悲劇のヒロインに転生したのでシリアスをぞんざいに扱ってみる (ZenBlack)
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一章
1話:竜よこんにちは


 こんにちは、はじめまして、私はティナ、十三歳、一応貴族令嬢です。

 

 ティナという名前は、西欧諸国(せいおうしょこく)だと、日本の花子とかに相当する、ありふれたクソダサな名前なんだとか。ありふれてますかね、花子。

 

 まぁ異世界転生モノが○○太郎や○○花子で表現される風潮もありましたし、お似合いとはいえますね。

 

 はい。私は異世界転生者です。

 

 元々は、だから今とは色々違う人間だったのですが、それは一旦()いておきますね。

 

 まぁなんていうか、今はそれどころではないのです。

 

 私、花子、もとい、ティナは、現在生命の危機にさらされています。

 

 パクッ、ガブリ。

 

 今にでも、そんな可愛らしい効果音が鳴ってしまいそうな、捕食系バッドエンドの危機です。可愛らしい?

 

 なにがどうしてそんなことになっているのかというと……。

 

 今、私の目の前に赤い竜がいます。きゃー! でっかーい! こわーい!

 

 いや比喩(ひゆ)でもなくなんでもなくて。

 

 超でかいトカゲっぽい爬虫類(はちゅうるい)の顔が、眼前(がんぜん)を完全に(ふさ)いでいますよ。

 

 でっかいおめめにぎょろんと見られています。睥睨(へいげい)されてます。へぇー、げぇぇぇ。

 

 まだ、そのお口は閉じていらっしゃいますが、アレが開いたら、サイズ的に、私の身体なんかはひと呑みにされちゃうんじゃないでしょうか。

 

 バッドエンド:こうして私はドラゴンのうんぴとなった、シット!……何か、あとひと操作したらそんな画面に飛んじゃいそうな雰囲氣(ふんいき)です。

 

 心臓が、先程から早鐘(はやがね)のようにバックンバックン鳴ってます。

 

 うなじの産毛が緊張かなにかで逆立ってる()がしますね。

 

 熱いんだか寒いんだかわからなくて、全身の震えを抑えるために()を張り詰めてないといけません。つまりは総じておそろしかとですよ。

 

 そもそもこの竜はどこから出てきたのでしょう?

 

 ()が付いた時には、窓を割って壁も割って、顔の部分だけが部屋の中に入っていました。というか身体の部分が見えません。

 

 最初見た時の感想は、ああこういうトリック画像、前世で見たことあるなぁ……という、現実逃避なモノでした。トリックアートとか、アルファチャンネルで透過させたPNG画像とか、そういうアレ。マイルーム的なホーム画面をカスタマイズできるゲームだと、壁のネタパーツとしてたまにある感じのアレ。

 

 それくらい場違いな感じに、壁から赤い竜の首が生えていますよって。

 

 あのさぁ……。

 

 女の子の部屋に無断で押し入るのは最低だって、ママに教わらなかったの? 

 

 それにぃ、こういうことはちゃんと伏線をはってからにしてよぉ。いくらあたしが女優だからって、いきなりじゃ氣分なんて作れないんだからねぇ。女優じゃねぇ。俺まったくもって女優じゃねぇ。そら神様(?)にお願いしたチートは優れた女になれるっぽいモノだったけど……でも違うんじゃーい。

 

 おっといけない、また現実逃避に走ろうとしていました。

 

「お、お、お、お嬢様、お、お、お、お下がり下さい!」

 

 側ではメイドさんが腰を抜かしています。

 いわゆるビクトリア調のヴィクトリーな、クラシカルでクリティカルなメイド服ですよ。私のお手製です。裁縫チートが一晩でやってくれました。

 

 さて現状、その、私が仕立てたメイド服の、紺の生地部分には、特にこれといった変化はありません。白いエプロンにも現状、異常は見当たらないですね。

 ですが……そのスカートの下の、絨毯(じゅうたん)の方には……まぁアレなシミができちゃってますね。ふむ黄色い。主人がこうして平然としてる風を装いつつ、心底ではガクブルしつつ、それでも足を踏ん張って応対しているというのに、ダメなメイドさんですね。

 

 とはいえ、彼女には下着とかも洗ってもらっていますし、それ以外でも大変お世話になっています。見なかったことに、してあげましょうかね。

 

 そういうわけで、横を見ているわけにもいかなくなったので、私は貴族令嬢らしくキリッと顔を整え、目の前の赤い竜に向き合うこととします。あ、ちょっとかほりが届いた。

 

「で、なんか用? ってか喋れる?」

 

 ちなみに竜のサイズは、正面から見た顔の縦横(たてよこ)が三メートルくらい。金色に光る瞳と真っ黒な白目部分(矛盾はしてない)、そこから推し量れる眼球のサイズは人間の頭くらいかしらん。

 で、さっきから、その眼球がグリングリンと動いています。どこかの遊園地のなにかのアトラクションにありそうですね、こういうの。

 

「お、お嬢様、危ないですからお下がり下さい! 後生です!」

 

 で、やがてその目は、一瞬、メイドさんの方を見て、(あざけ)るような色を見せ(見なかったことにしてあげるのが優しさだよ)た後、ぎゅるんと回って私をロックオンしました。ひぇぇぇ。げぇぇぇ。

 

 ほんと、何がどうしてこうなったのやら。

 

 転生して十三年。

 

 命の危機は、だからこれが初めてではないとはいえ、流石にここまで荒唐無稽(こうとうむけい)な死を予感させる状況には、初めて(おちい)ったよ。

 

 長生きしたくて、チートも平和なモノにしたのになぁ。

 

 背中の古傷が(うず)くぜ。

 

 前回死んだ時は、どんな感じだったかなぁ。

 

 ちょっとその辺も含めて、ここに至るまでのことを思い出してみることにしましょうか。

 

 ……これが走馬灯じゃないことを祈りつつ。

 

 

 



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2話:人生よさようなら

「そういうわけで、貴方は来世、貴族令嬢に生まれ変わります」

「はぁ」

 

 眼鏡をかけた、一言で言うと女史風の美女が、無表情で俺にそう告げた。

 そういうわけでと言われても、どういうわけなんだかさっぱりわからなかった。

 

 でもまぁなんとなく、これは見知ったシチュエーション、ではありますね。

 二次元的な意味で。

 

「ですが、貴方には死亡時刻、日本時間で二月二十九日二時二十九分を記念してチートがひとつ与えられます」

「はぁ……」

 

 適当な相槌を打って、周りを見回す。

 

 真っ暗というか真っ白というか……なんというか……何も無い空間で、地面に足が付いてる感覚が無くて、かといって浮いてるという感覚も無かった。

 

 若干の虚脱感の中……ああ俺、死んだのか……と思う。

 

 全身からは、辛さも倦怠感も、内臓が全部裏返ったかのような痛みも、病魔が育んだ絶望も諦観も、全部が全部、綺麗さっぱりと消えている。

 

 何年ぶりだろうか? こんな身体と氣持(きも)ちの軽さは。

 

「貴方は好きなチートをひとつ選び、転生することが可能です」

「……へぇ」

 

 いくつか確認しよう。

 

 俺はつい先ほど、病院のベッドで短い生涯を終えた。

 

 俺は、俺という一人称からわかる通り、だから生前は健全な男の子……ではなく、死病を患う成人男性だった。

 

 若年性白血病(じゃくねんせいはっけつびょう)

 

 フィクションで、薄倖(はっこう)の美少女となら、相性のいい病名……だったかもしれない。

 

 だが俺は男だ。

 

 そんな俺が、本当にフィクションだったら良かったのにって病名を、何の因果か若くして宣告され……なんやかんやで、闘病の果てに死んだわけだ。

 

 そろそろ還暦も近い両親に、さんざ迷惑をかけ、苦しんだり、不平不満を撒き散らしたり、無様に泣いたり喚いたりして……つまりは無為に余命を消費して。

 

 最後には多臓器不全(たぞうきふぜん)併発(へいはつ)したとかであっけなく死亡した……のが(俺の体感的には)数分かそこら前の出来事である。

 ただまぁ、それがまだ、夜にはなってない時刻のはずだったから……死亡時刻が午前二時二十九分だったというなら、俺が意識を手放してから死ぬまで、何時間かはかかったのだろう。

 

 けど俺は、この意識を手放したらもう帰っては来れないと……そう悟って目を閉じたはずだ。その記憶はある。俺の右手を(すが)るように掴む、母親の手が温かかったのも覚えている……ごめんよ。

 

「反応が悪いですね」

 

 目の前の女史?……が、はっきりしない俺の態度に、焦れたかのように言った。

 

「はぁ……」

 

 それはまぁ。

 

 そりゃまぁね?

 

 直前まで普通の日常を過ごしていた人が、いきなりトラックとかトラクターに()かれたとかの非日常に襲われ、唐突に死んだのなら……それはまぁ吃驚(びっくり)が仰天で、目が点の鳩が豆鉄砲なことだろう。

 

 だけど俺は、ついさきほどまで死線を彷徨(さまよ)うという、とてもとても非日常な状況の中にいたわけで……まぁ……死んだってのも、だから当然のことであるからして……それに対する納得も、したくはないけどできなくもないわけで……つまりこれが末期(まつご)の夢ってやつかなぁ……って、ある種の諦観と共に、思わなくもないのさ。

 

 非日常から別の非日常に移っただけ。

 

 俺の体感は、その程度のモノなのです。

 

「で、何? 貴族令嬢? チート?」

「はい、貴族の、令嬢で、何かしらのチートが選択可能です」

 

 ましてやそれがこんな、とてもとてもありふれた非日常であるのならば、だ。

 

 今時、ネット小説がこんな出だしで始まったら「またかよ」と、ブラウザバックされるレベルでありふれた冒頭じゃないだろうか。

 というより異世界転生モノ、その流行の後期には、神様女神様との邂逅(かいこう)パートなんか、退屈である、さっさとストーリーを進めろよとばかりに、そもそも無いか省略されるのが常になっていたはずだ。

 

 世の中、何かが流行るとそれのフォロワーが大量発生してきて、それにうんざりしたアンチが出ててきて、そんな土壌(どじょう)の中、流行を皮肉った何かが生まれてきたりして。

 

 でも新しく生まれたその何かが流行ると、今度はまたそれに対するフォロワーとアンチも発生してきたりして。

 

 そんなループがある程度続くと、最初の流行がまた「逆に新しい」「こういうのでいいんだよ」ともてはやされたりもして、まぁ流行ってのはそういうモノで。

 

 だけれども。

 

 でも、こういう異世界転生モノって、まだ「逆に新しい」となるには早いよなぁ。

 

 少なくとも俺にとっては、十代の頃に親しんだ、とてもとてもありふれた非日常だもの。

 

 これがオタクの末路、もとい末期(まつご)ってモノなのかね。

 

 我ながら業が深いわー。女神様が女史風なのはテンプレ外しだけど、普通に美人だし巨乳だしで可愛いしね。ぶっちゃけ割と好み。肉体が死んだせいか、ムラムラっとはこないみたいだけど。

 

「貴族令嬢にTS転生で、女史風の、女神っぽいのからチート授受ですか……俺が好きな作品にあったかなぁ……そういうの」

「女神っぽいの、ですか?」

 

 俺も、つまりはそれなりにサブカルを嗜む人生を歩んできた。

 

 元氣(げんき)な内は……いや病床にあってもそれなりには……漫画やアニメ、ゲーム、またそれらに付随(ふずい)するサブカルの数々に親しみ、童貞のまま死ぬくらいには……オタな人生を歩んできた。

 

 こういう非日常……異世界転生モノにも、それなりに触れてきた。

 

 だけど、俺が読んできた異世界転生モノは、女神っぽい存在からチートを貰うというと、それはバトルでチートで無双で、ハーレムで俺何かやっちゃいましたかでざまぁで……まぁそんな方向性のモノばかりだった。いいんだよ、そういうので。

 

 バトル……くっころは二重の意味でしたくないから、チートを貰えるというならそれはありがたいけれど、貴族令嬢っていうと、主に恋愛か内政か権力闘争か、そっち方向の話になるんじゃない?

 

 そっちはアニメ化されたのとか、有名なのを片手で数えられるくらいしか読んでないから、よくわからないが……。

 

「もしかして、その貴族令嬢って、悪役令嬢になる予定とか、そんなん?」

「は?」

 

 いやだって異世界転生で貴族令嬢でしょ?

 俺自身は、そういうのはあまり読まなかったが、そういうのもまた、ひとつのお約束、ひとつの人氣ジャンルであることは知っている。バ●リナ様は男が見ても面白かったし。

 

 もしかして俺、そういうのも、生きている間にもうちょっと読んでおきたかったなぁと……深層心理か何かで思っていたんですかね?

 

「あー……っていうか確認なんだけど、転生先って地球?」

 

 貴族制が世界基準だった頃の、過去の地球に転生ってパターンも無くはないか?

 

 ベル●イユのばら、母親が文庫版を全巻持っていたので、病床で何度か通読したなぁ。

 

 フランス革命前後の時代設定だったら、マリーアントワネットには是非会って見たいモノですね。本当に美少女だったのなら言うことなし、しゃくれだったという説が本当なら……ま、それはそれで面白いか。あ、でもマリーアントワネットに転生はやめてね。波乱万丈には勇氣(ゆうき)をもってノーと言いたい。激動の人生、いらない。ギロチン、怖い。菓子パンより惣菜パンが好き。チキンサンドよりトンの方のカツサンドが好き。

 

「いいえ、地球とよく似た惑星が貴方(あなた)の……いえ貴女(あなた)の転生先になります。時間軸は連続していますが、何万光年と離れているので、それに意味はありません」

「あー、一応同じ宇宙ではあるんですね」

 

 変なところで現実に即した世界観だなぁ。

 

「物理法則を異にする程度には、異世界ですけどね」

「はい?」

「魔法がありますので」

「……」

 

 ふぁっ、ファンタジーだー。

 

 魔法かー。

 

 ファンタジーだなー。

 

 って……遥か彼方の銀河系で魔法って、それどっちかってーと超能力の分類じゃないの?

 ネズミの国関連になってしまったので口にするだけで暗黒面へ触れてしまうかもしれないフ●ース的なアレじゃないの?

 アレはSF? いやスペースオペラだっけ?

 

「モンスターもいますよ、ドラゴンとか、ゴブリンとか、アンデッドとか」

 

 ふぁっ、ファンタジーだー。

 

 モンスターかー。

 

 ファンタジーですねー。

 

「エルフとかドワーフとか獣人もいます」

 

 あー。

 

 めっちゃ源流がトールキン先生っぽい、ファンタジーなテンプレ世界観ですね。

 ホ●ットってまだ口にしてはいけないんだっけ? 鈴木さんが土下座案件?

 

「えっと、ちなみにその辺がどんな感じなのかは教えてもらっても?」

 

 いくらテンプレとはいっても、世の中、っていうかフィクション界には、人間と商売するゴブリンとか、人間以上の知性を持つアンデッドとか、幼女化するドラゴンとか、色々いるわけで。

 

 ……ほらアレだ。

 

 自分が末期(まつご)に何を夢想するのか、しているのか。

 オタな人生を歩んだモノとしては、()になるじゃない?

 

 異世界転生モノだって好きで読んでいたわけだし、俺は元々、そういうのにワクワクする人種の人間なのだ。

 

 死病の苦しみは去った。

 だけどまだ意識だけが少し残っている。

 それは奇跡なのか、それとも死とはそういうものなのか。

 

 俺の人生は終わった。

 何も為せず、無為に過ごした意味のない人生。

 

 ならせめて、自分がどういう人間だったのかを、この泡のような意識で見届けようじゃないか。

 

 ……そんな氣持(きも)ちがどこかにあった。

 

 

 

 ……そう。

 

 俺はこの時、この瞬間までは、そう思っていたのだ。

 これは末期(まつご)の夢。

 童貞オタクが、死ぬ前にとても「らしい」二次元的な夢を見ているのだと。

 

 ……だが。

 

 ……だけど。

 

 そんな俺の、ある意味でとてもお氣楽(きらく)な質問は、目の前の女史の、何か妙なスイッチを押してしまったらしい。

 

 そして俺は、軽い後悔と共に、重い現実を受け止めることになる。

 

「魔法とは、マナに干渉可能な生命体が行使する、三次元的物理法則を歪め、一時的にその限界を超えた出力を得る、そうした技能の全てを総称し、呼称する言葉です」

 

「……はい?」

 

「ドラゴンは、魔法により通常以上に成長した爬虫類(はちゅうるい)です。脳の大脳新皮質部位(だいのうしんひしつぶい)が発達し、それが肥大化した場合には、人間以上の知性を持つこともあります。ゴブリンは霊長類に寄生する細菌が、魔法を行使できた場合に発生する、寄生主の成れの果てです。大抵は、細菌の生存戦略に沿った形で、繁殖力特化の生命体になりますね。知性は細菌に制限されているので無きに等しいです。アンデッドは特殊な魔法によって発生しますが、どんな存在になるかは行使された魔法次第と言えます。ほぼほぼ普通の生命体と変わらない場合もあれば、腐敗した身体でぎこちなく動く、化け物としかいえない存在に成り果てる場合もあります」

 

 ちょっ、この女史、喋りだすと長いよ!?

 そして微妙に何を言ってるかわからねぇ!?

 

 あとゴブリンがむしろ、バイオがハザードなアンデッドっぽい!

 

「いわゆるモンスターとは、このように、魔法により発生した、通常では発生しない生命体を総称し、呼称する言葉です」

「は、はぁ」

 

 あー。

 もしかしてコレ。

 

 アレか、ソレか、ドレだ?

 

「ゴブリンは細菌寄生型なので、体液や粘膜の接触によって他の生命体へ細菌感染が引き起こります。雄型(おがた)にも雌型(めがた)にも生殖能力はありませんが、ヒト型の生命体が噛まれたり生殖行為を行使されたりすると感染し、ゴブリン化します。原因菌は緑膿菌(りょくのうきん)由来である場合が多いので、肌が緑色になったりしますね。そうなると体表面に結界魔法を張りだすので、刃物が通らなくなります」

「ゴブリンえげつねぇな!?」

 

 もしかしてコレって……俺が見てる末期(まつご)の夢……なんかじゃないんじゃないの?

 

 女史っぽい女神? の朗々たる長ゼリフに、そんな実感が強まっていく。

 

「魔法には姿を変える変身魔法というモノもあるので、モンスターであり魔法生物であるドラゴンが幼女に変身するのは不可能ではないでしょう。ですが、それを好んで行使する個体が存在する可能性は低いのではないかと思われます。竜にとって人間は害虫のようなものですからね。ゴキブリに変身したい人間がどれほどいるか、という話です。呪いによって幼女にされたドラゴン、というパターンの方がまだありえます」

 

「……呪いって?」

 

「普通の魔法は魔素(まそ)であるマナを利用して行使しますが、呪いは対象者の生命力を魔素(まそ)として行使する魔法です。人間だと簡単な呪い一回で寿命が十年は持っていかれますね」

「呪いもえげつねぇし!!」

 

 あー、もー……これ確実じゃないか?

 

 確実に、事実、現実なのではあるまいか?

 

 俺オタクだけど、作り手じゃねぇもん。

 こんな設定とか、それを語り聞かせてくれるキャラとか、俺の脳味噌じゃ作れないっての。

 何もなせなかった消費豚をなめんな。ぶひぶひ。

 

「ちなみに魔法や呪いを行使できる生命体は、人間種であればおよそ一万人にひとり程度の確率で生まれてきます。エルフであればほぼ全個体が行使できますね。ただしエルフは人間種より華奢(きゃしゃ)で、肉食を苦手とし、それゆえ休息や睡眠を人間種よりも多く必要とします。ドワーフは逆に、魔法を行使できる個体は一億分のいち程度ですが、人間種より頑健な身体を持ってます。獣人は過去にヒト型の生命体とモンスターが交雑して生まれた種族で、絶対数はさほど多くないのですが種類が多く、猫型、犬型、兎型、狼型など、その姿形は様々です。種族ごとに価値観も生活スタイルも、人間種との関わり方も、魔法を行使できる個体の発生率も、全く違います。人間種とエルフ、人間種とドワーフは交雑可能ですが、エルフとドワーフは交雑しても子供は生まれません。獣人の場合は種族によります。交雑可能な場合、親の両種族の特徴をそなえたハーフが生まれますが、ハーフがハーフと、もしくはハーフがハーフでない個体と交雑してもクォーターなどは生まれません。その場合、必ずどちらかの特徴へ偏った個体になります」

「トドメみたいな超絶(なが)ゼリフ乙!」

 

 もう、これ明らかに俺の脳味噌からは出てこない設定だよ!

 

 これが小説だったら確実に目が滑った部分だよ! ちゅるんと!

 

「よくわからないけどわかった。わかったったですよハイ」

「他に、質問は?」

「あー」

 

 いや待て、おい待て、ちょっと待て。

 

 これが俺の末期の夢でないとしたら、これから俺ってTS転生をしちゃうわけ?

 

 チート貰って女の子になっちゃうわけ?

 そんでこんだけモンスター設定ぶちまけたからにはバトルとかしちゃうわけ?

 くっころ展開は嫌なんですけど。緑膿菌(りょくのうきん)由来のゴブリンとか勘弁して欲しい。病院に長期入院の後、死んだ俺に対する嫌がらせかなんかですか。

 

 ……まぁでも、バトル系ならまだいい。

 チートを貰えるなら、バトル系はむしろどんと来いだ。

 

 だけどやはりTS転生というところがひっかかる。

 残念ながら俺はソッチにあまり興味が無いオタクだったのだ。

 

 いや、ソッチにニッチな需要があることは知ってる。

 

 アレってある意味シンデレラみたいな物語構造でしょ?

 可愛くない子(男なら可愛くなくて普通ですね)が物語的奇跡という魔法で可愛くしてもらって、ひとときの俺KAWAEEE、KOREGA僕? 儂KAWAIIを楽しむっていう。

 

 別にそれが悪いとか、全くの理解不能だとか、そんなことは言わない。

 言わないけどさ……転生ってことは、だからつまり一生なわけじゃないですか。

 十二時の鐘が鳴っても元には戻れないわけじゃないですか。

 

 あー……ね?

 

 ひとときの夢なら、まぁ俺も多分楽しめると思うのさ、具体的には一週間程度なら。

 一ヶ月とかは絶対無理、生理とか味わいたくないし。お腹痛いはもう十分味わい尽くしたってばよ……まぁ末期には鎮痛薬とか神経ブロック多用したけどさ。

 

 でも女性に転生するってことは、つまり()(かご)から老婆まで……まぁ長生きできればだけど……マジモンの女の一生をやれってことでしょ? それもプロットアーマーとか主人公補正とかが、在るか、無いかもわからない無慈悲な状況で。

 

 それを、俺が? えー?

 

 しかも貴族の令嬢ってアレでしょ? 貴族の義務っていうか、責務っていうか、より平たくいえば政略っていうか、結婚して子供産まなきゃなんでしょ?

 

 子供産むためにはアレでしょ? 自分が畑側なら種側と発芽に至るエトセトラをしなければならないんでしょ? 童貞には視覚と聴覚のみで御馴染みのアレを。

 

 想像しただけで()が滅入る。俺は、男のケツばかり映すAVに殺意を覚えるタイプなのだ。いや別に男性性それ自体に恨みはないけどさ。むしろソロプレイ的にはお世話になりましたけどさ。

 

 もっとこの状況を楽しむ主人公と変えてくれないかな。バ美肉を楽しめるVの皆様方とかに。いやあの辺の人がリアル女性になりたいのかどうかは知らないけど。まぁでも替われるものなら替わりたいって思った人がいたら是非、今ここへ来てはくれませぬか?

 

「チートで、転生先を貴族令嬢じゃなくすることは?」

「却下されます」

 

 えー。

 

「その理由は?」

「単純に、私共にそれを変更する意義、理由がありません」

 

 えええー。

 

「男性に変身できるチート……いや、成長すると男になるチートとかは?」

「そういう能力を持つ生物へと、直接的に変えるのは無理ですね。人体構造は地球のそれとほぼほぼ同じモノですから、男性ホルモンを投与すれば男性的にはなれます。が、薬品として人体に投与可能な男性ホルモンはまだ開発されていません。魔法的手段だと、特殊な魔法で一時的に男性になる手段なら存在します。変身魔法などがそうです。ただ、永続的な変身、変態は、どちらかといえば呪いの領分です。魔法は、他人の肉体に直接的影響を及ぼすことを不得手としていますからね。もっとも、転生先が、呪いを含め魔法に理解の無い封建国家の貴族社会であるため、魔法を行使できると知られると、ほぼ間違いなく排除されますね」

「……」

 

 ……んんん!?

 

 なんか今、目が滑りそうな部分で凄く重要なことを、最後にサラッと言ったな!?

 

「ここでいう排除とは処分……つまり殺されるということです」

 

 いやいやいや、直接的に言い直さなくてもわかりますけど!

 

 

 



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3話:チートの件等、検討を健闘せよ

「え、何? 転生先って、魔法使いが迫害されてるの!?」

 

「転生先近辺の、大抵の人間種の国家、に限定すればその通りです。例外はありますが、それは、貴方の転生先とは国交も、アクセス方法も無い国々となります」

「エルフは?」

「エルフは国家を持ちません。人間種が住み難い森や寒冷地、砂漠などに、点々と部族単位で暮らしています。これは人間種の主要国家の大多数が、種族的に魔法使いであるエルフを排斥……入国不可としているからです」

「まじかー」

 

 チートの定番といえば魔法チート。

 それが地雷ってどんなクソゲーよ。

 

「どうしても男性になりたいのでしたら、国を出て他人を変身させることのできる魔法使いか、呪いの術者を探すことですね。どちらにせよ高等魔法、高等呪術なので、行使できる術者はめったにいない上に、呪いであれば一回で寿命が五十年は削られると思いますが」

「呪いコスパ悪すぎね!?」

 

 人生五十年って敦盛(あつもり)かよ! 俺の人生なら二回分くらいだよ!

 

「で、そういう術者ってどれくらいレアなの?」

「魔法使いの(ほう)だと、美人で可愛くて巨乳でスタイル抜群で優しくて氣立てが良くて頭も良くて実家が超お金持ちだけど、童貞の貧乏青年を愛してくれる女子高生、くらいにはレアですかね」

「二次元にしかいないレベル!?」

「ドワーフの魔法使い程度にはいますよ?」

「……」

 

 一億分のいち程度……でしたっけ。

 なんてクソゲー。まじクソゲー。

 

「呪術使いの(ほう)なら、そこから三、四程度条件が減るといった具合でしょうか」

「それでも出会える()がしねぇ……」

 

 ……いや人生は元からクソゲーか。クソゲーで普通だったな。ああ普通だったよ。白血病って痛いし辛いし苦しいんだぜ。それでも一部の癌よりかは多分マシですよと言われたけど。長期入院仲間のおっちゃんに……腹にすげえ()(あと)がある系おっちゃんに……マジかよ。いや真剣に深刻にガチで知りたくないけどマジかよ。

 

「じゃあチートってどんなのがあるの?」

「魔法系なら大抵のことが可能といえますが……先述したように、成長する前に排除されることを()とするなら……という前提条件になります」

()とできねぇ……」

 

 もう早死にしたくはないよー……。

 長生きしたい……なぁ……長生……。

 

 あ。

 

「なら肉体系のチートは? 不老長寿とか」

「赤ん坊から始まるので、不老だと赤ん坊のまま固定されてしまいますが」

「融通利かないな!?」

 

 ていうかいつまで経っても赤ん坊の子供とか、そっちの方が殺され……排除されちゃわない?

 

「ですがそうですね、女性であれば、いつまでも若々しくありたいと思うのは世の常なのでしょう。令嬢に生まれ変わることへ前向きになられた、その意欲に応え、鷹揚(おうよう)に応用的に答えるのであれば」

「いやそんなわけのわからない言い回しで言われても」

 

 令嬢に意欲的になった覚えはこれっぽっちも無い。

 俺にとって、健康な肉体というのは、色々なことに目を(つむ)れるほど魅力的なモノだってだけだ。病の不都合は既知、性別が変わる不都合は未知、この二択なら、俺は前者を嫌忌(けんき)する氣持(きも)ちの方が先に出てくる。

 世の中には、なにを引き換えにしても、もう二度と絶対に味わいたくない苦しみってもんがある。

 ……そんなもん、わからないまま死にたかったな。

 

「お好みの年齢、例えば十代二十代の姿のまま固定される……というチートなら可能です」

「……」

 

 それなら赤ん坊のままよりかは、誤魔化しようが無くもない……いやでもいつかは別の意味で魔女と言われてしまいそうな……って違う。

 

「別に、女の幸せのためのチートが欲しいわけではないのですが」

「……ですが大事なことではないでしょうか? 貴方(あなた)貴女(あなた)になるのですから」

「……なぜか、同音異義語をどういう感じの漢字で言っているのか、すごーくよーくわかるのですが、これは女神の力かなんかですか?」

「そちらの同音異義語、というか漢字の感じもちゃんと伝わっているのでご心配なく。なお、例えば先程から貴方がこだわっている長生きという言葉も、それは長く生きるという意味であると理解しています。長生きが、したいのですか? そういったチートでも構いませんよ?」

「んー……」

 

 いやまー。

 肉体的チートが可能なら、丈夫で絶対に病気にならないとか、そういうのでもいいか?

 

 今の俺は出産とかぜってーしたくないけど……貴族だろ?

 

 転生先が、どれくらい女性の権利を保証(ほしょう)保障(ほしょう)してくれるのかはわからないけど、貴族階級が存在する社会だってことは、つまりそれはまだ血統重視の社会、時代だってことだ。貴族の娘として生まれるからには、どこかしらの血統、どこかしらの血筋を守る義務が生じるんじゃない?

 

 となると、アレとかソレとかのエトセトラは~……避けられない()もするし~、転生先の文明レベルは知らないけど、出産はいつの世も大変だって聞く。

 そうなると絶対の安産が保証された健康な身体とかも、長生きが目的なら、悪くないっちゃ悪くないんだよなー。

 なんせ地球でも、少し前までは、女性の死因の何割かは出産にまつわるものだったらしいしね。

 ……ソースは長期入院患者達のおしゃべりネットワーク、ウィズナース。

 

「えと、じゃあ転生先の医療水準ってどれくらい?」

「転生先周辺だと、現状では実験と実証の科学が概念として存在してないので、経験と勘に頼ったおまじないレベルですね」

「暗黒期!」

 

 やっべー。

 

 某音楽の父なバッハ先生がそうされてしまったように、目が悪くなったら針で眼球を何度も何度もぶっ刺される(諸説あります)世界なんて、何その地獄ってもんだ。

 とにかくもう病気だけは嫌だ。健康がいい。健康で暮らしたい。

 

「あ」

「何か決まりましたか?」

「知識系チートは?」

 

 もしくは内政系チート。

 俺には医療知識なんて無いけど、回復魔法以上の治療が可能な知識チートとかができたら、病気になっても自分で治せる。

 転生先の文化レベルが低ければ、自分で内政に関与して発展させればいい。令嬢とはいえ貴族なんだし。

 

 ……アリな()がしてきたな。

 

「可能ですよ」

「おお!」

 

 これは(生前の俺以上の)現代知識チート、無双入っちゃう?

 あれやこれやを発明して俺SUGEEEしたりとか、ワルキューレの騎行をBGMに軍用ヘリで無双とかできちゃったりする? いや後半は物騒だからやりたくないけど。

 

「ですが、記憶を失っているわけですから、赤ん坊のうちにチートで知識を得ても理解できません。大部分は脳の発達と共に霧散してしまう可能性が高いですね」

「……は?」

 

 え、何?

 

 記憶を失っている?

 

「それでも医学の道を(こころざ)せば、とても才能のある医者となれる可能性は高いでしょう」

「ちょ、ちょっ、ちょっと待った!」

 

 え、何? これって異世界転生じゃないの?

 記憶を失う異世界転生なんて聞いたことが無いんですけど!

 

「……どうして記憶を保持したまま転生できるというのがデフォルトになっているのかはわかりませんが、異世界に、転生はしますよ?」

 

 記憶は無くなりますけどね……って、えー!? えー!? えー!?

 

「いえ、意外そうに言われても、生まれ変わりは、そもそも記憶を持たずにするモノですよ?」

 

 えー! いや……それはそうかもしれないけど、えー!?

 

 なにその誰得な王道外し!?

 

「……ああこれですか、地球のフィクション業界では、そういった転生が至極当然なモノになっていたのですね。残念ながら、貴方にとって、これは現実です」

 

 まぁ確かにそうだけどさ、そうなんだろうけどさ!? 女神様っぽいの(眼鏡で女史だけど)に会ってさ、チートくれるってなったらさ! それはもう記憶を維持したままの転生がお約束でしょう!?

 なんなら異世界言語翻訳、容量無制限のインベントリ、ステータス参照、神の加護までもがセットでデフォルトでしょ!? 主人公最強タグから作品を探すタイプの読者だと、その程度はチートの「チ」の字にすらならないレベルよ!?

 

 それが何もなしで記憶すら失って転生って……えー!!

 

「つまり貴女様は女神様ではあらせられない?」

「どういう理屈なのでしょうか?」

 

 そんなデキる女風なのに駄女神なの? ギャップ萌え? パンツはいてる?

 

「……女神であるか否かは、言葉の定義次第ですが、然様(さよう)に言われると、なにやら失礼な()がしてきますね」

 

 眼鏡な女史に、ジトっとした目で睨まれる。どこかの業界ではご褒美ですか。

 

「そもそも女神っていうか女史だし。女子じゃなくて女史だし」

「これは、貴方の初恋の、中学二年生の頃の委員長が長じた、現在の姿を借りているだけですよ?」

「んっ!?」

「貴方が好意的に接触できる人物像として、利用させてもらってます。まぁ……ある時期から貴方の恋愛対象が、平面的なイメージしかない存在と成り果てているため、大分昔の執着を掘り起こした形となりますが……。とはいえ、平面しか無かった場合はLi●e2D風にしなければならなかったので、それは助かりました」

「……」

 

 委員長……美人さんになったなぁ。

 

「ちなみに今は弁護士となり母となり、公私とも順調な人生を歩んでいるようですよ」

 

 俺の初恋!?

 

「え、何? 閻魔様(えんまさま)ってこういうシステムなの?」

「とりあえず貴方の罪を裁く権限は持ち合わせてないので、いわゆる閻魔的な立ち位置の存在ではありませんね。閻魔帳(えんまちょう)的なモノなら資料として参照可能ですが」

 

 ……では貴方様は何者なのですか?

 なんかさっきから、言葉にしなくてもこっちの思考を理解してる風ですけど。

 

「私は……私共は、高次元より人間種の魂の指向性に介入して操作し、それによって利益を得る投資家……といったところでしょうか」

「……なんか生臭い話ですね」

「人の魂が株なら、チートという投資でその価値が向上すれば勝ち、価値が目減りすれば負け、それに一喜一憂する、それだけの存在ですかね?」

「……さっき、死亡時刻、日本時間で二月二十九日二時二十九分を記念してチートがひとつ与えられます……と言ってませんでした?」

「ですよ。面白い数字の並びをそこに見たので、記念に投資してみようと思いましたから」

「それダメなオカルトぉ!!」

「オカルトでも、感興(かんきょう)をそそられるというのは我々にとって、非常に有意義な動因(どういん)足り得るモノなので」

「……」

 

 とりあえず待て。

 一旦落ち着こう。

 落ち着いてよく考えてみよう。

 

 つまりこの場合、転生とは本当にただの生まれ変わりであると。

 記憶を失ってまっさらな状態から始まる、本当の意味でのゼロから始まる異世界生活であると。

 

「って記憶失ったら俺本当に死んじゃうじゃん! 消失に驚愕で憂鬱に動揺じゃん!」

 

 落ち着けなかった。

 

 無いはずの心臓がギシギシと(きし)んでる。

 

 長生きがしたい。これが現実と知って、その想いはより強くなる。

 

「ですからもう死んでいるのですが……それに、有性の知的生命体として、男性の記憶を持ったまま女性に生まれ変わるというのは、辛いことではないでしょうか?」

「それはまぁそうなんだけど……ってか、親の顔とかも覚えてたら辛いなー」

 

 お父さんお母さん、先立った不幸をお許し下さい。

 ……ほんとごめんよ。

 

「そうですか」

「人の感傷をあっさりと流しやがりましたね」

「正直、親子の情というモノは結局よくわからなかったので」

「……結局?……かった?」

 

 でも。

 

 それでも、だ。

 

 けして長いとは言えなかった俺の人生。

 やりたいことが、無かったわけじゃない。

 病床で、できないことに苛立ち、しなかったことを後悔した、そんな未練が沢山ある。

 

 リア充でもなければ、特に自分を愛していたわけでもない。

 

 だけど。

 

 それでも、だ。

 

「でも俺はまだ死にたくない」

「死んでますが、他界されてますが、亡くなられてますが」

「消えて無くなりたくないってことだよ!」

 

 俺の記憶。

 俺の思い出。

 

 まだまだ生きたかったこと。

 生きれなかったこと。

 

 やりたかったことはいっぱいあって。

 できなくて。

 

 やり直したかったこともいっぱいあって。

 満たされてなくて。

 

 だからまだまだ生きたい。

 この記憶を消したくない。

 

 俺が冒されたのは「若年性」白血病。

 全てを諦められる程には、生きていない。

 

「そうですか。現世に未練を残すは人の業、心頭滅却(しんとうめっきゃく)しても炎に吸い寄せられるは、その身に熱を宿す生き物のサガ、そんなところですか」

「いやそんな説法風のことを言われても」

「ふむ」

 

 すると女史は、何でもないことのように言った。

 

「ではチートを、それにしましょうか? 記憶の連続性を保持する、チートに」

「は?」

 

 

 



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4話:そして異世界へ

 そういえば、異世界転生モノには、チートを持たずに、現代知識だけで無双するパターンもそこそこある。

 オセロを開発してみたり、活版印刷を開発してみたり、石鹸やシャンプー、リンスを開発してみたり。

 黒色火薬を開発して銃器無双を始めてみたり、二毛作やら肥料やらジャガイモやら米やら何やらで農業改革をしてみたり。

 

「つまりこれってそういうパターン?」

「オセロや活版印刷はともかく、黒色火薬の作り方をご存知なのですか?」

「……いいえ」

 

 そういえば俺ってただのオタクでしたね。

 軍オタでもなければ農業をやっていたわけでもない。

 活版印刷も、原理はわかるが、実際に印刷機を作れるほどかというとそれは無理。

 

「石鹸……苛性ソーダが云々でアルカリ性がどうとかで……某作品では植物灰を使ってた()がするけど……それをどうすればいいんだっけ……そもそも苛性ソーダって何?……シャンプー? リンス?……あれって何でできてるの?」

 

 某うぃきぺぺぺのコンビニエンスを痛感することしきりである。

 

「マヨネーズ……卵と酢と……なんだっけ?……バルサミコ酢はやっぱいらへんの? オセロ……は作れるだろうけど、大儲けできるほどヒットするのかなぁ?」

「マヨネーズは既に存在しますね。造って半日程度しかもちませんが」

「のおおおぉ」

「二人零和(れいわ)有限確定完全情報ゲームも、転生先の国家にチェスに似たものがありますね。もっとも兵棋演習(へいぎえんしゅう)を発祥とするので、あまり貴族令嬢の嗜みとしては推奨されませんが」

「のおおおぉ……って半分くらい何言ってっか、わっかんない!」

「女性向けとしては星隠しというゲームがメジャーですね。貴方の生没国、その平安時代にあった貝合わせ、あれに推理ゲームの要素を混ぜたような遊びです」

「オセロ、入ってく余地あるのかなぁ……」

 

 てかオセロなんてパクろうと思えばパクリ放題だしなぁ……知的財産権、保証されてるの? まぁこの例だと、パクった作品をパクリ禁止って言い放つみたいなもんだけどさ。……一時期動画サイトとか小説投稿サイトであったな、そういうの。他人の作品を転載して、転載元をパクリと告発して潰すって手法。ちゃんと対策されたのかな、アレ。

 

「まぁ、知識で一儲けしたいのなら、おやりになられるとよろしいのでは? どういう人生にするのかは貴方(あなた)次第ですよ?」

「……俺次第?」

「私どもは投資家ですが、それは発言権を求めてのことではありません。転生後の生き方、生き様は、全て貴女(あなた)が判断し決めることです」

「むむむ」

「まぁ貴族令嬢なので、婚約者は親に決められてしまうでしょうけど」

「それ人生でかなり大事なところぉ!?」

 

 こらまいった。

 

 いやなんだろう、チート貰って異世界転生とか、それだけなら心躍るワードなのだが、記憶そのままで転生するのがまずチートですと言われると……よくよく考えると凄いチートなんだけど……性別が変わってしまうこともあって、なんだかお得感が無い。

 

 いやさ、まだ男のままならさ、やり直したいこと、やり直すべきこと、わかるじゃん?

 もうちっと勉強しといた方がよかったなぁ、とか、運動するべきだったかなぁ、とか、もっと幼いうちに女の子に優しくして、いい感じの幼馴染でも作っておくんだったなぁ、とか。光源氏はもげろ。

 

 でもなー、(将来的なモテのために)男の子に優しくするのなんかは当然却下するとして、貴族の令嬢が勉強したとして、運動したとして、未来のためになるんですかね?

 

 日本だったら男女関係無く勉強も運動も、しないよりした方がいいだろうけど……どうなんだろう?……転生先次第だろうけど、(たっと)ばれるのがお裁縫や詩歌(しいか)の腕ってなると……ただの男オタ、しかも読む専見る専であるところの俺には、記憶継承のアドバンテージが無きに等しい。

 

「ちなみに転生先の貴族令嬢って、どんなことができると尊敬されるの?」

「嗜みとしては裁縫や刺繍、チェンバロなどの楽器演奏、社交の場では礼儀作法の遵守(じゅんしゅ)、ダンス、社会的には立派な世継ぎを産む、でしょうか」

「うん凄く想像通りだけど、どれもこれも記憶継承のメリットが全くねぇ……というか意欲的にはデメリットしかねぇ……意識低い系貴族令嬢爆誕(ばくたん)の予感」

 

 だがしかし、だからといって記憶を消して健康な身体、安産チートを……というのは選べない。

 俺のこの記憶を残すのは決定事項、その上でどうするかが問題だ。

 

「……好きなチートをひとつ選び、って言ったよな?」

「はい」

「ひとつってのは、どうカウントするんだ?」

「はい?」

 

 えーっと、つまりだな。

 

「例えば健康な身体を、と願った場合、何をしても絶対に病気しない、たとえ細菌性とやらのゴブリンにヤられ……じゃない、噛まれたとしてもゴブリン化しないとか、そういう身体になれるの?」

「ああ……ふむ」

「健康、といっても、病気にならない、毒物に強い、怪我の治りが早い、とか、色々あるわけじゃん? 健康な身体チートってのは、それらを全てまとめて『ひとつ』と数えるのか?」

「……そうですねぇ」

 

 見た目できる女で中身ダメ投資家……な女史が腕を組んで考える。

 

 その、どことは言わないが、腕を組んだことで寄せられたとある部分を見て、俺の初恋の人は、いい感じに成長したなぁ……とかなんとか思ったりしちゃったりなんかして。それとも今が授乳期というチート期間なのかな?

 

「その辺りはフィーリングで適当に処理しようと思いましたが、そうですね、指定されるのであれば、その辺りは別々のチートになりますね。細菌性の病気にはかからない、ゴブリンに色々されてもゴブリン化しない……でひとつ。毒物耐性が高い……でひとつ。食事しないでも生きていける……でひとつ。睡眠を必要としない……でひとつ。大怪我をしても傷痕ひとつ残ることなく完全治癒する……でひとつ」

「まじか」

 

 ケチか。

 

「逆に言えば、ざっくり指定してくれれば、私の方である程度いい感じのセットにしますよ。健康チート、お任せパックにしますか?」

「……しないんで、それはもう絶対に選ばないので、参考までにそれがどんなセットになる予定だったか、教えてもらっても?」

「成る程。そうですね……」

 

 むにゅん。

 ……このオノマトペに、特に意味は無い。

 

「病気に関しては、細菌性の病気は魔法が関わらない限り罹患(りかん)しない。これは逆に言えばゴブリンに諸々されたらゴブリン化してしまうという意味でもありますが、九割の人が死ぬような流行病のホットスポットにあっても、普通に生活できる免疫力をもつということです。健康という言葉から連想されるモノは、病気に関するイメージが強いので、健康チートとタイトリングするのでしたら、ここがメインになりますね。食事と睡眠に関しては……ここは省きましょうか。食べなくていいだと拒食症、寝なくてもいいだと不眠症が連想されて、逆に不健康に思えます。毒物に関しては通常致死量の十倍までは後遺症も無く耐えられる、というところでどうでしょうか。怪我に関しては、常識的な範囲で治りが早い、程度に抑えておいた方が無難かもしれませんね。腕を切ってもにょきにょき生えてくる人間がいたら、異常視されてしまいますもの」

「ふむ」

 

 悪くない……いや良い。いやむにゅんな光景のことではなく。

 

 何が良いって、きちんと人間の常識を踏まえた上で判断してくれているところだ。

 この女史は、どうやら人間の事情というものにもある程度(どの程度かはわからないが)通じていて、その上で判断してくれるようだ。

 

「おまけで月経周期が非常に安定し、生理が極めて軽くなり、妊娠した場合も、逆子にもならず健康優良児を産める体質もつけましょう」

「わーい……とは喜べない複雑な男心があるのですが」

 

 どちらにせよ、それは却下だ。

 

「決まった」

「生殖チートにしますか?」

「せんわ!」

 

 前代未聞過ぎて噴くわ! レーティングが変わる案件やろそれ。

 

「ふむ?」

「俺の記憶を維持したまま、女性として生きるのに邪魔になる部分を、女性として生きるのに役立つ知識や技術に変えて、転生させてくれない? 例えば裁縫の知識、腕前、例えば楽器演奏の技術、その他女性の教養に関する諸々。モチベ的に、俺がいちから修得したくない種類の事柄を、可能な範囲で、全部」

「ふむ?」

「で、交換する方の、女性として生きるのに邪魔になる部分、ってのは、例えば俺の初恋の人の顔、とかな」

 

 びしっと。

 

 女史の顔に指をつきつける。

 

「あと薄い本とかエロ画像とかエロ動画とか、それらを有効活用していた時のおもひでとか」

「ふむ」

「一応言っておくが、Vじゃない方の委員長モノが結構あることと、そのツラの元ネタには何の関係もない」

「別に疑っていませんが……というか、どうでもいいのですが」

 

 なんだか前向きに女性として生きることを決意したみたいな要求になるが、俺の中でこれは、後向きな決意だ。

 

 俺は今度こそ真っ当に生きたい。

 何も為さない人生でもいい。

 人並みの生を、人並みの時間、過ごせればそれでいい。

 安産がどうとかに少しこだわったのは、それが女性が早死にする要因の、かなりの割合を占めているからだ。少なくとも、近代医学のメリットを享受(きょうじゅ)できない地域においては、それはそうだろう。

 

 女性は産む機械。それは近代社会においては否定されるべき考えだろうし、人類は、そうではない方へ発展していくべきとも思う。男でも女でも、あるいはそのどちらでもないと自認する人でも、それぞれが、それぞれの幸せを得られる世の中になって欲しい。文化が豊かになるというのはそういうことだろうし、未来は今よりも昔よりも、もっとずっと豊かになっていて欲しい。

 

 だけど、過去には男は男らしくあれと、女は女らしくあれと、それ以外を認めてはならぬと、そういう考えこそが世間の常識だった時代があったのだ。

 

 そういった『ある時代における常識』のことを、なにかの漫画ではエンドクサと呼んでいたっけな。元ネタは確か哲学用語。実に中二病心をくすぐる出典だ。

 

 そんなある時代における常識、エンドクサなるモノと闘う()は……俺にはない。

 

 貴族の娘に生まれたら政略結婚は当たり前。

 

 転生先がそういう世界であるなら、俺はそれを前提に生きなければならない。

 

 俺は『社会』なんてものと闘える程、強い人間なんかじゃない。

 

 俺は『世界』を変革しない。そんなのは英雄に任せる。

 

 もしかしたら、この瞬間に、そうなるチャンスはあったのかもしれない。

 

 チートで無双でハーレムな異世界転生モノにも、若干の憧れはある。

 

 だけど正直、俺にはピンと来ない話だ。

 

 無双もハーレムも面倒くさそう。

 面倒くさくないならいいのだけど、リアルに無双したら大量殺人だし、リアルにハーレムを造ろうもんならいつか刺されそう。それに、この場合のハーレムは逆ハーレムだから……うん最初から却下だ。

 

 とすると、(記憶継承がデフォルトで)男性に生まれ変わる場合でも、俺はその辺を現実的に考え、最強を目指さず、ハーレムも目指さず、世間の常識とは戦わず、世界の変革を望まず、時代に迎合(げいごう)し、その中で真っ当に人生を過ごせる、そのための能力……そういうものを、俺は望むはずなのだ。

 

 では。

 

 それならば。

 

 記憶継承を前提とし、来世、貴族令嬢として真っ当に人生を過ごすにはどうすればいいか?

 

「どこをどう変換するかについては、私の裁量にまかせるということですね?」

「ああそうだ。だってこの記憶をこの知識に変換してくれ……と具体的にすると、それだけでひとつのチートになるんだろう?」

「そうですね」

 

 それがこれなのだ。

 まぁ消去法みたいにはなるが、自分の適性を考えれば、これが最適な回答だと思う。

 

 別にいいんだ、特別な力なんか無くても。長生きさえできれば。長生きさえ。

 

「ふむ。これはまた珍しい要求です。では初恋の思い出は、女性としての初恋の思い出に変えますか? この顔は……委員長萌えに該当する腐女子の性癖ってなんでしょう? 生徒会長? 鬼畜眼鏡?」

 

 俺に聞くな。

 

「ちっがーう。それだと思い出を別の思い出に変換してるだけじゃん? 思い出は邪魔な部分を消すだけ。消した部分は知識で埋めてほしい」

「ふむ。私どもからすれば、知識と思い出に、さほどの違いは感じられませんが……感情を伴わないデータで埋めてほしい、ということで合っていますか?」

「そうだな」

「ご両親の記憶はどうします? 貴方を男性として育てた」

「消すな」

 

 自分でも驚くくらい反射的に、思わず言葉が出た。

 

「……いいのですか? 先程、覚えていたら辛いとおっしゃってましたが?」

「いい」

 

 特に悩むことなく、答えが口からこぼれる。

 

「いい。その辛さは……持って行きたい」

 

 失ってはいけない、捨ててはいけない、そんな声が、心のどこかから聞こえてくる。

 

 ビックリだ。

 

 別に俺は親を、立派と思っていたわけでも、特に尊敬していたわけでない。

 医療費を肩代わりしてもらったことも、何度も見舞いに来てくれたことも、申し訳ないとは思いつつ、だけどどこかに、それくらい親なんだから仕方ないよね、親なんだから当然だよね……そういう氣持(きも)ちが無かったとは言えない。

 

 親のこと、好きだったのかと聞かれても、即答はできない。

 

 好きな部分もあったし、嫌いな部分もあった。

 それが正直な氣持(きも)ちだけど……。

 

 だけど忘れたいか、と聞かれたら絶対に否定する。即答で明快に言える。

 俺の親でいてくれてありがとうと、それだけは心の底から思う。

 

 それに……右手にまだ熱が残っている。これは……捨てたくない。

 

「ふむ。まぁいいでしょう。親との間に、女性として生きていくのに邪魔になるほどの思い出はなさそうですからね」

「女性として生きていくのに、邪魔になる親との記憶って何だよ……」

「例えば性差をはっきりと区別した教育方針だった、性の芽生えに関わっていた、近親そ」「ストップわかった言わなくていい」

 

 生々しいのはNGで。

 

「はい。ではチートは、女性化に係る障害と、貴族令嬢として生きるに有利な知識との置換チート、お任せパック……でよろしいですか?」

「なげぇ!」

 

 どこの()まぐれシェフの料理名だよ。

 

「ではTS補助チートで」

「……色々言いたいことはあるけど、もうそれでいいや」

 

 そんなわけで。

 

「では、そろそろお別れですね。貴方(あなた)は地球とは別の惑星の、貴族の令嬢に生まれ変わります」

「ほーい」

「チートはTS補助チート。なるだけ貴女(あなた)が幸せになれるよう、工夫してみましょう。両親の記憶を変換しないのなら、置換候補が大分減るので、女性に嬉しい健康チートもオマケ程度付けてあげましょうか。先の話よりも、数段階下位となる、ささやかなモノになりますが」

「……任せる」

 

 こうして多少、テンプレとは違った俺の転生と、チートは決定した。

 

「そういや転生後に女神様? 女史様? と通信なり交流することはできるのか?」

「私共は、転生後は貴女のご活躍を時々見守っているだけなのでお()になさらず。そもそも私共は、世界の創造主でも、管理者でもないのですからね」

「時々、ね……まぁそうか。なら今礼を言っておくよ」

「礼、ですか?」

 

 俺はこれから生まれ変わる。

 

「本当は転生して、転生してよかったと思った時点で感謝すべきなんだろうけどな。これから幸せになれるか、なれないか、どっちに転ぶか、今の俺にはわからない。なんせ俺だ、またろくでもない人生を送るかもしれない。だけどチャンスを与えてくれたことには、感謝しているよ」

 

 人生はクソゲー。

 自分の意思や努力以外の部分に、不可避の死が罠のように口を開けて待っている。

 

「そうですか。では……どういたしまして」

「なんで今ここにきて、氣取(きど)った貴族が淑女に礼するムーブみたいなんしたん?」

 

 考えてみたらいい。

 20%か30%か、多少ゲームを進行したら、どうやってもその先には進行できないバグがあるゲーム。

 それをクソゲーと言わず、何と言う。

 

 紛れもなく、俺の人生はクソゲーだった。

 

 すこし前、病院で知り合った難病の子が、諦めたように口にした言葉を聞いた。

 

 自分達は確率の犠牲者なのだと。人が白血病になるのも、癌になるのも、非常に珍しい難病の当事者になるのも、社会全体から見ればそれは偶然、確率の悪夢でしかないのだと。

 俺が悪いわけじゃない。あの子が悪いわけじゃない。

 ただ人生がクソゲーだったから、難病という世界のバグに殺された。

 

「ありがとな」

 

 だけど状況が変わった。

 

 アップデートがあったのか、パッチが当たったのか、とりあえず進行不能のバグは無くなった。

 

「……本当に、心の底から、感謝していますね。そういえば生に執着してる割に、生き返らせてくれと私にすがることも無かった。変な人ですね、貴方は」

「何? 生き返れたの?」

「いいえ。既に死んだ命の蘇生は、少なくとも私共の次元でも不可能ですよ」

「そっか。それなら仕方ない」

 

 世界観が変わり、プレイキャラも性別ごと変わってしまう。

 

 でも……それでも進行不可になるよりかはいい。

 

 ステージごとに風景が全く違うゲームをやったことがある。

 物語が群像劇で、プレイキャラがころころ変わるゲームをやったことがある。

 

「やっぱり変な人ですね。まぁその方が面白くなりそうではありますが」

 

 だからいい。

 それくらいなら、プレイし続けてやる。

 

「俺はね」

「はい?」

「多分だけど……誤解される言い方かもしれないけど、俺はおそらくさ……このクソゲーを、もうちょっとだけ遊びたかったんだ」

 

 それじゃもう一回、人生というクソゲーを、楽しもうじゃないか。

 

「……そうですか。良い旅になるといいですね」

「ああ」

 

 そこで、急に、女史との距離が離れたような感覚があって。

 

 俺はこの空間から、何かに吸い込まれ……消えた。

 

 そうして俺は、転生した。

 

 

 







補足

気を氣と表記していること、病気だけを病氣とせず病気としていること、は誤字ではありません。
この作品の作風のひとつです。とはいえ、特にストーリー上の意味があるわけではありません。


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5話:二次性徴よこんちまた

 タイトル参照のこと、はい、そういうわけで今日はお赤飯の日です。

 

 ……嘘ですごめんなさい。

 

 転生先の地域には、小豆はありますが米ももち米もありません。それどころかインディカ米も無いっぽいです。パエリアすら食べたことが無いよ。サフランはあるのに。ブイヤベースもあるのに。()もいづれの年よりかジャポニカ米チートがしたかとです。

 

 とはいえ私、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードかっこ十三歳かっこ閉じるは本日無事初潮を迎えるに至りました。それは本当です。やったー、嬉しくない。

 

 タチアナはミドルネームです。父称(ふしょう)とかではありません。そちらの愛称であるターニャは某物騒な世界の戦記と被る氣がしますし、アナ、はネズミの国と被る上、元日本人の現在女性としては却下したいところです。なので、私は周りにはティナの愛称で呼ばせて……呼ばれています。ティナも禁止!……にすると、あとは紐神様の相方な部分しか残りませんしね。版権包囲網。世知辛いのじゃ。

 

 なぜ初潮スタートなのかといえば、私の婚約者はこれを機に選考が始まるからですねー。わぁい、やったね、家族が増えるよ。増えんな。……これ何が元ネタでしたっけ。フレーズだけ覚えているのですが、大本のネタ元が思い出せないのですよね。

 

 そんなわけで私、ティナは、生まれた時から……下手したら生まれる前から……嫁ぎ先が決まっているような、王家のお姫様でも公爵令嬢でも侯爵令嬢でもなくて、領地を持つ貴族の中では割と下っ端な男爵令嬢です。

 

 刺繍や裁縫、詩歌(しいか)などの技術を生まれながらに持ち、女史さんがそこはサービスしてくれたのか、それなりに器量よしで生まれた(らしい)この娘っこは、なんということでしょう、親の過大に肥大な期待を一身に背負い、嫁がせるなら子爵! できれば伯爵! それも正妻として!……という荷が重く頭も重い状況下に現在置かれています。逃げたい。

 

「でも、想像していたよりは辛くないな、これ」

 

 まぁ、そんなターニングポイントな生理現象の真っ只中にある私(流石に一人称俺はやめた。でも時々出るかもしれないのでよろしく)は、そんな親の期待込みな過保護もあって、今はベッドに横になって安静にしているのですね。重ね重ね親の期待が重い。三重苦っ!

 

「個人差がありますからね。周期が安定するまでは波があると思いますが、ティナ様は軽い方なのかもしれませんね」

 

 脇からそんな声が、天蓋付きのベッドで横になる私へとかけられる。

 

「ふーん。サーリャは?」

 

 フフン。

 

 聞いて驚け、この慈愛に満ちた顔で笑っている女性は、名前をサーリャといってなんとメイドさんだ!

 

「私は普通ですね。月に一日か二日、辛い日がありますが、お仕事ができなくなる程ではありません。昔は多少不順な時期もありましたが、おかげさまで今は安定しています」

 

 え? 驚かない? 貴族令嬢ならそれくらい普通だろって?

 

 いやいやいや、下位貴族の令嬢って、むしろ上位貴族のメイドに出される方よ?

 メイドっつーか侍女だけど。レディースメイドってやつ。改造バイクには乗らない。

 

 一応言っておくと、当然、地球で近世以降に誕生したメイドとは、定義とか概念が少々違いますよ。私がこの世界の侍従な侍女をメイドって訳しているだけ。まぁそう訳してもいいくらいには類似していると思うけど。

 

 だって、それなりの身分出身で、いつも主人(この場合私)のすぐ傍に控え、その身の回りの世話全般をオールワークな感じで担当している……これってメイドでよくないですか?

 

「ティナ様に造って頂いた、この服も良かったんだと思います。温かく上品で、可愛らしくて」

 

 あと、ちゃんとメイド服着てるし。

 

 私が型紙おこしから縫製までの全てをプロデュースした……紺ベースに白エプロン、頭には通常ホワイトブリム、掃除の時などは白いボンネット……そんないかにもなメイド服を着てもらってますよ。件の流れで頂きました裁縫チートが一晩でやってくれたのです。パパとママにも好評で、今ではこれがしっかりサーリャの制服と認められてます。

 ……前世の俺、メイド好きだったのかしらん?

 

「ふーん。それでも多少は辛い日があるのか。なら、今までは氣遣いが足りなかったかな?」

 

 まぁ私は独立性の高い地方男爵家の長女で……兄がいるから家を継げとかはありませんが……まぁ色々と、この家の未来を背負っているので、お付きのメイドまでいるのですよ。親の期待がマジ重い。……まぁ色々あって自分からそう仕向けた面もあるのだけど。

 

「いいえ、ティナ様にはいつもよくして貰ってますよ」

 

 にぱーっと微笑むサーリャは、元々当男爵家に仕える騎士の家の娘で、だけど上に兄が二人、姉が三人いる子沢山な家の四女。

 

 それゆえ、男爵家のメイドなんて、釣書に書いてもアピールにはならない職に就かされたわけですねー。ついでにいうと、我が男爵家は大して裕福でもないから、お給料も安いですよ……というか……私とはあまり接点が無い女中や下女の方々と大して変わんないはず。労働時間は倍以上あるだろうにね。私の快適な生活は、おはようからおやすみまで暮らしを見つめるメイドさんの(労働力の)提供でお送りされています。

 

「ごめんね、洗濯物を増やしちゃって」

「ティナお嬢様は時々庶民的なことを氣にされますね」

「庶民だよー。男爵家はピンキリだけど、ウチはそこまで裕福じゃないし」

「まぁ」

 

 そんなサーリャは、私には、二年前から仕えてくれている。出会った時は十五歳、今はつい先日誕生日を迎えておんとし十七歳。十七歳ですよ十七歳。『永遠の』が枕詞にならない、後ろに十二ヶ月オーバーの補足が付かない、正真正銘の十七歳ですよ。おいおい。

 

 ちなみに騎士家とか準貴族の結婚適齢期は、女性で十六から二十歳くらい(伯爵家以上の貴族だともう少し早い)なので、去年から見合いの話がちょくちょくきているらしいです。

 

 でもそういうのは、もうずっと、本人の希望で全部断っているのだそうな。親兄弟も末っ子可愛いでそれを許してくれてるんだとか。いいのかそれで。ここは行き遅れに厳しい中世っぽい世界ですよ? むしろメイドになれば結婚しなくていいというなら私もなりたいですよ? 長女だから無理? そうですか逃げたい。

 

「まぁこれからは、サーリャが辛そうにしてたら氣遣うようにするよ」

「いえいえ、お氣遣いなく。それに、お嬢様のおぐしを整えるのは私の癒しですからね。憂鬱な氣持ちなんて吹き飛んじゃいます。……あっ、おぐしを背中に敷いちゃダメですってば」

「んー……おぐし、ねぇ」

 

 ところで私、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード……ことティナのおぐしは、その名前の横文字感にそぐわず、実に日本人な漆黒の(つや)めきだったりする。(からす)の濡れ羽色っていうの? ツッヤツヤですよ。

 

 この国には、鮮明な像を映す鏡が無いので(あっても王家の秘宝級かも。水銀が市場に無いみたいなんだよねー。毒物扱いで禁制品にされてるっぽい)、ちゃんとした顔の造詣は、自分ではよくわかんない。

 わかんないのだがー……髪はそろそろ腰にも届かんとする長さ(だって切ろうとすると怒られるんだもの)なので、一目瞭然だったりもする。

 

 完全なるストレートで、しなやかでコシのある髪。エクステ用に売ったらそこそこの臨時収入になりそう。まぁ傷んだ部分は切っているので、毛先の方はだいぶ細くなってしまっているけど。

 

「艶やかなストレートで、羨ましいです」

 

 サーリャは金髪。軽くウェーブのかかった蜂蜜色の、いわゆるハニーブロンドで、こちらは背中の中心くらいで切り揃えられている。フロントサイドの毛先は豊かな胸部に乗って、今はキラキラと輝いてて美しい。ありふれた言い回しだが、ふわふわした西洋人形みたい。

 

 私の転生先であるこの、カナーベル王国の国民は、髪は金か黒の、見た目光と闇のように対照的な、このふたつのどちらかであることが多い。金髪って劣性遺伝だった氣がするし、経年で茶髪等に変化したりもした筈だけど……この世界では違うのかな? まぁO型が駆逐されない理屈みたいなモノが、働いているだけかもしれないけど。

 

 とはいえ、金髪なら、銀に程近い薄いプラチナブロンドから、サーリャのような()金々(きんきん)のハニーブロンドまでいるし、黒髪なら、漆黒から青みがかったもの、茶髪に近いものと、その中にも微妙な差異(私の髪は漆黒系)の幅はある。

 

 カナーベル王国、国王は(肖像画を見……拝謁する限り)プラチナブロンドで、王妃は青みがかった黒だった。そのことからもわかる通り、別に、どちらかの髪色が尊いとか卑しいとか、そういう差別は無い。個人でひっそりと差別意識を持ってる人間はいるかもしれないけど、それを表に出すのは非常識とされている程度には、この国は文明的……なのだそうですよ。それがどれくらい建前なのかは、社会経験のない貴族令嬢のぼくにはわかんない。

 

「艶やかだからとかストレートだからってことは無いけど、この色は嫌いじゃないよ。凄く馴染むし」

 

 まぁ元が日本人だからね。しかもオタク。黒髪好きだったかどうかは覚えていないけど。

 

「そうでしょうそうでしょう」

「なんで手入れの良さを褒めたわけじゃないのにサーリャが誇らしげなの」

 

 我がスカーシュゴード男爵家は黒髪の家系。

 父、エーベルも黒髪。

 その父に嫁いできた母、マリヤベルは一応黒髪の範疇だけど茶髪に近い薄さで、私の髪は完全に父親ゆずりだった。

 

「ま、金髪もいいと思うけどね。サーリャにはそっちが似合ってる」

「まぁ」

 

 ちなみに。

 

 よくあるファンタジーのように、青や緑、ピンクといったカラフルな髪の人には、今のところ出会ったことが無い。いるにはいるらしいが、この国では珍しいらしく、貴族社会だとそれは尚更らしい。

 その代わり、瞳の色だけは本当に人それぞれだった。

 私の瞳は、これも父親ゆずりの薄い琥珀色。これは磨かれた金属の鏡に映る、ぼやけた像でもきちんと判別できる。

 

「この髪が綺麗なのは自分でも認めるけど、本当はもうちょっと短くしたいんだよね。今年もまた少し暑くなってきたし」

「とんでもない! お嬢様は私の生きがいを奪う氣ですか! ティナ様が髪を切られるくらいなら私が丸坊主になります!」

「……サーリャはもっと自分の人生を歩んでいいんだよ?」

 

 世が世ならば、最強であらせられる十七歳様が何を言ってらっしゃるんですかね?

 せっかくでっかく育ったアレがもったいないなー。

 

「んー……」

 

 広いベッドの上をゴロゴロと転がる。

 うつ伏せになっても、二次性徴がきているのだから少しは膨らんでてもいいはずの部位からは、これといった圧は返ってこない。きやしない。

 まぁこれからなのかもしれないし、このままでもいいといえばいいが。

 

「だるそうですね。何かお飲み物をお持ちしましょうか?」

 

 前世では、どちらかと言えば巨乳好きだった氣もする。

 氣もするが……そこらへんの記憶は曖昧なものになってしまっている。俺ってどんなエロ画像を集めていたのかなぁ。

 

 まぁ……正直、ここに関しては……なるようになればいいと思う。それ以上は考えたくない。過去の自分の欲望とか、ホント忘れといて良かったなー。そこはグッジョブだよあの時の自分。なんせ男性器の正確な形すら覚えていないしな。今見たら演技でなく悲鳴をあげられる自信があるぞ。いらん自信だよ。なんの自信だよ。

 

「んー……いやー……今はいいかなー」

「少しでも御不調がありましたら、おっしゃってくださいね。恥ずかしがることではないのですから」

 

 正直、身体の不調は、そんなでも無いんだよな。

 

 お腹が重くなるって聞いたけど、そんな感じも無い。

 唐突に椅子を染めた血のビジュアルには流石に驚いたが、それを唐突に思えるくらいには、事前の違和感やらなにやらが薄かったのも確かなわけで……。

 

 そもそも女史さんのオマケというかサービスのおかげか、俺の私なこの身体は、とても健康で頑健だった。風邪ひとつひいた覚えがない。

 

 二年前くらいまでは怪我を沢山したが、その治りも早かった。

 あまり怪我をすることも無くなった今となっては、むしろ普段が元氣すぎて、唐突に走り出したくなったり、階段を三段飛ばししたくなったりもする……ていうか氣付いたらしてたりして……そんなレベル。

 

 最近の日常が、そんな子供みたいな感覚(実際子供だったんだけど)だったので、むしろ今の方が、なんとなく落ち着くくらいだ。

 

「どちらかっていうと……今頃、ママがウキウキしながら私の婚約者を見繕って、お見合いの段取りを組んでると思うと……ねぇ」

「大丈夫です、嫌なら断れるのがお見合いですから」

「いやそれって普通じゃないからね?」

 

 君に、撃墜マークはいくつ付いているのかな?

 

 結婚に関しては、一緒にゴールしようねって言った次の瞬間、我先にとダッシュするが女の友情って知識があるのだけど……俺のモノじゃない、おそらくは女史様印の知識が。いらん知識だよ。

 

「はー……それにしても結婚か」

「ティナ様は社交界で、ご自身でパートナーを見つけたい派ですか?」

 

 サーリャは、いいですよねー、自由恋愛……とかなんとか言ってるけど、社交界自体が既に閉じた世界だからね。あんまり自由じゃないよ?

 

「いやー、ぶっちゃけ相手とか、変な趣味持ってるとかじゃなければ何でもいいし、だから、それなら親の希望に沿う婚約者の方がいいんだろうけどねー」

「まぁ」

「あーでも、自分では動けないほどの肥満体とか、悪臭むんむんとかは生理的にきついな……」

「……それは誰でも問題外だと思いますが」

「パパより年上でも嫌かも」

 

 パパ(現世の私を仕込んだ我が家のご当主様。私の中では、この呼称で前世の父と区別)は三十六歳だから、これだと三十七からがアウトか……。まぁ日本だと三十代はピンキリだけど、こっちだと三十代はどうなのかなぁ……よくわからないんだよね。ほとんどお屋敷からでない箱入り娘ですゆえに。

 

「正室として嫁ぐのであれば、お相手はもっとずっとお若い方が選ばれると思いますよ?」

「第二夫人か、側室の方が氣楽でいい氣もする……」

「その方が、後々の面倒事は多いと思いますけどね」

「あー!……考えたくないー……」

 

 ごろんごろんとベッドの上を横回転。

 

「ティナ様! お身体に障ります!」

 

 こん、こん、こん。

 

「ん?」

 

 と、親の期待の表れか、兄弟姉妹の中ではトップクラスに広く、日当たりもよいこの部屋に、ノックの音が響く。

 

「この控えめな感じはー……ミアかな?」

「応対して参りますね。お嬢様は少々寝乱れてるので、お姿をお隠しになっていてください」

 

 そういうとサーリャは、私の首まで毛布を掛けていった。

 

(うーん、やっぱり過保護)

 

「はい」

「あ、あの、ミぁ、で……はにゅ……ミアでしゅ……おねぇちゃまのおみまぇに……」

 

 舌っ足らずでか細い返答は、それでも私の耳に届いた。

 ミアー。

 

 がばっと毛布を跳ね飛ばし跳ね起きる。

 

 我が妹ミアだ。

 

 可愛い可愛い我が妹。

 

 ミアー。

 

「ミア様少々お待ちを……ティナ様!?」

 

 サーリャが戻ってきて、私の頬に手を当てる。

 

「……お熱があるようですが」

「問題無い。可及的(かきゅうてき)(すみ)やかにミアを招き入れるのだ」

 

 ベッドのへりで足をプランプランさせながら、いそいそと寝間着……シュミーズとネグリジェの中間みたいなやつ……を整える。あ、髪が服の中に……抜き抜き払い払い。

 

「……幸せそうに紅潮したお顔といじらしい仕草。この一部分だけ切り取るとまさに恋する乙女なのですが……いえ、実態はどちらかといえば、恋する乙女に出会った騎士様でしょうか」

 

 お待たせしましたー、おしゃましましゅ……という応答を経て、我が愛しの妹であるところのミアが、サーリャに手をひかれ、おずおずとベッドの脇までやってきた。

 

「ミーアー」

 

 どういう遺伝が発現してこうなったのか。

 ミアの髪は母親のものより更に薄い、ミルクチョコレートのような茶髪。肌も白いので身体の色素自体が全体的に薄いのかもしれない。

 瞳も母ゆずりの水色で現在八歳。私とは五つも年が離れている。

 

 あ、チョコレートは、この世界にも既に存在していますよ。チョコレート色、ミルクチョコレートのような茶髪という表現も、日本のそれと全く同じ感覚、用法で使用できます。カカオマスチートの出番なし。

 

「みーあー」

 

 抱きしめる。

 

 おずおずとベッドのふちまでやってきたミアを抱き寄せ、そのぷにぷにの頬へ頬擦りする。あー、やわわわやわー。

 前世の俺がロリコンだったか、そうでなかったのか、それは知らないが、別に今の私はロリコンではないですよー。ミアが可愛くて可愛くて仕方ないだけですよー。他の幼女知らないしー。

 

「はにゅ……おねぇちゃま……だいしょうびゅ?」

 

 八年前、この家にまだ、サーリャすらいなかった頃。

 

 今世の親との付き合い方、距離のとり方もわからず、かといって自由に家の外へ出れるわけでもなく、使用人との付き合いも、身分の違いがどうとかで制限されていて。

 腹違いの兄二人も、歳が離れてた(上が八つ上、下が六つ上)ので、幼い妹と遊ぶのを嫌がっていた。……オマケに上の兄は、私が二歳の時に勃発(ぼっぱつ)した隣国との戦争に、父と主に二年間くらい出兵してたし、下の兄は……妹を暴力で虐めてきたし。

 

「大丈夫じゃ無かったよー。ミアニウムがそろそろ欠乏してたのー」

 

 私が、これじゃ、病室の虜囚がお屋敷の虜囚になっただけじゃないかと嘆きたくなる、物語にしても何の起伏もない(つーか下の兄に殴る蹴るされていた頃のことなんか、出兵から帰ってきたパパに『お前には失望した』と言われるまで『ざまぁ』が無いから、二年近くもの間、ひたすらヘイトが溜まるだけの胸糞展開。ってか二歳とか四歳の幼女がひたすら罵倒され、殴る蹴るされてる映像なんか、今だと放送に乗せることもできないんじゃなかろうか)毎日を送っていた頃。

 

「はにゅ……おねえちゃま、いいこ、いいこ」

 

 ミアが生まれてくれた。

 

 あのね、天使って本当に、いるんだよ?

 

「はぅーミアもいいこーいいこー」

「何度か聞いて、意味も伺ってますが、ニウムはどこから出てきた言葉なのでしょう」

 

 ちなみに、今飛び交っている言葉は日本語……ではない。

 英語とも違う。だけど文法は英語に近いような氣がする。

 

 固有名詞もこの辺りだと英語に近くて、アナベルティナやタチアナ、サーリャやミアは、おそらく地球のそれと似た発音……のような氣がする。ごめん、前世、外国語堪能じゃなかったんだ。

 なので、下の兄貴がいじめっつーか虐待を私にしていた頃、クソ兄貴が何を喚き散らしながら殴る蹴るしていたのか、私にはわからなかったし、覚えてもいない。あれは、日常会話に使われることの無いスラングが多かったんじゃないかなー。

 

「そんなことよりミアは平氣? クソ兄貴に絡まれてない?」

「はにゅ……ボソにぃたまは兵のくんれん? してましゅ」

「ああ一般兵虐めね。訓練どころか兵士の士氣と質が悪化していくからやめて欲しいのにねぇ」

「全くです。あの男が次男でよかったです。本当に」

 

 サーリャも下の兄であるボソルカンには厳しい。サーリャは私のメイドだからね、当然でしょ?

 

「いや次男かどうかは関係無いけどね。いやあるのかな? 次男だからクソになったのかな? まぁそんなの関係無く、アイツはクソだけどね」

「お嬢様のお背中に、僅かとはいえ傷痕を残した男にかける慈悲はありません。先月もあの方、訓練と称してお父さんに怪我をさせたんですよ?」

 

 サーリャのお父さんは男爵家の騎士なので……まぁ一般兵ほどではないにせよ……クソ兄貴の餌食ではあるのよな。

 

 温厚な性格の人なので、怪我をさせられても、ああいうのは血氣盛んな若人の業のようなモノですからと笑っていたけど……いやアレ多分、血氣盛んだから、若いからとかじゃないと思うよ? いやホントに。アイツマジで頭おかしい。

 

「んゅ……」

 

 まぁそんなわけで、すまんなミア。

 

 この場は多数決で、クソ兄貴はクソ兄貴であることに決定しているのだ。

 

 クソ兄貴もミアには手出ししていない。

 そんなことは私が許さなかった。

 それは聞くも涙、語るも涙の物語で……いややめよう、黒歴史の開陳(かいちん)は。

 

「今日は、サーリャのお父さんは?」

「今は家で復帰のためのトレーニング中ですから。”リハビリ”でしたか? あと一週間もすれば隊には復帰できると思いますが」

 

 いやもうホント、家のクソ兄貴がご迷惑を。それについてはもうさんざ謝った後だし、重ねようとすると逆に「お嬢様は卑屈過ぎます」って怒られるから、もう言わないけどさ。

 

「……じゃあ一般兵の皆様には悪いけど、ターゲットが私達に向いてないなら、今はどうでもいいや~。それよりミアー」

 

 すりすりすりすり。

 

 はー、いい匂いー。ストレスもぶっ飛んでく。だからロリコンじゃないよー。

 

「おねぇちゃま、いちゅもよりあまえんぼさん? たいへん、あった?」

「大変なことではありますが、喜ばしいことですから、おめでとうと言ってくださいね」

「ちょうなの? おねえちゃま、おめでとー」

 

 はきゅん。

 

「うひひ。これでまた結婚する日が近づいちゃったなーって考えると、あんまりおめでたくもないけどねー。あーミアと結婚したい」

「にゅ!?」

 

 ミアを抱きしめたまま、ベッドに仰向けでドーン。

 ビックリ顔のミア? 俺の横で寝ているぜ?

 

「おねーちゃま、やっぱりあまえんぼさん。めっ」

 

 何この可愛い生き物。

 めって言ってるのに、少し口を尖らせているだけなんだぜ。

 くりくりした水色の瞳が、子供特有のブレなさでじっと見つめてくる。

 

 変な体勢にしているのに、私の腕から逃れようともしない。

 

 可愛いよー。

 

 憂鬱なこととか、氣がかりなこととか、クソ兄貴とか、黒歴史とか、転生してもそこはチートで無双な天国などではなく、リアルに面倒ごととか人間関係の難しさとか色々あるけど。

 

 あるけどね。

 

 やっぱり生きてるっていいなって、近づいてくる死に怯えないでいい生活って。

 

 いいなって思うんだ。すりすりすり。

 

 

 



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6話:のーしすたー、のーらいふ

「おねーちゃま、ご(ほん)よんで」

「お?」

 

 ひとしきり一時接触とかを堪能(おそらくきっとお互いに……そうだよね? そうだといいな)し、「おねえちゃまがげんきそうでよかった」「ミアの顔を見たら元氣も元氣、死にかけてても生き返っちゃう」「しんじゃだめぇー」……的なやりとりを何度かして、そんなくすぐったさも少し落ち着いた頃、ミアが私にこう言いました。

 

「お話きかせてほしいの」

 

 ミアは現在八歳。日本で言えば小学二年生か三年生の時期。

 身長もおそらく、一メートル十センチ前後はある。

 それにしては言動が、行動が、少し幼いと思うこともある。

 

 でもいいの、可愛いから。かわいいいず正義(ジャスティス)、おーらぃ?

 

「ミア様、ティナ様は今お休みになられていま」「おっけーおっけー、サーリャ、どこも悪くないのに病人扱いしない」「しかしお嬢さ」「おめでたいことなんでしょ? だったら幸せ氣分に浸らせてよ」

 

 この日がいい思い出となるように。

 

 そういうとサーリャはぐっと言葉に詰まった。

 サーリャはこういういいセリフ風の言葉に弱いんだよね。いや冷静に考えると全然いいセリフじゃないんだけどさ。

 

「わかりました、ですが書斎の古い本や、重い本はダメですよ。喉が渇くといけないので、何か温かいものを用意しますね」

 

 お体に障りますから。

 

 はいはい、わかったわかった、過保護過保護。

 

 そんなわけで、私の部屋の本棚から適当なご本が選ばれました。

 運んできてくれたサーリャさんは、私の腕の中でわっくわっくしてるミアさんを見てほっこりした顔をしてますよ。この空間にいる人、みんな幸せそうでなにより。まぁサーリャはすぐに「お飲み物を」ということで一時退室しましたが。

 

「呪いの女王と、ここのつの光」

 

 これはとても有名な童話。

 

 人間がエルフを、魔法を、人間社会から排斥するきっかけとなった事案……四百年前、実際に起きた出来事を寓話化したお話。

 

「わーい」

 

 それはそれとしてミア、くすぐったいから胸のところで後頭部を動かすのやめて。

 うひゃん。

 

「むかしむかし、エルフの女王は人間に呪いをかけました……って、こーら」

「にゅ……んひゅ?」

 

 動きが止まらそうな子は、こうだっ!……左手でミアのおなかぽんぽんホールド。ハイムリック法じゃないよー。片手で優しく抱いてあげてるだけだよー。

 

「んー!?……みゅ?……ふに。えへへ~」

 

 なにこの可愛い生き物ー(二回目)。

 

「するとどうしたことでしょうか、人は夜になると、男性は狼に、女性は蛇へと変化するいきものになってしまったのです」

「へびー?」

「そうだよー。うねうねーってしてて、ニョロニョロ~って動く、こわ~い生き物なんだよー」

「ひゅ……」

 

 これはアドリブ。ご本には書いてないよー。

 

「これに立ち上がったのが九星(きゅうせい)の騎士団なのです」

「わぁい」

「うんその感嘆はやめようね。なぜだかは覚えていないけど」

 

 お話は朗々と続きます。

 

 九星の騎士団は人々の呪いを解くため、エルフの女王とその戦士達へ、戦いを挑むことになりました。

 

 九星の騎士団は九つの光に導かれた九人の騎士団。

 

 いずれも勇猛無双な一騎当千の騎士ばかり。

 

 紅玉(ルビー)の騎士、カイズ。この世全ての悪を斬る騎士団長。

 月長石(ムーンストーン)の騎士、リルクヘリム。その怪力は空間をも捻じ曲げる副団長。

 珊瑚(コーラル)の騎士、アムン。その血を聖水に変え魔を滅ぼす聖騎士。

 翠玉(エメラルド)の騎士、オズ。体躯の何倍もの重量の斧を操る戦士。

 黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、アイア。隻眼隻腕だが槍と弓を極めし東国武士。

 金剛石(ダイアモンド)の女騎士、ルカ。水神に祝福されし流体機動の聖女。

 碧玉(サファイア)の騎士、エンケラウ。愛馬ユミファと共に天を翔ける闘士。

 灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。鬼謀策謀(きぼうさくぼう)を縦横無尽に操る参謀軍師。

 猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。氣を読み氣を操ったとされる武道家。

 

「きゃっつあいの騎士様?、おねえちゃまに名前がにてるー」

「そうだねー。こいつ時々女言葉で喋るおねぇっぽいキャラだけどねー」

「おねえちゃま?」

「ううんちがうよー、おねぇっぽいー」

「んゅゅ?」

 

 それへ立ち塞がるは、女王が従えるエルフの魔法部隊。

 

 副団長リルクヘリムが相対せしは無敵の結界に守られた魔術士。

 いかなる剣も槍も弓も弾き返す鉄壁の守り手。

 リルクヘリムはその怪力で空間を割って、この結界を崩壊させたのです。

 

 中略。

 

 聖女ルカが相対せしは炎の魔術士。

 万の軍勢を一瞬で溶かしたとされる炎術の使い手。

 ルカはその身に水の(ころも)(まと)って、襲い来る(ほむら)の乱舞をかいくぐり、これに勝利します。

 

 中略。

 

 武道家ティアが相対せしは風の魔術士。

 万の軍勢を竜巻に飲み込ませた風術の使い手。

 

「万の軍勢がゴミのようだ!」

「ふゅ……」

 

 ティアは操られた大氣の流れを全て読み、こともなげに魔術士に近づいてその美脚(朗読者註:こいつ男)を一閃。これに勝利します。

 

 中略。

 

「中略が多いのは書くのが面倒……もとい、読むのが面倒なんじゃないからねー」

「んゅ?」

 

 やがて全ての魔術士は倒れ、女王を残すのみとなりました。

 

 しかし女王は、どこからか一匹の大蛇を呼び寄せると、こう言いました。

 

 騎士団の(おさ)、カイズよ!

 そなたの婚約者はこうして昼も夜も蛇たる存在と成り果てた!

 この呪いは人の呪いとは違い、我が生ある内でなければ解けぬ!

 

 我が憎いのであれば、その剣で我を刺すが良い!

 だがそれをすればそなたの婚約者は蛇のまま永遠に地を這う存在と成り果てる!

 どうする! 我を殺すか! 想い人のため人を裏切るか!

 

「てか、女王は、その蛇、大蛇が騎士団長の婚約者で、自分が生きてないと呪いが解けないって、どうやって信じさせたんだろう」

「ちあうのー?」

「いや物語的には違わないんだろうけど、童話のあら探し楽しいな、みたいな。きびだんごひとつで命をかけてくれる仲間はどこにいますか、的な」

「きぃだんごー?」

「いえなんでもないです。その無垢な瞳はヤメテクダサイヨゴレタココロニイタイ」

 

 これに声をあげたのが聖女ルカでした。

 

 私は水神の巫女、全ては移ろい、全ては変わってしまうのです。

 蛇は水神の使途、水が流れるように地を這い、脱皮により自己変革を遂げる水神の愛し子。

 

 カイズ(団長様)を愛し、愛される人よ。私の身体をひと呑みにするのです。

 

 この身体を差し上げましょう。水神の巫女の身躯(しんく)を、水神の使徒へと譲り渡しましょう。

 貴女はこの身体に、己を取り戻すのです。

 

「ちなみにこの聖女、団長に横恋慕してたってのが通説」

「ティナ様、それは俗説です」

 

 おっと、ワゴンを押してサーリャが戻ってきました。

 ワゴンには様々なものが乗せられてますね。サーリャがてきぱきとそれらを操ると、お部屋へいい匂いがふんわりと揺蕩(たゆた)いました。

 

「ココア、しょうが湯、カモミールティー、お好きなものをどうぞ」

「ん、じゃあココアで。ミアもそれでいい?」

「んゅー」

 

 ココアは、この世界だと結構お高い飲み物です。カカオ豆が南方からの輸入品なので、チョコレートもそうですがお高くなってしまうのです。

 なので、これはハレの日の記念に飲むようなモノのハズですが、今日ってなんかいい日でしたっけ。私はミアをこの腕に抱いていれば、いつだっていい日ですが。えへへ。

 

「んー。自分がココア飲んで幸せーって思うなんて、想像もしなかったな~」

「まぁ。ティナ様はもっと高級なものに触れてもいいと思いますよ?」

「そういう意味じゃないんだけどねー」

 

 ひげを作るミアの口元を拭いてあげて、さあさお話の続き続き。

 

「エルフの女王に呪いをかけられ、理性をなくしていた大蛇は、聖女の身体をひと呑みにしようとルカへ襲い掛かりました」

 

 しかし、エルフの女王がこれを止めます。

 

 あらゆる悪意の(あらわ)れに、七色に光るという女王の瞳。

 それが、唐突に紅へ染まったかと思うと、大蛇はピクリとも動けなくなってしまったのです。

 

 ええい、かくも忌々しきは人間どもかな。かくなる上は、我自身が破壊神となりてこの世界を滅ぼしてくれようぞ。

 

 すると、聖女へ襲いかからんと、鎌をもたげたまま固まっていた大蛇の身体が、急激に膨れあがっていきます。

 

 すわ元の姿を取り戻してくれるのかと、騎士団の誰もが期待したのも束の間、その体積は人のそれを超えてゆき、森の木々よりも大きくなっていったのです。

 

 やがて、変容と変質が停止して、沢山の巨木が薙ぎ倒された森の中にあったのは、とても大きい、とても邪悪な、その全身を血の色で覆う、一匹の赤い竜でした。

 

 その背には、エルフの女王がいつのまにやら騎乗していました。

 

「いちゅのまに!」

「主人公の心のよりどころがラスボスにのっとられる! これもある種の王道展開!」

「おーどーてんかぃ?」

 

 あ、物語の絶対数が少ないこの世界だとそういう概念は無いのでした。

 フラグという概念も、だから無いよ。あの辺は日本並に創作業界が活発にならないとね。小説投稿サイトを開設し発展させる系内政チートは、だからスキマ産業かブルーオーシャン狙いで(インターネッツの代わりをどうするか問題はさておき)できるかもしれないけど、勿論やりませんよええ。

 

「氣にしない氣にしない。あ、しょうが湯ももらえる?」

「はい」

 

 飛べ竜よ! 地を這う人間どもを超越せよ!

 行け竜よ! 我に逆らう人間どもを燃やし尽くすのだ!

 吼えろ竜よ! 我が怒り! 我が憎しみを! 業火の(ほとばし)りへと顕現(けんげん)せしめるのだ! この世に地獄を創出せよ!!

 

 女王の叫びに応じて、竜が天へと咆哮すると、その口元に邪悪な光が集まっていきます。

 

「ごーじ●、●ーじら、ごー●ら」

「ごーじあ? おーじら? ごーいら?」

 

 総員! 散開せよ!

 

 騎士団長カイズの叫びに、鎌をもたげていた竜がそっ首を大地へと向けると、その口腔(こうこう)からは白い光が溢れんばかりに(ほとばし)りて……次の瞬間、森は紅蓮の焔に飲み込まれていたのです。

 

「エルフの女王、ちょう森林破壊してるけど設定的にいいのか!」

「ティナ様、”ツッコミ”が絶好調なのは大変よろしいことかと思います。ですが、それではお話が進んでいきません」

「あっ、はい」

 

 そういえば私のおしゃべりというか駄話に付き合うことの多いメイドさん……サーリャには、そういう語句、結構仕込んでありましたね。萌えとかてぇてぇとかすことかちゅきー、も通じるよきっと。なにしてんだ俺。

 

 まぁ、やんわり言われてしまったので、ちょっとまきで行きますかね。

 

 私はカモミールティーをいれてもらいながら、ページを繰る手を速めました。

 

 ちなみにこの世界にも、普通のお茶は普通にあります。ただ、ここスカーシュゴード男爵領は一年を通して雨量の少ない土地柄で、お茶の栽培には適していないそうです。多少は生産しているものの、高級品はカカオ豆と同じで南方の他国、または他領からの輸入品となってしまいます。

 

 まぁ肉体の子供舌的に、そこまでお茶が美味しいとも思わないんですけどね。

 このカモミールティーも、面白い味だなーという感想です。ぐび。

 

「森を焼き尽くした赤竜は、女王をその背に乗せたまま空へと飛び立ちました」

「わぁ」

 

 薙ぎ払え!

 

 エルフの女王がそう叫ぶと、竜はそっ首を騎士団長カイズへと向けます。

 

 ですが、竜は悲しそうな目をするだけで、カイズへのドラゴンブレスは……放たれることがなかったのです。

 

 どうしたバケモノ! それでもこの世で最も凶悪な一族の末席か!!(少しアドリブ)

 

 竜は、エルフの女王を乗せたまま、天高く昇りだします。

 

 くっ!

 

 エルフの女王は竜の背から降りようとしますが、竜はその手で女王の身体を掴み、握って、放そうとしません。

 

 やめよ! 我の死は人どもの根絶より前にあってはならぬのだ!

 

 女王の叫びに耳を傾けるものはなく、竜は天へと高く高く、昇っていきます。

 

 それは雲を抜け山を超え、やがて月のように小さく、星のように小さくなっていきました。

 

 恋人の名を呼ぶ……騎士団長カイズの、悲痛な叫びを置き去りにして。

 

 やがて竜とエルフの女王は天界へと達し、エルフの女王は竜の手に握られたまま、永遠に赤い血を流す星へと変貌してしまいました。

 赤い竜はそれを、今も天界で見張り続けているのです。

 

「このふたつの赤い星が、黒羊座(こくようざ)(かたわ)らに光る双子星なのです……めでたし、めでたし。おしまい」

「えー!?」

「めでたいよな?」

「だんちょうさま、かわいそう……」

「あ、そこ?」

 

 この童話は、最初にも言ったと思うけど、人間がエルフを、魔法を、人間社会から排斥するきっかけとなった事案を寓話化した話です。まぁ三国志演義みたいなもん?

 

 ゆえに、エルフと人間との戦争は実際にあったことらしいし、九星の騎士団も実在したそうです。登場人物も、同名の人物が史実にちゃんと存在している。

 

 いるけどー。

 

 ただ、聖女ルカは、史実だと聖人ルカで男性だったりする。

 

 透明感のある女性のような美形だったらしく、髪を長く伸ばし、髭は全くと言っていいほどなく、またどこかの毘沙門天な軍神様のように、定期的に神殿へ篭っては神に祈祷を捧げていたらしい。生涯不犯(ふぼん)だったともいう。

 

 また史実でも、エルフの女王との戦いのさなか、ルカがなんらかの形で騎士団長カイズを庇い、身を呈して守ったことは事実らしく、史実の聖人ルカは、その傷が元で決戦の数ヶ月後? 数年後? に他界したそうだ。

 

 この辺りから、実は女性であったのではないかという疑惑は非常に強く残っていて、この『ご本』はその説を採用した童話なのだろうねー。

 

 若くして亡くなった上に女性にされちゃったかー。

 親近感わくね。

 

「だんちょうさま、このぁとしんじゃぅんゅあーね……」

 

 そう、史実では、騎士団長カイズもまた、この戦いのすぐ後に他界してしまっている。

 

 ちなみに。

 

 女史も言っていた通り、この世界には竜が、ドラゴンが本当に存在する。

 この目で見たわけではないので、実際の姿がどんなものかはわからない。

 わからないけど、素材として竜の鱗というものは流通していて、それは見たことがある。

 

 なんとなれば、それは貴族令嬢にも非常に身近で……つまりはドレスや下着の形状補正の素材として、よく使われるモノだからだ。ワイヤー代わりといったところかな?

 

 私やミアが住んでいる、サーリャが住み込みをしているこのお屋敷の宝物庫にも、何枚かは納まっている。色は様々だけど、それは個体差の違いらしく、単一で二色以上のドラゴン、つまりツートンカラーや三毛猫のドラゴンはほとんど存在しないんだとか。

 

 竜の鱗はでかい。

 

 鱗ひとつが、直径にすれば数十センチから一メートルほどはある。

 

 竜の鱗は硬い。

 

 大人がやっと持てるような斧の刃を、何度も何度も叩きつけて(ようや)く切れるほど。

 

 でも弾性があって、靭性(じんせい)剛性(ごうせい)も高い。

 

 そんなもので全身を守るモンスターが、この世界には実在している……らしい。

 

 そして史実でも、エルフの女王は決戦の最後に、特大の赤竜を騎士団に放ったとされている。

 騎士団長カイズも聖人ルカも、更にいうと童話版では影の薄いことが多い副団長リルクヘリム、闘士エンケラウも、その時の傷がもとで数年後に亡くなってしまったとされる。

 

「まぁね。このご本には、その後どうなったかは書いてないけどね」

「かゎぃそう……」

 

 ……というか。

 

 それどころか。

 黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、東国武士のアイアはあらゆる栄光を捨て、祖国を求めて旅立ち、珊瑚(コーラル)の騎士アムンと翠玉(エメラルド)の騎士オズは、決戦後の消息が不明となっている。

 灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士パザスに至っては、なんらかの罪で、どこかの島へと流刑されてしまったらしい。

 

 猫睛石(キャッツアイ)の騎士、おねぇキャラで武道家の(ただ、このキャラも物語の中ではたまに女性化される)ティアだけは、決戦後に身体を壊しながらも、それなりに長生きしたらしいが、生涯独身で子を成さず(性癖の問題だったのか、壊した身体の部位が問題だったのかはわかっていない)、その晩年は寂しいものだったという。

 

 史実における決戦後の九星の騎士団は、まるでエルフの女王の呪いでも受けたかのように、皆が不運で不遇の運命を辿る。そういう風に伝えられている。

 

「まぁ、それでもさ、九星の騎士団は目的を果たしたんだから。可哀相でも可哀想じゃないよ」

 

 確かに、その相は、その(ぼう)は、哀しいモノといえるのだろうが……かといってそれを私が、前世では何もなせない人生を送った俺ごときが哀れみ、想うなんてのは傲慢(ごうまん)ってモノだろう。彼らは英雄、私は凡才。凡才は英雄を仰ぎ見るが常さ。下に見て同情するなど僭越(せんえつ)の極み。

 

 だから童話で読むなら、その終わりは、めでたしめでたしでいいのさ。

 

 私はサーリャのいれてくれたカモミールティーをすすり、ふぅとひとつ、息を吐く。

 

「でも……んゅ」

 

 そうしてまた抱き寄せる。

 小さくてあったかい身体を、抱きしめる。

 

「おねーちゃんさー。この人生で、何をなすのかなー?」

「んゅ?」

「まぁ多分子供とかなすんだろうけどさー、そういう風に状況とか、この身体とかが、準備万端になってきちゃっているんだけどさー」

 

 どうなんだろうね?

 

 俺だよ?

 

 前世は男で、育児とか全く縁の無かった俺だよ?

 痛いの嫌いだし、もう味わいたくないし、なんで生き物って、生きる物なのにその誕生に死の危険が付きまとうのーって、哲学的な(?)思索(?)をしちゃう俺だぜ?

 

 どうなんよソレは。本当にさ。

 

「ティナ様は……ご不安なのですか?」

 

 サーリャが、私を安心させるかのように、微笑(ほほえみ)を浮かべながら問う。

 

「わかんない。先のことは何も考えたくなくて、今はミアを抱きしめていたい」

「おねえちゃま……」

「ミアとだったら結婚したいなー。本氣だよ?」

「んゅ……」

 

 ほおずりほおずり。やわわー。

 

「ふふっ、いいですよ。どちらにせよ今はお身体をいたわるべき時ですから……ミア様、私からもお願いします。今日だけはどうか一日、ティナお嬢様の抱き枕になってあげてください」

「んゅー」

「あ、おトイレに行きたくなったらハッキリとそうおっしゃってくださいね。ティナお嬢様は、甘えだすと長いですから」

「余計なこと言わないー」

 

 なんかいい感じで。

 

 そんな感じで、今日はなんかこう、とても幸せな感じに一日を過ごせるかなー……って夢を、ミアを抱きしめながら、ミアの温度を感じながら、ミアの匂いにまどろみながら……見ていた時。

 

「……お嬢様、申し訳ありません、ご当主様がお呼びです」

 

 サーリャの悔しそうな声が、安らぎの終わりを告げた。

 

 ……まぁ言い換えると、マイシスターとのふれあいを邪魔されたぜチックショー……ってそれだけのことなんですけどね。

 

 うん。

 

 しくしく。

 

 

 



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7話:バレん他印

「お前に贈り物だ」

「はい?」

 

 そんなわけでやってきましたパパズルーム。嘘、応接室の隣にある控え室。

 パパズルームは夫婦の寝室。滅多なことじゃ子供は入れませんよ。

 サーリャは(当然)くっついてきたけどミアはマイルーム。ミアのマイルームじゃなくて私の。今日は一緒のベッドで寝ようって約束をしたのです。

 

 ちなみに寝間着の上に膝丈ベージュのニットを羽織ってきました。パパが相手ならこれでいいよね。裁縫チートさんは編み物もいけます。ヒュー。

 

「ジレオード子爵からだ。妙な時期に重なったな」

「あー」

 

 ここで改めての確認となりますが、貴族の結婚というのは面倒です。だいぶ面倒です。

 特に女性側からすると、本人の希望で結婚相手が決まるなんてことは滅多にありませぬ。

 

 まぁ手練手管を年少より備えた女性、女の子なら、さりげなくアピールして自分に上手く惚れさせる……という手法を使えるのかもしれませんけどね。残念ながらというか当然というか、私にそんな手練手管はありません。また、その腕を試してみたい、発揮してみたいと思う相手もいません。いてたまるかっての。

 

「それにしても、ジレオード卿も困ったお方だ。当家と派閥を同じくする伯爵家の傍流(ぼうりゅう)であるから、筋違いというわけではないが……」

「物好きですよねー」

 

 そんなわけで、この世界で貴族の結婚というと、それはほぼほぼ政略結婚なのである。

 

 パパもママ(前世の母さんとこの呼称で区別)も、世間一般の貴族家のそれよりかは、私のことを愛してくれているとは思うけど、ソレはソレ、コレはコレ。

 

 いい結婚こそ娘の幸せという社会通念的なモノ(エンドクサ)もあって、私の結婚は「娘の幸せに最大限考慮した政略結婚」というラインで探られている。探っているのは主にママだけど。

 

「ティナよ、いつも言っているだろう。自分を卑下するのはやめなさい。お前に恋するのは誰であっても至極当然のことなのだからな」

「へい」

 

 それ、外見上は結構、父親似らしい娘に言っちゃいますー?

 

 豊かな黒髪(まだ三十台半ばなのだから当然)を毛先だけ軽くウェーブさせた、輪郭だけならどこか大帝感のある壮年のナイスガイ。ここでいう壮年は働き盛りって意味の方ね。

 実際、対外的には大概、威圧的な強面なんだけど、その薄い琥珀色の瞳は今現在、なんかこう……自分の娘におもねる情けなさを醸しだしています。かもすぞ~。

 

「まぁジレオード卿はいい人ですよね」

「いい人……か」

 

 さて、そんなわけで件のジレオード卿。

 無言で控えてるサーリャが、その名を聞いてぴくっと反応したジレオード子爵。

 

 おん歳三十五歳。

 

 パパの友人(出兵した時、仲良くなったらしいよ)で、十年前に(貴族には珍しい)ただ一人であった妻を亡くしてからは後妻も取らず、だが二年前、十一の私に一目惚れした悪趣味な人(ロリコン)である。死すべし。だったらお前も死ねとか言うない。

 

 ……まぁその辺から家での私の地位が上がり、サーリャが私に付けられたのだとすると、それはそれでありがたいことではあるのだけどね。

 

「いえ、ひとつ上とはいえ上位の貴族様でしょう? 当時はやっばいのに目を付けられちゃったかなーと心配したものです」

 

 なんせ身分の違いが、ほぼほぼ絶対といっていい貴族社会である。

 前世的には悲恋ものとか、宮廷ものとか、もしくはエロマンガ(覚えてないけどイメージで)とかのテンプレ、今世的にはママのお茶会(そこら辺)とかでよく聞く横暴(よく聞くんだよっ)のように、私もやっべーカタにハメられるんじゃないかって心配したもんです。

 

「卿はそのような非道をするお方ではない」

「うん、存じ上げてますよ」

 

 ジレオード子爵、こっちがちょっと引くくらい、気弱で緊張しぃな普通の小父さんですからね。

 

「私もそのようなことは許さぬ。我々は男爵家とはいえ、この土地を何代にもわたり統治してきた名家だ。上位貴族の横暴には断固たる覚悟をもってあたってみせようぞ」

「はい」

 

 パパかっちょいい。

 でも、できれば『娘は誰にもやらん!』とのたまうダメ親父であるならなお良かったっ。

 

「卿は人としては立派なのだが、前妻の子が三人も壮健であるとあってはな」

「上から長女、長男、次男の二男一女でしたか。どちらかといえば卿の長男か次男の嫁ですよね、私」

「長男の正妻に、と求められたのなら良縁であったのだがな……」

「今年で十八歳でしたか?」

「そうだ。だがその長男は既に同じ派閥の貴族家と縁付いている。お前を後取りでない次男にくれてやることもできぬからな」

「貴族社会のっ、次男の地位っ」

 

 まぁそんなわけでジレオード卿の求婚は、パパ的に『ナシ』の分類になっている。

 長男の嫁にと求め、実際は自分のお手つきにしてしまうというよくある手口(よく聞くんだよっ)を使わなかったのは、卿のいい人っぷりを表しているけれど……まぁねぇ……流石に三十五と十三歳じゃあ、今世であっても外聞が悪い。

 

 年齢差二十を超えていても、仮にこちらが行き遅れの娘とかであれば美談にもなるだろうけど、残念ながら私はこれからが絶賛結婚適齢期なのである。一生行き遅れたい。

 

 その上、命をかけて男児を産んでも、その子は次男以下の扱いである。

 

 更に言うと、自分の子と上の子らとの相性が悪ければ、後妻、および後妻の子などいくらでもが冷遇されてしまうわけで……そういう危惧をしたくなる実例が身近にあるわけで……ジレオード子爵は、本人に(とが)が無くとも『ナシ』にカテゴライズされてしまうのです。

 まぁ私的(わたしてき)にはアリナシでいったら全部ナシなんだけどさ。梨のナシゴレンなんだけどさ。まずそう。

 

「で、なんでしたか? 贈り物?」

「うむ、これなのだが……」

 

 と、パパが机のひきだしから飴色の小箱を取り出し、開けたその中には……。

 

「……宝石、ですか?」

 

 丸い、まん丸で半透明に薔薇色の石が、台座に納まっていました。

 大きさは……ゴルフボールくらいだろうか? でこぼこはしていなくて、完全な球体のようだけど。

 

「マリヤベルに確認させたが、これは、これまで見たことが無い宝石なのだそうだ。故に価値が有るとも、無いとも言えない」

「……どういうことですか?」

「半透明でこの色となると、ピンクサファイア、ピンククォーツ、ピンクトルマリンなどが近いものとなるが、それらとは発色の具合が違うらしい。なにせ」

「?」

 

 パパはそういうと「火を」とサーリャへ指示する。

 サーリャが準備した蝋燭立てを、パパが宝石に近づけると……。

 

「え?」

 

 ピジョンブラッド……という宝石の名称が頭をよぎる。

 濃い目のピンク……それまでは薔薇色だった宝石が、ルビーのように深紅なものへと変わっていた。それは鳩の血のようと形容される濃い赤だ。半透明だったはずの石が、炎の光を浴びているところだけ……なんというか……深紅であるということ以外のアイデンティティを拒絶するかのように、不透明な深紅に染まっている。

 

 アレキサンドライト……という宝石の名称も頭をよぎる。

 光源によって色の変わる宝石、変色効果を持つ宝石の代表格だ。

 

 なお、この辺りは女史さんがくれた知識チートだと思う。前世の俺が宝石に詳しかったとは思えない。なんせ女性に指輪を贈るなど考えたことも無い人生だったのでね!

 

「な? このような宝石は見たことが無いだろう?」

 

 パパが蝋燭の光を宝石の周りで動かす。

 すると深紅の部分が、まるで魔女の赤い瞳であるかのように炎を追っていた。

 

「子爵はなんと?」

 

 やべえ何これ? こんな宝石、前世でも今世でも見たことが無い……それどころか聞いたことも無い。

 好きとはいえ、十三歳の小娘に贈るものとしては重すぎじゃないかな? アナタ赤スパチャで殴る系リスナーですか子爵。

 

「出入りの商人から譲ってもらったそうだ。その商人に何か不手際があったらしいな。償いの現物払いといったところか」

「……出所が不吉なんですけど」

「まぁその商人もしたたかかもしれんな。珍品というのは価値が付けづらい。買う者がおれば一城程の価値にもなろう。だがいつまでも買う者がおらぬのであれば、それはただの不良在庫だ」

「……で、これを私にどうしろと?」

 

 いやー……こんなん、パパの一存で受け取りを拒否しちゃってよ。

 

 別に宝石を受け取ったからといって、なら婚約を受けたんだなー、結婚するんだなーって直結思考には……すぐには結びつかないだろうけど……これは珍品過ぎて、唯一無二(ユニーク)過ぎて、社交界に着けていこうものなら「私はジレオード子爵のものですよー」って喧伝(けんでん)してるみたいなもんですわ。子爵はそういうことに(うと)そうなので、そんな意図はないのかもしれないけど……いやあるのかな? 誰かに入れ知恵された? どっち?

 

 嫌だぞ俺、「私を口説き落としたいのならば、これ以上の宝石を持ってきなさい」とか言うの。なにその高ピームーブ。

 

 もちろん、男の誘いを断る口実はいくらあってもいいけど、万が一持って来られたらどうするの。でっかいダイアモンド……は、この世界じゃ地位低かったな、じゃあスターサファイアとかスタールビーとかそういうのを。

 

 かぐや姫じゃないんだからさ……って……ん?

 

「マリヤベルとも話したが、お前の意思を聞こうと思ってな。大前提として、私はお前と子爵との結婚を認めない。幸せになれるとは思わないからな」

「まぁ私も、幸せになれるとは思っていないのですけどね」

 

 そうだろう、そうだろうと頷きながらパパは話を続ける。友人とはいったい。

 

「それは子爵にもそれとなく伝えてある。先方も納得している。お前から好いてくれるならできうる限りの待遇でいつでも受け入れるが、そうでないのならけして無理強いはしないそうだ」

「私が子爵を、男性として好きになるというのは、ありえませんよ」

 

 それだけはないよー。断言できるよー。でも子爵って本当にいい人だなー。

 

「……だろうな。それは見ていればわかる。マリヤベルはまた違う見解のようだが」

「ママはなんて?」

「……まぁ、それはよかろう。であるなら、これは丁重にお断りした方がよいか?」

「ううん」

「む?」

 

 かぐや姫って、誰とも結婚しないまま月に帰ったよね?

 

 歴史に学ぶは賢人であると誰かが言った。竹取物語は歴史じゃないけど。フィクションだけど。天へと還った天才、高●勲に乾杯。

 

「いただきます。これは凄く綺麗だから」

 

 後ろから、サーリャの驚愕したような雰囲氣が伝わってくる。

 

 パパは、というと……流石に動じることは無かったみたいだけど、いつもより少し目を見開いてる。そうすると顔の大帝感が薄れて、少し親しみやすい感じになる。私は無駄に威圧感を振りまく大帝の顔より、こっちの方が好きだ。

 

「……いいのか?」

 

 いいのです。

 

 これを社交界に着けていこうものなら「私はジレオード子爵のものですよー」って宣伝している……みたいなもん。既にお手つきですよー、触わんなよー、NTRNGですよー。

 

 寄ってきた男性には、「私を口説き落としたいのならば、これ以上の宝石を持ってきなさい」と言えばいい。

 万が一、でっかいスターサファイアとか、スタールビーを持って来られたら……こう言って切り捨てよう。

 

『私がこれ以上と言ったのは、この宝石以上の珍品を……という意味です』

 

「これは下手に売ってお金にするのも難しい珍品、なんだよね?」

「まぁそうだな。ただし王族や公爵家辺りの高位貴族がその価値を認めれば、その価値はとんでもなく跳ね上がるぞ。なにせ宝石商でさえ、見たことも聞いたことも無い宝石なのだからな」

 

 グッド! いいものを貰いました!

 

 後ろのサーリャがとうとう「どうしましょう。あんな宝石、どこに収納すればいいのでしょう……紛失したら……責任問題……くび……」とか呟きだしたけど氣にしない。

 

「それにしても、お前が宝石を綺麗と言うとはな……心も身体も成長しているのだな……」

 

 なんだかパパが涙ぐんでいるけどそれも氣にしない。知ったことじゃない。

 

 いい虫除けをありがとうジレオード子爵。

 貴方はいい人だ。

 今度手の甲にキスをされた時には、ニッコリ微笑む……努力をしないでもない氣がしないでもないので許してください。

 貴方の虫除けを胸に? 髪飾りに? して、パパとママが私に一番いいと思う相手が見つかるまで、つつがなく過ごしてまいりたいと思います。自分からは探すまい。意地でも探すまい。

 

 貴方の事は本当にいい人だと思うけどごめんなさい、どうしても無理なんです。

 

 いいよね、貴方もう子供三人もこさえるほどリア充したよね? 前妻、パパが言うには金髪のナイスバデーな良妻だったんでしょ? その上まだJCと子作りしたいって? ふざけんな爆発しろ。もげてから爆発しろっ。

 

 ……おっとそうじゃない。そもそもこの王国に、異世界転生モノの貴族社会にはありがちな学園は存在しません。JCってなんですかー、ですわー。みんなカテキョ頼みですことよー、おほほほほー。

 

 ……何キャラ?

