ずっと時間を測っているのみ。

 

 

「負けないわ! 絶対にMVPとって、新宮センパイと新聞デートするんだからぁ!」

 と叫ぶのは赤坂 ひなた。

 だから、バイトしたいなら面接にいけよ。

 それを屈強な身体で支えるのが、福間 相馬。

「頑張れよ、赤坂ぁ……ふぅふぅ…」

 何やら息遣いが荒い。

 よく見ると、上からひなたのお股を直視している。

 どこもかしこも、変態ばかりだな。

 

 

 そのお隣りは三ツ橋の代表でもある石頭 留太郎くん。

 彼は目をつぶって微動だにしない。

 おかっぱの女子に両脚を持ち上げられ、空中で浮かんでいる。

 そう、彼は両手を地面につけず、合掌しているのだ。

「南無阿弥陀仏……」

 即身仏にでもなる気ですか?

 

 

 ミハイルのことが気になって、声をかける。

「大丈夫か、ミハイル? もう負けてもいいぞ」

「絶対にイヤだ~! オレもMVP欲しいもん!」

 お前まであんなアホな願いを信じているのか。やめとけ。

 

 その時だった。ミハイルの声が裏返る。

「ヒャッ!」

 何やら異変が起きたらしい。

「どうした? キツいのか?」

「ち、ちがう……何かが、ああんっ!」

 妙に色っぽい声で喘ぐ。

 それを聞いて、俺は心臓がバクバクする。

 

「一体どうしたんだ?」

 ふと下を見てみる。

 目に入ったのは、紺色のブルマ。

 そして、生まれて初めて見た女の子のお股……じゃなかった、男の股間。

 俺が両足を広げているため、見放題だ。

 なんてことだ。

 絶景、絶景。

 スマホがあれば、この至近距離で写真を撮って永久保存しておきたいぐらいだ。

 

 だが、そんなことも言ってられない。

 なぜならば、ミハイルの美しい太ももに、ちょこちょこと動き回る黒い物体が見えたからだ。

 クモだ。

「ひ、ひゃん! くすぐったいよ! 倒れちゃう~!」

 ミハイルは予想しなかった来客に、己の身体をくねくねと動かして悶絶する。

「タクトォ……虫、取ってぇ!」

 ええ!?

 

「い、いいのか? 俺が触っても?」

 なんだか背徳感が。

「早くしてよぉ! あぁん、倒れちゃう~」

 まったくいやらしい声で喘ぎやがって!

 

 俺は言われた通り、右手でミハイルの太ももに手を伸ばす。

 クモは意外と素早く、ササッと下へ下へと降りていく。

 ヤバッと思ったころにはもう遅かった。

 ちょこちょこと動き回った後、たどり着いたのはお山のてっぺん。

 つまり、ミハイルのもっこりはんだ。

 

「うう……」

 同性とはいえ、さすがに『ここ』に触れるのは躊躇する。

「タクト、早く! 負けちゃう~よぉ」

「ええい! 我慢しろよ!」

 勢いよく、平手で少し膨らんだブルマを叩く。

 

「あぁん!」

「……」

 

 クモは地面に落ちると、スタコラサッサーと逃げていった。

 

「ハァハァ……ありがと。タクト……」

 

 こちらこそ、なんかありがとうございました。

 

 

  

 

 

 

 

 



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151 最終種目

 第三種目である『地獄の頭かち割っちゃうよ、逆立ちロワイヤル』は、30分以上も苦戦を強いられた。

 ミハイルもクモの乱入でトラブルなどもあったが、どうにか耐え抜いた。

 対する三ツ橋高校側は、ひなたと福間のコンビが勝ち残った。

 

 余裕と思われていた生徒会長の石頭くんは、念仏を唱えている最中に血の気がなくなり、危うく即身仏になりかけてしまう。

 見兼ねた光野先生が、彼を棄権させたのだ。

 本当に命をかけてしまったんだな。バカな生徒会長。

 

 

 決勝戦に残ったのは、一ツ橋から俺とミハイル、三ツ橋からひなたと福間。

 

 宗像先生が、グラウンドに入ってくる。

 二つのフラフープを地面に置く。

「青色は男子、ピンク色は女子だ」

 は? いきなり何を言いだすんだ。この人は。

 

 俺たち生徒が訳が分からないといった顔で、ポカーンとしている。それを見た宗像先生が「早く入らんかっ!」と怒鳴る。

 要領を得ない俺が、先生に声をかける。

 

「フラフープの中に入れってことですか?」

「そうだ。男子の新宮と福間は青。女子の古賀と赤坂はピンクだ!」

「あ、わかりました……」

 先生にそう言われて、黙って福間とフラフープの中に入る。

 ミハイルとひなたも同様だ。

 てか、ちょっと待てい!

 なんで男子のミハイルがピンクに入ってるんだよ!

 

「宗像先生、ミハイルは男ですよ?」

 俺がそう言うと、先生はギロッとこちらを睨む。

「あぁ? 仕方ないだろ……他に女子がいないんだ。古賀は男だけど華奢だし、女の子相手にちょうどいいじゃないか」

 いや、ミハイルさんは物凄いバカ力なんで、ひなたはボコボコにされますよ。

 なんの試合するのか、まだ聞いてないからわからんけど。

「しかしですね、公平性が……」

「やかましい! とっと始めるぞ! 早く運動会終わらせないと、グラウンドの照明が落ちるんだよ!」

 先生にそう言われて、ふと運動場の時計に目をやる。

 もう夜も遅い。

 既に運動会が始まって3時間以上が経っていた。

 夜の10時半を超えている。

 あっれ~、おかしいな。

 なんで未成年の俺らが、まだ学校に残っているんだろうね?

 そっか、このアラサーのくせして、ブルマ履いているバカ教師のせいだね。

 

「ハァ……」

 反論する余力もなくなってきた。

 というかバカバカしい。

 

「んじゃ、仕切り直しだ!」

 そう言うと、宗像先生はマイクを片手に持つ。

「貴様らっ! これで最後だ! ただいまから決勝戦をはじめるっ!」

 なぜかプロレスの司会者みたいな盛り上がりだ。

 それに反して、生徒たちは疲れきっていた。

 

「「「おお……」」」

 やる気ゼロ。

 何人かは疲れて居眠りしている。

 そりゃそうだよな。もう深夜に近い時間だもの……。

 虐待だよ、生徒虐待。

 

 

「ルールの説明は不要だ! フラフープの中から先に出た方が負け! それ以外は何をしても良し! 殴ろうが蹴ろうが、ブチ殺そうが、死ぬまでやり合え!」

 ファッ!?

 なにを言いだすんだ。

 反則どころか犯罪じゃねーか。

 ファイトクラブやりにきたんじゃないぞ、俺たちは。

 

「では、見合って見合って……」

 宗像先生はどこからか、軍配を持ってきて、それを構える。

 

 

 目の前に立ちそびえる巨人……に見えたのは、福間 相馬。

 以前、こいつとはひなたの件で一発やられたからな。

 負けたくはない。

 ただ、俺より身長が10センチ以上は高いし、たくましい筋肉で覆われた鎧を装備してやがる。

 自慢じゃないが、俺は弱い。

 小学校の時だって、ドッジボールは逃げ専門だ。

 

「よぉ、新宮! 運が悪かったな、この水泳部の王子様が相手でよぉ」

 上から俺をのぞき込む。

 指をポキポキ鳴らして、威嚇のつもりなのだろう。

 てか、自分で王子様とか痛いやつだな。

 そんなんだから、ひなたに好かれないんだぞ。

 

「くっ! 福間か……暴力はやめにしないか?」

 冷や汗が出る。

 こいつと力比べして、絶対に負ける自信ならある。

 何か策はないか?

「ぼーりょく? さっき若くて美人の蘭ちゃん先生が言ってた通りだ。これはスポーツなんだから、先生の説明したルール内なら反則にはならないぜ?」

「なん……だと?」

 洗脳されてやがるぜ。

 しかも、こいつ宗像先生のことをやけに褒めちぎっているな。

 あ、福間と初めて出会った時、先生のことを「BBA、オワコン」だとか言って締め上げられてたな。

 恐怖によるマインドコントロールか。

 なんてことだ。

 敵はアラサー教師にあり!

 

 

 頬から汗が零れ落ちる。

 ヒューッと強い風がグラウンドを通り抜ける。

 しばしの沈黙のあと、ピストルの音が鳴り響く。

 

「始めいっ!」

 

 宗像先生の声と共に、福間が両手を左右に広げる。

 長い腕で俺を囲い込む。

 逃げられなくなってしまった。

 

「さあ、新宮。ラブホの続きをヤろうぜ」

 ちょっとその言い方やめてくれませんか。

 なんだろう、俺と福間くんが二人でラブホに行ったように聞こえるから。

 

 隣りから奇声があがる。

「ええ!? タクト、そいつともラブホに行ったの?」

「センパイってそっちだったんですか!?」

 お前らいい加減にしろ!

 当事者の貴様たちに言われたくない。

 俺は被害者だ。

 

 

 だがしかし、困ったものだ。

 福間に弱点という弱点は見当たらない。

 悔しいが、こいつには正攻法で勝つことはできないだろう。

 ならば、俺の得意とする心理戦だな……。

 

 

「福間……ちょっと、話いいか?」

「あ? 殺し合いの最中だぞ? なめてんのか!?」

 だからもうその命の掛け合いはやめにしましょ。

「お前、ひなたのパンティーの色……知っているか?」

「な!? いきなり、な、何を言いだすんだ?」

 明らかに動揺している。

 そうだ、こいつの弱点は想い人である、赤坂 ひなただ。

 

「俺は知っているぞ。あいつは俺と同じで物事を白黒ハッキリさせないとダメなタイプでな……」

「なんだって!? つ、つまり新宮が言いたいのは……」

「そう。ヤツのパンティーの色は……」

 言いかけて、咄嗟に指をビシッと指す。

 その方向は隣りで試合をしていた赤坂 ひなた。

 

「あ! 福間くん、アレを見て! ひなたちゃんがはみパンしてるよ!」

「えぇ!?」

 首をグリンっと横に向けた。

 リーチが長い腕も力が抜け、ダランと垂れる。

 その隙を逃さない。

「フンッ!」

 腰に力を入れて、全身を福間めがけて叩きつける。

 

「わっ……」

 あえなく福間 相馬は円陣から落ちてしまった。

「フッ、勝ったな」

「騙したな! 反則だぞ、新宮!」

 負けてしまった福間は、地面に尻もちをついていた。

 よっぽど、ひなたのパンティが気になって仕方なかったのだろう。

 

「宗像先生は何でもアリだと言っていたろ? これも兵法の一つよ」

 腕を組んで、見下す軍師、新宮 琢人。

「ずっこいぞ! せめて赤坂のパンティーの色を教えろよ! いや、教えてください!」

「自分で頑張ることだな……」

 まさか俺が勝ってしまうとは。

 

 

 勝利の余韻に浸っていると、隣りから「フンギャッ!」と悲鳴が聞こえてきた。

 目をやると、赤坂 ひなたが地面に倒れていた。

 口から泡を吹いて、白目。

 お股をガッパリと開いて、まるで出産中の妊婦さんみたい。

 どうやら気絶しているようだ。

 

 ピンクのフラフープの中には、ミハイルがポツンと立っていた。

 呆然とした顔で、人差し指を倒れた赤坂 ひなたの方に指している。

 

「あ、あれ? ひ、ひなた? 大丈夫か? ちょっと押しただけなのに……」

 指一本であれだけ吹っ飛ばされたの……?

 相変わらずのバカ力だ。

 こわっ。

 

 そこでピーッと笛の音が鳴り響く。

 

 

「勝者! 一ツ橋高校!」

 宗像先生の声がスピーカーから聞こえると、紅組から歓声が上がる。

 

「ヒャッハー! 反則と暴力とか、悪い奴らだぜ!」

「キシャキシャ……見たか、これがヤンキーの力だぜっ!」

「あとの奴らは皆殺しだぁ!」

 だから殺人しちゃダメ。

 

 

「やっと終わったか……」

 フラフープから出て、ミハイルの元へと向かう。

「うん、やったね☆ タクト!」

 ミハイルも俺の方へ歩み寄る。

 

 ただ、そばでは福間が気絶している赤坂を抱えて、必死に叫んでいた。

「赤坂ぁ! 死ぬな! せめて俺ともう一回ラブホに行ってから死んでくれぇ!」

 こいつ、本当にひなたのことを好きなの?

 

 俺とミハイルが、勝利を分かち合おうと、握手をかわそうとする。その時だった。

 

「バカモン! 団体戦では一ツ橋が勝利したが、また個人戦ではMVPが決まってないだろうが!」

 

 それもそうだった。というか忘れていた。

 

「両者、再度フラフープの中に戻れ!」

 

「あ、タクト……」

 ミハイルは名残惜しそうに、手を伸ばしていた。

「仕方ない。ちゃちゃっと終わらせよう。どちらが勝ってもいいだろう? 俺らダチなんだからさ」

 俺がそう言うと、彼は嬉しそうにニカッと歯を見せて笑った。

「だよな☆」

 

 円陣の中に戻り、再度ピストルが鳴る。

 

 今度はミハイルとにらめっこ。

 

 試合が開始した共に、彼の小さな唇が微かに動く。

「なぁタクト」

 俺にしか聞こえないぐらいの声で囁く。

「あん?」

「オレの願い事はタクトの願いだから、この試合、タクトに勝ってほしい」

 そう言って、両手を身体の後ろに回す。

 ブルマに手を当てて、戦う意思がないことを俺に示した。

 

「つまり俺がMVPになるのが、ミハイルの願い事だってのか?」

「うん☆」

 風と共に、金色の長い髪が揺れる。

 宝石のような美しいグリーンアイズが輝く。

 こんな可愛いヤツを手を出さないといけないのか……。

 イヤだな。

 

 だが、これはミハイルの願いなんだ。

 男の俺がリードしてやらねばな。

 って、なんで女の子扱い?

 まあいい。

 

「わかった、俺が指一本で軽く押すから、オーバーに倒れてくれ」

「オッケー☆」

 公平な試合ではないが、彼が喜ぶのなら、それもまた本望だろう。

 

「いくぞ、ミハイル!」

「うん! こい、タクト!」

 

 俺は右腕を宙にかかげると、勢いよくミハイルに向かって、急降下させた。

 彼にあたる寸前で、スピードを落とし、衝撃を和らげる。

 人差し指を立てると、彼の左胸にブスッと刺す。

 とはいっても、ものすごく弱弱しい力だ。

 攻撃されたミハイルも痛くはないだろう。

 

 次の瞬間、俺の予想を裏切ることになった。

「な、な……」

 言葉が詰まったように、唇を震わせる。

 顔を紅潮させ、後ろへと隠していたはずの両手はいつの間にか、前に戻っていた。

 その間もずっと俺の指は、彼の胸に突き刺さったままだ。

「どうした、ミハイル。早く倒れちまえ」

 追い込むように、指をグリグリと動かす。

 

 うつむいて黙り込むミハイル。

「……」

「おい、早く負けてくれよ?」

 尚も俺の指ドリルは動きを止めない。

 

「どこ……触ってんだよぉぉぉ!」

 

 一瞬だった。

 彼の細くて小さな可愛らしい手が、拳にかわり、俺の顔面に襲い掛かったのだ。

 トラックが正面衝突してきたかのような物凄い衝撃だった。

 

 俺は気がつくと、夜空を舞っていた。

 星がキレイだ。

 そう思ったころには、鼻から大量の真っ赤な血が吹き出る。

 地面に頭を強く打ち、意識が遠のいていく。

 

「今年のMVPは古賀 ミハイルだぁ!」

 

 何やら騒々しいな。

 だが、そんなことよりも眠たくなってきた。

「グヘッ……」

 これが走馬灯ってやつかぁ。

 

「あ、ごめん。タクト、勝っちゃったよぉ」

 

 



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152 閉会の儀

 ミハイルがMVPを勝ち取り、運動会は無事に終わりを迎えた。

 いや、正確には皆、心身共にボロボロだ。

 

 俺はミハイルの乳首に触れてしまったようで、グーパンされて鼻血ブー。

 変態眼鏡女子、北神 ほのかはアイドルのブルマをガン見して大量出血。

 生徒会長の石頭くんは、逆立ちを長時間したため、顔が真っ赤になり、気絶。

 赤坂 ひなたは、ミハイルのデコピンで白目を向き泡を吹いている。

 

 確かに開会式の宣言通り、殺し合いになってしまった。

 結果的だが。

 まあ命はあるので、よしとしよう。

 

 意識のある者たちは全員、朝礼台の前で二列になって立ち並ぶ。

 

 俺たちが並び終えるのを確認し終えると、宗像先生、光野先生が朝礼台に並んで立つ。

 そしてマイクの前に立ち、こういった。

 

「みんな、いい殺し合いだった! 今年の生き残りは我が校の女子、古賀 ミハイルちゃんに決まった」

 だから女子じゃないって。ボケたの?

「ミハイルちゃん、願いを聞こう。前に出ろ」

 まだそんなアホなことを言ってるのかよ……。

 宗像先生に、名を呼ばれて指示通り、朝礼台の前に立つ。

 

「お、オレ?」

「そうだ、この宗像 蘭ちゃんが一つだけ願いを叶えてやろう」

 どこから持ってきたのか、金色に光るカチューシャを頭にしていた。

 おそらく、パーティなどの時に使われる仮装用だろう。

 神様ぶってんじゃねぇ。

 

 当のミハイルは聞かれて、困っているようで、何度か振り返っては、俺の顔をうかがう。

「ど、どうしよう。タクト……」

 なんだか見ていて哀れだな。

 ミハイルとしては、俺を勝たせたかったのに、事故とはいえ、負かせてしまったものな。

 不本意なのだろう。

 しかし、勝ちは勝ちだ。彼に報酬がもらえるのなら、それはもらうべきことだ。

 俺は後ろから、声をかけた。

 

「ミハイル。俺のことは気にするな。お前の望むことを言えばいい」

 彼が遠慮しなくていいように、俺は親指を立てて笑ってみせる。

 すると、安心したようで、胸をなでおろしていた。

「う、うん☆ じゃあ、今回はオレが願い事するゾ」

「ああ」

 てか、今回ってことは次回もあるんですか? この鬼畜運動会。

 

 

 ミハイルはもじもじとしながら、小さな声でなにかを宗像先生に伝える。

 あまりの小声に、宗像先生も顔をしかめる。

 どうやら恥ずかしいお願いのようだ。

 先生が何度か「ん、なんだって?」と聞き返す。

 しばらくして、「ほうほう……そんなことでいいのか?」と驚いていた。

 

 そして、ミハイルはこちらへ、そそくさと戻ってきた。

 頬を赤くして、体操服の裾を両手で掴んでいる。

 

 俺の方をチラッと見て、背を向けた。

 小さな桃のような尻がプルンと震えた気がする。

 

 願いを聞いた宗像先生が、マイクを通してこう叫ぶ。

「今、古賀からしかと願いを聞いた! その願い、この蘭ちゃんが叶えてやろう!」

 宗像先生は、ケツからハート型のスティックを取り出す。

 あの女のブルマは四次元にでも繋がってんのか?

 ほいほい、何でも出しやがって。きたねー。

 

 くるっとスティックを振り回す。

 そして「えぇいっ!」と叫び、棒先をミハイルに向けた。

「うむ、これで古賀の願いは無事にかなった……」

 別に特段、何か変化が起こったようには見えない。

 ミハイルもキョトンとした顔で突っ立っている。

 

「えぇ! 願いかなったんだぁ」

 小さな口を半開きにして、驚く。

 いや、なにも起こってないだろう。

 すかさず、俺は彼の肩をチョンチョンとつつく。

「なあ、宗像先生に一体なにを願ったんだ?」

 そう問いかけると、彼は頬を赤くしてうつむく。

「えっ……な、ナイショだよ」

「ダチの俺にも言えないことか?」

「オ、オレだって恥ずかしいことぐらいあるもん!」

 なぜ逆ギレ?

「わかったよ……」

 ちょっと彼の願い事は気になるが、エッチなことでも願ったのかもしらんしな。

 ここは紳士として、潔く退こう。

 

 

「えー、ただいまを持って、第一回ドキドキ深夜の大運動会は閉会する! MVPは一ツ橋の古賀 ミハイル! 団体戦の勝利校も我が一ツ橋の勝利である! 先生は嬉しいぞ、来月のお給料が倍になるからな。しこたま、酒が飲めるってもんだ♪ だあっはははは! これにて一件落着!」

 なんか、バカが勝手にほざいてらぁ。

 

「く、くぅ……楽器代が…」

 裸の音楽教師、光野先生は頭を抱えていた。

 生徒をギャンブルになんて使うから、罰が当たったんだよ。

 良かったね。

 

 

 宗像先生の下品な笑い声が運動場にこだまする。

「だあっはははは……」

 よっぽど嬉しいんだな。

 あ、そう言えば、一年分の単位はどうなったんだ?

 優勝したミハイルに贈呈されたってことだろうか……ま、どうでもいいや。

 

 その時だった。

 グラウンドを照らしていた灯りが、ガタンと一気に落ちてしまう。

 辺りは真っ暗になり、驚いた女子たちが悲鳴をあげる。

 

 マイクとスピーカーの電源も落ちたようで、宗像先生が暗闇の向こうで一生懸命、大きな声で何かを離すが、俺たちのところまでは聞こえてこない。

 

 

 ミハイルが俺にいった。

「なあタクト、停電かな?」

 彼の顔はよく見えないが、女子と違って別に驚いている声音ではない。

「違うだろう……あれじゃないか? もう深夜近いだろう。それで学校の電源が落とされたんじゃないか?」

「そっかぁ、さすがタクト☆ あったまいいな~」

 なんだろう、褒められているのにバカにされているような。

 普通に考えたら、こんな深夜まで大騒ぎしていたら、ご近所迷惑ってもんだ。

 ひょっとして、クレームでも入ったのでは?

 

 

 生徒たちは動揺していたようで、声だけで互いの存在を確認しあう。

 

「ねぇねぇ、そこにいるよね?」

「こわ~い」

「ハァハァ……今ならブルマを脱がすチャンスだ…」

 最後痴漢がいるね。

 

 

 暗い運動場の中を何やら、騒がしい音が聞こえてくる。

 

 バキッ! ボキッ! カランカラン……。

 

 一体、何の音だ?

 俺はその方向へ足を近づける。

 すると、次にシュポッ! という音がして、微かな明かりが灯される。

 ライターだ。

 誰かが火をつけてくれたのだと、ほっとしたのも束の間。次の瞬間、ゴオオオ! と激しく燃え上がる。

 

 気がつけば、運動場の中央に燃え盛る巨大な炎が、空へと昇っていく。

 

「な、なにが起こったんだ?」

 あまりの火の勢いに、火傷をしそうになってしまった。

 近くにいるだけで、高熱を感じる。

 後退りして、様子を遠くから眺めた。

 

 じっと見つめていると、火の周りに人がひとり立っているのを確認できた。

 体操服にブルマ姿の……宗像先生だった。

 

 先生は、バットを膝で真っ二つに折ると、その破片を火柱に放り投げる。

 躊躇なく何度もバットをブッ壊す。

 よく見れば『三ツ橋高校 野球部』と書いてあった。

 

「宗像先生、なにをやってやがるんですか!?」

「あ? 見りゃわかるだろう。キャンプファイヤーだ。学校の照明が落ちたからなぁ。代用だ」

 いや、それ学校の備品でしょ?

 俺知らないよ。絶対怒られるだろう。

 

「新宮、みんなをここに集めてくれ」

「え? まだ何かするんですか?」

「バカヤロー、昼メシ……いや夜メシを食べさずに生徒たちを帰すわけにいかんだろ? 今からメシだ、メシメシ」

「は、はぁ…」

 もう日付変わりそうなんだけど。

 さっさと帰してくれたほうが、親御さんも安心だと思いますよ?

 

 

    ※

 

 一ツ橋高校と三ツ橋高校の生徒たちは、宗像先生が作ったキャンプファイヤーを中心に囲んで座り込む。

 気がつけば、弁当が配られてきた。

 缶ジュースもついているが、みなバラバラの味だ。

 なんか嫌な予感がする。

 

「それじゃ、みんな弁当と飲み物は行き届いたなぁ? 新宮! お前、いただきますの挨拶しろ」

 高校生にもなって、そんな挨拶するか!

 だが、先生に歯向かうとあとが怖い。

 俺は立ち上がって、手と手を合わせる。

 

「では、みなさん。手を合わせて……いただきま~す」

 

「「「いった~だきます!」」」

 

 ここは保育園か?

 

 昼食ならぬ、夜食をみんなで楽しむ。

 弁当はジュースと違って、全て同じおかずだ。

 俺は近くにいた宗像先生に恐る恐るたずねる。

「あの、宗像先生?」

 先生は貪るに弁当箱に口をつけて、かっこむ。

「うめっうめっ……久しぶりの銀シャリだぜぇ!」

 この人、一体どんな生活してんだ?

 一気に口の中へ放り込むと、ジュースではなく、ハイボールで流し込む。

「かぁーーーっ!」

 職務怠慢もいいところだ。

 

 やっとのことで、俺に気がつく。

「どうした? 新宮?」

「あの、この弁当とジュース。どこで手に入れたんすか? 先生が買ったんすか?」

 俺がそう言うと、先生は「だあっはははは!」と大きく口を開いて笑い声をあげる。

「そんなわけないだろう。昨日、三ツ橋の職員室から仕出し弁当をかっぱらっておいたんだ♪」

 ファッ!?

「あとジュースはさっき、運動場の自販機をバールでこじ開けて取り出したんだ」

 窃盗団じゃん。

「は。はぁ……」

「ま! 三ツ橋の校長先生からのプレゼントと思って、ありがたく食っちまえ!」

 宗像先生は、俺の背中をバシバシと叩く。

 この女、俺たちが卒業する前に、懲戒免職くらうんじゃないか。

 というか、一ツ橋高校が存続していることすら、怪しい。

 

 

 弁当を食べながら、みな今日の運動会の話で盛り上がる。

 キャンプファイヤーなんて、小学生の林間学校以来だ。

 ミハイルは疲れ切ったようで、俺の肩に頭を乗せて夢の中。

 悪くない運動会かもな……。

 そう余韻に浸っていると、なにやらドタドタと足音が騒がしい。

 

 暗みの中、一人の男がこちらへと向かってきた。

 白髪交じりの中年。

 俺たちをジロっと睨みつけ、拳をつくり、怒りを露わにしている。

 

「貴様ら! なにをやっとるかっ!?」

 

「誰だ、あのおっさん……」

 俺がそう呟くと、近くにいた宗像先生が見たこともないぐらいの驚いた顔を見せる。

 目を見開き、顎が外れるぐらい大きな口で、脅えているようにも見えた。

 

「や、やばい!」

 普段からマイペースな先生にしては偉く、焦っているようだ。

 

「お前ら! さっさと帰れ! 三ツ橋のクソ校長が来やがった! 逃げるぞ!」

「え?」

「いいから! みんな、赤井駅に向かって全速力だ!」

 そう吐き捨てると、宗像先生は一目散にすっ飛んでいった。

 全速力で運動場を駆け抜ける。

 気がつくと、暗闇の中に消えていった。

 三ツ橋の光野先生も同様だ。

 

「貴様らぁ! この騒ぎはなんだっ!」

 

 怒れる校長を無視して、俺たちは全速力で散らばっていく。

「捕まると退学になるぞぉ!」

 まるで運動場に変態が現れたかのような扱い。

 

 俺は眠るミハイルをお姫様だっこして、学校から抜け出した。

 

「もうこんな学校いや……」

 

 



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第二十一章 ニャンニャンパラダイス
153 眠り姫、ミハイル


 

 運動会も無事に? 終えた俺は、眠るミハイル姫を抱えて、赤井駅に逃げ込んだ。

 あとは知らん。

 急いで学校から飛び出たので、三ツ橋の体操服を着たままだ。

 もちろん、ミハイルもブルマをちゃっかりと着こなしている。女子以上にお似合い。

 

 

 終電ギリッギリで、列車に乗り込む。

 ミハイルはかなり疲れていたようで、ずっと俺の肩の上で眠っていた。

 席内駅について、彼を揺さぶり、起こす。

「ほ、ほぇ? タッくん……」

 瞼をこすりながら、女の子のような甘ったるい声で話す。

 おいおい、アンナちゃんとごっちゃになってるぜ。

「ミハイル。お前の駅に着いたぞ。さっさと降りろ」

「うーん……やだ~ タッくんとまだ一緒にいるのぉ……」

「ったく」

 

 仕方ないと思い、彼を自宅に連れていこうと考えた。

 だが、この前の時みたいに無断外泊するのは良くない、絶対にだ。

 なぜならば、母親代わりのヴィクトリアにぶっ殺されるからな。

 とりま、連絡しておこう。

 

「しかし、電話番号をどうしたものか……」

 ミハイルのスマホから電話でもかけてみるかな?

 いや、他人の所有物を勝手に触るのは、好きじゃない。

 どうしたものか……。ん、待てよ。

 

 そう言えば、以前かかってきた見知らぬ市外局番は、ヴィクトリアの店からだったな。

 よし、そこにかけたらいいよな。

 思い出した俺はすぐに電話をかける。

 

『トゥルルル……ブチッ。はい、パティシエ KOGAでございますぅ~♪』

 なんだ、この猫なで声は? 番号間違えたかな?

「あのぉ~ 古賀さん家で間違いないっすか?」

『はい、そうですよ~ いつもお世話になっておりますぅ♪』

 若い女の声だ。しかし、あのアル中ヴィクトリアとは全然態度も声も違いすぎる。

「俺、ミハイルくんと同じ高校の新宮ていうんすけど……」

『あぁ!? んだよ、坊主か! チッ』

 急に態度が激変したんだけど?

 弟のミハイルと同様で、多重人格なのかな……。

 

『用はなんだ? さっさと言え! こちとら、晩酌中なんだよ!』

 てめぇはシラフの時がねーのかよ。

「あ、あのですね。今、電車なんすけど、ミハイルが起きなくて……今日、俺ん家に泊めてもいいっすか?」

『ああ……いいぞ』

 すんなり了承してもらえたな。

 

『ただし! 条件がある!』

「は、はい。なんでしょう?」

『ミーシャをちゃんと風呂に入れて、歯を磨かせること!』

「……」

 幼児じゃねーんだよ。

 とりあえず、ヴィクトリアに連絡を入れたので、俺は真島駅でミハイルを下ろすことにした。

 もちろん、この間もずっと眠っていて、俺はお姫様だっこでホームを歩く。

 

 

    ※

 

「ただいま~」

 母さんの美容院はもう深夜で閉店していたので、裏口から入った。

 家の中は静まり返っていた。

 二階までミハイルを抱きかかえて昇る。

 

 自室に入ると、薄暗い部屋の中、妹のかなでがノートパソコンとにらめっこしていた。

 ヘッドホンをして、ニヤニヤ笑いながら「ウヒヒヒ」と気色の悪い声をあげる。

 どうやら、新作の男の娘同人ゲームを楽しんでいるようだ。

 モニターには、おてんてんを縛り上げられたショタっ子が、頬を赤くして悶えていた。

 それを見て、かなでは満足そうに、マウスをクリックしまくる。

「ハァハァ……抜けますわぁ~」

 息を荒くし、視線は画面のまま、手だけを床に下ろして何かを探している。

 しばらく手をバタバタさせ、近くにあったティッシュ箱を掴むと、ちゃぶ台の上に乗っける。

「そろそろですわね……うっ!」

 まさか……ウソでしょ?

 と思った瞬間だった。

 

「チーン!」と鼻をかんだのであった。

 

「はぁ、花粉症は応えますわねぇ~」

 なんて紛らわしい妹なんだ。

 

 俺がその光景にドン引きしていると、やっとのことで、こちらに気がつく。

「あらぁ、お帰りなさいませ。おにーさま♪」

「お、おう。ただいま……」

「ん? ミーシャちゃんをお連れになったのですか?」

 未だ夢の中のミハイルを指差す。

「ああ、疲れて寝てしまってな……今夜は泊まらせることにしたよ」

「そうですの……。ところで、ミーシャちゃんはなんでブルマ姿なんですの?」

「これか、まあちょっと学校でな…」

 もう説明すんのがめんどくさい。

 

 俺がなにを言ったわけでもないのに、かなでは合点がいったようで、手のひらを叩く。

「なるほど! 校内でしっぽりがっつり、ヤッちゃったんですのね♪ 貫通おめでとうございます♪」

 中学生の女子が言うセリフじゃない。

「お前は何を勘違いしてるんだよ……」

「え? ついにお二人は結ばれたとばかり……」

 どこをどう結ぶんだよ。

 妹とはいえ、話していて疲れる。

 

 

「悪いけど、今日は下のベッド、ミハイルを寝かせてもいいか?」

 俺のベッドは二段ベッドの上だからな。移動させるのに苦労する。

「いいですわよ♪ じゃあ、おにーさまはかなでと上のベッドで、童貞を捨てましょ♪ 一晩かけて」

「はいはい。かなでは一人で寝てくれな。俺は男同士、ミハイルと一緒に寝るから……」

 そう吐き捨てると、抱きかかえていたミハイルを、ようやくベッドの上に寝かせる。

 気がつけば、深夜の1時近い。

 俺もあと数時間すれば、朝刊配達の時間だ。

 少しでも寝ておかないと、持たない。

 

 体操服をきたまま、ミハイルと一緒に眠りについた。

 

 

    ※

 

 何か、身体が重い。

「あいたた……」

 変な寝かたをしていたのか、肩が痛い。

 ふと、隣りを見ると、そこには長いブロンドの美少女が……。

 ではなく、古賀 ミハイル。

 すぅすぅと寝息を立てて、まだ夢の中だ。

 

 肩の痛みの原因がわかる。ミハイルだ。

 彼が俺の右肩に抱き着き、顎をのせている。

 しかも、逃げられないように、細い脚で俺の太ももをロックしていた。

 時折、ミハイルの膝が股間へグリグリしてくる。

 目覚めたら、体操服にブルマ姿の可愛い子が、襲ってくるんだもの。

 健康的な男子なら、ナニかが反応しちゃうよね♪

 

「ミハイル、おい……ミハイル」

 間違えが起こる前に彼を起こす。

「ん……タクト? あれ、なんでオレん家にいるの?」

「違う。ここは俺の家だ」

「あ、ホントだ。タクトのベッドだ……」

 状況をまだ把握できてないようで、ボーッと俺の目を見つめる。

 キッスしちゃいそうなぐらいの至近距離で。

「おはよ☆ タクト☆」

 瞳を揺らせて、優しく微笑む。

 頼むからやめてくれ。

 抱きしめて、チューしたくなっちゃうだろ。

 

「ああ、おはよう。ところで、俺は今から朝刊配達に出るから……その身体から離れてくれないか?」

 俺がそう言うと、やっとのことで、自身がベッタリと身体をくっつけていたことに気がつく。

「う、うん……ごめんな。オレ寝相が悪いから…」

 頬を赤く染めて、恥ずかしそうに掛布団を被る。

 なんか事後っぽい態度とるのやめてね。

 俺は何もしてないよ?

 

 とりあえず、ベッドから出ると、体操服を脱ぎ捨て、仕事用のジャージに着替える。

 その間も背後からずっと視線を感じる。

 何度か振り返ると、俺の着替えるところを恥ずかしそうに、見つめている。

 目元まで布団で顔を隠していた。

 

「じゃ、いってくるわ」

「あ、うん……いってらっしゃい☆」

 

 うーむ、なんか同棲しているカップルみたいだな……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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154 割引券よりアプリの方が安い

 ミハイルを残して、朝刊配達に向かった。

 仕事あがりに、バイクを直していると店長に声をかけられた。

「琢人くん、おつかれさま!」

「おつかれっす」

「あのさ、これ。琢人くんにあげるよ」

 そう言って、差し出したのは二枚のチケット。

 なんじゃこれ?

 可愛らしい猫がプリントされいている。

 

「席内に新しくオープンしたらしいんだよ。ネコカフェ」

「ネコカフェ?」

 悪いが俺はワンワン派だ。

 店長には悪いが、ここは丁重にお断りしよう。

 

「いやぁ、ガラじゃないっすよ」

「まあまあ、そう言わずに♪」

 店長はニコッと笑うと、俺のズボンのポケットに無理やりねじ込む。

「な……」

「琢人くんが好みじゃなくても、噂のカノジョさんはどうかな?」

「カ、カノジョ~!?」

 思わずアホな声で答えてしまう。

 

「そうだよ。最近の琢人くんってなんか輝いてるんだよね。カノジョが出来たんでしょ? 連れていってあげなよ」

 それミハイルことアンナちゃんのことだろ……あの子とは付き合ってないよ。

「い、いやぁ……俺とあの子はそういう仲じゃ…」

「じゃあ、もうワンプッシュぐらいかな? 頑張れ、若人!」

 店長はどこか満足そうに微笑むと、背を向けて店の奥にある自宅へと入っていった。

 

「ええ……」

 どうしようかな。

 タダでもらったものだし、まあとりえあず持って帰ろう。

 

    ※

 

 自宅に帰ってきて、リビングのある二階へと向かう。

 階段を昇っていくにつれて、なにか甘い香りが漂ってくる。

「ん? 母さん、こんな時間から料理作ってんのか」

 

 キッチンに立っていたのは、予想していた人ではなかった。

 体操服とブルマ姿で、鼻歌交じりにボールを泡立て器で何かをグルグル混ぜている。

「ボニョ~ ボニョ~ おっとこのこ~」

 スタジオデブリの名曲を口ずさみ、手際よく調理を進める。

 腕を激しく動かしているため、自然と身体が震えている。

 小さな桃のようなお尻がプルプルと踊りだす。

 

 なにこれ? 俺の新妻ですか?

 仕事上がりに、なまめかしいダンスとか、やめてください。

 後ろから襲いたくなっちゃうので……。

 

「あっ、タクト☆ おかえり~」

 俺に気がついて、振り返る天使はミハイル。

 くっ、こいつ、アンナの時はあざといくせに、素の時はなんていうか、自覚がないから、尚のこと見ていると、可愛くおもっちゃうんだ。

 どっちも同じヤツなのに……。

「お、おう……ただいま…」

 自分の家なのに、なぜか気を使ってしまう。

 目の前に、可愛い子がいるからかな。だがミハイルは男だぞ?

 しっかりしろ、琢人。

 

 頬をペシペシと叩いて、自我を取り戻す。

 そして、平静を装い、テーブルに腰を下ろす。

「ミハイル。何を作っているんだ?」

「これか? ふわふわスフレパンケーキだゾ☆」

 またそんな手のこんだ料理しやがって……。

 俺の胃袋を掴んで、どうする気だ?

「ほ、ほう……ミハイルは本当に料理が上手いというか、好きなんだなぁ」

「うん☆ 食べてもらう人がダイスキだと、スッゲー楽しいんだ☆」

 え……今、なんかしれっと告白されなかった?

「そうか……」

「もう少しで出来るから待っててな☆」

 ニコリと微笑むと、また俺に向かってケツをプリッと突き出す。

 そして、ボニョを歌いながら、腰を振って調理に戻る。

 料理ができる間、俺はテレビでもつけようと思ったが……。

 

 目が釘付けで、キッチンの方をガン見していた。

 だって目の前に美味しそうな桃があれば、かぶりつきたいじゃないですか。

 理性を保つのに精いっぱいでした。

 

     ※

 

 しばらくすると、酒くさい母さんと、瞼の下にくまがいっぱいできた妹のかなでがリビングに現れる。

「ふぁわあ。おはよ……あら、ミーシャちゃんじゃない」

 そうか、母さんはミハイルと会うのは久しぶりだった。

 前回は女装時だから気がついてない。

「あ、おばちゃん。おはようっす☆ 勝手にキッチン使ってるんすけど、良かったすか?」

「いいわよ。なんだったら、毎朝作ってくれて……」

 あなたは家事をしたくないだけでしょ。

 セルフネグレクトを願う母の願望を真に受けるミハイル。

 頬を赤くして、モジモジし出す。

「ま、毎朝、タクトん家に来ていいの……?」

「ダメだよ。ミハイル、母さんの言っていることは冗談だ、ほうっておけ」

「なんだぁ、じょーだんか…」

 肩を落として、フライパンの上で丸く膨らんだパンケーキをへらでひっくり返す。

 

 

 落ち込んだ彼を励ますために、店長からもらったチケットを取り出す。

「なあミハイルって猫とか好きか?」

「かなでは大好きですわ♪」

 おめーには聞いてねーよ!

「どうせ、かなではアレだろ? オス猫を擬人化させて絡めたいだけだろ……」

「テヘッ♪ バレちゃいましたか♪」

 うん、妹の性癖を当てる兄もどうかと思う。

 

「オレ、動物はなんでも好きだよ☆ どうして?」

 彼の瞳に輝きが戻る。

「新聞配達の店長がさ。ネコカフェのチケットくれてさ。よかったらこのあと、一緒にいかないか? ちょうどミハイルん家がある席内市に店があるらしいんだ」

 俺がそう彼を誘うと、目を丸くして「ホントか!?」と喜んでいた。

 

 たまにはアンナとじゃなく、ミハイルと取材ってもの悪くないだろう。

 あくまでもデートではない。ダチとしてだ。

 

 

 ミハイルがテーブルに大きな四つの皿を並べる。

 そこには見たこともないぐらいふわふわの丸いパンケーキが3つのせられていた。

 しかもホイップクリームとイチゴつき。

 どんなスイーツショップだ?

 相変わらずハイスペックすぎるヤツだ。早く嫁にしたい。

 

「うわぁ♪ ミーシャちゃんがこのパンケーキ作ったんですのぉ?」

 かなでが無駄にデカい乳を揺らせて、喜びを露わにする。

「そうだよ☆ 仕事あがりの疲れたタクトに甘いものが必要かなって思ってさ☆」

 なんて出来た嫁なのかしら……泣きそう。

 うちの女どもはここまで俺を気づかってくれないのに。

「いただきますですわ~♪」

「じゃあ、お母さんもBL(びーえる)だきます♪」

 おい、今なんつった?

 頑張って作ったミハイルママに謝れよ、琴音。

 

「さ、タクトも冷めないうちに食べてよ☆」

「ああ。ミハイルは食べないのか?」

 俺がそう言うと頬を赤くして、太もも辺りで両手を組み、顔を伏せてしまう。

「その……ひと口目が美味しいか不安だから、感想ききたくて……」

 乙女かよ。

「そうか、ならお先にいただくな」

「う、うん」

 クリームをたっぷりつけて、パンケーキにナイフを下ろす。

 音とも立てず、スルッと二つに切れた。

 フォークで口へと運ぶ。

 

「う、うまい……」

 正直、こんなうまいパンケーキは初めてだ。

 ちょっとしたプロより美味い。

 優しい甘みとバターの香り。それに舌の上でとろけそうなぐらい柔らかい生地。

 感動していた。涙が出そうなぐらい。

「ミハイル……これはうますぎる!」

 俺がそう言いきると、彼はボンッと音を立てて更に顔を真っ赤にする。

「そ、そっか! よかったぁ、自信なかったから……」

 いや、このレベルで自信がないとか言ったら、花嫁修業しているアラサーがかわいそうですよ。

 

 その証拠に、ほれ。

 うちの女どもときたら……。

 

「うめっうめっ……じゅるじゅる、グチャグチャ」

「おっ母様! ズルいですわ! おかわり狙ってるでしょ! 負けませんわ、くっちゃくっちゃ……」

 ケダモノ家族で恥ずかしいです。

 

「みんな喜んでくれてよかったぁ☆ まだいっぱいあるから、たくさんおかわりしてね☆」

 もう、あなたがお母さんでいいです……。

 

  

 



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155 借りパクは犯罪ですよ

 俺とミハイルは朝食を済ますと、自宅を出た。

 二人して、真島商店街を歩く。

 平日の朝ということもあって、商店街はまだ人の出入りが少ない。

 

 隣りを歩くミハイルは、未だ三ツ橋高校の体操服にブルマ姿のままだ。

 恥ずかしくないのだろうか?

 平然とした顔で、俺に言う。

「ネコカフェ、楽しみだな☆」

 いや、その格好で歩くの勇気いりません?

 僕だったら死にたくなります……。

 

「じゃあとりあえず、席内に行ってミハイルん家に寄ろう」

「え、なんで?」

「その格好のままじゃ、問題だろう……借り物とはいえ女子の体操服だからな」

「別によくね?」

 ダメだよ、普通に。

 この人、女装のしすぎで頭おかしくなってねーか?

「ダメだよ。ちゃんと洗濯して今度のスクーリングで返さないといけないし……それに、そのなんだ。俺も目のやり場に困る」

 白くて細い太ももに食い込むブルマが、童貞の俺にはどうしても冷静ではいられなくなってしまう。

 認めよう、ミハイルの魅力に……。

「ふーん。なんでか分かんないけど、タクトがこの服、嫌ならもう二度と着ないよ?」

 意味を理解できていないようだ。

 首をかしげて、俺の顔を下からのぞき込む。

 くっ! このあどけない態度が、憎めない。

「それは断じて違う! 嫌いじゃない!」

 むしろアンナモードでも着てください! お願いします!

「じゃあ好きなの?」

「んん……返答に困る」

「変なタクト~」

 あなたもやってること、十分変態なんだけどね。

 

 

 頬が熱くなる。恥ずかしくなって、目をそらす。

 俺の気持ちを知ってか知らずか、当の本人は頭の後ろに両手をやりながら、鼻歌交じりにてくてくと歩いてる。

 そんなときだった。

 スマホの着信が鳴る。

 見たことのない市外局番だった。

 ミハイルの姉、ヴィクトリアの自宅かと思ったが、あそこは前回、アドレス帳に登録しておいた。

 席内市の番号ではない。

 だが、福岡県の番号だ。

 

 とりあえず、電話に出る。

「もしもし?」

『おぉ! 新宮か! 今日もカワイイ蘭ちゃん先生だ~』

 酒やけした低い声が受話器から漏れてくる。

 一瞬、いたずら電話の変態おじさんかと思ったが、その正体は一ツ橋高校の宗像先生だった。

「どうしたんすか?」

『あのな、昨日やった運動会でさ。三ツ橋高校の体操服着ただろ?』

 先生にそう言われて、隣りを歩くブルマくんを見つめる。

「そう言えば、そうでしたね。今度のスクーリングで返却すれば、いいっすか?」

『いや、そんなことしなくていい。もらっておけ』

 ファッ!?

 

「ええ? だって、三ツ橋の生徒の物でしょ? そんなのパクりじゃないっすか!?」

『そんな盗んだみたいなことを言うなよ、新宮』

 受話器の向こうで、ヘラヘラ笑いながら、喋ってやがる。

「どういうことです?」

『あのな、昨日の運動会で、最後に三ツ橋の校長が乗り込んできたろ? あの後、先生がどうにかごまかしてな。変質者たちが三ツ橋の体操服着て、運動場で乱痴気騒ぎしてたってことにしといたんだ♪』

 な、なんて嘘をつきやがったんだ。

 勝手に運動会を主催しとして、俺たち一ツ橋の生徒は変質者扱いかよ。

『体操服は変態に盗まれたってことにしてるからさ。三ツ橋の保護者が激怒してて、買い直すことになったらしいぞ♪ 良かったな♪ タダで体操服ゲットだぜ!』

 やっぱり盗んだんじゃねーか!

「いや、そういうわけには……」

『名前のワッペンを変えれば、問題ないから。じゃあな! ブチッ……』

「ちょ、ちょっと……」

 一方的に電話を切られてしまった。

 

 ミハイルが俺に屈託のない笑顔で言った。

「タクト? ひょっとして、宗像センセー?」

「うん……」

 背筋が凍る。

 俺は、いや俺たちは犯罪者に仕立てあげられたのか……。

 主な罪状、窃盗と不法侵入、ついでにわいせつ罪もありそう。

 

「どうしたの? タクト」

「その、体操服もらっていいってよ」

「マジで? タクトが好きなら今度これ着てどっか遊びに行こっか☆」

「え……ああ、とりあえずワッペンだけは変えとけって、言われたよ……」

「オレ、刺繍得意だからまかせろ☆ タクトの分もしといてやるよ!」

「じゃ、頼むわ」

「おう☆」

 



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156 カノジョが地元に帰ると距離感つかめない

「じゃ、タクト。ちょっと待っててね☆」

 ミハイルはそう言うと、俺に背を向ける。

 小さな桃のような尻をプルプルと震わせて、小走りで去っていく。

 自身の家でもある『パティスリー KOGA』に入っていったのだ。

 

 三ツ橋高校の体操服にブルマ姿で、地元の席内を歩くわけにも行かないので、彼の自宅に寄ったわけだ。

 今日は姉のヴィクトリアがシラフのようで、店を通常オープンしていた。

 窓から店の中を確認すると、子供連れの主婦たちが客として訪れている。

 普段はアルコール中毒で、下着姿でうろちょろする破天荒なねーちゃんだが、ニコニコ優しく微笑んでいる。

 さすがだ。

 嫌な顔せず、ショーケースからケーキをトングで取り出す。

 

 ミハイルと女装したアンナぐらいの二重人格だ。

 やはり血は争えないなぁ……。

 

 俺がそう感心していると、隣りから声をかけられる。

 

「お待たせ☆」

 

 白い歯をニカッと見せつけて、太陽のように眩しく微笑むミハイル。

 本日のヤンキーファッションだが、胸元に大きな星がプリントされたタンクトップ。

 パンクなデザインで、なぜか左右にチャックがついている。

 たぶんおしゃれなのだろうが、俺からすると脱がせる前提のエロいデザインに感じた。

 布地も少なく、ミハイルの華奢な肩が露わになっており、丈もへそ上という短さ。

 

 そしていつもの如く、下半身は白くて細い脚が拝めるショートパンツ。

 防御力がほぼゼロだ。

 

 俺がスライムでも今の彼に襲い掛かれば、勝てそう。

 性的なバトルで……。

 

 しばらく、その光景に目が釘付けになっていると、彼が怪訝そうに俺をみつめた。

 

「タクトってば、ボーッとしてどうしたんだよ?」

 ムッとした顔で、下から俺をのぞき込む。

 腰を曲げているため、タンクトップが緩み、胸元が見えそうになる。

 誘っているんでしょうか? この人……。

 

「む、いや。なんでもないんだ……」

 頬が熱くなるのを感じた。

「変なタクトぉ……。あ、ひょっとして、昨日のたいそーふくがそんなに嫌いだったのか?」

 手のひらを叩いて、一人で合点する。

 いや、ちがうから。

 どっちも好きです……なんて言えるわけないだろが。

 

「違うよ。ま、とりあえず、ネコカフェに行こう」

「うん! 早く行こうぜ☆」

 

 そうそう、今日はそれが取材なんだから。

 デートじゃないのよ、タッくんたら。

 相手はアンナちゃんじゃない。

 男のミハイル。

 だから、ノーカウント。

 

 席内商店街を抜けて、以前ミハイルと買い物をしたショッピングモール、ダンリブの建物に沿って旧三号線に向かう。

 ダンリブの反対側には、100円均一の『タイソー』とドラッグストアが並んでいる。

 交差点を使って渡る。

 

 俺らオタク。つまりは犯罪者予備軍の天敵であるお巡りさんがお出迎え。

 道路を横断すると、目の前には交番があり、交差点に一人のポリスメンが立っていた。

 険しい顔で、辺りを見張っている。

 

 ミハイルとは顔見知りのようで、

「おぉ、ヴィッキーんところの弟じゃねーか」

 随分となれなれしく話すじゃないか……。

 ダチとしては、ちょっと嫉妬を覚える。

「あ、お巡りさん。おつかれっす☆」

 ミハイルも手を振って、笑顔で答える。

 なんだよぉ~ ヤンキーならそこは警察にイキってみせろよ。

 ムカつくなぁ。

 

 隣りでイラつく俺をよそに、ミハイルは世間話を始める。

「今からネコカフェに行くんす☆」

 てか、警察には敬語使うのな。

「そーか。気をつけて行ってこいよ。ん? 珍しいな。ミハイルのダチか」

 やっとのことで、俺に気がつく。

 

 一応、挨拶をしておく。

「あ、同じ高校の新宮です」

「高校? あー、ひょっとして、一ツ橋高校か?」

「そうです。なんで分かったんすか」

 俺が不思議そうに問いかけると、何を思ったのか、そのポリスは大声で笑い出す。

 

「ハハハッ! だって、本官もあそこの卒業生だからなぁ」

「え……」

「今は警察なんてやってんけど、昔はヴィッキーぐらいヤンチャしてたからさ。一ツ橋ぐらいしか、入学できなくてよ」

 そんな偏差値で、よく警察官になれましたね。

「はぁ…」

「ま、本官もヴィッキーも、もういい歳だからさ。今じゃ仕事あがりにウイスキーをストロング缶で割るぐらいしか、できないけどよ……丸くなったもんさ」

 いや、もっと酷くなってますよ。

 酒をお酒で割るなんて、ヤンチャどころじゃない。

 さっさと、アルコール外来か、病院にブチこむレベルだ。

 

「おっと、長話しちゃいけねーな。一ツ橋って言うと、どうしてもヴィッキーや蘭たちと悪さしてた頃を思い出しちまう」

 一人で勝手に語って、満足してんじゃねー。

 お前は席内を守る側であって、絶対に飲酒運転とかすんなよ、クソが。

 

「お巡りさん! オレたち早くニャンニャンに会いたいの! もういい?」

 ミハイルが頬をプクッと膨らませる。

「わりぃわりぃ。もう行っていいぞ」

 おでこをかきながら、申し訳なそうにミハイルに頭をさげる。

 

 すれ違いざま、お巡りさんが低い声で俺にこう言った。

 

「あ、一ツ橋といったら、日葵のバカがいたよな?」

「え……」

 日葵って、俺の担当編集の白金 日葵のことだよな。

「あいつ、たまに酔っぱらってウチの交番に夜中遊びに来るんだよ……。んで、鉄砲をパクって近くの海岸で撃ちまくるんだ。ストレス発散とか抜かして……。いつか逮捕したいから、見かけたら教えてよ♪」

 そう言って、笑顔で俺に伝える。

 目が笑ってない。すごく怖いです。

 

「も、もちろんです!」

 背筋がピンと伸びる。

「うんうん、いい子を見つけたな。ミハイル」

「だろ? オレのダチだからさ☆」

 

 やべぇ、白金と会っているところをこのお巡りさんに見られたら、俺まで逮捕されかねない。

 さっさと、担当をチェンジしてもらおっと。



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157 オプションの説明はいらないから、早くしてくれ

「ついたぁ!」

 15歳にもなる高校生の青年が、道の真ん中でぴょんぴょん飛び跳ねる。

 彼の名は、古賀 ミハイル。

 伝説のヤンキー、『それいけ! ダイコン号!』のひとりである。

 

 そんな半グレの男だが、可愛いものに目がない。

 今も大きな猫の写真がプリントされた看板の下で、踊るように喜んでいる。

 ジャンプしている際に、タンクトップがめくれあがり、ピンク色のナニかが見えそうになり、思わず目をそらす……。

 

 席内市に新しくオープンしたネコカフェ。

 その名も

『んにゃ!』

 席内店である。

 

 アホそうな店名だ。

 これが全国展開しているという時点で、日本は終わっているな。

 俺が呆れていると、ミハイルが興奮気味に腕を引っ張る。

 

「なぁなぁ、タクト! 早く入ろうよ☆」

 彼の目は一段とキラキラしている。

 宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳。

 俺としては、こっちの子猫を指名したいもんだ。

 

「そんな急がなくても……」

 俺がそう言いかけると、彼の小さな手が口を塞ぐ。

「ダメだゾ! 席内って新規開店すると、じーちゃん、ばーちゃん達がこぞって集まるんだからな!」

「んぐんぐ……」

 唇を開けないため、首を縦に動かしてみる。

 息はできないが、これはこれで心地よい。

 ミハイルの小さくて細い指が、俺の唇に触れている。

 彼の手からは、甘い石鹸の香りがした。

 ハァ~ 香しい。

 

「タクト、席内の店だから、ここはオレに任せておけって☆」

 そう言って親指を立てる。

 いや、あなただって、今日初めて来る店なんでしょ?

 地元は関係ないじゃん。

「ふごふご……」

 未だ、俺は彼の華奢な指と接吻中。

 せっかくだから、一瞬ぐらいペロッと舌を出して、食感を味わってもいいだろうか?

 

「よし。いい子いい子☆」

 ミハイルは満足そうに、俺の頭を撫でる。

 やっとのことで、口から手を離すと、今度は俺の手を握って、店の中に入っていく。

 

 店舗としては、かなり大きな敷地だ。

 席内市の顔と言ってもいい、ダンリブの目の前に開店した。

 旧三号線の道路をまたいで、交番の隣りにある。

 

 ネコカフェだが、それ以外にも猫の販売やいろんな商品を揃えている。

 

 自動ドアが開くと、「んにゃ~♪」と猫の鳴き声が……。

 

 通訳すると、「いらっしゃいませ」でいいんだろうか?

 参ったな。俺はこう見えて犬派なんだが……。

 

 そんな思惑とは裏腹に、隣りに立っているミハイルはテンション爆上がりだ。

 

「んにゃ! 許せない可愛さだな☆」

 身震いを起してまで、喜びをかみしめている。

「良かったな……」

 俺はちょっと引き気味。

 大の男がネコ語使うなんて……好きだ!

 ただ、やるならアンナモードの時でお願いします。

 以前のネコ耳メイドがいいです。

 

 

 俺が悶々としていると、店の中にいた若い女性店員が声をかけてくる。

 エプロンを首からかけていて、肉球のイラストがプリントされていた。

 

「いらっしゃいませにゃん! 初めてのお客様ですかにゃん?」

「あぁ!?」

 思わず、ブチギレてしまった。

 いや、ミハイルは可愛いから許せるんだけど、成人したお姉さんが言うのはしんどい。

 怒ってごめんなさい。

 冷静さを取り戻して、答え直す。

 

「そうです、二人です……」

「にゃーん♪ ありがとうございますにゃーん!」

 ブチ殺してぇ!

 この店の社員は、一体どんな教育してんだ。

 

「あ、これ。チケットをもらったんすけど」

 そう言って、毎々新聞の店長からもらったチケットを二枚取り出す。

「にゃ、にゃ! 株主様だったにゃんごねぇ~」

 日本語で話せよ、クソが。

 しかも、俺は株主じゃねぇ!

 もらいもんだよっ!

 

「いや、職場でもらっただけで……」

 俺がそう説明しようとするが、馬鹿なネコ店員は近くにあったマイクを片手にアナウンスを流す。

 

『株主様が来たにゃんよ~! みんなでおもてなしするにゃ~ん!』

 ファッ!?

 

 なにを言ってんだ、コイツ!

 俺がその店員を止めようとするが、時すでに遅し。

 

 どこから来たのか、俺たちの周りに気がつくと、同じくネコ語で話すおっさんやおばさんが集まってきた。

 

「んにゃ~ん!」

「にゃんにゃん♪」

「フゴロロロ……」

 

 全員、真面目に演じているけど、頭が白髪なんだよなぁ。

 そうか、地元住民の中年しか雇えなかったのか……。

 席内も高齢化社会だものね。

 

「アハハ! カワイイ~☆」

 ミハイルはそのおぞましい光景を見て、なんと喜んでいた。

 これが可愛いんか?

 ウソでしょ……。

 

 

    ※

 

 しばしの洗礼を受けた後、(おっさんとおばさんに囲まれて、ネコ語を連発された)俺とミハイルは、カウンターに連れてこられた。

 お姉さんが言うには、今回店長からもらったチケットで、1時間の利用が無料らしい。

 こんな店に金を使うのは、もってのほかだ。

 タダでよかった。

 

「んにゃ。にゃんこたちのおやつはどうするですかにゃん?」

「あぁ!?」

 いかんいかん、またキレてしまった。

 咳払いして、どういう事か聞いてみる。

「おやつってなんですか?」

「にゃんにゃんは、とっても繊細ですにゃん。シャイな子たちには、コレが一番仲良くなれるグッズにゃん!」

 喋ってて、疲れません?

 仕事のあと、絶対ロッカーとかブン殴ってるでしょ。

 俺だったらこんなクソみたいな職場は辞めますね。

 

 

「つまりオプションですか?」

「んにゃ~」

 ハイって言えよ、こいつ。

 グッと拳を作って、怒りを堪えていると、隣りに立っていたミハイルが俺の腕を掴む。

「なあタクトぉ。オレ、ネコたちにおやつあげてみたい~ ダメェ?」

 そう言って、下から俺を上目遣いする金髪の子猫ちゃん。

 ふぅ……。

 こんなことされたら、財布の紐も緩くなるってもんすよ。

 

「二人分お願いします」

「ありがとうございますにゃーん♪ お二つで1650円ですにゃんよ」

 たっか!

 人間様より、いいもん食ってんじゃねーか。

「あ、はい……」

 仕方なく、金を払う。

 チクショー! 今回のは『デート』じゃないからなぁ。

 あくまでダチとのお遊びだから、担当の白金は経費で落としてくんないよなぁ。

 痛い出費だ。

 

「それでは、お二人様ご入場~♪」

 カウンターに置いてあって、鈴を鳴らす。

 ていうか、今普通に喋ったぞ。

 すでに疲労がピークに達した俺に対し、ミハイルは太陽のような晴れ晴れとした笑顔でこう言った。

 

「ありがとな、タクト☆」

 ま、この可愛い笑顔を見れただけで、お釣りくるレベルか……。

 

 

 

 



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158 カノジョの露出が激しくても、焦りは禁物

 俺とミハイルは、店のお姉さんに連れられて、カウンター隣りの個室に入った。

 3畳ぐらいの小さな部屋で、ドアとドアに挟まれている構造だ。

 奥のドアからは既に猫の鳴き声が聞こえてくる……。

 

 部屋の中には、ロッカーと手洗い場、それに猫用のおもちゃが段ボールにたくさん入っていた。

 

 お姉さんが「貴重品や靴を脱いで入ってくださいにゃんね♪ オプションのおやつを持ってくるにゃん」と説明して去っていく。

 

 言われるがまま、靴を脱ぎ、ロッカーにリュックサックなどを入れ込む。

 錠をかけて、紐つきのカギを手首に装着する。

 ついでに石鹸で手洗いして消毒もしとく。

 なんかあれだな。行った来ないけど、ピンク系のお姉さんに会う前の素人童貞みたい。

 

 これで準備よしと、さっそく、個室の更に奥へと入っていく。

 

 ドアを開いた瞬間だった。

 

「「「ふにゃ~!!!」」」

 

 10匹以上もの小さな猫の大群が一斉に寄ってくる。

 

「な! こんなにいるのか!?」

 精々が3、4匹ぐらいだと思っていたのに。

 ちょっとした動物園じゃないか……。

 俺の驚きとは反して、隣りにいたミハイルは明るい顔でお出迎え。

 

「うわぁ☆ にゃんにゃんがいっぱ~い☆ おいでぇおいでぇ!」

 そう言うと、一匹のマーブル猫を抱きかかえる。

「ん~ん、許せない可愛さだな、おまえ☆」

 嫌がる猫を無視して、頬ずりするミハイル。

 わからんな、ヤンキーのくせして……。

 動物保護団体に入れば?

 

 いかんいかん、俺ってば、たかが小動物に嫉妬を覚えているぜ……。

 だが、男のミハイルでも許せない。

 なんだよ。いつも俺にくっついてくるせに。

 そんなにこのマーブル野郎が好きなのか!?

 あ、メスかオスかは知らんけど。

 

 俺が葛藤していると、それを知ってか知らずか。

 ミハイルが抱っこしていた猫を俺に差し出す。

 

「ほら、タクトも抱っこしてみなよ☆」

「え……」

 

 参ったな、俺は犬派なんだよ。

 そう腰は軽くないぜ?

 

「みゃ~」

 

 なにやら不機嫌そうに俺を見つめるマーブル猫。

 通訳すると、「おい、なにやってんだよ? あくしろよ!」と言っているようだ。

 仕方なく、俺は言われるがまま、そーっと猫をミハイルから受け取る……。

 と、その瞬間だった。

 

「んにゃぁ!」

 

 急に鳴き叫ぶと、毛を逆立てる。

 そして、ピョンとミハイルの手から飛び降りて、部屋の奥へと逃げていった。

 

「……」

「アハハ……恥ずかしがり屋さんなのかな?」

 苦笑いでフォローするミハイル。

 いいよ、俺は猫にすら嫌われるぼっちだってことを再確認できたのだから。

 

     ※

 

 先ほどの個室と違い、この部屋はかなり広い。

 自宅のリビングより奥行きがある。

 テレビに本棚、ソファー、クッション、テーブル。

 なんだよ、やっぱり人間様より快適な暮らしじゃねーか。

 よし、俺が転生したら、この店に就職しよう。

 

 ミハイルは床に座り込み、釣り竿のような猫じゃらしを持って、何匹かの猫たちとお戯れ。

「ほらほらぁ~ こっちだゾ☆」

 楽しそうで何より。

 

 当の俺はと言えば、ふてくされて、長いすに腰を下ろしている。

 ふと、隣りを見ると、小型の冷蔵ショーケースがあることに気がつく。

 ガラス製だから、中が外からでもよく見える。

 小さな缶の飲料がたくさん入っていた。

 上には『ドリンクバーです。何杯でもどうぞ』とポップが貼ってあった。

 

「ほう、これはいいな」

 

 やることもないし、猫も俺になつかない。頂くとしよう。

 ちょうど、俺の好きなコーヒー『ビッグボス』がある。

 一本取り出して、プシュっと音を立てる。

 香りを楽しみながら、一息つく。

 

 すると、なぜかそれまで俺をガン無視していた猫たちが、一斉に集まってくる。

 

「「「みゃお!」」」

 

 飛び掛かるように、足もとにくっつく。

「な、なんだ!?」

 俺がなにか悪い事したか……。

 困惑している俺にミハイルが声をかける。

 

「あ、タクト! コーヒーを飲みたがっているんだよ! あげちゃダメだからな!」

 そういう事か……。

 卑しい奴らめ。

 誰がやるか!

 これは人間様のコーヒーだ。お前ら下等生物にくれてやる飲み物はない!

 水でも飲んでおけ!

 このごくつぶしが。

 

 俺は近寄ってきた猫たちを睨みつつ、ゴクゴク飲み続ける。

 まったく、なんで俺がミハイルに怒られないといけないんだよ。

 

 そうこうしていると、先ほどの店のお姉さんが部屋に入ってきた。

 手に小さな皿と棒付きのキャンディーを持っている。

 

 なるほど、オプションのおやつか。

 あれが、1650円。

 行った来ないけど、キャバ嬢に貢いでみるたいで嫌だな。

 

「さあおやつの時間ですにゃーん♪ どちら様がクッキーをあげますにゃん?」

 と言って、小皿を俺に向けて見せる。

 

「ああ……ミハイル。どうする?」

 正直、俺はどうでもいいので、彼に振る。

「オレ、クッキーがいい☆」

 嬉しそうに手をビシッと上げる。

 そんなに俺より、猫と遊ぶのが楽しいのか……。

 んだよ、なんか俺が金払ってんのに、ホストと遊んでるみたいだぜ。

 行った来ないけど……。

 

 自ずと残った棒付きキャンディーが俺に手渡される。

「ハイ、アイスは株主様の方ですにゃんね♪」

 誰が株主だ、クソがっ!

「あ、これアイスなんですね……」

 手に持つと冷たいことを確認できた。

「そうですにゃんよ♪ にゃんこに上げるときは、お腹を壊さないようにゆっくりあげてくださいにゃん」

「は、はぁ……」

 知らんがな。

 

 お姉さんはそう注意すると、また部屋から出て行った。

 

 どうしたもんかと、俺はアイスキャンディーを手に固まっていた。

 これ……どうやってやればいいんだ?

 しばらく、アイスとにらめっこしていると、ミハイルが叫ぶ。

 

「タクト! 自分が食べちゃダメだからな! にゃんこたちにあげろよ!」

 また怒られちゃったよ……。

 しかも、食うわけないだろ。

「りょ、了解……」

 

 視線を床に下ろすと、一匹の猫が俺に向かって鳴いていた。

 

「んにゃ~お」

 

 誰かと思えば、さっき俺が抱こうとした時、嫌がったマーブルさんじゃないですか。

 今頃、なんだよ。人のダチに手を出しといて……。

 

「んにゃ~お」

 

 なにかを必死に訴えているみたいだな。

「あ、これか」

 どうやら、アイスキャンディーを欲しがっているようだ。

 仕方ないので、この猫にあげるとしよう。

 

 マーブルさんは、どこにも行く気配がなく、床にずっしりと座り込んでいる。

 このアイスが好きみたいだ。

 そして、ネコカフェでは上位種のようで、マーブルさんが俺のところに来てから、他の猫たちが一歩引き下がる。

 コイツ。この店のボスか……。

 よく見ると良い面構えだ。

 気に入った。

 にゃんこ博士! 俺はキミに決めた!

 

 そう決意すると、恐る恐るアイスをマーブルさんに向ける。

 爪で引っかかれたり、鋭い牙で襲い掛かるかもしれんからな……。

 

 だが、俺の思惑とは裏腹に、マーブルさんは大人しく小さな舌を出す。

 そして、アイスを美味そうにペロペロとなめまわす。

 なんてこった!?

 

「カワイイ……」

 

 俺のミハイルを寝とろうとした泥棒猫だというのに、なんという圧倒的な可愛さ!

 

「み~」

 

 目をつぶって嬉しそうにアイスキャンディーをしゃぶっている。

 

「はっ!?」

 

 気がつくとマーブルさんは俺の膝に前足をかけていた。

 別に意識してやったわけじゃないが、アイスはちょうど俺の股間あたりにある。

 そして、延々となめ回されるこの光景……。

 

「みゃ、みゃ……」

 

 ゴクッ。

 似ている、あのプレイに……。

 クソッ! 俺は犬派なんだ。

 だが、マーブルさんの可愛さにヤラれそうだ。

 

「みゃ、みゃ……」

 

 そう言い続けて、俺のアイスを誰にも渡すまいと食い込んでくる。

 他の猫が近づくと、「フゴロロロ!」と威嚇する。

 そうかそうか……そんなに俺が好きかぁ。

 愛い奴め。ちこう寄るが良い。

 

 ついに俺にもモテ期、キターーー!

 

 

 

 

   



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159 寸止めを極めると、漢になれる。

 尚もマーブルさんは俺のホットキャンディー……ではなかった、アイスを堪能中だ。

 時折「みゃーん」と可愛らしい鳴き声を上げて、舌先でペロペロする。

 くっ! 可愛すぎだろ……お持ち帰りしてぇ。

 

「猫もいいもんだなぁ」

 そう呟くと、ミハイルが満足そうに頷く。

「だろ☆ オレもにゃんこにおやつあげてみよっと☆」

 ミハイルは床にお尻をつき、ぺったんこ座りしていた。

 えぇ、男であの座り方してるやつ、初めて見たわ。

 

「ほらほらぁ☆ 今からクッキータイムだぞ~ おいでぇおいでぇ!」

 そう手招きすると、散らばっていた猫たちが一斉に集まる。

 

 だが、俺の嫁……じゃなかったマーブルさんは、振り返ることもせず、アイスを食べている。

 さすが、ここのボスだな。

 愛着がわいたので、この天才作家が名前をつけてやろう。

 そうだな、マーブル猫だから、マーラーちゃんってのはどうだ?

 

「なぁ、マーラーちゃんよ?」

 俺がそうたずねると、猫はこう言う。

「みゃあ~」

「そうかそうか、気に入ったか。もっとしゃぶっていいんだぞ? マーラーちゃん」

「んみゃ」

 うむ、癒されるなぁ。

 この空間、好き。

 ネコカフェ、けっこういいじゃない。

 

 そう思いにふけていると、何やら部屋の奥が騒がしい。

 ミハイルの甲高い叫び声が、壁に響き渡る。

 

「イヤァッ!」

 

 俺はビックリして、思わずアイスキャンディーを床に落としてしまう。

 ミハイルの方に視線をやると、そこには驚愕の光景が……。

 

「あんっ! ダメだってぇ! 待ってよぉ! ん、んん!」

 

 猫の大群に金髪の美少女が襲われとる。

 違った、男の子だった。

 

 おやつのクッキーを皿からこぼしたようで。

 彼の身体中に、小さなエサが付着している。

 それ目掛けて猫たちが、集団で飛び掛かった。

 

「んみゃ~」

「チロチロ……」

「フゴロロロ」

 

 猫たちはミハイルのことなどお構いなしに、彼の身体をなめ回す。

 白くて柔らかそうな素肌を、小さなピンク色の舌先で味を確かめる。

 その度に、ミハイルは声を荒げる。

 

「あぁん!」

 

 俺は童貞だ。

 わかっているつもりだった。

 しかし、なんなんだ。これは?

 相手は男の子だってのに、女以上のいやらしい声をあげやがる。

 

「んんっ! もうっ! いい加減にしないと怒るゾ!」

 

 そうは言うが、相手はか弱い小動物だ。

 しかも、彼がなによりも好きなカワイイ生き物、ネコ。

 伝説のヤンキーと言っても、人の子。

 手を挙げたりはしない。

 

 頬を赤くして、吐息をもらす。

 

「ハァハァ……もうダメッ」

 

 俺はただその光景をボーッと眺めていた。

 口を大きく開き、悶えるミハイルを見て自分の中に眠っていた何かが、目覚めそうだからだ。

 この感覚……俺は一体どうしたんだ?

 助けるべきなのだろうが、身体が動いてくれない。

 頭では理解しているはずなのに、心が俺を止めてしまう。

 

 気がつけば、猫の一匹がミハイルのタンクトップの中に潜り込む。

「ひゃっ!」

 それに驚いた彼は、床に倒れ込んでしまった。

 仰向けのまま、猫に身体を許す。

 

 無抵抗なミハイルをいいことに、猫たちは更に勢いをつける。

 

「「「んにゃ~」」」

 

 タンクトップの裾がめくれあがった。

 もう少しで、ミハイルの大事なところが見えてしまいそう。

 俺はそれをいいことに、目に焼きつける。

 こんなエッチなシーンを生で見れることは、童貞の俺にはきっと二度と起きないだろう。

 脳みそのHDDに保存だ!

 

「あっ……いやっ! そこは、らめっ…」

 

 気がつくと、ミハイルの目には涙が浮かんでいた。

 なんてこった。

 俺は寝取られものが嫌いだ。

 だが、相手は猫だ。動物、ドーブツだよ。

 ノーカウント、マブダチの俺が許そう。

 

 タンクトップに潜り込んだ猫はどんどん上へとあがっていく。

 それにつれ、ミハイルの息が荒くなり、聞いたこともないような声で叫ぶ。

 

「あぁっ! らめらって言ってんのに……はっ!」

 

 その瞬間、彼の目が大きく見開いた。

 涙で潤ったエメラルドグリーンの瞳が輝く。

 身体を大きくのけぞり、つま先をピンッと伸ばす。

 頬は紅潮し、小さな唇から唾液を垂らしている。

 彼はしばしの間、固まっていた。

 

「……」

 

 ミハイルの異変に気がついた猫たちはビックリして、一目散にその場を逃げ去っていく。

 

「んっ……」

 

 ひきつけを起こしたかのように、彼の身体は固まっている。

 どうやら、猫の一匹がエサと間違えて、ミハイルのナニかをなめてしまったようだ……。

 恐らく、彼も初めての経験なのだろう。

 俺だってないもん!

 

 パタッと音を立てて、背中を床に下ろす。

 止めていた息を吐きだす。

 

「はぁはぁ……ひどいよ、みんなして……」

 

 泣いていた。

 集団で犯されたようなもんだからな。

 

 一応、フォローしておこう。

 

「だ、大丈夫か? ミハイル……」

 

 声をかけると、彼はめくれあがったタンクトップを直し、ゆっくりと起き上がる。

 いわゆるお姉さん座りで、背中で息をしている。

 猫になめ回された肩や太ももが、唾液で光って何ともなまめかしい姿だ。

 

「なんで、止めてくれなかったの?」

 

 上目遣いで、泣き出すミハイル。

 かわいそうなことをしてしまった。

 だが、見ていたかったんだ……そう言うと怒るよね?

 

「す、すまん。俺もビックリして……」

「グスン……身体中、びしょびしょだよぉ」

 

 艶がかった白い肌が何とも美しい。

 濡れているからこそのいやらしさ。

 このまま直視していると、今度は俺が襲っちまうそうだ。

 

 機転を利かせ、近くにあったタオルケットを手に取る。

 そして、俺は優しくミハイルに話しかける。

 

「ほら、これでふいたらどうだ?」

「ひくっ……うん。ありがと」

 

 猫の毛だらけのタオルで、濡れた身体をふく。

 罪悪感でいっぱいになった俺は、ふと後ろを振り返る。

 マーラーちゃんが、こっちには目もくれず、相変わらずアイスキャンディーをペロペロとなめていた。

 さすが、ボスだ。貫禄が違う。 

 

 そうこうしていると、店のお姉さんが部屋に入ってきて、利用時間の終了を告げる。

 帰る前に俺が、お姉さんに質問する。

 

「すいません、この子。いくつですか?」

 マーラーちゃんを指差して。

「あぁ、まーくんですかにゃん? 2歳ですにゃんよ」

「え……オスだったんすか?」

「はいにゃん♪ 立派なモノがついてますにゃんよ~♪」

 そう言って、マーラーちゃんを抱きかかえると、股間を見せてくれた。

 俺よりもデカい……。

 

「んみゃ~!」

 

 完敗です、負けました。

 あなたのことは今度からマーラー皇帝とお呼びさせていただきます。

 

 

 こうして、初めてのネコカフェ体験は終わりを迎えたのである。

 ミハイルには悪いが、俺だけが癒されてしまった。

 

 

 店を出て、旧三号線の道路をとぼとぼと歩き出す。

 

「なんか色々大変だったけど楽しかったな、タクト☆」

「う、うん……」

 先ほどのなまめかしい姿をフラッシュバックしている俺は、ミハイルに視線を合わせることができない。

「タクト? 可愛かっただろ、にゃんこたち?」

 俺の顔を下からのぞき込む。

「うん、すごく……」

「来て良かった☆ また今度遊びにいこうな☆」

「ぜひともお願いします……」

 

 なぜか前のめりで歩く俺だった。

 

 

 



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閑話 なぜ新宮 琢人は作家になったのか
160 はじまりのはじまり 161 ワン切りでもいいよって言われて、するわけないだろ


160 はじまりのはじまり

 

 この天才。

 新宮 琢人様が、なぜあんなおバカさんたちのガッコウに入学したのか……。

 

 それは俺の仕事にある。

 一ツ橋高校への入学も俺の仕事のために入ったようなものだ。

 今更……俺はガッコウなんてもん、必要ない。

 そう思っていたのに、あのクソ編集のせいで……俺は騙されたのだ。

 被害者と言ってもいい。

 俺はこの春から晴れて高校生という身分を得たのだが、その前に社会人だ。

 

 未成年ではあるが、仕事は二つ抱えている。

 一つは新聞配達。朝刊のみを生業としてもう6年も続けている。

 

 そして、二つめは小説家だ。

 別になりたくてなったわけではないのだが、オンライン小説を小学生からやり始め、俺の小説は一部のファンからは人気を得ていた。

 

 そんなコアなファンが勝手に出版社へ打診し、今のクソ編集から連絡があった。

 

「センセイの小説を本にしてみませんか?」と……。

 

 これが全ての間違いだった。

 

 

161 ワン切りでもいいよって言われて、するわけないだろ

 

 

 今から遡ること四年前、俺が中学二年生の夏だ。

 

 正直、オンライン小説は趣味の一つであり、ライフワークにすぎない。

 

 もちろん根強いファンがついてくれたことは感謝の極みだ。

 だが、出版となると抵抗があった。

 その理由は金だ。

 

 金が関わると色々と面倒だ。

 趣味の範囲内なら何も考えず、自分の書きたいものだけ書けばいい。

 正直、それが楽しかったのに、編集にいろいろと口を挟まれるのは俺の美学に反する。

 それでも俺の自宅には毎日電話がかかってきた。

 

 

『もしもし、先日もお電話しました。博多社の白金と申します』

「興味ない」

『え?』

 ブチッ!

 

 次の日……。

 

『あの! 博多社の……』

「死ね」

 ブチッ!

 

 また次の日……。

『あのぉ、白金ですけどぉ……』

「コノ、デンワバンゴウワ、ゲンザイ、ツカワレテオリマセン……」

『いや! ごまかされませんよ!』

 ブチッ!

 

 

 それが連日だ。ストーキング行為はやめてもらいたいものだな。

 だが、ある日、タイミング悪くして母さんが電話に出てしまった。

 

「あ、はい? 出版社の方ですか? え、うちのタクくんがですか? まあまあ……」

 母さんの眼鏡からは、輝きを感じる。

「ではお日にちはどうします? はい、はい……。わかりました、タクくんに伝えておきます」

 受話器を切ると共に、母さんの眼鏡が輝きを増していく。

「タクくん、今日はお赤飯を炊きましょうね♪」

「いや、俺は女の子ではないぞ」

 

 そう。周りの大人たちの思惑で勝手に作家デビューしたにすぎないのだ。

 不本意ながら……。

 



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162 合法ロリおばさん 163 大人の境界線は身体の成長で……

162 合法ロリおばさん

 

 

 あれから二週間後。

 忌々しき『クソ女』と出会うこととなった。

 

 俺は天神に来ていた。

 福岡県福岡市における繁華街、中心部とも言える天神。

 天神なぞコミュ力、十九の俺には無縁の地だ。

 だってリア充の街だからな。

 

 指示された場所に辿りつくまでに一時間もかかった。

 母さんから借りた地図を見ながら、同じ場所をグルグルと周り、右へ左へ……「あれ? さっきと同じでは?」が何度も続き、やっとのことだ。

 

 天神はたくさんのビルで連なっているが、目の前のビルは一際目立つ。

 ビルの壁一面が銀色に塗装されており、鏡のように日光が反射し、下にいる俺はそれを直で食らっている。

「悪魔城……」

 

 そう呟くと、自動ドアが開く。

 すぐに目に入ったのは白い半円形の机、の上に花瓶。

 後ろには、これまた白い制服をきた受付のお姉さんがいた。

 

「こんにちは、本日はアポを取られていますか?」

「アポなら勝手に強引に取られました。それよりも白金とかいうアホな女いますか?」

 

 お姉さんは引きつった顔で「ア、アホ? し、白金ですね。少々お待ちください……」

 アホで通ったぞ。やはり社内でもそういう認識なのだろうな。

 

「クソ。なんで、この俺が……」

 俺はわざと聞こえるような舌打ちをした。

 それを聞いた受付のお姉さんはあたふたしている。

 

 別に俺の顔は特段、悪役面ではない。

 性格が若者にしては落ち着きすぎて、その表情は女子曰く「十〇代に見えない~♪ ウケる~♪」

 何がウケるんだ? 俺は顔芸などしていない。

 

 だから、普段から黙っていると「何を考えているわからない」「不審者」しまいには「キモい、死んで」と女子に言われる始末だ。

 なので、俺がイラつき沈黙さえすれば、その独特なオーラを受けた相手はキョドッてしまうらしい。   

 キモいのだよ、きっと。

 特に独身の若い女に、こうかはばつぐんだ!

 

 しばらく待っていると……。

「おっ待たせしました~」

 と、ピンク地に白いドッド柄のワンピースを着たツインテールのロリッ娘が現れた。

 

「誰だ、お前」

「え?」

 そう、これがクソ担当編集、白金 日葵との初めて出会った忌々しき日であった。

 

 

 

163 大人の境界線は身体の成長で……

 

「誰だ、お前」

「え?」

「ここは子供の来るところじゃない。早く小学校に帰りなさい」

 と俺は優しさから、少女を外へと追い出そうと背中を押す。

「ちょ、ちょっと待って!」

「うるさい、ママに言いつけますよ」

「イ、イヤー!」

 俺と少女が自動ドアの前で来ると、受付のお姉さんが立ち上がった。

 

「あ、あの! そのちっこい人が白金です!」

「え……このガキが?」

 俺は足元にいる未知の生命体を指さす。

「ガキとは失礼ですね! これでも私は成人した立派なレディーですよ♪」

 そういって、自称成人ロリッ娘はウインクしてみる。

 低身長で一三〇センチもないだろう。俺はこんな成人女性をこの世で見たことがない。

 

「お前が俺より年上だと言いたいのか?」

「ええ、そうですよ。新宮 琢人くん」

 えっへんと偉そうに両腕を組む。

 

「じゃあ証拠を見せろ」

「え? 証拠?」

「そうだ、成人しているんだろ? もう第二次性徴は終えたのだろう? なら俺に見せてみろ」

 俺がそう吐き捨てると白金は顔を赤らめて、自身の胸を両手で隠す。

「な、なにを言うんですか!? 女の子におっぱいを見せろなんて! あなたは変態さんですか!?」

「そんなことは自覚している。だが、お前の胸は貧乳とも呼べない。俺が見たい『大人の証拠』とは俗にいうおっぱいではない」

「じゃ、じゃあなんですか?」

 白金が息を呑む。

 

「そんなもの決まっているだろうが。お前の股間。草原を見せろ」

「なっ!」

 ボンッと音を立てて、顔が赤くなる。

「ほらどうした? 成人女性なら草が生えているのだろ? ちなみに俺は小学四年生の時、既にフサフサだったぞ?」

 俺は自慢げに自身の股間を押し出した。

 

「そんなもの見せられるわけないでしょ! バカ!」

「ほう……ならやはり俺はお前をただのクソガキと認識するぞ」

 白金は「ぐぬぬ」と悔しげそうにこっちを睨んでいる。

「み、見せればいいのね……」

「フン、だろうな」

「じゃあ……しかと見なさい!」

 そう言って、彼女はワンピースの裾を豪快にたくし上げた。

 俺の瞳に映るのは今時、小学生も履かないようなクマさんパンツ。

 それを見た俺は鼻で笑う。

 

「やはりガキだな」

「本番はこれからよ。み、見てなさい!」

 涙目でパンツに手を掛けようとしたその時だった。

 

「ストーップ!」

 

 受付のお姉さんがデスクから飛び出し、俺と白金の間に入った。

 

「白金さん! あなたバカでしょ!?」

「だ、だって……この子が私のこと……」

「だってもクソもありません! 子供相手にむきになって……あなた大人でしょ?」

 

 まるでダダをこねる子供を、お母さんが説教しているように見える。

 ちなみに、白金の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。きったね。

 

「あ、あなた……私の裸が目的だったの!?」

「お前の裸なんぞに興味などない。俺は物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない性分でな。だから、お前みたいなわけのわからん生物は正直言って……キモい」

「う……うわ~ん!!!」

 泣いたぞ、これ。やっぱどう見てもガキだろ。

 

「ちょ、ちょっと、白金さん! 泣かないでよ、もう……」

 受付のお姉さんは泣きわめく迷子を慰めるように、白金の頭をさすっている。

 なにこれ、なんの喜劇?

 

「おい、俺はこんなバカに呼び出されたのか? 十代の貴重な青春時間だぞ? もう帰っていいか?」

 そういって踵を返すと、小さな手が俺を止める。

「そ、そうはいかないんだからね、えっぐ……」

「たまごならスーパーで買え。俺の近所のスーパー『ニコニコデイ』がおすすめだ」

「そんなの、いらんもん! 私は仕事のお話がしたいの!」

「ほう、この天才の俺とクソガキが仕事の話ねぇ」

 俺が笑みを浮かべると、白金は「バカー!」と言ってポカポカと殴りかかってきた。

 

「受付のお姉さん、らちがあきませんよ。俺、もう帰っていいですか?」

「あ、いや、ちょっと待ってね……コイツを大人しくさせるから……」

 受付のお姉さんですら、『コイツ』呼ばわりか……。

 

 しばらく待つこと数十分。

 お姉さんにアメとムチで説教された白金は、瞼を大きく腫らせて戻ってきた。

 

「あ、あの、こちらから呼び出したのに……取り乱して申し訳ございませんでした」

「さすが、大人様だな。気持ちのいい謝罪だ」

 



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164 親にだけはバレたくない

 

 白金は唇を噛みしめながら、エレベーターのボタンを押す。

 

「あの、なんで私のこと……外見を、そんなに疑ったりしたんですか?」

「さっきも言っただろ? 俺は白黒ハッキリさせないと気が済まないんだ」

「そうですか……じゃあ、ハッキリしたので、私のこと大人っぽいとか思いました?」

 目を輝かせて、俺を見上げる未知の生命体。

 

「全く持って思わん。ただ、お前に対する第一印象は……」

「うんうん、きっとカワイイ! とか、キレイ! とか、彼女にしたい! とか……」

「キモい」

「……」

 ひと時との沈黙をチーン! とエレベーターが目的の階についたことを知らせる。

 

 

「ふん! じゃあ、こっち来てください」

 『ゲゲゲ文庫 編集部』とある。

「ゲゲゲ文庫? 聞いたことない名だ」

「ええ? 琢人くんって14歳でしょ? ライトノベルとか読まないんですか?」

「ライトノベル? ああ、なんか童貞に媚を売りまくりのイラストでどうにか売れている紙切れのことか」

「……いま、なんて言いました?」

 この時ばかりは、彼女から凄まじい殺意の波動を感じ、それ以上は持論を持ち出すことはなかった。

「いや、忘れてくれ」

「そうですかぁ」

 満面の笑みで俺を見上げる白金。

 きっしょ!

 

 

「これが漫画とかでよく見る打合せ室か」

「えっへん! カッコイイでしょ?」

「いや、お前のことではない」

「むぅ。そこは素直に喜んでいいじゃないですか!」

 イスに座るように促され、白金はポケットから小さなケースを取り出し、自己紹介をはじめた。

 

「えー、改めまして、私、ゲゲゲ文庫担当の白金 日葵です。よろしく、センセイ♪」

 眼もとでピースしてウインク。

 こいつの決めポーズか。

 

「キモいから、一々ウインクなぞすんな」

「かわいいって思ったくせに~ 嬉しいくせに~ 素直じゃないんだから、センセイは~」

「担当をチェンジで」

「うちはそういう店ではありません!」

 言いながら、白金は名刺を俺に差し出した。

 確かに博多社の社員であり、ゲゲゲ文庫の担当編集だ。

 

「その先生というのはやめろ。俺はこういうものだ」

 お返しに中学校の学生証を見せる。

「いやいや、そんなの見ればわかりますし、センセイの本名は存じ上げております」

「そうか。だが、俺はまずこの……詐欺めいた話。出版だったか? 訳がわからん、それを説明しろ」

 ガキ相手だと、偉そうになってしまうな。

 

「あのですね……さっきから年上に対して、偉そうですよ。私こう見えて二十四歳ですからね♪」

 24歳? こいつがか? 嘘こけ。

「お前がか?」

「はい♪」

「キモッ……」

「……」

 ジト目の白金を無視し、本題に戻す。

 

 

「大体、なぜ俺の本名や住所、それに電話番号まで知っている? あれか、出版社は個人情報を売買しているのか」

「んなわけないでしょ! まあそれについてはなんというか……」

 どうも歯切れが悪い。

「ほれ見ろ、やはりやましいことでもあるんだろ」

「ないです! その……匿名のファンの方から推薦があったんですよ」

「推薦?」

 俺は推されるほどのアイドルではない……。

 

「はい、センセイはオンライン小説で作品をずっと投稿されていますよね?」

「ああ。もうやり始めてかれこれ4、5年はな」

 母さんにバレないようにコツコツと……。

 だが、腐女子の力とコネクションには恐れ入る。

 投稿し始めて、3日でバレた。

 

 

「一人の熱烈なファンの方からご連絡があり、センセイの作品をぜひ出版してほしいと……」

「……なるほど。だが、それと個人情報にどうつながる?」

 俺がそう核心を突くと、白金の額は尋常ないほど汗が流れている。

 おかしいな……もう俺はこのビルに入ってから、エアコンがガンガン聞いている部屋にいるせいか、汗なんざ乾いたぞ。

 

「そう来ましたか……」

「あれか? 探偵まがいのことして、俺の家の近所を徘徊……ストーキングしていたのか?」

「だからそんなことしませんってば!」

 白金が机を叩きながら、身を乗り出す。

 

「その……本当にその個人情報の件については申し訳ないと思ってます……」

 乗り出した身体を戻し、しゅんとした顔でうつむく。

「何か事情があるのか?」

「ええ、実はその匿名のファンは、センセイの個人情報を事前に入手していました」

「なにそれ、こわっ!」

「でしょ? ですから、このことはご内密でお願いします」

 そう言って、白金は神頼みするかのように俺に手を合わせる。

 俺はため息をついて、彼女の両手を膝に戻すように促した。

 

 だが、一体誰が俺の個人情報を流した?

 家族はありえない、友達なんざもう何年もいない。

 クラスメイトか? それともバイト先か?

 いくら考えてもわからん……。

 

 

「まあお前の言い分はわかった。だが、なぜファンの一声だけで、俺の作品を出版することになるんだ?」

「それがセンセイの作品はなんというか……ごくごく一部のファンにはすごく人気があるのですが……」

 聞き捨てならんセリフをサラッと吐きやがったな。

 

「私もセンセイの作品を読んだところ、何が面白いのかさっぱりわかりませんでして……」

 苦笑いがちょっとリアルに傷つく。

 ムカつくがこいつは仮にも出版社の編集だ。

 プロからの意見を初めて聞いたこともあって、グサッと刺さるものがあるのな。

「ふん、お前のようなクソガキに、俺の崇高な作品の面白さがわかってたまるか」

 虚勢でもここは対抗しておかねば。

 けど、胸のハートはズタボロ……泣きそう。

 



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165 スカウトなんて、夢物語

 

「ふん、お前のようなクソガキに、俺の崇高な作品の面白さがわかってたまるか」

 わざわざ天神まで来たのに、ボロカス言われるとか……。

 児童虐待で訴えてやりたいわ!

 

「ええ、センセイの言い分はごもっともです。編集部でもごく僅かですが……センセイの作品にすごく惹きつけられた人もいるんです」

 ごく僅か……なのがムカつくが、まあ良しとしよう。

「ほう。やはりお前のようなクソガキではなく、大人様はよくわかっていらっしゃる」

「だ~か~ら、そういうことを言いたいのではないです!」

 左右のツインテールを獅子舞のように振り回す。キモいからやめろ。

 

「つまり?」

「センセイの作品は極端すぎるのです」

「……?」

 白金はキモいほどに、童顔で小学生の女児にしか見えないのだが、その時だけは立派な大人の鋭い眼をしていた。

 

「センセイの作品は、主に暴力を題材とした作品が多いですよね」

「フッ、まあな。俺は『世界のタケちゃん』の崇拝者だからな」

 世界のタケちゃんとはお笑い芸人でありながら、映画監督である。凄まじい暴力描写とその美しい映像に定評のあるお方だ。

 

「ハァ……いわゆる中二病ですね」

「はっ? お前、俺の作品に文句つけるのはいいが、タケちゃんの映画をバカにしたら許さんぞ」

 タケちゃん、誹謗中傷。ダメゼッタイ!

「そこにこだわっているのが、中二病特有の症例ですね」

 え、俺って入院したほうがいいの?

 どこか、中二病の病棟とかありますかね……。

 

「だが、俺にも一定数の読者がいるのだろう? その人たちがいなければ、この場もなかったわけだ」

「まあそれに異論はありませんが、先ほども言った通り、センセイの過激すぎる暴力描写、表現はライトノベル界ではあまり受け入れられない傾向があります。今はどちらかと言うと、夢がある異世界ものとか……」

 そのワードを聞いて、俺は鼻で笑う。

 

「異世界だ? あんなものはただの現実逃避だろ? 死んでまで、手に入れたいとは思わんな。自殺願望が強すぎるんだ……。現実世界で何かを成し遂げろ!」

 だから、あなたも生きて!

「そんなの、流行なんだから仕方ないでしょ!」

 机をバシンと強く叩いて、怒りを露わにする白金。

 

   ※

 

「ならば、なぜこの天才の俺がライトノベルの担当に呼び出される?」

「それが他の作家さんや下読みさんに読ませたら、半数の作家さんたちが声を揃えて『おもしろい!』と言うのです」

「ふむふむ、さすが大人作家さんたちだな。よくわかっていらっしゃる」

「しかも必ず『他の作品はないのか?』と皆さん、しつこく聞いてくるんですよ……めんどくさ!」

「お前……最後のわざとだろ?」

 人が気持ちよく聞いていたのに、クソがっ!

 

「……つまり、これはある種、我々編集部の賭けでもあります。センセイの作品をおもしろくないという人は大半ですが、一部の読者はセンセイの作品に一度ハマるとそこから抜け出せないくらい、のめり込む魅力があります。ですので……どうか、センセイの作品をオンラインに留めることなく……私たちで『紙の本』にしませんか!」

「……」

 

 悪い気分ではなかった、大勢の大人たちが俺の作品を読み、皆が「おもしろい」と言った。

 少しだけど……。

 だが、この趣味は俺のものだけであり、それを販売すれば、読者や編集部の気まぐれで作品のクオリティが下がってしまうリスクもある。

 

 迷っていた。

 でも、誰かの手のひらが俺の背中を押そうと必死に感じる。

 俺と一緒に数年間、歩んできた小説。

 読者のみなさんだ。

 

 

「センセイ、ダメ……ですか?」

 

 そう、この呼ばれ方も心地よい。

 齢十四にして、大の大人(クソガキだが)が俺のことを『センセイ』と呼ぶ。

 

 

「おもしろい……」

「え?」

 俺は気が付くとその場で「ハハハハハ!」と高笑いしていた。

 その大声に、編集部の社員たちから視線が集まる。

 

「あ、あのセンセイ? 何がおかしいんですか?」

「いや、すまん……これが笑わずしていられるか、ハハハハハ!」

 白金は首をかしげて、俺を見つめている。

 

 覚悟なら決めた。

 

「いいだろう、今日から俺は『センセイ様』だ。お前の会社で出版させてやろう」

 偉ぶった発言に、白金はジト目でしらける。

「その話し方、辞めたほうがいいですよ……中二病満載ですし、それに出版するのって、たくさんの大人やお金が動くんですから」

「俺のために、人材や金をとくと使うがいい」

「いやいや、本当に皆さん狭き門に向かって、頑張っているんですよ? センセイみたいな人、初めてです……」

 

 



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166 小説よりもイラストの方が強い

 

 呆れ顔で白金は用意していたと思われる茶封筒を取り出した。

 中から数枚のイラストが机に並べられた。

 

「うちの看板イラストレーターさんたちです。どの方とタッグ組みたいですか?」

「タッグ? 俺はプロレスなんて知らんぞ? せいぜいが『ヒキ肉マン』の王位争奪戦ぐらいしか知らん」

「いや、範囲狭すぎでしょ」

「仕方ないだろ、この文豪でもある天才の俺はスポーツなぞ一切せん! 万年、帰宅部だぞ」

 帰宅部と言う名のエース。

 

「意味が違いますよ……さっきも言った通り、うちはライトノベルです。ですから、表紙はこういうイラストレーターさんにご協力していただくのです」

 並べられたイラストと呼ばれるものは全て女の子が全面に出ており、肝心の主人公はほぼヒロインの背後にいる。

 女の子の肌の露出が多く、巨乳が多く、パンチラが多く、萌え要素が多く、オタクが書いたオタク読者のための小説となるのだろう。

 

「おい、なんなんだ。これは?」

「え? 気に入りませんか?」

「気に入るもなにも、肝心の主人公がほとんどモブと化しているではないか」

「まあ仕方ないですよ。ターゲットとしている読者さんは先生のような中二病を患った患者さんですし……」

 おいサラッと読者をディスったぞ、こいつ。

「それにセンセイだって本屋さんで可愛い女の子のイラスト並んでたら、目に留まりやすいでしょ?」

 

 悔しいぐらい正論だ。

 この前なんか本屋で表紙に釣られて、売り場を歩いていたら少女マンガコーナーにたどり着いてしまった。

 あの時の、女子たちの「てめぇ、男が来ていいとこじゃねーんだよ!」オーラは半端なかったな……。

 

「う、まあ確かに『かわいいは正義』に異論はない。だがな、俺の作品は基本、男に媚びた作品は書いてない。全員、男が主役だ。モブも込めてな」

 ホモじゃないよ?

「確かにそうでしたね……どうしましょ?」

「じゃ、この話はなかったことで!」

 そう言って俺が席から立ちあがると、白金が俺の手にしがみつく。

「ちょ、ちょっと待って! 良いイラストレーターさん捕まえますから!」

「この天才を唸らせるような画家などいるか!」

 俺たちが大声で押し問答していると、エレベーターが開く音がした。

 

「あ、白金さん。今回のは自信ありますよ!」

 

 その一声で俺は動きを止めた。

 なぜならば、目の前に現れたのが人間ではないからだ。

 そう言葉を発する生き物は眼鏡をかけた巨大な豚だ。

 

 いやいや、落ち着くのだ琢人よ……人生で一日に二回も未知の生命体と出会うものか。

 

「トマトさん! 良いところに来ました!」

「トマト?」

 

 そう呼ばれた豚は、汗をだらだらと流し、萌え絵のハンカチで額を拭いている。

 汗で濡れたシャツは大雨に打たれたようにびしゃびしゃ、肌が透けて乳首まで丸見えだ。

 これって、なんの拷問?

 

 俺の前を通り過ぎる豚が、白金にたずねる。

 

「白金さん、この少年は?」

「あ、この方はつい先ほどデビューが決まった作家さんです」

 勝手に決めるな!

「これはこれは……小説家の方でしたか。私、イラストレーターやってます、トマトです」

 

 トマトだと? お前には到底、似合わないペンネームだ。トマトに謝れ。

 せいぜい、お前が似ているのはそのフォルムだけだ。

 そんなにトマトが好きなら毎日リコピンだけ摂取しまくって痩せろ!

 だが、見るからにここにいるクソガキの白金とは違い、年上に見える。

 ここはそれ相応の対応をせねば……。



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167 ペンネームのつけ方は、慎重に……。

 

「はじめまして、俺は新宮 琢人です」

 立ち上がるとしっかり頭を深々と下げる。

 

「ええ! なんでトマトさんだけ年上扱い!?」

 と俺の隣りでバカが騒ぐ。

 

「ハハハ、白金さんは童顔ですからね」

「あれは童顔とかいうレベルじゃありません。多分、どっかの惑星から侵略にきたキモい生き物に違いありません」

 

「聞こえてますよ!」

 白金を無視し、トマトと名乗る豚と二人で会話を進める。

 

「あ、これ。僕が書いているイラストです」

 トマトさんが差し出した一枚のイラストに、俺は目を奪われた。

 ゴミが溢れる路地で、ガチムチマッチョの男が血だらけになりながらも、這いつくばっているものだった。

 なんか、こうズシンと来た。

 

 男は中年に見える。

 黒服のスーツがビリビリに破れている。

 恐らく誰かと戦ったあと、命に代えてもどこかへ、なにかを伝えるために必死に足掻いているのだろう。

 

「素晴らしい……」

 俺は圧倒的な画力に衝撃を受けていた。

「これ……本当にトマトさんが描かれたんですか?」

「ええ、汚い絵ですみません……」

 トマトさんはエアコンがガンガン効いた部屋の中だというのに、滝のように汗を流している。

「汚いなんてご謙遜を……この絵は俺の小説に出てくる主人公にぴったりです」

「そ、そうなんですか? なら差し上げますよ」

「いいんですか?」

 やった! タダでゲットだぜ!

 

「はい……僕、いつも白金さんにダメ出しばっかりうけているんです。『トマトさん、童貞だから女の子の身体がわかってない。仕方ないから女子高の校門で待ち伏せて、JKを盗撮してこい』っとかて……」

「それ犯罪じゃないですか? このクソガキに騙されてますよ、絶対」

 

「エ~、ワタチ、まだコドモだからワカンナイ」

 今時アヘ顔でダブルピースか……。

「いっぺん死んで来い」

「ハハハ、白金さんともう仲良くなられたんですね」

 おい豚。あんま調子こくなよ?

 

   ※

 

「新宮先生はまだ学生さん?」

「ええ、中学二年生です」

「いやぁ、すごいな~ 僕なんか20代なのにまだまだ食っていけないよ」

「いえ、プロのイラストレーターさんとして誇るべきですよ」

 

「すいません……なんかさっきから私抜きで話を進めてません?」

 俺とトマトさんを交互に睨む白金。

 わがままっ娘だな。

 

「ああ、子供は帰ってゲームでもしてなさい」

「はいはい、じゃあ帰って『超ヒゲ兄弟』でも……って帰るか!」

 ふむ、下手くそなノリツッコミだな。

 

「でも、これで出版決定ですね♪ パートナーはトマトさんで決まり!」

「え、僕なんかとでいいんですか!?」

「いいんでしょ? センセイ」

 上目遣いがあざとくてムカつく。

 

「む……確かにトマトさんなら、俺の作品を任せてもいいです」

「やった~! これで二人の合作が出版されますよ♪」

 白金がトマトさんと手を叩いて、喜びを分かち合う。

 

「苦節十二年……やっとデビューまで漕ぎつけた……」

 トマトさんは感激のあまり、人目もはばからず、号泣している。

 

「じゃあ、イラストはトマト先生。原作は『絶対最強戦士 ダークナイト』センセイで決まりですね♪」

「……」

 

 なんだろう。なんだっけな~

 どっかで聞いたかもしれんが、まあ一応聞いてみよう。

 

「そんなダサい名前の小説家がいるのか?」

「ダサいって……ご自身のペンネームでしょ?」

 俺もトマトさんに影響を受けたのか、室内が暑く感じ、わき汗が滲むのがわかる。

 

「どこでその名前を知った?」

「センセイのペンネームは『絶対最強戦士 ダークナイト』でホームページに登録してましたよ?」

 

 俺の黒歴史だ。

 そうだった…忘れていたんだ。

 頭の片隅に丸投げしていて、自分の良いように記憶を改ざんしていたに違いない。

 ああ、時を戻せるなら戻したい。

 

 オンライン小説に初めて投稿したのが小学校の四年生の終わりぐらいだったか……。

 当時の俺は

「めちゃんこカッコイイ名前にするお!」

 と、その場で考えた名前を五年も登録したまま、改名するのを忘れていたのだ。

 

 そう、ただただ作品だけにこだわり続けた結果、ペンネーム改名という行為に頭が回らなかったのだ。

 うう……死にたい、こんな名前で俺はデビューするのか?

 書店にあの中二臭い名前が本棚に並んだら、もうお嫁にいけない。

 

「あの、ダークナイトセンセイ?」

「俺をその名で呼ぶな! 頼むから」

 にひん! と笑みを浮かべる白金。

 俺の弱点を見つけたとでも、言いたげだな。

 

「いひひ……どうしよっかな~」

「頼む! その名前だけは絶対に嫌だ!」

「誠意が見えませんね~」

 ロリババアのくせして!

 だが、やむを得ない……。

 

「この通りだ! 頼む!」

 俺が恐らく人生で初めて頭を下げると、ほくそ笑む白金のおぞましい顔が想像できる。

「仕方ないな~ まだまだ琢人くんもおこちゃまですもんね~」

 このパイ〇ン女が……いつか必ず殺す!

 

「じゃあ、改名しますぅ?」

 そのちっさい二つの鼻の穴に、俺のぶっとい指をぶっこんでやりたいぜ。

 

   ※

 

 だが、いざ改名と言われても、五年もペンネームなんて考えていなかったもんな……。

 待てよ、俺がデビューするということは俺の作品が、作家名がクラスでバレることもあり得る。

 ここは……。

 

「そうだな……『DO・助兵衛(ドゥ・すけべ)』で頼む」

 俺は自信ありげにそう言う。

 反して、白金とトマトさんの表情が凍りつく。

 

「センセイ……真面目に考えてます?」

「そ、そうですよ。デビューするんですよ? そんな名前、フザけすぎですよ」

 説得しようと焦るトマトさんのおっぱいが激しく揺れる。

 頼むからこの拷問を止めてくれ。

 

「いや、トマトさん。俺は至って真面目に考えましたよ……」

「では、一体どんな意味が……」

 トマトさんは俺の命名したペンネームに驚愕のあまり、数歩退く。

 だが、俺にはその反応が予想の範囲内であり、自信満々に答える。

 

「つまりはこうです。俺は今まで『絶対最強戦士 ダークナイト』て通ってました……ですが、デビューするとなれば、クラスの奴らが目をつけるかもしれない! そうなったらすぐに噂が広まり、クラスのいい笑いもの。コミュ障の俺ではあんなリア充どもなんて、太刀打ちできない! だからそれだけは阻止したいのです」

「そ、そういう理由であれば、尚さら……」

「尚さら、この天才……つまり、俺とは思えないようなバカな名前がいいでしょう」

「え……」

 俺の説明に固まるトマトさん。

 

「ダークナイトも十分、バカそうですけどね……」

 なんだろな……エアコンが効きすぎてませんかね、このビル……。

 



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閑話 ラストクリスマス
168 中二病っていうけど、中二は最強説


 あれは去年の暮れの出来事だった。

 

「へっくし!」

 

 俺は例年以上の大雪の中、天神のメインストリートとも言える渡辺通りを歩いていた。

 クソ出版社に通うになってからというものの、少しずつだが通り名もなんとなく把握しつつあった。

 

「あんのクソガキ、この天才をこんな日に呼びつけるとは何事か」

 そう吐き捨てながら、すれ違う人々を睨む。

 

「ひっ!」

「不審者!」

 誰がだ? このリア充どもが!

 こんな平日によくもまあこんなにゴミのように集まれるものだ。

 

「恵まれない子供たちに募金をおねがいしまぁ~すぅ!」

 

「ちっ、どこの理系女子だよ……」

 数十メートルも一列に並んだ少年少女たちが募金箱を持って、大声で叫んでいる。

 健気なことに皆、薄手の制服で立っていた。

 

 ダッフルコートを着ている俺でさえ、ガクブルだというのに、これは立派な児童虐待と言えよう。

 彼らの最後尾まで目で追う。

 列の最後に立っていたのは、若い女だった。

 どうやらこの学生たちの責任者だろう。

 

 だが、俺はここであることに気がついた。

 生徒たちは手足を震わせながら、街行く人々に声をかけている。

 そんなこと、このリア充どもには声など届かん。

 

 なぜなら、今日は12月24日。

 リア充によるリア充のためだけの特別な日だからだ。

 そう、クリスマスイブ。

 

 かくいう、この天才も暇を持て余しているわけではない。

 だが仕事となれば、話は別だ。

 

 暖かい家に帰りさえすれば、「さあ楽しい楽しいパーティーのはじまりだぁ!」がはじまるのだ。

 

 まあ俺の予定はさておき、この哀れな学生たちを見逃すことがどうにも引っかかる。

 なぜならば、責任者である女は自分だけ、分厚いダウンコートに手袋までしている。

 これだからは大人様は……。

 

 

「おい、お前ら学生か?」

「あ、はい! 中学生です。今、募金をしているんです」

「そんなのは見ればわかる」

「よかったら!」

 一人の少年が目をダイヤのように輝かせ、俺にササッと募金箱を差し出す。

 いや、俺はそんなしょうもうない箱に入れる金は持ち合わせてはいないぞ?

 まあチワワみたいで可愛いくも見えるのだが。

 

「なあ、お前らはこんなクソ寒い大雪の中、一体なにをしている?」

「募金ですけど……」

「それは偽善行為、自己満足でしかないな。お前自身、この行動に何を感じる?」

 少年は俺の問いに戸惑い、隣りの少女に「変な人が来た」みたいな顔で問いを振る。

 

「あの……私たちは貧しい国の……恵まれない子供たちに暖かい毛布や食事を送りたいんです」

 少女がこれまたダイヤのように純真無垢な目で俺を誘う。

 これは新興宗教か何か?

 騙されんぞ! JCごときにこの俺が屈することなど……。

「そんなのはその国自体に問題があり、政治家にでも任せろ。お前らには一切、関係ない。大人様にでも任せておけ。それこそ、俺たちの知らんところで政府が助けている可能性もある」

 ソースは都市伝説!

「で、ですけど……私たちの気持ちは本物です」

 う、そんなに見つめるな! 可愛すぎるぞ!

「いいか、目を凝らして周りをよく見ろ! お前らは騙されているのだ! これは陰謀だ!」

「陰謀って……」

 JCちゃんの口元が引きつる。

「だがな……お前たちの気持ちだけは認めてやる」

「あ、ありがとうございます♪」

 そう見つめるJCちゃんは頬を赤らめて、手足を震わせている。

 かわいそうで、抱きしめたくなっちゃう!

 

「あの……お兄さんのお気持ちだけでいいんです……よかったら、募金に協力していただけませんか?」

 募金箱を突き出す。

 なにこれ、新しい武器なの? 殴られたら痛そう。

 

 俺はため息をつき、「どうしようもないバカだな」と呆れかえる。

 

「仕方ない」

 そう言うと、JCちゃんとDCくんが顔を明るくさせる。

 

「「募金、ありがとうございます!!」」

 

 深々と俺に首を垂れる。

 

「勘違いするな」

「え?」

「俺は募金するなぞ、一言も発しておらんぞ。そのなんだ……俺にはお前らの方がよっぽど! 恵まれない環境にいるように見えるぞ」

「……?」

「おいそこの女子よ」

「私ですか?」

 DCでも良かったのだが、可愛かったのでJCを指名した。

「お前に問いたい。さっきこう言ったな? 『恵まれない子供たちになんちゃらかんちゃら』と」

 JCちゃんの発言は記憶していたが、恥ずかしいので皆までは言わずした。

 

「そうですけど……」

「今のお前らを見ろ、すぐにでも凍え死にそうだ」

 左手でアホみたいに並んだガキどもをなぞるように、腕をピシッと伸ばす。

 だが、そんなパフォーマンスにはJCちゃんは臆することもない。

 

「いえ! そんなことは全然ありません! むしろ私たちは恵まれない子供たちのことを思うだけで、こう……。胸が熱くなってくるんです! だから今もポカポカした気持ちです♪」

 そうは言うけど、今もめっちゃ震えているやん。

 俺はポカポカしているらしいバストに目をやると、ふくらみかけの乙ぱいが最高にイイ感じだ!

 目をそらして、咳払いをする。

 

「オホン! いいか。お前らのような中学生がなぜこんな所で募金などという偽善行為に加担しなければならないのだ? お前らは見たころ、二年生ぐらいだろ?」

「そうですけど」

 だよね。微妙な乳加減が中二少女って感じです。

 

「三年生になったらどうする? 当然、高校受験があるだろ。来年もやらないなら、立派な偽善行為だろが! つまりお前らが来年の今頃は、暖かい自宅で受験勉強に勤しむわけだ……」

「そ、それは……」

 JCちゃんの目に涙が浮かぶ。

 ヤベッ、ちょっと言い過ぎたかも? てへぺろ♪

 

 

「ちょっと、あなた! うちの生徒になんなのよ?」

 

 騒ぎを聞きつけ、一人の若い女が俺の前に立ちはだかった。

 コイツが、犯人か……。

 



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169 恥じらうより、堂々としていた方がいい

 

「ちょっと、あなた! うちの生徒になんなのよ?」

 寒空の中、薄着で立っている中学生たちとは対照的に、暖かそうなコートで厚着した若い女が、俺に突っかかてくる。

 

「あなたさっきから聞いていればなんなんですか?」

「率直な感想を言ったまでだ。それと、俺が文句を言いたいのはお前だ、女!」

 俺はビシッと「犯人はお前だ!」的な感じで指をさす。

 決まったな。

 

「はあ!?」

「お前、こいつらの責任者。つまり担任の教師だろう?」

「そうですよ、ちゃんと保護者の方にも許可を取ってますし、だいたいこの募金は毎年、本校の行事の一つです」

 え……なんてブラック校則。

「そんなもの、さっと今日でやめちまえ! フン、偉そうに語るな! 女!」

 辺りがピリッとする。

 周囲には見物人ができていたが、俺は構わず続ける。

 

「ガッコウの決まり事だろうが、なんだろうが……だいたい、こいつらはなぜ制服だけなのだ?」

「そ、それは……本校の中学生ですから当たり前です」

 確かにJCの制服は、人間国宝なのは認める。

「意味がさっぱりわからん。なぜ教師のお前だけコートの着用が許され、こいつらは許されていないのだ?」

「ま、迷子にならないため……とか。何より学生である身分が見ればすぐにわかるから……ですよ!」

 女教師は反論するが、しどろもどろだ。

「そんな理由でガキどもをこんな寒い日に! クリスマスイブに立たせるな!」

 少年少女は俺に釘付けだ。

 かっちょええ、俺ってばさ。

 

「べ、別にあなたには関係のないことでしょ!」

「大有りだ! 視界に入るだけで吐き気がする。だいだいだな、クリスマスイブとかいう日は、いつからこんなクソイベントに成り下がったのだ?」

「はぁ?」

「俺の記憶では……クリスマスイブとはだな。赤いサンタさんが夜中に『ほっほほ、いい子にはプレゼントじゃ♪』と布団におもちゃを置いてくれる優しいおじさんが、わざわざどっかの国からおうちに遊びに来てくれる一大イベントなんだぞ!」

 

「「「……」」」

 

 一同、沈黙する。

 あれ? みんなもうサンタさんを信じてないの?

 

「それがなんだ、街を歩けば、カップル、アベック、彼氏彼女……乱交パーティーじゃないか!」

「あ、あのね、君はいったい何が……」

「まだ話は終わっておらんぞ、女。それだけでも、俺はこの天神を歩く際、イライラがマックスだというのに、こんな偽善行為をされてみろ? 俺が帰ってウハウハしながら、一人パーティーしているのが寂しすぎるだろが!」

 俺の持論に呆れかえる女教師。

「……ねえ、それってあなた自身に問題があるんじゃない? ただのひがみよ。私たちの邪魔するなら帰ってくれる?」

「断じてひがみなどではない! 不愉快なだけだ! それにお前らの方がよっぽど俺の仕事を邪魔しているぞ?」

「しごとぉ? 君、見たところ未成年でしょ?」

 あざ笑うかのように、女教師は俺を見下す。

「だからなんだ?」

「子供は早く帰りなさい!」

「俺は社会人だ!」

 睨みあう二人に、一人の少女が間に入った。

 

「ケンカはらめぇ!」

 

 聞き覚えがある。

 幼く甲高い……いや、忌々しく気持ちの悪い声だ。

 

「DOセンセイ! こんなこところで油売ってないでさっさと打合せしますよ!」

 

 くっ、おまえが一番「らめぇ」な人間だ、クソ編集白金めが。

 しかも今日のファッションと言ったら、リボンまみれのファーコートだ。

 フードが耳付きとか……。

 こいつ絶対、安い理由で子供服を購入しているだろ?

 

「センセイ……?」

 女教師とその子分……じゃなかった少年少女がキョトンとしている。

「そうだ、俺はお前と同じ『センセイ様』なのだ! わかったか、この虐待教師が!」

「な! なんですってぇ……」

 女教師は両手で拳を作って、怒りを露わにしている。

「ふん、感情的になるということは、図星のようだな。わかったらお前もさっさとコートを脱げ! そうしたら、今の発言を撤回してやるぞ」

 俺は「やったぜ!」と笑みを浮かべる。

「なんでそうなるのよ!?」

「お前の可愛い生徒たちが震えながら、寒空の中がんばっているのだ。可哀そうだとは思わんのか? 女、教師ならばお前も同じ立場になるべきじゃないか」

「な! ……わ、わかったわよ! そうすれば、あなたは満足?」

 胸元をさっと隠して、頬を赤らめる。

 

「ああ、大満足だとも……」

「脱げばいいんでしょ!」

「なんかDOセンセイって、いつも人に脱衣させてません?」

 隣りの白金がため息交じりに苦言を漏らす。

「まあ黙ってみていろ、白金よ」

 

 女教師がコートを脱ぐと、真っ赤なシースルーのワンピースをまとった痴女が現れた。

 胸元もパッカリ開いていて、背中もスケスケ、おまけに国民的アニメの少女のようなミニ丈。

 パンチラ祭りじゃわっしょい!

 これはプレイだ、しかもかなりの高度な放置プレイ!

 

「これで……満足?」

 そういう女教師は恐らく寒さからではなく、恥ずかしさから顔を赤らめて、小刻みに震えている。

 胸元を隠し、身体を丸めている。

 これも寒さからの行為ではあるまい。

「ほう……これはこれは、いい趣味をしてらっしゃる。さすがは大人様だな!」

 俺は手を叩いて歓喜した。

 すると周囲からも拍手があがる。

 

「ヒューヒュー!」

「いいぞ姉ちゃん!」

「そんな格好されちゃ、おっ立って募金したくなってきた!」

 ふっ、これが琢人マジック。

 てか、最後のやつ、アウトじゃん。

 

「胸デカッ、エロッ! まるで痴女じゃん……」

 白金も唖然としていた。

「こ、これは彼氏が……」

 生々しい言い訳だった。

 

「「せ、先生……」」

 

 少年少女が「見ちゃいけないものをみちゃった……」って顔で女教師を見つめる。

 

「傑作だな、先生さんよ。つまりはあれだ。あんたは彼氏のご趣味でプレイ中だったわけだ!」

 俺が高笑いしていると、次々とギャラリーが増え、もうこれはコスプレ会場ですな。

 

「少年少女よ!」

 そう叫ぶと、一斉に視線が集まる。

「この先生はな! 君たちには『通年行事だ』とぬかしつつ、肌寒い制服で募金させていた! だが、自分は教師という身分でありながら、このハレンチな格好で絶賛、羞恥と放置のミックスプレイ中だ!」

「プレイとかじゃないわよ!」

 女教師のツッコミを無視し、続ける。

 

「このあと、君たちが信頼していた先生は楽しい楽しいデートが待っている……そう、つまり彼氏に『ねぇ、キミは可愛い生徒たちの前でこんな恥ずかしい格好して募金してたんだろ? 興奮したろ?』とか言われ、センセイは『もう待てないわ! 抱いて!』とか言って、ワイン片手にズッコンバッコンなわけだ!」

 

「「……」」

 純真無垢な生徒たちが汚物を見るかのような目で、痴女を見つめる。

 

「ち、ちがっ……みんな、違うのよ? 私だって本当に募金したかったのよ? 彼氏とのデートは二の次よ?」

 最後のデートが余計だな。

 こいつら生徒たちからしたら、このあと直帰でパパとママと健全なパーティーをするだけだろ。

 

「いやいや、先生さんよ。今更、言い逃れはできまい」

 女教師は「ぐぬぬ」と何か言いたげだ。

「そりゃコートを脱げないわけだ。それなら、そうと言ってくればいいじゃないですか、センセイ」

 ヤベッ、笑いが止まらん。

「DOセンセイ、鬼すぎ……」

 白金がぼやくが、俺は無視した。

 こんなにおもしろい大人様は久しぶりだからな。

 

 俺の高笑いに釣られて、周囲からはクスクスと笑い声が漏れる。

 女教師は顔を真っ赤にさせて、涙目で俺を睨む。

 

「気に入ったよ、先生。ちょっと、そこの女子よ」

 俺は先ほどまで話していたJCちゃんを呼び戻す。

「え? 私ですか?」

「さ、その募金箱を先生に渡してくれ」

「は、はぁ……」

 少女は首をかしげながら、女教師に募金箱を手渡す。

 

「これでこそ、平等だ! だから、俺はこのなけなしの金を今からこの先生、一個人に募金することに決めたぞ!」

 高らかに福沢諭吉を一枚、天に伸ばす。

 辺りから「おお!」という周囲の反応が心地よい。

 

「は? いいわよ、そんな大金。あなた未成年でしょ?」

「先ほども言ったでしょう。俺も同じ『センセイ様』なんですよ。収入はあるのだよ」

 俺はそう吐き捨てると、募金箱に諭吉をそっと入れてやった。

「あ、ありがとうございます……」

 屈辱をかみしめて、頭を下げる女教師。

 ああ、これだから大人様をいじるのは愉快でしかたない。

 

 

「もう気は済みましたか? 小説家の『DO・助兵衛』先生?」

 

 あれ? なんだろうな? なんだっけなぁ……。

 クリスマスイブにふさわしくないバカげた名前が……。

 ツンツンと俺の腰を突っつく白金に気がついた。



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170 恋愛は学生時代からはじめておこう。あとで後悔する。

 

「もう気は済みましたか? 小説家の『DO・助兵衛』先生?」

 

 その場にそぐわない名前から、ざわつきだす少年少女たち。

 

「白金くん、君は誰のことを言っているのかな?」

「いやいや、そんなフザけた名前はあなただけでしょ?」

 白金がジト目になっている。

 ヤバい、こいつの攻撃ターンになっているぞ。

 

「ハハハ、これだからは子供は……ささ、ママのところまで送りまちょね」

「私はれっきとした成人女性です!」

 クソッ! お前のキモい体型を使って逃げようとしたのに。

「なんのことやら……俺と君はたぶんあれだ。どこかの遊園地で迷子的な出会いをしただけだろう?」

「言い逃れ……できませんよ? センセイだって、さっきあの女性に言ってたでしょが!」

「な、なんのことだ……」

 フケもしない口笛で、ごまかす。

 

「平等でしたっけ……?」

 ニヤけだしやがった……図ったな!

「センセイのペンネームも暴露してこそ、ここは平等ということですよ。DO・助兵衛先生♪」

 

 するとどこからか

「プッ、ダッセ!」

「スケベだってさ」

「自分が一番の羞恥プレイだよな」

 俺はそんな性癖を持ってないよっ!

 

「ガッデム!」

 両手で激しく頭を左右に振り回す。

 

「あ、あなた……ホントにそんなバカげた名前で活動しているの?」

 女教師が憐れむような眼でこっちを見る。

 あたかも「きっとこの子もいろいろあったのね……」みたいな近所のおばちゃん的な目でみるな!

 

「そうですよね~ DOセンセイ♪」

「クソガキ、お前あとで覚えてろよ」

「文句はあとで聞きますから、ささっ、お仕事お仕事♪」

 

 いつか殺す……いや殺すだけじゃ物足りない。

 ここはどっかのロリコン御用達の風俗店に「合法ロリですよ、タダであげます」と性奴隷にしてやろう。

 

「お前のせいで、俺の評判はがた落ちだ!」

「DOセンセイの評判なんて、ネットでボロカスですよ」

 俺は白金に手を取られ、その場から連れ出される。

 

 人込みを掻き分け、すれ違いざま何度も

「スケベ」

「ヘンタイ」

「性の権化」

 と、ディスられるおまけつきだ。

 

 だが、去り際に一つの声で呼び止められた。

 

「あ、あの……ドスケベ先生!」

 

 そのストレートすぎる直球は、俺の眉間に直撃し、気絶するところだった。

 俺を呼び止めたのは先ほどのJCちゃんだ。

 

「おい……そこは『お兄さん』とかでいいんだよ? それに俺はドスケベではなく『DO・助兵衛』だからね」

 そう言い直すと、少女はクスクス笑っている。

「でも、私は素敵な名前だと思いますよ」

 この少女は、中学校であの痴女教師に洗脳とかされているんだろうか。

「あの、これ……忘れるところでした」

 差し出したのは一つの人形。

 フェルト生地のサンタクロースのキーホルダーだった。

「なんだこれは?」

「募金された方には全員にお配りしています。私たちからのクリスマスプレゼントです♪」

 なにこれ、施しを受けたみたいで、こっちが可哀そうなんですけど?

 女子からクリスマスプレゼントもらうなんて、初めてなんですけど!

 

「これは……手作りか?」

「はい、みんなで徹夜して作りました」

 嫌だ。泣けてきた……。

「そうか、お前らもあんなハレンチ教師じゃ、いろいろと苦労するな」

 俺がそう突っ込むと、また少女はツボにハマり、クスクス笑いだす。

 何がおかしいの?

 あーあれね、ハシ落としたり、駅のハゲ見たりして笑う年ごろね。

 

「うまく言えないんですけど……きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います」

 少女は満面の笑みで俺を見つめている。

 正直、惚れそう。

 君がそのひとになってくれるの?

 

「お、俺に……?」

 予想外の言葉に動揺する。

「DOセンセイ、さすがにJCに手を出したらダメですよ~」

 耳元でバカが俺に囁く。

 

「なぜそう断言できる? 俺はこう見えて、もう何年も友達すらいない。なぜ年下のお前がそうも言い切れるのだ?」

「だって……ふふふ」

「な、なにがおかしい?」

「見ず知らずの私たちに気を使ってくれて……大人の先生に啖呵を切る人、初めて見ましたもん。ドスケベ先生は、きっと優しいひとなんだろなって思いました」

 人の性格を読書感想文のようにまとめるな!

 

「ま、まあ……俺は白黒ハッキリさせないと気が済まない性分なのでな。お前ら生徒たちだけが薄着なのが、不平等と感じただけだ」

「確かにすぐケンカになっちゃいそうな性格ですね」

「まあ……な」

「でも、私は素敵だと思います。どうかあなたにも良いクリスマスイブを過ごせますように」

 そう言うと、少女はその場で祈りをささげた。

 この子は女神か?

 じゃあ、この場で君が俺の彼女になってくれ!

 俺ならこの子を幸せに、(いっぱいエッチなこと)してあげるのに。

 

 

「お、おう……」

「へへ、DOセンセイたらJCに照れてやんの!」

「お前はあとで覚えてろよ」

「あっかんべー!」

 

 少女は最後まで、俺に手を振っていた。

 だが、彼女言った言葉、なぜかグサッと来た。

 

 あの少女のセリフはなんの信ぴょう性もないのに、なぜか予言めいたものを感じる。

 なんだこの胸の高鳴りは……。



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171 小説に取材は必要ですよ

 

 例の募金騒動を終えると、俺と白金は天神にある博多社のビルで、次作に向けて打ち合わせを始めた。

 

「DOセンセイ。それにしても……さっきの女先生への発言は酷すぎですよ」

「なにが酷いんだ? 俺は正論を言ってやっただけだ」

「はぁ……じゃあ原稿を見せてください」

「じゃあ……とはなんだ? おまえが呼び出したくせに、この天才の原稿を提出されることを、光栄に思え!」

「はいはい、じゃあ天才センセイのアイデアをもらいましょうか」

 鼻をほじりながら、話すな!

 

 俺はリュックサックから、原稿を取り出し、机の上に置く。

 それを白金が「では、拝読させていただきます」と一礼してから、目をやる。

 

 

 今回のは初めての短編だ。

 原作については俺の発案でほぼストーリーを決めていたのだが、今回は編集の白金から宿題が出た。

 その理由は俺の作品の発行部数が関係していた。

 現在の『DO・助兵衛』作品が単行本にされたのは、残念なことに3冊のみだ。

 

 

 処女作。『ヤクザの華』は一冊目こそ、「ライトノベルなのに大人向け」とか「残虐な描写がたまらない」とか、一定数の評価は得られた。

 売り上げも好調だった。

 これは古くからの俺のファンがライトノベルユーザーへの布教が入ってたらしい。

 一巻こそ売れ行きや評判は上々だったのだが、そうはうまくいかない。

 

 大半のライトノベル読者は二巻で

「つまらない」

「萌えない」

「可愛い女の子がいない」

 など、文句を垂れる始末。

 ネットでもレビューが大荒れ。星がゼロに等しかった。

 

 三巻でそのクレームを白金が考慮し、「女キャラ出しましょうよ」との強引なテコ入れを行った。

 当然、ヤクザな主人公なわけだから、女も極道なわけだ。

 萌える要素なんて、これっぽちもないに決まっているだろう。

 そして、打ち切り……。

 

 

 見かねた編集の白金が「次は、流行りの異世界でやっちゃいましょう!」との提案を元に、今回初のファンタジーを書いてきた。

 自信作だ。

 あの白金も俺の原稿を読みながら、目を光らせている。

 そうかそうか、おもしろすぎるんだな。

 出版決定、重版決定だ。

 夢の印税生活、ヒャッハー!

 

 だが、俺の予想と反して、原稿を読む白金の顔はどんどん険しくなっていく。

 

「……」

 読み終えると、眉間にしわを寄せて、こめかみに手をあてる。

 どうやら、なにか言葉に詰まっているようだ。

「今回のはすごいだろ。壮大なファンタジー長編になるぞ」

 俺は胸を張って笑みを浮かべる。

「チッ、クソみえてぇだな……」

「は?」

「クソですよ、キングオブウンコ、ウンコオブジエンド」

 てめぇは、何回クソを連呼するんだ!

 俺の小説は肉便器じゃねー!

「そ、そんなはずは……俺は確かにお前が言った通り、王道の異世界ものを書いてきたぞ!」

「コレがですか?」

 原稿をゴミのように雑に扱う白金。

 酷い! 俺が徹夜で書いた小説を……。

 

「ちょっと、私が読んでみていいですか?」

「おうとも!」

 すると、白金は小学生が授業参観で「未来の私へ」みたいなキモい喋り方で読み始めた。

 

 タイトル

『中年ヤクザ。抗争中におっ死んだけど、異世界に転生してユニークスキル違法薬物を使い、世界をハッピーにするぜ!』

 

 俺の名前は、中毒組の若頭、とらじろう。

 確か、抗争中に俺は……。

 目の前は、真っ白な雲が一面に広がっていた。

 ここは天国か? 

 

「とらじろう。中毒組のとらじろうよ……」

 一筋の光りと共に、美しい女神が現れた。

「なんだってんだ? ここは……あんたは誰だ?」

「私はこの世界の神です。シャブ中で死んだあなたを召喚したのです」

「ウソだろ……俺は鉄砲の弾食らっておっ死んだんじゃ……」

「いえ、ただのオーバードーズです」

 我ながら、幸せな死に方したんだな。

 

「そんな、クズのあなたにチャンスをあげます」

「は?」

「この世界を救ってください」

 

 女神が言うには、この世界を魔王から救ってほしいのだとか。

 俺がこの異世界で生きていくため、チートスキルをくれるという。

 だから、俺は現世でも役立ったものを、女神に頼んだ。

 

 異世界に舞い降りた俺は、まず国王をシャブで操り、城内を違法薬物(ユニークスキル)で腐らせて、マインドコントロールしてやった。

 全兵をシャブ中にして、泡吹きながら魔王軍にカチコミ入れてやるのさ!

 

 

「てめぇが魔王組の組長か!?」

 聖剣ドスカリバーを構え、俺は魔王に奇襲をかける。

「人間の分際で……このわしに」

 魔王が毒の息を吐く。

 だが、そんなことに臆する俺じゃない。

 シャブが常に体内に入っているから、いつでもハイなのさ。

 

「なっ! わしの毒がきかぬだと! 貴様、まさか女神の聖水を……」

「そんなもん使ってねーさ。俺は転生スキルをシャブ漬けにしているのさ! だから毒なんてハイにもらないぜ!」

 魔王は腹を切り裂さかれると、膝をつく。

「このわしが……お前ごときに……」

「ガタガタうるせぇ! お前もシャブを食らえ!」

 

 引き裂いた腹のなかに、真っ白い粉をぶち込んでやった。

 

 一分後……。

 

「……うわぁい♪ ここはどこ?」

 どうやら、幼児退行しちまったらしいな。

 いきなり末期になるとは、ハッピーな奴だぜ。

「フッ、天国だ!」

 

 シャブ漬けになった異世界は、違法薬物でみんなハッピーな気持ちになれましたとさ。

 

 了

 

 

 読み終えると白金はため息をつく。

「はぁ……」

「泣けるな、ラスト」

 この一か月、慣れない異世界アニメを見て勉強したからな。

 感動もののファンタジー巨編だ。

 

「バカですか? これのどこが異世界ものなんですか?」

「は? 俺はちゃんと王道にしたぞ? 冒頭で主人公を死なせて、女神からスキルをもらって、魔王を倒し、異世界を救ったじゃないか」

 

「こんの……アホぉぉぉ!」

 

 キンキン声が窓ガラスを激しく震わせる。

 思わず、俺は耳を塞ぐ。

 周りにいた編集部の社員たちも同様だ。

 

「うるさいぞ、貴様!」

「なんで転生するのに、死に方がオーバードーズなんですか!? こんな転生するやつは一般人じゃないでしょ! しかも女神もなんで与えるスキルは違法薬物なんですか? こんなのみんなが憧れるチートスキルじゃないですよっ! このヤクザなら現世でもやれたことでしょ? 読者は非日常的なファンタジーライフを求めているのに、アングラすぎるんですよ! 最後なんて、『違法薬物でみんなハッピーな気持ちになれましたとさ』って、この世界の住人がオーバードーズで全員死んでるでしょうがっ! バッドエンドすぎます!」

「バッドエンドもあれだ。今流行りの『ざまぁ』とか言う王道だろ?」

「邪道! 意味わかってないでしょ、DOセンセイは!」

「「……」」

 

 そして、俺の原稿はゴミ箱行きになるのだった……。

 



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172 ぼっちでもクリスマスイブは楽しめる

 

「じゃあどうする? ジャンル変更するか?」

「そうですね。私は最近考えていたんです。センセイにピッタリのジャンルが」

「俺に?」

「ハイ、それはラブコメです!」

「なん……だと?」

 童貞の俺にそんなものを書くなんて、土台無理な話ってもんだ。

「俺には無理……だよ」

 これまでヤクザものしか、書いてこなかったのに……。

 うなだれる俺の肩を白金が優しくポンと叩く。

 ニコッと笑ってみせるとこう語りだす。

 

「取材すれば書けるでしょ♪」

「しゅざい……?」

「やっぱりDOセンセイみたいな万年、童貞には経験してもらうのが一番でしょ!」

「俺になにを経験しろと? まさかお前……未成年の俺とセックスさせる気か!」

 白金が顔を真っ赤にさせて反論する。

「んなわけないでしょ! なんで私がDOセンセイと……まあそれもいいですけど。私は今フリーですしね」

 よかない。

 それにお前の恋愛なぞに興味もない。キモすぎる生態にも興味はない。

 

   ※

 

「取材の内容とは?」

「ずばり! 胸がキュンキュンするような出会い、恋愛でしょう♪」

 それからの俺は素早かった。

「ごめん、用事を思い出した。帰るわ……」

「ちょ、ちょっと待って!」

 小さくてキモい手が俺にしがみつく。

 

「やかましい! 誰がそんな戯言のためにクリスマスイブの日に来たと思っている! 仕事だからきたんだ!」

「これも仕事ですよ!」

「取材がか?」

「もちろんですとも♪」

 ふむ、どうせこのバカのことだ。

 何かよからぬことでも考えているに違いない。

 だが、俺もプロだ。話ぐらいは聞いてやらないとな。

 

 

「仕方ない。とりあえず、お前の提案だけでも聞いておこう」

「そうでしょ、そうでしょ♪」

 ウインクするな、キモいから。

「つまりDOセンセイの作家としての弱点は、以前にも私が指摘したとおり極端すぎるのです」

「極端?」

「はい、つまりセンセイは、現在ほぼ同年代の若者との交流が皆無ですよね?」

 ニコニコ笑いながらサラッと人の悩みを暴露するな。

 

「で?」

「だから先生には高校入学をオススメします」

 足元に置いていた自身のリュックを取る。

「帰る」

「だから待ってってば!」

 いちいち十代の男子に触れるな! そんなに欲求不満なのか、こいつは。

 

 

「絶対に嫌だ。なぜ俺が受験しなかったと思っているんだ!」

「コミュ障だからでしょ!」

「……」

 いや、偏差値は悪くないよ? ただの人間嫌いだからね。

 

「だから、それを治すためにも高校にいきましょうよ!」

 なんかバカの白金にしては正論だし~

 しかも俺の治療も含まれてるし~  

「断る。俺はちゃんと青春を謳歌しているしな」

 ゲームと映画でな!

 

「じゃあ今日、このあとの予定をお聞かせください」

 くっ! やはりこのクソガキ、俺に気があるのでは!

「は? なんでお前にプライバシーを侵害されなければならんのだ?」

「言えないんですか? やっぱり可哀そうなイブを過ごすんでしょうね」

 このパイ〇ン女が!

「良いだろう、ならば答えてやる、しかと聞けよ」

「どうぞぉ……」

 だから鼻をほじるな! 一応お前も女だろ!

 

「この後、博多社を出たらまずは『自分プレゼント』を選ぶのだ!」

「は? 自分プレゼント? なにそれ、おいしいの?」

「おいしいわ! 一年間、頑張った自分へのご褒美。つまり自分サンタさんがプレゼントを俺にくれるのだ。ちなみに今年はPT4ソフトの『虎が如く8』がプレゼントだ」

 虎が如くはご存じ大人気のヤクザゲームだ!

「へぇ……」

「このあとが大事だぞ。デパートで巨大なチキンを買い、そして宅配ピザを頼む。食べ終わると『さんちゃんのサンタTV』を見つつ、アイドル声優の『YUIKA』ちゃんが女声優たちとクリスマスパーティーしているか、SNSをチェック。聖夜の巡回だ!」

 

 『YUIKA』ちゃんとは今一番ノリにのっている可愛すぎる声優さんのことだ。

 

「それって何が楽しいんですか? 一人で寂しくないんですか? たまに『いま、俺ってなにやってるんだろ?』って我に返りません?」

「返るか!」

 ちょっとはある。

「だから、言っているんですよ。DOセンセイはライトノベル作者だというのに、十代の読者が欲しているものがまるでわかってません」

「なんだそれは?」

「一言でいえばラブです」

「なにそれ、おいしいの?」

「おいしいです!」

 

 ちゃんと試食して言ってる?



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173 動悸が不純でもいいじゃない

 

「ラブコメと言えば、出会いは突然パンチラから。主人公がこけるとヒロインのおしりがパンツ越しに顔面騎乗。照れるヒロインを止めようとすれば、誤って手のひらがおっぱいをモミモミ……と、このように現実世界とリンクしていることが多々ありますね♪」

 よくもまあ、そんな恥ずかしい言葉をスラスラと……。

「全然リンクしてないだろ! どこのプレイだ! AVだろそれ!」

「絶対ありますって、この世のどこかで……」

 遠い目で現実逃避するな! 戻ってこい!

「お前な……俺は義務教育を九年も受けたが女子のパンチラなんて一回も見たこともない!」

「それはDOセンセイが不登校で半ひきこもりだったからでしょ?」

「今、ひきこもりの話は関係ないだろが!」

 いじめるはよくない!

「大ありですよ、人とののコミュニケーションが足りなさ過ぎて、作品に影響がきてないんですよ」

「う……」

「コミュ障、乙!」

 くそぉ、こっちばかり攻撃されて黙っている俺ではないぞ。

 

 

「ならば、白金……今度は貴様の番だ!」

「へ、私?」

「そうだ、お前のようなキモいロリババアなんぞ誰も相手にせんだろ?」

「ロ、ロリババア!?」

「ああ、そうだ。この天才が新しく考えたあだ名だ」

「ただの悪口でしょ! それに私はまだ二十代です!」

「そう、確かにお前は二十代だ。だが四捨五入すれば、晴れて三十代だよな」

「エ~、ワタチ、イミワカンナイ♪」

 今日は白目でベロだしか……。

 

「勝手にほざけ。世間では二十五歳を超えると『クリスマス』とかいうそうだな? 白金、お前はアラサーでありがなら未だ独身。彼氏の話なんて俺はこの数年きいたこともない。つまりお前は売れ残りのクリスマスケーキと同一だ!」

 白金の額が汗でファンデーションが落ちていく。

「DO先生、どこでその禁句を!? あなた平成生まれでしょ!?」

「フッ、最近、歌手の『チャン・オカムラ・チャン』にハマッててな。『チャン・オカムラ』のアルバムと共に時代を遡っていくとその禁句にたどり着いた」

 

 チャン・オカムラ・チャンとは、香港出身の日本人歌手だ。

 作詞作曲、全て自分で行い、甘い歌声にキレッキレのダンスが定評のあるスター。

 昭和時代からデビューして、現在も大ブレイク中の芸能人。

 ファンは略して、チャン・オカムラと言う愛称で呼ぶ。

 

「くっ! 確かに『チャン・オカムラ』の若いころはそんな概念が……。ですが、昨今は三十路で初婚が当たり前! 初産なんかアラフォーが大半ですよ!」

「お前、それは偏見だろ? お前一個人の言い分であって、婚活や恋愛にがんばる女子はお前の年で既に結婚済み、子供だって2.3人は生んでいるだろう?」

 ソースは俺!

「そ、それは、その女子がバリバリ働いてないのよ!」

 うろたえるアラサー。悲愴感ぱねぇ。

「フン、差別だな。そういう考えはセクハラ、パワハラを助長させる。今のご時世、女性差別とかいうのだろう。白金女史よ」

 はい、論破。

「くっ、正論なのがムカつく!」

 ざまあみろ、この俺をいじったのがお前の敗因だ。

 

「で、その女の子である白金ベイベの本日のご予定は?」

「うう……」

「どうした? さっさと言わんか?」

「きょ、今日は前から欲しかった声優の『マゴ』の写真集を自分にプレゼントします」

 ちなみに『マゴ』とはとあるアイドル声優の愛称である。

 ん? なにこのデジャブ?

 

「ここからが大事ですよ。デパートで大きなチキン買って、友達の家で宅配ピザを頼んで、「さんちゃんのサンタTV」見たあと、『マゴ』以外の独身声優が男子同士でクリスマスパーティしているか、巡回を……」

「……」

 見つめあうふたり。なんか共通点を感じちゃう。

 

 

「お前も俺と同じじゃねーか!」

「同じじゃありませ~ん! 友達と一緒ですぅ」

「ちょい待て、その友達が気になる。まさかとは思うがパソコン画面の『マゴ』を前にイブを祝っているわけではあるまいな?」

 俺がそうだから。

「んなわけないでしょ! 『マゴ』と『チャン・オカムラ』は私の夜の恋人……ってなにを言わすんですか!」

 いや、お前が勝手に語ったんだろが。

 

「リア友です」

「異性か?」

「お、女の子ですよ? 世間一般で言う女子会、女子トーク、恋バナとかで盛り上がりますね♪」

「白金が恋バナだぁ? ちょい待て。世代は?」

「二十代ですけど」

「アラサーで同い年だろ?」

「げ? なぜわかったんですか?」

「この天才にかかれば、造作もないことだ。それに恋バナなんて体のいい見せかけだ。どうせ同僚の結婚とか、愚痴と嫉妬が大半で、最後に『チャン・オカムラ』の甘い歌声で慰められて、酒に溺れて朝まで号泣だろが!」

 まあかくいう俺も『YUIKA』ちゃんのPV見ながら小説書いて、『チャン・オカムラ』の恋愛ソング聞いて号泣してるからな。

 

「な、なぜそれを!」

「だから言っただろ? 俺は天才だと! お前が編集として無能だから俺の作品は世にでないのだ!」

 俺が「犯人はお前だ!」的な感じで、白金を指すと「うっ!」と漏らす。

 だが、ひと時の沈黙の後、不敵な笑みを浮かべた。

 

「そんなこと、この超カワイイ白金ちゃんに言っていいんですか?」

「は? この世でちゃんづけは『世界のタケちゃん』と『チャン・オカムラだけでいい」

 異論は認めない、絶対にだ。

「まあ、それに異論はありませんが、これを見てでもですか?」

 白金はスマホを取り出し、ある画像を俺に見せた。

 

「こ、これは……」

「そうです」

「なんだおまえが変なおじさんか?」

「違うわ! さっき言ってましたよね、『聖夜の巡回』とかなんとか?」

 俺の眼に映るのはアイドル声優の『YUIKA』ちゃんだ。

 しかも白金とツーショット。クッソうらやましい。

 

「おまえ、これ加工しただろ?」

「んなわけないでしょ! めちゃくちゃ自然な写真でしょが! 先月、東京のイベントで会いました♪」

「マ、マジか? 生の『YUIKA』ちゃんに会ったのか?」

「ええ、いいでしょ?」

 俺も連れて行ってくださいよぉ~ 白金さん。

 

「なんのイベントだ? ライブか?」

「違います、我が博多社の作家さんの作品がアニメ化されることとなり、『YUIKA』ちゃんの出演が決まったのです。その制作発表会にお邪魔したとき、気軽に写真をとってくださいました。生の『YUIKA』ちゃん、可愛すぎて萌えましたぁ」

「俺だったら萌え死にだ……なんだったら転生して『YUIKA』ちゃんの犬になりたい……」

「キモッ……あ、ちなみにこのアニメ化に成功された作家さんがこちらです」

 白金が写真をスワイプさせると、その作家と思わしき輩が我が麗しの『YUIKA』ちゃんとWピースしている。

 なんてことだ、キモオタ中年が『YUIKA』ちゃんと同じ空気を吸うことすら許されぬというのに!

 

 

「ちょ、まてよ!」

「いや、似てないですよ……」

「つまりあれか? こいつはアニメ化したから『YUIKA』ちゃんとツーショットを撮れたのか?」

「まあそうなるでしょうね」

 ロリバアアは「ニシシ」と何かを企んでいる。

 

「だからDOセンセイも次の企画は、学園ラブコメの路線でいきましょう。いつの世の男子もウハウハなハーレム学園生活に憧れるのです。ヒットすればアニメ化の可能性もグンとあがります。そうなれば、声優の『YUIKA』ちゃんも先生のキャラに配役されるチャンスもあり、生『YUIKA』ちゃんとツーショットがゲットできるかもしれません」

 くっ! それはまたとないチャンスだ! 

 

 

「つまり、そのための高校入学。小説のために取材は必須と言いたいのか?」

「ええ、その通りです」

「だが……この年で入って見ろ? 同学年が年上という気まずい雰囲気になり、絶対クラスにとけこめない自信があるぞ!」

 そうだ。コミュ障で年上とか、どんな羞恥プレイだ。

「そう言うと思い、対策は既に盤石です」

 ピンと人差し指を立てて見せる。

 

「なんだ? そんな都合のいい高校がどこかにあるのか?」

「はい、私の出身校に通信制があります」

「通信制?」

 聞いたことのない言葉だ。

「はい、それならDOセンセイのようなクソメンタルでも、二週間に一回の授業とレポートさえ出せば卒業までこぎつけますよ」

 クソメンタルは余計だ。

「ふむ……」

「どうです? やります? 『YUIKA』ちゃんとのツーショットのために?」

「確かにそれは魅力的だ。だが通信制というものでは、そもそも毎日、級友と交流を重ねることはできないのでは? 入学する意味があるのか?」

 俺は中学校の頃、3年間もぼっちだったというのに、2週間に一回の出会いで仲良くなれるとは思えない。

 

「ええ、絶対にあります! 友達がたくさんできて、卒業生でもあるこの私が保証します♪」

 そう言って、小さな胸を叩く白金。

「それが一番、信用できんけどな」

「……」

 

 こうして、俺の取材兼高校入学は決まったのだった。



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閑話 入学試験
174 教師ガチャ


 

 クリスマスイブの日、俺は編集の白金が提案した『高校への取材』……入学をしぶしぶ了承した。

 年が明けてから、さっそく白金と一緒に電車で高校へ見学に行くことになった。

 というか既に願書も記入済み、受験ばっちしなのだ。

 

 

「なあまだ着かんのか?」

 俺と白金は電車の時間を予め、決めた上で待ち合わせていた。

 車両と座席も『3両目の一番うしろ』と指定され、白金に出会うや否や「まるでデートみたいですね」と言われ、テンションはダダ滑りだ。

 ちなみに白金は天神経由なので、バスと電車を乗り継いで、50分近くは移動に時間を費やしている。

 それでもこのロリババアはニコニコと嬉しそうだ。

 

「あ、見てください。DOセンセイ! 田んぼがいっぱい!」

「どうでもいいわ。しっかし、遠いな……」

「まあまあ、いいじゃないですか? たまには田園に目を向けるのも。心が癒されますよ。ほら、『にわとりせんべい』でも食べます?」

 差し出されたせんべいを口に運ぶ。せんべいと言うよりは優しい甘みのクッキーに近い。

「安定のうまさだな……しかし、お前はいつも迷ったりせんか?」

「何がです?」

 スカートにボロボロとクズを落としているぞ、やはりガキだなこいつ。

「この『にわとりせんべい』の正しい食べ方だ」

 と言って、俺はお尻の部分がかけたせんべいを見せつける。

「どうでもよくないですか?」

「よくないだろ? 顔から食べたら『なんかかわいそう……』とは思わんか?」

「はぁ? ……めんどくさ!」

 そう吐き捨てると、視線を窓に戻す白金。

「……」

 やっぱ、このつぶらな瞳のにわとりさんを食べると毎回、悲しくなる……。うまいけど。

 だが、一言いっておこう。

 おほん……にわとりせんべいは福岡市民及び福岡県民のものだ!

 東京みやげと勘違いするな!

 

   ※

 

「でも、なんか今日は遠足みたいで楽しいですね♪」

「楽しかねーよ、だいたいお前にとって遠足なんてイベント、どんだけ昔の話だ?」

「エ、ワタチ、ムズカシイコト、ワカンナ~イ」

 今日は寄り目か……芸人になればいいのに。

「はいはい、とりあえず死ね」

 そうこう言っているうちに目的地についたらしい。

 白金が立ち上がって「降りましょう」と促す。 

 駅の名は赤井駅。

 

 

「さんむっ! なにここ? ちょっと市外に出ただけで気温十度以上下がってるだろ!」

「確かに寒いですね……まあ山に囲まれてますし、天神みたいにビルや人が密集しているわけではないですから、体感温度はさがりますよね」

 体感温度ってレベルじゃねーぞ!

「さあしゅっぱーつ!」

「今からキャンセルは有効か?」

「残念。もう期限切れですね」

 小鬼が!

 

 

 駅を降りると、いつもは嫌々通っている天神とのギャップがすごかった。

 見当たす限り、山と住宅地のみ。

「な、なにもないぞ、ここ……」

「まあ市外ですし……でも、ほらあそこにはショッピングモールの『チャイナタウン』と『ダンリブ』がありますよ」

 『チャイナタウン』は主に中国地方から発展しているチェーン店。

 『ダンリブ』は福岡市とは敵対関係にある北九州市からなるグループだ。

 福岡市はおしゃれな先輩がいる街。

 北九州市はちょっとヤンチャな後輩がいる街。

 そう思えば、敵対する理由がわかるでしょうか?

 

 

 赤井駅は両ショッピングモールに挟まれた状態だ。

 北が『チャイナタウン』、南が『ダンリブ』といったオセロ状態。

 きっと赤井駅周辺の人々が足を運ぶという利点のみで出店しているように見える。

 つまりは、その地の住民しか利用しない。

 

 

「おい、ここの住民は娯楽なんぞ皆無なのではないか?」

「偏見ですよ、それ……」

「じゃあ、帰りに『チャイナタウン』と『ダンリブ』に下見しましょうよ」

 目を輝かせる白金。俺をお前の彼氏なんぞにするな!

「なぜお前なぞとショッピングしなければならないのだ」

「まあいいじゃないですか。これも取材のうちです」

「けっ」

 

 

 駅に隣接したショッピングモールを抜けると、山に向かって真っすぐと細い道路がある。

「あれはなんていう山だ?」

「さあ、なんでしょうね?」

「それぐらい調べとけ、取材なんじゃなかったのか?」

 しばらく歩くこと15分ほど……。

 

 

「おい、どんだけ歩かせれば気が済むんだ」

「あ、見えましたよ!」

 白金が指差すのは小さな看板『この先 三ツ橋高校』

 小さすぎて見逃すだろ、これ。

 生徒に優しくない高校だ。

「やっとか……」と思ったのも束の間、更なる難関が俺を待ち受けていた。

 

「なんだ、このクソみたいに長い坂道は!?」

「ああ、懐かしい~」

 アラサーババアが、子供のように校門の前でうさぎのように跳ねまわる。

「ウザいからやめろ。それより長すぎだろ、この坂。それに生徒たちに配慮してないだろ、斜面が傾きすぎだ」

「通称、『心臓破りの地獄ロード』です♪」

 です♪ じゃねぇ!

「お前はチビのくせに、こんな坂道を毎回登っていたのか?」

「いえいえ、私は友達とバイクでしたよ」

 そんなチート行為が許されているのか。

 生徒いう名の垢BANしてほしかったですね、運営さん。

 

「卑怯だぞ、歩かんか!」

「別に卑怯じゃないでしょ。免許持ってたし」

 絶対闇ルートだ!

 こんな低身長なやつに免許がおりるわけないだろ! 試験官は眼科行け!

 

 

 そうこうしているうちに『心臓破りの地獄ロード』は終わりを迎え、複数の巨大な建物が見えてきた。

「あれはなんだ?」

「武道館ですね」

 校舎よりも前に目に入ったのは巨大な六角形の建物。

「なに、武道館? ここでいっちょ修業でもすんのか?」

「んなわけないでしょ! ここ、三ツ橋高校は部活に力を入れているんですよ。だから、体育系の建物はかなり充実しているんです」

「要約するとガチムチのホモガキどもが脳筋に特化して、新宿二丁目へと旅立つのだな」

 きっとこの武道館は、武道とは程遠く……。

 とてもいやらしい稽古、ハッテン場と化しているに違いない。

 

「いや、女子もいますけど……」

「じゃあ、あれだ。全員が百合に進化して、少子化に拍車をかける不届き者になり、世界破滅だな」

 そうだ全部女子が悪い。

 俺たち男に見向きもせず、やれアイドルだの、俳優だの……と比較しては幻滅し、仕方なく同性で疑似恋愛をしているのだよ、きっと。

「先生も悪口だけは一級品ですね……小説に対してもそれぐらいの情熱を持ってください」

「褒められても何もやらんぞ」

「これは嫌味ですけどね……」

「……」

 

 武道館を抜けるとY字型の校舎が見えてきた。

 広い玄関の前にはたちを待っているかのように、長身の女が一人立っている。

 

「あ、蘭ちゃん、おっひさ~!」

 白金は蘭と呼ぶ女性を見るや否や、走り出し突撃した。

 胸部目掛けて、ロケット頭突き。

 女はひょいと軽くかわしたすきに、白金の顔面に右フックカウンターをお見舞い。

 

「いっだい~ うわ~ん!」

「お前から先にやってきたんだろがっ! 正当防衛だ、日葵」

「ひ、ひどい……ぐへっ!」

 白金よ……短い付き合いだったな。

 骨ぐらい拾ってやるぜ。これで高校入学も阻止できる!

 

「おい、お前が入学希望者か?」

 そう言って仁王立ちしている女性は、サテン生地でツルピカの紫ボディコンだ。

 『巨大なメロン』を重そうに両腕で支えている。

 こんなクソ寒いのに、胸をおっぽり出すとは……昨年末に天神で出会った痴女先生以上だな。

 それにしても、怖い顔だ。

 威圧的に俺を睨んでいる。

 か、帰りたい……。



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175 試験は点数気にしなければ、遊べる日

 

「名前は?」

「あ、はい……新宮 琢人です。17歳です」

 俺がそう言うとボディコン女は顔をしかめる。

「お前が17だぁ?」

「そうですが……」

 長身のためか、腰をかがめて俺の顔を覗き込む。

 まるでグラビアのポーズだな。巨乳がブルンブルン揺れて、キモいからやめてくれ。

 

「ふむ、つまりお前は本来なら高校二年生というわけか?」

「本来? その定義がどこから来ているかはわかりませんが、俺はこれでも社会人です。そこらの子供っぽい学生と一緒にしてもらっては困ります」

「……」

 するとボディコン女は目を見開いて、黙り込む。

 フッ、やはりこの天才の前じゃ、大人様はいつも論破されまくりだな!

 

「だぁはははっははは!」

 

 腹を抱えて大笑いする。

 あごが外れそうなくらい口を大きく開けて、女とは思えないくらい野太い声で笑う。

 げ、下品な女だ!

 それになんか酒臭い。酔っぱらっているのか?

 のどちんこが丸見えだ、恥ずかしくないの?

 

「なにがおかしいのですか?」

「お、お前は……クックク……ど、ど、どうしようもないクズだな!」

 スクラッチしてんじゃねーYO!

 あー苦しいと腹を抱えて、床で笑い転げる。

 まあその隣には白目をむいたロリババアが倒れているのだが。

 俺はこの時思ったね、こんな大人にはなりたくないYO! とな。

 

「じゃあ案内しよう」とボディコン女が気絶した白金の首根っこを片手で掴み、廊下を歩く。

「あの、あなたは一体……」

「ああ。紹介がまだだったな。私は一ツ橋高校の責任者でもあり、日本史の教師。宗像 蘭先生だぞ♪」

 自分で先生言うな。

 俺が認めるまで、お前はただの痴女だ。

 

「そうですか……あの、宗像先生はそのロリババアとは同級生と聞きましたが……」

「おまえ……今『ババア』って言ったか?」

 立ち止まって、俺に睨みを聞かせる。

 その顔っていったら、あれだよ。仁王像だよ。

「いえ……白金とはお友達だとか?」

「そんなお洒落な関係ではないよ……このバカとはただの腐れ縁だ」

 やはりアホとかバカで通っているのではないか、白金 日葵。

 

   ※

 

「着いたぞ、ここが一ツ橋高校だ」

「え、これが?」

 めっちゃ小さな事務所だ。

 しかも扉もボロボロ、中をのぞけるように四角い小窓があるんだけど、ヒビが入っとる。

「この部屋だけが一ツ橋高校なんですか?」

「ああ、その通りだ。白金から聞いているだろうが、あくまでも三ツ橋高校の姉妹校であって、本校一ツ橋は校舎を持たない」

「では、一体どうやって勉学するのです?」

「そのためのラジオだ!」

 

 ニッコリ笑って、扉を開く。

 軋んだ音を立てる。

 まるで、ホラー映画の開幕シーンのようだ。

 

 俺は奥にある茶色のソファーに通された。

 まだ白目をむいているロリババアは無残にも床に捨てられた。

 テーブルを間に挟んで、反対のソファーに宗像先生は腰をかける。

 その際、言うまでもないが、宗像先生のおっぱいがぼよよんと跳ね上がる。

 

「白金から話は聞いている。じゃあ、願書だしてくれ」

 え? 見学じゃなかったの?

「はい……」

 俺はバッグから茶封筒を取り出し、テーブルの上においた。

「ふむ……」

 宗像先生が書類を目を通している間、俺は事務所内を見渡していた。

 殺風景で、職員も誰一人いない。

 こんな小規模で百人以上の生徒がいるとは思えんな。

 

「おい、新宮」

 呼び止められて、視線を合わせる。

「書類は全てそろっている。合格だ」

「は?」

「だから合格だ、これでこの春から晴れてお前は一ツ橋高校の生徒だ」

 ファッ!

「え? 入学試験はないのですか?」

「ないよ、そんなもん」

 キョトンとした顔で、先生は俺の反応を待つ。

「だ、だって普通は試験があるでしょ? せめて、国語、数学、英語くらいは……」

「ねーよ、んなお利口な学校じゃないぞ、ここは!」

 じゃあなんだよ! 二十字以内で答えてみろ!

「マ、マジですか……」

「大マジだ」

 

 バカみたい……俺、年末からめっちゃ中学校の教科書、復習してたのがバカみたい……。

 こんなことなら年末のタウンタウンの『絶対笑えTV二十四時間』見ればよかったよ。



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176 童貞だって恋がしたい

 

「新宮、お前はなにか勘違いしているぞ」

「勘違い?」

「ああ、そうだ。ここは不良やひきこもり。そう言ったクズどもが通う場所であり、勉学なんてもんは二の次だよ」

 おい、仮にも自分の生徒だろ? 大丈夫か、この教師。

「じゃあ、何が一番なんです?」

 

 俺の問いに、宗像先生は黙って立ち上がるのみ。

 近くの棚から汚れたマグカップを取り出すと、インスタコーヒーを入れ、お湯を注ぐ。

 

「ほれ、外は寒かったろ。飲め」

「い、いただきます……」

 すげぇ、まずそうだな。このコーヒー。

「何が一番か……といったな」

 コーヒーを啜りながら、宗像先生は窓の外を見る。

「はい。俺はガチガチに勉強するものだと思ってました」

「フッ、まあそれはよい心がけなのだろうがな……だが、ここではお前の常識は通用せんだろう」

 なんだ、その答えは……。

 

「いいか、ここはお前みたいな集団生活に馴染めなかったクズどもの通う高校だぞ? 入学試験なんか設けてみろ? 誰も来ないし、本校はつぶれるぞ? お前だってどうせ中学生時代にドロップアウトしたくちだろう?」

「う……」

 的を得ている。だが、唯一的から外れたのは、中学生ではなく、小学生時代でドロップアウトしているところだ。

 俺の腐りレベルがあがった♪

 

「ほれ見ろ、その顔はお前がひねくれものである証だな。いいか、本校一ツ橋高校はそう言ったクズどもを卒業させることを第一にした高校だ」

 なんか俺、前科者みたいな扱い受けてない?

「で、ですが、俺は真面目で通ってます。勉学だって必要とあらば、やります! そんな不良とか一緒にしてもらわないで頂きたい!」

 宗像先生の目が鋭くなる。

「お前……『自分が特別だ』とか勘違いしてないか? 私からしたらお前みたいな歪んだ無職のニートも、髪を金色に染め上げたヤンキーどもも、全部一緒だ。社会不適合者というやつだ」

 

 悔しいが、正論だ。

 集団生活にガッコウという枠内に収まり切れない俺は、確かにドロップアウトした。

 その行為自体は、確かにヤンキーなど呼ばれる類と同じ行為を働いている。

 ただ、それが社交的であるか非社交的であるかの違いだろう。

 

「なあ、新宮……お前、なんでこの高校に入学したいんだ?」

 なぜかって、その問いには床で泡を吹いているヤツにでも聞いてくれよ。

「志望動機ですか?」

「んま、そう言い方もあるな」

 いちいち人を試すような行為をしやがって、このクソビッチめが!

 

「しゅ、取材ですよ……」

「……取材? なにを取材するんだ?」

「その、10代の男女関係における恋愛です」

「……」

 沈黙が辛い。

 だがそれを破ったのはまたもや宗像先生だ。

 

「だぁはははっははは!!!」

 

「な、何がおかしいんですか!?」

「だって、お前さ……ククク。教師に面と向かって、『ぼ、僕はリアルなJKと恋愛したいですぅ!』とか宣言したようなものだろが!」

 そのあたかも、『ぼ、僕はキモい童貞ですぅ』みたいな話し方はやめろ!

 童貞は罪じゃない!

 俺を……男をぼっちにさせる女たちが悪いんだぁ!



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177 フラッシュバック

 

「そ、それは深いわけが……」

「いいぞ、お前。中々に面白いクズだ! それもとびっきりに歪んでいるな……本校の入学生だがな。今年の春にはたぶん、40人から50人は入学すると思う。そこで優秀な新宮くんに問題だ!」

 人に指差したらいけないってお母さんに習ってないの?

「?」

「一体そのなかの何割が卒業できると思う?」

 そんなクイズ聞いてないけど……これって入学試験なのか?

 バカな不良たちを差し引けばいいんだろ。

 

「半分ですか?」

「ブー、残念! 2割にも満たないぞ」

 ファッ!

「そ、そんなに卒業率、低いんですか?」

「ああ、そうだ」

 おかしい、白金の話では二週間に一回の対面授業と、「レポートを書くだけ♪」とか豪語してやがったが……。

 

「なんでそんなに低いんですか? 入学試験がない代わりに、ものすごく難しい勉強とかレポートにおける先生たちの評価が厳しいとか?」

 俺の問いに宗像先生は鼻で笑う。

「私たちはこう見えて、すっごく優しい教師だぞ♪ 正直、全日制コースの三分の一レベルの学習量だ。それに問題も下手したらそこらの中学生や小学生よりも低いときもある」

 こりゃまた幼稚なところにきたもんだ。

「な、なら、一体……」

「お前らがクズだからだよ」

「……」

 

 言い返せない。

 社会が俺を認めなかった。

 だから俺は特別な存在であることにこだわっていた。

 大人たちからは『普通』でいることを強いられ、世間的に見れば『クズ』なのだろう。

 

 

「さっきも言ったように、お前らは学校と言う場所で適応することができず、グレるか引きこもるか? の両極だろ。それが通信制とはいえ、レポートも教師が見張ってないところで、毎日自宅で勉学に勤しむことができるか? 自宅では魅力的なゲームやテレビ、インターネット。まあ新宮のような可哀そうなヤツは別だが……」

 おい、サラッと人を憐れむのはやめろ!

「ヤンキーたちはみんなでつるんで、外に遊びにいくよな? じゃあ、いつレポートを完成させる? 期日もちゃんとある。それが学生にとっては当たり前のことなのに、お前らはできない」

「そ、そんな! 俺はこの高校のために中学生時代の教科書を引っ張り出しましたよ!」

「ふふん、そいつは頑張り損だったな。だが、お前はそれこそ、それを今まで中学生時代……つまり不登校時にやっていたか? ひきこもっていた時に、自ら机の上に教科書を開く勇気はあったか? それを三年も継続させるのだぞ? お前らみたいなクズには中々に難しい作業なのだ」

 

 そう言われたらそうだ。

 白金の提案を……取材を受け入れることがなければ、教科書なんてもう少しで廃品回収行きだった。

 

「……そんな、じゃあ俺たちは一体なんのために高校に入学するんですか? 入る前に先生が『勉強もろくにできない』なんて、言われたらこっちもやる気なくしますよ」

「私が言いたいのは勉強に対するやる気ではない。継続と協調性だ」

「協調性?」

「ああ、継続はレポート。協調性はスクリーング、二週間に一回の授業だ。これがまた難しい」

 そんなものはオンラインゲームで万年ソロプレイヤーの俺には簡単に聞こえるが。

「なにがです?」

「今日は平日。本校の隣り……全日制コースの三ツ橋高校は通常通り、授業を行っているはずだ。どうだ? お前、今から体験入学しろと言われて、教室に入れるか?」

 

 

 言われた瞬間、大量の汗が吹き出す。

 教室……あそこは刑務所。人権無視。教師が君主で生徒が奴隷。

 それに気が付いたときは遅かった。

 全てが絶望へと、地獄へと、急降下。

 頭の中で、チカッチカッと花火のような眩しい光が、俺の記憶を照らし出す。

 

 

「新宮、また忘れ物か! じゃあ、頭だせ」

「なんでこんな問題で間違える!」

「お前は成績がクラスで一番悪い、今日は居残りだ!」

「こんなバカな答えがあるか! やり直しだ!」

「俺が良いと言うまで帰さんぞ。死ぬ気でやれ!」

 それを見て、誰かが俺をあざ笑う。

 

 

「見ろよ、新宮のやつまた先生に怒られているぜ?」

「バカなんだよ、正直」

「あいつムカつくんだよ、なんつーの? 空気読めないし、暗いし……」

「新宮くんも一緒にどう?」

「おいやめろよ、新宮なんか誘うなよ、暗くなるだろ」

 

 

 そうだ、ぼっちのまま俺はずっと孤立して義務教育を終えた。

 青春なんて……どこにもなかったんだ。

 楽しくもない授業を受けて、話の合わない友達と苦笑いしていることに、俺は疲れ果てていた。

 もう一人の俺が言う……。

 

「お前には無理だったんだよ」

「俺に青春なんて二文字は似合わない」

「ひきこもっているほうがお似合いだ」

「家族は優しい。だが一たびまた外に出れば、そこは戦場」

「お前に戦う意思は残っているか?」

 やめろ、やめてくれ! 誰か俺を助けてくれ! もうあんな惨めな思いをしたくない!

 

 

「…い……おい、新宮? 聞いているか? 大丈夫か、汗がすごいぞ」

 酷く動悸を感じ、俺は生きた心地がしなかった。

 過呼吸が起き、話すのもやっとだが、ここは白黒ハッキリさせたい。

「はぁはぁ……でも、俺はそんな……中途半端な生き方はしたくない……白黒ハッキリさせないと……」

「いいか、新宮。勉学なんてもん考えてるなら全日制にいけ。ここはお前らのような、普通の学校に馴染めないやつらの……そうだな、避難所みたいなものだ」

 俺はそんな可哀そうなやつじゃない! 俺は特別だ! 誰よりもすぐれている!

 学校が、周りのみんなが俺に追いついてこれなかっただけなんだ!

 天才で小説家で新聞配達でやっているんだ……。

 

「い、嫌だ……俺はそんな、できそこないじゃない……社会人だ……」

「お前が社会人だと? 笑わせるな」

 取り乱して、気がつくと、俺はタメ口で話していた。

「お、俺は働いている……そこらの十代とは……ちがうんだ……」

「何が違うんだ! 私は未成年だろうと、ちゃんと一人で生活しているやつは、社会人として認めてやる。だが、お前はそこらの十代と何ら変わりない! お前は実家暮らしだろうが!」

「か、金なら……ちゃんと母さんに入れている……」

「あのな、それは独り立ちとは言えない。ちゃんと一人で家賃を払い、家事も自分でこなし、身の回りは全て自分で出来てこそ、立派な大人。社会人と言えるのだ。収入があるから社会人と思ったら大間違いだぞ」

「じゃあ……い、今の俺は?」

「ふむ、無職ではないのだろうが、正社員でもないし、かと言って収入だけ食っていける甲斐性もなし。まあ中途半端な状態と言えるな」

 俺が一番嫌いな言葉だった。

 

「いやだ……そんなの。俺は白黒ハッキリさせないと……気が済まないんだ……」

「いいじゃないか、グレーゾーンがあっても」

「そんなの……ただの気休めだ……」

 

 

 宗像先生は俺の顔を見て「お前はもう帰れ。白金は私があとで送る」と言った。

 俺は動悸と過呼吸で、頭がグラグラと揺れる。

 思い出したんだ……ガッコウなんてもんがどれだけクソな場所だったってことがさ……。

 

 フラフラになりながら、やっとのことで、俺は帰宅できた。

 ベッドに直行すると、宗像先生に言われたことが頭から離れない。

 このまま、あの地獄へと戻るのは絶対に嫌だ。

 そうだ、入学式で断ろう。

 俺には向いていない……。



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178 そして、また戻る。(挿絵あり)

 

 断るはずだった。

 親父から借りたスーツのポケットに入れておいた退学届を、帰り際に出そうと思っていたのに。

 俺があいつに出会ってしまったのが、予想外だったんだ。

 

「おい、お前! さっきオレにガン飛ばしたろ?」

 

 あいつはいわゆるヤンキーで、初対面の俺にケンカを売ってきた。

 俺が勘違いじゃないか? と答えたが、あいつはそんな答えでは満足しない。

 

「じゃあ……じゃあ、なんでオレの方を見てた!」

 あいつは入学式だというのに、肩だしのロンT。中にはタンクトップが見える。そして、ショーパン。

 という……露出の激しい格好で来やがった。

 正直いって俺のどストライクゾーンだった。

 

「かわいいと思ったから」

「……」

 

 一言。そのたったひとことが俺の失敗でもあり、はじまりでもあった。

 

「オレは……オトコだぁぁぁぁぁ!」

「へ?」

 

 そうしてあいつは、俺めがけて奇麗なストレートパンチをお見舞いした。

 

「な、なにをする! 初対面の人間に向かって!」

「うるせぇ! お、お前がオレに……オレにか、かわいいとか言いやがるからだ!」

「かわいいと思ったことが何が悪い!」

 

 あいつが男だとは思えなかった。

 声も女のように甲高いし、見た目は100パーセント、女だ。

 

 そう俺だけがそう見えていたのかもしれない。

 こいつはまごうことなき、男子だったのだ。

 

 なのに、俺の胸は高鳴っていた。

 あいつとの出会いに……ぼっちの俺でも、こいつとなら何か変われそうだって。

 そう思ってしまう自分がいた。

 

 

 何度もガッコウをやめようと思っていた。

 だけど、それをあいつが阻止するように、俺にグイグイ来やがる。

 その積極的な行動に、社交的なあいつに圧倒されていた。

 

 気がつけば、俺はあいつに告白されて、男だからって断って、女だったら良かったなんて……。

 酷いことを言っちまった。

 なのに、なのに。

 あいつはあきらめない。俺のことを見捨てなかった。

 

 今まで出会って来たどんなヤツよりも、逞しくて、すごいやつだってことに気がついた。

 その時は、もう遅かった……。

 

 

「あ、あの……わたし……」

 

 目の前には妖精、天使、女神……どの言葉でも表現が足りないぐらいの美人が立っていた。

 胸元に大きなリボンをつけて、フリルのワンピースをまとった女の子。

 カチューシャにも同系色のリボンがついている。

 美しい金色の髪を肩から流すようにおろしていた。

 時折、風でフワッと揺れる。

 

「キャッ」とスカートの裾を手で必死に押さえる姿はとても女の子らしい仕草だ。

 

 

「わたしじゃ……ダメですか?」

 

【挿絵表示】

 

 

 そう。あいつはこんな俺のために、自分を押し殺して女のふりまでして、ずっと一緒にいてくれる……そんな憎めないやつだった。

 

 だから、俺は退学届を破って捨てた。

 こいつとなら、しばらく学園生活をやっていけそうな自信がわいたから。

 もう少し、もう少しだけ、頑張ってみよう。

 ミハイルと一緒なら……



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第二十二章 第一次テスト大戦
179 試験前は禁欲が常識


 

 五月も終わりを迎えるころ、自宅に一通の手紙が届いた。

 送り主は、一ツ橋高校の宗像 蘭先生。

 

 なんか久しぶりだな。この人。

 最近はミハイルとキャッキャッやってたから、存在感が薄すぎるわ。

 そうかわいそうに思いながら、封を破る。

 中に入っていたのは、一枚の用紙。

 

 手書きで殴り書きしてある。

 

『次回のスクリーングから春期試験を始める! 二回やるからしっかり勉強しておけ! 尚、出題範囲は返却されたレポートのみ!』

 

「あ、もうそんな時期か」

 

 いわゆる期末試験ってやつだ。

 一ツ橋高校は、レポートとスクリーングの出席。それから期末試験で一定の成績を残すことで、今期の単位が取得できると聞いた。

 スクリーングに行く度に、提出したレポートが返却される。

 大体6枚ぐらいの小テストだ。

 こんなものは暗記するまでもない。

 それに中学生時代のおさらいだしな。下手したら、小学校より低レベルな問題も多い。

 

 

 アホらしいと、俺は宗像先生の手紙をゴミ箱に捨てようとした。

 すると、用紙の裏に何かがクリップで挟んであることに気がつく。

 

「なんだ?」

 

 クリップを外してみると、そこには一枚の写真が……。

 恐る恐る覗いた。

 

 セーラー服姿の宗像先生が、一ツ橋高校いや、三ツ橋高校の教室内で股をおっ開けていた。

 仮にも教師だというのに、日頃全日制コースの生徒が勉強している机の上に、尻を乗っけて、グラビアアイドル顔負けのなまめかしいポーズをとっている。

 紫のレースパンティーが丸見え。

 しかも、自身の唇で襟を掴み、裾をまくり上げている。

 つまりパンティと同系色のブラジャーが露わになってしまうのだ。

 

「おえええ!」

 

 俺は自身の部屋のゴミ箱にゲロを吐いてしまう。

 

 それを聞きつけた妹のかなでが、部屋に飛び込んできた。

 

「おにーさま! どうなされましたの!?」

 涎を垂らしながら、肩で息をする。

「ハァハァ……セクハラテロだ……」

 そう言って、写真をかなでに手渡す。

「あら、この方で使ったんですの?」

「んなわけあるか! 捨てておいてくれ……」

 もう見たくないので、妹に処分をお願いしておいた。

 

「捨てるなんて勿体ないですわ……そうですわ! この写真をネットオークションに出品して、お小遣いにしましょう♪」

 そう言って、かなでは自室のパソコンを起動し、宗像先生をスキャンし出す。

 マジで出品されてて草。

 ざまぁねーな。

 俺は知らん。

 

 

   ※

 

「ま、一応、レポートを見直しておくか」

 気を取り直して、久しぶりに机に座る。

 返却されたレポートに目をやると、全問正解で余裕だった。

 幼稚すぎる問題ばかりだからな。

 こりゃ単位取得も楽勝ってもんだ。

 鼻で笑い、机の引き出しにレポートを直そうとしたその時。

 

 スマホからアイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が流れ出す。

 俺のお気に入りソング、『幸せセンセー』だ。

 ああ、癒される。

 

 着信名はミハイル。

 

「もしもし?」

『あ、タクト☆ 捕まってよかったぁ☆』

 え? 俺、逮捕されたの?

「な……なんのことだ?」

『あのさ、宗像先生から手紙きた?』

「きたぞ。試験のことでだろ」

『う、うん……それで困ったことがあってさ…』

 なんだ? まさか試験勉強を一緒にしようってか?

 この低レベルなレポートは勉強するまでもないぞ。

 暗記してオワタ! なんだから。

 

「それで? なにが困ったんだ?」

『あ、あのね……返してもらったレポート。試験に出るって知らないで捨てちゃったの……』

 ファッ!?

「な、なるほど……。つまり俺のを貸してほしいわけか?」

『うん☆ いい、かな?』

 顔を見えんがきっと、ミハイルのことだ。上目遣いで頼みごとをしているのが想像できる。

 ダチだからな。仕方ない。

「構わんぞ。いつ取りにくる?」

 自然と笑みがこぼれる。

 学校以外で会えるってのが嬉しいんだろうな。

『ありがと☆ じゃあ、今からタクトん家に入るね☆』

「え?」

『オレ、今家の下にいるからさ☆』

「な、なに?」

 

 そう言った時には、もう既に足音が階段から聞こえてきた。

 トタトタと子供のような可愛らしい小走りで。

 

 バタン! と音を立てて、自室の扉が開かれる。

 

「タクット~☆ 久しぶり~!」

「お、おう……」

 相変わらずの馬鹿力で、ドアを開けたため、少し歪んでしまった。

 初夏も近づいたこともあり、彼の装いも一層露出が増す。

 薄い生地のタンクトップにショートパンツ。

 思わず生唾を飲みこんでしまう。

 

 先ほどの宗像先生とは違って、俺はリバースしない。

 その美しい姿を学習机のイスに腰をかけたまま、見とれていた。

 

「ねぇ、タクトのレポートってどこにあるの?」

 固まっていた俺を無視し、ミハイルはズカズカと部屋に入り込む。

 俺の机に手をつき、腰をかがめる。

 自ずとタンクトップの襟元が緩み、胸元が露わになる。

 ピンクの可愛らしいナニかが見えそうだ。

 視線をそらす俺に対し、首をかしげるミハイル。

 

「タクト? 聞いてる? オレ、早く帰ってべんきょーしないと……タクトと一緒に卒業したいからさ」

 そう言って、口をとんがらせる。

 もちろん上目遣いだ。

 彼のエメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝く。

 クッ! 犯罪的な可愛さだ。

 抱きしめたいぜ、ちくしょうめが。

 

 俺は咳払いしてから、引き出しにおさめようとしたレポート一式を彼に手渡す。

 

「ほれ」

「ありがと☆ この借りは絶対に返すからな☆」

 いや、なんか復讐されそうな言い方やめてね。怖い。

「いらぬ気遣いだ。俺とミハイルの仲だろが……」

 言いながらもちょっと照れくさい。

「だよな☆ オレたち、マブダチだもんな☆」

 太陽のような眩しい笑顔がはじける。

 フォトフレームにおさめたいぜ。

 

「ところでタクトってさ……」

 笑ったかと思うと、急にもじもじし出すミハイル。

 なんだ? 聖水か?

 お花畑なら部屋を出て、廊下の奥にあるぞ。

「あん? なんだ?」

 顔を真っ赤にして、何か言いづらそうだ。

「あのね……タクトの誕生日っていつ?」

「なんだ。そんなことか…」

 

 取材のためにチューしたい! とか言うのかと期待してしまったじゃないか。

 返せよ、俺の心の準備。

 しかし誕生日なんて聞いてどうするんだ?

 俺のぼっちを笑いたいのか?

 

「誕生日は6月7日だよ」

「え!? もうすぐじゃんか! なんでそんな大事なことを早く教えてくれなかったの!?」

 恥ずかしがっていたくせに、急に怒り出す。

「なんでって言われてもな……別に聞かれたことないし。ミハイルになんの関係があるんだ?」

 俺がまた童貞として、一つ年を重ねるだけの哀れな記念日だぞ。

「関係あるよっ!」

 机を叩いて、怒りを露わにする。

 こわっ……。

「いや、なんかごめん」

 俺悪い事した?

 

「あと一週間もないじゃん!」

「確かに五月も終わりだしなぁ」

「こんなことしてられない! オレ、もう帰るよ!」

 そう言い残すと、ミハイルは当初の目的であったレポートを雑に握りしめ、嵐のように去っていた。

 

「なんだったんだ、一体……」



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180 バイトの面接官は遊び半分

 

 あっという間に6月に入り、初めての期末試験となった。

 先週、ミハイルにレポートを貸したが、俺はなにも困ることはない。

 なぜならば、小中学のおさらいだから頭にちゃんとインプットされているからだ。

 勉強する必要性がない。

 むしろ、あの低レベルな勉学をするぐらいなら、小説を書いていた方がマシだ。

 

 だが、ミハイルは心配だ。

 あいつも頑張っているようだが、前回のレポートの結果はCぐらいだったもんな。

 このままだと、一緒に卒業って彼の夢も砕け散るかもしれない。

 しかし、こればかりはミハイル自身の努力にゆだねるしかあるまい。

 

 俺は、そう胸に不安を抱えつつ、小倉行きの電車に乗った。

 いつもなら、ミハイルの住んでいる席内駅でショーパン姿の彼が飛び込んでくるはずのなのだが……。

 虚しく、ドアの音がプシューと言って閉まってしまう。

 

「ん、遅刻か?」

 

 珍しい。

 ミハイルと言えば、おバカさんだが、俺と学校に行くのは嫌ってないし、むしろ遊ぶ時なんかは遅刻なんて絶対しない。

 下手したら待ち合わせより2時間も前に到着するような、ストーキングのスキルを持っているやつだ。

 おかしいな。

 体調でも崩したか?

 

 

 赤井駅に到着して、ミハイルに電話したが、それでも一向に連絡が取れない。

「どうしたんだ?」

 首をかしげながら、とりあえず、俺だけでも一ツ橋高校に向かうことにした。

 

 その間もずっとスマホとにらめっこ。

 着信があるのでは? とずっと待っていた。それでも全然かかってこない。

 

 高校の名物、長い坂道『心臓破りの地獄ロード』を登っていると、隣りの車道をバイクが走ってくる。

 千鳥 力と花鶴 ここあの二人だ。

 

「よう! タクオ! ミハイルは一緒じゃないのか?」

 

 バイクを坂道で止めて、俺に声をかける。

 

「ああ、それが連絡がつかなくてな……」

 なんとなく、隣りにミハイルがいないことに寂しさを感じた。

 いつもならずっと金魚のフンのようにくっついてくるのに……。

 一人だと、こいつらバカみたいなやつでも話しかけてくれるだけで、ホッとする。

 

「そっかぁ。ミハイルも年頃だからな。自家発電じゃね?」

 そう言って、朝も早くから大きな声で下ネタを吐き、笑いだす。

 なんでもかんでも、男を自家発電のせいにするのやめてください。

 仮にもミハイルですよ?

 あの純朴な。

 お宅と一緒にしないであげてください。

 

「それはないだろ……」

 呆れた声で否定する。

 俺がそう言うと、後部座席に座っていた花鶴がパンツ丸見えでこう言う。

「オタッキーの方が抜きすぎてバテてんっしょ!」

「ああ、そうかい……」

 もうどうでも良くなっていた。

「え~ マジで抜きすぎて元気ないじゃ~ん。あとで学校のトイレでもう一発しとけば?」

 なんで元気ないのに、また体力使うんだよ。

「はいはい……」

 俺はそう言うと、彼らを無視して、坂道を登りだす。

 付き合ってられない。

 

「じゃあまたあとでな~ タクオ!」

「抜きすぎ注意っしょ!」

 うるせぇ……。

 男性差別だろ。

 

   ※

 

 教室についても、俺はソワソワしていた。

 ホームルームに近づくというのに、ミハイルの姿が見えない。

 まさかと思うが、テスト勉強を徹夜でしていて、寝落ちってパターンか?

 う~ん、わからん。

 

 結局、ミハイルがこないまま、ホームルームが始まった。

 俺の左隣には、テストなんてそっちのけの腐女子。北神 ほのかが机で卑猥なBLマンガのネームを描いている。

「ひゃっひゃっ……描くぞ描くぞぉ。商業デビューしたら、印税で同人誌を買いまくるんじゃあ!」

 涎を垂らしながら、原稿と向き合う変態女子高生。

 ていうか、あなたデビュー前から買い漁ってるでしょ……。

 

 教室にツカツカとハイヒールの音が近づいて来る。

 淫乱教師、宗像先生の登場だ。

 相変わらずのいやらしい格好で、今日は何でか知らんが超絶ミニのチャイナドレス。

 胸元に大きな穴が開いていて、胸の谷間はもちろん、ブラジャーまではみ出ている。

 エグすぎる……。

 

「よ~し! 楽しい楽しいホームルームのはじまりだぁ! 出席を取るぞ!」

 

 マジか。もう始まっちゃったか……。

 ミハイルのやつ、間に合わなかったな。

 彼が遅刻したことを、自分のことのように悔やむ。

 

 その時だった。

 ピシャン! と勢いよく教室の扉が開かれる。

 俺はその姿を見て、思わず席から立ち上がってしまった。

 

 そうだ、俺がずっと待っていたその人だったからだ。

「ミハイル……」

 口からそう漏らす。

「すんません! 遅れました!」

 息を荒くして、汗だくで現れた。

 純白のタンクトップはしっとりと濡れていて、スラッと伸びた細い太ももは陽の光でキラキラと輝いている。

 天使様の降臨じゃ!

 

「おう! 古賀が遅刻とは珍しいなぁ」

「はぁはぁ……間に合ってよかった☆」

 手で汗をぬぐいながら、教室に入る。

 

「タクト! おはよう☆」

 ニカッと白い歯を見せ、笑って見せる。

 心配させやがって……。

「ああ……おはよう」

 安心した俺はミハイルと一緒に席に座りなおす。

 

 宗像先生が点呼を取り始める。

 その間、俺は右隣りに座ったミハイルに小声で話しかける。

 今も彼は汗だくで息が荒い。

 ピンクのレースハンカチで、頬に垂れる雫を拭う。

 

「なぁ、ミハイル。お前が遅刻なんて……どうしたんだ?」

「ごめん。オレ今バイトやってからさ☆」

「えぇ!?」

 思わず大きな声で反応してしまった。

 

 それに気がついた宗像先生が、俺めがけてチョークをぶん投げる。

 

「くらぁっ! 私語は慎め、新宮! ブチ殺すぞ!」

 いや、額からなんか暖かい液体が流れてくるのを感じるんすけど。

 もう死んでません?

 

「す、すいません……」

 冷静さを取り戻し、またミハイルに質問する。

 

「バイトってなんでだよ。お前はヴィッキーちゃんが働いているから、金には困ってないだろ?」

「いや、それはその……欲しいものがあって……な、な、ナイショだよ! 」

 急に顔を真っ赤にして、俺から目を背ける。

 なんだ、怪しいぞ。

 ダチの俺に話せないような、やましいことでも始める気か?

 

「そ、それより、タクト。テスト頑張ろうな! オレ、タクトから借りたレポートでしっかり勉強してきたゾ!」

 俺はそれを聞いて顎が外れるぐらい、大きく口を開いてみせた。

「なっ! ミハイルが試験勉強だと……」

「へへん、驚いたか☆」

 ない胸をはるな!

「バイトもやって、勉強もやってたから……遅刻したってことか?」

 俺がそう言って見せると、ミハイルは照れくさそうに笑う。

「ま、まあな☆ 慣れないことしたから、ちょっと疲れちゃって……」

 

 よく見れば、彼の目元には大きなクマができていた。

 その顔を見てすぐに理解した。

 頑張ってるな、こいつ……無理しやがって。

 

 お母さん、泣けてきちゃったわ。

 

 



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181 男の娘差別

 

 結局、なぜミハイルがバイトを始めたのかは聞きだせなかった。

 とりあえず、ホームルームを終えて、初めての期末試験が始まる。

 

 午前中の4時限目まで全部ペーパーテスト。

 午後からは音楽の試験があるらしい。内容は担当の光野先生しか知らないのだとか。

 

 チャイムの音が鳴り、各々が選択している科目の教室に散らばっていく。

 一ツ橋高校は単位制なので、全日制の高校を中退したり、編入してきた生徒たちがいるため、全員が全員、同じ科目を受けるとは限らない。

 といっても、俺たち00(ゼロゼロ)生はみなほぼ同期なので、自ずと固定されたメンバーだ。

 

 教室に残ったのは、いつも通り、俺とミハイル、北神 ほのか。

 千鳥 力に花鶴 ここあ。それに日田の双子。

 そんなもんか。

 

 一時限目のテストは現代社会。

 例によって、オタクっぽいもっさりとした、無精ひげの若い男性教師が「ふぅふぅ」と言いながら、プリントを持って教室に入ってくる。

 しばらく見ない間に、長髪になっていた。

 髭もネクタイまで伸びていて、どこかの尊師みたいだ。

 眼鏡が曇っていて、不審者にしか見えない。

 

「それじゃ、プリント配るから後ろに回してね」

 

 そう言うと、一番前の机に用紙を置いていく。

 受け取った生徒が次々に後ろの席へと渡していった。

 俺もそれを受け取ると、振り返って次の生徒に渡そうとする。

 だが、相手はいびきをかいて眠っていた。

 ギャルの花鶴 ここあだ。

 机に足をのせて、股をおっ開けている。

 つまりパンティどころの話ではない。

 

「お、おい! 花鶴! テスト始まるぞ!」

 一応、彼女の足をつかんで揺さぶる。

「ふががっ……」

 口を大きく開いて涎を垂らしていた。しかも白目向いて寝てやがる。

 なんて下品な女だ。

「起きろって!」

 ペシンと彼女の脚を叩く。

「ふごっ! ん? なぁに……オタッキーってば?」

「なにって……ほら。テストだよ。お前の分をとって後ろに回せよ」

「ハイッハイッ…」

 そう言って、プリントを受け取り、雑に後ろへと回す。

 一連の行動を終えると、あろうことか、テストを机に置いてまた眠りに入る。

「ふごごごっ」

 なんてやる気のないやつだ。

 もう、花鶴は単位取れないな。

 

 心配になって、右隣りのミハイルに目をやる。

 俺の不安をよそに彼は本気のようだ。

 しっかり筆箱を用意して、真剣な目つきでプリントと睨めっこ。

 ほう、やる気のようだな。

 

 そして、教師が「では始め」と合図を出す。

 一斉に鉛筆の「カッカッ!」という音が教室中を駆け巡る。

 もちろん、俺もそのうちの一人だ。

 

 試験の内容は、宗像先生の予告通り、レポートの復習だった。

 暗記するまでもない。

 俺はスラスラと空欄を埋めていく。

 気がつけば、10分で書き終えていた。

 

 内容も酷いが、レポートさえあれば、こんなの楽勝じゃないか。

 鼻で笑うと、俺はプリントを裏返して、教室の時計に目をやる。

 それに気がついた教師が俺に声をかける。

「あ、もう終わっちゃった? 悪いけどみんなが終わるまで待っててね」

「はぁ……」

 

 別にカンニングするつもりはないが、暇だったので、クラスの中をグルッと一望する。

 俺みたいにさっさと終わっちまう生徒はごくわずかだ。

 日田の兄弟は余裕だったようで、テストそっちのけで、アイドルの話をしている。

 

「兄者、今期のあすかちゃんのライブはどうなされますか?」

「ふむ。10万は課金しよう」

 

 あんな奴にそんな大金を貢ぐのかよ……。

 

 左隣りに座っている北神 ほのかは、かなり苦戦しているようだった。

 

「ん~っと……これなんだっけ。徹夜でネーム書いてたから、覚えてないよぉ」

 そんなことしてりゃ、覚えるわけないだろ。

 俺が呆れていると、以外なことに助け舟が渡ってくる。

 

 現代社会の尊師だ。

 試験に不正行為がないか、教室をウロチョロしていた。

 時折、立ち止まっては、生徒の書いているプリントを覗き込む。

 ただし、女子のみだ。

 男子はガン無視。

 

 息を荒立てて、「はぁはぁ……」上から女生徒の胸元をのぞくように、見張っている。

 キモッ。

 

 ほのかの席の前に立つと、じーっと彼女を見つめる。

 隣りから見ていると、彼女のふくよかな胸を眺めているようにしか、感じない。

 しばらく黙ってほのかを監視していたと思っていたら、急に尊師の手がサッと動く。

 彼女の指を自身の手でどかして、「これ違うよ」と言う。

 

「えっ……」

 

 俺は思わず声に出していた。

 次の瞬間、尊師は小声でほのかにささやく。

 

「この問題は三択だよね。答えはB。あと、こっちの問題も間違ってるよ? これはね……」

 

 おいおい、なに言いだしてんの? この先生……。

 不正どころか、答えを教えてやがる。

 今日って期末試験だよね?

 授業じゃないよな……。

 

「あっ、そっかぁ。ありがとうございますぅ~」

 すんなり受け入れるほのか。

 尊師は別に悪びれる様子もなく、「うん、いいよ。また分からないとこあったら声をかけて」なんてほざきやがる。

 どういうことだってばよ?

 

 その後も尊師は、教室中の生徒に声をかけては次々と答えを言ってしまう。

 だが、助言するのは女子のみだ……。

 なぜか、男子には声をかけない。

 意味がわからん。

 

 俺は初めて見るその光景に、呆然としていた。

 

「うーん……これって、えっとぉ……あっ! そっか、思い出したぞ☆」

 

 ふとミハイルに目をやる。

 必死になって、答えを思い出しているようだ。

 対して北神 ほのかや他の女子生徒たちは楽して、試験を終えていく。

 

「はぁ~ 書けてよかったぁ!」

 

 そう言って背伸びをするほのか。

 ブラウスのボタンがはじけそうなぐらい胸が前にのめりだす。

 

「えっと……これはなんだっけ? 思い出さなきゃ、タクトから借りたレポートを……」

 

 額に尋常ないぐらいの汗をかいて、答えを絞り出すミハイル。

 健気だ。

 あのおバカなヤンキーがここまで、真面目に勉強しているなんて……。

 よっぽど、俺と一緒に卒業したいらしい。

 

 しかし、なんだ。

 わかりやすいほどに、男女差別が激しいな。

 ミハイルは天使のような可愛さだというの、男だってだけで、教師は答えを教えてくれないだもんな。

 だが、こればっかりは努力でどうにか這い上がってもらうしかない。

 不正行為は良くないし。

 がんばれ、ミハイル!

 

 俺は両手を合わせて、祈りを捧げる。

 無神論者なくせに、こういうときだけ人間ってのは、信心深くなるんだな……。

 どうか、ミハイルが合格できますように。

 

 目をつぶって、そう願掛けをしている最中だった。

 背後から声が聞こえてくる。

 

「ねぇねぇ、キミ」

 尊師の野太い声だった。

 

 俺を呼んだと思って振り返る。

 すると予想は外れていて、教師が声をかけたのは、未だに夢の中の花鶴 ここあだった。

 

「ほがっ! ん……なに? しんしぇ?」

 相変わらず涎を垂らして、アホ面でそう答える。

「テスト中だよ。ちゃんと書いて」

 答えを教えまわるお前には言われたくないけど。

「えぇ……めんどくさいっしょ~」

「キミねぇ、ちゃんと卒業したいんでしょ? 僕が今から答えを言うから……」

 教えるんかい!

「わーったよ。なんであーしが、こんなの書かなきゃいけないっしょ」

 そうブツブツ言いながら、尊師お言葉に沿って、空欄を埋めていく花鶴。

 

 一方で、俺の隣りにいるミハイルは、眉間に皺を寄せて、奮闘していた。

 

「あともう一問……んっと、タクトはなんて書いてたっけ……」

 

 泣けてきた。俺の書いた字を思い出しているんだな。

 偉いぞ、ミハイル。

 そしてくたばれ、このクソ差別教師がっ!

 答えを教えて、ワンチャンJKとお近づきにでもなりたいんだろ。

 

「ここはね、こうだよ」

「あーマジ? 先生って頭いーね♪」

「ハハハッ! 僕は教師だからさ……」

 

 わからんが、この胸に沸々と湧き出る感情は、殺意ってやつか……。

 

 だが、一方でイレギュラーは存在するものだ。

 花鶴の隣りに、一匹の赤いタコがいる。

 

「クッソ~! わかんねぇ!」

 

 ハゲの千鳥 力だ。

 うん、君は自分でがんばりましょう。

 見た目おっさんだし、可愛くないから、俺もスルーで……。

 

 

 



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182 歌う時は音痴でも絶叫すれば、どうにかなる

 

 午前のペーパーテストは全て終了した。

 と言っても、一時限目の現代社会の教師と同じく、試験中にも関わらず、先生が筆記している生徒に答えを教えてしまうというチート行為。

 だが、女子に限る。

 

 そのため、ミハイルはかなり苦戦していた。

 お昼休みに入ると、食事を取るのも忘れて、机に伏せてしまった。

 慣れないバイトや試験勉強で、空腹より睡眠を欲していたらしい。

 俺のお手製卵焼きを食べることなく、夢の中だ……。

 かわいそうに。

 

 

   ※

 

 午後になり、音楽を選択していた俺は今日のスクリーング予定表に目をやる。

 

『音楽の試験会場は追って報告する』

 

 とある。

 

 もう授業が始まるのだが……。

 習字を選択していた千鳥と日田の兄弟は、先に教室を移動していった。

 

 残されたのは、俺とミハイル。それに花鶴 ここあと北神 ほのか。

 主に女子が多い。

 シーンとした教室に、ツカツカと足音が近づいて来る。

 その正体は、音楽担当の光野先生ではなく、宗像先生……。

 

「よぉ~し、音楽の試験を受けるやつはこれだけだな」

 

 腕を組んで、一人納得する宗像先生。

 すかさず、俺がツッコミをいれる。

 

「宗像先生。なんで先生がいるんです? 音楽担当じゃないでしょ……」

 俺がそうぼやくと、宗像先生はアゴ外れぐらい大きく口を開いて、笑いだす。

 

「だぁはははっははは!」

 

 ノドチンコが丸見えだ。そんな下品な笑い方だから、嫁の貰い手がないんだよ。

 

「光野先生は、急遽お休みになられたそうだ! だからこの美人教師、蘭ちゃんが代わりに試験官になってやる!」

 ファッ!?

 お前に音を楽しむことなんて、教えられないだろうが……。

 想像しただけで、寒気を感じる。

 

 俺が黙りこくっていると、宗像先生がそれを見て、自身のふくよかな胸をボインと叩いて見せる。

「新宮。この私じゃ、音楽を教えられないとでも言いたげだな……だが、しかぁし! こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたから安心しろ!」

「秘策ですか……」

「うむ! では、部活棟にある音楽室に移動するぞ!」

「は、はぁ……」

 

 とりあえず、俺はまだ眠っているミハイルを起すことにした。

「ムニャムニャ……いらっひゃいませ…」

 寝言か、しかし夢の中でなにをしているんだ?

 バイトの夢か……。

「ほら、起きろ。ミハイル」

 彼の細い腕を掴むと、「キャッ!」と甲高い声をあげて飛び上がる。

「しゅ、すいません! お客様!」

 立ち上がって、頭を垂れるミハイル。

「え?」

「あ……タクト…」

 やはり夢の中で仕事をしていたようで、俺を客と勘違いしていたようだ。

 目と目があい、夢から覚めたミハイルは顔を真っ赤にしている。

「あ、あの……違うから。これは違うんだよ?」

 なんか必死に訴えているが、小動物みたいで仕草が愛らしい。

「気にするな。仕事ってのは大変だからな。とりあえず、教室を移動しよう」

「う、うん……」

 久々に、ミハイルの親友『床ちゃん』とにらめっこか……。

 元気してた?

 

 

   ※

 

 宗像先生によって、集められた生徒一同。

 音楽室に入ると、前回とは違い、吹奏楽部の連中は一人もいなかった。

 円を描くようにパイプイスが並べられ、部屋の真ん中に大きな機械が立っていた。

 古いカラオケボックスだ。

 

「さ、好きなところに座れ! あと出席カードをちゃんと取っておけよ」

 ニッコリと笑って見せる宗像先生。

 いや、これのどこが試験?

 

「せ、先生? カラオケでなにするんですか?」

「なにってお前……そりゃ歌うんだろ」

「……」

 少しでもこのバカ教師に期待した俺が、アホだった。

 

 仕方なく、カードを取り、イスに腰をかける。

 ミハイルも俺の右隣りに座った。

 

「オレ、カラオケって初めてなんだ☆ 楽しそう☆」

「え……ウソだろ?」

 なに、この子。超かわいそう。

「ねーちゃんがカラオケは危ないところだって、行かせてくれなかったんだ」

「危ない?」

「うん、なんかね。オフ……なんだっけ? パ……」

 と言いかけたところで、俺は彼の小さな唇に手を当てる。

「ふごごっ」

「それ以上は言わなくていい……」

 あ、察し……。

 確かにヴィッキーちゃんの危険性も考慮すべきかもな。

 ミハイルがカワイイから……。

 

 

   ※

 

 みんなパイプイスに並んで座ったところで、宗像先生がマイクを片手に説明を始める。

 

「え~ 今日は音楽担当の光野先生が不在で誠に申し訳ない。光野先生は全日制コースの吹奏楽部がコンクールに出場するため、私が代理で本試験を担当することになったので、よろしく♪」

 よろしくじゃねぇー!

 光野先生って、本当に吹奏楽部のことしか考えてないだろっ!

 前の授業も全然勉強させてもらえなくて、2時間もひたすらあのオヤジの生ケツを見せつけられるという苦行だったのに……。

 てか、コンクールもあのブーメランパンツで出場するのだろうか。

 予選で落ちろ。

 

 俺の憤りをよそに、宗像先生は試験の説明を続ける。

 

「知っての通り、私は本来、日本史を教えている立場だ。だから、自慢じゃないが音符なんて一つも読めない。なので、こんなときのために、じゃじゃ~ん! カラオケボックス~!」

 って、最後に国民的な万能ネコ型ロボットの真似すな!

 

「ルールは簡単だ。歌って採点の点数がまあ……そうだな。5点を超えてたら合格だ」

 ファッ!?

 楽勝すぎだろ。落ちるのはどんなジャイ●ンだ。 

 

「じゃ、ここはまず00生の代表ともいえる新宮から歌ってもらおうか」

「え、俺からっすか……」

「ああ。お前が一番でいいだろ。出席番号も一番だし」

 そうだった。忘れてた……。

 宗像先生に笑顔でマイクを手渡される。

 

「がんばれ、タクト☆」

 小さな胸の前で拳を作るミハイル。

 くっ!? こいつの前では格好いいところを見せたいもんだ。

 選曲はやはり、あの曲しかあるまい。

 俺がこの世で最も尊敬する芸人であり、作家であり、映画監督でもあるタケちゃんの名曲……。

 

「宗像先生、‟中洲キッド”でお願いします」

 この曲なら間違いない。毎日お風呂で歌ってるし。

 俺にそう言われて、曲のファイルをめくる先生。

 しばらく調べていたが、程なくして顔をしかめる。

 

「すまん、新宮。その曲、ないわ」

「えぇ……」

 俺はあの歌ぐらいしか、知らんぞ。

 あとは洋楽しか好まないから、英詩なんて無理だよ。

「そうだなぁ……この機械、昔のだから古い曲しかないんだよ。軍歌とか演歌とかそんなんばっかりだな」

 昭和ってレベルじゃねー。

 どこの老人ホームだよ。

 終戦して何十年経ったと思ってんだ。

「歌う曲がないなら、無理じゃないですか……」

 そう肩を落とすと宗像先生が再度ファイルをながめる。

「んん~ あ、これなんかどうだ? 割と最近のやつだし、ヒットしたやつだから新宮でもわかるだろ」

 俺の確認も取らず、番号を機械に打ち込んでいく宗像先生。

 モニターに映し出されたのは、確かに大ヒットを飛ばした名曲。

 

『タンゴ四兄弟』

 

「……」

 絶句する俺氏。

「さ、時間も限られてる。もう歌っちまえ、新宮」

 ゲラゲラ笑って、腹を抱える宗像先生。

「ガンバッ! タクト☆」

 ええい、ままよ!

 

「箸に突き刺して、ナンボ……ナンボ…」

 

 一本調子で歌い続けた。

 採点の結果は、42点……。

 なんとも言えない採点に俺は愕然とした。

 

 次にミハイルがマイクを手に取ると、彼は嬉しそうにこう叫ぶ。

「宗像センセッ! オレ、『ボニョ』がいいっす」

「おお、それならあるぞ」

 あるんかい!

 

 そうして、ミハイルは腰をフリフリしながら、楽しそうにボニョを歌うのであった。

 彼の美しく透き通った歌声が、部屋中に響き渡る。

 

『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』

 

 癒されるぅ~ 

 結果は驚異の98点。

 ミハイルがこの日、最高の点数を叩き出したのであった。



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183 バカヤロー! サプライズってのはこうするんだよっ!

 

 音楽の試験……というか、ただのカラオケ大会は無事に終了した。

 もちろん、宗像先生の言った曲の採点が「5点以上」はみんな余裕でクリア。

 全員がホッとしたのであった。

 

   ※

 

 帰りのホームルームがはじまる。

 

「えぇ~ 諸君! これにて本日の試験は終了だ! だが、再来週に二回目の試験が残っているからな。気を抜くなよ。んで、次回の体育の実技なんだが、前に三ツ橋から寄付してもらった体操服を持ってくるように!」

 いや、あれパクッたやつじゃねーか。

 

 それを聞いてなぜか隣りで喜ぶミハイル。

「そうだった☆ タクトの好きな服だもんな、ちゃんと着てくるよ☆」

 ええ……ブルマで学校に来るの?

 ちょっと、さすがにしんどい。

「それはやめておいた方が……」

「え、なんでぇ?」

 上目遣いして、緑の瞳を輝かせる。

「ま、まあ、ミハイルがいいなら良いんじゃないか?」

「うんうん☆」

 マジでいいの?

 もう人格が破綻してない……あなた。

 

 

 こうして、第一回目の期末試験は終わりを迎えるのであった。

 俺はテストの成績に自信があるのだが、ミハイルが心配だ。

 音楽の試験に関してはクリアしているけど、ペーパーテストの方がな。

 かなり苦戦していたように見える。

 

 試験を終えて、安心しきったのか、ミハイルは帰り道、歩きながらウトウトしていた。

 よっぽど疲れているんだな。

 帰りの電車内でも、俺の肩の上に寄っかかると、スゥスゥと寝息を立てていた。

 ふーむ、一体なんのバイトしてんだろうな。

 気にはなるが、本人が内緒にしてほしいみたいだし。

 ま、暖かく見守るとしよう。

 

 

 ~次の日~

 

 俺は毎々新聞へと来ていた。

 無給なんだけど、店長のこだわりで、仕事に使うバイクを洗車しないといけないからだ。

 店長曰く「日頃乗せてもらっているんだから、バイクちゃんにもご褒美をあげないと」らしい。

 別にペットじゃねーし、馬でもないのに……。

 だが、長年やっていることなので、文句一つ言わず、黙ってバイクちゃんをブラシで磨いていく。

 

「ほぉ~れ、ピカピカになったぞぉ~ また今週も頼むな」

 

 なんて愛着も湧いていたりする。自ずと名前もつけたりして。

 その名も『サイレント・ブラック』

 カッコイイ名前だ。バイクの色はブルーなんだけど……。

 ブラックの方が様になるだろ?

 

 その時だった。

 ズボンのポケットに入っていたスマホが鳴りだす。

 お決まりの可愛らしい歌声、アイドル声優のYUIKAちゃん。

 着信名は……ミハイルか。

 

「もしもし」

『あ、タクト! 今、仕事中?』

「ああ、もう少ししたら配達に出るけど……」

『仕事終わってからでいいから……今日会えない?』

「構わんが…」

『よかった☆ じゃあ、オレも仕事に戻るからまたあとでな!』 

 と言って、一方的に切られてしまった。

 電話の向こうで何やらガヤガヤとうるさかったな。

 仕事中だと言っていたので、職場か?

 まあ、とりあえず、俺も今から配達に行くか。

 

 彼に会えることが嬉しくて、俺は猛スピードでバイクを飛ばした。(もちろん法定速度で)

 

   ※

 

 夕陽が落ちだしたところ、俺はミハイルに言われて、彼の地元である席内に来た。

 メールでは、以前一緒に行ったことのあるスーパー、ダンリブで待ち合わせだという。

 なぜ、彼の自宅ではないのだろうか? と疑念を抱いたが、まあ行ってみるとするか。

 

 

 ダンリブに入って、しばらく店の中をウロチョロする。

「あいつはまだ来てないのか……」

 そう呟いた瞬間だった。

 背後から聞きなれた甲高い声が聞こえてくる。

 

「いらっしゃいませ! またのごりよーお待ちしておりますっ!」

 

 なんだ、このバカそうな店員は。

 振り返ると、そこには今まで見たこともないぐらいの美人店員が立っていた。

 

 タンクトップにショートパンツ。

 そのうえに『ダンリブ』とプリントされた青いエプロン。

 小さな頭を三角巾で覆っている。

 金色の髪は後ろで一つにまとめていた。

 時折、垣間見えるうなじに色気を感じた。

 

「み、ミハイル?」

 

 そう。あのヤンキーが甲斐甲斐しく働いていやがる。

 腰の曲がったおばあさんの客に丁寧に対応。

 

「あ、ばーちゃん。オレが荷物持つよ☆」

「すまんねぇ……あらぁ、ミーシャちゃんじゃない。ダンリブに就職したの?」

「ううん☆ 短期のバイトだよ☆」

 就職したら、この店潰れそう。

 だって客にタメ口じゃん。クレームの嵐で店長壊れそう。

 

 ミハイルはおばあさんのカートに乗っていたカゴを、軽々と持ち上げ、レジまで誘導する。

 レジ打ちさえしないが、カウンターの中で、他の女性店員と一緒に商品をスキャンしたり、ビニール袋に詰め込む。

 そして、客が去る際はしっかりとお辞儀をする。

 お客様が見えなくなるまでだ……。

 どこの老舗デパートだよ。

 

 ヤンキーのくせして、けっこう真面目なんだな……。

 俺がその姿に呆然としていると、彼がこちらに気がつく。

 

「あっ! タクト☆ 来てくれたんだ!」

 

 そう言って、レジカウンターから出てくる。

 太陽のような眩しい笑顔で手を振るというオプション付き。

 くっ……なんだか、仕事あがりの嫁を迎えに行っているような錯覚を覚えるぜ。

 しかもエプロン姿だもんな。

 制服フェチとしては、たまらねぇぜ……。

 

「ハァハァ……やっと会えたね☆」

 そう言って額の汗を拭う。

 顔をよく見れば、昨日より目の下のクマが酷くなっている。

「ああ。ミハイルのバイト先ってダンリブだったんだな」

「う、うん……短期だから今日までなんだ☆」

「へぇ」

「それで、その……」

 急に顔を赤らめてモジモジし出す。

 なんじゃ、聖水か?

 お花畑なら店にもあるだろうが。

 

「どうした?」

「これっ!」

 そう言ってエプロンのポケットから小さな箱を渡される。

 綺麗に包装されていて、リボンがついていた。

「ん、なんだこれ……」

「いいから受け取って、タクト!」

「はぁ……」

 とりあえず、言われるがまま、箱を受け取る。

 リボンの紐に何やらカードが挟まっていた。

 メッセージが添えられていて、

『タクト、18歳のお誕生日おめでとう☆』

 とある。

 

 あ……今日って俺の誕生日だったのか。

 万年ぼっちだったから、忘れてた。

 

「これ……もしかしてプレゼントか?」

「う、うん……」

 頬を赤くして、恥ずかしそうにしている。

「開けていいか?」

「いいよ…」

 リボンを外し、包装紙を丁寧に開けていく。

 箱を開けると中には、キラキラと輝く万年筆が入っていた。

 見るからに高そうだ。

 

「こんな高級なものを俺に?」

「うん……色々考えたけど、タクトは小説家だから。それがいるだろうって思ってさ」

 アナログゥ~!

 俺ってそんな文豪じゃねーよ。

 しかも今時ペンで書くやつなんているか?

 だが、こんな高級なもんをもらって、返すわけにも文句を言うわけにもいかんしな。

 実はパソコンでタイピングしているなんて、口が裂けてもいえないよ。

 

「ありがとな……ミハイル」

「ううん。タクトに初めてあげる誕生日プレゼントだから☆」

 やっと緊張がほどけて、優しい笑顔に戻る。

 ニカッと白い歯を見せて。

 クソがッ! 抱きしめてやりたいぜ!

 生まれてここまで想われたのは、お前だけだ。男だけど!

 

「そっか……大事に使わせてもらうよ」

 なんだか悪いことをした気分になる。

 ていうか、バイトを短期でする意味って……まさかっ!

 

「ミハイル。もしかして、このプレゼントのために、バイトをしたのか!?」

 思わず彼の細い肩をギュッと掴む。

 瞬間「キャッ」と可愛く声をあげる。

「う、うん……だって、ちゃんと自分で働いて、自分のお金でタクトに……プレゼントしたかったんだもん」

 そう言うと、今度はダンリブの床ちゃんがお友達に追加されてしまった。

 

 ヤバい。泣けてきた……。

 ミハイルママが俺のことを思って、夜なべしながら、試験勉強して、朝も早くからスーパーでバイトかよ!

 自分がちっぽけに感じる。

 

「タクト、その万年筆でたっくさん小説書いてくれよな☆」

 

 なんだろう……急にこのプレゼントが重たく感じてきた。

 

 

 



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184 こいつの愛と勇気詰めて、告ってこい!

 

 俺は生まれて初めてもらった誕生日プレゼントに感動していた。

 いや、家族からもらったことはあるんだけど。

 母親からは薄い同人誌、妹からはエロゲ、父親は逆サプライズで金を要求してきやがる。

 そんな酷い環境だったから、万年筆だなんて。

 誕生日ってこんな思いやりがある品物をもらえるイベントだったんすね。

 泣けてきました。

 

 嬉しかったから、彼に一緒に帰ろうと言ったが、「まだ仕事が残っている」と断られた。

 健気もんだ。

 だが、しかし今日が俺の誕生日なのは仕方ないことだけど……。

 俺だけがプレゼントをもらいぱなしってのも、なんか気になる。

 

「ミハイル、お前の誕生日っていつだ?」

 やられたら、やり返す! 倍返しだ!

「オ、オレの……? し、知ってどうする気?」

 頬を赤くして、もじもじする。

「そりゃ、もちろんダチの誕生日なんだから祝うに決まってんだろ」

「オレは12月の23日生まれだよ……」

 耳元にかかった毛先を指で触って見せる。

 照れているようだ。

「よし、認識した。じゃあミハイルは何が欲しいんだ?」

 だってこいつの趣味ときたら、カワイイもんばっかだから、俺には分からん。

 

「え……タクトが選ぶものならなんでも……それにオレはタクトが、一緒に祝ってくれることが、一番のプレゼントだもん……」

 なにいってんの、キミ。

「そうか。まあまだ半年もあるから。考えておくよ」

「うん☆ 約束だゾ! オレ、残りの仕事があるから、もうひと頑張りしてくるよ☆」

 俺に背を向けると、レジへと走っていく。

 その後ろ姿ときたら、ただの天使。

 女の子のように両腕を左右に振り、桃のような小さな尻をプルプル震わせる。

 

「よし、俺も頑張るか」

 ミハイルからもらった万年筆をギュッと掴む。

 俺はタイピング派なのだが、この万年筆を持っていると、創作意欲が湧いて来るってもんだ。

 確かな手ごたえを感じると、踵を返す。

 

   ※

 

 帰宅するとセーラー服姿のかなでが抱きついてきた。

「おにーさまっ!」

 無駄にデカい乳が俺を襲う。

 プニプニした感覚がとてつもなく気色悪い。

 自ずと呼吸ができなくなる。

「ふごごっ」

「お誕生日おめでとうございますわっ!」

 こいつ、また乳が発育してないか。

 中三でこのデカさとか、もう乳がんじゃね?

「いいから離せ!」

「あーん、おにーさまのいけず……」

「やかましい!」

 人がせっかくミハイルのプレゼントを喜んでいたというのに……台無しだよ!

 

 

 リビングに入ると、辺りは一変していた。

 

『HAPPY BIRTHDAY! TAKUTO』

 という文字がデカデカと壁に貼られていた。

 

 それに部屋中にリボンや造花で埋め尽くされている。

 ただし、合い間合い間に裸体の美男子やランジェリーを着用した男の娘がパーティーに参加していた。

 

「はぁ……」

 

 

 これだから、俺の誕生日パーティーは嫌なんだ。

 ただの虐待。

 かなでと母さんの趣味に付き合わせられているだけ。

 主賓は俺じゃないんだよ。

 こいつらはただ遊びたいだけ。

 その証拠が眼前にある。

 

 

「タクくん、18歳おめでとう!」

 

 そう言う母さんの手には、手作りのショートケーキが。

 しかしだ。白い生クリームの上で、裸体の男同士でチャンバラごっこしているんだよなぁ。

 こんな卑猥なケーキを作れるのって、母さんだけだと思う。

 

「はぁ……」

 

 俺もそろそろ児童相談所に行くか。

 

 

   ※

 

 宴もたけなわ、というか、乱痴気騒ぎがやっと治まる。

 母さんがハイボール飲み過ぎて、裸で踊りだすし、妹のかなでも大音量でエロゲーをやりだす。

 もう誕生日パーティーどころじゃない。

 誰か、僕を助けて……。

 

 

 そう思っていた瞬間だった。

 スマホのベルが鳴る。

 久しぶりに見る着信名だった。

 その名も、「アンナ」

 

 

「もしもし?」

『あっ、タッくん☆ 今いいかな?』

「構わんぞ。ただ、ちょっとうるさいから外に出るわ」

 だってバカ女たちがギャーギャーうるさいから。

 

「ヒャッハー! BL祭りじゃヒャッホー!」

 と、裸のおばさん。

『ああんっ! おにーちゃん、ボクはおとこのこなのに……ああん!』

 をガン見しているJC。

 

 カオスすぎるので、外に出て話しますわ。

 

 一階に降りて、裏口の玄関から外に出る。

 気がつけば、空に月がのぼっていた。

 もう夜も遅い。

 スマホを持って、真島商店街に出た。

 外の空気を吸いたいと言うのもあったけど、アンナの声を静かに聞きたかったから。

 

 

「もしもし、悪かったな」

『ううん。ひょっとして、お家でパーティーしてた? 電話してていいの?』

「問題ない。ありゃバカの末路だ……」

『バ、バカ?』

「こっちの話だ。気にするな。ところでどうしたんだ?」

『あ、あのね。今、アンナ真島駅にいるの』

「えっ!?」

 驚いて、スマホを耳から離す。

 時刻を確認すると、『11:20』

 

「アンナ! お前、今真島駅に来てんのかっ!?」

『うん、どうしても今日中に渡したいものがあって……』

「と、とりあえず、急いでそっちに向かうから、駅のコンビニにでも入って待ってろ!」

『え? 急がなくてもいいよ?』

「バカッ! 女の子がこんな時間に歩いてたら危ないだろっ!」

 って言いながら、俺自身もアンナが男だってことに忘れてた。

 

 

 俺はスマホで通話しながら、全速力で商店街を走り抜け、真島駅に3分もしないうちにたどり着く。

 ピザの配達より早いね!

 

 必死になって、アンナを探す。

 コンビニの窓から手を振る一人の女の子がいた。

 

 赤いチェックのワンピースに、リボンのついたローファーを履いている。

 髪は後ろでハーフアップしていて、ワンピースと同じ柄のチェックの大きなリボンでまとめいていた。

 

 俺が肩で息をしていると、慌ててコンビニから出てくるアンナ。

 

「タッくん……そんなに急がなくても良かったのに」

 優しく微笑みかける。

 気がつけば、俺の背中をさすってくれていた。

「だ、だって……女の子がこんな……深夜に危ないだろ……」

「ありがとう☆ 優しいね、タッくんは☆」

 アンナの髪から甘いシャンプーの香りがした。

 なんだか、ドキドキしてしまう。

 

 

 息を整えると、彼女に問いかける。

「ところで、俺に渡したいものって?」

「ミーシャちゃんから聞いたんだけど、今日ってタッくんのお誕生日なんだよね?」

 あの、自分から自分にものを伝えるってどうやってんの?

 乖離した人格と精神の部屋みたいなとこで、ペチャクチャ話すの?

 まあそれはさておき、話を合わせる。

 

「ああ、そうだが……」

 さっきくれたじゃん。高い万年筆を。

 ミハイルからだけどさ。

「アンナもね、プレゼントあげたかったけど、無職だから、お金ないの……」

 ウソつけ! おまえ、さっきまでスーパーで働いてだろ!

「そ、そうか……まあ気を使わなくていいぞ?」

「そんなわけにはいかないよ☆ だって、タッくんとの初めてのお誕生日なんだから☆」

 はにかんだ笑顔を見せる。

 だが、久しぶりに見る彼女の姿には違和感を感じた。

 化粧で隠しきれないほどの、大きなクマが瞼の下にあるからだ。

 

 

「アンナ、一生懸命考えて、プレゼントをこれにしたの☆」

 俺に向かって大きな紙袋を差し出す。

「これを、俺にか?」

「うん、開けてみて☆」

 紙袋から出てきたのは、丸い包み紙。

 手に持ってみると、柔らかくて軽い。

 なんだろうと思い、包装紙を丁寧に開いていく。

 中には、紺色のボタンシャツとズボンが入っていた。

 

「ん? パジャマか」

「当たり☆」

 

 広げて見ると、ただの寝巻きじゃないことに気がついた。

 襟元と袖口にハートと星のプリントがいっぱい刺繡されている。

 背中には

『TAKUTO  FOREVER☆』

 とある。

 

 いや、俺まだ死んでないよ?

 

 ズボンにも目をやる。

 尻の割れ目の生地がピンク色になっていて、ハートの形。

 ここにも文字があって、

『SWEET CUTIE』

 と書いてあった。

 

 これを着て寝ろと?

 

 

「あ、ありがとう。アンナ」

「気に入ってくれた?」

「ああ、すごく良くできているよ。ところで、これアンナが作ったのか?」

「うん☆ ミシンで作ったんだ☆」

 

 そういうことか……。

 慣れない仕事に、試験勉強、それに裁縫まで…。

 俺のためなんかに、ここまで頑張るなんて。

 それも知らずに、俺はのほほんと一週間を過ごしていた。

 罪悪感が押し寄せてくる。

 

「本当にありがとな、アンナ。良かったら家に寄ってくか?」

「ううん、悪いけど帰るね。ほら、タッくんは今試験中でしょ。勉強の邪魔したら良くないから☆ また今度ね」

 そう言うと、別れを惜しむこともせず、ささっと駅のエスカレーターを昇っていった。

 俺はその姿を下から眺めていた。

 

 あ、今日のパンツ。ピンクだ……。

 

 これが、最高のプレゼントでした、と。



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第二十三章 第二次テスト大戦
185 愛の結晶


 

 俺はかくして18歳を無事に迎えることができた。

 ていうか、ミハイルとアンナに祝ってもらえてウルトラハッピー! な年だったぜ。

 ちょっと今までの人生があまりにも孤独だったせいか、彼と彼女からもらったプレゼントを毎日眺めては、涙を流していた……。

 アンナの作ってくれたパジャマを着て、胸ポケットにミハイルがくれた万年筆を入れ、執筆活動に勤しむ。

 書ける書ける! スラスラと映像が文字に変換されていく。

 ラブパワーだな。

 

 

 ある日、博多社の担当編集、白金 日葵から電話がかかってきた。

 電話に出ると、いつもふざけているロリババアがかなり慌てている。

 

『あ、DOセンセイ! 大変です!』

「どうした? お前の合法ロリ風俗店就職が決まったのか?」

『んなわけいでしょ!』

 されたらいいのに。今よりだいぶ稼げるんじゃない。

「なんだよ。ちょうど筆がイイ感じで進んでいたのに……」

『ホントですか!? ならちょうどいいです!』

「なにがだよ?」

『今月号の‟ゲゲゲマガジン”で発表したセンセイの拙作‟気にヤン”が大反響で、発刊以来の重版決定となりました!』

 拙作て自分で言うもんじゃないの……。

「重版?」

 耳を疑う。

 白金がとうとう頭がイカれちまったんだろって思った。

 

『なので、長編書いてください! 単行本発売決定で、すぐに8万文字必要です! 期限は2週間! では、おなーしゃす! ブチッ……』

「ちょ、ちょっと……」

 一方的に切られてしまった。

 それにしても、俺の作品が久しぶりに単行本化するのか。

 書いたのがラブコメってのが、ちょっと癪だけど、まあ悪くない。

 よし、書こう。

 今の俺なら来週までに8万文字なんて、訳ないぜ。

 

 なぜなら、アンナのパジャマとミハイルの万年筆があるからなっ!

 タイピングしていく指の速さがグンと上がる。

 その時だった。

 自室の扉がバタンと、大きな音を立てて開く。

 

 妹のかなでだ。

「ただいまですわっ!」

「おう、おかえり……」

 俺は振り返りもせず、机の上でパソコンとにらめっこ。

 自身に追い込みをかけているからだ。

「おにーさまったら、顔も見てくれないなんて……てか、そのパジャマ……ダセッですわ」

「……」

 この時、俺は思った。かなで、いつかぶっ殺す。

 

 

 ~2週間後~

 

 連日連夜、原稿に終われていた。

 ちょくちょく白金とオンラインで打ち合わせ重ね、構成を見直したり、キャラをもっと深堀したりとまあ、作家らしい仕事をこなす。

 その間、新聞配達も朝と夕方にやるから、仮眠を取る暇があまりない。

 徹夜の日々であっという間に、原稿の期日になる。

 もちろん、この天才作家のことだ。ちゃんと間に合わせたさ。

 ネットで原稿を白金に送り、あとは全部出版社に丸投げ。

 

 

 ふとカレンダーに目をやる。

「あ、今日はスクリーングだったか……」

 原稿のことばかりで、すっかり忘れていた。

 一ツ橋高校の二回目の期末試験。

 寝不足だが、あんな幼稚なテスト余裕だな。

 あくびをかきながら、リュックサックを持って家を出た。

 

 

 小倉行きの電車に乗り、車内のロングシートに腰を下ろすと、すぐに夢の中に入る。

 しばらくすると、どこかの駅に止まった。

 振動で目を開く。すると、ミハイルが隣りに座っていた。

「ミハイル……」

 ゆっくり身体を起そうとするが、白い手が俺の瞼を覆う。

「タクト、疲れてんでしょ? オレが起すから寝てて☆」

 耳元でそう囁く。

 その声はとても優しく、俺の疲れも吹っ飛んじまうぐらい愛らしい。

「た、頼む…」

「いいよ☆」

 

 

   ※

 

 スマホの振動で目が覚める。

 気がつくと、俺は身体を横にしていた。

 枕にしてはやけに柔らかい。

 なんだろうと思い、顔を下にずらす。

 すると、ぷにぷにと何かが唇に当たる。

「キャッ!」

 ミハイルの声?

 ということは、これは……。

 太ももだ!

 

 クンクン、思わず香りを堪能してしまう。

 だって、こいつが悪いんだ。

 毎回ショーパンなんて履いてやがるから、細くて白い太ももが露わになっちまうだろ。誰でも匂ったり、その感触を確かめたりしたいのが、人間!

 自身の唇で太ももの柔らかさを確認しつつ、鼻で石鹸の甘い香りを楽しむ。

 

 徹夜した甲斐があったてもんだ。

 癒されるぅ~

 

「ちょっ……タクト! なにふざけてんの! もう赤井駅だよ!」

 

 自分で膝枕させておいて、頭を叩いてきた。

 まったく困ったツンデレのダチだな。

 

「すまん。ここ連日徹夜していててな……寝入ってしまったようだ」

 しれっと言い訳をしておく。

「そっか……タクトも試験勉強?」

 話しながら、車内から出てホームに降りる。

 

 赤井駅を出ても、話は続く。

 

「俺は、試験勉強じゃなくて執筆の方だ」

「え、新作を書いてんの?」

「以前にアンナを……モデルにしたラブコメの短編があってな。それが人気らしくて、いきなり単行本化だそうだ」

 クソがっ! なんで俺が書いた処女作『ヤクザの華』は売れないんだよ!

 俺の思惑とは裏腹に、ミハイルは瞳をキラキラと輝かせる。

「スゴイじゃん! おめでとう、タクト☆」

 ニカッと白い歯を見せて、微笑む。

「う、うむ……。今回の作品に関しては、ミハイルにその、感謝してる」

「オレに?」

「ああ。アンナという取材対象を紹介してくれてな」

 一応、礼はしておく。

 って、目の前にいるやつなんだけど。

 

「そ、そんな……まだ本も発売されてないのに。気が早いよ……」

 言いながら、顔を赤くしてモジモジしだす。

「でも、オレからアンナにちゃんと伝えておくよ」

 伝えるもなにも、今面と向かって俺があなたに言ったじゃない。

 なにこの、面倒くさいやりとり?

 

 

 一ツ橋高校に着くまで、ミハイルは終始、頬を赤くしていた。

 どうやら自分のように喜んでくれているらしい。

 ま、そりゃそうだよな。

 小説ていうか、ただの日記みたいなもんだ。

 言わば、合作だ。

 俺とミハイル、アンナの……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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186 モデルは人それぞれ

 

 一ツ橋高校の玄関に着くと、俺とミハイルは今日の予定表を手に取る。

 今回のスクリーングは、前回のようにペーパーテストと体育の実技があるだけだ。

 この前、宗像先生に言われた通り、運動会で借りパクした三ツ橋高校の体操服を持参している。

 罪深い学生だよな、俺たちって。

 前に三ツ橋の生徒の福間 相馬が言ってたが、「一ツ橋は三ツ橋の恥さらし」ってのを最近、よく痛感する。

 まあ元凶は全部、宗像先生なんだけどね……。

 

 

 ミハイルが上靴に履き替えながら、こう言う。

「タクトッ! オレ、今日ちゃんとブルマ履いてきたから、楽しみにしてろよ☆」

 ファッ!?

「えっ……」

 言われて、彼の下半身を見るが、いつも通りのショーパンにしか見えない。

「あ、ズボンの中に履いてるんだ☆ ねーちゃんが小学校の時はそうしてたって言ってたからさ☆」

「ええ……」

 困惑する俺氏。

 やってること、マジで女子なんだけど。

 どうせ同じ更衣室で着替えるのだから、生着替えを見せろよ。

 もったいぶりやがって……。

 だが、パンツじゃないから恥ずかしくないもんっ! て、いくらでも眺めても良いという結論に至るな。

 うむ。確かに体育は楽しみにしてるよ、ミハイルくん。

 

 

   ※

 

 階段をあがり、事務所を抜けて曲がるとすぐに1-1の教室がある。

 と言っても、これは全日制のクラスだから、俺たち通信制は基本バラバラのホームルームなんだけどね。

 

 教室の扉の前に一人の男が立っていた。

 あまり見たことのない生徒だ。

 廊下から教室の中をチラチラ見ては、サッと頭を隠し、また中を覗く。とても挙動不審だ。

 カメラでパシャパシャと誰かを撮っている。息を荒くして。

 変態だ……。

 

 よし、通報しよう。

 そう思った時だった。

 ミハイルが、なにを思ったのか、その男に声をかける。

 

「あーっ! お前はトマトじゃん!」

「えっ?」

 振り返る豚が一匹。

「あ、これは良いところに、DO先生がいた! そして、いつぞやのミハイルくんも」

 ニコッと笑ってみせるが、とても気持ちの悪い青年だ。

 こいつが20代前半とか、しんどい。

 びしゃびしゃに濡れたTシャツからは、黒い乳首が透けて見える。胸毛もおまけつき。

 額には、萌え絵のバンダナを巻いていた。

 

 俺の公認イラストレーター、トマトさんだ。

 

「トマトさん? なんでここにいるんですか?」

 不法侵入だろ。

「あ、いや……これは取材ですよ。決してJKを盗撮してたわけでは……」

 しどろもどろになっている。

 ますます怪しい。

「取材?」

「ええ、白金さんに以前、提案されたじゃないですか。可愛い女の子の絵を上手く描けるため、一ツ橋高校へ取材にいけって……」

「ああ。そう言えば、あのバカそんなこと言ってましたね。でも、トマトさんはまだ編入できないでしょ? 少なとも秋期からじゃないと」

 俺たちが今受けているスクリーングが夏期。春から夏まで。

 その次が秋期で、秋から次の年度末まで。

 

 

「それならば、大丈夫です。白金さんが一ツ橋高校に許可をとってもらって、今日は一日体験入学ということになってます」

「なるほど……」

「ハハハ、トマトはじゃあオレとタクトの後輩になるんだな☆」

 いや、そうかもしれないけど、年上だから敬ってあげてね。

 

「良きの良きですよ、ミハイル先輩。実は取材の予定が早められたのは、DO先生の短編が人気爆発して、単行本の表紙と挿絵のために、モデルさんを撮りに来たんです」

「そういうことだったんですか。俺の作品のために申し訳ないっす」

「いえいえ、僕みたいな童貞が生のJKを見れる機会は、そうそうないですからねぇ~」

 キモッ。

 てか、相手に許可取ってないで、取材とか犯罪だろ……。

 責めて教室に入って、生徒と話したりすればいいじゃないか。

 

 

「モデルってまさか……タクトの小説のヒロイン?」

 上目遣いで頬を赤らめる当のご本人。

「そうですよ。僕は基本男キャラしか描けないので……設定では、ヒロインは、ヤンキーでデートする時だけ、主人公好みになる美人さんだとか?」

 目の前で褒めちぎられる。もちろん、ミハイルの顔はどんどん真っ赤になる。

 爆発しそうだ。

「うう……そう、なんだ……主人公好みの美人かぁ」

 照れてやがる。

 

 

 そうこうしていると、背後から足音が近づいて来る。

 

「おはにょ~♪」

「よう、ミハイルにタクオじゃねーか」

 

 赤髪のギャル、花鶴 ここあと、老け顔のハゲ、千鳥 力だ。

 相変わらず、花鶴はパンツが丸見えの超絶ミニスカを履いている。

 もちろん、千鳥もいつもと変わらず、ピカピカのハゲチュウだ。

 

「おう、お前ら。今日は早いな」

 いつも重役出勤で、授業終わりに出席カードを教師からパクるバカ共だ。

 試験だからか?

「まあな、俺もここあも単位は欲しいし。てか、後ろのおっさん誰?」

 千鳥がビシッと指をさす。

 年上だってわかってんのに、失礼だとは思わないの?

 

「あ、あの……ぼ、僕は……」

 指を突きつられて、固まるトマトさん。

 どうやら、ヤンキーで柄の悪い千鳥にビビっているようだ。

 確かに、こいつらは見た目こそ、悪ぶってはいるが、根は良いヤツというか、ただのバカだから。

 怖がるような人間ではない。

 ここは、俺がフォローしておくか。

 

「トマトさん。こいつは俺の同級生で千鳥っていうんです。見た目はこんなんすけど、別に悪いヤツじゃないですよ」

 俺がそう言うと、千鳥が背中をバシバシと叩いて来る。

「んだよっ! そんな紹介あっか、タクオのダチか。なら、俺のダチだな」

 いや、なんでそうなるの?

 

 

「おい、トマト? 大丈夫か? なぁ、タクト。トマトの様子がおかしいぞ」

 ミハイルが俺の袖をクイッと掴む。

「ん?」

 振り返ると、彼の言う通り、トマトさんは顔を真っ青にして、震えている。

 膝をがくがく揺らせて、目を見開き、あるところを凝視していた。

 その視線を追うと、二つの長い脚。

 というか、パンツ。

 花鶴 ここあのだ。

 

「どしたん? おっさん、なんかウケるっしょ。あーしの顔に何かついてるん?」

 いや、顔見てないよ。あなたの股間見てるだけ。

「ハァハァ……」

 息を荒くし、ギャルのパンティーを眺める。

「ちょっと、トマトさん?」

 試しに俺が彼の肩を揺らすが、反応はない。

 返ってきたのは、べっちゃりと生暖かい汗だけ……。

 きっつ。

 

 

「き、決めたぞ!」

 急に大声で叫ぶトマトさん。

 その野太い声が、廊下に響き渡る。

 大量の唾を床に吐き出して……。

 

「あ、あの……あなたのお名前を聞かせてくださいっ!」

 飛び掛かるように花鶴との距離を詰める。

 彼女の胸の前で、拳を作り、鼻息を漏らす。

 その姿は、発情したオス豚である。

 

「え? あーしのこと? 花鶴 ここあだけど。おっさんは?」

「ぼ、僕は、筑前 聖書(ちくぜん バイブル)です! 聖書(バイブル)って言ってください!」

「ウケる~ なにその名前、じゃあ今度からバイブって呼んであげるっしょ♪」

「それでいいです! 嬉しいです!」

 よくねぇ! 神に謝れ!