 

「ジレオード子爵には感謝の言葉と、改めて卿とは婚約できない旨お伝え下さい。これはいずれ卿を思い出す時に……初めて私へ好意を向けてくれた男性である卿を懐かしく想い、偲ぶ時に……その(よすが)となるよう、大事に大事にしていきたい思います。ですが……アナベルティナはいずれ他家へと嫁ぐ身の上、これ以上のご好意に甘えることは、もはや難しいですとも」

「そうか……つまりこれを少女であった自分との別れの証、サムシングレッドとするのだな。ジレオード子爵もそれなら納得しやすいだろう」

「あー……はい」

 

 ああなんかそういう古い文化もあったね、あったあった。

 

 地球でいうとサムシングブルーとかサムシングオールドに近いやつ。それは結婚式に花嫁が身に着けるものだけど、この王国では結婚適齢期になった娘が身に着けるサムシングフォーってのがあるの。っていうか私達から数世代前にはあったの。TS補助チートに最初から知識が包含(ほうがん)されてたの。

 

 サムシングオールド、祖先から受け継いだ何か古いもの。地球で同じ(意味合いの)名前のソレと同じ。

 サムシングニュー、その娘一人のために作った何か新しいもの。地球と同じ名前のソレとはちょっと違う。

 サムシングブルーム、自分はもう満開だよーってことを表す証。開花した花か、その形をした何か。

 サムシングレッド、少女であった自分との別れの証。何か赤いもの。言葉は意味深だけど膜の有無は関係ありませんよ。ブルームの方も。だって貴族社会じゃ初婚を迎えてないご令嬢、イコール膜有りですしええ。無しで生まれたかった。

 

 今では本当にそんなもん着けてたら笑われるレベルで古臭さ漂う、廃れた文化ではあるけど、まぁそれもいいやねー。伝統を大事にするお堅いご令嬢ってイメージの方が、都合いいでしょ。私にしてみれば。

 

 ……流行に乗れないと女社会じゃ生き辛い? 知らんわ。

 

 いいんだよ、(ウチ)は独立性の強い男爵家なんだから。親の言う通り結婚します。その覚悟ならこの生涯の半分以上……十年くらいを使ってなんとかひねり出したんだよ。それで許して。それが譲歩できる限界ですよ。

 

 そろそろミアの待つ部屋に帰っていいかな?

 

 

 

 ……とかなんとか考えてた時代が私にもありました。

 

 

 

 この時、私は氣付いていなかったのです。

 

 この宝石が、私の人生を変えてしまうことになるだなんて。

 

 そんなサムシングオールドな火サスのジングルが鳴りそうな感じで、また少し時が飛ぶよ。話も飛ぶよ、あさっての方向に。あと私も飛ぶよ。な、なんですってー。

 

 

 



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8話:おいでませ冒頭再現

 こんにちは、はじめましてじゃない方もこんにちはこんばんは。私はティナ、十三歳、一応男爵家の貴族令嬢です。

 

 元々は、今とは色々違う人間だったのですが、なぜだか、その辺りのことは、何日もかけて冗長を恐れず、延々と回想してきたような気がします。

 

 だから、ここまで私の回想に付き合ってくれた誰かナニカ、そういった存在が、仮に存在するのであれば、彼ら、彼女らには私がもうなんであるか、何者であるか、よーく伝わっていることでしょう。

 

 そうです。

 

 ええそうです。

 

 

 

 私は芋マニア!

 

 茹でてホクホク!

 

 煮込んでホロホロ!

 

 薄く切って揚げればパッリパリのサックサクな万能食材!

 

 そんな男爵芋の魅力に魅せられた、男爵家の芋令嬢なのです!

 

 

 

 

 

 

 

 という冗長(じょうちょう)助長(じょちょう)する情緒(じょうちょ)なき冗句(じょうく)はさておき。

 

 それはそれとして、何度見直しても、目の前に赤い竜がいます。

 

 でっかくておっかない竜さんがいます。

 

 いるんです。

 

 いるんだからしかたない。

 

 赤い鱗の、凶悪な顔の赤竜が、今そこにある危機なのです。

 

 何を言ってるかわからねーと思うが私にもわからねー。

 

 時は二次性徴にこんにちはした日から二週間くらい。今日まで平和な日々を満喫しておりました。おりましたのに。

 

 どうしてここにきて唐突に……このようなことになっているのでしょうか?

 

 でっかいおめめにぎょろんと見られてて落ち着きませんが、ここは一旦、今朝からの、自分の行動でも洗い直してみましょう。

 

 朝。

 

 サーリャに起こしてもらいました。毎日のことです普通です。

 

 着替え。

 

 家の中では大抵、楽に過ごせるゆったりとしたワンピースです。今日は首から下の大体がスカイブルーですね。これは、わたくし的にはピンクなどよりはマシ、メイドさんの審査的には少女らしい爽やかさがあるのでOK……という妥協点であり、かように、私の服装(おべべ)には空色が多いのです。ゆえにこれもいつものことです普通です。その後は、サーリャにおぐしを整えてもらってはい完成。

 

 午前中。

 

 カテキョから一般常識や礼儀作法のことなどを学びます。合間に一度ブランチ。軽食をとりながら、サーリャに髪を三つ編みにしてもらいました。女学生スタイルですね。最近ますます暑くなってまいりました。お昼はミアの部屋で昼食をとりながら栄養とミアニウムを補給。この辺はまぁ、貴族令嬢の生活としても割と普通(だと思います)です。

 

 昼過ぎ。

 

 ミアと中庭でおしゃべり。庭の樹木とかお花を見ながらのほほんとしてました。夏なので虫が心配ですが、よく手入れされた庭園は綺麗です。幾何学的に整えたそれではなく、元日本人にも馴染みやすいイングリッシュガーデン風ですね。カサブランカが見頃で見事でした。ブルーベリーが実っていたので、少し摘まんでいただいたりもしました。美味(おい)しゅうございました。ほっぺたを紫で染めるミアも可愛かったです。

 その後ママに呼ばれてお茶会へ……なので三つ編みはここで(ほど)きました。お茶会では、婚約者を決めるようチクチク言われながら、お茶とドライフルーツたっぷりの焼き菓子をいただきました。最近では週二くらいのことで、まぁ普通です。いや私の意志が大事とかいいですから、キモイのでもデブでもイケメンでも、生理的に無理なのは同じですゆえ、婚約者はもうパパとママとで決めちゃってくださいよって。

 

 今。

 

 ママのお茶会から解放されての自室。

 夕方まではまだ時間があるから、少し休憩かなって思っていたところ。

 

 赤い竜(の顔部分)と対峙しています。誰か退治してくれないかなと胎児のようにタジタジになりながら対峙しています。人生初のことです異常です。

 

 

 

 ……本当に何があった!?

 

 

 

 そもそもこの竜はどこから出てきたのか。

 

 氣が付けば窓を割って壁も割って、顔の部分だけが部屋に入っていました。

 

 ちょっとお、こういうことはちゃんと伏線をはってからにしてよぉ。いくら女優だからって、いきなりじゃ氣分なんて作れないんだからねぇ。女優じゃねぇわ。神様にお願いしたチートは優れた女になれるっぽいモノだったけど。でも違うんじゃーい。

 

「お、お、お、お嬢様、お、お、お、お下がり下さい!」

 

 サーリャさん、君はもうちょっとできるメイドだと思っていたけど……腰を抜かしてる姿も可愛いですが……流石にこれは状況的に仕方無いと思うから、その絨毯に広がるシミが何かとかは考えないでおくね? あと今度からギリギリまで我慢しようとするのはやめようね? 私、前世にも多分、そっちの趣味は無かったよ?

 

 とはいえ、サーリャには下着も洗ってもらっていますし、他にも色々とお世話になってます。見なかったことにしてあげましょう。あ、ちょっとかほりが届いた。

 

「で、なんか用? ってか喋れる?」

 

 ちなみに竜のサイズは、正面から見た顔の縦横(たてよこ)が三メートルくらい。金色に光る瞳と真っ黒な白目部分(矛盾はしてない)、そこから推し量れる眼球のサイズは人間の頭くらいかしらん。

 で、さっきから、その眼球がグリングリン動いてます。なにかのアトラクションかな。

 

「お、お嬢様、危ないですからお下がり下さい! 後生です!」

 

 やがてその目は一瞬、サーリャの方を見て、嘲るような色を見せ(見なかったことにしてあげるのが優しさだよ)た後、ぎゅるんと回って私をロックオンした。

 

 死の予感に、今までの記憶が、走馬灯のように脳裏をよぎっていきます。

 

 ……。

 

 のー。アカンイカン悪寒(オカン)、走馬灯ノー。

 

 現実を見ましょう。

 

「私はスカーシュゴード男爵家当主エーベルの娘、アナベルティナです。ここは当男爵家のお屋敷。貴方は現在、当男爵家に無断で押し入った形となっています。そのことが理解できますか?」

 

 言ってなかったけど、当男爵家では、住環境としてお城でなくお屋敷を採用しております。お城はお城で、古い砦を少し拡張工事したモノが別にあるけど、そっちは通常、騎士や兵士が詰めていて訓練とかに利用しています……多分……あまり行ったことが無いからわからないけど。武器庫に忍び込んだ時と、あと何回くらいだろうな。

 

 お屋敷は四階建て。地震の無い土地柄なので割と適当な、石と煉瓦造り。現在一部の壁紙が剥がれ、煉瓦が剥き出しになっちゃってるマイルームは三階部分に存在しています。ちなみにミアの部屋は二階。大丈夫かな……。

 

 警護兼防衛担当の兵士が詰めているのは一階。さっきから下の方が物凄く騒がしい。

 どう考えても、突如として出現した竜に現場は混乱しています。まぁその現場ってか中心地がココ、マイルームなのですが。

 

 この竜は、どこかからここまで飛んできたのか?

 

 ……それならばもっと前から騒ぎが起きているハズ。

 前触れだって、先触れだってあっていい。

 そういうモノは、一切無かった。

 

 あまりにもあんまりな程、唐突だった。

 

「おぬし」

 

 おおぅ、さすがファンタジーな世界観。ファンタジーらしいファンタジーは、十三歳にして(ようや)く人生初であるが……おおぅ、でっかい爬虫類(はちゅうるい)が人の言葉を喋ったよ。「おぬ゛じ」みたいなくぐもった声だったけど。

 

「リーンの類縁か?」

「ん?」

 

 リーン……て、昔人間と戦争したっていう、エルフの女王の名前だっけ?

 ミアに読み聞かせたご本には個人名(個エルフ名?)が出てこなかったけど、史実に残るエルフの女王、七色に光る瞳を持つとされた伝説の魔法使いは、確か名前がリーンだった筈だ。

 

 まー、赤い竜ときたら伏線としてはそっち方向なんだろうなー……とは思ったけどさ。まさかの伝説の竜さん登場? 天界追放? 黒羊座(こくようざ)(かたわ)らより出張ですか?

 

「では貴方は、騎士団長カイズ様の婚約者様……でしょうか?」

「なに?」

 

 ちなみに史実の騎士団長カイズには、婚約者なんていない。それどころか出生も、騎士団長になるまでの来歴も全くの不明という、胡散臭い人物だ。

 そうは言っても、ここにこうして人の言葉を喋る赤い竜がいるわけで、婚約者がいたってのも本当のことかもしれない。歴史とは、常に書き換えられるモノでありますがゆえに。

 

「我はパザス。カイズとは(くつわ)を並べた騎士であったが、婚約者などというものではない。そもそも我は男だ」

 

 パザス……九星の騎士団にそんな名前の騎士がいたな。

 誰だっけ? 何担当の騎士でしたっけ。

 

 ……ってやっぱりこの竜、九星の騎士団関係者なの?

 

 竜の寿命は長いから、四百年前から生きる竜がいてもおかしくないけど……なんで騎士様が(ドラゴン)してんです?

 

 まぁそれはそれとして、貴方様は男でしたかオスでしたか。それは大変失礼しました。いやいや心からお詫び申し上げます。ちょっと親近感を覚えたので握手していい? できるサイズの手か知らないけど。顔だけしか見えないけど。

 

「ここはどこだ?……あれからどうなったのだ? 他の仲間達は?」「みんなはどこ?」

 

 ……今なんか、もうひとつ女の子っぽい声が聞こえたような?

 

 サーリャの声……ではないな、サーリャなら私の横で絶賛涙目中。

 

 氣のせいかな。私もかなり混乱してるっぽい。

 

「答えたいのですが、どこから答えたらいいか、この状況をどうやって落ち着かせようかとか、屋敷は城壁で囲まれてるけど、この高さじゃ領民から丸見えだなぁ……とか、私の処理能力の及ばぬ事態が、同時多発していまして」

 

 そろそろ非常事態ゆえに、パパが兵士を連れてこの部屋に突入してきちゃうんじゃないだろうか。その前にサーリャをなんとかしてあげないと。アレが……あとソレな臭いが……むくつけき兵士の皆々様に晒されてしまうのは、十七歳の乙女の尊厳的に、かわいそ過ぎるでしょ。

 

 ……っていうかこの竜も男……オス? なんだよな? 目潰しした方がいい? していい?

 

「そうか、ならば来い」

「は?」

 

 ごっ……ごごごっと……それからめきゃぁっと。後から考えれば床と床板が破砕された音なんだろうなー、って感じの音がして、床からにゅっと竜の手が伸びてくる。ホラーかな? まだ真昼間なんだけどなぁぁぁ……ってうぉう!?

 

「お嬢様!!」

 

 ……色々アホなことを考えていたら、呆氣無くその手に捕まりましたよ。あ、この手とは握手できないですね、鋭そうな爪生えてるし。

 ちなみに人間と同じ五本指です。中国だったら皇帝御用達。全体の姿形は西洋スタイルのドラゴンだけど。

 

 ん……ちょっとアレなかほりがまた……あー……サーリャの腰の下の辺りの床も割れちゃってますね。事情を知らなければ、サーリャがヒップアタックで床を割ったような光景になってます。

 まぁでもよかった、これで多少は誤魔化しやすくなったね。

 

「お、お嬢様を放して!」

 

 まー……それはそれとしてコレ……どうしよ?

 

 なんだか自分の身体が、恐怖に痺れでもしちゃったのか、カチコチとしてて動き難いです。

 

「さ、サーリャ」

 

 これ状況的に、このままだと私、竜にさらわれてしまうみたいな展開が予想できちゃうんですけどね。目の前の鋭そうな爪を見ると、全く身体が動かせなくなります。頭の中は比較的落ち着いて見えるかもしれませんが、身体は硬直状態で大変なんですよホントに。

 

「ティナ様ぁぁぁ!!」

「さ、サーひャはお父様に伝へて。心配しなひでって」

 

 多少、たどたどしい言い付けになりましたが、ここはサーリャが腰を抜かしてて良かったですね。過保護なサーリャは、私が竜に連れ去られたら、それを追って三階の窓からアイキャンフライしかねないです。ユーキャンノットフライ。いのちをだいじに。ザ●キ禁止。

 

「ティナ様!?」

 

 だからね、お役目、与えたかんね。しかとお勤め果たせよー。

 

 よー……よぉぉぉおおお!?

 

「ぐぇ」

 

 唐突に訪れるジェットコースター感。安全(セーフティ)バーは爬虫類の五本指。どこもセーフじゃない。Gは少ないものの、まったく体に優しくない氣がします。ちょっと内臓が押されて揺れた。構造改革が求められます。このジェットコースターはできそこないだ、私は食べられないよ。

 

 竜……っていうかパザスさん?……がお屋敷の壁から頭を抜き、背中の翼をばっさばっささせて天に昇り始めました。私も赤いお星になっちゃうんでしょうか。

 

 ってか、この巨体があんなコウモリみたいな翼で飛べるってどういうことなんでしょうか。

 そういえば竜ってモンスター、つまり魔法を使える生物なんでしたっけ。そういえば翼の周辺になんか黒い線のようなものがいっぱい浮いてますね。あれはなんでしょう? 反重力物質?

 

「ティナお嬢様ぁぁぁあああ゛ぁ!!」

 

 あー。

 

 急速にお屋敷、そしてサーリャの姿が遠く、小さくなっていく。

 

 ステイ! ダメ、サーリャ、来ちゃダメ!

 抜けた腰でテケテケ這ってこようとしないのっ。

 床割れてるでしょ! 危ないよっ!

 

「すこし飛ばすぞ」「いっけー」

「サ」

 

 ぁリャと言いかけたところ、先の比でないGが横からぐおんとやってきました。

 

「ぐえええぇぇぇ」

 

 これは飛翔魔法ってことなんですかねえええぇぇぇ。

 

 角度が変わり、完全にお屋敷もサーリャも見えなくなってしまいました。

 

 

 

 そこからはもう、目を(つむ)ってひたすら横Gに耐えるお時間でした。

 

 くぅ~。

 

 なんか飛んでる気がします。

 

 お空を飛んでいる気がします。

 

 竜に全身握られちゃって命まで握られちゃっての浪漫飛行です。某ピ●チ姫の誘拐には自作自演説が有りましたが、こんなにおっかなくて、内臓にクるモノを、自分から望むことなんて、果たしてあるモノなのでしょうかね。

 

 そういえば竜を見たことで思い出しましたが、この世界には魔法を使えない人間でも魔法を扱える、マジックアイテムのようなものが存在してるみたいなんですよね。何かそういうモノがあればこの状況も打破できたかもしれません。

 ならチートは、そういうものを無から生み出せる能力、なんてのもよかったのかもしれませんね。記憶が残るのであれば。

 

 はぅ~。

 

 下手に記憶があったせいで、幼少期に自分の三倍も四倍も身長のある相手から、毎日暴行を受け続けるという地獄を、ハッキリクッキリ、それとわかる形で体験しちゃいましたけど……まぁ……それを予告されていたとしても、記憶の継承は絶対にしてたと思います。

 

 それに後悔があるかと言えば、今はもうないのですが、私の人生、もうちょっとどうにかならなかったのですかね。ならないのですかね。もうこれ、私のというか俺のというか、この魂にハードラックとダンスっちまう運命が宿っているのではないでしょうか。

 

 うー。

 

 チートの選択、今考えてもアレ以上のモノは思いつきませんが、それでもこんな状況になると、あそこでもうちょっとどうにかできなかったのかな~……という感情が浮かんでくるのを止められません。

 

「ううっ……」

 

 ……なんてことをつらつらと思いつつ、考えつつ、薄目を開けてみると、眼下に、物凄い勢いで流れていく背景があります。わー、物凄いリアルだー。高解像度だー。フレームレートも応答速度も高め。最新のゲームってここまで進んでたんだー。現代に蘇るナーシャ・ジ●リの伝説かな? いやドラゴンに乗れるのはもうひとつの超有名国産RPGだったかな? 今は乗ってるんじゃなくて現状私が握られてますけどね。被ドラゴンクローなう。なおサラマンダーよりずっとはやいは未プレイです。あれってSFC時代から一度もリメイクされないんですよね。VCでは出たけど。パンツァーだったりドラッグオンだったりなドラグーンも未プレイですが、あの辺は乗って飛べるんですかね。まぁでも乗るんだったらやっぱり馬ですよ馬。エ●ナとかア●ロに乗りたいです。こう見えて、私も乗馬は

 

「う゛?」

「ひゅっ!?」

 

 わあぁぁぁ、今なんか一瞬乱高下しましたよ!?

 

「む、むぅ?」「ん?」

 

 竜さん……パザスさん?……が、上の方で首を振ってるっぽい氣配がします。蚊柱にでもつっこんじゃったのでしょうか。そんなバカな。ここ高度いくつだ。

 

「ぐるぅ……」

「ひっ!?」

 

 竜らしい、恐ろしげな唸りに、思わず身体が(すく)みます。

 

 うくぅー、失敗したかなー。今生(こんじょう)でも早死にしちゃうのかなー。また親を哀しませちゃうかなー。せめてミアをもう一度抱きしめてから死にたかったなー。ミアの花嫁姿を見て号泣したかったなー。サーリャは無事かな乙女の尊厳を守れたかな、と……色々なことが私の脳裏を走馬灯のように流れていきます。いやそれ危険。ストップ、ランニングなホースのランプ。こう見えて乗馬は得意だけどそれには騎乗したくない。俺はまだ死にたくない。ボケステ。

 

 ぬぬー。

 

 Gが、風圧は感じないのにGだけが横からガンガンくるよ。内臓に優しくない。ってかGっていうと地球最凶の某生物みたいですね。そんなものは横からガンガンきてませんよ。想像すると凄く嫌な光景になりますね。テラシュール。それにはさすがのナ●シカもきっとげっそり。別に虫耐性が高いわけではないので、そんなものが横からきてたら、私もきっと色んな体液を垂れ流してしまいます。乙女の尊厳決壊。そんなもん最初から持ってないけど。まぁ二歳とか三歳の頃にはめっちゃ失禁してた記憶がなくもないけど~。

 

 ぐぬぉー。

 

 ……とかなんとか、またも脳内が迷走してる間に、氣が付けば周囲の(俯瞰視点の)背景は一変していました。

 ……なんか白と銀色と青いです?

 それが流れていくスピードも、先程までよりかは若干緩やかになっています。

 

 これは……雪山ですかね?

 

「落ち着いたか?」

「……どうなんでしょう。自身の直近の思考を省みるに、まだ混乱中の氣がしますが」

 

 って、氣付いたらなんか肌寒いような?

 

 えーと……。

 

 ここどこ!?

 

 なんか結構高そうな山を見下ろしているんですけど!?

 

 今は夏だから、雪で真っ白とかはないですけど、雪渓(せっけい)かな?……谷に積もった雪が溶けずに残ったヤツ……ところどころに白い筋がみえますよ……ってことは少なくとも高度千とか二千メートル以上じゃないですか!?

 

 氣圧とか酸素濃度とか大丈夫なの!? 魔法で何とかしてる系!? でも寒いよ!?

 

「降りよう、ここなら人の目も無かろう」「めいかーらんでぃんぐ!」

 

 そりゃ高山に人間が来ることはあまりないでしょうけどー!?

 

 先程までは初夏の、温暖な氣候の中にいたので、私は薄着です。

 

 ゆえに体温がドンドン奪われてってます!

 

「あの山の中腹に下りる」

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやイッヤー!!

 

 なんかもう極寒ですよ! ゴッ寒ですよ!

 

 これから数年間の内には子供を産む予定がある身体に悪いだろコラー。でもその予定はキャンセルしたいぃぃぃ。深刻にそのプランニングはすっ飛ばしたいぃぃぃ。昇竜キャンセルは只今通ったようなのでそちらもどうかひとつぅぅぅ……ってだから寒みいいいぃぃぃ。

 

 これが、スカーシュゴード領の近くだとしたら、大分東か南の方ですかねぇぇぇ。

 

 西の方にはあまり高い山など無かった筈。北には山こそあれど活火山で、地熱によって雪も溶ける地域ですよぉぉぉ。

 雪の残る山とか初めてくるなぁ。スキー板かスノボのレンタルはありますか?……って、だっからさむいんじゃあああぁぁぁい。

 

「ひゃっ……」

 

 ごごーっとジェット機の緊急着陸みたいな音がして、私を捕まえたままの竜……騎士様な竜?……が、よりにもよって白い筋……雪渓のど真ん中に降り立ちました。

 

 粉雪が舞い上がったのか、ゴウという音と共に、視界が盛大にホワイトアウトしちゃってます。

 

 そしてやはりとても寒い寒い寒い寒い。

 

 アンタ平氣そうしていますけど! 爬虫類は変温動物じゃなかったでしたか!?

 

「鼻水がたれておるぞ、小娘」「かっこわるーい」

「さ……む……ぃ」

 

 なんだか前世の親父と母さんの姿が見えてきましたよ。でも、あれから十三年、いや違うわ胎児時代も入れて十四年として、それならまだ日本人の平均寿命まで時間があると思うので、俺の親、多分まだ生きてると思うんだよなー。還暦は越えちゃったと思うけど、三途の川の向こう側にはまだいってないと思うなぁ。いっててほしくないなぁ。長生きしてて欲しいなー。長生きっと……俺達には長生きが難しかったけどー……。でもまー、ここでまた死ぬってことが、二人に伝わらないのはいいかー。いいのかー。それは不幸中の幸いかー。でもやっぱりやだー。死にたくないってばー……。眠い。なんだか凄く眠いよパ●ラッシュ。てか寒いっていうか、なんかもう温かいよ。っていうか暑い? 一周回って暑くなってきた? 服脱いでいいかな? そばにいるのはドラゴンだからいいよね? 元男性らしいけど。しかして現在は爬虫類だからいいよね? 脱ぐよ? 暑いんだもん。脱ごう。暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。

 

「ってマジで暑い!?」

「お? 氣が付いたか?」

「とりあえず女の子が簡単に服を脱ごうとするのはいただけないなー。変態さんになっちゃうよ?」

「へ?」

 

 竜っぽいくぐもった声と、その後に可愛らしい女性の声が聞こえた氣がする。もちろん自分のものじゃないし……え? ドラゴンの裏声?

 

 状況確認。

 

 周り、ドラゴンの翼っぽいものでドーム状に空間が切り取られています。

 

 足元。雪です。氷に近い雪です。室内でも靴はいてる文化で良かった。畳が恋しくなることもあるけどまぁ。

 

 目の前……ロリっこ?。

 

 亜麻色?……というよりはもっと鮮やかな……薔薇色?……の、長い髪の少女がいます。私より僅かに年下っぽい? おそらく多分、前世なら小学生の高学年っぽい……だから十一か十二歳くらい?

 

 なんか黒い、軍服みたいな服を着ています。実戦用にポッケとかがあちこちにあるタイプのモノじゃなくて、儀礼、式典用っぽいつるんとしたデザイン。

 下はタイトなスカートで、膝下と両脇のスリットからは、黒タイツっぽい質感の脚が見えます。

 

 まぁでも残念ながら絶対領域が見えるほどには、スカートが短くないです。大きく動いたら多少チラッと見えるかもしれない程度ですかね。胸のところには何個かの勲章……ではなく色とりどりのブローチっぽいものが……赤が三つと、あとは玉虫色、黄、青、黒でしょうか……なぜか、北斗七星っぽい形に飾られています。ちなみに、私が知っているこの世界の星座に、北斗七星は無いです。似た形の星座ならあるし、別半球とかにはあるのかもしれないけど、私は知らない。そもそもここ北半球? 南半球? それともまさかの天動説スタイル? 世界観がコペルニクス的転回に未展開?

 

「ドラゴンが幼女になるテンプレきちゃあ?」

「我は我だぞ」

 

 頭上から低い声。

 見ると翼ドームな天井部分に竜の顔。あ、こちゃっす。そちらさまはパズズ様でしたっけ、パパス様でしたっけ。

 

「とりあえず鼻水を拭いた方がいいかなー。女の子がしていい顔じゃなくなってるよ?」

「……どちらさま?」

 

 てかどっからでてきたの?

 なんか数十分前にも同じようなこと思った氣がするけど。

 

「ふむ。人に名を尋ねるときはまず自分から、と言いたいが……まだ混乱しているようだな。我はパザス。それはわかるか?」

「あたしはアリス」

「あ、どもっず。アナベルティナ・スカーシュゴードやっでまず」

 

 あ、ミドルネーム言い忘れた。それから鼻がづまってはづ音があやじいでず。

 

「もう。仕方無いわねぇ」

 

 アリスと名乗った女の子が近づいてきて、腰砕けで逃げられない私の顔に、その軍服の袖をこすり付けてくる。

 

「ふぇ」

「袖がテカテカになったら貴女のせいだからね」

「……なるの?」

「知らないわよっ。あと少し温度高すぎだから、下げて」

「……竜使いが荒いの」

 

 と、竜の翼ドーム、その中の温度がぎゅんと下がる。

 この感覚はあれだ、真夏に炎天下の屋外からエアコンの効いた屋内に入った時のアレ。すっずっすぃ~。

 

「っ……」

 

 と、涼しさをはふぅ~って堪能してると、なんか目の前の少女の顔が紅潮していました。

 

 ……どしたん?

 

「……風邪でもびぃてまず?」

「は?」

 

 寒暖差酷かったもんなぁ。

 

「そんなわけないでしょ! 娑婆(しゃば)の空氣うめーって思っていただけよ!」

「……えっと、よくわからないけど、わかりました」

 

 周りの風景的には、竜の翼に、今まさに囚われている最中っぽいのですが。

 えーと……。

 

「ごぐっ!……ぐる……ぐるるぅ……」

 

 ……なんか竜さんも咳みたいのしてますが、大丈夫ですか。風邪、ひいてません?

 

 ……なんでまた雪渓なんかに着陸されたのですかね。

 

「っていうか風邪でもひいてたみたいなのは貴女だったでしょ! ほら可愛くなった! 感謝しなさい!」

「あっ、ハイ」

 

 私、誘拐されてきた被害者的立ち位置じゃなかったっけかな?

 そんなことが脳裏をよぎるが、勢いに負けてありがとうと口にする私。どういたしましてと満足そうに返してくる軍服の少女。

 

 ……いやいやいや、だからおかしくね?

 

「あのー」

 

 おずおずと挙手。

 

「なんだ?」「なによ?」

 

 頭上と眼前からユニゾン。

 とりあえず竜は顔が怖いので、目の前の少女に問いかける。

 

「なんで四百年前の歴史上人物と同じ名前のドラゴンがここに? とか、アリス……さんは何処より現れましたか? とか、わたしはどこからきてどこへいくの? とか、その辺は尋ねさせていただくのもおっかな……怖ぃ……恐縮ですし、それへの答えを聞いたら聞いたで、『秘密を知ったものは死ね』されるのも嫌なので……そういうのはいらないのですが、私はなぜここへ連れて来られたのでしょう?」

 

「四百年前?」「四百年前ぇ~?」

 

 これはわかりにくかったと思うので補足しておくと、ぇ~? って付いてる方がアリスさんです。以下、同フォーマットの場合、前が竜、後ろが少女の発言です。大体同時に発声しましたよって意味で改行のない表現です。違うフォーマットで書けば「「四百年前(ぇ~)?」」みたいな感じ。わかる人だけわかれ。

 

「……九星の騎士団、騎士団長カイズとその騎士の物語は、およそ四百年前の出来事だったと聞いています」

「まさか」「まさかそんなことって……」

「童話などでは、赤い竜になったのは騎士団長カイズの婚約者であるとされることが多いのですが……」

 

 別パターンで珍しい例だと、聖女ルカが赤い竜になったりもする。

 騎士パザスは……史実だと決戦後になんらかの罪で島送りにされる人だっけ?

 ああ思い出してきた、灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。鬼謀策謀(きぼうさくぼう)を縦横無尽に操る参謀軍師……だっけ? 九星の騎士団唯一の智謀キャラでしたね。

 

 え、この竜が?

 

「リーンが?」「ママが?」

「……は?」

 

「カイズの妻はリーンだ」「カイズはパパの名前だよ?」

「……はい?」

 

 なにか聞いてはいけない歴史の闇を聞いてしまった氣がするのですが。

 

 

 



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9話:疑問点をまとめよう

 

「アリスさん……でしたか? ちょっと耳を見せてもらっても?」

「ん?……よくわかんないけど……はい、これでいい?」

 

 長い薔薇色の髪をかき分け、そこにあったのは……はい、先の尖ったエルフ耳。寒かったり暑かったりが酷かったせいでしょうか、かなり紅潮しています。

 ただ……それはいわゆるエルフ耳というには若干短めですね。やーん、ハーフエルフっぽーい。

 

「どうしよう。なんかこれ詳しく聞いていったら、人類史の闇とか暴いちゃいそうな氣がしてならないんだけど……。エルフ迫害の歴史が、もしかしたら根本的に何かが間違ってましたって、そんなの暴露して誰が得をするっていうの……喜ぶっていうの……。異端審問……このままじゃ拷問磔火炙り釜茹でコース……あ、釜茹では思想犯じゃなくて窃盗犯?……」

「人類史の闇?」「エルフ迫害の歴史?」

 

 やっべ、口に出してた。

 

「お待ちください! なにやら次から次へと新しい情報が入ってきて、全然整理できていません!」

 

 ここで疑問点を一旦まとめましょうよ。

 

 ()……赤い竜のパザスさんはどこからでてきた?

 ()……ハーフエルフの少女アリスはどこからでてきた?

 ()……なんで私をさらってきたの?

 ()……竜はエアコン機能を備えた生き物なのですか?

 ()……てかなんで歴史上人物がドラゴンなわけ?

 ()……人類史の闇深そうです?

 ()……私ここから生きて帰れる? 帰れても拷問送りされない?

 ()……サーリャの人間の尊厳は守られたかしらん?

 ()……ミアは無事?

 

 おーけーおーけー落ち着け餅搗け。

 

 今生の目標は長生きすることだろうて。こんなところで諦めてはいけない。せめてミアが生きている間は生きていたいぜよ……って、だからまぁ最後の答え次第じゃ長生きしなくてももういいのかなー。ミア、きみはぼくのいきがいだ。

 

「とりあえず、まずは重ねて伺いますが、私はなぜここへ連れて来られたのでしょう?」

「先の場所では騒がしくなりそうだったのでな。リーンの類縁(るいえん)らしきそなたに話を聞きたかったのだが……」「ママ?」

 

 おーけーおーけー、判った承った。これは疑問点・()への回答ですね。ではなにやら誤解があるようなのでまずはそこから。

 

「私は人間の貴族、スカーシュゴード男爵家の長女です。四百年前のエルフの女王様とは、関係が無いと思うのですが」

「外見だけなら然様(さよう)とも頷けようが、その波動はのぅ……いや……うむ?……規模こそ比類できるものであるが……これはむしろ陽に偏っておるな……リーンの波動は虹……ならば……ううむ、四百年の時を思えば……因果が逆であるか?」

 

 なんか竜さん、よくわからないことを言って考え込んじゃった。

 

 とりあえず、そこはさすが智謀キャラとして伝えられてるパザスさん……なのでしょうか?……見た目ほど凶暴な性質(たち)ではないようです。

 

 怒らせたらどうなるのかはまだわからないので、ビクビクは止められませんが。

 

「どういうこと? パザス」

「我々はその波動を浴びたからこそ封印を解くことができた。それはリーンに比肩する規模の波動の持ち主、その(かたわ)らに置かれたからであり、たまたまである。長い時の中では然様な偶然も起こり得よう。逆を言えば、リーンと同規模の波動の持ち主は、四百年という長き時の断絶がなければ現れなかったということになるのぉ。であるなら……リーンとそなたの間には何の関係も無い……こう考える方がしっくりくるかのぅ……ごぼっ」

 

 言って、また咳をするパザスさん。いやほんと大丈夫ですかい?

 

「はぁ……早々と誤解が解けたようでなによりです。……波動ってなんです?」

「んぐぅ……ぐるっ……痰でも絡んだかのう?……波動は、その者からあふれ出て来る生命力、のようなものかの。オーラといってもよい。そなた、病気に強かったり怪我の治りが人より早かったりせんか?」

「……はい」

 

 おぃぃぃ。なんか女史がオマケでくれたチートの副作用っぽいぞ!?

 

 確かに私は健康だ。頑健で、風邪ひとつひいた覚えがない。

 

 怪我をしたって治りは早いし、虫刺されの腫れもすぐ引く。

 

「我々はそれを、魔法的見地から見て、波動と呼んでおる。魔法とは、直接的な関係性はないのだが、間接的には非常に強く関係しておっての。よって魔法使いには素晴らしく有益なモノでのぅ……そなたも悪い魔法使いには氣をつけるのだぞ。下手をすればさらわれて、その糧とされてしまうからの」

「……はぁ」

 

 いやそのあの、私、ただいま絶賛、悪い魔法使いにさらわれたポジションじゃ?

 さっきからそこの、アリスさん?……がなんか私のことをねっとりとした目で見ている氣がするのは、思い過ごしかな? た、たべないでぇ。

 

「となるとすまんかったの。波動の件もあって、我にはそなたが重要人物に思えた。ゆえに落ち着いた場所でじっくりと話を聞きたかったのだ。あの場所では騒々しいことになりそうだったのでな」

 

 よくわからないけど、勘違いで、ある種の人違いだったようだ。

 

 なるほど。

 

 疑問点・()についてはそういうことでしたか。

 お弁当のように運ばれていた時には、うんぴになってシットエンドすら覚悟していましたが、もうどうやらその目はなさそうですね。なによりです。

 

 となるとー。

 

 問題は次の段階ですかね。疑問点でいうと()関連。

 

「……誘拐されたとあっては、その(ほう)が後々騒がしいことになってしまうのですが」

 

 えっとね、これもう、王国の中央に連絡必須の出来事よ? 中央ってか王家王族。

 

 ドラゴンが貴族令嬢をさらったのよ?

 放っておいたら、勇者を募って、見事救い出したものには娘との婚約を許す!……とかのクエストが発令されちゃわない?

 ……とりあえず、たとえイケメンに助け出されても、城へ帰るまでに昨夜はお楽しみでしたねされるのだけは断固として拒否したい。ヤラれそうになったら無限ループで「そんな、ひどい」って言ってやるわ。

 

「重ねて聞くが、娘よ」

「……なんでしょう」

「そなたは、リーンとは、関係が無いのだな?」

 

 うぇ、なんか野太いドラゴンボイスが圧をかけてきやがったよ。

 サーリャがいなくて良かったなぁ、これだけでもなんか出ちゃいそう……いや悲鳴とかがね?

 

 こちらが次の段階に進もうという時に、そちらはまだその段階の話ですか。

 まぁリーンがそちらの少女、アリスの母親であるというなら、二人(ひとりと一匹?)にとって最も重要なのは確かにそこでしょうからね。仕方無いと言えば、そうなのかもしれませんが……。

 

「……私個人は無いと思っています。ですが過去、当家の血縁者になんらかの関係者がいなかったとは言い切れません。それは確かめようがありません。なにせ四百年です。当事の人が誰も生きてないばかりか、スカーシュゴード男爵家も、カナーベル王国でさえ(おこ)るよりも前の時代のことです。何がどう繋がり、結び付いているのか、それは誰にも解らないことではないでしょうか? 間違いなく言えるのは、父と母の名に誓い言えるのは、私が何も知らないということです」

 

 なんていったっけこういうの。バカの壁? 違うか。

 まぁ知らんもんは知らんのだ。開き直るまでもなく、私にはどうすることもできません。

 

「……そうか。アリス?」「嘘はついてないよ」

「?」

「そうか、それはすまなかった」

 

 なんだか心持ち、氣落ちしたように頭を下げたっぽい竜さん。そちらの少女は嘘発見器かなにかですか?

 

「はぁ……まぁいいですけど……」

 

 まぁ、済んでしまったことはもういいとして……では、これからどうしましょうか?

 

「となると、少々まずいの」「まずいの?」

「状況的には、竜が貴人をかどわかしておるの」「おおっ。パザスごっく悪人~」

「……そうなるのぉ」「だからパザスは出ちゃダメだっていったのにー」

「すまん、衝動を抑えられなんだ」「やーいソーロー」

「待てアリス、その言葉をお前に教えたのは誰だ」「ん? アイア?」

「あんにゃろう……」「ソーロー! ソーロー! ソーロー!」

「やめよ! それは子供が口にしていい言葉ではない!……ごぼっ!」

「まった咳をした~。やーいソーロー! ソーロー! ソーロー!」

 

「……悲劇のヒロインごっこをする氣は無いけど、なんだかヨヨヨって言いながら倒れたくなってきた」

 

 目の前と頭上の楽しそうな二人をクールダウンさせつつ聞き出したことには、今回の顛末は以下の通り。

 

 二人は、いい人であるところのジレオード子爵が私へと贈ってくれた薔薇色の宝石に、四百年間封じこめられていたらしい。あー、あれね、あれだったのね、そういう伏線だったのね。仕込んでからリアルタイム二週間で爆発ですか。ワンクールアニメかな?

 

 まぁ、ならば疑問点・()()はこれで解決ですね。

 

 そんな宝石を、どうして子爵が持っていたのかは不明。宝石の中で眠っていた二人に、四百年間の記憶は無いらしい。

 

 どうも私には波動とかいう……神の加護のようなものがあって、その力が宝石の封印を解いたらしい……その加護って、神のっていうか、女史な感じの、ダメ投資家な感じの加護じゃないっすかね。顔は忘れてしまったけど。

 

 まぁ二人の見立て曰く、別段神様が見守っているとかそういうのではなく、簡単に言うと、人間を樹木に喩えた時、私は、真界イデアにおいては、物凄く日当たりが良くて暖かな場所で健やかにすくすくと育っている樹……みたいなもんなんだそうな。簡単とはいったい。

 

 で、その日当たりの良さと暖かさは、私の半径三メートルくらいには影響を及ぼしているらしく、私の傍にいると霊的か魔的か何かは知らないけど、とにかくなんかこう凄いエネルギーをもらえるんだとか。パザスさんがいうには「稀に見る陽の波動である」とかなんとか。私のチート、人間ガソスタ?

 

 ついでにいうと疑問点・()、このすっずすぃーエアコン機能はやっぱり魔法なのだとか。更についでにいえば、基本的にこの世界の魔法には、呪文の詠唱とかが無いらしい。する人もいるだろうとけど少数派なんだとか。無詠唱の方がデフォなんですね。無詠唱チートはチートでなかった。いやその前に私は魔法を使えないけれども。

 

「そもそも、お二人はどうして宝石に封じられていたのですか?」

「その話は長くなるぞ」「今日中には帰れなくなるよ」

「……じゃあいいです」

 

 あ、でも帰してくれる氣はあるのね。それも本日中に。

 少し安心した。

 

「少し前に、宝石の中のお二人の意識が回復したんですね? どれくらい前ですか?」

「……わからぬ」「さぁ?」

 

 意識が回復したとは言っても、最初のうちは夢を見ているような、まどろんでいるような、それはぼんやりとしたものだったらしい。

 氣が付けば蝋燭の炎が自分たちに近づいてきたり、遠ざかっていったり、周囲を周ってみたりしていて、その内、仲のいい姉妹がいちゃいちゃしてたり、メイドさんがそれを微笑ましく見ているような姿が見えていたという。

 

「後半は、どう考えても私とミアとサーリャですね」

「うむ、姉妹の大きい方はそなたであったな」「メイドさんはさっき失禁してた子ね」

 

 それは言ってやんな。

 

「あ、あたしパザスの背中から少しの間見てたけど、あのメイドさん、あのすぐ後に部屋へ入ってきた誰かに保護されてたみたい。妹ちゃん? もすぐ後に入ってくるのが見えた」

 

 お。

 

 なら疑問点・()()も解決ですね。

 解決というか、部屋に入ってきた誰かの性別、人となりによって、()の方に天と地ほどの差が生まれますが。

 

 まぁミアの無事が分かっただけで、私には十分です。サーリャさんの尊厳がお嫁に行けないレベルまで落とされたというなら……それはもう運命と思ってもらって、私の嫁ぎ先についてくればいいよ。一生一緒にいてやんよ。いや居てください。

 

 まぁそんでもって、そんな感じで、氣が付けば日があっという間に経っていたらしい。

 

 で。

 

 (ようや)く今日、宝石の中の二人の意識がしっかり、ハッキリ、クッキリしてきて。

 

 以下、ことが起こる直前の、二人の会話を、そのまま本人達が再現。

 

「パザスー。宝石の外に出れそう。背中貸してー」

「なにぃ? 我も一緒に出たいぞ」

「だめだめ、外は女の子の部屋だよ。パザスのソレは大きいから入らないよ」

「我の身体が外の部屋に入りきらぬのはそうであるだろうが、この機を逃したら二度と外には出れぬかもしれぬではないか。機を逃すは軍師最大の恥ぞ」

「あっ、こらダメー。出ちゃだめだってばー」

「そなたは背に捕まっておれ。ゆくぞ」

 

 ドーン!

 

「……で、氣が付いたら私の部屋に、パザスさんの顔が埋まっていたと」

「然様」「あたしはずっとパザスの背中にいたよ」

「それで、私がアリスのお母さんの関係者っぽいし、周りがうるさくなりそうだから思わずさらってしまったと」

「然様」「意外とパザスは、思ったら即行動の人だよねー」

 

 それでいいのか伝説の軍師様。

 

「……どうしてパザスさんは竜なんですか?」

 

 疑問点・()

 

「生前よりだ。呪いを受けてしまってな」

 

 呪い……対象者の生命力を魔素に変換して行使される魔法、でしたっけ。

 

「……誰に呪われたんですか?」

「にっくきは魔女ドゥームジュディかな」「だから人間の魔法使いって嫌なんだよね」

 

 なにそのどっかのヴィランをTSさせたみたいなの。

 人間の……魔女? 氣になるワードではあるが……流そう。つっ込んでいくと疑問点がまた増えてしまう氣がする。

 

「宝石の中に戻ることは可能ですか?」

「可能不可能の前に却下したいことではあるが、現状では物理的にというか距離的に不可能であるな。抜け殻となった宝石は、おそらくそなたの部屋のどこかに転がっておるぞ」

「……人間に戻ることは?」

「呪いであるから無理だな」「パザスはその方が格好いいから大丈夫だよ」

 

 それ、元の姿があんまりイケてないって意味じゃ……。

 

「お二人は……ひとりと一匹?……は、これからどうするのですか?」

「む?」「ん?」

「いえその、大変申し上げにくいのですが、人、それも貴族令嬢をさらうドラゴンは、人間の討伐対象になると思うんです」

「……むう」「そうだよね」

 

 これでも既に、密かに器量よしと喧伝(けんでん)されてしまっている貴族令嬢である。スタイル的な意味だと若干疑問が残る評判ではあるが、まぁそうなのである。そうなんだってば。

 すごくこう……ドラゴンがクエストされて、竜というファンタジーがファイナルっちゃいそうな状況である。

 

「私個人としては、私を連れてお屋敷に戻っていただきたいのですが、多分おそらく、その……目立つお身体でお戻りになられますと、大騒ぎとか……攻撃とかを、されてしまうのではないかと」

「むう」

「攻撃されても大丈夫じゃない? ドラゴンだよ?」

「大丈夫なんです?」

「四百年も経てば人の武器も変わっているやもしれぬでな、我の知識ではなんともいえぬな」

「どうしてそこだけ慎重なのか……」「何か言ったか? 娘」

「いいえ、何も」

 

 私の十三年間の知識として。

 

 この世界の現在において、竜は恐れられているが、専用の装備を整えた専門の軍隊であれば、狩るのも不可能ではないという事実がある。そうでなければ市場に竜の鱗が出回ることも無いわけだし。

 

 ただ、この専用の装備を整えた専門の軍隊、というところがミソだ。

 

 聞いた話によると、竜狩り、ドラゴンキラーには、片方の手で身長よりも長い槍を自在に操れること、もう片方の手でドラゴンブレスを防げる大型の盾を自在に操れること……が求められるのだとか。竜はモンスター、つまり魔法生物だから、どのような魔法を使うかでも対処法が変わってくるらしいが、とにかく先述の二点は必須事項らしい。

 

 装備も、熱に強く軽いミスリルで固めるのが定石らしく、鉄具の何十倍ものお値段がするそれを、何十、何百もの兵に持たせるのは、下級貴族には無理みたいです。

 

 色々あって、私は(いえ)(スカーシュゴード男爵家)の武器庫へお邪魔したことも、あるっちゃあるんですが、ミスリル製の装備は、完全なモノは(壊れたモノも保管されていたので)二十もなかった氣がします。あれは隊長クラスにだけ配られるモノなんだろうな。

 

 なので、残念ながら、何世代か前に地方豪族が現王家へ臣従しただけでしかない当男爵家には、そんな兵装の軍隊は存在しないのです。

 

 というか、カナーベル王国は元々竜害(りゅうがい)の少ないお土地柄なので、対竜部隊(たいりゅうぶたい)など、有しているのは王家くらいではなかろうかね?

 

 云十年に一度くるかこないかわからない竜に備えるくらいなら、流行り病のように……いや流行り病そのものでしたっけ?……定期的に発生するゴブリンのスタンピードへ備えた方が全然有益である……ということのようです。費用対効果ってヤツですね。世知辛い。

 

 なお、ゴブリンには体表面に刃物が通らないという話がありましたが、それは確かです。私は出会ったことありません(あってたまるか)が、ゴブリンのスタンピードは先述の通り地球のインフルエンザが如く、ちょいちょーい発生してるモノなので、過去の事例から、どこの地域でも対応策の蓄積がなされています。

 

 それによると、刃物は確かに通りにくいのだそうですが、濃度の高いアルコール……蒸留酒がその辺のチートも手遅れだったねって感じで既に存在していました……をかけると弱体化するそうです。汚物は消毒か?

 

 他にも、関節技に弱かったり、少し抑え込むと肉体から無理な力を引き出そうとして筋組織断裂、骨折するなどして自滅もするそうです。

 

 そんなわけで、ゴブリンはこの世界において厄介ではあるものの、それなりに力のある人間になら簡単に対処できるモンスターのようです。ええ私には無理ですが。

 

「ふむ。つまりこの時代においてもまだ……んぐん゛……竜は(おそ)れられる存在であるのだな?」

「はい」

 

 痰? 大丈夫なんだろうか。こっちにむかってカーッペしないでね?

 

「まぁ、そう考えると……今すぐに戻れば、攻撃はされても、すぐに討伐されることは無いのかもしれません」

 

 王都がある国の中心地から、地方である当男爵家の領地までは、早馬を乗り継ぎ昼夜問わず走っても二日はかかる(と聞いている)。いわんや重装備の軍隊はや。

 

「然様か……ふむ」

「ねー、討伐隊って出るって思う?」

 

 んー……。

 

「私が誘拐されたままだと確実に。私がお屋敷に帰れたら……五分五分でしょうか?」

「なんで? お嬢様を無事に送り届けても狙われるの?」

「竜は害獣であるとともに、討伐すればお金になる希少生物でもあるので……」

「……我は元人間なのだが」

「パザスさんほどのサイズですと、鱗一枚が安くても王国金貨十枚にはなると思います」

「それはどれほどの価値か?」

「ママが婚姻の際にパパから贈られたサファイアの指輪が、王国金貨二十枚くらいだったと聞いています。石の大きさは私の小指……いえ薬指の先ほどはあったでしょうか」

 

 これは世俗に(うと)い箱入り娘(笑うな、私だ)の、曖昧な感覚だが、王国金貨は一枚十万円くらいの価値ではないだろうか? ママに見せてもらった指輪は、傷ひとつ無くて二か三カラット以上の石だったから、円だと百万は下らないと思う。

 

「我の鱗二枚で高級な宝石が買えるのか……」「パザス、後で十枚くらい剥いでいい?」

「牙や骨は貴族でも侯爵クラスから上でやっと手に入るものですから、それを貨幣に換算することはできません。あとはわかる範囲で言うと、爪の価値が確か一本で鱗十枚分くらいです」

「我の爪、宝石五個分……」「パザス、爪切りしよっか?」

「仮にパザスさんを討伐したとして、無傷の鱗が百枚、爪が五枚手に入ったとして、王国金貨、千と五十枚ですね」

 

 日本円にして、最低でも一億五百万円なり。

 まぁもっとも、竜の素材の本命は牙と骨で、そちらの価値は天井知らずだ。何故ならそれは……。

 

「我、お高い……」「パザス、それ全部脱いで」

 

 と……なんか氣が付いたらアリスが凄い目で、竜の身体を舐めまわすように見ていました。かなり神秘的な薔薇色の髪とエルフ耳が、なんだか台無しな氣がしますね。衣装的には神社仏閣に鐘の寄進を求める軍服さんかな? バチあたんぞ。耐え難きを耐え忍び難きを忍びせなならんくなるで……あ、でも今が四百年間の忍び難きを忍んだ直後なのでしたっけ。

 

「えっと、そういうわけで、竜は危険を冒してでも討伐する価値のある生き物なのです。ちなみに私が誘拐されたままですと、王家は討伐隊を出すだけで独立性の高い地方男爵家に恩が売れるので、秤は間違いなく討伐に傾くでしょうね。私が誘拐されていなければ、その辺りのリスクとリターンを……中央がどう読むか……でしょうか」

 

 ごめんなさい、それほど軍事や政治に詳しいわけではないので、それ以上は……というとパザスさんは鷹揚に(竜揚に?)「いや、いい」と頷いた。

 

 ただ、軍事や政治の話をするなら、カナーベル王国は、現在富国強兵の国策を布いていたような氣がする。

 

 私をいじめた、クソな方の兄が、それを御旗(みはた)に「これからは武の時代だ! 強者こそが認められる時代だ!」とよくイキってました。女の子をいじめるのは強者の証なんかじゃないんですけどねぇ。アイツ、兵士基準で考えると武力的には多分中の下くらいだぞ。百を上限とするゲームなら多分武力五十五くらいのステータス。呂布張飛関羽(アイテム込み)の半分くらい。……私? 一応護身術も学んでいるので、二十五くらいかな。劉禅よりは少し強い。メイドさん? サーリャは四十くらい。適当。鑑定スキルは持っていないので適当。そもそもこの世界スキル制じゃないし。

 

 それはともかく、そんな兄貴がイキリたくなる程、今のカナーベル王国には武力を尊ぶ氣運、風潮がありますね。これもエンドクサってヤツでしょうか。メンドクサ。

 

 あー、でもでもでも。

 

 となると、軍事的にも価値の高い竜の素材を手に入れられるチャンスは……逃さない?

 

 どうなんだろう……でも~、これ言うべきじゃないよな~、私を返すメリットが減るし。

 

 うーん。少し心は痛むが、まぁ嘘はついてないからいいか。

 

「じー」

 

 ……とかなんとか考えていたら、ハーフエルフさんが私のことをじっと見ていました。私は脱いでもお金にならないよ? あ、でもこの女の子、人の心が読めるかもしれない疑惑があるんでしたっけ。読んでます? 読まれちゃってます? パンツは何色? 私は白の紐パン。メイドさんと違ってチビってはいないからちゃんと白いと思います。

 

 ……反応がなかったので、心が読めてるわけではないようですね。

 

「で、あるなら我はそなたをすぐに元いた屋敷へと送り届けよう。ここはミスト地方より海を越えた南の地なのだな?……ぐる゛っ」

 

 ミスト地方。四百年前にはエルフの国があって、エルフの女王と九星の騎士団が争いをくりひろげた地。パザスさん達もやはり故郷に帰りたいのかな? 私は帰りたいよ、故郷っていうかお(うち)の日常に。

 

「はい。陸地を通るなら海岸沿いに行っても大回りになりますね。それもあって()の地は、今は魔法生物(モンスター)のはびこる未開の地となっていると聞きますが」

「ならば好都合。筋書きはこうだ、我は元よりその地を目指す竜であった、しかし何らかの間違いでそなたをさらってしまった……ん゛ん゛ん゛っづぅ……若干、人間と意思疎通のできた赤竜は、そなたとの会話によって間違いに氣付いた、人と敵対する氣のなかった竜は、ゆえにそなたを返却することにした……我らはそなたを返した後、ミスト地方を目指すこととしよう」

「は、はい。助かります」

 

 ふー。

 

 よかったよかった。

 なんだか私を返してくれる方向で話が決まりそう。

 

「アリスもそれでよいか?」「……ま、仕方ないっか」

 

 アリスさんは、私の顔をじっと見たまま、なんだか不満そうではありますが……それでも方針はパザスさんのそれで決定したようです。

 

 いやー、よかった。よかったです。

 

 なんだかよくわからないまま誘拐されて、どうなることかと思いましたが、我が第二の人生はここまでではないようです。

 

 よろこばしいことに ぼうけんのしょ は きえませんでした。冒険とか今生(こんじょう)でした覚えもないけど。

 

 まぁ……四百年前の生ける証人がそこにいるっぽいから、これからモンスター蔓延(はびこ)る地へと赴くようだから、今ここで望めば冒険にも関われるのかもしれませんけど……しませんよ。マヨネーズチートもカカオマスチートも蒸留酒チートも男爵芋チートもしませんし、冒険チートだってしないのです。

 

 大切なのは命。長生き。

 

 しゃべるドラゴンとか、ハーフエルフとか、それらの後ろに広がる歴史の真実とか、そういうのは要りません。そんなもんに関わっては、命がいくつあっても足りません。そういうのは英雄とか死に戻れる人とかに任せたい。疑問点の()なんかはぽぽいのぽーいですよ。

 

 それより私は、ミアとお庭でおしゃべりしたり、時には同じベッドで一緒に眠れることの方が大事です。ずっと大事です。

 

 ミアの顔を思い出すだけで幸せな氣持ちになります。

 

 抱きしめた時の感触、匂いを思い出すだけでどんなこともできる氣がしてきます。

 

 これはもう、何にも代え難いのです。

 

 だから……は~、よかったぁ~……。

 

「ごめんね、パザスがソーローしちゃって」

「そのネタまだ引っ張るのであるな……ぐる゛っ……ん゛ん゛お゛ん゛っ……では戻ろうか、そなたの家、あのお屋敷に」

 

「はい……よかったです……うれしい」

 

 願いが叶ったことに、膝から崩れ落ちそうなほどの安堵と幸せが心を満たしていきます。

 

 ホント死ぬかと思った。

 

 もうダメかと思った。

 

 でも帰れる。

 

 生きて帰れる。

 

 ミアの元に、パパとママの元に、サーリャの元に帰れる。

 

 帰れる。

 

 帰れるんだ。

 

 やったー、帰れるんだ~。

 

 うゎぁぁぁい!

 

 待ってろミア~、待っててミア~、おねーちゃんもう腰砕けだからさ~、今日から三日は一緒のベッドで寝てもらうからな~。

 

 なー……なー……な~……。

 

 

 

 

 

「ぐりゃっぐぢょん!!」「ふぎっ!?」

「んひ!?」

 

 

 

 

 

 感激でなにやら多少危ない思考になっていた私へ、突然の重低音の暴力が襲いかかりました。

 

 それはもう、鼓膜どころか、ふー……と息を吐くために開けてた口の奥、肺腑までもが裏返るような爆音の大噴火でした。

 

「ひ!?」「なにっ!?」

 

 大氣と大地も揺れ、粉雪が舞い上がり、その直後、べちっ……という音が響きました。

 

「お、ご、ご……ぐるぅ……ん?」「なに!? いったいなんなの!?」

 

 んと、んと、んと?

 

 えと、えと、えと? 何が起きた??

 

「って、さ、寒い?」

 

 肌を、ひんやりとした空氣が刺す。

 視界が雪で白く染まっていて、目の前にいるはずの少女……アリスさえ見えない。

 

 頭上からはバッサバサと、パザスさんの羽ばたきの音らしきものが聞こえ、そこから生じているだろう風が、肌寒さを、鳥肌を、更に扇ぎ立ててきて。

 

 えーと……だからだから、ええと? つまり? これは?

 

 パザスさんが……くしゃみ……をしたんだよな?

 

「もー、パザス、なんなのよ!」

 

 まぁここは雪渓のど真ん中で、その翼でずっと冷氣をシャットアウトしてくれていたわけで、そりゃあクシャミのひとつくらい出るだろうって状況ではあったけれど……。

 

「ぐるぅ……」

 

 あー、もう。

 

 よりによって、さぁ帰ろうかって氣分が盛り上がった時に、そんなどでかいクシャミしなくてもいいだろうよ、って話だよ。

 

 その重低音ボイス、荒げると凶器だね。寿命が減ったらどうしてくれるのさ。

 

 それにべちっという音はなんだ。やっぱり痰でもカー……ッペしちゃった?

 

「ほんとにもー、パザスはソーローなんだから」

 

 もー。ほんとにもーだよもー。

 

「……用法が違うであるぞ」

 

 氣が付けば、アリスはパザスさんの方を向き、反った背中をこちらに向け、なにやら文句を言っていた。氣持ちはわかる。寒いと氣が立つよね~。

 

「ん? ソーローって、生理現象を我慢できないってことでしょ?」

 

 はぁ……。

 

 でも、私はもうなんでもいいから、お家へ帰りたいよ。帰りたいの。

 

 飛んでた時間がどれくらいだったか、色々いっぱいいっぱいだったのでよくわかりませんが、なんとなく空もそろそろ夕暮れかな~って感じです。おうちへかえりたい。

 

「アイアのにゃろう……中途半端に余計なこと教えやがって……」

「本当はじゃあどういう意味なの?」

「うぐぐぐ」

 

 今の私には、この無知シチュを楽しむ余裕すら無いのですよ。

 

 まぁそもそも、ソーローの正確な意味とやらは、私も知らないんだけどさ。

 

 別に知りたくも無いよ。女神だか女史だかに消されたっぽいから、貴族令嬢の記憶に残ってるとマズイ系単語でしょ。いらんいらん。だからそこのアリスさんも擦りすぎるなや。

 

 どうでもいいからはよ、私をお家へと帰しておくれ。

 

「ねーねーねーソーローって何?」

「うぬぐぬぬぬぐぬ」

 

 ……そうこうしてる内に。

 

 やがて……舞い上がった雪が落ち着き、視界が晴れてくる。

 

「……え?」

 

 苦情を言うアリスを、まだ帰れないのかな~……と、ボーっと眺めていた私の目の前、数メートル先のド真ん前。

 

 いまだ、パザスさんとソーロー談義をしているアリスの、その背中側、その地面に、何か……クラゲのような、融けた飴細工のような……なにか半透明の塊がある。

 

 大きさは少し大きめのスイカくらい。完全な球形ではなく、横に長くひしゃげたような形をしている。

 

 それは、ぷるぷるとふるふると、不氣味な律動でもって(うごめ)いている。

 

 え? 竜の痰って、律動すんの?

 

 それは、おそらくパザスさんからは、アリスが邪魔になって見えない位置にある。

 

 ……何あれ?

 

 竜、そしてハーフエルフと、ここまで元日本人がとても馴染みやすいファンタジーがお披露目された。

 

 ……いやマジ、あれ、何?

 

 だけどそれは、日本人なファンタジー観には若干そぐわない、奇妙なグロテスクさを伴っていて……。

 

 ……なんかこう、色が半透明じゃなかったら、もう少し縦にひしゃげていたら、エイ●アン2に出てくるアレの卵みたいな動き方っていうか……いや、あれがパザスさんの口から出てきたモノなら、ピッ●ロ大魔王が産んだソレに近いっていうか。

 

 そう……それは、半透明で、あまりにも非生物的でありながら、そういうものを連想してしまうほど……生き物であるかのように、その身をビクビクと震わせていた。

 

「……へ?」

 

 そうして私は、自分の目を疑う。

 

「……は?」

 

 うにゅんと。

 

 その、スイカ大の何かは、チューイングガムでも伸ばすかのように、その身(?)から、鞭のような触手(?)を伸ばした。

 

 そしてそれは、何かを探すかのようにうにょうにょと動き……。

 

 少しして……見つけた……とでもいうかのように、アリスの後ろ姿を見て(?)止まった。

 

 半透明の何かがぶるぶると震える。その震えの源泉が歓喜なのか恐怖なのか、それはわからないけれど、なんかこう……より、生物的に表現するのならば……それはまるで獲物を見つけた蛇が鎌をもたげたかのようでもあって……。

 

 

 

 その先の……アリスの背中を見る。

 

 いつか見た、小さな背中に似ていると思った。

 

「アリス!!」「ん?」

 

 そう思った瞬間、私の身体は勝手に動いていた。

 

「危ない!!」

 

 氣が付けば私は、半透明の何かの脇をすり抜け、アリスの背中に全身でダイブをしていた。

 

 

 



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10話:ぞんざいメソッド・体験版

「アリス!?」「ぐえっ!?」

 

 アリスを呼ぶ、パザスさんの低くくぐもった声が腹に響く。アリスは私のタックルを背中に受け、女の子らしからぬ悲鳴をあげた。

 

「なんと!?」

「ぅくっ!?」

 

 その瞬間、私のお尻のそばを、何かが通り過ぎる。ヒュンとも、ゴゥとも表現できる音。何かが空氣を切り裂いた音。ワンピースのスカートが少しめくれ上がったような感触もあった。

 

「っ……」

 

 直後、一拍後に利いてきたワサビのような性急さで、私の左のお尻に鋭い痛みが走った。

 

「伏せよ!」「ちょっ! 何!?……ほぇ!?」

「んんっ!?」

 

 腹に響く、竜の重低音ボイスを受け、私はアリスの頭を自分の胸に抱く。

 

「結界を出すのだ! 断熱を重視!!」「んぇぇぇ!?」

 

 目をつぶって亀のように身を固くしていると、胸の内で、アリスが慌てた様子で何かをしたような素振(そぶ)りがあった。

 

 直後、パザスさんが「ごぉぉぉ」と吠える。

 

 瞬間、氣温が十度も二十度も上がったかような感覚があった。とはいえ、元が氷点下かそれに近いような氣温だったから、それはむしろ丁度良いくらいの暖かさだったが。

 

「っ!?」「ん゛!?」「むっ」

 

 ドズン! という音と共に地面が揺れる。

 足が滑りそうになるのへ、パザスさんの足(?)が背中に添えられた。

 

 じゅわ……という水の蒸発音のようなものが聞こえ、鼻へ、やかんを火にかけ過ぎた時のような匂いが届いた。

 

 そうしてアリスを胸に抱いたまま、高級ワニ革のような感触を背中で感じること、十秒か十五秒か。

 

 体感ではその倍以上には感じた時間、竜の咆哮は続き、だがそれは唐突に止んだ。

 

「結界を解いてよいぞ」

「え……わっ!?」

 

 やがて耳元から、アリスの驚いたような声がして。

 

「ん?……んんん!?」

 

 目を開くと……そこにあったのは。

 

「え……な!? なにこれ!!」「お、おー、やったねぇ、パザス」

 

 そこにあったのは、周囲三百六十度、雪の壁……否、氷の壁に囲まれた世界だった。

 

 地面にはごく僅かに、岩肌の見えるところもある。

 

 慌てて上を見れば、ほんの少し夕暮れの氣配を帯びた空。

 

 多少角度をずらすと、山の傾斜も見えた。

 

 つまり……ここが魔法か何かで瞬間移動した先のどこかではないというならば。

 

 どうも私達は、雪渓(せっけい)をお椀型に(えぐ)ったクレーターのくぼみに、入り込んだ形になっているようだった。

 

 半径でいえば、今私達がいる底の部分が十五メートル(15m)程度、上のフチ周辺はその倍くらい。

 

 その中に先程の何か……スイカ大のチューイングガム……は見当たりません。

 

 なんだかよくわかりませんでしたが、これはいわゆるドラゴンブレス、熱線的な何かで氷を融かしたってことなのでしょうか? その割に、それならばこの底の部分に溜まってるだろう水、蒸発したのならば水蒸氣、その熱などの、それらしき痕跡は見当たりませんが。

 

「ちょ、ちょっ、ちょっ、貴女(あなた)! アナベルティナだっけ? お尻! お尻!」

「……え? あ、ああ」

 

 あ、アリスをしかと胸に抱いたまま立ち上がったもんだから、なんていうか、アイアンクロー的なことをベアハッグでやったとでもいうか、まぁそんな感じのプロレスよろしくな体勢になってました。

 

 苦しかったのでしょうか、顔が大分紅いです。非常時とはいえ、悪いことをしました。

 

「ごめん」

「いやそうじゃなくて! 助けてくれようとしたってのはわかってるしそれはいいけどお尻!」

「え?……んっ」

 

 ズクンと。

 

 お尻の、左の方。

 

 意識をそこに向けると、鋭い痛みが身体を突き抜けます。

 

 見れば、ワンピースのスカートは無残に切り裂かれています。太ももの脇からスリットのように入った切れ込みは、なぜだか途中で曲がってお尻の方へと達していました。

 

「血が……」

 

 水色の生地に、赤褐色の模様ができてしまっています。

 これは……結構大量ですね。足元の地面へも達してました。

 

「ルカの水斬(みずき)りの(かいな)はミスリルすらも断ち切る刃だ。おぬし、下手したら身体の上と下が別れ別れになっておったぞ」

「……ほぇ?」

 

 おずおずとお尻に触れてみる。

 

「っ……たぁ!?」「なにしてるの!?」

 

 触ってみた感じ、傷の深さはそれほどでもなく、骨や筋肉に異常は無いようですが、五センチ(5cm)くらいの、それなりに長い傷が付いちゃっているようです。

 

 あー……背中に続いてまた肌に残りそうな傷が……。サーリャ泣くかなこれ。それとも怒るかなコレ。

 

 う、うわー。

 

「貸して!」

「え?……ひぎっ!?」

 

 と、そこでアリスが私のお尻に手を伸ばしてきます。触れられた新鮮で敏感な傷が、鮮明な痛みを私へと送ってきます。それはもう豪快に、痛烈に。

 

「いたっ!? いたいよアリス、さん!?」

「いいからおとなしく!」

「は、はい……んっ!」

 

 アリスは、入ってしまった切れ込みから手を伸ばし、小さな手の平を五センチ(5cm)の傷に当てました。

 

「んぐ……ん?……」

 

 と……暖かさと、汗が引いていく時のような爽やかさ……そんな相反するものが一氣にきたような氣持ちよさが、傷を中心に広がってきました。

 

「あ、あのこれは?」

「治癒魔法。身体の上と下が別れ別れになっちゃってたらダメだったけど、これくらいの傷ならなんとかなるから」

「お、おー……」

 

 さすがファンタジー、さすが魔法。

 

 スライムにやられた傷をホ●ミしてもらっちゃったぜ。

 

 って……。

 

 え……私……今、じゃあ……死ぬところ……だったの?

 

「うっ……」「あ、ごめん痛い? とりあえずもう少しだから」

 

 そう思うと、今になって恐怖が襲ってきます。心胆が寒がってます。少し間違えれば、もう二度とミアに会えなかったのかと思うと、絶望に近い何かすら感じてしまいます。

 

 知っていたはずなのに。

 

 人生とはクソゲー。

 

 自分の意思や努力以外の部分に、不可避の死が罠のように口を開けて待っている。

 

 知っていたはずなのに。

 

「そちらは平氣そうかの?」

「ん、パザスも平氣?」

「仕方無いとはいえ、警戒は解くでないぞ。おそらくまだ……おるからの」

 

 ……え?

 

「あ、あのパザスさん、それって?……いえその前に……先程のは、なんなのですか?」

「アレは……ルカのカケラだの」

「……ホワァイ?」

 

 あ、違う、ここは「何故ですか?(ホワァイ)」じゃなくて「何ですか?(ホワッツ)」だったかな。いやどっちでもいいけど。なんだか頭が混乱している。

 

「封印される直前、我はルカの一部を噛み下した。ぬかったの……アレは、あの状態からも動けたか」

「ルカ……九星の騎士団の……騎士のひとりでしたか?」

 

 言った瞬間、やだもう聞きたくない、人類史の闇聞きたくないと、心の底で叫ぶ声がありました。ですが……吐いた言葉は飲み込めません。あとなんだか今にも凍えそうな心胆とは裏腹に、なんだかお尻がとても氣持ちいいです。時折ふにふに動くちっさな手が、あったかくて爽やかです。温度差で風邪をひいてしまいそうです。

 

 ルカ。

 

 金剛石(ダイアモンド)の女騎士、ルカ。水神に祝福されし流体機動の聖女。

 

 実際は男性であったと伝えられているが、女性的な美貌を持ち、騎士団長カイズを慕い、彼の命を、戦場に突如現れた竜より献身的に守ったこと(そこまでは史実扱い)から、童話、伝承などではよく女性化されてしまう歴史上の偉人。信長謙信枠。違う。

 

 アレがその、カケラ?

 

 今はもう、周囲のどこにも見当たらなくなっていますが、生き物のように(うごめ)く半透明な物体……今にして思えば、そういうファンタジーな存在に、思い当たるモノがあります。

 

 とはいえ、それの名称は、ドラゴンをクエストするRPGが大人氣の日本だと、もっと可愛らしいモノとしてイメージされるモンスターです。ぱふぱふ。それゆえ、私もすぐには思い至らなかったのですが、まぁ、よくよく考えるとあの、時には人間の仲間になったり、合体して王冠をかぶったり、回復魔法を唱えたり、バブルって毒を与えてきたり、メタルって物凄い経験値を持っていたりする、あのバードなマウンテン発祥のイメージの方が、本来は特殊なのでしたね。

 

「でも、あれって……その……スライム、なのでは?」

 

 あれはそう、スライムというに相応しい、ナニカでした。

 

 パザスさんは一旦アリスを見、今は私のお尻(の治療?)にかかりっきりになってるその後頭部へため息をつくと、私の方へと視線を戻しました。

 

然様(さよう)。そうだのう。元は我らと仲間であり、後に(たもと)を分かちた知性あるコアレスタイプの人型スライム……あれはそのカケラだの」

 

 ゆっくりと、噛んで含めるようにパザスさんがそう言うと、アリスの肩が、眼下でびくっと震えました。

 

「ルカ……あれが……」

「アレの知性は身体全体に広がっていてな。全身が脳のようなモノといえるのかもしれんの。小さく切り取られれば、知性もそれなりよ。ならばルカそのものとは言い切れんが……」

「それで……それを……パザスさんはどうしたのですか?」

 

 訊ねたいことは、聞きてしまいたいことは、ではなぜにどうしてそのルカさんが、一部とはいえパザスさんに食べられていたのかだとか、なぜにどうして、知性を失ったルカさんがアリスを襲ったのだかとか、色々、他にもたんまり、ありましたけれども……さすがにそれを聞く勇氣は、蛮勇は、私にはありませんでした。命拾いしたばかりで、好奇心に殺される猫にはなりたくないのです。みゃー。

 

 だからこの場において、私が氣にすべきことはひとつ。

 

「倒した……のですか?」

 

 無事ミアの元へと返れるのかという、ただその一点のみです。

 

 今、たった今、軽率な行動で命を失いかけたばかりです。

 

 知りたくない。

 

 知りたくなんかないよ、歴史の闇なんて。そんなシリアス、この手に余る。

 

「そなたらの周辺だけ簡単な結界で覆って、アリスの結界と二重で守り、そうしなければならぬ程の、岩すらも融ける高温で焼いてみたが、どうかの」

 

 そこで赤い竜は、ぐるんと首を回して、周囲を見回しました。

 

 視線の先には、氷の壁と、剥きだしになった岩肌……良く見れば、融けたというか、焦げたというか、確かに通常ではない、尋常ではない様相のそれ……がありました。

 

「潜ったのだとしたら、氷の中か、地中か」

「……え」

「アリス、おぬしも治療が終わったらいつでも魔法を使えるように」「わーってる」

 

 ぐるんぐるん、首を回し周囲を警戒しだす赤い竜、パザスさん。

 

 ってことは、結構まだ危機的状況なのですかね……。

 

 こんなところで死にたくない、夢は長生きの私も、ならばと周囲に視線を走らせます。

 

「あんまり動かないで」

「ん」

 

 アリスがお尻を掴んでいるので動き難いのですが、パザスさんの目が届かない方を中心に視線を走らせます。

 

 あれ、でもこの状況って……うん?……いやでも……。

 

 ……しばらくそうしていると、アリスが焦れたように喋り始めます。

 

「ねぇ、パザス……ルカのヤツ、まだ生きてると思う?」

「コアレスタイプのスライムは不老不死だからの。燃やし尽くせば消滅させることもできようが……カケラとはいえ、ただの一息、一吹(ひとふ)きでそれが出来たとは思えぬの」

「じゃなくて。オリジナルの方」

 

 オリジナル……カケラの分離元の話でしょうか。

 

「……さての。我はあの身の十分の一ほどを喰らったが、それはスライムにしてみれば、記憶と知性をその程度削られただけに過ぎぬのでな。生きておれば元と同程度には知性も回復しているであろうが……四百年の間にも部位欠損を経ていれば、我々の記憶は失われてしまっているのかも知れぬな……それはもう我らの知るルカではない……寂しいか?」

「はぁ!? そんなわけないでしょ! アイツは敵よ!」「ぁん」

 

「……ってアンタはアンタで何変な声を出しているのよっ!?」

 

 いやその。

 

 もう治療が始まってから、五分は経過したでしょうか。

 

 いつのまにか……アリスさんの手が、なんだかとてもくすぐったくなってまいりました。

 

 痛みはもうなくなっています。それよりは……痒いというか……痒い部分をひらすら掻き(むし)った後のような、神経が刺激されまくって少しおかしくなってしまっているような……やはり一言でいえばなんていうかこう、くすぐったさがあります。

 

「ん……ふっ……」

「だから変な声出さない!?」

 

 そう言われましても。

 

「いやアリスよ、それはおそらく魔法が過剰になっておる。その娘は陽の波動の持ち主。普通より魔法の効きがいいのであろう」

「……あ、そっか」

 

 と、そこでアリスの手がスッとお尻から離れます。それはなんかこう、寒空の下、ずっと当てていたホッカイロが、唐突に奪われでもしたような、妙な名残惜しさがありました。

 

「……傷は塞がったけど、これはこのままだと痕が残るか残らないか、五分五分ね」

 

 じっとお尻を見られ、言われます。紐パンの紐は無事だったようなので、見えているのはお尻だけだと思いますが、なんだか恥ずかしいです。

 

 とりあえず、どうなったのか、自分でも触れてみます。

 

「ほんとだ……塞がってる……凄い」

 

 治癒魔法。前世のアニメや映画で見たそれは、傷があっという間に消えてしまうようなモノが多かったと思います。

 ですが、この世界だと、さすがにそこまで魔法は魔法魔法してないようです。傷があった部分には、その周囲と違う質感が残っていますね。まるで普通に自然治癒したばかりの傷のようです。

 

 ただ、痛みはもうありませんし、血も止まっています。

 

「塞がったのであれば、しばらく様子見でいいであろう。ならばアリスよ、おぬしは地面へ警戒してもらえぬか? 我は氷を見張っておく」

「やっぱり……まだいる?」

「おる。地面か、氷か、アレの波立(なみた)たぬ湖面(こめん)はカケラとなっても健在のようであるな。何度も探知魔法を走らせておるが、掴ませぬ……だが……おる」

「パザスの探知魔法をかいくぐるとか、アイツどんだけ厄介なのよ」

 

 ……ふむ。

 

 なんだかお二人、とてもシリアスな表情で警戒をされていますが……。

 

「あのー」

 

 おずおずと挙手。

 

「……どうした、娘」

 

 私は辺りを見回し、周囲の状況をもう一度よく確かめます。

 

 氷の大地に、お椀型に落とし穴が掘られ、そこに私達がいる。

 

 今はそういう状況ですね。

 

 だったら……やっぱそうだよなぁ。

 

「とりあえずアリス、治療してくれてありがとう」

 

 地面の方を見ていたアリスに、ぺこりと頭を下げます。

 

「えっ!?……い、いえどういたしまして?」

「氣にするな娘、アリスも胴体が真っ二つとなれば相当に危なかった局面。そなたには感謝しておる。治癒魔法など安いものよ」

「そうだけどソレはパザスが言わなくてもいいじゃん!?」

 

 アリスさんアリスさん、足元(の警戒)がお留守になってますよ。

 

「あの、それでですね」

「うぬ?」

 

 私は尋ねます。というか再確認します。

 

 今は氷か地面か、どちらかに潜んだスライム、ルカさんのカケラを警戒している状態。

 

 人体を真っ二つにできるような敵が、どこかに潜伏していて、それが襲ってくるところを迎撃しようという状況……であっているのかな?

 

「然様、それで間違いない」「当ったり前じゃん」

 

 なら……。

 

「スライムは、つまり焼き尽くせば撃退可能なのですね?」

「然様」

 

 敵はスライム、勝利条件は……焼き尽くすこと……だよね?

 

 うーむ。

 

「確認したいのですが、その……ルカさん?……は昔の仲間だったのですよね?」

「然様」「あたしは敵になってからのアイツしか知らないけどね」

 

 となると、今ここで問題になるのって、アレかな? アレよな?

 

「ルカさん? のカケラを倒すことは、簡単ですよね?……」

「……む?」「は?」

 

 別に、アレを倒してしまっても構わんのでしょうか?

 

 死亡フラグじゃないよ。

 

「それをしない、しようとしていないということは、パザスさん達には、ルカさんを生かして捕らえたい……という思惑でもあるということでしょうか?」

「待て娘、何を言っておるか?」「今、だから出てきたところをやっつけようって、こうして警戒してるんじゃない」

「はへ?」

「いや、”はへ?”じゃなくて」

 

 いやいやいやいやいや。

 

 だって、勝利条件だけを追うなら、こんなところで警戒している意味、ないじゃないですか?

 

 イージーゲームじゃないですか。

 

 簡単じゃないですか。

 

 そのための舞台がもう、(しつら)えられているじゃないですか。

 

 こんな……緊迫感の無いコントまでしながら、辺りを警戒している意味、ないじゃないですか。

 

 ……おかしいな? 私がおかしいのかな?

 

「倒していいなら、さっさと倒しましょうよ?」

「……アンタ何言ってんの?」

 

 あれぇ?

 

 なんでぃ?

 

 

 

 

 

 

 

「……あー」

 

 アリスが呆れたような、納得したような、その中間のような、微妙な声をあげています。

 

「えげつない……」

「心外な」

 

 目の前では、パザスさんが大きな氷の塊に向かって「ごぉぉぉぉ」とドラゴンブレスを吹き(噴き?)続けています。

 

 その氷の中には……そう、ルカさんのカケラが閉じ込められています。

 

 簡単な話です。

 

 ティッナー三分間クッキングです。誰がティッナーですか。

 

 要は、スライムさんが逃げられないような状況を造り、それを焼き尽くせばいいだけの簡単なお仕事です。

 

 幸い火力はレッドなドラゴンのパザスさんがいます。岩をも溶かす能力があるのですからね、そこは十分でしょう。

 

 となると、あとは地中だか氷の中だかに潜ってしまったルカさん(のカケラ)を捕捉できれば、逃げられないような形にしてしまえば、それでいいという話になります。

 

 要はこういうことです。

 

 私達は、氷の大地に開いた、お椀型のくぼみにいました。

 

 パザスさんは空を飛べます。飛んでもらいました。

 左後ろ足(?)には囮役のアリスと、それを支える私が引っついた状態です。

 

 パザスさんの翼に再びの黒い線(飛ぶ時に(あらわ)れるようですね)が走り、少し宙に浮いた辺りで、ルカさんはやはりアリスを追ってきました。氷ではなく岩の、地面の方へ潜伏していたようです。作戦的に氷の方が楽だったとは思いますが、まぁそれは言っても詮無(せんな)きことです。ともあれ、飛び立とうとしたアリスを追って、お椀の底の方の岩肌から、チューイングガムのようなモノがびょーんと伸びてきました。

 

 その周囲は氷です。氷は溶かせば水となり、また凍らせれば氷へと戻ります。

 

 パザスさんのドラゴンブレスだと、水になったそばから蒸発してしまう(とスチームが凄く熱いので、先程は周囲をエアコン魔法で冷やした時、一緒に水蒸氣を風魔法でその場から払ったそうです)オーバーキル状態になるそうで、そこはアリスがなんかしてました。なんか。

 アリスの胴を片手で支えながら、パザスさんの足に、もう片方の腕で必死に掴まっていた私には、何が起きたのかよくわかりませんでしたが……まぁ無事、氷の中にルカさんを閉じ込めることには成功したようです。

 

 その氷の塊を、パザスさんが、手というか前足で掴み、空中にひょーいと投げ、そこへドラゴンブレスをGOです。「ごぉぉぉ」しました。ドラ・ゴンブレスって書くとプロレスラーみたいですよね。多分愛される悪役系。

 

「ふむ……跡形もなくなったの」

 

 空中にて暮れかけた空を背景に、足には私とアリスを引っつかせたまま、ここで(ようや)くパザスさんが事態の収束を告げました。

 

 まぁバードなマウンテン発祥の方だと、スライムは序盤の雑魚敵ですからね。大抵のファンタジーで最強生物のドラゴンが相手だと、こんなものでしょう。ちーん。

 

 ゲームとかなら、ここで少しのピンチを演出したりして、ハラハラドキドキの展開にする方が正解なのでしょうけどね。まぁ私のリアルに、そういうシリアスは要りません。それには断固ノーを叩き付けたい。みなさんご無事で一件落着、何が悪いの。

 

「アンタ……見た目の割に、容赦ないね」

 

 私に腰を抱かれたまま、片頬を夕暮れ色に染めて、アリスは呆れたような表情です。

 薔薇色の髪が風になびいていて、その一片は赤オレンジピンク黄色の乱舞……芳醇な暖色系のシャワーのようでした。

 

 陽も大分暮れてきましたね。

 

「えー?」

「あ、でも目とか時々鋭いか。アンタって可愛らしい、大人しい箱入り娘のフリして結構、心の中ではえぐい事考えてるタイプでしょ?」

「……アリスさんはやっぱり心が読めるのですか?」

「読めるわけじゃないよ。感じられるだけ。あとアリスでいい。アナベルティナだっけ? 貴女(あなた)はね、波動持ちだから、魔法使いにはその揺らぎが伝わってくるの」

「はぁ」

 

 自分では扱えない人間ガソスタ、魔法使いには嘘がばれやすくなる特性。

 チートのオマケに、健康で丈夫な体にしてくれたのはありがたいけど、どうも微妙に厄介な属性まで盛られていたようです。女史ぃぃぃ。

 

 まぁ、いいか。

 

 いいや。

 

 魔法使いと係わり合いになるのも、これが最後だろうしね。うんうんうん。

 

「私は、一番手っ取り早いと思った方法を言っただけです」

「だからそれが容赦なくてえぐいって話~」

「えー?……」

 

 だってもう寒いし、お家帰りたいし、ミアにスリスリしたいししたいししたいし。

 いいじゃない。知性の無いスライムの(カケラの)処理くらい、容赦無くたって。

 

「だがおかげで助かったぞ、娘。アリスを助けてくれたことを含め、感謝しよう」

「えー……」「あー……うん、そこはホント、ありがとね」

 

 だからね? やめようよ、こんなことで「さすがです」感出すのは。さすさす言いまくるネット小説にお兄様でも殺されたのですかって人がブチ切れしちゃうよ。そんなことよりだから私はお家に……違った、ミアの元に帰りたいんじゃーい。九死に一生を得た命、ミアニウムで暖めたいんじゃーい。

 

 

 

 事態を収束し終えたパザスさんは一旦、地上へと降ります。地上っていうか雪上っていうか氷上ですが……更に(けい)が拡がったお椀型クレーターからは、少し距離を取りました。落ちたらもう危ないですからね。

 

 そうして再びのドラゴンウィングドームです。そのままじゃ寒いからね。

 

 さて。

 

「え、と、ですね。それで、私はお家に帰してもらえるのでしょうか?」

「おお、そうだったの」「ん……」

「パザスさんは、私を送り届けてくれた後、アリスとミスト地方へ向かわれるという話になっていたと思いますが」

「然様、とんだ邪魔が入ったが、変心はしておらぬよ。安心せい」「んー……」

 

 快諾な雰囲氣のパザスさんと違い、アリスがなぜだかなにやら、ご不満げなご様子です。

 その視線は、どうも私の下半身に注がれています。

 

 なんでぃ?

 

「どうした? アリス」「んー!」

「あの……実は、アリスさんも、ルカさんを食べていらしたとか?」

「そうであるのか!?」「んなわけないでしょ!?」

 

 それは失礼。

 

 なんだか喉に何か詰まっているかのような感じだったので。

 

 と。

 

「あのさぁ」

 

 思い切ったかのように、まっすぐに背を伸ばし、パザスさんを見上げ、アリスは。

 

「む?」

「あたし、この()に付いていっちゃダメかな?」

 

 なんか唐突に突然に妙なことを言い出しやがりました。

 

「へ!?」「は?」

 

 あ、「へ!?」の方が私で、「は?」の方がドラゴンボイスです。

 

 ……ってマジで何を言い出しやがったコンニャロウ!?

 

「ミスト地方はさぁ、パザスだけで行ってよ。あたしは人間の国とか街、見てみたいもん」

「なんと」

「……それは難しいと思いますが」

 

 ですから、人間の国はエルフを排斥しているんですってば。

 

 アリスは、まずその薔薇色の髪が目立ちすぎる。カナーベル王国民の髪はほぼほぼ黒(ここでは茶色も黒に含む)か金の二択なので、必ず噂になるし、耳を見られたらその時点でおしまいだ。

 

 ここでいう排斥は、喩えでもなんでもなく、荒っぽい物理のそれなのである。人生……エルフ生、一巻の終わりですよ?

 

 私はまぁ確かに……えぐい事を、考える系ご令嬢なのかもしれませんけどね? この手にまだその温もり、暖かさが残る少女の、その生死を、どうでもいいと思えるほどの容赦無さは、持っていないのですよ?

 

「エルフを排斥……そうか……」「あー、やっぱ今もそんな感じなんだ」

「ですから、やはりアリスさんもパザスさんとミスト地方に向かった方が」

「でも問題無いもーん。てやぁ」

 

 ぱじゅん。

 

 ……何の音?

 

「ぬぉ! やめよ!」

 

 え? え? え?

 

「アリスよ! 周囲は我の身体なのだぞ!?」

 

 なんかパザスさんがばっさばっさ羽ばたきをし始めましたよ!?

 雪が舞い上がってきましたよ!?

 

 あーもー、さっむーい。特にお尻が、下半身が。

 

「ぶつけるようなヘマはしないもーん」

 

 ぱじゅん。

 

 ぽじゅん。

 

 じゃぼん。

 

 って、だからこれ何の音!?

 

「ひっ!?」

 

 と、氣が付くと私……というか私とアリスは、黒い、大きな鳥篭のようなものの中に閉じ込められていた。

 

「そんな高等魔法を我の傍で使うでない!」

「へっへー。あ、えーと、アナベルティナ? ちょっとどいてね」

 

 と、鳥篭の一部に、電車のドアの、半分ほどの穴が開き、そこから出るように促される。ネ●バスかな?

 

 ええと、つまりこれは……アリスが操っているモノのようですね。

 

「一応、黒い線には触らないでね、危ないから」

「え、あ、はい」

 

 そういえば、先程はドラゴンウィングがバッサバッサいってて、その足に掴まるのに必死で、それどころではありませんでしたが、アリスが氷を融かすために何かをした時にも、こんな音がうっすら聞こえていたような氣がします。蒸発音っぽかったし、まぁ魔法で氷を融かす音なのかなと、特に氣にもしていませんでしたが。

 

 ってか、魔法って! あぶなっ! 使う時! うひゃっ! 黒い鳥篭が! 今のギリギリぃ! (あらわ)れるのですかっ!?

 

「本当に氣をつけるのだぞ、娘よ。確率はかなり低いがの、それの致命的な部分に万分の一ほどの悪いタイミングで触れると、三次元空間的な存在の連続性が崩壊し、先刻(せんこく)のルカのように存在の一部が”夢散(むさん)”してしまうこともあるでな」

「今はまだマナも流してないし、まず間違いなく平氣だけどね」

「意味はまったくわからないけどなんか滅茶苦茶おっかない!?」

 

 黒い鳥篭?……いや、違うかな?

 

 それは、その中より()でて見れば、一目瞭然でしたよ。

 

 魔法陣です。

 

 それは空間に真っ黒な線で描かれた球形の魔法陣です。

 

 平面の円じゃなくて、立体の球の魔法陣です。

 

 その中心にアリス……ハーフエルフの少女がいて、なんかこう魔法を使ってますよ的なポーズをとっています。やはり呪文の詠唱みたいなモノは無くて、なんかうにうにと手を動かしてるだけです……んで、少女の腕の動きと、球形の魔法陣の動きが、そこそこ同期してる氣がします。

 

「ぬぉ! かすっとる! だいぶかすっとるぞ! 我のお高い身体に魔法陣がビュンビュンかすっとるぞ!」

「大丈夫大丈夫、痛くしない痛くしない。天井のシミを数えている間に終わる」

「だからそのような言葉を誰がアリスに教えたぁあああぁぁぁ!」

「アイア?」

「あのクソ野郎はぁあああぁぁぁ!!」

 

 ぱじゅんっ!!

 

 ……とかなんとか、二人がまたコントしてる間に、何かが終わったらしいです。

 パザスさんがばっさばっさ翼を羽ばたかせたせいで周囲は真っ白、氣温低め。

 

「さ、寒い」

「お、おお……すまんな、今暖めてやろう」

 

 でも、やがて巻き上がった雪が落ち着いてくると……。

 

「にゃあぁん」

 

 アリスがそれまで立っていたところ、今はもうない魔法陣の中心に存在していたのは、赤毛……薔薇色ではないが……の毛並みが麗しい、アビシニアンっぽい大きな耳の……猫でした。

 

 サイズも間違いなく普通の猫サイズでした。むしろ小さめ。

 

 質量保存の法則とかないのかな?

 

 わ、わー、変身魔法ってすごいなー(棒読み)。

 

 

 



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11話:竜の討伐隊が出発します。生きろ

 

 そんなわけで私はお屋敷に、日常へ戻ってきました。生きてるって素晴らしい。

 

 帰ってすぐ、まったくもって無事だったミアとサーリャに泣きながら抱き付かれました。生きているってとてもとっても素晴らしい。

 

 私の誘拐騒ぎがあってから、また一ヶ月と一週間くらいが過ぎました。まぁこの世界の一ヶ月は大体二十六日くらいなので、地球でいう一ヶ月丁度くらいって言った方が正確かもしれませんね。

 

 戻ってからのあれやこれやは省略。だってすぐに外出禁止になったし、ずっと部屋にこもっていたし、たまにミアといちゃいちゃしてただけだし。ていうか部屋にいてさらわれたのに外出禁止ってこれ如何(いか)に。因果繋がってなくない? 理不尽じゃない? この世界にはゲームもインターネッツも無いのだぜ。ひきこもりには厳しい世界なんだよ?……まぁ話し相手には困らなかったけど。

 

 なおジレオード子爵は事情聴取のため、王都へと召喚されたようです。頑張って!

 

 そんなこんなで、あれから一ヶ月以上経った今、お屋敷にはとうとう中央からの、竜の討伐隊がやってきました。もうここにはいないのにねー。今どこにいるのかなー。海の向こうじゃないかなー。

 

「みゃぁあん」

「ねこにゃん、ねこにゃん、ねこにゃんにゃん」

「はぁ疲れた……」

「お疲れ様です、お嬢様」

 

 そんなわけで、今日は(ようや)く、久しぶりに部屋の外へ出ることが叶いました。

 

 事情聴取ってやつですね。私への。

 

 つい先程まで私は、討伐隊を率いてる隊長さんと、あとなんか偉い人の集団に質問攻めにされてました。隊長さん、背は低いけど正に視線だけで人を殺せるって感じで、めっちゃ怖かった。

 

 まぁ終わったので、また再びの私の部屋です。ひきこもるーむです。

 

 お庭に出ることすらいい顔されないので、室内のあちこちにある花瓶には、サーリャが毎日お花を挿してくれています。カサブランカの時期は終わってしまったようなので、今は様々な色のグラジオラスや、クロッサンドラなどが飾られていますね。

 

 ちなみに誘拐された時にいた三階の部屋は、修繕されたけど、もうそこにいてはダメということで一ヶ月前とは別の部屋です。具体的に言うとお屋敷の二階の、ミアの部屋の隣です。ちょっと狭くなりましたが私は満足です。災い転じて福と為す。禍福(かふく)(あざな)える縄の(ごと)し。沈む瀬在れば浮かぶ瀬在り。塞翁(さいおう)バンジー、バンバンジーがウマー。

 

「うにゃぁぁん」

「ねーこねーこ、こーねこねこー。ねこにゃんにゃおーん」

「んみゃぁぁぁ!」

 

 あとミアさんミアさん、その鳴き声は少し嫌がってる系ですよ。普通の猫ならそろそろ猫パンチが飛んできますよ。下手したらバリッ、ですよ。

 

「んにゃぁ……」

 

 そんなわけで普通の猫でないところのアリスにゃん……ではなくアリスは現在こうして新しくなったマイルームにいます。半居候状態です。ここでいう現在は本当に現在のナウで、「半」居候というのも文字通りです。一日の半分は猫の姿のまま、お屋敷の外へ出かけているようなので。

 

 彼女の正体が(人類史の闇を背負った)ハーフエルフであることは私しか知りません。

 

 正体がハーフエルフの猫を半居候状態にしてるとか、バレたら人間社会に属するものとしては非常にまずい氣がするのですが、「へーきへーき、バレたら貴女(あなた)は知らなかったことにすればいいの」とかなんとか言って、なぜだか出て行ってくれません。

 

 貴女様は人間世界を見たいから、猫に変身したのではなかったのですか。

 

 アナタ、結構反対したパザスさんにそう言って、押し切って、ここへきましたよね?

 

 私の意見とか聞かずに。

 

 あと、事情を知らなかっただろうジレオード子爵も、結局は王都へと呼び出しをくらってますが、そこんとこもどうなのですか。

 

 ……とはいえ、実は私も、さほど本氣で追い出したいとは、思っていなかったりします。

 

 なにせ魔法です。変身魔法を使えるハーフエルフの魔法使い様です。

 

 色々あって、諦めて十三年間を生きてきましたが、異世界で使いたいものと言えばやはり魔法。しかも変身魔法の実演をこの目で見てしまった私としては、男性に戻れる可能性があるそれを、その手がかりを、自分から遠ざけたいとは思えないのです。

 

 そんなわけで、これに関しては積極的諦め、といった具合に甘受していますにゃん。

 

「ミア様、あまり構うと引っかかれますよ」

「みゃぁん」

「あっ、ねこにゃん」

 

 ぴょん、とミアの手から逃げ、サーリャの胸に飛び乗るアリス。

 小さい猫くらいなら乗せられるサイズって凄いね。何がとは言わないけど。

 

「んー? アリス~、ブラッシングして欲しいの~?」

「ななぅーにゃん」

 

 なんとなく「おねがいにゃん」と(この世界の言葉で)言ってる氣がする鳴き声で、サーリャの頬におひげをこすりつけるアリス。おいそこ代われや猫。

 

「そうかそうかー。やっぱり女の子は綺麗綺麗してないとだよねー」

 

 そういえば、猫に話しかけるようになってから氣付いたけど、敬語を使わないサーリャは街娘風の喋りでした。私ともそっちで話そうよ。ねー?

 

「ん~ふふっふふ~」

「にゃー」

「あうぅ……ねこにゃん……」

「よしよし、ミア、おいで」

 

 ソファの、ミアの横に座り、その小さな身体を抱き寄せる。

 

「ほらーミアにゃんもかわいー」

「んゅ……えへへ」

 

 頭を包むように抱き寄せると、子供特有の細い髪が、首の辺りを撫ぜる。

 

 ミアの髪はさらさらでいい匂い。

 あ、ちなみにシャンプーもリンスもトリートメントも、貴族社会には既に存在しています。美容チートは始まる前から断たれていた。だがしかし私はなにもなんにも惜しくないです。全然、これっぽっちも。この至福の時間にはそんなもんゴミですよゴミ。うへぇ~。

 

「なぁぁぁぁん」

「ふふっ、ご機嫌ですね~。ここがいいのかっ、ここがいいのかっ」「うにゃ~」

「んゅー。おねえちゃま、いい匂い」

「そう? ミアもね」

 

 はー、極楽極楽。

 百分間耐久ミアを猫可愛がりの動画とか作りたい。

 数十秒のをループ再生じゃなくて、本当に百分収録したやつで。耐久の意味が違う。

 

「あ、猫の毛ついてる。もー」

「ふゅ?」

「仕方ありませんよ。ミア様も後で綺麗綺麗しましょ」

「うにゃぁぁぁん」

「ううん、私がする。いいよね、ミア」

「おねえちゃまがしてくぇゅの? するー」

「そうですか? ではお任せしますね」

 

 さて。

 

 この一ヶ月、魔法を使えるアリスとパジャマパーティして、わかったことがいくつかあります。

 

 ……その前にパジャマパーティってなにかって?

 

 アリスは、夜だけはいつもこの部屋に帰ってきて、変身を解いて少し私とおしゃべり(猫のままだと喋れないので)するの。それから、ここのベッドが大きくてお姫様みたいだから~……って、なぜかいつも一緒に寝てんの。そういえばサーリャの乱入防止にたまに魔法も使ってる~……みたいなことを言っていたけど……冗談だよね?

 

 朝は、サーリャがくる前にどこかへ行っちゃってるけど、豪胆すぎて少し怖いです。騎士団の人? に甘やかされて育ったんだろうなー……って思う。

 

 ……天蓋(てんがい)付きのベッドで寝てる時点で他人のことは言えないか。

 

 ピロートーク休題。違う。

 

 ともあれ、そんなこんなでわかったこと。

 

 ()……私には魔法が使えない。

 

 魔法を使えるか否かは、空間に満ちている魔素(まそ)であるところのマナに「触れられるかどうか」で決まるとのこと。よくあるRPGのそれのように、術者のMPを内燃し使うモノではないみたい。

 そしてこの、「触れられるかどうか」は、ほぼほぼ先天的に決まってしまい、後天的に、努力したり、自然とそうなるなどして魔法が使えるようになるケースは、まず無いとのこと。絶対に無いは悪魔の証明だけど、アリスもパザスさんも聞いたことが無いらしい。

 その上で、私に「マナに触れられる手」は無いとのこと。

 陽の波動云々は生命だか生命力だかの話で、魔法を使えるか否かの話とは、直接的な関連は無いとのこと。残念。

 

 ()……そのパザスさんですが、アリスと念話ができるらしい。

 

 念話とは、魔法を使えるもの同士でパスを繋ぐと、どんなに遠くにいても声を使わずに会話ができる能力らしい。つまり魔法使い同士限定の携帯電話のようなもの。便利でいいな。欲しい。魔法使いたい。

 アリスが私の所へ、ひいては人間社会へ、来ることにパザスさんが(最終的に)承諾したことには、これの存在が大きかったらしい。定期的に自分と連絡を取るならば許そうという話ですね。娘の寮生活に葛藤する父親かな?

 そんなわけで、アリスは時々パザスさんと念話で連絡を取り合っているらしいです。

 ちなみにその、パザスさんは、今は辺境をあちこち飛び回っているらしいです。フーテンの竜さんかな?

 

 ()……私を男性に変身させることはできないんだって。

 

 実は、アリスの術式は、変身ではなく幻覚に近いらしい。イデアより映る影を捻じ曲げてるとかなんとか。よくわかんない。アリスは今そこで本物の猫みたいにブラッシングされちゃってますけど、喉をゴロゴロいわせてご機嫌ですけど、あれが幻覚なのですかね?

 まぁ、つまるところ、変身中は常に術式を展開してる格好になるので、アリスのいるところでなら、一時的に変身のようなことは可能かもしれないけど、アリスから離れるとすぐにその術式は解除されてしまうとのこと。無念。

 ただ……呪い系統の術式なら、「ティナの生命力ならもしかしたら、寿命数十年分で効果が永続する変身が可能かも」とも言われた。数十年……正直二十年くらいまでなら払ってもいい氣はします。通常の寿命が七十年として人生五十年……敦盛(あつもり)でも舞ってれば呑めなくもない数字です。それって具体的には何十年?……と聞いてみたけど……アリスは呪い系統には詳しくないのでわからないとのこと。悩ましい。

 

 ()……アリスの出生。

 

 アリスが「面倒だから」と言って、なかなか話したがらないので詳細は不明だけど、人類VSエルフの戦争後、生まれたばかりだったアリスを育ててくれたのは、生き残った九星の騎士団のメンバー、その数人だったようです。何人かはルカのようにアリス達と対立してしまったのだとか。

 ただ……伝わる話だとリーンは戦争で、カイズも戦争後すぐに、この世を去ったといわれているが、どうもアリスに話を聞くと、それは違うようで、戦争後も、カイズとリーンは少しの間……アリスが物心付くくらいまで?……生きていたらしい。

 流石に親の死を語れとは言いにくいので、この辺りは聞けていない。

 

 ()……魔法を使うには魔方陣の発現が必須。

 

 九星の騎士団、猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。

 彼は謎の多い人物で、実は人間の魔法使いでもあったらしい。

 彼はそれを騎士団の仲間にも秘密にしていたが、リーンとカイズが結ばれたため、リーンに指摘されてしまったらしい。

 ただ、発覚する以前も、騎士団の誰もが「あんな神懸り的な回避と探知が氣を読むだけでできるかよ。あれは魔法だって」と思っていたらしく、誰もそれを意外とは思わなかったのだそうな。人類史の闇っ。

 ティアがしかし、それまで魔法使いであることを皆に確信させなかったのは……彼が魔法を使うには必須であるところの魔方陣(あの黒い鳥篭みたいなヤツ)を、一度も、皆に見せたことが無かったからなんじゃないかな……とはアリスの推測。

 そんなことできるの?……と聞いたところ、やり方はいくらでもあるのだそうだ。簡単な魔法なら最小の魔方陣で済むので、治癒魔法の時にアリスがそうしたように、服の中で発現(してたらしい。私のワンピースのスカート中で。おぃぃ)させればいいし、パザスさんがエアコン魔法でそうしてたように、見えないほど頭上に展開(してたらしい。この場合は、身長というか体長の問題で自然とそうなっただけなんだけど)させるという手もあるのだとか。

 高等魔法であっても、現在アリスが常時展開中の変身魔法でそうしているように、最初に編み上げた後はそのまま異空間に収納? してしまうこともできるんだとか。理解不能。

 

 ()……つまり魔法使いであることは人に隠せるんですね?

 

 猫『魔法使いにはバレるけどね。魔素の動きがわかれば、それは一目瞭然だから』

 みー『ほほう』

 猫『ママはティアが魔法使いであることを見抜いたでしょ? そういうこと』

 みー『あれ? でもティアってエルフの魔法使いと戦ったんだよね? 相手の魔法使いには見破られなかったの?』

 猫『だって戦ったのってエルフとでしょ? エルフにとっては魔法を使えることが常識なんだよ。人間の魔法使いは珍しいけどいないわけじゃないし、別に疑問も感じなかったんじゃないかな。戦闘中に指摘したり喧伝(けんでん)したりはしないでしょ』

 ……とかなんとか。まぁ、もう四百年も昔の、だから他界しちゃってるハズの人間が魔法使いかどうかなんて、どうでもいいか。

 

 ()……つーかリーンとカイズってなんで結婚してるの?

 

 敵同士だったのは確かなんだよね?

 それへ、アリスの答えはこう、『愛し合ったからに決まってるじゃん。……二人の最後は誰もあたしに教えてくれなかったから知らないもん』。

 えーと、なんちゅーかごめんなさい。

 

 ()……私はなんか領民からの人氣が上がっているらしい。

 

 まぁ竜にさらわれて無事帰ってきた女の子だからね。幸運の象徴的な扱いなんだとか。

 ……さらわれた時点で幸運じゃなくね?

 極一部ではティナ様ハァハァとか言われているんだとか。知りたくない。でもミア様ハァハァ言ってるド畜生がいやがったらそのクサレ外道の名前はこっそり教えて。

 

 ()……サーリャは時々私の服の匂いを嗅いでいるんだとか。

 

 ……見なかったことにしておやり。メイドの職分かもしれないし。

 でも下着に手を出し始めたらそれもこっそり教えて。

 

 

 

「おねえちゃま?」

「……ん」

 

 おっと、手が止まっていた。ごめんごめん。

 

 そういえば、竜がどこから現れ、私をさらったのかという話ですが、これはもう素直にサムシングレッド、ジレオード子爵の贈り物に封じられていたようです……と話してしまいました。

 

「ねー、ミア」

「んゅ?」

 

 だってそうじゃないと、私が魔法かなんかで召喚したんじゃないかって話になるし。

 

「おねーちゃんのこと、おねーみゃんって言ってみて?」

「おねーみゃん?」

「んー……ふはぁっ!」

 

 実際、取調べでもその辺りかなりきつく絞られましたからね。おっかない隊長さんに。

 

「どぉしたのー? おねーみゃん」

「のほぉっ!?」

「ティナ様、あまりふざけすぎないように」

「こ、これはかいしんのいちげきのこうかはばつぐんだぜぃ……」

 

 幸い、魔法使いというのは、先の()にもあった通り、生まれついてのモノですから……そういうモノであると広く知られていますから、私のように、幼少期にその(きざ)しが無い少女にかける嫌疑は、まぁ半信半疑といったモノになります。ごまかせました。いえ誤魔化すも何も私は無罪で純白なのですけれど。

 

「ごめんね、ちょっとした悪ふざけ」

「んー? へんなのぉ」

 

 それで、色んな意味で証拠の品となる宝石ですが、これは竜に持っていかれたことにしました。というか実際に持っていってもらいました。なんとなれば、淡いピンクで半透明の、水晶のような石に変わってしまっていたからです。

 

「うんごめん、やっぱりおねーちゃま、でいいよ。そっちも可愛いし」

 

 宝石から出てきたのは竜一匹、そういう話になっていますので、万が一の処置です。

 人間社会は魔法を排斥していますが、その研究までされていないわけではないのです。

 王族であるとか、おそらく侯爵家以上の貴族社会には、魔法に関するなんらかの研究が蓄積されているはずです。私はその辺りを恐れました。

 

「ゅ……おねーちゃま、って、そぅゅーの、かゎぃー?」

「可愛い可愛い、そう呼ばれると、抱きしめたくなる」

「みゅ……」

 

 竜といえば金銀財宝を収集するという伝説もある生き物、宝石を壊してしまったのは、事実パザスさん達ですから、ここは罪を被ってもらうことにしました。まぁ私をお屋敷まで無事送り届けてくれたお礼にあげた……という話にはなっていますが。

 

「おねーちゃ、ま……」

「はぅぅぅん」

 

 これも手がかりになるかも知れぬでな、かまわんぞ……とのことなので遠慮無く。

 

 血相を変えて飛んできた、王都召喚前のジレオード子爵には直接謝りました。面倒くさくなりそうなあちら側の謝罪を封じる意味でも先制して。

 

「ねーサーリャん……おねーちゃまが、とけてゅ?」

「ああそれはそれで大丈夫ですよ、そっとしてあげてください。十秒位したら戻ります」

 

 なおこの際、私の攻撃力を上げるため、そこは服とかお化粧でめいいっぱいおめかししたことをここに告白しておきます。屈辱! でもサーリャさんは大変に幸せそうでした。よかったね、だからお尻の傷について口を閉ざす私を、ことあるごとにどうにかして喋らせようとするのはやめておくれ。十日くらいで完全に消えたからいいじゃない。

 

「ゅ~……」

「はっ!?……ミアニウム風呂で幸せがメ●トスコーラ!?」

「サーリャん……」

「だ、大丈夫だと思います、それもきっと」

 

 それにしても、チートがぱねぇ(自分が可愛くなる服とかお化粧を、生まれつきなんとなく判ってるっぽい?)だったのか、それともサーリャの手技(しゅぎ)仕儀(しぎ)がやり手のソレだったのか、はたまた恋は盲目なのか、ジレオード子爵は、まぁなんだか最後には宝石? なんだっけソレ?……といった感じの、とても幸せそうな顔で帰って行かれましたよ。貴方はいい人だ子爵、お子様方と幸せにね。貴方のプレゼントですげぇことになったけど、まぁ色々で相殺しましょう。してください。被疑者取調べには氣張って行ってらっさい。まぁ証拠の品は無くなりましたし、なんとかなるでしょう。たぶん、きっと。

 

 まぁここのところは、そんな感じ。いい夢を見たぜ。話入った?

 

 

 

「ねー、サーリャ」

「いかがされました? お嬢様」

「討伐隊の人達を招いてのパーティとかってあるの?」

 

 あったら面倒だなぁ。

 

「……討伐隊の方に何か言われましたか?」

「……言われたというか、鼻で笑われたと言うか」

「……は?」

 

 まぁ正常な男性であれば、私めの平らな胸部になど興味はありませんよね。ぶっちゃけアリスの方がまだ膨らんでいましたよ。

 

 私を十と少しくらいの年齢から見初(みそ)めていたジレオード子爵が例外なだけで。

 

 大丈夫、言ったりしない、小児性愛者(ロリコン)がどうとかなんて。貴族社会には婚約者のいる年齢一桁の子供とかいっぱいいますし、子爵のそのノータッチ精神には前世の俺が敬服を抱いております。会うたびに手の甲にキスはされてるけど、まぁそれは典礼なので。

 

「ティナお嬢様の魅力に氣付かないとは、なんて不遜な」

「いや氣付かれても困るけど……じゃあもうあの人達とは会わなくてもいいかな?」

「と、思いますが……何とも言えませんね。次は私が付き添えたらいいのですが」

 

 事情聴取はひとりひとりで、ということで、サーリャへの事情聴取は私の前に済んでいました。私の時は男爵家の執事さん(名前はセバスチャンではありません)が付き添ってくれただけでした。なお彼は聴取の際、一言も話しませんでした。まぁ昔っからアレはそんな人間です。

 

「ちなみにサーリャの時はどうだったの?」

「何がですか?」

「鼻で笑われたりは……しないか、しないよね、うんない」

「……答える前に自己完結されちゃいました」

「うにゃん。うにゃん。うにゃん」

 

 私とサーリャが話してると、アリスが暇なのか、下から猫パンチしやがってますね……うん、たゆんたゆん。大きくなるたびに立体縫製でその部分をサイズ直ししてる私の苦労(は、チートのおかげであんまないけど)が報われるかような揺れ方です。もはやほぼ乳袋。

 

「……くす」

「なんか今笑ったでしょ」

「いえいえ、大丈夫ですよ、お嬢様はこれからです」

「これからどこがどうなるかはどうでもいいけどっ、その勝者の余裕にはひとこと言いたい氣持ちが無くもないっ」

 

 まぁでもようやっと今日も平和になりましたようで、大変に結構。

 ルカさんに尻を切られてからは、気持ちが大分沈んじゃってましたが、それもミアやサーリャのおかげでここのところだいぶ、上向きになってきたと思います。

 

 ホント、この平和が長く続けばいいなー……。

 

「ご心配いただき、ありがとうございます。大丈夫ですよ、慣れてますから」

「……それって遠慮無く見られたってことなんじゃ」

「さぁどうでしょう? 私の自意識過剰かもしれません」

「サーリャ、女の子は自意識過剰なくらいでいいんだよ? 私のチー……前……本能がそう言ってる。でもその氣配は男の前ではけして見せないこと。構ったと悟られたら逆に喜ばれたり、揚げ足を取られたりするからね?」

「はい」

「微笑ましいものを見る感じで笑っているけど私はマジだからね? 約束だよ?」

「くすっ……はい、お嬢様よりの戒飭(かいちょく)正着(せいちゃく)とし心に刻みます」

「……何語?」

 

 私の婚約者探しも、一旦事態が落ち着いてからということで、この一ヶ月と少しはやんでいます。ミアと戯れ、サーリャにお世話され、真夜中にはアリスとおしゃべり(念話だと猫のままでも話せるみたいだけど、魔法を使えない私とはパスを繋げないので)して、このところの私の心は、だいぶ安らいでいます。

 

 今日だけは色々あって忙しかったけど、それも(ようや)く終わった。

 

 しばらくはまた心安らかでありたい。心身さえ健やかであるならば、なべて世はことも無し。

 

 

 

 ふぅ。

 

 

 

 ……だったら良かったんだけどなー。

 

 コンコンコン。

 

 ミアのそれとは違う、傲慢そうなノックの音。

 

「入るぞ」

 

 ガチャ。

 

 好事魔多し。年度末は工事魔多し。

 

「げ……ボソ兄」

「……ボソルカン様、貴人の部屋にはノックの後、許しを得てから入室するものです」

「妹に貴人もクソもあるか。それと妹よ、今、兄を見て、げ、と言ったか?」

「にぃ、たま……」

「いえ、聞き間違いだと思いますよ」

「ふん」

 

 あーあーあー。もうそろそろ二十歳にもなる貴族のご子息様が礼儀知らずに。

 

 無遠慮に空けられた、レディの部屋のドアから入ってきたのは。

 

 私が、コイツにだけは死んでも愛想良くしてやらないと心の底から思ってる、下の兄、ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴードだった。

 

 ちなみに上の兄は結婚して領地のあちこちを飛び回っているけど、ここらの貴族の因習的に、次男は長男が死ぬまで結婚できない。

 だからこいつは(いえ)でくだまいてることしかできないお立場の人です。同情はしない。上の兄貴様にはぜひ長生きをお願いします。

 

 

 



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12話:ZM・ストレス展開貮齣落チ

「それで何用でしょうか、お兄様。女子の部屋に許しも無く入ってきたからには、よほどのことかと思いますが」

「余裕ぶるな、妹よ。また幼き日のように教育されたいか?」

「……」

 

 痛くない。

 心臓が跳ねたことなんて、痛くない。

 

「お嬢様の教育はご母堂様より私が一任されております。ボソルカン様のお手を煩わせるには及びませんよ」

「ふん。侍女は黙っておけ。(さえず)るなら俺の部屋へ来い、満足するまで鳴かせてやろう」

「な」

「……私の部屋で……下品な話はやめてもらえますか?」

「下品? あ? どこが下品なんだ? お前は賢いんだろう? もっとそこの下妹(したいもうと)にもわかるように説明してみせたらどうだ? あ?」

「ボソルカン様、お(たわむ)れになられては困ります。ご当主様に報告しなければいけなくなりますよ? お嬢様は、誘拐騒ぎからまだ心癒えてないのです。ご用件は何でしょうか? あまり長いとティナ様のお加減に障りますので、手短に済ませてください」

「ふん。二ヶ月も部屋に引きこもって、いい身分だな」

「……まだ一ヶ月と少し程度ですが」

「屁理屈を言うな」

「……はい」

 

 大丈夫。今感じているこの痛みは過去のもの。

 ここにはサーリャがいてミアもいる。

 この痛みは幻想。

 

 しっかりしろ俺。もっと辛い痛みを、俺は耐えたことがあるじゃないか……いや耐えてなかったか……あの頃も泣き叫んだしな。父さん母さん、心配かけてホントごめん。

 でも、今は耐えたことにしよう、少なくとも痛みでショック死することは無かったじゃないか。鎮痛剤とかのおかげかもしれないけど、俺は多臓器がぶっこわれてしまうまでは頑張って生きたじゃないか。それを思えばなんてことない。なんてことないんだ。

 

「俺からの話はひとつだ。俺は竜の討伐隊に参加することになった」

「……それが?」

 

 そりゃあお前は参加するだろう。なにかしらで手柄立てられる時を待望し、切望していたんだろうからな。手柄のひとつも無ければ、家でなんら発言力の無い次男だもんな。

 

 知ってるよ。

 

 お前がその立場にずっとイラついていたってことは。

 六つも歳が下の妹に、オラつくくらいにはイラついていたってコト、よく知っているよ。

 

「お前の不始末だ。何か言いたいことはないか?」

「……私にいかな責任があると?」

 

 でも誰だって好きなように、好きな身分に、好きな立ち位置に生まれてくるわけじゃない。好きな性別に生まれることも、健康な身体に生まれることも、自分の力ではどうしようもないことだ。だから、その怒りに共感はできても、同情はしない、できない。

 

 お前はもう、可哀相な立場で許されるほど、子供でも無垢でも、更正と謝罪の機会に恵まれなかったわけでもないんだよ。何度パパとママが、こいつを心配し叱ったと思っているんだ。何度私が、しぶしぶの、全然心から言ってない風の謝罪に、「もういいよ」と言ってやったと思ってるんだ。そのたびに逆恨みしてくるんだから始末におえない。もう謝れとも更正して欲しいとも思わない。だから私に関わらないでほしい。

 

「いかな責任が、だと? それが王国の軍に迷惑かけた奴の言うことか。不敬な非愛国者め」

「ボソルカン様、何度も申し上げている通り、先の件、お嬢様には何の過誤も無きことです。部屋でおくつろぎになっておられる際、唐突のことで竜害(りゅうがい)に遭われたのですから」

「どうだか。竜はお前の部屋をピンポイントで襲ったというではないか。その子爵すらも惑わす容姿で、竜をたぶらかしていたのではないか?」

「……」

「もしそうならお前は反逆者だ。待っていろ、俺がその証拠を見つけてきた時がお前の最後だ。股から口まで槍で串刺し、城下へと晒してくれるわ。せいぜいいい声で鳴くことだ。腹を殴ってやった時よりもな」

「おにーちゃま!」

 

 ミア……よせ。

 

「下の妹、お前に用は無い。いつまでの幼児のような言葉使いをしよって。お前のような愚者に構っていられるほど俺は暇ではない。まったく、この俺の姉妹がこのような不出来なものばかりとはな。そなたらを生んだ腹は、よほど前世で悪行を積んだとみえる。本当に俺と同じ種の子か? 悔しいよ、優秀なこの俺がもう少し早く生まれていれば、あの女の罪を暴いてやれたかもしれないのにな。業腹とはこのことだ」

「ご母堂様、いいえ、ご当主様にも何たる不敬ですか! いくらなんでも看過(かんか)できません!」

「ほう? 侍女風情が何とする?」

 

 サーリャもよせ……。

 君は騎士の家の娘だけど、実は戦闘に長けてるなんて設定は無いんだぞ。

 戦闘メイドなんてどこのファンタジーって話だ。王家の周辺にならいるかもしれないけど、ここは男爵家でサーリャはただのメイドだ。

 

 サーリャの戦闘力は、ぶっちゃけ私とそう大差はない。

 

 サーリャが騎士家の戦闘術で、私のはお嬢様の護身術……胸や下半身に這ってきた手の指を折るとか、後ろから抱きつくフリをし、頚動脈(けいどうみゃく)を締めて落とすとか……であるという違いがあるから、単純な比較はできないけど、どちらにせよ正式な戦闘訓練を修めているクソ兄貴に勝てるものではない。

 

 現実の戦闘は、筋力、そして体重という要素がかなり深く影響してくるからだ。

 更に双方無手……単純な格闘とならば、その開きは絶望的なモノになる。

 

 それに知ってるんだぞ、サーリャ……君が意外とダメ人間だってことは。

 

 せっかくここまで無かったことにしてあげていた、君のチビリが、またろくでもない事になってしまったらどうするの。

 いやだぞ私、メイドさんが憤死するのを見るのは。

 

 ……とかなんとか、頭の中はぐるぐる回るけど、ではどうしたらこの場を治められるのか、その肝心のことがまったくわからない。

 

 この兄の厄介なところは、前世の価値観でいえばイジメかっこ悪いな行為を、様々なハラスメントを、明らかに間違った理屈を、本当に、心の底からそれが正しいものと思っていることだ。

 

 悪い意味で、自分なりの正義を貫いている。

 

 正義で動く者に言葉は通じない。

 

 自分の行いは正しいのだから、それを遮る者、否定する者は全て悪……時にそういう仕組みで正義は動く。

 

 揺るがない正義とは、あらゆる「(おの)が正義を揺るがす真実と価値」を拒絶した先にある、確証バイアスの塊だ。

 

 自分は正義でいたい。だから自分にとって都合のいい真実と価値だけを集め続ける。

 

 そうしたモノでカチカチに固めてしまった正義は、もう何をも受け付けない。

 

 誰の言葉も届かない。己から見た悪が斬れるのであれば、どんな悲劇がこの世に創出されようが構わない。

 

 この兄は長男を憎んでいる。この兄は私達を産んだママを憎んでいる。

 

 その憎悪は理解している。痛感している。この身に刻まれてもいる。何度か説得を試みたことだってあるのだ……そこには恐ろしいまでの虚無しか無かったし、そもそも、お前が俺様に言葉をかけることさえ不敬なんだよと、暴力で返される。

 

 スカーシュゴード男爵家の中で、己の存在意義を脅かす者は、彼にとっての悪であり、何をしてもいい存在なのだろう。

 

 それがクソ兄貴の正義だ。

 

 誰になんと言われようが、それはもう彼の中では揺るがない。もしかしたら様々な経験の果てに揺らぎ、変わることはあるのかもしれないが、今、掘り起こしてクソ兄貴を変心させることのできる何かなどありはしない。あったところで「悪に認定されている私」が何を言っても無駄だ。正義は悪に屈しない。屈しないために、ありとあらゆるモノでその身を固めているのだから。

 

 だから言葉は通じない。

 

 言葉が通じないとならば……これはもう、別の手段でどうにかするしかない。

 

 でも……どうにかって、どうによ?

 

 武力、実力行使では勝てないと思ったばかりじゃないか。

 

 だからそれ以外を探って、「自分にとって都合のいい理屈以外は拒絶する」クソ兄貴のパーソナリティに絶望したんじゃないか。

 

 だからどうするのよ。何をどうしたらいいのよ。

 

 どうすればいいか。

 どうしたらいいか。

 

 ……どうしてきたか。

 

 ああ。

 

 ああ、そうか。

 

 眩暈(めまい)がするほど、簡単だった。

 

 俺が大人になればいい。

 少なくとも前世の俺は、今のコイツよりも年上だった。

 子供の癇癪(かんしゃく)くらい、受け止めてやればいい。

 

 そう思って、ずっとずっと顔も腹も、背中も手足も、ぶん殴られて、ぶん殴られ続けて、蹴られて、蹴り続けられて……そんな仕打ちに、ずっともう耐え続けてきたじゃないか。そうだそれでいい。こいつはクソガキのまま成長してしまったロクデナシだ。

 

 私への暴力で済むならそれでいいんだ。

 

「お兄様、こたびは私の不始末で迷惑をかけることになってしまい、申し訳ありません」

「お嬢様!」

「いいの。サーリャ。黙って」

 

 サーリャやミアに……手がでることだけは避けなければいけない。

 

「ほう? 少しは判っているようではないか」

「本当に申し訳ありません。その上でお兄様のご武運、お祈りしています。どうかよき手柄を立てられますように」

「はん。白々しい」

 

 ああくそ、じゃあどうすればいいってんだよ!

 

「誠意が足りないんだよ、お前は。服を脱いで土下座して見せるくらいのことはできないのか?」

「……はぁ?」

 

 なんだよそれ。

 

 土下座まではまあいいとして……いやあんま良くないけど、謝罪しろってんならそれもまぁわからなくもない要求だ。

 だが……裸?……さすがのコイツでも、妹に性的な要求や暴行をしてきたのは、これまで無かったのだが……。

 

 でも……別に、いいのではないか?

 

 私はどうせ俺だ。

 

 だかが俺程度の裸、それで済むなら構わないのではないか?

 

 さすがにそれ以上求めてくることはないだろう。それ以上はクソ兄貴の確証バイアスの塊、狂った正義でさえ、言い訳のしようのない逸脱行為だ。クソ兄貴が、狂ってはいても、こいつなりの正義で動いているというなら、俺の裸に求めるのは、つまりその貧弱さをせせら笑う程度であろう。

 

 それくらいなら……別に……。

 

「ボソルカン様。さすがにご無体が過ぎます! これ以上お戯れが過ぎるのであれば、即刻ご当主様に言いつけに参りますよ!」

「おっとぉ。お前は使用人の分際で、主とその妹を置いて逃げるのかな?」

「きゃっ!?」「おい!」

 

 やばい。サーリャの腕が掴まれた。

 クソ兄貴の暴力への閾値(しきいち)は低い。抵抗できない人間を痛めつけるのが大好きで、ブレーキはとうの昔に壊れている。そうとしかいえない人間であることは私が……私の肉体が一番よく知っている。

 

 男爵家のボンボンとはいえ、それでも一応、日々兵士達の中に混じって鍛錬をし、筋肉をつけている。この部屋にいる人間に、腕力でクソ兄貴に抵抗できる者はいない。だからサーリャだってその腕を振り払えないでいる。

 

 禍々(まがまが)しくクソ兄貴の唇が歪んでいる。

 あれは抵抗できないものを捉えた時の顔だ。

 嗜虐欲が嫌らしい表情となって表れてきたその顔だ。

 

 やばい、このままじゃサーリャが……。

 

 心臓が痛い。

 

 思い出す。

 

 殴られた瞬間の鋭い痛み。腹に、内臓に、肉に残る鈍痛。蹴られて転がる自分の軽い身体。胃酸がせりあがってきて、それに喉を焼かれる不快。

 

 違う!

 

 思い出すな! そんなモノ!!

 

 動けなくなる、今それを思い出すのは悪手だ。

 

 だけど眩暈がする。心臓が制御できない。鼓動がうるさい。

 現実を見ろ、どうにかしなければ。

 考えろ、考えろ。

 

「……いい……でしょう。裸で、土下座したなら、帰って……くれますか?」

「お嬢様!?」

 

 うるさいうるさいうるさい。

 プライドとか意地とか、そんなものは捨てろ。

 今の私は腕力も権力も無い、魔法も使えない、役に立つチートひとつ持ってない無力な人間なのだから。

 

 それでも何かを守るなら……何を捨てても、それを成さなければならない。

 

 なら、私の土下座も……裸も……安いモノだから……。

 

 自分の手が、ゆっくりとワンピースの襟へと伸びていく。

 

「おっとぉ? 思っていたよりきちんと反省しているようだな。いいぞぉ、お前が裸でキッチリ土下座するなら、無論許そうではないか」

「いけませんお嬢様! お嬢様がするくらいなら私が……っ!」

 

 ぞくりと。

 

 悪魔が微笑んだ氣がする。

 

「いっ……痛いです、ボソルカン様!」

 

 サーリャが掴まれている腕……それが、掴まれているその部分が、クソ兄貴の興奮を示すかのように、深く、握り込まれていた。

 

「ほう。そうか、そうだな、主人の罪は部下の罪でもある。ならばお前が裸で土下座してみせるがいい」

「てめぇ……最初からそれを」

 

 しまった。

 

 クソ兄貴は最初からこれを狙っていたんだ。

 

 裸で土下座というそれを、最初から狙っていたのかはわからない。だが、この家でもっともアナベルティナ寄りの態度と行動を示してみせるサーリャをこそ……この二年間、クソ兄貴の「お楽しみ」を邪魔しまくったサーリャをこそ……今回は狙っていたんだ。

 

 そこに性的な欲が、どれくらい混じっているのかは知らない。そういうのが理解できる頭は前世に置いてきた。だが少なくはないだろう。クソ兄貴が、サーリャを見る時、嘲るようにしながらも、その視線が胸元や下半身を舐めてばかりだったのを、私は知っている。そういう視線に、敏感な性に、なってしまっていた。

 

 マズイ。

 

 私へのそれとは違い、サーリャへのそれは、きっとクソ兄貴にとっての逸脱行為にはあたらない。ヤツにとってのサーリャは、悪(私)の手下なのだから。何をしてもいいし、そうすることが正しいと、いくらでも思えてしまうのだろう。

 

 それに……サーリャのあの見事な肢体を生で見て、クソ兄貴にブレーキがかかるのか?

 

 ……ヤバイヤバイヤバイ!

 

「どうした。自分から言い出したことだぞ。愚妹(ぐまい)の代わりに謝罪するのか、しないのか、ハッキリしろ」

「……こたびの件、いくらなんでも行きすぎです。ご自覚はありますか? 私は必ず言いつけますよ?」

「ふん。下女の妄言(もうげん)など大事も無いさ。俺は出兵を前に身が(たぎ)っておってな。裸で土下座しないというなら(とぎ)でもってその代わりとしてもいいのだぞ? 戦に出向く男の精進落としもまた、女の役割であろう」

 

 精進落としは出向く時じゃなくて帰ってきてからだよ!……くっそ、そんなことはどうでもいい、この世界のそれに相当する日本の風習なんか思い出しても今は役に立たない。知識チート? この場で何が役に立つってんだ。

 

 一瞬、ミアの方に目が行ってしまう。その瞳は潤み、今にも泣きだしてしまいそうだった。

 

 ……くそっ!

 

 どうして今私はミアを見た! 妹に一縷(いちる)の望みをかけようとするだなんて情けない。ミアは私やサーリャ以上に無力な子供。守るべき存在で、頼る相手ではない。

 

 どうにかしなければ。

 私がどうにかしなければ。

 

 俺がどうにかしなければいけない。

 

 ここで一番の年上は、本当は私で、俺だろう。

 だから私がなんとかしなければならない。サーリャを、ミアを、私を好きな人が、私が好きな人が傷付かないように。

 

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 

 頭が真っ白だ。

 

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 

 心臓だけがうるさい。

 

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 

 サーリャが何かを決断したような顔になる。

 

 いやだ! こんなのイヤだ!

 

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 

 クソ兄貴が、勝利の確信をしたかのように、嫌な笑顔を浮かべてサーリャの手を離す。

 

 そしてサーリャが、どうせなら勢いよくと覚悟を決めた顔で、その服、私が縫ったメイド服に、自由になった手をかけようとして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんぎゃああああ!!」

「ひ!?」

 

 醜悪な絶叫と、短いサーリャの悲鳴にハッとなる。

 

「な、な、な!……ぐぎゃお!?」

「きゃっ!」

 

 サーリャがクソ兄貴の近くから、跳んで逃げる。

 

 と。

 

「うぎゃあああぁぁぁ!!」

 

 ぼんっ!……と。クソ兄貴の髪が燃え上がった。

 

「ぎゃあぁぁぁ!!」

「何が……っ」

 

 わき腹にぬるんとした感触を覚え、その方を見る。

 

「にゃぁあぁん」

 

 アリス。

 

 アリス!?

 

 いつの間にそこへ入り込んできていたのか、アリスが私のわき腹に、猫の身をこすり付けていた。

 

 ……その意味!

 

「っ!」

 

 魔法陣は!?

 

 周りを見渡すが、どこにもない。

 だがこれは、アリスの魔法だ。

 

 人間社会では禁忌とされる魔法の力だ。

 

 魔法陣は……ベッドが少し振動している。なるほど! 天蓋の上!

 

 考えろ。

 

 もうこれで解決?

 

 そうじゃない。そんなわけがない。

 

 アリスの力は表沙汰にしていいものではない。

 アリスはベッドの上に魔法陣を出している。隠そうという意思がそこにある。

 ならばそれに応えなければいけない!

 

 クソ兄貴に知られたら何もかもが終わる!

 これはヤツにとって、ヤツの正義にとって滅茶苦茶都合のいい真実だ!

 

 事態は変わった。アリスのおかげで対処すべきポイントがずれた。

 単純な腕力という、ここにいる三人では対処できない問題は解決した。

 

 だからこそ、この後始末は私がどうにかしなければいけない!

 

 自分の息が荒くなっていくのが判る。

 目が、首が、情報を追う猟犬のように動く。

 

 サーリャは? よし、絨毯に腰をつけて、クソ兄貴の方を見て呆然としている。

 ミアは? やばい、私とアリスの方を見ている。

 

 ミアは……誤魔化せるか? もしくは秘密の共有者に巻き込むか。

 時間が無い。決断しなければ!

 

 部屋にある様々なものを確認。

 そうしてまずはベッドの方へ走る!

 トコトコとアリスがついてくる。

 

「うぎゃああ! 俺の髪が! 髪が!」

 

 絨毯に頭をつけ、のた打ち回るクソ兄貴に、ベッドの脇にあった水差しを投げつける。

 

「ぐぎゃ!」

 

 ヒット! クソ兄貴の頭に、水差しに若干残ってた水がかかり、火は勢いを弱め、消える。

 

「おいクソ兄貴」

「な……」

「火のついたランプオイルをぶち当てたくらいで、てめぇの頭はよく燃えるなぁ?」

「な……な、な」

 

(おいっ! 火はわかるけどその前にコイツが絶叫したのは何だ!?)

 

 猫に囁くが、当然答えは返ってこない。

 

「ぐがっ!!」

 

 だがその代わりに、ハゲ頭になったクソ兄貴がよろめいた。

 ……部屋の入り口の、脇にあった花瓶が飛んできた?

 これがアリスの答え?

 

 挿してあったクロッサンドラが床に散らばっている。

 

 くっそ、憶測とハッタリで動くしかないのかよぉ。

 

「兵法はまず地の利を活かすことから。てめぇはよぉ、この部屋が誰の部屋かわかって入ってきたんだろうなぁ!? 昔にも味わったろぅ!? 罠にかけられる屈辱はよ!!」

 

 なんかチンピラ口調だけど、人を威圧する喋りなんて他に知らないもん。日本語ならもっと別の表現もできるけど、この世界の言葉だと、目の前のクソ兄貴を真似たこの口調しか知らない。

 

「なっ……貴様、兄にこんなことをして……ぎゃっ!」

「おっとぉ。そんなところに突っ立ってていいのかなぁ? なんせこのところ暇だったからなぁ? 自分の部屋に細工するくらいしかやることが無くてなぁ!!」

 

 あぶねぇぇぇ。合図してくれよ!

 

 なんか視界に動いたのが見えたから、手をそれっぽく、ナニカを引っ張ったふりをしたけどさ!

 今じゃもうサーリャの視線もこっちに向いてきている。ここからは、もっと上手くやらなければいけない!

 

「ほらほら、今立ってるそこの床がいきなり消えるかもしれないぞ、シャンデリアが落ちてくるかもしれないぞ。おっとそこを越えたら、棚から矢が飛んでくるかもしれないなぁ」

「……貴様、何をしているかわかってるんだろうな!!」

 

 ずくん。

 

 心臓が鈍く跳ねる。

 

 クソ兄貴の睥睨(へいげい)が物理的圧力となって、私へと覆いかぶさってくる。

 

 それはトラウマ、もしくはPTSD。

 

 そういうものが、私の身体には埋め込まれている。

 幼い身体を傷付けられ、その傷痕に埋め込まれた、蛆のような何か。

 それがじゅくじゅくと肌の下で(うごめ)いている。

 

「そっちこそ!」

 

 だが跳ね返す!

 

「ぎゃあ!」

 

 よし! 今のはナイスコンビネーション!

 なんとなく背中のアリスへわかるように手を掲げ、振り下ろした。

 それに合わせて、アリスはシャンデリアをクソ兄貴のまん前に落としてくれた。

 

 クソ兄貴は腰を抜かしたように尻餅を付く。

 

 トラウマ? PTSD?

 

 幻想だ。幻想だと思え。

 

「レディの部屋に無理矢理押し入っての狼藉三昧(ろうぜきざんまい)。男として恥ずかしいとは思わないのか!!」

「き……さ……ま……」

 

 心臓の鼓動が早い。

 身体に刻み込まれた痛みの記憶が、寄生虫のように肌の直下を(うごめ)き、(うず)く。

 だけどこれは幻想。今は過去のもの。今は今だけを見ろ。成すべきことを成せ。

 

 人は、腕を失うと、あるはずのない幻の腕が痛み、苦しむという。

 

 痛みを感じる器官、神経の張り巡らされた肉は既にそこには無い。それでも痛みは実際に存在する。その痛みは上肢、あるいは下肢を失った患者を苦しめる。

 

 それは確かに実在する痛み。幻肢痛、ファントムペインなどと呼ばれるモノだ。私は、俺は前世で、それに苦しむ患者を見た。幻でも、実際に痛いのだから仕方無いと泣いていた。

 

 この痛みを緩和する治療法のひとつに、ミラーセラピーがある。

 

 失った腕のあるべき場所に、失ってない方の腕を鏡で映して、その鏡像を見ながら自分の意思で失ってない方の腕を動かし……まるでまだそこに自分の意思で動く腕が存在しているかのように……自分の脳に思い込ませる。

 

 脳科学の分野なのか、精神医学の分野なのか、それが人体のどういった機構に働きかけ、結果を出す医療行為であるのか、専門家でない私にはわからない。

 

 それが全く効果を示さない症例もあるだろう。

 

 だけどわかることがある。

 

 幻の痛みってのは、嘘、まやかし、思い込み……そういうモノで打ち消すことも、可能だってことだ。幻は幻に帰す。嘘は嘘に還る。

 

 これは。

 

 だから。

 

 思い込むだけで。

 

 消すことができる 痛 み な ん だ !

 

 そう強く思うと……肌のじゅくじゅくが、少し治まった氣がした。

 

 思い込みかもしれない。

 

 だけど思い込みでいい。

 

 ああそれでいいんだ。

 

 嘘だろうが幻だろうが、このじゅくじゅくが、消えることこそが重要なんだ。

 

 サンキュー、誰とは知らない前世のお医者様。

 患者の氣の迷いと、切り捨てても良かったはずの愁訴(しゅうそ)と、真摯に向き合おうとした最初の誰かに、ありがとう。

 

 これも、現代知識チートっていうのかな?

 

 はん、こんなところで初めて、転生者らしいことをしてしまったぜ。

 

 さあ実践だ。

 

 さあ実戦だ。

 

 この吐きそうなほどの眩暈と疼痛(とうつう)は!

 

 だから打ち克つことができるんだよ!

 

 押し切れ!

 

 勢いを付けろ! 理論や理屈なんて、いくらでも飛躍させてしまえ!

 

 私はこのクソ兄貴に克てる! もう勝てる!

 

 その幻想で、過去の幻想を(おお)いつくせ!

 

 帰れ! 幻に!

 

 還れ! 嘘に!

 

 私の幻想に飲み込まれろ!

 

 とにかく今は勝てると思い込むんだ! 無理でもなんでも押し通すんだ!

 

 両腕をクロスさせるように下ろす。

 

「ひっ!」

 

 両脇の壁方向から何かが飛んでくる。

 

 ダツっ……という音がして。

 

 床に腰を着けていたクソ兄貴の、股間数センチ前に、何かが刺さった。

 

 ひとつは……私の刺繍セットの針ではないですか。やめてよ、まだ使うんだから。

 もうひとつは……蝋燭の燭台ですね。それならいいや。

 

「私は男爵家令嬢、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード! 卑劣な男性の暴力には屈しません!」

 

 ……あ、やべ、なんかくっころ展開の前振りみたいになったぞ。かっこつかねー。

 

「き」

「き?」

 

 だが幸い、これは薄い本とかなんかそういう十八禁コンテンツではなかったらしく。

 

「貴様! 覚えていろよ!」

 

 とても、頭の悪い三下なセリフを吐いて。

 

「てめぇこそ今の自分の姿! 覚えておけ! クソ兄貴!」

 

 クソ兄貴は部屋から逃げていった。

 

「……は」

 

 腰が、勝手に床へ……へたり込む。

 

「は、は、ははは」

 

 心臓がずくんずくん脈を打つ。

 

 耳がキーンとしている。

 

 全身が、トンネルを超高速で通り抜けてしまったかのような感覚。

 

「てぃ、ティナ様、いかがされましたか!?」

 

 息ができない。

 

 視界が明滅する。

 

 永遠に落ち続けているかのように、永遠に昇り続けているかのように、視界が縦に回り、それが止まらない。

 

「怖い……え、なにこれ滅茶苦茶怖い」

 

 十秒前には予期してなかった、だけど興奮状態で今の今まで氣付いていないだけだったかもしれない身体の異常に、涙がでてくる。

 

 クソ兄貴はもう去ったのに。

 恐怖の源泉はもうここにいないのに。

 

「お、お嬢様……」

「にゃぉおおおん」

 

 だめだ、クソ兄貴はまだ帰ってくるかもしれない。

 やめろ、待てってば、私はまだいける。俺はまだ……。

 

 視界がホワイトアウトしていく。

 

「いひ、すへなひ……。サー……リャ、た、ふ、へ……」

「ティナ様!?」

「なぉぉおん!?」

 

 だけど、意に反して私の身体は、私の身体からは、何かがどんどんと抜けていく。抜けていってしまう。

 胸の痛みが、もう肺なのかどこなのかわからなくなるほど広範囲にへばりついている。

 

 それは前後から私を平べったく圧搾するかのような痛みで、なんとなく本能的に思ったのは、横隔膜が機能してないということ。それが正しいのか、そうでないのかはわからないけど、とにかくまともに息が吸えなくて苦しい。

 

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。

 

 全身が重くなり、倦怠感などという言葉では言い表せないような凄まじい重圧が、私に圧し掛かる。

 

(チクショウ……最後までかっこつけさせろってんだ……)

 

 急速に、失われていく、私の意識。

 

「おねぇちゃーーーん」

 

 なぜか、おねえ「ちゃま」ではないミアの絶叫を耳に焼き付けながら。

 

 私は。

 

 

 

 意識を。

 

 

 

 手放した。

 

 

 




 そこに(のち)の悲劇へ連なる『ナニカ』があった。

 それも確かに『真実』だ。

 確に、この事象もまた、本来の『動き』に似ている……。

 しかし……本来起こる『真実』に到達することは決してない!

 ワタシの前に立つ者は! どんな『シリアス』であろうと絶対に! ブレイクする!

 これが……。



 ゾンザ・E・レクイエム!


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13話:アナベルティナ三歳~十一歳

 (いち)(こく)『十年前 ~ティナ三歳~』

 

 転生なんてするんじゃなかった。

 

 どうして俺はこんな痛みの中にいるんだろう。

 

「■■■■■■■!! ■■■■!!」

 

 楽しそうに、自分の身長より何倍も大きい少年が、俺の腹を蹴る。

「ぐっ……」

 小さすぎる俺の身体は、ごろんごろんと石畳の上を転がる。

 

 一年前、この世界の父親(と上の兄)が戦争に出兵してから始まった、下の兄からの暴力。

 最初は苛立ちをぶつけるかのようだったそれは、回を重ねることによって、やがて(くら)い悦びの氣配を帯びるようになっていった。

 この兄は暴力を楽しんでいる。

 今では殴る蹴るの合間、ずっと微笑を浮かべていることすらあるくらいだ。

 

「■■■■!! ■■■■■■■!!」

 

 髪を引っ張られ、無理矢理起こされる。

 床を転がった時に、まぶたでも切ったのか目に血が入ってくる。

 

「■■■? ■■■■■■■!!」

 

 (あざけ)りの氣配。言葉はわからないが、侮辱されたんだと思う。

 はっ……なにいってっか、わっかんねぇよ……。

 

「うぎっ……」

 

 拳が下っ腹にめり込む。

 

「げっ……がっ……」

 

 胃から何かが逆流してくる。

 慣れた風に、下の兄はそんな私を突き飛ばした。

 

「げっ……ぐっ……げぇぇぇ……」

 

 壁にぶち当たり、崩れ落ちながら嘔吐する。

 また服が汚れてしまった。

 

 これが最近の……俺の日常だ。

 

 俺だって、この状況をなんとかしたいと……思わなかったはずがない。

 

 最初の一回で、腕力で反撃は無理と痛感した俺は、ならば罠だと落とし穴を掘り、高いところに固いものを置き、いつも殴られる腹に、針を立てた板を仕込んだりしてみた。

 

 罠、それ自体は、まぁ成功した。

 

 頭の悪い下の兄は、あっけなく落とし穴に落ちたし、棚の上から落ちてくる鍋やハンマーでたんこぶを作った。殴ったその後に拳を抱えてのたうち回ったりもした。

 

 ……だけど俺は……私は、この兄の妹で、同じ屋敷に住んでいて、つまり……仕返しからは逃れられない環境にいた。

 

 落とし穴に落とした後は、しばらく遭遇するたびに階段から突き落とされた。逃げても追いかけられ、つまみあげられ、そうしてやっぱり落とされた。

 たんこぶを作ってやった後は、樽に閉じ込めれ、汚物や名前を言いたくもない虫を大量に放り込まれ、そのまま執事の人に助けてもらうまで、何時間も放置された。

 腹パンにカウンターしてやった後は……その板に立ててあった針を折られ、それを爪の間に捻じ込まれた。

 

 いくらなんでもこれは酷すぎる。

 

 俺は、この世界で私を産んでくれた母親のところに直訴しに行った。

 まださほど言葉は喋れなかったけど、なんせ証拠が身体のあちこちにあるのだ。

 身振り手振りを交えて、下の兄の暴虐を訴えた。

 

 母は動いた。

 執事を連れ、下の兄にわが子への暴行をやめるよう、直接赴いたのだ。

 

 ()わされた言葉は、よくわからなかった。

 

 その時は、生まれた家の事情を何ひとつわかっていなかった。

 

 例えば兄二人と私の母親には、血の繋がりが無いということ。

 例えば母は後妻であり、実家の身分もあまり高くないんだということ。

 

 そんなことは、もっとずっと後で知ることだった。

 

 だから、俺にわかったのは、下の兄、執事、母、それぞれがどんな表情を浮かべ、どのように喋ったのか……それくらいのことだった。

 

 下の兄は、執事へ居丈高になりながら、母をずっと嘲るように煽っていた。

 

 母は、最初こそ子を叱ろうとした母親だったが、やがて下の兄の言葉に何も言い返せなくなっていった。

 執事は、渋い顔でずっとそんな二人を見ていた。

 

 俺は悟った。

 この母も、執事も、下の兄に逆らえる立場ではないのだと。

 

 それを理解してからは。

 

 私は暴力に反抗することをやめた。

 

 

 

 次に採ったのは無抵抗主義だった。

 

 ……まぁどこかの偉人がやったみたいな、そんな高尚なもんじゃない。

 

 いじめっ子を楽しませないよう、なるだけ反応しないように、しかし逆らわず暴力の嵐が去るのを待つ、学校や社会の片隅なんかには時々存在する……いじめられっ子ムーブ。

 

 後ろ向きだ。

 

 果てしなく後ろ向きだ。

 

 だけど……じゃあどうしろっていうんだ。

 

 最初はお城の武器庫に忍び込み、対抗するための武器を持ち上げようとして、二歳の女児に大人用の武器は扱えないという、あまりにも当たり前の事実に絶望した。

 

 それでも抵抗できる力を求め、魔法を使いたい、魔法を使いたいんだ、もう魔法しかないと……読めもしない書斎の本棚を漁ってみたこともあった。

 

 だが当然のことながら、魔法に関する本は、実は日本語で書かれていたとか、マンガで描かれていて俺だけが読めたとか、そういう奇跡は無く、まずはこの国の言葉を覚えなければ話にならないという結論しかでなかった。

 

 マジックアイテムの存在を知った時には、小躍りするほど「これだ!」と思ったものだが、すぐにそれが男爵家程度では手に入れられるモノでは無いと知り、それはもう、一旦期待した分、どん底まで落とされ、武器庫へ忍び込んだ時よりもっと、深く深く絶望したものだ。

 

 まだやれることがあるだろうって?

 

 家出?

 

 ああ家出ならしたさ。すぐ執事によって連れ戻されたけどな。七回くらいやった後で、これも無理だなって諦めたよ。チクショウあのサラリーマン執事め。

 

 父方でも母方でもいい、祖父母はどうしたのかって?

 

 父方の祖父母は、私が生まれた時には既にいなかったよ。

 だからパパが男爵をしているんだし。

 

 母方の祖父母は、二歳児の足じゃ到底辿り着くことのできない遠くに住んでいる。

 いや……初めては八歳の時だったか、もう少し成長してから訪れた時には、馬車と篭で三日の距離だった。距離的には、アスファルトで舗装された道でもあれば、車で一時間もかからないくらいなのだろうよ。

 

 だけど途中に山道があり、道の無い道もあり、そもそもママに、おじいちゃんとおばあちゃんはどこにいるの?……と聞いても、幼子の私には寂しそうに笑うだけで、何も答えてくれなかったのだ。

 

 この辺りはまた複雑な事情があるのだけど、ともかく、父方の祖父母にも母方の祖父母にも、幼子の私は全く頼れなかった。

 

 まだあるだろう? 自殺?

 

 誰がするかよ。

 

 この暴力は父親が戦争に行ってから始まったものだ。まだ希望はある。戦争が終われば父親が帰ってくる。そうしたらまた何かが変わるはずだ。

 だから耐えろ……もう少しだ、もう少しできっと戦争は終わる。

 

 そう、心を強く保とうとしても。

 

「■■■■■■■■■!! ■■■■■■■!!」

「ぎっ……やぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 こんな風に、嘔吐してるその身体を折るように踏みつけられたりすると。

 どうしても思ってしまうのだ。

 

 転生なんかするんじゃなかったと。

 

 

 

 

 

 

 

 ()(こく)『八年前 ~ティナ五歳~』

 

 弟か妹が生まれる。

 

 仮に妹だとしたら、きっと母は哀しむことだろう。

 貴族の妻というのは、まず男児を産んでこそ認められるモノだからだ。

 初子が私、女の子だったから、次の子も女の子となると……それはきっと、母の貴族の妻としての地位を……大幅に下降させるのだろう。

 

 弟だったら……私の価値が今以上に下げるだけだけど。

 

 そこまで冷静に考えて、思う。

 

 この世界は、どうしてこんなにもくだらないのだろうか。

 

 一年前、父が戦争から帰ってきた。

 私の惨状を、その目で見た父は激怒した。

 

 期待した通りに、しかしあまりにも遅すぎた二年の果てに、父は(ようや)く激怒してくれた。

 

 本当に……この世界はどうしてこんなにもくだらないのだろうか。

 

 毎日のように繰り返されていた暴力は止んだ。

 下の兄は、根性を鍛え直させるといって兵の訓練所送りにされた。

 

 そんなわけで、この一年は大体平和だ。

 

 くだらない。

 

 大きな家の中で、腫れ物のように扱われる私は孤独だった。

 

 くだらない。

 

 父が帰還してより数ヶ月、母が妊娠した。

 

 なにを盛ってやがるクソ親どもが。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 母のお腹はどんどん大きくなっていった。

 

 なにもかもがくだらない。こんな世界に生れ落ちてくる命は不幸だ。

 

 父と母が幸せそうだ。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 本当にくだらない。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 なにもかも死ねばいいのに。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 くだらない。

 

 なにもかも消え去ってくれればいいのに。

 

 この世界の全てがくだらない。

 

 たまに帰省してくるクソ兄貴が陰湿ないじめを仕掛けてくる。

 

 どうしてこの世界はこんなにもくだらないことに満ち溢れているのだろうか。

 

 母のお腹は今にも破裂してしまいそうなほど大きくなっている。

 

 どうしてこの世界はこんなにもくだらないことに満ち満ちているのだろうか。

 

 

 

 ……そうして、産声が聞こえた。

 

「ほら、貴女も抱いてあげて。貴女の妹よ」

 

 それは幸せそうな。

 

 子供の性別なんて何も氣にしてなさそうな。

 

 上氣した顔で、本当に幸せそうに笑う……くだらなかったはずの母親から……その小さな命を……預けられた時。

 

 一年間、いつもいつも、朝から晩まで、ずっとずぅっと呟いていた呪詛が、私の中からすぅっと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 (さん)(こく)『五年前 ~ティナ八歳~』

 

 下の兄が帰ってくる。

 

 三年間、真面目にやっていた……かは知らないが、軍隊で鍛えられた兄が帰ってくる。

 

 パパとママは甘い。

 

 アイツにとって暴力は娯楽だ。

 自分より弱く、抵抗できないモノをいたぶるのが好きで好きでたまらない……アレはそういう人種だ。

 根性を叩き直す? 無理だよ、あいつの嗜虐趣味は地金なんだから。

 

 もしかしたら、その趣味を育ててしまったのは私だったのかもしれない。

 だけど責任なんか感じない。どう考えても私に非は無いのだから。

 

 そこは、転生して素直に良かったと思えることだ。

 

 虐待された子供は、悪いのは自分と思い込みがちなのだそうだから。

 

 そんなわけない。

 

 そんなわけないじゃん。

 

 妹は、ミアは三歳になった。

 

 それは無抵抗でアイツの嗜虐趣味に付き合ってやったあの頃の私と、同じ年齢。

 アイツの呪われた成功体験が(うず)くかもしれない。

 

 だがそんなことはさせない。

 

「ねーちゃ?」

「んー? どうしたのミア?」

 

 相変わらず魔法は使えない、マジックアイテムも手に入らない、少し体は鍛えたけど、二次性徴前の少女の身体では限界がある。ましてや相手が軍隊上がりの十四歳ならなおさらだ。全く嫌な中二病だぜ。

 その代わり、チートを駆使して、自分が貴族令嬢として有能であることは、この三年間で証明してきた。パパとママの覚えもいい。

 

「ねーちゃ、こわいかぉしてゅ」

「んー? そう? それはねぇ……ミアのこと、食べちゃいたいからだー、がおー」

「ひゃ……もー、ねーちゃ、ふゅぅ~」

 

 だから覚悟しよう。

 

 それでも私にできることは少ない。

 

 パパとママに、多少貴族令嬢としての価値を認めてはもらえた分、アイツだってすぐにそれとわかる痕跡を残すことは避けるだろう。

 

 もしかしたら、私の身はクソ兄貴の姿を見ただけで震え、何もできなくなってしまうかもしれない。染み付いた恐怖が、私を動けなくするのかもしれない。

 

 それでも引くことはしない。

 ミアにだけは、手を出させない。

 

 私は殴られても蹴られても我慢できる。できるはずだ。

 

 ミアにだけは、ミアにだけはその手を伸ばさせない。

 あの汚らわしい拳は、私の地点で全て止めてみせる。

 

 私は壁でいい。この三年間、私へ幸せをくれた天使を、なんとしても守るんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ()(こく)『二年前 ~ティナ十一歳~』

 

「はじめまして、ティナ様。スカーシュゴード家に仕える騎士の娘、サーリャです。本日よりティナ様付の専属侍女の役、拝命させていただきました」

「……そ、よろしく」

 

 初対面では……余計なのが来たな……それだけしか思わなかった。

 

「この傷はなんですか? ティナ様」

「うるさいな、なんでもないよ」

 

 そうしてすぐ次に思ったのは、邪魔しないでくれということ。

 私には使命がある。クソ兄貴の暴力を引き受けるという使命が。

 

「これが転んだ時に付いた傷ですって!? 騎士の(いえ)の娘を見くびらないで! 小さい時から父や兄の治療をしてきた私ですよ! この傷はどう見ても!」「うるさいな! 放っておいてくれよ!」

 

 この女はなぜそれを非難してくるのか。なぜ見なかったことにしてくれないのか。この家の執事がそうしているように、どうして私のことを放っておいてくれないのだろうか。

 

 だけど……。

 

 そうしてひとり部屋に閉じこもり、ベッドの中で毛布にくるまれながら思う。

 

 親以外で、自分を心から心配してくれてる存在がいるというのは、どうしてこんなにも心が温まることなのだろうか……と。

 

 それだけに怖い。

 

 みすぼらしい自分を見られるのが怖い。

 

 みすぼらしい自分を知られてしまうのが怖い。

 

「……この服の汚れは、嘔吐ですよね? それに傷も、服を脱がないとわからないような、そんな位置にばかりついています」

「ごめんな、洗っといて。ホラさっさと行った行った」

 

 惨めな私を見るな。

 

 情けない私のことなんか、いないものとして扱ってくれ。

 

 くっさいだろ? ゲロがついた服だぜ?

 

 フィクションの中じゃそういう情報は伝わらないだろうけどな、少女の身体の中からでも、出てくるのはどうしようもなく汚臭のするソレなんだぜ?

 

 自尊心なんてもう捨てた。私が成すべきことを成すのに、それは必要じゃないから。

 

 目的があるから大丈夫。何を捨てても、どんなに惨めでも、情けなくても、汚臭を漂わせていようとも、やらなければいけないことはある。だからする。どこまで堕ちていこうとも。どれだけ心を壊されても。

 

 でも。

 

 それを誰かに見られたいとは思わない。

 とかく、「いい子」には見て欲しくない。

 惨めで情けなくて、どこかに消えてしまいたくなるほど、今の自分はみすぼらしい存在なのだから。

 

「ティナ様!」

 

 サーリャはいい子だった。

 

 こんなみすぼらしい私と違って、とてもいい子だったんだ。

 だから辛い。

 だから心配されると余計に辛くなる。

 

 そのまっすぐな瞳の中に映る私が、どれだけ薄汚れていて、ボロボロなのか。

 それを知るのが怖い。

 

 

 

「ご当主様に、全てをお話ししました」

 

「……なんだって?」

「私が見たもの全てです。これまでの傷のことも全部、お嬢様が口汚い言葉で罵られながら、無抵抗に暴力を受け入れてたことも全て」

「見たのか!?」

「失礼とは思いましたが、先日、後を付けさせていただきました」

「!!……あの時、すぐに執事がやってきたのは」

「私が呼びに行きました」

 

 なんてことをしてくれたんだと思った。

 私は約束していた。

 ミアに手を出さない……そのことを守ってくれるなら、私はなにをされても、それを誰にも言い付けないと。

 

 だから我慢した。

 痛いのも苦しいのも、自分はもう慣れたんだと言い聞かせて頑張ってきた。

 

 その苦労を。

 その努力を。

 その辛酸を、お前は無かったことにするつもりか!

 

 どう答えたらいいかもわからず、無言で猛る私に、サーリャは諭すように言葉を繋げる。

 

「お嬢様。お嬢様は自分の価値を低く見積もりすぎです」

「……なに?」

「失礼ですが、どうして男爵家の、たかがいち令嬢に、専属の侍女が付いたんだと思われますか?」

「……知るかよ」

「ティナ様が優れたご令嬢だからです。普通の十一歳が、職人も裸足で逃げ出すほどの刺繍をされると思いますか? いくつもの楽器を自由自在に演奏してみせると思いますか? たくさんの大人向けの歴史書を通読していると思いますか? 更にはその中から素晴らしい詩を編むと思いますか?」

「それ、は……」

 

 だって私の中身は大人だ。

 そしてその能力は、私が自分で努力して勝ち取ったものではない。

 

 チート……ズルだ。

 

「お嬢様。アナベルティナお嬢様は、たった一度見かけられただけで、上位貴族を熱烈なファンにしてしまうほど可憐です」

「う」

 

 その子爵のことは言わないでくれ。

 

「私も、お嬢様の近くにいると、誇らしいような、ほっとするような、どこか温かいものを感じるのですよ?」

「……錯覚だ」

「ここへ来る前は不順だった生理も落ち着いたし、ほら」

 

 なぜか手を取られ、そのままメイド服越しの胸に抱かれてしまう。

 むにゅんむにゅんと、やわらかくて温かいけれど、いやらしい氣はぜんぜんしない。

 

「おっぱいだってこのところ急成長なんですよ、私」

「それはただの成長期じゃ……」

「アナベルティナ大明神様って思ってます」

「なにそれ……頭大丈夫?」

「平たく言えば、私は、ティナ様のことを敬愛しています、ということです」

「っ……」

 

 こんな惨めで、みすぼらしい私を?

 君みたいに、まっすぐに生きてきた子が?

 

「ティナ様は、ちゃんと着飾れば、この国の誰にも負けないお姫様になれます」

「……私は」

 

 私はこの世界に生まれてから、何にも勝ったことが無い。

 譲って、退(しりぞ)いて、心が壊れたり、小さな命にすがったり、そんな風に、地べたを這うように生きてきた。

 

 負け犬だ。

 

 それは病に負けた前世からしてそうだった。

 

 私は前世の両親にも迷惑をかけ、病院で、死んでいく人を見送りながら自分の番を待ち、そうして当たり前のように巡ってきた死を、やさぐれながら、それでも受け入れてしまったのだ。

 

 生まれ変わり、生まれ変わっても私は何も変わらなかった。

 

 なにもできず、なににも勝てず、ただ暴力を、ただ暴虐を、それを運命と、仕方無いからと容認してしまった。

 

 そう。

 

 私はこの人生で何もなしていない。

 

 成せそうにない。

 

 ……思い出す。

 

 生まれ変わる前は、何もなさなくていいと思っていた。

 

 真っ当に人生を送れるのであれば、なにも成さない人生でいいと思っていた。

 

 だけどこれはなんだ?

 

 ひたすら惨めで、情けなくて、みすぼらしい人生。

 

 クソ兄貴の、憂さ晴らしのサンドバックという、クソみたいな運命。

 

 あの拳に、あの膝に、折れれた身体は、脳も臓腑も全部腐ってしまった。

 

 私はずっと腑抜けで死に体で、ただ呼吸をしていただけ。

 

 本当に、どうしようもなく。

 

 無価値に貶められ、無意味に押し込められ。

 

 私は。

 

 俺は。

 

 私は。

 

 なにも、なにも、なにも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミア様のお身体に、傷はひとつもありませんでしたよ?」

「な」

「それは、ティナ様が勝ち取ったものでしょう?」

「う……え、あ」

「騎士の家の娘として、心より敬服致します。貴女が今までしてきたこと、自分の大事を、自分の何を犠牲にしてでも守り抜くというのは、誰にでもできることではありません。貴女は強い」

「う……うう」

「だから、誇りを取り戻しましょう」

「う、う、ぇぅ……ぁ」

「だからもう、一人で戦わなくていいんです」

 

 そっと、その成長期の胸に、頭が抱き寄せられる。

 やわらかくて温かい。それにいい匂い。……だけどいやらしい氣はぜんぜんしない。

 

 ただひたすらに安心できる……そういうやわらかさがそこにあった。

 

「もっと私を頼ってください。貴女専属である、この私を」

「うわあああぁぁぁん」

 

 泣いた。

 

 壊れたように泣いた。

 

 最近ではもう、痛みにも屈辱にも流れることの無かった涙が、でまくった。

 

 嗚咽した。

 

 殴られても、蹴られても、もはやさほどあがることも無かった嗚咽が、なぜだかでまくった。

 

 限界まで張り詰めていた何かが切れ、私はその時、それ以前の私とは、何かが完全に変わってしまったんだと思う。

 

 惨めで、情けなくて。

 

 でももう、全然みすぼらしいとは思えない自分が、そこにいた。

 

 子供のように泣いた。

 子供の身体で、本当は年下の女性に抱かれ、泣いた。

 

 ざまぁみろクソ兄貴。

 

 てめぇは最近、私が泣かなくてつまらなそうにしてたけどな、人間ってのはな、本当に号泣するってのはな、暴力なんかにじゃねーんだよ。

 

 そんな風に思いながらも……泣いた。

 

 そんな私を、サーリャはその日一日、ずっと抱き締めてくれて……これは一年以上経ってから聞いたことなのだけど……私がぜんぜん離してくれないから……この時、サーリャは……その……トイレが……下の方が色々とやばかったらしい。これは恩があるから詳しくは言えないのだけどね。

 

 ごめんね、苦労をかけるね。

 

 感謝している。

 

 氣づかいの足りない主人でごめんね。

 

 迷惑、かける。

 

 うん……これからも多分、いっぱい……迷惑、かけるよ。

 

 でもサーリャが始めさせてくれたことなんだよ。

 

 自分を誇り、引かず、その価値の全てを発言権にして、頼るべき人に頼るという戦いは。

 

 ね?

 

 私の(そば)に来てくれて、ありがとう。

 

 

 



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14話:それぞれの幕引き

「あんなことで誤魔化されると思いますか?」

「う」

「お嬢様はメイドの仕事を理解されていますか?」

「うう」

「ティナ様のお部屋は私が毎日掃除しているんですよ!?」

「ううう」

「変な仕掛けなんかあったら氣付くに決まってるじゃないですか!」

「ごめんなさぁいぃぃぃ」

 

 そういうわけで尋問されています。

 

 時はあれより半日が過ぎまして夜。

 幸いなことに、部屋にはミアとサーリャしかいません。あとキャット。

 ベッドで寝ている私と、ベッドに腰掛ける二人。ぷんすか顔のサーリャと心配顔のミアです。枕元には猫のアリスが控えてました。

 

 いやね、あの後どうなったのかは、私も知らないんですよ。

 

 サーリャから伝え聞いたところによると、部屋を出たその足でパパとママに泣きついたクソ兄貴は、サーリャとミアからも事情が聞かれ、「お前が悪い」となり、討伐隊への合流を早められたらしい。日頃の行いって大事ですね。

 ……まぁ政略結婚で家のためになりそうな私の方が、クソ兄貴な次男よりかは大事だっただけのかもしれないけど、そこのところはあまり考えたくない。

 

 今頃クソ兄貴は、駐屯先の砦に着いて、そこへ常駐してる軍医に火傷でも診てもらってるんじゃないかなぁ。知らないけど。

 

「パパとママにはなんて?」

「ティナお嬢様が癇癪(かんしゃく)を起こして、部屋にあった色んなものや、火のついたランプをあの方に投げつけたと。そうしたらお嬢様が興奮しすぎて貧血になったようです、と」

「……それでパパとママはなんて?」

「ご当主様は、さすが私の娘だ、と、ご母堂様は非常事態だったとはいえランプは行きすぎですね、申し訳ありません、と、いやいや、私があやつの教育を(あやま)ったせいだ。あやつの母の血を憎まないでやってほしい、と、私がそのようなこと、思うはずもありませんわ……とのことです」

「……口真似上手いね」

「恐縮です」

 

 夫婦仲はよろしいようで、大変結構。

 

 でもそうか……私はあの後貧血で倒れちゃったのか。

 ……そんな感じでもなかったけどなぁ。血、っていうか赤血球が足りなくて倒れたことなら前世でもあったけど、あの時の、痛みを伴うだるさとは根本的に何かが違った。

 

「で、結局、こたびのからくりは、どのようなものであったのですか?」

「……それは」

 

 今は、私の背中にいる、アリスの感触を確かめる。それは特に逃げもせず、そこにいた。

 艶やかで、触るとぬるんとする毛並みの感触。

 

 これは幻覚らしいけど……でも、いる。

 

「私を信用できませんか?」

「……そんなことは無いけど」

 

 だけどそれは、私だけの秘密ではない。私の一存でどうにかしていい問題ではない。

 

「おねえちゃん……」

「え?」

 

 敬称(?)が『ちゃま』ではない、ミアの呼ぶ声にハッとなる。

 

「おねえちゃん、ごめんなさい」

「え?」

「なにもできなくてごべんなざいっ」

「わっ」

 

 泣くな泣くな泣くな、もー。

 

 ほらぁ。

 

「ミアは何も悪くない。悪いのはクソ兄貴。だからもー泣くな」

 

 泣きじゃくるミアを、豊かとはけして言えない胸に抱き寄せる。こんな時でもいい匂い。

 起きたての頭が、泣き声にすっきりと晴れていく。

 

 なでなで。

 

「ぅー」

 

 あーもー、この感じ、落ち着くなー。病院から実家へ帰ったかような安心感かも。玄関で消毒液のそれじゃない、もっと複雑な匂いがして、でもすぐにそれは感じなくなって、あー、帰ってきたなー……って思えるんだよね。入院は嫌いだけど、その一瞬は嫌いじゃなかった。

 

「ちぁ、ちがうの! ミぁは知ってたの! ミぁがおおきくなぁってからも、おねえちゃん、ボソにぃたまに時々ひぉいことされたぁって!」

「そりゃそーだろうね」

「!?……お、おねーちゃ?」

 

 クソ兄貴は、ミアが物心付いた時にはもう、それなりに悪知恵が付いていた。

 暴力は人のいないところで行われ、殴るのも蹴るのも、傷が服の下に隠れる場所ばかり。

 だけど、それだって全部が全部、隠し通せるわけもない。

 

 むしろ心がささくれ経った時ほど、ミアニウムが必要だったってもんだ。

 

 傷が残っているのに、薄着でミアと同じベッドに寝たことがある。

 背中には、もうけして消えることの無い傷もある。

 それは昔の傷と言えたけど、生傷の方と合わせてみれば、何が現在進行形だったかは……一目瞭然だっただろう。ミアは発育が遅いように見えて、頭の中身は普通かそれ以上の出来なのだから。

 

 でもミアが氣付くか氣付かないかは、どうでもよかった。

 Kが付く方のサイレントナイトを氣取るつもりも無かった。

 

「ミアが言い出さないから、私も言わなかっただけだよ。でも言ってくれてありがとう。その謝罪はたった今、ちゃんと受け取った。だからもう氣にしないで」

「そんな! ミぁは!」

「罪悪感を感じるなら、私のお願いを聞いて。それはね、今からも、これからも、ずっと今までのように、おねえちゃんのこと、頼って、利用して。ミアは、ミアだけは、私のこと、どんな風に使ってくれても構わないんだよ」

「……おねえちゃん」

「相変わらず、貫きますね、騎士道を」

 

 サーリャが呆れたように、でもなぜか誇らしげに言う。

 

「それならば、ティナ様は私のことを、もっと遠慮無く使ってください」

 

 使ってるけどね、メイドとして。……性的な意味でじゃないぞ。

 

「サーリャのことは、信用してるとかしてないとかじゃなくて、感謝してるし、好きだよ」

「……それはどういう?」

「ミアも、私を助けて欲しいとか、いつか私の力になって欲しいとか、そんな風に思って仲良くしてたわけじゃない。血の繋がった妹だからでも……もしかしたらないのかもしれない。ただ好きだったから一緒にいただけだよ。ただ好きだから私が何かをしてあげたかった。それだけだよ」

「ふゅ……」「ティナ様……」

 

 ふう。だからこの先を言うには勇氣がいるな。

 多分、これは愚問。

 きっと……絶対……二人は……私の望む答えをくれる。

 

 だけど、もし……もしもだ、その答えが……私の期待していたものと違っていた場合……私は死んでしまうかもしれない。心が死んでしまうかもしれない。

 三歳の、五歳の、あの時よりも、もっともっと酷く、粉々に。

 

 これは一度ひび割れた私の心が、その上に十年近くかけて築いた最後の砦。

 だけどそれが無くなれば……私はもう生きていけない。そんな砂上(さじょう)楼閣(ろうかく)

 

 心が(きし)む。

 頭の中に最悪の未来がいくつも浮かんで、それが私という存在を(くら)く黒く、締めつけてくる。

 

 だけど。

 

 それでも私は。

 

 もう(すが)るしかない。

 

 (ゆる)しに。

 

 慈悲に。

 

 さぁ……裁きを待とうか。

 

「サーリャは、ミアは……私のことが嫌いになった?」

 

 どくん。

 

 クソ兄貴の威圧に押しつぶされていた時とは別の感覚で、心臓が跳ねる。

 これを肯定されてしまったら私はもう生きていけない……そんな自覚がある。

 

 せっかくの転生もここで終わり。夜の闇の中、私の心が花火みたいに砕け散って消え、あとのことはもう全部全部あとの祭り。

 

 ああ……また息がおかしくなる。おかしくなっていく。

 

 胸が苦しくて、苦しくて、一秒が一分くらいに感じられて、その感覚に心も身体も追いつかない。

 心が、身体を異常動作させている。しだしている。

 

 感情の暴走。それが身体の異常に繋がっているんだなって、息苦しい、乱れる思考の中でぼんやりと思う。

 

 と。

 

 ……ぼふっ。

 

「ぐえっ」

 

 ……心臓のちょっと下辺りに、衝撃。

 

「おねぇぢゃんっ」

「(ぼふっ)ぐぇっ、(ぽふっ)うぇ、(ぼふっ)ぐぉ」

 

 ちょっ、ちょっ、ちょっ!? ミア!?

 

「おねぇぢゃんのばかぁ!」

「(ぼふっ)ぬぇっ、(ぽふっ)あ左手はあんま痛くな、(ぼごっ)ぐげぇ」

 

 ストップすとぉぉぉっぷミア! 右手みぞおち入ってる! みぞおち入っちゃってるから!

 腹腔神経叢(ふっくうしんけいそう)直撃だから! 横隔膜止まっちゃうから!

 

 そんなことされたらおねぇちゃんイっちゃうから! 『逝』の字の方で!

 

「ミア様、失礼します」

「おねぇぢゃんのばかぁ! おねぇちゃんのばか……おねぇちゃんのばかぁ……ぐすん」

 

 ほ、サーリャがミアを後ろから羽交い絞めにしてくれた。ハイムリック法じゃないよ、凄く、優しく宝物みたいに抱いて、一歩下がってくれたよ。サーリャ有能。たまに。

 

「ですがお嬢様も無神経です。そんなことを言われて、そんな風にお嬢様を不安にさせてしまったのかと、追い込んでしまったのかと、そんな風に傷付いてしまうミア様の氣持ちも考えてください」

「……ごめんなさい」

 

 私もですよ……と口に出さず、視線で責めてくるサーリャに、私は素直に謝った。

 

 ……うん。

 

 そうだよね。

 

 ごめん、確かにお姉ちゃんがバカだった。私が悪かった。

 

 わかっていたはずなんだ。

 

 わかっていたはずなのに。

 

 どうしても聞かずにはいられなかった。

 

 どうしても、赦されたという実感を求めずには、いられなかった。

 

 それを、ごめんなさい。

 

「ごめんね、ミア」

「ふゅ……」

「サーリャも」

「ふぅ……いいですよ、誤魔化したかったんでしょう? それにしては捨て身の覚悟を感じて怖くなりましたが……いいです、どうしても話したくないというなら、私は聞きません。ですが私は……私とミア様は、何があってもティナお嬢様の味方です。そのことは忘れないでください。……あと大好きですよ」

「ゎたしもだいだいだいだいだいだいだいすきっ」

 

 う。

 

 く。

 

 ぐ。

 

 な、泣かせるじゃねーか。感動なんてしないんだからね!

 

 氣恥ずかしくなり、とっさに後ろを向いて涙を隠す。

 

 ……と。

 

「にゃぁ……」

 

 あ……猫。

 

 涙で濡れたままのマイアイズとにゃんこアイズ……視線がごっつんこしましたよ。

 

 ……猫、呆れ顔?

 

「みっ!」

 

 あ、落涙(らくるい)を避けた。やっぱり猫だと水が怖いのかな?

 

 と、次の瞬間。

 

「え?」

「なっ! 何事ですか!?」

 

 唐突に、ベッドの上に……天蓋の上じゃなくてその下に……浮かぶ黒い鳥篭。魔法陣。

 

「ちょっ!?」

 

 猫の身体が白い霧のようなものに覆われ、魔法陣が縦長に変形。

 その中で猫の身体が伸び、人の形になっていく。モーフィング班! 仕事雑!

 

「あーもー!」

 

 程無くして、アリスの声がした……人間の方の。

 

「ねこにゃん!?」

「貴女達! まだるっこしいのよ! 恥っずかしいわね! 全員が味方同士ならもういいでしょ!?」

「え? 猫が、女の子に? え? あ、でも可愛い」

「なんか色々台無しだー!?」

 

 というわけで、魔法陣が消え失せると、そこには黒い軍服で薔薇色の髪の少女が、ベッドをぎしぎしいわせて立っていました。ちなみにスプリングらしきものは既に発明されています。サスペンションっぽいモノも。馬車の改善チートの余地もなし。

 

「はいはじめまして、猫のアリスことアリスはアリスですよー。さっきのクズを殺ったのは私。理解した?」

「……ボソ様は死んでいませんが」

「ちっ、汚物を処理し損ねたか」

 

 なんだか本当に殺りたかった風のセリフと表情だけど、冗談だよね?

 いえ、どうしても本当にお殺りなりたいのであれば……別に……私も……強く止めはしませんけど。

 

「……それでこれはどういうことなのでしょうか、お嬢様」

「ねこにゃんがアリスで、女の子がねこにゃん??」

「あー……」

「説明はティナに任せた」

「えー」

 

 あーもー。はいはいはい、さっきまでのが茶番になりますけどちゃんと説明しますよー。も、全部、何から何まで説明してあげますよー。くっそー、巻き込みたくはなかったのになー。ちえー。

 

 でももう仕方無い。

 

 ……私のことを好きって言った責任、取ってもらうんだからね。

 

 

 

 えへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 <クソ兄貴視点>

 

 どうしてこんなことになった。

 

 目の前で、長大な槍と、それぞれの身長程もあるタワーシールドを構えた、屈強な兵士が次々と死んでいく。

 

 俺の目の前で死が暴れている。

 

 黒い竜。

 

 黒竜だ。

 

 俺達が追っていたのは赤い竜。赤竜であったはずだ。

 

 ならこれは目的の竜とは違うものだ。

 

 であるなら、どうしてこのような事態になっているのか。

 

 ははは、は、は、は……昨日まで偉そうに、貴殿は道案内だけしていればいいと言い放ちやがったクソどもが、まるでゴミのように死んでいくではないか。

 

 高貴なるこの俺を格下のように扱った報いだ。

 

 だがゴミの肉壁(にくかべ)もそろそろもたなくなってきている。

 

 これはただの調査隊。方々に分けられた分隊のひとつでしかなく、俺を含めても隊員は十一人しかいなかった。

 

 確かに、一旦帰還し報告すべきと主張する隊長を、ここぞとばかりに臆病者と煽ったのは俺だ。さすがの俺様でも(おのの)きを隠せないほどの猛者が十人もいたのだ。ここでその猛者を利用し、竜を倒せば俺の名声も上がる。

 

 何が「そうだな……通常竜は逃げるものを追わない。使用魔法を知る必要もある。二名は伝令に走れ、我々は少々槍を交えてから撤退する。小手調べだ」だ!

 

 間違っていたのは、あのゴミの小隊長の判断だ。

 十人全員で当たっていれば、こんなことにはならなかったのだ。

 

 優秀なこの俺の判断を聞いてれば死ぬことも無かったのだ。これだからゴミどもは救いようがない。

 

 俺は蹂躙(じゅうりん)される側の人間ではない。する側の人間だ。

 何を考えているんだかわからない長男のボンクラなどよりも、よほど立派に敵を蹂躙し、略奪し、家に富を持ち帰ることができたはずなのだ。

 

 戦争はいい。己の才覚とその暴虐さだけが活躍の原資となる。

 ならば俺は、戦場でこそ輝ける人間だったはずだ。

 

 平和な世界が憎い。俺のように強く優れた息子より、良縁を期待できる娘の方が価値があるなどと、親に判断させる平和な世界が憎い。

 

 弱く生まれるというのは罪だ。女は総じて弱い、ゆえに女という生き物は弱いという罪を背負ってくるのだ。ならば女に生まれたというだけであのクソどもは俺に服従し、かしずいて許しを請い、贖罪(しょくざい)の悲鳴をあげ続けるべきなのだ。それが女というクソどもの義務だろう。

 

 下の妹などは本当に見るのもおぞましい。半分とはいえ、あのようなものに自分と同じ血が流れていると思うだけで、全身を汚されたような氣分になる。

 

 弱く生まれたものは潔く死ぬべきだ。

 

 やつらは所詮国にたかる寄生虫。優れたものだけが血を残し、家を継ぎ、国を発展させていくべきなのだ。

 戦争は世界をそういう、当たり前の形に戻してくれる。

 

 この十年近くは平和だった。

 

 平和な世界が憎い。俺という強者を()かそうとしないこの世界が憎い。

 平和な世界では、平時の因習と法によってあのボンクラが男爵家当主となり家を継いでしまう。

 あの愛国心の欠片も無い長男がだ!

 そんなことは俺が許しても神が許さないはずだ。

 だから俺も許してはならない。こんなにも強く健康に、高貴な血をもって生まれたのだ、俺は神に選ばれた人間なのだ。ならば俺は神の代行者として振舞わなければならない。クソどもはそれに平伏し従わなければならない。

 

 だがこの場はもうもたない。

 

 神は俺が死ぬことを許されないだろう。

 

 兵士が……俺には両手でも持ち上げられない槍を振り回し、盾を自在に扱ってみせた兵士が……また一人、死んだ。

 

 ここまでだ。

 

 俺は逃げる。

 

 背を見せ、走り出した俺に、分隊長が横目から冷たい視線を浴びせてきた。

 

 いくらでも(あざけ)るがいい。貴様はそこで死ね。

 俺は生きる。生きよと神が命じている。

 

 そうだ。こんなところで死んでしまったら俺は国に何の貢献もできない。

 

 あのクソどもとは違うのだ。あいつらはここから俺が逃げるためにその命を使うべき下賎(げせん)(やから)、その程度のクソどもだ。

 

 俺は生きて戦場で名誉を勝ち取らなければいけない。ここに名誉は存在しない。だから逃げる。当然だろう?

 

 逃げる。逃げる。走る。

 

「ぎっ!?」

 

 だが唐突に、後ろから襲ってきた白い光が、俺の全身を包み込み、焼いた。

 

「ば、か、な……」

 

 全身が燃える。痛い。

 全身が燃える。熱い。

 全身が燃える。ありえない。

 

「うぎゃああ! いぎゃあああぁぁぁ! 死ぬ! じぬ! だでがだずげっ」

 

 第二射がくる。

 だがそれは、先程の白い光とは正反対の、真っ黒な(ほむら)の曲線だった。

 それが俺の身体を包み込むと……。

 

「ぎやぁぁぁぁぁぁ!」

 

 今度は声をあげることもできず、その場に崩れ落ちる。

 

 竜は逃げるものを追わない? 嘘をいえ! やっぱりあの分隊長はゴミだった!

 

 あんなやつのせいで、俺の命が。いてぇ、いてぇ、いてぇ。

 あんなゴミのせいで、俺の人生が。あちぃ、あちぃ、あちぃ。

 

 俺を助けろクソども! 俺のような優れた人間に愛された国よ! 俺を助けろ! 俺にはその価値がある! 愛してやってるんだ! ならば俺の愛に正当な対価を寄越(よこ)せ!

 

 誰でもいいから俺を助けろ! 俺を愛していたはずの神よ! 俺を助けろ! 俺にはその価値があるだろう!?

 

 チクショウ、チクショウ、チクショウ。

 

 なんだこれは……黒い焔の塊が……俺を……。

 

 朽ちていく己の肉体を見ながら、俺の意識は痛みと熱さで塗り潰されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 <スカーシュゴード男爵家当主・エーベル視点>

 

「なんだと!? 我が領内に二体目の竜が現れただと!?」

「は、すでに先遣隊(せんけんたい)が三つ、我ら伝令を残し壊滅! エーベル卿のご子息様であらせられるボソルカン殿もまた焼死されたとのこと!」

「焼死!? 壊滅!?……なにゆえ、そのようなことに……この地に竜が現れるなど、歴史を紐解いても百年は無かったはずだ!」

「現れたるは赤き竜ではなく黒き竜! 私自身! しかとこの目で確かめました!」

「なんと!?」

「ふむ……伝令、ご苦労。確かに竜の出現は、王国全体でも三十年前、別の地にて現れたのが最後であったかと。我が師は、これを撃退したことが自慢で、その時の話は繰り返し語り聞かせてもらったものです」

「……さすがは対竜特別隊の隊長殿。猛者の家系であるか」

「否。師は当方の家系に連なる者ではない。当方が、この世でもっとも尊敬する戦士であり恩師だ……む、失礼」

 

 息子の死の衝撃によって、膝から崩れ落ちそうになるこの私を、細いが鍛えられた男の腕が支える。太い紐を何重にも巻かれたような筋肉が走るその腕は、そのものが戦士であることを明確に物語っていた。

 

「いや、(かたじけな)い……もう大丈夫だ。感謝する」

「恐れ入る」

 

 さほど平均身長の高くない竜討伐部隊の中にあって、この討伐隊隊長はそれよりも更に矮躯(わいく)である。

 我が娘、アナベルティナよりも、やや大きい程度といったところであろうか。

 

 だがその身丈(みたけ)より発せられる、凄まじい闘氣、殺氣は、こうして穏やかに言葉を交わしていても伝わってくる。

 

「……そうか、ボソルカンは死んだか」

「ご遺体の一部は炭化するまで焼かれ! 変色していましたが! 我々とは装備が違うのと、比較的原形を留めていた頭に火傷の痕があったことから、間違いないだろうとのことです!」

「申し訳ない、ご子息を守れずに」

「いや、頭を上げられよ。力及ばずはこちらも同じ。にっくきは竜である」

 

 目を閉じて息子の冥福を祈る。

 

 どうしようもない息子ではあったが、まだこれからがある若さで死んでしまったのは悔やまれる。少なくとも向上心はあった。

 その情熱を、いい方向に向かわせられるのであれば……と思っていたのだが。

 

此度(こたび)の件、不可解なことが多すぎる」

「……とは?」

「先の竜、赤竜はエーベル卿のご息女をさらったという。であるが、竜が人をさらうなど、現実にはまずない話でもある。その上さらわれた人間が無事に帰ってくるなど……少なくともこの四百年の間には無かったことであろうよ」

「四百年?」

「伝承のエルフ大戦。あの時代には、亜人に飼われた竜が、その意を()み暴れていた時代があったという。その頃には、今では考えられないようなことがいくつも起きていたとされている」

「……申し訳ない、不勉強でしてな」

「否。かの時代を記した書は多くが焚書(ふんしょ)()き目にあい、正しきことは失伝して正確には伝わってないとのこと。耳を疑うような伝説は、話半分に聞いておいた方が良いだろう」

「ふむ……」

 

 ではこの者はどこでそのような知識を?

 

「そこにきて、此度は別の黒竜が現れたという。しかもこの竜、常にあらず好戦的で、人を見ては殺さずにおれぬような氣性ときている」

「それは……妙ですな」

「竜は、所詮魔法が使えて、図体がでかいだけのトカゲに過ぎぬ。人になにかしらの執着を持つことなど、あまり先例無きことではある。だが、完全に無きことでは無いゆえに、これだけでは不可解、とまでは言い切れぬな」

「だが偶然も二つ重なると、それは偶然ではない……と?」

(しか)り」

 

 人をさらい、無事に返した赤竜。

 人を襲い、確たる殺意で蹂躙する黒竜。

 

 我が領地で……いやこの国で、何が起きているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

<カナーベル王国国王、ベオルードIV世視点>

 

「星の巡りが悪い?」

「俗に言えばそのようになるでしょう、ね」

 

 国政と占星術は切って離せない。

 少なくともこの時代、この国においては、それは人心を動かし、国政をも動かす無形有為(むけいゆうい)な存在である。

 それを信じるか、信じぬか、そんなことは問題ではない。

 占星術の結果如何(いかん)によって国策の方向性が決まり、予算は消費され、民は労働し、国が動くのだ。

 

「十三年前、四百年に一度の蕭年(よもぎどし)の訪れによって、天体は大きく乱れました」

「……それが今回の件に関わっていると?」

 

 戦争を始めるなら、きゃつらに勝利を約束させねば軍の士氣が上がらぬ。

 士氣が低いまま戦えば勝てる戦いも勝てなくなる。

 

 つまりはそういうことなのだ。

 

 信じる、信じぬではない、意味が在るか無いかである。

 

蕭年(よもぎどし)凶兆(きょうちょう)の先触れとされおります。厄はそれより数十年と、天を靉靆(あいたい)とし(おお)うものであるとも、ね。モンスターの活発化はこの予兆に過ぎぬのやもしれませぬ。先の戦おいて、浅薄(せんぱく)な占星術師の()(ことごと)く外れたのは、これを知らず、盤の調整を誤ったためともいえましょう、ね」

「ほう。また仰々しい理屈をつけたものだな」

 

 占星術師は不遜にも国政に横槍を入れてくる。

 鬱陶しい、忌々しい存在だ。

 だが無視してばかりでは、人心が寄る辺の一端を欠いてしまう。

 信心深いものは一定の割合で存在し、その存在は馬鹿にできない。

 

 ならば。

 

 諮問機関(しもんきかん)の一角として、こやつらには存在してもらわねばならない。

 

 なに、こやつらなど、間違った結果を出した時に処分すればいい。

 先の戦争では粛清がはかどったものだ。

 軍事は武人軍人に任せておけばよいものを。

 

「理屈ではありませぬよ。これは天体を観測することを、その意を汲むことを、星の声を真摯に聞くことを怠り、机上の盤のみに目を向け、それでいいと思い込んだ愚か者達への、戒告(かいこく)(げん)なのです」

「わかったわかった。次の国政会議の場ではそなたよりそう皆に伝えよ」

 

 その意味においては、目の前の男を粛清する機会は、なかなかに訪れそうにもない。

 自信満々で自分以外のものを貶める態度は、(しゃく)に障らんでもない。だが当たる占いは国に有益なものである。

 当たってる内は手放す理由も無い。我が権勢(けんせい)の維持と向上に役立ててくれようぞ。

 

「それにしても、そなたの名前は、こたびの件で名前が挙がった男爵家の令嬢に似ているな」

「それはそれは……陛下に名を記憶していただけるとは、そのご令嬢も幸運なこと、ね」

「ドラゴンにさらわれ無事帰還した娘だ。祭り上げれば幸運の象徴にもなろうぞ」

「ふふ、私の名が幸運の象徴に似る、ですか……それは奇縁というものかしら、ね」

「……下がってよいぞ、祭儀庁(さいぎちょう)現筆頭占星術師がティア」

「は」

 

 

 

 

 

 

 

<ある時は女史っぽい女神、その正体は……視点>

 

 おやおや。

 

 第一フェイズは、無事突破といったところ?

 

 投資はここまで、ひとまず順調。

 

 私は、僕は、俺は……つまり私共(わたしども)は言ったね?

 

 人が株なら、チートという投資でその価値が向上すれば勝ち、価値が目減りすれば負け、私はそれに一喜一憂する、それだけの存在だと。

 

 つまり貴女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、我々の介入なしでは、ろくでもない人生を送ることが決定付けられていた人物なんですよ?

 

 売り氣配濃厚の逆ザヤでストップ安といったところでしょうか……ごめんなさい、適当ですよ? 株式用語なんて詳しく知りませんから。

 

 ならば我々はホワイトナイトなどでもなく、馬券か舟券かを買って、あとは決着がつくまでことの推移を見守る、ただのギャンブラーに過ぎないのかもしれません。

 

 ですがね、感謝してくださいよ?

 

 本来、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、兄の暴力によって幼いうちに心破れ、(すが)るように愛した妹も若くして亡くし、絶望に囚われ、虚無が(まま)に政略結婚を受け入れ、初産で流産してしまい、出戻りをくらって……あとは転げ落ちるようにとある悲劇に巻き込まれて死ぬ……いわば悲劇のヒロイン……そのものな一生を送る女性でした。モーパッサン先生も吃驚。

 

 悪役令嬢転生という言葉があるなら、貴女のそれは、悲劇のヒロイン転生といったところでしょうか?

 

『やっぱり変な人ですね。まぁその方が面白くなりそうではありますが』

 

 悲劇のヒロインも、それはそれで物語の王道ですし、最近のサブカルチャーでは「愉悦」なる物語の楽しみ方も知られるようになっていますからね。とことん不幸になり、とことん転落し失墜し凋落(ちょうらく)して破滅していくヒロインというのも、やはりそれはそれで人の心に訴えかける「面白さ」があるモノなのでしょう。

 

 ですが、それを改変したらどうなるのかを、「あの時ああだったならば」を追ってしまうというのも……それもまた知性あるモノのサガ。

 

 王道の悲劇に、涙し愉悦をかまして……それからブチ壊す……そこまでしてこそ強欲な知性の在り様といふモノに御座(ござ)いましょう。

 

 ましてやそれが、何千、何万という命に紐付いた悲劇であるというなら。

 

 傾城(けいせい)の美女に等しき、国を揺るがす悲劇のヒロインであるというなら。

 

 そう。

 

 貴女の人生は、後に国を揺るがすとある悲劇と、宿命付けられています。

 

 何もできず、何も持たず、心破れたままの貴女は、それに飲み込まれ、潰されるだけの一生を送るはずでした。

 

 その貴女が、サーリャという味方を得て、ミアという妹を守り通し、高等魔法まで使いこなすハーフエルフの少女アリスをその(かたわ)らに置いたのです。

 

 素晴らしい。

 

 だいぶ運命が変わってきましたね。よきかな、よきかな、です。

 

 既に結末を知った悲劇は改変し、なるだけカオスに。サスペンシヴに、ぐっちゃぐっちゃに、道がミチミチと未知な未来に。「来たれ、汝甘き死の時よ」と謳う物語はカオスへ、収束しないカオスへ、終息しないカオスへ。

 

 来たれ、汝甘き青春の時よ。混乱と混沌の日々よ。

 

 混沌の坩堝(るつぼ)を、王道の悲劇と対照(たいしょう)しながら、私共は楽しむとしましょう。

 

 

 

 でも……貴女は氣付いているのですかね、アリスの価値に。

 

 各種高等魔法を使えて、猫に変身もできる少女です。

 諜報員(スパイ)として、これ以上はない程のスペックですよ。

 手懐けて縦横無尽に使えば、貴族同士の権力争いや暗闘に役立つこと間違いなしです。

 

 ……まぁ氣付いていないんでしょうね。

 

 感じていたとしても、単純な、陣営の武力アップ程度の感覚かもしれません。

 表に出して使えない、()にならぬ武など、貴女の望む平穏の維持には、あまり役立ちませんのに。

 

 まぁ、小賢しさが過ぎても面白くないですからね、いいでしょう、これからもその調子で頑張ってください。それもまた青春の愚かしさの、甘さといふモノ。

 

 さて。

 

 序盤良好で、これは見続けるに足る顛末(てんまつ)であると判断できたところで。

 

 そろそろ私も、コテハンでもつけましょうか。

 

 ここからは本氣出す!

 

 ……いえ、真面目に観戦するかしないかだけの違いですけどね。

 

 そうですね。

 

 メフィストフェレス……うーん、あの人……いえ悪魔?……魂ひとつと引き換えに人間の召使になるって、どんだけ欲が無いんですかね? 魂なんて、そこら辺からちょちょいってもいでくればいいだけですのに。なんか貧乏くさいのでイヤです。

 

 ベアトリーチェ……人を導くって柄でもありませんね。ダンテ先生の純愛を汚すようでイヤですし。

 

 もっと卑俗なものがいいです。

 下品のギリギリを攻めたいですね。

 行き過ぎて退()かれる、その一歩手前くらいで踏ん張ってみたいです。

 

 俺に、僕に、私に相応しい、私共にピッタリのスラング。

 

 なるだけ、嫌われ者っぽい方が格好いいですね。

 

 愚かしい青春、盲目的熱情を失って久しい我々としては、中二っぽいモノがいいです。

 せめて名前だけは、希求(ききゅう)する方向に向いていたいじゃないですか。

 それが実態に即するかはともかく。

 

 いいですよね、中二病。

 

 地球でも、何百年後かに、完全なる不老不死の技術を開発したら、その暫く後には、再評価される概念となるのではないでしょうか?

 生きる死ぬで悲劇喜劇してる間は、揶揄(やゆ)すべき対象に過ぎないのでしょうが。

 

 大事ですよ、根拠のない万能感って。

 

 所詮、個人の人生なんて、肉体という観測機が見ている幻想に過ぎないのですからね。

 宮沢賢治も言ってますね。わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明に過ぎない……とかなんとか。……なんで青なんでしょうね? わたくしは青臭い中二病をこじらせてましたって自己紹介? 青春と修羅道?

 

 まぁ幻想、電燈に過ぎないのなら、根拠が在ろうが無かろうが、万能感をもって過ごせばいいのです。

 

 それがこの時点で通算百と四回、三次元に現界(げんかい)したことのある私が学んだ、知的生命体を楽しく生きるコツですよ。……そういえば、前回の現界で産んだ娘は、そろそろ寿命ですかねぇ。末期(まつご)にくらい、会いに行ってあげましょうか。

 

 おっ、これがいいですね。

 

 前回、私が地球に現界した時期、地域とも多少関わりがあるようですしね。

 

 メアリー・スー。こんなのでどうでしょうか?

 

 

 




 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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15話:とある夜の風景、閨、あるいは巣

 風が吹く。

 

 夏の夜に、風が、柔らかに。

 

 カーテンが舞って、戻ればそこに小さな丸い影があった。

 

「にゃぁん」

「ん……アリス?」

 

 とある日の夜。

 屋敷は、それ自体が寝静まっているかのようで、風が、カーテンを揺らす音だけが、やわやわと耳を撫でていく。

 

 寝ているベッドに、一匹の猫が潜り込んでくる。

 

「ん、アリスくすぐったい」

 

 胸に、猫の小さな頭が擦り付けられ、そのくすぐったさに身をよじると、ベッドの、天蓋と寝台との間に大きな魔法陣が(あらわ)れ、程なくして胸に感じる重みが増す。

 

「ただいま」

「……おかえり」

 

 もう幾度(いくど)となく()わした言葉を繰り返す。

 

「寝てた?」

「ん……まだまどろんでいただけ」

「そう」

 

 アリスが、猫の時にもそうしたように、胸に頭を擦り付けてくる。

 そこは……あまり柔らかくもないと思うのだけど、アリスはよく、そこへ猫が甘えるようにそうしてくる。

 

「アリス」

「夜、眠る時くらいベッドで寝かせて。ここで、私が人の姿を見せられるのはティナだけ。だったらティナのお布団で眠るしかないでしょ?」

 

 それもまた、もう何度も聞いた言葉。

 

 何度か、遠回しにこの土地を離れる氣はないのかと、聞いてみてはいるのだけど、いつも「そのうちね」といってはぐらかされる。

 

「もう、違うでしょ? ミアもサーリャもいるんだから」

「……いいじゃない。ここが一番寝心地いいんだから」

「いいけどね」

 

 何をしたいのか、どうしたいのか、何を考えているのか、わからない。

 氣が向いた時だけ擦り寄ってくる。本当に、猫みたいな女の子だなって思う。

 

 あるいは……満ち欠けがあり常に一定の姿をしていない月かな。

 

 そういえば今日は満月だ。

 

 この世界の月も、地球と同じで、けしてその裏側を見せようとしない。

 常に模様は一定で、それは地球のものとはまったく違うけど、おかしなことにそれがウサギのように見えるという人もいる。

 

 秤動(ひょうどう)と呼ばれる現象により、月はその裏側を多少覗かせはするものの、基本的には常に表面のみを人に見せ、その範囲で満ち欠けをする。

 

 それはそう、やはり他人の心のようだと思わなくもない。

 

 アリスは特にそうだ。

 

「ティナは、今日は何をしていたの」

「んー?……貴族令嬢の毎日に刺激なんてないよ。午前はカテキョに躾けられて、昼はママににこやかな圧をかけられた」

「午後は?」

「サーリャのメイド服を調整したり、刺繍したり、サーリャと庭で部屋に飾る花を選んだり、ミアとチェンバロで連弾したり」

「……楽しそうにしてるじゃない」

「裁縫は得意なだけで、別に好きってことでもないんだけどね。チェンバロも」

「でも、サーリャや妹ちゃんのことは好きなんでしょ?」

「ん……うん、そりゃま、そうだよ」

 

 サーリャはメイドさんだし、ミアは妹だからね。当然。

 

「大好きに決まってるじゃない?」

「……ふんっ」

 

 暖かさが離れる。

 

 アリスは、ベッドの上に両足で立ち、つるんとした黒の軍服を、ぬるんと脱ぎ捨ててしまう。

 そのまま器用に、不安定な足場の上で片足立ち、ストッキングも脱いでしまう。

 

 白い肌と白い下着が、月明かりに浮かび上がる。薔薇色の髪が月の光を吸って、ふちだけきらきらと銀色に輝いている。

 

「ベッドへ入る前に脱いでほしかったな」

「やー。夜はもう寒いもん」

「まだ夏の三月なんだけどね」

 

 この世界の暦は、一年が十四ヶ月ある。

 

 四つの季節があって、そこは地球と同じでみつきづつ。だけどこの世界はそこに、ふたつの特殊な月があって、それを足して全部で十四になる。

 

 年の初めから順番にいうと、

 

 一月/冬の二月(二十六日)

 二月/(よう)の月(二十四日)

 三月/冬の三月(二十六日)

 四月/春の一月(二十六日)

 五月/春の二月(二十六日)

 六月/春の三月(二十六日)

 七月/夏の一月(二十六日)

 八月/夏の二月(二十六日)

 九月/(よく)の月(二十九日)

 十月/夏の三月(二十六日)

 十一月/秋の一月(二十六日)

 十二月/秋の二月(二十六日)

 十三月/秋の三月(二十六日)

 十四月/冬の一月(二十六日)

 

 こんな感じ。

 

 一月が冬の二月な辺りがややこしいけど、これは、この世界の言葉で「二」が「次」、あるいは「継ぐ」のような意味合いを持っていて、ゆえに新年の一月は、旧年の次を継ぐ……というような意味を持たされ、『冬の二月』となっている。

 

 この辺り、ちゃんと訳すなら十四月にそれぞれ、日本でいう睦月(むつき)とか皐月(さつき)とか神無月(かんなづき)みたいな、ああいう言い回しを付ける方が正しいのかもしれない。しないけど。

 

 そういえば日本で言う十二月、「師走(しわす)」の語源は、「四季の果てる月」、すなわち「しはつ(漢字で書くと四極)」であるという説があるけど、この世界の「一」には「収束する」というような意味合いがあって、だからこそ年の終わり、年が収束する月である十四月が冬の「一」月であったりもする。

 

 この辺、異世界というか異文化だねぇ……と思う。

 

 ただ、これら十四の月の日数を合計してみると、それは奇しくも地球と同じ、三百六十五日となったりもする。奇妙なシンクロ。偶然の一致?

 

 同じ三百六十五日だから、この世界の二月一日は地球の一月二十七日であるとか、対応させることもできて、その計算でいくと、この世界の十月、夏の三月は地球の八月二十四日から九月十八日に相当して、氣温も大体、日本のその時期と同じか、少し暖かいくらいだったりする。この辺りは雨の少ない地域で湿度も低いため、エアコンがなくとも不快度はそこまででも無いんだけど。

 

 今はだから、ようやっと夏が終わろうかという季節。

 夜風が、ようやっと涼しくなってくる季節。

 夜はだから、まだ寒いというよりかは、涼しいと言った方が近い。

 

 アリスの言っていることは、だからおかしいんだけれど、まぁそこは個人の感覚次第だからなんとも言えない、かな。

 

「ティナももうすぐ十四歳、か」

「そうだね」

 

 私の誕生日は、来月の二十五日。

 十一月(秋の一月)の二十五日。来月の月末だから、もうすぐって程でもないかな。まあ近いといえば近い。

 

 十一月の二十五日は、計算すると地球では十月十三日になるんだけど、私の生まれ年は特殊で、うるう年の逆、うるわない年とでもいうべき年(蕭年(よもぎどし)というらしい)で、この年は二月、(よう)の月が、元々二十四日しかないのに更に一日減って、二十三日しかなかったらしい。

 

 それを考慮すると、十一月の二十五日は地球の十月の十二日になる……のだけど実際はもっと複雑。

 

 前世の私が死んだのは、地球でうるう年の二月二十九日。

 

 胎児の脳が、脳らしい大きさに成長するのが妊娠十週目前後。

 

 正常な出産は妊娠四十週前後。これはチートの知識調べなので、この世界でも正しくそうみたい。俗に言う十月十日というのは、最終月経日を起点とし、四週(二十八日)を一月とカウントするためそうなるのであって、四十週、すなわち二百八十日を月へと換算すれば、地球の暦だとそれは九ヶ月くらいになる。こっちの暦だと実際に十月十日くらいだけど。

 

 今生(こんじょう)の私が地球の十月中旬に生まれているので、同じく地球の二月末日(イコールこちらの三月上旬)にママが妊娠十週目くらいだったと推定するなら、これは計算があってしまう。つまり地球が一月一日の時、この世界もまた一月一日で同じか、かなり近いと推定できる。できてしまう。

 

 ゆえに、私は地球がうるう年、この世界がうるわない年に生まれた可能性が高い。

 

 となれば、私の誕生日は、地球だと十月十一日だったことになる。あー面倒。

 

「そういえば聞いてなかったけど、アリスの誕生日はいつなの?」

「あれ? 話してなかった? 春の二月の十四日。鍵尾宮(かぎおきゅう)山猫座(やまねこざ)だよ」

「……ぴったり」

 

 山猫座は……ああ、地球の北斗七星に似ている星座だ。

 胸の北斗七星っぽいブローチって、もしかしてそれにちなんでいた?

 

「なによそれ」

「まぁまぁ」

 

 かように、この世界にも星座、星占い、黄道十二宮占いのようなものがあります。

 

 黄道十二宮は、こちらだと十四宮で、地球のものとは違い、ひとつきにひとつ、特定の星座が設定されています。

 例えば冬の二月(一月)は丸々ひとつき、天躍宮(てんやくきゅう)(おど)()座の月……という具合です。あまり詳しくないけど、つまりこの世界は太陰暦ってことなのですかね?

 

 私の生まれ月である十一月、秋の一月は温繭宮(おんけんきゅう)(まゆ)座の月で、サーリャには「暖かそうで、ぴったりですね」と言われたりもする。

 ……そんなに温かそうな体ではないと思うんだけどね。腹にも胸にも脂肪がほとんどないから。

 

「そういえば、アリスは猫以外にも変身できるの?」

「できる、できないでいったらできるけど、面倒かな。変身魔法の魔法陣ってそもそも複雑だからね。調整が難しいの。色を変えるだけなら簡単なんだけど」

「そうなの?」

「うん。この髪は地毛で、色も氣に入ってるからしないけど、その氣になればいつでも金髪や黒髪になれるよ」

「そうなんだ、いいね、それ」

 

 ここでアリス2Pカラーって言葉が頭に浮かんだ辺り、私もお里が知れますね。格ゲー界にアリスは、既に何人かいらっしゃったような。

 

「だけど形は難しいかなー。高等魔法とか上級魔法って、因果が遠くて、それを繋ぐ工程が百以上あるものをいうんだけど、私が使う猫の変身魔法って、工程が七百以上あるの。髪の色を変えるだけならこれが半分以下……三分の一かな?……で済むの」

「七百……」

「私が一度に行使できる魔法の工程が千くらいだから、猫に変身してる時は、実はそれ程余裕が無いの。あのクズ兄貴を燃やしたのは、猫のまま使うならそれが一番制御の楽な魔法だったからってのもあるかな」

「ああ……」

「上手く髪の毛だけ燃やしてたでしょ?」

「……頭皮も燃えていたような」

 

 頭皮っていうか毛根が。

 

「それくらいなら同じでしょ……ね、ティナ」

「ん?」

「あのクズのこと、どう思っている?」

「……どうって?」

「死んだら悲しい?」

 

 まさか。

 

「そんなわけないね。せいせいするよ」

「そ。じゃ心して聞いてね」

「……え?」

 

 そうしてアリスは、私に告げたのです。

 

 猫が、咥えて帰ってきた鳥を、住処でボトリ、落とすように。

 

 咥えてきた今日の外出の成果……恐るべき情報を……私へとボトリ、落としました。

 

 それはパパへの報告。竜の調査隊からの、訃報。

 

「まさか」

「本当、多分明日、ティナにも伝えられるんじゃない?」

「だってパザスさんは」

「パザスじゃない。念話で確認したもん。別の竜の仕業」

「そんなことって……」

 

 クソ兄貴が死んだ。

 幼少期から私をいじめ、虐げてきたあのクソ兄貴が。

 

「せいせいした?」

「……わかんない。驚きの方が大きくて、すぐには言葉が出てこない」

「……ふーん。まぁ身内とはいえ、あんなのが相手じゃそんなものよね」

 

 クソ兄貴が死んだ。

 一応は半分、血が繋がっている、兄のひとりが死んだ。

 

「……騙してるわけじゃないよね?」

 

 憎まれっ子世にはばかる、殺しても死ななそう……そんな慣用句が頭をよぎる。あまりのことに現実感がない、実感がわかない、それは本当のことだろうか?

 

「なんであたしがそんな嘘言わなくちゃいけないのよ」

「……それはそうだけど」

 

 そうだけど、アリスだからなぁ……。何をするかわからない系女子の。

 それくらいの嘘は言って、反応を楽しむくらい……しそう。

 

 本当に、本当の、本当?

 

「疑うならこうよ」

「あひゃん」

 

 わき腹をつつかれました。両方の。両人指し指で挟み込むように。

 

「それからこうとこう!」

「ちょ、アリス、やめっ、サーリャが起きちゃう!」

 

 サーリャは、薄い壁一枚隔てた隣室で寝ています。

 あれで変事には敏感で、前には時々、私がうなされて目覚めると、枕元には必ずその心配そうな顔があったくらいです。恥ずかしながらその後、一緒に寝てもらったことも……一度や二度ではないのです。

 

「いいじゃん、サーリャにはもう正体が知られてるんだし」

「刺激しなーいの。ただでさえずっと一緒に寝てたって言った時のサーリャ、怖かったんだから」

 

 アレはなんだろうな、レイプ目というか、NTR顔というか。ヤンデレっちゃったというか。

 なんか「そこになおれぃ!」とか言ってレイピア持ち出してきたし。アレは怖かった。

 

 どうなったって?

 

 くり出されたレイピアは、なんか結界魔法とやらで絶対防御されてましたよ。結界魔法は防御力次第で魔法的難易度が変わるんだとか。サーリャのレイピアは初級も初級で防げたとのこと。泣くなサーリャ。泣かせるなアリス。

 

「ふわぁ……もうこんな真夜中なんだからね」

「いい大口のあくびー」

「そっか……クソ兄貴、死んだのか……色々面倒になりそう……」

「面倒? せいせいするんじゃなかったの?」

 

 それはねー、それはー……なんでだっけ?

 

「……まぁ今はいいや。もう眠いし。……はー……そっかぁ……死んだのか」

「……そんな感じなんだね」

「んー?」

「ティナは、あの兄貴に、酷いことされていたんだよね」

「んー……まぁ、ね」

「この背中の傷も、アイツにされたって聞いたよ」

「あんっ」

 

 細い指が背中をなぞる。

 

 そこには、アイツがミアに手を出そうとした時、激情に駆られ、普段とは違う抵抗をしてしまったためについた、大きめの傷痕がある。もううっすらとしか残っていないけど、なんせ箱入り娘の真っ白な肌だ、髪を上げ、背中の大きく開いたドレスでも着れば、それはとても目立つことだろう。着ないけど。

 

「んー……まぁね」

「それもそんな感じなんだね」

 

 あのクソ野郎は、あれでだらだらと血が(こぼ)れるようないじめ方は好まなかった。

 八歳から先は、大仰になると流石に親が黙ってなかったってのもある。

 

「そんな感じ……って?」

「あまり氣にしてないみたい」

「……まぁ、ね」

 

 だからこの傷を負った時、私の背中からはドバドバと血が流れ、それを見たアイツは怯えたような顔になって逃げていったのだ。

 それから、アイツはミアへ手を出すことには消極的になった。

 

 クソ野郎の心理なんて考えたくも、(おもんばか)りたくもない。

 既に死んだしまった今となっては、アイツの頭の中で、なにがどう区分され、整理されていたのか、全ては闇の中だ。

 

 だけどこの傷は、私にとって、アイツからミアを守った証となった。

 だから私は、これをけして恥ずべきものではないものとして背負っている。

 

「あたし、あのクズのことはよく知らないけど、女の子の肌にこんな傷痕を残したってだけで万死に値すると思うわ」

「ん……」

 

 だからいいんだよ、アリス、そんな……怒ったような顔をしなくても。

 さっきからずっと、そんな風に、世の理不尽に怒る、中学生みたいに素直なふくれっ面だけど。

 

 ね?

 

 いいの。これはね? いいんだよ。

 

「うん……そうだね」

「死んで当然のクソ野郎だったんだよね?」

「……うん」

「……煮え切らないわねぇ」

「うん……」

 

 だってもう眠いもの。

 私は眠いんだよ、アリス。

 眠りたいの、アリス。

 

 すごく、眠い。

 

「ふうん。じゃあもう寝よっか」

 

 だからもう毛布を被って、暖かな布団の中で眠りたい。

 

「う……ん」

 

 眠らせて。

 

 ね?

 

「……おやすみ、ティナ……いい夢を」

「ん……お、や……すぅ……」

 

 そこで、私の意識は途切れる。

 

 消える意識の中で、何か温かいものが近付き、触れたような氣がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月光に。

 

 少女が立っている。

 

 その輪郭は、まだ女になり始めたばかりの、少しだけ丸みを帯びたモノ。

 

 その線が、月の光を受け銀色に光っている。

 

「そっか……そんな顔なんだ」

 

 少女は、ベッドで眠る同年代の少女を見て呟いた。

 薔薇色の髪が、薄く開けた窓よりの風にふわり、輝く。

 

「初めて見たよ、そんな、安らいだ顔で眠るティナ」

 

 少女は思い出す。

 

 このところ、毎日のように一緒に眠った同年代の少女が、時々うなされていたことを。どんな夢を見ているのか、うわ言で「助けて」や「痛い」を呟き、閉じた目のその端に、時に涙を浮かべ、苦しんでいたことを。

 

 ここへ来た当初の目的はティナのお尻の傷を、痕がのこらないよう完治させることだった。

 だから最初の時期に、ティナがうなされだした時は驚き、どこか別のところに異常があるのではないかと、その身体をあちこちまさぐったものだ。

 

 ティナの傷が完治して。

 

 ここにいる理由もなくなって。

 

 でも。

 

 うなされるティナを何度か見て、その肌と波動の暖かさに包まれて。

 

 そうしている内に。

 

 この場を離れる気は、いつの間にか融けて無くなっていた。

 

「……ずっと不思議だったんだ。昼間はあんなに明るく、落ち着いて見えるティナが、どうして夜眠る時だけ、あんな険しい顔で眠るのか。それはあたしがあのクズを燃やしてからも変わらなかった」

 

 少女は、表情というものが消えた、氷のような顔で、同年代の少女を見つめる。

 その(ぼう)を浮かばせる心底にあるのは、子供ゆえの残酷さか、それとも痛みを分かち合う覚悟か。

 

「だから言ってあげる。パパもママもいないあたしが言ってあげる。血縁関係のない人達が、愛情いっぱいに育ててくれたあたしが言ってあげるよ……昼に、普通に言うと不謹慎ってティナにも(さと)されそうだから……今言ってあげる。ティナ、血の繋がりなんて特別なものじゃない」

 

 少女は。

 

 人の世から離れ、狭く閉じた世界の中で生育した少女は。

 

 少女は。

 

 親の愛を知らず、土地に根を張り暮らす人々の中で生きたことのない少女は。

 

 同年代の少女を起こさないよう、小声で、何かに怯えるように、躊躇(ためら)うように……でも、早口で。

 

「言わせない。誰にも言わせない。身内の死で喜ぶのが人でなしだなんて。だってティナは喜んでない……多分これから先も、起きている間はそんなそぶり、絶対にしない。だからあたしが今、ここで言うの」

 

 決意した顔で、続ける。

 

「ティナがこんな風に眠れるようになったのなら、あのクズはやっぱり死んで良かった」

 

 エンドクサが推す善徳(ぜんとく)を無視し、少女自身の人間性と、善性で編み出した言葉を紡ぎだす。

 

 人の死を、祝福とする言葉を。

 

 それはパラドクス……或いは擬似の。

 

 アリスという関数は、その生い立ちが育んだ漸化式(ぜんかしき)によって、同じ引数(ひきすう)から人とは違う解を出力する。

 

 それは少女の正義。社会の常識においては否定されるべきものであっても。

 

 教えてモンティホール、それが叡智か憶見(おっけん)か。

 

 それは何にも縛られることがない、あるいは反逆の断行そのもの。

 

 

 

 ……だのに。

 

 そうであるというのに。

 

 少女の声はとても優しく、そしてそれは、普段の彼女ならまず発することのない、とても慈愛に満ちたモノで。

 

「良かったね、ティナ。その顔で眠れるようになって」

 

 安らかに眠る少女の額に、小さな薔薇色の唇が落ちる。

 

 その頬は、好いた人に自分との共通点を見つけた、幸運な乙女のように薄く紅潮していて。

 

 だけどそれは、月すらも見守ることのできない、影の中で。

 

「月が綺麗……」

 

 月は、秤動(ひょうどう)によりその裏面を(かす)かに覗かせる。

 

 その時観えていた貌は、どれだけ裏側だったのだろうか?

 

「それにしても黒い竜か……ううん、あれから四百年も経っているんだから……氣のせいよね」

 

 観測者の無い言葉が、誰にも届かず、揺れていた。

 

 

 



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16:一章の登場人物紹介++

 ここすきを入れてくださった方へ、ありがとうございます、嬉しかったです(´∀`)



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<2023年12月8日 追記>

 AI画像生成サイト、Stable Diffusion Online 様でキャラクターのイメージ図を作ってみました。

 利用規則を読む限り、使用には問題が無いようですが、当方の認識していない何かしらの問題が存在していた場合は、それを当方が認識した時点で削除致します。

 一章の登場人物紹介であるこのページには、ティナ7枚、アリス7枚、サーリャ7枚、ミア4枚のイメージ図が掲載されています。

 ただ、ご自身のイメージを大切にしたいという場合は、見ないことをお勧めします。



 

▼アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

▼ミア

▼サーリャ

▼エーベル(スカーシュゴード男爵)

▼マリヤベル

▼スカーシュゴード家の長男

▼ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴード

▼スカーシュゴード男爵家の執事

▼カテキョ

▼サーリャのパパ

▼ジレオード子爵

▼アリス

▼パザス

▼ルカ

▼赤竜討伐隊隊長

▼ベオルードIV世

▼占星術師ティア

▼メアリー・スー

 

▼九星の騎士団

 

▼AI画像アナベルティナ

▼AI画像アリス

▼AI画像サーリャ

▼AI画像ミア

 

 

 


 

 ●アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

 この物語の主人公。スカーシュゴード男爵家の長女。一章の段階では十三歳。

 誕生日は秋の一月(十一月)の二十五日。星座は温繭宮(おんけんきゅう)繭座(まゆざ)。地球換算なら十月十一日で天秤座。

 外見は、細身の身体にそろそろ腰まで届きそうな漆黒のロングヘア。完全なストレート。兄の暴力や本人の粗忽(そこつ)で毛先が痛むことが多かったので、毛先の方はけっこう細くなっている。瞳の色は父譲りの薄い琥珀色。

 

 本来の運命は悲劇のヒロインと呼ぶに相応しい、とても悲惨なものだった。

 それを哀れんだ(?)女史っぽい女神のような何かが魔改造を実施。

 魂に、地球で若くして死んだ男性の魂が癒着されている。

 そんな人格なので思考は割と迷走しがち。表面上は冷静に見えることが多いが、心の中はいつも大体すっちゃかめっちゃか。

 そこら辺りと関係があるのかないのかは不明だが、極度の興奮状態に陥ると息が吸えなくなるなどの症状が出て、最後には氣絶する。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 女史っぽい女神のような何かから「女性としてよりよく生きれる」チートを貰っている。効能は出生地周辺における女性の美徳に関する知識と技能、それから安産につながる健康で丈夫な身体。あと、これはチートではないが、悲劇のヒロインに相応しい程度の美貌は生まれつき持っている。ただし、本人が自分の姿を確認することに積極的でないため、自己イメージは「まぁブサイクではないよね?」というラインで落ち着いている。

 

 好きなものはミアとミアニウム。嫌いなものは死。

 


 

 ●ミア

 主人公アナベルティナと両親を同じくする実の妹。

 一章、アナベルティナ十三歳の時点では八歳。誕生日は不明。

 フルネームはミアリエル・ヤーセチカ・スカーシュゴード。ミドルネームがタチアナ然りロシア人のようだが、カナーベル王国周辺に父称(ふしょう)という風習、命名規則はない。過去にはあったかもしれないけど今はない。

 ミルクチョコレートのような薄い茶髪と水色の瞳。髪の長さは少し伸びたボブカット程度。ストレートだがクセがつきやすく、湿氣が多いとアホ毛ができる。

 八歳にしては幼い言動が多く甘えん坊。そこが可愛いとは主人公談。

 

 姉の呼び名が一章の間に「ねーちゃ→おねえちゃま→おねえちゃん」と変化した。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 秘めたる力があるとか、チート持ちであるといった設定は無いが、主人公にとっては天使、生きる意味そのもの。

 この物語では健康優良児だが、それはアナベルティナから漏れ出ているチートのおかげ。本来の彼女は病気がちで生まれ、幼くしてこの世を去る運命にあった。

 姉のチートを一番強く享受しているが、その恩恵が胸部装甲にまで至るかどうかは誰にもわからない。

 

 すきなものはおねえちゃん。きらいなものは悪意。

 


 

 ●サーリャ

 二年前より主人公アナベルティナに仕えてるレディースメイド。

 一章、アナベルティナ十三歳の時点では十七歳。

 誕生日は夏の二月の十四日。星座は斑牛宮(はんぎゅうきゅう)牝牛座(めうしざ)。地球換算なら七月十二日で蟹座。誕生日を聞いてから胸(何とは言わないがG~Hくらい)を見てプッて笑うとデスマスクになるかもしれない。どっちが?