 ていうか、聖書ってペンネームじゃないの? トマトが本名の方が良かったかも……。

 

「ところで、ここあさん。僕の絵のモデルになってくれませんか? あなたが、DO先生の小説に出てくるヒロインにぴったりです!」

「あぁっ!?」

 思わずブチギレてしまった。

 こんなどビッチと、あの天使アンナを一緒にしてほしくない。

 

「DO先生って……オタッキーのことっしょ? ダチなんだから、もちろんオッケーっしょ♪」

「や、ヤタッーーー!」

 ウソォ……嫌だわ。

 俺の単行本の表紙が、アンナが、こんなビッチに変換されるなんて……。

 

 ふと、気になって隣りのミハイルに目をやる。

「……グスンッ」

「泣いてんのか? ミハイル……」

「違うもん! 泣いてなんかないもんっ!」

 て言いながら、鼻をすすってやがる。

 

 かわいそうに……。



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187 男の娘ファースト

 

 トマトさんは、あまりに不審者ぽかったので、俺が教室に入るよう促した。

 最初こそビクついていたが、『気にヤン』のヒロインモデルになってしまった花鶴 ここあとぺちゃくちゃ話していた。

 だが、彼の視線はずっと、花鶴の胸元とパンツの二点であって、顔はあまり見てない。

 何枚か写真撮影を頼んでいて、それに快く応じる花鶴。

 なんとも異様な光景だった。

 

 

 ミハイルは、モデルがよりにもよって、ギャルの花鶴になったことにショックを受けてしまい、半泣き状態で落ち込んでいた。

 

「グスンッ……なんでここあなんだよぉ」

 

 机に顔を埋めてしまい、いつもの彼らしくない。

 だが、確かに俺たちが培ってきたものが、全て打ち砕かれたような悲しみを感じる。

 原作には、俺とミハイル、それにアンナが主要人物として、描かれているが、他にもサブヒロインとして、北神 ほのかや赤坂 ひなたも採用している。あと自称芸能人の長浜 あすかも。

 モブキャラとして、花鶴と千鳥を使ったが、そんなに重要なキャラではない。

 むしろヒロインを立てるための盛り上げ役にしかすぎなかったのに……。

 俺も心で涙を流していた。

 

 

「よーし、今日も楽しい楽しいホームルームのはじまりだぞ~」

 

 この低い声は、安定の痴女教師、宗像先生だ。

 編み上げのコルセットに、テカテカのレザーのショートパンツ。

 おまけに、これまたレザー製のニーハイブーツ。

 もうこうなると、大人向けのSM嬢にしか見えない。

 

「な、なんだ。あのエッチぃお人はっ!?」

 目移りするトマトさん、いや筑前 聖書くん。(25歳)

「おお、お前が日葵から紹介された筑前か。今日はしっかり本校を体験していけよっ!」

「はいっ! 素晴らしい学校だ……これなら、DO先生のモデルには困らないなぁ」

 机の下でグッと拳をつくるトマトさん。

 

 えぇ……まさか宗像先生まで、モデル候補になってんの?

 しんどいよ。

 

 

「えー、本日は前回と同じく期末試験だ。午前は筆記試験、午後は武道館で体育の実技試験を行う。以前、伝えた通り、ちゃんと体操服とブルマは持ってきたか?」

 

「「「はーい」」」

 

 バカそうにみんなで答えやがる。

 てか、最初から体操服を入学時に販売しておけば、三ツ橋高校からパクることもないのに……。

 

「なんとっ! 絶滅危惧種の聖杯、ブルマがこの高校にあるとはっ! ますます入学せねば、なりませんね、DO先生」

 親指を立てる豚ことトマトさん。

 あんた、なにしに来たんだよ……。

 

 

   ※

 

 一時限目の試験は、数学。

 今回もきっと女子が優遇されるのだろうなと、俺は半ばあきらめていた。

 ミハイルがあんなに頑張っていたのに、また女子たちは教師から助言というか、回答を隣りから優しく教えてもらうのだろう。

 

 俺は落ち込んでいたミハイルに声をかける。

「なあ、ミハイル。また試験勉強してきたんだろ?」

「あ、うん。あんまり自信はないけど……タクトのレポートがあったから、たぶん大丈夫☆」

 少しだけ笑顔が戻る。

「そうだな、俺たちならきっと大丈夫だ」

「うん☆」

 よし、元気がでてきたようだ。

 これで少しは安心できる。

 

 トマトさんは、別に試験を受けるわけではないのだが、「ここあさんと離れたくない」という理由から、宗像先生に許可をもらい、机に座ることを許された。

 その間、ずっと、花鶴の机にびったり自身の机をくっつけて。

 スマホで横顔をバシャバシャと連写していた。

 よっぽど、彼女が気にいったらしい。

「ここあさん! こっち向いてください! しゅ、取材に必要なんです!」

「ハハハッ、ちょー必死でウケるんだけどぉ~」

 俺は全然ウケない~

 

 

 

 ガラッと教室の扉が開く。

 あまり見たことのない先生だった。

 身長が高くてガタイもいい中年の男性。

 見るからに体育会系といった感じ。

 

 眉間に皺を寄せていて、その顔つきといったら、仁王像のような迫力がある。

 こりゃ厳しそうな先生だ。

 

「はい、じゃあテストを配るから、時間になったら一斉に始めるように! それから、私は他の先生とは違うからな! ビシバシ行くぞ!」

 その言葉一つ一つに、先生から熱意を感じる。

 

 きっとこの人なら、女子を優遇せず、平等にみんなを見てくれるかもな……。

 俺は少し期待していた。

 

 

 試験がはじまり、俺はまた余裕で空欄を全て埋めてしまう。たった10分で。

 なぜかって、問題が小学校の低学年レベルだから……。

 暗記するまでもないし、暗算するまでもない。

 自然にスラスラと書けちゃう。

 なんだったら、小説より早く書き終えちゃった。

 

 

 右隣を見ると、やはりミハイルは苦戦しているようだった。

 

「えっと……うーん、これはなんだったけ? タクトが書いてたレポートは……」

 がんばれ、ミハイル!

 

 

 そう思った瞬間だった。

 先ほどの教師が、ミハイルの机の前に立ち止まる。

 そして、彼の答案用紙をじっと見つめ、険しい顔でこう怒鳴った。

 

「きみっ!」

 

 俺はミハイルがなにか悪い事でもしたのかと思ったが、見当違いだった。

 

「え、なんすか?」

「ここ、問題間違ってるよぉ~ これはね、Aが正解なの。ダメだよ、きみみたいな可愛い子が問題をねぇ。間違えるなんて、先生、胸が痛いじゃない~」

 

 俺は思わず、机から転げ落ちるところだった。

 強い口調で怒鳴っかった思ったら、急に優しい口調で話し出す。

 しかも、ミハイルの肩に手をやって……。

 セクハラだっ! 俺のダチになにしやがる!

 

「え……なんで答えを教えてくれるんすか? 今日は試験でしょ?」

 ミハイルの必殺技、上目遣いで当の教師を目で殺しにかかる。

 すると、先生は嬉しそうに笑う。

「やだぁ~ 先生はね、きみたちがなるべっく単位を取れるように、力を貸しているだけよ? 不正行為とかじゃないから、心配しないでね。あ、こっちも間違えてるよ?」

 妙に身体をくねくねと動かして気持ちが悪いったら、ありゃしない。

 しかも、ボディタッチが激しくて、ミハイルの小さな背中を撫でまくる。

 クソがっ!

 

 っと思っているのも束の間、今度は矛先がこっちに向けられる。

 

「ちょっと、きみっ!」

「え、俺のことですか?」

 まさか、こっちに来るとは思わなかった。

 

「そう、あ・な・た・よ……」

 なんでウインクしてくんの?

 キモいんだけど。

「全問正解じゃない~ すっごいのねぇ~ あなたの頭ってナニで出来てるの? こんなテスト見たことないわ~」

 そう褒められながら、頭を撫で回す。

 鳥肌がたった……。

 この先生、ヤベェ!

 

 

 俺の元から立ち去ったが、その後も女子は全員無視し、男子ばかりに声をかける。

 左隣りにいた北神 ほのかは、今回自力で試験を受けることになってしまい、顔を曇らせていた。

「わかんない~」

 うーむ、これはこれで性差別なのでは?

 

 

 オネェ教師は、その後も次々の若い男子たちに答えを教えては、身体を必要以上に撫でまわす。

 最後に、彼が目をつけたのは、千鳥 力だった。

 

「わっかんねぇ~」

 問題用紙とにらめっこしている千鳥に、救いの神が現れる。

 そっと優しく彼の肩に触れると、こう耳元で囁く。

 

「あらぁ、きみってば悪い子ねぇ……こんなにも問題を間違えちゃってぇ。先生、燃えてきたわ」

「え、なんすか?」

 真っ青になる千鳥くん。

「今からたっぷり優しく教えて、あ・げ・る」

 そして、ツルピカに輝くスキンヘッドに口づけ。

「ひ、ひぇ!」

 脅える伝説のヤンキーの一人。

 

「たくましい胸板ねぇ、きみの場合、知識が全部、ここにいっちゃってんのかなぁ?」

 そう言って、オネェ教師は千鳥くんの乳首を指で、いじりまくる……。

「うぐっ!」

 なにかを必死に耐える千鳥くん。

 

 

「よし、全部書けたぞ☆」

 

 何か知らんが、ミハイルに有利な展開なので、これで良し!

 

 その後も、今日のテストはオネェ先生が担当していて、男子が圧倒的に優遇された。

 女子は蚊帳の外。

 やったぜ!



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188 押忍っ! 夜臼先輩!

 

 無事にというか、今回は男子が優遇されて筆記試験は終了。

 お昼ごはんの時間になった。

 

 千鳥や花鶴は弁当を持ってきていないので、学校近くの飲食店までバイクに乗って向かうらしい。

 それを走って追っかける一匹の豚じゃなかったトマトさん。

 文字通り、花鶴の尻をエサにしてブヒブヒ言いながら、喜んでいた。

 

 

 教室に残った男子は俺とミハイルのみ。

 他には北神 ほのかなどの大人しい女子たちが弁当を各々机の上に取り出す。

 もちろん、俺もミハイルも弁当のフタを開ける。

 

「いただきますっ」

 手を合わせて、お百姓様に感謝する。

 

 そこを白い華奢な細い手が止めに入った。

 ミハイルだ。

 

「ちょっと待って!」

 頬を膨らませて、睨んでいる。

「どうした?」

「お弁当、交換する約束じゃん!」

「え……」

「前はしただろ。オレ、タクトのためにちゃんと弁当作ったんだから! こう・かん!」

 子供のようにすねる。

 交換ていうか、ほぼ強要だよね。

 お目当ては俺のたまご焼きだろう、どうせ。

「わかったわかった、ほれ……」

 言われて仕方なく互いの弁当を交換する。

 

 

 ミハイルが用意してくれた弁当を手に持つと、ずっしりと重みを感じる。

「な、なにが入ってんだ……」

 恐る恐る弁当箱のフタを開いてみると、そこには色とりどりの旨そうなおかずがぎっしり。

 巨大なハートの形をしたハンバーグ、星の形をしたポテト、スパゲッティ、タコさんウインナー、そして白飯が詰められていたのだが、桜でんぶで文字が書かれており……。

『せかいで一人だけのダチへ☆』

 なにこれ……。

 俺って、生涯でミハイルしかダチを作っちゃいけないってこと?

 

 ふと、隣りを見れば、俺が焼いたたまご焼きを嬉しそうに頬張るミハイルが。

「んぐっ……んぐっ……ぷっはぁ……はぁ、おいし☆」

 相変わらずのエロい咀嚼音だ。

 ま、いっかととりあえず、俺も彼の作った愛妻弁当ならぬマブダチ弁当を頂くのであった。

 

 

   ※

 

 昼食を終え、午後の体育まで少し時間が余った。

 俺とミハイルが、何気ない話で時間を潰していると、急に教室の扉が勢いよく開いた。

 弁当を持参してくる連中は俺たち以外、みんな大人しい。

 だから、全員ビクっとした。

 

「おぉ? なんだっ、こんだけかよぉ」

 

 目に入ったのはその奇抜なファッションだった。

 レザーベストを素肌に着て、両腕には龍と虎のタトゥー。

 それから髑髏の刺繍が入ったハーフパンツにサンダル。

 頭はストライプ状に刈りあげた坊主。

 酷くやつれていて、目の下には大きなクマ。

 ギラギラした目つきで、見るからにヤバそうな人間だと、俺でもわかる。

 こいつはきっと薬中だ……。

 いかん、ミハイルを守らないと!

 

「ちっ、これじゃ。あんまり売れないねぇなぁ……」

 

 やはりシャブを売る気だな。

 俺は机の上で小さく拳を作った。

 

「ねぇ、琢人くん」

 ほのかが俺に耳打ちする。

「どうした、ほのか……あいつを知っているのか?」

「噂だけど……なんか最近まで留置場に入っていた夜臼(やうす)先輩じゃないかな」

 なん、だと!?

「つまり犯罪を犯して、お巡りさんのお世話になっていたというのか?」

 一ツ橋高校は確かにヤンキーみたいな連中が多いが、ここまでヤバい人、しかもムショあがりのヤツなんて聞いたことない。

「あくまでも噂だけどね。『夜臼先輩だけはヤバい』って千鳥くんも言ってたよ」

「あの千鳥がビビるような相手か?」

「うん……目を合わせないほうがいいかも」

「そうだな」

 俺とほのかは、互いに頷きあい、夜臼先輩から視線をそらす。

 

 

「お~い、てめぇら。俺りゃあよ、夜臼 太一(やうす たいち)ってもんだけどよぉ……」

 自己紹介を始めたよ……早く教室から出ていけ。

 

「へぇ、太一ってんだ。オレはミハイル。よろしくな☆」

 机の上で、顎に手をつきながら、フランクに話しかけるミハイルちゃん。

 怖いもの知らずだな。

「おう、ミハイルってのか……へへん、良い態度じゃねーか」

 不敵な笑みを浮かべる夜臼先輩。

 

「ちょっ! ミハイル、やめとけ!」

 俺は必死に彼をとめようとするが、当の本人は「なんのこと?」と言って悪びれることもしない。

 むしろ夜臼先輩に興味津々のようだ。

 

「こらぁ! てめぇ……なにコソコソ喋ってやがんだ、オイッ!」

 そう言って俺を睨めつける。

 気がつけば、舌をなめまわしながら、こっちにグイグイ近寄ってきた。

 

「お、俺のことですか?」

 恐怖から背筋がピンとなる。

 ヤベェよ、薬中とか急に包丁とか出してくるんじゃないか?

 死にたくない。

「おめぇ……名前なんてーんだよ?」

 喋りたくねぇ。

 俺が躊躇していると、隣りにいたミハイルが勝手に紹介し始めた。

「太一、こいつはオレのマブダチでタクトっていうんだよ☆」

 こんな時でさえ、ミハイルは満面の笑顔で応対。

「へぇ……琢人っていうのか。教えてくれてありがとよ、ミハイル」

「別にいーって、太一もこの学校の生徒なんだろ? 気にすんなよ」

 だからなんでそんなに社交的なの?

 怖くないの?

 どう見ても、年上に見えるよ。

 

 怖くなって、ほのかの方を見たが、彼女は他人のふりをしていた。

 

 

「なぁ、琢人。おめぇよ、いいもん買わねーか?」

 キタキタ! これ、絶対白い粉のやつだ。

「な、な、なにを買うんですか……」

 生きた心地がしない。

「何をって、おめぇ、野暮なこと聞くんじゃねーよ。そいつを一回でも味わってみろ。もう病みつきだ。そのせいで、俺りゃあよ、この前サツにパクられちまって大変だったぜ。ま、蘭ちゃんがサツにかけあってくれたから、早めにシャバに出れたけどよ」

 超ヤバいやつじゃん。しかもよく見ると、夜臼先輩の首筋や腕には、紫色の小さなアザみたいプツプツが、そこらじゅうにある。

 重症のジャンキー野郎だ……。

 生唾を飲み込む。

 

 

「ら、蘭ちゃんって……宗像先生と年が近いんすか?」

 恐る恐る聞いてみた。

「バカ野郎、俺りゃあ、もう今年で36だぞ。蘭ちゃんの方が年下だよ。いい女だよな、あの先生」

 めっちゃ笑ってる。

 下から見てるせいか、超悪い顔に見える。

 ヤベッ、宗像先生がヤラれちゃうかも……。

「そうだったんすね……」

「まあな、つまらねー話だよ。俺りゃあこの商売でしか生きていけないんだからさ。しみったれた話は終わりにしてよ、今日は極上のブツを手に入れたんだ……なあ、琢人。おめぇになら、初回のみタダで味わせてやるぜ? ヘヘヘッ……ま、蘭ちゃんには内緒でよ」

 俺をシャブ中にする気か!

 嫌だ、それだけは断固として断る!

 そんなアングラ取材は、某闇金マンガで勉強しているので、間に合ってます。

 

「いや、いらないっす……」

 震えた声でそう言うと、夜臼先輩は顔を真っ赤にして激怒した。

「んだと! 琢人、てめぇ……俺りゃあの好意を受け取れねーってか? 今回だけ、タダにしてやるってのによ!」

「……」

 なにも言い返せなかった。怖すぎて。

 

「タクトが嫌がってんじゃん。もうやめてやれよ、太一」

 怖がる素振りも見せず、逆に腰に手をやって怒ってみせるミハイル。

「だってよ、琢人が俺りゃあのアイスを食わないっていうからよぉ……」

 アイスだと? やはり覚醒剤じゃないか!

 噂では、売人たちはシャブをアイスと言う聞く……。

 

「え、アイス? 美味しそう!」

 乗っかるミハイル。

 意味をわかってないんだ。

「おっ! ミハイルは食ってくれるのか? 俺りゃあの極上アイス。天国にブッ飛んじまうぜ?」

「食べる食べる☆ デザートに美味しそう!」

 違う意味の天国だって!

 

「おい、ミハイルやめとけ。夜臼先輩の言っているアイスは、お前の知っているアイスじゃないんだ」

「え? なんのこと?」

 首をかしげるミハイル。

 

 

 そうこうしていると、夜臼先輩がどこからか、大きな肩掛けボックスを持ってきた。

 

「もう持ってきちまったよぉ、遅かったな琢人。残念だが、ミハイルにはこのブツの良さがわかるのさ。同じヤンキーだからなぁ、クッククク……」

 こんの野郎。俺のマブダチを闇落ちさせる気だな。

「ほれ、ミハイル。これが俺りゃあの自信作だっ!」

 ボックスを机の上にドシンッ! と乗せた。

 そして、ゆっくりと蓋が開かれる……。

 中から禍々しい白の煙が漏れ出た。

 

「さあ好きなのを選びな……」

 くっ! もう手遅れなのか。

 俺は悔しさから瞼を閉じる。

 ミハイルを守れなかったたことが辛くて……。

 

「うわぁ☆ 美味しそう! じゃあ、オレこのチョコアイスが良い!」

 えっ?

「いい目してんじゃねーか。俺りゃあが作った自信作だからよぉ。トッピングするか?」

「うん☆ じゃあバナナとナッツをお願い☆ ホントにタダでいいの?」

「おおよ、今日だけだからなぁ。ヒヒヒッ、このことは蘭ちゃんには内緒な」

 

 俺は机から転び落ちて、床に頭を強くぶつけた。

 モノホンのアイスだったんか……。

 

「なんだ? 琢人も食いたくなったか? しょうがねーヤツだ。今日だけだぞ? 他の子たちも今日だけサービスしてやる。俺りゃあのアイスはオーガニックで身体にいいし、トッピングも豊富だぜぇ、ヒッヒヒ……」

 

 それを聞いて今まで脅えていたクラス中の女子たちが、夜臼先輩の元にむらがる。

 

「ヒッヒヒ、これだからアイスの売人はやめられねぇーな。琢人、お前はなんのアイスが良いんだよ?」

「じゃあ……バニラで……」

 

 あとで話を聞くと、夜臼先輩は校舎で無断でアイスを販売していた為、三ツ橋高校に通報されて捕まったらしい。

 妻子持ちの善良な福岡市民でした。



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189 売人とブルマ

 

 

 午後のチャイムが鳴り、俺とミハイルは武道館に向かった。

 地下にある更衣室に入ると、ロッカーにリュックサックをなおす。

 俺はリュックの中から以前三ツ橋から拝借した体操服を取り出した。

 元々、俺は中学生時代の体操服を持っていたから、正直いらなかったんだけどなぁ……。

 なんとなく、罪悪感を感じながら、着替える。

 

 ふと、隣りを見るとミハイルがショートパンツのボタンを外そうとしていた。

 思わず生唾を飲み込む。

 

「よいっしょっと……」

 

 チャックを下ろすと、紺色のブルマが垣間見える。

 裾をすぅーっとゆっくり太ももまで脱ぐ。

 すると、白く美しい細い脚が露わになり、ブルマが股間にぴったりとが食い込んでいるのがわかる。

 ぷりんとした丸くて小さな桃のような可愛らしいお尻。

 

 犯罪級な可愛さとエロさを兼ね備えているぞ! こいつっ!

 

「ふぅ……ねぇ、タクト! どうどう? タクトってこのブルマってやつが大好きなんだろ?」

 目をキラキラと輝かせて、下から俺の顔を覗き込む。

 だが、言っていることは俺が変態としか受け取れない……。

「あ、ああ……似合っていると思うぞ……」

 いかんいかん、ミハイルモードの時は防御力がゼロに等しいというか、男として振舞っているから、対応に困る。

「そっか☆ ならいいや☆ でも、このブルマってすごく履き心地がいいんだぁ☆ お尻のところがキュッてしていて、動きやすいし……家用にもう一枚買おうかな?」

 そう言って、俺に尻を突き出して見せる。

 

 り、理性がブッ飛びそうだ……。

 このままじゃ、ミハイルのブルマ尻に触れてしまいそうになる。

 それだけはダメだ、琢人よ。彼はダチだ。決して俺は彼の『タチ』ではない。

 

「おっほん、まあ動きやすいことに越したことはないな……とりあえず、武道館に行こう」

 咳払いして、話題を変えようとするが、俺の心臓はバクバクだ。

 なんだったら、俺の股間琢人が爆発して、ミハイルを『ネコ』化させ、あわよくば更衣室でニャンニャンしてしまいそうだ。

「そだな☆ 早く行こうぜ☆」

「う、うむ……」

 君と二人きりだと、まだ見ぬ境界線を飛び越えてしまいそうだから、早く行こう……。

 

 

   ※

 

 体操服に着替えた俺たちは、武道館に向かう。

 すると、何人かの生徒が言い合いになっていた。

 よく見れば、一ツ橋の生徒だけではなく、全日制コースの三ツ橋の生徒が混じっている。

 

「だからよぉ、今日は俺りゃあたちの体育だってつんだろが!」

 ブチギレている人がひとり、先ほどまでアイスを売っていた優しいおじさん、夜臼先輩だ。

 両腕のタトゥーこそ目立っているが、しっかり体操服を着用し、頭には赤白帽まで被っている善良な生徒。

 いや、下手する大人の映画に出演しているエキストラみたい……。

 

 それに対応しているのは、バスケットのユニフォームを来た若い青年たち。

「僕たちだってちゃんと許可得てますよ! 急遽、対抗戦が決まったんだから仕方ないですよ。そもそも、この武道館は僕たち、三ツ橋高校の利用が優先だって知らないんすか?」

 丁寧な口調で答えてはいるが、相手も夜臼先輩の見た目に負けじと応戦している。

「あぁ? てんめぇ……俺りゃあだって学費払ってんだ! てめぇらにガタガタ言われる筋合いはねーぞ、オラァ!」

 相手を睨んで凄む夜臼先輩。

 見た目だけは確かに怖い。

 でも中身は、ただのアイスクリームおじさんって、俺はもう知っているから怖くない。

 

「そうですけど……僕たちだって全国戦が控えているんです。部活だって本気っすよ!」

「んなら、あれか? てめぇは一ツ橋のガキどもが体育できなくて、泣いてもいいのか?」

「え……」

 俺もポカーンとしてしまった。

 別に体育できないからって、ガキじゃないから泣くことはない。

 

 だが、夜臼先輩はヒートアップしていく。

「てめぇらはいいよな。屋根のある武道館で試合できるからよ……今、何月だと思ってんだ、ゴラァ!」

「え、6月っすね……」

「だよな! するてぇっとよ……もう夏だよなぁ! 日差しが強くて、紫外線でお肌が焼けたり、シミとかできたら、ガキどもがかわいそうだって思わないのか! あぁん?」

「そ、それは、普通なのでは……」

「バカ野郎! お日様なめんじゃねぇ!」

 なにを怒っているんだ、このおっさんは……。

 

 

 しばらく言い合いになっていると、人だかりが出来上がる。

 三ツ橋高校の生徒や関係者、それに他校から来たバスケ部の選手たち。

 対して、我が一ツ橋高校の面々もぞろぞろと集まりだす。

 

 騒ぎを聞きつけてか、宗像先生が現れた。

 

「なーにを騒いでおるか!」

 

 体操服とブルマ姿で仁王立ち。

 上半身の体操服は多分中学生時代のものだから、バストのサイズがあってない。

 パツパツになっていて、胸の形が良く見える。

 下半身のブルマはもちろん、はみパンしていた。

 ウオェッ!

 

「おお、蘭ちゃん先生……」

「なんだ、夜臼じゃないか。やっとシャバに出れたんだな」

 ニコッと笑って見せる宗像先生。

「へぇ。これも蘭ちゃん先生がサツにかけあってくれたおかげっすよ、ヘヘヘッ」

 笑い方がヤバい。薬中の目に見える。

 まあ俺は夜臼先輩の正体を知っているから、なんとも思わないんだけど。

 知らない人たちからはかなり誤解されそうな会話だ。

 

「そうかそうか、よかったな。夜臼も奥さんや子供もいるんだから。もうあの白くて冷たいヤツはもう無断で売るなよ?」

 言い方よ、そこはちゃんとアイスクリームにせえや。

「ヘヘヘッ。なかなかやめれなくていけねぇや。そうだ、蘭ちゃん先生。これ、前に頼まれてたヤツっす。使ったら感想聞かせてくださいや」

 夜臼先輩はズボンのポケットから小さなパケ袋を取り出した。

 中には白い粉が見える。

「おお、こりゃあ夜が楽しみだなぁ……夜臼、また頼むよ。この前のブツも中々良かったぞ。まるで天国のような快感だったな」

「さすが、蘭ちゃん先生だ。疲れがブッ飛ぶでしょ、ヘヘヘッ……」

 いつの間にか、辺りは静まり返っていた。

 宗像先生と夜臼先輩のやり取りを見ていて、顔を真っ青にして震えている。

 

「やべぇよ。一ツ橋ってマジもんの人がいたんだ……」

「ヤンキーが多いとは聞いていたけど、前科もんとか、同じ学園のやつとは思えないぜ」

「俺たち殺されるんじゃないか!?」

 

 いやいや、気持ちはわかるけど、そこまで酷くないから。

 大丈夫だって、みんな同じ学園のお友達だろ? 仲良くしようぜ!

 

 

 バスケ部員は怖がっているようで、膝をガクガクさせながら、夜臼先輩に話しかける。

「あのぅ……僕たち、外で試合しましょうか?」

「バカ野郎! さっきも言っただろが! お日様なめんじゃねー! てめぇも肌が焼けてボロボロになっちまうぞ!」

 夜臼先輩の怒りの沸点がわからない。

 

「まあまあ、夜臼。確かにお前の言い分もわかるが、今日は我が校が引くとしよう」

 宗像先生が割って入る。

「ですが、蘭ちゃん先生! ガキどもがお日様にヤラれちまうのは、俺りゃあ、黙って見てらんねぇんだよ!」

 黙って見ていて大丈夫です。

「夜臼。お前はそんなんだから、アラフォーのくせして、未だに売人なんだ……。頭を使え。前に作ったリキッドタイプがあるだろ?」

 ニヤッと怪しく笑ってみせる宗像先生。

 その一言で、なにかを理解したのか、夜臼先輩が口角をあげる。

「ヘヘヘッ、蘭ちゃん先生も人が悪いぜ……例のブツか。じゃあ今からガキどもにブチこんでやりますぜ。あれさえあれば、丸一日、いや徹夜で体育しても、疲れることはねーっすからね」

 

 

   ※

 

 その後、夜臼先輩は俺たちに小さなボトルを配り、肌につけるよう説明した。

「こいつはよ、赤ちゃんの肌でも使えるような極上のブツだ。高級品だから、落としたら許さねぇからな!」

 要はただの日焼け止めである。

 夜臼先輩の気づかいにより、俺たち一ツ橋高校は武道館をあきらめて、テニスコートに向かうのであった。

 

 俺は宗像先生がもらったパケ袋が気になったので、移動中に夜臼先輩に声をかける。

 

「先輩、宗像先生に渡したあの袋って中身なんですか?」

「ヘヘヘッ、琢人。てめぇもアレをキメたいのか……ありゃあな、肩こりや腰痛に効く入浴剤よ……。わざわざ下呂《げろ》まで仕入れにいったのさ」

 この人、めっちゃ人相悪いけど、中身すごく優しいおじさんだなぁ……。



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190  カンコって10回言ってみろや!

 

 

 夜臼先輩が日焼け止めクリームを塗ってくれたことで、俺たちは紫外線を気にせず、外のテニスコートに移動できた。

 

 今回、武道館利用の件で全日制コースの立場がかなり上だと再認識できた。

 確かにバスケットボールの試合は武道館でしか出来ないのだから、仕方ないのだけども、

いきなり変更とか……確かに夜臼先輩が怒るのもよくわかる。

 

 まあ結局あれだろう。

 毎日通学して、学費も高い全日制の三ツ橋生徒はお得意様で、たまにしか学校に来ない俺たちは、二の次ってやつだ。

 部活なんて趣味レベルだろうし、なにをそんなにやる気がマンマンになるのだろうか?

 きっと彼らは己の性欲を、全て運動の汗によって発散しているのでは……。

 

 そう思っていると、コートのフェンスに大きな横断幕が見えた。

 

『祝 三ツ橋高校テニス部全国優勝おめでとう!』

『本校卒業生、丸井くんプロデビューおめでとう!』

『丸井くん、グランドスラム達成おめでとう!』

 

 

「え……丸井くんって誰?」

 三ツ橋高校からそんな名選手を送り出したってのか。

 そう言えば、前に噂で聞いたな。

 部活に力を入れてるって……。

 だが、そこまですごいプレイヤーを生み出す学校だったとは。

 

 

 テニスコートで一人ポカーンと口を開けていた。

 すると、誰かが俺の袖を掴む。

 隣りを見ると、ブルマ姿の天使……いや、ミハイルが頬を膨らませていた。

 

「なぁ、タクト。なにやってんの? もう体育の授業始まるゾ!」

「おお……悪い悪い」

 

 

   ※

 

 急遽変更した授業なので、わかりきっていたことだが、もちろん今日の体育はテニス……の練習である。

 

 宗像先生が素振りを簡単に説明し、その後は各生徒がコンビを組んでバラバラに散る。

 二つしかコートがないので、実質的にダブルスで4人ずつしか試合ができない。

 

 その間、俺たちは隅で体操座りして、他の生徒の試合をただ傍観するのみ。

 お世辞にも上手いとはいえず、サーブすらろくに打てない生徒も多い。

 

 みんなヘラヘラ笑いながら、「やっだぁ」とか「うてねぇ、ウケるわ」とか、真剣にやってない。

 

 指導役である宗像先生と言えば、審判台に座って、ハイボールを飲んでいる。

 

「ふぅ~ こんな真夏の日曜日ときたら、酒でも飲んでないと教師なんてやってられないからなぁ」

 もう教師をやめてください。

 これ以上、被害者を増やさないでください。

 

 

 それにしても、暑い。

 宗像先生じゃないが、確かに喉が渇く。

 俺も冷たいアイスコーヒーでも飲みたいもんだぜ……。

 

 突如、隣りのコートから歓声が上がる。

 振り返ると、一人の女子生徒に目が行く。

 みんな宗像先生の指示通り、体操服を着用しているのに、その生徒だけはピンクのシャツとスコートを履いていて、軽快な音でボールを弾き返している。

 様になっているなと思った。

 

 俺はその子のテニスが上手いから、みんな騒いでるのだろうと思っていたが、それは違った。

 なぜならば、みんなスマホを片手に、その女子生徒の下半身ばかり狙って盗撮していたからだ。

 

「おふぅ、あすかたんの見せパンゲットなり~!」

「あすかちゃん、カワイイよぉ~ スコート姿の下半身~ 胸~」

「推しの汗を飲みたい……」

 

 なんだ、変態ばかりじゃないか。

 

 あすか? 誰だっけ?

 どこかで聞いたような名前だったな……うーん、あ、自称芸能人の長浜 あすかさんか。

 存在が空気すぎて、忘れていた。

 

 俺の認知度とは差があるようで、フェンスの裏にある部室から何十人も三ツ橋の男たちがギャーギャー騒いで、長浜を眺めている。

 練習なんかそっちのけで。

 

「なあ、あの子。可愛くね? なんだっけ、テレビで見たことあるような……」

「アレじゃん、深夜のローカルに出てるあすかちゃん」

「ああ。だからか。見たことあるなって思ってたんだよ。俺、この前あの子のグラビアでつかっ……」

 

 そんなことを大声で叫ぶなっ!

 どこか隠れてヒソヒソやれ、生々しいんじゃ!

 

 しかし、まあなんだかんだ福岡市民から愛されているんだな、長浜のやつ。

 こりゃ、芸能人として化けるかもしらん。

 俺も作家として負けてらんねぇわ。

 

 そう意気込んで拳を作る。

 すると、誰かが俺の肩に触れた。

 

「タクト☆ オレと組もうぜ」

 見上げると、ブルマ姿のミハイルきゅん。

 ニッコニコ笑って、ラケットを二つも抱えてやがる。

「ああ、構わんが俺は上手くないぞ?」

「いいよいいよ☆ オレだってルールとか全然わかんないし☆」

 なら、なぜ俺を誘った?

 

 

   ※

 

 俺とミハイルがテニスコートに入る。

 相手チームは、日田兄弟の片割れとなぜか体験入学中のトマトさん。

 トマトさんの汗はいつも以上にダラダラと流れており、もう少し脱水症状を起して倒れそう……。

 

 試合が始まりはするが、案の定、トマトさんが暑さにやられて、退場。

 残った日田も一人じゃ試合が続行できないから、困っている。

 

「参ったな……。日田っ! もう試合棄権するか?」

 どうせ単位はもらえるんだから、やめればいいんだよ。

 こんな授業に意味はないのだから。

「しかし……それでは、筑前殿の無念を晴らすことができませぬ」

 いや、ただの運動不足で倒れただけやん。

 

 参ったなと困っていたその時だった。

 

「おいおい、見ろよ。一ツ橋の奴ら試合もろくにできないぜ」

「テニスなんてやらせる意味ないんだよ、バカなヤンキーとキモいオタクしかいない高校だろ。邪魔だから早く終わらせろよって感じじゃね? 俺らも練習したいのにさ」

「でもさ、あすかちゃんとテニスするなら俺も一ツ橋に編入してみたいわ。一日だけな」

 

「「「ハハハッ」」」

 

 言わせておけば……。

 確かにトマトさんは、犯罪者予備軍に近いキモオタだが、そこまで言われる筋合いはない。

 ミハイルや花鶴、千鳥だってバカだけど、こいつらも学費を納めてんだ。

 授業を受ける権利はしっかりとあるはずだ!

 

 腹が立った俺は、フェンス外で笑っていた三ツ橋の生徒たちを睨みつける。

 それに気がついた相手生徒たちが、嘲笑う。

 

「よぉ、あのオタク。こっち睨んでね?」

「マジかよ。しかも、オタクの隣りに立ってるやつ。男のくせして、細い体つきでナヨくね? あんなやつ俺が試合したら、一発で倒せるわ」

 ミハイルのことを言っているのか?

「それに見ろよ。男なのに、女子のブルマ着てるぞ。あいつ……おかしくね?」

 あ、それは本当におかしいと思います。

 僕の趣味に、彼が付き合ってくれているだけなので、責めないであげてください。

 

 

 一連のヤジを聞いていた宗像先生が、審判台から叫んだ。

 

「おぉい! お前らっ! 聞こえてるぞ! 文句があるなら、うちのエース、新宮と試合しろ! 勝ったら何でもしてやる、ご褒美がないとなぁ」

 

 おいおい、勝手になに煽ってんの?

 しかも、俺はエースじゃないって。

 

 それを聞いた三ツ橋生徒たちが、騒ぎ出す。

「よぉ、褒美だって。どうする?」

「あすかちゃんと写真とか握手とか、できるならやってもいいかもな」

「俺は勝ったら、この昨日『使用した』右手で握手してもらう」

 福岡って本当に変態が多いですね。

 どっかの調べで、ピンク系の犯罪率が全国でワースト1だって聞いたことあります。

 

 

 宗像先生の思いつきで、無惨にも日田は強制退場され、代わりにヤジを飛ばしていた三ツ橋高校から何人もテニスコートに入場する。

 だが、入ってきたのは男だけだ。

 どうやら、芸能人の長浜 あすかにしか興味がないらしい。

 

 

「タクト、このボールってどこに投げたらいいの?」

 上目遣いで、目を輝かせるミハイル。

「ああ、とりあえず、相手のコートにこのラケットでボールを打てばいい」

「線がいっぱいあるじゃん。どこの線に向けたらいいの?」

「俺も詳しくはルールは知らん。まあゲームとかで見るのは、だいたい相手選手のラインに向かって打つよな」

「わかった☆ じゃあ、このボールを相手のヤツに飛ばせばいいんだな☆」

「そうだけど……」

 

 俺はこの時、彼に軽く返事してしまったことを、後々後悔する。

 

 なぜならば、その後が地獄だったから。

『相手に向けてボールをラケットで打つ』という俺の指示を忠実に守ったミハイル。

 忘れていたんだ、俺は。

 彼の華奢な体つきと女みたいなルックスに反して、その力はプロレスラー並みの破壊力を持っていたことを……。

 

 

 審判の宗像先生が、笛を鳴らす。

 

 相手選手はニヤニヤ笑いながら、ラケットを構えていた。

 女みたいな見た目のミハイルだから、余裕で勝てると思っていたのだろう。

 だが、その予想は大きく裏切られる。

 

 ミハイルがサーブを打つと、風を切ってボールは一瞬で、相手選手を襲う。

 直撃したのは、股間だった。

 

「うぐっ……」

 

 泡を吐いて、その男の子は倒れてしまった。

 コンビを組んでいた隣りの選手は、ミハイルの豪速球を見て、震えあがっていた。

 

「チッ、倒れたのか。おい、次のやつ、入れ。お前ら一ツ橋にケンカ売ったんだ。全員、新宮と試合しろ」

 宗像先生はそう吐き捨てて、新しいハイボールをプシュッと開ける。

 

「勝った勝った☆ やったよ、タクト☆」

 その場で飛び跳ねて、天使のような優しい笑顔を見せてくれるミハイル。

 対して、担架で運ばれる『玉』を潰された男子。

「……」

 俺は同じ男として、涙を流した。

 

 震えあがる三ツ橋高校の生徒たちを見て、宗像先生が怒鳴り散らす。

 

「早くせんか! 授業が終わるまでお前ら全員帰るなよ!」

 

 そうして、健康な男子たちの股間が、次々と砕け散っていくのであった。

 全てミハイルの手により……。

 

 

 

  



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第二十四章 夏だ! プールだ! 男の娘の水着だ!
191 水着のパッド、マシマシで!


 

 色々とあったが、無事に期末試験は終了した。

 暗記に苦戦していたミハイルもちゃんとテストを書けたようだし、まあ後は結果を待つのみだ。

 

 試験の答案用紙は来月の終業式で返却されるらしい。

 だが、宗像先生が言うには、「基本、点数じゃない」「単位取得の条件はその生徒の誠実さ」だとか……。

 意味がさっぱりわからん。

 結局は、先生たちの選り好みで単位が決まるのだろう。

 真面目に頑張っている俺たちって、果たして高校通ってる意味あるんだろうか?

 

 

 試験が終わったことで、レポートもないし、ラジオの通信授業もお休み。

 終業式こそ、来週に控えているが、もうほとんど夏休みといっても過言ではない。

 それぐらい毎日、暇を持て余していた。

 

 もちろん、新聞配達は休みがほぼないので、忙しいといえばそうなのだが……。

 仕事のときだけ、外に出て、人と必要最低限の話をする。

 家に帰っても、母さんや妹がいるけど、特に話すこともない。だって変態だから住んでいる次元が違いすぎる。

 

 執筆の方もだいぶ前に書き上げたから、特に今は書くこともない。

 毎日、ポカーンと口をだらしなく開いては、大好きなアイドル声優のYUIKAちゃんのPVプレイリストをただ見つめる。

 

「ハァ……」

 

 PVで歌っているYUIKAちゃんは、元気よく浜辺で踊っている。

 海かぁ、ぼっちの俺からしたら程遠い場所だな。

 

 そうため息を漏らしたその時だった。

 スマホのブザーが鳴る。

 着信名は『アンナ』

 

「おっ!」

 

 思わず声に出てしまう。

 

『もしもし、タッくん? 今、ちょっといいかな』

 相変わらずの優しい口調だ。

 テンションが上がる。

「おぉ、久しぶりだな。こっちは大丈夫だ。どうしたんだ?」

『あのね、急で悪いんだけど……明日取材しない?』

 妙に甘えた声だな。

「取材か。俺の方は構わん」

 ていうか、待ってましたと言わんばかりに、前のめりになる。

 拳もグッと握って、勝利宣言。

 

『良かったぁ☆』

「で、今回の取材はどこにする?」

『あのね、ミーシャちゃんからプールの割引券をもらったの。場所は海の中道で……』

 ちょっと待て。それ自分でゲットしたってことだろ。

 いちいち、別の人格を使って誘うなよ。

「プールか……」

 余り良い思い出がない。

 小さい頃、クソ親父の六弦に、まだ幼い俺を災害救助の練習と称しては、深い大人用のプールに投げ込まれた覚えがある。

 それが海の中道っていう印象。

 

 

 海の中道ってのは、福岡市と志賀島を繋いでいる砂州のことだ。

 名前通り、海と海に囲まれた街で、主にリゾート地として栄えている。

 

 またアンナが言っているプールってのも、恐らく国営の海の中道海浜公園の一部。

『アインアインプール』のことだ。

 今は6月も終わりに近い。

 プール開きということか。

 

 気乗りしないな。

 暑いし、俺はあまり泳ぐの好きじゃないし……。

 

 俺が黙りこんでしまうと、アンナが受話器の向こう側で心配していた。

 

『タッくん? 嫌なの? プール……』

「あ、ちょっと苦手なんだ……」

『そうなんだ……じゃあ変えようか。アンナ、水着買ったけど……』

「えっ!?」

 思わず、大声で叫んでしまった。

 

 アンナの水着姿だと!?

 そんなこと言われたら、絶対に見たいに決まってるじゃないか!

 一瞬にして、気分が上昇。

 

「待った。やっぱり行くわ」

『ホント? 苦手だったんじゃないの?』

「ごほん、あれだ。俺は作家だろ。ここ数年、プールも行ってないし、ちゃんとそういう景色とか、人たちをこの目で焼きつけないと、取材にならないと思ってな……」

 理由を正当化しておいた。

『そっかぁ☆ なら良かった! じゃあ明日の10時ごろに、博多行きの電車で待ち合わせしよ☆』

「了解だ」

 

 電話を切った瞬間、俺はその場で飛び跳ねた。

 

「アンナの初水着キターーーッ!!!」

 

 前回はラブホのスク水。あくまでも、コスプレだったからな。

 あれはアレで好きだったし、今でもスマホからPCに転送して、毎日楽しんでいるのだが、また良き思い出が増えるんだな……。

 なんてたって、今回は本物の水着だ。

 ビキニか、ハイレグか、それともティーバック!? か……夢が広がるなぁ。

 

 よし、スマホのSDカードの空き容量をちゃんと確認しておこっと。

 



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192 間接キッスでもカウントしてええんやで。

 

 次の日、アンナに指示された時刻の博多行き列車に乗り込む。

 指定されたのは三両目の車内だ。

 彼女は小倉よりの席内駅から乗っているので、既に車内でこちらに手を振っていた。

 満面の笑みで。

 

 女装しているアンナは相変わらず、本物の女よりも女らしく、周りの男たちが皆振りかってしまうほどの可愛さだ。

 今日のファッションも一段と気合が入っている。

 ピンク地のブラウスを着ていて、胸元には大きな白いリボン。

 また袖が肩からシースルーになっていて、彼女の素肌が拝める。

 ボトムスもいつもより丈がかなり短いプリーツの入ったミニスカート。

 足もとは真夏仕様となっていて、ヒールの高いリボンがついたサンダル。

 

 くっ! 水着を着る前に俺を殺す気かっ!

 

 頬が熱くなるのを感じると、なんとなく咳払いをする。

 

「おっ、おほん! よう、アンナ」

「おはよう☆ タッくん!」

 

 車内に乗車していた男子が一斉に俺を睨んだ。

 

「んだよ、あいつが彼氏とかマジねーわ!」

「クソッ! 暑い日にイチャつくなよ……」

「やだぁ、ボクはあの子のお尻とってもキュートに感じちゃう♪」

 

 え……? 俺のこと?

 

 

 ま、こいつらアンナの正体を知ったら、みんな怖がったり、逃げ去ったりするんだろ?

 悪いが、彼女は俺の大事な取材対象だ。

 お前らにはやらんよ。

 あれ、ちょっとリア充を楽しめてないか? 俺って……。

 いやいや、アンナは男だぞ。ノーカウントだ、琢人。

 

「どうしたの、タッくん☆」

 気がつけば俺の懐に入り、上目遣いで攻撃してきやがる。

 キラキラと輝くグリーンアイズがまぶしい。

「あ、いや……今日の服も似合っているな」

 なんとなく、視線を逸らす。

 俺が女装男子にベタ惚れしている……とか、見透かされている気がして。

「ホント? うれしぃ☆ 今日のために水着と一緒に買っておいたんだ☆」

「そう、なのか?」

 確かに言われたら、こいつ。毎回取材の時の服が違うよな。

 気になったので、質問してみた。

 

「なあ、いつもどこで買っているんだ?」

「えっとね……アンナはだいたいネットで買うかな。ポチポチって……スマホで☆」

 だよな。ミハイルくんがレディースファッション店にウキウキショッピングして、試着室に入る度胸ないよね。

「なるほどな……」

「でも、今日着る水着はちゃんとお店に行って買ったよ☆ だって水着だもん☆」

 ファッ!?

「えぇ……つ、つまり試着したのか?」

「うん、もちろんだよ☆」

 女の子たちと一緒に? ヤバくない?

 犯罪でしょ。

 だが、彼女は悪びれる様子もない。

 

「ネットで良くないか?」

「ダメだよぉ。水着は服と違うから、ちゃんとバストとかヒップとか、ジャストサイズじゃないとイヤ。それにパッドも合うやつ使わないと可愛くなれないもん」

 なに、本気出してんのさ。

「まあ男の俺にはよくわからんな……」

 ってあなたも男だろ!

 

 怖くなったので、この話はこれで終わりにしておいた。

 

 

   ※

 

 俺たちが向かう海の中道海浜公園は、地元の真島より二駅、博多よりの梶木駅で一旦降りる。

 そして、ホームを移動して、『海の中道線』というローカル線に乗り換えた。

 線路は単線で、車窓から見える風景も都心部から田舎へとガラッと変わってしまう。

 

 心なしか、先ほどまで乗っていた鹿児島線の車両より、揺れが強く感じる。

 経営が逼迫しているのでは? と心配になるが、そうでもない。

 車内は若者でごった返している。

 みんな軽装に、ビニールバッグを手にしているから、プール開きが目的なのだろう。

 

「楽しみだね、タッくん☆」

「ああ、プールなんて10年ぶりぐらいかな……」

「そうなの?」

「うむ、俺は親父にレスキュー活動の練習とこじつけされては、深い大人用のプールにぶちこまれていたからな。それ以来、ちょっとプールがトラウマなんだ」

 マジで水怖い時ある。

「そうなんだ……じゃあ、嫌だった? 今日のこと」

 涙を浮かべるアンナ。

「いや、今日は違うよ。純粋に楽しみにしていたさ」

 なんてたって、初めての水着姿を拝めるんだから。

 スマホの容量もしっかり空けておいたし、防水ケースもネットで購入。

 ついでに、三脚付きの自撮り棒まで買っておいたから、水中でアンナの色んなポーズを資料用として保管可能だぜ。

 

「じゃあ、今日がタッくんのほぼ‟初めて”のプールになるのかな?」

「ふむ。まあそうじゃないか? 親父たちと行っても遊んでた記憶ないから」

 トラウマだからね。

「アンナとのプールが初めてなんだ。うれしい……」

 頬を赤くして、今日はローカル車両の床ちゃんがお友達か。

 ところで、なにがうれしいの?

 

 

   ※

 

 電車が海の中道駅に着く。

 すると、若者は一斉に電車を飛び降りて、走り去っていく。

 ギャーギャー騒ぎながら、日差しの強いアスファルトを元気に飛び跳ねていた。

 なぜ人は海やプールが近いとこんなにもテンションが上がるというか、バカになるのだろうか?

 そう思いながら、ため息をもらす。

 

 駅を出ると、すぐに海の中道海浜公園の入口だ。JRと直結している。

 公園のスタッフが立っていて、声をかけられる。

 

「プールですか?」

「あ、はい。そうっす」

「じゃあ、こちらで料金いただきますね。公園は使用されませんよね?」

「はい、プールのみです」

 こんな暑い日に、誰がだだっ広いお花畑を見に行くというのか……。

「学生さんですか?」

「あ、高校生とむしょ……じゃなかった大人がひとりっす」

 俺がそう伝えると、アンナは少し落ち込んでいた。

 いや、もちろんアンナの中身は高校生で間違っていないのだが、彼女が最初に無職と設定してしまったので、嘘を貫き通すしかないのである。

 高い嘘になってしまうな。

 

 チケットをもらうと、近くにバスが待機していた。

 

 黒く焼けた中年のおじさんが、手を振る。

 

「アインアインプールをご利用の方はこちらにお乗りくださーい! お金は取りません。プールのチケット代に含まれております」

 

 海の中道海浜公園は、260ヘクタール以上もある巨大な国営公園である。

 そのため、アインアインプールに移動するのに、炎天下の中、歩いて向かうのは、地獄だ。

 熱中症で倒れないようにと、園の粋な計らいだ。

 エアコン付きのバスは最高だからな。

 

 バスに入ると、既に何人かの若者は、浮き輪を膨らませていた。

 気が早いな。

 

 それを見たアンナが俺に言う。

「あ、アンナもバナナの浮き輪持ってきたの☆ 今のうちに膨らませおこ☆」

 彼女はかごバッグから、ビニール製の浮き輪を取り出した。

 かなり大きい。

「ふぅ~ ふぅ~」

 顔を真っ赤にして、透明の空気栓に小さな唇を当てる。

「はぁはぁ……けっこう、おっきいもんねぇ。このバナナ……」

 火照った顔で息を荒くする。細い首からは一粒の汗のしずくが流れた。

 どこか、色っぽく感じる。

 だが見ていて、かなりしんどそうだ。

 ここは男の俺が、手を貸してあげよう。

 

「貸してみろ。一人じゃ無理だろう」

「うん☆ こういうのは男の子が得意だもんね☆」

 あれ? 僕も君も男だったよね……?

 

 

 浮き輪を渡されて、あることに気がついた。

 空気栓にベッタリと残されたアンナの口紅。

「ごくり……」

 こ、これは、いわゆる間接キッスというやつでは?

 しかもよく見れば、彼女の残した唾液がキラリと光って見える。

 ディープ間接キッスだ!

 

「どうしたの、タッくん? ひょっとして、喘息持ちとか?」

「いや、違う。任せろ、俺は至って健康体だ。肺活量も自信がある」

 

 俺は深く息を吸うと、赤く染まった空気栓に口づけ。

 浮き輪の中に、空気を入れると見せかけて、ついでにアンナの唾液も口紅もゲットだぜ!

 

 その後、俺は同様の行為をバスがプールにたどり着くまで、何度も何度も繰り返した。

 いや、楽しんだというべきか……。

 終わるころには、チアノーゼを発症しており、意識が遠のいてしまうほどである。

 だが、それぐらい甘くていい香りを堪能できたので、これはこれで最高でした。

 

「さ、タッくん。プールに入ろ☆」

「ああ……」

 

 俺は今日、酸欠で死んでしまうかもな。

 

 

 

 

 

 



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193 更衣室は着替える行為のみ許されています。

 

 

 アインアインプールの大きな門をくぐり抜けると、そこには広大な敷地に様々な形のプールがたくさんあった。

 流れるプール、水面に建てられたアスレチック、スライダープール、その他にもいろんな遊べる場所が揃っていた。

 

「うわぁ☆ 楽しそ~☆」

 横からアンナの瞳を覗くと、真夏の太陽に照らされてか、いつも以上にキラキラと輝いて見える。

「……」

 俺はプールよりもアンナに見とれていた。

 それに気がついたのか、彼女が俺の左腕を引っ張る。

 

「ねぇ、早く水着に着替えよ☆」

「おぉ……そうだったな……って、え?」

 

 ちょっと待てよ。

 アンナは今女装しているよな。

 正体は男なんだから、俺と同じ男性の更衣室で着替える気か?

 しかし、そうなると……股間のアンナちゃんじゃなくて、ミハイルくんが丸見えになってしまう。

 一体、どうしたらいいんだ!?

 考えろ、琢人!

 

 必死に思考を巡らせるが、一向に解決策が浮かばない。

 

「タッくん? なにやってんの? 早く入るよ!」

「え……一緒に入るのか?」

 思わず、本音が出てしまう。

「はぁ? タッくんは男の子だから、一緒には入れないよ! バカなこと言わないで。まさか、他の女の子の裸とか見たいの!? タッくんのエッチ!」

 

 ええ……。

 そこまで設定を貫くんすか?

 でも、それはさすがに犯罪なのでは。

 

「いや……アンナ。断じてそんな意味ではない。その、あれだ。アンナが他の女性と着替えるのに、ためらいはないのか?」

 俺がそう問うと、彼女は真顔で答える。

「当たり前じゃん。アンナは女の子だもん」

 ぷくーっと頬を膨らませて見せる。

 いや、可愛いのはわかるよ。

 けどさ、限度ってもんがあるじゃない。

 

「だがしかし……」

「もう! タッくんがそんなエッチな人だと思わなかった! アンナ、タッくんが喜ぶと思って、新しい水着を用意してたのに……フン!」

 そう言って、アンナはスタスタと更衣室に入ってしまった。

 もちろん、女性専用のだ。

 女装男子専用は、今のところないからね。

 

 一人残された俺は、とりあえず、男性の更衣室に入っていったが、アンナの正体が他の女性にバレるのではないか? と不安で頭がいっぱいだった。

「まあ、股間さえ隠せば、大丈夫……か」

 そう自分に言い聞かせて、水着に着替える。

 中学生時代に学校から支給された水着。

『3-1 新宮 琢人』

 と名前がつけられているので、迷子になっても無問題。

 

 ロッカーから財布を取り出し、現金を防水用の首かけポーチに移す。

 そして、防水ケースに入れたスマホと自撮り棒を持って、いざ出陣。

 これはあれだ。

 グラビアアイドルの水着撮影会に参加するガチオタの姿と酷似している。

 だが、それでいい!

 アンナの可愛い水着姿を、脳裏に焼きつけるだけでは足りん!

 しかと、デジタルフォトとして記録しておかねば。

 

「よし!」

 

 覚悟を決めて、更衣室から出ると、既にプールサイドには、一人の天使が立っていた。

 

 白のビーチサンダルを履いていて、スラッと伸びた白くて細い脚。

 太ももに深く食い込むピンクのボトムス。フリル付きで、彼女らしい。

 トップスも同様にフリルで覆われており、胸元は控えめなサイズ。

 黄金色の長髪は、頭の真ん中でお団子状に纏められていた。

 

 その子は、俺に気がつくと、笑顔で手を振る。

 

「タッく~ん☆ こっちこっち!」

 

 俺は唇を噛みしめて、今まで死ななくて良かったと、心の底からそう思えた。

 母さん、産んでくれてありがとう。教育に関してはクソ親だけど。

 この時のために、俺は生き残ってきたんだな……。

 グッと拳を作って、ガッツポーズ。

 やったぜ!

 

「ねぇ、タッくん? どうしたの?」

 

 気がつくと、その水辺の天使は距離を縮め、俺の顔を覗き込む。

 無防備なことに、腰をかがめて、手はお尻の後ろにやる。

 こ、これは……世に聞く伝説のグラビアアイドル『ヒナ』が編み出した『ヒナポーズ』では!?

 だが、ヒナとは違い、胸がぺったんこだ。

 谷間なんて皆無。

 だが、それがいい!

 

「タッくんってば! 熱でもあるの?」

 

 人が余韻に浸っていると、更にグイグイと俺に身を寄せる。

 グリーンアイズの瞳が、なんとも綺麗だ。

 小さな唇も、ピンク色の口紅がぬられていて、プルンと柔らかそう。

 

 いかんいかん!

 首を強く左右に振る。

 このままでは、自然の流れでキッスをしてしまいそうだった。

 取材だ、取材。

 これはラブコメに必要なことだ。

 初心を忘れちゃいけない。

 

「待たせたか? アンナ」

「ううん☆ タッくんこそ、急がなかった? アンナは前もって家で水着を着てきたから、すぐに出れたけど」

 なるほど。

 だから、他の女性にバレなかったのか。

 

「さっきのバナナも持ってきたから、あとでプールで遊ぼ☆」

「おおう」

 先ほど、俺が死ぬ思いで膨らませたバナナの浮き輪が地面に置いてあった。

 ん? そう言えば、女装しているから忘れていたが、彼女のバナナが見当たらない。

 

 ジッとアンナのビキニラインを眺める。

 ちゃんと、おてんおてんのもっこり具合を確かめないと。

 

「ん~」

 

 ない。

 以前、ミハイルがブルマを着用していた時は、確かに矮小なふぐりを見ることができた。

 アンナにはそれがない。

 なぜだ?

 確かラブホでスク水のコスプレしてた時も、つるんとした股間だった。

 黙って、彼女の股間を凝視していたら、アンナがボンッと音を立てて、顔を真っ赤にさせる。

 

「ちょ、ちょっと! タッくんってば、どこ見てんの!」

 

 ポカポカと、俺の胸板を叩く。

 あ~、彼女の小さな手が当たって、気持ちが良い~

 

「す、すまん……その水着が似合っていて、ついな……」

 こういう時は褒めて逃げよう。

「え……この色、好き?」

 頬を赤らめて身体をくねくねとする。

 照れているようだ。

「ああ、すごく好きだ。可愛いと思う」

「そ、そっか……良かったぁ☆」

「なあ、一枚写真撮ってもいいか?」

「うん……いい、よ」

 上目遣いで、俺の目を真っすぐ見つめる。

 

 

   ※

 

 その後、アンナを近くのヤシの木に立たせて、写真大会の始まり。

 一枚なんてわけない。

 連写で数千枚は撮った。

 

「アンナ、次は座って片脚を伸ばしてみてくれ。それから、視線はこちらに」

「えぇ、まだ撮るの? もう、これで30回目じゃない?」

 呆れながらも、しっかり俺のリクエストに応えてくれる。

「いや、これはれっきとした取材なんだ」

 ウソだけど。

「なら仕方ないよね☆」

「うん、仕方ない」(棒読み)

 

 俺たちは、小一時間、プールサイドで撮影を繰り返した。

 

 周りの客たちは、俺とアンナのことを芸能人とカメラマンの間柄と錯覚するほどに。

 

「ねぇねぇ、ママ。あのお姉ちゃん、げいのーじん?」

「しっ! 見ちゃダメよ! あのお姉ちゃんはきっと卑猥な本の撮影しているんだから!」

「パパはあの子のグラビア出たら、買うけどな……」

 

 売らねーから!

 この撮影は俺専用なの!

 

「ねぇ、タッくん。そろそろもう良いかな? 暑いし、まだサンオイルも塗ってないし……」

「すまん、そろそろやめよう」

 ん? 今、サンオイルって単語が出たような。

「背中だけぬってくれる?」

 気がつくと、アンナはビニールシートを広げ、うつ伏せに寝ていた。

 自ずと、桃のような小さなお尻が、目に入る。

 ごくり……生唾を飲み込む。

「俺がぬってもいいのか?」

「うん。だって背中とお尻は自分じゃ無理だから」

 つまり、背中とお尻は俺の手で直接触って良いと、捉えていいですね。

 

 サンオイルの蓋を開け、ブジュッと音を立ててたっぷり白濁液を、彼女の白い背中に流し落とす。

 冷たかったせいか、アンナは「キャッ」と可愛らしい声をあげた。

 

 そして、俺はゆっくりゆっくりと、彼女の身体にオイルを伸ばしてあげる。

 特にお尻を重点的に。

 



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194 駅弁は高くてもうまい!

 

 

 サンオイルをお互い仲良く塗りあった後、しっかり準備運動をする。

 まずは流れるプールに入ることにした。

 

 アンナはバナナの浮き輪を持って、水の中に浮かばせる。

 そして、ひょいっと浮き輪にまたがる。

 

「アハハッ! 楽しい~☆」

 

 お馬さんに乗る幼児のように、はしゃぐ15歳(♂)

 まあ、アンナだから許せる所業か。

 それを下から、俺は眺めて泳ぐ。

 いいアングルだなぁ~

 もちろん、自撮り棒を手に持ち、ローアングルからの動画撮影中だ。

 どんなアンナも見逃すことはできない。

 

 しばらく、そんなことをして遊んでいると、後ろから若い男たちがキャーキャー騒いで、こっちに近づいて来る。

 水面でボール遊びして、俺たちに気がついていない。

 

 ドンッ! と大きな音を立てて、アンナの乗ったバナナボートが転覆。

 

 咄嗟に、俺は自撮り棒を投げ捨て、水中に滑り落ちる彼女を両手でキャッチした。

 

「キャッ!」

「だ、大丈夫か!?」

 

 辺りは静まり返る。

 なぜかと言うと、俺の両手にある。

 ムニムニ……その感触を味わう。

 あまりやわらかくない。不自然な感じ。

 そうだ、人工的な肌の感触、シリコンとか……つまり、それを外してしまえば、カッチカチやぞ! てなぐらいにぺったんこ。

 

 事故だが、大事な取材対象の胸を揉んでしまった。

 今も尚、俺の両手はなかなか彼女の小さなおっぱいから、逃れることができずにいる。

 魅力的すぎるのが悪い。

 体感で言えば、5分ぐらい揉んでいたような気がする。

 

 落ち着け、まず謝ろう。

 

「す、すまん……」

 ここで、ようやく彼女の身体から手を離す。

 アンナといえば、顔を真っ赤にして俯いていた。

 泣いているのか? と心配した。

「……ううん。アンナこそ、嫌な思いさせなかった?」

「え?」

「アンナっておっぱいないし、ていうか、硬かった……でしょ?」

 頬を赤らめて、恥ずかしそうにしている。

 気にするところ、そこなんだ。

 不慮の事故とは言え、怒っても良そうなもんだが。

「う……まあ、その……別にデカければ良いってもんじゃないだろ」

 俺ん家のかなでみたいに、キモ巨乳だったら、しんどいよ。

「でも、アンナの胸ってぺったんこだし……」

 

 気がつくと、彼女が乗っていたバナナボートはどこかに流れて行ってしまった。

 俺のスマホも同様に。

 

 流れるプールだと言うのに、俺とアンナはそこで立ち止まり、流れに反している。

 他の泳いでいた客たちは、その様子を見て、カップルがケンカしているように見えたようだ。

 

「ヒューヒュー、プールで愛の告白かよ」

「うっわ! こんな暑い日に他人のイチャイチャとか見たくねぇ~」

「彼氏の方、キュートなお尻だわ……」

 

 え? 俺のこと?

 ガチの人からすると、俺のケツって、モテるんだろうか……。

 尻の力を緩めないでおこう。

 

 

「なぁ、アンナ。俺は正直いって、胸の大きな女の子は苦手だ。アンナぐらいの、その……大きさが好きだ。だから、そう落ち込まないでくれるか?」

 あれ? 言ってて、おかしく思った。

 だって、こいつ女の子じゃないよ。男の子じゃん。

「ホント!? タッくんはぺちゃんこが好きなの?」

 大きな声で人の性癖を暴露しないでください。

「う、うむ。まあな……」

「やった☆ なら安心! さ、遊ぼ☆」

 

 気を取り直したアンナは、俺の腕を力強く掴むと、流れてしまったバナナボートを探しにいくのだった。

 だが、先ほどの二人のやり取りを聞いたママさんたちが、俺を見て睨む。

 

「ねぇ、あの男。つるぺたが好きなんだって!」

「ゴリゴリのロリコンじゃない!」

「みんな、アイツに子供たちを近づけないようにしましょ! きっとロリもショタもイケるタイプよ!」

 

 えぇ……俺って、バイセクシャルなの?

 しかも、小児性愛者?

 病院行かなきゃ。

 

 

   ※

 

 バナナボートとスマホは、プールの係員が預かっていてくれたようで、無事に手元に返ってきた。

 その後もしばらく水中で雑談しながら、二人で楽しむ。

 

 流れるプールは、一番の人気らしく、水が見えなくなるぐらいたくさんの人で埋もれていた。

 家族や友人同士で来ている客もいるが、カップルが多く感じる。

 色んな奴らがいたが、大半は人目もはばからず、イチャイチャしていた。

 

 

 気がつけば、俺たちの周りはカップルだらけ。

 彼女が彼氏に抱っこしてもらい、自身の脚を彼の腰にからめる。

 そして、彼氏は満足そうに、そのまま歩き出す。

 コアラかよ。

 だが、そんな愛くるしい動物とは違い、相手は人間同士だ。

 交尾前のオスとメスみたい。

 互いの鼻と鼻をくっつけて、見つめ合い、笑っている。

 

 

 そう言えば、アインアインプールがある海ノ中道海浜公園の近くには、リゾートホテルやラブホがたくさんあったな……。

 前戯なら、他でやってくれ。

 小さなお子さんもいるんだから。

 

 俺は、そいつらを汚物を見るようかのように、見下す。

「はぁ……ここは公共の場だってのに、盛りのついたバカどもは……なぁ、アンナ? 場所変えるか?」

 俺がそう聞くと、彼女は頬を赤くして、黙り込んでしまう。

 ん? アンナモードだから、恥ずかしいのか?

「あの……タッくん……」

 白くて細い首が「ギギッ」と軋んだような音を立てて、横に動く。

「どうした、アンナ」

「あれ、やろっ……か?」

 そう言って、周りのバカップルどもを指差す。

「え?」

「カップルてさ……あーいうのをやるんだよね? フツーの恋人同士なら」

「いや、一概には言えないと思うが……」

「アンナ思ったの。ラブコメの取材には、タッくんが『ドキドキする要素が必要不可欠』だって。だから、しよ?」

 そう言って、上目遣いで、俺を誘う。

「つまり、取材に必要だと?」

 生唾を飲み込む。

「う、うん……タッくんさえ、いいなら」

 頬を赤くして、視線は水面に。

 黙ってはいるが、「早くしよ」と、俺からの返事を待っているように感じた。

「そうだな……なんでも、やってみないことには、始まらないものな。挑戦してみるか」

 アンナは黙って頷く。

 

 

   ※

 

 黙って水中をゆっくり歩く。

 ただ違和感があるとしたら、視界が塞がれている。

 ピンクのフリルがついた可愛らしい水着。

 白くて細いウエストに、小さなおへそ。

 

 彼女の体温が肌を通して、伝わる。

 アンナは俺の腰に脚を回して、腕は背中に回す。

 太陽の光りで、彼女の顔は影になり暗くなっていて、少し分かりづらいが、見たことないぐらい真っ赤になっているのだろう。

 

「どう? タッくん?」

「な、なにがだ」

「その……ドキドキする?」

 聞かんでもわかるだろ! 心拍数が爆上がりで死にそうだ!

「ああ、これなら間違いなくドキドキしてしまうな」

「そっか……なら、役に立てて嬉しい☆」

 見上げると、ニッコリ笑うアンナの可愛らしい顔が、目の前にある。

 その距離、10センチほどか。

 もうすぐ唇と唇が、くっつきそうなぐらい。

 密接している。

 

 一体、俺はナニをやっているんだろうか?

 男と男で。

 俺は、彼女の身体を支えるために、細い太ももを両手で掴んでいる。

 別にわざとやっているわけじゃないが、自然と彼女のヒップラインに、指が触れてしまう。

 それだけじゃない。

 大好物の貧乳というか絶壁のちっぱいが、目前にある。

 最後に、俺の股間と彼女の股間がペッティングしちゃってる。

 

 プールをゆっくりと歩いているはいるが、上下に身体が揺れる。

 その際、互いの股間が擦れて刺激しあう。

 

 り、理性がブッ飛びそうだ……。

 

 その時だった。

 プールサイドにあるスピーカーから、

「ブーーーッ!」

 と音が鳴り響く。

 

『ただいまから5分間の点検作業が始まります。係員が水中を泳いで作業しますので、お客様はプールから出てください!』

 

 それまでイチャこいていたカップルたちも、一斉にプールから出ていく。

 アンナも俺の身体から降りて、ドキドキタイム終了。

「タッくん、点検だって。休憩でもしよ☆」

 彼女が手のひらを差し出すが、俺は今、それどころではない。

 

 股間を沈静化しない限り、水面から出てはいけないのだ。

 同じ男だというのに、アンナは特に症状が出ていないように見える。

 俺だけか……。

 

「あの~! 君、早く出てよ! 作業できないでしょ!」

 

 近くの係員が、メガホンを使って注意してきた。

 だが、動けん!

 

「タッくん? 具合でも悪いの?」

 アンナが首を傾げて、俺を心配そうに見つめる。

 君が提案したのが悪いんだよ。

 

「ん? そこの君、具合が悪いのか?」

「あ、そう見たいです」

 違うだろ! アンナ!

「よし、医務室に連れて行こう!」

「お願いします。タッくん、プールで身体冷やしちゃったのかな」

 

 後に、俺は医務室で「至って健康」だと医師に告げられるのであった。

 

 

 

 



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195 最終奥義、ラブラブ男の娘拳!

 

 俺の股間はなんとか沈静化できた。

 プールサイドにあった時計を見ると、昼の12時を越えていた。

 腹が減るわけだ。

 

「そろそろ昼メシにするか?」

「うん☆ なにを食べよっか」

 

 流れるプールから少し離れたところに、フードコートがあった。

 

 ラーメン屋、タコス屋、お好み焼き屋。それから、海ノ中道海浜公園が運営している売店。

 

「さて、なにを食うか……アンナはなにがいい?」

「うーん。えっと、とんこつラーメンとフライドポテトと……」

「王道だな。俺もラーメンにするか」

 店員に声をかける。

 

「すいません。ラーメン二つとポテトを一つ」

「ありがとうございます! 合計で2000円になります!」

 たっか! ま、いっか。経費で落ちるし。

 と思って、防水ケースから少し濡れたお札を取り出す。

 それをアンナが止めに入る。

「待ってタッくん。まだ追加したい」

「え……」

「あとは、カツカレー、唐揚げ、たこ焼き、焼きそば、フランクフルトを一つずつください☆」

「かしこまりました! 合計で5000円になります!」

 二人分の食事代じゃねぇ!

 忘れてた胃袋は、健康な男の子だったね。

 多めにお金持ってきていてよかった……。

 

 

   ※

 

「ふぅ~ お腹いっぱい~☆」

 そうは言うが、相変わらずアンナの腹はほっそいまま。

 全然、腹が出ないところが、怖い。

 この子の胃袋は、四次元ポケットに繋がってやせんか?

 

「ねぇ、タッくん。デザートにかき氷でも食べない?」

 目をキラキラと輝かせる大食い女王。

 まだ食うのかよ。

「構わんが……俺はラーメンだけだったのに、アンナはたくさん食べたろ? まだ腹に入るのか?」

 俺がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして怒る。

「デザートは別腹っていうでしょ!?」

 あなたの身体ってホントにどうなってんの……。

「了解した。じゃあ買うか」

「うん☆」

 

 

 再度、売店に戻り、かき氷の種類を眺める。

 かなりの種類がある。

 

「ん……あれは」

 一つ気になった味がある。

 それはブラックコーヒーかき氷。

 コーヒー好きとしては、これは試してみたいな。

「俺はコーヒー味にしてみるよ」

「ん~ アンナは定番のイチゴ味かな☆」

「ま、それならハズレはないな」

 

 店員を呼んで、注文する。

 

「あ、コーヒー味はミルクかけますか?」

「いや、そのままで」

 コーヒー好きとしては、素材そのままの味を楽しみたいのだ。

「イチゴ味は、練乳かけますか?」

「いっぱい、かけてください☆」

 なんか言い方が卑猥に聞こえるのは、俺だけでしょうか?

 天使スマイルのアンナのお願いに応える店員。

「じゃあカノジョさんには、ピンクのシロップが隠れるぐらい、真っ白になるまでぶっ掛けてやりますね!」

「うれしい~☆」

 いや、喜ぶなよ。アンナ。

 

 

 できたてのかき氷を持って、テーブルに向かう。

 座って、いざ実食。

 真っ黒に染まった氷をスプーンですくう。

 それを口に運ぶ。

 

「ん……ぶふっ!」

 

 あまりのまずさに、地面に吐き出してしまった。

 肝心のコーヒーが不味すぎる。

 味が薄いし、コーヒーとはいえるものではない。

 なんというか、駄菓子の味に近い。

 

 注文したことを後悔した。

 仕方ないので、氷が溶けるのを待って、液体にしてから一気に飲むことにした。

 溶けるのを待っている間、向かい側に座っているアンナに目をやる。

 俺とはちがい、嬉しそうにかき氷を食べている。

 

「あま~い☆ おいし~☆」

 

 頬をさすって喜んでいる。

 ま、この笑顔を見れただけでも、買った甲斐があったってもんか。

 

 

   ※

 

 かき氷を食べ終わると、急に激しい腹痛を起こす。

 どうやら、あのコーヒーかき氷が悪さしたようだ。

 トイレに行きたくなった俺は、彼女を一人プールサイドで待つように伝える。

「うん、わかった☆ このヤシの木の下で待ってるね☆」

「すまんな」

 

 ちくしょう。

 もう二度とあのかき氷は頼まんぞ。

 しばらく便器と戦いを繰り広げる。

 体重2キロぐらい落ちたんじゃないだろうか?

 手を洗うと、鏡の前にゲッソリした自分を確認できた。

 

 腹をさすりながら、トイレを出る。

 アンナが待つヤシの木に向かう。

 

 すると、なにやら甲高い女の悲鳴が聞こえてきた。

 

「や、やめて!」

 

 声の方向を見ると、アンナが二人の男に囲まれていた。

 

「いいじゃん、お姉ちゃん。一緒に泳ごうよ」

「その髪、天然? 外国人なの? 観光なら俺たちが福岡を案内してあげる」

 見るからにチャラ男って感じの輩たちだった。

 初対面のアンナの髪を、汚い手で触りやがる。

 怒りがこみあげてくる。

 

「い、いや!」

 男の手を振りほどこうとするが、ナンパ男たちはしつこい。

「なんだよ? 別になにもしないって。ただ、俺たち連れがいないから寂しいだけだって」

 そう言いながらも、アンナの前に立ちはだかる。

 彼女は何度も逃げようとするが、男たちは先回りして、動きを止めようとする。

 

 見ていてイライラする。

 中身はあの伝説のヤンキー、ミハイルなのに。

 なぜ女装すると、か弱い女の子として設定を貫こうとするのか?

 前も映画見ている時、知らない男に触られても、結果的にそれを許していた。

 殴ってやればいいのに。

 

 あ~ 腹が立つ。

 今もずっと二の腕を触られるが、困った顔していて、抵抗しない。

 美しい金色の長い髪を、知らない野郎に触らせやがって!

 そこまで、俺に正体をバレるのが嫌なのか……。

 

 ブチンッ!

 

 何かが頭の中で切れた音がした。

 

 考えるより、身体が動く。

「おい、お前ら。その子を離せ」

 ナンパ男の背後に立ち、冷えきった声で呟く。

「うわっ! なんなんだよ、お前!」

「タッくん!」

 涙目のアンナが、俺を見つけて安堵する。

 そして、俺の背中に逃げ込んだ。

 

「大事ないか? アンナ」

「うん……でも、この人たちがしつこくて」

 怒りを抑えるために、拳を作る。

「お前ら、連れになにしてくれてんだ?」

 睨みをきかせる。

 だが、男たちもひるまない。

 

「なっ! 急に出てきてなんだよ、お前!」

「そうだよ! その子は俺たちと遊びたいんだよ!」

 

 どこまでも身勝手な奴らだ。

 しかし、こいつらアンナの股間に、おてんおてんがあると知ったら……いや、これはやめておいてあげよう。

 

「あのな、この子は俺と一緒に、取材……つまりデートをしているんだ。お前らとは遊ばないぞ。どこか、他の女の子を口説け」

 あれ? 言っていて違和感を覚える。

 そっか、アンナを女の子として表現しているせいか。

 

「はぁ!? じゃあ、なにかよ! お前みたいな根暗で童貞でオタクで、声豚みたいなやつとそのパツキンちゃんは付き合ってるとでも言いたいのかよ!」

 おいっ! 言い過ぎだ!

 見た目だけで、よくそこまで考察できたな。

「ああ……だよな、アンナ」

 ウインクして彼女に話を合わせるように伝える。

「う、うん。タッくんとアンナは……つ、付き合ってるもん!」

 顔を真っ赤にして、恥ずかしがるアンナ。

 俺もなんだか恥ずかしくなってきた。

 

 

 ナンパ男たちは顔を見合わせてこう言う。

「信じられるか? こんなイカくさそうな男とこの天然パツキン美少女が?」

「いーや、ないな。根暗なオタクがこんな超絶美少女と付き合えるなんて状況……ありえねーよ」

 ちょっと待って。さっきからなんで俺だけそんなにディスられるの?

 傷つくんですけど。

 

 しばらく、俺とアンナを交互に眺める男たち。

 まだ納得できないようだ。

 

「なら証拠を見せてくれよ」

「そうだよ、カップルならやることやったんだろ?」

「なっ、ナニを言っているんだ! お前ら!?」

 予想外の言葉に激しく動揺する。

 

「証拠を見せてくれたらあきらめるぜ?」

「ああ、ラブラブなところを見せてくれや」

 いやらしくニヤニヤと笑みを浮かべる。

 クソがっ! こいつら、どうしても俺たちの関係を引き裂きたいのか!

 

 ぐぬぬっ……と、歯ぎしりをする。

 言い返す言葉がない。

 なぜなら、彼らが言う証拠ってやつを提示できないからだ。

「アンナ。もういいよ、こんな奴らに付き合う必要はないぞ」

 彼女は黙って俯いている。

 

「ほーら、彼氏じゃないのにブッてんじゃねーよ」

「できねーなら、彼氏失格だな」

 俺を指差して嘲笑う。

 

 その言葉を聞いて、アンナが急に首を上げる。

 

「あの……証拠見せます!」

「え?」

「タッくん、さっきのもう一回、しよ?」

「さっきの?」

「その……アンナを抱っこして」

「あ、あれを今ここでやるのか!?」

「うん……」

 

 頬を赤くして、アンナが俺に抱きつく。

 そして、俺は彼女を持ち上げて、ペッティング。

 胸と胸、股間と股間、鼻と鼻、密接に繋がる。

 

 それを見た男たちが、逆に悲鳴を上げる。

「キャーッ! なんてハレンチなの、あんたたち!」

「ヤるなら他でやりさないよ!」

 そう叫んで、逃げていく。

 

 勝ったな……。

 だが、同時になにかを失くした気がする。

 

 その証拠に、周りにはたくさんのギャラリーが出来ていた。

 

「タッくん。無理やりさせてごめんね。あんな風にタッくんが悪く言われるのが許せなかったから」

「いや、俺は構わんが……」

 

 それより早く降りてくれない?

 せっかく、沈静化した俺の股間が、また暴走しそうなんだが。



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196 ギクシャクする時は脈あり

 

 

 例のナンパ男たちに絡まれた事により、アンナはすっかり元気をなくしていた。

 いや、恥じているという表現の方が、正しいかもしれない。

 頬を赤く染めて、黙って俯く。

 俺を養護するための“パフォーマンス”だったとはいえ、中々に破廉恥な行為だったからな。

 あとになって、恥ずかしさがこみあげてきたのだろう。

 

 その後、何度かプールで泳いだりしたが、全然楽しそうじゃない。

 なんだか、悪いことをした気分だ。

 やり方はどうあれ、俺を守ろうとしたのは事実じゃないか。

 仮とはいえ、彼氏役の俺がしっかりアフターケアしてやらんとな。

 

 

 水面が夕陽でオレンジ色に輝きだした。

 時計を見れば、もう夕方の4時半近く。

 このプールは5時で閉園だ。

 今日の取材が、こんな風に終わるのはなんともかわいそすぎる。

 

 なにかアンナが元気になることはないだろうか?

 そう頭を悩ませていると、どこからか、歓声が湧き上がる。

 

「なんだ?」

 

 フードコートの横に大きなステージが設置されており、そこにたくさんの人だかりができていた。

 なにやらイベントをやっているらしい。

 スピーカーからアニメ声が聞こえてきた。

 

「許さないわよ! イケメンガー!」

 ん? 聞いたことのある名前だ。

「ぐわっははは! また会ったな、ボリキュアども! 今度こそ駆逐してやるぅ!」

 あ……これだ!

 

 俺はすぐにアンナへと伝える。

「アンナ、あっちでボリキュアショーってやってみるたいだぞ!」

 するとアンナは、ピョコンと首をまっすぐ立てる。

 そして、「え、どこどこ?」と辺りを見渡す。

「あそこだよ。せっかくだから、見ていくか?」

「うん☆」

 彼女に笑みが戻る。

 良かった、おこちゃまなやつで。

 

 

   ※

 

 俺たちは、急遽ボリキュアショーを観覧することになった。

 前回、かじきかえんで観た時より、出演しているキャラは少ない。

 今期のボリキュア『ロケッとボリキュア』から、ボリエール、ボリアンジュ、ボリエトワールの3人。

 それから、今年は生誕15周年ということもあってか、初代の『ふたりはボリキュア』からボリブラックとボリホワイトが参戦。

 

 いつもながら、敵役はイケメンガーひとりのみ。

 5人対1人っていじめだよね……。

 

 

 必殺技を連発するボリキュアたちだったが、毎度の展開で、イケメンガーがチート並みのスキルで、全員をブッ倒す。

 というか……ボリキュアが勝手にずっこけた演出なのだけど。

 

 気がつけば、意気消沈していたアンナはどこにいったのやら。

 近くにいた幼いキッズたちと叫んでいた。

 

「ボリキュア、がんばれ~! イケメンガーに負けちゃいや~!」

 

 元気になったのは嬉しいのだけど、ねぇ……。

 金髪のハーフ美少女がさ。一番前で、ステージに向かって大声で叫ぶんだぜ?

 彼氏役は辛いよ。

 

 どこからか、キッズたちのパパさんママさんが失笑していた。

 うちの彼女役。しんどいです。

 

 アンナに目をつけたイケメンガーが、指をさす。

「ほほう~ アインアインプールにも『アクダマン』になりそうな、いい子供たちがいるなぁ~」

 あれ、この流れ。前にもあったような。

「イヤァ~! またアンナたち良い子をさらう気ねぇ!」

 迫真の演技でまんまと乗っかる女装男子、15歳。

「フッハハハッ! その通りだよぉ、お嬢さん。君をアクダマンにしてやろう」

 そう言い放つと、イケメンガーは舞台から降りて、俺の隣りにいたアンナと近くに座っていた女児を数人に連れて行く。

 もちろん、合意の元でだ。

 だって、このあとボリキュアたちが勝利して、写真を撮れる特典つきだからな。

 みんなこぞって、参加したがる。

 

「キャ~! タッくん、助けてぇ~」

 自分からステージに上がりやがるくせに、わざとらしく叫ぶアンナ。

 俺に手をさし伸ばしてはいるが、脚はしっかり後ろへ進む。

 周りにいたママさんパパさんが、それを見て笑い出した。

 

「可愛らしい二人ね」

「おもしろいカップルだ」

「むむむっ! あの女史は以前、かじきかえんで出会った同志では!?」

 

 左を見ると、真っ黒に焼けた男がいた。

 望遠レンズ付きの高そうなカメラを首からかけている。

 頭には、プラスチック製のピンク色のカチューシャ。

 そしてフリルがついたワンピースタイプの水着を着ていた。サイズはきっと子供用なのだろう。

 ピチピチで、もう生地が破れてしまいそう。

 エグすぎる大友くんだ!

 

 類は友を呼ぶ……か。

 博多って変態が多い街なんですね。もう引っ越そうかな。

 

 

 その光景に俺が絶句していると、ステージでは物語が進行していく。

 倒れたボリキュア戦士たちに向かって必死にエールを送るアンナ。

「ボリキュア、がんばれぇ~」

 あなたが一番目立ってどうすんのよ。

「フハハハハ! この子たちを全員アクダマンにして、アインアインプール。いや……海ノ中道海浜公園を征服してくれるわぁ!」

 スケールちっちぇ!

 

 不穏なBGMが流れだした、その時だった。

「いいえ、そんなことはさせないわ……」

 よろよろと立ち上がるボリブラック。

「そうよ。こんなときこそ、力を合わせて良い子たちのために戦うの!」

 ブラックから手を借りて、起き上がるボリホワイト。

 

「「「先輩たちの言う通りよ!」」」

 

 声を合わせて叫ぶのは、今期のボリキュア戦士。

 

 その後は、テンプレ通りの展開だ。

 各戦士たちによって、フルボッコにされるイケメンガー。

 捨て台詞を吐くと、優しくアンナや女児たちを解放する。

 気づかい半端ないっす。

 

「アインアインプールも海ノ中道も私たちがいる限り、悪い子の好きなようにさせないわ!」

 

 夕陽にむかって、高々と拳を突き上げる。

 ボリブラック。

 

 だから、なんで海ノ中道だけ限定なの?

 せめて福岡市ぐらい守れるでしょ。ヒーローなんだから。

 

 閉幕と同時に、撮影会が始まる。

 捕らわれたアンナと女児たちはVIP待遇だ。

 ボリキュアの5人が、周りを囲んで撮影タイム、スタート。

 

 アインアインプールのスタッフがポライドカメラで、無料で撮ってくれた。

 それをもらったアンナは、満足そうに舞台から降りてきた。

 

「タッくん! 見てみてぇ! ボリキュアと写真撮れちゃった☆」

「ハハ……良かったな、アンナ」

 俺は既に呆れていた。

「これもタッくんのおかげだよ☆ ありがと、タッくん☆」

 いや、それは違うと思う。

 あなたの演技力が素晴らしかったんじゃないんですか、知らんけど。

 

 

   ※

 

「写真も撮れたし、そろそろ帰るか?」

「うん☆ 楽しかったね、初めてのプール☆」

「ああ、そうだな……」

 互いに見つめあって笑い合うと、二人で仲良く更衣室に向かう。

 歩いていると、とあるカップルに声をかけられた。

 

「あの、すみません。良かったら写真撮ってくれませんか?」

 いかにもリア充って感じの好青年だ。

 どうやら、彼女とのツーショットが欲しいらしい。

「いいですよ」

 俺は快くそれを引き受ける。

 何枚か撮り終えると、スマホを相手に見せて確認させた。

 青年が「ありがとうございます」と頭を垂れたので、俺は「いえ、気になさらずに」と背を向けた。

 だが、ガシッと強い力で肩を掴まれる。

 

 振り返ると、青年がニカッと笑っていた。

「お返しにカノジョさんとの、写真撮りますよ」

 言われてすごく困った。

 俺たちは確かにカップルぽく振舞ってはいるが、実際は違う。

 そう思って、断ろうとしたら、アンナが代わりに答えてしまう。

「いいんですか!? じゃあ、タッくん。撮ってもらおう☆」

「え……ああ」

 流れで、俺たちまでツーショットを撮ってもらうことになってしまった。

 

 アンナはどこか嬉しそうにしている。

 俺の左腕に、小ぶりの胸を押し付けて「ハイ、チーズ」と一枚撮られた。

 もちろん、彼氏役の俺はガチガチに固まってしまう。

 

「もう一枚、撮っておきましょう!」

 青年がいらぬ気づかいをする。

 

 すると、アンナが俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。

 

(来年の夏も絶対に来ようね……)

 

 え? 俺たちの取材っていつ終わるんですか。



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第二十五章 まだまだ終わらない高校
197 終業式


 

 

 

 アンナとの、初めてのプールデートは無事に終了した。

 とても楽しかったです……なぜならば、可愛いアンナちゃんのビキニ姿を3000枚ほど、保存できましたので。

 毎晩、自室で1人、パソコンで写真を各フォルダに分別する。

 

『使えそう』

『可愛い』

『ブレてるが消したくない』

 

 そんな風に名前をつけて、しっかり番号を振り分けていく。

 ああ、この作業たまらなく楽しいぜ。

 早く次のプール取材、来ないかな。

 

 

 連日、徹夜でそんなことを繰り返していると、すぐに一週間が経った。

 

   ※

 

 スマホのベルで目が覚めた。

 着信名を見ると、ミハイル。

 

「ふぁ……もしもし」

『タクト? おはよ☆』

「ああ、おはよう。今何時だ?」

『え、朝の4時半☆』

 朝じゃねーだろ。夜明けだ。

「んで、何の用だ?」

『今日さ、終業式じゃん』

「そうだったな。明日から夏休みってわけだ」

 やっとバカな高校から解放される至福の時。

 

『それでさ。タクトはちゃんと今日の準備した?』

「準備? 登校に必要な物ならちゃんとリュックサックに入れてあるぞ」

『さすが、タクトだな☆ じゃあ、あとでいつもの電車でな☆』

「おおう……」

 

 準備ってなんだ?

 しかも、ミハイルのやつ。なんだかテンションが高い声だった。

 夏休みになるから、毎日遊べるってことで嬉しいのか?

 ま、家を出るまでしばらく、また仮眠を取ろう。

 

   ※

 

 朝食をとったあと、いつもどおり、小倉行きの電車に乗る。

 二駅過ぎて、席内駅に止まる。

 ホームの上で、一人の小さな少年が手を振っていた。

 古賀 ミハイルだ。

 迷彩柄のタンクトップに、薄色のデニムショートパンツ。

 そして、なぜか背には大き目のリュックサックを背負っていた。

 珍しい。

 

「おはよ☆ タクト!」

 当然のように、俺の隣りに座る。

 細くて白い脚をピッタリとくっけて。

 思わず、ドキッとしてしまう。

「お、おはよう」

「今日の学校。楽しみだよな☆」

「え? なにがだ? ただの終業式だろ」

「宗像センセが言ってたゾ。一ツ橋高校だけだって。あんな特別な終業式はって」

「はぁ……」

 なんのこっちゃ。

 あれか、ヤンキーばっかりが通っている高校だから、殴り合いでもするんだろうか?

 いやいや、さすがにそれはないよな。

 ガチンコでも、俺はファイトできないひ弱な一般学生。

 おてんてんで戦うってなら、まあ話は別だが……。

 

 

 妙に上機嫌なミハイルが気にはなるが、登校に前向きなことは良い心がけというものだ。

 鼻歌交じりの彼と共に、赤井駅で降りて、一ツ橋高校へ向かった。

 

 

 校舎に着くと、なにやら騒がしい。

 駐車場に大きなバスが一台、止まっている。

 

 そこに生徒たちがたくさん集まっていた。

 皆が皆、大きなカバンやトランクなどを抱えて。

 

「ん? どういうことだ……今日は終業式だろ?」

「そうだよ。だから、バスに乗って行くんじゃん」

 ミハイルが目を丸くして言う。

 俺が首を傾げていると、そこへ宗像先生が現れた。

 

「よぉ! 新宮に古賀も来たのか! えらいえらいっ!」

 今日も酒くさい。

 アル中が移るから、どっかにいってください。

 しかし、今日の宗像先生は、装いがいつもと違う。

 いや、確かに淫乱教師であることは知っているのだが、なんか違和感を感じる。

 

 スカートはいつものように、超ミニ丈のタイトスカートに黒のストッキングとピンヒール。

 問題は上半身だ。

 頭に小さな帽子を被り、ふくよかな胸はジャケットで隠してある。

 おかしい。

 この破廉恥バカは、だいたい露出を好む。

 ならば、汚いデカチチは放り出しているはずなのに……。

 

 俺が怪訝そうに、先生を見つめていると、口を大きく開いて、下品な声で笑い出す。

 

「だぁはははっははは!」

 

 相変わらず、うるせぇ!

 そして、のどちんこが丸見えだ。

 中身、ほんとただのおっさんだろ。

 

「どーした、新宮? そんなに今日の私のファッションが気になるのかぁ~」

 嫌らしくニヤニヤ笑いやがる。

「違いますよ……」

「じゃあ、どうしてだ? この私で使いたいのか? 写真を撮ってもいいぞ」

 誰が撮るか!

 それを鵜呑みにしてか、隣りにいたミハイルがブチギレる。

「タクトっ!? 宗像センセの写真なんか撮って、何に使うんだよ!?」

「いや、撮らないし、使うこともないから……」

 アンナモードで、たくさん撮らせておいてよく言うぜ。

 いつも、お世話になってます。

 

 

 ムキーッと猿のように、怒るミハイルを一旦放置して、話題を変える。

「宗像先生、一体どういうことですか? 先生、いつもの服装じゃないし、あのバスはなんですか?」

 そう問うと、宗像先生はキョトンとした顔で返事をする。

「え、新宮……まさか、手紙読んでないのか?」

「手紙? なんのことです?」

 すると、宗像先生はその場で「あちゃ~」と頭を抱えた。

 それを聞いてミハイルも驚く。

 

「タクト! じゃあ、ちゃんと準備してないの!?」

「は? 準備って終業式のだろ」

 あれ、俺がなにか間違ってる?

「だから、オレが朝、ちゃんと電話で聞いたのに!」

 なぜか悔しそうに歯を食いしばるミハイル。

「どういうことだ……俺には全然わからんのだが」

 状況が把握できず、混乱していると、ミハイルが半泣き状態で叫んだ。

 

「今日は終業式だから、バスでみんなで別府(べっぷ)温泉に行くのっ!?」

「ハァッ!?」

 ちょっと、言ってる意味がわからない。

 何故、終業式なのに、旅行するんだ?

 

「よくわからないのだが……それって泊まりなのか?」

「そうだよ!」

 めっちゃキレてるよ、ミハイルママ。

 泣いてるし……。

 

 

 俺たちが言い合いをしていると、宗像先生が間に入る。

「悪い悪い。どうやら、新宮のことだけ、手紙を出し忘れてたみたいだ、てへぺろ♪」

 舌を出して、笑ってごまかす。

 お前の凡ミスじゃねーか。

 ブチ殺すぞ、コノヤロー!

 

「え~ じゃあセンセ……タクトは着替えとかどうするんすか?」

「まあ……あれだ。私の下着でも使えばいいじゃないか。Tバックだから、お尻が楽だぞ~」

「そっか。なら、大丈夫っすね☆」

 全然、良くない。

 女もんのパンティーで、しかもTバックとか。

 

 

「しかし、宗像先生。なぜ、終業式だというのに旅行するんですか?」

「ああ……それはだな。本校特有の事情があってな。うちの高校は通信制だし単位制だろ。だから、今期で卒業する生徒もいるんだ。ごく僅かだがな。だから、卒業旅行も兼ねて、終業式は毎回、旅行をするようにしているんだ」

 なにその終業式。

「じゃあ会場はどこでやるんですか?」

「昔はちゃんと、会館借りてやってたけど、もうめんどくせーだろ? だから、バスの中で今期は終業ってことにした。司会役の私はバスガイドさんも兼ねてる♪」

 めっちゃ笑顔で酷いこと言っているんすけど。

「はぁ……じゃあ、今からバスに乗って、別府まで行くんすね……」

 俺だけ知らされていない孤独さよ。

 

「とりあえず、早くバスに乗れ! 三ツ橋高校の校長に見つかったらヤバいからな」

「え、どういう意味です……」

 なんか嫌な予感。

「野暮なこと聞くなよ。このバスは、全日制コースの部活で使うやつだ。遠征とかでな」

「それを無断で拝借したってことですか」

「新宮、パクったみたいな言い方するなよ。バレなきゃいいんだよ。こういうのは」

 

 ふと、運転席に目をやると、ガタガタ震えた一ツ橋高校の男性教師が見えた。

 

 確か現代社会の先生だ。

 なぜ彼が、ハンドルを握っているんだ?

 

「宗像先生。運転席に現代社会の先生がいるんですけど……」

「あいつか、あのバカは知ってると思うが、本校の卒業生でな。私が雇ってやったからさ。こういう時使えるんだな、ハハハッ!」

 そう言えば、バーベキュー大会の時も良いように使われていたな。

 かわいそうに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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198 教師は容姿で扱いが全然違う

 

 バスの中に入ると、普段なかなか登校しない奴らがたくさんいた。

 遅刻が多い、千鳥 力と花鶴 ここあも既にシートの上で、ゲラゲラ笑っている。

 もちろん、変態女先生こと北神 ほのかや自称芸能人の長浜 あすかまで。

 

 ほのかは別として、他の奴らは真面目にスクリーングしてないだろ。

 遊びの時だけ、本気になるなんて……。

 

 俺がそう呆れていると、近くの席から声をかけられた。

 

「よう~ 琢人じゃねぇか」

 柄の悪いおっさん……じゃなかった、無駄に健康オタクな夜臼先輩じゃないですか。

「あ、夜臼先輩も旅行に参加されるんすか?」

 この人、確か今36歳だったよな。

 10代の若者と旅行とか、抵抗ないの。

「おうよ! 別府でなら俺りゃあのアイスも売れるかもしれないだろぉ~」

 そう言って、クーラーボックスを取り出す。

「そ、そうですか。売れるといいですね……あの、気になったんですけど、ひょっとして、夜臼先輩って、今期で卒業されるんですか?」

 だって36歳だよ? もう良くない?

「バカ野郎! 俺りゃあ、まだ単位10ぐらいしか、取れてねーよ。恥ずかしいこと言わせんなよ」

 えぇ……。

 確か、一ツ橋高校を卒業する必須単位は最低でも60単位ぐらい必要だった気が。

 新入生の俺ですら、今期で20単位ぐらい取得する予定なのに。

 

「夜臼先輩って入学して何年目っすか?」

「俺りゃあか? へへへ、5年目だよ。けどよ、一回退学してっから、まあ合計すると13年目かな。まあ売人しかできねーからさ。カミさんが卒業しろってうるせーんだよ」

 ファッ!?

 13年生の高校生なんて、初耳だ!

「ちょ、ちょっと待ってください。退学って宗像先生にされたんですか?」

「バーカ、蘭ちゃんは優しいからそんなことしねーよ。それに蘭ちゃんとは先輩、後輩の仲だったんだぜ? 俺りゃあがバカだからよ。8年経っても単位が取れなくて、一回てめぇから退学をして、再入学したのよ」

 泣けてきた……。

 後輩だった宗像先生が、今では教える側になっちゃったのか……。

 てか、この人生きていくスキル持ってんだから、もう中卒でいいだろ。

 

 

「おい、なーに湿っぽい話をしているんだ? 新宮!」

 

 振り返ると、バスガイドのコスプレをした宗像先生がニッコリ笑っていた。

 

「あぁ、夜臼先輩の経歴を聞いてました……」

 聞いちゃいけないことだったのかな。

「だぁはははっははは!」

 なにがおかしい! 人の不幸を笑うな!

「うっひゃひゃ! マジウケるよな! 蘭ちゃんが先生で、俺りゃあが生徒でよ」

 あなた、もうこの高校やめろよ。

「あー、おかしい! 私が一ツ橋高校に教師として赴任して来た時、夜臼がまだいやがって、クッソ笑ったわ!」

「だよな、蘭ちゃん先生」

 あんたら、そんなんでいいの?

 

 

「ま、そんなことより、今から終業式を始めるぞ! 席につけ、新宮!」

「あ、はい……」

 俺が立ち去ろうとした際、夜臼先輩が「琢人、あとで上物の“野菜”をやるからな」と囁く。

 周辺にいた生徒が野菜という言葉を隠語として、捉えたようで、震えあがっていた。

 

 俺の座った席は、後ろから二番目のシート。

 窓側には既にミハイルが座っていて、「こっちこっち」と座席をポンポンと叩き、促す。

 

 

   ※

 

 バスが出発し、しばらく国道を走った後、高速道路に入る。

 そこで、宗像先生が立ち上がって、マイクを手にする。

 

「あーあー、テステス。これより、春期終業式を始める。この前の試験とレポート。それからスクリーングの出席回数を見合わせて、単位を与えている。テストの答案用紙と一緒に取得単位結果表を配布するから、各自席で待っていろ」

 

 そう言って、前から順番に書類をひとりひとり、渡し始める。

 だが、宗像先生は生徒に渡す際、一声かける。

 

「おし、夜臼は今期もてんでダメだな。取得できた単位はたったの3だ」

「あちゃ~」

 夜臼先輩をこれ以上いじめないであげてください。

 もちろん、マイクで話しているから、スピーカーから丸聞こえ。

 その後も次々、生徒の欠点ばかり言いやがるから、落ち込む奴らが大半だった。

 

 最後の方で、俺とミハイルの番になった。

 

「うむ。新宮はパーフェクトだ。テストも満点だし、単位も全単位取得できた。さすがはこの私が見こんだルーキーだな!」

 そう言って、書類を受け取ったが、何も嬉しくない。

 このレベルで、満点とか逆にディスられた気分。

「あ、あざっす……」

 

「そして、最後は古賀だな。ちょっとレポートの答えが意味不明なことばかり書いてあって、『マジこいつバカだわ』と感じたが……」

 ひでっ!

「ご、ごめんなさい……」

 泣き出すミハイル。

「だが、しかしだ! 後半からほ~んのちょっとだが、成績もあがってきた。この前の期末試験もまあ酷いもんだったが、がんばったから、新宮と同じく全単位取得だ! よくがんばったな、古賀!」

 ニカッと歯を見せて笑う宗像先生。

 それを見て、パァーっと顔が明るくなるミハイル。

「宗像センセ! ありがとう!」

 喜びのあまり、宗像先生に抱きつく。

 泣きながら、「ホントーにありがと~」と感謝していた。

 

 対して、宗像先生は、彼の頭を撫で回す。

「よしよし、古賀は男のくせに可愛いし、ちっこい尻を叩くのも先生は大好きだからな! この調子で卒業までがんばれよ! お前は新宮と同じく私が見込んだ、期待のスパンキングボーイ……じゃなかった。ルーキーだ! 多分」

 絞め殺すぞ、こいつ!

 えこひいきじゃねーか。

 しかも、俺の大事なダチを、性のはけ口にしやがって!

 

 だが、ミハイルはそんなことお構いなしで、泣いて喜ぶ。

「うん☆ オレ、宗像センセについてく!」

「よし! 私に任せろ! さ、くっだらねぇ終業式はもう終わりだ。高速に入ったし、別府に着くまで、ハイボールをキメるか!」

 もうお前、教師やめちまえ!

「なら、オレが作ってきたジャーマンポテトでも食べるっすか☆」

 リュックサックからネッキーがプリントされたタッパーを持ち出す。

「おお、こいつは酒が進みそうだ。古賀はいい婿さんになるなぁ~ ヴィッキーのやつ、こんな洒落たつまみで、晩酌してやがるのか……」

「ハイ☆ ねーちゃんはあんまり料理しないんで☆」

 虐待だよ、それ。

 

 

   ※

 

 高速で走ること、二時間ぐらい。福岡県を抜けて大分県の別府温泉にたどり着いた。

 俺たちが泊まるホテルは、松乃井(まつのい)ホテル。

 

 高い山の上に高層ビルがいくつも連なって出来た温泉ホテルだ。

 

 バスから降りると、ロビーに集まり、部屋割りをすることになった。

 

 俺は千鳥と一緒の部屋になった。

「タクオ! 今夜はよろしくな!」

 えぇ……ミハイルの方が良かったよ。

「ああ、よろしくな」

 

 続々とペアが決まっていく中、ミハイルだけが一人残された。

 

 

「よし、じゃあ、これで部屋割りは決まったな。各自、好きに遊んでいいぞ。夕方の6時になったら食堂に集まれ! それまで解散!」

 

 みんな歓声を上げて、散り散りに去っていく。

 

「ちょ、ちょっと! 宗像先生!」

 エレベーターに向おうとする先生の腕を掴んで、止めに入る。

「なんだ、新宮? 私と同室して童貞を捨てたいのか?」

「違いますよ! どうしてミハイルだけ、1人なんすか!」

 フロアで1人ぽつんと立つ彼を指差す。

 頬を赤くして、どこか恥ずかしげにしている。

 

「ああん? 古賀のことか。あいつは家族と一緒に泊まるって言うから、事前に部屋を決めておいたぞ」

「家族……?」

「まあそういうことだから、心配すんな」

 先生はそう言うと、ハイボール片手にエレベーターに乗って、どこかに行ってしまった。

 

 

「タクオ、ミハイルなら大丈夫だろ」

 笑顔を見せるハゲ。

「うーむ。まあ本人の望みなら仕方ないな……とりあえず、部屋に荷物を置きに行くか」

「おお! プールがあるから、そこで遊ぼうぜ!」

「了解した」

 去り際、ミハイルに声をかける。

 

「またあとでな。ミハイル」

 俺がそう言うと、なぜかビクッとして、顔を真っ赤にする。

「え!? う、うん。プールでね……」

 なんか様子がおかしいな。

 

 エレベーターのドアが閉まる際、彼は床をじーっと見つめていた。

 別府にまで来て、床ちゃんを友達に追加するとはな。

 

 千鳥が8階のボタンを押すと、こう言った。

 

「そう言えば、タクオって着替えとか持ってきてないんだろ? 水着どーすんだ?」

「あ……」

「しゃーねから、ブリーフで泳げよ」

 絶対に嫌です。



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199 おい、道具貸せ……ハイ! どこでも、男の娘ぉ~

 同室になった千鳥と俺は、一旦部屋に荷物を置きに行く。

 部屋は8階の一番奥。

 エレベーターからは、かなり遠いが、窓から見える景色は最高だ。

 洋室で大きなベッドが二つ。小さなテーブルがあった。

 

 

 事前に用意していた千鳥は、バッグから水着や浮き輪などを取り出す。

 俺と言えば、なにも所持していない。

 だって、旅行なんて聞いていなかったんだからね……。

 

 持参したものといえば、簡単な筆記用具といつもの相棒、ノートPCぐらいだ。

 このままでは、本当に千鳥が言うように、ブリーフでプールを泳ぐことになるのだろうか。

 

 頭を抱えていると、千鳥がテーブルの上にあるパンフレットを俺に見せつける。

 

「なぁ、タクオ。ここのプールってレンタルの水着あるらしいぜ?」

「ま、マジか!?」

「ああ、有料だけどな」

「助かったぁ……」

 俺が胸をなでおろしていると、千鳥がこう言う。

「でもよ、服はどうすんだ? 下着がないじゃん」

「う……」

「俺のはサイズがデカいからタクオには履けないぜ? 宗像先生からパンティーでも借りろよな」

 えぇ……だってレースのTバックだろ……。

 もう俺はお嫁にいけないかも。

 

   ※

 

 支度を終えると、俺たちは再び、ロビーに降りた。

 ホテルの玄関外には、常に移動用のバスが待機している。

 

 ここ、松乃井ホテルは巨大な敷地と急斜面の長い坂に建てられている。

 だから、各施設に移動する際は、バスを使った方が良いと職員に促された。

 

 バスはもちろん無料。

 俺と千鳥が車内に入ると、見慣れた顔ぶれが揃っていた。

 

 宗像先生、日田の双子、北神 ほのか、長浜 あすか。

 

「おう、新宮たちもプールに行くのか!? 乗ってけ乗ってけ!」

 言いながら、ハイボールをがぶ飲みする宗像先生。

 足もとに、空き缶の山が出来ていた。

 こいつ、もう死ぬな。

 

「あれ、ミハイルはいないな……」

 あいつのことだから、すぐにバスに乗っているかと思ったが。

「古賀か? あいつなら、花鶴と前のバスに乗ってたなぁ~」

 豪かいにげっぷをする独身女性、宗像 蘭さん。

「そ、そうっすか……」

 

 

 プールに着くと、俺はすぐに男性用の水着をレンタルした。

 金はもちろん、自腹。

 精算を済ませていると、宗像先生があるものを俺に渡す。

「ほれ。着替えがないんだろ? 下着ぐらい替えないとダメだぞ♪」

 そう言って何か丸いものを、俺の手に残し、去っていく。

 広げて見れば、紫のレースパンティー。Tバック……。

 レジのお姉さんが、「うわっ」とドン引きしていた。

 クソがっ!?

 

 二階に上がって男子の更衣室へ入る。

 

 中はかなり広い。

 この前、アンナと海ノ中道のアインアインプールに行ったが、規模が違う。

 数百人は入れそう。

 

 着替えを済ませると、誰かが俺の背中をポンポンと叩いた。

 

 振り返ると、そこには男子更衣室に似合わない可愛らしい女の子……ではなく、ただのミハイルきゅん。

 

「おっせーぞ、タクト!」

 

 既に水着に着替えていた。

 

 俺はまじまじと彼をながめる。上から下まで。

 

 何故かって?

 アンナモードとの比較をしておかねば!

 

 男装時なんだから、お乳首を隠す必要はないはずだ。

 それがすごく気になる。

 俺はプロの作家だ。

 そう、これは取材。ヒロインの特徴を把握しておかないと作品に還元できない。

 

「……」

 

 黙って彼を見つめる。

 

 ボトムスは黄色でドット柄のボクサータイプ。

 かなりタイトなデザインだ。彼の小さな桃尻がプリッと目立っている。

 肝心の胸部は……なっ!?

 

「なぜ着ているっ!?」

 

 思わず声に出してしまう。

 激しく動揺した俺は、彼の胸元を指差した。

 

「な、なぜって……胸は隠すに決まってんじゃん! バカなの、タクト!?」

 

 おいおい、おバカなミハイルくんに、馬鹿呼ばわりされちゃったよ。

 てか、男は普通、胸は出すもんだ。

 チッ! 見れるかと思ったのに……。

 ちょっと、すねてみる。

 

「オレの今日の水着、そんなに不満?」

 

 頬を膨らませて、上目遣い。

 

「いや、似合っているよ……」

「じゃあなんで、そんな怒ってんの?」

「怒ってないさ」

 

 確かにカワイイ。似合っている。

 トップスは同系色のタンクトップタイプ。

 

 ボーイッシュな感じで、すごく好きです。

 でも、僕は中身が見たかった!

 

「なぁ。タクトってば、なんで泣いているの?」

「いや、目にゴミが入っただけさ……」

「それってヤバいじゃん。目薬貸そうか?」

「だ、大丈夫だもん……」

「変なタクト」



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200 ビクンッビクンッ!

 

 更衣室を出て、とぼとぼと歩く。

 俺は肩を落とし、目の前の小尻を眺める。

 

「タクトぉ~ 早く早くぅ~☆」

 

 振り返る天使(♂)

 だが……、なぜ上半身を裸体にしない!?

 残念だが今日はおケツを堪能するしかないのだな。

 

「ああ……今行くよ」

 

 覇気のない声で返事をしたせいか、ミハイルが立ち止まって、俺の胸を指で小突く。

 

「ねぇ、タクト? なんでそんな顔してんの?」

 上目遣いで、グリグリと指を回す。

「あ、ああ……」

 どうせ回すなら、もうちょっと左がいいです。乳首があるので……。

「ひょっとして、オレの水着のせい?」

 頬を膨らませて、不服そうだ。

「いや、断じて違う。個人的な……そう小説のことを考えていた」

 ちゃんと作品に、ヒロインの乳首の色を書かないとダメだもんね♪

「しょーせつ? あ、そっか。今日の旅行も取材なんだな☆」

 急に態度を変え、目をキラキラと輝かせる。

「そ、その通りだ」

 ヒロインの乳首を見たいという、ただの欲望だが。

「なら、オレも手伝うよ☆」

 じゃあ、今すぐ裸になれ!

 

 

   ※

 

 松乃井ホテルの敷地内になる別館。

 通称、『波に乗れビーチ』

 売りとしては、屋内に作られた南国風の海水浴場らしい。

 二階の更衣室から出ると、ヤシの木に覆われたプールが目に入る。

 

「うわぁ~ 海みたい~☆」

 身を乗り出して、下を眺めるミハイル。

「おい、危ないぞ」

 と注意しつつ、俺は桃尻をガン見しているのだが。

 

 一階には、波が出る大きなビーチ。

 プールを囲むようにたくさんのデッキチェアが設置された。

 まるで、ハワイに来たような感覚を覚える。

 

 俺とミハイルはさっそく、一階に降りようと小走りで向かおうとした……その時だった。

 

 

「アアアッ! イッちまうぜ~!」

 

 どこからか、男の叫び声が聞こえてきた。

 

  

 二階にはフードコートがあるのだが、その隣りに小さなのぼりが立っている。

 

『ドクターフィッシュ ご利用できます! これであなたも美肌に!』

 

 ビニール製のプールにタトゥー姿の男が、両脚を浸けている。

 白目を向いて、口元からは泡を吹き出す。

 確かにイッちゃてる……。

 

「あぁ~ お、俺りゃあの、か、角質が! 皮膚が!」

 いや、解説せんでもいいよ。

 というか、夜臼先輩がドクターフィッシュでリラクゼーションしているせいか、周りの人たちが怖がって、近づけない。

 

 

「パパ、あの人変だよ?」

「見ちゃダメだよ! あの人は絶対危ないお薬に手を出してる悪い人だからね!」

「あなた、早く通報しなさいよ!」

 

 おいおい、人を見た目で判断しちゃダメですよ。

 あの人はごく普通の一般市民ですので。

 

 

「アアアッ! こいつはキメちまいそうだな……」

 

 彼の言い方はさておき、なんだか気持ちよさそうだ。

 

「なあ、タクト。太一がやってるのってなあに?」

「あれはドクターフィッシュって言うんだ。魚が人間の悪い所を食べてくれて、綺麗なお肌になれるらしいぞ」

「ホントか!? なら、オレもやってみたい!」

 偉く乗り気だな。

「まあ、俺も未体験だし、やってみるか?」

「うん☆」

 

 

 夜臼先輩の隣りにお邪魔する。

 ビニールプールの中には、無数の小さな魚たちがうようよと泳いでいた。

 俺たちが足を入れると、すぐに寄ってくる。

 そして、小さな口で肌に触れる。

 ちょっと、こそばゆいが、なんだか気持ちが良い。

 

 

「おう、お前らもコイツらでキメちまう気か?」

「ま、まあ俺たちやったことないんで……」

 俺がそう言うと、夜臼先輩は不気味な笑みを浮かべた。

「琢人。コイツらよ。小さいガタイのくせして、ヤルことやっちまう奴らなんだぜ? 俺りゃあよ、アトピーが酷いんだが、コイツらに皮膚を食ってもらって、何度もイッちまったぜ……」

 健康的に昇天されて何よりです。

「そ、そうなんですか……あれ、じゃあ夜臼先輩の身体中にある紫色のプツプツって……」

「おうよ! アトピーだ」

 症状が良くないから、いつも健康に気を使われてたんですね。

 

 

「んっ、んんっ! あ、ああん!」

 

 俺と夜臼先輩が雑談していると、左隣りから何やら女性の喘ぎ声が。

 視線を隣りにやると、ミハイルが荒い息遣いで、頬を紅潮させていた。

 時折、ビクッビクッと身体を震わせて。

 

「ミハイル? どうしたんだ?」

 そう尋ねると、なにを思ったのか、俺に抱きつく。

「あ、ああん! こ、このお魚ちゃんたちが……はぁはぁ……止まんないよぉ!」

 なんて声を出してんだ。

 俺の腕にしがみついて、悶えている。

 なるほど、ミハイルは感じやすいタイプなのか。

 それにしても、エロい。

 

「ハハハッ! ミハイルも俺りゃあみたいにデリケートな肌なのかもな。たくさん、イッちまえよぉ。ツルツルお肌になれるぜぇ~」

 あのさっきから、『イクイク』ってどこに行くんですか。

「大丈夫か、ミハイル? 出るか?」

「イヤッ……ま、まだ、入ってたいかも……く、くすぐったいけど……あああん! なんか、気持ちいい☆」

 どうやら、ハマったようだ。

 

 

「あああん! す、すごいよぉ、タクト~! オレ、なんか頭が変になっちゃう~!」

 たかだか、小魚どもで感じやがって。

 ちょっとだけ、嫉妬を覚えちゃう。

 

「くっ! 俺りゃあもまたイッちまいそうだぜぇ~!」

 そう言って、泡を吹くアトピー患者。

 

「はぁはぁ……すごく、いいよ。これぇ……」

 

 変な声で喘いだり、騒いだりしている人たちに挟まれて、俺は一体どうしたらいいんでしょうか?

 

「タクトぉ~ この子たち、止まらないよぉ~ 気持ち良すぎるから、どうにかしてぇ~!」

 

 このプールから出ればいいだけだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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201 デジャブ 

 

 

 ドクターフィッシュにより、ミハイルと夜臼先輩はその後も何回も『脳イキ』しまくっていた。

 俺は肌がツルツルになって満足。

 ミハイルは終わってもまだ、頬が赤い。

 

「ハァハァ……なんか変な気分だったけど、気持ち良かったぁ☆」

 

 エロい魚だと誤認するなよ。

 かわいそうだろう。

 

 夜臼先輩はまだ残ると言っていたので、俺とミハイルは二階から階段で降りて、プールに向かう。

 

 ビーチという表現が正しく、押しては返す白い波が目に入る。

 

 プールサイドで、競泳水着を着たひとりの少女がいた。

 巨乳の眼鏡っ子。

 北神 ほのかだ。

 泳ぐわけでもなく、大きなタブレットを片手に、何やら絵を描いている。

 

「うひひっ! 尊いでぇ~ ここには素材になるショタも豊富や~ あ、でも、あのキモデブおじさんもヒロインに使えそう~ ひゃっひゃっ!」

 

 と、涎を垂らして、近くにいた親子をガン見している。

 右手は、ペンを激しく揺らせて……。

 

「おい……ほのか、せっかくプールなんだから、泳いだらどうだ?」

 すかさず、声をかける。

 犯罪になりかねないので。

「あ、琢人くん! こんなにショタがいっぱい見れる機会ないから、これで絡めまくることができるわ!」

 目が血走って怖いです。

 そこにミハイルが、割って入る。

「ねぇ、ほのか。絡めるってなあに? さっきから、なに書いてんの?」

 ミハイルが尋ねると、ほのかはニヤァと怪しく微笑む。

「観たいの~? ミハイルくんも~? 仕方ないなぁ~ 見せてあげるぅ」

 

 頼んでもないのに、液晶画面をこちらに向けた。

 

「うえっ!」

 

 俺たちのすぐ近くで、ビーチボールを楽しむ親子連れを、エロマンガにしていた。

 

『おじさん、らめぇ!』

『いいじゃないか……僕は君みたいな少年が大好きでねぇ。もう止まらないよ』

『あぁん! おじさん、好き好き~! もっともっとぉ!』

 

「どう! 琢人くん!? これ、今度、編集部に持っていこうと思うの! 採用されたら、私もこれで晴れて商業デビューね♪」

 悪びれる様子は一切ない。

 もうこの人、病院に連れていくべきでは?

 

「あのな……せめて、帰ってから描けよ。あの親御さんにバレたらどうする気だ?」

「別によくない? だってほら、あの子も作品みたいなこと言っているよ」

 ほのかが指差すので、振り返る。

 

「パパァ~ ボール遊び楽しいねぇ~ パパのこと大好き!」

「そうだなぁ。パパも大好きだよぉ」

 

「……」

 好きの意味が違う!

 

「頭痛くなってきた……」

 俺がそうぼやくと、ミハイルは対照的に、じーっと黙って液晶画面を見つめる。

 

「うーん、男の子の方は上手く描けてる気がするけどぉ。おっさんの方がなんか、あんまりかな?」

 それを聞いて、ほのかが鼻息を荒くする。

「え? どこが!?」

「オレには絵とかよくわかんないけど……ほら、あのモデルになってる人って、もっとすね毛とかヒゲとかさ、毛深いじゃん。ほのかが描いているおっさんは、ちょっとキレイすぎるんじゃない?」

 モデルを目の前に、酷いことをサラッと抜かすミハイル編集長。

「なるほど! ヒロインはちゃんと忠実に描かないとね! ありがとう、ミハイルくん!」

「いや、オレなんかで、ほのかの漫画のお手伝いになれるなんて……エヘヘ」

「謙遜は良くないよ、ミハイルくん。フフフ」

 全然笑いごとじゃない。

 

 

   ※

 

 変態女先生は、放っておいて、俺たちはさっそくプールに入ることにした。

 

「キャッ! つめた~い!」

 と悲鳴をあげるが、ミハイルの顔は嬉しそうだ。

「確かに冷たいが、楽しいな」

「うん☆ これでもうオレたち二回目のプールだもんな☆」

「え……?」

 設定、設定忘れているよ! ミハイルさん!

 この前はアンナモードだったじゃん。

「え……あ! い、いや、初めてだったよな☆ なんか、この前アンナがさ。タクトとプール行ったって聞いたから、それで間違えたみたい…ハハハッ」

 笑ってごまかす女装癖のヤンキー。  

「そ、そうか……まあ、奥まで行ってみようぜ」

「うん☆」

 

 

 プールの波は一定の間を置いて、発生する。

 30分に一回、特に激しい波が押し寄せてくる。

 あまりに強い波なので、アナウンスで「小さなお子さんは離れてください」と注意されるぐらいだ。

 まあ成長した俺とミハイルなら、大丈夫だろう。

 

 どんどん、奥へ奥へと進む。

 

 次第と波が深くなっていき、水が胸元まで浸かるほどだ。

 

「うわっ! けっこう、深いじゃん」

 俺が胸元まで浸かるぐらいの深さだから、低身長のミハイルは水面から首を出すのがやっとだ。

「あんまり、無茶するなよ。ミハイル」

「大丈夫だよ☆ オレってタクトと違って運動しんけー良いからさ☆」

 あーそうですか。

 

 その時だった。

 背後から、叫び声が聞こえてくる。

 

「ヒャッハー! いい波だぜぇ~!」

 

 迫りくる超ど級の巨乳、ブルンブルンと左右に暴れまくっている。

 今時珍しいハイレグのビキニを着ているビッチ、宗像 蘭。

 サーフィンボードに両脚を乗せ、波の動きに合わせて、上手い事進んでいる。

 海にいるヤンキーじゃん。

 

 しかも、片手にハイボール缶を掴んでいた。

 

「どけどけぇ~ 今日はいい風じゃないかぁ!」

 

 この波、人工で作られているんですけどねぇ。

 教師のくせして、プールの禁止事項を全部破っている。

 

「ヒャッハ~!」

 

 奇声をあげてどこかに行ってしまった。

 嵐のようなクソビッチ。

 

「まったく、宗像先生にも困ったものだな……。なぁ、ミハイル」

 隣りを見ると、そこには誰もいなかった。

「ミハイル? どこだ?」

 はっ、まさか!

 水中に潜って見ると、足をバタバタさせて苦しそうにもがく彼の姿を確認できた。

 

 俺はすぐに泳いで、ミハイルを救いに行く。

 抱きあげて、水中から出してやると……。

「ぷっは! ハァハァ……ごめん。溺れちゃったみたい」

「いや、俺は構わんが、ミハイルは大丈夫か? 水を飲んだか?」

 心配で彼の顔を覗き込む。

 水の中で暴れたせいか、結っていた長い髪がほどけている。

 濡れた小さな薄い唇、キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳、頬を伝う雫。

 どこか色っぽい。

「あ、ありがと……そのちょっとだけ飲んじゃったけど、オレは大丈夫」

 頬を赤くする。

「そうか。ここは深いから浅いところまで戻ろう。それまで、俺にしっかり掴まっていろよ」

「う、うん」

 

 俺は男のミハイルをお姫様抱っこで、波と同じ方向にゆっくり歩く。

 抱きかかえられた彼は、顔を真っ赤にして黙り込む。

 細い両腕を俺の首に回し、俯いている。

 

 当の俺はと言えば、桃のような丸くて小さなお尻を手の甲で楽しむ。

 股間がパンパンになり、激痛を覚える。

 あれ……なんかデジャブを感じるのは、俺だけでしょうか?



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202 カノジョの作った料理に文句は言っちゃダメよ♪

 

 波のプールで溺れたミハイルを、お姫様抱っこしてから、なんかギクシャクしてしまう。

 二人して、ビーチの隅で体操座りする。

 ボーッと放心状態で、宗像先生や千鳥、花鶴がプールではしゃいでる姿を、眺めていた。

 というか、俺の場合は、股間が直立しちゃったから、動けないんだけどね♪

 ミハイルといえば、頬を赤らめて、視線を下にやっている。

 

 結局、その後も俺たちはプールで遊ぶことはなく、「そろそろ、あがるか」と更衣室に戻ってしまった。

 

 

 更衣室の入口付近に、シャワールームが設置されていたので、俺はそのまま、身体を洗うことにした。

 ミハイルはなぜか、「オレは自分の部屋で洗うから」と、一人ホテルに戻ってしまった。

 なんでだろう? 裸になるのが恥ずかしいのか。

 それを言ったら、このあとの温泉とか大浴場はどうする気だ?

 

 

 身体と頭を洗い終えると、ムキムキのハゲマッチョに声をかけられる。

「タクオ! プール、楽しかったよな!」

「ああ……まあ、それなりに、な……」

 股間くんはすごく楽しかったと言っています。

「てかよ、ミハイルと一緒にいたんじゃねーの?」

「さっきまでいたが、なんか先に部屋に戻ると言ってたぞ」

「ふーん。あ、タクオさ、水着は後で使うから、あそこにある脱水機を使って乾かしておけよな」

「何に使うんだ?」

「この『波に乗れビーチ』の上に、混浴温泉『クーパーガーデン』があんだよ」

 なん…だと!?

 

「混浴だってぇ!? そ、それは本当か?」

 興奮するあまり、千鳥に迫る。

「お、落ち着けよ。タクオ……混浴っても、水着で入るんだよ。だから、いるんじゃねーか」

 チッ、クソみてーな温泉だな。

 一気にテンションが下がる俺氏。

「なるほど。了解した。じゃあ、水着は乾かしておこう」

 

 

 脱水機で、水着を乾かしている間、俺はロッカーを開く。

 入れていたタケノブルーのTシャツは汗臭い、ジーパンも湿っている。

 せっかく、シャワーで綺麗な身体になったというのに、これをまた着るのは、げんなりするな。

 そう思っていると、近くのカウンターで立っていた男性スタッフから声をかけられる。

 

「あ、お客様! バスタオルと浴衣を無料でお貸しておりますよ」

 

 助かったと俺は安堵する。

 スタッフから、Mサイズの浴衣とバスタオルを受け取り、ロッカーで着替えをすます。

 と思いたかったが……。

 下着が問題だ。

 ブリーフも汗まみれ。

 

 ならば、選択は一つしかない。

 アラサー痴女教師、宗像 蘭から借りたTバックを履くしかない。

 覚悟を決めろ、琢人よ!

 紫のレースのパンティーだが、履いてみたら、案外ダンディーな男に見えなくもない……気がする。

 宗像先生が普段、履いている下着を広げて、俺の脚に『穴』を通していく。

 両方埋まったところで、グイーッと股間にフィットさせる。

 ふむ、サイズ的には問題なしだ。

 ケツがスースーするが、案外いいもんだな。

 一つ、気持ち悪いとするならば、前面から俺のヘアーが、もじゃもじゃとはみ出ているところか。

 

 浴衣で隠せば、問題ない。

 

「よし、俺もホテルに戻るかぁ……」

 

 なんだか、女の子の気持ちがわかってきちゃったかも。

 

 

   ※

 

 ホテルに戻ると、腹の音が鳴る。

 もう夕方の6時だ。

 腹も減る頃合いか。

 

 そう言えば、宗像先生が言ってたな。

 一階にある食堂に集まれって……。

 

 食堂に向かうと、もう既にみんな集まっていた。

 バイキング形式で、好きな食べ物を自分で取って良いようだ。

 

「これはなかなかに豪勢だな」

 

 ハンバーグ、刺身、ステーキ、天ぷら、カニ、カレー、ピザ……なんでもありだ。

 

 よし、いざ実食!

 

 トレーを持って、料理を取ろうとした瞬間だった。

 華奢な白い腕が俺を静止させる。

 

「待ってたよ☆ タクト!」

 浴衣姿のミハイル。

 しっかり帯を巻けていないのか、襟元が随分、はだけている。

 上から見ると、もうすぐ乳首が見えちゃいそう……。

 サイズもあってないようで、かなり大きい浴衣を着ているようだ。

 上前と下前が、左右に開けている。

 彼が嬉しそうにぴょこぴょこ動く度、グリーンのボクサーブリーフが、チラチラと見えてしまう。

 

 男装時は、防御力が低すぎんだよな……。

 生唾を飲み込んでしまう。

 

「ねぇ、聞いている? タクト?」

 潤んだ瞳が、一段と輝いて見えた。

「あぁ……なんだっけ?」

 お前の浴衣姿に見惚れていた……なんて、言えるわけないだろう。

「も~う! だから、言ってるじゃん! タクトの夜ご飯は、オレが作ってきたから、バイキングする必要ないよ☆」

「は?」

「バイキングってさ、選んでテーブル戻っての繰り返しじゃん。疲れるじゃん。なら、最初から豪華な料理を、ダチのオレが作ってきたんだ☆ えっへん!」

 ない胸をはるな!

 そして、俺はそんなこと頼んでもないぞ!

 バイキングしたいのに!

 

「ほら、こっちに来てきて! もうちゃんとテーブルに用意しているから☆」

 そう言って、強引に手を引っ張られる。

 俺の拒否権はないんですね。

 

 

 ミハイルに連れてこられたテーブルは、大人が6人ぐらい座れる巨大なテーブル。

 

「こ、これは……」

 

 見たこともないぐらいの、豪華な料理がずらーっと並んでいた。

 

 伊勢エビのマスタード焼き、鯛の活け造り、ふかひれスープ、極厚ステーキ、フルーツの盛り合わせ、おまけに、パティスリーKOGAの名前が刻まれたケーキが10個以上……。

 

 れ、レベチィ~っ!?

 

 

 しかも、テーブルの上には、ネームプレートが置かれており、

『新宮様、古賀様。貸し切り』

 と、予約されていたようだ。

 

 蝶ネクタイをつけた品格のあるウェイターが、俺の前に現れる。

 

「ご予約されていた新宮様と古賀様ですね……こちらの席へどうぞ」

「は、はい……」

 貫禄が違う。

 思わず敬語になってしまった。

「タクト。これオレが全部、作ったんだゾ☆ すごいだろ!」

「ああ……」

 もう、ドン引きしています。

 

 席に二人して座る。ピッタリ並んで。

 

 すかさず、ウェイターが俺の前にメニューを差し出す。

「新宮様、本日のおすすめは、白ワインの10年ものです……」

「はぁっ!?」

 思わず、アホな声が出てしまう。

 俺、未成年なんだけど。

「タクト、心配しなくてもオレが用意したノンアルコールのジュースだゾ☆」

「そ、そうか……なら、それをください」

「かしこまりました。少々お待ちください。古賀様も同じものでよろしかったですね?」

「うん、グラスも二つお願いね☆」

「承知いたしました」

 

 一礼すると、ささっと静かに調理場へと戻っていった。

 

 てか、何様なの? ミハイルって。

 

「なあこの根回しは……ミハイルがしたのか?」

「そうだよ☆ ここのホテルにねーちゃんがケーキとか卸してるから、ゆーづうがきくんだ☆」

 ヴィクトリア、強し。

「なるほど……」

「そんなことより、早くオレの作った料理食べてよ☆」

「ああ、いただきます」

「どーぞ☆ 残さないで食べてくれよな☆ 徹夜して作ったんだから☆」

 めっちゃ笑顔で俺の顔を覗き込んでいるんだけど。

 脅しに聞こえます。

 

 このあと、俺は死ぬ思いで、ミハイルのフルコースを一人で食べることになった。

 

 彼と言えば、ジュース以外はホテルのバイキングを食べていた。

 ミハイル曰く、

「タクトのために作った料理だから、オレは食べなくていいよ」

「食べるところとか、味の感想を聞きたい☆」

 と言って、一緒に食べてくれなかった。

 

 吐きそう……。

 



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203 まさかのリキルート!?

 

 夕食を腹いっぱい食べた……というか、ミハイルに無理やり食わされたのだが。

 吐き気を感じながら、一旦、ホテルの部屋に戻ることにした。

 エレベーターで、ミハイルと別れを告げて。

 

 

 部屋には、今晩一緒に過ごすことになっている千鳥 力がいた。

 テレビをつけて、ソファーの上でゲラゲラ笑っている。

 

「よう、タクオ! ホテルのバイキング、超豪華だったよな! 俺なんか、一生分ぐらい食っちまったかもしれんぜ? もう腹がパンパンだ」

 そう言って、自身のポッコリと出た腹をさする。

「そ、そうか……よかったな。俺も豪華すぎる料理を死ぬぐらい食べてきたよ……」

 これ以上、喋ると吐きそう。

「ふーん。タクオって結構大食いなんだな」

 違います。あなたのお友達に、無理やり食べさせられたんです!

 

   ※

 

 一時間ほど、ベッドで寝込んでいた。

 と言っても何回もトイレを往復していたので、身体は休めていない。

 ようやく、身体が身軽になったころ、千鳥が声をかけてきた。

 

「なぁ、タクオ。ぼちぼち、『クーパーガーデン』に行こうぜ。今夜は花火もあがるらしいぞ♪」

「へ、へぇ……」

 力なく答える。

「元気だせよ、混浴温泉だぞ?」

 ヘラヘラ笑って、いやらしい。

 だが、事前情報として、全員水着着用と知っているので、俺はなんとも思わん。

「さっきの、プールと変わらんだろう」

 俺がそう言うと、千鳥は不敵な笑みを浮かべる。

「わかってねぇな。だから、タクオは一生童貞なんだよ」

「は?」

 ガチでキレそうになった。

 

「あのな、夜景のキレイなプールとか、海とかはよ……ヤレちゃうんだぜ?」

 ファッ!?

 

「な、なにを言っているんだ、千鳥?」

「女ってのはさ。星空とか、夜景とか、非日常的な光景に弱いもんなのよ。俺が小学生の頃さ、夜に近所の海岸へ遊びに行ったらさ……真面目そうなカップルが、暗いことをいいことに『アンアン』してたんだよっ!」

 鼻息荒くして、俺の両肩を掴み、強く前後に揺さぶる。

「だ、だるほどぉ~」

 振動で声が震える。

「だから、俺も今日にかけるぜ! ほのかちゃん、落としたいからよっ!」

 そこで、ピタッと動きが止まる。

「え……?」

 なんか、今さらっと、大事なお話をされたような気が。

 

 千鳥はキランと輝くスキンヘッドを真っ赤にさせて、人差し指で鼻をこすっている。

「二度も言わせなんよ……俺、ほのかちゃんに告白しようと思っててよ」

 俺は耳を疑う。

「なぁ、千鳥。お前、俺をおちょくってんのか? ほのかって、同じクラスの……アレのことか?」

 汚物のような表現をしてしまった。

「ほのかちゃんったら、北神 ほのかちゃんしか、いねーだろ!」

 胸ぐら掴まれて、睨みつける千鳥。

 ん~ 確かに、今の彼は凄みを感じる。ヤンキーとして。

 だが、キレている原因が、あの腐女子で変態の北神 ほのかなんだもん。

 思わず、失笑してしまう。

 

「ブフッ!」

 俺の唾を真正面から食らう千鳥。

「きったねぇな! 俺、マジなんだぜ……今回の旅行にかけてんだ!」

 ハゲのおっさんでも、泣きそうな時ってあるんすね。

 なんだか、かわいそうになってきた。

「そ、そうだったのか……てっきり、千鳥は、花鶴と付き合っていると思い込んでいたよ」

 いつもバイクで二人乗りしているし、ていうか、基本セットで歩いているから。

 俺がそう言うと、また顔を真っ赤にして激怒する。

 

「んなわけねーだろ! ここあとは、ガキからの腐れ縁で、ああいうビッチな女は苦手だよ……」

 おいおい、ダチのくせして、ビッチ呼ばわりかよ。

 花鶴、ちょっとかわいそう。

「な、なるほど。ちなみに、興味本位で聞くのだが、ほのかの、どういうところが好きなんだ?」

 千鳥は照れくさそうに答える。

「ほのかちゃんってさ。なんか、一見すると、大人しそうな普通の女子高生じゃん? でもさ、時折見せるギャップ萌えってやつ? あれがすごくカワイイんだよ……バカなこと言わすなよ、タクオ」

 言いながら、めっちゃ嬉しそう。

 そして、自分のことのように、ほのかを絶賛している。

「ギャップて、どういうところだ?」

「なんかさ、ほのかちゃんって……普段、隠しているみたいだけど、本当は芯の強い女の子だと思うんだよ。俺にはまだよくわからないけど、ほのかちゃんの真っすぐな姿勢が見えた時、すげぇなって、感じたりしてて」

 ちょっと、俺の脳内がフリーズしている。

 わけがわからん。

 どうやったら、あの変態が芯の強い女性なのだろうか。

 

「なあ……千鳥、お前マジで言ってるのか?」

「当たり前だろ! タクオがマブダチだから、相談してんじゃん!」

 あ、これ恋愛相談だったんだ……カウンセリングかと思った。

「なるほどなぁ」

 いつも、ほのかに優しく接していると思っていたが、まさかこんなにも片思いしちゃってるなんてな。

 千鳥には悪いが、めっちゃ草生える。

「マブダチと言ったな? なら、俺も今日からお前への認識を改めよう。ダチの恋愛相談だ。しっかりと俺も応援させてもらうっ!」

 この際だから、めんどくさい腐女子のほのかを、千鳥に押しつけよっと♪

「マジかっ!? サンキュな、タクオ」

 そう言って、俺の両腕を掴む千鳥。

「ああ、絶対にっ! この恋愛を成就させよう、千鳥! いや、今日からリキと言わせてもらおうっ!」

「タクオ~! お前は今まで出会ったダチの中で、一番いいヤツだぁ!」

 何を思ったのか、急に俺を抱きしめるリキ。

 痛い痛いっ!

 ミハイルに負けず劣らずの馬鹿力だ。

 しかも、可愛らしいミハイルとは違い、見た目がゴツいハゲのおっさんに抱きしめられるとか、どんな拷問だよ。

 

 その時だった。

 

「タクト~☆ なにやってんだよ、ずっと廊下で待ってたの、に……?」

 

 気がつくと目の前に、浴衣姿の天使こと、ミハイルきゅんが立っていた。

 太い両腕で背中を抱きしめられる俺を見て、絶句している。

 

「なに、やってんの……タクト?」

 

 この世の終わりのような、絶望した顔で俺たちを凝視している。

 

「み、ミハイル。違うぞ? 今、リキの相談を受けていてだな……」

 しどろもどろに言い訳をする。

「うわぁん! タクオ、俺さ。お前と今晩、一緒になれたことを……一生の思い出にするぜ!」

 号泣して更に俺の身体を引き寄せるリキ。

 本人はそんな気はないのだろうが、興奮しているせいか、俺の尻に右手が回っていた。

「リキ……ミハイルの前だ。堪えてくれ」

 俺の声は泣き声でかき消される。

「タクオぉ! 好きだ、マジで感謝してるぜ!」

 ミハイルは一連の行動を見て、引きつった顔をしている。

 

「タクトが『リキ』って言ってる……それに、リキもタクトのこと、好きだったの……?」

 誤解ってレベルじゃねー!

 マジで、俺とリキがホモダチになっちまうよぉ!

 

「ミハイル? これは違うからな? ダチ同士のスキンシップってやつだ」

「オレとも、したことないのに?」

 冷えきった声で、睨みつけてきた。

「いや、それは……」

「タクトのバカッ! アンナに言いつけてやるからな! もう知らない! オレは先に温泉行ってるから。ゆっくり、マ・ブ・ダ・チのリキと来れば!? フンッ!」

 

 バタンッ! と扉を閉める音が、部屋に響き渡る。

 

「タクトぉ、マジで好きだぜぇ!」

「あ、そう……俺もだよ。ダチとしてな」

 

 こうして、俺と千鳥は兄弟よりも深い絆を結んだのであった。

 その代償としてなにかを失った気がする。

 



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204 それぞれの恋愛

 

 マブダチの関係になれたリキだったが、同時にミハイルの恋敵になってしまった。

 良かれと思って、彼の恋愛を応援したことが裏目に出てしまう。

 クソがっ!

 

 まあ、起きてしまったことは、悔いても仕方ない。

 あとでミハイルに真実を伝え、謝罪しよう。

 って、なんで、俺が悪いことになってんの?

 

 そんな複雑な心境を知ってか知らずか、一緒に歩く浴衣姿のリキは、うちわ片手に嬉しそうだ。

「タクオ~ 混浴温泉楽しみだな♪ ほのかちゃんの水着、可愛いんだろうなぁ」

「水着なら、さっきも見ただろ……」

「だって、ほのかちゃん。プールじゃ泳がなかっただろ? 濡れた水着がいいんだよ。絶対、セクシーだぜ」

 妄想しているのか、スキンヘッドが真っ赤になる。

 想像力、豊かでいいですね。

 

 

 俺とリキはホテルから出て、再度バスに乗り、松乃井ホテルの一番上にある建物、松乃井パレスに移動する。

 

 この施設には、混浴温泉の『クーパーガーデン』と露天風呂の『タンス湯』がある。

 別府の壮大な景色を眺めながら、疲れを癒すことが出来る、天国のような場所らしい。

 

 入口を抜けると、すぐに見えたのは、広い売店。

 主に別府で生産されている品物が、販売されている。

 酒やらお菓子やら、伝統工芸品など。

 

 そこを左に曲がってしばらく、奥へと進む。

 次に目に入ったのは、ゲームセンター。

 

 どうやら、温泉帰りに旅行客が遊んで帰るようで、まだ髪が濡れた子供たちが、キャーキャー騒ぎながら、遊んでいた。

 

 行き止まりと思った瞬間、二階へと上がるエスカレーターを見つけた。

 

『この先、クーパーガーデンとタンス湯』

 

 と大きな案内が、天井にぶら下がっていた。

 

 エスカレーターを昇ってみると、右手に温泉への入口が見えた。

 どうやら、まだ上にあがるらしい。

 迷宮ってぐらい、先が長いなぁと、ため息を漏らす。

 その時だった。

 

 左側から怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「なんだ、てめぇは!? さっきから、ガタガタうるせぇーんだよ! 私を田舎もん扱いしてんのか、コノヤロー!」

 ウイスキーの角瓶を片手に、顔を真っ赤にして、相手を威嚇する水着姿の女性。

 デカすぎる二つのメロンをおっぽりだして、股間がグイッと強調されたハイレグ。

 こんな痴女はこの世に、一人しか存在しない。

 宗像先生だ。

 

 エレベーターから出て左側に、小さなパブがあった。

 主に外国のお客さんが多い。

 そういえば、ホテルマンが言っていたが、この近くで、ラグビーのワールドカップをやっていると聞いたな。

 観戦のために、来日したのかもしれない。

 

「What's up? Are you a prostitute?」(どうしたの? 君は娼婦でしょ?)

 相手は金髪の白人男性だ。

 30代ぐらいのガッチリした体型。

「だから、日本語で喋れよ、バカヤロー! ここは日本の別府だぞ? なんで、あたしがお前ら進駐軍(しんちゅうぐん)の言葉に合わせないといけないんだよ!」

 進駐軍って……戦後何十年経ったって思ってんすか。

 

 

「I want to buy you tonight」(今晩、君を買いたい)

「バイ? トゥナイト? さっきから、なに言ってんだよ。私が好きなのか?」

「Yes~!」

「ほぉ、さすがは蘭ちゃんだな。まさか白人が一目惚れするとは……良いだろう。今晩、私の部屋に来な」

 ごめん。多分、話噛み合ってない。

 

 しばらく、その光景に絶句していると、リキが「なにやってんだよ。温泉はこっちだぜ?」と促された。

 見なかったことにしよっと♪

 

 

 エレベーターが終わったと思ったら、お次はエレベーター。

 これに乗って、三階でようやく更衣室に入れるってわけだ。

 小さなエレベーターだったので、10人ほどしか、移動できない。

 その中で、偶然、北神 ほのかと、自称芸能人こと、長浜 あすかに出くわす。

 

「あ、千鳥くんと琢人くんじゃん」

 小さく手を振るほのか。

「フン! 誰かと思えば、アタシのガチオタじゃない。今度からガチオタクトって呼んであげるわ。感謝しなさい!」

 こんの野郎。俺の推しは『YUIKA』ちゃんだけだ!

「長浜にほのかも混浴温泉入るのか?」

「もちろんよ、アタシは芸能人なのよ? 水着姿を一般人に拝ませてあげないと、盛り上がらないでしょ?」

 だから、なんでそんなに上から目線なんだよ、ローカルアイドルのくせして。

「そ、そうか……」

「今日だって、ずーっと一般人からの視線をビシバシ感じるわ! 芸能人の定めよね」

 自意識過剰だと思う。

 その証拠にほら、今も隣りにいるリキは、素人のほのかに釘付けだ。

 

「なあ、ほのかちゃん。温泉終わったらさ……ちょっと、付き合ってくんないかな?」

「え、千鳥くんと私が? いいよ」

 ニコッと優しく微笑むほのか。

「マジ? 超うれしぃわ!」

 本当に惚れていたんだな、リキ。

 しかし、ほのかのやつ。確かに俺の前では、変態度マックスなのに、リキの前ではなんかおしとやかって感じ。

 心をまだ許していないのかもな。

 

 

 俺がそう二人を見守っていると、エレベーターが三階に着く。

 

「じゃあ、着替えたらクーパーガーデンであいましょ♪」

「おお、ほのかちゃん。一緒に花火見ようぜ!」

 ふむ。案外、いい感じじゃないか? この二人。

 よし! このまま、くっけてしまおう。

 

 一人頷いてると、左足に激痛が走る。

 下を見れば、グリグリと踏みつけられていた。

「ガチオタクト! アタシのファンでしょ? こっちを見なさいよ!」

「いっつ……なんだよ」

 超かまってちゃんだな、自称芸能人。

「宗像先生に聞いたんだけど……ガチオタクトって、作家なんだって?」

 急にしおらしく縮こまってしまう長浜。

 恥ずかしそうに、頬を赤らめている。

「ああ。そうだが」

 売れてないし、絶版してるけど。

「あのさ、アタシの自伝を書いてくれない?」

「はっ?」

 思わず、アホな声が出てしまう。

「ほら。アタシって超がつく芸能人じゃない? 今度、本を出すって社長に言われているけど、文才はないから……ガチオタさえよければ、雇ってあげてもいいと思ったの」

 ファッ!?

 自伝なのに、ゴーストライターつけるんかい!

 てめぇで書けよ。

 お前のことなんて、一ミリも知らんわ。

 てか、俺のあだ名ってガチオタになったの?

 

 咳払いして、やんわり断りを入れようとする。

「あのな、そういうのは文章とか表現とか、関係なく、長浜が思ったように書けばいいと思うぞ。ファンもそっちの方が嬉しいんじゃないか?」

「嫌よ! アタシ、国語だけは昔から苦手なのよ! もう決めたの! 事務所の社長にもガチオタを推薦して、契約結んだもの。ギャラあげるから、ちゃんと書きなさいよね!」

「えぇ……」

「これ、アタシの連絡先! あとで連絡しなさい!」

 そう言って、強引に名刺を渡された。

 電話番号にメルアド。それにL●NEまで、ご丁寧に記されていた。

「ちょ、ちょっと、長浜……」

 言いかけている途中で、長浜 あすかは顔を真っ赤にして、走り去っていく。

 

「なんだったんだ。はぁ……」

 とりあえず、名刺を浴衣のポケットに入れて、俺は一人更衣室に向かうのであった。

 

 

   ※

 

 更衣室で先ほど、乾かした水着に再度着替える。

 脱ぐときに、紫のレースのパンティーがバレないか、ビクビクしていたが、幸いなことに、お客さんは、みんなもうクーパーガーデンに行ってしまったようだ。

 

 着替えが済むと、改めて、混浴温泉へと向かう。

 上がったかと思うと、次は下へと階段を降りる。

 

 長い廊下を歩いていくと、突き当たった場所で、男と女が合流する。

 大きなガラスの自動ドアの前で、家族やカップルたちが集まっていた。

 更衣室が別の場所にあったから、再会を喜んでいるようだ。

 

 ほのかやリキの姿は、見当たらない。

 また一人ぼっちか……そう落ち込んでしまう自分に気がつく。

 思えば、最近、ひとりでいる時がない。

 隣りにアイツがいたから……。

 やはり、俺は孤独だ。

 そう痛感した瞬間だった。

 

 ドンッ! と腰を蹴られる。

 

 振り返ると、そこには、ブロンドの長髪を首元で纏めた小さな女子……じゃなかった。

 グリーンの瞳を揺らせる男の子、ミハイルが立っていた。

 

 もちろん、彼も水着姿。

 小さな胸には二本のペットボトルが抱えられていた。

「おっそいゾ! タクト!」

 思わず、口角が上がってしまう。

「ああ、悪い」

「これ……温泉だから、喉乾くと思って、タクトの好きなアイスコーヒー買っておいてやったゾ!」

 そう言って、雑に押し付ける。

 まだ怒っているようだ。

「すまん」

「もういいから、早く入ろうぜ……その、花火終わっちゃったら、寂しいじゃん」

 唇を尖がらせて見せる。

「そうだな……温泉の中で乾杯といくか?」

 俺がそう言うと、彼はニコッと笑みが浮かぶ。

「うん☆」

 



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第二十六章 真夏の夜の部
205 策士、ミハイル


 

 機嫌を少しなおしてくれたミハイルと、二人で混浴温泉へと向かう。

 大きな自動ドアが開くと、そこには別世界。

 温泉というよりは、ナイトプールに近い。

 

 外はもう真っ暗で、静かな別府の温泉街を一望できる展望スパが売りのようだ。

 上から下に向け、段が設けられていて、前に座っている人の背中を気にせず、夜景を楽しめる。

 どこからか、心地よい音楽が流れていて、水中は所々ライトラップされており、ランダムで光りの色が変わっていく。

 空を見上げれば、都会の博多とは違い、たくさんの星々が地図を描いている。

 なんて、きらびやかな世界なんだ。

 

 おまけに、左手には、高らかに立ち上る何本もの噴水が、踊るようにショーを繰り広げている。

 

 リキが言っていたことを思い出す。

 

『女ってのはさ。星空とか、夜景とか、非日常的な光景に弱いもんなのよ』

 

 確かに一理ある。

 

 これだけ、非日常的な光景を目の当たりにすれば、意中の女性を落とせそうな……妙な自信が湧いてくるってもんだ。

 その証拠に、辺りを見れば……。

 

 

「なぁ、いいじゃん」

「も~う、部屋まで待てないのぉ~」

 

 水着とはいえ、彼女の胸をまさぐる彼氏さん。

 だが、その彼女も笑っていて、抵抗しようとはしていない。

 

 そんなカップルばかりが、スパを貸し切り状態。

 

 クソがっ!?

 どこか、他でやれや!

 

 俺が歯を食いしばって、拳に力を入れていると、柔らかい指が力んだ腕をほぐす。

「タクト? どうしたの?」

 隣りに立っているこいつ。ミハイルは確かにカワイイ。

 だが、男の子なんだ!

「いや……ちょっとな」

「しょーせつのことでも、考えてたの?」

 下から上目遣いで、俺の顔色を伺う。

 腰をかがめているせいか、胸の谷間が露わになる。

 もう少しでトップが見えそうだ。

 

 クッ! だから、男モードのミハイルは苦手なんだ。

 防御力がなさすぎなんだよ。

 

「ま、まあな。この旅行も舞台として、いいかもな……。だが、今夜は取材対象が不在だからな」

 つい、ぼやいてしまう。

 そうだ。女装しているアンナとなら、デート気分を味わえたかもしれない。

「そ、そっかぁ……そうなんだ。ふーん、タクトって今、そんなこと考えてたんだ☆」

 なぜか一人、嬉しそうに頷くミハイル。

 あ、本人が目の前にいるのを忘れてた。

 

   ※

 

 俺とミハイルはさっそく、展望スパに入ってみる。

 水温は、思った以上に暖かい。というか、熱いぐらいだ。

 ちゃんと温泉なんだなと感じる。

 

 プールと同様、けっこう水深があったので、今度は溺れないように、俺はミハイルをおんぶしてあげた。

 

「うわぁ、キレイだなぁ☆ タクト!」

「あぁ、確かにこいつは、なかなか拝めないもんだな」

 

 思えば、一ツ橋高校に入学して色々なことがあった。

 ぼっちだった俺が、今では……後ろで、はしゃいでるコイツがいるからな。

 何もかもが、一変してしまった。

 生徒の中にはうるさいやつらもいる。だが、悪くない。

 

 と、人が感傷に浸っているのも束の間、俺の背中に柔肌がプニプニと当たってくる。

 ないはずの胸がなぜか気持ち良い。

 絶壁最高!

 

「タクト! あれ、なんていう星かな?」

 かなり興奮しているようで、グリグリと胸を頭にこすりつけてくる。

「あれか。オリオン座だな」

「すごいすごい!」

 俺も股間がすごいことになってるよ。

 

   ※

 

 少しのぼせた俺たちは、一度、スパから出た。

 事前にミハイルが用意してくれていた飲み物で、喉を潤そうと。

 

 スパの周りには、ビーチチェアがあったので、そこで寝そべって、乾杯することにした。

 

 俺はアイスコーヒー、ミハイルはいちごミルク。

「じゃ、タクト。かんぱ~い☆」

「ああ。乾杯」

 少しぬるくなってはいたが、火照った身体にはちょうど良い。

 一気にがぶがぶ飲んでしまった。

 

「んぐっ、んぐっ……ぷはっあ! ハァハァ……おいし☆」

 相変わらず、いやらしい飲み方するな、この人。

 

「でも、オレたち。本当にここまでやってこれたんだよね?」

 嬉しそうに瞳を輝かせる。

「ん、なんのことだ?」

「一ツ橋高校でちゃんと単位取れたこと☆」

「ああ……」

 天才の俺には、超普通というか論外な授業やレポートに試験だったが、おバカなミハイルには、かなり頑張ったということか。

「タクトのおかげだよ☆」

 はにかんで見せるその笑顔に、思わず、ドキッとしてしまう。

 

「いや、俺は別に。なにもしてないさ……」

 動揺を隠すように視線をそらす。

「そんなことないよ! タクトがいてくれたから、スクリーングもちゃんと来れたし、テストも頑張れたもん☆ ありがとなっ☆」

「う、うむ。まあ、来期も一緒に頑張るか……」

 男同士だってのに、なんだか小っ恥ずかしい。

 視線を戻すと、ミハイルは満面の笑顔でこう言う。

「ところでさ、リキのこと。いつから、マブダチになったの?」

 笑ってはいるが、声が冷えきっている。

 ヤベッ、まだ誤解されているよ。

 

「あ、あれはだな……」

 必死に弁解しようとするが、グイッとミハイルの小さな顔が近づいて来る。

 笑顔で。

「ねぇ。『スキ』ってどういうこと?」

 目が笑ってない。狂気だ。

「それは……俺に向けられたものではないんだ。実はここだけの話だが、リキは今片思いしているんだ」

「タクトに?」

 いつもはキラキラと輝いて、魅力的なグリーンアイズだが、今はとても暗く感じる。

 まるでブラックホール。恐怖でしかない。

 

「ミハイル、あのな……ちゃんと話を聞いてたか? リキは俺が好きなんじゃない。同じクラスメイトの女子に恋をしている」

 そこでようやく、彼の瞳が輝きを取り戻す。

「えぇ!? リキが女の子を好きになったの!?」

 めっちゃ驚いている。

 あいつだって、見た目おっさんだけど、俺たちと同じティーンエージャーなんだぞ。

 

 誤解が解けた瞬間、身を乗り出して、質問攻めが始まる。

「だれだれ!? リキが好きになった女の子って? オレが知っている子?」

 こいつって、けっこう恋バナ好きというか、意地悪いな。

「ほれ。あれを見てみろ」

 

 とある二人の男女を指差して見せる。

 

 少し離れたスパで、噴水ショーを楽しむハゲと、競泳水着を着た女子。

 

「あ、ひょっとして……ほのかが好きなの!?」

 ミハイルも予想外の相手に驚きを隠せないようだ。

「そういうことだ。アレのなにがいいのか、わからんが。俺に相談されてな……腐女子の攻略方法なんざ、俺は……」

 言いかけている最中で、ミハイルが俺の肩を掴んで、叫ぶ。

「さいっこうじゃん!」

「は?」

「あの二人、絶対くっつけようよ☆」

 めっちゃ楽しそう。拳を作って、ガッツポーズ決めちゃってさ。

 まだ、ほのかという、生態をちゃんと把握できてないのに。

「なんで、お前が乗り気なんだ。ミハイル?」

 ちょっと、冷めた目で彼を見つめる。

「だってさ。ちょー、おもしれぇじゃん☆ オレも応援してるよ、リキのこと☆ で、いつ告白すんの?」

 こいつ……人の恋愛だからって、楽しんでんな。

 

「さあな、今夜かもしれんし、明日かもしれんし、一生わからないな」

「ダメだゾ、タクト! マブダチの恋愛なんだから、ちゃんと本気になって、応援してあげなきゃ!」

 あんた、さっきまで、そのマブダチのことで怒ってたじゃん。

「いや、こればっかりは、本人たちの意思というか、相性の問題だろ……」

「ダメダメ! 力づくでもいいから、リキがほのかと結ばれないと、な☆」

 それって、犯罪だろ。

「あのな……」

 俺たちが、他人の恋バナで言い合っていると……。

 

 ドーンッ! と凄まじい轟音が鳴り響く。

 

 色とりどりの花火が、一斉に打ち上げられていく。

 

「すごい! 花火だ☆」

「そういえば、そうだったな」

 

 ドンッ! ドンッ! と次々に、大きな花火で夜空が明るく照らされていく。

 

 花火なんて、小学生の時以来だな。

 身体にまで響き渡るこの音さえ、心地よい。

「いいもんだな、たまには、旅行ってのも……」

 ふと、隣りのミハイルに話しかけてみたが、花火の音で聞こえてないようだ。

 

 彼と言えば、なにか考えごとをしているようで。

 小さな唇に人差し指を当てて、ブツブツと独り言を漏らしていた。

 

 途切れ途切れでしか、聞こえてこなかったが、なにやら変なことを口にしている。

 

「ふふっ、ほのか……と、リキをくっつけて……タクトの周りの……女たちは……全員消えて……」

 

 ファッ!?

 

 俺の視線に気がついた彼は、ニコッと笑って見せる。

 

「楽しいな、タクト。旅行ってさ☆」

「う、うん……とても」

 



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206 真のサブヒロインは、千鳥力!?

 

 花火が終わりを迎え、俺はそろそろ、混浴温泉であるクーパーガーデンから出ようと、ミハイルに提案する。

 すると、彼はなぜか、ぎこちなく頷く。

「あ、うん……」

 妙に元気ないな。

「どうした? 夏とはいえ、夜の温水プールだ。身体を冷やしたのか? なら、早く『タンスの湯』で身体を温めよう」

 俺がそう促すが、彼は急に慌てだす。

「あ、お風呂ね……」

 どうも、歯切れが悪い。

 あれか? 男同士とはいえ、一緒に真っ裸で大浴場に入るのが、恥ずかしいのか。

 

   ※

 

 クーパーガーデンを出て、また玄関で男女が別々になる。

 先ほどの更衣室に向かうため、バラバラに行動せねば、ならないからだ。

 左右に別れた階段を進んで、そのまま、更衣室で水着を脱ぎ、大浴場と露天風呂のあるタンスの湯に行ける。

 

 行きは疲れたが、帰りはこりゃ楽だ。

 

「じゃあまたね」

 どこからか、若い女性の声が聞こえてきた。

 見れば、競泳水着に眼鏡の女子。

 北神 ほのかだ。

 リキに別れを告げて、奥の女子専用廊下へと進んでいく。

「うん。ありがとな、ほのかちゃん」

 頬を赤くした力がオーバーに両手をブンブンと振って、別れを惜しむ。

 

 

「リキ、結構、順調みたいだな」

 彼の背中に声をかけてみる。

「ああ、タクオ! こりゃ、イケるかもだぜ!」

 拳を作って、はしゃぐリキ。

「だといいな」

「そうだ! 今から俺と一緒に露天風呂へ行こうぜ! マブダチとして!」

「ああ。俺もちょうど、ミハイルと行くところだったんだ……なあ、ミハイル?」

 隣りに視線を戻すと……そこには誰もいなかった。

「なっ!? ミハイル? どこだ?」

 心配になって、辺りを探すが、どこにもいない。

「タクオ、ミハイルのやつなら……ほれ。もうあっちに行ったぜ?」

 リキの指差す方を見れば、階段を物凄いスピードで走り去るミハイルの姿が。

 うむ、濡れた水着の小尻も最高……じゃなかった!

 なんであいつ、逃げていくんだ?

 ちょっと、腹が立つわ。

 

「まあタクオ。ミハイルもなんか用事あんじゃね? 腹でも壊したとかよ」

「な、なるほど……」

 それなら、確かにあの動揺した姿も頷けるか。

 結構、あいつ。ああ見えて、恥ずかしがり屋だからな。

 

   ※

 

 更衣室で、水着を脱ぎ、近くにあった小さなタオルを手に取ると、早速、大浴場に入って見た。

 中はかなり賑わっている。

 おじいさんや親子たちで、ガヤガヤと騒がしい。

 全員フル●ンで、見ていてエグいがな。

 

 俺は簡単にシャワーで身体を洗い流すと、まずは露天風呂である『タンス湯』へと向った。

 別府の夜景を楽しみながら、塩水で温められた天然温泉らしい。

 たまには、都会から離れた静かな高原で、リラックスしたいからな。

 

 大浴場を抜けて、露天風呂に出た。

 

 湯船は全部で、上から4段に別れた構造になっている。

 一段目に屋根があり、二段目から完全に露天風呂。三段目が一番大きく、また足湯も完備。最深部が寝湯になっていて、石造の枕まで完備。

 こりゃあ、日々の疲れが取れるってもんだ。

 

 俺は迷うことなく、寝湯の方へ降りていく。

 

 最近、自作『気にヤン』の執筆を追い込んだせいで、肩がかなり凝っているから。

 少しでも肩こりをほぐしたい。

 

 湯船につかり、仰向けになって、寝てみる。

 枕もいい感じの高さで、ちょうど耳に水が入らないぐらいだ。

「ごくらく、極楽~」

 なんて鼻歌が出るぐらい快適。

 どうしても、身体の力を緩めると、足先が浮かんでしまうが、そんなこと気にならないぐらい、気持ちが良い。

 

 上を見上げれば、星々がたくさん広がっていて、最高のプラネタリウム。

 前方に目をやれば、別府湾や街の夜景が見渡せる。

 

 ちょっと、熱すぎるぐらいの温泉だが、半身がどうしても、水中から浮かんでしまうので、濡れた素肌を、前方から吹きつける強い風が、火照った身体を冷ます。

 これはこれで、気持ちが良いものだ。

 

「来て良かったなぁ」

 

 と目を瞑って、呟いてみると……。

 誰かが俺の言葉に同調してくる。

 

「だよな!」

 

 瞼を開いて、声の主を探す。

 左側には誰もいない。

 じゃあ、逆の右を見てみるか……。

 

「うなぎぃっ!?」

 

 水中にうなぎが泳いでいる。

 

「な、なんだこいつ!? どこから入ってきたんだ!」

 パニックを起していると、大きな手が俺の肩をつかみ、静止させる。

「どこ見てんだよ、タクオ? 俺だよ」

「へ?」

 うなぎの持ち主は、千鳥 力。その人であった。

 

「ああ……お前だったのか。未知の生命体がこの別府に落ちてきたかと思った」

「ハハハッ、宇宙人なんて信じてんのかよ、タクオってやっぱ変わってんな」

 そう言って、俺の背中をビシバシ叩く。

 いや、確かに君のおてんてんは宇宙人だよ。

 

 だって、ごんぶとだし、長すぎるし、水中から顔を出すなんて……。

 

 

 咳払いして、動揺を隠そうとする。

「お、おほん! お前のって、その……デカいんだな」

 恐る恐る、彼の股間を指差す。

「はぁ? そうか。フツーじゃね?」

 いや、異常だ! 見たことない! 信じたくもない!

 馬並みだ。

「普通ではないだろう。リキ、お前のってさ。何というか、デカいというか、長さもあるし……」

 怖いよぉ!

「そんなに驚くなよ、ハハハッ。タクオが小さすぎんじゃね?」

 比較したことないけど、普通の部類だと思ってます。

「だって、浮かぶか? 普通……」

「え、タクオは浮かばないの?」

 巨乳の人が浮かぶと聞くが、男の話は初めてだ。

 

「ないよ……」

「そっかぁ。まあ、俺もあんまり温泉とかこねーから、わかんねーや。うちの親父とかも浮いてるしな~」

 家系だってか!

 

 リキは俺のことなど気にせず、温泉を楽しんでいる。

 

 だが、ここである疑問というか、不安を覚える。

 ミハイルのことだ。

 彼は幼いころから、リキやここあと一緒に遊んでいたらしい。

 多分、お泊りとかも。

 ならば……ミハイルのサイズも知っておかないと。

 だって、怖いじゃん!

 

「なあ、リキは……ミハイルと風呂とか、入ったことあるのか?」

「え? ミハイルと? あるよ。近所だし、ヴィッキーちゃんにはお世話になってるしなぁ」

「じゃあ、そのミハイルってお前と同じぐらいの……そのサイズだったか?」

 彼の回答に思わず、生唾を飲み込む。

「うーん」

 しばらく考え込むリキ。

 沈黙が怖い。

「最近は一緒に入らないからなぁ……多分、同じぐらいじゃね?」

 ファッ!?

「そ、そうなんだ……」

 あの華奢な身体で、どうやって、『ガンホルダー』におさめるというのだ?

 

 

 と、ここで、また新たな疑問が俺の頭に浮かぶ。

「なあ。ところで、そんなに長いサイズのをどうやってパンツに入れるんだよ?」

「え? 太ももにゴムのバンドで折りたたんでるぜ。普通のことだろ?」

 あっさり、爆弾発言をするリキ。いや、リキ兄貴。

「そ、そうですね。普通のことですよね。普通の……」

 なぜか縮こまってしまう俺だった。

 

   ※

 

 長い、長すぎる……なにがって?

 この隣りの野郎のことだよ。

「それでよ、ほのかちゃんのどこがいいかってよ。まず、あの真面目そうな顔とは反したワガマボディ! それに眼鏡の奥からたまに見える鋭い眼差し。あと、毎回制服着てくるというこだわり! たまらねぇよな! あとさ、気づかいもできるし、芯が強い女の子だって思うわけ。自分の気持ちは曲げない潔さ! 全部、全部が可愛すぎて……」

 うるせぇ!

 お前がどれだけ、ほのかのことを想ってることは、もうわかったよ。

 一時間近くも聞かせられるこっちの身にもなってくれ。

 もうさすがに、熱さで身体のぼせてきた……。

「悪い、リキ。先にあがるわ」

 ちょっと、熱で頭がふらつく。

 フラフラと立ち上がろうとする……が、ごつい彼の大きな手が俺の腕を掴む。

「ちょ、ちょっと待てよ! タクオ! これからがいいところなんだ、もうちょっと付き合ってくれよ!」

「話なら温泉を出てからでいいだろ……」

「いや、俺の気持ちはこの夜景を見ながら、マブダチのお前と語り合いたいんだって!」

 俺の腕を一向に離そうとしないリキ。

 だが、もう相手をしてられん。

 早く出ないと俺が倒れそうだ。

 

「悪いが出るぞ……」

 必死の思いで、湯船から脱出しようとした瞬間だった。

 見くびっていた。『剛腕のリキ』の異名を。

 

 俺の意思とは反して、力づくで引っ張られ、地面に叩きつけられる。

「いってぇ……」

 

 石畳の上でうつ伏せの状態に倒れてしまった。

 心配したリキが咄嗟に立ち上がる。

「わりぃ! タクオ、大丈夫か!?」

 急いで俺の元へ駆け寄ろうとするが、彼も長時間、湯船に浸かっていたせいか、思ったように足が動かず、フラついている。

「ありゃっ!」

 リキのアホな声と共に、ドシン! とナニかが、乗っかかてきた。

 

「いってぇぇぇ!」

 

 倒れこんでいる俺の背中に、リキの巨体がボディプレス。

 あばら骨が折れたかも?

 

 だが、そんなことよりも、気になるのは、俺の臀部(でんぶ)あたりだ。

 ナニかが、俺の割れ目にグニョグニョとうごめいている。

 ま、まさか!?

 

「わりぃ、タクオ。こけちまった……」

「そんなことはいい! 早く俺から離れろ! こんなところ、誰かに見られたら……」

 

 時すでに遅し。

 目の前には、細い脚が4本。

 

 見上げると、そこには、おかっぱ頭のキノコ頭が二人。

 同じクラスの日田兄弟が立っていた。

 

「し、新宮殿! まさか、氏は、剛腕のリキとそのような関係……」

「兄者、ここは一つ……」

 

 お互いの顔を見つめあうと、無言で頷く。

 

「「ぎゃあああ! ホモダチだぁ!!!」

 

「……」

 終わったな、俺のスクールライフ。

 



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207 真打の登場

 

 先ほどのリキとの『ドッキング』疑惑で、俺は日田の兄弟ともう仲良くできないかもしれない。

 まあ、いつか誤解は解けるだろう……知らんけど。

 

 攻め役を演じてしまったリキ本人は、なんのことか、さっぱりらしく。

「変な奴ら」と首を傾げていた。

 俺は受けの人だとは思われたくないので、リキに「話の続きはホテルの部屋で聞くから」と先に露天風呂から出た。

 というか、逃げたんだけど。

 

   ※

 

 浴衣姿になると、俺は更衣室を出て元の道を辿る。

 エレベーターを使って、二階に降り、ゲームセンターと売店が見えたところで、スマホのベルが鳴る。

 アイドル声優の『YUIKA』ちゃんの可愛らしい歌声……耳の穴から身体癒されるぅ~

 じゃなかったと、着信名を確認すると、古賀 アンナ。

 

「ん!?」

 

 思わず、スマホの画面を二度見してしまった。

 だって今、俺たちがいるのは、福岡県から遠く離れた街、大分県別府だ。

 古賀 ミハイルがここにいるのは、わかる。

 だが、アンナはこの場にいない設定のはずだ。設定上。

 

 とりあえず、電話に出てみる。

「もしもし?」

『あっ、タッくん☆ アンナだよ、久しぶり~☆』

 偉くテンションが高いな。

「ああ、久しぶりだな。どうした? 取材の件か?」

『うん☆ 取材しよ! 今から……』

「は? アンナ、悪いが俺は今、別府に来ていて……』

 言いかけている途中で、眼前がブラックアウトする。

 そして、少し冷たくて柔らかい感触を感じた。

 甘い石鹸の香り……。

 

「だーれだっ!?」

 

 今日日、やらない行為だな。

 

「まさか……アンナか」

「せーいっかい☆」

 俺が当てたご褒美に、視界が解放される。

 瞼をこすってみる。

 そこには、正真正銘の金髪美少女が立っていた。

 

 長い金色の美しい髪を、肩から揺らせて。

 頭には大きなピンクのリボンのカチューシャ。

 上から真っ白なノースリーブのブラウス。

 パールバックルベルトがついたミニ丈のフレアスカート。

 白くて透き通るような細い脚を拝める。

 足もとは、温泉には似合わないガーリーなデザインのリボンサンダル。

 

 間違いない。

 こんな天使はこの世に一人しか存在しない。

 俺の大事な取材対象、アンナだ。(♂)

 

「タッくん☆ 来ちゃった!」

「は……?」

 ちょっと、軽く脳内がパニックを起しているのだが?

 なぜ、一ツ橋高校の卒業旅行にアンナが参加しているのだ……。

 いや確かに、ミハイルが一緒なのはわかっている。

 彼女がこの学校の情報を知っていると言うのは、解せん。

 

「タッくん、ここで取材していこ☆」

「ちょ、ちょっと待て! アンナ、どうして、ここにいるんだ?」

 ここは設定を守らないと今後、おかしくなる。

「え……?」

 額から滝のような汗を吹き出す。

「だって、ここは別府だ。同級生のミハイルは来ているが、何故、部外者のアンナがホテルにいる?」

 そうじゃなきゃ、アンナちゃんストーカー説。

「そ、それはね……そう! ヴィッキーちゃんに教えてもらったからだよ☆ だから、ミーシャちゃんと一緒に来たの! ば、バスは別だったけどね……」

 なんと苦しい言い訳だ。

「なるほどな。だが、今もう夜の9時だぞ? アンナ、今日はどこに泊まるんだ?」

「ミーシャちゃんと同じ部屋だよ☆」

 ファッ!?

 

 全て、謎は解けたぞ!

 松乃井ホテルに着いた時、俺が宗像先生に、ミハイルの部屋を訊ねたら……。

『ああん? 古賀のことか。あいつは家族と一緒に泊まるって言うから、事前に部屋を決めておいたぞ』

 と語っていた。

 そして、登校時、異常に大きなリュックサックの中身は、この為だったのか!?

 

 

「ふむ……了解した。じゃあ取材と行くか」

「うん☆ タッくん、イルミネーションに観に行こうよ!」

「ああ」

 

 まったく、困った取材相手だな。

 

   ※

 

 俺とアンナは仲良く、ホテルのバスに乗り、長い坂道を下っていく。

 外はもう真っ暗だが一際目立つ、煌びやかなイルミネーションが見えてきた。

 松乃井ホテルの道路沿いに、キラキラと輝くライトアップされた美しい木々。

 それに光りのトンネルや、お姫様が乗っていそうなかぼちゃの馬車。

 可愛らしいクマさんやウサギさんがお出迎え。

 

 色とりどりの鮮やかなイルミネーションが作りだしたこの場所は、まるで別世界。

 日本ではない、ファンタジーの世界に迷い込んでしまう錯覚を覚える。

 

 バスから降りると、アンナが俺の手を引っ張って、駆け寄る。

「タッくん、見て見てぇ! すごく、キレイだよ~☆」

「あ、ああ。確かに壮観だな……」

 俺はイルミネーションよりも、その灯りに負けないぐらいに輝いている彼女のグリーンアイズに見惚れていた。

 なんだか、変な気持ちになってきた。

 

 リキが言っていたように、女が非日常的な光景に弱いってやつは、本当のことなのかもしれない……。

 今日はホテルも背後にある。

 あれ、俺ってば、今宵、童貞を捨てられるフラグ立っちゃった?

 いや……無理だって。相手は男だよ。

 

 煩悩を振り払うために、頭を左右にブンブンと強く振り回す。

 

「タッくん? どうしたの? 調子悪い?」

「いや、別府にまで、アンナと一緒に来れて……感激していたんだよ」

「そっかぁ☆ アンナも同じ気持ちだよ☆」

 小悪魔的な笑顔を魅せてくる。

 イケるの? 『いいよ』って合図出してるんの?

 ど、ど、どうしよう……『大事なもの』も用意してないし……。

 

 

 俺は一人頭を抱え、脳内で理性と野生が壮絶な戦いを繰り広げる。

 その場で、ジタバタしていると、誰かが俺たちに声をかけてきた。

 

「お~う、琢人じゃねーか!」

 

 光りのトンネルの奥に、かぼちゃの馬車の前で、一人の男が見えた。

 長テーブルの上には、大きなクーラーボックスが何個も置いてある。

 そして、テーブル下に白いのれんがかかっている。

 

『美味しくて冷たいアイス販売中♪ トッピング豊富♪ お肌にも優しいオーガニック』

 

 そんな健康的な文言とは、似合わない販売員がテーブルの後ろに立っている。

 ストライプに刈り上げた坊主頭に、両腕に龍と虎のタトゥー。

 間違いない。見た目シャブ中の売人。善良な福岡市民の夜臼先輩だ。

 

「わぁ、アイスだって! 美味しそう☆ タッくん、一緒に食べようよ☆」

「え、ちょっ……」

 アンナに手を引っ張られて、光りのトンネルを通り抜ける。

 

 その先で、夜臼先輩は、怪しく微笑んでいる。

 可愛らしいアイスのプリントされたエプロンをかけているのだが、余計に誤解されやすい。

 

 だが、俺は戸惑っていた。

 それは、今隣りにいるのが、古賀 アンナだからだ。

 ミハイルを知っている人物に出会えば、女装しているとはいえ、正体がバレるのではないか……。

 それだけは、避けたい。

 彼女を傷つけたくないから。

 

「ヘッヘヘヘ……琢人も隅におけねぇじゃねーか? 童貞だと思ってたけど、こんなカワイイ彼女がいるんなんてよ、ウッヒヒヒ!」

 笑い方が怖い!

 俺の心配は必要なかったようだ。

「カワイイだなんて~☆ うれしい~」

 恥ずかしがる女装少年。

「あ、いや。彼女ではないですよ……」

 一応、弁解しておく。

 

「はぁ? 琢人……おめぇ、女の子に恥をかかせる気か! 俺りゃあ、そういう中途半端な野郎が大嫌いなんだよ!」

 珍しく怒られちゃったよ。

「す、すみません。今、まだ彼氏彼女未満みたいな関係でして……」

「ほーう。そうかぁ……なら、好都合だべ!」

「え?」

「俺りゃあのアイスを食ってきな! この一つのアイスを二人で仲良くイルミネーション見ながら食えば……ヒッヒヒ。飛ぶぜ? 天国へな」

 ドヤ顔してるけど、ただのお節介なおじさんじゃん。

 

 夜臼先輩を見ても物怖じせず、アンナは注文を始める。

「えっと、アンナはチョコアイスが好きだけど、タッくんはバニラが好きだから……」

「アンナちゃんって言うのか? ヒッヒヒ……カワイイ顔して、経験済みなのか。こりゃあ、売人の血が騒ぐってもんだ」

 アイスのね。

「俺りゃあ、琢人のダチでよ。夜臼 太一ってんだ。よろしくな、アンナちゃん。ウッヒヒヒ」

 なんで一々、この人の喋り方って誤解を招くのだろう。

「あ、古賀 アンナって言います。ミーシャちゃんのいとこです☆」

「ほぅ、ミハイルの親戚か。なら、サービスだぜぇ。チョコとバニラを一つのコーンにダブルでいいかぁ? ヘッヘヘヘ、これなら、仲良く食べれるぜぇ?」

「じゃあ、それでお願いします☆ 夜臼先輩☆」

「ウッヒヒヒ、琢人。いい子じゃねーか」

 あんたもいい人だね。

 

「あとよ、新作も売ってんだぜ? ヘッヘヘヘ……乾燥させた『野菜』だぁ、ウッヒヒヒ!」

 そう言って、テーブルの下から出したのは、確かに乾燥野菜のニンジン、オクラ、レンコン、トマトなどなど。

「野菜本来の甘みだからよぉ、太りにくいし、健康的でよぉ。お肌にもいいんだぜぇ~ 今なら安くしてやるよぉ~ 末端価格にして100グラム88円だぜ、ヘッヘヘヘ!」

 正当な価格では?

「お肌にいいんですかぁ☆ じゃあ、おみやげに1キロください☆」

 交渉成立しちゃった、合法的に。

 



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208 このあと、美味しくいただきました!

 

 夜臼先輩から、合法的に買い物を済ませた俺とアンナは、仲良くかぼちゃの馬車の前で、アイスを食べることにした。

 一つのアイスを交代でパクッと食べては、相手に「ハイッ」と口に向ける。

 あれ……普通に、間接キスどころか。唾液交換してない?

 な、なんだか、興奮してきた。

 

 アンナと言えば、そんな俺のやましい気持ちなど知らず……。

 イルミネーションを子供のように、喜んで見ている。

「キレイだねぇ、タッくん……。なんか『夢の国』の世界みたい~☆ こんな景色を見ながら、タッくんと一緒にアイス食べれて、幸せぇ☆」

 そう言いながら、視線は落とさず。

「ペロッ、んふっ。ペロペロッ……ごっくん!」

 というエロい咀嚼音。

 

 ヤバいヤバい、俺の理性さんがどこかに旅立ちそうだぁ!

 アイスは夜臼先輩の計らいで、左側がチョコ、右側がバニラだ。

 だが、アンナの視線は、イルミネーションに釘付けのため、『境界線』からはみ出て、食べてしまう。

 真っ白なバニラのクリームに、赤い口紅の色が混ざる。

 

 こ、これは!

 自然現象によって起きたラズベリーアイスだ。

 

 思わず、生唾を飲み込む。

 

「ハイッ。タッくんの番だよ?」

 コーンを口元に近づけるアンナ。

「ああ。い、いただきますぅ!」

 なぜか敬語でかぶりつく。

 舌の中でとろけるバニラクリームと、ほのかに残るルージュの香り……。

 なんてこった。

 超おいし~♪

 

「どうしたの、タッくん? やけに嬉しそうだね?」

 見透かされたように感じたので、咳払いでごまかす。

「お、おっほん! いやぁ、幻想的な夜景と共に、食べるアイスは格別だと思ってな。小説の取材に使えそうだ」

 そして、俺のおかずにも!

「なら良かったぁ☆ アンナも一緒に来た甲斐があったよぉ」

 無邪気に笑う彼女に、妙な罪悪感を感じる。

 

   ※

 

 アイスを食べ終えて、しばらくイルミネーションを眺めたあと、俺たちはホテルの中に入った。

 ホテルにも土産屋が数件あって、アンナが見ていきたい、と言ったからだ。

 彼女は店の中で、主にお菓子やぬいぐるみなどを物色していた。

 俺と言えば、こういうのにあまり興味がないから、ちょっと離れた場所から、アンナを見つめている。

 

 ふと、振り返ると、ロビーが目に入る。

 

 夜の10時を過ぎたせいか、辺りは静まり返っていた。

 フロントも夜勤のスタッフが一人いるぐらい。

 客はみんな自室に戻ったのかも。

 

 そう考えていると、二人の人影が目に入る。

 フロントの反対側にチェックインなどの際に、客が待機するスペースがある。

 ソファーがいくつもあって、そこで受付や会計を待つ時に使うものだ。

 

 今は夜遅いから、もう客などいないのだが。

 

 浴衣姿の男女が二人。

 スキンヘッドの大男とショートボブの小柄な女。

 少し離れた距離で、肩を並べて座っている。

 

「ん、あれ。リキとほのかじゃないか……」

 

 そう呟くと、いきなり背後から誰かが囁く。

 

「ホントだ……リキじゃん」

 

 振り返れば、怪しく微笑むアンナが。

 

「アンナ? お前、なんでリキの名前を知っている?」

 さりげなく、突っ込んでおく。

 俺の問いにうろたえだすアンナ。

「え、え、え? リキくんのことは、ミーシャちゃんから聞いてるから、ね。面識はないけど、昔から友達だって……」

「なるほど」

 そういうことにしておいてやるか。

 

 ということで、今から俺たちは、『ステルスミッション』を開始するのであった。

 



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209 ヤンキー、腐女子に告白してみた

 

 成り行きで、俺とアンナは、後ろから、一連の行動を見届けることにした。

 というか、アンナが悪ノリして「ねぇ、あの二人。いい感じだって、ミーシャちゃんから聞いたよ☆ 応援してあげようよ☆」と提案したからだ。

 だから、今の俺たちは、大きな柱の裏で姿を隠している。

 首だけ出して。

 上からアンナ、俺の順番で、目の前のソファーをのぞきこむ。

 完璧ストーカーじゃん。

 

 

「あの、千鳥くん……。話ってなに?」

 どことなく、ぎこちないほのか。

 それに対して、リキは前のめりで興奮した様子だ。

「わ、わりぃな。ほのかちゃん。こんな夜中に呼び出してよ」

 ツルツルのスキンヘッドが汗ばんでいて、蛍光灯の明かりに照らされる。

 ピカピカでよく目立つ。

「いいけど……」

 いつものほのかとは、どこか様子が違う。

 なにか警戒してるように見える。

 

 

「いけいけっ! 今だよ、リキくん☆」

 頭上でめっちゃ楽しそうなアンナちゃん。

「しかし、この感じ。まだ時ではないんじゃないか?」

「ダメだよ、タッくん! そんな弱気じゃあ! この恋、絶対に死んでも、相手を殺してでも成就させないと!」

「え……」

 それ、もう心中じゃん。

 死んだら相思相愛になれないでしょ。

 彼女の発言に呆れはしたが、俺も見ていてドキドキしてきた。

 他人が告白するシーンなんて、滅多に拝めないからな。

 

 

「あの……そのよ。俺、実は一ツ橋高校に入ってさ。あんまり、自信なかったんだよ。この高校にずっといれるかってさ。前の高校はケンカで中退しちゃって……」

 うわぁ、なんか思ったより、重めな感じの告白だわ。

 てか、ケンカで退学かよ。マジでヤンキーじゃん。

「うん」

「でも、ほのかちゃんと出会って、学校が楽しくてさ。ちょっとずつだけど、勉強とかスクリーングもやる気出てさ。卒業まで頑張れそうなんだよ……だからさ、だから……」

 男らしくねぇな。バシッと言っちまえよ。

「うん……」

 ほのかのテンションはどこか落ちているな。

 嫌な予感がする。

「ああ、ごめん! 俺、ちょっとなに言っているか、わかんねーよな……」

「私も中退したから、気持ちはわかるよ」

 真剣な顔でリキを見つめるほのか。

 だが、彼も負けじと、じっと見つめ返す。

 

「シンプルに言うわ! 俺、ほのかちゃんが好きだ! もし良かったら、付き合って欲しい!」

「……」

 

 

 静まり返るロビー。

 なんだ? こっちにまで重たい空気が漂ってくる。

 真夏だというのに、急に寒気が。

 

 

 リキの男らしい告白に、黙ってうつむくほのか。

「どうかな? ダチからでもいいんだ?」

 沈黙が続くためか、彼は場を和ませようと必死だ。

「……あのね、嬉しいんだけど」

 視線は床に落としたまま、喋り出すほのか。

「う、うん! お、俺じゃ、やっぱりダメかな?」

「この際だから、千鳥くんにもハッキリ伝えておくね……」

 そう呟くと、何を思ったのか、彼女は急に立ち上がる。

 ソファーに残されたリキは、驚いた顔でほのかを見上げていた。

「え?」

 

「私ね……ずっと黙っていたの。宗像先生。琢人くんやミハイルくん。あの人たちには、なぜか自然と本当の自分をさらけ出していられるけど。普段は、隠しているの」

「な、なにを?」

 グッと拳を作ると、ソファーに座っているリキを鋭い目つきで睨みつけた。

 

「私は……今。夢で忙しいの! 絡めることしか、考えてないの!」

「か、からめる? えっ? えっ……」

 言葉の意味を理解できてないリキ兄貴。

 

 

 柱の後ろで聞いていた俺も思わず……。

「ブフーーーッ!」

 大量の唾を吹き出してしまった。

 なに言ってんだ、ほのかのやつ。

 あれじゃ、断ったことに気がついてないぞ!

 

 俺とは違い、アンナは至って冷静で。

「チッ! 失敗しやがって、リキめ」

 おいおい、ミハイルくんが漏れてるよ。

 

 

 腐女子をカミングアウトしたほのかの目に、生気が湧き出す。

「千鳥くんには悪いけど、私。ショタっ子とおじさんでめっちゃ忙しいの!」

 そう言い残すと、彼女は満面の笑みで、その場を去っていった。

「え、え、え? どういうこと?」

 一人取り残されたリキは、困惑した様子で、やんわり断られたことに気がついてない。

 

 ほのかがこちらに近づいてきたので、俺はアンナの手を引っ張って、別の柱にコソコソと逃げ移る。

 エレベーターに向っていくほのかを、確認し終えると、リキの後ろ姿が目に入った。

 

「からめる? キャラメルのことか? しょうた? おじさん? なんなんだ?」

 リキ兄貴、かわいそう!

 

 だが、ここで俺が声をかけるのも、なんだか彼のプライドを傷つけそうだ。

 そっとしておこう……と、思ったら、隣りにいたアンナが、ずいっと身を乗り出す。

 なにを思ったのか、リキの方向へとツカツカと音を当てて、歩き始めた。

 

 

「ねぇ、リキくん」

「え……だれ?」

 真っ青な顔したリキに対して、アンナは優しく微笑む。

 てか、マブダチのくせに、女装がバレてない。

「はじめまして。私、古賀 アンナって言います。ミーシャちゃんのいとこです」

 ファッ!?

 あいつ、自ら墓穴堀りに行きやがった。

 

 予想外の行動に俺もソファーに駆け寄る。

 急いで止めないと、アンナの正体がバレてしまう。

 

「おい、アンナ! リキとは初対面だろ? 失礼じゃないか……」

 設定を守れよ、と彼女の肩を掴むが、逆に冷たい視線で睨みかえされた。

「タッくんは黙ってて」

「は、はい」

 こ、怖えぇ……。

 

 

「俺、フラれたのかな……」

 ツルピカ頭を抱え込む剛腕のリキ。

「ううん! まだフラれてないよ☆」

 ファッ!?

 嘘つく気かよ。そこまでして、あの二人をくっつけたいのか!

「え、マジなの。アンナちゃん?」

「同じ女の子だから、あの子が言っていた意味がわかるよ☆」

 お前は男だろ!

「ほ、本当に?」

 すがるようにアンナの手を掴む、リキ。

「大丈夫、安心して☆ あの子が言いたいのは『絡めたい』てこと、つまり男同士の恋愛マンガを描きたいから、今は忙しいってことなんだよ☆」

 間違ってはないけど……。

 

「つまり、どういうことなんだ?」

「リキくんが取材をすればいいんだよ☆ あの子が喜ぶこと」

「やるよ、なんでもやるから、頼む! 教えてくれ!」

「それはね……リキくんが知らないおじさんと仲良くなることだよ☆」

 

 もうやめてあげてよ、俺のマブダチなんだからさ。

 



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210 男の娘VSギャル

 

 超絶腐女子の北神 ほのかに告白して、無惨に散ってしまった千鳥 力だったが。

 なんとマブダチであるミハイル。いや正体を隠している女装男子アンナちゃんから、

「まだチャンスはあるよ☆ 取材してあげたらいいんだよ☆」

 と優しく彼の手を握る。

 

 取材と言っても、彼女のいう取材とは、ほのかの描くBLマンガのために『同性愛』。

 つまり、リキ自身が見知らぬ、おじさまと仲良しすれば、きっと腐女子の彼女は振り向いてくれる。

 そう提案したのだ。

 

 理解できていな当のリキと言えば、希望を見出したかのように、瞳をキラキラと輝かせる。

「ありがとな! アンナちゃん! 俺も取材を頑張ってみるぜ!」

 やる気出すなよ、リキの兄貴……。

「うん☆ リキくんなら絶対ほのかちゃんと恋仲になれるよ☆ ていうか結婚できると思うの☆」

 生涯、苦労すること間違いなし。

「おお! じゃあ、さっそく取材のために、なにをすればいいかな?」

 すると、アンナは俺の方を見つめる。

 怪しく微笑んで。

「タッくん☆ 教えてあげてね」

「は、はい!」

 目が笑ってないから、怖すぎる。

 

 とりあえず、俺はリキと携帯電話の番号とメルアドを交換し、後日連絡するとだけ言っておいた。

 あんまり関わりたくないけど……。

 

   ※

 

 意気投合したリキとアンナは、両手で握手を交わし、

「お互い頑張ろうぜ!」

「頑張ろうね☆」

 なんて男同士の友情が深まってしまう。(女装してるやつと)

 

 リキは嬉しそうにエレベーターで自身の部屋に戻っていく。

 

 二人になった途端、アンナは俺の顔をじっと見つめる。

 いつもの優しい彼女に戻っていた。

「タッくん。今からどうしよっか?」

「ああ……どうするかな……」

 

 その時だった。

 背後に人影を感じたのは。

 

「あれぇ~? オタッキーじゃ~ん!」

 

 振り返ると、そこには伝説のヤンキーの一人。

 どビッチのここあこと、花鶴 ここあだ。

 

「は、花鶴!?」

 動揺を隠せない。

 なぜなら、俺の隣りに、彼女の親友でもあるミハイルが女装して立っているからだ。

 だが……先ほど、リキの前では、アンナの正体はバレていなかったな。

 今回もやり過ごせるのでは?

 

「あ、ここあ……」

 思わず、口からこぼれてしまう。

 俺に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声だったが、完全に素のミハイル。

 

「ん~ 隣りの子って……」

 マジマジとアンナを眺めるここあ。

 上から下まで。

 

 アンナと言えば、額から尋常じゃないぐらい大量の汗を吹き出している。

 

「あ、あ、ども~ わ、私。ミーシャちゃんのいとこで、古賀 アンナって言います~」

 緊張からか、声が裏返っている。

「はぁ? ミーシャのいとこ? あーしさ。ミーシャとすっごい長い仲なんだけど。聞いたことないよ」

 睨みをきかせ、背の低いアンナに目線をあわせるため、腰を曲げて、彼女の顔を覗き込む。

「え、えっと……その。私は、遠くに住んでいたから、ここあちゃんも知らなかったんだと思う、よ?」

 なぜ疑問形。

「ああん? あんたさ。あーしをなめてない?」

 日頃バカそうな花鶴にしては、かなり苛立っているように見える。

 それに脅えるアンナ。

「な、なめてない! なめてないよ!」

 小さな顔を左右にブンブン振り回して、否定する。

「大体さ、なんであーしの名前を知ってんの? おかしくない?」

 正論だ。自ら墓穴を掘ったな。

 設定がたまに壊れちゃうんです。うちのアンナちゃん。

 

「いや……これは違くて。ミーシャちゃんに話を聞いてたから……」

 頭がバグッてるぐらい挙動不審だ。

 こんなアンナ初めて見るかも。

「ていうかさ。ミーシャにそっくりじゃん! 双子? 隠し子? あーし、今度ヴィッキーちゃんに聞いてもいい?」

「ダ、ダメぇ!」

 この時だけは、強く反論する。

 そりゃそうだろうな。

 

「ふーん……なんかさ。あんたって、胡散臭いんだよ」

 目を細めて、マブダチのグリーンアイズをじっと見つめる。

「く、臭い?」

 意味を履き違えている。

「うん。なんつーのかな……童貞が考えたテンプレの痛い女? ブリブリ女て感じ?」

 酷い!

 だが的を得ている!

 だって、俺の願望が詰まった理想の女性像なんだもん……。

「そ、そんなぁ……」

 半泣き状態のアンナちゃん。

「服もさ、男に媚びつくした甘々ファッションだし、メイクも気に入らないっしょ。てか温泉に来てんのに、ヒールの高いサンダルってバカ丸出しじゃん。清楚系ビッチって感じっしょ」

 どビッチに言われちゃ、おしまいですよ。

「酷い! ここあちゃん!」

 あまりにも辛口過ぎて泣いちゃった。

「あーしってダチ以外には優しくできないから!」

 いや、マブダチが目の前いるでしょ。

「ぐすん……」

「ていうか。マジで偽物ぽいわ……。あんたマジでミーシャのなんなの? ミーシャ、泣かしたら殺すからね?」

 ドスの聞いた声で睨みをきかせる。

 ていうか、本人を泣かせたのは、君だよ?

「うわぁん! ここあちゃん、最低! もうタッくん、いこっ!」

 泣き出したアンナは俺の手を掴むと、ロビーから逃げ去る。

「ちょっ! まだ話は終わってないっしょ!」

 花鶴を無視して、エレベーターに入りこむ。

 

 なにも出来ずにいた俺は、彼女の身を案じた。

「す、すまない。アンナ……俺のクラスメイトが酷いことを言ってしまって。でも気にするな。アンナのファッションや優しい性格は、誰よりも俺がよくわかっているつもりだ。もう泣くな」

「う、うん……あの子、まだロビーにいるよね? 怖いから、タッくん。アンナの部屋まで一緒に来て……」

「了解した。って、えぇ?」

 部屋に入るのか……。

 間違いはないように心がけよう。

 股間の方は正直になりつつあるが。

 



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211 ワン・ナイト・ラブ

 

 チーン! とエレベーターのチャイムが目的地に着いたことをお知らせ。

 俺は心臓がバクバク。

 だって、これからアンナちゃんの自室へとお邪魔するから。

 

 そんなことを知ってか知らずか。

 当の本人は鼻歌交じりに俺の手を掴み、廊下を歩き出す。

 

「タッくん。アンナの部屋は一番奥だよ☆」

 なんて優しく微笑むから、俺は期待しちゃう。

 いや、しちゃダメだろ!

 しっかりするんだ、俺の理性くん!

 相手は男だ、ミハイルだ、ヤンキー野郎……と思いながらも、彼女の横顔を見つめると。

「どうしたの? タッくん。あ、そうだ! 部屋に入ったら、気持ちいいことしてあげよっか?」

「えぇ!? キモチイイことぉ!?」

 思わず、声が裏返る。

「うん。とっても気持ちいいこと☆ アンナ、最近色々勉強しててね。タッくんのために☆」

 とウインクされてしまった。

 

 その勉強ってまさか……。

 生唾ゴックン!

 

 

 長い廊下を二人で歩いていると、夜も遅いせいか、周りの部屋から宿泊客の声がドアの奥から漏れてきた。

 

「あぁ! 温泉でもシタくせにぃ~ 元気ぃ~」

「ハァハァ……この日のため一ヶ月は禁欲していたんだ。寝かせないぜ!」

 

 ん? あれ、さっきスパで見かけたカップルか?

 生々しい!

 

 と腸が煮えくり返っていると……。

 

「Yes~! come on~! Ran! You are the best whore!」(いい~! 来てぇ、蘭! 君は最高の娼婦だ!)

 英語?

「ハハハッ! この白ブタが! もっと欲しいか!? なら私の名前を呼びな!」

「Ran! Pay for money! Give it to me more!」(蘭! 金なら払うよ! もっと欲しい!)

「なんだとコノヤロ~! だから日本語で話せってんだろが! バカヤロ~!」

 

 気になった客室の前で、立ち止まる。

 偶然にも、ドアは少しだけ隙間が開いていた。

 

 俺は好奇心から、覗いてしまう。

 

 部屋の中には、ブラジャーとパンティ姿の娼婦……じゃなかった宗像先生。

 なぜかハイヒールでベッドに立っている。

 手には男性もののベルト。

 ベッドには、白人の外人男性が仰向けに寝かせられている。パンツ一丁で。

 なぜか腕と足は荒紐で動けないように縛りあげられていた。

 

 宗像先生がベルトをムチのようにして、彼の腹に振り降ろす。

 パーン! と音を立てる。聞いているだけでも、痛そう。

 

「ハハハッ! これがいいのか? 変態野郎が!」

 という先生もなんだか嬉しそうだ。

「I'm a pervert!」(僕は変態です!)

 相手も相手で、痛そうにしているけど、めっちゃ笑っている。

 

 ベッドの近くにあったテーブルには、福沢諭吉が三人も並べられていた。

 多分、チップなんだろう。

 

 宗像先生って、もうガチのビッチに転職してしまったのか……。

 良かった良かった、教師よりこっちの方が向いていると思う。

 

 ドアを覗きながら黙って頷く。

 すると、アンナが背後から声をかけてきた。

 

「なにやってんの、タッくん? 早くアンナの部屋に行こうよ?」

「ああ……そうだったな」

 ヤベッ、俺もこのあと、なんかすごく気持ちいいことされるんだったね。

 とりあえず、シャワーは浴びておかないと。

 あ、パンツ。宗像先生のレースパンティのままだったよ……。

 



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212 ベッドイン!

 

  

 ガチャンと音を立てて、扉がゆっくり開く。

 俺は心臓が破裂しそうなぐらい、ドキドキしている。

 

 アンナは特にいつもと変わらない様子で、

「さ、タッくん入って」

 と部屋へ誘う。

 

「あぁ……本当にいいのか?」

「なにが? アンナが良いって言うんだから、いいんだよ☆ 今から気持ち良くしてあげるからベッドに横になってみて☆」

「りょ、了解した……」

 ぎこちなく、部屋の中に入る。

 テーブルの上には、アンナが利用していると思われるコスメグッズやアクセサリーなどが並べられていた。

 うわぁい! 女の子の部屋だぁ~ 生まれて初めてぇ~

 と思ったが、男だった……。

 

 浴衣姿のまま、ダブルベッドにゆっくりと腰を下ろす。

 ふとアンナを見れば、「フンフン~」と鼻歌を口ずさみ、金色の長い髪をシュシュで纏めていた。

 うなじがとても色っぽく感じる。

 

 そうか、ついに時が来たのか。

 俺、童貞卒業できるんだ。

 

 覚悟を決めて、腰の帯をするりと外し、浴衣を床に投げ捨てる。

 パンツはもうパンパンだ。

 

 よし、ドンと来い! と、ベッドに大の字になって寝転ぶ。

 

 するとそれを見たアンナが悲鳴をあげる。

「タッくん!? なんで裸になっているの?」

「え?」

「浴衣のままでいいって! なに考えているの!」

「だって気持ちいいことするんじゃ……ないのか?」

「マッサージは別に裸じゃなくても、できるでしょ! タッくんったらなにを勘違いしてたの?」

 と可愛く頬を膨らませる。

 

 ただのマッサージなんかい!

 クソが!

 

 俺は憤りを隠せずにいた。

 そ、そりゃあ、勘違いした俺が悪いけどさ。

 気持ちいいことをするって、ベッドに寝て、とか言われたら、ピンクなこと考えちゃうじゃん。

 ぴえん。

 

 浴衣をもう一度着なおすと。

 アンナに「うつ伏せになって寝て」と言われた。

 

 俺は言われるがまま、枕に顔を埋める。

 

 確かに最近タイピングで肩がコリコリだから、マッサージもいいもんだな。

 しっかりとサービスを堪能させてもらおう。

 

「よいしょっと!」

 

 アンナが俺の腰に乗っかる。

「重くない?」

「ああ、軽すぎるぐらいだ」

「ふふ、じゃあ始めるね☆」

 そう言うと、彼女はまず首、肩から優しくほぐし始めた。

「気持ちいい?」

「ああ……最高だ」

 今日は馬鹿力をセーブできてるんですね。

「じゃあ次は腰だね」

 アンナがマッサージをするたびに、俺の浴衣が自然とはだけていく。

 徐々に上とあがり、素肌が露になってしまう。

 

 彼女はおかまいなしに、もみほぐす。

 俺の腰を小さな指で押すのに夢中。

 

 ここで気がつく。

 あれ? 今のアンナってスカートだよな?

 ていうことは、この背中に当たっているものは……。

 サテン生地の気持ちいい肌ざわり。

 ま、まさか! アンナのパンティ!?

 

 当の本人は気がつくこともなく、身体の向きを後ろに変えて、俺の太ももをほぐしまくる。

「どう? アンナ、タッくんのために通信教育で勉強してたんだよ☆」

「すごく……いいです」(パンティが)

「ふふ、変なタッくん☆ 今度は足つぼもしてあげる☆」

 となると、自然とアンナは俺の太ももにまたがる。

 あぁ! 太ももにゴリゴリ股を押し付けられる!

 なのに、あるはずのおてんてんが感じられない。

 ただ、ツルツルのパンティが最っ高です!

 



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213 タッくんの初めて、食べちゃお!

 

 もう……俺死にそう。

 なにがって、かれこれ30分間も太ももの上に、アンナちゃんの股間を押し付けられているからね。

「足つぼで体調とか分かるんだよ~☆ タッくんはやっぱり肩が調子悪いみたいだね。ガチゴチに固まっているのかなぁ? 執筆偉いね☆」

「……」

 固まっているのは、ベッドに深くブッ刺さった俺のナニかだよ。

 

 

「調子悪いなら、また肩をマッサージしようか?」

 そう言って態勢を前に戻す。

 くっ! もう少し、太ももでパンティを味わいたかったぜ!

 

「って……あれ? タッくん、なんかケガしてる?」

「ん、ケガだと?」

「なんかシミが……」

 俺はずっと枕に顔を埋めているから、彼女の顔をは見えない。

 どうやら、俺の浴衣に指で触れて、確かめているようだ。

「これ……血じゃない!?」

「え?」

 思わず振り返ってみると……。

 

 確かに腰のあたりに赤いシミが、浮かんでいた。

「大変! タッくん! ケガなら手当しないと! 早く浴衣脱いで!」

「あ、いや……」

 まずい。宗像先生の紫パンティ履いたまま、なんだよな。

 でも、ミハイルの時に「それでいいじゃん」的な発言頂いているし、構わないか。

「じゃあアンナが手当するから、タッくんはじっとしてて☆」

 そう言って、ゆっくりと優しく脱がせてくれた。

 しかし、ケガだと?

 覚えがないな。

 

 パンツ一丁になったところで、アンナは黙り込んでしまった。

「……」

 沈黙が不安で俺は彼女に声をかける。

「どうした、アンナ?」

 冷えきった声で囁く。

「本当に履いちゃったんだ……タクト。宗像センセーのパンツ……」

 み、ミハイルが出現しちゃったよ!

 めっちゃ怒ってるじゃん。話が違うよ。

 

 その後、軽く舌打ちしたあと、パンティーの紐をギュッと掴むと、勢いよく腰からかかとまで、素早く脱がせられた。いや、奪われたのだ。

 俺の大事なものまで引きちぎられそうなぐらいの素早さ、剛力で。

 

「いって!」

 手で股間を抑えながら、振り返って見ると。

 宗像先生のパンティーを右手でギュッと握りしめるアンナさんが目に入る。

 優しく微笑んではいるが、目が笑ってない。

 下から見ると悪魔のようだ。緑の瞳がギラッと光る。

 

「タッくん? 他の女の子のパンツは履いちゃダメでしょ?」

「は、はい……」

「じゃあこれはいらないよね? アンナがあとでトイレのゴミ箱に捨てておくから、タッくんは気にしないでね☆」

 ひ、酷い! 借りものなのに。

「いや、しかし。それは俺の担任教師の私物で……それに俺ノーパンになっちゃうぞ?」

「だから?」

 ニッコリ笑ってみせるアンナ様。

 これは反論すると、痛い目にあう。

「あ、ノーパンで帰ります……」

「いい子だね、タッくん☆ でも安心してね、アンナがあとで代わりのものを用意してあげる☆」

「は?」

 ミハイルのパンツでも出すのか?

 あいつのサイズじゃ、俺はきつそうだが。

 

 

「まあこの汚物は捨てておくとして……。タッくんのケガしたところ、どこかな?」

 やっといつもの優しいアンナちゃんに戻ってくれた。

「た、確かに……痛みは感じないのだが」

 二人して、キョロキョロと腰のあたりを探してみる。

「あ……タッくん。お尻から血が出てるよ」

 口に手を当てて絶句してしまうアンナ。

 言われて、臀部に触れてみると。

 ヌルッとした暖かい液体が……。

 

 ふと身体をベッドから、少し浮かせてみる。

 シーツが真っ赤になっていた。

 股間あたりから。

「……」

 一瞬にして、記憶が蘇る。

 そうだ。俺はうなぎ並みのごんぶとをリキの兄貴に、事故とはいえ、さきっちょをブチ込まれたんだった。

 

「タッくんって、痔持ちだったの?」

「いや……これは違うんだ」

 一筋の涙が頬を伝う。

「泣いているの? タッくん? 痛い?」

 心配して身を寄せてくるアンナ。

 だが、今はその優しさが、辛すぎる。

 

「すまん! ちょっと、ウォシュレットで洗ってくる!」

「あっ! 待ってよ、タッくんたら!」

 彼女を部屋に置いて、俺は泣きながらトイレへと走り去る。

 

 ドアの鍵を閉め、便座に腰を降ろして、ウォシュレットで洗い流す。

 

「俺……童貞捨てる前に……ううっ、処女を捧げちまったんだなぁ」

 トイレから出てくるまで、1時間を要した。

 



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214 等価交換

 

 お尻処女が逝ってしまったことに対し、俺は便座の上で手と手を合わせて黙とう……もちろん、号泣して。

 

 しばらくすると、扉がノックされた。

「タッくん? 大丈夫? そんなに痛いの?」

 アンナが心配そうに声をかけてくる。

「ふぅ……」

 よし気持ちの切り替えOK!

 張り切っていこう!

 

 便座から立ち上がって、扉越しに返事をしてみる。

「ああ。痛くないぞ。ちょっと驚いただけだ。問題ない」

 本当は大有りなんだけどね。

「そっか☆ じゃあ、代わりの着替えを渡したいから、ドアの鍵開けてくれる? 今のタッくんは……裸だろうから、アンナは目を瞑るね?」

 そう言えば、尻へのダメージばかり考慮していて、自分の身なりを気にしていなかった。

 まだ生まれたばかりの姿じゃないか。

「すまんな。今開けるよ」

 鍵を外しゆっくり扉を開く。

 

 アンナが廊下に立っていた。

 いつもキラキラと輝くグリーンアイズは、ぎゅっと瞼で閉じてしまっている。

 そんなに俺の裸が嫌なのか?

 

 小さな両手には白いバスローブと……ん?

 ピンクのなにか、小さく丸く折りたたんでいるハンカチ?

 

「タッくん、これ使って。浴衣はもうシミが取れなかったし」

「ああ……じゃあ、トイレの中で着て来るよ」

「うん。その、渡したのって……まだ一回ぐらいしか、使ってないやつだし。洗濯もしているキレイなやつだから、気にしないでね。アンナだって、タッくんに他の女の子のを履かれたくないから……。仕方ないから、今回だけ特別だよ? 福岡に帰ったら、ソレ捨てていいから」

「ん?」

 頬を赤くしている。

 その姿からして、恥ずかしがっているのか?

 要領を得られないでいた俺は、首を傾げながら、とりあえず差し出された物を受け取り、再び扉を閉めた。

 

 ホテルのトイレはユニットバス式だったから、隣りにシャワールームがある。

 小さなカゴがあって、そこにアンナから受け取った物を置き、着替えを始めた。

 

 まずはバスローブを羽織ってみる。

 ノーパンで過ごせってことか……。

 まあ仕方ないか、なんてローブの紐を結ぼうとした瞬間。

 あるものに気がつく。

 もう一つの物体だ。

 ピンクの小さな丸くて柔らかい生地の……。

 カゴから手に取って、広げてみる。

 

「こ、これは!?」

 

 ピンクの可愛らしいリボン付き、正真正銘女の子のパンティーじゃあないか!

 アンナが頬を赤くしていた理由は、このことだったのか……。

 た、確かに、これは素晴らしい提案、いやカノジョ役には辛いことをさせてしまったな。

 しかし、ノーパンで福岡に帰るよりはマシだろう。

 

「よし、やるか」

 

 深呼吸した後、ゆっくりとうら若き女子のおパンツを足先からすぅーっと太ももまであげてみる。

 き、きつい……宗像先生の汚パンツとは違って、細すぎるウエストに、小桃サイズのヒップ。

 男の俺からしたら、ギチギチだ。

 

 腰まで全部履き終えると、なんとも言えない高揚感が湧き上がってくる。

 見慣れないリボンが股間の上にあり、下の生地はスイートピーがキレイに刺繍されている。

 男もののパンツなら、前面は余裕があるはずだが、これは締め付けられるぐらいのデザイン。

 痛い。だが、それも含んで、アンナに包まれているような優しさを感じてしまう。

 ふと、自身の尻を撫で回してみた。

 後ろの生地は前面と違い、サテンのようなツルツルとした生地で、なんとも肌触りが良く、とある誤解を生んでしまう。

 それは……。

 

「あれ。俺って今、間接的にアンナの尻を撫で回しているのでは?」

 

 そう思うと、胸がバクバクとうるさく高鳴る。

 鼻息が荒くなり、理性がブッ飛ぶ。

 

 自然と俺の股間がパンパンに膨れ上がろうとしたその瞬間、ギチィ~ッとアンナのパンティーがそれを強制的に抑え込む。

 

『いやぁ! タッくんたら、ダメェ~!』

 

 なんておパンツちゃんが叫んでいるようだった。

 

「ふぅ」

 さ、部屋に戻ろう。

 福岡に帰るのが楽しみだ。これは小説の取材した結果だ。

 資料としてちゃんと保管しておこう。

 



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215 君は男の娘の涙を見る……

 

 アンラッキー? なことに、俺はまたしても女物の下着を履くことになった。

 とりあえず、アンナが心配していたので、トイレからベッドに戻る。

 俺が「悪かったな、下着」と言うと、彼女は頬を赤らめて、視線を落とす。

「こ、今回だけだからね……帰ったら捨ててよね、絶対」

「了解した」

 絶対永久保存しとく。

 

 彼女は俺のことをすごく心配していたようで、とりあえず、尻はなにかぶつけたことにしておいた。

 そう説明すると安心して、またマッサージを続けたいと言われた。

 

 今度は仰向けに寝て、腕や脚を揉みほぐされる。

 手のひらのつぼや、指を一本ずつ関節ごとに優しく押してくれる。

「あぁ~」

 思わず、声がもれる。

 気持ち良すぎる。

「ふふ☆ タッくん気持ちいい?」

「アンナ、本当にうまいなぁ……」

 急に眠気が襲ってくる。

 ウトウトし始めること数分で、俺は寝落ちしてしまった。

 

 ~数時間後~

 

 スマホのアラームで目が覚める。

「しまった!」

 咄嗟に身を起すと、部屋には誰もいなかった。

 ベッドから立ち上がり、彼女の姿を探してみる。

 近くのローテーブルに一枚のメモが置いてあった。

 

 可愛らしいネッキーがプリントされたメモ紙。

『タッくんへ。気持ち良そうに寝ていたから、起さないでおくね。アンナは先に福岡に帰ってるよ☆ また取材しようね☆』

 

「そうか……悪い事したな」

 あれだけ長時間マッサージまでしてくれたというのに。

 別れも告げられなかったのか。

 

 ん? ということは、本体のミハイルはどこにいるんだ?

 スマホで現在の時刻を見れば、『7:32』

 朝食の時間だ。

 昨晩食べたレストランで、ビュッフェが用意されていると聞いた。

 この部屋にアンナがいないのなら、彼も今頃朝食を取りにいっているのだろう。

 

「俺もそろそろ飯を食いに行くか」

 と部屋を出る前に、尿意を感じた。

 トイレに向かう。

 

「ほわぁ~」

 あくびをしながら、ガチャンと扉を開く。

 

「あ」

 目の前にいたのは、ポニーテール姿のミハイル。

 便座に座っていた。

 俺と目が合うと、

「あぁ……」

 と嘆く。

 真っ青な顔で。

 

 俺も身動きが取れずにいた。

 ドアノブに手を回したまま、硬直している。

 当のミハイルと言えば。

 左手でトイレットペーパーを手に取り、右手で丸めている最中だった。

 いつも履いているショートパンツは、膝あたりまで降ろされている。

 もちろん、下着もだ。ライムグリーンのボクサーブリーフ。

 しかし、それよりも俺は、とあるものに釘付けになってしまう。

 

 それは彼の股間。

 一言で表現するならば、粉雪。

 草が一つも生えてない未開拓地。

 そこに真っ白な雪が積もり、キラキラと輝く。

 

 小さすぎる……手乗りぞうさん。

 15歳にしては、あまりにも矮小な短刀。

 か、カワイイ。

 

 気がつくとその言葉が、頭の中に浮かんだ。

 俺はノンケだし、バイセクシャルでもない。

 なのに、なんだ。この胸の高鳴りは……。

 

 こんなに小さくてパイテンなおてんてん、見たことないよ!

 可愛すぎる、ミハイルの!

 

 なにか似ている。

 はっ! わかった。

 博多銘菓の『白うさぎ』だ!

 

 紅白饅頭で、マシュマロと白あんで作られたうさぎの形の和菓子。

 もちろん、白い方だ。

 となればどこからか、聞こえてくる。

 あのCMの歌が。

 

『白うさぎ~ 白うさぎ~ あなたのお目めはなぜ青い~?』

 

 とここまでの体感時間、10分ぐらいなのだが。

 実際は、お互いに固まっていること、数秒に過ぎない。

 

 ミハイルは俺の顔を見て、咄嗟に太ももを内側に寄せ股間を隠す。

 驚きの表情から、顔を真っ赤にさせて、近くにあったものを俺目掛けて投げまくる。

「なに、開けたままにしてんだよ! 早く閉めろよ、タクトのバカバカッ!」

 石鹸や歯磨き、シャンプーのボトルなどが、次々と俺の顔面にブチ当たる。

 が、俺は未知の小動物を発見してしまったので、身動きが取れない。

「白うさぎ……」

「何言ってんだよ、バカッ! 早く出てけ!」

「ああ、すまん……白うさぎ」

 そう言って、トイレのドアを閉めた。

 

 閉めても未だに、扉の向こうからはミハイルの怒号がこちらにまで響き渡っている。

 しかし、彼の声が俺の耳に届いてくることはない。

 

「白うさぎ……白うさぎ」

 気がつけば、ずっと連呼していた。

 

 それからの意識は、ない。

 

 後々、ミハイルから聞いたが、俺の状態がおかしくて、ろくに歩けなかったらしい。

 朝食も彼に引っ張られて食べに行ったものの、ピクリとも動かないので、彼が献身的に介護したらしい。

「あーん」とスプーンを俺の口に寄せても。

「うさぎだぁ~ うさぎさん~」

 と笑っていたらしい。

 

 

 気がつくと、俺は福岡に帰っていた。

 心配したミハイルが自宅まで送ってくれたらしく。

 意識を取り戻したのは、次の日の朝だ。

 

 自室の学習デスクに紙袋が一つ置いてあった。

 博多銘菓『白うさぎ』

 

 妹のかなでが、俺に向かって訊ねる。

「おにーさま? やっと正気に戻りましたの?」

「はっ!? 俺は一体今までなにを……」

「ミーシャちゃんが心配してましたわよ。別府温泉に行ったのに、わざわざ博多銘菓の『白うさぎ』を買う買うっていう事を聞かなくて、困っていたらしいですわ」

「え、マジ?」

「はいですわ。帰って来てもずぅーっと、あれを食べてましたわね。普段食べないのに。5箱も食べてましたわ……」

「……」

 なんだか、急に胃が痛くなってきた。

 

 こうして俺の初めて旅行。

 そして、一ツ橋高校一年目の春学期は、無事に終業したのである。

 



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第二十七章 ひとりぼっちの夏休み ?
216 ラノベの発売日は、年二回ぐらい


 

 一ツ橋高校が終業して、一週間が経とうとしていた。

 今の俺と言えば、暇で暇で仕方ない。

 もちろん、仕事はしている。

 朝刊と夕刊の配達だけ。小説の方は、最近書いてない。

 勉強もない。夏休みの宿題なんて、バカ高校だから論外だ。

 

 入学する前は、あんなに勉強だとか、スクリーングとか、人に振り回されるのを嫌っていたのに。

 いざ、自分の時間が出来ると、退屈すぎて死にそうだ。

 

 唯一の楽しみと言えば、アンナやミハイルの写真をパソコンで整理しつつ、別府旅行でゲットしたパンティをクンカクンカすることぐらいだ。

 

 この日も夜な夜な1人で、アンナの香りを楽しんでいると……。

 

 しばらく、うんともすんとも言わなかったスマホが、急に鳴り響く。

 

「も、もしもし?」

『DOセンセイ! お久しぶりですって……なんか声が変じゃないですか?』

「は、はぁ?」

 声が裏返る。

『ひょっとして……自家発電の最中でした?』

「ち、ちげーし! 今小説の大事な資料を確認していただけだし!」

 間違ったことは何一つも言ってない。

 だって取材対象から提供してもらった資料のピンクパンティなのだから!

 

『そうですか。まあ童貞のセンセイの私生活とかどうでもいいっすわ。で、仕事の話なんですけどね』

 しれっと人格否定すな!

「ああ、この前送った原稿か?」

『はい。朗報ですよ! 編集長にも読んでもらって無事に許可がおり、出版決定となりました! あとは校正とか色々細かいチェック終われば、二か月後の9月ぐらいに書店に並びますよ!』

「えぇ……なんか出版まで早くね?」

 俺の他の作品なんて、打ち切りとか何回もボツにされたのに。

 

『そうなんですよ~ 編集長から私も褒められてましてぇ~』

 自分の功績のように嬉しそうに語るな。

 俺がどれだけ苦労して取材したと思っているんだ。

「へぇー」

『なんかあんまり嬉しそうじゃないですね?』

「別に……」

 なんで他の作品は褒めてくれないんだよぉ~!

 

『あとコミカライズも同時進行してますよ? 編集長がめっちゃ気に入ってて、ラブホのシーンとか胸キュンが止まらないって♪ もうあれです。“気にヤン”は博多社が総力をあげて宣伝しまくるそうですよ!』

 ファッ!?

 なんか急に恥ずかしくなってきた。ほぼ私小説だからね。

 

「そ、そうなの? コミカライズもしちゃうんだ……」

『ええ! 原作もコミックも売れたら、も~う止まりませんよ! アニメ化、ドラマ化も夢じゃありません! ついでにも映画化の話まで出ているんですから!』

「……」

 全世界に、俺と女装男子のイチャイチャが晒されるのかよ。

 生き恥じゃん。

 

『ということで、引き続きDOセンセイは取材と執筆を頑張ってください! あとはトマトさんが表紙と挿絵さえ描いたら、発売日を待つだけです!』

「そういえば、そうだったな」

 トマトさんがギャルの花鶴 ここあをモデルに、ヒロインのイラストにするとか、言ってたな。

 

『じゃあセンセイ。取材費なら経費で落としまくってやりますので、せっかくの夏休みなんだし、取材対象の方で、童貞でも捨てて来てくださいね♪』

「おまっ!」

 キレようとした瞬間、

「ブチッ!」と一方的に電話を切られてしまった。

 

 

「はぁ……」

 なんでこんなに私小説の方が人気でるかねぇ。

 

 ため息をつくのも束の間、再度電話が鳴り出す。

 

 着信名はアンナ。

「もしもし?」

『あっ、タッくん☆ 久しぶりだね!』

 いや一週間前にパンツくれたじゃん。

「ああ、別府以来だな」

『うん楽しかったね。ホテルの取材☆』

 その言い方だと俺と関係持っちゃってるみたいじゃん。

「まあな」

『ところで、タッくん。夏休みだよね? アンナと取材しよ!』

 気持ち良すぎるぐらいのグッドタイミングだ。

「おお、ちょうど編集から指示を出されたところだ。どこに行く?」

『ホント? じゃあ来週の大濠(おおほり)公園花火大会に取材しよ☆』

「花火大会かぁ……」

 子供の時に行ったきりで、最近はニュースでしか、映像を見ない。

 リア充どものイベントだと遠ざけていた。

『え、イヤなの?』

 受話器の向こう側から、不安そうな声が聞こえてきたので、即座に否定する。

「全然だ! 問題ない! むしろ久しぶりの花火大会にかなり期待しているぞ!」

『良かったぁ~☆ じゃあ来週にね☆』

「ああ約束だ」

 電話を切って、ふと気がつく。

 左手には未だにアンナのパンティを握っていたことに。

 

 ガチャンと自室の扉が開く音が聞こえた。

 妹のかなでが部屋に入ってきたのだ。

 

「おにーさま……とうとう下着ドロボーをされたんですの?」

「い、いや、これは違うからな? 貰い物だ」

「見損ないましたわ! ミーシャちゃんに告げ口してやりますわ!」

「そ、それは……やめておいたほうがいいと思うぞ……」

 だって、マジでくれた本人なのだから。

 



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217 いざ、花火大会へ

 

 花火大会、当日。

 俺は夕刊配達を終えると、シャワーで汗を流す。

 いつも通りの格好。タケノブルーのキマネチTシャツと着慣れたジーパンに着替える。 

 

 朝方、アンナからL●NEで連絡があり、

『午後5時の博多行き列車、3両目で待ち合わせよ☆』

 と約束した。

 

 地元の真島駅に向かうと、異様な光景が。

 カップルばっかり……。

 その他にも、女子中学生や女子高生らしき若い女子達が、みな色とりどりの浴衣を着て駅に集まっていた。

「クソッ、リア充共は死ね!」

 って毒を吐いてみたが。

 あれ? 俺って今年はデートしてない?

 と気がつく。

 いやいや、相手は女装男子。

 まだリア充ではない。

 

 

 駅のホームも夕方なのに、たくさんの若者でごった返していた。

 大半が浴衣女子。

 あとはそれにくっつく彼氏達。

 

 あまりの人混みに酔いそうになる。

 

 こんなに花火大会って人気なんだなぁと、初めて痛感した。

 

 しばらくして、博多行きの列車が見えてきた。

 だが、なんだか様子がおかしい。

 遅い。ホームに到着するからとはいえ、減速ってレベルじゃない。

 のろのろと、まるで老人の歩行速度だ。

 

 その原因は列車内の乗客だ。

 あまりの人の多さに、本来の列車の速度を出せないでいるようだ。

 車体がちょっと斜めに傾いている。

 

 やっとのことで、ホームに到着する。

 プシューと自動ドアが開けば、そこには地獄絵図が。

 人と人が絡み合うように、一切の隙間が与えず、ぎゅうぎゅう詰め。

 こんな満員電車見たことない。

 そして、真島駅には誰も降りないから、質が悪い。

 

「うう……」

「きつい……」

「乗るなら早く乗ってぇ……」

 

 なんてリア充共がほざく。

 

 乗れるのか、これ?

 とりあえず脚を進めるのだが、片脚が車内に入っただけで、それ以上は奥へと進めない。

 困っていると、後ろにいた浴衣女子たちに寄って、無理やり押し込まれる。

 

「むおおお!」

 

 首は天井を向き、右手はなぜか真っ直ぐ伸びて固まる。左手は後ろの誰かの尻に当たっている気がする。きっと男だろう。

 このまま発車するのか?

 

 と思った瞬間。

「タッくん! そこにいるの?」

 

 どこからか、アンナの声が聞こえてきた。

「ああ! ここだ。今日は仕方ないから、博多駅について落ち合わせよう」

 今も顔が変形してしまうぐらい圧迫されて、息苦しい。

 いつものように、仲良く二人で電車には乗れそうにない。

 だが、アンナはブレなかった。

 

「そんなのイヤァ! 初めての花火大会なんだから、二人で行くのぉ!」

 

 車内に響き渡るように叫び声をあげる。

 その直後、ドドッと人々が波のように倒れてしまった。

 もう一つ隣りのドアから、強制的に人々がホームへと叩き出される。

 

「グヘッ!」

「ぎゃあ!」

「痛い!」

 

 そして、残ったのは、1人の浴衣少女。

 

 長い金髪をお団子頭にして、桜のかんざしをさしている。

 紺色の浴衣には、かんざしと同様のピンクの桜が刺繍されていた。

 足もとは茶色の下駄。花尾はこれまた可愛らしい桜だ。

 

「タッくん! みんなが空けてくれたよ☆ こっちにおいでよ☆」

 ファッ!?

 

 お前が馬鹿力で叩き出したんだろ!

 犯罪だよ!

 

 ホームに倒れ込む人々を見ると、何人かの女子が膝をすりむいて、出血していた。

 

「えぇ……」

 

 さすがの俺もドン引き。

 

 俺の周りにいた客たちもバイオレンス美少女に震えあがる。

 こちら側はまだぎゅうぎゅう詰めだというのに、

「どうぞどうぞ」

 と俺をアンナの元へと道を開ける。

 いや、恐怖から無理やり押し出された。

 

「ふふっ、やっと二人になれたね☆」

 アンナが優しく微笑むと、プシューとドアが閉まる。

 あれだけの満員電車だったというのに、俺たちの空間だけ、ガラガラ。

「アンナ……」

「ん、なに?」

 キラキラと輝くグリーンアイズが今日も可愛い。

 だが、他人からしたら、恐怖でしかない。

「今度から花火大会に行くときは、タクシーで行こう……」

 



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218 カップルはどこでもイチャつきやがる

 

 重量オーバーなこともあり、電車はノロノロ運転で博多へと進んだ。

 いつもの倍の時間を要する。

 1時間ぐらいかかった。

 

 博多駅に着くと、そこから地下へと降りて、福岡市が運営する地下鉄に乗り込む。

 大濠公園駅で降りれば、あとは花火大会の会場まですぐだ。

 

 と、言いたいところだが、そうはいかない。

 

 俺とアンナが大濠公園駅で降りたが、一向に脚を進めることはない。

 いや、身動きが取れないのだ。

 

 列車から降りると、大勢の人々で駅から大行列。

 地下から出ることができない。

 それは他の人間も同様だ。

 一歩進んだと思ったら、また立ち止まる。それが延々繰り返される。

 地下から地上に出るまで、なんと45分もかかった。

 

「なんなんだ? 高々、花火ごときでこんなお祭り騒ぎなのか? バカじゃないのか、こいつら……」

 あまりにも時間がかかるので、俺はイライラしていた。

 それを見たアンナが、俺の肩に優しく触れる。

「タッくん。そんな怖い顔しちゃダメだよ☆ こういうのは、雰囲気を楽しまないと☆」

「楽しむ? これ苦行じゃないのか?」

 俺はこういうこと、未経験だから彼女の言う、楽しみ方とやらが理解できない。

 行列と言えば、コミケぐらいしか経験ないし。

 

「じゃあさ、こういうのはどう? 彼氏と彼女は仲良くしていると、どんな所でも二人の世界に入れるっていうの☆」

「は? つまり、どういうことだ?」

「こう、するの☆」

 何を思ったのか、アンナは俺の左手を握る。

 ただ手を繋ぐわけではない。

 互いの指と指を絡み合う手つなぎ。

 なっ!? こ、これは俗に言う恋人繋ぎというやつでは!?

 

 思わず頬が熱くなる。

「あ、アンナ!? いいのか、こんなことして?」

「だって、タッくんってさ。ドキドキする体験をしたら小説に使えるかなって☆ これも取材だよ☆」

 緑の瞳がキラリと輝く。

 繋いだ手をちょっと宙に上げて見せ、「ねっ?」と微笑む。

「ああ……確かに。待ち時間も二人なら楽しめてしまうのか、カップルてやつは」

「ふふ☆ あ、そろそろ公園が見えてきたよ」

 

   ※

 

 結局、博多駅を出てから会場に着くまで一時間半もかかった。

 で、肝心の会場である大濠公園なのだが。

 

 

 元々は福岡城の外堀であって、その城跡を再利用し、舞鶴(まいづる)公園と大濠(おおほり)公園として市民に長年愛されている。

 巨大な湖を中心にして、周辺に様々な施設が設置されている。

 ちょうど公園を一周すると二キロぐらいあるので、サイクリングやジョキングとしても利用されるし。

 春には桜並木が立派に咲き誇る。

 他にも池にボート。

 また、かの有名なマリリン・モンローが新婚旅行で立ち寄った老舗の高級レストランもあるらしい。

 

 と、ここまでは、歴史ある都市公園なのだが……。

 

 いつもなら、スタスタと中に入って、湖を泳ぐ留鳥や渡り鳥を目にするはずなのに。

 

「なにも見えん!」

 

 お祭りの醍醐味とも言える屋台ですら、近づけないほど、人混みでなにも見えない。

 背伸びしても、公園の内部が確認できない。

 

「はぁ……これじゃ、花火大会の取材にならんぞ」

 俺が愚痴を吐いていると、アンナが苦笑する。

「はは。仕方ないよ。それだけ、みんなこの花火大会が大好きなんだよ……」

「しかし、これじゃ花火を近場で見れんぞ?」

「う~ん……あ、あそこなら見れそうじゃない!」

 そう言ってアンナが指差したところは、湖からだいぶ離れた茂み。

 正直、暗いし蚊も飛んでいるし、ゴミも地面に転がっているし……。

 ムードなんて皆無だ。

 しかも、数日前に雨が降ったこともあって、芝生がちょっと濡れている。

 

「あそこから花火を見るのか?」

「うん☆ ほら、さっきも言ったけど、カップルはどこでも楽しめるでしょ☆」

 そう言ってウインクしてみせる。

「まあ、アンナがそう言うなら……」

 

   ※

 

 ドーン! と大きな音と共に、夜の空に煌びやかピンクの花が描かれる。

「たまや~ かぎや~」

 なんて叫べれるか!

 

 花火が遠すぎる。

 これなら、どっか近くの高層レストランで晩飯食ったほうが、キレイに見えるだろ。

 

「アンナ。なんかショボくないか?」

「ううん☆ そんなことない。大事なのは、タッくんと初めてきたこと。初めて見れたことなんだから」

 そう言って、瞼を閉じ、胸の前で手を組んで見せる。

 この空間を彼女なりに楽しんでいるようだ。

 

 しかし、かれこれ一時間ぐらい立って、花火を観ている。

 ちょっと疲れてきた。

 座りたいところだが、地面が汚い。

 

「お、そうだ」

 俺はジーパンの後ろポケットから、タケノブルーのハンカチを取り出し、芝生の上に置いてみる。

 そして、アンナに声をかける。

「なあ。疲れたろ? これに座ってくれ」

「え?」

「せっかくの浴衣が汚れちゃ、後味悪いだろ? 俺のハンカチは洗えばいいんだから」

 俺がそう言うと、アンナは遠慮がちに腰を下ろす。

 だが、その顔はどこか、嬉しそうだ。

 

「ありがと、タッくんって優しい☆」

「男として当然のことをしたまでだ。アンナは女の子だからな」

 しれっと紳士アピールしておく。

 

 って……あれ?

 隣りにいる浴衣美少女は、少年だったぁ!

 俺ってば、洗脳されてるぅ!

 



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219 ダブル・テイク

 

 かれこれ、花火を観ること、二時間ほどか。

 辺りは蚊が飛び交い、所々にビール缶が捨てられていて、少し酒臭い。

 最悪の花火大会じゃん!

 

 それにせっかく屋台もたくさんあるのに、近づくことさえできないでいる。

 スマホを見れば、現在『20:04』だ。

 いい加減、腹が減ってきた。

 

 アンナと言えば、俺のハンカチの上に小さなお尻をのせて、上空を満足そうに眺めている。

 見ていて、なんだか哀れだ。

 

「あ、アンナ。そう言えば、報告しておきたいことがあるんだ」

「ん? なんのこと?」

「その、おかげさまで単行本の販売が決まったんだ。9月ぐらいに発売されるらしい。今までたくさん取材に付き合ってくれたおかげだ。礼を言う」

 一応、頭を軽く下げておく。

 すると、彼女は自分のように喜んでくれた。

「ホント!? タッくんと取材した思い出がついに紙の本になるんだね! おめでとう☆ でも、アンナは特になにもしてないよ。書いたのはタッくんでしょ☆」

 なんて健気な女の子なんだ……って男の子だった!

 

「いや、アンナの取材がなければ、ここまで作品を仕上げることはできなかった」

「そ、そう? ふふ……嬉しい」

 頬を赤くして視線を落とす。

 だが、芝生はめっちゃ汚いけどな。

 

「なあ。ボチボチ腹が減らないか? 屋台で何か買いたいけど、この人出じゃ無理そうだ。夜もだいぶ遅いし、博多に戻って晩飯でも食わないか?」

 もう限界、今すぐ店を探したい!

「そ、そうだね。アンナも少しお腹空いてきたところ……」

 かなり我慢していたな。

 その証拠に花火の音をかき消すぐらい、腹からグーグー鳴ってうるさい。

「じゃ、行くか」

「うん☆」

 

  ※

 

 初めての花火大会はショボくて残念だったが、アンナが楽しそうにしていたから、良しとしよう。

 俺たちは足早に会場を跡にした。

 

 まだ会場に人々が残っているせいか、帰りの地下鉄は割と空いていた。

 博多駅について、店を探す。

 だが、どこも浴衣を着た若者やカップルで、普段ならすぐに入店できるレストランも満席。店の外に並べられたイスも埋っていてるし、その後ろにも行列が……。

 一時間以上は待たないと、入れない状態。

 

 こんな博多駅は初めて見た。

 どこを回っても、同じ。

 

 その間も、腹が減って仕方ない。

 あまりの空腹で頭が回らない。アンナもヘトヘトになっていた。

 お互い中身は10代の男子だからな。

 

「なあ、アンナ。博多駅内じゃ無理そうだ。ちょっと離れてもいいか?」

「う、うん……タッくんに任せるよ」

 こりゃ、もうすぐHP尽きそうだな。

 

 俺は近くの『はかた駅前通り』をまっすぐ進み、ちょっと人気のない通りに入り込む。

 そうだ。この裏通りは、以前に二人で取材した場所。

 例のラブホ通りだ。

 だが、今日の目的はホテルじゃない。

 俺の行きつけのラーメン屋。博多亭。

 

 ここは地元民でもなかなか発見できない隠れた名店だから、リア充共は寄り付かない。

 精々が仕事帰りの中年サラリーマンぐらいだ。

 

 長年の脂で汚れたのれんをくぐって、カウンターに座る。

 大将が俺の顔を見て、すぐに声をかけてくる。

「おっ、琢人くん! らっしゃい! 今日もどうせ映画帰りだろ?」

 このおっさん。ちょっと殴りたい。

「いや。今日は違うよ。連れと大濠公園の花火大会に行ってきた」

 隣りで腹を抱える浴衣美少女を親指で指す。

 すると大将は顎が外れるぐらい大きく口を開いた。

「ひぇぇ! 万年童貞、根暗映画オタクの琢人くんが、浴衣美人と花火大会だってぇ!?」

 もうこの店、来るのやめようかな。

「大将。前に会っただろ?」

「あ、連れって……あ、あの時の! アンナちゃんかい!」

「そうだよ。めっちゃ腹減ってるから、豚骨ラーメン二つ、バリカタで。あと餃子も」

「あいよ! 餃子はサービスにしておくよ! 美人のアンナちゃんだからね!」

 ひでっ。アンナだけ優遇すぎだろ。

 

   ※

 

「スルスル……んぐっ、んぐっ…ゴックン! はぁはぁ、おいし☆ 生き返るぅ」

 うん。そのいやらしい咀嚼音は、生き返ったね。

「アンナちゃん、浴衣似合っているね! 今日は替え玉無料にしてあげるよ」

「え、悪いですよ~」

「いいっていいって。ほら、琢人くんとデートしてくれたから。ね、おいちゃんからの感謝だよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 その後も食べる食べる。今4杯目。

 俺はさすがに3杯で箸を止めた。

 

 ま、アンナが美味しそうに食べる横顔が見れて、満足かな。

 

 ジーパンのポケットが振動で揺れる。

 手を入れて見ると、スマホが鳴っていた。

 

 着信名は、赤坂 ひなた。

 

 だが、ここで電話に出れば、アンナさんがブチギレること必須。

 ちょうど大将と談笑しているし、店の外で電話に出ることにした。

 

 

「もしもし」

『あ、新宮センパイ! 今、暇でしょ!?』

 いきなり失礼な奴だ。

「いや。あいにくだが、博多なう」

『ハァ!? センパイのくせして、こんな時間に?』

 どいつもこいつも、俺を何だと思っているんだ。

『ま、どうせセンパイだから映画帰りでしょ。そんなことより、取材しませんか?』

 勝手に設定作り上げるな!

「取材だと?」

『はい♪ 水族館“マリンワールド”です! 来週、行きましょ♪』

「水族館か、了解した。予定を空けておこう」

『じゃあ、また連絡しますね♪』

 

 電話を切って、ふと振り返る。

 窓から店内を覗くと、こちらを見つめている金髪の美少女が1人。

 や、やべっ! 感づかれた!

 優しく微笑んでいるけど、目が笑ってない。

 急に悪寒が走り出した。

 



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220 ブレブレ、アンナちゃん

 

 ひなたと次の取材先を決めたは良いものの……。

 店に戻ると、アンナがニコッと微笑んで、俺を待っていた。

 

「タッくん。誰と電話かな?」

 声がめっちゃ冷たい。

 疑われているのは間違いない。

「はは、仕事だよ。小説の方……」

「ふーん。出版社の人じゃないよね? 誰?」

 ずいっと俺に小さな顔を近づける。

 いつもならキラキラと輝く美しい緑の瞳なのに、どす黒い闇を感じた。

 

「あ、あの…その……あれだ! 取材だよ」

 更に俺の顔を覗き込む。

 その距離、わずか一センチほど。

「アンナ以外で取材する必要ってあるのかな? ひょっとして、ひなたちゃん?」

 ぎゃあああ! エスパーかよ、こいつ。

 怖すぎ。

 

 ここは嘘をつくのをやめておこう。

「う、うむ。彼女もまたサブヒロインとして、ラブコメの取材対象の1人なんだ。どうしても協力してもらう必要があるんだ」

「へぇ……サブなんだ。メインはアンナなの?」

「も、もちろんだとも!」

「そっか。で、どこに行く気? まさか、またラブホじゃないよね?」

 脅しだ……誰か助けて。

 

 脇から大量の汗が吹き出す。

 生きた心地がしない。

 

 一連の会話を見ていたラーメン屋の大将が、割って入ってくる。

 

「なあ、ラブホにあの女子高生連れて行ったのかい? 琢人くん……おいちゃん怒るよ。アンナちゃんっていう本命がいるのにさ!」

 お前は入ってくんな! 更に話がこんがらがってくる。

 だが、アンナは冷静に対処する。

「大将さん。あの女子高生とタッくんはなんの関係もないの。ひなたちゃんっていうんだけど、悪質なストーカーでね。病的なまでの……。心を病んだあの子の妄想に、優しいタッくんが付き合ってあげているだけだよ☆」

 勝手に病人にされている!?

「そうか。あの子、元気そうに見えたけど、かわいそうな子なんだなぁ。若いのに……」

 酷すぎる。

 確かに、ひなたは度が過ぎる時もあるが。

 

 大将をなだめると、アンナは再度、俺を見つめて、こう言う。

「さ、ひなたちゃんとどこに行くか……教えて☆ 大丈夫、タッくんは浮気なんてしないって、信じているから☆ さぁ、教えて。教えるだけだよ☆」

「……」

 怖すぎる!