 フルネームは現時点では不明。上に兄が二人、姉が三人いる子沢山な家の末っ子四女。

 軽くウェーブのかかったハニーブロンドの金髪。長さは背中の中程まで。

 

 西洋人形のような美人さん……なのだが色々もったいない人。あと残念な人。

 アナベルティナにヤラれてしまった被害者一号。スケコマシ的意味で。

 良くも悪くも主人公に人生を変えられてしまった人。アナベルティナが本来のアナベルティナであった場合はメイド、ならぬ侍女になることも無かった。そのルートで彼女がどういう人生を歩んだのかは……それは誰も知ることの無い物語。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 氣勢はいいが、別に武力が高いわけではない。チンピラ程度ならいなせるが、訓練された軍人や才ある武人に光り物を抜かれたら無理。ドラゴンなんかチビっちゃう。

 

 視覚より聴覚嗅覚優先の感性。若干匂いフェチの傾向あり。メイドは主人に似る。そうだっけ? 現代日本に生まれていたら声優にもハマっていたかも。

 掃除洗濯炊事とお嬢様のお世話は好きだし得意。でもお洗濯の前にお嬢様の服の匂いを嗅ぐ趣味がある。でも下着はNGとキッチリラインを引いている。それを、猫が見てる前でやったことがあるので、アリスがただの猫じゃないことを知ってからは、そのことをお嬢様にバラされてないか結構不安だった。でもお嬢様が何も言ってこないから少し安心している。本当に、安心して、いっいのっかなー?

 男性に興味が無いわけではないが、今はお嬢様が一番。

 

 好きなものはお嬢様と騎士道。嫌いなものはダブルスタンダード。

 


 

 ●エーベル(スカーシュゴード男爵)

 主人公アナベルティナの実父。アナベルティナ十三歳の時点では三十七歳。

 フルネームは現時点では不明。

 墨のように黒い髪と薄い琥珀色の瞳。

 ガワの印象は大帝のようだが、中身は凡人。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 でも凡人なりによき統治者であらんとし頑張っている。

 最近次男を亡くして悲しい。

 

 好きなものは家庭の平穏。嫌いなものはなぜかよく寄ってくる詐欺師。

 


 

 ●マリヤベル

 主人公アナベルティナの実母。アナベルティナ十三歳の時点では三十一歳。

 フルネームは現時点では不明。

 チョコレート色の髪、(はしばみ)色の瞳。

 

 生家の身分が低く、おまけに後妻なので家の中での発言力は低い。娘二人を産んでからは更に低下した。

 でも娘達には幸せな結婚をしてもらいたいと思っている。

 ドライフルーツのスィーツ作りが趣味。これは実益も兼ねている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 カナーベル王国、アナベルティナ、エーベル、マリヤベル、に共通する「ベル」はどれも同じ意味。この世界における六百年程前の哲学者が提唱した概念。日本語でいえば「仁」と「智」と「敬愛」を合わせたような意味合い。語源は南方で神格化された王「マルドゥク」の尊称「ベール」。知性より生まれる理性的愛情の概念。親が子を愛するような親族間の本能的愛情は「マリア」と呼ばれ、「マリヤ」はその連用形である。ただし、通俗的には母の愛がマリアで父の愛がベルと解されることも多い。なお性愛は「ベール」の女兄弟「イナンナ」(姉であったとも、妹であったとも、いや両方いたのだとも伝えられている)を語源とする「イナ」で、「アナ」もこれと語源を同じくする言葉である。

 

 地球の哲学に無理矢理当てはめれば「ベル(他人への敬愛、理性的な友愛、人間愛)」がフィリア、「マリア(家族愛)」がストルゲー、「イナ(性愛)」がエロスに該当し、「アナ」は神の愛を意味しアガペーに該当する。

 

 マリヤベルは、「家のため、理性的に人を愛す」という意味合いの名前になるので、情愛を善しとしない貴族社会の女性にはよくつけられる名前。貴族令嬢を十人集めたら、必ずひとりか二人はマリヤベルなんてレベル。アナベルティナはもう少し情愛寄りに近いイメージとなり、むしろ商家や騎士家の令嬢に多い。「ティナ」が日本の命名における「奈」に近い使用法なので、アナベルティナを無理矢理日本人女性の名前に変換すると、近いのは「愛奈」となる。花子ではない。「愛智奈」でもいい。アッチーナ。

 

 なお、マリヤベル本人は名前に反し情愛優先のお人の模様。夫エーベルとは色々な意味で仲が良い。今でも寝室どころかベッドも一緒。ただ、結婚して三年目で夫が戦場に行ってしまったので、その当時は色々もてあまして大変だったそうな。アナベルティナが育児放棄氣味になった理由のひとつがそれなのだが、その辺は生々しい話になるので表には出てこない。

 アナベルティナが本来のアナベルティナであった場合、ミア早世後に浮氣して(というかNTRれて)スカーシュゴード男爵家を大混乱に陥れるが、ミアが早世しないこの世界線ではそういう展開は起きない。間接的に、今のアナベルティナにものすごく救われてる人。本人も当人も氣付いてないけど。

 

 好きなものは恋愛話。嫌いなものは難しい話。

 


 

 ●スカーシュゴード家の長男

 主人公アナベルティナの腹違いの兄、上の兄。現時点で名前は不明。

 アナベルティナ十三歳の時点では二十一歳。一章が夏~秋の話なのでアナベルティナとは八つ違いだが、誕生日がアナベルティナより後なので、一年で数ヶ月の間は七つ違いになる。

 何を考えているのかよくわからない風貌。次男からは見下されていたが、父からも領民からも将来を期待されている。一章の段階ではスカーシュゴード家の領地をあちこち飛び回っていた。

 

 腹違いの妹達に対する興味は薄い。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 父親であるエーベルが十六歳の頃に生まれた子供。カナーベル王国周辺の男性貴族の適齢期は十八から二十二くらいまでなので、その出生には何か事情があったのかもしれない。

 設定的には過去に少しサーリャと繋がり……というか因縁があったりする。

 

 好きなものは亡き母と釣り。嫌いなものは不条理。

 


 

 ●ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴード

 主人公アナベルティナの腹違いの兄、下の兄。享年十九歳。

 なぜコイツにフルネームがあるんだ。

 

 生まれに同情すべき点が無いわけではないが、そんなものをぶっちきりで天元突破するレベルに本人の資質がクソ野郎だった。弱いものいじめ大好き。弱いものいじめできる自分は強い、強いものが偉い、ゆえに自分は偉い、偉い自分を軽んじる人間はゴミ、ゴミには何してもいいという、中間がどこかで捻れている単純思考。悪い意味で脳筋。

 

 一章の最後で、黒い竜になんかされて死んだ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 安心してください、実は生きていました展開はありません。

 

 向上心はあったが、向かう先が「誰も自分を軽んじない世界」「誰であっても自分が好きなようにいじめていい世界」だったのでどうしようもなかった。

 ゆえにクソ野郎としてその生を全うした。ハゲたことを悲観して死んだわけではない。

 一時、コスムラドという名前に変えるか悩んだ。そういう役回り。ザーコキシ的な。

 

 なお、アナベルティナが本来のアナベルティナであった場合の運命は、拷問に耐え切れず獄死というもの。本作の展開では、遠距離からドラゴンブレスとか魔法っぽいモノに燃やされての焼死っぽい終わりだったが、どちらにせよろくでもない人生だった。

 

 アナベルティナ虐め、略してティナ虐が楽しすぎて、それが趣味になってしまった。もう少し色々な基本性能が良かったら愉悦部になれたかもしれない。

 ただ、アナベルティナが本来のアナベルティナであってもやっぱり虐めていた。その場合はもう少し鬱屈したいじめ方になった。魂からドブの匂いがする根っからの外道。でも楽しさマシマシになった分、こっちの世界線の方がいい人生を送れたんじゃないかな。痛みも一瞬だっただろうしね。

 

 好きなものは自分が玩具にできる存在。嫌いなものは自分より強いか偉そうにしてるゴミ。

 


 

 ●スカーシュゴード男爵家の執事

 色々不明だがとにかくスカーシュゴード男爵家の執事。名前はセバスチャンではない。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 とはいえ、特に重要なキャラというわけではない、蓋然(がいぜん)。ロリコンでもない。それは別の世界線では人妻を喰っていたくらい確かに、昭然(しょうぜん)

 

 性格は、簡単に言えば事なかれ主義。

 ボソルカンに強く出れなかったのは、彼が家を継いだ場合も考えての保身。学校の先生ならいじめがあったことを絶対に認めないタイプ。とはいえ、別に悪人というわけでもない。物事を穏便に解決しようとするあまり、むしろ悪化させがちであるという小市民。

 

 年齢も不明だが、おそらく四十代の前半。ただ髪には白髪が七割ほど混じる。

 結婚歴も離婚歴もないが、子供を産ませた女はいる。養育費も全員分……五人分送金している。ぎょーさん産ませやがってんなヲイ。

 一年に二回ほど子供と会っているが、子供の方は総じて彼に冷たい。性別は息子二人、娘三人で、娘のひとりは、アナベルティナのメイド……ではなく侍女候補に挙がっていたのだが、マリヤベルにあっさり面談で撥ねられてしまった。何が問題だったのかは不明だが、彼女がアナベルティナの侍女になっていた場合、この物語はおそらくもっと悲劇的で厭世的なものになったであろう。

 

 好きなものは平穏に過ごせた一日。嫌いなものは平穏に過ごせなかった一日。

 


 

 ●カテキョ

 アナベルティナの家庭教師。特に役割以上の設定はない、というか何人かいるし。

 一部はミアの家庭教師も兼任している。

 


 

 ●サーリャのパパ

 スカーシュゴード男爵家に仕える騎士。サーリャの父親。

 名前年齢等不明。温厚な性格の脳筋。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 それなりに強い。武力はきっと七十台後半。于禁(うきん)廖化(りょうか)雷銅(らいどう)クラス。

 アナベルティナ十三歳の年は、夏の一月の頭頃に(某クソ兄貴のせいで)足を怪我し、それからずっとリハビリ中だった。

 だがその元凶のことも、特には嫌っていなかったお人好し。なおボソルカン側は自分を邪魔する女の父親ということで嫌っていた。ゆえに嫌がらせをしていた。確信犯だった。片想いって悲しいなぁ。

 

 子供は長男、長女、次女、次男、三女、サーリャ(四女)の並びで六人。

 

 好きなものは温泉。嫌いなものはマンゴー(種を飲み込んでしまったことがあるらしい)。

 


 

 ●ジレオード子爵

 スカーシュゴード男爵家と同じ派閥に属する貴族。

 アナベルティナ十三歳の時点では三十五歳。

 スカーシュゴード男爵とは友人。先の戦争で知り合ったらしい。

 十年ほど前にただひとりであった妻を亡くしてからは後妻も取らなかったが、十一歳のアナベルティナに一目惚れしたロリコン……もとい被害者二号。

 アナベルティナからはチョロめの「いい人」扱いをされている。

 

 子供は長女、長男、次男の並びで三人いる。

 彼が主人公へ贈った宝石に、とんでもないものが封じられていた。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 好きなものは薬学の研究。嫌いなものは病。

 


 

 ●アリス

 四百年前の歴史にその名を残す、エルフの女王リーンと、九星の騎士団、団長カイズの娘。当人も両親の馴れ初めなどは知らないらしい。

 アリスでフルネーム。

 外見年齢は十二歳程度。生まれ年から換算した年齢は四百歳以上。でも精神年齢はやっぱり十二歳程度。九星の騎士団参謀軍師パザスと共に四百年ほど宝石に封印されていた。なお胸はアナベルティナより若干アリスの方が上。

 誕生日は春の二月の十四日。星座は鍵尾宮(かぎおきゅう)山猫座(やまねこざ)。地球換算なら四月二十六日で牡牛座。

 薔薇色のロングヘアと七色に変化する瞳。虹色の瞳は母親譲り。なぜか黒い軍服なようなものを着ている。下は膝丈のタイトスカートと黒スト。よく一緒のベッドで寝てるアナベルティナからは「着替えないけど不潔にならないのかな……くんくん、あ、でもいい匂い。ミアには負けるけど」と思われている。あとノミが平氣なのかとかも。その辺は魔法でなんとかしてることにしよう。

 短いが尖った耳を持つハーフエルフ。

 

 九星の騎士団、その残党の何人かに甘やかされて育ったのでわがまま。

 変身魔法など、高等魔法、上級魔法、超級魔法などと呼称される難しい魔法を使うことができる。

 ただし対軍戦闘の経験が皆無だったため、範囲魔法は苦手。

 変身魔法で変身した姿は赤毛の猫。耳の大きなアビシニアン系統。それ以外にもなれるけど面倒……とは本人の弁。

 赤竜のパザスとは念話のパスが通っていて、いつでも会話できる。でもパザスからのメッセージは既読スルー氣味。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 エルフが姓を名乗る場合、それは集落名となるが、アリスに生まれ故郷は無く、彼女もそのことに頓着はしていない。発音は英語的に表記するならAliceではなくAlusに近い。だがアナベルティナは馴染みのあるアリスという発音で呼んでいる。そしてアリス自身もまぁそれでもいいやと思っている。やっぱり頓着しない。

 

 クソ兄貴ことボソルカンを見た時は「なにコイツ、さっむ」と思っていた。

 最近ではアナベルティナからあふれ出てくる陽の波動にヤラれかけている。ハーフとはいえエルフなので感応性が高いのが災いした。主人公の被害者三号の最有力候補。最近では「ママ」と言ってその胸に飛び込みたい衝動に駆られるが、肝心のそこがまっ平らなので、すんでのところで思い留められている。もうちょっとでぬこまっしぐら。そんなことで動く物語なんかコレ。

 

 好きなものはあったか布団。嫌いなものはタマネギ。

 


 

 ●パザス

 四百年前の歴史にその名を残す、九星の騎士団の参謀軍師。または灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士。

 年齢、フルネームとも不明。

 現在では呪いで赤い竜の姿になっている。

 呪いをかけたのは人間の魔女ドゥームジュディ。

 

 意外と猪突猛進な伝説の軍師様。

 一章の後半時期では辺境の地域を飛び回って情報収集中だった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 竜の姿でどうやって情報収集しているのかは不明。まぁ鬼謀策謀(きぼうさくぼう)を縦横無尽に操るそうだからなんとかしてるんじゃないかな。

 

 好きなのは見聞を広めること。悲しいものは既読スルー。

 


 

 ●ルカ

 四百年前の歴史にその名を残す、九星の騎士団、金剛石(ダイアモンド)の女騎士。

 水神に祝福されし流体機動の聖女……と伝えられているが、その正体はスライム。

 

 一章においてはその欠片だけが登場。だがそれには知性が微塵もミジンコほどにも残されていなかった。ゆえに理性無きスイカ大のスライムとなりてアリスを襲った。そして速攻で……アナベルティナの献策によりて……パザスのドラゴンブレスで消滅させられた。

 

 知性や記憶が全身に散らばっているため、部分的に欠損すると、その分知性や記憶が失われる。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 そもそも繁殖しないので(この世界のスライムは無機物から個体として生まれ、個体のまま死ぬ)性別は無いが、九星の騎士団に入ってからは女性の人型の姿だった。その頃の姿は、アイアなる人物の監修を受け顔はおっとり系、胸部装甲はぽよんぽよんだったとかどうとか。

 なお、カイズ達と袂を分かちてからは、女性だった頃の姿をベースに、胸部がまっ平らな、優しげな美少年風の姿になったとかどうとか。

 

 本体は今なおどこかで生存している。

 

 好きなものは美しいと思えるもの。嫌いなものは熱。

 


 

 ●赤竜討伐隊隊長

 カナーベル王国軍所属対竜(たいりゅう)特殊部隊実働隊第二班班長。

 現時点で名前や年齢は不明。

 アナベルティナより、やや大きい程度の身長。

 全身からパッシブで闘氣や殺氣が迸っている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 身長を具体的に言うと百六十数センチくらい。どこかの兵長のパクリではない。刈上げ君でもない。両サイドに色の違う編み込みがあるなど、結構複雑な髪型という設定だが、あまり本編で描写する氣はない。多分需要も無い。

 

 好きなものは恩師と戦場。嫌いなものは停滞と弱さ。

 


 

 ●ベオルードIV世

 カナーベル王国の現国王。年齢は現時点では不明。

 フルネームも現時点では不明。

 プラチナブロンドの金髪。妻である王妃は青みがかった黒髪。

 

 基本、自分の治世における領土の拡大は考えていないが、十年ほど前に仕掛けられた戦争で切り取られてしまった領地は、なんとかして取り戻したいと思っている。

 それもあって現在は富国強兵を()とした国策を()いている。

 なお、カナーベル王国には軍事に長けた人材が少なめ。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 側室は十数人いたが、早くに正妻から男子が続けて二人生まれたので、何人かを残しあとは実家に帰らせた。公爵家出身の正室はその後も男子二人、女子二人を産んで四男二女の母となり実家の権勢を強めている。意外と愛妻家で恐妻家。

 王としては現実主義者。その治世は質実剛健だが、利用できるものは善であれ悪であれ、健全なものであれ不健全なものであれ、形有るものであれ無いものであれ、何でも利用するタイプ。人を能力でもって見るので、あまり身分や人種に拘泥するタイプではないが、国内の秩序安定のため、一定の差別、格差、権力の恩恵に与れぬ者が存在するのはやむなしと思っている。

 

 某長寿歴史ゲー十五作目の目玉システム、大志(PK)で表現するなら

 ベオルードIV世 志:失地奪還

 特性『失地王の意地』

 良効果「富国強兵の号令」軍事の方策力を多く手に入れられる

 良効果「勤倹尚武」武勇が80以上の武将を5人以上家臣にすると、部隊の戦闘力が上がる

 良効果「好学尚武」知略が80以上の武将を5人以上家臣にすると、家臣の成長が早くなる

 悪効果「衆心離反」決戦に敗北すると、家臣の忠誠が大きく下がる

 特性『去華就実の仕儀』

 良効果「名より実」商圏の投資費用が減る

 良効果「愚公移山」民忠が70以上の拠点を5個以上所持すると、開墾の効果が上がる

 良効果「虎穴虎子」大命、闇取引に5回以上失敗すると、その失敗率が下がっていく

 悪効果「独立不撓」親善の効果が下がり、交渉が不利になる

 大命『民衆大動員』『闇取引』『徴兵号令』『農兵精練』『有備無患』『馬術調練』『花押入感状』

 こんな感じ。

 ……意外と強いな。まぁさほど好戦的ではないので、CPUに任せたらすぐ他に喰われそうだけど。

 

 好きなものは美酒。嫌いなものは内憂外患(ないゆうがいかん)

 


 

 ●占星術師ティア

 十年ほど前、カナーベル王国に現れ、その占いの、驚異の的中率でメキメキと頭角を現し、ついには王家の諮問機関の一角にまで食い込んだ男性。

 でも時々女言葉。

 病人のように痩せている。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 好きなものは煙草。嫌いなものは”母”。

 


 

 ●メアリー・スー

 彼、または彼女は、肉体に縛られることの無い知性であり、その集合である。

 人間が観測できるものより数段階上の次元でなければ、その全容の観測は不可能である。

 群体だが、一応一個性として成立している。

 

 某惑星の貴族令嬢、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードが、見事なまでに悲劇のヒロインな宿命を背負っていたので、そこに、「もっと生きたい」と強く願う魂を入れたら面白いんじゃないかと思い、それを実行した。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 人間の前に姿を現す場合は、そのものが好意を抱くなんらかのモノの形をとることが多い。猫好きなら猫神様とかそんにゃにゃん。ちなみに似たような存在、近隣種に、そのものが恐れを抱くなんらかのモノの形をとって現れるナニカ……というのも存在しているらしい。SAN値がアレ的な界隈のアレ。

 

 肉体が無いので不老不死だが、彼らは「興味あること」を喪失した瞬間に、その記憶の連続性を失ってしまうので、不滅というわけではない。

 その特性から、いつも「興味あること」を探し世界を観測している。

 

 自分達より低位の次元にある事象には干渉が可能。

 例えば因果の変更、魂の位相変換とその着脱、物体である肉体の特性変化など。

 時間の流れ、生命現象そのものの根源には干渉できない。特に後者については彼ら曰く、「そんなの俺ら、僕ら、私らより数段上の次元、真界イデアと呼ばれる境地にまで至らないと全容が観測できないんじゃないかな」……とのこと。

 有意義な観測には感情移入が有益であることを知っているので、人間的なあれこれに理解が無いわけではない。食事やセックスもやろうと思えば可能。というかちょいちょい楽しんでいるとかなんとか。その顛末、くっとぅるーな神話とかになってない?

 なお、そうした行為の結果子供ができたとしても、生まれてくる子供はただの人間である。

 

 最近では、なんか上手く転がってきたので観戦に本氣を出し始めている。

 

 好きなものは最近だと中二病。嫌いなものは最近だと高二病。

 

 メアリー・スーは自称。たとえればネームエントリーのようなもの。人間に理解できる名称は本来持ち合わせていない。

 

 

 


 

 ■一般的に知られる九星の騎士団リスト(6話本文より抜粋)

 

 紅玉(ルビー)の騎士、カイズ。この世全ての悪を斬る騎士団長。

 月長石(ムーンストーン)の騎士、リルクヘリム。その怪力は空間をも捻じ曲げる副団長。

 珊瑚(コーラル)の騎士、アムン。その血を聖水に変え魔を滅ぼす聖騎士。

 翠玉(エメラルド)の騎士、オズ。体躯の何倍もの重量の斧を操る戦士。

 黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、アイア。隻眼隻腕だが槍と弓を極めし東国武士。

 金剛石(ダイアモンド)の女騎士、ルカ。水神に祝福されし流体機動の聖女。

 碧玉(サファイア)の騎士、エンケラウ。愛馬ユミファと共に天を翔ける闘士。

 灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。鬼謀策謀(きぼうさくぼう)を縦横無尽に操る参謀軍師。

 猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。氣を読み氣を操ったとされる武道家。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※警告

 

 ここより下に、AI生成画像によるキャラクターのイメージ図が掲載されています。ご自身のイメージを大切にしたいという方は閲覧を控えてください。

 

 イメージ図を閲覧しないで次の話へ行くには、ここをクリック(タップ)し、ジャンプ先から『次の話』に進むか、または目次へ戻り、そこから17話を読み始めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

■アナベルティナ

 

1:作者のイメージに最も近かったもの

 

【挿絵表示】

 

少年っぽさと少女っぽさがいい塩梅で混じり合っている感じ

 

 

 

2:少しイメージは違うが、なんか好きだったもの

 

【挿絵表示】

 

ちょっと和風すぎるかな? こういう、強さを感じる笑顔には憧れますね

 

 

 

3:色々違う(目の色とか)がキャラの雰囲氣にはぴったり合うもの

 

【挿絵表示】

 

なんとなく、ティナはいたずらっ子っぽいけど、少し陰もある感じかなと

 

 

 

4:色々やってたら出てきた美少女。コレジャナイけど可愛い

 

【挿絵表示】

 

こういうの、実在の誰かに似ているのですかね。似てたら肖像権の問題が出るけど

 

 

 

5:転生者の魂が癒着していないティナ(の成長後)はこんな感じ。悲劇が似合いそう

 

【挿絵表示】

 

指がおかしなことになるのはAI画像にありがちなことです

 

 

 

6:??? 二章の割とどうでもいいネタバレ

 

【挿絵表示】

 

狐のお面はどうやっても出せませんでした。顔面まで狐のケモノ娘なら出てきたけど

 

 

 

7:??? 二章の結構重要なネタバレ。コレはなんでしょうか

 

【挿絵表示】

 

なんなんでしょうね、コレ

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのティナが正解というわけではありません

 


 

■アリス

 

1:作者のイメージに最も近かったもの

 

【挿絵表示】

 

服が軍服っぽくないけど、キャラの感じはこれがイメージに近い

 

 

 

2:パザスさんとのツーショットを出そうとしたけど、これが限界だった

 

【挿絵表示】

 

アリスがドラゴン娘になったり、色々グロ画像になったりと難しかった

 

 

 

3:おめかしアリス

 

【挿絵表示】

 

サーリャの着せ替え人形にされた後、の図

 

 

 

4:にゃーん

 

【挿絵表示】

 

にゃーん

 

 

 

5:15話のイメージ。リアルめ版

 

【挿絵表示】

 

ピンク髪がリアルかどうかはともかく、月明かりにはピンク髪の方が合うのですよね

 

 

 

6:15話のイメージ。アリスのイメージ重視版

 

【挿絵表示】

 

アリスは夜行性

 

 

 

7:??? これもアリスです

 

【挿絵表示】

 

でもこれは、最後の方まで読まないと意味がわからないかもしれない

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのアリスが正解というわけではありません

 


 

■サーリャ

 

1:作者のイメージに最も近かったもの

 

【挿絵表示】

 

頼りなさげだが包容力はありそう、巨乳だが下品ではない、絶妙なバランスの存在感

 

 

 

2:少しイメージは違うが、なんか好きだったもの

 

【挿絵表示】

 

これだと少し無敵感があるというか、強い女性過ぎるかなと。でも好き

 

 

 

3:初登場時のサーリャ

 

【挿絵表示】

 

敢えてこれの解説はしません

 

 

 

4:水色の布をみてうっとりするサーリャ

 

【挿絵表示】

 

きれいな顔してるだろ、ウソみたいだろ、変態なんだぜ彼女

 

 

 

5:おはようサーリャ、理想版

 

【挿絵表示】

 

R-15タグさんにも仕事をしてもらわなきゃ困る

 

 

 

6:おはようサーリャ、現実版

 

【挿絵表示】

 

メイドの朝は早い。そしてサーリャは意外と大食い

 

 

 

7:??? バーベキュー?

 

【挿絵表示】

 

豚串です

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのサーリャが正解というわけではありません

 


 

■ミア

 

1:作者のイメージに最も近かったもの

 

【挿絵表示】

 

紫陽花は『アナベル』だと出なかったので、『色名+ハイドランジア』で出しました

 

 

 

2:少しイメージは違うが、無垢な子供感はこれが一番だった

 

【挿絵表示】

 

AIさん、素朴に無垢な感じは苦手なのか、あんまり出してくれないんですよね

 

 

 

3:天使

 

【挿絵表示】

 

ティナにはこう見えてるかもしれない、という図

 

 

 

4:スク水を着せたかったが、無理だったのでなんかこうなった

 

【挿絵表示】

 

一応断言しておくと、本編にこんなシーンはありません

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのミアが正解というわけではありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二章
17話:純粋体と不純体の対照


<悲劇進行世界線・純粋体アナベルティナ視点>

 

 目の前に死が広がっていました。

 

 過酷な訓練によって、鋼のように鍛え抜かれた、そうであったはずの頑強なニンゲンの肉体が、物言わぬ物体となって、そこかしこに転がっていました。

 ところどころに、奇怪な墓標のようなものが地面に突き立てられていて、それはよく見れば熱に強いはずのミスリルの槍、そうだったはずのモノでした。

 あまりの高温に晒され、変形してしまったのでしょう。

 

 肉の焼ける臭いがします。

 

 ミスリルの槍ですら変形してしまうほどの炎に、人の身が耐えられるはずもありません。

 

 兜を被っている死体は顔が赤と黒のまだらに、被っていない死体は頭が黒焦げに、それぞれが、そうなっていて、ここはまるで、そういう規格で揃えられたお人形の、最終廃棄処分場のようで、皆が同じ色に染まってしまっています。

 

 炭化した黒。

 黒ずんだ血の赤。

 炎に晒され、変形してもなお変わらず、青を含む鈍い銀色のミスリル。

 

 健全なモノはもうどこにもなくて。

 歪んで壊れ、破滅という死神に身を食い尽くされた、もしこれでまだ息があるのならその方が辛くなるような、それはもう無残に焼き焦げていて、破壊されつくしていて、原形を留めないナニカ。

 

 ここにあるのは、ほんとうにもうそれだけで。

 

 それに、私は何も思えない。

 

 何も思えないことに、そのこと認識することで、心がひび割れていくような氣がするのだけど、それはもう、ほんとうに、それだけのことでしかなくて。

 

 むしろ兵士、戦士……立派な体躯をもった皆々様が無残に殺され、物言わぬ物体となってそこらじゅうに転がっているさまに、どこか引きつった笑いが出てきてしまいそうで。

 

 死だ。

 

 ここにあるのは圧倒的な死だ。

 

 これを前にして、人は男であるとか女であるとか、人間であるとかエルフであるとか、ドワーフであるとか獣人であるとか、力が在るとか無いとか、性格が善いとか悪いとか、虐待を、する者であるか、される者であるかとか、そんなのもう、なにも、なんにも、かんけいない。

 

 死は平等ではない。

 

 訪れるそれは、穏やかなモノもあれば、激しいモノもあって。

 訪れるそれは、苦しいモノもあれば、安らげるモノもあって。

 訪れるそれは、悲しまれるモノもあれば(よろこ)ばれるモノもあるでしょう。

 

 だけどそれは関係ないのです。

 

 どのような人間であっても、死を経て成るモノは死体。

 

 それだけは一緒。

 

 同じ色に支配される。塗り潰される。

 

 死は平等ではない。

 

 だけど『死体』は平等で。

 

 どこか笑い出したくなるほど統一されていて。

 

 死ねば皆同じ。

 

 目の前の光景は私へ、それだけを雄弁に語っているようで……。

 

「おい」

 

 呼ばれ、振り向こうとすると首の筋がピキと痛みました。それに、顔をしかめていると、呼んだ男性……腹違いの兄、ボソルカンが「シケた顔しやがって」と言いながら、私の前髪を掴んできました。

 

「痛い」

「こんな所にいつまでもいたんじゃ俺達も危険だ。竜がいつ戻ってくるかもわからん。帰るぞ」

 

 帰るぞという、ただそれだけの言葉に、なぜ暴力が伴うのか。

 頭皮が引っ張られ、髪の何本かは抜け、屈むしかない体勢ではどちらに道があるのかもわからない。帰るというならその手を放してほしい。この兄はいつもこうだ。理不尽で意味がわからない。

 

 ここへ、私を連れてきたことからしてそうだ。

 

 危険が少ないのであれば、ひとりより二人の方がリターンは多い。長男である上の兄と、病弱であるミアは駄目だが、アナベルティナ()ならば問題ない……と父を言いくるめ、リスク管理が必要と訴える母と執事を「臆病者」と罵倒して、いいように使える、時に殴り蹴って鬱憤を晴らす道具ともなる私を、この地へと連れ出した。

 

 先に自分から父に志願しろと脅され、命じられていたから、私も父へそう訴えたけれども。

 

 もし志願しなければ教育し直して、父と母の前で、裸で土下座させてやるからなと脅されていなければ……勿論そんなことはしなかった。

 

 そこまでいうからには、この兄はなんとしてもその()を通すだろう。それを(はば)む何かは、私にはない。だからすぐに諦めて、随行を自分から願い出たけれども。

 

 私は、こんな場所へは、本当は来たくなかった。

 

 帰る、帰らないの前に、最初から来たくなかった。

 

「帰りますから、手を放してください……」

「……ふん」

 

 突き飛ばすように、頭が押されます。また首の筋が痛みました。

 

「なっさけねぇよな、こいつらがこの国で最強の竜殺しだってんだからよ」

「……」

「ゴミカスのクズが偉そうにしやがって。負け犬め。まぁ尊き血の序列も理解できないゴミ溜めがごとき頭では、こうなるのが当然で必然だな」

「……」

「おい」

「……はい」

「吐くなよ?」

「……え?」

 

 ドゴッ……と。

 身体の中央が衝撃に震える。

 

「ぐ……う……」

 

 兄の膝が、私に腹にめり込んでいて……。

 

 背骨まで軋むような重い痛み。

 

 何のために、という疑問が浮かんで、消える。

 

 愚問だ。

 

 この兄は訳もなく、意味もなく私を殴り、蹴る。

 いつも何かに腹をたてていて、その鬱憤を私へ吐き捨てていくかのように、荒ぶる。

 

 うずくまったその岩の地面に、どこから種が飛んできて育ったのか、蕾をつけたまま……水不足でしょうか?……枯れたペチュニアの残骸が横たわっていました。なぜだか(ミア)の顔を思い出して、悲しくなります。

 

「ウスノロが、うずくまってんじゃねーよ。さっさといくぞって言ってんだろうが」

 

 人の膝を折るような真似をしながら、理不尽に罵倒してくる兄に、私は思考することをやめる。

 

 死体が廃棄された大地に背を向けて。

 

 震える足に鞭を入れながら、そのおぞましい背中に追従(ついじゅう)を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

<悲劇キャンセル世界線・不純体アナベルティナ視点>

 

 こんにちは、アナベルティナ十三歳です。

 夏の三月も下旬に入り、私の十四歳のお誕生日まではもう一月と半分も切りました。

 

 みんな祝福してくれるでしょうか。

 おいしいご馳走、食べられるでしょうか。

 

「ティナ様のポニーテール……(てぃて)ぃっ」

「やっぱりアリスはツインテールが似合うよね」

 

 まぁそんなことはどうでもいいのです。

 

 あと一ヶ月と少しとなった誕生日を前に、パーティでの私のドレスをどうしようかという話になりました。今年は、去年までとは比べ物にならないほどの大掛かりなモノにして、賓客(ひんきゃく)も沢山呼ぶのだそうです。

 

 つまり私は、そんな大規模なパーティで、目一杯のおめかしをしなければいけないそうです。これはサーリャよりの嘆願などではなく、ママよりの厳命なので、もう逆らえません。

 

 ……その意に氣付かない私でもありません。いよいよもって婚約の日が近づいて来ているのでしょう。(うち)の娘のお披露目会ってヤツですね。当事者の氣分的には波に漂う釣り餌のそれです。いつパクっといかれちゃうんでしょうか。大物過ぎても竿からボッキリですから、私と男爵家が(ぎょ)せる程度の大物にかかってもらいたいものです。どうでもいいけど、海老で鯛を釣るって、海老次第じゃ全然コトワザ通りの意味にならないですよね。具体的にいえば伊勢海老でチダイを釣るとか、ロブスターでキチヌを釣るとか。じゅるり。

 

 糸を扱うのですから、裁縫チートの範疇に入っていませんかね、釣り。

 

 まぁそんなこともどうでもいいのです。今は。元日本人として、海産物チートはいつかしてみたいというのが本音ではあるけれども、ええ。

 

「ミアー。ミディアムヘアを少し編み上げハーフアップ~」

「みゅ……ぅゅ」

 

「ミアー。サイドを結って、くるりんぱー」

「ん、んみゅぅ」

 

「ミアー。お団子~」

「にゅ……みぅ……」

 

 はー。ミアは何しても可愛い。

 

 くすぐったそうに、恥ずかしそうに頬を赤くするいつもとは違うミアを見ていると、人生の甘美に全身が(とろ)けそうになるね。

 

「……今日は貴女(あなた)で遊ぶひ……じゃないわ、貴女をスタイリングする日なのに、どうして貴女が妹の髪をいじってるのっ」

 

 おいおいアリス君。

 

 君、今、貴女で遊ぶ日って、全部言っちゃってたよね。

 

 そういう今日のアリスはツインテールなんだけど。

 

「アリスにゃん、かわいー。うさぎさんみたい」

「あー、そっか、ツインテールって垂れ耳のウサギ(ロップイヤー)みたいって表現もあるのか」

「……なんだかあまり嬉しくない表現ね」

 

 アリスは、サーリャやミアに正体を隠す必要がなくなってから、日中のお出かけも減り、いつのまにやら私達と長く過ごすようになりました。今も(そば)にいます。ミアやサーリャもすっかり慣れたモノで、特に意識するようなこともありません。私やミアのお部屋限定の人間形態ですが、まぁ私の行動範囲も割とその二点に絞られるので、毎日四、五時間はそんな感じです。学生が校内で同級生と過ごす時間くらいは、そんな感じってことですね。

 

「えー、いいじゃん、うさぎ、私は猫より可愛いと思うよ?」

「それあたしに喧嘩売ってる!?」

 

 そんなこんなで、今日はみんなで、髪形を色々試してみようって感じの日になりました。

 

 窓際には色とりどりのペチェニアの鉢も飾られていて、華やいだ雰囲氣です。

 

「ほぅらー、ミアも両サイドをつまんでロップイヤー」

「ゅー……」

「アンタ、妹がなにもかもなすがままにさせてくれるミアちゃんでよかったわね……」

 

 本当は私の髪のみ、試す予定だったのですが、それでは(私が)面白くないので(私が)無理矢理みんなを巻き込みました。

 

 アリスは早々にツインテールがバッチリ決まってしまったので、今はもうスタイリスト兼観戦者側に回っています。戦?

 

 いいですね、赤髪ツインテール。薔薇色ですけど。王道も王道のテンプレです。黒い軍服とも相まって違う世界の人のようです。ロボットアニメとか戦記ファンタジーとか、あの辺の。

 

 是非突然ドイツ語とかロシア語で喋りだしてほしいものです。まぁロボットアニメはさほど見ていませんけどね。見知らぬ天井のアレとか、ワイの歌をきくんやのアレとか、有名どころくらいです。そういえば多少はプレイしたはずのス●ロボの記憶も、なぜだか結構飛んでいます。センシティブ案件だったのでしょうか? 十八禁ゲームでもないのに?

 

「さって、ひとしきりミアの髪を堪能したところで……そろそろサーリャの番?」

「わ、私ですか!?」

 

 実は、私には、サーリャの見事なハニーブロンドの金髪を見ていて、昔からやってもらいたかった髪型があるのです。

 

 それはズバリ。

 

「エース●狙え!」

「……は?」

 

 未読ですが、某バタフライな夫人(ルーサーロングじゃない方)の髪型は有名です。昭和とか言うない。名作は世代も世紀も元号すらも超えるのだい。読んでないけど。でもそういえばトップの方の映像の記憶は残っていますね。こっちはええんかい?

 

 まぁあれです。

 縦ロールですね。

 

 サーリャはまつげもマスカラ要らずのバッサバッサなので、とても似合いそうです。恐ろしい子っ。

 

「だがここにパーマ液は無い!」

「パーマ液?」

 

 そう、シャンプーもリンスも、コンディショナーさえもあるこの世界ですが、なんとパーマ液がありません。いえ、パーマを作る美容品はあるのですが……泥です。どこかのなんとかという湖から取り寄せた泥が、この世界……というかこの王国ではパーマ液の代わりになるんだそうです。パーマ液の原材料さえ知っていれば現代知識チートできたのになー。残念。

 

 この泥ですが、扱いが難しく、この王国でパーマをあてようと思うと、専門の職人さんを呼ばないといけなくなります。朝が早そう。まぁ裕福でない男爵家には不要な贅沢ですね。

 ましてやサーリャはメイドさんですし。

 

「というわけで私は考えた」

「お嬢様が私のことを考えて……ぽっ」

「パーマがないならヘアアイロンを作っちゃえばいいじゃない!」

 

 ドーン!

 

「……どうでもいいけど、さっきから誰に話しかけているの?」

 

 うるさいそこの猫黙れ。今はツイテの美少女だけど。猫は消えた! なぜか!? ロリィになったからさ……。ミームだけ知っているネット社会の闇、いやむしろ闇鍋。

 

 まぁ、ここにきて、(ようや)く現代知識チートっぽいのが始まりましたね。

 そうです。ためしに縦ロールを作るだけなら、なにも手間隙かけてパーマをする必要はないのです。

 

 文明の利器、ヘアアイロン!

 

 当然構造は知りません。わたくしめは電氣工学? なにそれ美味なるや? という理系でなく文系の学士止まりです。高校の進路希望票では迷わず文系に丸をつけましたよ。

 

「というわけでアリス、これあっためて」

 

 取り出したるは、表面が滑らかに加工されたミスリルの板……で覆われた太い棒。

 

 ミスリルは錆びにくく軽い、地球でいえばチタンに近い扱いの金属です。研磨したものは銀よりも若干鈍く、青みがかった感じで光ります。同体積なら鉄の五十倍ほどのお値段なんだそうです。

 融点は鉄より低く、ですが熱伝導率も低めです。まぁ後者が高すぎると危ないので、今回の場合丁度いいでしょう。

 

 多分、槍の太刀打ち部分(槍先である穂の根元の部分)でしょうか、長さは四十センチほどです。武器庫に、破損して放置されたものと思しきそれらがいくつか転がっていました。他にも、新体操の選手が回しているバトンを少し太くしたような謎の棒とかもありましたが、それは長すぎたのでこちらを選択しています。

 

 そんな、お手ごろな大きさの金属棒を、比較的綺麗なモノの中から、二本ほど拝借して来ました。事前に布で拭いておきましたし、これで準備万端です。多分。私の中では。

 

 長年放置されていたと思われるものの、ミスリルの元々の特性もあって、その滑らかな表面の感触は失われていません。髪を巻いても痛んだりすることはないでしょう。なお、この世界に界面活性剤やコンパウンドはたぶん存在しません。存在してたら金属鏡のクオリティはもっと高いはず。まぁどうせ作れないし、チートにもならないけど。

 

「……貴女、時々大胆よね」

「……あとで私が返しておきます」

 

 なんだか猫とメイドに呆れられた氣がしますが、これは科学の為なのです。人類の発展のためには、理解のない人々の目にも耐えなければいけません。ガリレオ先輩に花束を。ふぉー、さいえんす!

 

「で、これを暖めるの? どうして?」

「サーリャの髪をこれに巻く、丁度いい温度に暖める、少し待つ、縦ロール完成。おーけぃ?」

「……色々言いたいことはあるけど、とりあえず丁度いい温度ってどれくらいよ?」

「あ」

 

 そういえばヘアアイロンって何度くらいが適温なのでしょうか。

 残念ながら、そういう知識はチートのサービス範囲に入っていなかったようです。

 

「え、えーと」

「……知らないでやろうとしたの?」

 

 そもそも髪の耐熱温度ってどれくらいなのでしょうか?

 某兄の毛髪(及び毛根)消失事件を振り返るに、髪は、あまり高い温度にさらされると燃えるし、融けてしまうっぽいです。

 某兄のご冥福は祈りますが、サーリャをアレと同じ扱いにするわけにはいきません。

 自分自身を実験台にしてもいいのですが、それはサーリャが止めるでしょうね。隠れてやったら本氣で泣かれそう。

 

「企画倒れ!」

「……貴女も大概考えなしよね」

 

 も、ってなんだ、も、って。

 伝説の軍師様と比肩(ひけん)されるなら、それはむしろ褒め言葉じゃない?

 

 そんな感じで、あっという間にお流れになりそうな現代知識チートでしたが……。

 

「いえやりましょう!」

 

 そこに、メイドさんから待ったが入りました。

 

「せっかくお嬢様が私のために準備してくださったのです! 私は実験台にも練習台にもなりましょう! この身体! どうぞお使いになさってください!」

「え~?……」

 

 なんかいいセリフ風だけど、今はそういうシリアスパートじゃないからね?

 あと、なんか思いついた風だから絶対裏があるよね?

 

「本音は?」

「メイド服が可愛かったので、髪もティナ様が望まれるままの姿になりたいです」

 

 本音も大概だった!

 

「いやいやいや、サーリャに火傷なんて負わせたら私が一生後悔するわ」

「ティナ様……そこまで私のことを……じーん」

「軽度の火傷くらいならあたしが治せるよ?」

「……まじで?」

 

 どんだけ有能なんだアリス。

 

 なんかこの子、ミアとサーリャの前でも人間でいるようになってから、色々なことに、意外と参加したがりなんだよね。おしゃべりにも、こういうおふざけにも。

 

 あとキラキラした目で私を見つめているサーリャさんや、帰ってこーい。

 

「あんまり深い傷になるとすぐには治せないし、完治しちゃった傷も治せないけど」

「そういえば、私の背中の傷痕は治せないんだっけ」

「んー……。回復魔法って、自分にかけるのと他人にかけるのとでは難易度が段違いなの。自分の傷を治す方が圧倒的に楽。自分の傷なら、胴体の上下が生き別れとかにでもならないかぎりは、それが致命傷であっても一瞬かそれに近いスピードで治すことができるのね。でも、誰かにかけるなら一瞬で治せるのはかすり傷程度まで。それ以上は……塞ぐだけならすぐだけど、痕も残らないよう完治させるなら……まぁそこそこ日数がかかるかな。昔は仲間の手を借りて、もう少し凄いこともできたんだけどね」

「ありすにゃん、しゅごーい」

 

 なにその某四部のクレイジなーダイ●モンドの逆バージョンみたいなの。

 

「じゃあ鎧をフル装備して、二階の高さから飛び降りて、両足バッキバキに骨折した場合だと?」

「……なにその拷問みたいなの」

「……お父さん」

 

 某クソ兄貴が生前、メイドさんの身内にさせたことですよ。お前は騎士だろ? 馬から落ちても死なない身体か確かめてやる……とか何とかぬかして。

 

「足以外は無事? 腰とか」

「それは大丈夫だったみたい……じゃなくて無事だった想定で」

「なら……そうねぇ、とりあえず形を整えるのに数時間、そこから後遺症も何も残らないように、綺麗に治すまでで……半月くらい?」

 

 確かサーリャのお父さんは、隊に復帰するまでで二ヶ月くらい、完全復帰までは三ヶ月くらいかかったはず。魔法なら六分の一か。

 凄いけど……回復魔法と聞いて日本人がイメージするモノとは少し違うなぁ。

 

「同じ想定で、自分自身にかける場合だと?」

「あたしならその状況下でも怪我ひとつしないと思うけど……同じ怪我をしたって想定よね? なら一瞬。秒で治す」

「なんと」

 

『魔法は、他人の肉体に直接的影響を及ぼすことを不得手としていますからね』

 

 確かに、アリスからも女史さんからも、そんなことを聞かされてきた氣がしますが、そんなに違うんだ?

 

「えっと……それはアリスが回復魔法を得意じゃないから?」

 

 ゲームみたいに、HP()な他人の瀕死を、一瞬で全快させる魔法使いも、この世界のどこかにはいたりする?

 

「なめてんの? 確かに得意とはいえないけど、それでもそこら辺の人間の魔法使いには負けないわよ? ママには負けるかもしれないけど、私はこれでも凄い魔法使いなのっ」

「今はそこら辺に人間の魔法使いがいないからなぁ……」

 

 これに関しては深刻な比較対象不足ですね。小説だったら「異常なものを描く時は、前提としてその世界における普通の基準を事前に示しましょう」と採点される感じ。そういえばラノベの小説賞は、ほとんどが魔法少女モノを一瞬で落とすってホントのことなんでしょうか。魔法少女モノと書かれたボックスがあって、審査員が「あ、これ魔法少女モノか」って判断した時点でそっちに投げ捨てられるとかどうとか。まど●マギ以降は若干変わって、でもやっぱり戻ったとかどうとか。魔法少女(違)に憧れる(違)私としては寂しい限りです。

 

「だから魔法で他人の肉体の中身をどうこうするのは難しいの! それは呪いの領分! 大体、魔法がそんなに万能だったら、エルフが人間なんかに負けるわけないでしょう……」

「……ごめん」

 

 アリスが、投げ捨てられた魔法少女……ならぬ、捨てられた子犬みたいにシュンとした顔になる。

 

 そんなアリスを見ていて、最近、なんとなく思う。

 

 アリスはハーフエルフで人間の血も入っているけど、どちらかといえばエルフよりの考え方をしてるんじゃないかなぁ……って。エルフ贔屓といってもいいかも。

 まぁ猫に変身しなければ表も出歩けない生活をしていれば、どうしてもそうなってしまうのかもしれない。病院で辛い闘病生活を送っていれば、窓の下に蠢く人や車の群れが異物に見えてくるのと同じように。

 

 ……人間に化ける氣はないのかな?

 

「とにかくっ! ちょっとくらい火傷してもあたしが跡形も無く治せるわよ。……水ぶくれができる程度までならね」

「やりましょうティナ様!」

「いやいやいや、治せても火傷したとき熱いでしょ! 痛いでしょ!」

「ティナ様のお手自ら与えられるものであれば苦痛もご褒美です!」

「ドMかっ!?」

 

 やべぇなんかサーリャのテンションが高い。

 

 やだなにこの子……キラキラした瞳のまんま、ミスリル棒を愛おしそうにニギニギしちゃってるんだけど。

 

 これって絶対裏の裏があるなぁ……。なんだろう。

 

 あとホント、アリスもグイグイくるなー。回復魔法なんか、使わずにすむのが一番なんだけど。

 

「はぁ……ホントに火傷しても知らないからね?」

 

 まぁいいや、やる氣な二人を消沈させるというのも、それはそれで面倒だし……私もサーリャの縦ロール姿は見てみたいし。

 失敗をリカバーできる環境があるというなら、挑戦してみようではないですか。

 

 ……縦ロール、どっちかっていうと、Sキャラ向きだった氣がするんだけどなぁ。

 

 

 




 ここから10日ほど毎日23時更新になります。ホワイトデー以降は不明。


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18話:ロールシャッハ

「ヘアオイルで保護した方がいい?」

 

 まぁそんなこんなでメイドさん(サーリャの)ドS化計画が始まりました。嘘です。

 メイドさんの性癖は知りたいような知りたくないようなですが、まぁ本当は即席ヘアアイロンで縦ロールは作れるかの実験です。まだ髪の話してる~。

 

 あと最初に言っておきますが、よい子は絶対に真似しないように。わるい子もクソ兄貴のような末路を迎えたくなければ真似しないように。誰に向かって言ってるのかは、なんかもう私にもよくわからんけどけどけど。

 

「熱を加えるんでしょう? 油なんか付けたら危なくない?」

「むー」

「私はティナ様のお心に全てを預けますよ?」

「……なんかソレもう、私から心配されたいだけで言ってるよね?」

「ナンノコトデショウ」

 

 はぁ……うちのメイドさんが色々残念です。

 あとミアはソファーに座り、こちらの方を興味津々といった具合です。

 なぜかベッドから私の枕を持ってきていて、抱いていますが……寝落ち予定?

 

 ミア、自分の部屋には(私が贈ったモノも含めて)ぬいぐるみあみぐるみがいっぱいなんですけど、それを私の部屋へ持ってきたことはないんですよね。だからこの部屋でミアが何かを抱きしめる時は、大抵私の枕とかが選ばれます。えへへ。

 

「最初は細い一房で試してみよう」

「はい」

「……これから火傷するかもしれないってのに、アンタは楽しそうね」

 

 そんなわけでルンルン顔のサーリャ(の頭)からホワイトブリムを抜き、軽くブラッシングをして、元々ゆるくカールしている金髪を左サイド(私から見て右サイド)だけ少しまとめて、一房にします。

 

 天然で緩やかにカールしているハニーブロンドの髪が、窓よりの陽の光を受けキラキラと輝きながら、私の手の中でしなやかに、(しと)やかに踊りました。自分とは真逆の髪質の髪に、なんだか少しドキドキします。

 

 サーリャも同じ気持ちなのかなと、ふとその耳を覗けば、特に紅潮していることもなく、いつもと変わらぬ白い綺麗なサーリャのお耳でした。

 なんとなく、そのご様子に、ほんの僅かにイラッとするものがあります。なんでしょうこれ。

 

「ていっ」

「ふぇ!?」

 

 ブラシで頭をポンとする。するとサーリャが首をかしげながら私を見上げてきたので、ニコーって笑ってやりました。

 

「えへへ」

 

 あっさり騙されて首を戻すサーリャ。うん可愛い。

 

「イチャつかなーい」「んおっ?」

 

 するとなぜかアリスにもう一本のミスリル棒で脇腹をつつかれました。

 

 見れば、むしろアリスの、ツインテールにしたことで今は丸見えの尖った耳の方が、なんか(あか)くなっていますね。髪の薔薇色の反射かもしれないけど。

 

 ……そういえば、ホワイトブリムじゃなくて耳まで隠れるボンネットなら……アリスも表を歩けるのではないだろうか?

 

 ……ふむ?

 

「ティナ様に髪をいじってもらえるって、ドキドキします」

「私は色んな意味でサーリャが心配だよ……あ」

 

 あ、やべえ、考え事していたらご褒美ワード言っちゃった。

 ああもう喜ぶな喜ぶな。

 頭を揺らすな揺らすんじゃない。

 

「ステイ! サーリャ! 動かない!」

「はぁい」

「……貴女達(あなたたち)の主従関係をとかやくいう氣は無いけど、それで、最初はどれくらいまで温度を上げるの?」

「んー」

 

 確かあまり低い温度で何回もやるのもマズかった氣がする。

 人が一瞬で火傷するのは七十度くらいだったはずだけど、ヘアアイロンは下手に触ると普通に火傷する温度だったような氣がするから、とりあえずそれよりは高め?

 

「水が沸騰する、その一歩手前くらいから?」

「……難しい注文をするわね。時間は?」

「え?」

「暖めておく時間。魔法だから冷やすのも一瞬でできるわよ。パザスが穴を掘った時もそうだったでしょ」

「あー」

 

 どうだっけ?

 

「五秒くらい?」

「……疑問形が多すぎて、ドンドン不安になってきたんだけど」

「いや私も、今からでもやめた方がいいんじゃないかなぁって思ってはいるんだけど」

「大丈夫です。私はティナ様を信じています。私がティナ様を信じています」

「なんで被験体が一番ノリノリなんだろう……」

 

 温度と時間が決まったので、とりあえずミスリルの棒を、適当な薄めの布(刺繍用の木綿)で巻いて、そのまんま握る。で、その棒の金属部分に、サーリャの髪の一房をくるんくるんと巻いていく。

 とりあえずこの状態で、私の手の方が火傷しかけたらそこで中断ということで。

 

「いくわよ?」

 

 アリスがツインテールの上にテニスボール大の魔法陣を展開。……なんでそこ?

 

 なんか堕天使っぽいビジュアルになってますが……まぁ今は氣にしないことにして。

 

「お願いします」

「ん……」

「ありすにゃんふぁいとー」

 

 ミアの声援に、アリスの頭上の魔法陣がくるんと動く。

 ……多分、今、棒の先が熱くなっているのかな? いまいち判らない。

 とりあえず持ち手部分に変化は無いです。まぁミスリルの熱伝導率的に、五秒くらいじゃ熱は伝わってこない氣もするけど。

 

(いち)()(さん)()()……ストップ」

「はいはい」

 

 棒の先から、サーリャの髪を解いてみる。

 

「……特に変化はありませんね」

「無いな」

「無いわね」

 

 (ほど)いた髪に、これといった変化は見受けられなかった。

 キューティクルバッチリなキラキラの金髪です。心持ち温かくなっていますがそれだけですね。

 暖かくなっているので、少しパクって口に入れてみたくなりますが、やりませんしそれだけです。あの平常心そのままな白い耳も、パクって口に入れたら紅くなるのでしょうか。ちょっとやってみたくなりましたが、自制します。

 

「うーむ」

 

 まぁアイロンというくらいだから、百度以下じゃないよなぁ……。

 

「実験は失敗ということで」

「終わり?」

「お嬢様!? 諦めが早すぎません!? まだまだこれからじゃないですか!」

 

 いやぁぁぁ、うちのメイドがチャレンジャァァァア。

 自らの手で、今と同じ髪の房を、私が持つ棒の先(冷却済み)に巻いていく。擬音をつけるならワクワクいそいそといった具合。知らなかったのか? メイドからは逃げられない!

 

「次の段階に進みましょう!」

「……んじゃ、水が蒸発する温度の、少しだけ上くらいで、同じく五秒ほど」

「具体的に言いなさいよ」

「……水が凍る温度をゼロ、蒸発する温度を百とした時、百三十くらいで」

 

 ここはサーリャが大好きな私の、年齢を十倍にした辺りで。これで火傷したら本望ってことにしてもらおう。

 

「本当に具体的ね。まぁいいわ、サーリャ、行くわよ?」

「どんとこいっ」

 

 ……いいな、サーリャの氣風(きっぷ)のいい街娘風の応対。私にもしてって言ってるのにぃ。

 

 そんな感じでテイクツー。

 

「壱、弐、参、肆、伍……ストップ」

「はいはい」

 

 今度も、棒の方には私の持ち手部分も含め、これといった変化が無かった。

 火傷するはずの温度を扱ってる割に、絵面の変化が無く、逆に不安になってくる。

 

 けど……。

 

「ティナ様! いい感じにカールが付いていますよ!」

「……おおっ」「わー」

 

 特にキューティクルが痛んだ風でもなく、その金髪には、くるんとしたクセが付いていた。ロールというよりはカール止まりの変化ですが、それでも実験は成功です。

 この辺はまだ安全圏だった模様です。よかったぁ……。

 被害が出る前に成果あってホントよかったよ。

 ちなみに「おおっ」が私で、「わー」はミアです。

 

 アリスはというと……。

 

「……こんなので髪に変化が付けられるんだ」

 

 なんだかまた微妙に猟犬のような目で、クセのついた金髪を見ていますよ?

 

 えーと……やりたいなら止めないけど……薔薇色な爆発ヘアーに……アフロなアマゾネスみたいになっても私は知らないからね?

 

「でもティナ様、私、これは縦ロールにはまだ少し届いてない氣がします」

「……えー」

 

 ちょっと不満そうに、わがメイドさんが何かを言ってます。

 

 あのね、もう確実に肌は火傷する温度なんだからね?

 人間の髪がどれくらい丈夫か知らないけど、髪は女の命って言うじゃない? 命をこんなおふざけに預けちゃっていいの?

 

「もう一段階行きましょう! 次はもっと上手く行きます!」

「えー……」

 

 ブレーキって言葉知ってる?

 ドライビングテクでもアクセルよりブレーキの方が大事って言うじゃない?

 危険域がどこにあるかわからない今、引き返すのも勇氣だよ?

 

「お嬢様、知ってますか? 王都の貴族令嬢様方は、白い肌のために血を抜いたりするそうですよ?」

「……知識としては知ってるよ」

 

 チートとしては知ってるよ。

 

「あー、あたしも知ってるー。針をぶっさすか、ヒルを身体にはりつかせるってアレでしょ?」

「ひゅっ!?」

 

 やっべ、アリスの直截的(ちょくせつてき)、具体的描写に、ミアが私の枕を抱き締めて、超怯えてる。

 先端が尖っているものも、虫系もダメだったもんなぁ。

 大丈夫だよー。だいじょうぶだよー。この部屋は掃除が行き届いてるから虫なんかいないよー。裁縫針も刺繍針もダメなことを知っているから、道具一式は壁際に隠しているでしょー。

 

「そうです。痕の目立たない、ヒルの方が高級とされる施術ですね。ティナ様は、それを聞いてなにを思われますか?」

 

 なにって……。

 

「凄まじいなって?」

 

 実際の行為も、美にかける女の執念も凄まじいなぁ、と。

 

 疑問形で応えた私に、サーリャは我が意を得たりとドヤ顔になる。

 

「そうです。女の子が美しくなりたいと思う氣持ちは、それはそれは凄まじいものなのです。いいですか? 女の子はやっぱり可愛くしてこそ」「あー、そーいえば四百年前にもそういうのあったなぁ。あたしはごめんだったけど、寄生虫を食べるやつとか」

「きせっ!?」

「すとーっぷ!!」

 

 お前らもうやめぃ!

 ミアがソファの端っこでガタガタ震えているじゃないか!

 

 アリスは最近、こうやってお喋りに「あたしも混ぜてー」ってしてくるけど、今は場の空氣を読みなさい! ていうかミアの顔色を伺いなさいよって!

 

「ええっ。あの私、まだ話の途中……」

「あーもー。全くもう、ごめんね~、ミアー」

 

 なんだか言い足りないようなサーリャをスルーして、私はアリスに棒を預け、慌ててミアへと駆け寄りました。おーよしよし、お姉ちゃんがいるよー。なにも怖いことなんてないよー。

 

「んゅー」

 

 ホラもう大丈夫、落ち着いてー、落ち着いてー。

 

「えー! えー! 私放置ですか!? 今私、結構いい感じのこと言いかけましたよね!? 放置プレイですか!?」

 

 ミアを抱き締めて落ち着かせる。あーもー、だからこの匂いはやばいってぇ。

 幸せの匂いって、ってこんななんだろうね。

 石鹸と作りたてのバターと極上のフルーツを、神バランスで配合したみたいな。

 

 ……ってミアニウムを堪能してる場合じゃなかった。

 まったくもう、ミアをこんなに怖がらせてー。

 

「二人とも怖い話禁止!」

「あたし悪くないしー。悪いのサーリャだしー」

「ええぇー!?」

 

 いや直接的なグロはお前だアリス。

 ってか元、槍の一部な棒を、二本ともそのツインテールに絡ませて何をやってるの。

 

「あっれぇ!? ここはティナ様が美にかける女の情念を知って、もう少し家の中でもおめかししてくれるようになる場面でしたのにぃ!?」

「それが裏の裏な本音の本命かいっ!?」

「だってお屋敷の中では楽に過ごせるワンピースばっかりで面白みが無いんですもの!」

「だー! 家の中でくらい楽に過ごさせろぉ!」

「でもティナ様、お裁縫の腕も可愛い服を思い付くセンスもお持ちなのに、自分の為には何も新しいお召し物を造ってくれないんですものぉ!」

「そんなセンスはサーリャのメイド服で打ち止めだぁ!」

「そんな筈がありません! 出し惜しみは良くないです! いえお嬢様としては諸々出し惜しみする方がよろしいのですけれど!」

「とりあえず話の前半と後半で矛盾することを言うなぁ!」

「私にだけは遠慮なく全てをぶちまけて下さい!」

「意味深なこと言わないで!?」

「私を着せ替え人形にしていいですから! もっと色々素敵なご洋服を考案なさってください!」

「それ最終的には結局サーリャが私を着せ替え人形にするパターン!」

「大丈夫です! ティナ様は何をお召しになっても世界一の美少女です!」

「そんなモノになりたいと思ったことはなぁいぃぃぃ!」

「やーん。もっとティナ様をおめかしさせたぁい!」

「てかさっきも言ったけど、これでサーリャの髪が発火なんてしようもんならトラウマになるわ! おめかし怖いわってなるわ!」

「大丈夫です! ティナ様はそれでも前に進んでいけるお方です!」

「信頼が重いっ!?」

「おねえちゃんもサーリャんもけんかはだめー」

 

 ……とかなんとか、言い合う主従、プラス仲裁役のミアをよそに。

 

「んー」

 

 いつのまにやら。

 

「水が蒸発する温度を百とするとその倍、二百のちょっと手前で十秒くらいが一番かもね」

 

 アリスはその手で、両方とも縦ロールにしたツインテールをぽわんぽわんしていましたよ。

 

「……は?」

 

 棒は既にその髪から抜かれ、ソファの上。

 

「……ず、ずるぅい!?」

「どう? 似合う? 似合う?」

「わー、ありすにゃんしゅごーい。かわぃいー」

 

 ……わー。えー、ま~、そうだねー、ばっちりだねぇ~。

 

 薔薇色のツインテールロール、チェシャ猫みたいなニヤニヤ笑いにすっげぇ似合ってて可愛いなぁ(白目)。

 もう泣く子も感心しちゃうほどだねぇ。子供って氣持ちの切り替わり早いねぇ。

 あとラノベでチェシャ猫みたいな笑いって表現を使うと、ありふれた表現は萎えるって怒られるらしいから氣をつけましょうね。知らんがな。何の話や。アリスにする表現だからピッタリでいいでしょ。いいのか?

 

「って、なんでこの流れで、アリスがチャレンジャーしちゃってるのー!?」

「ん? だって私、自分の髪の毛ならすぐに伸ばすことができるし」

 

 ほら……とアリスがツインテールを結わえてるの紐の部分を押さえ、頭上の魔法陣が動くやいなや……にょきにょきっと伸びてくるツインテール……の根元。新しく伸びてきた分はストレートのままですね。だからどれだけ伸びてきたのかが一目瞭然ですね。とりあえずそれは三十センチ(30cm)くらいですね。必要時間は三秒くらいでしたかね。秒速十センチメートル。桜の花びらが落ちる速度よりも速い。

 

「回復魔法便利すぎるな!?」

 

 いやそれは回復魔法と言っていいものなの?

 育毛魔法?

 人間が魔法を排斥してるの、頭部に権威が無い権力者にもすっげぇ損失じゃない?

 

「だーから言ったでしょ。自分にかけるなら、この手の魔法は凄く便利なんだって。なんならお腹ぶっ刺されても数十秒で治してみせるよ? 髪を伸ばすこれも、誰かにする場合は、小一時間やって指の第一間接分くらいまでだしね。そんな面倒なことしたくないし」

 

 それでも凄いなぁ……十円ハゲができたときはどうかよろしく。今生では然様(さよう)なモノこしらえたことはございませぬが。まぁ抗がん剤の副作用が出たときにはよろしくお願いします。この世界に抗がん剤はありませぬが。平均寿命敦盛(あつもり)な世でありますゆえに、がんは死因の上位へと踊り出たりしないのです。前世の内をくらぶれば。

 

 って、違う。

 

「それだったら最初からアリスが実験台になってくれれば……」

「サーリャのみっちみちなやる氣に、水を差すことも無いでしょう?」

「私の方が先に、ティナ様の萌え萌えきゅんになりたかったですのにぃ」

「もぇもぇきゅー?」

 

 ……私、サーリャにそんな言葉を教えたかな?

 

 ……ああメイド服あげたとき教えたわ、っていうかやらせたわ、ランチだったオムレツにもえもえちゅーにゅーしてもらったわ。なんか変な扉を開いてしまいそうだったので、一回きりで封印させたけど。オムレツはその後わたくしが美味くいただきました。あといつものお約束を全て省略して言うと、ニワトリチートは手遅れの世界ですクマ。

 

「なんだろう、どっと疲れた」

「うー、アリスぅ、私も縦ロールしたぁいぃ」

「いいけど、そろそろ夕食でしょ? 給仕の邪魔にならない?」

「おふぅっ……どうして私はメイドなのでしょう……いえティナ様がご主人様であるかぎり、それ自体に不満は全く無いのですけれど」

「……一応君の契約上の雇用主はパパだからね?」

 

 時給換算は最低賃金以下だと思うけど。職場がブラックバロンだけど。

 

「後は夕食後にしましょ。今日のご飯はー?」

「メインはロールキャベツと、ロールチキンで、デザートはロールケーキにしましょうか……明日からも、一ヵ月後も」

「……」

「……」

「ろーるちきぃん、おしぃーよ?」

「パンは全部ロールパンでいいですか?……明日からも、一年後も」

 

 め、メイドさんがしょ、食を人質にとってきたぁ!?……食質?

 

「ティナ、貴女今晩から、自分用のドレス、造りなさい」

「ええっ!?」

「めいいっぱいぶりぶりに可愛らしいの。サーリャがほわほわになって、あたしがげらげらになれる感じので」

「それアリスは笑ってるよね!? 爆笑してるよね!?」

「これ、あたしの魔法頼みだよ? サーリャも縦ロールしたいよね?」「はい!」

 

 み、味方がひとり裏切ったぁ!?

 も、もう私の味方はミアだけぇ!?

 

「おねえちゃん、どれしゅ着るの? みたーい」

「承ったろう!」

「しゅんころ!?」「私の努力!?」

 

 黙れ策謀組。

 ミアの無垢なる求めに()るのならば、私は八十年代アイドル風衣装だろうが、溢れでるパッションなコスチュームだろうが、ガガっと炸裂したレディオな生肉ドレスだろうが、着てやろうではないか!

 

 ……なんだか自分が首を吊るための縄を、自分が編むみたいな話になってしまったが、氣にしない。

 

 ……こうして私は、一晩夜なべしておめかし用の服を造ることになってしまったのです。

 

 てへ。

 

 

 

 ……ひどいオチだ。

 

 

 



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19話:シリアスには向かない服飾

 ちゃーららちゃちゃちゃらーん。

 

 ゆうべはおたのしみでしたね。楽しんでない。

 

 

 

「……その格好はどうした?」

「年収的勝ち組の皆々様から、課金を搾り取るためのDLCアイテムです」

 

 そんなわけで次の日の朝です。朝チュンです。嘘チュンです。

 

 ミアのためならエンヤサコラサと裁縫チートを発現させた結果、朝には私を吊るための縄……ではなく、ドレスというか……まぁ、悩んだ結果、どうしてこうなった……という誰得な服ができあがりました。

 

 昨晩は、今日はこれがあるから一緒に寝れないと言ったら、アリスがとてもとても不満そうでした。誰のせい?

 なんか、氣が付いたらなぜかあてつけのように、猫の姿で、前にサーリャが用意してくれたバスケットの猫ベッドで寝てました。

 

「……言ってる意味はわからないが、その……それで……人前に出ていいのか?」

 

 パパから急な呼び出しがあったのは、そんなこんなで夜なべしたあと、ミアやアリスたちと朝御飯を食べつつ、試着して最終調整中を行ってる時でした。なお、この身体は大変頑健なので、一夜徹夜した(いち徹)くらいじゃ隈も出来ません。テンションは変に見えるかもしれませんが、それはまあ大体いつものことです。はい。

 

「脚が随分……その、上まで見えすぎではないか?」

「大丈夫ですよ、下はショーパン履いてますから」

 

 ほら、と短い裾をめくる。

 

「……それは下着ではないのか?」

「いやだなー、下着ならドロワですよ? これはショーパンです」

 

 名前の割に、ショートパンツよりも涼しいホットパンツですらないよ?

 

「……違いがわからぬ。それと男の前で服の裾をめくりあげるものではない」

「ここにはパパしかいないじゃないですか」

 

 メイドさんは朝食の後片付けとかの諸々中です。

 

「……その頭につけているのはなんだ?」

「これですか? 狐のお面が無かったので、それっぽい顔を刺繍した布を厚紙に貼っただけのヘッドドレス……ですかね?」

「……そのコルセットのような太いベルトはなんだね? お前はまだ体型を隠すほど太っていないだろう?」

「これですか? なんちゃって帯ですよ。浴衣にはやっぱり帯かなぁと。流石に帯の結い方まではチートに入ってはいなかったので、適当結びですが」

「……前々から時折お前が口にしている、その『チート』というモノは何かね」

 

 そう。

 

 ただいま私が、夜なべして身につけているこの衣装は、浴衣です。

 ソシャゲとかのエロ釣り衣装にありがちな、フトモモまで生足丸出しの浴衣です。

 

 はい。

 

 ええ。

 

 ご指摘はごもっともです。

 

 わかってます、言いたいことは。

 

 この際です、この辺りで、はっきり言っておきましょう。

 

 私は基本オタな人種なのです。前世では童貞のまま死んだ、純情暦イコール年齢であり享年である人間なのです。ぐすん。

 

 だからですね、私に女性服のセンスはないのですよ。

 そういうチートはパッケージに入っていませんでした。

 

 だからメイド服以外、造れないって言いましたよね?

 

 記憶にある女性服なんて、あとはセーラー服、ブレザー、体操服、水着系、甘ロリ、ゴスロリ、巫女服、ナース服、テニスウェア、などと、その他版権系コスチュームくらいです。……あれいっぱいあるな、偏ってるけど。

 

 まぁそれなりに形を覚えてる服であれば、型紙を起こしてからの縫製作業まで、あっという間に造れちゃったりはします。なんかもう指が勝手に動いてくれる感じなのです。さすがにミシンよりは遅いけど、その半分程度のスピードで指がシュババッと動いてくれます。しかも縫い目はほぼ等間隔。縫い目綺麗。

 

 まぁ、そんな感じで手技は優秀なのですが、肝心のデザイン方面が、完全に童貞オタクのそれです。わーってる、自分でもわーっちゃいるんだ、言ってくれるなおっかさん。息子の情報機器に「ファッション」とかのフォルダがあっても、中身を見てはいけませんよ。それは服よりも肌色成分の方が多いはず。たぶん。

 

 以下に、私が浴衣をセレクトするに至った思考を、アラワとしましょう。

 

 ():この世界基準でよくあるドレスを無難に作ろうか?

 

 ……そんなの誰にも期待されてない氣がします。

 

 ():知ってる中ではドレスっぽい甘ロリゴスロリ方向?

 

 ワイ黒髪やし……オタサーの姫方向は嫌だなぁ。

 

 ():セーラー服、ブレザー、体操服?

 

 おめかしってイメージでもないしなぁ……。

 

 ():巫女服、ナース服、テニスウェア?

 

 だからその辺ってコスプレだよな? おめかしじゃなくて。

 

 ():版権系?

 

 本格的にコスプレだし! プラグスーツとか素材からして無理だし!

 

 ():ドレスっぽいもの……ワイ黒髪やし和のドレスと言えなくもない着物?

 

 さすがに構造が全くわからないのと、反物がありません!

 

 ():おーけー、ならば浴衣だ!

 

 ……まぁ()()が無くて、そんな感じに適当な感じで、これに決まりました。

 

 プリント柄とか絞り染めとかの生地は無かったんで、水色の生地に、ところどころ小車(おぐるま)金鳳花(きんぽうげ)女郎花(おみなえし)などの、黄色い花の刺繍を入れてあります。

 あと昨日からの流れで、髪はポニーテールのまま、側頭部に狐のお面っぽいヘッドドレスが飾ってあります。屋台でヤキソバが食べたくなりますね。

 木工技術は無いので下駄っぽい物は造れませんでしたが、布で草履っぽいものなら造れました。そこは自分の髪と瞳に合わせて、黒地に鼻緒だけ琥珀色の草履にしてみました。

 

 ミア、アリス、サーリャに見せた反応は以下の通り。

 

『おねえちゃんかわぃいー しゅごいしゅごーい!』

『……ぷっ』

『ティナ様の生足てぃて……否、(とうと)いっ!……でもこれは表に出せないっ』

 

 ……鼻血を出しそうな勢いでよろめいたサーリャには、そのうちミニスカメイド服を造ってあげようと思います。ナマ足魅惑のマーメイドになってもらいたいと思います。出すトコ出したタワワな、まぁ! メイド! になってもらいます。

 ……でもあの子、そんなのでも喜んじゃいそうだなぁ。逞しい。

 

「まぁ私の服にはあまりツッコまないでください。悪ふざけみたいなものですので。流石にこれで外へは出かけませんよ?」

「そ、そうか?」

 

 いい加減アフォな話題は終わりにして、そろそろ本題に入りましょうか。

 

「それで、今日は何があって私に緊急呼び出しを?」

 

 基本的に、パパとは食事も別にとってるくらいなので、用が無ければあまり会わない親子なんですよね。家族全員が同じ食事をしていたら、食中毒とか毒を盛られたときに家が大変だとかどうとか。貴族も大変です。パパが使っている食器は、毒対策に全部銀ですよ。

 

「うむ……それなのだがな」

「?」

 

 パパが言いよどみます。なんか厄介事でしょうか。

 

 アリスの存在がバレましたかね?……そこら辺一応、氣を付けてはいるのですが。

 それとも失敬したヘアアイロン……ではなく槍の一部のことがバレましたかね。

 はたまたアリス分、食材の減りが早いのに不信感でも抱かれましたかね。

 

 ……なんか思い当たることがいっぱいありますよ。解せぬ。

 

 でもまぁアリス関連だと、確実な証拠を握られていたら、呼び出しの前に捕縛投獄されちゃいますよね。それが無いってことはまだ疑惑の段階のはず。なら誤魔化しようはいくらでもありましょう。

 

「ティナよ、出兵する覚悟はあるか?」

 

 ……と思っていたら、全く予想外の言葉が飛んできました。

 

「……はい?」

 

 いきなり何言ってくれちゃってるんでしょうかね、この顔だけ大帝。

 

「ええと、出兵ってあの出兵ですか? 兵隊に徴用されて戦争に駆り出されるっていう」

「既に嫌そうなニュアンスが感じられなくもないが、そうだ」

 

 いやいやいや、ホント何言ってんの?

 

「私がですか?」

 

 膝上ショート丈な浴衣でくるんとターンしてみせる。ポニーテールが円を描く。

 

「そうだ」

「えー?」

 

 もう一回ターン。

 ちなみに無い袖は振れない系の浴衣です。

 

「見ての通り、私、十三歳の小娘で武力なんか持ち合わせていませんけど?」

 

 オマケでもういち、くるりんぱ。

 

「うむ。承知している」

「じゃあなんで?……っと」

 

 おっとっと、少しバランスが崩れましたね。

 

「先日ボソルカンが犠牲になった竜の討伐軍だがな、二匹目の竜が現れたことで色々と事情が変わってきたのだ」

「はぁ」

 

 クソ兄貴ですか、Gのようにしぶとく生きるタイプかなーって思っていたので、最初にアリスから聞いた時は驚きました。

 まぁ当然のことですが、私は、特には悲しいとも思っていません。ですが、不思議なことに嬉しいと思うことも、特には無かったのですよね。

 

 私の中では、クソ兄貴に対するわだかまりは、二年くらい前からこっち、ほとんど無くなっていたのかもしれません。殴る蹴るされたことも、サーリャが本氣を出してからは、二年の間に十も無かったくらいです。むしろ油断しましたってサーリャが泣きそうになるのが辛かったくらいで……。時々悪夢にうなされたりはしていたようですが、そんなの私の意識外です。だいじょびよー。

 

 へーきへーき、間隔が隔月程度のいじめなんて、私にしてみれば無いも同じです。持ち前の(チートの)回復力とミアニウムのおかげで、傷なんて心身ともに速攻で治りましたし。

 

 まぁ先日、少々わだかまりが再燃しそうにはなりましたが、それはアリスのおかげで未然に防ぎ止められました。だからもうあのクソ兄貴に何を思うことも無いのです。過ぎたことですから、元日本人らしくご冥福だけ祈っておきましょう。

 

 その色々終わった兄が、今更どうしたというのでしょうか。

 

「結論から言おう、王家が動いた。討伐隊に、第二王子殿下、第三王女殿下が参軍する」

「んんん?」

 

 なんだか話が見えません。

 

「王はこたびの竜討伐に、国の威信をかけたということだ」

「むむむ??」

 

 あのーすみません、私のチートは政治向きじゃないんですけどー。

 

「簡単に言えばな、ことが大きくなったのだ。二体の竜が出現し、しかも一体は稀に見る好戦的な氣質を有しておる。既に軍にも大きな被害が出ているというのに、いまだ討伐はおろか使用魔法の特定も成っておらん。このままではカナーベル王国が諸外国に侮られてしまう。ここまでは良いか?」

「はぁ」

 

 負けられない戦いがそこにある、ですかね。

 あのフレーズも使われすぎて陳腐化してた氣がします。全米が泣いたとか今年のボジョレーヌーヴォーは凄い、なんかと同じカテゴリのフレーズですね。

 

 それが私と、何か関係あります?

 ブルーのユニフォームは着ないよ? 水色の浴衣なら今着てるけど。

 

「ゆえに次の討伐隊は確実を期す必要がある。……ティナよ、そなたは竜のかどわかしより無事帰還した娘だ。これでわかるか?」

「あー……」

 

 必勝のためなら(わら)にもすがろうってことですかね?

 

 その藁な私は、まー藁らしく、草食動物にすら食われるだろう、非力な存在なんですけどねぇ。一応たまに護身術は習っていますし、ダンスの練習や自主的な筋トレなどで一日一、二時間くらい、運動していますから、見た目よりかは体力もあると思います。ですが、現状そこは女子というハンデが大きすぎですね。だって筋肉がまったく付かないもの。痩せとかモテに興味はないけどお願いマッソーです。筋肉にフォローミーをお願いしたいデース。求むテストステロン。もしくはプロテイン。どっちも製造方法知らないけど。マッシヴチートは二重の意味で無理筋。

 

「既に勅命が?」

「いや。まだ打診を受けただけだ。具体的には第三王女殿下率いる軍に、聖女として編入されてほしいとのことだ」

「聖女」

 

 この私が、聖女。

 

 なんかすっげぇ冗談みたいな話ですね。悪い方の。

 

 あ、カナーベル王国は特定の宗教を(まつ)る国ではありません。というか、この世界には地球でいうところのキリスト教クラスの宗教はないみたいです。少なくとも、今まで生きてきた中では、その氣配を感じたことが無いです。

 

 ゆえにファンタジー作品で良くある、大きな権力をもった教会……とかはありません。強いて言うなら、人間社会においては人間至上主義が宗教っぽいですかね。別に、獣人が奴隷身分で虐げられてるなんてことも(社会の表層部分では)ありませんが。

 

 まぁそんな感じなので、聖女というのも、そういうジョブだったりクラスだったりがあるわけではありません。ただの称号みたいなモノですね。海道一の弓取りとか鉄血宰相とか、第六天魔王とかそんなんと一緒。一緒か? 私も男に戻れなかった場合の死後は、処女王とか穴なし小町って呼ばれたいですね。呼ばれたいか?

 

「なんか名誉職みたいな響きですが、身分としてはどういう扱いに?」

「そこのところは決まってないな。交渉次第であろう」

「そうですか……」

 

 なにやら若干、キナ臭い話だなぁ。

 

 ふむ……。

 

 この王国において、男爵という身分は、貴族の中でもある種特殊な位置付けだったりします。

 

 前提として、男爵は騎士爵と同じで、実は継承権を持たない爵位なのです。

 

 でも多くの男爵は、事実その土地で何代も男爵家を継いできた名家だったりします。

 

 矛盾してる?

 

 はい、ここに少し、この国における王家と男爵位の、特殊な関係性があります。

 

 男爵位より上の、子爵家、伯爵家、侯爵家、公爵家は、それぞれの家の中だけで継承を完結ることができるのですが、元々一代限りと決められている騎士爵と、それと男爵家は、これをすることができないのです。

 

 まぁ公爵家はじゃぱーんでいうところの世襲親王家(せしゅうしんのうけ)ですから、また事情は異なりますが……そこは、今は措いておきましょう。

 

 男爵位はその継承に、王家への届け出、そこからの許諾と認可が必要不可欠なのです。事後報告では認められないってことですね。

 

 とはいえ、男爵家の多くは、我がスカーシュゴード家も含め、元は地方豪族だったり大地主だったりした名家、いわばその土地の、古くからの統治者なのですね。じゃぽーんの戦国時代風に言うと国人衆(こくじんしゅう)に近いでしょうか。

 

 当然、領内各地の首長(くびちょう)やら有力者やらには、男爵家の血を引く者が多く混じっていますし、男爵領においては王国への忠誠よりも、男爵家への忠誠によって統治がなされてるといっても過言ではないのです。

 

 つまり、今更その首を、王家の勝手で全て()げ替えるには、払うリスクが膨大になるのですね。男爵領が、大抵は中央から離れた場所にあるというのもポイントです。出兵するにも発展させるにもコストがかかる。そんなリスクを負うくらいなら、統治は許す代わりに国境を守り、有事には兵を出せってする方がずっと楽……なのでしょう。知らないけど。

 

 ゆえに、特に理由が無い場合は、男爵家がこれと決めた爵位の継承を、王家が独断で拒んだりすることは、(通常)無いです。

 

 だけど逆を言えば、なにか理由があるなら、王家は男爵家をいつでも取り潰しにすることができる。そういう仕組みにはなっているのです。

 

 先日、中央より派遣された討伐軍にクソ兄き……兄が参軍したのも、そこら辺の事情が多少は含まれているはずです。

 要は「当家からも人を出しましたよ」という言い分……言い訳が必要だったってことですね。

 

 でも、その『人』は死んだ。

 

 となると次の『人』が必要になる。

 

 あるいは『人柱』が。

 

 まぁ……それがつまり。

 

「私はヴィル兄様の身代わりですか?」

「……そうなるな」

 

 なるほど。男爵家の後継者、次期男爵、男爵位の継承者である長男、ヴィルガンド兄貴はこの家の大事だ。

 そこはこの家の未来のため、万難を排す必要がある。

 

 それにヴィル兄が参軍したとして、私よりいい扱いになるとは思えない。

 ヴィル兄はそこそこ優秀であるっぽいが、現時点で王家に対し、これという貢献をしたという話も聞かない。王家から見れば、彼はまだとるに足らない次期男爵家当主候補……ただそれだけの人物にすぎない。王家から見れば、ヴィル兄が当主を継ぐのも、私やミアの婿が当主を継ぐのも、大差はない。私達からすれば大有りだけど。

 

 そしてわが身を振り返れば、確かに私は、聖女といわれるに相応しいエピソードを背負ってしまっている。どっかの赤い竜のせいで。

 

 王家から見ると、私は確実にヴィル兄よりも価値が高く、その分扱いも良くなる。

 

 これが無力な十三歳の娘を竜の討伐隊に差し出す理由……か。

 

 顔だけ大帝は出ないのかって?

 

 ご当主様が出陣する時は、当家の軍も動く時だよ?

 そして竜退治に、通常の兵士は何の役にも立たない。竜は飛ぶからね。特殊訓練を受けたプロフェッショナルが必要なの。そんなの、辺境の男爵家で育成されてると思う?

 つまり、そんなのは最初から求められてないってこと。

 

 うーん……。

 

 ……少し揺さぶってみるか?

 

「問題は、責任の所在でしょうね……」

 

 深刻そうな顔で言ってみる。まぁ現在なう、私は今、頭からつま先までふざけた格好なんですけどね。はっはー、これが聖女なんだってー、笑っちゃうなー。笑えねぇ。

 

 ていうか身上調査とかしなかったんですかね、聖女認定するにあたって。

 

「とは?」

「討伐が失敗した、または王子王女が戦死して私だけが生き残った……その辺りの結果に終わった場合の、責任の所在です」

 

 無いとは思うが、極端な話、王家の目的が第二王子と第三王女、それに当男爵家を全部一網打尽にするモノであった場合、これは簡単な筋書きになる。

 

 王子王女を暗殺する。その責任を生き残った私に押し付ける。それを理由にして当男爵家を取り潰してしまう……まぁそういうこと。いやホント、無いと思うし、無いと思いたいのだけど。そんなのよほどのクズやビッチでもなければ思い付いても実行しない、(あら)く乱暴な筋書きだしね。

 

 ……でも。

 

「私はでも、なんせ武力は……権力とかもそうですが……本当に皆無の、無力な小娘ですから、陰謀に組み込むには安牌(あんぱい)も安牌でしょう。本当に、なにも抵抗できません」

「当然その辺りのことは、先に決めておかないとまずいだろうが……」

「決めても、その場合必ずどこかの穴を突かれますね。いえ、大きな権力が絡むなら、無い穴を無理にでも掘られる感じでしょうかね」

 

 じゃぴゃーんの方広寺(ほうこうじ)鐘銘事件(しょうめいじけん)を例に出すまでもなく、理屈や正論など、権力者のごり押しの前にはすぐに吹き飛んでしまうモノなのです。穴なし小町も穴あきにされちゃうのです。陰謀は、(うつ)りにけりな(いたづら)に、わが身世(みよ)にふる、ながめせし()に。嫌な世の中ですね。

 

「王はそのような陰謀を(かく)するお方ではない」

 

 ……ふむ。

 スカーシュゴード男爵家現当主の、王に対する忠誠値は高めっと。

 

「知ってますよ、パパから何度も伺いました。無理な権威の示威(しい)をなさることも無い、思慮深い賢王であると。ただ、そうであるがゆえに、一向に武威(ぶい)を示そうとしない臆病者であるとも、そうであるがゆえに領土を切り取られてしまったのだとも……そういう批判も、無くはないですよねぇ」

「ティナ!」

「誤解しないでください。私は思慮深い賢王の方がいいと思いますよ。戦争が少なければ、親が幼い子を残し、家を年単位で留守にするなんてことも減りますしね」

「……ぅ……むう」

 

 パパが痛いところを突かれたように唸りました。まぁ痛いところを突いたんですけど。つんつん。

 

「ただ、こたびの件はむしろ武威を示さんとする一手。失敗すれば王の権威は更に失われてしまうでしょう。ただでさえ十年近く前の敗戦で、こと武に関する限り、王の権威は失墜しているというのに。……それを望むものがないとは言い切れないのでは?」

「……王に叛意(はんい)ある者が、動く可能性があると?」

「それは充分に」

「……ううむ」

 

 まぁ……とかなんとか屁理屈をつけたけど、もちろん、これ全部「行きたくねぇなぁ……」という氣持ちの表れであって、別段陰謀が本当になされるとは思っていませんよ。

 

 可能性は無くもないだろうけど、なんせ敵が国でなく竜だ。実際に動くのは対人間の軍ではなく特殊部隊だ。私の陰謀論は、色々な面で正直弱い。

 

「第一王子殿下が、自分の王位継承後に不要となるだろう第二王子殿下の排斥を考えていれば、それも陰謀の引き金になりますね。というかこたびの討伐が成功した場合、第二王子殿下が大きな手柄を得るわけですし。……まぁ第三王女殿下もですけど」

 

 わーい。私漫画の読みすぎだー。この世界に漫画は無いから、そろそろ十四年くらい読んでないけどー。あれやそれやの作者ってまだ生きてるのかなー、あれやそれやはもう完結したのかなー。

 

「むむむむむ」

 

 でも……考えてる考えてる。

 

 可能性なんて、屁理屈でいくらでも繰り出すことができるモノなんですよ。

 中央から遠い男爵家には、王家の諸事情の情報なんて、大して入ってきやしませんよ。

 色々知ってれば否定できることも、色々知らないから否定できないのです。

 情報って本当に大事ですよねー。

 

「まぁ王が賢王でも、その周囲までもがそうであるとは言い切れないってことです」

 

 なんせこれは誤れば(いえ)の破滅もある話、くだらんと切って捨てるにはことが大きすぎます。

 パパは、色々なことを、考えもなしにくだらんと切って捨てるほど愚かではないのです。

 ですが、色々なことを考え、正しくくだらんと切って捨てるための情報網は、持てるほど偉くも賢くもないのですよ。悲しいなぁ。

 

 ただまぁ……私はパパのように、物事を簡単に「くだらん」と切って捨ててしまわない人間の(ほう)に、好感を持ちますけどね。為政者(いせいしゃ)としては凡庸にならざるを得ない、決断力に欠ける性質なのかもしれませんが……自分に都合のいい情報、自分に得な事柄以外を簡単に切って捨てていける人間というのは、それはやがてクソ兄貴のようになっていくんじゃないかなぁって思うのです。

 

 まぁこうして私が口八丁(くちはっちょう)(ぎょ)せるっていうのも、好感ポイントのひとつではありますが。

 

「第三王女殿下の身に何かがあったら、私、ひいてはスカーシュゴード家に責任が押し付けられるんでしょうね。そうならないためには……殿下の身に何かがあった時点で私も即座に自殺して……当家もまた被害者であるとアピールするしかありません。申し訳ありませんが、私にその覚悟があるのかと問われれば……多分無いんじゃないかなぁ……って今は答えますね」

 

 心底死にたくない臆病モンをなめんな、ですわ。

 

「……その辺りはデメリットの話だが、メリットもあるのだぞ?」

「伺います」

「まず、なによりも大事なのは、お前が竜害(りゅうがい)より生還せし乙女であるということだ」

「……幸運だっただけなんですけどね」

 

 竜が、今話題の好戦的な方じゃなくて、中身人間の粗忽者(そこつもの)であったというのが。

 

「運というのは大事だ。特に実戦で死と隣り合わせに過ごす兵達や、自らの僅かな行動の差が、部下や民など多くの命の生死を分ける、為政者達にはな」

「それはまぁ……そうなんでしょうけど」

「こたびの件、討伐が成っても、当然竜の素材は討伐を指揮した王家のものとなる。竜はさほど傷つけることなく討伐できれば、一体で我が領地三年分の収入をはるかに上回る程の価値がある。下手したらその十倍よりもな。だが、それはこの戦いに犠牲を払った者のみへ与えられる報酬だ」

「……払われる犠牲には、なりたくないのですけど」

「当然だ、お前を金で売る氣はない。そもそも、お前を実際に戦わせようとするものなど誰一人としておらぬであろうよ」

 

 当たり前。

 

 ゲームのプレイキャラじゃないんだぞー。ポニーテールで浴衣の少女が竜と互角の戦いをするって、モンスターをハンターするゲームでも無いやろ……まぁ浴衣もポニテも私が勝手にしてるだけだけど。

 

「お前が組み込まれる第三王女殿下の軍もまた、もとより形勢悪しと見れば即撤退の構えであろうよ」

「……第三王女殿下の性格を知らないので、肯定も否定もできませんが、普通に考えたらまぁそうでしょうね」

「美しい方であると、噂ではあるな」

「それはこの場合に役立つ情報ではないですね」

 

 ていうかなんで第二王子だけじゃなく、第三王女まで出てくるの?

 

 そこが物凄く不可解なんだけど。

 陰謀論は半分冗談みたいなものだが、そこに関しては残り半分の本氣がある。

 美しいという評判しかない平凡なお姫様が、何のためにこの戦いに引きずり出された? もしくはしゃしゃり出てきた? 意味がわからない。

 

「だから基本的に、お前や第三王女殿下に、危険が及ぶことはないはずだ」

「はずって……少しでも危険があるなら、避けたいんですけどね」

「だがその見返りは大きい。竜害より生還せし乙女の名声だけで多くのものが得られるのだ。これは間違いなくローリスクハイリターンであると言えよう」

 

 いやその辺はもう説明されなくてもわかりますよ。

 

 簡単な話だ。本来なら私の意思など聞くことなく受諾されてしまう程の。

 だがパパは、先に送り出した息子の死を、私とは違い哀しんでいる。あれもまた、あの時の状況下では(リターンはともかく)ローリスクであったはずの事柄だった。

 

 だがクソ兄貴は死んだ。

 

 本来は即答できるはずの事柄に対し、この段階、この時間が設けられたのは、それに対する後悔があるからなのだろう。ノブレスオブリージュの概念はこの国にもあるけど、親子の情がないわけではないのだ。……それはちょっとむず痒いような、嬉しいことであるような、複雑な氣持ちなんだけどね。

 

「つまりはこういうことでしょう?」

 

 竜の討伐が叶った場合、「竜害より生還せし乙女」は、何をしてなくとも一定の貢献があったとみなされるということだ。そしてこの貢献は、実利へと結びつく。

 

 王家への貸しは最小限で済むし、分け前として竜の素材も一部よこせと主張することができる。もしかしたら貴重とされる、竜の牙や骨を手に入れることさえ可能かもしれない。

 

 竜の牙、骨……なぜこれらが、一般には出回らない素材であるのか?

 

 それは、これらが、魔的な武具防具道具……かつて私がそれを熱望し、しかし絶望させられたマジックアイテムの素材として、利用可能なモノだからだ。同じ竜の素材であっても、鱗や爪にはこの特性が無い。

 生家が男爵家であることから、魔法を使いたい私の意識からもしばらく外れてしまっていたが、実はこれが、魔法を使えない人間が魔法を使う、もっとも現実的なその手段なのだ。

 

 竜の牙や骨は、モンスター……『魔法を使える生命体』の身体の一部であり、その部位は素材となってなお……アリス風に言うなら『マナに触れられる手』であるのだろう。だからそれがマジックアイテムの素材となる。

 ……この推論があっているのかはわからないが、理屈は通る。

 

 人間が魔法を使う最も現実的な手段、マジックアイテム。

 

 当然そんなものは禁制品で、一般に流通することはなく、魔法を排してきた人間社会においては秘匿されるべき存在だ。

 だが法よりも上位の存在とされる王家、それに近しい侯爵家以上の貴族家、そうしたアッパークラスの界隈においては、マジックアイテムも普通に所有、所持されるものとなる。

 秘匿されてはいるが、それは公然の秘密といったところ……少なくとも貴族社会の中では、それはそうなのだ。地球でいえば、最新式ステルス戦闘機の性能であるとか、日本における内調の仕事内容であるとか、その辺りの機密レベルに相当するだろうか。いやどっちもよく知らないけど。

 

 ならば竜の牙や骨は、高位貴族の証のようなものでもある。その所有が叶えば地方の男爵家から辺境伯へ……実質侯爵級の地位にまでのぼることも見えてくる、そんな代物(しろもの)なのだ。

 

 まー……。

 

 要は、私がちょっとしか危険の無い遠足に、すこーし我慢して行ってくれば、それらメリットを享受できる可能性があるってことでしょう?

 

「そうだ、そしてそうした実利的メリットに加え、お前にとっては、花嫁としての価値が上がるというメリットもある」

 

 ……ん?

 

「竜害より生還せし乙女に加え、竜を討伐した乙女でもあるのだからな、なによりも名誉を重んじ、誰よりもゲンを担ぐ貴族社会において、これは嫁に迎え入れるに、それ以上ない程のステータスとなりえる。そうすればお前は侯爵、いや公爵家の一員となることも可能とな」「うえぇえええぇぇぇ!?」

 

 

 




楽曲使用コードってこういう使い方でイッツオーライなのかしらん。


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20話:様々な顔

 スカーシュゴード男爵領の北部には火山帯がある。

 

「勇士の皆様、聞いてください!」

 

 それは、二百年以上前に突如形成されたモノらしく、その年若さゆえにか、今でも十数年に一度は噴煙を上げている。ミアが生まれた年の前年にも、小規模な噴火があったそうだ。

 

「人は竜に劣る! 多くの人がそう思い、そうである自分に消沈(しょうちん)し、暮らしています!」

 

 そうした地帯ゆえ、周囲の地形は複雑で人も住んでいない。

 もう少し手前にはのどかな村々が点在し、広大な果樹園も広がっているが、その景色もある地点でぷつりと途切れる。

 

「ですが! そうである人々も知っています! 王国には勇士の皆様方(みなさまがた)がいらっしゃると!」

 

 そこから先は、大地が岩肌となり、あちこちで間欠泉が噴き出し、カラフルで毒々しい結晶がそこかしこに散らばる、不毛の地へと変わるからだ。

 

「そう! 皆様です! 竜と戦う鋼の身体と心を持った勇士の皆々様(みなみなさま)です!」

 

 幸い、火山帯を抜ければそこは険しい断崖絶壁の海岸線であり、他国の侵入に備える必要はない。また、火山灰も偏西風に乗って東へと流れていくので、スカーシュゴード男爵領に、火山帯を抱えることによるデメリットは少ない。

 

「王国のため! 愛する同胞のため! 日々の暮らしを営む国民は知っています! 勇ましく、勝利のため命を懸け竜害(りゅうがい)に立ち向かう戦士がいることを!」

 

 だが、そこに竜が営巣(えいそう)したとなると話は変わってくる。

 

「竜を知る乙女がここに保証します! 竜もまた生き物! いかに恐ろしく強大であろうとも! その体躯が人の何倍もの幅を持とうとも! その命はひとつ! それだけは人と何も変わりません! 全身が堅き鱗に守られていても! 牙や爪がいかに禍々(まがまが)しくとも! ひとつしかない命へと槍を穿ち、貫けば竜も地に倒れるのです!」

 

 人の生活圏から隔絶しているというのは、竜にしてみれば、あるいはソレはメリットなのかもしれない。

 

「赤き竜は間違えたと言いました! 私を(さら)ったことを間違えたと言いました!」

 

 反面、それを討伐せんとする人間、軍隊にしてみれば、そこが、いつ噴火するかわからない危険地帯であることも、溶岩が固まった凹凸(おうとつ)の激しい地形も、噴火に伴って周囲に散った巨石、巨岩も、そもそもが物資の現地調達が困難な不毛な地であるというのも、それぞれが大きな障害として立ち塞がってくる。

 

「そうです! 竜もまた愚かに、間違え、(あやま)つ生き物なのです!!」

 

 火山自体は、周期的に今は活動期ではない……というのがこの土地をよく知る現スカーシュゴード家当主の判断だ。けど、自然が相手となると、それは科学の発達した二十一世紀の地球でも予測できないものであったし、油断はできない。偽大帝だし。

 

「黒き竜もまた間違えました!」

 

 油断はできない、が……だからといって人智の及ばない自然現象を過剰に心配しすぎても、何もできなくなる。

 

「そうです! 竜は、王国の地を荒らしました! 勇ましく、勝利のため、命を懸け竜害に立ち向かう戦士の皆様方が守護するこの地を! 我が物顔で荒らし回ったのです!」

 

 黒竜がこの地に営巣したことを掴んだ討伐軍が、まず行ったのは兵站ラインの敷設(ふせつ)だ。

 

 人の住む地、具体的には男爵家の砦から十近い数の中継点を繋ぎ、前線に人と物資を送る胴長のライン。それは不毛の地で予測不能な怪物と戦闘するなら……ましてやそこへ貴人を招くのならば、それは絶対に必要な生命線であり、あらゆる不測の事態に対応するための保険でもある……けど……貧乏性の私としては、そこまでして竜があっさり巣の位置を変えたらどうするんだろうね……と思わなくもない。

 

「勇ましく! 竜害に相対する戦士に祝福を! 王国のため! 愛する同胞のため! 戦う勇士に祈りを!」

 

 まあでも。

 

 逆に言うと、貴族にとって吝嗇(りんしょく)は恥であるからにして、悪徳であるからにして、推奨されないものであるからにして、ましてやこたびは権威こそがその存在証明であるところの王族が出っ張っぱる事態なわけで……これはむしろ当然の浪費なのだろう。

 

「皆様の勇氣がその崇高なる使命を果たされますように! 竜害より生還せし乙女! アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードが願い! ここに祈ります!」

 

 そんなわけでここは、そんな突出した兵站ラインの先頭、竜の討伐隊、その前線基地なのである。

 

「どうか皆様へ必勝の祝福を!」

 

 ふぅ……(ひと仕事やり終えた感)。

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして。スカーシュゴード男爵家が長女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードです」

「はい、こんにちは。カナーベル王国王位継承権第八位、ベオルードIV世が三女、サスキアよ。フルネームは長いからまた後で言うわ。よろしくね、聖女さん」

 

 (くだん)の第三王女様は、おっとりした高校生くらいのお姉さん……といった感じでした。

 

「にゃおぉぉん」

「ふふっ、猫ちゃんもよろしくね」

「んにゃぁぁぁぁ」

 

 そういうわけでここは陣中です。

 

 サーリャは、今は護衛として私に付けられた男爵家の騎士数名……のうちひとりはサーリャのお父さんですが……と共に、テントの外で控えています。ミアは当然お屋敷でお留守番です。つまりここには私の癒しがありません。ふぁっきゅー。

 

 目の前にいる第三王女、サスキア様は長いストレートのプラチナブロンドを、前髪だけ中央から綺麗に横分けしています。そしてその額の中央には、ダイアモンドらしき宝石が光っています。王位継承権を持つお姫様なのに、どうしてでしょう?

 

「この子は、本当は家においてきたかったのですが……」

「まぁ。こんなに懐いているのに」「フシャー!」

 

 というのは、こちらの世界におけるダイアモンドは、地球ほどお高い宝石ではないからです。宝飾品としてのクオリティとか、透明度(クラリティ)とか、宝石の価値には様々な要素が絡むので一概には言えませんが、イメージとして、ダイアは真珠よりかは少し高い……まぁその程度の価値でしょうかね。

 

 これはラウンドブリリアントのような、ダイアの輝きを充分に引き出すカットが、この世界ではまだ開発されてないという事情もあるでしょう。当然私にも、そんなものは再現できません。デビ●スチートの萌芽なし。

 

「でも危険ですから」

「竜害より生還せし乙女、聖女様が常にそばにいるのだから、安心でしょう?」

「うっ……ぐ」

 

 まぁでもさすがに王女様が身に着ける宝石ですね。うちのママのサファイアより、ひとまわり以上も大きいです。ってことは四とか五カラットくらいなんでしょうね。日本だったら桁が千万クラスの石かもしれません。

 

「あの……畏れながら、聖女は本当にご容赦を……。私は本当に、運がよかっただけなのです」

「その運を買われてここにいるのだから、貴女(あなた)は聖女で間違っていないわ。先ほどの士氣高揚演説も、良かったわよ」

 

 ってニコニコ顔で言われてもねー。

 

「用意していただいた原稿を読んだだけですけどね」

 

 この場に到着してすぐ、私は厳つい兵士の前で「私がついてます、頑張ってください」的な演説をやらされました。広場というにも集会所というにも岩岩しい場所で……五十人くらいいましたかね?……鋭い目をした、勇士だか戦士だかの皆々様へ、ご武運お祈りしますと声を張り上げたわけです。疲れた。

 

 一応、いつものゆったりワンピースよりかは良い服を着てきましたが、形になったのでしょうか? 聖女の任なので、腰紐だけ水色な、真っ白のワンピースです。結局ワンピースかい。

 

 そんで、今はそのすぐ後で、第三王女への挨拶に参ってるという状況ですね。この場での私の身分は、第三王女の預かりなんだそうです。何を要求されても、第三王女がそれを否といえば、私はその要求に応える必要がないんだとか。

 

 ……このニコニコ仮面に、演説やりたくないですって言ったら、考慮していただけたんですかね? なんか何も聞かなかった風を装われ、一言、笑顔で「頑張ってね」って言われそうなんですが。

 

「ふふっ、聖女の口から語られることに意味があるのよ」

「そんなものでしょうか」

 

 なお、王女のいでたちは軍服みたいな感じでした。ですがアリスの黒いそれとは違って、上は黒と白のラインが入った藤色の生地に、儀礼用のゴテゴテした装飾がいっぱい付いています。下はこれもタイトスカートに黒ストなアリスとは違ってズボン……いえパンツでした。地球側の服飾の知識は童貞男レベルなので、ズボンとパンツの違いはよくわかりませんが、オタク的に言えばおパンツではない方のパンツということです。日本語難しい。

 

 まぁ王女のそれは結構な厚みがある、凄く高級そうな布を使ったライトグリーンのパンツでした。

 

 高級そうな、っていうか、まぁそっちはこの世界の服飾知識チートの範疇なので、私には布の名称もわかります。わかりますが……固有名詞を増やすのもいい加減アレなので簡単に言うと、これはお値段以外は地球のデニムに近いものです。丈夫だけどすぐ肌に馴染む感じ。

 

 ただ、お値段はデニムのおそらくウン百倍以上。

 

 なぜそんなお値段になるかというと、この生地に特徴的な緑系統の色は、オリハルコン由来だから(オリハルコンを原料とした染料で染めているから)なのですね。はい、あのミスリルと並び称されるファンタジー鉱物の巨頭、オリハルコンさんです。この世界では軟らかな金とも呼ばれ、ぶっちゃけ金よりも高いです。

 

 この生地は、デニム以上の伸縮性を持ちながら下手な鎖帷子よりも防御力があって、酸や毒物への腐食耐性も抜群です。お高いだけはあります。そこら辺は、さすが王女様のお召し物といったところでしょうか。

 

 でもそうなると、やっぱり額のダイアモンドが浮きますね。

 

「そういえば、演説の中で言ってた、竜と会話したって本当のことですの?」

「あー……」

 

 そういえばそんな話もしたなぁ。そんな話にしたなぁ。

 

 まぁ実際は細部が色々違うんだけど、嘘というのは真実を混ぜてこそ信憑性が出る……ので、私が竜に攫われた顛末は『若干人間と意思疎通のできた竜が、攫った少女との会話でそのあやまちに氣付いた』というものになっているのです。

 ……というか、この文だけだと本当に全然間違ってないな、若干、の部分が少し嘘なだけか。

 

 演説文は、それに合わせて書かれていましたね。

 

「私を食べても美味しくないよ、と言った氣がしますね」

「まぁ」

 

 本当のことは(今私の腕に抱かれているアリスのことがバレるので)言えないから、とりあえず出鱈目を言ってみます。

 

「それから私には家で私を待っている妹がいて、妹を残しては死ねないのです、とも」

「ふふ、妹さんとも一度会ってみたいわね」

 

 それは無理かなー。てか私が会わせたくないかなー。

 貴女も、サーリャほどではないけど豊かなお胸をお持ちですね。DかEくらい? それを含め、なんだか姉キャラとして負けている氣がしないでもないです。ミアに「こっちのお姉ちゃんの方がいい!」とか言われたら私は憤死してしまいます。九割くらいマジで。ほとんどじゃねーか。

 

「恐怖と緊張で、あとは何を言ったかよく覚えていないのですが、とにかくそうしている内に竜の方から、私を帰してくれようという話が出たのです」

「竜の声は格好良かった?」

「は? 声……ですか?」

「興味あるじゃない、竜がどんな声で喋るのか」

「は、はぁ……低い渋めの声でしたよ。くぐもった感じの」

 

 それは嘘ではないので、すらすら話せる。意外なところへツッコミが入って、少し戸惑いはしたけど。

 

「心に直接語りかけてくるような感じではないのね」

「……はい、普通に、耳へ届く声でした」

 

 そういうのは魔法使い同士限定の、念話という技術らしいですよ。

 

 あ、王女様、ダイアはあまり指で触らない方が……なにがどうしてそうなっているのか、王女様が額に指を二本当てて、「頭が痛いわ」ポーズになってます。

 

 私、なんか変なこと言いましたかね?

 

「んみゃぁぁぁ」

 

 それはそれとしてアリスよ、なぜ君は私の腕の中で、またたびに酔った猫みたいになっているのかな? なぜ喉を鳴らさんばかりの至福顔なのかな?

 

「本当に……申し訳ありません、うちの猫、私から離れなくて。夜も、いつも私のベッドに潜り込んでくるので困ってるんです」

「まぁ」「んにゃあああぁぁぁ」

 

 なんだよぉ、本当のことじゃない。

 

「私も動物は好きよ。今はもういないけれど、私も何度か鳥を飼っていたわ」

「鳥、ですか……そうすると猫はお嫌いでは?」

 

 捕食者と被捕食者の関係ですからね。

 

「そんなことはないわよ。一緒には飼えないでしょうけど、猫は猫で好きだから」

「みゃぁぁぁ」

 

 私よりも正当派なお姉さんキャラが、愛おしそうにアリスを撫でてます。その姿を見れば動物好きは嘘ではないでしょうけど……。

 

 覚えているのかな?

 

 私達、動くモノである竜を狩りにきているのだぜ?

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、緊張したー」

「お疲れ様です。喉がお渇きになられましたのなら、何かお飲みになられますか?」

「あー、普通にお水頂戴」

 

 そういえば、この前線基地にアルコールの類はあまり置いてないそうです。

 

 竜狩りの戦闘スタイル的に、アルコールが入ってると危険なのだとか。まぁ空中戦に近いこととかもするんでしょうね。最終幻想なRPGで竜騎士といえばジャンプですし、巨人をアレしたりソレしたりするマンガだと立体機動装置ですし。そりゃ酔っ払ってちゃ危険ですよね。

 そういうわけで竜狩りの特殊部隊の皆様には、アルコール非推奨の不文律があるのだとか。

 

 まぁそれ以前に私達は呑まないので、このテントにお酒は一瓶すらないのですけど。

 

「かしこまりました。愛を込めておきますね」

 

 いや込めなくていい。萌え萌えきゅんは封印したのだ。そして水に込める愛情ってなんだ。

 

 

 

 そういうわけで、ここは竜の討伐軍、その前線基地の陣中です。

 

 なんでも、赤い竜の所在は今も不明(多分海を越えて北の地にいますよ)だけど、黒い竜の所在は少し前に判明したそうです。遠目で観察した感じから、半月以上はそこに営巣している様子なのだとか。

 

 この前線基地は、その黒い竜……黒竜(こくりゅう)の居場所、巣から歩いて半日程の地点に築かれました。

 

 間欠泉が吹き出す地帯は危険ということで、そうでないこの場所が選ばれたそうです。

 

 ここ自体は森の切れ目といった感じの場所ですが、ここから黒い竜の居場所までは、まだもんのっすごく、岩場が続いています。間欠泉を避けたので、有害なガスなどの障害はなく、所々、岩の割れ目から草や樹も生えてます……が、それも水不足などで枯れてたり、樹も幹の細いものばかりで地面は硬く、おまけに緩い上り坂になっています。

 

 その分見通しが良く、竜に氣付かれやすく、ゆえに馬車も入っていけず、ここからは徒歩か、後ろに何も引かない馬で、おそるおそる進むしかないとのこと。ちなみに、蹄鉄は既にかなりいいモノが発明されていて、馬は石畳の上でも、岩石の上でもまぁまぁ走れるそうです。蹄鉄チートの余地もなし。

 

 まぁ私達は、この先には進みませんけどね。

 

 ここは男爵家関係者の、女性陣のためのテントです。男子禁制。居住空間としては六畳ほどの広さに、簡単な椅子とテーブル、サーリャと私のための寝具が置いてあります。少々手狭。第三王女様のテントはこの倍近くありましたから、これが身分の差というものでしょうか。

 

 ……あれ? でもそういえば、第三王女の侍女っていませんでしたね。

 王女クラスなら侍女なんて片手じゃ足りない量、付いてそうなものですけど。

 体型から女性と分かる、護衛と思しき兵装の騎士は前後左右に控えていましたが、どこの女王陛下の近衛兵かってほど動きも身じろぎもしませんでした。

 

「どうぞ、ティナ様」

「あ、ありがと。んくっ、んくっ、んくっ。ぷはぁ、潤う~」

 

 ふー、やっと落ち着いたー。

 

 まーアレだわ、男爵家令嬢の身分で王家となんか関わるもんじゃないわー。

 いつ無礼者とか不埒者とかいって切り捨て御免されるかわからないもんなー。

 やれやれだぜー。

 

 ……。

 

 うん。

 

 はい。

 

 わかってる落ち着け。私は今落ち着いたぞ。

 

 どうして己の女としての価値向上に興味ない私が、結局討伐軍に参加、随行してんだってことでしょ?

 

 それは聞くも涙、語るも涙……な物語は無くて、まぁ色々複合的に考えていた結果、こうするしかなかったかなぁ……というのが真相です。

 

 まず第一には親孝行です。

 

 前世の記憶がある分、親愛の情というものが、感覚として薄いのは自覚していますが、それでも今世(こんせ)の私を(少なくとも衣食住は)何不自由なく育ててくれた親です。感謝しています。もう少し息子の教育をちゃんとしてくれていたなら、もっと感謝できた。

 

 ついでいうなら、こちらはより感覚でなく理屈の話ですが、そういう生活ができたのは、男爵領の領民が納めてくれた税のおかげでもあります。前にも言ったけどノブレスオブリージュという概念はこの世界にもちゃんとあるのです。貴族令嬢として、この恩に報いる義務が……まぁ、多分……あるんじゃないかなぁ……あるんだろうなぁ。

 まぁここに関してはそんな感じ。

 

 それから私個人の密かな野望もあります。

 

 それは公爵家に玉の輿!……ではなく私はいまだ男性に戻りたいと思っています。

 

 そうなった時、ミアがどんな反応をするか、そこだけは怖いのですけれど、やっぱり私の、俺のアイデンティティは男性です。戻れるものなら戻りたい。浴衣でキャピっちゃったのを黒歴史にしたい。

 

 そしてその実現には、やはり魔法がもっとも可能性の高い方法ではないでしょうか。

 

 そうなってくると、人間が魔法を使う最も現実的な手段、マジックアイテムの素材となる竜の牙や骨、これを手に入れられる機会……それを自ら手放すというのも、なんだか勿体無い氣がしてきます。

 

 そして最後に、これが理由の大半なのですが……。

 

「みゃおぉぉん」

「あら、アリスもお水飲みたい?」

「みりゅうぅぅ……くしゅ」

「……ミルクがいいの?」

「にゃん」

「もうっ……ちょっと待っててね」

 

 アリスが、この猫が、黒い竜に心当たりがあるから、どうしても見てみたい、会ってみたいと言ってきたからなんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、討伐隊隊長様がお会いしたいとのことです」

「……ふぇ?」

 

 私が本陣に到着して、士氣高揚演説を行って第三王女への挨拶を終えた次の日、早朝に来客がありました。サーリャが私をお嬢様呼びするからには、そのように振舞うことを求められているということなのでしょう。

 

 まだまだ寝ていたい秋の日の朝、もう少しのんびりしていたい氣持ちもありますが、仕方ありません。

 

「……どこへ赴けばいいの?」

 

 私達のテントは男子禁制。人と会うのならこちらから赴かなければいけません。

 

「それが……内密に会いたいそうで、既にこのテントの外へ……」

「ふぇ?」

 

 いや待って、アリスがまだ人型。私の横でにゃーすか寝てるよ。……この子、なんで私と一緒に寝たがるのかな?

 するとサーリャがアリスの鼻をつまんで右にぎゅー、左にぎゅーっとしだしました。

 

「ん、んんっ……くひ」

 

 ……サーリャ、アリス起こす時、いつも乱暴なんですよね。

 

 まぁすっとぼける氣もないし、アリスが私と一緒に寝ることについて何度かすったもんだがありましたし、それがヒートアップする中で「私もティナ様と一緒に寝たいのにぃ」的な発言が何度かありましたので……理由はハイ、わかりますけれども。

 

「ん……ままぁ?……」

 

 ……アリスは、寝ぼけていると、よく私の方を見てママと言います。

 

 ここにいる二人を比べたら、よりママっぽいのは(胸部装甲的に)サーリャだと思うんですけどね。アレですかね、この世界でもやっぱりエルフは薄いんですかね、エルフの女王様も胸部に権威はなかったのでしょうかね。アリスにとっては我がママスレンダーボディだったのですかね。

 

「しっ、アリス、周囲を警戒してから、今すぐ変身して」

「ん……あれ?」

 

 そんなこんなでアリスには猫に変身してもらいます。なんだか猫の姿になってからも、くわぁぁぁ……っとあくびをしています。寝足りなかったようです。ごめんね。

 

 その間に、私は寝間着……いつものシュミーズとネグリジェの中間みたいなやつ……を脱ぎ、露出の少ない真っ白なワンピースに着替えます。これはこの任務のために、何着か同じものを用意した聖女っぽい自作服です。別に清純派は氣取っていませんが、布は木綿に絹と銀糸を織り込んだ高級品です。髪はー……まぁ割となにをしてもストレートを保ってくれる髪なので平氣でしょう。サーリャも何も言わないし。

 

 外で待っている偉い人を十分以上待たせてる氣がしますが、そこは仕方ありません、女子の部屋に入るならそれくらいは我慢しやがれです。女子だっけ俺。

 

「これでもう殿方に見られて困るものはありませんね、ティナ様よろしいですか?」

「んー……いいんじゃない?」

「にゃぁん」

 

 椅子に座り、アリスが私の膝の上に乗ってスタンバイおーけぃ。

 サーリャが一旦表に出て、程無く三人の兵士を伴い戻ってくる。

 

「このような時刻に失礼を。事情聴取の際にもお目にかかりましたが改めて、こたびの竜討伐隊、隊長、カナーベル王国軍所属、対竜(たいりゅう)特殊部隊実働隊第二班班長、ナハト・ドヌルーグバ・ウォルステンホルンである」

「副隊長ゴドウィン」

「補佐官キルサです」

「は、はい」

 

 お、おぅ……いきなり三人が膝をついて礼をしたよ。

 

 隊長さんを除く二人は鎖帷子姿、副隊長さんは、脇に兜……本人が被るにしては小さいかな?……のようなものを抱えています。補佐官さんは頭に兜を被ってますね。隊長さんは黒っぽい服で、兜も鎧らしきものも着込んでいませんでした。

 武装を見れば厳ついのは二人の方で、なんなら背も二人の方が大きかったのですが……頭を下ろし、礼をしているにもかかわらず、隊長、ナトハさんからは、ほとんど物理的なまでの圧が……オーラのようなものが漂っていました。

 

 前も思ったけど、この人……やっぱ怖ぇ……。

 

 威圧の波動とか出てない?……と、膝の上のアリスの様子を見ますが、アリスは特に思うところはないようで、再びあくびをくわわぁっとしていました。

 

「では私も改めまして。スカーシュゴード男爵家が長女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードです。ティナとお呼びください」

 

 とりあえず名乗る。

 

「ええと……椅子は三つしかないのですが……」

「お氣遣いなく」「我々はこちらに」

 

 副隊長ゴドウィンさん? と補佐官キルサさん? は、そう言ってテントの入り口周辺に仁王立ちになる。……なんだかそこに立たれると閉じ込められてるみたいで嫌なんですけど。

 

 そうしてふたつ空いていた席の一方には、隊長ナハトさんが……座るかと思いきや、これもまた私の目の前で仁王立ちです。なんで?……ってか怖ぇ……めっちゃ怖ぇ……めちゃんこ睨まれてます。いえ、これがこの方のデフォルトかもしれませんが、目力だけで人を殺せそうなほど眼光が鋭いです。

 

「あの、なにかお飲みになりますか?」

「いや結構」

 

 サーリャが飲み物を給仕しようとしましたが、すげなく断られます。

 

 その間も、隊長さんの眼光は私を刺していました。

 

「それで……ご用件というのは?……」

「見ていただきたいモノがありまして。キルサ」

 

 沈黙に耐え切れず、水を向けると、隊長さんはそれを待っていたかのように補佐官の(かた)へ指示を飛ばしました。

 

「は」

 

 と、補佐官のキルサさんが、机の上に何かを置きます。

 コチ……という固い音がしました。

 

「見覚えはおありか?」

「……ぇ?」

 

 そこにあったのは、青い宝石です。ラウンドブリリアントカットのような複雑な形ではなく、歪みの少ない球形をしています。

 大きさは……ゴルフボールほど。

 

「これは……」

 

 そう、それは色こそ違いますが、私が赤竜に無事お屋敷まで送り届けてもらったお礼に、あげてしまったと嘘をついた、ジレオード子爵より贈られた宝石に、形と大きさが酷似していました。

 

「やはり見覚えがおありか」

「え……いえ……あの……」

「ジレオード子爵が聖女殿に贈ったとされる赤い宝石、それは元々、九つでワンセットの宝石群、そのひとつであった。童話などでも有名な九星の騎士団、ご存知か?」

「……はい」

 

 またこの伏線が活きるの? 作者ワンパターンなの? もしかしてあと七回このパターンくるの? 九つでワンセットだからって九つ全部消化しなくていいんだよ? ていうかもうマジでやめて。

 

「ジレオード子爵が貴女に贈ったのは紅玉(こうぎょく)。ルビーではなかったようだが、九星の騎士団ではカイズを象徴する宝石の色であるな」

「は、はい」

「そしてこれは碧玉(へきぎょく)。九星の騎士団では闘士エンケラウを象徴する宝石の色であるな……む」

 

 と、そこで猫の姿のアリスが、音もなく机の上に乗りました。

 そして宝石に猫パンチ……じゃなく、じゃれる感じで手(前足?)を出そうとして。

 

「アリス!?」

 

 サーリャが慌ててその身体を抱き、離れます。

 

「いたずらしちゃダメ!」

 

 アリスは特に嫌がることもなく、すぐに興味を失ったかのように、視線を青い宝石から外しました。そんでまたあくびなんかしちゃってます。

 

「申し訳ありません、うちの猫が」

「……構わぬ。いやしかしその猫……ふむ……。まぁお氣にせずともよろしい、どうせこの宝石は偽物、安物である」

「……は?」

碧玉(へきぎょく)とは言ったが、これも碧玉(サファイア)ではあらぬ。もっと低級な準貴石をそれっぽく削っただけの安物である」

「……はぁ」

「九つでワンセットの宝石群、と言ったが、そもそもが九星の騎士団にあやかった、九つの宝石のセットはありふれたモノだ。高位貴族なら何セットか揃えていても不思議ではない程にな」

 

 はぁ……男爵家なので知りませんでしたよ。ママはパパから贈ってもらったサファイアの指輪を大事に大事にしてますけど、そんなものを、それ以上のものを、いくらでも買える世界というのも、まぁどこかにはあるんでしょうね。元が男なんで、宝石にそこまでの思い入れはないのですけれども。

 

「一般的に高い順番に言えば、最も高いのが紅玉(ルビー)、次に碧玉(サファイア)翠玉(エメラルド)黄蘗鋼玉(イエローサファイア)猫睛石(キャッツアイ)金剛石(ダイアモンド)灰礬石榴石(グロッシュラー)月長石(ムーンストーン)、最後に珊瑚(コーラル)、とこうなる」

「……私が子爵に贈っていただいた宝石は、ルビーではありませんでしたが」

(しか)り。アレキサンドライト効果を持つ無二の宝石であったと聞いている。問題はここからだ。つまり九つの宝石の中にも序列というものがあり、セットを作る場合は一般的に高いもの、つまり紅玉(こうぎょく)碧玉(へきぎょく)旗頭(はたがしら)とすることが多い」

「はぁ」

「ジレオード子爵が貴女に贈ったとされる赤い宝石、その元となった九つのセット、それはこのタイプのセットにあっても異色……というかそのセット自体が、珍品中の珍品であったアレキサンドライト効果を持つ赤い宝石、その価値をわかりやすくするため組まれた苦肉の策に過ぎない。我々はこの碧玉(へきぎょく)を含め、残りの八つ全てを手に入れたが、それらは形だけ旗艦(きかん)に似せた、それとわかる安物ばかりだった。この碧玉(へきぎょく)と同様にな。ならば子爵がセットではなく、紅玉(こうぎょく)だけ聖女殿へ贈った理由もわかろうというもの。だが……ゴドウィン」

「は」

 

 と、今度は副隊長のゴドウィンさん? がずっと脇に抱えていた兜……の中身? を机の上に載せました。

 今度はドシっという重い音がしました。

 

「問題はこれだ。これなのだよ」

「……ぇ?」

 

 そこにあったのは、青い……宝石というよりは岩石でした。大きさは……人間の頭より少し小さい程度。

 そうして……それはその大きさゆえに……とでも言いましょうか……。

 

「!?」

 

 それには顔があり、目があり鼻があり口があったのです。

 当然、動いてはいません。生き物ではないのですから当たり前です。

 それは彫像のようにつるんとした石の、デスマスクのようでした。

 

 そして私はその顔に見覚えがあったのです。

 

「クソあ……ボソルカン兄様!?」

 

 

 



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21話:猫脱走。たいへんだ

 

「そう、こちらは聖女殿の兄君、その亡骸で間違いない」

 

 重い剣と剣を打ち合わせたかのような、鉄火場(てっかば)の匂いのする声が、私を現実に引き戻します。

 サーリャも後ろで、アリスを抱いたまま固まっているようです。

 

 目の前にあるのは紛れもなくクソ兄貴、()が男爵家次男、故ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴードの顔、そのものの形を切り取った青い彫刻です。なぜか若干の縮小化がされていますが、それはもうこの場では何の指摘点ともならないでしょう。

 

 そうです……ここにきてまさかそれが、優れた技術を持った誰か彫刻家の作品であるなどとは……私も思ってはいません。

 

 そういえば、アレの死体は、あまりに酷い状態ということで見せてはもらえませんでした。焼死ならさもありなんと思っていましたが……。

 

「……これが?」

「最初に黒竜(こくりゅう)会敵(かいてき)した調査隊、その最後の地、聖女殿の兄君が亡くなられた戦場でもある、そこへ、これは残されていたものだ。聖女殿にとっては兄君のご遺体となるが、こたびの事態が解決の兆しを見せるまではと預からせてもらっている。男爵にも許可は戴いている」

「……」

「これはこれひとつのものではない。黒竜と戦闘があった場所には、これと似たようなものがいくつか発見されている」

「え」

「それらは犠牲になった我が隊の兵士の顔だ」

「……っ」

 

 ……つまり。

 

「いまだ判明してない黒竜の魔法。それがこれらを生み出す原因になっているのではないか……そう我々は考えている……こたびの竜は宝石に何か縁があるのか? そして」

 

 一瞬、殺氣が私を射抜く。

 

「聖女殿が贈られた薔薇色の宝石は、蝋燭の炎を近づけると深紅に変色したと伺っている。そこな侍女、火を借りたいのだが」

「……はい」

 

 ぎこちない動作で、サーリャが燭台を準備し、蝋燭を立て、ランプから火を移し手渡す。

 もうこの先の展開は予想できている。ここにいる誰もがこの先を知っている。

 

「この死相を(かたど)った青き石もまた、こうなる」

 

 蝋燭の炎が、ナハト隊長の手により、人面の青い石へと近付く。すると、石はまるでそれに応じるかのように、血の赤の色を、その表面に浮かべるのだった。

 そしてそれは一瞬……まるでクソ兄貴が生き返ったかのように……目の辺りで赤い瞳のように輝く。……私の背筋が凍る。

 

「ゆえに私は聖女殿に尋ねよう。何かを知っていないだろうか? 赤き竜にこれと同じ特性の宝石を贈った、聖女よ」

 

 

 

 

 

 

 知らない。本当に何も知らない。

 

 隠していることとは、全く別の方向から問い掛けであり、正真正銘それについては本当に何も知らない状態だったのが功を奏したのか、しばらく人を殺せそうな程、鋭い視線を私に送ってきたナハト隊長も、やがて諦めたのか、「いいでしょう、何か思い出したのなら、いつでもお待ちしておりますのでその旨、お知らせ頂ければ」と言い残し、テントを出て行きました。

 

「……サーリャ、このテント、見張られてない?」

 

 少なくとも、今朝までは大丈夫だったはずだ。あの時、私達は迂闊にもアリスを猫に変身させた。それを見られていたら、問答は今のようなものではすまない……というか普通に考えて現行犯で即、そこで身柄を拘束される。

 

「……確認してきます」

 

 サーリャはそう言ってテントを出て行く。この前線基地の実質的最高指揮官が、この私に何かしらの疑念を持っている。その意味を理解したのだろう。

 

 落ち着こう。

 

 落ち着いて考えろ。

 

 なんとなく、隊長の疑いはわかる。

 赤き竜が姿を現さなくなり、黒き竜が猛威を振るうようになった。

 

 それはまるで入れ替わったかのようなタイミングだった。

 

 ……というより。

 

 この状況だと、赤い竜がパザスさんであることを知らない人間からすれば、赤い竜、イコール黒い竜と考える方が普通なのでは?

 

 黒い竜は、人を青い石へと変えてしまう魔法を使ってきた。

 しかも、そうしてできた青い石は、蝋燭の光を近づけると赤く光る特性を持っている。

 

 そして……竜害(りゅうがい)より生還せし乙女……聖女である私が、赤い竜に贈った(とされている)のは……光を近づけると赤く光る宝石だ。

 

 あの宝石は薔薇色だったが、それは些細な差異だろう。

 

 これは偶然か。

 

 偶然などではない、そこにはなにかしらの必然がある……そう考える方が自然では?

 

 黒い竜と赤い竜は同じモノである。

 

 少なくとも先程の……ナハト隊長の態度は……そういう疑義を隠そうともしないモノだった。

 

 そこまで考えてゾッとする。

 

 魔女狩りというワードが頭に浮かぶ。

 

 私が貴族令嬢でなかったら、即拷問コースもありえたかもしれない。封建社会怖い。

 

「ティナ様、大丈夫です。近くに誰かが潜んでいることも、テントに何かしらの仕掛けがあることもありません。アリス、魔法的な仕掛けがあったら、わかる?」

「にゃぁん」

 

 赤毛の猫、その小さな身体の上に、それよりは少しい大きい魔法陣が浮かび上がります。……なんかあくびしながらですけど……大丈夫なんですかね。

 

 ただ、その呑氣な姿に、私の緊張が少し(ほぐ)れたのも事実です。

 

 しばらく球形の魔法陣がくるくると回っていましたが、やがてそれと入れ替わるように、大きめの魔法陣が現れ、アリスは人間形態に戻りました。

 

「大丈夫。というか魔法的な仕掛け以外も、あたしがわかるわよ。生体を感知する探索魔法があるからね。近くにいるのはうちらの護衛が三人だけ。ひとりはサーリャのパパね。そこにも、よほどの大声でも出さなければ、テントの中の声なんて届かない。……あたしに聞きたいことがあるんでしょ?」

 

 はい。それはもうたっぷりと。

 

「黒い竜の正体って……なに? 心当たりがあるんだよね?」

「ある。確かとは言えないけど」

「憶測でいいから教えて」

 

 アリスはその問いに即答しました。

 

「エンケラウの相棒、ユミファ」

 

 ……んんん?

 

「エンケラウって、九星の騎士団のひとり……でしょ?」

 

 碧玉(サファイア)の騎士。愛馬ユミファと共に天を翔ける闘士……エルフの女王との戦いで受けた傷がもとで、その数年後には亡くなってしまった騎士……でしたっけ?

 

 ……愛馬?

 

「そ、エンケラウは竜騎士。四百年前は、まだ馬の二倍程度の大きさしかなかった黒竜、ユミファに乗って戦ったあたし達の仲間よ……ちなみに人間じゃなくて狼の獣人だかんね」

 

 人類史の闇!? また!?

 

「ちょっと待って。パザスを呼んでみる」

 

 するとアリスは、そこで側頭部に指を当て、目を開けたまま考え中……みたいなポーズをしました。

 ……脳内で呼び出し音でも鳴っているんでしょうかね?

 

「あ? パザスパザス? まだ眠い? うっせいつまで寝てんだ起きろ。昨日遅かった? 知るか。おーい、おーきーろー」

 

 ……なんだかアリスが自己中なJKかJCに見えます。もう少し良く解釈してギャルゲーで主人公を起こしに来る幼馴染キャラでしょうか。いやそれって良い解釈なのかな。ギャルゲー、微妙に内容を思い出せないのですよね。ヒロインのパンツというかおパンツの色とか。えっちなのはいけないようです。

 

 ……そういや念話って、スタンプとか使えるんですかね? 覚醒せよ! とか、ならば切腹だ! とか送ってたら怖いなぁ。

 

「あ、今? こっちは平氣。……全然全然、大丈夫だって。それよりちょっと前に話してた黒い竜のことだけどさー……ん? そんなすぐに見れるわけないでしょ。これからよ、こーれーかーらー。うん……それでユミファのことなんだけど」

 

 それはそれとして、ノリがめっちゃ女子高生なのは、なんとかならないのでしょうか。外見年齢まだ十二歳くらいなのに。せっかく軍服が多少はフォーマル感出してるのに。今度お嬢様学校みたいなワンピースのセーラー服でも仕立ててあげましょうかしらん。

 

 ……少し私も調子が戻ってきました。戻すなとか言うない。

 

「うん、うん。わかった切るね。ばいばーい。んー? 待ったなっいっよー」

 

 ピッ……なんかそんな矩形波(くけいは)を幻聴します。

 

「パザスさんはなんて?」

「人を石に変える魔法。それが使えるならやっぱりその黒竜はユミファで間違いないだろうって……あれってやっぱユミファのユニーク魔法だったんだ。あたしが使えないからそうだとは思っていたけど」

 

 まじかー。

 

 まじですかー。

 

 まさかの人類史の闇のご登場ですかー。

 

「……って、じゃあその黒竜って、四百年歳ってこと? なんで今になって現れて人を襲ってるの?」

「四百年前の時点で既に百歳を超えていたと思うから、五百歳超えてるかも。竜って下手したら千年生きる生き物だし、そこはいいんじゃない? 今になって現れた理由は……多分、あたし達の復活を察したからじゃないかな」

「なぬん?」

「だってあたし達を宝石の中に封印したの、ユミファだし。封印が解けたら伝わる仕掛けでもあったんじゃない?」

 

 へ?

 

「……えー!?」

 

 ……やべえ、一瞬思考が停止しかけた。

 

「そ、そこの犯人は人間の魔女ドゥームジュディ……じゃないんだ?」

「え? だからそれはパザスを竜にした魔女。全然話が違うじゃない」

 

 いやいやいや。そんな、「何言ってんのこいつ? バカ?」みたいな口調で返されましても! アリス達って九星の騎士団の関係者でしょ!? エンケラウって九星の騎士団の一員なんでしょ!? 「あたし達の仲間よ」なんでしょ!? ユミファってその愛馬……愛竜(あいりゅう)なんでしょ!?

 

 そりゃあ何人かは、ルカと同じように敵対したとは聞いていたけどさ!

 

 なんか想像以上に敵味方がぐっちゃぐっちゃに分かれてない?

 

「ユミファが四百年間何をしていたのかは知らない。それはパザスも一緒。あたしの知るユミファは、まだ知性もあまり発達していなかったし。もしかしたら、どこかで冬眠していたのかも」

 

 ああ。

 

 でもそうか。

 

 そりゃ言いたくないよなぁ、言い難いよなぁ。自分を育ててくれた人達の、裏切られ、敵対された(元)仲間のことなんて。

 

 だけど。

 

 歴史には、殺し合いをしたと記されているカイズとリーンが夫婦で、二人の子供も生まれている。まぁ、子供に関しては一方が一方を強引に……という可能性も無くはないが、アリスの言葉を信じれば二人は愛し合っていたようだ。

 そのことを思えば、四百年前の出来事は、もっと複雑でややこしい事情を孕んでいると、愛憎入り乱れたものであると、そう考えてもよかったのだ。ルカに関しても、ならスライムだから敵対したんだとか、そんな単純な話ではなかったのだろう。

 

 ともあれ、アリスとパザスさんは、ユミファの魔法によって石にされて? 封印されていた……と? そうなるのか?

 

 あれ?

 

 あれでも……クソ兄貴は首だけ石になっていたよな?

 あれでは仮に石から人間の身体に戻れても生首だ。実際問題、もう死んでることに変わりはない。

 

 アリスとパザスさんはなぜ……。

 

「パザス、こっちへ来るって」

「え?」

「ユミファが人を襲い、既に多数の被害が出てるなら、放っておけないって。黒い竜なんてありふれてるし、あたしも、あれから四百年も経っているんだから、まさかとは思っていたんだけど……そうと判明したからには、自分が決着を付けるんだって。ただ、向こうでなんかトラブってたらしくて、動けるのは暗くなってからなんだって。だからこっちに到着するのも夜になるらしいんだけど」

「……サーリャ」

「……はい」

 

 なんだか話がめっちゃ大きくなりました。物理的にも。

 

「……どうしよう?」

 

 このままだと怪獣大戦争が始まっちゃいそうです。一方は元人間ですが。

 

「……ティナ様は、ご自身の身の安全を第一に」

 

 赤竜(パザス)VS(バーサス)黒竜(ユミファ)。なんだか前者の勝てる未来が見えません。フラグとかキャラの格的な意味で。パザスさんってなんかあれよな、姿とは裏腹に親戚のオジサンみたいな氣安さがあるというか。

 

「アリス」

「なに?」

「アリスはこれからどうするの?」

 

 その答えはもう、予測できてました。

 

「あたしはパザスと合流する。ティナとサーリャは、ここであたし達の無事を祈っておいて」

 

 そうなるでしょう、流れ的に……でも……アリスがパザスさんと合流すれば、二人の無事は約束されるのでしょうか?

 

 どちらにせよ、それは武力という点においてほぼ見た目通りの私や、サーリャが参軍したところで、何の意味もない、絶対に足手まといになる戦いです。

 

 ですが……。

 

「アリス。アリスは言ったでしょ? 私からは強い陽の波動? が出ているって。それはこの場合、なにかの役には立たないの?」

「……」

 

 なんだかアリスが、冷たい目で私を見ています。

 

 ですが、これでも今の私は、男性よりも人の顔色を読むのが長けているとされる、性別女性です。それは視神経か脳の造りかなんかの問題で、精神とはまた違う理由だったと思います。男性は動くものや立体、空間の把握に長けてるんでしたっけ。

 

 今の私は、心はともかく身体はまぎれもなく女性ですからね。前世のソレに比べて、この身体は確かに、人の顔色の変化に敏感だと思います。

 

 そのおかげか、それともこの一ヶ月と少し、かなりの時間を一緒に過ごしたおかげか……それともその両方か。

 私にはアリスのそれが、軽蔑や軽視といった、ネガティブな感情から出たものではないと……理解できてしまいます。

 

 これは、この表情は……嬉しくて笑ってしまうのを我慢してる?

 

「……役に立たないよ」

 

 嘘です。

 

 はっきりとわかりました、これは嘘です。

 

『我々はその波動を浴びたからこそ封印を解くことができた。それはリーンに比肩(ひけん)する規模の波動の持ち主、その(かたわ)らに置かれたからであり、たまたまである。長い時の中では然様(さよう)な偶然も起こり得よう』

 

 そもそもが、アリス達にかけられた、黒竜ユミファの封印を解いたのは、私のチートの力なのでしょう。陽の波動とやらが、どのように作用したのかはわかりませんが、そういう類の話を、パザスさんもしていたはずです。

 

 つまり私のチートには、黒竜ユミファに対抗できる何かがあるのです。

 

 それがわかっているから、アリスは否定しているのです。

 私を危険にさらさない為に。

 

 私が、長生きしたいとよく口にしていたから。

 

「これは四百年前の因縁、ティナやサーリャには関係ない」

 

 顔全体の感じで嬉しそうとわかる、でも目鼻口の表情だけは冷たい顔のまま……アリスは言い切りました。

 

 そしてその顔へ、次に浮かんだのは、強がりの微笑みでした。

 

「もしかしてあたしをなめてるの? あたし、これでもめちゃんこ強いんだよ?」

 

 そうしてアリスは……どうしたらいいかわからなくなっている私へ、すっと顔を寄せてきて。

 

「……え?」「アリス!?」

 

 色の変わる瞳を、今は髪と同じ薔薇色に染め。

 

「だから、これで十分」

 

 私の額へ、その唇をそっと落としていきました。

 

 額と唇の、三秒ほどの接合。それだけでいいと、アリスは言っているようでした。

 

 離れていく顔に、満面の笑みが浮かんでいます。

 

「アリス、貴女(あなた)……」

 

 サーリャが何かを言いよどみ、しかし口を閉ざします。いつもならもう少しぎゃーすかとにゃーすかへ噛み付くだろうに、なぜか。

 

 突然のキスへ、混乱する私の頭に、サーリャはどうして今、言いよどんだんだ?……という疑問が浮かんできます。

 

 けど。

 

「じゃあね、ユミファのことは私達で何とかするから、ティナは変なことしないでね」

「あっ、待ってアリス!」

 

 その疑問へ、私が何もなんにも答えが出せないでいる内に、アリスはそう言うと、また魔法陣を出現させ、猫になり、あっという間にスタコラサッサとテントを出て行ってしまったのです。

 

 難しい顔のまま無言を貫くサーリャと、頼ってもらえなかったことが悔しい、私を残して。

 

 

 



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22話:王家の権威は守らねば

 

 アリスが鉄火場(てっかば)に赴いてしまった。

 私とサーリャを置いてけぼりにして。

 

 とはいえ、だからといって、間違いなく足手まといになるだろう戦いに、無理矢理参軍しに行くわけにもいきません。

 

 確かにアリスは強い。摂氏百度(100℃)を超える熱を一瞬で生み出すことができるし、自分の傷を一瞬で治したりすることもできるそうです。

 

 パザスさんの実力はわかりませんが、まずは体格の話をすれば、黒竜とパザスさんのソレはほぼ一緒くらいでしょう。そうでなければ、この二体が同一なのではないかという疑惑も、生まれないでしょうから。

 

 パザスさんの体長が、翼や尻尾などを除けば大体十メートルくらいだったでしょうか。翼を広げると、横幅はその三倍以上だと思います。そのサイズの竜が戦い合うのです……どういう戦いになるのか、何が勝負の決め手となるか、なにも想像つきません。前世の私は特撮系には疎いタイプのオタクだったのです。キングギ●ラって竜ですかねあれ。ヘルプ、エイジツ●ラヤ、ギレ●モ・デル・トロ、オアヒデアキア●ノ。

 

 どちらにせよ、私はこれを追えません。

 

 あの隊長さん辺りに、黒い竜とも話せるかもしれませんと嘘をつけば、討伐隊に同行すること自体は可能な氣がします。

 ですがそれをした先の方策が見つかりません。話せたとして、何を話せばいいのでしょう。

 

 黒竜(こくりゅう)……おそらくはエンケラウの愛竜(あいりゅう)ユミファに、どれほどの知性があるのかさえ、わからないのですから。

 

 私のチートが、黒竜ユミファへのなんらかの対抗手段であるとして、私自身、それをどう使えばいいのかわかりません。知りません。

 

 わからない、知らない、どうすればいいか不明。

 

 不確か、不鮮明、不安定。

 

 こんな状態で安易に、軽易に動くわけにはいかないでしょう。

 

 あぁ……だからか。

 

 だからあんな唐突に、速攻でいなくなってしまったんでしょうね、アリス。

 私に、深く踏み込まれると厄介だから。

 

 なにそれ。

 

 なんだよそれ。

 

 格好、つけないでほしい。

 

 討伐隊は、たとえ竜に知性があり、これを穏便に説得できたとして、そうであっても竜の討伐をやめたりなどはしないでしょう。竜の素材が魅力的というのは勿論そうですし、王家が動いてるのです。誰の目にも明らかな戦果が必要です。なにがあっても黒竜を倒す……いえ殺そうとするでしょう。

 

 つまり、私が黒い竜と話せたらなんだという話でもあります。

 

 私が話し合い以外で、役に立てるかもしれない可能性は、アリスがその胸に抱いたままどこかへと行ってしまいました。

 

 ダメです。やっぱり私にできることが無いです。

 

 となれば、アリスとパザスさんが黒竜を打ち倒す、もしくはなんらかの和解をしてこの地より去る、というのを期待するしかありません。アリスとパザスさんがやられたら、その後討伐隊が黒竜を討ち取ったとしても、それは私にとってバッドエンドです。

 

 ただ待つしかない?……それって、でも……辛い……。

 

 ……辛い?

 

 ……バッドエンド?

 

 それを想像すると胸が苦しくなる?

 

 アリスが心配?

 

 どうして?

 

 私は……アリスを失いたくない?

 

 私が……アリスを積極的諦めで受け入れてたのは、いつか男性に戻るためのひとつの手段としてキープする……そんな打算があったから……じゃないのか?

 

 気まぐれに懐いてきた猫の、その可愛さに、しょうがないなぁと受け入れてしまったような……そんなモノ……で……。

 

 ならば、気まぐれに去ってしまっても、私はそれを受け入れるしかなくて……。

 

 死を悟るといなくなるという、猫でも見送るかのように……。

 

 いや……。

 

 違う。

 

 違うでしょ。

 

 アリスは人間だ。ハーフエルフの人間だ。猫じゃない。

 

 私はこの一ヶ月と少しで、アリスが、意外と寂しがり屋なんだなって気付いてしまっていたじゃないか。

 

 ずっと一緒にはいられない、私達との時間を、でも今は愛おしいと思ってくれているんだろうなって、気付いてしまっていたじゃないか。

 

 だからことあるごとに私達の輪に入ろうとし、悪ふざけにも積極的にノってきたんだよ。

 

 そうだよ。

 

 そういう時間が、欲しかったんだよ。

 

 わかる。

 

 その気持ちは、よくわかる。

 

 若くして病院の囚人となり、「普通」でない人生を送らざるを得なかった、前世の俺を含めての「私」には……よく、わかるんだ。

 

 それは恋人が欲しいとか、結婚したいとか、そういう話じゃない、それどころか親友や友人が欲しいとかでさえも、ない。

 

 誰かと「普通」に笑えあえる、その「時」が欲しい。

 それが「瞬間」でもあっても構わない。限られた時間で構わない。

 

 今世(こんせ)の私ならば、ミアやサーリャとおしゃべりしたり、鍵盤楽器を弾いてあげたり、一緒に連弾したり、季節の花を一緒に愛でたり、それで詩なんか詠んでみたり、ちゃんとしてない時間につまみ食いしてみたり、ちゃんとした時間に一緒にご飯を食べたり、ミアの、サーリャの成長を確認しつつ裁縫チート様に活躍してもらったり、そういうの。

 

 かつてはオタクだった前世の俺ならば、今期のアニメはあれが一番だねとか、俺が今ハマっているVは誰某(だれそれ)だとか、あのゲームのここがクリアできなくてさー、とか、ガチャ爆死したー、とか、ネット小説界のレジェンドの中ではやっぱり無職●生が最高だよねとか、いやレジェンドの至高というならスライムだろ、エタっちゃったけど謙虚も良いよな、とか、いやいや、それらは確かにレジェンドだけど、今だとこういうニューカマーが熱いからさ~、とか、まぁ……そういうの。

 

 それが、アリスにとっては、私達との悪ふざけだったというだけの話だ。

 

 他愛ない話でいい、他愛のない言葉でいい。

 

 見る人が違えば、「こいつら気持ち悪い話してんな」「こいつら気持ち悪いな」と切り捨てられてしまう、何の役にも立たない、どうでもいい話でいい、そういう言葉でいい。そういう「普通」を語り合って、言い合って、喋り倒して、ふざけあって……それがいい。そういう「普通」がもっと欲しい。

 

 その希求、その祈りを、私はよく知っているじゃないか。

 

 私は、ルカからアリスを守った時……その背中に何を見た?

 

 あの細い背中は、いつか見た背中だ。

 

 どうしようもなく「普通」がほしくて。でも得られなかった背中だ。

 

 だから私は、他愛のない話にグイグイ入って来るアリスに、どこか懐かしさと共感を覚えていたんだ。

 

 それはまるで、かつての自分自身を見るかのようで、どこかへ行ってほしいとも、邪魔とも思えなかった。

 

 それは好きとか嫌いとかじゃなくて。

 

 そんな感情に発展するには、まだ全然時間を重ねてなくて。

 

 でも。

 

 けど。

 

 それでも。

 

 いつか別れが来るのは仕方無いけれど。

 

 普通の、今の時間は楽しくて。

 

 普通な、今の時間が楽しくて。

 

 それは。

 

 アリスとの時間は。

 

 ……ああ、そうかクソ。

 

 それは私も、今の段階でもう、私だって失いたくない、無くしたくないと思える何かではあったのだ。

 

 

 

 ……どうして不意打ちみたいなキスだけして行っちゃったんだよ。

 

 ずるいよ。自分の気持ちだけ勝手に押し付けていかないで。

 

 もう無事に帰ってきたらお返しするから。三倍返しだから。

 

 だから……だからどうか無事に……お願い。

 

 

 

「ティナ様」

「……ん?」

 

 アリスが()ってより半日が経過しての夜、机の周りを意味もなくぐるぐる回りながら物思いに(ふけ)ってると、サーリャが私を現実に引き戻しました。

 

 半日の間に、聖女のお役目的な意味でしていたことは、省略してしまいます。

 

 まぁ、第二王子に挨拶しに行ったり、その両脇に(はべ)る目が死んでる感じの女性二人に、大変ですねと思ったり、私が見ている前でも彼女らの胸と尻に手を回し、這わし、サスサスモミモミしてる第二王子の姿を見て、うげ気持ち悪いと思ったり、こちらへも向いた舐めるような視線に怖気がしたり、鳥肌が立ったり、その直後「顔は良いが、気が強そうなのと、身体が物足りぬのが残念だな」と呟かれたりしたり……だからその両脇に侍る女性のような扱いは、どうやら求められないようだなと安堵したり……まぁ、そういうどーでもいいことしか起きていません。どーでもいいことにさせて。

 

 サーリャ? テントの外に待機させましたよ。テントの中へは、代わりにサーリャのパパが同行してくれました。なんでも第二王子の色狂いはそこそこ有名な話なんだとか。地方の男爵家の騎士にまで話が降りてくるのですから、相当なモノでしょう。そしてサーリャのパパグッジョブ。

 

 ……第二王子も、次男で()かったですね。カナーベル王国の将来的に。

 

「ティナ様、なんだか様子がおかしいです」

「……え?」

 

 そういえば……静か過ぎる?

 

 王家が出張ってる正規軍、そもそもが実働隊は全て特殊部隊という事情もあり、この軍は相当に規律正しく運営されていたと思います。第二王子のテント内は除いて。

 だから過剰に騒ぐ兵士がいないのは納得で、静かなのはおかしくないのですが……。

 

 それでも……静か過ぎる?

 

「ティナ様! お父さんが!」

 

 テントの外から、サーリャの叫び声。

 

「これは……」

 

 テントを出ると、出たすぐそばに、男爵家の騎士、私の護衛としてテントの見張りをしていたはずの三人が倒れていました。当然そこにはサーリャのお父さんもいます。腹など出ていない、大柄のイケメンお父さんです。

 その彼を含め、三人の偉丈夫が全くの無警戒に土……というか岩の地面に横たわっています。

 

「お父さん! 起きて! お父さん!」

 

 三人とも目に見える外傷はなく、息も穏やかのように見えます。

 

 ですが、サーリャが割と遠慮ない感じで父の頬を叩いても、一向に目覚める氣配がないのでした。綺麗なモミジが咲いています。いやあれは葉っぱだから咲くモンじゃないんだけどさ……私もまた若干混乱していますね。

 

「……これはいったい」

 

 まず頭をよぎるのが、催眠ガスなり魔法なりの攻撃を受けたということです。

 今生(こんじょう)の十三年間では、こうした状況を経験したことはありませんが、前世の二次元の思い出まで含めると、そういう推論が出てきてしまいます。名推理シーンを前に、麻酔針で眠らされるのが日常のお父さんは、健康面で大丈夫なのでしょうか。まぁアレは針が一本しかなく、三人を同時に眠らせることは出来なかったと思います。この場面だと、三人同時に眠らされていることからも、これは範囲攻撃的な何かです。

 

 ただ、ではなぜ私やサーリャは無事なのでしょうか?

 

 ……アリス?

 

 アリスが、もしくはパザスさんが、黒竜と対峙する際に人間の干渉を避けるため、何かをした?

 これだと、私とサーリャだけ無事なのもなんとなくわかります。

 

「サーリャ、お父さんのことも心配だけど、まずは確認していいかな? これが男爵家の人間だけ狙ったものなのかそうでないか」

「……はい……それはでも」

 

 まぁ、この静けさです。

 

 というか、見える位置にある第三王女様のテント、プラスその護衛が詰める三つのテントの……見張りらしき騎士が、遠くで何人か倒れています。討伐軍全体がやられているんでしょうね。

 それじゃなかったらなんらかの罠です。討伐軍全体で男爵家をハメる類の。

 

 まぁ明らかに戦力で劣る我々に、罠を仕掛ける必要があるとも思えないので、後者はまず無いと言っていいでしょう。というか現時点でもう男爵家の騎士を排除できているのですから、罠ならこの段階で何かしらのアクションが起きていいでしょう。私とサーリャは既にテントの外に出てしまっているのですから。

 

 あ、いいえ……この時点でアクションがない罠なら、もうひとつありましたね。

 

 第三王女と男爵家、これを共に葬り去るのが目的なら、私が第三王女を殺したことにすればいいのです。つまり私が第三王女のテントに入ると、王女が死んでいて、その下手人が私というシナリオです。

 

 私は聖女から一転、王族を弑逆(しいぎゃく)した重罪人に転落です。打ち首獄門ならまだしも、火あぶりとか凌遅刑は勘弁してほしいです。ギロチンは人道的な死刑として考案されたモノらしいよ。

 

 なら……。

 

「サーリャ、ついてきて」

「え?」

 

 でも……という感じで第三王女のテントの方を見るサーリャ。

 第三王女のテントは、男爵家のテントから三十メートルほどの距離にあります。第二王子のテントはその更に向こうで、ここだと僅かに見える程度です。

 

 うん、そっちでも多分正解。でも最適解ならこっち。

 

「ナハト隊長のテントへ」

 

 

 

 

 

 

 

「……これはどういう了見ですか!?」

 

 と、近くにあったロープで雁字搦(がんじがら)めに縛られた鎖帷子の女性が、凄い形相で聞いてきます。

 

 私は答えます。

 

「ごめんね。色々不安要素があったから。不安が解消されたらすぐに(ほど)くから、答えてくれますか?」

「……貴女(あなた)の所業は、貴族令嬢とはいえ不当です。私は、身分こそ平民ではありますが、王国軍に所属する正規兵です! これへ、不当な扱いをするのは、すなわち王の顔に泥を塗るようなもの。貴族ならばこそ許されざる行為と知りなさい!」

 

 補佐官、キルサさんでしたっけ。

 

 はい、キルサさんは女性です。今朝は兜を被っていましたからわかりませんでしたが、髪はオカッパを少しだけ伸ばしたような黒髪で、ツリ氣味で切れ長の目元が涼やかです。瞳はスカイブルー。身長は多分百七十以上はあります。長身ですね。これまた第三王女様とは別の意味で、姉キャラとして負けてしまっている氣がしないでもないです。別の言い方でいうと「お姉さま」的な意味で。

 

「私がただの貴族令嬢ならそうだけど、私は私で王より聖女の役回りを押しつ……拝命してここに来ているの。言ってる意味がわかる? 聖女が不当で許されざる行為をしたなんてこと、民に知られたら、その方が王の顔に泥を塗っちゃうんじゃない?」

「……この無礼を不問に()せと?」

「あのね、私は聖女でも本当に武力のない小娘に過ぎないの。そんな私が日々訓練で身体を鍛えてる兵士の皆様に、勝てるわけがないじゃない。それでも、どーしても情報を引き出す必要があるならこうするしかないもん。それに、そんな小娘にあっさり捕縛されたんだーって、凄く恥ずかしいことなんじゃないかな?」

「あ、あっさり捕縛などされてない! 眠ってさえいなければ!」

「ねー、そこだよね」

 

 まぁ、つまりここは隊長さんのテントの中です。

 

 隊長さんは今もぐーすか寝ていらっしゃいます。

 覚醒時はとても威圧的な存在感を放っていらっしゃったのですが、さすがに睡眠時は可愛いらしい寝顔です。身長が低いこともあり、こうしてみると中学生の男子みたいですね……まぁ、やはりロープで雁字搦めにされていることを除けば。

 

 ……と第三者のように言うのもあれですね。

 

 はい、ロープで雁字搦めにしたのは私達です。セリフでも言ってます通り、戦いになったら勝てないと思ったので、ロープで縛らせてもらいました。なぜだかとても上手く縛ることができたと思います。前世でもそういう趣味があったとは思えないのですが、これも裁縫チートの恩恵なのでしょうか。

 

 このテントには、キルサさんと隊長さんしかいませんでした。

 副隊長のゴドウィンさんは、他の兵士さんと一緒に隣のテントでぐーすか寝ていました。さすがにそちらまで拘束している時間はなかったので、放置してきましたが。

 

 そうしてから、隊長さんを頑張って起こそうとしていたのですが、なぜだか先に補佐官のキルサさんの方が目覚めてしまいました。しょうがないので尋問先を彼女に変更です。

 

「なんでみんな眠っちゃってるの?」

「……は? 何を言っている?」

 

 うーん、これはさすがに白ですかね。こんな胡乱(うろん)げな表情を見せられたら、さすがにこの人が、今起きてる状況について、何か把握しているとも思えません。

 

「もうひとつ聞くね。討伐軍の皆様は、ここにドラゴン退治に来たんだよね」

「当たり前だろう! 他に、何をしにきたというんだ!」

「男爵家の人間に敵意は?」

「ただ今膨れ上がっているまっ最中だが!?」

 

 あー、白っぽいです。

 

 まぁ重要人物であるところの隊長様が眠りこけていた時点で、少なくともこの集団睡眠事件が、討伐軍主導によるものではないとだけは理解できました。

 

 けど、まぁ一応、せっかくなので、念には念を入れて尋問してみました。

 

 それにしても頑丈ですね、このロープ。空中戦に耐える軍用仕様かナニカなのでしょうか?……そう思って、目の前で暴れる軍関係者に聞いてみたところ、なんでもミスリルを糸にして織り込んだ特別製なんだそうです。フル装備の兵士三人分の重量くらいまでなら完全に耐えるのだとか。太さ一センチ程度のロープなのに凄いですね。縄チートの出番無し。

 

 ……そんなチートが出てくる作品あったっけ? 糸チートならいくつか思いつくけど。

 

「うんわかった。ごめんね、いまから縄を()くけど、殴るなら今から行動できなくなるような、例えば足を骨折とかそういうのはやめてほしいかな。捕縛も困る」

「……お前は、バカか?」

 

 わー、なんかすげーシンプルに言われましたよ!

 

「んー。理解してほしいんだけど、これは必要な処置だったの。私は貴方達(あなたたち)が敵かもしれないと疑っていた。うちの騎士達も皆眠ってしまっているんだからね? こんな異常な状況で、これはもしかしたら陰謀に巻き込まれたかも……って疑うのはおかしいことかな?」

 

「それは……」

 

「その場合の最悪は、この討伐隊全体が敵だってこと。陰謀だったら王子王女はその中心になるから迂闊に近づけない。縛りあげて尋問なんかしたら、それこそ無礼千万で成敗されちゃう。だからその代わりを貴方達にしてもらいました。私に、王家への敵意はありません。これが陰謀なら、それを阻止したいとも思っています」

 

「おい待て、そんな厄介そうな話を私に言われても困るぞ」

 

 頭脳労働官ではないのでしょうね、キルサさんは、難しい話を嫌がるタイプの武人さんのようです。

 

「キルサさん?……が職務に忠実で、その職務に男爵家への攻撃が入っていないのであれば、拘束を()いた後で、私に協力してほしいです。拘束を()いたら私は弱者で貴女は強者。だけど身分だけでいえば、今だけは聖女であることを含めて私の方が上です。私は貴女に失礼を働きました、それはごめんなさい。だから貴女も、私を殴るなり蹴るなりして、失礼していいです。それでチャラにしてください。そしてチャラにした後は、この事態を解決するため、一緒に動いてほしいです。だから足を折るとかそういうのはやめて。顔や腹なら構わない。どうしても腹に据えかねているというのであれば、私の顔へ、酷い痕が残るような傷でも創ってください」

 

 言った瞬間、キルサさんがギョッとした顔を私へ向けました。

 

「お前は……何を平然と顔に傷を創っていいなどと……正氣か? まともな結婚ができなくなるぞ?……というかそちらの侍女から……そんなことしたら殺すぞてめぇ……という類の殺氣が飛んできているのだが?」

 

「……サーリャ」

「……すみませんお嬢様」

 

「もう一度言うよ。人間には感情があるから、貴女が私へ怒りを向けるのは仕方ないです。だけど殴るのは私がこれから……聖女として行動するのに支障がない範囲にして。これを約束してくれないのなら、その縄は()けない」

 

 お願い……と頭を下げる。角度的には多分三十度くらい。

 

「……はぁもういいや。わかった、縄が(ほど)けても何もしない。約束する。故郷の父と母の名に誓って約束する」

「殴らないの?」

「殴らねぇ。女を殴ったら拳が汚れる」

「……貴女も女性では?」

「私は女である前に竜殺しだ。竜を殺るための拳で女は殴らん」

 

 なにそれかっこいい。生きていたらクソ兄貴にも聞かせてあげたかった。

 

 拍子抜けするほど、あっさり説得完了できましたね。

 この反応は……ふむ。聖女認定されておいてよかったってことでしょうか。

 

 まぁお(とが)めなしっぽいので、特に焦らすこともせずに、キルサさんの縄をしゅしゅっと()いてしまいます。どう考えても前世の俺にこんな技能があったとは思えないので、これはチート由来の能力ですね。帯の結い方の知識はなかったのに、どうしてこんなモノはあるのでしょう。あの女史さん、私を緊縛師にでもしたかったんでしょうかね。

 

 ……緊縛師ってナニ?

 

「隊長!」

 

 おっと。

 

 自由になったら真っ先にするのが上司の救出ですか。部下の(かがみ)ですね。

 正直、(ほど)いた瞬間、まぁなんだかんだいって、一発くらいはもらうんだろうなぁと身構えていましたが、杞憂(きゆう)でした。

 

 だけどね。

 

「隊長! 隊長! 隊長!?」

 

 目覚めないんですよ。

 

「私達も頬を叩いてみたり、脇をくすぐってみたり、色々やってみたけど、どうしても起きない。あとはお姫様にキスでもしてもらうくらいしか思い付かない」

「……っ」

 

 ん。

 

 あ。

 

 キルサさん、隊長さん……ナハトさんでしたっけ?……にキスしちゃってます。

 

 最初はバードな方でしたが、すぐフレンチでディープな方に移行しました。サーリャが顔を両手で覆って……指の隙間から凝視しています。わかるよ、そういうのに興味深々なお年頃だよね。思春期だよね。

 

「私は男爵家令嬢で、お姫様ではないから遠慮したのですが……」

 

 お、おう、あんなに激しく唇を吸ったり舐めたり……これは勉強になりますね。なんせ性知識は前世においてきてしまったので、まっさらな状態です。そっかー、ディープキッスってああいう風にするんだ~。

 

「……ぷはっ。私と隊長は恋人同士だ。既に身体の関係もある。幾度となく二人で夜を越え、共に朝を迎えた仲だ。キスくらいどうということもない」

「……然様(さよう)ですか」

 

 過激な告白をして、再びディープなキスに入ったキルサさんは、しばらくそのままお盛んにさせておきましょう。ラーニング終了。ディープのラーニング終了。

 

「隊長様の拘束も、()きますね」

 

 まぁ、キルサさんが自由である以上、隊長さんだけ縛っておく意味も理由もありません。というか、縛った状態で起こされたら、そりゃ縛ったものへ敵意が向くって話でしょう。先程キルサさんによって実証された因果の結び付きです。私自身は若干M入ってますから縛られた状態で目覚めてもそこまで不快ではありませんけどね。嘘ですけどね。緊縛が得意ということでドSキャラにされてしまいそうと思ったので、少しバランスをとってみました。いえ敵意が生まれるかどうかはともかく、「なんじゃこりゃー!?」ってなると思いますよ、普通に。

 

 まぁ、それは措いておいて、結婚をしたいわけではありませんが、顔に傷を創りたいわけでもないのです。Mではないので。キルサさんとの問答と同じことをして、ならば覚悟しろとなったら大変です。Mではないので。どうやら敵ではなさそうと判断できた以上、無駄な反感は買わない方がいいです。Mではないので。

 

「隊長……起きてください……んくっ」

 

 どうでもいいけど……なげぇよ。いつまでディープキッスしやがってますか。

 あと拘束を()くのに、貴女の身体が地味に邪魔なんですけど。

 微妙に、私が隊長の身体に触れようとするのをガードしてきてる氣がするのですがね、とらねーから安心しろや。縄を解きたいだけだっての。

 

「どうして……どうして? 愛し合うもののキスじゃダメなの?」

「……ごめん、そろそろいいかな?」

 

 どうにか縄を(ほど)き終わり、次のフェイズに移行したい私は、キルサさんに声をかけます。

 

「起きてください、隊ちょぉぉ……」

「あのー」

 

 縄、っていうかロープはサーリャに預け、あとでどこかに捨ててもらうとします。サーリャのスカート、けっこうな収納スペースがあるんですよ。そういう風に造ってあります。縄二本、合わせて三、四十メートル分くらいなら余裕でしまえます。重さもそこは流石軽量で知られるミスリル編み込みなのか、それだけあっても壱キログラム(1kg)前後くらいでした。証拠隠滅が(はかど)る。

 

「きーるーさーさ~ん?」

「起きてくださいよぉ……んっ(ぶちゅぅ)」

 

 なんかキルサさん、最終的には縄の(ほど)けた隊長さんの身体に馬乗りになって、いい感じで浸っていらっしゃってます。えっと……あのね? 今はそーゆーときじゃねーから。あとサーリャが顔真っ赤だから。

 そんな感じで呼びかけてみますが、ラヴなゾーンに入っちゃったキルサさんは反応してくれません。どうしたものか。

 

「隊ちょおぅ……」

 

 ただ、こうなった女性に、下手な横槍を入れるのは危険と私のチートが囁いています。

 これ以上敵意を向けられるのも困ります。本当にどうしたもんでしょうか。

 

「し、しっかりしてください!」

 

 と思い悩んでいたら、サーリャがいったぁあ!

 さっすがサーリャ! 私にはできないことを平然とやってのける! 声は上ずってるけど!

 

「女である前に竜殺しであるというなら、今はその本分を果たしてください! これが黒竜の魔法である可能性もあるのですよ!」

 

 おっとサーリャ選手! 男に馬乗りになってるキルサ選手のお尻にパーンいったぁ!

 キルサ選手! なんだか「ひゃんっ」って感じの可愛い声で鳴いたー!

 

「今は一緒に来てください! 第二王子殿下と第三王女殿下の無事を確認しにいきますよ!」

「……そうだな、すまない」

 

 キルサ選手、思ったより素直だー。すげー。

 

 ……でもこれってサーリャの、胸部装甲を含め、女としての攻撃力込みでの結果だよね。

 

 私がお尻パーンなんてしようものなら、きっと逆ギレされてますよ。正論でも子供に言われたらムカつくってアレですね。見た目は子供、頭脳は大人の悩ましさです。キック力増強シューズであの死神……もとい名探偵を蹴飛ばしたい人、結構いるんじゃないでしょうか。やめたげて。

 

 

 

 

 

「ここもか……」

 

 そんなあれやこれやがありまして、ここは第二王子のテント……の外です。

 中ではお尻パーンでしょうきにもどったキルサさんが、実状(じつじょう)検分(けんぶん)しながら実況見分(じっきょうけんぶん)しています。

 私とサーリャは、その入り口で、中の様子に聞き耳を立てている状態ですね。

 

 先程テントの中に入った時、チラッと見えた第二王子は……えーと。

 

 ごめんなさい、ちょっとコンプライアンスにひっかかりそうなので言葉を濁しますね。

 

 そこには第二王子と、覚醒時には死んだ目で第二王子の両脇に(はべ)っていた二人の女性が、眠りこけていました。

 二人の女性は、裸ではないものの、肌色成分の多い格好をしていました。

 そんでもって二人とも、椅子に座る王子の股間の辺りで、お互い頭をつき合わせにして寝ていました。王子王子、お二人の頭が無かったら大事なところが丸見えでしたよ。テントの中とはいえ、ズボンはちゃんと履いた方がいいですよ。

 

 さて、この三人はなにをしていたんでしょうね。

 

 ヒントは、キルサさんがその状況を一目みるなり、持っていた短い槍を地面に刺し、私達をテントの外に追いやったことです。

 お子様にはまだ早いのだとか。

 

 わかりました、私は大人なので見なかったことにしましょう。自分がする(がわ)の性別であることを考えると、想像するのも嫌な行為が行われていたのでしょうね。なので想像もしません。したいことだけして生きていきたい。ミアと戯れることとか。そしてそれとは全く関係ありませんが、今ソーセージが目の前にあったら、歯で思いっきりガブリとやってしまいそうです。しっし、ぺっぺ。

 

「殿下、王子殿下、起きてください」

 

 中では、さすがに愛しくもなんもない相手にキッスする氣にはなれないのか、身体を揺さぶったり、頬を平手で叩いたり……などをしているようです。

 

 そうしてるうちに、「ええい! そこな二人! 邪魔だ! 起きろ!」という苛立ちの声が聞こえて、更にはなんだか人体が地面に崩れ落ちるみたいな音が二つ聞こえて、それから「うげぇ……」という生理的嫌悪を表明する声が聞こえて……それからまたしばらくしてから、キルサさんはテントの外に出てきました。なんだか視線を斜めに逸らしています。

 

「……」「……」「……ズボンはあげてきたぞ」

 

 そうですね、王家の権威を守るというのは大事なことですよね。

 職務に忠実なキルサさんには敬意の氣持ちしかありません。嫌な仕事をさせてしまってごめんなさい。

 

 そんなわけで次は……第三王女のところです。

 

 

 



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23話:『第三王女サスキア』

 

<カナーベル王国第三王女サスキア視点>

 

『これで本当に、上手く行くのでしょうか?』

『■■■■■■、■■■、■■■■■』

『そうですか……それではもう少しで私は私でなくなってしまうのですね』

『■■■■■■■■?』

『いいえ、ナハト様と結ばれるためなら、私は全てを投げ打つと決めたのです。今更引き返せません』

『■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

『はい……もう決めたことです。私は……キルサさんと入れ替わります』

 

 男性でありながら、どこかイントネーションが女性のような、そんな声が頭に、いいえ心へ直接話しかけてくるかのように、響きます。

 

『■■■■■■■■■■■■■』

『はい……ええ、わかっています』

 

 王家に伝わるマジックアイテムのひとつ、念話のダイアモンド。

 

 竜一匹をまるごと、超高温の魔法の炎で炭化させたモノなのだそうです。

 聞くところによれば、人間でも動物でもモンスターでも、生物を一定の高温で燃焼し続けるとダイアモンドに変わってしまうのだとか。不思議なものですね。

 

 念話のダイアモンドは、遠く離れた相手といつでも連絡の取れる便利なアイテムですが、残念ながらそれが可能となるのは、相手が魔法使いか、または同様のマジックアイテムを持っている場合に限られます。

 

 ゆえに魔法使いを排斥し、マジックアイテムを秘匿する人間社会においては、なかなかの活躍の場が与えられない、残念な代物(しろもの)といえます。せめて王家に、もうひとつ同じアイテムが伝わっていればまだ違ったのでしょうが……残念ながら、これはこれひとつです。

 第三王女である私が戦場へ持ち出しても誰も(とが)めない程、今の王家においてこれの扱いは軽いのです。

 

『■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■』

『ええ、あの子も今頃眠っていることでしょう。安寧のムーンストーン。その効果、確かに』

 

 占星術師ティア。

 

 彼は何者なのでしょうか?

 

 念話のダイアモンドの持ち出しを奨めたのは彼です。

 自分もまた同様のマジックアイテムを所持している、だからこれを持っていけば、いつでも連絡が取れるからと……そう言われました。

 

 そしてまた、安寧のムーンストーン、置換のキャッツアイという不可思議なマジックアイテムを与えてくれたのも彼です。

 

 ですが彼は、筆頭占星術師という国の要人ではありますが、貴族ではありません。

 侯爵以上の貴族の間にのみ伝わるマジックアイテムを、どうして貴族でもない彼が二つも三つも所持しているのでしょう?

 

『■■■■、■■■■■■■』

『はい……では後は全てが成った後で』

 

 いいえ。ここまでくればもう薄々理解しています。

 彼は魔法使い。人間の魔法使いなのでしょう。

 

 エルフが変身魔法を使っているなんてことはありません。

 

 これは公爵家の貴族でも知らないことですが、我が王家には、変身魔法を見破ることのできるマジックアイテムが伝わっています。

 王宮に招かれる可能性がある全ての人間は、そのマジックアイテムの審査を通ってきているのです。

 

 彼は人間、それは間違いありません。

 

 だから彼はそう……人間社会に存在することが絶対に許されない……人間の魔法使いなのでしょう。

 

 ですが。

 

 今更、それがなんだというのでしょうか。

 

 私は、第三王女の身分すらも捨てて、恋に生きると決めたのです。

 全ては愛しいあのお方と結ばれるため。

 

 私はキルサさんと入れ替わり、その身体であの方と愛し合うのです。

 

 ああ……あの精悍なお顔、細身でありながらしっかりと鍛えられた身体、極上の弦楽器が響くような声……。愛しくて、恋しくてたまらない、あのお方。

 

 置換のキャッツアイはたった一度しか使えないマジックアイテムで、効果を発揮した瞬間に砕け散ってしまうのだそうです。安寧のムーンストーンもそうでした。美しい輝きを放っていたあの宝石は、その効果を発揮した瞬間に砕け散ってしまいました。

 

 機会は一度だけ。

 

 ですがその機会をくれたのは、人の()では()まれる存在、魔法使い。

 

 だから、私だけは、そんな彼に感謝しなければいけません。

 

 私の、人の道から外れた恋を、人の道から外れた存在が助けてくれた。これはそういうことなのでしょう。なんて素晴らしい。なんて詩的で、運命的なことでしょう。

 

 そうです、これは運命だったのです。

 

 私があの方に惹かれたことも、この想いの成就を(たす)ける魔法使いが身近に存在していたのも、ええ、そうなるよう天が配置した運命だったのです。

 

 私は、置換のキャッツアイを握り締め、愛しい彼と、その恋人……いいえ、私の新しい身体……が眠っているはずのテントへと足を踏み入れ……。

 

「!?」

 

 慌ててその足を止めます。

 テントの中に、誰かいます。

 

 眠っていない、覚醒していない誰かが。

 

「隊長……起きてください……んくっ」

 

 中から、いやらしい声と音が聞こえてきます。一瞬、視界が真っ黒に染まりました。

 

「どうして……どうして? 愛し合うもののキスじゃダメなの?」

 

 その声に……私の中で何かが燃え上がります。

 

 黒い炎が、メラリ、メラリ、揺らめいています。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 どうしてその場所にいるのが私じゃないの?

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 どうして。

 

 貴女(あなた)が彼に愛されるなんてことが、許されるというの?

 

 この私でなく、生まれの卑しい、品の無い、知性の足らない、豚のようなあの者が。

 

「……ごめん、そろそろいいかな?」

「隊ちょおぅ……」

 

 情けない声、情けない姿。

 

 貴女に彼は相応しくありません。

 

 そんなの間違っています。

 

 頭の中が今度は真っ白に、いいえ、真っ赤に染まっていきます。

 

「し、しっかりしてください!」

「女である前に竜殺しであるというなら、今はその本分を果たしてください! これが黒竜(こくりゅう)の魔法である可能性もあるのですよ!」

「今は一緒に来てください! 第二王子殿下、第三王女殿下の無事を確認しにいきますよ!」

「……そうだな、すまない」

 

 ……いけない。

 中の三人が、出てきてしまいます。

 

 どうして彼女達が起きているのでしょう。

 どうして彼女達が、安寧のムーンストーンの効力から逃れられているのでしょう。

 

 疑問が、疑惑が、膨れ上がっていきますが、今はそれどころではありません。

 

 慌てて、テントの入り口とは反対側の陰に隠れます。

 

 そのまま息を潜め、彼女達が去っていくのを待ちました。

 

 ……どうやらやり過ごせたようです。

 

 ですが、キルサさんがなぜか起きていました。

 

 恨めしいそのうしろ姿に、手頃な石を拾って投げたくなりました。でも我慢します。

 

 置換のキャッツアイは、相手の意識が無い時でなければその効力を発揮しません。そう固く注意されています。

 

 そのための、安寧のムーンストーンでした。

 

 そしてそのための、この戦場への随行です。

 

 王宮で安寧のムーンストーンを使おうものならば、必ず大騒ぎになります。効果範囲の問題ではなく、人の密集具合の問題で。集団睡眠の範囲から漏れた方々による大騒ぎが始まってしまいます。だからといって、王女が一兵卒(いちへいそつ)とその補佐官を、周囲に誰もいない場所へなど呼び出せないでしょう。

 

 それに……入れ替わった後にすることを思えば……場所は戦場である方が都合がいいのです。戦場は誰が死んでいても不思議ではない場所です。それがたとえ、国の第三王女、その肉体を持った誰かであっても……。

 

 安寧のムーンストーンは、もはやこの手にありません。

 

 であるなら、その効果時間……一夜が暮れて明ける程度の時間と聞いていますが……の間に、もう一度キルサさんの意識を奪う必要があります。

 

 ……どうすればいいのでしょうか?

 

『……ティア様、緊急事態です。応答できますか?』

『はい……ええ、そうです。聖女とその侍女が一緒でした』

『まさか。本当に?』

『はい……はい……えっ!? そ、そのようなものが?』

『人をゴブリンに変える薬……恐ろしい』

『証拠を全て隠滅……つまり……』

『いいえ、私はこの愛のためなら何でもすると決めたのです』

『解毒薬?……え? はい……ここに多くのゴブリンに対処できるほどの酒類は……違う? 確実にゴブリン化を防ぐ薬?……用意周到ですね……後始末のため……そうですね……はい、それもあの者から受け取れば……はい……ええ……わかりました……その時に』

『ゴブリンへの変異は……真夜中になりますね。ムーンストーンの効果……はい……この地は夜明けと共にゴブリンの地獄に……いいえ、やります』

『わかっています。私はもう引き返せません』

『引き返せないのであれば、最後までやりきるだけです』

『……どうして私は王女などという身分に生まれてしまったのでしょう』

『そのようなものより、好いた男性に好かれる身分こそ、必要なものだというのに』

『王族なんてつまらない。贅沢な食事? 食事なんて三食とほんの少しのデザートがあればそれで十分でしょう。華美なドレス? 毎日の氣分に合わせて着替えられるだけで十分でしょう。王宮? リビングが十程度、応接室と使用人の部屋、自分と旦那様のための部屋が四、五個あれば十分でしょう』

『は? そんなわけがないでしょう。それとも貴方は、この国が豊かではないとおっしゃりたいの?』

『ええ、わかればいいのです。いつかあなたの恩には報いますよ。私の魔法使い様』

『全ては愛のために』

『全ては恋のために』

 

 

 



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24話:口直しにダリア

 

<アナベルティナ視点>

 

「サーリャ。こっちの牝馬(ひんば)が目を覚ました」

「よかった。これで三人分の馬が揃いましたね」

「……牝馬ばかり眠りから覚めているな? 女にはかかりの薄いまやかしなのか?」

「偶然でしょ」

 

 さて。

 

 唐突ですが、ここでカミングアウトがあります。

 

 ここにいる三人! みんな乗馬が得意です!

 

 意外ですか? 意外でしょう? どやぁ。

 

 ……まぁ私はチートのおまけですけどね。

 乗馬って、貴族令嬢の(たしな)みのひとつなんですよ?

 白いワンピースの下に白いキュロットを履いたので、格好は若干おかしくなってますが、乗馬の姿勢は綺麗なはずです。

 

 サーリャは騎士の家の生まれで、当然乗馬は(いえ)の必修科目。スカートの下にドロワーズを何枚か重ねたようです。

 キルサさんに至っては説明の必要もないでしょう。軍人さんですもの。なんだか腰に小瓶みたいなモノぶら下げているのが若干不安ですが。飲酒運転はいけないよ?

 

「私とサーリャは、竜に近づき過ぎない範囲で第三王女殿下を捜索しつつ、周囲を探索してみます。その間に、キルサさんは兵站ライン下流の後方部隊へ連絡を」

「本当にそれでいいのか? そちらの方が危険ではないのか?」

「私達がこの現状を、後方部隊へ正しく伝えたとして、それを信じていただくことができると思われますか? 今は急を要します。私達に危険があったとしても、それよりも優先すべきは第三王女殿下御身(おんみ)の安全の確認と、その保護です。これは王家の臣下であるのならば、最優先すべき事柄です」

 

 とかまぁ、綺麗事を並べちゃってますが、当然私は真っ正直に、第三王女の探索になんて行く氣はありませんよ。

 

 そう、第三王女のテントはもぬけの空でした。入り口にこそ女性騎士さんが数名が眠っていましたが、中には人っ子ひとりいませんでした。

 

 まぁこれは、予想していたいくつかの展開の内のひとつではあります。

 

 つまり、これは第三王女を狙った陰謀で確定ですね。どやぁ。

 

 ……疑ってごめんよ、アリス。

 

 まぁ第三王女の死体が横たわっていなかっただけ、最悪ではありません。

 (さら)うなら、目的が達成されるまでは生かされているでしょうからね。

 

「そうか……ならばもう何も言わぬ。聖女よ、武運を!」

「キルサさんも!」

 

 ただ、そうなるとこうなると、私の手には余ります。余り過ぎます。

 

 私の女の勘が囁いています、このまま無策でここにいると、何かよくないことが起こりそうって。ちなみに色々な面で不完全なのか、私の女の勘は当たるも八卦当たらぬも八卦ですけれども。……まぁいいのです、最後に信じるべきは自分の勘です。サーリャが信じてついてきてくれるうちは、自信満々で自分の勘に従いましょう。

 

「ティナ様! 我々も!」

(おう)よ!」

 

 ここに留まらない選択をするなら、ならばもう、残る選択肢は進むか退くかです。

 

 退く方は、本陣までに築かれた兵站ラインを、逆に辿っていくルートです。その終点には男爵家の砦があるので、こちらは完全なる撤退ですね。あらゆる問題の解決を人任せ、他人任せにしてお家でお膝を抱えるルート。

 

 進む方は、ここ本陣から黒竜(こくりゅう)の住まう方へと、まっすぐに進む道です。

 

 馬で行けばすぐに黒竜に発見されるでしょう。ですが、その前にアリスが発見してくれるはずです。アリスは今、この道のどこかでパザスさんとの合流を待っているはずです。そして、おそらくですが、探索魔法? のようなものを使い、周囲を、というか追ってくる私達を警戒しているのではないでしょうか? 私達はそれに引っかかればいいだけです。簡単なお仕事です。

 

 それに、仮に。

 

 既にアリスがパザスさんと合流し、とうに黒竜との邂逅(かいこう)を果たしているのなら……その場合でも、私達は黒竜を危険視する必要がありません。だってその場合、話し合いなり戦闘なりが始まっているわけですから。馬で進んでも問題がないというわけです。

 

 はい、こちらのルートは、つまるところ「なんかヤバイからアリスに頼ろう」ルートです。

 

 ……どちらにせよ人任せじゃん、とか言わない。

 

「サーリャ、ゆっくりだよ。アリスは多分そう遠くない位置にいる。そのはず」

「はい。ティナ様と(あわ)(うま)。これはいい思い出になりそうです」

「……うん、サーリャが幸せなら私も多分嬉しいよ」

 

 というわけで、選んだのは進む道です。

 

 この問題の解決にはアリスの力が必要です。

 なんせ魔法っぽいものを使われてしまっているのですからね。

 第三王女を探すにしろ、アリスの探索魔法(?)に頼りたいところです。

 

 ……だから人任せじゃん、とか言わない。最大効率を求めるとこうなるんだもの。

 

 そうして夜の道を、満天の星と月夜の明かりの下、あれは山猫座(やまねこざ)、あれは牝牛座(めうしざ)、あれは蓑虫座(みのむしざ)と数えながら、しばらく走ったでしょうか。

 

 十五分も経たない内に、猫が馬の進行方向を塞ぎました。

 

 ……言葉、間違えてませんよ。

 本当に、猫が進行方向に入っただけで、馬がその足を止めたのです。

 魔法陣は見て取れなかったので、馬の本能がそうさせただけなのでしょうか?

 

 ほどなく猫は、今度は例の黒い魔法陣を出現させて、少女の形へと戻ります。

 夜に黒い軍服なので、薔薇色の髪と白い顔、それと胸の北斗七星(違)だけが暗闇の中、浮かんでいるように見えます。あと、なぜかツインテールです。縦ロールではないけど。

 ……待ってる間、暇だったんですかね。

 

「やっぱり来ちゃったのね……見張ってて正解だったわ」

「アリス。ごめんね、今はそれどころじゃないの」

「え?」

 

 そんなわけで、アリスの感傷をぶった切って現状の説明と協力の要請をします。

 

 話を聞いていたアリスは、「なにそれ……超展開すぎ」と、身も蓋もないことを口にしました。ですが同感です。展開、とっ散らかっちゃってません? 大風呂敷開いたら中のモン全部滅茶苦茶に飛び散った感、ありません?

 

「……もう少し近くで張ってればよかったかもね、魔法の発現を感知できたかも。本陣そのものは警戒してなかったから……しくったわ。ちょっと待ってね」

 

 と、アリスが自分の額に指を当てて「頭が痛いわ」のポーズになりました。

 パザスさんと念話する氣なのでしょう。

 

 ……あれ? 前は側頭部に指を当ててませんでしたっけ?

 それもあって、「JKみたいだなぁ」と思ったわけで。

 

 指を当てる場所は、念話的にはどこでもいいのでしょうか。

 

 というかこのポーズ、最近どこかで見かけたような……。

 

「あ」

 

 んんん?

 

「……どうしました? ティナ様」

 

 んー?

 

 むむむ?

 

 あれがこうだったら、これがそうなるから、ええと、それはじゃあそういうことで、むむん?

 

「えー? だから緊急事態なんだって。うん。そんなの知らないってば、パザスがノロマなのが悪いんでしょー」

「……大丈夫ですか? ティナ様」

 

 考え込んでいると、アリスのJKっぽい口調をBGMにして、サーリャが私を心配そうに見つめていました。

 

 マズイことに氣付きました。

 

「第三王女……加害者なのかもしれない」

「……え?」

「だからね……待ってパザス。……ティナ、どうしたの?」

 

 私は説明します。第三王女の頭に光っていたダイアモンドのことを、王女が時々、それに指を当ていたことも。

 

 それ自体は、それひとつのことだけなら、大したことではないです。

 

「それ、もしかしたら念話のダイアモンドかも。四百年前には、騎士団のみんなも全部で三つ持ってたよ。まぁそれが特殊なだけで、すっごく貴重なアイテムだってことも言われたけど」

「やっぱりあるんだ、そういうマジックアイテム」

「うん、水切りしたらどれくらい跳ねるのか、やってみようとしたらめっちゃ怒られた」

「人の憧れアイテムで何をしてるの!?」

 

 ですが。

 

 マジックアイテムを所持しているだろう王家という血筋、そして皆が眠りこけた中でひとり失踪していること、この辺りのことを併せて考えると、疑惑は一氣に膨らみます。

 動機やその背景などは想像することもできませんが、考慮しておかなければいけないことだとは思います。ハウダニット(どうやったか?)よりフーダニット(誰がやったか?)、そしてホワイダニット(なぜやったのか?)が重要な局面ですね。

 

「ですが……どちらにしろ、第三王女殿下は探し出さなければいけませんね」

 

 まぁ、これからやることは、どちらにせよ変わりませんが。

 

「うーん……そうだね……アリス、頼める?」

「いいけど。これってヤバくない? 国のお姫様が誘拐されたのか、それともやべーヤツだったのか、どっちにしろ関わり合うのマズくない?……ん? だからパザスは待ってろってー」

 

 ヤバくてマズいんだけど、ここまで事態が進行したからには、何もせずにいる方が危険です。

 

 幸い、こちらには魔法を使えるアリスがいます。それも凄い魔法使い(自称)さんです。

 

 聞いたところ、範囲睡眠魔法は、アリスには扱えないものの、解除はおそらく可能なのだとか。……まぁ解除にも魔法を使う以上、表立ってアリスに解除して周ってもらうわけにもいきませんが。猫の姿のままで行うにせよ、魔法陣が顕現(けんげん)してしまいますからね。

 

 発見され次第、攻撃されてしまうでしょう。なんなら睡眠魔法もアリスのせいにされて。

 

「今起きているのがティナとサーリャとその……補佐官の人だけなんでしょ? だったら陣の中心から探索魔法を広げていって、動いてる人がいたらそれが怪しいってことでいいんじゃない?」

「そうだね、それしかないかな?」

 

 そんなこんなので、一応、これからの方針が、(ようや)く決まりかけた、その次の瞬間。

 

「……っ!?」

 

 アリスが。

 

 あらぬ方向に目を向けます。

 

 それは、夜空に浮かぶ月とは別方向の、星空で。

 

 黒竜がいると言われていた方向と同じで。

 

「……まさか」

 

 このタイミングで?

 

「ち。動いちゃったか」

 

 なにが……とは聞きません。

 

 私とサーリャは思わず顔を見合わせます。

 

 その優しそうな顔の中にも、何かを悟った色。

 

 ええ、わかります。わかりきっています。

 

「集団睡眠魔法の発動を、なんらかの形で感知したのかもしれない。竜は鼻がいいからね。近くで大規模な魔法が使われた。警戒で哨戒(しょうかい)しに現れても不思議じゃないわ……それとも、あたしが今、変身魔法を解いたからかな?」

 

 まじですか。

 

 前門の竜、後門の陰謀劇? です?

 

 アリスが空を見上げているってことは、つまり竜は空を飛んできている……ということなのでしょう。

 

「アリス、ここにアリスや私達がいるってことは……ユミファさん?……に氣付かれてる?」

「まだ竜でいいよ。ユミファって決まったわけじゃないから。……この感じだとないかなー。向こうも探索魔法を使っているけど、これは全方位展開型とかじゃないなー。ひたすら遠い前方、つまり本陣の辺りを探ってる感じ。人の氣配が多い方を、先に察したのかな? 他はこっちの探索魔法を隠せるレベルでスカスカ。ルカの波立(なみた)たぬ湖面(こめん)ほどじゃないけど、あたしだって多少の隠蔽は出来るから」

 

 あ、わかるんですね、そういうの。

 潜水艦のソナーみたいなものですかね。潜水艦同士の戦いだと、音で相手の動向を読んで動くのが重要……みたいな記述を、前世の何かで読んだ氣がしますでち。そんな感じでしょうか。

 聞けば探索魔法は、熱操作と並ぶくらい簡単な魔法のようで、魔法使いであればほぼ誰でも(有効範囲、精妙さに高低と強弱はあれど)使えるそうです。これに関してはパザスさんが得意なのだとか。

 

「……ここに隠れていれば、竜はやり過ごせるのですね」

 

 サーリャが、難しい顔でそう呟きました。

 

「でもそれって……」

 

 口にはしませんが、ここにいる誰もが理解してます。

 黒い竜は人間に害意を持つ、稀にみる好戦的なモンスター。

 それが無抵抗に眠りこける人間の集団を発見したらどうなるでしょうか。考えるまでもなく大惨事です。ここで息を潜め竜をやり過ごすというのは、つまりそういうことです。

 

「サーリャ……」

 

 アリスがサーリャの顔を見ます。

 本陣には、サーリャのパパ……お父さんもいます。

 

「父は騎士です。ティナ様の命を守るためなら、私は……」

 

 サーリャが、何かを我慢するかのような表情を浮かべます。

 

 ……やめろ。

 

 そんな顔は見たくない。

 

 そんな顔なら、前世に、病院の中で見飽きてるんだよ。

 

「……どうするの? この場所を通り過ぎるまで、あと十分もないと思うよ」

 

 ……私は死にたくない。

 

 でも、特に怨みも無い、何十人という人間を。

 

 今、なにかを堪えるかのように、唇を噛み締めるサーリャの、お父さんを。

 

 つい先程、無抵抗で眠りこける姿を見てきたばかりの人々を。

 

 保身のため、あっさり見殺しにできる程には、私は心が死んでいないのです。五歳のあの時、ミアが水を与えてくれて、十一歳のあの時、サーリャが息を吹き込んでくれた、私の心は、それを許すなと叫んでいます。絶叫もしています。

 

 こうして、どうにもならないまでの不可抗力で巻き込まれてしまったからには、役立たずのヒロインがでしゃばってくんな、うぜーぜ……とは言われないでしょう。言わないでください。そもそも私は、メンタル的にヒロインとはいえないんじゃない? だからわりぃけど悪しからずですよ。それに、現状、事態を解決してくれそうなヒーローもいませんしね。屈強な男性の方々は、なぜかみんな眠りこけたままでした。いいからズボンを履け。

 

「アリス。今度こそ教えて、あの竜に対抗できる私の力って、何?」

「……死ぬかもしれないよ? いいの? ティナ」

「もうこれはいい悪いじゃないの。アリスがそれに責任を感じるというなら……サーリャ」

「……はい」

 

 私に、なにか光明を見たかのようなその瞳。

 

 上向き、潤み、空の星を映したそれは、どこか白い、大輪のダリアを思わせた。

 

 期待されている。

 

 今私はサーリャに期待されている。

 

 胸が熱くなる。

 

 それは私が背負うモノだ。アリスには渡さない。

 

「私はこれから、サーリャの命をも、私のわがままに巻き込むよ」

「はい」

「私は、間違っている?」

「いいえ。地獄へでもお供します」

「うん。ありがとう、一緒にきて。その命、私が預かるから」

「はい。ありがとうございます」

 

 そうして目の端を拭い、お辞儀をするサーリャは。

 

 このサーリャこそ、たとえ足手まといだからと拒絶しても、本当に役立たずでも、絶対に、私の死地へとついてくることでしょう。今は腰も抜けてませんしね、どうしようもないです。

 

 中途半端に覚えてる護身術、頚動脈を締めて落とす技も、まぁサーリャ相手なら多分できなくもないのですが、その場合は、意識の無いサーリャをここに置いて行くことになります。これもまた危険すぎて選べない手段です。

 

 ならばその命、完全に自分の責任下へ入れてしまう方がまだマシってモノでしょう。

 

 道連れでなく一蓮托生。そう思えば勇氣も出てきます。

 

「ちょっと……二人とも、それでいいの?」

 

 覚悟が決まったところで。

 

 ここへ私達を連れてきてくれた馬達を開放します。馬具を外し、木に繋いでおいた縄を解きます。あとは竜が近づいてくれば、本能で勝手に逃げるでしょう。ありがとう、生きてね。

 

貴女達(あなたたち)って……ああっ! もうっ!……あたしは知らないわよ!」

 

 その作業を黙って見守っていたアリスは、馬がこちらを氣にしながらも少しづつ離れていくその様子を見て、ヤケになったかのように言いました。

 

 いいよ。だから全部、私に背負わせて。

 

 これは私のもの。

 誰にも譲らない。

 

「パザス! 予定が変わった! あたし達は今から黒竜につっこむ!……うっさいわね! あたしだってどうしてこんなことになったのか、わっかんないわよ!……ティナ!」

「はいな?」

「氣の抜けた返事してるんじゃないの! 今すぐ!……今すぐその……」

「ほへ?」

「服、今すぐ全部脱いで! 裸になって!!」

 

 ……。

 

 ん?

 

 んんん?

 

 んんんんんんんんんんんんん?

 

「今なんつったぁ!?」

 

 

 



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25話:魔法だいやほい



 前書き。

 元々2話分だったのを繋げたのでかなり長いです。ごめんなさい。



 こんにちは。もうすぐ十四歳、ぴっちぴちの処女、アナベルティナです。

 でも色々あって闇落ちしちゃいました。嘘です。でもビジュアルだけでいえば真です。

 

「悪役感半端ない!」

「我慢しなさいって! ここには女の子しかいないからいいでしょ!」

 

 アリスの勢いに負け、白いワンピースとキュロット(と下着系)を脱ぎ、全裸になった私は、そのまま岩場に大の字で寝かされました。割とすべすべした岩だったのが助かりました。でも手も足も広げちゃっての全裸でおっぴろげ状態でした。長い髪はサーリャがまとめて持っていてくれたので、それにはコンプライアンス的な仕事ができなかったでしょうね。湯氣さんとか謎の光さんに期待します。ここのナウは空氣の乾燥した岩場の夜ですが。

 

 てかね、いつもお着替えやお風呂で四方八方から全身全面見てるはずのサーリャがですよ? それでも頬を赤らめてこちらを凝視してきたのが凄い謎でしたね。同じ全裸でも、違うシチュエーションで見るそれは、別腹みたいなものなのですかね。よくわかりません。

 

 完全なるハードなサービス回の所業ですが、私としては改造される仮面ラ●ダーの氣持ちでした。いやね、ほら想像してみてくださいよ、素っ裸で……あ、でもその際は、私の裸部分には謎の光が当たってる感じでお願いします……身に何も守るものがなくて、絶対に動くなと厳命されて、目の前で黒い魔法陣の線が、自分の身体にペタペタと貼り付いていく過程を見守るしかない状況だったのですよ? 怖すぎません? オマケに、前が終わったら、あとは後ろもとかでひっくり返されましたしね。私は焼き魚じゃないんですよ。アジの開きじゃないんですよ。サーリャにとっては味のある開きだったのかもしれませんけどね! まったくもう。まったくもうだよまったくもう。それはそれとして秋刀魚の塩焼き食べたい。おろしポン酢で。

 

 そうです。なにがそうなんだかよくわからないけどそうなのです。

 

 今、私の身体には、無数の黒い線が走ってます。さすがに首から上にはありませんが、全身の、肌のおよそ二割程が黒い線で覆われているでしょうか。呪紋とか暗黒の印たる刺青とか、なんかそんな感じの、中二ワードが頭に浮かんできやがりますよ。これ、ことが終わったら元に戻るのでしょうかね。消えなかったら家をおんだされそうで怖いのですが。いやおんだされそうっていうか、軟禁か監禁コースでしょうか。最悪は中央に送致されての拷問コースでしょうかね。勘弁して。

 

「もう服を着ていいわよ」

「ん……それで説明は?」

 

 これは何で、どういった意図の改造手術だったのですか?

 いそいそと、脱いだ服を着ながら問い掛けます。あ、サーリャ後ろお願い。

 乗馬用のキュロットはー……もういいか、まだ残暑残る夜だから必要ないです。サーリャ、またスカートに収納おねがいします。メイドのスカートインベントリ。下半身にストレージのある便利屋さん、ド●えもんかな?

 

「ティナは、これであたしの魔法陣として利用可能になった。生体魔法陣(せいたいまほうじん)

「……うん、まだ意味がわからないかな」

 

 それにしても、服が真っ白で聖女っぽいのに、肌が刺青だらけみたいになってるのって、我ながらなんかこう背徳的ですね。どうしてこんなことに。

 

「ティナからは陽の波動が(こぼ)れ落ちている。ティナは温かい陽だまりみたいなものなの。ティナを魔法陣化してそこへマナを通せば、マナは何倍にも精妙化……意味と意義が明確化されて還ってくる。それはつまり、陽の波動と相性のいい魔法をワンランク、下手したらツーランクもスリーランクも上のものへと昇華することが可能だってこと。……陽の波動と相性の悪い魔法だとランクダウンもありえるけどね」

 

 えーと。精妙化の辺りはよくわかりませんでしたが。

 

「つまり私は人間魔法ブースター?」

「言っちゃえばそうね。昔はこれ、アムンにさせてもらったの。アムンは陽の波動なんかじゃなかったけどね。アレは~……んー、言葉にすれば血潮の波動かな? 通したマナが全部血生臭くなって還ってくるみたいな感じだった。回復魔法とか解毒魔法の増幅にはとってもよかったけど」

「ほー……。アムンって珊瑚(コーラル)の騎士だっけ?」

 

 その血を聖水に変え魔を滅ぼす聖騎士……だっけ?

 

「アムンはゴブリンロードを見て思いついたんだって」

「ゴブリンロード?」

「魔法を使うゴブリン。スタンピードに1体現れるか現れないかくらいのレア。今のティナみたいに、身体に黒い線が走ってるの」

「ほー」

 

 まぁ、そういうのもあるんだー、としか言えない、わかるような、わからないような話ですね。

 

 ん?……この生体魔法陣?……を刻むには裸になる必要があるのですよね? そんでもって、アリスはアムンの身体にもこの紋様を刻んだことがある……か。

 

 ふむ。

 

 なんでしょうか、このちょっと負けたような感覚は。置いてきたおもひでに未練はないはずなのに。

 

「ティナはアムンより強い波動を出してる。だからたぶんアムンの生体魔法陣よりも凄いことができる。これで黒竜(こくりゅう)をとめる。おーけぃ? まぁおーけぃじゃなくても、あと二十秒くらいで竜がこの上空に来るんだけど」

「……は!?」

「ってことだからティナ! そこに足を踏ん張って立っていて! サーリャ! ティナが動かないように固定!」

 

 え、え~、えー! 心の準備がぁ!

 あたふたしてると、サーリャが私の腰辺りを、がしっとホールドしてくれます。ハイムリック法じゃないよ。ケツの辺りにサーリャの胸が当たってるよ。厚みたっぷり。

 

 ややあって、月が無い方向の空に、何か大きな影が動くのが見えました。

 

「まずは挨拶代わり。いっくよー」

 

 と、身体を走る黒の線に、何か温かいものが通っていくのがわかります。

 それは高速……というよりも光速……いえそれ以上の速さで動き、私の中を循環しながら……ナニカに変質していってる……言葉にはしにくいですが、そんな氣がします。

 くすぐったい……という感じでもなく、むしろ身体がポカポカしてくるような心地かもしれません。あったかなお風呂に入っているみたい。視界をキラキラしたものが何度も横切っていきます。

 

「ティナ様……おぐしが……お身体が……光っています」

「え?」

 

 視界を横切る、キラキラしたもの。

 

 それはよく見れば私の髪でした。銀色になった私の髪でした。えっ? なにこれ、私の髪の毛、今全部銀色?

 そうして身体の方にも目をやれば、黒かった線は光を帯び、鈍く点滅しています。身体全体も薄く光っています。

 

 えっ、なにこれ!? なんじゃこら!?

 

「二人とも、目を(つむ)って!……はい、ちゅどーん!」

「ほぇ?」

 

 と、私の身体から、謎の光線が空へと向かっていきます。ウルト●マンでしょうか、スペ●ウム光線でしょうか。なんだか指を広げた手を顔の両脇に当てたい氣分にもなります。額にダブルピースでもいいです。ともかく周囲がハチャメチャ明るくなりました。反射的に目を瞑りますが、その明るさは減衰していく様子がありません。雰囲氣的に、私の身体からどでかいサーチライトのような光線が、柱のように空へと向かって伸び続けているっぽいです。これ、明るいっていうか、発生源の私は目を瞑ってさえ目茶目茶眩しいのですけど。大丈夫? これ、今目を見開いたら失明しちゃわない?

 

「あー、やっぱただの照明魔法がめちゃんこ凄いことに。十倍じゃすまないな~、これ」

「グルヴォアァァァー」

 

 空から咆哮が聞こえます。今は目を開けるのが怖いので、その様子を(うかが)い知ることすらできませんが、どうやら竜がこちらに氣付いたようです。そりゃ氣付くよね。アリスもそういう目的でこれを撃ったのでしょうし。

 

「照明魔法、解くよ!」

「え?」

 

 パッと。

 

 眼前から光の氣配が消えます。

 恐る恐る目を見開くと、視界をよぎる髪の毛が銀色から黒に戻っていってる途中でした。呪紋? の方は既に黒いです。

 目をちゃんと瞑っていたはずなのに、視界がチカチカします。そのせいなのか、軽く頭がぼんやりしている氣がします。

 

「くるよ! サーリャ! もっとティナをちゃんと抱いて! 結界魔法、いくよ!」

「はい!」

「お、ぉう?」

 

 サーリャが体勢を変え、なんか後ろから羽交い絞めにされる感じで抱きつかれました。構図だけ見ると、これから虐められっ子が腹パンされるっぽい体勢です。微妙に私のトラウマが疼きます。まぁそんなの、背中へみっちりむっちりなそれの感触が当たるだけで溶けますが。

 

 そうして再び、アリスから私の身体に何かが流されます。

 

 視界を、再び銀髪になった私のソレがキラキラと舞っています。身体がポカポカしてきます。なんでしょうか、熱い温泉にでも浸かっているかような感覚かもしれません。じんわり、身体の奥が、暖まっていく感じ。はふん。ぽわんってなりますね。

 

「展開!」

「ぁんっ」

「そこぉ!? 変な声出さない!?」

 

 ……なんでしょうかこの音。

 水の沸騰音を高速再生したみたいな音が聞こえます。

 しゅーじゅわ~、を、しゅじゅわ! って感じの音にして、それを更に早くしたみたいな、なんかそんな感じの音がこの場に響いてます。時々エコーとかハウンリングな感じにも響いています。

 

「てかうるさ!」

「いいから頭を下げて! くる!」

 

 衝撃。

 

 アリスの声と同時に、頭上からドゴンという物凄い衝撃が襲ってきました。

 

 上を見れば、虹色に光る雪華模様(せっかもよう)に、ドラゴンの手? か足? かの爪がめり込んでいます。ATフ●ールドかな? あれは雪華模様じゃないけど。

 あ、雪華模様ってのは、雪の結晶を図案化した模様です。日本だとよく着物の柄なんかにもなっているアレですね。ATフィー●ドと同じ出典でいえば、新劇場版の方の第七使徒の足元(の海面)にもこんな模様が広がっていた氣がします。化学の教科書か何かで見た金属樹にも似ています。

 今は手のひらサイズのカラフルな、そんな雪の結晶模様が虹色に光りながら、何十何百と集まり、こちらと竜とを分ける壁になっているようです。

 

「ヨウヤグ……ヨウヤグミヅゲダゾォォォ……グアァァアリィィィイイズウウウゥゥゥ!!」

 

 ほんで、なにやら凄まじく低い声が聞こえてきます。唖然と口を開けてたら肺に響いて息苦しくなるレベル。なので口は閉じます。慌てて耳も手で閉じます。でもサーリャは私を抱えているせいで耳を閉じれない氣がします。大丈夫でしょうか。

 

「いける! 受け止めきれてる!」

 

 色々、わけわからんく過ぎて、渦中の私にはなにがなにやら実況しにくいのですが、状況的に、アリスの結界魔法というのがこの虹色に光る雪華模様で、黒竜は今まさにそれを突破せんと爪を突き立てているみたいですね。この世界の防御魔法は、某ロー・アイアスと違って花ではなく雪の模様のようです。それともこういう形なのはアリスのオリジナルなのでしょうか。身体は雪でできている。さよならなのだは言ってないなのだ。

 

「ナガガッダナガガッタゾォォォ! アァァアリィィィイイズウウウゥゥゥ!」

「やっぱり! 貴女(あなた)ユミファ!」

「グオオオォォォロォォォズゥゥゥ」

 

 黒竜さん、好戦的とは聞いていましたが、予想以上に殺氣立っています。

 あと、アリスの「貴女(実際は日本語でないので、そもそも男女で人称代名詞の発音が違うためわかります。heとsheくらいの違いですが)」からすると、ユミファさん、どうやらメスのようですね。再会おめでとうございます。旧交を温めたいって雰囲氣ではありませんが。

 

 過去にいったい、なにがあってこんな状況になっちゃったんでしょうね。

 

「サーリャ! ティナをちゃんと立たせといて! 今座標がずれると結界が崩れる!」

 

 おおう、なんだかわかりませんが、私はここにボーっと突っ立ってるのがお仕事のようです。まぁ身体がぽわぽわ温かいせいで、どうも先程から頭が緊張感もなくボーっとしがち……なので、今は丁度いいのかもしれません。思考があっちこっちに飛ぶのを除けば。

 

 ……ってなんだか、ユミファさん、黒い魔法陣らしきモノを翼の周りに展開してないですか? 凄く……大きいのを。

 

「アリス! なんか魔法が来る!?」

「わかってる! いいからティナはそこで踏ん張って! 結界が崩れたら背中のサーリャごと消し飛ぶわよ!」

「……おう」

 

 おもわず、背筋が伸びました。アリスも私の動かし方がわかってきたみたいですね。

 

 その瞬間、黒竜の翼の周りにあった魔法陣が消え、その爬虫類の身体を包むかのように、黒い炎が立ち上ってきました。

 

 ……アレは何でしょうか?

 

 そうして黒い炎が、焔が、集合し、魔法陣の形へと変化していきます。

 

「ユミファも波動持ち! 焔の波動! だから魔法陣もあんな形になるの! けど、あれは……あの感じだとあたし達を四百年間閉じ込めた封印魔法じゃないわね。ユミファのユニーク魔法、雪崩魔法! あの焔型魔法陣に少しでも触れたら何もかもが雪崩れる! そうしたら人間は水晶化して終わり。封印魔法なら後に復活もあるかもしれないけど、あっちだと喰らったらハイそれまで!」

「即死系!? 言ってる意味はよくわからないけど、この結界は大丈夫なの!?」

「そのための結界魔法! あんなの結界魔法じゃなきゃ防げない! もう! ユミファ! 図体ばっかでかくなって! 魔法の威力はせいぜい昔の二倍か三倍ってところね!……ティナ! 氣を強く持って! あたしの魔法はティナのおかげで勇氣百倍! とまではいかないけど、たぶん三十倍くらいにまではなってるよ! これなら対抗できる!」

 

 おおう、それはまたゲームだったらバランスブレーカーな倍率ですね。ナーフ待ったなし。いや今ナーフされたら困るけど。

 

 空間を割るかのような雪華模様。それを叩き割らんとする黒炎に包まれた竜。

 

 雪華模様越しによく見ると、黒炎の中から、小さな焔型魔法陣……なんか見た目、焼けた鉄の鎖みたいですが……が大量に発射され、雪華模様に当たっては消え去っています。

 

 結界は、焔型魔法陣が当たるたびに、その部分の雪華模様が輝き、次々と剥げていきます。このままでは全部剥がされるのでは? と最初は危惧しましたが、どうやら結界の再生速度(?)の方が上回っているのか、それ以上の変化は起きないようです。

 

「グギャアアアアアアアアアアア!!」

 

 しばらくその攻撃は続いていましたが、やがて黒竜も、この結界の前ではそれが無駄と氣付いたのか、怒髪天衝(どはつてんつ)く感じで一度咆哮した後、翼を広げ、少し上空へ昇っていきました。

 

 遠くなったことで、竜の姿がはっきりくっきり見えるようになります。

 

 嘘だろう……おい。

 

 さっきまであんな巨体が、この小さな雪華模様でできた魔法のシェルターを押し潰そうとしていたの?……そんな感想が自然とでてくるくらい、それは圧倒的な迫力と質量を持っていました。

 ちょっとしたビルが、そのまま空中に浮いているみたいな感じです。

 

 パザスさんと同程度のサイズ……と予測していましたが、一回りくらいは大きく見えます。

 

「アリス……この結界って、重量すら防ぐの?」

 

 いくら固い結界であっても、固いだけなら、あんな巨体に圧しかかられて、押しつぶされないわけがないです。

 そういえば、アリスのツインテールも特には乱れていません。竜の下降突撃の際、振動で揺れているのが見えた氣もするのですが、乱れるというほどには乱れていません。

 

「物理的、魔法的な干渉なら全部防ぐよ。熱もね。……強度がもてばだけど。だから完全に球形で蔽っちゃうと音も遮断するし、そのまま閉じ込もってたら息も吸えなくなるかも。今は傘状に展開したけどね」

 

 ファンタジーだー。

 

「次! ドラゴンブレスがくる! 今度は全方位を守らなくちゃいけないから球形に展開するよ! 何も聞こえなくなるけど、怯えないで!」

 

 見れば黒竜が大きく息を吸い、鎌をもたげています。

 

「え、でも今、球形の結界は息も吸えなくなるって」「ずっと中にいたらね!」

 

 その瞬間、下から持ち上げられたような感覚がして、世界が闇と静寂に呑まれました。

 

「ひゃっ!?」「ぐえ!?」「落ち着いて! 今あたし達は結界の中にいる!」

 

 サーリャの頭頂部が私の後頭部に当たった氣がする。いったーい。

 なんか薄暗い中にいるのに、視界が白く光っているような感覚がします。

 

 重力も多少遮断されているのか、足元がふわふわします。

 周りを見ると、鈍く七色に光る無数の雪華模様が、私達の周りをドーム状に(うごめ)きまわっていました。

 その数があまりにも多すぎて、外の様子がわかりません。

 

「アリス! これって外の状況わかってるの!?」

「大丈夫! あたしには少しだけフィールドバックされる! ドラゴンブレスとさっきの魔法、両方を喰らっているけど、この調子ならあと10秒もしないうちに終わる! ()()()()()()……終わった! 周辺を冷却したら結界を解く!」

 

 程なく、結界は消え、星と月明かりに照らされた世界が戻ってきました。

 ですが……。

 

「な、なにこれ!?」

 

 周囲の岩場が、先程からその姿を一変(いっぺん)させています。

 空からの光だけでなく、地面が光っています。

 

「ここらの岩場は元は溶岩だったみたいね。ドラゴンブレスで熔けて、あたしが冷却したから固まって割れたんでしょ」

 

 周辺の岩場は、それはもうドロドロのグチャグチャの紋様を描き、そこらじゅうがひび割れてました。私達が立っている場所の、半径一メートル程度の地面だけが無事です。逆に、少し遠くの方は冷却が間に合わなかったのか今も一部が赤く白く光っていました。

 

 ところどころの岩や石は、赤系統の様々な色に光っています。ピンクやオレンジ、それから薔薇色や深紅にも光っていました。どのような温度に曝されれば、このような光景が生まれるのでしょうか?

 

 その景色を見ていると、なんだかこう……頭の中がチカチカとして、眩暈がしてきます。

 

 世界が下から上へ、ずっと回ってるような感覚があります。ずっと回っているとしたら視界がおかしなことになりそうですが、そういうわけでもなく、ただ延々と回っている……前世の知識でいうと三半規管が? 狂ったような感覚があります。

 

 ともあれ、これがドラゴンブレスによってもたらされた光景なのだとしたら、その威力の凄まじさが窺えます。それを防いだ結界の防御力もですが。

 

「ギィアリィィィイイズウウウゥゥゥ」

「ユミファ! 相変わらずあったま悪そうね! 四百年間なにしてたの? 貴女! そんなだからティアに騙されたのよ!?」

「え、私騙してなんか」「ティナじゃなくてティア! もうっ! ややこしいわね! ティナのことアナって呼んでいい!?」

 

 それはやめてください。穴なし小町でいたいです。ありのままの自分でいるより男に戻りたいです。レ●ゴー歌いません。

 

 ……ってティア?

 

「ティアって、九星の騎士団のティア?」

「あんなやつ裏切り者で十分よ!」

 

 ……なんかここにも人類史の闇がありそうですね。

 色々考えたいところですが、どうにも頭が働きません。世界が回り続けています。

 

 おまけにクラクラする……なんだこれ。

 

「ちょっとは賢くなってて、話が通じるかなって期待してたけど、それも望み薄のようね! ユミファ!!」

「ワガゴノガダギィィィィ」

 

 ……我が子の仇?

 

 氣になるワードがどんどん飛び出してきますが、どうにも整理がつきません。

 

「だから違うっての! 確かに私達はエンケラウを殺した! でもそれには事情があって……だー! もー! 話聞けって!」

 

 あ、アリスさん、アリスさん。その言葉の順番じゃダメですよ。

 

「グゴァァァ!!」

「ちょっ!?」

 

 だってほら、確かに私達はエンケラウを殺した、の時点で竜さん、沸騰しちゃって、そこから先の言葉聞いてませんもの。

 

 ほら、オタクのそれとは違う方向の中二病によくあるじゃないですか、話の内容じゃなくて、使われた言葉にだけ反応するってキレ方。おう、ワレやんのかオラ? バカかオラ? 誰がバカじゃオラ? バカバカ言う方がバカなんじゃオラ、やんのかオラ? てめーだってバカバカ言ってるバカなんじゃねーのかオラ、やんのかやんねのかどっちなんだオラ?……みたいな。いやとっとと殴りあい始めろよっていう。

 

 文脈で意味を捉えられない人……ユミファさんは竜ですが……には、相応の話し方があるんですよ。力で勝てるなら肉体言語でもいいのですが。

 

 そんなわけでキレてしまったユミファさんは、今度は、喉元に巨大な魔法陣を顕現(けんげん)させています。

 

 あー。

 

 前言撤回。肉体言語ダメ、絶対。

 

「蒼炎!?」

 

 すると黒竜の身体を包んでいた黒い炎が、青く、蒼く、変化します。

 

「……あれってどうなるの?」

「知らないわよ! 封印魔法でも無いわ。四百年間で新しく身につけた魔法かも……」

「えー」

 

 と、竜の体に魔法陣の黒い線が貼り付いていきます。

 

「……ん?」

 

 なんかアレ、つい先程別視点で見ましたね。ファーストパーソンな視点で。今度はそのサードパーソンな視点です。FPSはたまに酔うのでTPSの方が好きでした。意図せぬ酔いって嫌ですよね、まぁ私は今まさにそんな体調ですが。

 

「えええ」

「アリス。あれってまさか……」

「自分自身を生体魔法陣に!? でもそんなの大して意味が……あの巨体ならある?……そういえば竜って、元々の脳では制御しきれないほど身体が巨大化すると、新しい脳を身体のどこかに増やしていくって聞いたことが……ああっ! なら意味あんじゃん!」

 

 アリスがなにを言っているのかはわかりませんが、このままだと、なにやら私とユミファさんがペアルックになってしまうっぽいです。ってことはあの黒い身体も銀色に光るんでしょうかね、ブ●ー●イズなドラ●ンになっちゃうんですかね。あそこは版権に厳しそうなので勘弁してほしいです。思わず伏せ字の●が過剰になってしまったではないですか。でも●ー●って書くと微妙に法務部最強のところの電氣ネズミっぽくて、更にヤバさが増した氣がしないでもないです。●●●だと字間次第では超大国の法律すら我が物とする最凶にヤバいネズミにもなりそうです。版権包囲網。世界って生き難い。

 

「やらせない!」

 

 ぽわん。

 

 それにしてもこの、アリスが私を通して魔法を使おうとすると発生する、ポワポワホワホワは何の副作用なんですかね。不快さはそこまででもないのですが、暖かさに思考が阻害されるもどかしさと、意図しないところで自分の感覚を支配される、若干の怖さがあります。まぁもうアリスを信じて耐えるしかないのですけど。

 

擺脱(はいだつ)魔法!」

 

 アリスの叫びと共に、雪華模様のシェルターが消え、私の胸元から光の筋が竜に向かって発射されました。なんか難しい単語が使われていますが、要は何かを除去する、取り除くという意味です。日本語的には「はい、脱衣」と覚えてもらってもいいです。いいのか?

 

「いっけぇ!」

 

 そうして私の胸元から伸びた何本もの光は、竜の体にぶつかると面に広がり、竜の身体を覆っていきます。

 

「グヌ!?」

 

 ……よく見ると光の筋は、DNAモデルのような二重螺旋の形をしています。

 少し遠い上に、眩しくてよく見えませんが、その形状は竜の身体の上でも維持されているようです。小さな、光る橋の欄干のようなものが竜の身体を這っているようにも見えます。

 

「なにこれすっご。魔法陣が消えてく。擺脱魔法って、魔法陣の意味と意義を一部欠損させて無意味化するだけの魔法なのに、全消去になってる」

「グギィィィガァァァ」

「あーん。でもここからどうしよ。束縛魔法とか睡眠魔法は陽の波動ではあんま強化されないはずだし、ってかそんな時間はないし……うーん」

 

 うーん。

 

 この辺で私、氣付きましたね。

 クイズです。私は何に氣付いたでしょう。答えは一秒後。

 

 えっとね。ここまでアリスが使った魔法って、照明魔法、防御魔法、敵の強化解除魔法でしょ?

 

 で、検討した手段が束縛魔法と睡眠魔法でしょ?

 

「……アリス。アリスは、もしかしてユミファを倒す氣がない?」

「はぁ? そんなわけないでしょ。ぶっ倒すわよ」

「じゃ、殺す氣はある?」

「……」

「攻撃的な魔法、全然使ってないよね?」

 

 アリスのその軍服っぽい上着の、胸の黒い宝石をチラ見しながら言いました。

 その黒い宝石のブローチ……もしかしたら……そういう意味?