 これ、教えたらどうなるんだ? 流血沙汰にならないか?

 

「えっと……海の近くです…」

 間違ってはないだろう。

 この前、アンナと行った海ノ中道海浜公園の近くだからな。

 恐る恐るヒントを与えてみると、アンナの瞳に輝きが戻る。

「そっかぁ。海だね☆ 安心した☆」

 え、どう安心できたの?

 

   ※

 

 ラーメン屋を出て、博多駅に戻る。

 未だに花火大会帰りの客で溢れかえっていた。

 

 駅舎の中では、たくさんの駅員が立っていて、ホームまでの案内や規制などをしていた。

 アナウンスが流れてきて、列車に乗るのも人数制限しているのだとか。

 

 また帰るまで、時間がかかりそうだ。

 

「タッくん。遅くなっちゃうね」

「ああ。もう夜の11時近いのにな。家に帰ったら、12時回るかもな……」

 と、ここで、ふと気がつく。

 あれ? アンナっていつも取材する時、博多駅で待ち合わせしていたような。

 必ず別れる時は、改札口あたりで手を振っていたような。

 ていうか、行きの電車で初めて一緒に乗った気が……。

 

 だが、今はどうだ?

 ホームで一緒に並んで立ち、小倉行きの列車を待っている。

 

「なあ、アンナってどこに住んでいるんだ?」

「え? いつも言っているじゃん。アンナは遠い田舎の……はっ!?」

 俺に話を振られて、目を見開く。

「だって、いつも博多駅でお別れだったじゃないか? 家は反対方向じゃないのか?」

 そうツッコミを入れると、額から大量の汗を吹き出す。

「あ、あれだよ! 今はね。夏休みでしょ? だから、ミーシャちゃん家にお泊りしてるんだよ☆」

「なるほど……じゃあ、もういっそのこと、ヴィッキーちゃんとミハイルと三人で暮らせばいいじゃないか。遠方から来るのも大変だろうし、俺も女の子のアンナを1人で遅く帰すのは、良くないと思うんだ」

 ちょっと、意地悪してみる。

「た、タッくんは優しいね……でも、大丈夫。駅までミーシャちゃんが迎えに来てくれるし……」

 自分で自分を迎えに行くって、死ぬのか?

 

「そうか。まあ俺はいつでもアンナを送るつもりだから、その時は言ってくれ」

「う、うん☆ こういう時、男の子は頼りになるよね☆」

 お前も男だ。

 

 結局、一時間以上待って、列車が到着し、地元の真島駅に着いたのは、深夜の12時。

 俺だけ1人でホームに降り、自動ドアが閉まる。

 アンナは寂しそうに手を振っていた。

 

 もう席内にいるっていう設定の方が楽じゃないのか。

 



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第二十八章 ハチャメチャ水族館
221 ショートヘアが似合う女の子はカワイイ説


 

 急遽、三ツ橋高校の生徒と取材をすることになった。

 現役女子高生の赤坂 ひなただ。

 

 先週、アンナと花火大会に行ったばかりだというのに、今週も予定が埋まるとは……。

 なんか今年の夏は忙しいな。

 

 そんなことを思いながら、博多行きの列車に乗り、地元の駅から二つ離れた梶木駅で降りた。

 ホームに降りると、すぐに見慣れた女の子が目に入る。

 

「センパ~イ! 久しぶりです!」

 

 元気いっぱいに両手を振る。

 動きやすそうなミニ丈のデニムスカート。

 それにへそ出しの白いチビTを着こなしている。

 お腹を出すことに躊躇いがないということは、それだけ自分の身体に自信があるということだ。

 靴は動きやすいスニーカー。

 ボーイッシュなショートヘアを活かした彼女らしいファッションコーデだ。

 

 なんというか、見ていてとても眩しい。

 陽に焼けたが小麦色の肌が健康的で、生き生きとしている。

 リア充て感じ。

 

「よう。悪い、待ったか?」

「いえ、私梶木民なんで、家はすぐ近くだから」

 白い歯をニカッと見せて、微笑む。

「そうか。じゃあ、さっそく“海ノ中道線”に乗り換えるか」

「はい! 新宮センパイと久しぶりの取材。すっごく楽しみにしてます!」

 そう言えば、こいつと取材したのは、もう二カ月ぐらい前か。

 

   ※

 

 梶木駅から海ノ中道線というローカル電車に乗り換え、しばらくすると、海が見えてきた。

 潮の香りが窓から流れてくる。

「海だぁ~ あ、見てください、センパイ!」

 そう言って、イスの上に膝をのせる、ひなた。

 外の景色に夢中で、無防備だ。俺の顔あたりに尻を向けている。

 つまりは、見えちゃっている。

 シマシマのおパンツが。

「センパイ~ 海キレイですねぇ」

「ああ」

 確かに君はいつもパンツがキレイだし、柄も変えない。ブレないとこ嫌いじゃないよ。

 

 

 それから、以前アンナとも来たことがある、海ノ中道駅で降りる。

 前回は、駅を降りると目的地である海ノ中道海浜公園が目の前だったが。

 マリンワールドは逆方向にあるから、ちょっと歩くことになる。

 

 真夏の炎天下の中、歩くのは結構しんどい。

 

「あはは! 私、マリンワールド大好きなんですよ! イルカさんとか、ペンギンさんとか、小学生の頃から月一で通ってます♪」

「へえ。以外だな。ひなたは動物好きなのか?」

「見えませんか? 私、小さい頃から家にペットたくさん飼っているんですよ~ トイプードルとペルシャネコ。あと、ニシキヘビ!」

「え……」

 なんかしれっと怖い動物の名前が紛れ込んでいたような。

「そうだ! 今度、うちにも遊びに来てくださいよ、センパイ!」

「そ、そうだな……犬は嫌いじゃない。犬はな」

「約束ですよ♪」

 ちょっとその取材は勘弁願いたいな。

 

 

 しばらく歩くと、大きな扇形の建物が目に入る。

 海ノ中道海浜公園の敷地内にある水族館。

 マリンワールドだ。

 

 夏休みということもあってか、家族連れ、若い学生たちが多く感じる。

 

 受付でチケットを購入しようと並ぶ。

 しかし、ひなたは年間フリーパスを持っているらしく、

「センパイだけ買ってください」

 と断られた。

 

 一人虚しく、受付で生徒手帳を出し「高校生一枚」と注文する。

 するとカウンター越しから

「2500円になります」 

 と回答が出た。

 

 たっけぇ!

 映画二回も見れちゃうじゃん。

 

 渋々払い終えると、隣りで同じくチケットを一枚買う女性が目に入る。

 ハンチング帽にサングラス。大きなマスクで顔を隠しているようだ。

 それに真夏だというのに、トレンチコートを羽織っている。

 

 不振な奴だったので、じっと見つめていると、俺の視線に気がつき。

「ハッ!?」

 なんて大きな声を出す。

 そして、そそくさと入口に逃げるように、走りさっていく。

 

「ん? なんだあの子……」

 

 あれか、レズビアンでミニスカのお姉ちゃんでも盗撮したい変態な子かな。

 後ろ姿を目で追っていると、ひなたに注意された。

 

「センパイ! なにやってるんですか? チケット買ったなら早く入りましょ」

「ああ、そうだったな。水族館なんて小学生以来だよ」

 俺がそう言うと、なぜか彼女は喜んでいた。

「えぇ! じゃあ実質私と来るのが、初めてみたいなもんですね♪ フフッ、今日は最高のデートを体験しましょ」

 上機嫌になったひなたは、俺の腕を引っ張り入口へと進んでいく。

 微乳をグリグリと肘に擦り付けて。

 

 あぁ~ 俺の股間から、激しい水しぶきが飛び散りそうだぜ……。

 



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222 あざとい誘惑

 

 入口を抜けると、すぐにマリンワールドのスタッフのお兄さんとお姉さんが二人立っていて、チケットのもぎりをしていた。

 半券を返されたところで、ゲートをくぐると、すぐに別の男性スタッフから声をかけられる。

「ようこそ、マリンワールドへ! 記念に写真撮影をしていきませんか? 無料であとから一枚写真をプレゼントさせていただきますので!」

 それを聞いたひなたは大喜び。

 

「センパイ! 撮ってもらいましょうよ」

 なんて肩を引っ張るから、俺は言われるがまま、スタッフの指定した位置で、ひなたと横に並ぶ。

「じゃあいきますね~ もっとお二人とも寄って寄って~ カップルなんでしょ?」

「いや、俺たちは……」

 否定しようとした瞬間、代わりにひなたが答える。

「あ、そうです♪ まだ付き合って間もないカップルなんですぅ~ だから彼ったら恥ずかしがり屋さんでぇ~」

 俺が小声でひなたに突っ込みを入れる。

(おい……なにウソついてんだよ?)

(設定ですよ。こういうのがラブコメに必要だと思いますよ♪)

 

 仕方ないと、俺は腹をくくり、カップルという設定で二人仲良く肩をくっつけて写真を撮ることに。

 ひなたなんか、余裕ぶって、俺の左腕に胸を擦り付けてきやがる。

 

「はい、チーズ!」

 

「イエ~イ!」

「い、いえ……い」

 苦笑いで撮られてしまった。

 

「では、お帰りの際に受け取ってください。一時間ぐらいしたら、現像されてますので。あと、それとは別にまた有料の撮影も出口付近でやってますんで。良かったらどうぞ」

 なんだ。そのための勧誘か。

 

「センパイ! なんかホントにカップルぽいことしてません? 私たち!」

「そうか? 俺は付き合ったことなんてないから、分からんな」

「もーう。センパイったら! な~んか乗り気じゃないですねぇ。そうだ。テンションあげるために、イルカショーを見に行きましょ♪ 可愛いイルカさん見たら、センパイもイチコロです!」

 そう言って、俺の心臓辺りを人差し指でチョンと突っつく。

 あのやめてくれます? 乳首ドリルしてますよ。

 

「わかった。じゃあ行くか」

「はい、二階から行きましょう! 私、一番いい席知っているんですよ」

 

 俺たちがその場から離れようとした瞬間だった。

 

 ドカン! となにか大きな音が館内を響き渡った。

 

「チッ……クソアマ……」

 

 先ほど、受付で見かけたハンチング帽のサングラス女だ。

 近くにあったゴミ箱を蹴り続けている。

 

「あざとい、あざとい……調子乗りやがって……」

 

 なんだあの人。めっちゃ機嫌悪そうだな。

 家族やカップルが多い日曜日に、一人であんな格好で水族館なんて変わった女だ。

 よっぽど、イルカやペンギンが好きなのか?

 



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223 びしょ濡れJK

 

 二階の階段を出てすぐ目の前に、大きなプールがあった。

 イルカショーはまだ始まってないが、何匹かのイルカやクジラが泳いでスタッフと練習している。

 

 博多湾をバックに円形のプールが設置されている。

 強い潮風がぴゅーぴゅーと顔に吹きつけられるが、これはこれで気持ちが良いものだ。

 プールを囲うようたくさんの座席が並ぶ。

 三階には売店もあった。

 

 俺とひなたは、一番前から少し後ろの席に座った。

 彼女曰く、前に行くほどショーを楽しめるが、イルカたちが目の前で泳ぐため、ジャンプした際、水しぶきが客席にかかるらしい。

 だから、ちょっと離れたぐらいが、ベストポジションらしい。

 

 ひなたは気をきかせて、売店でチュロスを買って来てくれた。

「はい。半分こしましょ♪」

「お、おう……」

 パキッと割って、二本にする。

 

 それをもしゃもしゃ食べていると、一番前のステージに女性スタッフがマイクを持って現れた。

 

「マリンワールドにお越しの皆さん~! 今日はイルカちゃんとクジラちゃん達のショーを楽しんでいってあげてくださいね~!」

 

「きゃあ~! 見てください、センパイ! イルカちゃんが出て来たぁ!」

 ひなたはかなり興奮しているようで、チュロス片手に前のめりになる。

 ミニスカートだから、シマシマパンツが丸見え。

「お、おい。ひなた、ちょっと落ち着け」

「ええ、イルカちゃん可愛いじゃないですか?」

 頬を膨らませるひなた。

「まあ、気持ち分からんでもないがな……ちょっと無防備すぎやせんか?」

 腰のあたりを指差すと。

「あ! センパイ。また勝手に見たんでしょ? エッチ!」

 そう言って、俺の手のひらをぎゅーっとつまむ。

「いってぇ!」

「フン!」

 全く、忙しいやっちゃ。

 

 

 ショーが始まり出す。

 軽快な音楽と共に、イルカが三匹、天井にぶら下がっている小さなボールへと飛び跳ねる。

 その後、巨大なクジラも豪快にジャンプ。

 イルカの時とは、段違いの迫力で、水しぶきが俺たちの足もとまで、飛び跳ねてくるほどだ。

「きゃっ、冷たい~!」

 言いながらも、ひなたは嬉しそうだ。

 

 そして、音楽は変わり、重低音の荒々しいロックミュージックへと変曲。

 

 司会の女性スタッフがマイクで注意を促す。

 

「ただいまから、クジラちゃんが激しいジャンプをしますので、一番前にいる人は、注意してくださいねぇ~ 5回連続でボール目掛けて、大ジャンプをします。見事、届いたら大きな拍手をお願いします~!」

 

「きゃあ~ クジラちゃん頑張ってぇ~」

 ひなたはスマホで撮影タイムに入っている。

 俺と言えば、懐かしいなぁなんて子供の頃を思い出しながら、見ていた。

 

 ショーもクライマックスに近くなり、クジラが観客席のギリギリまで近づき、飛び跳ねる。

 水しぶきが何人かの観客やスタッフに、ばしゃーんとかかり、悲鳴があがる。

 

 クジラは最後に俺たちの前を通り過ぎようする……その瞬間だった。

「ちょ、ちょっ……きゃああ!」

 甲高い女の悲鳴があがった。

 

 気がついた瞬間、隣りにいたはずのひなたは、一番前のコンクリートに転げ落ちていた。

 驚いて固まっているひなた。

 腰から床にストンと落ちたため、股は広げたまま、パンツは丸見え。

 直後、クジラが彼女の頭上を飛び跳ねた。

 びしゃーんと、大きな波が襲う。

 

 残ったのは、びしょ濡れのひなたが一人だけ。

 

「な、なによ! これぇ~!」

 

 一瞬だった。俺はわけもわからず、固まっていた。

 司会の女性スタッフが、

「お怪我はありませんか? ショーを中断します!」

 とスピーカーから大声を出したことで、ざわつく会場。

 

 俺はやっとのことで、我に返る。

 すぐさま、彼女の元へと駆けつけた。

 

「大丈夫か、ひなた?」

「ひっぐ……セン~パイ! 誰かに押されたぁ~」

「押された?」

「酷いよ~!」

 俺の胸に顔を埋めるひなた。

 とりあえず、俺は彼女の背中を優しくトントンと触れてみる。

 背中までずぶ濡れだ。

 

 そして、何人ものスタッフが駆け付け、ひなたの安否を確かめていると。

 一つの人影が、会場から去っていくのを俺は見逃さなかった。

 

「チッ……」

 

 先ほどのハンチング女だ。

 

 一体、このマリンワールドでなにが起きているんだ?

 



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224 映画館でイチャつくカップルは、後ろから座席を蹴られます

 

 イルカショーは中断を余儀なくされ、ひなたは医務室に連れて行かれた。

 その後、医務室から出てきた彼女にケガはなく、無事だっということで、俺もホッとしたのだが。

 

「あぁ~ もうっ! 最っ低! せっかくのおしゃれが台無し!」

 顔を真っ赤にして、怒りを露わにする。

 着ていた服はびしょ濡れになったので、職員からもらったブカブカサイズのメンズTシャツを着ていた。

 それから、ズボンはスタッフが着用している制服。

 靴は清掃などに使う長靴だ。

 

「ひなた。大事ないか?」

「大有りですよ! せっかくのデート気分が最悪っ! 私を押した奴、誰なんですか!?」

「わからん……顔は見えなかったが、女だったな」

「どうせアレですよ! 私とセンパイが仲良くしているところを見て、どブスで非モテな女が嫉妬から、やりやがったんですよ! 絶対ブスの性格悪い女ですよ!」

 酷い偏見だ。

 まあ、ここまでやられたら、仕方ないか。

 

 

 俺はとりあえず、ひなたの機嫌を直すために、昼食を提案した。

 レストランは地下一階にある。

 

 あまりにもひなたの格好が浮いていて可哀想だったので、俺は昼食を奢ることにした。

「なんでも食っていいぞ。どうせ出版社から経費落ちるみたいだしな」

「ホントですか!? じゃあ、私ドルフィンプレートとドルフィンパフェ食べたいです!」

 テンションが少し上がったので、一安心。

 だが、ひなたが頼んだメニューは、幼児向けなのだが、いいのだろうか?

 

 俺は無難にハンバーガープレートを注文した。

 

 地下のレストランは先ほどのイルカショーのプールと直結しており、食事を取りながら、大きな水槽の中で、泳ぐイルカやクジラを楽しめる。

 

 頼んだ食事が出来上がるまで、テーブルで向かい合わせに座り、水槽を眺めて待つ。

 

「近いでしょ? カワイイ~♪」

「本当だな。小学生の時に遠足か何かで来たことがあるが。こんなレストランとは知らなかった」

 俺がそう言うと、ひなたは何故か笑い出す。

「アハハ! センパイったら世捨て人みたい! おっさんぽいですよね、たまに。言う事が」

「は? 俺は夏休みとか、ずっと一人で映画館を毎日楽しんでいたぞ? リアルを楽しんでいる。だから、ちょいリア充だろ?」

 だって、世界中の映画を夏休みに全部観まくるんだぜ。

 世界一周旅行しているようなもんだろ。

 

 その発言に、ひなたが苦い顔をしてみせる。

「えぇ……センパイって、ずっとそんな夏休みの過ごし方していたんですか?」

「まあな。小学生の4年ぐらいから。かれこれ8年間楽しんでいるぞ。もちろん冬休みもな」

 ドヤ顔で自慢すると、ひなたはうっすらと目に涙を浮かべ、俺の手を優しく掴む。

「センパイ、かわいそう……もう、一人ぼっちにしませんから。私がついているんで。いつでも連絡してくださいね。孤独死しますよ」

「いや、楽しんでいるって……」

「それはセンパイの心を正常に保つための、精神療法ですよ?」

 ファッ!?

「もう、映画に逃げちゃダメです。私とたくさん取材して、早く人間性を取り戻しましょう」

 えぇ……俺ってそんなに重度の患者だったの?

 



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225 サブヒロインが勝つのは難しい

 

 俺とひなたが駄弁っている間に、注文していた料理が出来たようだ。

 会計は先払いで、事前にレジでブザーを渡されている。

 テーブルの上に置いていたブザーが二つ揺れ出す。

 

「あ、出来たみたいですね♪」

「だな。ひなたは待っていろ。俺が受け取ってくるよ」

「え。いいですよ~」

 少し頬を赤くして、恥ずかしそうにするひなた。

「いや、こういうことは男が率先してやるもんだ。女の子のひなたは座って待っていてくれ」

「せ、センパイがそこまで言うなら……」

 ひなたは男勝りというか、ボーイッシュな感じだから、あんまりこういう扱いに慣れていないようだ。

 可愛らしいもんだな。

 

 俺は厨房近くのカウンターまで行き、店員に片方のブザーを見せる。

「ハンバーガープレートの方ですね~ ポテトを大盛にしておきたました~」

 サングラスをした若い女性店員。

「え、大盛?」

「はい。サービスです」

 ニッコリ微笑む。

「あ、ありがとうございます……」

 俺は首を傾げながら、トレーを受け取る。

 

「すいません。あとこっちのブザーのやつも……」

 もう片方を渡そうとすると。

「チッ」

 あれ、今舌打ちしなかったか?

「あ、あの……」

「はぁ~あ! ドルフィンプレートとドルフィンパフェの方ですね! はい、どう~ぞぉ!」

 プレートを雑にカウンターへと投げ捨てられた。

 ガタン! と音を立てて。おかげで、ちょっと料理がトレーにこぼれてしまう。

 なんだ、この失礼な店員は?

 全く、社内教育が出来てないんじゃないか。

 

 とりあえず、俺は二つのトレーを持って、ひなたが待つテーブルへと戻る。

 

「わぁ! カワイイ、イルカさんのご飯だぁ♪」

 手を叩いて喜んで見せるひなた。

「さ、食うか」

「はい! いただきます~」

 

 俺は改めて自分のプレートを眺めてみる。

 大盛ってレベルじゃないぐらいの、大量のポテトの山。

 こんなに食えるかよ。

 

 メインであるハンバーガーが食べることにした。

 味の方は……。

「うん。うまいな。なんというか、どこかで食べたことのある家庭的な料理。作り手の優しさを感じるぞ。む、ゴボウが入っている?」

 なんて食レポしてみる。

 あれ? この食感……どこかで誰かに食べさせてもらったような……。

 

 ふと、ひなたの方を見つめる。

「……」

 スプーンを口に咥えたまま、固まっている。

「どうした? ひなた。口に合わないか?」

「……か、からあああい!」

 そう叫んだあと、水をガブガブ飲み始めた。

「辛すぎですよ! これぇ!」

「ウソだろ? お子様向けのメニューだぞ?」

「ホントですよ! センパイ、他の人のやつと、間違えて受け取ったんじゃないんですか?」

 顔を真っ赤にして怒り出す。

「いや、それはないぞ……じゃあ、口直しにパフェを食べたらどうだ?」

「そ、そうですね……」

 気を取り直して、ひなたはひんやりと冷たいパフェを食べることにした。

 細長いスプーンで白いホイップクリームをすくってみる。

 

「おいしそ~♪」

 

 俺もこれなら、辛くはないだろうと安心してその姿を見守る。

 

 口にスプーンを入れた瞬間。

「……」

 又もや、固まってしまうひなた。

 顔を真っ青にして、額から汗が吹き出す。

「ど、どうした? ひなた?」

「にがあああい! そして、臭い~!」

「ええ……ウソだろ?」

「ホントですよ! そんなに疑うなら、センパイも臭ってみてくださいよ!」

 彼女にパフェを差し出されたので、俺は自身の鼻で確認してみる。

 

「うぉええ!」

 あまりの臭さに吐きそうになった。

 

 なんて表現すればいいのだろう?

 シンクの三角コーナーに一週間ぐらい溜め込んだ生ゴミみたいな臭いだ。

 

 このレストラン。ヤバくないか。

 ふと、背後から視線を感じたので、振り返ると……。

 

 柱の後ろに人影が。

 サングラスをかけた先ほどの若い女性店員だ。

「ざまぁ。クソアマ……」

 

 気色悪い女だな。なんだろ、あれ。

 



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226 動物には優しくしよう! 給料もらってないから 227 水族館殺人事件

226 動物には優しくしよう! 給料もらってないから

 

 

 散々な昼食タイムだった。ひなただけだが……。

 また彼女のテンションが下がってしまい、

「私ってなんか厄日なんですかね?」

 と嘆くので、俺は再度も盛り上げるために、今度は動物たちと身近に触れ合えることができる屋外エリア、かいじゅうアイランドを勧めた。

 

 アザラシやペンギン、イルカなどにエサをあげたり、自身の手で触れるという、動物好きからしたら、たまらないイベントも用意されていると聞く。

 

 それを提案すると、ひなたは大喜び。

「あ、私。そこ大好き! 早くいきましょ!」

 どうやら、気分が上がってきたようだ。

 

   ※

 

 地下のレストランから一階にあがり、水族館の一番奥へと進む。

 暗い館内を歩くこと数分後、ようやく明かりが見えてきた。

 

 かいじゅうアイランドは、屋外に建てられた円形の二階建てのプールだ。

 二階でエサを買い、水面からニョキッと顔を出すアザラシに食べさせることができる。

 と言っても、ポイッとトングで魚を放り投げるだけのなのだが。

 

「うわぁ、可愛い~!」

 

 かれこれ、3回もエサを買ってはアザラシの鳴き声に喜ぶひなた。

 しかし、あれだな。

 アザラシの鳴き声っておっさんみたいだな。

「うごおええ!」

 なんて、クレクレするんだから。

 

 アザラシにエサを与えて満足したひなたは、次は「一階へと降りたい」と言う。

 先ほどのアザラシおじちゃんたちは、基本エサをあげる時以外は、水面下の深いプールで泳いでいるからだ。

 らせん状のスロープを下っていくと。

 所々に小さな窓があり、そこから泳いでいるアザラシが見える。

 時折、ぬおっと顔を出してくれて。

「アハハ! 可愛い~」

 とひなたは手を叩いて喜ぶ。

 

 アザラシを堪能したあと、一旦外に出て、次は反対方向にあるペンギン達を観に行く。

 よちよちと歩いて、スタッフのお姉さんと戯れている。

「センパイ、一緒に写真撮りましょ!」

「おお……」

 ひなたがスマホを取り出し、自撮り棒を向けてペンギンたちを背景にパシャリ。

「やったぁ! センパイとペンギンさんたちの写真撮れたぁ! これって激レアじゃないですか?」

「え、なんでだ?」

「だって、センパイってこういう所、一人じゃ来ないでしょ? 多分、私が誘わなかったら、一生撮れない写真でしょ♪」

「そ、そうか?」

 なんだろ。軽くディスられた気が……。

 

 

 最後は、イルカと一緒に記念撮影が出来るプールに行ってみた。

 かなりの人気ぶりで、カップルや家族連れで賑わっている。

 俺たちも行列に、並んでみる。

「センパイ、ここで撮影するの初めてでしょ?」

「ああ、子供の頃に来たが、こういうのはやらなかったな。ていうか記憶が曖昧だ」

「ははは! やっぱりセンパイっておっさんくさい! 撮る時にイルカさんに触れるんですよ♪」

「ほう。それはなかなか経験できないことだな」

 ていうか、いちいち人をおじさん扱いすな!

 

 

 俺たちの番になった。

 イルカは水面から出てきて、プールサイドで大人しくスタンバっている。

 隣りにスタッフのお姉さんが座っていて、無賃労働のイルカさんに報酬として、小魚をあげている。

 床は水でかなりヌルヌルしていて滑りそうだ。歩くたびに転んでしまいそうになる。

 俺もひなたもペンギンのように、よちよち歩きで慎重に進んだ。

 

 やっとのことで、イルカとご対面。

 俺がイルカの背中側、ひなたは頭を撫でている。

「きゅ~」

 なんて声をあげている。

『早く終われや。わし、疲れとんじゃ』

 ていう意味なのだろうか?

 

 ひなたはスタッフの人にスマホを渡し、撮影をお願いする。

 

 俺もイルカの背中に恐る恐る触れてみる。

 柔らかい……そして、僅かだが鼓動を感じた。

 

「では、一枚目いきますよ~ 彼氏さんもこちら向いてくださ~い!」

 

 スタッフにそう言われて、視線を戻す。

 ひなたが「ピ~ス!」なんて言うので、俺も一生懸命、笑って見せる。

 

「はい、チーズ! あ、もう一枚いっときましょう! お二人ともスタンバイいいですか?」

 

「あ、は~い! センパイ笑って笑ってぇ~」

「に~!」

 なんだか作り笑顔していると、歯ぎしりしているみたいに感じる。

 

 二枚目の写真が終わり、撮影した写真をひなたが確認し「よく撮れている」と満足していた。

 記念撮影も無事に終わったので、俺たちはプールサイドから出ることにした。

 次の客が待っているし。

 

 俺はひなたが転ばないように手を繋いで、アシストしてみる。

「センパイ、優しい……」

 こういう待遇に慣れていないひなたは、相変わらず頬を赤くしていた。

 二人して歩いていると、次の客とすれ違う。

 

 ハンチング帽を被り、サングラスにマスク姿。夏だというのにトレンチコート。

「あ」

 思わず、声に出る。

 こいつ……ひなたを押した犯人じゃないか?

 そう思った時、もう全てが遅かった……。

 

227 水族館殺人事件

 

 

 ハンチング帽を被り、サングラスにマスク姿。夏だというのにトレンチコート。

「あ」

 俺がこいつだと思った瞬間、物凄い力で手を引っ叩かれた。

 ひなたと繋いでいた方の手だ。

 強制的に二人の手は遮断される。

 

「いってぇ!」

「痛い!」

 互いにその痛みに驚いているのも束の間。

 

「フン!」

 とハンチング帽がドスの聞いた声をあげると……。

 

 ズボン! と何かが水の中に落ちる音が背後から聞こえてきた。

 振り返ると、後ろにいたはずのひなたがいない。

 

 イルカさんが「クエ?」なんて首を傾げている。

 一匹しかいないはずのプールにもう一匹、活きのいい大きなメスが。

 

「きゃあああ! うぼぇ! ぐ、ぐえぇええ!」

 

 ひなたがプールから顔を出して、泳いでいた。口から水を吐きながら。

 かなり深いのに、上手いことバタバタ手足を動かして、どうにか水中に浮いている。顔だけ。

 

「ひなた! 今助けるぞ!」

 

 咄嗟に俺がプールサイドに駆け寄ろうとしたが、脚がピクリとも動かない。

 なぜならば、誰かが俺の左腕をがっしりと掴んでいるから。

 そして、グイッと強引に出口へと引っ張られていく。

 

「ちょ、ちょっと! なんなんだ! お前は誰だ! 俺は連れを助けに行かないとならないんだ!」

「……」

 だが相手は沈黙を貫く。

 物凄い力で、俺の腕をがっしりと掴み、自由を許されない。

 なんて馬鹿力だ。

 女の握力じゃないぞ?

 

 気がつけば、かいじゅうアイランドから出て、水族館に戻ってきてしまった。

 両足はずっと地面に擦り付けられて。

 

 ようやく、解放された俺は、犯人の女に向かって激怒する。

「お前! 一体なんなんだ! 俺たちに恨みでもあるのか!? 事によっちゃ、警察を呼ぶぞ!」

 俺が威嚇してみるが、相手は一切動じることはない。

「ふふ……」

 不気味に笑い、余裕さえ感じる。

 

 しばしの沈黙の後、何を思ったのか、その女は被っていたハンチング帽を取って見せる。

 すると、隠されていた美しい金色の長い髪が肩にかかる。

 サングラスもマスクも取る。

 キラキラと輝く宝石のようなグリーンアイズ。

 ピンク色の小さな唇。

 

「タッくん、アンナだよ☆」

「え、えええ!?」

 

 不審者は、僕のメインヒロインでした。

 

 

 



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228 その男の娘、殺し屋である

 

 なんと、このマリンワールドで起きていた、ひなたの災難は全て、この目の前に立っているブロンドの美少女。

 アンナが犯人だったようだ。

 

 俺はあまりに酷い仕打ちに対し、ドン引きしていた。

 だが、当の本人は悪びれるわけでもなく。

「タッくん、今から水族館でも取材しよっか?」

 なんて笑っている。

「いや……ダメだろ。アンナ、今日ずっと俺達のこと、追っかけ回していたのか? しかも、ひなたに起きた不幸は全部……」

 言いかけた途中で、彼女の小さな指が俺の唇に触れる。

「違うよ☆ ひなたちゃんは日頃の行いが悪い子ちゃんだから、多分あんなことになったんだよ☆」

「えぇ……」

 あくまでも白を切るつもりか、この子。

 

 

「でもさ、ひなたちゃんって小説の世界ではサブヒロインなんだよね?」

 急に話題を変えてきやがった。

「まあな。だが、それと何の関係があるんだ……」

「アンナもね、一生懸命考えたんだよ?」

「なにをだ?」

「小説の世界☆ メインヒロインが居れば、あとのモブヒロインはきっと読者の人も。いらないなぁって思うんじゃないかってね……。だから、殺せばいいんだよ☆」

 なんてカワイイ顔して、恐ろしいことを言い出すんだ。この人。

 

「だ、誰を?」

「ひなたちゃんを殺すに決まってるじゃん☆」

 人差し指を立てて、まるで「今晩のおかずを決めたよ☆」ぐらいの軽い口調で、提案してきた。

 スナック感覚で殺人を考えるとか、怖すぎる。

「なにを言っているんだ? そんなことしたら、犯罪だろ……俺が逮捕されていいのか?」

 そう言うと、アンナは白い歯を見せて笑い出す。

「タッくんたら、そんなわけないじゃん! ははは、カワイイ~☆」

 え、今俺ってなんか愛らしいことしたかしら?

「どういうことだ……」

「作品の中で殺す、死なさせるってことだよ☆ さっき事故でプールに落ちたでしょ。溺死ってことにすればいいよ☆」

 良くない、全然よろしくない。

 

 仮にもラブコメで死人を出すとか、笑えないし、胸キュン要素は殺され、読者は胸が痛みだしちゃうよ。

 

「良くない! アンナ、俺はひなたを助けに行かないと!」

 さすがの俺も、溺れた彼女が心配だったので、かいじゅうアイランドに戻ろうと、アンナに背を向ける……とアンナが俺の肩に触れて。

「大丈夫だよ~ タッくんたら、優しいんだね。ひなたちゃんって、水泳部なんでしょ? じゃあ放って置いても全然OKだよ☆」

 悪魔のような囁き声が背後から聞こえてきた……。

 

「そういう問題じゃないだろ! アンナ、いい加減にしないと、今回は俺もちょっと怒っているぞ?」

 度が過ぎるカノジョには、ちょっとお説教しておかないとな。

 アンナは、初めて怒った俺の顔を見て、しゅんと落ち込んでしまう。

「タッくん……怒っちゃったの……」

 なんて瞳を潤わせ、上目遣いで顔色を伺ってくるので、俺の怒りは一瞬にして、冷めてしまう。

「あ、いや。怒ったというか、まあ……人間としてだな。やはり女の子は大事に扱わないと……」

「ぐすっ……ごめんなさい。タッくんのお友達を悪く言って……」

 いや、悪く言ったんじゃなくて、あきらかに殺しに来たんだろ。あんた。

 

 

 そんなことをしていると、誰か人影がこちらに寄って来る。

 びちゃん、びちゃんと……不気味な足音で。

 

「セ~ン~パ~イ。な~にやってんすか……。私を置いて、助けにも来ず、知らない女をナンパですかぁ~?」

 

 振り返ると、そこにはびしょ濡れになった女妖怪、雨女……ではなく。

 現役女子高生の赤坂 ひなたが立っていた。

 濡れて重たくなった前髪は、だらんと顔を隠すまで垂れている。

 そのせいで、彼女の瞳が確認できない。

 両腕はなぜか宙に上げて、力なく伸ばしている。

 まるで、ゾンビのようだ。

 

「ぎゃあああ!」

 

 俺はその姿を見て、思わず絶叫してしまった。

 

「センパイ……隣りのなんか、あざとい女……誰ですか?」

 凍りつきそうな冷え切った声で呟く。

「えっと、その……この子は……アンナちゃんです」

 なんとなく、紹介してみる。

 すると、ひなたは肩をブルブルと震わせて、手のひらを丸めて拳を作る。

 

「お前かぁ……お前があのクソチート女のアンナかぁあああ!?」

 

 殴りかかる彼女を俺は必死に抑えこむ。

「ひなた。すまん! 今回のことは俺が悪い!」

「センパイは悪くないでしょ! この女が犯人だぁ!」

 

 俺とひなたが揉み合っている姿を、ちょっと離れた所で、アンナはニコニコ笑って見ている。

 

「ほらぁ、言った通りじゃん。水泳部だから大丈夫だったね☆」

 その一言が更にひなたを興奮させてしまう。

「お前ぇ~ それでも人間かぁ!?」

 ひなたを落ち着かせるのに、30分間はかかった。

 



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229 あざとい女は嫌われがち

 

「ふぅ~! ふぅ~! こんのチート女ぁ!」

 ひなたは相変わらず、怒りが冷めないでいるようだ。

 これでも大分落ち着いてくれた方なのだが……。

 息を荒くして、拳にも力が入る。

 そして、俺の隣りにいるアンナをギロッと睨みつけた。

「ひ、ひなた……今日のことは俺が悪いんだ。だから許してやってくれないか?」

「センパイは黙っていてください! これは私とその子。女の子同士のケンカなんで!」

「は、はい……」(相手男の子だけど)

 

 俺はひなたの充血した真っ赤な目に恐怖を覚え、萎縮してしまう。 

 数歩下がり、二人のやり取りを黙って見届けることにした。

 

 今、この現場は殺気立っている。

 片方は怒りと憎しみで紅蓮の炎を身に纏い、もう片方はにこやかに微笑んではいるが、目が笑っていない。静かだが、相手を一撃で屈服させるような圧倒的な力、巨大な闇を纏っている。

 両者、一歩も譲ることはない。

 

 だが、ここはただの平和な水族館。

 ケンカすると迷惑なので、場所を移動した。

 おみやげ売り場の前。

 入口のすぐ近くだから、たくさんの家族連れやカップルが俺たちの周りを通り過ぎる。

 対峙する二人を見て、ざわつく。

 

 そんなことは眼中にない、ひなたとアンナは、ゆっくりと互いの距離を縮める。

 顔と顔がくっつきそうなぐらい接近すると、睨みあう。

 

「ねぇ、チート女さ。あんなことやっておいて、タダで済むと思ってんの?」

 額をゴンッと当てに行くひなた。

「なんのことかな?」

 物怖じせず、ニコニコ笑うアンナ。小さなおでこをグリグリとひなたにこすりつける。

 もう、あれだ。ヤンキー同士の喧嘩に近い。

「あんたがやったこと犯罪よ! ていうか、なんなの? その態度。ブリブリしやがって! ハンッ、ウンコ女がお似合いだわ」

「う、ウン……あ、アンナは、タッくんにカワイイって言ってもらえるのが一番だもん!」

 今の攻撃でひなたが少し有利だな。

 

「あと、あんたさ……なんか胡散臭いのよ」

「え、え、臭い? どこが?」

 なんかこのやり取り、この前にも見たような気が……。

「全部よ! なんていうのかな……非モテの童貞くんが考えたテンプレの痛い女って感じかな? アンナちゃんだっけ? 女に嫌われやすいよ、きっと」

「そ、そんなこと……ない、よ?」

 何故疑問形? そして半泣き状態だよ。

「トレンチコートの下も男に媚びまくったガーリーファッションで超地雷系。メイクもブリブリ過ぎて嫌い。水族館なのにヒールの高いローファーとかバカ丸出し。清楚系な尻軽女って感じかな?」

 むごい! そこまで言わなくても……俺の好みに合わせてくれただけなんだから。

「ひ、ひっぐ……ひなたちゃんって怖い」

 いや、どっちもどっちかな。

 

 だがアンナも負けてはいなかった。

 自分のファッション、ルックスをけちょんけちょんにされて、黙ってはいられない。

 

「で、でも! ひなたちゃんだって、あざといもん! アンナのタッくんに胸を押し付けたり、わざとらしくミニ丈のスカートをタッくんの顔に見せつけて。そんなにパンツ見られたいの? 変態さんだね!」

 女装するあなたに言われたらおしまいだ。

「はぁ!? あ、あれは……センパイが勝手に見ただけだし……」

 アンナの言う事も一理ある。

 いつも見せつけては引っぱたくからな。

「大体、ひなたちゃんは、サブヒロインなんだから、あんまり取材しなくてもいいでしょ?」

 サブという言葉が、ひなたの心にグサリと刺さったようだ。

 胸の辺りを手でおさえている。

「そ、そんなの関係ないじゃん! さ、サブヒロインだって、ラブコメでメインに昇格する作品もあるはずよ! 大体、アンナちゃんがメインって誰が決めたの? センパイ?」

「ふふん☆ その通りだよ☆ タッくんが決めてくれたの」

 いやいや、それについては、半ば強引にあなたが決めたんだよ。

 

 

「ていうかさ、アンナちゃんって……誰かに似てない?」

 ひなたは眉をひそめて、じーっとアンナの顔を眺める。

「え、え? 他人の空似じゃないかな?」

 ガクガク震えだしたアンナさん。

「前にセンパイから写真を見せてもらった時は、ハーフであざといチート女って思ったけど……いざ実物を見たら、偽物っぽい女の子って感じなんだよね。あ、ミハイルくんに似てない?」

 ひなたの反撃、こうかはばつくんだ!

 アンナは床に膝をつき、胸を手でおさえる。

「だ、だって。ミーシャちゃんとは、いとこだから……ね」

「ふーん。でも、いとこにしては似すぎじゃない? 双子じゃないでしょ? なんだかなぁ、女の子にしては、男の子に媚び売り過ぎてて、違和感を感じちゃう」

 だって、中身は健康な男子なんだよ。

 もう許してあげて!

 

「そ、そんなことないよ? アンナはタッくんの取材対象で、メインヒロインなんだもん……」

「ふーん。でもヒロイン候補の一人だよね? じゃあ、私もメイン候補の一人じゃん。とりあえず、センパイは返してもらうから! アンナちゃんは一人で帰ってよ!」

「イヤッ! アンナだってマリンワールドは、まだタッくんと一度も来たことないのに……ひなたちゃんがタッくんの初めてを奪うのは、絶対にイヤ!」

 

 そうだった。

 アンナという生き物は、俺との『初めて』にこだわる女の子だった。(♂)

 



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230 痴話喧嘩ほど、恥ずかしいものはない

 

「初めて、初めてって。別に私のあとで、センパイとマリンワールドに来ればいいじゃない!? どうしてそこまでこだわるのよ? だからって私とセンパイのデート……取材の邪魔する理由になってない!」

「タッくんの初めてはアンナが絶対なの! 今まで映画も遊園地もプールも温泉も花火大会も……全部、ぜ~んぶ! 初めてはアンナだもん! ひなたちゃんこそ、二番目にしてよ! 抜けがしてラブホに連れ込んだりしてぇ!」

 

 こんな低レベルの口喧嘩をかれこれ、30分近くも大声でやりあっているんです。

 しかも、入口の近くの売店で。

 たくさんのお客様が見世物のように集まり出しちゃって。

 もうね、公開処刑ですよ。俺は。

 

「ら、ラブホの件は……あれは仕方なくヤッちゃっだけよ! ていうか、なんでアンナちゃんがあの事を知っているのよ!?」

 なんかさ、二人してラブホの話題でも盛り上がってるけど、知らない人が聞くと、俺とひなたが関係持っちゃったカップルとして勘違いしちゃうよ。

「あのあと、タッくんから聞いたもん! だから、アンナも次の日連れて行ってもらったよ? スイートルームで可愛いハートのジャグジーで、タッくんと仲良く入ったもんね!」

 もう、やめてぇ!

 俺、どんだけヤリまくってる男なのよ?

 まだ童貞だよ……。

 

 人だかりが出来て、俺達を囲み、二人のケンカを見守る。

 

「おいおい、あのオタクっぽい奴があんな可愛い二人と……うらやま!」

「三角関係? 肉体関係? どっちにしてもあの野郎、マジ最高じゃんか!」

「女の敵ね。あんなに二人を困らせて、去勢するべきよ。ヤリ●ン野郎は」

 

 ほらぁ! 誤解されてるじゃんか!

 

 俺は一人、頭を抱え、もがいてはいるが、二人の口は止まらない。

 

「ハァ? そんなの聞いてない! ジャグジーで経験したの? なんてハレンチなの!」

「ひなたちゃんの方がエッチだよ。タオルだけで身体を隠してタッくんに馬乗りなんてさ」

「あれは……中に下着をちゃんと着てたし……アンナちゃんの方こそ、裸になってジャグジーでセンパイを誘惑したんでしょ?」

「し、してないもん! アンナはタッくんが決めたスク水を着てたし……」

 ぎゃあああ!

 もう穴があったら入りたい!

 

 ざわつく水族館。

 スタッフや警備員まで出てきた。

「君たち! 小さなお子さんもいるんだ! 痴話げんかなら外でやってくれないか!」

 青い制服を着た中年に注意されるが、二人は逆ギレする。

 

「「邪魔しないで! ハゲのおじさん!」」

 こういう時は息がピッタリ。

「うっ……」

 ハゲで落ち込むおじ様。

 

「私の方がセンパイと付き合い長いし! だって入学して間もない頃からの仲よ?」

「あ、アンナだって! ミーシャちゃんに紹介されて、初めてのデートしたもん!」

 いや、お前は入学式に出会っただろ。ミハイルとして。

「ふん! 出会いは私の方が先みたいね!」

「で、でも、アンナはタッくんの好みに合わせられるもん! ニンニクだってラーメンに入れられるし、タッくんの好みのコスプレだって出来るよ。メイドさんもスク水も……タッくんが望むなら、なんでもやれる自信がある!」

 

「ぐはっ……」

 なんだろ、どんどんHPが削られていく。

 

 一向におさまらない騒ぎを聞きつけたのか、一人の女性が仲裁に入ってきた。

 

「お~い、お前ら……な~にを公共の場で、『ヤッただヤラないだ』『掘った掘られた』卑猥な言葉で人様のお耳を汚してんだ? コノヤロー!」

 

 俺達の前に現れたのは、超のつくどビッチ。

 ウエスタンブーツ、股に食い込むぐらいローライズのデニムのショーパン、そしてプルプルと左右に揺れる巨乳を支えるのは、アメリカ合衆国の国旗が描かれた派手な水着。

 頭には、カウボーイハット。

 

「小便臭いガキ共がイチャつくのは、10年早いんだよ、コノヤロー! 新宮。お前、この前の単位全部はく奪するぞ!」

 そう言って俺の胸ぐらを掴む女。

 僕の担任教師、宗像 蘭さんです。

「いや、それは……」

「うるせぇ! お前ら、覚悟はいいな? 全員ついてこい!」

 完全に脅しだが、誰も抵抗する勇気はなかった。

 

「「「はい……」」」

 



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231 両者和解

 

 宗像先生に一喝されたひなたとアンナは、しゅんとして黙り込んでしまった。

 そしてなぜか、俺の頭をげんこつでポカン! と殴りつける。

「いってぇ!」

「新宮。お前が悪い。とりあえず、ここから出るぞ」

 そう言って、俺達は強制的に水族館から退場させられた。

 

 宗像先生は近くの駐車場に車を停めているとのこと。

 まだびしょ濡れだったひなたの姿を見て

「車の中に着替えがある。それを着ておけ」

 と車内へ誘導した。

 

 宗像先生の所有する車は、なんとあの高級車ベンツのジープ。Gクラスというやつだ。

 窓はスモークガラスで外から中を見ることができない。

 とりあえず、残された俺とアンナは駐車場で二人して待つことになった。

 

 なんだか気まずい。

「アンナ……どうしてこんなことをしたんだ? そんなに俺が信用できなかったのか」

 彼女は暗い顔で俯いていた。

 どうやら少しは反省しているようだ。

「だっ、だって……。ごめん、タッくんが他の子と一緒にいるのが辛くて……胸がギューッて締め付けられちゃうの」

 緑の瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。

「そ、そうか。配慮が足りなかったのかもな……だが、謝るなら俺ではなく、ひなたの方がいいと思うぞ?」

「うん……あとでちゃんと謝る」

 

   ※

 

 着替えが終わったひなたの登場。

 だが、その装いがどこか見慣れた衣服だった。

 白い体操服に紺色のブルマ。

 三ツ橋高校のものだ。

 

「って、なんで体操服にブルマなんですか!?」

「あん? 文句を言うな。私が日頃から三ツ橋高校で拝借しているものだ。寝巻きにちょうどいいからな。あとたまに部活帰りの生徒が、忘れていった汗臭いブルマを、ネットオークションに出品すると高く売れるからな、だぁはははっははは!」

「えぇ……」

 もう教師やめちまえよ、こいつ。

「なんだ? 新宮、お前も着たいなら車内に山ほどあるぞ?」

 誰が着るか!

「遠慮しておきます」

 

 四人でジープに乗り込む。

 もちろん宗像先生が運転席、その隣りの助手席は俺。

 後部座席にひなたとアンナが並んで座る。

 先生が俺のことでまた二人がケンカするからと遠ざけたのだ。

 

 窓を開けて海辺の道路を突っ走る。

 沈黙の車内、どうにも息苦しい。

 見兼ねた宗像先生がこう切り出す。

「で、そこのブリブリ女。お前、誰だ? 本校の生徒じゃないな?」

「ぶ、ブリブリって……アンナのことですか……」

 初対面の女性に、毎回言われるのか、それ。

 バックミラーで彼女を確認したが、かなり落ち込んでいる。

 対して、ひなたは、隣りのアンナを見て嘲笑う。

「アンナちゃん以外いないでしょ。そんな痛い女」

 視線は窓の外。手に顎を乗せて、他人事のようにぼやく。

 

「お前、アンナというのか? とりあえず、お前らメスガキ共は、このイカ臭い新宮で盗りあってケンカしていたな? 理由はなんだ?」

 しれっと人をディスりやがった。

 アンナがその問いに答える。

「あ、あの……タッくんは取材、デートをしないと小説の世界に活かせないんです。だから私……アンナが取材の協力をしていて……」

 それを聞いた宗像先生は、吹き出す。

「ブフッー! お前か!? この新宮に付き合っている物好きな女は!? だぁはははっははは! やべっ、超面白い!」

「あの、まだ付き合っては……いません」

 頬を赤くしてモジモジしだすアンナさん。

「なるほど。友達以上彼女未満てやつか? で、赤坂は?」

 話を振られたひなたは、嫌味たっぷりに答える。

 

「今日は私がデートの日だったんです! なのに、この隣りにいるブリブリアンナが邪魔してきたんですよ!」

 やめてあげてぇ、人のアンナちゃんをウンコぽくするの。

「それは良くないな。だからケンカになったわけか……くだらねぇ、ガキの痴話げんかだな、けっ!」

 ちょっと、この人。最後、私情持ち込んでいるだろ。

 

「ひなたちゃん、アンナ……私が間違ってました。本当にごめんなさい」

 律儀に頭を下げて、丁寧に謝罪する。

「わ、分かればいいのよ。でも、こっちだってセンパイを譲るわけにはいかないわよ!」

「うん☆ 命がけでタッくんを奪い合うんでしょ? わかってる☆」

「そうよ、先輩の取材は、相手を殺す勢いがないとね」

 なんか意気投合しちゃったよ? この二人。

 てか、俺を殺すのはやめてね……。

 

 隣りで運転をしていた宗像先生が舌打ちし、俺の腹を肘打ちする。

「くだらねぇもん、見せつけるな。新宮」

「す、すいません……」

 なんで、俺ばっか痛い目に合うの?

 



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第二十九章 女教師観察日記
232 新たなサブヒロイン登場?


 

 ひなたとアンナが一応、仲直りしたところで、話を聞いていた宗像先生が今後、トラブルのないように、提案を出した。

「互いの取材、デートは邪魔しない。遭遇しても相手に譲ること」

「というか、そうじゃないと恋愛小説じゃない」

 正論を言われてしまい、二人のヒロインは渋々、それを承諾した。

 

 宗像先生が俺に

「どうしてそこまで取材する必要性があるのか?」

「また、そんなにデートすると金が足りないだろ」

 と質問された。

 だから、俺は

「ラブコメの話に使えることなら、大体、出版社が経費で落としてくれる」

「白金が特別に許してくれた」

 と説明する。

 

 すると、先生は走らせていた車を急停止する。

 キキーッ! という音に、俺は思わず耳を塞ぐ。

「はぁ!? デートして遊ぶくせに、経費で落ちるのか!?」

 なんて俺の目を見て、大きく口を開いて驚いている。

「は、はい……ていうか、危ないじゃないですか。急に道中で停まるなんて……」

 俺の言葉は宗像先生に聞こえていないようだ。

「なんてこった……盲点だった……」

 と独り言を呟いて、ハンドルの上に顎をのせ、頭を抱え込む。

 

 信号でもない一本道の車線だったので、背後に止まった車がクラクションを鳴らす。

「おい! 早く行けや! こんなところで停めてんじゃねぇ!」

 それを聞いた宗像先生は、窓から顔を出し、後ろの運転手に怒鳴り散らす。

「うるせぇ! こっちは死活問題なんだ! ブチ殺すぞ、コノヤロー!」

「す、すいません……」

 明らかにこっちが悪いのに、宗像先生の気迫に負けたのか、謝ってしまう。

 

 それからまた車を発進させたが、なにやら考え込んでいる。

「先生、どうかしたんですか?」

「……ああ、新宮。実はな。良いことを考えたぞ!」

 怒ったかと思ったら、急に目を輝かせて喜んで見せる。

「いいこと?」

「そうだ! 新宮、お前の書いている恋愛小説なんだが、ヒロインは何人いても困らないだろう? むしろ沢山いれば、童貞の読者もハーレムを味わえてウルトラハッピーだろ!」

 ラノベの読者様を、童貞と決めつけるのは、やめて頂きたい。

「ま、まあ、王道っちゃ、王道の設定ですよね……で、それとこれと、どういう意味が?」

 すると、宗像先生は、自信に満ち溢れた顔で、親指で自身のデカすぎる左乳をプニプニ押してみる。

「いるじゃないか!? ここに! セクシーで大人の魅力溢れるヒロイン候補がっ!」

「え……」

 俺は予想外の提案に絶句していた。

 

 後ろで話を聞いていたうら若きヒロイン達も、その提案にブーイングが飛び交う。

 

「宗像先生がヒロイン? 有り得ないですよ。だって、先生ってもうアラサーでしょ? おばさんに近いですよ。それに教師と生徒が恋愛なんて犯罪です!」

 とひなたが身を乗り出して、言う。

「アンナもそれは無理だと思うなぁ……読者の人って多分、10代の人ばかりだと思うもん。誰が好き好んでアラサーの婚期を取り逃した売れ残りに、胸キュンするのかな? やっぱりヒロインは、主人公と同年代じゃなきゃ、キュンキュンしないと思う」

 と控えめに言うのはアンナ。

 だが、その言葉は、宗像先生の大きな胸に、グサグサと突き刺さっているようだ。

「……」

 その証拠にハンドルを握る手が震えだした。

 

「アンナちゃんの言う通りだよ~ だってさ、もし商品化したとしてさ。グッズを販売するとして、私たち10代のヒロインは、即売り切れると思う。けど、宗像先生のキャラだけ絶対売れ残ると思う」

 グッズ展開までしっかり考えているのか。

「ひなたちゃんも同じことを考えてたんだぁ☆ 可哀そうだよね、そのキャラ☆ 多分、出版社の人、商品を開発する人、販売する人、全員からお荷物扱いだよ。あと、転売ヤーもそれだけは買わないで帰ると思うんだ☆」

「だよね~ やっぱり10代の女の子同士だと、話合うね♪」

「うん☆ ホント、その通りだね☆」

 と後部座席では、話が盛り上がっているが、俺の座っている助手席では生きた心地がしない。

 

 宗像先生の目つきがどんどん鋭くなり、険しい顔で運転が荒くなっているからだ。

 

「おい……小便臭いメスガキ共、お前らいい根性しているな。新宮は今から私と取材をする。お前らはここで降りて帰れ」

 ドスの聞いた声で、二人を脅す。

「「はぁ!?」」

 当然、アンナとひなたは、抵抗しようとするが、時すでに遅し。

 バス停も駅も見えない田舎の一本道に、放り投げられた。

 

「ひど~い!」

「タッくんを返して!」

 

 そんなことを隣りに座る、この破天荒教師が聞く耳を持つもわけなく。

「やかましい! お前らは歩いて帰れ! 新宮は私が責任を持って、取材の相手をしてやる!」

 こちらの意思なんぞ関係なく、勝手に取材が決まってしまう。

 そして、二人を残して、猛スピードで車を飛ばす。

 

「ははは! さ、新宮。大人の魅力ってやつをたっぷり教えてやるからな」

「……」

 俺、今夜無理やり襲われるのでしょうか? 絶対に嫌です。



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233 大人のオ・ン・ナ、教えてあげる♪

 

 宗像先生とドライブすること、30分ぐらい。目的地に到着。

「よし、着いたぞ。さ、新宮。これが大人の女性のワンルームマンションだ♪」

「え……ここって」

 見慣れた光景、六角形の大きな武道館、Y字型の建物、駐車場。

 間違いない。

 俺が通っている高校、一ツ橋高校だ。

 いや、正確には、全日制高校の三ツ橋高校の校舎である。

 

 近くでは、

「はーい!」

 なんて、甲高い女子の掛け声が聞こえてきた。

 夏休みだが、部活動はやっているようで。

 運動場や色んな教室から、様々な声や音が漏れている。

 

 

「先生……ここ、うちの高校じゃないですか?」

 車を降りて、学び舎である建物を指差す。

「ああん? なに言ってんだ。私の我が家は一ツ橋高校の事務所だ!」

 白い歯をニカッと見せて、親指を立てる。

「ちょ、ちょっと、何をする気なんですか? 勝手に校舎使ったら怒られますよ」

「バカだな、新宮は。確かに三ツ橋高校の建物を無断で使用したりすれば、怒られるよな。でも、あの事務所だけは違う。我が一ツ橋高校が所有している唯一の場所だ。つまりその管理者、責任者であるこの私、宗像 蘭ちゃんなら、泊まろうがナニしようが、無問題なのだ!」

「……」

 

 その後、宗像先生の話を詳しく聞いてみたら。

 以前は近くの安いアパートに一人暮らししていたが、家賃を滞納しすぎて、追い出されたらしく、現在は事務所を自宅として、利用しているらしい。

 

 

 裏口から入り、俺は下駄箱に自分の靴をなおして、上靴に履き替える。

 先生は一足先に二階の事務所へと上がっていた。

 

 俺が下駄箱から階段を登ろうとすると、制服を着た男女数人と遭遇。

「おつかれさまでーす!」

 なんて労いの言葉を頂いた。

「ちっす」

 と軽く会釈して、事務所へと逃げ込む。

 

 だってもうスクリーングはないし、通信制の一ツ橋高校は終業しているからだ。

 本来なら、この校舎に来るのは、校則違反だと思う。

 

 久しぶりの事務所だが、相変わらずの殺風景で、全てがボロい。

 デスクやソファー、食器棚。

 貧乏なのが丸分かりだ。

 

 宗像先生は奥にあった小さな冷蔵庫から、ハイボール缶を二つ持って来て、応接室であるソファーにダイブする。

 二人がけの方だ。

 

 寝転がってグビグビ飲みだす。

「プヘ~ッ! うめぇなぁ。生徒から搾り取った金で飲む酒はよぉ~」

 最低な人間だ、こいつ。

 俺は宗像先生とは、反対方向の1人がけのソファーに腰を下ろす。

「先生……ところで、こんな環境なのに、よくあんな高級車を乗り回してますね。だって家賃払えないから、事務所で暮らしているんでしょ?」

 そう尋ねると下品な笑い方でこう答える。

「はーっははは! 私がベンツなんて買えるわけないだろ! あれは借りもんだよ」

「ん? 借りもの?」

 嫌な予感がしてきた。

「そうだよ? 三ツ橋高校の校長さ。金持ちなんだよ。あのオヤジ……ムカつくよな?」

「いや、それとこれと、どういう関係が?」

「あのおっさんがさ、自宅に何台も高級車持っててさ。多すぎてたまに高校の駐車場に置いておくわけ。その時にちょっとな♪」

 ちょっとってなんだよ。

「つまり?」

「スペアキー作って置いたんだよ。このこと、内緒だぞ~ 新宮!」

 誰にも言えるか!

 

 宗像先生が三本のハイボールを飲み終えた頃。

「さ、そろそろ……大人の魅力ってやつを取材に行くか! 新宮!」

「どこに行く気ですか?」

「そうだな。まずは、大人のデートを知りたいだろ? なら、パッチンコだ!」

「……」

 こいつ、そういうことかよ。なんとなく察してきた。

「もちろん、デートなんだから、経費で落としてくれよな♪」

 なんてウインクして、誤魔化そうとしていやがる。

 

 宗像先生は、アンナやひなたのようにデートを楽しむわけではなく、経費でタダになるからと、俺を利用したに過ぎない。

 クソがっ!

 



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234 先生とデート1

 

 破天荒な宗像先生だが、さすがにハイボールを飲んだ直後なので、車には乗らず、徒歩で近くの赤井駅に向かうことにした。

 だが、片手にはストロング缶を持って歩く。

 

「ぷっは~! 良いよなぁ、こう暑い日に愛すべき生徒と共に、健康的なウォーキングデートか。新宮、ちゃんとここ覚えておけよ、小説に使えるだろ?」

 使えるか!

「いや……無理だと思いますよ。というか、本当にパチンコへ行くんですか? 俺、高校生ですよ」

 俺がそう苦言を呈したが、宗像先生は聞く耳を持たず、下品に笑う。

「はーっははは! 大丈夫だっての! この蘭ちゃん先生がそばにいるんだから、安心して、先生のおっぱいに顔を埋めなさい!」

 と言って、頼んでもないのに、気持ち悪い巨乳に俺の顔を押し付ける。

 水着だから、生乳だし、汗もかいている。

 より吐き気が増す。

「先生……ちょっと、やめてもらっていいですか……鳥肌が……」

「なんだぁ? もう興奮しちゃったのか? いいぞ~ 今夜、私がお前を男にしてやっても?」

 自分のことを良いように解釈するな!

「はぁ……」

 

 

 赤井町は福岡県の北東部、白山(しろやま)市の中央に存在する地区である。

 元々、福岡県白山郡赤井町だったのだが、色んな村や町が合併を繰り返し、近年、白山市となり、大きな街になった。

 多分、『市ブーム』だったのだと思う。

 福岡県は、福岡市と北九州市がビッグネームすぎて、他の地域は、何々郡というのがダサい、田舎臭い、じゃあ名前変えようぜ! 的なノリで、市になった気がする。

 ミハイルが住む席内市もそうだ。

「波に乗れ、市にぃ~」

 みたいな感じで、流行りだったのだと思う。

 

 けど、街自体は、とくに変わらない気が……。

 

 なんて福岡の歴史を振り返っていると。

 赤井駅にたどり着く。

 駅の長い跨線橋を渡って、反対側に降りると、『くりえいと白山』が目に入る。

 

 白山市の代表的な場所だ。

 20年ぐらい前に開発された複合商業地域であり、またそれを囲むようにたくさんの住宅街が並ぶ。

 赤井町で遊ぶなら、このくりえいと白山が一番だ。

 

 スーパーのダンリブ、ゲームセンター、100均ストア、飲食店、生活家電、文具……などなど、なんでもありの巨大ショッピングモールだ。

 

 もちろん、宗像先生の言うパチンコ屋も複数出店している。

 

「よぉし! 新宮! 勝ちに行くぞ! 酒のみ代が欲しいからな!」

 こんの野郎、やっぱり俺を財布代わりにしやがって。

 

 宗像先生は俺の腕を掴んで、強引にパチンコ屋へと連れて行く。

 店に入るや否や、すぐに台を決め、俺も隣りの台で一緒に打てと言う。

「ほら、取材だろ? 早く回せ!」

 俺の意思は関係なく、玉貸し機にお札をぶち込まれて、俺の台にも玉が転がってきた。

「先生、まずいでしょ……」

「バカヤロー! 昔から偉人には総じて特徴があるのを知らないのか? 新宮、お前はそれでも作家の端くれか? 飲む、打つ、買う。これを極めない限り、お前は文豪にはなれないぞ?」

 なに真顔で変なウソをついてんだ、このバカ。

「俺は別に、文豪なんて目指してないですよ……」

「ごちゃごちゃ言うな! さ、回すぞ! フルスロットルだ!」

 勝手に回転しとけよ

 

 

 しばらく、無言で回し続けること、30分。

 俺の台は大当たり。

 わんさか出るわ出るわ……。

「やるじゃないか! 新宮、お前センスあるわ!」

 隣りでガッツポーズをとる宗像先生。

 

 近くに立っていたスタッフが俺達に気がつく。

「ちょっと~ 宗像先生じゃないっすか~ 先生はもうこの店、出禁って店長から言われたでしょ?」

 金髪の若い男性が、嫌なものを見てしまったという苦い顔で、声をかけてきた。

「あぁん!? うるさいな、お前……私が来てやったんだ。儲かってしょうがないだろ?」

 どうやら、先生とは顔見知りらしい。

「そりゃ……宗像先生っていつも外ればっかだから、儲かるのは事実っすけど。何回も俺に玉をせびるじゃないっすか? だから店長が出禁にしたんでしょ?」

「なんだと、コノヤロー!? お前、それが恩師に対する態度か? 玉の一つや二つ。男だったら、わけないだろ。もっと出せ!」

 酷い恫喝だ。

「勘弁してくださいよ。俺、もうクビになりそうですよ。いつまでも、生徒と教師の間柄じゃないんですから……」

 どうやら、一ツ橋高校の卒業生のようだ。

 

「はっ! この店に就職させてやったのは、誰だっけ?」

「え、それは宗像先生っす……」

「だよな! じゃあ、玉をよこせ! はーっははは!」

 鬼だ。

 お兄さん、涙目で新しい玉をたくさん追加してくれた。無料で。

 その際、俺にだけ聞こえるぐらいの小さな声で囁く。

 

(君、一ツ橋高校の子でしょ? この人と付き合うとろくな人生おくれないよ)

(肝に銘じておきます、センパイ)

 俺は黙って頷き、その先輩と硬く握手を交わした。

 同じ被害者同士として……。

 



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235 先生とデート2

 

 パチンコでボロ儲けした宗像先生は、

「ヒャッハー! 換金してくるわ♪」

 とスキップしながら、店の奥にある謎の建物に直行。

 

 俺は先生を待っている間、パチンコ屋の駐車場でスマホを確認する。

 通知が酷いことになっていた。

 アンナの怒涛のL●NEが112件も。

 次にひなたから、電話やメールが数件。

 

 かなり心配しているようだ。

 返事だけでも打っておくかと、スマホのアプリを開き、メッセージを作成しようとした瞬間。

「おい、なにやってんだ? 新宮」

 と背後から声をかけられた。

「あ、いや。宗像先生、ひなたやアンナに連絡を……」

「必要ない!」

 そう言うと、俺のスマホを取り上げ、電源を強制シャットダウン。

「あ……」

「バカモン! これは没収だ。デート中に女性の前でスマホをいじるなんて、最低の行為だぞ? 取材にならないだろ……それこそ、あれだ。付き合っている女性の目の前で、エロ動画見て自家発電するぐらい失礼だ!」

「ええ……」

 初めて聞いたわ、そんな表現。

 

 俺はスマホを諦め、宗像先生の言う大人のデートとやらを、再開するのであった。

 先生が次に向かった場所は、ドラッグストア『森林(もりばやし)』だ。

 何か買い物をするのか? と訊ねたが、首を横に振る。

「ま、見ていろ。これが年の功というやつだ」

 入口を抜けてすぐにある、カート置き場で立ち止まる。

 積まれたカゴを一つ一つ持ち上げて中を確認する。

「ちっ、ないな……」

 すると次は、カートを一台ずつ、出しては直してを繰り返す。

「ないな……」

 なにかを一生懸命探しているようだ。

 

「宗像先生? なにか忘れ物ですか?」

「ああ。ドラ森は500円以上買い物をするとな。福引券が一枚出るんだよ」

「福引券? それがどうしたんですか?」

「たまに要らないって、捨てて行く客がいるんだよ」

 ニヤリと怪しく微笑む。

 乞食じゃねーか。

 

 カート置き場を諦めた先生は、店内に入っても買い物はせず、また福引券を探し始めた。

「いいか、一番落ちている確率が高いのは、サッカー台だ。買い物終わりの客が商品を詰め終わったあと。捨てて行くんだ。10枚集めないとくじができないからって、諦める奴が多いんだよ。さ、新宮も探せ探せ」

「えぇ……」

 俺と宗像先生はレジ近くで、コソコソと福引券を探す不審者と化してしまう。

 

 ~10分後~

 

「新宮、そっちはどうだ? 私は30枚もゲットしたぞ!」

 よくもそんなに拾ったな。

「俺は2枚ぐらいですね……」

 なにやってんだろ、俺。

「そうかぁ、じゃあ、あと8枚でくじが出来るなぁ~ よし、奥の手を使おう! レジの下やサッカー台の下を見てみよう!」

「う、ウソでしょ?」

「バカヤロー! これが大人の生き方ってもんだ。しっかり取材して覚えておけよ!」

 そう言ってかがみ込むと、床の上で四つん這いになり、サッカー台の隙間に手を入れて、探し出す。

 他の客から見たら、ケツをブリッとこちらに向ける痴女だ。

 しかも、宗像先生はローライズのショーパンだから、ちょっと、はみ尻しちゃっている。

「う~ん……おお、あったぞ! 新宮、こっちこっち! お前も速く取れ!」

 もう嫌だ。恥ずかしくて死にそう。

 

 40枚も集めた宗像先生は満足したらしく、

「くじを楽しむぞ!」

 なんて喜んでいる。

 

 これって、犯罪なのでは?

 どっかのマンガかアニメで、似たような事をしていたような……。

 あ、アレだ。ジ●ジョのしげちーのスタンドじゃん。

 

 宗像先生は今日のくじ引きのために、他にもくまなく探しまくったらしく、駐車場や近くの自動販売機の下も這いつくばって、福引券を大量にゲットしたと誇らしげに自慢していた。

 

「はーっははは! 見ろ、新宮! 100枚だ! ふっ、こんなに集めらるのは、私だけだな」

「でしょうね」

 冷めた目で、アラサーの女を見つめる。

 よく見れば、大半の福引券は、汚れたり、雨で濡れてグニャグニャに歪んでいるもので占めている。

 これ、持って行くのかよ。恥ずかしい。

 

 

 店内の奥にあるくじコーナーに向かい、宗像先生は、大量の紙切れをカウンターへと放り投げる。

 若い男性店員が、数えるのに必死だ。

「ひゃ、100枚なので、10回くじを回せます……」

 店員さん、拾っているのに気がついているだろ。めっちゃ、ドン引きじゃん。

「はーっははは! そうかそうか、新宮。今日は先生のおごりだ。お前が回していいぞ。その代わり、商品は全部先生がもらうからな!」

 いらねーよ。

 並べられている商品がそんなに大したもんじゃないもん。

 ティッシュ、トイレットペーパー、シャンプー、タオル、アメとか……。

 

 俺は抽選器を計10回も連続で回した。

 こんなに回すの、生まれて初めて。

 玉が出る度に、店員がベルを鳴らす。

「一等大当たり~! トイレットペーパーでーす!」

 なにこれ、全然うれしくない。

「……」

 無言の俺に対し、宗像先生はその場でジャンプして大喜び。

 もちろん、バカみたいにデカい乳がブルンブルン震えて。

「しゃあーっ! これでトイレに困らないな!」

 その後も、シャンプーが当たったり。

「よっし! でかした、新宮。これで髪のパサつきが、しばらく無くなるぞ!」

「……」

 なんか一周回って、この人が可哀想に思えてきたのは、俺だけでしょうか?

 



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236 先生とデート3

 

 宗像先生は、ドラッグストアで大量の生活必需品をゲットして大喜び。

 店から外に出ると、もう陽は暮れ、辺りは真っ暗になっていた。

 

「うーん! いい大人のデートが出来たな~ 新宮」

「え、今までのデートなんですか? 大人の中で?」

「あん? そりゃそうだろ……大人ってのは、ガキと違って、必死に毎日を生きるもんだ。それこそ、這いつくばってもな」

 あんた、文字通り、這いつくばって福引券を漁ってたもんな。

 間違ってはないよ。

 

「さ、ショッピングデートは済んだし、次はロマンティックなディナーデートと洒落込むか♪」

「ディナー? どこかで夕食ですか?」

「ああ、私の行きつけの店でな。あそこに行けば、どんな女でもイチコロだぞ♪」

「へぇ」

 なんだろ? イタリアンレストランとかかな。

 

 

 くりえいと白山を出て、赤井駅に戻る。

 駅周辺には、小さな飲食店がたくさん並んでいて、夜だから看板や提灯に灯りがついている。

 主に赤井町の住人やサラリーマンが、仕事帰りに一杯といった感じの大衆食堂や居酒屋が多い。

 俺の住んでいる真島商店街とあまり変わらないな。

 しかし、最近は時代ということもあって、田舎でも若い人々が狭い敷地を活かして、お洒落な店を開店している。

 小規模でも流行れば、充分儲けられるんだから、すごいよな。

 要は工夫だ。

 

 しばらく、先生と一緒に歩いていると、一つの店の前で立ち止まる。

「さ、着いたぞ」

「え……ここですか?」

「はーっははは! しゃれとーだろ?」(洒落ているだろ?)

「いえ、普通ですばい」(普通ですね)

 宗像先生が急にコテコテの博多弁を使ってきたので、俺もエセ博多弁で突っ込む。

 

 店の名前は、『やきとり、鳥殺し』

 酷いな……鳥さんたちに謝れよ。

 

 どこが洒落ているんだ? ただの居酒屋、焼き鳥屋じゃないか。

 

 困惑する俺を無視して、先生は店の赤いのれんをくぐり抜ける。

「おおい! 来てやったぞ! 今日はカレシも連れてきたからな!」

 誰が彼氏だ!

 店内に入ると、がたいの良い若い男性店員が何人もいて、大きな声で俺達をおもてなし。

 

「「「いらっしゃいませぇ~ どうぞ、どうぞ!!!」」」

 

 バカみたいに叫ぶので、思わず耳を塞いでしまう。

 店員たちは、皆同じ色の黒いTシャツを着ていて、黄色の文字でデカデカと店名である『鳥殺し』とプリントされていた。

 

 小さな店だが、活気がある。

 炭で肉を焼いているため、少し煙が目に染みるが、それよりもチリチリと立つ音が心地よく、また店中に漂う旨そうな香りが、腹の音を鳴らす。

 

 俺達は、カウンターに通された。

 

 店員からおしぼりを受け取った宗像先生は、メニューを見もせず、一言。

「いつものくれ、二人分」

 なんて常連ぶりをアピール。

「はいよ! 宗像先生! いつもあざっす!」

 若い大将だ。金髪のお兄さん。まだ20代前半か。

 周りの店員もみな同じぐらい。

 なんていうか、元ヤンって感じの風貌。

 だが、感じは悪くない。

 

「新宮。お前はなにを飲む?」

「え、俺ですか? じゃあ、アイスコーヒー、ブラックで……」

 と言いかけたら、先生に一喝される。

「バカヤロー! そんなもん、居酒屋にあるか! 酒を頼め!」

「い、いや、それは……俺、まだ未成年ですよ?」

「関係ないだろ! 今はデートという設定なんだ! 私と飲め! 大人のデートを味わないとちゃんとお前は小説に還元できないんだろ? じゃあ、飲め!」

 なんて無茶苦茶な発想だ。

 しかも、教師の言う事じゃない。

 

「ですが……法律は守らないと……」

「うるせぇ! タマの小さい野郎だ! もういい。私が頼む。おい、ハイボールを二つくれ!」

 勝手に頼まれてしまった。

 

 俺達の会話を聞いていた大将が苦笑いで「あいよ」とハイボールを作り出した。

 マジで作るの?

 

「お待ちどう!」

 ドンッ! とデカいジョッキがカウンターに二つ置かれた。

 

「キタキターっ! これと焼き鳥が合うんだよぉ~」

 涎を垂らすアラサー教師。いや、ただのアル中。

「これ、マジで飲むんですか……」

「そうだよ! さ、乾杯するぞ!」

 反抗すると殺されそうなので、とりあえず、ここは彼女に合わせ、乾杯してあげる。

 まあ、あれだ。ひと口飲んだ振りして、逃げるしかない。

 

 恐る恐るジョッキに唇を近づけると、なにか違和感を感じる。

 香りだ。

 これは……ジンジャーエール?

 舌で舐めてみる。

 確かにジュースだ。アルコールは感じない。

 

 カウンターの奥で焼き鳥を仕込んでいる大将の方を見つめていると、俺に気がついたようで、ウインクしてきた。

 

 近くにいた別の店員が耳打ちしてくる。

(あのさ、一ツ橋の生徒でしょ? 大丈夫、宗像先生に付き合わなくていいから。それ、ジュース)

(え、まさか。卒業生の方ですか?)

(うん。この店の従業員、みんなそうだよ)

(あ、あざーす)

 

 危うく犯罪を犯すところだった。

 先輩たちに救われたよ……ありがとう。

 



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237 先生の秘密

 

 居酒屋に入って、二時間ぐらい経ったか。

 他にも数人の客が酒や焼き鳥を楽しんでいたが、カウンターには誰一人として、近づかなかった。

 みんなお座敷に座っていた。いや、逃げたのだ。

 その元凶は、俺の隣りにある。

 

「うお~い! おい、おいって! 聞いてんのか? このタコ!」

 角瓶をラッパ飲みして、店の大将を煽るアラサー教師、宗像 蘭ちゃん。御年28歳。

「な、なんすか、宗像先生……」

 肉を焼いたり野菜を刻んだり、手際よく働いているのに、この隣りの酔っ払いが一々文句を言ってくるから、大変だ。

「おめぇよ~ この店、ちゃんと売れてんのか? 出世払いったろ! 早く金返せ! 返さないと店にガソリン巻いて燃やしてやるからな!」

 酷い恫喝だ。ヤクザじゃん。

「ちょ、ちょっと勘弁してくださいよぉ……他のお客さんもいるんですから。それにおかげさまで儲かってますよ。借金なら必ず返しますんで。ほら、このぼんじりでも食べてください。サービスなんで、お代は取らないんで」

 と言って、ぼんじりを二つカウンターに置いてくれた。

 

「うひょお~ これにハイボールが合うんだわぁ~」

 そう言って左手に角瓶、右手に炭酸水を持ち、交互に口の中に流し込む。

 意味あるのか、あれ?

 

   ※

 

「んがががっ……」

 ハイボールをダブルで8杯。角瓶1本を飲み干した宗像先生は、とうとう寝落ちしてしまった。いや、寝てくれてありがとう。

 店が大変静かになりました。

 

 俺は一人、カウンターで焼き鳥を楽しむ。

 うん、うまいなぁ。

 ジンジャーエールと砂ずりは。

 

 なんて思っていると、大将が俺に話しかけてきた。

「ねぇ。宗像先生、もう寝た?」

「あ、もうこいつはグッスリ寝てますね。すいません、なんか色々とうるさい客が来て」

 生徒の俺が謝っておく。

「いやいや、先生は常連さんだし、俺らこの店を開業する時、宗像先生が色々とやってくれたから……この人に一生頭が上がらないよ、ハハハ」

 なんて照れ隠しのつもりか、頭に巻いていたタオルを撫でている。

「宗像先生がこの店に何かしたんですか? そう言えば、さっき借金がどうとか……」

「ああ、そうだよ。この店の開業資金は、先生が用意してくれたんだよ」

 俺は手に持っていた串を、ボトンと皿に落としてしまう。

 深呼吸した後、顎が外れるぐらい口を大きく開いて、叫び声をあげた。

 

「えええええ!?」

 

 俺の悲鳴に、店中の人間から視線が集まる。

 大将は苦笑いしていた。

 

「本当だよ。この人って無茶苦茶な生き方してるでしょ? でも、生徒には基本、優しい人なんだ。俺らが『銀行から融資してもらえない』って相談したら、宗像先生が色んなところで借金してくれてさ。前科もん就職できない俺達のためにって、ポンと大金を出して来てくれたんだ。無担保、無利子でね」

「ウソだあああ!」

 信じられない。

 あの破天荒で自分本意なポンコツ。クソバカ教師が、そんな聖人君子みたいなことをしていた、だと……。

 じゃあ、俺たち在校生にも、その優しさをくれや!

 

 大将の話はまだまだ続き。

「ちょっと店を出てみない?」

 なんて外に誘われる。

 彼が言うには、見せたいものがあると。

 

 近隣の商店街だ。

「あの店見える?」

 大将が指を指した方向は、道路を挟んで反対側の小さなお店。

 もう夜だから、閉店しているが、トレーディングカードの販売店みたいだ。

「ん、あれがどうしたんですか?」

「そのトレカショップも、俺達と同じ一ツ橋の卒業生が経営してる店なんだけど。あれも開業資金は宗像先生が用意したんだよ」

「う、ウソだ! ウソだウソだウソだ!!!」

 俺の脳内は大パニック。

 膨大な情報が処理能力に追いつてこない。

 

「ホントだって。あと、その二件隣りのゲーセンも宗像先生が作ったようなもんだよ。ひきこもりとかオタクの卒業生がなかなか就職できないって嘆くから、『じゃあオタクが来る店を作るかっ!』てね。トレカとゲーセンは卒業生の職場だけど、憩いの場でもあるんだよ」

「んん……ぐはっ!」

 ちょっと余りの聖人っぷりに吐き気がしてきた。

「他にも先生は、積極的に子供たちへ色んな施設や場所を作っているんだよ。俺も昔ヤンチャやっててさ。シンナー中毒だったんだよ……。そん時、更生施設みたいなのを宗像先生が作ってくれてさ。元ヤンの卒業生達が管理していて、同じ境遇だから、気持ちわかるじゃん? だから、俺もそこで治療しながら、一ツ橋に通っていた感じだよ、ハハハ!」

 

 いや、あの人ってそんな裏の顔があったの?

 俺、詐欺にあってないよね? 本当に同じ人?

 

「な、なぜそこまで、宗像先生は他人のために金や労力を消費するんですか?」

 素朴な疑問に、大将は眩しいぐらいの笑顔でこう答える。

「それがあの人の楽しみだからだよ」

「……」

 なにも反論できなかった。

 良い人過ぎて、俺が生きている価値が見いだせないぐらい。

 

 大将はまだ話を続ける。

 宗像先生の聖人ぷりを。

 

「他にもやっているよ? ヤンキーとか半グレだけじゃないじゃん? ひきこもりとかニートのためにグループホームを作ったり、その子たちが在宅でも勉学や仕事が出来るように、色んなやり方を常に模索している教師の鏡みたいな人だね。俺達のために多分、相当な借金を抱え込んでいるよ、きっと。だから、俺はあの人の想いに応えるため、この店でバリバリ働いて、借金を返すのが、夢さ」

 なんて語りまくった後に、親指を立ててウインクしやがった。

 元ヤンのジャンキーのくせして……くっ! 憎めない!

 

 まぶしい! 眩しすぎる!

 こんな奴が目の前にいたら、もう俺溶けて死んじゃいそう……。

 



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238 先生と温泉

 

 宗像先生の裏の顔を知った俺は、動揺を隠せずにいた。

 店内に戻って、その本人を見つめる。

 カウンターに涎を垂らして寝ているこのアホが、そんな優しい教師だったなんて……。

 

 

 しばらく待っても宗像先生は、起きることが出来なかったので、店の大将が車で送ってくれるという。

 俺はさすがに悪いと断ろうとしたが、彼は笑顔で「いつものことだから」と手慣れた感じで、先生を抱え店裏の駐車場まで案内してくれた。

 いびきをかいている宗像先生を、後部座席に寝かせて、俺は助手席に乗せられた。

 大将の母校でもある一ツ橋高校へと車を飛ばす。

 

「いやあ、今日の宗像先生。かなり嬉しそうだったよ」

「え、そうですか?」

「うん。きっと君が一緒にいたからじゃない? 幸せそうな顔をしてたよ」

 あれのどこが?

 ただ、ハイボールをがぶがぶ飲んで、文句垂れてただけじゃん。

 

 

 大将は、高校の駐車場に車を停めると、先生をまた抱きかかえ、わざわざ二階にある事務所まで連れて行く。

 二人がけのソファーに先生を寝かせて「じゃ」と去っていった。

 

「ふごごご! クソが……パチンコ勝てねぇじゃねーか……」

 

 腹をかいて寝言を言っている。

 こんなバカが……ね。

 人は見かけによらないもんだな。

 

   ※

 

 一時間後、先生はなにを思ったのか、いきなりソファーから飛びあがる。

「ハッ!? また記憶飛んでる!?」

 反対側のソファーに座っていた俺はその姿を見て、ため息をつく。

「焼き鳥の大将がわざわざ送ってくれましたよ……」

「ほう。ところで、領収書もらっておいたか?」

「え、まあレシートなら……」

「でかした! あとで今日使ったやつ、全部お前に渡すから、白金に経費として落としてもらえよな♪」

 ただギャンブルと酒に使っただけじゃねーか!

 どこが取材で、どこが大人のデートなんだよ!

 なんの勉強にもならんかったわ。

 

 

「ところで新宮。お前、風呂に入りたくないか?」

「え? どこで入る気ですか……まさか、三ツ橋の部室のシャワールームを勝手に使う気ですか?」

 もうこの人の思考、読めてきたよ。いい加減。

「失礼な言い方をするな! こんな暑い夜だ。もっとお洒落な大浴場に行こう♪」

「だ、大浴場?」

「うむ。私に任せろ。さ、着いて来い!」

 嫌な予感マックスだが、とりあえず、黙ってついていく。

 

 誰もいない静かで真っ暗な校舎を二人して歩く。

 先生が言うには、以前ミハイル達と一泊した食堂の近くに浴場はあるらしい。

 階段を降りて、校舎を出て目の前に食堂はあった。

 そのすぐ裏に二階建ての大きな建物が見える。

 

 近寄って正面から見てみると、大きな看板が目に入った。

『三ツ橋アリーナ』

 

「なんですか、ここ?」

「ああ、通信制ではあまり使ってないから、わからないよな。ここは普段、水泳部が利用しているプールだ! 夏には持って来いの大浴場だろ!」

 んなことだと思ってたよ……。

 

 俺と先生は、階段を昇って、二階の入口からプールへと向かった。

 途中、男女別々の更衣室へと別れる。

 あ、水着とか持ってないけど、どうするんだろ?

 まさか、裸で入る気か!?

 

 と思っていたら、宗像先生が勝手に男子の更衣室へとずかずか入り込む。

「ちょ、ちょっと! こっちは男子の方でしょうが!」

「ああん? お前のイカ臭い股間なんて興味ないわ! それより、これ使え」

 そう言って差し出したのは、一枚の競泳水着。いわゆる、海パンてやつだ。

「いいんですか? 人のでしょ?」

「大丈夫だ。忘れていった奴が悪い。どうせ、あとでショタコン向けにネットオークションで出品しようと思っていたモンだから」

 この人、本当に生徒想いの良い先生なんですよね?

 さっきの話を聞いても、同じ人に見えないのだけど……。

 



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239 先生とローション

 

 人様の水着を勝手に拝借して、着替え終えるとプールサイドへと向かう。

 アリーナの中はかなり広く、体育館ぐらいの大きさだ。

 

 だが、それよりも気になるのはこの明るさだ。

 照明が全く点いていない。

 多分、近所の住人や高校の関係者にバレないため、先生が敢えて電源をつけていないのだろう。

 

 屋根がガラス製だから、どうにか月のあかりで、ぼんやりと辺りを確認できるが。

 正直、プールサイドを歩くのもベトベトしていて、滑りそうになる。

 転げてしまいそうで怖いから、慎重に前へと進む。

 ようやく、スタート台が見えたところで足を止める。

 

 スタート台に腰を下ろし、宗像先生を待つ。

「なにやってんだろ、俺」

 ついつい独り言を洩らしてしまう。

 夜空に散らばる小さな星々を眺めて、ある人間の顔が思い浮かぶ。

 左の夜空に、ミハイル。右の夜空に、アンナ。

 大丈夫なんだろうか。

 宗像先生があんな風に道端に放り投げて……。

 あいつって結構、ストーカー体質ていうか、俺のことになると、こう真っすぐな奴だから。

 このあとが心配なんだよ。

 深いため息を吐くと、背後からヒタヒタと足音が聞こえてきた。

 

「よう、新宮。お待たせ~ 風呂入ろうぜ!」

 なんて陽気に話しかけているが、先生の様子がおかしい。

 暗くてよく見えないが、水着を着ていないような……。

 影だが、身体のラインがくっきり確認できる。

「ちょ、先生? まさか裸っすか?」

「おお。だって風呂だろ? スク水着なんて着ていたら、身体が洗えないじゃないか。はーっははは!」

 笑いごとじゃねぇ! 責めてタオルで身体を隠せ!

 俺は思わず視線を反らす。背中を先生に向けて。

 

「ば、バカじゃないんですか!? 俺、こう見えても男なんですよ? ちゃんと配慮してくださいよ、生徒なんだから!」

 緊張して声が裏返る。

「なんだぁ? 見たいのか? いいぞ、見ても。そしていつの日か、一人でシコシコやっちゃうんだろ? 健康な男子の証拠だ! はーっははは!」

 セクハラだ!

 お前の裸体は誰も望んじゃいないんだよ!

 

   ※

 

 とりあえず、俺と宗像先生は少し離れたところで身体を洗うことにした。

 洗い流す水は、もちろん塩素入りだから、健康的だね♪ クソが!

 シャンプーで頭を洗い終わったあと、次にボディシャンプーがないことに気がつく。

 

「先生。ボディシャンプーありますか?」

 裸は見たくなかったので、視線は床のままだ。

「ああ、あるぞ。こっちに来い」

「ええ……」

「ガタガタ言うな! そんなに私の裸を見て股間が元気になるなら、目を閉じておけばいいだろ!」

「わ、わかりましたよ……」

 仕方なく、俺は瞼を瞑って、先生の元へと近寄る。

 そばに寄ると先生が「このマットの上に横になれ」と促す。

 

 足先で床を確かめると、確かにビニール制のエアーマットがあった。

 ゆっくりと腰を屈めて、うつ伏せの状態になる。

 偉く柔らかいマットだ。

 こんなの水泳部で使うのだろうか?

 

 

「じゃあ今から洗うからな~」

「え、先生が洗ってくれるんですか?」

「もちろんだとも! 可愛い生徒だからな。裸の付き合いってやつだ!」

 お前と裸の付き合いしたら、犯罪だっての。

 下にいる俺からは見えないが、何やら頭上でブチュ~ッと音を立てる宗像先生。

 なんだ? チューブタイプのボディシャンプーか?

 

 次の瞬間、冷たい液体がびちゃびちゃっと背中に落ちてきた。

「つめてっ!」

「よし、今から伸ばしてやるからな、全身に」

「え?」

 何を思ったのか、宗像先生は俺の腰の上に跨る。

 こ、これは!?

 ぎゃあああ! 先生のダイレクトお股だ! 気持ち悪い!

 

「なにをするんですか!」

「は? 全身を洗い合いっ子するに決まっているだろ? 動くなよ。今からスベスベのお肌にしてやるから」

 

 ~10分後~

 

「ほ~らほ~ら、どうだ? 新宮、気持ちイイだろ?」

「ああ、そうですねぇ……」(棒読み)

 宗像先生が言うボディシャンプーとは、『ポポローション』というものであった。

 多分、色んな使用用途があるのだと思うが、噂では夜の営みやらピンク系のお店で、よく使われると聞く。

 だが、先生は「これが一番肌がツルツルになる」と言い張る。

 確かにスベスベで気持ちが良いのだけど、それよりも先生のぬり方が問題だ。

 

 手は使わず、自身の肉体で俺の全身にローションを塗りたくる。

 背中とはいえ、先生の全てを肌で感じてしまう。

 デカすぎて気持ち悪い二つのマスクメロン、それに言いたくないが、トップの干しぶどうだ。

 というか、胸を左右に揺らせて俺の身体を洗いやがる。

 

「気持ちイイだろ? これが大人のオンナしか出来ないお風呂の楽しみ方だぞ♪ ちゃんと小説に書けよ。童貞の読者どもが歓喜して、勉強も疎かになっちゃうよな」

 絶対、今日のことは書かない。書きたくない。

 というか、大人の女性云々の前に、なんでこんなプレイをこいつは知っているのだろうか?

 吐き気を感じ、全身に鳥肌が立つ。

 

「さ、次は前だ。仰向けになれ」

「ええ……」

「早くやるんだよ! コノヤロー! 恋愛小説に必要だろが!」

 

 暗がりの中、月の灯りと小さな星々に照らされて、俺と先生の影は一つになっている。

 うっすらと瞼を開いてみると、目の前に謎の生命体が腹の上を踊っている。

「ふん! ふん!」

 宗像先生が声を荒げる度、それは俺の顔面に物凄いスピードで突っ走って来る。

 巨大な肉の塊。

 つまり、デカケツだ。

 暗いことが唯一の救いだった。具が見えないから。

 その後、俺はショックから失神した。

 



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240 先生の告白

 

 気がつくと俺は浮かんでいた。水の上で。

 目の前には、真っ暗な夜空。そして、月と小さな星々。

「お、目が覚めたか?」

 首をゆっくり左に動かすと、宗像先生が笑っていた。

 もう裸ではなかった。競泳水着を着てくれている。

 俺の左手を優しく掴み、大の字で水中にぷかぷかと浮かんでいる。

「あ……ちょっと、エグいものを見せられたせいで……」

「ちっ! なんだと千手観音様ぐらい尊いものを見せてやったのに」

 なら、とっとと出家してこい!

 

 

 先生が言うには、夏の暑い日、このプールでいつもこうやって、水面で浮かびながら、夜空を見上げるのが、日々の疲れを癒す場所らしい。

 確かに幻想的な夜景ではある。

 手を繋いだまま、俺達は黙って星を眺める。

 先生は視線はこちらを向けずに、話し出した。

 

「ところで、新宮」

「え?」

「あのさ……今日のブリブリ女、アンナだっけ?」

「はい。それがどうしたんですか?」

「古賀はなんで女みたいな格好してたんだ? 今日は若者の間で仮装パーティーのイベントでもあったのか?」

 ファッ!? ば、バレた!

 一番面倒くさいやつに。

 

 俺は水中の床に足を下ろして、先生に向かって叫ぶ。

「なんでわかったんですか!?」

 動揺する俺を見て、先生は声色変えず、真顔で答える。

「は? あんなの見れば一発で分かるわ。教師を何年やっていると思ってんだよ? 女としておかしいだろ。男に媚びまくったブリブリ女がこの世に存在すると思うのか。そんな幻想は捨てろ。童貞たちは女に夢を見すぎなんだよ。古賀がやっていることは、その願望をそのまま叶えてあげた可哀そうな子って感じだな。女に嫌われること、間違いなし!」

 ひでっ!

 なんでうちのメインヒロイン、毎回女性に会う度にここまで酷評されるんですか。

 ヤンキーの男の子が頑張って化粧して、可愛く女装してくれるのに……。

 

 バレてしまったら、仕方ない。

 俺はなぜこんなことになってしまったのか……今まで起きたこと、それからミハイルが女装している理由を先生に告白した。

 

「なっ! それ、マジか! だぁはははっははは!」

 腹を抱えて笑っている。

 人が真剣に悩んでることを。

 

「先生、俺。結構真面目に相談したんですけど」

「悪い悪い……いい年こいた男たちがそんな下らないことで、女装ごっこしてるとか。ヤベッ、超面白れぇ! 腹が痛い! やっぱお前ら今年一番のルーキー達だわ」

 

   ※

 

 先生が笑いを堪えながら、一旦プールを出ようと提案した。

 脚だけ水につけ、二人して肩を並べてプールサイドに座る。

 

「で、新宮。お前は告白を断った古賀に対し、未だに女装しているとはいえ、何故おままごとみたいな恋愛ごっこを続けているんだ?」

 いつもふざけた宗像先生の目が、ギロっと鋭い目つきに変わる。

「そ、それは……俺の、性格の問題です。物事を白黒ハッキリつけないとダメな性格だから……。だから、男のミハイルを断ったのに、あいつに『女の子として生まれ変わったら付き合う』なんて言っちゃったから……あいつ、真に受けて。そしたら、なんか普通にデートを楽しむ自分もいて。俺、なにが好きで楽しいのか、境界線がわからなくなってきて……。相手は男だってわかっているのに……」

「ちゃんと自分と向き合っているんだな。良い子だ、新宮」

 そう言うと俺の肩を引き寄せ、抱きしめる。

 ふくよかな胸に優しく包まれる。先生の鼓動が聞こえてくる。

「お、俺。どうしたらいいんですか? なんで男が男に好意を持つんですか? おかしいでしょ?」

 すると先生は俺の頭を優しく撫でる。

「考えすぎだ。人間なんだから、いつ誰を好きになってもおかしくない。ただ、このままダラダラと女装ごっこをしていると、お前たちの関係が終わってしまう可能性があるな。だったら、お前もいつか、しっかりと古賀の誠意に答えるべきだ。あいつの好意を受け止めるか、再度拒絶するか。決めるのは誰でもない。お前だ」

 重たすぎる言葉、選択肢だった。

 突きつけられる現実。

 考えたくもなかったミハイルとアンナの消失。

 嫌だ。想像するだけで、胸が痛む。

 やっと出来た唯一のダチなのに……。

 

 

「なあ、新宮。一つ昔話をしてやろう。ひとりの可憐な美少女がおりましたとさ」

 なんか嫌な予感。とりあえず、黙って話を聞く。膝枕状態で。

「その子はとてもグレていました。ケンカに明け暮れる毎日。大根を担いでかじって、暴走族をやっていました」

 どこが可憐だ! ただのヤンキーだろ!

「ある日、とあるおっさんが少女に声をかけました。『うちの学校に来ないか?』と。そんなことを急に言われた美少女ちゃんは『ぶち殺すぞ、このクソオヤジ!』なんて可愛らしく断りました」

 全然可愛くない、憎たらしい。

「ですが、そのおっさんは諦めません。毎日毎日、来る日も来る日も美少女ちゃんを説得し、どうにか学校へと入学させました。そして、美少女ちゃんは誰もが振り返るJKとなったのです」

 あの、さっきからちょいちょい要らない情報あるんですけど?

 

「そして、ヴィクトリアとかいう外タレと日葵という貧乳と、三人でお茶目に暴走通学していました。心を閉ざしていた美少女ちゃんですが、おっさん先生に勉学を習ううちに、仲良くなっていき……次第にある一つの感情が湧き上がってきたのです」

 それまで黙っていたが、つい俺は口に出してしまった。

「ま、まさか!?」

 すると先生は上から俺の頭を撫でながら笑う。

「スキになったのです」

 

   ※

 

「つまり、初恋だったと?」

「ああ、そうだ。相手は妻帯者、可愛らしいお子さんも二人もいてな。家にまで招待してくれて……本当にいい先生。大人だったよ。でも、その美少女ちゃんはスキになったよな? だからといって、大好きな人の幸せを奪ったり、破壊したいと思うか?」

「そ、それは……できないかもしれません」

「良識のある女だったらな……でも、私は初恋とは思っていない。未だにスキのままだ。絶賛片思い中の28歳でーす!」

 なんて笑顔でピースしやがる。

 しんどっ!

 

「それって、何年前の話ですか?」

「えっと、12年ぐらい?」

「先生……かわいそうです……」

 俺は涙が止まらなかった。

「ハァッ!? 別に可哀そうじゃないわ! たまにこの夜空の星を見ていると、ニューヨークにいるあのおっさんも同じ星を見上げていると思うと、胸がドキドキしちゃうしな!」

 めっちゃ乙女やん! 純情すぎる。

「ニューヨーク?」

「ああ、私もおっさん目指して教師になって、隣りにいたいからって、この高校に戻ってきたのに、あいつ海外に行きたいとか言いやがって……。大学でも何人かの男と付き合ってみたけど。ダメだったな。みんなガキっぽくてさ。だから、あのおっさんが日本に帰ってくるまで、この蘭ちゃんがあいつの代わりをしてやってんのさ!」

 ニカッと歯を見せて笑う、片思いをこじらせた28歳。

 

「え、先生……せっかく語ってくれたのは、ありがたいんですけど。正直、重いです」

「……」

 



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241 先生から君へ

 

 俺は宗像先生の初恋の話を聞いて、正直驚いていた。

 こんな無茶苦茶な人間にも、そういう大切な人がいるのだと……。

 

「なあ、新宮。お前、わかっているのか? 残された時間のこと」

「え、どういうことですか?」

「お前は、確かに今期一番頑張った生徒として、私は評価している。しかし、同時にそれだけの時間を消費してしまったということだ。卒業までのタイムリミットは着実に近づいている。今こうしている時も、一秒一分、常に失くしているんだ。10代の学生生活は退屈に感じるだろう。勉学なんて正直、どうでもいい。問題はお前が卒業までに、ちゃんと『次』を考えることが重要だ」

「つぎ、ですか?」

「うん。進路のことだ。もうお前は今年の半分を使ってしまったよな? 古賀との出会い、他にも色んな友人、異性……たくさんの人々と交流することで、人間として成長しているだろう。しかし、この時間は有限だ。あと2年半しかない。それにうちの高校は、離脱率が高い。お前はストレートで卒業できるタイプだが、退学する者も多い……で、課題だ」

 あれ、だいぶ前にも、こんな展開があったような。

「なんですか?」

「それは卒業するまでに、夢を抱くことだ!」

 なにそれ、おいしいの?

 

「夢ですか……この俺が、ゆめ?」

 ふと考えてみる。が、なにも思い浮かばない。

 今の生活に意外と満足しているからだ。

 小説は書籍化成功したし、仕事は新聞配達があるし、ダチのミハイルも出来たし、映画も楽しいし……。

 俺はそれら頭に浮かんだことを、先生に説明し、今の生活で満足していると伝えると……。 

「バカモン! 小説だって売れなきゃ食ってけないだろ? それに新聞配達はもう終わりに近いだろう。今やデジタル社会だ。紙の時代はいずれ失くなっていくと思う。例えば、卒業して就職するだとか、大学や専門学校に進学したりとか……」

「ああ、そっち系ですか」

 もう一度、将来を、最高の自分を、理想像を考えてみた。

 

 

『タクト~☆ こっちこっち!』

『おはよ、タッくん☆ ご飯出来たよ? 一緒に食べよ☆』

 二階建ての一軒家の門前に俺が立っている。

 左にはショーパン姿のミハイル。

 右にはフリルワンピース姿のアンナ。

 二人が俺を囲んで笑っている。

 犬も一匹、猫も一匹……の隣りには、ベビーカーが一つ。赤ん坊がおしゃぶりを咥えている。

 幸せそうな家庭だ。

『タクト! どこ見てんだよ! あんまりそういうことすると怒るゾ!』

『もう~ タッくん、大好き☆ チュッ!』

 

 

「……オーマイガッ!」

 恥ずかしすぎて、思わず叫んでしまった。

 その声に驚いた宗像先生がキレる。

「な、なんだ。急にやかましいな!」

「すみません。想像したものがちょっと……あまりにエグいものだったので」

 なんで俺の夢にミハイルとアンナが関わっているんだよ。

 しかも子供までいるとか……俺どうしたんだ?

 思い出しただけで、顔が熱くなる。

 

「ほう、どうやらその反応。お前にもちゃんと夢があるようだな。それが何かは聞かないでおこう」

 俺の表情から何かを感づいたのか、先生は怪しく微笑む。

「ちゃ、茶化さないでください!」

 見透かされているようで、語気が強まる。

「なら一つだけアドバイスしてもいいか?」

 俺が逃げられないように両肩を強く掴み、じっと目を見つめる。

 その瞳は真剣そのものだ。

「な、なんでしょう?」

「新宮、私の過去の話は聞いたよな? だったら、可愛い生徒のお前には、同じ後悔をして欲しくはない。だから、言わせてくれ。自分の想いは相手が隣りにいるうちに、しっかりと伝えて欲しい! それが相手が拒絶しようともだ。例え、それでお前が傷つくとしても恐れるな。勇気を持て! 相手が大事なら。今の生活を当たり前だと思うな。相手が一緒にいてくれるなら……ちゃんと想いは伝えるべきだ」

 先生の目にはうっすらと涙が浮かぶ。

 俺は彼女の熱意に満ちた言葉が、深く胸に突き刺さった。

「わ、わかりました……必ず卒業するまで、俺の中で答えを出してみます」

 そう言うと、先生はニッコリと笑って、俺を強く抱きしめる。

「良い子だ! 私はこのために教師をやっているんだ……」

「先生……」

 

 傷のなめ合いだと思った。

 でも、宗像先生の優しさはしっかりと伝わった。

 ならば、俺もそれに応えたい。

 そう思えた。

 

 だから、俺のあいつへの想い。

 どうするか、しっかりと真剣に考えていくつもりだ。

 この心の中についた小さな火は、今にも風に吹かれて、消えてしまいそうだが。

 なかなかにしぶとい、ろうそくが根元にあるのかもしれない。

 



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242 タクト奪還作戦

 

 俺は宗像先生から託された課題、夢、バトンを受け取り。

 気持ちが激しく高揚していた。

 とりあえず、お互い身体も洗い終えて、スッキリしたことだし、そろそろ着替えて先生の我が家でもある事務所に戻ろうと、男女別々の更衣室へと別れた。

 

 更衣室に入ると、水着を脱ぎ、近くに置いてあったバスタオルで濡れた身体を拭き上げる。

 ちょっと鼻歌交じりで、濡れた髪をわしゃわしゃとタオルで拭いていると……。

 首筋にピタッと冷たいものが当たる。

 タオルで前方が確認できないが、なにやら尖ったものだ。

 

「おい、黙って手を挙げろ」

 野太い男の声だった。

 だが、不自然な喋り方、声。ボイスチェンジャーで声を変えている。

 一気に股間が縮みあがる。

 呼吸が乱れ、恐怖で身体が思うように動かすことができない。

「早くしろ!」

 男は俺の肌に深く当てつける。

「ひっ! わ、わかったから! なにもしないでくれ……」

 脚がガクガク震える。

 右手で頭に抑えていたタオルを離し、床に捨てる。

 頭に両手を組んで、ゆっくりと振り返って見せた。

 フル●ン状態でだ。

 

 俺の目の前に立っていた男は、映画で見るような不気味な髑髏のフェイスマスクを顔につけていた。

 全身真っ黒のミリタリースーツを着用している。

 サバイバルゲームで見るようなフル装備。

 コンバットシャツにベスト、ブーツまで。身体の至る部位を全てパッドで防御していた。

 貧弱な俺では絶対に勝てそうにない。

 

 

「こ、これでいいのか……?」

 右手にコンバットナイフを逆手に持ち、こちらを黙って見つめる。

「……」

 よく見れば、小柄な男だ。

 装備さえなければ、俺でも勝てるかもしれない。

 だが、それよりもこの目の前に突きつけられた大きなナイフだ。

 包丁と違って、刃が長いし、太い。

 怖すぎるっぴ!

 

 逼迫して重たすぎる空間。

 沈黙だけがただ無駄に続く。

 

「あ、あの……これから、俺はどう、すれば……?」

「服を……」

 先ほどより、小さいな声で喋り出したので、俺は聞き返す。

「え?」

「だ、だから! 服を着ろと言っているんです!」

 あれ? なぜ急に敬語に?

「わ、わかった。じゃあ動いていいか?」

「いいから、さっさと前を隠せ! は、恥ずかしいでしょ!」

 なに言ってんだこいつ。

 

 とりあえず、俺はTシャツとジーパン姿になる。

 着替え終えて、不審者の方を見れば、なぜか俺に背を向けて、視線は床に。

 あれ、今って俺が反撃していいタイミングなのでは?

 でもナイフが怖いから、とりあえず、話しかけよう。

 

「あ、あの、着替え終わったんだけど……」

「そ、そうか……よし、ちょっと待て。相棒に連絡をする」

 男はベストからトランシーバーを取り出して、誰かに話しかける。

「こちら、ブラボー! 要人を確保した! アルファ、応答せよ!」

 するとトランシーバーのスピーカーから声が漏れる。

 もう一人の男もボイスチェンジャーで声を変えている。

『こちら、アルファ! 了解した! 現在、ターゲットを視認した。攻撃の許可を求む、オーバー!』

 攻撃って、まさか相手は宗像先生か?

 

「アルファ、攻撃を許可する。忌々しいターゲットの……息の根を止めてやれ。オーバー!」

『了解。任務を遂行する』

 その後、スピーカーから宗像先生の悲鳴と思われる女性の声が漏れてきた。

 

『な、なんだお前!? ぎゃ、ぎゃあああ!』

 

 俺は咄嗟に叫ぶ。

「お前たち、宗像先生になにをした!?」

 男は俺をじっと見つめて冷静に答える。

「心配するな。殺してはいない。殺してはな」

「どういうことだ?」

 

 すると、再度スピーカーから悲鳴が聞こえてきた。

 

「ぎゃ! ぎゃああ! ぎゃあああ!」

 

 一体なにをされているんだ?

 

『こちら、アルファ。ターゲットを始末した。玄関で合流しよう、オーバー!』

「了解、要人を連れて現場から脱出しよう、アウト!」

 

 

 俺は不審者に無理やり腕を引っ張られて、更衣室から連れ出される。

 三ツ橋アリーナの玄関に出てくると、もう一人の髑髏マスクをした男が立っていた。

 

 右手には物騒なスタンガンを持って。

 

「終わったな、ブラボー」

「ああ、アルファ。玄関に車を用意している。ただちにここを脱出しよう」

「さすがだな、ブラボー」

「お前には負けるさ、アルファ」

 

 その後、外に出ると一台の車が。

 

「ご予約のお客さんですか? 赤井タクシーの者ですが」

 ファッ!?

 近所のタクシー会社じゃねーか!

 

「あ、そうでーす☆ 予約してた3人で~す☆ 真島までお願いしまぁす☆」

 なんだ? この男、急にくねくねしやがる。

「“ポイポイ”払いってできますか?」

「ええ、できますよ」

 

 なんだ、この平和な会話は?

 

 ブラボーと呼ばれた男が後部座席に座り、俺は真ん中に座らされた。そして逃げられないようにアルファが俺の左隣りに座る。

 

 タクシーがゆっくりと走り出し、一ツ橋高校の門を通り抜けたころ。

 男たちは互いにマスクを外した。

 

 マスクを外したアルファの首元には、美しいブロンドの長髪が垂れる。

 ブラボーは陽に焼けた褐色肌、そしてボーイッシュなショートカット。

 

「お前ら!」

「ばぁ、アンナだよ☆」

「センパイ、助けに来ましたよ♪」

 えぇ……ここまでやる?

 



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第三十章 おっしょい! 百万人のショタ祭り!
243 男の娘、漢の祭りに参加する


 

 俺は少数精鋭の特殊部隊により、強制的に宗像先生から引き離された。

 タクシーの中で、アルファ隊員ことアンナは

「ほら、これで殺せたでしょ☆ 小説の世界でモブヒロインをちゃんと殺してあげてね☆」

 なんて恐ろしい提案を出してくる始末。

 隣りにいた相棒のブラボー、ひなたも便乗する。

「そうですよ~ アンナちゃんの言う通り、ヒロインは私たち若い女の子同士だけでいいよね~♪」

「ね~☆」

 と二人して、俺の頭上でハイタッチ。

 恐怖しか感じられなかった。

 もうこの二人は敵に回したくない。

 

 

 俺だけ先に地元である真島に降ろされた。

 二人が言うには、

「もう二度と盗られたくない」

 宗像先生を警戒しているらしく。

 俺が自宅に入るまで、じっとタクシーの中から見守るほど、不安なようだ。

 帰宅して、二階の自室から顔を出してみると、二人は安心したようで、手を振ってタクシーを出発させる。

 

 その光景を目の当たりにして、俺は地元の商店街にこう叫び声をあげた。

「うちのヒロイン達……半端ないって!」

 直後、スマホが鳴り出す。

 

 着信名は、北神 ほのか。

 

 なんだ。休む暇がないな。

「もしもし?」

『あ、琢人くん? 今、暇でしょ?』

 勝手に決めつけるな!

 めっちゃ忙しかったわ!

 

「まあ……今はな。要件はなんだ?」

『なんか怒ってる? あのね、明日の夜、12時の電車に乗らない?』

「は? 夜中の電車……終電しているだろ?」

『違うよ、明日はオールナイトで電車は動いているよ。博多だから』

 ちょっと言っている意味がわからない。

「要件が見えてこない。ちゃんと説明してくれ」

『あのね。正確には明後日の朝方に、山笠(やまかさ)追い山(おいやま)をやるんだよね。それで取材になると思って』

「ああ……そう言えば、山笠のシーズンだったな。随分参加したことないし、確かに福岡を代表するお祭りの一つだ。小説の取材としては、面白いかもな」

 なんか意外だ。

 山笠の追い山と言えば、血気盛んな男たちが命をかけてまで、競い合うレースだ。

 熱気というか、殺気さえ感じる。お祭り。

 700年以上も続く伝統文化を、腐女子のほのかが見たいだなんて。

 

『なら、明日の夜に博多駅で集合しましょ♪』

「了解した。徹夜でお祭り気分か、楽しみだ」

『うん。追い山が始まる前に、中洲の無料案内所も取材に行こっか?』

「誰が行くか! じゃあな」

 イラついたので、こちらから雑に通話を切ってやった。

 

 散々な目にあったから、心身ともに疲弊していた。

 二段ベッドの下で、妹のかなでは、卑猥な男の娘抱き枕を抱きしめて夢の中だ。

 俺も寝るかと、梯子に手をかけた瞬間、再度スマホが鳴り出す。

 

「もしもし? 無料案内所は行かないと言っただろ!」

 ほのかと思い込んでキレ気味に話す。

『あんないじょ? なんのこと、タクト?』

 ミハイルだった。

 ついさっきまで、アンナちゃんモードだったのに、こいつ瞬間移動できるのか?

「いや……こっちの話だ。要件はなんだ?」

『あのさ、夏休みだし、たまにはオレとも遊ぼうよ……。明日、一緒に“パンパンマン”ミュージアムへ行こうぜ☆』

「ブフーッ!」

 思わず大量の唾を、自分の布団に吐き出してしまった。

 15歳の男子が、あの幼児向けアニメの施設に遊びに行くだと?

 しかも俺と?

 

「すまん。明日は先約があってな。ほのかとお祭りに行くんだよ」

『はぁ!? なんだよ、それ! お祭りとか……なんで、オレを誘ってくれないの……ひどいじゃん』

 な、泣き出しちゃったよ。

「待て。ミハイル。お前は山笠という祭りを知っているのか? 出店が並ぶような一般的なお祭りとはちょっと違う。漢たちのレースを見に行くんだ。すごくお堅いお祭りだぞ?」

 格好いいんだけどね。

『やまかさ? 知らなぁい~ でも、タクトがほのかと二人だけで行くのはイヤだ! オレも見てみたい!』

「わかったよ……ほのかのやつなら、別にミハイルが一緒でも嫌がらないだろう。なら、明日の夜、博多駅に集合できるか? ヴィッキーちゃんにも山笠だからと、しっかり説明しろよ」

『うん☆ ちゃんと、ねーちゃんに許可もらうよ。夜のピクニックみたいで、楽しそうだな☆ おやすみ、タクト!』

「ああ、おやすみ……」

 

 夏休みなのに、休めてねぇ!

 



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244 深夜のデート

 

 深夜の12時。

 この場合、0時と表現すべきか。

 いつもなら、朝刊配達のために仮眠を取るのだが。

 店長に頼んで今朝の仕事は休ませてもらった。

 

 深夜の駅だというのに、ホームは思ったより人が多い。

 特に博多行きは、家族連れや若者がちらほら見られる。

 時折、スマホを見て笑ってなんかいたりして。

 

 終電帰りのサラリーマンなんかとは違う。

 どこか非日常的な夜の世界。

 

 普通列車が到着して、車内に足を運ぶとやはり中も人が多い。

 カップルなんかはちょっとイチャついていたりして。

 うん、殺意湧くわ。

 と一人で拳を作っていると、背中あたりをチョンチョンと指で突っつかれた。

 

 振り返ると、ネッキーがプリントされた赤い帽子を被った金髪の少年がニッコリ笑って立っていた。

 イエローのシンプルなタンクトップを着ているのだが、肩紐がゆるゆるで、見ていてドキッとしてしまう。

 首元もざっくりと広めのデザイン。肌の露出度が高い。

 ダメージ加工のショートデニムパンツを履いている。

 その為、白く細い二つの美しい脚が拝める。

 足もとは動きやすいスニーカー。

 

「よっ、タクト☆」

 グリーンアイズをキラキラと輝かせるのは、古賀 ミハイル。

「ああ。こんばんは、だな」

 思わず口元が緩んでしまう。彼を見てしまうと。

「うん☆ なんか夜中なのに、みんなでお祭りに行くなんて、悪いことしちゃってるみたいで、楽しいよね☆」

「確かにな。俺も親に許可を取ったが、深夜に公然と未成年が出歩くってのは、今夜だけだもんな」

「ねーちゃんも『山笠ならOK』だって☆ オレ、今夜のために、お昼寝してきたよ☆」

 お昼寝とは何ともお子ちゃまな表現だな。

 

 

 その後、しばらく俺とミハイルは車内で立ちながら雑談した。

 列車に揺られること約30分。

 目的地である博多駅に辿り着いた。

 ほのかは待ち合わせ場所に、黒田節の像を選んでいた。

 

 真夜中だというのに、改札口から大勢の人々で混雑していた。

 5月に開催された博多どんたくやこの前の大濠公園の花火大会ほどではないが、それでも深夜にしてはたくさんの人で賑わっている。

 幼い小学生や高齢者など、皆伝統のあるお祭りを楽しみに、活気だっているようだ。

 

 博多口を出て、駅前広場に出る。

 そこでも普段は閉店しているはずの店が、今夜だけはオールナイトで営業していた。

 ビアホールみたいな会場が儲けられていて、大人たちはワインとウインナーを楽しんで騒いでいる。

 その姿を見て、ミハイルは苦笑していた。

「大人になるとこんなことをするんだな☆ でも、うちのねーちゃんの方が飲み方すごいゾ☆」

 なんて自慢げに胸を張る。

 タンクトップの紐が片方少しズレてしまい、胸のトップが露わになりそうだ。

 俺はそれを見て、咄嗟に紐を直してやる。

 無防備な彼の言動を見て、頬が熱くなるのを感じた。

 咳払いして、こう注意する。

「まあ、確かにヴィッキーちゃんの飲み方はエグいもんな。だけど、ミハイル。俺達はまだ未成年だ。今日は山笠とはいえ、深夜だ。迷子にならないように注意しろ」

「うん☆ タクトがついているから安心しているゾ!」

 なんて腰を屈めて、上目遣いで話してきやがる。

 だから、その無防備な態度が、一番怖いんだよ。

 俺の理性がブッ飛びそうで。

 



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245 燃えろ! 腐女子たちよ!

 

 約束した通り、黒田節の像の下に一人の少女がいた。

 相変わらずのスタイル。

 白いブラウスに紺色のプリーツスカート。

 深夜に一人の真面目そうな制服を着た女子高生。

 ナチュラルボブに眼鏡。

 一見すると塾帰りの学生に見えるが……。

 あくまでも、見た目だけ。

 だって、額に変なハチマキを巻いているもの。

 

『今日はケツ祭り!』

 

 ニコニコ笑って、こちらへ手を振る。

「……」

 関わりたくない。

「あ、ほのか~☆ 久しぶりぃ~」

 純真無垢なミハイルは、彼女の汚れを知らない。

 駆け寄って、久々の再会を喜ぶ。

「こんばん駅弁バック~♪ ミハイルくん!」

 俺のダチに変な挨拶をインプットすな!

「駅のべんとう? それなら、お土産売り場に売っていると思うけど……」

 ほらぁ~ うちの子はあなたみたいに煩悩が少ないんです。

「ミハイル。覚えなくても良い挨拶だ。ほのか、久しぶりだな」

「うん、琢人くんも、こんばん駅弁バック~♪」

「……」

 こいつが女じゃなかったら、ぶん殴ってやるところだ。

 

「ん、お弁当のことでしょ? お腹空いているの? ほのか。それなら、どこかで夜食か、おやつタイムにしよ☆」

 ミハイルきゅんがおバカで助かった。

 

   ※

 

 俺たちは博多駅を少し離れて、大博(たいはく)通りへ向かった。

 ほのかが言うには、祇園近くの東長寺(とうちょうじ)前、清道(せいどう)が一番追い山のコースで見やすく楽しめるらしい。

 彼女の案内に従って、大博通りを三人で仲良く歩く。

 スマホの時刻を確認すると、『1:45』

 レーススタート地点である櫛田(くしだ)神社から、各神輿が出発するのは、午前5時頃。

 まだ3時間ほどある。

 そこで、俺は大博通り沿いにあるカフェ、バローチェに寄って、時間を潰すことを提案した。

 ほのかもミハイルも喉が渇いたし、一杯飲んで涼んで行こうと承諾してくれた。

 

 

 店内に入ると、各々が好きな飲み物を注文する。

 俺はアイスコーヒーのブラック。ミハイルはアイスカフェモカ。ほのかは、宇治抹茶ラテだ。

 四人掛けのテーブルに座る。

 誰がどこに座ると話し合う前に、ミハイルが一番先に奥の席に座り、その隣りに俺を座るよう、イスをトントンと叩く。

 断ると殴られそうなので、黙って従う。

 

 

 俺とミハイルは仲良く、並んで座る。

 イスとイスの幅は充分余裕があるというのに、ミハイルは席をぎちぎちに詰めて、太ももを俺に擦り付ける。

 グラスに小さなストローを差し込み、飲み始めた。

「んぐっ、んぐっ……ちゅっ、ちゅっ……ごくっん! ハァハァ……おいし☆」

 お久しぶりです。エロすぎる咀嚼音さん。

 

 俺は、向い側に座るほのかが一人で座っているのを、ちょっと気の毒に感じ、話を振ってみる。

「なぁ、ほのか。お前ってさ。好きな男のタイプとかってあるのか?」

 マブダチのリキのためでもあった。

 今後のために聞いておきたい。

 すると、ほのかは顔をしかめて、考えこむ。

「うーん……それって、どっちの意味で?」

「は? どっちってどういうことだ?」

 会話にミハイルも入ってくる。

 

「オレも気になる! ほのかってどんな男の子が好きなの?」

 えらく前のめりで聞いてくるな……。

 そうか、こいつもリキに力を貸したいのか。

 というか、ほのかと俺を遠ざけたいんだろう。

 

 ほのかは胸の前で腕を組んで、難しい顔をする。

 しばらく唸りを上げたあと、人差し指を立てて、目を見開く。

 

「ズバリ! タイプとは……受けか攻めか、という質問よね!?」

 テーブルをダンと両手で叩き、身を乗り出す。

 ふくよかな胸がぶるんと震えた。

 きもっ。

 

「受け? 攻め?」

 ミハイルは脳内がパニックを起こしていた。

「ほのか。BLの話じゃないぞ? お前の好きな男性のタイプだ」

「うん、わかっているよ。だから私も、受けのタイプと攻めのタイプがいるってことだよ♪」

 リキ先輩……腐女子の攻略、なかなか難しそうです。

 



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246 ほのかのタイプ

 

 俺たち三人が今いるカフェ、バローチェは静まり返っていた。

 先ほどまで、店内はお祭り気分で他の客もワイワイと話で盛り上がっていたのに。

 その原因は俺の目の前にいる、一人の少女のせいだ。

 

「んとね、私のタイプは幅が広くてね……受けやっている時は、そうだな。自分より身長が高くて身を委ねても大丈夫そうな屈強な人って感じ♪ めちゃくちゃにしてくる野性的な人っていうか、肉食系だよね」

「……」

 この話のモデルってどっちなんだ?

 同性なのか、それとも異性なのか……。

 わからない、この人の感覚がサッパリわからない。

 そもそも受けってどういうことだよ。

 

 隣りにいるミハイルは、首を傾げていた。

「つまり、ほのかが好きな男のタイプって強そうな奴ってこと? 例えば、オレのダチで言えば、リキとか?」

 気の早いやつだ。しれっとリキをアピールしている。

 つい、この前振られたばかりだというのに。

 

 ほのかは、また難しい顔で答える。

「うーん。千鳥くんか……確かに男らしい人って感じで、嫌いじゃないんだけど」

 お、意外とまだ脈ありか?

 ミハイルも鼻を息荒くして。

「うんうん☆ リキと付き合うのは、あり? なし?」

 なんて攻めに入る。

 

「でもなぁ。好みに当てはまらないのも事実かな。だって、紙の世界が一番なんだもん。私の好みがたっくさんいるもの!」

 俺はガタンとテーブルに頭をぶつけてしまう。

 やっぱ、そうだよな。

 腐女子って基本、二次元に恋しちゃって、三次元に対するハードルが高すぎなんだよな。

 

 だが、ミハイルはそれを認めたくないようだ。

「紙って……それってマンガとかアニメの話じゃん。そのキャラ達と一生片思いして死んじゃうの?  それ、寂しくないの?」

 ぐはっ! オタクや腐女子に一番ズシンとくるやつ。

 

「なにを言っているの、ミハイルくん……。一生、片思いじゃないわ! 生涯、脳内で相思相愛になれるのが二次元の魅力なんじゃない! 自分の理想通りの男性であり、女性であり、好きなパートナーよ!」

 やっぱり、同性も入ってた!

 

「ほのか。そんな人生、寂しくないの?」

 ちょっと同情した感じで、話しかけるミハイルお母さん。

『あなたをそんな為に生んだじゃないのよ』

 みたいな感じ。

 だが、そんなママンの言葉に、一切のダメージを負わないのが、北神 ほのかである。

「全ッ然! ちょー楽しいわ! 今日だって生モノ狙いに来たし!」

 

「ブフーッ!」

 飲んでいたアイスコーヒーを吹き出す。

 

 こいつ、そのために山笠を狙いに来たのか!

 信じた俺がバカだった……。

 

 意味が理解できていない、ミハイルが問いかける。

「生モノ? なんかお刺身とか食べたいの?」

「そうよ! サラッと新鮮な奴。活きの良いおっさんやショタがふんどし姿で走り回る伝統芸能、マジ最高! 合法的に絡めること不可避!」

 お前は神に捧げる伝統芸能をなんだと思っているんだ!

 ちょっと、全ての福岡市民、県民に土下座してこい!

 

「ふーん。山笠ってお刺身をみんなで楽しむお祭りなんだぁ。オレ、今日が初めてだから知らなかった」

 なんて小さな唇に人差し指を当てて、天井を見上げるミハイル。

 きっと言葉にした通り、可愛らしい想像をしているのだろう。

 

 

 俺はもう一つ気になったことがあった。

 それはほのかが言った、攻めのタイプの方だ。

 気になったので、今度は俺が質問してみる。リキのためにも。

 

「なあ、ほのか。受けの好みはなんとなく……わかったつもりだ。じゃあ攻めのタイプはなんだ?」

 すると何を思ったのか、鼻息を荒くしながら、興奮して喋り出す。

「よくぞ聞いてくれました! 攻めの時はとことん、こっちがいじめ倒したいわね♪ 例を挙げるとすれば……あ、ミハイルくんみたいな中性的な男の子が良いわね」

 俺は咄嗟に、隣りに座る彼を自身の左手で護りに入る。

「な、なにを言い出すんだ! ほのか、血迷ったか!?」

 声を荒げると、ミハイルが首を傾げる。

「どうしたの、タクト? ところで、ほのか。なんでオレが、攻めだっけ? それの好みになるの?」

 聞いちゃダメだろ! こんな変態の性癖。

 ミハイルきゅんは絶対に渡すものか!

 

 彼の質問に対し、興奮しすぎたせいか、鼻血をポタポタと垂らしながら、物凄いスピードで喋り出す。

「そ、それはね! ミハイルくんみたいな、ショタっぽい……いえ、まだ未成熟な蕾をいたぶる。本能のままに、とことん可愛がってあげるのが、私の愛し方だからよ!」

 クッソ変態じゃねーか!

「でも……残念なことに、ミハイルくんは、私の中ではアウトね」

「え? なんで?」

「ちょっと、ショタにしては成熟しすぎちゃっているからよ! 私は、思春期を迎えるか迎えないか……。すごく曖昧な年頃が一番大好きなの。だから、ごめんなさい。ミハイルくんは攻めの対象には当てはまらないわ」

 なんて眼鏡をくいっとかけ直す。

 それを聞いた俺は胸を撫でおろした。

 

 ミハイルは、ほのかの抱く変態理想像。

 表現、伝え方がサッパリ届いていないようで。

 困惑していた。

 

「ん? じゃあオレよりもっと若い子が好きってこと?」

 いや、あなたは今15歳でしょ?

 それより下ってヤバいだろ。犯罪だよ。

 

「そういうことよ! 私の守備範囲は、8歳ぐらいから13歳ぐらいね! その子の成長具合にもよるけど、股間がフサフサしていたら、ダメよ♪」

 ファッ!?

 ミハイルの股間は、ツルツルだった!

 ヤバい!

「え、お股がフサフサ? オレはしてな……」

 バカ正直なミハイルが、真面目に答えようとしたので、すぐにその小さすぎるお口を、俺が寸止め。

「ふごごご……」

 なんとか彼の操を護ることに成功した。

 

「ほのか。お前の好みはなんとなくだが、把握できた。良い勉強になったよ」

 このまま、どうにか話をそらして、逃れよう。

「本当? 良かったぁ~ 私の好みが分かり合える友達が出来て♪ あ、でも、私の守備範囲は性別とか関係ないからね。可愛いければ良いし。カッコイイ人だったら何でもOK。人種も性別も曖昧なの♪」

「……」

 この人に勝てるのか? リキ先輩。

 



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247 リキに課せられた使命

 

 ほのかの異性、同性に対する趣味、性癖は把握できた。

 理解はできないけど。

 要は可愛ければ、ショタだろうが、ロリだろうが手を出す。

 顔さえ良ければ、イケメンだろうが、美人だろうが受け入れる。

 なんだ……飛びっきりのドがつく変態さんだったのか。

 よし、ミハイルは俺が守る!

 

 

「なあ……ほのか。逆にこういう男、女。まあ、人間で嫌いなタイプはあるか?」

 これもダチであるリキのためだ。

「あぁ、それなら割と簡単かな? イケメンでもカワイイ子でも……なんていうかな。オレ感とかワタシ感出してる人は苦手だね」

「ん、つまり自己主張が激しい人間ということか? 自分のルックスや能力を自慢げにしている奴とか?」

「そうそう! 正にその通り、なんかねぇ。男でも女でも、それをステータスに感じている時点で、終わりじゃない? 常に貪欲に生きる人。ルックスも人生もまだまだ満たされないっていう、性格の方が好きかな。だって、今の自分で満足しているってことは、劣化すること間違いなしだよね♪」

 隣りで話を聞いていたミハイルが、何やら胸に突き刺さったようで、心臓あたりを手で抑えている。

 

「そ、そうだよな……ハーフって年を取るとブサイクになるって、よく聞くもん。この前、ガーリーファッション雑誌にも特集で載ってた。ひっぐ……」

 おいおい、泣き出しちゃったよ。

 しかも、アンナちゃんの愛読書をバラすな。

「ミハイル、そんな噂に流されるな。お前もアンナも、いい年の取り方をするさ。ほのかの言う通り、自分に満足しなきゃいいのさ」

 なんて肩をポンポンと優しく叩く。

「う、うん! オレも頑張る! アンナにも伝えておくね☆」

 いや、今目の前で口頭にて伝えたじゃん。

 

 

 しかし、今の感じでは、リキと比較してみても、嫌いになる要素が抽象的な表現でよくわからない。

 もっと具体的なことを知りたい。

 

「ほのか。人柄とかで嫌いな奴はなんとなく理解できた。そうじゃなくて、もっとなんていうか……例えば、俺だったら巨乳の女性が苦手だ。こういうのはないか?」

 しれっと『ほのかを嫌い』だと宣告してしまう。

 だが、彼女は別に気にしない様子で、答えてくれる。

「ああ~ そういう感じね。これやる人嫌いってことだよね? なら、簡単だよ。一番はタバコを吸う人。あれ、臭いがきついし、目にしみるから大嫌い。吸って吐いて、なにが楽しいの? お酒ならまだ許せるんだけどね。だって酔っぱらうと、ノンケでもワンチャンありそうじゃん♪」

 要らない情報を追加するな!

 しかも、それ犯罪だって!

 

「なるほど……意外だな。その意見は俺も一緒だ。タバコは百害あって一利なしと言うからな。ハハハッ、思わぬ所で一致しておかしいな。やっぱあれだな。なんだかんだ言っても、俺たちはヤンキーと違って、根は真面目だな」

 そう言って、ほのかと笑い合う。

 ていうか、初めて共感できたところかも。

 

 

 だが、一人喜べない人が、隣りに。

 元喫煙者であるミハイルだ。

 俯いて、太ももの上に拳を作り、プルプルと震えている。

 頬を紅潮させ、涙目。

 自分だけ、仲間外れにされた気分なのだろう。

 

「ミハイル。お前はもうタバコはやめたんだろ? なら、俺たちと同じ非喫煙者の仲間じゃないか」

「そうよ、ミハイル君もズル剥けしたってことよ♪」

 表現方法を間違えるな!

「そ、そうだよな……って、ああっ!」

 急に何かを思い出したようで、席から立ち上がるミハイル。

 小さな口をポカーンと開き、言葉を失う。

 

「どうした? ミハイル……」

「ヤバいよ……リキのやつ、まだ吸っているよ……」

 俺もそこでようやく気がついた。

 ほのかに惚れているリキが喫煙者であることを。

「あっ!」

 そこからの俺とミハイルの行動は速かった。

 互いにスマホを取り出し、メッセージを打ち込む。

 

『リキへ。早くタバコを捨てろ。服の臭いをファ●リーズで消せ。そうしないと、ほのかに嫌われる』

 と俺は送信。

 これでよし。

 辞められるかは、あいつ次第。いや、ほのかに対する想いの強さか……。

 

 隣りのミハイルに送信したことを伝えると、彼はかなり焦っていた様子で、未だにスマホとにらめっこ。

 高速でスワイプしまくっていた。

 隣りからチラッと画面を覗き見すると。

 

『リキのバカ! 早くタバコをやめろ! やめないとダチじゃない。人間じゃない。お前なんか大嫌いだ! 好きな女の子のためなら、タバコなんてやめれるだろ! 最低の人間、クズ、バカ、アホ、役立たず、うんち、このハゲ……』

 

 なんて罵詈雑言を延々とメッセージに打ち込んでいた。

 

 リキ、この困難を必ず乗り越えよう。

 応援しているぜ。

 正直どうでもいいけど、ダチも惚れた女も全部失うぜ……。

 



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248 腐女子最強説

 

 カフェでしばらく雑談をしていると。

 気がつけば、窓の外には青白い光りが……。

 スマホでも時刻を確認すれば、もう午前4時半に。

 

 それをほのかに伝えると、

「じゃあ、急ぎましょ! 良い場所が埋っちゃう!」

 なんて慌てて、テーブルから飛び上がる。

 俺とミハイルも急いで、彼女の背中を追いかけた。

 

 

 祇園(ぎおん)町には既に大勢の見物客で、賑わっていた。

 ほとんどが立ち見。

 あと地元の人が多く感じる。

 神輿を担ぐことができない女性陣や老人、他にも寝ている幼い赤ん坊を抱いた主婦が、道路の隅に立っていた。

 見物客もプロ顔負けの大型カメラを三脚で固定してスタンバッていた。

 辺りは、異様な熱気で包まれている。

 今か今かと、追い山の開始を待つ。

 

 どこからか。野太い男たちの掛け声が聞こえてくる。

「イサ……イサ……」

 きっと、櫛田神社から出発した一番山笠だ。

 

 追い山とは、シンプルに説明すれば、タイムレースだ。

 チームは七つに分かれており、地区ごとに選出されている。

 また山笠というものは、古来から続く神事であり、時に命を落とす……そんな危険なお祭りだ。

 色々と厳しいルールがあると聞く。

 その地区の町民にならなければ、参加できないことはもちろん、神輿をすぐに担ぐなんて言っても、きっと直ぐには受け入れてもらえないのだろう。

 年間行事であり、本気の人間、博多の男になることができない半端者は、下手したら力づくで追い出されるのかもしれない。

 血気盛んな男たちが、それぐらい真剣に、先祖代々、受け継いで行く儀式なのだ。

 

 俺みたいな貧弱な男では、あんな巨大な神輿は担ぐことは愚か、そのスピードについては行けないだろう。

 高さ4メートル、重さ1トン。

 人間離れしたアスリートレベルの男たち。

 

「オイサ……オイサ、オイサ!」

 

 段々と声が近くなる。

 

 ふと、辺りを見回すが、ほのかが見当たらない。

 ミハイルに尋ねると、

「ほのか? 一番前の方にいるよ」

 なんて道路を指差す。

 

 ガードパイプに腰を掛けて、スタンバッていた。

 小型の三脚にスマホを装着し、どうやら既に録画しているらしい。

 膝にタブレットを置いて、右手にはペン。

 眼鏡を怪しく光らせて、ニヤつく。

 

 あいつ、もう生モノの素材にする気マンマンじゃねーか。

 

 神聖な儀式を汚しにきやがって……。

 

 太鼓の音と共に、地響きを立てて、神輿を担いだ男たちが、こちらへと向かってくる。

 その顔つき、まるで、戦争に向かう兵士のようだ。

 見ている俺たちにもその情熱が伝わってくる。

 腹にまで響く男たちの掛け声。

 

「オイサ! オイサ! オイサ!」

 

 辺りで待っていた見物客でさえ、その迫力から、後退りするほどだ。

 

 だが、一人の少女だけは、微動だにせず、じっとその光景を楽しんでいた。

 北神 ほのかだ。

 

「ふひゃーひゃっひゃひゃ! 生ケツのオンパレードじゃ! ハァハァ……おっさんもお兄さんもふんどし姿やないかい! こりゃ、たまらんのう! これが本物の取材だってばよ!」

 

 神輿を担いでいた血気盛んな男たちですら、ほのかの姿を見て、ドン引きしていた。

 

「な、なんだ。あの子……」

「暑さにやられたんじゃないか?」

「かわいそうに。あの若さで頭がイカレてしまったのか」

 

 うん、間違ってはないのかも。

 

 その後、幼い子供たちがよちよちと可愛らしく走っている姿を見たほのかは、発狂する。

 

「ひゃひゃひゃ! これぞ、合法的にショタを視姦できる年一のコミケだぁ!」

 そんなもんと一緒にすな!



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249 ヤンキー、腐女子に屈する

 

「あっひゃ! ひゃっ~ひゃっひゃっ!」

 オフィス街に響き渡る奇声。

 その声の持ち主は……ただの女子高生であり、ただの変態である。

 北神 ほのかだ。

 

 命がけで神輿を必死に担ぎ、走っている男たちの生ケツを楽しみ、スマホで録画し、既に生モノとして、タブレット内では、激しく絡み合っている。

 後ろをよちよちと歩く可愛らしい子供たちでさえ、素材に使われてしまう。

 確かに祭りを楽しむのは、個人の自由だ。

 しかし、神事である山笠をここまで、汚していいものか。

 

 

 俺とミハイルは、ほのかから少し離れたコンビニの駐車場で待機していた。

 車止めブロックを腰掛けにして、仲良くケツとケツを合わせる。

 隣りにいるミハイルは、居眠りしている。

 時折、首をカクンと落としてしまうのを、見兼ねた俺が自身の肩を貸してやる。

「タクト……お祭り、楽しいね……」

 寝言か。

 ていうか、どこが楽しいの?

 

 俺たち、なにをしに来たんだよ!

 ほのかのやつは、一人暴走して、勝手にふんどし姿を絡めやがるし、ミハイルは寝るし、俺は素直に追い山を楽しめてないぞ。

 

 深いため息を漏らすと、ジーパンのポケットからブーッと振動が響く。

 スマホにメールが届いたようだ。

 確認すると、送信者はリキだった。

 

『よう。朝から悪いな。メール見たぜ! 早速、愛しのほのかちゃんのために、吸っていたタバコは全部捨てておいたぜ。教えてくれてサンキューな、タクオ!』

 恋の力は偉大だな。

 ヤンキーの喫煙まで、こうも簡単に止めてしまうとは。

 感心するぜ。

 

 俺はリキに

『礼はいらん。ダチとして当然のことをしたまでだ』

 と返信。

 

 すると、すぐに新たなメールを受信。

『あのさ。悪いんだけど、この前のミハイルのいとこ。アンナちゃんに会わせてくれないかな? ほら、俺とほのかちゃんが良い仲になれるよう、協力してくれるって言ってたからさ』

 ファッ!?

 色々とめんどくさい!

 

 だが、俺とアンナが出しゃばったのも事実だ。

 ここは彼に協力した方がいいだろう。

 

『わかった。アンナにも伝えておく。とりあえず、この前みたいに一人で突っ走るな。ほのかは難しい性格だ。まずは同じ趣味。共通点を作ろう。友情からの恋愛にも発展するかもしれん』

 正確には、ほのかの興味はハッテン場だがな。

 リキからまたメールが届き。

『マジ、サンキューな! 取材だっけ? 俺、めっちゃ頑張るわ!』

 えぇ……めっちゃ頑張っちゃダメだろ。

 俺が一人頭を抱えていると。

 

「うひょおおお! ふんどし、ケツ毛、ショタのツルツルお股最高かよ!」

 なんて発狂するリキの想い人が。

 あんな変態の落とし方、わかるかよ。

 

 どうしたものか……。

 ここは身近な腐女子たちに、意見を求めるとするか。

 手始めに母さんと妹のかなで辺りか。

 果たして、どんな攻略法をご教授いただけますやら。

 うーん。不安しかない。

 

「タクトォ……今度は、パンパンマンミュージアムが良い~」

 

 俺の肩で気持ち良さそうに眠る、ミハイルはこんなにも可愛らしい趣味をしているというのに。



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250 受験生の禁断症状

 

 山笠は無事に終了した。

 今年の夏は、誰一人として、ケガもなく死人も出ず、最高に盛り上がったお祭りだった。

 しかし……俺の中で終わらなかったものがある。

 

 それは、腐女子である北神 ほのかの攻略法だ。

 どうやったら、あんな変態とヤンキーを恋仲に出来るというのか。

 無知な俺にはわからん。さっぱりだ。

 もうお手上げ。

 だって、ほのかのやつ。

 追い山を見たあと、鼻息荒くして。

「私、すぐに家に帰るわ! 忘れる前に早く生ケツで絡めたいもの!」

 なんて徹夜明けで、創作活動に勤しんでいたものな。

 

 同じ創作者として、あの情熱を少し分けてもらいたいぐらいだ。

 ただし、変態の部分はカットして……。

 

 だが、マブダチのリキには助力したい。

 その恋が叶うことは無くても、少しでもあの二人が仲良くなってほしい。

 俺が想う……この心に噓偽りはない。

 

 自室で机の上においたノートパソコンで、

『腐女子、恋愛』

 なんてネットで検索しても正解が見えてこない。

 

 仕方ない。

 うちに成功例が一人いるじゃないか。

 真島のゴッドマザーこと、琴音母さんだ。

 

 リビングに向かうと、テーブルに座る妹のかなでが目に入る。

 珍しく勉強をしていた。

 そうか。こいつも中学3年生の夏だものな。

 ぼちぼち高校への試験勉強か。

 

 顔を真っ赤にして、教科書とにらめっこ。

 なにやら不機嫌そうだ。

 近寄って見ると、英語の参考書だ。

 正直、俺の通っている一ツ橋高校の問題より難しそうだ。

 

「クソがっ! ですわ!」

 かなりストレスが溜まっているようだ。

 いつも男の娘の18禁ゲームで遊んでいる変態妹の顔ではない。

 

 キッチンで皿を洗っていた母さんが俺に気がつく。

「あら、タクくん。どうしたの?」

 相変わらず、裸の男たちが絡み合ったBLエプロンを首からかけている。

 いつ見ても痛い光景だ。

「母さん。ちょっと質問があるのだが……」

 すると、近くで勉強していたかなでが、ブチギレる。

「おにーさま! 集中できませんわ! おっ母様とお話されるなら、離れた所でしておくんなまし!」

 怒られちゃったよ。

「わ、悪いな。試験勉強中に……」

「そうですわ! かなでは高校なんてどうでもいいのですけど。おっ母様が進学校を勧めるから勉強を無理してやっているのですわ! あー、イライラするぅ! 合格するまで男の娘ゲーで抜けないなんて! あー、発狂しそうですわ!」

 盛りのついた受験生だこと。

 

 俺は自室に戻って、母さんと二人で話すことにした。

 だが、リビングから離れる際、かなでの怨念のような独り言が聞こえてきた。

 

「あ~ ケツ……マンホールって、言いたいですわ! 男の娘とショタのプリッケツンのマンホール! マンホールって叫びたいですわ! マンホール……マンホール……マンホール……」

 言ってるじゃねーか!

 

 

 自室に戻って、不安を感じた俺は母さんに訊ねる。

「質問の前にいいか? かなでのアレ。大丈夫なのか?」

「えぇ、腐女子の受験生なら、誰しもが経験することよ。懐かしいわ。母さんもおばあちゃんから薄い本を奪われた時は、問題の空白を全部、ケツで埋め尽くしたものよ」

 なんて天井を見上げながら、思い出している。

「母さん。腐女子ってそういうものか?」

「そうよ~ 愛らしいでしょ」

 どこがだ! 普通に怖いわ!



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251 母の愛は偉大

 

 俺は今悩んでいるリキのことを母さんに相談した。

 腐女子である、北神 ほのかの臭そうなハートをどの様に落とすべきか。

 ここは、先駆者である親父の六弦に聞いた方が早そうだが、あいつはすぐに金をせびるので、無視した。

 母さんは一連の流れを聞いて、「わかるわかる」と頷いていた。

 

「なるほどなるほど……。つまり、そのリキくんという子は、女の子を見る目があるのねぇ~ ズバリ! 男にとって腐女子は、アゲマンよ!」

 予想を上回る回答が出てきたので、イラッとした。

「母さん。真面目に相談しているんじゃないか……もうちょっと、具体的な答えが欲しいんだよ」

 俺はため息をついて、頭を抱える。

「でも、本当のことよ? 六さんも私と出会ってイケメンになれたわよ~ 仕事もルックスも♪」

 いや。あんたの旦那は無職だろ。

「それで……母さんは、親父のどういうところに惹かれたんだ? 顔か、性格か?」

 正直、親の馴れ初めとか聞きたくないが、ダチのためだ。

「いいえ。顔でも性格でもないわ。ズバリ! 初めてを捧げたのが六さんで、身体の相性がバツグンに良かったのよ~ 思い出しただけでも、びしょ濡れになりそう~!」

 なんて頬を赤らめるアラフォーのおばさん。

 しんどいわ。

 

「そういうんじゃなくて……なんか腐女子の人って、こう……ルックスに厳しいイメージがあるんだけど。二次元並みに美青年とか……リキってハゲのマッチョなんだよ。それでも脈があると思うか?」

 母さんはそれを聞いて、腹を抱えて笑い出す。

「ハハハ! ちゃんちゃら可笑しいわ! そんな二次元の世界にいるような男子が現実世界にいれば、腐女子たちに逆レ●プされるわよ。ないない。もし、そういう幻想を抱いている若い腐女子がいるのなら、恋愛なんて無理な話よ」

 しれっと、自分の願望を暴露しやがったよ。この母親。

「じゃあ母さんは、親父のことをどんな風に見ているんだ? 好みのタイプに当てはまるのか?」

 すると腕を組んで、自慢げに語り出す。

「六さんはドンピシャね。母さんの好みは年上の男性。子供ぽくない人よ」

 意外だった。すごくシンプルな答えだったから。

「年上か……大人の男って感じが好きなのか。確かに親父は母さんより、何歳か年上だったもんな」

 なるほどな、と顎に手をやる。

 確かに母さんの言う好みに、当てはまる。

 二次元に対する情熱と、現実世界の恋愛はまた別物なのか。

 

「でも、年上っていうタイプは、あくまでも受けの時よ♪」

 人差し指を立てて、優しく微笑む。

「え?」

 なんかこの前もこういう展開があったような……。

「攻めのタイプは、絶対年下に限るわ! そうねぇ、具体的に表現するなら、14歳から16歳ぐらいの男の子がいいわ!」

 その変態発言に、思わず身震いを起す。

「ど、どういうことだ? 何故、そんなに年齢を限定するんだ?」 

「決まっているじゃない~ 反抗期のショタをいじめ抜いて、性奴隷にするのよ♪」

 このクソ母親、なんてことを息子に言いやがるんだ!?

「か、母さん? ウソだろ?」

「いいえ~ 普通のことよ。腐女子ならショタは絶対に外せないわ」

 俺はその性癖を聞いて、一つの不安が脳裏を過る。

 ミハイルのことだ。

 あいつは、今15才だ。

 ちょうど母さん的に、食べごろなのでは?

 しばらく彼を自宅に連れてくるのはやめておこう。



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252 受付ショタ

 

 結局、母さんに相談しても、腐女子の落とし方なんて分からなかった。

 とりあえず、変態のおぞましい願望が常に脳内で漂っているのは、把握できたと思う。

 近隣の警察署に届け出しておくか。

 

 

 気がつけば、夏休みもあと一ヶ月。

 もう8月だ。

 窓の外からは蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 クーラーをつけているから、窓は閉め切っているというのに。

 ったく、余命一週間の生き物なんだから、そんなに叫ぶなよ……。

 

 なんて思っていると、一本の電話が。

 珍しい名だ。

 ロリババア。

 出版社である博多社、俺の担当編集部員、白金 日葵。

 

「もしもし」

『あ、DOセンセイ! 今、暇でしょ? 久しぶりに打ち合わせしますよ!』

 だから、どいつもこいつも、なんで俺を勝手に予定無しと決めつけるんだ。

「打ち合わせ? なんの?」

『実は表紙絵と挿絵をトマトさんが、ついに完成させたんです! DOセンセイにも是非見てほしくて!』

「なるほど。それは楽しみだ」

『ええ、じゃあ。あと一時間以内に編集部まで、おなしゃす!』

 と一方的に電話を切られる。

 

 クソがっ!

 まあ、どうせ今日は夕刊配達も休みだったし、明日の朝まで何もすることない。

 久しぶりに外出するか。

 

   ※

 

 久しぶりの天神は、殺人的に日差しが強く、アスファルトから熱気がむんむんと跳ね返ってくる。

 二重で暑苦しい。

 喉がカラカラだ。

 相変わらず、バカみたいに目立つ巨大なビル。

 博多社。

 

 自動ドアを通り過ぎると、すぐに受付のカウンターが見えた。

 だが、今日はいつも何か様子が違う。

 普段ならば、

「あら~ 琢人くん~」

 なんて倉石さんが声をかけてくれるのに。

 

 受付嬢ではなく、受付男子? とでも言えばいいのだろうか。

 かなり若い男性……いや、男の子か。

 頬がまだ赤く、幼く見える。

 天然パーマのショートボブ。

 大きな瞳に童顔。髪型も中性的で、少し間違えれば、女の子に見えそう。

 そんな彼は、上下真っ白な制服を纏っている。

 細身のボタンジャケット、タイトなスラックス。

 この受付にいなければ、海軍のセーラー服のようだ。

 

 俺が黙って突っ立っていると、

「あ、あの……我が社に何か御用でしょうか?」

 なんて、たどたどしく声をかけてきた。

 初対面の俺にかなり脅えている。

「お前、誰だ? 倉石さんはどうした?」

 不思議に思った俺は、彼の顔をじっと見つめる。

「ひぃっ! く、倉石さんは異動となりました。今はBL編集部で編集長をやっています……」

「ああ。そう言えば、そうだったな」

 忘れてた。

 それにしても、この兄ちゃん。

 なんでこんなに脅えているんだ?

 

「お前、随分若いな。年はいくつだ? 名は?」

「ひ、ひぃ! ぼ、僕ですか……年齢は16歳です……名前は、住吉(すみよし) (はじめ)と言います」

 俺より年下か。

「住吉 一か。認識した。俺は新宮 琢人。一応、お前より年上の作家様だ」

 とりあえず、マウントを取っておく。

「ひぃ! これは作家様でしたか! では、どちらの編集部にお繋ぎすればいいでしょうか?」

 なぜ涙目なんだ?

 別に住吉が悪いわけではないが、見ていると、いじめたくなるな。

 

「ゲゲゲ文庫のバカを呼んでくれ」

「あ、倉石さんより伺っております。白金さんですね。少々、お待ちくださいませ。新宮様」

 なんて律儀に頭を垂れる住吉。

 ヤベッ、超気持ちイイわ。

 

 母さんの言っていたショタをいじめる快感ってのは、こういうことなのか?

 ちょっと、癖になりそう。



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253 絵師さんにはお任せしよう!

 

 エレベーターのチンという音が、エントランスに鳴り響く。

 白金のご登場だ。

 本日もお子ちゃまファッションで、コーディネートしている。

 

 ツインテールの頭は、左右にさくらんぼのヘアゴムで束ねて。

 アイスクリーム柄のワンピースを着ている。

 多分、子供サイズ。

 

「DOセンセイ! お待たせいたしました!」

「ああ。ところで、この新しい受付嬢? 住吉はまだ未成年なんだろ? なんで働いているんだ?」

 俺が隣りに座っている彼を親指で示すと、また「ひっ」と悲鳴をあげる。

「一ちゃんのことですか? この子、コミケでレイヤーしていて。私がスカウトしたんです。聞けば、無職だって言うし。BL編集部も出来たから、新人の女性作家さんたちが気持ち良く、我が社に入れるよう、特別に受付をしてもらっているんですよ。このおどおどしている姿が、腐女子の方にはたまらないそうで。雇って本当に良かったです♪」

「え……そんな理由でか?」

「はい! 創作活動に力が入るそうですよ」

 白金が彼にウインクしてみると、またもや悲鳴をあげる。

 

「ひ、ひぃ! 白金さん、僕はもうあんな恥ずかしいコスプレしませんからね!」

 顔を真っ赤にして、泣き叫ぶ。

 対して、白金は至って冷静だ。

「一ちゃ~ん。そのことはナイショでしょ? 今夜も居酒屋で脱いでもらうからね♪」

「ひぃ! そ、それは上司としての命令ですか?」

「うん。断ったら、この前のコス写真、ネットにバラまくから♪」

 怖すぎ!

 住吉がちょっと可哀そうになってきた。

「わ、わかりました……終電までには帰してください……」

 肩を落として項垂れる。どうやら、観念したようだ。 

「へへへ。コミケであんな卑猥なコスプレを着る一ちゃんが悪いのよ」

 これ、児童ポルノ法違反では?

 まあでも、俺も住吉は嫌いなタイプじゃないから、しばらく放置しておこっと。

 

   ※

 

 エレベーターで編集部と上がる。

 久しぶりのゲゲゲ文庫は、かなり忙しそうに社員たちが動き回っていた。

 

「挿絵、間に合ったか!?」

「はい! もう『気にヤン』のポスターも仕上がってます!」

「よし。次、コミックの帯を作成するぞ!」

「わかりました!」

 

 俺の知らない間に、編集部はピンク色のイラストやポスターで彩られていた。

 タンクトップ、デニムのショートパンツ姿のヤンキーぽいヒロイン。

 その隣りには、対照的なヒロインが立っている。

 大きなリボンを胸につけたフリル多めのワンピース。頭にも同じくらい大きなリボン。

 とてもガーリーなヒロイン。

 

 ミハイルとアンナだ。

 そうか。トマトさんがここまで仕上げてくれたのか……。

 思わず目頭が熱くなる。

 俺は感動していた。

 ここまで来るのに、どれだけの困難、苦労を乗り越えてきたか。

 

 しかし……このイラスト、どこか違和感を感じる。

 それは、体つきだ。

 

 モデルになったミハイルとアンナは、低身長で貧乳……いや、絶壁という設定なのに。

 このイラストのヒロイン。

 身長がかなり高いモデル並みだ。

 そして、胸もかなりデカい。

 巨乳ギャル? といったイメージだ。

 

「どうですか!? DOセンセイ? 今やゲゲゲ文庫は、『気にヤン』で大盛り上がり! これで狙いに行きますよ! 博多社の全てをこの作品に賭けます!」

 白金はまだ発売前だというのに、勝ち誇った顔でガッツポーズをとる。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 それよりも、俺の……俺たちが命がけで取材して、作り上げた小説の表紙が……ヒロインが全然違う!

 別人ってレベルじゃねー!。

 

 もう既に販促ポスターまで仕上がっている段階だ。

 後戻り、修正はできないのだろう。

 その光景を目にして、血の気が引く。

 

「おい、白金……このイラストで、もう決まりなのか? 今から差し替えはできないのか……」

「へ? 無理に決まってじゃないですか。もう単行本の見本も出来ているし、来月には書店に並びますからね。このヒロイン、超人気なんですよ~ 編集部の男性陣も大のお気に入りで、可愛いからって二次創作やって、夜のおかずにするファンまでいるんですから。ハハハ!」

「……」

 

 俺の思い描いたヒロインじゃない!

 これ、全く違うキャラじゃん……。



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254 漫画家、現る

 

 既に完成してしまったヒロインのイラストを見て、俺は絶句していた。

 取材に協力してくれたアンナに、なんて言い訳をすればいいのだろう。

 これはもう俺のヒロインではない。

 絵師であるトマトさんが描いた全く別物のヒロイン

、彼が好きなギャル。

 花鶴 ここあに酷似している。

 違うところと言えば、髪の色が金髪で瞳がグリーンアイズぐらい。

 ほぼほぼ、ギャルの花鶴じゃねーか!

 

 

「お、おい! 白金! このイラスト……俺の作品のヒロインに全然似てないぞ! 小説ではちゃんと貧乳、低身長と書いていたはずだ。それこそ、お前に渡したプロットやキャラ設定にも書いていたのに……どうしてこうなった!?」

 うろたえる俺を見て、白金は特に悪びれる様子もなく、当然のように答える。

「え? ああ、そう言えば……そんな表現でヒロインを書かれていましたね。アンナちゃんでしょ? でも、トマトさんがモデルにしたギャルの子? の方が、ウケが良くてそのまま採用しました♪」

「ふざけるな! こんなの、アンナじゃない! クソビッチじゃねーか!」

「そうですか? 巨乳でモデル体型のアンナちゃんは、もう大人気で抱き枕も作成中ですよ?」

「マ、マジで……?」

「はい。もう編集部で色んなグッズも展開中です♪」

 なんでコレで決定する前に、作者である俺に一声かけないんだ! このロリババア!

 

 俺は怒りを通り越し、落胆していた。

 今までやってきたことは、何だったんだ。

 

   ※

 

 とりあえず、「予定通り、打ち合わせをしましょう」と白金に促された。

 編集部の中央に、薄い仕切りで覆われた一つの区画がある。

 白くて大きなテーブルだ。

 4人ほど座れる。

 俺と白金は、向い合せに座り、仕事の話を始めた。

 

 まずは、『気にヤン』の単行本。

 その見本を渡される。

 数年ぶりの書籍化は確かに嬉しいのだが、表紙や挿絵が全く別物になっていて、感情移入ができない。

 誰なんだ? このハーフギャルは……。

 

「どうですか。特に問題ないですよね?」

 なんて白金が訊ねてきた。

 大有りだよ、バカヤロー!

 しかし、もうここまで完成してしまったのならば、後戻りはできない。

「ああ……コレでいいよ」

 力なく答える。

「あれ? なんか嬉しそうじゃないですね? 数年ぶりの書籍化ですよ?」

「う、うん……うれしいな。わぁい」(棒読み)

「変なDOセンセイ。あ、そうだ。今日はもう一つ、見て欲しいものがあるんですよ」

 そう言って、奥にある自身のデスクに向かう白金。

 戻ってくる際、小さな本を一冊持ってきた。

 

 先ほど見せてくれたライトノベルよりも少し大きなサイズだ。

 青年向けのコミックか?

 

「これ、以前に話していた『気にヤン』のコミック版です」

 そう言って差し出されたのは……。

 繊細に描かれたハーフ美人。

 透き通るような白い肌。宝石のように光るグリーンアイズ。

 低身長。絶壁に近い貧相な胸。

 どこからどう見ても、俺の知っているメインヒロイン、アンナが優しく微笑んでいた。

「アンナだ……」

 思わず、口からその名がこぼれる。

 まるで俺が撮った写真のようだ。

 モデルであるアンナの写真なんて、一切提供してないのに、どうやってここまで彼女を再現したというのだ。

 

 コミックの表紙を一枚めくり、本編も試しに読んでみたが、原作者である俺の体験を忠実に絵としてしっかり描いている。

 そして、アンナがとにかくカワイイ。

 これこそ、俺の求めているメインヒロインだ。

 

 原作、DO・助兵衛。作画、ピーチ。

 この可愛らしいペンネームの漫画家が仕上げてくれたのか。

 俺は感動して、涙が溢れそうになる。

 

「白金……これを描いた先生は誰だ? 是非会ってみたい! というか、お礼を言いたいのだ!」

 興奮して前のめりになる。

「え、ピーチ先生のことですか? それなら、さっきからDOセンセイの隣りにいますよ?」

「へ……?」

 白金が指差す方向を目で辿る。

 気がつくと、俺の左隣りに、ちっこい女が座っていた。

 

 頭上でピースして俺に軽く挨拶。

「ちっす。DOセンセイ、自分、漫画担当のピーチっす。以後、よろぴく」

「よ、よろぴく……」



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255 その名はピーチ

 

 俺の隣りに座っていたのは、チャラい小ギャル。

 幼児体形の白金まではないが、かなり小柄な女だ。

 

 派手なピンク色に染め上げめた長い髪は、後頭部で一つに丸くまとめている。

 お団子ヘアスタイルというやつか。

 前髪は右側だけ、だらんと頬から顎下まで垂らしている。

 

 幼い顔つきだが、メイクはかなり濃いめ。

 アイラインやアイシャドウもバッチリ。

 瞳もピンクのカラコンで加工済み。ハートマークでデコしてあるよ♪

 つけまつげも、アホみたいに長いから、瞬きするたびに、バサバサと音が聞こえてくる。

 ファッションは、ヘソだしのキャミソールに、チェック柄のミニスカ、厚底ブーツ。

 

 こんな時代遅れの汚いギャルが、俺のヒロインを、アンナを……忠実に漫画として、描いたというのか?

 

「ちょりっす。スケベ先生」

「ちょ、ちょりっす……」

 ついつい、話し方を合わせてしまう。

 困惑している俺を見て、白金が汚ギャルに自己紹介を促す。

 

「あ、DOセンセイはお会いしたことなかったですよね。今回『気にヤン』のコミカライズを担当してくれたピーチ先生ですよ。今後も続刊を担当してくれるので、是非とも今日を機会に仲良くされてください♪」

 えぇ……こんなギャルとどうやって仲良くするんだ。

「改めて、自分ピーチっす。スケベ先生のこと、マジリスペクトしてるっす。ダディやマミーよりも、ゴッドっす」

 偉く尊敬されているようだ。神よりグッドな存在なのか。

 ならば、スケベという呼ぶのはやめて欲しい。

 視線はずっと俺に向けられている。

 あまり感情を表に出さないタイプのようだ。

 無表情、ジト目で淡々と話し出す。

 

「自分、スケベ先生のこと、ウェブ時代からの大ファンっす。『ヤクザの華』も初版で全巻揃えているっす。自分的には、今のスケベという名前より、以前のペンネームの方がしっくりきたっす」

「え……前の?」

 初対面の女性に、スケベと言われるのも、充分恥なのだけど。

「ちっす。絶対最強戦士、ダークナイト先生の方が古参ファン的には、鬼カッコイイっす」

 久しぶりに聞いたわ。小学生時代の黒歴史。

「いや……それは、もう過去のペンネームだから……」

 掘り返さないで欲しいです。

「そっすか? 自分的には超カッコイイ名前だと思うっすけど。でも、今回あの硬派なスケベ先生が初めてラブコメを書くと聞いて、居ても立っても居られなくて……。博多社に原稿を持ち込みしたら、見事デビューさせてもらったっす。スケベ先生のおかげっす、マジリスペクトっす!」

 ずいっと身を乗り出してくる。

「そ、それはこちらこそ、お礼を言いたいところですよ。俺の書いた小説の世界をここまで忠実に絵として再現してくれて……。でも、何故ヒロインであるアンナというキャラをあそこまで可愛く、仕上げられたんですか? まるで写真のようでした」

 まさか、俺とアンナのデートをストーキングしたのではないよな。

 

「それは……自分がスケベ先生の大ファンだからっす。白金さんに渡された原稿を何度も何度も読み直して。頭の中で想像を膨らませて、スケベ先生の性癖をとことん! 突き詰めたら、あのヒロインが浮かび上がって、スラスラと描けたっす!」

 俺の性癖がダダ漏れになってしまったのか。

 恥ずかしすぎるので、死んでもいいですか?

「そ、そうでしたか……」

「ていうか、敬語はノーサンキュっす。自分、スケベ先生より年下っす。今16歳の女子高生なんで」

 ファッ!?

 こんな汚い奴が現役JKだと……よく入学できたな。

 年下ということで、俺は態度を変える。

 

「そ、そうか。じゃあタメ口で話させてもらおう。今後タッグを組むなら本名も名乗っておきたい。俺は新宮 琢人だ」

「あ、それなら知ってるっす。『にぃに』から噂は聞いてたんで」

「え? にぃに?」

「ちっす。自分のにぃには、スケベ先生のイラスト担当してるトマトっす」

 あの豚の妹だったのか!?

 全然似てない……。



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256 兄妹っ!

 

 唐突の兄妹出現に、俺は驚いていた。

 このピーチと名乗るギャルが、あの豚……じゃなかった、オタク絵師のトマトさんの妹だと?

 顔も全然似てないし、体型なんてもってのほかだ。

 

 しかし、この子。誰かに似ているような気が……。

「あ!」

 思わず声に出してしまった。

 そうだ。

 俺のクラスメイトであり、今回ラノベのイラストのモデルにもなったギャル。

 花鶴 ここあに、どことなく雰囲気が似ている。

 あそこまで、ビッチさはないが……。

 小型版の花鶴と言った感じ。

 マジか。にぃにってば、妹を性的対象にするタイプなのか。

 キモッ!

 

 トマトさんの性癖に絶句している俺を見て、白金が首を傾げる。

「DOセンセイ。ピーチ先生の顔をじっと見つめて、一体どうしたんですか? 惚れちゃいました?」

 その一言で我に返る。

「アホか! ちょっと、トマトさんのことで思う事があってな……」

 さすがに妹の前で暴露するわけにはいかんだろう。

「「?」」

 顔を見合わせて、答えを探る白金とピーチ。

 

  ※

 

「スケベ先生、にぃには今度から先生と同じ高校に通うっす。色々と教えてあげてくださいっす」

 相変わらず淡々と喋るな、この子。

「了解した。緩い高校だから、心配しなくていいぞ?」

 誰でも入学できて、簡単に卒業できるバカ高校だからな。

「安心っす。自分も一応、全日制コースの三ツ橋に通っているので、ひょっとしたら、校内で会えるかもっす」

「え……ピーチも同じ五ツ橋学園の生徒だったのか?」

「ちっす。これ、自分の生徒手帳っす」

 そう言って、取り出したのは、見覚えのある小さな手帳。

 ずっと前、赤坂 ひなたと初めて出会った時、同じものを見せてもらった。

 ちゃんと三ツ橋高校と明記してある。

 中身を見せてもらうと、確かに写真と名前が書いてある。

 

『三ツ橋高校1年B組、筑前 桃』

 

「ん? ピーチの本名って、『もも』と言うのか?」

 フリガナが無いので、そのまま読みあげる。

 だが、彼女は首を横に振る。

「違うっす。自分の名前は、桃と書いてピーチっす。ペンネームじゃないっす」

 ファッ!?

 なんという、キラキラネーム。

「そ、そうなんだ……」

 思わず言葉を失う。

 ここであることに気がつく。

 そう言えば、兄であるトマトさんの本名は、筑前 聖書(ちくぜん ばいぶる)だったよな。

 

 バイブルとピーチ……。

 うーん、どこかで聞き覚えが。

「はっ!?」

 あ、察し……。

 

 恐る恐る彼女に問いかける。

「もしかして、ピーチの親御さんって、ベイベだったりする?」

 すると彼女の顔がパッと明るくなった。

「よく分かったすね! そうっす! マミーもダディーもバリバリのベイベっす! 聖書にぃにと自分の間にも、兄妹が何人もいるっす」

 そう言ってスマホを取り出す。

 画面に一枚の写真を写しだした。

 一軒家の前で、大家族が勢揃いし、笑顔でピースしている。

 総勢で12人ぐらいか?

 

「全員、年子で生まれたんで、一歳違いの兄妹っす。上から聖書にぃに。(みさお)ねぇね。『あの』ねぇね。(ぼく)にぃに。双子のロングにぃにとシュートにぃに……」

 えぇ……まだ引用する気なの?

 どれだけ産むんだ。

 

 ピーチの話では、お母さんは現在、妊娠中らしい。

 ベイベってスゴイなぁ。



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257 経費で落としてもらう時、上司に金を投げつけられます

 

 コミカライズを担当してくれるピーチは、見た目こそ変わった女子高生だが、画力は兄のトマトさんよりも優れている。

 何よりもアンナを忠実に描いてくれるのだから、安心して任せられる。

 軽い自己紹介を終えると、彼女は「家に帰って原稿を描きたいから」と編集部を後にした。

 

 

 その後、白金と今後の『気にヤン』の展開を話し合うことに。

 編集長の熱い要望で、一巻も発売前だというのに、もっと続きを書いて欲しいと頼まれた。

 初刊はメインヒロインであるアンナを重点的に描いた。

 ヤンキーのミハイルが俺に振られて、女装……じゃなかった可愛らしい女の子に大変身し、主人公であるタクトに積極的なアプローチを試みて、初デート。

 という流れだ。

 今のところ、サブヒロインたちは活躍していない状態だ。

 だから、続刊には現状候補に挙がっている赤坂 ひなたを出したいと考えていた。

 

 俺はその案を白金に伝えると、快く承諾してくれた。

「いいですね! サブヒロインが活躍すれば、メインヒロインのアンナちゃんも嫉妬して、バチバチしそうです。楽しそう!」

 なんて白金は嬉しそうに語るが……。

 当の取材した本人は、あの二人のケンカは、全然楽しくない。

 殺し合いに近いから、恐怖でしかない。

 

 しかし、今サブヒロインとして使えそうなのは……。

 現役女子高生のボーイッシュな赤坂 ひなた。

 腐りきった変態の北神 ほのか。

 自称トップアイドルの長浜 あすか。

 ん? ほのかは使えるのか?

 あとは……。

 

 俺は取材と称しデートに使った金。領収書の束をリュックサックから取り出す。

 ゴムでまとめて、一番上にメモ用紙を貼っており、各ヒロインの名前を書いている。

 人によって経費として落ちるか、分からないからだ。

 アンナはメインなので、安心なのだが。

 他の奴らが不安だ。

 

 それらをデスクの上に並べて、白金に相談する。

「なあ。これ、最近の取材に使ったものだが、経費で落ちるか?」

「おお! DOセンセイ、こんなにデートされたんですか~ 童貞のくせしてやりますねぇ~」

 童貞は関係ないだろ!

「で、どうなんだ?」

「どれどれ……ほうほう、花火大会に水族館、それに山笠も。うんうん、これは福岡を舞台にしているし、どれも経費で落ちそうですね」

 ニッコリ笑う白金の顔を見て胸をなでおろす。

 というか、変態ほのかもちゃんとサブヒロインとして、認められるんだな。

 

 その後も一枚一枚、丁寧に領収書をチェックしていく白金。

 どれも小説に使えるとOKをもらえた。

 しかし、とある名前で指が止まる。

 

 その名は……宗像先生。

 

「え、なんで蘭ちゃんがここで出てくるんですか?」

 白金の目つきが鋭くなる。

「ああ。大人の女性として、自らヒロインを立候補してな。この前、取材したんだ」

 破天荒でバカな人間だと思っていたが、純情乙女の側面も垣間見えたし、生徒のために時間と金を惜しまない良い教師だったことも知れたしな。

 ラブコメの展開としては、どうかと思うが、キャラとして重要なポジションだと思った。

 正直、使える取材だったと思う。

 

 だが、俺の考えとは裏腹に、白金の顔はどんどん険しくなっていく。

 領収書をパラパラめくっては、鼻息が荒くなり、肩を震わせる。

 

「なんですか、これ……パチンコに居酒屋、車のガソリン代、ウイスキー二瓶にチューハイ30缶……」

 あ、ヤベッ。宗像先生、俺の経費目的で取材したんだった。

「白金、あのな。一応、意義のある取材だったと個人的には思う、ぞ?」

「これが!? どこにラブコメ要素があると言うんですか!? ただのアラサークソ女の日常じゃないですか! どうせアレでしょ。DOセンセイの経費目的でしょ! 却下です! 大体、ラノベの読者は10代の中高生ですよ? あんなクソ巨乳じゃ、童貞読者は萌えません! 処女が良いんです! ビッチはサブヒロインとして却下です!」

 酷い……確かにもう処女ではないと思うが、10年以上も一人の男性に想いを寄せる純情乙女なのに。

 

 白金は顔を真っ赤にさせて、宗像先生の領収書の束を近くにあったシュレッダーにかけた。

「DOセンセイ。今後、蘭ちゃんの言う事は聞かなくていいです! もしDOセンセイに経費として金を支払わせることがあれば、私に言ってください。三ツ橋高校の校長に伝えて給料から天引きしてやりますから!」

「りょ、了解した……」

 じゃあ、何だったんだ。あの取材は…。



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258 突撃! BL編集部!

 

 打ち合わせが終了し、リュックサックを背負って編集部から出ようとすると、白金に呼び止められる。

「あのDOセンセイ。良かったら新設されたBL編集部を見て行きませんか?」

「え? 俺が……」

 そんな腐りきった所、興味ないね! といつもの俺なら吐き捨てる所だが……。

 マブダチであるリキが脳裏に浮かぶ。

 プロのBL作家、つまり北神 ほのかに引けを取らない変態さん達が一つの場所に集まっているということだ。

 ここは知恵を借りたい……。

 腐女子の落とし方を。

 よし、勇気を持って取材してみよう。

 

「あ、そう言えば、倉石さんが編集長になったんだよな? ちょっと聞きたいこともあるし、寄ってみるか」

「ケッ! ただの受付のイッシーがいきなり編集長とか、マジ有り得ないですよ。私の方が『気にヤン』で功績をあげているっていうのに!」

 と愚痴をこぼす万年平社員。

 

   ※

 

 BL編集部は、ゲゲゲ文庫のすぐ上の階にあった。

 エレベーターを使う必要もないので、初めて博多社の階段を使用した。

 階段を昇り終える頃、なにやら甘ったるい香りが漂ってくる。

 そして、悲鳴にも聞こえる喘ぎ声が流れてきた。

 

『あぁ~!? 部長、ダメですよ……ここは会社なのに……あああっ!』

『へぇ……そんなに感じておいてかい? 昨晩あんなに私を欲しがったくせに……しかし身体は正直だねぇ。君のここは元気そのものじゃないか?』

『アアアッ! ダメです! 部長、仕事中ですって! も、もう……』

 

 舐めていた。

 こんなにブッ飛んだ職場体験は初めてだ。

 大音量でBLボイスドラマを流すとは……。

 

 しかも入口には、裸体の男同士が激しく絡み合った等身大パネルが二つも飾られている。

 その真上に『ハッテン都市 FUKUOKA』と看板が天井にぶら下がっていた。

 俺が所属しているラノベ専門誌、ゲゲゲ文庫とは違い、マンガ家の編集部だから、パソコンだけじゃなく、ペンタブが設置されたデスクがズラリと並べられていた。

 何人もの女性作家さん達が、編集部でネームを描き、その場で担当編集に指導を受けている。

 その眼差しは、真剣そのものだ。

 

 黒髪のショートカットの若い女性がペンの動きを止めて質問する。

「これ、受けが痔の設定なんですけど、どうすればいいですか? お口でフィニッシュですか?」

 すると隣りに立っていた眼鏡の真面目そうな女性が一瞬唸りをあげ、顎に手をやり、こう答えた。

「うーん。上のお口だけじゃ、やっぱり攻めの欲求が満たされないと思うわ。それに読者もやっぱり最後は合体が欲しいと思うの。最初は口でやるけど、受けも痛くても、最終的に欲しくなり……掘られてフィニッシュがベストかしら?」

「わかりました。じゃあ、それで絡めておきます」

 

 ファッ!?

 

 至って真面目に仕事をこなしているのだが、会話の内容がエグい。

 他のデスクも皆似たようなやり取りを続けている。

 こ、怖いよぉ~ 腐女子のみなさんって!

 

 恐怖で震えあがっていると、一番奥のデスクに座っていた女性がこちらに視線を向けてきた。

「あらぁ~ 琢人くんじゃない? 久しぶりね~」

 俺に気がつき、立ち上がる。

 そしてこちらへと向かってきた。

 元受付嬢の倉石さんだ。

 だが、もう以前の面影はない。

 いつもなら真っ白な制服を着ているのに、今日は私服だからだ。

 ラフな白いTシャツとワイドパンツにスニーカー。

 ここまでなら、優しそうなお姉さんなのだが。

 

 Tシャツのど真ん中には、デカデカと卑猥な言葉がプリントされていた。

『福岡にノンケのリーマンなんておらん! 88.8パーセントがゲイですばい!』

 なんて酷い偏見だ。そして、同性愛者にも謝れ!

 しかも、最後の博多弁。バイセクシャルの人も匂わせてるだろ。

 

「く、倉石さん……昇進おめでとうございます……」

「ありがとぉ~ これからたくさんの新人作家さんと絡めまくって、読者を昇天させようと思っているわ! あ、あとね。作品を読んでくれたノンケを界隈に誘いたいわね♪」

 倉石さんってこんな人だったけ……。

 もっと常識ある良い大人だった気がするのは、僕だけでしょうか?



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259 腐女子の落とし方

 

 BL編集部は、女性ばかりだった。

 社員も漫画家もみんな。

 30人以上はいるだろうか?

 ゲゲゲ文庫より活気があるように感じる。

 

 俺と白金は、倉石編集長に案内されて、応接室に通された。

 いつも俺たちが打ち合わせしている薄い仕切りだけの簡素な場ではなく、分厚い壁で覆われた一室。

 鍵付きのドアで厳重に管理されている。

 これなら会話を他の人に聞かれる心配もない。

 なんかラノベ作家より待遇が良すぎない?

 

 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルが目に入った。

 それを囲むように大きなソファーが二つ。

 見るからに座り心地が良さそう。

 テーブルの上には、花瓶が一つ。真っ赤なバラが飾られていた。

 

「さ、琢人くん。適当に座って♪」

「ありがとうございます……」

「ケッ! 洒落た所だな、イッシー。編集長になったからって、調子こいてんじゃねーぞ」

 なんて隣りに座る白金。偉そうにソファーに肩を回し、膝を組んで鼻をほじる。

 テーブルを挟んで向い側に座る倉石さんは、謎の余裕でにこりと微笑む。

「ガッネー。大人げないわよ。所で今日はどういった要件? 琢人くんもBLデビューしたいの?」

 誰がするか!

「いや……違います。白金に誘われて一度拝見したかったのと……あと、一つ相談があって」

 隣りにいる面倒くさいロリババアをチラ見する。

 案の定、白金が会話に入り込む。

「え? DOセンセイ。なんかラブコメの取材的なやつですか!?」

「ま、まあ。そんなところだ……俺のダチで腐女子に恋をしたヤツがいてな。一回振られているんだ。そこでBLのプロでもある倉石さんなら、何か答えが見つかると思ってな」

「うわっ……腐女子に恋したお友達ですか。ご愁傷様、ろくな恋愛できないですよ」

 苦い顔して、目の前にいる倉石さんを見つめる白金。

 だが倉石さんは、俺の話を聞いていて、とても嬉しそうだった。

 

「琢人くん。素晴らしいことだわ! 微力ながらこの私に任せて!」

 グイッと身を乗り出して、鼻息を荒くする。

 キモッ。

「お、お願いいたします……」

 

 

 俺は、リキが恋した相手が、北神 ほのかであることを説明した。

 ほのかは、この倉石さんが以前、コミケでマンガ家として才能を見出した腐女子でもある。

 また、画力こそ低いとは言え、ストーリーを評価されたため、原作を担当することになった。現在、このBL編集部で彼女は預かり扱いだ。

 今日は来ていないが、定期的に倉石さんから指導を受けているらしい。

 

「ふむふむ。変態女先生に恋をしたヤンキーくんか……」

 そう言えば、そんなアホなペンネームだったな。

「あの……ほのかがリキの告白を断った時、今はBLで……絡めるのに忙しいと言ったんです。まだ脈はあるんでしょうか?」

 俺の問いに倉石さんは眉間に皺を寄せて、しばらく考え込む。

 沈黙を先に破ったのは、白金の方だった。

「くだらねっ。腐女子なんかのどこがいいんですか。あいつら、ルックスにうるさいでしょ? だからモテないっつーの」

 と鼻をほじりまくる。

 白金の暴言は止まらない。

「大体アレですよ。男なんて顔とかどうでもいいんですよ。玉と竿さえあれば、なんでもいいでしょ。あとは金」

 こいつは男だったらなんでもいいのか。

 ていうか、こいつこそ、誰からも相手にされない独身女のくせして。

 

 倉石さんは白金の暴言を無視して、顎に手をやり、黙って考えこんでいる。

 しばらくした後、何か思いついたのか、手のひらを叩く。

「琢人くん。今月、とある映画のリバイバルが上映されるのを知っているかしら? 古い映画なのだけど」

「え、映画ですか?」

「うん。“アルゼンチン愛レス”という作品。知っている?」

「ああ……見たことは無いですが、名作なので一応、知ってます」

 それを聞いていた白金が俺に質問する。

「DOセンセイ、なんです? その映画って? 恋愛もの?」

「かなり古い映画だ。20年以上前の。確か同性愛者の純愛で。ラブストーリーに定評のある監督が制作してな。演じている俳優もイケメンで、当時かなり話題になったらしい」

「へぇ」

 俺は倉石さんの狙いが分からなかった。

 

「倉石さん。あの映画と腐女子の攻略に何の関係があるんですか?」

「いい質問ね、琢人くん♪ 確かに腐女子はルックスに厳しい傾向があるわ。何を隠そう私の好みもかなりハードルが高いわ! 30代から40代の眼鏡が似合うサラリーマンが大好物。あ、ちなみにこれは受けのタイプね」

 なんて人差し指を立てて笑う。

 あれ? この展開、デジャブを感じる。

「ということは……攻めもあるんですか?」

「もちろんよ♪ 私なら60代ぐらいの執事がタイプね。中折れしそうなジジイをハイヒールでいじめぬいて、元気にさせるのが夢よ!」

 とんだド変態だ。

 しかもまさかの枯れ専。

「わ、わかりました……で、先ほどの映画は?」

「あら、ごめんなさい。ついタイプの話になると、びしょ濡れになりそうで……。話に戻るわね。聞く感じでは、きっとヤンキーくんのルックスでは、変態女先生は落とせないわ。ならば、ここは趣味で攻略すべきよ」

「趣味ですか?」

「うん。腐女子にとって一番辛い出来事。それは創作活動を許してもらえないことよ。でもパートナーがしっかりと、それを受け入れてくれたなら……いつかは隣りにいて、とても居心地の良い男性として、認めてくれる可能性があると思うの」

「なるほど」

 一理あるな。

「で、上映される映画館なのだけど。中洲にある小さな映画館で、名前は『シネマ成り行き』だったわね♪」

 ファッ!?

 俺はその名前を聞いて、血の気が引く。

 映画通なら一度は耳にする劇場だったからだ。

 絶句する俺を見て、白金が首を傾げる。

「DOセンセイ? その映画館を知っているんですか? どんな所なんですか?」

「そ、それは……映画好きの俺でも行ったことのない所だ……。福岡市内の全劇場、シネコンを網羅した俺でも、あそこだけは……」

「ふーん。なんか芸術性の高いミニシアター系なんですかね」

 倉石さん……何を考えているんだ?

 

 困惑する俺を無視して、倉石さんはニコニコと嬉しそうに笑う。

「ヤンキーのリキくんには潜入取材をしてもらおうと思うの♪ 女性の変態女先生では、なかなか体験し辛い所だからね。ほら、体験談を彼が話せば、彼女の創作活動にもすごく励みになるわ。そこまでされたら、変態女先生も徐々に心を開いていくと思うの♪」

 えぇ……。



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第三十二章 女装のヤンキーと片想いのヤンキー
260 ショタは違法、おじ様なら合法


 

 博多社を後にした俺は、帰りの電車の中で方針状態だった。

 一体、これからどうやって、友達の恋愛に協力すべきか。

 とりあえず、リキとアンナに電話してみよう。

 自宅に着くと、すぐにスマホをタップする。

 

 

 倉石さんから頂いた悪魔のような提案を、俺は試しにリキへと報告してみた。

 どんな劇場かは伏せて、しれっと

「ほのかが好きそうな映画があるんだが、どうする?」

 なんてスマホの向こう側にいる彼を誘惑。

 無知なリキくんは、

『もちろん、行くぜ! サンキューな、タクオ!』

 と意気込んでしまった。

「だが、今回はほのかは誘えないぞ? あくまであいつの創作……つまりマンガの取材ということだ。男同士の恋愛作品、それでもお前はほのかのために、危険を顧みず、単独で現地へ赴くのだぞ?」

 一応、念を押しておかないと。

 あとで恨まれたら嫌だからね。

『あったりめーよ! 俺のほのかちゃんへの想いは、地球……いや宇宙のように広くてデッカイんだぜ! あの子ためなら、どんな危険もこの俺がブチ破ってやるぜ!』

 うーん……君がブチ破られるかもしれないが……。

 でも、俺って前にリキに事故とはいえ、処女を奪われたしな。

 ま、いっか。

「リキ。お前の想い、確かに俺の予想を上回るデカさのようだ。よし、じゃあ来週の日曜日、博多駅で集合だ」

『おう! 案内は任せたぜ、マブダチのタクオ』

 あの……マジでダチと思っているなら、そろそろ琢人って呼びませんか?

 

 

 次は協力者。いや、リキを陥れようとする小悪魔のアンナちゃんに電話をかける。

 ベルの音が一回ぐらいの素早さで通話状態になる。

 可愛らしい声が受話器から流れてきた。

『タッくん? 久しぶり~☆ どうしたの? また取材かな☆』

「ああ。久しぶりだな……実は今回、俺たちの取材ではなく。別府で出会ったリキのことを覚えているか?」

 まあ一応、設定なので。

『もちろんだよ☆ 頭がツルピカのリキくんだよね? あ、ひょっとして、ほのかちゃんをデートに誘うとか?』

 何気にマブダチをディスってんじゃん。

「違うよ。まだその段階じゃない。実はリキからアンナにも恋愛の相談を受けて欲しいと以前、頼まれてな。それで、今回、彼一人をとある映画館に案内するから、道中に話でも聞いてくれないかと思ってな」

『恋バナだね☆ アンナ、そういうの大好き~☆ ほのかちゃんが喜ぶことをするんでしょ? 男の子同士の恋愛作品に使えるような素材集め☆』

 察しが良すぎる。

「ま、まあ。そういうことだ……」

 なんだろう。急に罪悪感で胸が痛み出してきた。

『絶対にリキくんとほのかちゃんをくっつけようね☆ どんなことをしても二人がラブラブになれるようにしないとダメだよ。二人の恋路を邪魔する子は、アンナが許さないもん! そんな意地悪な子がいたら、ポコポコしてあげる!』

 表現方法、間違えているだろう。

 顔面をボコボコにしてやる、という脅しだろ?

 

 こうして、腐女子ほのか攻略班が結成されたのであった。

 我々、取材班は未知の領域に踏み込む。

 ただし、持っていく切符は一枚のみだ。(リキだけ行かせる)



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261 お客様、車内でイチャつくのはやめてもらえますか?

 

 一週間後の日曜日。

 俺とアンナは、博多行きの電車内で待ち合わせすることにした。

 以前の花火大会で彼女の居住地がブレブレ設定になり、デートをする時はいとこのミハイルの家に遊びに来ている……ということに。

 いつも通り、地元の真島駅のホームで待つ。

 普通列車がゆっくりと到着し、自動ドアがプシューと音を立てて開いた。

 事前に指定されていた、前から三両目の車内に、その子はいた。

 

 Aラインの可愛らしいワンピースを着ている。

 胸元には彼女の象徴ともいえる大きなピンクのリボン。

 またハイウエストのデザインなので、自然と胸が目に入る。

 決してふくよかな胸ではないのだが。

 それでも視線が上にあがり、見ていると頬が熱くなってしまう。

 

 金色の光り輝く美しい長い髪は耳元でリボンを使い、左右に分けている。

 今日はツインテール美少女か。

 生きてて良かった。

 

 肩から小さなショルダーバッグをかけている。夏らしいカゴバッグだ。

 足もとは涼しげな厚底サンダル。

 透き通るような白い肌、細い二つの脚は国宝級だ。

 

「あっ、タッくん! おはよ☆」

 俺を見つけた彼女は車内から大きな声で、その名を叫ぶ。

 人目にも気にせず。

 だが、言われて嫌ではない。

 こんなに可愛い連れと仲良くしているなんて。

 むしろ誉れ高き男だ、と周囲にアピールしたいぐらいだ。

「ああ。おはよう、アンナ」

 軽く手を挙げ、車内に入り込む。

 

   ※

 

 電車が動き出すと、アンナが手に持っているものに気がつく。

 イチゴの形をした小型の棒……?

「アンナ。それ、なんだ?」

「これ? タッくん知らないの? 今若い子たちの間でバズってるんだよ☆」

 すいませんね。俗世とは無縁の若者で。

「すまん。知らん」

「フフッ、タッくんのそういうところスキ☆」

 なんて小さな口元に手を当てて嬉しそうに笑う。

 あれ? 今告白された?

「?」

 俺が首を傾げていると、アンナは何を思ったのか、自身の胸をグッと俺の腕に押し付ける。

 ピッタリと身体を身体を合わせて、持っていた棒のボタンを押す。

 次の瞬間、ふわ~っと冷たい風が頬にあたる。

「どう? 涼しいでしょ☆ これは扇風機なの」

「おお……これはすごいな! あのバカデカイ機械をここまで小型にし、尚且つ携帯できるとは」

「ホントに知らないんだね、タッくんたら☆ 一台しか持ってないから二人で仲良く使おうよ☆」

 ギュッと俺の左腕に自身の右腕を絡めてくる。

 これは……肘パイというやつか。

 しかし、そう称するには余りにも硬すぎる。

 だが、それでいい!

 

 大の男が二人でベッタリとくっついて、車内でイチャついているこの光景。

 カオスじゃないですか。

 しかし、俺の肩に小さな顔を乗っけるパートナーに、周囲の人間は誰一人として違和感がないようだ。

 むしろ仲のいい俺たちを見て、睨みつける奴らが多い。

 

「リア充が! 夏なのにくっついてんじゃねーよ!」

「私だって去年は彼氏いたし……」

「この電車、脱線させようかな」

 最後のやつ、テロリストじゃねーか!

 

 この空間、嫌いじゃないです。

 むしろ心地よく、いつまでも……時を止めて欲しいぐらいだ。



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262 アンナの恋愛相談室

 

 束の間のイチャイチャタイムは、20分程度で終わりを迎える。

 目的地である博多駅に着いたからだ。

 二人で仲良く改札口を出ると、待ち合わせの相手がすぐ目に入る。

 身長が高くガタイの良いアロハシャツを着たスキンヘッドのおっさん……じゃなかった千鳥 力だ。

 今回の取材対象である。

 

 俺とアンナを見るや否や、顔をぱぁっと明るくして、手をブンブンと振って見せる。

「おーい! タクオ、アンナちゃん~!」

 これから地獄を見るかもしれない彼だ。優しく接してあげよう。

「おお、リキ。久しぶりだな」

 マブダチとの再会を祝して固い握手を交わす。

 アンナもその光景を見て、嬉しそうに微笑む。

「リキくん。別府以来だね☆」

 嘘をつけ! お前らガキんちょの頃からの仲のくせして。

 まさか親友が女装しているとも知らずに、リキはどこか恥ずかしそうに頭をかいてみせる。

「ア、アンナちゃん……前はダセェところ見せて悪かったね。きょ、今日も可愛いじゃん。タクトには勿体ないぐらい女の子だぜ」

「やだぁ~ リキくんったら! こんな人目のつくところで、タッくんとアンナのことを褒めてくれるなんてぇ~☆」

 なんてツインテールをブンブンと左右に振り回す。

 照れているのだろうが、男三人で何やってんだよって感じだな。

 

   ※

 

 俺たちは中洲に向かうため、博多駅の地下街へと向かった。

 市営の地下鉄に乗りたかったから。

 倉石さんが紹介してくれた映画館は、ちょうど地下鉄の中洲川端駅が一番近く、初見のアンナやリキでも分かりやすいためだ。

 バスでも良いが、今回は電車一本で行ける地下鉄を選ぶ。

 地下鉄に乗り込み、三人でつり革に掴まって立ったまま、恋愛の相談が始まった。

 

「さっそくなんだけどさ。行きながらでいいからさ。アンナちゃんに聞きたいことがあるんだよ」

 リキは珍しく弱気だった。

「うん。なんでも言って☆ アンナにできることなら、なんでもするよ☆」

 本当に何でもさせる気だよ、この人。恐ろしい。

「あのさ。ほのかちゃんに告ってからさ。怖くて連絡が出来ないんだよ……」

 随分とショックを受けているようだ。

 やんわりと断られたとは言え、想いが伝わらなかったことは、彼に取ってさぞ辛かったのだろうな。

 肩を落として、暗い顔をするリキを見て、アンナはニコッと優しく微笑む。

「アンナ。女の子だからほのかちゃんの気持ち分かるよ☆」

 いや、お前は正真正銘の男だろうが。

「マジで? 俺、ほのかちゃんのL●NE交換してるんだけどさ。今一歩勇気出なくて……」

 それを聞いたアンナは、彼の肩をポンポンと叩きこう言った。

「怖がってたら何も始まらないよ? アンナだったら、10分間に100通は送るかな☆」

 ファッ!?

 その特殊なスキルはあなただけの独占でしょ。

 リキがやったら絶対に嫌われるし、ストーカーとして、怖がられるよ。

 

「え、マジ? アンナちゃんって、いつもそれぐらいメッセ交換するの?」

「うん。フツーフツー☆ むしろ相手が既読スルーしたら、ずっと通知画面と睨めっこしているぐらい☆」

 怖っ!

 

「そっかぁ……女の子って、それぐらいL●NEしても余裕なんだ。知らなかったぜ。教えてくれてありがとな、アンナちゃん」

「ううん。なんだったら、今からほのかちゃんに送ってみたらいいよ☆」

 マジでこの人、恋愛を応援しているんだよね?

 なんかどんどん裏目になっている気がします……。



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263 腐女子に送るラブメッセージ

 

 アンナの発案により、急遽リキはスマホを取り出すことに。

 目的は撃沈したほのかにL●NEすることだ。

 まだやめておいた方が良いと思うのだが……。

 

「なんて送ればいいかな? アンナちゃん」

 目をキラキラ輝かせて助言を求めるリキ。

「そうだな~ アンナだったら、好きな人には自撮り写真を送るかな☆」

「ブフッ!」

 思わず吹き出してしまった。

 そりゃ、あんたがカワイイからだろと。

 ガチムチ兄貴のリキの自撮り写真なんて、誰が喜ぶんだよ……。

 

「わかったぜ! じゃあ今から写真撮って送るわ!」

 ファッ!? 真に受けるんかい!

「うんうん☆ いいと思うよ☆ 撮る時は出来るだけ上からにしたほうがいいよ。上目遣いでおでこにピースすると更に、良きかな☆」

 悪きです……。

「さすが、可愛い女の子の言う事は違うな! よし、じゃあ電車の中だけどやってみるわ!」

 そう言って、人目も気にせず、車内で自撮りするリキ。

 近くにいた若い女子高生がその姿を見て苦笑していた。

 

「なにあのおっさん。乙女ぶってさ」

「あれじゃない? きっとLGBT的な?」

 そういう偏見や差別は良くないと思います。

 

 自撮りをしている最中も隣りに立っているアンナから逐一、指導を受けるリキ。

 その大半が典型的なブリッ子のポージング。

 見ていて辛い。

 

 やる気マンマンで連写しているリキをボーッと眺める俺に対し、アンナが耳打ちしてくる。

(ねぇ。タッくん、これならイケそうだよね☆)

 どこがだよ!

(まあ……何事も経験が大事だからな)

(だよね☆ ところで今日ってどこに行くの?)

 そうだった。まだ彼女にちゃんと今日の取材を説明していなかったな。

(それなんだが……女のほのかでは行けそうにない映画館に、リキを行かせようと思っているんだ。腐女子のほのかを落とすには、リキのルックスでは無理だから。趣味で距離を縮めようと思っているんだ)

 言いながらも、胸が痛む。

 だが、それを聞いたアンナは瞳を輝かせて、喜ぶ。小さく拍手しながら。

(スゴイスゴイ! 知らないおじさん達と仲良くなれる場所だよね? タッくん、アンナの考えと一緒なんだ☆ 嬉しい……)

 なんて頬を赤らめる。

 全然一緒じゃないんだけどね。

 

 

 何枚も写真を撮り終えた所で、リキが俺たちに質問する。

「なあ、これ送るのはいいんだけどさ。なんてメッセを送ればいいかな?」

 うっ! 今から社交場に向かうなんてダチには言えないよぉ!

 俺が言葉に詰まっていると、代わりにアンナが答える。

「えっとね。『今から知らないおじさん達とお話に行くお』『中洲なう』って送ればいいと思うよ☆」

 軽すぎる! しかも何気にほのかなら、喜びそうなワードじゃん。

「へぇ……よくわかんねーけど、女の子のアンナちゃんが言うなら、多分それが正解なんだよな! さっそく送るわ!」

 

 マジで俺にも答えが見つかりません。



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264 誘う男の娘

 

 L●NEを無事に? 送信したリキは、満足そうにしていた。

 その後、アンナがこれからほのかを攻略する上で大事なポイントを説明し出す。

 

「リキくん。別府でほのかちゃんに告白した時のこと、覚えている?」

「ああ……忘れられないよ。今でも失敗だったって、毎日へこんでるぜ」

 選んだ相手が、だろ。

「落ち込まなくて大丈夫だよ☆ ほのかちゃんが最後に言ったセリフ、そこにリキくんへのアピールポイントが含まれていたんだよ☆」

「え? あ、たしか……『キャラメル』『しょうた』『おじさん』で忙しいって言っていたような」

 全然、理解できてない!

 しょうたくんじゃなくて、ショタなの!

 

 それを聞いたアンナは、深いため息を吐き、首を横に振る。

「リキくん。女の子の気持ち、全然わかってないね……」

「わりぃ……アンナちゃんなら分かるんだろ? 頼む、教えてくれ!」

「もちろんだよ☆ じゃあ今からその三つの言葉を説明するね☆ スマホでメモした方がいいよ☆」

「おし! メモの準備できたから、頼むわ!」

 

 こうして、女装教師アンナによるBLの基礎を教わるリキくんなのでした。

 スマホの画面に写し出された幼い少年が裸体でめちゃくちゃにされるイラスト。

 おじさん同士で、突っつきあう生々しいマンガなどなど。

 彼女がインターネットで検索した画像一覧を、リキは真剣に見つめる。

 時にその画像を自身のスマホでも探してスクショするほど、真面目な態度。

 

 

「どう? これがほのかちゃんの趣味、生きる世界なの☆ リキくんがほのかちゃんとラブラブになるには、この世界を理解できないと無理だと思うよ?」

 俺は絶対に理解したくない。

「よく分からないけど……女の子って、みんなこういうのがスキなのか? 男同士でキスしたり、なんか好きなのに、後ろから相手をいじめているように見えるんだけど」

 そういう愛し方なんだよ。

「うん☆ 世の女の子はみ~んな! こーいうのが、だ~い好きなんだよ☆」

 ファッ!?

 一括りにしやがった! アンナのやつ。どこまで暴走する気だ。

「へぇ……じゃあさ。アンナちゃんもこのビーエル? ってやつ、読むの?」

 巨大ブーメランがやってきた。

 言われて、何故か身体をもじもじさせるアンナちゃん。

 頬を赤らめて。

「う、うん……たまに、ね」

 読んでいるのか。

 あれ? ということは、ミハイルが愛読しているということでは!?

 俺の不安は的中する。

 

 何を思ったのか、スマホでコミックアプリを起動するアンナ。

 それをリキに突き出す。

「今、読んでいるのはこういうのかな……」

 なんて恥ずかしそうに、身体をくねくねさせる。

 気になった俺もリキと一緒に画面を確かめた。

 

 ハーフぽい中性的なショタッ子が、高校生ぐらいの細身の男子が耳をかぶりつき、ショタの胸元を両手で弄り倒す。股間は二人とも元気元気♪

 受けは一見嫌がっているように見えるが、攻めの押しに負けて快楽に溺れているようだ。

 

 タイトルは

『好きになったハーフ美少女が男の子でした。でも愛と穴があれば、問題なし』

 

「……」

 絶句する俺氏。

「なんかさ……このえっと、ショタだっけ? 俺のダチに似ているな。なあ、そう思うだろ? タクオ」

「え……だ、誰の事だ?」

「ミハイルだよ」

「そ、そだね……」

 

 アンナのやつ、というか、ミハイル。

 ついにBLで勉強しやがったのか。それも熱心に。

 

「ところでさ。アンナちゃんはコレを読むと、どんな感じ、気持ちになんの? 俺さ、恋愛ものとかよく分からなくてさ。今後ほのかちゃんの趣味を理解するためにも教えてくれないかな?」

「う、うん……なんだか読んでいると、心がポカポカして、ドキドキして……。読みだすと夜も眠れないぐらい、胸がキュンキュンしちゃうの……」

 と恥ずかしそうに性癖を暴露する。

「へぇ、なるほどなぁ。勉強になるよ」

 そこはメモしなくていいって。

「ハァ……思い出したから、またドキドキしちゃった」

 と小さな胸を両手で抑えて吐息を漏らす。

 そして、何故かチラチラと俺の顔を見つめる。

 いつも積極的な彼女にしては、珍しくしおらしい。

 頬を赤くし、緑の瞳は僅かに潤んでいて、どこか色っぽい。

 

 ハッ!?

 そういうコトを想像しているのか、こいつ!?



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265 ラブソルジャー、リキくん!

 

 車内での恋愛相談が終わるころ、目的地である中洲川端駅に到着。

 二人は聞けば、やはり中洲には来たことがないという。

 まあ俺もこの街を良くは知らない。

 一期一会、毎晩人生を変えるドラマがあるというこの繫華街。

 主に居酒屋やスナック、キャバクラ、ガーズルバー。

 あとは大人の接待的な店が、あるとか、ないとか。

 

 俺が先導して、地下から階段を使って地上へと昇る。

 外は真夏の強い日差しで今にも火傷しそうな殺人的な暑さ。

 階段から出てすぐに見えたのは、レトロ感あふれる映画館。

 それを目にしたリキが、看板を指さして俺にこう言う。

「タクオ。今日の映画ってコレ見るのか?」

「い、いや……ここは違う」

 

 中洲川端のど真ん中に、あの映画館があるわけないだろう。

 ここは残念ながら、俺が一番愛している劇場、中洲サンシャインだ。

 開館して80年近くもこの地でいろんな作品を上映してきた由緒ある映画館だ。

 今時、上映後に客の入れ替えもせず、一日見放題、指定席なしの昔ながらのスタイル。

 しかも、売り子が「アイスクリームいかがですか~」なんて粋なサービス付き。

 そう。今日の目的地はここじゃない……。

 

「じゃあどこにあるんだよ?」

「マジでいいんだな……リキ? 覚悟はできているな?」

 最後に念を押しておく。

「うん、いいぜ!」

 とスキンヘッドを光らせて、親指を立てる余裕っぷり。

「そ、そうか……お前の覚悟はしかと受け止めた。ならば、案内しよう!」

 胸は痛むが、俺も男だ。

 ダチのためにこれぐらい……。

 

 とりあえず、中洲サンシャインに背を向けて、近くの交差点を渡る。

 道路を挟んで反対側には、あの美味くて有名な博多ラーメン、『二蘭』の本社ビルが立っている。

 中洲の一等地にそびえ立つ高層ビル。どの階も赤ちょうちんがたくさん並んでいて、観光客が来ても一発でわかるだろう。

 アンナがそれを見て、大喜び。

「あぁ~ ラーメンのビルだぁ~☆」

 だが俺はそれを無視する。

 今から戦地へと向かう兵士に対して失礼だからな。

 

 メインストリートである明治通りを抜け、狭い裏通りへと入る。

 一気に空気が重く感じる。

 たった数歩通りから外れただけなのに。

 ビルとビルの狭間だから、陽の当たりも悪く、日中だというのに、薄暗い。

 そして道を歩く、人も少ない。

 たまに電柱にもたれかかっている男を見かけるが、どこか怪し気に感じる。

 こちらをチラチラと見て、タバコを吸っている。

 

 そんな薄暗い通りを歩くこと数分。

 ついに見えてきた。

 思ったより小さな映画館だ。

 

「さ、ここだ。リキ、悪いが一人で行ってくれ」

「え? 俺だけ? タクオとアンナちゃんは?」

「悪いがアンナは女の子だから、お前が映画を見終えるまで、この辺で待機している」

 巻き沿いはごめんだ。

 悪魔に魂を売った気分。

 

 



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266 映画の二本立て、最近見ませんね

 

「えっと、どの映画を見ればいいんだ?」

 無知なリキはスナック感覚で作品を探している。

「今、リバイバルで“アルゼンチン愛レス”という作品が上映されているはずだ。それを見て欲しい。必ずほのかが感想を聞きたがるものだ」

 それを聞いたリキは目を輝かせて喜ぶ。

「マジか!? よっしゃ! ちょっくらチケット買ってくる!」

 メンタル、強すぎぃ~!

 

   ※

 

 チケットを手に持ったリキが嬉しそうにこちらへと戻ってきた。

「なんか二本立てらしくて、“アルゼンチン愛レス”と“サンとムーンをバックにして”を見れるらしいぜ! 古い映画とは言え、安くで見れてお得だよな」

「うっ!」

 思わず、声に出してしまった。タイトルを聞いて……。

 これまた名作だ。

 かなり昔の作品だが、当時女の子のような美少年として国内外から脚光を浴び、その後ハリウッドスターの殿堂入りするような名優の初期作品だ。

 もちろん、同性愛をテーマにした作品。

 

 二本立てだから、4時間ぐらいは時間が空く。

 俺はアンナにどこか近くの喫茶店で暇を潰そうと提案。

 何故か彼女は、嬉しそうに笑っていた。

「いいよ。でもちょっとリキくんにアドバイスしたいから、待っててね☆」

 そう言うと、背の高い彼を手招きし、頭を下げるように指示する。

 リキの耳に手を当てて、なにやら話している。

「?」

 俺が首を傾げて、その光景を眺めていると。

「わかったよ、アンナちゃん! できるだけ、やってみる!」

「うん☆ これも大好きなほのかちゃんのためだから、死ぬ気で頑張ってね☆」

 

 リキは

「サンキューな、二人とも! あとで会おうぜ!」

 と手を振って劇場へと脚を運ぶ。

 アンナもそれに応えるように、ニッコリ笑って手を振る。

「がんばってねぇ~! リキくんなら絶対にやれるよ! アンナ信じてるから~!」

 一体何を吹き込んだのだ……。

 

   ※

 

 俺たちは再度、明治通りに戻ってきた。

 重苦しい裏通りとは違い、人もたくさん歩いていて、みな笑っていた。

 子供を連れた家族連れもたくさんいるし、ホッとする。

 

 アンナに

「どこか喫茶店を探そう」

 提案するが、彼女は「う~ん」と唸り声をあげる。

 唇を尖がらせて、どこか不満そうだ。

「あのね、タッくん。せっかく中洲に来たんだし、もっと楽しい所に行こうよ☆」

「楽しいところ?」

「うん☆ だってリキくんも4時間近く映画見るんでしょ? なら喫茶店で半日を潰すのはもったいないよ。私たちだって取材してもいいと思うの☆」

「それもそうだな……。で、どこに行くんだ? 中洲サンシャインで映画でも見るか?」

 だが、彼女は首を横に振る。

「もっともっと楽しいところにしようよ☆」

「中洲に俺たちみたいな若者が遊ぶ所なんてあったか?」

「あるじゃん☆ パンパンマンミュージアム!」

「……」

 そう言えば、ミハイルくんが行きたがってましたね。(白目)



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267 来いよ~ 抱きしめてやっからよ~

 

 博多リバレイン。

 中洲に建設された大型商業ビルだ。

 老舗の高級デパートが開発に携わったこともあり、俺たち若者では中々入れないようなブランドショップや桁違いの飲食店などが多い。

 正直、老人やマダムが良く買い物に来るイメージだ。

 なにせ、あの歌舞伎役者で有名なカニ蔵が、毎年東京から公演に来るほどの格式高い劇場があるぐらいだ。

 歌舞伎なんて見たことないが、チケット一枚の値段は、俺たち10代には手を出すのは難しいだろう。

 

 だから、この施設はかなり金銭的に余裕のある客が多く感じる。

 着ている服もブランド物ばかり。

 

 しかし……近年、リバレインは大幅に改装が行われ、若年層にも人気の施設を次々と設けた。

 と言っても、俺たちが入るにはかなり若い。幼すぎるもの。

 

 エレベーターの音がチンと鳴り響く。

 着いた階は5階だ。

 自動ドアが開いた瞬間、聞きなれた国民的ヒーローの主題歌が流れだす。

 

『パンパン、マ~ン!』

 

 そうだ。

 ここはお子ちゃま向けのテーマパークだ。

 リバレインモールの5階と6階にある。

 エレベーターから出て、長い廊下を真っ直ぐ歩く。突き当たって左に曲がると、優しそうなお姉さんが二人、立っていた。

 紺色のポロシャツにカーキのハーフパンツ。

 見た目、保育士さんて感じ。

「ようこそ! パンパンマンミュージアムへ!」

「チケットはあっちの受付で買ってね~ いってらっしゃーい!」

 なんてガキ扱いされてしまった。

 

 ドン引きしている俺とは、対照的にアンナのテンションは爆上げ。

「きゃあ! カワイイ~! カワイイ~! ずっと来たかったの☆」

「そ、そうか……良かったな。夢が叶って…」(棒読み)

 チケット売り場には、たくさんの家族連れで行列が出来ていた。

 以前、アンナとデートした遊園地。「かじきかえん」よりも年齢層が低い。

 ほぼ赤ちゃんレベルの幼児。

 まだよちよち歩きで、親の介助がないと、すぐに転んで泣いてしまうほどだ。

 遊びに来たというよりかは、パンパンマンに会いに来たというべきか。

 ふと、周りを見渡してみたが、俺たちみたいなカップルらしき若者は誰もいない。

 

 俺、何しに来たんだ?

 

   ※

 

 ミュージアムに入ると、すぐにパンパンマンの着ぐるみがお出迎え。

 レギュラーメンバー総出で。

 パンパンマンはもちろんのこと、ヴィラン? で有名なキンキンマン。

 他にも、じゃがおじさん。牛乳子さん。犬のマルチーズ。塩パンナちゃん。

 ズキンちゃん。パキンちゃんなどなど。

 

 鼻水を垂らした赤ちゃんとハイタッチ。

 決して喋ることはないが、身振り手振りで来場したお友達に神対応。

 俺たちの番が来た。

 なんか他のお父さんお母さんに申し訳ないので、俺は少し離れた所で見ていた。

 

 アンナは一人で猪突猛進!

「キャ~! カワイイ~! パンパンマン、ぎゅーして!」

 言われたパンパンマンは特に嫌がる素振りも見せず、頷いて優しく抱きしめてあげる。

「……」

 なにこれ?

 

 一人、放心状態で立っていると紫色の着ぐるみがこちらに近づいてくる。

 悪い子代表のキンキンマンだ。

 強そうに胸を張り、大手を振って歩いている。

 そして、俺の顔面にビシッと指を指すと、その場でイラついたように床をドカドカと蹴り出す。

「?」

 彼が伝えたいことがいまいち、分からない。

 すると、言葉こそ話はしないが。

「来いよ~」

 なんて、手招きし出す。

「え?」

 次の瞬間、思い切り抱きしめられた。

「ぐはっ!」

 最初こそ強めに抱きしめられたが、すごく柔らかい。

 なんだ、この感覚。とても優しい気持ちになれる。

 しかも頭を撫でられるオプション付き。

 

 キンキンマンって結構、良い奴なんだな。



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268 子供服を着れる女の子はお得

 

 その後、しばらくミュージアム内を色々と見て回った。

 主に幼児が喜ぶような等身大の人形だったり、パンパンマンの世界に出るお店やパンパンマン号の乗り物など。

 大人では入りづらい狭い遊具に、小柄なアンナはあちこち入って、俺にスマホで写真を取るように要求する。

 正直、近くに赤ちゃんが待っているから、他の親御さんの目が痛い。

 

 一通り、ミュージアムを見終わったあとは、ショッピングタイム。

 中でもアンナが一番気に入ったのが、キンキンマンのパートナーであるズキンちゃんのおしゃれショップ。

 女の子向けのアクセサリーやグッズが販売されている。

 店内も女児が喜びそうなピンク色。

 

「カワイイ~☆ あ、タッくん。これ、見てよ!」

 なにかを見つけたアンナが、俺の袖を強く引っ張る。

「どうした?」

 彼女が指差すのは、一枚のパネル。

 

『ズキンちゃんおしゃれショップで5000円以上お買い物してくれた女の子には、可愛いドレスをレンタルできるよ♪』

 

「……」

 まさかと思ったが。

「買う買う! ズキンちゃんのドレス、アンナ着たい!」

「ちょっと待て。これって子供用のドレスだろ? 大人のアンナが着ていいのか?」

 俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませる。

「なに言っているの、タッくん? 着ていいよ! アンナは細いから子供サイズでも着れるもん! タッくんは、アンナがブタさんにでも見えるって言いたいの!?」

 怒られちゃったよ……。

「そう言う問題じゃないだろ。子供が着るものであって、サイズどうこうじゃなく、ほら。近くにいる幼い女の子が着て楽しむものだと言いたいんだ。道徳的な問題だ」

 俺は近くでピンクのドレスを来た女児を指差して、彼女に遠慮するよう促す。

「だから?」

 全然、響いていない。

「いや……大人の俺たちはやめておいた方が……」

「アンナだってズキンちゃん、大好きだもん! 子供の時から!」

 興奮しているのか、口調が強くなる。

 周りにいた親たちもアンナの大きな声に気がつき、こちらをチラチラと見ている。

 

 アンナはまだ言い足りないようで。

「好きなものを好きと言って、何が悪いの? アンナ、生まれて初めてパンパンマンミュージアムに来たんだよ! 女の子の夢なんだから、ドレス着たっていいじゃん!」

 言い終える頃には涙目だった。

「あ、その……」

 うろたえている俺を見兼ねた近くのスタッフが声をかける。

 

「お客様。当店ではサイズさえ合えば、大きな女の子でもドレスは着用できますので、ご安心されてください」

 引きつった笑顔が辛い。

「そ、そうですか……すまん、アンナ。俺が間違っていたようだ」

 泣きじゃくる彼女を優しくなだめる。

「んぐっ…ひっく……女の子はドレスが好きなの…覚えておいてよ、タッくん」

「はい」

 お前は男だけどな。

 

 

 機嫌を取り直したアンナは、店内でズキンちゃんグッズを爆買いしていた。

 主にヘアピンやバッグなど。中には女児用のパンツまであったが、

 それも

「これ、アンナなら履けるよ☆」

 とマストバイ。

 余裕で5000円以上、お会計。

 無事にズキンちゃんのピンクドレスをレンタルすることが出来た。

 

 更衣室なんてないから、小さなカーテンだけで仕切った狭い店内にて着替えを始める。

 元々、子供用に設計されているから、カーテンの高さも低い。

 だからアンナより身長が高い俺は、着替えている彼女が丸見え。

 

「んしょっと……」

 

 俺に背名を向けているので、小ぶりの可愛らしい尻が丸見え。

 あ、今日は純白のパンティか。

 ゴクリ。

 

「お待たせ~☆」

 

 ドレスというには丈が短すぎた。

 だって幼児用のサイズだから。

 ミニのワンピースに近い。

 ティアラを頭につけ、ピンク色のドレスを可愛く着こなす。

 ドレスと言っても、子供が簡単に着用できるよう、デザインしてある。

 両肩にリボンの紐で括りつけているだけだ。

 少しでも緩めば、アンナが赤ちゃん状態になってしまう恐れがあった。

 

「どうかな? 似合っている?」

 

 満足そうに微笑む15歳。(♂)

 だが、これはこれでカワイイ……。

 ミニ丈というのが俺的にポイント高い。

 しかも、肩を露出してしまっているから、白のブラヒモが丸見え。

 

「ああ……に、似合っている。すごくイイぞ!」

 何故か叫んでしまった。

「うれしい☆ タッくん、あっちで写真撮って☆」

「おお! 撮るぞ撮るぞ! めっちゃ連写してやるからな!」

 

 それからの俺たちは、二人だけの空間に入ってしまう。

 周りの目なんて気にせず、店内奥にあった小さなスタジオで撮影タイム。

 アンナもやる気マンマンで、ズキンちゃんのドレッサーに座り、鏡越しにおもちゃの口紅を手に持ち、ポーズする。

 俺はすかさず、スマホで連写しまくる。

 背後がガラスで仕切られているから、他の客がジロジロと見てくるが、そんなこと気にする余裕なんてない。

 ハート型のイスに座って、膝を組むアンナが可愛すぎる!

 そしてパンツが見えそう。

 腰を屈めてポージングしてくれる神対応だ。

 ブラジャーが露わになり、胸の谷間? が見える見える!

 

「タッくん。なんだか楽しそうだね☆」

「ああ! めっちゃ楽しいな! パンパンマンミュージアム! また来よう!」

「うん☆ 約束だよ☆」



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269 塵も積もれば山となる

 

 結果的にズキンちゃんのドレスは、超セクシーミニドレスとなり、5000円以上の素晴らしい写真と動画を、大量にゲットできた。

 俺は支払っていないが。

 ズキンちゃん、ありがとう。

 僕の自宅PCのHDD、容量が足りなくなりそうです。

 HDDを追加で3TBぐらい買いますね。

 ぜひ、買わせて頂きますわ……ふぅ。

 

 

 撮り終えた大量のアンナの写真を確認している間、更衣室から着替えを終えた彼女が出てくる。

「楽しかったね☆ ドレス☆」

「ああ! 最高にな! これならまた小説に使えそうだ!」(口調強め)

「ホント? なら良かったぁ☆」

 そして、夜のお楽しみにも再利用できる。

 これぞ……究極のSDGs!

 

   ※

 

 その後、パンパンマンの生みの親である『いせ へいし』劇場へと向かった。

 丁度今からダンスショーが始まるそうだ。

 ステージの上でショートパンツ姿のお姉さんが、マイクを持って子供たちに声をかける。

「福岡ミュージアムに来てくれたおともだちのみんな~! このあと、パンパンマンたちが出てきて元気に踊るから、大きな拍手で出迎えてあげてね~!」

 

 劇場と言っても、所謂ミュージシャンのライブのような会場とは違う。

 三角形の形をした左右に広がる大き目の階段と言ったところか。

 壁にはパンパンマンやキンキンマンの可愛らしいイラストがプリントされており、所々に小さなスピーカーが見える。

 また左手には、薄い仕切りで出来た舞台袖が確認できる。

 時折、着ぐるみたちの身体がはみ出てしまう。

 

 客とステージの距離感もかなり近い。

 階段下の目の前に、赤いベルトでパーテーションしてあるだけで、行こうと思えば、乗り越えられるガバガバなセキュリティレベル。

 いや、むしろこの近すぎる距離感が売りと言うべきか。

 

 その証拠にもう家族連れが地べたに座り込み、パンパンマンの登場を今か今かと待ちわびている。

 さすがにこのイベント、大人の俺たちにはないよな……。

 と隣りのアンナに話を振ろうとした瞬間。

「ん?」

 さっきまで俺の隣りにいたはずの彼女の姿が消えていた。

 

 迷子になったのかと思い、心配して辺りをきょろきょろと探していると。

 

「さ、パンパンマンたちが出てくるよぉ~ あ、一緒にダンスしたいっていうおともだちは前に出てきてもいいよ~!」

 とステージのお姉さんが幼い子供たちを誘導。

 後ろにいるお父さんお母さんが見守るなか、出てきたたくさんの着ぐるみ達と嬉しそうに見よう見まねで元気に踊り出す。

 

 軽快な音楽が鳴り響く中、俺は相方のアンナを未だに見つけられずにいた。

 どこに行ったんだ……まったく。

 

「ズキンちゃん、踊ろ踊ろ☆」

 

 え……なんか聞き覚えのある声が舞台から聞こえてくるんだが。

 恐る恐る、その声の持ち主の方へと首を動かす。

 

 オレンジ色の着ぐるみと金髪の少女が腰に手を当ててステップを踏んでいる。

 その場でくるくる回って見せる。ワンピースの裾がフワッと宙に上がる。

 ミニ丈だからちょっとパンツが見えそう。

 幼い子供だったらセーフなのだろうが。

 うちのヒロインなんです……。

 

 周りに座っていた親御さんたちがその姿を見て困惑していた。

 だって、暗黙のルールでパンパンマン達と踊るのは、せいぜいが小学校の低学年ぐらいまでだからだ。

 どう考えても10代後半のお姉さんだからな。(♂)

 

「あの子、ちょっとあれかしら……ちょっとそういう子かしら」

「近くに保護者の人はいないのかい? あのままにしていると危険じゃないかな?」

 なんて変な心配をされる始末。

 

 ちゃんと保護者はここにいるので、安心されてご自身のお子様を見守ってあげてください。

 

 アンナはフルで10分間、ズキンちゃんのダンスを完コピと言えるぐらいキレッキレッのダンスをステージ上にて楽しんだ。

 ちょっとズキンちゃんが引くレベルの上手さ。

 

 踊り終えて、満足そうな顔で俺のところに戻ってくる。

「ねぇねぇ。見ててくれた? アンナとズキンちゃんのダンス☆ 上手に踊れてた?」

「うん。マジで……ダンス上手なのな」

 引くレベルだけど。

「ありがとぉ☆ 小さい頃からDVDで毎日踊っているから、自然と身体が覚えているんだよねぇ~」

 あれを毎日10年以上もやり続けているのか……。

 もう仙人並みに悟りを開けているな。



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270 聖女(♂)の行進

 

 ダンスショーを十二分に楽しんだアンナは、終始ご機嫌だった。

「ねぇねぇ、タッくん! 見ててくれた? アンナのダンス☆」

「あ、ああ……」

 見てはいたけど、ドン引きしてました。

 そろそろ、パンパンマンミュージアムはお腹いっぱいだ。

 まだ時間はあるが、居心地が悪い。

 周囲は家族連ればかりだし、アンナはTPOをわきまえないから、相方の俺はしんどい。

 

 俺はどうにかして、彼女をパンパンマン達から遠ざけようと試みる。

「なあ、アンナ。どうだろう? ここらで食事でも取らないか?」

「うーん……食べてもいいけど」

「そうだろ。今ならパンパンマンのレストランも空いているし、早めの昼食でも……」

 と言いかけた瞬間だった。

 

 館内のどこからか、アナウンスが流れ始める。

 

『パンパンマンミュージアムに来てくれたみんな~! 今から“どどんどん”の大行進が、はっじまるよ~ キンキンマンと一緒に元気いっぱい歩いてみよう!』

 

 それを聞き逃さないアンナではない。

 ピクッと耳をウサギのように立てて、うんうんと黙って頷く。

 

「どどんどんと一緒に歩けるんだってぇ☆ タッくんもやろうよ☆」

 緑の瞳をキラキラと輝かせ、ずいっと身を乗り出す。

 逃げられない。

「お、俺もか?」

「うん☆ 取材だよ。これも小説に使えると思うの!」

 えぇ……読者の年齢層が赤ちゃんに下がっちゃうよぉ。

 

   ※

 

「しゅっぱーつ! どしん、どしん! どし~ん、どし~ん!」

 大きな銀色の着ぐるみを先頭に、リズム良く脚を床に叩きつける。

 どどんどんだけではなく、その設計者でもあるキンキンマンも一緒だ。

 その背後にくっつくように、アンナは笑顔で歩き出す。

 女子とは思えないぐらいのガニ股で、手足をブンブン振って「どし~ん、どし~ん」と叫ぶ。

 白い歯をニカッと見せて、満面の笑顔だ。

 俺もその隣りで同様に歩いて見せる。

「ど、しん……どしん……」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で。

 

 ちょっと、これめっちゃ恥ずかしいんですけど!

 しかも、ちびっ子達よりも、俺とアンナが先頭だから、悪目立ちしてる。

 アンナはお構いなしに、行進を続ける。

「どし~ん! どし~ん! 超楽しい~☆」

 ウソでしょ……。

 公開処刑の間違いだろ、これ。

 

 その証拠に、周囲の親御さんたちが憐れむような目で俺たちを見つめていた。

 

「あらぁ……あの二人、かわいそうねぇ」

「保護者の人はいないのかな? 見ていて心配だよ」

 

 心配しなくても大丈夫です!

 うちのヒロインが暴走しているだけで、僕はやりたくてやってるわけじゃないんで。

 そんな目で見ないでぇ……。



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271 娘さんが下着を上下お揃いにしたら、彼氏います

 

 どどんどんの大行進は、広い館内を一周したところで、やっとゴール……。

 終える頃には、俺の顔は真っ赤になっていたと思う。

 恥ずかしくて死にそうだった。

 だが、隣りのアンナは

「超楽しかったぁ☆ あ、どどんどんと握手してこよっと☆」

 とまだまだ余裕を見せるほどのアイアンメンタル。

 

   ※

 

 もういいだろうと、再度昼ご飯をアンナに提案すると。

「そうだね。たくさん運動したし……そろそろ」

 と言いかけている途中で、ある場所に視線が釘付けになる。

 俺もその方向に目をやる。

 レストランの近くにあった遊具、『虹のすべり台』だ。

 すべり台と言っても、幼児が利用するような緩やかなもの。

 

 5個のすべり台が連結されていて、各レーンの上には旗が立っている。

 全部色違いで、左から赤いパンパンマン。黄色のキーマパンマン。白の生食パンマン。それから姉妹のパンナちゃん達。

 右の階段から昇って好きな所を決め、優しいお姉さんがしっかり見守る中、幼子が楽しむといったものだ。

 かなり人気で、列ができている。ただし、並んでいるのは幼児だけだが……。

 

 まさか、と思ったが一応アンナに尋ねる。

「な、なぁ……このすべり台は年齢制限があるんじゃないのか?」

 それを聞いた彼女は緑の瞳をキラキラと輝かせる。

「アンナなら大丈夫! もう15歳だもん☆」

 ジェットコースターじゃないんだよ!

「いや。そういう意味じゃなくて……」

「タッくん。ちょっとすべってくるから、ここで待ってて☆」

 ファッ!?

 この人、もうただの荒らしなのでは?

 小さなお子様に配慮してやれよ。

 

 子供たちの列に並ぶ大きなお姉さん。

 低身長のアンナとはいえ、やはり幼児と並ぶとデカく見える。

 前後にいた幼児も珍しそうに彼女をじーっと見つめていた。

 

 その光景に絶句している俺に対し、アンナは余裕たっぷり。

「タッくん! せっかくだからスマホですべっているところを動画で撮ってぇ~」

 なんて叫ばれる始末。

 周囲に立っていた親御さんの冷たい視線が痛すぎる。

 

 仕方ないので、俺はジーパンのポケットから自身のスマホを取り出し、カメラを起動してスタンバイ。

 

 アンナの番になり、階段を昇っていく。

 上機嫌ですべり台に向かう彼女の後ろ姿を見て、あることに気がつく。

「はっ!?」

 思わず声に出してしまった。

 下から見上げている俺の目に映ったのは、純白のレースパンティー。

 すかさず、カメラを動画モードで撮影開始。

 レンズは常に彼女の尻を追いかける。

 

 すべり台にアンナが座り込む。

 後ろにいたお姉さんは介助など必要ないと苦笑いしていたが、

「じゃあ、『いっせーので』ですべろうね~」

 と彼女を誘導する。

 下にお姉さんがもう一人いて、事故がないようにと下りてきたお友達をキャッチしてくれる。

 二人のスタッフは

「どうすんのこれ?」

 みたいな顔で対応に困っていた。

 

 しかし、そんなことはお構いなしで、アンナはバンザイして自分の番になったことを喜ぶ。

「今からアンナすべるね~ タッくん。見ててよ~☆」

 とこちらに向かって大声で叫ぶ。

 

 先ほどまでの俺ならば、赤っ恥だが。

 今は違う。

 なぜなら、アンナの興味がパンパンマンとすべり台でいっぱいだからだ。

 つまり防御態勢がゼロに近い。

 おわかりいただけただろうか?

 

 そう。今のアンナは安全にすべり台を楽しむために、御開脚なされているということだ。

 つまり……パンツが拝み放題! 動画を高画質で撮り放題!

 

 普段は使わない4Kモードで録画しておいた。

 すべり台から下りるのは一瞬だったが、しっかりとスマホに記録してある。

 誤って消去しないように、大容量のSDカードにも保存しておく。

 

「はあ~☆ 楽しかったぁ!」

「ああ! アンナの顔、とても楽しそうだったな!」

 やべぇ。パンパンマンミュージアム、撮れ高半端ない。

「タッくん。ちゃんと動画撮れた? アンナにも見せて☆」

「あ、それは……帰ってからで良くないか? ちゃんとパソコンに保存してから、あとでL●NEで送るよ。ははは!」

 笑ってごまかす。

「どうして? なんでパソコンに保存するの?」

 純真無垢なアンナは、俺の思惑に気がつくことはない。

「そ、そうだ! もういい加減レストランに行かないか? あそこで使っているパンパンマンのお皿は帰りに購入できるらしいぞ!」

「ホント!? 行く行く☆」

 フッ……新鮮な動画ゲットだぜ!



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272 アンナが考えたリキくんの理想像

 

 どうにか、アンナの秘蔵動画を確保できた俺は、強引にアンナをレストランへと誘導する。

「ははは! 楽しみだな、お子様プレート!」

「うん☆ タッくんも食べたかったんだね☆」

「そうそう! 俺も食べたくて夜も眠れなかったんだよ」(棒読み)

 こうやって嘘で自分を塗り重ねて、大人になっていくのさ。

 

   ※

 

 昼食を終えて、アンナは追加でデザートを注文。

 テーブルに置かれたズキンちゃんのパフェを嬉しそうにスプーンですくう。

「おいし~☆」

 相変わらず、ブレないな。このお子ちゃまな趣味は。

 大人である俺にはしんどい施設だが、悪い取材ではなかった。

 俺ひとりだったら、絶対に来ないし新鮮な体験を味わえたと思う。

 

 ふとスマホを確認すると、一件のメールに気がつく。

 相手はリキだ。

 すっかり彼のことを忘れていた。

 

『タクオ。今一本目の映画を見終わったんだけど。隣りのおじさんがやけに話しかけてくるんだよ』

 ファッ!?

 

 受信した時刻は一時間ぐらい前か。

 うっ……リキ、まあ頑張ってちょうだい……。

 

「アンナ。そう言えば、リキが映画館に入る前、なんか話していたろ? なにを言っていたんだ?」

「ん? あ、リキくんがほのかちゃんとラブラブになれるように、ちょっとだけアドバイスしておいたんだよ☆」

 言いながらも、パフェの生クリームを美味しそうに頬張る。

「ほう。ちなみにどんな助言をしたんだ?」

「んとね……とりあえず、映画館に入ったら、たくさんのおじさんと仲良くなってねって言ったよ☆」

「……マジか?」

「ホントだよ☆」

 緑の瞳をキラキラと輝かせる。

 

 オーマイガー!

 ヤバい。俺としては、映画館の風景とか、どんな人たちが観に来ているかぐらいのレベルで考えていたのに。

 アンナはスナック感覚でマブダチを界隈に放り込む気だったのか。

 

 テーブルの上で頭を抱え込む俺。

 対してアンナは無邪気にパフェを食べ続ける。

 

「どうしたの? タッくん?」

「いや……リキの奴。今ごろ大丈夫かなって」

「大丈夫だよ☆ だって恋する男の子だよ? 好きな人のためだったら、なんでもやれるのが恋のチカラだもん! ほのかちゃんのために、リキくんは何が何でも取材してもらわないと☆」

 鬼だな、この人。

「そ、そうか……恋ってそんなに人を変えるものなのか?」

「うん☆ あ、そうだ! おじさんと仲良くなれた後はどうしよう」

「え? 後ってどういうことだ? まだリキに何かをさせるのか?」

「だってさ。ショタっ子とも仲良くなれないと、ほのかちゃんが興味持ってくれないでしょ? うーん、どうすればいいんだろう……。ショッピングモールで手当たり次第ショタッ子に声をかければいいかな。リキくんに甘いお菓子を持たせて」

 事案ってレベルじゃねー!

 犯罪だよ……。



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273 帰還兵に敬礼!

 

 その後もアンナは、パンパンマンミュージアムの中で、買い物を楽しんだり、着ぐるみとツーショットを撮ったりと、リキのことはそっちのけで、遊び倒す。

 まあ、俺もなんだかんだ言って、二人の時間を楽しんでしまい、彼のことはすっかり忘れていた。

 一通り館内を回った所で、いい加減デートはおしまいにしようと、アンナに提案する。

 

   ※

 

 博多リバレインを出ると、すっかり辺りは、夕陽でオレンジ色に染まっていた。

 とりあえず、リキが単独潜入した例の映画館へと戻る。

 

 

 薄暗い通りに一人の青年が道路の隅で座り込んでいた。

 顔面真っ青で魂が抜けたような覇気のなさ。

 俯いて視点はずっとアスファルトに向けられたまま。

 まさかっ!?

 

 俺は急いで彼の元へと駆けつける。

「おい! リキっ! 大丈夫か? なにがあった!?」

 肩を揺さぶって、視線をこちらへ向けようとするが、反応がない。

「……」

 一体なにがあったというんだ。

 あのヤンキーのリキをここまで抜け殻にしちまうとは。

 

 そこへアンナが近寄って優しく話しかける。

「どうやら、たくさんのおじさんと仲良くなれたみたいだね☆ リキくん☆ やったね!」

 ファッ!?

 恐ろしいお人だ。

「ああ……ちゃんと仲良く……なれたぜ」

 ようやく答えてくれたが、なんて弱弱しい声だ。

 心配した俺は、現場でなにがあったかを尋ねる。

「リキ! 大丈夫なのか? お前の身体は?」

「え……別に身体は大丈夫だぜ」

 それを聞いて、俺はホッとした。

「そ、そうか。じゃあどうやって、おじさんと仲良くなれたんだ?」

「アンナちゃんに言われた通り、ダチになってきたぜ。案外チョロいもんだったよ。映画見てたら色んな人に話しかけられてよ。『ネコが好きか?』とか動物好きな人がいたりして……」

 意味を履き違えてるよ!

 それ、受けの意味だ……。

 

「リキ。お前、それでなんて答えたんだ?」

「え? 俺は『どっちも好きだ』って答えたよ」

 多分彼としては、犬と猫どっちも好きだと言いたいのだろうが。

 おじ様からすると「受けも攻めもOKです」と聞こえてしまったのだろうな。

「……それから?」

「とりあえず、L●NEを交換しておいたよ。ダチだってことで。50人ぐらいは仲良くなれたと思うぜ」

 なんて親指を立てるナイスガイ。

 というか、モテモテだな。リキ先輩。

 

 一連の会話を隣りで聞いていたアンナは、満足そうに微笑み、黙って頷いていた。

「すごい、リキくん☆ これでほのかちゃんとラブラブになれる第一歩を踏み始めたんだよ☆」

 いや、界隈への第一歩の間違いだろ。

「ヘッ。恋の力ってヤツかな」

 なんて人差し指で鼻をこすってみる。

 

 だが、一つ気になった点がある。それは彼の現在の状態だ。

 偉く疲弊しているように見える。

 俺がその理由を聞くと

「ああ。字幕映画なんて普段見ないから、4時間も見るのが疲れただけだよ」

 とのことだ。

 彼自身は無事に戦場から帰還できたようで、一安心……なのか?



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274 中洲の女帝

 

 道端でしばらくリキを休ませていると、例の映画館から一人の老人が出てきた。

 目と目が合ってしまった。

 俺は気まずいと思わず視線を逸らす。

 今回の取材は、確かに腐女子のほのかを落とすための攻略法として、仕方ないとはいえ、なんだか界隈の人々の純粋な想いを踏みにじるような罪悪感があったからだ。

 無知な俺たちは土足で彼らの社交場を荒らしてしまったような……そんな気分。

 

「あら、タッちゃんじゃない?」

「え……」

 

 その老人は俺の名を知っているようで、声に出してしまった。

 視線をもう一度戻してみると。

 確かに年老いてはいるが、どこか違和感がある。

 夏だというのに淡い紫色の着物を着ている。

 ただし女性ものだ。

 

「タッちゃんでしょ? 久しぶりねぇ~」

「ば、ばーちゃん!?」

 

 忘れてた……中洲にはこのめんどくさい祖母がいることを。

 俺の腐りきった母親、琴音さん側の……。

 つまり、この老婆も還暦を越えた腐女子なのだ。

 

   ※

 

 ばーちゃんの名前は、鹿部(ししぶ) すず。

 御年62歳になる生粋の博多っ子であり、腐女子でもある。

 

 俺たちが中洲に来た理由を話すと、特に驚くこともなく、

「あ、そうなの」

 ぐらいで、ケロッとしていた。

 

 それよりも疲弊しているリキを見て、心配してくれた。

 近いからと自分の家で休んでいくようにと促される。

 正直、俺は母さんよりも、ばーちゃんの方がブッ飛んでいるから、あまり関わりたくなかったのだが。

 確かに今のリキには休養が必要だ。

 仕方ないので、渋々ばーちゃんの家に行くことにした。

 

 ばーちゃんの家は中洲川端商店街にある。

 俺ん家と同じく、自宅兼店舗だ。

 取り扱っている商品は和服。

 だから、店長でもあるばーちゃんは、年がら年中着物を好んで着用している。

 

 商店街を歩きながら、俺は例の映画館にいたことを尋ねる。

「ばーちゃん。どうしてあそこにいたんだよ? 女性は入っちゃダメだろ?」

「だってリバイバルだったし、観たかったもの。別に犯罪じゃないのだから、いいでしょ?」

 全然悪びれる様子もなく、手に持っていた扇子をパタパタと仰ぐ。

「いや、ダメでしょ……界隈の人たちに対するタブーじゃないか」

「なんで? お金も払っているんだし、別にいいじゃない。それにおばあちゃんだって、まだまだ枯れてないのよ? たまには新鮮なネタが欲しいのよ」

 最低なばーちゃん。

 

 しばらく商店街を歩いていると、目的地である店にたどり着いた。

 小さな店だが、年季の入った木造建てのどこか風情のある佇まい。

 看板さえなければな。

 

『呉服屋 腐死鳥(フェニックス)

 

 蛙の子は蛙ですよ……。



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275 孫のためなら、ばーちゃんは推しまくる

 

 ばーちゃんの自宅でもある呉服屋に通される。

 狭い店だが、もうこの中洲川端商店街に開業して、80年以上は経つと聞く。

 ばーちゃんで3代目。

 由緒ある老舗なのだが、最近は海外からの観光客が多く、その流れに乗って販売する着物も随分変化している。

 というか、ばーちゃんの趣味で作ったものだ。

 裸体の男たちが激しく絡み合う痛い浴衣。

 そんなのが店の大半を占める。

 見ていて、ため息が漏れてしまう。

「はぁ……」

 これだから、ばーちゃん家には遊びに来たくないんだよ。

 真島の自宅でもお腹いっぱいだというのに、中洲に来ても同じ絵面。

 

 

 リキは4時間に及ぶ外国映画を観賞したせいで、知恵熱を発症したようだ。

 店の奥にある畳の上で仮眠させてもらうことにした。

 3畳ぐらいの小さな和室。本来は試着に使われる場所だ。

 彼が言うには、同性愛の内容云々ではなく、吹き替えじゃないから観ていて、とても疲れたらしい。

 普段、一ツ橋高校でもろくに授業を受けないリキのことだ。

 確かに辛かっただろう。

 それだけ、ほのかに対する想いが、とても強いという証か。

 

 俺とアンナは、近くにあった和風の小さな椅子に腰を下ろす。

 座面が縄あみだから、ちょっと尻がチクチクする。

 

 アンナは何故かずっと黙り込んでいた。

 ばーちゃんに出会ってから、どうやら緊張しているようで、顔を真っ赤にして俯いている。

「タッくんのおばあちゃん……どうしよ……初対面なのに、こんな格好で来ちゃった」

 なんて一人でブツブツと呟いていた。

 じゃあ、どんな格好なら良かったんだよ? とツッコミを入れたかったが、かわいそうだったので、そっとしておく。

 

 気がつくと、ばーちゃんがおぼんを持って現れた。

 丸い湯呑を乗せて。

「喉乾いているでしょ? 飲んでいきなさい」

「悪いな。ばーちゃん」

「は、は、はいぃぃ! い、いただきますぅ!」

 緊張しすぎだろ、アンナのやつ。

 

 冷えたお茶を飲みながら、雑談を交わす。

 中洲に来た理由を説明すると、ばーちゃんはケラケラ笑っていた。

「あ、そうだったの。あの寝込んでいる子は、腐女子に恋をしているのねぇ。なら、今日あの映画館に行って正解だと思うわね。新鮮なネタが豊富だもの。おばあちゃんも同人誌作る時、この年だから普通の絡みじゃ、もう詰まらなくてねぇ。よく社交場に顔を出すわぁ」

 最低の荒しババアだ。

「……ばーちゃん。そういうのやめなよ」

 冷たい視線で汚物を見る。

 だが、そんなことお構いなしで話を続ける。

「ところで、さっきから気になっていたのだけど。お隣りの可愛いお嬢さんはタッちゃんとどういう関係かしら?」

 ばーちゃんはアンナを見つめて、ニコリと優しく微笑む。

 しかし、孫の俺にはわかる。

 こういう顔をしている時は、大体なにか良からぬことを考えている時だ。

 話を振られて、アンナはたどたどしい口調で話し始める。

 

「あ、あの……わ、私…タッくん。琢人くんと仲良くさせてもらっています。古賀 アンナと言います。おばあ様にお会いできて光栄です!」

 どこの貴族と謁見しているんだよ……。

 かしこまりすぎだ。

「そう。あなた、タッちゃんとはもうヤッたの?」

「ブフーッ!」

 酷い質問に、俺は口に含んでいた茶を吹きだす。

「え? やった? なにをですか?」

 意味が分かっていないアンナは首を傾げる。

「茶屋に行ったかってことよ」

 いつの時代だよ!