 

「……なによ、悪い?」

「悪い悪くないじゃなくて、アリスの覚悟を聞いてるの。私を通して攻撃的な魔法を使ったら、そのあまりの倍率であの黒竜……ユミファさんが即死してしまうかもしれない……もしかして、それを恐れている?」

「……あたしにユミファを殺せって言うの?」

「言わない。だから覚悟を聞いてる。その氣があるならここで戦いを続ける。でもアリスにその氣がないなら、ここで戦うよりなにか違う方策を考えないとダメ」

「……あんなお兄さんでも、身内を殺された仇は討ちたいわけ?」

「そんなことは言っていない。話を逸らさないで。アリスは今、ユミファを殺せる? 殺せない? これはすごく重要なこと。答えて」

「この国の兵士がたくさん殺されたんだもんね、やっぱりティナは、ユミファを殺した方がいいって思うの?」

「……大体もう、この時点でアリスの氣持ちは理解できちゃったけど、ここはちゃんとアリスの氣持ちを言葉にして言ってほしい。みんなの命がかかってる。……ユミファさんのも」

 

 目を逸らそうとするアリスに、私は強い言葉で問いかけます。

 

「アリスはユミファさんを殺せる?」

 

 その言葉に、アリスは顔を逸らしながら答えました。

 

「……ろせない」「ハッキリ言う!」

「殺せないよ!」「わかった」

「え?」

 

 戸惑ったような瞳に、私は頷く。

 

 戦闘中に長々と会話するわけにはいきません。敵は待ってくれませんからね。

 

 アリスがどうしてユミファを殺せないのかなんて、今は考えてる暇がありません。

 アリスがそう答えた以上、やるべきことはここにいる全員が……黒竜をも含め……死なないよう、立ち回るだけです。

 それをするのが、この戦闘を始めてしまった私の、責任です。

 

「ならアリスがこれから考えるのは、戦うことじゃない、逃げること。まずは本陣とは別の方向にユミファさんを誘導しよう。今はそれ以外のことは考えないで。ここからの絵図は私が考える。私達は死なない。ユミファさんも殺さない、これ以上殺させない。その後のことはパザスさんが合流してから考えよう。そういう絵図を描くから、アリスはどうすればそれを現実にできるかだけ考えて。……全てが終わって、それがアリスの満足のいかない結果だったら、私の全てをアリスにあげてもいい」

 

 アリス専用、生体魔法陣として一生こき使われてもいい。そういう意味を込めて私は言い切ります。ここは自信満々に言い切らなきゃダメです。オールチップ一点賭けです。

 

 アリスはその言葉を聞いて、一瞬キョトンとした顔をしましたが、すぐに意味が頭に浸透したのか、なにやら真っ赤な顔で「そ、そんなのいらないわよ! バカ!」と返してきました。なんか別のこと想像してないか少し不安ですけど、まぁいらないというならいいでしょう。ただ働きさせてやりましょう……ふぅ。

 

 ……くそ、ちょっと氣を緩めると頭がボーっとする……フラフラするな。

 

「アリス。今は私の言うままに。まずは本陣から逆の方に、つまりは月の無い方向に、ユミファがギリギリ追いつける位の速度と距離で逃げる。そのための魔法、お願い」

 

 言っておくけど、ここに私とサーリャだけ残して、自分が囮になるような真似は許さないからね……と強く言うと、アリスは一瞬だけ、泣きそうな顔になりました。

 

 と、その片手が上がり……。

 

「ぁひんっ!?」

 

 後ろで例の高速蒸発音がしました。再び、ユミファが魔法を撃ってきたようです。アリスはそれを、結界魔法で難なく防いでいるようです。何かを考えながら、器用なものです。

 

「だーかーらー! 変な声出さないの!」

 

 でもこれを防げるのは、私という魔法ブースターがあるからです。

 アリスひとりでは防げないのです。

 

「……サーリャ、高いところ平氣?」

 

 やがてユミファの魔法が止んだタイミングで、アリスは決意したようにサーリャへと問いかけます。なるほど、逃走経路はそっちね。私へは……ああ、もうパザスさんに初めてを奪われちゃってたからいいやって感じか……高所飛行の初めてを。

 

「……はい?」

 

 つまり、どうやらアリスにも空を飛ぶ手段があるようですね。それはよかった。

 

「でも飛翔魔法って制御が意外と難しいのよね……三人飛ばすならティナの助けが要るし……制御に失敗したら空中で爆散コースだし」

 

 なにそれおっかない……っと。

 

「アリス! またユミファが!」

 

 こっちの防御魔法……結界魔法が無くなっているのを見て取ったのか、黒竜が再び下降してきます。しつこい。こっちが話してるうちは襲ってこないってお約束、知らないのかな? あれってむしろ、シリアスな物語の敵役の方がちゃんと守ってくれますよね。ギャグ作品では、ちょいちょいそのお約束を破ることを笑いに繋げていたりしますけど。

 

「もう! ウザ!」

 

 ぽわん。じゅわん。

 

「あふっ」「耐えて!」

 

 なんか過程が段々と減っていってる感じで、再び雪華模様の結界が顕現します。

 

 そして再度の衝撃。こんな、とても小さな雪華模様がたくさん集まっただけの障壁で、小さなビルほどもある巨体がとめられてる光景は、何度見ても心臓に悪いです。重量とか重力とか慣性とかは、本当にどうなっているのでしょう。

 

 私の頭も、何度も何度もぽわんからのポカポカを喰らったことで、本格的にボーっとしてきました。お風呂でのぼせるみたいな感覚でしょうか。そろそろ思考に支障がでそうです。

 

「……ねぇアリス。この結界をそのまま空に飛ばすことって、できる?」

 

 イメージ的にはウォーターバルーンとかゾーブですかね。

 真っ暗なのは困るので、少し穴は開けてもらいますが。

 

「あ……ううんだめ、これだと魔法的干渉そのものまで防いじゃう。でもそっか……直接人体を浮かすんじゃなくて、何か乗り物に乗って、それを浮かすなら、荒い制御でもなんとかなる。幸い、パワーだけならティナブースターでなんとかなるし」

 

 ……なんかえらい固有名詞が聞こえた氣がします。

 

 まぁいいでしょう。なったるよ、ブースターでもエンジンでもモーターでも。はふ。

 

 黒竜は、ただの突撃ではやはり効果がないと悟ったのか、再び天に昇っていきます。

 

 結界魔法が消え、私の髪がまた黒に戻ります。

 あー、涼しい。大きく息を吸ってー、深呼吸。

 

 はふん。

 

「でも、乗り物って? 馬ならさっき開放しちゃったし、そもそも生き物じゃ、ダメなんだよね?」

「幸いここは岩場。熱で溶けるのも実証済み。だから材料なら足元にいっぱいある。溶かし固める熱操作も今だけは充分余力がある。超強力ヘアアイロン魔法ってね」

「へ?……んくっ」

 

 ぽわんと。再び私に魔法が通され(?)ます。

 するとなにやらアリスの足元の岩に、白い線のようなものが走り……一瞬溶岩のようにどろっと光り……すぐに消えました。

 

 アリスはそれを何度か繰り返します。

 

「あひゃ、うひゃ、ふひゃ」

「もー! いちいち声を出さないでってば!」

 

 ごめん、あのっ。

 

「ちょ、ま」

 

 ちょっとまって。

 

「ごめんね、耐えて」

 

 これダメ。

 

「うー」

 

 のぼせる。

 

「もうちょい!」

 

 頭フットーしちゃうぅぅぅ。

 

「はひゅ!!」

「はい。おしまい」

 

 (ようや)く視界に黒髪が戻ると、そこにあったのは……えっと……なんでしょうか、これ。形容がすごく難しいです。現在、頭がクラクラなのでいつもの十倍増しに難しいです。強いて言えば大きなブラックカラーのカヌーでしょうか。全長は五メートルくらい。あるいはすごく大きくて真っ黒で、表面が複雑に隆起している大きなバナナの、曲線の内側に、なんか人が入れるスペースを造ったっぽい感じ?……の乗り物?……だよね?……という、もうなんだか疑問符だらけにせざるを得ない、何かでした。

 

「乗って!」

 

 えー。なんかこれ下手したらモザイクが入る形状ですよ……と言いたい氣持ちはあるのですが、まぁ贅沢は言ってられません。というか今はなんにも考えられない状態です。ほらあれだ、どれだ、エ●リアン? エイドリ●ン? そんなアレなH・R・ギー●ーさんのアートな造形物とでも思いましょうかねー。どうでもいいけど、ー●ーって某大作RPGシリーズの白豚みたいですクポね~。クポクポね~。我ながら頭悪いこと言ってんなー。あー。

 

「サーリャも! はやく乗って!」

「は、はい」

 

 一瞬でヘアアイロンを加熱し、冷ますアリスの技量を身をもって体験しているので、さすがに「熱、残ってないのかな?」と疑うことも無いのですが、その禍々しい形状に、乗り込むのは若干おっかなびっくりといった感じになります。おっとっと、足がもつれます。

 

「サーリャは一番後ろ、ティナを抱いて固定しておいて。私は一番前、いい?」

 

 私が真ん中で、視点的に前門のアリス、後門のサーリャといった具合になるでしょうか。

 

 まぁこれを飛ばすのも、ユミファさんが追ってきた時に迎撃するのもアリスですからね、そのポジショニングが一番いいでしょう。あ~……サーリャの天然クッション、極上だね~、この枕はおいくら万円なりや? ふー。

 

「いくよ」

「ひゃぅ」「……なんでだろ、アムンはそんな声あげなかったんだけどな」

 

 髪が銀髪になると共に、またぽわんときてポカポカが襲ってきます。

 けして不快というわけではないのですが、思考が邪魔されます。何も考えられなくなります。さっきから、頭の中ものすごくアホっぽくなってません? 私。

 

 お風呂やおコタでこうなるなら、それはとっても幸せ氣分でしょうが、今はもっと頭を働かせていたいのでもどかしいです。なんだか眩暈もしてきたような……視界がぐらぐら揺れてきたような……。

 

「う、浮かんでます、私達飛んでますよティナ様!」

「お、おおぅ?」

 

 サーリャの声に氣が付くと、黒い船(?)は無事、空に浮かび、飛んでました。

 ああなんかもうめっちゃ物理的に揺れてます。それならそれならば自分が眩暈になってたわけじゃなかったようですね。はふんはふん。そうかな? ふにゅんふにゅん。そうでもないかな? あー。

 

 原料が岩のせいか、全体の重量バランスが悪そうです。私の銀髪を含め、みんなの髪がまったく風になびいてないところをみると、少なくとも人が乗る空間の分は、なにかしらの魔法的加護があるっぽいです。この揺れも、そういうアレでなんとかなりませんかね。グラグラグラ、グラングラングラン。耐風性バッチシで耐震性バッテン。欠陥住宅かな。住宅は飛ばない。まぁ飛んでる住宅もなんかの映画ではあったっけ。フーセンのオジさん。名前はええと……。

 

 カ●ルといえばそれにつけても関西中心、関西弁でヤバイはアカン……ううっ、これマジでアカンわー、脳内の連想ゲームがいつもの倍以上、支離滅裂になっとるで。うぐぐぐぐ。

 

「ティナ、平氣? 顔が赤いよ」

「……平、氣。それより、ユミファさんは?」

「ついてきてる。こっちの結界魔法が想像以上に強力だったから、攻めあぐねてるみたいね」

「……知性がそこまでじゃない分、戦い方はー……単純だったね。爪を使った全力の、ぶ、物理突撃と即死魔法の連発、それからドラゴンブレス。それらが……全部効かないとわかると、自分を、自分自身を強化しようとした。駆け引きとか考えないで、力で押し切ろうとする……戦い方、だね」

「それで死なない敵は今までいなかっただろうからね。防げたのはティナの生体魔法陣に、このあたしの魔法があってこそよ」

「うん、アリスはすごいよ。……さす、が高等魔法使……い?」

「当然よ!……最後の疑問形はなに?」

「ティナ様?」

 

 ここで、二人も私の様子がおかしいことに漸く氣付いたようです。

 

「……酔っ払い?」

 

 いけません。ぽわぽわのポカポカ……からのグラグラのグラングランで、割と単純なアリスもだませない程、頭が朦朧(もうろう)としてきたようです。そういえば朦朧の朦って漢字、朦朧以外にどんな用法があるんですかね。無知蒙昧(むちもうまい)の蒙には月が付きませんし。耄碌(もうろく)だと全然違いますしね。まぁ耄碌するまで生きるというのは、私としてはある種憧れの領域かもしれません。うっとりします。恍惚(こうこつ)となります。最期まで矍鑠(かくしゃく)っても勿論いいですけどね。故、森繁●彌さんのように年を重ねたいものです。って、だから今それどころじゃないから……違うから……暴走しないで私……俺……私……俺……。

 

 私はまだ、この先の絵図、を、描かないと……いけ、ない……のに。

 

 はぁ……。

 

 はぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。

 

 ドラゴンと魔法少女とが戦い、三人の少女が離陸した、その現場で。

 

「この岩の融けかた、やはり……」

 

 小さな背の影がぼそり、呟いた。

 

 

 



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26話:※メイドさん個人の見解です

 

サーリャ(メイドさん)視点>

 

 ティナ様の様子がおかしい。

 

 目は虚ろで息も荒く、まるで高熱にうなされでもしているかのようです。 

 

「アリス、ティナ様のご様子がおかしい」

 

 私が知る限り、ティナ様は、風邪ひとつひいたことがありません。

 こんなご様子を見るのは初めてのことです。

 

 それだけに戸惑います。これはいったい、どうしたことなのでしょうか?

 

「……アムンはいつも頭のネジが外れたような奴だったから、あんま氣にしてなかったけど、そういえばこれをやるとアイツのテンション、いつもの倍増しで変になっていたような」

「アリス! ティナ様は大丈夫なの!?」

「大丈夫……サーリャ。私は……大丈夫。今アリスの魔法を止めた、ら……落ちちゃう……でしょ?」

「……そうなんだけど。まずいわね。ティナが酔っ払いみたいになってる」

「ティナ様! お嬢様!」

 

 ティナ様が、くてっと私の身体にもたれかかってきます。

 頬が上氣し、瞳をとろんとさせるそのご様子は、あるいは色っぽいと言えなくも無いのですが、そこはまだ十三歳の幼さです。むしろ大人に無理矢理お酒を飲まされた子供のようにも見えて、そのいとけなさが痛ましく思えます。

 

 むしろこの状態でなお、弱音を吐こうとしないそのいじらしさに、余計に痛々しさを感じてしまいます。

 

 ティナ様は、幼い頃から兄の暴力にさらされ、痛みや苦しみを我慢することに慣れてしまいました。

 

 色々あって、私には(ようや)く少し、もたれかかってくれるようになりました。

 それでも、ティナ様はあまり人に弱みを見せようとしません。

 

 先程の、アリスへの言葉だってそうです。

 

『アリスはどうすればそれを現実にできるかだけ考えて。……全てが終わって、それがアリスの満足のいかない結果だったら、私の全てをあげてもいい』

 

 どうしてそこで、捨て身の取引を持ちかける必要があるのでしょうか。

 アリスはティナ様のことが大好きです。そんなの、見ていればわかります。

 ティナ様が、アリスを心から頼るのであれば、そこに対価など必要ないはずです。

 

 それなのに、そう言わなければ氣が済まない。

 

『どうしても腹に据えかねているというのであれば、私の顔に酷い痕が残るような傷でも創ってください』

 

 痛ましい。

 

『サーリャは、ミアは……私のことが嫌いになった?』

 

 あんな、この世の終わりみたいな顔、もう見たくない。

 

『うるさいな! 放っておいてくれよ!』

 

 ご自身が傷付くことでミア様を守ってきた、その過去が関係しているのでしょうか。

 今、布越しに密着しているティナ様のお背中の傷……それを、ティナ様は勲章と言いますが、女の子が傷を勲章にしなければいけない、その時点でおかしいのです。

 

 ティナ様の他人への接し方には、どこか自暴自棄なところがあります。

 

 それはティナ様の悪癖です。

 

 人は見返りがなければ動かない……貴族社会においては、それは真とも言えるでしょう。

 

 ですが。

 

 そうでない人間関係だってたくさんあります。人の世は天国ではないけれど、けして地獄でもないのです。ティナ様には、それをもっと信じてほしいのです。

 

「サーリャ、クソ兄貴が、私の部屋にきて、妄言を吐いて……アリスが助けてくれた時、私、氣絶しちゃった……よね。これ、あの時と似てる……アリス……これ……生体魔法陣……私が氣を失っても、使える?」

「使える。いいよ、氣を失っても」

 

 そうじゃないです。

 

 アリス、そうじゃないんです。

 

 ティナ様は、そこで氣を失って楽になれるお方じゃないんです。

 

「そ、なら」

 

 簡単に予測できたティナ様の動き……空を飛ぶ黒い船の、でこぼこの壁面に、自分の腕を押し当て、傷を作ろうとする動き……それを、細い主人の手首を掴んで阻止します。

 

「サー、リャ……なん……で?」

「自傷の痛みで意識を引き戻そうだなんて、させませんよ」

「……この期に及んで自傷とか、なに考えてんの?」

「なにかを、考えたいから、痛みが必要。アリス、お願い。サーリャじゃ、無理」

 

 キッ! とアリスを睨みつけます。

 

「……やらないわよ。アンタは子連れの熊か」

「アリス……お願い……サーリャ……お願いだから……」

「……睡眠魔法」「アリス!」

「……ふにゃ?」

「え?……ちょっ、なんで効かないのよ!?」「……え?」

「や、ちょっと眠くなったけど……」

「睡眠魔法! 睡眠魔法! 睡眠魔法!」「ちょっとアリス! 大丈夫なの!?」「睡眠魔法! 睡眠魔法! 睡眠魔法! 睡眠魔法!」

「あっ」

 

 アリスが睡眠魔法と言うと、その度にティナ様のまぶたが落ちていき、それが七回目か八回目でしょうか。

 ティナ様の身体から、最後の糸が切れたかのように力が抜けました。

 

「ふー。なんなのよもう!……陽の波動って睡眠魔法に耐性でもあるの?……まぁいいわ、しばらくこれで寝かしておく。どっちにしろもう少しは、しばらく飛んでいるだけだし……あたしはちょっとパザスと連絡を取るね。サーリャは船の前方に高い山でも見えたら教えて。今はもう自動操縦みたいなモノだけど、方向を変える時だけは意識しないといけないの。あたしは後ろのユミファを見てるからね……あ、パザス? ん? そりゃ生きてるって。それでね」

 

 ティナ様の、今も光る小さな身体を抱き締め、今は銀色の髪を撫でて、その体温と心臓の鼓動を確認しながら考えます。

 

 竜は今も、私達を追ってきています。

 

 ティナ様の目標設定は、あの竜を遠くまで誘導して、それから本陣に戻ること。

 ……それ自体は可能でしょう。この船は、その氣になればあの黒い竜よりも早く飛べるそうですから。

 

 ですが問題は、その先ではないでしょうか?

 

 黒竜(こくりゅう)はアリスに怨みがあるようでした。それなのにアリスは黒竜を殺せないときています。

 正直、これはアリスと黒竜ユミファとの問題です。私やティナ様が巻き込まれる由縁はないのです。いざとなれば……恨まれるのを覚悟の上、ミア様をおひとりにするおつもりですかと……そう言って、ティナ様にこの事態から手を退かせるべきでしょう。それが主人の安全を最優先とする、メイドのお仕事です。

 

 ですが、主人の意のままに動くというのもまた、メイドのお仕事です。

 

 ティナ様はアリスと黒竜との問題を解決したいのでしょう。その上で、陰謀めいた事象が進行する本陣へと戻り、その解決を果たしたいのでしょう。

 後者は前者とは逆に、アリスが巻き込まれる由縁はありません。ですからこれはトレードなのです。後者の解決と、前者の解決の。

 ティナ様は後者の解決をもって、前者の解決の助力をアリスに頼み込もうとしていた……ご自身の未来まで賭けて。

 

 メイドならば、その意を()まなければいけません。

 

 お父さん……どうか私に、勇氣を。

 

 ……ですが、ハードモードですね、これ。

 

 希望があるとすれば、あの日、お屋敷に現れた赤い竜、ティナ様のお話ではパザス様。この方と合流できれば、また事態が変わるかもしれないということくらいです。

 

「うん……ごめんなさい。あたしが出て行っても刺激するだけだったみたい。……そんなことするわけないじゃん。四百年だよ? それだけ経っても、あの子の悲しみは消えないんだなって思うと……そりゃもうあたしだってパザスに全部任せてしまいたいよ……しまいたいけど……そういうわけにはいかないじゃない……だってパザス弱いし。あの子、強くなってたよ。アムンのこと、覚えてる?……うん、あれと同じことができるようになってた。……たぶん三つ。ひとつひとつは大したことないと思うけど、ひとつが三倍でも……それが三つ揃ったら何倍? 二十七倍?……それじゃさっきは本当にヤバかったかも。……うん、擺脱(はいだつ)魔法で剥がした。え?……うん。ティナがね、凄いの」

 

 その名前に、耳が反応します。

 

 アナベルティナ様。……そういえば、私はティナ様が、なぜアナと呼ばれるのを嫌がるのかも知りません。なんでも話してほしいのに。どんなものを預けられても、私はティナ様の味方でい続けるのに。

 

 意識を失って重みの増した、それでも軽い身体を、なるだけ楽になるよう、その姿勢を整えます。

 

 眉毛やまつげまで銀色に光っています。意識を失ってなお、ティナ様は私達を守ってくれています。魔法を使っているのはアリスですが、それを、黒船(くろふね)ごと飛ばすまでに増幅(?)しているのはティナ様なのですから。

 

「このまま飛ぶと、数時間後にパザスと合流できるかも」

「そうですか……今、お父さ……本陣はどうなっているのでしょうか?」

「……言い直さないでよ。敬語もだからいらないって。サーリャは普通に親の心配してなってば。孝行したい時に親はなしなのよ」

 

 ツインテールを揺らしながら、なんでもないことのように、アリスが言います。

 

 でも……アリスは、幼いうちに両親を亡くしていたはずです。

 

 母親からの贈り物(ギフト)であるという、七色に光る瞳が、今は光を無くして紫に染まっていました。

 

 ……踏み込んでいいのでしょうか。

 私とアリスはお互い、ティナ様を通じて繋がった関係にすぎません。

 

 親しめの言葉を交わすことも、あったとは思いますが、それは全てティナ様が一緒にいる場合に限られていたと思います。

 

「アリスは、あのユミファさん?……を、どうしたいの?」

「ん?」

「説得したいの? それとも昔のことを謝って、許してほしいの?」

「……わかんない。とりあえずはっきり言えるのは、パザスと合流するまでは時間を稼ぎたい」

 

 この時、ひとつの問いが、私の頭に浮かびました。

 その言葉を……私はアリスに投げつけるべきなのでしょうか。

 踏み込みすぎだと思います。

 

 ……ですが。

 

「パザスさんと一緒に説得しても成らなかった、だから仕方なく殺した。その言い訳がほしいの?」

 

 言ってしまいました。

 アリスは……怒ることもなく、複雑に顔を歪めながら、瞳を赤くしたり青くしたりして、考え込んでいます。

 

「意外と言うね、サーリャ。さっきまで、ご主人様が起きていた間は全然だったのに」

「出過ぎない……それもメイドの仕事よ? アリス」

「ふん。出るトコ出過ぎてるクセによく言うわ」

「……うらやましい?」

「ばっ……そんなにあっても邪魔なだけよ!」

「そうね。暑いと蒸れるし……」

「うわ~、なんかムカつくー」

 

 よく、肩がこると言いますが、私は、それに関しては今のところ苦労していません。

 というか、ティナ様のお(そば)についてより、疲れや身体の不調などは、ほとんど起こらなくなりました。汗で蒸れると不快は不快ですが、肌荒れなども滅多におきません。

 

 陽の波動という、ティナ様の「特別」が、何か関係しているのでしょうか?

 

「……でも、そうかもね」

「?」

「あたしはユミファをなんとかしてあげたいって思ってる。でも、もうどうにもならないかもって、そうも思ってる。もうちょっとあの子が、言葉の通じる子だったら良かったんだけど、アレだもん……パザスが説得できなければ仕方ないって思っている……思っちゃってた」

「アレ、ですか?」

「見たでしょ? まるで獣。言葉なんか通じそうにない」

 

 アリスの言葉に、私は黒竜の様子を思い返します。

 

「あたしはユミファを殺す理由を、言い訳を探していた……そうかもね。あたし、酷い人間だ」

 

 アリスを見た瞬間、殺意を(たぎ)らせて襲ってきた黒竜。

 

「ティナがあの時、ユミファを殺せって言ったら、あたし……それに従って……いたのかな……」

 

 確かに、理性と呼べるものはほとんどなく、もはや殺意が塊となって襲ってきているかのようでした。アリスを殺したくて殺したくて、仕方無いかのように。

 

 ……?

 

 何かが引っかかります。

 

『だってあたし達を宝石の中に封印したの、ユミファだし。封印が解けたら伝わる仕掛けでもあったんじゃない?』

 

「……四百年前、どうしてユミファさんは、アリスとパザスさんを殺さなかったの?」

「ん?」

「どうして封印なんて遠回りをしたの?」

 

 どうして四百年前には封印をしようとし、今は殺そうとしてくるのか。

 

「あの子は……ティアに騙されていた。四百年前はね。四百年前、あたし達を殺さずに封印したのは多分ティアの指示。そうすることであたし達がより苦しむからとか、そうすることでエンケラウが生き返るとか、多分そんな嘘をついたんだと思う。でも、ティアは人間。すごく胡散臭いヤツだったみたいだけど、それでも人間だったってみんな口を揃えて言ってた。なら、もう生きているはずがない。今は、ティアが死んだから、その制御から外れて暴走しているんでしょ」

「では、そのティアという方は、なぜアリスとパザスさんを殺さずに封印したの?……いいえ、そもそもどうして仲間を裏切ったの? なにがしたかったの?」

 

 そうです。そこのところの根本が、不明のままです。

 

 アリスは私の問いに、瞳を紫にして、ふてくされた幼子のような顔で答えました。

 

「……出過ぎるのは胸だけにしておけっての。乳オバケ」

 

 すこしカチンときますが、ここで怒ったら負けです。

 

「ティナ様をお守りするのが私の職分であり本分です。その為に必要なことならなんでもします。なんでもすると決めたんです。おせっかいでもでしゃばりでも……その時の主人がそれを望んでいないことでも……しなきゃいけないことはするんです」

 

 胸を張れ、私。

 これまでも、そしてこれからも、私はそうしてティナ様をお守りしていくの。

 

 アリスは私の、そんな強がりの笑顔から、(ひる)んだように目を逸らしました。

 

「ぐぬぬ……あんた達ってほんと……アレね、いいコンビ? 似たもの主従? 胸だけ見たら凸凹(でこぼこ)コンビの癖して、根っこが一緒ね」

「失礼な、お嬢様のお胸は(へこ)んでなどいませんよ。さすがに」

「……アンタのソレも十分に失礼な氣がするけど……あーもー! ティナにもまだ話してないことなのに! なんでアンタなんかに先に話さなきゃいけないのよ!」

「そういう巡り合せもあります」

「あーもー! わーったわーった! 話すわよ! その代わり!……ティナにはこれから話すことの中で、黙っておいてほしい部分があるの。それは喋らないで!……約束できる?」

「はい」

 

 必要と思えば、私は多分喋ってしまうのでしょうが、ここは約束してしまいます。

 

 アリスもまだまだ子供ですね。女に喋らないは、無理な相談ですよ?

 

「じー……」

 

 と、あまりにも簡単に返事をしたせいでしょうか、アリスが疑わしげな目を向けてきています。ティナ様はこういうのをジト目と呼んでいましたね。

 

「喋らない、喋りません。大恩ある男爵家に誓います」

 

 まぁ私の忠誠はティナ様個人に捧げられているんですけどね。

 契約不履行? 不忠である?

 私はご当主様、ご母堂様より「なによりもまず娘(あの子)の味方になって欲しい(の)」と頼まれていますよ?

 ……はい、この命に換えても。

 

「……まぁいいわ。いつかティナにも話すつもりだったからね」

 

 諦めたように、アリスが話し始めます。

 

「あのね、九星の騎士団は、パパとママが愛し合ったことで、二つに分裂したの。パパママについてきたのがパザス、アムン、アイア、エンケラウの四人で、副団長だったリルクヘリムが、オズ、ルカの二人と一緒に、あたし達と敵対を選んだの」

「エンケラウさんは、味方だったのですね。……ティアさんという方は?」

「ティアは騎士団が分裂してからどこかへ消えていたの。だからあたしも会ったことがないんだけど……」

「えっ?」

 

 おかしいですね。確か先程……。

 

『あんなやつ裏切り者で十分よ!』

 

「あたしがティアの名を耳にするのは、騎士団の分裂から数年後。ティアが……ママを(さら)って……殺したって聞いたわ。パパもその時に……」

「なっ!?」

「あたしはまだ小さくて、その時は、詳しい事情は何も教えてもらえなくて、後から聞いた話なんだけど」

「アリス……」

 

 なんでもないことのように言う、その瞳が潤んでいます。

 

 涙は、グラグラと揺れるこの船の上であっても、けして(こぼ)れ落ちたりはしませんでした。ですが、アリスが両親を慕い、今も偲んでいるのは確かなことでしょう。

 辛かったね……と言って慰めてあげたい氣持ちがこみあげてきます。

 だけど今、私がこの胸に抱いているのは、ティナ様です。

 放さないよう、ぎゅっと抱きしめます。

 

「パパとママを失ったあたし達は、パザスに連れられて各地を転々としたわ。あたしの仲間はパザス、アムン、アイア、エンケラウの四人と、ユミファだけになった」

「ああ……」

 

 そういえば、アリスの胸には、今も七つのブローチが輝いています。

 九星の騎士団なのに七つ星なのは、それがアリスの両親と、四人と一匹の仲間達を表すモノだからなのでしょう。深紅はお父様(ルビー)、玉虫色はお母様(レインボー)、くすんだ赤、赤、黄、青がそれぞれパザス様(グロッシュラーガーネット)アムン様(コーラル)アイア様(イエローサファイア)エンケラウ様(サファイア)で……黒がユミファさん。

 

「パザスが竜にされちゃったのはその途中。あの魔女が単体であたし達を襲ってきたのか、それともリルクヘリムかティアの差し金だったのか、それは今でもわからないの。でもその戦いの途中で……エンケラウも、ゴブリンにされてしまったの」

「ゴブリン!?」

「今の人はもう知っている? ゴブリンはね、魔法生物(モンスター)なの。ゴブリン自体が魔法を使うことは滅多にないけど、その身体には、超微小な『マナに触れられる手』が無数に存在してるの」

「……後者は、知りませんでした。そんな説、今初めて聞きました」

 

 アリスがふぅと、その少女の容貌に相応しくない、重いため息をつきました。

 表情を見れば苦々しい、渋りきったものです。

 

「ここからがティナには話してほしくないことよ。あのね、魔女ドゥームジュディの魔法は、呪いは、つまり『マナに触れられる手』を新しく生み出す力だったの」

「え!?」

「ティナは魔法に憧れを持っている。ティナは……きっと魔法を使いたいんだよ。あたしが魔法を使うたび、すごく羨ましそうな顔をしていたもん。……でもね、魔法を使うには、だから『マナに触れられる手』が必要なの。……わかる? どうしてあたしが、これをティナに話したくなかったのか」

 

 つまり。

 

 力を得るには……代償が必要?

 

「……パザスさんはどうして竜になっているの? いいえ、それだけでなく、どうしてエンケラウさんも……ゴブリンになってしまったの?」

「それよ。魔女ドゥームジュディの魔法は呪いだった。『マナに触れられる手』を与えることで人にその形を捨てさせる……醜悪な呪いだったの」

 

 くらっと。

 

 頭が、船の揺れによるものでない、精神的な眩暈によって揺れます。

 

 そんなもの、ティナ様が欲していいモノではないです!

 

「わかったでしょ? ティナには危ういところがあるわ。魔法が使えるのなら、人の形くらい簡単に捨ててしまうかもしれない……そういう、今の自分を全然大事にしない危うさが、ティナにはあるの」

 

 こんなに可愛く産んでもらってるのにね……アリスの呟きが空に溶けていきます。

 

 わかります。それは日々私が痛感していることです。

 

 ティナ様は美少女です。年相応の可愛らしさも、それはありますが、父親譲りの氣の強そうな顔は、絶世の美女、麗人と呼ばれる未来を、容易に想像させます。

 

 非の打ち所の無い美貌で、どこか飄々とした態度を崩さない少女。

 

 それはある種の男性に、いえ女性にさえ、(かしず)かせたい、曇らせたい、虐め、いたぶりたいという欲求を抱かせることでしょう。自分の一挙手一投足に動じ、揺らぎ、いじわるをすれば萎縮して怯え、微笑みかけてやれば安心して寄ってくる……そういう「可愛らしい」存在に、してしまいたくなることでしょう。

 

 これは誰にも言えないことですが、私には、亡くなられたボソルカン様の氣持ちも、少し理解できるのです。どれほど否定しても拒絶しても、似たモノは私の中にもあるのですから。私はそれを、暴力や虐待などという形にはしないだけです。

 

 様々なことに才能を持って生まれた天才性、たおやかな美少女の外見、その割に動じない、物怖じしない、安易には何者にも靡こうとしない年齢不相応の落ち着き。

 それは、手折(たお)りたいと思わせる、花の姿にも似ています。

 野に咲いているには美しすぎて、手折り、自分の領域へ飾りたくなる、そういう美貌。

 

 ティナ様は「特別」です。

 

 その「特別」が、私やボソルカン様のような凡人の欲望を刺激するのです。あの特別な人間を支配したいと。自分という人間の一部にしてしまいたいと。「愛せる」存在にしてしまいたいと。「可愛らしく」させてみたいと。

 

 アリスも「特別」です。

 

 優れた容姿を持つ者が多いというエルフ。

 四百年前のエルフと人間との戦争、その開戦事由を語る、あるいは騙る俗説のひとつに、人がエルフを、最上級の愛玩奴隷として高く取引し、残虐に扱っていたからだというものがあります。

 魔法使いであるエルフを、どうやって人間が制御していたのかなど誰も氣にしません。俗説ですからね、信憑性など二の次なのです。百年以上、幼さの残る美貌を維持するのだから、そういう扱いにもなるだろうと誰もが納得してしまう程、エルフの優美は有名なのです。

 

 その血を引いているだけあって、アリスはティナ様に、勝るとも劣らない氣の強そうな美少女です。光の加減や本人の情動で七色に変化する瞳など、見る人が見れば特別な宝石のようと評することでしょう。ティナ様はまったく動じず、当たり前のように接していますが。

 

 おまけに彼女は、人智を超えた沢山の魔法を操る魔法使いで、歴史に名を残す偉人とも繋がりがあります。その「特別」、ひとつくらい分けてくださいと言いたくなるほど、属性が山盛りてんこ盛りです。

 

 だからなのでしょうか、アリスは、ティナ様を支配しようとはしません。

 凡人がティナ様に抱く、醜い欲望とは違う何かで、ティナ様を求めています。

 

 だからこそ、今まで誰もそこにいなかった、ティナ様の友人というポジションへ、すっと入ってこれたのでしょう。アリスはティナ様に、自分と同じ「特別」な魂の色を見たのでしょうか?

 

 泥棒猫! と言いたい氣持ちも、最初は少しあったのですが、私はアリスがいてもいなくとも、どちらにせよティナ様の友人というポジションには、絶対に入って行けなかったと思います。私の中にはティナ様を支配したいという欲望があって、なんなら私に依存してほしい、私に愛されて、私なしでは生きられない人間になってほしいと……そのようにさえ思ってしまっています。その醜さは自覚してます。恥じてもいます。

 ですが……消せないのです。

 

 だからアリスが、ティナ様と同じ目線で楽しく笑い合えるというなら、それはティナ様にも必要なモノです。私は、この醜い欲望を持つからこそ、二人の友情を引き裂くわけにはいかないのです。

 

 だって、これほど醜い欲望を抱えていても、そうであってさえ、私は、ティナ様に笑っていてほしいのですから。特別なティナ様が「普通」に笑い合える、特別なご友人など、滅多に得られるモノではないのですから。

 

 私はティナ様を幸せにしたい。

 

 何を裏切れても、その想いだけは裏切れません。

 

 ティナ様は私の「特別」なのです。

 

 それなのに。

 

 自分に自信を、そして誇りを……いくら私がそう口を酸っぱくして言っても、ティナ様はご自身の価値を、なにかと引き換えにできるモノとしか、認識してくれません。

 

 貴族令嬢としては。

 

 貴族令嬢としては、それは、おそらくは賢く、正しい自己認識で、それだけに聡い少女であると言えるのかも知れません。

 

 ですが、いえ……いいえ。

 

 それでも、それはやはり愚かです。

 

 ティナ様は、もっと自分の価値を知るべきなのです。そうでなければ私は……ティナ様を本当の意味で守れているとは言えないでしょう。

 この世界には、何とも引き換えにできない価値というものが、あるのです。

 

 少なくとも、私にとってティナ様は、そうしたもののひとつです。

 

「話を戻すわ。ユミファが、ティアが、あたし達を殺さずに封印した理由。それはあたしもハッキリとは知らない。だけどひとつ確かなのは、ティアはママに何かをさせたがっていた。だからいきなり殺すんじゃなくて、攫ったの。攫って、何かをさせようとしていた。だけどママは死んじゃった……だからその代わりを、娘のあたしにさせようとしていた……パザスはそう推測していた」

「でも……そのティアさん……という方は、もう亡くなられているんですよね?」

「うん。だからユミファにも、あたしを殺さないでおく理由が無くなった。ゴブリン化したエンケラウを殺したのは……間違いなくあたし達だったからね……聞きたい?」

 

 この時、アリスは、笑っていました。

 空洞な、この世の何も見ていない瞳で、それなのに笑っていました。

 

 思わず息を呑みます。

 

 この顔には見覚えがある。

 

 出会ったばかりの頃、ティナ様が時々浮かべていた……あの顔、あの表情。

 

 それがどんな心境から、どういう心象風景から浮かび上がるものなのかは……愚かな私にはわかりかねます。でもそれが、子供が浮かべていい表情でなかったということだけは、確信をもって言えます。

 

「あたし達はエンケラウを殺した。ちゃんと言えば、パザスがユミファを抑え込んで、アムンとあたしでエンケラウのゴブリン化を解除しようと頑張った。でももう手遅れで……最後にはアイアが……あたしの擺脱魔法でゴブリンの物理無効結界を一部無効化して……首を刎ねた。……あのね……あたし達ね……エンケラウには本当に酷いことをしたの。最初はお酒を沢山使って、次は解毒魔法……病気とかを治せる魔法が何種類かあってね、その全部を試してみて、ダメで……『マナに触れられる手』を壊せばどうにかなるかもしれないって、擺脱魔法を連発してみたんだけど……それは少しだけ効果があったみたいなんだけど……やっぱりダメで……だから……あたしとアムンは……その……擺脱魔法を最大出力でかけると少しだけひび割れみたいに開く隙間から……エンケラウの肩から先の腕を切って……新しい腕を生やしてみたり……したの……あたしは、アムンと一緒ならそういうことができたの……どんな肉体の欠損も、相手が生きている限りは完全に欠損部位を再生……ううん新生して治療してしまう……そんなデタラメなことがね……できちゃったの……エンケラウが生命力の強い狼の獣人だったのも幸いした……ううん、違うかな……不幸だった……生えてきた腕は一瞬でまたゴブリン化しちゃってさ……なんなのよあれ、デタラメもいいところよ!……それでも一回やそこらじゃ諦め切れなくて……何回も……何回も……ユミファにはそれが、あたし達がエンケラウを拷問してるみたいにでも見えたんじゃないかな……ううん……そうかな?……本当に……うん、そうかもね……あたしはエンケラウをただ苦しめただけだった」

 

 ごくりと、自分の喉が鳴るのがわかりました。

 

 壮絶な過去です。アリスが喋る、その言葉の抑揚には、当時の修羅場を伺わせるものがなく、淡々と、起きた事実をただ平坦に語っているかようでした……顔には笑みにも見える表情を浮かべながらです。

 

 ですが、そこに人間の感情を、人が仲間を、なんとしてでも助けたいと思う氣持ちをそこに当てはめて考えると、ことは修羅の様相を呈してきます。

 持てるあらゆる手段をもって仲間を救おうとするアリス。そしてその手には、残虐ともいえる回復手段の候補がありました。

 

 どんな葛藤があったにせよ……アリスはそれを実行し……そして失敗したのです。

 

「……だからアリスは、あの竜を、ユミファを、殺せないのですね?」

 

 今も船を追いかけてきている黒竜。心做(こころな)しか、今やその顔にも壮絶な決意を感じられる氣がします。先程までは、ただただ暴力的なまでの殺意としか思えていなかったのに。

 

「実際に会ってみてわかった。あの子はまだエンケラウを愛してる。四百年よ? あれからもう四百年も経っているのに、あの子はエンケラウのことを忘れてない。……その姿を見たら……殺せなくなったの。……エンケラウが死んで悲しかったのは……あたしだって……一緒……だったから……」

 

 アリスの声は、後ろに行くにつれ、まるで消え入るように小さくなっていき……そして途切れました。

 

 続く言葉は後悔か罪悪感か、そうしたものに押し潰されてしまったのでしょう。

 

「アリス……」

 

 あの竜が、我が子と呼ぶエンケラウとの間に、どのような友誼(ゆうぎ)、親愛の情を築いていたのか……それはわかりません。

 

 ですが、あの殺意が、あの決意が、その出所が、それほど壮絶なものであるのならば……それは私にも理解の及ぶものです。

 私も、ティナ様が酷い目にあわされる姿……そんなもの、想像でさえもしたくありませんが……を目撃してしまったら、正氣でいられる自信はありません。いえ……実際に正氣ではいられませんでした。出すぎたことをし、その結果自分の胸で泣いてくれたティナ様を、後半は泣き疲れ寝てしまったティナ様を、その今よりももっと小さく、幼かった身体がどうしても手放しがたく、長い時間、下着を不浄に汚してさえ、ずっと抱きしめていたのです。

 

「どうしよう。あたしどうしたらいいの? ユミファをこのままにしていたら、あたし誰も守れない。ティナの力を借りれば、簡単には殺されないだろうけど、ティナがこんな様子なら、いつまでもそうしているわけにはいかない。あたし、ユミファを殺した方がいいの? そうしてこの因縁を終わらせた方がいいの? どう考えても悪かったのはあたしなのに。そのあたしがユミファを殺すの? それでいいの? それが答えなの?」

「……」

 

 すがるように問われ、私は考えます。

 

 ……ここで。

 

 ここで、アリスにハッパをかけ、黒竜を殺させるというのも、ひとつの手でしょう。

 アリスは折れかかっています。私でも、それは手折れるでしょう。

 

 アリスがどう思おうとも、あの竜はもう手遅れです。

 

 竜の討伐隊とはつまり、竜を殺そうとしていた部隊ですから、それに関しては正当防衛といえます。ボソルカン様も、あの時点で既に、死に値する罪は背負っていたお方でした。

 だからそのことを、どうこう言う氣はありません。少なくとも私は。

 

 ですが、ここまでもつれた過去と感情があるなら、もうどうしようもありません。

 

 男爵家は貴族で、貴族というのは土地の裁判官でもあります。ティナ様は三権分立どうなっているんだと、なにやらよくわからないことを話していましたが、事実としてそうです。

 実務は他のものが執り行うにせよ、刑罰の執行書、たとえば死刑の執行命令書にサインされるのはご当主様です。その家族から怨まれることもあります。

 

 その怨みも、理解はできます。家族を奪われることがどんなに辛いものか、わからない人は少ないでしょう。

 

 ですが仮に、罪人の家族が男爵家に仇なさんとし、それを実行に移したのであれば。

 

 それもまた、厳罰に処さなければいけません。

 

 それもまた、地域の秩序を守る統治者の義務なのですから。

 

 その辺りのことをアリスに噛んで含め聞かせ、納得してもらい、ここでユミファを討伐させるというのもひとつの手です。それが正道ともいえます。

 

「……アリス、ユミファに頭を冷やす時間を与えましょう」

 

 ですが、私はそんなあらゆる正論を無視します。

 

 私は残念なメイド。時折ティナ様にそう評される、不出来なメイドなのです。

 醜い欲望を押し殺し、正しくあろうと苦心し、だけど完璧には出来ない凡人です。

 

 だから私は、私にできることをします。

 

「……え?」

 

 ティナ様は、アリスが満足のいく結果になるよう考えると言いました。

 納得する結果ではありません、満足する結果と言いました。

 なら私が汲むのはそのお氣持ち、ただそれだけです。

 

 どうしようもないか、それともあるかなんて、私が考えることではありません。

 

 現実問題、ここでユミファを殺したアリスが、その後使い物になるのかという疑念も存在します。

 アリスには、この後にしてほしいことが山ほどあります。

 それを、真っ当な精神状態で行ってもらわなければいけません。

 

 だから私が今、しなければいけないのは、ただひとつ。

 

「ユミファを、今度は逆にアリスが何かしらの手段で封印する。そういうことはできないの?」

 

 

 



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27話:※アリス個人のさすティナです

 

<アリス視点>

 

 ティナに惹かれてる。

 

 それはもう自分自身、自覚できる程に。

 

 

 

 あたしは……ママのことが大好きだった。

 

 だけどその顔はもう覚えていない。

 

 ママが生きている間、あたしはママを「ママ」じゃない、一人の人間として認識するには幼すぎて、あたしにとっての「ママ」は、温かくて、いい匂いがして、その胸に抱かれてると凄くホッとする、そういう存在であり象徴だった。……そんな氣がする。

 

 後々、パザスや他のみんなに話を聞いたところ、ママはどうやら、みんなからはクール系の美人さんというイメージで見られていたようだ。

 

 エルフらしい切れ長の目元で、あたしと同じ七色に変化する瞳をいつも冷たい色に染めていて、言葉は少なく、パパ以外には冷たく厳しい態度しか見せなかったという。……アイアだけは物怖じせず、ママにもセクハラ発言してたらしいけど……パパはそれ、どうしてたんだろ?

 

 だからみんな、あたしがママのことを、あったかかったとかホッとしたって言うと、子供にはそう見えたのかな……と、まるで微笑ましいものでも見るかのような目でこちらを見てきた。ウザい。

 

 でも、それでもやっぱりあたしにとってのママは、どっこもクールじゃなくて、冷たくもなくて、その体温と柔らかさに包まれていると安心できる、あったかなお布団みたいな存在で。

 

 それと同じものを、あたしはティナに感じている。

 

 ママは虹の波動持ち、ティナは陽の波動持ち。

 どちらも光に関係する波動の持ち主。そんなに違いはない。

 ママの波動の方がハッキリとした色があって、ティナの方は白くぼんやりとしている。感覚的にはそれだけの違い。どちらも眩しくて、どちらも温かくて、心地良い。

 

 ティナにママを感じるのは、だからかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

 ハッキリしているのは、ティナと一緒のお布団で眠ると、凄く安心できて、凄くホッとするってこと。だけど時々……寝顔が険しかった頃は割とよく……ティナもママみたいに突然消えてしまう氣がして、すごく不安になることがある。

 

 もう小さくて何も知らなくて、何もできなかったあの頃のあたしじゃない。

 

 ママはエルフ最強の魔法使いにして女王。その血をひくあたしは、これでも魔法使いとしては最上級の部類だ。人間は、魔法使いが遺伝することはないらしいが、あたしはエルフの血をひくハーフエルフだ。

 

 あたしには力がある。

 

 だけどそれをどう使えばいいかわからない。

 

 氣が付けば四百年が経っていた? 悪い冗談みたい。

 

 目が覚めてから、だから本当は、なにをしたらいいか、わからなかった。

 

 猫の姿で日中の大半を過ごしていた頃は、ティナがサーリャやミアと楽しくおしゃべりしてる姿が羨ましくて、不愉快で、よく外に出かけていた。

 

 だけど、人の姿で過ごすようになってからは、あたしもその輪に加わることができるようになった。

 

 ママが死んでから、ずっと男共と過ごしていたあたしには、それが新鮮で、楽しくて。

 ティナの部屋でみんなと一緒にはしゃいでいられることが、本当に幸せで。

 なにか失ったものを取り戻したような氣がして、嬉しくて。

 

 そうして夜にはあったかなティナと一緒に眠って。

 

 ぬくぬくして。

 

 あの部屋は、あたしの陽だまりみたいだった。

 

 

 

 あたしはティナに傷を負わせてしまった。

 

 油断してたあたしを、ルカのカケラから守ろうとして、お尻に大きな傷を負った。

 

 あたしはその傷をキチンと、綺麗に治すために、ティナについてきた。

 

 だから、それを完全に治し終えたら、あたしはこっそり、ひとりで旅立つつもりだった。あたしはひとりでも生きていける。それだけの力がある。そう思っていた。

 

 だけど考えてみたら、あたしは人生の中で、一度たりともひとりになったことがない。

 

 パパとママがいなくなっても、パザスや仲間がいたし、封印から目覚めたあとも、ティナやサーリャ、ミア(ティナの妹)ちゃんがいた。

 

 それを思い出したら、旅立つ勇氣はもうどこにも残っていなかった。

 

 ティナは貴族令嬢。

 いつかどこかへお嫁に行く。

 

 そうして子供を産んで、本当に、自分で産んだ子供達のママになって、きっと幸せな家庭を築く。ティナの家族なら、それはきっとあったかで、お布団みたいな家族なんだ。

 

 でもそこに……あたしの居場所はない。猫のままなら、もしかしたらずっと一緒にいられるかもしれないけど……それだと今度は……あたしがナニカを我慢できなくなりそうだ。そのナニカがなんなのかは、わからないけれど。

 

 あたしはいつかティナと別れる。

 

 別の人生を歩んで、ティナはあったか家族の中に、あたしはさすらいの旅に……そんな風に人生が分かたれてしまう。

 それは当然で必然で、全然当たり前のこと。

 

 だけどいいんだ。

 

 それでもいいんだ。

 

 今だけはまだ、ティナはあたしの陽だまりだから。

 もうすこしだけ一緒にいさせてほしい。

 

 いさせてほしいの。

 

 まだ……いいよね?

 

 

 

 

 

 

 

「ユミファを、今度は逆にアリスが何かしらの手段で封印する。そういうことはできないの?」

「……無理」

 

 揺れる船の中、ぐったりとサーリャの胸によりかかるティナの姿を見ながら、あたしはそう答えた。

 

 なぜなら。

 

 あたしは、あたしとパザスを封印した魔法の原理がわからない。

 

 ユニーク魔法。

 

 それはたったひとりの魔法使いだけが使える、その人固有の魔法。

 

 竜は個体ごとに、何かしらのユニーク魔法をひとつやふたつは使う。ユミファもその例に漏れない。人間を水晶化させる……パザスは難しい言葉で相転移魔法と呼んでいる……雪崩魔法、そしてあたし達を四百年間閉じ込めた封印魔法、それらはユミファのみが使えるモノで、他の誰にもその理論や理屈はわからない。

 

 あたしの魔法の知識は、そのほとんどがパザス達からの受け売りだ。

 パザス達は、エルフと戦った経験が豊富にあって、その戦いの中で得た知識があたしに引き継がれている。

 

 魔法とはな、アリスよ、物理とは違うルートから行う、この世界への干渉なんだな……アイアの渋い声が脳内に再生される。あたしにもよくセクハラ発言をして、時にオシオキされていた面白おじさんだったけど、下手したらパザスよりも切れ者なんじゃないかって思うこともあった。

 

 魔法とは。

 

 魔法とは、空間を『マナに触れられる手』で高次元的に捻じ曲げ、光の干渉すら阻む真っ黒な魔法陣を組み、三次元的物理空間の法則や定理を超越した現象を引き起こす……モノらしい、アイアの話だと。

 

 ママの魔法陣は虹色に光ったというし、ティナがもし魔法を使えたら、その魔法陣は陽の波動の影響を受け、白く光り輝くかもしれないけれど……とにもかくにも、魔法陣というのは世界の断層そのものであって、魔法とは世界を歪めることに他ならない、とかなんとか。

 

 あたしには、高次元とか三次元的物理空間なるものの意味はよくわからない。

 

 魔法により得られるエネルギーは三次元的物理法則を超越すると言われても……なんのことやら。

 

 あたしにわかるのは、この世界は、あたしの目や鼻や耳だけじゃ、その全てを認識できなくて、魔法は『マナに触れられる手』で『認識外の世界に触れる』ことにより発現するモノだってことだけだ。

 

 そういえば、アイアはこれを、故郷(ふるさと)の文化であるという「折り紙」を使って説明してくれた。

 

 曰く。

 

 紙に鶴を顕現(けんげん)させたいと思ったとする。

 

 この時、紙を二次元的にしか『認識できない』存在がやれることと言ったら、紙の上に鶴を描くことだけだろうな。

 

 だけど、紙を三次元的に捉えられる俺達なら、こうして……と器用にもアイアは紙を鶴の形に折って……紙を鶴の形にすることができる。

 

 この鶴の折り紙だって、二次元から見れば「魔法」なのさ。

 

 つまり、俺達よりも高次元を『認識できる』存在には、こうして世界そのものを折り曲げ、歪め、別の形にしてしまうことができるんだな。つまりこれが、俺達の知る魔法の正体ってヤツなんだろうさ。そら、元は二次元だった鶴が今、三次元を飛ぶ……アイアはそう言って折り紙にふっと息を吹きかけ、紙の鶴をほんの少しだけ前に飛ばした。ウザい。

 

 三次元より上の次元、高次元。

 

 意味は良くわからないけど、それが『認識外の世界』で、即ちこれが魔素、マナ。あたしはそう理解している。

 

 魔法の難しさは、この『認識外の世界』が、どれだけ『あたしの認識』から遠いかによる。遠ければ遠い程、世界変革に係る工程はややこしく、多層的に、複雑にもなっていく。

 

 例えば『熱』は『あたしの認識』から、すごく近いところにある。

 それは手を……『マナに触れられる手』を少し伸ばせば簡単に干渉できるもので、例えば水を沸騰させるなどは一瞬でできる。

 これはほとんどの魔法使いがそうであるらしく、熱変化は魔法使いの得意とする技能、なのだそうだ。

 

 例えば『自分の命』は近い。回復魔法は、自分限定で効果が十倍にも百倍にもなる。

 

 例えば『他人の命』は遠い。

 それは、物理的には目の前にいる人であっても、魔法的には、遙か遠くの彼方にまで『手』を伸ばさなければ触れられない。だから他人への回復魔法は難しい。

 

 だから逆に、他人の肉体内部を魔法で直接攻撃することも難しい。人間は、平熱から一、二割増し体温が上がっただけで死亡するというけれど、他人の体温をそこまで上昇させるには、あたしでもおそらく数分はかかると思う。それも相手が全く動かない前提の上でだ。そんなことをチマチマするより、『他人の命』の適応外、つまり敵の近くに炎魔法で炎を生み出し、それをブチ当てる方が遥かに楽でいい。

 

 睡眠魔法だって、他人の肉体に直接変化を起こしてるわけじゃない。顔の周辺の空氣を、「人を眠りに落とす空氣」に変えているだけ。もっともこれはあたしの手法で、前線基地に使われたとかいう、マジックアイテムの原理は違うのかもしれないけど。

 

 呪い、呪術系統……他人の命そのものを利用した魔法……は例外だけど、そっちは残念ながらあたしが詳しくない。とはいえ……ユミファの封印魔法は、私やパザスの生命力を吸ってもいないから、呪いでもないと思うのだけど。

 

 総じて、自分以外の生命が宿る肉体は「遠い」。

 

 他にも、例えば『時間の流れ』は遠い。時を操る魔法は、ママでも使えなかったらしい。どうしてなのかは……知らない。パザスは、時は生き物にとってつまり心臓の鼓動、定められた寿命、そういうものに等しいのだから、それはつまり『他人の命』となんら変わらないものなのだよ……とかなんとか言っていたけど、あれはたぶんオッサンのロマン。ウザい。

 

 

 

 それを踏まえて。

 

 ユミファが私達に施した封印魔法。

 

 これは『非常に遠い』上に『どちらの方向に手を伸ばしたらいいかもわからない』。

 

 人を水晶化させる雪崩魔法の方だって理解できないけど、これはもっと酷い。

 

 推測だけど、雪崩魔法は多分あれだ、あたしの睡眠魔法に近いなにかだ。炎魔法と同じように、『他人の命』そのものに干渉するのではなく、人を水晶化させる理外の『(ほむら)』を生み出して、それで攻撃してきているんだ。炎魔法は炎を生み出して攻撃するし、風魔法は風を発生させて攻撃する。そういう魔法は結構多い。それがどんな『焔』なのかまではわからないけど、そう考えれば別段難しいことではない。

 

 けど……他人を鉱物の中に閉じ込めて、四百年間もその時を凍結させるって……なに?

 

 これはもう完全に『他人の命』に干渉していない? 『時間の流れ』に干渉していない?

 

 原理がさっぱりわからない。まぁ、あたしが使用してる魔法のいくつかも、原理がわかって使っているわけじゃないけど……。

 

 人外の思考ゆえに辿り着いたロジックなのか、平均寿命三、四十歳程度の狼の獣人、エンケラウを育てた竜ゆえに欲した、二人の寿命の差を埋める何かだったのか、それはわからない。でも、どちらにせよ、それを理解し行使することは、あたしにはできない。

 

 そういうことを、あたしは簡単に、サーリャに聞かせてあげた。

 

 ……なによその目、あたしにだってできないことくらいあるわよ。

 

 ただ。

 

「だけど、反射魔法なら可能性がある。あれは陽の波動と相性がいいはずだから、ユミファがあたしをもっかい封印させようと、同じ魔法を使ってきたら、それを反射させてユミファに食らわせることならできる」

「でもそのためには……」

「あたしを殺す氣マンマンのユミファに、もう一度封印魔法を使わせる必要があるね」

 

 そんなの無理でしょ……って続けたけど、それでもサーリャはティナを抱きしめながら、思考するのをやめようとしなかった。

 

 サーリャに抱かれているティナは、いつもとはまるで違う姿になっている。

 

 ぼんやりと光る、銀色の線が縦横無尽に走る身体と、同じく銀色に輝く髪。上氣して薄いピンク色に染まった肌、閉じた瞳。普段とは全然違う姿のティナを、サーリャは普段通りに抱きしめている。

 

 なんだかんだで……サーリャも変な人だ。年下の、同性であるティナを信奉しているようにも見える。身分が上、雇用する側、されている側というのも勿論あるのだろうけど、ティナには大体敬語で接するし、その割にティナが着て脱いだ服をクンカクンカしてたりする。変態。

 

 そんな変態……もといサーリャの姿を、なにというわけでもなく眺めていると。

 

「……ボソルカン様の頭部についてですが」

 

 ……しばらくして、よくわからない方向からの質問が来た。

 

「ん?」

「アリス達が抜けた後の宝石は私も見たけど、あれって変色(アレキサンドライト)効果のない、ただのピンクの石になっていたよね? だけど、既に亡くなられている筈のボソルカン様の頭部には、アレキサンドライト効果があった」

「……あれ?」

 

 ちょっと引っかかっていたんです、とサーリャは続ける。

 

「同じ竜からの攻撃、という点で納得していましたが、アリスから魔法について色々聞いてみると、それはおかしいことに氣付きます。人を石に変える魔法、それとアリス達を封印した魔法、このふたつは別系統の魔法なんだよね?」

「……あ」

「なのに、中途半端に共通点がある。これはどういうこと?」

「……あれ?」

 

 中のあたし達が抜けると変色効果、アレキサンドライト効果も失われ、ただの半透明のピンク石となってしまった宝石。

 死の形をそのままに残した、青い、変色効果の残る石の彫像。

 

 もしそのふたつがまったく同じ特性の魔法なら、彫像も、実はまだその中に生きている人を含んでいて、中の人が抜ければそれもただの石になる?

 

 そんなバカな。

 

 ユミファの魔法は、だから突き詰めてしまえれば『焔』。

 

 炭が、どうやっても焼く前の原木の形に戻るなんてことがないように、ユミファの雪崩魔法(相転移魔法)で石にされた人間は生き返らない。だって物質としての組成が根本から変わってしまっているんだもん、それは不可逆の変化なんだ。

 だからアムンは生き返れなかった。

 

 ……だけどあたしとパザスは四百年という時を経て復活した。

 

 だからこのふたつは全然別の魔法であるはず。

 

 あたしはそう判断していた。

 

 何かが繋がりそうで繋がらない。

 

 もどかしい焦燥感があたしの背中を撫でている。

 

 あたしの星座である鍵尾宮、山猫座の物語、その主人公は。

 

 生まれた時から曲がっていた自分の鍵尻尾を、自分へ鎌をもたげ襲ってこようとする蛇と勘違いして、それから逃れようとその生涯をずっと走り続けた猫だ。尾から逃げ、野山を疾走し、力尽きては眠り、また走っては逃げ、逃げ続け、やがて空へと昇りつめた山猫だ。そしてそうなってさえ、なおも自分の尾から逃れようと天を走り続けている、粗忽者(そこつもの)の猫なのだ。

 

 もしかしたらあたしはその猫と同じように。

 

 何か、大きな勘違いをしている?

 

 その時。

 

「う……ん……」

 

 その時、ティナが、睡眠魔法で寝ているならしないはずの、大きな身じろぎを……した。

 

 

 

 

 

 

 

<復活のアナベルティナ視点>

 

 意識が覚醒する。

 

 体内に(たぎ)るナニカが闇を払い、吹き飛ばしていくような、そんな感覚があった。

 

【なるほど、チートのオマケだった波動が、そのように作用するか】

 

 なにが。

 

 頭を通り過ぎていった、ある種の懐かしさを覚えるなにかの思考に、ぼんやりとした疑問が浮かび、消える。

 

【健康な身体に二人分の魂。脳も健康であるがゆえに、きっちり二人分の魂を働かせている。だが身体はひとつ、ならば思考は一本化していなければいけない。その齟齬(そご)に、心が未だ適応しきれていない】

 

 今のは私の思考? ううん、それにしては違和感。

 十数年前に、聞いた声のような、そうでないような……。

 

【波動が陽の属性を帯びたのは、年若くして果てた魂の希求ゆえにか。娘の魂が死の属性を帯びていたゆえに、どちらが勝つかは見物でしたが】

 

 私はあの時、なにをされた?

 

 私はこの時、なにをした?

 

【娘の魂は、生きたいと願う男性のその思考、指向、嗜好の影響を受け、だが女性の肉体に育つ魂として、きちんと成長している。もはや当人が思うほどには、男性性と寄り添うことへの抵抗は、精神的にも、生理的にもないでしょう。今より二年と少し先の、死の男と出会う運命。さて死の属性から生の属性へと転じたこの存在は、それをどう受け止め、どう反応し動き、何を成すのでしょうね。死と死が結びついたゆえに起きた悲劇、運命はそのままに、これは生と死の出会い……本来の運命と同じように死の男を受け入れるか、それともはなっから拒絶して違う道を行くか……この時点では、どちらとも判断しかねますね。シミュレーション不能の不確定要素です。これが観察者効果というモノなのでしょうか? それともシュレーディンガーの猫? ふふっ、これは、これもまた、大いに見物(みもの)かな】

 

 私は何者か。

 

(私は何者なの?)

 

 私とはなんであるのか。

 

(私はどうして生きているの?)

 

【娘の魂、これの元々の弱さ、儚さ。対照的に強く、長く生きようとする年若くして果てた魂。このふたつがぶつかる時、身体に異常が起きる。生体魔法陣として使われることでも、陽の波動の活性に娘の魂が耐えられない。なら……】

 

 私は、何を期待されているのか。

 

(私はなんのために生まれてきたの?)

 

 私はどうすればいい。

 

(私はこれからどう生きていけばいいの?)

 

【今はしばし、そのまま眠れ、娘の魂よ。闇の苗床となるはずだった悲劇のヒロインよ】

 

 私はどうしたい。

 

(私は)

 

 曖昧な、答えのない疑問が泡のように、人魚姫の末期(まつご)のように、ぶくぶくと浮かんではパチパチと消えていく。

 それは暴走する思考を、脳が無理矢理に抑え込んでいるかのようでもあった。

 

「……ティナ様?」

「……あ、サーリャ」

「え?……う、嘘でしょ!? 数時間は目覚めないくらいの魔法をかけたつもりだったのに!」

「ティナ様!」

 

【メアリー・スー。それが今回の、私共の署名】

 

「……え?」

 

 視界に映る自分の髪は、相変わらずの銀色。

 身体も相変わらずポカポカのふわふわで、ポワポワのふわんふわん。

 意識は浮上してきているのに、肉体はどこかへ落ちていっているような……そんな相反する感覚があります。

 

 それでも、先程までの強烈な忘我は消え失せています。

 

 お風呂でのぼせている……というより、今は適温のシャワーを浴びているかのような感覚です。湯に浸かり、それへ溶けていく……そういうことではなく、水の粒を全身に受け、浴びて、むしろ身躯(しんく)の輪郭がハッキリと意識できてくるような、そんな体感です。

 

「ティナ様……」

「あ、サーリャ、おはよ……う?」

 

 後ろからぎゅっと抱しめてくるサーリャのやわやわな身体に、私の身体もじんわりと安心感で満たされていきます。安心できる場所に戻ってきたような、そんな感じ。

 心が落ち着きを取り戻していくのが、よくわかりました。

 

「ティナ様、お身体は、お身体は大丈夫ですか?」

「え、ああ、うん……」

 

 眠る前よりずっとクリアになった頭で、周りを見渡し、今の状況を判断します。

 どうやら眠らされてから、時間はさほど経っていないようです。

 

「……まだ追われてるんだね」

 

 視界には眠る前と寸分違わぬ姿、寸分違わぬ距離感で船を追尾する黒竜の姿が映っています。

 

「うん……今そのことでサーリャと話していたところ」

 

 そうして私は、私が眠っている間に、サーリャとアリスとで交わされた問答を、かいつまんで聞かせてもらいました。

 ……途中、どこかでなにかをボカされたような違和感を感じましたが、二人の表情……純粋に私を心配しているかのような悪意ない顔……を見ると、それを根掘り葉掘り聞くのは躊躇(ちゅうちょ)させられました。

 

 どうやらこの世界の魔法には、物理法則とはまた違う、なにかしらのきちんとした法則があるようで、アリスの知っているそれと、ユミファの使う魔法とには齟齬がある……どうにもおかしい……そういうことを聞かせてもらいました。

 

「おかしな共通点がある、違うふたつ魔法……か」

 

 先程よりもクリアになった頭で考えます。

 何かが頭の中でぐるんぐるんと回転しています。

 

 考える、考える、考える。

 

 アリスが悲しまない未来。

 

 アリスへ約束した未来。

 

 それを引き寄せるために考える。

 

 ……私がしばし黙りこくり、そうして考えをまとめていると。

 

「ティナ。お願いがあるの」

 

 どこか切羽詰ったアリスの声が聞こえてきました。

 

「……なに? アリス」

 

 私はそれへ、上の空で答えます。

 

 頭の中は、思考がぐるぐると回っているのです。

 今はこれを止めたくない、このまま進めばなにかがわかるような氣がする。

 

 今まで見えていて、そして見えていなかったことが、形を得て、ぼんやりしたイメージから意味のあるモノへと変わっていきます。

 

 もう少し、もう少しで何かがわかる。

 

 その焦燥が、私を思索の渦へと飲み込んでいきます。

 

 沢山のフラグメントが「解答」へと収束していきます。

 

 この逃避行を終わらせる何か。

 

 この逃飛行を終わらせる何か。

 

 か細い糸の向こうに繋がっている光。

 

 それを手繰り寄せ、言葉で意味と意義を明確にする。意思の精妙化。

 

 理解しろ。

 

 なんとなくではダメだ。

 

 明確な輪郭を持つ形にしろ。

 

「ねぇ……ティナ、こっちを見て」

「……待ってアリス、もう少し、もう少しだけ」

 

 もう見える。

 

 まだ形にならない何かが訴えてきている。

 

 全てのヒントは示された。

 

 この顛末を一番いい形で終わらせる……そのための答えはもう導き出せると告げている。

 

 だからもう、導き出せるんだ。

 

 答えが、もうそこに……。

 

「ティナ! お願いだからこっちを見て!!」

「だからなに、アリ……え?」

 

 最適解。

 

 そこへ私が辿り着き、わかったぞ(エウレカ)と叫ぼうとした、まさにその時。

 

「お願いだから私を見てよ……」

 

 見上げればそこに、色の変わる瞳をミアと同じ水色にして、そこから大粒を涙を(こぼ)しながら、悲痛に顔を歪める……アリスがいたのでした。

 

「もういいの。あたし、もう諦める。だからティナ……お願い、あたしに……ユミファを殺せって、命令して」

 

 

 



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28話:ZM・炸裂、サスティナー

 

「なに、それ?」

 

 突然、泣き出して、意味のわからないことを言い出したアリスに、私は戸惑いと若干の苛立ちを感じながら、問い掛けます。どうして今更、それを言うんだと。

 

「だってこのままじゃ、どんどん時間が過ぎてっちゃう。サーリャのパパだって救わなくちゃ……でしょ? もう、ユミファを倒す……ううん……殺すしか、ないんだよ」

「……」「アリス……」

 

 痛ましいものへ向ける、サーリャの声。

 それへも、どこか腹立たしさを覚える自分がいます。

 

 なに言ってるんだ、二人とも。

 

 もう答えは出る。今、出掛かっていたのに。

 

 勝手に、そんな不景氣なシリアス面して、下らないこと言ってるんじゃないよ。

 

 情を残す相手を、優しい心の持ち主が、泣きながら殺さなきゃいけない?

 

 それはなんて悲劇?

 

 そんなモノへは到達させない。

 

 私が向かわせない。

 

 これは、この件は、私が解決する。約束したじゃない、そうするって。

 

 私を信じられないの?

 

「もういい。あたしはもう選ばなくちゃいけない。あの子の憎しみを受け止めて死ぬか、あの子を踏み越えてティナ達を助けるか……そのどちらかを、決めなくちゃいけない。あたしひとりなら死んでもいい。あの子に殺されてもいい。だけど、ここであたしが死んだらティナ達も死ぬ。そうなっちゃう。それはダメ。それはダメなの。だから……助けるから……ティナにあたしの全部を預けるから……だからあたしに、ユミファを殺して自分のものになれと……命令して」

 

 アリスのか細い声が夜空に溶ける。

 

 応えるから。

 

 あたしの人生、残り全てをティナに預けて、その期待に全部応えるから、だから。

 

 その最初の命令を、今、して。

 

「アリス」

 

 アリスのその、嗚咽交じりの声に、私は。

 

「確認。この船は、今自動操縦モード?」

「……え?」

 

 冷たく、言葉を返します。

 

「今、アリスはぐっちゃぐっちゃに泣いている。だけど船は滞りなく飛び、運航に問題は生じてない。これは、アリスが氣絶でもしなければ、この状態のままだって思っていい?」

「え……うん……方向転換とかが必要なら操縦が必要だけど……今はただ、まっすぐ飛んでいるだけだから」

 

 その言葉を受け、私は前方を良く観察し、しばらくは方向転換の必要もないことを確認しました。

 

「……ティナ様?」

「ごめんねサーリャ、ちょっと、悪いんだけど」

 

 それから、自分を抱きしめていたサーリャの手を軽く叩き、それを除けてもらいます。

 

 そうして、自由になった身体で、私はすくと立ち上がりました。

 船は相変わらずグラグラと揺れていましたが、三半規管が機能を取り戻したのか、アリスも私も問題なく船上で立っています。

 

「ねぇ、アリス」

「……うん」

 

 おそらくは厳しい顔の私に、覚悟を決めたようなアリスの、今は紫の瞳。

 

 それへ、私は暴れそうになる激情を抑えて、シンプルな言葉を突き刺します。

 

「ばーか」

「え?」

 

 きょとんと、瞳が黄色に変わるのへ。

 

「っ!?」

 

 勢い良く、右手でアリスの頬をビンタします。

 

 パシーン……と。

 

 乾いた音が、鳴り響きました。

 

「……え?」

 

 頬を手で押さえ、何が起きたのかわからない……といった表情のアリス。

 

 それを、その後ろっ首を、猫にそうするように、むんずと掴みます。

 

「え? え? え?」

 

 そのまま、大してない腕の力で、でもまるで抵抗の無い、細身で軽い女の子の身体を、難なく自分の方へと手繰り寄せました。左手はその腰へと回します。その時。

 

「んっ」「あっ」

 

 船がグラリと、少し大きめに揺れ。

 

 私達は、そのまま、腰を落とし、アリスが足を開いたまま座り込むのへ、私が正座に近い形(つま先は立っています)で密着するといった格好になりました。

 

 眼前、十数センチ先に、アリスの顔のアップがあります。

 左の頬にモミジがありますが、今はその痛みすら感じていないようで、アリスの濡れた瞳はただじっと私を見つめています。

 

 今は薔薇色の瞳です。唇よりも濃く鮮やかな、薔薇色。

 

 幾筋もの涙の痕が、今は私の背にある月の光を受け、銀色に輝いていました。

 

 それを、私は、綺麗だな……と思いました。

 

 薔薇色のツインテールが揺れ、私の背中を黒髪越しにくすぐります。

 

 それに押されたかのように、私は、アリスの顔へ自分の顔をもっと近づけ。

 

「ほぇ? ふえ? はぇ?……ん!?」「あ……」

 

 唇を奪います。

 

 私は、アリスのその唇を、不意打ちで奪います。後ろでサーリャがビクンと反応しました。

 

 いつか、額にされた不意打ちのお返しをここでしたくなったのか、三倍返しがしたくなったのか、それとも自分の命を私へ預けたいとか、ふざけたことをぬかすその口を塞ぎたくなったのか、それって誰の真似なんだよって腹が立ったのか、よほど腹に据えかねたのか。

 

 それとも泣いているアリスに、単純にキスがしたくなったのか。

 

 とにかく色んな感情を込めて、私は自分の唇をアリスの唇へ重ねます。

 

「ん」

 

 アリスの熱を、感じます。

 

 する方も、されている方も、目は閉じず、だからアリスの大きく見開いたその瞳が、赤になったり青になったり、ピンクになったりスカイブルーになったり、黄色になったりオレンジになったり、せわしなく変化していく様子が良く見えました。これってどういう原理なのですかね。今はどうでもいけど。

 

「ん、んっ……」

 

 夜空を飛ぶ船の中。

 

 私達の唇は繋がり、アリスはその途中、一瞬抵抗しようか悩んだようでしたが、それが過ぎると私に身を預け、目を閉じました。

 

 こら。

 

 なにを、そんな風に可愛らしくなんてしているの?

 

 意地悪の炎が胸に灯ります。

 

「んっ!?」

 

 つい先程ラーニングしたばかりのことを思い出し、軽くその上唇を舌でなぞります。

 アリスの身体がビクンと跳ねました。

 

「んー……」

 

 すると、程なくして、アリスの方からチロと口腔へその舌が入ってきて、どうにかしてほしいと訴えるかように、私の入り口で止まっていました。

 

 どうにかなんて、してあげない。

 

 だから私は、それを舌と上の前歯とで挟み、甘噛みをして追い出してしまいます。

 

 アリスのまぶたが開き、深紅の瞳が私の意地悪を(とが)めるかように熱っぽく見つめてきました。

 

 そんな目をしたってダメ。

 

「んんっ!?」

 

 そこで下唇を軽く吸うと、再びその身体が跳ね、アリスの目元がトロンとなりました。

 

「ぁぁ……」

 

 そうして、二人の唇が、銀色の糸を引いて離れます。

 

「ティナ……」

 

 紅潮した顔で、息を荒くして(とろ)けてるアリスが、なんだか名残惜しそうにこちらを見ています。

 

 先程までは時々氣にしていた後ろ、ユミファさんの方へ視線を移すこともなく、藤色の瞳でただじっと私を見上げてきます。

 

 しばらくそのまま、はぁはぁと荒く息をして、アリスは。

 

「こ、これ……で、あ、あたしは……ティナの……モノ?」

 

 まだふざけたことをぬかしやがりました。

 

「そ、そ、そ、そ、そんなわけないでしょう!?」

 

 あ、後ろでサーリャが泣いてます。泣くなサーリャ。泣かせたの私? ごめんね、なんかで埋め合わせする。たぶん。いつかきっと。そのうち。

 

「ちっがーう」

「ち、違うの? じゃぁ、なんで……」

 

 ……ふう。

 

 まったくもう。女の子が女の子にキスしたくらいで、うろたえないの。女の子だっけ私。

 

「二人とも、落ち着け」

 

 はいはいはーい、それじゃ落ち着こうね、今はそれどころじゃないからね。

 

 唐突にキスとかしやがったお前が言うな?

 

 いやでもホラ、アリス、泣きやんでいますよ?

 

 結果オーライじゃね? 代わりにサーリャが泣いてるけど。

 

「これはただのお返し。数時間前にアリスがしていったことのお返し。アリスはアリスのモノだし、私達は同性で、どちらかがどちらかを娶るとか出来ないの。アリスがどんなにそれを望んでくれてもね」

「……そう……なの?」

 

 自分の胸を押さえ、そこにある何かが出てしまうのを留めようとするみたいに、苦しそうに身体を折るアリス。

 

「アリス。私が今アリスにしたのは”ひどいこと”。だからこんな酷いヤツに自分を預けるとか、冗談でも考えないで。私はね、アリスに腹を立てたの。バーカって思ったの。うっかり屋さん、私のことを好きなら、もっと私を信じて。アリスはアリスという物語の主人公。だけど私は私という物語の主人公。私を、主人公(ヒーロー)アリスの覚悟を決めさせる装置に、そんなできそこないのお姫様(ヒロイン)みたいな扱いに、しないで。そんなの嫌だから。アリスが私をそんな風に扱うなら許さないから。だから酷いことをしてあげたの。意地悪しちゃったの」

 

「そんなことの流れ弾が私にぃ!?」

 

「酷……くはないよ……バカなのも、うっかりなのも、ホントだし……」

 

 キスの効果なのでしょうか、アリスがとても素直です。なんか可愛い。違う意味でキスがしたくなるね。ん?……どの意味で?

 

「そうだね、本当にバカ。まだアリスには未来があるのに。まだいくらだってその先の時間があるのに、殺すか殺さないかなんかで悩まなくていいのに、エルフの、人よりも長い寿命を使って、アリスはアリスという物語の中で、もっと氣ままにゆったりのんびり、猫みたいに幸せを探せばいいのに」

「殺すか殺さないかで……悩まなくて……いい?」

 

 そう。

 

 そのはずです。

 

 それで間違いないはずです。

 

 私は、先程手元まで近付いていた答えを、再び手繰り寄せます。

 

 目の前の少女の物語を悲劇にしないために。

 

 私という物語を悲劇の色で染めないために。

 

 これまで見てきたモノ、聞いてきた話。

 

 白濁した意識の中で、見ていて、見ていなかったもの。

 

 脳裏をフラッシュバックするいくつかの光景。

 

 物理法則を超越するという魔法。

 

 それを証明するかのように、質量保存の法則などを無視したアリスの変身魔法。

 

『パザスー。宝石の外に出れそう。背中貸してー』

『なにぃ? 我も一緒に出たいぞ』

『だめだめ、外は女の子の部屋だよ。パザスのソレは大きいから入らないよ』

 

 小さな宝石の中にいる間に、アリスとパザスさんは会話をしたという。その再現。

 

 あの再現は、()()()()()()()()()。念話などではなく。実際も、だから声に出して、そういう会話をしたのでしょう。

 

 そして、なぜか微妙に縮小化していたクソ兄貴の頭部。その青い輝き。

 

「クソ兄貴の頭は小さくなっていた。その形のまま小さくなっていた。()()()()()()()()()()?」

「ティナ?……」「……ティナ様?」

 

 結界魔法。

 

 全方位、完全防御しようと密閉式に展開すると、光も音も遮断してしまう結界。

 

 思い出せ。

 

 それが私の目の前で展開され、消え失せた時、周囲にはピンクやオレンジといった、赤系統に光る石が散乱していた。その中には、薔薇色に光るモノ、深紅に光るモノもあった。

 

 だから……。

 

 それならば。

 

「アリス。最後の質問。完全防御型の結界魔法と反射魔法、それらは同時に使える?」

「え……それは、ティナの力を借りれば……うん」

「なら、大丈夫」

 

 (ようや)く、歯車が噛み合ったように。

 

 動き出した思考が、終結図の輪郭を精妙化させる。

 

 これはそう。

 

 これらの光景はそう。

 

 アリスがユミファのドラゴンブレスを、防御するのに使った密閉式結界魔法。

 

 あの密閉式結界魔法、その殻も、ドラゴンブレスと共に打ち込まれた魔法、雪崩魔法を受け、薔薇色の石に変わっていったのでしょう。あの時はその変化、その破壊速度よりも再生速度の方が上回っていたから、突破されることは無かったものの、その残骸、その破片は、そこかしこに散らばり、転がっていたのです。

 

 深紅に輝いていたモノは、()けた溶岩の放つ光に反応したからなのでしょう。

 

 つまり、アリスの結界魔法は、ユミファさんの雪崩魔法を喰らうと、薔薇色の石へと変わってしまうのです。そしてそれは、光を浴びると深紅に輝くのです。

 

 薔薇色の石が、光に反応して深紅に輝く。その(きらめ)きを、私は知っています。

 魔女の瞳のように鮮やかな、深紅の輝き。

 

 ジレオード子爵から私が贈られた、()()()()()()()()()()()()()()

 

 繋がる。

 

 これまで見てきた色んなモノのピースが集まり、それらが結合していく。

 

「ね、ユミファの雪崩魔法、封印魔法のふたつって、本当に別の魔法なの?」

「……え?」

「同じ魔法で結果だけ違った、そういうことは?」

 

 結界は、円の形に閉じればあらゆる物理的、魔法的干渉をも防ぐ。

 その特性が、黒竜ユミファの魔法で石化した後も、残っているのだとしたら?

 

 むしろ強化されて残っているのだとしたら?

 

 先程、私達がユミファに襲われた時は、生体魔法陣でブーストされていた結界魔法の防御力が、雪崩魔法の攻撃力(?)を上回りました。

 

 でももし、完全に閉じた状態の結界魔法が、ユミファの魔法に負け、石化したとしたら……どうなっていたのでしょうか?

 

 クソ兄貴の頭部は、生前より若干の縮小化がされていました。

 つまりあの魔法は、対象をその形状そのままに縮小化させてしまう特徴を持っていたわけで……。

 そして魔法とは、十代の少女が小さな猫に変身できるほど、通常の物理法則を無視したモノなわけで……。

 

 雪崩魔法が、空間そのものまで縮小化させるのだとしたら?

 

 空氣が存在し、声を出せる、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだとしたら?

 

 結界魔法は、完全密閉の状態では、丸い宝石のように真円の球形だったのでしょう。

 

 そう。

 

 そうです。そうなんです。

 

 繋がる。我は答えを見つけたり(エウレカ)

 

「アリス。封印魔法なんて最初から無いんだよ」

「どういう……こと?」

 

 私はこの辺りの推察と仮説を、全てアリスにぶつけます。

 

 封印魔法など無かった。

 

 それは、アリスの結界魔法が意図せず変化したことによる結果でしかなかった。

 

 これが私の答えです。

 

 ですが、やはり最後は専門家の判断を待たなければいけませんからね。

 私の言葉に、アリスはどんどんと目を見開いていきます。

 

 さて、めちゃんこすごい魔法使いの反応や、いかに。

 

「……封印魔法なんて無い? 結界……人を水晶に変える魔法……あらゆるモノを雪崩れさせる魔法……なら結界をも雪崩させる?……ただの物理、魔法的干渉を防ぐ結界から、結界の内部空間の時間の流れさえも止めてしまう結界へ?……あの石からアレキサンドライト効果が消えたのは、あたしの時間が動き出して、あたしの結界が消えたから……あたしの結界魔法こそが、封印魔法の素?……ああ!!」

 

 なんか正解したっぽい、いい反応が返ってきます。

 ツインテールがびょいんと跳ね、まだ顔と顔とが凄く近かった私の鼻先をくすぐっていきました。へくち。

 

「あたしが……あたしとユミファが、ママも使えなかった時を操る魔法を?……嘘」

 

 そう、つまりそういうことなんです。

 

 今まで封印魔法だと思っていたもの、それは、アリスの結界魔法と、黒竜ユミファが先程も使っていた魔法、そのふたつの合わせ技でしかないのです。

 

 光も音も遮断する球形の密閉式結界。

 

 それがユミファの雪崩魔法によって、光も音も、時間の流れさえも遮断する薔薇色の宝石となって、四百年という時に亘り、渡ったのです。

 

「……あれ? でも……ってことは」

 

 と、この氣付きの、更に先へ行ったアリスが、浮かない顔になります。

 

「……アリス?」

「ならあの子は四百年前もあたし達を殺そうとしてただけ!? ティアも!?……なんで? どうしてティアは、ユミファは、あたしを殺そうとしているの!?」

 

 おっと、そっちへ進んじゃいましたか。

 今はそっちに進んでる場合じゃないよ。

 

 軌道修正しましょう。もうキスはしないけれども。

 

「アリス! 今は目の前のこと!……ティアは、もういない。いないんだよね? ただの人間だったから、もう、死んでいるんだよね?」

「あ」

 

 怯えた顔のアリスに、文節を短く区切ってゆっくりと話しかけていきます。一瞬、アリスが錯乱しかけ、その動揺に一瞬だけ揺れた船が、漸々(やくやく)と落ち着いていきます。

 

「だから、その殺意に怯える必要は、ない」

「……うん」

「そして、もしそうなら、今度はアリスが、ユミファを封印することができる」

「……え?」

「できるよね?」

 

 アリスを封印した魔法は、ユミファがただひとつ使える固有魔法、それでしかなかった。先程から、何度も何度もこちらへ打ち込んできていた、その魔法。

 

 かつてアリスは、ユミファの猛攻から身を守ろうと、球形の結界を展開させた。それに全てを雪崩れさせる魔法が打ち込まれ、アリスの結界は、その瞬間から世界よりのあらゆる干渉を四百年も防ぐ封印の殻となってしまった。

 

 ユミファの魔法は反射魔法で弾き返せる。

 そして結界魔法の同じ術者も今、まさに今、ここにいる。

 

 ほら。

 

 四百年の実績がある封印魔法。

 

「……できる」

 

 それは、今ここで再現可能でしょ?

 

「理屈はよくわかりませんでしたが、つまり?」

「ユミファの魔法を反射させる時! ユミファの周辺にあたしが球形の結界を形成すれば! ユミファを生かしたまま封印ができる!?」

 

 そう、そしてその封印は多分、アリスの意思でいつでも解ける。

 

 まさに今、この時に、欲しいと思っていた手段は、最初からアリスの手の内に存在していたのです。

 

 殺意を(たぎ)らせ、船を追ってくる黒い竜。

 

 私はそれを見つめながら、腕の中のアリスへ、決定された未来を告げたのです。

 

「アリス。ユミファを封印しよう。船を降ろして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満天の星空の下。

 

 三人の少女が立っている。

 

 ひとりは白い服に黒髪。その細い身体の、白い肌には、黒い線が幾筋も走っている。

 

 ひとりはエプロン姿で金髪。丸みの豊かな輪郭に、頭には白いホワイトブリムを着けている。

 

 ひとりは黒い軍服に薔薇色の髪。そのツインテールから覗く耳は尖り、胸には七つ星を思わせる飾りが輝いている。

 

「ユミファ! あたしはアンタを助けたかった! 許してもらいたかった!!」

「グァリィィィスゥウウウゥゥゥ!」

 

 それへ対峙するは黒い竜。

 

 黒い翼を羽ばたかせ、地上二、三十メートルの高さで滞空している。

 

「でも、アンタを助けるのも許してもらうのも、今じゃない! 今のあたしじゃアンタを助けられないから!」

「オマエハワガゴヲゴロジダ!! ゴロジダンダ!!」

「ユミファさん!」

 

 エプロン姿の少女、サーリャがその足を一歩前に出した。

 

「氣持ちはわかるの! 大好きな人を傷付けられたら、おかしくなるよね! その氣持ちはわかるの! でも! 私にも、私達にも大好きな人がいるの! それを誰にも傷付けられたくないの! だから今は眠って! いつか、きっとこのアリスが! 貴女(あなた)を助けるから!!」

「うわ、最後は全部あたしに投げたよこの女」

「これは、ユミファさんとアリスの問題……でしょ?」

「まぁね。何も方法が見つからなかったら、この問題はティナやサーリャが死んでからどうにかするよ」

「ワゲノワガラナイゴドォゴヂャゴヂャドォォォ!!」

「それでもいいけど、自分を殺させてあげるとかは、無しだからね」

 

 白い服の少女、ティナがサーリャの横へと並ぶ。

 

「はーい。じゃ、そんなことがないよう、ティナは死んだら幽霊になってあたしのところへやって来てね」

「やだよ。私は思い残すことが何もないくらい長生きして、やりたいことをやって死ぬんだから」

「そっか。じゃあ仕方無い。あたしも老衰するまで生きてみよっかな。ま、ハーフエルフの寿命がどれくらいかなんて、あたしは知らないんだけどね。さっき聞いたらパザスも知らないって言ってた」

「……この作戦に太鼓判押してくれた伝説の軍師様だけど、なんだか不安になってきた」

「大丈夫だって。あたしも太鼓判押すから」

「……じゃ、三人で文殊の知恵ってことにしておこうか」

「え、私は除け者ですか? ティナ様」

「でもさー、封印が解けて、そこに老衰で死んだよぼよぼでしわくちゃのあたしがいたら……どうなのそれ? 溜飲、下げてくれるのかな?」

「あー……どうだろ? それ、そこで大往生してるのがアリスってわかるのかな?」

「わかるんじゃない? この耳で」

 

 黒い服の少女、アリスが長いツインテールを揺らしながら、その尖った耳を指で弾き、横並びの少女二人よりも更にその先へ、足を踏み出した。

 

「ギァリィィィスゥウウウゥゥゥ!」

「ユミファ! それじゃあアンタとの因縁は一旦ここでストップよ! あたしには他にやることがあるの! アンタとのデートはお預け! だけどあたしはアンタのことを忘れるわけじゃない! ずっと一緒にいてあげる! 肌身離さず持っててあげる! だからその時がくるまで、さようなら、ユミファ。……また会いましょう!」

「グギャァァァオオオォォォ!!」

 

 アリスの舌鋒に、黒き竜も吠える。天に向かって吠える。

 大氣がビリビリと振動して、少女達の髪も(なび)いた。

 

 黒き竜の巨大な体躯が翻り、そして一瞬でその身が黒い炎に包まれる。

 焔型魔法陣。焔の波動を持つ黒竜ユミファの、特別な形の魔法陣。

 

 それへ、アリスはツインテールを揺らしながら、胸元の黒い宝石をそっとひと撫でして、顔に不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

「きなさい、ユミファ。救えるその日が来るまで……眠らせてあげる」

 

 

 



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29:二章の登場人物紹介.z




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<2023年12月24日 追記>

 二章の登場人物紹介であるこのページには、AI画像生成サイト、Stable Diffusion Online 様において生成した、ティナとミアのイメージ図が掲載されています。

 生体魔法陣となった銀髪ティナのイメージ図が11枚、二章ではほとんど出番のなかったミアのイメージ図が4枚です。

 ただ、ご自身のイメージを大切にしたいという場合は、見ないことをお勧めします。



 

 

▼アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

▼サーリャ

▼アリス

▼パザス

▼ミア

▼エーベル(スカーシュゴード男爵)

▼ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴード

▼サーリャのパパ

▼ナハト・ドヌルーグバ・ウォルステンホルン

▼キルサ

▼ゴドウィン

▼サスキア王女

▼第二王子

▼メアリー・スー

 

▼九星の騎士団

 

▼AI画像アナベルティナ

▼AI画像ミア

 

 

 


 

 ●アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

 この物語の主人公。スカーシュゴード家の長女。十三歳。

 腰まで届きそうな漆黒のロングストレート。瞳の色は父親譲りの薄い琥珀色。

 ドラゴンの討伐軍に随行することは、彼女の変えられぬ運命のひとつだった。

 

 陽の波動という、魔法を何倍にも増幅する体質の持ち主。これを他人が魔法的に利用する場合は、その身に中二病的な紋様を刻み、彼女(?)を生体魔法陣(せいたいまほうじん)化する必要がある。

 

 アナベルティナの場合、こうなると自身の「陽」の属性の影響で、髪やあちこちの毛が銀色に光り輝く。産毛も光るので、なんとなく全身ぼんやり光ってる感じにもなる。見た目は神秘的だが真相を知るとガッカリする原理である。なお、将来的には腋毛の処理を怠ったら両腋がめっちゃ光る姿になることだろう。これ以上はいけない。

 

 陽の波動と相性のいい魔法は、アナベルティナの生体魔法陣を通ると効果が十から三十倍ほどになる。反面、相性の悪い魔法(氷魔法とか)は効果が十から三十倍ほど下がる。だがアリスはそもそも、陰氣だったり冷たい感じだったりの魔法があまり得意ではないので、アナベルティナの生体魔法陣との相性は抜群にいい。

 

 二章ではこの生体魔法陣を(アリスが)縦横無尽に扱い、黒竜ユミファの封印に成功した。

 

 また、アナベルティナは人体を束縛することが得意なことも、二章の途中で判明した。これは裁縫チートに「紐」を扱う才能も含まれていたため。本人の性癖とは関係ない。たぶん。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 本来の運命では、ここで女癖の悪いカナーベル王国の第二王子に目をつけられる。

 それが後の悲劇へと繋がっていくのだが、本作では聖女という立ち位置での参軍となったため、第二王子に目をつけられることもなかった。多分萌え属性の違い。多分第二王子は幸薄そうな女性がお好み。アフォっぽいのはお呼びではない。なんだとコラ。

 


 

 ●サーリャ

 二年前より主人公アナベルティナに仕えてるレディースメイド。十七歳。

 軽くウェーブのかかった金髪。瞳の色は水色だが、ミアリエルのそれよりも灰色がかっていて、室内だとほぼほぼ灰色に見える。長さは背中の中程まで。男性の理想……というか妄想を体現したかのような美乳のG、時にHカップ。

 

 アナベルティナの従者ポジジョンでドラゴンの討伐軍に随行中。

 

 外面(そとづら)は可愛いメイドさんだが、内面はちょっとばかしヤンデレ風味入ってることが発覚した。アリス曰く、主人の着た服の臭いを嗅ぐ変態。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 戦場で主人の美肌を守る方法を二十五通りほど企画立案し画策していたが、色々起きたため、披露できたのは初日夜に行えた数個だけだった。多分香油を使ったマッサージとかリラックス効果のあるハーブティーとかそういうの。がんばれサーリャ、くじけるなサーリャ、色々アレして立派なメイドになるんだ。

 


 

 ●アリス

 四百年前の歴史にその名を残す、エルフの女王リーンと、九星の騎士団、団長カイズの娘。外見年齢は十二歳程度。生まれ年から換算した年齢は四百歳以上。髪はデフォルトでは薔薇色だが、魔法で簡単に変えられるらしい。長さも自由自在。

 瞳の色は光の加減や内面の変化等により、七色に変化する。これは母親譲りらしい。

 

 猫に変身する魔法を使えたが、黒竜ユミファを結界魔法で封印したことにより、キャパシティの問題で使えなくなった。

 

 二章はアリスがユミファを、ある意味助けたくなったことで複雑化した話ともいえる。

 一章では主人公の下の兄(クソ兄貴)を悪即斬したクセに、何を言っていやがんのかって話ですね。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 なお、ユミファはアナベルティナの生体魔法陣を利用すれば瞬殺が可能。一瞬で決着が付く。ユミファの固有魔法を直線的に反射させるだけでも勝てる。猫TUEEE。

 二章後半には、岩石から某H・R・ギー●ーさんな造形物を作成。アートな方面では画伯の可能性を強く匂わせた。クポ。

 


 

 ●パザス

 四百年前の歴史にその名を残す、九星の騎士団の参謀軍師。灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士。

 現在は呪いで赤い竜の姿になっている。その身体は、完全に全素材の剥ぎ取りが成功した場合、価値が日本円で億や十億の単位になる。骨や牙は時価、持って行く場所が違えば桁が変わるレベルなので、相場はあってないようなもの。

 

 二章ではほぼほぼずっと移動中で飛行中でした。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 かつては軍師とも参謀とも呼ばれる立場であったが、パザス自身は自分の頭脳がさほど優れているとは思っていない。

 

 情報をキチンと整理してから熟考し、答えを導くタイプであるため、突発的事象へ対応する発想の瞬発力には欠けている。本人もそのことは自覚している。

 

 決断力がないわけではなかったが、運は良くも悪くもなく、事前に何の情報も指標も得られていない状況で、パザスが拙速(せっそく)(たっと)び下した決断は、素晴らしい結果をもたらしたこともあれば、その逆で大いなる失敗、被害と悲劇をもたらしたこともあった。竜にされてしまったことなどはその後者にあたる。

 

 ゆえに、パザスには頭脳の瞬発力が高い人間、そして運が良い人間を信頼する傾向がある。

 アリスを惚れさせた娘、アナベルティナのことも、だからそういう意味では信頼している。

 男だったら信頼できても許さなかったけどね。

 


 

 ●ミア

 アナベルティナと両親を同じくする実の妹。

 フルネームはミアリエル・ヤーセチカ・スカーシュゴード。

 ミルクチョコレートのような薄い茶髪と鮮やかな水色の瞳。

 

 二章では序盤のおふざけ回にしか出番が無かった。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 アナベルティナが本来のアナベルティナ(以下、純粋体ティナ)であった場合、アナベルティナが出兵したタイミングで大病を患い、天に召されてしまう。純粋体ティナはミアの死に目にも会えなかった。

 

 純粋体ティナは、そのことがきっかけとなり、死という概念に深く囚われてしまう。

 そして、そのことが、純粋体ティナと「死の男」が惹かれ合う遠因(えんいん)ともなる。

 

 アナベルティナの運命の悲劇は、彼女と「死の男」が結ばれることによって成就する。してしまう。

 

 そうして考えていくと、本来ミアの死は、結果的に千、万という人の命を道連れにするモノであったことになる。天使は天使でもどこかの生贄な第八階層守護者かな。デスにフォローミーデース。

 

 でもご安心ください、こっちの世界線のミアは超健康体です。

 


 

 ●エーベル(スカーシュゴード男爵)

 主人公アナベルティナの実の父親。顔だけ大帝。

 内面は小市民。

 二章では序盤以外、家で雑務に追われている。

 次々やってくる詐欺師っぽい山師に辟易している。山師っぽい詐欺師かもしれない。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 現国王への忠誠心は高いが、王国そのものへの忠誠心はそこまで高くない。

 もし仮に、愚王が後を継ぐのならば、その時はその時で身の振り方を考えなければならないとも思っている。

 貴族家としては王党派の派閥に属しているが、それも現在の国王が、賢王ベオルードIV世だからこその選択でしかない。

 

 こうした事情から、アナベルティナとミアリエルは、有事における転身の選択肢を多く確保するため、派閥的に違う陣営に嫁がされる可能性が高い。

 

 長女であるアナベルティナは王党派陣営の子爵か伯爵家に、次女であるミアリエルはそれとは別の派閥に属する、しかしなにかしらで有力な男爵家に、それぞれ嫁がせるというのが、エーベル、およびその妻マリヤベルのプランである。

 


 

 ●ボソルカン・ガゥド・スカーシュゴード

 主人公アナベルティナの腹違いの兄、下の兄。享年十九歳。

 死んだのに二章でも意外な形で出演。出演?

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 アナベルティナが本来のアナベルティナであった場合、ここで重罪人となる。

 罪状は、いわゆる戦場泥棒。竜の討伐軍に参加したボソルカンは、色々あってほぼほぼ壊滅した隊の兵士達(の死体)から、その私物や、支給品である武具等を盗んでいた。

 おそらく、本人の頭の中では……自分をぞんざいに扱ったあいつらは、俺に謝罪として相応のモノを貢ぐ必要がある。あいつらが死に、俺が生き残ったことこそ、天が俺にそれを強制執行せよと命じたということだ。これは天命なのだから俺は間違っていない、俺は天意を成し遂げたむしろ正義の遂行者なのである……みたいな理屈があった。たぶん。

 

 だが当然ながら、そんな理屈は法の前には通用しなかった。当たり前。

 

 それまで彼は自分を愛国者だと思いこんでいたのだが、ここで愛する国に裏切られたことにより逆ギレ、以後、彼は、愛する国が自分を裏切ったのだから復讐してもいい……というストーカー理論により、社会的にも倫理的にも坂道を転げ落ちるかのように転落していく……あれ? その前も坂の上にいたんだっけかな?

 

 なお、本来のアナベルティナもこの罪に巻き込まれる。

 

 取り調べのため、王都へ召喚されたところ、女癖の悪い第二王子に騙され、あわやその毒牙に……というところで「死の男」に助けられ、そこから本格的に運命の悲劇の幕が上がるのだが……それはこの世界線とは関係のないお話。

 

 


 

 ●サーリャのパパ

 スカーシュゴード男爵家に仕える騎士。サーリャの父親。

 名前年齢等不明。温厚な性格の脳筋。

 

 セリフや姿の描写などは一切ないが、二章では娘を評判の悪い第二王子の毒牙から守った。

 何氣にできる男である。

 

 その後、範囲睡眠魔法に倒れて、娘からビンタされたりもしたけど。

 


 

 ●ナハト・ドヌルーグバ・ウォルステンホルン

 カナーベル王国軍所属対竜(たいりゅう)特殊部隊実働隊第二班班長。

 二章の時点では赤竜討伐隊の隊長を務めている。

 身長は低いが、全身からパッシブで闘氣や殺氣が(ほとばし)っている。

 

 強キャラ感のある名前とキャラ造形の割に、二章の中盤以降はずっと眠り姫。寝込みを襲われちゃってました。

 

 なお、武力を数値で表現すれば九十台の後半にはなる。馬超(ばちょう)典韋(てんい)クラス。推定握力右手およそ百三十キロ(130kg)、左手およそ百四十キロ(140kg)。推定背筋力三百キロ(300kg)オーバー。百六十数センチ(160数cm)という身長から考えると化け物の領域。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 まごうことなき男性。実は女性でした展開は初期に検討されたが早い段階で却下された。

 

 そのルートでは、範囲睡眠魔法から目覚める役割(キルサの立ち位置)も彼女(?)が担っていた。また、その場合のサスキア第三王女は、第二王子(必然的に、その場合の第二王子はあんなのではなく、イケメンキャラだった)に禁断の思慕を寄せるキャラで、このパターンの方が置換のキャッツアイを使う必然性が(血の繋がった実の妹の身体を捨てるという意味で)強くなるのだが、シリアス味が強くなりすぎるのでやめた。そしてサスキア王女がバカっぽくなった。

 

 身長が低いことや、所属が対竜特殊部隊実働隊第「二」班であるのもその名残。

 

 初期設定では、二班は強いけど扱いに困る兵士の掃き溜めで、ナハトも、女性でありながら武力最強キャラという扱い難さからそこに押し込められてます、みたいな感じだった。

 現行の設定では、一班二班はただの区分けであり、今はナハト隊長のいる二班の方が実力派であると認識されている……となっている。

 

 ナハト(ドイツ語で夜の意)という名前も女性案の時につけたモノがそのまま残った。

 設定を詰めた段階で、姓は無い方が自然とも思ったが、フルネームでひとつのキャラというイメージだったのでそのまま残した。

 


 

 ●キルサ

 カナーベル王国軍所属対竜特殊部隊実働隊第二班所属兵隊長補佐官。

 二章の時点では赤竜討伐隊の隊長補佐官を務めている。フルネームは不明。

 範囲睡眠魔法で眠りに落ちた討伐軍の中、真っ先にアナベルティナのチートの力で目覚めてしまった。どうやらアナベルティナの波動は対象が女性だと効果を増す模様。

 

 オカッパに近い短い黒髪で、ツリ氣味で切れ長の目元が涼やか。瞳はスカイブルー。身長は百七十センチ(170cm)以上。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 外見だけだと性愛対象同性のお姉さまっぽいが、実際は割と肉食系。少女の頃はムキムキの男性とばかり付き合っていたが、振り回すより振り回されたいタイプだったので、根が単純な脳筋系にはすっかり飽きてしまっている。

 

 少女時代は、たとえれば工業高校の校内一可愛い女子のようなポジションをずっとキープしていた。ゆえに同性の扱いには慣れていない。僕、もどい私は(同性の)友達がいない系女子。

 武力は王国軍の女性兵の中ではトップクラスだが、男性兵を交えて評価するなら平均以下といったところ。槍の技量だけなら男性兵を交えてもトップクラスなのだが、単純な戦闘ではどうしても筋力差で押し負けてしまう。

 

 なおキルサ本人はナハト隊長の恋人という認識だが、ナハト隊長はキルサのことを色々便利な女としか思っていない。すっごく振り回されている。

 

 好きなものはその時々の彼氏。嫌いなものは現状、軟弱な男性だが、未来にはそちらの方にも食指を伸ばすかも。

 


 

 ●ゴドウィン

 カナーベル王国軍所属対竜特殊部隊実働隊第二班副長。

 二章の時点では赤竜討伐隊の副長を務めている。フルネームは不明。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 二十代でやもめ(やもお)だが三人の子持ち。

 上から娘、娘、息子で、長女はパパ大好きっ子。次女はそうでもなく、上のお姉ちゃん大好きっ子の長男からは嫌われている。家庭内多角関係。

 

 実は結構強い(武力八十台と見ていい)のだが、なぜか馬には好かれず騎士として大成できなかった。きっと幸運のステータスにランサークラスの宿命を背負っている。

 

 好きなものは次女の料理。苦手なものは壊滅的にメシマズな長女の料理。

 


 

 ●サスキア王女

 カナーベル王国国王ベオルードIV世が正妻に産ませた三子。第三王女サスキア。第一王女や第二王女は存在しない。第一王子、第二王子、第三王女、という並び。

 王位継承権は第八位。フルネームはサスキア・リルド・ローザリナ・カゥラティマレ・セ・カナーベル。特に設定はしてないがたぶん十六歳くらい。誕生日等も不明。

 

 髪型は、長いストレートのプラチナブロンドを前髪だけ綺麗に横分けしている。雰囲氣は柔らかくおっとりしたお姉さんといった感じだが、内面は結構なメンヘラ。でも根は素直な子なので、イメージ映像的には全身黒タイツっぽい何者かにめっちゃ騙され中。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 フルネーム前半部、サスキア、リルド、ローザリナの辺りは個人名。ローザリナはサスキアから見て曾祖母の名前でもあり、古臭いので、サスキア本人はその部分を氣に入ってはいない。

 

 フルネーム後半部のカナーベルは当然国名そのもので、王族であることを表す名前だが、「カゥラティマレ・セ」のカゥラも、「カナーベル」のカナーと同じ語源を持つ言葉。「カゥラティマレ」は「王家の正当性を体現する女子」というニュアンスの尊称となる。

 

 カゥラの方がカナーよりも古語に近く、無理矢理日本語に訳せば「理念的実像」となる。この世界の哲学においては「無影灯によって明らかにされる像そのものの形象。それは真界イデアへと繋がる真理への架け橋」というような概念。動詞形にすると「物事を精妙化する」というような意味合いにもなる……なった……昔は。古語ですゆえ。春はあけぼの、チャドも曙。

 

 地球においてイデアという概念がやがてアイデアという言葉、概念となったのと同様に、「カナー」も「カゥラ」から意味合いが変わっている。「カナー」は単に「理想を実現する」というような意味合いの形容動詞的言葉。「カゥラ」の方の、元々の意味合いの一部である無影灯の光を、単に強い光、太陽のようなものと強引にこじつければ、カナーベルは「日の本の国」に近い意味合いの国名ともなる。

 

 なお、この世界において無影灯は、ある種の観測機として、アナベルティナの時代から八百年以上前に発明されている。だがそれを外科手術に転用する発想に至るまでには、そこから四百年の時を待たなければならなかった。

 

 アナベルティナの時代から四百年の昔、特殊な毒草を主原料とする麻酔が発明され、これを用いた複雑な外科手術が行われるようになる。

 

 これにより、無影灯も手術に有用なものと認識されるようになるのだが、この麻酔自体の使用法を体系的に研究、後世に残すということがなされてこなかった為に、執刀者達、個々人の技術不足による、いわゆる医療事故が多発することとなった。

 

 手術そのものは成功しても、覚醒後に失明や味覚喪失などの五感が消失したり、各所に麻痺が残ったり、人格が凶暴化したり、逆に無気力な人間になってしまったり、そもそもが覚醒せず植物人間になったり。

 

 そうした悲劇の偶発は、アナベルティナの時代からも数百年後まで綿々と続く。

 

 こうした経緯から、外科手術を行うものは汚らわしい詐欺師である……というイメージが、この時代の世間一般には遍満(へんまん)している。

 

 地球におけるヒポクラテスの誓いのようなものを謳った名医も、過去にいたことはいたのだが、彼が同性愛者(というか両刀、というか男女の別なく違う穴好きの艶福家)であったため、そのことへの人格攻撃により、彼の「医療もまた徒弟制度により知識、技術の継承がなされるべきである」という主張は、「医療知識、技術を餌に徒弟を性的に搾取するための方便である」と曲解されてしまい、顧みられることはなかった。

 

 アナベルティナの時代においても、外科手術を提案する医者には「なんだホモの詐欺師か、汚らわしい、寄ってくんな」という偏見の目が向けられがち。当然、真っ当な人間はそんな職業を目指さず、結果、医師を名乗るものは詐欺師ばかりになるという悪循環。まさに暗黒期。

 

 一応、後世にはナイチンゲールのような人物が現れ、そこから医療のイメージが変わっていくという設定も、あるにはある。それ自体は、この物語とは何の関係もないが、アナベルティナが医療チートを選んでいた場合、この人の代わりとなって、この世界の医療の進歩を大幅に早めていた可能性はある。ただしそのルートではミアの救済が間に合わなかったハズなので、ミアの死をきっかけとして、アナベルティナが人の命を救うことに目覚めるというドチャクソシリアスな路線の物語となる。解釈違い。

 

 好きなものはナハト隊長。嫌いなものは不自由な生活。

 


 

 ●第二王子

 カナーベル王国国王ベオルードIV世が正妻に産ませた次男。王位継承権は第二位。

 クズという単語でほとんど全てが説明できる単純なお人。

 一応セヴォルーズという名前がある。特に設定はしてないがたぶん十八歳くらい。誕生日等も不明。

 外見的には、作画の悪いハーレム系アニメの主人公のようなものを想像すれば大体あっている。イケメン風だが、どこか根本的にデッサンが狂ってる感じ。NiceBoatのアレでもいい。

 

 女好きというか女体好きで、戦場にもそれ用の女性を手配させ随行させていた。そしておたのしみの最中に範囲睡眠魔法に巻き込まれ、寝た。

 

 ▽以下フレーバーテキスト

 王宮内部でも、王子の身分で次から次へと周りの侍女や召使いの女性に手を出すので、問題児扱いされている。最初に彼にヤラれちゃった身分低めの召使いは、妊娠してしまったので母子共に闇へと葬られた。その頃には興味が別の女体へと移っていたので、彼はそのことを知らない、というかどうでもいい。

 

 彼には悪意も罪悪感もない。頭の中は性欲のみ。無自覚に次々と悲劇を生み出していく災害のようなお方。竜の討伐隊には、せめて箔でも付けとくかの精神で送り出されている。

 

 最近では妊娠しない、できない類の娼婦や出戻りがあてがわれている。酷い話。

 ストライクゾーンは広い……というか年齢にこだわりはなく、顔の美醜もあまり氣にならない。胸部装甲も普通にあれば嬉しいな、げへへ、くらいの感覚。

 だけどDEBUはNGで、あの時の声が獣じみてる、うるさいのも萎えるポイントなので、痩せていて物静かっぽい女性を好む傾向がある。

 

 だからなのか、不純体のアナベルティナはお好みではなかった模様。

 そんなことで、運命の悲劇のトリガーがひとつ破壊されたのである。本人も当人も氣付いてないけど。

 

 好きなものも嫌いなものも、十八禁ゆえにここでは語れない。

 


 

 ●メアリー・スー

 肉体に縛られることの無い知性であり、その集合。

 二章時、彼ら、あるいは彼女らは別になにもしていない。観劇を続けていただけ。

 このタイミングで新たなチートを与えたりはしていない。

 

 

 


 

■九星の騎士団、二章までに判明したその内実

 

●カイズ側

紅玉(ルビー)の騎士、カイズ。この世全ての悪を斬る騎士団長。

 エルフの女王リーンと結婚し、アリスの父親となった。

 騎士団分裂後、ティアの策謀によって妻共々死亡したようだ。

 

珊瑚(コーラル)の騎士、アムン。その血を聖水に変え魔を滅ぼす聖騎士。

 血潮の波動の持ち主。ユミファの魔法で石化して他界したようだ。

 生体魔法陣として利用すると回復魔法が超絶強化される。

 マナが全部血生臭くなって還ってくるとはアリスの弁。

 

碧玉(サファイア)の騎士、エンケラウ。愛馬ユミファと共に天を翔ける闘士。

 狼の獣人。愛馬ユミファはその実、愛竜ユミファであった。

 ユミファは黒竜で焔の波動持ち。その魔法はあらゆるモノを相転移させる。

 詩的に表現すれば地獄の釜の魔法。

 

灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。鬼謀策謀を縦横無尽に操る参謀軍師。

 魔女ドゥームジュディにより、赤い竜にされている。

 

黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、アイア。隻眼隻腕だが槍と弓を極めし東国武士。

 下ネタが好きそうな東国武士。

 槍と弓を極めしという割に、現状刀を扱ってる風な描写しかない。

 隻眼隻腕という割に、折り紙を折ったりするなど、それっぽい感じもしない。

 そもそもアリスとアムンは、他人の部位欠損を回復することができたハズなのだが……。

 

●リルクヘリム側

月長石(ムーンストーン)の騎士、リルクヘリム。その怪力は空間をも捻じ曲げる副団長。

 分裂した騎士団、そのカイズ達とは逆側の団長。

 

翠玉(エメラルド)の騎士、オズ。体躯の何倍もの重量の斧を操る戦士。

 詳細不明。

 

金剛石(ダイアモンド)の女騎士、ルカ。水神に祝福されし流体機動の聖女。

 その正体は知性ある人型スライム。女性にも男性にも化けられる。

 その現状は不明だが、スイカ大の欠片だけは一章で焼き尽くされた。

 

●陣営不明

猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。氣を読み氣を操ったとされる武道家。

 アリスにとっては両親の仇のようだ。

 胡散臭い奴だったけどそれでも人間だった……とはアリスの弁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※警告

 

 ここより下に、AI生成画像によるキャラクターのイメージ図が掲載されています。ご自身のイメージを大切にしたいという方は閲覧を控えてください。

 

 イメージ図を閲覧しないで次の話へ行くには、ここをクリック(タップ)し、ジャンプ先から『次の話』に進むか、または目次へ戻り、そこから30話を読み始めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

■銀髪アナベルティナ

 

1:作者のイメージに最も近かったもの

 

【挿絵表示】

 

 肌に走る紋様は、刺青というよりかは某メガテンの人●羅さんとか、某鬼滅の猗●座さんとかのイメージなのですが、まぁキャラのイメージはこんな感じ。こんなドレスは着ていなかったけれど

 

 

 

2:少しイメージは違うが、なんか好きだったもの

 

【挿絵表示】

 

これだと幼すぎるけど、魔法のエフェクト感はこれが好き

 

 

 

3:神秘の秘法的イメージ

 

【挿絵表示】

 

当物語に神秘なんてイメージはないけれども

 

 

 

4:もう少し成長後に生体魔法陣化したらこんな感じに

 

【挿絵表示】

 

なるのかなぁ?