「お茶屋さん?」

 ほら伝わってない。

「あらあら、ごめんなさいね。今の時代ならラブホというべきね」

 ばーちゃんに翻訳されると、やっと伝わったようで、アンナは顔を真っ赤にさせた。

「そ、それなら……行ったことはあります…」

 ファッ!? 言わなくてもいいだろ!

 まあ、間違ってはないからな。

 

 それを聞いたばーちゃんは、小さく拳を作って喜ぶ。

「よっしゃ。孫の嫁ゲットしたわ!」

 勝手に婚約させやがった。

「ばーちゃん。俺とアンナはそういう関係じゃ……」

 老人というものは、人の話を聞かない生き物で。

「アンナちゃんだったわね? うちのタッちゃんと末永くお願いね。あら、こうしちゃいられないわ。中洲の商店街に紅白饅頭を配っておかなきゃ。それから日取りはもう決めたの? そうだわ。我が家に代々伝わる振袖があるのよぉ。それ、アンナちゃんにあげるわ」

「え、アンナにですか? そんな高価なもの頂けません」

 相変わらず顔面真っ赤にして、両手をブンブンと左右に振る。

「なに言っているのよぉ。あなたはもう私の孫みたいなものじゃない~ 遠慮しちゃダメよぉ」

 ばーちゃんの暴走は止まらない。

 隣りで黙って話を聞いていた俺に一言。

「タッちゃん。アンナちゃんの初めてをもらっておいて、別れるとかないわよね? おばあちゃん許さないわよ。男ならしっかり責任を持ちなさい」

 俺の隣りにいるアンナも、男だよ……とは言えなかった。



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276 勝利を確信したリキ

 

 その後、ばーちゃんはアンナに振袖を持ってくると。

「赤色なんだけど好きかしら?」

 なんて彼女の身体に当ててみる。

「あ、好きです! 大好きです!」

「そうなのぉ。じゃあ、これ。アンナちゃんにあげるわ。タッちゃんのお母さん、琴音にはもう会ったかしら? あの子が成人式で着たものなのよぉ~ 私も若い時に着たけどねぇ」

 聞けば、かなりの年代ものだ。

 というか、血こそ繋がってないとはいえ、孫娘のかなでにやらなくていいのか?

「え、タッくんのお母さまが着られたものなんですか? それをアンナに……」

 頬を赤くして、モジモジし出す。

「もちろんよぉ。アンナちゃんはもう、私の孫と同じ! いつでも中洲に遊びにおいでね! この店の浴衣でも振袖でもなんでも着せてあげるわ!」

「そ、そんなぁ……悪いです」

 だが、決して嫌そうな顔ではない。

 むしろニヤニヤが止まらないように見える。

 

   ※

 

 リキが目を覚ましたところで、俺たちは中洲から帰るとばーちゃんに告げる。

 それを聞いたばーちゃんが

「振袖は重たいから、あとでアンナちゃんの自宅に送るわね」

 と彼女に住所を聞く始末。

 アンナもちゃっかり教えちゃう。もちろん、席内市の古賀家だが。

 

 

 ばーちゃんの前では、緊張しっぱなしだったが。

 店から出るといつものアンナに戻る。

「タッくんのおばあちゃんから、振袖もらっちゃった☆ いつ着ようかな? あ、来年のお正月に二人で初詣に行こうよ☆ タッくんは毎年、初詣とか行かないもんね。しっかり取材しておかないと☆」

 あの、勝手に決めつけないでくれますか?

 初詣ぐらい行ったことあるわ! あ、でも何年も行っていないような……。

 アンナは随分浮かれているようだ。

 三人で地下鉄に乗り込み、電車の中で今回の取材を振り返る。

 

 リキの方も手ごたえを感じていたようで、かなり興奮気味だ。

「見ろよ! タクオ! ほのかちゃんから返事いっぱい届いたぜ!」

 そう言ってスマホの画面を見せてくれた。

「ほう。どれどれ……」

 二人のL●NEのやり取りを確認してみると。

 

『ほのかちゃん、中洲の映画館でたくさんのおじさんと仲良くなれたぜ! 50人も!』

『え!? ホント!? あの伝説の社交場に行ったの? しかも50人と仲良しに!?』

 かなり誤解されているようだが、まあ興味を持っているので良しとしよう。

『ネコ好きなおじさんと超仲良くなれたよ。L●NEも交換したから、これからも色々と教わろうと思うわ!』

『プギャー! 文章だけじゃ情報量足りない! 千鳥くん。来週、直接会ってお話聞かせて! は、鼻血が出てきた……』

 

「……」

 結果的に釣れちゃったよ。

「なっ! これって取材の効果だよな!? デートの誘いだろ、これって!」

「ま、まあデートちゃデートかもな……」

 それを聞いたリキは、感動のあまり泣き出す。

「うぐっ……マジでサンキューな。タクオ、アンナちゃん。二人のおかげだよ…」

 あなた本人の努力だと思います。

 だが、無慈悲なアンナは更に追い打ちをかける。

「気にしないで、リキくん。これで第一歩だね☆ でも、これで満足しちゃダメだよ。まだ、ほのかちゃんに興味を持ってもらえただけ。だからデートのあと、またおじさん達としっかり仲良くならないと☆」

 なんて優しく微笑む。

 悪魔に見えてきたよ、この人。

「アンナちゃん! これからもいっぱいアドバイスしてくれ!」

 真に受けるなよ。

「うん☆ たくさん相談してね☆」  

「……」

 もう俺のダチはどこか遠くへと旅立ってしまうようだ……。 

 でも、難攻不落の腐女子とデートするきっかけは、できたから良かったのか?



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第三十三章 こいつ、カワイイか!?(ブチギレ)
277 童貞君のお宅にアイドルが訪問


 

 お盆休みに入り、地元の真島商店街はすっかり静まりかえっていた。

 普段なら営業している店もシャッターが下ろされている。

 きっと、みんな帰省したり、どこか遠くに旅行でも行っているのだろう。

 

 俺は生まれてから、ここ福岡県から出たことないし、夏休みなんて特になにもやることがない。行くところもない。

 中洲のばーちゃんはめんどくさいから、会いたくない。

 親父は無職だから家族サービスなんて皆無だ。

 今年もどこかでヒーロー業ってやつに励んでいるのだろう。

 

 さすがにミハイルもお盆は家族と過ごすらしい。

 なんか、俺と遊んでばかりいたから、姉のヴィクトリアが寂しいと不機嫌なのだとか。

 まあ、たまには一人の時間ってやつも悪くない。

 

 この前、パンパンマンミュージアムで大量にゲットできたアンナちゃん動画と写真を編集するので、右手が大忙し。

 学習デスクの上に置いてあるノートパソコンを使用しているのだが、かなり熱を持っている。

 外付けのハードディスクを繋いでいるが、処理が追いついてこない。

 

「うーん。高画質で保存しているから、重たいな……」

 

 これを機にハイスペックのデスクトップパソコンでも購入するかな。

 

 自室で一人、延々と編集作業をしている。

 妹のかなでは、母さんに言われて、リビングで監視付きの受験勉強中。

 この部屋にいると、勉強そっちのけで、すぐに男の娘のエロゲーをやるから、と注意されたからだ。

 おかげで、俺はアンナのパンチラ写真を堂々と楽しめる。

 最高だ。

 

「ふぅ……」

 モニターに映し出された純白のレースを拡大してみる。

 その美しい光景に見惚れていると。

「タクくん。ちょっといいかしら?」

 ノックもなしに母さんがドアを開けてきた。

「ちょ、ちょっと! 母さん! 部屋に入る時はノックしてくれよ!」

 咄嗟にノートパソコンを折りたたむ。

「あらあら。ひょっとして自家発電でもしてたの?」

「し、してないし!」

 近いことはしてたけど。

「あのね、タクくんにお客さんが来ているのよ」

「え? 俺に?」

「今裏口に来ているわよ。なんか可愛らしい女の子だったわ」

「女?」

 

 可愛らしい女の子が俺の自宅に来るなんて、エロゲーみたいなイベントあるわけないだろと思ったが……。

 最近はアンナやひなたとよく遊んでいたからな。

 頭に浮かぶとしたら、あの二人ぐらいだろう。

 

 自室を出て階段を降りる。

 一階の母さんの美容院はシャッターを下ろしているから、真っ暗だ。

 お盆休みでお客さんは誰もいない。

 裏口から外に出ると、一人の少女が立っていた。

 

 ゴスロリファッションの痛々しい女子。

 艶がかった長い黒髪。そして、眉毛の上で綺麗に揃えたぱっつん前髪。

 日本人形みたい。

 黙っていれば、美人の部類なのだろうが……。

「ちょっと! ガチオタ! なんで連絡してこないのよ!」

 開口一番がこれだもの。

 自称アイドルの長浜 あすか。



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278 尻軽作家

 

「ねぇ! 聞いているの!? ガチオタ!」

「……」

 なんでこいつが俺ん家を知っているんだ?

 怖っ! ストーカーがまた一人増えたよ。

「フンッ! このトップアイドル、長浜 あすかがわざわざ来てあげたのよ? 感謝しなさい!」

 絶対に感謝したくない。

「長浜……お前、何しに来たんだ? ていうか、どうやってここの住所を知ったんだ?」

「私を誰だと思っているの。芸能人なのよ! あんたみたいなガチオタの特定ぐらい、お茶の子さいさいよ!」

「すまん。帰ってくれ」

 恐怖を覚えた俺は扉を閉めようとする。

 だが、サッと長浜の脚が間に入り、静止させた。

 新手の勧誘ぐらい押し売りじゃないか。

「待ちなさいよ! アタシとの約束を忘れたっていうの!?」

「はぁ? お前との約束……そんなことあったか?」

 俺が首を傾げていると、長浜は顔を真っ赤にさせて、肩をぶるぶると震わせる。

「あんたねぇ……この前の別府温泉でアタシの名刺を渡してあげたでしょ! アタシの自伝を書くって約束よ!」

 ちょっと涙目になっている。

 ヤベッ、マジで忘れてた。

 

   ※

 

 長浜に詳しく事情を聞くと、ここの住所は宗像先生から聞いたらしい。

 所属している事務所の社長が進めている彼女の自伝を早く出版したいとのこと。

 文章力に自信がないから、アイドルである長浜の芸能活動に密着して、俺がゴーストライターとして、まとめて欲しい。

 それが今回の彼女の要望だ。

 また、原稿料も頂けるみたいだ。

 一本仕上げて、10万円。

 悪くない話だ。

 ハイスペックパソコンが買える!

 そしたら、アンナの秘蔵動画や写真をサクサク楽しめるではないか!

 

 良いだろう……結ぶぞ。その契約!

 全てはアンナのために!

 

「了解した。納期はどれぐらいだ?」

「フン! 一週間ぐらいよ!」

「い、一週間!?」

 なんて作家泣かせの期間だ。

「来週、博多の事務所に来なさい! そこで本物のアイドルをタダで見せてあげるわ! ガチオタなんだから、ご褒美でしょ!」

 こんの野郎、本当にムカつく女だ。

 男だったら殴ってやりたい。

 だが、10万円という大金をくれる負と太客だ。

 堪えるんだ、琢人。

「い、いいだろう……で、仕上げるにあたってもう一つ聞いておきたいことがある。本にするのなら、文字数は決めているのか?」

「は? それぐらい、ググりなさいよ!」

 ググってどうにかなる問題じゃないんだよ!

 あ~ ムカつく。

 こいつ、本当にアイドルか?

 全然、男に媚びを売らないじゃないか。

「あのな……文字数を決めておかないと、オチとかもしっかり考えないといけないんだよ。それに納期は一週間程度なんだろ? それは依頼主である長浜か社長が決めることだろう」

「仕方ないわね。これだから一般人は無知で嫌いなのよ!」

 お前に言われたくないし、お前も一般人に近いと思う。

 

 スマホを取り出す長浜。

 どうやら社長と電話しているようだ。

 

「あ、もしもし~♪ 社長ですかぁ? あのぉ~ 例のアタシの自伝小説なんですけどぉ~」

 こいつ、人で態度が全然違うのか。

「なんかぁ~ 雇うライターが文字数決めろってうるさいんですぅ~ どれぐらいにしたらいいですかぁ~」

 

 しばらくブリブリ女を演じたあと、通話をやめる長浜。

 先ほどまでの態度から一変して、俺には女王様レベルの上から目線で話し出す。

 

「社長と相談したら、20万文字ですって。一週間で仕上げなさい!」

 ファッ!?

 たった七日間で20万文字だと……。

 ラノベ二巻分を仕上げるなんて。

 だ、だが……どうしても、ハイスペックパソコンが欲しい。

 カクカク動画のアンナは辛すぎる。

 

「や、やろう。俺はこう見えてプロの作家だからな」

 尻軽作家でごめんなさい。



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279 推せないから引く

 

 翌日、俺は博多へと向かった。

 行きがけの電車内で、以前長浜からもらった名刺を確認しておく。

 電話番号とメルアドを登録しておくために。

 L●NEも書いてあったが、アンナさんとの不可侵条約があるから、無視しておいた。

 

 博多駅について、駅前広場に出る。

 スマホを取り出し、初めて長浜へ電話をかけてみた。

『もしもしぃ~? アイドルの長浜 あすかですぅ~ テレビ局の方ですかぁ~?』

「……」

 甘ったるい営業トークで電話に出られたので、吐き気を感じた。

『あのぉ~ 取材ですよねぇ?』

「いや、俺だ。新宮だ」

 すると態度を一変させる。

『チッ! だったら最初から名乗りなさいよ! アタシは芸能活動で忙しいのよ!』

 クソがっ!

 今すぐ帰りたい。でも、10万円のためだ。

「わ、悪いな……お前の携帯番号、まだ登録してなくてな。今かけた番号が俺のだ。登録しておいてくれ」

『フンッ! なんでガチオタの電話番号をこのトップアイドルが登録しないといけないのよ!』

 殴りてぇ! 今すぐこいつの顔面ボコボコしてぇ……。

「でも、これから自伝小説のことで連絡手段が必要だろ?」

『そうだったわね。ならいいわ! 特別に許してあげる!』

 俺が許したんだよ。

「ところで、お前の事務所はどこだ?」

『それぐらい、ググりなさいよ!』

「……」

 

   ※

 

 結局、ウィキペディアで彼女の所属している芸能事務所を調べた俺は、そこから更に検索を重ねて、どうにか住所を特定した。

 俺が今いる駅前広場から歩いて数分の所にあった。

 はかた駅前通りを真っ直ぐと進み出す。

 よく利用している喫茶店、カフェ・バローチェが見えてきた。

 グーグルマップで確認するとその近くに事務所はあると表示されている。

 だが、辺りをきょろきょろ見渡しても、一向に見つからない。

 KYビルと言う建物の二階にあるようだが……。

 博多っていう土地柄からか、色んな建物や店がごちゃごちゃと隙もないぐらい密接して、並んでいるから、全然分からない。

「参ったな……」

 面倒くさいがまた長浜に電話をかけようかと、スマホを取り出した瞬間だった。

「ガチオタっ! いつまで待たせんのよ! さっさとこっちに来なさいよ!」

 上を見上げると、ビルの二階から長浜 あすかが顔を真っ赤にさせて叫んでいた。

 ここか。

「今そっちへ行く」

「早くしなさいよ! アタシの芸能活動の邪魔をしたいの!?」

 お前が邪魔してんだよ!

 

 

 エレベーターを使って二階に上がると、

 腰に両手を当てふてぶてしい態度の少女が立っていた。

 相変わらずのゴスロリファッション。

 艶のかかった黒くて長い髪を肩まで下ろして。

 綺麗な顔立ちをしている。

 

「ガチオタっ! 今からアタシの芸能活動に密着取材しなさい!」

 

 でも喋り出すと、殴りたくなるアイドルがいるんですよ……。



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280 不動のセンター

 

 自動ドアが開く。

 事務所の中はあまり広くはないが、比較的きれいな場所だった。

 白い壁には一面、 ローカルアイドルグループ、もつ鍋水炊きガールズのポスターで埋め尽くされている。

 入口の目の前に、大きな白いテーブルがあり、そこで長浜と同じアイドルメンバーの二人が何やら作業をしている。

 自己主張が激しすぎる長浜とは違い、かなり大人しそうな女の子たちだ。

 俺に気がつくと、ぎこちなく会釈する。

 

 初見の子たちだったので、自己紹介を始めようと思ったが、長浜が勝手に喋り出す。

「みんな! こいつが前に話していた作家よ! そしてアタシのガチオタなの! 前に席内でソロライブやった時なんか、こいつ3万円も支払ってまでチェキを撮りたがったキモオタなのよ、笑っちゃうわよね!」

 あれはミハイルというか、ヴィクトリアの買い物をしたら、たまたまお前がいただけだろ!

 長浜の嘘を真に受ける女の子達。

「す、すごいです。さ、さすがセンターのあすかちゃん」

「作家さんを推しにさせるなんて、リーダーかっこいい」

 なんて控えめな少女達なんだ。

 どうせなら、この子たちを推してあげたい。

「フンッ! アタシみたいなトップアイドルにかかれば、こんなヤツ。一回のライブでイチコロよ!」

 黙って言わせておけば……だが堪えろ。

 全てはハイスペックパソコンのためだ。

 アンナぬるぬる動画計画を頓挫するわけにはいかない。

 既にBTOメーカーに見積もりを出してしまった。

 SSD、大容量の5TBHDD、それにグラボまでつけておいたんだ。

 がんばれ、俺!

 

   ※

 

 とりあえず、長浜に言われて近くの応接室に通された。

 小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座る。

 そもそも自伝小説の内容を聞かされていない。

 俺はどういう風に書けばいいか、彼女に尋ねる。

「長浜。自伝小説だっけか? 20万文字も使う大作だ。お前のどこから書けばいいんだ?」

「そうねぇ……ずばり出生から現在に至るまでよ!」

「赤ん坊の頃から書くのか?」

「ええ! ファンなら絶対に買うでしょ!」

 誰が読むんだ。そんなの……。

 

 

 それから俺は延々と彼女の生い立ちを一方的に聞かされた。

 まあ取材も兼ねているから、一応ノートパソコンでテキストに記録しておく。

「アタシは福岡生まれの福岡育ち! そして芸能人になるようにして生まれたのよ! 赤ちゃんの頃からそれはもう可愛かったわ! 幼稚園の時なんて知らないおじさんによくスカウトされそうになったものよ!」

 聞いていて、タイピングしていた指が止まる。

「知らないおじさん? どこで?」

「確かスーパーだったわね。アタシが可愛すぎたのか、鼻息を荒くしながら『キミ、いくつ? おじさんの家に来ない?』なんてスカウトしてきたのよ」

 それ、スカウトじゃなくてただの変質者だろ……。

「で、その後どうなったんだ?」

「なんでか知らないけど、近くにいたアタシのおばあちゃんが怒り出して、そのスカウトはダメになったわね。まあ、アタシほどの可愛さになれば、スカウトしたがる事務所はたくさんいるのよね……芸能人って辛いわ」

 無知って怖い。



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281 かわいそうなあすかちゃん

 

 三時間ほど経ったか……。

 延々と、長浜の出生から現在に至るまでのロングインタビュー。

 ていうか、一方的に俺が彼女から聞かされているだけのだが。

 口の動きは止まることを知らない。

「小学生の時なんて、運動会で毎年駆けっこで一位だったわね!」

「地元では、あすかと言えばアタシしか頭に思い浮かばないほどの有名人よ」

 などなど大半が自慢話。

 語り始めてまだ小学生の中学年なんだけど……。

 終わりが見えない。

 

 この間、俺はずっとノートパソコンに彼女の半生をタイピングしている。

 喋り方が尋常じゃないぐらいのスピードだから、キーボードを打ち込むのが苦行でしかない。

 ずっと黙っていたが、長浜の地元というワードが気になった。

 

「なあ。お前の地元ってどこだ?」

「アタシの地元? ググりなさいよ!」

 クソがっ!

 客なので怒りを堪えて、スマホで一々検索してみた。

 ウィキペディアには、俺たちが通っている一ツ橋高校がある白山(しろやま)市出身とある。

「ほう……長浜って一ツ橋高校の近くに住んでいるのか?」

「フンッ! 悪い? 田舎と言いたいわけ!?」

 急に怒り出しちゃったよ。

「いや悪いとか言ってないし、田舎とも言ってないよ。なんか意外だなと思ってな……アイドルってなんか都会に住んでいるようなイメージがあってさ。出身が白山でも売れるためには、博多辺りで暮らしてそうなもんだとばかり……」

 と言いかけた瞬間。

 長浜を更に怒らせてしまう。

「ハァ!? アタシは白山生まれの白山育ちなのよ! あそこに住んでいることが誇りなの! そんな地元を裏切るようなクソアイドルと一緒にしないで!」

「す、すまん……」

 この人。なんだかんだ言って郷土愛強いのね。

 

   ※

 

「長浜。大体の話は聞けた……が、1つ重要なことを聞けてない」

「なによ? そんなにアタシのことを知りたいの? キモいガチオタねっ!」

 別に知りたくないわ! 仕事だから聞いているだけだ!

「あのな……そう言う意味じゃなくて。お前が芸能活動を始めるきっかけを聞いていないんだよ。あと何故そこまでアイドルにこだわるのか、売れたいのか。お前の夢とする目標とか野望とか。物事には必ず始まりがあるはずだ。それを知らないことには、自伝小説も書きづらいんだよ」

 俺がそう説明すると、頬を赤くして視線を床に落とす。

 鬱陶しいぐらい自己主張の強い彼女にしては、珍しくしおらしい。

 

「そ、その……アイドルになりたい。なりたかった理由は……お、おばあちゃんが言ってくれたからよ……」

 予想だにしない答えに俺は驚きを隠せない。

「おばあちゃん!?」

「アタシって両親が幼い頃に離婚したじゃない?」

 いや、知らん。

 ウィキペディアに記載されている前提で話しやがる。

「ほう。おばあちゃん子ってやつか?」

「う、うん……離婚した理由はパパが浮気しちゃって。それでママが怒って別れるって言い出して……」

 案外重たい話だった。

「続けてくれ」

 タイピングを止めて黙って彼女の話を聞く。

「で、ママが白山にあるおばあちゃん家へアタシを連れて帰ってきたんだけどね……ママが『白山は田舎でつまらない』ってどっかへ行っちゃったの」

 まさかの毒親育ち!

 クソみたいな両親じゃないか。

 なんだか泣けてきた……。

「そうか……」

 反応にすごく困る。

「それから一人残されたアタシをおばあちゃんが大事に育ててくれたの……」

 身体をくねくねと動かして恥ずかしがる。

 なんだ。こいつにも可愛らしいところがあったんだな。

 ていうか、ハンカチないとこの話聞いてられないよぉ……。



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282 アイドルが語る壮大な夢

 

 意外だった。

 あの、長浜 あすかが劣悪な環境で育った苦労人だったとは。

 

「結局……ママもどこかで知らない男の人と一緒に暮らしているって。後から聞いたんだけど」

 重い! 重すぎるっ!

「……」

 俺はなにも言えなくなっていた。

 この場はただ黙って話を聞くことが正解だと思ったからだ。

「でも、アタシはすごく幸せだわ。一人ぼっちになったアタシをおばあちゃんがパパとママに代わっていっぱい愛情を注いでくれたから。『あすかちゃんはお姫様だねぇ』って。可愛いお洋服とか買ってくれたし……」

 そりゃ捨てられた孫を見てたら可愛がりたくなるよなぁ。

 泣ける。

「それでね。アタシがテレビに映るアイドルの真似をして歌ったり、踊って見せたら、おばあちゃんが喜ぶの。『あすかちゃんはカワイイねぇ』『アイドルになれちゃうわぁ』って。たまにアタシのダンスを見て感動して泣いちゃうぐらいにね」

 感動の涙じゃない!

 不憫なだけだ。

「だからアタシはアイドルを目指したの。おばあちゃんが言ってくれたから!」

 俺の目をじっと見つめる。

 その眼差しは真剣そのものだ。

 一点の曇りもないキラキラと光る美しい瞳。

 壮大な夢を語るに相応しい顔つきだ。

 

 だけど……意味を履き違えてるよ、この子。

 辛いわ。

 

   ※

 

「つまり、おばあちゃんがアイドルになれると言ってくれたから、長浜は芸能人を目指したというわけか?」

「ええ、そうよ。これは多分ググっても出てこない話ね!」

 当たり前だろ!

 誰がそんな重たい話をウィキペディアに記載するんだ!

「なるほど……じゃあ今はアイドルになれたという夢は叶えたのだろ? 次の夢はなんだ? 最終目標とか」

 俺が問いかけると彼女は自信満々にこう答える。

「ズバリ! ハリウッド進出よ!」

「……」

 長浜のおばあちゃん。ちょっと孫を可愛がり過ぎたんじゃないの?

 自信過剰すぎて、変な方向に偏ってるよ。

「アタシには売れなきゃいけない理由があるのよ! たくさんのお金が欲しいの!」

「まあ。それなら誰だってたくさん欲しいだろ。なにか買いたいものでもあるのか?」

 

 俺がそう問いかけると、長浜は胸の前で両腕を組み、ふてぶてしい態度を取る。

 てっきり「世界中のブランドものをたくさん買いたいのよ!」なんて言うと思っていたら……。

 

「良くぞ聞いてくれたわ! ええ、アタシには大金が必要なのよ! 白山にあるおばあちゃん家を改築したいのよ! 土地は広いんだけど、古い木造建てだから、冬はすきま風が入って寒いし、廊下の板はよく外れるし、トイレなんて和式のボットン便所だから。おばあちゃんの膝が壊れちゃいそうだわ……バリアフリーも考えた豪邸を建てたいのよ!」

「うっ……」

 思わず涙腺が崩壊してしまう。

 今まで堪えていた気持ちが瞳から溢れ出る。

 急いでハンカチを取り出し、顔を隠すように涙を拭う。

 長浜に泣いているところを見られないためだ。

「どうしたのよ? 部屋が暑いわけ?」

「ひぐっ……ああ、ちょっと今日は……暑すぎるな」

 目頭がね。



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283 これがトップアイドルのお仕事よ!

 

 長浜の苦労話を聞いた俺は、しばらくハンカチが手放せないでいた。

 よし、なんだか可哀そうになってきたから、ちゃんと取材して自伝小説を書いてやろう。

 俺はぬるぬるアンナ動画計画のため、長浜はおばあちゃんの家を改築するための第一歩として。

 盛りに盛りまくってやろう。

 両親は二人とも遊び人で浮気しまくり、金に汚いやつらで、長浜を虐待する鬼畜。

 しかし、唯一彼女を守り育ててくれたのが、貧乏な祖母。

 うむ。これなら芸能人とか関係なく、小説に興味を持ってくれるかもしれない。

 ただ、今後彼女を可愛いアイドルとして見られなくなるだろう。

 可哀想なアイドルとして応援される。

 特に老人なんかに好かれるかもな。

 

   ※

 

 応接室のドアが2回ほどノックされた。

 扉を開いたのは先ほどの控え目なアイドルの一人だ。

「あ、あの……あすかちゃん。そろそろお仕事しないと納期に間に合わなくなっちゃうよ」

 か細い声で遠慮がちに話す。

 どうやら、俺に緊張しているようだ。

「例の仕事のことね! わかったわ、今行くわ!」

「あ、ありがと……あすかちゃんの分が一番多いから私たちだけじゃ、捌けなくて……」

「フンッ! 当然よ! なんせアタシがグループのセンター! 人気ナンバーワン! この前のグラビアもアタシがソロで何枚も特集されたほどだもの!」

 この我の強さがなければ、もうちょっと可愛げがあるんだけどな。

「そ、そうだよね……あすかちゃんはボンキュッボンで美人だし……」

左子(ひだりこ)! あなたも磨けばアタシに近づける素質あるんだから! がんばりなさいよね!」

「わ、私なんかじゃ……」

 ていうか、この子の名前。左子っていうのか。

 改めて見ると確かに芸能人らしくない風貌だ。

 長浜と同じ黒髪で統一しているが、おかっぱのショートヘアで前髪が長いため、目が見えない。

 芸能人と言われなければ、どこかそこら辺を歩いている一般人に見える。

 うーん……この芸能事務所。大丈夫か?

 

 

 俺は応接室に残って早速文字起こしを始めようとしたが。

 長浜が「まだ取材は終わってない」「今日は一日密着しなさい!」

 と相変わらずの上から目線の命令。

 ため息を吐いて、ノートパソコンを閉じた。

 

 応接室から出て、入口近くの大きなテーブルに通された。

 彼女曰く、滅多にお目にかかれないアイドル活動を見ていけるのだから、感謝しろとのこと。

 絶対にしないけど。

 

 テーブルの上には、大量のCDが山のように重ねられていた。

 先ほどの左子ちゃんともう一人の大人しい子が、なにやらディスクケースに小さなカードを一枚一枚入れ込む。

 気になった俺は「なにを入れているのか?」と尋ねてみた。

 すると、二人が声を合わせて答える。

「「と、特典です」」

 息がピッタリだ。

 しかしも左子ちゃんの隣りにいる子も同じ黒髪のおかっぱ。

 なんか双子みたい。

「特典? あれか? 握手会のチケットとかか?」

 すると二人は顔を真っ赤にさせて、両手をぶんぶんと振って見せる。

「?」

 黙り込んでしまう彼女たちを不振に思った俺は、近くにあったカードを1枚手に取ってみた。

「うっ!?」

 思わず変な声が出てしまう。

 ただのカードじゃなかった。

 

『あすかちゃんが普段履いている生下着♪ 13/500』

 

「……」

 絶句してしまう俺氏。

 それを見た長浜が胸の前で腕を組み、自慢げに語り出す。

「フンッ! さすがガチオタね! それはレアカードよ! アタシがパンツを500枚にハサミでちょきちょきしてバラバラにしたのよ! どうやら欲しくてたまらないようね! 特別にタダであげるわ!」

「長浜……お前のおばあちゃん。この仕事のこと知っているのか?」

「は? 知らないわよ?」

「そうか……このことだけは知らせないであげてくれ、な」

「?」

 ここまで育ててくれたおばあちゃんを泣かせたらあかん!

 寿命を縮めてしまうがな。



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284 直筆サインは絶対に売っちゃダメ!

 

 長浜に無理やりブルセラカードを渡されてしまった……。

 マジでいらね。

 

 その後、何故か俺までCDの特典詰めをさせられることになる。

 人手不足らしい。

 なんでもこの芸能事務所、『明日か明後日か』はその名の通り、長浜 あすかをデビューさせるために設立された会社で、社長こそ名義上は存在しているが、普段は事務所にいないそうだ。

 社長は何個も会社を運営している成金で、長浜の地元である白山市で彼女を見つけて一目惚れ。

 そして現在に至る。

 だから金持ちの趣味で立ち上げた芸能事務所と言えるだろう。

 

 所属しているアイドルグループ、もつ鍋水炊きガールズも長浜のために結成したもの。

 だから他の二人は引き立て役。

 先ほど俺と話した控えめの女の子、左近充(さこんじゅ) 左子(ひだりこ)ちゃんは使い捨てのアイドル。

 それに双子ってぐらい見た目が同じおかっぱの右近充(うこんじゅ) 右子(みぎこ)ちゃんも同様の扱い。

 

 

 散り散りになったパンツの生地をカードに差し込み、ディスクケースに封入。

 しんどい作業だ。

 黙々と4人で内職をこなしていく。

 ひとり100枚のノルマ。

 やっと終わったと思ったら、長浜が今度はマジックでサインを書くと言う。

「ガチオタ! あんたも手伝いなさい!」

「いや、それはダメだろ……お前のサインをファンは欲しがっているんだろ? バレちまうぞ?」

「フンッ! キモオタにアタシのサインと素人のサインなんて見分けがつくわけないでしょ! 良いから黙ってやりさない! これがアイドルの仕事なんだから!」

 えぇ……。

 YUIKAちゃんのファンクラブで、以前当たった直筆サインを喜んでいた俺を幻滅させないでくれる?

 いや、長浜だけだ。YUIKAちゃんはあの可愛くて小さな指で一生懸命、徹夜で書いたに違いない!

 

   ※

 

 一連の作業が終わり、休憩することに。

 疲れた肩をマッサージしていると、左子ちゃんが「お、お疲れ様です。お茶を入れてきますね」と事務所の給湯室へと向かった。

 良い子だ。

 長方形の大きなテーブルに、俺、長浜と並んで座っている。

 向い側に右子ちゃんがいる。おどおどした様子で、どこか落ち着きがない。

「あ、あの……良かったら、こ、この前出演したテレビ番組を見てくれませんか? そ、その新宮さんは作家さんなんですよね? 是非プロの作家さんに私たちの歌と踊りを見て欲しいんです」

「まあ、俺でよければ」

 そう答えると、彼女はパーッと顔を明るくして喜ぶ。

「う、嬉しい……じゃあ今からDVD持ってきますね」

 と近くにあったロッカーへと走って行く。

 隣りで座る長浜は特に何をするわけでもなく、相変わらずふてぶてしい態度だ。

「フンッ! 右子も左子もガチオタに優しすぎよ! こいつはただの一般人なんだから、塩対応で良いのよ! それがファンサービスってやつだわ!」

 あ~! 殴りてぇ~!

 女じゃなかったら、ボコボコにしてぇ……。



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285 アイドルだって人間なんです

 

 成り行きで上映会が始まった。

 俺の後ろには、巨大なテレビモニターが壁に掛けられていて、その下にはDVDプレーヤーが設置されていた。

 右子ちゃんがディスクを挿入し、録画されていた深夜番組『ボインボイン』が始まった。

 俺はあまり見たことないが、福岡のローカル番組だとコマーシャルで存在は知っていた。

 給湯室からおぼんを持ってきたのは左子ちゃん。

 4つのマグカップと小さなお皿に洋菓子を載せて「お、お口に合うかどうか」と遠慮がちにテーブルの上に置く。

「ありがとう」

 と礼を言うと、はにかんで笑う。

 もうこの二人が推しでいいのでは?

 

   ※

 

『さあ今夜も始まりましたよ~! 福岡の23時はボインボイン~!』

 モニターに映し出されたのは、若いローカル芸人だ。

 福岡の芸人はどちらかというと、緩いお笑いが多く感じる。

 なんというか、あまり毒を吐かない。

 ロケ重視で美味しいと噂の飲食店にインタビューする……まあ食レポだ。

 でも、そこからのし上がっていく芸人さんも多い。

 今では東京で大活躍し、全国的に有名な大物芸能人へと化ける人もいるとかいないとか。

 

 そんな福岡芸人の歴史を振り返っていると、画面は変わり。

『今日はレギュラーボインガールの長浜 あすかちゃんがお友達を連れてきてくれたんだよね~』

 司会の芸人がひな壇に座る若い女の子たちへ話を振る。

 全部で10人ぐらいのローカルアイドルが勢揃いだ。

 悪いが誰も知らん。

『そ、そ、そうなんですぅ~ きょ、きょ、今日はぁ~ アタシの所属しているアイドルグループで新曲を歌わせてもらおうと思ってぇ~』

 ガチゴチに固まってるじゃん、長浜のやつ。

『へぇ、そうなんだぁ。あすかちゃんってアイドルだったんだね! では準備できたら歌ってもらおうか!?』

 おいおい、司会までアイドルって知らなかったのかよ。

『は、は、はいぃぃぃ!』

 緊張しすぎだ。

 

 

 そこから右子ちゃんと左子ちゃんが登場。

 ステージと言っても、後ろに司会の芸人とひな壇の女の子が座っている。

 テンポの悪い手拍子の中、BGMが流れ出し、三人がぎこちなくダンスを始める。

 見ていてかなり辛い。

 だって、後ろの芸能人たちが特に興味を示すことなく、死んだ顔で長浜たちを見つめている。

『も、も、もつもつ……ぐつぐつさせ、ちゃ、ちゃうぞ!』

 グデグデやないか!

 もうテレビ消して。

 辛すぎる。おばあちゃん、これ見てまた泣いているんじゃないか?

 

 

 10分間にも満たない映像だったが、すごく胸が痛かった。

 あまりにも不憫で……。

 こんなアイドル売れるわけないだろ。

 

 リモコンでテレビを消した長浜が自信満々にこう言う。

「どうだった! ガチオタ。アタシたちアイドルの本気を見て、萌えたでしょ!? 推したくて課金しまくりたいでしょ!」

「……長浜。お前もうちょっと自分を見つめ直した方がいいぞ?」

「ハァ? 最っ高のステージだったでしょ!?」

 最低最悪のライブでした。

 

 

 苦言を呈した俺が見ても、長浜の自信が折れることはない。

 むしろ、俺の反応に怒っているようだ。

 

 だが他の二人はオドオドして、不安気だ。

「「あの、どこが良くなかったのでしょうか」」

 綺麗に揃えて話すな、この子たち。

 さすがに全部だ、とは言えない。

 

 どこから改善したら良いものか。



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286 バズる法則

 

 正直、もつ鍋水炊きガールズは悪いところだらけだ。

 トーク下手。歌が下手。ダンスも下手。

 良いところと言えば……特にない。

 

 俺が黙って唸り込んでいると、痺れを切らしたかのように、長浜がテーブルを叩いて叫ぶ。

「アタシたちのどこが悪いっていうのよ! 福岡のトップアイドルよ!」

 いや、福岡でも認知されてないだろ。

「……」

 どうしたものか。正論を叩きつけても自信過剰な長浜には通用しない。

 右子ちゃんと左子ちゃんなら……ちゃんと話を聞いてくれそうだが。

 ん? この二人ならば、双子の大人しいシンクロアイドルっててことで売れそうだ。

 脚を引っ張っているのは、リーダーの長浜かもな。

 しかし、三人で売れたいというのが本音だろう。

 確かにルックスだけ言うならば、長浜 あすかは可愛い部類だろうな。

 黙っていればの話だが……。

 

「……そうか。黙っていればいいのか!」

 閃いたぞ。

 ダンスも下手。歌も下手。トークも緊張してダメ。

 なら、何もさせなければ良いんだ!

 俺はあまり触らないが、聞いたことがある。

 若者の間で流行っているアプリ。

『トックトック』だ。

 あれならば、多少踊りが下手でもルックスさえ良ければ、売れる可能性がある。

 トックトックのフォロワー数が多ければ、面接にも有利とギャルが豪語していたしな。

 よし、これで行こう。

 確かあれだ。

 あの動画サイトは承認欲求の塊ばかりだろう。

 つまり、ミニスカや露出度が高い衣装でも着て、パンチラとかパイチラがあれば、再生回数上がるだろう。知らんけど。

 

 俺は椅子に座り直して、3人にプレゼンを始める。

「おほん! 君たちの良いところを俺なりに考えてみた。それはルックスと若さだ!」

「「ルックスと若さ?」」

 声を揃えて驚く左右コンビ。

 対して長浜は当然だと言わんばかりに、鼻で笑う。

「フンッ! アタシが美人だって福岡市民は全員知っているわよ!」

 クソが。

「まあ話を聞け。言っちゃ悪いが、長浜はテレビ慣れしていないように見える。以前もテレビに出演した時、緊張してちゃんとトークできていなかったな」

「な、なによ! ガチオタのくせして!」

 顔を真っ赤にさせる。どうやら正論を言われて動揺しているようだ。

「本当のことだろ? どんな人間でも緊張するのは仕方ない。慣れだからな」

「うう……」

 なにか言いたそうな顔をしているが、俺は無視して話を続ける。

「ならダンスはどうだ? 本業だろ? トックトックという動画アプリを知っているか? 」

 長浜の代わりに左右コンビが反応する。

「「知ってます」」

 良い子たちだ。

「あれならば、この事務所でもどこでも撮影できる。また喋りも必要ない。スマホ一台でやれるから緊張することもないだろう。グループでやるのもいいが、ソロでやってみるのもいいかもな」

 俺がそう説明すると、長浜を除く二人は「うんうん」と頷いて見せる。

「あと、撮影する時は衣装を着た方がいいだろう。特にミニスカとか、あと女子高の制服とかもあれば、もっとバズれるだろう」

 デジタルタトゥーになりがちだけど。

 それまで黙っていた長浜が大きな声で叫ぶ。

「わかったわよ! 素人と芸能人の格を見せてやるわ! 右子、左子! あなたたち、高校の制服持ってる?」

 おいおい、乗っちゃったよ。

「あ、私お姉ちゃんのがあるよ」

「ちゅ、中学生の時のでもいいかな? ブルマもあるけど」

 ファッ!? どこか別の変な動画サイトに転載されそう。

 

「いいわね! 全部持って来て! 色んなコスプレを事務所に持って来て撮影しましょ!」

 し、知らねっと……。



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287 アイドル陥落

 

 なんだかんだあったが、アイドル長浜 あすかの密着取材は無事に終わった。

 苦労人であることを売りにして書けば、同情した人々が興味を持ってくれるかもしれない。

 それに、俺が提案したトックトックの動画で、デジタルタトゥー……いや、バズる可能性を手にした3人は大はしゃぎ。

 ノリノリでアカウントを作っていた。

 

 事務所の窓から夕陽が差してきたころ、俺は長浜に別れを告げる。

「長浜。お前の芸能活動ってやつか? 大体把握できたつもりだ。納期は一週間なんだろ? 帰ってすぐに執筆に入りたい」

「フンッ! 精々がんばりなさいよね!」

 相変わらず、上から目線でムカつく。

「ああ……完成したら連絡する。じゃあな」

 そう言って、彼女に背を向けようとした瞬間だった。

「「新宮さん」」

 綺麗に揃えた二人の声。

 右子ちゃんと左子ちゃんだ。

「ん? どうした?」

「あの、今日は色々とありがとうございました」

「私たち自信がなかったので、新宮さんにアドバイスを頂けてすごく励みになりました」

 なんて健気な女の子達なんだ……。

 この子たちの方を小説にしてあげたい。

「いや、俺は特になにもしてないよ。右子ちゃんと左子ちゃんは、既にアイドルとしての素質があると思うぞ。磨けば光るさ」

 親指を立てて応援してやる。

「「新宮さん」」

 二人は胸の前で手を合わせて祈るように、はにかむ。

 フッ、アイドルを二人も惚れさせてしまったかな。

「じゃあ、俺はこれで」

 と改めて背を向け、立ち去ろうとする。振り返ることはなく、右手だけを挙げて。

 格好良く決まったな。と思った瞬間、襟元を背後から引っ張られる。

「ぐへっ!」

「ちょっとガチオタ待ちなさいよ!」

 喉を絞められ咳き込む俺を見ても、長浜 あすかは心配などしない。

 むしろ怒っているようにみえる。

「な、なんだ……長浜」

「あんたね! なんで右子と左子だけはちゃん付けなのよ! あんたはアタシのガチオタでしょ? 永遠にアタシを推しなさいよ! ファンならアタシにも……その……」

 怒ったかもと思えば、急に恥ずかしがり出した。身体をもじもじさせる。

「なにが言いたいんだ?」

「だ、だから……アタシのことも、あすかちゃんって言いなさいよ!」

「え……」

 予想外の言葉に絶句してしまう。

 ていうか、絶っ対に嫌だ。

 こいつをちゃん付けで呼ぶのは……。

 そもそも、メインヒロインであるアンナだって、ちゃん付けしてないのに。

 右子ちゃんと左子ちゃんは、控えめな女の子だから良いんだよ。

 

 困惑した俺はしばらく黙り込む。

「……」

「な、なによ! 早く言ってごらんなさい!」

「……あ、あ、あすか」

 嫌々彼女の名前を口から吐き出すと、結果的にだが、呼び捨てになってしまう。

 まるで親しい間柄のようだ。

「!?」

 だが、長浜じゃなかった……あすかの反応は意外にも悪くなかった。

 自分で命令したくせに顔を真っ赤にさせて、固まっている。

「あすか。これからはそう呼ばせてもらう。いいのか? これで」

「い、いいわよ! あ、あんたみたいなキモオタに下の名前を呼ばせてあげる……こ、ことを光栄に思いなさい……よね」

 あらあら、ツンデレ属性を所持していたのか。

「じゃあな。あすか、また連絡するよ」

「わ、わかったわよ! タク……ヒト」

 驚いた。俺にも下の名前で呼んでくれるとは。

 ん? こいつ、名前を間違えて覚えてるじゃねーか!

 やっぱ、可愛くねぇ!



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288 若くて可愛い女子高生? でもついてないなら、いりません。

 

 俺は博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。

 疲れていたから、地元の真島駅まで快速列車を利用した。

 快速だから客が多く、座ることはできないが、20分ほどで到着できる。

 

 真島駅の改札口は二階にある。

 電子マネーを機械にタッチさせて、出口に向かう。

 出口は左右に分かれていて、左手の山側が駅に隣接している大学。

 数々の有名人、芸能人、トップアスリートの出身校だ。

 まあ俺には関係のない場所だから、反対側の右手にあるエスカレーターで一階に降りるのだが。

 こちら側は海側、真島商店街がある。

 

 エスカレーターの手すりに肘を置いて顎をのせる。

 どうしたものか。あすかの自伝小説をたった1週間で20万文字も使用するとか。

 彼女の出生から始まり、両親に捨てられた過去、おばあちゃんが一人に育てて……盛れば、どうにか文字稼ぎできるか。

 

 そんなことを考えていると、手すりから肘が滑ってガクンと体勢を崩してしまう。

 エスカレーターの終点だ。

 

「あいて……」

 

 周りに若い女子高生たちが立っていて、俺のその姿が滑稽に見えたのか、クスクス笑っていた。

 ちくしょう。ダサいところ見られちまったな……なんて苛立ちを覚えたが、“その姿”を見て、ドキッとしてしまう。

 

 壁にもたれかかった一人の美少女……。

 肩まで伸びた美しいブロンドの髪は首元で結い、纏まらなかった前髪は左右に垂らしている。

 強い風が駅舎の中に吹き込んできた。

 きっと離れた海岸からの潮風だと思う。

 周りにいた女子高生たちがフワッと宙に上がるスカートを急いで抑える。

 いつもの俺なら、その光景を目で追ってしまうのだろう。

 

 でも、今はこの子に釘付けだ。

 小さな顔に叩きつけられた強い風に対して、無反応。

 寂しそうに地面を見つめている。

 長い前髪が乱れてしまい、薄紅色の小さな唇にくっついてしまう。

 グリーンの瞳はどこか潤んで見える。

 

 大きな星がプリントされたブルーのタンクトップに、ホワイトのショートパンツ。

 俺はその美しい光景に、しばらく見とれていた。

 

「あ、タクト……」

 寂しげだった顔が一変し、明るい顔になる。

「ミハイル。お前、なんでここに……」

 そうだ。美少女じゃない。

 こいつは正真正銘の男の子。

 しっかりついている野郎だ。

 いかんいかん。

 頬をバシバシと叩いて、正気を取り戻す。

 

「久しぶり! タクト☆」

 俺に気がついたミハイルは、一気に距離を縮めた。

 手に紙袋を持って嬉しそうに微笑む。

 彼が低身長だから、どうしても俺が上から目線になる。

 つまりタンクトップの中が見放題。

 ガードがゆるゆるだから、ピンクのトップが見えそうだ。

 思わず視線を逸らしてしまう。

「……」

 くっ! だからミハイルモードは嫌なんだ。

「どしたの? タクト?」

「いや、なんでもない……。ところで、なぜ真島にいるんだ? お盆はヴィッキーちゃんと過ごすんじゃなかったのか?」

「ねーちゃん、ずっとお酒飲んでたから、今酔っぱらって寝てるんだ☆ だからタクトにおちゅーげんを持ってきたんだ☆」

 と持っていた紙袋を差し出す。

「お中元ね……悪いな。中はなんだ?」

「オレが作った木の実のケーキ☆ ねーちゃんから新しく習ったレシピなんだ☆ ホールサイズで三段にしたから、みんなで食べてよ☆」

 オシャレ過ぎるだろ!

 男が作るか? そんなケーキ。

 デパートでしか見たことない。



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289 炎上したアイドル

 

「ミハイル。このためだけに真島で待っていたのか?」

「うん☆ 5時間ぐらい☆」

 熱中症で死んぢまうぞ!

「そ、そうか……」

「ホントはタクトん家に行ったんだよ? でもかなでちゃんが『おにーさまなら外出中ですわ』て言われたから、駅で待ってたんだよ」

 と唇を尖がらせる。

「ちょっと仕事でな……」

 そう答えた瞬間、彼の目つきが鋭くなる。

 ギロっと俺を睨みつけ、あんなにキラキラと輝いた瞳が一気に暗くなる。

 ブラックホールのようなどこまでも終わりがない闇。

「仕事? お盆だよね? タクト、まさか取材?」

 ずいっと身を寄せる。

 口調こそ優しいけど脅しに聞こえる。

 笑みも絶やすことはないが、目が全然笑ってない。

「あ、あの……その、そうだ。取材だ」

「なんで? オレとかアンナ以外に取材する必要あるの?」

 凍えるような冷たい声で喋らないでぇ!

 真夏なのに北極みたい……。

 

「な、ないけど……」

「どこに行ったの?」

「博多です」

 その言葉を聞いた瞬間、ミハイルのこめかみに太い血管が浮き出る。

「相手は誰? ひなた? ほのかなら許すけど?」

 ひえぇ!

 ここは噓をつくと絶対あとが怖いぞ。

 真面目に答えよう。

「あ、あすかだ! 自伝小説を書いて欲しいって、正式に頼まれたんだ。あくまでも作家としての仕事だ。やましいことなんてなにもないぞ! 実際に報酬として10万円を約束されたんだ!」

「へぇ……あの売れないアイドルの名前。もう下の名前で呼ぶぐらい仲良くなっちゃったんだ。やっぱり特別な取材なんだな。タクト、前にあいつのことをカワイイって言ってたし」

 ヤベッ! 墓穴を掘っちゃったよ!

 考えろ。どうにかして、この窮地を脱するんだ!

 俺の作家人生、まだまだ終わるわけにはいかない。

 はっ……アンナ。そうアンナだ。

 

「ま、待て待て! この依頼と取材は確かに特別だ! 実はハイスペックのパソコンが欲しくてな! アンナと取材したときの写真や動画を高画質で保存したり、楽しむにはどうしても金が欲しくて、仕方なくやっているに過ぎない! 信じてくれ!」

「え……アンナのため?」

 彼のグリーンアイズに輝きを取り戻すことに成功した。

「そうだ! 俺だってアンナのためじゃなかったら、こんな仕事やってないぞ!」

「……そっかぁ☆ お仕事おつかれさま、タクト☆」

 ふぅ、どうにか危機は去ったな。

 

 

「だよな。タクトがアンナ以外の女の子と取材を楽しむわけないもん☆」

「そうそう」

 笑ってごまかす。

「ふふ……アンナのやつ、タクトが写真と動画を大切にしているって聞いたら喜ぶだろな」

 なんて身体をくねくねさせるご本人。

「まあこのことは、あんまりアンナに言わないでくれよな。あいつも自分のために仕事するとか聞いたら気にするだろうし」

「うん☆ 約束な☆」

 なんて指きりする。

 

 平穏を取り戻した俺は安堵する。

 ミハイルから大きなケーキをもらったので、「せっかくだから自宅で一緒に食べて行かないか?」と誘ったが、「ねーちゃんが起きるころだから今日は帰るよ☆」と断られた。

 

「じゃあまたな」

 そう言って背を向ける。

 名残惜しいが、また新学期に会えるさ。

 駅舎から出ようとしたその瞬間だった。

 ミハイルが俺のジーパンを引っ張る。

「なにこれ」

「え?」

 振り返ると、尻ポケットに一枚のカードが入り込んでいた。

 ファッ!?

 あすかのおパンツカードをもらってたの忘れてた。

 ポケットから取り出すミハイル。

 しばらく見つめたあと、眉間に皺をよせる。

「これってさ。仕事のためにいるの?」

「いや、いらないです。絶対に……」

「だよね☆ タクトはちょっと待ってて」

 そう言うと笑顔で近くのコンビニに入っていった。

 数分後、ニコニコ笑いながら、店内からなにかを手に持って戻ってくる。

 小さなライターだ。

 

「ミハイル。タバコはやめたんじゃないのか?」

「もうそんなの吸うわけないじゃん。タクトが嫌いなものは、オレもだっい嫌いだもん☆」

 左手にあすかのカード。右手にはライター。

「そうか……嫌いになったのか」

「うん☆ タクトもオレが嫌いなものは、絶っ対、ぜっ~たい、大嫌いだよね?」

「はい。マブダチですもん」

 もう敬語でしか話せません。

「じゃ、有害図書は燃やさないとね☆ ねーちゃんがいつもそう言ってるし☆」

 次の瞬間、真っ赤に燃え上がるミハイルの左手。

 小さなライターだというのに火力がかなりあるようだ。

 数秒で黒いゴミカスと化した。

 

「これでよし☆ ちゃんとゴミ箱に入れておくから大丈夫☆ それじゃタクト。お仕事頑張ってねぇ~☆」

「死ぬ気で頑張ります……」



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第三十四章 Wヒロイン
290 ダーティワーク


 

 ミハイルからもらったお中元。木の実のケーキをフォークで食べながら、もう片方の手でマウスを動かす。

 アイドルのあすかに依頼された大巨編、自伝小説。

『おばあちゃんのアイドル』(ハードカバーの予定)

 の執筆に取り掛かる。

 タイトルは俺が勝手に決めた。ていうか、これで同情してもらうしか、ないだろう。

 一週間で20万文字というダーティワーク。

 納期に間に合わせるためには、一日に3万文字も書かないといけない。

 だが、絶対にやらなければ、ならない時があるのだ。

 アンナのパンティ。胸チラ動画のためなら、問題ない!

 

 俺はこの日以来、四六時中パソコンと向き合うことになった。

 朝夕の新聞配達と食事、トイレ以外はずーっとタイピング。

 だから自ずと睡眠時間も削られる。

 途中、何度も寝不足による偏頭痛。タイピングのやり過ぎで肩こり、腰痛などに悩まされたが、冷えピタや湿布を使い、身体がボロボロになっても、執念でどうにかやり過ごした。

 

 ~一週間後~

 

 無事に作品は完成。

 あすかの事務所へとデータをメールにて送信。

 数日後、彼女から連絡があり、

「タクヒト! 最高の仕上がりよ!」

 とお褒めの言葉を頂けた。

 もうこの頃の俺は、死に体と化していたが。

 また、事務所の社長も偉く気に入ったらしく、追加報酬として、更に10万円を頂けることに。

 何でも当初は10万文字を想定していたけど、社長の気まぐれで20万文字を俺に要求したら、本当に書いてくれると思わなかったらしい。

 なんて太っ腹な社長だ。

 俺がアイドルになりたいわ。

 

 

 総額にして20万円もお小遣いを手にした俺。

 ハイスペックパソコンだけじゃ、物足りないってもんだぜ。

 追加でモニターを二台注文しておいた。

 デュアルディスプレイになれば、一体ナニができると思いますか?

 アンナちゃんをたくさんのウィンドウで写真や動画を同時に楽しめるんですよ、奥さん。

 なんだったら、右のモニターで執筆活動しながら、左のモニターでアンナちゃんをぬるぬる動かすことも余裕なんですねぇ……ごくり。

 

 よくぞ、ここまで頑張ったな琢人。

 そんなことで時間を費やしていると、8月も終わりに入った。

 夏休みなんて言うけど、身体を休める日はほぼ少なかったな。

 去年まで、新聞配達と自宅でこもって執筆活動するぐらいの日常。

 たまに映画館巡りするぐらいだった。

 

 女子と触れ合うな機会なんて皆無だったのに……。

 

   ※

 

 9月に入り、注文した大型のデスクトップパソコンとモニターが二台届いた。

 巨大なダンボールをウキウキしながら開封する。

 設置したあと、ノートパソコンから新しいパソコンに秘蔵動画や高画質の写真を移動。

 これで素晴らしい執筆活動とナニかが、サクサク楽しめるPCライフが送れるというものだ。

 

 妹のかなでは相変わらず、母さんにきつく注意され、リビングで監視付きの受験勉強中。

 俺は二台のモニターにて色んな姿のアンナちゃんにウットリ。

 20人ぐらいにアンナを多重影分身させている。

 もちろん、お色気な忍法でだ。

「ふぅ……」

 余韻に浸っていると、机の上に置いていたスマホが鳴り響く。

 着信名は、ロリババア。

「もしもし」

『あ、DOセンセイ! 今暇ですよね?』

 ふざけんな! どいつこいつも俺が毎日予定なしだと思い込みやがって!

 この前まで過労死するぐらい忙しかったわ!



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291 新しい服を着る時はカッコイイと思おう!

 

「で、今回はどんな要件だ?」

『それなんですけね。大ニュースですよ! “気にヤン”の第一巻の予約注文がすごくて発売前なのに重版決定しました! もちろん、コミックもすごい人気ですよ!』

「え……嘘だろ?」

『ホントですよ! 特にオンラインショップでは売り切れが多くて、泣く泣く電子書籍版を購入するユーザーが多いほどの大人気!』

「……」

 正直言って、あんまり嬉しくなかった。

 だって俺が過去に本気で書いた“ヤクザの華”の方が、絶対に面白いもん。

 何が楽しくて、男同士がイチャこいたブログみたいなラブコメをわざわざ新刊で買うのだ?

 逆に恥ずかしくなってきたわ。

 

 だんまりを決め込む俺に対し、受話器の向こう側から白金が不思議そうに喋り出す。

『あの、DOセンセイ? 嬉しくないんですか? “気にヤン”が売れれば、同時に作家として復活できるチャンスなんですよ!』

「う、うん……まあ嬉しいよ。取材した甲斐があったってもんだ」(棒読み)

『そうですか。じゃあ話は早いですね! 発売日が今月の13日なんですけど、DOセンセイにはカナルシティ博多でサイン会をやって頂きたいんです!』

「サイン会?」

『ええ。初版をゲットできなった方たちに、少しでも購入できる機会を与えたいので、出版社に少し残っている書籍を販売したいんです。DOセンセイのサインも添えて♪』

「そういうことか。了解した。読者には優しくするのがモットーだからな。いくらでもサインしてやる」

『じゃあ、13日にカナルシティでお会いしましょう!』

 通話を終えると、俺は確かな手ごたえを感じた。

 サイン会だなんて、オワコン作家の俺には、無縁のイベントだからな。

 気合入れてサインの練習でもしよっと。

 だってさ、カワイイJKがいっぱいくるかもしれないじゃん!

 

   ※

 

 13日当日。俺はいつもより、身なりを綺麗に整えて、博多に向かった。

 女子高生が『先生、抱いてください!』なんて、迫ってくることも考慮しておかねば。

 だから、朝風呂に入ってボディシャンプーで入念に身体を洗った。特に股間を。

 普段のラフなファッションではない。

 この日のために、高級ジャケットを購入。

 ジーパンではなく、大人っぽいゴルフパンツ。

 インナーはオックスフォードシャツ。

 頭にはハット帽子なんて被っちゃって。

 

 我ながら、カッコイイではないか。

 トイレにある大きな鏡でポーズを決める。

「フッ。これが作家というものだ」

 ハット帽子を被りなおして、トイレから出る。

 

 目の前は、カナルシティの象徴的な場所でもあるサンプラザステージ。

 背後に小さな河川が流れている。

 決められた時間に噴水ショーが行われる広場だ。

 それ以外にも有名な俳優や歌手が訪れた際には、ライブや握手会が開催される。

 つまり、この俺。新宮 琢人もその著名人に仲間入りということか……。

 

「人気者は辛いな……」

 再度ハット帽子を被りなおして、苦笑する。

「まだまだ人気者じゃ、ありませんよ。DOセンセイは」

 その声は、かなり下から聞こえてくる。

 見下ろせば、イチゴがふんだんにプリントされたワンピースを着た子供……みたいなおばちゃん。

 俺の担当編集。白金 日葵だ。

「なんだ? ひがみか、白金?」

「違いますよ。今日のサイン会はDOセンセイの力だけじゃないでしょ? 取材に協力してくれたアンナちゃんが、一番の功労者だって言いたいんです」

「うっ……」

 確かに俺一人の想像だけでは、あんなリアルに書けなかった。

「あと、今日のファッション。いつも以上にダサいですよ」

 そう言って顔をしかめる白金。

「はぁ!? これはタケノブルーで新調した大人のファッションだぞ! 全身タケノブルーを着ている高校生作家とか、カッコイイに決まっているだろ! 女子高生が一目惚れしてしまいそうな……」

 とまだ話の途中だと言うのに。

 白金は大きなため息を吐きだすと、一言呟く。

「申し訳ないですけど、それ超ジジくさいです」

「……」

 タケノブルーはめっちゃ、“なう”なファッションなの!(涙目)



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292 推しにリプ送りすぎるとブロックされるよ☆

 

 背後から聞こえてくる川のせせらぎ。

 その音はとても心地よい。

 感じる、感じるぞ。マイナスイオンを……。

 だが、今日はいらん!

 

「……おい、白金。もう始まって1時間は経ってないか?」

「え、そうでしたったけ? おっかしーなぁ。ツボッターでちゃんと告知したんですけどねぇ……ははは」

 と笑ってごまかす。

 

 俺は今カナルシティのど真ん中、サンプラザステージにいる。

 長テーブルの上に大量のラノベとコミックを載せて、ポツンと一人座っている。

 左手には大きな立て看板が設置されて。

『DO・助兵衛先生。サイン会はこちら!』

 と、ド派手な案内まで用意してあるが……。

 肝心の客。いや、俺のファンが誰一人として現れない。

 

 おかしい。予約段階で売れに売れたのではなかったのか?

 カワイイ博多っ子の現役女子高生が押し寄せてくるはずなのに。

 時折、ステージを通り過ぎるカップルが「なにあれ?」「知らね」と指をさしてくる。

 どんな放置プレイなんだよ!

 クソがっ!

 

 隣りに立っている白金が、スマホを取り出して何やら確認している。

「あれぇ? 確かに編集部の公式ツボッターで今日のこと宣伝……あ」

「どうした? 何か問題でもあったか?」

 俺がそう尋ねると、白金の額から大量の汗を吹き出す。

「あ、あのぉ……すいません。DOセンセイ、日にち間違って告知してました。てへっ♪」

 なんて自身で軽く頭をポカンと叩き、舌を出して見せる白金。

「……おい」

「だ、大丈夫ですよぉ~ 13日を23日に間違えたぐらいですからぁ! い、今からツボッターで宣伝しますんでぇ。すぐにファンが買いに来ますってば!」

 こんのクソポンコツ編集がっ!

 

   ※

 

 白金のバカっぷりは今に始まったわけではない。

 仕方ない……と俺もスマホを取り出し、YUIKAちゃんの公式ツボッターを見る。

「おお。更新してるな。今日もカワイイではないか。YUIKAちゃんしか、勝たんな」

 俺がその可愛さに見とれていたら、白金が「トイレに行って来る」と小走りで去っていった。

 サイン会は始まって既に3時間が経とうとしていた。

 そりゃ、行きたくもなるわな。

 

 いい加減、座り疲れた。

 さっさと終わらないかな。この放置プレイ。

 ツボッターでYUIKAちゃんの可愛すぎるライブ写真をリツイートしまくり、愛情たっぷりのリプを大量に送信っと。

 

『YUIKAちゃんの犬になりたいです』

『転生するなら、あなたの衣装になりたいです』

『僕が作家として売れたら、直ぐに結婚しましょう』

 

 と、ラブメッセージを高速で打ち込む。

 そんなリプを1分間に30回は送ったか。

 

「ふぅ……」

 本日の推し仕事終業っと。

 スマホをテーブルに置いて、背伸びをする。

「ふあ~あ!」

 バカみたいな声であくびも出てしまう。

 その時だった。

 YUIKAちゃんみたいな可愛らしい声が聞こえてきた。

「あの、サイン会ってここでいいですか?」

「へ?」

 視線を上にあげると、そこには一人の天使が立っていた。

 

 チェック柄のミニのワンピースを着た美少女。色は秋を先取りしたベージュ。

 胸元には、ビジュー付きの大きなリボン。

 エナメル製のローファーを履いて、ニコニコ笑っている。

 金色の長い髪を輝かせて。

 

「タッくん……あ、違うね。先生、サイン下さい☆」

「アンナ」

 その姿に俺は驚いていた。

 つい先ほど、白金がツボッターで日付を修正したばかりだというのに。

「スマホ見てたら、サイン会が今日だって知ったから。来ちゃった☆」

 早すぎて怖っ。



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293 小説家の推定年収は7000万!

 

「アンナ……ここまで来てもらって悪かったな」

「ううん。タッくんとの取材がいっぱい詰まった初めての小説だもん。これぐらいなんてことないよ☆ それに……タッくんの初めてのサインを誰にも盗られたくないもん」

 なんか最後のセリフだけ狂気を感じる。

 誰かに初めてを盗られたら、殺しかねないな。アンナちゃんってば。

「ははは……初めてのサイン本はアンナに渡すに決まっているだろ」

 そんなこと思ってもないんだけど。

「だよね☆」

 

   ※

 

「ところで、どっちがタッくんの書いた小説?」

 テーブルに並べられた大量の書籍を眺めるアンナ。

 左側がラノベ版で、右側がコミカライズ版だ。

「ああ。それならこっちが俺の書いた小説だ」

 俺が指差してみると、アンナの顔が凍りつく。

「え……これが?」

「そうだが、なにか問題……あ」

 今、思い出した。

 表紙がモデルのアンナではなく、イラストレーターのトマトさんが描いたヒロインに差し替えられたんだった。

 どビッチの花鶴 ここあに。

 まだ彼女に、このことを知らせていなかった……ヤベッ。

「これ、アンナがモデルなんだよね?」

「あ、ああ……表紙や挿絵は俺の知り合いになっているが、文章ではしっかりアンナを詳細に描いているぞ?」

「ふーん。タッくんもやっぱり胸が大きい子が好きなんだね……」

 緑の瞳から輝きが失せていく。

 このままではまずい。

「いやいや。前にも言っただろ? 俺は巨乳が苦手なんだ。これは絵師の人と編集部が勝手に決めただけで……お、そうだ! こっちの方はアンナにそっくりだぞ!」

 そう言って、右側のコミカライズ版を差し出す。

 すると、アンナの顔に笑みが戻る。

「すごぉ~い! これ、写真みたい! タッくんが絵師さんに頼んでくれたの?」

「う……」

 俺は噓をつくのは大嫌いだが、この場では仕方ない。

 胸を叩いて「そうだとも!」と苦笑いで豪語する。

「うれしい☆ じゃあ、そっちの方を全部ちょうだい! サイン入りで☆」

 ヒロインが全部買っちゃったよ……。

 コミカライズ版のみ30冊も。

 

   ※

 

 クソ重たい紙袋を4袋も両手に持ち、笑顔でアンナは「じゃあまたね~☆」と去っていく。

 男の俺が持っても、しんどかったのに、軽々と持ち上げて、スキップまで見せる余裕ぶり。

 あ、アンナちゃんの中身は男じゃん。

 

 結局、売れ残ったのは、肝心のラノベ版『気にヤン』だ。

 いやぁ。こっち売れた方が印税とか俺に入るんだけどなぁ。

 でも、まあアンナが喜んでくれたから、良しとしよう。

 憶測だが、中身がおバカなミハイルだから、小説より漫画の方が読みやすいだろう。

 

 一人黙って頷いてると、白金がトイレから戻ってきた。

「あ~ 腹いてぇ~ 昨日、イッシーとハイボール飲み過ぎたせいかなぁ……キムチと餃子が美味かったから……」

 ハンカチで手を拭きながら、ごっそり無くなったテーブルの本に気がつく。

「あ、DOセンセイ! どうしたんですか? コミカライズ版、ないじゃないですか!?」

「え。さっき売り切れたぞ? 1人の客が全部買ってくれた」

「ひょえ~! 私のツボッターのおかげですかねぇ」

 間違ってはないけど、それはアンナのストーキングのおかげだ。

「じゃあ、これで帰ってもいいか? ラノベ版は……もう売れないだろ」

「いいえ! コミカライズ版が人気なら原作はもっと売らないと! 売り切れるまで、DOセンセイはここに残ってください!」

 えぇ……。



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294 第三の人格

 

「うっ! DOセンセイ!」

 顔を真っ青にさせる白金。

「どうした?」

「すいません……今、めっちゃ太くて長いのが出そうなんで、またお手洗いに行ってきていいですか?」

 こいつは、いちいち汚い情報を追加しやがる。

「行けばいいだろ」

「30分以上はかかると思うんで! あ、ヤベッ。漏れそう……じゃあ行ってきます!」

 そう言って白金は、走り去る。

 本当にガキじゃねーか。あのバカ。

 

   ※

 

 また俺はしばらく暇を持て余すことに。

 ボーッとしていたら、アンナからL●NEが届く。

『タッくん。このマンガ、すごく良く描けてるね☆ アンナが写真みたいに上手☆ これ大好き!』

 それ、俺が描いたんじゃないんだよなぁ。

 しかし、モデル本人が喜んでくれたんだ。

 嫌な気分ではない。

 とりあえず返信しておく。

『それは良かったな。これもアンナの取材のおかげだ。ありがとう』

『ううん☆ 二人で頑張ったからだよ☆ これからもいっぱい取材しようね☆』

 その一言で、自然と口角が緩む。

 また、あいつとデートできるってことか……。

 スマホを見ながら、アンナとのL●NEを楽しんでいると。

 画面が急に暗くなる。

 雲で太陽が隠れてしまったのかと、空を見上げる。

 だが、今日は雲一つない日本晴れだ。

 

「ん?」

 それは人の影だった。

 目の前に視線をやると、1人の少女が立っていた。

「あの、サイン会はここであっているのかしら?」

 随分と上品な喋り方だと思った。

「そうですが」

 俺がそう言うと、少女はニコリと笑う。

「フフッ。タクト……遂に約束を果たしてくれたのね。嬉しいわ」

「へ?」

 どうやら、顔見知りらしい。

 俺は、その声の持ち主をじっと見つめてみた。 

 

 黒を基調としたシンプルなデザインのミニワンピース。

 胸元には白い大きなリボン。

 細くて長い脚はタイツで覆われている。

 陽の光に当てられ、輝くのは金色の長い髪。

 

「あ、アンナか……」

 思わず声に出してしまう。

「何を言っているの? タクト。相変わらず、あなたって記憶力が悪いわね」

 なんて頭を抱える。

「お前こそ、何言っているんだ? さっき会ったばかりだろ?」

「冗談もそこまでくると、不快よ。とりあえず、私は約束を果たしに来たのだけど。小説はどこにあるのかしら。ネットで売り切ればかりで、買えなかったわ」

 なんだ、アンナのやつ。

 妙にお高く留まっちゃって。

 調子狂うな。

 もしかして……また新しい人格でも作ったのか?

 これも取材ってやつか。

 仕方ない。合わせるとしよう。

 

 とりあえず、俺は第三の人格ちゃんに付き合ってあげることにした。

 テーブルに並んでいる大量のラノベを指差して、「これだ」と説明する。

 先ほどと同じ反応で、彼女の顔は凍りつく。

「な、なによこれ……」

「え?」

「私がモデルなんでしょ、これ」

「ああ。表紙と挿絵は違うけど。小説の中身は間違いなく、お前だ」

 深いため息をつくと、財布を取り出す。

「ハァ……なら、それでいいわ。全部ちょうだい。サイン入りでお願い」

「いいのか? さっきも買ってくれたのに?」

「えぇ、そのために日本に帰国したんだもの。タクトとの約束じゃない」

 なんか話が全然嚙み合わないな。

 一体、今度の人格はどんな設定なんだ?



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295 蘇らない記憶

 

 つい先ほどコミカライズ版を全てお買い上げしたくせに、また戻って来てラノベ版を全部買ってしまったアンナ。

 一体、何がしたいんだ?

 そんなにまで、俺のサインを独占したいのだろうか。

 わからん。

 

「タクト。もう小説は全部売れたのよね?」

 不服そうに財布をしまう彼女。

「ああ、お前のおかげで完売だ。今日の仕事はこれで終わりだな」

「そう……なら、この後付き合ってもらえないかしら? 話したいことがあるのだけど」

 と頬を赤らめる。

「構わんが」

「じゃあ、カナルシティの裏にある“はかた川”で待ってるから……」

 そう言って足早に去っていく。

 もちろん、大量の小説が入った紙袋を両手に持って。

 

 なんか、様子がおかしいな。アンナのやつ。

 まるで人が変わったようだ。

 喋り方もえらく上品だし、いつものように積極的なアピールもない。

 どちらかと言うと、ツンツン系な女の子の設定だ。

 うーん……これも小説のためにと考えたヒロインの一人か?

 

  ※

 

「あぁ~ すっげぇのが出ましたよ~ DOセンセイ……尻から火が吹いちゃうぐらいのが♪ おかげでスッキリしたんですけどねぇ」

 びしょ濡れになったハンカチを持って、ステージに戻ってきた白金。

 誰がそんな汚い表現をしろと言った。

 仮にもお前は女だろ。

「白金……いちいち、お手洗いで何が起きたか言わなくていい」

「え? 男の子ってこういうの好きなんでしょ? スカ●ロでしたっけ」

 俺はあいにく、そんな性癖はないし、あったとしても、お前のは聞きたくない。

「もうこの話はやめてくれ……」

「そうですか。ていうか、私がいない間に全部売り切れじゃないですか!? すごい! 大勢のファンの人が買いに来たんですか!?」

「いや……たった一人の客だけだ」

 正確には、二人か? 多重人格ヒロインだからな。

「ひょえ~! DOセンセイにはやはりコアなファンの方がいるんですね! この調子で“気にヤン”を流行らせましょう!」

 流行らないだろう……だって、60冊を一人が独占しただけじゃん。

 

 

 その後、俺はようやくサイン会から解放された。

 白金は後片付けがあるから、カナルシティに残るらしい。

「DOセンセイ、今日はお疲れ様でした! また編集部でお会いしましょうね~」

「ああ。じゃあな」

 そう言って背を向けたら、後ろから声をかけられる。

「しっかり休養取ってくださいねぇ~ 私もこのあとイッシーとチゲ鍋食べに行くんですよ。ハイボール飲み放題付きで♪」

 こいつ。そんな不摂生ばかりしてるから、腹を壊すんだろ。

 

 俺はとりあえず、カナルシティを裏口から出て、はかた川を目指した。

 もう既に空は、オレンジ色に染まりつつある。

 そう言えば……アンナと例の“契約”を交わしたのもこんな時だったな。

 あれから、もう半年近く経ったか。

 色々なことがあったな。

 良いことも悪いことも……。

 

 数々の取材を思い出しながら、交差点を渡り、階段を昇る。

 河辺には何人かのカップルが肩を並べて座っていた。

 目の前がラブホ街だから、このあとイッちゃうのだろうか。

 

「タクト……懐かしいわね。約束の場所だもの」

 ベンチに座る一人の少女が俺に気がついたようで、声をかけてきた。

 背はこちらに向けたまま、顔だけ振り向く。

「ああ、覚えているさ。お前とここで契約したんだものな」

 俺も彼女の隣りに座り込む。

「ええ。早いものね。10年前の出来事だと言うのに……昨日のように思い出すわ。あなたとの契りを」

「そうそう。お前が急に取材のために……って、10年前ぇ!?」

 俺って今、異世界とかに転移してないよね。



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296 最強のヒロイン

 

「10年前……一体、なにを言っているんだ? アンナ」

 あれぇ? 俺ってこいつとそんな長い間柄だったけ。

 首を傾げていると、彼女は肩をすくめて、ため息をつく。

「やっぱり忘れているんじゃない。あれだけ、格好つけておいて……もう、私あなたの口癖は信用しないわ。『認識した』っていうセリフ」

 俺は酷く動揺していた。

 目の前にいるこの金髪の美少女がアンナじゃなければ、誰だというんだ?

 色んなカワイイ女の子を見てきた俺だが、彼女……いや、ミハイルほどのルックスの持ち主はいないはず。

 沈黙が続く。

 どう会話を切り出したらいいのか、分からない。

 

 脳内の記憶を検索しまくる……だが、10年前なんて昔の映像は蘇らない。

 しばらく考えこんでいると、痺れを切らした彼女が俺の手を握りしめる。

「タクト。ここを触って。それで思い出すはずよ」

 そう言って、俺の右手を自身の胸元に当てる。

「なっ!?」

 その行動に驚いた俺は手を離そうとするが、彼女が許してくれない。

 華奢な体つきの割にかなり強い力だ。

「ほら……聞こえるでしょ。私の鼓動が」

 視線を彼女に合わせると、薄っすら涙を浮かべていた。

 確かに心臓の音は手を通じて、伝わってくる。

 だからといって、なにがわかるんだ。

 そりゃ生きているんだから、当然だろうに。

 

「すまんが、手を離してもいいか? お前の言いたいことがさっぱりわからん」

 俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませて、不機嫌そうにする。

「これでも思い出せないの? いいわ……じゃあ、これならどう?」

 ススッと、心臓から少し下に手をおろす。

 そして何を思ったのか、俺の右手を介して、自身の胸を揉み始める。

「お、おい! なにをする!?」

 慌てる俺を見ても、彼女は特に驚くことはない。

 人目も気にせず、自身の片乳を揉ませる。

「ほら……あの時の約束でしょ? 私の胸が貧乳だったら、結婚するって」

 それを聞いた俺は、バカみたいに大きな声で叫ぶ。

「け、け、結婚だと!? お、お前は何を言って……」

 だが、そんなリアクションとはお構いなしに、胸を揉ませられること、数分間。

 確かに俺好みの貧乳だ。

 

 瞼を閉じてみる。

 どうやら、過去の俺はこの子の胸を揉んだことがあるらしい。

 しばらく感触を味わっていたら、思い出すかもしれん。

 自由に触って良い機会なんて、中々ないしな。

 

 プニプニしている……柔らかい。

 小ぶりでちょうど良いサイズ。

 素晴らしい。

 しかし、服の上からとはいえ、あまりにも柔らかすぎる。

 なぜだ?

 この感触は……そうか。ブラジャーをしていないんだ。

 だからか。

 ってあれ? 以前、アンナとプールでおっぱいを触ってしまった時は、もっとこうなんというか、人工的な柔らかさ。シリコンみたいな感じだったよな。

 それにアンナはカチカチってぐらいの絶壁……。

 

 その瞬間、目を見開く。

 確信したからだ。

「お前! 女だろ!」

 言った後で、自分でもアホな発言だと思った。

「え? 当たり前でしょ?」

 すごくバカにした目で睨まれてしまう。

「違う! 俺が言いたいのは……」

 待てよ。こいつの目。おかしい。

 夕陽に照らされて輝く2つのブルーアイズ。

 グリーンじゃない!?

 

 激しい頭痛が俺を襲う。

 頭の中がバチバチと激しい閃光が走る。

 けたたましい雷が鳴り響くような。

 体感にして、1時間ぐらい起こった気がする。

 それらが治まった後……1つの言葉が、自然と口から出てきた。

 

「マ……リア。お前、マリアか?」

「やっと思い出せたのね。タクト、ただいま」

 彼女は優しく微笑む。

 まあ、この間もおっぱいは揉みしだいているのだが……。



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297 昔のオンナ

 

 金髪、貧乳、色白で華奢な体型のハーフ美少女。

 あの時……確かに俺は、この世に一人しか存在しない可愛い女の子だと思った。

 そうだ。半年前、一ツ橋高校で。

 だが、目の前にもう一人いるじゃないか。

 完璧な美少女が。

 あいつは不必要なモノがついている……男の子。

 

 2つのブルーアイズをキラキラと輝かせる彼女の名は、マリア。

 

「タクト、ただいま。10年ぶりね!」

 そう言って、俺に抱きつく。

「お、おかえり……」

 ていうか、誰ぇ!?

 名前はなんとなく思い出せたけど、それ以外の記憶がなにも出てこないよ~

 グリグリとノーブラの生乳を俺の身体に擦り付ける。

「わ、私……ちゃんとここに、福岡に帰って来られたのよ。あなたと約束したから、手術も成功したの。タクトが結婚の約束をしてくれたからよ」

 と涙を流すマリア。

「結婚? 手術?」

 俺は新手の詐欺にでもあっているのだろうか。

 彼女の言っていることが、さっぱりわからん。

「そうよ。10年前、この博多川で私と約束をしてくれたじゃない!」

 やっと俺から身を離すマリア。

 そして、目の前に流れる河川を指差す。

 

  ※

 

 マリアの青い瞳は涙で溢れていたが、宝石のように輝いて美しい。

「青い…目」

 気がつくと呟いていた。

 俺は、マリアの美しい瞳に、どんどんと吸い込まれていく。

 

 どこからか、幼い声が聞こえてきた……。

 

 

『私、怖いの。生きて戻って来られるかわからなくて……』

『心臓の手術だったか?』

『ええ。成功できる確率は半々と言ったところかしら』

『そうか。ならば、賭けようじゃないか。お前は手術。俺は小説家としてデビューすることを』

 

 

 思い出した。

 あの時のことだったのか……。

 ガキの頃だったし、もう正直会うこともないと思ってなかったから、すっかり忘れていた。

 彼女を見た俺は激しく動揺していた。

 心臓がバクバクとうるさい。

 

 過去に重大な約束をしていたこと、こんな可愛い女の子と仲が良かったこと。

 だが、それよりも一番驚いているのは、あいつに似ていることだ。

 目の前にいるこのマリアが……。

 なんで、アンナ……いや、ミハイルに。

 

 胸が痛む。まるで大きな穴が空いたようだ。

 ポッカリと何かが抜けてしまった、そんな喪失感が残る。

 

 これはショックを受けているのか?

 あいつが“初めて”じゃなかったことを。

 幼い頃に出会ったマリアが可愛くて、無意識のうちに重ねてしまっていた自分に。

 何故、今なんだ。

 ミハイルやアンナになんて言ったらいいのだろう。

 罪悪感で、押しつぶされそうだ。



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第三十五章 10年越しの恋
298 初恋


 

 10年前。

 俺が小学生の頃。

 3年生ぐらいだったか。

 俺はクラスで浮いていた。

 曲がったことが大嫌いな俺は、間違ったことを正論のように語る奴を見ると、すぐケンカを売っていた。

「お前は間違っている!」と。

 もちろん、ケンカと言っても、理詰めの口ゲンカばかり。

 だから嫌われていた。

「新宮は弱いくせに、うるさい」て。

 

 次第に仲の良かった友達も俺から離れて行き、いつも一人ぼっちだった。

 だから、学校なんてつまらないところ。早いうちに見切りをつけてやると、不登校を自ら選んだ。

 家には新しい妹とか言う、クソキモい生命体を親父が連れて来たっけな。

 幼女のくせして、乳がデカくて、キモいったらありゃしない。

 

 やたらと俺になついてくるから、ウザく感じた俺は、よく映画館に足を運んでいた。

 色んな映画を見た。

 上映中の作品は全て見尽くすほど。

 洋画が好きだったのだが、観る映画がもう無くなってしまった頃。

 俺はシネコンてやつは苦手だったが、唯一観賞してない作品を上映中のカナルシティ博多に向かった。

 

 そこで、初めて出会ったのが、タケちゃんの映画だった。

 今でも覚えている。

 確か、作品名は『打ち上げ花火』

 当時名誉ある海外の最優秀賞を取り、話題になっていた。

 俺はタケちゃんと言えば、芸人というイメージが強く、別に好きでも嫌いでもなかった。

 お茶の間の人気者。

 どうせ、映画監督なんて趣味レベルでやっているのだろうと、少しバカにしながらチケットを購入し、劇場に向かう。

 

 だが、上映開始のベルが鳴るや否や、その先入観は全て消え失せる。

 圧倒的な映像美。独特なセリフ回し。目を覆いたくなるような暴力描写。

「すごい!」

 素直にそう思えた。

 たった1時間30分だったが、俺には30年分ぐらいの半生を見せられているように感じた。

 

 映画が終わっても、まだ胸がドキドキしていた。

「カーッ! 超すげぇ! 決めたぞ、俺はタケちゃんファンになるぞ!」

 なんて拳を作って、席から立ち上がる。

 よし、パンフレットを買って帰ろうとしたその時だった。

 

 隣りの席に座っている一人の少女が邪魔で、スクリーンから出られない。

「おい、女。映画終わったぞ」

「……」

 ひじ掛けに肘をつき、手のひらに小さな顎をのせている。

 長い金色の髪で顔が隠れていて、どんな奴かはわからないが、どブスのヤンキーだろう。

「聞こえてないのか? 早くどいてくれ!」

 人がさっさとパンフレットを買いたいというのに。

「……すぅすぅ」

「こ、こいつ」

 寝てやがる。

 俺は無性に腹が立った。

 早くパンフレットを買いたいという気持ちもあるが、なによりも先ほどまで上映していた崇高な作品『打ち上げ花火』をちゃんと観賞せず、眠っていることにだ。

 普段なら、無視するところだが、今日から俺はタケちゃんの推し!

 アンチ許すまじ。

「女。起きろ!」

 小さな彼女の肩を激しく揺さぶる。

「な、なによ……うるさいわね」

「女! お前、この映画を見ていなかっただろ! 眠っていたな!」

 ビシッと指差してやる。

「ああ……やっと終わったのね。この退屈な映画」

「なんだと!? 貴様、もう一辺言ってみろ!」

 彼女は深いため息をつくと、長い金色の髪をかき上げて、視線を俺に合わせる。

 その瞳を見て、一瞬で俺は言葉を失った。

 宝石のようにキラキラと輝く青い瞳。

 こいつ。外人か?

 

「退屈な映画だから、眠ってしまったことが何が悪いの?」

 

 それがマリアと初めて出会った日の出来事だ。



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299 ただの成り行き

 

 なんて、ふてぶてしい女だと思った。

 ギロッと俺を睨むその鋭い目つき。大きな2つのブルーアイズ。

 小さな体つきのくせして、圧倒的な存在感がある。

 思わず、後退りしてしまうほどだ。

 

「くっ……この映画に対して失礼だと思わないのかっ!?」

 俺も負けじと反論する。

「こっちはお金を払ったのだから、観ようが寝ようが客の勝手じゃない。ニュースで海外の賞を総なめにしたから観に来たけど、本当に退屈な映画だったわ……」

 とため息をつく。

 その言葉に俺はカチンときた。

 確かに、彼女の言うように最初は俺もタケちゃんの映画を少し小バカにしていたが。

 今日初めて観たその瞬間から、一目惚れした。

 それぐらいインパクトの強い作品だったし、人生を変えてもらった。

 なんだったら、毎日観に来たいぐらいだ。

 だから、心底腹が立つ。

 この女に。

 

「おい、女! お前、タケちゃんの悪口はそこまでにしろ!」

「はぁ? 別にこの製作者に対して、何か悪いことを言ったつもりはないわ。ただ退屈だって、率直な感想を言っただけなのだけど?」

「それが悪口だって言うんだよ、チビ女!」

 よく見れば、かなり幼いぞ。こいつ。

「さっきから女って、失礼ね。私にはちゃんとした名前があるのよ?」

「フンッ! じゃあ名乗れよ。俺は天才の新宮 琢人だ」

 そう自己紹介をすると、彼女は鼻で笑う。

「あなた。自分で天才ってバカじゃない? まあ、いいわ。私はマリア。冷泉(れいせん) マリアよ」

 腕組みしてドッシリとシートに座り込む。

 なんて生意気な女だ。

「冷泉か。認識した」

 

  ※

 

 その後、映画館のスタッフがスクリーンに掃除をしに来た。

 入れ替え制だから、「早く出てくれ」と怒られてしまう。

 渋々、俺と冷泉は映画館を後にした。

 二人並んでエスカレーターに乗り込む。

 降りながら、俺たちはずっと口論していた。

 

「退屈な映画というのを撤回しろ!」

「嫌よ。決めるのは私じゃない。価値観を押し付けないでくれる?」

「押し付けじゃない! 人の好きなものをバカにされたから、怒っているんだ!」

「なら謝るわよ。でもね……私って曲がったことが大嫌いなの。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まないのよ」

 彼女の口からそれを聞いた俺は、言葉を失った。

「……」

「な、なによ? 悪い?」

 下から、上目遣いで俺の顔を覗き込む。

 頬を少し赤らめて。

 

 こいつ……同じだ。

 俺と同じ性格だと思った。

 だからか……こんなに本音で言い争いをしているのは。

 案外、悪い奴じゃないのかもしれない。

 

 

 エスカレーターを降りたと途端、冷泉の小さな腹からグゥーと大きな音が鳴る。

 それを聞いた俺は、鼻で笑う。

「なんだ? 大食い女なのか?」

「し、失礼ね! 私はあんまり福岡に詳しくないのよ! カナルシティも初めてだから、迷ってご飯食べられなかったのよ」

 なんて恥ずかしがる姿はちょっと可愛らしいなと初めて思えた。

「そうか。なら、俺の行きつけのハンバーガー屋がある。そこで映画の話でもするか?」

「美味しいの? そ、そのハンバーガーショップって……」

 急にもじもじする冷泉。

「ああ。カナルシティなら、あそこが一番だ」

「じゃ、じゃあ。連れていって……」



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300 きっかけ

 

 カナルシティの一階。

 噴水ショーが行われるサンプラザステージの前にあるハンバーガーショップ。

 キャンディーズバーガーに入る。

 いつも俺が頼む、BBQバーガーをセットで2つ注文した。

 初めて訪れた冷泉が「私は分からないから」と困っていたので、同じものを頼んだ。

 

 

 二人がけのテーブルで、向かい合わせに座り込む。

 ハンバーガーを頬張りながら、また先ほどの口論を再開。

 

「だから言っているだろ。あのセリフの少なさが良いところであって……むしゃむしゃ」

「それが観客に優しくない映画だと言っているのよ……もしゃもしゃ、美味しいわね。これ」

 なんだかんだ言って、美味そうに食べる冷泉。

「じゃあ、お前が今まで観てきた映画で一番良い作品を教えてみろ……じゅるじゅる」

「あのね……私、あまり邦画は好きじゃないの。どちらかと言えば、洋画が好きなの……ちゅるちゅる」

 話せば、どうも俺と趣味が合う女だと思った。

「それは俺も同じだ。だが、タケちゃんの映画だけは違う。他の邦画にはない良さがある……ゲップ」

「汚いわね。私は元々、映像よりも活字が好きなのよ。今日だって学校を休んだから、たまたま観ていたに過ぎないわ……うっぷ」

 2人同時に完食。ゲップも息がピッタリ。

 

 聞けば、冷泉も現在不登校らしい。

 ハーフであることで悪目立ちしているらしく。

 また俺みたいに曲がったことが大嫌いな性格だから、すぐ級友に突っかかっては口論となり、クラスで浮いた存在らしい。

 俺より二歳年下の6歳。

 小学1年生にしては、随分大人びた女の子だと感じた。

 

 

「活字……だとか言ったか? つまり漫画が好きなのか?」

 俺がそう尋ねると、冷泉は鼻で笑う。

「そんなわけないでしょ。小説よ。文字だけの本が好きなの」

「ほう。文字だけとか何が面白いんだ?」

「あのね。小説っていうのは既に作り上げられた世界、映像、イラストとは違った楽しみがあるの。文章から自分の頭の中で文字を映像に変換するのが楽しいんじゃない」

 と小バカにされてしまった。

 年下のくせして、本当にムカつく。

「それ、面白いのか? 映画の方がよっぽど楽しいだろ。俺は今日見たタケちゃんの映画を見て感動した。なんだったら、俺がああいう映画を将来撮ってみたいもんだ」

 そう言うと、冷泉は大きなため息をつく。

「あなたね……撮るっていうけど、そのためには原作が必要でしょ?」

「そう言えば、そうだな」

「ものづくりには“最初”が必ずあるはずでしょ? 何でもゼロから作るのが基本よ。それが小説よ」

 クソ。1年生の小便臭いガキに、ことごとく論破されてしまう。

「だ、だったら脚本を書けばいいであって……」

「それも小説と似たようなものでしょ? 文字じゃない」

 なんて呆れた顔をする。

 こいつ、バカだわ~ って感じで。

 

 言い返せない。

 確かに冷泉が言っていることは、ほぼ的を得ている。

 もし将来、俺が映画監督を目指そうと夢見ても、一人じゃ作れない。

 必ず原作が必要になる。

 

 

「お、俺もタケちゃんみたいな映画を作ってみたい……」

 気がつけば、年下の女に弱音を吐く始末。

 しかし、冷泉はそんな俺を見て笑うことはなく、真顔でこう言った。

「じゃあ作ればいいじゃない」

「え?」

「今あるものであなたが作ればいいのよ。タクトだったかしら? タクトみたいな子供じゃ、ビデオカメラとか使えないだろうから……そうね。私だったら文字で書いてみるかしら」

「俺が文字を?」

「ええ。ノートとペンぐらい持っているのでしょ? それならタダじゃない。今日観た映画は覚えているかしら?」

 言われて俺は自信たっぷりに胸を叩いて見せる。

「それなら、ちゃんと脳内にしっかりと映像は残っているとも!」

「じゃあ今日の映画をノートに文字で描いてみたらどう?」

 

 この一言が、俺が小説を書くきっかけとなった。



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301 友達

 

 冷泉 マリアから提案された映画制作への第一歩。

 それが小説というものらしい。

 俺は生まれてこの方、文字だけの本なんて読んだことがない。

 書きたくもないし、読みたくもない。

 だが、彼女が言った『ものづくりの最初』であることは事実だ。

 今日映画館で観たタケちゃんが創り上げたような世界を、俺も……いつかこの手で。

 

 そうなれば、話は早い。

 冷泉の言う通り、自宅にはペンとノートぐらいあるはずだ。

 書くだけなら、タダでできる。

 やってみるか……。

 

  ※

 

 ハンバーガーを食べ終えた俺と冷泉はカナルシティを出て、博多駅と向かう。

 はかた駅前通りを二人で歩きながら、また映画の話で口論になっていた。

「冷泉。そんなにタケちゃんの映画をディスるなら、お前が観てきた作品で一番おすすめを教えろ」

「別にディスったわけじゃないって言っているでしょ? ただ私には合わなかっただけ。ま、まあ……タクトがそんなに私の好きな映画を観たいなら、教えてあげてもいいのだけど」

 なんて頬を赤らめる。

「いや。別に観たいわけじゃない。お前がタケちゃんの映画が退屈だとぬかしやがるから、お前の好きな映画がどんなにクソか知りたいだけだ」

「なんですって! ハァ……最低な男。まあいいわ。それなら、明日またカナルシティで会わない? どうせ、タクトも学校休むんでしょ?」

「まあな」

 成り行きでまた明日も会うことになってしまった。

「私の好きなDVDを持ってくるから」

「なるほど。なら期待して待ってやろう。どんなクソ映画か、楽しみだ」

「あなたねぇ……本当に最低」

 

 気がつけば、博多駅の中央広場に着いていた。

 そこで、ふと思う。

 この女の住所も連絡先も知らない。

 広大な敷地のカナルシティで落ち合うのは、ちょっと難しい。

 人も多いだろうから、もっと分かりやすい場所。目印になるところが良い気がする。

 

「うーむ……」

 辺りを見渡してみた。

 右手に交番が見える……その奥に小さな銅像が。

 確か、黒田節の像だったか?

 あれなら、目立つ場所だし、待ち合わせ場所に持ってこいだな。

 

 

「おい、冷泉」

「なによ?」

「明日DVDを持ってくるのは構わんが、待ち合わせ場所がカナルシティでは広すぎるし、人も多いから、クソチビなお前を探すのは至難の業だ。そして、迷子になるだろう」

「あなたね……しれっと人の事を悪く言わないでくれる? まあでも一理あるわ」

「だろ? そこでだ。あそこに立っている黒田節の像で待ち合わせしないか? あそこなら、クソチビのお前でも一発で見つけられる」

「わかったわ。ただし、クソは余計よ」

 

 名前以外、特に素性も知らない生意気な女と、明日も遊ぶ約束をしてしまった。

 まあ俺も物事を白黒ハッキリさせないと気がすまない性格だ。

 この女が勧める映画をクソかウンコか、ちゃんとこの目で判断してやらんと。

 

 明日、俺にディスられて、このクソチビ女が涙目になっている所を想像すると、笑いが止まらんな。

「タクト。なにをニヤニヤしているのよ? 気持ち悪い」

「あ、いや……明日が楽しみでな」

 こいつをどん底に突き落とすのが。

「楽しみ……?」

 目を丸くして驚く冷泉。

 と思ったら、頬を赤くして、もじもじする。

「そりゃあな。博識な冷泉が勧める映画だからな」

 俺は嫌味をたっぷり込めて、そう彼女に言ってやった。

「わかったわ……でも、その冷泉っていう呼び方やめてくれる? 不快なのだけど」

「へ?」

 低身長だから、どうしても上目遣いになる。

 そして、青い瞳を潤ませて、こう呟く。

 

「私がタクトって呼ぶんだから、あなたもマリアって呼んでよ。不平等じゃない」

 なんて言いながら、身体をくねくねさせる。

「不平等? まあ、そうだな。なら俺もお前を今後マリアと呼ばせてもらう。光栄に思え」

「ハァ……タクトって友達いないでしょ?」

 いたら、一人で映画なんて観に来るかっ!

「と、友達ぐらい……い、いるとも…たぶん」

 痛いところを突かれた。

「奇遇ね。私も友達いないのよ」

 ここにぼっちが集ってしまった。

 なんて辛い告白なんだ。

 

 マリアは何か重大な決断をしたようで、小さな胸に手を当てて、深く息を吸い込む。

 そして、俺の目をじっと見つめる。

 

「タクト。私と友達にならない?」

 そう言うと、小さな手のひらを差し出す。

 

 驚いた。

 クソ生意気な年下のくせして、この天才の俺と友達になりたいだと。

 だが、不思議と嫌な気にはならない。

「フンッ……仕方ないな。なってやるよ」

 俺はマリアと握手を交わした。

 その時だった。

 生意気で冷徹な表情ばかり見せる彼女の顔に変化が起こったのは。

「ありがとう」

 今日初めてみる顔つき。

 俺の手を掴み、優しく微笑む。

 

 強い風が俺とマリアの間をと突き抜けていく。

 だが、彼女は俺と掴んだ手をぎゅっと握ったまま、離さない。

 反対側の手で、長い金色の髪をかき上げて、嬉しそうに笑っていた。

「ふふっ」

 ここで俺はあることに気がつく。

 マリアは笑うと天使のように可愛いことが。



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302 読者

 

 あの日以来、俺たちは毎日博多で待ち合わせして、互いのおすすめDVDを貸し借りする仲になっていた。

 お互いの住所も連絡先も知らないから、待ち合わせの場である黒田節の像と時刻でしか、会う事はできないが。

 それでも、毎日俺とマリアは顔を合わせる。

 だって、学校に行かない不登校児だから。

 家にいても暇で暇で仕方ない。

 

 

 カナルシティのハンバーガー屋。

 キャンディーズショップをマリアが気に入ったらしく、いつもそこで映画の話をしていた。

「ねぇ、タクト。この前貸した映画はどうだったの?」

「ああ……すまん。始まって30分ぐらいで寝てしまってな」

「なんですって! あの名作を、あなたはたった30分で寝落ちしてしまったの!」

「いや、悪い。余りにも退屈な映画でな……」

 あれ? なにこのデジャブ。

「退屈だと言ったわね! 私の大好きな映画を!」

 怒りからか、小さな肩を震わせている。

「すまん。ラブストーリーは好みじゃないんだ」

「あれはアカデミー賞にも選ばれた名作なのよ! それにただのラブストーリーじゃない。ヒューマンドラマよ!」

「わ、悪いって……」

 こいつも、かなりこだわりが強いらしい。

 好きな物を否定されるとすぐに怒る。

 

  ※

 

 DVDの貸し借りだけじゃなく、色んな映画館を二人で観て回った。

 新しく出来た博多駅のシネコンや中洲にある古い映画館。

 それから通好みのミニシアター系。

 好き嫌いの激しい俺たちは、見終わった後、いつも「クソだ」とか「退屈だったわ」とか、まあ可愛くない子供だったと思う。

 

 そんなことを一ヶ月以上続けた頃。

 ある日、マリアに言われた。

 

「ねぇ。タクト」

「なんだ? またハンバーガーのおかわりでもしたいのか? 相変わらずの大食いだな」

 俺がそう決めつけると、顔を真っ赤にして怒り出す。

「違うわよ! 人をなんだと思っているのよ!」

「腹が減ったわけじゃないのか?」

 大きくため息をつくマリア。

「本当にデリカシーのない男……私が聞きたいのは、この前の小説のこと」

「ああ……そのことか」

 

 俺はマリアから提案されたその日に、帰宅してすぐ机から学習ノートを開いて、映画を思い出しながら映像を文字にしてみた。

 この作業は意外と難しく、頭に浮かぶ、映像を文章に変換するというのは、学校で習う勉強より面倒くさい。

 だが、俺はタケちゃんのような映画を将来撮ってみたい……その一心で、書き続けた。

 気がつけば、ノートは5冊も使ってしまう。

 この空白を文字で埋めただけの物が小説という代物かは、わからんが。

 

 

 小説の話に変わると、マリアは目を輝かせて、身を乗り出す。

「それでそれで? 書けたの?」

「ああ、一応な」

「本当に? じゃ、じゃあ……良かったら私に読ませてくれない?」

「別に構わんが。ただ、ストーリーはお前が退屈だと言ったタケちゃんの『打ち上げ花火』を文章にしただけだぞ?」

「それが良いんじゃない!」

「え?」

「私が退屈だと思った映画を、タクトの手で書き上げた世界。どんな風に変換されたのか、知りたいのよ!」

 偉く食いつくな。意外だった。

「そうか。マリアの期待に沿える物かは知らないが、今度持ってくるよ」

「嬉しい! タクト、ありがとう」

 そう言って嬉しそうに微笑むマリア。

 彼女が喜ぶ意味が、俺にはさっぱりわからなかった。

 

  ※

 

 後日、俺が書き上げた小説を彼女に読ませてみることに。

「退屈な作品ね」

 なんて酷評されると思ったが、マリアの反応は違った。

「タクト……この小説。本当にあなたが書いたの?」

 真剣な眼差しで学習ノートを見つめている。

「そりゃそうだろ? ちゃんとノートに『3-1、新宮 琢人』って書いてあるのが読めないのか?」

「ハァ、そう言う意味じゃないわよ」

「どういうことだ?」

「正直驚いているわ。あなたにこんな才能があったなんてね。嫉妬を覚えるわ」

 そっとノートを閉じる。

「ん? どうして?」

「文章が綺麗なのよ。いつも悪口ばっかのあなたとは大違い」

 あれ? それって俺の人格をディスってない?

 

 驚いたことにマリアは俺が書いてきた小説なるものを絶賛していた。

 そして、こうも言う。

「もっと読みたい」と。

 だが、俺はそれを断った。

「そんなに描くネタがない」

 彼女にそう答えると、マリアは笑ってこう言う。

「バカね。今までなにをしてきたのよ? 私とたくさん映画を観てきたでしょ。それを文字にしてみてよ。退屈だった作品をタクトが面白い世界に変換してよ」

 マリアの目はいつになく、キラキラと宝石のように輝いて見えた。

 

 それからか。

 映画を観ては文字にしてみる。

 そんな単純な作業をこなしては、マリアに読ませる。

 活字に貪欲だった彼女は、俺に何度も何度も言う。

「もっと読ませて」と。

 

 正直、俺からしたら何が面白いのか理解できない。

 でも……気がついたんだ。

 マリアが読み終わったあと、決まって嬉しそうに笑うその顔が見たくて、俺は書き続けていることに。



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303 約束

 

 気がつけば、俺達が博多に集まる理由は変わっていた。

 最初はお互いの好きな映画を貸し借りして、感想を相手に伝える……というためだけに、集まっていたのだが。

 観た映画を元に俺が小説を書き、それをマリアに読ませる方が優先的になっていた。

 だから、小説のネタがなくなると、二人で新作の映画を観に行き「タクトだったらこの映画をどう表現する?」と聞かれる。

 正直、マリアは俺を上手いこと煽っていたのだと思う。

「フンッ。俺ならこうするな」

 と帰宅して、すぐ文字に変えていく。

 

 勉強はろくにしないくせして、新しい学習ノートだけがどんどん増えていく。

 ただ、マリアの喜ぶ姿を見たいから。

 俺は書き続けた。

 しかし、終わりは突然やってきた。

 

  ※

 

 初めてマリアとカナルシティで出会ってから、半年ぐらい経ったころ。

 いつものようにキャンディーズショップで、彼女に小説を渡す。

 だが、その日のマリアは顔を曇らせていた。

「どうした? なんか昨日悪いもんでも食ったか?」

 俺がそう問いかけると、彼女は大きくため息をつく。

「あのね……だから私を大食いだって決めつけないでくれる」

「じゃあ、どうしたっていうんだ? ちゃんと小説を書いてきたぞ。読まないのか?」

「タクトが書いてきてくれたのは嬉しいのだけど……ちょっと悩み事があって」

「悩み? ハンバーガー食べ過ぎて、体重が増えたのか?」

「あなたね……本当にデリカシーのないバカね」

 

 彼女に詳しい話を聞かせてくれと頼んだが、一向に首を縦に振ってくれない。

 沈黙だけが続く。

 どうやらかなり重たい内容のようだ。

 俺は気晴らしにカナルシティ博多の近くにある河川へ行ってみないかと誘ってみた。

 そこでようやく彼女は黙って頷く。

 

 カナルシティの裏口から出て、小さな交差点を、二人で渡る。

 空はオレンジ色に染まっていた。

 川の流れはとても緩やかで、時折、魚がぴちょんと音を立てて跳ねる。

 近くにベンチがあったのを見つけた。

 そこへ二人して座る。

 マリアはまだ元気がない。

 俺が書いた小説を大事そうに両手で抱えて。

 なにやら酷く脅えているようにも見える。

 

「……」

 未だに何があったのか、教えてくれない。

 だから、俺は彼女が自分から話してくれるのを待つことにした。

 

  ※

 

「嫌だって……」

「いいだろ?」

「アンッ。もうホテルが目の前だって言うのに……」

 

 クソがっ!

 重たい話なのに、いつまでたっても始まらないじゃないか!

 ラブホが近いんだから、早く行けよ。

 子供の目の前で、乳繰り合ってんじゃねー!

 

 案の定、普段冷静沈着なマリアも、その大人の世界に飲み込まれていた。

「ここって……そういうことなのね」

 目を泳がせて、ガタガタ震え出した。

 あれ? 勘違いしてない。この子。

「おい、マリア。俺はこの川がそういうところだとは知らなかったぞ?」

 一応忠告しておく。

「そ、そうよね……バカなタクトが知るわけないわ…」

 動揺しているところで、彼女にもう一度話を振ってみる。

「なあ。そろそろ話してくれないか。お前の悩みってやつ」

「う、うん……」

 

 それから彼女は淡々と俺に話し始めた。

 

「私。実は心臓に重たい病気を抱えているの。治すためには日本じゃなくて、アメリカの有名な教授がいる大学病院に行かないといけなくて。そこで手術をするの」

「……」

 俺は言葉を失っていた。

「まだ国内では成功したことなくてね。アメリカでも手術はなかなかやらないの。それだけ珍しい病気らしいわ。だから、タクトの小説はもう読めなくなるの……」

「そ、そんな……」

 突然の別れに俺は酷くショックを受けていた。

 だが、その悲しみはマリアも同様……いや俺以上だろう。

 青い瞳に涙をいっぱい浮かべて、俺をじっと見つめる。

 

「私、怖いの! 生きて戻って来られるかわからなくて!」

 心底、脅えているようだ。

 小さな身体を震わせて、泣き叫ぶ彼女は見ていて辛い。

 抱きしめてあげたい……だが、俺にそんな資格はない。

 

 なにも出来ないのか。

 俺は無力だ。

 神ってやつがいるなら、いくらでも祈ってやるが、そんなもんに任せてられない。

 考えろ。少しでもマリアが安心できることを……。

 

 俺は彼女の肩を両手で掴み、こう言った。

「心臓の手術だったか?」

「う、うん……成功できる確率は半々だったと思う……」

「じゃ、じゃあ、こうしよう! お前が……マリアが必ず生きて日本に戻ってこれるように、俺と約束をしよう!」

「やくそく?」

「ああ。成功できる確率が半々なんだろ? なら、俺の人生を半分お前にやる!」

「どういうこと?」

「日本に戻って来られたら、この天才の俺と結婚してやるって言ってんだ!」

 そう自身の胸を強く叩いて見せる。

 精一杯の強がりだった。

「結婚?」

 目を丸くするマリア。

 驚いて固まってしまった。

 だが、しばらくしてから、吹き出してしまう。

 

「あはは! 馬鹿馬鹿しい子供じみた約束ね!」

「な、なにがおかしい!」

「ふふ……でもタクトらしいわね。曲がったことが大嫌い。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない。あなたらしい傲慢で極端な約束だわ」

 この時にはもう彼女の顔つきが明るくなっていた。

「そうだろう。マリアが命を賭けるんだ。だから俺は人生を賭ける。これでこそ平等と言うものだ」

「じゃあその約束。乗っかっていいかしら?」

 そう言って、マリアは小さな小指を差し出す。

「もちろんだ。この約束、忘れはしない。しっかりと認識した」

 俺は彼女を安心させてあげたい一心で、指きりを交わした。

 無力で幼い子供だったから、これぐらいしかできないと思ったんだ。



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304 婚約条件

 

 勢いで俺は冷泉 マリアと結婚の約束をしてしまった。

 だが、内心は……絶対結婚なんてしたくねーわ、と思っていた。

 

 マリアって今はハーフで可愛い美少女だけど、成長したら劣化してゴリラみたいなムキムキ女になると確信していたからだ。

 小学生だから、低身長で貧乳というか絶壁だけど……きっと大人になったら、爆乳のキモい女になるもん。

 

 そこで、俺は彼女に将来結婚できないような追加の約束をしておいた。

 小指はまだ結んだままの状態で。

 

 

「マリア。この約束についてだが、もうちょっと補足しておいていいか?」

「え?」

「結婚についてだが……お前が手術。あと、そうだな。俺が小説家としてデビューして、尚且つ売れたらってことにしよう」

 それを聞いて絶句するマリア。

「ど、どうしてそうなるのかしら?」

「俺は将来、映画監督を目指す男だ。だから、小説ぐらい書けないとなれないだろ? それにタケちゃんも小説家として売れているしな、ハハハ」

 なんて笑ってごかます。

「そうねぇ……ぼっちのタクトじゃ、まだ最初は小説家としてデビューしないと、映画は作れないものね」

 見え見えの嘘なのに、なぜか納得されてしまった。

 

 

 これで大丈夫だろ。

 俺は小説家なんて全然やる気ないし、もしマリアの手術が成功しても、結婚は回避できるはずだ。

 しかし、彼女はそれを真に受けてしまう。

 

「タクトなら……うん。タクトなら絶対なれるわ! 私が初めての読者だから、あなたの凄さを一番知っているもの」

 なんて満面の笑みで断言されてしまう。

「う、そうかな? 無理だと思う……けど」

「いいえ! あなたには文才があると思うわ!」

 そこまで褒められるとなんだか怖くなってきた。

 

 ならば、俺だけじゃなくて、彼女自身にも約束を追加しておこう。

 

「マリア……実は俺からも悩みを告白していいか?」

「え? タクトの? まさか病気なの!?」

「いや、俺のは……そういうんじゃないんだ。こう見えて俺っていう男はな。こだわりが強くて。女の子に対するハードルが高いんだ」

「?」

 病気じゃなくて、性癖だと伝えたいのだが、マリアは不思議そうな顔をして話を聞いている。

「つまりだ……俺はちっぱい。貧乳が大好きなんだ!」

「え……」

 絶句する心臓病患者。

「今のマリアは完璧というほどに貧乳というか絶壁だ。しかし、成長すれば、異国の血が流れているお前のことだ。きっと、キモ……じゃなかった成熟した胸になるだろう」

「な、なにを言っているの?」

 汚物を見るかのような目で睨まれる。

「急にすまない。だが、俺は曲がったことが大嫌いなんだ。確かにマリアは可愛いと思う。しかし、大人になって目も当てられないようなゴリマッチョ……じゃなかった。大人の女性に成長したら、きっと俺はお前を愛せないだろう」

 ただ、俺の性癖を暴露しただけ。

 それを聞いたマリアは呆れた顔でため息をつく。

「ハァ……前から感じてたけど、タクト。あなたって小学生のくせして、ペドフィリアなのね」

 ガチの病気認定されちゃった。

「でも……そうね。タクトの好きな女の子は今の私のような感じなのね。なら、それをキープすればいいのでしょ? つまり胸はなるべく小さいままで。身長も低いままにすれば」

「え……」

 今度は俺が絶句してしまう。

「私が貧乳で低身長の大人になれば、タクトは愛してくれるんでしょ? できるだけやってみるわ」

 やるんかい!

 なんかもう、あとには引けなくなってきちゃった……。

 

  ※

 

 その一ヶ月後、マリアはアメリカへと旅立った。

 手紙を書きたいと彼女が言うので、自宅の住所を教えたが、一通も届くことはなかった。

 俺も怖くて、その後の彼女を詮索することはしなかった。

 もし、手術に失敗してしまったら……想像するのも怖くて。

 

 マリアがいなくなった俺は、またぼっちになってしまった。

 一人で映画を観て、それを小説にしても、誰も読んでくれる人がいない。

 なんかつまらないというか、さびしく感じる。

 しばらく考えこんだ末、俺は誰かの創り出した話ではなく、自分自身の世界を描くことにした。

 貯めていたお年玉の貯金を下ろして、ノートパソコンを購入し、オンラインの小説投稿サイトに自身の作品をあげてみた。

 広大なインターネットという海の中に、俺が創り上げた小説を泳がせてみる。

 最初は反応なんて、全然なかったが、次第に何人かの読者がついてくれて、俺はその人たちが待ってくれるからと、がむしゃらに書き続けた。

 

 それに熱中し始めた頃、彼女との思い出は、少しずつ薄れていった。

 別に本気で小説家を目指してたわけじゃない。

 ただの趣味レベルで書いていたに過ぎなかった。

 でも、中学生の時に今の担当編集から、スカウトの電話がかかってきたことで、それは現実へと近づいてしまう。



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305 なう

 

 そう、現実。

 これは間違いなく現実の世界なんだ。

 なってしまったんだ……俺は小説家としてデビューもしたし、初のラブコメが売れている。

 条件揃っちゃったよ!

 

 

 成長したマリアをじっと見つめる。

 低身長で華奢な体型。絶壁とまではいかないが、柔らかそうな小さな胸。

 いや、実際揉んだ感想として、確かに控え目だけど、すごく気持ち良かった。

 長い金色の髪をなびかせ、真っすぐ視線は俺から離さない。

 大きな2つのブルーアイズに吸い込まれそうだ。

 

 可愛い……確かに俺のどストライクゾーンな美少女と言えるだろう。

 ミハイルとアンナに似ている女だが……。

 あれ? なんでマリアより先にあいつらが頭に浮かぶんだ?

 

「うーむ……」

 一人唸り声を上げていると、隣りに座っていたマリアがため息をつく。

「あの、さっきからずっと黙り込んでいるけど、何か良からぬことでも考えているのかしら?」

 睨むように俺の顔を覗き込む。

「いやいや、そういうわけじゃなくてな……まさか本当に俺好みの女の子に成長するなんて。ハハハ」

 苦笑いでどうにかごまかす。

「ああ。あの約束をちゃんと思い出せたのね。懐かしいわ……この博多川でタクトに要求されたペドフィリア体型をキープするのに、苦労したもの」

 ペドフィリア体型ってなんだよ!

「なにかヨガとかでもやってたのか?」

 俺がそう問いかけると、彼女は「わかってないわね」と首を横に振る。

 

「身長を145センチでキープしつつ、胸は小ぶりにする。また顔も小さくするために、顎は発達させない。心臓の手術より、壮絶な体験だったわ」

 ファッ!?

「い、一体どんなことをやっていたんだ?」

「アメリカに渡って、すぐに心臓の手術をしたわ。27時間にも及ぶ大手術。それが終わってすぐにリハビリをやりつつ、まずは胸の成長を抑制するために、コルセットで乳腺の発達を遅らせたわね」

「えぇ……」

 命かけて渡米したのに、心臓に悪いことしないでよ!

「寝る前に胸をバチバチ叩いたりもしたわ。あと成長を遅らせるという謎のお薬をインターネットで見つけたから、飲んだりもしたっけ。副作用が酷くて、緊急搬送されたけど」

「……」

 もうやめて! もっと自分を大事にして!

「あとは身長を伸ばしたくないから、ベッドは敢えて小さめのものにしたわ。柵が硬くてね。足先と頭がギチギチで痛くてたまらないの。慣れるまでなかなか眠れなかったわ。あ、今でもそのベッドは使用しているのよ?」

「マ、マリア。もうその辺で……」

 

 幼い子供が考えた惨い要求を鵜呑みに、10年間もやり続けた彼女に、俺は罪悪感でいっぱいだった。

 

「待って。まだあるのよ? 小顔にしたいから、なるべく柔らかいものしか食べなかったの。顎が発達すると大きな顔になるでしょ。その他にも美顔ローラーで24時間ずっとゴリゴリやってたわね」

 それでよく美顔になれたな……。

「すまない。マリア、あの時の約束を忠実に守ってくれたんだな」

「いいのよ、タクトのお嫁さんになりたいから、私が勝手にやっただけ。もし、理想の女の子に成長しなかった時は、整形手術も覚悟していたしね」

「……」

 

 忘れていた。もう時効だから断りたい。

 とは言えなかった……。

 

 そして、マリアは一枚の小さな白い紙を取り出す。

 青い瞳をキラキラと輝かせて、こう叫ぶ。

 

「条件は全てクリアしたでしょ? タクトが小説家としてデビューして尚且つ売れたし。私はあなた好みのペドフィリア体型に成長したわ」

「え?」

「だからこの婚姻届にタクトの名前を書いて! あとは提出するだけよ!」

「う、嘘だろ? 10年前のことだぞ?」

「タクト。私もあなたも噓が大嫌いな性格でしょ? 約束は守らないと」

 なんて優しく微笑む。

 

 に、逃げられない……。



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306 我が名は絶対最強戦士、ダークナイトである!

 

「さあタクト! この婚姻届にあなたの名前を書いて! それで今すぐ夫婦になりましょ。約束でしょ」

 何故、俺は人生で初めて婚姻届なる用紙を見せつけられているのでしょうか?

「あ、いや……マリア。そんなことをいきなり言われても」

「どうして? 10年前に約束したじゃない! あなた好みの女にもなったわ。タクトも小説家になれたし、他に何の問題があるっていうの?」

 なんて顔を真っ赤にして興奮するマリア。

 ヤバい。言い訳しようものなら、訴えられそうだ。

「問題は……」

 どうにかして、この場をしのがないと。

 何かないのか。彼女を納得させられるようなことは……。

 一人その場で唸っていると、頭に真っ先に浮かんだのは、ミハイルとアンナの2人だった。

 そうだ。あいつらを悲しませることはしたくない。

 俺が今、このままマリアと結婚という選択をしてしまえば、ショックで死んでしまうかも……。

 そんなバッドエンド、ごめんだ。

 

 

「実は……問題があるんだ! マリア」

「え?」

「だって俺たちはまだ学生だろ? それに未成年だ。小説家としてデビューはしたが、まだちゃんと食っていけるほどの収入がない」

 これなら、納得できるだろうと思ったが、それを聞いたマリアは「なに、そんなこと?」と笑う。

「私はもう16歳だから、日本なら親の同意があれば結婚できるわ。タクトも18歳だし。それにアメリカで飛び級したから、ついこの前ハーバード大学を卒業したもの。あと在学中にファッションブランドを起業したから、肩書としては社長をやってるの」

「えぇ……」

 なんて完璧すぎる女の子。

「それにタクトも18歳なんでしょ? えっと……日本じゃハイスクールの3年生よね。じゃあ半年で卒業でしょ? 待つわよ、それぐらい」

「すまん、マリア。俺、今まだ高校1年生なんだ」

 それを聞いた彼女は顔を真っ青にして、口元に手を当てる。

「こいつそんなにバカだったの?」みたいな顔で。

 

 

 俺はその後、現在に至るまでの過程を彼女に説明した。

 不登校が悪化し、中学もろくに登校せず、新聞配達と売れない作家の二足の草鞋生活。

 今の担当編集に言われて、一ツ橋高校に取材として二年遅れで入学したこと。

 ラブコメの取材として、高校に通学しているから、3年間はこの生活を維持しないと無理だと弁解した。

 

 それを聞いたマリアは、大きなため息をつく。

 

「ハァ……あなたって本当に最低な男ね。私がアメリカで10年間、死に物狂いで頑張っていたのに、タクトはそんな生活だったなんて」

「す、すいません」

 本当に申し訳ないと縮こまる。

 だって相手は命がけで俺のために生きてきたから。

「まあ、いいわ。結果的には全ての条件をクリアできそうだもの。今回のラブコメ……なんだったかしら? “気にヤン”だったわね。あの作品が売れているらしいから。デビュー作“ヤクザの華”が打ち切りになった時はショックだったけど」

「え? マリアは俺の処女作を知っていたのか?」

「当たり前でしょ。だって、タクトがオンライン小説で活動している時もずっと読んでいたのよ。絶対最強戦士、ダークナイトの頃から」

「……」

 もう、そのペンネーム聞きたくない!

 

  ※

 

「でも、マリア。なんで俺の住所を教えたのに、一通も手紙をくれなかったんだ?」

 そう尋ねると、彼女は婚姻届とは違う、もう一枚の用紙を差し出した。

「あのね……こんなアホな住所で分かるわけないでしょ?」

「え?」

 彼女からそれを受け取り、じっと見つめる。

 子供の汚い字で書かれた地図みたいなものだ。

 

『真島駅→真島商店街→俺ん家』

 

「なんだ? この酷いイラストは?」

「10年前、あなたが書いた住所でしょ!?」

 めっちゃ怒られてしまった。

「あの、なんか色々すいません……」

 また縮こまってしまう。

「もう、いいわよ。信じた私がバカだったわ。グーグルマップでどうにか住所を特定したから」

 え、この少ない情報量で?

 怖い。特定班じゃん。

「真島で『新宮』と検索したら、あなたのお母さんが世界的にも有名な人だから、すぐにわかったわ。ツボッターでも“ケツ穴裂子”は100万人フォロワーがいるインフルエンサーだったのね、さすがタクトのお母さんだわ」

 ファッ!?

 世界中に恥部を晒している気分。

「そ、そうだったのか……」

「まあ。それがきっかけで、タクトの小説を博多社に推薦できたのだけどね」

「え……?」

「だから、私が博多社のゲゲゲ文庫に電話して、あなたの小説を出版できないかって、お願いしたのよ。数年前に」

「えええっ!?」

 俺の実力じゃなかったのか……今だけは泣いてもいいですか。



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307 その男、二度も女を泣かせる。

 

 中学生の頃。匿名のファンが俺を編集部に猛プッシュしてくれたおかげで、書籍化できた。

 白金が、その人は俺の住所や電話番号を知っていたと言っていたが、マリアの仕業だったのか。

 純粋な読者さんが善意で薦めてくれたと思ってたのに……。

 酷いよぉ!

 

 まあ、でもマリアは俺の作者として、初めての読者だから。

 そりゃあ、紙の本になることを望むよな。

 感謝はしているが……全部彼女の力でここまで来たかと思うと、辛いな。

 

  ※

 

「そうか。お前が……マリアが俺を薦めてくれたのか。礼を言う」

 律儀に頭を下げるが、複雑な気持ちだった。

「い、いいのよ。タクトの小説が少しでも早くたくさんの人に読んで欲しかったから」

 なんて頬を赤くする。

 

 

 確かに小説家としてデビューできたのはマリアのおかげだ。

 しかし、今回のラブコメ“気にヤン”に関しては、彼女は一切関わっていない。

 むしろアンナがたくさんの取材に協力してくれたから、書けた作品だ。

 二人の集大成。

 小説が売れたから結婚しようなんて、ちょっと違うと思う。

 それに俺の性格が許さない。

 マリアを忘れていた自分自身が悪いが、このまま結婚なんてしたら、アンナがかわいそうだ。

 

 俺は決心した。

 全てとまではいかないが……マリアに打ち明けようと。

 

「マリア。実は黙っていたことがある。今書いているラブコメに関してなんだが……実は取材協力者がいてな」

「え? 取材? モデルは私じゃないの」

「ああ……実は違うんだ。そのヒロインは俺の知人でな。この作品を書くに当たって契約を結んだ。そして、まだ小説は完結していない。だから、今お前と結婚するわけにはいかないんだ」

「な、なによそれ……」

 真実を告げられたマリアは、顔を真っ青にして震え出す。

「すまない! だから……俺はお前との約束を守れない」

 キッパリと断ったつもりだった。

 罪悪感で胸が押し潰れそう。

 ミハイルに告白されて、断った時と同じ感覚だ。

「……」

 黙り込んでしまうマリア。

 俺も重たい空気に飲まれて、沈黙を選んだ。

 怖かったが、ゆっくりと視線を彼女の方へと向ける。

 青い瞳は薄っすらと潤んでいた。

 そして、俺の顔を悲しそうに見つめている。

 

 

「タクト……私を忘れていたものね。そりゃそうよね。あなたの口癖『認識した』っていうやつ。記憶力も悪いのに、いつも格好つけるもの」

「わ、悪い。手紙が届かなくて、俺も怖かったんだと思う。だから記憶に封印をかけていたのかもしれん」

「ウソよ。新しい女が出来たからでしょ?」

 ズキンと胸が痛む。

「いや、その子とは恋愛関係に至ってないし、至れない理由がある。俺の恋人じゃない」

「なにそれ……曲がったことが大嫌い。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない。あなたらしくない関係ね」

 聞いていて耳が痛い。

 だって、アンナは男の子だもん。

「ねぇ……その子の写真とかないの? 私を納得させるような女の子か見ておかないと、気がすまないのだけど」

「あ、あるが……」

「見せて!」

「は、はい」

 

 ジーパンのポケットからスマホを取り出す。

 初めてカナルシティで撮影したプリクラ写真を画面に映し出して、マリアにスマホを渡す。

 それを見た瞬間、彼女の顔が豹変する。

 

 整った美しい顔をぐしゃぐしゃに歪めて、一言。

「なによ。この、ブリブリ女は!」



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308 宣戦布告

 

「なによ。この、ブリブリ女は!?」

 スマホを持つ手がブルブルと震える。

 ピンクの小さな唇を噛みしめて、怒りを露わにしていた。

 

「あ、あの……」

「こんな男に媚びまくったファッションの地雷女が、私からタクトを奪ったっていうわけ!?」

 ギロッと俺を睨みつける。

「その子は……ちょっと変わった子でな。色々と事情があるんだ」

 まさか、10年越しの大恋愛を奪ったのは、男の子でした♪ とは言えないもんな。

「変わった子って……タクト。あなた、こんな分かりやすいハーフの地雷女子を好きになったわけ? 私より?」

 ずいっと身を乗り出して、俺の顔を下からのぞき込む。

 先ほどまで、揉ませて頂いたノーブラの柔らかい美乳が当たって、とても気持ち良い。

 と、喜んでいる場合ではない。

 アンナを守ってやらないと。

 

 

「マリア……実は今回のラブコメを書くに当たって、俺は取材をしているんだ」

「え、取材?」

「ああ、そうだ。これは博多社の担当編集が業務命令として、『恋愛を体験して来い』と強制的に現在の高校に入学させた……という経緯がある」

 よし。全部、ロリババアのせいにしておこう。

「そういうことだったの……だから二年遅れの入学というわけ」

 二年遅れなのは、俺がただ無職だから、という補足は敢えてしない。

「おっほん……そこで、とある友人ができてな。男なんだが、そいつが俺に『恋愛を取材するなら相手が必要だろ☆』と紹介してくれたのが、スマホに映っているカワイイ彼女。アンナだ」

 そう言った瞬間、マリアの整った顔がぐしゃっと歪む。

「今、カワイイって言ったように聞こえたのだけど?」

 ヤベッ。つい本音が出てしまった。

「いや……友人のいとこが、そのアンナだ」

「ふーん……」

 記憶力の良いマリアは、白けた目で俺を見つめる。

 

  ※

 

 マリアに今まで起きた出来事。自分が書く小説には実体験が必要だいうこと。

 それには、取材が必須で、ヒロインのモデルであるアンナは、あくまでも協力しているだけの関係。

 他にもサブヒロインとして、赤坂 ひなたや北神 ほのか。あと、おまけで長浜 あすかの三人が候補として上がっていることを説明した。

 それで、“気にヤン”を書き上げるためには、どうしても取材を続ける必要がある。

 担当編集の白金からも、それを仕事として、半ば強要されていたことも話した。

 ていうか、全部あのロリババアが悪い。

 

 俺の説明をマリアは黙って聞いていた。

 しばらく顎に手をやり、考え込む。

 

「どうだろう? これで納得できたか? 俺は今作家として、アンナが必要なんだ。これも仕事の1つなんだ。だからあの時の……10年前の約束は守れないんだ」

「……」

 こちらには目も合わせてくれない。

 ただ沈黙を貫く。

「あ、あの……マリアさん?」

「……」

 俺が怒っているかとびくびくしていると、彼女はいきなりベンチから立ち上がる。

「決めたわ!」

「え?」

 立ち上がったマリアの顔は、眩しいぐらいの笑顔で俺を真っすぐ見つめる。

「つまり、今のタクトって。カノジョ候補……いや花嫁候補を探しているってことよね?」

「いや……決してそういうわけじゃ……」

 俺のいう事に、マリアは耳を傾けることはなく。

「なら、私も……いいえ。婚約はまだ破棄されていない状態ね。アンナって子には大事なタクトを奪われて、腹が立つけど。でも、まだ可能性はあるわ。だってあなた達ってまだそういう事してないのよね?」

「ん? どういうことだ?」

 俺が首を傾げていると、マリアは恥ずかしそうに向こう岸の建物を指さす。

 対岸にズラーっと並ぶのはピンク色のラブホテルだ。

「あ、あそこに行ったことがあるのかってことよ!?」

 ファッ!?

 もちろん、俺もアンナも童貞と処女の関係性? だが……。

 しかし、マリアの質問に答えるならば、行ったことはある。

 ただ、行っただけ。コスプレ写真は堪能したか……でもパソコンに永久保存しているけど。

 

「それは……ない、よ?」

 なぜか疑問形で答える。

 視線はマリアから逸らして。

「ちょ、ちょっと! なによ、その歯切れの悪さ! タクトはまだ童貞なんでしょ?」

「も、もちろん、童貞だ! 断じて嘘ではない!」

 それだけは否定しておきたかったので、思わず前のめりになって、叫ぶ。

「私だって処女よ!」

 彼女も興奮しているようで、俺に負けないぐらいの大きな声で叫んだ。

 

 気がつけば、辺りにたくさんのギャラリーが出来ていた。

 

 

「おいおい、あの二人。今からラブホに行くのか?」

「まだ未経験だって。それをあんな大きな声で叫ぶ。フツー」

「二人とも食べちゃいたいわ!」

 最後のやつ、両刀使いですか。

 申し訳ないですが、帰ってください。

 

 

 突き刺さる無数の視線が痛い。

 お互い恥ずかしくなって、博多川から逃げることにした。

「タクトが正直に答えてくれないから、恥をかいたじゃない!」

「お、俺は噓をついてない。マリアならわかるだろ!」

 

 その後、俺たちは全速力ではかた駅前通りを走り抜けた。

 赤っ恥をかいてしまったが、博多駅に着くころ、なぜかマリアは笑っていた。

 

「ハァハァ……タクト。私も取材に参加していいでしょ?」

 肩で息をしながら、彼女は俺に問いかける。

「ああ……取材なら話は別だ。マリアも“5人目”になるか?」

 俺がそう言うと、マリアは鼻で笑う。

「いいえ。私はタクトの初めての読者で、婚約者よ? 目指すのはファーストのみよ」

 そう言って、俺の心臓辺りを細い人差し指で小突く。

 

「絶っ対、逃がさないわ。あなたを」

 

 俺は黙ってその姿に見惚れていた。

 はにかんで笑う彼女に。

 長い金色の髪をかき上げ、大きな2つのブルーアイズを輝かせるその子に。



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309 股間は正直

 

 10年ぶりに再会したマリアは、自ら俺の取材対象として、立候補した。

 そして、「タクトを必ずもう一度振り向かせる」と宣言。

 

 

 彼女はとりあえず、今後のことがあるからと連絡先を交換することを提案する。

 それを聞いた俺はすぐに、L●NEの交換だと察して、断ろうとした。

「悪い、マリア。L●NEだけは無理なんだ」

 歯切れ悪く答えると、彼女は首を傾げる。

「なんのこと? 私が知りたいのは、メールアドレスと電話番号なのだけど」

「え…今の時代、L●NEが主流なのでは?」

 俺がそう言うと、マリアは鼻で笑う。

「あのアプリは既読スルーとかいう、いじめが横行していると聞くわ。だから私は嫌い。連絡先と言えば、メールアドレスと電話番号で充分だわ」

 意外な彼女の答えに、思わず吹き出してしまう。

「ふっ、同じだな……」

「な、なによ! 私が時代遅れの女だって言いたいの!?」

 顔を赤くして、怒り出す。

「いや。マリアは変わらないなって思ったんだよ」

「そ、そういうタクトもね……」

 

  ※

 

 聞けば、マリアはまだ日本に帰国して間もないらしく。

 両親と博多付近のホテルで暮らしているそうだ。

 これから、親子で住まいを探すそうな。

 連絡先も交換したし、今後はいつでも会える……わけではないが、とりあえず彼女も俺の小説のために取材してくれる。

 

 マリアに別れを告げた俺は、急いで小倉行きの列車に飛び込む。

 ずっと気になっていたことがある。

 それは、うちのメインヒロイン。アンナのことだ。

 10年ぶりにマリアに出会って確信した。

 アンナとマリアを会わせるのは、絶対に危険だ。

 流血沙汰なんてもんじゃないだろう。

 

 今後、取材と称してデートを繰り返すにしても、あの2人だけは顔を合わせることだけは避けた方がいい。

 すぐさま、スマホを取り出して、画面を確認する。

 案の定、L●NEの通知が鬼のように入っていた。

 未読メッセージが9987件……。

 

 お、恐ろしい。

 読むのも面倒だ。

 

『タッくん。サイン会、まだ終わらないの?』

『アンナはタッくんのマンガを50回は読み直したよ☆』

『今、なにしてるの? ファンの女の子に変なことされてない?』

 

「……」

 ファンの女の子と変なことはしていました。

 ノーブラの生乳を揉み揉みしていたよ♪ なんて返信できない!

 ていうか、マリアは正真正銘の女の子だから、初めてのパイ揉みだったのか?

 いや、女装男子のアンナもなかなかに気持ちが良くて、あの感触を思い出すだけでも、股間が元気に……。

「あ」

 ここで俺は気がつく。

 ミハイルの水着姿ですら、俺の股間はパンパン。

 アンナの水着の時は、カチンコチン。

 でも……女のマリアをダイレクトに揉ませて頂いたというのに……。

 無反応だった!?

 

 オーマイガッ!

 

 列車内の汚い床に座り込み、うずくまる。

 そして念仏のように、一人ブツブツと口から言の葉を吐き出す。

 

「俺はノンケ……俺はノンケ…ノンケ……ノンケだってば……」

 

 その後、帰宅するまでの記憶がほとんど無い。



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第三十六章 二学期はっじまるよ~☆
310 考えるんじゃない。本能に任せるんだ。


 

 俺が期待していたサイン会とは、全然違うものになったが……。

 まあ、担当編集の白金も完売したことを喜んでくれたし、結果的には良かったということで。

 印税もいつか入ってくるしね。

 

 アンナとマリアというハーフの超美少女ヒロインが二人も現れたことで、今後の“気にヤン”をもう一度、再構成しなくてはならない。

 あ……、一人は男だった。

「うーん」

 自室の学習デスクに載せてある2つのモニターを交互に眺める。

 以前、パンパンマンミュージアムで撮影したアンナのパンモロ写真だ。

 滑り台で無邪気に笑う彼女は、なんとも絵になる。

 だが……なんで、男なんだ!

 その写真を高画質で保存して、興奮している自分に腹が立つ。

 

 双子ってぐらい似ているなら、女のマリアがいるじゃないか!

 なのに……かれこれ、6時間は楽しんでいる。

 

「違うぞ。断じて違う! 俺はホモではない!」

 机を拳で力いっぱい叩く。

 すると、モニターが振動で揺れた。

 頭を抱えて自分の性癖に悩む。

「マリアの方が……」

 なんて言いかけるが、再び画面に視線を戻すと。

「やっぱ、アンナってカワイイ……」

 と、つい本音が口から漏れる。

 

 一人、葛藤していると、ぎぃ~っと不気味な音を上げて、ドアが開く。

「おにーさま……良いご身分ですわねぇ…」

 そこには、受験勉強で缶詰状態を強いられていた顔色の悪い妹が立っていた。

「ぎゃあああ!」

 思わず叫んでしまう。

「ちょっと、うるさいですわよ……あら、自家発電の最中でしたか。高画質でアンナちゃんの写真を堪能なんて。おにーさまらしいですわ」

「ま、待て! これは違うぞ。俺は真剣に悩んでいたんだ……」

「どの写真で使うか? でしょ」

「だから、違うと言っている!」

「なら、どんな悩み事ですの……」

 汚物を見るかのような冷たい目で、睨まれる始末。

 

 不本意だったが、俺は妹のかなでに自分の悩みを打ち明けた。

 10年前に約束した婚約者、マリアのこと。

 知らず知らずのうちに、ミハイル……いや、アンナを初恋の彼女と重ねていたこと。

 一目惚れ? だと思い込んでいた自分に腹が立つ。

 そして、瓜二つってぐらいそっくりなマリアより、男のアンナに惹かれている気がする……ということだ。

 

 

「なるほどですわね……おにーさまにそんな過去があったなんて、驚きですわ。ミーシャちゃん以外、おっ友達はいないと思ってたのに」

 俺って、そんな可哀そうな奴だったの?

「正直、驚いている。忘れていた自分が悪いのだが……」

「でも……お話を聞いた限りでは、何の問題もないように感じますわ」

「え?」

「元カノが10年ぶりに戻ってきて、今カノに文句言っているだけのクソ女でしょ? それにおにーさまは、アンナちゃんを高画質で写真や動画を保存するほど大事にされていますわ」

「うっ……」

 このために、アイドルの長浜 あすかの自伝小説を死ぬ思いで書いたからな。

 ハイスペックパソコンで、アンナをぬるぬる動かしたいがために。

 

「それで考えたり、悩んだりするなんて、ナンセンスですわ。隠れて1人シコシコしやがる童貞と同じぐらいダッセーですわ」

 自家発電は、童貞だろうが、非童貞だろうが、男に必要なもんだ!

「しかし……アンナは、その…」

「おにーさま! こういう時は考えるのではなく、行動すべきですわ!」

 普段、おバカなかなでにしては、偉く真剣に話す。

 両腕を腰に当てて、かなり怒っているように感じる。

 それだけ、兄の俺に対して、自分の想いを伝えたいようだ。

「行動って?」

「会えば良いんです! これですわ!」

 そう言って、差し出されたのは、一枚の茶封筒。

 

『一ツ橋高校 秋学期。始業式のお知らせ』

 

 夏の終わり。

 行きたくもないガッコウてやつに、また通うことになるのか。

 これから半年近く、勉強やらスクリーングがあると思うと、ため息が漏れる。

 力なく、かなでから、封筒を受け取る。

 だが、高校が始まるということは……ミハイルに会えるということか。

 

 妹が伝えたいことをなんとなく察した俺は、かなでに視線を戻す。

 目と目が合った瞬間、かなでは親指を立てて、ニカッと白い歯を見せた。

 

「スキという感情さえあれば、女でも男でも関係ないですわ! どっちも入れるところはあるんだから!」

「……かなで。お前、もう受験勉強に戻った方がいいと思うぞ」

 相談する相手を間違えた俺が悪い。



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311 攻めのミハイル

 

 9月も終わりを迎える頃。

 俺は朝食を済ませて、リュックサックを背負うと、地元の真島商店街を一人歩く。

 秋に入ったというのに、未だ日差しは強い。

 半袖のTシャツでもまだ暑く感じる。

 自宅から数分歩いたばかりだが、わき汗が滲み出る。

 リュックサックの中には、教科書やノートがたくさん入ってるし、重たくて苦行でしかない。

 それでも、俺は真島駅へと進む。

 

 夜明けに朝刊配達を終えて、寝不足だと言うのに、これから夕方まで一日帰れない。

 ガッコウたるクソつまらん場所で、バカ共と勉強をするのだ。

 

 ああ……早く冬休みが来ないかなぁ。なんて思いながら駅の改札口を通り抜ける。

 小倉行きのホームへと降りて、列車を待つ。

 古いタイプの普通列車だ。

 横並びの対面式のソファー。

 

 うわっ、これ苦手なんだよなと座り込む。

 向こう側には、リア充感満載の制服組の男子が何人も座っていた。

 大きなカバンをズラーッと床に並べて。

 楽しそうにゲラゲラと笑っている。

 無意識なのだろうが、大股開きで座っているから、態度が悪く見える。

 見せつけられるこっちは、不快でしかない。

 

 頭は今、流行りのヘアスタイルで、ワックスで整えちゃって。

 時折、スマホのカメラで前髪を確認している。

 女子かよ……って言いたくなるぐらい、意識高いね。

 俺なんて、今朝、鏡もろくに見ないで、家から出たっていうのに。

 

 そいつらを見て、寝不足で苛立っていた俺は、舌打ちをした。

 こんな遊び感覚で、同じ高校へと向かうのかと思うと、反吐が出る。

 

 だから、ガッコウてやつは嫌いなんだ。

 そう思った瞬間だった。

 

 プシューッと、列車の扉が開く。

 

 着いた駅は、席内。

「あ」

 自然と口から漏れる。

 そうだ。忘れていた……学校は嫌いだが、あいつと会うことは……。

 

「タクト~! おはよ~☆」

 

 ニッコリと笑うその子は、陽の光で照らされた金色の髪を輝かせる。

 長い髪は首元で結い、纏まらなかった前髪は左右に垂らしていた。

 世界的に愛されているキャラクター。ネッキーがプリントされた白地のタンクトップ。

 小さなヒップにフィットしたグレーのショートパンツ。

 真っ白な細い脚を2つ並べて、こちらに手を振っている。

 

 その姿を見た瞬間、さっきまでの苛立ちは吹っ飛んでしまう。

 

「ああ……おはよう。ミハイル」

「うん! 久しぶりだね☆」

 

 彼は俺以外、眼中などないようで、真っ先に隣りへと座り込む。

 膝と膝はビッタリとくっつける超密接な間柄。

 相変わらずの無防備さで、胸元がざっくりと開いたタンクトップを好んで着用している。

 まあ男だから、別に良いのだろうが。

 ミハイルは背が低いから、どうしても、俺の視点からすると、見えそうだ。アレが。

「……」

 頬が熱くなるのを感じる。

 そんなことを知ってか知らずか、彼はずいっと身を寄せてくる。

「あれ? なんかタクト、顔が赤くない? ひょっとして風邪?」

 なんて上目遣いで、ぐいぐいと俺の顔をのぞき込む。

 頼むからやめてくれ。

 最近、ミハイルモードでも、俺の理性がおかしくなっているんだ。

 このままじゃ……。

 

  ※

 

「ていうかさ、電車の中って寒いよね」

「そうか? 俺は冷房が効いていて、丁度良いが」

 だって、まだ暑いし。

「タクトって暑がりなんだ……オレってさ。エアコンとかあんまり苦手なんだ…」

 と唇を尖がらせる。

「ほう。初耳だな」

「だってもう9月だぜ? 正直、冷たくする必要ないと思うんだ。たいおん、ちょーせつっていうの? あれが難しいよ」

 体温調節とか言う前に、あなたが露出度高めのタンクトップにショーパンだから、寒いんじゃない?

 

 

「はぁ……なんだか、身体が冷えちゃったよ」

 ついにはガタガタを肩を震わせる始末。

「しかし、どうしようもないからな。赤井駅までもう少しだ。我慢しろ」

 俺がそう言うと、ミハイルは細い両腕で胸を抱える。

「イヤだ! 寒いもんは寒いの!」

 ワガママだな、こいつ。

「だったら、上着を持って来いよ……」

 俺が呆れていると、ミハイルはブスッと頬を膨らませる。

「なんだよ……タクトは暑がりだから、寒がりの気持ちわかんないじゃん……あ、良い事考えた☆」

「へ?」

「タクトは暑がりなんだから、冷えたオレと合体すればいいんだ☆」

 ファッ!?

 が、合体ってあんた! セクロスする気!?

 

 そう思った俺がバカでした……。

 純粋無垢なミハイルが発案したのは、ただ単に身体と身体を擦り合わせるだけ。

 まあ単純に言えば、俺の身体に抱きつくってことだ。

 

 汗臭い俺の胸に顔を埋めて、満足そうに笑っている。

「うわぁ、タクトの身体って暖かい~☆ でも、ちょっと汗臭い~」

 言わせておけば……。お前から抱きついたんだろうが。

「臭いなら離れてくれ。電車の中で、男同士が恥ずかしいだろ……」

「嫌だ~ だって寒いもん! 赤井駅に着くまで~」

 一向に離れてくれないミハイル。

 俺も彼に抱きつかれるのは、そんなに嫌じゃないが人目が気になる。

 

「ミハイル……ちょっと、もういい加減に……」

 と言いかけた所で、彼が胸元から顔を上げて一言。

「ダメ?」

 と甘えた声で呟く。

 なんだ、この状況は……。

 どこかで見たことある光景だ。

 

 エメラルドグリーンの大きな瞳が2つ、こちらをじっと見つめる。

 上目遣いで。

 小さなピンクの唇は、ちょうど俺の心臓辺りに当たっていた。

 はっ!?

 わかったぞ……そうだ。これは、乳首責めってやつに酷似しているんだ!

 グラビアアイドルとかのアメちゃんをペロペロしている動画で、知っている。

 

 それに気がついた瞬間、俺は一言、彼に呟いた。

 

「了解した。離れてなくても良い」

「タクトなら、そう言ってくれると思った☆」

 

 なぜ俺が彼のことを許したかと言うと、離れられないからだ。

 今、離れると、車内の皆さんに俺の股間がパンパンだということが、バレてしまうからだ……。



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312 恋は人を変える

 

 赤井駅から出て、一ツ橋高校へと向かう。

 まだ朝早いと言うのに、制服組がたくさん歩いていた。

 朝練というやつか。

 

 まあ俺らには関係ないよな、とミハイルと二人で仲良く歩く。

 しばらくすると、長い長い上り坂。通称『心臓破りの地獄ロード』が見えてきた。

 毎回この傾斜のきつい坂道には悩まされる。

 平気で校則を破るヤンキーたちは、隣りの車道をバイクや違法改造したシャコタンとかいうダサい車で、ゲラゲラ笑いながら走り抜けていく。

 

 重たいリュックサックを背負って、汗水垂らしながら、坂道を歩く俺たち真面目組を嘲笑うかのように。

 思い出すだけでも、腹が立つ。

 

「リア充は死ね!」

 歩きながら、つい叫んでしまう。

「ど、どうしたの? タクト、急に……」

 俺の思い出し怒りにミハイルが驚く。

「すまん。ミハイルは悪くないんだ。お前は一緒に俺とこの坂道を歩いてくれるからな」

「うん☆ オレ、ここを歩くの好きだもん☆ なんか、ゆっくり歩くタクトと長い時間楽しめるから☆」

 それ、ゆっくり歩いているんじゃなくて、きついから、歩くのが遅いだけ!

 

 ため息をついて、ふと見上げてみる。

 校舎がそろそろ見えてきてもいいだろうと……。

「ん?」

 珍しい。先客がいるようだ。

 赤色に染め上げた長い髪を右側で一つに結んだギャル。

 ミニスカっていうレベルじゃないぐらいの丈の短さだ。

 だから、下から見上げている俺からしたら、パンモロ。

 ヒョウ柄のパンティか……汚物だな。

 

 ミハイルが後ろ姿を見た途端、笑顔になる。

 こんな奴は一人しかないからだ。

 手を振って、その背中に声をかける。

「ここあ~! おはよ~☆」

「あん?」

 振り返った花鶴 ここあは、なぜか不機嫌そうな顔をしていた。

 いつも能天気で、バカなことばかりを言っている彼女にしては珍しい。

「よう。花鶴」

「ああ……おはにょ…」

 情緒不安定だな。もしかして、あの日か?

「どうしたんだ? いつもならリキと一緒にバイクで登校しているじゃないか」

 俺がそう尋ねると、彼女は顔をしかめて、こう言った。

「ホント、それな。リキのやつ。急にあーしとは二ケツできないと言い出してマジないっしょ!」

「つまり……二人乗りを断れたってことか?」

「マジないっしょ! マブダチのあーしを断るとか。あーしがキモいってわけ?」

「……」

 瞬時に察知した俺は、敢えて沈黙を選んだ。

 そして、隣りで話を聞いていたミハイルも、理解できたようで、お互いに目を合わせる。

 

(タクト。ここあと二ケツを断ったってことは……)

(ああ、そういうことだろう。多分、ほのかに見られたら嫌なんだろう)

 

 二人でコソコソ耳打ちしていると、花鶴が俺たちのやり取りを見て怒り出す。

 

「あんさ~ 最近、オタッキーもミーシャもさ。隠し事多くない? ダチなのにコソコソされると、マジムカつくんだけど?」

 そう言って睨みをきかせる。

「あ、いや……別に仲間外れにしているわけじゃなくてだな」

「そうそう。ここあはいつまでも、ダチだって☆」

 と弁解してみるが、花鶴は不服そうに俺たちの顔を交互に見る。

 

「な~んか、最近あーしだけさ。ハブられてる気がするんだけどな~ リキもこの前なんかL●NEを既読スルーしたし……後で理由を聞いたら、『ネコ好きなおじさんとビデオ通話』してたんだって。マジ、ないっしょ!」

「……」

 絶句する俺。

 対して、ミハイルは手を叩いて喜ぶ。

「ここあ。それ、マジなの!?」

「へ? うん。リキはそう言ってたけど」

「やったぁ~! これで、あいつ。夢が叶うゾ☆」

 それ、別の夢でしょ。

 

 ていうか、ちゃんと有言実行しているのか。リキ先輩。

 もう前に進み出しちゃったのか……俺たちとは別の道を。

 

 その場でぴょんぴょんとジャンプして大喜びのミハイルに、だんまりを決め込む俺を見て、花鶴は不満をもらす。

 

「あんさぁ。二人で隠し事はやめてくれる? あーしもマブダチじゃん? なんか悩み事とかあるなら、相談のるっしょ。だからリキのことも教えてよ!」

 

 それだけは無理、とは言えなかった。

 だって、リキの恋路を邪魔するわけにはいかないから……。



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313 肩こりにはコレが一番!

 

 やっとのことで、坂道を登り終えると、六角形の大きな武道館が見えてきた。

 三ツ橋高校の名物だ。

 武道館の横を通り過ぎる際、中から「セイッ」「ヤッ!」など叫び声が聞こえる。

 多分、体育会系のガチムチマッチョ共が部活と称して、ナニかをヤリ合っているのだろう……。

 

 そんなことを妄想しながら、歩いていると、一ツ橋高校の校舎が見えてきた。

 Y字型で3つに分けられた構造で、本来なら正面玄関から入るべきなのだが……。

 俺たち通信制の生徒は、陽の当たらない裏口へと向かう。

 あくまでも、全日制コースの校舎をお情けで借りているに過ぎないからな。

 

 相変わらずのボロい引き戸だ。

 汚れたガラスはひびが入っており、所々ガムテープで補強してある。

 持ち手を掴み、横に開こうとした瞬間、何か違和感を感じた。

「開かない……」

 どうやら鍵がかけられているようだ。

 

 後ろにいたミハイルが不思議そうに声をかける。

「タクト、どうしたの?」

「いや……なんか鍵がかかっているようだ」

 俺がそう答えると、花鶴が嬉しそうに手を叩く。

「あれじゃね? 台風とかの休校とか♪」

「いや、台風はきてないし、全日制コースの奴らが普通に部活してたろ」

 そう的確に突っ込んでやると、納得する花鶴。

「あ、そうだった。オタッキー。頭良いじゃ~ん!」

 お前がバカなだけだ!

 

 

 俺たちはその後も、

「宗像先生が遅刻した」とか。

「スクリーングの日にちを間違えた」とか。

 都合の良い事ばかり、勝手に喋っていると……。

 近くの駐車場のから1つの人影が近づいてくるのを感じた。

 

 ツカツカとハイヒールの音が鳴り響く。

 振り返れば、中洲に立っているピンク系の商売を生業としている女性が一人。(あくまでも見た目が)

 宗像先生だ。

 本日も環境破壊型セクハラなファッションだ。

 カーキ色のシンプルなニットのワンピースなのだが、超ミニ丈。

 秋を先取りしているように見えるけど、肩だしで胸元も穴あきの童貞殺し。

 つまり、無駄にデカくて、キモい爆乳が丸見え。

 ブラジャーまではみ出ている。

 しんどっ……。

 

「くぉらっ! お前ら、今日は校舎ではやらんと言ったろうが!」

 

 鬼のようなしかめっ面でこちらに向かってくる。

 思わず、後退りしてしまうほどだ。

「ひっ!」

 考えたら、夏休みに宗像先生と大人のデートとして、取材したけど。

 最後はアンナとひなたがスタンガンで襲撃したから……。

 その後、救急車も呼ばずに放っておいたから、説教されると思っていた。

 

 殴られると思った俺は、恐怖から目を閉じる。

 だが、予想とは反して何やらプニプニと柔らかい感触が頬に伝わってきた。

「お前ら~ 始業式に良く来たな~」

 瞼を開くと、俺たち三人は抱きしめられていた。

「ぐ、ぐるしい……」

「宗像センセ、苦しいよ」

「ひゃはは! 先生、乳首立ってね? ウケるんですけど」

 花鶴さん。要らない情報を教えないでください。

 

 

 宗像先生は久しぶりに生徒で再会出来たことを喜んでいるようだ。

 さすがに前回のスタンガン攻撃が心配だった俺は、先生に尋ねる。

 

「あの……宗像先生。この前は、すみませんでした」

 謝る俺に対して、犯人であるミハイルは隣りで口笛を吹いてごまかす。

「なんのことだ?」

 先生は相変わらず、元気そうだった。

「いや、この前なんか変な黒づくめの奴らに痛いことされたでしょ?」

 俺がそう指摘すると、ミハイルはそっぽを向く。

「あぁ~ あの日のことか! 確かに突然ビリビリされて驚きはしたけどな、ダハハハッ!」

 なんて口を大きく開いて豪快に笑い出す。

「え? 痛くなかったんですか?」

「全然。むしろあれ以来、肩こりが良くなってな。あの健康器具、どこに売ってるんだろうな」

 ファッ!?

 さすがは元伝説のヤンキーだ、ということにしておくか。

 

  ※

 

 俺は先生に入口のことを尋ねた。

 

 宗像先生が言うには「今日はオープンキャンパスだから、三ツ橋高校の校舎は使えない」らしい。

 だから、この前各自宅に郵送した封筒に、『食堂で始業式を行う』と書いていたそうな。

 食堂は校舎の反対側にある建物だ。本来は全日制コースの生徒たちが昼食を取る場所だ。

 以前、宗像先生が運動場でパーティをした時。

 誤って生徒たちに酒を飲ませてしまい、親にバレたくないとみんなを一泊させた……嫌な過去がある。

 

 

 それにしても、式なのに食堂って……。

 マジで金がないんだね、この高校。



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314 トイレ喫煙が美味いってホントですか?

 

 俺たちは宗像先生によって、食堂へと案内された。

 朝早いこともあってか、中にいる生徒の数は少ない。

 100人ぐらいは入れる食堂なのだが、集まったのは20人もいない。

 縦長のテーブルに間をあけてバラバラに座っている。

 ヤンキーやギャルたちはいない。

 ほとんどが、髪の色が黒い真面目な奴ら。

 

 宗像先生は「書類を持ってくるから、好きな席に座っておけ」と食堂の奥へと消えていった。

 仕方ないので、俺とミハイル。それに花鶴 ここあは近くの椅子に横並びで座る。

 近くで大きな笑い声が聞こえたので、視線を向ければ、ピカピカ輝く豆電球が……。

 いや、ハゲの千鳥 力だ。その隣りにはナチュラルボブの眼鏡女子、北神 ほのか。

 

「それでさ。朝までそのおじさんとネコの話で盛り上がってさ」

「ぶひょ~! ハァハァ……で? で? その後どうしたの?」

 うわっ……朝からエグい話で盛り上がってる。

「えっと、おじさんがビデオ通話にしたいっていうから、切り替えて……。なんか俺に見せたいモノがあるってズボンを下ろそうとしたところで、ネットが切れちゃって」

 ファッ!? 誘われてるよ、リキ先輩!

 それを聞き逃さないほのか。

 鼻から血をポタポタと垂らして、興奮中。

「なんて、神回なの!?」

 いや、ネットが切れて良かったじゃん……。

 

  ※

 

 宗像先生は、小さなダンボールを持って来て、中から書類を取り出し、生徒に配る。

 一番前の生徒が受け取ると、後ろの生徒へとリレーする。

 俺の所にも1つの冊子が回ってきた。

 白黒のコピー用紙をホッチキスでまとめたもの。

『一ツ橋だより』

 という表紙だ。

 1ページ目をめくってみようとしたその時、前に立っていた宗像先生が大きな声で叫ぶ。

 

「諸君! 由々しき事態だ!」

 険しい顔で腕を組む。

 なにやら、ただ事ではないようだ。

 俺も冊子を閉じて、先生の話に耳を傾ける。

 

「今日の始業式に集まったのは……15人程度だな。良くない傾向だ。このままでは、一ツ橋高校の存続に関わる大問題だ!」

 言われてみれば、確かにいつもみたいにうるさいヤンキー共がいない。

 静かだ。

 でも、俺からすれば、この方が良い状態だけど。

 

「実はだな……この夏休み中に退学した生徒はなんと……60人だっ!」

「ええっ!?」

 その数字に驚いた俺は、思わず席から立ち上がってしまう。

 60人って……どんだけやる気ないんだよ。あんなバカなレポートと授業で。

「お、新宮。さすがリーダーだな。我が校を心配してくれるのか」

 誰がリーダーだ! そして心配なんてこれっぽちもしてない。

「すいません。ちょっとビックリして……」

 とりあえず、椅子に座り直す。

「確かに期待のルーキー。新宮が心配するのも無理はない数字だ……生徒諸君、今一度気を引き締めて欲しい! 退学した生徒たちの理由は、主にタバコとレポートだ」

「……」

 心配した俺がバカでした。

 

 宗像先生が言うには、タバコを校舎のトイレで吸っている生徒がいて全日制の校長に見つかり、怒られた生徒がすねて退学。

 レポートを書くのが面倒くさくて、真面目な生徒から返却されたレポートを丸々うつしたらしく、それを添削している宗像先生が気づき、やり直しを要求すると、へそを曲げて退学……。

 他にもレポート書くのがしんどい。スクリーングに来るのがしんどい。

 バリバリのヤンキーだけど、地元の友達がいないから寂しい……と辞めていく豆腐メンタルまで。

 

 クソみてぇな理由で辞めやがって!

 全員、バカばっかりじゃん!

 

 

「ということで、みんなも秋学期に入ったから、もう一度初心に返って、頑張って欲しい! このままでは先生の給料も下がっちまう! ウイスキーが買えない! がんばれ、みんな!」

 お前ががんばれ!

 

 あほらし……と呆れる。

 隣りにいたミハイルが俺を見て、心配そうに声をかけてきた。

「大丈夫? タクト」

「いや、俺は問題ない。俺はな……」

 そうだ。真面目な奴らは何も問題ないし、悪い事もしてない。

 なのに一括りにされたのが、ムカつく。

 

 

 宗像先生のお説教は続く。

「いいか! 入学式でも言ったように、未成年でもタバコは吸ってもいい! だが、所定の場所で吸え。それからレポートは貸し借りするな! スクリーングにはちゃんと来い!」

 あー、懐かしいね。半年前を思い出すよ。

 俺に該当することは1つもないけど。

 

 先生が熱弁している中、一人の生徒が何やらくっちゃべる。

「それでさ。今日の帰り一緒にバイクで帰らない?」

「えぇ……二人乗りは怖いなぁ」

 リキがほのかを口説いていた。

 

 宗像先生がそれを見逃すわけもなく、リキ目掛けてビシッと人差し指を指す。

「千鳥! なに私語をしとるか! お前は単位をあんまり取れてないぞ? このままじゃ、隣りにいる北神と一緒に授業を受けることができないから、気をつけろよ!」

「え……」

 先生に指摘されて顔を真っ青にするリキ。

「そりゃそうだろ。単位が不足すれば、受ける授業も変わる。うちは単位制だからな。真面目に単位を取っている北神と違うお前は、来年二年生の科目を受けることはできんぞ!」

「そ、そんな……」

 ここに来て差が出てしまったな。

 

 宗像先生の矛先は、リキだけじゃなく、花鶴にも向けられた。

「あと、花鶴! お前もだぞ?」

「え? あーしのこと?」

「そうだ! お前はスクリーングにこそ来ているが、前期のレポートが一枚も提出されてないぞ? 今からでも添削してやるから、ちゃんと書いて出せ。そしたら、単位をやる!」

 なにその、ガバガバ単位制。

 真面目に単位を取った俺はどうなるの?

 ヤンキーにだけ優しすぎない?

 

「えぇ~ めんどーい!」

 好待遇だというのに、やる気ゼロの花鶴。

「このままじゃ、お前も同期の古賀と一緒に授業を受けられないぞ! それこそ、卒業もバラバラになっちまう! その辺、古賀は前期でしっかりとレポートもスクリーングも、それから試験も頑張った。クソみたいな回答ばかりだがな」

 褒めてんだか、貶してんだか……。

 しかし、ミハイルは嬉しそうにWピースで笑う。

「ふふん! ここあもオレみたいに頑張れよ☆ タクトに勉強教えてもらったもん」

 ない胸をはるな!

 

 俺はなにも教えてないけど。ミハイルがこんなに喜んでいるんだ。

 ま、いっか。



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315 オラってるヤンキーほど寂しがり屋

 

 宗像先生のお説教が終わると、先ほど渡された『一ツ橋だより』に目を通すよう指示された。

 なんでも、秋学期から入学した生徒たちの自己紹介が載っているらしい。

 パラパラと読んで見ると、20人ぐらいの簡単なメッセージがあった。

 

 

『ウチ、腰振りダンス上手いんでよろ』

『俺は地元で有名なヤンキーで、ケンカ早いので、気をつけてください』

 クソみたいな自己紹介だな。

 最後に変な生徒が一人。

『僕は一ツ橋高校に愛する女性を探しに来ました』

 なんだ、この変態は……と名前を確認すると、筑前 聖書。(25歳)

 俺の絵師。トマトさんか。他人のふりをしよっと。

 

 新入生を一通り確認し終えると、宗像先生が突然叫ぶ。

 

「では、これにて一ツ橋高校、秋学期始業式を終了とする!」

 ファッ!?

 え、もう終わりなの?

 まだ始まって30分も経ってないのに。

 

 言葉を失う俺に対して、他の生徒たちはぞろぞろと席を立ちあがり、食堂から出ていく。

 一応、式でしょ? こんなんでいいの……。

 

「タクト☆ このあとチャイナタウンで遊ぼうよ☆」

 なんて嬉しそうに笑うミハイル。

「ああ……構わんが」

 こんな秒で終わる始業式なら必要ないんじゃない?

 

  ※

 

 俺とミハイルは一ツ橋高校を後にして、赤井駅付近にあるショッピングモール、チャイナタウンに向かった。

 チャイナタウンとは、中国地方を拠点に九州地方、四国地方などに展開している大型のショッピングセンターだ。

 直営のスーパーだけではなく、数々のテナントもあるため、一日遊べるアミューズメント施設と言っても良いだろう。

 

 ミハイルが遊ぶと言ったが、正直俺たちティーンエージャーが楽しむ所は少ないように感じるのだが……。

 まあ、全日制コースの三ツ橋高校の生徒たちも店内でちらほら見かけるし、何かしら暇を潰せそうだ。

 なんだか、学校帰りに友達とスーパーで遊ぶなんて、リア充みたいだな。

 

 

「さて、なにをして遊ぶ?」

「んとね……ゲーセンでパンパンマンの乗り物で遊ぼうよ☆」

「え……」

 想像しただけでも、しんどい。

 大の男同士があの幼児向けの小さな乗り物で遊ぶとか。

「あれね。オレん家の近くのダンリブにもあってさ。乗り終わるとカードが出てくんの。パンパンマンの☆ それ全部集めたくて、毎日ダンリブ行っているけど、あと2枚が出なくてさ」

 なんて苦笑いするミハイル。

 ちょっと、小さなお子さんのために自重しませんか?

 あなたの収集活動で、幼児が泣いているかもしれません。

 

 呆れた俺はその案を却下しようと、口を開こうとしたその時だった。

 誰かがこちらに向かって走ってくる。

「ミーシャ! ちょっと待ってよ~!」

 振り返ると、ミニスカギャルの花鶴 ここあだ。

 偉く慌ているようだ。

「ここあ? どうしたの?」

「どうしたのじゃないって~ マブダチ置いて遊ぶとかなくない? 最近付き合い悪いっしょ! リキもほのかと2ケツして帰るしさ……あーしってハブられてんの?」

 それを聞いた俺とミハイルは、顔を見合わせて笑う。

(リキのやつ。いい感じぽいね☆)

(だな)

 二人で頷いていると、花鶴が頬を膨らませる。

「ねぇ! それじゃん! あーしに隠し事ばっかしてさ!」

「あ、いや……そう言う意味じゃないんだよ、なあミハイル」

「うん……ここあのこと嫌いとかじゃなくて」

「じゃあ、説明するっしょ!」

 

  ※

 

 花鶴が俺たちに不満を持っているため、とりあえず、フードコートで話し合うことになった。

 丸いテーブルに三人で座る。

 ちょうど、昼時だったので、昼食を頼むことに。

 全員、バラバラの店で注文した為、各自呼び出しベルを持って待機。

 

 花鶴はかなり怒っているようで、ぶすっとして腕を組んで座っている。

「あんさ~ あーしらダチじゃん? なのに付き合い悪くない? ミーシャはタバコもやめて、なんかコソコソしてるし。リキも急にほのかと仲良くなって、あいつまでタバコやめるとかさ。マジおかしいよ!」

「「……」」

 恋の力です、とは言えなかった。

「ねぇ! 二人ともなんで何も言わないん? あーしだけぼっちじゃん! タバコも一人で吸って吐いておいしくないんだけど!」

 ドンッとテーブルを叩く。

 涙目で。

 意外だった……ヤンキーって結構寂しがり屋なんだな。

 

 その時、ブザーが3つ同時に鳴った。

 ミハイルがそれを見て「オレが二人の分取ってくるよ」とベルを持って去っていく。

 いや、気まずくて逃げたんだろ。

 

 一人残された俺は、花鶴にギロっと睨まれる。

「ねぇ、オタッキー。あーしさ。この前、思ったんだけど?」

「な、なにを?」

 彼女は深いため息を吐いてから、こう語り始めた。

「この前、別府で会ったブリブリ女さ……あれって、ミーシャだよね」

「いっ!?」

 思わずアホな声が漏れる。

「最初はさ。いとことか言うから、信じてみようと思ったけど。やっぱおかしいんだよね。あーし、ミーシャとは幼稚園の時からの仲だけど、親戚とかいないはずなんだけど」

「……」

 脇から尋常ないぐらい大量の汗が湧き出る。

「だってさ。昔ヴィッキーちゃんから聞いたけど。死んだミーシャのおじさんとおばさんって駆け落ちで結婚したから、親戚には内緒で席内に引っ越してきたってさ」

 花鶴って意外と鋭いんだな……。

 またアンナの正体を知る人が現れてしまった。

 どうする。宗像先生はアンナのことは黙ってやると理解してくれたが……。

 

「それにさ、ミーシャほどのカワイイ子。ハーフで見たことある? ダチだからとじゃなくて。あいつ、男だけどルックスはマジ神がかってない? 女のあーしでも嫉妬するぐらい」

「う、うん……」

 同調してしまった。

「ねぇ、オタッキーさ。マブダチのミーシャにさ、女の格好させてナニさせるつもり? ミーシャ泣かせたらマジ許せないんだけど?」

 そう言って、テーブルの上に肘をついて、顎をのせる。

 もちろん、睨みをきかせて。

 この時ばかりは、伝説のヤンキーの顔つきだ。

 物凄い圧力を感じる。

 

 振り返ると、ミハイルは店の前で出来上がった料理を受け取っている。

 仕方ない。打ち明けよう。

 

 覚悟を決めた俺は、花鶴にミハイルがアンナに変身する理由を説明した。

 女装はあくまでも小説のためだと念を押して。

 恋愛感情ではなく、友達だから……と嘘の情報も追加しておく。

 

 それを聞いた花鶴は目を目開いて、言葉を失う。

 

「……」

「すまん。花鶴、黙っていて。だが、ミハイル本人には言わないでくれ! あいつ、お前やリキに知られたら、きっと……ショックで死んじまうかもしれん。頼む、ダチとしてお願いだ!」

 俺はそう言って頭を深々と下げる。

 テーブルにごちんとぶつけるほど。

「……そっか。そういうことか」

 恐る恐る顔を上げると、花鶴は静かに頷いていた。

 なにか考えているようだ。

「花鶴。一生のお願いだ! 女の格好をしている時はアンナとして接してやってくれないか? じゃないと……あいつが傷つく!」

「いいよ」

 あら? 簡単に了解してくれた。

「本当にいいのか? お前を結果的に騙していたのに……」

「余裕っしょ! ていうか、それを知ってんのって。ダチの中ではあーしだけなんでしょ?」

 ミハイルの秘密を知ってむしろ嬉しそうに笑う花鶴。

「そうだが……」

「ならいいよ♪ ダチの頼みだもん。そっか、ミーシャもオシャレしたい年頃だもんね。それなら協力するっしょ!」

「えぇ……」

 なにもしないでくれると、ありがたいです。



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316 原点回帰

 

 ミハイルの秘密を知った花鶴は、なんだか嬉しそうだった。

「そっかぁ~ ミーシャってそういう趣味があるんだぁ~」

 ちょっと誤解している気はするが、ちゃんと女装のことは黙っておくと約束してくれた。一応、その場をしのげたことで、ホッとする。

「理解してくれて礼を言うよ。花鶴」

 俺がそう言うと、なぜか彼女の顔から笑みが消える。

「あんさ~ 前々から思ってたんだけど。なんであーしのことだけ、上の名前なん?」

「いや……別に意味はないが」

「なら、ここあって呼んでよ! ミーシャもリキも下の名前で呼ぶくせに、ダチじゃないの? あーしとオタッキーって!」

 そういう事か……。花鶴という人間は友情を大事にするんだな。

 ならば仕方ない。ミハイルの秘密も共有する仲だ。

 彼女とも親しくしておくべきか。

 

「わかった。今度からお前のことも、下の名前で呼ぶ。それで良いか? ここあ」

「うん♪ マブダチぽい。ね、オタッキー」

 そう言って満面の笑みで俺を見つめる。

 てか、マブダチならこっちも下の名前で呼べよ!

 

  ※

 

 その後、三人で仲良く昼食を取って、チャイナタウンをぶらぶらする。

 服屋とか雑貨屋が多いから、俺たちが遊べる店は少なかった。

 ミハイルが言っていたパンパンマンの乗り物もここのゲーセンにはなく、ガッカリしていた。

 仕方ないので、駅に向かって帰ることに。

 

 

 彼らの地元である席内駅に列車が着くと、ミハイルとここあは「バイバ~イ」と手を振って降りていった。

 列車が動き出しても、ホームに立ったまま笑顔で俺を見送る。

 なんだかガキぽい奴らだと苦笑するが、悪い気分じゃない。

 ジーパンのポケットからスマホを取り出し、アドレス帳を開く。

 この半年で登録数の桁が1つ増えた。

 両親と妹、それに仕事関係ぐらいの人間しか、存在しない希薄な人間関係のアドレス帳がどんどん変化していく。

 

 ミハイルに始まって、女装したアンナ。

 それから、現役JKのひなた。あとは腐女子のほのか。

 自称芸能人のあすか。

 10年ぶりに再会したマリア。

 ダチのリキ。

 そして、今日新たに追加されたのは、ギャルのここあ。

 

 チャイナタウンで、今後、ミハイルの秘密を守るためにと、連絡先を交換したのだ。

 あくまでも、ダチのために。

 

 別に電話をかけるわけでもないのに、眺めているだけで自然と口角が上がる。

 俺もぼっちから卒業できそうなのかな……。

 と思っていると、目的地の真島駅にたどり着く。

 自動ドアが閉まりそうだったので、急いでホームへと走り抜ける。

 

 乗り過ごしするところだった……と冷や汗をかく。

 すると、手に持っていたスマホがブーッと震える。

 長い振動だったので、電話だとすぐに分かった。

 

 着信名は、アンナ。

 

「もしもし」

『あっ、タッくん☆ 今、真島だよね?』

 当たり前だろ、とツッコミを入れたかった。

 だってついさっきまで一緒にいたし、時刻表を見れば、俺が今真島駅に降りることは、容易だからな。

 ストーカー並みで怖い。

「ああ……どうした?」

『あのね、この前のマンガをお家で読んでたら、タッくんとの最初のデートを思い出しちゃって……会いたくなってきたの』

 噓つけ! 数分前まで一緒にいたろ!

「そ、そうか。じゃあ取材するか?」

『うん☆ 一番最初にデートしたカナルシティに行こうよ☆』

「良いな。で、なにをするんだ?」

『映画にしよ☆ あの時みたいに』

 珍しいな、アンナにしては……。

「そうか。映画は大好きだからな、どんとこいだ。なにを観る?」

 俺が尋ねると、彼女は大きな声でこう言った。

 

『ボリキュア!』

「……」

 

 そうだった。今年は15周年で何かとイベントが盛りだくさんだと、アンナから話を聞いていた。

 ところで、これってラブコメの取材になるんでしょうか。

 僕には理解できません……。



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第三十七章 男の娘を泣かせるな
317 大根役者


 

 翌週の日曜日にカナルシティで映画を観ることになった。

 思えば、アンナと初めてデートした場所だ。感慨深い。

 しかし……観る作品が『ロケッとボリキュア☆ふたりはボリキュア オールスターズ』

 

 博多行きの列車をホームで待ちながら、スマホで作品情報を確認しているが、マジでこれを大の男同士で観るのか……。

 あくまでも取材として行くのだけど、経費として落ちるのか不安だ。

 

 そうこうしているうちに、列車がホームへと到着。

 自動ドアがプシューッと音を立てて、開く。

 スマホをポケットになおして、車内に入る。

 

 スニーカーを車内に踏み入れた瞬間、そこは別世界。

 甘い香りが漂い、空気が優しく感じる。

 ただの電車だというのに。

 それを変えてしまったのは、一人の少女。

 

 金色の長い髪を耳上で左右に分け、ツインテール。

 ふんわりとしたピンクのブラウスには、胸元に大きなリボンがついている。

 ハイウエストのフレアスカートを履いているが、細い体型のため、少し裾が下に落ちている。

 足もとはピンクのローファー。

 

 天使だ……。

 余りの可愛さに俺は言葉を失う。

 すると、それを見兼ねた彼女が苦笑いする。

 

「も~う。タッくんったら、無視しないでよ」

「あぁ……すまん。久しぶりにアンナを見たせいかな……似合っているよ、それ」

 つい本音が漏れてしまう。

「え? この服のこと? 嬉しい☆」

 なんて、はにかんで見せる彼女を、俺はどうしても男して認識できない。

 女の子として対応してしまう。

 

  ※

 

 博多駅について、辺りを見回すが、いつもより人が少ないことに気がつく。

 今日が日曜日だから、サラリーマンとかOLがいないのは、分かっていたつもりだが。

 若者やカップルが遊びに来るから、いつもならごった返しているはずなのに……。

 ふと、近くにあった壁時計に目をやる。

『8:12』

 そうだった。アホみたいに早く博多へ来たんだった。

 だから、若者もまだ自宅にいるのだろう。

 

 アンナが昨晩、L●NEで一通のメッセージを送ってきたのだ。

『明日は朝一番のボリキュア見ようね! だから、朝ご飯も食べないで行こ☆』

 と勝手に決めつけられた。

 だから、彼女の指示通り、俺は朝飯抜きで、列車に乗り込んだ。

 

「お腹空いたねぇ~ タッくん」

「ああ……さすがにな」

 ていうか、お前がボリキュアのために抜かせたんだろ!

「もうちょっと、我慢しようね。映画があと30分ぐらいで始まっちゃうから。ボリキュアの」

 なんて俺の肩に優しく触れる。

 ふざけるな。

 その話しぶりだと、他人に俺がボリキュアを観たいから、飯抜きで早く行こうってせがんでいるみたいじゃないか!

 

 結局、アンナが早く映画を観たいからと、そのまま、はかた駅前通りへと向かう。

 早歩きで。

 空腹なのに、走らせるこの状況。苦行でしかない。

 

 

 カナルシティに着いても、アンナは慌ててエスカレーターを登っていく始末。

 速すぎて追いついていけないほどだ。

 まあ、エスカレーターの下から、彼女のスカートを覗けるから嬉しいけど。

 

 やっとのことで4階の映画館にたどり着くと、アンナはチケット売り場のお姉さんに声をかける。

「ボリキュア、大人二枚ください☆」

 なんか幼女向けの作品名に対して、大人ってのが辛い。

 俺は恥ずかしくて、少し離れた場所で彼女の背中を見守る。

 チケットを受け取ったアンナは、なぜかその場で立ち止まっていた。

 

 不思議に思った俺は、彼女に声をかける。

「どうした? アンナ。もうチケットは買えたんだろ?」

「あのね。おかしいの……」

 そう言って唇を尖がらせる。

「おかしい? なんのことだ?」

「ボリキュアのスターペンライトがついてないの」

 ファッ!?

 あれが欲しいのか……。

 ていうか、お子様しかもらえないのでは。

 

 近くにいた売り場のお姉さんが、苦笑いでアンナに説明する。

「あのぅ、お客様。大人の方には特典のペンライトを配布できないんです。申し訳ございません」

 と頭を下げる。

 だが、アンナはそれに屈することはない。

「えぇ……お金払ったのに、おかしいよぉ~」

 おかしいのは、あなたの感覚!

「アンナ。あくまでも子供用のおもちゃだからな。ここはちょっと我慢してくれないか?」

 そう言うと、ギロッと俺を睨みつける。

「イヤッ! あれがないと映画が楽しくないの!」

「……」

 このままでは埒が明かない。

 後ろにもたくさんの家族連れが待っている。

 仕方ない。俺が一役買ってやるか。

 

 

 ゆっくりとチケット売り場のお姉さんに近くと、俺は大きな声で叫び出した。

 床に寝転がり、手足をバタバタさせて。

「イヤだっ、イヤだぁ~! ペンライトないとイヤだぁ~! アンナお姉ちゃんと遊べない~! タッくん、あれがないと眠れないの~! くれないとイヤだぁ!」

 ついでに泣き真似も一緒に。

「うえ~ん!」

 当然、お姉さんはそれを見て困る。

「ちょっと、お客様……」

 だが俺はそれでも押し通す。

「タッくんはアンナお姉ちゃんとボリキュア見るために、朝ご飯も食べてないのにひどいよぉ~! うわああん! ペンライトぉ~!」

「……」

 絶句するお姉さん。

 

 一連の流れを見ていた家族連れがざわつき始める。

「あの子ってそういう男の子よね? ペンライトぐらいあげればいいのに」

「優しくない映画館だな。ちょっと俺クレーム入れようかな」

「パパ、ママ。わたぢのライト、あのお兄ちゃんにあげてもいいよ」

 最後の女の子、要らないです。

 

 

 結局、俺の三文芝居によって、受付のお姉さんが負けてしまい、ライトは無事に2つゲットできた。

「ありがと、タッくん☆」

「ああ……構わんさ。アンナのためだからな」

 

 こうやって、取材をするたびに、俺はなにかを失っていくのさ。



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318 大きなお友達二人、再び

 

 無事にペンライトをゲットできたアンナは、終始ご機嫌だった。

 その代償として、俺は人間として大事なものを失ったが……。

 

 チケット売り場の左からエスカレーターに乗る。

 相変わらず、スクリーンまでが長い。

 でも、それがこの映画館の楽しみ方でもある。

 左側には一面ガラス張りの窓で、上に昇るに連れて、カナルシティを一望できる。

 ついでと言っちゃなんだが、隣接している高級ホテルの屋上も見られる。

 俺みたいな貧乏人には、無縁の建物だが。

 立派な和風の庭園があり、一つ小さな古風の家らしき建物がポツンと立っている。

 

 きっとあれだ。

 上流階級の奴らがお見合い的な事をするんだろう……。

 なんて、勝手な妄想を膨らませていると。

 隣りにいたアンナが手を叩いて見せる。

 

「そうだ。まだ朝ご飯食べてないよね?」

「ああ、アンナがそう指示したからな」

 おかげで、眩暈が起きそう。

「じゃあさ。ボリキュアを観ながら、二人で朝ご飯を食べようよ☆」

「暗い中でか?」

「うん☆ タッくんは先にスクリーンの中で待っててよ☆ アンナが用意してくるから」

 と嬉しそうに笑う。

「?」

 

 映画館で飯を食うなんて……。

 まあ別に音を立てずに食わなければ、マナー違反ではないかな。

 しかし、この売店にご飯なんて売っていたか?

 精々がポップコーンぐらいだったような。

 

  ※

 

 俺は彼女に言われた通り、ひとりスクリーンの中で待つことにした。

 入ってみると、いつもと違った客層に飲み込まれそうになる。

 辺りを見回せば……。

 

「きゃははは」

「ママ、ボリキュアだぁ~」

「ライト。ライトぉ~!」

 

 なんて鼻水を垂らしている幼女ばかり。

 場違い過ぎる。

 ほとんどが家族連れって感じで、大人もいるけど、あくまでも付き添い。

 近くにいたお母さんと目が合えば、「うわっ」とドン引きされる始末。

 

 俺だって彼女の付き添いだもん! 大友、扱いしないで!

 

 

 アンナが購入した指定席は、劇場の真ん中あたりで一番観やすいシート。

 ただ、普通の座席と違い、ひじ掛けがない。

 ソファーのようなシートだ。

 どうやら、ファミリー向けの座席らしい。

「最近はこんなサービスがあるんだな」

 ポンポンと誰もいないシートを叩いてみる。

 すると、色白の長い脚が2つ現れた。

 見上げれば、ニッコリと笑う金髪のハーフ美少女が。

「お待たせ☆ 朝ご飯買ってきたよ☆」

 大きなトレーを持っている。

「おお……」

 慌てて手をどけ、隣りに彼女を座らせる。

 

  ※

 

「やっぱりボリキュアの15周年だから、アンナ達もお祝いしないと、って思ったんだ☆」

「……」

 俺はトレーの上に並ぶ朝食を見て、絶句する。

「じゃあ映画始まる前に食べよっか☆」

「あ、ああ……」

 

 アンナが用意してくれた朝ご飯は。

 プラスチック製のオリジナルドリンクカップホルダー。

 もちろん、カップにはボリキュアシリーズの歴代キャラクターが総勢55人もプリントされている。

 ストローの部分はピンクのハートの飾りつき♪

 とってもカワイイよ!

 

 お次は、メインの料理だが。

 大手ドーナツ専門店の『ミス・ドーナツ』の袋が置かれていた。

 中を開けると、3つドーナツが入っていることを確認できる。

 1つ取り出してみると。

 これまた可愛らしいオリジナルスリーブに入ったボリキュアのドーナツが……。

 ハートの形をしたドーナツで、女の子が喜ぶようなピンク色。

 つまり、ストロベリーチョコだ。

 あとの味も確認してみたが、全部同じものだった。

 

 

「女の子ってこういうの、いつまでも大好きだもんね☆ タッくん。ここ大事な所だからしっかり覚えておいてね。ちゃんと取材して☆」

「はい……」

 朝から甘いストロベリーチョコを三個も食わせられる苦行。

 だが、唯一の救いはアンナが買ってきたドリンクの中身が、無糖のブラックコーヒーだったことだ。

 胃もたれしないですみそう……。



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319 パパとママには内緒だよ♪

 

 館内からブーッ! と音が鳴り、上映開始のお知らせが流れる。

 周りに座っていた幼女達は、今か今かとざわつき始めていた。

 本来なら、上映中は私語厳禁というのがマナーだというものだが……。

 相手が幼い子供だから、そのルールは通用しない。

 だって下手したら、オムツが取れない妹……というか、赤ちゃんも一緒だからだ。

 

 暗くなって怖がる子までいる。

「うわーん、ママぁ~」

「はいはい。ボリキュア、始まるからねぇ~」

 とお母さんも育児で大変。

 休日だってのに、お疲れ様です……。

 

 

 何なんだ……。この映画館らしくない雰囲気は?

 全然、集中できんぞ。

 まあ俺はしなくてもいいか。

 ふと、隣りのアンナを見れば。

「ボリッキュア♪ ボリッキュア♪」

 興奮しているようで、自然と身体が前のめりになっていた。

 

 うわっ。この劇場の精神年齢。みんな、変わらないね……。

 

  ※

 

 本編が始まる前に、公開予定の予告が流れ始めた。

 俺はいつものことだと、黙って観ていたが、周囲からブーイングが聞こえてきた。

 

「なにこれぇ~ ボリキュアは?」

「いやだぁ、なにこれぇ! おとなのえいが、ぎらい~!」

「おかしいわね……いつもなら、すぐボリキュア始まるのに」

 

 なんて、辺りから不満の声が漏れてくる。

 

 一体何がおかしいんだ?

 映画本編の前に流れる予告ってのは普通のことだろ。

 俺は首を傾げながら、スクリーンに映し出された作品をボーっと眺める。

 どうやら、邦画のようだ。

 

 

 繫華街には似合わない少年と少女がベンチに座っていた。

 オレンジ色の夕陽をバックにして、大きな川の前でお互い見つめあう。

『私……怖いの。心臓の手術がっ!』

 金髪のハーフ美少女が涙を流して、少年に訴えかける。

『そうか。ならば、約束をしよう。手術の成功率が半々なら……俺の人生を半分くれてやる!』

『嬉しい……』

 

 あれ? なに、このデジャブ。

 どっかで見たような光景だな……。

 

 

 そこから映像は変わり、ナレーションが入る。

 

『命を掛けて渡米した少女。大好きだった幼馴染のために結婚を約束した少年。時だけが残酷に過ぎていく……』

 

 次に映し出されたのは、どうやら成長した主人公とヒロインだ。

 

『お前、誰だ?』

『はぁ……あなたの記憶力。本当に悪いわね』

 

 更に次のシーンへと映像は変わり……。

 

『ねぇ、そんなに記憶が戻らないのなら、これでどう?』

 何を思ったのか、ヒロインの女優は主人公役の男の右手を掴む。

 そして、自身の胸を半ば強制的に揉ませる。

『マ……マリ子。お前、マリ子なのか?』

『タクヤ! 思い出してくれたのね! ああ、良かった!』

 

 その後、抱きしめ合う二人。

 記憶を取り戻した主人公はヒロインと唇を重ねて、こう呟く。

 

『結婚しよう』

『うん』

 

 そして、再度ナレーションが入る。

 

『10年ぶりに再会した少年少女……幼き日の約束を叶えるため、大人になった少年は少女のために、全てを差し出すのであった。いや、結婚しないと人間としてクズ野郎だった……』

 

 俺は飲んでいたコーヒーを思わず吹き出す。

 

「ブフーッ!」

 

 なんだこの作品は……ついこの前の俺とマリアの出来事じゃないか。

 一体誰が撮った映画だよ。

 

 

『この冬。福岡を舞台にしたラブストーリーがあなたの胸を暖かくする……クリスマスイブに是非パートナーと一緒にご覧ください。映画、“10年越しの恋”12月11日公開!』

 

 

「……」

 俺は生きた心地がしなかった。

 だって、あまりにも似ていたから……。

 隣りにいたアンナに目をやると。

 

「なにこれ……ボリキュアの世界が壊れちゃうんだけど」

 と眉間に皺を寄せて、スクリーンを睨みつける。

 

 

 辺りの親御さんも純愛ものとはいえ、幼い子供にパイ揉みの映像を見せつけられて、大ブーイング。

 

「なによ、これ!?」

「責任者を呼びたまえ!」

 

 騒ぎに気がついたのか、館内に慌てて一人のスタッフが入ってくる。

「大変申し訳ございません! フィルムを間違えて放映してしまいました!」

 それでも親御さんの怒りはおさまらなかった。

 だから、救済措置として、スタッフがこう提案した。

「お詫びに今日のチケット代はご返金させていただきます」

 スタッフの計らいにより、ようやく大人たちは納得する。

 

 

 だが、一人の大人……いや彼女だけは納得していなかった。

 俺の隣りにいる金髪ハーフ美少女だ。

「許せない……ボリキュアが汚れちゃったじゃない!」

 その瞳は、キラキラと輝くグリーンアイズというよりは、真っ赤に燃える地獄の業火に見える。怒りを堪えるのに苦しんでいるようで、膝の上で拳を作って、プルプルと肩を震わせていた。

「……」

 とりあえず、俺は黙ってボリキュアが始まるのを待つことにした。



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320 男の娘とデートした方がリア充に決まってんじゃん!

 

 俺とマリアの半生を映像化したような謎の予告を鑑賞したおかげで、隣りに座るアンナはブチギレていた。

「今日はボリキュア15周年なのに……タッくんとの初めてが汚された!」

「……」

 その剣幕と言ったら、鬼そのものだ。

 俺は、恐怖から縮こまってしまう。

 

 

 だが、本編が開始されると同時に、その重たい空気は一変する。

 可愛らしいボリキュアのキャラクター達が登場し、チケットを購入した際に特典としてもらったペンライトの説明を始める。

 

『良い子のみんなぁ~ このペンライトは人に向かって点けたら絶対にダメクポ!』

 

 ほう、初代ボリキュアの『クップル』か。懐かしいな。

 クップルとは、シリーズに登場する妖精の一人だ。

 

『わかったら、みんな。お返事するクポよ!』

 

 すると、周りにいた幼女達が元気よく叫び始めた。

 

「「「は~い」」」

 

 幼稚園かよ……。

 もちろん、お父さんお母さんは終始、我が子が喜んで叫んでいる姿を黙って見守っているが。

 一人、例外がいた。

 うちのお友達。アンナちゃんだ。

 

「はーーーい!」

 

 一番デカい声で叫びやがるから、隣りにいた俺は思わず、両手で耳を塞ぐ。

 まあ、本人は楽しんでいるし、いいか……。

 

  ※

 

 ペンライトの説明とショートアニメが終わると、いよいよ本編の開始だ。

 映画館でアニメを見るなんて、いつ以来だろう……。

 確かに15周年と言うだけあって、制作陣の気合を感じる。

 CGも使われてるし、ぬるぬるとキャラ達が動く。

 

 ボーッと幼女向けアニメを大画面で眺める。

 俺は正直、興味がないから、アンナとの間に温度差を感じていた。

 精々が出演している声優さんをチェックするぐらいだ。

 

「あ、“マゴ”だ。YUIKAちゃんも出てたのか……」

 

 なんて声優さんたちの演技に感心していると。

 隣りに座っているアンナの様子がおかしい。

 両手で肩を抱え、ガタガタと震えていた。

 別に怖いシーンでもないのに。

 

「アンナ。どうした? ボリキュアがつまらないのか?」

「ううん……楽しいんだけど。映画館の冷房が効き過ぎて、身体が冷えちゃった」

「寒いのか?」

「うん……」

 

 そう言えば、ミハイルの時にも冷房が苦手だと言っていたな。

 俺からしたら、心地よいぐらいなのだが。

 しかし、あんなに楽しみにしていたのに、このまま震えて映画を観るのはかわいそうだ。

 どうしたものか。

 俺はTシャツだから、脱いで着せてやることは不可能だし……。

 

 一人、悩んでいると何を思ったのか、彼女が俺の左肩にこつんと頭を乗せてきた。

 そして、腕を組む……というよりは自身の胸に引き寄せる感じで、密着する。

 一瞬ドキッとしたが、寒いから仕方ないのだろう。

 

「ごめんね。寒いから……」

 と上目遣いで訴えかける。

「……いや、構わん。アンナが望むなら俺が助力しよう」

「え?」

「肩が冷えるんだろ? 俺は寒くないから、暖めてやろうか?」

 俺の提案にアンナは、一瞬目を丸くしたが嬉しそうに微笑む。

「じゃあ……お願い」

「了解した」

 

 彼女からの合意を得たことで、俺は自身の片腕でアンナの身体を包んであげる。

「あったかぁい」

 この間も、アンナは俺の肩に頭を乗せたままだ。

 俺は、彼女の華奢な身体をギュッと引き寄せて、更に密着させる。

 

 あれ……今の俺たちがやっていることって、マジのカップルじゃね?

 よく一人で映画館へ行った時に後ろから見かける光景。

 イチャイチャするクソカップルのせいで、映画を純粋に楽しめなかった、アレだ。

 

「タッくん、優しい☆」

「いや、女の子が寒がってるなら、当然の行為だ」

 

 またアンナを女子扱いしてる自分に気がつく。

 もう嫌だ……。

 

 でも、正直憧れていた光景だったんだよな。

 相手が女装男子だし、観ている映画が超お子様向けだけど。



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321 シューティングスター

 

 映画はクライマックスを迎えようとしていた。

 声優界の王子様こと、マゴが演じるラスボスの巨大な力に屈するボリキュア達。

 

『もう負けを認めるんだぁ~ そして私とこのダークランドで共に闇に染まろうではないかぁ~』

 

 次々と倒れていくレジェンドヒーロー達。

 だが、今シリーズの主人公、ボリエール。そして初代ピンク担当であるボリブラックだけは諦めなかった。

 ボロボロになりながらも、かつてないヴィランに立ち向かう。

 

『私たちは……』

『絶対に……負けないんだから!』

 

 と二人して叫んだ所で、いきなり妖精のクップルが大画面に登場する。

 そして、観客に向かって何やら必死に訴えかけるのであった。

 

『映画館に来てくれたみんな! 大変クポ! ボリキュアがピンチクポ!』

 

 なんだ? 劇中だというのに、こっちに話しかけてきたぞ。

 俺が首を傾げていると、隣りにいたアンナが何やらゴソゴソとショルダーバックの中を探し出す。

 

『魔法の力が詰まったスターペンライトを出して欲しいクポ! それでボリキュア達を応援して欲しいクポ!』

 

 一体なにを言っているのか、さっぱり分からない。

 だが、辺りを見回せば、幼女達が特典でもらったペンライトを取り出し、小さな灯りを点ける。

 そして、スクリーンに向かってブンブン振り回す。

 

「ボリキュア、がんばえ~!」

「かって~! まけないで~!」

 

 なるほど……この時のためのペンライトなのか。

 だから、アンナがこだわっていたんだな。

 しんどっ。

 と納得したところで、隣りを見れば、大きなお友達のアンナちゃんがニコニコ笑いながら、ペンライトを二本持ってスタンバッていた。

「……」

 あんたもやるんかい。

 ちょっと、他人のふりをしておこう。

 

 たくさんの幼女達の声をかき消すほどの大声で叫ぶ。

「ボリキュア、頑張れぇーーー! 勝って、絶対に勝ってぇーーー!」

 うるせぇ!

 思わず、両手で耳を塞ぐ。

 

 まあ、本人が喜んでいるならいいか……。

 あと10分ぐらいしたら、終わるんだろう。

 もうちょっとの辛抱だ。我慢しよう。

 

 ボーッとスクリーンを眺めていると、ちょんちょんと膝を突かれる。

 隣りに目をやると、エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせるアンナが1つのペンライトを俺に差し出す。

「さ、タッくんも一緒にやろ☆」

「え……」

「これ、やらないと小説の取材に活かせないよ? ラブコメを書いてるんだから、重要なポイントだよ☆」

「……」

 どこが重要なんだ!

 ラブ要素もコメディ要素も皆無だ。

 だが、彼女の誘いを断れば、後が怖い。

 仕方ない。恥でしかないが……やるか。

 

 

 俺はペンライトを受け取ると、スクリーンに向かって高々と掲げる。

「ぼ、ボリキュア、頑張れぇ……」

 声はかなり抑えて。

「タッくん! そんなんじゃ、ボリキュアが勝てないよ!」

 なんで怒られるんだよ……。

「うう……ボリキュア、頑張れぇ!」

 だが、まだアンナは納得してくれない。

「全然ダメっ! タッくん、恥ずかしがってるでしょ! 小説のためだよ!」

 もう泣きそう。

 覚悟を決めた俺は、腹から大きな声を出す。

 多分、生まれて初めてってぐらいの叫び声。

 

「ボリッ! キュア~! 頑張れぇ~! 勝ってくれぇ! 頼むぅ!」

 

 恥ずかしくて、頬が熱くなり、脇から大量の汗が滲み出るのを感じた。

 結果的に、1番目立ったのは俺だった。

 辺りにいたお父さんお母さんが吹き出す始末。

 

 生き恥をかいた俺に対して、アンナは満足そうに肩をポンと叩く。

「タッくん。カッコ良かったよ☆」

「そ、そうか……」

 

  ※

 

 やっとのことで映画が終わり、他の客に顔を見られたくなかったから、俺はさっさと劇場を出ようと焦る。

 トレーを持って、出口に立っていたスタッフにトレーを渡して、ゴミを捨てようしたその瞬間だった。

 アンナが俺の腕を強く掴んで、止めに入る。

「タッくん! 捨てちゃダメ!」

「へ?」

「そのドリンクホルダーは記念に持って帰るんだよ? 中をキレイに洗ったら、お家で飾ったり、コップとして楽しめるんだから」

 と頬を膨らませる。

「すまん……」

 

 別に俺はいらないのだが、アンナによって、強制的にボリキュアのドリンクホルダーをお土産として、持たされた。

 

 これでやっと映画館から、離れられると思ったが、またアンナに止められる。

 ボリキュアを観に来た時は、ある儀式を行うそうだ。

 

 売店近くに1つのミニテーブルがあり、大きな朱肉と円形のスタンプが置いてあった。

 何人かの親子連れがそこに列を作って並んでいる。

 アンナに引っ張られて、俺もその列に加わった。

 待つこと数分で、テーブルの前に来たのだが、一体今から何をするのかが分からない。

 要領を得ない俺を無視して、アンナはショルダーバッグから、小さなノートを取り出した。

 表紙にはたくさんのボリキュアのシールが貼ってある。

 テーブルの上にノートを置くと、スタンプを手に取り、朱肉にゴリゴリと押し込む。

 そして、白紙だったノートへ力強く叩きつける。

 スタンプを離すとそこには、ボリキュアのイラストが残っていた。

 なるほど。映画の記念か……。

 大きなお友達の御朱印帳か、しんどっ。

 

「アンナ。そろそろ映画館を出ようか?」

 俺がそう言うと、彼女は不服そうにギロッと睨む。

「ちょっと、タッくんもしてよ! スタンプ! 思い出にならないでしょ!」

「いや……俺はアンナみたいにノートを持って来てないし」

 それにいらないし。

「えぇ~ それじゃ取材の意味ないよ~」

 もう、この取材はお腹いっぱいです。

 

 

「う~ん……」

 しばらくその場で考えこむアンナ。

 そして、何かを思いついたようで、手のひらを叩いて見せる。

「あ、これならいいよ☆」

「ん?」

「タッくん。手を出して☆」

「はぁ」

 彼女のやりたいことがよく分からないが、とりあえず、左手を出して見る。

 すると、何を思ったのか、手の甲に向かってスタンプをグリグリとねじ込む。

「いっつ!」

 スタンプを離すと、あら不思議。

 可愛いボリキュア達が僕の身体に刻まれたよ♪

 

「これで良い思い出になったね☆」

「あ、ああ……」

 

 どうせ、帰るまで手を洗えないんだろうな。



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322 嘘をつけない男

 

 映画を見終えた俺とアンナは、カナルシティでしばらく買い物して過ごすことにした。

 と言っても、別にカップルらしい遊び方はしないし、できない。

 知らないからだ。

 地下一階に期間限定のボリキュアショップがあると、アンナが言うので渋々付き合うことに。

 

 3万もする高級フィギュアを平気で買ったり、15周年記念のマグカップやプレートを一種類につき、三個も買う……。

 本人曰く。鑑賞用と保存用。それから実際に使うために分けて買うのだとか。

 総額で10万円ぐらい購入したと思う。

 ホント、金持ちだよな……。姉のヴィッキーちゃんて。

 ちょっとしたセレブだよ。

 

  ※

 

 気がつけば、辺りはオレンジ色に染め上がり。

 夕暮れ時だと知る。

 アンナの中身は、男とはいえ、設定上は女の子だ。

 ぼちぼち、帰してやらないとな……。

 

「なあ、そろそろ帰らないか?」

「え? もう帰るの?」

 そう言う彼女の両手には、大きな紙袋で埋め尽くされている。

 重たい袋を6つも軽々と抱えるその姿は、女子には見えない。

 こんなカノジョがいたら、怖いわ。

「ああ……夜も近い。帰ろう」

 俺がそう言うが、アンナは不服そうに頬を膨らませる。

「えぇ~ なんか今日はもうちょっとタッくんと遊びたい~」

「別に取材は今日だけじゃないだろ? またいつでも遊べるじゃないか?」

 彼女を説得しながら、思った。

 なんか、ダダをこねる子供みたい。そして、俺がお父さん。

「う~ん……じゃあ、最後にもう1つだけ。行ってみたい場所があるの☆ すぐ終わるからいいでしょ?」

 と緑の瞳を輝かせる。

「すぐ終わるなら構わんが……どこだ?」

「一番最初にデートした時、タッくんとアンナが約束した場所☆ あの川だよ☆」

 そう言って、カナルシティの裏口を指差す。

 小さな階段を昇って、横断歩道を越えた先にあるのは……博多川。

「……」

 嫌な予感しかしない。

 というか、罪悪感か。

 確かに半年前、アンナと初めてデートをして、“契約”を交わした思い出の場所だ。

 しかし、10年前にもマリアと約束をした因縁の場所でもある。

 

 ついこの前、故意ではないが正真正銘の女子、マリアの生乳を揉み揉みしてしまった。

 そのせいか……俺は気軽に首を縦に振ることはできない。

 

  ※

 

 結局、断ることができなかった俺は、アンナと二人で博多川に向かうことにした。

 別に何があるってわけじゃないが。

 脇から汗が滲み出る。

 身体の動きもどこかぎこちない。

 関節が曲がらず、ロボットのように歩く。

 

 対して、アンナと言えば。夕陽に照らされた博多川を眺めて、喜んでいた。

「懐かしいねぇ~ あれからもう半年も経つんだぁ☆ なんか一瞬だったね☆」

「う、うん……」

 彼女が近くのベンチに座りたいと言うので、黙って従う。

 博多川と言えば、対岸にラブホテルがズラーッと横並びしているのでお馴染だ。

「タッくん。今までいっぱい取材してきたよね。アンナ、嬉しいんだ」

 そう言って、優しく微笑む。

「な、なにがだ?」

「何って取材の効果があったってことでしょ? 小説もちゃんと発売できて、コミックも同時に売れて……。大好きなタッくんのためにいっぱい頑張って良かったぁ☆ 夢に近づいたなって☆」

 屈託のない笑顔を浮かべる彼女を見て、胸が痛む。

 だって、今座っているベンチで、本物の女子をパイ揉みしちゃったんだよ!

 罪悪感から、俺は視線を逸らしてしまう。

 

「タッくん? なんかさっきからおかしくない?」

「え……?」

 額から大量の汗が吹き出る。

「なんか、顔が真っ青だし。今日の取材が嫌だったの?」

「ぜ、全然! めっちゃ楽しかったぞ! ぼ、ボリキュア。マジ神アニメだった!」

 つい口調が荒くなってしまう。

 それに驚くアンナ。

「そうなの? ならいいけど……でもさ、今日のボリキュアが上映される前に。変な映画の予告流れてたよね。あれ、すごく嫌だった」

 ギクッ!

「ああ……確かに変な邦画だったよな」

 限りなく俺の半生に近い予告編だったよね。

 あれ、撮った監督。ぶっ飛ばしてやりたい。

 

 アンナは嫌悪感を露わにして、愚痴を吐き出す。

「いくら映画館でも、ボリキュアの世界観を壊して良いわけない! それにさ、なんかあのハーフの子。アンナ嫌い! 手術とか、約束とか……主人公の男の子に押し付けて、最後は胸を触らせるとか」

「う、うん……おかしいよね……」

 張本人がここにいるんだけど。

「それで結婚させるとか。恩着せがましいよ! 男の子が可哀そう!」

「……」

 早くこの話題が変わらないかなぁ。あと、博多川から逃げたい。

 

「タッくんはどう思う? 心臓の手術の為に結婚を約束できる? それに胸を触らせるヒロインって存在して良いと思う?」

 ギロッと鋭い目つきで俺を睨む。

「あ、ああ……え、えっと」

 俺は脳内が大パニックを起こしていた。思考回路が上手く働かない。

 言葉につまる。

 正直、挙動不審になっていると思う。

 

 緊張から喉が渇くし、唇をパクパクと動かせるだけで、何も言えない。

 嘘をつけば、きっとボロが出る。

 それに俺という人間は、曲がったことが大嫌いだ。

 性格上、正直に話さないと気がすまない。

 

 沈黙が続く。

 怪訝そうに俺をじっと見つめるアンナ。

 しばらくした後、何かを察した彼女は、「あぁ!」と叫んだ。

 少し身を引いて。

 

「まさか……タッくん。女の子の胸を触ったの!?」

「……はい」

 

 つい、バカ正直に答えてしまった。

 俺って、このあと殺されるんでしょうか?



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323 お馬さん、パカッパカッ♪

 

 言ってしまった……。

 マリアのパイ揉み事件に関しては、墓まで持って行くつもりだったのに。

 ああ見えて、アンナは鋭いからな。

 下手な嘘をつけば、きっといつかバレてしまう。

 ならばと、本当のことを話したが……これから、一体どんなお叱りと暴力を食らうのだろうか。

 

 

「タッくん……誰?」

「え?」

「一体どの子を触ったの? ひなたちゃん? あすかちゃん?」

 見たこともないぐらいの鋭い目つきで、俺を睨んでいる。

 怒っているのはわかるが、その矛先は俺自身ではなく、相手のようだ。

「いや……アンナは知らない子だ」

 絶対にマリアのことは隠しておかないと。

「アンナにも話してくれない……タッくんには大事な子だね……」

「そ、そういうわけじゃない! い、今は話せないだけだ。時が来たらちゃんと話すから!」

 重たい空気が流れる。

 しばらく、沈黙が続いてアンナはこう言った。

 

「タッくん……もしかして、触ったんじゃなくて。女の子に無理やり、触らせられたんじゃないの?」

「えっ!?」

 見抜かれてしまったと、アホな声が出る。

「その反応。やっぱり……。タッくんって優しいから」

「あ、その……ちょっと色々と理由があってだな。決して故意に触ったわけじゃないぞ?」

 俺がそう弁解すると、彼女は更に鋭い目つきで睨む。

「でも、触ったじゃん!」

 見たこともない剣幕に、俺は思わず身を引く。

 殴られる……そう思った。

 恐怖から、瞼を閉じて歯を食いしばる。

 

 しかし、何も起こらない。

 微かに聞こえてきたのは、すすり泣く声。

 ゆっくり瞼を開いてみると、そこには……。

 

「ひっく……ひぐっ……」

 俯いて縮こまっている一人の少女いた。

 俺に顔を見せまいと、両手で隠している。

 だが、指と指の間からは、ポタポタと大きな涙がこぼれ落ちていた。

 

「あ、アンナ? 泣いているのか?」

 心配になって声をかけると。

 我慢していたようで、空に向かって泣き叫ぶ。

 

「うわああん! タッくんが汚されたぁああ! イヤッ! 絶っ対にイヤっ!」

 

 ファッ!?

 そんなに大声で泣かなくても……。

 おかげで辺りにギャラリーが出来てしまう。

 

「なんだ、痴話ゲンカか?」

「女の子泣かすとか最低!」

「『汚された』ってぐらいだから。きっと妊娠させたんじゃね、あの男」

 

 違うわ! こいつも男だから、妊娠できないの!

 

  ※

 

 アンナは目を真っ赤にするまで、泣き続けた。

 多分、1時間ぐらい。

 俺はどうしていいかわからず、とにかく優しく話しかけていたが、泣き声でかき消され、彼女の悲しみを和らげることは出来なかった。

 

「……ひっぐ……タッくん、アンナのタッくんが」

 なんて、1時間も人の名前を連呼している。

 というか、あなたの俺じゃないからね。

 

「アンナ。何度も言うが故意に触ったわけじゃない。別に恋愛感情とか、やましい気持ちも一切ない。事故みないもんだ」

 言いながら、一体どこでそんなラッキースケベがあるんだ? と首を傾げる。

「……でも、触ったことには変わらないよ」

「ま、まあ。そうだが……」

「どっちの手で触ったの?」

「え? み、右手だが」

 俺がそう言うと、何を思ったのか彼女は右手を両手で掴み、自身の額にあてる。

 まるで祈るかのように。

 

「この手が汚れたんだね」

 なんか、マリアが汚物扱いだな。

「まあ、そうだな」

「タッくん、覚えてる? 初めてのデートの時のこと」

「え? もちろんだが……」

「ほら、映画館でアンナが知らないおじさんに痴漢された時。タッくんが『汚れたのなら、洗えばいい』って汚れた太ももを触ってくれたでしょ」

 彼女の顔をよく見れば、涙は枯れ、どこか優しい顔つき。いや、甘えているようだ。

 なんか色っぽく見える。

 

「ああ。そういえば、あったな。そんなこと」

「なら、タッくんの汚れた手も、キレイにしよ☆」

「は?」

「あ、アンナの胸を触って☆」

「えええ!?」

 そんなこと言われたら、誰だって絶叫しますよ。

 

  ※

 

「無理、無理。それだけは絶対にダメだ、アンナ」

「どうして? 他の子を触ったんでしょ? なら汚い手をキレイしないと☆」

 

 今の彼女は、きっと傷心から我を忘れているに違いない。

 いわば、興奮状態なのだろう。

 その境界線だけは越えてはいかん。

 俺たちはあくまで、小説のために契約した関係なんだ。

 

 マリアの時は、あっちがやってきたら、揉んじゃっただけだ。多分。

 

「アンナ。悪いができない」

「なんで!? 他の子は触れて、アンナは触れないの? 胸が小さいから?」

「そういうことじゃないだろ。俺とお前はあくまで、取材のために契約した関係だ。付き合ってないだろ。そんなことで、アンナの身体に軽々しく触れるなんて真似はできない」

「タッくんって……やっぱり、優しいね。だから無理やりされたんだよね……うう、うええん!」

 また泣き出しちゃったよ。

 病んでない、この子。

 どうしたものか……。

 俺は泣き叫ぶ彼女の隣りで一人考え込む。

 ものすごくカオスな状況。

 

「うわあああん! タッくん! おっぱい!」

 

 変な言葉を使って叫ばないで……。

 

「アンナ……」

 俺の予想以上に傷つけてしまったことを悔やむ。

 しかし、時を戻すこともできないしな。

「タッくん~! イヤぁ~ アンナのタッくんを返してぇ!」

 そう叫ぶと、何を思ったのか俺の膝に飛び乗ってきた。

「え? アンナ?」

 俺のことなんて、お構いなしで泣き続ける。

「タッくんの初めてを盗られたぁ!」

「いや、初めてじゃないだろ。アンナとは、ほら。プールで1回触ったことあるし……」

「あれは事故だも~ん!」

 そうだった。アンナという女は初めてにこだわる性格だった。

 墓穴を掘ってしまったよ。

 

 

 しかし、今のこの状況。

 周りから見れば、かなり誤解されるのでは?

 というのも、気がついてないようだが、彼女はベンチに座っている俺に跨っている。

 所謂、騎乗位というやつだな。

 アンナは今フレアのミニスカートを履いている。

 つまり、ジーパン越しとはいえ、お股とお股がペッテイング。

 興奮している彼女は、泣き叫ぶから。振動でゴリゴリされるんだよね。

 おまけに俺が逃げられないように、両肩を手で抑えている。

 

「アンナだけを見てぇ! タッくん!」

 

 と、博多川の空に向かって叫ぶアンナ。

 ていうか、俺はめっちゃ見ているよ、あなただけを。

 だって、もうヤバいんだって。理性が。

 

 目の前は、ラブホだし、狙ってやってないと思うけど、さっきからずっと騎乗位スタイルで、ゴリゴリされるし……。

 マリアの時は、無反応だった俺のお馬さんが、元気に走り出したよ。

 

「タッくん~ 行かないでぇ!」

 

 追い打ちをかけるように、自身の小さな胸を俺の顔に押し付ける。

「ふぼっ」

 うむ、ほのかに甘い香りが漂う。

 良い洗剤を使っているのかしら? いや香水か。

 

 ちょっと待て。

 パイ揉み事件より、酷くなってないか。

 顔面に胸を押し付けられて、騎乗位スタイル……。

 

 ヤバい! もう誰が男で女か分からなくなってきた。

 このまま、この子を目の前のホテルに連れ込みたい!



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第三十八章 新時代の幕開け
324 朝チュン


 

「いつつ……」

 

 激しい腰の痛みで目が覚めた。

 ゆっくりと瞼を開けば、見知らぬ白い天井が。

 どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてきた。

 部屋の中は薄暗く、辺りを確認することは難しい。

 ふと、左手に目をやると、一筋の光りが差し込んでいた。

 きっとカーテンだ。陽の光がもれているのだろう。

 

 腰をさすりながら、ゆっくりと起き上がる。

 起き上がる際に、バランスを取るため、床に手をやって支えると……。

 

 プニッ。

 

 偉く柔らかい。

 布団か?

 いや、違うな。

 布団にしては、ふわっとしてない。

 そして……柔らかいというか、硬い。

 あれだ。人間の素肌。そして骨のような感触。

 

 しばらく、その感触を確かめていると。

「う、うぅん……」

 可愛らしい声が聞こえてきた。

 

 誰か、隣りにいるぞ。

 俺は確かめるために、ベッドから立ち上がって、カーテンをジャッと勢いよく開く。

 急に部屋が明るくなったため、眩しい。

 これまた、見慣れない風景だ。

 一面ガラス製の大きな窓。

 

 そして、目の前には1つの川が流れている。

 対岸には、大きな建物が。

『カナルシティ博多』

 

「え……えええ!?」

 

 つい、アホな声がもれてしまう。

 

「ま、まさか……」

 そう言って、振り返るとベッドには、金髪の少女が一人シーツに包まれている。

 寝顔さえ、可愛い。

 アンナだ。

 

 陽の光によって、目が覚めたようだ。

 瞼を擦りながら小さな口を開けてあくびをする。

「ふわぁ」

 のんきに背伸びをしている。

 

「あ、アンナ……俺たちって、まさか」

 

 そう言って、お互いの姿を確認すると。

 生まれたばかりの赤ちゃんだぁ♪

 なんてこった!

 

 女のアンナはさすがに、シーツで身体を隠してはいるが。

 白い素肌が確認できるので、裸体であることは間違いない。

 

「おはよ☆ タッくん」

 優しく微笑むアンナ。

 

「俺たちって……」

 その問いに、少し頬を赤くして恥じらうアンナ。

「うん……タッくんから誘ってくれるとは思わなかったな☆」

 

 ぎゃあああ!

 

「そ、そんな。一線を越えてしまったのか!?」

 博多川を!

「タッくんがアンナを抱きかかえて、連れて来たんじゃん☆ 責任、取ってね……」

「え……なんの?」

 俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませる

「も~う! 言わせないでよ~ お、お尻……」

 

 

 

「うわあああああ!」

 

 また、あの夢を見ていたのか。

 一週間前、アンナとデートして以来、毎日この夢を見る。

 きっと彼女が泣きながら、俺に跨ったせいだろう。

 童貞の俺には刺激が強すぎたんだ……。

 

 

 結局アンナは落ち込んだまま、あの日の取材は終わってしまった。

 正直、罪悪感でいっぱいなのだが、それよりも泣いている彼女に、興奮している自分を抑えるのに精一杯だった。

 なんでか、色っぽく感じちゃったんだもん。

 

 二段ベッドから降りて、学習デスクの上に置いてあったスマホを手に取る。

 時刻は、『6:50』

 今日、スクリーングの日か。

 

 ちょっと、早いが家を出よう。

 

 

 真島駅に向かい、近くのコンビニで菓子パンとブラックコーヒーを買う。

 駅のホームに入り、電車を待ちながら、朝食を済ませる。

 

 今日は……あんまりミハイルに会いたくないな。

 あれだけ、アンナを泣かせたあとだ。

 胸が痛む。

 

 きっと、ミハイルも落ち込んでいるに違いない。

 いつもなら、取材のあとは決まって、鬼のようなL●NEメッセージを送ってくるのに。

 あれ以来、一通も届かない。

 ミハイルからもだ。

 

 下らないことでも、なにかと俺に連絡を取ってくる二人が、この一週間なにもない。

 自殺でもしてないか、すごく不安だった。

 だからといって、俺から連絡するのも怖くて……。

 

 そんなことを思っていると、列車が到着する。

 車内に入ると、いつもより早い時刻のせいか、がらーんとしていた。

 リア充の制服組も少ない。

 

 こりゃいいなと、ゆったり座席に座る。

 

「はぁ……今日、学校行きたくねーな」

 

  ※

 

 ボーッと窓から景色を眺めていると、ミハイルが住んでいる席内駅に着いた。

 自動ドアが開く。

 まさか、いるわけないよなって、確認してみる。

 いつもなら……「おっはよ~ タクト~☆」なんて元気な笑顔が見られるのだが。

 

 プシュー! と音を立ててドアが閉まる。

 

 その時だった。

 ガタン! と鈍い音が車内に鳴り響く。

 

「ちょっと待って! オレも入る!」

 

 見れば、華奢な体つきの少女だ。

 

 肩だしのロンTに、デニムのショートパンツ。

 長い金色の髪は首元で1つに結っており、纏まりきらなかった前髪は左右に分けている。

 あ、女の子じゃない。ミハイルだった。

 

 車内に入ってきた彼と目が合う。

 

「あ」

「あぁ……」

 

 どうやら、お互いに気まずかったようで、列車の時間をずらしていたようだ。

 こんなところは似ているんだよなぁ。



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325 男の娘の日

 

 いつもなら、膝と膝をすり寄せてくるのに、なんでか、今日は一人分ぐらい間隔を空けられている。

 きっと、避けられているんだろうな。

 正直、気まずい。

 沈黙が続く。

 

 ミハイルもずっと俺に視線を合わせてくれない。窓ばかり見ている。

 

 このまま、学校に行くのも辛いので、俺は会話を試みる。

 

「なあ……ミハイル。おはよう、だな」

 自分で言っていて、変な挨拶だと思った。

「うん」

 そっぽ向いたま、返事をされた。

 これ、絶対怒ってるよ。

 

「あ、あのさ……アンナから何か聞いてないか?」

「聞いた」

 会話がちゃんと出来ない。

「な、なにを聞いたんだ?」

「タクトが知らない女の胸を触ったって」

 

 ぐはっ!

 その言葉が一番、胸にグサグサと刺さる。

 

「アンナは許してくれたのかな?」

 彼を代理人として、許してもらうのだ。

「知らない」

 えぇ! あなた本人じゃな~い!

 教えてくれても良いじゃん。

 

 

 もう、これは無理だと思って、彼と会話を続けるのをやめようとした、その時だった。

 ミハイルがポツリと一言、呟いた。

 

「あのさ……」

 彼から話してくれたことが嬉しくて、俺はすぐに答える。

「お、おう! どうした? なにか話したいことがあるのか?」

「うん……」

 ミハイルは俯いたまま、元気がない。

 視線は床のまま、話し始める。

 

 

「あのさ。タクトって“あの日”来てる?」

「はぁ?」

 思わずアホな声が出てしまう。

「だから! あの日だって!」

 やっと視線を合わせてくれたと思ったら、顔を紅潮させて、叫び出す。

 ん? 情緒不安定なのかな。

 

「すまん。ミハイル、今なんて言った? もう1回いいか?」

 何度も尋ねるので彼は怒り出す。

「も~う! あ・の・日!」

 

 おっかしいな……ミハイルって男だよね?

 確かに別府温泉で俺は見た。矮小な脇差であり、雪原に小さく咲いた一輪の花。

 可愛すぎるうさぎのようなモノだったが。

 間違いなく、あれはナニだろう。

 

 

 冷静になって、もう一度、彼の話を聞いてみた。

「あの日って……どうしてそんなワードが出るんだ? 俺たち男だろ」

 俺がそう言うと、ミハイルは真顔でこう答える。

「だって。ねーちゃんが言ってたもん。『男の子の日』って言うのがあるって」

「ごめん……なんだって?」

 頭がおかしくなりそう。

 

 

「一週間ぐらい前だったかな。朝起きたら、“おねしょ”しちゃって。ねーちゃんに謝ろうとしたら、『これは違う。男の子の日だ。お赤飯炊いてやる』って言われたよ」

 

 ヴィクトリアのアホっ!

 変な性教育するな!

 

 ミハイルがどんどん変な方向に行っちゃうだろ。

 

「そ、それで。どうなったんだ?」

「う~ん。ねーちゃんが言うには、『デリケートゾーンだから、あんまり触っちゃダメ』って」

「……」

 

 だからか、ミハイルのアレが可愛すぎるのは。

 

「ところでさ。タクトは男の子の日ないの? あれからずっと気になってるんだけど?」

「……むかーし、あったよ。今はないな」

 俺がそう言うと、彼は口を大きく開けて驚く。

「ウソ!? あれって無くなるもんなの?」

 そんなに目をキラキラさせちゃって。

 純真無垢だねぇ。

「ま、まあ……制御できる方法があるんだよ」

「すごいな! タクトって☆」

「ありがと……」

 

 もう、汚れきった自分がイヤ!

 

 

 だが、1つ気になったことがある。

 それは彼が“始まった”ってことは、夢を見たはずだ。

 内容がなんだったのか、気になる。

 

 

「なあ、ミハイル……これは言いたくないのなら、答えなくてもいいが。その日、お前は夢を見てないか?」

「え……」

 聞かれて目を丸くする。

 どうやら、夢の内容を覚えているようだ。

 

「う、うん。見たよ」

 頬を赤くさせて、視線を床に落とす。

「良かったら、教えてくれないか?」

 俺は確かめかった。

 ミハイルモードでヤッちゃったのか、アンナモードでヤられたのか。

 

 

 小さな胸の前で、指と指をツンツンと突っつきながら、語り始めた。

「いいよ……あのね、笑わないでよ」

「ああ、絶対に笑わない」

「夢の中でね。タクトと手を繋いで、お花がいっぱい咲いている公園を歩いている……そういう夢だったよ」

 それを聞いた俺は、思わずブチギレてしまった。

 

「ああ!? お前、なめてんのか!?」

 激怒する俺を見て、うろたえるミハイル。

「お、怒んないでよ……ホントだって」

「本っ当にそれだけか? 公園でナニかしてないのか?」

 彼は真っすぐ一点の曇りもないキレイな瞳で答える。

「ううん、なにも。ただ、タクトとお花を眺めて歩いただけ」

「……」

 

 なんなの、こいつ。

 可愛すぎなんだけど、マジで!



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326 高校生で童貞は普通です…普通です…

 

 目的地である赤井駅に到着して、一ツ橋高校へと向かう。

 ミハイルと二人で歩道を歩いていると、目の前に全日制コースの女子高生たちが目に入った。

 

「昨日の“めちゃウケ”見た? マジ面白かったよねぇ」

「ウソ? 録画してないわぁ。最後どうなったの?」

「えっとね……」

 

 俺は録画しているけど、まだ見てないんだよ!

 オチを言うな!

 

 なんて、女子高生のスカートを睨んで……いや、鑑賞していると。

 その子たちにビタッと、くっつくように密着して歩くおじさんが一人。

 もう秋だってのに、半袖のTシャツを着ていて、サイズがあってないのか……。

 ピチッピチで汗だく、背中が透けて見える。

 しかも剛毛だ……キモッ。

 朝からエグいもん見て、吐きそうだわ。

 

「ふぅ~ ふぅ~ なるほど……現役JKのスカート丈は、これぐらいか。写真を撮っておかないと……」

 

 なんだ、この不審者は?

 首を傾げていると、ミハイルがおっさんに声をかける。

 

「あっ、トマトじゃん! おはよ~☆」

 彼の声に気がつき、振り返る汗だくの豚……じゃなかった。

 イラストレーター。トマトこと、筑前(ちくぜん) 聖書(ばいぶる)さんだ。

「これはこれは。ミハイルくんにDOセンセイじゃないですか! おはようございます」

 なんて、親指を立てて笑うが。

 どうしても彼の頭に視線が行ってしまう。

 頭に巻いているバンダナだ。2次元の萌えキャラがパンチラ全開でプリントされている。

 こんな大人にはなりたくない。

 

「トマトさん。そう言えば、今日から一ツ橋高校の生徒なんですね」

「ええ。白金さんに『ちゃんと現役JKを盗撮してこい』って業務命令出されているんで」

「……トマトさん。あのバカの言う事、鵜呑みにしちゃダメですよ」

「でも、それが僕とDOセンセイの取材でしょ?」

 お前と一緒にするな!

 

  ※

 

 トマトさんと合流した俺たちは、三人で登校することにした。

 歩きながら、小説版“気にヤン”のイラストの話になる。

 

「あの、トマトさん……別に責めるつもりはないんですけど。俺の小説をちゃんと読んでからイラスト描いてくれました? あれ、もう別人なんですけど」

 俺がそう言うと、隣りで聞いていたミハイルも「うんうん」と頷く。

「読みましたよ。でも、肝心のモデルさんの写真が提供してもらえなかったので、僕が一番可愛いと思った女性を一生懸命、描きました」

「う……」

 確かにアンナの正体は、隠さないといけないからな。

 仕方ないか。

 

 妹のピーチがちゃんと綺麗にアンナを描いてくれたから、良しとしよう。

 

 だが、トマトさんの発言に納得しないのは、モデル本人であるミハイルだ。

「あのさ! じゃあ、トマトが描いたモデルって。実際のヒロインよりもカワイイってことだよね!」

 ちょっと涙目で怒ってる。

「まあ……僕の中ではそうですね。あの人は、天使です。花鶴 ここあさん」

 言いながら、空を見上げるトマトさん。

 きっと、どビッチのここあを思い出しているのだろう。

「もしかして……トマトって。ここあのことが好きなの?」

 ストレートに言うなぁ、ミハイルのやつ。

 見透かされたみたいな顔で、驚いてみせるトマトさん。

「あ、あの……なぜ、わかったのでしょうか?」

 そんなもん。見りゃ分かるよ、誰でも。

 ミハイルは「へへん」と自慢げに語り始める。

 

「だってさ。トマトって実際のモデルがいないと描けないわけじゃん。ここあをモデルにしたってことは、好きだからでしょ? 愛がないとあんなに上手く描けないよ☆」

 驚いた。

 このアホなヤンキーから、愛なんて言葉が出るとは。

「そ、その通りです……あんな美しい女性。この世で、僕は見たことがないです!」

 よっぽど好きなんだな。

 話し方にも熱が入るし、拳まで作って、こんな田舎町で愛を叫ぶのか。豚は。

 

 25歳が18歳のJKに恋か。

 犯罪じゃね?

 

 唾を飛ばしながら語るトマトさんを、俺は呆れて眺めていた。

 だがミハイルは、彼の唾さえ避けずに優しく微笑む。

 

「おーえん、するよ☆ ここあのことなら、オレなんでも知ってるから☆」

 えぇ……。

「本当ですか!? ミハイルくん!」

 彼の肩を汗だくの肉まんみたいな手で掴む。

 なんか見ていて、イラッとするわ。俺のダチなのに……。

「うん☆ 小さな時からダチだから、好きなものとか、全部知っているよ☆」

 エメラルドグリーンの瞳が、より一層輝いて見える。

「じゃ、じゃあ……これ、聞いてもいいかな?」

 急に歯切れが悪くなったな。

「遠慮すんなよ☆ オレもトマトも、ダチだからさ☆」

「……本当にいいんですね!?」

 ミハイルの華奢な身体を、両手で力強く前後に振る。

 無抵抗な彼を良いことに、至近距離で、顔面めがけて大量の唾液を噴射。

 そんな汚物さえ、ミハイルはニコニコ笑って受けとめる。

 

「いいってば☆ 早く言いなよ☆」

「あのですね……ここあさんって、彼氏いないんですか!?」

 

 トマトさんの問いを聞いて、確かに俺も気にはなった。

 あいつの噂は、どがつくビッチでいっぱいだからな。

 

 この時、ミハイルの綺麗な顔は、唾液でビチャビチャに汚れていた。

 クソがっ!

 相変わらず、ニコニコと女神のように笑っている。

 

「カレシ? いないよ☆」

「え、本当なんですね! じゃあ、処女ってことですか!?」

 それを聞いて、今度は俺が地面に大量の唾を吹き出す。

「ブフーーーッ!」

 あのギャルが処女なわけないだろ……。

 

 しかし、次の瞬間。ミハイルの小さな口から驚きの言葉が出てくる。

 

「そうだよ☆ しょじょって、そーいう経験がないってことだよね? ないない☆」

 トマトさんの代わりに、俺が絶叫する。

「えええーーー!!!」

 

 ウソだ。ウソだ!

 あんなパンツを恥ずかし気もなく、見せびらかす汚ギャルが処女だと!?

 認めたくない!

 

 

 驚く俺を見て、ミハイルが首を傾げる。

 

「タクト、どうしたの?」

「いや……その話。本当なのか」

「オレがウソつくわけないじゃん☆ ここあは男と付き合ったことなんて、ないよ☆」

「えぇ……」

 トマトさんはそれを聞いて歓喜する。

 

「よっしゃーーー! 絶対にここあさんと結婚してみせるぞ!」

 やめとけ……おっさんのくせして。

 

 更にミハイルは追加の情報を提供してくれた。

 

「あ、ついでに言うと、リキもないよ☆ でも、ほのかと仲良くなるから、関係ないか☆」

「はぁ……」

 俺たち、一ツ橋高校の生徒ってみんな童貞と処女で、一生を終えるんじゃないか?



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327 そのオタク、ヤンキーに喧嘩を売る

 

 全日制コースの三ツ橋高校の校舎が見えてきた。

 まあ恒例行事となった通称、心臓破りの地獄ロードを登ったから、息を切らしているのだが。

 校舎の裏側へと進み、教員用の駐車場に入る。

 本来ならば、教師や関係者のみが使用していい場所だが、ヤンキー共は言う事を聞かない。

 所謂、族車とかいう違法改造した派手な車で通学してくる。

 だから、一ツ橋高校の玄関前は、治安がよろしくない。

 

 トランクをわざと全開させ、巨大なウーハーから爆音を流す迷惑行為。

 

「きゃはは、この“トラック”超イケてんじゃん」

 とタバコをふかしながら、笑うのは柄の悪そうなヤンキー。

 見たところ、年は俺より下に見える。

「だろ? 俺がリミックスしたんだわ。センスあるべ?」

 もう一人のヤンキーもかなりオラッてんなぁ……。

 

 二人とも前の学期では見たことない顔だ。

 多分、トマトさんと同じく今学期から、入学したタイプか。

 

 ていうか、めっちゃイキってる二人が流している爆音の曲がな……。

 ブリブリのアイドルソングなんだよ。

 今流行ってる大人数の女性アイドルグループ。

 これをわざわざリミックスする必要性があったのか?

 

 

 俺は彼らと一緒にされたくないと、嫌悪感を抱く。

 そして、ミハイルとトマトさんに「早く校舎に入ろう」と促す。

 しかしトマトさんがそれを拒んだ。

 

 一ツ橋高校の玄関近くには、指定の喫煙所がある。

 と言っても、宗像先生が適当に作った簡易的なものだ。

 ボロいベンチが1つあって、その下にペンキ缶が置いてある。灰皿代わりだ。

 全日制コースの校長が怒るから、必ず指定の場所で吸えということだが、守らない生徒も多い。

 しかし、今ベンチに座っている生徒はしっかりルールを守っている。

 

 赤髪が特徴的なギャル。花鶴 ここあだ。

 ベンチに腰を下ろしているが、ヒョウ柄のパンツが丸見えだ。

 片足をベンチの上に載せているから、必然とスカートの中が見えてしまう。

 キモッ……。

 

「あーもう、つかないじゃん!」

 

 何やら苛立っているようだ。

 手に持った銀色のライターを何度もカチカチとやっている。

 

 その姿を凝視するのは、俺の隣りにいる豚だ。

 目を血走らせて、鼻息を荒くする。

「もふー! 僕の天使さんだ!」

 いや、まだお前のものではないし、これからもないだろう。

 

 当の天使と言えば、タバコを咥えたまま、何度もライターをいじっている。

「イラつくっしょ! あぁ~ クソがっ!」

 なんて下品な女だ。パンツ見えても気にしないし、これのどこが天使なんだ?

 

 ここあに近づく2つの影。

「ねぇねぇ、おねーさん。タバコつかないの?」

「俺らが貸してあげるべ」

 先ほどのヤンキー二人組か。

 

 好意で火を貸してあげるってことか。

 ま、喫煙者なら普通の行為か。

 

 

 しかし、ここあは近づいてきた二人を鋭い目つきで睨む。

「誰?」

「俺ら、今日から入った後輩。仲良くしてよ、おねーさん」

「てかさ、パンツ見えてるけど?」

 なんてヘラヘラ笑いながら、彼女のスカートを眺めている。

 そうか。こいつら、ナンパ目的だったのか……。

 と気がついた時には、もう遅かった。

 

 俺の隣りにいるトマトさんが、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。

 

「ブヒィーーッ! よくも僕のお嫁さんをいやらしい目で見たな!」

 

 いや、お前も大して変わらんだろ。

 

 

 ここあとヤンキー二人組の押し問答は、しばらく続いた。

 俺は「早く校舎に入りたい」とミハイルに言ったが、首を横に振る。

「トマトが今からここあを落とすかもしれないから☆」と面白がっていた。

 

 

「おねーさん。名前、教えてよ。可愛いねぇ」

「地元、どこ? 帰り車で送ってあげるべ?」

 よく堂々と高校でナンパできるな。

 しかも、二人とも未成年のくせして、片手にタバコだぜ?

 カオスな高校……。

 

「あんさ~ さっきから言ってけど。あーし、ダチとしか吸わないの。それにこのライターでしか吸いたくないわけ」

 

 そうだった。

 ここあという人間は、友情を大切にする性格だった。

 だから、一見さんお断りなビッチてことだな。

 

 

 一連の会話を眺めていたトマトさんは、更に興奮しているように見える。

「ブヒィーー! 許せない! ここあさんをニコチン中毒にさせたのは、あのクソヤンキー共に違いない!」

 えぇ……元から喫煙者だったよ。

 俺はさすがに止めに入ろうと、彼の肩を掴む。

 汗でベッタリして気持ち悪いけど。

「あの、トマトさん? ここあは最初からタバコ吸ってましたよ? あんまり、ヤンキーに関わらない方がいいですよ。トラブルで退学になったら嫌でしょ?」

 そう説得してみたが、彼は聞く耳を持たない。

「許すまじ! 僕のお嫁さんを汚すとは!」

 うわっ、ダメだこりゃ。

 

 

 トマトさんは、ずかずかと音を立てて、喫煙所に乗り込む。

 そして、若いヤンキーに二人に対し、ビシッと指をさす。

「君たち! 彼女が嫌がってるじゃないか! タバコを強要……僕の大切な女性を洗脳するのはやめたまえ!」

 勝手に犯人扱いされた男たちは、トマトさんを見て顔をしかめる。

「なんなの、おっさん?」

「俺らがいつタバコを押し付けたって?」

 うわっ、すげぇキレてる。

 さすが現役のヤンキー君だわ。離れていても、物凄い迫力を感じる。

 だが、トマトさんも負けない。

「君たちだ! 彼女にタバコを吸わせた悪いやつは! 僕の大切な人を傷つけるのはやめたまえ!」

 酷い……ヤンキー君たちは、別に悪くないのに。

「おお、ケンカ売ってんだ。おっさんは?」

「いいよ。やりたいなら、いくらでもやるべ」

 

 ヤバい、スイッチ入っちゃったよ。

 このままじゃ、絶対トマトさんがボコられる。

 

 どうしよう……。

 そうだ、いるじゃないか。

 この状況を打開できる伝説のヤンキーが隣りに。

 

 俺は慌てて、ミハイルに助けを求める。

「おい。ミハイル! 頼む、トマトさんを助けてくれ! 俺じゃ絶対、あのヤンキーを止められない!」

 だが、彼はニコニコ笑ってこう言った。

「イヤだ☆」

「え……どうして」

「だってさ。これ、今から面白くなるじゃん☆ トマトが殴られても、ここあのハートをキャッチできるチャンスだよ☆」

 

 この人、本当に酷い!



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328 ヤンキーは上下関係にうるさい

 

 一発だった。

 ワンパンチ……というか、かる~く小突いた程度。

 攻撃する方も相手が弱いと分かった上で、配慮してくれたのだと思う。

 それに汗でベトベトの身体には、あまり触れたくないし。

 

「ぎゃふん!」

 

 まだ幼さが残る一人の少年に、片手で軽く押されただけで、アスファルトに叩きつけられる25歳。

 それを見たヤンキー君たちはうろたえる。

 

「えぇ……俺、軽く押しただけだぜ?」

「ああ。ちょっと弱すぎだべ」

 

 確かに彼らの言う通りだった。

 正直、入学式で殴ってきたミハイルの方が遥かに強い。

 

 しかし、トマトさんは地面に倒れ込み、うめき声をあげている。

 

「ぐふっ……ぼ、暴力で物事を解決する君たちは……最低だっ!」

 

 ケンカを売ったのは、トマトさんだし、まだ始まってもないのに、少年たちは大の大人に罵られる。

 

「いや、挨拶程度に胸をちょっと触っただけど……」

「そ、そうだよ……それにおっさんからケンカを売ってきたべ?」

 

 なんだ。この茶番劇は?

 

 

 自分から吹っ飛ばされに行ったトマトさんだったが。

 確かに強く倒れ込んだ為、肩にかけていたトートバッグが、投げ飛ばされてしまう。

 少年達の足元に。

 

 地面に転がったバッグの中からは、スケッチブッグがはみ出ていた。

 きっと、仕事に使っているものだろう。

 それに気がついたヤンキーくんが、拾って中を開いてみる。

 

「なんだこれ? 女の子?」

「うわっ……オタクの絵じゃん。キモッ……」

 

 

 確かにトマトさんはキモいが、彼の描くイラストは一級品だ。

 それは俺が認めるほどだ。

 どんな理由があったとしても……人が頑張って作ったものを馬鹿にするなんて。

 黙って見過ごそうと思っていたが、俺も腹が立ってきた。

 

 彼らの元へと近づき、「おい!」と叫ぼうとした瞬間だった。

 俺より前に一人の少女が叫ぶ。

 

「ちょっと! あんたらさぁ~!」

 

 ギャルの花鶴 ここあが見たこともないぐらい、険しい顔で二人を睨んでいた。

 のしのしとゆっくり歩く姿は、伝説のヤンキーと言われる迫力を感じる。

 

「あーしのダチに、なにしてくれてんの? “バイブ”はマブダチなんだわ!」

 そう言って少年達を交互に睨みつける。

 怒ってるのは見たら分かるけど、バイブっていうトマトさんのあだ名がね。

 

 ここあの剣幕にうろたえる少年達。

「いや……別にそういうわけじゃ……」

「そうだよ。あのおっさんがキモい絵を持ってたから、笑っちゃっただけだべ」

 この一言が更に、ここあを怒らせた。

 少年達が持っていたスケッチブックを取り上げて、中身を開いて見せつける。

「あんさぁ……この絵は、モデルがあーしなんだわぁ」

 低い声で脅しに入る。

 

 

 重たい空気が流れる。

 少年達も別に悪意があって言ったわけじゃない。

 知らなかっただけだ。

 

 しかし、ここあの怒りは止まらない。

 彼女は友情を何より大切にする人間だから。

 

 

 緊迫した状況を壊してくれたのは、1つの音だった。

 

 ドドドッとバイクの音が近づいてくる。

 千鳥 力が駐車場にやってきたのだ。

 腐女子の北神 ほのかと一緒に。

 

 何も知らない彼は、呑気に笑顔で挨拶してくる。

 

「よう! タクオにミハイル!」

 

 後ろに好きな女の子を乗せているせいか、上機嫌だ。

 気まずい空気だが、思わず挨拶を返してしまう。

 

「おう……おはよう。リキ」

 続いてミハイルも便乗する。

「おはよ~☆ 今日も2ケツしてんだね、ほのか☆」

 

 この人、さっきのやり取りを見ても、なんて思ってないんだね……。

 アイアンメンタルで怖すぎ。

 

 だが、ここあは相変わらず、少年達を睨み続けている。

 今すぐにでも、殴りかかるような怖い顔で。

 少年達はどうしていいか、わからず固まっている。

 

「あの……俺たち、別にそういう意味じゃなくて」

「そうそう。おねーさんが可愛かったから、仲良くなりたかっただけだべ」

 弁解する彼らに対して、メンチをきかせるここあ。

「あぁん!? あんたらさぁ。あーしら、なめてっと痛い目みるっしょ!」

 

 怖っ! 普段はアホそうなギャルのくせして。

 こういう時は、やっぱりヤンキーらしいのね。

 

 ここあの怒鳴り声を聞いて、リキが異常を察知する。

 

「おいおい。ここあ、なにガキ相手にキレてんだよ?」

 バイクから降りてここあの肩を掴む。

 興奮している彼女は振り返ると、苛立ちを露わにする。

「リキはちょっと黙っててくんない? 今、ダチのバイブがヤラれて、ムカついてんだわ!」

 なんか、彼女の熱意はしっかりと伝わってくるけど。

 その会話だと、ヤンキーくんがトマトさんをバイブ責めしたみたい……。

「だからって、ケンカすることないだろ? 見たところ、バイブだったけ。ケガもないようだし。な、ミハイル?」

 困ったリキがこちらに話を振ってくる。

 

 この状況でもずっとニコニコと笑っているのは、ミハイルだけ。

 彼は嬉しそうに答える。

「そうそう。トマトなら、ボコられても大丈夫☆ 好きな人のためなら、骨折しても我慢できると思う☆」

 鬼畜よ! この人!