 

 

 

5:神秘の魔法少女的イメージ

 

【挿絵表示】

 

ティナに神秘なんてイメージはないけれども。なんだとコラ

 

 

 

6:ダウナー

 

【挿絵表示】

 

魔法陣化するのも楽じゃないのよ

 

 

 

7:発光するティナ

 

【挿絵表示】

 

髪の毛はこんな風に光ります。やっぱりこんなドレスは着ていなかったけれど

 

 

 

8:メカっぽいティナ

 

【挿絵表示】

 

これはこれでアリ。生体魔法陣化中はアリスの便利道具みたいなものだし

 

 

 

9:これに生体魔法陣の紋様があったらかなりイメージに近かった

 

【挿絵表示】

 

i2i系の機能で改造すればいけるのでしょうかねぇ

 

 

 

10:おっぱいがコウジャナイ

 

【挿絵表示】

 

ティナの場合、ここが大きいと違うとなるのです

 

 

 

11:キスされたアリスにはこう見えていたかもしれない銀髪ティナ

 

【挿絵表示】

 

すごく、小悪魔です

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのティナが正解というわけではありません

 


 

■二章のミア

 

1:お勉強中ミア

 

【挿絵表示】

 

二章中盤以降、ミアはお家でお勉強をしていました

 

 

 

2:早起きミア

 

【挿絵表示】

 

ミアは早寝早起き。メイドのサーリャより早く起きることも

 

 

 

3:夜に姉想ふミア

 

【挿絵表示】

 

お姉ちゃん、元気にしてるかなぁ

 

 

 

4:??? コスモスが咲き狂う野に立つミア

 

【挿絵表示】

 

読み終えると意味がわかるイメージ図

 

 

 

※あくまでイメージ図なので、どのミアが正解というわけではありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三章
30話:一難去って


 

 夜空を、月よりも大きな円が(おお)っている。

 

 それは私に、小さくて、でもとても大事な記憶を思い出させる。

 

 昔、それはもう遠い昔、闇に浮かぶ星座も、腕に抱いた自分の身体の感触も、まるで違っていた頃。

 

 夜の空に、花火を見た。

 

 それは月よりも大きく花開き、一瞬で星々の(きらめ)きとなって消える大輪の花。

 

 それがあまりにも、あんまりにも綺麗で、儚かったから。

 

 俺だった私は、(かたわ)らに座る小さな身体に、問いかけたのだ。

 

『最初に花火を打ち上げようと思った人って、どうしてそうしようって思ったんだろうね?』

 

 夜に咲き、刹那で萎れ、後には何も残さない徒花(あだばな)

 

 この文化は、今よりももっと、人々の生活に余裕が無かった時代に始まった。

 なぜそんな無駄を。なぜそのような不合理を。

 

 そんなことを、若くして死ぬことがほぼ確定し、親の金と、国の医療保険金を無駄に浪費するだけの俺が、同じような運命を背負った、だけど俺なんかよりずっと生き延びるべきだった年下の友人に、問い掛けたのだ。

 

 答えは意外なものだった。

 

『夜を、壊したかったんじゃないかな?』

 

 ぱぁん……と咲いた光の中で。

 

『……え?』

 

 その声は静かだった。

 

 大輪の花も遠く、小さい、高いフェンスに蔽われた病院の屋上。

 ドーンという破裂音は、光よりも少し遅れてやってくる。

 だから、花火が空に咲くその瞬間は、透き通るような静寂の瞬間で。

 

 その声は光のように、すっと俺の中へと入ってきた。

 

『闇に蔽われた空を、花火のような爆発物で壊せば、そこに朝が、そこに光が、あると信じたから……信じたかったから……だから暗闇を壊したかったんじゃないかな?』

『……長生(なお)

 

 小さな身体がすくと立って、背中を向けたまま振り返り、言った。

 

『本当に壊せたら、良かったのにね』

 

 細い身体が、なにもかもを諦めきって乾いた、ゆえに透明な笑みを浮かべている。

 

 その細い背中に。

 

 世界から見捨てられ、愛してほしかった人からも見捨てられていたその背中に。

 

 俺は、何も言えなくて、その背中に、何も返せなくて、少し口を開いて、閉じる。

 

 何度かそれを繰り返して、何を口にするのも諦めた。

 

 ただ夜空に咲く刹那の花と、その終わりを見ていた。

 

 昔、それはもう遠い昔、闇に浮かぶ星座も、腕に抱いた自分の身体の感触も、傍らで同じ光景を共有する細い身体も、待ち受ける未来への不安……その種類も、本当にまるで違っていたあの(とき)

 

 夜の空に、願いを見た。

 

 夜を終わらせる光の、祈りを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして私達は、ユミファの封印に成功した。

 

 ……それはもう、びっくりするくらい簡単に封印できた。

 

 ただ、本当に何事も無かったかというと、そんなことも無くて。

 

「ティナ、言っておかなきゃいけないことがあるの」

 

 封印がなされた後、アリスは手に、ゴルフボール大の……ではないですね……テニスボールほどの大きさの、薔薇色の宝石を持って、私へこう語りました。

 

「これって強力な結界魔法の継続使用になるから、その維持にはあたしの魔法のキャパシティを半分以上持ってかれちゃう。だから確実に、もう変身魔法は使えない」

「……そっか」

 

 そうなると……お屋敷でアリスと一緒に暮らす生活も終わりでしょうか。

 それを悟っているのか、アリスが捨てられた子犬のような目で私を見ています。いや猫じゃないんかーい……。

 

「そうですか……」

 

 サーリャもそれを悟ったのでしょうか。声に元氣がありません。

 

 サーリャとアリスは、さほど折り合いがよくなかったような氣もしますが、別れとなるとよぎる想いもあるのでしょうか。

 

「なに? サーリャまで浮かない顔ね。この後は貴女(あなた)の御主人様の望み通り、ちゃんと働いてあげるわよ?」

「……いえ。そのことではなくて」

「……じゃあ何よ?」

「どうしたの? サーリャ」

 

 どうもサーリャの様子が変です。

 

 何かが氣にかかっているようで、それを言うべきか言わざるべきか? 悩んでいるような?

 

 何? 竜は封印されちゃったから、つまり竜の素材は誰の手にも入らないことになって残念とか、そういう話?

 

 別にいいよ。男爵家が辺境伯になれるかなれないかとか、私が男に戻れるかもとか、そんなの別に大したことじゃない。ないんだってば。ホントだよ? ぐすん。

 

「氣付いたことがあるなら言って、サーリャ。今はそういうの大事かも」

「ティナ様……いえ、その……先程のティナ様とアリスの会話は、私には少し難しかったのですが、要は、アリスとパザスさんは、アリス自身の魔法によって封印されていたということなのですよね?」

 

 ユミファの魔法によってではなく……とサーリャは自信無さ氣に続けました。

 

「……そうなるかな?」

「だとすると、今度は別の疑問がわいてきます。今回、ユミファさんが現れたのは、アリスとパザスさんの封印が解けたのを察知したから……という推測を、アリスはしていたはずです」

 

『今になって現れた理由は……多分、あたし達の復活を察したからじゃないかな』

 

「……そうだね」

「……あれ?」

 

 そうだ。そういえばそれはおかしい。おかしくなってしまう。

 

「封印が、結局はアリスの魔法だったのであれば」

 

『だってあたし達を宝石の中に封印したの、ユミファだし。封印が解けたら伝わる仕掛けでもあったんじゃない?』

 

「ユミファさんは、どうやってアリス達の復活を知ったのでしょうか?」

「……あ」「……あ」

 

 

 

 

 

 

 

 仮説なら立てられる。

 

 例えばそう……ルカさん。

 

 魔法使い同士は念話で連絡が可能。

 

 ならば、魔法生物(モンスター)であるスライムのルカさんならば、本体と分体(ぶんたい)の間で念話することも可能なのではないだろうか?

 

 そうであるなら……もし今も本体のルカさんがどこかに生きていたとして、アリスやパザスさんと一緒に復活したあのカケラと、少しでも連絡を取り合っていたのなら……。

 

 そしてルカさんが、ユミファさんと、なんらかの交流を今でも持ち続けていたとしたら。

 

 だが……さすがにこれは馬鹿馬鹿しいですね。いくらなんでも推論に推論を重ね過ぎ。

 

 こんな推察は、頭の片隅に置いておく程度に留めるべきでしょう。

 

 なら……答えの無い問いは、一旦措いておくとして。

 

「これ、あたしがずっと持ってないと封印が解けちゃうから、ティナ、服にこれを収納できるポッケ、あとで付けてくれない?」

 

 これからどうするのか、今はその話をします。

 

「それ、私が近くにいても大丈夫なの? 封印、解けちゃわない?」

「あたし達の時も二週間くらいかかったんでしょ? 突然解けることはないから大丈夫。それに解けそうになったら、今も結界魔法を継続使用してるあたしに、それが伝わらないはずがないしね」

「それならいいけど……今は道具がないから、帰ってからね。ひとまずは、サーリャのスカートに収納してもらおう」「え゛?」

 

 正直、アリスが変身魔法を使えなくなったのは痛いです。

 討伐軍のほとんどが今は寝ているとはいえ、援軍を呼びに行ったキルサさんのこともあります。ここからの行動で、どうアリスを隠蔽するかという問題が出てきます。

 

 隠蔽といえば……この闇堕ちっぽい紋様も、そのままでは人前に出れません。手足が露出しているワンピースですからね。もっと露出の少ない服を着てくればよかった。なんでこんなに禍々しいのかな。私、今、一応聖女の称号を(たまわ)ってなかったかな。

 

「それでここ、どこ?……」

 

 私達が悪魔的黒紋様魔装(モザイクが入りそう)なバナナボード……違う、黒い船に乗っていたのは、どうやら三十分程度だったようです。

 

 時速は、たぶんずっと六十キロ程度だったと思うので、つまりここは討伐隊の本陣から三十キロメートルほど離れたところになるはずです。東京(駅)と横浜(市)くらいの距離でしょうか。東京バナ奈と中華まんを食べたくなりますね。あるいはたこ焼きと牛……ではなく大阪と神戸、福岡と佐賀、札幌と寿司……ではなく小樽。……おなか空いてきた。

 

 まぁざっくりとした計算なので、若干どころか大幅に間違っているかもしれません。

 

「パザスのいる方に向かっていたつもりだったから、北東よりに飛んでいたかなぁ。ヨーラッド湾ってまだヨーラッド湾って呼ばれてる? そっちに向かったはず」

 

 ヨーラッド湾なら、今もそういう地名があります。カナーベル王国から北東へ、陸地沿いに向かうと、西に見えてくる海岸線です。これを陸地沿いにぐるっと回るとミスト地方に着きます。

 海岸線が、人の住めない断崖絶壁の連続であれば、まだカナーベル王国の領土の可能性が高いのですが、船を停留したりできる穏やかな湾岸は、完全にもう他国の領土となってしまいます。

 

 十年ほど前にカナーベル王国と戦争したのはまた別の国なので、現状、特に緊張状態にあるというわけではないのですが、同盟国というわけでもありません。相互不可侵条約は結んでいたはずですが。

 

「あれでも、この辺の樹、背も低いし風衝樹形(ふうしょうじゅけい)だな。ってことは、ここはもう海が近いのかも?」

「風衝樹形?」

「海に近い土地は、海からの風が強いから、樹木はその風に煽られ、(なび)いた形のまま成長しちゃうの。ほら、この辺の樹、みんな同じ方向に曲がっちゃってるでしょ? 今も、穏やかだけど、曲がってる方向とは逆の方からの風が吹いてるし……潮風っぽい匂いもするし」

「ホントだ」

「だからここは、もうヨーラッド湾に近いのかも」

「へー」

 

 となると少し問題ですね。

 なんせ下手したら不可侵条約を結んだ国の領土ですからね。こんな荒地の、しかも夜に、警備兵などはいないと思いますが、見つかったら領土侵犯、条約違反ということで国際問題にもなりかねません。

 

「でもどうだったかなー……ヨーラッド湾周辺の地形か……」

 

 ヨーラッド湾を東京湾に見立てたら、東京都と神奈川県がミスト地方で、千葉県が他国、房総半島(ぼうそうはんとう)の先(に陸が続いていて、そこ)がカナーベル王国といったところでしょうか。大阪湾に見立てたら、紀伊半島と四国がくっついてるイメージで、四国がカナーベル王国、和歌山から大阪が他国、兵庫がミスト地方です。

 バルト海(とボスニア湾)に見立てたらドイツとポーランドがカナーベル王国、バルト三国とフィンランドが他国、スカンジナビア半島がミスト地方でしょうか。

 

 ただ、三浦半島(みうらはんとう)やデンマークに該当する出っ張りはありませんし、淡路島(あわじしま)小豆島(しょうどしま)に該当する大きな島もありません。両岸を分ける海は、多分東京湾よりもっと広いです。パザスさんも時速六十キロ以上で飛ぶことができると思いますが、そのパザスさんが海を渡るのに、相当急いでも二、三時間はかかるって(アリスが)言ってましたから。

 

 となると、ここはカナーベル王国の北東、そこを少し抜けた他国の地でしょうか。

 

 測量地図がないので、カナーベル王国がどの程度の表面積をもった国なのか、私にもわからないんですよね。伊能忠敬チートは頑張れば可能かもしれませんが、私はやりたくないです。っていうかそれチート? 健脚頼みの地道な努力と忍苦の結果では?

 

 男爵家領内から王都に向かう場合……馬が潰れることを厭わず、悪路も山道もその脚を走らせ、中継点で潰れた馬を交換してまた走らせ……というのを繰り返せば、最短、二日で到着できるそうです。

 これはもう本当に危急の事態における強行手段なので、本来、男爵領から王都へ向かうには、様々なトラブルを織り込んで一ヶ月は見よ、とのことですが、単純な距離の算出という点では最短値である馬の二日というのが参考になりますね。

 

 物凄く適当な、ざっくりした計算になりますが、馬の脚足が仮に平均時速三十キロとすると、一日十六時間走ったとして四百八十キロ。仮に、馬で行く道が直線距離の三倍、あるとしたら、直線距離は百六十キロですね。東京と静岡、大阪と福井、辺りでしょうか。

 そうなるとカナーベル王国の版図は、日本の本州を少し膨らませたくらいのモノかもしれません。勿論これは本当に適当な、ざっくりした計算なので、本当は北海道くらいかもしれませんし、インドくらいあるのかもしれません。中国やアメリカほどはないと思いますが。

 

 まぁこれも、本当にざっくりな計算なので、大幅に間違っていそうな氣もします。

 

「……考えても詮無(せんな)きことか」

 

 この辺で、図形記憶的に覚えた前世の地図帳の知識で遊ぶのはやめましょうか。閑話休題と書いて「それはともかく」と読みましょう。病室では暇で色々してましたが、今はそんな時じゃないはずです。

 

「今から本陣には戻れる?」

 

 あの範囲睡眠魔法の効果時間はわかりませんが、アリスが変身できない今、それが解ける前に戻らないと面倒なことになりそうです。効果が発動してから既に一、二時間くらい経っているでしょうし、戻るのにも三十分以上かかるのだとしたら、効果時間が三時間未満でないことを祈るばかりです。ナポレオン・ボナパルトはお呼びじゃない。

 

 キルサさんが援軍を伴って、本陣へ戻ってくるのを二時間と読むのなら、私達がアリスと合流するまでにざっくり十分、戦闘に同じくざっくり十分、船で飛んだのが三十分、船を下ろしてから今までが十分くらいとして、既に一時間くらいは経過していることになります。

 

 とすると、私達は今から一時間以内に本陣へと戻る必要があります。

 

 アリスが見つかったらー……。

 

 対外には、随行してきた少年騎士ってことにしましょうかね。髪はどうせすぐに伸ばせるんだから、一旦耳が隠れる程度の短髪にしてもらって、その上で兜でも被ってもらって、服は少年っぽく見えるのを即席で造りましょう。裁縫チート万歳。

 問題は、男爵家の人にどう説明するかですね。まぁ現地にいる三人に関しては、今は寝ているはずですし、ここは、この場では、私の強権発動でどうにかなります。(いえ)の秘匿事項に触れるので聞くなと。

 

 それからのことはー……後で考えようか……。

 

「ずっと月を背に飛んでいたから、逆の方向に向かえば近いところにはいけるだろうし、近くまでいければあとはなんとなくわかるかも。戻る?」

「……お願い」

 

 そんなわけで、再び銀髪のぽわんぽわんが再開され、船は夜空を駆けます。

 

 ……先程の、すぐにでも意識が飛んでしまいそうな酩酊感は、なぜか今は治まっています。

 アリスがなにか工夫でもしてくれたのでしょうか……よくわかりません。

 

 そういえば……アリスとサーリャは先程、私が意識を失っている間にあったことを話してくれました。ですが、どこか歯切れの悪い説明でした。何を隠しているのでしょうね。

 

 ただ、アリスはともかく、サーリャが私に隠し事をするなら、それは私が知ってはいけないことだからなのでしょう。それをほじくりかえす氣もなければ、不快とも思いません。

 

 問題は、サーリャのそれが、過保護であるがゆえのあやまちだった場合ですね。

 

 本当は私が知っていなければならないことを、私を想うがゆえに隠してしまった。これが一番まずいパターンです。

 

 ……ここで、少し確認してみましょうか。

 

「ティナ?」「ティナ様?」

 

 狭い船内でもぞもぞと動き、サーリャの方に身体を向けます。

 

「サーリャ」

「……はい」

「私の目を見て。そのまま、視線をずらさないでね」

「は、はい」

 

 なお私が、私自身が、氣を抜くと視線を下へずらしてしまいそうになるのは内緒です。

 ぽわんぽわんの頭が、ぽよんぽよんに吸い寄せられてます。心はともかく身体は同じ性のはずですが、この差はなんなのでしょうか。

 

「……私に、秘密にしていること、あるよね?」

「っ……」

「視線を逸らさないで。その綺麗な水色の瞳、もっと私に見せて」

「ううっ……」「ちょっと、ティナ」

「いいよ。責めてるわけじゃないから」

「……はい」「え、なにあたしのこと無視?」

「でもこれだけは教えて。それは、それを私が知らないことで、いつかサーリャやミアが傷付く可能性があるもの?」「ちょっとー」

「……いいえ、知らないことでは、私もミア様も傷付きません」

「……それは、むしろ知ることで傷付くことがあるってこと?」「おーい」

「はい」

 

 視線が、水色の強い視線が、私をまっすぐに見ています。

 

 つまりサーリャは、確信しているのでしょう。

 知ることで私が傷付き、私が傷付くことで自分やミアが悲しむことを。

 

 ……いいでしょう。

 

「わかった、私はサーリャを信じ、りゅうううぅぅぅ!?」「無視すんなぁ!」

「ティナ様!?」

「ちょっ! ゆひ(指)! 鼻ほ穴ひゆひがぁぁぁ(鼻の穴に指がぁ)!?」

「なに言ってるかわからない!」

「はくちょう(拡張)されゆ(される)! 特になはゆひは(中指が)入ってゆ(入ってる)方! ひほがっちゃう(拡がっちゃう)から!」

 

 せっかく、いい意味でシリアスっぽくなっていたのに、アリスの人指し指と中指が私の鼻の穴にぶすっときて、そのまま私の頭を上に持ち上げてます。

 幸い、人間形態のアリスは爪を伸ばしていないので、粘膜が引っ掻かれて血が出るなんてことはありませんでしたが、単純に痛いです。猫形態だったらどっぷりとどぼどぼのダハーでダッバダバでしたね。惨劇!

 

「ぎぶぎぶ! 豚鼻になっちゃうから! 貴族令嬢がしてはいけない顔になっちゃう!」

「こと容姿に関する限り、貴女に貴族令嬢の自覚なんて最初からないでしょ!」

 

 そういえばこの世界には、プロレスがありません。タップでギブアップというお約束も通じません。リアルレジェンドのどなた様かが転生した暁には、プロレス興行振興チートをおねがいマッソーでございます。目指せ肉の勇者の成り上がり。ゴングの勇者とかパイプ椅子の勇者でも可。

 

「まったくもう、乙女の秘密を暴こうとするもんじゃないわよ」

 

 ……とかなんとか益体もないことを考えていたら、(ようや)くアリスが放してくれました。

 ふう……。

 

「って、それなんか用法違うよね!? というか私もう暴こうとするのやめかけてたよね!?」

 

 それにアリスがマイノーズをハンギングしたのって、無視されてイラッとしたからだよね!?

 それとも何? ここでさっきの反撃!? 復讐!?

 ほっぺたのモミジ、回復魔法で治してないのももしかして当て付け!?

 

「返事をしないティナが悪いの!」

「かまって乙女ちゃんか!?」

 

 あ、かまって乙女ちゃんそのものだった。

 

 

 

 そんなこんなで飛び続けること十五分と少しくらい。

 

 ユミファを引き剥がす心配がないおかげで、船は先程よりも三割り増しくらいのスピードで飛び、何も起きないまま順調に、どこか見覚えのある景色、具体的には私とサーリャがアリスと再会した地点の辺りが見えてきた……その時。

 

「きゃっ!?」「ぬっ!?」「えっ!?」

 

 船が、空中で急停止して、大きく揺れました。

 

「なに!? アリスどうしたの!?」

「え……なにこれ動かない!?」

 

 と、船の……舳先といったらいいのでしょうか? (先程までの)進行方向、サーリャの背の方(真ん中の私の方を向いていたので)に青く光る金属のようなものが巻き付いています。

 

「は!?」

「……なにこれ?」

 

 下を見ると、そこから月光に鈍く光る柱のようなものが地上まで続いていました。

 

「……ミスリル?」

 

 月明かりでも、その特徴的な鈍い青の輝きは健在です。飛んでいたのがおそらく上空百から二百メートルといったところですから、ちょっとした高層ビルほどの高さまで、ミスリルの柱が伸びてきていることになります。

 

「……これはアリスの魔法?」「違うわよ!」

 

 そうでしょうね、髪も黒に戻ってますし、ぽわぽわする感覚も消え失せてます。

 

 つまり私達は、地上からカエルの舌のように伸びてきたミスリルの柱に、船ごと捕獲されてしまっている形です。

 

「……どういうこと? これは魔法攻撃?」

「魔法なんかじゃない。これはマジックアイテム。こういうの、ドワーフが使うって聞いたことがある。想鋳(おもい)るナンタラカンタラのウンタラカンタラがどうとかって」

「ドワーフ!?」

 

 転生してから、その名前を全然聞かなかったので忘れかけていましたが、女史さんの話によれば、魔法を行使できる個体は一億分の一程度、その代わり人間種より頑健な身体を持っている種族……だっけ? そんなのがいるって聞いた氣がします。

 

「そういやドワーフ、見てないね。パザスからも聞いた覚えがないし。この国にはいないの?」

「この国っていうかこの国周辺にはいないはずだけど……この辺は人間至上主義だから」

「……いらっしゃるみたいですよ? 今、そこに」

「え?」

 

 ガシンッ……と重い金属音が響き、同時に船が揺れます。

 

「……嘘」

 

 サーリャが目を瞠り下を見ています。どうしたのかな。

 

「……うっそぉ!?」「げ」

 

 船と地上とを繋ぐ、ミスリルの柱、そこにずんぐりむっくりした人影があります。

 それはミスリルの柱を伝い、こちらへと登ってきているようです。

 

 遠目にもそれとわかるヒゲ面……ドワーフと聞いて、誰もが思い浮かべるイメージそのままの、矮躯ヒゲ面のシルエットが、直径壱メートル(1m)ほどの円柱の凹凸(おうとつ)に手をかけ、高さ百メートル(100m)はゆうに超えているこの船を目指し、クライミングしやがってきています。

 

 ただ、それだけならまだ大した問題ではないのです。

 

 悪意ある人物でも、それだけならアリスが何とかしてくれるでしょう。

 

 問題は……。

 

「第三王女殿下!?」

 

「助けてぇ!!」

 

 ドワーフの背中に……枷のようなもので首と両手とが連結させられている……サスキア王女が背負われていることでした。

 

 

 







 なお、長生と書いて「なお」と読む名前は、3話に一回、8話でも一回、登場していたりします。


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31話:グロはシリアスか否か

 

「動くな! そちらに魔法使いがいることはわかっている! こちらはもはや落ちれば人が死ぬ高さ! 魔法陣が見えた瞬間に、この者の命はない!」

 

 びぃんと響く、思いのほかダンディな声がこちらの抵抗を封じます。

 

「あんた誰よ!?」

 

 アリスが声を張ります。そうしてる間にも、ドワーフは確実に登ってきていて、そろそろ五十メートル以上の高さには到達しているでしょうか。

 

「貴様がアリスか!?」

「なっ!?」「えっ!?」

翠玉(エメラルド)の騎士、オズの名に心当たりがあろう!」

 

 うわ出たまた出た! 九星の騎士団!

 

 ……なんだろう、もうパターンが少し読めてきましたよ。

 これもアレなんですよね、人類史の闇なんですよね。

 

「もしかしてオズって……」

「ドワーフ……だったわ」

 

 ほらー、やっぱりねー。闇過ぎ。もはや病み過ぎと言っていいかもしれないレベル。三蔵法師とか新選組一番隊組長とか第六天魔王とか騎士王とかが女体化させられる世界と、どっちが病んでいるんだろうなー。あーでもこっちの惑星にも女体化させられた偉人はいたかー。

 

「貴様が、(わし)らの先祖より奪いし神の火! 返してもらおう!」

「へっ!?……」

 

 柱の表面は、よく見れば凹凸(おうとつ)の多い構造のようでした。

 

 ドワーフは、高所の恐怖などまるで感じてないような様子で、そこへ手をかけ足もかけて、ひょいひょいっと登ってくると、やがて船まで十メートルといった辺りで(ようや)く止まりました。

 

 どうやらそこに、(あし)を引っ掛けられる窪み((へこ)み?)でもあったようで、ミスリルの柱から両手を放しています。こわ。

 

「きゃああああ!!」

「うわ……」「ひっ」

 

 そうしてドワーフは、背負っていたサスキア王女を、枷に繋がる鎖を使って、地上数十メートル(というか百メートル以上?)の上空で宙吊りにしてしまいます。

 

 ドワーフの、自由な方の手が届く先に、サスキア王女の手や頭がある程度の吊り下げに過ぎませんが……勢い、宙でサスキア王女が振り子のように揺れました。

 

 見ているだけでタマヒュンな光景です。タマないけど。

 

「アリス、神の火って……なに?」

「ドワーフの伝説にある、なんでも溶かして、なんでも鋳造(ちゅうぞう)することのできる原始の火……だっけ?……えっ!? なんの話!?」

「とぼけるな! その船こそ! 貴様が神の火を所持する証であろう!」

「は?」「え?」「へ?」

 

 ちなみに「は?」がサーリャで、「え?」が私で、「へ?」がアリスです。

 うん、アリスの反応、「なに言ってっか、わっかんねっ!」感、出まくってますね。

 

「この辺りの岩石は冶金法(やきんほう)鋳造法(ちゅうぞうほう)も失伝したヒヒイロカネを含むモノ! 融点はおよそ鉄の倍の倍以上! それがごく滑らかに融け、固まっておる! 貴様が神の火を持っていなければ説明がつかぬわ!」

「うぬ」「えええ!?」

 

 ヒヒイロカネ。

 

 ミスリル、オリハルコンに続いてここで来ましたか、ファンタジー鉱物。ちなみに私達が今喋っているこの言葉は、日本語でも英語でもないのですが、この辺の固有名詞は何の因果か大体そのままです。ヒヒイロカネ、は元日本人の耳で聞くとヒーロカッネという感じではありますが、まぁここではヒヒイロカネでいいでしょう。

 

 ミスリル、オリハルコンが市場に(高級品、超高級品ではありますが)ちゃんと流通してる鉱物であるのに対し、ヒーロカッネ……もといヒヒイロカネは流通していません。そこのドワーフの言う通り、製法が現代では完全に失われていて、扱える人がいないからです。

 

 実在こそ、実際にそれで作られた武具などの用具が現存しているため、疑われていませんが、貧乏貴族には全く縁の無い話です。それら現存物をこの目で見たこともありません。

 

 地球で何か似たような位置付けの物品を探すなら、ストラディバリウスとか曜変天目(ようへんてんもく)茶碗とかになるのですかね。あれらは楽器と茶器で、金属製品じゃないけど。

 

「……持ってるの? 神の火」

「あるわけないでしょ!? ってかオズだってそんなモノ持ってなかったハズよ!?」

「ほう、やはり貴様が四百年の時を経て現代に蘇ったハーフエルフ、リーン、カイズの娘か」

「なんなの!? なんなのよアンタ!」

 

 アリス。

 

 四百年の時を経て現代に蘇ったハーフエルフ、リーンとカイズの娘。

 

 この、目の前というか目の下のドワーフは、最初、そんなアリスの顔も知らなかったようです。

 

 尖った耳は、まぁ下からは見えにくいのでしょうが、薔薇色のツインテールは特徴的ですし、黙っていれば顔も美少女然としてて目立ちます。それでも、「ほう、やはり貴様が」ときたからには、今の今まで確信が持てなかったということなのでしょう。

 

 アリスが持っているはずも無いモノを持っていると、(誤った)確信をしていることからも……なんかあれですね。

 

 どうもこう……この人は、誤情報に踊らされ、誰かに操られているかような印象を受けます。

 

 誰かにって……誰に?

 

『ユミファさんは、どうやってアリス達の復活を知ったのでしょうか?』

 

 つい先程、脇に()けたばかりのサーリャの疑問が、ここにきてまた立ち上ってきます。

 

 アリス達の復活を知り、それを因縁の人物(と竜)に触れ回っている人物が……どこかに……いる?

 

 それがスライムのルカさんなのか、それとも別の何者なのかはわかりませんが……。

 

 というか……なぜ眼下のドワーフは、第三王女を人質に取り、アリスを脅迫してきているのか。

 

 アリス単体を目標とするなら、サスキア王女を人質に取るのは、ズレた行動になるのではないのか?

 

「儂は翠玉(エメラルド)の騎士、オズが子孫! ゴーダ! さあ答えよ! 神の火を渡すのか否か!」

「だからそんなの持ってないっての!!」

「そうか……あくまでシラを切るのだな?」

 

 ドワーフが、すっと目を細める。

 

 人質はひとり。ならそれは簡単には切れないカードのはずですが……。

 

「きゃあああ!!」

「……え?」

 

 そんな、私が前世で映画とかから学んだ甘い考えを、断ち切るかのように。

 

 ドワーフが腕をしゅっと動かすと、第三王女の口から悲鳴と……左手の指の辺りから鮮血が飛び散りました。

 

「いやぁぁぁ!! 私の指! 私の指が!?」

「なっ!?」

 

 泣きじゃくる王女の視線の先には枷に繋がれたままの左手首、その先の……四本、親指以外全ての指が根元から切れた……その赤黒い断面が……。

 

 血が。

 

 とろみのある血が。

 

 こぷりと断面の先から溢れて。

 

「ぅ……」「あ、あ、あんた! なにしてんのよ!?」

 

 サーリャが絶句し、アリスはドン引きしています。

 

 私は……。

 

 すっと頭から血の氣が引き、視界がぎゅいと狭窄(きょうさく)したかような感覚を覚えます。

 

 今見ているもの……ドワーフとサスキア王女……それ以外が暗く、色を失い、二人の姿だけがやけに鮮明に、クリアに見えます。

 

 そのスポットライトのような視界で、私は氣付きます。

 

 王女の額から、念話のダイアモンドが消えていることに。

 

 そしてそれは、ではどこへ? と探せば……ドワーフの……髭に隠れ見え難いのですが……胸元に、月明かりの中、確かに光っていたのです。

 

「あ」

 

 直感が閃きました。

 

 あの先に黒幕がいると。

 

「アリス! 王女の指を回収!!」

「え!?」

 

 アリスは、ドワーフはともかく第三王女がいるのにいいの!?……という表情ですが。

 

「いいから早く! まだ地面に落ちてない!」

 

 アリスは念動力のような魔法が使えたはずです。裁縫針や蝋燭台を飛ばしたり、シャンデリアを落としたりしてましたからね。

 

「う、うんっ」

「貴様っ! 魔法を使う氣か!?」「いやぁぁぁ!!」

 

 アリスの頭上に顕れた魔法陣を見、ドワーフがいきり立つ。

 

 サスキア王女をこちらへよく見えるように向け、その顔面には非情なシリアスの色。

 

 だがそんなモノは壊す!

 

 すぅと息を吸い。

 

貴方(あなた)は傷付けない! 黙れ!!」「っ!?」

 

 私の、腹からの大声を合図に、アリスが魔法陣を展開させると下から、ふわっと、なにか風のようなものが吹いてきました。

 

 その風は黒船の横で、つむじ風のように回転したかと思うと。

 

「……風魔法、竜巻式、暴円活逆(ぼうえんかつげき)

 

 アリスの小さな呟きと共に、それはその手の中に収束していきました。

 

「うぇ……」

 

 アリスの手には……四本の指。いまだ断面から血を流す、白い、今の今までは何の苦労もなく生きてきたんだろうなと思える細い指。

 

「……ぼうえんかつげき?」

「暴円活逆。魔法の制御式のひとつ。火、水、土と風魔法は自然魔法っていってね、制御の仕方で全然違う効果になるから、制御式ごとに名前で区分してるの。念動力は人体へ直接使うのが難しいからこっちで、ね」

「へぇ」

 

 そういえばこの船を飛ばそうとした時も、そんな話をしましたね。

 

 ……それはそれとして、なんでそんな中二っぽいネーミングなんですかね。

 

 荒ぶるウロボロスが逆しまに活動す……みたいな意味のことを、地球でいうところのルーン文字に近い古語で言っていました。

 

 なんかもう、おもわず少年ジ●ンプ風に訳してしまったではないですか。マジ卍の呼吸。

 

 なお古語は淑女の教養のひとつでもあるため、チートにパッケージングされていたのですよハイ。

 

「で、どうするの? これ」

 

 あー、うん。

 

「私の指!? ねぇ私の指そこにあるの!? ねぇ! 返して! それを私に返して!!」

 

 判ってるよ。回復魔法は時間がかかるんでしょ?

 今は、その時間が無いよね?

 

 なら。

 

「水が凍る温度をゼロ、蒸発する温度を百とするなら、二から五くらいの温度に冷やしておいて」

「ねぇってば! ねぇ!!」

 

 アリスは、温度を上げるだけでなく冷やす方も可能。それはヘアアイロンの実験の時に証明済みのこと。なお切断された指の保存に、最適な温度なんて知らないですよ。冷やした方がいいとは思うけど、氷点下にすると水分が凍結して細胞膜がどうとかでマズイのでは……という判断。合ってるか合ってないかは知らん。

 

「うん……わかった」

 

 アリスが、素直な子供みたいにしおらしく従う。

 

 全く注目されてなかったエアスポットから、大声を出すことで支配した場の空氣。

 だけどそれは、一時的……というよりは一瞬の効果しかない。

 

貴殿(きでん)は」「私は、聖女アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード!」

 

 だから重ねる。

 

 インパクトのある言葉を選び、発し、場の主導権を握り続ける。

 

「その念話のダイアモンドの向こうにいる貴方(あなた)!!」

「む」

 

 ドワーフ、ゴーダの目が、私を睨んだまま、警戒に吊り上がります。相手は躊躇無(ちゅうちょな)く女性の指を切り落とす夜叉。その厳つい首と肩周りの筋肉が、分厚い壁となってこちらに迫ってくるような錯覚を覚えます。

 

 おまけに、ここへきて鼻に……サスキア王女の、枷を赤黒く染める血の匂いが私の鼻にも届いて、なんだかとても息苦しくなってきました。

 

 だからそういうものを振り払うかのように、だけど私は大声をあげ続ける。

 

「貴方に伝えます!」

「ぼそっ(ティナ、念話のダイアモンドって、思ったことを相手に伝えるもので、この場の音を相手に送るものじゃないよ)」

 

 横からアリスのツッコミ。小声で。

 

「あ、貴方が伝えなさい! その念話のダイアモンドの向こうにいる方に!!」

「(あ、ごまかした)」

「貴殿に用は無」「聖女の目の前でこれ以上人を傷付けることは許しません! このような者を使い、貴方は何を企んでいるのですか!! 要求があれば直接ここにきて言いなさい!!」

 

 抑揚をつけ、大仰に、決め付け、言い切る。

 

 とにかく今は場を支配しなければいけません。相手に自分のターンだとは思わせないことが重要です。

 

「あ、貴女(あなた)、念話のダイアモンドのことを知っているの!?」

 

 おっと、意図せぬ方から反応がありました。

 男爵家にマジックアイテムの知識はない……おそらくはそう思っていただろう、尊き血のサスキア王女には、どうやらインパクト抜群の言葉だったようです。

 

 さぁて……この出たとこ勝負、()るか()るか。

 

「貴殿は……なにをのたまっておるか。儂はひとり! 儂の目的だけで動いておる!」

 

 く。冷静に返されている。

 

 だがもう勝負は始まっている。一歩引けばまた脅迫者のペースだ。

 

 主導権を渡すな、相手の気勢を崩して乱せ。

 

 そのシリアスを拒絶しろ。

 

 私という存在を、混沌の渦にして、そこへ引きずり込むんだ。

 

 ……あの向こうにナニカがいるのは間違いないのだから。

 

「ならば貴方は己が傀儡(かいらい)であることを知らない、自覚ある傀儡(くぐつ)よりも哀れな傀儡(かいらい)! 誰のどういった言葉に動かされ、ここに来たか、過去へ立ち返って考えなさい!」

「話にならぬ! (しも)の毛も生えとらんような娘っ子が!」

「ええ生えてませんよ? それが何か!?」

「(ちょっとティナ!?)」

「儂が用あるのはそこなアリスだけじゃ!」

「アリスだって下の毛は生えてませんけど!?」

「なんとぉ!?」「ちょっとティナぁ!?」

 

 なんかとんでもない暴露をした氣がしますが、しょうがないのです、ここはインパクト重視の言葉で場を支配しなくてはいけないのですから。なお、(げん)の真偽は問わないモノとする。問うな。

 

「後ろのこの子なら生えてると思いますけど! では彼女の言うことなら聞いてくれるんですか!?」

 

 なので更に重ねます。

 

「ば、馬鹿者ぉ!!」「(……ティナ様、さすがに恥ずかしいのですが)」

「自分がやっていることを、今一度見つめ直しなさい! 貴方は未婚の年若い少女に暴力をちらつかせ、迫っているだけの卑怯者です!」

「わ、儂にそんな趣味はないわ!」

「人質の、それも女性の指を切断する! 少女に卑猥な侮蔑を投げる! どう解釈しても趣味がいいとはいえませんが!?」

「だ、だからそれは、そこなアリスが実質四百歳の邪悪な魔女であるがゆえの!」

「だからそれは誰の入れ知恵!? アリスは邪悪な魔女なんかじゃないって私が一番よーく知っています!!」

 

 邪悪な魔女は、自分を殺そうとする竜の命を、奪いたくないなんて言わねぇよ!

 

 くだらないやりとりに、私も混ぜてーって入ってこないよ!

 

 私やサーリャを危険に巻き込みたくないだなんて思わないよ!

 

 どうしていいかわからなくなるまで追い込まれて……私みたいな不出来な人間に……「命令して」って、自暴自棄にせがんだりしねーんだよ!!

 

「ティナ……」

 

 押せ押せ押せ!

 

 どうやらこのドワーフは、フィクションのドワーフ、そのイメージそのままに、あまり口の上手い部類の人間ではないようです。

 

 なら、このまま口で圧倒して活路を見出すのが最適解!

 

 活路がなにかって?

 

 簡単だよ。

 

 既に一回、アリスに魔法は使わせている。

 

 ドワーフは最初からアリスの存在を知っていた。

 サスキア王女は、おそらく囚われの身でこの空飛ぶ船を見たはずだ。

 そこに同乗していた、聖女であるはずの私と、妖しげな薔薇色の髪の……ツインテールで髪を上げているから尖った耳も見えている……ハーフエルフの少女。

 

 この時点でもうほぼほぼ真っ黒。

 

 相手が暴力を行使した時点で、魔法の行使を躊躇う理由はなくなった。

 

 アリスはもう隙あらば魔法を使っていい。

 

 最適なタイミングを、あとは私が作り出すだけ。

 

 わかっているでしょう? アリス。

 

 ここぞという時に、貴女が行くの!

 

 ……だが。

 

「そ、それは! カナーベル王国筆頭占せ……ひぎゃっ!?」「ひっ!?」

 

 その時。

 

 ばちゅん! と。

 

 ドワーフの首の辺りが、光った。

 

「ぐ……ぁ……」「きゃあああああああぁぁぁ!!」

 

 ミスリルの柱からドワーフの脚が離れ、サスキア王女の悲鳴が空に響き渡る。

 

「アリス! 王女を回収!!」

「え?」

「王女の枷! アレは物体! 荒い制御でも平氣!!」

「あっ!!」

 

 そう、それはこの黒船を飛ばしていた時と同じ原理。

 そしていま黒船は宙に繋ぎ止められている。

 アリスの魔法のキャパシティに、余裕はあるはず!

 

「ティナ、いくよ! サーリャ! ティナを押さえて!」「はいっ!」「んっ」

 

 もはや御馴染みとなりつつある、ぽわんときてほわほわっとする感覚。

 視界に銀髪が舞い、アリスの魔法陣がぎゅるんと回転した。

 

「ぎっ!?」

「サスキア王女! お氣を確かに! 今お救いします!」

 

 ちらっと頭に、お氣が確かじゃない方が誤魔化し易いんじゃないかな……という考えがよぎる。

 

 だがそれは救ってから考えればいいことだ。

 

 やがてアリスの魔法によって、サスキア王女が空をゆっくりと昇ってきた。

 

「……重いと思ったら」

 

 どうも枷の鎖は、ドワーフの腰にフックのようなもので繋がれていたらしく、ふらふらと頼りないながらも、逆さまになったその矮躯(わいく)が、王女と一緒に昇ってきていた。

 

 なにが起きたのか、どうもゴーダと名乗ったドワーフは氣絶しているようだった。

 

 狭い船内に、二人の身体が打ち揚げられる。

 

「えっ!? 貴女は……聖女……アナベルティナさん?……いたっ……」

 

 私の銀髪と、身体に走る光る線を見たサスキア王女は、一瞬驚愕の表情になりかけ、しかしそれとは無関係に、指の痛みに顔を歪める。

 

「アリス、王女殿下の指、くっつけてさしあげて」

「……いいのね?」「え……あの……え?」

「サーリャ、王女の身の回りのこと、お願い」

「はい」

 

 とりあえず王女のこと……枷とか涙とか鼻水とか、血で汚れた肌や衣服とか、そういうの全部……アリスとサーリャに丸投げ。

 

 氣絶したままの、ゴーダとかいうドワーフの身体を探ります。

 

 逆さ吊りになったりもしていたので、もしや落下したか? と思ったのもつかの間、それはただヒゲに埋もれていただけのようでした。

 

 念話のダイアモンド。

 

 先程見た感じでは、ネックレスのように首にかけていましたが……。

 

 どうも厳ついドワーフがネックレスにするにはチェーンが短かったようで、それはなんと、立派なヒゲに絡み付ける形で固定されていました。某、同性愛者であることをJKな作者さんからバラされた魔法学校の校長さんかな?

 

「……ていっ」「……うっ」

 

 相手が氣絶してることをいいことに、髭ごと毟り取ります。

 女性でも手で簡単に千切れそうな細いチェーンでしたが、存外丈夫なのか引き千切られたりはしなかったようです。まぁ多少憂さ晴らしを兼ねさせていただきましたよっと。

 

 さて。

 

「それじゃあ答えてもらおうか。おい、この向こうにいる誰か、まだ通話は繋がっているのかい?」

 

 

 







 ※この後書きは、経緯の記録のため、連載当時のまま残してあります(2021年5月11日追記)



 ◆この作品の今後ついて

 作者の能力不足による様々な現状をふまえ、考えた結果、この作品は三章とエピローグの数話をもって完結することとしました。2021年5月中には完結になるかと思います。

 多少、おれたた風味の終わりにはなりますが、元々一章から三章で「第一部」というイメージだったので、話としては区切りのいい部分で完結になります。「ティナ達はこの後も、なんだかんだで、こうして上手くやっていくんだろうな」と思える終わりを目指しています。

 ここからはそうした形で終結に向かう物語ですが、よろしければ、完結までお付き合い頂けると幸いです。



 ◆完結までの更新スケジュール・現在の予定

 32話:3月31日(水)更新 34話まで毎日21時更新
 35話:4月3日(土)12時更新
 36話:4月3日(土)21時更新
 37話:4月4日(日)22時更新

 エイプリルフールのネタ投稿とかはないです。
 というか4月2日の34話がむしろネタ臭い。

(以下の予定は検討中のため、変更の可能性が高め)

 38話~40話:4月16日(金)~4月18日(日)
 41話~43話:4月23日(金)~4月25日(日)

 その後、5月に3~4話投稿し完結。




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32話:舌戦「ティナVSティア」

 

『なかなか、想像とは違うお嬢さん、ね。聖女殿』

「……出たな、黒幕」

『黒幕、ねぇ』

「とりあえず、なんてお呼びすればいいか、教えていただけるかな?」

『名前、ねぇ』

「言えないの? よっぽど恥ずかしい名前? じゃあショーン・ベーンさんとかでいい? あ、これウチらのシマで小さい方の排泄物って意味なんだけど」

『下品、ねぇ』

「まぁ裏でこそこそ暗躍したがるような人間に、上品ぶる必要性は感じないね」

『暗躍、ねぇ』

 

「……応答してくれた割には、相槌ばかりだな」

『まぁ……ねぇ。ふふふ』

「お前の目的はなんだ」

『目的?』

「なぜアリスを殺そうとしてる」

『殺す……ねぇ』

「違うのか?」

『そう、ねぇ……』

「答えろ!」

 

『聖女殿。私はね……貴女(あなた)が私の存在を確信してるようだったから、存在を隠す意味はないと思っただけよ? それはつまり、名前、所属、自身の目的まで、貴女が知らないこと全て、答える必要がないということ。私が対話に応じたのは貴女、イレギュラーな貴女と話してみたかったから、それだけ……ね』

「……私と?」

『パザスに(さら)われ、アリスを味方にした謎の少女。どうしてそうなったのか、興味はあるね』

「お前は、カナーベル王国所属筆頭せんせ」

『……』

 

「聞こえてないと思った? あのドワーフが言いかけた言葉は、ちゃんと聞いてるよ」

『駒の排除が少し遅かったようね』

「お前の所属はカナーベル王国。なんらかの筆頭。そしてそれは、せんせ、で始まる何か」

『それだけでは特定できないでしょうね』

「知ってるか? 筆頭、ってのは、何かのジャンルで一位に()す誰かを表す言葉なんだ。つまりなんらかの筆頭ってのは、ひとりしかいないんだ」

『……』

 

「カナーベル王国に所属する、せんせ、で始まるジャンルのトップ。これって、そんなにいると思う? 男爵家の人脈でも、簡単に数人まで絞り込むことができると思うけど」

『それなりに頭は回るよう……ね』

「アンタは頭が悪いようだね。まぁ暗躍なんて、自分に自信がないヤツがしたがる種類のモンなんだろうよ」

『口が悪いわね。お嬢様らしくないわ』

「そういうアンタはオカマみてーな喋り方だな」

『あら、知らないの? 念話のダイアモンドは声を偽れるのよ?』

「実は女性だと? まぁ性別なんてどうでもいいさ。私の口が悪かろうが、アンタが男だろうが女だろうが、お前が根暗で、臆病モノのしんねりむっつりだってことに違いはない」

 

『どうしてこんな礼儀知らずに、聖女なんて称号が与えられたのだか。がっかり……ね、アリスを心酔させるくらいだから、もっと慈母のような女の子だと思っていたのに』

「慈母みたいな女の子なら、俺の下で膝枕してるぜ?」

『うん?』

「まぁ膝枕されてるのは王女様だけどな。出血多量で立ってるのも辛くなったみたいでね、固い岩へ、魚の干物みたいに置いとくわけにもいかないし。……これだけでアンタを、王女の身を危険にさらした罪で訴えることが可能だろうね」

 

『それに、私が怯えるとでも?』

「お前はカナーベル王国所属、なんらかの部門で高い地位を持っている。ならカナーベル王国の法で裁いてもらうさ。王女を傷付けたんだ、軽い罪じゃすまないぞ」

『私がそこへドラゴンやドワーフを仕向けることができた意味、考えていないようだね』

「……」

 

『頭はいいが、視野は狭い』

「なんだ、俺SUGEEEでもしたいのか?」

『それが何かは知らないが、私に所属など大した意味はないね』

「ほぉ」

『私は名乗らない。君は今自分の限界を晒した』

「あん?」

『君は、私の名前を知るには男爵家の人脈を使う必要があるといった。ということは、君は、その船とやらで今すぐ王都へやってきても、すぐには私のところまで辿り着けないということだ』

 

「……このドワーフを拷問して吐かせるって手もあるんだぜ」

『ほう……君はなかなか愉快なことを考えるね。でも、残念ながらそれは難しいね』

「なぜ」

『その念話のダイアモンドのチェーンは、私が竜の牙から作った特別製でね。こちらから特別なシグナルを送ると、一度だけ、その時点でパスを繋げている人間の脳を、完全に破壊するほどの電撃を放出する……おっと怯えなくていい……それは一度だけの切り札だからね。このノイズ混じりの念話状態からすると、どうやら君は電撃を警戒して、アリスに何か防御系の魔法を使わせていたようだがね。どちらにせよもう、そのチェーンにそんな力は残ってな……おっとこれは乱暴な』

「ありがと、アリス。ごめんね、王女殿下の治療に戻って」

『魔法でチェーンを切り離したのね。ご苦労様。そういうわけだから、ゴーダの知性や記憶の完全回復は望めないだろうね。今、王女殿下の指はどれだけ回復したかね? 仮に、そちらを放置してゴーダの回復に全力を尽くしたとしても、脳の再生には時間がかかるよ。それで記憶が戻るかも怪しいことだし、ね。私にはそれだけの時間があれば充分だ』

 

「……お前は九星の騎士団の関係者か?」

『さて、どうだろうね』

「もう少ししたら、ここへパザスさんがやってくることになっている。お前が九星の騎士団の関係者なら、心当たりを聞くことができるんだぞ」

『聞いてどうする? 竜が証言したから、それで?』

 

「……王女殿下の証言なら」

『そこの恋愛脳が、聖女殿に協力すると思うかね?』

「……」

『君は、念話のダイアモンドが王女の額に光っていたのを、見ているはずだがね』

「……ああ、見たさ」

『正直、王女の指が切り落とされたくらいで、君がアリスを使ったのは予想外だった』

「……」

『君は王女が怪しいと氣付かないくらいの馬鹿だったのかね?』

 

「……悪いが私は、被疑者に人権……人間らしく扱われる権利が無いと言い切れるほど、蛮勇おめでたい正義を信じてるわけじゃないんでね」

『言葉遣いの割に、そこはやはり温室育ちのお嬢様らしいお言葉だね』

「これはパパの治世を見て学んだことだよ」

『だからスカーシュゴード男爵家のご当主様は、領民にも商人にも詐欺師にも、ナメられているんだろうね』

「……なんだと?」

『温室育ちのお嬢様、社交界に出たら自領の評判を氣にしてみたらいい。お人よしのご当主様、若い頃は詐欺師に沢山騙され、そのせいで大金を失い権威もガタ落ち。そんなだから戦争中も貧乏くじを引かされてばかり。普通、戦時でも農地が繁忙期(はんぼうき)の間は領地に帰れるものなのに、二年間も従軍を続けさせられ、家も領地も荒れ放題』

「……」

 

『男手を二年も失った家が、領地どうなるか、君は身をもって体験したのではないかね?』

「……」

 

『農地は荒れ放題、害獣は駆除できない、ゴブリンのスタンピードで滅んだ村もあったというね。これは王都の記録にもちゃぁんと残っている。結局、その討伐軍は国が出したようだからね。君の領地で二体のドラゴンが出現したことについて、中央がどう受け止めているか知っているかね? さもありなん……だ』

「……」

 

『荒れた領地、魔物にすらナメられている領地、それがスカーシュゴード男爵領だとね』

 

「……それはそれは、見識を高めさせて頂きどうもありがとう……だ。その調子で貴方自身についても、もっと喋って頂けたら恐悦至極なのですが?」

『なぁ聖女殿、君はアリスをどうしたいのかね?』

「どうしたいのかって?」

『私がアリスを狙っているということは、既に理解しているだろう?』

「そうだね。なぜ狙っているのかについて、詳しく教えてもらいたいところだけど」

『アリスが君を脅迫して一緒にいるということは考えられない。パザスが一緒だったなら、お人好しの赤竜君が止めたはずだ。ならば君は、匿えば極刑となる少女を、それと知りながら身中に置いたことになる。君は、実家の意向には従順な少女であると報告されている。なのに、アリスを匿えば男爵家に迷惑がかかるとは考えなかったのかね?』

「……」

『ちょっとした反抗期のつもりか? アリスを匿い続けることは、君のため、君の家のためにならないぞ』

 

「……私が、実家の意向には従順、ね」

『国が贈る聖女の称号は軽いものではない。君がそれを贈るに相応しい人物であるか、事前に調査された』

「まぁ……それは当然されたでしょうね」

『私が君を知ったのはその調査ゆえにさ。ああそうさ』

「なかなかいいご身分をお持ちのようで」

『この対話が終われば、すぐに捨てられる程度の身分さ』

「なるほど……ふん、なるほど」

『そういう意味では、この件は君の勝ちでもいいさ、何年もかけて得た立場を、収穫期へと至らぬまま、私に捨てさせるのだからね。まったく、どうやって安寧のムーンストーンから逃れ得たのか……』

 

「なぁ」

『なにかね?』

「お前は、何がしたかったんだ?」

『うん?』

「アリスを狙う理由、そこは話したくないようだからな、とりあえずいいさ。じゃあこっちはどうだ? お前が竜の討伐隊と……王家へ向けた殺意、その出所はなんだ?」

『うん?』

「とぼけるな。お前にはその殺意がある。今にして思えば、ユミファが動き出したタイミングが良すぎる。お前は今回の共犯者達と念話で連絡を取っていた。寝静まったのを確認させてから、それをユミファへと伝えたのがお前だろう? つまりこの陰謀は、アリスを狙うだけのモノなんかじゃなかった。お前はどうしても竜の討伐隊をここで全滅させたかったんだ。ユミファの殺意を利用して!」

 

『なるほど、その程度は推測も可能か』

「どうなんだ!?」

『では、この件での、君の勝ちを祝してね、それくらいは答えてあげましょうか。そう、私は竜の討伐隊を全滅させたかった』

「こちらの勝ちだ勝ちだ、言ってくれる割に、まるで勝ち誇っているかような感情が伝わってくるんだが?」

『別にもう、どうでもいいからね。竜の討伐隊は、これからカナーベル王国を食い散らすのに、邪魔だったというだけだからね。特に、ナハトという男にはユミファを制するだけの力があった。彼はね、あれで傑物だよ? 異能の類を何も持たず、単純な武力だけで魔法使いを圧倒できる人間というのは、少ない。おまけに何の因果か、魔法に対する抵抗力もめっぽう高くてね。安寧のムーンストーンが効果を発揮するか、多少不安だったぐらいだ。彼はカナーベル王国を食い物にしようとするなら、いずれ邪魔になったであろう人物……ということだね』

 

「……」

『だがもう、それもどうでもいい。カナーベル王国を喰うのはやめだ。そんなのは暇つぶしでしかない。アリスの復活が確定した以上、私が最優先すべきはアリスだ』

「王家には? 何か恨みでもあったのか?」

『さぁどうだろうね?』

「もう一度言うぞ、とぼけるなよ?……あの仕掛け、あれはそもそも、誰を狙ったモノだ?」

『ふむ? 言葉を濁しているのはそばにいる王女への配慮かね? ハッキリ言ったらどうかね?』

 

「……最初、それがどこにあったか、どの頭に巻かれていたか、考えればすぐにわかることだからな」

『別に、カナーベル王国に恨みはないね』

「ならなんで!?」

『それも、どうでもいいからだね。いわば、ただの保険かしら? 役に立たなくなった駒を盤上から排除するための……ね?』

「……はぁ?」

 

『面白い反応をしてくれるね? さほど、珍しい話とも思わないのだがね? 役立たずは切り捨てる、ゴミはゴミ箱へ、当然の話だろう?』

「当然、ときたか」

『箱入り娘の君には理解できない世界かね?』

「理解はできるよ。けど共感はしない」

『君だって、家族や自分の命と、どうでもいい人間の命の価値は、違うだろう?』

「違う。違うが、その違うは、お前のそれとも違う。自分にとって価値のない人間でも、その人の家族や友人、恋人には価値のある人間かもしれない。だから、どうでもいい人間を、どう扱ってもいいってことにはならない」

『それはやはり、貴族令嬢の君には、理解できない世界があるというだけの話だね』

 

「理解はできる。自分にとって不都合なものをいたぶり、排除しようとする人間となら、それなりに長く付き合ったもんでな」

『それくらいなら、貴族に生まれれば、当然目にするモノだろうね』

「どうかな。貴族とは無関係に、そういう人間はいると思うよ。自分にとって不都合な人間、不快な人間、自分が理解できない人間、氣持ち悪いと思う人間を、特に敵対しているわけでも無いのに、とにかく排除、攻撃しようとする人間はな」

 

『それが人間というものとは思わないのかね?』

「思わない。本格的に敵対する前なら仲間にすることも、協力関係を結ぶことも、そこまでいかなくとも、相互不干渉のラインへ持って行くことだってできる。敵を全部倒したら平和でハッピー? 自分が醜いと思うモノを全部排除したら美しい世界?……そんなこと、あるもんか。自分が氣持ち悪いと思うモノでも、それが他人の幸せなら最大限尊重する。そういうことだって、できるはずだろ? 何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ、だ」

『最後のは、どこかで聞いた言葉をそのまま言ったような薄っぺらさを感じるね』

「そりゃあ借り物だからな。これ、海賊王になりたいゴム人間のセリフじゃないって知ってた?」

『それが、君が現実を知らないということさ。借り物の言葉で理想を語る偽聖女』

「現実を知っていたら、何をしてもいいとでも?」

『現実は、良い、悪いで動くわけではないということだよ。もっと現実を見て、見識を高めることだね。何をしてもいい、ではない。なんでも、するべきなのだよ。少なくとも私はそうしてきたし、これからもそうしたいと思うね』

 

「……ここをお前と話してても、平行線になる氣しかしない」

『同感だね、祝勝記念のご褒美は終わりだ。今度はこちらから質問しよう』

「……なんだ?」

『君はあれだね、なるほど、言葉遣いは悪いが、それなりに聖女のようだ』

「氣持ち悪いことを言うなよ」

『本氣で嫌がっているところが面白いね』

「本氣で嫌だからな」

『ふふ、だから私は聖女に問いましょう。君にとって、自分や自分の家族の命、それとアリスの命は同等かね?』

「……」

 

『どちらかひとつを選べと言われたら、どちらを選ぶのかね?』

「脅迫か?」

『そうとってもらって、構わないけれどね?』

「お前に何ができる」

『何かは、できるね。何をしてほしい? 殺されてみたい? いいえ、生かしたまま死にたいと懇願するまで苦しめてほしい? それとも家族をひとり、またひとりと失っていく方をお望みかしら?』

「お前に何ができる!?」

『何でもできるし、する。そういう世界が、この世にはあるの。温室育ちにはわからない、地獄のような世界が、ね?』

「……」

 

『だから私は、君に問う。君は、それでもアリスを守ろうとする人間なのか? 君にとってアリスはなんだ? それは自分や家族の命と引き換えにしてもいいモノなのかね?』

 

「……ユミファはどうなったと思う?」

『は?』

「お前は王都にいる。さっき自分でそう告白していたな。であれば、お前はこの念話のダイアモンドを通じてこちらの事情を探っていたことになる」

『何の話だ?』

「ユミファとの決着は遠く離れた地で成された。そこにこのドワーフや……念話のダイアモンドの氣配はなかった。だからお前はある重要なことを知らない。このマジックアイテムが声を届けるものではないというなら、そのことについてお前はヒントすら貰えなかったことになる」

 

『……決着、だと?』

「私とアリスが一緒にいることの意味。それをお前は知らない」

『……』

「私のことは人づてに、報告で知っただけなんだろう? ならお前は私が何者であるかすらも知らない。根暗野郎、それが前線に出てこない臆病モノの限界だよ。丁重に名乗り、土下座して請えば教えてやってもいいんだぜ? どうか貴女様とアリス様の間柄について、このしんねりむっつりめの見識を高めさせてください……ってな」

 

『……小娘が』

「お、いいね、根暗野郎らしく小物感が香り立ってきたぜ。香ばしいな、お前」

『やはり聖女認定など愚策だったな』

「これから国を出奔する臆病モノが国の政策批判か? お笑いだね」

『君はアリスを匿った。それはカナーベル王国の法に触れることであると、聖女殿は理解しているのかね?』

 

「ならば、そう告発してから逃げればいいさ。まぁでも、国を捨てるような人間と、聖女認定までされた男爵家令嬢、どちらの証言が信用されるかは、明白なことだと思わない?」

『現実に、君がアリスを匿っていることを否定するというなら、それこそ偽証という国を裏切る行為なのだが、君は悪びれもしないね。サスキア王女はどうする?』

「さぁ。お前には関係ないだろう?」

『生かしておけば君の身の破滅と思うがね』

「言ったろう? 当家の流儀では罪が確定する前の被疑者に手荒な真似はしないんだ」

『碌なことにならないと思うがね。その娘は、毒物だよ』

「それこそ、国を捨てる人間には関係ないことだろう?」

『奇特なことだ。この忠告は、純然たる親切心から()でたるモノなのだがね』

「それはそれは、赤心、痛み入るね」

 

『アリスに関わるな』

「誰の味方をして、誰に従い、従わないかは、私が決めることだよ」

『妹が死ぬぞ』

「……」

 

『ミアリエルといったか、君は頭の弱そうな妹を大層可愛がっているようだね』

「ミアの頭は悪くなんてない」

『それは失礼。報告にはそう書いてあったものでね』

「ミアがどうしたっていうんだよ!?」

『さぁ? だが君がアリスをあくまでも守ろうとするのであれば、その塞がった手では、守れない存在もでてくるだろうね』

「……」

 

『いいね。ここにきて初めて君の負の感情がこちらに伝わってきたよ。ああ……素晴らしい。怒りと怯え。憎悪と不安。守ろうという意志と失うことへの恐怖。そうして君は私に教えてくれたわけだ。君にとって妹が、どれほど大事な存在であるのかを』

「……ミアに手を出したら許さない」

『私はマジックアイテムを作れる』

「っ……」

 

『そのことの意味は、考えたかね?』

「……討伐軍を眠らせたのはお前か?」

『間接的には、そうと言っていいだろうね』

「直接的には?」

『頭の良い君なら、想像が付くと思うがね』

「そうじゃない。どちらだ」

『ゴーダなら、魔法の発動を確認したら、すぐに君達を襲っていたのではないかね? ならば答えはわかろうというもの』

 

「……恋愛脳ゆえに?」

『もっと強くはっきりと言ったらどうだ? 念話のダイアモンドは声を出さずとも思ったことを相手に伝えるアイテムなのだがね。強く想えば、それだけ強い思念となって相手に伝わる』

「慣れてないんでな。こっちは隠し事が多いんだ。声に出したことをそのまま念じて伝える方が、取捨選択が単純で安心できる」

『それは残念』

 

「……狙ってやがったな」

『それは当然。だが君はなかなか用心深いね。心の深い部分が見えたかと思うと、そこにあるのは聞いたこともない言葉の坩堝(るつぼ)だ。何かねそのデタラメな言語は。読心避けにそのような言葉を唱え続けるとは、ご苦労なことだよ』

 

「……で?」

『とは? なにが言いたいのかね』

「恋愛脳ゆえにか?」

『さぁどうだろうね。ひとつ確かなのは、彼女のせいで、数時間後に人が沢山死ぬよ』

「……なに?」

『王女の正体、これはそちらの隠し事と引き換えであるなら、教えてあげてもいいね』

「だったら必要ない。だが、ミアに手を出さないと約束できるなら……いいぜ?」

『ほう』

「ミアは本当にただ無力なだけの子供だ。それを害したとして、お前が得るものは俺の絶対の殺意、それだけだ」

『ほう、つまり君と交渉する場合の効率は、彼女を略取(りゃくしゅ)するのが最上であると』

「そうだな、お前の正体が判明するまで完全警護体制で警戒しとくよ」

『判明したら?』

「お前に、ミアに手を出す氣があるというなら、全力で叩き潰す」

『おお怖い』

「できないと思うか?」

『できると思うのかね?』

「お前はユミファを制御できていなかった」

 

『……それが?』

「お前はドワーフを嘘で操っていた」

『何が言いたいのかね?』

「お前の部下はそれで打ち止めか? 寂しいヤツだな。それでちょっと失敗したら、誰に頼るでもなく即、逃亡か。随分と寂しい人生を送っているようじゃないか、根暗野郎。それで次はどうする? なるほど、お前は色々な事情に通じ、マジックアイテムを造れる特異な人間のようだ。……で? 敵がお前ひとりなら、お前ひとりを探してとっちめればそれで終わる話だろ?」

『……』

 

「お前の正体なんてどうせ程なく判明する。それなりの身分にあったものが失踪するんだからな、調べずとも噂が飛んでくるんじゃないかな。お前はさ、口さがない女社会の恐ろしさってモンを知らないのかい? そしてアリスは、パザスさんは、探索魔法を使える。不審者が近付けば感知できるんだ。感知できたらそれが噂の失踪者かどうか確かめて、そうだったらボコればいいってだけだろ? ね? なにをもって自分が叩き潰されないと、自信満々に言えるの?」

『……君はマジックアイテムの恐ろしさもわからないのだね。哀れだ』

灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。お前はさっき自分からもその名を挙げていたのに、その存在をもう忘れたのか? こちらには、そうしたことにも通じている味方がいる。ならば対策も方策も立てられるさ。マジックアイテムの発動は、警戒してれば魔法的に感知できるそうじゃないか。なら、戦える」

 

『ふむ……君は……本当に十三歳の少女かね?』

「そうさ、心清らかな聖女様さ。だから忠告するよ、木を隠すなら森に……とは考えないことだ。お前のその薄ら寒い殺意、ハッキリと感じたぜ。通話越しに相手の感情が伝わるってこういうことか、クソ野郎」

『……ふん』

「男爵領は田舎なんでね。見慣れない不審者の情報なんてすぐに広まる。お前が自分と似た肩書きのモノをいくら失踪させて迷彩にしようと、お前が男爵領に近付いてきた時点でこちらの警戒はマックスだ。そんな小細工には意味がないんだよ。それでもやるというなら、お前がそんなことをしてる間に、こっちはどんどん迎撃体制を整えてやる」

 

『なるほどね。だんだん君のことがわかってきたよ』

「こっちはお前みたいな殺人鬼とはわかりあいたくないよ。関わらないでほしいんだけど」

 

『……なぁ聖女殿』

「なんだ」

『私は君や君の妹に興味はない。私が用のあるのはアリスただひとりだ』

「そうかい、お前は少女狙いの変質者だったのか。殺人鬼とどっちがマシな称号だと思う? 好きな方を選ばせてやるよ、ショーン・ベーン。いやクソ野郎だからダイ・ベーンか。お前はダイでなければならない。ユーマストダイ!」

『……君にとって、アリスはそれ程までして、守るべき存在なのかね』

「さぁね」

『約束しよう、アリスを匿うのをやめれば、私は君や君の妹に手は出さない』

「……」

『だがアリスを匿うというなら、私は君を排除しなければいけなくなるね』

「へー。私に匿われてる限り、お前はアリスを殺せないんだ?」

『……』

「随分と高く買ってくれたもので。たかが十三歳の少女を」

 

『……君が波動持ちであることは分かっている』

「波動?」

『とぼけなくていい。人間の魔法使いはおよそ一万人にひとりの割合といわれているが、強力な波動を持つ人間はもっと少ない。エルフや、獣人だと種族によってはもう少し多いようだがね。アリスは君に己の魔法を強化する存在としての価値を見出した。君は、アリスに利用される代わりに、君もアリスの魔法を利用していいと、そういう契約を結んだのだろう?』

「なんのことやら」

 

『ユミファをどうした』

「お仲間の行く末は、お前でも氣になるのかい?」

『仲間などではない。ゆえに行く末などはどうでもいい。だがアリスが昔のままの力しか持たないのであればね、ユミファはアリスを圧倒してたはずだ』

「へー」

『なにかがアリスの力を強化した。それが君であるというなら、その波動は、事前に予測していたダブル程度のモノではないということになる』

 

「……ダブル?」

『これは私独自の呼び方だがね、適した魔法を二倍化する波動でダブル、三倍でトリプル、四倍でクアドラプル、以下クインティプル、セクスタプル、セプタプル、オクタプル、ノナプル、十倍以上でディカプル、わかりやすいだろう? 人間ならダブルで魔法使いと同等、一万人にひとり程度の存在だ』

「ほー」

『ユミファをアリスが圧倒するなら、クアドラプル以上は必要だったはずなのだがね』

「四倍はどれくらい希少なんだ?」

『人口百万の国にひとりか二人、いればいい方だな』

「ディカプル、十倍は?」

『それはもう人間では有り得ない』

「ほー」

 

『十倍以上は、エルフでも百万、千万人にひとりのイレギュラーだろうよ。歴史上の最上位存在で三十倍。彼女は伝説にその名を残しているよ』

「それはつまりアリスの」

『そう母親、リーンだね』

「なら四倍以上が確定の私は、お前からしても邪魔な存在だってことだ」

『そうだね、手を引いてくれると嬉しいのだが』

「もう一度聞こうか、お前はなぜアリスを狙う?」

『狙う、ねぇ』

「殺すでも無い、狙うでも無いなら、なぜ竜やドワーフをけしかけた?」

 

『……ふむ』

「答えろ!」

 

『……むかしむかし、エルフの女王は人間に呪いをかけました。するとどうしたことでしょうか、人は夜になると、男性は狼に、女性は蛇へと変化するいきものになってしまったのです』

「……は?」

『ふふっ。聖女様に問おうかしら。人類とエルフの戦争は、なぜ起きたのでしょう?』

「……エルフが人を呪って、夜になると男は狼、女は蛇へと変化するいきものに変えたから?」

『それが真実と思うかね?』

「……」

『ああ、このことはアリスも知らないはずだね。パザスに聞いてみたらどうかね?』

「待て。お前はパザスと面識があるのか?」

『さぁ? どうだろうね?』

 

「……お前は黒竜とドワーフ、どちらのパターンだ?」

『とは? なにが言いたいのかね』

「お前も四百年を生きた歴史の証人か、それとも間違った伝承に踊る係累(けいるい)の一門か」

『さぁ? それもパザスと一緒に考えればいいことでは?』

「お前はユミファをどうしたのかと聞いたな? その答えと引き換えではどうだ?」

『いらないよ。君達はなんらかの形でユミファを撃退した。そういうことだろう』

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。聞いておかないと損をするかもしれないぜ?」

『ハッタリはいい。だが君はどうやら誰かを殺すことのできる人間ではないようだからね。この短いやりとりの中でもよくわかったよ。君は中途半端に優しい人間だ。そこは蝶よ花よと育てられた十三歳の貴族令嬢らしいね。まぁ、もったいぶるところをみると、懐柔してこちらに解き放つくらいはしたのかね?……いや懐柔したのならもう少し私のことも知っているはずだね……洗脳は呪いの領分、アリスには使えない……ならば欺瞞で騙したか。さすがは竜にさらわれ生還した聖女様、竜の扱いはお手のモノというわけだね。なんにせよ、猪突猛進で襲ってくるユミファなど、私の敵ではないよ』

 

「……冷たいことで。利用価値のなくなった仲間は即、切捨てか」

『所詮竜、所詮ドワーフさ』

「なるほど、お前は人間至上主義者か。スライムなんかも使い捨てるのかい?」

『ふふ、これでもまだカナーベル王国に仕える身なのでね』

「これからすぐに捨てる肩書きだろう?」

『いいかね、私は忠告したのだからね? アリスとの契約を破棄しろ。さもなくばお前は不幸になる』

「……アリスは私の大事な人を守ってくれた。だから私からは見捨てない」

 

『心が揺れてるのが伝わってくるぞ? 強がりを言うモノではないね。君がアリスにいかなる恩義を感じたのかは知らないがね、それは、君の妹の平穏な生活よりも重いことか? 私は君が考えてる以上に残酷で、冷酷だよ? 拷問は趣味じゃないがね、必要なら躊躇(ためら)わないよ? 生かしたまま苦しめるマジックアイテムだって持っている』

 

 

 

弥縫(びほう)のコーラルといってね、人が生きるに必要な器官の、一時的な代替品となってくれるマジックアイテムだね。これを使うと、どのような”手術”も可能になる。心臓を失っても、なんなら頭だけでも、意識あるまま、数日は生かすことだってできる。九星の騎士団ではアムンという男が、好んで使ったマジックアイテムだよ』

 

 

 

『想像してごらん? 目玉をくりぬかれ、舌を抜かれ、四肢をもがれて……だけどキッチリ理性は残ってる。そんな芋虫のようになった妹が、舌のないカサカサの口で君にこう言うんだ……どうして、たすけてくれなかったの? いたかったよ、つらかったよ、あんなになきさけんだのに、あんなにくるしんだのに、どうしてオネエチャンはたすけにきてくれなかったの、ひどいよ……ひどいよ……ひどいよ』

 

 

 

『ああいい……いいねぇ、君のその憤怒、極上だねぇ。ん? 嘘ではないさ、その昔、悋氣(りんき)に駆られた御婦人から頼まれてことがあってね、彼女の夫の浮氣相手を、そうしてさしあげたことが、ふふっ、実際にあるからね? アレはそう……君とあまり変わらない……確か十五だか十六だかの少女だったね。三十路半ばの御婦人より、二十も若かったと記憶しているよ』

 

 

 

『いやはや……それにしてもあの娘は、その後どうなったのだろうね? いやいや、私もその末路はとんと聞いていないのだよ。すぐに殺されたか、そのまま数年は生かされたか……まぁあそこまで手の込んだ悪趣味を施させたからには、長く苦しめるつもりだったのだろうがね?……そういえば、あの御夫人は、その状態の娘が妊娠できるか、氣にしていたけれど……どうしてなのだろうね?……単純に、その状態でも夫の子を孕む可能性があるか氣にしていたのか、それとも……もっと更に酷いことを考えていたのか……ね?』

 

 

 

『ふふっ……嗚呼、神に祈りを、妄執に囚われた狂氣が、どうか()き悪夢と共にあらんことを』

 

 

 

『いいや? 私は正氣さ。私は、頼まれたからやっただけでね、狂っていたのはあの御婦人の方さ。ふふっ……まぁ、そういう変態貴族の真似は、けして私の趣味ではないがね? それでも、くくっ、君のその、うふふ、血涙でも流していそうな、ははっ、極上の怒氣をまた味わえるならね! 本当に、君の妹をそうしてあげたくなるねぇ!』

 

 

 

『ふふふうくくあははははっ!! 十五だか十六の娘は体力があったからね! 適当に弄ってもなかなか死ななかったがね! 八歳九歳となると慎重に扱わなければねぇ!!』

 

 

 

『嗚呼……命を弄ぶことの、なんと愉悦なるかな。きっと人の生命(せいめい)を弄んだエルフの女王様も、人体を弄んだアムンも、そう思ってのことだっただろう……ね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お、お、前、が……ミアに近付く前に……キチンとっつか、まえれ……ば、それで……済む、話……さ」

 

『それでも君が妹の身を危険にさらしてることに変わりはないね、オネエチャン。薄情なオネエチャンだ。妹を見捨てるオネエチャン。おっと、このマジックアイテム、興奮しすぎて真っ白になった思考というのが伝わることもあるのだね。私もこれは初めて知ったよ、ありがとう、勉強になりました』

「へ、屁理屈を捻じ曲げないで! 貴方に理があるというなら! 説きなさい! 貴方がアリスを害そうとする! その理由を!」

『考えればいいさ、オネエチャン。妹が苦しみ、朽ち果てるその日まで』

 

「死ね!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 








 ちくわ大明神様の出番がなかった




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33話:交錯する女の氣持ち、一部偽

 

 ああもうクソクソクソ。

 

 久しぶりに身体中が、怒りでいっぱいだ。

 

 何より腹立たしいのは、さっきからずっとずっと、心のどこか弱い部分がアリスを放逐しろ、アリスを放逐しろと囁き続けていることだ。

 

 ほら、だってそうした方がいいじゃない?

 

 ほら、だって私はミアが一番大事じゃない?

 

 ミアと引き換えにしていいものなんてないじゃない。

 

 ミアを守るためと言えば、アリスも納得してくれるよ?

 

 いちばんを一番大事にできない人間なんて、ラノベのハーレム系主人公にも劣るんじゃねぇの?

 

 うるさいうるさいうるさいうるさい!

 

 逆になんでアリスを切り捨てられないの?

 

 そんなにアリスの魔法に興味があるの?

 

 そんなに男に戻りたい?

 

 そのためにはアリスが必要? 手放せない?

 

 うるさいうるさいうるさいうるさい!!

 

 やっぱりミアよりも、自分のことの方が大事なんだ?

 

 魔法、やっと手に入れた、自分が自由に使える力。

 

 アリス、やっと手に入れた、敵対者を排除する力。

 

 ただ可愛いだけのミアより、そっちの方が大事ってことでしょ?

 

 ちがうちがうちがうちがうちがう!

 

 このままじゃミアが巻き込まれるよ?

 

 ミアが害されるよ?

 

 アリスとミア、どっちが大事なの?

 

 ねぇ。

 

 ちゃんと選んで?

 

 ねぇ。

 

 ね?

 

 ねぇ?

 

 うるさいんだよぉ!!

 

「ティナ様、ダメです」

 

 氣が付くと、船の岩壁を力の限り叩こうとしていた右手が、サーリャの胸にそっと抱かれていた。

 それはもう優しく、ふんわりと。

 

 くそ。

 

 ずるいよこれ……簡単に怒りが有耶無耶(うやむや)になっていく。

 

 思春期の脳というヤツは厄介だ。ちょっとした刺激で、制御できない思考、感情、激情が縦横無尽に暴れ回ってしまう。前世における思春期の迷走は、その多くが男性の性的な記憶と分類されてしまったのか、この生にはあまり持ち込めていない。だけどこの暴走する感情に振り回されてやきもきする感じは、前世にも味わった氣がするのだ。

 

 だからこそ、それを向こうに伝えないため、伝えたい言葉は意識して口に出し、それ以外を意識の下の方に押し込めていたのだが……。

 

「……あ、ああ、ゴメン」

「何を話してたの? ティナ」

 

 サスキア王女の指を回復しながら、胡乱(うろん)げな顔のアリスが聞いてくる。

 

「私は、声に出して話してたと思うんだけど……」

「向こうの声は聞こえないからね。誰だったの?」

 

 わからない。

 

 結局念話の向こうの男(女?)は名乗らなかった。

 パザスさんなら何か知ってると言いたげだったが……。

 

「そう、まぁあたしは魔法使いだからね。殺される理由はいっぱいあるわ」

「そういうのとも、違うみたいなんだけど……」

 

 相手の正体は結局分からずじまいだった。相手にも伝えた通り、表面上の正体はおそらく少し調べれば判明するのだろうが……例えばその真の姿がスライムのルカなのかとか、それともそれと繋がりのあるだけの普通の人間なのかとか……そういうことを、「寂しいヤツだな」などの煽り文句まで使って、探ろうともしたのだが……その辺りの話題から、相手のガードが急に固くなってしまった。

 

 あれはいったい……何者だったんだ。

 

「ね、ねぇ」

「……はい」

 

 会話が途切れかけたその時、サスキア王女が上半身を起こして言葉を発してきた。

 

貴女達(あなたたち)は、なんなの?」

 

 怯えたように眉を(ひそ)めている。

 

 血を流しすぎて顔色は悪いが、意識はハッキリしているようだ。

 

「その質問に、お答えする前に、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 聞いて、ゴーダと名乗ったドワーフの方に視線を向ける。まあ足元なんだけど。

 

「この者は何者ですか?」

「……」

「カナーベル王国は、ドワーフや獣人も、数少ないながらも受け入れてる国。ですが貴族、ましてや王族と彼らとの間に、直接的な交流はないはずです」

 

 カナーベル王国は表向き、ドワーフや獣人を差別したりすることはないと謳っている。

 

 だが、彼らが例えば、要職に取り入れられたりとか、爵位を賜るといったことはない。ありえない。

 それはカナーベル王国が「人間の」国であり、その領土全てを、人間の貴族が統治するというシステムであるがゆえの、当然の帰結だ。

 

 王族は人間、貴族も人間。彼らは、彼らが尊いと自認するその血を守るため、王族間、貴族間で婚姻を結び、先祖から受け継いだものを近親者によって守ろうとする。

 そこにドワーフや獣人の血など、混ぜようとするハズもない。

 

 だから王族、それも政治に関わってもいないだろう王女には、ドワーフとの繋がりなどあろうハズがないのだ……本来であれば。

 

「協力者に裏切られた……そんなところですか?」

 

 問うと、王女は怯えたような表情を見せる。

 

「今この念話のダイアモンドで、その向こうにいるモノと話をしました。どうやら彼が、殿下やこのドワーフを操っていたようですね」

 

 無言で、何も答えようとしない王女を前に、ふぅとため息をひとつ。

 

「見ての通り、私は魔法使いであるハーフエルフのアリスと知己(ちき)があります」

「え……」

「そして殿下は、悪い魔法使いに騙されていた」

「……騙されていたのなら、私は被害者です」

「ですが殿下。殿下のなされたことは、第二王子殿下をも巻き込んでしまっておいでです」

「それっ……は……」

「これってどちらの方が、罪が重いと思われますか?」

 

 相殺を言外に匂わせ、提案を持ちかける。

 

 お互いが、お互いの秘密を秘匿し合おうじゃないか……と。

 

「このドワーフには、おそらく正面からアリスと戦える力は無かった。そのことは事前に知らされていたのでしょう。だから殿下を人質に取り、襲ってきたのです。彼はこう言っていましたね。神の火をよこせと。殿下も、神の火が欲しいのですか?」

「ちがい……ます」

 

 王女は、悔しそうに言葉を搾り出す。

 

「弱みでも握られましたか?」

「……ちがいます」

「大変に失礼ながら、念話の向こうの彼に心でも奪われましたか?」

「ちがいます! 私はなにも知りません! 私は被害者です! 言いがかりはやめてください!」

 

 ならば。

 

 彼女には彼女なりのプランがあって、それがこの時点で頓挫した……もしくは頓挫しかけている……そういうことだろう。

 

 だが案外強情だ。彼女は彼女なりに、プライドの高い人間なのだろう。悪い意味で。

 

「殿下。私は殿下がなにをやろうとしていたのか、そのことを存じておりません。念話のダイアモンドの向こうの者も、そのことについては言及していませんでした。殿下の目的がなんであれ、それが成功しようが失敗しようが、彼にはどうでもいいことだったのでしょう」

「……そうで……しょうね」

 

 王女はうらめしそうに、切断され、現在も治療継続中の、自分の指を見る。

 

 自分は間違ったことをしたけど、もう十分報いを受けたから自分は被害者ですという心境かな?

 

 そうやって開き直られると、ちょっと困るな。

 人は、自分に正当性があると思っている時ほど、無慈悲になれるのだから。

 

「治りますよ。アリスはすんごい魔法使いですから」

「当然です。未婚の王女の身体に傷などあってはいけないのですから」

「あっ、ハイ」

 

 おまけに、治療したことに恩義を感じてくれるようなタマではないようですね。

 

 どうも、こちらの提案……お互い、秘密にしませんか?……は、通らないようだ。

 

 はぁ……。

 

 しかし治せて当然。嫌な言葉だね。

 

 本氣で言ってるにせよ、強がりで言ってるにせよ、医療関係者の勤労意欲をそぐ言葉だと思うよ。そうわめき散らす入院患者に、看護師も医者もうんざりした表情を浮かべて、それでも慣れてるのか無言で仕事をこなそうとする。

 前世の終末期には、たまに見た光景ですよ。

 

 あー、アリスさんや、イラッとしたのはその表情でわかりますが、それで治療の手を抜いたりはしないでね。

 

 しかし、この態度だと困ったことになる。

 

「それで、この者は誰で、なんと言って王女殿下に近づいてきたのですか?」

「わかりません」

「言い換えましょうか、念話のダイアモンドの向こうにいた男は何者で、彼はなんと言ってこのドワーフを殿下にお付けになったのですか?」

「……彼は名乗らなかったのですか?」

「はい。ですが今よりカナーベル王国を捨てると明言していました」

「……どういうこと?」

「それを私も知りたいのですが」

「ティナ」

「ん?」

 

 そこへ、ご機嫌斜めなアリスが、割り込んできました。

 

「とりあえず、このままでも自然治癒が可能なレベルまではくっつけた」

「応急処置が終わったってこと?」

「え?……ああ、うん。神経と血管、あと骨の一部だけくっつけた。あとは包帯でも巻いておけば半年くらいで完治するはず。傷は残るけど」

「ふむ」

「傷は残る……ですって!? きちんと治しなさっ……いたっ!!」

「ティナ、こいつ船から蹴り落としていい?」

 

 やめたげて。氣持ちはわからないでもないけど。

 

「ティナ……言ってたよね? ミアに手を出したら許さない……って」

「……」

「……向かわなくていいの?」

「どこへ向かうというのです! 全てが手遅れになる前に私を討伐軍の本陣に戻しなさい!……ぁつっ!!」

「うっざっ。やっぱコイツ、投げ落としちゃダメ?」

 

 やめたげて。氣持ちがわからない氣もしないではないそんなアンニュイなセンティメントが(ほの)かに漂う今日この頃だけど。

 

「……話の途中で、私達がユミファを懐柔して向こうへと逆に解き放った……そう思わせるように誘導してみた」

「んんん? どういうこと??」

 

 ……クソ。いろいろ好き勝手言いやがって。

 

「俺は不殺(ころさず)の誓いなんて立ててない」

「え?」「ティナ様?」

「向こうは、なんていうか……何者かが襲ってくると判っていたら、表に出て迎撃するより、罠を張って待ち構えるタイプの人間なんじゃないかって思えた。なら、ソイツを襲う、そういう存在があると匂わせれば、少しは足止めができるんじゃないかなって思ったんだ。ここから王都まで、ユミファの飛行速度で()時間とみて、諸々あわせれば数時間は余裕があると……思うんだけど……」

「自信、無さそうね」

 

 それは当然だろう。

 

「相手の性格、その手に残るカード、真の目的、どうしたらどう動くのか、それを確定するためのデータが絶対的に足りてない。話した感じ、厄介なクセモノの匂いがぷんぷんした。搦め手を好みそうな、陰氣な雰囲氣を醸し出していた。でも、それすらも擬態だった可能性がある」

 

 バレてしまったから、私は途中から、自分のミアへの執着を強く相手に印象付けた。

 

 向こうが、私の誘導した通りに考える人間であれば。

 

『死ね!!!!!!!!!!!!!』

 

 あれは擬態だった。あれこそ私の擬態だった。

 

 だけど私はあの一言に、ありったけの殺意と、全身全霊でミアを守るんだという想いを込めて、放った。

 

 だから。

 

 向こうが予想するであろう、私のこの先の行動は、まっすぐ……ミアを守るため即座にお屋敷へ戻ろうとする……だ。

 

 この黒船の存在は、ドワーフを通じてあちら側にも伝わっている。

 向こうにも同じような移動手段があったとして、ここから私達のお屋敷までの距離と、王都からのそれは何倍も違いがある。

 

 私の行動が「ミアを守るため即座にお屋敷へ戻ろうとする」一択なら、物理的に私の方が先にミアの元へとたどり着ける。

 

 となれば、これは向こうとしては、負けが確定している勝負だ。

 

 通話の向こうの男は、負け確の勝負に全力を尽くすような性格にも思えなかった。

 

 ならば、可能性が高いユミファ襲撃への備えに、しばらくは回るハズなのだが……。

 

「けどそんなの希望的観測だ」

 

 これは全部、推定で推測で、そうなってくれたらいいなと私が思っているだけのモノだ。

 

 他人の性格なんて、少し話しただけじゃわかるはずがない。私がこうかもしれないと感じているだけ。相手にはドワーフ以外の仲間……じゃないか……手下がいて、それが今もこちらの動向を窺っているかもしれないし、ひょっとしたら向こうには瞬間移動などの、この黒船よりももっと常識外れの移動手段があるのかもしれない。

 

 かもしれない、かもしれない、かもしれない。

 

 そんな言葉に……心が黒く塗りつぶされていく。

 

 今ここにミアがいない、そのことが不安でたまらない。

 守りたい。この腕にミアを抱き締めたい。抱き締めたミアが幸せな顔で眠っていて欲しい。その寝顔をずっと見ていたい。

 

「……ミアを完璧に守る方法は既にある。ユミファを起こし、ミアをアリスの結界に閉じ込め、そのまま封印してしまう」

「ティナ様!?」「何を言ってるのティナ!?」

「アリス、この実行は、可能?」

「ティナ! 貴女自分が何を言ってるかわかってるの!?」

 

 わかってる。それはミアの時間を止めることに等しい。そしてミアを、一時的にせよ、パパとママから奪うことになる。

 

「いいから答えて!」

 

 でもそんなのはどうでもいい。

 

 ミアを守れるのなら、私は鬼にも悪魔にもなる。

 人だってきっと殺せる。念話での通話ではああ言ったが、俺はミアを生かすためならなんでもする。誰だって殺す。誰が不幸になろうとも構うものか。それが俺であり私の、絶対に譲れない部分だ。

 

「ティナ様……」

「……できるできないで言ったらできる。けどユミファ一体分より精緻な操作が必要だから、魔法としては難しくなる。キャパシティも多く削られるから、成功してもあたしは今よりもっと簡単な魔法しか使えなくなる」

「やりたくない?」

「あのさぁ……ティナ。あんたさ、やっぱりあたしをナメてるでしょ?」

「……」

「あたしが低級魔法しか使えない存在になっても妹を、誰にも手を出せない状態にしてしまいたい? あのね、敵はあたし狙いなんでしょ? 封印を維持するには封印の石をあたしの(そば)に置いておかなければいけないの。だったらあたしがずっと妹ちゃんの(そば)にいて、それなりの魔法で守る方がいいでしょ? そうしてほしいって言わないってことは、あたしにその力がないと思ってるからでしょ?」

 

 ああもう、そんなことはわかってるよ!

 真っ黒なままの心が、反駁(はんばく)を反射する。

 

 もう心の中がグチャグチャだ。

 

 私は鬼でも悪魔でもいいんだ。

 

 ミアだけは、ミアだけは幸せに、生きてくれなくちゃ、私は……私という人間の存在する意味が……。

 

「……じゃあ」

 

 なにか。

 得体の知れない場所へ足を踏み入れようとしてる……そんな悪寒だけがあった。

 

「じゃあ、なによ?」

「じゃあ、アリスは、その力を確実にするために、そのためだけに」

 

 すると、視界にアリスの眉が歪んでいくのが見えて。

 

「ユミファを殺……っんぐ」「ダメですティナ様」

 

 その瞬間に、私は後ろからサーリャに口を塞がれていた。

 

 本能がどこか、助かったと囁いている。

 

 え? 王女は?……あ、なんか足元でうめいている。頭を押さえてうめいている。どこか船の(ゆか)(岩)にぶつけた?

 踏んだり蹴ったりだね。ご愁傷様。

 

「それは、口にしてはいけないことです」

「……もう大体口にしてたけどね」

 

 氣が付けば、アリスが右の拳(グーパン)をテレフォンな感じに構えていた。

 あと数語口にしてたら、私はアレで殴られていた……のかな?

 

「んー!」

 

 なぜ止めるの、サーリャ。

 

 冷静になる心の一方で、黒い心はそう囁く。

 

 だが、アリスの……その攻撃的なポーズでなく、悲しそうな、寂しそうな……終末期の病人のような……その顔を見て、私の頭からは、本格的に血の氣が引いていった。

 

 黒かった胸の内がひび割れ、そこへ氷のような何か侵入する。

 

「ごめんなさいアリス。主人の無礼をお許しください」

「知ってたし、ティナが妹を大好きなのは」

 

 ふてくされた子供のように、視線を外すアリスを見て、私は失敗したことを理解し、悟る。

 

 なにか、私はアリスの禁忌(タブー)に触れてしまった。それがハッキリとわかる。

 

「……ふぁーりゃ、て、はなふぃて」

「……はい」

 

 サーリャの手がのけられた。

 

 私の消沈が伝わったのだろう、背中のサーリャからは、氣遣うような空氣が感じられた。ダメだ落ち着け。あの男(?)の闇に飲まれ、私はとんでもないことを口にするところだった。

 

 支えてくれるサーリャに、その温度に、私は泣きそうになる。

 

「ごめん、アリス」

「いいよ。家族って大事だもんね」

 

 家族……そうか、それがきっとそれがアリスの禁忌(タブー)

 

 だとしたら私は最低だ。

 

 今もアリスの胸には、黒い宝石のブローチが月光を受け、光っている。

 

 私の家族を救うために、アリスの家族を殺せと、私はそう言いかけたのだ。

 

「……本当に、ごめんなさい」

 

 地上百メートル以上の狭い船の上で。

 

 心細くなって周りを見れば恐怖しかないその場所で、頭を下げる。

 

 自己嫌悪から、ここから飛び降りてしまいたいという氣持ちが一瞬だけ生まれた。

 

 でもそんなものは、風の運ぶ死の恐怖がすぐにかき消してしまう。

 

 怖い。

 

 落ちるのが怖い。

 

 怖い。

 

 堕ちるのが怖い。

 

 落ちて死ぬのが怖い。

 

 堕ちて見捨てられるのが怖い。

 

 氣が付けば足がぶるぶると震えている。

 

 ……ふっと、サーリャの手が、背中に当てられる。

 

 大丈夫。

 

 私は貴女を絶対に見捨てませんよ?

 

 そう言いたげな、優しい感触。

 

「ふ、ふふふふふ……家族が大事? ですって?」

 

 だがそこに、(かん)に障る声。

 

「ねぇ貴女達、先程から何を言ってるの? 家族が大事? 妹が大好き?」

 

 サスキア王女が(あざけ)りの声をあげている。

 

「私は父も母も兄達も、妹も、好きと思ったことなんてないわ」

 

 ……知らねーよ。っていうか知りたくねーよ。アンタんとこの家庭の事情なんて。

 

「それは……王女殿下には……御身(おんみ)が属されているカナーベル王国、王家への反逆の意思があると……そう仰せのことでしょうか?」

「違うわ、貴女も男兄弟のいる貴族令嬢ならばわかるでしょう? 私達はいずれどこかの家に嫁ぎ、その家の方針に従って生涯を生きる。それが正道。生家を愛する必要はないの」

「……お畏れながら。我々に与えられた責務は、生家と婚家を結びつけ、その橋渡しとなること。生家を軽視していい理由などございませんが?」

「そんなの建前でしょ!」

 

 まぁそうだけど。

 貴族社会は、その建前こそが大事のハズなんですがね。

 

「ねぇ、なんかコイツすっげーめんどくさいんだけど」

 

 どうどう、アリス。

 

 だがまぁ、ヘイトの向かう先が移ったのには感謝するよ、サスキア王女。

 

「それより、結局どうするの? 大好きな妹を、助けに行くの? 行かないの?」

 

「……ミアを守りたい」

「わかってるわよ」

「ミアは、パパとママと一緒に、あのお屋敷で幸せに過ごしてもらいたい」

「ティナ様もご一緒に、ですよ?」

「それは私もそうしたいけど、私があのお屋敷に居ることができるのは、もう何年もないと思うから」

 

 私があのお屋敷で過ごす時間は、もう長くても五年、短ければ二年もない。

 私は、もう少しすればどこかの誰かに嫁ぎ、あのお屋敷を離れる。

 そうして残りの人生のほとんどを、どこか見知らぬ土地で過ごすことになる。

 

 そんなのはサスキア王女に言われるまでもない。

 

 言われるまでもないんだ。

 

「……はい」

「貴族令嬢なんてつまらないわね。貴女も、私も」

 

 それはもう決定している運命で、この世界における貴族令嬢の常識。社会通念(エンドクサ)といってもいい。そんなものと闘う氣は、生まれる前から無かったし、だから私は多くの異世界転生系主人公に備わっているような、世界変革の(いしずえ)となる、常識外れの力なんてモノは望まなかった。

 

 どうしてか、特異な力は、なにやら持ってしまっているようだけど、それは自分の意思でどうこう出来るものではない。私に力はない。

 

 私に、世界は変えられない。それは今この時も、何も変わらない。

 

「アリス、教えて。瞬間移動が可能になるようなマジックアイテムとか、この船の移動速度を越えるような移動手段って、魔法的手段で存在する?」

「魔法は……あるかないかで言ったらあると思う。でも、それは工程千を超える超級魔法の、ユニーク魔法でしかないと思うから……そんなことが可能な魔法使いだったら……あたしを殺したいんだったら、最初からあたしの近くに飛んできて、直接殺すんじゃないかな……普通の魔法使いならそうすると思うよ?」

「……やっぱりそう考えるよね」

 

 向こうの魔法使い……マジックアイテム使い?……にも、力の限界はある。

 

 ならば。

 

 それならば、やはりまだほんの少しだけ……多くはないけれども……時間がある。

 その時間は有効に使うべきだ。

 

「私はミアを本当の意味で守りたい。……なら、そのためにしなきゃいけないことが、まだここにある」

 

 私は世界のために闘うチート使いなんかじゃない。

 

 私が闘うのはそんなあやふやなモノじゃなくて、目の前の不合理や悪意……そういう、放置すれば自分や自分の周辺が、どんどんと傷付いていくようなナニカだ。

 

 今も背に感じる暖かさから、心に何かが流れ込んでくる。

 

 死の(とこ)にあっても、あたたかだった母の手。

 

 変わってしまったこの右手にも、まだその感触は残っている。

 

 この温度を、もう二度と悲しませたくない。

 

 哀しませたくないんだ。

 

 失敗しても、見捨てようとしない人がいてくれるのなら、せめて前には進まなければいけない。私は常勝無敗のチート人間などではなく、沢山の人に支えられながら、ひっそりと生きている、弱い人間なのだから。

 

 私は、私を睨んでいたサスキア王女と視線を合わせた。サーリャに支えてもらって、(ようや)く見ることができた。

 

「王女殿下、先程、全てが手遅れになる前に本陣へ、とおっしゃられましたが」

「……え?」

「なにがどう、手遅れになる前に……なのですか?」

「えっ……」

「殿下はいったい、何をされたのですか?」

「……」

 

 あからさまに目を逸らす王女。その姿に、おっとりしたお姉さんの面影は、もうない。

 

「討伐軍本陣、そのほとんど全員が不可思議な眠りに侵されてました。……あれは殿下の仕業……ですよね?」

「っ……」

「先程、殿下のなされたことは第二王子殿下をも巻き込んだ……そう私が言った時、殿下は否定されませんでした」

「……私は何も知りません」

「もう一度伺います。殿下は先程、”手遅れになる”という表現を確かに使われました。その言葉のニュアンスが、私の知る本陣の状態と微妙に食い違ってます」

 

 ただ、眠りについているだけというなら。

 

 眠りは……時が来れば醒めるものだ。

 手遅れになるような要素はない。

 

 ならば王女はまだ何かを隠している。

 

 今すぐ本陣に向かい、この目で確かめるのもひとつの手だが、ここは先に、目の前の明確な被疑者から詳細を聞いた方がいい。私は今、サーリャとアリスの命を預かっている。軽挙妄動をするわけにはいかないんだ。

 

「私は知りません! 私は王女です! 貴女はカナーベル王国の臣下でしょう! 越権行為ですよ!」

「これももう一度言わせていただきます。殿下、殿下が継承権上位であるところの第二王子殿下を害す、害した可能性があるというなら、ここで殿下を捕縛しても、貴族法には触れませんよ?」

「汚らわしいエルフを連れている犯罪者の言葉など……きゃっ!?」

「ティナ!?」「ティナ様!?」

 

 あ、やべっ、とうとう手がでちゃった。

 

 なんだ……自分でも意外だ……そっか、私……アリスを侮辱されたら、怒るんだ。

 

 アリスを守る理由、いつの間にかできちゃってたな。

 

「あ、貴女!! 何をやったかわかっているの!?」

「失礼しました。侮辱するモノには報復を、これもまた貴族のナラワシと記憶しています」

「いかな理由があれど王女を傷付けてもいいと記す法律はないわよ!!」

 

 まぁそうですね。

 

 でも、キスの前にアリスにしたモノよりも、軽いビンタで、傷付けるってほどのモノではなかった氣がしますけどね。なんせ搭乗人数が二人も増えたもので、足元がアレなもので、腰の入れようが無かったのです。ちえっ。

 

 なんにせよ、もう事態はそういう建前の領域を遥かに超えているのです。

 

「お、お父様にも叩かれたことなんてなかったのに!」

 

 わっかんないかなー。

 

「信じてもらえるかわかりませんが、私に、王家への反逆の意思はありません。そんなモノは皆無であると、父と母の名にかけて誓ってもいいです。殿下、今は非常事態です。第二王子殿下の身に危険が迫っていないというなら、私も引きましょう。ですが……違うのでしょう?」

「あんな汚らわしい兄なんか、死んで当然よ!!」

 

 わーお。

 自白したよコイツ。

 

 めっちゃ重要なことを自白しやがったよコイツ。

 

「いかな理由があれば、王子を傷付けてもいいと記す法律が存在するのですか?」

「っ……!」

「なるほど、ことは放置すれば第二王子の御身、御命(おいのち)が危ういものであると」

「そ、それは!!」

 

 いよいよもってこれは放置できない。

 

 第二王子なぞどうでもいいが、本陣にはサーリャのお父さんがいるんだ。

 

 サーリャを泣かせることは、許さない。

 

「アリス、念話のネックレスみたいなマジックアイテムがあるなら、もしかして人の思考を読む魔法ってのもある? 人が秘密にしていることを探れる魔法」

 

 サスキア王女がその言葉にビクっと反応する。

 

 念話のネックレスは、その氣になればある程度思考を隠匿(いんとく)することが可能のようだから、もっと心底まで探れる手段があれば助かるのだが。

 

「あるとは思うけど、あたしには使えないよ。精神系は大体ユニーク魔法だから」

 

 胸をなでおろす王女。

 

 そうなると……困りますね……。

 

「王女殿下、第二王子のお命が危ういのですか? そして殿下は、その救出のため必要な情報をも秘匿されるおつもりですか?」

 

 不安と焦燥に、心が落ち着かなくなってくるのを意識して抑える。

 

 抑えようとした。

 

 私はこの時、間違いなくその努力はしていた。

 

 王女の、この次の言葉を聞くまでは。

 

「知らない! 私は悪いことなんて何もしてないもの! みんな嫌い! あなたも嫌い! もうみんな死んじゃえばいいのよ! あんな兄が死んだらなんだっていうのよ!

 

 死んじゃえ! 貴女もそこの貴女も貴女も! ()()()()()()()()()()()! みんなみんな死んじゃえ! 苦しんで死んじゃえ!

 

 ブチリ……と。

 

 その言葉を聞いて、脳のどこかが切れた氣がします。

 

「そう……ですか」

 

 一瞬、心の奥深いところで悩み、すぐに決断を下します。

 

「なら仕方無いね。……サーリャ」

「……はい」

 

 これはもう非常事態です。非情な手段を選びましょう。

 雰囲氣の変転を察したサーリャが、私の背からその手をどけてくれました。

 

 ああ痛いな。

 

 ああ冷たいな。

 

 心の氷が、ピキピキと音を立てている。

 

「てぃ、ティナ? なんかティナから、陽じゃなくて違う波動が溢れてるみたいに見えるんだけど!?」

 

 アリスがなんだか、若干引いてます。

 

 だから何?

 

「いやだからなんだって話じゃないんだけど……顔、怖いから」

 

 そうですか、だから何?

 

「言ったでしょ? あたしにはティナの波動の様子が伝わってくるの。ティナの波動、今、凄く……怖い……マグマみたいに熱いのに……冷たくて……苦しい」

 

 アリスを無視し、私はサーリャへと向き直ります。

 

「ロープ、預けてたよね。キルサさんとナハト隊長を解放した時。アレ、出して」

「……はい?」

 

 先程の会話で、拷問してもいいんだぜ……とは言いましたが、向こうの言う通り、何かを知っているだろうドワーフさんは電撃で? 完全に氣を失っています。

 

 さて、ここは地上数百メートルの船の上です。

 

 あの時、ふと思いついた拷問方法があります。

 この思考を読まれたのか、それへ、愉快なことを考えるねと言われたので、それ以降の思考の漏洩(ろうえい)には、本当に氣をつけていました。

 

 ……お前の悪趣味よりかは、だいぶマシだと思うがね?

 

 まぁ……ドワーフさんの口を割らすことはできないので、ならばもうひとりの何かを知っているだろう関係者さんに、口を割っていただかなくては……困ります。

 

 いえ、何かを知っているだろう関係者などと、ボカして言うのはやめましょう。

 

 当該人物であるところのサスキア王女は、既に自暴自棄になってる上に、舌戦(ぜっせん)に慣れているという感じでもありません。

 

 脅し、煽り、ハッタリをかましていけば、なんだかんだで全ての情報が引き出せそうではあります。ですが、もう色々な意味で時間は無さそうです。

 

 屈強なドワーフにするなら、私の胸もまだ痛まないのですが……。

 

 思考が深く、暗い場所へと入っていくのがわかりました。

 

「こ、この上なにをする氣なの!?」「ティナ!? なんかめっちゃ怖くなってるよ!? 顔!!」

「こないで! 不敬よ! くるなぁ!!」

 

 まぁ……それでも……王女が睨む、その敵を見るような目を見て。

 

 ついでに、その、ロープできつく縛ってもおみ足のお肌が傷付かなそうなパンツ……おパンツじゃない方の、パンツルックの方のパンツ……オリハルコン由来の染料で染めた糸を綾織(あやおり)にした、ライトグリーンの超お高いパンツ……を見て。

 

 私は、ここは鬼になると決意しました。

 

 

 








メイドさん「あ、こいつ死んだわ」




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34話:王女をおとそう!

 

 ばんじーじゃんぽ、知ってますか?

 

 ばんじーじゃんぽです。

 

 最後の文字が違う? なぜ平仮名? いやホラだって、そのまんま言ったら、なんか凄い悪いことしてる氣になってしまうじゃないですか。くす。

 

「そういうわけで、拷問させていただきます」

「■■■■■!? ■■■■■■■■■■■!! ■■■■!!」

 

 王女が、なんか凄く丁寧な言葉で罵ってきてますが、残念ながらそれがご褒美になる性癖でもないので、ここは省略してしまいましょう。ふふ。

 

「■■■■■■■! ■■■!! ■■■■■■■■■■■■!!」

 

 多少抵抗されますが、サスキア王女はどうやら護身術のごの字も知らないようで、右手の方の指を捻ったりすれば簡単に抵抗力を失ってくれます。えへ。

 

「■■■■■! ■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 だんだんと口汚くなるサスキア王女。見た目はおっとりお姉さん系ですのに、どこで三下系罵倒構文を学んだのでしょう。

 

 こういうのでも、動画サイトにアップしたら『我々の業界ではご褒美です』とか『たすかる』とか言われるんでしょうか。平和な世界っていいですね。この世界はもう少しだけ残酷です。私もこの世界に染まってきたということでしょうか。大人になるって悲しいことなの。んふ。

 

「■■■!! ■■■■■■■■!? ■■■■■■■■!!」

「できたら実行する前に喋ってほしいんだけど……無理?」

「■■■■■■■!? ■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■!!」

 

 サーリャも、アリスに暴言を吐こうとした私は止めたのに、これにはなぜ見守りモードなのでしょうか。

 

 王女様を拷問するのよ? めっちゃ犯罪行為だよ? 不敬罪ってレベルじゃねーぞ?