 

 

 ずっと黙っていた少年達がようやく話し始める。

 

「え……ここあって、まさか。“どビッチのここあ”!?」

「ってことは、あっちにいるハゲは、“剛腕のリキ”」

 

 伝説のヤンキーだと知って、驚きを隠せないようだ。

 ここあとリキの顔を交互に見て、口をパクパクと動かしている。

 

 そして最後に目が行ったのは、俺の隣り。

 

「「あいつは“金色(こんじき)のミハイル”だぁ!」」

 

 と指をさして、震えあがる。

 なんかもうさ……そのあだ名、聞き飽きたよ。

 んで、こう言うんだろ?

 

「「伝説のヤンキー、それいけ、ダイコン号だぁ!」」

 

 俺はその名前を聞いてため息が出る。

「はぁ……」

 

 

 ナンパした相手が、伝説のヤンキーの一人だと分かった二人は、慌てて車に乗り込む。

 後ろのトランクは開いたまま、急発進する。

 もちろん、巨大なウーハーからは、爆音でアイドルソングが流れている。

 

『萌え、萌え♪ 君を釘付けさせたいのよ♪ スキ、スキ、ビーム♪』

 

 かくして、一ツ橋高校に平和が戻ったのである。

 しかし、後に宗像先生から聞いた話では、少年たちはこの日に自主退学を決めたそうだ。

 もう……経営難で廃校するかも。



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329 現代社会ってなんすか?

 

 伝説のヤンキーというビッグネームにより、トマトさんは救われた。

 というか、勝手に自爆したアホだが。

 

 しかし、彼のここあに対する想いは、少なからず通じたようで。

 倒れたトマトさんに優しく手を差し伸ばすここあを見て、一安心した。

 

 みんなで校舎に入る際、ここあはどこか寂しげな顔をしていた。

 小さな声でボソボソと呟く。

 

「あーしもタバコやめよっかな……みんなと吸わないと美味しくないし」

 

 俺はそれを聞いて、少し感心した。

 まあ、喫煙が悪い事だとは思わないが……。

 食事でもぼっち飯は美味しく感じないものな。

 似たようなものか。

 

  ※

 

 一時限目の科目は、現代社会だった。

 この授業を担当している先生は、確か元一ツ橋高校の生徒で。

 宗像先生が卒業したあとに、コネで就職させてあげたとか。

 だから、いつも弱みを握られた彼は、いいように利用されている。

 

 一学期と違って、教室の雰囲気はがらっと変わっていた。

 俺の右隣にミハイルがいるのは、変わらないが。

 左にほのかがいたのに、今は後ろの方に移動している。

 リキと話をしているからだ。

 主に「受け」とか「攻め」とか卑猥なトークだが、盛り上がっている。

 

 ここあもトマトさんという、新たなダチが出来てなんだか楽しそう。

 

「あはは! なんで、バイブってそんなバンダナを巻いてんの? どこで売ってんの? ウケるんだけど!」

「こ、これは、エロゲの特典です、ブヒッ!」

 

 なんて品のない学生たちだ。

 俺が呆れていると、隣りに座っているミハイルが満面の笑みでこう言う。

 

「タクト☆ オレの言った通りになったろ☆ あの二組、絶対くっつけようぜ☆」

「……」

 ミハイルって、アホなふりをしているだけなのかな。

 確かにこいつの思う通り、事が進むから怖いんだけど。

 マインドコントロールとかされてない? 俺たち。

 

 

 教室の扉がガラッと開く。

 しかし、予想していた光景とは違った。

 黒板の上にあるスピーカーから、不穏なBGMが流れ出す。

 そして、登場したのは一人の痴女……。

 

 際どいレオタード姿だ、ハイレグの。

 長い脚は網タイツで覆われている。

 収まりきらなかった巨大な2つの胸は、はみ出ている。

 見ているだけで吐きそう……。

 

 なぜか巨大な肩当てを身に着けて、中世ヨーロッパの戦場に参戦する傭兵のようだ。

 鋭い目つきで、空を睨む。あ、ただの天井ね。

 そして、こう語りだす。

 

「それは……教科書と言うには、あまりにも大きすぎた」

 俺は椅子から転げ落ちる。

 ふざけろ! あの名作を汚すな!

 

「大きく、分厚く……そして、リアル過ぎた……」

 ん? なんか最後が違うぞ。

 

「それは正に……闇深いマンガだったぁ!」

 

 アラサーのバカ教師が力強く叫ぶ。

 もちろん、なにが起こった理解できない生徒たちは静まり返る。

 

 

 ツカツカとハイヒールの音を立てて、教壇に立つ。

 

「いいか! 今から現代社会の時間を始める。全員、前に来い!」

 

 と勝手に授業を始めだす宗像先生。

 おかしい。この人は確か日本史の教師だったはず。

 

 すかさず、俺が突っ込みをいれる。

 

「宗像先生っ! ちょっといいですか?」

「なんだ? 新宮。お前もこのコスプレしたいのか? 大剣はないぞ?」

 いるか! フィギュアで間に合ってるわ!

「あの、現代社会の先生はどこに行ったんですか?」

 俺がそう言うと、宗像先生は難しい顔をする。

 

「あいつなぁ……前期で思うように生徒たちへ指導できてなくな。クビにした」

「えぇ!?」

 なんてブラック企業。

 

 あまりにも無慈悲な辞令に、絶句する俺を見て宗像先生は笑う。

 宗像先生がいうには、スクリーングの担任から離れてもらっただけらしい。

 その代わり、ちゃんとレポートの添削などはやっているとのこと。

 

 前期で60人近くも退学されてしまったので、教育方針を見直すことになり。

 退学理由で一番多かったのが「スクリーングがめんどくさい」という声を聞いて、考えたのが……。

 アホなヤンキーでも、わかりやすい授業。

 インプットしやすい教科書。

 そう、マンガだった。

 

 レポートは東京の本校で作成しているから、それだけは変わらないが。

 支部である福岡校は、責任者である宗像先生の自由だ。

 いかに、生徒たちが苦痛を感じず、登校できるか考えた結果がこれだ……。

 

 

 全員、立ち上がって次々、マンガを手に取り、机の上に置く。

 俺も先生からマンガを拝借したが、タイトルを見て驚愕する。

 

 某、闇金マンガだったからだ。

 

「いいかぁ! 現代社会とはなんだ!? 現代における悩みとは、生き方とは!? これを読んでしっかり闇金の恐怖を知れ!」

 

 お前が借金まみれだからって、生徒に押し付けるなよ。

 しかし、アホなヤンキーたちは真に受け、熱心にマンガを読みだす。

 

「こ、こえぇ……」

「080金融、怖すぎ!」

 

 なんなんだ、この授業。

 

 生徒たちがある程度、マンガを読み終える頃。

 宗像先生は、借金における自身の考えを熱心に語り始める。

 

「このように……闇金に手を出せば、必ず痛い目にあう。じゃあ、どうすれば、借金を出来るか? それは簡単なことだ! 親か兄弟、親戚を殺しまくれ!」

 あまりにも非人道的な発言に、俺は絶句する。

 こんな酷い授業を生徒たちに教えてはいけない。

 挙手して、先生に反論を試みる。

「む、宗像先生……殺人はダメでしょうが」

「なにを言っているんだ、新宮。殺すって、本当にするわけないだろ」

「え?」

「友達とか知人に金を借りる時、返さなくてもいい額。数千円なら許せるだろ? ちょうど香典がそれぐらいだ。だからウソ泣きしながら『パパが死んじゃったの~』と言いながら、情に訴えかけるのだ!」

「……」

 うわっ、最低だ。こいつ。

 

「と、このようにすれば、合法的に借金を踏み倒すことができるのだ! お前たちも是非、社会に出たら、実践してみてくれ!」

「「「はーーい」」」

 

 やっぱ、この高校。もう終わるわ。



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330 痴漢は最低です。ちゃんと告白しましょう

 

 宗像先生が言った通り、各授業のレベルは前期より、遥かに劣る内容になっていた。

 どこまで、バカになるんだってぐらいの小学生並み。

 アニメ見たり、映画を見て感想文書いたりと……。

 逆に疲れる授業だ。

 でも、アホなヤンキーのミハイルには、ちょうど良い授業だったようだ。

 終始リラックスしていた。

 

 

 昼休みに入り、俺は一人トイレへ向かう。

 校舎もだいぶ冷えてきた。

 もう、今年もあと2カ月だもんな……。

 なんて、廊下を歩きながら、窓の景色を眺める。主に山とか、山しかないんだが。

 

 一ツ橋高校はちょうどY字型に設計された校舎だ。

 俺たちが普段利用している教室棟は、南側。

 そこから、真っすぐ歩いて付き合った所に、螺旋階段がある。

 北西側の特別棟、北東の部室棟。

 それらが交差して、1つになった中央部分にトイレが存在している。

 

 日曜日だから、全日制コースの生徒たちは、あまりいないが。

 部活のために通学している生徒がいる。

 あっちの奴らは、真面目に制服を着ているから、出くわした時、お互いに気まずい。

 

 リア充な生徒が俺の私服を見た瞬間、「プッ。ダッセ」なんて吹き出すことも、しばしば。

 その度に、俺は舌打ちしてやるが。

 

 

 だが、今日は誰もいないようで、安心してお花畑に行けそうだ……。

 と、思っていたら、どこからか悲鳴が聞こえてきた。

 

「きゃあああ!」

 

 廊下に響き渡る甲高い女の叫び声。

 一瞬、ビクッと身体を震わせたが、すぐに現場へと向かう。

 女子トイレの前で、一人の女子高生が黒づくめの男に背後から、羽交い締めにあっていた。

 襲われていた女の子は、見覚えがあった。

 ボーイッシュなショートカットで、校則違反スレスレのミニ丈スカート。

 現役女子高生の赤坂 ひなただ。

 

「いやあああ!」

 

 黒づくめの男は、あからさまに怪しかった。

 全身、真っ黒のスエット。顔は大きなマスクとサングラスで覆っており、頭にはベレー帽。

 不審者ですって言っているようなもんだ。

 

 

「黙りなさい、すぐに終わるから……」

 

 そう言ってブレザーの上からとは言え、ひなたの胸をまさぐる男。

 彼女の控えめな乳房を遠慮なく、両手で揉みまくる……。

 

「いやあああ! やめてぇ!」

「なるほど……これは近い」

 

 躊躇なく女子高生の胸を揉むから、思わず見惚れて……いや傍観してしまった。

 俺に気がついたひなたが、助けを呼ぶ。

 

「あ、新宮センパイ! 助けてください!」

「おお……よし、待ってろ」

 

 急いで、ひなたの元へと駆け寄る。

 小柄な男だったから、すぐに彼女から引っぺがせると思ったが、ビクともしない。

 

「お前! ひなたから離れろ!」

 

 後ろから男の両肩を掴んで、離そうとするが、逆に「邪魔っ」と突き飛ばされてしまう。

 驚いたことに相当な馬鹿力だ。

 

 片手でポンと押されただけのなのに、廊下をゴロゴロと転がり、壁で頭を打つ。

 トラックに轢かれたかってぐらいの強い衝撃だ。

「いっつ……」

 強く頭を打ったため、視界がグラグラと揺れる。

 

 なんか、以前もこんな事があったような……。

 いつだっけ?

 

 瞼をこすって、目を凝らす。

 すると、目の前には自身の両脚が2つ。

 どうやら、でんぐり返しの状態になっているようだ。

 

「クソ……」

 

 ゆっくりと起き上がる。

 だが、未だにフラフラとして、ちゃんと立つことができない。

 

 ひなたはどうなった?

 彼女の身が心配で、重たい脚をゆっくりと動かす。

 

 

「や、やめろぉぉぉ!」

 

 ん? ひなたの声じゃない。

 確かに甲高い声だが、これは……そう俺の推しに近い。

 アイドル声優の『YUIKA』ちゃんのような天使、あま~い声。

 録音して、寝る前に何回も聞きたくなる癒しボイス。

 

 

「イヤだっ! お、お前。なに、考えてんだよ!」

 

 気がつけば、女子トイレの前で、もみくちゃになっている男が二人。

 ミハイルと先ほどの黒づくめ野郎だ。

 

 ひなたは、その近くで尻もちをついて、上で激しく絡み合う野郎共を眺めていた。

 

 黒づくめの男は、背後からミハイルの胸を両手で揉む……というか、まさぐる。

 無いからね、あの子は。

 男だし、絶壁だから。

 

「硬い……とても近い」

 

 ミハイルの小さな胸を触って、一人頷く男。

 

「や、イヤッだって! なんで触るんだよ……あんっ!」

 

 男の触り方はとても、いやらしかった。

 ピアノを奏でるように、一本一本の指で、ミハイルの胸を撫で回す。

 嫌がる彼を力でねじ伏せ、己が性欲を満たすのだ。

 

 だが、見ていて不思議だ。

 あの伝説のヤンキー。

 ミハイルが抵抗しているというのに、男からは逃げられない。

 彼の馬鹿力ならば、それこそ、ワンパンだろうに。

 

 俺が首を傾げていると、ミハイルの声色が変わっていく。

 

「い、イヤッ……んんっ! あ、あぁん! そ、そこはダメェ!」

 

 顔を紅潮させ、エメラルドグリーンの瞳から涙がこぼれる。

 きっと、ピンク色のトップを触られたのだろう……。

 

 こ、これは……なんて、エッチな光景なんだ!?

 俺はマブダチである彼が、変態に汚されていく姿に興奮を覚えていた。

 ちょっと、トイレ行ってきていいですか?

 

 

「やはり……あなたね。例のヒロインは」

 

 ん? 男だと思っていたが、あいつの喋り方……。

 ひょっとして、女か!?

 

「いい加減に……しろっ!」

 

 ミハイルが右手で背後の不審者を振り払う。

 しかし、相手はひょいっと軽く避けて、数歩後ろに下がった。

 

 全身を良いように触られたミハイルは、顔を真っ赤にさせて、怒りを露わにする。

 

「お前っ! なんなんだよ! オレは男だっ!」

 それを聞いた不審者は言葉を失う。

「え……ウソでしょ?」

 

 興奮しきったミハイルは不審者目掛けて、突っ走る。

 一瞬で間を詰め、ベレー帽とサングラスを奪い取った。

 

 すると、そこに現れたのは、2つのブルーサファイア。

 ミハイルに帽子を外されたことによって、長い髪が肩に降りかかる。

 キラキラと輝く、金色の美しい髪。

 

「あなた……タクトの新しい女。ブリブリ女じゃないの?」

 

 不審者は、僕の元婚約者。マリアでした……。



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331 男の娘と女の子

 

 廊下の床に座り込んでいるひなたが、その二人を交互に見つめて、こう言った。

 

「え、アンナちゃん?」

 

 初めて見る彼女からすれば、間違ってしまうのは仕方ない。

 瞳の色以外は、双子ってぐらいにそっくりなのだから。

 

 俺はひなたに手を貸して、立ち上がらせてあげる。

 

「大丈夫か? ひなた」

「ええ……新宮センパイ。一体、どういうことなんですか? なんで、アンナちゃんが高校に。それに私の胸を触ってきて……もしかして、レズだったんですか?」

「……んなこと、あるわけないだろ」

 思わず、冷静に突っ込んでしまう。

 だってアンナは男だからレズビアンにはなれない。

 いや、自分を女だと思って、同性が好きと言うのなら、可能か……。

 と、どうでもいい事を考えていると、当の本人が怒鳴り声をあげていた。

 

 

「お、お前! いきなり、何するんだよ! ひ、ひとの胸なんか触って!」

 ミハイルはかなり興奮している様子だ。

 だが、それよりも自分にそっくりなマリアを見て、驚いているようだ。

 

 対して、マリアは特に悪びれるわけでもなく、鼻で笑う。

「フン。別に減るものでもないでしょ? あなたが女の子だと思ったから、触ったのよ。タクトの好みに一番近いルックスだったから」

 あいつ、人のことをなんだと思ってるんだ……。

 しかもその言い方だと、「タクトはあなたが好きです」って代弁しているようなものじゃないか!

 

「ハァ? お前、タクトのなんなんだよ!? タクトはオレのダチだっ!」

 両者は一歩も怯むことなく、至近距離で睨みあう。

「私は冷泉(れいせん) マリア。タクトの婚約者よ」

 余裕たっぷりと言った感じで、長い髪をかきあげる。

 聞きなれない言葉にうろたえてしまうミハイル。

 

「こ、こ、婚約者!?」

 

 視線を俺に向けて「ウソだろ」みたいな顔で怯んでいた。

 

 オーマイガー!

 絶対に会わせたくない、二人が出会ってしまった……。

 

 気まずかった俺は、視線を逸らす。

 脇から汗がにじみ出るのを感じた。

 生きた心地がしない。

 

  ※

 

 驚くミハイルに構わず、マリアは話を続ける。

 

「ねぇ。あなたが例のブリブリ女。アンナじゃないの?」

 そう問われて、ミハイルはビクッと背中を震わせた。

「あ、アンナは……お、オレのいとこだ!」

「いとこねぇ。それにしても、おかしいわ……タクトの書いた小説では、確かこんな表現で描かれていたのよ」

 細い顎に手を当てて、考え込むマリア。

 そして、記憶力の良い彼女は、俺の書いた文章をペラペラと語り出す。

 

「えっと……ヒロインはヤンキーで主人公のため、好みにあわせた地雷系ファッションを着用する痛い子で。ハーフ、低身長の華奢な体型。そして、タクト好みのペドフィリアタイプ……つまり、貧乳ってことね」

 酷い。俺が書いたとはいえ、面と向かって本人の前で晒すなんて……。

 自身のルックスを詳細に語られて、ミハイルは顔を真っ赤にしていた。

 

「そ、それは……オレじゃない! いとこのアンナだ!」

 なんて言い訳するが、どうにも歯切れが悪い。

 本人だからね。

「ふぅん。おかしいわね……この高校にタクトが通学していると、出版社の人から教えてもらったから、校内の女子高生を片っ端から探したけど。一番ヒロインに近い体型は、あなただわ」

 マリアはミハイルを怪訝そうな顔で見つめる。

 

「ち、違うって言ってんだろ! オレは男だ! タクトのヒロインは、女の子のアンナなのっ!」

「あら、そうなの……残念ね。確かにこの手に残る感触は、タクト好みのペドフィリア胸部だったのだけど」

 なんて、自身の右手を開いては閉じて、思い出している。

 ていうか、ペドフィリア胸部ってなんだよ!

 

 

 いきなり婚約者と名乗る女の子が現れて、ミハイルは驚きを隠せずにいた。

 身体をプルプル震わせて、どこか怯えているようにも見える。

 あの伝説のヤンキーがだ。

 きっと、自分にそっくりな女の子が、この世に存在している事が信じられないのだろう。

 

 しばらく、涙目でマリアを黙って睨みつけた後……。

 なにかに気がついたようで、「あぁっ!」とマリアの顔に指をさす。

 

「お前だろ! タクトに無理やり、胸を触らせた女って!」

 それを聞いたマリアは、至って冷静に答える。

「胸を触らせた、ですって? 別に普通のことでしょ。だって、タクトとは10年前からの付き合いだもの。それにタクトが約束してくれたのよ。心臓の手術に成功して、貧乳だったら、結婚してあげるってね」

 ファッ!?

 もういい加減にして、マリアさん……。

 

「け、け、結婚だと! お前……タクトが優しいからって、何でもかんでも好きにしていいわけじゃないぞ!」

 そう強がってみせる彼だが、白くて長い2つの脚がガクガク震えている。

「フンッ。男のあなたには関係のないことでしょ。私からタクトを奪ったブリブリ女を一目拝んでやろうと、女子高生たちの胸を触っていただけよ」

 えぇ……同性でも犯罪でしょ。

 

 

 ミハイルとマリアが激しく言い争っているなか、隣りで聞いていたひなたが、低い声で言う。

「センパイ、こっち向いてください」と。

 俺は黙ってそれに従う。

 彼女の方へ首を向けると、一発。

 

 パァン!

 

 右の頬を平手打ち。ひなたの必殺技ですね。

 

「いって……なにすんだよ」

 俺の問いに答えず、更にもう一発。

 

 パァン!

 

 今度は、反対の頬をブッ叩く。

 

「いっつ! お前、なにすんだ……」

 ひなたの顔を覗き込むと、鋭い目つきでこっちを睨んでいた。

「新宮センパイ。あのマリアって子の胸を触ったんですね」

「え……」

「最低です。一発はアンナちゃんの分。もう一発は私のです」

 

 なに、その自分ルール。

 めっちゃ痛いし、理不尽すぎませんか。



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332 ヒロイン集結

 

 異様な熱気で辺りは、包まれていた。

 俺の婚約者と名乗るハイスペック女子、冷泉 マリアの登場により、ミハイルは怒りを露わにする。

 そして、なぜか二人の話を聞いていたひなたまで、マリアを鋭い目つきで睨む。

 

 

 ひなたの視線に気がついたマリアは、何かを察したようで、「あら?」と口にする。

 

「ひょっとして……あなたもタクトの小説に登場するヒロイン? ここにいる彼より劣る胸部だったけど」

 酷い! 男に劣るって表現。

 

 ふと、隣りで立っていたひなたの横顔を覗き込むと。

 歯を食いしばり、小さな両手は拳を作っていた。

 うわっ、めっちゃ怒ってるよ。

 

「あなたね! いきなり人の胸を触っておいて……なんなのよ! それに、私も新宮センパイの小説に協力しているヒロインの一人だわ! 急に出てきて婚約者とか、詐欺じゃない? センパイの優しさにつけこんで、騙す気でしょ! 童貞だから!」

 えぇ……なんか、最後ディスられた?

「さっきも言ったけど。私とタクトは10年来の仲よ。小学生の時に成功率が低い心臓の手術のため……タクトは約束してくれたの。結婚してくれるってね。だから、私こそが本当のヒロインなの。高々、半年ぐらいの付き合いでしょ? 想いのレベルが違うわ」

「ハァ!? 10年前って……子供の時でしょ? やっぱり、センパイの優しさにつけこんだストーカー女じゃない!」

 と犯人はお前だ! みたいな感じで、ビシッとマリアに向けて指をさす。

 だが、マリアは何を言われても、至って冷静だ。

 

「優しさにつけこんだですって? こう見えて、私とタクトって抜群の相性なのよ。あなたこそ、自分の趣味や性癖を彼に押し付けてない? 無理は良くないわよ。私ならタクトのために全てを合わせられるわ。彼が望むことは全て……」

 そう言って、視線を俺に向ける。

「なっ!」

 どんな性癖にでも付き合うわ……みたいな告白を堂々とされ、言葉を失うひなた。

 

 

 こうして、ヒロイン達はコテンパンにされるのであった。

 

  ※

 

 覚悟の違いを見せつけられて、黙り込むミハイルとひなた。

 マリアは気が済んだようで、長い金色の髪をかきあげると、最後にこう言った。

 

「私、こう見えて諦めが悪い女なの。タクトを奪った泥棒猫に会って確かめたかったけど。この場にいないんじゃ、仕方ないわね。あなた、アンナっていう子のいとこなのでしょ? なら、伝えておいて」

 そう言うと、ミハイルの小さな胸を人差し指で小突く。

 彼は怯えた目で、マリアを見つめる。

 

「タクトを返してもらうわ、ってね」

「……」

 

 エメラルドグリーンの瞳を潤わせ、脚をガタガタと震わせる。

 こんなに怖がっている彼は、初めてだ。

 

「じゃ、タクト。またね」

「お、おう……」

 思わず、反応してしまう。

 

 ていうか、マリアのやつ。

 俺の身にもなってよ……。

 こんな修羅場にしておいて、残された俺はどうすればいいの?

 

 

 静まり返る廊下に、始業のベルが鳴り響く。

 昼休みが終わりを迎えたのだ。

 

 しかし、ミハイルは俯いて黙り込んで、一向に動かない。

 それは隣りにいるひなたも同様だ。

 

 余りにも重たい空気で押しつぶされそうだったので、俺が先に話しかける。

 

「な、なぁ……マリアのことはその、あれだ。俺も忘れていたぐらい昔のことでな。彼女も小説のヒロインになりたいと頑張っているみたいだぞ」

 自分で言っていて、変な話だなと実感した。

 しかし、俺の放った言葉に二人はピクッと身体を動かせた。

 

「「ヒロインになりたい!?」」

 

 あら、息がぴったり。

 そして、怒りの矛先は俺へと向けられた。

 

 まずはひなたからだ。

「センパイ! ちょっと、それ。あのマリアって子をヒロインにさせる気ですか!? これ以上、ヒロインはいらないでしょ!」

「う……まあ、それは……編集に聞いてからじゃないとな」

 悪い、白金。

「そんなこと、作者であるセンパイが決めれば、いいんですよ! アンナちゃんは確かに、ブリブリして女から嫌われること間違いなしですけど……私はライバルとして、認めてます!」

 気がつけば、涙をポロポロと流していた。

 よっぱど、悔しかったのだろう。

「しかしだな……作品のクオリティを高めるために……」

「認めません! アンナちゃんなら許せます!」

 ちょっと、さっき決めるのは、作者の俺だって言ったじゃん。

 

 

 最後にミハイルだ。

 と言っても、視線は俺に向けず。立ち去ったマリアの方を睨んで。

 誰もいない廊下に向かって、静かに喋り始めた。

 

「オレ、あいつだけは許さない……絶対に」

 

 小さなピンク色の唇を噛みしめて、怒りを抑えるのに精一杯のようだ。

 いきなり現れたマリアを見て、何も出来なかったミハイルだったが……。

 どうやら、反撃する覚悟が決まったようだ。

 

 ていうか……この間。

 ずっと、隣りに立っているひなたに右足を踏まれ続けて、痛いんですけど。



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第三十九章 挽回デート
333 女の子の家に招待されたからって、過度な期待はダメ


 

 いつか、出会ってしまうとは思っていたが……。

 こんな早くに遭遇するなんて、俺には想像できなかった。

 

 部外者だと言うのに、勝手に高校へ侵入するし。

 全日制コースの女子高生たちの胸を揉みまくり、アンナを探すなんて……。

 マリアを敵に回すと怖すぎ。

 

 彼女がその場を立ち去ってから、ずっとミハイルは黙り込んでいた。

 ショックを受けたのも事実だろうが、それよりもマリアへの怒りを抑え込むのに必死みたいだ。

 とりあえず、午後の授業が始まるから、俺は彼に教室へ戻るように促す。

 

「ミハイル。あ、あの……とりあえず、授業に出よう」

「わかってるって!」

 俺にキレなくても、いいじゃん。

 

 足早に廊下を歩くミハイルを追いかけようとしたその瞬間だった。

 背後から、肩を掴まれる。

 それも、物凄い力でだ。

 

「いてて……」

 

 振り返ると、ニコニコと笑うひなたの姿が。

 だが、目が笑ってない。

 これは……絶対に怒っている顔だ。

 

「センパイ。久しぶりに取材しませんか?」

「え……」

「マリアちゃんの胸を触ったなら、手が汚れているでしょ? 新宮センパイの身体を浄化しておかないと♪」

 これは逆らえば、怖い。

「わ、分かった」

 

  ※

 

 結局、その後もミハイルは黙り込んだままで、俺が何を言っても答えてくれなかった。

 怒っているのは分かるが、一体、彼が何を考えているのかが、分からない。

 ただ、俺に対して怒っているのではなく、マリアへの憎しみとだけは、理解できる。

 

 

 その日のスクリーングは、静かに終わりを迎えた。

 帰りの電車でも、無言。

 ミハイルの地元である席内駅に着いて「バイバ~イ☆ タクト☆」と、天使のスマイルはもらえず……。

 

「じゃあな、ミハイル」

 と声をかけても。

「……」

 俯いたまま、駅のホームへと下りて行った。

 こりゃ、重症だな。

 

  ※

 

 後日、ひなたから電話がかかってきた。

 次の取材についてだ。

 

『新宮センパイ、今度の日曜日に久しぶりの取材をしましょ♪』

 この前、マリアに出会って機嫌が悪いと思っていたが。

 偉くご機嫌な彼女に驚く。

「構わんが……どこへ取材に行く?」

『それなら、私もう決めておいたんです! ほら、前に水族館へ行った時。アンナちゃんにデートを邪魔されたじゃないですか~』

「ああ、あれね……」

 もう少しで、アンナが人殺しするところだった回ね。

 

『私が動物好きって言ったでしょ? なら、誰にも邪魔されないで取材できる場所があるんですよ!』

「誰にも邪魔されない場所……。どこだ?」

『その、ちょっと恥ずかしいんですけど……』

「なんだ? ラブホか?」

『ち、違いますよ! 私の家です!』

「へ……?」

 

 

 彼女が言うには、ペットを自宅で飼っているので、遊びに来ないかというお誘いだった。

 なんだ、至って健全な取材だな。

 正直、女の子の家に行くって、結構レアなイベントだと思っていたが。

 小学生以下のレベルだな。

 

 これなら、アンナも怒らないだろうと、俺は彼女の提案を承諾した。

 そして、電話を切った直後、すぐにスマホのベルが鳴る。

 

 流れ出した音楽は、アイドル声優のYUIKAちゃんの新曲。

『永遠永年』

 う~ん、癒されるぅ~

 

 着信名は、アンナだ。

 

『もしもしぃ☆ タッくん?』

 お。あれ以来、連絡なかったのに、機嫌が良いな。

「ああ。久しぶりだな。アンナ」

 スクリーングの時も話してくれなかったら、俺までテンションが上がる。

『この前は泣いちゃって……ごめんね』

「いや、こっちこそ悪かったな。傷つけて」

『ううん。いいの。アンナも落ち込んでいられないから☆』

 やっと仲直りできた気がして、俺もホッとする。

 

 

『ところで、タッくん。今度の日曜日、空いてる? この前さ、なんか悲しい最後だったから、また取材したくて☆』

「ああ、それならもちろん……」

 

 ヤベッ。日曜日はひなたと取材する約束で埋ってた。

 せっかく、仲直りできたのに。

 バレたらまた彼女の機嫌を損ねる。

 

 

「あのな……実はその日、仕事が入ってるんだ。悪い。また次回で良いか?」

 自分で喋っていて、なんて歯切れが悪いんだと感じた。

『しごと? タッくんが?』

 急に声が低くなった!

 疑われているよ~

「そ、そう! ちょっと、編集に頼まれてな。参ったよ、ハハハ!」

 毎度毎度、すまん。白金。

『ふーん、小説の取材なのかなぁ? どこに行くの?』

「えっと……梶木辺りです」

 恐怖から、正直に答えてしまった。

 しかし、梶木と言っても広いからな。

 ひなたの自宅を見つけるのは、容易ではない。

 

 俺が行く場所だけを知らせると、アンナは声が明るくなる。

『そっか☆ 分かった。タッくんはお仕事なんだから、絶対に邪魔しないよ☆ アンナ、宗像先生と約束したし☆』

「あぁ……仕事なので、配慮してくれると幸いです」

『任せて☆ アンナはタッくんの味方だから!』

 

 俺の味方ってことは……他の女たちは全員、敵ってことですよね?



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334 高層マンションから、下りてこいや!

 

 日曜日、ひなたに言われた通り、俺は梶木駅で降りて彼女を待つ。

 駅の前には、大きな鳥居がある。

 なんで、駅舎に建てられたのかは知らんが……。

 きっと近くに『梶木宮(かじきぐう)』という古い神社があるからだろう。

 

 スマホで時刻を確認すれば、『10:40』

 約束の待ち合わせ時間より一時間近く遅れているぞ。

 駅の前で一人立っているのもしんどい。

 

 だって、民度が高い梶木の人間たちが目の前を歩いているからな。

 着ている服もブランド物が多いし、高々商店街に買い物へ行くだけなのに、洒落た格好しやがって……。

 

 俺の地元、真島なんて、おばあちゃんばっかだぞ!

 

 と、地域差に憤りを感じていると、足音が近づいて来た。

 その方向に目を向けると、一人の少女が嬉しそうに走っている。

 

 デニムのミニスカートに白のニットセーターを着た活発そうな女子。

 トップスに合わせて、足元も同じく白のスニーカーだ。

 ボーイッシュなショートカットには、カチューシャをつけている。

 シンプルなデザインで、色はブルー。

 これもデニムに合わせたものか……。

 

 偉く気合の入ったファッションだと、上から下まで眺める。

 すると、その女の子に肩を思い切り叩かれる。

 

「も~う! センパイ! なに人のことジロジロ見ているんですかぁ!」

 言いながらも満面の笑みだ。

「いや……なんか今日はいつも違うなと思ってな」

 俺がそう言うと、ひなたは頬を赤らめる。

 身体をくねくねさせて、「ホントですか」と俺の顔をチラチラ見る。

「ああ。その頭、髪飾りだろ? 普段は何もつけてないじゃないか」

「か、髪飾りって……センパイ、ホントにおっさん臭いですね!」

 恥じらったと思えば、怒り出す。

「すまん。俺にはよくわからんが、似合ってると思うぞ」

「え……」

 目を丸くするひなた。

 そして、俺に小さな声で囁く。

「良かった」

 

 何が良いのか、サッパリ分からない俺は首を傾げる。

「どうした? 慣れない髪飾りをつけて、偏頭痛でも起きたか?」

「もう! 最っ低!?」

 そして、一発ビンタを頂く。

 な、なんで……?

 

  ※

 

 ひなたは怒って俺を叩きはしたが、終始ご機嫌だった。

 梶木の街を案内してくれ、「この店、最近オープンしたばかりなんです」と嬉しそうに紹介する。

 セピア通りを曲がり、キラキラ商店街を抜けて、国道3号線に出た頃。

 海辺の近い梶木浜が見えてきた。

 

 ここ最近、高層マンションが多く建設されたこともあって、民度は高くなるばかり。

 要は金持ちが住む街ってことだ。

 

 つまり、ひなたもそのセレブの娘。

 だって目の前にそびえ立つ高層マンションが、それを物語っているもの。

 見上げるけど、最上階が下からじゃ見えない。

 ひなたが言うには、42階建てらしい。

 そうまでして、天空の城に近づきたいのか……。

 

 マンションに入ると、まるでホテルのような広いエントランスが見えた。

 そして、しわが1つもないピシッとした制服を着用した若い男性が、奥に立っていた。

 カウンターの後ろで、礼儀正しくお辞儀する。

 

「赤坂様、おかえりなさいませ」

 

 どう考えても、このお兄さんの方が年上だと言うのに。

 頭を下げられたひなたは、軽く手を振る。

 

「あ、ただいま~」

 

 マジで、この子。お嬢様だったの?



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335 もふもふ~

 

 俺とひなたはエレベーターに乗り込む。

 彼女は鼻歌交じりで、一番上のボタンを押した。

 つまり、このマンションの最上階という事だ。

 それだけ値段もお高いんでしょうねぇ……。

 

 ポンッ! と音を立てて、目的地である階に着く。

 

 驚いたことに、このフロアは一軒しか存在しない。

 エレベーターの扉が開いたら、すぐに表札が見えた。

 開いた口が塞がらない俺を放って、ひなたは玄関の前に立つ。

 ドアの持ち手を、人差し指で軽く触れてみる。

 すると、あら不思議。簡単にドアの鍵が開いた。

 

「な、なにが起きたんだ!?」

「え? 玄関ってこうして開けるでしょ」

「そんなわけあるか!? 鍵を使って開けるだろ!」

 俺がそう指摘すると、ひなたは少し考えこんだ後。

 手のひらを叩いて、何かを思い出す。

「ああ、これのことですか?」

 そう言って、俺の前に差し出したのは、小さな端末だ。

「なんだ……これは」

「うち、ハンズフリーなんで、これさえあれば。家に入れるんですよ♪」

「……」

 

 圧倒的な格差!

 俺もこの家に住みたいよぉ……。

 

  ※

 

 ひなたの家は、予想以上に広かった。

 玄関から廊下を抜けると、異常なほどにだだっ広いリビングがお出迎え。

 キッチンも最新のシステムキッチンだし、ふかふかのソファーがあるし。

 本当にお嬢様なのね。

 

 俺が自身の貧困レベルを再度確認できたところで、部屋の奥からタタッと足音が近づいてきた。

 

「ワンワンッ!」

 

 大きな犬種だ。

 ゴルーデンレトリバーか?

 

 飼い主であるひなたへ、猛突進。

 ちょうど、彼女の股間あたりに顔を埋める。

 

「ハハハッ! ピエール、元気にしてた?」

 

 嬉しそうに、犬の頭を撫でるひなた。

 このピエールってのが、彼女の言うペットか……。

 なるほど、確かに見ていて、可愛いな。

 

 だが、次の瞬間。

 更に部屋の奥から、無数の鳴き声と共に、フローリングを激しく蹴る音が聞こえてきた。

 

「うおっ!」

 

 現れたのは、10匹ほどの様々な犬種。

 大型犬から小型犬まで。

 あっという間に、リビングは犬で埋め尽くされてしまう。

 

 ひなたを中心にして、皆おすわりする。

「へっへっ」

 と舌を出して、飼い主の帰宅を喜んでいた。

 

 なんか俺は、疎外感を感じて、数歩後退りする。

 

「ジャン、ミシェル。ロバートにジョン。トミーとケヴィン。アンソニーもビルもショーン。ただいま~!」

 

 よくそれだけ、名前をつけたな。

 てか、オスしかいないのか。

 メスがいなくて、発情期が大変そう。

 ん……でも、最後の一匹は?

 

「それに、敏郎(としろう)!」

 

 俺は思わず、その場でずっこけてしまった。

 なんで、最後の子だけ渋い日本名なんだよ……。



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336 彼女の父親に「お父さん」って言うと怒られるよ

 

 しばらく、俺とひなたはリビングでたくさんの犬たちと戯れていた。

 飼い主以外の人間が、この家に現れたのは、初めてらしく。

 最初は警戒していたが、俺とひなたが雑談する姿を見て、安心したようで。

 10分後には、膝の上に何匹も座り込み、寝だす犬までいやがる。

 ま、可愛いから許すが。

 

 

 そうこうしているうち、廊下の奥から何やら物音が聞こえた。

 誰かが家に入ってきたようだ。

 

 初老の男が一人、俺の前に立つ。

 黒い髪は全てポマードでオールバックにしており、太い眉と口ひげが特徴的だ。

 着ているスーツも恐らく、ブランド物。

 身なりからして、相当なやり手のビジネスマンと言ったところか。

 

 鋭い目つきで、上から俺を睨んでいる。

 恐怖から敬語で挨拶してしまう。

「こ、こんにちは……お邪魔しています」

「君はひなたの、なんだね?」

 

 ドスの聞いた低い声で、問われた。

 

「え……あ、あの学校の……友達ですが?」

 俺がそう答えると、「フン」と言ってリビングから去って行った。

 

 謎のおっさんに脅える俺を見て、隣りにいたひなたが、クスクス笑う。

 

「センパイ。なに緊張しているんですか?」

「え……あの人、怖すぎだろ。誰だ?」

「私のパパですよ♪」

「マジか……お前のお父さんって、ヤクザじゃないよな? インテリ系の」

 ひなたは腹を抱えて笑う。

「ハッハハ! 違いますよぉ。ただの社長ですって!」

「……」

 

 こいつ、今ただの社長って言ったよな?

 ただの社長が、こんな高級マンションに住めるのか。

 めっちゃ金持ちなんだろな。

 

  ※

 

 今日が日曜日だから、普段忙しい両親は自宅に帰ってきたらしく。

 昼ご飯を頂くことになった。

 

 4人掛けのテーブルに、俺とひなたは並んで座る。

 奥のシステムキッチンで、ひなたママが一生懸命、料理を作っていた。

 

 テーブルに次々と並べられる豪華なメニュー。

 

 カルパッチョ、パスタにピッツァ。それから、アクアパッツァ。

 と横文字をスラスラと紹介してくれるひなた。

 言っていて、舌嚙まないの?

 

 俺が自宅へ遊びに来たことが、よっぽど嬉しかったようで、ひなたは終始、ご機嫌だった。

 

「新宮センパイ! いっぱい、食べて行ってくださいね♪」

「おお……でも、なんだか悪いな。せっかくの家族団らんな時間を奪っているようで……」

 と視線を前に向ける。

 さっきから、ずっと熱いまなざしを向けられているからな……。

 ひなたパパだ。

 スーツから、ルームウェアに着替えたとはいえ、ダンディな顔つきは変わらない。

 ギロッと鋭い目つきで、俺の顔を睨んでいる。

 テーブルの上に肘をつき、指を組む。

 

「……」

 

 黙って、俺とひなたの会話を聞いているようだ。

 超、怖い。

 あれじゃないか? 初めて娘が男を自宅に連れてきたので、怒っている典型的なお父さんの。

 

  ※

 

「センパ~イ、パスタのソースが口についてますよぉ~」

「へ?」

「もう~ お子ちゃまなんだからぁ」

 言いながらも、嬉しそうにハンカチで俺の口もとを拭いてくれる神対応。

 しかし、目の前にいるパパさんは別だ。

 眉間に皺を寄せ、身体をブルブルと震わせている。

 手に持っていたフォークとナイフがテーブルに落ちるほどだ。

 

 ママさんが俺とひなたのやり取りを見て、優しく微笑む。

 

「あらぁ~ ひなたがこんな女の子らしいことするなんてねぇ。よっぽど新宮くんのことが気になるのねぇ、ふふふ。ねぇ、あなた」

 と話をパパさんに振る。

「……」

 何も答えてくれない。

 

 その手に持っているナイフで、俺は刺されるの?

 

「もう! ママぁ~ やめてよぉ! 私だって、女の子なんだからぁ!」

 頬を膨らませて、恥じらうひなた。

 だが、そんなことよりも、顔面を真っ赤にして、興奮気味のパパさんが気になる。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 絶対、怒っているだろ。

 

 気がつけば、恋人同士ってぐらい、俺とパパは見つめあっていた。

 正しく表現するのなら、恐怖で目が離せないだけなのだが。

 

「あ、あの……パパさん?」

 俺がそう言うと、何を思ったのか。

 テーブルの上にあったグラスを手に持ち、「乾杯しないか」と言う。

 その提案に乗っかって、俺もオレンジジュースが入ったグラスを宙に掲げる。

 

 しかし、グラスが重なることはなく。

 代わりに紫の液体が、俺の顔面へと直撃。

 香りからして、アルコール。

 ワインだな。

 

「おっと……すまんな。新宮くん」

 謝ってはいるが、絶対わざとだろ。

 クソ。お気に入りのタケちゃんTシャツが、ワインで汚れちまった。

 

 すぐにひなたとママさんが、タオルを持ってきたりしてくれたが。

 ワインをぶっかけた本人は微動だにせず、じっと俺の汚れた顔を睨んでいた。

 

「新宮くん。すまないことをしたね。その格好じゃ帰ることはできないだろう。洗濯してあげるから、お風呂に入りなさい。私とね……」

「えぇ……」

 俺、風呂の中に沈められるのかな。



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337 漢同士のお風呂

 

 急遽、ひなたの家で風呂に入ることになった俺氏。

 

 真っ白でカビ1つないキレイなバスルームに二人の男が向かい合って、浴槽に浸かっている。

 ラブコメ的な展開なら、相手は女子高生であるひなたが、バスタオルを巻いて。

 

「センパイ、お背中流しますね♪」

 

 と期待していたが……。

 

 目の前にいるのは、ひなたちゃんのパパさん。

 

 ひなたから、彼の年齢は50歳と聞いていたが、ボディビルダーのような屈強な肉体だ。

 そして、剛毛。

 胸毛がもじゃもじゃ。

 

 腕を組み、ジッと俺を睨んでいる。

 

「……」

 

 かれこれ、30分間はこの沈黙が続いている。

 一体、なにがしたいんだ? このお父さんは……。

 

 仕方ないので、俺から話しかけてみる。

 

「あ、あの……パパさん?」

 太い眉毛がピクッと動いた。

「新宮くん。私はね、ひなたを大事に育ててきたつもりなんだ」

「えぇ……そんな風に見えますよ」

 この流れだと「だから娘に近づくな」的な感じで怒られるんだろな。

 

「私たち夫婦は中々、子宝に恵まれないでね。やっと生まれてくれたのが、ひなたなんだ」

「はぁ」

「妻も年だから、次の子は生めなくてね……」

 一体、俺は何を聞かされているんだ。

 パパさんの話はまだまだ続く。

 

「私という人間は、曲がったことが大嫌いなんだ。妻しか愛せない男なのだよ。でも、赤坂家の跡取りは欲しいんだ。だからといって、妾とか、不倫とか、ダメだろ?」

「ど、どういうことですか?」

「ううむ。当初、妻のお腹に赤ん坊が出来た時、私は絶対に男が生まれると信じていた。しかし、生まれたのは女の子のひなただ」

「?」

「だから、私はひなたを赤坂家の跡取りとして、男のように育ててしまったのだよ」

「はぁ?」

 思わず、アホな声が出てしまう。

 

 大の男同士が、素っ裸でなにを話し合っているんだ。

 

 パパさんは、咳払いをして、俺の肩を掴む。

 

「新宮くん! 君に赤坂の男になってほしいんだ!」

「……なんですって?」

「だから、ひなたを嫁にもらって……いや、君が欲しいんだ! 赤坂の息子になって欲しい!」

「ちょっと、言っている意味がわからないんですけど」

 

 

 その後、詳しい事情をパパさんから聞いたが。

 夫婦が高齢のため、ひなたしか産めなかったから、悔いがあるそうだ。

 そして、赤坂と言う家は、ああ見えて、福岡の有名な武将の子孫らしい。

 だからパパさんは、跡取りが欲しいが。男勝りなひなたでは、婿を迎え入れることは、不可能だと思い込んでいたようだ。

 

 しかし、最近になってから、急にファッションやアクセサリーなどに変化があり。

 両親から見ても、好きな男が出来たと感じていたらしく。

 少しでも早くその相手を見たくて、仕方なかったそうな……。

 

 

「新宮くん! 聞けば、君は作家なのだろう!」

「まあ……あんまり売れてないですけど」

「売れてようが、売れてまいが関係ない! 大事なのは君の繫殖能力だ!」

 そう言って、俺の股間をダイレクトに掴む。

「ヒッ!」

 思わず悲鳴をあげてしまう。

「うむ! 実に若々しい。君ならば、必ずひなたを落とすことができるだろう」

「えぇ……」

「今晩、泊っていきたまえ! 既成事実を作ってから、結婚しても良いじゃないか」

 

 俺は呆れていた。

 年上の親御さんとはいえ、正直に言いたかった。

「お前、バカだろ」って。



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338 サブヒロイン、キラー

 

 その後もひなたのパパから、あれこれ説得された。

 

 自分の経営している会社の社長にしてやるとか。

 その会社で働いても、なにもしなくていい。

 小説でも書いて遊んで暮らせばいい。

 大事なのは、娘のひなたと子作りすることだ……。

 特に男子が欲しいだとか。

 

 

 長い間、湯船に浸かったこともあってか、俺はのぼせていた。

 フラフラになりながら、先に脱衣所へ向い、ママさんが用意してくれたパジャマに着替える。

 俺の着てきた服は、今洗濯して乾かせているらしい。

 

 

 リビングに戻ると、ひなたが一人でテーブルに座っていた。

 ルームウェアに着替えて。

 タンクトップとショートパンツの露出度高めなやつ。

 

 聞けば、自身もシャワーを浴びてきたとか。

 この家には、他にもバスルームが2つあるらしい。

 

 なんて、お金持ちなんだ……。

 確かに俺がこの家へ婿入りしたら、素晴らしいセレブ生活が送れるんだろうな。

 

 そんなことを考えていると、テーブルに置いていた俺のスマホが鳴り出す。

 手に取って、画面を確認すれば。

 相手は、「アンナ」だ。

 

「いっ!?」

 

 まさかとは思うが、ここ、梶木に来ているのか……。

 恐る恐る電話に出ると。

 

『もしもし、タッくん?』

「はい……そうですが」

 恐怖から敬語になってしまう。

『今ね。アンナ、梶木にいるの☆ タッくんのお仕事、そろそろ終わる頃かなって☆』

 近くにあった時計を確認すれば、既に夕方の6時。

 彼女の言う通り、普通の取材であれば、終わってもいい頃だ。

 

「アンナ……実はちょっと、予定があって。泊りの仕事になってな」

 そう言うと、彼女の声色が急変する。

 凍り切った冷たい声。

『なんで?』

 怖っ!

「そ、その……えっと……」

 

 一生懸命、言い訳を考えてみるが、なにもいい案が思いつかない。

 しどろもどろになっていると、近くにいたひなたが、それに気がつく。

 

「センパイ? 誰と話しているんですか?」

 自分の物みたく、パシッとスマホを奪い取る。

 そして、画面を見て、一言。

 

「チッ……ブリブリアンナじゃん」

 彼女のとった行動は、スマホの電源ボタンを長押し。

 つまり、強制シャットダウン。

 

「お、おい! まだ通話中だったのに!」

 しかし、ひなたはスマホをショートパンツのポケットに押し込み、ニコリと笑う。

「センパイ♪ ダメですよ、女の子の家へ取材に来たんだから、集中しないと♪」

「いや……電話ぐらいさせてくれても……」

 ひなたは笑顔で断言する。

「絶対にダメです♪ パパから聞きましたよ♪ 今日はお泊り回なんでしょ?」

「はい……」

「ちゃんと取材してくださいね。そうじゃないと小説に使えませんよ? 私に集中してくださいね♪」

「……」

 

 アンナさんがこの周辺を徘徊していないか、怖くて集中できないんですけど。



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339 現役JKとお泊り

 

「恥ずかしいから、あんまり部屋の中をジロジロ見ないでくださいね」

 とひなたは頬を赤くして、扉の前で恥じらう。

「大丈夫だ」

「私の部屋、あんまり女の子らしくないから……センパイにがっかりされたくないな」

 なんて唇を尖がらせる。

 

 しかし、両親が同じ部屋で泊れと、命令してきたのだ。

 ここで泊るしか、あるまい。

 パパさん曰く、「間違いがあっても構わん。むしろ起こしてくれ」だが。

 俺としては、板挟みで息が詰まりそうだった。

 目の前のひなたに、どこかを徘徊しているアンナ。

 

 

 ギギっと扉がゆっくり開かれた。

 

 何故か、部屋の中は真っ暗だ。

 俺がひなたに灯りをつけるように頼む。

 すると、そこには衝撃の光景が……。

 

 

 バッサバッサと音を立てるのは、止まり木から俺を睨む大きなフクロウ。

 それも三匹。

 柔らかいクッションフロアをくねくねとうごめく、無数のヘビ達。

 そして、ガラガラとうるさいのは、ゲージの中で回し車をまわすハムスター。

 他にもインコ。フェレット。チンチラにトカゲ。ハリネズミ……。

 

 ちょっとした動物園よりも、ペットの数が多すぎる。

 

「……」

 俺は言葉を失っていた。

 これのどこが女の子らしくない、部屋なんだ。

 もう、男女関係ないだろ……。

 当の本人は、足をくねくねさせて、恥じらっているが。

 

「ね、女の子らしくないでしょ? この部屋に入ったの、センパイが初めてなんです」

「そうか……嬉しいよ」

 こんな動物園。確かに男女関係なく、入れたくないだろう。

 ていうか、入りたくない。

 

 だって、今も俺の足元を無数のヘビさん達がまとわりつくんだもん。

 

「センパイ……ホントに今晩、私の部屋に泊るんですか?」

 瞳をキラキラと輝かせるひなた。

 きっと。一晩、同じ部屋で寝ることに緊張しているのだろう。

「ああ。泊るよ……」

 今にもヘビに噛まれそうで、怖いから。

 

  ※

 

 同じ部屋で泊ると言っても、ひなたは大きなプリンセスベッドでご就寝。

 大好きなペット達と、一緒に夢の中。

 可愛らしいフェレットが、布団に入り込むほど、飼い主が大好きなようだ。

 

 俺はと言えば。床に布団を敷いてもらい、ひなたの隣りで寝ることに。

 ひなたは、嬉しそうに「今日はいい夢が見られそう」と言っていたが。

 すぅすぅと寝息をたてる彼女とは対照的に、俺はギンギンと目を光らせていた。

 暗い部屋の中、一人で天井を見上げる。

 

 若い女の子とひとつ屋根の下で、おねんねするからじゃない。

 夜這いとか、そんな余裕は一切ない。

 俺の布団の中に何人ものお客さんが、入り込んでいる。

 先ほどのヘビさん達だ。

 どうやら、珍しい男の客である俺を気に入ったらしく。

 ずっと、俺の身体にまとわりついている。

 何匹もだ。

 

 時折、枕元に顔を出してきて、舌をチロチロと出す。

 そして、ペロペロと首筋をなめてきた。

 

「あっ……」

 

 冷たくて、ちょっと気持ち良いかも。

 

 このあと。ヘビさんたちと、一晩中仲良しさせていただきました。



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340 お土産はちゃんと貰っておいた方がいいよ

 

 一睡も出来なかった……。

 可愛いヘビちゃん達が俺を寝かせてくれなかったから。

 ずっと、首筋をペロペロ舐めて、愛撫され続けた。

 そりゃあ、誰だって興奮して眠れないだろう。

 

 緊張し過ぎて……。

 

 

「うーん! よく眠れたぁ~ あ、新宮センパイ。おはようございます♪」

 お姫様ベッドで背伸びをする、ひなた。

 対して、俺は身動きが取れずにいた。

 たくさんのヘビちゃん達で、重たいからだ。

 それに嚙まれそうで怖い。

「おはよう……」

「あ、センパイ。ヘビちゃん達とすっかり仲良くなれたみたいですね♪」

「う……うん」

 

  ※

 

 ひなたに「朝食を食べて行かないか」と誘われたが断った。

 寝不足だし、リビングにはたくさんの犬でうるさいから、休めない。

 

 

 帰り際、ひなたのパパさんに声をかけられた。

 大きな紙袋を1つ持って、差し出す。

「新宮くん。これ、お土産だから持って帰ってくれないか?」

「はぁ……ありがとうございます」

「いやいや、そう気を遣わなくても良いのだよ。君はもう我が子のようなものだ」

 そう言って、ニコリと笑う。

 このおっさん。俺のことを種馬みたいに思ってない?

 

 

「じゃあ、センパイ! また学校で会いましょうねぇ~」

 

 玄関から手を振るひなた。

 俺はエレベーターに乗る際、手だけ振ってあげた。

 疲れから、声を出すのもしんどかったからだ。

 

 

 エレベーターの中に入ると、パパさんから貰ったお土産が気になった。

 やけに重たく感じる。

 袋の中を開いて見ると、3つの箱が入っていた。

 1つ取り出し、包装紙を破ってみる。

 

『赤坂饅頭』と書いてある。

 

 どうやら、あのパパさんが経営している和菓子店のようだ。

 本当に金持ちなんだな。

 いろんな会社を経営しているとは……。

 

 どんな饅頭か、気になったので、蓋を開けてみた。

 すると……。

 

「いっ!?」

 

 見た瞬間、血の気が引く。

 だって、予想していた和菓子なんて、どこにも入っていなかったから。

 箱に入っていたのは、ただの紙切れ。

 いや、福沢諭吉さんという偉人がプリントされた紙幣だ。

 見たこともないぐらいの束。

 これは……100万円だ!

 

 生まれて初めて見る札束に、腰を抜かしそうだ。

 

「あのおっさん……なにを考えているんだ」

 

 箱の隅に小さなメモ紙を見つけた。

 

 何か書いてある。

 

『未来の息子である新宮くんへ。これはほんの気持ちだから、気にしないでね♪』

 

 お気持ちってレベルじゃねー!

 俺の遺伝子を金で買うってか……。

 

 最後にもう一言。

 

『お母さんと妹さんがいると聞いたから、三人分のお土産を入れておいたよ。今度はみんなで我が家へ遊びにおいで。ていうか、もうみんなで一緒に暮らそう♪』

 

「……」

 

 10代の若者が、一晩で300万円も手にしちまったよ。

 どうしたら、いいの? これ。



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341 男の娘を敵に回すと怖いよぉ~

 

 エントランスから出て、ジーパンのポケットからスマホを取り出す。

 ひなたの家にいる間はスマホを起動できなかったからな。

 昨晩、アンナが梶木をウロウロしていたことも、気掛かりだ。

 

 マンションから出て、アンナに電話をかけようとした瞬間だった。

 付近の階段に人影を感じた。

 華奢な体型の女?

 

 長い金色の髪は首元で2つに分けている。

 セーラーカラーのワンピースを着て、階段に腰かけている。

 心なしか、背中がぶるぶると震えているように感じた。

 

 こちらに気がついたようで、振り返る。

 

「あ……た、た、タッくん」

 

 歯をカチカチと鳴らしながら、笑うのは……。

 

「アンナ! お前、なにやってんだ! こんなところで!」

 

 思わず叫んでしまった。

 急いで、彼女の元へと走る。

 肩に触れてみると、服越しとはいえ、冷えきっていた。

 

 長袖のワンピースを着ているが、既に11月も近い。

 朝は冷え込む。

 

 

「た、た、タッくん……お、おはよ☆」

 ニッコリと笑って見せるが、元気がない。

 顔は青ざめているし、小さな身体は震えっぱなし。

「どうしたんだ、アンナ。まさか、一晩中ここで俺を待っていたのか!?」

「うん☆」

「……」

 ヤンデレにも程がある。

 

  ※

 

 とにかく、冷えきった彼女の身体を暖めるため、俺は近くの自動販売機で、コーヒーとカフェオレを買ってきた。

 ホットの方だ。

 甘いカフェオレは、アンナに飲ませて。

 俺用に買ったブラックコーヒーは、飲まずに彼女の頬にあててあげる。

 

「あったか~い☆」

 

 なんて喜んでいるが……。

 俺は彼女の行動力に震えあがっていた。

 どうやって、ひなたの自宅を特定したんだ?

 

 

 その疑問を彼女にぶつけてみると……。

 

「え? ひなたちゃんの家? アンナ、一週間ぐらい前から梶木を歩き回っていたんだ☆」

「そ、それで……どうやって分かったんだ?」

「商店街のおばあちゃんとか。パン屋のお姉さんに、『ショートカットの女子高生来てますか?』って一軒ずつ尋ねたの☆」

 探偵かよ。

「それだけで、ひなたの自宅がわかったのか?」

「うん☆ ひなたちゃんがよく行ってる、ペットショップがあってね。そこの店長がよく餌とか配達してるから、住所をコソッと見てきちゃった☆」

 きちゃった☆ じゃないだろ……。

 普通に犯罪だし、ストーカーだ。

 

 

 アンナは特に悪びれるわけでもなく、むしろ誇らしげに語る。

 

「でもね。ちゃんと約束は守ったでしょ☆」

「え?」

「宗像先生に『お互いの取材を邪魔したらダメ』って言われたから、マンションの中には一歩も入らなかったよ☆」

「……」

 俺ってそんなに信用できないのかな?

 

 

「ところでさ。なんで、ただの取材が泊りがけになったの?」

 ずいっと顔を近づけて、笑う。

 しかし、目が笑ってない。

 怒ってるよ……その証拠に、エメラルドグリーンの瞳から輝きが消え失せてるもん。

 また、いつもみたいにブラックホールのような底知れない闇を感じる。

 

「あ、あの……動物と泊ってきただけです」

「どんな?」

「ヘビです……」

「なんで、動物と泊るの? それって取材なの?」

「はい。一応、取材です……」

「一応ってなに? あとタッくん。お風呂入ってない? 石鹸の香りがプンプンするよ。誰と入ったのかな☆」

 

 もう許して!

 俺はこのあと、彼女に弁解するのに、数時間を要した。



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342 人前でしっかり食べてくれるカノジョの方が可愛い

 

 やっとのことで、アンナの誤解は解けた。

 しかし、俺も彼女に対して、思うことがある。

 それは一晩中マンションの前で、俺を待っていた事だ。

 

 

 梶木浜から離れて、キラキラ商店街を歩きながら、アンナに話しかける。

 

「なぁ。アンナの気持ちも分からないわけでもないが……俺は結構怒ってるぞ」

 そう言うと、彼女は「えっ……」と少し怯んでしまう。

「お前みたいな可愛い女の子が、一晩中あんな所で、座り込むなんて……」

 あれ、俺ってこいつのことを女の子扱いしてない?

「ごめん……」

 しゅんと縮こまるアンナ。

「俺が連絡出来なかったから、心配だったのも分かるが。今後こういうことをするなら、もうアンナと取材を続行できなくなる」

「そんなぁ……」

 涙目で俺を見つめる。

 そんな上目遣いで、可愛い顔してもダメです。

 ちょっと、チューしたいけど。

 

「アンナ。俺のためとはいえ、こんな危険なことはやめて欲しい。大事な取材対象なんだから」

「うん……やっぱり、優しいね。タッくんって☆ そういう所がスキかな」

 ん? 今、サラッと告白された?

 人格のことを言ってるだけだよね……。

 

 

 聞けば、アンナは昨日から何も食べてないと言う。

 余りにも不憫だったので、商店街を抜けて、セピア通りに入った頃。

 

 一軒の店から良い香りが漂ってきた。

 博多ではソウルフードとして、有名な『もっちゃん万十』だ。

 

 たい焼きみたいなもので。

 安価で買えるから、若い学生たちが学校帰りに買って、駅のホームで食べているのをよく見かける。

 

 

「アンナ。あれを食べて行くか? 腹空いたろ」

「うん☆」

 

 店に入って、俺は定番のハムエッグを1つ注文した。

 アンナはこの店に初めて来たらしく、メニューを見ながら迷っていた。

 

「いっぱいあるから、迷う~☆」

 

 俺は昨日から何1つ口にしていない彼女が、可哀そうだったので。

「好きなものを頼め。俺のおごりだ」と言った。

 最初は断られたが、自分の気が済まないと強く主張したら、折れてくれた。

 

 かなり迷ったあとに、アンナは「うん、決めた」と頷き、店主に注文する。

 

「すいません☆ ハムエッグと“とんとん”。むっちゃんバーガーにウインナー。あとツナサラダ。黒あんと白あん。カスタードクリーム。“ごろごろちゃん”を下さい☆」

「あいよ!」

 隣りにいた俺それを聞いて、ずっこけてしまった。

 店のメニュー、全部じゃねーか!

 迷う必要性あったのかよ……。

 

 

 小さな敷地だが、テーブルがあったので、そこで食べることにした。

 

「う~ん☆ おいし~☆」

 饅頭からはみ出るクリームを指ですくうアンナ。

 小さなピンク色の舌でペロッと舐めて見せる。

 やっと、彼女に笑顔が戻って、一安心。

 

「おいしいね☆ タッくん☆」

 彼女の笑顔を見ていると、なんだか疲れが吹っ飛ぶ。

 エメラルドグリーンの瞳が何よりも輝いて見える。

「ああ……うまいな」

 大食いの女子だけど、なんだか誰よりも一緒に食事を楽しめる。

 

 でも、今食べてるの30個目なんだよね。

 ちゃんと経費で落ちるかな……。



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第四十章 たまには休んでもええんやで
343 遺産問題で家族は分裂します


 

 ひなたパパから、貰ったお土産。

 現金にして、300万円。

 嬉しいというより、怖くて仕方ない。

 

 帰宅しても、机の中に隠したまま放置しておいた。

 母さんに見せれば、「BL本に使えるわ!」と歓喜するだろう。

 妹のかなでに見せても、同人エロゲとかに散財するに違いない。

 無職のヒモに近い親父なんかは、もってのほかだ。

 

 相談する相手がいない。

 

 次の日にひなたへ電話をかけてみたが。

『お土産ですか? パパに聞いたら、絶対に貰って欲しい。ですって♪』

「そ、それは困るんだ。高額なもので……」

『つまらないものだから、新宮センパイのご家族で楽しんで欲しいみたいですよ』

「えぇ……」

 と断固として、拒否されてしまう。

 

 悩んだ末、俺は担当編集の白金に電話してみることに。

 

 300万円という金額を聞いて、白金はこう答えた。

『え、本当ですか? じゃあ、そのまま貰っておきましょうよ♪』

「いや。ダメだろ。贈与税とか関係しないのか……それに、この金を貰ってしまったら。俺がひなたの家に婿入り決定しないか?」

『ないですよ~ 金持ちの冗談みたいなもんでしょ。まあ、贈与税は確かに面倒ですね……じゃあ、こうしましょ』

「なんだ?」

『その300万円をDOセンセイから、弊社が預かります。そして、今後の取材経費に当てたらいいですよ~ それなら、ひなたさんでしたっけ? 彼女の取材にも使えるし♪』

「大丈夫なのか……」

『今度、打ち合わせする時に新聞紙でも巻いて持って来てくださいよ。私のデスクに隠しておきますから♪』

 こいつ、自分で使うんじゃないだろうな。

「わかった。今度、持って行く」

 そう言って、電話を切ろうとしたら、白金に止められた。

 

『あ、DOセンセイ! もう少しお時間いいですか?』

「なんだ?」

『発売した“気にヤン”の一巻なんですけど。めっちゃ売れていて。売り切れ続出。増版に次ぐ増版なんですって!』

「そうなの……」

 なんか、あんまり嬉しくない。

 だって書きたいものを書いて、売れたわけじゃないから。

 俺の実力でもないし。

 

『DOセンセイって、いつも“気にヤン”の話になると喜んでくれませんね……。ま、いいですけど。そこでファンから要望もありまして。編集長から早く続きを書いてくれと頼まれたんです』

「ちょっと待て。一巻が発売したの、先月だろ? 早すぎじゃないか」

『ええ、博多社始まって以来、異例の早さってレベルです! なので、二巻と三巻を一週間以内に書き上げてください!』

 ファッ!?

 なんで、そんな超短期なんだよ!

 

「一週間って……何万字ぐらいだ?」

『20万字です』

 サラッと言うな!

 肩が壊れそうだわ……タイピングで。

 

 

「で、出来るだけやってみよう……」

 仕事だからね。

『あとですね。二巻はサブヒロインのひなたちゃんを主にして欲しいんです。それから、次は腐女子のほのかちゃんパートって感じで……』

「ちょっと待て。二巻目で、二人のサブヒロインを交互に出し、尚且つメインのアンナも出す感じか?」

『いえ、違います。二巻はひなたVSアンナって感じで。三巻が腐女子のほのかちゃんが成り上がる感じですね』

「……」

 

 三巻のくだり、いる?



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344 消えたミハイル

 

 白金に言われて、しばらく俺は自室に缶詰状態。

 新聞配達と勉強の時以外は、執筆活動を続ける。

 目が乾くし、肩もバキバキ。

 

 何故なら、1週間で約20万字を用意しろと言われたからだ。

 編集長の意向で、2巻と3巻を同時発売したいと業務命令が下されたため。

 俺は毎日、死ぬ気で書き続けた。

 

 

 2巻は、ひなたと博多で遭遇し、成り行きでラブホに突入。

 それを知ったアンナが、怒ってラブホでにゃんにゃん、コスプレパーティ。

 3巻はただの腐女子パート。

 おまけ感覚。

 

 

 夜明けに書き上げた原稿をパソコンからメールにて、博多社へ送信。

 

 あっという間の一週間だった。

 ふと、カレンダーを見れば、今日は日曜日。

 スクリーングの日だった。

 

 寝不足だが、仕方ないので軽く朝食を済ませて、小倉行きの電車へと乗る。

 

  ※

 

 席内(むしろうち)駅についた。

 だが、俺が予想していた光景とは違い、自動ドアのプシューという音だけが鳴って、扉は閉まってしまう。

 “彼”が乗ってこない。

 

 ひょっとして、遅刻か?

 いや、あの性格だ。ありえない。

 

 とりあえず、俺は目的地である赤井駅に列車がたどり着くのを待った。

 赤井駅について、しばらくホームで彼を待っていたが、どの列車にも乗っていなかった。

 諦めて、一ツ橋高校へと先に向かうことにした。

 

 心臓破りの地獄ロードを越えると、一人の女性が立っていた。

 オフホワイトのジャケットに、同色のタイトスカート。

 これだけ見れば、ただの女教師って感じだが。

 ジャケットの中が問題だ。

 ワインカラーのチューブトップを着用しており、そこからはみ出る2つのマスクメロン。

 そして、タイトスカートも超ミニ丈。

 おまけに足もとは、ピンヒール。

 

 どこの立ちんぼガールですか?

 はい、宗像 蘭先生です。

 

「お! 新宮じゃないか! ちゃんと登校して偉いぞ!」

「なんだ……宗像先生か」

 一瞬ミハイルだと思ったから、落胆してしまう。

「宗像先生か……とはなんだ? この蘭ちゃん先生がいないと学校が回らんだろう」

 いや、お前がいなくても大丈夫。

 むしろ、いなくなれ。

 

「そういう意味じゃなくて……ですね。あの、ミハイル。古賀は来てないんですか?」

 俺がそう言うと、宗像先生は目を丸くする。

「ああ、古賀な。熱が出て大変らしいな」

 当たり前のようにいうから、俺は声を大にして叫ぶ。

「えぇ!?」

「ん? 新宮は聞いてなかったのか? 一週間ぐらい前から寝込んでいるって聞いたぞ。ヴィクトリアからな」

 一瞬にして、状況を理解した。

 

 俺のせいだ……。

 先週、ひなたと梶木で泊りがけの取材をしたから。

 あの時、アンナは心配して、マンションの前でずっと俺を一晩中待っていた。

 朝に彼女を見つけた時。ガタガタ震えていたもんな。

 きっと、あの日のことで、風邪を引いたのだろう。

 

 

「……」

 罪悪感で胸が押し潰されそうになる。

 俺が黙り込んでいると。

 

「どうした? そんなに心配か? ヴィクトリアが言うには、高熱が続いているのに。学校に行くって、ふらつきながら家を出ようとしたから、止めるのに大変だったらしいな」

「え……ミハイルがですか」

 彼なら、やりかねない行動だ。

「ま、『高熱でも学校に来い』とは、先生なら言えんからな。ちゃんと静養しておくように伝えておいたぞ。新宮も寒くなったから、風邪には気をつけろよ、だぁはははっははは!」

「……」

 いつもなら、この下品な笑い声を聞いて、ツッコミを入れるところだが。

 

 そんなことよりも、彼の身が心配だ。

 しばらく、地面を見下ろして考え込む。

 

 俺のせいで。アンナ……いや、ミハイルが身体を壊したって言うのなら。

 それなのに……俺だけ登校してもいいのか?

 スクリーングは最低でも4回ぐらい、通学しないと単位がもらえないって聞いた。

 

 なら……ダチの俺は。

 

 

 パン! と自身の頬を両手で叩く。

「よし。決めた」

 

 その力強い音に驚く宗像先生。

 

「ど、どうしたんだ? 急に?」

「宗像先生! 俺、今日。休みます!」

「え……?」

「俺も高熱なんで、帰ります! 欠席扱いで良いっす!」

 

 そう言うと、俺は先生に背中を見せて、勢いよく坂道を駆け下りる。

 

 待っていろ。ミハイル。

 

 背後から宗像先生の叫び声が聞こえてきたが、俺の身体には響かない。

 頭の中は、苦しむあいつの姿でいっぱいだったから。



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345 たまにはシリアスな回もあっていいじゃない

 

 やってしまった。

 勢いとはいえ、初めてスクリーングを自らの意思で休むとは……。

 

 俺は小倉行きの電車へと乗り込み、ミハイルの住む席内(むしろうち)駅へと向かった。

 彼の住む街に来るのは、随分と久しぶりに感じる。

 

 急いで商店街を走り抜け、目的地であるパティスリーKOGAの前で立ち止まる。

 まだ朝が早い事もあってか、店内には客が一人もいなかった。

 店の扉を開くと、ベルの音が鳴る。

 

 その音に気がついた店主が、笑顔でお出迎え。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 コックコートに身を包んだ一人の女性が、カウンター越しに立っていた。

 長い金色の髪は、首元で1つに結い、左肩に下ろしている。

 2つの瞳はエメラルドグリーン。

 一見すると、ハーフの美人なのだが……。

 

 客が俺と見るや否や。

「チッ……なんだ、坊主か」

 と吐き捨てる始末。

 

 

 いつもなら、その塩対応に困惑するが。

 今はそれどころじゃない。

 早く彼の安否を知りたくて、仕方ないんだ。

 

「あ、あの! ヴィッキーちゃん! み、ミハイルは……あいつは今どういう状態なんですか! 病院へ連れて行かなくても、大丈夫なんすか!」

 いきなり、マシンガンのように言葉を連発したせいか、ミハイルの姉は驚いていた。

「な、なんだ急に……。ミーシャなら二階で寝てるよ。ていうか、坊主こそ学校はどうした?」

「俺のことなんて、どうでもいいです! 早くミハイルに会わせてください!」

「お、おお……」

 

 強い俺の想いにヴィクトリアは、圧されてしまったようで。

 自宅である二階へと案内してくれた。

 

 玄関の鍵を開けたあと、彼女は「まだ店があるから」と仕事に戻っていった。

 別れ際にミハイルの状態を軽く説明されたが。

 

 一週間前ぐらいまえに、一晩中どこかを徘徊したので、きつく説教したら。

 次の日から高熱を出して、寝込むようになったとか。

 病院にも連れていったが医師からは「身体を冷やしすぎただけ」とのこと。

 

 その説明を聞いて、俺は罪悪感でいっぱいだった。

 

 だが、自分のことより、早く彼の元へと駆けつけたいという、想いの方が強い。

 心配だし、あいつの顔を見るまで安心できない。

 

 唾を飲み込んで、決心し、玄関の扉を開く。

 

 家の中に入ると何故か甘い香りが漂っていた。

 きっと他人の家だから、玄関の芳香剤か、使用している洗剤とかの違いからだろう。

 女子の家って感じ。

 

 靴を脱いで、ゆっくりと廊下を歩く。

 あまりうるさくすると、彼が起きてしまうと思ったから。

 スタジオデブリやネッキーの可愛らしいポスターで、左右は埋め尽くされている。

 

 廊下を抜けると広いリビングがあり、左右に部屋がある。

 各部屋の扉には、可愛らしいネームプレートが飾ってあり。

 右側は『ヴィッキーちゃんの部屋』反対側に『ミハイル☆』と書いてある。

 

 俺は、彼の部屋の前で立ち止まる。

 一応ノックだけはしてみた。

 

「ミハイル? 俺だ。入ってもいいか?」

「……」

 

 反応がない。

 やはり寝ているのだろう。

 

 仕方ないので、ゆっくりとドアノブを回す。

 

 部屋に入った瞬間、俺は言葉を失った。

 ベッドの上で、一人身体を丸めて、寝込む彼の姿を見たからだ。

 いつもの元気な彼ならば、白くて透き通るような肌を、見せてくれるが……。

 高熱のせいか、赤色に染まっている。

 息は荒く、終始「う~ん」と唸っている。

 

 その場にリュックサックを投げ捨て、彼の元へと駆けつける。

 

「み、ミハイル! 大丈夫か!?」

 俺が必死に話しかけても、彼の耳には届かない。

 多分、高熱のせいだ。

「ううん……」

「……ミハイル」

 

 俺はせめてもの罪滅ぼし。

 いや、自分が安心したかったからか。

 彼の小さな細い手をギュッと掴んで、自分の額に当てた。

 高温だとすぐに分かった。

 

 気がつくと、目頭が熱くなり、頬を涙が伝うのを感じた。

 

「わ、悪い……俺のせいで、学校を休ませて。お前にこんな辛い思いさせちまって……」

 

 自分でも、何故こんなに彼のことを心配するのか、分からなかった。

 高々、学校を休んだぐらい。熱が出たぐらい。

 別にミハイルが死ぬってわけじゃないのに……。

 

 今はとにかく、こいつのそばにいてあげたい。

 それしか、思いつかないんだ。



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346 多重人格ヒロイン

 

 ミハイルはベッドの上で、ずっとうなされていた。

 高熱により、何度も身体を左右に動かしながら……。

 時折、何か言葉を発する。

 

「タ、タクト……が、がっこう……」

 

 どうやら、今日のスクリーングのことを未だに悔いているようだ。

 隣りで座っている俺も見ていて、辛かった。

 それだけ彼の中では、スクリーング……いや、俺と一緒に「一ツ橋高校を卒業したい」という想いが強いのだろう。

 まあ、一日ぐらい休んでも単位は貰えるから、心配ないと思うが。

 変な所で意地っ張りというか、頑固なところがあるからな。

 

 

 俺がミハイルの部屋にいて、彼の顔をじっと見守っていたところで、容態は何も変わらないのだが……。

 それでも今は近くで、こいつの顔を見ていたかった。

 

  ※

 

「うう……ああっ!」

 

 あまりの高い熱に頭をやられたのか、ミハイルは急にベッドから身体を起こす。

 両手で頭を抱え、左右にブンブンと振る。

 顔をしかめて、叫び声をあげた。

 

「あああ! イヤだぁ!」

 

 驚いた俺は、すかさず止めに入る。

 

「ミハイル! どうした、頭が痛むのか!?」

 だが俺の声は、彼の耳に入ることはなく……。

「痛い、痛い! 頭が痛いよぉ!」

 子供のように泣きじゃくる。

 こりゃ、よっぽど重症だな。

 本当に病院へと連れて行かなくてもいいのか?

 

「おい、危ないから。辛いだろうが、ベッドで横になれ」

「頭が割れそう……あああ!」

 俺の手を振り払い、ベッドから飛び下りる。

 何を思ったのか、床の上に立ち上がって、辺りをボーッと見回す。

 

「み、ミハイル? 立ったら、危ないぞ。まだ寝てろよ……」

 俺の声にやっと気がついたようで、ゆっくりと振り返るミハイル。

 ベッドから下りて、ようやく今日のファッションに気がつく。

 

 といっても、あくまでルームウェアだ。

 モコモコ素材の柔らかい生地で、トップスは長袖だがボトムスは何故かショートパンツ。

 もう冬も近いってのに、どこまでもショーパンが好きなんだな。

 その代わりといってはなんだが、ロングソックスを履いている。

 なんだか、ミハイルの絶対領域を初めて見て、妙に色っぽく感じてしまった。

 

 

 振り返った彼は、なぜか俺を見て優しく微笑む。

 

「ふふ……タッくん」

「え?」

 思わず、アホな声が出てしまう。

 聞き間違えかな。

「も~う☆ タッくんたら、女の子の家に入る時はノックしなきゃダメだぞ☆」

「はい。ごめんなさい」

 おかしい……目の前にいるのは、間違いなくミハイルだ。

 女装していないから、アンナさんの出番じゃない。

 でも……。

 

 

「タッくん。今日は何の取材しよっか☆」

「えっと……お医者さんごっことか、どうですか?」

「いいよ☆」

 

 完全にミハイルモードだというのに、この神対応。

 そうか、高熱で人格がブレブレになっているのか。

 しかし……なんだというのだ。

 この胸の高鳴りは?

 

 信じたくないが、俺は……。



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347 お医者さんごっこ、したことないです……。

 

「タッくん~ 横になってくだちゃいねぇ~」

「はい」

 

 突如として、ヤンキーミハイルに降臨なされた女神人格。

 アンナ様により、俺は甘い香りが漂うベッドの上に寝かされる。

 枕はピンク色のネッキーとネニーがプリントされた可愛らしいデザイン。

 布団やシーツも同様の色とデザイン。

 

 ミハイルはいつもと違い、長い髪は首元で括っておらず、両肩に下ろしている。

 それもあってか、妙に色っぽく感じる。

 正直、俺にはこいつが女にしか見えない。

 

 ベッドの上で寝る俺の隣りに、正座して座るミハイル。

 

「さぁ、どこが痛いのかなぁ? お医者さんに見せてくれるかなぁ☆」

 素晴らしい。

 このナース、どこで雇えるのだろうか?

 ショーパンにニーハイソックス。絶対領域。

 尚且つだ。正座しているから、小さくて丸い尻が自ずと強調されてしまう。

 思わず、俺の右手をこの看護婦さんの腰へと、回したくなるほどだ。

 

「先生。最近、胸が痛みます」

 いろんな意味で。

「は~い。じゃあ、お胸を出してくだちゃいねぇ☆」

 即座にTシャツを投げ捨てた。

 一体、彼の知識でどこまで治療してもらえるか、知りたいからだ。

 

 上半身裸になった俺をじっと見て、ミハイルは言う。

「う~ん。どこも悪くなさそうですねぇ~」

「先生! 胸が本当に悪いんです! 特に心臓辺りのトップが!」

 これを狙っていたのだが……。

「残念ですねぇ☆ うちは皮膚科です☆」

「……」

 

 クソがっ!

 

  ※

 

 お医者さんごっこは悔しいことに何事もなく、無事に終わってしまった。

 しかし、それでも彼の人格は元に戻らず。

 

「タッくん☆ 次はなにをしよっか?」

 とベッドの上で座りこみ、ニコニコ笑っている。

「ううむ……」

 

 きっと、高熱で人格がアンナに変わってしまい、元に戻れないのだろう。

 ならば熱を冷ませば良い。

 姉のヴィッキーちゃんに頼んで、解熱剤でも使うか?

 

 そんなことを一人で考えていると、ミハイルが何を思ったのか、俺を力づくでベッドに倒す。

 彼も一緒に並んで寝るのか、と思ったが。

 予想と反して、ミハイルは何故か俺の腹の上にピョンと乗っかる。

 軽い体重だから、大した衝撃ではないが。

 

「ふふふ」

「お、おい? なにをする気だ?」

「ずーっと前に……ひなたちゃんとラブホテルに行ったよね?」

 笑ってはいるが、目つきが怖い。

「はい……行きました」

「あの時、アンナのスマホに“変な写真”を送ってきたこと覚えてる?」

 

 オーマイガッ!

 事故とはいえ、現役女子高生のひなたを助けた時。

 アンナから連絡が来て、それに激怒したひなたが、『騎乗位スタイル』のツーショットを送信した事件のことだ。

 まだ根に持っていたのか……。

 

 

「あ、あれは事故です。それにラブホは後で一緒に楽しんだじゃないですか」

「ダ~メ☆ タッくんの記憶から消してしまわないと、汚れちゃうでしょ☆」

「えぇ……」

 

 またお馬さんで遊ぶんですか?



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348 キスの味ですか? グロスですよ

 

 人格がアンナへと入れ替わってしまったミハイル。

 未だに「ふふふ」と優しく微笑んで、俺の身体に跨る。

 本当の意味で、マウントを取られてしまったのだ。

 

 俺は微動だに、できずにいた。

 もちろん、彼の身体はそこら辺の女より軽いが、馬鹿力だから、ひ弱な俺ではミハイルを下ろすとことはできない。

 

「タッくんのわる~い記憶を消そうか☆」

「え、どうやって?」

 

 もしかして、殴られるの?

 イヤだぁ!

 

「えっと……こうすると、消えるかなぁ」

 

 そう言うと、ミハイルは小さな手で俺の頬に触れる。

 いや、正しくは両手でギュッと力いっぱい挟む。

 自ずと、俺の頬は前へと膨らみ、唇は飛び出てしまう。

 

「ば、ばの……だ、だにをずるんだ?」

(あ、あの……な、なにをするんだ?)

 

 彼は何も答えることはなく、自身の顔をゆっくりと俺へ近づける。

 エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせて。

 心なしか、眠たそうな目に見える。

 きっと、高熱のせいだろう。

 

 お互いの額がくっつく。

 ミハイルのおでこは、火傷するほどの高い体温だ。

 しかし、彼は嬉しそうに笑っていた。

 

「ふふふ。おでこが、ごっつんこしたね☆ ひなたちゃんのこと、消えるかな?」

「おごご……」

 答えたいのだが頬を両手でガッチリ挟まれて、ちゃんと言葉に出来ない。

 

 気がつけば、美しい緑の瞳は、僅か1センチほどの至近距離だ。

 額だけではなく、鼻の頭もくっついてしまう。

 

 こ、このままでは……まずい!

 今のミハイルは、正気じゃないんだ。

 どうにかして、彼の熱を冷まさないと……。

 

 

 俺が一人考え込んでいる間、ミハイルは構わず、じっと見つめる。

 

「ふふふ……もう、タッくんは誰にも渡さないよ☆ ひなたちゃんにも、あのマリアちゃんっていう子にもね☆」

「ダンナ……」

 

 あ、アンナって言ったんだけどね。

 まさか、ここまで引きずっていたとは……。

 配慮が足りていなかったのかな。

 

 と、思ったその時だった。

 突如として、ミハイルが頭を抱えて叫び出す。

 

「あああ! 頭が痛い!」

 口が自由になった俺は、彼に声をかける。

「ミハイル! 正気に戻ったのか!?」

「痛いよぉ~! イヤだ、イヤだぁ!」

 

 こめかみ辺りを両手で押さえて、頭を左右にブンブンと振る。

 よっぽどの激痛らしい。

 泣きながら、叫んでいる。

 

 

「お、おい。ミハイル……とりあえず、俺から下りて……」

 そう俺が言いかけた瞬間、プツンと彼の声が途絶えた。

「……」

 

 あまりの激痛に、意識を失ったようで、瞼を閉じて身体を左右に揺らせている。

 今にも倒れそうだ。

 危険だと感じた俺は、咄嗟に身を起こす。

 

 ミハイルの小さな肩を掴んで、ケガをしないように守る……つもりだった。

 

 下へ倒れる彼と、上へ身体を起こす俺。

 うまく両肩をキャッチしたと思った……。

 

 でも、意外な所も掴んでしまったのだ。

 それは……。

 

「んぐ」

 

 熱を帯びたミハイルの小さな唇。

 事故とはいえ、大の男同士がキッスを交わしてしまった……。



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349 ファーストキス

 

「んぐぐ……」

 

 どれだけ、時が経ったのだろうか。

 俺はミハイルの両肩を掴んだまま、目を見開き、その光景に驚いていた。

 というか、あまりの出来事に身体がビックリして動かない。

 

 一体、これからどうやって、離れたらいいんだ?

 

 ていうか、ミハイルの唇って……めっちゃやわらかい!

 プニプニしていて、気持ちが良い! 良すぎる!

 水まんじゅうのようなプルプル感。

 それに、唇が小さくて薄くて……女の子より、可愛らしい!

 

 

 いかん。興奮してきた。

 相手は男だというのに、初めてのキスで我を忘れているんだろう……きっと。

 股間がパンパンに膨れ上がってきたぞ。

 ダメだ!

 一線は越えてならん。

 がんばれ、俺の理性。

 

 

「ん……」

 

 ずっと閉じていたミハイルの瞼がゆっくりと開き。

 エメラルドグリーンの輝きが眼前に。

 

 彼とは長い付き合いだが、ここまで近い距離で見つめあったことはない。

 この間も、お互いの唇は重なったままだ。

 

「んん!?」

 

 唇を塞がれたまま、ミハイルは正気を取り戻したようだ。

 その後の彼は早かった。

 

 眉をしかめたと同時に、俺から身を離し、勢いよく頭突き。

 

「ふぎゃっ!」

 

 俺は鼻から大量の血を吹き出しながら、ベッドへと急降下。

 右手で鼻を抑えながら、彼へと必死に訴えかける。

 

「ち、違うんだ。ミハイル! これはその……事故で」

 だが、そんなことを信じてくれることもなく。

「な、なんで……タクトがオレん家にいるんだよ! 今日はスクリーングだろ!」

 顔を真っ赤にさせて、激怒する。

 でもちょっと、涙目。

 そりゃそうだよな……ファーストキスが、俺だもん。

 

 身体をプルプルと震わせて、泣いて叫ぶ。

「オレの部屋から出ていけ! この変態タクト!」

 ビシッと扉の方向を指差したので、俺は「はい」と素直に従う。

 鼻血をポタポタと床に垂らしながら……。

 

  ※

 

 一時間ぐらい経ったのだろうか。

 彼の自室から叩き出された俺は、扉の前で座り込んでいた。

 近くにあったティッシュを使って、両方の穴を塞ぎながら。

 扉の向こう側……部屋の中は静かだった。

 ミハイルはあれから、叫ぶこともなく。

 眠っているんじゃないか、ってぐらい何も音が聞こえてこない。

 

 気になった俺は、扉をノックしてみる。

「ミハイル? 寝ているのか? さっきのことは……本当に事故だったんだよ」

「……」

 相手から答えはないが、とりあえず理由を説明しておく。

「今日、お前がスクリーングを休むって言うから、心配で……。ただそれだけで、お前の家に来たんだ」

「……え? オレのことが?」

 扉の向こうから、微かだが小さな声が聞こえてきた。

 

「ああ。そうだ……ダチのお前が休むって知ったら、心配でたまらなくて……それで俺も休んじまった」

「……そ、そうだったんだ」

「さっきの……口のやつは、なかったことにしてくれ。看病しようとしたら、ミハイルが頭痛で暴れてな。それを抑えようとしたら……」

 

 話の途中で、扉がゆっくりと開く。

 恥ずかしそうにルームウェアの裾を掴んで、顔を赤らめている。

 視線はずっと床のまま。

 

 どうやら、許してくれたようだ。

 

「もう……いいよ。タクトがオレのために、学校まで休んでくれたんだよね?」

「ああ。お前がいないと、なんか行きたくない……って思った」

 

 俺が素直にそう答えると、彼に笑顔が戻る。

 

「仕方ないな。タクトはオレしか、ダチがいないもん☆」

 

 ところで、俺のファーストキッスって、カウントされないよね?

 相手は男だし……。

 大丈夫、まだこの唇は、誰の物でもないはず。



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350 男の娘裁判

 

 ミハイルの誤解は解けたが……。

 まだ彼の状態が良くなったわけではなく。

 真っすぐに立てないで、フラフラとしていた。

 

 だから、俺が部屋に戻ってベッドで横になるよう促した。

 さすがのミハイルも素直に従ってくれたが。

 

 部屋の扉を閉める際、優しく微笑んで。

「来てくれて、ありがと☆」

 と頬を赤らめた。

 

 なんだか、先ほどの“事故”を思い出してしまう。

 あの小さな可愛らしい唇に、触れてしまったのか……。

 自然と右手が自身の唇へと上がり、指先で感触を確かめる。

 

 思い出しただけでも、頬が熱くなる。

 身体中が燃え上がるように、体温が急上昇。

 

「ち、違う……俺はノンケだ……」

 

 と自分自身を言い聞かせるように、呟くと。

 

「何の気だって?」

 

 背後から甲高い女性の声が聞こえてきた。

 振り返ると、コックコートを着た仕事上がりのヴィクトリアが立っていた。

 

「ぎゃあああ!」

 

 思わず叫んでしまう。

 まるで、幽霊を見たかのように。

 当然、ヴィッキーちゃんは、鬼のように怒り出す。

 

「や、やかましい! ここはあたいの家だ! なに泥棒を見た住人みたいな顔してやがんだ!」

「すみません……」

 

 冷静さを取り戻そうと、呼吸を整える。

 しかし、未だに心臓の音はうるさく、頬も熱い。

 

 俺の異常に気がついたのか、ヴィッキーちゃんが顔をしかめる。

 

「坊主? お前もミーシャの風邪でも貰ったのか? 物凄く顔が赤いぞ」

「いえ……俺のは、違います……」

「ふぅん。ま、いいや。あたいは今からシャワー浴びるからさ。あがったら、酒に付き合え」

「え?」

「逃げるなよ。話があるんだ」

「は、はい……」

 

  ※

 

 大きなローテーブルの上に置かれたのは、グツグツと音をあげる鍋。

 博多名物、もつ鍋だ。

 以前も、この家へ遊びに来た時。これを御馳走になったが。

 毎晩、こんな濃ゆいものばかり食べているのか?

 

 ミハイルはまだ自室で寝込んでいる。

 頭痛が酷いようで、時折、壁越しに唸り声が聞こえてきた。

 

 ヴィッキーちゃんは、11月も近いと言うのに「風呂上がりだからな」とタンクトップにショーパン姿だ。

 タンクトップの紐はゆるゆるだから、ブラジャーが丸見え。

 弟が風邪を引いたのに、防御力ゼロ。

 さすがは元伝説のヤンキーか。

 

 

 もつ鍋を取り皿によせて、晩酌を始めるヴィッキーちゃん。

「ほれ。お前も食え」

 なんて言いながら、ストロング缶をがぶ飲みする。

 次の瞬間には、新しい缶を開けるエグい飲み方。

 お茶ですか?

 

 俺はあまり食べたくなかったので、出してもらったブラックコーヒーをゆっくり口にする。

「あの……話ってなんですか?」

 そう問いかけると、ヴィッキーちゃんの箸が止まる。

「話か。なぁ……あたい、前にも言ったよな? ミーシャの無断外泊はダメだって」

 ドスの聞いた声で俺を睨みつける。

 やべっ。そうだった。

 前もアンナモードで外泊させた時に、偉く怒ってたもんな。

 これは謝罪しておかないと……。

 

「あ、はい……すみません」

「ほう。素直に認めるんだな。まあミーシャも年頃だから、色々とあるんだろうな。だろ? 坊主」

 ギロッと睨みをきかせる。

 俺は背筋をビシッと正して「はいっ!」と答えた。

 

「まあな。ミーシャも坊主と出会って、何か色々と変化があるんだろうな。よく笑うし、よく泣くしな……」

 犯人はお前だろ? みたいな顔でじーっと見つめてくる。

「そ、その……この前のことでしたら……」

 なんか良い言い訳が思いつかない。

 ヴィッキーちゃんは深いため息をついたあと、こう言った。

 

「なあ、坊主。お前、女物の……ブラジャーとかパンツに興味あるか?」

「へ?」

 思わずアホな声が出る。

 そりゃ、興味はあります……とは答えられない。

 

「ちょっと待ってろ」

 ヴィッキーちゃんは自分の部屋に入ると、何かを持ってきた。

 可愛らしいフリルがふんだんに使われたピンクのブラジャーとパンティー。

 見覚えがある。

 は! これ、アンナが着ているやつだ!

「……」

 テーブルの上に載せられた下着を見て、固まる俺。

「あたいは男じゃないから、分からんが……。思春期の奴はこういうのを欲しがるもんなのか?」

「そ、それは……」

 まずい。姉のヴィッキーちゃんに女装を知られてしまえば、今後の取材に支障をきたしてしまう。

 どうにか、この場を乗り越えないと……。

 考えろ! 集中するんだ。仮にも作家だろ、俺は。

 作るんだ、今こそ。この場で、フィクションを!

 

 

 深呼吸した後、俺はこう語り出した。

「めっちゃ欲しいですね。かく言う俺も女性の下着を保有しております。真空パックに保存し、ハァハァするために男の子は、必要なんです」

 すまん、ミハイル。

 これしか、思いつかなかった。

 真実を聞いたヴィッキーちゃんは目を見開き、絶句する。

「な、なんだと……」

 驚く彼女を良いことにたたみかける。

「いいですか。ミハイルも15才なんですよ。これぐらいの性癖を持っていても、正常です。それに彼は前も言ったように、“大きなお人形”で夜な夜な遊んでいたでしょ?」

「ま、まさか……」

「そうです。ドールちゃんに着せて、楽しんでいる可能性があります」

「えぇ……」

 涙目でうろたえる姉。

 だが、俺は断固として、このフィクションで押し通す。

 

「これ以上、ミハイルの性癖をむやみに詮索しないほうが良いと思います」

「そ、そうなのか? あたいは女だから、よくわかんなくて……」

 この人。弟のことになると、偉く弱気だな。

 よし、じゃあ最後に脅しを入れておくか。

 

「あんまりご家族にやられると、ミハイルはグレて家出しますよ!」

「そ、そんなぁ……わかった。もうしないよぉ……」

 肩を丸めて、俯くヴィクトリア。

 勝ったな。

 

「ははは。年頃の男なら、ブラジャーとパンティーで、スゥハァするのは普通ですよ! 普通です!」

 笑ってごまかせ。

 

 こうして、ミハイルとアンナの秘密は守られたのであった。



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第四十一章 ヒロインは一人で良い
351 釣られやすい主人公


 

 あれから、一週間が経とうとしていた。

 ミハイルの状態は少し良くなったと、姉のヴィクトリアから連絡はあったが……。

 まだ熱が完全に引いてないので、しばらく自宅で安静にさせると言っていた。

 

 俺もその方が良いだろうと感じた。

 あの健康で頑丈な身体だけが、取り柄のミハイルだ。

 よっぽど、疲れていたのだろう……。

 

 ま、俺もあれから一週間はダラダラと過ごさせて、もらっている。

 超短期で20万字も書いたから、肩こりが酷い。

 新聞配達とレポート作成以外、ほぼ寝込んでいた。

 

 寝込むというのは、ちょっと表現が違うな。

 正しく言うのならば……。

 

「み、ミハイルの唇って……柔らかいんだな」

 

 と先日の“事故”を毎日思い出しては、悶々と過ごしていた。

 あの瞬間、もちろん驚きはしたが……それよりも。

 ミハイルの閉じた瞼が、目に焼き付いて頭から離れない。

 高熱で頭がフラついていたからだと思うが、なんで俺にあそこまで身を委ねられるというんだ?

 

 考えただけで、胸が痛い……いや、これは違う。

 ドキドキしているのか?

 俺が、男にときめいているとでも言いたいのか。

 違う! 断じて、俺にそっちの気はない!

 

 と脳内で、完全に否定はしているのだが……。

 布団の中で肯定してくる方が一人。僕の股間くんです。

 元気すぎるのです。一週間前から。

 

 なので、布団に入り込んで、隠しているのだ。

 妹にバレたくないから。

 

 

 一人、布団の中で葛藤していると、枕元に置いていたスマホが振動で揺れた。

 画面を見れば、初めて見る名前だ。

「冷泉 マリア」

 そうか。彼女とは、連絡先を交換していたのだった。

 

 とりあえず、電話に出てみる。

 

「もしもし?」

『タクト、久しぶりね』

 なんでか知らないが、マリアの声を聞いた瞬間。

 股間の熱が一気に冷めてしまった。

 きっと理性が働いたからだろう。

 

「ああ、久しぶりだな。どうした?」

『どうしたって……この前、言ったでしょ。返してもらうって』

 偉くドスの聞いた声だ。

 怒っているようにも感じる。

「返す? 俺、お前から映画でも借りていたか?」

『本当に記憶力の低い男ね、あなたは……』

「すまん。マリアが返してもらいたい物ってなんだ?」

 俺がそう問いかけると、彼女は深呼吸してから、こう言った。

 

『あなたのハートでしょ』

「……」

 

 そうだった。

 マリアはメインヒロインであるアンナに対して、敵対心を抱いているんだった。

 10年前に約束した婚約を破棄させるまで、俺の心を奪ったと勝手に勘違いしている。

 だから、この前一ツ橋高校で、男装時のミハイルに宣戦布告したばかりだ。

 

 

 俺は言葉を失っていたが、マリアは構わず話を進める。

 

『タクト。あなたは小説のために、あのブリブリ女と取材したのでしょ? そのせいで、記憶が封印されてしまったのよ』

「え?」

『なら、そのブリブリした記憶を私が改ざんしてあげる』

「すまん。ちょっと、言っている意味がわからないのだが……」

『簡単なことでしょ? 10年間の空白を埋めましょ。デート、取材をしましょ』

「あ、そういうことか……」

 

 しかし、引け目を感じる。

 メインヒロインである、アンナ。いや、ミハイルは今、床に臥せている状態だ。

 そんな時に、俺だけが一人で遊びに行ってもいいのだろうか?

 

 今回ばかりは、さすがに断ろう。

 

「マリア。悪いが今回はちょっと……」

 そう言うと、彼女が鼻で笑う。

『もしかして、アンナに引け目を感じているの? 別にただの取材じゃない。それに彼女とはまだ恋愛関係に至ってないのでしょ。なら、いいじゃない?』

「いや……そういうことじゃなくて……」

 

 スマホの向こう側から、「ふふふ」と笑い声が聞こえてくる。

 そして、マリアは甘い声でこう囁いた。

 

『今回の取材は、タケちゃんよ』

「え!?」

 思わず、布団から飛び起きてしまう。

『新作の映画チケットを無料でゲットしたのよ、二人分。どうする?』

 俺は即座に反応してしまう。

「行きます!」

『じゃあ、明日の朝。博多駅、いつもの場所で会いましょ』

 

 電話を切ったあと、少し後悔してしまった。

 タケちゃんというパワーワードにより、考えもせず、即答してしまった。

 

 まあ映画を見るだけだし、良いよね。

 それに、本体であるミハイルは今、寝ているし……。

 

 だって、タケちゃんの新作だもん!



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352 読書は趣味じゃないらしいっすよ……

 

 翌日の朝。

 俺は博多駅へと向かった。

 指定された銅像の前で、ひとり彼女を待つ。

 

 考えたら、昔に待ち合わせしていた場所も、この黒田節の像だったな。

 ガキの頃だったけど。

 ひょっとして、無意識のうちに、あの頃の癖が抜けないのか?

 

 そんなことを考えていると、一人の小柄な少女が目の前に現れた。

 

 黒を基調としたシンプルなデザインのミニワンピース。

 胸元には白くて大きなリボン。

 細く長い2つの脚は、黒いタイツで覆われている。

 ローヒールのパンプスにも、白いリボンがついていた。

 

 ピンクやフリルを好むアンナとは、正反対のファッションだ。

 だが、似ているところと言えば、その顔だ。

 

 小さな顔に反して、大きな瞳が2つ。

 美しい金色の長い髪を肩まで下ろして、微笑む。

 双子ってぐらい、アンナとそっくりだ。

 違うところは、瞳の色が、ブルーサファイアってことぐらい。

 

 

「おはよう。タクト」

「……」

 

 その姿に、思わず見惚れてしまった。

 彼女の挨拶に答えることもできず……。

 

「タクト?」

 低身長だから、自然と上目遣いになる。

「あ、ああ……。すまん、マリア。おはよう」

 慌てる俺を見て、なんだか嬉しそうに笑うマリア。

「ふふ。どうしたのかしら? なんだか、10年前とは違うわね。あの横柄な態度の彼はどこに行ったのかしら」

「う、うるさい……」

 

 あの頃とは違う。

 どことなく、成長した大人としての女性に感じる。

 もうガキ扱いはできない。

 彼女の言う通り、友達の関係じゃないような気がした。

 

  ※

 

 はかた駅前通りを二人で歩く。

「ふぁあ……」

 小さな口に手を当てて、あくびを繰り返すマリア。

 碧の瞳に薄っすらと涙を浮かべて。

 

 それを隣りで見ていた俺が問いかける。

 

「どうした? 映画でも徹夜したのか?」

「いいえ……読んでいた小説が楽しくて、朝まで読んじゃったから」

 そう言いながらも、あくびをしている。

「は? 小説を徹夜した? 寝ろよ。今日はタケちゃんの映画を観る取材だろ」

 ちょっと、キレ気味になってしまった。

「怒らないでくれる? タクトなら知っているでしょ。私の活字好きが」

「え、わからん……」

 俺がそう答えると、彼女はガクッとうなだれてしまう。

 

「あのね……だからタクトを作家として、応援していたのでしょ?」

「はぁ……」

「なによ、その反応。タクトって仮にも作家なんでしょ? あなたも小説ぐらい読むでしょ?」

 俺はその問いに、キッパリと答える。

「読まないぞ」

 マリアはそれを聞いて、小さな口を大きく開いて、驚いていた。

 

「あなた……そんなんだから、作家として大成できないんじゃない?」

 冷たい視線を感じる。

「他の作者の小説なんて、読まないな。文字を読むのが面倒だからな……強いて言うならば、タケちゃんの作品ぐらいだ」

「はぁ……タクト。もうちょっと、色んな作者さんの作品を読んだ方が良いわよ」

 

 ダメね、この子みたいなお母さん的な目で、見られてしまった。

 

「そうか? 俺は映画で充分だ」

 

 深いため息をついたあと、マリアはこう持論を展開させる。

 

「あのね。文章力や描写とか。他の作者さんが描く文章を読めば、色々と学べるはずよ。私は読む事しかしないけど……毎日5冊ぐらいは読むわよ?」

 俺はそれを聞いて絶句する。

「ちょっと待て……5冊ってことは、一冊を10万字と仮定して、50万字も読んでいるのか!?」

 書き専からすると、驚愕の数字になる。

 だが、マリアは真顔でこう答えた。

 

「普通のことでしょ。読書なんて、人間の三大欲求の1つに近いものよ。よく履歴書とかに趣味として『読書です』とか答える文学少女もどきを見かけるけど……文字を読むって呼吸に近しいことだから、生きるために必要なことじゃない」

「……」

 

 ちょっと、作家業をやめてきて良いですか。

 もう、僕は映画監督を目指してきます……。



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353 JKが一番、大食いだと思いますよ。多分……。

 

 カナルシティに着いて、すぐに映画館へ向かおうとしたが。

 エスカレーターの前でマリアが俺の手を掴む。

 

「ちょっと待って……」

 振り返ると頬を赤らめていた。

「どうした? トイレか?」

「違うわよ! お腹、空いたの……」

 それを聞いた俺は鼻で笑う。

「相変わらずだな。食い意地がはってる」

 案の定、マリアは顔を真っ赤にして、怒り出す。

「な、なによ! 小説に夢中だったから、朝食を取る暇がなかっただけよ!」

「構わんさ……ところで、食べる所はどうする?」

 俺がそう問いかけると、彼女は再度、頬を赤らめて恥ずかしそうにこう答える。

 

「タ、タクトさえ、よければ……“キャンディーズバーガー”が良いわ」

「了解」

 

  ※

 

 俺とマリアは地下一階に向かい、噴水広場の前にあるファーストフード店。

 キャンディーズバーガーへと入る。

 

 かなり腹が減っていたようで、店に入るや否や。

 躊躇いもなく、メニューも見ずに店員へ注文するマリア。

 

「BBQバーガーを単品で30個下さい。あとポテトも10個。飲み物はアイスティーのLサイズを1つ」

 その量を聞いて、驚く俺と店員のお姉さん。

「えっと……BBQバーガーを単品で30個に、ポテトを10個。お飲み物はアイスティーのLでよろしかったでしょうか?」

 お姉さんが注文を繰り返すと、マリアは苛立ちを隠せず、舌打ちしてみせる。

「ええ。そうです。あまり待たせないでくれますか? お腹空いていると、あまり余裕がないのだけど」

 そう言って、カウンター越しに睨みをきかせるマリア。

 相手は5才ぐらい年上の女性に見えるが、その迫力に思わず後じさりするほどだ。

 

「も、申し訳ございません! すぐに調理いたしますので、少々お待ちください!」

 

 自分が頼み終えると、振り返って、涼し気な顔でこう言う。

 

「タクトはどうするの?」

「あぁ……」

 

 正直、朝ご飯を食べて間もないし、こんなにヘビーなものをすぐには食べたくない。

 

「俺はアイスコーヒーのブラックで……サイズはSでお願いします……」

 

 男である俺の方が小食に見えてしまった。

 

  ※

 

 二人掛けの小さなテーブルの上に、並べられた大量のハンバーガー。

 それをひとつ1つ、包み紙を開いて、嬉しそうに頬ばる華奢な女の子。

 

「やっぱり、ここのハンバーガーが一番だわ。アメリカのよりも日本の……いえ、福岡のが一番♪」

 なんて絶賛している。

 俺はと言えば、その食いっぷりに絶句していた。

 この小さな身体のどこに入っていくんだ?

 過食症じゃないよね、マリアって。

 

 スナック感覚で、ポイポイと口に入れていくので、俺は心配になり。

 彼女へその疑問をぶつけてみた。

 

「なぁ……別に人様の食べ方に文句を言うつもりはないが。ハンバーガーを30個も注文するなんて、異常じゃないか? マリア、お前なんかストレスでも抱えてないか?」

 俺がそう言うと、彼女は眉をしかめる。

「失礼ね。私は至って健康よ。それに言ったじゃない? 朝を抜いてきたって」

「いや……朝食を抜いたからって、ここまで食うか……」

 既にハンバーガーは全て食べ終え、あとはポテトが3個のみだ。

「タクト。きっとあなたは10年前の私と比較しているのよ」

「比較?」

「ええ。あの頃は私も小学生だったもの……。でも、今は第二次性徴を迎えた女よ。食べる量も自ずと増えるってこと。オトナの女って感じかしら♪」

「……」

 

 こんなにバカ食いする大人の女性は、あまり見ませんね。

 唯一、僕が知っている女の子……いや、男の娘なら一人いるのですが。

 ルックス以外で、似ている所を見つけたな。



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354 プリクラの加工に騙されちゃダメっすよ

 

 たらふく、ハンバーガーを食い終えたところで、ようやく映画館へと到着。

 待ちに待ったタケちゃんの新作であり、初めての続編でもある映画。

『作家レイジ ビヨンド』

 前作の『ヤクザレイジ』が大好評だったこともあってか、タケちゃん初のシリーズ化だ。

 映画館の前に飾られているポスターを見て、俺も興奮してきた。

 

「おお! これが新作か! マリア、早く入ろう」

 そう言って、隣りの彼女に目をやると……。

 俺とは正反対の方向を見つめていた。

 

 映画館のチケット売り場のすぐ後ろにある店だ。

 ゲームセンターの一部であり、最新のプリクラ機が大量に設置されている。

 以前、アンナと入った店だ。

 まあ俺もあの時以来、来たことがないし、撮る必要性もない。

 生まれて初めて撮ったプリクラだったが……。

 もし、アンナが誘わなかったら、一生撮ることはなかっただろう。

 

 

「ねぇ。まだ上映まで時間あるのでしょ?」

 碧い瞳を輝かせるマリア。

「ああ……。プリクラに、興味があるのか? なんかマリアらしくないな」

 俺がそう言うと、彼女はムッと頬を膨らませて睨む。

「失礼ね。私だって女の子なのよ。それに言ったでしょ? 今回の取材のテーマ」

「え? テーマ?」

 首を傾げて考えていると、マリアが俺の胸を人差し指で小突く。

「あなたのハートを奪い返す……つまり、記憶の改ざんよ♪」

「?」

 

  ※

 

 チケット売り場で座席だけ、指定しておいたので、後で困ることはない。

 安心して、プリクラを撮れる。

 だが、俺はマリアの言う『記憶の改ざん』が理解できずにいた。

 

 真剣な顔でプリクラ機を選ぶ彼女に、もう一度聞いてみる。

 

「なぁ。俺の記憶と、このプリクラに何の意味があるんだ?」

 そう言うと、マリアは「ふふ」と微笑んで、トートバッグから一冊の小さな本を取り出した。

「答えは、この中にあるわ」

 表紙を見れば、どこかで見たことあるライトノベル……。

 

『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』

 作者、DO・助兵衛。絵、トマト。

 

 俺の作品じゃねーか!

 

「これって、この前発売した俺の作品じゃないか……」

「ええ。穴が開くほど読み返したわ。特に、初デートのくだりをね」

「ん? デート……はっ!?」

 

 ここでようやく気がついた。

 彼女が言う、初デートのことを……。

 そうだ。俺とメインヒロインであるアンナが、初めて取材した場所は、このカナルシティだ。

 二人で観た映画もタケちゃんの作品だったし、そのあとプリクラを撮影した。

 つまり……アンナが取材した場所や出来事を再現。

 いや、マリア自身によって、俺の記憶を上書きしたい、ということか。

 

 マリアは下から俺をじっと見つめる。怪しく口角を上げて。

 

「どうやら理解できたようね。さ、タクト。ブリブリ女との差を見せてあげるわ」

「おお……」

 

  ※

 

 なんて勝ち誇った顔をしていたマリアだが。

 どうやら、彼女自身もプリクラを撮影するのは、生まれて初めてらしく。

 どの機械が良いのか、さっぱり分からないようだ。

 周りには若い女子高生やカップルで、ごった返している。

 そのため、自然と長い列が出来てしまい、機械を選んでいるだけで、置いてけぼりになってしまう。

 

 焦り出したマリアが怒りを露わにする。

 

「な、なによ! 高々、写真を撮影するのに、こんなに並んでバッカじゃない!」

 良いながらも、かなり動揺しているようだ。

 こういうところは、ぼっちの俺に似ているな。

 仕方ないので、フォローに入る。

「マリア。俺もあまり詳しくないが、全身が撮れて、尚且つ加工の少ない機械が良いって聞いたぞ」

 この話は、全てアンナから教わったものだが……。

「フ、フン! じゃあ、それにしましょ」

 

 結局、半年前に撮影した同じプリクラ機で撮影することにした。

 改ざんになっているのか?



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355 手を繋ぐ時は同意を得てください

 

 100円玉を4枚入れて、撮影タイムに入ったが、初めてのマリアはおどおどしていた。

 

「こ、これ。一体何が起こるの? 何か3Dみたいな感じで飛び出てくるのかしら?」

「そんなわけないだろ……ただ、撮影するだけだ。精々がフラッシュぐらいだ」

 経験者である俺が説明する。

 するとマリアは安心したようで、胸を撫でおろす。

「な、なるほどね……」

 

 

 いざ撮影が始まっても、俺とマリアはピクリとも動かない。

 機械が『次はこのポーズで撮ろうね』なんて、可愛らしい声で指示を出すが。

 それを聞いたマリアは「何が楽しいの? 嫌よ」と一蹴する始末。

 ピースもしないで、無表情の男女が二人でパシャパシャ撮られるだけ。

 一体、俺たちはなにをやっているんだ?

 

 

 もうあと一枚でラストってところで、マリアがこう呟いた。

 

「やっぱり……なにか思い出を作りたいわ……」

「え?」

 頬を赤くして、俺の目をじっと見つめる。

 強きな性格のマリアにしては、言葉に力がない。

 そして、どこか恥ずかしそうだ。

 

「ポ、ポーズを……とりましょ」

 そう言って、小さな手を俺に差し出す。

「なにをするんだ?」

「私。こういうの……分からないから、手を繋ぐことぐらいしか、思いつかないわ」

「え……」

 

 言われて、ガキっぽい発案だと吹き出しそうになったが。

 それは10年前の小学生だったらの話だ。

 完全に大人になったマリアと……“女”になったこの子と手を繋ぐ?

 正直、アンナともろくに手を繋いだ記憶がない。

 

 あの積極的なアンナですら、一緒に手を繋いで歩くことなんて、なかったような……。

 つまり、これって初めての出来事では?

 うう……“初めて”にこだわるアンナさんが知ったら、どうなることやら。

 

 とりあえず、マリアの小さな手のひらに触れてみる。遠慮がちに。

 彼女も緊張しているのか、汗で湿っているのを感じた。

 お互い、視線はカメラのまま、ギュッと手を握り、肌の感触を黙って味わう。

 意外と柔らかいんだな……マリアの手。

 

 そんなことを考えていると、撮影タイムは終了。

 撮影ブースからお絵描きブースに移動する。

 モニターに映し出された写真は、どれも似たようなものばかり。

 唯一、アンナの時と違うものといえば……。

 二人で頬を赤くして、手と手をぎこちなく握っている写真。

 何ていうか、付き合いたてのカップルのようだ。

 

 肝心の落書きはなにもしないで、マリアはすぐにプリントを選択する。

 

「だ、大事なのって……タクトとの思い出だから」

 と頬を赤くして。

 なんだか妙に女の子らしいな、今日のマリアは……。

 見ているこっちが恥ずかしくなりそうだ。



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356 映画館で寝る人ってお金勿体なくないんすか?

 

 プリクラ撮影が終わったことで、ようやく映画館へと向かうことになった。

 待ちに待ったタケちゃんの新作だ。

 長いエスカレーターを上っているだけで、興奮してくる。

 今か今かと胸が高鳴り、自ずと身体が前のめりになってしまう。

 

 マリアがスタッフの人にチケットを渡し、売店でポップコーンと飲み物を買ったら、スクリーンへ直行。

 

 ブーッ! という音と共に、スクリーンの幕が左右に開く。

 

 前作『ヤクザレイジ』にて、子分に裏切られた初老の親分、大林(おおばやし)

 エンディングで敵対する組織に刺されて、死んでしまったと思っていたが……。

 

 刑務所の休憩室にて、対峙する2人の男。

 1人は金髪の受刑者。もう1人はスーツを着た薄毛の男。

 

 

『先輩、今の“創作会(そうさくかい)”デカくなり過ぎましたよ……。政界とも繋がっていて、平気でAIにエチエチなイラストを描かせて販売……先代だったら、こんなこと許されなかったのに』

 それを聞いた金髪の男、大林が鼻で笑う。

『俺になんの関係があるんだよ。あれから何年経ったと思ってんだ。誰も俺のことなんて、覚えちゃいねぇよ……』

『そんな事言わないでくださいよ。先輩だって今も書いているんでしょ? なら、もう一度書籍化して、心が折れて垢を消した底辺作家たちの夢を叶えてくださいよ』

『お前、俺いくつだと思ってんだ? もう、いいよ』

 大林の答えを聞いて、啖呵をきる薄毛の男。

 

『まだ、もうろくする年じゃないでしょ! しっかり書籍化して、ケジメつけてくださいよ! それが作家ってもんでしょうが!』

『なんだ、てめぇ……読み専が書き専を焚きつけんのか!? コノヤロー!』

 

 

 久しぶりのタケちゃんに、俺は心を躍らせていた。

 両手はギュッと拳を作り、次の展開を予想する。

 

「おお! 前作が静寂なる暴力ならば、今作は言葉の暴力か! さすがタケちゃん!」

 なんて絶賛していると、隣りの席が妙に静かなことに気がつく。

 マリアだ。

 まさかと思いながら、隣りを見てみると……。

「スゥスゥ……」

 こいつ、自分から誘っておきながら、“また”寝てやがる。

 10年前と同じじゃねーか!

 

 これじゃ、取材にならないと、俺は彼女の肩を揺さぶる。

「おい。マリア、起きろよ。今日は取材じゃないのか?」

「あ……ごめんなさい。昨晩、一睡もしてなくて、あまりの退屈ぶりに寝ちゃったわ」

 サラッとタケちゃんをディスるな!

「お前なぁ……」

「本当に悪気はないの。ちょっとお手洗いに行って、顔を洗ってくるわ。私も10年前とは違って、成長したつもりよ」

「そ、そうか」

 

 なんだか、強気なマリアが丸くなったようで、調子が狂うな。



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357 自分が書いている作品、どの『ラブ』か分かりません

 

『てめぇら、さっきからガタガタうるせぇんだよ!』

 

 関西のヤクザ組織、腐王(ふのう)会へと赴いた主人公、大林(おおばやし)と弟分である幹村(みきむら)

 書籍化を打診されたにも関わらず、作品が気に入らないと一蹴された為、大林は怒りを抑えられずにいた。

 

『おい、こら。大林……お前、今なに言うた? わざわざ編集長が直々に会って下さってはるのに。なめとんかぁ!?』

 オールバックの男が、関西弁で大林に怒号を上げる。

 だが、大林も負けずにいた。

『なめてぇよ。俺の作品を拾ってくれるって言うから、わざわざ関西くんだりまで来たってのに。これじゃ意味ねぇだろ!』

 それを聞いた関西ヤクザたちが鼻で笑う。

『はん。お前が書いた作品なぁ……あんな古臭いラブコメ、誰が読むねん。それにヒロインは男の娘やと? 中途半端なもん書きやがって、NL、GL、BL。どの層にハマるんじゃ!』

 

 

 それまで黙って観ていた俺だったが……驚きを隠せずにいた。

 タケちゃんの映画だよね、これ?

 なんか一般人には、わからない用語が次々と使われているんだけど……。

 

 

 立ち上がり、睨みあう大林と関西ヤクザ。

 見兼ねた弟分の幹村が、すかさずフォローに入る。

 

『あの、兄貴を勘弁してやってください! 兄貴は……まだ創作界隈に戻ってきて、間もないんです! なろう系とか、テンプレとか、そういうの全然知らないんです!』

『アホがっ! だからって、わしら腐王会がこいつの作品を書籍化したら、大騒ぎじゃ! わしらはな、腐女子の皆さんをターゲットに出版しとんねん。読者が求めているのは、純粋なBLや。男同士の絡みが欲しいんじゃ!』

『そんな……話が違うじゃないですか。兄貴の作品を書籍化してくれるって……今の関東、創作会は平気でAIに百合を書かせるような奴らです。だから、腐王会に頼んだんじゃないですか』

『幹村! お前、腐女子と百合族を喧嘩させる気か? わしら腐女子と百合はなぁ、てめぇの股間に草が生える前から、盃交わしとんねん。戦争になったら、誰が責任持つんじゃ! おお、コラァ!』

 

 

「……」

 

 あれ、前作と話が全然違うんだけど。

 ヤクザはどこにいったのかしら。

 

 呆然とスクリーンを眺めていると、なんだかんだ揉めてはいたが、利害が一致した両者は、書籍化のため、関東の創作会を潰すことに。

 大林たちは、関西の腐王会から力を借りて、戦争を始め。

 見事に復讐を果たすのであった。

 しかし、最後は弟分である幹村がヒットマンに殺されてしまう。

 

 葬式会場に現れた大林は、冒頭で話していた薄毛の男と再会する。

 

『先輩、書籍化できなくて、残念でしたね』

『うるせぇよ。線香あげにきただけだ……』

『え、先輩なら、ペンタブの1つぐらい持ってくると思ったのに……。あ、ハジキ持って行きませんか? 護身用に』

 そう言って、大林に拳銃を手渡す。

 受け取った拳銃に、弾が装填されているか、確かめた大林は、何を思ったのか。

 薄毛の男に向かって、銃口を突きつける。

『先輩?』

 驚く相手を無視して、大林は静かに引き金をひく。

 三発ほど腹に打ち込むと、薄毛の男は地面に倒れて、死んでしまう。

 だが、大林は弾がなくなるまで、撃ち続けた。

 

 そして、最後に一言。

 

『書籍化するつもりもねぇのに、編集部がSNSをフォローしてくんじゃねーよ。勘違いしちまうだろうが』

 

 どこから持ってきたのか、アサルトライフルを取り出し、冷たくなった男の身体を穴が開くまで、撃ち続ける大林。

 

 ~FIN~

 

 

 スクリーンの幕が閉じるまで、俺は微動だに出来ずにいた。

 感動していたからだ。

 きっと、この作品は、タケちゃんからの贈り物だ。

 作家なら誰しもが、抱いている感情を、タケちゃんがヤクザ映画として、昇華してくれたんだ。

 涙が止まらない……。

 

 帰りにパンフレットを買って行こうっと。

 て、あれ?

 映画に夢中で気がつかなかったが、マリアのやつ、まだトイレか。

 まさかとは思うが、便器の上で居眠りしているんじゃないだろうな。

 

 そう言えば……アンナとタケちゃんの映画を観ていた時も、途中退席して、最後まで観なかったような。

 嫌なデジャブ。



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358 強すぎたヒロイン

 

 結局、上映が終了するまで、戻って来なかったマリア。

 仕方ないので、俺は彼女の飲みかけのドリンクと残ったポップコーンを持って、スクリーンから退場する。

 出口でスタッフが大きなゴミ箱を用意して、立っていたので、ゴミを手渡す。

 売店あたりを探しても、彼女の姿が見えない。

 

 本当にトイレで居眠りしているでのはないだろうか?

 

 俺は心配になり、女子トイレへと向かった。

 

 廊下を奥へと進むにつれて、なんだか人を多く感じる。

 何やら騒がしい。

 俺も人ごみを掻き分けて、前へと進む。

 

 

「やめてっ!」

「いいじゃないかぁ~」

「イヤだって言っているでしょ! 警察を呼ぶわよ!」

 なにやら言い争っている。

「フフ……ずっと探していたよ。ア・ン・ナちゃん♪」

 

 視線をやれば、スーツ姿のチビ、ハゲ、デブの中年オヤジが、マリアの白く細い腕を無理やり引っ張っている。

 キモッ! と叫びたいところだが、このオジさん……以前会ったことがあるな。

 

 そうだ。半年前、初めて“女装したアンナ”とデートした時、ハーフの女の子と勘違いして、痴漢した犯罪者だ。

 俺が後に警察へと突き出した、前科もちのオジさん。

 出所していたのか……。

 

 

「いい加減に離してくれる? 私はアンナじゃないわ。マリアよ」

 碧い瞳をギロッと光らせて、睨みつける。

「ウソだよぉ~ き、君みたいな可愛いハーフの天使ちゃんは、世界でひとりだけだよ~ おじさん、半年間アンナちゃんを探していたんだ。あの柔らかくて真っ白な太ももの感触。忘れられないよぉ♪」

 

 この人、ガチもんだ……早く治療した方が良いかも。

 

 しかしマリアを、“女装したアンナ”と見間違えても、仕方ないだろう。

 双子ってぐらい、そっくりの容姿だからな。

 

 当のマリアときたら、天敵であるアンナと間違えられ、小さな肩をブルブルと震わせて、怒りを露わにしていた。

 

「私が……あのブリブリ女と同じレベルだと言いたいの? すごく不快なのだけど」

 オジさんの腕を引っ叩く。

 叩いた瞬間、なんか骨が折れるような音が聞こえてきた……。

 

 もちろん、オジさんは悲鳴をあげる。

「い、痛いよ! なにするんだ、アンナちゃん。半年前の“デート”を忘れたのかい?」

 マリアは何を答えることもなく、右手に拳を作り、オジさんの顔面めがけて、ストレートパンチをお見舞い。

 鼻からキレイな赤い血を吹き出し、地面へと倒れ込むオジさん。

「ブヘッ!」

 

 これで終わりかと思ったが……マリアの怒りは止まることなく、オジさんの元へとゆっくり近づき。

 倒れているオジさんの胸ぐらを掴むと、軽々と左手で持ち上げ、動けないことをいいことに顔面へと拳を叩きつける。

 何度も、何度も……繰り返し。

 

「ねぇ、私の名前はなに?」

 冷たい声で問いかける。

「ブヘッ……あ、アンナちゃんです……グハッ!」

 その答えが、更に彼女をヒートアップさせる。

 オジさんの顔を殴りつけるスピードがどんどん速く、そして殴る力も強くなる。

 

「もう1回、言ってごらんなさい?」

 マリアの瞳からは輝きが失せ、ブルーサファイアというよりは、ブラックサファイアが正しい表現だ。

「あ、アンナちゃん……がはっ!」

 殴られ続けたオジさんの顔は、腫れ上がってもう原形がない。

 別人のようだ。

 

 なんて、バイオレンスな女子。

 タケちゃんの暴力描写より、酷いし怖い。

 

 このままでは、マリアが加害者になってしまうので、俺が止めに入る。

 

「おい! もう、その辺でいいんじゃないか?」

 彼女の小さな肩を掴むと、ゆっくりとこちらに視線を向けられた。

 顔は鬼のような険しい剣幕で、今にも殴りかかってきそう。

 怖すぎるっぴ!

 

「あら、タクト……」

 俺の顔を見た瞬間、彼女の瞳に輝きが戻る。

「マリア。そのおじさんは以前、痴漢を犯した前科もんだ。アンナの……ストーカーなんだ。許してやってくれ」

「ふぅん……そうだったの。まあタクトがそう言うなら、許してあげるわ。オジさん、覚えておきなさい。私の名前は、マリア。冷泉(れいせん) マリアよ」

 そう言って、地面に倒れているオジさん目掛けて、唾を吐く。

 もちろん、顔にだ。

「ヒッ! お、覚えました! マリア様ぁ!」

「それでいいのよ。今度、私に触れたら、また顔を変形させてあげるわ。この拳でね」

 

 よ、容赦ないなぁ……。

 見た目が同じでも、こういうところは全然違う。

 なんていうか、可愛げがない。

 守ってあげたくなるのは、例えあざとくても、アンナなのかもしれない。



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359 ギャップ萌え

 

 文字通り、暴力で痴漢を撃退したマリア。

 しつこく口説かれた事よりも、自分が敵視しているアンナと間違えられたことが一番、腹が立ったようだ。

 

 映画館から出ても、何度も舌打ちを繰り返し、苛立ちを隠せずにいた。

 

「チッ。あの痴漢。もっと殴っておけば良かったわ」

 まだ殴りたいのか……。

「あ、あの……マリア? ちょっと気分転換でもしないか。久しぶりのカナルシティだろ。どこか行きたい店はないか?」

 俺がそう提案を持ちかけると、彼女の表情が少し柔らかくなる。

「え? 行きたいお店? そうね……なら、最近オープンしたっていうショップへ行ってみたいわね」

「よし。そこへ行ってみるか」

 

 

 彼女が言う店は、地下一階にあるらしい。

 俺たちはエスカレーターを使って、一番下まで降りていく。

 

 色んなテナントがたくさん出店している階だ。

 博多土産、期間限定のスイーツショップ、雑貨、アクセサリーショップ。

 その中でも、一際目立つ場所で、マリアは足を止めた。

 

『デブリがいっぱい! でんぐり共和国。カナルシティ店』

 

 可愛らしい、スタジオデブリのキャラクターが飾られている。

 ドドロやボニョなど。

 

「うわぁ、どれもカワイイわねぇ~」

 と碧い瞳をキラキラと輝かせるマリア。

「……」

 俺は彼女の横顔をじっと見つめて、考えこむ。

 

 マリアって、こういうの好きだったか?

 なんていうか、小説とか、映画。あとは食事の話しか、しないから。

 彼女の趣味とか、よく知らないが……。

 デブリっていうと、どうしてもミハイルのイメージが強く、重ねてしまう。

 

 俺の視線に気がついたマリアが、眉をひそめる。

 

「な、なによ? そんなに見つめて……私の顔に、変なものでもついているの?」

「いや……そういう訳じゃないが。お前って、デブリとか好きだっか? なんていうか、もっとお堅い趣味っていうイメージだったんだが……」

「は、はぁ!? わ、私だって、デブリぐらい好きよ! なに? またブリブリアンナと似ているとでも言いたいの!?」

 なんか必死に、言い訳しているように見える。

「別に人の趣味だから、良いんだけどな。10年前はこういうの好きじゃないって、言っていたような……」

「じゅ、10年前と比較しないでくれる!? 私も成長したって言ったじゃない!」

「すまん……」

 

 うーむ。マリアって俺が思っている以上に、女の子らしく成長したってことかな。

 丸くなっちゃったのか……。

 どんどん、容姿だけじゃなく、中身までアンナに近づいている気がする。

 

  ※

 

 その後も、彼女が選ぶ店は、どれも可愛らしいものばかり。

 女の子に大人気のキャラクター、『ザンリオ』の公式ショップに入ると。

 期間限定で販売しているという、ピンク色のボアイヤーマフを手に取り、声を上げて喜ぶ。

 

「うわぁ~ “マイミロディ”のマフだぁ。可愛いわね。買おうかしら。あ、隣りには“グロミ”ちゃんのもある~」

 

 マイミロディのイヤーマフだが、ピンクのもふもふ生地で、フリルとリボンがふんだんに使われたデザインだ。

 人気商品なようで、近くにいた若い女性も手に取り、どちらを買うか悩んでいた。

 ちなみに、その客のファッションだが、誰かさんに似ている。

 そう、我らがメインヒロインのアンナちゃんだ。

 

 マリアが迷っているもう1つのキャラクター、グロミちゃんも色は黒だが、デザインはやはり大きなリボンとフリルが、かなり目立つ。

 

 これを買うのか……あのマリアが?

 しかも、イヤーマフってことは、頭につけるんだろう。

 想像できない。

 

 散々、迷った挙句。

「やっぱり、2つとも買いましょ。迷った時は、両方よね」

「マジで買うのか……お前」

 俺は余りのギャップに呆れていた。

「な、なによ! 私がこういうの買ったら、ダメっていうの?」

「いや……これ、買ってどうするんだ」

 俺がそう言うと、彼女は堂々と胸を張ってこう答える。

 

「はぁ? 使い方を知らないの? 頭につけるのよ、こうやって!」

 

 わざわざ頭につけて、俺に説明してくれる神対応。

 ていうか……確かに似合っている。

 そりゃ、あのアンナに瓜二つなんだから、似合わないわけ無いよな。

 

「可愛い……」

 

 気がつくと、口からその言葉が漏れていた。

 それを聞き逃さないマリアじゃない。

 

 頬を赤くして、そっとイヤーマフを頭から外す。

 

「あ、ありがと……買ってくるわね」

「おう……」

 

 なんか、今の俺って、ときめいてないか?

 うう……相手が可愛かったら、誰でもイケちゃうタイプなのかな。



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360 因縁の場所

 

 空が夕陽でオレンジ色に染まり出した頃。

 マリアと言えば、久しぶりのカナルシティでたくさんの買い物を楽しんでいた。

 主に、雑貨が多い。

 可愛らしいアクセサリーや色んなキャラクターの公式ショップで購入したグッズ。

 夢の国で有名なネッキーとネニーが、プリントされたグラスセット。

 

 本当に女の子らしい物ばかりを好むようになったらしい。

 頭の回転が早く、活字が大好きな文学少女のマリアはどこに行ったのやら……。

 俺が思っていた以上に、10年間という時は、人をここまで変えてしまうのだろうか。

 

 大きな紙袋を4つも抱えて、満足そうに笑うマリア。

 

「今日はありがとね、タクト。買い物に付き合ってくれて」

「いや、別にこれぐらい訳ないさ。それより、俺の方こそ、映画のチケットありがとな。無料で見られて、助かったよ」

「え、映画? ああ……あのことね。別にいいわよ。それより、まだ時間ある?」

 そう言われて、スマホの画面を確認する。

 

 見れば、時刻は『17:31』だ。

 男の俺からすれば、まだ全然遊べる時間だが……女子であるマリアは別だ。

 両親も心配するだろう。

 

「少しなら、いいぞ」

 俺がそう答えると、彼女は嬉しそうに微笑む。

「じゃあ……思い出として。最後にあそこへ行きたいわ」

 マリアが指をさした方向は……。

 カナルシティの屋外にある1つの川だ。

 何かと因縁がまとわりついている、博多川。

 嫌な予感しか、ない。

 だが断れば……それもそれで、後が怖い。

 俺は渋々、その案を呑んだ。

 

  ※

 

 例の如く、博多川の前に設置されているベンチに二人して腰かける。

 もう説明する必要もないと思うが、川の反対側には、ズラーッとラブホテルが大量に並んでいる。

 10年前よりも、ホテルは更に増えたような気がする。

 河川の周りにはチラホラと、屋台が夜に備えて、料理の下準備を始め出していた。

 

 俺たち以外のカップルは、なぜか暗がりで静かに笑っていた。

 時折、顔と顔を近づけて接吻……とまではいかないが、互いの鼻を擦りつけ合う。

 

「ダ~メ、まだだってば」

「いいじゃん。どうせ、行くんだし」

「ヤダ。ちゃんと部屋に入ってからだよぉ」

「満室だから、ここで待機してんじゃん。もう良いじゃん」

「も~う」

 

 クソがっ!

 生々しいんじゃ、コラッ!

 一刻も早く、ここから立ち去って空室を探して来い。

 

 俺が辺りのリア充どもへ、殺意を込めて睨んでいると……。

 普段、強気なマリアが、辺りの雰囲気に気圧されたのか、頬を赤くして俯いてしまう。

 

「大丈夫か、マリア? この川はカップルが御用達だからな。喫茶店にでも場所を変えるか」

「ううん……ここで良い。と言うよりも、この川の前じゃなきゃ、ダメなの」

「どういうことだ?」

「実はタクトに相談があって……聞いてくれるかしら?」

「おお……」

 

 マリアは小さな胸の前で、両手を合わせて祈るように、空を眺める。

 そして深い深呼吸をした後、俺に視線を合わせて、こう呟いた。

 

「タクトにしか頼めないことなの……。わ、私の胸を触って欲しいの」

 俺は耳を疑う。

「え?」

「あなたの両手で、私の胸を触って……いや、しっかりと揉んで確かめて欲しいのよ」

「……」

 

 頭が真っ白になってしまった。

 一体、このヒロインはなにを言い出したのだろうか……と。

 心臓の手術が終わったと思ったら、今度は頭の病気か?

 

「マ、マリア……。意味が分からない。どうして、俺がお前の胸を揉む……いや、触ることに繋がるんだ?」

「私ね……乳がんの疑いがあるのよ。だから、婚約者であるタクトに直接触ってもらって、“しこり”がないか、確かめて欲しいのよ」

 

 彼女の目つきは至って、真剣だ。

 ウソをついているようには見えない。

 確かに、乳がんを医者よりも先に発見するのは、パートナーだと噂は聞くが……。

 だからといって、何故俺が揉むんだ?

 

「いや……検査したら、どうだ? 普通に」

「絶対にイヤよ! 医者とは言え、他の男に乳房を見せて、触られるだなんて!」

「しかしだな……俺は素人だ。疑いがあるなら、尚更のこと、プロの医師に……」

 と言いかけたところで、マリアが大きな声で叫ぶ。

「イヤッ! じゃあ……こうしましょ。医者へ見せる前に、タクトが触診してくれる? それなら、まだ納得できるわ」

「えぇ……」

 

 言い方を変えただけで、俺が胸を揉むのは変わらないじゃん。

 マジでどうしちゃったの? マリアちゃんたら……。



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361 ドッペルゲンガー

 

 結局、マリアの命がかかっているということで、お胸を触診することに……。

 彼女と言えば、ベンチに座って、身体を俺へと向ける。

 両手は膝の上に置いて、姿勢をピンと真っすぐ伸ばしていた。

 そうすることで、改めてマリアの小さな胸が強調される。

 

 思わず、生唾を飲み込む。

 合意の元とはいえ、両手でパイ揉みとは、初めての経験だからな。

 

「じゃあ、いくぞ……」

「うん」

 

 この時ばかりは、マリアも視線を地面に落とし、頬を赤くする。

 

 ゆっくりと、両手を彼女の胸元へと近づける。

 大きな白いリボンが邪魔だったから、手で払い、そして低い2つの山へ到着。

 お山のふもとから、てっぺんまで優しく押し込む。

 いや、感触を楽しんでいるに過ぎないのだが……。

 

「あんっ……」

 

 甲高い声で反応するマリア。

 妙に色っぽい。

 そりゃ、そうだよな。

 ラブホの前で、触診とはいえ、めっちゃ揉んでいるのだから。

 

 だが、俺は至って冷静だった。

 それは乳がんという、疑いがあるから……ではなく。

 違和感を感じていたからだ。

 

「んんっ!?」

 

 思わず、声が出てしまうほど。

 “変化”に驚きを隠せない。

 

 それもそのはず、秋ごろに帰国したマリアの胸を事故とはいえ、ダイレクトに揉みまくった時とは、大きな違いがあったからだ。

 無い物がある……。

 以前の彼女は、付けていなかったはずだ。

 ブラジャーを。

 

 ノーブラで柔らかい胸を揉み揉みさせて頂いたから、あの気持ち良さはしっかりと覚えている。

 しかし、この感触は……。

 

 硬すぎる。ブラジャーをしていても、肉感が皆無だ。

 下着のワイヤーもあるだろうが、それよりも全体的にカチカチ。

 パッドで少し膨らみはあるけど……無いに等しい。

 これは女性の胸ではない。

 

 

「お、お前! 本当にマリアか!?」

 

 驚いた俺は、咄嗟に胸から手を離そうとしたが、両腕を掴まれて動けない。

 視線を上にあげると、ニッコリと優しく微笑んでいる彼女の姿が。

 

「やっと、汚れが落ちたね☆」

 喋り方が急に変わった。

「え? ま、まさか……」

「バァ! アンナだよ☆」

「うそでしょ……どこから?」

 

  ※

 

 俺の脳内は大パニックを起こしていた。

 一体、いつから、アンナだったんだ?

 

 確かに最初、電話で取材を申し込んできたのは、間違いなく女のマリアだった。

 喋り方も何1つ違和感のない自然な彼女のまま。

 あの強気で上から目線なマリアを演技だけで、今まで騙していたというのか……。

 信じられん。

 

 仮に演じていたとしても、中身はおバカなミハイルだ。

 頭の良い帰国子女、マリアをあそこまで完コピできるか?

 

 

「な、なぁ……今日の取材って、俺はアンナとデートしていたのか?」

「そうだよ☆ 最初からね」

「えぇ……」

 

 血の気が引き、脇から汗が滲み出るのを感じた。

 怖い。どこまでやるんだ、この人。

 頭が痛くて寝込んでいたんじゃないのか?

 

 両手で頭を抱え、考え込む俺を無視して、アンナは嬉しそうに微笑む。

 

「タッくん。マリアちゃんなんて、最初からいなかったんだよ☆」

「え? それ、本当か……」

「うんうん☆ 全部、アンナがやっていた偽りの女の子だよ☆ 見ててね」

 

 そう言うと、瞳に人差し指を当てて、何やら小さなレンズを取り外す。

 ブルーのコンタクトレンズだ。

 両方外せば、エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝き始める。

 

「慣れないカラコンだから、目がゴワゴワしちゃった☆」

「……」

 

 俺は一体、どうしちまったんだ……。

 彼女の言う通り、マリアという幼馴染は、この世には存在しない人物なのだろうか。

 それとも、催眠にでもかけられているのだろうか……分からない。



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362 三角関係

 

 困惑する俺とは対称的に、ずっと笑顔でこちらを見つめるアンナ。

 

「タッくんはアンナとじゃないと、取材にならないよ☆」

「はぁ……」

 

 放心状態で、彼女のグリーンアイズを見つめる。

 なんだか、瞳の奥へと吸い込まれそうだ……。

 もう、このままアンナと二人で、川を越えて、どこまでも。

 

 その時だった。

 背後から、叫び声が上がったのは。

 

 

「待ちなさい! タクト!」

 

 振り返ると、そこには身なりの汚い少女が一人立っていた。

 見覚えのある子だが、着ているワンピースがボロボロだ。

 襟もとは伸びてしまって、所々破れている。

 金色の美しい髪も、バサバサに乱れまくっていた。

 

 一歩、間違えれば、ホームレスかと思ってしまう。

 それぐらい汚い女の子だった。

 

 だが1つだけ、キレイな箇所と言えば、その瞳だ。

 宝石のような2つのブルーサファイアを輝かせて、こちらをじっと見つめている。

 いや、睨んでいるが正解か。

 

「お前……マリアか?」

「当たり前でしょ! そのブリブリ女が偽物よっ!」

 犯人はお前だ的な感じで、人差し指を隣りの少女に突き刺す。

「えぇ、なにこの子。怖~い!」

 そう言って、俺の背中に隠れるアンナちゃん。

 

 当然、マリアは小さな肩を震わせて、怒りを露わにする。

「あなたねぇ! 映画館のトイレで私を襲ったくせに、よくもまあ!」

 飛び掛かってきた彼女を、俺は必死に抑える。

「ちょ、ちょっと待て……マリア! 堪えてくれ!」

「なによ! タクト、このブリブリアンナの肩を持つ気? トイレで待ち伏せしていたような、狡猾な女よ!」

 

 えぇ……。

 もう犯罪とか、ストーカーってレベルじゃないよ。

 このあと、マリアを落ち着かせるのに、1時間はかかった。

 

  ※

 

 マリアから現在に至るまでの経緯を聞いて、俺は驚きを隠せずにいた。

 どうやら、彼女は映画館のトイレで待ち伏せていたアンナに襲われ。

 今まで、個室の中で荒縄により縛られ、閉じ込められていたらしい……。

 

 つまり痴漢を殴っていたマリアは、既にもうすり替わっていたということだ。

 あれは、正真正銘、女装したアンナが演じていた事に、開いた口が塞がらない。

 

 ファッションもマリアに似せて、コーディネートしている。

 まだ1回しか、会ったことがないのに、よくもここまでトレースできたものだ。

 

 

「ねぇ、初めてまして……と言いたいところだけど。アンナ! あなた、こんなことをやっても良いと思っているの?」

 ドスの聞いた声で睨むマリアを目の前にしても、アンナは余裕たっぷりでニコニコと笑っている。

「え? なんのことかな☆」

 全然、悪びれる様子がない。

 ここまで来たら、サイコパスだ。

 

「あなたねぇ……私とタクトの大事なデートを、取材をなんだと思っているのよ!」

「アンナ、分かんないな。だって、タッくんの初めてを奪ったのは、マリアちゃんだったけ? そっちの方でしょ☆」

 そう言って、優しく笑いかける余裕っぷりが、更にマリアの怒りを助長させる。

「初めて……って一体なんのことよ! それを婚約者である私がタクトと経験することが、何が悪いの!?」

「悪いよ☆ だって、タッくんが優しいことを良いことに、胸を触らせたもん☆」

「なっ!? あなた……それを根に持って、ここまでの悪行を平気でやったと言うの?」

 

 異常なまでのアンナの『初めて』への執着心に絶句するマリア。

 だが、両者一歩も譲ることはない。

 怒りをむき出しにするマリアに対し、ニコニコと優しく微笑むアンナ。

 カオスな状況に、俺は沈黙を貫いた。

 怖すぎるからだ。

 

 この二人の間に俺が入れば、殺される……間違いなく。



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363 付き合うか、付き合わないのか……ハッキリせんかい!

 

 マリアは鼻息を荒くして、宿敵であるアンナへ激しく問い詰める。

 

「いい機会だから、ここでハッキリさせてあげる! 私はタクトの婚約者なの! あなたって、小説のために契約したビジネスパートナーみたいなものでしょ!?」

「違うよ☆ タッくんとは運命的な出会いをした契約関係だよ☆」

 

 なにそれ……その表現だと、俺がパパ活している親父みたいじゃん。

 

「運命的な出会い? じゃ、じゃあ……恋愛関係に発展する可能性があるってこと!?」

「どうだろね☆」

 

 マリアは僅かだが、動揺していた。

 対するアンナと言えば、俺の手を自身の胸で浄化させたという……自身の欲求が満たされた事によって、安心したようだ。

 終始、ニコニコ笑ってマリアに対応する余裕っぷり。

 

「な、なんなのよ! その、タクトの全てを知り尽くしたような態度は……。ま、まさか! あなた達って……」

 碧い瞳を大きく見開き、アンナの顔を指差して震え出す。

「ん? タッくんとアンナがどうしたの?」

「き……キ、キッスをした関係じゃないわよね!?」

 

 それまで黙って、見ていた俺だが、思わず空中へと大量の唾を吹き出す。

 

「ブフーーーッ!」

 

 だって、ついこの前、ミハイルモードとはいえ、ガッツリとファーストキスを交わしてしまったからだ。

 マリアの勘だろうが……的をしっかり射抜かれた気分だ。

 胸が痛む。そして、息苦しい。

 

 気がつくと、俺の人差し指は自身の唇を撫でていた。

 一瞬だったが、あの時の感触を思い出したから。

 頬は一気に熱を帯びて、燃え上がる。

 心臓を打つ音がドクッドクッとうるさい。

 

 ふと、隣りに立っていたアンナに目をやると……。

 同様の仕草を取っていた。

 顔を真っ赤にさせて、小さなピンク色の唇を細い指で触っている。

 俺と目が合った瞬間に、酷く動揺した様子で、目がぐるぐると泳いでしまう。

 

 お互い、思うことは一致していたいようだ。

 

 すぐにまた視線を逸らして、地面を見つめたが……。

 俺たちの不自然な態度を、見逃さないマリアではなかった。

 

「な、なによ! その反応は!? まさか、もうキッスをした関係だっていうの!? 付き合ってもないのに?」

 ド正論だった。

 すかさず、俺が弁明に入る。

「いや……あの時のは、事故で……」

 しどろもどろに言い訳するから、更に墓穴を掘ってしまう。

「事故でも、キスはキスよ!」

「そ、そうじゃないんだ……。アンナとじゃなくて……ダチとしたって、こと?」

 自分で説明していてるくせに、なぜか疑問形。

 もちろん、そんな話じゃ納得してくれないマリアさん。

 

「意味が分からないのだけど? 全く不快だわ、あなた達の関係性が。ハッキリしなさいよ! 聞いているの? アンナ!」

 ビシッと人差し指を突き付けられたが、当の本人は“キス”という言葉に動揺しており、余裕が一切なくなってしまった。

 顔を真っ赤にさせて、地面をじーっと見つめる。

 この恥ずかしがる態度は、ミハイルに近い。

「え……? な、なんだっけ? マリアちゃん……」

「あなたに聞いているのよ! タクトとの関係性! キスまでしておいて、付き合ってないってどういうこと!? 遊びなら、タクトと別れて!」

 泣きながら怒るマリア。

 よっぽど、ファーストキスを奪われたのが、悲しかったのだろう。

 相手は男だから、カウントしなくてもいいのに。

 

 アンナと言えば、ずっと上の空だ。

「はぁ……。マリアちゃんは、アンナに一体なにをして欲しいの?」

「あなたに気安く、名前を呼ばれたくないわ。そうね……関係をハッキリして欲しいのよ。恋愛関係を望んでいるわけでもないくせに。私の婚約者をたぶらかす淫乱ブリブリ女!」

 

 酷い言い様だ。

 だが、ここまで人格を攻撃されても、アンナはポカーンと小さな口を開いていた。

 頭の中がキッスでいっぱいだからだろう。

 

「うん……だから、なにをハッキリするの?」

「あぁ! 本当に腹の立つ女ね! じゃあ、言うわよ。あなたとタクトは、あそこに並ぶラブホテルへ行きたいかって事よ! それぐらい彼を愛してるかってこと!」

 

 言われて、また俺とアンナは視線を合わせて、黙り込む。

 何故なら“一度”だが、行ったことはある、からだ。

 コスプレパーティーをしただけだが……。

 

「「……」」

 

 謎の沈黙が続く。

 それを見たマリアの怒りは、頂点に達した。

 

「なによ……なんで黙るの……。まさか! あなた達! 付き合ってもないくせに、ラブホテルへ行ったとでも言うの!?」

 

「「……」」

 

 これ以上、墓穴を掘りたくなかったので、俺たちは何も答えることはせず、沈黙を選んだ。



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364 股間は正直、パート2

 

「さっきから二人とも、なんで黙っているのよ! 本当にラブホテルへ行く関係だとでも言いたいわけ? 聞いているの、タクト!」

 アンナが黙っているせいで、怒りの矛先が俺に向けられた。

「いや……本当にそういう関係じゃないんだ。俺とアンナは小説のために、取材をするだけの仲であって……。つまり、ラブホテルは取材目的で行ったに過ぎない」

 間違いは言ってない。

 少しでも嘘を付けば、勘の良いマリアにはバレてしまうからな。

「ラブホテルに取材? それ、必要なことなの……。じゃあ、若い男女がそういうホテルへ入ったのに、何にもしなかったとでも言いたいの!?」

 それに対して、俺は即答する。真顔で。

「ああ。そういうことだ」

「なっ!?」

 俺の回答に驚きを隠せないマリア。

 

「信じてもらえないかもしれないが……。俺たちはホテルへ行ったが、何もしてない。これだけはハッキリ言わせてもらう」

「そ、そんな……健全な男女がラブホテルに入って、何もしない事なんてあるの!? あそこには大人の関係になりたくて、入る以外……使用する意味あるの!?」

「いや、それは一概には言えないんじゃないか、多分……」

 だって、ピンク系のサービスを受ける殿方もいるだろうし。

 経験が無いから知らんけど……。

「タクト! あなたはさっきから、そう言うけどね! この前は『ラブホテルへ行ったことない』って私にウソをついて……。それにあなたはなんで、ずっと股間が……え、エレクトしているのよ!」

「へ……?」

 

 マリアに指摘されて、俺は恐る恐る視線を股間に下ろす。

 すると、彼女の言うように、ガチンゴチンに硬くなってしまった息子くんが目に入る。

 膨らみ過ぎて、チャックが僅かに開いてしまうほど、元気になっていた……。

 

 そうか、マリアだと思っていた相手が、アンナだと知ったことにより、無意識のうちに興奮してしまったんだ。

 正面から、両手でパイ揉みをしたし、この前、ミハイルとはいえ、ファーストキスを交わした……。

 つまり、恋愛における『AからB』を一気に経験してしまったのか。

 大人の階段、昇っちゃったの? 男で……ないだろ。

 

 だが、身体はしっかりと反応している。

 全身の血流が全て、一か所に集い、パンパンに膨れ上がる。

 股間が沈静化することは、難しい。

 

 

「ま、マリア……これは、違くて……」

「ナニが違うのよ! 最低っ、そんなに私とデートをしたくなかったの? こんな屈辱は初めてよ……どうせ、今からそのアンナとキスでもして、この川を越えるつもりだったんでしょ!?」

 涙目で怒るマリア。

 ていうか、よくそこまで想像できたな……。

 誤解だって言うのに。

 

「ちょっと待ってくれ! そんな気はなくて……。おい、アンナもなにか言ってやってくれよ」

 隣りにいたアンナへ助けを求めるが、未だに彼女は黙りこくっていた。

 頬を赤くして、チラチラとある所を見つめる……。

 俺の股間だ。

「……」

 黙るなよ、否定してくれ。

 しかも、その反応。更に誤解を生むんじゃうよ。

 

 

「もう、いいわ! あなた達、本当に最低で卑猥よ! 不快で仕方ないのだけど!」

 ヤバい、更に火をつけちゃった……。

「マリア……本当に違うんだ、これは……」

 そう言って、彼女の元へ数歩を脚を進めると、「近寄らないで!」と怒鳴られた。

「さっきからエレクトしっぱなしのタクトに触られたくない!」

 あ、忘れていた。

 常時、卍解(ばんかい)している俺の股間を。

 

 顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、碧い瞳は涙でいっぱい。

 冷静沈着な彼女が、こんなに感情的になるのは初めてだ。

 よっぽど、屈辱的な出来事だったらしい。

 

 

「も、もう……いい。私、今日は帰るっ!」

 

 そう言うと、マリアは俺たちに背を向けて、カナルシティの方向へと走り去ってしまう。

 

 良かったのだろうか、これで。

 実質、初めてのデートだったろうに。



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365 双子コーデ

 

 走り去っていくマリアの後ろ姿を見て、俺は胸が締め付けられる思いだった。

 もう追いかけても、間に合わないと思ったが……。

 

「マリア、待ってくれ! もう少し話を聞いてくれ!」

 

 声だけが虚しく、カナルシティに響き渡る。

 その時だった。俺の肩を優しく触れられたのは。

 振り返ると、ニッコリと微笑むアンナの姿が。

 

「タッくん。そっとしてあげた方がいいと思うな☆」

 どの口が言うんだ……。

「いや、しかしだな。マリアのやつ、泣いてたし……」

「ううん。タッくんは男の子だから分からないと思うけど。女の子ってこういう時は、ひとりでいたいって思うの」

 なんて、知ったよう口ぶりで語りやがる。

 お前は男だろがっ!

 

 結局、アンナに止められた俺は、可哀そうだがマリアは放っておくことにした。

 後日埋め合わせをすれば、どうにかなるだろうと……。

 

 

「ところで、タッくん☆」

「え?」

「アンナね。お昼から何も食べてないの……どこかで食べて帰ろうよ☆」

 この人は……他人のデートを奪っておいて、自分はガッツリ楽しむつもりか。

 深いため息をついたあと、俺はこう提案してみた。

 

「じゃあ……いつものラーメン屋、博多亭でどうだ?」

「うん☆ あのラーメン屋さん、大好き☆」

 

 エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせて、嬉しそうに笑うその顔を見ると、なんでか許しちゃうんだよなぁ。

 

  ※

 

 ラーメン屋までは、はかた駅前通りを歩くのだが。

 空も暗くなってきたので、かなり冷えてきた。

 タケちゃんのTシャツにジャケットを羽織っているが、さすがに夜は寒い。

 

「結構、冷えるな……」

「うん。アンナも冷え性だから、困るかなぁ……あ、あれを使おうよ☆」

「へ?」

 

 彼女が大きな紙袋から取り出したのは、ザンリオショップで購入したイヤーマフだ。

 もちろん、普通のマフとは違い、ピンクのもふもふ生地で、フリルとリボンがふんだんに使われたガーリーなデザイン。

 主に可愛らしい女の子が好んで、着用する代物だ。

 

「アンナは女の子だから、“マイミロディ”を使うね☆ タッくんは男の子だから、黒の“グロミ”ちゃんを使えばいいよ、はい☆」

 とイヤーマフを渡された。

 

 これをつけろってか?

 男の俺が……無理無理。

 

「悪いがやめておくよ。こういうのって、女の子がつけるもんだろ?」

 そう言うと、アンナは頬を膨らませる。

「つけたほうがいいって! 風邪引くよ!」

 これをつけて、博多を歩くぐらいなら、風邪を引いた方がマシ……。

「そう言う意味じゃなくてだな……俺は男だから、つけるのに抵抗があるんだよ」

「あぁ。そういうこと。でも、大丈夫だよ☆ グロミちゃんは色が黒だから、男の子カラーだよ☆」

「え……マジ?」

 

  ※

 

 結局、俺は半ば強制的にグロミちゃんのイヤーマフを頭につけられ、仲良く博多を歩くことになってしまった。

 すれ違いざま、その姿を見た人々は「ブフッ」と吹き出す始末。

 なんて、罰ゲームだ。

 しかも成り行きとはいえ、ペアルックだもの。

 

「ちょ、あれ見てよ。今時ペアルックだなんて」

「いいんじゃない? 若いんだし」

「時代は多様性だから、認めてあげないと」

 最後の人、別に俺は認めなくていいです!

 

 狙ってペアルックにさせたのかは、分からないがアンナは終始、嬉しそうに隣りを歩いていた。

 ラーメン屋について、店の引き戸を開いた瞬間、顔なじみの大将がお出迎え。

 

「らっしゃい! あら……琢人くんと隣りの子はアンナちゃんかい?」

「ああ、大将。ラーメンを2つ、バリカタでお願い」

 

 俺とアンナはカウンター席に座って、麺が茹で上がるのを待つ。

 大将が厨房で麺を湯切りしながら、俺とアンナの顔を交互に見つめる。

 

「なんか、今日のアンナちゃん。感じが違うなぁと思ったけど、コスプレでもしているのかい? 頭もペアルックしちゃって。二人はもう、そこまで仲良くなったんだねぇ」

 勘違いされてしまった……。

 しかし、指摘された当の本人は、嫌がる素振りなどない。

「嫌だぁ~ 大将ったら☆ これは寒いから、つけているんですよぉ☆」

「へぇ、今時の子たちは寒いと、そんな可愛いものを彼氏につけるんだねぇ。二人とも可愛いから餃子をサービスしてあげるよ」

「やったぁ☆ 良かったね、タッくん☆」

 

 クソがっ!

 こんな恥を晒せば、俺でも餃子が無料になるのかよ。



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第四十二章 腐ってもサブヒロイン
366 認めたくない男


 

 あれから一週間が経とうとしていた。

 初めてのマリアとのデートは……メインヒロインであるアンナにより、大失敗となってしまう。

 正直、彼女への罪悪感で胸が締め付けられる。

 

 さすがにまずいと思ったから、毎日マリアへ電話をかけたが、不在ばかり。

 全然、電話に出てくれない。

 何度もかけたが、きっと無視されているのだと思う。

 

 メールにて謝罪の文章を送ったが……これも反応無し。

 完璧に怒っているな、これは。

 

 

 毎朝、スマホをチェックしているが、特に通知はない。

 仕方ないから、朝食を軽く済ませて、俺は地元の真島(まじま)駅へと向かった。

 今日が一ツ橋(ひとつばし)高校のスクリーング日だからだ。

 

 小倉行きのホームで列車を待っていると、ジーパンの右ポケットに入れていたスマホが振動し始める。

 急いで、スマホを取り出して着信名を確認する。

 しかし名前を見て、ため息が漏れてしまう。

 

「チッ……もしもし」

『ちょっと! DOセンセイ、なにイラついてんですか? 出てすぐに舌打ちとか……』

 

 相手が担当編集の白金だったから、ムカついてしまった。

 

「すまん。ちょっと相手がお前だったから、ガッカリしただけだ」

『え、フォローになってないんですけど……。まあ、いいや。今日はスクリーングの日でしょ?』

「ああ」

『学校前に悪いんですけど。お仕事の話、いいですか?』

「数分ならいいぞ」

『良かったぁ~ 実は、今度“気にヤン”の2巻と3巻が来月に同時発売が決定しまして……』

 

 それを聞いた俺はすかさず、ツッコミを入れる。

 

「はぁ!? 早すぎだろ! 入稿したの、ついこの前だろが!」

『いやぁ、編集長がアホみたいに売れているから、ブームに便乗しろってうるさいんですよぉ』

 クソが……俺の他作品はそんな扱いしなかったくせに。

 

「わかったよ……。で、俺への要件ってなんだ?」

『DOセンセイに直接のお仕事ってわけじゃないんですけど。ご協力をお願いしたいんです』

「協力?」

『ええ。今回のヒロインとなる現役JKである、ひなたちゃん。それから、腐女子のほのかちゃんの写真を提供して欲しいんです。イラストのモデルとして必要でして……』

「なるほど」

 

 絵師であるトマトさんが必要としているということか。

 メインヒロインであるアンナは、正体を隠しているから、モデルはギャルのここあに差し替えられてしまったが……。

 

『やっぱりダメですかね? DOセンセイのカノジョ候補になる大切な女の子たちですから……』

 俺はそれを聞いて、即答した。

「いいぞ。何枚いるんだ?」

『は、早っ! アンナちゃんの時はあんなに嫌がったくせに……。腐女子のほのかちゃんなら、まだしも……。ひなたちゃんの写真をトマトさんに貸すの、ためらいとかないんですか? おかずにされるかもですよ!』

 トマトさんってそんなに信頼できない男なのか?

 しかし、自分でもよく分からないが、何故かアンナ以外の女子なら、情報を差し出すのに抵抗はないんだよなぁ……。

「トマトさんがそんなことするわけないだろ……。あの人、好きな女の子? がいるし」

 相手がここあだから、疑問形になってしまった。

『へぇ。そうだったんですか。でも、本当に写真提供、許していいんですか』

「ああ、許可は本人達が決めることだ。俺じゃない。ま、大丈夫だろ。アンナはダメだけどな」

『な~んか、アンナちゃんだけ特別扱いしてません? DOセンセイ』

「いや。それはない。もう電車に乗るから、切るぞ」

 

 話はまだ終わっていなかったが、一方的に電話を切ってしまう。

 白金に全てを見透かされているような気がしたからだ……。

 

「アンナだけ……か」

 

 列車に入ってもしばらく頬が熱く、近くに座っていた女子高生の視線が気になった。

 別に嫌らしい目つきではなく、同族……。

 片想い同士、共感しているような顔つき。

 その証拠に相手も頬が赤い。

 

 違う、俺はノン気だ……。

 だから、そんな目をしないでくれ。



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367 術後のミハイル

 

『次は席内(むしろうち)~ 席内駅でございます~』

 

 車掌のアナウンスで、意中の人物との再会することに気がつく。

 彼が住んでいる地元だからだ。

 

 プシューっと音を立てて、自動ドアが左右に開いた。

 視線を下にやれば、白く長い美しい脚が二本並んでいる。

 

「おはよ☆ タクト」

 

 ニカッと白い歯を見せて、元気に笑うミハイル。

 前回のスクリーングとは大違いだ。

 きっと、マリアのパイ揉み事件を克服したからだろう。

 

「ああ……おはよう」

 

 ただ挨拶を交わしただけ、だと言うのに……視線を逸らしてしまう。

 つい先ほど、白金に女装した彼のことを、特別視していると指摘されたからだと思う。

 ずっと頭の中は、アンナでいっぱいだった。

 今のこいつ……ミハイルは男だって言うのに、目を合わせれば、頬が熱くなり、緊張してしまう。

 

 違う。

 こいつのファッションが悪いんだ。

 

 今日だって、11月に入ったのに。

 相変わらず無防備なデニムのショートパンツ。

 トップスは肩だしのニットセーターにタンクトップ。

 足もとこそ、ボーイッシュなスニーカーだけど……。

 

 金色の長い髪は首元で結い、纏まりきらなかった前髪は左右に分けている。

 エメラルドグリーンの大きな瞳を輝かせて、ニコニコ笑うその姿は、どんな女よりも可愛い。

 

「タクト? どうしたの?」

 

 見入ってしまった俺を不思議に思ったようで、前屈みになり、顔をのぞき込む。

 自然と胸元の襟が露わになる。

 中にタンクトップを着ているとはいえ、もう少しで彼の大事なモノが見えそうだ。

 

「な、なんでもない! 早く、隣りに座ったらどうだ!」

 つい口調が荒くなってしまう。

 照れ隠しのために。

「うん……変なタクト」

 

  ※

 

 俺の隣りにピッタリとくっついて、嬉しそうに笑うミハイル。

 やはり、この前のデートで自信が回復みたいだな。

 まあ……代わりにマリアのダメージがデカく残ってしまったが。

 

 車窓から陽の光りが差し込んでくる度に、ミハイルの耳元がキラッと輝く。

 違和感を感じた俺は、彼の小さな耳に触れてみた。

 

「なんだ、これ?」

 

 親指の腹で感触を確かめてみたが、結構硬い。

 よく見れば、反対側の耳にも同様の小さな装飾品が付けられていた。

 

「ひゃっ!? い、いきなり、なにすんだよ! タクト!」

「あ、すまん……なんか見慣れないものが耳についていたから、“できもの”かと思った」

 俺がそう言うと、彼は頬を膨らませる。

「違うよ! これはピアスなの!」

「ピアス? なんでまた、そんなもん付けたんだ? 男なのに……」

 その一言で彼の怒りのスイッチが入ってしまう。

「男とか女とか関係ないじゃん! カワイイから付けたかったの!」

「お、おお……確かに性別は関係ないもんな。すまん」

「分かってくれたなら、いいけど……」

 

 しかし、何故今になって彼がピアスを付けたのか、俺には理解できなかった。

 別にイヤリングでも、いいんじゃないかと思って。

 

「なぁ。ピアスを付けてるってことは……耳に穴を開けたってことだろ? そこまでして付ける必要性があったのか?」

 俺がそう言うと、彼は急に視線を床に落とし、頬を赤くする。

 もじもじして、ボソボソ喋り始めた。

「だ、だって……イヤリングより、ピアスの方がカワイイのいっぱいあるから。それで穴を開けたんだ」

「なるほど。ピアスの方が種類が多いってことか……」

「うん☆ ここあから聞いて、それでアンナと一緒に開けたんだ☆」

 

 言っていて、寂しくない?

 一人で開けたのに、友達アピールとか……。

 

「ピアスを開けるって言うと、やっぱりアレか? 耳の裏に消しゴムを置いて、安全ピンでブッ刺して、開けるのか?」

「そんなこと、するわけないじゃん!」

「え? 違うの?」

「ちゃんとした病院で手術したの! タクトみたいなやり方で開けたら、ばい菌とか、化膿とか、色々トラブルが多いんだよ!」

「悪い。知らん」

「だから、麻酔とかしてくれるお医者さんにやってもらった方が安全だし、手術のあと、穴が埋まったりしないし。慎重にしないとね☆」

 

 なんて、ウインクしてみせるミハイル。

 ヤンキーのくせして、そういうところは、めっちゃ慎重なんだね。

 根性焼きみたいな感じで、グサグサ刺して、開けまくるのかと思ってた。



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368 ほのかルート?

 

 教室へ入ると、ただならぬ気配を感じた。

 

 ナチュラルショートボブのめがね女子、北神 ほのかが入口の前で立ちふさがっていたからだ。

 冬に入り、衣替えってことでいつものファッションはやめたようだ。

 といっても、中退した高校の制服だが。

 

 白いブラウスとプリーツが入った紺色のスカートは、そのままで。

 グレーのベストに、スカートと同系色であるジャケットを羽織っていた。

 

 本当に年がら年中、制服を使い倒す気なんだな、こいつ。

 

 

 いつもなら、鼻息を荒くして、BLか百合の話を押し付けてくるのに、今日のほのかはどこか元気がない。

 その場で突っ立って、頬を赤くし、俯いている。

 妙にしおらしい。

 

 顎に手をやり、チラチラと俺の顔を見つめる。

 

「お、おはよ。琢人くん……」

「ああ、おはよう。ほのか」

「……」

「?」

 

 謎の沈黙が続く。

 

 そして、彼女から熱い視線をビシビシと感じる。

 一体、何がしたいんだ?

 ていうか、教室の入口でずっと二人、見つめあっているから、気まずいんだけど。

 

 ミハイルが俺の背中から、顔を出してほのかに声をかける。

 

「ほのか、おはよう☆ どうしたの? 元気ないな」

「う、うん……」

 

 彼から声をかけられて、返答こそするものの、視線はずっと俺に向けたまま。

 

「あの……琢人くん。実は……話があるの」

「俺に? なんだ?」

「ここじゃ、言えないよ」

「は?」

「二人きりでしか、話せないことなの……」

 と身体をくねくねして、恥じらう腐女子。

 

 後ろで話を聞いていたミハイルが、一連の会話を聞いて身を乗り出す。

 

「ハァ!? なにそれ、ほのか! もしかして、こ、告白なの!?」

「そう、かも……」

 

 いや。この変態のことだ。

 絶対、そんな女らしい発想に至るわけがない。

 何か裏があるな……。

 

 

 とりあえず、告白と勘違いしているミハイルを、俺は落ち着かせる。

 一旦、廊下に出て、彼に俺なりの解釈を説明してみた。

 

「ミハイル。ほのかの言う告白は多分、俺を好きって意味じゃないと思うぞ」

「え、ホント!?」

「ああ。多分、彼女の趣味に関係するものだ」

 俺がそう言うと、ミハイルは小さな手のひらをポンッと叩く。

「あ! そうか、例の病気だな!」

「ま、まあ。そういうことだろうな……」

 

 彼の中で、BLという性癖は1つの症例なんだね。

 腐女子が可哀そう……。

 

  ※

 

 俺とほのかは、三階の教室へと上がった。

 スクリーングに使われるのは、二階の教室が主で。

 一ツ橋高校は100人にも満たない生徒たちだから、3クラスあれば、事足りる。

 日曜日だし、教室棟の3階は今、誰も使用していないということだ。

 

 だから、ここを選んだ。

 以前、全日制コースの福間(ふくま) 相馬(そうま)に言いがかりをつけられたのも、この場所だ。

 

 

 静まり返る教室の中、お互いの顔を見つめあう。

 

「……」

 

 やはり、何か今日のほのかは、おかしい。

 頬も赤いままだし、仕草が女の子っぽく感じる。

 本当に俺のことが好きなのか……?

 こいつが真っ当に恋愛できる人間とは思えんが。

 

「なぁ、そろそろ、話してくれないか? ホームルームもあるし」

「う、うん……。じゃあ言うね。私の本当の気持ちを……」

 瞳はどこか潤って、色っぽく感じる。

 思わず、俺も生唾を飲み込む。

 何を言い出すか、予想がつかないからだ。

「よし。言ってくれ」

「わ、私……実は……。初めて見た時から、琢人くんのこと、ずっと……気になっていたの!」

「え……マジか?」

「本当だよ。一目惚れってやつなのかも。入学式の時に出会って以来、琢人くんのことが頭から離れなくてね……」

「……」

 

 これ、マジの告白なのか。

 ウソぉ……困るんだけど。いろんな意味で。

 

 困惑する俺を無視して、ほのかの告白は続く。

 

「あなたのことがずっと好きだったの! これが私の本当の気持ち!」

「えぇ……」

 

 生まれて初めて? 女の子から告白されたのに、全然嬉しくない。

 だって、ゴリゴリの腐女子で変態のほのかだぜ……。

 むしろ吐き気を感じてしまった。



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369 相手を攻めるなら、自分も受ける覚悟を決めて下さい

 

 生まれて初めて告白された女の子が、腐女子……。

 言葉にならなかった。

 

 なんなんだ、これ。

 母さんの呪いか?

 

 好きだと言われて、俺はなんて断れば良いんだ?

 わからん……今までほのかが、俺に惚れる要素がどこにあったというのか。

 それに、以前こいつの好みを聞いたが、特に当てはまるところは、ないはず。

 

 

 困惑する俺を無視して、ほのかの告白はまだまだ続く。

 

「あのね……琢人くん。私ってちょっと変わった女の子じゃない?」

「まあな」

 ちょっとどころじゃない、変態さんだけどな。

「実はもう一人、好きな男の子がいるの……」

「え……?」

 

 彼女が「男の子」という言葉を発した瞬間。

 一気に血の気が引く。

 俺の周り……いや、ほのかの交友関係で、男の子と言える年の若い雄は一人しか、思いつかない。

 

「み、ミハイルくんのことも出会った時から……ずっと好きだったの。きっと、一目惚れだと思う」

「は……ハァッ!?」

 

 思わず、ブチギレてしまった。

 

「私って罪深い女よね……同時に二人の男の子を好きになるなんて……」

 なんて言いながら、教室の窓に近づき、運動場を眺める。

 こいつ、一体なにを考えていやがるんだ。

 

 しかし……それよりも、俺は怒っていた。

 別にこいつが誰を好きになろうと構わない。

 二股でも自由にしたら良いだろう、知らんけど。

 

 俺が一番、許せないのは……。

 

 気がつくと、俺は叫んでいた。

「ふざけるな! あいつは……俺のミハイルだ! 誰にもやるか!」

 あくまでダチって、意味なんだけど。

 大事な友人がそんな風に軽々しく想われるのは、嫌だったのだと思う。

「琢人くん……。やっぱり、あなたとミハイルくんって、ただならぬ関係だったのね。私が少しも入れないような……濃密な関係」

「へ?」

 怒りも通り越して、アホな声で答えてしまう。

「前々から、思っていたの。二人はいつも一緒だし、出会ってすぐにお弁当とはいえ、“唾液交換”する間柄……だからこそ、好きなの!」

「な、なにが言いたいんだ……ほのか」

 そう問いかけると、彼女はふくよかな胸の上に、手をのせて深呼吸する。

 大きく息を吐きだしたあと、こう言った。

 

「ごめんなさい! 尊い二人が好きで、めちゃくそ絡めちゃったの!」

「は……?」

 

  ※

 

 ほのかの告白というのは、ただの創作活動における話だった。

 つまりBLのことだ。

 俺とミハイルが好き……というのは、あくまでも“素材”として。

 なんて紛らわしい奴だ。

 

 俺にカミングアウトしたことで、緊張は解け、いつもの彼女に戻る。

 鼻息を荒くして、激しく絡み合った表紙のBLコミックを見せつけてきた。

 

「これこれ、見てよ! 私が描いた作品、ついに商業デビューしたの!」

「え……ほのかって、確かうちの出版社で預かり扱いだったよな?」

「うんうん。それでね、リキくんの取材とかを元に描いたネームを持って行ったら、編集長の倉石(くらいし)さんが出版してくれたの。作画は他の先生だけどね♪」

「そ、そうか。なんか知らんが、良かったな」

 

 

 半ば強制的に、ほのかの初商業作品を渡されてしまった。

 タイトルを見れば……。

 

『ゲイの国 福岡オムニバスクラブ』

 

 

 酷い作品名だ。

 

 パラパラとページをめくって見る。

 ほのかが隣りで、一々説明してくるのがウザい。

 

「これねぇ。リキくんと仲の良いおじさんから聞いた体験談なんだ♪」

「……」

 

 確かに言われると、描写が妙に生々しい。

 腐女子の妄想だけでは、描けないリアルを感じる。

 

 そして、肝心の俺とミハイルの話まで読み飛ばすと……。

 

 サブタイトルは。

『ヤンキーくんがオタクに恋をした』

 

 まんまだな……。

 

 出会いはほぼ、俺とミハイルの間に起きた出来事を忠実に再現していた。

 しかし、違うところがあると言えば、その立場だろう。

 

 

『タクトが悪いんだ。オレのことをカワイイとか言うから……』

『だからって、やめてくれ! こ、こんな……』

『いいじゃん。タクトのお尻が良すぎるんだもん。オレ、もう我慢できないよぉ☆』

『あああっ! い、痛いっ! もう12回目だぞ、ミハイルッ!』

 

 

「……」

 

 クソがっ!

 なんで、俺が受けなんだよ!

 百歩譲っても、攻めの方にしろよ……。

 

 しかも、この漫画のミハイル。

 おてんてんが、デカすぎる……。

 実物はすごく可愛らしいサイズだというのに。妄想だから仕方ないけど。

 まあ、本物を知られたら、危険だから、このままにしておこう。



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370 属性診断

 

 知らない間に俺とミハイルが、汚されちゃったよ……。

 まあ、あくまでも創作物だから、大目に見てやるか。

 こちらに直接、危害があるわけでもないし。

 

 しかし、改めて表紙や絵のタッチを見ていると、どこか見覚えがある。

 ネームこそ、ほのかが描いたらしいが、この漫画家さんはかなり上手い。

 BLに詳しくないけど、何故か記憶にある……うーむ、どこかで見かけたのかな。

 

 ほのかに尋ねてみた。

 

「なあ、この作画を担当した人って、有名な漫画家さんか? どこかで見たことあるんだが……」

 俺がそう言うと、鼻息を荒くし、熱く語り始める。

「さすが琢人くん! よく気がついたわね。この作家さんは、まだ無名の新人だったけど、とあるインフルエンサーのおかげで、バズったのよ! それでBL編集部からスカウトされたの!」

「い、インフルエンサー? 誰だ?」

「BL界の四天王が一人。ケツ穴 裂子さんよ! あの御方のお目に叶うと書籍化、重版間違いなしなの!」

「……」

 

 それ、俺の母さんだよ。とは言えなかった。

 

 話を更に詳しく聞くと、作画を担当したのは、以前コミケで母さんが爆買いしたサークル“ヤりたいならヤれば”の同人作家さんだったらしい。

 確かに腐女子の界隈では、ケツ穴 裂子という読み専は有名人のようだ。

 そして、母さんがその作品を拡散すれば、商業デビューできたり、アホみたいに売れるらしい。

 

「琢人くん。実は私もツボッターでケツ穴さんに拡散してもらったのよ! 『変態女先生は才能ある』って。だから、めっちゃ売れたのよ! 処女作なのに!」

「えぇ……ちなみに、どれぐらい?」

「100万部!」

「……」

 俺も母さんに拡散してもらった方がいいのかな?

 でも、BLなんかと、一緒にされたくない。

 

  ※

 

 ほのかの告白は、しかと受けとめた……つもり。

 だが、どうしても許せない部分が1つだけある。

 それは俺が作中、受けにされているところだ。

 

「なぁ……ほのか。なんで、俺を受けにしたんだ?」

 そう問いかけると、彼女は真顔で即答する。

「え? だって、琢人くんって、絶対受け属性だもん」

「ハァ!?」

「気がついてなかったの? 琢人くんってさ。なんか色んな人や物事に文句とか、喧嘩腰に見えるけど……。基本は優しいし、押しに弱いでしょ。だから、私の中では受けかな♪」

「ウソだろ……?」

「ホント、ホント♪ ノン気ぶっても、界隈に入り込んだら、ズル剝け間違いなしの逸材だと思うよ♪」

「……」

 

 俺ってそんな風に見られていたの?

 嫌だ、絶対に嫌だっ!

 認めたくない……もし、ミハイルとそういう関係になったとしても、絶対に俺は攻めだ!

 

 ひとりで頭を抱えていると、ほのかが優しく肩を叩いてきた。

「そんなに難しく悩んじゃダメだよ、琢人くん」

 ニッコリと笑って見せる、ほのか。

 誰のせいで、こんなに悩んでいると思っているんだ。

 

「俺は……受け身じゃないぞ、ほのか。それだけは認めたくない」

「まあまあ、今すぐハッキリしなくても良いんじゃない? “リバーシブル”って可能性もあるし♪」

 その言い方だと、もう俺がそっち界隈に向かうの決定じゃないか。

「クソ。俺、ノン気なのに……なんでそんな風に見られるんだ……」

「琢人くんも往生際が悪いなぁ。じゃあ、試してみる? 攻めか、受けか」

「え?」

「簡単なテストで、琢人くんがどっちかすぐに分かるよ♪」

 (わら)にも(すが)る思いで、ほのかの手を掴む。

「頼む! 俺は全否定したいんだ、やってくれ!」

「オッケー♪」

 

  ※

 

 ということで、急遽、ほのかによるテストが始まった。

 彼女の説明によると、今から1つの指示を出すと言う。

 俺がそれに従えば、すぐに判明するらしい。

 

「琢人くん、ちょっと私に背中を向けてくれる?」

「え? こうか?」

 黙って、彼女に背を向けた瞬間だった。

 肛門に衝撃が走る。

 ジーパン越しとはいえ、なにか太くて硬いものを突っ込まれたようだ。

 

「痛ってぇ!」

 

 振り返ってみると、にんまりと微笑むほのかが、俺の尻にマジックペンの先っちょを、突っ込んでいた。

 上目遣いで、怪しく微笑む。

 眼鏡をキランと輝かせて。

 

「ほらぁ。やっぱ、受けじゃ~ん」

「なっ!?」

 

 ほのかは尻からマジックをひっこ抜くと、今行ったテストの結果と説明を始める。

「いい、琢人くん。このテストは、その人が受動か能動かを確かめるものよ」

 なんて人差し指を立てて、嬉しそうに語る。

 人のケツに、躊躇なくブッ刺しやがって……。

 尻をさすりながら、俺は反論する。

「なんで、そうなるんだ? ほのかが『背中を向けろ』って言ったから、それに従ったまでだろ」

 それを聞いたほのかが、鼻で笑う。

「私は言っただけよ? 黙って従ったのは琢人くんじゃない。反抗もできたはずよ。つまり相手の言いなり……だから受けよ。攻めなら、私に『なんでだ?』って問い詰める可能性があるわ。それにこのマジックだって、奪い取れたしね♪」

「そ、そんな……」

 

 彼女の言うことも、あながち間違っていないような気がする。

 この俺が受け属性だと?

 み、認めたくない……。



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371 想像豊かな男

 

 俺はほのかに受けだと、決めつけられ、ちょっとした放心状態に陥っていた。

 それを見た彼女は、満足そうに微笑む。

 

「まあ、焦らずにじっくりとミハイルくんのために、お尻でも開発しておけば、良いと思うよ♪」

 クソが! 他人事だと思って……。

「ほのか……一旦、この話はやめよう。チャイムもなりそうだし……あ、そう言えば、お前に頼みたいことがあったんだ」

 

 担当編集の白金に頼まれた表紙や挿絵用のモデル写真。

 俺はそのことをほのかに説明すると、快く承諾してくれた。

 誰もいないし、この教室内で写真を撮ることにした。

 俺は自身のスマホを手に持って、ほのかにレンズを向ける。

 

「じゃあ、撮るけど……本当にそのポーズでいいのか?」

「うん! これが一番、私らしいと思うの♪」

「そうかもしれんが……」

 

 満面の笑みで、こちらを向いてくれているのだが……。

 両手にたくさんのBLコミックを扇子のように、広げている。

 まあ……腐女子だから、個性が出ていいのかな?

 

 数枚、写真を撮り終えると、ちょうどチャイムが鳴った。

 俺たちは急いで、スクリーングが行われる二階へと駆け下りる。

 教室の引き戸に手をかけた際、ほのかが俺の肩をポンポンと叩く。

 振り返ると、彼女が「忘れものだよ」と自身の作品、『ゲイの国 福岡オムニバスクラブ』を二冊、差し出す。

 

「え、俺に?」

「うん♪ だって、素材に使ったし。琢人くんとミハイルくんの絡み、かなり人気だから。取材協力っことで。二人へのプレゼントかな」

 誰がお前の取材に協力したよ……。

 勝手に絡めたくせに。

 でも、一応受け取っておくか。

 

「すまんな……」

「気にしないで。ミハイルくんと仲良く読んで、参考にしたら、もっと嬉しいな。あ、もし琢人くんが“開通”したら、教えてね」

 この野郎……。

 

 しかし、この作品をミハイルに読ませたら、ヤバいことにならないか?

 純真無垢な彼だから、今まで性への知識が少ない。

 特にモデルが、俺とミハイル自身だ。

 

 彼が攻めという概念をインプットしてしまえば、愛情表現の1つとして、試したがるかもしらん……。

 それだけは、避けたい。

 

 恐怖から、俺はほのかのBLコミックを両方、家に持って帰ることにした。

 母さんにでも渡しておこう。

 

  ※

 

 授業が始まっても、ずっと頭に入らなかった。

 隣りに座るミハイルをチラチラと見つめては、想像してしまう。

 こんな可愛い奴が、俺を攻めるだと?

 有り得ないだろ……。

 

 だが、考えてみれば、俺は過去に別府温泉で事故とはいえ、リキにお尻処女を奪われたことがある。

 このことは、まだミハイルも知らない。

 女装したアンナにも言えることだが、彼という人間は、俺との初めてを大切にする奴だ。

 それこそ、この前のパイ揉み事件なんか、宿敵であるマリアと入れ替わってまで、復讐の鬼になっちまった……。

 

 じゃあ、リキの事故も同じように憤慨するのではないだろうか?

 ちょっと、想像してみよう。

 

 

『え……タクト。リキにお尻を掘られたの!? 初めてなのにっ!』

『すまない』

『イヤだっ! オレ以外の奴と初めてをするなんて……そうだ、汚れを落としてあげる!』

 

 そう言って、俺のズボンを無理やり下ろすミハイル。

 もちろん、自身が履いているショーパンも脱ぎ捨てる。

 重なる肌と肌……。

 立ったまま後ろから抱きしめられたが、身長差があるから、幼い子供が親に甘えているように見える。

 

『や、やめろ。ミハイル! 俺たち男同士のマブダチだろ?』

『関係ないよ! タクトの汚れをちゃんと落とさないと……う~ん、ここからどうするんだろう。オレ、分かんないよぉ……』

 

 

 イマジネーション、終了。

 結果は……めっちゃ可愛かった。

 逆に俺の方が興奮してしまう。

 その証拠に、股間がパンパンに膨れ上がってしまった。

 隣りのミハイルに気づかれないよう、必死に机へと押し付ける。

 

 挙動不審な俺に気がついたのか、彼がこちらに視線を向ける。

 

「どうしたの? タクト☆ なんか、今日はずっとオレのことばかり見てるけど☆」

 何も知らない彼は、エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせている。

「い、いや……その俺たち、ずっとマブダチだよな?」

「当たり前じゃん。オレとタクトの邪魔する奴が出てきたら、ぶっ飛ばしてあげる☆」

「それって、リキでもか?」

「う~ん……無いと思うけど。もし、オレとタクトの初めてを奪ったら、許さないかな☆」

「……」

 

 別府温泉の事故は墓場まで持って行こう。



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372 パパ活とか、いっちょんすかん!

 

 俺はほのかのせいで、かなりBLの影響を受けていた。

 常に脳内で、ミハイルとの絡みばかりを想像してしまう……。

 もちろん、裸体でだ。

 

 ほとんど、彼が攻めになってしまうが、知識が乏しいので、寸前で行為を止めてしまう。

 それがまた初々しくて、愛らしい。

 自ずと、俺の股間は爆発寸前であり、常にカチコチ。

 机に擦りつけて、どうにか午前の授業を終わらせた。

 

 名誉は守られたのだ……。

 しかし、元気すぎる股間のコイツは、未だに沈静化してくれない。

 お昼休みに入り、ミハイルが「一緒に弁当を食べよ」と言ってくれたが、トイレに行くと告げて、逃げるように教室から出ていく。

 前のめりで、コソコソと廊下を歩いていると……。

 

 全日制コースである三ツ橋高校の制服を着た女子高生が目に入った。

 一人は活発そうな、ボーイッシュなショートカット。

 赤坂 ひなただ。

 その隣りで喋っているのは、チャラそうな小ギャル。

 派手なピンク色に染め上げた長い髪を、後頭部で1つに丸くまとめている。

 

 真っ黒な頭のひなたとは、大違いの校則違反だ。

 化粧も濃ゆいし、カラコンやつけ爪。

 どこかで見かけた顔だな……。

 

 一生懸命、思い出していると、ひなたが俺に気がつき、声をかけてくる。

 

「あ、センパ~イ! 久しぶりですね♪」

 偉くご機嫌に見えた。

 ニコニコと笑って、俺に手を振る。

「おお……久しぶり」

 なんでか、分からないが……ひなたの姿を見た瞬間に、股間の熱が冷めてしまった。

 治まったことから、良かったんだけども。

 女を見ると、沈静化するコイツって、一体……。

 

「今日はスクリーングですか?」

「まあな……そうだ。ひなたに実は頼みたいことがあるんだ。お前の写真を何枚か、撮らせてくれないか?」

 今度の小説に使うモデル写真のためだ。

「え、しゃ、写真!? 私の身体を撮って、ナニをする気ですか!?」

 俺が答える前に、右の頬を一発、平手打ち。

 ひなたの得意技ですね。

「いって……」

「そ、そういうことは、付き合った恋人同士がするもんですよ!」

「ひなた。お前、なにを勘違いしているんだ……」

 頬をさすりながら、呆れていると、近くに立っていたピンク頭の女が間に入る。

 

「ひなたちゃん。スケベ先生はそういう意味で、言ったんじゃないっす。小説のためっす」

「え……小説? ていうか、なんでピーチちゃんが、センパイのことを知ってるの?」

 思い出した。

 俺のコミカライズを担当した新人漫画家、筑前(ちくぜん) (ピーチ)だった。

 ちなみに、ラノベ版の絵師。トマトさんの妹でもある。

 そういえば、三ツ橋高校に通う現役JKだったな……。

 

「自分っすか? スケベ先生とは、ただのパートナーっすよ。恋愛感情とかないっす。昔から推してる人なんで」

 勝手に二人で話を進めだした。

 ていうか、スケベ先生ていうの、やめてよ。

「ぱ、パートナー!? 恋愛感情がないのに? それに昔からって……何年前から?」

 あら、ひなたってば、また勘違いが暴走してない?

「えっと……スケベ先生とは、インターネット上で出会って、確か10年ぐらい前からだったと思うっす。自分が一目惚れして、勝手に推してるんで……。マジ、リスペクトしてるっす」

 それを聞いたひなたは、何を思ったのか、肩を震わせて、拳を作る。

「じゅ、十年前って……ピーチちゃんが幼女の頃じゃん」

「そっすよ。スケベ先生はマジでカッコイイんで。自分は人生を捧げてもいい、って思えるレベルっす。身体をボロボロにされても、余裕っす」

 と親指を立てるピーチ。

 彼女が話すことは、全て創作活動におけるものだが……。

 ひなたにとって、勘違いを更に助長させてしまう、説明になってしまったようだ。

 

 顔を真っ赤にさせて、俺の方に顔を向けると、ギロっと睨みつける。

 

「センパイ、最っ低!」

 そう言って、腫れてない方の頬をもう一発、平手打ち。

「いってぇ!」

「幼女の時からパパ活するとか、この超ド変態のロリコン! 死ねばいいのに!」

「えぇ……」

 

 こいつも想像力が豊かだなぁ。

 ていうか、ひなたに会う度、殴られている気がする。



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373 ちょ、オレたち……男同士だよ!?

 

 ピーチが詳しく説明して、なんとか、ひなたの誤解はとけた。

 自分の兄であるトマトさんが、イラストを描く時、モデルがいないと上手く描けないことも、補足してくれた。

 だから、ヒロインの一人であるひなたの写真が必要だと。

 

 それを聞いたひなたは、機嫌を取り戻し、嬉しそうに笑う。

 

「なぁんだ。そんなことか♪ 私もヒロインですからね、写真は必要ですよね」

 散々、人をブッ叩いておいて、よく言うよ。

「いいのか? 無理しなくてもいいぞ?」

「撮りますよ! 撮らせてください! 新宮センパイとの取材がいっぱい詰まった作品になるんですから~♪」

「そ、そうか……」

 

 

 それから、ひなたは自分のスマホをピーチに渡して、その場で撮影会を始める。

 こっちは何も言ってもないのに、色んなポーズ、角度で写真を撮りまくる。

 一々、ピーチに「加工して」だの「盛って」だの。要求が多い。

 だがどんな注文でも、撮影するピーチは、「ちょりっす」と言って、淡々と撮り続けた。

 

 

 撮り終わって、すぐに提供してもらえると思ったが……。

 厳選した写真を渡したいので、数時間後になると言われた。

 一体、何十枚くれる気だ?

 

  ※

 

 ひなたとピーチに礼を言って、彼女たちに背を向ける。

 もう少しすれば、午後の授業も始まるからだ。

 

 教室の方へ戻ろうと、廊下を歩いていたら……。

「あ、タクト☆ お昼ご飯も食べずに何をしてたの?」

 とミハイルが近寄ってきた。

 エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせて。

「ちょっと、野暮用でな……」

「ヤボ? なにそれ? 教えて☆」

 そんなことも知らんのか……。

「野暮ってのはな」

「うんうん☆」

 低身長だから、仕方ないのだが、上目遣いでグイグイと迫られるので、対応に困る。

 せっかく、沈静化した股間がまた動くと大変だ……。

 ここはちょっと話題を変えよう。

 彼と距離を取れるようなこと……そうだ。

 

「なあ、ミハイル。ちょっと頼みがあるんだけど、いいか?」

「え? オレに? なんでもいいよ☆」

「その……一枚、写真を撮ってもいいか?」

 言っていて、顔から火が出そうだった。

 女装しているアンナなら、女の子扱いできるけど、素のミハイルは完全に男だからな。

 恥ずかしくて仕方ない。

 

 俺の問いに、ミハイルも激しく動揺していた。

「お、オレの写真を!? いきなり、どうして……」

 顔を真っ赤にさせて、目を丸くしている。

「いや……今まで、ミハイルの写真はちゃんと撮ったことないだろ。だから、思い出というか。その……」

 言い出しっぺの俺が、緊張してしまう。

 まるで、告白する男子みたいだ。

 その緊張がミハイルにまで、伝わっているように感じる。

 彼もカチコチに固まってしまう。

 

「お、思い出か……そ、そうだね。ならいいかも。で、でもさ……ホントにオレなんかでいいの?」

「え……どういう意味だ?」

「女のアンナじゃないし、可愛くないもん。それにオレは……男だよ?」

 そう指摘されたことで、俺も脇から大量の汗が滲み出るのを感じた。

 彼の言う通りだ。

 男にカメラ目線で写真を一枚求めるなんて、気持ち悪いこと……なのかもしれない。

 

 やはり……俺が間違っていた。

「そ、そうだよな。悪い、無かったことにしてくれ」と苦笑いするはずが。

 

 俺は黙って、ジーパンのポケットからスマホを取り出す。

「ミハイルの写真だから、欲しいんだ。マブダチのお前だからだ」

 自分でも驚いていた。

 こんなに恥ずかしいことをスラスラと喋っていることに。

「オレだから……なの? じゃあ、うん。と、撮ろうか☆」

 今までに見たことないぐらいの優しい笑顔だった。

 アンナの時よりも……可愛く感じるほどに。

 

  ※

 

 写真を撮ると言っても、アンナの時ほど余裕がない。

 お互いにだ。

 ガニ股で格好悪く立つ俺と、廊下の壁にもたれるミハイル。

 彼も頬を赤く、視線は床に落としたまま。

 落ち着かないのか、首元から垂れているポニーテールを撫でている。

 

 なんて、可愛いんだ。そして、絵になる。

 

「タクト……早く撮って。誰か来たら恥ずかしいよ」

「おお……だが、ミハイル。こちらを向いてくれないと、撮れないぞ?」

 

 そう指摘すると、彼は潤んだ緑の瞳を俺に向ける。

 

「こう?」

「バッチシだ」

 

 一枚。

 たった一枚の写真を撮るだけだと言うのに、物凄く長い時間を感じた。

 そして、俺は撮った写真をすぐに、クラウド上へとアップロードする。

 この写真は、もう二度と撮れない気がしたからだ。

 大事にしたい……そう思えた。

 

 ただ、その後の俺たちはしばらく、目を合わせることができずにいた。

 

「「……」」

 

 なんでか分からないが、事後のような恥ずかしさを感じていたから。

 経験したことも、ないくせに。



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374 飾らないキミが好き

 

 午後の授業は体育だ。

 かなり、久しぶりに感じるな。

 

 一旦、校舎から出て指定された場所、武道館まで向かう。

 もちろん、隣りにはミハイルもいるのだが……。

 先ほどの写真撮影が恥ずかしかったようで、えらく大人しい。

 頬を赤くしたまま、黙って地面ばかり見ている。

 

 こりゃ、悪いことしたかな? と彼の横顔をチラ見する俺も大して変わらない。

 親友とは言え、男が男に写真を求めても良いのだろうか……。

 今、考えてみると……かなりヤバい行動だったのでは? そう、思い返していた。

 異性だとしても、一緒にツーショット写真を撮るのなら、分からないでもないが……。

 被写体がミハイルだけっていうのが……まるで「お前だけを撮りたい」と告白したようなもんじゃないのか?

 

「「……」」

 

 結局、二人とも黙り込んだまま、武道館へとたどり着いた。

 地下に降りて、更衣室へ入る。

 ロッカーに荷物を入れたら、すぐに体操服へと着替え始める。

 

 以前、宗像先生が全日制コースの生徒たちから、無断で体操服をパクったので、本来なら私服でもOKなのだが、仕方なく見知らぬ名の制服を着用している。

 もちろん、ミハイルもだ。

 ただ、彼の場合……サイズの問題で、下半身は女子のブルマだが。

 

  ※

 

 着替え終わると、武道館の中央に、のろのろと一ツ橋高校の生徒たちが集まり出した。

 しかし、何やら様子がおかしい。

 今日の予定表では、午後の授業は2時間、体育をする予定だった。

 確か種目は、バスケットボールをやるはず……。

 でも、肝心のバスケットコートが誰かに使われている。

 

 全日制コースの三ツ橋高校の生徒たちだ。

 どうやら、バスケット部の部員みたいで、他校と試合をやっているようだ。

 

「回せ、回せ! 絶対、負けるなよ!」

「おっしゃ! ドンマイ!」

「全国行くぞ! 俺たちはキセキの世代だからな!」

 

 

「……」

 

 呆然と、彼らの熱い試合を眺める陰キャ達。

 対照的にニヤニヤと嫌らしく笑うのは、ヤンキー共だ。

「こいつら、全然なってねーわ」とバカにしている。

 まあ、かく言う俺もバスケに興味とか、全然ないから、どうでも良いんだが……。

 

 チャイムが鳴り響くと、武道館の入口から、ツカツカと音を立てて、一人の女性がこちらに向かってくる。

 宗像先生だ。

 頼んでもないのに、俺たちと同様の体操服を身に纏っていた。

 アラサー教師でブルマ姿とか、見たくない。

 サイズが合ってないから、ハミパンしている……紫色のレースが丸見え。

 

「お~い! 一ツ橋の生徒たちは私の前に集まれ~!」

 

 先生に呼ばれて、黙って従う。言うことを聞かないと、後が怖いから。

 

 俺たちが先生の前に集合すると、歯切れ悪そうにこう話し始めた。

「悪いが、今日のバスケットボールは中止だ。急遽、三ツ橋の親善試合が決まったからな」

 またか……前も、全日制コースの都合で、場所を変えられたもんな。

 生徒たちから、冷たい視線を感じた宗像先生は、咳ばらいをして、話題を変える。

「まあ、前にも言ったように、本校はここの校舎を使わせてもらっているに過ぎない。なので、こういうことは、幾度もあるだろう。我が校が彼らに合わせるしかない。ということで、今日はマット運動に変更する」

 

 えぇ……いきなり、授業のレベルが高校生から小学生以下に落ちたような気がする。

 

  ※

 

 宗像先生の指示のもと。

 俺たちは、武道館の一番端っこ……。つまり壁に沿って、一列に運動マットを並べた。

 運動と言っても、簡単なストレッチぐらいだ。

 特に先生も、「あれをしろ、これをしろ」なんて命令は出さない。

 

 要は適当にマットの上で、二時間過ごせと言うことだ。

 俺たちは所詮、通信制だから授業にさえ、参加すれば単位はもらえる。

 簡単な授業にしなければ、やる気のないヤンキーが辞めてしまう恐れもある……。

 だから、こんなおままごとレベルじゃないと、一ツ橋高校は経営が成り立たない。

 

 当然の如く、俺はミハイルとペアを組む。

 いつものことだし。

 この頃には、もう元の二人に戻っており、彼も笑顔で接してくれた。

「なあ、タクト☆ オレって、ストレッチが得意なんだ☆」

「ほう。初耳だな」

「今やるから、見ててよ☆」

 

 そう言うと、ミハイルはマットの上に尻を乗せ、股関節を左右に広げる。

 細く長い二本の足が、縦に真っすぐ伸びた。

 

「どう? スゴいだろ☆ タクトもこれができる~?」

「あぁ……お、俺には無理そうだな」

 

 確かに彼の身体が、柔らかいことにも驚いていたいたが。

 それよりも、正面から見ている俺からすると、とある部位が際立って見えてしまう。

 股関節を綺麗に広げきった事により、紺色のブルマが強調されているのだ。

 真ん中には可愛らしい、ふぐりがちょこっと顔を出して……。

 

「ごくんっ……」

 

 思わず、生唾を飲み込んでしまう。

 彼からしたら、無意識のうちにやっている行為なのだろうが、これは辛い。

 今、ここにスマホがあったら、俺はきっと連写モードと録画を交互に繰り返して、しまうのだろう……。

 

 くっ! これだから、ミハイルモードは嫌なんだ。

 無防備すぎる。

 

 せっかく、沈静化した股間がまた暴れ出しそうだ……。



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375 受け入れてしまったタクト

 

 ミハイルから一通りのストレッチを見せてもらった後。

 流れで、俺も彼から習ったストレッチを挑戦することになった。

 

 自慢じゃないが、俺の身体は硬い方だから、ミハイルに無理だと断りを入れようとしたが。

 

「大丈夫☆ オレがちゃんとついているから。出来るようになるよ☆」

 

 と半ば強制的に、マットへ座らせられる。

 

 股関節を左右に開こうとするが、ミハイルのようには上手く出来ない。

 それを見た彼は、ニコッと笑ってこう言った。

 

「仕方ないよ☆ タクトは初めてだもんね。ちょっとオレがほぐしてあげるよ☆」

「え……? ほぐす?」

 

 嫌な予感しかない。

 

 ~10分後~

 

「う~ん……タクトって本当に硬いね。ガチコチだよぉ」

 

 ミハイルの小さな口から、吐息が漏れた。

 そして、俺の耳元に当たる。

 くすぐったいような、気持ち良いような……。

 

 現在の状態といえば。

 俺の背中を一生懸命ミハイルが小さな手を使い、押してくれている。

 後ろから抱きしめるように……。

 

 彼が言うには、普段からデスクワークが多いから、俺の腰と股関節も硬いらしく。

 今後の活動のためにも、しっかりと筋肉などを伸ばした方が良いとのこと。

 

 股関節を奇麗に開脚はできなかったが。

 責めて腰ぐらいは伸ばした方が良い、とミハイルに強く注意を受けた。

 まあ、俺の執筆活動を心配してくれているからだと思うが……。

 

 大きく息を吐いて、両手をマットの上に乗せて、前へと突き出す。

「ふぅ……」

 俺としては、だいぶ伸ばせたような気がするが、ミハイル先生は納得してくれなかった。

「あ~ ダメダメ。硬すぎるよぉ。タクトってさ。なんで、そんなにカチコチなの? 普段からやらないから、柔らかくなれないんだよ!」

「す、すみません……」

 怒られちゃったよ。

 ていうか、さっきから誤解を生むような表現ばかりしている気がする。

 カチコチとか、硬いとか……。

 

 

 見兼ねた彼が再度、補助に入る。

「いい、タクト。力をいれたらダメだよ。オレの呼吸に合わせて、ゆっくり前に腰を入れようね☆」

「お、おう……」

 

 言われた通り、彼の吐息に合わせて、ゆっくりと身体を前へ突き出す。

 ミハイルは優しく俺の腰を両手で押してくれた。

 超がつくぐらいの密着で。

 背中越しとは言え、彼の心音が伝わってくるほどだ。

 当たり前だが、女装していないので、ノーブラと思うと、興奮してしまう。

 ストレッチに熱中するミハイルは、恥じらいがないように感じた。

 頬と頬がくっついてしまうほどの至近距離で、俺に囁く。

 

「ほらぁ。ちゃんと入ったよ☆ タクト、すごいね☆」

「あ、ありがとう……」

 

 どことなく、ミハイルから甘い香りを感じた。

 きっと普段から使っているシャンプーだと思うが、その香りが更に俺をドキドキさせる。

 

 気がつけば、俺の股間もマットレスへ直進してしまった……。

 今の状態を隠したいがために、腰をどんどん前へと突き出す。

 

「すごいすごい☆ ちゃんと、マットに身体をつけられるぐらい、前に腰を入れられたねぇ☆」

「おお……ミハイルのおかげだよ」

 本当は股間が暴走したから、逃げただけなんだけど。

「気持ちいいでしょ? もうちょっと、押してあげたらいいかな☆」

 そう言って、彼は俺の身体に覆いかぶさる。

 もちろん、やましい気持ちなんて、全然ない。

 ただ、俺の身体を柔らかくしてあげたい、という一心で、伸ばしているだけだ。

 

 しかし、ミハイルの思惑とは裏腹に、傍から見れば、ヤバい男たちに見えるだろう……。

 

「よいっしょと。これで、う~ん……」

 

 ただ、背中を押しているだけなのだが、ついでに彼のブルマもお尻辺りに擦りつけられる。

 ミハイルが身体を前後に動かす度、俺の尻がペチペチと音を立てる。

 別に痛くはないが、彼の可愛らしい、ふぐりを思い出すと、なんか快感を覚えてしまいそうだ……。

 

「ふん。よいっしょ☆ どう? タクト☆ 気持ちいい? 痛くない?」

「ああ……すごく腰が楽になれた気がするよ」

「そっか☆ なら、良かった☆」

「……」

 

 そんな事を二人で仲良くやっていると、離れた場所から熱い視線を感じた。

 眼鏡をキランと光らせた女がこちらを見つめている。

 北神 ほのかだ。

 

「フッ。落ちたな」

 

 口角を上げて、そう呟く。

 

 クソがっ。

 誰も落ちてねーわ!



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376 抹消されるヒロイン

 

 体育の授業で二時間もミハイルと絡んで……いや、健全な“ストレッチ”を楽しんでしまった。

 彼にやましい気持ちは、無かったようだが。

 俺の股間は素直すぎるほどに、暴れまわってしまう。

 おかげで、更衣室に入ってもなかなか着替えることが出来なかった。

 ズボンを下ろせば、全男子生徒にバレてしまうからな……。

 理性を取り戻すために、しばらく深呼吸を繰り返し、どうにか着替えることが出来た。

 

  ※

 

 帰りのホームルームを終えて、各々が教室から出て行く頃。

 机の上に置いてあるリュックサックに、小さな白い手がポンと置かれる。

「タクト☆ 一緒に帰ろ☆」

「ああ。そうだな」

 

 もうこのやり取りが日常と化している気がした。

 俺の隣りに、こいつがいることが、当たり前のように感じる。

 ダチだから……だろうか?

 ミハイルが一緒にいてくれるだけで、安心する。

 半年以上の付き合いだから、他人みたく変な気を使わなくてもいい。

 何なら、腐女子の母さんより、居心地が良いかもな……。

 

 

 二人で仲良く駄弁りながら、校舎を出る。

 長い坂道を降りていると、ジーパンのポケットから、可愛らしい歌声が流れ始めた。

 俺の推し、アイドル声優のYUIKAちゃんが発表した新曲。

永遠(えいえん)永年(えいねん)』だ。

 

 着信名を見れば……。

 全日制コースに通っている現役JKこと、赤坂 ひなただ。

 その名前を見て、ピンときた。

 今日、学校で会った時に頼んだ写真のことだろう。

 小説のイラストモデルとして、提供してもらうため、俺が彼女に頼んだんだ。

 

「もしもし?」

『あ、新宮センパイ! お待たせしましたぁ~ 約束の写真、選び終わったんで、今から送信しますね♪』

 選ぶのに数時間掛かると言ってはいたが、本当に半日かかったよ……。

「そうか。悪いな」

『いえいえ。やっぱ私がヒロインなんで、ちゃんとお手伝いしないとですよ~』

 偉くご機嫌だな。

 別に俺が写真を必要としているわけではないのに……。

 

 

 電話を切ろうとした際、ひなたに1つ注意を受けた。

 それは送るデータが膨大な為、通信費がアホみたいにかかるかもしれないと。

 一体、何十枚送ってきやがるんだ?

 まあ今日はもう帰るだけだ。

 通信費は白金に経費として、請求すれば、問題ないし。

 歩きながら、適当に写真が受信されるのを待とう。

 

 ~20分後~

 

「ピコン……ピコッ! ピコッピコッピコッ!」

 

 手に持っていたスマホを思わず、地面のアスファルトに叩きつけるところだった。

 あまりのやかましさと、しつこさにぶちギレる。

 

 今のところ、ひなたから送られてきた写真は120枚以上……まだ終わりが見えない。

 何枚か、ファイルを開いたが、正直大して変わらないアングルや表情の写真ばかりだ。

 もっと絞れよと言いたい。

 

 だが後半の写真は、制服姿のひなたではなく……。

 日頃、自分で撮ったと思われる写真が多く感じた。

 

 自宅でたくさんのペットに囲まれて、嬉しそうに笑うひなた。

 クラスメイトのピーチと、ケーキを頬張る写真。

 他にも海辺で家族と仲良く佇む一枚など……情報量が多過ぎる。

 こんなに要らないのに。

 

 しかし、最後の写真を開いた瞬間、思わず生唾を飲み込んでしまった。

 

「す、スク水……」

 

 現役JKのスク水なんて、中々お目に掛かれないので、スマホにグイッと顔を近づて確かめる。

 

 どうやら、所属している水泳部の競泳水着だ。

 褐色肌で程よく筋肉がついている細身のひなた。

 とても健康的なスポーツ少女だ。

 何かの大会のようだ。

 表彰台の上で、嬉しそうにピースしている。

 

 ひなたからすれば、大会で一位を獲ったことが誇らしいのだろうが……。

 男の俺が見ると、スク水JKの全身写真。

 つまり、グラビアアイドルと大して変わらない。

 レアな写真だ。たまらん……。

 

「よ、よし……」

 

 当初、予定していなかったが、この写真だけはクラウド上にアップロードしておこう。

 いや別に、おかずにするつもりじゃなくて、こんな機会は滅多にないから……ね?

 と、スマホをいじっていると……。

 

「タクト☆ さっきから、ナニをやってんの?」

 満面の笑みで、ずいっと近寄ってくるのは、ミハイルさん。

 もちろん、2つの大きなエメラルドグリーンは、いつものように輝いていない。

 瞳の輝きは完全に消え失せ、ダークモードだ。

「あ、いや……これは」

「ねぇ? さっきから、ピコッピコッてさ。誰からなの? アンナじゃないよね?」

 ずっとニコニコと優しく笑ってくれるけど、目が笑ってない。

 ここは、嘘をつくと後が怖いぞ……。

 もう正直に話すしかない。

 

「こ、これはだな。小説に必要な写真なんだ! け、決して嫌らしいことじゃないぞ?」

 自分で言っていて、何故か疑問形になってしまう。

 

 大人しく、ミハイルにスマホを差し出して、説明を始める。

 彼は「うんうん」と黙って、俺の話を聞いてくれた。

 しかし、スマホの写真をしばらく閲覧したあと……。

 とある写真で、彼の額に太い血管が浮き出る。

 

「タクトの話だとさ。小説のイラストに使いたいだけだよね? ほのかは、いつもの病気写真で良いと思うよ。個性だからさ☆」

 腐女子は病気じゃないって……。

「お、おお。ほのかっぽい写真だろ?」

「うん☆ ほのかの良さが出てると思う☆ でもさ、ひなたの写真だけ、なんでこんなバカみたいに数が多いの?」

 ひなたという名前が出た瞬間、ドスの聞いた声で喋り始めた。

「そ、それは……ひなたが勝手に送りつけて……。本当は三枚ぐらいでいいんだが」

「じゃあさ、オレが三枚に選んであげるよ☆ タクトって写真選びとか、分かんないでしょ?」

「え……」

「特に、このさ。水着写真は絶対にいらないよね?」

 と、至近距離で脅されたので、俺はもう何も言い返すことが出来なかった。

「はい」

「じゃあ、消去しておくね☆ タクト、良かったね。こんな汚い女子高生の水着写真を持っているとね。今はお巡りさんに児ポ法だったけ? あれで捕まるんだよ?」

「……」

 

 こうして、ひなたの写真だけ、何故かブレた表情の写真ばかりを選別されてしまうのであった。



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第四十三章 野郎ばかりのラブストーリー?
377 童貞が苦労すること、それはプレゼント選び(女物)


 

 薄暗い部屋の中、モニターの灯りだけを頼りに、検索を続ける。

 今、閲覧しているサイト名は……。

『これなら、女子も大喜び♪ クリスマスイブにヤレること間違いなし!』

 という怪しいサイトだ。

 まあ、主に付き合っている彼女へあげるクリスマスプレゼントを想定しており。

 ズラーッと写真が縦に並んでいる。

 アクセサリーだとか、バッグに化粧品。あとは女物の服。

 

 普段、見慣れないホームページを見ていて、頭が混乱してきた。

 目がチカチカする。

 かれこれ、3時間ほど女性向けのプレゼントを紹介するサイトばかり、検索しているせいだ。

 

 プレゼントをあげる相手の誕生日が近いから。

 来月、12月の23日が、“彼と彼女”の誕生日。

 

「まあ、貰ったからには、ちゃんと返すのが礼儀だよな……」

 

 デスクチェアに、もたれ掛かって、飲みかけのマグカップに手を伸ばす。

 ぬるくなったブラックコーヒーを飲み干すと、ひとり自室の天井を見上げた。

 

 思い返せば、生まれて初めて俺の誕生日を祝ってもらったもんなぁ……。

 相手は、男の子と女装男子だけど。

 でも、貰ったものがすごく高価で、尚且つミハイルの心がこもったプレゼントだ。

 

 あれから毎日、着ている手作りのパジャマと、胸ポケットに入れている万年筆。

 アンナは無職だからと夜なべして、上下セットのパジャマを。

 ミハイルは、わざわざ近所のスーパーで慣れないバイトまでして、高価なプレゼントをくれた……。

 正直、万年筆なんて、アナログなもんは使わんが。

 

 でも、この2つを身に纏っているだけで、なんだか元気が湧いてくる。

 ハードな執筆活動も難なくこなせてしまうから、不思議だ。

 

「やはり、ここはあれか? ミハイルが得意な料理系のプレゼントで、女の子のアンナは王道のアクセサリーか……」

 

 そう呟いた瞬間、背後から声が聞こえてきた。

 

「アクセサリーとか、ナンセンスですわ」

 

 振り返ると、青ざめた顔をした妹、かなでが立っていた。

 数ヶ月間に及ぶ受験勉強で、頬が痩せこけている。心労によるものだ。

 母さんに勉強を強いられたことが、苦なのではない。

 オナ禁ならぬ、男の娘もの同人を禁じられているためだ。

 

「か、かなでか……ちょっと、見ないうちにお前、ゾンビみたいな顔になったな」

「ヘッ、どうせ。あと数ヶ月すれば、受験が終わりますわ。そしたら、溜まりきった鬱憤を、男の娘とショタでぶっ放してやりますから!」

 

 と女子中学生が、拳を作って見せる。

 気になる点といえば、人差し指と中指の間に、親指が挟まれているところだ……。

 今日日、見ない卑猥なジェスチャー。

 

「そ、そうか……まあ勉強がんばれよ」

「こう見えて、かなでは頭良いので、余裕ですわ。それよりも、おにーさま。プレゼント選びということは、アンナちゃんのですか?」

「ああ……女の子にあげるプレゼントなんて、初めてだから。悩んでいるんだ」

 中身は男だけどな。

「それなら、この正真正銘の女子、かなでに任せてください!」

「え?」

「女の子が一番、喜ぶプレゼントを知っていますわ! 鉄板中の鉄板!」

 と鼻息を荒くするかなで。

 頬はこけているくせに、胸だけは無駄にデカく、腰を屈めたせいで、ブルンと揺れる。

 キモッ。

 

「それで、お前の考えるプレゼントってなんだ? 参考に聞かせてくれ」

 俺がそう言うと、かなでは腕を組み、自信満々といった顔でニヤつく。

「ズバリ! 指輪……リングですわ!」

「指輪か……確かにドラマとかで、よく見るよな」

 バカな妹が提案したこととはいえ、何故か腑に落ちる。

 しかし、相手は女装した男の子。アンナだぞ?

 

「う~ん……」

 その場で唸り声を上げる俺に対し、かなでは優しく笑いかける。

「おにーさま。リングをアンナちゃんにあげて、聖夜を楽しんでくださいまし。しっぽりとね♪」

「はぁ?」

「一年分の愛をイブに出しきってくださいまし!」

「……」

 ダメだ、こいつ。受験勉強で頭がイカレてやがる。

 

 ていうか、プレゼントに指輪とか……。

 俺って、完全にアンナをカノジョ扱いしてないか?



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378 オタクは女装男子を想い、ヤンキーは腐女子を想う。

 

 結局、妹のかなでに言われたから……ではないが。

 ミハイルに料理系のグッズ。アンナには指輪をあげることにした。

 まあ、今考えているものなら、間違いないだろう。

 

 インターネットで注文してもよかったが、やはりここは直接、自分で店に足を運び、選んだ方が良いと思う。

 しかし、一体どこで買ったらいいのか、分からない。

 地元の真島(まじま)じゃ、そんな洒落た店はないし……。

 思いつく場所と言えば、最近なにかと頻繁に通っている博多駅周辺。

 それから、やはり若者の街である天神ぐらいだろうか。

 

 ぼっちである俺が買い物をしに行くのは、どちらの街も難易度が高い。

 だが、あいつの誕生日だからな。

 

「よし! 行くか!」

 

 自身の顔を両手で叩き、気合を入れる。

 そして、スマホとリュックサックを持って家から出ようとしたその時だった。

 手に持っていたスマホから、着信音が流れ出す。

 電話をかけてきた名前は……ロリババア。

 その名を見ただけで、舌打ちしてしまう。

 

「もしもし?」

『あ、DOセンセイ! 今、暇でしょ?』

 毎回、誰もがこう言うイメージを抱いていることに苛立ちを覚える。

「ハァ? 別に暇じゃないぞ。今から博多か天神あたりに買い物へ行くところだった」

 それを聞いた白金は、すごく驚いていた。

『えぇ!? 万年童貞のかわいそうなDOセンセイが、民度の高い博多と天神へ買い物に行くなんて、福岡に大災害が起こりそうですね!』

「……用がないなら、切るぞ?」

『あ、ありますよ! この前、頼んでおいたヒロイン達……。ひなたちゃんとほのかちゃんの写真は、用意できましたか?』

「ああ。それなら、しっかり許可を得た上で、用意できたぞ」

『それは、素晴らしい! じゃあ今から打ち合わせも兼ねて、博多社に来ませんか? どうせ、買い物もしたいんでしょ?』

「まあ……そうだな」

 白金の使いパシリってのが、気に食わないけど。

 でも、なんか仕事で天神へ行くと思えば、気が楽になった。

 

『じゃあ、写真を持って久しぶりに博多社でお会いしましょうねぇ~♪ ブチッ!』

 

 相変わらず、切り方が雑でイライラする。

 この際だ。白金にもちょっとプレゼントについて、相談してみるか。

 あいつも一応、女だし……。

 

  ※

 

 天神のメインストリートともいえる、渡辺通りをひとり歩く。

 平日だと言うのに、ここはいつも人でごった返している。

 おしゃれで尚且つ高そうな服を纏い、片手には“スターベックス”のフラペチーノを持ったマダムが、颯爽と通りを歩いて見せる。

 民度が違い過ぎて、死にそう……と思っていたら。

 目の前に場違いなハゲのおっさんが、キョロキョロと頭を左右に振って、何やら探している。

 くしゃくしゃに折れ曲がったメモ紙を持って。

 

「おっかしーな……ほのかちゃんから、教えてもらったのに」

「え……ほのか?」

 

 おっさんが発した女の名前に、ついつい反応してしまう。

 級友でもある、変態腐女子だから……。

 俺が「ほのか」と口から発した瞬間、ツルピカに禿げあがったスキンヘッドが、ゆでダコのように真っ赤に燃え上がる。

 どうやら、人の女にちょっかいを出した……と勘違いしているみたいだ。

 

 振り返ると、すぐさま俺の胸ぐらを掴んで、睨みをきかせる。

 

「てめぇ……ほのかちゃんに何する気だ!?」

「ぐはっ! リキ。お、俺だ……。マブダチの琢人だろ……」

「あ、タクオじゃねーか」

 

 

 喉元を抑えながら、息を整える。

「かはっ! 少しは加減しろ……」

「悪い。まさか、タクオとは思わずな」

 俺じゃなかったら、半殺しに合っていたのか?

 やっぱ、ヤンキーが好きになった相手へ近づくと、ボコボコにされるんだろうなぁ。

 

  ※

 

 人のことは言えないが、何故ヤンキーのリキが天神に来ているか、尋ねると。

「俺さ。ほのかちゃんの取材に協力したじゃん。あれが編集部で話題らしくてさ。発売したマンガも爆売れだから、もっとネタを提供して欲しいって、頼まれたんだ」

 なんて、武勇伝のように語られてしまった。

 まあ確かに、ほのかの処女作は100万部も売れたから、他の作家がリキの持っているネタを欲しても、おかしくはないか……。

 でも、正しくは彼のネタではない。

 ネコ好きのおじさんから、提供してもらった体験談だろう。

 

 つまり、リキはほのかに頼まれて、博多社にあるBL編集部へ向かっている最中だった。というわけだ。

 しかし天神なんて、彼もなかなか来ないため、迷子になっていたようだ。

 ならばと、俺が助け舟を出す。

 どうせ、目的地は一緒なのだから。

 

「リキ。俺も仕事で、博多社へ向かう途中なんだ。一緒に行こう」

「おお! ありがてぇ! バイクで来たけど、マジわかんねーよ。この街」

「だろうな……」

 分かる分かると、黙って頷く。

 

 天神って、呪いが掛かっているってぐらい迷路だから。

 方向感覚がバカになっちゃうし。

 

 仲の良いダチと二人で歩けば、正直そんなに民度の天神も怖くない。

 しばらく渡辺通りを歩いていると、一際目立つ大きなビルが見えてきた。

 ビルの壁を一面、銀色に塗装しており、ギラギラと光って、眩しい。

 

 自動ドアが開いた瞬間、俺は目を疑った。

 そこには、一匹のウサギが立っていたから……。

 

「お、お……お帰りなさいませだピョン! 博多社へようこそだピョン!」

「え……」

 

 可愛らしくロビーから飛び出てきたのは、一人のバニーガール……ではない。

 正しくは、バニーボーイと表現すべきだからだ。

 その証拠に、股間がふっくらと盛り上がっている。

 

 彼は博多社の新しい受付男子、住吉(すみよし) (はじめ)

 れっきとした漢だ……。

 

 訪れた客が俺と知った瞬間、顔を真っ赤にさせて、ロビーの隅に逃げ隠れる。

「ひぃ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 新宮さんだとは思わず……BL編集部の倉石さんに言われて、やっていたんですぅ」

「……」

 

 この出版社は、ろくな大人がいないな。



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379 ショタスレイヤー

 

「うう……新宮さんには、この姿を見られたくなかったですぅ」

 

 自分で着ておいて、よくもまあ言えたもんだな。

 しかし、改めて彼の着ているコスプレ衣装を上から下まで眺めて見ると……。

 確かに卑猥だ。

 

 よく見るバニーガールとは違い、全身真っ白だ。

 バニースーツにストッキング、ヒールまで全てホワイトで統一している。

 

 

 天然パーマのショートボブからは、白くて長い耳が2つ生えている。

 頬はリンゴのように赤く、とても幼い。俺の一個下には見えない顔つきだ。

 こちらを伺いながら、身体をくねくねとさせ、股間を隠しているように感じる。

 確かに際どいバニースーツだから、自ずと彼のシンボルが誇張されてしまうのは仕方ない。

 俺だったら、絶対にフサフサの毛が大量にはみ出る自信はあるな……。

 

「ん?」

 

 そう考えると、思わず首を傾げてしまう。

 隣りに立っているリキも、別府温泉で裸を見たから、ちゃんと毛が生えていたのをよく覚えている。それも剛毛。

 股間だけじゃない、すね毛もだ。

 俺も別に濃いってわけじゃないが、ちゃんと第二次性徴を迎えた自負がある。

 しかし……ミハイルといい、この住吉 一もツルツルのピカピカじゃないか。

 

 バニースーツの下に、ストッキングを履いているとはいえ、毛が一本も無い。

 女より女らしい細い脚……う~む、非常に貴重な生物だな。

 

 しばらく、ジーッと彼の身体を眺める。

 

 特に注目したのは、一の股間。ふぐりだ。

 腰を屈めて、至近距離からじっくりと見つめる……。

 顎に手をやり、考え込む。

 

「これは……」

 

 最近、ずっと悩んでいた。

 俺はミハイルに欲情してしまう男……つまり、“そっち”の気があるのではないか、と。

 可愛ければ、誰にでも股間が反応してしまう。節操のない男……。

 否定したくてもできない現状に困惑していたが。

 

 一の股間は、確かに一般的な男性のサイズからすれば、小ぶりで可愛らしいのかもしれない。

 しかし、見ていても全然感じないんだ。

 1ミリも興奮できない。

 つまり……俺はノンケと言うことだ!

 

 そう確信した俺は、一に「ちょっと、こっちに尻を向けてくれ」と頼む。

 当然、彼は恥ずかしがるが、年上の俺に対しては従順だ。

 

「こう、ですか?」

 

 そう言って、ウサギの尻尾がついたバニースーツを俺に見せつける。

 ミハイルほどではないが、美尻だ。

 小さくて柔らかそう。

 

「悪いが、少し触ってもいいか?」

「えぇ!? そ、そんな! 新宮さん……なんで」

 顔を真っ赤にしている一を無視して、俺はエナメル生地の尻を撫で回す。

「ふむ……おお。いやらしいケツだ。しかし、それだけだな」

 つい本音が出てしまった。

 だが、これでようやく安心できる。

 股間はピクリともしない。

 やはり、俺はノン気だぜ!

 

 一の尻を揉み揉みしながら、ひとり頷いていると、叫び声が上がる。

 

「うわぁん! 酷いです!」

 上を見上げると、バニーボーイが泣きじゃくっていた。

「あ、悪い……男同士だからいいかなって」

「良くないです! 僕のコスを……いやらしいって酷いですよぉ」

「いや、コスのことを言ったんじゃなくてだな」

 

 言い訳しながらも、彼の尻を揉みほぐしているが。

 泣き止まない一を見て、リキが間に入ってきた。

 

「タクオ! お前、なに年下の子を泣かせてんだ! 早く離れてやれ」

 首根っこを掴まれ、無理やり一から引き離される。

 ミハイルに負けない馬鹿力だから、冷たい大理石に顔を叩きつけられた。

「いって!」

 

 そんな俺を無視して、リキは泣いている一の頭を優しく撫でてやる。

 

「なあ。もうあんまり泣くなよ。俺はそのコスプレってのか? 良いと思うぜ」

 そう言って、親指を立てて笑う。

「え……僕のコス。気持ち悪いとか、嫌らしいとか思わないんですか? 男の人からは結構嫌われるのに」

「そんなこと思わねーよ。自信を持てって。俺は好きだぜ。そのコスプレ」

 リキとしては、あくまでも、泣いている一を励ますための言葉だと思うが……。

 言われた本人が、そうは受けとめていないようで。

 涙で潤んだ瞳をリキへと向ける。

「スキ? 本当……ですか」

「ああ。マジだよ。好きなことやものは、堂々としている方がカッコイイと思うぜ。俺の知り合いが教えてくれたことさ」

 

 話の流れからして、その教えは腐女子のほのかから、教わったものだろう。

 あいつのは、堂々と晒しちゃダメなやつなのに……。

 

 

 その後、BL編集部から地味な腐女子……の社員が降りてきて。

 リキを大事な客として、エレベーターに案内した。

 

「じゃあな、タクオ! それに、一もな!」

 なんて、笑顔で手を振るリキ先輩。

「おお。また学校でな」

 と俺も床から手を振って見せる。

 だって、未だに身体が痛むからね。

 それにしても……俺がセクハラしたおじさんみたいな扱いになっていて、ムカつくわ。

 

 受付男子である一といえば、終始俺に尻を向けたまま。

 エレベーターに乗り込むリキを見つめていたからだ。

 

「……素敵な人」

 

 俺は耳を疑った。

 思わず、立ち上がり一に声をかける。

 

「おい、一。何を言っているんだ?」

「あの……ダンディーなおじ様。なんて言うお名前ですか?」

 そう言って、瞳をキラキラと輝かせる。

 涙の輝きではない。

 これはときめく女子に近いものだ。

「え、リキのことか?」

「リキ様……なんてカッコイイお名前なんでしょう。僕、ズキュンって来ちゃいました」

「は? なにが?」

 思わず、アホな声が出てしまう。

「僕のコスを褒めてくれる男性。初めてなんです……なんだか、胸がポカポカして。なんだろう、この気持ち」

 と胸の前で、祈るように手を合わせるバニーボーイ。

「……」 

 

 博多ってマジな話。

 多いのかな……そっち界隈。

 とりあえず、俺は知らねっと。



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380 幽霊写真

 

 ハゲのリキ先輩に、一目惚れしてしまった住吉 一。

 しばらく放心状態に陥ってしまい、誰もいないフロアを見つめていたので、俺が彼の肩に触れてみる。

 

「なあ……俺もゲゲゲ文庫の編集部に、呼ばれているんだが?」

「あ、ごめんなさい。新宮さん、まだ居たんですね……」

 この野郎、人を空気にみたいに扱いやがったな。

「白金を呼んでくれ」

「承知いたしました。少々、お待ちください……」

 

 元気がないというより、心ここにあらず。と言ったところか。

 頭の中は、リキでいっぱいなんだろう。

 何が良いんだ? 一ってゴリゴリのおじ様好きだったの……?

 いや、リキは俺とタメだってば。

 

  ※

 

 しばらくすると、エレベーターからチンと音が鳴り、低身長の女の子が現れる。

 正しくは、アラサーのおばさん。

 俺の担当編集。合法ロリババアこと、白金(しろがね) 日葵(ひまり)だ。

 

「あ、DOセンセイ! お久しぶりですぅ~」

 そう言って、手を振り、こちらに走って来る。

 相変わらず子供服を着用している。理由は安いから。

 30歳も目前だと言うのに、可愛らしいキャンディがたくさんプリントされたワンピースを身に纏っている。

 キモすぎる生物だ。

 

「白金。写真、ちゃんと用意してきたぞ」

 そう言ってリュックサックから、茶封筒を取り出す。

「え? わざわざ印刷してくれたんですか? データだけでも良かったんですよ」

 俺から封筒を受け取ると、眉をひそめた。

「いや……それについては、ちょっと理由があってだな」

「理由?」

「う、うん……とりあえず編集部で話そう」

「はぁ」

 

 

 正直、白金には話したくなかった。

 というか、話せない……。

 ミハイルにひなたの水着写真を問い詰められた際、スマホを取り上げられ、近くのコンビニで写真を印刷。

 そして、茶封筒まで買ってくれて、写真を封入。

 あとはスマホのデータを全て削除。

 

 ただ、ほのかの写真だけは、「リキが喜ぶよ☆」とミハイルが、勝手に俺のスマホから送信した……という経緯がある。

 だから俺のスマホに、ほのかの写真は一枚も無い。

 競泳水着を着たひなたの写真なんて、もってのほかだ……。

 

 

 エレベーターに乗り込み、編集部へと向かう。

 白金の話では、「おかげさまで『気にヤン』が増版に次ぐ増版で忙しいです」と我が子のように喜んでいた。

 まあ、それだけこいつの出世に関わる、初のヒット作品てことだろうな。

 

 久しぶりの編集部は、かなり様変わりしていた。

 見たことない若い社員が、先輩に指示され、せわしく動き回る。

 

 いつも俺と白金が打ち合わせに使用する、薄い仕切りで覆われた小さな区画が、更に縮小されていた。

 大きなテーブルに4人分のイスがあったのに……。

 今では、小さな机とイスが2つだけ。

 

「さ、お座りください。DOセンセイ♪ 写真を改めて、拝見させて頂きますね」

「ああ……」

 

 腰を下ろした瞬間。どこか軋む音が聞こえた。

 なに、この塩対応。

 VIPなBL編集部との差が酷すぎる。

 

 

「う~ん。ほのかちゃんって、けっこう個性が強い女の子なんですねぇ~」

 そう言って、A4サイズまでに拡大された、ほのかの写真を眺める白金。

 満面の笑みで、BLコミックを両手に持つサブヒロインとか、前代未聞だ。

「まあな……ほのかは、腐女子で百合属性もある女子高生だから。てか、こいつがサブヒロインで良いのか?」

「問題ないですよぉ~ 可愛ければいいんですからぁ」

「そう、なんだ……」

 なんか、へこむわ。

 

 ほのかの写真を確認し終えると、次はひなたの写真に変わる。

 

「どれどれぇ。お、三ツ橋の制服ですね。これはトマトさんの資料として、最高です!」

「制服が? ん……」

 三ツ橋の制服なら、妹のピーチが持っているだろう。

 資料として、提供する意味があったのか?

 

「しかしですね。DOセンセイ。このひなたちゃんっていう子なんですが……なんで、どの写真もブレていたり、瞼を閉じていたりするんですか? 変顔が好きなんですかね」

「い、いや……そう言う訳じゃない。ちょっと提供してくれた写真がミスショットばかりでな」

 実はミハイルがわざと失敗した写真ばかり、選んだとは言えない。

「ふ~ん。変わった子ですね。使えないことないですけど……幽霊みたいな顔になっちゃいそうです」

「わ、悪いが……ひなたの顔は誰か芸能人とかを、モデルにしてくれないか?」

 幽霊だと、さすがにかわいそうだから。

「良いですよ。こんな変顔ばっかじゃ、読者も萌えないですもんねぇ」

「すまん……」

 

 こうして、ひなたの写真は身つきと制服だけ、採用された。

 後々聞いた話じゃ、顔はトマトさんが好きなアイドルをモデルにしたらしい…



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381 あんちゃん、ハーレムなんて幻想だよ……。

 

「ところで、今回の打ち合わせって一体なんだ?」

 俺がそう問いかけると、白金は目を見開き、手のひらをポンと叩く。

「そうでした! 実はですね。DOセンセイの『気にヤン』の続刊が、もう予約段階に入りまして……。すごい人気なんですよぉ~」

「ふ~ん」

 自分の実力じゃないから、何も嬉しくない。

 起きた出来事を書いたに過ぎないものだからな。

「もう、いつもそんな反応ですよねぇ……それでですね。来年の初めにまたもう一冊ぐらい売り出したいって、編集長がうるさいんですよぉ~」

「おい……まだ2巻と3巻が発売していない状態で、もう4巻の打ち合わせか?」

 早すぎだろ。俺を殺す気か?

「人気な時に売りまくった方がいいじゃないですかぁ~ DOセンセイって、元々オワコン作家だったし♪」

 クソが!

 

  ※

 

「つまり、次巻に使えるようなネタ……ヒロインとのエピソードがあるか、確かめたかったのか?」

「そうです! 何か進展とかありませんか? キスしたとか? おっぱい揉んだとか!?」

「……」

 全部、経験したとは言いたくない。事故だし。

 わざとらしく、咳ばらいして、話題を変える。

「ごほん! そうだな……ヒロインとして、もう一人使えそうな女が現れたぞ」

「本当ですか!? 是非とも、教えてください!」

 

 もちろん、10年前に出会った幼馴染の冷泉(れいせん) マリアのことだ。

 正直、こいつに話すのは嫌だったが……。

 やはり、マリアを物語に登場させないことには、盛り上がらないだろう。

 

 俺は白金に、彼女との出会いから、10年ぶりに再会したこと。

 それから、婚約した関係であり、アンナに瓜二つなハーフ美少女。

 心臓の手術を終えて、わざわざアメリカから福岡まで、俺のために帰国したハイスペック女子だと、説明した。

 

 

 話を終える頃、白金は目を見開き、顎が外れるぐらい大きく口を開いていた。

 

「ああ……そ、そんな。あのDOセンセイが……」

 どうやら、かなり驚いているようだ。

「俺としてもマリアのことは、再会するまで忘れていた存在だ。正直、困惑している。アンナに似ているし……」

 だが、白金には伝えていないことがある。

 アンナにだけ、おてんてんがついている所だ。

 同じルックスなら、絶対に女の子を選ぶはずなのに……。

 アンナに配慮している自分に、戸惑っている。

 

 白金はしばらく、「う~ん」と唸りながら、腕を組んで考え込む。

 

「まさか、クソ陰キャで童貞オタクのDOセンセイに、そんなエロゲーみたいな過去があったとは……驚きました」

 お前の俺に対するイメージにも、ドン引きだよ。

「俺としては、アンナがメインヒロインだと思っている。だから、どういう風に扱っていいのか……なるだけ、マリアも傷つけたくないんだ」

 そう言うと、白金は机をバシバシと叩きながら、笑い始めた。

「ぷぎゃああ! なに、いっちょ前に格好つけてんすか? もうハーレム気取りですか? モテ期が来たとか、勘違いしてるクソ野郎ですね!」

 この野郎、人が真面目に相談しているのに。

「お前、おちょくってんのか?」

「してませんよぉ~ いいですか? 考えすぎなんですよ、DOセンセイは」

 と言いながらも、ニヤニヤが止まらない白金。

「考えすぎだと?」

「ええ。童貞が初めて女の子にかまってもらったから、色々とパニクってるんですよ。もっと気楽にアンナちゃんとも、マリアちゃんとも取材を楽しめばいいんです♪」

「楽しむ……?」

 

 白金に言われて、ようやく思い出した。

 初心ってやつを。

 そうだ。俺は元々、一ツ橋高校に入学したのは、恋愛を取材するためだ。

 小説のために、色んな人間と交流を求めたに過ぎない。

 ただの仕事……なら、割りきれば良い。

 

 

 俯いて、考え込んでいると、白金が俺の肩に触れて、こう言った。

「DOセンセイ。やっとLOVEらしくなってきましたね♪ 楽しいでしょ?」

「え……」

「ていうか、クッソ面白い展開ですやん? ラブコメに修羅場とか、絶対いりますよぉ~ おもしれぇ! DOセンセイ。誰かに刺されても安心してください。ちゃんと経費で落としてあげますから♪」

 

 この野郎……他人事だと思いやがって。

 ていうか、経費じゃなくて、保険をかけておけ!

 その前に刺されたら、死ぬわ!



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382 指輪物語

 

 白金の提案で、4巻はマリアの話を書くことになった。

 それを「二週間以内に10万字で仕上げて来い」と、鬼のような業務命令が下される。

 仕方ないから、書くけど。

 ていうか、アイドルのヒロイン。長浜(ながはま) あすかちゃんが、忘れ去られているような……。

 

 

 打ち合わせも無事に終わったので、今度は俺の相談をすることにした。

 

「なあ、白金。まだ時間あるか?」

「え? ちょっとなら、良いですけど」

「その……実は女物のプレゼントを考えているんだが、初めてでどうしたら良いのか、分からないんだ」

 俺がそう言うと、白金が口角を上げる。

「ほほう。誰にあげるんですか? ヒロインの名前は?」

「あ、アンナだ……」

「なるほどぉ~ もうそこまで、進展しているんですね。お二人は……。やはりメインヒロインですな」

「いや、そう言うのじゃないんだ。ただのお返し。以前、俺が誕生日プレゼントを貰ったから……来月、アンナの誕生日でな」

「へぇ。でも、それって返す必要性あります?」

「あるだろ。礼儀じゃないか」

「そうですかね? 赤の他人に返す必要はないでしょ。私が感じるに、DOセンセイの中で、アンナちゃんの存在が大きくなっているんじゃないですか」

「くっ……」

 何も言い返せないことに、腹が立つ。

 

「ま、それはさておき。プレゼントですが、正直な話……。何でも良いですよ。気持ちさえ、こもっていれば♪」

 とウインクしてみせるアラサーの独身女。

「そうか。なら、指輪でも良いんだな?」

 俺がそう言った途端、急に白金の表情が硬くなる。

「今、なんて言いました?」

「え。指輪だよ。リング」

「……」

 俯いて、肩をブルブルと震わせる白金。

 

「おい、どうしたんだ?」

 俺が白金の肩を掴むと、急に顔を上げて、眉間に皺を寄せた。

 鋭い目つきでこちらを睨みつけ、歯を食いしばる。

「こ、こ、こんのぉ……アホぉぉぉぉぉ!」

 白金のキンキン声が編集部に響き渡り、窓のガラスが震える。

 思わず、両手で耳を塞ぐ。

「きゅ、急になんだ!? やかましい……」

 俺のことは無視して、それからは怒涛のお説教タイムが始まる。

 

「このクソウンコ作家! そんなんだから、童貞なんですよ!」

「は? 童貞は関係ないだろ……」

「いいですか! 指輪っていうのは、女の子にとって……ほんっとうに大事なモノなんです! それこそ、男性から指輪を貰うっていうイベントは、結婚のプロポーズみたいなもんです! DOセンセイは、誕生日にアンナちゃんへ愛の告白をするつもりなんですか!?」

 机を手の平でバンッと力強く叩き、身を乗り出す白金。

 俺も白金の迫力に気圧される。

「け、結婚……? そんなこと、考えてないさ。ただの誕生日プレゼント。お返し、だろ?」

 そう答えると、「はぁ……」と深いため息をつかれ、ダメだこいつみたいな顔で呆れられた。

「誕生日のお祝いやお返しに、リングは重すぎます! まだ付き合ってもないんでしょ? じゃあ、まだまだそんなプレゼントをしたら、ダメです。なんで、そういう選び方になったんですか? 童貞なのが、悪いんでしょうね」

 人のことを何度も何度も、童貞ばっか言いやがって。

「いや、俺も散々、迷ったよ……。それで家に妹がいて、相談したら『リングがいいですわ』みたいなアドバイスをもらって……」

「妹さんはまだ中学生でしょ? だから、あんまり分かってないんですよ。前言撤回にさせてください。アンナちゃんへのプレゼントですが、アクセサリーにしても、ネックレスやピアス、ブレスレットぐらいにしてください!」

「はぁ……」

 俺と白金との間に、物凄い温度差を感じてしまう。

 なぜ、こんなにも怒っているのだろうか?

 

 

 俺はその疑問を、この目の前に座っているアラサー女にぶつけてみた。

 

「なあ。そんなに指輪って大事なもんなのか? 女にとっては」

「当たり前ですよ! もし、私が男の人から、指輪を出されたら、『は!? 今からプロポーズ受けるんだわ』『苗字が変わる! 名刺どうしよう』『相手の両親に嫌われたら』『私、肉じゃがとか作れないけど』と一気に、想像が爆発してしまいますね」

 情報量が多過ぎる。

 というか、こいつの願望だろ。

「そう……なのか。女にとって、指輪というものは、それぐらい大事なイベントってことか」

「やっと分かってくれましたか……。まあDOセンセイは、童貞だから知らなくても、仕方ないですもんね。今日、私に相談しておいて良かったですよ。女の子のアンナちゃんを失望させるところでした♪」

 

 ん? ところで、1つ引っ掛かることがある。

 それは、アンナが男だってことだ。

 男が男に指輪をプレゼントするのならば、結婚という考えは無くなるのか?

 

 とりあえず、危険性が高いものはやめておこう。

 帰りにアクセサリーショップにでも、寄ってみるか。



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383 男にしかモテない男

 

 編集部から去る前に、白金へ1つの紙袋を手渡す。

 以前、赤坂 ひなたの自宅にお泊りした際。パパさんからお土産として、渡された福沢諭吉さん達だ。

 一人100万円として……俺と妹のかなで。それに母さんの分も。

 つまり、合計で300万円の大金だ。

 白金に相談したら「今度編集部に持って来い」と言われたから、ちゃんと自宅から持ってきた。

 一枚も手は出していない。怖いから。

 

 札束の入った紙袋を確認すると、白金は口からよだれを垂らしていた。

「うひひひ。これで憧れのドンペリが飲めるぞぉ」

 聞き捨てならなかった。

「おい。経費に使うんだろ?」

 俺がそう指摘すると、白金は慌てて口元を指で拭う。

「あ、当たり前じゃないですかぁ~ 嫌だなぁ。勘違いしないでくださいよ。ドンと経費に使用して、ペリっと作品に還元するって意味ですから♪」

「……」

 信じられない。

 俺が疑いの目をかけていると、額に汗を滲ませた白金が、追い出すように両手で身体を押してきた。

「さ、DOセンセイは早くアンナちゃんのプレゼントを買いに行かないと! もう12月も近いから、さっさと買わないと売り切れますよ!」

 

 なんだかアンナを使って、逃げようとしているように感じる……。

 

  ※

 

 エレベーターがチンと音を立てて、一階へ着いたことを知らせる。

 ロビーにある受付には、未だに卑猥なバニースーツを纏った住吉 一が座っていた。

 俺に気がついた彼が、わざわざカウンターから出てきて、頭を下げる。

 

「お、お疲れ様です! リ……なんだ。新宮さんか」

 相手が俺と分かった瞬間、あからさまに嫌そうな顔で肩を落とす。

「俺だと何か都合が悪いのか?」

 ムカついたから、ちょっと脅しをきかせてやる。

「ひっ、いえ。そういう意味ではないですぅ!」

 脅えた顔をして、両手をブンブンと左右に振る。

 目にはたくさんの涙を浮かべていた。

 よしよし。こいつはこれぐらい、オドオドした方が良いんだよ。

 

「ところで、リキはもう帰ったか?」

「いえ。どうやら、リキ様はBL編集部ですごく人気らしく。なかなか帰して、もらえないそうです」

 うわっ……しんどそうな取材協力だな。

 何十人もの腐女子相手にネタを披露するとか。

 たぶんリアルな体験談だから、全員前のめりで鼻息荒くしてんだろ。

 ペンタブ片手に……。

 

「そうか……なら、あとでリキに会えたら、伝えておいてくれないか? 『先に帰る』って」

 俺がそう言うと、一は目の色を変えて、ずいっと身を寄せる。

「もちろんです! 僕が必ず新宮さんのお言葉を、リキ様に伝えさせて頂きます!」

 と小さく両手で拳を作って見せる。

 随分と気合が入っているな。

 この温度差に、俺はドン引きなのだが。

「おお……頼むぞ。じゃあ、帰るわ」

 そう言って、背中を向けた瞬間。襟元を強く引っ張られ、首が絞められる。

「グヘッ!」

 俺の首を絞めた犯人は、弱弱しい声で謝る。

「ご、ごめんなさい……まだ新宮さんにお聞きしたいことがあって」

 そう言って、手の力を緩めてくれた。

「かはっ! 一。お前……結構、力あるんだな」

「あ、僕。中学の時、レスリング部だったので……」

 それって、ガチムチの淫乱部活動じゃないよね?

 

  ※

 

 一の聞きたい事というのは、リキについてだった。

 どうやら、一目惚れしたそうで、彼のことが気になって仕方ないそうな。

 直接、本人に色々と聞きたいが、恥ずかしくて出来ない。

 でも今日を逃したら、二度と会えない……ような気がするらしい。

 

「あの……リキ様は年下の僕でも、チャンス。あると思いますか?」

 なんて、頬を赤くして瞳を潤わせる。

「年下って……。あいつ、俺と同じタメ年で、まだ18才だぞ」

 それを聞いた一は、当然驚く。

「えぇ? そんな若い方だったんですね……50才ぐらいに見えました」

 シンプルに酷い。

 まあ、俺も初めて見た時は、かなり年上に感じたが。

 

 

「で、他に聞きたいことは?」

「リキ様は、カノジョさんとか……いますか?」

 返答に困った。

 付き合っている女はいないが、リキは絶賛腐女子に片想い中だからな。

 そのために、今日もわざわざBL編集部へ来たし。

 ていうか、一はガチで“そっち”なのか?

 まだ16才だし、一過性の気持ちかもしれん。

 

 俺が黙って考えこんでいると、一がシクシクと泣き出した。

「そう、ですよね……あんな素敵な方なら、お付き合いしている女性が何人もいますよね」

「い、いや。それはないぞ。あいつはヤンキーだが、浮気なんてするタイプじゃない。一人の人間しか愛せないやつだ。マブダチの俺が保証するぞ」

 相手はゴリゴリの腐女子だけど。

「本当ですか? なら、僕にもチャンスはありますか!?」

「えぇ……」

 

 全くもって、面倒くさい展開になってしまった。

 まあ、リキはほのか一筋だから、間違いなんて起こらないだろう。

 しかし、失恋した一が、この受付を辞められるのも困る。

 とりあえず、嘘はつかず、正直にリキは今、意中の女性がいるとだけ、伝えておいた。

 

 それを聞いた一が、また女々しく涙を流す。

「リキ様が好きになった女性……きっと美しくて、素晴らしい御方なんでしょうね」

 そこだけはちゃんと否定しておく。

 ほのかは、そんな出来た人間でもないし、美しい女性でもない……。

「それはない! 変態女先生という腐女子で百合族だ。ここにも、たまに来ているはずだ」

「あ……聞いたことがある作家さんです。何回かお会いしたことがあります。あの人、いつも僕に優しく話しかけてくれる……良い人ですよね」

「え、それは……」

 

 きっと一のことを脳内で、卑猥に素材として絡めるために、目に焼きつけている……。とは言えなかった。

 一応、恋敵? だからね。



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384 スキと言う気持ちさえ、あれば大丈夫!

 

 リキがほのかに片想いをしていると知って、一は今にも自殺しそうな顔で落ち込んでいた。

 見兼ねた俺は、優しく彼の肩に触れる。

 

「なあ。お前が気になっているリキは多分、ノン気だ。それでも、お前はあいつに想いを伝えたい……というか。ズバリ、付き合いたいのか?」

 言っていて、なんだか自分と境遇が似ている……気がするのは、勘違いですよね?

「た、例え! 僕の想いがリキ様に届かなくても良いんです! あの人のそばにいたい……それだけなんです!」

「ふむ。じゃあ、一はリキが変態女先生と付き合っている姿を見ても、受け入れられるってことか?」

「もちろんです!」

 こりゃ、重症だな……。

 一はかなり興奮している様子で、まだまだ喋り足りないようだ。

 

「リキ様が変態女先生と結婚しても、お子様を作られても……僕は良いんです。たまに求めてくれるなら……」

「え?」

 耳を疑った。

「ぼ、僕はリキ様に呼ばれたら、すぐにイキます!」

「は? どこに?」

「それ以上は……言えません」

 と頬を赤くして、俯いてしまった。

 

 

 これ以上、関わりたくなかった俺は、すぐにこの場を去りたくなった。

 でも、興奮した一を落ち着かせるため、リキの電話番号とメールアドレスを教えてあげた。

 ついでに、俺のも。

 憧れのリキ様の連絡先を知った一は、元気を取り戻し、笑顔で業務へと戻っていった。

 

 なんか、一を見て思ったのだが、俺の周りって……。

 性が曖昧……な人間が、多くないか?

 

  ※

 

 博多社から逃げるように、飛び出して、俺は天神から博多方面へと向かう。

 アンナとミハイルへのプレゼントを選びに、渡辺通りを軽く歩いてみたが……。

 どうにも一人でショッピングをするのは、難易度が高すぎる。

 ちょっとでも、アクセサリーショップに近づけば、化粧をバッチリ決めたお姉さんが寄ってくるからな。

 

 店さえ探すのも億劫になった俺は、いつも通う商業施設。カナルシティ博多へとたどり着く。

 映画しか見ない場所だが、何回か店は覗いたことがあるから、配置だけはなんとなく分かる。

 

 地下一階にある噴水広場の近くに、アクセサリーや小物などを扱っている店が数件、並んでいた。

 何人かの若い女性が群がっている店が、目に入る。

 聞いたことのあるアクセサリーショップだ。

 その名も『パワーーー! ストーンマーケット』

 有名なチェーン店。

 

 ここなら、ぼっちの俺でも選びやすいかもな。

 店員もあまりグイグイこないだろうし……。

 

 なるべく、女性の客とは近づかないように、品物を選ぶ。

 痴漢に間違われたら、嫌だからね!

 

「……」

 

 数十分、商品を一生懸命、眺めていたが……。

 どれも全部、同じに見える。

 一体、なにが良いんだ? これ、ただの石だろ。

 

 そう思っていると、近くにいた若い女性店員が話しかけてきた。

 

「あのぉ~ ひょっとして……カノジョさんとかにクリスマスプレゼントとか、ですか?」

 言われて、俺は反射的にビクッと身体を震わせてしまう。

 カノジョという名前にだ。

 まるで、彼氏みたいじゃないか!

「ち、違います。相手は女の子でして……。誕生日が近いんですが、どれがいいのか。さっぱりわからないんです」

 ついつい弱音を吐いてしまう。

 だが、お姉さんはニッコリと優しく笑ってくれた。

「大丈夫ですよ。男性のみなさん、結構そういう方が多いんです。良かったら、ご一緒にお探ししましょうか?」

「良いんですか……」

「もちろんです♪」

 

  ※

 

 お姉さんが言うには、こだわりさえ無ければ、何でも良いとのこと。

 しかし、その……何でも良いってのが一番困る。

 黙り込む俺を見兼ねて、お姉さんがアドバイスをくれた。

「じゃあ、誕生石とか、どうでしょう?」

「なんです、それ?」

 

 お姉さんに連れられて、たくさんの煌びやかな宝石が並ぶコーナーに来た。

 天然石らしいが、正直これも俺には価値が分からない。

 

「12月がお誕生日なんですよね?」

「あ、そうです……」

「じゃあ、これなんて、どうです? タンザナイト」

 そう言って、お姉さんが手に取ったのは、透き通るようなキレイなブルー。

 光りの当て方によって、紫色にも見える。

 とても不思議な宝石だ。

 

「あ、きれいですね……」

「でしょ? このタンザナイトを加工して、ネックレスやリング、ピアスにも出来ますよ♪」

「なるほど」

 

 考え疲れた俺は、もうこの宝石に決めていた。

 だが、問題が残っている。

 どのアクセサリーにするかだ……。

 

「そう言えば……」

 

 この前、スクリーングでミハイルとあった時、耳にピアスの穴を開けたと言っていたな。

 なら、実用性も考えて、ピアスにしとくか。

 相手は、アンナだけど。

 やっとプレゼントが決まったことで、安心した俺は、すぐに店員のお姉さんへ注文と会計を頼む……が、すぐに加工できるわけではないらしい。

 出来上がるのに、一週間ほどかかるようだ。

 

 また、ここに来るのか……めんどくせ。

 彼氏やってる奴らって、無駄に時間を浪費すんのか。

 仕事じゃなかったら、ごめんだぜ。

 

  ※

 

 アンナのプレゼントは決まったが、ミハイルがまだだ。

 最初こそ、キッチン系のグッズにしようと思っていたが……。

 そういう店を覗いても、宝石以上に訳が分からない。

 

 結局、あいつの好きそうなキャラクターショップへと向かう。

 男がネッキーの可愛らしいぬいぐるみを買うのは、恥ずかしいし、嫌だ。

 なんて、ひとりで店の中をうろうろと歩いていると……気になるコーナーを見つけた。

 それは“夢の国”のキャラクターが、デザインされたアクセサリーだ。

 

「これなら、間違いはないかもな……」

 

 右がネッキー。左がネニーの顔をしたピアス。

 ただ、値段がべらぼうに高い。4万越え。

 よく見たら、ダイヤが入っているからか。

 

 しかし、あいつもバイトして、俺に高価な万年筆をプレゼントしてくれたんだ。

 ま、いっか。

 

 あれ……なんで、男のミハイルがアンナより高級なんだ?



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第四十四章 出産
385 今日からパパ


 

 11月も終わりに入る頃。

 そろそろ、一ツ橋高校のスクリーングも後半に入った。

 俺の記憶が正しければ、あと3回ほどで秋学期も終業だ。

 

 まあ期末試験も控えてはいるが、相変わらずバカな幼稚園レベルだから、この天才ならば、余裕だろう。

 来年に入れば、次の学期までゆっくりと休んでいられると思うと、気が楽になるな。

 

 なんて、自室で考え込んでいると……。

 学習デスクの上に置いてあったスマホが鳴り出す。

 着信名は、珍しい名前だ。

『一ツ橋高校 事務所』

 以前、宗像先生から電話がかかってきた時に、登録しておいた。

 

「もしもし?」

『あぁ……新宮かぁ~』

 ろれつの回らない女性。

 その一声で、担任の宗像(むなかた) (らん)先生だと、判明する。

「宗像先生? どうしたんですか?」

『はぁ~ あのなぁ……明日のなぁ……ぐかぁーー』

 会話の途中だと言うのに、寝やがった。

 これ以上、話しても埒が明かないと思った俺は、電話を切る。

 

 酔いがさめる頃に、またかけてくるだろう……と思って。

 

 机の上に再度、スマホを置こうと思った瞬間。

 またアイドル声優のYUIKAちゃんの歌声が聞こえてきた。

「チッ……」

 どうせ、また酔っぱらってかけてきたんだろうと、苛立つ。

 

「もしもしぃ!? 何なんすか!?」

 面倒くさい宗像先生だと思い込んでいたので、口調が荒くなってしまう。

『あ……タッくん。ごめん。忙しかった?』

 電話の向こう側から、YUIKAちゃんに負けないぐらいの可愛らしい声が聞こえたきたので、ビックリした。

 スマホを耳から離して、画面を確認すると、アンナだった。

「わ、悪い! アンナだとは思わなかった……すまん」

『いいよ☆ 誰にだって、間違いはあるもん☆』

「そうか……。で、要件はなんだ?」

『あのね。明日、取材に行かない?』

「え? 取材……?」

 

 部屋の壁に貼ってあるカレンダーを確認する。

 だが、明日は日曜日。スクリーングだ。

 アンナ自身も、それは知っていると思うのだが……。

 

「悪いが、明日は高校のスクリーングがあるんだ。別の日じゃダメか?」

『え? ミーシャちゃんから聞いたけど、明日は高校が休みになったって……』

「噓だろ……マジか?」

『マジだよ☆ 担任の先生がギャンブルに負けて、ショックでお酒を飲み過ぎたから、立てないらしいよ☆』

「……」

 

 だから、泥酔していたのか。

 生徒が一番だったんじゃないの? 宗像先生……。

 

 

『だから、取材に行こうよ☆』

「まあ、そういう事なら、構わんが……今回はどこに?」

『アンナね。ずっと考えていたの。タッくんのお父さんが言っていたことを……』

「え? 親父?」

『うん。アンナとタッくんの間に産まれる、赤ちゃんのことを☆』

「へ?」

 

 俺は聞きなれない言葉を聞いて、頭が真っ白になる。

 一体、何を言っているんだ……アンナは。

 こいつは男だし、俺と“そういうこと”はしてないよ?

 精々がキスとか。パイ揉みぐらいじゃん。

 

 

 言葉を失う俺とは対照的に、アンナは嬉しそうに話し続ける。

 

『今度の取材は、赤ちゃんだよ☆ タッくんとアンナの間に生まれる可愛い子ども☆』

「すまん……意味が分からないのだが」

『そこへ行けば、タッくんにも分かるよ☆ 頑張ってね、パパ☆』

「え……」

 

 脳内がバグりそう。

 俺、なんか新手の詐欺にでもあってない?

 悪い事はしてないと思うけど……。



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386 隠した方が魅力的なこともある

 

 アンナに指定された場所は、もうお馴染の博多駅。中央広場にある黒田節の像だ。

 今回の取材は……なんと、赤ちゃん。

 彼女と電話を終えた後、俺はしばらく考えてみたが。

 思いつく所と言えば、産婦人科とか、保育園ぐらい。

 一体、アンナは何を考えているんだ?

 

 母里《ぼり》太兵衛(たへえ)という、難しい顔をしたおじ様の下で、俺は一人考えこむ。

 アンナが想像妊娠でもしたのかと……。

 じっと地面を見つめていると、目の前に白く細い脚が2つ並ぶ。

 

「ごめん、遅くなったね☆ お待たせ☆」

 

 視線を上にやると、そこには今日の取材対象である美少女が立っていた。

 

「ああ……久しぶりだな。アンナ」

 俺がそう言うと、彼女は必死に小さな胸を抑えて、息を整える。

「ハァハァ、うん☆ タッくん☆」

 どうやら急いで走って来たようだ。

 額にも少し、汗が滲んでいる。

 そんなに待ったわけじゃないから、焦らなくても良かったのに……。

 

 

 今日のファッションと言えば、これまたガーリーに仕上げている。

 トップスはピンクのフリルケープ。胸元には、彼女らしい大きなリボンがついている。

 そしてボトムスも、ケープに合わせたような同系色のプリーツが入ったミニスカート。

 

 その姿に見惚れてしまいそうだが……。

 周りを歩いていた男たちが、振り返ってまで、彼女の顔を確かめてしまう可愛さだ。

 思わず「俺の女だ!」と叫びたくなる。

 って、違う違う。こいつは男だ。

 雑念を振り払うように、頭を左右に振る。

 

 

「無理して急がなくても良かったんだぞ?」

「嫌だよ……アンナのせいで、タッくんとのデートの時間が削られたら、悲しいもん」

 と、頬を膨らませる女装男子。

 まあ、可愛いけど。

「そうか。しかし、何かあったのか? そんなに焦るアンナは珍しく感じる」

 俺がそう言うと彼女は頬を赤らめて、俯いてしまった。

「さ、寒くなってきたから、その……初めて履いてみたの。慣れないから、時間かかっちゃった」

 そう言って、彼女は足もとを指差す。

「へ?」

 

 アンナ自慢の美脚はいつも通り、頬ずりしたくなりそうだが……。

 何か違和感を感じる。

 そうだ、素足じゃない。

 白いストッキングを履いている。

 

「これは!?」

 驚きのあまり、思わず口から出してしまった。

 アンナと言えば、今までミニ丈でも、必ず素足。

 それはそれで、最高だったのだが……。

 

 しかし、薄いデニールのストッキングを履いていただけで、なんだこの背徳感は?

 アンナの細くて長い脚を、白のパンストで覆ってしまったというのに……。

 逆に新鮮で、興奮してしまう!

 

 これは、アレだ。

 制服フェチに近い。

 典型的な看護婦さん。ピンクのナース服に、白ストッキング……。

 なんてこった。

 股間が暴走しまくりじゃないか。

 

 

 前かがみになりながら、アンナの服装を褒める。

「きょ、今日のアンナ……すごく可愛いと思うぞ」

「ホント!? 自信なかったから、嬉しい~☆」

 僕も非常に嬉しいです。

 ただ、あまり挑戦的なファッションは、やめて頂きたい。

 歩けなくなるから……。

 

  ※

 

「ところで、今日の取材……赤ちゃんだっけか? 一体、そんなもん。どこでするんだ?」

「ああ、アンナとタッくんの赤ちゃんだよね☆ それだったら、博多からバスに乗ったら、会えるよ☆」

「は?」

 

 いつ、生まれたの?

 俺たちの子供って……。

 

 アンナが言うには、筑紫口からバスに乗って、目的地へと向かうらしい。

 今、俺たちが立っている博多口とは、反対方向だ。

 一旦、駅舎のあるJR博多シティの中を通らないと行けない。

 

 説明不十分だが、とりあえず、アンナに手を引っ張られて、JR博多シティのビル内へと入る。

 アンナが「早くはやく」と急かすせいか、俺の手を掴む力が強まる。

 

「いてててっ!」

 

 余りの痛さだったので、手を振りほどこうとした瞬間。

 アンナの足もとに違和感を感じた。

 左脚の太ももに、縦の線が見える。

 

「アンナ! なんか、太ももにキズができていないか?」

 俺がそう言うと、彼女は振り返って、目を丸くする。

「え? キズ……?」

「うん。ほれ、太ももに何か白い線が出ているが、これはケガしたんじゃないのか?」

 彼女の太ももを指差すと、ようやく立ち止まる。

 俺から見て、目立つ線と言うことは、彼女からすれば、太ももの裏側だ。

 大胆にもスカートの裾を上げて、太ももを確認するアンナ。

 パンツ、見えそう……ラッキー。

 

「あ!? 伝線してるぅ!」

 

 その線を見つけた瞬間、アンナの顔は一気に青ざめる。

 小さな唇を大きく開いて。

 

「で、電線? ビルの中には電柱なんて、ないぞ?」

「違うよ! ストッキングが伝線したの!」

「はぁ?」

 意味が分からない俺は、アホな声が出てしまう。

 

 でんせんって、なんだ……?

 新型のウイルスが伝染でもしたのかな。



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387 キミに変態と言われる度に、僕は強くなれるんだ。

 

 ストッキングが伝線したことで、アンナは顔を真っ赤にして、恥ずかしがる。

「も~う、買ったばかりなのにぃ~! 最悪ぅ!」

 伝線というのは、ストッキングに穴が開き、上下に広がってしまう状態……らしい。

 初めて知った。

 

 しかし、分からないのが、そんな穴が開いたぐらいで、恥ずかしがることだ。

 靴下に穴が開いた程度だろ。一日ぐらい、放っておいても良いだろうに。

 

「アンナ。別にそれぐらい、良くないか? 早く取材に行こう」

 俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませる。

「イヤ! 恥ずかしいもん!」

「じゃあ、どうするんだ?」

「うーん……そうだ。博多駅の地下に、下着屋さんが何件かあるから、そこへ買いに行ってもいいかな?」

「まあ、いいけど」

 

  ※

 

 伝線したストッキングで歩くのは、恥ずかしくてたまらないと言われたので、仕方なくJR博多シティの地下一階。

 『イミュプラザ』内へと向かった。

 主にレディースファッションを取り扱った専門店街だ。

 

 アンナが言ったように、女性服やスケスケなブラジャーやおパンツを飾っている……男子禁制の店が多く感じた。

 隣りを歩いているアンナがいなければ、俺一人じゃ歩けない。

 だって、全てがスケベな商品に見えてくるから!

 

 とにかく早めに着替えたいアンナは、出来るだけ安価で可愛いストッキングを取り扱う店を探す。

 一軒の店で、ようやく彼女のお目にかなう商品があったようだ。

 全国チェーン店の『チュチュ、チュチュッチュ』

 主に女性ものの靴下やパジャマ、ランジェリーを扱っている人気店。

 

 早速、アンナがストッキングを買いに行こうと、俺の手を引っ張ったが、それはやめてくれ」と断った。

 彼女は不思議な顔をしていたが……。

 店の中にいた女性陣が、俺を睨みつけていたからだ。

 だって、普通にブラとか、パンティーを選んでいるもん。

 男の俺がいたら、不快だってことだろう。

 

 俺は黙って、店から少し離れた壁にもたれ掛かって、アンナを待つ。

 

 ~30分後~

 

「まだなのか……」

 

 高々、ストッキング如きで、どれぐらい迷っているんだ?

 もう立ち疲れたよ……。

 

 

「ごめ~ん。可愛いのが多くて、迷っちゃったよぉ☆」

 申し訳なそうに言ってはいるが、めっちゃ嬉しそうに笑うアンナ。

「一体、何個買ったんだ……?」

「それがね。1足なら390円だけど、3足買うと1000円になるの☆ だから、残りの2足が迷っちゃってぇ☆」

 すぐに着替えたかったんじゃないのか?

 1つで妥協しろよ。

「そういう事ならな……。で、どこで着替えるんだ?」

「外だから、お手洗いで着替えてくるね☆」

 そう言うと、俺に背中を向けて、イミュプラザの一番奥にある女子トイレへ向かう。

「あ……」

 その後ろ姿を見て、気がついた。

 あいつ、男じゃん。

 なんで下着コーナーも、女子トイレも余裕で顔パスなの?

 犯罪じゃね。

 

  ※

 

 新しいストッキングに着替えてきたアンナは、これまた可愛くなっていた。

 今度のホワイトストッキングには、たくさんのハートが散りばめられていたから。

 彼女曰く、ハート柄だそうだ。

 

「どうかな? 変じゃない?」

 と上目遣いで、自身の細い脚を俺に近づける。

 見て欲しいってことだろう。

「おお。さっきよりも可愛くなったと思うぞ」

 俺がそう言うと、手を叩いて喜ぶ。

「良かったぁ☆ タッくんに褒められるのが、一番嬉しい!」

「あ、そうなの……」

 ごめん。超絶、どうでもいい。

 

 

「タッくん。ごめんだけど、ちょっとゴミ箱を探していい?」

「え? いいけど。どうしてだ?」

「破れたストッキングを捨てたいの。トイレで捨てたかったけど、ゴミ箱がなかったの」

 と恥ずかしそうに、ビニール袋を取り出す。

 それを目にした瞬間、俺は閃いた。

「まさか!?」

 この中には、アンナが先ほどまで履いていた……ホカホカなストッキングが、入っているというのか!

 そんな宝石より、貴重なサンプル……いや、アーティファクトを放棄するだと!?

 断じて、許せん!

 

 

 ゴミ箱を探しているアンナを呼び止める。

 

「アンナ! ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「え?」

「そのビニール袋を、俺に貸してくれないか!?」

 彼女は目を丸くする。

「どうして? 貸してもいいけど、何に使うの?」

「そ、それは……大事な取材協力者の私物をだな……。責任持って、作者である、俺が捨てたいからだ!」

「タッくん。何を言っているの? これ、破れたアンナの汚いストッキングだよ?」

 だからこそ、欲しいとはいえない。

 しかし今を逃したら、パンストは手に入らない。

 屈するものか。

 

「アンナ。頼む! そのストッキングは、パートナーである俺に託してくれ! 責任を持って廃棄するから!」

 噓だけど。

「わ、分かった……」

 彼女は俺の熱意に負けたようで、小さなビニール袋を差し出す。

 

 それからの俺は、素早かった。

 近くの100円ショップに入り、ファスナー点きのプラスチックバッグと小型のプラケース。そして、エアークッションにプロトテクトケースを購入。

 アンナには、イミュプラザの廊下で待つように指示。

 

 男子トイレへ突入すると、個室に入り込んで、鍵を閉める。

 ビニール袋から取り出したホワイトストッキングはまだ、暖かい。

 思わず生唾を飲み込む。

 

「こ、このパンストが先ほどまで、アンナのお尻を守っていたのか!?」

 

 試しにストッキングを鼻に当ててみる。

 

「ぐはっ!」

 

 なんて甘い香りだ。アンナのヒップはこんなにも愛らしいのか?

 病みつきになりそうだ……。

 しかし、どっちが前か後ろか、分からん。

 もしかして、ふぐりの方だったら、どうしよう。

 そっちに興奮する俺って……。

 でも、やめられん!

 

「すぅ~ はぁ~! すぅ~ はぁ~!」

 

 

 30分ほど、パンストの香りを堪能した後。

 アンナは使い道がないとは言っていたストッキングだが、これは俺に取って、大事なコレクションだ!

 このまま、穴が広がる前に、アーティファクトを死守するんだ。

 先ほど100円ショップで購入したグッズを使い、“五行(ごぎょう)封印”の儀を行う。

 ガチガチにプロテクトレベルを上げたパンストを俺はそっとリュックサックの中にしまった。

 

 もう、今日の取材はこれで大満足だから、帰ってもいいよね。



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388 もう一度、中学生

 

 30分間もトイレの外で待たせてしまったので……。

 アンナはすごく心配していた。

 

「タッくん。大丈夫? すごく長いトイレだったけど?」

「あ、ああ……ちょっと、腹を痛めてな」

 本当は、君のパンストをクンカクンカしていたから、遅くなったとは言えないからな。

「そうなの? お腹痛いなら、アンナが手でさすろうか?」

「いや……大丈夫だ。さ、取材へ行こう」

 どうせなら、その可愛い手で股間を解放して欲しいものだ……。

 

  ※

 

 博多駅の筑紫口から、バスに乗り、20分ほど経つと。

 巨大なロボット……いや、モビルスーツが見えてきた。

 窓に顔を張り付けて、思わず叫び声を上げる。

 

「あれは、おニューなモビルスーツ!」

 

 ようやく、今回の取材地が判明した。

 最近、福岡市に建設された大型の商業施設『れれぽーと 福岡』だ。

 男の子が憧れるモビルスーツが、実物大で展示されているため、インパクト大だ。

 そして、「こいつ、動くぞぉ!」という名セリフを皆で叫べる。

 噂では一時間ごとに、ショーが開催されるのだとか。

 

 バスを降りて、すぐにモビルスーツの足もとまで向かおうとした瞬間。

 アンナが俺の肩に触れて、こう言った。

 

「タッくん☆ どこへ行くの?」

「え? そりゃ、れれぽーとに来たからには、ちゃんとあの顔を見ておかないとだな……」

 しかし、アンナは笑顔のまま、首を左右に振る。

「ダ~メ☆ 今日の取材は、アンナとタッくんの大事な大事な、赤ちゃんだよ☆ ロボットなんていつでも見られるでしょ?」

「そ、そんな……マジで見ちゃダメなの? ほんのちょっと。写真ぐらいなら……」

「こぉら☆ パパは赤ちゃんを一番にしないとダメだよ☆」

「はい……」

 

 結局、俺はこの後もモビルスーツに近づくことは許されなかった。

 クソがっ!

 1回ぐらい、「ファンネル!」って言いたかった……。

 

  ※

 

 アンナのお目当ては、れれぽーとではなかった。

 れれぽーと本館に隣接している『ラッザニア』という子供向けの職業体験テーマパーク。

 早い話が、幼稚園児から小学生ぐらいまでのお子ちゃまを、対象とした遊園地みたいなものだ。

 入口には既にたくさんの親子連れで、行列が出来ていた。

 主に未就学児が多く感じる。

 俺たち、カップルが入って良い施設なのか?

 

「なあ、アンナ。このラッザニアってのは、小学生までが対象じゃないのか?」

「ううん。違うよ☆」

 その答えに俺は、ホッとする。

「つまり大人でも遊べるってことだな? それなら、安心……」

 と言いかけたところで、アンナが即座に否定する。

「大人はダメだよ☆」

「え……?」

「ラッザニアには、中学生までだよ☆」

「は? じゃ、俺たちは無理じゃないか」

 しかし、アンナは特に悪びれることもなく、ニコニコ笑って、チケットを二枚取り出す。

「大丈夫だよ☆ ちゃんとネットで予約しておいたから。タッくんは中学3年生の15才。アンナは2歳下の13才で、1年生って登録したんだ☆」

「ま、マジ……?」

 思い切り、犯罪だろ。

 一気に血の気が引いたわ。

 ていうか、俺が中学生の設定とか、無理があるだろ。

 もう18才で、成人だぜ。

 

「だから、タッくんは今日、一日。地元の真島(まじま)中学の3年生って言ってね☆」

 ファッ!?

 とっくの昔に卒業したのに。

「りょ、了解……」

「アンナは席内(むしろうち)中学校の1年生なの☆」

 

 学生手帳を出せって言われたら、どうする気なんだ。この人。

 

 

 入口はなんでか、大きなジェット機が飾られていて、空港みたいなゲートになっていた。

 そこで、アンナがスチュワーデス姿のお姉さんにチケットを渡す。

 特に何も言われなかったが、チケットと引き換えにフリーパスを渡してくれた時。

 名前と年齢を見たお姉さんが、俺の顔をじっと見つめる。

 

「えっと、新宮くんでいいのかな? 中学生……なんか大人びてるね」

「あ、よく言われます……」

 

 どうにか、疑われずに済んだ。

 騙して、ごめんなさい……。



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389 新生児

 

「タッくん! 早くはやくぅ~ 遅れちゃうってば!」

 そう言って、俺の手を強引に引っ張るアンナ。

 相変わらずの馬鹿力だから、腕が引きちぎれそう……。

「いって……アンナ、そんな急がなくても、良いんじゃないのか? 時間はたっぷりあるし」

 

 入場ゲートをくぐると、そこには小さな街があった。

 子供のお仕事体験とはいえ、かなり本格的な店や工場が並んでいる。

 他にも、警察や消防署まで。

 そしてこのラッザニア福岡へ、一度足を踏み入れると。子供たちは“大人”として扱われる。

 限られた時間だが、本当に雇用された成人になるからだ。

 あくまで、館内のみで使える紙幣だが、お給料まで貰える待遇。

 

 

 しかし、この中にアンナが言う……俺たちの赤ちゃん。

 そんな仕事体験は、見当たらない。

 

 

 館内の一番奥まで来ると、アンナが脚を止めた。

 やっと俺から手を離してくれたが、肌の色が紫に変色していた……。

 これ、折れてないよね?

 

「さ、タッくん☆ アンナたちの赤ちゃんとご対面だよ☆」

 と近くにあった看板を指差す。

「へ?」

 見上げると、『新生児室』というプレートが天井にぶら下がっていた。

 

 辺りをよく見回す。

 そこだけ一面、真っ白な建物だ。

 新生児室があれば、手術室。それに小型だが、救急車まで近くの道路に配備してある。

 本当の病院じゃないか……。

 

「アンナ。今回の取材って……この新生児室。看護師体験なのか?」

「うん☆ だから、赤ちゃんの取材だよ☆」

「ああ、そうなんだ……」

 

 ガラス窓の向こうで、幼女が嬉しそうに赤ちゃんをお風呂に入れたり、オムツを履かせたりしている。

 だが注意すべきなのは、本物じゃないってことだ。

 常時、瞼を開きっぱなしのお人形。

 

 これが、俺たちの子供だってか?

 はぁ……心配した俺がバカだったよ。

 

  ※

 

 俺たちより先にお仕事を終えた先輩たちが、新生児室から出てくる。

 主に6歳から8歳ぐらいの幼女さん。

 

「ふぃ~ ちかれたぁ~」

「パパぁ! のどかわいたぁ~! おちゃ!」

「助産師はこんなにも賃金が少ないのですか。そりゃ、人出が足りないですよね」

 

 え、最後の眼鏡っ子。

 めっちゃ、大人びてる……。

 

 先ほどまで幼女が着ていた看護服を、次の番である俺たちにスタッフのお姉さんが配り始める。

 今回、新生児室に参加したメンバーは、俺とアンナ以外、みんな幼稚園児だ。

 しかも全員、女の子。

 そして、窓にベッタリとくっついてビデオカメラを向けるのは、パパとママさん達だ。

 なんだ、この場違い感。

 気が狂いそう。

 

 華奢な体型のアンナは、幼女のサイズでも難なく着ることが出来た。

 しかし、俺はそうもいかず。

 スタッフのお姉さんが新しいサイズを持って来てくれた。

 

 胸につけた名札を見ながら、お姉さんが眉をひそめる。

 

「新宮くん……だよね? きみ、中学生にしては、なんか老けてない?」

 ギクッ! 嘘を押し通さないと。

「あ、よく言われます……」

「ふ~ん。じゃあ、今からみんなに説明と、自己紹介をしてもらうから、一列に並んでね」

「了解です!」

 クソ。なんで、俺がこんなことをしないといけないんだ。

 

  ※

 

「じゃあ、説明の前に、みんな自己紹介してもらうね。一番大きな新宮くんから!」

「いっ!?」

 俺が最初かよ。

 嘘はつきたくないが、ここはアンナの作った設定を守ろう。

 気のせいか、親御さんの視線が鋭く感じる。

 

「あの子、デカすぎじゃない?」

「まあでも、最近の子って発育良いし」

 

 重くのしかかる罪悪感。

 しかし、演じきるのだ、琢人よ。

 

 少し声のトーンを高くしてから。

「あ、ぼくのなまえは、新宮 琢人ですぅ! 真島中学の3年生でちゅ!」

 こんなもんだろ……。

 だが、俺の隣りに立っているツインテールの幼女が、下からジッと睨んでいた。

「しんぎゅーくんって、ちゅー学生なの?」

「う、うん」

「そうなんだ。あたちはね。えりり、5歳。保育園にいってるよ。すごいでしょ?」

 ガチのロリっ娘と一緒に仕事すんのか……。

 辛い。

「シンプルにすごいと思います。リスペクトできます……」

 

 早くこの地獄から、抜け出したい!



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390 僕がパパになった日

 

 自己紹介が終わったところで。

 スタッフのお姉さんが、順番に赤ちゃんが眠っているベッドへと案内してくれた。

 本来なら、一人につき赤ちゃんもひとりなのだが……。

 どうしても、アンナが俺と二人ペアでやりたいと言うので、仕方なく一緒に赤ちゃんの面倒をみることになった。

 

 俺たちが担当する赤ちゃんの性別は……女の子。

 

「ほう。女の赤ちゃんか……アンナもこの子が良いだろ? 同性の方が……」

 言いかけている最中だが、彼女の顔を見た瞬間。言葉を失う。

 鋭い目つきで我が子を睨んでいたからだ。

「イヤ……タッくんに女の子の裸を見て欲しくない!」

 えぇ。これ、人形なんだけど。

 

  ※

 

 鬼のような顔で可愛らしい赤ん坊を睨みつけるから、産まれてくる性別をチェンジしてもらうことに……。

 酷いママさん。

 

 スタッフのお姉さんが苦笑いして、新しい赤ちゃんを連れて来た。

 今度の赤ちゃんは、正真正銘のオス。

 その子を優しく抱きしめるアンナの顔は、なんとも嬉しそう。

 

「カワイイ~☆ タッくんとの間に出来た赤ちゃんだよぉ☆」

 と微笑むのだが、見ているこっちからすると、なんか病んだ人に感じる……。

 だって、人形だもん。

「そ、そうか……良かったな」

「うん☆ さ、パパ。この子に名前をつけて☆」

 ファッ!?

 そんなことまで、しないといけないのか。

 

 なかなか、赤ちゃんの世話を始めない俺たちを見兼ねたのか、5才児のえりり先輩が声をかけてきた。

 

「おそいよ。しんぎゅーくん」

「す、すいません……えりり先輩」

「名前ぐらい、早くつけてやりなちゃい」

「はい……」

 

 

 ニコニコ笑って、赤ちゃんを抱っこするアンナの顔を見つめる。

 彼女の名前から引用すべきか?

 しかし、外国の名前だものな……分からん。

 もう適当でいいや。

 

「YUIKAちゃんで、どうだ?」

 推しのアイドルの名前を発した途端、アンナの顔が強張る。

「この子は、男の子だよ?」

 ドスの聞いた声だ。

 絶対、怒ってるな……仕方ない。

 ゆいかを少し変えて、これならどうだろう。

 

「じゃあ。ゆう……ゆう君でどうだ?」

「カワイイ~☆ それで良いよね? ゆうくぅ~ん☆」

 と動かない赤ん坊の手に触れる。

『ありがと~ パパ~ ママ~』

 喋り出したよ、ゆう君が。アンナの腹話術によって。

 

  ※

 

 名前が決まったことで、ようやく赤ちゃんのお世話を始める。

 

 まず、ゆう君のおくるみを脱がせ、身長と体重を計る。

 そして、熱など無いはずなのに、体温計で異常がないか、チェック。

 

 健康な赤ちゃんであることが分かったところで、次はすっぽんぽんのまま、お風呂へ連れて行く。

 沐浴(もくよく)ってやつだ。

 

 俺たちの赤ちゃんである、ゆう君。

 正直、可愛くない……。むしろ、怖い。

 何が怖いかって、瞼を閉じないところだ。

 ずっとこっちをガン見しているから、呪いでもかけられそう。

 

 お風呂の中に、ゆう君を入れてみる。

 俺が沐浴にチャレンジしている最中、アンナは隣りでニコニコ笑って見ていた。

 彼女が言うには、いつか赤ちゃんが産まれてくる時のために、練習して欲しかったようだ。

 一生、産まれてくることはないと思うのだが……。

 文字通り、パパ活をする俺氏。

 

 しかし、人形といっても、重さは本物と同じように設計されており。

 結構、重たい。

 身体を水で洗っている最中、手がすべって、湯船に落っこちてしまう。

 

「あ、ヤベ……」

 

 湯船の上で尻を向け、プカプカと浮かぶゆう君。

 どうしていいか、分からず、その場で固まっていると。

 アンナが大きな声で叫ぶ。

 

「タッくん! ゆうくんが、死んじゃう! 早く助けて!」

「え……? なんで?」

 人形だから、死なんだろ。

「早く起こして! アンナ達の赤ちゃんだよ!」

「ああ……すまん」

 

 びしょ濡れになったゆう君を助け出し、タオルで拭いてあげる。

 もちろん、頭から足先までしっかりと丁寧に。

 小さいけど、おてんてんも。

 

 前面が終わったと思ったので、そのままゆう君をひっくり返す。

 そして、背中を拭こうとした瞬間。近くにいたえりり先輩から怒鳴られる。

 

「しんぎゅーくん! うつ伏せになってるでちょ! ゆう君が息できない! 死んじゃうよ!」

「あ、すいません……えりり先輩」

「気をつけてよね。えりりはこのしんせーじしつ、毎日やっているから。ぜん~ぶ知っているの!」

「さすがです……」

 

 5才児に怒られちゃったよ。

 なんなの、この取材。



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391 結婚マウント

 

 初めてのパパ活……ならぬ赤ちゃんのお世話は無事に終了した。

 最後に、スタッフのお姉さんが記念撮影を個別に撮ってくれると言う。

 今回、参加した子供たち全員に。

 ま、俺たちもその中に入る大きな子供なんですけどね……。

 

 フリーパスで何回も新生児室を体験している5才児、えりり先輩は慣れた様子で、赤ちゃんを抱え、ピース。

 そして、去り際に俺へ向かって一言。

「しんぎゅーくん。良いパパになるんでちゅよ」

「あ、はい……頑張ります」

 一生、なれないと思うけど。

 

 最後に、俺とアンナの番だ。

 ペアでの参加だったから、2人で仲良く撮影タイムに入る。

 あ、違った。

 正しくは、俺たちの赤ちゃん。ゆう君も間に入っているから、3人での親子撮影だ。

 

 お姉さんがカメラを構える。

「それじゃ、パパさん。ママさん。赤ちゃんと一緒にもっとくっついて~」

 まだ結婚もしてねーわ!

 

 しかし、アンナはとても嬉しそうだ。

「ほら。パパ☆ ちゃんと、ゆう君を抱っこして☆ みんなで、にぃ~ って笑おうねぇ」

「……にーっ」

 無理やり、笑顔を作る。

 肝心のゆう君と言えば、終始ピクリともせず、無表情だ。

 

 何枚か、撮影を繰り返して、お仕事体験は終わりを迎えた。

 

 看護服を脱いで、お姉さんに返す。

 新生児室から出ると、俺は入口で渡されたマップを確認した。

 

「さて、次はどの職場体験にするかな……」

 そう呟くと、アンナがグイッと俺の手を掴む。

「何言っているの? もう帰るよ」

「え?」

「今日の取材は、あくまでもタッくんとアンナの赤ちゃんでしょ? それ以外は取材する必要ないよ」

「そ、そんな……」

 

 結局、初めて、れれぽーとに来たというのに、本館を一切見ることなく帰ることになった……。

 もちろん、あのモビルスーツも見られず。

 

 今日の取材って、マジなんだったの!?

 

  ※

 

 バスに乗り、博多駅まで直帰する。

 アンナが言うに、今回の取材は、俺の親父が関係していて。

 ゴールデンウィークの時、親父と会った際、「俺の子供を期待している」と言われたから、鵜吞みにしたようだ。

 いつか俺たちの間に、赤ちゃんが産まれた時、ちゃんとパパとして、活躍できるように練習させたかったらしい。

 

 マジ、今回の取材だけはないわ……。

 

 でもアンナは、ずっとニコニコ笑っていた。

 最後に、新生児室で撮影した親子写真を眺めながら。

「ゆう君。いつかアンナ達の前に来てね☆」

 だから、一生来てくれないって……。

 もう病んだ人みたい。

 

 

 れれぽーとで取材こそしたが、あまりにも早く博多に戻ってきたので、時間がかなり余っている。

 それに、腹が減った。

 

 仕方ないから、アンナにいつも行くラーメン屋、“博多亭”で昼食を提案すると、快く承諾してくれた。

 ていうか、れれぽーとにも新しい店があっただろうから、そこで食いたかったわ。

 

  ※

 

 店の引き戸を開くと、お馴染の大将がお出迎え。

「らっしゃい! お、琢人くんにアンナちゃんじゃない。今日もデートかな?」

 大将がそう言うとアンナは嬉しそうに答える。

「はい☆ 今日は二人の赤ちゃんと会ってきて~☆」

 誤解が生まれるから、やめてほしい。

「え!? 赤ちゃん!? アンナちゃんと琢人くんは、もう結婚してたのかい!?」

 驚く大将。

 そりゃ、その反応になるわな。

 しかしアンナは、構わず話を続ける。

 

「結婚はまだしてません。赤ちゃんが欲しいって、言われたから……」

 頬を赤くして、俯いてしまうアンナ。

 ていうか、俺は別に赤ちゃんが欲しいなんて言ってないよ?

 親父だからね。

 

 その発言を聞いた大将は、俺をギロッと睨みつける。

「琢人くん! そういうの最低だよ! ちゃんと責任を持たないとダメだよ。おいちゃん、怒ってるからね。出禁にしちゃうよ!」

「いや、大将……そういうんじゃ……」

「目の前のホテルへ行ってたんでしょ! もうアンナちゃんと、すぐにでも結婚しなさい! 今日のラーメンは奢ってあげるから!」

「えぇ……」

 

 もう嫌だ。

 俺、なにも悪い事してないのに……。



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第四十五章 クリスマス前哨戦
392 女装男子のスカートの中が、気になって眠れない。


 

「よし、ついに完成したぞ……ここまで来るのに、苦労したな」

 

 自室で一人、学習デスクの上に置いたあるモノを、下から覗き込む。

 前回のデートにて、手に入れたアンナのホカホカなパンスト。

 伝線こそ、しているものの。

 完全に破れた訳ではない……。

 

 ならば、このアーティファクトをこのまま封印するのは勿体ない。

 そう思った俺は、様々な商品をショッピングサイトで、注文しまくった。

 

 まず、レディース向けのマネキン。

 ランジェリーショップなどで使われる下半身のマネキンだ。太ももまでのやつ。

 しかも、リアルな肌色。

 

 そこに以前、別府温泉でアンナがくれたピンクのおパンティーを履かせる。

 まあ、アンナはヒップが小桃サイズだから、マネキンでもギチギチだが……。

 しかし……そこがまた興奮する。

 

 お次は、今回の純白ストッキングを装着。

 仕上げだが……これには、天才の俺でも頭を悩ませたぜ。

 だって、アンナが普段、着ているミニ丈のスカートなんて、ブランドも知らないからな。

 

 なるだけ、彼女のファッションに近い女性ものの、スカートを検索しまくって、どうにか入手することに成功。

 チェックのプリーツが入ったミニスカートだ。

 

 そのマネキンを学習デスクの上に飾って、俺は床に腰を下ろす。

 あら不思議、アンナちゃんたら、パンツが丸見えだよ☆

 

 ローアングルで、スカートの中をガン見できるこの喜びよ……。

 生きていて良かった。

 

 

 おまけに、12月だというのに、うちわなんか持ち出しちゃって。

 下からパタパタと扇いでみる。

 すると、ふわりとめくれるスカート。

 白いパンストに覆われたピンクのパンティーが、露わになる。

 

「キャー! タクトさんのエッチ~☆」

 

 と、どこからか、アンナの声が聞こえてきそうだ。

 ふっ……我ながら、何という最終兵器を開発してしまったのやら。

 これを世に放てば、俺はノーベル化学賞を獲得してしまうな。

 

 

 そんなことを毎日やっていると、次のスクリーングが近づいてきた。

 もう、今年のスクリーングは、明日で最後らしい。

 

 ふと、カレンダーを眺めていると、机の棚から何がポトッと床に落ちた。

 拾ってみると、小さなフェルト生地のキーホルダーだ。

 少し埃かぶっている。

 

「これは……」

 

 ちょうど今から一年前、クリスマスイブの日に、白金から呼び出しを食らい。

 俺が天神の渡辺通りを歩いていたら、中学生たちが募金をしていた。

 その際、俺が担任教師と揉め、嫌味のつもりで1万円を中学生に渡したら、お返しにとくれたサンタクロースの人形。

 

 あの時これを渡してくれた女子中学生は、確かこう言っていた。

 

『きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います』

 

 思い出して、急に頬が熱くなる。

 アンナの笑顔が、頭に浮かんだから。

 そして、同時に頬を赤くしたミハイルも……。

 

「もうあれから、一年か……」

 

 ずっと、机の上で埃かぶるまで、放置していて、なんだか悪い気がする。

 今からでも、リュックサックにつけてみるか。

 そしていつか……俺が誰かと、イブを一緒に過ごせる時が来れば……。

 

 これをあの子に返したいな。

 

 リュックサックにキーホルダーをつけていると、自室のドアが開く音が聞こえた。

 妹のかなでだ。

 

「あ、おにーさま……」

「おう。かなで、受験勉強ははかどってるか?」

「いや……その前に、なんですの? 可愛らしいスカートなんか飾って。女装でも始めるんですの?」

「え?」

 

 忘れていた。

 人工パンチラ発生器を、机の上に置いたままだったことを。

 

 このあと、かなでの誤解を解くのに、1時間を要した。



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393 オフッている時も可愛い

 

 今年、最後のスクリーングがやってきた。

 まだ12月に入って、一週間ぐらいだが……。

 どうやら、校舎である全日制コースの三ツ橋高校が色々とイベントが多く。

 年末は、スクリーングに教室を使うことが出来ないらしい。

 

 ま、俺からしたら、やっと終わってくれて、ホッとするけどな。

 

 そんなことを考えながら、地元の真島駅に向かう。

 今日のミハイルはどんな格好をしているんだろう……なんて、妄想しているとスマホから、着信音が。

 

「もしもし?」

『あ、タクト☆ 悪いんだけど……今日、オレ一緒の電車には乗れないんだ』

「え……」

 驚きのあまり、その場で立ち止まってしまう。

 バカだけど、いつも一緒に登校しているミハイルが、自らの意思で欠席だなんて。

『ごめんね……タクト。で、でもね! 学校はちゃんと行くから!』

「つまり、遅刻か?」

 そう問いかけたが、受話器の向こう側が何やら騒がしい。

 

『おい! 古賀! 早くしない……間に合わな……』

 

 なんか、途切れ途切れに聞こえてくる。聞き覚えのある女の声だ。

 

『ごめん。タクト、またあとでね!』

「お、おい! 待てよ、ミハイル」

『ツーツー……』

 

 一体、なんだったんだ?

 

  ※

 

 学校に着いて、1階の玄関で上靴に履き替える。

 すると、2階から旨そうな香りが漂ってきた。

 

 階段を登ったすぐ先、右側のボロいドアから、トントンと一定のリズムで何かを叩く音が聞こえてくる。

 この音は包丁か? ズボラな宗像先生じゃ出来ない業だろう……まさか。

 俺はドアノブを回し、中に入る。

 一ツ橋高校の事務所だ。

 

 いつもなら、宗像先生が賞味期限の切れたインスタントコーヒーを飲んでいるはずなのだが。

 今日は、なんて煌びやかな空間なんだ!

 

 受付にアロマが置かれているし、あんなに汚かった事務所が綺麗に片づけられている。

 普段、宗像先生が着用しているキャバ嬢の服は洗濯され、ベランダに干されていた。

 

 そして、左奥に可愛らしいネッキーのエプロンを着た金髪の美少女が立っていた。

 シンクの上で鼻歌交じりに、ニンジンを切っている。

 ポニーテールを左右に揺らせて……。

 

「ミハイル……」

 

 その姿を見た時、自然と口から漏れていた。

 きっと、嬉しかったのだと思う。

 すぐに会えないと思っていたから……。

 

 俺に気がついたミハイルは、包丁をまな板の上に置き、こちらへと向かってくる。

 受付のカウンター越しに、彼はニッコリと笑って見せる。

 

「おはよ☆ タクト」

「おお……おはよう」

 

 会えないと思っていたから、その笑顔に見惚れてしまう。

 相変わらず、2つのエメラルドグリーンがキラキラと輝いて、眩しい。

 吸い込まれそうだ。

 

 今日は学校だから、アンナの時ほど、可愛くないけど。

 白のパーカーに、フェイクレザーのショートパンツ。

 

 なんか、彼女の家に遊び行った時。

 ルームウェアを着ている姿を見ているような感覚に陥るな……。

 

 そして、フェイクレザーだから、いつもよりヒップの形が目立ってしまう。

 目のやり場に困るな。

 

「ごめんね。今日、実は宗像先生に頼まれて、料理を作ってんの☆」

「は? なんで、生徒のお前が料理を作るんだ?」

 あのバカ教師。人の女……じゃなかったダチに、何させてんだ。

「放課後にね、クリスマス会やるじゃん? それで、料理とかスイーツを作って欲しいんだってさ☆」

「クリスマス会っ!?」

 あまりの幼稚なイベントに、アホな声が出てしまう。

 だが、ミハイルはキョトンとした顔で、頷く。

「うん。聞いてなかったの?」

「ああ……」

 なんで、高校生がクリスマス会なんて、やるんだよ。

 小学生じゃないんだぞ。まあ、サンタさんは信じているけど……。

 

「だから、オレは2時間目ぐらいまで、お料理するから、待っていてね☆」

「分かった……。ところで、お前。いつから、事務所で料理しているんだ?」

「オレ? 朝の5時ぐらいからだよ」

「そんな早くからか?」

「だって、仕込みに時間かかるもん。別に好きでやっているから、気にしないで☆」

 

 そう言うと、背中を向けて事務所の奥へと去っていく。

 小さな尻をプルプルと振るわせて。

 

 俺は憤りを隠せずにいた。

 クソ教師めが。

 人の大事な女を、家政婦扱いしやがって……。

 

 一緒に電車に乗れたら、レザーヒップを触れたかもしれないんだぞっ!



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394 男同士でナニやってんの……

 

 ミハイルのいない授業は、退屈で仕方なかった。

 いつも、あいつが隣りにいることが日常だったし……。

 なんかこう、胸にぽっかりと穴が開いたような。

 落ち着かない。

 

 3時限目に入っても、彼は事務所で料理をやっているそうだ。

 彼がすぐ近くにいると言うのに、会えない。この現状。

 教師の話を聞いていてもつまらんので、ジーパンのポケットからスマホを取り出す。

 

 マナーモードにしていたから、気がつかなかったが。

 数件の着信とメールのお知らせが画面に映っている。

 誰だろうと、開いて見れば、博多社の受付男子。

 住吉 一だ。

 

 さすがに授業中、電話をかけ直すのは良くないので、メールだけ確認してみる。

 

『あ、あの……突然、すみません。新宮さん、よかったらこのコス写真をリキ様に見せてもらえませんか? 自分じゃ、どうしても恥ずかしくて……』

 

「?」

 

 メールに何かのファイルが添付されていた。

 開いた瞬間……俺は、大量の唾を吹き出してしまう。

 

「ブフッーーー!」

 

 もちろん、自分のスマホ画面にだ。

 慌てて、ハンカチで綺麗に拭き上げる。

 臭いは残っているが……。

 

 だが、俺が驚くのも仕方ないだろう。

 一のやつ。こんなコス写真を送りつけてきやがって。

 

 問題の写真だが、卑猥の一言につきる。

 

 天然パーマの頭には二本の角。そして、背中には小さな羽。

 尻からは反り返った尻尾。

 レオタードはエナメル素材だが、所々スケスケ生地になっており、ヘソは丸見え。

 

 所謂、サキュバスってやつだろう……。

 

 しかし、問題なのは、撮影方法だ。

 ローアングルで股間を撮っていたり。

 4つん這いになり、尻をこちらに向けて撮影したり。

 一自身は、恥ずかしがっているようだが、めっちゃ誘っている。

 

 他の写真を見たが、どれも似たようなコス写真ばかりだ。

 あいつ、普段からこんな撮影をしているのか?

 なんか……どっかの同人サイトで販売していそうだな。

 

  ※

 

 休み時間に入ったところで席を立つ。

 あんな写真だが、一の気持ちは尊重してあげたい……と思ったからだ。

 

 意中の相手は、後ろの方で、腐女子と楽しそうに会話をしている。

 

「それでさぁ~ ほのかちゃんの編集部に行ったら、たくさんの漫画家さんに聞かれた参ったよぉ~ みんな、ネコが好きなんだね。女の子だから」

「そうそう♪ 世の女子はみん~な、そのネタが大好物!」

 勝手に決めつけるな。

 あと、いい加減リキの誤解を解いて欲しいな。ほのかちゃん。

 

 咳払いして、二人の会話を遮る。

 

「ごほん! ちょっと、リキ。いいか? 話がある」

「え? いいけど……ここじゃ、ダメなのか?」

 

 目を丸くするリキを見て、なんだか悪い気がしてきた。

 こいつは、ほのかのために、身体を張ってネタを仕入れているんだから。

 

 でも、一のことも気にはなるし……。

 はぁ、めんどくせぇ。

 

「すまん。出来れば、二人で話したいんだ」

「そっか。じゃあ、廊下でいいか?」

「おお……」

 

 教室から出ようとした瞬間。

 物凄く熱い視線を感じる。

 その相手は、先ほどまでリキと楽しく話していた腐女子、ほのか。

 

 怪しく微笑み、口元からは涎を垂らしていた。

 

 こわっ!

 もうちょっと、離れたところで、話そう……。

 

  ※

 

 俺たちが使用する教室は、主に2階だ。

 たまに特別棟や部活棟。武道館を使うぐらい。

 

 だから、スクリーングが行われる日曜日は、教室棟の3階は閑散としている。

 ここならば、俺とリキの会話を誰かに聞かれることはないだろう。

 

「んで、なんだよ。タクオ、話って」

「ああ……それなんだが、前に博多社で一って奴に会ったろ? お前にコス写真を見て欲しいんだと」

 そう言って、俺はスマホの画面を彼に見せてみる。

 リキは平然とした顔で、スマホをスワイプし、一の卑猥な写真を眺める。

 

「ふ~ん。よく撮れてるじゃん。俺さ、こういうの良く分かんないけど。良いと思うぜ」

 と親指を立てて、ニカッと白い歯を見せるリキ先輩。

 清々しいぜ。

「良いって……リキ。お前、一のこういう写真を見て、引かないのか?」

「全然。好きな物は堂々と出していくべきだと思うぜ?」

「そ、そうなんだ……」

 なんか、腐女子のほのかに関わったことで、どんどん毒されているような。

 

 

 とりあえずリキに、一へコスの感想を、メールか電話で伝えてくれるように頼んだ。

 一が言うには、まだ自分からリキに連絡を取るのは、勇気がいるらしい。

 全く、とんだ仲介人だよ……。

 

 リキは一に連絡をとることを、快く承諾してくれた。

 すぐにその場で、メールを打ち出す。

 

「しかし、この前は驚いたぜ。なあ、タクオ」

 メールを打ちながら、器用に話しかけてくるリキ。

「ん? なんのことだ?」

「ほら、あれだよ。タクオが急にこの一の尻を揉みまくってさ……男にナニやってんだって。ビックリしたぜ」

 俺がノン気かどうか、確かめたかったとは言えない。

 

「いや……まあ、ちょっとした出来心というか……」

「ははは! なんだよ、オタク同士はあーいうスキンシップがあるってのか!? 男同士でケツを触りあうっていう!」

「あはは……」

 

 笑ってその場を誤魔化そうとした、その時だった。

 背後から、ガシャーンと何かが床に落ちた音が聞こえてきた。

 

 振り返ると、ネッキーのエプロンをかけたミハイルだった。

 廊下には大きな圧力鍋が転がり、シチューがどろりとこぼれていた。

 

 真っ青な顔で、こちらをじっと見つめるミハイル。

 

「タクト……誰かのお尻を触ったの……?」

 

 バレちゃった!

 どうなるの、俺ってば……。



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395 レザーは質感がいいですね

 

「タクト……誰かのお尻を触ったの……?」

 

 真っ青な顔で、こちらをじっと見つめるミハイル。

 

「み、ミハイル。それは違うんだっ! ちょっと事情があって……」

 自分で言っておいて、苦しい言い訳だと思った。

「アンナのも触ったことないのに?」

 怒っているというより、落胆している様子だ。

 ていうか、アンナの尻なら夏にプールで、サンオイルをぬる時、しっかり撫で回したけど。

 カウントされていないってか?

 

 

 重たい空気の中、沈黙が続く。

 しかし、隣りにいたリキは別だ。

 腹を抱えて笑っている。

 

「ミハイル。聞いてたのか? タクオの奴さ、この一っていう年下の子のケツをいきなり、触り……揉みまくるんだぜ!? ビックリだよな、アハハ!」

 こいつ、いらんことを教えやがって。

「揉みまくってた……?」

 この世の終わりみたいな顔で、リキの話を聞くミハイル。

「ああ。多分、3分ぐらいは揉んでたと思うぜ」

 そんなに触ってねーわ!

「さ、3分も……」

 ヤバい。ミハイルが鵜吞みしている。

 俺が弁解せねば。

 

 

「ミハイル! 違うんだ! あれは……俺とお前の関係に必要な行為で……」

 と言いかけている最中で、ミハイルの目つきが鋭くなる。

「オレとタクトに必要? 知らない奴のお尻を触ることが?」

「それは……」

 

 ヤバい。殺されそう。

 黙り込む俺を無視して、怒りの矛先はリキに向けられた。

 

「ねぇ、リキ。その触った相手の写真とかないの?」

「ああ。一のか? あるよ。さっき、タクオから貰ったからな。ちょっと待っていてくれ」

 そう言うと、先ほどの卑猥なコス写真を数枚、ミハイルに見せてあげる。

 黙って一の写真を眺めるミハイル。

 

 小さな唇を震わせて、スマホをスワイプする。

 一の過激なコスプレを見て、ショックを隠せないようだ。

 男とはいえ、かなり際どいコスプレを着ているからな。

 

 しばらく、左右にスワイプを繰り返し、写真を何度も眺めるミハイル。

 深いため息をついた後、リキに礼を言って、スマホを返す。

 

 そして、俯いたまま、俺の元までゆっくりと近づく。

 俺の右手を掴むと、ボソッと呟いた。

 

「こっち、来て……」

「え?」

 

 彼から答えを聞く前に、俺の身体は強引に廊下を引きずり回されていた。

 相変わらずの馬鹿力で、廊下の奥へと連れて行かれる。

 先ほどまで、隣りにいたリキがもう遥か彼方だ。

 

 一瞬にして、男子トイレへと連れてこられた。

 入ったと思ったら、狭い個室の中へぶち込まれ、扉を閉めてカギをかける。

 

「ここに座って!」

「え、便座にか?」

 

 彼に言われるがまま、洋式トイレの蓋を下ろして、座って見せる。

 命令した本人は、何故か顔を真っ赤にしている。

 怒っていると思ったが、どうやら恥ずかしいみたいだ。

 身体を左右にくねくねと動かし、何かをためらっている……ような気がする。

 

 

 視線は床に落としたまま、ボソボソと喋り始める。

 

「どうして、一っていう奴の……お、お尻を触ったの?」

 片方の腕を掴み、どこか不安そうだ。

「そ、それは……触ったら……。ミハイルとどう違うのか、知りたかったからだ」

 言っていて、めっちゃ恥ずかしい。

「オレと?」

「ああ……悪いが。もうこれ以上、聞かないでくれ。頼む……」

「分かった……」

 

 何となくだが、理解してもらえた……? ようだ。

 これで、一安心だな。

 と思ったのも束の間、俺は忘れていたミハイルの拘りを。

 『俺との初めて』を大事にする人間だってこと。

 

 

「触ったことは仕方ない……よね。オレが関わっていることみたいだから」

 え、意外に心が広い。浮気がOKなタイプかしら。

「そうなんだ。これも取材みたいなもんで……」

「でも、汚れは落とさないとダメだよね?」

「は?」

 俺は耳を疑った。

 

 

「許したくないけど、タクトだから信じる! でも、一の汚れは落として! オ、オレのお尻を触って!」

 顔を真っ赤にして、至近距離で叫ぶミハイル。

「嘘……だろ? 俺たちは男同士じゃないか」

「ダッ~メ! すぐにでも落とす必要があるの! 早く触って、ここで。3分間!」

 

 そう言って、フェイクレザーのショートパンツを俺へと突き出す。

 黒のレザーだから、蛍光灯の灯りが反射して、キラリと輝いて見える。

 

 今まで見たことのない、積極的なミハイルの姿に動揺してしまう。

 思わず、生唾を飲み込む。

 

「本当に触るのか……?」

 

 自分から言い出したくせに、ミハイルは尻だけ突き出して、トップスのパーカーで顔を隠している。

 きっと、恥ずかしいのだろう。

 

「は、はやく……早くしてぇ!」

 

 ダメだ……。

 こんな密室で、可愛らしいヒップを突き出されたら、もう俺の理性が吹き飛びそう。

 その証拠に、股間が見たことないぐらいパンパンに膨れ上がってしまった。

 

 どうすればいいんだ、俺は。



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396 意外とロマンチスト

 

「いいから、早く……触ってよ。タクト」

 

 と自ら、可愛らしい小尻を突き出すミハイル。

 だが、先ほどまでの勢いは無い。

 恥ずかしくて、仕方ないようだ。

 

 パーカーで顔を隠しているから、どんな表情かは分からないが。

 きっと、真っ赤なんだろうな……。

 

 

「じゃあ……いくぞ?」

 

 緊張しているミハイルの鼓動が、こちらにまで聞こえてきそうだ。

 狭いトイレの個室で、二人きり。

 辺りは静まり返っている。

 聞こえるのは、俺とミハイルの荒い息遣いだけ。

 

 生唾を飲み込み、ゆっくりと両手をフェイクレザーのショートパンツへ近づける。

 試しに人差し指で、彼の尻を突っつく。

 

「!?」

 

 なんて、柔らかいヒップなんだ。

 程よい弾力……押したら、ぷにんと跳ね返ってくる。

 もっとだ。もっともっと触りたい!

 いや、揉みまくりたい!

 

 抑えていた理性が崩壊し、俺に残ったのは……野性のみ。

 

 

 もう、どうなっても知らない。

 今は目の前にある可愛らしい、ミハイルの尻をいかに愛すること。

 

 改めて、しっかりと両手で小さなヒップを揉んでみる。

 

「んあっ!」

 

 ミハイルが妙に色っぽい声で反応する。

 背中を反らせて。

 その声に俺も驚く。

 

「だ、大丈夫か? 痛いならやめるけど……」

「うぅん……痛くないよ。早く汚れを落として」

「了解した」

 

 クソ。

 反則的な可愛さだ。

 こんなミハイルは、初めてに思える。

 それがまた初々しくて、たまらない。

 俺は……もう次に、ミハイルに触れた瞬間。

 どうなるか、分からない。

 

 だって、今いる個室は、誰からも見られないし。

 狭いが密室だ。

 

 レザーのヒップもたまらんが、ダイレクトで触ってみたい。

 このまま、流れでミハイルのショーパンを下ろし……ドッキング。

 

「それはダメだ……」

 

 ミハイルに聞こえないぐらいの小さな声で呟く。

 

 

 初めては、白いベッドの上に赤いバラの花びらを散りばめ。

 きっと彼が恥ずかしがって、今みたいに両手で顔を隠すだろう。

 だから、俺がリードし、ミハイルの細い腕を枕元に抑え込む。

 そしてあの美しいエメラルドグリーンの瞳を、見つめながら繋がる……。

 

 

 って……妄想が爆発してしまった。

 

 目の前の尻を突き出したミハイルは、プルプルと小刻みに震えていた。

 自分から提案しておいて、恥ずかしいんだろう。

 

「ねぇ、タクト……」

「どうした?」

「やっぱり、無理かも」

「へ?」

 

 俺は耳を疑った。

 

「おかしいよ、こんなの。オレたち男同士なのに……」

 ミハイルのやつ。

 恥が上回ったのか。

 でも、俺の欲求は満たされていない。

 まだまだ、触りまくりたいのに!

 

「おかしくない! まだ一の汚れは落ちていないぞ、ミハイル!」

 すまん、一。

「でも……オレさ、今日……」

「今日がなんだ?」

 

 次の瞬間、顔からパーカーを離して、振り返る。

 思った通り、真っ赤な顔で、俺をじっと見つめた。

 エメラルドグリーンの瞳は涙で潤んでいる。

 

「オ、オレ……今日はまだお風呂入ってないの!」

「はぁ?」

「だから、汚いし。汗臭いかもしれないの!」

「ミハイル? なにを言って……」

 と言いかけている最中で、彼は俺に背中を向ける。

 個室の鍵を開けて、扉を勢い良く開いた。

 

「悪いけど、汚れは手洗い場でしっかり落として! あと、ついでにアルコールで消毒してね!」

 

 そう叫ぶと、振り返ることもなく、走り去ってしまった。

 一人、個室に残された俺は、放心状態に陥ってしまう。

 

「さ、さ、触れなかった……ミハイルの尻」

 

  ※

 

「クソがーーーッ!」

 

 小便臭いトイレのタイル目掛けて、拳を叩きつける。何度も何度も……。

 汚いと分かっていても、俺の憤りをどこかにぶつけないと自分を保てないからだ。

 

 触りたかった、もっと……。

 いや、初めてが“後ろ”からでも、経験しておくべきだった。

 でも……後悔しても遅いんだ。

 ミハイルに拒絶されたから。

 

 ていうか、お風呂に入ってたら、させてくれたの?

 

 汚い便所の床で4つん這いになっていると、誰かがトイレの中に入ってきた。

 

「お、タクオ。こんな所にいたのか。急にミハイルといなくなるから、心配したぜ」

 

 誰かと思えば、リキだ。

 普段の俺なら彼の心遣いに、礼を言うところだが……。

 

「うるせぇ! 全部、てめぇのせいだ! 老け顔のクソハゲ野郎!」

「え、酷くね? 俺が何かしたか……」

「したわ! おめぇのせいで、初体験が台無しだよ!」

「タクオ……良く分かんないけど。謝るよ、ごめんって」

「一生、許すか! このハゲが!」

 

 リキは何も悪くないのに、当たってしまった……。

 でも、股間が暴走して、興奮が治まらないんだ。



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397 邪魔者は全て、排除する……

 

「ぐ、ぐすん……」

「もう泣くなよ。タクオ、何があったか知らないけどよ。さっきミハイルと一緒だったから、ケンカでもしたんだろ?」

 と優しく肩に触れるリキ先輩。

 ケンカではないが……ミハイルとの性交渉が不成立になったので。

 痴話げんかというべきか?

 

 いやいや、違う。

 俺たちはまだ”そういう”関係じゃない。

 

「泣いてないもん……」

「いや、さっきからボロボロ涙が出ているじゃねーか。ほら、ハンカチ貸してやっから」

「あ、ありがと」

 なんか、リキって見た目と反して、意外と優しいから、モテるのかも。男にだけ。

 彼から借りたハンカチで、涙を拭う。

 

「まあ、ミハイルとのケンカは俺が間に入ってやるから。元気出せよ」

「いや……それは」

 尻を触る、触らないで揉めたとは、言えないからな。

「良いってことよ。マブダチのケツぐらい、俺が拭いてやっからさ!」

 

 と満面の笑顔で親指を立てる。

 まあ、リキのことだから、特に意味はないと思うのだが。

 なんか、仲直りと称して。ミハイルが俺の尻を攻めて……。

 濡れたケツを綺麗に拭き上げるという表現に感じる。

 

  ※

 

 涙も枯れた頃、リキと一緒に高校の事務所まで向かうことにした。

 ミハイルとの仲直りに協力してくれるそうだ。

 正直、今あいつと合わせる顔がない。

 トイレとは言え、必死に個室で尻を突き出してくれたのに。

 俺はビクついて、なにも出来なかった。

 

 理由はどうあれ、恥をかかせてしまった……気がする。

 

 3階から降りて、2階の右奥へ向かう。

 事務所の扉にノックしようとした瞬間。

 何やら下から叫び声が聞こえてくる。

 

「おまえだろ! タクトに、お、お尻を触らせた……イケない奴は!?」

 

 階段の下を見下ろすと、1階の玄関でミハイルが誰かに怒鳴っている。

 こちらからでは、相手の顔は確認できないが。

 エナメル素材のレオタードを身に纏った卑猥な……男。

 その証拠に、股間がふっくらしている。

 

「そ、そんな……僕と新宮さんは、ただの仕事仲間で」

「はぁ!? おまえみたいなエッチな奴とタクトが、ダチになるもんか!」

 

 ヒートアップする彼を見て、俺とリキは互いの顔を見つめると、黙って頷く。

 急いで、ミハイルを止めに入るためだ。

 

 階段を駆け下りて、俺がミハイルを後ろから羽交い締めにする。

 

「やめろ! ミハイル!」

「放せ! た、タクトをエッチな目にさせたこいつが悪いんだ!」

 と目の前のサキュバスくんを指差す。

「ぼ、僕はそんな……気持ちではコスしていません!」

 そう言うと涙を浮かべて、リキの背中に隠れる。

 博多社の受付男子。住吉 一だ。

 なぜ、こいつがうちの高校に?

 

「嘘だ! タクトはアンナにしか、エッチな目にならない奴だぞ! おまえがそんなエッチな服を着るのが悪いんだ!」

 エッチ、エッチって連呼するのをやめませんか。

 なんだか、俺が色摩みたいじゃん。

「酷い! これは立派なコスです!」

 とか、一も反論しているが、ちゃんとリキの背中にピッタリと身体をくっつけている。

 

 話の内容が全然理解できていないリキが、キョトンとした顔で俺に言う。

 

「なぁ、さっきから何の話で、ケンカしているんだ?」

「お、俺にも分からん……」

 

  ※

 

 とりあえず、興奮しているミハイルを落ち着かせるため、一旦その場から離れるように説得した。

 渋々、彼もその提案に応じてくれた。

 

 リキに一を任せて、俺は玄関近くの下駄箱で、説明を始める。

 

 彼……住吉 一は、俺を男として見ていないこと。

 そして、何よりもマブダチであるリキに惚れていることも……。

 だからと言って、俺が彼の尻を触ったことは説明になっていないのだが。

 

 しかし、その話を聞いたミハイルは、急に顔色が明るくなる。

 

「それって、ホントなの!? タクト!」

「え?」

「あのエッチな奴が、リキを好きだってことだよ☆」

 急に瞳の色がキラキラし出したよ。

「一がリキのことを? ああ、かなり好きみたいだぞ」

「おもしろ~い☆」

 

 小さな胸の前で、両手で拳を作る。

 どうやら、一の恋バナが気に入ったようだ。

 

「おもしろいって……ミハイル。リキはほのかが好きなんだぞ? 一の恋心はどうなるんだ。永遠に叶うことのない恋愛だ。かわいそうだろ?」

「全然っ☆ むしろ、最高な展開だよ☆ どうせだから、一ってやつもリキにくっつけてやろうよ☆」

「……ミハイル。ちゃんと話を聞いていたのか?」

「うん、聞いていたよ☆ とりあえず、タクトに近づく奴らは全員、他の人間にくっつけた方が楽しいもん☆」

 

 いや、怖いよ。

 この人、マジでサイコパスじゃん。



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398 今度、会ったら「落とす」って言ったろ?(沼)

 

 一がリキに好意を寄せていると知ったミハイルは、態度を一変させ、ニコニコと笑っている。

 少し離れた場所……。玄関でリキと話す一を見て、何か思いついたようだ。手の平をポンと叩く。

 

「そうだ! タクトの手についた汚れは、落とせないけど……。一のお尻なら、落とせるよね☆」

 と瞳をキラキラと輝かせる。

 こういう時は、大体変なことをやらせるつもりだ。

 

「一の尻? なんのことだ?」

「だから、汚れだよ☆ タクトが手で触ったのなら、汚れがついてるじゃん。ちゃんと落とさないとね☆」

「……」

 

 それって、俺が汚物ってことかよ。

 酷いな、ミハイルくんたら。

 

  ※

 

 玄関に戻ると、すぐにミハイルは頭を下げて、一に謝る。

 

「ごめん。オレ、勘違いしてみたい」

 急に謝られたから、一も動揺していた。

「え、えぇ!? いえ、僕は別に……新宮さんのことでしたら、何とも思っていませんから。いつも空気みたいな存在だと思ってます」

「ハハハッ。だよな☆」

 

 おい、こいつら。

 なに俺のことを、ディスりやがっているんだ?

 空気だと……一の奴。今度、博多社で会ったら、覚えてろよ。

 ケツだじゃ、済ませねぇからな。

 

「ところでさ。一のお尻に、まだ汚れがついてるよね? ちゃんと落とした方が良いよ。タクトの手はべったりとして、汚いから☆」

 だから、何で俺だけ汚物扱いになってんの?

「え? 汚れ?」

 一は彼の言うことが理解できないようで、首を傾げている。

「ちょうど、オレのダチがいるからさ。そいつに落としてもらおうよ☆」

「はぁ……」

 

 ミハイルはリキの傍に近寄ると、背伸びして耳打ちを始める。

「こうして、あーやってね……」

「え? それで、俺が一のを触ればいいのか?」

「そうそう☆」

「ふ~ん。ま、いいぜ」

 

 この時、俺は彼らの行動を止めるべきだったと、のちに後悔することとなる。

 

 ~10分後~

 

「くっ、んあっ! いぃっ……」

「どうだ? 落ちたか?」

「あぁっ! だ、ダメですぅ! そ、そんな……」

 

 一体、何を見せられているんだ? 俺は……。

 サキュバスのコスプレをした少年が、スキンヘッドの老け顔に、尻を撫で回される。

 

 リキ自体はやましい気持ちなんて無いから、善意でやっているに過ぎない。

 全ては俺の隣りで、ニヤニヤ笑っているミハイルが計画したものだ。

 

「ハハハッ☆ 一のやつ、嬉しそうだな」

「……」

 

 確かに想いを寄せているリキが、優しく尻を触ってくれるから、悦んでいるようだが。

 

「だ、ダメですぅ! 僕とリキ様はまだ出会って2回目だと言うのに……こんなっ、んぐっ!」

 一の息遣いは徐々に荒くなり、頬を紅潮させ、瞳はとろ~んとしている。

 時折、身体をビクッと震わせて。

「別に良いだろ? 一がタクオのダチなら、俺のダチだよ。気にすんな。ところで、尻の汚れ……痛みは良くなったか? 今、どんな感じだ?」

「ハァハァ……心臓がバクバクして、今にも飛び出そうですぅ!」

「そりゃ、良くないな……。なんでそうなるんだろな?」

 

 お前が尻を撫で回して、感じさせているからだよ! とは言えないな。

 結果的にとはいえ、一の願望を叶えているし……俺は傍観者でいよう。

 

 2人の会話を聞いてたミハイルが、更なる追い打ちをかける。

 

「ねぇ、リキ。一はお胸が痛むんだよ。だから、お尻を触りながら、お胸も触ってあげてよ☆」

「えぇ……」

 一体、ナニをさせる気だ。この人……。

 

 それを聞いたリキは、「わかった」と答える。

 平然とした顔で。

 

 ~更に10分後~

 

「あああっ! そ、そんなっ! 上からも下からもだなんて……リキ様っ!」

「辛そうだな……。もっと触ってやるぜ。早く良くなるといいな」

 

 異様な光景だった。

 左手で一の胸を、右手で尻を……。円を描くように優しく撫で回すリキ。

 

 触っている最中、どうやらリキの指が“クリーンヒット”したようで、一が叫び声をあげる。

 

「あぁっ! そこは……ダメッ!」

「ここが悪いのか? じゃあ、もっとやってみるな」

「もう、僕……壊れちゃいそうっ!」

 

 高校の玄関で、俺たちは一体なにをやっているんだろうな。

 

  ※

 

 散々、身体を弄ばれた一は、床に腰を下ろす。

 息遣いはまだ激しく、横座りでうっとりとした顔だ。

 

「リキ様。ありがとうございました……すごく良かったです」

「そうなのか? なんか良く分からないけど、治ったなら安心したぜ!」

 とニカッと白い歯を見せて、親指を立てるリキ先輩。

「ハァハァ……あの、お手洗いは近くにありますか?」

「この廊下の奥にあるぜ」

「わかりました……ちょっと、お借りさせていただきます。コスが汚れてないか、確認を……」

 

 えぇっ……ウソでしょ?

 汚れを落とすはずが、コスのどこかが汚れたの?

 サキュバスが搾取出来ず、逆に搾り取られたとか……まさかね。

 

 一は、廊下の壁にもたれ掛かりながら、よろよろと奥へと進んでいった。

 

 

「アハハ! 面白かった☆」

「……」

 ホントに酷いよ。この人。

 人間で遊んでるじゃん。

 

 とミハイルの言動にドン引きしていると……。

 背後から、視線を感じた。

 振り返ってみると、階段の上。2階からスマホをこちらに向ける少女が一人。

 腐女子のほのかだ。

 

 鼻から真っ赤な血を垂らしながら、眼鏡を光らせている。

 どうやら、今まで起きた出来事を録画していたようだ。

 

「ヒヒヒッ。こいつは最高の逸材だわ……リキくん×一くんか。これだから、創作はやめられないのよっ!」

 

 お前の創作とは、一緒にして欲しくない。



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399 高校が宣伝しないとダメな時代なんすね……。

 

 トイレから戻ってきた一は、何故かスッキリした顔でニコニコと笑っている。

 

「はぁ……リキ様のマッサージで、日頃のストレスが全てなくなりました♪」

 とハンカチで手を拭いている。

 一体、彼にナニが起きたんだ?

 

 そんなことより、気になることがある。

 一ツ橋高校の関係者でもない彼が、この校舎にいたことだ。

 

「なあ、一。お前、なんでこの高校にいるんだ?」

「あ、それでしたら、“ツボッター”を見て来ました。今日はクリスマス会なので、生徒じゃなくても遊びに来ていいと……」

「え? ツボッターに?」

「はい、こちらです」

 そう言って、自身のスマホを見せてくれた。

 

 SNSのツボッターだ。

 アカウント名は、一ツ橋高校、福岡校。(公式)

 

 だが、高校の写真なんて、一切載っていない。

 アイコンは、ウインクしている宗像先生の顔。

 ヘッダーも高校とは無関係の写真。

 際どい水着を着て、事務所のソファーで寝そべるアラサー教師……。

 どこかのピンク系アカウントみたい。

 

 そして、一週間前ぐらいから、宗像先生が毎日呟いていたようだ。

 見学も兼ねて、今年最後のスクリーングに、クリスマス会をやるから、遊びに来て欲しいと。

 

 

「なるほどな……だから、一はここに来たのか?」

「はい! リキ様にお会いしたいし、まだイブじゃないですけど。クリスマス会ですから、気合を入れて、コスを着て来ました!」

 聖夜にサキュバスかよ。

「てことは、お前。ずっとそのコスでここまで来たのか?」

「はい。電車を使ってきましたよ♪ 途中、何人か知らないお姉さんに、身体を触られたりしましたけど」

「そ、そうか……」

 

 まあ、リキ様に汚れを落としてもらったから、良いんだろうな。

 

  ※

 

 授業が全て終わり、俺とリキは宗像先生に言われて、ミハイルの手伝いをすることになった。

 クリスマス会をやる場所は、1階の玄関奥。

 入学式の時に使用した自習室だ。

 

 基本、一ツ橋高校が使っていいのは、2階の事務所と、この自習室だけだ。

 

 机を全て、後ろに片づけ、イスだけを並べる。円を描くように。

 こうすることで、自ずとお互いの顔を見られるように……と、宗像先生が提案したのだ。

 俺とリキは黙って、それに従う。

 

 宗像先生と言えば、ミニスカのサンタコスを着て、場を盛り上げようと必死だ。

 

「よし、ここはクリスマスぽい曲でもかけてやるか。最近の若い奴らは何が好きかな? アレか。『ワモ』の『ラズド・クリスマス』がいいよな」

 

 そう言って、教壇の上にラジカセを置き、名曲を流し始める。

 しかし、一緒に飾りつけを手伝ってくれた男子生徒たちは、この曲を知らないようで、無反応だ。

 黙って机を片づけたり、イスを出してくれたり……。

 鼻歌でクリスマス気分を味わうのは、宗像先生のみ。

 

 かわいそう……。まあ俺はあの曲、好きだけど。

 

 中央に机を4つくっつけて、テーブルクロスをかける。

 そこへミハイルが調理したオードブルを並べてくれた。

 

 朝5時から作っているということもあって、いつもより豪華だ。

 ローストチキン、ミートパイ、ビーフシチュー。パエリア、チーズフォンデュ。

 それにスイーツとして、ブッシュ・ド・ノエルまで……。

 

 こんな出来る嫁、他にはいないぜ。

 おまけに可愛いし、一緒になれたら、毎日この料理を食えて、ヒップも触り放題か。

 キッチンで調理するミハイルを後ろから、邪魔したいものだ。色んなことをして……。

 

 

 30分後。ようやくパーティーの会場が完成した。

 黒板にはチョークで大きく『第31回、一ツ橋高校。クリスマス会』と書かれている。

 女子も協力してくれたから、辺りの壁は色とりどりの折り紙で作られたハートやサンタさん。星なんかも飾られている。

 ついでに、宗像先生が「近所のゴミ置き場から拾ってきた」とボロいクリスマスツリーまで。

 中央に並べたテーブルに、ミハイルの作った料理やスイーツが並べば、そこだけ別の空間。

 豪華なクリスマスパーティーのはじまり。

 

 ミハイルの作った料理を囲うように、円状に並べられたイスへ各々が座る。

 そして、紙皿を手に持ち、オードブルから好きな料理を移す。

 席に戻り、みんな口に入れた瞬間、優しい笑顔になる。

 

「おいしぃ~! 古賀くんの料理、レベチだよね」

「ほんと。作り方、教えて欲しいぐらい」

 

 それを聞いたミハイルは、俺の隣りで「うんうん」と頷く。

 本当にこいつは、ヤンキーのくせして、人に美味しいものを食わせるのが好きなんだな。

 でも、なんかムカつく……俺だけに作ればいいのに。

 

  ※

 

 司会役の宗像先生がマイクを持って、教壇に立つ。

 

「えぇ~ みんな今日のために、色々とありがとう! 今回のスクリーングで今年は終わりだ。来年まで会えないと思うと、先生も寂しい……」

 絶対にウソだろ。

 その証拠に、もう片方の手にハイボール缶を持っている。

「お前たちも、いろいろとプライベートで問題があったろうに、よくぞ一年間頑張った! だからパーッとやろう! と、乾杯したいところだが……」

 わざとらしく、咳ばらいをする宗像先生。

「実は、今日はだな。見学も兼ねて、客が来ている。そろそろ、入ってもらおう」

 一のことだろう……そう、思っていたが、入口の前に現れたのは、意外な人物だった。

 

 黒を基調としたシンプルなデザインのミニワンピース。

 胸元には白くて大きなリボン。

 細く長い2つの脚は、黒いタイツで覆われている。

 金色の美しい長い髪は肩に下ろし、碧い瞳を輝かせていた。

 

 一ツ橋高校のみんな……生徒たちは、驚いていた。

 もちろん、彼女の美貌に見惚れているのだろうが……。

 それよりも、似ているからだ。

 俺の隣りに座っている……彼に。

 

 静まり返る生徒たちを無視して、彼女は壇上に立つと、丁寧に頭を下げた。

 

「どうも。私、冷泉 マリアと言います。婚約者の新宮 琢人がいつもお世話になっております」

 

 俺は思わず、飲んでいたジュースを吐きだす。

 

「ブフッーーー!」

 

 なんで、マリアがここにいるんだよ!

 嫌な予感しかない……。

 その証拠に、隣りから物凄い音で歯ぎしりが聞こえてくる。

 

「あ、あいつぅ……ガチガチッガチッ!」

 

 こんなクリスマス会は望んでいないよ……。



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400 チキンタクト

 

 突如、現れたマリアによって、会場は静まり返ってしまう。

 

「今日は婚約者として、タクトの学生生活を知りたく……一ツ橋高校に見学へ来ました」

 

 勝気な彼女とは思えない振る舞いだ。

 でも、俺の級友がいるからと、気を使っているだけだろう。

 その証拠に、2つのブルーサファイアの輝きは色あせない。

 何十人もいる生徒たちの中から、すぐに俺を見つけ出す。

 

 他の生徒たちなんて、気にもせず、こちらへと真っすぐ向かってきた。

 そして、俺の左隣が空いていることに気がつくと、ゆっくり腰を下ろす。

 

「ちょっと、早いけど……メリークリスマス♪ タクト」

 

 至近距離からのウインク。

 可愛い……けど、反対側から物凄い殺気を感じるので、何も言えない。

 

「ガチガチッ……勝手にタクトの隣りに座りやがってぇ!」

 

 両手に花だけど、生きた心地がしない!

 あ、ミハイルは男か。

 

  ※

 

 マリアの登場により、ムードが悪くなってしまったが。

 そこへ宗像先生が、彼女の事情を説明してくれた。

 

 マリアは俺の幼馴染で、前からずっと一ツ橋高校への見学を希望していたこと。

 そして、今日は誰でもクリスマス会に参加していいと、ツボッターで連日、宣伝していた。

 なんだったら、親や兄弟でも良かったとか。

 

 続いて、もう一人。パーティーに参加する人間を呼び出した。

 卑猥なコスプレイヤーの住吉 一だ。

 自分からサキュバスの衣装を着ているくせに、身体をくねくねとさせ、恥ずかしそうだ。

 

「あ、あの……住吉ですぅ…。きょ、今日はみなさんとご一緒に、楽しみたいと思います!」

 

 彼が自習室に入ってきた瞬間、身を乗り出すのは女子生徒たちだ。真面目な方の。

 

「なに、あの子!? めっちゃスケベやん!」

「撮影いいのかな……なんか興奮してきた。触っていいの?」

 ダメに決まってんだろ。

 しかし、そこへ割って入るのは、怪しく眼鏡を光らせる一人の女子だ。

「みんな! ダメよ! 彼はリキくんの所有物だからね! お触りは絶対にしたらイケないわ。ここは少し離れて見つめるのが、道理ってもんよ! 尊い光景が拝めるのだからっ!」

 それを聞いた他の腐女子たちは、納得したようで、頷いていた。

 キモッ……。

 

  ※

 

 女性陣の注目は、一気にマリアから一へと変わってしまったが。

 依然として、俺の周りだけは、殺気だっている……。

 

「ねぇ、タクト。この料理は誰が作ったの?」

 と紙皿にチキンを載せて、フォークで突っつくマリア。

「え? それか? 全部、ミハイルが作ってくれたんだ」

 そう言って、身を引き、右隣に座るミハイルを改めて紹介する。

 しかし、彼は背中を丸めて、膝の上で拳を作っていた。

 ギロッと鋭い目つきで、マリアを睨む。

 

「へぇ……本当にあなたが作ったの?」

「そうだよ。まずいとか、言いたいのかよ!?」

「いいえ。正直、驚いてたの……」

「は? なにが?」

 

 フォークを持ち上げて、自身の小さな口でチキンを頬張る。

 瞼を閉じて、味をかみしめているようだ。

 

「本当に……美味しい、と思って」

「なっ!?」

 その言葉にミハイルも驚いていたが、俺も彼女らしくない態度だと思った。

 ハイスペックなマリアのことだ。

 全ての料理に文句をつけそうなもんだと、思っていたが。

 

「古賀 ミハイルくんだったわね? こんなに料理が上手なのに、男なんて……勿体ないわね」

「はぁ!? 男だって、料理できた方がいいに決まってんじゃん!」

「いえね……あなたほどのルックスを持っていて、料理までこんなに上手な女の子だったら……。良いライバルだったろうにと思ったのだけど」

 言い終える頃には、口角を上げて、勝ち誇ったような顔つきで、ミハイルを見つめる。

「べ、別におまえに食べさせるために、がんばったわけじゃないもん!」

 

 そうは言っているが、エメラルドグリーンの瞳には、大きな涙を浮かべていた。

 心底、悔しそうだ。

 性別の壁だけは、どうにも出来ないからな。

 

 震えるミハイルの白い手を見て、俺は……優しく握ってあげたい……。

 と心では思っていても、行動に移すことは出来なかった。



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401 股間ハーレム?

 

 クリスマス会に参加した生徒たちの顔は、みんな明るかった。

 一足早く、聖夜を楽しんでいるかのように。

 それも朝早くから、ミハイルが一生懸命作ってくれた豪華なオードブルが並んでいるからだろう。

 談笑しながら、何度も紙皿を持って、中央のテーブルにおかわりするほど、彼の料理は人気だった。

 

 ただ、俺の周囲だけはシーンと静まり返っている。

 左隣のマリアは、黙々と料理を食べ続ける。

 対して、反対側に座っているミハイルは、一切口にすることはなく、ずっと俯いていた。

 

 俺も紙皿に料理だけは、一応載せているが……。

 この重たい空気に飲まれて、食べる気がしない。

 

 ~30分後~

 

 ウイスキーの瓶を片手に、しっかりと出来上がった宗像先生が突如、叫び声をあげる。

 

「おぉい~ お前らぁ! クリスマスプレゼントは、ほぢぃかぁ~!?」

 

 また宗像先生の悪ノリが始まったよ……。

 どうせ、用意してないくせに。

 仮に持ってきたとしても、どこからか盗んできた物だろう。

 俺と同じく、会場にいた生徒たちもどこか冷めた目で、宗像先生を眺める。

 

「なんだぁ!? いらないってか? ゲームに勝ったら……なんでも願いを叶えてやるんだぞぉ!」

 

「「「……」」」

 

 誰もその問いに、答えることはなかった。

 だって、同じようなセリフを随分と前に、聞いたからだ。

 運動会の時、MVPはどんな願いでも叶えると……。

 結局、あの時はミハイルが優勝したっけ。

 彼の願いは、宗像先生に耳打ちして終わったから、知らないのだが。

 

 黙り込む生徒たちを見て、宗像先生は顔を真っ赤にして、怒り出す。

 

「お前らぁ……この私を信用できないのか!? よし、じゃあプレゼントの内容を詳しく説明してやる。クリスマスと言えば、恋人たちの大イベント。ズッコンバッコンな一日だろう。ラブホの清掃員は大忙しだな!」

 一体、なにを言っているんだ……この人は。

「つまり、お前ら未成年たちも、なんだかんだ言って、ヤリたくて仕方ないわけだな。それでだ、聖夜の権利をかけて、アームレスリング大会を開催したいと思う! 優勝すれば、この会場にいる好きな人間とデート……いや、ホテルにぶち込んでも良いのだ!」

 

 熱弁する宗像先生とは対照的に、生徒たちは静まり返っていた。

 というか、ドン引きしていた。

 酔っているとはいえ、担任の先生から、ホテルだのヤるだの勧められたから。

 

 特に真面目な生徒たちは、カチコチに固まり、俯いてしまう。

 完璧なセクハラだな。

 

 しかし、数人の生徒たちが真に受けて、席から立ち上がる。

 

「マジかよ!?」

「見学者でも……いいのでしょうか?」

 

 鼻息を荒くして立ち上がるリキ。それに、頬を赤くして股間を抑える一だ。

 彼は、まだ沈静化できないのか……?

 しかし、立ち上がったのは、男子だけではない。

 

「私もいいかしら?」

 

 そう言って、手を挙げたのは、俺の隣りにいたマリア。

 これには、俺も驚きを隠せずにいた。

 

「なっ!? マリア……宗像先生の言うことを鵜呑みにするなよ。どうせ、ウソだぞ?」

 俺がそう忠告しても、彼女は首を横に振る。

「ウソでもいいのよ。クリスマスは先約しておきたいの。どこかのブリブリ女が出しゃばる前に……ね?」

 そう言って、ミハイルを睨みつける。

 これには、沈黙を貫いていた彼も口を開く。

「ブリブリ……それって、アンナのことかよ!?」

「ええ。よく分かっているじゃない。さすが、いとこね。そうだわ……あなた、アンナにそっくりだから、代理で勝負しない?」

 目の前のこいつが、アンナなんだけどなぁ……。

 煽られて、ミハイルも席を立ちあがる。

「お、お前なんかにタクトを盗られてたまるか! クリスマスはアンナと過ごすんだ!」

 

 なんか知らないうちに、勝手に俺が賞品にされちゃったよ……。

 でも、イスに座っている俺からしたら、ちょっと嬉しい。

 

 2人とも上で、距離を詰めてバチバチと睨みあっている。

 つまり、互いの大事な所がぷにゅん、ぷにゅんと当たるわけだ。俺のほっぺたに。

 左はつるぺた。右はちょっとだけ、ふぐりが……。

 すごく気持ちいい……だが。

 どっちだ? 俺は今、どっちに反応しているんだ?

 両手で自身の股間を必死に抑えこむ……そうしないと、チャックが壊れそうだから。



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402 格好つけてんじゃねぇ、この「ちんぴら!」は小倉名物です(税込400円)

 

 酔っぱらった勢いで、また宗像先生の下らないゲームへ参加することになった。

 ミハイルが作った豪華なメニューは、既に品切れ状態。

 大人気で30分もしないうちに、みんなが食べてしまった。

 俺ですら、あまり口に出来なかったぜ……クソがっ。

 

 もう中央に設置したテーブルは使わないだろう、と宗像先生がテーブルクロスを外した。

 2つの机を少し間隔をあけて並べる。

 そこへイスを4つほど持って来て、向かい合わせに置いた。

 どうやら、これが試合会場のようだ。

 

「これでよし。じゃあ、今から『聖夜の相手は誰だ!? びしょ濡れアームレスリング大会』を始めるぞ!」

 

 酷い名前の大会だ……。

 ドン引きする俺とは違い、ミハイルとマリアはやる気マンマンのようだ。

 

「オレが絶対、優勝してクリスマスはアンナとデートさせるからな!」

「ふん。いい度胸ね。10年分の想いの差を見せつけてあげるわ」

 

 話が勝手に進んでいるが……ちょっと待てよ。

 最近、俺もミハイルが可愛すぎて、女扱いしているけど。

 男子と女子は戦ったら、ダメなんじゃないのか?

 マリアも男に負けないぐらいの馬鹿力を持ってはいるが。

 さすがに今回は……。そう思った俺は、壇上に立つ宗像先生の元へ向かう。

 

「宗像先生。今回の大会って男女は戦ったらダメですよね?」

「そりゃそうだろな。ゴリラみたいな女でも、性別が違うからな」

 しれっと酷いこと言うなぁ。

「じゃあ、ミハイルとマリアは戦ったら、良くないでしょ? あの2人、試合する気マンマンですよ」

 俺がそう言うと、先生はしばらく考え込んだ後、こう答えた。

「ふむ……あの2人か。確かに双子ってぐらい似たような顔だし、それに体格も同じ。なら、良いんじゃないのか?」

「へ?」

「古賀は尻を叩いたら、女みたいなカワイイ声で叫ぶから、女子部門にさせよう! 面白そうだしな♪」

「えぇ……」

 

  ※

 

 結局、宗像先生の思いつきで、ミハイルだけは女子部門へ参加することに。

 

 アームレスリング大会については、強制ではない。あくまでも、任意だ。

 だから、消極的な真面目生徒たちは、やりたがらなかった。

 

 男子部門からは、リキと一だけ……では盛り上がらないと、宗像先生が怒り出し。

 俺とおかっぱ頭の双子、日田兄弟の片割れを無理やり参加させた。

 

 1回戦はリキと日田 真二。弟の方だ。

 兄は身体が弱いため、彼が参加したらしい。

 

 結果は、瞬殺。

 ほのかと聖夜を楽しみたいリキが、開始の合図と共に、腕をへし折るように机へ叩きつけた。

 悲鳴を上げて、机から転げ落ちる日田。

 かわいそう……。

 

 次は俺の番だ。

 机に座り、右腕を差し出すと相手選手が優しく俺の手を握りしめる。

 とても柔らかい。

 

「あ、あの……新宮さん。あまり痛くしないでくださいね」

 視線を上げて、相手の顔をよく見る。

 そこには、頬を赤くしたサキュバスがいた。

「一か。まあゲームだからな、適当にやろうな」

「はい、クリスマス会ですもんね。楽しくしましょう」

 と優しく微笑んでくれたのだが……。

 

 宗像先生が俺たちの拳に手を当てて、「それでは2回戦、はじめっ!」と叫んだ瞬間。

 可愛らしいサキュバスの表情は失せ、鬼のような形相になる。

 眉をひそめて、俺の手をぐしゃっと握り潰す。

 

 その痛みに耐えられず、俺は力を緩めてしまう。

 

「フンッ!」

 

 普段はそんな低い声を出さないのに、この時ばかりは漢だった。

 それも戦に出るような、侍。

 

 反対方向に叩きつけられた俺の腕は、感覚が麻痺していた。

 これ……折れてるよね?

 

「勝者! 住吉 一! 決勝戦は、千鳥と住吉で決まりだ!」

 

 宗像先生が一の手を取り、試合の終わりを告げる。

 

「やったぁ~♪ リキ様と戦えるぅ~」

 

 可愛らしくその場で、ぴょんぴょんと跳ねてみせるサキュバス。

 

 だが、そんなことよりも見てよ。

 俺の右腕……ぶら~んとして、全然力が入らないの。

 痛みすら感じない。

 どうやったら、治るの?

 ねぇ、サンタさんたら……。



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403 創作において「キモイ」「ヤバイ」「ヘンタイ」は誉め言葉です。

 

 反対側に曲がってしまった俺の右腕だが……。

 宗像先生が強引に元の形に戻してくれた。

 やっと腕に力が入るようになったのだが、肌の色が真っ青なんだよね。

 しかも、妙に冷たい……壊死じゃないよね?

 

 

 男子の決勝戦は、リキと一。

 お互い、テーブルに肘をつけると、相手の手をがっしり握る。

 

 最初に口を開いたのは、リキの方だ。

「なぁ、一。悪いけど、俺は本気なんだ。負けても泣かないでくれよ」

「え、えぇ……僕なんかじゃ、リキ様の相手になりませんよ……」

 そう言いながら、頬を赤くする。

「なら全力で行くぜ?」

「は、はい!」

 

 そこへ宗像先生が現れて、2人の拳に手をのせる。

 

「よぉし! これが男子の最終決戦だ! 勝った奴がイブを過ごす相手を選べるからな。出し惜しみするなよ!」

 

 まだ言っているのか。そんな権限ないくせに。

 

「始めぃ!」

 

 ~10分後~

 

「くぅぅ……」

「……」

 

 苦悶の表情をするのは……一ではなく、リキの方だ。

 スキンヘッドは、汗でびしょ濡れ。

 顔を真っ赤にして、一の腕を倒そうと必死だ。

 しかし、彼の華奢な細い腕は、ビクともしない。

 

 むしろ余裕すら、感じる。

 その証拠に、もう片方の腕で頬杖をついている。

 頬を赤くして、潤んだ瞳でリキを見つめる。

 

「はぁ……」

 

 とため息をつく。

 だが、試合に疲れているからではないようだ。

 多分……愛しのリキ様に見惚れているから。

 

 リキはそんなことも知らず……というより、相手の顔を見る余裕がない。

 瞼をぎゅっと閉じて、一を倒すことで精一杯のようだ。

 

「くっ、強えぇな……一」

「……」

 

 うっとりとした目でリキを見つめる一。

 左の小指を噛みながら、呟く。

「はぁ……このたくましい手で、僕は……」

 先ほどの“情事”を思い出しているのだろうか。

 なんだかこの2人の周りだけ、ピンク色に見えてきたよ。

 

 ~更に10分後~

 

「ぐあああ!」

「……」

 

 アームレスリングの試合を良いことに、愛しのリキをたっぷり堪能する一。

 しかし、このままでは、あまりにもリキが可哀そうだ。

 遊ばれているだけだからな。

 

 試合中だが、俺は一の方へ静かに近寄る。

 そして、彼に小さな声で耳打ちを始めた。

 

「おい、一。そろそろ、決めてやれよ。勝つのか、負けるか……」

 俺がそう言うと、ようやく我に返ったようで、いつもの彼に戻る。

 ビクッと震えて慌て出す。

「ひぃっ! し、新宮さん!? どうして、隣りに?」

「お前がさっさと試合を決めないからだろ……もう30分近くも戦っているぞ? リキを想うなら、真面目に戦ってやれ」

「あ……ごめんなさい」

 

 正気に戻ったことを確認した俺は、自分の席に戻ろうと、彼に背中を向ける。

 次の瞬間だった。

 

「勝者! 千鳥 力! 優勝は、千鳥だっ!」

 

 振り返ると、汗だくになったリキが、自身の拳を高々と天井に突き上げていた。

 一はと言えば、わざとらしく自身の腕を痛そうにさすっている。

 

 なんだっんだ、この茶番は?

 

  ※

 

 男子部門が終わったところで、次は女子だ。

 

 女子の第1回戦は、マリア対ほのか。

 

 どう考えても、マリアに武があるのだが……。

 ハイスペックな彼女でも、苦手なものはあるようで。

 怪しく眼鏡を光らせた腐女子のほのかを見て、顔を引きつらせていた。

 

「よ、よろしく。私はマリアよ……」

 そう言って、対戦相手に手を差し出す。

「うひょおー! 本物の金髪美少女やん! めっちゃ可愛い! ペロペロしたくなるわ!」

 机に大量の鼻血を垂らす変態。

 よっぽど、マリアのルックスが気に入ったようだ。

「あ、あなた。大丈夫なの? 鼻から血が出ているわよ?」

「気にしないでぇ! これは癖みたいなものだから……それより、ミハイルくんにそっくりだね。もしかして、双子とか?」

 鼻息を荒くして、身を乗り出すほのか。

 これには、さすがのマリアもドン引きだ。

「い、いえ。彼とは……他人よ?」

「ハァハァ……今日は大量の素材を手に入れたわ。一くんはBLに使えそうだけど、あなたは完璧に百合ね!」

 

 真面目な帰国子女には、理解できない世界のようだ。

 困惑した様子で、ほのかを見つめている。

 

「ゆ、ゆり? なんのこと? あなたはお花が好きなの?」

「ええ! もちろんよ! マリアちゃんみたいなお華を、びしょ濡れにさせて、咲かせまくるのが大好きなの!」

「え……もしかして、あなたレズビアン?」

 

 とこちらに視線を向けてきたから、俺はそっぽを向いた。

 あんまり関わりたくないから……。



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404 学校のトイレだからって我慢しちゃダメですよ。

 

「ハァハァ……マリアたん。早く絡めたいわ……」

 鼻息を荒くして、自前の制服。白いブラウスは、血で赤く染まる。

 ただし、ケガによるものではなく、彼女が興奮しているからだ。

 

 対戦相手のマリアは、試合が開始したにも関わらず、硬直していた。

 きっと、どう接していいか、分からないのだろう……キモすぎて。

 

「あ、あの……ほのかさんだったかしら? もう始めてもいいの?」

「もちろんよ! まずはそっくりなミハイルくんを女体化させて……それから、マリアちゃんとベッドインさせましょ!」

「え……?」

 

 ほのかの脳内は、既に自身の創作でいっぱいのようだ。

 アームレスリングなど、どうでも良いのだろう。

 目の前にいる金髪ハーフの美少女を、如何にして、作品で絡めるか……そればかり考えている。

 全く持って、迷惑な生き物だ。

 

 マリアは困惑した様子で、ずっとほのかを見つめている。

 

「私、海外にいたから、そういう恋愛感情とか差別する気はないのだけど……。でも試合だから、倒すわね?」

 なんか、幼児に話しかける保育士さんみたいだ。

「うひょお~ 女体化したミハイルくんをベッドに押し倒すですって!? マリアちゃんは、攻めだったのねぇ!」

 暴走するほのかを見て、悲鳴をあげるマリア。

「ひぃっ! ごめんなさい!」

 そう言うと瞼を閉じて、ほのかの腕を倒した。

 

 しかし、負けた彼女は嘆くことなどない。

 眼鏡を光らせて、怪しく微笑んでいる……むしろ嬉しそう。

「うへぇ~、そのブルーサファイア。キレイだわぁ。ペロペロしたい♪」

「あ、あの……試合は終わったのだけど?」

 ほのかは倒されても、マリアの手をずっと離さなかった。

 白く透明感のある美しい肌を、スリスリと撫で回す腐女子。

 確かに、無知なマリアじゃなくても、恐怖を覚える。

 

 そこへ、宗像先生が間に入ってきて、ほのかの手を引き離す。

 

「勝者! 冷泉 マリア!」

 

 宗像先生はマリアの腕を上げて、笑っていたが。

 肝心のマリアは、全然喜んでいない。

 真っ青な顔で俯いている。

 なにやら、一人でブツブツと呟く。

 

「試合は勝ったのに……なぜか、あの子に負けた気がするのだけど」

 

 そりゃ、あの変態女先生に勝てる人間なんていないだろ。

 創作においてだが……。

 いや違うな。正しくは人間を辞めているから。

 

  ※

 

 女子部門の2回戦は、宗像先生とミハイルだ。

 

 腐女子が多いとはいえ、みんな根はまじめ……というか、基本陰キャばかりだ。

 だから、こういう時。自ら挙手するような女の子は少ない。

 

 仕方なく、ミハイルの相手は、宗像先生がすることに。

 

 ミニスカのサンタコスをしていると言うのに、机に肘をつくとガニ股になる宗像先生。

 試合を観戦している俺からすると、紫のレースパンティが丸見えだ。

 汚いので、早く股を閉じて欲しいものだ。

 

「よいしょっと☆」

 

 その汚物を隠してくれたのは、俺の嫁……じゃなかったダチのミハイル。

 レザーのショートパンツが、イスの隙間からはみ出る。

 ぷにんとして、柔らかそうだ。

 何かまた怒りが込み上げてきた……“あれ”が触れなかったことを。

 

 宗像先生が自身の口から試合の始まりを告げる。

 

「いくぞ、古賀!」

「オレ、負けたくない! 絶対に!」

 

 ~10分後~

 

「クッソ~! 強いよぉ~ 宗像センセー!」

「あ、あああ」

 

 お互い、プロレスラー並みの馬鹿力を所持しているため、なかなか試合が決まらない。

 五分五分と言ったところか。

 だが、宗像先生の様子が少しおかしい。

 唇をかみしめて、何かを我慢しているように見える。

 

「あああ……ヤバいぃ! 漏れるぅ!」

 

 これには、周りにいた生徒たちみんな、一斉に声を揃えた。

 

「「「え!?」」」

 

「だはぁ! ハイボールを飲み過ぎたぁ! もうダメ! おしっこが漏れちゃうよぉ!」

 

 アラサー教師がお漏らし発言とか……、しんど。

 

 

 結局、宗像先生がトイレに行かないと、自習室の床がびしょ濡れになる恐れがあったので、ミハイルの勝利となった。

 

 自ずと女子部門の決勝戦は、マリア対ミハイルに。

 両者、向かい合うと、お互いを睨みつける。

 双子ってぐらいそっくりの2人だが、やはりこうして並んでみると、違和感を感じる。

 ファッションの好みに、違いもあるのだろうが……。

 

 一番はその美しい瞳だ。

 特にマリアのブルーサファイアからは、持ち前の性格が現れている。

 決して目つきが悪いとかではなく、瞳が大きいので、目力がある。

 それに「この勝負に勝ちたい」という気持ちが強いからだろう。

 

 机の上に肘を載せて、ミハイルを待つ。

「さぁ、早く始めましょう?」

 と怪しく微笑む。

 余裕すら感じるマリアに、ミハイルは動揺していた。

「わかってるよ! おまえなんか、すぐに倒しちゃうゾ!」

「フフフ……面白いわ。あなたを見ていると、あのブリブリ女を思い出すの。男の子なんだから、全力でいいわよね?」

 

 マリアのやつ。アンナのことで、ミハイルに八つ当たりしているな。

 ていうか、張本人だから別にいいか。

 

 ミハイルは顔を真っ赤にして、安い挑発にのってしまう。

「アンナのことをバカにするな! タクトの大事なカノジョ候補なんだ!」

「フン。あんな地雷系の痛い女が? 笑わせるわね……」

 

 腕相撲の前に、取っ組み合いの喧嘩が始まらないか、ヒヤヒヤしていたが。

 おしっこから戻ってきた……宗像先生が2人の元へ近寄り、試合開始を告げた。

 

「女子の決勝戦! 始めぃ!」

 

 自習室は独特の緊張感が漂っていた。

 みんな、2人のピリッとした空気にやられているようで、静まり返る。

 俺もこの試合で、クリスマスイブが決まる……かもしれないので、一応気にはなる。

 ていうか、俺にイブの選択肢はないんですか?



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405 メンタリスト、マリア。

 

 試合開始から、約30分が経とうとしていた。

 両者一向に引けを取らない。

 全てが互角だった。

 

 あの馬鹿力のミハイルと、同等に戦える人間……いや、女がこの世にいたとは。

 宗像先生はカウントしてない。あれは中身がオッサンだから。

 

「んぐぐぐっ……」

 ミハイルの額からは、たくさんの汗が流れ出る。

 それだけ、彼が本気だってことだ。

 対するマリアも同様だ。

 顔を真っ赤にして、相手の腕を倒すことに、全神経を集中させている。

「強いわね……」

 

 このままでは勝負が終わることがない……そう思っていた。

 だって、体格も力も全てが同じならば、引き分けしかない。

 持久戦だとして、スタミナでさえ互角なら、どちらも勝てるとは思えない。

 

 参ったなぁ、と後ろからミハイルを眺めていると……。

 マリアが苦しそうに話し始めた。

 

「あのね……良いことを、教えてあげるわ」

「は? 試合中だゾ……」

「あなた、あのブリブリ女のいとこでしょ? タクトの……小説で。あれが初めてのデートと、書いてあったけど。本当は違うわよ」

「なっ!?」

 

 マリアの言葉に一瞬だが、力を緩めてしまうミハイル。

 

「ど、どういうことだよ!?」

「本当の初めては……私よ」

 口角を上げて、怪しく微笑むマリア。

 

 そうか、マリアのやつ。

 力では勝てないと踏んで、心理戦に持ち込むつもりか。

 『初めて』を重んじるミハイルにとっては、辛いだろうな。

 

 

「はぁ!? タクトはアンナと初めて『しろだぶし節』の像で、待ち合わせて。それからカナルシティで映画を観て。“キャンディーズ”バーガーで食べた後、博多川でカノジョ候補になったんだゾ!」

 大きな声で過去を遡るのは、やめてくれるかな?

 クラスメイト全員が、聞いているんだよ。

 あと君は、いい加減に『黒田節の像』と覚えなさい。

「それ、全部。10年前にタクトが私へしたことよ? 小説の中でアンナは初めてだとか、喜んでいたからね……いとこに伝えておいて。『あなたは2番目よ』ってね」

 と意地悪くウインクしてみせるマリア。

「こ、このっ!?」

 

 怒りの余り、ミハイルは席から立ち上がりそうになる。

 しかし、試合中だということを思い出し、腰を下ろす。

 

 この間、彼の体勢は大きく崩れ、隙が生まれてしまう。

 マリアはこれを狙っていたのだろう。

 だが、まだミハイルに勝つには、更なる追い打ちが必要なようだ。

 

「あの作品でタクトが行ったデートのルートはね。私たちの定番だったわ。彼は、私という記憶を封印していたから、無意識のうちにやっていたみたいね」

「う、ウソだっ!」

「本当よ。疑うなら、タクトに聞いてごらんなさい。それとも、これから彼が描く『過去』を読んでみることね。そうすれば、真実だと分かるわ」

「そんな……」

 

 マリアのやり方は、汚い……だが、事実だ。

 逃れられない過去。

 10年前はミハイルやアンナなんて、いなかったから、ただの友達として付き合っているつもりだった。

 彼女からすれば、そういう風に見られても仕方ない。

 

 それに……マリアの言う通り、俺は無意識のうちに昔のデートをアンナにさせていたんだ。

 黒田節の像、カナルシティ、ハンバーガーショップ、博多川。

 全て、子供のころにマリアと初めて体験した場所。

 思い出だ。

 

 多分、マリアに出会っていなかったら、俺はあの場所へアンナを、連れて行くことはない。

 というより、そんな発想すら思いつかないだろう。

 

 

 対戦しているミハイルは、きっと大ダメージなのだろう……。

 だが、離れて見ている俺も何故か、心がえぐられるような胸の痛みを感じる。

 これは罪悪感……なのか。

 

「タクトは許してあげて。私以外、女の子との交流経験がないから。それで、私と似ているアンナを代用したのかも……ね。10年間、私を死んだと思っていたみたいだから」

 そうマリアが言い終える頃。ミハイルは項垂れて、黙り込んでいた。

 腕に力を入れるどころか、座っているのもやっと……というぐらい憔悴しきっていた。

 

「アンナは……おまえの、マリアの代わり?」

「そればかりは、彼に聞かないとわからないけど……。私からすると、そう見えるわね。もう私が日本へ戻ってきたのだし、代わりは要らないと思うのだけど?」

「いらない?」

「ええ、そうよ。もう私の代わりはいらないはず。だって、ちゃんと帰ってきたのだから、本当のメインヒロインがね」

「そ、そんな……アンナが。おまえの代わりだったのか……?」

 

 気がつくと、ミハイルの瞳からは、大きな涙がポロポロと零れ落ちていた。

 そして、試合中だというのに、視線をこちらに向けて、唇をパクパクと動かす。

 何かを俺に伝えたいようだ。

 しかし、ショックが大きすぎて、ちゃんと喋ることができない……。

 

「た、タクト……ウソでしょ?」

 

 子供のように顔をくしゃくしゃにして、泣き出すミハイル。

 俺はそんな彼を見て、胸に大きな矢が突き刺さったような激痛を感じた。

 

「ミハイル……すまん、本当のことだ」

 

 観客席から覇気のない小さな声で呟いた。

 正直、周りの生徒たちの耳にも聞こえたか、分からないほど。

 それでも、ミハイルは俺の表情を見て、なにかを悟ったようだ。

 

「アンナは……代わりだったの?」

 

 その時だった。バタンと何かが倒れる音がしたのは。

 マリアがついにミハイルの腕を、机へ叩き落としたのだ。

 時間はかかったが、心理戦は効果てきめんのようで、大ダメージを食らった。

 

「勝者、冷泉マリア! 女子部門の優勝者は冷泉だ!」

 

 宗像先生が試合終了の合図を叫んでいたが、俺とミハイルだけはずっと固まっていた。

 試合の結果に落ち込んでいるわけじゃない。

 

 俺たちの……アンナとの初デートが、2番目だったということが……。

 ショックだったんだ。お互いに。



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406 もう一つのクリスマス・イブ

 

 アームレスリングの優勝者が決まり、クリスマス会も終わりを迎えようとしていた。

 最後にみんなで黒板の前に立ち、集合写真を撮ろうと宗像先生が提案する。

 

 各自、まとまりの悪い集まり方で……。

 先生に言われた通り、真面目に黒板の前に立つ者もいれば、床の上であぐらをかく者もいる。

 こういうところが全日制コースと違い、集団行動が苦手と分かる。

 

 宗像先生が今時、なかなかお目にかかることがない、インスタントカメラを持ってきた。

 一生懸命フレームに収まるよう、撮影に必死だ。

 ガニ股になってまで、位置を測っているから、紫のレースパンティが丸見え。

 

 一応、先生も頑張っているので「しんどっ……」とは、言えなかった。

 

 それよりも、今の俺にとって……一番辛いのは、隣りに立っているマブダチのことだ。

 涙こそ枯れたものの、マリアの語った過去を未だに引きずっている。

 そして、彼の心理ダメージは、計り知れない。

 黙り込んで俯いているミハイルを見て、心配になり声をかける。

 

「なあミハイル……だ、大丈夫か?」

 しかし、彼は何も答えてくれない。

 というより、喋る気力がないように見える。

「……」

 これはかなりの重傷だ。

 そう思っている間に、集合写真の撮影は終わってしまったようだ。

 俺もそうだが、ミハイルも目線は、きっとカメラに向けられなかっただろう……。

 

 だが、これでようやくクリスマス会も終わりだ。

 この後、一緒に電車でミハイルと帰れる。

 2人きりになれば、話題を変えて彼をフォローできるかもしれない。

 しかし、次の瞬間。

 宗像先生から衝撃の一言が発せられた。

 

「よし。じゃあ、先ほどのアームレスリング大会で、優勝した千鳥と冷泉は前に出ろ。お互い、イブを過ごしたい相手を指名してな」

「えっ……」

 

 忘れていた。

 優勝した選手は、クリスマス・イブを一緒に過ごせる権利がもらえるんだった。

 これには、俯いていたミハイルも反応し、顔を上げる。

 

「クリスマス……イブ……」

 

 なんて、悲しい顔だ。

 長い付き合いだが、ここまで落ち込んだ顔は初めてだ。

 俺は……ミハイルの震える小さな肩を優しく掴むことすら、できないのか。

 

  ※

 

 サンタさんとトナカイが描かれた黒板の前に、宗像先生がイスを2つ並べて置く。

 まず、男子部門の優勝者であるリキが座り、インタビュー形式で、先生が彼に尋ねる。

「千鳥。イブを一緒に過ごしたい奴は、この教室の中にいるか?」

「はい! い、いますっ!」

 リキにしては珍しく、動揺していた。

「よぉし。じゃあその名前を叫べっ! そしたら、この蘭ちゃんサンタさんが叶えやろう!」

 

 またノリで無責任なことを言ってから……真に受けるじゃん。生徒たちが。

 その証拠に、リキはかなり緊張していた。

 まるで、告白する時みたいに。

 

「あ、あの……俺はクリスマス・イブを北神 ほのかちゃんと過ごしたいっす!」

 

 男らしく潔い告白……ではなく、公開処刑だと思った。

 夏休みに振られたのに、あいつ……。

 リキはほのかへの想いは変わらず、むしろ以前より大きくなっているように感じる。

 ま、俺からしたら「何がいいんだ?」って思う。

 ただの腐女子じゃないか。

 

 リキの告白により、静まり返る教室。

 みんなの視線は一斉に、ひとりの眼鏡女子。北神 ほのかへと向けられた。

 自身の名前を呼ばれたほのかは、黙り込んでいた。

 俯いて、肩を落としている。

 

 その姿を見た俺は、咄嗟に半年前の出来事を思い出す。

 

『私は……今。夢で忙しいの! 絡めることしか、考えてないの!』

 

 別府温泉でほのかが、リキを振った時の言葉だ……。

 またあんな風に、断られる。

 そう感じた。

 でも、俺には何も出来ない。

 特に今は……隣りに立っているミハイルが心配だ。

 

 

「おぉい! 北神ぃ! どうなんだ? 24日を千鳥と過ごす気はないか!?」

 

 デリカシーのない宗像先生が、追い打ちをかけるように、大きな声でほのかに返答を迫る。

 

 先生の大声でようやく、視線を上げるほのか。

 虚ろな目でリキを見つめる。

 この感じじゃ、また振られるだろう……そう思ったのだが。

 彼女の口から発せられた言葉は、意外なものであった。

 

「えっ? 24日……ですか!? あ、行きます。是非ともリキくんと一緒に行きたいです!」

 

 これには、告白した本人も大喜び。

 イスから立ち上がって、ガッツポーズを決める。

 

「よっしゃー! ほのかちゃんとイブを過ごせるなんて! 俺……諦めなくてよかった」

 余りの嬉しさに泣いているよ……。

 でも、なんか俺まで泣きそう。

 だって、これまでリキは、体当たりの取材をやってきたからな。

 

 まさかの「YES」をもらえたことにより、リキは喜んでほのかを迎えに行く。

 黒板の前に設置された撮影ブースへ連れて行くためだ。

 ハゲた王子さまと、腐った眼鏡のお姫さま。

 

「素敵よっ!」と心の中では叫びたかった……が。

 

 ほのかがイスに座った瞬間、現実へと突き落とされた。

 

「いやぁ。私も24日は絶対に外せない予定があってさ。まさかリキくんも行きたいとは思わなかったよ♪」

 俺は彼女の言う『予定』で、すぐに思い出した。

 そうだ。

 12月24日は、クリスマス・イブでもあるが……コミケも開催されるんだった。

 冬のやつ……。

 

 だが、そのことはリキに一切伝わっていない。

「そうなの? じゃあ、俺も一緒に連れていってくれる?」

「もちろんだよ~ 絶景の撮影スポットもあるから、楽しみにしていね♪」

 と親指を立てて笑う、ほのか。

 絶景ね……どうせ二次創作の裸体パレードだろ。男だらけの。

 

 お互い、意思疎通は取れていないが、まあイブを2人で過ごせることには違いないから……。

 良かったね、リキ先輩。



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407 逃げ出したミハイル

 

 リキと腐女子のほのかが、無事にイブをカップル? として過ごすことになり、会場は大いに盛り上がった。

 というか、他の腐女子たちも、24日がコミケの日だと思い出して、推しのサークルが出展するかスマホで検索しだす。

 そして、卑猥なサキュバスのコスを着た少年。一も2人に便乗する始末。

 

「あ、あの……24日っていうと、『あそこ』ですよね? 僕も参加するので良かったら、声を掛けてもいいですか?」

 ともじもじしながら、無知なリキへ問いかける。

「ん? ああ、そんなに福岡じゃ有名なスポットなんだな。いいぜ!」

 ニカッと白い歯を見せて、親指を立てるリキ。

 その姿を見て、一の顔はパーッと明るくなった。

「本当ですか!? じゃあ、お二人の邪魔にならないようにしますので!」

 

 いや、邪魔する気マンマンだろ、こいつ。

 本当にリキの恋愛って、苦難しかないな……。

 

  ※

 

 最後に女子部門の優勝者、マリアの番となった。

 宗像先生に呼ばれると、すぐさま黒板の前に置かれた片方のイスに座る。

 脚を組んで、両手を膝の上に載せる。

 正に、勝者の顔だ。

 

 先生がイブの相手を聞く前に、自身の口からその名を発する。

 

「私は新宮 琢人を指名するわ。婚約者だから、イブを過ごすのは当然なのだけど」

 

 俺の顔に目掛けて、ビシッと人差し指をさす。

 それを見た宗像先生は「ふむ」と頷いた。

 

「なるほど。じゃあ、ほれ。新宮、呼ばれたぞ? 優勝者の言うことはちゃんと聞けよ」

「そ、そんな……俺の意思は……」

 どうにかして、時間稼ぎでもしようかと試みたが、宗像の機嫌を損ねるだけだった。

「あぁん!? 私が決めたルールだぞ! さっさと行って来い!」

「はい……」

 

 これ以上、逆らったら殴られそう……と、思った俺は渋々マリアの方へと向かう。

 途中でミハイルのことが気になり、振り返って見たが。

 

「……」

 

 黙り込んで、固まっている。

 マリアが語った過去のショックが大きすぎて、呆然としているようだ。

 まあ、写真さえ撮ることが出来たら、あとで2人になれるだろうから……。

 もう少しの辛抱だ。

 

  ※

 

 とりあえず、素直にマリアの隣りに座ってみる。

 腰を下ろした瞬間、彼女はずいっと身を寄せてきた。

 そして当たりた前のように、俺の左腕を掴んで、自身の胸を押し付ける。

 

 相変わらずのノーブラだったので、生乳がとても柔らかく……俺好みのサイズ。

 嬉しい誤算だったが、それよりも遠くから、こちらを眺めている『彼』のことが、気になる。

 

「お、おい……みんなの前だろ?」

 一応、注意してみたが、マリアは悪びれる様子もなく。

 肩をすくめる。

「それがどうしたの? 別にいいじゃない。婚約者なのだし」

「しかしだな……」

「優勝したのは私なのだから、これぐらい良いでしょ? 日本に帰って来て、まだタクトと恋人らしいこと。ちゃんと出来ていないもの」

「そ、それは……」

 

 確かにそう言われたら、マリアとはちゃんとデートしたことがない。

 成長してカナルシティで再会した時ぐらいだろう……。

 あとは、映画を観に行ったけど。半分はアンナが化けていたから。

 

 

「それじゃ、一枚目撮るぞぉ~!」

 

 宗像先生がインスタントカメラをこちらに向ける。

 スマホやデジタルカメラじゃないので、撮影してもすぐに確認できないのが、デメリットだ。

 しかし、失敗できないからこそ、一枚一枚を大切に撮れる代物。

 

 それを察してか、マリアもニッコリと優しく微笑み、俺の肩に顎を乗せる。

 俺は緊張から、身体がカチコチに固まってしまう。

 他の生徒たちの視線をずっと感じるし、恥ずかしくて仕方ない。

 

「よぉし、もう一枚。ラストいってみるか! 瞼を閉じるなよぉ~!」

 

 シャッターの音に気がつかなかった。

 でも、これで最後だ。

 

 ふとミハイルの方に、目をやると……。

 この世の終わりみたいな表情で、こちらを眺めていた。

 早く声をかけてやりたいが、撮影がまだ終わらない。

 もう少し、待っていてくれ……。

 

 

「いくぞぉ~ はい、チーズ!」

 

 今度はシャッターの音が、しっかりと耳にまで響いてきた。

 しかし、それと同時に辺りから、悲鳴があがる。

 

 何事かと、教室内を見回すが、特に何もない。

 女子生徒たちが、俺の顔を指差して、大きく口を開けている。

 ズボンのチャックが、開いた状態なのだろうか?

 と、下半身をチェックしても、問題なし。

 

 そうなると、あとは……。

 

「んふっ……」

 

 耳元がくすぐったいな。

 マリアの声か。

 

 しかし、なんだ。この頬に伝わる柔らかい感触は?

 小さいがプルプルしていて、とても気持ちが良い。

 暖かく癒される……って、まさか!?

 

 そーっと視線を隣りに向けると、瞼を閉じたマリアがいた。

 普段、強気な彼女からは、想像も出来ないぐらい優しい顔。

 頬を赤くして、俺の頬に口づけしている。

 

「んんっ……タクト。好きよ」

 

 一ツ橋高校の生徒、教師。全員の前で告白されてしまった。

 しかも、ほっぺチューされながら……。

 

「や、やめろよ。マリア……こんなところで」

 うろたえる俺に対して、マリアはゆっくりと瞼を開く。

 キラキラと輝く碧い瞳が、いつもより綺麗に見える。

 唇を頬から離してはくれたが、両手はずっと俺の肩を掴んでいて、逃げられない。

 

「これぐらい。海外では挨拶レベルじゃない?」

「そ、それは……でも、ここは日本だ。こういうのは、恋人同士がするものだ」

「フフ。本当にうぶなのね、タクトったら。やっぱり小説に必要ね。私というヒロインが」

「ま、マリア……」

 

 積極的な彼女を見て、俺が固まっていると……。

 一連の行為を遠くから眺めていた彼が、叫び声をあげる。

 

「ふざけんな! 10年とか関係ない! 勝手にオレのダチで遊ぶなっ!」

 

 久しぶりにキレたミハイルを見た。

 だが、その言葉とは裏腹に、身体は小刻みに震えて、どこか弱々しい。

 エメラルドグリーンの瞳は輝きを失せ、涙でいっぱいだ。

 

「ミハイル……」

 彼に手を差し伸べてあげたかったが、マリアの腕がそれを邪魔する。

「もう……もう、知らない! オレ、帰る!」

 

 そう吐き捨てると、彼は背中を向けて、教室から走り去ってしまう。

 俺が呼び止める前に、一瞬で彼は自習室から消えた。

 

 せっかくのクリスマス会。

 朝早くから、料理やデザートまで作ってくれたのに。

 

 俺は……結局、このあとミハイルと一緒に帰ることは出来なかった。

 放心状態のまま、マリアと電車に乗ったが、そこからの記憶が曖昧だ。



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第四十六章 男の娘生誕祭
408 プライド高すぎて、何も出来ない野郎


 

 あれから、2週間近く経とうとしていた。

 今年最後のスクリーングだっていうのに、最悪な終わり方。

 

 別に会おうと思えば、いつでも会える関係性だが……。

 どうも俺からは、ミハイルに声をかけることは恥ずかしいというか……申し訳ない思いで連絡さえ出来ずにいた。

 

 勉強もないし、小説もしばらく書かなくて良い。

 そうなると、新聞配達以外は特に何もせず、一日をダラダラと過ごすだけ。

 

 俺自身、クリスマス・イブは……特別な日だと思っていたから。

 今年はアンナと一緒に過ごすものだと、勝手に思い込んでいた。

 

 でも、口約束とはいえ。マリアとイブを共にすることになった。

 嫌ではないけど……。

 あのミハイルの泣き顔を見て、素直に喜べない。

 

 自室の二段ベッドの上にあがり、寝そべる。

 通知なんて何もないのに、スマホの画面と睨めっこ。

 もしかしたら……そんな思いで、俺はずっと着信を期待していた。

 無意味な行為だが。

 

 その時だった。

 永遠の推し、アイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が、スマホから流れ出す。

 

 着信名なんて、確認せず。電話に出る。

 

「もっ、もしもし!?」

 しばらく、誰とも口を聞いてないので、痰がらみの声になってしまった。

『あ、DOセンセイですか?』

 思っていた相手と違い、俺は一気に落ち込む。

「なんだ……白金か」

『いや、失礼じゃないですか? 私だとなんか都合が悪いんですか? 仕事の話なんですけど』

 深くため息をついた後、白金の『仕事』という言葉に気持ちを切り替える。

 

「仕事? 原稿ならもう書き終わっただろ?」

『それは、来年発売のマリアちゃん回。4巻のことでしょ? 今週、発売された2巻と3巻の話ですよ』

「ああ……そう言えば、発売日だったか」

 すっかり忘れていた。

『そうなんですよぉ~ めっちゃ発売前から人気でぇ~ もう重版決まってですね。編集部は大忙し♪ 私のお給料も右肩上がりで……』

 落ち込んでいたので、白金には申し訳ないが、電話を黙って切ろうかと思った。

「……」

『あれ? DOセンセイ? 聞いてます?』

「聞いてるよ……」

『元気ないですねぇ~ ラノベ業界って2巻で打ち切りが多いのに、“気にヤン”は久しぶりの大ヒットなんですよ?』

「うん……」

 正直、答えるのもしんどかった。

 胸に大きな穴が、空いているようで……。

 

  ※

 

 俺のテンションが低すぎる……というか、声が死んでいたので。

 さすがの白金も心配してくれた。

 何があったのか、事情を聞かれる。

 

 白金も宗像先生みたいにデリカシーのない大人だから、答えたくなかったが。

 なんか今の気分だと、こいつでもいいかと思えた。

 

 クリスマス・イブをアンナではなく、マリアと過ごすことになったこと。

 それを決めたのは、遊びとはいえ、宗像先生。

 

 俺がそれらを説明すると、白金は受話器の向こう側でゲラゲラと笑い始めた。

 

『なんだぁ、そんなことですか?』

「お前……なんだとは、何だ! こっちは真面目に悩んでいるのに……」

『怒らないで下さいよ~ まあ蘭ちゃんが悪いとしてですねぇ……今年のイブがマリアちゃんになっただけでしょ?』

「は? アンナはどうするんだ? イブってのは女子にとって大事なもんだろう」

 言いながら、あいつは男だと思い出す。

『そうですけどね。忘れたんですか? アンナちゃんにはプレゼントがあるでしょ?』

「あ……」

 クリスマス・イブに先約を入れられたことで、すっかり忘れていた。

 アンナの誕生日を。

 

 そうだ。あいつの誕生日は12月23日じゃないか。

 だからプレゼントも、しっかり用意していたんだ。

 

『ね? マリアちゃんはイブを過ごすけど、プレゼントはなし。取材感覚で会えば良いんですよ♪』

「はぁ……」

『ですので、しっかりと相手の好みも考えて、用意したアンナちゃんは本命と言えるでしょう!』

「つまり?」

『夜景が見えるレストランで、ディナーを楽しめば、イブとか関係なし! その後、酒でも飲ませて酔っぱらったら、ラブホテルへ連れ込めば良いんですよぉ~♪』

「……」

 

 とりあえず、電話は雑に切ってやった。

 しかし白金が言うことは、間違っていない。

 イブも大事な日だが、誕生日を一緒に祝う方が大切かもしれない。

 

 クズみたいな編集だが、ようやく元気が湧いてきた。

 いや、違う。

 正しくは勇気だ。

 

 これで、ようやく彼に連絡が出来る。

 俺はスマホのアドレス帳を開き、古賀 ミハイルの電話番号へ電話をかけることにした。



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409 生まれて来てくれて……ありがとうっ!(推しのお母さまへ)

 

『トゥルル……おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』

「またか」

 

 ミハイルに電話する勇気が出たのは良い事だ。

 しかし、肝心の本人が電話に出てくれない。

 

「やはり、怒っているのか……」

 

 この前のスクリーング。

 クリスマス会での、アームレスリングにおいて、マリアが語った過去。

 アンナとした初デートが、実はマリアとの定番デートだったこと……。

 その事実にミハイルは動揺し、完敗。

 

 更に追い打ちをかけるように、マリアがほっぺチュー事件を起こしてしまう。

 嫌なことが重なり。彼は現在……心を完全に塞いでいるのかもしれない。

 

 だが、それじゃダメだ。

 クリスマス・イブのデートは、一緒に過ごせない。

 それでも、俺はあいつを……アンナを祝いたいんだ!

 

 ちょっと意地の悪いやり方だが、こうなれば、方法は選んでいられない。

 仕方ないので、『もう1人』に連絡をすることにした。

 

 唯一、俺がL●NEでやり取りをしているあの子。

 ミハイルとは別人格だから、取材相手として、連絡がとれるかもしれない。

 

 とりあえず、メッセージを使って、軽く挨拶をしてみる。

 

『アンナ。久しぶりだな。良ければ23日に取材をしてくれないか?』

 

 すぐに既読マークがついたが、スルーされたようだ。

 クソッ……これでもダメなのか。

 だが、俺も後には引けない。

 

『すまない。取材というのは、噓……いや、照れだ。アンナの誕生日を祝いたいんだ。頼む』

 

 彼女に無視されたくない一心で、包み隠さず本音で伝えてみた。

 すると……。

 

 既読マークがついた途端、スマホから着信音が流れ出す。

 相手は、アンナ。

 

『タッくん☆ 久しぶり~☆ メッセージ見たけど、ホントなの!?』

 めっちゃテンション高いですやん。

 なら、さっさと電話に出ろよ。

「ああ。前々から考えていたことだ。その……ミハイルからクリスマス・イブのことは、聞いているか?」

『う、うん……なんか罰ゲームで、マリアちゃんと一緒に過ごすんでしょ』

 誰も罰とは言ってないのに。

「そうだ。でも、それは取材だ。仕事にすぎん」

 言っていて、苦しい言い訳だと思う。

『おしごと?』

「ああ、今年のクリスマス・イブは仕事で埋まってしまった。しかし、23日はお前の誕生日だ。その日は完全にオフ。俺が純粋にアンナを祝いたいから、やる。つまり特別な日にしたい……」

『特別……アンナの誕生日が?』

「そうだ。半年前、俺へしてくれたように……」

 

 しばしの沈黙のあと、彼女は照れくさそうに答える。

 

『タッくん……嬉しい。イブを一緒に過ごせないのは、残念だけど。誕生日を2人で過ごせるなら、アンナは大丈夫☆』

「ほ、本当か!?」

『うん☆ 元気が出てきた☆ 今から何を着るか、楽しみぃ~☆』

 良かった。だいぶ声が明るくなった気がする。

「ああ。待ち合わせはいつも通り、“黒田節の像”でいいか?」

『いいよ☆』

「じゃあ、またな」

 

 彼女の声を聞けたことで、ようやく穴が塞がった気がする。

 胸にぽっかりと空いてしまった大きな穴……。

 

  ※

 

 アンナの誕生日、当日。

 俺は博多駅の中央広場にある黒田節の像の下で、彼女を待つ。

 

 もうあと一週間ほどで、今年も終わる。

 博多駅の前には、明日のクリスマスを祝うために、巨大なツリーが建設されていた。

 行き交う人々もどこか忙しい。

 

 空を見上げれば、どこか暗く曇っていた。

 ひょっとしたら雪が降るのかもな。

 

 正直言ってかなり寒い。

 ダッフルコートを着ていても、ぴゅーぴゅーと横風が身体の中を通り抜けて行く。

 でも、なんか今年は、不思議と胸のあたりが暖かく感じる。

 何故だろう……。

 

「タッくん~! お待たせ~☆」

 

 そう言って、目の前に現れたのは、金髪の美少女。

 アンナだ。

 今日のファッションは、至ってシンプル。

 全身真っ白のファーコート。衿には大きなパールがデザインされているものの。

 気温が低いせいか、ボタンは全部しっかりと留めている。

 これではコートの中が見えない。

 まあ、丈の短いデザインだから、相変わらずその細く美しい脚は拝めるのだけど……。

 なんというか、いつも露出してくれているありがたみが、再確認できた。

 

「お、おお……久しぶりだな」

 アンナは俺の顔を見て、すぐになにかを察したようだ。

 頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨む。

「タッくん。今日のファッション。つまんないんでしょ?」

「いや……そういうわけじゃ」

「アンナだって、こんなに寒くなかったら、コート脱げるよ」

 

 そう言って、大きな緑の瞳を潤わせる。

 参ったな……見透かされていたのか。

 

「すまん。俺も女の子と冬を過ごすのは初めてでな。あ、でも頭につけている髪飾りか? コートと同じなんだな」

 どうにか話題を変えようと、頭につけているカチューシャを指差してみる。

「あ、わかった? これ、コートと同じでパールなの。あとね、手袋とバッグもお揃いでぇ……」

 

 聞いてもないのに、ベラベラと喋り出したよ。

 ま、いっか。

 

「しかし、今日は冷えるなぁ。雪が降るかもしれん」

「うん。ホント、寒いねぇ~ こんな日に生まれてごめんね☆ もっと暖かい日に生まれたら、コートもいらないのに」

 とウインクしてみせる。

 

 いや、生まれて来てくれてありがとう。

 というか、暖かいホテルに連れて行けば、コートも脱げるよね?



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410 うちの母ですか? 75↑(腐)ですよ……。

 

 俺は事前に、今日のデートプランを考えていた。

 クリスマス会での事件。彼女……いやミハイルは深く傷ついている。

 だから、少しでも忘れて欲しくて。

 インターネットを使い、色んなデートスポットを検索。

 

 そりゃ、欲を言えば、夜景の見えるレストランで、ワイン片手に乾杯。

 盛り上がったところで、予約していたホテルへと連れて行き……。

 

 なんて、テンプレみたいなデートも考えてみたが。

 俺たちはまだ未成年だ。

 酒も飲めないし、お泊りっていう行為も許されないだろう。

 

 あくまでも、健全な10代のデートで、一番最高な場所。

 童貞の俺が考えに考え抜いた上で、たどり着いた目的地は……。

 

 

「きゃあああ! 寒いぃぃぃ!」

 予想以上にクッソ寒い場所だった。

「ま、マジで寒すぎるな……」

 

 以前、ゴールデンウィークの時に取材として、来たことがあるところだ。

 博多駅からバスに乗って、数十分。

 

 博多ドームの最寄りにある海水浴場。

 百道(ももち)浜だ。

 

 

 普段なら、観光客がたくさんいるのだが、12月も終わりを迎えようとしているこの時期、誰もいない。

 極寒だし風も強いので、正直吹き飛ばされそう。

 

「いやぁ! スカートがめくれちゃいそう」

「え?」

 砂浜で一生懸命、スカートの裾を抑えているアンナをじっと眺める。

 パンツが見えるなら、ここに連れてきて正解だったかも?

「タッくん。ここ、寒すぎるよぉ! どこにあるの? 景色がいい所って」

「すまん……海も見たいかなって思ってな。連れて来たが……この天気じゃな」

 

 今度、強風の時。また、百道浜に連れてこよっと。

 カメラを持って!

 

  ※

 

 あまりの寒さと強風に、歩くことも難しかったため、俺たちはすぐに海水浴場を退散する。

 そしてすぐ裏にある巨大な建物へと向かう。

 

 近くにある博多ドームが横に広いとするならば、このタワーは縦に長い。

 アンナの誕生日を祝うデートスポットとして、俺が選んだのは……。

 

「ここなの? タッくん☆」

「ああ。そうだ……」

 

 2人で目の前にそびえ立つガラス張りの建物を眺める。

 ただし、海からの潮風をバシバシと直撃している状態で。

 アンナなんか、長く美しい金色の髪が乱れまくりだ。

 顔が見えないほど、暴れまくっている。

 メデューサみたい……。

 

「と、とりあえず、中に入ろう」

「うん☆ 寒いもんね……」

 

 誕生日だってのに、なんだか可哀想だ。

 

  ※

 

 入口の自動ドアが開く。

 タワー内部は、暖房が効いていて、とても暖かく、また静かでもあった。

 建物の作りとしては、至ってシンプル。

 逆三角形の形をしている。

 入って左側が入場券売り場。

 右側がお土産などを販売しているアンテナショップ。

 

 久しぶりに来たこともあってか、記憶が曖昧だ。

 建物の中はこんなのだったか……?

 もうかれこれ、10年以上来たことがない。

 

 まだ幼かった俺は、母さんに手を引っ張られて、2人でタワーへと昇った。

 別に母さんは博多タワーから観られる景色を、俺に見せたかったわけじゃない。

 あくまでも、コミケの帰り。付近にある博多ドームのついで。

 

『さあ、タクくん。福岡で一番高い絶景の場所。博多タワーで今日狩った同人本を研究しますよぉ♪』

 

 そう言って、福岡のてっぺんで薄い本をビニールシートの上に、広げていたっけ。

 もちろん、他のご家族からは、汚物を見るかのような目つきで睨まれたが……。

 まだ善悪の区別ができなかった俺は、母さんのいいなりだった。

 

『お母たん。こ、これ……“兜”て読むんでしょ?』

『そうよぉ、よく読めたわねぇ。タクくん、まだ3歳なのにねぇ。将来、有望なBL作家になれるわよぉ~』

 優しく頭を撫でられて、俺は喜び……。

『か、兜は……合わせるんだよね?』

『天才よ、タクくん!』

 

 今思えば、ただの虐待だった。

 急に悪寒が走る。

 いかんいかん……今日は、アンナの誕生日。

 酷いフラッシュバックで台無しにするところだった。

 

 頭を強く左右に振る。嫌な思い出を忘れるために。

 異常に気がついたアンナが、俺の袖をくいっと引っ張る。

 

「タッくん? どうしたの? 風邪でも引いた」

「いや……つまらん過去だ。忘れていたと思ったのに、な」

「え? まさか、他の女の子とタワーに来たことがあるの?」

 不安気に自身の唇を、白い手で抑える。

「正確には、女の子ではない。母さんという化け物だ……」

 その答えを聞いたアンナの口元が緩む。

「なんだぁ~ タッくんのお母さんなら、悪い事なんてないじゃん☆」

 

 いいえ。幼少期のトラウマなんですけど。

 コミケの度、人様に迷惑をかけまくって、とても辛かったです……。

 

 

 昔話はさておき、とりあえず、目的地であるタワー上部は、遥か彼方だ。

 そして、有料だ。

 俺はアンナにエレベーターの前で、待つように頼む。

 

 今日は誕生日だから全部、俺が奢りたい。

 彼女に黙って、入場券を2枚購入し、あたかも無料でもらったかのような振る舞いを見せる。

 そうでもしないと、アンナは誕生日でもお金を気にするから……。

 

「待たせたな。実は新聞配達の店長から、2人分の無料チケットをもらっていてな」

 しれっと嘘をつく。

 大人で上司の店長なら、アンナも逆らえまい。

「そうなの? じゃあ、お返しにお土産を買っていかないとね☆」

「うぅ……」

 

 どうあっても、格好つけさせてくれないのか?

 仕方なく、彼女の言う通りにお土産を買って帰ることにした。

 無関係の店長じゃなく、母さんと妹のかなでにだが……。



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411 願いごとは一つまでが良い。

 

 エレベーター前に、スチュワーデスみたいな制服を着たお姉さんが2人立っていた。

 俺たちは左側のお姉さんに案内されたので、そちらへと向かう。

 先ほど買った入場券を渡すと、ニッコリと笑ってくれた。

 

「どうぞ、福岡の空をお楽しみください♪」

 

 なんて営業スマイルを見せてくれたが……。

 果たして、今日の曇り空で福岡を一望できるのやら。

 

 博多タワーは全長234メートルもある巨大な建物だが。

 地上1階から、エレベーターで昇ると、展望部は3階までだ。

 

 高速のエレベーターに乗ることによって、物の数分で目的地に着く。

 急激な気圧の変化により、耳が詰まってしまう。

 まあ唾を飲み込むことで、不快感はすぐに解消されるのだが。

 

 着いた階層は、展望部の3階。

 俺たち民間人からすれば、博多タワーで入れる一番高い場所。

 あとは階段を使って、下の階に降りれば、予約しているレストランがある。

 ま、ここはとりあえず、福岡を360度の大パラノマを2人で楽しむとしよう。

 

 タワーに来た事がないアンナは、窓に手をつき「うわぁ、すごぉい☆」と驚いていた。

 俺も彼女と肩を並べ、久しぶりの福岡を眺める。

 

「曇っていたから、心配だったが……思ったより綺麗に見えるもんだな」

「うん☆ すごいね! タッくんは、お母さんと来た事があるんでしょ?」

 と緑の瞳をキラキラと輝かせる。子供のように。

「ああ……」

「その時も2人で、この風景を楽しんでいたの? タッくんが住んでいる真島はあそこだよね☆」

 そう言って、一生懸命アンナは我が故郷を指差してみる。

「うん……間違ってないと思う」

「どうしたの? 何回か、お母さんと来たんでしょ? ひょっとして、もう忘れた?」

「いや、今でも鮮明に覚えているさ」

 

 ここから見える風景よりも、当時、流行っていた二次創作を……。

 主に男の裸体ばかりで、汗だくで汁だくのやつ。

 俺はこんな観光スポットでさえ、母さんにより、洗脳されていたんだ。

 

  ※

 

 展望部を一回りして、福岡の景色を楽しむ。

 タワーの中も、今日は客が少なく感じた。

 おかげで、アンナとのデートをゆっくりと楽しめるから、良いとは思うが。

 

 一周回ったところで、奥の方に何やら、小さなツリーが飾られていた。

「なんだろね、あれ」

 興味を示したアンナが近寄ってみると、制服を着たお姉さんが星の形をした色紙(いろがみ)を差し出す。

「ただいま、クリスマスのイベント中でして。お客様もツリーへ願い事を書かれていきませんか?」

 ずいっと営業スマイルで迫られた。

 笑顔が怖いんだよな。

 しかし、アンナはその提案を快く承諾。

 というか、ノリノリで2人分の星をお姉さんに要求した。

 

 お姉さんから色紙をもらったアンナは、1枚俺に突き出す。

「タッくん。お願いを書こうよ☆ サンタさんが願いを叶えてくれるかもしれないよ☆」

「ああ……構わんが」

 サンタさんって、小さな子供限定じゃないの?

 

 

「ううむ……」

 ツリーの近くに置かれたデスクの上で、1人唸る。

 いきなり願い事と言われても、特にない。

 

『母さんが早く枯れますように』

 

 一番最初に浮かんだのは、これだが。

 しかし、願いではないな。

 重たい症例だから、医者が必要として。

 

『来年もアンナと一緒にいられますように』

 

 これが妥当か……でも、なんかこれにも違和感を感じる。

 もうひとり、追加したくなってきた。

 その名は……。

 

「タッくん! 書き終わった!?」

 

 隣りで書いていたアンナが、急に身を乗り出す。

 そして、俺の色紙を覗き込んだ。

 咄嗟に俺は両手で、願い事を隠す。

 

「なっ!? こういうのは、勝手に見るもんじゃないぞ!」

 焦りから怒鳴る俺を見て、アンナはうろたえる。

「ご、ごめん……どうせツリーに飾るから、見てもいいのかなって……」

 と小さな唇を尖らせる。

 ま、可愛いから許そう。

 咳ばらいをして、話題を変えてみる。

 

「おっほん! そういうアンナの願いはなんだ?」

「え、アンナのお願い? そんなの聞かなくても、わかるでしょ☆」

「へ?」

「タッくんと、ずぅーーーっと一緒に、何があってもいられますように。だよ☆」

 と恥じらうことなく、俺に色紙を見せつける。

 

 マジだ。一言一句、間違っていない。

 しかし……アンナが書いた色紙は、1枚だけではない。

 追加でお姉さんに、もう1枚貰っていたから。

 

「なあ、その願いはとても嬉しい。俺も同じ願いだからな」

 それを聞いたアンナは、ぱーっと顔を明るくさせる。

「ホント!? タッくんも気持ちが一緒なんだね☆ すごく嬉しい!」

 手を叩いて、その場でぴょんぴょんと跳ねてみせる。

「それは同感だ。しかし、アンナのもう1枚ってなんだ? 良かったら見せてくれるか?」

「え、もう1枚? いいよ☆ はい!」

 

 そう言って、アンナはニコニコと笑いながら、俺に色紙を見せてくれた。

 

『赤坂 ひなた。坊主頭になれ!』

『北神 ほのか。さっさと、リキくんとくっつけ!』

『長浜 あすか。炎上してアイドル廃業。高校からも退学処分』

『冷泉 マリア。シンプルに死ねっ!』

 

「……」

 

 こんな呪いみたいな願い事を、福岡のてっぺんに飾ってもいいのか?

 明日はイブだから、カップルとか家族連れも来るのに……。

 アンナは悪びれることもなく、ニコニコと微笑んでいる。

 

「タッくんの願いもアンナと同じなんでしょ?」

 なんか彼女から、すごくプレッシャーを感じる。

「う、うん……ほぼ同じだと思います」

「良かったぁ~☆ タッくんとは嫌いなものが同じで嬉しい☆」

 全く一緒ではないってば……。

 

 願い事を一緒にツリーへ飾りつける。

 アンナには見せなかったが……俺の本当の願いは。

 

『来年もアンナと一緒にいられますように』

 

 一見、その文章で終わりに見えるが、続きがある。

 本当は「ミハイル」という名前も追加したのだが、恥ずかしくて、下手なイラストで上書きした。

 よく見れば、彼の名前だと分かるが……まあ、書いた俺しか、気がつかないだろう。

 

 ツリーに色紙を飾りつけながら、なんだか頬が熱くなる。

 なんで、ダチの名前を書いてんだって。

 

 先に飾りつけを終えたアンナが、俺の顔を横から覗き込む。

 

「タッくん? なんか顔が赤いよ。寒いの?」

「あ、いや……ちょっと、な」

 本人が隣りにいるので恥ずかしい。

 そして、これを願い事として、たくさんの人々に見られると思うと……。

「ちゃんとお願いが叶うと、いいね☆」

「うん……そうだな」

 

 俺は一体、何を望んでいるんだ?

 アンナとミハイルは、同一人物なのに……。



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412 無理して、高級料理は食べない方が良い。味が分からない。

 

 陽が落ちて来た頃、俺はスマホで現在の時刻を確かめる。

『16:40』

 

「そろそろだな」

 

 1人、呟くとアンナに声をかける。

 

「アンナ。今日の誕生日を祝う場所なんだが、この下にあってだな」

 そう言って、床を指差して見せる。

「え? 博多タワーで祝ってくれるんじゃないの?」

 大きな瞳を丸くする。

「まあ、間違ってはないのだが……展望レストランが2階にあるんだ。そこを予約しているんだ」

「展望レストラン!? すごい! 行きたい☆」

 どうやら、喜んでくれているようだ。

 

 さっそく俺たちは階段を使って、展望部の2階へと向かう。

 階段を降りると、すぐにレストランが見えて来た。

 

 コックコートを着たお姉さんがお出迎え。

 俺たちを見るや否や、「いらっしゃいませ」と礼儀正しく頭を下げる。

 

「あの、予約していた。新宮です」

「新宮様ですね……かしこまりました。奥の席へどうぞ」

 

 俺は予め、席を指定しておいた。

 眺めが良く、2人きりの空間を落ち着いて楽しめるカップルシートだ。

 

 

 タワーの一番隅にある三角コーナー。

 真っ白なテーブルクロスをかけたテーブル。

 そして、それらを覆うように、半円型の大きなソファーが設置されている。

 

 このシートに入ってしまえば、辺りから俺たちの姿は見ることができない。

 ソファーで守られているからだ。

 実質、個室とも言える。

 何よりも他のレストランと違うのは、この景色だ。

 

 ももち浜の青い海。白い砂浜。それにオレンジがかった夕空。

 ちょっと眩しいが……ここは、最高にムードのあるデートスポットではないだろうか?

 

「すご~い☆ きれい!」

 

 座席に通されても、アンナは興奮が止まないようだ。

 視線は窓に向けられたまま、コートを脱ぎ始める。

 そこで初めて、今日の彼女の姿を、眺めることが出来た。

 

 ピンクのニットを着ているが、肩の部分だけ、透けている。白いレースだ。

 可愛いけど、こりゃコートは脱げないわな。

 ハイネックで、首元には彼女のシンボルとも言える、白いリボンが巻かれている。

 下半身は、これまた露出度高めで。

 千鳥格子柄で、プリーツの入ったミニスカート。

 

 景色に釘付けなアンナを良いことに、下から俺は彼女をガン見する。主にスカートの中。

 今日はピンクか……。

 思わず、生唾を飲み込む。

 やっぱり……ホテルにしておけば良かった。

 

 

「タッくん。アンナのために、こんな良いレストランを予約してくれたの!?」

「ああ。女の子の……誕生日を祝うなんて、初めてだからな。色々、探してみて。ここがいいなと思ってな」

 毎度のことだが、男だけどね。

 そこら辺のイタリアンレストランなんかより、安かったし。

 コスパが良かったのが、最大のポイント。

 しかし、アンナは感激のあまり、涙を流していた。

 

「嬉しい……誕生日はミーシャちゃんと2人でネッキーのアニメを見ながら、ケーキを食べる予定だったから」

「そ、そうなの」

 自分でケーキを焼いて、自分に祝ってもらうつもりだったのか。

 なんだ、同族じゃないか。

 

  ※

 

 俺が店側に頼んでいたメニューは、コース料理だ。

 『天空のペアディナー』という、ちょっとしゃれたもの。

 今回は、白金にも黙ってきた本当のデート。

 だから今日のデート代は、経費で落ちない。

 それでも俺が本当に祝いたいと思ったから、やっているにすぎない。

 

 アンナは終始、ご機嫌だった。

 海を見ながら次々と出されるコース料理。

 前菜の盛り合わせに、パスタ。それからステーキまで。

 

「カワイイ~☆ おいし~☆ 写真撮っちゃお☆」

 

 味も景色も、大満足のようで、セッティングした俺も鼻が高かった。

 しかし、俺はと言えば、どれも食った気がしない。

 緊張から何を食べても、味がしなかった。

 

 コースもラスト一品になった頃。

 俺は頬を軽く叩いて、気合を入れる。

 

 ここからが、本番だ。

 近くに待機していた店のお姉さんが、俺のそばへと近寄ってくる。

「新宮様。そろそろ、例の時間になりますが?」

「ああ、頼みます」

「かしこまりました。音楽が始まったら、合図ですので」

「了解です……」

 

 コソコソとお姉さんと話していると、アンナが首を傾げる。

 

「タッくん。どうしたの?」

 聞かれて、俺は激しく動揺する。

「いやいや! なんでもないって、それより今から面白いショーが始まるぞ」

「え、ショー?」

 

 次の瞬間、店の灯りが一気に消えてしまう。

 突然、視界が真っ暗になってしまったので、アンナも驚いていたが……。

 すぐにその不安はかき消される。

 

 何故なら、どこかの音痴さんが手を叩きながら、歌を歌い始めたから。

 

「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ とぅゆ~」

 

 今宵のエンターティーナーは、この俺だ。

 客はアンナ、1人。

 

 俺のアカペラと共に、店内からBGMが流れ始める。

 そしてキッチンの奥から、大勢のスタッフが出てきて、俺と一緒に歌い始めた。

 みんな一緒になって、手を叩く。

 ちょっとしたオーケストラだ。

 

「「「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ でぃあ、アンナちゃ~ん!」」」

 

 祝われているとも知らないアンナは、ただ固まっている。

 

「え……?」

 

 歌い終える頃、1人のスタッフがケーキをテーブルの上に置いてくれた。

 細長いロウソクが、6本載っている。

 

「アンナ。ろうそくの火を消してくれるか?」

「う、うん! ふぅ~!」

 

 小さな口だから、なかなか火を消せなかった。

 それでも一生懸命、息を吹き。全て消すことに成功。

 

 消えたことを確認したスタッフが、再度明かりをつける。

 

「「「お誕生日おめでとうございます!」」」

 

 拍手喝采を浴びるアンナ。

 未だに俺からのサプライズに、気がついていないようだ。

 

「あ、ありがとうございます……。もしかして、タッくんが用意してくれたの?」

「そうだ。俺からも言わせてくれ。16歳の誕生日。おめでとう」

「タッくん……ありがとう☆」

 

 そう言うとエメラルドグリーンの瞳を潤わせて、ニッコリと優しく微笑んだ。

 ああ……やってみて良かった。

 この笑顔のためなら、俺の音痴なんて気にしないぜ。



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413 ジェットコースターに乗る時、ピアスは外しておこう。

 

 ケーキを食べ終える頃、俺はリュックサックから小さな箱を取り出す。

 以前、カナルシティのアクセサリーショップで購入したピアスが、中には入っている。

 

 アンナのために、誕生石を加工して作ってもらった特別なプレゼント。

 ただプレゼントを渡すだけなのに、緊張する。

 口の中が渇いて、上手く話すことができない。

 

「あ、アンナ……。これ、誕生日のプレゼントなんだ。受け取ってくれないか?」

 

 なんて格好の悪い渡し方だと思った。

 しかし、渡された本人は、緑の瞳をキラキラと輝かせる。

 

「え!? アンナにくれるの!? 嬉しい! タッくん、ありがとう☆」

 

 プレゼントを大事そうに受け取り、早速「開けていい?」と俺に尋ねる。

 もちろんだと、俺が頷くと、丁寧に包装紙を開いていく。

 結んでいた紐でさえ、折り畳み、持って帰るようだ。

 

 ギフトボックスをゆっくり開く。

 そこには、透き通るような綺麗なブルー。

 タンザナイトのピアスが2つ、並んでいた。

 

 開けた瞬間、アンナはその輝きに驚く。

 

「きれい~ これ、タッくん。高かったんじゃないの?」

 喜ぶよりも先に、金額を心配されてしまった。

「ま、まあ……アンナには色々と世話になったしな。取材もいっぱいしてくれただろ? 印税とか入れば、訳ないさ」

 半分は合っているが、本当は違う。

 純粋にあげたかった……。

 

「そっかぁ……ごめんね。気を使ってもらって」

 ついには顔を曇らせてしまう。

「気は使ってない。俺が祝いたいと思ったから、やったまでだ。アンナにつけて欲しいって……」

 言いながら、「これ告ってない?」と自分にツッコミを入れたくなった。

「アンナにつけて欲しいの?」

「ああ。お前の耳に似合いそうだ」

 

 無言でお互いの瞳を見つめあうこと、数秒間。

 アンナは黙って、ギフトボックスからピアスを手に取った。

 首を左側に向けて、うなじを俺に見せる。

 どうやら、今からピアスをつけてくれるようだ。

 

 おそらく手術後にずっとつけていた簡素なファーストピアスを外し、俺が用意したタンザナイトを差し込む。

 

 まだ彼女の穴は小さいようで、なかなか新しいピアスが入らない。

 時折、「痛っ」と顔をしかめる。

 しかしアンナも諦めたくないようで、頑張って最後まで差し込んだ。

 

 ようやく、両方の耳にピアスが入ったところで、お披露目タイム。

「似合う……かな?」

 頬を赤くして、耳たぶに手を当てている。

 きっと、ピアスが目立つように、やってくれているんだ。

「可愛い……」

 自然と、俺の口からはその言葉が漏れていた。

「あ、ありがとう……タッくん、大事にするね☆」

「ああ。たくさん使ってもらえると、俺も嬉しいよ」

 

  ※

 

 気がつけば、窓の外は夕陽から星空へと変わっていた。

 冬だから、暗くなるのも早い。

 

 スマホの時刻を確認すれば、『19:03』だ。

 

 中身は男とはいえ、一応女の子だ。

 早めに帰さないとな……。

 

「アンナ、夜になったし。そろそろ帰ろう」

 俺がそう言うと、彼女は唇を尖がらせる。

「うん……もう夜だもんね……」

 名残惜しいが、ちゃんと帰さないとな。

 このまま、ドーム近くのホテルへ連れ込む。っていう強引な手もあるが。

 それは俺の紳士道に反する。

 大人しく、帰ろう。

 

 

 レストランを出て、エレベーターに乗り込む。

 あんなに高かった展望部だが、降りるのは一瞬だ。

 博多タワーを出ると、相変わらず外は強風で吹き飛ばされそう。

 

 再度バスを使って、博多駅へと向かおうとしたその時だった。

 タワーの前に人だかりが出来ていた。

 

「えぇ~ 本日は本当に寒い1日ですね。私もコートの中に、カイロを何個も入れています」

 マイクを片手に話しているのは、綺麗な格好をした女子アナ。

 そのアナウンサーを囲むように、テレビスタッフが何人も並んで立っている。

 

「しまった……忘れていた」

 

 気がついた時には、もう遅かった。

 カメラはこちらをしっかりと捉えている。

 博多タワーの目の前には、テレビ局があったんだ。

 福岡ローカルのテレビ局だが。

 

 ちょうど、この時間はタワーを目の前に、天気予報をやっている。

 夕方のニュースだと思うが、俺とアンナが福岡中に配信されてしまう。

 

 何も知らないアンナが、女子アナの隣りに立っていた着ぐるみへ手を振った。

 

「あはは。かわいい☆」

 

 それに気がついた着ぐるみも、アンナに向かって、大きく手を振る。

 

「ん、どうしたのかな? タマタマくん?」

 

 着ぐるみが生放送中に、カメラへお尻を向けたため、女子アナが声をかける。

 すると、タマタマくんは身振り手振りで、俺たちのことを説明し出した。

 いらんことすな!

 

「ほうほう。あそこにいるのは、カップルさんですね! では、せっかくなので一緒にお天気を予想してもらおっか♪ タマタマくん」

 ファッ!?

 俺がその場から逃げようとした時には、もう遅かった。

 タマタマくんが、のしのしと音を立てて、こちらへ向かってくる。

 

 もう覚悟を決めるしかなかった。

「可愛い☆ タマタマくんっていうんだ~」

 気がつけば、隣りにいたアンナが、謎の着ぐるみと抱きしめ合っていた。

 クソが!

 中身、男だったらブチ殺してやりたい。

 人の女を勝手に触りやがって……。



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414 生放送は失敗が許されない。

 

 ひとり拳を作って、苛立ちを露わにしていると、女子アナが俺に話しかけてきた。

 カメラマンと照明つきで。

 

「あのぉ~ 彼氏さん……ですよねぇ?」

「え、えっと……俺は、その……」

 ヤバい!

 この女子アナのせいで、俺とアンナは、付き合っているという関係になってしまう。

 早く弁解せねば……。

 

「ち、ちがい……」

 

 素人の俺からすると、カメラを向けられただけで緊張し、まともに喋ることができなくなってしまう。

 それにローカルとはいえ、生放送だ。

 少しでも言葉を間違えれば、俺の今後……人生に関わる問題にもなりかねない。

 

「え、お二人はカップルさんじゃないんですか? だって、タワーから仲良く出てこられましたし……」

「それは……アンナが誕生日で」

 たくさんの大人に囲まれ、インタビューされるのがここまで、恥ずかしいとは……。

 頬がすごく熱くなっている……。きっと顔が真っ赤なんだと思うと、尚のことダサい。

 

 俺が言葉に詰まっていると、タマタマくんと遊んでいたアンナが間に入る。

「タッくんとアンナは、真剣に付き合っているカップルさんですよ☆」

「ブーーーッ!」

 目の前のカメラに向かって、大量の唾を吐き出してしまった。

 しかし、撮影しているカメラマンが、驚くことはなく。ジーパンからタオルを取り出して、すぐにレンズを拭き上げる。

 

「これ、今。生放送なんですよね?」

 勝手に司会を始めるアンナ。

「あ、そうですよ。お天気予報ですけど」

「うわぁ、すごい~☆ タッくんとテレビデビューだぁ☆」

 そんな呑気な……あなたの正体がバレちゃうよ。

「ところで、アンナさんは今日、お誕生日だったんですか?」

「そうなんですぅ☆ タッくんがこのキレイなピアスをくれて、最高の1日になりました☆」

「いいなぁ~ それって、タンザナイトですよね? 私もそんな優しい彼氏が欲しい~」

 なんか女子トークが始まっている。

 天気予報、どこ行ったの?

 

「あと、アンナの……私の彼って、作家なんです」

「え、小説家さん。なんですか? お若いのに……」

 急に俺を見る目が変わった。

 だが、次の瞬間。女子アナの目つきが変わる。

 

 アンナが良かれと思って、言ってくれたのだと思うが。

「はい☆ ペンネームは、DO(どぅ)助兵衛(スケベ)

「す、スケベ!?」

 汚物を見るかのような目つきで、俺を睨む。

 アンナは女子アナを、無視して話を続ける。

「小説のタイトルは『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』で。1巻から3巻まで、好評発売中です☆」

 めっちゃ宣伝してる……。

 ていうか、福岡中に俺のペンネームがバレちまったよ!

 顔出しで。

 

  ※

 

 結局、アンナが1人で喋り倒し。

 俺と彼女は、付き合っている関係になってしまった。

 アホなペンネームを聞いた女子アナは、引きつった顔で、一度スタジオに返す。

 どうやら、コマーシャルを挟むようだ。

 

 その間、女子アナから軽く説明を受ける。

 明日の天気予報を読み上げるから、隣りに立って笑っていて欲しいそうだ。

 最後に俺たちへ何か話を振ると、忠告を受けた。

 

 コマーシャルがあけて、また女子アナがペラペラと喋り始める。

 パネルを持って、明日の気温や天候を説明していた。

 

 俺とアンナは、タマタマくんと一緒に立っているだけ。

 正直、引きつった笑顔だと思う。

 

 忠告通り、コーナーの終わりに女子アナから話を振られる。

「ところで今日、とても素晴らしいお誕生日を、過ごせたカップルのアンナさんとスケベくん」

 それ、名前じゃねー!

「はい? なんでしょう☆」

 アンナも、そのまま通すなよ。

「明日はクリスマス・イブですよね? やっぱりイルミネーションを見ながら、デートされますよね?」

 その言葉が胸にグサリと刺さる。

 せっかく、傷ついていたミハイルを楽しませようと、今日を精一杯祝っていたのに。

 急に現実へと戻されてしまう。

 

 そうだ。明日、俺はイブをマリアと過ごすことになっているんだ……。

 アンナも、きっと落ち込んでいるだろう。

 隣りに立っているアンナの顔を覗き込むと……なぜかニコニコと笑っていた。

 

「それがぁ~ 彼ったらイブだって言うのに、お仕事が入っていて。明日はデートできないんですよぉ」

「へ?」

 思わず、アホな声が出てしまった。

 アンナのやつ、なにを考えているんだ?

 なぜこんな他人事みたいな、話し方ができるのだろう……。

 

 女子アナも、その話を鵜呑みにする。

「そうなんですか? スケベくんは作家さんだから、打ち合わせとか、なんですかね?」

 ヤベッ。俺に話を振ってきやがった。

「ま、まあ……そうですね。ちょっと、取材が1件ありまして……」

「え? 先ほどのタイトルからして、取材が必要な作品には、感じませんが?」

 この女子アナ。ムカつくな。

「編集部から言われているんですよ。ははは」

 笑ってごまかそうとしたら、女子アナの目つきが鋭くなった。

 

「あの、まさかと思いますが……アンナさんの誕生日を祝っておいて。仕事とはいえ、別の女性とイブを過ごされるんじゃないですよね?」

「……」

 女子アナとカメラマン、照明さん。それからメイク係。

 たくさんの大人の視線が、一気に俺へと向けられる。

 ついでに、テレビの向こう側。

 大勢の福岡県民が見ているんだ。

 

 そんな中……俺は嘘をつくのか?

 

「お、俺は……」

 そう言いかけた時。隣りに立っていたアンナが、代わりに話し始める。

「アンナ……私は、信じています。大好きな彼のことですから。私を傷つけるようなことはしません。それに彼って嘘が大嫌いなんです。イブを一緒に過ごせなくても、2人の気持ちはずっと一緒です☆」

 

 そう言い切ると、カメラに向かって天使の笑顔を見せた。

 これには、他のスタッフも思わず声を上げる。

 

「かわいい」

「アイドルみたいだ」

「明日から、この子を天気予報に使いたい」

 

 最後のやつ、ふざけんな。

 

 アンナの言葉を聞いた女子アナは、最初こそ驚いていたが。

 すぐに落ち着きを取り戻す。

 

「素晴らしい! 離れていても、このアンナさんとスケベくんの愛は、永遠だということですね! では、テレビをご覧になっている方も、明日は良いイブをお過ごしください~♪」

 

 そう言って、勝手に話を纏めやがった女子アナは、番組が終わると、さっさとテレビ局へと帰っていく。

 ついでにスタッフ達も、機材を集めて立ち去る。

 着ぐるみのタマタマくんだけ、照明さんと一緒に置いていかれた。周りにいた子供たちと記念撮影をするため。

 

 

 残された俺とアンナも、帰ることにした。

 バス停へと向かう際、彼女の顔を見たが、やはり満面の笑みだ。

 この余裕ぷりが、心配で仕方ない。

 

「なぁ。アンナ……本当に明日のこと。大丈夫か? イブなのに」

「大丈夫だよ☆ だって来年があるし☆」

「そうか……」

 

 立ち直りが早いのか、それとも今日が楽しすぎたのか。

 分からんな、女って生き物は。あっ、男だった。



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415 ついに便乗したタクト。

 

 博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。

 年末だから人が多く、座ることはできない。

 しかし、それもアンナとの時間を楽しむための口実になる。

 

 30分ほど、今日の出来事を振り返って、話が盛り上がる。

 俺の地元。真島駅についたことで、彼女とは別れることに。

 

「タッくん。今日は本当にありがとうね。明日……寒いかもしれないから、気をつけて」

「ああ。俺も楽しかったよ」

 

 列車の自動ドアが閉まるまで、手を振り続けるアンナ。

 別れが惜しいようだ。

 

 ドアが閉まり、ゆっくりと列車はホームから走り去っていく。

 

「よし……」

 

 列車が去ったことを確認した俺は、駅舎に上がろうとはせず。

 近くにあったホームのベンチに座り込む。

 

「30分ぐらいでいいか」

 

 スマホのアラームを、30分後に設定する。

 アンナに帰ると見せかけて、次のミッションを遂行するのだ。

 女装したあいつも誕生日だが、もうひとりの……ミハイルをまだ祝えていない。

 

 きっと、今から帰宅して“彼女から彼”に戻るのだろう。

 着替えるのには、時間がかかる。

 だから……俺は待つ。

 

 ~1時間後~

 

 30分間もホームで待機したせいで、身体が冷えきってしまった。

 ま、それでもいいさ。

 今は“こいつ”を、ミハイルに渡したい気持ちの方が強いからな。

 

 真島駅から2駅離れた席内(むしろうち)駅。

 ミハイルの故郷だ。

 

 年末ということもあってか、商店街は閑散としていた。

 いくつか街灯が立っていたが、それでも薄暗い。

 

 目的地である洋菓子店に着くと、俺はスマホを取り出す。

 2階の窓を見ると、明かりがついていて、人影が見える。

 きっと彼が着替えているのだろう。

 

 電話をかけてみると、すぐにミハイルが出る。

『も、もしもし!? どうしたの? タクト……』

 どうやら、かなり驚いているようだ。

「よう。久しぶりだな、ミハイル」

 俺は下からずっと彼の影を見ながら、話している。

『うん……って、今日はアンナと誕生日デートだったんじゃないの?』

「そうだ。ちゃんと祝ってきたよ。喜んでくれた」

 言いながら、彼の影があたふたしている姿を見ていると、笑ってしまいそうだ。

 

『じゃあ、オレに用があるの?』

「ああ……ミハイル。ちょうど、お前ん家の前にいてな。今から出てこれるか?」

『え、えええ!? 今から!? こんな遅くに?』

「すぐに終わるよ」

『分かった。待ってて!』

 

 しばらくすると、店の裏から、ミハイルがこちらへと向かってくる。

 随分と慌てているようだ。

 

 アンナの時とは、対照的なファッション。

 黒のショートダウンに、デニムのショートパンツ。

 長く美しい金色の髪は首元で1つに結び、前髪は左右に分けている。

 ただ、唇に違和感が残っていた。

 急いで出て来たため、化粧が落ちていない。

 ピンクの口紅が、目立っている。

 

「ど、どうしたの? タクト。オレの家になんでいるの?」

 本人はそれどころじゃないようだ。

「それはな、ミハイル。お前に渡したいものがあるんだ」

 そう言って、リュックサックから、小さな紙袋を取り出す。

「これって……」

「お前の誕生日だろ? 俺からプレゼントだ」

「タクトが? オレに?」

 

 俺としては、半年前にミハイルからプレゼントを貰っているので、渡すのは当たり前だと思っていたが。

 どうやら、本人は考えていなかったようだ。

 小さな口を開いて、かなり驚いている。

 

「あ、ありがとう……プレゼントをもらえるなんて、思わなかったから……」

 頬を赤くして、ゆっくりと紙袋を手に取る。

 アンナの時と同じように、綺麗に包装紙をほどき、畳んで紙袋に入れる。

 これも大事に、保管するようだ。

 

 中にはミハイルの大好きなキャラクターがプリントされた、ギフトボックスが入っていた。

 夢の国のストアで、購入したネッキーだ。

 

 それを見たミハイルは、緑の瞳をキラキラと輝かせる。

「うわっ! これネッキーのやつだ!」

「ああ。お前が好きなの……って探したけど、良く分からなくてな……結局、これにしてしまったよ」

 そう言って、頭をポリポリとかいてみせる。

 照れ隠しのために。

 だが、ミハイルはそんなことを気にしていない。

 

「ううん! オレ、このシリーズ好きだもん! 欲しくてたまらなかったやつだ☆」

「そうなのか?」

「うん☆ 開けていい?」

「もちろんだ」

 

 ギフトボックスを開いて、中からネッキーとネニーのピアスを取り出す。

 ちなみに、ダイヤモンドが入っている……。

 

「すご~い! カワイイ☆ 耳につけてもいい?」

「ああ……」

 と言いかけたところで、思いとどまる。

 なぜかは、分からない。

 ただ、身体が勝手に動いていた。

 

「貸してみろ」

 ミハイルから、ギフトボックスを取り上げる。

「え?」

「今、手が塞がっているだろ? 俺がつけてやるよ」

 これは嘘だ。

 口実にすぎない。

「え、え……? お、オレに?」

 いきなり、そんなことを言われて、ミハイルは固まってしまう。

 顔を真っ赤にして、視線は地面に向けられる。

 従順なミハイルを良いことに、俺は彼の白い肌にそっと触れる。

 冷たいが嫌じゃない。柔らかくて、むしろ気持ちが良い。

 

「じゃあ、いくぞ」

「うん……お願い」

 

 ピアスなんて、したこともないくせに。

 勝手にミハイルの耳へ、ピアスを差し込む。

 不慣れなこともあってか、何度か失敗したが、それでも両方の耳へつけることに成功した。

 

「よし。できたぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 急に積極的な行動を取ったため、ミハイルは動揺している様子だった。

 それでも、プレゼントは嬉しいようで、スマホのカメラを使い、耳元を確認する。

 

「カワイイ☆ これ、すごく好き☆」

「そうか」

 

 久しぶりに、彼の笑顔が見られた……。それがとても嬉しかった。

 いや、やっと安心できたのだと思う。

 この前の学校は、最悪の別れだったから……。

 

「タクト。ホントにありがとう☆ オレ、今日が今年で一番嬉しい……ううん! 人生で最高に嬉しい一日だよ!」

「……」

 

 なんとも眩しい笑顔だった。

 相変わらず、宝石のように美しいエメラルドグリーンを輝かせて……。

 

 俺は思い出していた。

 今年の4月。

 高校の入学式で、彼と初めて出会った日を。

 

 あの時、笑ってはいなかったが。

 俺は初めてこいつを見た時、確かに思ったんだ。

 

『可愛い』と……。

 

 今までの人生で、見たこともないぐらいの美少女。

 この地球で、こいつより可愛いやつは、いないんじゃないかって。

 

「タクト? どうしたの?」

「……」

 

 2週間もこいつのことばかり考えていて、頭がおかしくなっていたのかもしれない。

 今年最後の学校が、あんな終わり方じゃ、嫌だ……。

 失いたくない。

 

 そう思うと、何故か胸にぽっかりと大きな穴が、開いた気がした。

 これを埋めるには、どうしたらいいか分からない。

 

 でも……きっと彼ならば。

 

 

「た、た、タクトぉ!?」

「悪い……」

 

 気がつくと、俺はミハイルを抱きしめていた。

 力いっぱい。

 もうお互いが、離れることのないように……。



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416 ゴッドモード、入りました……。

 

「タクト……なんで……」

 

 彼の問いかけに、俺は無言を貫く。

 

 やってしまった……ついに。

 身体が、勝手に動いてしまった。

 あの屈託のない笑顔を見た瞬間、身体中に電撃が走り、俺を突き動かした。

 

 誕生日を祝ったことで、浮かれていたのだと思う。

 一時的な感情で、彼を抱きしめてしまった……。それならば、すぐに離れたら良い。

 だが、頭からそう指示を出しても、俺の身体は微動だにしない。

 むしろ、ミハイルの身体を、もっと強く抱きしめてしまう。

 

「悪い。ちょっと、このままで……」

 情けない声だと思った。

 正直、殴られると思ったが、ミハイルは控えめに俺の袖を掴む。

「べ、別に、謝らなくてもいいけど……」

 顔は見えないが、きっと彼のことだ。赤くなっているのだろう。

 

 

 ミハイルの頭を、撫でてみる。

 小さくて、片手におさまりそうだ。

 ビッタリと密着しているから、自然と彼の長い髪が数本、鼻の前で舞っていた。

 

 甘い香りがする。

 なんだろう。こいつが普段、使っているシャンプーだろうか。

 癒される。

 

 

 俺がミハイルを抱きしめて、どれだけの時間が経ったのだろう。

 10分ぐらい? わからない。

 でも、今は時計なんて、確認する余裕はない。

 このあと、どうやったらいいのか、分からない。

 

 夜だし、静かな商店街だから、人通りは少ない。

 だが駅が近いから、何人かのサラリーマンやOLがすれ違っていく。

 それでも、俺がミハイルから、離れることはなかった。

 

  ※

 

 目の前にある街灯に、小さな埃が降りかかる。

 最初は埃だと思ったが、それは夜空から降ってきた白い雪だと気がつく。

 “反対側”を見ているミハイルも、雪だと気がついたようだ。

 

「あ、雪……」

 

 時間切れ。だと感じた。

 こんなにたくさん雪が降っている中、彼をここに縛りつけてはならない。

 でも……俺の身体は、言うことを聞かない。

 まだ離れたくない、とわがままばかり、言いやがる。

 

「ミハイル。本当にすまん……身体が動かなくて」

「え……その、いいけど。寒くないの?」

「寒くない。むしろ、暖かくて心地が良い」

 今の俺はどうかしている。

 思っていることを、ペラペラと話しやがって。

「そっか……でも、今日のタクト。なんかおかしいよ」

「ああ。そうだな……こうやっているの、嫌じゃないか?」

「嫌じゃないよ。けど、どうして……男のオレなの?」

「!?」

 

 痛いところを突かれた。

 そうだ、彼の言う通り……なぜ男のミハイルを抱きしめたんだ?

 別に女役のアンナでも、良かっただろう。

 どうしてだ?

 俺にも分からない。

 

 

「その……ミハイルでしか、俺を救ってくれないと思ったから……だと思う」

「オレしか、出来ないことなの?」

「ああ、そうだ」

 

 俺はようやくミハイルから、身体を離した。

 だが、両手は彼の肩を、がっちり掴んでいる。

 逃げないように、捉まえているわけじゃない。

 彼の綺麗なエメラルドグリーンを、この目に焼きつけるためだ。

 

「タクトはオレが必要なの?」

 潤んだ瞳で訴える。

 普段の俺ならば、怯むところだが、今なら大丈夫。

「必要だ」

 言い切ってしまった。

「そ、そうなんだ……」

 逆にミハイルの方が怯んでしまう。

 頬を赤くし、視線を逸らす。

 

 ここで1つ気になるところがある。

 それは、彼の小さな唇だ。

 女装した際につけた口紅が、まだ落とせていない。

 

 卑怯だと思ったが、彼を誘うには、良い口実だと思った。

 

「なあ、ミハイル。お前、口元が汚れているぞ?」

 そう言うと、彼の細い顎を掴む。

 所謂、“顎クイ”ってやつを、やったつもりだったのだが……。

 顎をガッツリ掴んで上にあげると、ミハイルの下唇がひん曲がってしまう。

「うゔ……タクト。なにするんだよぉ……」

「あ、すまん」

 こういうところは格好つけられないのだと、童貞の自分を呪う。

 仕切り直して、人差し指だけで、再度、彼の顎を上げてみる。

 

「は、ほわわ! た、タクト!?」

 案の定、ミハイルの目は泳ぎ回る。

 かなり動揺しているよう。

 だが、俺も引くに引けない状態だ。

 このまま、行かせてもらう。

 

「目をつぶってくれ……」

「え、えぇ!?」

「汚れを落とすために必要なことだ」

「そ、そっか。分かった」

 

 そっと瞼を閉じるミハイル。

 なんて、愛らしい顔なんだろう。

 人形みたいに小さい。

 散々、汚れだとか抜かしておいて。この唇は誰よりも美しいと感じる。

 だからこそ、今。俺は奪おうとしているんだ。

 

「すぐに終わるから」

 

 なんてキザなセリフを吐き、彼の唇に自身を重ねようと試みる。

 この一線を越えたら、きっともう二度と……。

 それでも、ミハイルとなら。

 

 本当なら、彼の可愛い瞼を見つめながら、キッスしたいところだが。

 やはり、ここは俺も平等に。瞼をゆっくりと閉じてみる。

 

 ミハイルの鼻息を感じる。

 でも、それは彼も同様だろう。

 

「タクト……」

「ミハイル」

 

 俺の名前を呼んでくれたことで、同意とみなした。

 あとはお互いの唇を重ねるだけ……。

 しかし、悲劇は突然訪れる。

 

「こらぁあ! ミーシャ! どこだぁ!」

 

 その叫び声を聞いた瞬間。俺は、即座にジーパンのポケットから、ハンカチを取り出す。

 俺が普段から、愛用しているタケノブルーの白いハンカチだ。

 まだ瞼を閉じて、目の前で待ち続けるミハイル目掛けて、ハンカチを擦りつける。

 かなり強めに。

 

「痛いっ! いたた! タクト、痛いよ!」

「すまんな、ミハイル。かなり汚れがついていて……」

 

 俺が彼にキスをしようとしたことも、隠さないといけないが。

 女装していたことを、姉のヴィクトリアに、バレることを阻止しないといけない。

 だから、ゴシゴシと力強く拭き上げる。

 

 ピンク色に染まったハンカチを、ジーパンのポケットになおし、何事もなかったかのように振舞う。

 

「痛いよ……タクト。一体、なにがしたかったの?」

「いや……その……」

 急に歯切れが悪くなってしまう。

 きっとヴィクトリアが、登場してしまったことで、ビビったのだと思う。

「急にオレを、は、ハグしたり……意味がわかんないよ!」

 そう言うミハイルの顔は、ムスっとしていた。

「すまん……」

 

 結局、この日も俺はなにも出来ず、終わりを迎えてしまった。

 

 

 後からヴィクトリアが現れて、俺たち2人に声をかけてきた。

 ピンクのガウンを羽織っていたが、多分中は下着だろう。

 その証拠に襟元から、胸の谷間が見えている。

 動く度にボインボインいわせるから、吐きそう。

 

 

「おお~ こんなところにいたのか? ミーシャ! お前の誕生日を祝おうとしたのに、急に出て行きやがって。心配するだろが!」

 ちくしょーーー!

 もうちょっと、タイミングをずらせよ、お姉ちゃんっ!

「ご、ごめん……姉ちゃん。タクトが誕生日プレゼントを持って来てくれて」

 ようやく俺の存在に気がつく、ヴィクトリア。

「へ? ああ、坊主じゃないか。なるほど、わざわざミーシャにプレゼントを届けてくれたんだな。お前もパーティーに参加したらどうだ?」

 そう言って、2階の窓を指差す。

 嬉しい誘いだったが、正直、今はそんな気分じゃなかった。

 散々、自分からやっておいて、何も出来なかった。

 それが恥ずかしくて、彼の顔をちゃんと見ることが出来ない。

 

「いや……今日は帰ります」

「遠慮するなよぉ~ もつ鍋を作ってるからさ。食ってけよ♪」

 誕生日でさえ、もつ鍋かよ……。

「いえ。今日は本当に」

 

 そう言って、ヴィクトリアに頭を下げる。

 色々と、ミハイルをいじったし……。

 罪悪感もあったのだと思う。

 

「そっか♪ じゃあ、また来年な!」

「はい……」

 

 背中を向けて、駅に向かおうとした瞬間だった。

 ミハイルが大きな声で、俺を呼び止める。

 

「タクト!」

「え?」

 

 振り返ると、心臓の辺りを両手で抑えたミハイルが、苦しそうな顔でこちらを見つめていた。

 

「タクト……なんか、今日のタクト。本当におかしかったよ。悩みとかあるなら、言ってよね?」

「ああ。その時はちゃんと言うよ」

 

 俺は……最低だ。



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第四十七章 初めてのイブ
417 ハンカチーフの正しい使い方。


 

 俺はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう……。

 この手でミハイルを抱きしめたのか?

 

 ミハイルと別れてから、もう半日近く経っているが、身体が燃えるように熱い。

 風邪でも引いたかと、体温計で確認したが、特に症状はない。

 じゃあ、なぜ。俺の頬はこんなにも熱いんだ。

 何度も何度も……脳内で繰り返し流れる映像。

 

 雪が降る寒空の中、抱きしめ合う2人。

 人目も気にせず、力いっぱい抱きしめて、キッスする……はずだった。

 

 思い出すだけでも、恥ずかしさがこみ上げてくる。

 それと同時に、後悔も残っているが。

 なんで、あの時もっと早くミハイルの唇に、自身の唇を重ねなかったのかと……。

 

 

 俺は家に帰ってから、そのことばかりで頭がいっぱい。

 飯も喉を通らず、ベッドの上で一人、放心状態だ。

 

 瞼を閉じているわけではないが、視界が悪い。

 それは俺の顔面に、とある布切れをかぶせているからだ。

 

「すぅ~」

 

 深く息を吸い込み、一気に吐き出す。

 

「ぶっはぁーーー!」

 

 そうすることにより、布切れは空中に舞い上がる。

 だが、あくまでも一瞬だ。

 重力には勝てない。

 

 ふわっと、俺の顔目掛けて、戻って来る。

 

「ちゅっ!」

 

 どこからか、可愛いらしい音が聞こえてくるのは、気のせいだろうか?

 

「すぅ~ はぁ~!」

 

 落ちて来た、布切れに残る甘い香りを、楽しむ。

 いや、正確には、脳内で相手の唇を味わっているのだ。

 

 この布切れは、俺が一番気に入っているブランド。タケノブルーの白いハンカチだ。

 そして、昨晩ミハイルの唇を、拭いたものでもある。

 女装していた時の口紅が、べったりとハンカチについている。

 

 洗ってはいない。

 アンナの……いや、ミハイルの唇が味わえるから。

 間接キッス。

 

 違うか。重力によるエアーキッスといえるな。

 ヤベッ……またすごいものを、開発してしまったぞ。

 天才すぎる自分が怖いぜ。

 自分の息を使い、何度も意中の相手と、キッスを繰り返し出来るなんて、めちゃくちゃエコじゃん。

 

 

 そんなことを昨晩から、10時間近くやっている。

 頭の中では、常にアンナとミハイルが頬を赤くして、唇を俺へと捧げる。

 アンナの方が可愛く感じるのに……。どうしても、ミハイルに目が行ってしまう。

 放っておけないからだ。

 

「俺は一体、どうしちまったんだ……なんでアンナじゃなく、男のミハイルを」

 

 ベッドの上で、一人そう呟くと、誰かが顔に被せていたハンカチを取り上げた。

 

「おにーさま! なにやっているんですか? 昨日から、ずっと『すぅ~ はぁ~』言って過呼吸なんですの!?」

 

 瞼を擦り、声の主をよく見てみると、妹のかなでだ。

 

「ああ……悪い」

「元気ありませんねぇ。今日はクリスマス・イブですよ? アンナちゃんと、デートとかしないんですか?」

「そうだったな……イブか……」

 

 正直、クリスマス・イブという存在すら、忘れていた。

 昨晩起きた出来事が、余りにも衝撃的で……。

 

 とりあえず、かなでにハンカチを返してもらい、学習デスクの引き出しに保管しておく。

 もちろん、チャック付きのポリ袋を使用し、鮮度を保つ。

 次のお楽しみに。

 

 マリアと取材か。なんか気が乗らないなぁ……。

 昨日の今日で、別の女とデートって。

 

 机の上に放置していたスマホの画面が、白く光っていた。

 どうやら、メールが入ったらしい。

 スマホを手に取り、画面を確認すると、数十件も通知が入っていた。

 電話やら、メールなど。

 

 相手は、本日クリスマス・イブを一緒に過ごす女の子、冷泉 マリア。

 一番最初のメールまで遡るのは、時間が掛かるから、とりあえず最新のメールに目をやる。

 

『タクト。今日の約束、忘れてないわよね? イブなんだから、2人きりで仲良くイルミネーションを楽しみましょうよ♪ でも、夜まで長いから夕方に、いつもの場所で会わない?』

 

 というと、やはり定番である、黒田節の像か?

 俺は即座に彼女へ返信メールを送信した。

 

『了解』とだけ。

 

 すると、すぐにまたマリアからメールが送られてきて。

『やっと起きたのね♪ まさかと思うけど、ブリブリアンナとキッスしたり、してないわよね? 取材と称して』

 

 ギクッ! 昨晩、素のミハイルにしようとしたんだけどなぁ……。

 まあ、アンナとはしてないから、セーフ!

 

『してない。俺は嘘が嫌いだ』

 と返信。

 うむ、嘘は言ってないもの。

『そう。なら、夕方に会いましょう♪ 今日が楽しみで仕事を頑張っていたの。タクト、大好きよ』

 

「……」

 

 最後の一言には、俺は何故か罪悪感を感じていた。

 

 好きか……。

 そんな簡単に相手へ想いを伝えられたら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうな。



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418 暑いとロンスカで、寒いとミニスカで……(困惑)

 

 夕方と言っても、ちゃんと時刻は指定されていなかった。

 しかし、少なくとも16時ごろには、博多駅でデートをするんだろう……。

 と思った俺は、昼食を取った後、早めに電車へ乗って、博多に向かった。

 

 博多口を出た瞬間から、人でごった返していた。

 こんなにもイブの博多駅は、大勢の人で賑わっているとは……。

 万年童貞だった俺には、見たことのない光景だ。

 

 やはり若者が多く感じる。

 特にカップル。ていうか、カップルしかいねーじゃん!

 クソがっ! イチャイチャしやがって。

 こいつら、あれじゃないか?

 もう事後なんじゃないの……。

 だって、こんな寒い日だってのに、彼女たちはみんなマイクロミニのスカートだぜ。

 

 意味がわからん。

 お腹はちゃんと、暖めておけよ。

 

 クリスマス会場でもある駅前広場は、いつもと違い、そこだけ幻想的な空間と化していた。

 右手には、たくさんのイルミネーションがキラキラと輝いている。

 家族連れやカップルで賑わっており、早くも写真撮影で盛り上がっていた。

 

 反対側の左手に、巨大なツリーが飾られており。

 そこを中心にクリスマス会場が、設けられている。

 

 様々な屋台が並んでおり、主に海外の伝統工芸品を販売している。

 クリスマスにまつわる物。キャンドルやアートグラス。アクセサリーに、鹿の角まで……。

 

 本当ならすぐに、いつもの待ち合わせ場所である、黒田節の像へ向かいたいところだが。

 特設のフードコートで、像が封鎖されていた。

 

 参ったな……と思い、とりあえず、人ごみを搔き分けて、像の近くまで辿りついた。

 近づけないから、仕方ないと思い。マリアがここに来るのを待つ。

 

 しかし、こんなに人が多いのに、像の前で待ち合わせなんて……できるのか?

 俺たちがやっていることって、昭和なんじゃないの。

 

 ~30分後~

 

 目の前で美味そうに、チキンを頬張るカップルを見て、苛立ちを隠せずにいた。

 

「クソ。あ~、寒いし腹減ったなぁ……」

 

 それにしても、マリアのやつ。

 遅いな……ちょっと連絡してみるか。

 

 ダッフルコートのポケットから、スマホを取り出した瞬間、着信音が流れ出す。

 相手は、マリア。

 

「もしもし?」

『タクト。ごめんなさい。もう博多駅にいるのよね?』

「ああ、マリア。お前、今どこにいるんだ?」

『私も博多にいるのよ……でも、ちょっとトラブルがあってね』

「ん?」

 

 マリアも博多にいるのに、駅にいないだと?

 意味が分からん。

 渋滞とかかな?

 

『前に言ったと思うけど、私ってアメリカで、ファッションブランドを立ち上げたじゃない?』

「ああ……そう言えば、そんなこと言ってたな」

『それで日本にも支店ていうか、オンラインストアをオープンしたり、色々と事業を拡大しようと思ってね。とりあえず福岡に事務所を借りたのよ』

「ほう」

『博多って何かと便利だから、小さなビルの一室を借りたのだけど。最近、嫌がらせが多くてね』

「嫌がらせ? どんなことだ?」

『かなり悪質ね。頼んでもないピザを30人分、頼まれたり。高級寿司を数十万円も持って来られたり……たまに、火事の誤報で消防車や救急車まで』

 ストーカーってレベルじゃない……犯罪じゃん。

 しかし、この犯行。誰かに似ているような。

 

「マリア。お前、その事務所ってホームページとかに、住所を記載しているか?」

『もちろんよ。会社だもの』

「……」

 

 なんかすごく嫌な予感がしてきた。

 

「それで、マリア。なぜ博多駅に、まだ来られないんだ?」

『本当にごめんなさい、タクト。私と初めてのイブなのに……』

「え?」

『両親とまだホテル暮らしなんだけど。私だけ事務所で缶詰したりするのよ。それで昨日から徹夜して、寝落ちしたら……事務所のドアが、強力な接着剤でガチガチに固められて、開けられないの』

「あ……」

 そんな悪質なストーカーは、1人しか思い浮かばない。

 

『今、業者さんに開けられるように、頼んでいるんだけど。6時間以上はかかるそうよ。ドアの鍵穴は接着剤で埋められたし、ドアの隙間も全て埋められて、ビクともしないんだって』

「そ、そうなんだ……」

『おまけにね、ビルの廊下に段ボールを山のように、置き配されてね。業者さんも通りづらいの、もう嫌になっちゃうわ!』

「こ、怖いな……」

 そこまでやるとはね。

 

『はぁ……タクトとの、イブデートが楽しみだったのに。ごめんなさいね、悪いけど今日は帰ってくれるかしら? 埋め合わせは必ずするから、ね?』

「ああ。マリア、あんまり気を落とさないでくれ……またいつか取材しよう」

『ありがと、優しいのね。タクトって。好きよ、チュ♪』

「……」

 

 いや、マリアが寛大すぎるんだよ。

 普通に通報レベルなのに……。

 しかし、彼女を八方塞がりにしたということは。

 犯人は恐らく、この近くにいるんじゃないか?

 

 恐怖からスマホを持つ手が、ガタガタ震え始める。

 

「まさか、アン……」

 

 そう言いかけた瞬間、視界が一気にブラックアウトする。

 冷たいが柔らかい。

 この感触、なんか覚えがあるんだけど。

 

「だーれだ?」

 

 この甲高い声の持ち主は……。

 

「あの、もしかして……アンナさんですか?」

「ブブーっ! でも、おしいかな☆」

 

 そう言うとようやく顔から、手を離してくれた。

 振り返れば、サンタさんの仮面を被った女の子が1人、立っている。

 

「正解は、サンタアンナでしたぁ~☆」

「……」

 

 ぎゃあああ!

 やっぱり、いたぁ~!

 昨日の余裕ぷりは、これだったのか!?

 最初から、マリアとのデートを潰すつもりでいたんだ。

 

 仮面を外すと、特に悪びれることもなく、ニコニコ微笑むアンナの姿が見えた。

 

「タッくん☆ こんなところで、何しているの?」

 あんたこそ、なにしているんだよ!

「いや……マリアと取材だったんだけどさ。ダメになって」

「そうなんだぁ~ きっとマリアちゃんは悪い子さんだから、サンタさんから、天罰を食らったんだよ☆」

「サンタさんが……?」

 

 あなたがしたんでしょ。全部……。



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419 あの子は今……。

 

「タッくん☆ 改めて、メリークリスマス!」

「め、メリークリスマス……」

 

 今日のアンナ。

 いつもとは、全然違うファッションだ。

 

 普段と色合いが異なる。

 全身、赤と白でコーディネート。

 というか、コスプレだ。

 

 女性向けのサンタコス。

 ミニのワンピースで、肩にケープを羽織っているが、肘から先は素肌なので、すごく寒そう。

 頭には小さなサンタハット。足もとは、厚底の赤いショートブーツ。

 

 完全なパーティー仕様。

 めっちゃ気合が入っているというのが、ビシビシと伝わってくる。

 

 しかしだ……。偶然を装うには、無理があるってもんだ。

 昨日からいや、もっと前から……今日のために入念な計画を練っていたに違いない。

 

 

「アンナ……その、お前こそ、なんで博多にいるんだ?」

「え? イルミネーションを見ようと思って、博多に来たんだよ☆ そしたら、たまたまタッくんを見かけて、1人だから声をかけてみたの☆」

 絶対にウソだ。

「そ、そうなのか。じゃあ俺は、今からどうしたらいいんだ?」

「もちろん、2人で仲良くイブを取材しようよ☆ タッくん、クリスマス・イブを女の子と過ごすの、初めてでしょ?」

 脅しにしか聞こえん。

 マリアには悪いが、あんな犯罪まがいの工作まで行ったアンナを、敵に回したくない。

 ここは、彼女の言うことに従おう。

 

「了解した。じゃあ、今からクリスマス・イブを取材しよう」

「やったぁ~☆ 博多に来て良かったぁ~☆ 偶然、タッくんに会えるんだもん! サンタさんって、やっぱりいるんだねぇ」

 そう言って、俺の顔を嬉しそうに見つめる。

 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて。

 

 今日はその美しい輝きが、一段と怖く感じる……。

 

  ※

 

 とりあえず、博多駅をウロウロしてみることに。

 色んな屋台も気になるが、やはり最初に目が行くのは、イルミネーションだろう。

 アンナが「まずはツリーを見たい」と言うので、手を繋いでゆっくりと歩き出す……が、人が多過ぎて、なかなか前へと進めない。

 

 それもあって、お互いがはぐれないように、と手を繋ぐことにした。

 

「人多いね、タッくん」

「ああ……俺もイブを博多で過ごすなんて、初めてだからな。こんなに人が多いとは思わなかったよ」

 

 ちょこちょこ歩いてはいるが、所々で立ち止まっては、撮影を繰り返すカップルや家族連れ。

 そんなんだから、俺たちまで立ち止まり、相手の撮影を待ってあげる。

 

 やっとのことで、ツリーの前に着いても、これまた撮影する奴らばかりだ。

 順番でカメラを構えているとはいえ、待機時間が長すぎる。

 

「アンナもタッくんと一緒に写真を撮りたいな……」

 そう彼女がぼやくので、俺は1つ提案してみた。

「なら、俺がスマホを持つから、それでツーショットを撮らないか?」

 だがアンナは、その提案に不満気だ。

「ダメだよ! それじゃ、ツリーと一緒にタッくんもしっかり撮れないじゃん……」

「別に、撮れるなら良くないか? フレームから少しはみ出るぐらい」

「イヤっ!」

「……」

 

 わがままっ子だな。

 確かにこんな時のため、自撮り棒を持って来たら良かったな。

 辺りを見れば、大半の観光客が自撮り棒で、撮影している。

 

 参ったなと、頭を搔いていたら……誰かが後ろから声をかけてきた。

 

「あの……良かったら、私が撮影しましょうか?」

「へ?」

 

 振り返ってみると、俺の背後に巨人が立っていた。

 

「うあああ……」

 

 俺の身長は、170センチほどだ。

 首を真っすぐ上に向けないと、相手の顔が見えない。

 多分、190センチ以上はある。

 

「こんばんは♪ 素敵な聖夜ですね。今日は中学校のみんなと、募金活動をしていたんですけど……迷子になっちゃって」

「え? 募金?」

 

 よく見れば、胸元にはセーラー服のリボンが。

 このなりで中学生だと?

 

 確かに顔は幼いが、身体の発育が良すぎる!

 ていうか、デカすぎ!

 

 女子プロレスラー顔負けのたくましい筋肉を、全身に纏っており。

 今にもピチピチになったセーラー服が、破れそう。

 そして女性のシンボルとも言える、バストやヒップも、アホみたいにデカい。

 

 決してセクシーな体型とかではなく、全てがデカすぎるJCだ。

 

 謎の女子中学生の登場に、動揺していると。

 上から俺の顔を、まじまじと眺めて、何かを指差す。

 

「あれ、そのリュックサックに、つけているキーホルダーって……」

「これは……1年前に天神で募金して、学生にもらったものだが」

「やっぱりだ~! じゃあ、あの時の“ドスケベ先生”ですよね!?」

「は?」

「覚えていませんか? 1年前に、私がそのキーホルダーを渡したこと」

「えぇ……」

 

 ウソだぁああ!

 あの純朴な少女が、こんなにもデカく育ったというのか?

 俺が一番嫌いな巨乳だし、ていうか巨体すぎる!

 たった1年で、人はこんなにも変わるのか……。

 

 良かった。あの時に、口説かなくて。



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420 恋人たちの交差点

 

 突然、俺の前に現れた少女……いや巨人。

 一年前に天神で、募金活動をしていた女子中学生だった。

 確か去年が中学2年生だったから、今は3年生か?

 

 いきなり声を掛けられたから、動揺してしまい、アンナを無視して、話を続ける。

 

「君があの時の……この、キーホルダーをくれた子なのか?」

 信じられんが、確かに顔はすごく幼い。

 垢抜けない童顔。しかし、身体が俺よりも成熟している。

 ムキッムキじゃん。

「はい! ドスケベ先生、お久しぶりです」

 礼儀良く、頭を深々と下げる。

「おお……久しぶりだな」

 

 俺たちが2人で勝手に話をしていたら、アンナが頬を膨らませて、間に入る。

 

「ねぇ、タッくん? 写真はどうするの? それにこの子、誰?」

 めっちゃ低い声で喋るじゃん。

 怖いよ……。

 ここは早めに誤解を解いておかないとな。

 咳払いして、名も知らない少女を紹介する。

 

「うほぉん! この子は一年前、俺が募金したら、手作りキーホルダーをくれた中学生だ」

「え、募金?」

「ああ、天神を歩いていたら、たまたまな」

「ふぅん……でも、手作りなんだ。それって」

 

 そう言って、俺のリュックサックを指差す。

 だが彼女の瞳は、輝きを失っている。

 

 こ、この反応は!?

 しまった。手作りってところが嫌だったのか。

 墓穴を掘ってしまったな。

 もう一度、起動修正を計ろう。

 

「アンナ。これはお守りとしての機能があるんだ!」

「え、お守りなの?」

「ああ、この子が願いを込めて、一生懸命作ってくれた……サンタさんキーホルダーなんだ!」

「お願い? どんな?」

 

 あの時、確か彼女はこう言った。

 

『うまく言えないんですけど……きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います』

 

 これをそのまま引用させてもらおう。

 

「うむ。このサンタさんキーホルダーは、当時ぼっちだった俺が、『素敵なクリスマスを一緒に過ごせる人が来てくれますように……』という彼女の願いが込められている」

「えぇ!? そうなの?」

 よし、食いついた。

「そうだ。おかげで俺は今年、アンナという素敵な女の子とイブを過ごせるようになったんだ! キーホルダーをを作ってくれたこの子は言わば、恋のキューピッド的な存在だ!」

「すご~い! アンナとタッくんをくっつけてくれた良い子さんなんだ☆」

 

 まあ、偶然なんだけど。

 間違ってはいないかもな……。

 

  ※

 

 ムキムキJCの紹介も終わり、彼女に撮影を頼むことにした。

 ツリーの前で、ツーショット写真を撮ってもらうように。

 

「はーい、じゃあ私が『メリー?』と言ったら、お二人は『クリスマス』と笑ってくださいねぇ」

 

 身長が190センチ近くあるから、人ごみとか全然関係なく、上から俺たちを余裕で撮影できる。

 

「了解した」

「はーい☆」

 

 スマホのカメラを向けられたと同時に、アンナが俺の腕を掴み、自身の胸に寄せる。

 

「お、おい……」

「いいじゃん☆ イブだし、恋人気分を味わって☆ 小説に書くんだし」

「まあ、アンナがそう言うなら」

 と言いかけたところで、ボソボソと何かを呟くアンナ。

 

(まだマリアの汚い染みとか臭いが、とれてないかもだし……)

 

 根に持ってるよ。

 

 

 ムキムキちゃんは、相変わらず、優しくていい子だった。

 色んな角度から写真を撮りまくって、スマホ画面を確認させてくれる神対応。

 記念だからと、動画まで録画してくれた。

 

 撮り終わってから、俺はリュックサックにつけていたキーホルダーを外す。

 そして、ムキムキちゃんに差し出した。

 

「あのさ……君がくれたから、俺は今この隣りにいるアンナと出会えた……いや、仲良くなれたと思うんだ。だからこれは君に返そうと思って」

 しかし、彼女は首を横に振る。

「それはドスケベ先生に差し上げたものです。受け取れません。第一、アンナさんと出会えるきっかけになったのなら、ずっと持っていて欲しいです。お二人は最高に、お似合いのカップルですから♪」

 と、微笑むムキムキちゃん。

 性格も良いし、顔も可愛いのに、身体がデカすぎるのが難か。

 

 

「そうだ! 今年もキーホルダーを作ってまして……えっとここに」

 

 何かを思い出したようで、ショルダーバッグの中に手を入れて、ゴソゴソと探し始める。

 

「あ、ありました! 今年のはサンタさんじゃなくて、トナカイさんなんです。これ、良かったらアンナさんに♪」

 そう言って、小さなフェルト生地のキーホルダーをアンナに差し出す。

「え? いいの?」

「はい♪ サンタさんにトナカイさんは、必要じゃないですか? ペアルックみたいな感じでつけてもらえたら、嬉しいです」

「あ、ありがとう……」

 この神対応には、年上のアンナの方が、押され気味で。

 顔を赤くして、キーホルダーを受け取る。

 

 

 本当に良い子だな。

 だが、1つ。不思議に思うことがある。

 それは現在も、彼女が募金活動をしているということだ。

 俺はその疑問を、彼女にぶつけてみた。

 

「なあ、君はなんで今年も募金活動をしているんだ? 受験生だろ。それに場所は天神じゃないのか?」

 俺の問いに、彼女はニコッと笑う。

「場所はただ単に、人が多いから博多に変えただけですよ。あと、私だけじゃなく、去年の同級生も募金活動をしています!」

「そうなのか? でも受験勉強は?」

「やってますよ。去年、ドスケベ先生に『3年生になったらどうする? 当然、高校受験があるだろ。来年もやらないなら、立派な偽善行為だろが! つまりお前らが来年の今頃は、暖かい自宅で受験勉強に勤しむわけだ……』って言われたので、逆にやる気が出ました!」

「えぇ……」

 ひょっとして、俺のせい?

 

「あれ以来、ずっとみんなで寒さに耐えるため、筋トレしまくって、勉強する時間も5倍に。募金活動の回数も増やしました!」

 オーバーワークだよ!

「そこまでしなくても……」

「いいえ! 自分たちがしたくてしているんです! もう、先生もいないので」

「へ?」

 

 彼女の話では、昨年の募金活動を引率していた女教師は、現在結婚して、育休中らしく。

 赤ちゃんの夜泣きが激しく、慣れない育児疲れから、もう学校に戻ってくることは、難しいようだ。

 ていうか、時期的にあのイブに出来たんだろう……聖夜のデキ婚か。

 しんどっ!

 

「なるほど。苦労するな、君たちも」

「いえ、後輩にも色々と教えたいので。私は今からまた合流して、募金活動をしたいと思います!」

 先生が抜けてもやるとか……泣ける。

 

「おーい! 育子(いくこ)! どこだぁ~!?」

 

 どこからか、野太い男の叫び声が聞こえて来た。

 そして、のしのしと音を立てて、近づいてくる。

 

「あ、筋男(すじお)くんだ!」

 

 目の前に巨人が、もう1人立ちふさがる。

 

 デカッ! 2メートルはあるだろう、こいつ。

 首が太ももより分厚い。

 

「探したぞ、育子。また迷子なんて、おっちょこちょいだな~」

「ごめん、筋男くん。でも、ドスケベ先生に会えたんだ! こんなに可愛い彼女さんが出来たんだって」

「ああ! ホントだ! ドスケベ先生だっ! お久しぶりです!」

「うん……久しぶりだね……」

 

 これまた律儀に、頭を深く下げる筋男くん。

 

 最近の子って、マジで発育良すぎだね……。

 なんか俺の方が、敬語使わないと辛くなってきた。



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421 イブだからってカップルだと思ったら、大間違いだよ!

 

 筋男くんと育子ちゃんは、こんな日でも募金活動に勤しむらしい。

 恵まれない子供たちのために。

 彼らは受験生だが、この日だけは、在校生と活動を頑張りたいようだ。

 なんでも、卒業してもみんなで聖夜に募金を頑張ろう! と意気込んでいるのだとか。

 

 これには俺も、昨年彼らに吐き捨てた『偽善行為』という言葉を、撤回しなければならない。

 

「筋男くん。育子ちゃん。悪かった……君たちのことを偽善だと言ってしまって」

 そう言って、頭を下げると、2人は首をブンブンと左右に振り、慌て始める。

 

「いいえ! 私たち、好きでやっているんで!」

「そうです! 逆にあの日、ドスケベ先生が言ってくれなかったら、きっと僕たちは活動を止めていたと思います」

「そうか……なら、俺は君たちを信じていいんだな?」

 俺がそう言うと2人はお互いの顔を見つめ合う。

「「え?」」

 

「来年も、再来年も、そのまた3年後も。毎年、お前たちが活動をしているか、見に来てやるよ」

 たった1人の言葉が、ここまで彼らを動かしたのなら、更に俺の言葉でその信念を強くしてやろうと思った。

 まあ、いじわるでもあるが……。

 

 だが、俺のそんな傲慢な態度すら、2人はクスクス笑い始める。

 

「ドスケベ先生なら、そう言うと思っていました!」

「負けませんよ! 毎年、見に来てください! ドスケベ先生」

 

「ハハハッ……頼もしいな。それより、君たち。いい加減、そのペンネームを使うのはやめなさい」

 最後の方は、かなり口調を強めたが。

「「分かりました。ドスケベ先生!」」

「……」

 仕方ないか。

 

  ※

 

 筋男くんと育子ちゃん達と別れ、俺とアンナは再度イブの取材を始める。

 アンナが「身体が冷える」と言うので、なんか暖かいものでも飲もうと提案。

 近くにあった屋台へと入ってみる。

 

 メニューを見るより前に、その独特な甘い香りが不快に感じる。

 しかし、これは俺個人の問題だ。

 その証拠に、アンナは手を叩いて、喜んでいる。

 

「うわぁ☆ チョコのいい匂いがするぅ~ ホットチョコレートだって! 飲みたい!」

「そうか……じゃあ買おう」

 チョコが嫌いな俺は、絶対に飲まない。

 

 屋台の中で、大きな鍋をかき回すお姉さんに声をかける。

 

「すいません。ホットチョコレートを1つ下さい」

「お1つで、よろしかったですか?」

「ああ……じゃあ、ホットコーヒーってあります?」

「ございますよ」

「なら、それを1つ。ミルクも砂糖もいりません」

「かしこまりました!」

 

 お姉さんとの会話を、隣りで聞いていたアンナが、クスリと笑う。

 

「タッくんたら、イブでもブラックコーヒーなんだね☆」

「まあな……」

「でも、寂しいな。チョコが苦手じゃなかったら、一緒に飲めたのにね☆」

「すまん」

 

 そうこうしているうちにお姉さんから、商品を渡される。

 アンナのホットチョコレートは、マグカップ付きで持って帰れるのだとか。

 俺は紙コップに、暖かいブラックコーヒー。

 

 うむ、香りはナイス……と匂いをかいでいると、どこからか、怒鳴り声が聞こえて来た。

 

 

「お客様! や、やめてください!」

 隣りの屋台からだ。

 若いお兄さんが、客に注意している。

「うるせぇな! 私は客だぞ!? ガタガタ言わずに、もっとワインを入れやがれ!」

 

 悪態をついている客をよく見てみると……。

 全身ツルツルテカテカなボディコンを、着た卑猥な女性が、顔を真っ赤にして叫んでいた。

 あんな立ちんぼガールは、1人しかいない。

 俺たちの担任教師、宗像 蘭先生だ。

 

「おかわりでしたら、有料ですので、お金を払ってください!」

「なんだと、コノヤロー!? 教師を敵に回すのか? お前の出身校を教えろ! 私はこう見えて、顔が広いんでな」

 酷い。自分のコネクションで脅しにかけてる。

 

「な、なにを言っているんですか……酔っているのはわかりますが、カスハラですよ?」

「ハラハラうるせぇな! そんなこと言ってたら、何も出来ないだろがっ! ワイン、もっとよこせ!」

「もう、この一杯だけですよ? 内緒ですからね」

 お兄さんがそう言うと、宗像先生の態度は一変し、優しい笑顔になる。

「ありがとぉ~ お兄ちゃん。優しいねぇ、今晩どう? 何時に終わるの? お姉さんが相手しようか」

 うわ……カスハラの次は、セクハラだよ。

 こんなのが担任教師だなんて、恥ずかしい。

 

 しかし、そんな発言にもお兄さんは、顔色変えず一言。

「いえ、結構です」

 目も合わせずに、マグカップにワインを注いで先生へ渡した。

「うへへへ。恥ずかしいのかな? タダでヤレちゃうんだよ?」

 まだ懲りない宗像先生だったが、お兄さんは至って冷静で。

 黙って背中を向け、別の仕事を始めだした。

「……」

 

 イブなのに、酒で寂しさを紛らわしているのか。

 ていうか、あんな大人にだけは、絶対になりたくない。

 

 俺がずっと隣りの屋台を眺めていた為、アンナが心配して、肩を指で突っつく。

 

「ねぇ、どうかしたの? 誰か知り合いでもいた?」

「いや……見間違えだ。ちょっと変な酔っ払いがいてな。ここじゃ安心して飲めそうにない。場所を変えないか?」

 宗像先生に見つかったら、面倒くさいし。

「いいよ☆ イブなのに、お酒で酔っぱらう人って、なんか寂しいよね。イルミネーションも楽しめないし、みんなでパーティー出来ないもん☆」

「そ、そうだな……」

 

 宗像先生、愛する生徒にめちゃくちゃ言われて……かわいそう。



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422 そんなっ! 明日は仕事なのに……。(男同士)

 

 宗像先生から逃げるため、俺たちはフードコートへ移動することにした。

 一ヶ月限定の特設会場。

 普段なら、色んな人々が行き交う広場なのだが。

 

 今は煌びやかクリスマスツリーが飾られており、その周りにステージまで設けられている。

 司会の女性がマイクを持って、アーティストの名前と曲名を紹介していた。

 どうやら、プロのバイオリニストとソプラノ歌手がコンビで、クリスマスソングを披露するらしい。

 

 俺は普段、こういうのを聞かないから、良く分からないが……。

 確かに、会場の雰囲気と合っている。

 クリスマスらしい。

 

 アンナがホットチョコレートをすすりながら、「そろそろお腹がすいたな☆」と言うので。

 フードコートにある他の屋台を色々と物色し、気になったものを注文。

 

 渦巻きに巻かれたぐるぐるソーセージ、パエリア、チキン。

 これで終わりかと思ったら大間違いで、アンナの腹は満たされない。

 大きなピザに、チーズボール。パスタにステーキ。グラタンまで……。

 

 フードコートにあるテーブルで、食事をとれるのだが。

 俺たちは2人だけなのに、購入したメニューが多すぎて。

 スタッフのお姉さんが、わざわざ6人がけのファミリータイプへ案内してくれた。

 

 そんな大きなテーブルでも、隅までギチギチ。

 ちょっと、皿を動かしたら今にも、地面に落ちそう。

 

「うわぁ~☆ クリスマスっぽい! おしゃれだし、みんな美味しそう☆」

「そ、そだね……」

 

 確かに全部、美味そうなんだけど、量が多すぎる。

 こんなに食えない。

 

 ~30分後~

 

「はぁ~☆ 美味しかったぁ☆」

「……」

 

 全部、残さず食いやがった……。

 俺はチキンだけで、お腹いっぱいになったのに。

 相変わらず、怖いな。アンナさんの胃袋。

 

「じゃあ、そろそろフードコートを出るか? 他にもお客さんが待っているみたいだし」

「うん☆ あ、でもその前にいいかな?」

「え?」

「デザートに、アップルパイを食べたいの☆」

「了解した……」

 

 スイーツは別腹ってか?

 この人の胃袋、どうなってんの。

 

  ※

 

 アンナは、クリスマスマーケットの屋台で販売している、食事やデザートは、ほぼ全て食い尽くした。

 満足した彼女は、「イルミネーションが見たい」と言うので、俺もついていく。

 

 ツリーから少し離れたところに、光りで包まれた公園があった。

 ハートの形のイルミネーションやかぼちゃの馬車。

 若いカップルでごった返しており、みんな撮影に拘っている。

 きっと、SNSに投稿することも意識しているのだろう。

 

「キレイだねぇ……」

 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、イルミネーションを眺めるアンナ。

 俺には、こんな人工的に作られたものより、こいつの瞳の方が何倍も、綺麗だと感じる。

 イルミネーションを楽しんでいることを良いことに、今も俺は彼女の横顔を、じっと見つめている。

 

「ねぇ、タッくん」

 急にこちらへ視線を向けられたので、ビクっとしてしまう。

「お、おお。なんだ?」

「ちょっと、そこのベンチに座らない?」

「ん? あそこか?」

 

 アンナが指差したのは、何の飾りつけもない古いベンチだ。

 多分、このクリスマスマーケットのために置かれたものじゃなくて、普段からあるものだ。

 そんな所だから、人気が少ない。

 

「構わんが」

「じゃあ、ちょっと二人で座ろうよ。人が多くて、二人きりの時間が少ないもん」

 と唇を尖がらせる。

「了解した」

 

 彼女に言われた通り、ベンチに腰を下ろして見せる。

 するとアンナは、満足そうに隣りへ座った。

 寒いからと俺の腕をぎゅっと掴んで、胸へと押しつける。

 

「お、おい……」

「いいじゃん。イブなんだから☆ タッくんとの初めてを、たくさん味わいたいの☆」

 そう言って、可愛く上目遣いをされると固まってしまう。

 今日のアンナは、本当に積極的だな。

 ひょっとして、マリアへの対抗心がそうさせるのか?

 

 

「ねぇ、タッくん☆」

「ん? なんだ?」

「あのね……」

 俺の耳もとに手を当てて、そっと囁く。

 思わず、ドキッとしてしまう。

 何を言い出すのか、彼女の言葉に緊張する。

 

「目をつぶってくれる?」

「なっ!?」

 

 ま、まさか……この前の続きを、したいってことか!?

 聖夜にこんな人がたくさんいる場所で、キッスだと。

 

「ごくり……」

 

 生唾を飲まずにはいられなかった。

 昨晩、ミハイルの時には出来なかったが、女装して積極的なアンナなら、唇を重ねられるということでは?

 

 マジか、俺。ついにイブで、ファーストキスを経験できるんだ。

 覚悟を決めて、瞼をぎゅっと閉じる。

 

「つ、つぶったぞ?」

「じゃあ、アンナが良いって言うまで、ずっとつぶったままでいてね☆」

「は、はい!」

 なぜか敬語になり、カチコチに固まってしまう。

 

 瞼を閉じているから、何が起きているが分からない。

 どうやら、アンナは両手を俺の首に回し、抱きしめているようだ。

 彼女の吐息が、俺の頬に伝わる。

 

 これはマジだ。

 心臓がバクバクして、爆発しそう。

 いつになったら、彼女の唇が俺の唇に……。

 

 

「ちゅっ」

 

 可愛らしい音だった。

 アンナの唇は、とても小さい。

 だから、食事をする際も、あまり大きく唇を開けることができない。

 それもまた彼女の愛らしいところでもあるのだが。

 

「ちゅっ……ちゅっ、ちゅっ!」

 

 激しいキッスだった。

 なんていうか、キツツキきたいな接吻。

 

「ちゅ~、ちゅっ! ちゅっ! あれ? なんでかな?」

 

 自分からやっておいて、時折疑問を抱いているようだ。

 それもそのはず、この激しいキッスは唇ではなく、頬にされているからだ。

 左側の。

 

 ゲームのコントローラーを連打する子供のように、激しくキッスを重ねるアンナ。

 

「なあ、アンナ? 一体なにをやっているんだ?」

 瞼は閉じたまま、質問してみる。

「あ、タッくん! 目はつぶってよね! 恥ずかしいから!」

「おお……閉じているよ。なんで、こんなに頬へ……その唇を当てているんだ?」

「だって、マリアちゃんがこの前学校で、頬にキスしたって、ミーシャちゃんが言うから……汚れを落とすの!」

「えぇ、それで……」

 なんだ、あのことをまだ根に持っていたのか。

 

「そうか……しかし、こんなに何回も、しなくていいんじゃないのか?」

「ダメ! キスマークをつくるの!」

 ファッ!?

 この人は一体何を言っているんだ。

 今やっている控えめなキスでは、マークをつけることは、無理だろうに。

 

「おかしいな。今読んでいるBLマンガでは、こうしたら、すぐについたんだけどなぁ」

 そりゃ、マンガだからだろ。

「アンナ。もう良くないか?」

「イヤっ! 絶対タッくんに“しるし”をつけるの! ちょっと黙ってて!」

 怒られちゃったよ……。

「はい……」

 

 

「ちゅ、ちゅ、ちゅっ! う~ん。息を吐きながら、チューすればいいのかな?」

 

 逆だ、逆!

 吸うんだよ!

 

「すぅ~ しゅば~!」

 

 うん、暖かいね。それだけだよ。

 結局このあと、アンナが満足するのに、1時間も付き合わされた。

 これが、恋人らしいクリスマス・イブなの?

 僕には分かりません……。



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第四十八章 年越し男の娘
423 コミケが忙しくて、おせちはありません……。


 

 時が流れるのも早くて……今年、2020年も終わりを迎える。

 今日は、12月31日。大晦日だ。

 

 クリスマス・イブをアンナと仲良く過ごし、学校は冬休みで、仕事も無い。

 毎日家の中で、だらだらと過ごしていた。

 

 だが、母さんだけは何時になく、忙しそうだ。

 母さんが経営している、美容院のせいではない。

 もう年末だから、お店は休み。

 プライベートなことだ。

 

 俺にとって、その姿は毎年恒例のことだが……。

 推しのサークルの情報を、インターネットで仕入れ。

 卑猥な薄い本を、同人販売サイトで大量に予約。

 

 これだけでも、数十万円は溶かしている。

 しかし、母さんのBLに対する情熱は、とどまることがなく。

 

 推してなくても、新規のサークルや同人作家を漁りまくるのだ。

 新たな芽は潰す。のではなく、愛でる。

 これが母さんのモットーだ。

 

 年末年始に、美容院を休むのは、家族といるためではない。

 同人誌を漁るために、店を閉めるのだ……。

 

 

 リビングでノートパソコンをカチカチといじる母さん。

 眼鏡を光らせ、笑みを浮かべている。

 

「ふふふっ……今年の冬も期待のルーキーちゃんがいっぱいね。ポチっておくわ♪」

 

 俺はただコーヒーのおかわりを、マグカップへ注ぎに来たのだが。

 嫌なものを見てしまった。

 相変わらず、目がガンぎまっていて、麻薬中毒者のよう。

 恐ろしい。

 きっと徹夜で、BLを漁っているからだろう。

 

 こういう時の母さんは怖いので、声はかけず。コーヒーポットからマグカップに注ぎ、黙って立ち去る。

 

 

 自室に戻り、机の上にマグカップを置く。

 机の上に置いているモニターを、眺める。

 今年はアホみたいに、写真や動画を撮ったから、フォルダーを分けるのに苦労する。

 まあ主に、アンナのものだが。

 

 しかし、1枚だけ例外がある。

 

 それは……この前、彼に頼んで、学校内で撮ったものだ。

 廊下の壁にもたれ掛かり、こちらへ潤んだ瞳を向ける金髪の少年。

 古賀 ミハイル。

 

 たった1枚しか、撮れなかったが……。

 俺は時々、この写真をクリックしてしまう。

 

 画像を拡大し、彼の美しいエメラルドグリーンへ吸い込まれそうになる。

 アンナの写真を眺める時よりも、なぜか恥ずかしい。

 

 妹のかなでは、現在、受験勉強による疲労から、二段ベッドの下で爆睡中。

 今なら、人の視線を気にせず、彼を眺めることが出来る。

 

 なぜだろう……。

 この写真を眺めていると、すごく落ち着く。

 あいつが俺の隣りで、笑っているような……。

 

 

 男が野郎の写真をずっと眺めているなんて、気持ち悪いよな。

 でも、かれこれ2時間も、モニターに映るミハイルを見つめていた。

 

 その時だった。

 机に置いていたスマホが振動で、カタカタと音を上げる。

 思わず、ビクついてしまう。

 

 着信名は、先ほどまで見つめ合っていた相手だ。

 

「もしもし?」

『あっ、タクト☆ 今なにかしてた?』

 彼の問いに、悪意は感じないが。

 今もモニター越しに映る彼を見つめているため、罪悪感みたいなものを感じる。

 

「べ、別に……何もしてないぞ?」

『そうなんだ☆ あのさ、後で真島(まじま)に行ってもいいかな?』

「え? いいけど、どうしてだ?」

『あのね、今お正月の料理を作ってるの☆ お雑煮とか、おせち料理とか』

「ほう。大変だな」

『毎年やっていることだから、大丈夫だよ☆ タクトん家はおせち料理、お母さんが作んないの?』

 もちろん、この質問も悪意はない。

 我が家が逸脱しているから、こんな世間話も出来ないだけだ。

 

「母さんはおせちとか、作らないよ。昔は作っていたんだがな……今は同人サイト巡りで、それどころじゃないんだ」

 言っていて、めっちゃ恥ずかしい!

『ふ~ん。じゃあ、オレが作ったのを、持って行っても良いよね?』

「へ?」

『夕方ぐらいにそっちへ持って行くから☆』

「いや……それは悪いよ」

 断ろうとしたが、ミハイルに「大丈夫だよ」と笑われた。

 

『それよりさ、タクトってお雑煮に“かつお菜”は、入れるタイプ?』

「か、かつお?」

 

 お雑煮に、かつおだと……。

 かつお節か、それとも、カツオのたたきか。

 う~む。なぜお雑煮に入れるんだ? わからん。

 

『かつお菜だよ☆ 福岡なら入れる家が多いでしょ?』

「へ? かつお、な? 初耳だ、知らん」

『なんで知らないの!? 福岡に住んでいるなら、タクトも知っておきなよ!』

 めっちゃ怒られた。

 意味が分からん。

「すまん。母さんが10年以上、お雑煮とか作らないから、覚えていないんだ。とりあえず、ミハイルが美味いと思うなら、入れてくれ」

 俺がそう言うと、彼はすごく嬉しそうだった。

『ホント!? じゃあ、入れておくね☆ 全部作ったら、また連絡するよ☆』

「おう……」

 

 通話を終了した後も、しばらく俺の脳内は、カツオでいっぱいだった。

 餅とカツオの刺身を挟んで、汁にぶち込むのだろうか?

 

 分からん……。



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424 今年最後のミハイルくん。

 

 ミハイルと電話で話してから、数時間経った。

 もう18時を越えたから、窓の向こう側は暗くなっている。

 真冬だし、この時間帯でも、夜に近い。

 

 心配になって、彼に電話をかけてみるが。

 何度かけても出てくれない。

 

 なんか嫌われること、したかな……。

 首を傾げながら、自室のテレビをつけてみる。

 

『それでは、今年もこれで終わりです! タウンタウンが送る。絶対笑えTV二十四時間!』

 

 もう、そんな時期か……。

 去年は、一ツ橋高校に入学するため、中学校の教科書で猛勉強していたから、見られなかったもんな。

 結局、願書を出して、すぐ合格したから、意味がなかったんだけど。

 

 ボーっとお笑い番組を眺めていると、部屋の扉がガチャンと音を立てて開く。

 

 振り返ると、そこには、妹のかなでが立っていた。

 連日の受験勉強で、顔色が悪い。

 かなで曰く、勉強するのは苦ではない。

 それよりも男の娘同人ゲームを、封じられていることが、何よりも辛いそうだ。

 頬もこけている。

 

「おにーさま……ちょっといいですか?」

 力ない声だった。

 ここまで来ると、さすがに兄として、心配だ。

「おお……大丈夫か? かなで」

「え? なにがですの? かなでのことなら、問題ありません。脳内で男の娘をぐっしょぐっしょに濡らして……股間のタンクが無くなるまで、撃ちまくっていますわ」

「そ、そうか……」

 禁断症状から、いつか近所のショタッ子に手を出さないか、不安だ。

 無理やり、女装させたりとか……。

 

 

「それで、俺に用ってなんだ?」

「あ、そうでしたわ。お客様がお見えですよ」

「え? 俺にか?」

「はい……ミーシャちゃんです」

「なっ!?」

 

 それを聞いた俺は、部屋から飛び出す。

 リビングを通り抜け、急いで階段を駆け下りた。

 

 店は閉めているから、裏口の扉を開けると、一人の少年が立っていた。

 ニコニコと微笑んで、俺の顔を見つめる。

 

「タクト! 持ってきたよ!」

「み、ミハイル……」

 

 両手には、大きな風呂敷で包まれた圧力鍋。

 そして背中には、これまた巨大なリュックサックを背負っている。

 

 クリスマス・イブを一緒に過ごしたアンナの時とは違い、服の色合いが落ち着いている。

 黒のショートダウンに、ブラウンのショートパンツ。

 足もとは、スニーカー。

 

 アンナの時の方が可愛いのに、なんなんだ? このときめきは……。

 ギャップ萌え、とでもいうのか?

 

 それにショートパンツの素材がフェイクレザーだから、以前学校で触れなかった悔いがある。

 このまま部屋に連れ込んで……いや、ダメだ。

 理性を取り戻すんだ、俺。

 

 素のミハイルに見惚れていると、彼が距離をつめて、俺の顔を覗き込む。

 低身長だから、自然と上目遣いになる。

 

「どうしたの? タクト?」

 相変わらず、エメラルドグリーンの瞳が輝いて見える。

「うう、その……」

「なんか調子悪いの?」

 更に顔を近づけて、俺の目をじっと眺める。

 

 わざとやっているわけじゃないから、俺の方が負けてしまう。

 クソ。だから、ミハイルモードは嫌いなんだ……。

 

 恥ずかしさを紛らわすため、彼の持っているものを指差す。

 

「なあ、ところでその鍋がお雑煮か?」

「ん? あ、そうだよ☆ かつお菜がちゃんと入っていて、お餅もたくさん入れたからね☆ お母さんとかなでちゃんも、みんなで食べてよ☆」

「そうか。悪いな」

 魚のかつおをぶち込むのが、福岡流なんだな。

 よく分からんが……。

 

 ミハイルから鍋を受け取って、とりあえず、店のローテーブルへ一旦置くことにした。

 持ってみたが、かなり重たい。

 5人分はあるんじゃないか?

 よく持ってきたな……。

 

「ところで、なんで電話に出てくれなかったんだ?」

 俺がそう言うと、「あ、いけない!」と言って、慌て出す。

「ごめん! オレが料理するのに結構、時間がかかってさ……。タクトに色々食べて欲しかったから、いろんなものを作ってたら、スマホも気がつかなくて」

「そういうことか……なら、気にするな。じゃあ、後ろのリュックにもあるのか?」

 彼のリュックサックを指差すと、ミハイルは嬉しそうに微笑む。

「そうだよ☆ 待ってて、今出すから!」

 

 お雑煮だけでも、充分嬉しかったのだが……。

 料理が得意なミハイルだ。

 俺の想像を超える料理の数々が、リュックサックから飛び出てくる。

 

「まずはおせち料理ね、ハイ☆」

 とスナック感覚で、重箱を取り出すミハイル。

 三段だろ、これ? 買ったら相当するだろ……。

 

「あと、タクトって、“ぬか漬け”は食べられる?」

「へ?」

「だから、ぬか漬けだよ。知らないの?」

「いや。知ってはいるが……」

「じゃあ、好きなの?」

「まあ……」

 俺がそう答えると、ミハイルは手を叩いて喜ぶ。

 

「良かったぁ☆ ぬか漬けをたくさん持ってきたから、食べてくれる? きゅうりとナスにニンジン。ピーマンも入れたよ☆」

 おばあちゃんかよ……。

 なんで、16歳の男子高校生が、ぬかに漬けていやがるんだ?

 

「お前が漬けたのか?」

「そうだよ? 死んだかーちゃんから、ずっと受け継いでる“ぬか”なんだ☆」

「えぇ……」

 

 重い! そんな死んだお母さんの分まで、想いが込められているなんて。

 食いづらい。

 

「あとね……」

 まだあるの? もういいよ。

 

「黒豆と“がめ煮”を作り過ぎちゃったから、おすそ分けね☆」

 そう言って、大きな深皿を2つ取り出す。

 ミハイルが作ってくれたお雑煮とおせち料理で、一週間分ぐらい過ごせそうな量だった。

 

 ここまでしてくれて、俺もさすがに悪い気がしたので、「家にあがらないか?」と提案したが。

 

「ねーちゃんのおつまみを、作らないといけないから」

 と断れてしまった。

 

 料理だけ俺に渡すと、彼は「また来年ね~☆」と足早に、地元の真島商店街を走り去ってしまった。

 

 今年最後だってのに、なんか寂しい別れ方だな……。

 と思いながら、俺は彼のレザーヒップを、目に焼き付けるのであった。



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425 繰り返される歴史

 

 ミハイルからもらった大量のおせち料理とお雑煮などを、複数回に分けて、二階へと持ってあがる。

 こんなに豪華なお正月は、初めてだ。

 

 最近の年末年始と言えば……母さんが料理どころじゃないから。

 精々妹のかなでが、近所のスーパーで買ってきたオードブルぐらい。

 

 テーブルの上に、全て並べてみたが。

「こ、これは……」

 試しに重箱を開いてみたら、なんと煌びやかな料理が、ギッシリと詰まっていた。

 

 数の子から田作り。たたきごぼうと紅白のかまぼこ。

 だてまきに、くりきんとんまで。

 それから、鯛の塩焼きに、大きな海老。

 他にも、色んな野菜を使った酢の物や昆布などが、盛りだくさん……。

 

 愛がっ……愛が溢れ出ている!

 

 俺はそれに気がついた時、瞼が熱くなり、涙がこぼれそうになった。

 だって、こんな人間味のある料理は、久しぶりだから!

 母さんだって、こんなおせちは、作ったことないもん。

 

 ありがとう、ミハイルママ!

 大しゅき。

 いかんいかん、あまりの感動から、幼児退行しそうになっちまったぜ。

 

  ※

 

 明日というか、もう来年だが。ミハイルの料理を食べるのが、とても楽しみになってきた。

 テーブルに並んだおせち料理を眺めながら、ひとり頷いていると……。

 

 一階の方から、何やら物音が聞こえて来た。

 なんだろう……と階段の方を覗き込むと。

 背の高い大きな男が、のしのしと音を立てて、階段を昇って来る。

 

 泥棒かと思ったが、違う。

 半年ぶりの再会で驚きはしたが。

 

「親父……」

「よう、タク! 元気してたか?」

 

 久しぶりに会った親父は、相変わらず、汚かった。

 黒く長い髪を首元で結っているが、汗でベタついている。

 くたびれた皮ジャンに、色あせたジーパン。

 つぎはぎの肩掛けリュックを背負って、ニカッと笑っていた。

 

 忘れていた。

 このニート親父が、年末年始に帰宅することを。

 

  ※

 

「おろ? この料理は琴音(ことね)ちゃんが作ったのか」

 そんな訳ないだろ! と叫びたかった。

 しかし親父は、あまり母さんの“そういう姿”を見たことがない。

 ちゃんと説明しないとな。

 

「違うよ。ダチが……その、俺のために作ってくれたんだ……」

 なんか言っていて、すごく恥ずかしかった。

「タクのために? どうして野郎同士で、こんな愛のこもった料理を作るってんだ?」

「うぅ……それは」

 返答に困っていると、親父は急にリュックを投げ捨て、俺の肩を強く掴んだ。

 そして、俺の顔をじっと見つめる。

 普段のチャラついてる親父とは違う。とても真剣な眼差しだ。

 

「タク。お前、ひょっとして……」

 何かを言いかけたところで、廊下の奥から母さんが現れた。

「六さん! 帰っていたの!?」

 母さんも一人の女性だ。

 毎晩、BLで寂しさを紛らわしていたのだろう。知らんけど。

 親父を見るや否や、愛する旦那様の胸に飛びつく。

 

 それを見た親父も優しく頭を撫でて「ただいま」と囁く。

 母さんは、親父の胸の中で涙を流しながら「おかえりなさい」と答えた。

 

 なんだかな……こういうのは、息子の前でやって欲しくないね。

 

  ※

 

 母さんがまだ親父に甘えようとしていたが、珍しくそれを断る。

「悪い、琴音ちゃん。ちょっと、タクと大事な話があるんだ」

「え? タクくんと?」

「ああ。男同士、裸の付き合いってやつさ。風呂沸いているかい?」

「ええ……沸いてますけど。お風呂なら、私と一緒に入ってくださいよ」

 とアラフォー女子が、唇を尖がらせる。

「まあまあ、二人の時間はあとでたっぷりね。琴音ちゃん♪ それにお風呂でキレイにしないとさ」

「やだぁ~ 六さんたらっ!」

 そう言って、母さんは親父の頬を軽くペシっと叩く。

 

 ごめんなさい。

 とても、しんどいのでこの場から早く離れたいです。

 

 結局、なんでか知らないが、親父が言うので。

 二人で一緒に、お風呂へ入ることになった。

 

  ※

 

 狭い脱衣所だ。

 大きくなった俺と親父が二人で服を脱ぐだけでも、お互いの肌がぶつかってしまう。

 ふと、親父の背中を見ると、傷だらけだった。

 なんだかんだ言って、このおっさんもヒーローだってことを痛感する。

 その分、自分の家族が苦労しているんだが。

 

 親父の後ろ姿を眺めていると、視線に気がついた六弦(ろくげん)が、目を丸くした。

 

「どうした? そんなに俺のおてんてんが、気になるか?」

「そんなわけあるか!」

 ミハイルのなら、別だがな。

 怒りを露わにする俺を見て、ゲラゲラ笑い始める。

「ハハハッ! 相変わらず、タクはおもしれぇな!」

「どこがだよ!?」

 

 

 軽く身体を洗い終えると、湯船に浸かる。

 それは別に、普段と変わらないんだけど……。

 

 親父の野郎が、目の前に座っている。

 つまり狭い湯船に男たちが、仲良くつかっているということだ。

 おかしくね?

 

「親父……話ってなんだよ」

 俺から切り出してみた。

「そのことだが……タク、お前。童貞、捨てたろ?」

 いきなりそんなことを言われたので、大量の唾を親父へ吹き出してしまう。

 

「ブフーーーッ!」

 

 息子に唾を掛けられても、怯むことなく。真剣な眼差しで、俺を見つめる。

 どうやら、答えが知りたいらしい。

 

「タク。今のお前を見て、すぐに分かったんだ。童貞を捨てた時の俺と、同じ顔をしている」

 えぇ……。

 捨ててないけどなぁ。

 親からすると、そんな風に見られているのか?

「い、いや……捨ててないよ?」

 視線は逸らしたまま答えた。

「んん? その顔つきで童貞だと? 嘘くせぇな。じゃあアレか? キスとかハグとか?」

 鋭い!

 全部当たってる。でも、相手はミハイルなんだよ。

 言えるか……男としただなんて。

 

「そ、それは……」

 言いかけたところで、親父が急に笑い始めた。

「ハハハッ! 悪い悪い! タクも18歳だよな? そんな年頃だろう。野暮なことを聞いてすまん」

「なんなんだよ、いきなり……」

「悪いって。思い出したんだよ。俺と琴音ちゃんが、初めて出会ったあの頃を」

「へ?」

 照れくさそうに、鼻を人差し指で擦りながら、話し始める。

 

「俺は東京生まれでさ。中学校を卒業した後、日本中を旅していてな。日雇いのバイトで食いつないでたのよ。その時、たまたま博多駅で女子高生に一目惚れしてな」

 なんか急に語り出したけど。まさか……。

「その時に口説いたら、琴音ちゃんが『腐女子ですけどいいですか?』って言うから。関係ないねって、駅前のラブホテルに連れ込んでさ」

 えぇ……。

「俺も童貞だし、琴音ちゃんも初めて。それでお互い燃え上がって、出来たのが。お前だ。タク」

「……」

 絶対に聞きたくないエピソードだった。

 

「ところで、ラブホテルの前にあったラーメン屋って、まだあんのかな? 夜明けに琴音ちゃんと食ったら、まあ美味くてよ。また行きてぇな」

 

 こいつが18年前にやったことを、息子の俺が。繰り返していたなんて。

 認めたくない!



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426 BLはエロ本じゃない。アートだ!と母が言っておりました。

 

「うまい……」

 

 新年初めて、口にしたのは暖かい汁。

 ミハイルが作ってくれたお雑煮だ。

 

 魚のかつおなど一切、入っておらず。

 彼が熱弁していたものは、福岡県の特産野菜で。

 かつお菜という、緑色の小松菜みたいなものだ。

 

 ひと口食べてみたが、特に辛くもないし、苦くもない。

 だが、風味というか……だしとして、良い野菜だと感じる。

 

 気がつくと、頬から涙が溢れ出る。

 

「こんな……優しい料理は、久しぶりだ」

 

 愛情たっぷりのお雑煮と豪勢なおせち料理が、とても嬉しかった。

 作ってくれたのは、男だけど。

 それでも、こんなに愛を感じる食事は、生まれて初めてだ……。

 

 

 正月といえば、家族でおせち料理を囲み、みんなで仲良く喋りながら、ゆっくり過ごす。

 そんなドラマみたいなお正月は、我が家にはない。

 

 リビングで一人、ミハイルが用意してくれたお雑煮を暖めて、静かに食べる。

 そばには、誰もいない。

 

 妹のかなでは、受験勉強でダウン中。

 久しぶりに帰ってきた親父だが……。

 

 廊下の奥にある書斎で、一晩中『母さんの相手』をしている。

 もう朝の10時だってのに、終わる気配がない。

 こっちにまで、聞こえてくる始末。

 

 

「琴音ちゃん! 今年もよろしくぅ!」

「あああっ! あけおめっ、ことよろ~!」

 なんて酷い新年の挨拶をしているんだ。この夫婦は……。

「最高だよ、琴音ちゃん! 18年前を思い出しちまうよ!」

 子供を使って、興奮するとか最低な親父だ。

「六さん、私。もう……壊れちゃうぅぅぅ!」

 とっくの昔に、壊れてるだろ。

 

 

 この叫び声と激しい振動で、俺はろくに眠れなかった。

 かなでも、うなされていたから、親父と母さんのせいだろう。

 

「あほらし……」

 

 餅を咥えて、箸で伸ばしてみる。

 久しぶりに食う雑煮だから、喉に詰まらせないよう、慎重に食べていたら。

 テーブルの上に置いていたスマホが鳴る。

 

 甲高い声で歌を唄うのは、アイドル声優のYUIKAちゃんだ。

 年末に発売した新曲、『ピーカブースタイル』。

 今回の曲は、なんとYUIKAちゃんがラップにチャレンジしている。

 最高かよ。

 

 と曲を楽しんでいる場合ではない。

 着信名は、アンナだ。

 

「もしもし?」

『あ、タッくん! あけましておめでとう☆』

「おお……そうだったな。おめでとう。今年もよろしく」

 我が家では、こんな新年の挨拶もしないので、動揺してしまう。

『うん、よろしくね☆ ところで、タッくんは今日、家族と過ごす感じ?』

「え、俺が家族と?」

『だってお正月だからさ。普通はみんなで一緒に初詣とか』

「ああ……そういう話か……」

 

 アンナに指摘されるまで、全然思いつかなかった。

 そうだよな。

 普通の家族なら、みんなで初詣とかするもんね。

 俺ん家が、おかしいんだよ。

 

 赤ん坊の頃から、コミケに連れて行くような家庭だ。

 1歳になった時。“選び取り”をさせられたらしいが。

 普通は、そろばんとお金か、筆を選ばせるのに……。

 お袋とばーちゃんのいたずらで、百合とBLの同人誌を並べられ。

 見事、BLを掴んだという、写真を見せられた時は絶句した。

 

 

『もしもし、タッくん? 大丈夫、なんか息が荒い気するけど……』

 電話の向こうで心配しているアンナが、想像できた。

「はぁはぁ……すまん。嫌な過去を思い出してしまったんだ」

『え? お正月にあまり良い思い出がないの?』

「ま、まあな。うちはちょっと変わっているから」

『ならさ。アンナと今日、いい思い出を作ろうよ☆』

「へ?」

『初詣に行こうよ☆』

「あぁ……初詣か。そうだな、行ってみるか」

 俺がそう答えると、アンナは嬉しそうに笑う。

 

『やったぁ~☆ タッくんと初詣だぁ。お母さん達とどこかに行くんじゃないかって、不安だったから、嬉しいな☆』

「そんな気を使うなよ。アンナの頼みなら、いつでも大丈夫だ」

 

 だって、うちの親だよ?

 未だに廊下の奥から、喘ぎ声が止まらないんだ。

 むしろ、すぐにでも家から飛び出たい。



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427 ばーちゃんの優しさ。

 

 正月からJRを使うのか……。

 なんとも不思議な感覚だ。

 

 ここ数年は、家にこもりきりで。

 寝正月ばかりだった。

 

 そんな俺が博多行きの列車に、乗り込むとはね。

 地元の真島(まじま)駅は普段と違い、とても静かだった。

 

 平日なら、サラリーマンやOL。それから学生が多く。

 通勤や通学に使われる。

 しかし、今日はお正月だ。

 みんな休み。だから、そんな暗いスーツや制服は着ていない。

 

 むしろ、煌びやかな振り袖や、気合の入ったミニスカの女子が多い。

 男子も普段と違う。

 なんていうか、お洒落しているんだけど……。

 利用している店が同じところだからだろう。みんな同じ服装に見える。

 量産型男子……。

 男はつらいね。選択肢が少なくて。

 

 

 その点、俺は違う。

 初詣に行くと、母さんに言ったら「じゃあこれを着て行きなさい」と着物を渡された。

 話を聞けば、昔親父が着ていたものらしい。

 

 紺色のウール製で、冬用だ。

 羽織もセットでついており、なかなか暖かい。

 足もとは、下駄。

 

 これぞ、日本の男だ。と胸を張りたいところだが……。

 実は今着ている着物は、俺のばーちゃんがデザインしたもので。

 羽織の裏地に全裸の男たちが、汗だくになっているBLイラストが、プリントされている。

 そして、羽織を脱いで背中を見せれば、絶頂している男子が……。

 ああ……おぞましい。

 

 だから絶対に、俺は家に帰るまで、この羽織を脱ぐことが出来ない。

 

  ※

 

 ホームで列車を待っていると。

 やはり、俺と同様にみんな初詣に行くようで。似たような格好ばかり。

 振り袖を着ているのは、当然女の子たち。

 しかし羨ましい。

 だって、裏地に痛いBLがプリントされてないんでしょ?

 うちがおかしいんだよな……。

 

 そうこうしていると、列車が到着し。

 プシューという音を立てて、自動ドアが開く。

 中は思った通り、多くの人でごった返していた。

 

 この中から、アンナを探すのかと迷っていたら。

 

「タッくん~! こっち、こっち~☆」

 

 と一人の少女が手を振っていた。

 アンナだ。

 しかし、彼女の周りだけ、人が少ない。なぜだろう……。

 

 あ、思い出した。

 夏に花火大会へ行った時、アンナが乗客の大半を、馬鹿力でホームに押し出したから。

 他の客が、避けているんだろう……。

 少し離れたところで、ヒソヒソと耳打ちをしているカップルがいた。

 

(あの子、見た目あんなんだけど、マジでやばいよ。友達が夏に膝を怪我させられたの)

(マジかよ? 普通に可愛い女の子なのに)

(ホントだって! 膝の皮がめくれて、肉が見えてたんだよ!)

 

「……」

 よく訴えなかったな。

 とりあえず、アンナのそばに近寄ってみる。

 

「よ、よう……」

「タッくん☆ 良かった。一緒の列車で☆ あ、タッくんも和服なんだね☆」

「まあな……母さんが貸してくれたんだ。そういうアンナこそ、似合っているじゃないか?」

 言いながら、彼女の着物を指差す。

「え、ホント?」

 緑の瞳を輝かせて、微笑む。

 

 

 今日のアンナは、普段と全然違う。

 ガーリーなファッションを好む彼女だが、お正月だから和服。

 

 鮮やかな赤の振り袖で、白い梅の花びらがたくさん描かれている。

 長い金色の髪は、頭の上で纏めており。お団子頭ってやつだ。

 足もとは、白い足袋と草履。

 

 いつもミニスカートを履いているから、今日は露出度が少ない。

 精々がうなじぐらいだ。

 しかし、その見えない所が色っぽく感じる。

 

 正直、後ろから襲いたいぐらいだ。

 あ~れ~! って腰の帯を回してみたいのが、男ってもんだ。

 

 俺が彼女の着物姿に、見惚れていると……。

「タッくん? どうしたの?」

「あ、悪い……その着物って、ひょっとして……」

「そうだよ、タッくんのおばあちゃんから頂いたもの☆ すごく可愛いよね?」

「うん……着物は可愛いし、似合っているんだけど」

 1つだけ、違和感を感じさせるオプションがついていた。

 彼女が手に持つ、小さなバッグ。

 

 俺が隠している羽織の裏地と同じく、裸体の男たちが激しい絡みを、繰り広げていたからだ。

 ばーちゃん、なにしてくれてるんだよ!

 人の女に変なものを、送りつけやがって……。

 

「そのバックは……」

「あ。これ、すごく便利なの~☆ 着物に合わせるバッグが無くて、タッくんのおばあちゃんに相談したら。すぐに送ってくれたのぉ~」

 俺のばーちゃんに、相談したらダメだよ。

「そ、そうなんだ……」

「スマホもお財布も入って、着物に似合うし。ホントにいいおばあちゃん☆」

「……」

 

 あのババア。アンナも沼に落とす気じゃないだろうな?

 よし、初詣の願い。決まったぜ。

 

『早くばーちゃんも、枯れますように』

 

 これだな。



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428 逃げてばかりの男

 

 『次は、箱崎(はこざき)~ 箱崎駅です』

 

 車内からアナウンスが流れ、目的地へ着いたことに気がつく。

 乗客の大半が、初詣だったようだ。

 それもそのはず。俺たちも筥崎宮(はこざきぐう)を目指しているからだ。

 

 

 福岡県における三社参り。

 学問の神様で全国的にも有名な太宰府(だざいふ)天満宮(てんまんぐう)

 

 それから、近年若者から人気を得ている、宮地嶽(みやじだけ)神社がある。

 なぜ、若者から人気かというと……。

 国民的なアイドルグループが、ここでCMを撮影した際。

 その日は天気が悪かったにも関わらず。5人のメンバーが神社の参道を歩いた瞬間。

 

 近隣の海岸から、眩い光りが差し込み。

 ちょうど神社までの一本道を、神秘的な光景に変えてしまった。という伝説がある。

 そのため、CMを見たファンや若者が殺到し、お正月とか関係なく。

 平日でも多くの人で、賑わっている。

 またパワースポットとしても、人気だ。

 

 だから、宮地嶽神社と迷ったが、三つ目の筥崎宮(はこざきぐう)を選んだ。

 博多に近く、駅からも近い。

 あと、出店が多いことも、狙いの一つだ。

 大食いのアンナには、嬉しいことだろう。

 

 

 と、駅から降りて、アンナに三社参りの意味や、神社の情報を説明したが。

 聞いている本人はチンプンカンプンのようだ。

 

「えっと……今から行くのは、太宰府?」

「違うよ。筥崎宮」

「アンナ、違いがわかんない~ 福岡の歴史って、難しい~」

 

 散々、かつお菜のことで、熱く語ったくせに。

 興味がないものは、全然知識に入れないのか。

 

  ※

 

 駅から10分ほど、歩いたところで目的地へたどり着く。

 筥崎宮だ。

 

 幼い頃に母さんと何回か来たことはあったが……。

 元旦に来たことはない。

 

 大勢の人々で、賑わっており。

 境内に入ってみたが、どこも行列ばかりで、全然前へ進む気配がない。

 たぶんアルバイトの神子さんだと思うが、プラカードを持って立っている。

 

『本殿に着くまで、約45分』

 

 

「マジかよ……そんなに待たないと行けないのか」

 お賽銭して、お祈りするだけだってのに、1時間も拘束されるのかよ。

 長すぎだろ。

 

 深いため息をつくと、隣りに立つアンナが優しく俺の手を掴んだ。

 

「タッくん☆ 初詣、楽しみだね☆」

 テンションの低い俺とは違い、アンナは笑顔だった。

「え?」

「だって……今年初めてを、タッくんと迎えられたんだよ? これ以上、嬉しいことはないと思うな☆」

「そ、そうだが……1時間も立って待つんだぞ? 苦じゃないのか?」

「全然、嫌じゃないよ☆ どんなところでも、タッくんと一緒にいることが大切だよ☆ それにその1時間は、こうやって手を繋ごうよ☆ 恋人ぽいでしょ?」

 そう言って、繋いだ手を宙に浮かせてみる。

「ま、まあ……そうだな……」

 

 頬が熱くなるのを感じた。

 アンナの言う通りかもしれない。

 この待機時間こそ、恋人同士の甘いひととき……かも。

 

 ~約1時間後~

 

 やっと、俺たちの番になった。

 とりあえず、千円札を取り出し、賽銭箱へ投げ込む。

 そして、鈴を鳴らしてみる。

 しばらく来ていないから、祈り方を忘れてしまった。

 周りの人を見ながら、真似てみる。

 

 ふと、アンナの方を見てみたが。既に瞼を閉じ、手を合わせていた。

 ハーフの美少女が、和服姿なので、自然と絵になる……。

 

 見惚れている場合ではなかった。

 俺も瞼を閉じて、お祈りを始める。

 

「……」

 

 願い。

 今の俺には、そんなもの見当たらない。

 ミハイルとアンナのおかげで、書籍化やコミカライズも出来たし。

 一ツ橋高校に入学して、色んな奴らとダチになれた。

 これ以上、俺が望むものなど……。

 

 いや、一つだけあるか。

 それは、今が無くなってしまうことだ。

 

『今年も一年間。ミハイルとアンナがずっと隣りに、居てくれますように……』

 

 心の中で、そう願いを呟いた。

 しかし、神様からの返答はなし。

 

 ま、そりゃそうだろな。

 と瞼を開くと、目の前に大きな緑の瞳が、じっととこちらを覗き込んでいた。

 

「うわっ!?」

「タッくん。お祈りが長かったね? そんなにたくさんあったの?」

 どうやら、アンナの方が先に済ませたらしい。

「いや……俺の願い事は一つだけだよ」

 そう答えると、アンナはパーッと顔を明るくさせる。

「え? 一つだけなのに、ずっとお祈りしてたの? じゃあ、それだけ大きな願い事なんだよね? なに? 教えて☆」

 見透かされているような気がした。

 恥ずかしさから、俺は拒絶する。

 

「ダメだ! こういうのは、人に言ってしまうと願いが叶わないって、聞いたぞ」

「そうなんだぁ……タッくんのお願い。知りたかったなぁ」

 唇を尖がらせるアンナ。

 

 別に教える必要ないだろ。

 俺はただ……今を失いたくないだけだ。

 去年のクリスマス会。

 泣きながら会場を抜け出したあいつの顔。

 もう、あの時みたいな痛みは、ごめんだ。



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429 ぼくのおばあちゃん(腐)は、すっごいんだぞ!

 

 お祈りも済んだことだし、あとは絵馬とか、おみくじをするぐらいだ。

 しかし、どこも人が多く……。

 1つのことをやるために、数十分も消費するのは、ちょっと面倒。

 だから本殿から出て、出店を回ることにした。

 ちょうど、腹も減ってきたし。

 

 その提案に、アンナは手を叩いて喜ぶ。

 

「お正月の屋台って食べたことないの~ 楽しみぃ~☆」

「そうか。まあお正月だからって、特別じゃないぞ? 夏祭りと変わらないんじゃないか?」

 俺がそう言うと、アンナは俯いてしまう。

「アンナ……あんまりお祭りとか行ったことないから……毎年、ミーシャちゃんと一緒にお店の手伝いしていたから」

 いかん、墓穴を掘ってしまったようだ。

「そ、そうか。まあ、俺もここ10年以上は経験してないから、安心しろ。ほれ、あのデカい綿あめが見えるか?」

 

 と1つの屋台を指差してみる。

 子供向けに販売している、綿あめ屋。

 今、放送している幼児向けのアニメや特撮のキャラが、ビニールにプリントされた大きな綿あめ。

 その中には、アンナが大好きなボリキュアもいた。

 

「あ、ボリキュアだぁ!」

「そうだ。こういうのは、昔からあってだな……」

 

 言いかけて、俺は思い出してしまった。

 忘れていた……辛い過去の記憶を。

 

『おかあたん。綿あめが欲しい~』

『タクくん。あれより、もっと良い綿あめをお母さんが作ってあげるわよ』

『ホント!? わぁい~!』

 

 そして、帰宅後。

 母さんが持ってきたのは、巨大な綿あめだったが……。

 裸体のリーマンが、びしょ濡れにされていた卑猥なもの。

 しかし、無知だった俺は「おいしい」と喜び。

 母さんに「嬉しい! おかあたん、大好き!」と抱きついていた。

 

 

「はぁはぁ……なにが『大好きだ』……我が子を洗脳しやがって」

 激しいフラッシュバックで、我を忘れ、拳に力が入る。

「タッくん? どうしたの? なにか綿あめで、嫌な思い出でもあったの?」

 

 心配して俺に身を寄せるアンナ。

 振り袖姿の彼女を目にしたことで、理性を戻せた。

 過去におきた出来事へ、怒りを向けることなど、ナンセンスだ。

 今を楽しもう。

 

「す、すまんな。俺も正月なんて随分、楽しめていなかったからさ」

「そうなんだ……じゃあ、今年からアンナとお正月を楽しもうね☆」

 ニコッと微笑み、緑の瞳を輝かせる。

 彼女さえ、俺の隣りにいてくれるなら、汚れた過去など乗り越えて見せるぜ。

 

  ※

 

 早速、綿あめ屋さんで、ボリキュアをゲットしたアンナは、嬉しそうに笑う。

「大きい~ 白い~☆」

 人目など気にせず、その場でビニール袋から、綿あめを手で掴み。食べ始める。

「あま~い☆ あ、タッくんも食べる?」

「いや……俺は」

 

 気を使ってくれているのは、わかるのだが。

 素手で食べているから、彼女の手や口元は、汚れていた。

 後々が面倒だからと断ろうとしたら、怒られてしまう。

 

「ダメだよ! ちゃんとお正月らしいことをしようよ!」

「悪い……じゃあ、頂くよ」

「はい☆ 半分こね☆」

 

 アンナは手を袋に入れると、しっかり半分になるよう、綿あめを分けてくれた。

 こんなに食えないよ。

「ありがとな……」

 胃が痛くなりそう。

 

  ※

 

 その後、アンナと色んな屋台を回った。

 

 じゃがバターに大きなイカ焼き。

 焼きそばに、たこ焼き。

 フランクフルト。回転焼きなど……。

 

 彼女の腹を満たすまで、1時間以上かかった。

 

「あ~ 美味しかった☆ デザートが無くて寂しいけど……」

 

 えぇ……。綿あめと回転焼きはデザートとして、カウントされないの?

 相変わらずの暴食ぶりにドン引きしていたら、アンナの身体に異変が起きた。

 

「へっちゅん!」

 

 随分と控えめで、可愛いくしゃみだと思った。

 

「どうした? 風邪でも引いたのか?」

「ううん……きっと、外でずっと立ち食いしちゃったからだと思う。身体が冷えちゃって」

 言いながら、自身の肩をさするアンナ。

 これは見ていて、さすがにかわいそうだと思ったので。

 俺は着ていた羽織を脱ぎ、彼女の肩に着せてあげる。

 

「え、タッくんが寒いでしょ? いいよ、気にしなくて」

 断ろうとするアンナを、俺はきつく注意する。

「ダメだ。ちゃんと着ておけ。俺なら大丈夫だ。この着物はウール製だから、そんなに寒くない」

「そ、そっか……なら甘えちゃおうかな」

 

 頬を赤くし、俺の着ていた羽織りを大事そうに両手で抑える。

 

「タッくんの匂いがする。暖かい☆」

 え? そんなに臭かったかな?

「嫌じゃないのか」

「うん☆ タッくんのお家って感じがする☆」

「……」

 

 なんか、それ。

 うちがBLまみれで臭そうって、思われているような。

 

 だが、俺はこの時。大事なことを忘れていた。

 すれ違う人々の声で、それに気がつく。

 

「おい。あれってさ。BLだろ?」

「なんで、男が背中にイッてるイラストをのっけているんだよ……キモすぎ」

「あの子。なんなのよ! めっちゃ神がかっているじゃん! どこで売っているのあれ?」

 

 最後、ただの腐女子じゃねーか。

 それから、俺はずっと我慢するのみであった。

 可愛いアンナを暖めるため、自分の羞恥心など無視しなければ。

 

 お正月から、最悪な展開だよ!

 やっぱうちの環境だと、こういうのからは、逃れられないのかな……。



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430 もう一人の四天王

 

 ばーちゃんがデザインしたBLイラストのせいで、辺りにちょっとしたギャラリーが出来てしまった。

 俺を見ているわけではない。

 あくまでも、俺の背中。

 着物の中でイカされた漢に、注目が集まっている。

 

 その人だかりを見て、アンナも驚いていた。

「え? なにこれ……みんながこっちを見てる」

「すまん。どうやら、俺の着物が気になるようだ。ほら、背中にばーちゃんが、イラストを刺しゅうしたからさ……」

 彼女に背中を見せてやると、「あぁ~」と納得していた。

「タッくんのおばあちゃんって器用だもんねぇ。すごいよ~ マネできな~い☆」

 あなたは真似しなくていいです。絶対に。

 

 

 最初の頃は、ノンケじゃなかった……一般の人々。

 耐性のない人たちが、それを見て言葉を失ったり。吐き気を催すこともあった。

 しかし、噂を聞きつけた一部の女性陣が、スマホを持って撮影会を始めやがる。

 

「すごい! 神絵師!」

「これ……どこかで見たことなかったけ?」

「Oh my God!! Isn't that a phoenix?」

(なんてことだ! あれはフェニックスじゃないのか?)

 

 

 ん? 最後の人って、外国人か?

 あ、そうか。きっと遠い国から、日本へ旅行に来たというのに……。

 お正月から汚いものを見せられて、ショックを受けたんだろう。

 

 悪いことをしたなと、振り返ってみると……。

 

 背の高い白人男性がこちらを指差して、口を大きく開いていた。

 かなり驚いている様子で、隣りにいたパートナーの女性の肩を激しく揺さぶる。

 

 何が起きた分からない金髪の女性が、男性の指さす方向に視線を合わせると。

 

「It's God……」

(神だ……)

 

 二人して、手で口を塞ぎ。お互いの顔を確かめている。

 

 

 一体、何が起きたんだ……と思っていたら。

 白人の男性が、こちらに近づいてくる。

 

「あの……チョット。良いデスか?」

 カタコトだが、日本語を話せるようだ。

「はい? なんでしょう?」

「そ、その……着物デスが。どこで買ったのデスか?」

「へ?」

「ワタシたちは、アメリカから旅行に来ました。クリスマスをコミケで祝おうとしたからデス」

「はぁ……」

 なんだよ。アメリカからやって来たオタクくんじゃん。

 ったく、ビビらせんなよ……。

 

「あなたの着物。フェニックスのデスよね?」

「え、フェニックス……?」

 

 それを聞いて、すぐに察した。

 ばーちゃんの和服って、海外のお客さんにも売っているんだった!

 店の名前も『腐死鳥(フェニックス)』だし……。

 

  ※

 

 白人男性の彼から、ばーちゃんのブランドが、母国で大人気だと教えてもらった。

 粋な着物に卑猥なイラストが、プリントされているのが斬新で。バカ売れしているらしい。

 それで、彼の隣りに立っている女性は、アメリカの腐女子らしく。

 コミケのあと、初詣に筥崎宮へ来たら、俺の着物に目がいったそうだ。

 

 やっぱアメリカにもいるのか……腐女子って。

 

「それで、どこに行けば。買えますデスか?」

 彼氏の方は日本語を話せるようだが、彼女さんは無理みたいだ。

 ニコニコと笑ってはいるが、俺の答えを黙って待っている。

「あ、えっとですね……」

 俺が孫だということは伏せて、説明を始める。

 

 中洲(なかす)川端(かわばた)の商店街に行けば、ど真ん中にあるし。

 看板も派手に『腐死鳥』と書いてあるから、間違えることはない。と伝えた。

 

 それを教えると、彼氏さんは大喜び。

「ありがと、ございます! あなたはホントーに優しいデスね! わたしたち、ついてます! BL界のシテンノウがひとり。”キクのモンドコロ”に会えるのデスから!」

 それを聞いた俺は、頭が真っ白になる。

「え……あの、今BL界の四天王って言いました?」

「ハイ! アメリカでも有名なインフルエンサーなのデェス! BLグッズを作らせたら、世界一の人デス!」

「……」

 

 BL界の四天王。

 もう一人は、うちのばーちゃんだった……。

 

 聞いてもいないのに、彼氏さんはスマホを取り出し、自身のフォローしているインスタを見せてくれた。

 確かに『腐死鳥 phoenix』という名前で活動している。

 

 しかしだ……四天王の名前だよ。

 娘がケツ穴 裂子。

 母親が、菊の紋所って酷すぎだろ。

 

 ただの下ネタじゃねーか!

 

 ツボッターで検索したら、すぐにヒットした。

 フォロワーも500万人を超える、世界的な有名人。

 我が家から、どんだけの恥部を晒す気なんだ……。

 これ以上、デジタルタトゥーばかり、生み出すのは止めて欲しい。

 

「はぁ……」

 うなだれる俺とは対照的に、アンナは嬉しそうだ。

「タッくんのおばあちゃん。有名人なんだね☆ なんだか自分のように嬉しいな☆」

「ははは……そ、そうだね……」

 

 アンナの前では、気丈に振舞っていたが。

 どうしても、気持ちの整理がつかず。

 彼女に一言。「トイレに行きたい」と伝えて、その場を離れる。

 

 トイレの個室に駆け込むと、ひとりで壁を殴りながら、泣き叫ぶ。

 

「クソがぁっ! なんで、俺ばかりこんな目にっ!」

 

 このあと、落ち着くために、30分を要した。



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431 忘れたころにやって来る……。

 

 色々と問題はあったが……。

 アンナとの初詣は、どうにか無事に終わりを迎えた。

 故郷である真島駅へ列車がつくと、和服姿の彼女に手を振る。

 

「またな、アンナ」

「うん☆ 今日すごく楽しかったよ。改めて、今年もよろしくね☆」

「ああ、また今年もたくさん取材しような」

 

 バイバイとは言わず、お互い笑顔で手を振る。

 別れが惜しいけど……少しぐらいは我慢しないとな。

 

 彼女が乗る列車は発車し、その姿が小さくなるまで、手を振り続けた。

 

「さ、俺もそろそろ帰るか」

 

 ここでアンナとの余韻を、楽しむつもりだったが……。

 我が家へ帰るってことはまだ親父がいるんだ。

 もう夕方だし、さすがに夫婦の時間。終わってるよね?

 

  ※

 

 自宅の裏側に回り込み、玄関のドアに手をやる。

 恐る恐るドアノブを回すと、中から男の声が聞こえて来た。

 

「あぁ~ いいよぉ~ 琴音ちゃん!」

 

 親父の声だ……まさか、商売道具である美容院を使って、プレイ中なのか?

 

「やっぱりの琴音ちゃんが一番だわ~」

「もう六さんたら、いつもそう言ってくれるけど。他の人に浮気してないの?」

「するわけないだろ……こんなテクは琴音ちゃんだけなんだから、ああっ!」

 

 親父の喘ぎ声を聞いた俺は、即座に店の中へと駆け込む。

 そこは腐っても、普段お客さんが、母さんに髪を整えてもらう場所だから。

 

「おい! あんたら、いい加減にしろよ!」

 

 威勢よく、怒鳴り込んだのは良かったが。

 俺が目にした光景は、予想していたものとは全然違う。

 母さんが痛いBLエプロンを着て、親父の長い髪をハサミで切っていたから……。

 

「おう、タク。おかえり。アンナちゃんだっけ? 初詣どうだった?」

 ケロっとした顔で、そう言う親父。

「ああ……うん。楽しかったよ」

「そうか。なら良かったぜ。俺の着物も似合ってんじゃねーか。へへへ、初孫を期待してっからな!」

 このクソ親父。

 アンナとは、お孫さんを作れません。

 

 

 そのあと、母さんから事情を聞くと。

 どうやら親父は、普段髪を切らないらしい。

 ヒーロー業が忙しく。金もないため。

 長い髪は放置して、ああなったようだ。

 

 そして、もう一つ。

 夫婦の間にルールがあるようで、母さん以外の美容師には、髪を切らせないそうだ。

 だから、たまに帰って来た時。

 母さんがしっかり短く整えるのだとか。

 でも、また帰ってくるころには、肩まで伸びているだろう。

 

 変わった夫婦だな。

 

  ※

 

 部屋に戻り、着物を脱いで、部屋着に着替える。

 パソコンを起動し、今日収穫した和服アンナの写真を整理する。

 

「またフォルダが、一つ増えてしまったな……」

 

 これで脳内における「あ~れ~」劇場が楽しめるというものだ。

 そう思うと、笑いが止まらない。

 

 鼻息を荒くしながら、モニターを眺めていると、机の上に置いていたスマホが鳴り始める。

 相手がアンナだと思い込んでいた俺は、名前も確認せず、電話に出る。

 

「もしもし? アンナか? 今日は楽しかったな」

『……』

 ん? どうしたんだ。黙り込んでいる。

「おい、アンナ。どうした? やはり身体を冷やしたのか?」

『身体を冷やしたですって……?』

 普段、優しく話してくれる、愛らしいアンナの声ではなかった。

 今にも凍てついてしまいそうな、冷えきった声。

 

「え……アンナじゃないのか?」

 恐る恐る、スマホを耳から離し、画面を確認したら。

 着信名はマリアだった。

 気がついた時には、もう既に遅かった。

 

『身体を冷やしたって……タクト。あなた、まさか元旦から、ラブホテルへ行っていたの!?』

 酷い誤解をされてしまったようだ。

「ち、違うぞ! 断じて、そんなことはしていない! その……アンナとは、初詣に行っていただけだ」

『初詣ですって? どうせ、あのブリブリアンナだから、露出度の高いミニスカとかで行ったんでしょ?』

 アンナに対するイメージって、そんなにアホっぽいの?

 ちゃんと、和服を着ていたけどなぁ……。

 

 

「と、ところでマリア。一体、何の用だ?」

 俺がそう問うと、彼女は怒りを露わにする。

『なにがですって!? それは、タクト。あなたがやった大罪のことに決まってるでしょ!』

 随分、興奮しているようだ。声が震えている。

「え? 俺がマリアに? なにかしたのか?」

『とぼけないで、ちょうだい!』

「いや……本当に言っている意味が、わからないのだが」

 

 マリアの怒っている理由がわからないので、謝罪するにもできない。

 その態度が、更に彼女を興奮させてしまう。

 

『まだわからないの!? あなた、去年ラブホテルに2回も行ったそうじゃない!?』

「え!? なんで……そのことを」

『全部、タクトの小説に書いてあったわよ! 忘れたの!?』

「あ……」

 

 ヤベッ、去年に同時発売された”気にヤン”の2巻と3巻のことだ。

 3巻はただの腐女子が成り上がるだけだから、放っておいて……。

 

 問題は、2巻だ。

 2巻の内容は、サブヒロインである赤坂 ひなたをメインキャラとして、登場させた。

 見せ場として俺が、三ツ橋高校の福間 相馬から、彼女を助け出し。

 事故とはいえ、ラブホテルに入るというシーンがある。

 まあ、ラストにアンナと一緒にコスプレパーティーをするのだが……。

 

「その、あれはちょっと色々あってだな……」

『タクト。言ったわよね? ホテルでそういうこと、したことはないって。あれは嘘だったの!?』

 

 これは、しくじった……。

 作品をリアルに仕上げるため、起きた出来事を細かく書いたつもりだ。

 しかし、それが墓穴を掘ってしまうとはな。

 

 だが、俺はひなたやアンナと、大人の関係に至っていない。

 あくまでも、ラブホテルへ入っただけだ。

 だって、まだ童貞だもん。お尻の処女は、リキに奪われたけど……。

 

「待ってくれ、マリア。確かにラブホテルへ行ったことを黙っていたが……何もしていない。ひなたは事故で、アンナとは取材だ」

 言っていて、苦しい弁解だと思った。

『ラブホテルへ行って、何もしないカップルなんているの?』

「そ、それは、比較する相手がいないから、分からんが……」

『ふ~ん……』

 電話の向こう側で、眉間にしわをよせるマリアの顔が想像できる。

 

 

『まあ、いいわ。なにもしていないようだし……』

「そ、そうか! なら今度、どこかへ取材に……」

 と言いかけたところで、マリアが俺の声を遮る。

 

『そうね。婚約者である私を差し置いて、ラブホテルへ行ったことは許さないわ。だから、記憶の改ざんをしましょう』

「へ?」

『明日、私とラブホテルへ行きましょう♪』

「ウソでしょ……」

 

 もちろん、拒否権はなかった。



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第四十九章 どこかで誰かが見ている。
432 ファッションってのは自由ですから……。


 

 まだ”三が日”の二日目だというのに。

 朝早くから、電車に乗りこみ……博多へと向かっている。

 

 今回の目的は、取材なのだろうか?

 正直、博多にこだわらなくても、良い場所だ。

 だって、ラブホテルだもの。

 田舎でもあるだろうに。

 

 去年、俺がひなたやアンナとラブホテルへ行った……と作品に書いてしまったため。

 マリアが例の如く。記憶の改ざんを行うため、三度同じホテルへ行くことになった。

 

 なにが楽しくて、童貞が3回もラブホテルへ行くんだ……。

 

 そう思いながら博多駅の中央広場へと向かう。

 説明は不要だと思うが、一応……黒田節の像で、待ち合わせすることになっている。

 

 ジーパンのポケットから、スマホを取り出すと。

 何件かメールが入っていた。

 ミハイルからだ。

 

『タクト。お正月を楽しんでる? オレはね、今勉強しているの☆ ほら、もうすぐ一ツ橋高校の期末試験じゃん? だから、返却されたレポートを頑張って覚えているの☆』

 

「ぐっ!?」

 

 その文章を見た瞬間、胸に激しい痛みを覚える。

 罪悪感からだ。

 

 アホのミハイルが、お正月だというのに。

 期末試験の勉強だと!?

 昨年と違い、めっちゃ真面目になってる。

 

 きっと……俺と一緒に卒業したいから、苦手な勉強を頑張っているんだろう。

 まあ、天才である俺は、あんな動物園の試験なんて、予習復習する必要はない。

 しかし、そんな頑張っているミハイルを思うと。

 今から行く場所に、ためらいを感じる。

 

 とりあえず、ミハイルのメールに返信を送ることにした。

『正月から偉いな。そんなに頑張っているなら、今度の試験は良い結果になるかもな』

 それに対して、すぐに彼から返事が届く。

『ホント!? じゃあ、頑張る☆ タクトはなにしているの? 勉強?』

 

 いかん、この回答に失敗すれば、ミハイル……いや、アンナがホテルへ襲撃に来るはずだ。

 それだけは阻止せねば……事件になりかねない。

 言葉を選び、慎重にメッセージを打ち込む。

 

『俺はミハイルが作ったお雑煮とおせち料理で、お腹がいっぱいだ。それでちょっと休んでいる』

 うむ。これならば、彼が不快な思いをしない。

 尚且つ、マリアの存在も隠せる。

『そっか~☆ タクトがひとりで食べちゃったんだぁ☆ じゃあまた来年も作るよ☆ お腹を横にして休んだ方がいいよ。またね、タクト☆』

 

「よし……今回は大丈夫だ」

 

 小さく拳を作って、勝利を確信する。

 いや、恐怖が薄れたにすぎない。

 背後からマリアを刺す……恐れがあったからな。

 

  ※

 

「ごめんなさい。待たせでしょ?」

 

 視線を上げると、ひとりの少女が目の前に立っていた。

 

 金色の長い髪に、宝石のような碧い瞳。

 こちらをじっと見つめて、笑みを浮かべる。

 待っていた人間が、俺だと分かったからだろう。

 

「いや、そこまで待ってないさ。マリア」

 彼女の名前を口に出すと、嬉しそうにする。

「ふふふ。ごめんなさいね。ちょっと寝ぐせが直らなくて……」

「ほう。俺は別に髪型なんて、気にしないが」

「私が気にするのよ! タクトって本当にデリカシーがないわね!」

 

 笑ったと思ったら、怒ったよ……。

 なんで?

 

 

 今日のマリアも、ファッションは普段と変わらず。

 黒を基調としたシンプルなデザインのワンピースを着ている。

 胸元には、白い大きなリボン。

 細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。

 

 まあ真冬なので、上着として、ファーコートを羽織っているが。

 

 しかし、あれだな。

 アンナとは違い、なんというか色合いがシンプルで、つまらない。

 それでいて、毎度同じ服を着ているような……。

 

 俺はその疑問をマリアにぶつけてみた。

 

「なあ……気になることがあるのだが、聞いてもいいか?」

「え? タクトが私に質問なんて……珍しいわね。良いわよ、なんでも聞いて♪」

 そう言って、胸を張るマリア。

 ノーブラだから、トップが透けてしまいそう。

「あのさ。お前ってなんで毎回、同じ服を着ているんだ? 1着しか持ってないのか?」

 俺がそう言った瞬間、整った彼女の顔がグシャっと歪む。

「はぁっ!? 私がそんな貧乏に見えるの!? 失礼ね! こう見えて、アパレルブランドの社長よ! ファッションには気を使っているわ!」

 また怒られてしまった。

 

「しかしだな……俺から見るに、同じ色のワンピースを、着ているように見えるのだが」

「それは、タクトの目が腐っているからよ! 分かる人には分かるの!」

 確かに俺は、ファッションには疎い。

 でも、素人から見ても、同じ服にしか見えない。

 

「じゃあ……同じように見えても、全然違うファッションなのか?」

「そうよ! こう見えて、私は自分でデザインした服を着ているの。モデルもやっているわ。だから宣伝も兼ねて人気の商品を、自ら着て歩いて回るのよ」

「つまり、今一番人気な商品だから、着ているということか?」

「ええ。今着ている服も全て、売れているベスト5から決めたわ!」

「なるほどな……」

 

 でも、その考えだと。

 売れ行きによって、自身のコーディネートがランキングで固定されるんだろ?

 じゃあ、変動がない限り、同じ服じゃんか。

 

 なんか前にもこんな話を、誰かとしたような……。

 あ、退学した制服を大量に購入し、着回している北神 ほのかと話した時か。

 俺は年がら年中、タケノブルーだけ着ているから、関係ないね。

 このブランドだけで良し。俺はマリアと違う。



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433 最強ヒロインのお弁当

 

「また……ここに来てしまったのか」

 

 思わず、口にしてしまう。

 だって去年から、何回お世話になったことか……。

 

 俺がいつも食べている、とんこつラーメン屋。博多亭の目の前にあるビル。

 恥ずかしくて、ホテルの名前を確認する余裕はなかったが。

 今日、マリアから教えてもらい、初めてその名を知る。

 

 ラブホテル、チャンバラごっこ。

 そっち界隈も入室OKということだろうか?

 

 まだ入口の前だが、もう雰囲気が違う。

 こう、なんというか……ピリっとした空気というか。

 う~ん。この中でカップルが裸同士、ガチンコバトルを繰り広げているからか?

 

 自動ドアの前に立ったものの、なかなか中に入らない俺を見て、マリアが痺れを切らす。

 

「タクト? なんで入らないの?」

「いや……この前は偶然とか、事故に近いものだったから……緊張しちゃって」

 俺がそう言うと、彼女は「情けないわね」と首を横に振る。

「今日はもう、私がネットで予約しているから、いいのよ! ほら、早く」

 マリアに手を引っ張られ、ホテルの中へ入ることに。

 

  ※

 

 彼女が言った通り、ネット上で部屋を予約しているようで。

 最上階のフロアをほぼ貸し切り状態。

 いわゆるVIPルーム。休憩だけで、1万円もする。

 それでも、マリアは躊躇なく、この部屋を選んだ。

 こだわる理由は、以前俺がアンナと利用したから……。

 

 俺が財布を出す前に、気がつくとマリアは受付に声をかけていた。

「すいません。予約していた冷泉ですが、一泊お願いします」

「かしこまりました。宿泊のご利用ですね?」

「はい」

 

 受付で支払いを済ませようとするマリアを見て、俺はすかさず止めに入る。

「お、おい! なんで、宿泊するんだ? 休憩で良いだろ?」

「え? なんでよ? ホテルなんだから、一泊するに決まっているじゃない」

「それは普通のホテルだろ……」

 

 ダメだ、この人。

 ラブホテルというものを理解していない。

 一応、マリアもお嬢様だからな。

 ご休憩て意味を知らないのも、仕方ないか……。

 

 

 エレベーターに乗り込み、最上階へと向かう。

 ここまでのマリアは、至って自然体というか、余裕たっぷりといった感じだった。

 しかし、肝心の部屋へたどり着き、ドアノブを回すと、大人の空間が彼女を一気に飲み込んでしまう。

 

 豪華なシャンデリアに、鏡張りの天井と壁。

 なぜかスロット機が2台。それに大型テレビが1台。

 ベッドの近くには、謎のスイッチがたくさん並び。

 そして、ティッシュと“大事なもの”が置いてある……。

 

「「……」」

 

 二人して、部屋の真ん中で固まってしまう。

 アンナの時は、勢いだったからな。

 

「へ、へぇ~ 大したことないじゃない……ラブホテルと言っても」

 そう強がっているが、声が震えまくっている。

「なあ、マリア。今からでも良いから、やめないか? もっと10代の恋人らしい……初詣とかに変更しないか?」

 俺がそう言うと、彼女の整った顔がグシャっと歪む。

「イヤよ! ここでアンナと遊んだんでしょ? 作品にも書いてあったわ。コスプレとジャグジーが気持ちよかった☆ ってね!」

「あれは……」

「フンッ! 良いわ。あのブリブリ女との違いを見せてあげる!」

 

 ここは黙って、彼女の言うことを聞こう。

 

  ~10分後~

 

「はい、タクト。お口を開けてぇ。あ~ん♪」

「あーん」

「どう? 美味しい?」

「うん……まあまあだね」

 

 大人のホテルへ来たのだから。

 女のマリアが小さなお口を開けると、思っていたが……。

 

 彼女が用意してきた弁当のおかずを、無理やり、口の中に放り込まれる。

 白くてやわらかい……目玉焼きだ。

 

 ベッドの上に二人で仲良く、膝と膝をくっつけ座っている。

 しかし、やっていることと言えば、別にラブホテルで行うことではない。

 公園で良いレベル。

 

「ほら~ タクト。まだまだ、お代わりがあるからね♪」

「……」

 

 そのお代わりが問題なんだよ。

 弁当箱にビッシリ詰められた白米……の上には、大きな目玉焼きが、4つ並んでいる。

 他におかずは、何もない。

 黄身以外、全部真っ白。

 

 マリア曰く、目玉焼きに関してはプロレベルだそうだ。

 作り始めて早10年以上……半熟、完熟。サニーサイドアップやターンオーバー。

 どれも失敗することなく、綺麗に焼き上げることが可能らしい。

 

 なんだろう……すごいデジャブを感じる。

 あ、俺じゃん。

 俺も玉子焼きしか、作れない。

 似た者同士だ。

 しかし、スペックで言えば、男のミハイルが勝っている。

 

「なあ、マリア。お前、本当に目玉焼きしか作れないのか?」

「ええ。もちろんよ。勉強や闘病生活で忙しかったから、これしか作れないの」

「そ、そうか……」

 

 アンナのことは、黙っておこう。

 色々とかわいそうだ。

 

「タクト。そろそろ飽きてきたでしょ? 味を変える? しょうゆとソース。塩コショウも用意しているわよ♪」

「じゃあ……しょうゆで」

「私と一緒じゃない~ 良かったぁ。白米にはしょうゆが合うわよね♪」

「うん……」

 

 このあと、目玉焼きの食い過ぎで、吐きそうになった。



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434 完璧な再現

 

 マリアによる記憶の改ざん。

 それは俺が体験した過去を、自らの手で変える。

 いや、消してしまいたい……という彼女の願望だ。

 

 しかし俺という人間は、起きた出来事を、忘れることが出来ない。

 衝撃が強ければ、強いほど永遠に記憶から消すことは、不可能。

 

 昨年、このラブホテルでアンナと楽しんだコスプレパーティー。

 最高だった……。

 今でも、あの時に撮影した写真や動画は、パソコンで楽しんでいる。

 

 あれを越える映像は、なかなかお目にかかることはない……。

 

『だって、どうせそのメイドさんもかなりのミニだからパンツ見えちゃいそうだし……水着なら見えても平気だから……』

 

 ベッドに腰を下ろし、膝を組むマリア。

 片手には、ついこの前発売した俺の作品。“気にヤン”の2巻を持ち。

 当時のセリフを音読し、再現しようとしている。

 

『ならば、依頼しよう。俺は見たい』

『じゃ、じゃあちょっと待ってて……』

 

 俺とアンナの会話を読み上げたところで、マリアの整った顔がグシャっと歪む。

 

「バッカじゃない! これ、性行為をしていないだけで、ほぼ大人の関係よ! あなたたち、付き合ってもないのに……こんな卑猥な行為をしてたいの!?」

 怒りの矛先は、俺に向けられてしまう。

「ま、まあ……この時はその。あれだ。初めての体験で、どうにかしていた……というか」

「じゃあ、なんで。タクトはのりのりでコスプレを撮影しまくったのよ!? 事実なんでしょ?」

「うん……」

 

 確かに、彼女の言う通りだ。

 起きた出来事を、ほぼ忠実に小説として発表しているから、嘘偽りはない。

 

「じゃあ、私もアンナみたいなコスプレをしたら、タクトはドキドキして……。興奮するってわけね!?」

「え?」

「ブリブリ女に興奮できたのだから、婚約者の私がメイドさんになれば、タクトは興奮のあまり、襲い掛かるわ!」

「はぁ……」

 

 俺ってそんなイメージを持たれているの?

 マリアも何気に酷いな。

 

  ※

 

 怒りのあまり、我を忘れるマリア。

 しかし、ここは彼女の言う通りにしないと、満足してくれないだろう。

 とりあえず、以前に利用したコスプレを、フロントに電話して、部屋に持ってくるように頼んだ。

 

 だが、アンナという存在は、レベルが違う。

 あくまでも、架空の人物であり、俺が理想とする女子……。

 それをミハイルが、完璧に演じている。

 

 普段から、恥ずかしがる彼が、女装することで。

 積極的な性格になり、俺の望むまま、カノジョとして振る舞う。

 だからこそ、過激なコスプレも着られたのだと思う。

 

 俺はそれを知っているから、不安に感じ。

 マリアに「無理はしないでくれ」と伝えたが、興奮している彼女には、火に油を注ぐようなものだ。

 

「大丈夫よ! モデルをやっている私が、着られない服なんてないわ!」

 

 ~10分後~

 

 チャイムが鳴り、ドアを開けると、ハンガーを2つ持った陰気なおばさんが立っていた。

「どうぞ……」

 ボソッと呟くと、足早に去っていく。

 

 ハンガーを受け取った俺は、部屋に戻り、マリアに手渡す。

「これが、アンナが着たコスプレだ」

 ハンガーは2つとも、薄い布で覆われていた。中を確認できない。

 しかし、俺は昨年見ているから、中身を知っている。

「ふ~ん。これがね、ちょっと中を見て良いかしら?」

「ああ……」

 

 マリアは、ハンガーをベッドの上に2つ並べてみる。

 しかし、布を取った瞬間。顔の色が真っ青になってしまう。

 

「な、なによ。これ……」

「メイドさんと、スクール水着の90年度版だ」

 と俺が説明してみる。

 それを聞いたマリアの肩は、小刻みに震えていた。

 

「これをアンナが着たの……?」

「ああ。間違いない」

「クッソ、ビッチじゃない!」

「……」

 

 だってそういうホテルだもの。

 大人の関係になるところだから、興奮を高めるグッズだし。

 

 プライドの高いマリアだ。

 確かに彼女の言いたいことも分かる。

 

 メイド服はサテン製で、ピンクのフリフリ。

 かなりのミニ丈だから……履いたら、パンツが見えてしまうだろう。

 それもあって、アンナはスクール水着を、中に着ていたのだ。

 

「こ、こんな……ミニだと。外を歩けないじゃない!?」

「いや、室内で着るものだから」

 俺の的確なツッコミに怯むマリア。

「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結婚前なのに、タクトへ全てを捧げたらいいの?」

 誰もそんなことは、言ってないのだがな……。

 マリアも、想像力が豊かだ。

 

 咳払いをした後、アンナがやったことを説明する。

「あくまでも経験談だが……中にスクール水着を着れば、見えても安心。らしいぞ」

「そ、それをあのブリブリ女が言ったのね……いいわ! 上等よ! 私だって着こなしてみせるわ!」

 

 そう言うと、マリアは2つのハンガーを持って、奥の更衣室へ向かった。

 マジであれを再現するのか……。

 

 ~20分後~

 

「ま、待たせて……ごめんなさい」

 

 更衣室の扉が、スッと開く。

 そこには、昨年出会った可愛らしいメイドさんが立っていた。

 アンナと瓜二つ。

 

 頭には、プリム。

 胸元がザックリと開いたミニ丈メイド服。

 太ももを覆うオーバーニーソックス。

 完璧な再現。

 

 唯一、違うところは瞳の色。

 エメラルドグリーンではなく、ブルーサファイア。

 

「ど、ど、どう……?」

「ああ。似合っているよ」

 

 顔を真っ赤にさせて、俯いている。

 視線をこちらに合わせることが、できないようだ。

 よっぽど、恥ずかしいのだろう。

 

「そ、それで……このあと、どうするの?」

「えっと、俺がスマホで撮影するから、ポーズをとってほしい」

「どういうポーズ?」

 

 俺が身振り手振りで、アンナがやったポーズを説明する。

 

 お辞儀をして。

『おかえりなさいませ、旦那様』

 ネコのポーズをして。

『にゃ~ん☆』

 

 

「ま、こんな感じだな」

「……」

 俯いたまま、小さな肩を小刻みに震わせるマリア。

「じゃあ、撮影するか。とりあえず、メイドさんから……」

 と言いかけたところで、マリアが頭につけていたプリムを、床に叩きつける。

 

「バッカじゃないの! こんなアホ丸出しの女を、私がやれるわけないでしょ! 極めて不愉快よ!」

「……」

 

 じゃあ、昨年の俺たちは、アホだったんでしょうか?



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435 そんなに見ちゃ、イヤッ!(♂)

 

「……」

 

 無言でその場に立ち尽くすメイドさん。

 やはり、プライドの高いマリアでは、コスプレパーティーは無理だったようだ。

 アンナを越える記憶はきっと、作れないだろう……。

 

 黙り込む彼女を見て、そう考えていると。

 どうやら、俺の視線に気がついたようで、眉間にしわを寄せる。

 こちらをギロっと睨み、叫ぶ。

 

「つ、次よ! 確か小説では、お風呂に入っていたわよね!?」

「ああ……アンナの時は、あそこのジャグジーへ一緒に入ったな」

 俺がそう言うと、マリアの整った顔がグシャっと歪む。

「アンナの時は……ですって!? まるで、あの女が上みたいな言い方ね!」

 まずい。墓穴を掘ってしまった。

「いや、そういう訳じゃなくて……」

「フンッ! 私だってタクトを興奮させられるわ! 見てなさい!」

 

 なんで、俺が年がら年中、発情期の動物みたいな扱いになってんの……。

 

  ※

 

 小説というか……実際に昨年、起きた出来事を忠実に再現するため。

 マリアは、奥にある更衣室へと向い、メイド服を脱ぐことに。

 中に着ている、スクール水着になるようだ。

 

 俺はと言えば、部屋の中央に向かって、ジャグジーの前へ立ち。

 全ての服を脱ぐ。

 生まれたばかりの姿ってやつだ。

 

 これは、あの時。アンナがお風呂に入ろうと誘ってくれて。

 俺が水着を持ってないから「バスタオルで腰を隠したら?」と言われたからだ。

 当時のように、近くにあったタオルを手に取り、腰に巻いてみる。

 良い感じで、股間を隠せたと思い。

 

 可愛らしいハート型のジャグジーへと、お先に浸かってみる。

 ジャグジーの裏には、ガラス越しに中庭が見える。

 緑と花々が堪能でき、この中に入ったカップルは、そのまま……。

 

 といきたいところだが、今回は無理だ。

 相手は男……はっ!? 違う。アンナにそっくりだから、勘違いしていた。

 マリアは正真正銘の女子だ。

 

 そう思うと、なんだか緊張してきた。

 

 ~10分後~

 

「お、お待たせ……」

 頬を赤くした金髪の美少女が、目の前に立っている。

 今は、廃止されたスクール水着。1990年代初期のタイプ。

「ああ……」

 

 その姿に、俺は言葉を失っていた。

 透き通るような白い肌。細くて長い脚。

 金色の長い髪は、お湯に浸からないよう、頭の上で一つに纏めている。

 

「私も入っていい?」

「もちろんだ」

 

 少し身体をずらし、マリアが入りやすいように、余裕をあける。

 すると、彼女の太ももが目の前を通り過ぎていく。

 横から見ただけだが……。生まれて初めて、女の子の股間を直視したような気がする。

 意外と、ふっくらしているんだな。

 

 ちょっと待てよ!?

 アンナがスク水を着た時は、かなりお股に食い込んでいたのに、ツルペタだったぞ!

 男なのに……。

 

 だが、女のマリアがふっくらしているだと。

 何故だ……取材だからと、ヌードになってもらい、確認するのは、無理だ。

 

「う~む」

 

 ひとり、唸りながら、考え込んでいると。

 お湯に浸かったマリアが、自身の胸を手で隠していた。

 そして、眉間にしわを寄せる。

 

「ねぇ、さっきからずっと、視線が怖いのだけど? 私の大事なところばかり見てない?」

「あ、いや……そのキレイな肌だなと思って」

 笑ってごまかそうとしたが、鋭いマリアには感づかれてしまう。

「タクト。ひょっとして……アンナと比較してるの?」

「そ、それは……」

 ここで嘘をつけば、絶対あとでブーメランが返ってくる。

 本当に思ったことだけを、言葉にしよう。

 

 俺は人差し指を立てて、豪快に叫んだ。

「マリアのお股って……けっこう膨らんでいるんだな!」

 これなら、褒めていることになるだろう。

 

「……タクト。極めて、不快なのだけど。じゃあ、なに。私がデリケートゾーンに、気を使っていない女子だと言いたいの?」

 怒らせてしまった。

「す、すまん」

「フンッ!」

 

 どれが、正解だったんだろう。

 にしても、なぜアンナのお股は、ツルペタだったんだ?

 わからん……まさか、マリアの方が男なのかな。

 

  ※

 

 最初こそ、会話というか。口ゲンカをしていたが。

 しばらくすると、マリアは黙り込み、視線を合わせてくれなくなった。

 俺は怒っているからだと、思っていたが。

 

 全然、目を合わせてくれない彼女に、もう一度謝罪を試みる。

 

「なあ。マリア悪かったよ……そろそろ仲直りしてくれないか?」

「……」

 視線は、ずっと湯船の中。

 顔を赤くして、返事もない。

「おい、どうしたんだ? 風呂の湯加減が悪いのか?」

「……」

 全然話してくれないので、俺は敢えて彼女に身を寄せ、顔を覗き込む。

 すると、マリアは何を思ったのか、自身の顔を両手で隠してしまった。

 

「こ、こっちへ来ないで!」

 強気な彼女にしては、随分と弱々しい声だった。

「へ?」

「わ、悪気はないのよ……でも、どうしても無理なの!」

「なにがだ?」

「タクトのお股!」

「え……」

 

 彼女に言われて、自分の股間を確認したが。

 タオルはちゃんと腰に巻かれている。

 はみ出ていない。

 

 なのに、マリアはこれに拒絶反応を起こしている。

 

「マリア。どういうことだ?」

「わ、私……パパの股間すら、あまり見たことがないの! だから、いくらタオル越しとはいえ。タクトのお股があると思うと……恥ずかしくて、直視できないわ!」

「そうなんだ……」

 

 普段から積極的な彼女だから、もっとグイグイ来るのかと思ったが。

 中身はめっちゃピュアな女子だった。

 

 この反応が普通なんだろうな。

 アンナは、あくまでも女装男子だから……。

 去年、一緒にアイツと仲良くお風呂へ入ったけど。

 あの時はめっちゃ楽しくて、興奮できたな。

 

 俺がバグっているのかな……。



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436 未経験なのに、テクニックがすごい!

 

 ラブホテルまで、俺を連れ込んだマリアだったが……。

 肝心のドキドキさせる映像は、見せられずにいた。

 

 むしろ、ピュアで奥手な女の子と感じる。

 まあ俺的には、好感を持てるタイプだけど。

 

 マリア自身は己の不甲斐なさに、憤りを感じているようだ。

 肩を小刻みに震わせて、碧い瞳に涙を浮かべている。

 

「……ぐすん。せっかくタクトと二人きりなのに、何も出来ていないわ。記憶の改ざんが……」

 

 まだこだわっているのか?

 確かに、アンナのコスプレパーティーを越える記憶は、作れていないが。

 童貞の俺が、ラブホテルへ3回も来ている時点で、充分レアな思い出だと思うけど?

 

 ベッドの上で、バスローブを纏ったマリアが座っている。

 かなり落ち込んでいるようだ。

 俺は少し距離を取り、近くの冷蔵庫からブラックコーヒーを取り出して、喉を潤わせる。

 

 何とも気まずい空間だ。

 これが、あと半日以上あると思うと、苦でしかない。

 別に俺が、マリアを無理やり襲ったわけでもないのに……なぜか罪悪感が残る。

 

  ※

 

 コーヒーを飲み終え、ゴミ箱へ空き缶を持って行こうとしたら、急にマリアが顔を上げる。

 

「そうだ! タクト、あれならできるわよ!」

 と自身の胸を叩くマリア。

「アレ? なんのことだ?」

「ふふん。きっとこのテクニックは、ブリブリアンナじゃ出来ないわよ」

 妙に自信があるな。

 まあ、元気が出たことは良い事か。

「なにをするんだ?」

「それはね……抜くのよ! タクトの太いのを、思い切り!」

 俺は、マリアがラブホテルへ来て、頭がおかしくなったのかと思った。

 

「抜くって……お前。まさか……」

「そのまさかよ! 私の指ってすごいんだから! 必ずタクトを抜きまくって、気持ち良くさせてあげるわ!」

「ウソ……」

 急に下ネタ全開になったマリアを見て、言葉を失ってしまう。

 俺とは対照的に、彼女は興奮気味に語り始める。

 

「タクトって最近、抜いてないでしょ?」

「あ、いや……人並みには……」

「ウソよ♪ 顔を見たら分かるわ。そういうことは、女の子に任せるものよ♪」

 

 初めて聞いたんですけど。

 自家発電は、己が手でするから、って意味だと思うんだけど。

 女の子がしてくれるものなの?

 

「そ、それはダメだ……俺たち、まだそういう関係じゃ……」

 優しく断ろうとしたが、マリアは首を横に振る。

「いいえ! 絶対に抜かせて。大丈夫、痛くしないわ! 私、こう見えてたくさんの人を、抜きまくっているのよ」

 まさかのビッチ発言である。

「なんで……?」

「パパがよく言うのよ。『マリア。そろそろ抜いてくれ』って。だから、私が毎晩抜いてあげているの♪」

「……」

 

 俺以上に、ヤバい家庭がいた!?

 

 ~20分後~

 

「どう? タクト。気持ち良いでしょ?」

「あ、ああ……」

 確かにマリアのテクニックは、最高だった。

 ベッドの上で、膝枕をしてくれる神対応。

 そして、銀色の道具を手に持ち、俺の額に触れる。

 

 ブツン……と何かが引きちぎれる、音がした。

 

 最初は痛かったけど、しばらくすると、気持ち良く感じられるようになった。

 なんだか、眠たくなってくる。

 確かに、これは昇天すると言っても、過言ではない。

 

「もう~ タクトったら、相当溜めてたわねぇ? 抜きがいがあるってもんだわ♪」

 そう言って、ピンセットで俺の眉毛を抜く。

 

 彼女が表現する「抜く」とは、毛を抜くことだ。

 俺が想像していたような、卑猥な行為はなにもない。

 マリアのパパさんが、夜な夜な抜いてほしいと、リクエストするのも分からんでもない。

 だって、気持ちが良いもの。

 

「ねぇ、タクトって眉毛を抜くの、初めてでしょ~」

「ああ……こんなに気持ちが良いなんて……うっ!」

 

 最初こそ、チクッと痛みが走るけど。

 その後の快感ったら、やめられない。

 

「ほぉら、見てごらんなさい。こんなに溜めていたのよ♪」

 そう言って、手の甲を見せてくれる。

 彼女の白い手に、たくさん並ぶ眉毛たち。

 黒い毛虫みたいで、気持ちが悪い。

「うわっ……」

「男の人って、眉毛あまりいじらないものね。今度から定期的に、私がメンテしてあげるわ♪」

「ああ……」

 

 この時、俺は半分以上、意識がなかった。

 眠たくて仕方がなかった。瞼が重たい。

 気がつけば、夢の中へと入っていた。

 

 

『あはは☆ タクト~ こっちだって~☆』

 

 お花畑の前をミハイルが走っている。

 デニムのショートパンツを履いていた。今日もその小尻がたまらない。

 俺は一生懸命、彼の元へ追いつこうと必死だ。

 

『ま、待てよ。ミハイル!』

『嫌だよー! だって、タクトが悪いことしてるもん!』

『悪いことってなんだよ?』

 

 急に立ち止まるミハイル。

 俺はやっとのことで、彼の元へたどり着く。

 そして、ミハイルの肩を掴んだ瞬間。

 彼の姿が、一瞬にして変わってしまう。

 

『タッくん……なんでラブホテルへ、マリアちゃんと行ったの?』

 女装したアンナに変身していた。

 顔色が悪く、自慢のエメラルドグリーンは輝きを失せている。

 

『そ、それは……』

『なんで、アンナとミーシャちゃんを裏切ったの?』

『違うんだ……聞いてくれ!』

 必死に弁解しようとするが、アンナは静かに首を横に振る。

 そして、幽霊のように、ゆっくりとその姿が透明になり、消えて行く。

『待ってくれ! アンナ!』

 俺が止めても、彼女は黙って背中を見せる。

 

 最後に一言だけ、アンナはこう呟いた。

 

『ごめん。もう無理かも……』

 

 

「待てっ! アンナ!」

 

 宙に手の平を伸ばし、彼女を引き留めようとした。

 しかし、目の前にあるのは、見慣れない天井。

 そうだ……今は、マリアとラブホテルへ来ていたんだ。

 眠っていたのか?

 

 とりあえず、身体を起こそうとしたその時。違和感を感じる。

 両腕がベッドの柵に、縛られていたからだ。

 それもドラマで見るような、銀色の手錠。

 

「誰がアンナですって?」

 声の方向に視線を合わせると、鬼の形相でこちらを睨んでいるマリアがいた。

 しかも、俺の股間の上にまたがっている。

 完全にマウントを取られていた。

 

「えっと……これは、なんのプレイ?」

 

 一体、このあと。俺はどうなるんだ。

 処女の次は、童貞を奪われるのか……。



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437 縛りプレイ

 

「タクト……あなたったら、いつもいつも。アンナのことしか、考えていないの!?」

 

 文字通り、俺にマウントを取ったマリアが、上から睨みつける。

 逃げたいところだが、両手が手錠で拘束されているため、身動きがとれない。

 脚は、自由に動かせるようだが……。

 この手錠を外さないと、どうにもならない。

 

「ま、マリア……この手錠を外してくれないか? なんで、こんなことをするんだ?」

「絶対に嫌よ! あなたが……あなたが悪いんじゃない! う、うわぁん!」

 

 怒ったと思ったら、急に泣き出した。

 一体、どうしたんだ?

 普段から強気の彼女にしては、珍しい。

 

「ヒック……」

「泣いているのか?」

「私だって……女の子なのよ……」

 

 そう言うと、マリアは俺の胸に飛び込む。

 きっと泣いている顔を、見せたくないからだろう。

 

「マリア。すまんが泣いている……傷ついた理由を教えてくれないか? 説明してくれないと分からん」

「ばかっ! 気がついてよ。私の気持ちに……」

 

 そんなエスパーじゃないんだから。

 分かるかよ……。

 

  ※

 

 しばらく、俺の胸で泣き続けるマリアだったが。

 落ち着きを取り戻したようで、顔を上げると、枕の上にあったティッシュボックスを手に取る。

 鼻をチーンとかみ、涙も拭く。

 まるで、子供のようだな。

 

 俺は手錠をかけられているから、一切手を貸せないが。

 

 丸めたティッシュをゴミ箱に投げ捨てると、マリアは再び、俺の元へ戻ってきた。

 俺の腹に跨り、ゆっくりと腰を曲げる。

 

「タクト。私、正直悔しいの」

「へ?」

 

 優しく俺の頬に触れるマリア。

 両手で大事そうに撫でる彼女は、とても穏やかな顔つきだ。

 

「あの女。アンナよ。私だって、あなたに認めてもらうため。手術だって、美容だって……それこそ、ペドフィリア体型を維持するのには、苦労したわ」

「……」

 まだその体型を維持しているのか。

 あんまり無理すんなよ。

 

「帰国してタクトが小説家として、デビューしたから。すぐ結婚できると思ったのに。気がついたら、私そっくりのヒロインがあなたを奪った……」

「いや、アンナは、ちょっと違う理由で……」

 と言いかけている最中に、マリアが叫ぶ。

 

「それよ! どう考えてもタクトの中で、特別な存在になっているもの!」

「……」

 しまった。ここは黙って彼女の考えを聞くべきか。

 

「悔しい……。うらやましいとも思っているわ。だって……どんなに頑張ってもあんなこと、私にはできないもの」

 そう言って、指をさした方向には、先ほどまで着ていたメイド服とスクール水着が。

 まあ……マリアの性格じゃ、無理だろうね。

 

「私だって、アンナみたいに素直な性格だったら……きっとタクトを夢中にできるんでしょうね」

 

 気がつくと、マリアは自身の額を、俺の額に重ねていた。

 彼女のおでこから、熱を感じる。きっと泣いたからだろう。

 

 目の前に二つ並ぶ、ブルーサファイア。

 なんてキレイな瞳だろう。

 

「絶対、あなたを奪われたくない……私にとって、タクトはヒーローだもの……」

 

 と言いかけたところで、瞼を閉じるマリア。

 

「おい。マリア?」

「……すーすー」

 

 寝ちゃったよ。

 ていうか、このあと俺は一体どうしたらいいの?

 手錠があるし、マウントを取られた状態なんだけど。

 

 ~3時間後~

 

 あれから、マリアはすぐ俺から離れてくれた。

 いや正しくは、転げ落ちたと言うべきか。

 

 なぜならば、マリアの寝相は相当に酷かった。

 今も俺の隣りで、ゴロゴロとベッドの上で運動会を繰り広げている。

 左右に行ったり来たり。

 

「ぐはっ!」

 

 真ん中で寝ている俺の身体目掛けて、全身でタックルされる。

 ミハイルと同等の馬鹿力だから、既に俺の身体は青あざでいっぱい。

 その痛みに耐えるのも、怖いが。

 

 彼女の寝顔も呪いがかかったようで、恐怖しかない。

 白目をむいて、口を大きく開けている。

 起きているわけじゃないのに、瞼が全開でホラー映画のようだ。

 

「すーすー……」

 

 寝息が聞こえてくるので、やはり夢の中だろう。

 マジで怖いよ。マリアの寝顔。

 

  ※

 

 一睡も出来なかった。

 マリアの寝相によるタックルも痛かったが、何回か脚をバタバタとさせて、かかと落としを食らったから……。

 寝ているからわざとじゃないが、股間ばかり狙われた。

 あまりの激痛に、泡を吹き出すところだったぜ。

 

 ラブホテルでは、プライバシーを守るため? なのか。窓は全て謎の板で覆われている。

 そのため、外の景色は確認することができない。

 だが、きっと夜は明けているだろう。

 外から、ゴミ収集車の「グイーン」という機械音と、作業員の声が聞こえてきた。

 

 隣りで白目を向いているマリアに声をかける。

 

「おい、マリア! いい加減、起きろ! もう朝だぞ!」

 

 何度か彼女に声をかけたが……なかなか起きてくれなかった。

 憶測だが、マリアも一応、社長だ。

 また徹夜で仕事を頑張っていたのかもしれない。

 

「……う、うぅん」

 ようやく気がついたようだ。

 しかし、まだ瞼は全開で、白目。

 怖すぎ!

「マリア。朝だぞ。そろそろ起きて手錠を外してくれ! トイレにも行きたいし」

「あ、タクト……ごめんなさい。私ったら、寝ていたのね」

 ここで、白目がぐりんとブルーサファイアへと入れ替わる。

 

 意識を取り戻したマリアだったが、昨晩、取り乱したことを今更になって、恥ずかしくなったようだ。

 頬を赤くしたと思ったら、枕を抱えて、顔を隠してしまう。

 

「た、タクト。私の寝顔とか見た? よだれとか垂らしてない?」

 そんな可愛らしい女の子じゃなかったよ。

 ホラー映画を見ているようだ……とは言えんな。

「ああ……よだれなんか、垂らしていなかったぞ」

 俺がそう言うと、ホッとしたようで、嬉しそうに微笑む。

「良かったぁ。タクトにそんな恥ずかしいところを見られていたら、お嫁にいけないもの」

「……」

 

 結構すごいものを見せてくれたよね。

 じゃあ、もうお嫁に行けなくていいのかな?



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438 裏切りの代償

 

 マリアが俺にかけた手錠だが、どうやら前のお客さんが忘れていった物らしい。

 ハードなプレイがお好みのカップル……。置いていくなよ。

 おかげで、ドМプレイを体験してしまった。

 仕方ないから、俺がフロントに電話して、手錠のことを伝える。

 

「ごめんなさい……タクト。どうしても、あなたが遠くに行ってしまいそうで。怖かったの……」

 かなり罪悪感を、感じているようだ。

 しゅんとしているマリアは、なんだか愛らしい。

「気にするな。別にケガをしたわけじゃないからな」

 それよりも、寝相の悪さをどうにかして欲しい。

「あ、ありがと……タクト。優しいのね。大好き♪」

 

 好きなら、もうちょっと優しくしてね……。

 

  ※

 

 別に悪いことはしていないが、俺とマリアは身なりを整えると。

 急いで、ラブホテルから出ることにした。

 早朝の方が、近隣を歩く人が少ないと思ったからだ。

 

 

 ホテルから出たその時だった。

 近くの電柱から、人影を感じる。

 視線はずっとこちらに向けられている……気がした。

 

 ラブホテルから、出てきた俺たちだ。

 自意識過剰だとは、思うが……。

 しかし、突き刺すような視線だと感じてしまう。

 

 ひょっとして、アンナかと思ったが。

 違う。

 間違いない。

 女装したり、色々と器用な彼だが、体型までは変えられない。

 

 相手は40代ぐらいの中年男性。

 ぽっちゃりしたおじさん。

 サングラスに、白いマスクをつけている。

 明らかに不審な男。

 

 もしかして、以前カナルシティで出会った痴漢か?

 アンナやマリアに、固執していた変態だもんな。

 ここは、俺が注意すべきだろうか。

 

 ふと目と目が合う。

「ひっ!?」

 相手は俺の顔を見て、怯んでしまい、慌てて逃げ去ってしまう。

「なんだ、あいつ……」

 

 俺がその場に立ち尽くしていると、マリアが袖を引っ張る。

 

「タクト。早くここから離れましょうよ! やっぱり……恥ずかしいわ」

 頬を赤くして、俯くマリア。

 可愛らしいところもあるんだと思った。

「そうだな……」

 

 

 3回目のラブホテルへ行ったわけだが、今回も何事もなく終わってしまう。

 ただ、今回の宿泊代は、マリアが払ってくれた。

 彼女の個人的な理由で、利用したから……だそうだ。

 せめて半分ぐらい支払わせて欲しいと言ってみたが、彼女は頑なに断った。

 

 たぶん俺を無理やり連れて行った割には、何も出来なかったことが悔しいのだろう。

 どうでもいいけど、何もしないのにラブホテルをご利用って、金がもったないよね?

 

 ~それから1週間後~

 

 今回のラブホテルで起きた出来事は、ネタとしては使わないと考えていた。

 経費で落ちていないし。

 なんかマリアのことが、かわいそうで……。

 

 

 特に何もない日常を送っていると。

 今年、初めてのスクーリングが近づいてきた。

 ただの授業じゃない。期末試験だ。

 それが連続で、2回も行われる。

 

 アホなミハイルからしたら、苦行だろう。

 今もきっと自宅で、試験勉強をしているに違いない。

 去年も俺と進級したいがために、必死に頑張っていたものな。

 

 その点、俺は勉強なんて必要ない。

 前期も何もせず、オール満点だったしな。

 ま、あの学校が幼稚園児レベルだからね……。

 

 ただ試験当日になるまで、毎日ダラダラ過ごしていれば良いのだ。

 その日も、学習デスクの上に置いてある、PCモニターを眺めていた。

 去年から撮りためていたアンナのパンチラ写真。

 ウインドウを10個も並べて表示させ、アンナを堪能する。

 

「ふぅ……」

 

 最近、アンナの新しい写真。特に露出度の高いラッキースケベが起こらないから。

 なかなか新鮮なネタが、手に入らないな……。

 早く次の取材が来ないかな。と思っていた最中。

 机の上に置いてあるスマホが、鳴り始めた。

 

 彼女だと思い込み、急いでスマホを手に取る。

 

「もしもし?」

『あ、タクト……もう例の記事を見たかしら?』

 その大人びた話し方で、すぐに相手が彼女じゃないと分かる。

 電話をかけてきたのはマリアだ。

「マリア。記事って……なんのことだ?」

 俺が首を傾げると、マリアは深いため息をつく。

『まだ見ていないのね……本当にごめんなさい。私のミスだわ』

「は?」

『この前、二人でラブホテルへ行ったじゃない? あの時に記者が近くにいて、写真を撮られたのよ……』

「え!? なんで俺たちを撮るんだよ。ただの一般人だろ」

『私がモデルだからよ。こう見えて女性に人気なの。詳しくはインターネットを見ればわかると思うわ……本当にごめんなさい。でも嘘は何も言ってないから』

「マジかよ……」

 

 それからすぐに電話を切って、俺はウェブブラウザで検索をしてみることに。

 彼女の名前で調べたら、すぐにヒットした。

 

 見出しはこうだ。

 

『人気モデル、MALIA。帰国してすぐにラブホテルでドッキング!』

 

「ブフーーッ!!!」

 

 思わず、大量の唾をモニターへぶっかけてしまった。

 

『お相手は、2歳年上の自称作家。DO・助兵衛氏、18歳。一般人のため、顔は隠させていただいております』

 

 と記事には書いてあった。

 肝心の写真は、ラブホテルから出て来たマリアと俺。

 誰にも見られたくない……とキョロキョロしている二人だから、妙に怪しく感じる。

 一応、俺だけ目元を黒塗りにされていた。

 でも俺を知っている人なら、すぐに分かるだろう……。

 

 ていうか、なんで自称作家になってんだよ! 俺はプロだ!

 

 記事を読み進めていくと。

 後日、記者がマリアへ直撃インタビューを行ったようで。

 その際の質疑応答が、載っていた。

 

 記者。

「ラブホテルで一泊を過ごしたということは、DO氏とお付き合いしているのですか?」

 

 マリア氏。

「いいえ。本気で婚約しております。10年前から」

 とカメラに向かって、婚約宣言を発表するマリアさん。

 

 記者。

「では、結婚を約束しているのなら、ラブホテルでそういう行為をされたと認めるのですね?」

 

 マリア氏。

「それは断じて認められません。私たちは婚約しておりますが、淫らな行為は何一つしておりません。これだけは言わせてください。一線は越えていません!」

 と言い訳するマリアさん。

 それを聞いていた記者は、信じられないと耳を疑ったそうな……。

 

 一連の記事を読み終えた俺は、動揺から右手がガタガタ震え出す。

 マウスカーソルがモニターの中で、左右に踊りまくっていた。

 

「な、なんじゃこりゃ!」

 

 ほぼ認めている回答じゃねーか!?

 クソ……俺と一緒で、マリアも嘘をつくのが苦手だった。

 もうすぐ試験だというのに。

 

 ミハイルに、この記事を知られたら……。

 俺はどうなるんだ。



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第五十章 分岐点
439 歪み


 

 マリアとのラブホテル密会が報道されて、数日が経った。

 正直、ミハイルにいつバレるか、ずっと不安で生きた心地がしない。

 あとで知ったことだが、色んなニュースサイトに取り上げられているほど、マリアは有名人だった。

 

 一部のテレビ局でも、今回の報道が流れているらしく。

 DO・助兵衛という作家は、ラノベ業界に限らず、一般人の間でも話題にあがっているそうだ。

 編集部の白金が、興奮気味に電話で教えてくれた。

 

 もう俺には、後がない。

 ここは潔く彼に謝罪すべきだろう……と腹を括った。

 

 あいつに会ったら、すぐに頭を下げよう。

 下手な嘘は使わず……正直に起きた出来事を説明すれば、きっと今まで通り許してくれる。

 だって、俺たちはマブダチだし。

 1年間も一緒に同じ高校へ通っている仲だ。

 俺のために女装までしてくれる……ミハイルなら、きっと。

 

 

 朝食を済ませると、リュックサックを背負って、地元の真島(まじま)駅へと向かう。

 いつも通り、小倉行きの列車に乗り込んで、彼を待つことにした。

 二駅進んだ先の、席内(むしろうち)駅に着く。

 

 自動ドアがプシューッと音を立てて開く。

 

「タクト~☆ おっはよ~☆」

 

 といつもなら、元気よく笑顔のミハイルが現れるのだが。

 一向に姿を見せない。

 

 俺が席を立ち、キョロキョロと辺りを見渡すが、誰も乗ってこない。

 遅刻したのだろうか?

 いや、ミハイルはアホだが、根は真面目だ。

 特に俺と一緒に、行動することにこだわる人間。

 ありえない。

 

  ※

 

 目的地の赤井(あかい)駅について、しばらくホームで次の列車を待っても、やはり彼は来ない。

 心配になった俺は、スマホを取り出し、電話をかけてみることにした。

 

『おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』

 

 何度かけても、同じ答えだった。

 一体どうしたと言うんだ?

 やっぱり、あの記事を知ったから、落ちこんでしまったのか。

 それなら俺が謝らないと……。

 

 不安で仕方なかった俺は、彼の実家へ電話することにした。

 以前、姉のヴィッキーちゃんが、外泊した時にかけてきたから、アドレス帳へ登録しておいたのだ。

 

『ご連絡いただき、誠にありがとうございます♪ パティスリーKOGAです♪』

 ビジネスモードのヴィッキーちゃんが出た。

「あ、俺です。ミハイルの同級生の新宮です」

 そう言うと、態度を一変させるねーちゃん。

『チッ! 坊主か……なんだ?』

「あの……ミハイルは、まだ家にいるんですか?」

 恐る恐る聞いてみたが、意外な答えが返ってきた。

『は? ミーシャなら、朝早くに学校へ行ったぞ? 会ってないのか?』

「はい……。会えなかったので、身体でも壊したかと」

『あはは! 全然、あいつならピンピンしてるよ。早く学校で会ってやれ。きっと喜ぶから』

 ヴィッキーちゃんにそう言われて、やっと安心できた。

「ありがとうございます。じゃあまた……」

『おう! またな』

 

 おかしい……。

 そんなに朝早く家を出たのなら、俺と一緒の電車に乗ってもいいじゃないか。

 

  ※

 

 とりあえず、一ツ橋高校へ向かうことにした。

 ヴィッキーちゃんの言うことが本当なら、彼は校舎にいるはずだ。

 ひとりで、心臓破りの長い坂道を登っていく。

 いつもなら、二人で仲良く駄弁りながら、歩いているから、こんなにキツいと思わなかった……。

 

 武道館が見えてきたころ、一人の女性が校門の前で、仁王立ちしていた。

 真っ赤なチャイナドレスを着た淫乱おばさん。

 ものすごいミニ丈だから、下から見上げる俺は、パンツが丸見えだ。吐きそう。

 頭には、シニヨンキャップを左右につけて、お団子にしている。

 

「あちょ~! 新宮、新年から気合が入っているな! ほあっちゃ~!」

 と叫びながら、構えをとる宗像先生。

 格闘ゲームの新作が発売されたから、その影響か?

 アホ丸出しだな。

「おはようございます……先生」

「なんだ。元気ないな?」

「その……ミハイル。古賀は、もう来ていますか?」

「ん? お前ら一緒に来てないのか? 仲が良いお前らだから、新年も二人で来ていると思ってたけど」

 

 きょとんとした顔で、宗像先生は俺を見つめる。

 この感じ、嘘は言っていない。

 ということは……ミハイルが、ヴィッキーちゃんに嘘をついたんだ。

 

 真実を知った俺は、うなだれてしまう。

 

「そうですか……じゃあ帰ります……」

 あいつがいないなら、意味がない。

 そう思ったら、自然と身体が元の道へと向きを変える。

 それを見た宗像先生が慌てて、止めに入る。

「っておい! なにも古賀が来てないからって、お前まで帰らんでいいだろ! それに今日は試験だ。単位がかかっているぞ? 第一、あとで古賀が来るかもしれんだろ!」

「はぁ……」

 ミハイルの性格上、ありえない。

「新宮。お前、何かしたのか? ケンカしたなら、ちゃんと古賀に謝れよ?」

「わかってます……」

 

 俺だって、謝れるもんなら、さっさとしたいよ。

 ミハイル……今、どこにいるんだ。



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440 すれ違い

 

 宗像先生はああ言ってたけど……。

 ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。

 

 朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。

 しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。

 彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。

 

 上の空で、試験を受ける。

 天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。

 と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。

 

「おい。新宮! ちょっと来い」

 休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。

「なんですか……」

 かすれた声で答える。

「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」

「受けてますけど。何か問題でも?」

 俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。

 

「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」

「え……?」

「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」

 

 宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。

 英語、国語、現代社会。

 しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。

 

『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』

 

 自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。

 

「これを、俺が書いたんですか?」

「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」

「すみません……」

 

 いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。

 

  ※

 

 結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。

 俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。

 

 気がつけば、昼休みに入った。

 午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。

 あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。

 

 近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。

 

「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」

「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」

「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」

 

 褒めてないだろ……。

 でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。

 理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。

 

 みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。

 去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。

 入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。

 

 突然、教室の扉が勢いよく開いた。

 僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。

 

「おっはにょ~♪」

 アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。

 ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。

「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」

 と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。

 俺の専属絵師、トマトさんだ。

 

 こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。

 

「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」

 え……ウソでしょ?

 ここあがトマトさんと温泉旅行に。

「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」

「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」

 

 まさかの一泊旅行かよ。

 こいつら、もうヤッちゃったのかな?

 たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。

 

 俺だけが置いてかれたような、気がする……。

 

  ※

 

 両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。

 というか、たぶんだけど。視界に入っていない。

 ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。

 空気のような扱いだ。

 

 耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。

 別に意味はない。

 ただ、ひとりになりたかった。

 

 あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。

 嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。

 むしろ、喜ばしいことだと感じている。

 一応、ダチだから。

 

 それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。

 まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?

 

 廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。

 ふと窓を開けて、外の景色を眺める。

 目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。

 

 こんな中途半端な時間に、誰だろう?

 全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。

 しかし、この少年は違う。私服だ。

 

 ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。

 フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。

 

 気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。

 なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。

 試験だってのに、やる気がないやつだ。

 全くヤンキーという生き物は、理解できないな。

 単位が欲しいんじゃないのか?

 

 階段を上る音が聞こえてきた。

 きっと、先ほどのヤンキーだろう。

 二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。

 

 宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。

 ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?

 

 一人で妄想を膨らませていると。

 事務所から、叫び声が聞こえてきた。

 宗像先生の声だ。

 

「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」

 

 普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。

 それだけ、相手を引き留めたいのだろう。

 

 気になった俺は、事務所の方へと足を進める。

 すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。

 先ほどとは違い、フードを外している。

 だから横顔を、確認することが出来た。

 

 宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。

 小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。

 金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。

 前髪は左右に分けている。

 

 ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。

 あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。

 そんな……かけがえのない存在。

 

「み、ミハイル!?」

 

 やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。

 彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。

 その場から、走り去ってしまう。

 

「そんな……」

 

 小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。

 俺のせいだと、思ったから……。



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441 一年ぶりの決闘

 

 気がついた時には、ミハイルはもう校舎から出て行ってしまった。

 その場に立ち尽くす俺。

 

 美しく長い髪を、ショートカットにばっさりと切っていた……。

 彼と言えば、ポニーテールが象徴みたいなものだったから。

 その変貌ぶりに、衝撃を受ける。

 だが、それよりも……。

 俺が声をかけたのに、振り返ることなく、走り去ってしまったことだ。

 

 そんなに、俺が嫌いになったのかよ。

 

 

「おい、新宮! なにをやっておるか! 早く古賀を追いかけろ!」

 宗像先生に肩を掴まれるまで、我を忘れていた。

「え……追いかける?」

「当たり前だ! 古賀がこのまま、退学してもいいのか!?」

「た、退学!?」

 その言葉に、驚きを隠せない。

「ああ、古賀のやつ。いきなり事務所に現れたと思ったら、こんなもんを私に突きつけたんだ!」

 そう言うと、先生は1枚の封筒を差し出す。

 

『たい学とどけ 古賀 ミハイル』

 

 なんて、アホな退学届だ。

 しかも封筒は、スタジオデブリのボニョがプリントされた可愛らしいもの。

 

「先生……これって」

「そうだ。古賀のやつ。いきなり私に退学を申し出て。止めようとしたら、逃げやがったんだ!」

「ミハイルが退学。そ、そんな……」

 俺が情けない声を出すと、宗像先生は鬼のような形相で睨みつける。

「バカ野郎! 新宮、お前はダチなんだろ!? 早く追いかけて、止めてやれ!」

 先生がそう言ってくれなかったら、俺は彼を追いかけることは出来なかっただろう。

「は、はい。俺、行ってきます!」

 

 絶対に止めてみせる。

 俺は上靴を履いたまま、校舎を飛び出た。

 少しでも、アイツに追いつくように。

 

  ※

 

 全力で、長い下り坂を駆け下りる。

 高校から出ても、まだミハイルの姿を見つけることは出来なかった。

 国道に出ると、あとは近くの駅。赤井駅まで一直線の道だ。

 

 この道を走っていれば、必ず彼がいるはず。

 呼吸は乱れ、汗が吹き出る。全身が燃え上がるように熱い。

 普段からスポーツなんて、やってないから、筋肉が悲鳴をあげる。

 

 どれぐらい走っただろう。

 数時間、フルマラソンを走ったような感覚だ。

 もうすぐ、終点の赤井駅が見えてきたころ。

 ようやくその姿が、目に映る。

 

 信号が赤だったから、アイツも青に変わるのを待っていた。

 どことなく、寂しそうな背中だと感じる。

 

 ぜーはー言いながら、その肩に触れる。

 

「み、ミハイル……ま、待ってくれ」

 俺がそう言うと、ようやく振り返ってくれた。

 しかし、いつものような優しい笑顔はない。

 鋭い目つきで俺を睨む。

 

「……っ! オレに触るな!」

 そう叫ぶと、俺の手を振り払う。

「なっ、どうして……?」

「タクトには関係ないだろ!」

 心底、俺を憎んでいるような気がした。

 

 沈黙が続く中、目の前の信号が青に変わる。

 すれ違う人々が、俺たちを不思議そうに見つめていた。

 信号が変わっても、その場で固まっていたから、悪目立ちしている。

 

 お互いの顔をじっと見つめあう。

 彼の方は、睨んでいるが……。

 

 だが、俺も屈してはいられない。

 ここでミハイルを、引き留めることができなければ。一生、後悔するだろう。

 興奮しているようだから、とりあえず、場所を変えようと提案してみる。

 

 

「なあ……退学の話って本当か? ちょっと話をしないか?」

「タクトには、関係ないじゃん!」

「でも、理由ぐらい聞かせてくれても良いだろ?」

「……」

 

 沈黙を同意と見なした俺は、信号を渡った先にある小さな公園へ行こうと誘った。

 ミハイルは、その提案に渋々のってくれた。

 

  ※

 

 公園と言っても小さなところで、砂場やブランコがあるぐらいの低年齢向け。

 そんな場所に、10代後半の少年が二人で立っている。

 

 向かい合って、今から殴り合いの喧嘩でも始めそうな……そんな険悪なムードだった。

 まずは、俺から話を切り出す。

 

「退学って、いつ決めたんだ?」

「この前」

 俺とは視線を合わせず、ずっと地面を見つめるミハイル。

「どうしてなんだ? 俺と一緒に、一ツ橋高校を卒業したいんじゃなかったのか?」

 その問いに、彼が答えることはなく。

 顔を上げると、俺を睨みつけた。

「それはこっちのセリフだよっ!」

 瞳に涙をいっぱい浮かべて、叫ぶ。

「え……」

「タクトが悪いんじゃん! マリアと……ラブホテルへ行って、アンナを泣かせたからっ!」

 やはり、あの報道を知って傷ついたのか。

 それで……髪を切ったというのか?

 

「ち、違うんだ! 確かにホテルへは行ったが何もしてない!」

 言っていて、自分でもかなり苦しい言い訳だと感じる。

「そういうところだよ! タクトがアンナを苦しめているの!」

 火に油を注ぐ行為だったようだ。

「……」

「アンナは今まで、ずっとずっと我慢してきたんだよ! でも大好きなタクトのために、目をつぶってきたけど。もう限界なの! 無理なんだよ!」

 気がつけば、ミハイルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 子供のように泣き叫ぶ。

 よっぽど、辛かったのだろう。

 彼の言うように、限界に達したのかもしれない。

 

「俺が……俺のせいで、アンナは苦しんでいるのか?」

 目の前に本人がいるが、設定なので、遠回しに聞いてみる。

「そうだよ! 全部タクトが悪いんだ! アンナを泣かせたからっ!」

 彼女が泣いたかどうかは、ミハイルの顔を見ればわかる。

 

「もう修復は、不可能なのか?」

 僅かな希望だった。

「無理だよ! だって、タクトが裏切ったじゃん! 去年、アンナじゃなくて、男のオレを選んだからっ!」

 耳を疑った。

「え? 男の……? 俺がお前を?」

「そうだよ! 去年の誕生日に、お、オレを抱きしめたり……。キッスまで、しようとしたじゃないかっ!?」

 

 あれ? そっちに怒ってたの……?

 

「つまり、男のミハイルを抱きしめたことが嫌だったのか? き、キッスも含めて……」

「嫌だったんじゃない! アンナを選ばなかったことに怒っているの!」

「どういうことだ?」

「オレがこ、告白した時。タクトは『男のお前とは恋愛関係にはなれない』『ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている』って言ったから、女のアンナを紹介したんじゃん!」

「ああ……」

 今になって巨大なブーメランが返ってきた。

 

 そうか、女のアンナではなく。男のミハイルを選んだのが、ショックだったのか。

 自業自得だが、色々とややこしい話だ……。



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442 決別

 

 ミハイルが退学を決めた理由だが……。

 どうやら、俺にあるらしい。

 

 この前スクープされたマリアとのラブホ密会記事。

 報道を知ったことにより、積もりに積もったストレスが爆発したのは、間違いない。

 しかし、彼の中で一番辛かったことは……。

 

 女に変身したアンナではなく、素のミハイル。

 つまり、俺が男装時の彼を力いっぱい抱きしめ、その場のノリでキッスまでしようとしたから……。

 

 俺からすれば全部ミハイルだし、アンナでもあるから良いと思うが。

 彼は、酷く傷ついたようだ。

 

 今も顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいる。

 

「タクトはさ! 一体、誰が好きなの!? もう、オレ……タクトの気持ちが分からないんだよ!」

 ど直球の質問に、俺は動揺する。

 この場をまたあやふやにすれば、きっと彼を傷つけてしまう。

「俺は……」

「なんなの!? オレを抱きしめて、なんでアンナは抱きしめてくれなかったの! どうして、オレにキスをしようとしたんだよ……」

 自身の唇に触れ、思い出しているようだ。

 

 ミハイルのやつ。俺が抱きしめたことで、混乱しているようだ。

 俺がやったことは、間違いない。

 でも、今決めないとダメなのか……。

 

「聞いてくれ。俺はアンナを取材対象として、大切にしている。だから、なるべく優しく接するように心掛けている……つもりだ」

「グスンッ。それで?」

「だから、なんていうか。距離感がちょっと違って。その点、ミハイル。お前はマブダチだから、心を許せる存在ていうか……」

 

 言いかけている最中で、ミハイルの怒鳴り声に遮られる。

 

「ほらねっ! タクトっていつもそうじゃん! 普段から『物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない』て言うけど……。ここぞって言う時、いつもはぐらかすじゃん!」

「そ、それは……ちゃんと答えるよ」

「じゃあ言ってよ。どうして、誕生日にオレを選んだの?」

 

 ミハイルは真っ直ぐ、俺を見つめている。

 緑の瞳は涙で潤んでいた。

 俺が出す次の答えで、彼の運命が決まりそうだ。

 でも、今はなにも準備していない。計画も立てていない。そんな俺が言えるのか?

 

「す、す……」

 

 喉元まで、その言葉は出てきているのだが……。

 この一言を口から発すれば、今までの関係は終わってしまう。

 それが怖い。

 たった二文字なのに……。

 言ってしまえば、どちらかが傷つく。そんな気がした。

 

「す、すごく大事なダチだからさ……」

 

 本当のことが言えなくて、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

 ミハイルの顔を見ることができなくなり、視線は地面へと落ちる。

 

 俺の答えを聞いたミハイルは、黙り込んでしまった。

 ダチのミハイルも、カノジョ役のアンナも、失いたくない。

 だから、俺は嘘をついてしまった。

 一番嫌いな行為だ。

 

  ※

 

 数分間の沈黙が続いた後。

 最初に口を開いたのは、ミハイルだった。

 

「もう……終わりにしよ」

「え、なにを?」

「オレたちの関係」

「!?」

 

 俺は恐怖から、両手で頭を抱える。

 聞きたなくなかった。

 このあとの言葉を……。

 

「タクト。いつになっても白黒ハッキリできないもん。このままじゃ、アンナが泣いてばっかりだよ」

「ま、待ってくれ。もう少し時間はないのか?」

 俺の問いに、彼は首を横に振る。

「もう、遅いよ……だって……決めてくれないんだもん」

「ミハイル、俺は」

 

 お前のことが……。ここまで、出てきているのに。

 どうしても、言えない。

 

 何も言えない代わりに、ミハイルが答えてくれた。

 いや、情けない俺を、見ていられなかったのだと思う。

 顔を真っ赤にして、叫んだ。

 

「お前なんか、もうダチじゃない! 絶交だ!」

 

 彼の小さな唇から発せられた言葉は、巨大な砲弾となり、俺の胸を打ち抜く。

 風穴が開いたんじゃないかってぐらい、デカい穴が出来ちまった。

 あまりの衝撃に、俺はその場で膝をつく。

 

「そんな……俺たち、マブダチじゃないのか?」

「アンナのことを大事にできないタクトは……もうダチじゃない!」

「待ってくれ。約束……契約はどうなる? これからの取材は?」

「知らないよ! アンナそっくりのマリアとでも、すれば!」

「……」

 

 そう吐き捨てると、ミハイルは俺に背中を向けた。

 公園を飛び出し、駅へと走り去ってしまう。

 

 一人取り残された俺は、地面に両手をつき、呆然としていた。

 しばらくすると、目からぽつぽつと涙がこぼれ落ちる。

 

「たった一人のダチなのに……俺はまた失ってしまったのか」

 

  ※

 

 数十分ほど経っただろうか?

 誰も遊ばない公園で、四つん這いになっていると……。

 

 近くのブランコが、ぎーぎーと音を立てて、揺れているのに気がつく。

 

「あ~あ、止められなかったか……新宮なら出来ると思ったんだがな」

 嫌味たっぷりに喋る女性は、チャイナドレスを着た淫乱おばさん。

 宗像先生だ。

 いつから、この場にいたのかは知らないが。

 どうやら一連の出来事を、近くで見ていたらしい。

「先生……」

「そんな顔すんなよ」

 宗像先生はブランコを前後に激しく揺らした後、一番高い位置で飛び降りた。

 キレイに地面へと着地したら、鼻の下を人差し指でこする。

「ヘヘヘ。振られちまったもんは、仕方ないよな! でも、諦めるな。とりあえず、話を聞かせろ。お前たちは二人とも、私の大事な生徒だからな」

「はい……」

 

 この時ばかりは、宗像先生を頼るしかないと思った。

 ていうか、見ていたなら。助けてよ。



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443 大きな穴

 

 宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。

 赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。

 

 別に、この中華屋が悪いんじゃない。

 俺の心理状態が、良くないためだ。

 今は、なにも口にしたくない……。

 

 ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。

 心臓も一緒に持って行かれた気がする。

 彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。

 

 そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。

 

「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」

「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」

 

 とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。

 

「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」

「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」

 

 いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。

 やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?

 

 店の一番奥にあるお座敷へと通された。

 襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。

 

  ※

 

「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」

 既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。

「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」

 

 先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。

 ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。

 

「新宮……お前、その話。本当か!?」

 先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。

「はい。キッスもしようとしました……」

「そ、そりゃ、ダメだろ!?」

 即座に、否定されたことに傷つく。

「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」

「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」

 

 この人、一体なにを言っているんだ?

 なんで俺がミハイルを襲っていることに……。

 

「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」

「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」

 もう酔っぱらっているのか、この教師は。

「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」

「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」

 

 他人事だと思って……クソがっ!

 

 話がちゃんと伝わってないようだったので。

 俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。

 

 去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。

 その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。

 真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。

 だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。

 素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。

 そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。

 

 

 宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。

 その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。

 顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。

 

 俺は一切、料理に手をつけなかった。

 胸が苦しかったから……。

 

「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」

「ま、まあ……そうだと思います」

「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」

「それは、俺にはわかりかねます……」

 例えが酷い。

 

「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」

 いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。

「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」

 気がつくと、涙が目に溢れていた。

 そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。

 

「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」

「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」

「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」

「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」

 言い終える頃には、うなだれていた。

 自分の口から、終わりを告げたようなものだと。

 

「バッカモン!」

 

 泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。

 

「え?」

「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」

「ほ、本当ですか!?」

「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」

「俺のせいですよね……」

「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」

 胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。

「うっ……」

「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」

「でも、ミハイルが来ないなら……」

「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」

「どういうことですか?」

「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」

 そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。

 

 俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?

 信じられないな。



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444 光り

 

 今年初めて、宗像先生が出した課題。

 それは、俺が一ツ橋高校を……学校を楽しむということだ。

 

 正直、意味がよく分からん。

 元々俺という人間は、学校が好きじゃない。

 勉学が嫌とかじゃなくて、対人関係でトラブルが多く。

 あまり楽しい思い出がない。

 

 だから、幼い頃。学校外でマリアと仲良くなったりしたのだが……。

 

「先生。俺が学校を楽しむって、どういうことですか? 一体、何をすればいいんです?」

「ん? そうだなぁ~ 新宮が他の生徒たちと遊んだりして『いえ~い。俺ら青春なう~!』とかやってりゃ良いんじゃねーか?」

 すごく、テキトーな回答だ。

 俺はそんな陽キャ高校生じゃないっつーの。

 だから、ミハイルと一緒にいたんだ……。

 

「もうちょっと、具体的に話してくれませんか? 俺がミハイル以外の友人と、学校で遊んでればいいってことですか?」

 宗像先生は座卓に並べられた、たくさんのジョッキグラスを見て、豪快にゲップする。

「ゲフ~ッ! まあ、物事に正解なんて無いんだよ。大体、あれだけ新宮にこだわっていた古賀だぞ? お前が他の生徒……つまり、女子なんかと遊んでいたら、当然イライラするし。嫉妬もするんじゃないのか?」

 吐き出したゲップが、酒臭い。

 マジで女か、この教師。

「まあそうですけど……俺は、捨てられた身なんですよ?」

「分かってねーなぁ、新宮。そんなんだから、童貞なんだよ!」

 悪かったな、でも処女じゃないもん。

 

「じゃあ、俺が他の女子と楽しくしていれば、ミハイルは戻って来るんでしょうか?」

「簡単に言えば、そうだな。別に同性と仲良くしても、効果はあるだろう」

 てことは、ミハイル並みの男子を連れてきて、イチャつけば良いのか?

 思い当たるとしたら、リキに惚れている住吉 一ぐらいだ。

 

 俺が黙って考えこんでいると。

 宗像先生は大きく口を開いて、豪快に笑って見せる。

 

「だぁはははっははは! 新宮。お前は、もう終わったと思い込んでいるんだろ?」

「え? だって、アイツに絶交だって言われたし……俺のせいで、長い髪も切らせてしまって……」

「考えすぎだろ! 今時の奴らは、気分で長い髪も切る。それに本気で絶交したいやつが、プレゼントを大事にするか?」

 その言葉に、耳を疑った。

「プレゼント? なんのことですか?」

「なんだ? 気がついてなかったのか、ははは! そりゃ振られるわな!」

 一人だけ分かっているような口ぶりだったので、俺も苛立ちを露わにする。

「な、なんですか!? 教えてくださいよ!」

 力いっぱい拳で座卓を叩くと、近くにあったグラスが倒れた。

 それを見た宗像先生は笑みを浮かべ、自身の耳を指さす。

 

「古賀の耳元。ネッキーとネニーのピアスをつけていたぞ。あれ、お前が誕生日にプレゼントしたんじゃないのか?」

「あ……そうです。でも、なぜ俺がプレゼントしたって、分かったんですか?」

「そりゃ私は女だし。直感だよ。前後の話も聞いているしな。お前は古賀を抱きしめるぐらい、想いが強かったんだろ? ならプレゼントも高額になっても自然だもんな」

 普段からアホな言動が目立つ教師のくせして、こういう時だけは鋭い。

 

「あのピアスが高いって、分かるんですか?」

「うん。だって小さいけどダイヤが入ってたし。付き合ってもない関係なのに、数万円もかけるとか。正直見ていて、ドン引きしたけどな」

 

 クソッ、言いたい放題言いやがって……。

 

 でも、安心した。

 俺はまだミハイルに捨てられていない……のかもしれん。

 あの時、渡したプレゼントを大事につけているのだから。

 

  ※

 

「じゃあ、古賀に楽しいところを見せつけてやるか」

 そう言うと、宗像先生は怪しく微笑む。

 片手に、スマホを持って。

「な、なにを見せるんですか……」

 悪い予感しかない。

 こういう顔をしている時の宗像先生は。

「とりあえず、新宮。こっちへ来い」

 手招きされるがまま、俺は先生の方へ近寄る。

 隣りに座ると、先生が自身の太ももを指さす。

 

「なんすか? どうするんですか?」

「いいから、さっさと来い! 古賀を取り戻すためだ!」

 そう言うと、宗像先生は俺の首を掴み、強引に太ももの隙間へと突っ込む。

 鼻と口を抑えられて、息が出来ない。

「ふごごご……」

 アラサー教師の股ぐらに、顔を突っ込んで、何が嬉しいのやら。

「よし! 今から撮影するぞ~ 新宮、お前もこっちを見て笑え! 楽しそうにするんだよ♪」

「へ?」

 

 顔を上げた瞬間、フラッシュがたかれた。

 口角をあげる暇もなく、撮影は終わってしまう。

 

「おぉ~ 良い感じに撮れたじゃないか~♪ みんなの蘭ちゃん先生を独占とか、うらやましいな。新宮」

 スマホの画面に映っていたのは、顔色の悪い生徒と酔っぱらったアラサーの女性教師。

 事故とはいえ、俺は宗像先生に膝枕をされている。

 周りに食べ散らかした中華料理と、グラスが並んでいた。

「……」

 これのどこが、楽しそうなんだ?

 

「じゃあ、私のというか……本校の公式”ツボッター”で、写真を投稿しておくぞ。古賀も見ているかもしれん」

 ファッ!?

 今、そんなことしたら。ミハイルの怒りが治まるどころか。

 火に油を注ぐような行為だ。

 

「ちょっ、先生! やめてください! もしミハイルが見たら、絶対良い気分しないでしょ!?」

「なーにを言っておるか! 恋は駆け引きというだろう。使えるもんは全部使うんだよ、バカ野郎!」

「そんな……」

 

 完全に酔っぱらった、おっさんだよ。

 

「ヘヘヘ、投稿してやったぞ。ほれ、新宮も確認しろ」

 

 仕方なく先生のスマホを覗いてみると。

 

『友人に捨てられた生徒を、グラマラスな太ももで癒す私』

『癒された生徒は、もう宗像先生がいないと生きていけない! と元気が出たようだ』

『私のような美人教師がいるのは、一ツ橋高校の福岡校だけ。随時、生徒募集中!』

 

 結局、ただの広告じゃねーか!

 いいように使われただけじゃん。

 

  ※

 

 宗像先生が言うには、俺が学校で楽しく生活していれば。

 ミハイルが、戻ってくる可能性が高いそうだ。

 実際、過去にヤンキーの生徒たちがケンカして、退学した時も。

 残った生徒たちの楽しそうな話を聞いて、戻ってきた事例があるようだ。

 

 一応お悩み相談は、解決というか。

 安心できたので、俺と宗像先生は店を出ることに。

 外に出ると、空はもう真っ暗だ。

 ミハイルのことで、午後の授業もサボってしまった。

 だが宗像先生の計らいで、出席扱いにしてもらえた。

 

 これは俺だけでなく、ミハイルも同様で。

 真面目に出席している俺たちだから、特別に……とのことだ。

 テストは後日、彼の家に郵送するらしい。

 

 

「お、珍しく。私の投稿にリプが届いてるぞ?」

「本当ですか?」

 

 二人して、スマホの画面をのぞき込む。

 

 先ほどの先生の投稿に対し、こう書かれていた。

 

『アラサー教師の太ももとか、エグい』

『ばばあ、無理すんな。必死すぎ』

『こんな高校行きたくない。写真の生徒がかわいそう』

 

 結構、責めた内容だな。

 ん? 投稿主の名前が気になった。

 “ボニョ大好き☆”

 

 これは……まさかミハイル!?

 一発で釣れたのか?

 

 驚く俺とは対照的に、宗像先生は顔を真っ赤にして、スマホへ怒鳴り散らす。

 

「誰が、ばばあだ! ネットから出てこい、クソガキ!」

 

 でも……本当に彼なら、俺はまだ信じてもいいのだろうか?



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第五十一章 暗黒時代
445 復活のダークナイト


 

 ミハイルが退学を申し出て、二週間が経とうとしていた。

 宗像先生と別れる際。

 

「とにかく新宮。お前は楽しそうにしていろ。それが重要だ」

 

 なんて言われたが、そんな風に気持ちを切り替えられたら。どんなに楽だろう。

 確かに宗像先生のツボッターへ反応した相手は、ミハイルに似ていたが……。

 断定は出来ない。

 

 それでも、第2回の期末試験はやってくる。

 

 毎日、胸が痛む。

 彼から「絶交だ!」と叫ばれた日から、俺の胸に空いた大きな穴は、塞がらず。

 日に日に、広がっていくような気がした。

 そのせいか、飯もろくに喉を通らず。

 

 体重は減る一方だ。

 口にするものと言ったら、ブラックコーヒーのみ。

 栄養を考えて、砂糖を少しだけ入れている。

 

 この前のスクリーングから、憔悴しきった俺を見て、あの母さんや妹のかなでまで心配してくれた。

 

 でもその優しさが、更に俺の傷を広げてしまい、痛みが増す。

 きっと、この穴を塞げるのは……アイツだけだ。

 

 

 正直、学校なんて行きたくなかった。

 でも宗像先生に言われているし。俺が楽しく振舞っていれば、ミハイルが戻って来るかもしれない。

 

 魔法瓶にホットコーヒーを注ぎ、リュックサックを背負うと、地元の真島駅と向かった。

 

  ※

 

 学校へ着くと玄関で、一人のミニスカギャルに出会う。

 ミハイルの親友でもある、花鶴 ここあだ。

 寒いのに、相変わらず露出度の高い服装。

 だが、そんなこと。今の俺にはどうでもいい。

 

 あまり話したくないと思って、静かに立ち去ろうとしたその時。

 俺の存在に気づかれてしまう。

 

「あ、オタッキーじゃん! あけおめじゃね?」

「……」

 

 いや、この前の試験でも会ったんだけどな。

 俺って、やっぱりミハイルがいないと、幽霊みたいな存在なんだな。

 

「てか、痩せた? めっちゃ頬がこけているんだけど? ダイエットとか?」

「……いや、違う。色々あってな」

 かすれた声で答える。

 久しぶりに人と話すから、上手いこと言葉が出ない。

 

「ふぅ~ん。あのさ、最近ミーシャも見ないよね? 風邪とかかな?」

「み、ミハイルは……」

 

 その名前を口から発した瞬間。

 胸が激しく痛む。

 あまりの激痛に、息が荒くなり。その場に立っていられなくなる。

 2週間も飯を食ってないこともあり、ふらついてしまう。

 近くにあった下駄箱に、もたれかかる。

 

 それを見たここあが、血相を変えて、俺の肩を掴む。

 

「ちょ、ちょっと! オタッキーてば。どうしたの!? 倒れそうじゃん!」

「俺の……せいなんだ。ミハイルが学校へ来られなくなったのは……」

「え? ミーシャと何かあったん?」

 

 弱音を吐いた途端、涙が頬を伝う。

 この二週間、ずっと誰かに話を聞いてほしかったから。

 

  ※

 

 ここあが気を使ってくれて、誰もいない3階の教室で話をしようと、提案してくれた。

 誰もいない教室の中、ふらつく俺が心配だと、イスに座らせられる。

 目の前の机に腰をかけ、俺が話すのを待つここあ。

 

「で、何があったん? ケンカ?」

「ケンカというか……もっと複雑な事情だ」

 俺がそう答えると、彼女は鋭い目つきで睨む。

「ねぇ、前からやってたミーシャの女装が関係してんの? あれで泣かせたら、オタッキーでも許さないかんね!」

「……それが関係している」

 

 そうだった。

 ここあは、友情を何より大事にする人間だった。

 特に幼馴染でもあるミハイルを、傷つけたら、俺でも殴られるだろう。

 

 でも、今の気分なら、こいつに殴られても構わん。

 俺がミハイルを、傷つけたのは事実だし。

 それらも覚悟して、俺はここあに説明をはじめる。

 

 最初は眉間に皺を寄せて、俺を睨んでいたが。

 素のミハイルを抱きしめたこと。それからキッスまでしようとした……全部、話し終えるころには、何故か嬉しそうに笑っていた。

 

 

「これが全部だ。だから、あいつは退学という選択肢を取った。全部、俺が悪い」

 一応、ダチでもあるので、頭を下げておく。

 しかし、ここあは何も言わず。

 俺の肩に優しく触れ「話してくれて、ありがと」と礼を言われた。

 これには、俺も驚く。

 

「どういうことだ?」

「それってさ。あーしだけに、話してくれたんでしょ?」

「ああ……宗像先生には相談したが」

「じゃあ、ダチのなかでは一番だ♪」

 なぜか勝ち誇ったような顔をしている。

 

「怒らないのか? お前のマブダチを女装までさせて……傷つけた俺を」

「ん~ あーしは女装とか、同性愛っての? 正直、わかんないから、どうでもいいっていうかぁ」

 おい。勝手に人を同性愛者にするんじゃないよ。

 

「つまり、どういうことだ?」

「オタッキー的には、女装していない素のミーシャが、好きだってことでしょ?」

「う……」

 改めて、人に言われると恥ずかしいな。

「ならさ。あーしも手伝うよ! ミーシャを学校へ戻すこと!」

「へ?」

「あーし的には、オタッキーとミーシャがくっつくのは、すっごく嬉しいかな♪」

「……」

 なんか勝手に、俺とミハイルが付き合う前提で、外堀を埋められているような。

 

  ※

 

 俺はこの前、宗像先生が話してくれたアドバイスを、ここあにも説明する。

 具体的にどうやって、学校を楽しむのかが、分からない。

 

 しかし、ここあはそれを聞いて何かを思いついたようだ。

 胸の前で、手をパチンと叩く。

 

「なるほどね! 宗像先生のいうこと、分かるかも!」

「?」

「要は明るく楽しそうなオタッキーを見たら、ミーシャも一緒に遊びたくなるじゃん!」

「そ、そうか?」

「うんうん! だからさ、いっぱい写真を撮ろうよ♪ 学校で!」

「……え?」

 

 ここあが言うには、学校内で色んな友達と写真や動画を撮って、SNSに投稿すれば、ミハイルが見ている可能性がある……らしい。

 しかし、身バレとかの危険性があると、断ろうとすると。

 

「ねぇ! 本気でミーシャを取り戻したいんでしょ!? 身バレとか、どうでも良くない! オタッキーの愛って、そんな小さなものなん!?」

 

 と机を思い切り、拳で殴りつける。

 これには、俺も恐怖を感じた。

 やはり腐っても、伝説のヤンキーだ。

 

「わ、悪い……アカウントを作ればいいんだろ?」

「そうそう♪ てかさ、オタッキーは作家なんだから、ペンネームで作りなよ」

「まあ、そうだな」

 

 SNSは見る専で、創作アカウントなんて、作っていなかったが。

 ミハイルのためだ。身バレ、炎上覚悟でやるか……。

 

 DO・助兵衛で、全世界に向けて発信とか、黒歴史だけど。



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446 折れた剣

 

 ここあに言われて、ツボッターのアカウントをその場で作成。

 アイコンやヘッダーは、トマトさんが描いてくれたアンナのイラストにしておいた。

 まあモデルが目の前にいるギャルのここあだから、巨乳のハーフギャルになっているが……。

 小説の宣伝も兼ねているので、仕方あるまい。

 

 初めての投稿は、俺とここあのツーショット写真。

 だが何を書いて良いか、分からない。

 

「なあ、写真はともかく、何を書けばいいんだ?」

「ん? 別になんでもよくね? 呟くところじゃん」

「ま、まあ……そうだが……」

 

 とりあえず『期末試験、2回目に来た』とだけ呟いておく。

 今のところ、反応はなし。

 

「でもさ~ ツボッターだけじゃ、楽しさが少なくない?」

「え?」

「インスタもやろうよ♪ 今日スクリーングだから、色んな生徒に声をかけて、写真を撮りまくるっしょ♪」

「……」

 

 本当に効果があるのだろうか?

 今、投稿した写真も、ここあはいい顔をしているが、俺は青白くて、やつれている。

 楽しそうというより不幸な写真……。

 

  ※

 

 チャイムが鳴ったので、一旦3階の教室から出て、2階へ降りる。

 ホームルームを受けた後、すぐに尿意を感じた。

 きっとコーヒーばかり、飲んでいるからだろう。

 教室を出て、廊下を歩いていると。

 

 全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子高生たちと、すれ違う。

 一人は、ボーイッシュなショートカット。

 もう一人は、ピンク色の髪でお団子頭。

 

「あ、新宮センパイ!」

 

 声を掛けられなかったら、気がつかなかっただろう。

 まともな食事を取っていないので、意識がもうろうとしている。

 

「え?」

「私ですよ! ひなたです!」

「ああ……」

 

 彼女の名前を聞いて、なぜか落ちこんでしまう。

 ミハイルじゃないのか……って。

 

「なんですか!? その反応! まさかアンナちゃんが良かったんですか!?」

「い、いや……そのひなた。悪いけど、あまり大きな声で話すのはやめてくれ。頭に響く」

 頭を抱え、廊下の壁にもたれかかる。

 これにはひなたも、驚きを隠せない。

「大丈夫ですか!? センパイ!」

「ああ……空腹によるものだから、心配するな……」

「空腹って、一体どうしたんですか?」

 

 俺はひなたに、この二週間食事を食べられないことを説明した。

 食べても味がしない。何を口に入れても、不味く感じる。

 一体、なぜこんなことが起きているのか……自分にも分からない。

 それを聞いたひなたが、プッと吹き出す。

 

「何が可笑しい?」

「新宮センパイ。それって、恋わずらいじゃないですか?」

「は? ウソだろ?」

 相手は男だ。

「あるあるじゃないですか~♪ 相手のことを思うだけで、胸がドキドキ。食事も喉を通らない。一睡も眠れない日々が続く。めっちゃピュアですね♪」

 

 なんだかバカにされた気がして、イラってしてしまう。

 

「あ? そんなわけないだろ。だって、俺の場合は相手が……」

「相手がなんですか? もしかして、私ですか?」

 グイッと顔を寄せるひなた。

 ここで否定すると、怒られそうだから、曖昧に答えよう。

「俺の場合、恋愛じゃない。ただのケンカ。ダチとのな」

 言いながら、頬が熱くなるのを感じた。

 それを見逃さないひなた。

「あ~! 顔が赤くなってるぅ~! やっぱり恋わずらいだぁ~!」

「ち、違うと言っている!」

 クソがっ。

 

  ※

 

 とりあえず、俺に今起きている症状は置いといて。

 ひなたに協力を仰いでみる。

 級友のミハイルが休学しているため、SNSを使って呼び戻したいと頼んでみた。

 

「ふ~ん。あのミハイルくんが退学を考えるなんて、よっぽど酷いことをされたんですかね?」

「うっ……」

 傷口に塩をぬられている気分だ。

「まあ、いいですよ。私なんかで良かったら、写真ぐらい。全然です♪ むしろアカウントを共有しましょう♪」

「そうか、悪いな」

「いえいえ。そうだ、ついでだから、ピーチちゃんに撮影してもらいましょうよ!」

 

 ひなたと会話に夢中になっていたから、忘れていた。

 隣りのピンク頭を。

 俺の専属絵師、トマトさんの妹でもあり。コミカライズを担当している小ギャルのピーチだ。

 背が低いせいもあってか、影が薄い。

 

「ちょりっす、スケベ先生」

 胸元で小さくピースする。

「おお……ちょりっす……」

「マジで瘦せたっすね。あれっすか? ダイエットすか?」

「いや、ちょっと病気だ」

「それは大変っすね。病院で治してもらわないと、執筆活動に差し障りますよ」

「うん……」

 

 ピーチに指摘するまで、忘れていた。

 俺のもう一つの職業。

 小説家。

 

 アンナや他のヒロインたちのおかげで、“気にヤン”は人気だ。かなり売れている。

 今月に入り、マリアが主役として活躍する4巻も発売した。

 発売してまだ2週間ぐらいだが、売り切れが続出しているそうだ。

 

 編集部の白金から、早く次の原稿を書いて欲しいと頼まれている際中だ。

 だが、俺は小説を書くことができなくなっている。

 一行も埋めることができない。

 理由は分からないけど、ミハイルに振られてから、おかしくなった。

 

 この症状も早く治さないと、原稿の締め切りがあるからな。

 

 

「じゃあ、撮るっす。ひなたちゃん。スケベ先生ともっとくっついて下さいっす」

「うん♪ 可愛く撮ってね、ピーチちゃん!」

 俺が元気ないことを良いことに、勝手に話を進める二人。

 まあ正直、立っているのもやっとだから、ひなたに腕を組まれることは、楽ではある。

 

「ちょりーっす!」

 

 数枚撮ったあと、ひなたがスマホを確認し、SNSにあげる写真を選ぶ。

 俺のスマホなのに……勝手にいじりまわす。

 気がつくと、ツボッターのアプリを開いて、写真を投稿していた。

 

「じゃあ、送信っと♪ タグもつけておきましたよ。インスタも上げよっと♪」

「お、おい……」

 

 力が入らないので、ひなたの暴走を止められない。

 

「心配しなくても大丈夫ですよ。どっちのタグも、“恋人”とか”彼氏彼女”ぐらいしか、つけてませんから♪」

「なっ!?」

 

 もはや、楽しいところを見せるのではなく、完全に煽っているじゃないか!?

 

「あ、早速リプが届きましたよ♪ ……って、なんなのコイツ!?」

 

 顔を真っ赤にして、興奮するひなたを無視し、スマホを確認してみる。

 

『この人、知ってます。梶木(かじき)浜でパパ活しているJKです』

『動物をたくさん飼って、虐待する悪女です』

『ていうか、男みたいな顔で草』

 

 投稿主の名前は、”ネッキーのピアス大事”。

 

「クソリプってレベルじゃないですよ! ストーカーじゃないですか!? なんで私の個人情報をここまで……」

 

 宗像先生の時とは違うアカウントだが、どうも言っていることが似ているような。



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447 ミハイル病

 

 ミハイルらしき人物から、何度か反応はあったが……。

 肝心の本人が、学校へ来ることはない。

 

 彼がいないスクリーングなんて、何も楽しくない。

 俺の方こそ、そう感じてしまう。

 

 第二回目の試験も、ミハイルのことで頭がいっぱいだった。

 そのため、問題を解く余裕など無い。

 延々と、空欄を『ミハイル、ミハイル、ミハイル……』と埋めていく。

 自分の出席カードにまで、古賀 ミハイルと書いてしまったらしい。

 

 代理で試験を、受けている状態。

 見かねた宗像先生が「今日はもういいから、帰れ!」と、俺を教室から追い出してしまう。

 後からテストを郵送するから、気持ちの整理がついたら提出するように言われた。

 

 俺はもう抜け殻だ……。

 アイツが隣りにいないと、何も出来ない人間なんだな。

 

  ※

 

 それから1ヶ月が経ったころ。

 俺の体重は、5キロ近く減ってしまう。

 固形物を何も口にしていないから……。

 

 ただ、色々と試してみたところ、一つだけ食べられるものがあった。

 博多銘菓の『白うさぎ』だ。

 去年の夏。

 別府温泉に旅行へ行った時、偶然ミハイルの股間を見てしまった。

 

 彼の股間は、“パイテン”で手乗りぞうさん……いや、可愛らしいうさぎさんだった。

 それを思い出した俺は、インターネットで箱買い。

 

 夜な夜な自室で一人、学習デスクに座ると。

 二台のモニターに、たった1枚しかないミハイルの写真をコピーさせ、ウインドウを10個も並べて表示させる。

 それを眺めながら、マシュマロ生地の白うさぎを口に放り込む。

 

「甘い……ミハイルの……」

 

 と写真の中の彼を、見つめるのだ。

 特にデニムのショーパン。チャックの辺りを。

 

 食事は取れないが、この白うさぎならば、口に入る。

 もう30箱は空けたと思う。

 

 

 そんなことをしていると。

 机の上に置いていたスマホが、振動で揺れる。

 まさかと思い、画面を確認すると、ため息が漏れた。

 電話をかけてきた相手が、期待外れだから。

 

「も、もしもし……」

 体重が一気に落ちたこともあってか、声を出すのがやっとだ。

『へ? DOセンセイの電話番号であってますよね? なんかゾンビみたいな声なんですけど』

「悪かった……な」

 突っ込む元気すら無い。

『一体、どうしたんですか? 死期が近いんですか? ところで、頼んでいた原稿はどうなりました? もう一ヶ月近く待っているんですよ!』

「実は……全然書けてない」

 

 相変わらず、スランプ状態に陥っていた。

 俺はミハイルに絶交宣言をされて以来、小説を書くことが出来なくなった。

 速筆だけが売りだったのに……。

 ED作家になってしまった。

 

『えぇ!? 早出しのDOセンセイにしては珍しい! どうしてですか? ひょっとして、アンナちゃんとケンカでもしました?』

「そ、それは……」

 宗像先生やここあのように、事情を知らない白金にどう説明したらいいものか。

 俺が困っていると、白金の方から先に答えてくれた。

 

『話し方から察するに、どうやらスランプ状態のようですね……。そうだ、明日。久しぶりに打ち合わせをしましょう! 博多社で。DOセンセイが必ず元気の出る朗報を用意していますので!』

「はぁ……」

『未完成でも良いので、原稿も持って来てくださいね! ブチッ!』

 

 相変わらず、電話の切り方が雑な奴だ。

 

 ~次の日~

 

 俺は言われた通り、天神にある博多社へと向かった。

 よろよろとビルの中に入る俺を見て、受付男子の一が駆けつける。

 肩を貸してくれ、エレベーターまで連れて行ってくれた。

 

「だ、大丈夫ですか? 新宮さん、フラフラですよ」

「ああ……」

 

 心配そうに上目遣いで、俺を見つめる。

 この隣りが、アイツだったら、どれだけ満たされるのだろう……。

 

 俺は断ったが、どうしても心配だからと一緒にエレベーターへ乗り込む。

 ボタンも彼が押してくれ、スマホで白金に連絡を取る。

「もしもし? あ、あの新宮さんの具合が悪いので、すぐに来てください!」

「……」

 俺も随分と、弱くなったものだ。

 

 編集部へ着くと、担当編集の白金が待っていた。

 変わり果てた俺の姿を見て、驚きを隠せない。

 

「え、本当にDOセンセイですか!? ミイラみたい……」

「……それより、打ち合わせだろ?」

「そうですけど……」

 

 あのアホな白金でさえ、この姿を見て言葉を失っていた。

 

 一は、白金に俺を託して、その場を去っていく。

 ただ帰りも心配だから、声をかけてくれと言われた。

 今の俺は、よっぽどやつれて見えるようだ。

 

  ※

 

 辺りを見回す元気はなかったが、編集部は今まで見たことないぐらい、活気づいていた。

 見知らぬ若い社員が書類を持って、社内を走り回っている。

 

「それで……今回の打ち合わせってのはなんだ?」

 かすれた声で、問いかける。

「あ、DOセンセイに、ずっとご報告したいことがあったんですよ!」

「報告? お前の結婚が決まったのか? 詐欺にあってないか?」

「違いますよっ! “気にヤン”のアニメ化が決まったんです!」

「は?」

「おめでとうございます。DOセンセイの作品が、動くアニメになるんですよ♪」

「……」

 

 実感が湧かない。

 俺の小説が、アニメ化だと?

 

「それからですね。もう一つ、ビッグニュースがあるんですよ!」

「はぁ……」

「ヒロインのアンナ役に、YUIKAちゃんが起用されるんです! すごくないですか!?」

「え、何が?」

 まともに食事を取っていないせいか、ちゃんと内容が頭に入ってこない。

 

「何がじゃなくて。あのYUIKAちゃんが、DOセンセイのヒロインに、命を吹き込んでくれるんですよ! 嬉しくないんですか!? 永遠の推しでしょ?」

「あぁ……そう言えば、そうだったな」

「ちょっと! なにサラッと話を流しているんですか!? 夢だったでしょ。アニメ化した暁には、アフレコ現場に行って。YUIKAちゃんとツーショットを撮るのが!」

「そんなことも、あったな……」

 

 激しい温度差に、戸惑を隠せない白金。

 

「えぇ!? ちょっと、どうしたんですか!? YUIKAちゃんのために、一ツ橋高校へ入学し、ラブコメを書き始めたんでしょ!」

「そうだったけ……あんまり覚えてないや……」

「ま、マジで言ってます? 頭がおかしくなってません?」

 

 白金に指摘されるまで、気がつかなかった。

 今の俺は……頭の中がミハイルでいっぱい。

 他の人間が、入り込む余地など無いことに……。



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448 愛さえあれば、性別なんてね……。

 

 もうYUIKAちゃんのことでさえ、興味を持てない。

 常に頭の中は、泣き顔のミハイルでいっぱい。

 早くアイツに会いたい……でも会えない。

 俺は、捨てられたから。

 

「……」

 

 アニメ化の話を聞いても、全く盛り上がらない俺に、白金はうろたえてしまう。

「ちょ、本当にどうしたんですか? DOセンセイの推しでしょ? 以前は『YUIKAちゃんの犬になりたい』とか、ほざいてたのに……」

「今は別に……」

「おかしいですよ。童貞のくせして、なに格好つけてんですか? 似合わないですよ」

 普段なら、口ゲンカを始めるところだが、そんな元気はない。

「いいよ。なんでも」

「センセイ……」

 

 落ち込んでいる俺を見て、白金は話題を変えようと必死だ。

 とりあえず原稿を見せて欲しいと言われ、リュックサックからノートパソコンを取り出す。

 デスクの上にパソコンを置いて起動すると、テキストファイルを開く。

 そして、白金にモニターを向けると。

 別に頼んでもないのに、俺が書いた原稿を、声に出して読み上げる。

 

「……その時、ミハイルは叫んだ。『オレの白うさぎを食べたな! 許さないぞ!』しかし俺も引けない。『ミハイルがおてんてんを見せたから悪いんだ。もうお前の白うさぎしか食べられないんだ!』……って、これ。誰の話ですか?」

 

 ヤベッ。白うさぎばかり食べていたから、作品にまで影響を及ぼしている。

 でも、これ以上偽るのにも、疲れてきた……。

 空腹で頭がしっかり回っていないこともあったが。

 

「そいつ、ミハイルは……俺のダチで。そして、アンナだ」

 

 気がついた時には、白金に真実を話していた。

 ちゃんと、相手の目をしっかりと見て……。

 

「なっ!? み、ミハイルくんって……確か一ツ橋高校の?」

「白金も一回、会ったことがあるだろう。ほら、お前が高校に来て、宗像先生と事務所で“気にヤン”の設定を4人で話し合ったとき」

「あの時の、ハーフの男の子……?」

「そうだ。ミハイルが、女装した姿がアンナだ」

 

 アンナの正体を聞いた白金は、驚きのあまり口を大きく開き、固まってしまう。

 

「……」

 

 数分間の沈黙のあと、ようやく白金の身体が動いた。

 小さな手で拳を作り、デスクを思い切りブッ叩く。

 

「なんてことをしてくれたんですか! 今や“気にヤン”は、少年たちの間で大人気のラノベであり、マンガなのです!」

 俺の顔面めがけて、大量の唾を吐き出す白金。

 どんどんヒートアップしていく。

 

「前にも言いましたよね!? ラノベの読者は、大半が童貞のティーンエイジャーで。汚れを知らないピュアな少年です! そのヒロインが女装男子でしたとか……かなり偏ったラブコメですよっ! なんでそんな子をメインヒロインにしたんですか?」

 その問いに、俺はまっすぐ答えた。

「一番、可愛かったからだ……」

「可愛かったって……DOセンセイはゲイだったんですか? だとすると、読者の性癖を大きく歪めることになってしまいますよ。それこそ、アンナちゃんというキャラは、既に二次創作まで作られています。使っちゃった編集部の社員はどうなるんですか? ファンがそっち界隈に旅立っちゃいますよ!?」

 

 人の女で、使うなよ……。

 でも謝っておくか。

 

「悪い……」

「センセイ。私はノンケ向けのラブコメを書いて欲しくて、一ツ橋高校を勧めたんですよ?」

「俺も最初は、そのつもりだったさ……」

 

 ていうか。俺ってゲイとして扱われてる?

 

  ※

 

 ついにアンナの正体がミハイルであることを、編集の白金にバラしてしまった。

 アニメ化も決まっている人気作品だったので……。

 それを聞いた白金は、顔を真っ赤にして怒っていた。

 

「もう~! なんで、そんな大事なことを黙っていたんですか!? せめて小説の発売前に、教えてくださいよっ!」

「……言いたくても、言えなかったんだ。俺が可愛いと思った子が、男だなんて」

 

 ミハイルに絶交された今となっては。こうやって彼のことを、話すことに恥などない。

 むしろ後悔している。

 もっと、俺が素直になれていたら……と。

 

 白金は首を横に振りながら、ため息をつく。

「はぁ……ま、DOセンセイは恋愛経験が皆無だし。若いから一過性の気持ちもあるでしょう。しかしですね、読者に対して嘘をつくのは、良くないですよ!」

「すまん。今からアンナは、男だと発表すべきか?」

「ダメですっ! 嘘に嘘を重ねるようなものです。こうしましょう……とりあえず、連載が終了するまでは、アンナちゃんはメスってことで♪」

「……本当に、それで良いのか?」

「大丈夫ですよ♪ 読者は童貞ですから、気がつきませんよ♪」

 こいつが一番、読者をバカにしているような……。

 

「ところで、アンナちゃんが男だと分かった以上。私からDOセンセイに聞きたいことがあります!」

「え?」

「他のヒロイン達ですが……野郎ばかりってことは、ないでしょうね!?」

 これには、俺も唾を吹き出す。

 

「な、ないに決まっているだろ……アンナだけだ」

「本当ですか? お股をちゃんと確認してます?」

「出来るわけないだろ……」

「怪しいですねぇ。DOセンセイは童貞ですから、ちょっと可愛いければ騙せそうですよ?」

「……」

 

 なんとも失礼な疑惑を持たれたものだ。

 

 結局、白金がアンナのことは、今まで通り女という設定で貫けと言うので。

 黙って従うことに。

 またこの事は、二人の間で秘密にしましょうと言われたから……。

 

 俺は既に何人か、事情を知っている人間がいると答えた。

 妹のかなでと宗像先生。それにミハイルの親友、花鶴 ここあだ。

 

 そう説明すると、白金は一瞬険しい顔をしたが……。

「じゃあ、その人達まで! しっかり話を留めてください!」

 と久しぶりに業務命令を出してきた。

 

「了解した」

「お願いしますよ! 私の昇格とボーナスが、かかっているんですから!」

 こいつは金のためなら、何でもするな。

 

 

 最後に、今の状態を伝える。

 小説を書けなくなった理由を。

 俺がミハイルを抱きしめたことから、始まったケンカ。

 絶交宣言。

 女装したアンナとは、もう取材が困難であること。

 

「だから俺は、もう小説を。ラブコメを書けなくなってしまったんだ。アンナと取材なんて出来ないし。最近じゃ、食事も取れない有り様だ」

「……DOセンセイ。あの、それって痴話げんかですよね?」

「へ?」

「男同士だから、私にはよくわからないのですが……。とりあえず、今起きている出来事を忘れないうちに、文字にしてください。倦怠期みたいなもんでしょ? あ~、聞いていてイライラするわぁ。早く付き合えよ、クソがっ!」

「……」

 

 なんか宗像先生と、同じ反応なんだが?

 じゃあ俺は、どうしたら……。



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449 青春時代

 

 ヒロインであるアンナが、男だと分かった以上。

 このままアニメ化するには、不安要素が多すぎると白金は頭を抱える。

 とりあえず、原作は売れているので、設定は女の子のまま……。

 

 またアンナ役にYUIKAちゃんを、起用することも保留にするらしい。

 可愛い女の子としてオファーしたのに。正体が女装男子だとバレたら、役とは言え、炎上しかねない。

 

 俺を元気にするため、博多社まで呼んだ白金だったが。

 結局、何の解決にも至らず。

 アニメの話さえ、ボツになりそうだ。

 なんだったら白金の方が、ダメージが大きく見える。

 

「ま、まあ……DOセンセイ。どうにか、ミハイルくん。いや、アンナちゃんとしっかり仲直りしてください」

 青ざめた顔で、視線は床に落ちている。

「善処してみる……」

 覇気のない声で呟くと、その場を去った。

 

  ※

 

 何度かミハイルに、連絡を取ろうと電話をかけてはみた。

 しかし電源を切っているようで、出てくれない。

 メールも同様だ。

 

 仕方がないので、今度はアンナのL●NEに、メッセージを送ってみたが。

 既読マークすらつかない。

 完全に、心を塞いでいるようだ。

 

 最初こそ、宗像先生に言われた通り、SNSを使い。

 楽しんでいる自分を演じ、発信していたが……。

 俺自身が耐えられなくなり、今は放置している。

 

 毎日、あの日を思い出す。

 ミハイルに、絶交された日のことを……。

 

 俺があの時、ちゃんとアイツの想いに答えることが出来たら。

 今でも二人仲良く学校へ、行けたのだろうか?

 後悔だけが残り、何もやる気が出ない。

 

 前回の試験が実質、最後のスクリーングだった。

 あとは、終業式のみ。

 一ツ橋高校は単位制の高校だ。編入して、半年で卒業する生徒も多い。

 だから終業式と合同で、卒業旅行を行う。

 去年、みんなで別府温泉へ旅行に行ったのは、そのためだ。

 

 ある日、宗像先生から電話がかかってきて。

『新宮。終業式に必ず来るんや! 今回は大阪に行くんやで! 食いだおれやで!』

 と誘われたが……。

 

 ミハイルが来ないなら、意味がない。

 俺は初めて、高校をサボってしまった。

 

 ~それから時は経ち~

 

 もう俺には、限界だった。

 この終わらない毎日が……。

 

 白うさぎを食べられるとは言え、体重は下がる一方だ。

 空腹により、思考が上手くまとまらない。

 小説を書く以前に、日常生活に支障をきたすレベル。

 

 気がつけば、俺もミハイルと同じ行動を取っていた。

 退学届……。

 これを宗像先生に渡して、終わりにしよう。

 

 そう決断したのは、季節が変わり、春になったころ。

 2年生になったばかり。

 今期、1回目のスクリーングの日。

 

 本当なら、教科書や体操服で、リュックサックはパンパンに膨れ上がるはずだ。

 しかし、俺が中に入れたのは、一枚の封筒のみ。

 軽くなったリュックサックを背負うと、リビングへ向かう。

 

「あら、おにーさま。おはようございます♪」

 

 妹のかなでが、テーブルに並べられた朝食を、美味そうに食べていた。

 玉子焼きに鮭。納豆と味噌汁。大盛りの白飯。

 実に健康的な食事。最後にこんなご飯を食べたのは、何時だろう……。

 

 俺とは対照的で顔色も良く、新しいセーラー服は持ち前の乳袋で破れそうだ。

 高校生になって、更に胸が巨大化したような。

 

 猛勉強の末、かなでは見事、国立の名門校に合格した。

 福岡県内では、トップレベル。

 いつも男の娘ゲーで興奮している変態だが、偏差値が70越えという結果が出ているので。

 実力なんだろうな……。

 

「か、かなで……。お前、今日は高校、休みじゃないのか?」

「そうですけど。高校の友達と天神で待ち合わせしてますの♪」

 日曜日に天神で、級友と遊ぶだと?

 こいつが? 高校デビューってやつか。

「な、なるほど……。気をつけてな」

「気をつけるも、なにも。インテリぶったJKを沼に落とすだけですから♪ “オタだらけ”で薄い本を買い漁るのですわ!」

「……」

 

 うちの妹のせいで、優等生が腐ってしまうのか。

 かわいそうに……。

 

「それより、おにーさま。最近ご飯を食べませんのね? 一体どうしてです?」

「ちょっと色々あって……」

 ミハイルに振られたから、ショックでとは言えん。

「何か悩み事のようですね。でも、ご安心くださいな。今日あたり必ず良いことが、起こりそうですよ♪」

「え?」

 

 妙に自信たっぷりのかなでを見て、まさか……とは思ったが。

 ミハイルは今、携帯電話の電源を切っているし。

 

  ※

 

 地元の真島駅から、小倉行きの列車に乗り込み。

 一ツ橋高校がある赤井駅へと向かう。

 

 本当なら、2駅離れた席内駅で。

「おっはよ~☆ タクト☆」

 と一人のショーパンの少年が、駆け込んでくるのだが。

 

 なにも起こらない。

 ため息を漏らして、赤井駅にたどり着くまで、待つことに。

 

 

 駅から15分ほど歩いた先に、名物である心臓破りの地獄ロードが見えてきた。

 もう慣れたと思っていたが、久しぶりにこの坂道を歩くと。

 足が鉛のように重く感じた。

 

 リュックサックには、何も入れてないのに。

 誰かが俺の肩を引っ張っているような……。

 息遣いも荒くなる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 今日で終わりだ。

 もうこの坂道とも、お別れ。

 俺にはやっぱりガッコウなんて、居場所は似合わない。

 宗像先生に怒られても良いから、退学届を出して。

 さよならだ。

 

 自分にそう言い聞かせて、坂道を登る。

 登り切ったところで、強い風が吹きつけた。

 今のやせ細った身体では、立っていることさえ困難だった。

 

 ふらつくとバランスを崩し、俺はそのまま坂道へ転げ落ちる……。

 そう思った瞬間、誰かが優しく背中を押してくれた。

 

「危ないよ☆」

 

 この声は、まさか。

 そんなことは……ありえない。

 だって、俺を捨てたはずだ。

 

「タクトはやっぱり、オレがいないとダメだな☆」

 

 そう言って、エメラルドグリーンを輝かせるアイツ。

 胸に空いた大きな穴が、やっと塞がった気がする。

 

 彼の顔を確認しようと、振り返る。

 

「み、ミハ……?」

 

 後ろに立っていたのは、俺が待っていたアイツじゃなかった。

 

 桜の花びらが舞い散る坂道で、優しく微笑むのは。

 

 胸元に大きなピンクのリボン、フリルのワンピースをまとった女の子。

 カチューシャにも、同系色のリボンがついている。

 美しい金色の長い髪を、肩から流していた。

 

「タッくん。おはよう☆ こんなところから落ちたら大変だよ☆」

「あ……アンナ? なぜ、お前がここに?」

「ふふっ。なんでだろね☆」



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第五十二章 怒涛の2年生編
450 ヒロインの交代


 

「タッくん、久しぶりだね☆」

「……アンナ。どうして?」

 

 俺の隣りに立つ金髪のハーフ美少女は、間違いなく本物だ。

 幻影などではない。

 その証拠に、2つのエメラルドグリーンを輝かせている。

 しかし、なぜ?

 

「あのね、ミーシャちゃんが教えてくれたの☆」

「ミハイルが?」

 

 目の前に本人がいると言うのに、驚いてみせる。

 だって俺は、アイツに絶交されたから……。

 もう二度と会ってくれない。そう思っていた。

 

「うん☆ なんかSNSを見ていて、タッくんがどんどん痩せているから。心配なんだって」

「そ、そうか……ミハイルが、俺を心配してくれたのか……」

 

 安心したところで、どっと気が抜ける。

 その場で、地面に倒れ込んでしまった。

 するとアンナが慌てて、俺のそばに駆け寄る。

 

「タッくん!? 大丈夫? やっぱり食べてないから、元気がないんだよ……アンナが作ってきたから、あそこで食べよ」

「え?」

 

 アンナに手を引かれて向かった先は、一ツ橋高校の校舎。

 玄関の近くに、ベンチが1つだけある。

 ベンチの下には、錆びたペンキ缶が置いてあった。

 

 ここは、宗像先生がスクリーングの時だけに、設ける喫煙所だ。

 ヤンキーだけが、利用する場所なのだが……。

 今朝は誰も使っていない。

 きっと、朝が弱い……というか、やる気がないからだろう。

 

「さ、タッくん。ここに座って。また倒れちゃうよ?」

「ああ……でも、俺は学校へ来たんだ」

 そう断ろうとしたが、アンナの馬鹿力で強制的に座らせられる。

「ダメだよっ! 今のタッくんは、栄養不足で危ないんだから!」

「わ、悪い」

 

 

 とりあえず、ベンチの隣りにリュックサックを置いて。

 彼女に言われるがまま、黙ってベンチで休憩することに。

 

 アンナは持参してきた、かごバッグの中をごそごそと探している。

 そこで、俺はようやく気がついた。

 髪が長いことに。

 この前ミハイルに会った時は、ショートカットへばっさりと短くしていたのに。

 

 彼女の横顔をまじまじと眺めていると、アンナが視線に気がつく。

 

「どうしたの? 何かアンナの顔についている?」

「いや……髪型が変わってないなって」

「なに言っているの? アンナは最近、美容室とか行ってないよ?」

「そ、そうか……じゃあ、気のせいだな」

 

 ひょっとして、ヅラか?

 

  ※

 

「さ、タッくん。朝ごはんを作ってきたからねぇ☆」

 そう言って、弁当箱の蓋を開けるアンナ。

 中には、色とりどりの具材が挟まれたサンドイッチが、ギッシリと詰まっていた。

 おしゃれなワックスペーパーで、1つずつ包まれている。

 

 最初に渡されたのは、卵サンド。

 手に持つと、まだ冷たい。

 彼女が持ってきた弁当箱をよく見ると、保冷剤が目に入った。

 傷まないように……アンナの優しさを感じる。

 

「いただきます……」

 

 恐る恐る、ひと口かじってみる。

 正直、怖かった。

 なにも受けつけない毎日だったから、アンナの食事でも吐き出してしまうのでは?

 という恐れがあった。

 

「……っくん。うまい」

 

 それを隣りで聞いたアンナは、パーッと顔を明るくさせる。

 

「良かったぁ~! まだまだおかわりがあるから、食べてね!」

「ああ、ありがとう。アンナ、これなら食べられそうだ……」

「うん☆ 魔法瓶に温かいトマトスープを入れているから、それも出すね☆ 身体がぽかぽかするよ☆」

 

 そう言って、コップにスープを注ぐアンナ。

 彼女が言う通り、まだ温かいようだ。湯気が立っている。

 ふと、アンナの横顔を見つめると、緑の瞳に涙を浮かべていた。

 

 サンドイッチを頬張りながら、呟く。

 

「アンナ……」

「タッくん。もっともっといっぱい食べてね☆ これからちゃんと食べられるまで、アンナが作ってあげるから!」

「すまん」

 

 ん? 食べられるまで?

 どういうことだ?

 

  ※

 

 まだ弁当を食べている際中だが、そろそろ生徒たちが校舎に集まってきた。

 普段はヤンキーが、タバコを吸っている喫煙所なので。

 悪目立ちしていた。

 

 すれ違う生徒たちの視線が、気になったのか。

 アンナは慌てて、ベンチから立ち上がる。

 

「ご、ごめん。タッくん! アンナ、やることがあったの! ちょっと2階の事務所に行かなきゃ……」

「へ?」

「タッくんはまだ食べていてね☆ 食べられるなら全部食べるんだよ!」

「お、おう……」

 

 卵サンドを食べ終え、今度はレタスサンドを味わっている。

 非常に美味い。

 レストランに出していいレベルだ。

 

「じゃあ、またあとでね☆」

 そう言うとアンナは、一ツ橋高校の玄関へと走り去る。

 

「……」

 

 一人取り残された俺は、温かいトマトスープをすする。

 

「っはぁ~」

 

 青空の下で愛妻弁当を、食べられるとか。

 幸せだなぁ……って、何を気取っているんだ俺。

 部外者であるアンナが、なぜこの一ツ橋高校に来たんだ?

 しかも、2階の事務所へ向かった。

 わ、分からん……。

 

 

 彼女に言われたからではないが、とりあえずアンナの作った弁当は残さず、キレイに全部食べた。

 空になった弁当箱を持って、俺も校舎の中に入り、2階へと上がる。

 

 今日から俺は、2年生になったので。

 教室も隣りのクラスへと移動することになった。

 ちなみに教室棟の2階は、3クラスしかない。

 だから、真ん中のクラスへ移ったってことだ。

 

 教室のドアを開くと、既にホームルームが始まっていた。

 遅れて入ってきた俺を見て、宗像先生がギロっと睨む。

 

「新宮! 進級したばかりなのに、遅刻か!? たるんでいるぞ!」

 えらく機嫌が悪そうだ。

「す、すみません……食事を取っていたので」

「な~にが食事だっ! 終業式をサボりやがって! 去年の単位を全部はく奪しちまうぞっ! 早く席に着け!」

「はい……」

 

 ていうか、俺。

 本当は今日、退学届を出しに来たんだけどな。

 いつもの癖で、教室に入ってしまった。

 

 前のクラスと同じ位置にある、席へ着くと。

 後ろから、肩を突かれる。

 

「ねぇねぇ……」

 

 振り返ると、赤髪のギャル。花鶴 ここあが座っていた。

 専属絵師のトマトさんは、なぜか床で正座している。

 ここあに怒られているのかと思ったが、「ブヒブヒ」言いながら、彼女の太ももを拝んでいるので。仲は良いのだろう……。

 

「どうした? ここあ」

「オタッキーさ。その後どう? ミーシャは戻ってきそう?」

「それなんだが……」

 

 言いかけた瞬間、宗像先生が怒鳴り声を上げる。

 

「こらぁっ! 新宮と花鶴、私語は慎め! 額にナイフを投げちまうぞ、バカ野郎!」

「す、すみません……」

 

 だから、いつまでそのネタを引きずっているんだよ……。

 

「ええ……話が逸れた。ごほんっ! 古賀 ミハイルについてだが、事情があって遠くへ引っ越すことになった」

 宗像先生の話を聞いた俺は、驚きのあまり席を立つ。

「そ、そんな……ウソでしょ? 先生っ!?」

 立ち上がった俺を注意せず、宗像先生は黙って首を横に振る。

 ただ、人差し指を唇に当てていた。

 黙って見ていろってことか。

 

「古賀は休学となるが、いとこの女子が編入してくることになった。お前たちと同じ2年生だ。仲良くしてやれ」

「まさか……」

「おいっ! そろそろ良いぞ。教室に入って来い!」

 

 先生が手招きすると、教室の扉がガラっと音を立てる。

 現れたのは、先ほど俺に愛妻弁当を作ってきてくれた美少女だ。

 

「初めまして。古賀 アンナです☆ 皆さん、今日からよろしくお願いします☆」

 礼儀良く、おじぎをする金髪のハーフ美少女。

 

「な、なんで……?」

 ミハイルじゃなくて、アンナが戻ってきたのかよ。



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451 女の子になっちゃうよぉ~!

 

 アンナが自己紹介を終えると、生徒たちがざわめき始める。

 無理もない。

 男のミハイルが、急に遠くへ引っ越し……。

 女として、別人のアンナが編入してきたのだから。

 

 その場で立ち尽くす俺に、アンナが手を振る。

 

「タッくん~☆」

 

 これには、周りの生徒たちも驚きを隠せない。

 だって俺たち二人は、仮にとはいえ、彼氏彼女の関係みたいなものだから。

 何も言わなくても、友達以上の関係に見えるだろう……。

 

 そこへ宗像先生が「静かにせんかっ!」と一喝し、場をなだめる。

 生徒たちが静かになったところで、アンナに「新宮の隣りに座れ」と促す。

 

 コツコツと音を立てて、優雅に歩いて見せるアンナ。

 よく見れば足もとは上靴ではなく、ヒールが高いローファーだ。

 大きなリボンがついた可愛らしいデザイン。

 完全に、デートモード。

 

 嬉しそうに、俺の隣の席へ座るアンナ。

 

「タッくん。今日からよろしくね☆」

「あ、ああ……」

 

 この時、心の中で2つの強い気持ちがぶつかり合っていた。

 それは安心感と寂しさ。

 

 目の前に元となるミハイルがいるのに、女として振舞うアンナ。

 せっかく俺のために、学校へ編入してくれた彼女には悪いが……。

 

「そこは、ミハイルの場所だ」と思ってしまった……。

 

  ※

 

 ホームルームが終わると、宗像先生が俺を呼びつける。

 

「新宮! ちょっと話がある。一人で事務所へ来いっ!」

「は、はい……」

 

 話し方からして、きっとお説教だろう。

 次の授業まであまり時間がないのだが、とりあえず、事務所へ向かう。

 って、教科書を一冊も持って来なかった奴が、何を言ってんだか……。

 

 事務所へ入ると、宗像先生が不味そうなコーヒーを用意して、俺を待っていた。

 またアレを飲まされるのか。

 

「なにを突っ立っておるか? 早くソファーに座れ」

「はい」

 

 俺は二人掛けのソファーへ腰を下ろし、反対側のソファーにガニ股で座る宗像先生。

 こういう時の先生は、絶対に怒っている。

 興奮のあまり、太ももを閉じないから、今日も紫のレースが丸見え。

 しんどい。

 

「……新宮。一体どうしてこうなったんだ? 私は古賀を呼び戻せ、と言ったはずだが。なぜ女装したブリブリのアンナが編入したんだ?」

「えっと、それは俺にもわかりません……ずっと連絡が取れなくて……」

 そう答えると、宗像先生は深いため息をつく。

「はぁ……どうせ、お前たちの歪んだ愛情表現のせいだろ?」

「え、どういうことですか?」

「数日前のことだ。急に古賀から私に電話がかかってきてな。遠くへ引っ越すから、代わりにいとこを編入させてくれと言われたんだ」

「ミハイルがですかっ!?」

「当たり前だ……。でもその本人は引っ越していないよな? 現に今も女装してクラスにいるのだから」

「うっ……」

 

 何も言い返せなかった。

 

「去年の運動会を覚えているか?」

「あ、はい……ミハイルがMVPを獲ったんですよね」

「うむ。その時に私が何でも願いを叶えてあげると、約束したろ? あれを使ったんだ古賀は」

「?」

 俺が黙って首を傾げていると、宗像先生が代わりに答えてくれた。

 

「わからんか? ヒソヒソ声だったからな。古賀はあの時『オレのいとこをいつか編入させてください』と私に頼んだのだ」

「なっ!?」

「私もその時は、女装する趣味とか知らなかったから、了承したが。まさかこんな形で利用されるとはな……」

「じゃあ……アンナは女の子として、編入したんですか?」

「ま、そういうことだな」

 と肩をすくめて見せる先生。

 

 ていうか、あんたが願いを断れば良かったじゃん……。

 

  ※

 

 アンナが編入してきたことは、全く予想できなかった。

 まだ頭の中は混乱している。

 しかし、少しずつ。彼……ミハイルが望んでいることが見えてきた気がする。

 

 俺と絶交する際、ミハイルは男の自分を選んだことに傷つき、怒っていた。

 女のアンナではなく、素の彼を抱きしめ、キッスまでしようとした俺に。

 

 つまり逆ならば、ミハイルは傷つかなったのかもしれない。

 女装した状態……完璧な女の子。アンナならば。

 

 

「先生……ミハイルを、いやアンナを女子として、編入させたんですよね?」

「そりゃそうだろ? だってお前らが作った設定だし……それに古賀を取り戻すには、嘘を突き通さないとなぁ」

「でも、中身はあくまでも、男のミハイルですよ? トイレとか、更衣室とか一体どうする気ですか?」

「うむ……私もそれは悩んだが、大丈夫だろう。便所は3階の職員用を使えば良い。スクリーングは日曜日だから、他の女性教員は使用しない。私ぐらいだ。逆にどんな下着をつけているのか、覗いてやろうと思っている」

 

 ふざけろ。見ていいのは、俺だけだ。

 

「そ、そんな……無理があるでしょ?」

「無理なもんか。私はお前ら生徒たちが、一番だと言っているだろ! 更衣室も時間をずらして使わせたら良い。その辺はちゃんと配慮してやるから大丈夫だ。それよりも……いつまで持つか? って話じゃないのか?」

 宗像先生はそう言うと、鋭い目つきで俺の顔を睨みつける。

 

「え?」

「あのな。私はお前ら二人とも、心配なんだよ……。女装して恋愛ごっこをするのも結構だ。しかし、新宮。そのやせ細った身体はなんだ?」

 薄くなった胸板を、人差し指で小突かれてしまう。

「こ、これは……最近、食欲がなくて。でも、さっきアンナが作ってくれたサンドイッチを食べられましたよっ!」

 それを聞いた先生は、鼻で笑う。

「フンッ。アンナね……どっちでも良いが、この前古賀に振られたのが原因だろ?」

「はい……」

「新宮、お前。あれから何キロ瘦せた?」

「えっと……3キロぐらいですかね、ははは」

 笑ってごまかそうとしたら、更に宗像先生を怒らせてしまう。

 

「なめるな! 10キロ近く痩せたんだろ!? 何年教師をやっていると思うんだ! 見ればわかるっ!」

「すみません……その通りです。今52キロぐらいです……」

「ほれみろ。言わんこっちゃない! ちなみに身長はどれぐらいある?」

「え、170センチですけど?」

 

 俺がそう答えると、宗像先生は自身のスマホを取り出し、何かを検索し始めた。

 

「おい……お前は、シンデレラになりたいのか?」

「え? なんのことですか?」

「身長が170センチで、体重が52キロだと“シンデレラ体重”になるんだよっ! 女の私より細くなりやがって!」

「はぁ……」

 

 なんだ、ただの嫉妬か。

 しかし……ミハイルがいなくなっただけで、俺はここまで落ちてしまうのか。



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452 食欲=性欲(♂)

 

「でもな、新宮。冗談じゃないが……シンデレラってのはさ。午前零時で魔法がとけちまう、お姫様だよな?」

「はぁ……」

「結局のところ、お前が作り上げた幻想だろ? 古賀 アンナっていう女は」

「そ、それは……」

 

 言葉につまる俺に対し、宗像先生はそっと肩に触れる。

 

「私は心配なんだ。急に痩せちまう新宮と、自分を女だと言い張る古賀がな」

 先生の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「宗像先生……」

「お前がかけた魔法だろ? なら王子様の新宮が、古賀を解き放ってやれ」

「解き放つって……どうやってするんですか?」

「そんなものは簡単だ! スカートをめくって男だということを、クラスのみんなに教えてやれ。そして、そのままお前が襲えばいいだろ♪」

「……」

 

 できるわけないだろ、そんなこと。

 聞いた俺が、バカだった。

 

  ※

 

 とりあえず宗像先生から事情を聞いて、ホッとしたいうか。

 ミハイルの考えを、理解できた気がする。

 要は、女であるアンナだけを見て欲しいってことだろう。

 

 事務所を出て、廊下を歩いていると。

 二年生の教室が何やら騒がしい。

 窓から中を覗くと、たくさんの男子生徒がアンナを囲んでいる。

 みんな別人だと思い込んでいるようだ。

 

「アンナちゃん。この前はマジでサンキューな! おかげでほのかちゃんとイブを過ごせたよ。でも一ツ橋高校へ来るなんて、奇遇だね」

 と話しかけるのは、スキンヘッドの千鳥 力だ。

 幼なじみだと気がついてない。

「ううん☆ ほのかちゃんと仲良くなれて、アンナも嬉しいよ。取材の効果が出たみたいだね☆」

「おお! 取材もバリバリやってるぜ! この前なんか、ネコ好きおじさんと出会いのバーに行ってきてさ……」

 

 ちょっと、リキ先輩たら。どんどん界隈の深いところまで、取材しているじゃない。

 とりあえず放っておこう。

 

 教室の扉を開こうとした瞬間。

 ガラっと中から、開けられてしまう。

 目の前に立つのは、ギャルのここあ。

 腕を組んで、俺を睨んでいる。

 

「あんさぁ……ちょっと、廊下で話そうよ」

「お、おう」

 

 きっとアンナのことだろう。

 とりあえず、教室に入るのは諦めて、彼女の話を聞くことに。

 

「ねぇ、どうして。ミーシャじゃなくて、女装したアンナが学校へ来たの?」

「いや……この前も話したが、俺が抱きしめたり……色々とあって。女装した姿を見てほしいみたいだ。ミハイルは」

「は? 言っている意味が分かんないんだけど?」

「まあ、そうだろな……」

 

 俺は宗像先生が話してくれた内容を、ここあにも説明した。

 すると、ここあは難しい顔で考えこむ。

 

「え? マジで頭が混乱するんだけど……女役だから、カワイイ自分を見てってこと?」

「そんなところだ」

「ふぅ~ん。でもさ、それって元はと言えば、オタッキーのせいじゃん!」

 と俺の胸に人差し指を突き刺す。

「うっ……」

 何も言い返せない。

 

「オタッキーさ。わがままだよ! ミーシャも欲しがって、女役まで欲しいなんて! ミーシャがかわいそう!」

 気がつくと、ここあの瞳は涙でいっぱいだった。

 一日に二人も女を泣かすなんて……最低だ。

 

「わ、悪い……」

 とここあをなだめようとした瞬間。

 廊下の奥から、誰かがこちらへ近づいてきた。

 

「え? ケンカ?」

 

 眼鏡女子の北神 ほのかだ。

 えらく怯えた顔をしている。

 

「あ、ほのか。違うぞ! こ、これは……」

 上手く言い訳できない俺を見かねて、ここあが代弁してくれた。

「違うんよ。ほのかちゃん……オタッキーにミーシャの相談をしてたの。急に引っ越したていうじゃん? だから寂しくてさ」

 アホなここあにしては、ナイスなフォローだ。

 これで女装の話やアンナの正体を隠せる。

 

「ミーシャって……ミハイルくんのことでしょ? 引っ越してなんか、してないでしょ」

 

 これには、俺とここあも驚きを隠せない。

 

「「え?」」

 

「今も教室の中で、リキくんと仲良く話しているじゃん。なんかアンナとかいう、謎の設定で先生に紹介された時は、ビックリしたけど……」

 まさか……バレているの?

 

「な、なにを言っているんだ、ほのか。あの子はミハイルのいとこだぞ。紛れもない女の子だ」

 ここあも俺の話に合わせる。

「そうそう! 双子ってぐらい似ているけど、全然違うって!」

 

 俺たちの話を聞いて、ほのかは真顔で答える。

 

「いや、どう考えてもミハイルくんでしょ? 女装しているけど……」

 

「「……」」

 

 よりにもよって、腐女子のほのかにバレてしまった。

 担当編集の白金にこれ以上、関係者を増やすなと言われていたのに……。

 

  ※

 

 もうバレてしまったことは、仕方ないので。

 ほのかにも、ミハイルが女装をする理由を簡単に説明した。

 そのうえで協力してほしいと、ここあと頭を下げる。

 

「そっかぁ。なるほどねぇ……そんな趣味があったんだぁ~ うーん、琢人くんって受けだと思ってたのに、バリバリ攻めだったとは」

 そう言うと、眼鏡を怪しく光らせる。

「あ、あの……ほのか? なんか勘違いしていないか?」

「私のことなら大丈夫よっ! ミハイルくんの女装も黙っておくわ。二人で好きにヤッちゃっていいわ! 校内でも無理やりするんでしょ!?」

「……」

 

 やっぱり言わなければ、良かった。

 腐女子のネタにされちゃう。

 

「いやぁ~ 琢人くんが弱みを握って、女装させる鬼畜プレイが好きとか……盲点だったわ! 忘れないうちにペンタブで漫画にしよっと♪」

 もう勝手にしてくれ……。

 

 とりあえず、三人の中で話はついたので。

 教室へ戻ることに。

 

 相変わらず、たくさんの男子生徒がアンナを囲んでいた。

 女装した途端、ミハイルを見る目が違う。

 なんというか……いやらしい目つきに感じる。

 

 俺は強い憤りを感じていた。

 

「あ、タッくん~☆ 戻ってきたんだ☆」

 アンナの声がなかったら、こいつらをぶっ飛ばしているところだ。

「ああ……待たせたな」

 自分の席に座り、次の授業。数学の準備をしようとした瞬間。

 思い出す。なにも教科書を持って来ていないことに。

 

「タッくん、どうしたの?」

「その……今日の教科書を、全部忘れて……」

「なら、アンナと一緒に読もうよ☆」

 

 そう言うと彼女は、机をピッタリとくっつけて、教科書を広げる。

 

「これで一日、一緒にいられるね☆」

「あ、ああ……」

 

 無意識にやっていると思うが、肘と肘がくっつく距離感。

 間接的とはいえ、久しぶりにアンナの肌に触れられて、嬉しかった。

 その証拠に……最近、無反応だった股間が、ギンギンに盛り上がってしまう。

 

 これで一日を過ごすのか……本当に持つかな?



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453 女体化すると、世界が変わる。

 

 女の子として、初めての授業を受けることになったアンナ。

 なぜか単位が認められて……2年生という扱い。

 全部、宗像先生が仕組んだものだ。

 

「どうせ、中身は一緒なんだから、単位も一緒でいい」

 

 すごく適当なやり方。

 じゃあ、十年以上も通っている妻子持ちでアラフォーの夜臼先輩にも、単位をあげて欲しいものだ。

 

 そんなことを考えていると、一時限目の教師が入ってきた。

 

「は~い。じゃあ数学Ⅰを始めますよぉ~」

 

 若い男性教師で、前年度に受けていた教科と同じ人だ。

 ちなみに、今年度から『数学Ⅰ』になる。

 動物園レベルの高校なので、去年受けていた教科は『数学Ⅰ入門編』だ。

 Ⅰの前があることに、驚きはしたが……。

 

「なんかドキドキしてきたよ。アンナ、お勉強が苦手だし……」

 と弱音を吐くアンナ。

 中身は、あのミハイルだからな。苦労するだろう。

「まあ、そんなに構えなくて良いと思うぞ? この高校はレベルが低いし」

「それはタッくんが頭良いからでしょ。アンナには無理だよ」

 

 あの……褒められているのに、全然嬉しくないんですけど。

 

  ※

 

 男性教師がマジックを使って、ホワイトボードに数式を書いてみせる。

 そして「この問題をノートに書いて。解けたら僕のところまで持って来て」と生徒たちに指示する。

 自力で問題を解き、教師のところまで持って行く……という行為は、一ツ橋高校の生徒からすると、ハードルが高いらしい。

 みんな困惑していた。

 

 アンナも同様だ。

「え、えぇ……どうしよう? あんな問題、解けないよぉ~」

「別に間違えても良いから、提出すればいい。怒られることはないさ」

「でもぉ~」

 と頬を膨らませるアンナ。

 カワイイ……俺が教えてあげたい。

 

 ~20分後~

 

 数学Ⅰと言っても、昨年習った入門編の延長だ。

 小学生レベルが、中学生へ進級したようなもの。

 天才の俺はサクッと問題を解いて、教師に提出。

 

 全問正解したので、あとはのんびりと授業が終わるのを待つ。

 

 俺以外に問題を解けたのは、おかっぱ頭の双子。日田兄弟。

 それと床で、勉強するトマトさんぐらいだ。

 

 あとの生徒たちは、みんなノートと睨めっこ。

 唸り声をあげてフリーズしている。

 

「ダメだよ……わかんない」

 アンナのノートを覗いたが、まだ一問も解けていない。

 俺が教えるわけにもいかないし、ここは黙って見守ろう。

 

 そう考えていると……。

 

 何やら辺りから、女子の笑い声が聞こえてくる。

 

「あ、そっか~♪ 簡単だぁ!」

「でしょ? 次の問題もね、こうして……」

 

 教師が生徒にヒントでも教えている。と思ったのだが。

 鼻の下を伸ばして、嬉しそうに女子生徒の肩に触れる。

 

「ここはこう」

「すご~い、先生!」

 

 忘れていた。

 この教師、昨年の期末試験で女子にだけ、堂々と解答を教えていたゲス野郎だ。

 男子は放っておいて、女子限定で答えを教えまくる。

 

 当然、アンナの番になると……。

 

「あ、きみ。全然解けてないじゃ~ん。ハーフで可愛いのにねぇ~」

 

 いやらしい目つきで、アンナを上から下まで眺める。

 舌なめずりをしながら。

 

「す、すみません……私、数学とか英語は苦手で」

 別に意識していないと思うが。アンナは座っているため、自ずと上目遣いになる。

 あの美しいエメラルドグリーンの瞳で。

 これには、教師も興奮してしまう。

 

「ふふ……そんなに気にしなくてもいいよ。僕は君みたいな子に教えるのが楽しいから、教師をやっているんだ♪」

 何を思ったのか、アンナの頭を撫で回す。

 

「ぐっ!」

 

 怒りのあまり、シャーペンの芯を折ってしまった。

 このまま立ち上がって、ゲス野郎を殴ろうかと思ったが。

 後ろの席にいた、ここあに感づかれ、肩を掴まれる。

 

(オタッキー。気持ちはわかるけど、ダメだよ。正体がバレちゃう)

(りょ、了解……)

 

 

「アンナちゃんって言うんだぁ。きみ2年生なの? こんな可愛い子なら、覚えているけどなぁ♪」

 

 左手で彼女の頭を撫で回し、右手で一緒にペンを持つ。

 完全に、密着状態。

 

 あ~、ぶっ殺してやりてぇ!

 しかし、アンナの単位がかかっている。ここは堪えよう……。

 

  ※

 

 結局、その後も数学の教師は、終始アンナにべったりで。

 他の女子生徒でさえ、放置。

 完全にえこひいきした状態で、授業は終わってしまった。

 

 アンナ自身は、答えを教えてくれたことに感謝していたが。

 俺は今からでもあのゲス野郎を、窓から突き落としてやりたかった。

 

 

 それから午前中の授業を、色々と受けたが。

 やはり、アンナだけ異常に優しく。特別な待遇を受けていた。

 特に男性の教師からは……。

 

 ミハイルが女装しただけなのに、こんなにも態度が変わるもんかね?

 なんか、とても複雑な気分だった……。

 

 俺のカノジョ役が可愛いのは知っているし、たくさんの生徒や教師から、優しくされるのも嫌ではない。

 でも……それだけの人たちから、視線を集めるということは。常に俺が気を張っていないとダメだ。

 男のミハイルだったら、こんなことはなかったのに。

 

 そうか。アイツなら、俺だけを見ていてくれて。

 他の人間が、寄ってくることもなかったのか……。

 

 

 昼休みに入り、アンナへ「お昼を一緒に食べないか?」と誘ったが。

 

「ちょ、ちょっと……お手洗いに」

 

 と3階へ行ってしまった。

 

 そうか。宗像先生がアンナ用に、3階の職員用トイレを貸してくれたんだ。

 なるほどね。というか、女装している時は、個室なのだろうか?

 座ってするのかな……。

 いかん、想像したら興奮してきた。

 

  ※

 

 20分経っても、教室に戻ってこない。

 これはさすがにおかしいだろうと、俺は心配になって、3階へと上がる。

 職員用トイレの前で、数人の男子生徒が誰かを囲んでいた。

 制服を着ているから全日制コース、三ツ橋高校の生徒だろう。

 

「ねぇ~ いいじゃ~ん。L●NEぐらい教えてよ~」

「そんなフリフリの服って、どこで売ってんの?」

「ハァハァ……きみさ。モデルのMALIAに似てない? だとしとら、許せないんだぶ~! よくも男とラブホテルへ行ったな! 貢いだ金を返せだぶ~!」

 

 最後の奴、色んな意味でヤバいよ。

 しかもマリアに貢いだって……レディースファッションを購入したのか?

 

「イヤッ!? 離して! アンナはタッくんとしか、L●NEしないの!」

 

 よく見れば、捕まっているのは伝説のヤンキーこと、金色のミハイルじゃないか。

 本当に女装したら、みんなから女の子として見られるんだね……。

 

 設定が悪いんだよな……。

 俺のために、非力な女子を演じているため、自慢の馬鹿力で対応できない。

 

 体重が激減した俺ひとりで、あの3人相手に勝てるかな……。



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454 見せパンでも、見たらダメです。

 

 女装した途端、可愛い女の子としてチヤホヤされるアンナ。いや、ミハイル。

 今も目の前で全日制コースの男子高校生から、ナンパされている……。

 困ったものだ。

 

 しかし、どう出るか?

 きっと部活の練習に来ているような、活発な男子たちだ。

 やせ細った俺では、3人も相手に出来るだろうか……。

 

 助けるのを、躊躇していると。

 

「イヤッ! やめて!」

 

 と悲鳴が上がる。

 

 これには俺も咄嗟に身体が反応し、間に入り込む。

 

「お前らっ! いい加減にしろ! この子は俺の大事な連れだ!」

 

 格好つけて、彼女の前に現れたのはいいが……。

 やはり3人相手は、無理がありそうだ。

 改めて見ると、アンナを囲んでいる男子生徒は全員が高身長。

 180センチ以上はある。

 

 上から睨みつけられて、恐怖から縮こまってしまう。

 

「は? 誰、お前……ちょっとこの子に聞きたいことがあるんだけど?」

「そうだよ。質問ぐらい良いだろが!?」

「本当にラブホテルへ行ったのか、知りたいんだぶ~!」

 

 と、とりあえず、最後の方にだけ答えます。

 真実は、両方のヒロインと行きました。

 でも、一線は越えてないので、セーフです。

 

 なんて、考えていると。

 アンナが俺の背中に隠れる。

 

「タッくん……この人たちが、アンナの身体を触ろうとしたの」

 それを聞いた俺は、先ほどまでの恐怖なぞ吹き飛ぶ。

「貴様らっ! やって良い事と悪い事があるだろ!? 同意なく、女の子の身体に触れるのは犯罪だっ!」

 俺だってあんまり触れてないのに……。

 

「は? 触ろうとしたんじゃなくて、見たかったんだよ。そのワンピースのブランド」

「え、ブランド?」

「おお……妹が最近、失恋してよ。そういう可愛いブランドでも着たら、今度は成功するのかと思ってよ」

 

 と頭をかいてみせるお兄ちゃん。

 なんだ……ただのシスコンか。

 

  ※

 

 妹想いのお兄さんに話を聞くと。

 ずっと片想いをしていた妹さんが、中学を卒業するまで勇気を持てず。

 告白できないまま、相手が海外へ旅立ってしまったらしい。

 でも、1年間の留学を終えたら、戻って来るようだ……。

 

 そこで、アンナの可愛らしいファッションを目にしたお兄さんは、ブランド名が知りたくなったそうだ。

 帰国した際に、妹がその服を着たら、勇気が出るかもと。

 

 恥ずかしくて、ちゃんとアンナへ伝えられなかったそうだ。

 それを知ったアンナは、安心する。

 スマホでブランドを検索して、お兄さんに色々と教えていた。

 

 なんだったんだ……この茶番は?

 

 

 ただ俺が現れてから、お兄さんの視線は、ずっとこちらへ向けられていた。

 まさか、シスコンでゲイなのか?

 

 アンナから色々と教わって、恥ずかしそうに頭を下げるお兄さん。

 去り際に「二人だけで話そう」と腕を掴まれ、少し離れた場所へ向かう。

 

 口説かれるのかな、と身構えていたら……。

 

「あのさ、お前って。今恋わずらいしていないか?」

「なっ!?」

「やっぱり……そうなんだな。一目で分かったよ。うちの妹と同じだからな」

「え……?」

 

 お兄さんから事情を聞くと、妹さんは大好きな彼がいなくなってから。

 一切の食事を受けつけず……10キロ近く痩せたそうだ。

 正に、今の俺じゃん。

 

「悪いことは言わない。相手がいるうちに、想いは伝えた方がいいぜ? 妹はなんでか、“白うさぎ”しか食えなくなってよ……見てられねぇよ」

「……」

 

 なんか、俺が乙女みたいじゃん。

 相手なら、目の前にいるんだけどなぁ……。

 

  ※

 

 そのあと、無事に解放された俺たちは、教室に戻り。

 アンナが作ってくれた弁当を仲良く食べた……というか、食べさせてもらった。

 

 俺がまだフラつくからと心配した彼女が、わざわざお箸でおかずを「あ~ん」してくれる神対応。

 

 正直、浮いていた。

 急にアンナという美少女が、俺のカノジョ役として現れたこと。

 そして、俺にベタ惚れだということも。

 

 他の男子生徒たちはイチャつく俺たちを見て、舌打ちをしたり、睨みつけたり……。

 居心地が悪いったら、ありゃしない。

 

 

 昼休みに入って、20分ぐらい経ったあと。

 アンナが教室の掛け時計を見て、慌て始める。

 

「っけない! 次の授業、体育だった!」

「へ?」

「ごめん、タッくん。アンナ、ちょっと先に着替えないと。お弁当、全部食べて来てね!」

「おお……」

 

 そうか。宗像先生が更衣室の時間をずらすと言っていたな。

 まったく、不憫だな。

 男のミハイルなら、一緒に着替えられたのに……。

 

 

 アンナに言われた通り、しっかりと愛妻弁当を残さず食べ終えた。

 急にたくさんのおかずと白米を、胃袋に放り込んだから。

 ちょっと、お腹はビックリしていたが……。

 しかし、感じるぞ。

 みなぎる愛の力を……。

 

 

 チャイムが鳴る前に、俺も校舎を出て、武道館へと向かう。

 なんか心配だった。女装した彼は、モテるからな。

 それに俺自身、早く彼女の元へ行きたかった。

 

 

 武道館へ入ると、地下へ降りる。

 更衣室は左右に分かれて、2つある。

 

 一年前のスクリーングで、全日制コースの女子。

 赤坂 ひなたが着替えているところを目撃したのが、懐かしい。

 

 今回は、間違いなど起こすまいと、アンナが更衣室から出て来るのを待つ。

 アンナと仲良く体育かぁ……。

 色んな意味で、密着できる楽しい授業になりそう。

 

 ~10分後~

 

 女子更衣室の扉が、開く音がした。

 俺が想像していた装いとは、正反対の少女が現れる。

 

 長い金色の髪は、三つ編みのツインテールで女子力高め。

 トップスは、ピンクのポロシャツで。ボトムスはプリーツの入ったミニスカート。

 シューズも可愛らしいピンク。

 

「あ、タッくん。来てたんだ☆」

「おう……ちょっと心配でな。また絡まれてないかって」

「心配してくれたの? 嬉しい☆」

 

 可愛い……。

 ていうか、これで運動するのかって服装だ。

 完全に見せる前提で、用意してきたな。

 

「なあ、アンナ?」

「ん? なあに、タッくん」

「その……そんな丈の短いスカートで大丈夫か? 今日の授業は何か知らんが、運動するんだぞ」

 

 俺がそう言うと、彼女はクスクスと笑い始める。

 

「タッくんたら、心配性なんだから☆ 大丈夫、中には“ペチコート”を履いているよ」

「ぺち……なんだって?」

 聞いたことのない言葉に、首を傾げていると……。

 何を思ったのか、アンナがスカートの裾を詰まんで見せた。

 

「お、おい……」

「大丈夫だって☆」

 

 彼女の言う通り、スカートをたくし上げても、パンティーが露わになることは無かった。

 フリルがふんだんに使われた、薄い生地のズボンを履いている。

 いわゆる、見せパンってやつかな?

 

「ね? これなら大丈夫でしょ☆」

「ううむ……」

 

 合法的にスカートの中を見られて、嬉しいし可愛いんだけど。

 ブルマを堂々と履いていたミハイルが恋しいと、思ってしまうのは何故だろう。



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455 男同士の膝枕があっても良いじゃない

 

 アンナと仲良く体育を、受けられると思ったが……。

 俺の考えが甘かった。

 

 彼女は今、女子として高校に通っている。

 ということは、当然みんなから、ひとりの女性として扱われるのだ。

 

 今日は珍しく、武道館を利用することが許された。

 広々と運動が出来ると知った宗像先生は、男女別々になって、バレーボールの試合を行うと発表した。

 

 俺たちは黙って従うしかない。

 最初こそ、仲良く並んで立っていたが……。

 アンナも寂しそうに「じゃあ、またね」と女子のコートへ去っていく。

 

 彼女を見かけたここあが、声をかける。

「ねぇ、あーしたちと組もうよ。絶対勝てるから♪」

 以前会った時、その正体を疑われたので、アンナはたじろいでしまう。

「べ、別に組まなくても……ひとりでやれるよ?」

 そんな言い訳が、通用するわけもなく。

「な~に、言ってんの♪ バレーは一人じゃ無理っしょ。それにね、オタッキーからアンナちゃんのことを、守るように頼まれてんの♪」

「タッくんが!?」

 

 さすが、ここあだ。

 これなら、彼女の警戒心を解ける。

 

「だから、二人でオタッキーに頑張ってるところを見せてあげようよ♪」

「うん☆ ありがとう、ここあちゃん☆」

 

 どうやら、仲良くやれそうだな。

 

  ※

 

 男子もそれぞれグループを作って、早速試合をすることに。

 やる気のない俺は、日田兄弟の片割れに混ぜてもらった。

 

 相手チームには、やる気満々のリキがいる。

 それを見てすぐに負けると思った。

 こちらは、陰気な真面目グループだし……。

 

 体育の時だけ、超やる気が出るヤンキーたちに勝てるわけがない。

 さっさと負けて終わらせよう。

 

 そう思っていたが。

 どうしても、隣りのコートが気になる……。

 

「えいっ!」

 

 フリフリのミニスカートを履いた女の子とは思えない、豪速球が相手コートに投げ込まれる。

 対戦していた女子生徒が、恐怖から固まってしまうほどの。

 

 だが、それより心配なのは……。

 彼女のファッションだ。

 

 ジャンプする度に、見せパンとはいえ。

 白いフリルがひらひらと、目立ってしょうがない。

 

 武道館の隅で筋トレをしていた、全日制コースの男子生徒たちから歓声があがる。

 

「見ろよ、あのハーフ。パンツ丸見えだぜ」

「マジかよ……可愛いじゃん。あんな子、一ツ橋にいたっけ?」

「とりあえず、ローアングルで撮影してきます」

 

 最後のふざんけんな。

 撮るにしても、ちゃんと顔も撮ってやれ。

 俺なら、そうする。

 

 

 試合そっちのけで、アンナばかり眺めていたら。

 隣りに立っていた日田が、叫び声を上げる。

 

「新宮殿! 危ないでござる!」

「へ?」

 

 視線を正面に戻すと、目の前にはぐるんぐるん回転しているバレーボールがあった。

 避けようと思った時は、すでに遅く。

 顔面に直撃した俺はそのまま、床に倒れてしまった。

 

  ※

 

「大丈夫? タッくん、ねぇ。起きてよ!」

 

 誰かが、俺を呼んでいる。

 頬にぷにんと、柔らかい感触が伝わってくる。

 これは、太ももか?

 つまり膝枕をしてくれている……アンナに違いない。

 

 瞼をパチッと開くと、そこにいたのは。

 

「おう! 起きたじゃねーか、タクオ!」

「……」

 

 スキンヘッドの老け顔。リキくんでした。

 なんで、こいつが膝枕をしてんだよ!

 

 一刻も早く離れたかったので、身体を起こそうとしたが。

 リキに止められる。

 

「おい! かなり鼻血も出てたし、まだ寝とけよ!」

「わ、わかった……」

 

 仕方なく、リキ先輩の膝で休むことにした。

 

 武道館の隅で、男二人が仲良く膝枕。

 非常に誤解されやすい風景だが……。

 リキは気にする様子もなく、女子のコートで活躍するアンナを見て笑っていた。

 

「良かったな、タクオ」

「え? なんのことだ?」

「アンナちゃんだよ。お前、ミハイルがいなくなって、元気なかったじゃん。でもあの子が代わりに入ってくれかたら。これからも、タクオは学校に来られるだろ?」

「そ、それは……」

「俺が言うのもなんだけどさ……二人とも好き同士なんだろ? 付き合ったらどうだ?」

「いやぁ……」

 

 返す言葉が見つからなかった。

 リキに悪意はない。

 彼は女の子として、アンナを見ている。

 元となるミハイルのことを知らないから、言えることだ。

 

 でも、仮に俺がその選択肢から選んだとして。

 本当に彼女……いや、彼は受け入れてくれるのだろうか?

 

  ※

 

 結局、体育の授業は2時間ずっと、リキの膝の上で休んでいた。

 鼻血も止まらなかったし。

 まあアンナが楽しそうに、バレーボールをしていたから、良かったか。

 

 着替えを済ませ、校舎に戻る。

 帰りのホームルームが始まる前、隣りに座っていたアンナが声をかけてきた。

 

「タッくん。大丈夫だった? なんかリキくんのボールが当たったって聞いたけど」

「ああ……問題ない。ちゃんとリキが、休ませてくれたからな」

「ごめんねぇ~ アンナ、試合に夢中で……」

「気にするな。俺がよそ見をしていたせいだ。誰が悪いわけでもない」

 

 試合中にあなたのパンチラが、気になっていたとは言えんからな。

 

「そっか。あのね、ホームルームが終わったら一緒に帰ろうよ☆ 二人で☆」

「え……?」

 当たり前のように言われたので、驚いてしまう。

「もしかして、アンナと一緒は嫌かな?」

「そんなことないぞ! 嬉しいさ。帰ろう、二人で!」

「フフッ、嬉しい☆」

 

 そうか。今日から女の子と一緒に帰るんだ。

 夢にまで見たシチュエーション。

 学校帰りに、可愛い彼女と制服デート。

 あ、うちの高校は私服だ……。

 

 それでも、男なら誰しもステータスを感じて良い場面だろう。

 こんな金髪のハーフ美少女から、誘われるなんてさ。

 

 でも……なんで、こんなに寂しいんだ?

 アンナによって埋められた胸の穴が、徐々に広がっていく気がする。

 心臓に針が刺さっているような……痛みを感じる。

 

 帰りのホームルームを終えると、アンナが言った通り、二人で仲良く駅まで歩く。

 彼女は終始、ご機嫌だった。

 

「次のスクリーングが楽しみだなぁ☆ 今度はお洋服、何にしよう? 私服だから、選べるのが良いよね☆」

「まあな……」

「あ、そうだ。明日、タッくん家へご飯を持っていくね☆」

「え?」

「約束したでしょ? これからタッくんが食べられるまで、ずっとアンナがご飯を作るって☆」

 とウインクしてみせる。

 

 非常に嬉しい提案だったが、どうしても俺には……気になることがある。

 それは、アイツがいつ帰ってくるかだ。

 

「あ、アンナ……その引っ越したんだろ? ミハイルは……」

「うん。なんかやりたいことがあるらしくて。遠くへ行っちゃったの」

「そうか。あいつ……ミハイルは、いつ帰って来るのか、分かるか?」

 

 俺の質問に、彼女はとても困っていた。

 だって、本人は目の前にいるのだから……。

 

「え、えっとね……かなり遠いから、なかなか帰って来られないと思うよ? たぶん1年……ひょっとしたら、2年ぐらい戻ってこないかも」

「2年!? そんなにか?」

「多分、だけどね……」

 

 引きつった笑顔のアンナを見ていて、辛くなる。

 

 1年以上、戻らないということは……自分を消す覚悟でアンナに変身したのか。

 もう二度と一緒に、学校へ通うことは無いのか?

 これも、俺のせいなんだな……ミハイル。



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第五十三章 ヘタレ主人公改造計画
456 ダークナイト、死す。


 

 アンナが戻って来て、10日経った。

 優しい彼女は手作り料理を、毎日自宅へと持って来てくれる。

 

「早く元気なタッくんを見たいな☆」

 

 と1日に2回も、重たい圧力鍋を抱えて、玄関のベルを鳴らす。

 

 俺はその姿を見る度に、罪悪感を感じていた。

 彼女の優しさに、応えられていないから……。

 

 最初の頃は喜んで、アンナの手料理を口の中に放り込んでいたが。

 今となっては……彼女の作る早さに、俺が追いつけなくなり。

 冷蔵庫やリビングのテーブルを、埋めてしまうほど残っている。

 

 また感じなくなった。

 大好きなアンナの料理でさえ、味がしない。

 食べても、数口でお腹がいっぱい……いや、胸が痛む。

 

 そのせいで、体重は上がるどころか。また下がっていく。

 ついに50キロを切ってしまい、今の体重は48キロだ。

 

 ガリガリに痩せてしまったせいで、春だってのに寒気を感じる。

 新聞配達もバイクが重すぎて、ふらついて運転するから危険だ。

 

 

 俺はこれから一体どうしたら、良いのだろう?

 失って気がついた事と言えば……ミハイルが必要だってことだ。

 だからといって、アンナの存在を否定し、彼を呼び戻すなんて……。

 また傷つけてしまう。

 

「ダメだな……俺は」

 

 自室で一人、学習デスクに座り、天井を見上げる。

 

 今年の春から俺は、妹のかなでと別室になった。

 かなでが国立の名門高校へ合格したから、そのお祝いらしい。

 親父が使っていた書斎に、かなでは移動した。

 

 二段ベッドも二つに分けて、大量の男の娘グッズも移動。

 各部屋にはプライベート空間として、扉に鍵をつけてもらえた。

 だったら、もっと早く配慮して欲しいものだ。

 

 こんな風になる前に……。

 

 天井にはビッシリと並べられた少年たち。

 ブロンドのハーフで、緑の瞳を輝かせている。

 この世に一枚しかない、アイツの写真だ。

 

 A4サイズに拡大コピーして、部屋中の壁に貼っている。

 部屋全体をミハイルで包み込むことで、安心する。

 

「もう、会えないのかな……」

 

 写真にそう問いかけても、彼は答えてくれない。

 

 食べられない日々が続くが、最近は睡眠もろくに取れていない。

 瞼の下はクマが酷く、どう見てもヤバイ顔つき。

 

 それでも、仕事は始まる。

 スマホからアラームが鳴り響き、新聞配達の時間だと知る。

 仕方なく、家を出て自転車を走らせると。

 地元、真島の新聞配達店へ向かった。

 

  ※

 

 大量の新聞紙を丸めて、バイクの荷台へと積み込む店長。

 俺の顔を見て、何故かため息をつく。

 

「琢人くん……一体どうしたの? 最近、おかしいよ」

「いや、ちょっと色々あって……」

 

 店長とは小学校からの付き合いだが、未だにアンナのことは話せていない。

 

「う~ん、実はさ……最近、お客さんからの苦情が多いんだよ」

「え? 俺にですか?」

「そうなんだよ……琢人くんもこの仕事、長いからさ。僕は信用しているんだよ? でもね、配達ミスが多いんだ。君が担当している、エリアからの苦情がすごいんだ」

「知りませんでした。す、すみません……」

 

 優しい店長のことだ。俺がミスした軒数を、隠しているのだろう。

 きっと、10軒以上はあるな。

 クソッ……配達ミスなんて、したことないのに。

 

「琢人くん、何か悩みがあるんじゃないの? 良かったら、僕に話してよ。君をこのまま、配達に行かせていいものか……とても不安なんだ」

「そ、それは……いえ。大丈夫です! 今日こそ、ちゃんとやって見せますので!」

「本当なんだね?」

「はい……」

 

 初めて店長の怒っている顔を見た気がする。

 きっと俺が悩みを、店長に打ち明けないから、心配しているのだろう。

 

  ※

 

 その日の配達は、何時になく慎重に行った。

 何度も何度も、配達先の家を確認し、ポストに入れた後も戻って見たり。

 2時間で終わるはずの仕事に、3時間も使ってしまった。

 それだけ、参っていたのだと思う。

 

 配達を終えるころには、もう朝になっていた。

 いつもなら、まだ薄暗い道路を走っている頃なのに……。

 

 でも、今日は間違いなくミスをせず、仕事を終えられただろう。

 安心していた。

 

 あとはこのバイクを配達店まで走らせ、店長に報告すれば、家に帰られる。

 すごく疲れた……。

 帰ったら、ぐっすりと眠れそうだ。

 

 閑静な住宅街をバイクで走っていると、何時になく、車が多いことに気がつく。

 そうか……もう朝の7時だから、通勤ラッシュか。

 国道に入ると、渋滞が起こっていた。

 

 しかし、俺はバイクだから、道路の隙間を走れば良い。

 さっさと渋滞を抜けて、帰ろうと思ったが。

 最後に大きな交差点を右折しなければ、いけなかった。

 

 ただでさえ、みんなイライラしている通勤ラッシュ。

 無理して右折しようとすれば、反対側からクラクションを鳴らされる。

 信号が黄色になったら、ゆっくりと曲がろうと待っていたが。

 

 俺の後ろにいた車から「早く行けよ!」と怒号が聞こえてきた。

 

「ちっ、何を生き急いでいるんだか……」

 

 仕方なく、右折しようとした時。

 ちゃんと辺りを、確認していてなかったのだろう。

 視界に入っていなかった。

 

 横断歩道を、若い母親と男児が歩いている。

 このまま曲がれば、彼らに激突してしまう。

 

 俺は咄嗟にブレーキをかけて、急停止した。

 その間に親子は横断歩道を渡り、ホッとしていると……。

 巨大なトラックがこちらへ向かってくる。

 運転しているおっさんが、一生懸命、なにかを伝えようとしているが。

 こちらには、聞こえない。

 一瞬の出来事だった……。

 

 それからの記憶は、とても曖昧で。

 

 アスファルトの上で倒れている俺と、ぐしゃぐしゃになった愛車。

 たくさんの人が、地べたに寝転がっている俺を囲む。

 

 みんな青ざめた顔で、俺に声をかけていた。

 ただ、何を言っているのか、サッパリ分からん。

 

 気がつけば、頭に白いヘルメットを被ったお兄さんたちが登場。

 俺を担架に乗せて、どこかへ連れて行く。

 

 けたたましいサイレンと共に、その車は発進する。

 

 薄れゆく記憶のなか、最後にその名を口にした。

 

「ミハイル……」



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457 ラブコメでも、修行は必要です。

 

 ピッ、ピッ、ピッという電子音が一定のリズムで、どこからか聞こえてくる。

 

 ここはどこだ?

 頭が酷く痛む……それに何かが、俺の胸に覆いかぶさっているようだ。

 手で外そうと試みたが、力が入らない。

 

 瞼を開こうとしても、接着剤でもつけたかのように重たく感じる。

 

 とりあえず起きなきゃいけないと思って、上半身を起こそうとした瞬間。

 先ほどまで流れていた電子音のリズムが激しくなる。

 

「あぁ……」

 

 何かを話そうとしてみたが、これも上手く出来ない。

 口をマスクで塞がれているからだ。

 マスクの先端には管が繋がれており、強い風が流れてくる。

 

 薄っすらとだが、辺りが見えるようになってきた。

 

 ここは全てが白い。

 壁も天井も、だだっ広い部屋を忙しそうに走り回る看護婦たち。

 

 頭の中に靄がかかったようで、スッキリしない。

 一体、俺は何をしでかした。

 

 そう思っていると、一人のナースと目が合う。

 

「あっ!? 起きちゃダメだって!」

「……?」

 

 その声に気がついた他の看護婦も、慌てて俺の元へ駆けつける。

 

「寝てなさい! 薬が効いているから!」

「そうよ! 君は交通事故で搬送されたの! 絶対安静なの! 分かる?」

 

 叩きつけるような勢いで、俺をベッドに寝かせるナースたち。

 

 左上にかけられた点滴の袋を確認しながら、看護婦が説明してくれた。

 

「あなたは、数日前にこの真島総合病院……の近くで交通事故にあったのよ。詳しいことは後で先生が話してくれるから。まだじっとしてなさい!」

 厳しく注意されたから、黙って頷いて見せる。

「じゃあ、安静にしていてね。ミハイルくん」

 

 今、なんて言った?

 トラックに轢かれて、ミハイルに転生したとか……。

 

  ※

 

 ナースが言った通り、数時間後、担当医が現れた。

 軽く質問をしたあと。触診したり、脈を計ると。

 近くにいたナースへ指示を出す。

 

「この子、ミハイルくんだっけ? もう、個室へ移動させていいよ」

 だから何故、名前がミハイルで登録されているんだよ。

「分かりました」

 

 なんの薬かは分からんが、効果が無くなってきたようだ。

 意識もハッキリしているし、視界も良好。

 

 4人のナースさんが、俺のベッドを囲むと。

「今から個室へ移動するから、そのまま寝ていてね」

 と言われた。

 

 自分で歩こうと、ベッドから降りようとしたらすごく叱られた。

 この年で若いねーちゃんに介護されるとか……屈辱だわ。

 

 仕方なく、黙ってナースさんに『お神輿』をしてもらうことに。

 寝たままガラガラと廊下を走り回る。

 途中エレベーターを使って、移動すること10分ほど。

 

 ようやく、個室へ到着した。

 部屋に入るとベッドの各キャスターをロック。

 そのあと、俺の身体についていた様々な管や機材を外してくれる。

 これで身体が軽くなった……と思ったが。

 

 そうでもない。

 俺の左脚は、頑丈なギブスで固定されていた。

 つまり、歩けないってわけだ。

 参ったな……次のスクリーングも近いってのに。

 

  ※

 

 ナースさんたちが出て行くと。

 入れ替わるように一人の女性が、ノックもせずに入ってきた。

 

 ボディコンのミニワンピースを着た淫乱女。

 こちらをギロっと睨んでいる。

 

「おい、何日人を待たせる気だ?」

「……え?」

 

 ようやく声を出すことに成功した。

 ずっとマスクをつけていたから、喉が乾燥していて、かすれている。

 

「とりあえず、意識が戻ったと聞いたから……一発、殴らせろ」

「な、なにを……」

 

 ツカツカと音を立てて、こちらへ向かってきたと思ったら。

 途中から走り出し、勢いをつける。俺の頬へ目掛けて、ストレートパンチをお見舞い。

 

「がはっ!」

 

 こっちはケガ人だぞ! と叫ぼうと思ったが、そんな気はすぐに失せてしまう。

 殴った本人はベッドの上でうずくまり、泣いていたから。

 

「バカ野郎……死んでどうするんだ。これ以上、心配させるな」

 

 俺は彼女の頭に触れてみた。

 小刻みに震えている。

 

「せ、先生」

「うう……死ぬことなど、絶対に許さんからな」

 

  ※

 

 しばらく、俺の膝で泣いていた先生だったが……。

 近くにあったテイッシュを数枚掴むと、勢いよく鼻をかむ。

 

「チーン! あ~、すっきりしたぁ♪」

 

 まだ鼻水が顔についているよ。

 汚ねぇ、大人。

 

「先生……俺どれぐらい、意識がなかったんですか?」

「まあ、そう慌てるな。お前は交通事故により……。脳震とう、左脚の骨折及び裂傷で、この病院へ担ぎ込まれたのだ」

「事故ですか」

「うむ。トラックに轢かれたようだが、新宮の位置がもう少しズレていたら。おっ死んでいたらしいぞ」

 

 先生は警察から聞いた情報を元に、色々と説明してくれた。

 事故から、既に3日経っているらしく。

 左脚の外科手術のため、麻酔を使ったらしいが。

 それよりも、身体の衰弱が激しく……医師から栄養を補う点滴を、指示されていたそうだ。

 

「これを見ろ、新宮」

 先生はそう言うと、真っ二つに割れたヘルメットをベッドの上に置いてみせた。

「あ、俺の……」

「そうだ。奇跡的に助かったが、トラックの運転手がブレーキをかけなかったら……お前の頭は、こうなっていたんだ!」

「……」

 

 先生はすごく怒っていた。

 この怒りは、新聞配達の店長と同じ感情だ。

 心配してくれたのだろう。

 

「あのな、新宮。私はお前が必要だ。生徒してな。今までどんな大人たちがお前を見捨てて、学校から逃げたのか。私には理解できん。それでもだ。私はどんなことがあっても、お前たちを見捨てることはない!」

「はい……」

 気がつくと、熱い涙が頬を伝う。

 

「たかが、恋愛の一つで死ぬなんて絶対に許さん! いいか、新宮。今回の事故を機に踏ん切りをつけるんだ! 生まれ変われ!」

「え……どういうことですか?」

「決まっているだろ。古賀のことで、自分を見失っているお前を元に戻す。いや、以前よりも強くなるのだ! 一ヶ月以上、入院するんだから。自分を磨いて、古賀への想いを、ちゃんと伝えられるようにな」

「は?」

 

 なんで、宗像先生にそこまで決められてしまうんだ。

 でも、確かに……以前の健康な身体を、取り戻さないとな。

 また事故っちまう。

 

「あと、ちなみに今から私は教師として、お前を24時間監視するからな」

「はぁ!? どうしてそんなことに……」

「だって今、女装した古賀が来たら、お前はどうする気だ?」

「それは……」

「アンナとして接するんだろ? ならば、ダメだ。家族以外の面会は禁止とする!」

 いや、それを言うなら、あんたも面会しちゃダメだろ。

 

「どうしてですか?」

「お前の気持ちが中途半端なせいだ! 相手を傷つけまいと、下手な嘘をつく。だから、このような事態に陥ったのだ! そうなれば、古賀も巻き込まれるぞ、分かっているのか? 自分の立場を」

「はい……」

 

 先生の言う通りだ。

 もし、俺が死んでいたら、ミハイルやアンナは……。

 

「新宮。そろそろタイムリミットだ、ちゃんと自分の意思で選べ」

「選ぶ?」

「ああ……男のミハイルか、女のアンナかをだ」

 

 どっちもは、選べないんだよな。



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458 生まれ変わり

 

 宗像先生は今夜から早速、この個室で寝泊りするそうだ。

 部屋には、折り畳み式の簡易ベッドが備えてあり、それを使うらしい。

 

 俺が意識を取り戻して、数時間経ったが……。

 先生以外、誰も部屋に訪れることはなかった。

 

「そういえば、先生。家族以外は面会禁止なんですよね?」

「ああ、それがどうかしたか?」

「どうかしたって……なんで、他人の先生が来ているのに。俺の家族は見舞いにすら、来ないんですか」

「え? それはアレだろ? お前のお母さんが、育児で忙しいからだろ?」

「い、育児……?」

 

 一体、誰を育児しているってんだ。

 

「お前の妹さん。大変なんだろ?」

「妹って……かなでは、もう高校生ですよ。一人で色々とやれますよ」

「違うよ。そっちの子は養女だろ? 最近、産まれたもう一人の方だよ」

「は……?」

「なんでも、18年ぶりのお産だから、大変だったそうじゃないか。今は、中洲のおばあちゃん家でお世話になってるらしいな」

 

 ちょっと待ってよ。

 誰の子?

 母さんが妊娠していただと……。

 

 そういえば、最近母さんの姿を見ないと思っていたが。

 まさか、里帰り出産だったのか?

 

 当たり前のことだが、どうしても疑いがあったので、質問してみた。

 

「その妹って、父親は誰ですか?」

「はぁ? そりゃ、お前のお父さんだろ。名前もお父さんが決めたって聞いたぞ」

 

 ファッ!?

 六弦の野郎……たまに帰って来て、激しく愛し合っていたと思ったら。

 ちゃんと、避妊しとけよ! ガキじゃないんだから。

 一体、何を考えているんだ。あの親父。

 

「へ、へぇ……それで名前は?」

「うむ。やおいちゃんって言うらしいぞ」

「……はぁあああ!?」

 

 これには入院中の俺でも、ブチギレてしまった。

 

「なんだ? いきなりうるさいな。可愛らしい名前じゃないか」

 どこがだ! その名前でよく役所に通ったな。

「先生は意味を知らないからでしょ? 子供につける名前じゃないですよ!」

「そうか? でも、戸籍上は“やよい”らしいぞ」

「な、なら、どうして……?」

「やよいって呼びかけると、泣き叫ぶそうだ。そこで、おばあちゃんがやおいちゃんと言ってみたら、落ち着いたそうだ。だから、やおいと呼ぶことにしたらしい」

「……」

 

 ばーちゃん、もうやめてよ。

 これ以上、被害者を増やさないで。

 

 その後、宗像先生から詳しい話を聞くと。

 母さんは実家の中洲で、寝込んでおり。

 代わりに、ばーちゃんが俺の妹であるやおいのお世話をしているそうな。

 

 なんて、かわいそうな妹だ。

 きっと今頃、ばーちゃんお手製のBL絵本で洗脳されているに違いない。

 

  ※

 

 それから数日後。

 宗像先生は、スクリーングのために一度、学校へ行くことになった。

 

 折れた脚や傷を治すのも当然だが。

 それよりもまずは、ちゃんと食事を取れるようにならないと。宗像先生からきつく注意された。

 

 だが……ベッドテーブルに置かれた病院食は、一切手をつけていない。

 病院の食事だから、薄味というのもあるが。

 それよりも、まだ胸の痛みが激しく、喉を通らない。

 

 部屋の奥から、扉をノックする音が聞こえてきた。

 若いナースさんが、新しい点滴の袋を持って、問診に訪れた。

 俺が未だに食べられないので、栄養を補う点滴は外せないらしい。

 

「あらぁ、また食べてないじゃない。ミハイルくん、ダメでしょ!」

「すみません……」

 

 俺が病院に担ぎ込まれた際、ずっとミハイルの名を呼び続けていた為、そのまま登録されてしまった。

 

「そんなんじゃ、また高校の先生に怒られるよ? ずっと看病してくれる良い先生じゃない~ 今時あんな教師いないよ」

「はい。頭では分かっているんですけど。どうしても食べられないんです……」

「困った子ね。あ、違ったらごめんね。ひょっとして、恋わずらいとか?」

 

 ギクッ! なぜ女性には、すぐにバレるんだ?

 

「その……はい」

 もうめんどくさいので、認めてしまった。

「はは、若いねぇ。いいなぁ~ ならちゃんと、相手に想いを伝えるためにも、しっかり食べなきゃ」

「がんばります」

「そうだよ。健康になったら、当たって砕けておいで♪」

 

 なぜ、砕ける前提なの?

 看護婦だってのに、酷くね。

 

「じゃあ、また何かあったら言ってね。食べられるようになったら、点滴の交換も無くなるから。あ……それとさ、ミハイルくんって、全然ハーフぽくないね」

「……」

 

 当たり前だろ。

 

  ※

 

 夕方になり、宗像先生が病院に戻ってきた。

 かなり不機嫌そうだ。眉間に皺をよせ、簡易ベッドにダイブする。

 

「あ~、疲れたぁ」

「お疲れ様です。どうでした?」

 

 特に悪気はなかったのだが、その言葉で先生に火がついてしまう。

 

「どうかしただと? 新宮っ! 全部、お前のせいだ!」

「え、俺の?」

「ああ……これを見てみろ」

 

 先生は自身のスマホを、ベッドテーブルの上に置いて見せる。

 

 画面を確認してみると、遠くから誰かを撮影した写真だ。

 

「あ、アンナ……?」

 

 ツインテールの金髪美少女が、ベンチに座っている。

 前回、俺とサンドイッチを一緒に食べたあの場所だ。

 

 ひとり、しかめっ面で何かを咥えている。

 チェック柄のミニワンピースに、リボンのついたローファー。

 相変わらずガーリーなファッションで、可愛らしい。

 

 しかし問題がある。

 その態度だ。

 

 女装している時は、完全に女として演じるのがアンナだ。

 だが、この写真ではガニ股で、パンツが丸見え。

 今日は白か……じゃなかった。

 なんでこんなにガラが悪いんだ?

 

「せ、先生……これは一体?」

「見りゃわかるだろ? タバコを吸っているんだよ」

「なっ!?」

 

 もう一度写真を確認すると、口に咥えているのは白いタバコだ。

 当然、火がついている。

 

「どうしてタバコを吸っているんですか!? ミハイルはもう喫煙者じゃないですよ!」

「そんなのものは、私が知りたいぐらいだ。あんなに素直で可愛い古賀だったのに……。新宮が事故で一ヶ月以上、入院。面会もできないと伝えたら、一気にグレてしまったんだ!」

「えぇ……」

 

 その後、先生に「もう一枚の写真も見てみろ」と言われたので、画面をスワイプしてみる。

 全日制コースの男子たちが、アンナを囲み。

 何やら、いやらしく笑っている。

 

「古賀がパンツ丸見えの状態で、タバコを吸っていると話題になってな。三ツ橋高校の生徒たちがナンパに来たのだ」

「そ、それで?」

「答えは最後の写真を見ろ」

 

 恐る恐る、次の写真を見てみると。

 

 ボコボコにされた全日制コースの男子たちが、アスファルトの上で倒れていた。

 可愛らしいツインテールの少女が、体格の良い少年の胸ぐらを掴んで、睨みつける。

 そして、少年の瞳に向かって、火のついたタバコを近づけようとしていた。

 

「私が止めなかったら、危なかったぞ」

「え……?」

 

 宗像先生は咳ばらいした後、ブリブリした女を演じてみせる。

 

『ねぇ☆ あなたの瞳、涙でいっぱいだから。このタバコの火を消すのにちょうど良いよね☆』

 

 と脅したらしい。

 

「新宮、やはりお前らはどちらが欠けると、全然ダメだ。さっさと身体を治せ!」

「は、はい……」



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459 訪問者

 

 入院して、1週間が経った。

 だが依然として俺の治療は、思うように行かず。

 病院食を口にしても、たった数口で終わってしまう。

 

 

「また食えなかったのか?」

 宗像先生は何度も同じ光景を見て、苛立ちを隠せない。

「はい……味がしなくて」

「味がしないねぇ。恋わずらいのくせして、格好つけてんじゃないぞ」

「別に、そんな意味では……」

 

 俺だって食おうと思っているのに、身体が受け付けないんだ。

 

「そうか。ま、新宮がそんな状態なら、私が奪ってもいいってことだな」

「へ? なにをですか?」

「ふふふ……」

 俺がそう尋ねても、先生は不敵な笑みを浮かべているだけ。

 

 

 宗像先生は自身のスマホを取り出すと、誰かと電話を始めた。

 

「おう、私だ。この前教えたところまで持って来てくれ」

 

 通話を終えると、先生はニヤニヤ笑いながら、俺を見つめる。

 

「ヒヒヒッ」

 

 き、気味が悪いな。

 

  ※

 

 病院の食事は、いつも早めに届けられる。

 これぐらいしか、楽しみがないから……だとナースさんが話してくれた。

 

 今日の昼ご飯はカレーライス。

 美味そうだが……やはり今の俺じゃ無理だ。

 ひと口で諦めてしまう、ヘタレぷり。

 

 その時、部屋の扉が勢い良く開いた。

 宗像先生が満面の笑みで、大きな弁当箱を持って入ってくる。

 

「だぁはははっははは! お昼だ、お昼っ! やはり外食よりも、人が作った料理に限るぞ!」

 

 この人に料理を作ってくれる相手なんて……いないだろ。

 

 簡易ベッドの前に、ローテーブルを持ってくると。

 わざとらしく、弁当箱のふたを開いてみせる。

 

「おおおっ! こりゃすごい! 愛の詰まった弁当だ」

 

 気になった俺は、ベットから身を乗り出す。

 覗き込んで見ると、確かに作った相手の優しさを感じる弁当だ。

 

 タコさんウインナーに、玉子焼き。ハンバーグに焼き鮭。

 そして、びっしりと埋められた白米には、大きなハートが何個も並んでいる。

 何だ? この異常な女子力は。

 

「いただきまぁ~す!」

 

 と言いながら、ハイボール缶を取り出す宗像先生。

 

「かぁ~ うめぇ! 今度から毎日これをつまみに飲めるなんて、教師になって良かったぁ♪」

 

 その言葉を聞いて、ようやく気がついた。

 先生が持ってきた弁当……アンナが作ったな。

 

「ちょ、ちょっと! なんで先生がアンナの作った弁当を、食べているんですか!?」

「あぁん? そりゃお前が悪いんだろ。真面目に食事を食べないから、ケガも治らない。一生、ここで過ごす気か? その点滴くんと」

 

 そう言うと、点滴の袋を指差す。

 

「うっ……それは」

「これを食いたいなら、さっさと病院食ぐらい食べてみせろ。まず、それからだ」

 

 クソっ!

 人の女を女中扱いかよ……。

 

「分かりましたよ! 食べます、食べりゃ良いんでしょ!?」

「おほ~ 怒ったか? そりゃあ良いことだな。怒るってのも意外とパワーが必要だからな♪」

 

 先生に煽られて、見事この日のお昼ご飯は、全て完食した。

 

「やりゃあ、できるじゃないか」

「ハァハァ……こんなことを毎日、続ける気ですか?」

「当たり前だ。お前が治るまでずっとな。それから、新宮。忘れていたけど、この弁当を作った本人だが。今この病院の1階にいるぞ」

「えっ!? アンナが?」

 

 驚きのあまり、飛び起きるが、先生に身体を抑えられた。

 

「この空になった弁当箱が帰ってくるのを、ひたすら待っているそうだ……私ではなく、新宮が食べてくれると願ってな」

「そ、そんな……じゃあ先生は、騙したんですか? アンナを」

「騙したというより、お前らのためを思ってやった行動だ。結果的に、新宮も病院食を完食できたし、古賀も安心できるだろう」

「……」

 

 確かに先生の言う通りだ。

 例え、汚いやり方でも。

 

「古賀は喜んで引き受けてくれたぞ。『タッくんのためなら、毎日行きますっ!』てな」

「アンナ……」

 

 俺のせいで、こんなことに。

 

「ということでだ! 新宮、お前がしっかり食べられるまで。私はずっと古賀の愛妻弁当を毎食、奪ってやる。あぁ~、今から夜が楽しみだ。あいつの作る料理はつまみに丁度、良いんだよ」

「こ、この……」

 

 拳を作ったが、すぐに引っ込める。

 込み上げてくる怒りは、全て明日へ向けよう。

 そのために、どんな料理でも腹にぶち込むんだ。

 

  ※

 

 それから毎日、目の前でアンナの弁当を、美味そうに食べるところを見せつけられた。

 宗像先生に煽られたからではないが、俺も負けじと病院食を残さず、完食する。

 

 日に日に、体重は戻っていった。

 ただ病院の食事を食べているだけなのに、体重は55キロほどに上がっている。

 元の体重より、まだ痩せているが……。

 随分、身体を動かしやすくなった。

 

 並行して、折れた左脚のリハビリも開始している。

 この調子で行けば、あと3週間ほどで退院できるらしい。

 

 だが、そんな俺を見ても、宗像先生は満足していなかった。

 むしろ、不満そうだ。

 

 食事を取れるようになって、身体も回復してきたところで。

 先生が今まで溜まっていたレポートや、前期のテストを持ってきた。

 

 退院する前に全て書き終えろ、と注意された。

 仕方なく、デスクテーブルの上でレポートの空欄を埋めていく。

 

 以前は公式のラジオを聴きながら、問題を解く……というか、答えを教えてもらい。

 レポートを書いていたが。

 今はもうそれすら、面倒くさくなって、教科書も読まずに、答えを書いている。

 前後の文章を読んでいれば、なんとなく分かるからだ。

 だって所詮は、義務教育の下級生レベルだよ?

 

 

 一人で黙々と勉強を続けていると、部屋の奥から扉をノックする音が聞こえてきた。

 

 ナースさんの問診かな?

 でもいつもより、早いし……。

 今は宗像先生が部屋にいないので、大声で叫んでみる。

 

「はーい! 開いてますよ!? どうぞ~!」

「……あの、本当に入っても良いかな?」

 

 ん? なんだこの控え目な話し方は。

 

「失礼ですが、どなたですか!?」

「お、オレだよ……タクト」

「はっ!?」

 

 まさか……でも、アイツとは絶交したはずだ。

 

「ミハイルだよ、入ってもいい?」

「……ああ、もちろんだ! いや、入ってくれ!」

 

 なんてこった。アイツ自ら、赴いてくれるなんて。

 そうか。俺が交通事故にあったから、心配してくれたんだ……。

 

 この時、俺の心臓は高鳴っていた。

 大きな胸の穴も、どんどん塞がっていく気がする。

 俺にとって、そんなに大事な人間だったのか……。



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460 愛さえあれば、性別とか関係ないよね!

 

「た、タクト……入るからね?」

「おう」

 

 緊張から生唾を飲み込む。

 このドアが開いたら、ミハイルが立っている。

 彼と別れて、何十年も経ったような感覚だ。

 それだけ、ミハイルがいない時は辛く、耐えられないものだった。

 

「久しぶり。タクト☆」

「み、ミハイル……」

 

 金色の長い髪は、首元で結い、纏まらなかった前髪を左右に垂らしている。

 肩だしのロンTを着ていて、中には黄色のタンクトップが見える。

 ボトムスは、デニムのショートパンツ。

 そして、細く長い脚……と表現したかったが、ここまでだ。

 

 なぜかと言うと、肌の色が美しくない!

 ミハイルの……透明感のある白い肌ではなく。ちょっと肌が焼けている。

 太ももには青あざが目立つ。

 

 足元も、若者らしい真っ白なスニーカーを履いているが。

 違和感が半端ない。

 

「タクト☆ 事故だって聞いたから、心配で来たんだよ!」

「あ、そう……」

「どうしたんだよ~ オレが来たのに、嬉しくないの?」

 

 俺のベッドに近寄るとしゃがみ込み、上目遣いで話す。

 人工的に作られた、エメラルドグリーンの瞳を輝かせて。

 

「嬉しいですよ。すごく」

「なんで、けーごを使うんだよぉ~! オレたちマブダチだろぉ~!」

 

 ポカポカと俺の胸を殴ってみせるアラサー女史。

 

 そうだ。こいつはミハイルとは、程遠い生き物だ。

 よく見れば、金髪の長い髪はヅラだ。

 そりゃそうだろ。今のミハイルは、ショートカットだし。

 ファッションも彼に寄せてはいるが……デカすぎる胸で、パツパツだ。

 

 あ~、マジで女じゃなかったら、ボコボコに殴ってたわ。

 人の純情を弄びやがって。

 

 

「宗像先生……これは一体なんの授業ですか?」

「え? 何を言っているの、タクト。オレは心配だから、病院に来たんだよ☆」

 このクソ教師、まだ続ける気か。

「もうそのお芝居は不要です。バレてますから」

「チッ……なんだ。もうバレたのか」

 

 そう言うと先生は、被っていた金髪のヅラを脱ぎ、簡易ベッドに腰を下ろす。

 目につけていたカラコンを外すと、身体を横にして休む。

 

「はぁ~ せっかく新宮が元気になるよう、わざわざコスプレしたのにな」

「色々と無理がありましたよ。ミハイルはもっと可愛いですっ!」

 これだけは、語気を強めてしまう。

 

「あっ? 私が可愛くないってか?」

「いや……そう言う意味じゃなくて」

「フンッ! でも、これで少し分かったんじゃないのか?」

「え? 何がですか?」

「新宮、お前の気持ちだよ」

「俺の……?」

 

  ※

 

 ヅラとカラコンを外したから、顔だけは宗像先生に戻っている。

 だがファッションは、ミハイルのままだ。

 正直、服のサイズが全て小さいから、パツパツ。

 ショーパンからは、紫のレースがはみパンしている……。

 しんどっ。

 

 しかし先生は、そんなことは気にせず、真面目な顔つきで俺に語りかける。

 

「なあ、新宮。お前と古賀がこういう関係になった原因は何だ?」

「え、原因って……」

「問題が起きたとしてだ。必ず何らかの原因があるはずだ。告白は古賀からしたんだろ?」

「そうです。でも、女じゃないから付き合えない……と断りました」

「ふむ……そこじゃないか? お前たちが歪み始めたのは?」

「へ?」

 

 何か思いついたようで、急に簡易ベッドから立ち上がる先生。

 そして、病室の窓に近づき、オレンジ色に染まった夕陽を見つめる。

 

「女だったら付き合える……という、新宮の答えがまず有り得ない」

 

 なんて、格好をつけているが、デニムから尻がはみ出ているので辛い。

 でも真面目に考えているから、とりあえず黙って話を聞こう。

 

「新宮が古賀のことを『カワイイと思ったから』と言ったことから、始まったんだよな……。まず同性に対して、こんな感情を抱くことがおかしくないか?」

 

 そう疑問を抱くと、先生は急に振り返る。

 何かに気がついたようだ。

 

「あ、あれは……」

 

 言葉に詰まる。

 だが先生の言う通りかもしれない。

 でも、このままでは俺がノン気じゃないみたいだ。

 否定しておこう。

 

「あ、あの時はミハイルが……まだ女だと思い込んでいたから、そう感じたし。本人にも言ってしまいました。でも同性と分かったからには……」

「分かったから、古賀の告白を断ったのか?」

「はい……」

 

 なんだか俺が責められているようで、胸が痛む。

 

「しかし、女に生まれ変わったら付き合える。とも言ったな」

「そうです……」

「新宮。そんなことを他の男たちに言えるか? クラスメイトの千鳥や日田兄弟でも良い。想像してみろ。私が同級生の日葵(ひまり)やヴィクトリアに告白されたら、嘔吐している可能性が高い」

 

 先生に言われて、頭の中で想像してみる。

 

『なあ、タクオ! ほのかちゃんにまた振られたんだ……だから、一晩だけでいいから、なっ!』

『そ、そんなこと……やめっ、ダメだってば』

 

 リキなら、別府温泉で処女を捧げたから、一晩ぐらい許してもいいような。

 って、ダメダメ!

 俺はノンケだ。

 

 

「あ、有り得ないです……ミハイルはカワイイから、女装も受け入れられたと思います」

「そうか。となると、もうあまり考えなくて良いんじゃないのか? 新宮、お前は間違いなく、入学式で古賀 ミハイルを見て、カワイイと思った。これに間違いはないな?」

「間違いありません……」

「ならば、それが真実なのだろう。きっとアンナという女が生まれたのは、新宮の照れだな」

「て、照れですか?」

「そうだ。お前は男の古賀に告白された時、自分をノンケだと信じたいから、照れ隠しをしたのだろう。初めての経験だから、仕方ないと言えばそうなるが……」

 

 何故か、宗像先生の言うことに反論できない。

 もちろん、納得はしていないが。

 だが、当たっていると思ってしまった。

 

「新宮。別に、誰が誰を好きになっても良いじゃないか。もっと自分の気持ちに、素直になったらどうだ? お前は自分にも古賀にも嘘をつき、傷ついた。ならもう、どうでも良くないか?」

「何がですか?」

「ま、世に言う。ゲイだの、バイセクシャルだの……ってやつだ」

 

 実質、俺がノンケじゃないと宣言されたようなものだ。

 確かにずっと認めたくなかった。

 初めて好きになった相手が、男だなんて。

 

「じゃあ俺は……」

「そこで自分を否定するな。私が言いたいのは、新宮が誰を好きかって話だ」

「俺が好きな相手?」

「うむ。お前がこの世で一番、カワイイと思った相手だ。ここが重要なポイントじゃないか」

「カワイイ……」

 

 そう言われると、一番最初にカワイイと思ったのは。

 俺が決断する前に、先生は俺の肩を掴み、優しく微笑む。

 

「新宮。大事なのは愛だ。この世は全て、愛で形成されている」

 何をいきなりスケールのデカい話にすり替えているんだ?

「愛?」

「そうだ。愛さえあれば、お互いの相性さえ合えば……全てを乗り越えられるのだ!」

「つまり……先生が言いたいのは、性別の壁も」

「うむ、玉と竿。あと尻さえ揃えば……とりあえず十分だろっ!」

 と親指を立てるクソ教師。

 

 せっかく何かを掴みそうだったのに……台無しになってしまった。



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第五十四章 最後の取材
461 それでも、ノンケだと言い張る男


 

「俺はノンケだ……間違いなくノーマルで、天才な男」

 

 ひとり、天井を見上げながら、呟く。

 もう病院の個室ではない。

 

 我が家に無事、帰宅できたのだ。

 その証拠に自室の天井は、入院前と変わらず、ミハイルの写真で覆われていた。

 どこに目をやっても、必ず男のミハイルがいる。

 

 しかし、敢えて言おう。

 

「ノンケだ!」

 

 と天井に向かって叫ぶ。

 

 宗像先生から教わった……。

 俺が誰を一番好きかということ。至ってシンプルな話だ。

 一方で先生は、俺がゲイを否定している事も考慮した上で。

 世間体など気にするな、と言いたかったのだと思う。

 

 それからだ。

 肩の荷が下りた気がして、何もかもが前向きに進み始めたのは。

 

 病院食も毎食、全て完食できるようになったし。

 ついでに宗像先生が持ってくるアンナの手料理も、半分以上貰って食べていた。

 

 俺が元気になってきたところを見て。宗像先生からリハビリと称して、激しい筋トレを強いられた。

 腕立て伏せ、腹筋。背筋にスクワットを各30回、一日3セット。

 片脚が折れた状態でも、やらされた。

 

「相手に想いを伝えられるぐらい、強靭な肉体を手に入れるのだ!」

 

 と昭和的な考えで、スパルタ教育されてしまった……。

 

 俺はようやく回復した……いや、強い男に生まれ変わったのだ。

 身体を鍛えたことにより、考え方も変化する。

 

 自分はあくまでもノンケだが、好きになった人間がたまたま男だった。

 という考えを受け入れることにより、前へ進める。

 

 ならば、あとは簡単だ。

 ジーパンのポケットからスマホを取り出し、相手に電話をかける。

 

 

『……もしもし?』

 弱々しい声だ。心配させてしまったからな。

「久しぶりだな、アンナ」

『タッくん!? げ、元気にしていたの? 宗像先生が全然、会わせてくれなかったから……』

 

 俺が退院したことは、家族と先生以外知らない。

 敢えて、情報を制限したのだ。

 しっかりとお互いの間で、ケリをつけるまで、接触することは禁止する。

 そう宗像先生に厳しく注意された。

 

 でも、今は違う。ちゃんと準備が整ったから。

 

「悪かったな、アンナ。色々とあったが、ちゃんと無事に退院できたんだ。弁当も毎日ありがとう」

『良かった……本当に……』

 受話器の向こう側から、すすり泣く声が聞こえてくる。

 

「その礼も兼ねて……いや、やはり正直に言うよ。明日、久しぶりに取材しないか?」

『え? 取材……』

「ダメか?」

『ううん、ダメじゃないよ。でも、退院したばかりなのに、大丈夫なの?』

「心配するな。むしろ元気が有り余っているぐらいだからな、ハハハっ!」

『そう、なんだ……わかった。じゃあ、明日博多で会おうね』

「ああ」

 

 電話を切ったあと、俺はなんとなく手ごたえを感じ、拳を作っていた。

 

 ここまでは、計画通りだ。

 あとは、本番次第。もうあんな不幸が続くことのないように……。

 

  ※

 

 デート当日、博多駅の中央広場へ向かった。

 春の間はほとんど、病院で過ごしていたので。久々に人ごみを見て、懐かしさを感じていた。

 1年前のデートを。

 

 いつも通り、黒田節の像で彼女を待つ。

 俺のファッションは相変わらず、タケノブルーのTシャツに、ジーパン。

 入院をきっかけに筋トレを続けているから、ちょっとサイズが小さく感じる。

 

「タッくん~!」

「ん?」

 

 甲高い声が聞こえてきたので、そちらに視線を向けると。

 

 そこには、ツインテールの金髪美少女が立っていた。

 肩あきの白いブラウスで、胸元にはいつもより大きなリボンがデザインされている。

 ボトムスは珍しく、ブルーのミニスカート。

 こちらもウエストにリボンが二つ並んでいる。

 

 初夏にピッタリの色合いだ。

 可愛い……。

 

 久しぶりに見た彼女を見て、言葉を失う。

 

「……」

「タッくん? どうしたの? まだ脚が痛むの?」

 

 緑の瞳を潤わせて、俺の顔を覗き込む。

 

「あ、悪い……久しぶりに会えて嬉しくてな。やっぱりアンナは、いつ見ても可愛いなと思って」

 つい本音がポロリと口からすべってしまう。

「そんな、タッくんたら……」

 案の定アンナは顔を真っ赤にして、視線を地面に落としてしまう。

 

「はははっ! 今日はアンナに日頃の感謝を込めて、デートしたくてな。いっぱい博多で楽しもう! とりあえず、カナルシティに行かないか? イチ押しの映画があって……」

 と言いかけた瞬間、彼女が俺の胸に飛び込んできた。

 

「うう……本当に心配したんだから。タッくんが死んだんじゃないかって、すごく怖かった! 毎日、毎日神様にお祈りしていたんだよ!」

 顔は見えないが、どうやら泣いているようだ。

「すまん、アンナ。なかなか連絡も取れず……」

「もう絶対に、遠くへ行かないで。タッくんのいない世界なんて、いらない!」

「ああ、そうだな」

 

  ※

 

 しばらくアンナを慰めること20分。

 彼女も落ち着いてきたので、再度今日の目的地であるカナルシティへ向かうことに。

 

 はかた駅前通りを二人で歩きながら、俺は今日のデートプランを説明する。

 

「今日はな。とある有名な映画を観ようと思うんだ。アンナも聞いたことないか? 恋愛映画の名作『大パニック』を」

「アンナ、知らない……」

 

 どうもテンションが低いな。

 

「俺も昔、DVDで観たけどすごい映画なんだ! 上映時間が3時間を越える超大作なんだが、そんな時間も忘れてしまうぐらい楽しめる作品でな。今回、リマスター版を劇場で観られるんだ」

「そうなの。でもタッくんにしては、珍しいね」

「へ?」

「だって、いつもは恋愛映画とか観ないんでしょ? タケちゃんの映画ばかり、観ている気がするよ?」

「それは……」

 

 痛いところを突かれてしまった。

 彼女の言う通りだ。

 俺は普段から、恋愛映画なぞ好んで観ることはない。

 

 今回のデートだから、敢えて選んだ作品だ。

 

「タッくん。何か隠してない?」

「か、隠してないぞ! 心配するな、俺は入院してしまったが、この通り。見事強くなって帰ってきたのだ!」

 とTシャツの袖をまくり、少し膨らんだ上腕二頭筋を見せつける。

 だが、彼女の反応はいまいちだ。

 

「なんか、タッくんらしくない……前のタッくんの方が良かった」

 えぇ……強い男の方が良くね?

「そうか? 宗像先生に鍛えられて、今度こそアンナを守れる男に……」

 言いかけたところで、彼女に遮られる。

「望んでない! アンナはそんなこと、望んでないもん! ただタッくんと一緒にいたいだけ」

「アンナ……」

 

 う~む、どうも今日のデートは、空回りしているような。

 

「それから、タッくん。忘れてない?」

「え?」

「今日ってタケちゃんの新作映画『作家レイジ 最終章』の公開日だよ。そっちを観なくてもいいの?」

 

 うわっ、マジで知らなかった。

 この数日間、今日のことで頭がいっぱいだったからな。

 

「ああ……今日は観なくていいよ。アンナと一緒に楽しめる作品を観たいからな」

「やっぱり変だよ。あのタッくんが、タケちゃんを選ばないなんて……」

「はははっ、そうかな……」

 

 ヤバい。計画通りに事が進められるかな?



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462 デートで格好つけると、大体ミスします。

 

 タケちゃんの新作映画が公開されることを知らなかった俺。

 本当は観たくて仕方ない……が絶対にダメだ。

 計画が狂う。

 

 敢えて、今日は恋愛映画の『大パニック』を観ることにした。

 事前にインターネットで調べたところ。

 この作品をカップルで観に行くと、感動の余り、劇場から出ると、すぐにラブホテルへ直行するカップルが続出したとか。

 いや、俺の目的はそっちではないのだが……。

 

 とにかく、今日はこの映画を観るのだ。

 そのためにチケットも、珍しく前売り券を購入しており、座席もインターネットで予約している。

 カップルシートを。

 

 なので、チケット売り場に並ばず、スクリーンへと向かえる。

 

 

 途中、ポップコーンと飲み物を買おうと、売店に並ぶ。

 どうもアンナの顔色が悪く見える。

 

「アンナ? どうした、なんか元気がないな?」

「うん……ごめんね。タッくんに会えるのは、すごく嬉しいし、楽しみだったけど」

「何か、心配なのか?」

「心配ていうか……タッくんが別人みたいに変わった気がして。怖いかな。どこか遠くへ行っちゃいそう」

 

 え? 俺ってそんなに変わったかな。

 筋トレのしすぎとか?

 

「な、何を言っている、アンナ。俺がアンナから離れるわけないだろ」

「本当? 今のタッくん。アンナじゃなくて、別の人を見ている気がする」

「……そんな訳ない! 俺は今日、自分の意思でアンナとデートをしたい、と思って来たんだから!」

 

 なんで、こんなに暗いんだ? アンナ……。

 デートをしているのに。

 

  ※

 

 ブーッという音と共に、幕が上がる。

 20年以上前に公開された名作、『大パニック』は当時、売れに売れて。

 公開から約1年間のロングラン上映……という伝説を持つ。

 

 俺が予約した座席は、カップルシート。

 二人掛けのソファーみたいなもので、互いの間にひじ掛けが無い。

 そのため、彼女が彼氏の肩にもたれ掛かったり、暗闇に乗じてイチャイチャすることも可能だ。

 

 巨大なスクリーンを前に、アンナが好きなチョコ味のポップコーンを右手に持ち。

 しれっと左手を、彼女の細い肩に回してみる。

 アンナも嫌がる素振りは無い。

 これぞ、カップルらしい映画の楽しみ方じゃないか!

 

 しかし……肝心の彼女は。

 

「……」

 

 終始無言。

 そして、大食いのアンナがポップコーンを手につけていない。

 何故だ!?

 

 と、とりあえず、この映画を観れば、アンナも感動してくれるだろう。

 

 ~約3時間後~

 

 大型客船は氷山に衝突してしまい、船はまもなく沈没。

 パニックが起きる船内で、どうにかして生き延びようとする主人公とヒロイン。

 壊れたドアの上にヒロインを乗せて、主人公はそれに掴まり極寒の海中を漂っていたが……。

 最後は力尽きて、ひとり海へと沈んでいくのであった。

 

 全ては愛するヒロインを守るため。

 

 

 エンディングロールが流れ始めたころ。

 予想通り、観客席からすすり泣く声が聞こえてくる。

 主に女性の観客だ。

 

 そして俺の隣りに座っているアンナにも、同じ現象が起きている……かと思ったら。

 

「うわぁあああん!!!」

 

 両手で顔を覆い、号泣というより……ギャン泣き。

 他の客が引くレベル。

 

「お、おい。アンナ、どうしたんだ?」

「ひどいよぉ! こんな映画、観たくなかったぁ!」

 

 そんなこと言うなよ。監督やキャストに失礼だろ……。

 

「どうしてだ? 好みじゃなかったのか?」

「だってぇ! 最後に主人公が死んじゃったじゃん! この前のタッくんと重なったの! アンナのために死んで欲しくないっ!」

「あぁ……」

 

 タイミングが悪かったようだ。

 彼女に感動どころか、トラウマを植え付けてしまったみたい……。

 

  ※

 

 悲しいラストシーンを観たせいで、アンナはかなり落ち込んでいた。

 次から次へと、涙が溢れ出て来る。

 見かねた俺がハンカチを貸したが、すぐにびしょびしょに濡れてしまう。

 

 アンナ自身も取り乱していることを自覚したのか「とりあえずお手洗いに行かせて」とよろけながら、女子トイレへ向かった。

 

「……」

 

 彼女の後ろ姿を見守りながら、唇を嚙みしめる。

 

 クソっ、選んだ作品が良くなかったか。

 これなら、タケちゃんの方が良かったのかな。

 

 

 20分ほど経ってから、恐らくメイクを直してきたアンナが戻ってきた。

 暗い顔で……。

 

「ごめんね、タッくん」

「いやぁ……俺こそ、すまん。あの映画を選んだから」

「ううん。アンナも良い映画だと思ったけど。どうしても、ラストの主人公がタッくんと重なって……」

「そうか」

 でも、俺はあんなイケメンではないぞ。

 

 失敗したことは、仕方がない。

 やり直しなら、いくらでも出来る。

 ここは一年前と同じことをやってみよう!

 

「なあ、アンナ。良かったら、プリクラを撮らないか? 初めて出会った時も、一緒に行ったよな」

「あ、うん……いいよ」

 

 少しだが、笑みが戻った。

 ここから彼女のテンションを爆上げさせて、良いムードにしないとな。

 

  ※

 

 スクリーンから長いエレベーターに乗り込み、出口に到着すると。

 すぐ左手に、ゲームセンターとプリクラ専用のブースがある。

 

 アンナと初めて来た時、プリクラを撮影するのは人生で初めてだったが……。

 過去に何度か、経験しているので慣れてきた。

 そして今日のために、最新機種は全て把握済みだ。

 

「なあ、アンナ。今日はあの機種にしないか?」

「え……どうして?」

 

 それを聞かれた俺は、自信満々に答えてみせる。

 

「ふふっ、プリクラの最新機種や色んな盛り方など。スマホに専用のアプリをインストールしたから、俺も詳しくなったのさ」

 なんて格好つけてみる。

「そ、そうなんだ……」

 あれ? なんかめっちゃ暗い顔をしてる。

 視線も逸らされてるし。

 

「とりあえず、撮影するか!」

「うん」

 

 機械に硬貨を投入して、いざ撮影タイム。

 

 撮影する人数や背景、全身モードなどは全て俺が選んだ。

 慣れた手つきで、画面をタッチしていると、背後にいたアンナが呟く。

 

「タッくん……見ないうちになんか、すごくプリクラに慣れたね」

「え?」

「前は何も分からなかったのに。アンナはもう要らないのかな?」

「あ、いや。そんなことないぞ? この機種に慣れているわけではなくて、事前に情報を……」

 

 言いかけたところで、また彼女に遮られる。

 

「ひょっとして、マリアちゃんに教えてもらったの?」

「ち、違うぞ! 俺は自分で操作方法を覚えたにすぎん」

 

 正直に説明したつもりだが、今の彼女には伝わらなかったようだ。

 

「一年前とは違うもんね。もうあの時のタッくんとは違う。アンナがひとり占めにしちゃダメだもん……強くなったし、色んな子にモテるし」

「いやぁ、そんなことないぞ? 俺はこの数ヶ月、アンナのことしか考えていない」

 

 ここだけは真実であると、強調したかったのだが。

 

「タッくん、優しい……だからモテるんだよね。もう一般人のアンナとは違って、有名な作家さんだし」

 

 ちょっと理解に苦しむ。

 そんな有名人なら、俺は博多を歩けないって……。

 何故、今日のデートは、こんなにも上手くいかないんだ?

 俺はこの1日に、全てを賭けているのに。



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463 BLの血

 

 疑心暗鬼に陥ってしまったアンナ。

 俺が何を言っても、信じてくれない。

 

 良かれと思ってやったことが、全て裏目に出てしまう。

 プリクラの撮影タイムに入っても、彼女は暗い顔のままで、カメラに目線も合わせてくれない。

 俺だけがひとり、笑顔でピースしたり。明るくポーズをとってみたが……。

 

 出来上がった写真を確認すると、引きつった笑顔の俺と幽霊みたいなアンナが映っていた。

 

「……」

 

 彼女を元気にさせるはずが、更に落ち込ませてしまった。

 どうしてこうなる?

 

  ※

 

 もう一度、撮りなおす勇気は無かったので、昼めしを食べることにした。

 一年前と同じく、ハンバーガーショップの『キャンディーズバーガー』を選んだ。

 

 店内に入っても、アンナはどこか上の空。

 視線はずっと床に落ちている。

 

「なあ……アンナ。ハンバーガーは何がいい?」

「タッくんのと同じでいいよ」

「そうか」

 

 大好きな食事でもダメなのか。

 一体、どうやったらアンナは元気になってくれるんだろう。

 

 

 最初のデートと同じく、BBQバーガーセットを二つ頼んだ。

 飲み物だけは好みがあるので、アイスコーヒーとカフェオレにしたが。

 

 対面式のテーブルにトレーを運び、アンナを座らせる。

 

「さ、食べよう」

「うん……」

 

 そうは言ってくれたがいつものように食べてくれない。

 小さなポテトを片手に、ちまちまとリスみたいにかじる。

 ポテト一本に、どれだけ時間をかけているんだってぐらい遅い。

 

「タッくん、あのね。アンナ、タッくんが入院している間、ずっと小説を読んでいたの」

 急に口を開いたと思えば、まさかの文学少女になったのか?

「そうなのか? 何を読んでいるんだ?」

「“気にヤン”だよ、タッくんが書いている」

「俺のを!? どうして? マンガ版が良かったんじゃないのか?」

 

 アンナのイラストが、ギャルのここあに変えられているからだ。

 絵師のトマトさんのせいで。

 

「そうだったんだけど。やっぱりタッくんが真面目に頑張って書いた生の文章を読んでみたかったの。宗像先生から会うことも話すことも禁止されてたから、寂しくて……。気がついたら、タッくんの小説を手に取ってた」

「なるほど……それで、どうだった?」

「1巻は楽しく読めたよ。でも、マリアちゃんが登場する4巻は……。読んでいるうちにすごい女の子だなって。そう感じたの」

「マリアが?」

「うん。タッくんのために、命をかけてアメリカへ行って。タッくん好みの身体に一生懸命、矯正して。頭も良いから飛び級で大学卒業。アパレルブランドまで立ち上げて……アンナじゃ絶対できないと思った。完璧な女の子だから、タッくんに相応しいのかなって」

 

 いかん、アンナのやつ。すっかり自信を失っている。

 多分、俺の入院生活が原因だろう。

 離れていた時間が長かったから……。

 

 やはり、俺もこいつも、互いに必要な存在なんだ。

 だったら、話は早い。

 パートナーである俺が、彼女をフォローするだけだ!

 

「アンナ! 聞いてくれ!」

「え……」

「俺にはマリアより、アンナの方が……いや、誰よりも輝いて見える」

「アンナが?」

「そうだ。さっき、お前はマリアのことを完璧だと表現した。しかし、それは絶対に無いと断言しよう」

「ど、どうして?」

 

 その問いに、俺はハッキリ答えてみせる。

 

「あいつは、料理がめっちゃ下手だっ!」

「お料理が? ウソでしょ? あんなに頭が良いのに」

「いや、本当だ! 目玉焼きしか作れない女だ! 弁当箱に白米をぶち込んで、4つも目玉焼きを並べていたほどにな。食い過ぎて気持ち悪かったぞ」

「ふ、ふふっ」

 

 これにはアンナも笑ってしまう。

 

「あとな、ファッションも結構ダサい」

「え、でもアパレルブランドの社長だから、気を使っているんじゃ……」

「それも無い。自身の販売サイトで人気なものだけ、着ているから年中、同じ服しか着ない。それに比べたら、アンナは四季折々の色を取り入れたファッションで、俺を楽しませてくれるだろ」

「うん……ぷっ! ごめん、なんか笑っちゃって……ふふっ」

 

 マリアには悪いが、彼女の弱点を話すことにより、アンナの自信は少し回復したようだ。

 料理が下手と表現したことが、かなりツボに入ったようで、しばらく爆笑していた。

 

「なんだかいっぱい笑ったら、お腹すいちゃった☆」

「おお、良いことじゃないか! たくさん、食べてくれ!」

「ありがと☆ じゃあ……とりあえず、シュリンプバーガーとてりやきバーガー。あとチキンバーガー。キャンディーズバーガーのダブルを追加で注文していいかな☆」

 見事、普段のアンナに戻れたようだ。

 大食いグランプリの始まりだ。

「了解した……」

 席から立ち上がって、カウンターへ向かおうとしたその時だった。

 

「待って、タッくん!」

「へ?」

「じゃがバタ味のポテトのLと、フライドチキンもお願い。それから、抹茶フロートも☆」

「お、おう……」

 

 お姫様が完全復活なされた。

 

  ※

 

 注文したメニューを一つも残さず、完食したアンナは満足そうだった。

 

「はぁ~ 美味しかった☆ タッくんと食べるご飯は幸せだな☆」

「そうか……それは良かった」

 

 アンナが一人で食べていたけどな。

 

 ハンバーガーショップを出た瞬間。

 目の前に立っていた老婆が、俺たちを見て叫ぶ。

 

「タッちゃんじゃない!」

 

 着物姿の老婆がベビーカーを押している。

 

「ばーちゃん? なんでここに?」

「だって、おばあちゃん家から近いものカナルシティ。やおいちゃんのお散歩に来ているのよ」

「え……」

 

 ベビーカーの中を覗くと、一人の赤ん坊が指を咥えて、こちらをじっと見つめている。

 なんというか、ふてぶてしい態度で可愛くない。

 これが俺の妹なのか?

 

 とりあえず、挨拶だけはしておくか。

 

「よう。俺がお前のお兄ちゃんだ。これからよろしくな」

「……」

 

 もちろん、言葉を交わすことは無いが。

 ばーちゃんとの接し方から、家族だと認識したみたいだ。

 

「う~ う~」

 

 小さな指を俺に向けて、何かを伝えたいようだ。

 

「どうした? 俺の名前は琢人だが、お兄ちゃんと呼んでも構わんぞ?」

「う……うけ! うけ!」

「なんだって?」

「受け! 受け!」

 

 誰が受けだ。

 お前のお兄ちゃんは、バリバリの攻めだ。

 

 

 そんなことしている間、ばーちゃんはすかさずアンナに近寄る。

 

「あらぁ! アンナちゃんじゃない! 今日も可愛いわね♪」

「い、いえ……あ、お着物、ありがとうございました☆」

「良いのよ~ そうだわ。今度は花火大会に向けて、浴衣を送ってもいいかしら?」

「そ、そんな頂けません」

「大丈夫よ。気にしなくても、アンナちゃんはもう家族みたいなものじゃない♪」

 グイグイ距離を詰めるばーちゃんに、さすがのアンナもたじろぐ。

 

 だが、アンナの興味は別にあったようで、ばーちゃんに質問する。

「あ、あの子。やおいちゃんって、タッくんの親戚ですか?」

「あら? 聞いてなかったの? 妹よ」

「え!? タッくんのお母さまって、妊娠されていたんですか!?」

「そうなのよ~ 大変だったわ……だから今中洲の家で休んでいるの。やおいちゃんと一緒に」

「へぇ……でも、なんかそう言われたら、やおいちゃんって。タッくんに似ている気がします☆」

 

 ウソ? こんなふてぶてしい赤ん坊が?

 それに生まれて数ヶ月なのに、兄貴を受け認定しやがった。

 

「わかる? さすがアンナちゃん! 良かったら抱っこしてあげて」

「え、良いんですか☆」

 

 なんだか知らんが、女性陣? で話が盛り上がっていた。

 ばーちゃんに頼まれて、ベビーカーからやおいを抱きあげる。

 思ったより軽いな。

 

 両手を広げて嬉しそうに笑うアンナへ、赤ん坊を手渡す。

 優しく包み込むように抱っこしてみせるアンナ。

 

 その姿はまるで聖母だ。

 ばーちゃんもアンナを見て、驚いていた。

 

「あらぁ~ 抱っこが上手ねぇ~ 良いお母さんになるわよ」

 一生無理なので、期待しないでね。

 

「カワイイ~☆ 小さなタッくんを抱っこしているみたい☆ 一日中、抱っこしたいな☆」

 満面の笑みで、やおいに頬ずりするアンナ。

 参ったな……生後間もない妹に救われるとは。

 

 しかし、母さんやばーちゃんの血を、受け継いでいる妹だ。

 そこらの赤ん坊とは、次元が違う。

 アンナを指さして、必死に唇をパクパクと動かす。

 

「せ……せめ! せめ!」

「お喋りしてくれるの? 嬉しいな☆」

 

 お兄ちゃんの大事な人だから、やめてあげてね。

 あと、そっちは攻めじゃない。



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464 契約解除

 

 ばーちゃんが妹のやおいを、連れてきてくれたおかげで、アンナはご機嫌だった。

 抱っこしても嫌がらないから、離したくないと。ずっとやおいを嬉しそうに抱きかかえる。

 

「いい子だねぇ~ やおいちゃん☆」

「う~ 攻め!」

 

 ふたりを嬉しそうに眺めるばーちゃん。

「アンナちゃんは本当に良いお嫁さんになるわよ。タッちゃん、そろそろ決めたらどうなの?」

「それは……」

 ここで答えられるかよ。

 

 20分ほど抱っこしても、満足できないアンナだったが。

 やおいの方が限界みたいだ。

 どうやら眠たいようで、泣き始める。

 

 アンナは慌てて、ばーちゃんにやおいを手渡す。

「あらら、やおいちゃん。おねむなの? じゃあ音楽を聴きながら帰りましょ」

 慣れた手つきで、やおいをベビーカーの中に寝かせると。

 ハンドバッグからスマホを取り出す。

 するとベビーカーの持ち手につけられた、小さなスピーカーから、男の声が聞こえてきた。

 

『なっ! お兄ちゃん、ダメだよ! 彼女がいるくせに……』

『あれはお前へのあてつけだ。嫉妬させるためにな』

 

 なんだ、急に男性声優の喘ぎ声が聞こえてきたぞ。

 

『んぐっ……お兄ちゃんも、僕を好きだったの?』

『聞くまでもないだろ? さ、始めよう』

『はあっ、はあっ……お、お兄ちゃーーーん!』

 

 ばーちゃんが用意したBLのCDか。

 なんてものを、公共の場で流しているんだ……と思った瞬間。

 あることに気がつく。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 やおいが泣き止んでいる。

 しかも、気持ちよさそうな顔で寝ていた。

 

「うんうん、やっぱり寝る時はこれが一番ね。タッちゃんの時と同じ♪」

 

 え? 俺もあんなことされてたの?

 劣悪な環境に絶句していると。

 ばーちゃんは平気な顔をして「じゃあ、二人ともまたね」と手を振る。

 

「あ、ああ……」

「はい☆ また抱っこさせてください☆」

 

 早めに妹をばーちゃんから、離した方が良くないか。

 

  ※

 

 恐ろしい光景を見てしまったが、アンナの機嫌は良くなったし。

 ずっとニコニコ笑ってくれる。

 ならば、良しとしよう。

 

「アンナ、今からどこに行きたい?」

「んとね。夢の国のストアに行きたいな☆」

「了解した」

 

 

 それからはいつものアンナらしく、大好きなキャラクターグッズを見たり、ペアで着られるTシャツを買ったり、一つのアイスを二人で分けて食べたり……と。

 とてもデートらしい、一日を過ごせた。

 夕暮れになるまで、たくさん遊ぶことが出来た。

 

 

「はぁ、もう夕方か……なんか時間が経つの、早すぎるよぉ」

 と頬を膨らませるアンナ。

「それだけ、楽しい一日だったってことだろ。良いことじゃないか」

「うん☆ 今日がタッくんとしてきた取材のなかで、一番楽しかったかも☆」

「そうか。それは良かった……」

 

 彼女が発した一言で、俺は笑みが失せてしまう。

 決めていたからだ……今日が最後だと。

 

「なあ、アンナ。実はその取材の件で話したいことがあるんだ」

「え? 取材のことで?」

 どうやら、俺の緊張が伝わったようで、彼女も顔が強張ってしまう。

「そうだ。俺たちにとって、とても大切なことだ。少し落ち着いた場所で話がしたい」

「うん……」

「1年前にも行った場所だが、博多川で良いか?」

 

 俺の問いに彼女は答えることなく、黙って頷く。

 少し強引だが、俺はアンナの手を掴むと、カナルシティから出てすぐ見える川。

 博多川へと向かう。

 

 小さな横断歩道を渡れば、すぐだ。

 

 人気のない大きな川に、ベンチが2つほど並んで設置されている。

 誰も座っていなかったので、アンナに座るよう促す。

 

 二人して、肩を並べ。対岸にズラーッと並び立つラブホテルに目を向ける。

 別に見たいからではない。

 今は彼女の顔を見ることができないからだ。

 緊張して、すぐには思っていることを口に出せない。

 

 でも、俺から言わないと。

 

「あ、アンナ……実は、今日の取材で最後にしたいと思っているんだ」

「最後って取材を? どうして? まだ小説は終わってないでしょ?」

 

 急に不安に駆られたようで、すかさず俺の右手を握るアンナ。

 彼女に触れられて、俺も決心できた。

 ようやく、彼女の瞳を。二つのエメラルドグリーンを見つめられる。

 

「その通りだ、小説は終わっていない。だが、もうそろそろ。この関係にも無理が生じている……そう感じるんだ」

「ど、どういうこと?」

「俺の気持ちの変化だ……アンナも知っている通り、ついこの間まで。俺は生死に関わるような事故を起こしてしまった。これは自分の気持ちを偽っていたからなんだ」

「タッくんが?」

 

 深呼吸をしたあと、俺は彼女の両手を掴んで、持ち上げる。

 

「いいか? 今から言うことは俺の本音だ。何も一切、嘘はつかない。ひょっとしたら、アンナを傷つける可能性もある。それでも話を聞いてくれるか?」

「……」

 まだ何も言っていないが、アンナには俺の緊張が伝わっているようで。

 肩が震えていた。

 

 しばらく黙っていたが、彼女の小さな唇が微かに動く。

 

「い、いいよ……話して」

 

 アンナから許可をもらえて、俺の身体に衝撃が走る。

 心臓はバクバクとうるさいし気分が悪い。

 手から汗がにじみ出て、彼女の手を湿らせてしまう。

 

 でも、ここでやらないとまた俺は……。

 

「俺が……一ツ橋高校に入学したのは、恋愛を取材するためだ。そんな時にミハイルが、アンナを紹介してくれて。とても楽しい体験が出来た。生まれて初めてだと思う。こんなに濃い一年は」

「うん」

「これからもずっと続くと思いたかった。でも、もう無理なんだ。アンナとの取材も出来ないほど、俺はダメになってしまった。その原因なんだが……ある人を好きになってしまったからなんだ」

 

 言い切ったと思った直後、後悔してしまう。

 目の前にある、美しい瞳に涙が浮かんでいるからだ。

 

「それって……取材した子たちの誰かなの?」

「いや、違う人だ」

「じゃあ、アンナは?」

「悪いが違う。俺が好きになった人は、ここにはいない」

 

 デートに連れてきて、色々と考えた上で機嫌も良くしたのに。

 いい思い出にしたかったけど。

 こればかりは、彼女に伝えておかないと。

 

「……じゃあ、一年前に約束した『報酬』は? アンナのことを気に入ったら、ホントのカノジョにしてくれるって」

「本当に申し訳ないが、その報酬も無理だ」

「うわぁん!」

 

 その場で泣き崩れるアンナ。

 俺も見ていて、胸が引き裂かれる思いだった。

 

 だが、ここまでは予想通りの反応だ。

 計画通りに事が進んでいる。

 

 パニックに陥っているアンナから、視線を逸らして、川を眺める。

 

「こんな酷いことをして、本当に悪いと思っている……でも、その相手なんだが。実はアンナが知っている人でな。いや一番近しい人間だと思っている。アンナにも必要な存在だ。名前だけでも聞いてくれないか?」

 

 と視線を彼女に戻したら、誰もいない。

 

「あ、あれ? アンナ!? どこだ!」

 

 慌ててベンチから立ち上がり、辺りを見回す。

 気がつけば、周りはカップルだらけ。

 みんなイチャついていた。

 

 だが、今はそんなこと、どうでもいい。

 

「アンナぁ! どこだっ! まだ話は終わってないぞっ!」

 

 そう叫んでも、反応は無い。

 代わりに知らない男が、話しかけてきた。

 隣りのベンチに座っていたカップルの彼氏。

 

「あの……」

「なんだっ!? 今俺は人生で、最大の告白をしようとしているんだぞっ!」

「隣りで聞いていたんで、そうかなって……。彼女さん、たぶん博多駅方面に走っていきましたよ?」

 

 ファッ!?

 あのタイミングで、普通逃げるかね?

 

「すまんな! 礼を言う!」

 

 ベンチから飛び出ると、はかた駅前通りを全速力で走る。

 大勢の人で賑わっているため、この中からアンナを見つけるのは困難だ。

 

 クソッ! しくじった!



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465 自称ノンケ、博多のど真ん中で愛を叫ぶ

 

「はぁはぁ……はぁ……アンナ、どこだ!」

 

 その日のはかた駅前通りは、いつも以上にたくさんの人で賑わっていた。

 何かイベントをやっているのか、それとも、ただの帰宅ラッシュか?

 広い歩道だが、人混みで埋っており、ここを避けて通るわけにも行かない。

 彼女もまだこの道を、歩いているかもしれないから。

 

 最初こそ走っていたが、博多駅に近づくにつれて、そのスピードは落ちていく。

 いくら急いでも、信号が赤になれば、みんなが足を止めてしまうから。

 結局、俺もそれに合わせるしかない。

 

 だからといって、諦めてなどない。

 その証拠に、アスファルトの上で足踏みをしている。

 

「まだか? 早く青になれっ!」

 

 何度も人と信号に止められたが、どうにか博多駅まで、たどり着くことが出来た。

 この頃には息が上がっていて、全身汗だく。

 

 それでも声を振り絞る。

 

「アンナっ! どこだ!? 俺だ、琢人だっ! まだ話があるんだ!」

 

 叫び声だけが虚しく、中央広場に響き渡る。

 何人かの女性が振り返ってはくれたが……本人ではない。

 クソっ! こんなはずじゃなかったのに。

 

 ジーパンからスマホを取り出して、アンナに電話をかけてみる。

 その間も、広場を見渡す。

 何度もぐるぐると身体を回転させるから、気持ちが悪い。

 

『おかけになった電話は、電波の……』

 

「ダメか!」

 

 電話は諦めて、彼女が向かった場所を考えてみる。

 ショックから逃げるとすれば、駅のホームか……。

 いや、帰宅するにしても、この時間に列車へ乗り込むのは簡単じゃない。

 ビルの中か、女子トイレ。

 

 彼女が行きそうなところ……ひょっとして、いつもの待ち合わせ場所。

 黒田節の像か?

 

 俺は広場の奥へ向かい、銅像の足元を確かめる。

 いた!

 大きなリボンのブラウスに、ブルーのミニスカートを履いた金髪の少女が立っている。

 俯きながら、スマホを触っている。

 

「アンナっ! 探したぞ!」

 

 慌てて彼女の元へ向い、細い肩を掴む。

 

「……」

 黙り込んで、俯いている。

 さきほど伝えたことが、よっぽど辛かったんだろうな。

「聞いてくれ、アンナ! 俺はお前を傷つけるために言ったんじゃない! 好きになった人の名前に意味があるんだ! だから、もう一度。顔を上げて聞いてくれないか?」

 

 そう言って、彼女の肩を強く揺さぶる。

 だが、無言を貫くアンナ。

 

「……」

「ダメか? きっとその名前を聞けば、お前も理解してくれると思うんだが」

 

 その時だった。

 何を思ったのか、彼女は俺の腕を叩き落とす。

 

「いてっ!」

「ねぇ~ さっきからなんなの? 私さぁ、推しのライブを観ているから。邪魔しないでくれる?」

 そう言うと、耳元からワイヤレスイヤホンを取り外す。

「え、推し?」

 

 よく見れば、アンナとは程遠い生物だった。

 おかめみたいな顔で、眉毛が太く。頬がりんごのように赤い。

 ファッションだけはアンナに近いものだが……。

 

「ひょっとして、ナンパ? その顔でよく勇気あんね? 男ってさ。ちょっとガーリーなファッションするだけで、ホイホイ釣れるからさ。年中、発情期なの?」

「あ……いや、俺はその……」

 

 咄嗟のことで、人違いとは言えなかった。

 

「な~に? ナンパしてきて、童貞とか? ウケるわぁ~ 鏡見てから出直してきな」

「はい……ごめんなさい」

 

 間違えたのは確かなので、とりあえず謝っておいた。

 ていうか、お前みたいなやつを俺がナンパするかっ!

 

  ※

 

 時間だけが過ぎていく。

 中央広場では、夏に向けてイベントを始めているようで。

 売店などが、設置されている。

 

 会社帰りのサラリーマンやOLが、ビールを買って談笑していた。

 その光景に釣られたのか、他の客がぞろぞろと集まり出す。

 

 俺にとっては、非常にまずい状況だ。

 これだけの人が広場に集まれば、アンナを探すのは至難の業と言える。

 

 彼女と離れて、10分は経っただろう。

 もう列車に乗って、帰ってしまったのだろうか?

 俺は……どうしたら。また失ってしまうのか。

 それだけは、絶対に嫌だっ!

 

「よしっ!」

 

 気合を入れるために、自身の頬を思い切りぶん殴る。

 

「ってぇ……」

 

 思った以上に、痛かった。

 だが、目が覚めた気がする。

 辺りにいた女子高生は、ドン引きしていたが。

 

 大きく息を吸い込むと、俺は博多駅のビル全体に向けて、力いっぱい叫んだ。

 

「聞いてくれぇーーー! アンナぁーーー!」

 

 突然、一人の男が騒ぎ始めたので、周囲にいた人間たちは驚き、足を止める。

 何百人から一斉に、視線を集めてしまう。

 それでも、俺はやめない。

 

「まだいるんだろぉーーー! 話は終わってないぞ! 俺が好きになったのは、アンナじゃなくて……男のミハイルなんだぁーーー!」

 

 言い終える頃には、ぜーぜーと息を切らしていた。

 不思議と恥ずかしさは感じなかった。むしろ、すっきりした気分だ。

 この声が相手に、届いていればいいのだが。

 

 気がつけば俺の周りに、人々が円を描くように集まる。

 

「おい、あいつ。こんなところで何を叫んでいるんだ?」

「あれじゃない? 動画の撮影とか?」

「そんなことないだろ……だって、男が男を好きとか、ホモじゃん」

 

 勝手なことばかり、言いやがる。

 それに何人かの人間たちは、スマホで動画を撮影する始末。

 人の恋路を何だと思って、いやがるんだ!

 気がつけば、その怒りを彼らにぶつけていた。

 

「おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人が人を好きになることが悪いことなのか!?」

 

 そう怒鳴り声をあげると、野次馬たちは黙り込む。

 

「いいかっ! 俺のことをホモだと嘲笑うのならば、それでも構わんっ! だが、俺の人生で大事な告白なんだっ! 邪魔だけはしないでくれ!」

 

 言い切った直後は、何も反応がなかったが。

 しばらくすると、数人の女性たちから拍手が湧き起こる。

 

 静まり返った辺りを確認した後、もう一度、俺は深く息を吸い込んで、その名前を叫ぶ。

 

「アンナっ! 誤解させて悪かったぁ! 俺が好きなのは、アンナだけどアンナじゃない。女装していない、素の……男の古賀 ミハイルだったんだぁーーー!」

 

 ミハイルという名前だけが、虚しく博多中のビルに響き渡る。

 

 言い終える頃には、熱い涙が頬を伝う。

 これでダメなら……と諦めていたからだ。

 

「やっぱり、戻ってはくれないのか……ミハイル」

 

 その場で膝をつき、地面に手をつく。

 俺が考えていた計画なんて、もうめちゃくちゃだ。

 でも、この想いだけは、伝えておきたかったのに……。

 

「こんなところで、あんまりオレの名前を叫ぶなよ。恥ずかしいじゃん……」

 

 顔を上げると、そこには可愛らしいツインテールの美少女……ではなく。

 女装した男の子が立っていた。

 

 野次馬を掻き分けて、俺の前まで来てくれたようだ。

 顔を真っ赤にして、視線は地面に落としている。

 

「み、ミハイルっ!?」

「こんな大勢の人たちがいるところで……好きとか。バカじゃん」

「悪い……もう失いたくなかったんだ。お前を」

 そう言うと、ミハイルはようやく視線を合わせてくれた。

 

「話の続き。まだあるの?」

 緑の瞳を輝かせて、恥ずかしそうに俺を見つめる。

 

 俺はゆっくりと立ち上がり、深呼吸した後。

 こう答えた。

 

「まだある。ちゃんと最後まで聞いて欲しい」

「うん」

 

 良い展開になってきたのだが、ミハイルの登場で野次馬たちも盛り上がり。

 たくさんの人々に、囲まれてしまった。

 俺の告白が終わるまで、帰ってくれないんだと思う……。



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466 これだから、男は! でも男がいいの……。

 

「い、いつからなの……? オレがアンナだってことを知ったの」

 

 頬を赤くして、そう問うのは。口調だけが男っぽいツインテールの美少女。

 たぶん周りにいる野次馬たちも、彼を女だと思い込んでいるだろう。

 

「ウソだろ? あの子、女だろ?」

「私より可愛いんだけど!」

「いや……あれで男なら、むしろ興奮してきた」

 

 最後のやつ、マジで便乗してくんなよ。

 

 辺りはざわついてたが、俺はそれを無視し、ミハイルの瞳を見つめ真面目に答える。

「最初からだ、一年前にこの博多で。確かに可愛いらしい服を着ていたから、一瞬、別人だと思ってしまった。誰よりも可愛かったからな」

「そ、そうなんだ……」

 俺の答えを聞いて、怒るわけでもなく。恥ずかしそうに視線を地面に落とす。

 

「でもすぐに、お前だと気づいたよ。この世でミハイル以上に、可愛いと思った人間はいないからな」

 

 今の俺は、どうかしているのかもしれない。

 恥ずかしいセリフを、すらすらと口から発している。

 ミハイルも俺の変貌ぶりに、驚きを隠せない。

 

「なっ!? そ、そんなこと、こんなところで言わないでよ……」

 

 そう言われたが、俺が止めることは無い。

 だって、これからもっと恥ずかしいセリフを連発するだろうから。

 

「悪い。でも今ここでお前に伝えないと。また離れてしまいそうな気がするから……」

「そんなにオレが良いの? なんで……タクトが言ったんじゃん。『女だったら付き合える』って! だから、オレ。いっぱい頑張ったのに」

 

 唇を嚙みしめ、スカートの裾を掴む。

 アンナではなく、ミハイルを選んだことに憤りを感じているようだ。

 その怒りは更に、ヒートアップしていく。

 

「妹のかなでちゃんに教えてもらって。タクトが好きな声優のYUIKAちゃんが着ているファッションやメイクとか……髪型だって勉強したんだ! 喋り方もタクトが好きそうな女の子に変えたんだゾ!」

「ああ……わかっている。ずっと見ていたからな」

「じゃあ、なんでなの!? 男は嫌だって言ったじゃん!」

 

 気がつくとミハイルの瞳は、涙で溢れていた。

 興奮しているのか、俺と距離を詰めて、拳を作っている。

 

「そうだ。俺はお前の告白を断り、『女じゃないと付き合えない』と言った」

「ならどうして……アンナにしてくれないの? オレ、なんか間違えた? タクト好みにしたつもりだったのに……」

 そう言うと、俺の胸をポカポカと叩く。

 だが俺は敢えて、そんなミハイルに手を貸さず、自分の気持ちを伝えることにした。

 

「確かに完璧な女の子だった。俺好みのファッションに、話し方。最初のデートから俺は、アンナに釘付けだった。毎回、取材するのが楽しみで。世界が変わった。何も無かった俺という人生を変えてくれた」

「……」

 どうやら、黙って話を聞いてくれているようだ。

 

「だが、それは元となるミハイルがいたから、成立する世界だ。それを知ったのは、お前が絶交してくれたからだ。ダチとしてな」

「オレが、タクトと絶交したから?」

 潤んだ瞳で俺を見つめるミハイル。

 

「そうだ。絶交されてようやく気がついた。俺にはお前が……ミハイルが必要だと。いなくなって、世界が真っ暗になってしまったんだ。食事は味がせず、喉も通らない。今まで好きだったものでさえ、何も楽しめない。感じない。ただの闇だ」

「オレがいなくなっただけで?」

「ああ……もちろんアンナも好きだ。でもそれよりも大事なのは、好きなのはお前だ。ミハイル。それを伝えたかった」

「男のオレでいいの?」

 

 その質問を待っていたと言わんばかりに、俺の心臓が高鳴る。

 ここでしっかり決めないと……。

 深呼吸をした後、俺はミハイルの頭にゆっくり手を回す。

 

「そうだ。男のミハイルで……いや、ミハイルがいいんだ。だからもう、こんな格好しなくてもいいだろ」

 

 俺は彼のツインテールを片方掴み、勢いよく引き剝がす。

 カツラを取れば、ミハイル自慢の美しい金髪がサラリと流れてくる……と思っていた。

 ショートカットにしていたが、たぶん今着ているガーリーなファッションも似合うだろう。

 しかし、俺の勉強不足だった……。

 

「「あ……」」

 

 ヅラを取った瞬間、二人して声を合わせる。

 

 尼さんのようなスキンヘッド……ではないが。丸くて黒い頭。

 きっとカツラがズレないように、地毛をまとめるネットだ。

 

 ツインテールのヅラを片手に、その場で固まる。

 これは、ネットを外せばいいのだろうか?

 でも、うまいこと髪型を、きれいに整えられるかな。

 またヅラをのせるか? う~ん、わからん。

 

 そんなことを一人で、考えていると。

 当の本人は、顔を真っ赤にして、視線を地面に落としている。

 

 ヤベッ……またしくじった。

 

  ※

 

 どうしていいかわからず、お互い固まっていると。

 俺たちを見ていたギャラリーの中から、女性の声が聞こえてきた。

 

「ちょっと! あんたさ、なにしてんのよっ! 女の子に恥をかかせて!」

「え?」

 

 振り返ると、ビジネススーツを着たお姉さんが、眉間に皺を寄せている。

 頼んでもないのに、ズカズカとこちらへ近づき、俺が持っていたミハイルのヅラを取り上げる。

 

「貸しなさい!」

「いや、それはこいつのヅラで……」

「ヅラじゃなくて、ウィッグていうのよ! あんたね、この子に告白するみたいだったけど。なんでウィッグを外したのよ!?」

「そ、それは。こいつの地毛が見たくて。でも中がネットだとは思わなかったので……」

「バッカじゃない! ウィッグにはネットが必須なのに。これだから、男はデリカシーがないのよ!」

 

 なんで俺が今、めっちゃ叱られないといけないの?

 それにミハイルも男だって。

 

「もういいわ! 私、こう見えて美容系のお仕事しているから。この子の髪型もメイクも地毛だけで、可愛くしてあげる!」

「い、いや……そんな悪いですよ」

「うるさいわね! 男は黙ってなさい! ちゃんとこの子に告白したいんでしょ? なら準備ぐらい、させてあげて!」

「はい……」

 

 だから、なんでミハイルが女の子扱いなの?

 

 その後お姉さんの部下たちが近くにいたようで、3人でミハイルを取り囲む。

 ウィッグとネットは紙袋に入れ、大きなポーチを取り出すと。

 みんなでミハイルに、どんな風に仕上げるか尋ね始める。

 

「ビューラー使う?」

「口紅の色はどれが良い?」

「チークは?」

 

 おいおい、女装を解除というか。

 アンナからミハイルへ、解放させるつもりが、また女の子化してるじゃん。

 

 残された俺は離れた場所で、ミハイルの準備が終わるまで、じっと眺めていると。

 自称、美容系のお姉さんに怒鳴られる。

 

「ちょっと! なに見てんのよ! 女の子のメイクを見るなんて、最低よっ!」

「すみません……」

 仕方なく、ミハイルに背を向けると。

「もう、これだから。男子はっ!」

 と吐き捨てられた。

 

 あいつも男なんだけどなぁ……。

 

 ミハイルの準備が終わるまで、俺は反対側を向いてないといけない。

 つまり、たくさん集まっている野次馬たちと目が合う。

 気まずい……。

 

 そこで一人の少年が、俺に声をかけてきた。

 

「なあ! さっきは悪かったよ」

「え?」

 見れば、学ランを着た真面目そうな高校生だ。

「さっきその……お前にホモって言っちゃったの。俺なんだ」

「ああ。もう、いいさ。告白は出来そうだし」

「俺、お前の男らしい告白を見ていて、ホモって言ったこと。情けなく感じたよ」

「は?」

 この少年は一体なにを言いたいのだ。

 

「実は俺も昔から好きな人がいて……でも、相手は同性で。彼女を家に連れ込むリア充で、それを見ていたら毎日イライラして」

「そ、それが?」

「実の兄貴だから、諦めていたんだ! でも、お前の熱い告白を見て勇気が出たよっ! 俺もお兄ちゃんにこの想いを、伝えようと思う!」

「えぇ……」

 

 こっちはブラコンか。

 でもその関係なら、想いは伝えない方が良いような……。

 

 止めようとしたが、彼の決意は固いようで、嬉しそうに拳を突き出す。

「ありがとな! お互い、頑張ろうぜ!」

 仕方ないので彼の拳に、自身の拳を合わせる。

「そ、そうだな……」

 

 俺のせいで、無垢な少年を焚きつけてしまった。



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467 タクトが選んだ答え

 

 俺の告白を見て「勇気が出た」と叫ぶブラコンの少年だが。

 もう、居ても立っても居られないそうで。

 

「今すぐお兄ちゃんへ、この熱い想いを伝えにいってくる!」

 

 と博多駅の中へ走り去ってしまう。

 マジで良かったのか、これは……。

 

 そんなことをしている間に、ミハイルの準備が終わったようで。

 自称、美容系のお姉さんが俺に声をかける。

 

「ちょっと! そこの男子、もう出来上がったわよ。可愛くね」

 

 振り返ると、ハンサムショートの美少年が立っていた。

 でも、髪型が男ぽいだけで、他はアンナのまま。

 ガーリーなファッションだし、メイクもお姉さん達によって、より可愛くなってしまった。

 まつ毛が上げられているので、大きな緑の瞳はより強調されて見える。

 そして彼の小さな唇には、ピンク色の口紅が塗ってあり、早くキスしてと誘われている気が……。

 改めて、ミハイルの顔に見惚れていた。

 

「さ、私たちは退場するから、続きを始めて」

「え?」

「告白の続き、あるんでしょ? どうぞ」

「はぁ……」

 

 なんだ、このお姉さんも色々と俺に説教したり、ミハイルのことを奇麗にしてくれたけど。

 結局、野次馬の一人なんだな。

 

 お姉さんと部下たちが、ギャラリーの中に戻ったところで。

 俺は恥ずかしさを紛らわすため、咳払いをする。

 

「ごほんっ! その……ミハイル」

「う、うん。なぁに?」

 

 彼も俺の言葉を待っているようで、ぐっと距離を詰める。

 上目遣いで、俺を見つめるから、理性を保つので精一杯だ。

 

「俺はノンケだ。意味は分かるか?」

「え? のんけってなに?」

「まあ、同性を好きにならないってことだ」

 そう答えると、なぜかしゅんと落ち込むミハイル。

「そうなんだ……」

「だが、同時に俺は面食いでもある。顔にうるさい、かなり厳しい人間だ」

「それがどうしたの?」

 

 首を傾げるミハイルを見て、俺は確信した。

 やはり、こいつしかいない。

 なんてカワイイんだ。

 早く抱きしめたい。

 

「その俺が一番カワイイと思ったのは、ミハイル。お前だけだ」

「え? オレが?」

「ああ……この世の誰より、世界で一番カワイイ! この想いは一目見た時から変わらない! だから、これを受け取ってくれないか?」

 

 俺はその場で片膝をつき、事前に用意していた小さなケースを、ジーパンのポケットから取り出す。

 そして、パカッと音を立てて開くと。

 中には小さな指輪が輝いていた。

 

「え、これって……」

 驚くミハイルを無視して、俺は自分の想いをぶつける。

 

「ミハイル。好きだ、愛している」

「た、タクト……」

 突然のプロポーズに動揺していたが、嫌がる素振りはない。

 

「俺と結婚してくれっ!」

「なっ!? け、結婚って、オレとするの!?」

「当たり前だ。お前と一生を共に生きたい! だから、この婚約指輪を受け取ってくれないか?」

「そんな……オレとタクトは男同士じゃん。結婚なんて出来ないんじゃないの?」

「別に法的な意味で、結婚しなくてもいい。俺とミハイルの間で誓約を立てれば良いんだ。同性愛とか、未だに俺もよく分からない。でも、俺はお前を独占したいんだ! そう考えたら、こういう答えになっていた……」

 

 俺が全てを吐きだすと、ミハイルは黙ってしまう。

 しかし反応としては、悪くないように感じる。

 

 これが俺の考えた計画。

 ミハイルとの結婚だ。

 

  ※

 

 数分間、経っただろうか?

 沈黙が続く。

 

 俺は片膝をついたまま、リングケースを開いている状態だ。

 ミハイルは地面と睨めっこ。

 

「で、でも……もし結婚するにしても、オレたちまだ高校生だよ?」

「すまん。その辺は説明不足だった。結婚を前提に付き合って欲しい、と言うことだ。まずは高校を卒業しないと。だから、早くても二年後。そのためにもミハイルと一緒に高校へ通って欲しい。戻って欲しいんだ!」

「そっか……そういうことか。オレも、またタクトと高校へ行きたいな」

 その言葉に俺は、思わず身を乗り出す。

「な、なら!」

 

 微かな声だが、確かにミハイルは答えてくれた。

 

「うん☆」

 

 ニッコリと微笑んで、俺を見つめる。

 これはどう考えてもYESだろう!

 

「じゃあ、良いんだな? 薬指に指輪を入れても……」

「お願い☆」

 

 俺の給料三ヶ月分で購入した、ネッキーの婚約指輪。

 リングケースから取り出すと。

 既にミハイルが、左手を差し出していた。

 

 彼の細い指にゆっくりと指輪をはめる。

 しっかり、お店で店員のお姉さんと話し合って購入したのに。

 ミハイルの指が細すぎて、サイズはガバガバだ。

 

 ゆるゆるで格好の悪いプロポーズとなってしまった。

 それでも、ミハイルは嬉しそうに手を掲げている。

 

「うわぁっ! ネッキーのやつだ。ありがとう、タクト!」

「……」

 

 喜んでいる彼には悪いが、もう俺の方が限界だった。

 ようやく想いを伝えられて、そしてミハイルが二人の未来を受け入れてくれた。

 

 気がつけば、俺はミハイルの身体に飛びついていた。

 華奢な身体を両手で強く抱きしめる。

 

「ずっと怖かった。寂しくて潰れそうだった……会いたかったよ」

 

 今まで格好をつけていたくせに、緊張の糸が切れてしまったようで。

 弱音を吐いてしまう。

 そんな俺でも、ミハイルは優しく包み込んでくれる。

 

「……ごめんね。寂しかったよね、これからはずっと一緒だから、安心してね。タクト☆」

「約束だからな」

「うん、約束☆」

 

 やっと渇いた心が満たされていく気がした。

 胸に空いた大きな穴も、ミハイルという愛で塞がれていく。

 

 去年の誕生日に、そうやってお互い抱きしめた仲だ。

 彼も分かった上で、俺の腰に手を回す。

 お互いの気持ちが繋がっている……そんな気がする。

 

「早くこうしかった……」

「今度からタクトが苦しい時、オレが抱きしめてあげるよ☆」

「ミハイル……」

 

 一旦、彼から身体を離して、じっと瞳を見つめる。

 相変わらず、エメラルドグリーンがキラキラと輝いてまぶしい。

 

「好きだ、ミハイル」

「オレもタクトのことが、大好きだよ☆」

「じゃあ……キスしてもいいか?」

 

 直球の質問に、ミハイルは一瞬固まってしまう。

 でも、俺の気持ちに合わせようと必死だ。

 

「う、うん。いいよ、だってオレたち。け、結婚するんだもん。キスぐらいなんてこと……」

 と言いかけている際中だが。

 俺は強制的にミハイルの話を止めさせた。

 

 彼の唇を奪ったのだ。

 

「んんっ!?」

 

 驚く彼を無視して、ミハイルのぬくもりを味わう。

 一度だけ、唇を重ねるつもりだったが……。

 試しにキスすると、その気持ち良さに病みつきになってしまう。

 

 色んな角度から、何度も繰り返し、ミハイルの唇を楽しむ。

 最初は戸惑っていたミハイルだったが、今では静かに瞼を閉じて、俺の動きに合わせてくれる。

 

 自分でも驚いていた。

 初めてのキスが男だし、大勢の人間が見守る中、熱い口づけを繰り返す。

 

 何度もくっついては、離れる……を繰り返しているうちに、とあるミスを起こしてしまう。

 一瞬だったが、俺の舌先がミハイルの唇に入り込んでしまった。

 

「ん!?」

 

 これには、さすがのミハイルも怒ると思ったが……。

 特に嫌がる素振りはない。

 

 ならばと俺は舌先を、彼の口の中へ突入させる。

 奥には小さなミハイルの舌が、待っていて。

 優しく俺を受け入れてくれた。

 それを良いことに、俺はディープキスを楽しむことにした。

 

 ~10分後~

 

「も、もお~! いい加減にしてよっ! 長すぎるし、こんなところでしなくても良いじゃんか!」

 顔を真っ赤にさせて、俺から離れるミハイル。

「悪い……あまりにも美味かったら。嫌だったか?」

「嫌とかじゃなくて、場所を考えてよっ!」

 

 そう言うと、ミハイルは周囲で盛り上がっていた野次馬たちを指さす。

 

「ほぉ~ 最高な二人!」

「すごく尊いわっ!」

「もっとお願いしますっ!」

 

 

「あ……」

「べ、別にガッつかなくても、これからは一緒だし」

「ミハイル」

「とりあえず、もうここから離れよっ!」

 

 ミハイルは俺の手を掴むと、野次馬たちを搔き分け、その場から逃げる。

 大きな交差点を渡り、はかた駅前通りへ入ると。

 顔を真っ赤にしたミハイルが、俺にこう言った。

 

「ホントにいいの?」

「え?」

「アンナのこと、忘れられる? もう女装はいらないの?」

「それは……」

 

 男のミハイルが良い、と宣言しておきながら俺は……。

 でも、もう嘘はつかないと決めていた。

 

「悪い。たまにでいいから、女装してくれるとありがたい」

 俺の答えにミハイルは怒ると思ったが、クスッと笑ってこう言う。

「もう、タクトはエッチだからな。いいよ、してあげる☆」



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第五十五章 打ち切り
468 バズっちゃった……


 

 大勢の野次馬から逃げるため、一旦はかた駅前通りへ戻ることにしたミハイル。

 何か考えがあったわけでもなく、俺の手を引っ張って、通りの奥へと入っていく。

 すると、見慣れたビルが目に入った。

 

 何度も訪れた場所……例のラブホテルだ。

 

「あ……」

 

 無意識のうちに、ここへたどり着いたようで。

 それに気がついたミハイルは、顔を真っ赤にしてしまう。

 

「こ、これは……そう言う意味じゃなくて」

 慌てる彼を見て、俺は笑って答える。

「分かってるさ。あんな所でキスしたんだし、混乱していたんだろ?」

「うん……」

 

 確かに、目の前にあるのはラブホテルだ。

 だが反対側には、馴染みのラーメン屋がある。

 

 もう空も真っ暗だし、腹も減った。

 野次馬たちが解散する時間稼ぎも欲しいところだ。

 

「ミハイル。ラーメンでも食って行かないか?」

「え? あ、そっか。うん☆ 食べたい!」

 

 

 古いガラスの引き戸を開いて、大将に声をかける。

「大将、久しぶり」

 

 カウンターの奥で、大将は麺を茹でていた。

「あら、琢人くん? ひとりかい?」

「いや……今日は二人なんだ。ほら、大将に挨拶して」

 そう促すと、ミハイルは恥ずかしそうに顔を出す。

 

「あの、初めまして。お、オレ。古賀 ミハイルって言います」

「え? アンナちゃんだろ? 髪切ったの?」

 ヤベッ。

 女装しているし、フルメイクだから、大将にはアンナに見えるようだ。

 

「大将……その悪い。今まで騙していたつもりはないんだが。実はアンナは……男なんだ!」

「は? 琢人くん、おいちゃんのこと、バカにしてるの? どう考えても可愛らしい女の子、アンナちゃんじゃないか?」

「いや、違うんだ……」

 

 仕方なく、俺はこの1年間に起きた出来事を、軽く説明する。

 ミハイルが女装した姿が、アンナであったことを。

 それを聞いた大将は、顎が外れるぐらい大きな口で、ミハイルを凝視していた。

 

「ほ、本当に……男の子だったの?」

「はい……ごめんなさい。騙していて、オレ。男なんです」

 

 しばらく、その場でフリーズしていた大将だったが、徐々に平常心を取り戻していく。

 

「つまり、琢人くんのカノジョはアンナちゃんだけど。その正体がミハイルくんってことだね?」

「ああ……そして、先ほど俺がプロポーズしたから、フィアンセだ」

 とミハイルの肩を掴んで、俺に近づける。

「もう、タクトってば。こんなところで、また……」

 

 どうやら俺は、ミハイルに告白したことで。

 堂々と自分の気持ちを、話せるようになったらしい。

 キスしたから、興奮しているのかも。

 

「そうか、あの琢人くんがついに結婚かぁ。いやぁ、おいちゃん。なんか泣けてきちゃったよ……」

「え? 引かないの? 男同士なのに」

「別にどっちでも良いじゃない。色んな愛の形があって」

 

 そう言うと、大将はなぜかボロボロと涙を流し、タオルで拭う。

 博多って本当に、そっち界隈が多いのかな?

 

  ※

 

「よぉし! 今日はおいちゃんのおごりだよっ!」

 と大将が手を叩く。

 なんだか、毎回大将に奢ってもらっているような。

 

「え、良いんですか? オレ、男なのに……」

 とカウンター席で縮こまるミハイル。

「関係ないよ! 琢人くんのために今まで、色々と頑張ってくれたのは事実だろ? ならアンナちゃんもミハイルくんも同じじゃないか!」

「あ、ありがとうございます☆」

 

 結局、大将の粋な計らいで、店のメニューを何でも食い放題にさせてもらった。

 俺もミハイルも、ラーメンを何度もおかわりしたり。

 餃子やチャーハンも、大盛りで食べさせてもらった。

 

「しかし、あれだねぇ~ 琢人くんもこれから大変じゃない?」

 新たな餃子を焼きながら、俺に問いかける。

「え、何がですか?」

「だって、結婚するんだろ? それなりのお金、職業に就かないとさ」

「あ……」

 

 今までずっと忘れていた。

 計画のことばかりで、その後を考えていなかったのだ。

 

 大将の言う通り、結婚するには生活を持続するため、ある程度の年収が必要だ。

 しかし、俺はまだ未成年の高校生。

 プロの作家とは言え、不安定な職業。

 もう一つの仕事は……。

 

「おじちゃん、大丈夫だよ☆ タクトはプロの人気作家だし。それに新聞配達も頑張ってるから☆」

 とミハイルが自分のように自慢する。

「あ、そうだったね……でも、あれだろ? 作家ってのも不安定な仕事だろ。お金、大丈夫なの? 琢人くん」

 話を振られて、脇汗が滲み出るのを感じた。

 

「えっと……実は今、俺専業作家なんだ」

 都合の良いように答えただけだ。

 本当は違う。

「てことは、小説1本で食えるようになったの? はい、餃子大盛りね」

 カウンターに餃子の皿を載せられて、なんだか胃が痛くなってきた。

 

「え? タクト、新聞配達はどうしたの?」

「その……実はクビになったんだよね」

「ウソぉ!? あんなに長いこと働いてたのにぃ!?」

「うん、そうなんだ……」

 

 ~それから数日後~

 

 俺は新しいバイト先を探すため、自室のパソコンで求人サイトを片っ端から検索していた。

 しかし、どれも高校生不可。

 なるべく、早く安定した仕事に就きたい。

 できれば高額の仕事が良いが。

 

「参ったな……」

 

 小学生の時から、お世話になっていた『毎々(まいまい)新聞』真島店だが。

 俺は突如、クビになってしまった。

 クビというより、店長からお願いレベルで「しばらく休んで欲しい」と頼まれた。

 

 理由としては、俺が交通事故を起こしたから。

 あの時、店長はすごく責任を感じたらしく、俺の家族や宗像先生に何度も謝ってくれたらしい。

 自分が止めなかったから、琢人くんをあんな目に合わせた。

 そして、もし俺があの時死んでいたら……。

 

 宗像先生も相談を受けて、心身共に不安定だから、働かせるのはやめたほうがいいと助言したとか。

 

 まあ、確かに先生や店長の判断は、間違っていないだろう。

 店長は泣きながら「またいつでもおいでね」と言ってくれたが。

 しかし、第二の父とも言える店長に、これ以上の迷惑はかけられない。

 

 大丈夫だ。今の俺なら、どんな状況でも乗り越えられるさ。

 ミハイルが隣りにいてくれるからな。

 

 と求人サイトをチェックしていると、スマホが鳴り始めた。

 着信名は……ロリババア。

 

「もしもし?」

 

『こんの……アホぉぉぉぉぉ!』

 

 電話を出た瞬間、キンキン声で鼓膜が破れるかと思った。

 

「いきなり、なんだ? 白金……」

『何がじゃないでしょ!? DOセンセイのせいで、編集部は大混乱ですよっ!』

「は? なんのことだ?」

『しらばっくれるつもりですか! あれだけ、アンナちゃんの正体は隠し通せと言ったのに。男だということを、あんな大勢の前で叫んで……“気にヤン”の読者や親御さんからクレームの嵐なんですっ!』

 

 ちょっと言っている意味が分からない。

 

「どういうことだ?」

『知らないんですか、あのお祭り騒ぎをっ!?』

「すまん……ちゃんと教えてくれ」

『じゃあ、今から送るURLにアクセスしてみてください』

 

 するとパソコンへ一通のメールが送られてきた。

 某動画共有サイトのアドレスみたいだ。

 クリックすると……。

 

 いきなりサムネイルがモニターに映し出される。

 それを見て驚きのあまり、俺は唾を吹き出してしまう。

 

「ブフッーーー!」

 

 何故かと言えば、その被写体に問題がある。

 画面いっぱいに映し出された男の顔。汗だくで何かを叫んでいるようだ。

 動画を再生してみると。

 

『おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人がを人好きになることが悪いことなのか!?』

 

 あ、これ……俺だわ。

 クソ。あの時、動画を撮影して奴らか。

 勝手に、人の告白を笑いものにしやがって。

 

 とりあえず、事態を把握した俺は、白金との通話に戻る。

 

「これのことか……確かに告白した。すまん」

『別に告白は悪くないですよ! でも場所を考えてくださいっ! 色んな動画サイトに転載されて。バズりまくっているんですよ!』

「マジ?」

『大マジですよっ! ショート動画にも転載されて、DOセンセイのことも特定されていますっ!』

「……」

 結婚までのハードルは高そうだ。



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469 生きていくため、BLを選びます。

 

 後から調べて分かったことだが……。

 ミハイルへ愛の告白を撮影した動画は、今現在で100万回以上の再生回数を叩き出している。

 しかし、それはノーカットの未編集動画であり。

 

 それとは別に、無理やり編集した悪意のある動画、ショート動画に、濃厚キス動画など……。

 ネット民のおもちゃにされていた。

 

 ここまで来たら、もうお手上げだ。

 腹を括るしかない。

 しかしだ……動画サイトのおすすめに上がって来た作品が気に食わない。

 クリックすると。

 軽快なリズムに合わせて、俺が歌いだす。

 

『お、お、俺はホモだっ♪ ホモの何が悪い♪ お、お、男が好きだっ♪』

 

 なんという改悪編集。

 自室でパソコンのモニターを眺めながら、深いため息をつく。

 

「ったく、よくやるよ。その技術を他に使えよ……」

 

 白金の言った通り、俺が身バレしため、DO・助兵衛のツボッターは炎上していた。

 そして、アンナというヒロインが男だと判明したため。

 俺が所属している、博多社のゲゲゲ文庫ホームページも荒れに荒れていた。

 もちろん作品である、“気にヤン”の公式ツボッターも。

 

 ファンの大半はヒロインの正体を、隠していたことに怒りを抱いていた。

 そりゃ、そうだよな……。

 騙していたのは、間違いないから。

 

 ~次の日~

 

 俺は白金に呼び出されて、天神にある出版社。博多社へ行くことにした。

 自動ドアが開くと、受付デスクに座っていた若い少年が駆けつける。

 

「あ、新宮さん!」

「おう、一。久しぶりだな」

「動画見ましたよ! すごくカッコイイ告白でした! 僕もあんなことをされたいですっ!」

 

 と興奮気味に俺の両手を掴むのは、受付男子こと、住吉 一だ。

 正直、目のやり場に困る。

 

 今日のコスプレ……というか最早、ランジェリーの部類なのでは?

 淡いブルーのベビードールを纏っているが、スケスケだから中が丸見えだ。

 紐パンを履いていて、ガーターベルトまで着用している。

 

 BL編集部の倉石さんが、命令したのかな。

 だが本人はそんなこと構わず、俺の両手を掴んでブンブン振っている。

 

「感動しました! 新宮さんとミハイルさんが結ばれるところを……想像すると僕、下着を汚しちゃいそうです♪」

 汚すなよ。

「そうか……とりあえず、白金を呼んで欲しいのだが」

「あ、それでしたら。もうお話は伺っております! 編集部の方へ呼ぶように言われてますので。エレベーターへどうぞ」

「了解した」

 

  ※

 

 エレベーターからチンと言う音が聞こえて、目的地へ到着したことに気づく。

 ドアが開くと、物凄い数の電話機が並べられていた。

 ベルが鳴ったと思ったら、すぐに男性社員が受話器を取る。

 

「はいっ! あ……その件でしたら、誠に申し訳ありません」

「いえ、私もヒロインの正体は知りませんで……」

「本当に申し訳ございません! 息子様の性癖を歪めてしまい……」

 

 これは全てクレームなのか。

 俺がその場で立ち尽くしていると。

 

「ようやく、張本人のお出ましですか?」

 

 目の前に幼い少女が立っていた。

 キャンディーのイラストがたくさんプリントされた、可愛らしいワンピースを着ている。

 幼いのは服だけだ。

 年齢はもうアラサーだし、肌も荒れている。

 

「白金……」

「打ち合わせ、しましょうか?」

 

 と更に狭くなった、打ち合わせ室を指さす。

 

「あ、ああ……」

 

 ゲゲゲ文庫の編集部は、本来の仕事が何も出来ずにいた。

 クレーム対応ばかりに追われているから。

 

 若い社員だけじゃ足りないので、中年の社員。編集長まで頭を下げていた。

 いい歳したおっさん達が半泣き状態で、謝っている姿は確かにこたえる。

 

 打ち合わせ室というには、あまりにもスペースが狭く何もない。

 あるのは、丸イスが二つだけ。

 

 とりあえず、白金と向かい合わせに座ってみる。

 互いの膝と膝がくっつくほどの距離感。

 

「はぁ……DOセンセイ。私は失望しましたよ。どうして、あんな人通りの多いところで、告白なんてしたんですか?」

「うっ、それはその……仕方なくだ。あの時を逃がしたら、アンナを。いやミハイルと二度と会えない気がして」

「で、あの動画騒ぎですか……」

 

 白金から生気を感じない。青ざめた顔で、瞼の下には大きなくま。

 どこか遠いところを見ているようだ。心ここにあらずといった様子。

 

 そんな白金を見て、俺もさすがに罪悪感を感じ。

 イスから立ち上がり、頭を下げる。

 

「すまん、白金! お前と二人で頑張ってきた“気にヤン”が、こんな風になってしまって。でもまたやれるよな、俺とお前なら。続きを書けば……」

 と言いかけたところで、白金が下から俺を睨みつける。

「続き? ないですよ。“気にヤン”の続きなんて」

「そ、そんな……ウソだろ? だってあれだけ売れているんだから」

 俺がそう言うと、白金は顔をしわくちゃにして怒鳴り声を上げる。

 

「その売れている作品を、作者本人が台無しにしたんでしょうがっ!」

「……」

 

 いつもふざけている白金だが、今回だけは何も反論できない。

 

「この前の電話でも、伝えた通り……あの動画でDOセンセイの知名度は、一気に上がりました。悪い意味ですが。本名から通っている高校、全て特定されています。ヒロインのこともね」

「まあ……俺だけなら良いんだ。他の人達に迷惑をかけてしまい、申し訳ないと思っている」

「ほんっとにそうですよっ! 見ました? この惨状を? 博多社始まって以来ですよ。まあ、それだけ私たち編集部の人間も“気にヤン”に賭けていましたから……一時はアニメ化の話もあったのに」

 と唇を尖がらせる。

 

「じゃあ、今後の“気にヤン”の連載はどうなるんだ?」

 俺の問いかけに白金は、黙り込んでしまう。

 頭を抱えて、何やらぼそぼそと呟く。

 

「ち切り、です……」

 

 良く聞こえなかった俺は、もう一度聞き返す。

 

「なんだって?」

「だから……打ち切りですって」

 

 俺はその言葉を信じられずにいた。

 

「ウソだろ? なんでだよ……あれだけ売れている作品なのに?」

「確かに……今でも売れています。でもラノベ読者ではなく、今回の動画を見た人間が、面白半分で買っているんですよ。どの書店も売り切れ続出らしいです」

「売れていることが悪いのか?」

「悪いというより……メインヒロインに問題があるんですよ。最初から女装男子として売れば、良かったのに。女の子として販売しましたから。上層部も続刊を出すことを渋っています。だから、“気にヤン”は打ち切りになるでしょう」

 

 いつになく真剣な顔つきの白金を見て、事の重大さに気がつく。

 

「じゃ、じゃあ……別の作品ならどうだ? 今の俺なら他にもラブコメを書けそうだが?」

「無理ですって。どうせまたアンナちゃん、いやミハイルくんをモデルに書くんでしょ? 例え違うと言っても、読者は信じてくれません。今回の騒ぎでDOセンセイは、有名になりすぎました……たぶん他の出版社でもセンセイに、作品を頼みたいと思いませんよ」

「そんな、じゃあ俺は一体どうしたら……」

 

 二人して頭を抱え、将来に絶望していると。

 コツコツと音を立てて、誰かが近寄ってくる。

 

「あらあら、琢人くん。そんな暗い顔してどうしたの? ひょっとして職探しかしら? ならうちに寄っていかない?」

 

 見上げると、そこには優しく微笑む女性が立っていた。

 元受付嬢で今は、BL編集部の編集長。

 

「倉石さん……」

「見たわよぉ~ あの動画、超イケてるわね! 男同士で10分間もディープキスとか、ネタとして最高っ!」

 と親指を立てる。

 結局、俺はそっち側に落ちないとダメなのか……。



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470 男しかいない世界

 

「倉石さん、どうしてここに?」

 

 その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。

 

「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」

「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」

「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」

 

 どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。

 白金から、その許可を得たいのか?

 

「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」

 酷い言われようだ。

 あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。

 

「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」

 倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。

「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」

 僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。

 

 これには俺も黙って、見ていられなかった。

 もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」

 

 しばらく沈黙が続く。

 恐る恐る、頭を上げてみると……。

 鬼のような形相で睨む白金がいた。

 

「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」

「こんのっ……」

 

 最後までガキだな、白金は。

 でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。

 

「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」

 

 と思っていたが、そこまで言われる義理はない。

 むしろ激しい苛立ちを覚えている。

 

「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」

「なんですって! ウンコ作家のくせして!」

 

 結局、最後までケンカ別れになってしまった。

 

  ※

 

 その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。

 BL編集部は、すぐ上の階だ。

 

 チンという音と共に、ドアが開くと。

 そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。

 各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。

 

 入口には、大きな垂れ幕を掲げており。

『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』

 と書いてあった。

 

 俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。

 全員、大人しそうな女性。

 黒髪に眼鏡の人が多く感じる。

 

 しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。

 頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。

 

「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」

「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」

「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」

 

 みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。

 まるで盛りのついた猫だ。

 怖すぎっ!

 

 しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。

 

「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」

 

 そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。

 

「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」

「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」

「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」

 

 どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!

 人の嫁をネタにするな!

 

 落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。

 

「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」

「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」

「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」

 

 倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。

 分厚い壁で覆われた一室。

 ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。

 

 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。

 ゲゲゲ文庫とは大違い。

 見るからに豪華で、座り心地も良さそう。

 

 柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。

 どこから、こんな金が……。

 

 倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。

 

「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」

「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」

 

 自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。

 

「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」

「は?」

「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」

 

 真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。

 さすがの俺もブチ切れそうになった。

 

「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」

 思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。

 

「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」

「うう、それはそうです……」

 

 そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。

 

「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」

「え? ウソでしょ?」

「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」

 

 俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。

 BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。

 母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。

 その俺が……BL作家になるだと?

 笑わせるぜ。

 

 ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。

 何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。

 

「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」

 それを聞いた、俺は即答する。

「やります! なんでも書きます!」

「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」

「え……何でですか?」

 

 俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。

 

「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」

 こんな怖い倉石さん、初めてだ。

「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」

「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」

「う、ウソでしょ……」



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471 俺は女を愛せないのではなく、一人の男しか愛せない

 

 俺が取材して手に入れたネタ……いや、ヒロインたちとの思い出。

 一年間、頑張って書いてきた作品。“気にヤン”だが……。

 BL作品として売り出すには、女キャラを排除しろと倉石さんは言う。

 

 しかし、それではあまりにもサブヒロイン達が不憫だ。

 

「倉石さん……BL編集部で拾ってもらえるのは嬉しいのですが。やはりサブヒロインは女でも、必要じゃないですか?」

 それを聞いた途端、倉石さんの目つきが鋭くなる。

「は? なんで? メインヒロインが男なら、サブヒロインも男じゃないと、BLじゃないわ」

 めっちゃ冷たい声で、圧をかけてくるやん。

 こんなに怖い人だったけ?

 

「あの……何度も言っていますが、俺が書いているのは実際に起きた出来事です。例えば、ミハイルが女装してアンナになる理由も、サブヒロインにあります。彼女たちに対抗するため、女の子に変身したんです」

 俺がそう説明すると、倉石さんは顎に手をやり、唸り声をあげる。

 

「う~ん。そういうことなの……つまり女装男子とか、男の娘系ね。それは別の作品として需要があるかも」

 どうやら納得してくれたようだ。

 安心したところで、再度倉石さんに確認を取る。

 

「分かって頂けましたか?」

「それは理解できたわ。でも、うちの編集部で出すなら、完全にリメイクする必要があるわ」

「へ?」

「BLならば、徹底的に女人禁制の世界じゃないと! これは鉄板よ!」

「はぁ……」

 

 なんか似たようなことを、母さんが言っていたような。

 

「さっきも言ったけど、サブヒロインを男に性転換したら成立すると思うのよ……例えば、赤坂 ひなたちゃんってボーイッシュな女子高生は、リキくんみたいな短髪のマッチョにしてね」

「えぇ……」

「あとほら、ミハイルくんにそっくりな幼馴染のマリアちゃんは、心臓手術のついでに、肉体改造をして少年兵として戦争に行くのよ」

「それで、どうなるんですか?」

「戦いが終わり、帰還したところで伝説の傭兵になった『マイケル』は、幼馴染の出版を耳にして帰国するの! そしてミハイルくんと対峙するわけ!」

 マイケルって誰だよ。

「あの、それってBLの世界になってます?」

 

 結局、倉石さんとの話は、終始平行線で決着が着くことはなかった。

 仕方ないので、既存の作品である“気にヤン”はとりあえず、そのまま放置。

 改めて、俺とミハイルだけのラブストーリー?

 というより、二人の日常を淡々と描くことになった。

 

 対抗馬がいなくなったので、盛り上がりに欠けると思ったが。

 倉石さんは満足そうだった。

 

「琢人くん、これからのあなたは今まで以上に、困難な道を辿ると思うわ」

「俺がですか?」

「ええ……ゲイであることもカミングアウトしたし、何より結婚するのだから。二人の生活を維持するために、お金が必要だわ」

「まあ、それは色んな人に言われてますから」

 笑って話を逸らそうとしたら、倉石さんがガラス製のローテーブルを拳で叩く。

 

「そんな気持ちじゃダメよ! あなたは分かってない! まだ学生だから自覚がないの。もう結婚すると誓ったのだから、今までの自分を、考えを捨てなさい! 生きていくためには何でもするの……例えばミハイルくんとの営みも、包み隠さずネタにしてお金に変えるのよ!」

 

 目が血走っている。

 怖すぎだろ……。

 

「い、営みって、それはさすがに……パートナーであるミハイルも、嫌がると思いますし」

 そう言って断ろうとしたら、すっと手の平を差し出す倉石さん。

「出して」

「え? なにをですか?」

「ミハイルくんの電話番号よ」

「なっ!?」

 

 この人、まさかミハイルを編集部に呼び出して、裸の写真とか撮るつもりじゃ……。

 

「私がミハイルくんから許可を取ればいいでしょ? 今ここで彼に電話をかけて!」

「え……今からですか?」

「当たり前でしょ!」

 

 仕方なく、俺はスマホのアドレス帳から、ミハイルの名前をタップすることに。

 

 彼にしては珍しく、ベルの音が何度も繰り返される。

 出ないなら、それに越したことはないのだが……。

 しばらくすると、いつもの元気なミハイルの声が聞こえてきた。

 

『もしもし、タクト☆ どうしたの?』

「あ、悪い。何か忙しかったんじゃないのか?」

 

 何か用事があるなら、それを口実に電話を切ろうとしたが。

 なぜか、彼は口を濁す。

 

『そ、その……ちょっと集中していて、電話に気がつかなかったの』

「ひょっとしてスイーツ作りか? なら切ってもいいぞ?」

『ち、違うんだ……この前、タクトと博多駅でしたじゃん?』

「は? なにを?」

『忘れたの? キスだよ……動画サイトで見ていたの。思い出したら、ドキドキして。あの時のタクト……凄かったから☆』

 

 いかん、そんなことを電話越しに言われたら。

 俺まで興奮してきた。

 特に股間が……。

 

 だが、未来の嫁とのイチャイチャタイムは、倉石さんにより強制的に止められてしまう。

 

「琢人くんっ! 早いところ変わってもらえる?」

 一気に興奮が冷めてしまった。

 

「あ、すみません……。ミハイル、ちょっと編集部のお姉さんと話せるか? 俺とお前の話を元に、作品にしたいそうだ」

『お姉さんって誰? どういう関係なの?』

 今度は勘違いしたミハイルが、ドスのきいた声で尋ねる。

 

「違うよ、ミハイル。ほのかのお友達だ」

『あ、ほのかと同じ病気なんだね☆ なら安心☆』

 酷い偏見だ。

 とりあえず、倉石さんと代わる。

 

「はじめまして、ミハイルくん。私BL編集部の倉石というんだけどねぇ。琢人くんとミハイルくんが結婚するじゃない?」

 わざと大きな声で話しているような気がする。

 その証拠に、何度かこちらに目をやる。

 

『う、うん……結婚するって約束したよ』

 応接室が静かなせいか、彼の声がこちらまで聞こえてくる。

 

「それでね、今後二人の結婚生活を支えるために、お金が必要じゃない。ミハイルくんがタクトくんとラブラブしているところをね。小説やマンガにしたいんだけど、どうかしら?」

『えぇ!? オレとタクトが、ラブラブするところを?』

 

 やはり驚いている。

 さすがに二人の私生活まで、ネタにはしたくないだろう。

 

「ためらう気持ちもわかるわ。でもね、ミハイルくん。二人の作品が有名になれば、抑止力にもなるわよ?」

『よく、しりょくってなに?』

「琢人くんに邪魔な虫……そうね。女どもが寄って来なくなるわ。だって二人のラブラブ作品は実話なんだから。全世界に知らしめてやるのよ! ゲイとして!」

『そっか。他の女の子が寄らなくなるのは、安心かも……』

 納得するなよ、ミハイル。

 

「でしょっ! “気にヤン”はアンナちゃんがモデルだけど、今回のBL作品は全く違うの! ただただ二人が愛し合う作品。いわば協同制作ねっ!」

『オレなんかで良いの?』

「もちろんよっ! 私たちBL編集部は、二人の結婚を祝福しているわ! もし邪魔な女がいるなら、私に言って! ブッ殺してあげるから!」

 

 なんて恐ろしいことを言っているんだ、倉石さん。

 BLになると、人が変わるから怖いんだよな。

 

『あの……邪魔じゃないけど。でもタクトの中で、マリアとかひなたとか……また優しくするんじゃないかって。怖い時があるかな』

「なるほど。ミハイルくんの不安は排除しないとダメね。夫となる琢人くんには、きっちりと! 落とし前をつけてもらわないと、ねっ!」

 と俺を睨む倉石さん。

 

 

 電話を切ったあと、BL編集長から初の業務命令が下された。

「琢人くんっ! ミハイルくんが不安を抱えているんだから、排除しなさい! 全サブヒロインへ結婚を報告し、契約を解除してきなさい! 『俺は女を愛せない』とっ!」

「……」

 

 別にそんなこと、誰も言ってないよ。

 俺はミハイルしか、愛せないだけだって……。



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472 愛の進学コース

 

「琢人くん、作品名なんだけど。もうこちらで勝手に決めているんだけど。いいかしら?」

「まあ、いいですけど」

「シンプルに『タクトくんとミハイルくん』がいいと思うの♪」

 

 まんまやないか。

 ていうか、本名が使われるのか……。

 しかし、あの動画で名前はバレてるし、いいか。

 

「わかりました。大丈夫です」

「ホント? 良かったぁ♪ あとね、ペンネームも改名しようと思うの。さすがにBL作家が、DO・助兵衛じゃ下品だもの」

 名前まで変えられるのか。

 ていうかBLもある意味、下品な部類では?

 

「じゃあ、どういう名前なら良いんですか?」

「実はそれも前から、考えているのよ~ 今回の作品は二人の日常を、赤裸々に描く本物のBL小説でしょ? だから、古賀 アンナというペンネームがぴったりよっ♪」

 それを聞いて、俺は大量の唾を吹き出す。

 

「ブフッーーー!」

 まさか……俺に女装させるつもりか?

 

「偽りでもアンナちゃんは、二人が作り上げた愛の原形でしょ? もったいないと思うの、このまま捨てるには……。琢人くん自身が告白の時、『男のミハイルが良いと』断言してしまったし」

「確かにそうですが……なぜ俺がアンナの名前を継ぐのですか?」

「だってほら、今回はミハイルくんからもしっかり許可を得て、二人のおせっせを描くからさ。つまり共同ペンネームね♪」

「なるほど……俺たちの名前ってことですか」

 

 それなら、良いかもな。

 アンナという美少女は、今後リアルでも会うことは無いかもしれない。

 俺としても、寂しく感じていたところだ。

 思い出として、彼女の名前を使うってのも一つの手だな。

 

 

「ところで、琢人くん。話は変わるのだけど、あなたこの前、交通事故を起こしたんでしょ?」

「ええ、どうしてそれを知っているんですか?」

「ガッネーから、話を聞いたのよ」

「そうですか……それがどうしたんです?」

 俺がそう問いかけると、倉石さんの目つきが鋭くなる。

 

「琢人くんって、今も新聞配達をやれてるの?」

 ギクッ! 全てを見透かされているような気がした。

 

「いえ……あの事故が原因で、クビになりました……」

「やっぱりね。じゃあ、尚のことお金が必要でしょ?」

「はい、おっしゃる通りです……」

 

 その場でうなだれる俺を見て、倉石さんはローテーブルの上に、1枚の書類を置く。

 

「琢人くんがいくら人気作家でも、すぐにお金は払えないわ。だけどうちで雇うことなら、出来るわよ」

「へ?」

 俺は耳を疑った。

 

「将来、有望なBL作家をこんなところで潰したくないの。だから、うちの編集部でバイトとして、雇ってあげる」

「マジですか!?」

「ええ、やる事は私のお手伝いぐらいしか無いけど……」

 

 渡りに船とは、このことだ!

 バイトでもありがたい。

 

「じゃあ、よろしくお願いいたします! 何でもやらせてください!」

 

 そう言って契約書に、サインを書こうとしたら、倉石さんに釘を刺される。

 

「いいの? そこに琢人くんの名前を書けば、片道切符よ?」

「どういう意味ですか?」

「あなたには、将来ここの正社員になってもらいたいの」

「しゃ、社員ですか?」

「ええ……いくら売れている作家でも、不安定な職業でしょ? だから兼業作家でいてほしいの。社員になれば、安定した収入で暮らしていけるじゃない」

「なるほど……」

 倉石さんの説明を聞いて、理解したと思った俺はボールペンに手を取るが……。

 ビシッと平手で叩かれてしまう。

 

「話はまだ終わってないわよ。社員になるためには、最低限の資格が必要なの。採用基準は簡単、大卒よ。つまり、琢人くんはまだ高校生だけど。卒業後には大学へ進学してもらうわ!」

「え……俺、進学するつもりなんて、無いですよ?」

 

 いきなり大卒の資格がいると聞いて、持っていたボールペンを手放す。

 冗談じゃない。

 あんなバカ高校でも、辞めようかと迷っていたのに……。

 

「琢人くん! あなただけの問題じゃないでしょ? 愛するミハイルくんのために、大学ぐらい出なさい。たった4年頑張れば、正社員になれるのだから!」

「でも……」

「じゃあ、可愛いミハイルくんを大学に行かせる? あなたはそれでいいの!?」

 おバカなミハイルじゃ、入試試験で挫折するだろうな。

 仕方ない。覚悟を決めるか……。

 

「わかりました。高校を無事に卒業したら、大学を目指します! どんなアホ大学でも良いんですよね?」

「ええ、いいわよ~ 大卒じゃないと給料も安いしね♪」

 

 はぁ……結婚が決まって、浮かれていたけど。

 高校が終わっても、またガッコウか。

 

  ※

 

 晴れて俺はBL編集部から、古賀 アンナとしてデビューが決まり。

 また倉石さんにバイトで雇ってもらうことになった。

 当分、金の心配は無いだろう。

 高校を卒業するまでは……。

 

 各書類に、自身の名前を書いたことで全て契約が成立した。

 

「嬉しいわぁ~ 琢人くんがうちの編集部に来てくれてぇ~♪」

「ははは……よろしくお願いいたします」

「そんなに固くならないでよ~ もう人気者でしょ? アンナ先生は♪」

「……」

 これから、そう呼ばれると思うと辛いな。

 

 応接室から出ると、倉石さんが編集部にいた女性陣を集める。

 

「みんな~! 聞いてぇ、琢人くん……いや古賀 アンナ先生が、今日からうちで連載することになったから、仲良くしてねぇ!」

 

「「「は~い♪」」」

 

 誰も俺が、アンナという名前に違和感を持つことなく、受け入れてくれる。

 むしろ、男としては見てくれない。

 

 たくさんの女性に囲まれて。

 

「アンナちゃんは、ここのデスク使って」

「お菓子とか好き?」

「こっそりでいいから、ミハイルくんのキス。味を教えて欲しいな♪」

 

 などと、完全に女子会のノリになっている。

 

  ※

 

 とりあえず、今日は特に仕事がないので。

 また改めてプロットや設定を、書いて来て欲しいと倉石さんに頼まれた。

 それとは別に、BL編集部が刊行している雑誌でエッセイを書いて欲しいと頼まれた。

 例の動画騒ぎで、腐女子の人たちが興味津々らしい。主に俺の恋愛観など。

 

 忙しくなりそうだ……。

 

 帰り際、倉石さんに声をかけられる。

 

「あ、待って。琢人くん!」

「へ?」

 

 振り返ると、大きな紙袋が目に入った。

 どこかで見たことがあるような……。

 

「これ、持って帰って」

「なんです、それ?」

「ガッネーから頼まれてね。預かっていたのよ」

「白金から?」

「私も中身は知らないわ。でも琢人くんには大事なものだって……。ちょっと前に『私に何かあったら』って深刻な顔して持ってきたのよ。きっと“気にヤン”の連載に不安を感じていたんじゃないかしら?」

 

 まさかっ!? これは赤坂 ひなたの家に宿泊した時、パパさんから頂いた300万円。

 白金のやつ……俺がアンナの正体を告白した時から、ちゃんと後のことを考えていたのか。

 だから、倉石さんに預けていたのか。

 クソッ……ロリババアのくせして、らしくないことしやがる。

 

「思い出しました。確かに俺が白金に預けたものです……」

「やっぱりそうなの? じゃあ返しておくわね♪」

 

 紙袋を受け取ると、俺はエレベーターへ乗り込んだ。

 

 目頭が熱い。

 あんな別れ方になったけど……白金。

 今までありがとう。

 

 でも一応、現金の状態が気になって、紙袋の中身を確認する。

『赤坂饅頭』という和菓子の箱が3つ入っていた。

 ひなたパパは、俺を婿養子にしたかったからな……。

 箱の蓋を開けると、福沢諭吉の上にメモ紙が入っていた。

 

『DOセンセイへ。ホストクラブで遊んだら、30万円ぐらい使っちゃいました。なので、今や人気作家のDOセンセイなら安いと思い。ひなたパパに返す時は、ご自身で補填されてくださいな♪』

 

 メモ紙をグシャグシャにして、俺は叫んだ。

 

「あんのロリババアーーー!!!」



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第五十六章 全サブヒロインの解散
473 再発する男の娘の日


 

 今年に入って色々あったから、あまりスクリーングに行けてなかったが……。

 俺の身体も回復したし、ミハイルも戻ってくれた。

 

 だからまた俺たち二人で、スクリーングへ通うことにした。

 以前のように、同じ時間の列車で待ち合わせて。

 もう二人は付き合っているし、婚約状態だ。

 

 古賀 アンナという、L●NEアカウントは消滅したが。

 代わりに、ミハイルという名前が追加された。

 告白して以来、頻繁にメッセージのやり取りしている。

 

 地元の真島(まじま)駅のホームに立ち、今から電車に乗ると彼に伝える。

 すると数秒も経たないうちに返信が届く。

 

『わかった☆ 隣りの席を空けといてよ☆』

 

 その愛らしい文章を見て、思わずニヤけてしまう。

 

 電車へ乗り込むとしばらく窓の風景を眺める。

 ここまで来るのに、本当に長かった……。

 辛かったけど、ちゃんと今がある。

 

 真島駅から二駅離れた場所。

 彼の住む、席内(むしろうち)駅に列車が到着した。

 

 プシューという音と共に、自動ドアが開いた瞬間。

 甲高い声が聞こえてくる。

 

「おっはよ~! タクト☆」

 

 嬉しそうに微笑む一人の少年。

 白のタンクトップに、デニムのショートパンツ。

 足元は動きやすそうなスニーカー。

 

 金色の美しい髪は、もう短くなってしまったが……。

 それでも、彼の美貌は健在だ。

 小顔だからハンサムショートも似合うし、持ち前の大きなエメラルドグリーンが眩しい。

 

 俺を見つけると、すぐに隣りへと座り込む。

 太ももをビッタリとくっつけて。

 そして、上目遣いで話しかけるのだ。

 

「タクト☆ 久しぶりだね☆ あ、でも……オレ毎日、動画を見ていたから。あんまり時間を感じないかな☆」

 と照れてしまうミハイル。

 自身の小さな唇に手を当てて、思い出しているようだ。

 

 ヤベっ! 俺まで思い出してしまう。

 こんな目の前に、未来の嫁が座っているのに……何もしないだと!?

 何とか彼に言い聞かせて、キスできないだろうか。

 

 じっとミハイルの唇を、上から眺めていると。

 彼に不審がられる。

 

「あれ? タクト、どうしたの? なんか今日は静かだね?」

 首を傾げる姿すら、小動物みたいで可愛い。

「す、すまん……久しぶりにミハイルと会えて、嬉しくてな」

「ホント? オレも嬉しいよ☆ タクトに早く会いたかったもん☆」

 今の一言で、俺に火がついてしまった。

 ミハイルの肩を強く掴み、動けないようにする。

 

 一瞬、ビクッと肩を震わせていたが……なんとなく、俺が考えていることを察知したようだ。

 

「タクト……」

 

 ピンク色の唇が輝いている。

 

 日曜日の朝だし、小倉行きだから。乗客は少ないほうだが……。

 それでも何人か若者が、同じ列車に座っている。

 

 しかし、俺は博多駅で大勢の人々に見られながら、キッスをした男だ。

 これぐらい、もうなんてことないぜ。

 

 ミハイルの背中に手をやり身体を俺に寄せる。

 嫌がる素振りも見せず、従順に動きを合わせてくれた。

 そっと瞼を閉じて、待ってくれている……。

 

 もう一度、あの時を再現しようとしたその時だった。

 ミハイルがそっと俺から離れてしまう。

 

「ごめん、タクト……今のオレには、しない方がいいよ……」

「え?」

「あの日。博多駅で告白してくれた時、すごく嬉しかった。今でも胸がドキドキする……」

 

 頬を赤くして、地面に視線を落としてしまう。

 なんだ? 恥ずかしいだけなのか。

 

「それがどうしたんだ?」

「と、止まらないんだよ……」

「何が?」

「“あの日”が止まらないの!」

「……」

 

 忘れていた。

 ミハイルの性知識は、お子ちゃまレベルだったことを。

 

 その後、彼から詳しい説明を聞いたが。

 どうやら、俺が原因のようだ。

 博多駅で告白した後、抱きしめてキッスを交わす……それもディープキスを10分間も。

 

 それ以来、毎日夢に出て来るらしい。

 お花畑の中を、俺と仲良く手を繋いで歩いていると、いきなり迫られてしまい……濃厚キスが始まる。

 というシーンが、脳内で延々と繰り返されるそうだ。

 

 そんな夢ばかり見るから“あの日”が増えてしまう。

 月に1回レベルの“男の子の日“が、週に2回も起きるとか?

 

 だから「今のオレは汚れている……」と落ち込んでいた。

 いや、むしろピュアすぎでしょっ!?

 

「もうオレにキッスしない方がいいよっ!」

 と涙ぐむミハイルくん。

 ヤバい、そんな顔をされたら、尚のこと襲いたくなる……。

 

「ごほんっ! ミハイル、落ち着け。今、お前に起きている現象は、男なら自然なことだ」

 正直16歳の男子高校生なら、異常だと思うが……。

「ホントにっ!?」

「ああ……」

「そっかぁ~☆ なら悪いことしてなかったんだぁ~ 良かったぁ☆」

 ちょっと、そんなことで善悪の区別をつけていたら、俺なんか極悪人だよ。

 

「別に悪いことじゃないさ……むしろ男なら、成長したことを喜ぶべきだと思うぞ?」

「そうなの? でも、あんまり回数が多いと困るよぉ……あ! そう言えば、前にタクトへ相談した時、言ってたよね?」

「へ?」

「ほら、『制御できる方法がある』って☆」

 緑の瞳を輝かせて、俺の答えを待つミハイル。

 上目遣いだから、どうしても誘われているような錯覚を覚える。

 

 制御できる方法だと?

 そんなの教えなくても、自然と覚えるもんだろう。

 だが、無垢なミハイルなら仕方ないか……。

 

 しかし、どうやって教える?

 そうなるとお互いが、裸にならないと。

 

 はっ!? そう言えば、一ツ橋高校の近くにボロいラブホテルがあったな。

 一時間ほど、ご休憩と称して、彼に恋の課外授業を始めるべきか?

 手取り足取り使って……そのままベッドイン。

 

 いかん、妄想するだけで股間が爆発寸前だ。

 結婚する前に、ミハイルの全てを知り尽くしてしまいそう。

 それは俺の紳士道に反する行為。

 

 仕方なく彼には、その場しのぎの嘘をついておくことにした。

 

「いいか、ミハイル。俺は今18歳だ」

「うん☆ 知ってるよ☆」

「だが、お前はまだ16歳だな?」

「そうだけど?」

「ならば、まだ教えることは出来ない。制御する方法はな、18歳を越えてからじゃないとダメなんだ! よく18歳未満禁止という、赤いのれんを見るだろう? あれはそういうことだ。法律で決められているのだ!」

 ごめん……ミハイル。

 俺は小学生で覚えたけど。

 

 取ってつけたようなウソだが、知識のない彼は驚いていた。

「えぇ!? そうなの!? じゃや18歳まで、このままなの!?」

「うむ……対処法としては、俺とのキスを思い出さないこと、動画も見ないこと。あとはお前の好きな、ネッキーやスタジオデブリのアニメを見まくることだ」

「そんなぁ~ タクトとのキス動画は好きだから、何度も見ちゃうよぉ」

 と口を尖がらせる。

 

「仕方あるまい。今できることはそれぐらいだ」

 悪い、ミハイル。

 結婚の準備ができたら、とことん身体に教えてやるからな。

 いや毎日、俺が絞り出してやろう……。

 

  ※

 

「ところで、ミハイル。さっき言っていた動画の件だが……かなりバズっているらしいな。現段階で500万回再生されていると聞いた。それで姉のヴィッキーちゃんも見たのかな?」

 一番、危惧していることだ。

 なんせ可愛い弟を女装させて、密会していたことをずっと黙っていたからな。

 疑われる度に、どうにかごまかしていたが……。

 

「あ、それなら大丈夫だと思うよ☆」

「どうしてだ?」

「ねーちゃんって、ネットとか見ないタイプなんだ☆ お酒しか興味ないし。でもたまにテレビぐらいなら見るかな? あの動画はテレビで放送されないでしょ?」

「そういうことか……」

 

 ヴィッキーちゃんが、アナログ人間で安心はしたが。

 しかし、例の動画は異常なほどに再生回数が伸びている。

 テレビ局の人が、使わないことを祈ろう……。



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474 二代目アンナちゃん

 

 列車に揺られること30分ほど、目的地である赤井駅へ到着する。

 気がつけば季節は変わり、もう夏の青空になっていた。

 日差しが強く、眩しい。

 

 一ツ橋高校へ向かうため、二人して国道を歩くことに。

 

「なあ、ミハイル」

「ん? なに☆」

「実は……今日のスクリーングで、みんなに全てを告白しようと思うんだ」

「えっ!? こ、告白?」

 告白という二文字に、目を丸くするミハイル。

 

「そうだ。この前の倉石さんが電話で言っていたろ? サブヒロインになったモデルへ結婚を報告するって話」

「なんだ、そういう意味か……」

 どうやら誤解していたようで、俺の説明を聞いて安心する。

 

「ミハイル、お前。不安なんじゃないか?」

「え、何が?」

「お前はいつも俺のことを、優しい人間と……表現する。だから、今日他の女子に会うことが、怖いんじゃないのか?」

 

 俺としては未来の嫁である、ミハイルに気を遣っているだけだ。

 他の女子に未練はない。

 今はミハイルを、第一に考えているつもりだ。

 だから、もう間違いは起こしたくない……彼にちゃんと説明をしておきたかった。

 

 しばらく黙り込んだあと……彼は頷く。

「いいよ……オレ、信じているから。タクトのこと」

 そうは言っているが、目に涙を浮かべている。

 細い肩を震わせて。

 

「ミハイル、無理はするな。俺も嘘はつかないと決めた。お前ももっと素直になれ」

「う……うん。やっぱり、怖いかも。もう取材をしないって言ったら、ひなたとマリアは襲い掛かってくるかもしれないし」

 

 そんな猿じゃないんだから。

 でも、ミハイルがこう言ってくれたんだ。

 俺もその気持ちに応えたい。

 

「わかった、こうしよう。彼女たちと話している時、ずっとそばにいてくれ。そうしたら、なにも起こらないだろ?」

「それは悪いよ。だって、ひなたもマリアも嫌だったけど。タクトへの気持ちは本物だと思うから」

「ミハイル……」

 

 仕方なく、彼女たちへ契約の解除を報告する際は、近くでこっそりとミハイルが見守ってくれることになった。

 

  ※

 

 校門をくぐり抜けると。通称、心臓破りの地獄ロードが見えてきた。

 またこの長い坂道を登らないと、行けないと思うと。通学するのが嫌になってくる。

 でも、今は隣りにミハイルがいてくれる。

 

 気がつけば、俺たちは手を繋いで坂道を登っていた。

 こんな何もない場所でも、デートコースになってしまうとは。

 登り終える頃には、互いに見つめ合って笑い合う。

 

 だが、そんな甘いひと時も一瞬で終わりを迎える。

 坂道のてっぺんに、鬼のような形相をした女が立っていたからだ。

 

「こらぁ~! 貴様ら、久しぶりに学校へ来たと思ったら、もうイチャイチャしやがってぇ……」

 と唇を嚙みしめるのは、担任教師の宗像 蘭先生だ。

 顔を真っ赤にして、俺たちを睨みつける。

 

「宗像先生……」

「センセー、ごめんなさい」

 

 ツカツカと音を立てて、こちらへ向かってくるので。

 俺たちは殴られると思い込み、瞼を閉じてしまう。

 しかし、予想とは反して。先生は俺たちを両手で優しく包み込んでくれた。

 

「お前ら……本当に良かった。あのまま二人が離ればなれになるんじゃないかって、私は心配だったんだぞ」

 

 涙を流しながら、俺たちを強く抱きしめる宗像先生。

 やっぱり心配させてしまったか……。

 

「すみません。今日から復学しますんで」

「お、オレも退学はしないで、卒業までがんばりますっ!」

 

 それを聞いた先生は、態度を一変させる。

 

「そうなのか? ならもう心配ないな……。というか、新宮っ! お前な、私は古賀に素直な気持ちを伝えろと助言したが。あんな街中でディープキスしろとは言ってないぞ、バカ者! 我が校にもクレームの嵐だっ!」

 

 ミハイルだけ解放され、俺は無駄にデカい乳で圧迫される。

 鳥肌、立ってきた。

 

「ぐへっ……あの時は、ああするしか無くて」

「純朴な古賀にいやらしいことを覚えさせやがって! 新宮、お前は卒業するまで大量の補習が必要だっ!」

「そ、そんな……」

「当たり前だっ! もう春学期も終わりなんだから、勉強に専念しろ!」

 

 なんで俺だけなの……。

 

  ※

 

 宗像先生から洗礼を受けたあと、俺たちは校舎へと向かった。

 いつも通り、裏口から玄関に入って、下駄箱で上履きに履き替える。

 そして教室棟の二階へ上がっていく。

 

 本来ならば、朝のホームルームを行う2年生の教室へ入るのだが……。

 全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子生徒が、扉の前を塞いでいた。

 

 小柄な女子だ。

 ピンク色に染め上げた長い髪を、後頭部で1つに丸くまとめている。

 通信制コースの生徒なら、校則など皆無なので、見慣れた光景だが。

 化粧もバッチリ決めているギャル……。

 

「あ、スケベ先生! ちょりっす」

 と胸元で小さくピースしてみせる。

「おお……ちょりっす」

 

 “気にヤン”のコミカライズを担当してくれたピーチこと、筑前(ちくぜん) (ぴーち)だ。

「スケベ先生、打ち切りのこと聞きました。残念っすね……」

 つけまつげが、アホみたいに長いから、瞬きする度にバサバサとうるさい。

 

「それに関してだが……俺のせいですまないことをした、ピーチ」

「いえ、自分はノーダメージなので、大丈夫っす!」

「ん? どういうことだ?」

「スケベ先生と同じく、BL編集部に拾ってもらえたので。ちなみに、聖書(ばいぶる)にぃにも引き抜かれたっす。“気にヤン”は悲しい終わり方でしたが、結果的にはみんな人気も出て、スケベ先生のこと、ありがたく思っているっす!」

「そうなのか……」

 

 ピーチの話では、“気にヤン”に関わったクリエイターは良くも悪くも、例の動画騒ぎで注目が集まったらしく。

 知名度が上がったことで、倉石さんが声を掛けたとか。

 

 コミカライズを担当してくれたピーチは、引き続き俺のBL小説のマンガを描くことになり。

 また兄のトマトさんは、元々男らしいイラストを描くのが得意だったため。

 俺からは離れるが、別の女性作家を担当するらしい。

 女性には描けない……汗だくつゆだくの男臭いイラストも需要がある、らしい。

 

 もう何でもありだな。

 

 しかし、俺もここまで騒ぎがデカくなるとは思わなかった。

 それにこんな形で、彼女の筆を止めてしまうのは、本意ではない。

 深々と頭を下げて、謝ることにした。

 

「ピーチ、今まで色々とすまなかった!」

「い、いえ……自分はそこまでダメージ受けてないんで。むしろ、スケベ先生の……いやアンナちゃん先生のことを深く知れるから、これからが楽しみっす!」

 

 ん? いま俺のことをアンナちゃんって言った?

 

「本当にいいのか?」

「マジっす! 自分はウェブ小説時代からの推しなんで! 同性愛も全然OKっす! かわいいミハイルくんをもっと忠実に描きたいっす!」

 と表現されたことで、隣りに立っている本人は顔を真っ赤にしている。

 

「……オレのこと、写真みたいに描いてくれてありがとね」

「いえいえ、自分もお二人の動画を見て、感動したっす!」

 

 と和やかに話が進んでいるのだが、一つ気になる点がある。

 それは、ピーチの背後に立っている物体だ。

 

 日焼けした三ツ橋高校の女子生徒なのだが……顔がパンパンに腫れ上がっている。

 黒髪のショートカットで、活発そうなのは伝わってくるが。

 ハチに刺されたように、目が腫れている。

 膨れ上がった瞼のせいで、瞳が確認できない。

 

「なあ、ピーチ……お前の後ろに立っている子って誰だ?」

「え? ああ、ひなたちゃんでしょ? 今日、元気ないんす」

 

 ファッ!?

 この物体が、あのひなただと!?

 

「新宮センパイ……久しぶりです……」

「あ、久しぶり」

 

 これから、彼女に契約解除を報告するのか。

 なんか言いづらい。



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475 一時間目、ひなたの場合

 

「センパイ……本当だったんですね。ミハイルくんとの関係……」

 と俺の隣りを指さすひなた。

 パンパンに腫れた顔で、静かに話すから恐怖を感じる。

 

 ただならぬ気配を感じたのか、ミハイルが俺の背中に隠れてしまった。

「なんか、今日のひなた。怖いよ……」

 

 そりゃそうだろな。

 俺が叫んだ愛の告白は、博多中に響き渡った。

 福岡市に留まらず、インターネットを通じて日本中に……いや、世界中でバズっているらしい。

 

 赤坂 ひなたというサブヒロインは、俺が一ツ橋高校へ入学したと同時に、登場した現役の女子高生だ。

 色んな場所で、たくさん取材してくれた。

 時にはキスする寸前まで至った関係……。

 好意を感じていないと言えば、嘘になる。

 

「なあ、ひなた。ちょっと話をしないか?」

「はい……私も、センパイと二人で話がしたかったんです」

 

 こんなに憔悴しきったひなたは、初めて見た。

 だが優しくしてはダメだ。ミハイルのために。

 

  ※

 

 ピーチと別れて、ひなたと二人きりになれる場所を探す。

 

 思いつくのは人気のない3階だ。

 休日だから、三ツ橋高校の生徒はいない。

 

 誰もいない教室に入って、ゆっくり話してもいいが。

 ミハイルが後ろから、こっそりとこちらを眺めているので、廊下で話すことにした。

 

「ひなた……その、もう動画は見たんだよな?」

「はい、見ました。アップロードされてから、何度も何度も見ています。あんなに男らしい新宮センパイは、初めてだと思いました。でも、フラッシュモブよりダサいとも感じました。相手に断られたら、地獄絵図だなって」

 

 なんか、めっちゃディスってない!?

 人生最大の告白を……。

 

「そ、そうか。なら話は早い……俺はアンナ、いやミハイルと一生を共にすることを選んだ。だから、もうこれ以上、ひなたと取材できない。今まで書いていたラブコメも、打ち切りになってしまったし」

「わかってます……そこまで言わなくても」

「え?」

 

 瞼が腫れているから、瞳は確認できないが。

 ポロポロと涙を流している。

 

「信じたくなかった! 新宮センパイが、ゲイだなんて!」

 

 ん? どういうことだ?

 彼女の話し方からすると、俺がノンケじゃないと感づいていたのか。

 

「ひなた。一体なにを言って……」

「最初から全部知ってましたよっ! 新宮センパイがミハイルくんに夢中だってこと!」

 ファッ!?

 

「ま、待て。ひなた……ミハイルじゃなくて、女役のアンナだろ?」

「そんなウソは、すぐにバレてますっ!」

「えぇ……」

「私だって、最初は信じられなかった。センパイにアンナちゃんっていう、可愛い女の子が現れて。確かに写真を見た時は、ミハイルくんのいとこだと勘違いしましたよ? でも実際に会ったら、どう考えても男でしたよっ!」

 

 アンナちゃんという設定。

 最初から正体がバレていたようです……。

 

「じゃあ、なぜ……女の子のアンナとして、接してくれたんだ?」

「だって……かわいそうだなって、思ったからですよ。それに今の世の中、LGBTQとか色々あるじゃないですか? 新宮センパイだって、恋愛未経験の男子だから。一過性の気持ちだと思ってました」

 

 全部、見透かされていた!

 超恥ずかしい!

 

「そ、それなのに、どうして俺のことを?」

「だって! 私だってセンパイを想う、気持ちは本物だからですよ! 初めて女の子として優しく扱ってくれて、好きだって思ったんです! 負けたくなかった……」

「悪い、ひなた。傷つけてしまって」

 

 頭を下げる余裕も無かった。

 ずっと泣き続ける彼女を見ていたら……。

 

  ※

 

 10分以上は経っただろうか?

 ようやく涙が枯れてきた頃、俺はあることを思い出した。

 リュックサックから、大きな紙袋を取り出し、ひなたに差し出す。

 

「そ、その……今までありがとう、ひなた。お前が色んな所へ取材に連れて行ってくれたから。良い作品に仕上がったんだと思う。報酬……というか、気持ちだ。これを受け取ってくれないか?」

 そう言って、彼女に紙袋を手渡す。

 

 膨れ上がった目だから、ちゃんと瞼が開いているか分からないが。

 じーっと紙袋の中を見ているようだ。

 

「……なんです、これ?」

「あ、あの……俺の好きなお菓子だ。博多銘菓『白うさぎ』だよ」

「それはわかってます。私が聞いているのは、もう一つの方。パパが経営している『赤坂饅頭』が3つも入ってるんですけど?」

「いっ!?」

 

 ヤベッ!

 ひなたパパから貰った現金300万円も、一緒に紙袋の中に入ってた……。

 

「箱の中にお金が見えるんですけど。これも私への報酬ですか?」

「ち、違うぞ! それはひなたのパパさんが、前に俺へくれたんだ……仲良くしてくれって。だから返そうと」

「つまり、パパがセンパイを、お金で買おうとしたってことですか?」

「まあ……親だから、ひなたに何かをしたかったんじゃないか」

「最低っ!」

 

 重たい空気が流れる。

 どう、別れを告げたらいいものか……と困っていたら。

 沈黙を破ったのは、ひなただった。

 

「報酬って……そんなのいらないです。私が欲しかったのは、新宮センパイだけでしたから」

「悪いがそれは無理だ……。でもひなたなら、きっといい人がすぐ見つかると思うぞ? 可愛いし、動物が好きだろ? ちょっとガサツな所もあるが、ショートカットも似合ってるし……」

 と喋っている途中で、急にひなたが距離を詰めて、俺をじっと見つめる。

 

「ひなた?」

「センパイ……最後まで口が悪いですね」

 

 気がつけば、俺の視線は窓の向こうだ。

 青い空が見える。キレイだなぁと感動している場合ではない。

 

 なぜなら、頬に激痛が走っているからだ。

 咄嗟に左手で押さえると、熱を感じる。

 

 相変わらず、素早いビンタ。

 ひなたとの出会いも、これが始まりだった。

 何かと彼女は、俺の頬を叩く人間……。

 

 視線を戻すとひなたが、涙を浮かべて叫んでいた。

 

「そんなに報酬をあげたいなら、これぐらい準備してくださいよっ!」

「え?」

 

 何を思ったのか、ひなたは俺のTシャツの首元を掴んで、引っ張る。

 一瞬、バランスを崩して、倒れそうになったが……。

 彼女がそうさせなかった。

 

 小さな唇で、俺をキャッチしたから。

 叩いてない頬に、ひなたがキッスしたのだ。

 

「……え?」

「もう、これでおしまいです! いいでしょ? 思い出なんだから!」

「あ、その……」

「さよならっ! ミハイルくんとお幸せに!」

 そう言うと、彼女は背中を向けて走り去って行く。

 

 

「これで良かったのか……あっ!」

 

 足元に残された、紙袋に気がつく。

 ひなたのやつ、お菓子と現金を忘れてやがる。

 今からでも追いかけようと、紙袋を手に持つと、足音が近づいてきた。

 

「あのっ! そのお金はご祝儀なんで、お二人の結婚に使ってください! どうせパパはあげるつもりでしたからっ! それじゃ!」

「えぇ……」

 

 マジで貰っていいのか?

 

  ※

 

 一人、廊下に取り残された俺は、放心状態に陥っていた。

 女の子をあんなになるまで、傷つけてしまった……と後悔している。

 それならもっと早くに、ミハイルを選べば良かった。

 と考えているうちに、その本人がご登場。

 

 顔を真っ赤にして、涙を浮かべている。

 

「タクトぉ~! やっぱり、優しくしたじゃん! ほっぺチューぐらい避けてよ!」

 うわっ、めっちゃ怒ってる。

 どうしよう……。

 

「いや、ひなたも泣いてたしさ。これぐらいなら……良いかなって」

「良くない! すぐにタクトの汚れを落としてやるっ!」

 

 興奮したミハイルは、俺でも手がつけられない。

 馬鹿力で俺を床に押し倒し、馬乗りになると……。

 

「オレがキスマークつけて、タクトのほっぺをキレイにするんだ!」

 と叫び、ひなたがキスした頬に、自身の小さな唇を押しつける。

 

 確か年末もマリアにされたからと、アンナモードで同じことを試みていたが……。

 中身は一緒だ。

 

「ちゅっ、んちゅ……ちゅっ! あれ? つかない」

 

 今までの俺だったら、このまま彼が満足するまで黙って我慢していただろう。

 しかし、一度『あの味』を知った男ならば、もう理性を保っていらない。

 

「ミハイル。悪いが、そこからどいてくれ……」

「なんでっ!? 逃げる気なの? オレ、怒ってるんだよ!」

「いや……逃げる気など無い。逆に俺の方がキスしたくてたまらないんだ」

 

 どストレートな告白に、顔を真っ赤にするミハイル。

 

「なっ!?」

 

 力が緩んだことを確認すると、すぐさま立ち上がり、彼をお姫様抱っこする。

 そして、近くにあった誰もいない教室へと入って、ドアの鍵をかける。

 

 互いの身長差を考慮して、教室の後ろにある棚の上にミハイルを座らせると。

 彼の両手を背後の黒板に叩きつけ、強引に唇を奪う。

 

「んんっ……」

 

 その後、理性を取り戻したのは、一時間目が終了するチャイムの音を聞いた頃だ。



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476 二時間目、ほのかの場合

 

 初めて授業をサボってしまった、かもしれない……。

 しかし、その原因はこいつにあるだろう。

 

 ミハイルの小さな唇が、たまらなく美味いからだっ!

 まあ正しくは、彼のお口の中……舌先だが。

 我を忘れてしまった俺は、何度もディープキスを繰り返してしまう。

 

 チャイムの音が流れるまで、ミハイルを貪りつくすほど、自分を止めることが出来なかった。

 ようやく正気を取り戻したが、彼の方は心ここにあらずといった顔つき。

 

「ああ……タクトのべろって、タコさんみたい。8つあるんだ、きっと。デヘヘヘ☆」

 

 とアヘ顔で、よだれを垂らしている状態だ。

 

 なんということだ!?

 これではまるで、俺がミハイルを無理やり襲ったと、勘違いされそう……。

 

 とりあえず、彼が二時間目の授業を受けられる状態にしよう。

 

  ※

 

 まだミハイルは、ひとりで歩ける状態じゃない。

 だから俺がおんぶして、二階の教室まで連れていく。

 

 ホームルームはもう終わっているから、宗像先生は事務所に戻っているはずだ。

 勢いよく、教室の扉を開く。

 

 すると、なぜか教壇に宗像先生の姿があった。

 

「おう、お前ら。遅かったな?」

「あ、あれ? 宗像先生は二時間目の授業、担当じゃないでしょ?」

「ああん? 担当の教師が病気で休んだから、急遽、私が担当するようになったのだ。なんか文句でもあるか?」

「いえ……」

 クソっ! 休むなよ。こんな時に……。

 

 仕方なく、いつも通り俺とミハイルの席へと向かう。

 まだミハイルは、トリップしている際中だ。

 ヘラヘラとしまりの無い顔で、ぶつぶつ独り言を呟く。

 

「あはは☆ タクト、すごいね☆ ベロベロが止まらない、オレ壊れちゃいそう~☆」

 

 もう壊れているよ……。

 

 とりあえず、彼を隣りの席に下ろすと。

 急に背後から、誰かがミハイルを抱きしめる。

 

「ミーシャ! おかえり~ 会いたかったっしょ♪」

 

 赤髪のギャル、花鶴 ここあだ。

 涙を流しながら、喜んでいる。

 だが当の本人は、まだ現実世界へ帰っていない。

 

「うへへへ☆ タクトはタコさん♪ まだするの? 仕方ないなぁ~☆」

 よだれを垂らしながら、天井を見上げている。

 

 異変に気がついたここあが、咄嗟にミハイルの肩を掴み、俺から引き離す。

「ねぇ! オタッキーさ、告白の動画を見て感心したけど。もう変なことをミーシャに教えてるの!? 最低っしょ!」

 鋭い。

「あ、いや……誤解だ。ちょっとミハイルと仲良くしていたら、興奮したみたいでな」

 自分でも言いながら、否定していない事に気がつく。

 

「仲良しって、無理やりミーシャをヤッたんしょっ!? 最低じゃん!」

 友情を第一に考えるここあだ。

 心配から取り乱してしまう。

 

 ざわつき始める教室内。

 

「うおっ、新宮のやつ。マジだったのか……」

「授業中に校内でするとか、最強メンタルじゃね?」

「つまり以前の彼は、同性愛者であることを隠していた為、消極的だったのでは? カミングアウトした今、男ならどこでも行為に及ぶモンスターと化した……」

 

 そこまで節操のない男じゃない。

 勝手に人を考察するな。

 

 騒ぎを止めるため、宗像先生が叫び声を上げる。

 

「静かにせんか、貴様ら! 人の恋路だ。外野がとやかく言う筋合いは無いだろう!」

 

 おっ、宗像先生にしては、ナイスフォロー。

 と感心しているのも束の間。

 先生は鋭い目つきで、俺を睨みつける。

 

「だがな。本校では認めてないんだよ……新宮」

「え、何がですか?」

「バカヤロー! 入学式の時に説明したろっ! 喫煙は既定の場所なら認める。また飲酒も働いている生徒がいるから、大目に見ているが……淫行だけは許してないんだよっ!」

「……」

 そんなことを認める学校は、この世に無いと思うが。

 

「やっと、復学したと思ったらこれか? あんなに可愛い古賀をアヘ顔になるまで、立てなくなるほど無理やりするとは……見損なったぞ、新宮っ!」

「ち、違いますって」

「いいや! お前は卒業するまで、しばらく古賀と離れていろ! 花鶴、お前が守ってやれ」

「あーしに任せてください、宗像センセー!」

 

 俺の意見は一切、無視され。ここあがミハイルを保護することなってしまった。

 

「デヘヘ☆ タクトはオレが好き♪ 誰にも止められないんだよ~☆」

 

 早く正気を戻してくれ、ミハイル!

 

  ※

 

 俺がミハイルに近寄ることを、ここあが警戒していたため。

 しばらく彼と話すことは出来なかった。

 

 授業が終わっても、周囲からの視線がグサグサと刺さるのが分かる。

 居心地が悪いからとりあえず、教室を出ることにした。

 

 廊下をひとりで歩いていると、後ろから声をかけられる。

 

「琢人くん! 待ってよ~!」

 

 振り返ると、ショートボブの眼鏡女子。

 北神 ほのかが立っていた。

 

 かなり焦っていたようだ。

 その場で腰を屈めて、肩で息をしている。

 

 相変わらずのファッションで、白いブラウスに紺色のプリーツが入ったスカート。

 以前、中退した全日制の高校で着ていた制服らしいが。

 

「ほのか、久しぶりだな。どうした? そんなに急いで」

「だって……はぁはぁ。琢人くんの動画を見て以来、この気持ちを早く伝えたくて……」

「は? ほのかの気持ち?」

 

 俺が首を傾げていると。

 息を整えたほのかが、眼鏡を光らせる。

 

「そうよ! 琢人くん、ありがとう! ゲイだということを、カミングアウトしてくれて!」

 唐突の出来事だったとは言え、憤りを隠せずにはいられない。

 

「あぁっ!?」

 柄にもなく、ドスのきいた声を出してしまった。

 

「だってさ、おかしいと思っていたんだよ! ミハイルくんを女装させたり、なんかコソコソしてたから。でも、あの動画を見てやっと気がついたの! 二人は最初から、尊いパートナーであることにっ! やっぱり私の第一印象は当たってたのね! 最高のネタ提供に感謝するわ!」

 

 苛立つ俺のことなぞ、無視してマシンガントークを繰り広げるほのか。

 

 まあ、でも……こいつも一応サブヒロインのひとりだからな。

 礼だけは、言っておくか。

 

「なあ、ほのか。お前も知っているんだろ? 俺のライトノベル、“気にヤン”が打ち切りになったのを?」

「うん! それで実録ゲイ小説を書くことになったんでしょ!?」

 鼻息荒くして、顔を近づけてくるからイラっとする。

 

「そっちは、おいおいだがな……。でも、ほのかもサブヒロインのひとりだったんだ。礼を言いたい」

 そう言って頭を下げる。

 

「いやいやっ! こちらこそ、大量のネタ提供に感謝しているよ! 私こそ、二人に報酬を払いたいぐらいよっ!」

「え?」

「だって、さっきも3階の教室で、濃厚キスを見せてくれたじゃない?」

「……」

 耳を疑った。

 今、こいつ『見せてくれた』と言ったよな?

 

「1時間目の授業をサボってまで、ミハイルくんとの『駅弁ファ●ク』に没頭していたかったんでしょ? 鍵まで閉めてたもの!」

「なっ!?」

「しっかり、スマホで録画しておいたわよっ!」

 盗撮していたのか。

 

 一応、ほのかのスマホを確認してみると……。

 彼女の言う通り、俺がミハイルを棚の上に座らせて、両手を押さえているため。

 そう見えなくはない。

 ミハイルの白い両脚は、俺の腰辺りで左右に分かれているし……。

 

「大丈夫よっ! 私は尊い二人を見守りたいだけなの! 悪質なネット民みたいに、おもちゃにしないわ! この動画も家のパソコンに保存するだけ、資料として!」

「……」

 

 でも、どうせ倉石さん達と共有するんだろ?

 もっと悪質な人間に感じるわ……。

 

 こうして、腐女子のほのかという、サブヒロインの契約は解除された。



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477 三時間目、あすかの場合

 

 二人目のサブヒロイン、北神 ほのかとも契約を解除できた。

 ……というか、本人は何とも思っていないだろう。

 

 教室にはまだミハイルが残っているが、トリップしている際中だ。

 彼が正気を取り戻すまでは、意思疎通が取れない。

 今はただ待つことにしよう……。

 

 もしまたキスをしたくなったら、10分以内に抑えないとな。

 そんなことを考えながら、ひとり廊下を歩いていると。

 トイレの近くで、何やら人だかりが出来ていた。

 

「ねぇねぇ、あすかちゃん。テレビに出るって本当なの?」

「ドラマ化で主演って、すごくない!?」

「同じ高校に芸能人がいるなんて……考えられないよぉ」

 

 たくさんの女子生徒が、一人の少女を囲んでいる。

 姿はよく見えない。

 

 芸能人? そんな奴がこの高校にいたっけ?

 首を傾げながら、男子トイレへと入っていく。

 

 小便器の前に立ち、ズボンのチャックを下ろす。

 瞼を閉じて、数秒間リラックスしていると……。

 となりにも生徒が並んだようだ。

 鼻息を荒くしながら、用を足している。

 かと思ったが、違う。

 何も音が聞こえてこない。

 

「ふぅー! ふぅー!」

 

 俺は瞼を閉じているから、相手の顔が見えないが。

 すごく興奮しているようだ。

 

「ねぇ……ちょっと、無視するんじゃないわよ」

 

 ん? オネエ言葉なのか?

 まあ、今時。珍しい喋り方ではあるまい。

 

 尿切れが悪いなと考えていたら、また隣りの奴が話しかけてきた。

 

「ちょっと! アタシがわざわざ話しかけてあげてんだから、こっちを向きなさいよ! タクヒト!」

 最後の名前でようやく、目を開いた。

 俺のことを『タクヒト』と言い間違えるのは、一人しかいないからだ。

 ゆっくりと相手の顔を見つめる。

「お前……あすかか?」

 

 そうだ、すっかり忘れていた。

 三人目のサブヒロイン、自称芸能人の長浜 あすかだ。

 艶がかった長い黒髪。そして、眉毛の上で綺麗に揃えたぱっつん前髪。

 日本人形みたい。

 

「アタシがあすかじゃなかったら、誰になるのよっ!?」

 ゴスロリの赤いドレスを着て、俺を睨んでいる。

 相変わらず、自己主張の激しい女だ。

「すまん、気がつかなかったんだ……」

「あんたねっ! この芸能人であるアタシを置いて、トイレに行くとか。バカじゃないの!?」

「いや……ここ男子トイレなんだけど?」

 尿切れが悪いので、今もチャックは閉じていない。

 つまり丸見え状態なのだが、あすかはお構いなしだ。

 

「アタシは芸能人だからいいの!」

「関係ないだろ……」

「関係なくない! タクヒトはアタシのガチオタなんだから、黙っていうことを聞けばいいの!」

 

 怒りを通り越して、呆れている。

 そして、排尿中に声をかけるのは、マジでやめてほしい。

 生きた心地がしない。

 

  ※

 

 とりあえず、手を洗ってから男子トイレを出ることに。

 もちろん、女子のあすかも連れてだ。

 

 初めて会った時も、男子トイレに侵入してきたからな。

 他の生徒たちが被害を受けていたら、トラウマで退学しかねない。

 

 人気の少ない廊下に向い、改めて彼女の話を聞く。

 

「それで……トイレまで入って来て、何か用があったんじゃないのか?」

 俺がそう問いかけると、急にしゅんと縮こまる。

 

「あ、あの……お、お礼を言いたかったのよ! でも、タクヒトったら。ここ最近学校に来なかったでしょ?」

「まあな、交通事故とか……色々と忙しくてな。それでお礼ってなんのことだ?」

「忘れたの? タクヒトが書いてくれた自伝小説よっ! 今、売れに売れて、自費出版なのに100万部を超えたらしいの!」

 

 すっかり忘すれていた……。

 長浜 あすかという芸能人も、頼まれて書いた小説も。

 

「そ、そうなんだ。良かったな」

「なによ、その反応? 嬉しくないの!?」

「だって俺はゴーストライターだし、売上もあすかや事務所の社長のもんだろ?」

「でも、タクヒトが頑張って書いてくれたのは、事実でしょ!」

「否定はしないが……」

 頼まれて書いたものだし、特に思い入れが無いのも事実だ。

 

「じゃあ、喜びなさいよね! あんたとアタシの合作よ! おかげでテレビドラマ化が決まったのよ? ローカル放送だけどね!」

「ほう」

 ローカルねぇ……。

 鼻で笑うと、あすかがそれを見逃すことはない。

「今、バカにしたわね! 全国的にも人気なのよ? おばあちゃんの家を改築するために、頑張る孫アイドルとして!」

「……」

 

 そうだった。それを聞いたら、また涙腺が崩壊しそう。

 あすかというアイドルは、幼い頃に両親に捨てられ、おばあちゃんに育てられた少女。

 また、おばあちゃんを愛するがあまり、ボロい家を改築することが夢だったのだ。

 そのために、アイドルとしてブレイクする必要がある。

 

「それでね、アタシの本を読んだ全国のおじいちゃん、おばあちゃんが感動したらしいわ。『あすかちゃんみたいな孫が欲しかった』とか、『推しにしたいけど、演歌歌手がいい』とかね!」

 

 やっぱり、かわいそうなあすかちゃん。というテーマが受けたのか?

 そりゃ高齢者は、泣くよな……。

 てか、同情で売れたのでは?

 

 もうあすかというより、おばあちゃんの方が人気じゃね?

 俺はそこに気がつき始めたが、あすかは構わず、自慢話を続ける。

 

「それでね、講演会の依頼が殺到しているのよっ! どんな風に育てたら、あすかちゃんみたいになれるかってね!」

「うぅ……」

 辛すぎて涙が溢れる。

「別に泣くほどじゃないでしょ? でも、タクヒトに感謝しているわ……そのおばあちゃん家の改築費が、無事に貯まったから」

 珍しく、頬を赤らめて視線を床に落とす。

 

「そうか。なら良かったな、あすかも芸能人として人気が出たし、おばあちゃん家もリフォームできるんだ。ボットン便所をウォシュレットトイレへグレードアップできるじゃないか」

 これでおばあちゃんの膝にも、負担がかからないだろう。

「そっちの夢は叶えられたけど……芸能人としては、まだまだよっ! だいたい、ガチオタのあんたがアタシより、バズってんどうすんのよ? 一般人のくせして、博多駅で大々的なパフォーマンスをしちゃってさ! 」

「いや……あれは、仕方なくだ。あれは、事故に近いものだ。むしろ、バズって欲しくない映像だ」

 

 俺がそう説明しても、あすかは納得がいかないようだ。

 顔を真っ赤にさせて床をダンダンっと踏み始める。

 

「なによ? 人気が出て天狗になってるの!? タクヒトが言ったんじゃない? 動画アプリの『トックトック』を使って踊ればバズるって!」

「あ……」

 

 そう言えば、こいつが所属しているアイドルグループ。

 もつ鍋水炊きガールズの事務所に呼ばれた際、売れるにはどうしたらいいか? と双子みたいなアイドル。

 右近充(うこんじゅ) 右子(みぎこ)ちゃんと左近充(さこんじゅ) 左子(ひだりこ)ちゃんに、アドバイスを求められた。

 

 ダンスも歌も、トークも下手。

 しかし、あのアプリを使えば、素人でも簡単にバズれる傾向がある。

 特に肌を露出すれば……。

 と彼女たちに教えていた。

 

「あれから、アタシたちはみんなで中学校の時に着ていた制服や体操服、ブルマとか水着を着て、踊りまくったわよ! でも全然、再生回数が伸びないし……腰振りダンスのしすぎで、ヘルニア手術をする羽目になったわ!」

 どんだけ踊ったんだ?

「す、すまん……。上手くアドバイスできなくて」

「でも、右子と左子が二人で撮った日常の動画はなんでか、バズったのよ! 『気取らない二人が可愛い』とか『この二人だけを見ていたい』とか。意味わかんないわっ! センターはアタシなのに!」

 

 それは、視聴者の意見が一番当たっているのかも。

 センターのあすかは、自己主張が激しいが。いざ本番になると、ド緊張の素人レベルだし。

 でも、右子ちゃんと左子ちゃんは、質素な顔だけど控えめなところが、愛らしい。

 

「結局、もつ鍋水炊きガールズは事実上の解散よっ! 右子と左子だけ、独立したユニットを組んで、『トックトック』で活動しているわ……でも、アタシだって負けないんだからね! 今回のドラマで女優として、売れてみせるわ!」

「そ、そうか……」

「ていうか、タクヒトってさ。ゲイならゲイだって、最初から言いなさいよっ! ノーマルだと思って少し好意を抱いていたのに!」

 と頬を赤くするあすか。

 今さらだよな……。

「すまん」

「別に差別する気はないわっ! ただゲイでも推し変だけは、許さないからねっ! これからは夫婦でアタシを推しなさい!」

 ふざけるな、俺の嫁は俺だけが推しなんだ。

 

 まあ色々あったけど、あすかもちゃんと前へ進めている気がするので、良しとしよう。

 サブヒロインとしては、小説に描く機会がなかったけど……。

 とりあえず、おつかれさま。



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478 四時間目、マリアの場合

 

 ミハイルが正気を取り戻したのは、午前中の授業が全て終わった昼休みだった。

 俺を警戒していたここあも、ようやく彼を解放してくれた。

 

「タクト。オレ、なにをしていたのかな? なんか記憶がないんだけど?」

 記憶が無いのなら、好都合かもな。

「ああ……きっと廊下で滑って転んだ時、頭を打ったからだろう」

「そうなんだ。でも、なんかベロがしびれているんだよね。タクトは知らない?」

「知らんな」

 嘘ついて、ごめん。

 また思い出して、トリップされると困るからな。

 

「ま、いっか☆ タクト、お昼ごはんはまだだよね? オレ、たくさん作ってきたからさ。一緒に食べよ☆」

「もちろんだ」

 

 お互いの机をピッタリとくっつけると、ミハイルが大きな弁当箱を取り出す。

 相変わらず、たくさんのおかずで埋め尽くされていた。

 彼の愛を感じる。

 

 二人して手を合わせて、「いただきまーす」と叫んだところで、ジーパンのポケットから振動が伝わってきた。

 スマホが鳴っているようだ。

 誰だろうと、ジーパンから取り出すと。

 

 着信名は、マリア。

 

「あ……」

 

 忘れていた、最後のサブヒロイン。

 いや、ミハイルが唯一ライバル視していた最強のヒロインだ。

 冷泉(れいせん) マリア。

 

 実は前々から計画していたのだ。

 今日、1日で全てのヒロインたちに結婚を報告し、契約を解消しようと。

 マリアは10年前からの長い付き合い。

 それに彼女は命をかけてまで、俺との約束を守ろうとした女の子。

 簡単に諦めてくれるとは思えない。

 

 でも、愛するミハイルのためだ。

 俺は事前に彼女へメールにて、『話がある』と今日の午後に会おうと約束していた。

 ただスクリーングが終わる、夕方だったのだが。

 

「電話に出ないの? タクト」

 とミハイルに言われるまで、固まっていた。

「ああ……実は相手はマリアからなんだ」

 彼女の名前を口から出すと、ミハイルも顔が凍りつく。

「え? もしかして、マリアに会うの?」

「そりゃ、マリアにも直接会わないとな……」

 

 とりあえず、電話に出ることにした。

「もしもし?」

『タクト。ごめんなさい、まだスクリーングの際中でしょ? ちょっと急遽、予定が入ってね……』

 強気な彼女にしては、随分と覇気のない声だった。

「え? じゃあ会えないのか?」

『そうね。タクトとは、しばらく会えないかも……』

「しばらく? ど、どういうことだ? ちゃんと説明してくれ!」

『もうタイムリミットなの……あと一時間後には福岡を出るのよ』

「福岡を出る? どこへ行くんだ?」

『アメリカよ……』

「なっ!?」

 

 言葉を失う俺に、優しく話しかけるマリア。

『珍しくあなたからメールが届いて、すぐに理解できたわ。結婚の話でしょ? それから私たちの関係は終わり……と伝えたいのよね。でも、ごめんなさい。タクトの顔を見たらまた泣きそう……。その前にサヨナラしたかったの』

「……」

 

 しまった、事前に予定を組んだのがまずかったか。

 逆にマリアから気を使ってもらうとは。

 でも、このまま彼女と顔も見ないで、電話で別れを告げていいものだろうか?

 

 それはダメだっ!

 ここで、しっかり彼女に自分の気持ちを伝えないと絶対に後悔する。

 

「一時間後だな?」

『え?』

「空港にいるんだろ? 搭乗まであと一時間なら、まだ間に合うかもしれない」

 そう言い終えるころには、俺は席から立ち上がり、リュックサックを背負う。

『ちょっと、タクト。無理よ……やめて』

「いいや。最後ぐらい顔を見て、話がしたい」

『タクト……あなたって人は』

 受話器の向こう側で、すすり泣く声が聞こえる。

 

「じゃあ、福岡空港でな」

『……』

 

 無言の回答をYESと見なした。

 ひとり教室から出ようとする俺を見て、ミハイルが慌てて止めに入る。

 

「ちょっとタクト! どこへ行くの?」

「マリアのところだ。今からアメリカへ行くそうだ。しばらく会えない、だから最後に顔を見ようと思ってな……」

「そうなんだ……マリア、アメリカに戻るんだね」

 一番憎んでいたはずの存在だが、日本から離れることを聞いて、なぜか寂しそうな顔をしていた。

 

「ミハイル、お前も来るか?」

「え、いいの?」

「だって近くにいないと、また不安になるだろ?」

「うん☆」

 

 彼が作ってくれた弁当は、口惜しいがここあに渡して。

 俺たちは学校から飛び出て、タクシーで福岡空港へ向かうことにした。

 

 ~約50分後~

 

 タクシーの運転手を急かして、ギリギリ空港のロータリーへ到着した。

 ミハイルが気をきかせ、「料金を払っておくから」と車から俺を押し出す。

 

 スマホを片手にマリアの姿を必死に探す。

 彼女がアメリカへ旅立つと言っていたから、国際線のターミナルビルへ向かい、カウンターにいたお姉さんへ声をかける。

 

「あ、あのっ! アメリカ行きってどこから出ますかっ!?」

「え? アメリカ行き……でございますか? そのような便はありませんが」

 ヤベッ、細かい目的地を聞いてなかったわ。

「その……冷泉 マリアという名前で呼び出し……いや、もう時間がないか、クソっ!」

 と焦りから、床を蹴ってしまう。

 

 そんな俺を見て、受付のお姉さんが優しく声をかける。

「お客様、失礼ですが……お話からきっと、探していらっしゃる相手の方は国際線ではなく。国内線に乗るのではないですか?」

「え?」

「あの、福岡空港から直行便で、アメリカへ向かうことは無いと思うので……たぶん、羽田空港へ向かうのだと思います」

「……」

 またしくじった。

 

 受付のお姉さんに礼を言うと、国内線のターミナルビルへと急ぐ。

 二階へ上がる階段を登っていると、見慣れた姿の少女が目に入る。

 

 黒を基調とした、シンプルなデザインのワンピース。

 胸元には、白い大きなリボン。

 細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。

 

 その姿を見た途端、俺は叫んでいた。

 

「マリアッ!」

 

 振り返る金髪の少女……。

 しかし、その瞳は確認できなかった。

 なぜなら、黒いサングラスをかけているから。

 

「タクト……」

 

 俺の声に反応した彼女は、一瞬動揺したように見えたが。

 手にしていたキャリーバッグを、床に投げ捨てる。

 そして、俺めがけて飛び込んできた。

 

 避けるという選択肢もあったが、ここは黙ってマリアを受けとめることにした。

 もう最後だから。

 

「間に会ったな、マリア」

「バカッ! あなたにこんな顔を見せたくないから、黙って行こうとしたのに……」

 

 そうは言うが、彼女の両手は俺の背中を離さない。

 むしろ、抱きしめる力はどんどん強くなっていく。

 

 サングラスをかけているから、わからないが。

 きっと例の動画を見て、ひなたのように泣いていたのだろう。

 だから、俺に顔を隠しているのか。

 

 

 胸の中に顔をうずめて、すすり泣くマリア。

「一分で良いから、このままでいさせて……」

「ああ」

 ここまで来て、これを拒むことは出来ない。

 時間も限られているし。

 

「でも……私、逃げるためにアメリカへ旅立つわけじゃないからね」

「え?」

「もう一度、自分を磨くために日本から離れることにしたの。まだ信じていないもの……タクトが同性愛者だって」

「……」

 返す言葉が見つからない。

「それに、タクトがいくらアンナ……いえミハイルくんと結婚をしたとしても、私は永遠の愛だと思えない。同性愛って、あまり長く続かないって聞くし」

 

 俺はそれを聞いて、思わず彼女を引き離す。

 サングラス越しだが、彼女の瞳をじっと見つめる。

 

「マリア、俺は本気だ。男のミハイルと一生を共にしたいと誓った。だから、そんなことは絶対にないっ!」

「……そう。なら、証明してよね? 私が諦めの悪い女だって知っているでしょ。毎年、福岡に戻って、あなたたちが別れていないか……確かめてあげるわ」

 

 彼女は俺の胸を人差し指で小突くと、怪しく微笑む。

 しかし、これは去勢を張っているだけだ。

 認めたくないだけで、本当は傷ついている。

 

 ここは、優しくするのではなく、敢えて彼女の挑発に応えるべきだろう。

 

「望むところだっ! 毎年確かめてくれ、俺とミハイルの愛が永遠であることを必ず、証明してやる!」

 

 俺が言い切るころには、彼女の顔から笑みが失せ、唇が震え出す。

 涙をこらえているようだ。

 

「じゃあ、一分経ったから……さよなら、タクト。大好きよ」

 

 背中を向けるマリア。

 これが最後の別れだと思うと、寂しい……。

 咄嗟に彼女の手を掴んでみたが、振り払われてしまう。

 

「マリア……」

「やめておきなさい、みじめなだけよ。それにさっきから、後ろであなたの大事なパートナーが、こちらを見張っていることに、気がついてないの?」

「え?」

 

 振り返ると、近くのソファーに隠れているミハイルに気がつく。

 涙目でこちらを睨んでいる。

 

「ふぅ~! ふぅ~!」

 

 今にもこちらへ飛び掛かってきそうだな。

 もうマリアを追いかけることはせず、未来の嫁を優しく抱きしめることにした。

 

 こうして……最強のヒロインは、日本から旅立っていった。



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第五十七章 男の娘と結納
479 結婚前なので、ダメです。


 

「ぐすんっ……タクト。オレ、我慢したよ。マリアがかわいそうだったから……たくさん我慢したんだよっ!」

 そう言って、緑の瞳に涙を浮かべるミハイル。

 俺は彼の肩に優しく触れ、慰める。

「ああ、分かっている。よく我慢してくれた、ありがとう。ミハイル」

 そう言うと、ミハイルの身体を力いっぱい抱きしめる。

 安心したのか、その場で泣き叫んでしまう。

「うわぁん!」

「……」

 

 罪悪感を感じた俺は、黙ってミハイルを抱きしめることしか、出来なかった。

 

  ※

 

 しばらくして、落ち着きを取り戻したミハイルが、あることに気がつく。

 

「くんくん……マリアの匂いがする」

「え? 匂い?」

「オレには分かるもん! タクトのTシャツに、マリアの香りがこびりついているよっ! 嫌だっ!」

 そんなことを言われてもね。

 ファ●リーズでも、かけろってか?

 

「そりゃ、マリアも人間だから、生活する上で石鹸や服の洗剤とか使うだろ? すぐに消えるさ」

 しかしミハイルは、納得してくれない。

 毎度のことだが、こう言うのさ。

 

「イヤだっ! タクトの汚れはしっかり落とすのっ!」

 

 また始まったか……。

 だが、ここで彼の行動を制止すれば、もっと面倒なことになる。

 とりあえず、ミハイルのやりたいようにさせよう。

 マリアとのハグも我慢してくれたし。

 

 ~10分後~

 

 ミハイルに連れられ、俺は近くにあったソファーで、仰向けに寝かせられた。

 そして、彼が「じっとしていて」と言うので、黙って待機していると。

 

「よいしょ! よいしょ!」

 

 目の前をミハイルが上下に行ったり来たり……。

 俺とピッタリ身体を密着させて。

 

 お互い、服を着ているとはいえ、今は真夏だ。

 彼は露出の高いタンクトップにショートパンツ。

 ミハイルの白い肌が、こすりつけられる。

 

「……」

 

 やられている俺からすれば、沈黙しか選択肢は無かった。

 なぜなら、少しでも理性を失えば、暴走しかねないから。

 特に股間が。

 

「まだ、消えないね。もっとオレの身体をくっつければ、消えるかな? よいしょ」

「いや……これ以上は、ちょっとな」

「え? なんで?」

 

 目を丸くして、自身の膝を俺の股間に押しつけるミハイル。

 

「ひぐっ!?」

 

 いかん……このままでは、本当に彼を襲ってしまいそうだ。

 純朴なミハイルは、知らないでやっているのだろうが。

 

「ねぇねぇ、タクト。前から思っていたんだけどさ……たまに、タクトってお股が大きくなってぇ。すっごく熱くなるの、なんでなの?」

 と首を傾げるミハイル。

 

 悪気は一切、無い。

 姉のヴィッキーちゃんによって、彼は洗脳されているからだ。

 だが、そろそろ教えてやってもいいか。

 

「そ、それはだな……男なら誰しも起こる現象だ」

「えぇ!? そうなの? でも、オレは起きないよ?」

 どんだけ、純朴なんだよ!

「まあ……人それぞれ、成長と共にだな」

「ふぅーん、じゃあさ。この大きいお股ってなんていう名前?」

 

 ド直球な質問に、俺も困惑してしまう。

 さすがに親代わりでもある、ヴィッキーちゃんの教育方針を俺が変えてはならない。

 

「そ、それはだな……。『熱いパトス』的なナニか、というものだ」

 逃げちゃダメだからね。

「へぇ~ じゃあさ、すごく暖かいから、今からオレが手で触ってもいいの?」

 ファッ!?

 

「絶対にダメだっ!」

 そんなことをされたら、俺が暴発してしまう……。

 しかし、ミハイルは特に悪びれることなく、首をかしげる。

「なんでなの?」

「とにかく、ダメなものはダメなんだっ!」

 

 ソファーの上で、俺たちがイチャついていると。

 何やら辺りが騒がしい。

 

「お義母さん。あれ、今話題のゲイカップルじゃないですか?」

「本当ですね、腐美子(ふみこ)さん……最近、枯れていたけど、私も燃えてきたわぁ」

「しゅご~い! ほんとうに男の子どうしで、やってるぅ~!」

 

 なんだ? あの女性陣は。

 眼鏡をかけた地味な三世代の女子たちが、こちらを眺めている。

 もしかして、例の動画で俺たちを知っているのか?

 

 しかし、俺の予想は大きく外れる。

 その親子たちが見ていたのは、天井に吊るされたテレビ。

 流されている映像は、全国放送の報道番組。

 

『えぇ~ 繰り返し、お伝えしております……今、ネット上で人気の、この動画ですが。一部、過激な内容も含まれておりますので。小さなお子様とご覧になっている方は、気をつけてご覧になってください』

 

 とアナウンサーが、注意したあと映し出されたのは、博多駅の中央広場。

 一人の青年が、金髪の少女に叫ぶ。

 

『好きだ、ミハイル』

『オレもタクトのことが、大好きだよ☆』

『じゃあ……キスしてもいいか?』

 

 改めて見返すと、超恥ずかしいな。

 ミハイルも報道されている映像を見て、固まってしまう。

 

『ぶちゅ……じゅぱじゅぱ、レロレロレロ!』

 

 という映像が、10分間も全国で放送されていた。

 なんてこった!

 

 映像が切り替わり、アナウンサーが原稿を読み上げる。

 

『この……同性愛者の人々による告白動画ですが、波紋を呼んでおります。あまりにも過激な内容だと、視聴者の方々から、多数のクレームが届く一方で。この二人を応援されている方もいます。こちらをどうぞ!』

 

 どうやら、テレビ局のスタッフが街角でインタビューを行ったようだ。

 色んな人々がコメントを寄せている。

 

 学ランの制服を着ている、男子高校生が叫ぶ。

 

『お、俺は! あの二人をバカにする奴らは、マジで許さねぇよ!』

 

 ん? どこかで見たことのある少年だ。

 少年は鼻息を荒くして、熱く語る。

 

『だってさ、目の前で見ていたんだぜ! 俺、あの告白を見て勇気をもらえたんだ……。想いを寄せていた、お兄ちゃんと両想いになれたんだ!』

 

 あの時のブラコン君か。

 マジで、結ばれちゃったの?

 

『誰だって、人を好きになる権利はある! それを教えてくれたのが、あの二人だ! 俺はあいつらを応援してるよっ! 大好きなお兄ちゃんと一緒に!』

 と叫ぶ少年。

 そこへ眼鏡をかけた青年が現れ、少年の肩に手を回す。

『こらこら、あまり人前で僕たちのことを言うんじゃないよ……』

 坊ちゃんヘアーで優しそうに見える。

『だって、お兄ちゃんさ! 同性愛をバカにするのはダメだろ?』

『フフフ……そうだね。あの子たちがいなければ、僕たちは結ばれなかったのだから』

『お兄ちゃん……』

 

 俺たちのことを無視して、お互い見つめ合う。

 なんかキスしそうな雰囲気。

 てか、この二人はダメな恋愛だろ……。

 

 アナウンサーが言うには、例の動画は全世界でバズりまくり、現在では1千万回以上も再生されているらしい。

 そのため、各テレビ局でも取り扱うようになった。

 全国放送だけではなく、ローカル放送でもだ。

 

 ただ一部の地域では、内容が内容なだけに物議をかもしているのだとか?

 しかし、そっち界隈の人々や腐女子たちが、俺たちの側についてくれて。

 色んなところで、フォローしてくれているようだ。

 

 だが、俺たちがここまで有名になってしまうのは、想定外だ。

 ひとりで頭を抱えていると、ミハイルが声をかけてきた。

 

「た、タクト……」

 真っ青な顔で、唇をパクパクと動かしている。

「どうした? ミハイル」

「ねーちゃんから、電話がかかってきたの……テレビで、あの動画を見たって」

「ひぃっ!?」

 思わず、悲鳴をあげてしまう。

 

「すごく怒っていて、今度タクトを家に連れてこいって言われたよ……ねぇ、どうしたら良い?」

「そ、それは……ちゃんと誠意をもって、ヴィッキーちゃんへ結婚の挨拶に行けばいいさ。どのみち、会おうと思っていたからな」

「本当に大丈夫かな? ねーちゃん、なんかいつもと違うんだよ。怒り方が静かで……」

 うわっ。一番、怖い怒り方だ。

 

「まあ、大丈夫だろ……。日程を組んだら、改めて挨拶に行くよ」

 

 女装の件も黙ってたし、殺されるかも。



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480 親を嫌っても、似てしまうのは必然

 

 俺とミハイルの告白……いや、ディープキス動画は世界中に拡散され。

 ついには、テレビでも報道されてしまった。

 

 あれから、3日経った。

 ミハイルの姉、ヴィクトリアにバレてしまったが怖い。

 毎日、震えあがっている。

 俺を殴るぐらいで、彼女の気が済むだろうか?

 

 ヴィクトリアは、両親を交通事故で失って以来、身を粉にしてミハイルを育てきたという。

 その愛情は俺よりも遥か上……いや、かなり歪んでいる。

 性教育もめっちゃ適当に教えているため、弟の成長は小学生以下で止まっている。

 

「だが、そこがカワイイ! 早く結婚して、ミハイルを素っ裸にしたいっ!」

 

 ひとり、自室で叫び声を上げる。

 興奮のあまり、学習デスクを拳で叩いてしまった。

 

「ふ、ふぇ……ふぇ~ん!」

 

 訂正がある。

 今はひとりではなかった。

 最近、生まれたばかりの妹。やおいがそばにいたことを。

 

「すまん、やおい。お兄ちゃんが悪かった」

 ベビーベッドから、そっとやおいを抱き上げ、背中をさすってやる。

「ふぇ~! 受け、受けぇ~!」

 これが無かったら、可愛い赤ん坊なのだが……。

 

 泣き止まない妹を見て、仕方なく中洲のばーちゃんに習った育児法を試してみる。

 

 パソコンを起動して、BLアニメで検索。

 とある動画がヒットしたので、サムネイルをクリックすると。

 

『やめろっ! てめぇ、いい加減にしねぇとぶっ飛ばすからな!』

 金髪のヤンキーが、顔を真っ赤にして怒鳴る。

『だから? 僕は性に対して、正直なんだ? いつも僕をいじめてるじゃん。させてよ』

 どうやら、いじめっ子の方が、真面目な少年に襲われているようだ。

『調子こいてんじゃねぇ! あとでフルボッコだぞ、てめぇ!』

『いいよ? その代わり、僕を楽しませてね』

『あ、やめ……ちゅき』

 

 なんなんだ、この作品は。

 いじめっ子のくせして、受け入れるなよ……。

 

 だが、俺の妹はご満悦のようだ。

 

「うひひひ……」

 

 気持ちの悪い笑い方だなぁ。

 

  ※

 

 母さんが実家である中洲から、妹を連れて帰ってきたのは良いが。

 未だに、お産のダメージが残っているようで、寝込む日々が続いている。

 仕方ないので、俺がやおいの面倒を見ることが多い。

 

 また泣き出したので、BLアニメを検索しようと思ったが、やめた。

 泣き方が違う。

 これは腹を空かせた時だ。

 

 やおいを抱きかかえて、リビングへ向かう。

 テーブルには、常時やおい用に哺乳瓶と粉ミルクが置いてある。

 

 哺乳瓶に粉ミルクを入れて、お湯を注ぐ。

 粉が溶けだしたら、キッチンの蛇口から水を流し、瓶を冷ます。

 何度か繰り返しているうち、適温かな? と自身の頬に当てようとしたその時。

 

「おい、まだ熱いだろ?」

 

 背後に誰かが立っている。

 

「え……?」

 

 恐る恐る振り返って見ると、そこには大柄の男が立っていた。

 

 身長は180センチほどか。

 黒く長い髪を首の後ろでくくっている、輪ゴムで。

 黄ばんだタンクトップに、ボロボロのジーンズ。

 

 ホームレスに間違えてしまいそうな、この汚いおっさん。

 俺の父親、新宮(しんぐう) 六弦(ろくげん)だ。

 

 突然の帰宅に驚く俺を無視して、六弦は作りかけのミルクが入った哺乳瓶を取り上げる。

 

「まだ冷めてないだろ? 俺のやおいたんがやけどしちゃうぜ」

 

 とミルクを冷ます親父。

 お前の大事な娘なら、今までなにをやっていたんだ。

 育児放棄ってレベルじゃないだろ。

 

 やおいが履いている紙おむつも、今作っているミルクだって、俺が印税で購入したものだ。

 都合のいい時だけ、父親づらしやがる……。

 

  ※

 

 テーブルのそばにあるイスへ腰を下ろす六弦。

 そして、俺からやおいを受け取ると、慣れた手つきでミルクを飲ませ始めた。

 というか、父親に抱っこされたの、初めてじゃないか?

 

「おぉ~ かわいいなぁ、やおいたんわ」

 鼻の下を長くする親父を見て、苛立ちを隠せない。

「なあ、いきなり帰ってきて……一体何の用だ?」

 どうせまた、俺に金を無心してくるのだろう。

「おい……タク。そんな言い方ないだろ? 俺がお前たちの顔を見たくて、帰ってきたらダメなのか?」

 即答でダメだ! と言いたいところだが、ここは自分を押し殺す。

「……」

「なんだよ? 父親が帰ってきて喜んでくれるのは、やおいたんだけかよ?」

 いや、やおいはただミルク欲しさに、お前に抱っこを許しているだけだ。

 飲み終わったら、さっさと出ていけ。

 

 

「まあ、冗談はここまでにしてだな……タク。お前、結婚するんだろ?」

「なっ!? なんで知っているんだ?」

「なんでって、あれだけニュースを流されちゃ、俺も黙って見ていられないぜ。親だからな。子供の祝福を願わないバカがどこにいる?」

「親父……」

 ちょっと、目頭が熱くなってしまう。

 こんなクソ親父でも、人の心が残っていたのか。

 

「俺もさ、父親らしいこと。あんまりタクに出来なかっただろ。でも結婚ぐらい応援させて欲しいんだ。だからニュースを見たら、居ても立っても居られなくてな……深夜バスで帰ってきたんだ」

 と親指を立てて、ニカッと笑う。

「じゃあ、俺のために帰ってきたとでも、言うのかよ?」

「もちろんだ。俺が誰か忘れたか? ヒーローだぜ。人を救うのが大好きだから、やっている職業だけど。その前に、お前たち家族を一番大事にしている男だ。タクの結婚、全力で応援させてくれ!」

 

 今までこんなことを、親父に言われたことないから、言葉が見つからなかった。

 でも、六弦が嘘を言っているようには見えない。

 心の底から俺を応援したい……。

 息子を助けるために、帰ってきてくれたんだ。

 

「お、親父……ありがとう」

 気がついたら、その言葉が口から漏れていた。

 こんな奴に言うことじゃないのに。

 

「バカ野郎、気にすんな。ところで、相手の家に結婚の挨拶は行ったか?」

「……まだ行けてないんだ。でも今度、挨拶へ行くつもりだよ」

「おお、そうか。なら丁度良かった。こいつを持ってきた甲斐があったぜ」

 そう言うと、つぎはぎだらけのリュックサックから、細長い箱を取り出す。

 かなり汚れていて、テーブルの上に置くと、箱から土埃がぽろぽろと落ちてきた。

 

「なんだよ、この汚い箱は?」

「タク、お前知らないのか。この有名なウイスキーを?」

「これが酒? そんなものを相手に持っていたら、怒られるだろ」

「バカ野郎! お前は酒を飲まないから、このウイスキーの凄さを知らないんだ! 良いから持っていけ! 『すみ酒』って奴だ。絶対なにかの役に立つからよ。お前のために、こいつを持ってきたんだ」

 と汚い箱を俺に押しつける。

 

 仕方なく受け取るが、持って行くつもりはない。

 だって、ヴィッキーちゃん。怒ってるもん。

 こんな汚いの持って行ったら、殺される……。

 

「よく分からないけど、とりあえず、もらっておくよ」

「おお! 絶対に持っていけ! これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれるさ!」

 酒を飲めない親なら、どうするんだ?

「ところで、この酒。親父が買ったのか?」

「いいや。だいぶ前に震災があった地域で、とある会社のおっさんを助けたんだ。そしたら、お礼にとくれたんだ。『ザ・メッケラン』の60年ものだぜ?」

 お前が買ったんじゃないのかよ……。

 どこまでも、他力本願な野郎だ。

 

 

 親父と結婚の話をしている間に、妹のやおいがミルクを飲み終え、居眠りを始めていた。

 そのまま寝かせると、逆流してミルクを吐きだすので、やおいの顎を親父の肩にのせる。

 

「ほれ、ほれ。やおいた~ん。寝るんでちゅよ~」

 

 一定のリズムで背中を叩く。

 しばらくすると、クリーンヒットしたようで、赤ん坊とは思えないぐらい大きな声でげっぷする。

 

「ぐえええ!!!」

 

 酔っぱらったおっさんの声だな。

 

「あら、六さん。帰ってたの……?」

 

 振り返ると、やつれた寝巻き姿の母さんが立っていた。

 

「お、琴音ちゃん! ただいま!」

「おかえりなさい、六さん!」

 

 お互い見つめ合うと、全てを投げ捨てて、抱きしめ合う。

 つまり、生まれたばかりの妹。やおいを俺に押しつけて、嫁と熱い口づけを交わすのだ。

 ディープキスで。

 しんどっ!

 

 そして、燃え上がる二人はそのまま、母さんの寝室へと消えていった。

 ドアが閉まると、ベッドの軋む音が家中に響き渡る。

 

『あああ! いいわっ、六さん!』

『琴音ちゃん、俺の子供を産んでくれるか!?』

『六さんの子供なら、いくらでもぉ!』

 

 もう産むなよ……。

 あんた、産後間もないだろ。

 

 母さんの喘ぎ声と共に、やおいがまたげっぷする。

 

「ぐえええ!!!」

 もう嫌だ、この家。



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481 お父さん! 僕に息子さんをください!?

 

 まさか、またこのスーツを着るとは……。

 一ツ橋高校へ入学する時、親父から借りたスーツだ。

 親父の方が背が高いから、ガバガバだけど。

 

 今日はミハイルとの結婚を許してもらうため、先方へ挨拶に行くのだ。

 形だけでもしっかりしないとな。

 髪型も洗面台に置いてあったポマードで、ビシっと決める。

 オールバックというやつだ。

 

 思わず、鏡に映る自分に見とれてしまう。

 

「う~む。マフィア映画の幹部ってところかな」

 

 顎に手をやり、ポーズをとると。

 背後から声が聞こえてくる。

 

「幹部じゃなくて、チンピラにもなれなかった陰キャですわね。映画ならすぐ撃ち殺されて終わりですわ」

 

 振り返ると、妹のかなでが立っていた。

 赤ん坊のやおいを抱っこしながら。

 

「かなでか……驚かせるなよ。俺は今から結婚の挨拶に行くんだぞ?」

「おにーさま。なんでそんな余裕たっぷりなんですの? 相手側はミーシャちゃんとの恋愛さえ、許してないんでしょ?」

「そ、それは……」

「はぁ……やっぱり、何も考えていないのですね。いいですか? 普通の恋愛結婚でも、お二人は反対されること間違いないですよ。だって未成年でしょ」

 そう言われたら、そうだ。

 告白した時は、ミハイルを逃がしたくない想いで、勢いからプロポーズした。

 いくら高校を卒業してから……という約束があっても、あのキス動画が問題だ。

 

「う……でも、本人であるミハイルは、俺と一生を共に過ごすことを誓ってくれた。どんな困難も今の俺たちなら、乗り越えられるさ!」

 しかし、それを聞いたかなでは鼻で笑う。

「わかってませんね。お二人が熱々なのはいいことですけど。結婚というものは他人同士が、まったく生き方の違う家族が一つになるということですわ。猫の子をもらうわけじゃないですの。ミーシャちゃんだって、家族がいるんです。そこを理解しないと、おにーさまがひとりで突っ走っているだけですわね」

 

 クソ、こいつなんて相手もいないのに。

 妙に現実味のある話し方だ。

 

「じゃあ、どうすれば良いんだ?」

「簡単ですわ。ミーシャちゃんのご家族に認めてもらうことです。でもそれが一番、難しいですわ。おにーさまの人間性、収入など。それにご家族との相性ですわね」

「……」

 

 どれも絶望的じゃないか。

 可愛い弟を女装させて、好き勝手なことをしたし。

 収入は、今でこそあるが……一時的な印税のみ。

 BL編集部のバイトをやらせてもらっているが、二人で暮らすには無理がある。

 あと、姉のヴィッキーちゃんとの相性は、良いのだろうか?

 

「ま、何回も何回も相手に怒鳴られて……。時には殴られ、蹴とばされても、諦めずに挨拶へ行きまくることですわ。恋愛と一緒のことですよ?」

「今の俺なら大丈夫さ。ミハイルがついているからな!」

 と拳を作ってみたが、赤ん坊のやおいがぶち壊す。

 

「受けっ! 受けっ!」

「……」

 だから、お前のお兄ちゃんは、バリバリの攻めだと言っているだろ。

 

  ※

 

 日取りは事前にミハイルと決めていた。

 姉のヴィクトリアは、あの報道を見て以来、元気がなく。

 長年、地元で人気の洋菓子店なのに、休業が続いているらしい。

 

 よっぽどショックだったのだろう。

 可愛い弟が女装して、プロポーズされる動画が世界中に知れ渡ってしまった。

 しかも、ミハイルはそれを受け入れている……。

 

 俺たちの恋愛における最大の弊害は、姉のヴィッキーちゃんかもしれない。

 

 

 列車に揺られること数分、目的地である席内(むしろうち)駅へたどり着く。

 改札口を出ようとしたところで、すぐに彼の姿が目に入る。

 ミハイルだ。

 

「タクト~! 久しぶりだね☆」

 

 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、微笑む。

 丈の短いタンクトップだから、おへそは丸出し。

 ショートパンツも、ダメージ加工のデニムだから、ところどころ穴が開いている。

 男性用とはいえ、彼のおパンツが見えてしまう。

 今日は赤ですね……ゴクリ。

 

「よお、ミハイル」

 改札口を抜けると、彼はすぐに、俺と腕を組みたがる。

 絶壁の胸が肘にあたり、興奮してしまう。

「ねぇ、最近。なんで連絡くれないの? さびしいじゃん」

 と上目遣いで唇を尖がらせる。

「そ、それはその……妹のやおいが帰って来てお世話とか。あと今日の挨拶で、色々と考えていたんだ」

「そうだよね、ごめん。なんかタクトが告白してくれてから、ずっと胸のドキドキが止まらなくて……」

 今度はちょっと涙目になってしまった。

 

 ヤベッ、かわいすぎる。

 この辺にホテルないかな?

 ちょっとご休憩してから、挨拶したらダメかな……。

 

  ※

 

 そんなイチャイチャタイムは、すぐに消え失せる。

 駅から数分で、席内商店街が見えてきたからだ。

 伝説のヤンキー、古賀 ヴィクトリアが営むパティスリーKOGAがあるのだが。

 本日もシャッターが降りたまま。

 

「なあ、ミハイル。ヴィッキーちゃんの様子はどうだ?」

「う、うん……なんか毎日、おかしいんだ。仕事もしないし、ずっとお酒ばかり飲んでいるの。それでね、オレが少しでも外へ行こうとしたら、怒り出すんだ。スーパーへ買い物に行くだけなんだよ?」

「……」

 

 完全に嫁入り前のダメ親父じゃないか。

 

「とにかく、オレが離れないようにずーっと『お酒のつまみを作れ』ってうるさいんだ。別にオレは作るの、好きだから良いんだけど」

「そうか……」

 一体、どうなることやら。

 

 ミハイルに案内され、店の裏側に回る。

 少し錆びた外付け階段をのぼると、玄関が見えた。

 

 随分と年季の入ったドアらしいから、毎回ヴィッキーちゃんが蹴りまくっていたっけ。

 馬鹿力のミハイルは余裕の顔で、カチャンと開けているが。

 

「じゃあ、どうぞ☆ タクト☆」

「おお……おじゃましまーす」

 

 家に入った瞬間、異様な臭いで充満していることに気がつく。

 酒くさい……。

 きっと換気もしていないのだろう。

 なんか息苦しいな。

 

 とりあえず、紳士靴を脱いで、ミハイルと共にリビングへ向かう。

 奥で待っていたのは、下着姿であぐらをかく金髪の女性。ヴィクトリア。

 彼女の前には、大きなローテーブルがあり、ミハイルが作ったと思われる料理が並んでいた。

 そして後ろの壁には、ストロング缶とウイスキー瓶が大量に重ねられている。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 どうやら居眠りしているようだ。

 よく見れば、目の下に大きなくまがある。

 俺に対する怒りも強いようだが、心配なんだろうな。

 

「あ、ねーちゃん。またそんな格好で寝ている。もう起きてよ! タクトがわざわざ家に来てくれたんだよ?」

 ミハイルとしては気を遣って、起こしてくれたのだろうが。

 恐怖でしかない。

 このあと、起きる出来事が。

「んん……ミーシャ。どこ行ってたんだ?」

 まだ寝ぼけている。

「どこって、ねーちゃんが呼んだから、タクトを連れて来たんだよっ!」

 そう言って俺を指差すミハイル。

 今まで瞼を擦っていたヴィクトリアだが、突然目を見開き、睨みつける。

 

「てめぇ……クソ坊主。よくあたいん家に来られたな」

 

 ドスのきいた声で、俺を脅す。

 しかし、悪いのは間違いなくこちらの方だ。

 大事な弟を女装させて、1年以上も騙していたから。

 

 謝罪の言葉よりも前に、俺は床に土下座することを選んだ。

 頭をぐりぐりと床へねじ込みながら。

 これが俺の誠意だ。

 

「あ、あのこの度は、誠に申し訳ございませんでした! 俺のわがままでミハイルを、色んなことに付き合わせて……」

「……」

 ヴィッキーちゃんの顔は見えないが、黙って話を聞いてくれているようだ。

「でも、俺は本気なんです! ミハイルとの恋愛だけは、誰にも譲りたくありません! 今日はお姉さんのヴィッキーちゃんにも、それを知って欲しくて来ました」

 言い終えるころ、ゆっくりと顔を上げる。

 顔を赤くしているミハイルが、黙って俺を見つめていた。

 しかし、問題はその隣りだ。

 

 口を大きく開き、汚物を見るような目つきで、上から俺を見つめる。

 怖すぎるっぴ!

 

「……坊主。とりあえず、死ね」

「へ?」

 

 何かが左のほおをかすった。

 手で押さえて見ると、熱を帯びていた。

 ねっとりとした感触に違和感を感じ、手の平を見ると、赤い血が流れている。

 

 その後、背後でパリンっ! と何かが割れる音が聞こえてきた。

 振り返ると、ウイスキー瓶が壁に衝突して、砕け散っている。

 

「てめぇ! あたいの可愛いミーシャを人形にしやがって! 頭かち割ってやるから、こっちに来やがれ!」

 両手にウイスキー瓶を持ち、ローテーブルに片脚をのせるヴィクトリア。

 それを抑えるのは、弟のミハイルだ。

「ねーちゃん! やめて! タクトはオレの大事な人なの!」

「じゃあ、なにか? あたいはどうでもいいってか!?」

 

 ヴィッキーちゃんが落ち着くまで、1時間以上かかった。



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482 息子は絶対にあげないんだからねっ!

 

 怒り狂ったヴィッキーちゃんは、ウイスキー瓶を部屋中に投げ飛ばし、全て粉々に割ってしまった……。

 ミハイルの説得もあり、どうにか落ち着きを取り戻したが。

 依然と俺を睨んでいて鼻息が荒い。

 

 蛇に睨まれた蛙のように、俺は黙って正座するのみだ。

 

「ねーちゃん。タクトの話を聞いてあげてよ! ほら、こうやってスーツまで着てくれたんだよ?」

「……それがどうした? あたいが知りたいのは、なぜミーシャが女の格好を、させられていたかってことだ。それもあたいが一番嫌いなブリブリ女になっ!」

 と語気を強める。もちろん、俺を睨んで。

 

 確かに彼女の言う通りだ。

 俺たちの恋愛や結婚の前に、そちらの説明が先かもしれん。

 

「そ、それに関してですが……すみません。俺のわがままです……ミハイルが先に告白してくれたんですが。俺が『男とは付き合えない』『女だったら付き合える』と言ってしまったことで、ミハイルが真に受けて、女装して女の子として振舞ってくれたんです」

 

 と説明し終えたところで、ヴィッキーちゃんの反応を見ると。

 怒り狂うかと思ったら、驚きのあまり固まっていた。

 

「なっ……そんなことで、女の格好をしていたのか?」

「はい。俺が悪いんです……最初からミハイルを受け入れる覚悟がなかったので」

「じゃあ、ミーシャがよく女物の服や下着を買っていたのも、化粧品が部屋にあったのも、坊主のためだってか?」

「そうです」

「意味がわからん。男同士だろ……じゃあ、あれか。なんか知らない薄いエロ本。男同士のマンガ。あれも関係あるのか?」

 そこだけは完全否定しておく。

「それは全然、関係ありません。ただの趣味だと思います」

「……」

 

 一年間も隠していたので、情報量が多すぎたようだ。

 ヴィッキーちゃんは混乱しているようで、黙り込んでしまった。

 

  ※

 

 怒りよりもショックが強かったようで、頭を抱え込むヴィッキーちゃん。

 それを見たミハイルは再度、話し合いを試みる。

 

 俺とミハイルが並んで座り、ローテーブルを挟んで、反対側にヴィクトリア。

 

「訳がわからん……。大体ミーシャ、お前はそいつが最初から好きだったのか?」

 そう指摘されると、彼の頬は一気に赤く染まる。

「う、うん! その入学式でタクトに『可愛い』って言われてから……」

 弟の素直なカミングアウトに、驚きを隠せない姉。

 口を大きく開いて、ミハイルの顔を指差す。震えながら。

「たったそれだけで、男を好きになったのか? それはつまり同性愛っていうやつだろ? あたいは親父とお袋が死んで、本当にお前を大事に育ててきたんだぞ。なのに、女装してまで坊主と付き合いたかったのか?」

「ごめん……オレは女装しても、しなくても本気だったよ。ねーちゃん」

「なっ!?」

 

 ついに言ってしまったな。

 俺があれこれいうより、弟に告白された方がよっぽど辛いだろう。

 

 黙り込むヴィクトリアを見て、俺は好機と見た。

 隣りに座るミハイルへ耳打ちし、俺に合わせるように頼む。

 お互いの顔を見つめ合い、頷くと座り直し、正座になる。

 

「あのっ! 弟さんを色々と傷つけたことは否定できません。でも、俺の気持ち……いや俺たちの気持ちは一緒です! それは今後、二人で一緒に生きること。結婚です! ミハイルの唯一の家族、ヴィクトリアさんにだけは、それを認めて欲しいんです。お願いします!」

 そう言って、俺が頭を下げると、続けてミハイルも自身の姉に気持ちをぶつける。

「ねーちゃん。オレ、本当にタクトが大好きなんだ! オレたちを、結婚を許して欲しいの!」

 深々と頭をさげる彼を、隣りから覗いて見たが涙を流していた。

 

 

 どれだけ、時間が経ったのだろう。

 ヴィッキーちゃんは沈黙を貫き、何も答えてくれない。

 

「だ、大事な弟だったんだ……父さんと母さんが事故で死んだ時は、絶望したよ。このまま、どこかへ逃げようかとも思った。でもまだ幼いミーシャが、あたいのスカートの裾を掴んできたから、踏みとどまることが出来た。親父が残した店を死にもの狂いで、盛り上げようと頑張った……つもりだった」

 

 顔を上げると、ヴィッキーちゃんの瞳は涙でいっぱいだった。

 

「それがどうしたっ!? その弟がどこぞの知らない野郎と結婚だと? だいたい、坊主は男のミーシャが好きだと、ほざきながら、女装させていたじゃねーか! ミーシャの気持ちを無視して。自分の欲望のため、性を否定してるじゃねーか!」

 

 返す言葉が見つからない。

 彼女の言っていることは、紛れもない事実。

 俺は男のミハイルと付き合うことが怖くて、女のアンナを、安心を選んだ……。

 

「そんな奴に、結婚なんて許すわけないだろっ! とっと帰れ、このクソ野郎!」

「……すみません」

「いいから、早く帰れ! 帰らないと坊主をぶっ飛ばすぞ!?」

「はい」

 

 分かっていたことだ。

 今日は帰ろう……あくまでも、今日はだ。

 また何度でも、挨拶に来たら良い。

 ヴィッキーちゃんが音を上げるまで、持久戦だ。

 

 立ち上がり、深々と頭を下げると。俺はその場から立ち去る。

 去り際にヴィッキーちゃんが叫ぶ。

 

「ミーシャ、塩をまけ!」

 

 だがこちらも負けるわけにはいかない。

 いつか必ず、ミハイルを頂く。

 

 覚悟を決めて、玄関へ向かい、紳士靴を手に取ると。

 慌ててミハイルが追いかけてきた。

 

「た、タクト! もう帰っちゃうの?」

「ああ、仕方ないさ。今日は帰るけど、まだあきらめてない。次を考えている」

「タクト……オレもねーちゃんに認めてもらうように、頑張るよ!」

 互いの顔を見つめ合い、揺るがない愛を確かめる。

 

「そう言えば、タクト。なんか忘れ物があるよ?」

「へ?」

「このなんか重たい、紙袋だよ」

 と彼が差し出すまで、存在を忘れていた。

 親父がくれた『すみ酒』とかいうやつだ。

 これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれる……とかほざいてたな。

 どこがだよ、とツッコミたいぜ。

 

「ああ、それな。親父が用意してくれてさ。結婚を認めてもらえるようにって、『すみ酒』ていうらしいんだ。今回は受け取ってもらえなかったけど」

 悔しさから、歯を食いしばる。

「そうなんだ……タクトのお父さんも、オレたちを応援してくれているんだ」

 実の姉に反対されたことが、よっぽど辛かったのだろう。

 目に涙をいっぱい浮かべている。

 

 そして追い打ちをかけるように、リビングからヴィクトリアの叫び声が聞こえてきた。

 

「な~にが、すみ酒だ。バカヤロー! そんな安酒でミーシャと交換か? 絶対受け取るか! さっさと帰れ、コノヤロー!」

 

 酷い言われようだな。

 でも、大事な弟のことだ。

 時間をかけて、ヴィッキーちゃんに認めてもらうよう、頑張ろう。

 

 ゆっくり立ち上がると、ミハイルから紙袋を受け取る。

 

「ミハイル。今日はこんな形になってしまったけど、また挨拶に来るから」

「うん……待ってるね、タクト☆」

 その一言で、心に火がついたぜ。

 何度でもやってみせる、今の俺たちなら乗り越えられる。

 必ず。

 

 愛する未来の嫁に背中を向けて、カッコよく立ち去ろうとした……その時だった。

「あ、ちょっと待ってタクト」

「え?」

「そのお酒ってウイスキーなの?」

 

 意外な質問に、アホな声が出てしまう。

「う、うん……そう聞いたけど。どうしてだ?」

「だってさ。せっかくタクトのお父さんが用意してくれたんだから。もらっておこうかなって。今のねーちゃん、あんなに怒っているけど、ウイスキーは大好きだから☆」

「そういうことか……いや、気持ちは嬉しいんだがな。すみ酒ってのは、結婚を許してもらえる前提で相手に渡すものらしい。だからヴィッキーちゃんが反対している間は、あげたくても渡せないんだ」

 

 俺がそう説明すると、彼はうなだれてしまう。

「そっか……」

「ま、まあ、いつか渡せる時がくるよ。なんか親父が言うには、『ザ・メッケラン』の60年ものらしくてさ。ウイスキー好きなヴィッキーちゃんなら、喜んでくれるさ……」

 

 言い終えた瞬間、背後に人影を感じた。

 右手が妙に軽いなと思ったら、持っていた紙袋が無い。

 

「あれ? 酒が……」

 と言いかけている際中だが、背中にプニンと気色の悪い感触が伝わる。

 コレは宗像先生に近い、巨乳ってやつでは……。

 

「どこへ行く!? 我が家族よ!」

 

 そう言って強く抱きしめるのは、先ほどまで、俺を罵倒していたヴィッキーちゃんだ。

 

「え……?」

「先ほどまでの無礼を許せ……。1回は反対しておかないと格好がつかないだろ、姉としてな。許そう、ミーシャとの結婚を。坊主に任せた、いやタクトよ」

「……」

 

 嘘だろ?

 たかが、ウイスキーの1つで愛する弟を渡すのか。

 

「わーい! やったー! ありがとう、ねーちゃん☆」

「ハハハッ! あたいは最初から、タクトなら許すつもりだったさ。女装でも何でも好きにしろ!」

 

 ヴィクトリア、最低な姉貴だった。



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483 結婚前のすれ違い

 

「よぉ~し、ミーシャ! 今から婚約パーティーだ♪ もつ鍋を作ってくれ! いつもの倍以上なっ!」

「うん! オレ、いっぱい作るよ☆ タクトとねーちゃんのために☆」

 

 どうして、こうなったのだろう……。

 あれだけ反対されていたが、ウイスキーの一本で鬼のヴィッキーちゃんは結婚を許してしまった。

 むしろ「早くミハイルを連れて行け」「二人はどこで住むんだ?」などと。俺たちを急かしてくる始末。

 

 帰るはずだった俺も、ヴィッキーちゃんによって、リビングへと戻され。

 婚約成立の宴会が始まるのであった。

 

 まあヴィクトリアからすれば、早く親父が用意した酒を飲みたいのだろう。

 ミハイルがかわいそう……ウイスキーに負けたもん。

 

  ※

 

 一時間ほど経ったころ、ヴィッキーちゃんはベロベロに酔っぱらっていた。

 ミハイルは俺の隣りに座って、鍋をつつく。

 

「タクト? おかわり、いる?」

「いや……もういいよ」

 

 ヴィクトリアに無理やり、食べさせられたからな。

 腹が痛い。

 

「うぇ~ お前ら、幸せになれよぉ~ 不幸になったらぶっ飛ばすからな……タクト」

 

 どちらにしろ、このお姉さんは俺をぶっ飛ばすつもりなんだろ。

 だが弟のミハイルは、嬉しそうに微笑んでいる。

 

「ふふ、ねーちゃん。うれしそう。ここ最近、元気なかったもん。やっぱりあれかな? タクトが来てくれたからじゃない?」

 と上目遣いで話しかけてくる。

「まあ……安心してくれたのかもな」

「そうだね☆ これでタクトと安心して、結婚式をあげられるね☆」

 

 ん? 今ミハイルのやつ、変なことを言っていなかったか?

 結婚式を挙げる……冗談だろ。

 

「あ、タクトさ。今のオレ、どう思う?」

 そう言って、自身の短い髪を触る。

「え? 別に良いんじゃないか? ショートも似合っていると思うぞ」

「そ、そう意味じゃないよっ! 長い髪に戻した方がいいかなってこと!」

 

 いきなりなんだ? そりゃポニーテールの頃も好きだったが……。

 まあ長い髪の方が、今後も女装しやすいよな。

 そういう意味なのか。

 

「う~む。俺としては正直、どちらでもいいかな。確かにミハイルのイメージって、ポニーテールだったが。ケンカして短く切った時は驚いたけど……今じゃその髪型もカワイイって思うぞ」

 俺の答えに、顔を真っ赤にして怒り始めるミハイル。

「ち、違うよっ! そういうことじゃないじゃん! 結婚式を挙げるなら、ウェディングドレスを着るでしょ? なら長くした方が似合うじゃん!?」

「……は?」

 

 ちょっと待てよ。

 結婚式、ウェディングドレスだと?

 一体、ミハイルのやつ何を言っているんだ。

 俺たちは男同士、法的に認められるかは別として。

 同性婚なのだから、ウェディングドレスなんて必要ないだろ。

 

 それに……俺は結婚式なんて考えていない。

 

 頭を整理し終えたところで、彼に自身の気持ちを伝える。

 

「ミハイル、勘違いしているぞ。俺は結婚したいとは言ったが……結婚式を挙げるつもりはないぞ? 告白の時と同じく。二人の中で誓約を立てれば、それでいいんだ」

 そう言うと、彼はこの世の終わりのような顔で、俺を見つめる。

「ウソ……? 結婚式しないの?」

「ああ、する必要ないだろ。俺たち二人だけの問題だ」

「じゃあ、タクトは……オレがウェディングドレスを着ているところ、見たくないの?」

「どういうことだ? ドレスってことは、女が着るものだろ? つまりアンナになって、ドレスを着るのか? それなら式を挙げる必要性あるか。別にコスプレでも良いだろ」

「……」

 うつむいて、黙りこんでしまうミハイル。

 

「俺はミハイルと結婚するんだ。男ならウェディングドレスは、着られないんじゃないのか? したことないから、よくわからんが……」

「……カッ」

 ぽつりと小さな声で、何かを呟くミハイル。

「は?」

 

 急に顔を上げたと思ったら、顔を真っ赤にして叫ぶ。

「タクトのバカッ! 結婚したいって言ってくれたから、楽しみにしてたのにっ!」

「え……?」

「タクトなら、見たいって言ってくれると思ってたのに。オレがバカだったよ!」

「ちょっと待て……一体どういう意味……」

 言いかけている際中で、彼に遮られる。

「もういい! この話は終わりっ!」

「……」

 

 それ以来、ミハイルが結婚式やドレスの話をすることはなかった。

 

  ※

 

 いざ結婚が決まり、甘々なカップルの生活が待っていると思ったが。

 そんな暇は、全然ない。

 

 毎日新しい生活に、慣れるので精一杯だ。

 俺はBL編集部で倉石さんと一緒に、色んな会議や作家さんとの打ち合わせ。

 たまに本屋へ顔を出して、BLコーナー担当の女性スタッフに自己紹介したり……。

 バイトとは思えないぐらい忙しい毎日。

 

 色んな人間の顔を覚えるのに苦労する。

 ヘトヘトになって、帰宅したころ。一ツ橋高校のレポートを作成する。

 他にも新しく転生した小説家、『古賀 アンナ』として、BL作品の原稿も仕上げ。

 動画で話題になったことで、編集部からインタビューを受け、エッセイを書いたり。

 

 恋人のミハイルとデートすることは、なかなか実現できなかった。

 別に結婚式の話で、仲が悪くなったわけじゃない。

 

 彼自身も今後のために、仕事をするようになったから、忙しいのだ。

 宗像先生が出資して、オープンしたオーガニック専門のカフェ。

 店長は見た目がシャブ中の売人みたいなおじさん。

 夜臼(やうす) 太一(たいち)先輩だ。

 ちなみに一ツ橋高校に在籍してるので、アラフォーだが現役男子高校生。

 その夜臼先輩が経営するカフェで、ミハイルは働くことになった。

 

 主に先輩が仕入れてきたオーガニック食品で、スイーツやコーヒーなどを販売している。

 身体にも優しく太りにくいと主婦層に、人気のあるショップ。

 

 そんな毎日を送っていると、あっという間に一年が過ぎてしまう。

 ミハイルとも会えない日々が続いている。

 寂しいが今は未来のため、がむしゃらになって働くべきだと、自分に言い聞かせている。

 まあ、唯一会えると言ったら、一ツ橋高校のスクリーングなのだが……。

 ここ数ヶ月は、俺の仕事が土日も入っており、遅刻や欠席が多い。

 

 

 だがある日、編集部で雑務をこなしていると、倉石さんに呼び止められた。

 

「琢人くん。あなた、そろそろ受験勉強は大丈夫なの?」

 あ、ヤベっ……すっかり忘れていた。

「えっと、まだ何もしてないです……」

「はぁ……それじゃ正社員になれないでしょ? 今日はもういいから、学校の先生と相談してきなさい」

「すみません、お疲れ様です」

 

 編集部を出ると、そのまま天神経由で、一ツ橋高校がある赤井駅へと向かう。

 今の俺は、高校生と思えない姿をしている。

 自分で買った紳士服に革靴。頭はポマードでセットしたビジネスマン……。

 まあ倉石さんに言われて、やっているに過ぎないけど。

 

 ~40分後~

 

 久しぶりに見た長い坂道、通称心臓破りの地獄ロードは、どこか小さく見えた。

 あんなにキツいと嫌がったこの坂道でさえ、懐かしさを感じる。

 この一年、駆け足で過ごしてきたからかもしれない。

 

 校舎が見えて来たところで、裏口に入る。

 一ツ橋高校の玄関をくぐると、すぐに下駄箱が見えた。

 上履きに履き替えて、階段を登った先。右手に小さな扉がある。

 ここが一ツ橋高校の事務所だ。

 

 ドアノブを回そうとした瞬間。

 反対側で誰かが、扉を開く。

 

「「あ」」

 

 目の前に立っていたのは、ポニーテールの美少女……ではなく、男のミハイルだ。

 ちょっと見ないうちに、髪型が変わっている。

 以前より、もっと髪が長く伸びていた。

 

 事務所の入口で、お互い見つめあって、固まること数秒。

 最初に話しかけてきたのは、ミハイルからだ。

 

「そ、その……タクト。久しぶりだね☆ 元気にしてた?」

「おお……元気だったさ。忙しくてな。いつもスクリーング、ひとりで寂しくないか?」

「うん、寂しいけど。我慢できるよ☆ あと、もう少しで卒業だし……」

「そうか。実は今日、ちょっと宗像先生に用があってさ。それで寄ったんだ」

 俺がそう言うと、ミハイルはどこか寂しそうな顔をする。

 

「だと思った」

「悪いな。先生は今、事務所にいるか?」

「うん、いるよ☆ 奥でいつもみたいにコーヒーを飲んでいる。じゃあオレはお邪魔だから……」

 

 そう言うと、彼は俺に背を向ける。

 きっと、無理しているんだろう。

 この小さな背中をすぐにでも、抱きしめてやりたいたんだが……。

 今はダメだ。

 

 でも、その代わりに。

 

「待てミハイル!」

「え?」

「その……今の髪型、似合っているよ。すごく」

 

 たった一言だというのに、一気に顔色が明るくなり、嬉しそうに微笑む。

 

「ホント? ふふ、タクトはショートが好きかと思ってたから、不安だったんだ」

 

 俺はその笑顔を見て、決意した。

 大学の受験なんてさっさと片づけて、ずっとこいつのそばにいることを。



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最終章 卒業と旅立ち
484 大学ってのは麻雀を覚えて、焼酎を飲むところだよ?


 

 ミハイルと別れて、事務所の奥へと進む。

 先ほど彼が教えてくれた通り、宗像先生はいつものように一人がけのソファーで、コーヒーを飲んでいた。

 着ている格好も、以前と変わらずタイトなワンピース。胸元がざっくり開いていて、2つのメロンが丸見え。キモッ。

 

「あの、宗像先生。今、良いですか?」

 実に数ヶ月ぶりの再会に、ちょっと緊張してしまう。

「ん? おお、新宮か……久しぶりだな。いっちょ前にスーツなんか、着やがって」

 と言いつつも、先生は嬉しそうだった。

 すぐに反対側のソファーへ、座るよう促す。

 

 俺がソファーに腰を下ろすと、何も言ってないのに、近くにあった棚からインスタントコーヒーを取り出し、マグカップに入れる。

 ポッドからお湯を注ぐと、「ほれ」と言って差し出す。

 正直、飲みたくないが、黙って受け取ることに。

 

 宗像先生が座り直したところで、話を始める。

「それで、今やスーツが似合ってきた新宮さんが、何の用だ? スクリーングも欠席が目立つな……まあ、古賀のこともあるから。どうにか目をつぶっているが……」

 いきなり、痛いところを突かれた。

 先生の言う通り、今の俺はBL編集部が忙しくて、学校にほとんど来られていない。

 

「それに関しては、感謝しかないです……。今日は進路のことで、相談がありまして」

「ほう。進路相談ねぇ……遅くないか? もう3年生になって、半年以上経つのに」

「ちょっと仕事が忙しくて、忘れてました。ははは」

「笑いごとじゃないだろ? まあ、我が校なら良くあることだ。で、新宮はどうしたいんだ? このまま就職かと思っていたが」

 俺も就職したいよ、本当は。

 

「その……今働いている博多社の正社員になる条件が、大学を卒業していることなんです。だから、大学へ進学しようと思っているのですが。出来れば、学費の安い国立が良いと思うんですけど……」

 と言いかけたところで、宗像先生が態度を一変させる。

 顔を真っ赤にさせて、股をおっぴろげる。これは先生が怒っている時、よく起こる現象だ。

 

「新宮……お前、今国立志望と言ったか?」

「はい、先生も知っていると思いますが。俺とミハイルは高校を卒業後、結婚……まあ同棲しようと思っています。ですので、なるだけ学費は安くしたいと思って……」

 話せば話すほど、先生の顔は険しくなっていく。

「本気で言っているのか? 今3年生で夏も終わる時期だぞ? この一ツ橋高校に通っている新宮が、国立の大学へ進学するだと……無理に決まっているだろ、このバカモンっ!」

 なぜか怒られてしまった。

 

「そ、そんなにダメなんですか? 確率とか……」

「ゼロだっ! 新宮、お前は何もわかっておらん! 我が校は偏差値なんてものが存在しない。だから比較のしようがないのだ。そもそも本校へ入学した生徒の中で、進学するものは10人もいないだろう」

 

 そうだった……卒業率よりも、中退する奴らが多すぎる高校だった。

 やる気のないおバカが多いから。

 

 火のついた宗像先生は、更にマシンガントークが続く。

「大体だな! 最初から国立を狙っている生徒は、入学と同時に予備校へ通ったりして。別の勉強をしている。言いたくはないが、我が校の授業は中学生以下だぞ? 新宮の学力が低いとは思わないが、そんな学校で3年間勉強しても、何の足しにもならん! 受験勉強なら、もっと早く対策しておかないと不可能だ!」

「……」

 

 積んだ……と思ったが。

 宗像先生はため息を吐いた後、近くのデスクにあった冊子を取り、俺に差し出す。

 何かのパンフレット?

 手に取って見ると、何やら見慣れたマークが目立っている。

 

五ツ橋(いつつばし)大学。2023年度入学案内』

 

「これって……」

「我が一ツ橋高校と、同じ系列の大学だ。私立だがそこなら、一発で合格できるぞ。ちなみに私が卒業した大学だ」

 なぜか自慢げに語る宗像先生。

 

「マジっすか!?」

「ああ、私が推薦を出してやる。新宮は真面目だったしな。それに学費なども、かなり安くなるぞ」

「えっ!? 学費まで?」

 なんという神対応。

「そりゃそうだろ? グループの創立者は一ツ橋高校を、可愛がっていたからな。本校の出身者というだけで、大学での費用は安くしてくれる。他にも海外留学など、色んなコースも好待遇だ」

 

 つまり先生が出してくれた情報をまとめると、同じ系列ということで、推薦なら一発合格。

 そして学費まで安くしてくれる。

 最高じゃん!

 この大学なら、さっさと卒業できるし。

 拒む理由なんて無い。

 

「じゃあ、俺。ここにしても良いですか?」

「もちろんだとも。実は新宮、お前にはずっと大学を進めたかったんだ。でもお前、嫌がっていただろ?」

「まあ……そうでしたね。でも、今はミハイルがいるので」

「だよな。じゃあ早速、願書を書くか?」

「はい!」

 

 とんとん拍子で話は進み、ローテーブルの上に書類を並べる宗像先生。

 

「じゃあな、ここにサインをしてくれ。それでお前の入学は確定したようなものだ。今まで我が校が推薦した生徒で、落ちたやつは誰もいないからな、ハハハっ!」

「そう、なんですね……」

 

 この書類に俺の名前を書けば、入学は決まる……しかし、そんな簡単に決めてもいいのか?

 4年間、ここへ通うんだぞ?

 もう一度、宗像先生へ確認してみる。

 

「先生、あの……大事なことを聞き忘れていましたが。この五ツ橋大学ってどこにあるんですか?」

「そうだったな、キャンパスは全国に数か所あるが。新宮は作家だろ? なら文学部に入ればいいだろう。えっと……文学部のあるキャンパスはっと」

 宗像先生は改めてパンフレットを開き、キャンパスの場所を探し始める。

 しばらくすると、とある場所で指が止まった。

「お、これか。東京だな」

 その名前を聞いて、俺は思わずソファーから立ち上がり、叫び声をあげる。

 

「えぇーっ! 東京っ!?」

 当然、宗像先生は耳を塞いで、眉間に皺を寄せる。

「うるさい奴だな……別に良いだろ? 東京でも」

「い、嫌ですよっ! 福岡から離れるなんてっ! ようやくミハイルと結婚できるのに……」

 何百キロも離れた都会に暮らし、4年間も離ればなれになるなんて。

 

「なんだ、新宮。お前、社会人になるってのに、恋人と離れるのが寂しいってか?」

「そ、そりゃ……さびしいですよ。ヴィッキーちゃんに結婚を許されたとはいえ、1年以上、あいつとは会えないことが多くて。あと半年ぐらい我慢すれば、一緒に暮らせることだけを糧に頑張っているんですから……」

 

 弱音を吐く俺を見て、先生は深いため息をつく。

 

「はぁ……女々しい奴だな。4年間ぐらい、大したことないだろ?」

「絶対に嫌です……もう離れたくないんです……」

 気がつくと、目頭が熱くなっていた。

「なんだ、しばらく見ないうちに、弱くなっちまったな。新宮」

「すみません……。けど、今も自分を抑えるのに必死なんです。ミハイルと会ったら、ずっと離れたくないって、あいつを縛ってしまいそうで……」

「お前、本当に気持ち悪くなったな……。一応、忠告しておくが、ここは高校の事務所だぞ?」

「……」

 先生の言う通りだ。恋愛相談に来たのではない。

 

「あの、福岡にキャンパスはないんですか?」

「無いな。熊本に1つあるが、文学部はない。農学部だ」

 

 熊本か……別に通えない距離じゃないが。

 今の生活に支障をきたしたくない。

 

「じゃあ、五ツ橋大学への入学は難しそうです……俺には合いません」

 そう言うと、先生は険しい顔で俺を睨みつける。

「合いませんって……お前、それじゃ正社員になれないだろ? どうやって大学を探すんだ?」

「わかりませんが、福岡で俺のレベルでも入れそうなところを探します……」

 

 そう言うと、改めて先生に頭を下げる。

 一応、真面目に考えてくれたし。

 ソファーから立ち上がり、事務所を去ろうとしたその時、先生に引きとめられる。

 

「ちょっと待て! まだ他にも方法はあるっ!」

「え……本当ですか?」

「ああ、出来れば新宮には、五ツ橋大学へ進んで欲しかったが。仕方あるまい。日葵(ひまり)が通っていた、この大学なら良いんじゃないか?」

 

 と1つのパンフレットを差し出す。

 

木の葉(このは)大学 2023年度入学案内』

 

 この大学、聞いたことあるぞ。

 けっこう近場にあったような……。

 ん? パンフレットの下に小さく何か書いてある。

 

『夜間コース』

 なんだこれ?

 

「先生、この大学って」

「うむ……勤労学生ならば、皆ここを選ぶ。夜間大学ってやつだ! 学費もかなり安いぞ!」

 と親指を立てて、笑う宗像先生。

 

 夜間大学ってことは、日中働いたあと、深夜まで勉強すんのかな。

 しんどそう……。



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485 マリッジブルー

 

 宗像先生が出した代案は、福岡市内に存在する私立の大学。

 木の葉大学、夜間コース。

 

「先生、なんで夜間大学なんですか?」

「そりゃ、敷居が低いからな。我が一ツ橋高校は通信制だし、各生徒の偏差値が極端だ。だから測定不能。東大を目指す生徒もいれば、少年院から出たり入ったりする輩もいる」

 

 そう考えると、すごい高校だな……。

 

「だから、昼間働いている生徒には、夜間大学を進めている。一ツ橋高校と比べたら、勉学は難しいだろうが、毎日講義を受けていれば、4年で卒業できるだろう。仮にまた通信制の大学へ入るとしよう。しかし、我が校とは段違いだ。レポートの審査も厳しく、すぐに返却されることも多いと聞く。また卒業するには、6年以上……いや8年は見た方が良い。新宮、お前はどちらを選ぶ?」

「それは……」

 

 昼間にめちゃくちゃ働いて、疲れたところで夜にお勉強。

 キツそう……でも、4年間で卒業できるのは助かる。

 

 対して、通信制は今のように、好きな時に勉強できるが。

 一ツ橋高校と違い、そう甘くない。

 8年間も通うとか、狂気の沙汰だ。

 

 ふとミハイルの顔を思い浮かべる。

 これ以上、あいつに辛い思いをさせたくない。

 いや、俺だってすごくさびしい。

 

「俺は……最短コースで大学を卒業したいですっ! だから夜間大学を選びたいと思います!」

「よく言った! なら話は早い。さっさと願書を書いて、小論文でも練習することだな」

 聞き慣れない言葉に、うろたえる。

「え? 小論文? なんです、それ?」

 その問いに、先生は鼻で笑う。

「大したことないさ。推薦入学は、基本的に面接と小論文をやるんだよ。だからって特に意味はない。あんなのもの、試験官が真面目に読むと思うか? 100人以上の下らない文章だぞ? 適当でいいんだよ、テキトーで!」

「ウソでしょ……?」

 

  ※

 

 宗像先生はああ言っていたけど、どうしても心配だったので、独学で何枚も用紙に書いてみることにした。

 受験する際、制限時間もあるから、タイマーで計ったり。

 先生が当てにならないので、なぜかBL編集部の倉石さんに小論文を持って行き、見てもらう。

 何度か注意を受けたが、大体の形にはなってきた。

 

 

 それから数か月後。

 季節は冬になり、俺は木の葉大学のキャンパスへ向かい、受験へ挑むことに。

 面接をする際、何人かの男子生徒と一緒に並んで座ったが……めっちゃ浮いていた。

 周りは学ランや高校のジャケットを着たピチピチの18歳だもの。

 

 俺だけ一人、スーツにネクタイのビジネスマン。しかも年上の20歳。

 問題の面接も、簡単な質問をされるだけで、すぐに終わり。

 あとは小論文を書いて提出すれば、試験は終了。

 

 年を越した頃、メールにて合格の通知が届いた。

 これにて進学の件は、一件落着と言ったところか?

 

  ※

 

 大学も合格したし、あとは新生活のため、二人の愛の巣……じゃなかった。

 新居を探すことになった。

 やはり料理やスイーツ作りが好きなミハイルには、こだわりがあるだろうと、電話で誘ったが……。

 

『あ、ごめん。オレ、ちょっとやることがあってさ……タクトが好きに選んでいいよ☆』

 

 これには驚いた。

 ようやく二人の時間を作れるというのに。

 

 仕方ないので、俺一人でアパートを探すことにした。

 不動産屋に色んな物件へ連れていかれ、説明を受けたがさっぱり分からない。

 とりあえず、家賃が安くて、キッチンは広い方が良いとリクエストしたところ。

 地元である真島の近くを紹介された。

 築30年以上経っているが、最近リフォームしたばかりだから、内装は綺麗らしい。

 

 今後、結婚してから、またお金が貯まったら、家でも建てるかもしれない。

 仮住まいならば、ここでいいやと妥協した。

 

 実家から引っ越して、一人暮らしを始めたが……。

 肝心のミハイルは、全然遊びに来てくれない。

 なぜだ?

 薄い壁のアパートだが、ここならば密室なんだぞ!?

 一人用だけど、布団も畳にひける……。

 早く合体しよう!

 

 そんな望みもむなしく、何もない毎日をひとりで過ごすだけ。

 自炊もしないから、三食カップ麺のみ。

 お湯を沸かして注ぎ、麺をすする……の繰り返し。

 

 あとはBL小説を書いたり、新人の漫画家さんの原稿をチェックしたり……。

 なに、この静かすぎる愛の巣!?

 しびれを切らして、ミハイルへ電話をかけてみる。

 

『あ……タクト。ごめん、ちょっと忙しくてさ。電話を切ってもいいかな?』

「なっ!?」

 

 あのミハイルが、俺との電話を切るだと?

 まさか、俺が嫌いになったとか……。

 もしやマリッジブルーでは?

 

『ホントにごめんね。今やることが多いの。新居もタクトに任せきりで、悪いと思ってるよ?』

「なら……1回ぐらい、新居へ遊びに来ないか?」

 家に入れてしまえば、こちらのものだ。

 こんな時のために布団は、万年床(まんねんどこ)だぜ。

 

『行きたいけど……どうしても、やらないといけないことがあるの。それが終わるまでは無理かな』

「え……」

 シンプルに傷つく。

『じゃあね、タクト。ごめんけど、しばらく電話はかけてこないで』

「……」

 

 マジで、俺。捨てられるのかな?

 新居まで用意したんだぜ……。

 

  ※

 

 2023年、3月4日。

 

 とうとう、この日がやってきた。

 一ツ橋高校の卒業式。

 

 校舎の裏にある駐車場は、桜が舞い散り、少し風が冷たい。

 当然ミハイルも誘ったが、遅れるからと断られてしまった……。

 俺って本気で嫌われてるの?

 

 一人とぼとぼと歩いていると、小さな白い建物が見えてきた。

 

 3年前と同じ光景。

 

『第31回 一ツ橋高校 春期 卒業式』

 

 その巨大な看板の前に立つと、深いため息を吐く。

 

 これで終わりか……。

 なんだか、あっけない高校生活だったな。

 

「よぉ! 主役のお出ましだな!」

 

 入口の前で怪しく微笑むのは、おぞましい2つのメロンを抱えた女。

 腕を組んで、仁王立ちしている。

 

「宗像先生、おはようございます……」

「なんだ? そのやる気の無い声は? 男だろ! もっとシャキッとせんかっ!」

 性差別、反対。

「いや、卒業式なのに……ミハイルがまだ来ないんですよ」

「だぁはははっははは! そんなことを心配しているのかっ! 大丈夫だろ、ちゃんと来るさ。女々しいこと言ってないで、さっさと会場へ入れっ!」

 

 そう言うと、宗像先生は容赦なく、俺の背中を蹴とばし会場へぶち込む。

 気力のない俺は、そのままボールのようにコロコロと転がり、途中で柱にぶつかり制止した。

 頭と両脚だけで身体を支えているので、3つん這いと表現すべきか?

 あれ、なにこのデジャブ……。

 

 すると近くに座っていた女子生徒が、近づいてきた。

 

「大丈夫? 琢人くん……ひょっとして、昨晩ミハイルくんにヤラれまくって、足腰がガクガクなのかな♪」

「あぁん!?」

 

 柄にもなく、キレてしまった。

 

 見上げるとそこには、眼鏡をかけたナチュラルボブの腐女子。

 北神 ほのかが立っていた。

 

 3年前に初めて出会った時、こいつに助けてもらったが、こんな卑猥なことを平然という奴だったか?

 

 ほのかの手を借りて、立ち上がると。

 既に会場の中は、生徒たちでいっぱいだった。

 

 普段はやる気のないヤンキー男子も、スーツ姿でビシッと決めている。

 ただ中のシャツが色付きで、ホストみたい。

 

 女子は、煌びやかな振り袖や袴。それにドレスを着ている者まで。

 なんだよ……こいつら。

 入学式の時は、ラフな私服だったのに、卒業式は格好つけるのか?

 

「琢人くん、ところでミハイルくんとは、仲良くしているの?」

「ああ……忙しくて、あまり会えてないけどな」

 

 ふと、ほのかの着ている振り袖に目をやると。

 裸体の美少年たちが、汗だくになって絡み合っている刺繍が入っていた。

 これ、うちのばーちゃんに依頼してないか?

 

 ドン引きしていると、後ろから大きな声で、俺の名前を呼ばれた。

 

「おーい! タクオ! 久しぶりじゃねーか!」

 

 振り返ると、高身長にガタイの良いスキンヘッド。

 千鳥 力が立っていた。

 

「リキか……久しぶりだな」

「なんだよ、元気ねーじゃん!」

 

 俺が話す前に、ほのかが勝手に答えてしまう。

 リキの太い腕に抱きついて。

 

「あれらしいよ。ミハイルくんに会えなくて、元気ないんだって♪」

「なるほど、倦怠期ってやつか? タクオ、大丈夫だよ。お前たちなら、何でも乗り越えられるさ!」

 と親指を立てるナイスガイ。

 こいつら、こんなに仲良かったけ? えらくイチャついてるが。

 

 しかし、それよりも気になるのは、リキの着ているスーツだ。

 ほのか同様、ダンディなおじ様たちが裸体で、『どすこい』しちゃってるんだけど……。



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486 秒ってレベルじゃない、卒業式

 

 壁一面にかけられた紅白幕。

 ステージの上には、『ご卒業おめでとうございます! 教師一同』とある。

 

 生徒たちは学籍番号で、席が決められているため。

 1番という呪われたナンバーを手にした俺は、文字通り最前列で、学園のお偉いさんとお見合い状態だ。

 

 よく知らんが、一ツ橋高校の本校。東京からわざわざ福岡へ来てくれたらしい。

 かなり年配の老人……杖を持って、何やらもごもごと言っている。

 

 人が多すぎて後ろの方は確認できないが、どうやら家族も出席しているみたいだ。

 たぶん、我が家からは誰も参加していないと思う……放任主義なので。

 

 宗像先生が咳ばらいをしながら、ステージ隣りの司会席と思われる机へと向かう。

 マイクを掴み、位置を調整する。

 

「あー あー、テステス……」

 もう二度と見たくない、懐かしい光景ですな。

 

「それでは、全員揃ったようなので。ただいまより、第31回一ツ橋高校、通信制コース。春期卒業式を始めます」

 

 いや、俺の隣りが空いたままなんだけど?

 まだミハイルが来てないのに……。

 しかし宗像先生はそんなことを無視して、式を始める。

 

「えー、最初にお伝えしたいことがあります……。それは本日の生徒たちに対する、卒業証書、授与の件です。訳あって、短縮させて頂きます。本校から名誉校長が来て頂きましたが、生徒を代表して、夜臼 太一くんが卒業証書を受け取ります」

 

 一体どういうことだ?

 普通こういう時って、校長から一人ひとり直接、卒業証書をもらえるもんだろ。

 

 宗像先生に名前を呼ばれた夜臼先輩が、元気よく立ち上がる。

 身体をカチコチにさせて、ステージ上に向かう。

 ていうか、今日の式に参加しているってことは、夜臼先輩はついに卒業できたのか?

 ちょっと泣けるぜ……。

 

 壇上には先ほど見かけた老人が、身体をふるふると震わせて、夜臼先輩を待つ。

 

「ふぇ~ 夜臼 太一くん。一ツ橋高校、いや我が五ツ橋学園へ20年近く通い学んだこと。その勤勉な姿に私たちは感動しました……よって、あなたへ卒業証書と共に、総長賞を差し上げます」

 総長賞とかいう訳のわからない賞状と、ガラス製の小さなトロフィーを受け取る夜臼先輩。

 目には涙をいっぱい浮かべている。

 まあ……20年も高校行ってればね。

「あ、ありがとうございます! 家宝にさせていただきます!」

 

 続けて、卒業証書も受け取ると、夜臼先輩は改めて深々と頭を下げる。

 

 この間、体感にすると数分……。

 司会席から驚きの言葉が発せられる。

 

「えー、名誉校長。ありがとうございました。これにて、第31回一ツ橋高校。通信制コース、春期卒業式を終了します」

 

 ファッ!?

 早すぎる。まだ始まったばかりじゃないか!

 

 驚きのあまり、その場で固まる俺とは対照的に、辺りにいたお偉いさん方は席を立ち始める。

 

「今年の福岡校は早かったですな」

「まあ、どうですか? 中洲(なかす)辺りで一杯?」

「ふぇふぇ……福岡のキャバクラは、レベルが違いますからのう」

 

 あの爺さんも参戦するのか。

 ていうか、なに。この卒業式!?

 

  ※

 

 辺りにいた一ツ橋高校の関係者や教師たちも、パイプイスを畳んで直し始めた。

 生徒たちも黙って、それを手伝う。

 

 壁一面にかかっていた、紅白幕も下げられ、大きなガラス窓から日差しが差し込む。

 マジで終わりなの?

 ひとりで困惑していると、目の前に大きな男が現れた。

 リキ先輩だ。

 

「タクオ、ちょっと来い!」

 何やらおっかない顔で、こちらを見つめている。

「は? どうしてだ? 卒業式が終わったなら、俺たちも帰るんだろ?」

「バカ言うなよ! お前には、まだやることが残っているじゃねーか!」

 めっちゃ怒ってるやん。

 どうしたの、リキ先輩たら……。

 

「一体、何を言って……」

 

 言いかけている際中で首根っこを捕まれ、強引にステージ裏へと連れて行かれる。

 舞台幕の中に入ると、そこには一人のバニーガール……じゃなかったバニースーツを着た男の子が立っていた。

 コスプレ好きの住吉 一だ。

 俺の顔を見て、なぜか「ひっ!」と悲鳴をあげる。

 

「あ、あの……新宮さん。服を脱いでくれますか?」

 答えようとしたが、リキが乱暴に地面へ落としたため、尻もちをついてしまった。

「いてて……なんなんだよ、お前ら」

 理解が追いつかない俺に対し、二人は何も答えてくれず、とにかく服を脱げと言う。

 当然それを拒むと、ムキになったリキが、力まかせに俺のスーツをビリビリに破ってしまう。

 

「ふ~! ふ~! タクオが悪いんだぜ? 言うことを聞かないから……」

 人をパンツ一丁にさせて、酷い言いようだ。

 まさか、この二人。グルになって俺を前からも、後ろからも襲う気かっ!?

 

「新宮さん。ごめんなさい……だけど、こうしないとダメだから。目をつぶっていてください」

「え……」

 

 リキの大きな手によって、視界がブラックアウトしてしまう。

 一体、何が起きているんだ?

 微かに聞こえてくる一の声を頼りに、頭の中で想像してみる。

 

「んしょんしょ……新宮さんのは、結構ノーマルサイズだから、これでいいかな?」

 何やらゴソゴソと音が聞こえてくる。

「大丈夫だって、一。タクオの尻なら初めてでも余裕で入るだろ?」

 ファッ!?

 まさか、リキのやつ、まだ俺を狙っていたのか。

「ですよね♪ ちょっとキツくても、新宮さんなら喜んでくれますもんね」

 いや……キツいのは無理。

 

 しばらくすると、リキが手を離してくれた。

 目の前には、ニコニコと微笑む一。

 

「うわぁ! カッコイイですよぉ~ やっぱりサイズ合ってましたね、リキさん」

「おお~ マジで似合っているぜ、タクオ! ちょっと感動してきたわ……」

 

 なぜか目に涙を浮かべるリキ。

 

「二人とも……一体、何をしたんだ?」

 俺がそう問うと、一が嬉しそうに答えてくれた。

「頼まれていたんです。新宮さんのタキシードを……僕が作らせていただきました」

「へ?」

 

 視線を下に落とすと、確かに先ほど着ていたスーツより、豪華なジャケットにパンツ。蝶ネクタイ付で全身、真っ白。

 この格好は、まるで……。

 

 俺が首を傾げるていると、リキが後ろから背中を押してくる。

 

「ほれほれっ、主役はさっさとステージに戻るんだな」

「ちょっ! やめろよ……」

 

 リキに言われるがまま、会場に戻ると。

 先ほどまで、卒業式だった場所とは思えないぐらい色が変わっていた。

 今着ているタキシードと同様のカラー。全てが白に染まっている。

 

 生徒たちが座っていた席も、白い木製の長イスに変えられている。

 左右に並べられた座席の間には、同系色の布が敷かれていた。

 バージンロードってやつか。

 

 そして俺のすぐ前には、見慣れた顔が並んでいた。

 卒業式に参加していなかった、うちの家族。

 親父と母さん、二人とも綺麗に着飾っている。

 普段汚い格好をしている六弦のくせして、モーニングコートなんか着ている。

 母さんも黒の留袖。

 

 もちろん、妹たちも座っている。

 通っている高校の制服を着たかなでと、幼いやおいを抱っこするばーちゃんまで。

 まあやおいは、ばーちゃんにBLマンガを読ませてもらっているのだが……。

 

「よぉ! タク、待ってたぜ!」

「親父……なんで、ここに?」

 俺の問いに、目を丸くして答える。

「なんでって……呼ばれたからだろ? お前の結婚式に」

「はっ!? 結婚式?」

 

 その言葉に動揺していると、司会席からアナウンスが流れる。

 

「え~! 新郎の琢人くんは、ステージに上がるようにっ!」

 

 振り返ると、宗像先生がこちらを睨んでいた。

 顎をクイッと動かし、無言の圧をかけてくる。

 黙ってステージへ上がれということか……。

 

「じゃあ、タクオ。俺たちは後ろで見ているから、しっかり男を見せろよなっ! あの動画以上を期待しているぜ!」

 と親指を立てるリキ。

 俺ひとり残して、一と後ろの席へ去っていく。

 

 よく見れば、後方の席には親交のある生徒たちが座っていた。

 花鶴 ここあ。千鳥 力。トマトさん、妹のピーチ。日田の兄弟。

 それに腐っている職場仲間と、編集長の倉石さんまで。

 

 どうして……みんな集まっているんだ?

 

 まだ頭が混乱しているが、とりあえず宗像先生が怖いので、従うことに。

 ステージへ上がるため、階段を登る。

 

 そこで待っていたのは、ひとりの白人男性。

 金髪のガッチリした中年。

 見たところ、牧師のようだ。

 

「ドーモ。今日はよろしくデス。結婚式を任せられたロバートと申しマ~ス」

 とニッコリ笑って見せる。

 

 ん? この白人、どこかで見たことあるような……。

 あっ! 別府温泉で宗像先生を娼婦として一晩買った変態だ!

 

「ミス・蘭に頼まれて、今日は牧師をやりマ~ス♪」

「……」

 

 牧師ってチェンジできないのかな?



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487 新郎(♂)と新婦(♂)のご入場

 

 先ほどまで行われていた卒業式が……。一瞬にして、結婚式会場へと変わってしまった。

 ステージの上では、自称牧師のロバートがニコニコ笑って立っている。

 右手に聖書を持って……。

 ドМの変態おじさんに、持たせていいものだろうか?

 

 このチャペル? らしき会場。

 どうやら宗像先生と生徒たちが、作ってくれたようだ。

 ロバート牧師の背後には、十字架が飾られている。ダンボール製の。

 

 

「あの……宗像先生、これって一体?」

 未だに状況が掴めないので、司会席に立っている先生へ質問してみる。

「見りゃわかるだろ? 結婚式を始めるんだよ」

「結婚式って、誰がそんなこと頼んだんですか? 俺は望んでませんよっ!」

「あぁん? 人がせっかく用意してやったのに、文句を言うのか? お前は。一ツ橋高校の教師や生徒たちみんなで、頑張ったんだ! 感謝しろ、バカヤロー!」

「そ、それは……」

 

 ふと振り返ってみると、クラスメイトたちが寂しそうな顔でこちらを見つめていた。

 先生の言う通り、かもしれないな。

 

「あとな、ロバートは牧師をやるために、わざわざアメリカから来たんだぞ? 彼にも礼を言え!」

 知らんがな、それに彼は本当に聖職者なのか?

 俺の代わりに、ロバート牧師が英語で先生をなだめる。

 

「That’s okay. No worries! I just want your body」(大丈夫、気にしないで。僕は君の身体が欲しいだけさ)

 なんだ、宗像先生が恋しくて来日しただけか。

「あぁ? 日本語使えったろ? まあいいや。ホテルは予約しているから、そこで話を聞いてやる」

「Yes!」

 話は噛み合っていないが、ロバート的にはやる気マンマンのようだ。

 アホらし……。

 

  ※

 

「じゃあ、そろそろ花嫁……じゃなかった花婿? あ~! もう、めんどくさい! とりあえず、入場だっ!」

 

 先生の投げやりな紹介と共に、会場の灯りが全て消えてしまう。

 真っ白だった空間が、一気に暗闇に染まった。

 何も見えないと困っていたところを、一筋の光りが差し込む。

 

 目の前のバージンロードから会場の入口まで、一直線に照らしている。

 その先に見えるのは、二人の人影。

 

 ひとりは黒いモーニングコートを着た……女性?

 金色のポニーテールが輝いている。それにコートを着ても、膨れ上がる巨乳。

 あれはもしかして、ヴィッキーちゃんか!?

 

 ということは、隣りに立っているあの子は……ミハイル!

 

 ヴィッキーちゃんとは対照的な色、白で統一している。

 顔はベールで隠されているから、分からないが。

 あの華奢な体格は、彼で間違いないだろう。

 

 ウェディングドレス……ではなく、パンツと言うべきか。

 一般的なドレスとは違い、ひらひらしたフリルやスカートなどは一切、排除されている。

 その代わり、肌の露出が激しい。

 ノースリーブにショートパンツ、所々に花柄レースの刺繍が入っている。

 持ち前の白く美しい両脚を揃えて、ブーケを手に持つ。

 

 

 どこからともなく、音楽が流れてきた。

 

『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』

 

 あまりに、場にそぐわない曲だったので、その場でずっこけてしまった。

 

 しかし、俺とは対照的に、入場してきた二人は至って冷静だ。

 すました顔をして、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

 バージンロードを歩くその姿は、正しくこの世に舞い降りた天使。

 

 こちらへ近づいて来て、気がついたことだが。

 ミハイルの足元は、厚底の白いローファーだ。紳士向けの。

 

 以前、結婚式の話をした際、俺がミハイルに言ったからなのか?

 ドレスは女が着るもの。男は着ない。

 だから、わざわざ男のミハイルが着られる服を……。

 

 

 ひとりでぼーっと考えこんでいたら、いつの間にか、目の前にヴィッキーちゃんが立っていた。

 眉間に皺を寄せて、俺を睨みつける。

 

「てんめ……なに、さっきからジロジロ見てんだよ」

 

 とドスの聞いた声で脅す。

 くしくも3年前の春。初めてミハイルに言われたセリフだ……。

 

 顔だけなら、弟のミハイルと変わらない美人なのに。

 弟より怖い。

 結婚を許してもらえたはずなのに、何故か謝ってしまう。

 

「す、すみません……」

「この野郎、クソ坊主! お前、結婚の挨拶から顔出さないじゃねーか? あのウイスキーぐらいで、弟をやると思ったのか!?」

 

 今から結婚式を始めるんじゃないのか?

 花嫁を連れて来た、お父さん代わりでしょ。

 

 困った俺はミハイルに視線をやるが、本人は無言を貫く。

 たぶん、自身を姉のヴィッキーちゃんが、俺へ託すのを待っているのだろう。

 

 そんな窮地から助けてくれたのは、意外な人物だった。

 

「あの~ アンナちゃんのお母さんですよね?」

 

 事情をよく知らない親父が、出しゃばってきた。

 当然、ブチギレるヴィッキーちゃん。

 

「あぁん!? 誰が母親だっ!? あたいはまだピチピチの独身だ! それにこいつはアンナじゃなくて、ミーシャ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴るヴィッキーちゃんを見ても、物怖じせず。

 ヘラヘラと笑いながら、頭を下げる親父。

「すみませぇ~ん。知りませんでして……あ、ところで、先ほどの話なんですが。あの『すみ酒』じゃ足りないですよね? 今日は祝いの席ですので、式が終わったら一杯どうですか?」

 まさかとは思ったが、ヴィッキーちゃんの顔つきが、一気に柔らかくなる。

「えぇ、嫌だな~ 琢人くんのお義父さんたら。その酒ってウイスキーですか?」

「もちろんですよ。さすがに『ザ・メッカラン』の60年ものは無理でしたがね。『山々崎(やまやまさき)』の50年ものなんていかがでしょう?」

「……」

 

 しばしの沈黙の後。

 長年親代わりをしてきたヴィッキーちゃんだが、可愛い弟を簡単に手放してしまう。

 

「ほれ、あげる」

 

 と俺にミハイルを託してくれた。

 酒さえあれば、どうにかなるんだな。

 

  ※

 

 ようやく俺の左腕に、辿り着いたミハイル。

 ベールであまり顔は見えないが、それでもエメラルドグリーンの輝きは隠せないようだ。

 

 俺にしか聞こえないように、耳元でささやく。

 

「遅れてごめんね……タクト。このドレス……じゃなかったスーツを作るのに、時間がかかって」

「なっ!? じゃ、じゃあ……しばらく会えなかった理由って?」

「うん☆ ずっとこれを作ってたから。ちゃんと間に合わせたくて☆」

 そういうことだったのか。

 

「でも、俺は……」

 言いかけたところで、ミハイルが俺の唇を人差し指で塞ぐ。

 今気がついたが、手にウェディンググローブをはめている。

「いいじゃん☆ 今日の結婚式は、オレがみんなに相談したから、準備してくれたんだよ? 甘えよう☆」

「みんなって?」

「ここにいる全員だよ。みんな、オレたちの結婚を祝いたいって、用意してくれたの☆ タクトには黙っていたから、ごめんね」

 

 俺はもう一度、後ろを振り返ってみた。

 みんな嬉しそうに笑っている。

 ミハイルの言ったことが本当なら、ここまで準備するのに相当な時間と、金を使ったはずだ。

 俺たちのために……。

 

 

「お~い! もういいか!? さっさと結婚式、やるぞ。新郎新婦?」

 

 司会席に目をやると、宗像先生がやる気のない顔をして、式のプログラム表を手で叩いていた。

 

 あんな顔をしているけど、先生も俺のために、牧師まで用意してくれた……。

 卒業式を短縮して、結婚式の方を優先してくれたし。

 やっぱり、俺。この高校を選んで良かった。

 

 愛するミハイルに、友達想いの級友たち。

 それに生徒を一番に、行動してくれる先生。

 

 みんなありがとう……。

 目頭が熱くなってきたけど、必死にこらえる。

 泣くなら今じゃない。この結婚式が終わってからが良い。

 

 覚悟を決めて、司会席にいる宗像先生へ向かって叫ぶ。

 

「すみません! 準備ならもう出来ました! 結婚式を始めてくださいっ!」

 

 気がつくと、口角が上がっていた。

 すると宗像先生が、眉間に皺を寄せる。

 

「なんだ? ニヤニヤと笑って気持ち悪い……さっさと式を終わらせろ。私も新宮のお父さんが用意してくれた『山々崎』を早く飲みたいんだ。みんな打ち上げが待ち遠しいんだよっ!」

「……」

 

 前言撤回、最低な高校でした。

 僕の学歴で、唯一の汚点になります……。



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488 誓いのキス

 

 まずはロバート牧師が、俺たちふたりに対して、愛の誓いを確かめる。

 俺は練習もしてないので、一発勝負だ。

 かなり緊張する……。

 

「琢人くん。あなたはここにいる、ミハイルくんを……」

 

 よく映画とかで聞いたことのあるセリフ。

 俺の人生でこんなこと、絶対に起きないだろうと思っていた。

 ちょっと、感動していたら……。

 

「攻める時も、受けの時も……また痔になっても、マンネリ化しても」

 

 思わず、その場でずっこけるところだったが。

 ミハイルが腕を組んでいるので、転ばずにすんだ。

 

「パートナーとして愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

 

 即答でYESと言いたいところだが、一部のセリフを受け入れたくない。

 でも、ここはロバート牧師の言う通りにしよう。

 

「は、はい……誓います」

 

 その答え方に、ロバートが苛立つ。

 眉間に皺を寄せ、再度誓いを確認する。

 

「タクトくん? 絶っ対に誓いマスね!?」

 めっちゃ怒ってる、ドMのくせして。

「誓います! 永遠にっ!」

 するとロバートは嬉しそうに微笑む。

「オーケー」

 

 次はミハイルの番。

 俺の時とは違い、ちゃんとした誓いの言葉だった。

『病める時も、健やかな時も……』という、おなじみのやつだ。

 

 当然、ミハイルもYESと即答し、無事に誓いが成立したのであった。

 というか、なぜ俺だけ、あんな誓いを立てられたの?

 

  ※

 

 結婚式のプログラムを知らされていない俺は、次にどんなことを行うか。知るわけもなく……。

 きょろきょろと辺りを見回していると、隣りに立つミハイルが俺の袖をくいっと掴む。

 

「大丈夫だよ☆ オレに合わせて」

「ああ……」

 

 そんな俺を見て呆れたのか、宗像先生が深いため息をついたあと、こう言った。

 

「では、リングガールの入場です」

 

 きっとプログラムを順次、説明するから安心しろということなのだろうが……。

 リングガールってなんだ?

 今から際どい水着姿のお姉ちゃんが、入場するのか。とアホな妄想をしていたら。

 

 会場奥の入口に、ひとりの少女が立っていた。

 先ほどミハイルが歩いていた、ヴァージンロードの上を。

 

 小学生ぐらいの女の子だ。

 白いドレスを着て、頭に花冠をかけている。

 手には網かご。

 

 徐々にこちらへ近づいてくると、その子に違和感を感じる。

 それは顔つきだ……。

 遠目で見れば、女の子だが。よく見れば、しっかり成人した女性。

 いや、もう30歳を迎えたのに、独身のかわいそうなアラサー。

 

 俺の元担当編集。白金 日葵だ。

 

「はい。お二人の結婚指輪を、届けに来ましたよ」

 

 と網かごを差し出す白金。

 自ら望んでやっているようには見えない。

 その証拠に、舌打ちをつく。

 

「チッ……なんで、私がこんなことをしないといけないんだか」

 

 顔を歪めて、神聖なヴァージンロードへ唾を吐き捨てる。

 これには俺もブチギレそうだったが、みんなやミハイルの前だ。

 怒りをこらえて、白金に礼を言う。

 

「悪いな、白金。ありがとう」

 そう言って、カゴを受け取る。

「フンッ! 私より先に結婚なんてしやがって、クソウンコ作家のくせに!」

 ダメだ。祝いの席でキレてはいかん。堪えろ。

「は、はは……まさか白金まで、結婚式に参加してくれるとはな」

「別に私は参加したくなかったのですけどね。DOセンセイじゃなかった。“アンナ”センセイのお父さんが『山々崎』を飲ませてくれるって聞いたもんで」

 お前も結局、酒かよ……。

 どうなってんの? 初代、伝説のヤンキーたちは。

 

  ※

 

 白金が持ってきた網かごには、2つのプラチナリングが入っていた。

 黙って受け取ったけど、この結婚指輪は誰が用意したんだ?

 俺はミハイルに告白する時、渡したのは婚約指輪であって、結婚指輪じゃない。

 

 ロバートに「どうゾ、お互いの指に差し込んで下サイ」に促されたが……。

 こちらが用意したものじゃないから、怪しんでしまう。

 後で多額のお金を、請求されるのではないかと。

 

 俺が指輪を睨んで固まっていると、ミハイルがそれを見て、クスクス笑う。

 

「フフフッ、早く指輪を入れてよ☆」

 と細い指を差し出す。

「え……でも、これ。誰が買ったんだ? 俺は買ってないのに……」

「タクトって結構、心配性だよね。こんな時ぐらい信じてよ☆」

「?」

「オレが買った……ていうか、作ったの☆ 二人分ね☆」

「つ、作っただと!? ミハイルはそんなチートスキルを、持ち合わせていたのかっ!?」

 

 あれだろ?

 異世界に飛ばされた主人公が、鉱山で希少な鉱石を掘り出し。

 コツコツと貯めたスキルポイントを使い、鍛冶スキルに全振りする。スローライフ的な……。

 

 とひとりで、次回作の主人公は金髪ハーフの美少年が、異世界でエルフより可愛くなるストーリーを考えていたら。

 ミハイルが俺のおでこを、人差し指でデコピンする。

 

「いでっ!」

「考えすぎだってば。福岡に工房があってね、そこの先生に教えてもらいながら、作ったんだよ☆ ちょっと歪んじゃったけどね」

「そういうことか……」

「お店で買った方がキレイだけど。作ったら少し安くなるし、何より世界で2つだけのリングだもん☆ タクトが可愛い婚約指輪をくれたから、結婚指輪はオレが作りたかったんだ☆」

「……」

 

 その言葉を聞いて、今までの自分を呪った。

 ミハイルがこの数ヶ月、会えないと言っていた理由は、全て今日のため。

 俺が結婚式を断ったから、ひとりで宗像先生や友達に相談して、式を用意し。

 指輪まで自分で作ってくれた……。

 

 なら、ミハイルの気持ちにしっかりと応えるべきだ。

 それからの俺は、素早かった。

 指輪交換をさっさとすませ、司会の宗像先生や牧師であるロバートの言葉も無視して、ミハイルにこう囁く。

 

「ベールを上げたいから、腰を屈めてくれ」

「う、うん……」

 

 その場でミハイルが、ゆっくりと腰を屈めるのを確認すると。

 俺は彼の頭にかかったベールを、両手で上げていく。

 

 ベールを上げると、ミハイルが瞼を閉じて待っていた。

 俺が「もういいぞ」と言うと、ゆっくり瞼を開き、腰を伸ばす。

 

 厚底のローファーを履いているとはいえ、俺たちには身長差がある。

 どうしても、彼の方が上目遣いになってしまう。

 2つのエメラルドグリーンを輝かせて、微笑むミハイル。

 薄紅色の唇は、どこか艶がかっているような気がした。

 ひょっとして何かリップを塗っているのか?

 

「お待たせ、タクト☆」

「ミハイル……」

 

 とても長い時間。すれ違っていたような気がする。

 やっとこいつの顔を、見ることが出来た。

 それだけで、心が満たされていく。

 もう……ダメだ。我慢できん。

 

「それでは、誓いのキスを……」

 

 とロバートが最後までセリフを言う前に、俺はミハイルを抱きしめていた。

 もうお互いが離れないように、強くきつく。

 

「た、タクト?」

「愛している……ミハイル」

「オレもだよ。でも、このままじゃ、誓いのキスが出来な……」

 

 ミハイルの小さな唇を、力づくで奪う。

 こんな強引なキスをするはずじゃなかったのに。

 久しぶりに見た彼が可愛すぎて、理性が吹っ飛んでしまった。

 

 彼が逃げられないように、右手で頭を抑え、腰に左手を回す。

 

「んんっ……」

 

 誰かは分からないが、悲鳴のような歓声が上がる。

 そりゃ、そうだろう。

 

 俺は誓いどころか、かなりディープなキスを堪能しているのだから。

 ミハイルの舌先を探すことで、頭はいっぱい。

 もちろん、彼が拒むことはないが。少し恥ずかしがっているように感じる。

 

 腰に回していた手の位置も、次第に下りていく。

 彼が一生懸命作ったウェディングスーツ。

 触れたことで、ようやく気がついた。

 この生地はきっとフェイクレザーだろう。つるつるのスベスベ。

 

 撫で回すのに最適。いや、揉みしだくのが良い!

 

 ~10分後~

 

「んちゅ……じゅばじゅば……ぶちゅっ、ちゅ~!」

 

 誓いのキスにしては、あまりに長い接吻だった。

 おまけにミハイルの小尻を、撫で回しては揉みまくる……を繰り返していた。

 

 しかし、それを黙って見ている大人たちではない。

 誰かが固い筒で、俺の頭を引っぱたく。

 

「長いっ! さっさとやめんかっ! 初夜なら後にしろ、バカモン!」

 

 後頭部をさすりながら、ミハイルから離れると。

 顔を真っ赤にした宗像先生が、結婚式のプログラムを丸めて立っていた。

 

「すみません……つい」

「つい、じゃない! お前、このあと式をどうすんだ!?」

 宗像先生が指差す方向に目をやると、ミハイルがまた『トリップ』していた。

 

「うへへへ☆ タコさんのタクトだぁ~ だから、オレのお尻も触ってきたんだぁ。くすぐったいよぉ~」

「……」

 

 ミハイルが正気を取り戻すのに、30分を要した。



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489 結婚初夜

 

 ミハイルが正気を取り戻したところで……。

 俺たちは晴れて、夫婦になれた。

 いや、夫婦という表現はちょっと違うか?

 まあなんにせよ、これで俺とミハイルは、永遠のパートナーだ。

 

 牧師のロバートが会場のみんなに向かって、宣言する。

 

「さあ、この二人の新しい門出に、盛大な拍手をくだサイ!」

 

 待っていましたと言わんばかりに、一斉に席から立ち上がると。

 力いっぱい手を叩いて、祝ってくれた。

 みんな自分のことのように、嬉しそうに笑っている。

 

「おめでとう、タクオにミハイル!」

「二人とも、素敵です!」

 と叫ぶのは、リキと一。

 

「あのぉ~ 初夜に動画を撮影したいのですが、可能でしょうか!?」

 

 そんなふざけたことを叫ぶのは、俺の腐った職場仲間だ。

 普段は真面目で大人しい女性なのに、BLや同性愛については感覚がぶっ壊れている。

 全て編集長の倉石さんによる、調教のせい。

 

 誰が営みの録画を許可するか!?

 そういう撮影は、俺だけがして良いの。

 ヤベッ! そう言えば、ビデオカメラを用意してなかったぜ。

 

  ※

 

 式が無事に終わり、新郎新婦は退場することになる。

 ゆっくりとヴァージンロードを二人で歩く。

 ミハイルは嬉しそうに、級友や家族に手を振っていた。

 

 俺はと言えば、正直誓いのキスをやり過ぎたと後悔していた。

 自家発電の直後……賢者タイムみたいな気分。

 今になって恥ずかしさが、こみ上げてくる。

 

 そりゃそうだ。

 目の前でカメラを向けている、母さんとばーちゃんの前で、あんな濃厚キスと尻揉みをしたのだから。

 

「タクくん! 母さん、感動したわよ!」

「すごいじゃない、タッちゃん!」

 

 褒めてくれているんだけど。なんか二人とも口から、よだれを垂らしているんだよね。

 もちろん、妹のかなでも見逃すわけなく。

 

「尊い! おにーさまなら、ミーシャちゃんと結婚できると思ってましたわ! 全てかなでの計画通り。女装させて良かったですわ」

 え? 全部、あいつが仕組んだことなの?

 怖っ。

 

 一歩進むごとに、俺は出席者へ頭を下げる。

 しかし、とある出席者の前で、小さな石ころを投げられた。

 

「いてっ!」

 

 本当に小さなものだから、頬に当たっても、さほど痛むものではないが。

 連続して投げられると、ちょっと痛む。

 それに目にも入るし……。

 

「鬼は外~! 鬼は外~っ! BL作家はいらな~い!」

 

 誰だ、季節外れの豆まきをしているのは?

 ミハイルにはしないで、俺にだけ投げてきやがる。

 しかも、顔面狙い。

 

 何個か石をキャッチすることが出来たので、手の上にのせて確認してみると。

 

「これは……白米?」

 

 辺りを見回してみると、他の出席者たちも網かごから手に掴み、投げている。

 顔面ではなく、足元に優しく落とすレベル。

 だが、この出席者には悪意しか感じない。

 

 相手の顔をじっくり見つめると、そこには小さな女の子が立っていた。

 いやアラサーのロリババア。

 白金が俺の顔目掛けて、ライスシャワーを投げつける。

 

「悪霊退散っ! 早くミハイルくんにお尻を攻められて、痔になっちゃえ!」

「……こんの、ロリババア。お前は最後ぐらい大人になれよっ! ちゃんと祝えないのか?」

「祝うわけないじゃん! このクソウンコ作家! ラブコメなんて、最初から書けなかったんですよ!」

 その時、俺の中で何かがブチンと切れる音がした。

「なんだと、貴様! ちゃんと売れただろうが! お前が編集として力不足だったんだ!」

 

 新婦を残して、白金に飛び掛かる。

 どうしても、こいつをぎゃふんと言わせたいから。

 

 そのあと取っ組み合いのケンカになり、宗像先生とヴィッキーちゃんが止めに入るまで、俺と白金のケンカは止まらなかった。

 

  ※

 

 みんなから祝福されて、無事に結婚式を挙げることが出来た。

 ミハイルと仲良く会場から出ると、一台のオープンカーが目に入る。

 かなり派手な車だ。

 

 ピンク色の車体だし、大きなリボンや白いバラで作られたリースなどで、装飾されていた。

 車体の後方部には、紐で括られた複数の空き缶が、アスファルトに転がっている。

 

 これは……ブライダルカーってやつか?

 

「ほら、タクオにミハイル! 早く乗れよ、出発するぜ」

 運転席には、なぜかリキが座っている。

「そうだよ。二人が主役なんだからね♪ あ、ちなみにこの車は、私がデザインしたの」

 と助手席で笑うのは、腐女子のほのかだ。

 

 つまり、彼女が普段から乗り回している愛車なのか。

 その証拠に、リボンやリースでは隠し切れない部分が、悪目立ちしている。

 

 頬を赤くしたショタっ子が、おじさんに無理やり襲われているのに……「らめぇ」と受け入れているBLイラスト。

 フロントだけじゃなく、全体に裸体の男たちがプリントされている。

 BL痛車とでも、言うのか?

 こんな恥ずかしい車には、乗りたくない……。

 

 

 でも、せっかく用意してくれたブライダルカーだし、我慢して後部座席へ乗ることに。

 それに結婚式を企画、参加してくれたみんなが、わざわざ駐車場まで見送りに来ている。

 俺たちの新しい門出を、見守っているのだろう。

 

 後部座席から、二人で手を振る。

 

「それじゃ、みなさん。本当にありがとうございました!」

「バイバイ~ みんな☆」

 

 運転手を任せられたリキが気を使って、駐車場をぐるりと一周する。

 その間、結婚式に参加したたくさんの人々に、挨拶することが出来た。

 

 一ツ橋高校から出発する前に、ミハイルが手にしていたブーケを空に向かって、投げる。

 ブーケトスってやつだ。

 

 大勢の女子が鼻息を荒くして、ブーケを手にしようと競い合っていたが。

 それを見た宗像先生が、強い口調で注意する。

 

「こらぁ! 今回の花嫁は、男の古賀だ。よってブーケを手に出来るのは、男子のみ!」

 

 先生が考えた謎ルールのせいで、女子はため息をついて解散する。

 地面に落ちたブーケを拾ったのは……天然パーマのバニーボーイこと、住吉 一。

 

「あ、僕が次のお嫁さん……?」

 

 よりにもよって、リキに片想いしている一か。

 知らねっと……。

 

 ~それから、30分後~

 

 学校から離れて、しばらく経ったころ。

 俺たちは、大きな国道を走っていた。

 このブライダルカーは、ミハイルも知らなかったようで、驚いていた。

 オープンカーだから目立つし、風がバシバシ当たって肌寒い。

 でも、不思議と気分は悪くない。

 

「ところで、リキ。一体、どこへ向かっているんだ?」

「え? ああ、実はミハイルにも黙っていたんだけど……なあ、ほのかちゃん?」

 恥ずかしそうに、頭をかくリキ。

 仕方なく、助手席のほのかが説明してくれた。

「もう、リキくん。こういう時、頼りないんだから。あのね、宗像先生と一ツ橋高校のみんなで、話し合って決めたんだけど……。実は二人に結婚のお祝いがあるの」

「お祝い?」

「うん。今、向かっている場所……ホテルを予約しておいたの。お金も事前に払っているから、心配しないで。ちょっとしたハネムーンだから♪」

「!?」

 

 これには驚いた。

 あの借金まみれの宗像先生が、生徒にそこまでしてくれるとは……。

 ミハイルもハネムーンと聞いて、感動していた。

 

「ハネムーンなんて考えていなかったよ。ありがとう、ほのか。それにリキも……」

 目に涙を浮かべて、礼を言う。

「はは! 気にすんなよ、ハネムーンと言っても福岡市内だぜ? お、もうすぐ着くぞ」

 

 ん? ハネムーンなのに、福岡市内だと?

 おかしくないか。

 福岡県で旅行するとしたら、ビルや商業施設が並ぶ市内より、自然の多い場所を選ぶと思うが。

 

 首を傾げていると……リキが運転する車は、賑やかな繫華街、博多を走っていた。

 ビジネス街だから、大きなビルが立ち並んでいる。

 ホテルもあるにはあるが、ビジネスホテルばかりで。ハネムーンに利用するものとは程遠い。

 

 と思っていたら、車は人通りの多い『はかた駅前通り』に入る。

 

 見覚えのある交差点で、ウインカーを出すと。リキが「ここだったよね?」と、助手席のほのかに尋ねる。

 彼女が「うん」と頷くと、そのまま左折した。

 

 裏通りに入ったところで、目に入ったのは……俺たちがよく通っているラーメン屋『博多亭』だ。

 まさかとは思うが、ここに来たと言うことは?

 

 ブライダルカーは小さな白いホテルの前で、止まる。

 正しく表現するには、説明不足だろう。

 宿泊施設として、利用目的が違うのだから。

 

「さ、下りてくれ」

 驚く間もなく、リキが終点を告げる。

「なっ!? リキ、お前。ここがなんのホテルか、知っているのか!?」

「え……ラブホだろ? 悪りぃ、金と時間が無くてさ。宗像先生が『ホテルには違いないだろ』って予約したんだ」

「ウソだろ……?」

 

 ただのヤリ部屋じゃん。どこがハネムーンなの?



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490 タクトとミハイル、そして……。

 

「あ、タクオ。これ」

 1つのトランクを差し出すリキ。

 どうやら、ミハイルの荷物らしい。

 俺がトランクを受け取ると、すぐさま車のエンジンをかける。

「え、ちょっと……」

 引きとめようとしたが、間に合わなかった。

 

「じゃあ、俺とほのかちゃんは、卒業式の打ち上げがあるからさ。二人はゆっくり新婚旅行を楽しんでくれよ」

「そうそう♪ おじゃま虫の私たちは、宗像先生やみんなと焼き鳥屋さんでパーティーするから」

 

 なんか、そっちの方が楽しそうな気がするけど。

 

「二人とも、待ってくれよ! 本当にこのまま、行くのか!?」

 

 俺の問いに、リキとほのかは黙って顔を合わせる。

 しばしの沈黙の後、二人は息を合わせてこう言った。

 

「当たり前だろ」

「当たり前でしょ」

 こいつらの方が、もう夫婦じゃね?

 

 ふと、気になったので、ミハイルに目をやると。

 顔を真っ赤にして、アスファルトに視線を落としていた。

 恥ずかしさからか、身体を震わせている。

 

「……」

 

 黙り込むミハイルを見て、心配になった俺は声をかける。

「なあ、大丈夫か?」

「え……?」

 俺が声をかけるまで、我を忘れていたようだ。

 大きな目を丸くして固まっている。

 

 お互いどうしていいか分からず、その場で立ちすくんでいると……。

 リキとほのかが乗る、ブライダルカーが動き始めた。

 

「じゃあな! また同窓会とかで会おうぜ!」

「二人とも、お幸せに~♪」

 

 残されるこちらの身も考えてよ……。

 

  ※

 

 リキたちが去って、どれぐらい経っただろう。

 20分以上は、このラブホテルの前に立っている。

 

 裏通りとは言え、博多駅の近くだ。

 真っ白なタキシードとウェディングスーツを着た、俺たちは悪目立ちしている。

 すれ違う通行人たちが、指を差して笑う。

 

「なに、あれ?」

「きっとウェディングプレイとかじゃね」

 

 違うわっ! プレイじゃなくて、正真正銘の夫婦だ!

 

 愛するパートナーを見て、嘲笑う奴らに苛立ちを覚える。

 これ以上、ミハイルを笑いものにさせてたまるかっ!

 

 それに……宗像先生の真似じゃないが、ホテルには違いない。

 どちらにしろ、今夜、俺とミハイルは結ばれる……予定だった。

 なら、初めてがムードのないラブホでも良いじゃないか。

 

 気合を入れるために、頬を両手で叩く。

 

「うしっ!」

 

 ようやく、俺も覚悟を決めた。

 そして、ミハイルに一言。告げる。

 

「ミハイル、入ろう」

「え、えぇ!?」

 

 驚く彼を無視して、話を続ける。

 

「俺たちはもう結婚したんだ。今日からずっと二人で暮らす……なら、遅かれ早かれこういう場所も利用するだろ?」

「うん……そうだよ、ね」

 

 目を合わせてはくれないが、ミハイルも俺の考えと同じようだ。

 その姿を見た俺は同意と見なし、黙って彼の手を掴む。

 

 これ以上の言葉は、無粋だろう。

 少し強引だが、彼の手を引っ張って、ホテルの中へ入ろうとした……その瞬間、ミハイルが俺の手を払う。

 

 驚いた俺は振り返って、彼の顔を確かめる。

 

「ご、ごめん……嫌とかじゃなくて……あのね、実は」

 

 顔を真っ赤にして、身体をもじもじとさせている。

 なんだ? トイレにでも行きたいのか?

 そういうことなら、ホテルにもあるだろう。

 

「どうした? やはり、入りづらいか?」

 俺の問いに、頭をブンブンと左右に振って見せる。

「そうじゃないんだって……。あのね、タクトはウェディングドレスを見たくないって、言ったじゃん」

「ああ……そう言えば、そんな話もあったな」

「実はもう一人分、作ったの。ドレスを」

「へ?」

 首を捻る俺に対して、彼は黙って指を差す。

 ミハイルが差したのは、俺の右手。

 先ほど、リキに渡されたトランクケースだ。

 

「その中には……アンナの分。ウェディングドレスが入っているの」

 

 久しぶりに聞いた、その名前に驚きを隠せない。

 

「なっ!? アンナだと!?」

「うん……いろいろ考えたけど。あ、アンナも着たいと思うし……タクトも見たいかなって」

「そ、それは……」

 

 否定すれば、嘘になる。

 彼の言う通り、俺も一年以上、彼女と会えていない。

 それにプロポーズした際、男のミハイルを選んだが……。

 本音は、未練タラタラで。

 彼女のことを引きずっているのも事実だ。

 

 ウェディングドレス姿のアンナ……想像しただけで、興奮してしまう。

 

「ったい……見たい!」

 

 気がつくと、自分の正直な気持ちをミハイルにぶつけていた。

 また女のアンナを選んで、傷つくんじゃないかと思ったが……。

 

「嬉しい☆ タクトなら、そう言ってくれると思ってた☆ 実はね、アンナのドレスも作っていたから、なかなか会えなかったんだよ」

「……」

 

 そういう事だったのか。

 ったく、こいつはどこまでも可愛いな。

 

  ※

 

 トランクの中身が分かったところで、ミハイルはようやくホテルへ入る決心が着いたようだ。

 もう一度、俺と手を繋ぐ。

 

「じゃあ、今度こそ入ってもいいのか?」

「うん……だけど、その前に聞いてもいいかな」

 潤んだ瞳で上目遣いをする。

 エメラルドグリーンだけでも、反則レベルなのに。

 こんなことされたら、股間が爆発しそうだ。

 

「なんだ?」

「あの……“どっち”がいい?」

「え?」

「だからさ、今のオレとアンナ。どっちを選ぶの?」

 

 頬を赤くして、こちらをじっと見つめる。

 なんて愛らしいんだ。

 

 つまり、彼が言いたいのは……男のミハイルか、女のアンナ。

 どっちを食べたいですか? ということだろう。

 なんだ、この高揚感は。

 

 まるで仕事から家に帰ってきたら、愛する妻が「お風呂にしますか? お食事にしますか? それともワタシ……」的なシチュエーション。

 しかし、そんなことを選ぶ必要はない。

 

 

 意味を理解した、俺は即答する。

 

「両方、いただこう」

「え?」

 

 大きな目を丸くする、ミハイル。

 

「だから、二人ともいただく。俺がミハイルとアンナを愛しているのは、事実だからな」

 ミハイルは俺の答えを聞いて、一瞬、言葉に詰まっていたが……。

 恥ずかしそうにこう言った。

「じゃ、じゃあ……どっちから?」

「もちろん、ミハイルからだ。俺が一番最初に可愛いと思ったのは、お前だからな」

 

 俺がそう答えると、ミハイルは小さな声で「バカ……」と呟く。

 だが、まんざらでもないようで、身体をもじもじさせながら、俺の目をじっと見つめる。

 

「オレで良いんだ?」

「確かにアンナも好きだ。でも大事なのは、中身であるミハイル、お前だ」

「うん☆」

 

 俺の顔を見つめて、優しく微笑むミハイル。

 右手を差し出し、何かを待っているようだ。

 

「行こ、タクト☆」

「ああ……そうだな」

 

 彼の小さな手を掴むと、ラブホテルの入口に立つ。

 緊張しているせいか、手の中は汗で湿っている。

 こんなベトベトの手じゃ、ミハイルが嫌がるだろうと思ったが。

 

 ミハイルは俺の考えていることを、察しているようだ。

 上目遣いで、こう囁く。

 

「大丈夫だよ☆ オレもすごく怖いもん、タクトと一緒☆」

「……ミハイル」

 

 その一言で、火がついた。

 

「じゃあ、二人で同時にホテルへ入るか?」

「うん、いいよ☆」

 

 まさか結婚して、初めての共同作業が、ラブホテルへの入場とはな。

 

 深呼吸した後、互いの手を強く握りしめ、片足を前に上げる。

 するとセンサーに反応したようで、自動ドアが開いた。

 

「「せーの!」」

 

 

  了



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