 仕えている主人が、これからやろうとすることが、自分のお父さんを二階から突き落とした某兄貴と似ていることに、ネガティブな感慨とか、より直截的(ちょくせつてき)には……嫌悪とか抱かないわけ? いいの? そういう方向から非難されたら、私は反論できなかったんだけど。

 

「ね、ねぇティナ……平氣なの? これ……」

 

 むしろアリスの腰が引けてます。

 

「ごめんね、安全面にはちゃんと考慮するから」

「■■■■■■■■■■■■■■!! ■■■■■■■■■■■■!!」

 

 そういえば何度もテレビドラマ化された有名な少女マンガで、主人公(ヒロイン)がバットで殴られたりブライダルカーの空き缶ポジさせられたことへの復讐で、主人公のことを好きな暴力男(イケメン)が、加害者を学校の屋上から紐で逆さ吊りにする、なんて展開がありましたね。

 

 暴力男自体も初期は主人公のこと虐めたりしてたので、男性の身としては「お前が言えた義理かw」とか「イケメン無罪w」とか言いたくなりました。ことを主導した女の子も、なんか暗い過去を暴露された程度で許されちゃって、その後も割といいポジションに収まりましたね。少女マンガはブサメンフツメンに厳しい……まぁイケメンに愉悦かます少女マンガも結構あるみたいですけどね。あれはヒロインを虐めるタイプの少年マンガと、構図としては一緒なのでしょうか……あらよっと。

 

「よし、縛り自体は完璧。それでも一回目は不安が残るから、不測の事態が起きたらアリス、回収お願いね」

「■■■■■!? ■■■■■■■■■■■■!!」

「……了解。本氣なのね?」

 

 私も、肉体は女性だし、これから暗い過去を暴露するので、この後することを、許してもらいたいものですね。

 私は幼少期に兄貴から暴虐の限りを尽くされました! 以上! わー暗い過去だー。これで許してちょんまげなまはげマジ卍のあげみざわ。

 

 ……なんとかファニーな感じにできないものかと、内面の取り繕いを頑張ってみたのですが、逆効果だったような氣もしないではないです。

 

 まぁやることがやることですからね。これはどうしようもないでしょう。

 

 さてそれでは、氣は進みませんが、やることとしましょう。

 

「サーリャ、そっちの足、持って」

「はい」

「■■■■!? ■■!! ■■■■!!」

 

 そぅーれ!

 

「いひゃあああああああぁぁぁぁぁ!!!???!!??!!!」

 

 なお、縛ったのは、王女のパンツがカバーする下半身、主に腰から足にかけてで、上半身は割と自由です。

 そんな感じでフォールしてもらったので、王女はバンザイでもするかのような格好で二十メートルほど下のあたりへと落ちました。

 割とこう、垂直落下です。弧を描くような軌道はミスリルの柱にぶつかる危険性があったのでそこら辺は氣をつけました。まぁぶつかりそうになったらアリスが何とかしてくれる手はずではありますが。

 

 ちなみに、ロープの反対側は船にそのまま巻き付けて結んであります。ミスリルの柱は完全に船に接合してるようで、この程度の衝撃ではびくともしませんでした。ミスリルもこの船(ドワーフ曰く、ヒヒイロカネ含有でしたっけ?)も、衝撃に強すぎじゃないでしょうか。船が衝撃で柱から外れたら、それはそれで助かったのですが、残念です。今は遠き、故郷の地震大国にこの素材があったならば……と思わずにはいられません。

 

「引き上げるよ」

「……それはあたしがやる。ティナ達は見てて」

 

 さきほど、王女の指を回収した時のように、風を使ってどうにかするのかと思ったら、アリスは魔法陣を腕の周辺に出して、普通にそのままロープを手で引っ張りだしました。すると、なんかもう、王女の体重、おも●蟹にでも食べられたかな?……ってくらい、するすると引っ張りあげられていきます。なにこれ、()れ。

 

「身体強化魔法?」

「うん」

 

「あ、あ、あなっ、貴女達(あなたたち)!!」

 

 船へ引き上げられた王女が半分涙目でこちらを睨んでいます。

 

「何をやったのかわかっているの!? 野蛮人!」

「アリス、手を放して」「……ほい」

 

 まぁ一回で口を割ったら、それはそれで嘘を言ってるかもと疑うところでしょうし、最初から一回で済ませる氣はありませんでした。

 

「きやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 本当にもう、見てるだけでタマヒュンな光景ですが、まー、そこはタマなしで良かったと思いましょう。女性は共感性が強いといいますが……まぁ、私は精神面では男性ですしね。だからサーリャは目を離してていいんだよ、と言おうとしたら、メイドさんは真剣な目で王女のご様子を観察していました。ちょっと言い出せない雰囲氣です。

 

 再び王女を、アリスに引き上げてもらいます。

 

 ……なんか臭いますね。

 

「あ、あ、あ、あ、あ」

「サーリャ、拭いて差し上げて」

「はい」

 

 何を、とは言いません。女性は肉体的に、男性よりもそうなりやすいのです。だから笑ってはいけません。パンツの汚れがどうなるかは知りませんが……まぁそこはオリハルコンの耐腐食性に期待しましょう。オリハルコン先生も、まさかそんな風に期待される日が来るなどとは思ってもいなかったでしょうが。

 

「やめっ、だめっ、さわらないでっ」

 

 流石サーリャ、嫌な顔ひとつしないで拭いて差し上げてます。

 なんかもう赤ん坊の世話をする母親の貫禄があります……やってることは拷問官の助手ですけどね。人生は生きてると色々ある。

 

「王女殿下、私は殿下を辱めることが本意なのではありません。素直に、こたびの件で殿下が担った役割について口を開いてくれると助かるのですが」

「あ、あ、あ、あなた、狂っているの!?」

 

 どうでしょう。今はこれが必要なことと思い、実行しているだけですが……なんでしょうね、戦争に行った一般人が、戦後PTSDに苦しむというのが少しだけ実感として理解できる氣がします。非道なことを、しなければいけない瞬間がそこにある。

 

 だから、そうする時はなるだけ心を殺し、淡々と。

 

「ではそれなりに、綺麗になったようですし、次に行きましょう、そぅーれ」

「ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 王女の悲鳴が獣じみてきました。殺したはずの心が苦しいです。

 

 今は必要なことを遂行しなければと強く自分に言い聞かせてますが……私も、いつか未来に……昔……遠い昔に読んだ海外のノンフィクションに記されていたみたいな……戦争からの帰還兵のように……この悲鳴が、頭の中に鳴り響いて、眠れない夜を味わうのでしょうか?

 

 ……まぁそれも仕方ありません。受け止めましょう。

 

 私は今、そういう非道をしています。

 

「王女、何が手遅れになるというのですか?」

「し、しらなっ」

「そぅーれぃ」

「ぎゅえええええぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「王女、鼻水が凄いことになってますよ、サーリャ」

「はい」

「はい、これでまたお綺麗なお顔ですね。では次」

「も、もうやめっ」「そーぅれぃっ!」

「びぎゃあああああぁぁぁぁぁ!!」

 

「王女……殿下?」

「あ、ひ、ひぃ、ひぃぃ」

「……なんでコイツ、ティナに抱き着いてるの?」

「さぁ……殿下、口を割る氣になりましたか?」

「それは……で、でも……あ」

「はい、おててを放しましょうね、そーれぇー」

「ぴぎゃあああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「……はぅ……はぅん」

「なんでコイツ、幸せそうな顔でティナの足に擦り寄ってきてんの? キモイんだけど」

「……ごめん、ちょっとやりすぎの氣がしてきた」

「止める?」

「まだ聞き出せてないし……ここでやめたら王女殿下にしても無駄に苦しんだだけになっちゃうからなぁ……しょうがない、もう一度。そーれー」

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 そんな感じを繰り返すこと十数回。

 

 

 

「もぉ……やめてぇん……」

 

 ……なんでこうなった。

 

「……どうしてこんなことに」

「ああっ……はぁ……あぁん……」

「キモっ! マジキモっ!! マジなんなんコイツ!?」

 

 なんでこうなったのか、さっぱりわからないけど、なんだか王女殿下のご様子が大変おかしいことになっています。

 

 色々な体液が垂れ流しのまま、頬は紅潮し、落下から引き上げるたび、私の方へと擦り寄ってきます。なんだろうこれ、寄生体に戻ろうとする寄生虫みたいな?

 

 更に言うと、それがもう完全に、寝かされてるドワーフさんを無視した動きなので、ヒゲの小父様(おじさま)な彼が王女の色々な体液で凄いことになってます。ばっちぃ。

 

「ああっ……おねがぃ……もぅ……」

 

 なんでしょう、Mな女性に言い寄られるってこんな氣持ちなのでしょうか。

 

 王女がこうなったのは、私の責任が結構な割合でありそうなので……というかほぼ全部私の責任ですかね?……こう思ってしまうのは、結構な罪悪感を感じないでもないのですが、私は今、ドチャクソにドンビッキーな心の()(よう)で御座いますよ。

 

「もぅ、捨てないでぇ……」

 

 私、王女様の、なんかイケナイ扉を開いちゃったかしらん?

 

「アリス、念話のネックレスって……心を読む魔法の代わりに使えない?」

「どういうこと?」

「念話のネックレスの仕様上、本人が口を割らないことを無理矢理聞きだすことはできない、ってのはわかるんだけど……なんかもうユルユルな感じだから、もうそれだけで色々漏れでてきそうな氣がするんだよね」

「まぁ、いけると思うけど……それで聞きだせることは、もう普通に聞きだせる氣がするかな」

「むー」

 

 うーむ。

 

「もぅ、もぅ……許してぇ……」

「王女……では話してくれますか?」

「え?……なにぉ?」

 

 なにぉ、じゃねぇ。

 事後みたいな顔してないで、いい加減答えなさいよ。事後?

 

 そろそろ、こっちの罪悪感もやばいくらい膨れ上がっているんだから。

 

「ティナ」

「……なに、アリス」

「あのね、ティナってね、自分では氣付いてないかもしれないけど……陽の波動の副産物なのかな……ティナの近くにいると、凄くあったかな氣持ちになれるの」

「……何の話?」

「サーリャも判るでしょ?」

「……あ」

 

 なんか後ろから、腑に落ちましたって反応が感じられます。

 

 そうなんですか?

 

「それってティナの性格が優しいからとか、体温が高いからってわけじゃなくて、ティナが生まれ持った魔法的領域(フィールド)みたいなモノなの。陽だまりにいる人は、どんな冷たい人でも悪人でも、身体は温かくなるでしょ? ティナはその陽だまり。本人はこんな非道もできるイカれたお嬢様だけど、その周辺はポカポカしてて暖かい」

 

 非道でイカれたお嬢様ですか。まぁ……私の意思でそうなってしまった、鼻水だらけの王女様を前にしては、否定し辛いところですね。本当にどうしてこうなった。

 

「で、このクサレポンチは、紐付きだけど高所からの飛び降りで、死の恐怖を味わっている」

 

 クサレポンチですか。さすが四百歳、きょうび聞かねぇな、その表現。KSLPNTだと今風なのでしょうか。どこの今だよ。

 

「落とされる、死の恐怖を味わう、ティナの(そば)に戻される、ティナのあったかフィールドに癒される、また落とされる、死の恐怖を味わう、ティナの(そば)に引き戻される、ティナのポカポカに癒される……このループを何度も味わうと……」

「おねがぁぃ……もぉなんでもするから、何でも話すから、貴女(あなた)(そば)にいさせてぇ……」

「……こうなるの?」

 

 なにその吊り橋効果の上位互換みたいなの。

 

「……さぁ。コイツの元々の資質もあったんじゃないの? 氣になるならサーリャにも体験させてあげれば?」

「私は、なにをされなくてもティナ様のご命令には全て従いますし、何でもお話ししますよ?」

「……」

 

 あっれれー、おっかしいなー? サーリャさっき私に何か隠し事してたよね?

 

「ま、何でも話すって言ってるんだから、今の内に聞きたいこと聞いたら? 理性溶けちゃってるみたいだから、難しいことには答えられないかもしれないけど」

「それも……そうだね、聞き方に工夫するよ……」

 

 まぁ、なんか締まりのない話になりましたが、かように陥落してしまった王女から……なんかこう、ミアが三歳だった頃を思い出しながら……話を聞きだすことにします。

 

 脱線したり、遠回りしたり、全く罪悪感のない声で「だってぇ、王女のためならぁ、死ぬのもぉ、平民の仕事でしょ?」というのへ、地球基準の常識でイラっとしたり、王女の涙と鼻水とよだれで、特に耐腐食性があるわけでもない私の服がグチョグチョになったり、まぁなんか色々ありましたが、なんとなく王女のやってしまったことの全容が見えてきます。

 

 ナハト隊長へ横恋慕しちゃったかー。だったらこの人やっぱMじゃね? 生来の性癖がダークネスじゃね?

 

「置換のキャッツアイ!?」

 

 そのマジックアイテムの概要を聞いて、私の心臓が跳ねます。

 男性になりたい私には、これ以上ない程、都合のいいマジックアイテムです。

 

 これはなんとしてでも手に入れねば!……と思いましたが……。

 

「それ、効果時間があったと思うよ? パザスー。置換のキャッツアイの効果時間ってどれくらいだっけ? モノによるけど長くて一週間くらい? そもそも本当に心と心を入れ替えているわけじゃない? それぞれの体感座標を置換してるだけ? なに言ってっかわかんないけど、つまりやっぱ効果が永続するタイプのマジックアイテムじゃないんだ? そんなアイテムは存在しない? ま、そうよね」

「……ガッカリだよ!」

「つまりこのおバカな王女様は、騙されたってことね」

「そんなぁ……」

 

 まぁでも一週間、他人の身体に乗り移った氣持ちで過ごせるって、それはそれで物凄く欲しがる人が多そうなマジックアイテムでもあります。

 

 というか……異性になれるけど、一生、元の性に戻れないマジックアイテムと、一週間だけ異性になれるマジックアイテム、これって後者の方が需要高いんじゃないでしょうか。

 

 私のように、心と身体の性が一致していないというマイノリティーに必要なのは、間違いなく前者ですが。

 

 まぁ一週間でも、何かの時に使うかもしれないので、できれば強奪……いえ、回収しておきたいところではありますね。未来の旦那様、初夜に立場逆転なんてシチュはいかがで御座いますか?

 

 そんなわけで、今それがどこにあるかと聞いたら、ドワーフに奪われ、ここに来る途中で投げ捨てられたとのこと。

 ……ろくなことしねぇな、このジジィ。

 

「ゴブリン?……人をそんな風にするマジックアイテムがあるんだ……ん? マジックアイテムじゃなくて薬?……緑色の液体? そこらじゅうに撒いてきた……なるほど……」

「……」「……」

 

 あれ? なんか氣が付いたらアリスとサーリャが絶句していますよ?

 

「アリス、ゴブリン化した人を、治す魔法ってあるの?」

「……」

「……アリス?」

 

 どうしたのでしょうか、アリスが真剣な目で、いまだ、私の足元にしがみついてブルブルと震えている王女を睨んでいます。ていうかアリスも震えています。いえ、奮えている……でしょうか? 眉は吊り上がり、口の端を噛んで……肩を怒らせています。

 

 と。

 

「……っ!」「え!?」

「いやぁ!!」

 

 足元の王女を、アリスが無理矢理引き剥がし、胸元を掴んで自分の方に引き寄せようとします。王女は腰から下がまだ縛られたままですから、あまり抵抗もできなかったようですね。

 

 そうされた王女は……陽だまりがどうとかで、安全地帯から引き離されたような心地なのでしょうか?……恐怖に歪んだ顔で、私の方へ手だけ伸ばしてきます。

 

 ……なんか、ばんじーじゃんぽぉさせてた時よりも、罪悪感が刺激されます。

 お顔は紅潮し色っぽいのですが、仕草が頑是無(がんぜな)い子供を……より具体的にはミアを連想させるのです。おまっ……それは卑怯じゃないか?

 

「アンタ判ってるの!? あなたがやったのは虐殺よ!? 大虐殺なのよ!?」

「ひぃぃぃぃ!?」

「アリス!?」

 

 がっと鈍い音がして、アリスのグーパンが王女の横っ面にヒットしました。足腰の立たない女の子になんてことを。足腰立たなくさせたのは私ですけど。今のセリフは前世で言いたかった。

 

「ゴブリン化を治す魔法なんかないの! アンタは人を殺す薬を()いたのよ!?」

「たすけて! たすけて! たすけてぇ!!」

 

 元々涙と鼻水でグチャグチャだった王女のお顔を、また新たな雫が流れ落ちて……王女はアリスから逃れようと身をよじって、まるでそれだけが救いと信じているかのような目で、私に縋り付こうとしています。

 

 その視線が私を貫きます。

 

 それにより……膨れ上がっていた私の……罪悪感の風船がはじけました。

 

「……クソ」

 

 王女の言動は、理性が溶けてからも全くの自己中心的なものばかりで、王女の身分を不自由と嘆く割に、自分は王女であるから平民は自分のために死んで当然と平氣で口にする、そんなどうしょうもないお姫様でした。

 

 そういう言動を耳にした後では、この王女に同情なんて、する氣も起きません……そう思っていました。

 

 思っていたのですが……。

 

 これ以上ない程みっともない顔で、それでも自分に助けて助けてと縋る女の子を……どうしても……冷たく突き放す氣には……なれずに……。

 

 これは……かつての男心がそうしろと命じているのでしょうか?……それともミアと出会ってから育まれた何かが、そうしなければならないと囁いているのでしょうか?

 

 ばんじーじゃんぽぉの恐怖。私はそれを、何度も何度も王女に叩きつけて……正直に言います……私は王女の心が、ある程度壊れてもいいと思っていました。

 

 記憶喪失になってくれたら最高。そういう意味で、この幼児退行状態はある種望んだ効果のひとつでした。記憶喪失には……なってくれなかったようですが。

 

 まぁ……記憶喪失までいかなくとも、人事不省レベルの完全ショック状態になってくれたら、そこでアリスに王女を眠らせてもらい、目覚めたあと、ここ半日くらいの出来事は全て悪夢であったと……そう言い聞かせる氣でいました。王女も最初の範囲睡眠魔法で眠ってしまった、そこからはずっと夢であった……そういうストーリーですね。

 

 こんなの、上手くいく可能性の低い絵図ですが、私も追い詰められていましたので、そういう薄い希望にも縋らざるを得なかったのです。

 

 酷い人間ですね。人の心を壊すことで、自分の生活の安寧を得ようだなんて。

 

 ああそうだ。何言ってんでしょうね。今更いい人ぶることなんて不可能です。うん、私はもうロクデナシだ。今でも言い切れるよ? 私は、誰を不幸にしてでも、ミアと幸せに過ごせる今の生活を守りたい。

 

 ああそうだ。それらを秤に載せ、測り、人道の破却すら図ることのできる私は、もう間違いなく外道なのだろう。

 

 人を追い込んでおいて氣まぐれで優しさも見せる。そういう鬼畜に堕ちている。

 

 ああそうだ……私は今、鬼になろうって決めたじゃないか。

 

 だったら。

 

 赤鬼と青鬼のように、自作自演もまたアリだろうさ。

 

「アリス」

「えっ!?」

 

 アリスの、その今にも再び王女へ飛んでいきそうなグーパンの手首を握ります。そうすると狭い船の中、私とアリスの身体が自然と密着していきます。

 

「落ち着こう? ね?」

 

 私は陽だまり、ね。ここにきて(ようや)く判明した、私のチートらしいチート。ならその日照権、有意義に使ってあげようじゃないの。

 

「ひゃ!?」

 

 手首を開放し、アリスの身体を抱きしめる。

 

「ちょっ!? ティナ!?」「ティナ様!?」

 

 足元では、介抱された王女がすがるように太腿にしがみついてきましたが、まぁそれもそのままにさせて、私はアリスの身体をぎゅっと抱きしめます。

 

「あ、ちょ……今はダメってばティナ」

 

 見る見るうちにアリスの顔が赤くなっていき、その身体からは抵抗する力がどんどんと抜けていきました。

 

 これがチートの力なのでしょうか、……なんでしょう、凄いイケメンになった氣分です。あるいはアリスが凄いチョロインなのか。

 

「アリス、今は落ち着こう。ね?」

「ま、マズイこと、知られちゃったかも。渡しちゃいけない人に武器を渡しちゃったみたいな」

 

 火を噴くような真っ赤な顔で、アリスが呟きます。こうかはばつぐんっぽいです。

 近くで見ると、アリスにしたビンタの痕、まだ残ってますね。今はキスなんてしないけど。

 

「ずるぅい。私もぉ」

 

 氣が付けばサスキア王女が、抱きつきポイントを私の太腿からウエストに変え、アリスと私との間に割り込んでこようとしてきます。

 

 なんだこの状況。

 

「王女。それが薬なら、解毒剤はないのですか?」

 

 マジックアイテムではなく、薬であるなら、解毒剤のようなものが用意されているのかもしれません。

 

「え? あ、ううん?……」

 

 ……あるとのことでした。しかし。

 

「十人分しかない?……ゴーダが奪って懐に入れた?……(ごそごそ)……なるほど、これですか? 錠剤と……塗り薬? 二種類ありますね……王女とこのドワーフは既に処方済みと。残り八人分として……私、サーリャ、サーリャのお父さん、アリス、他男爵家の騎士二名……第二王子、ナハト隊長……これでもう八人か」

 

 ゴブリン化が細菌由来だというなら、もしかすればこれは抗生物質かなにかなのでしょうか? 詳しく聞くと、錠剤の飲み薬と、軟膏状の塗り薬との併用だそうです。どちらかだけだと効果は薄いとのこと。塗り薬は手足、目の周り、首周り、口や鼻の周り、あと……デリケートゾーンの周辺にも塗らないといけないそうです。王女様、一人で塗ったんですかね、そういう諸々の箇所に。

 

 まぁ……それはそれとして。

 

 十人の五倍ほどはありそうだった、前線基地の人口を思い、重い氣持ちになります。

 

「命の選択……しなければいけないのかな」

 

 私の前には、鬼の道が、どうやらまだ、続いているようでした。

 

 

 



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35話:『ナハト』

 

 弱いとは罪だ。

 

 この世界に存在を許されないほどの、それは罪なのだ。

 

 

 

 

 

 その少年は、病を患っていた。

 

 生まれつきではない。七歳の秋、その(とき)まで、彼は健康にすくすくと育った。

 

 健やかに育つ幸福な日々の中、彼は突然、その身を奈落へ堕とされた。

 

 咳、吐血、関節の痛み、時に熱と眩暈(めまい)、息苦しさ。

 

 断続的に、死ぬほどの苦しみに襲われる。

 その間は、痛苦という感覚、それ以外の全てが、少年から奪われてしまう、そんな病。

 

 親が必死に金をかき集め、やっとの想いで呼んだ医者は、少年の身体をあちこち弄くりまわし、様々な器具を身体のあちこちに当て、刺し、挿入して、およそ大人でも耐えられないような様々な辛苦と激痛を彼に与えて……その末に……「これは天がこの子を呼んでいるのでしょう」とだけ言い……匙を投げた。

 

 これは人に伝染る病気ですから隔離するべきでしょうと言い残し、金だけはしっかり満額を要求し、受け取って、医者は帰っていった。

 

 だが少年は、天に召されはしなかった。

 

 夜は喘息のような咳が、昼は延々と続く熱と倦怠感が彼を苛んだが、それでも彼は死ななかった。手足が棒のように細くなりながらも、彼の心臓は鼓動することを止めなかった。

 

 それからの数年、彼は窓を閉め切った暗い部屋のベッドで、病に苦しみながら過ごした。

 

 兄弟は勿論、父も母も彼を見放した。

 

 ただ、騎士である父の、従者だけが、彼に食事を運び、身体を拭き、喋るのは苦手といいながらもたまに短い言葉をかけてくれた。

 

 従者は戦場で傷を負い、退役した、元騎士であり軍人だった。

 

 その従者は足を()いて歩く。

 身体は古傷だらけ。

 荒削りな彫刻のように無骨な顔、しゃがれた声。

 

 そこに、健やかな、健全な、かつて少年がいたはずの世界にあったものは何もなくて……つまりこの者は「この場所に相応しい」者として自分に送られてきたのだろう……と……少年はそう思った。

 

 いや「こんな自分に相応しい」者か……とも思った。

 

 

 

 最初はそうだった。

 

 なんと驕っていたのだろうと、後に彼は唇を噛み締めることになるのだが、最初は本当にそうだった。

 

 やがて少年は、その者に縋るようになる。

 

 たったひとり、自分を見捨てないで、機械のように毎日毎日、同じ仕事をして、同じ態度で、泣き言を言わず、揺るがず、一定の規律をけして()げることなく、自分の世話をし続けてくれる従者に、少年は……それが信頼と呼べるモノなのか依存というべきモノなのか、それすらもわからないまま……いつしか心を預けるようになっていた。

 

 だから少年は泣かなくなった。

 そして少年は絶望することを止めた。

 

 

 

 病魔にも、魔のモノらしく氣まぐれというものはある。

 無限の苦しみにも、寛解(かんかい)と呼べる時期はある。

 

 そんな瞬間に、少年は従者のことを知りたがった。

 

 どんな騎士だったのか。

 

 彼が戦場でどのように戦い、敵に打ち勝ち、どのように感じ、何を思ったのか。

 

 身分が、肉体が、それを許すのであれば、まだ戦いたいと思っているのか、どうなのか……少年はまるで恋を患った乙女であるかのように繰り返し、繰り返し……従者へと問うた。

 

 従者は無骨で、もとよりの寡黙な気質もあって、その言葉は常に短く、意図の読みにくいものばかりであったが、少年には、有り余る時間だけはあった。

 

 やがて少年は理解するに至る。

 

 従者は、かつて高潔な騎士だった。

 従者は、かつて勇敢な兵士だった。

 

 戦場では数多くの敵兵を打ち破り、屠り、味方を、そして国を守った。

 

 彼は勇士だったのだ。

 

 特に驚いたのが、彼が若き頃、竜を倒したことがあるというその逸話だった。

 

 竜。地上最強と伝え聞かされる伝説級の生き物。

 竜。それは災害に匹敵する人類の天敵。

 竜。だがそれを人の身で打ち破るは、間違いなく勇者である。

 

 少年は、従者に、竜を打ち破った時の話を何回も何回もせがみ、繰り返し繰り返し、そのしゃがれた声に、病魔に侵された血肉を湧かせ、躍らせた。

 

 そうして少年の胸に、騎士であった彼への、兵士であった彼への、勇士であった彼への……勇者への……憧憬が募っていった。

 

 ある日、少年は槍を望み、それはいとも容易く与えられた。

 

 自殺のためであるなら……それはそれで良しと判断されたのだろう。

 

 だが、か細くも胸に憧憬の火が灯った彼に、自死の意図は皆無であった。

 

 少年は狭い部屋の中で、可能であれば、昼夜を問わずベッドから降りてはそれを振り、それすらも不可能な時は腕の力だけで槍を操るようになった。

 

 従者へも教えを乞い、苦しくとも、辛くとも、彼は槍をふるい続け、それだけを愚直に、毎日、休みなく続けた。

 

 それはもう本当に……刻を選ばず、彼は人の何倍もの時間、槍を振り続けたのだ。

 

 

 

 それは少年が病に臥してから八年が経過した、彼が十五歳の時のことだった。

 

 病状は一向に快方に至らず、しかしそれでも致命的な何かは起こらず、少年の身体も病床の中にあって、それでも不可思議な成長を遂げていた。

 

 背は一般的な女性の平均と同じか、やや高い程度。

 

 だがその細い身体には……しなやかな縄を埋め込んだかのような筋肉が……全身にみっちりと付いていた。

 

 ある日。

 

 そんな彼の身体を、従者はいつものように拭きながら、こう言った。

 

「坊ちゃん。あたくしは、しばらく、坊ちゃんのお世話を、できなくなるかもしれません」

 

 世界でもひっくり返ったような衝撃を少年が受けている中、従者は……この彼にしては珍しく、長々と……その理由を語って聞かせてくれた。

 

「戦争が、また始まるんで。旦那様が、参軍なさるんで……あたくしも、従軍する方向で話が進んでいるんで」

 

 どうして。

 

 左のふくらはぎに重傷を負い、まともに歩けなくなり、退役した元軍人がなぜにと。

 

「今度の戦争は、あちらさんも本氣のようで、下手をしたらうちらに侵攻され、領土を侵されてしまうかもしれないんで……旦那様も力を尽くす覚悟をされたようで」

 

 だからどうしてお前まで!

 

「……旦那様は、あたくしの望みを覚えていてくれたのでしょう」

 

 なにを!?

 

「あっしは戦場で死にてぇ。沢山の仲間の命が散って、それと同じくらい、あたくしの槍によって沢山の命が散りやした。あの場所であたくしも……あっしもあの場所で死にてぇんです」

 

 な……に……を。

 

「あたくしの命はあそこに置き去りのままなんで、それを取り返しにいきてぇんです」

 

 どうして! どうして! どうして!

 

 わけのわからない激情が、少年の胸の(うち)を掻き乱しました。

 

 行ってほしくない。

 

 死んで欲しくない。

 

 それ以上に自分を置いていかないで欲しい。

 

 自分を見捨てないで欲しい。

 

 小康状態と言っていいのかすらわからない、毎日、死ぬほどではない苦しみに延々と苛まれるという……この氣だるい地獄の中に、自分をひとり残し、行かないでほしい。

 

 だが……。

 

 でも。

 

 やがて、そんな激情の醜さ、みっともなさに、自分自身氣付くと。

 

 少年は、もう従者を止めることができなくなっていた。

 

 少年が従者を止める理由、正当性。

 

 そんなもの、八年間、ただ苦しみ、世話をされていただけの少年になぞ、あるはずも無い。

 

 だが誰が少年を責められようか?

 

 少年には、暗く狭い部屋の外に、出ることすら許されなかったのだ。

 何を手に入れることもできない狭い世界。

 その小さな世界で延々苦しむだけが、少年に許された人生、そのものだったのだ。

 

 誰も少年を責めない。

 

 従者も少年を責めない。

 

 少年を見捨て、切り捨てている父と母、兄弟、親族、世界そのものも彼を責めない。

 

 責めるほど関わりたくない。

 

 だって彼は病に倒れたのだから。

 

 仕方無いことで、どうしようもない。

 

 それはこの世の理不尽そのもので、できることがない以上、関わりたくもない。

 

 見たくない、聞きたくない、悲劇などどこかへ行ってしまえ。

 

 死の、その時まで隔離する……それだけが唯一の対処。

 

 

 

 少年の心は壊れた。

 

 誰も訪れることの無くなった世界で、彼は……新たに部屋のドアの下へ作られた小さい扉から差し込まれる……食事すら食べることがなくなり、いつも起きているのか、寝ているのかわからないような朦朧とした意識のまま、急速に()(おとろ)えていった。

 

 ある日、彼は窓を……釘を打ち付けられ、締め切られていた窓を……どこにそんな力があったのか、その拳で破り、身を投げ、死のうとした。

 

 びゅうと鳴く風と共に、少年へと叩き付けられたのは。

 

 恐怖。

 

 そこは屋敷の最上階、四階に造られた隔離部屋だった。

 

 ぼやけ、揺れる少年の視界に、人を殺す、人を殺せる高さは……根源的な……なにか心底よりゾゾリと這い上がってくる、凍えるような、心胆寒(しんたんさむ)からしめる強大な恐怖を伴って……映った。

 

 死を望み、窓を破った……そのはずなのに、彼はどうしようもなく恐怖してしまった。

 

 死にたくない。

 

 死にたかったはずなのに。

 

 死にたくない。

 

 こんな苦しみが続くならいっそ……苦しみの中で何度もそう思ったのに。

 

 死にたくない。

 

 どうして。

 

 死を望み、戦場に(おもむ)いた彼をまだ尊敬しているのに。

 

 どうして。

 

 どうして僕はこんなに弱いのか。

 

 どうして僕はこんなにも虚弱なのか。

 

 どうしてこんな僕に生きる意味があると思えるんだ。

 

 でも死にたくない。

 

 無理だ。

 

 自分にはこの恐怖に、打ち克つ強さすらない。

 

 

 

 小鳥が、舞い込んだ。

 

 

 

 開けた窓から、少年の小さな世界に、小さな鳥が、迷い込んだ。

 

 

 

 喰った。

 

 直前まで食事を拒絶し、餓えていた少年は、それを捕まえ、喰ったのだ。

 

 壊れ、狂っていた少年は、それを捕獲し、貪り喰ったのだ。

 

 まだ生きたいと氣付いた少年は、生あるものを捕食したのだ。

 

 生から死へと転じたばかりの肉の塊を見て、少年は(ようや)く生きることに……執着した。

 

 

 

 それはあっけない解放だった。

 

 それはあっけない開放だった。

 

 それはあっけない解法による快方だった。

 

 

 

 少年がもう少年ですらなくなった十八の時、父とその従者の訃報が、少年の耳にも届いた。

 

 十八になった少年の身体には肉がつき、肌には明るい色が戻り、その瞳には生氣が戻っていた。いつも何かを睨んでいるかのような目付きと、その下の濃い隈は、細いながらも無駄のない筋肉質な身体と相まって、彼を背の割に男らしい、強靭な戦士であるかのように演出していた。

 

 

 

 少年の病、その快方を決定付けた治療薬は、戦場よりもたらされた。

 

 敵方の捕虜、彼らが常備していた薬の中に、少年の病を打ち滅ぼすものがあったのだ。

 

 それは少年の国にはなかったもので、しかし敵方の国では何年も前から当たり前のものになっていた薬だった。なんでも……戦場における病の流行は致命的なものであり、それを抑えるため、敵国の軍には様々な薬が配備されてるという。

 

 情報源となった敵方の捕虜、それを捕らえたのは少年の父親だったという。

 

 その情報を元に、戦場より少年へ薬を送ってくれたのはあの従者だったという。

 

 だけどその二人はもういない。

 

 戦場に散り、遺体が帰ってくることもなかった。

 

 

 

 やがて健康になった身体を、少年は苛め抜いた。

 

 自分は弱い。

 

 弱かった。

 

 そのことがどうしても許せない。

 

 弱いとは罪だ。

 

 この世界に、存在を許されないほどの、それは罪なのだ。

 

 その激情、その狂氣が彼を鍛えた。

 

 騎士の息子とはいえ、騎士爵は相続されるものでもなく、少年もまた、かつて自分を見捨てた母や兄に、頼るつもりなどなかった。

 彼は、だから家を出て、平民の身分で軍に志願した。

 

 激情、そして狂氣に鍛えられた彼は、やがて頭角を現し、数年で、個人の武技においては国で有数のものであると認められるに至る。

 

 女性と同程度にしか育たなかった体格は、掴まれたり組み敷かれたりすれば不利になることもあったが、長めの得物、特に槍を操らせればその冴えは他に並ぶものがなく、あまりにも他とレベルの違うそれは、他人に嫉妬すらさせない類の何かであった。

 

 彼は想う。

 

 自分は戦場に、一度は膝をついた者に育てられた。

 

 自分は戦場に、恩師を奪われた。

 

 自分は戦場に、だが救われた。

 

 

 

 ならば自分という人間は、戦場に、その因縁の清算を果たさなければならない。

 

 それは戦場で勝つことによってのみ()される。

 

 戦場は、弱さという罪を刈り取る、鎌を持った死神なのだから。

 

 

 

 しかし彼は戦場に恵まれなかった。

 

 父親、そして恩師が死んだ戦争から十年、この国に戦争はなかった。

 

 彼は戦争を待っている。

 

 彼は戦場を求めている。

 

 彼は激情の捌け口を求めている。

 

「これは……なんだ?」

 

 十年、無為が育てた彼の狂氣は、今、かけられた呪縛を打ち破る。

 

 

 



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36話:ふぇぇ!? っとして桃源郷

 

「ふー……地上は安心する……さてと」

 

 (ようや)く地上へと降り立った私は、久しぶりの地面の感触を確かめてから、こう言いました。

 

「アリス、ミアの警護、パザスさんにお願いできないかな?……あらよっと」

「ん?」

 

 言いながら、片手を拘束していた枷を外し、地面に捨てる。

 

 アリスが作成した某H・R・ギー●ーさんな造形物、黒船は、どうやってもミスリルの柱から剥がせなくなっていました。

 

 そこで私とアリスが()ろうとした行動はこう。

 

 黒船を一部壊し、大きめの岩石を三つ造る。

 

 私、サーリャ、サスキア王女はその石を抱え、アリスがひとりひとり、その石を起点にして飛行魔法を使って地上へと降ろす。ドワーフのゴーダは王女を拘束していた枷を付けて降ろす。それが終わったらアリスが普通に飛行魔法で降りてくる。

 

 実際に()った行動、は。

 

 サスキア王女が、それはもう幼児の駄々っ子レベルで嫌がったので、彼女は私が抱きかかえて降りることになりました。それだけだと少し不安だったので、私と王女を、元はサスキア王女が拘束されていた枷で連結し、その枷を起点に飛行魔法を使ってもらうことにしました。

 

 ドワーフ? 腰にフックがあったでしょ? それをサスキア王女の分だった岩石へぶっ刺したよ。アリスが魔法で。

 

「こわかったよぉ……」

「お畏れながら、王女殿下、そろそろ我が主人より離れてくださいね」

 

 頑張ってサーリャ。私はこれからのことをアリスに相談するからね。それと王女、胸の辺りに頭をスリスリするのはやめて。そこは不毛の地だよ。どうしてアリスといい、皆さん不毛の地に頭をスリスリするのですかね?

 

 なお、王女は、下半身がそれはもう凄いことになっていたので、今は乗馬の時に私が使った白のキュロットを着てもらってます。

 着替えさせる時、アレやソレの臭いに混じって、なんだか微妙に薬臭い匂いもしました。あれが抗ゴブリン化薬、その塗り薬の匂いなのでしょう。

 

「パザスさんは、あと、どれくらいでこの辺りに到着するの?」

「あー……聞いてみる」

 

 アリスがJKなもしもしポーズになり、しばらくいつものやり取りをする。

 

「んー……もう到着するって、海は渡り終えたからすぐだって」

「ならお屋敷までもすぐだね」

「……向かわせる?」

「お願いしたい」

 

 分担を考えれば。

 

 討伐隊を救うには、人の手が必要です。

 それは人手という数の問題ではなく、単純に人間の手が必要だということです。

 

 想像してみてください、体長十メートルを超す竜が、その爬虫類な手で(前足で?)解毒薬を配り、人に与えてる姿を。

 

 ……それはそれで神話的ともいえるかもしれませんが、キルサさんが到着するなどして人目に晒されてしまうと、厄介な事態に陥ります。

 

 それに引き換え、ミアの警護は、竜でも可能です。

 

 パザスさんも探索魔法は使えますし、屋敷からミアの周辺を監視し、怪しい動きがあれば遠慮なく出張っていけばいいのです。

 

 幸い、ミアには赤い竜は怖い存在じゃなかったよと告げてあります。事実でしたし。

 

 私をそうしたように、一旦ミアを連れ去る……保護するというのも、パザスさんには可能でしょう。大丈夫、私が許すので案件は発生しません。パパとママの心境と心配は知らない。

 

「いいのね?」

「なにが?」

「ティナ自身が向かわなくて」

「……っ」

 

 ちくりと、胸が痛みます。

 

 薄情なオネエチャン、妹を見捨てるオネエチャン。

 

 ……黙れ。

 

「アリス、ティナ様を追い詰めないで」

 

 ようやっと、王女を引き剥がすことに成功してくれたサーリャが、私の服を整えてくれます。

 元々は白いワンピースでしたが、色々あってあちこちにシミや汚れが目立ちます。

 今の私と同じですね。(よご)れつちまつた(かな)しみは、たとへば聖女(せいじょ)可愛衣(かわごろも)。だけどそれでも、()(ゆめ)みない。

 

「パザスさんに伝えて。ミアを守れなかったら許さない」

「許さないって……んうっ!?」「ティナ様!?」

 

 汚れた身体で、アリスを抱き締める。

 

「ユミファを殺さないで無力化する……そんなアリスの無理難題に、私は応えたよ。そのお礼はしてもらう。パザスさん、もし……貴方(あなた)の怠慢でミアが少しでも傷付いたら……あなたの娘のような存在、奪っちゃうよ?」

「え、ちょ……へっ!?」

 

 パザスさんがアリスを育てたというなら、それは娘のようなものだろう。

 

 アリスの顎をクイッと掴み、キスをするように、また七色に変転している、その瞳をみつめる。

 

「やっ、いやあのっ!? 今あたしがここにいるって時点で、あたしはもうティナに奪われてるようなもので……ってちっがーう!?」

「早く、伝えるの」「は、はひ?」「いやぁぁぁティナ様がぁぁぁ」

 

 なんだかサーリャがこの世の終わりのような悲鳴をあげてますが、私がなんだというのですか。いいからアリスは、はよパザスさんにそう伝えて。あとサスキア王女は「いいなぁ……」とか指咥えて呟かないの。

 

「うんそう、だからティナがそう言ってるんだってば。うん……うん……そう、あのお屋敷」

 

 薔薇色の髪と同じくらい、顔を真っ赤にしたアリスは、なんだかあたふたと挙動不審な感じでしたが、それでも私の言う通り、通信してくれたようです。

 

「……言葉ひとつでパザスを絶句させるって、とんでもないわね」

 

 それ、パザスさんがアリスを娘として愛しているからでしょ?

 

「パザスさんはなんて?」

「向かうって。あと……」

「なに?」

「……なんでもない。”そなたにとっての妹御が、我にとっての”……あたし……”それが判っていればいい”……だって」

「ぬぐぐ」

 

 さすが伝説の軍師様。効果的な位置に釘を打ってくるね。

 

「そろそろ、はーなーしーてー!」「おぅ?」

 

 身体を押され、アリスが腕から逃げていく。どうでもいいけど、今、なんでちょっと……おっぱい……とは呼べぬこの胸部、触っていったの? わかるもんだね~、わざとかどうかって。君ら不毛の大地好き過ぎない? 地面を見ようよ地面を、いい岩場がありやすぜ旦那。

 

「とにかく、さっきも言った通り、アリスは現地についたら、まずは適当な兵士の格好になってね。解毒薬は、私、サーリャ、アリスの三人が確定として、あとは五人分。サーリャのお父さんも当然として、私はまず男爵家の騎士全員を助けます。そうすると、残りは二人分……それをどうするかは……私が決めるよ?」

 

 最有力候補は、第二王子と、キルサさんの心証を考え、ナハト隊長ですが……。

 

 一応、この薬を複写(コピー)して増やすような魔法があるのか、聞いてみましたが、当然そんな魔法はないとのことでした。「ミスリルみたいに、魔法的に”近い”物質ならまだいいんだけど、薬とか複雑な機械は、あたしの理解が遠すぎて無理」とのこと。よくわかりません。理解が及ばない云々の話なら、眺めたり舐めたり何億枚と写生したりしたら、可能になるのですかね。

 

 まぁ薬は十人分、ふたつは既に使われていて現状八人分、それが変えられぬ現実です。

 

「うん」「はい」

 

 アリスとサーリャが頷き、命の選択は私へと託されます。

 

 あっさりしたモノです。

 

 まぁ二人には、先に少し希望を与えるようなことを言ってしまいましたからね。

 

 可能か不可能かは、実践を試みてみなければなんとも言えないところですが、まだ絶望するには早すぎるというアレです。やれることはやってみないとね。

 

「ゴーダだっけ? この人は一旦ここに置いて行くしかないけど、サスキア王女は……まぁ連れて行くしかない……か」

 

 一応、ゴーダ、ドワーフの矮躯は、せり出した岩場の影に隠しておきました。

 この辺りに大型の危険生物は(もう)生息していないでしょうし、これ以上の安全策を講じてる時間もないので、我慢してもらいましょう。ていうかぶっちゃけ面倒みきれん。

 

 例のロープを使って拘束しておくかどうかは少し悩みましたが、これも時間がないのでやめておきます。けしてそれがナニで汚れているからもう触れたくないとかの理由ではありません。ええ。

 

 サスキア王女は、捨てられた子犬アイズでくねくねとこちらの様子を伺っているので、さすがに放置はできません。これ……今、元に戻られても間違いなく面倒ですが、このままでもめちゃんこ面倒くさい人ですね。

 

 これから私達がやらなきゃいけないのって、この人の後始末なんですけど……それを思うとやる氣が失せていくので、今は考えないようにしていますが。

 

「ここから前線基地までどれくらいかなぁ……足場も悪いし、歩くのは少し辛い氣がするから……アリス、乗り物、また何か造れる?……アリス?」

「ひゃい!?」

 

 話しかけると、アリスは猫が飛び上がるかのような、大袈裟な反応を見せました。

 

「な、なに?」

「……どうしたの? アリス」

「え、あ、うん。乗り物ね、乗り物。造る造る、大丈夫聞いてた判ってる」

 

 なんだか薔薇色の頬で、夢見心地風の顔ですけど、どうしちゃったんでしょうね。

 てのひらに傷でも創りました? じっと見てましたが。

 

「ティナ様が、ジゴロに……」

 

 なんだか不可解で不本意なサーリャの呟きがありましたが、そんな感じで、私達はアリスの作ってくれた乗り物に乗って、前線基地までバビューンと戻りましたのですハイ。

 

 ここでアリスの造った乗り物は……なんだかちょっとハート型な流線形でしたよっと。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで数分後、私達は基地の少し手前に降り立ちました。

 

 ホットスポットに向かう前に、抗ゴブリン化薬の処方をしなければなりません。

 

 飲み薬を飲み、塗り薬を塗り合いっこしたり……はせず、それぞれ物陰に隠れてごそごそ塗りこみました。アリスがなんか「アンタは今、色々な意味で重要人物なんだから念入りにね!」と言っていましたが、わーってるって。

 

 それならばと、サーリャは、私の身体に塗り薬を塗る役をとてもやりたそうにしていましたが……いやするわけないでしょ、こんな時に。ダンスも習っているんだから身体も柔らかいよ? 背中にも余裕で手が届くってば。だからしないってば。しーなーい~。

 

 

 

 さて。

 

 そんなメイドさん血涙のシーンがあって更に数分後、私達はホットスポットのど真ん中にやってきました。

 

 氣がつけば、アリスはいつの間にやら髪を切って、少年兵のような格好になっています。

 

「体格を大きくする魔法ってないの?」

「やれなくはないけど、今はキャパシティの問題があるから」

「ああ……」

 

 ちんまり。

 

 これを兵士と言い張るには少し無理がある感じの、美少年なアリスがそこにいます。

 上は鎖帷子を着込んだので胸の隆起は完全になくなっており、華奢な身体は肩当で多少わからなくなってます。

 

 けど、顔が……ね。

 

 黙っていれば美少女といっていいアリスですから、よくて少女マンガの生意氣系美少年、よくないと、これはもう普通に美少女の男装です。

 

 サーリャは、見た瞬間に可愛いーって頬擦りしてました。今もしています。そのせいでアリスの顔が少し死んでいます。美少女可愛いなのか、美少年可愛いなのか、知りたいような、知りたくないような。こんな状況下でも大変に残念なメイドさんの性癖はどっちだ。

 

「サーリャが満足したら、兜もちゃんと被っておいてね」

「りょーかい」

 

 この鎖帷子や兜は、男爵家メンバーの手持ちにはなかったので、そこらのテントから失敬してきたモノです。ナハト隊長(しか)り、そこはやはり空中戦を得意とするドラゴンキラーの集団だからなのでしょうか、隊にはかなり小柄な兵士もいるようで、少し探したらアリスにも合うものがあったとのことです。女性のモノもあったけど、男装用に男性用の小さいサイズを選んだとのこと。

 

 なお、アリスが兵士姿に着替えている間は、私達は解毒薬の処方を行っていました。

 

 サーリャのパパ含む男爵家の騎士三名はサーリャに任せて、私はサスキア王女を連れだって第二王子のところに。途中まではいくつかのテントを探るアリスと一緒でした。さすがに第二王子のテントまでは勇者ムーヴ(他人の生活圏を遠慮なく探っていくの意味で)しなかったみたいですけど。

 

 サスキア王女は、第二王子を見ても、特に何も言いませんでした。

 

 様子が戻る氣配もありません。むしろ私が飲み薬を、第二王子の口に無理矢理押し込んでる間中、彼女は見たくないモノから目を背けるように、私の腕に絡まって二の腕に額を擦り付けてましたよ。邪魔。

 

 ん? それじゃ塗り薬の方はどうしたのかって?

 そらあーた、サスキア王女にやってもらいましたよ?

 

 何のためにこの元凶、連れて来たと思ってるんです。

 

 血の繋がった兄弟でしょ、命を救うためです、私が王族の方に触れるなど恐れ多いので……云々、等々、諸々、様々な理屈をこねくり回してやってもらいましたよ。なお、錠剤の飲み薬を私が処方した時は、その両の頬を片手でぎゅっとつまんで「んぁ」と唸ったところへ、無理矢理押し込んだ氣がしないでもないです。恐れ多いことですね。うんうん。

 

 一仕事終えて、サスキア王女の、着替えたり手を洗ったりしたいなどのご要望に応え、王女のテントにも寄ってからそこを出ると、先述の男装アリスが「おっそーい」と待っていた次第です。

 

 ここで判明したことですが、私の生体魔法陣化は、アリスから遠くに離れると、自動的に解除されるとのことです。魔法陣は自分との相対座標も重要云々……例によってよくわからない説明をされましたが、要はアリスが認識できる距離の外に出てしまうと、この黒い線は維持できないそうです。なのでアリスは、今はまだ私の側から離れたくなかったとのこと。

 

 そんな理由だからなのか、それとも違うのか、アリスは王女のテントから出てきた私達を見るや、装着したばかりの鎖帷子をシャラシャラ言わせ、すぐにつかつかと私の方へ近付いてきました。

 

 そうして私の顔と首元に、その美少年めいた顔を近づけてきて、カツオブシを出された猫みたいにくんくんと匂いを嗅いて、「ちゃんと塗ってるわね、おーけぃ」などと供述しておりました。……その確認、必要だった? かじらせないよ?

 

 まぁ……やると思ったけどね。

 

 そうしてから、サーリャとも合流した次第です。

 

 ……という経緯がありまして。

 

「サーリャが満足したら、兜もちゃんと被っておいてね」

「りょーかい……聞いた? バカサーリャ! もう満足でしょ! 離れて!」

 

 と、こう相成(あいな)ったのです。

 

「あん」

 

 漸く、アリスがメイドさんのスリスリから解放されたようです。

 

 そんなこんなで、事前に決めていた抗ゴブリン薬を処方する予定の人物は、この辺り……第二王子のテントそば……からはだいぶ遠いところで眠っているはずの、ナハト隊長だけとなりました。

 

 ですが、その前に……今試せる希望を試してみましょうか……薬を使いきる前に。

 

 私は美少年然としたアリスを前に、言葉を繰り出します。

 

「ゴブリンはモンスター、つまり魔法生物、そうなんだよね?」

「え……うん」

 

 小さな兜がこくんと頷きます。

 

「これは私の推測なんだけど……サスキア王女が撒いたという緑色の液体は、おそらく病原菌」

「病原菌?」

 

 要は魔法を使えるようになった緑濃菌(りょくのうきん)です。

 

「うん。つまり緑色の液体は、病を引き起こす原因菌、病原菌の塊のようなものなの」

 

 仮に、解毒薬が(魔法生物(モンスター)化した緑濃菌に効く)抗生物質のようなモノであると……緑濃菌は抗生物質が効きにくい種類の細菌だったと思うので、厳密には違うのかもしれませんが……あくまでそのようなモノだと考えれば、つまりモンスターであろうがなんだろうが、殺菌してしまえば撃退は可能というわけです。

 

 魔法使いでも、人は殺されれば死ぬわけですし、それと同じことでしょう。等しく、身体は細胞でできているのですから。ウィルスはまた少し事情が違うけど。

 

「病原菌は私達と同じ生き物。目に見えないほど小さいけれど、生き物である以上、殺すことは出来る。ゴブリンがアルコールをかけると弱体化する話は、よく知られていることでしょう?」

 

 それに、そもそも常在菌である緑濃菌が有害化するのは、日和見感染といって……いやこの辺は省くけど、とにかくこの前線基地にいるのは、丈夫な身体をもった兵士ばかりだったわけで、免疫力、抵抗力もアベレージ高めでしょう。事態はまだ、そこまで深刻化していない可能性が高いです。

 

 それなら、試せることがあります。

 

「ですがティナ様。この基地にアルコールは……」

 

 うん、ほとんど配備されてないのは知ってる。

 

「だから……解毒魔法、殺菌魔法のようなモノって無いの?」

「殺菌って……なに?」

 

 アリスがうろんげな顔になりますが……大丈夫、四百年前にはなかった概念かもしれませんが、私が生きるこの時代には、既にそこそこ知られた概念です。かつて選べなかった医療チート、ここでも選べません。

 

「サーリャ」

 

 ここは掃除洗濯が日常業務のメイドさんにも説明してもらいましょう。

 

「理屈は私にも説明できませんが、この世界には凄く小さな、目にも見えない小さな虫のようなものがいて、いくつかの病気はそれが原因で起こるものらしいの。食中毒とか、破傷風が代表的なモノだそうよ」

「あ……」

 

 なんだか腑に落ちたようで、アリスが頷いています。

 

「……解毒魔法はあるの。でも」

「でも?」「アリス……」

 

 おや? なんだかサーリャが、痛ましいものを見る目でアリスを見ていますよ?

 

「やったことあるの、ゴブリン化した人……助けようとしたこと、あったから……アムンにも手伝ってもらって、普段の数倍強い解毒魔法を使えたんだけど……それでもダメで」

 

『アンタ判ってるの!? あなたがやったのは虐殺よ!? 大虐殺なのよ!?』

『ゴブリン化を治す魔法なんかないの! アンタは人を殺す薬を()いたのよ!?』

 

 

 言ってましたね。

 

 でも。

 

 でもね?

 

 ユミファさんの封印は、アリスの結界魔法、黒竜の雪崩(?)魔法、加えてアリスの反射魔法、これらの合わせ技で成すことができました。

 

 そう、合わせ技。

 

 ゴブリン化の正体は魔法生物化した緑濃菌の暴走。

 

 緑濃菌それ自体は、アルコールなどの一般的な殺菌方法で退治が可能。

 

 このふたつを合わせて考えてみましょう。

 

 解毒魔法が効かないのは何故か?

 

 雪華模様(せっかもよう)。アリスの結界魔法を思い出します。

 

 モンスター化した細菌を、仮にゴブリン菌と呼称しましょうか。

 

 ゴブリン菌は、結界魔法でその身を守っている。

 

 結界魔法は、ユミファさんとの戦闘を思い起こすに、物理的干渉も、魔法的干渉も全て防御できる魔法のようです。

 

 なら。

 

 もしかすれば。

 

 解毒魔法も、結界魔法によって防がれているのでは?

 

 それならば。

 

 結界を突破できれば、解毒魔法は届くのでは?

 

 結界を剥がすにはどうすればいい?

 

『なにこれすっご。魔法陣が消えてく。擺脱(はいだつ)魔法って、魔法陣の意味と意義を一部欠損させて無意味化するだけの魔法なのに、全消去になってる』

 

「擺脱魔法って、私の陽の波動? と相性がすごくいい魔法なんだよね?」

 

 アリスが、ポカンとした顔で私を見つめてきます。

 

「解毒魔法が効果ない理由、アリスは何だと思っている?」

「え? え? え?」

 

 わかっていないようなので、頭から説明してあげます。

 

 ゴブリンは、ゴブリン菌による人体への干渉によって生まれる……と仮定して。

 

 ゴブリン菌は、それ自体は解毒魔法で殺菌が可能……と仮定して。

 

 ゴブリン菌が展開している結界を、私という生体魔法陣で増幅した擺脱魔法が突破できるのならば。

 

 単体では効果なかった解毒魔法、そして擺脱魔法……その合わせ技で、ゴブリン菌の根絶は成るのでは?

 

「え……そんな……嘘……」

「アリスが昔助けようとした……ゴブリン化した人には、擺脱魔法と解毒魔法の合わせ技、これは試したの?」

「いやっ……そんな……違う……ならあの時、あたしはエンケラウを助けられたの?……正しく治療してれば……あたしはユミファの大事な人を助けられたの!?」

 

 あー……ね。

 

 うん、その反応は予想できたよ。てかゴブリン化したのってエンケラウかい。九星の騎士団員かい。

 

 でもね、意外と盲点なんだよ。医療行為における『合わせ技』というのは。

 

 判り易いのが、麻酔と外科手術の関係かな。

 

 麻酔そのものには、病状を改善する要素がない。

 

 でも痛覚、意識があると、患者がショック死するなどの困難を伴う術式がある。

 

 困難な外科手術は、優れた執刀医と優れた麻酔医、その他優秀なスタッフが何人も揃って漸く成るモノ。

 

 難病の治療は、たったひとつの冴えたやり方、それだけでどうにかなるものではないし、外科手術に頼ることのできない、俗にいう血液の癌、白血病であってもそれは同じだったよ。

 

 もっと日常に近いところで言えば、風邪の予防だって……手洗い、うがい、身の回りを清潔にする、身体を冷やさない、バランスのいい食事を心がける……こういうモノの『合わせ技』で、意味あるモノになっていく。どれかひとつだけ完璧でも、他を疎かにすれば意味がない。

 

 え? よくわからないからガン●ムで喩えろ?

 

 ア●ロしかいないガ●ダム、シ●アしかいないガンダ●、面白そうって思える?

 ヤン●ェンリーとラインハ●トでもいいよ。の●太とドラ●もんだと、●び太君は不要説あるけど。そんなこと言うない。

 

 なんなら医療行為ではないけど、美容と健康のために行う行為、ダイエットだってそうだ。

 

 痩せる方法は実際沢山あるが、乱暴に大きく分けるとふたつ、食事を減らすなどしてインプットを絞る方法、もうひとつが運動をするなどしてアウトプットを増やす方法、このどちらかとなる。

 

 当然、どちらも行えばダイエットの効果は倍以上になる。

 

 けど、ダイエットを行う人の多くが、食事制限をしても運動はしない。

 

 食事制限をして筋力が落ち、基礎代謝が減るから太りやすくなって、一時的に減った体重もリバウンドで簡単に戻ってしまう。

 そういう悪循環に陥る人は、前世の世界にいくらでもいたらしい。

 

 だからね、アリス。仕方無い。

 

 アリスが助けたいと思っていた人が、本当はアリスに助けられたかどうかなんて、今は考えてもしょうがないんだよ。後悔は……してもいいけど、囚われるのはダメだ。

 

 それに私のこれは、ただの推測だ。

 効果が有るか、無いかは、これからやって確かめるの。

 

「アムンさんの生体魔法陣は、私のそれよりも優秀だったの?」

 

 だから私は嘘をつく。

 もはや真偽を確かめようもない嘘をつく。

 

「……え?」

 

 これは鬼の道。だけどね……私は進むよ?

 

「この解決策はね、擺脱魔法? これが、ゴブリン菌の結界を突破できることが必須条件。それも極小の病原菌、無数の小さな命、それらが展開する強力な結界を、一氣に突破することが必要なの」

 

『擺脱魔法って、魔法陣の意味と意義を一部欠損させて無意味化するだけの魔法なのに』

 

「あ」

「解毒魔法の強化はアムンさんの方が適していたのかもしれないけど……アムンさんの生体魔法陣で、そこまで強力な擺脱魔法は使えた?」

 

『全消去になってる』

 

 ふるふると首を振るアリスに、私は強いて笑いかける。

 

「私と同規模の波動持ちだったという、アリスのママはもういなかったんでしょう?」

「……ママ」

「でも今、この場所には私がいる」

 

 鎖帷子を着、固い兜を被ったアリスを、再び胸に抱き寄せる。今度は胸に硬い感触。

 

「……また……ティナ様は本当に……もぅ」「ぃぃなぁ……」

 

「ママ……」

 

「試そう、アリス。全員、救える道を」

 

 

 



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37話:開戦

 

 それでどうなったかというと。

 

「魔女め!」

 

 槍を高速で振り回すナハト隊長が、アリスへと襲い掛かります。

 その速さは、まさに目にもとまらぬモノです。

 

「無駄ァ!」

 

 例の、高速の蒸発音のようなものが響いて、アリスの結界がその槍を停止させます。

 物理法則を完全に無視した急停止。反動とかはどうなっているのでしょうか?

 

 前世のテレビショッピングで、高機能マットレスに卵を落とす実験かなんかの映像を見た覚えがあります。

 

 客観的に見ると、結界が、何かを阻止する瞬間の感じは、アレに近いです。

 

 勢いが、結界に触れた瞬間にピタッと無くなる。そういう感じです。

 

「だからあたしは魔女なんかじゃ」

「何を言うか! その黒き禍々しきナニカは魔法使いの証! 問答は無用である!」

 

 アリスの頭上数メートル上には、これも例の、黒い鳥篭のような魔法陣が浮かび、アリスの動きに合わせ回転したり、微妙に動いたりしています。

 

「あー! もー!?」

 

「いやぁあああぁぁぁ! やめて! やめて! ナハト様!」

 

 それにしてもサスキア王女がうるさいです。

 

「ティナ様! 下がってください!」

 

 サーリャは……いつの間にか胸に短剣を抱いています。

 

 その短剣、どっから出したの? インベントリなスカートにあったの? ずっと? 今までずっと? だから君って戦闘メイドさんとかじゃないんだよ? なのにずっと武装してたの? そんなそぶりも全く見せずに?

 

 そんなわけでただいま修羅場です。どうしてこうなった。

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言うと。

 

 私の推論は、間違っていませんでした。

 

 擺脱(はいだつ)魔法と、ある特定の解毒魔法、これの合わせ技でゴブリン化の阻止は成りました。

 

 まず第二王子の金隠し……ならぬお付きの女性、二人に試してみたところ、アリス曰く「『マナに触れられる手』が消えた」とのこと。やったぜ。

 

 なおその時、アリスが感極まって泣いたのを、サーリャが後ろから抱きしめるという、美しい一幕があったことも加えてお伝えします。

 

 アリスは、なんの抵抗もせずに、サーリャの胸の中で嗚咽を堪えていました。

 

『よかった……よかったぁ……』

『私はティナ様の従者ですが、今はこの胸で泣いてください』

『わ、わかってるわよ、ばかぁ』

 

 ……みたいなツンデレチックなワンシーンもあり、何か、そこでアリスの胸に(つか)えていたモノがひとつ、溶けたのだろうなと思わせました。

 

 あの二人、ホント、私が寝ている間に何があったのでしょうね。

 親友……という感じではありませんが、なんかこう……悪友感があります。

 少し嫉妬しちゃいます。どちらにかは、わからないけど。

 

 でもまぁ、仲良きことは()きことかな……と思うので、

 

『で、でも、あたしはサーリャよりティナの方が大事だからね。サーリャとティナ、どちらかしか選べない状況になったら、あたし、サーリャを見捨てるからね?』

『はい。私もそうします。ティナ様とアリスなら、ティナ様を選びます。アリスのことは、そのついでに助けられたら、ですね』

『絶対よ?』『はい、アリスも』

 

 とかなんとか、妙な団結をして、その場を〆るのはやめてほしかったです。はずかしい。

 

 

 

 アリスが落ち着いて、そうして何度かゴブリン化の阻止を繰り返し。

 

 要領を掴んで、第二王子のテント、第三王女のテント(の内外で寝ていた女性騎士六名)、薬は処方したけど一応ということで私達のテントの、男爵家の騎士三人と、テントみっつ分、人数にして十五人くらいの治療を終えて、慣れてきたところで、魔法の範囲化に挑戦することにしました。

 

 アリスは範囲魔法が、あまり得意ではないとのことでしたが、私という魔法ブースターのおかげで……理屈はよくわかりませんが、力技なごり押しが容易だった、とのことです。

 

 四つ目のテントでは、テントの中に入ることもなく、探索魔法で対象の位置を確認し、魔法を使って、それだけで中にいたらしき四人の消毒(?)が完了したとのことです。『マナに触れられる手』が消滅したから、間違いないそうです。

 

「ティナの生体魔法陣(せいたいまほうじん)、便利すぎて怖い」

 

 ……とは、そこでアリスが、今更のように呟いた言葉です。

 

 よくわからないけれど、あの女神様(?)も、とんでもないチートをオマケにくれたものです。自分ひとりではなんの役にも立たないというのが難点ですが。

 

 ところで、この前線基地ですが、複雑に隆起する岩石の群れの中に設営されているという特性もあって、テントのひとつひとつが、そこそこの距離をとって張られています。

 

 全体のテント数は把握してませんが、物資の収納庫を含めても五十はないでしょう。おそらく三十から四十の間だと思います。これが、一番端から端まで()キロメートル(km)ほどの範囲に散らばっています。

 

 例をひとつあげると、男爵家、私達のテントと、それに一番近い第三王女のテントで三十メートルほど離れています。なお、その辺りがもっとも平坦な大地で、他のテントへは結構な悪路を歩くことになります。ところによっては、大きな岩が、壁のように、柱のようにそびえていたりもします。

 

 第二王子のテントは、第三王女のテントの数十メートルほど先、そのほんの少しだけ小高くなっている部分にあります。空から襲われることを想定すると、高い場所は危険な氣がしますが……これは第二王子自身が、バカと煙はの法則でも発動させたということなのでしょうか。

 

 ナハト隊長のテントはかなり離れています。第三王女のテントから直線距離で三百メートルほどでしょうか。途中悪路もあり、男爵家のテントからそこへ向かった時は、十分近くかかりました。

 

 話をアリスの範囲魔法に戻します。

 

 アリスが、何度か試してみたところ、擺脱魔法、解毒魔法を双方、用に足る効果のまま範囲化できるのは、半径十メートル程度が限界……とのことでした。

 

 テントとテントの間は、大抵、十メートル以上は離れてます。

 

 テントには、ひとつにつき三人から五人が寝ていたようです。

 

 そんなわけで、しばらくはテントひとつひとつを、外から範囲化した魔法で一度に三人から五人、擺脱魔法、解毒魔法と使い、ゴブリン化の解除を行っていました。

 

 そうして三十人くらいは消毒……いえ、治療したかな、という時。

 

 目の前に、見覚えのある、ナハト隊長のテントが見えてきました。

 

 ふと辺りを見渡すと、ナハト隊長のテントの近くには、例外的にもうひとつ、大きなテント(たぶん、キルサさんら女性隊員のテントだったのでしょうね)がありました。その間の距離は、およそ十五メートル。

 

 ナハト隊長のテントにはひとり……この時点では、ナハト隊長かなと思いました……もうひとつのテントには二人、人が寝ているとのことです。

 

 距離的にも、手間的にも、ふたつのテントを同時に、範囲魔法でゴブリン化解除するべきとなるのは当然の流れです。

 

 アリスがふたつのテントの丁度真ん中あたりに立ち、大きめの魔法陣を展開し、私の髪が銀色に光り、さあ範囲擺脱魔法の行使!……というその時。

 

「正体を現したな! 魔女め!」

 

 小さな影が、大きな槍を持って、私達を襲撃してきたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

『誤解です!』

 

 ……とは言えないのが辛いところです。

 

 いえ本当に、一部はマジで誤解なのですが、それを言っても、殺氣ムンムンで襲ってくるナハト隊長の槍は下がらないでしょうね。ユミファさんとは別の理由で、まったく話が通じません。

 

 魔法は迫害され、魔法使い、魔女は人間社会から排斥される世界。

 

 そのクソゲー感が、とうとうここにきてその牙を剥きました。

 

「だー! だからこの状況を作り出したのはあたしじゃないっての!」

「虚言を吐くな! 魔女よ!」

「ひっ!?」

 

 牙、それはもう比喩でもなんでもなくて、アリスに襲いかかる槍の鋭いこと、鋭いこと。あれってもう人間辞めてない? 超高速で移動しながら身長よりも長い槍を軽々と扱っているんですけど。

 

 月と星、それと今も陣のあちこちに吊されているランプなどの光を受け、蒼くも黄色くも光る槍が、こちらで(きらめ)いたかと思えばあちらで(ひらめ)き、残像が消えぬ間に、その筋が十にも二十にもなるといった具合です。めまぐるしい。

 

 アリスは、魔法の範囲化が苦手です。

 

 おまけに、私を氣遣ってか、私の髪を銀色にする行為……生体魔法陣、人間魔法ブースターの利用は控えているようです。まぁ、さきほどの様子を見られていたのなら、意味がない氣もするのですが……。

 

 更に言えば現状、ユミファさんの封印で、アリスは複雑な魔法が使えない状態でもあります。

 

 使えるのは、狙いを定めなければいけない単体効果魔法、なのに、相手は常に高速移動をして狙いを定めさせないナハト隊長。相性のいい相手ではないようです。

 

 そういえば……竜殺し(ドラゴンキラー)にはタワーシールドが必須と言われています。

 ですが、今は相手がアリスだからでしょうか? そのようなものは装備していません。

 

 普段はそれを装備していても動き回れるよう訓練している負荷を、今は外している……そのことも、あの運動性能、移動速度を生み出す(もと)になっているのでしょう。

 

 胸当てや肩当て、背を守る革の鎧こそ、かなりの厚みがあるものの、そんなモノはなんでもないかのように動き回っています。正直、十五メートル以上は離れ、それなりの遠くから見ていても、目では追いきれません。

 

 身長だけなら、私ともさほど変わらないナハト隊長の身躯(しんく)は、森のようにそこかしこへ林立する岩石を足場にし、時にそれへ隠れ、現れては消え、消えては現れ、魔法の照準を合わせようとするアリスを翻弄しています。

 

「あーもー! 話聞いてってば!」

 

 ですがアリスも、さすがはめちゃんこ強い魔法使い。

 

 四方八方から槍を突き出されるも、そこは結界魔法で難なく凌いでいます。

 

「だから元凶はそこのバカ女! 王女様だってば!」

「妄言を!」

 

 そんなこんなで、さきほどからあまり状況は動いていません。

 

 結界への槍の打ち込みは、既に百合(ひゃくごう)を超えたでしょう。いえ百合(ゆり)ではなく。

 

「だめぇぇぇ! やめてぇぇぇ! ナハト様お願いぃぃぃ!!」

 

 時々制止を試みるアリスと、それを跳ね除けるナハト隊長、サスキア王女の悲鳴だけが、延々とこの場に響いています。これはもうマジで心底(しんそこ)どげなせんといかん状況なのですが、アリスがこちらへ注意を向けさせないよう頑張っているところへ、横槍を入れるのは躊躇(ためら)われます。

 

 いえ、それでも、横槍を入れようかと、多少は試みているのですが……。

 

「サーリャ……」

「ティナ様は絶対に前へ出ないで下さいね、ティナ様こそ驚異にして脅威……その真実に氣付かれてしまったら、私達に身を守るすべはないのですから」

 

 それは、メイドさんに止められています。

 

「私こそ驚異で脅威って……」

「この半日で、ご自分が何を成されてきたのか……ご自覚は無いのですか?」

 

 小声で告げる、その手に持つ、短剣の先が震えています。

 こんなモノでは、あの槍を止めることなど到底無理と、自覚しているのでしょう。それでもこれを抜いたのは、私を……自分より先には死なせないという覚悟でしょうか?

 

「でもサーり」「口出しも無しです。あの男の注意をこちらに向けてはなりません」

「……」

 

 その覚悟に、私の横槍は止められています。

 

 ハッタリ、嘘、虚勢……私はそうしたモノで、ここまで人生を渡ってきました。

 

 それ以外何もできない。

 

 私には何もない。

 

 チートはただ、人として健康で長生きできるように、それだけを願い、手に入れたもの。

 

 今世(こんせ)

 

 私は、クソ兄貴という邪悪に屈した時、後悔しました。

 どうして単純な暴力に対抗できる能力を願わなかったのだろうかと。

 

 その後悔が、ここでまた、再燃してきます。

 

「ひっ!?」

「その壁、槍を通さぬ絶対の障壁か。面妖なり」

「ナハト様! 槍を(おろ)してください! お願いですからぁぁぁ!!」

「攻勢を緩めるは即ち死! 化け物と対するが戦場の鉄則である!!」

「だ、か、ら、あたしは化け物なんかじゃ……ひぇぇぇ!?」

 

 横薙ぎの槍が、アリスの左の横っ腹、ギリギリで止まる。

 

「アリッ……もがっ!?」

「ダメですっ、ティナ様!」

 

 後ろから身体をひしと抱きしめられ、その腕がそのまま私の口を塞ぎます。

 

 そのまま少し、後ろに下がらせられ、戦闘が行われている場所から三十メートルは離れた位置まで来ると、サーリャは真剣な表情で、囁くように私へと語りかけました。

 

「先程、アリスと約束したばかりです。私はアリスを見捨てても、ティナ様を守ると」

 

 見捨てる!?

 

「サーリャそれじゃ……んぐっ!?」

「お願いですから!」

 

 心臓が跳ね、そこから(まろ)()そうになった言葉を、小声でありながらも強い口調の声が遮ります。

 

「……お願いですから、ティナ様はご自身を大事にしてください。なんでもないことのように、軽易に、要らないものを投げ捨てるみたいに、ご自分を危険にさらさそうとしないで下さい。長生きが、したいのでしょう? しましょうよ。私も、そんなティナ様の人生に、何年でも、何十年でも……永遠でも……ずっとずっと付いていきたいです。私……は、ティナ様に万が一のことがあったら……後を追いますよ? あの世でもどこでも、またティナ様にお仕えするために、サーリャも後を追って世を(はかな)みますからね? 嘘偽り無く、そうします。もし、ティナ様がその覚悟を疑われるのでしたら、その覚悟を見せればティナ様が生き延びようとしてくれるのであれば、今すぐにでもこの短剣で、喉でも心臓でも突いて、私の忠義の証としてしまいます」

「な、に、そ、れ……」

 

 真剣に深刻に真摯に……シリアスに……サーリャは軽易に、要らないものみたいに、自分の命を私の方へと放り投げてくる。

 

 私がそれを受け止め切れないのであれば、それが地に落ちて、潰れてしまってもいいとでもいうかのように。

 

 ……バカなこと、言わないで。

 

「行かないで……お願いですから、死地へ赴こうとしないで下さい。アリスを信じましょう。ティナ様はその発想力、物怖じの無さこそ脅威ですが、アリスのように身を守れるわけではないのです」

「……自分の身すら守れない人間の、何が脅威なの?」

「それがわからないから! そのことがまるでわかっていないお嬢様だから! あちらへ行かせるわけにはいかないのです! ティナ様……アナベルティナ様……サーリャは貴女(あなた)を愛しています。仕えて二年、この時が永遠に続けばいいと願うほどに」

「サーリャ……」

 

 私こそが脅威?……どこが?……どこがだよ……。

 

 鍛えても筋肉の付かない細い身体、自由の少ない(下級)貴族令嬢という立場、転生者のクセに、現実的問題の解決に役立つチートは(直接的には)持たない。

 

 ……どうして私はこんな時、無力なのだろうか。

 

 ただ長生きをしたいと。

 

 あの夜に、長生(なお)が祈ったように。

 

 ただ長生きがしたいと。

 

 ただ満足できるまで生きたいと望んだのが、間違いだったのだろうか?

 

「ティナ様。あの方……ナハト隊長には、現状、私達を人質にとろうとする意思がないように思えます。それが武人としての誇りからくるものなのか、それともその必要を感じてないだけなのか……それはわかりませんが、今この時は、この状態がベストです。ティナ様が下手に横槍を入れて、人質にとられでもしたら……ティナ様」

「……え?」

 

「ティナ様は、わかっておいでですか? アリスは、ティナ様を人質にとられたら、そこで終わりです。おしまいなんです。ティナ様を助けたくば死ねと言われれば、アリスは即刻、自死を選択してしまうでしょう。アリスは、ティナ様を、それくらい大事と思っているのです。それが……わかっておいでですか?」

「そんなことは……」

 

「ティナ様……どうして……どうしてそこだけが、そのことだけがっ!……貴女にはわからないのですかっ!!……どうして……どうしてそんなにも自分を貶めるのですっ」

「あの男が、私達を人質にとらないのは……私達がアリスの人質にはならない、人質にとっても、交渉材料にはならないと思われているからじゃ……」

 

「ええ、そうかもしれませんね。それはそうかもしれません。ですが、真実は違います。アリスは、ティナ様の身柄を押さえられたら、そこで終わりです。どうしようもなくなります。私もです」

「だからそんなことは」

 

「ティナ様っ! 私を信じられませんか? 私はティナ様を愛しています。私は私の命よりティナ様の方が大事です。証明しろというなら、この短剣でいつでも証明できます!! したらいいですか!? しますよ!?」

「やめ……て……」

 

「何度でも言います。私はティナ様を愛しています。だからわかるんです。アリスもそうであると。アリスは、ティナ様のお命を守るためであれば、その命、いつでも投げ出してしまえるのです。そのことだけは、どうかアリスのその覚悟だけは信じて……信じてあげてくださいっ……」

 

 抑えた声で。

 

 震える声で。

 

 サーリャは激情を吐露する。

 

「そんな……ことは……」

 

 だけど響かない。

 

 当惑するばかりの私に、その言葉は響かない。

 

 勘違い、しないで……残念なメイドさん……。

 

 心が弱々しく……それでも確かに……反駁(はんばく)を呟いている。

 

 サーリャの命より、私の命が大事?

 

 アリスの命より、私の命が大事?

 

 そんなこと、あるものか。

 

 だって私は、サーリャが死んだら、その後の私はもう、ぬけがらだもの。

 

 だって私は、アリスが死んだら、その後の私はもう、からっぽだもの。

 

 そうだよ。

 

 ミアだけじゃない。

 

 私という人間は、もう、ミアがサーリャがアリスが、生きていてくれなければ……成り立たないんだ。

 

 私は、弱い。

 

 サーリャが死んでも、アリスが死んでも、ミアが死んでも……私は死ぬ。

 

 好きになった人達が、大好きな人達が、死んでも生きていけるほど、私は強くはないんだ。

 

 大事な人の死を乗り越えて強くなれ?

 

 無理だよ。

 

 そんなシリアスには……まだ、耐えられない。

 

 サーリャの想いが……私というちっぽけな器には入りきらない。

 

 いつかは私も……例えばそう、親の死に目に立会い、見送るという……そういう試練を、乗り越えていかなければならないのだろう。

 

 だけど私は、前世までをも含めても、そんな試練は乗り越えてこなかった。

 

 むしろ私自身が……俺自身が、親の試練になってしまった。

 

 父さんが、母さんが……俺の死を乗り越えてくれたか……それを、私は知らない。

 

 乗り越えていてくれてたらいいと……思う。

 

 だけど、本当に俺の死を乗り越え、今も楽しく暮らしているのだとしたら……それへ寂しさを覚える……子供じみた自分も、確かにいる。

 

 仕方無いから。

 

 人は死ぬから。

 

 いつかは別れが来るものだから。

 

 それに耐えることも、人生には必要なのだろう。

 

 でも。

 

 それは仕方無いだけで、耐えなければいけないだけで、望んでそうしたいわけじゃない。

 望んでそうなってほしいわけじゃない。受け入れるに易いことではない。

 

 『仕方無い』が壊せるなら、それはそうしたいんだ。

 

 壊せるなら夜を花火で、打ち消せるなら闇を光で、私はそれをそうしたいんだ。

 

 サーリャを失ったとしたら……もうアリスを失ってさえも……その命を背負って、強く生きていけるほどの器が、私にはない。まだ、無い。

 

 それに応えられるだけの自分が、ここにいないんだ。

 

 私は弱いから。

 

 まだその『仕方無い』には、耐えられないんだよ。

 

 そんな無駄死には、許したくないんだ。

 

 サーリャ。

 

 だから違うんだ。

 

 ここにいる私は、大好きな人の死さえも糧に成長して、やがて世界を変革する英雄となる……そんな大層な人間なんかじゃないんだ。

 

 私はただ幸せに長生きがしたいだけのちっぽけな人間なんだ。

 

 だからサーリャもアリスも死んではいけない。いけないんだよ。

 

 私は、私の命と同じだけ、本当に全くの同値、同数値、サーリャやアリスの命が大事なんだ。

 

 だって……それがなければ生きていけないのだから、当然でしょう?

 

 私達は、等号(イコール)で繋がっているの。

 

「大丈夫です。アリスの結界は、竜の突撃すら止めたのですよ? それに、お嬢様、人間には体力の限界というものがあります」

 

 まるで、彼女の所見を承諾したかのように黙り、心の中でだけ、子供じみたことを呟いていた私に、サーリャは、少し落ち着いた様子で「あんなに」と、超高速で動き回るナハト隊長を指差しました。

 

「あんなに、激しく動くことなど、もって数分でしょう。横槍を入れるならその後です」

 

 珍しくまともな提案を、愛おしくも残念なメイドさんが……する。

 

 確かに。

 

 この世界の魔法は、いわゆるMP制ではなく、つまりは魔力切れという概念が無いように思える。

 

 それと比べると、物理の武力には当然ながら体力、スタミナという限界がある。

 

 あそこまでの運動量を、あれだけの瞬発力でこなし続けていれば、そりゃあスタミナの切れも早いでしょう……普通ならば。

 

 それに。

 

『だーから言ったでしょ。自分にかけるなら、この手の魔法は凄く便利なんだって。なんならお腹ぶっ刺されても数十秒で治してみせるよ?』

 

 アリスは、かなりの怪我でも、自分のものであればすぐに治してしまえると言っていました……ならば、一撃を喰らえば終わりという戦いでも、ないということです。

 

 ですが。

 

 だけれども。

 

『特に、ナハトという男にはユミファを制するだけの力があった。彼はね、あれで傑物だよ? 異能の類を何も持たず、単純な武力だけで魔法使いを圧倒できる人間というのは、少ない。おまけに何の因果か、魔法に対する抵抗力もめっぽう高くてね。安寧のムーンストーンが効果を発揮するか、多少不安だったぐらいだ』

 

 あの男の言葉。

 

 そして。

 

「……どうしてアイツは寝てないんだ」

 

 アリスを追う前、キルサさんが目覚めた時、あの男は確かに眠っていた。

 この状況下で、しかし何事もなかったかのように目覚め、あの動きができている。

 それだけでも、あの男が化け物に思えてくる。

 

 アイツは本当に、数分で体力が切れるのか?

 

 

 







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38話:アリスVSナハト

 

<アリス視点>

 

 ああもう! 鬱陶(うっとう)しいったらありゃしない!

 

 結界は全方位に張ると音も光も遮断してしまう。

 中から様子を窺うことは……まぁ多少はできるけど、行動にタイムラグが生じてしまう。そんなの、後ろの方が……ティナとサーリャが心配で……やってらんない。

 

 かといって、ティナ達に「あたしとは脅されて行動を共にしていただけ」という、言い逃れの道が残されてる以上、あまり共闘してる風を装う……っていうか明らかにするのも悪手だ。

 

 だから攻撃される方向にだけ結界を張って、(しの)いでるけど……。

 

「ああもう!! なんで無駄だってわっかんないのかな!?」

「それはどうかな、魔女よ」

「っ!?」

 

 何合目か、久しぶりに正面から打ち込んできたと思ったら、槍が結界に当たる前に……軌道を変えた!?

 

 動きが早すぎて見えない!?

 

「くっ!」

 

 ただの勘で、両脇の結界の強度を上げ、その範囲を広げた。

 

 右脇に、結界が何かを止めた感覚。

 

「ふむ。その顔……賭けに勝ったというところか? だが、あと何回、勝ち続けられるかな?」

 

 右脇の結界に、揺らぎが感じられる。

 

 今のは何!?……繰り出された槍がその軌道上でクンと滑らかに曲がる……そんな幻影を見た。

 

調伏(ちょうぶく)手懸(てが)かりは既に頂戴した。その盾、その防壁、綻びがあるな?」

 

 槍の……握りが違う?

 

 左利きなのか、左手に持つ槍の、その握りがどこかおかしい。

 薬指と小指、それだけであの長大な槍を握っているように見える。

 

 ミスリル製のようだから、重さこそ、見た目ほどではないにせよ、普通、あのサイズの槍は両手で持ち、扱うモノのハズ。アイアもたまに片手で槍を扱っていたけど、アイツの槍の長さは身長のよりも少し短い程度のモノだった。

 

 コイツの槍は……コイツの身長よりも長い。

 

「突き出しの最中に、指の動きだけで軌道を変えた?……」

 

 身長よりも長い武器なんて、扱い難いと思うんだけど、コイツはそれを自由自在に使いこなしている。

 

 今の動きが、どういうモノだったのかは想像だにできないけれど。

 

 けど、槍を片手の薬指と小指だけで確実に支持できるというなら、残る指、残る腕で何かしらの操作は可能……ということなのだろうか?

 

 このチビ、どういう指の力をしてるんだ?

 

「風魔法! 空爪加虐(くうそうかぎゃく)!」

「おっと?」

 

 風魔法の様式のひとつ、空爪加虐(くうそうかぎゃく)

 かまいたちを生み出し、それでやたらめったら対象を引っ掻くように斬る魔法。

 

 それが、チビには命中せず、岩にぶつかってザギという嫌な音を立てる。

 

 この魔法は、あたしが使える攻撃魔法の中では、雷魔法に次いで効果範囲が広い。

 

 雷魔法は制御が難しくて、あたしじゃ、それをショートレンジで友軍誤爆(フレンドリーファイア)せず行使するなんて芸当は不可能。空爪加虐(くうそうかぎゃく)なら、威力はイマイチだけど、対人戦闘に一定以上の威力なんて必要ない。人体は脆いから。

 

 それに、面で攻撃できるってことは、結界の向こうにもうひとつの結界を作れるってことにも等しい。防御を固めるという意味でも、現状には適していた。

 

 だからこの場では、実質これが最善手となる。

 

 ……ハズなんだけど。

 

「当たれ! 当たれ! 当たれ! 当たれ! 当たれ!」

「荒い」

 

 相手のチビはもう、とにかくもう、こちらに狙いを定めさせないよう、動く動く動く。

 

 左に跳んでは右に返り、向かってきたかと思うと次の瞬間、遠くにいる。それはもう、なんじゃこりゃってレベルで動き回っている。ウザイ。凸凹(でこぼこ)した地形も向こうに有利のようで、せり出した岩を足場にして動き回り、それを盾にも、目隠しにもしているようだ。

 

 空爪加虐(くうそうかぎゃく)(ことごと)く岩にぶつかり、皆が寝静まった夜に、ザギ、ザシュ、ガギ、ガゴという非生産的な音が沢山響いた。

 

 ……と。

 

「そら」

 

 真横。左側面から直線でチビが突っ込んでくる。

 

「んっ!?」

 

 慌ててそちらへ結界を傘状に張る……が。

 

「賭けろ」

 

 槍が地面に刺さり、チビの身体があたしの視界から消える。

 

 刹那……うなじにぞわりとする悪寒。

 

 直感に従い、結界を頭上へと移した。

 

「ふむ」

 

 ちらと頭上へ視線を送れば、そこで蠢く雪華模様(せっかもよう)

 

「いい判断だ……否、殺氣を読んだか?」

「ん!?」

 

 目の前の、地面に刺さったままだった槍が……細い鎖のようなもの?……で引っ張られ、チビの手に戻る。

 

 今、槍を手元から放していたコイツは、ならば(なに)で攻撃してきたの?

 

 手や足でなかったことは確かだけど……。

 

「しっ!」

 

 その疑問に答えを出す暇もなく、再び四方八方から槍で攻められる。

 

「ああもう! ウッザイ!」

「ふんっ」

 

 再び空爪加虐(くうそうかぎゃく)をあちこちへばら撒くが、どんな危機察知能力をしているのか、全部が全部、避けられる。

 

 運悪くか、風刃(ふうじん)の通り道にあった貧弱な木が、めきという悲鳴、あるいは怨嗟(えんさ)(こえ)をあげ、まっぷたつに割けて落ちた。

 

「威力こそ、当たるならば即死の域。だが感情が乗った攻撃は避け易い」

 

 ハイハイハイ! だから何!?

 

「互いに攻撃が当たらないとなれば、これは防壁を破る勝負」

 

 ……って喋りながら高速移動すんじゃない! 声が周囲からぐるっと聞こえて、ぞわっとするわっ!

 

「五十人あまりの集団を一度に寝かした魔法は使えないようだな。なにかしらの制限があるのか?」

「だからそれはあたしじゃないっての!?」

「この身体は十年の無為より、もはや眠らないモノと化したハズだったのだがな。数年ぶりに、夢で恩師の顔が見れたことには、感謝しよう」

「知らないよ!?」

 

 なにコイツ、不眠症?

 だから眠りに抵抗力があるとか?

 

 まぁどちらにせよ……あたしの睡眠魔法の効果範囲は狭い。小船の上とか、身動きのとり難い場所で使うならともかく、こんな開けたところで動き回る相手には、使い物にならない。

 ……それはあたしが使える、大体の攻撃魔法でそうだけど。

 

「攻める手段が他にないなら、この勝負、こちらに分があるな。その防壁は、いずれ破れようぞ」

「……はっ。だから何? 確かにあたしの結界には多少の穴は空いてるかもね。でも」

 

 結界を、別の形で展開する。

 

 籠目状結界(かごめじょうけっかい)

 

 槍の穂先も通さないほどの、小さな穴を開けたまま、身体の回りを球状に覆う結界。

 これなら光も音も通るし、息が吸えなくなることもない。

 

「あんたの槍を絶対に通さないことなんか、最初から可能でしたけれど?」

「であるなら、どうして最初からそうしない? 何か、それには不利益が伴うのであろう? 相違ありや?」

「さあね」

 

 問題は、結界というのは、物理も魔法を防ぐモノなので……こちらの魔法も使いにくくなるってこと。でも親切にそれを教えてやる氣なんて、こちらにはない。

 

「しっ!!」

「え?……(いつ)っ!?」

 

 と。

 

 首に違和感が走った。いつのまにか、チビは長い槍を地面に刺している。

 

「アリス!?」「アリスッ!?」

 

 遠くから、ティナとサーリャの、ユニゾンの声が聞こえる。

 ああバカ、だからあたしの味方みたいな声をあげるなっ……て……の?

 

「いっつぅ!? え、ひぇっ!? なんじゃこれ!?」

 

 首を触る。激痛が走ったので、顔だけ傾け、見ると……。

 

 そこに刺さっているモノの正体を見て、一瞬で血の氣が引いた。

 

「槍は通さなくとも、針なら通すようだな」

「あ、あ、あ、あんたぁ!?」

「それも、ずっと投げてはいたのだがな、今、(ようや)く一本が通った。成る程、それが壁を全身に展開する不利益というところか」

 

 慌てて針を抜き、ぷしゅっと血が吹き出るところを、回復魔法で治療する。

 

 見ればそれは、編み棒に近いほどの長さを持つ針だった。だが編み棒よりも細く、黒ずんでいる。なんてもん乙女に投げつけてくれてんのよ! あのチビ!

 

「こ、こんなもんであたしを殺せると思うなぁ!?」

 

 苛立ち混じりに、地面に針を投げ捨てる。チリッといい音がして、余計にムカついた。

 

「やれ、魔女とは竜が如く。硬く、しぶとく、化生(けしょう)にてその(げん)佞奸邪智(ねいかんじゃち)なりや」

「うら若き乙女になんてこと言いやがんのぉぉぉ!?」

 

 言ってる意味はよくわからないけど、馬鹿にされているのはわかる。

 竜が如くは、私には罵倒にならないけど、化生ってなんだ。

 あたしはハーフエルフ、うら若き乙女だっつーの。ティナと同じにね。

 

「そぅれ。首だけではないぞ?」

「え?」

 

 ぎゅんと……槍を置いてスピードを上げたチビが、あたしの周りを一周する。

 

 と……全身へ違和感。

 

「ひっ!?」

「針刺しになりし氣分や如何(いか)に?」

 

 首に追加で三本、左のふくらはぎに四本、右の太ももに二本。

 鎖帷子で覆った胴や、兜に守られた頭、その他装甲のある部分は無事なものの、そうでない部分に沢山の針が刺さっている。

 

 あまりのことに絶句したのか、ティナの悲鳴は聞こえない。

 

 全ての針を抜き、回復魔法を……オマケを付けて……使う。

 

 何してくれやがんのよ!? コイツ!!

 

「……そ、それで? こんなんじゃ致命傷にはならないわよ?」

「その様であるな。眼球を潰しても回復されてしまいそうだ」

「がんきゅっ……ばっ!」

 

 グロい言葉に、思わず目を庇うように手が上がる。

 

「……いっつ」

 

 その甲に、氣が付くと生えている針。

 

「即効性の毒も塗ってあるのだがな。やれやれ」

「このちょっと痺れるのはそれかっ!?」

 

 殺菌という概念をティナから聞かされたばかりだったから、回復魔法には解毒魔法もいくつか混ぜていた。それが自分でも気が付かない間に、功を奏していたようだ。

 

 まーたティナに助けられちゃった……と思うけど……。

 

 けど……まずいな、今はあまり、魔法のキャパシティが残ってないってのに。

 

「その装備は我が隊のモノ。誰より奪ったのかは知らぬが、僥倖であったな、針への対策としては申し分ない」

「奪ってなんかないわよ!……ちょっと借りてるけど」

「やれ、盗人猛々しいとはこのこと(かな)。否、盗人などとは、化生に失礼なりや?」

「どっちも違うから!?」

 

 ティナの生体魔法陣(せいたいまほうじん)は、ここぞという時にしか使えない。

 

 それがあたしの戦力を大幅に引き上げてくれると知られたら、ティナを脅威と見なされてしまうかもしれないからだ。

 

 そうしたら、ティナが貴族令嬢であっても、聖女であっても、問答無用で攻撃されてしまうかもしれないし、そこまでいかなくても、人質にとられたら厄介だ。

 

 あたしは、ティナを人質にとられて、冷静でいられる自信は無い。

 

 幸い、最初の突撃においてあたしが前に出て、結界を張ったから、コイツの矛先(タゲ)はこちらへ向いた。そこから今に至るまで、コイツの注意はずっとあたしに向いている。

 

 これはいい。ティナやサーリャを狙われるより、ずっと楽だ。

 

 なら、すべきことはあたしがこのチビを倒すことで、あたしが考えるのは、コイツの倒し方だ。

 

 けど……コイツ、強い。ウザイくらい強い。

 

 空爪加虐(くうそうかぎゃく)をばら撒くくらいじゃ、倒せる氣がしない。

 

 どうするどうする……どうしよう?

 

「我らが攻撃は竜を殺すモノ。()を耐えるは化生なりとし、相違ありや?」

「わっけわっかんない理屈言ってんじゃないわよ!?」

 

 涼しい顔でこっちをバカにしてくるチビに、だんだんと腹がたってくる。

 こっちは必死だってのにさ!

 

「……あーもー!! あったまきた!」

 

 ここまで防戦一方だったけど、もう知らない!

 

 針とかさ! 簡単に回復できる怪我でも、痛いモノは痛いんじゃい!

 

 ここまでされて黙っていられるほど、あたしは大人じゃないんだからね!

 

「ここからは、あたしも殺す氣で行かせてもらうから!」

「むっ」

 

 あたしの頭上に顕現(けんげん)した魔法陣を見て、チビが距離を取る。

 

 はん、遠距離の方が、こっちのフィールドだっての!

 

「動く的に当たらないなら、動かない的に当てるだけ!」

 

 ボゴ……という音がして、チビが背にしていた岩が砕けた。

 

「ぬぅ!?」

 

 慌てて飛び退くチビ……飛んだ先で、手をついたその周辺の岩を、熱す。

 

「くっ! 面妖(めんよう)な!」

 

 今はティナの魔法ブースターが使えないから、岩が溶けるほどの温度にはならない。

 高速移動するチビにしてみれば、大したことのないイヤガラセだろう。

 

 けど眉を(しか)め、手を押さえるその様子から、それなりの効果はあったことが窺える。

 惜しむらはそれが、コイツがずっと槍を握っている、左手ではなかったことか。

 

 そっちなら、ここから攻勢は、少し穏やかなものになったかもしれないのに。

 

「なるほどこれが魔法……魔法使いとの戦いか」

 

 けど、これまであのチビは、周辺の岩を足場にも盾にもして、こちらを翻弄していた。

 そこに、疑義や不安を差し込めればこれは十分。

 

「感謝しよう、魔女よ。()は邪悪なれど強い。俺は久方振(ひさかたぶ)りに戦いの実感を得ている」

「知るか! 勝手に言ってろ!!」

 

 ここに林立する岩は、アンタだけの味方ってわけじゃないんだからね!

 

 

 



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39話:猫と夜と鳥と人

 

<引き続きアリス視点>

 

「しっ!」

 

 地を這うように低い姿勢で襲ってくる槍使いを、傘状の、穴の無い結界で受け止める。

 

「おりゃあ!」「くっ!?」

 

 受け止めた瞬間、その足元の岩を隆起!……というか爆発させる。

 

 岩の足場へ踏み込み、結界外からの一撃を食らわそうとするつもりなら無駄だ。

 

 槍は指の力だけで動かせるかもしれないが、身体全体はそうじゃない。足の力、バネの力が必要のハズ。その支点となる地点の岩を崩せば、次の動きは止められる。

 

 チビは、曲芸のような体捌(たいさば)きで飛び退き、再びこちらから距離を取るが、ここは岩の森だ。

 

「どりゃあ!」「うっ……」

 

 今度はその足元を隆起でなく陥没、穴へ落としてやる!

 

「甘い」

 

 ……が、それは読まれていたのか、またも曲芸のような……っていうか速過ぎて何がなんだか良くわからない動きで……チビはすぐに別の場所へと移動してしまう。

 

 ここに来てその速度は、更に増しているように思える。

 

 相手の、動きの支点を崩す。

 

 その試みは悪くなかったが、こうまで速く動かれると、どうやらそれも、もう旨くないみたい。崩そうとした支点の地点から、チビがいなくなってしまうからだ。

 

 どこの岩が次に崩れるのなんて、魔法陣の動きからはわからないはずなのに。

 なら……あたしの視線とか、ちょっとした身体の動きから読んでる?

 

 ……どんな運動能力と夜目の利く動体視力と、勘の鋭さなのよ、アイツ。

 

「どうした? 魔法の、土木作業は、終わりか?」

 

 もう、ほんと、コイツ、ウザイ。

 

 あっちこっちに移動しながらの、四方八方から聞こえてくるチビの声に、あたしは決断する。

 

 もっと確実に殺る。

 

「さあ? 続きが見たかったらその命、おひねりにでも(スクィーズ)して差し出せば?」

「ふむ?」

 

 あっちが殺しにきてるんだから、あたしも本氣で殺すつもりにならないとダメだ。

 

「この命、特段惜しむほどのモノではないが……タダでくれてやるほど、安くはない」

「……あっそ」

 

 けどどうする。

 

 単体攻撃魔法のほとんどは、チビのべらぼうな機動力で全部避けられてしまいそう。

 

 雷魔法は、範囲は広いけど制御が難しいから、ティナやサーリャが近くにいるうちは使えない。

 

 身体強化魔法で自分の肉体性能を高めても、技量だけで力の有利を覆されてしまいそうだ。

 

 なら、とりあえずは弱体化(デバフ)目的で手や足、目や耳などを狙ってみるか?

 

 ……それも、ダメな氣がする。

 

 そもそも、あたしはその手の魔法を不得手としているし、単体攻撃魔法が当たらないのと同じ理由で、効果が出るほどのクリーンヒットを狙えないと思う。ティナの生体魔法陣(せいたいまほうじん)が使えるなら、照明魔法で目潰しってのもアリだったんだけど。

 

『賭けろ』

 

 チビの言葉、それと同時に繰り出された……運頼みでしか回避できなかった……鋭すぎる攻撃。

 

 さっきはたまたま上手く防げたが、次がどうなるかはわからない。

 

 あたしはあたしの運の良さを、そこまで信じられない。信じていない。

 

 だってあたしの人生は、運は良いんだか悪いんだかわからない微妙なものだったから。

 パパやママの娘に生まれたことや、パザス達やティナ達に出会えたのは幸運。それは胸を張って言える。

 けど、普通に生きられなかったことや、沢山の別れは、やはり不運だったと思う。

 

 だからあたしの運は普通だ。たぶん、平均化して普通だ。

 

 この戦いを長く続ければ、アイツの体力が切れる前に、そんな普通程度でしかない、あたしの運が尽きてしまう氣がする。

 

 じゃあ体力でなく精神力……緊迫した戦闘で、緊張感と氣概を維持、持続するための精神の力はというと。

 

 それは修羅場を潜り抜けてきた数……場数がモノをいう。あたしも、それに関しては自信がある。だけど……それは向こうにも同じことがいえてしまう氣がする。チビが(まとう)う雰囲氣、死地にあってのあの落ち着きよう……それはなにか、地獄を潜り抜けてきた者特有の、鋼のような精神力を感じさせるものだ。まぁ、それは演技かもしれないけど……相手の甘さ(それ)に期待しだしたら終わりじゃない?

 

 時間は向こうに有利。そう思っていたほうがいい。

 チマチマ、チンタラはやってらんない。

 

「どうした、何か迷っているようだな?」

 

 なら、こっちの有利は、何?

 

「うっさい、ウッザイ、うっごき回りながら喋るんじゃないっての!」

 

 こちらの有利。

 

 それは致命傷を一回や二回、もらっても、回復魔法で難なく生き残れることだろう。

 人間は脆い。人体は脆い。どんなに強くても、どんなにすばやく動けても、どれだけ鍛えていても、ほんのちょっと致命的な傷を負っただけで、その全てが終わってしまう。

 

 つまり、相打ちに持ち込めれば、最後に立っているのはあたしだ。

 

 そうは言っても、瞬時に氣を失ってしまうような相打ちだと、回復魔法をかけることすらできなくなる。

 

 なら……。

 

「ほう……(ようや)く、殺氣に覚悟が宿ったな、魔女よ」

 

 なら、向こうが攻撃でこちらに近付いた瞬間を……狙うか。

 

「うっさい。あたしは魔女なんかじゃない」

「ならば、こちらも戦士として返礼をさせていただこうか」

「戦士の作法なんか知るかバカ」

 

 睨みつけるあたしの視線の先で、チビは一瞬、くん……と、蜘蛛のようにその姿勢を縮めた。

 

 来る。

 

「突!」

「えっ!?」

 

 短い叫び、あるいは咆哮……それが聞こえたと思った、次の瞬間、地面から跳び上がってくるかのような軌跡の槍が……。

 

()っ!!」

「ひっ!?」

 

 それは、まさに地を這う一撃だった。

 

 人の手に握られているとは思えない、

 

 地面ほんの少し上を、

 

 舐めるかのように飛んでくる……

 

 

 

 槍……だけ。

 

 

 

 ……チビの姿が無い。

 

 チビの姿が無い!?

 

 有効範囲をほんの少し、地面寄りへ下げた結界に止められたその槍には、それを握る人の手が、身体が、肉体がなかった。

 

「どこへ!?……ぐっ」

 

 と、背中に違和感。

 

「うしろっ!?」

 

 直感を働かせる間もなく、反射的に後ろへ結界を

 

「え゛……」

 

 結界を、回そうとしたその瞬間、視界が、ぐん……と横滑りに揺れた。

 

 メキリ、と自分のあばらの辺りから、(きし)むような、乾いたような、何かが崩壊したかのような音が聞こえた……氣がする。

 

 脇に意識を向けると、そこに人の氣配。

 

「全方位は守れない盾、ならば同時に三方からの刺突」

 

 認識が襲ってくる。

 

 前方、地面から……槍。

 

 後方……これは針か。

 

 そしてあばらに肘。脆い骨に、硬い骨が食い込んでいる。

 

「……ぎっ!!」

「むっ」

 

 だからなんだ!

 

 痛いけどだからなんだ!

 

 むちゃくちゃ痛いし少し息もしにくいけど、それがなんだっていうの!?

 

 好都合!

 

「捕まえた!」

 

 狙い通り!

 

 痛いけど狙い通り!

 

 ちょっと涙目だけど、狙い通りなんだからね!?

 

「ぬう」

 

 これは好都合。

 

 槍を手放し、生身で攻撃してきたその身体。

 

 それを捕まえる。

 

 魔法で。

 

 正確には、魔法では扱いにくい他人の身体ではなく、その装身具を捕まえた。

 

 軽装だが、そこはちゃんと戦士というべきか、チビも黒い、皮鎧のような何かを身に着けている。胸当てと肩当て、背中の装甲は革だが分厚く、捕まえやすかった。

 

 それを捕まえた。

 

 やっと捕まえた。

 

「……ふむ?」

 

 猫の首根っこでも持つかのような感覚で、革鎧の分厚い背中部分を起点にし、その身体を、ほんの少し宙に浮かべる。チビは体重もそこまで重くないのか、丈夫そうな革鎧は、そんなことではビクともしないようだった。

 

 チビが、何度か(くう)で身体を捻るが、そんなことでこの拘束からは逃れられない。

 

「いやあああ、ナハト様!」

 

 バカ王女がなんか叫んでるけど、どうでもいい。もうアイツのセリフ、カットね。

 

「知ってる? 魔法使いってね、空も飛べるの」

「ふむ」

 

 飛行魔法。

 

 今日はこれを、もうさんざん使わされた。ティナのブラックご主人様め。あたしはそれでも喜んじゃいそうなサーリャとは違うんだからね。

 

 だけど、だから今日という日の(シメ)も、これに頼るべきだろう。

 

 相打ち覚悟で、攻撃を喰らってもコイツを捕まえて、上空に放り投げて倒す。

 

 それがあたしの狙いで、コイツはまんまとその罠の中へとやってきてくれたのだ。

 

「けど、普通の人間はどうかな? アンタ、空は飛べる?」

 

 チビを更に上へ浮かべる。まだ話をするのにも億劫じゃない程度、向こうの足先が、こちらの視線の高さ程度。

 

「ふむ。この身体で飛べるか、飛べないかで言えば……飛べないと答えるべきであろうな。それが人間というモノであるがゆえに」

 

 チビが、少し顔を顰める。竜殺しかなにかしらないが、どうやらコイツも、高いところは怖いようだ。

 

「人は空を飛べぬ。飛ばぬ。それが魔道に堕ちたモノとの違いだ」

「それが人間の限界ね。あたしならどんな高さから落とされても、生きて戻ってくるわよ? アンタと違ってね」

「さて? その割に、人は当然の如く鳥を殺して喰らい、鳥が人を殺すというのは中々に聞かない話であるが?」

「はぁ?」

 

 なんかわけがわからないことを言ってるな。焼き鳥でも好きなの?

 

 そうだ、今度山で鳥でも獲って、ティナに持っていってあげようかな。あたし、野鳥を(さば)くのも、串に刺すのも、焼くのも上手いんだよ。森で生活してた時、アイアが教えてくれたからね。

 

 あたしはそうやって生きてきた人間なの。アンタとは違う。

 

「あたしは鳥じゃない。パパとママの子でエルフの血をひくモノ。アリスよ」

「ふむ、それでそのアリスとやらは、俺をどうしようというのか?」

「殺すよ。このまま空に放り投げて殺す。アンタは空を飛べない人間だから死ぬの。あたしとは違う人間だから死ぬの」

 

 コイツを殺したら、ティナの立場がどうなるのかはわからない。けど、今なら目撃者はあのバカ王女だけだ。なら……たぶん、ティナは止めると思うけど……アイツは、あたしが、問答無用で口封じをしてしまおう。

 

 ティナは今の生活を大事にしている。(ミア)ちゃんが不幸になる選択はしないだろう。

 

 それでいい。

 

 もしかしたら、それであたしはティナの信頼を失うことになるのかもしれない。

 

 それでもいい。

 

「なるほど、人が憎いのか」

 

 あたしは人殺しだ。リルクへリムやティアが差し向けてきた刺客を……実際にトドメを刺したのがアイアやアムンであっても……屠ったことがあるし、エンケラウだってあたしが殺したようなものだ。それも……酷く苦しめて。

 

 ティナは清純無垢で純情な少女ってわけでもないけど、人殺しと、そうでない人間には、エルフと人間以上の隔絶がある。分かり合えなくて、距離を取られても仕方無い。それでいいんだ。それがあたしとティナの、本来の距離であるなら。

 

「別に人間全部は恨んじゃいないから。そんなのどうでもいいから。でも、あたしを魔女と呼ぶ人間は大嫌い」

 

 ティナはママみたいだった。ティナはママみたいにあったかかった。

 

 それに、ほんの少しだけ長く、甘えてしまったけど。

 

「そうか。俺は憎いがな。弱い人間が憎い。弱さに耐えられない人間が憎い」

「知るか。遺言は、それ?」

 

 その恩を、ここで果たそう。

 

 人殺しにしかできない形で、あたしはこの恩を清算する。

 

 恩を清算するって、別れのための儀式みたいだね。

 

「俺に遺す言葉など無い。俺は戦場に生き、戦場で死ぬ、ただの木石(ぼくせき)だ」

「あっそ」

 

 怒りも、怯えも見せないチビの態度に、あたしはもう、どうでもよくなる。

 

 罪悪感は、もう消えた。

 

 だから、もういいや。とっとと消えて。

 

 問答は終わり。さようなら。

 

「ぬっ……」

 

 くんと天空にチビの身体を投げる。

 

 バカ王女が鬱陶(うっとう)しい叫び声をあげるけど、シカトシカト。

 

 船で飛んでいた時より、更に上の方へチビを投げ捨てる。

 

 ただの人間に、あの高度から落ちて生き抜く強度はない。

 

 ただの人間に、飛行魔法は使えない。

 

 なら、チビはもう確殺完了(かくさつかんりょう)

 

 一件落着。おーしまいっと。

 

 鬱陶しい相手だったけど、こうしてみればあっさりしたもんね。

 

「ふぅー……」

 

 でも人が落下して潰れる瞬間なんて、見たいわけじゃない。

 

 あたしはそんな、魔女なんかじゃないんだから。

 

 ……人をまた殺したという、その事実が、この魔女ではない身体に、ザクリと生々しい傷を造った氣がする。

 

 ……仕方無かったから。

 

 ……こうするしかなかったから。

 

 後悔は無いのだけど……生じてしまった傷は痛む。

 

 だからあたしはすぐに、チビを投げ捨てた方向から目を逸らし、その結果へ、結末へ、末路へ、背を向けた。

 

 ……と。

 

 漸く、鬱陶しいのが片付いたことに、ふうと息を吐いて、ティナ達は……どこかなと……暖かい場所を探す猫みたいな視線を彷徨(さまよ)わせた、次の瞬間。

 

「……え?」

 

 ドズッ……という音がして。

 

 あたしの視線が、身体が、斜めに揺れた。

 

 そこへ……槍が生える。

 

「きゃあああ!?」

「ティナ様、お静かに!」

 

 呆然とするあたしの視線、その先の自分の身体に、まるでそれが、あたしからにょきと生えてでもきたかとでもいうかように……槍が刺さっていた。

 

「え……なにこれ?」

 

 その槍は、どう見ても先程まであのチビが操っていた得物だった。

 

 それが……右肩より少し下、心臓に近い部分に……突き刺さっている!?

 

「ぎゃあああぁぁぁ!?」

 

 激痛。

 

 認識と共に、激痛……というか息苦しさと圧倒的悪寒が襲ってくる。

 

 慌てて背に腕を回し、身体強化魔法をかけた手で槍を掴んで引き抜く。

 

 軽い。

 

 なぜか思っていたよりもそれは軽い。

 

「ぐっ……い、いたっ……きっつぅ……」

 

 だから思ったよりも簡単に、その槍は抜ける。

 

「なにこれなにこれなにこれ!?」

 

 投げ捨てると、それは妙に甲高い金属音を響かせた。

 

「どういうことどういうことどういうこと!?」

 

 何かがおかしい。

 

 それはチビが扱っていた槍とは、なにか齟齬がある。

 

 何かがおかしい。何かを見落としている。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 違和感を抱えながら自分へ回復魔法をかけ、右肩の下に空いた穴を閉じる。着込んでいた鎖帷子には大きな穴が開いている。その穴の下にはドロッとした血がべっとり付着している。あたしの血だ。

 

「やはり化生(けしょう)。化け物よな。魔女め」

「アリス! うぇ……モガッ」

 

 ティナの声に、ハッとなって背の方の斜め上を見る。

 

「えっ!?……いだっ!?」

 

 そこへ、何かが飛んできて、あたしの背中へもろに当たった。同時に、ガシャという破砕音。

 

「え? 何?」

 

 何か液体が、鎖帷子を抜け、身体に染みてくる。

 

 ……と。

 

「ぎょえええぇぇぇ!?」

「アリッ……んぅう!?」

 

 痛い痛い熱い痛い熱い熱い!?

 

 炎で燃やされでもしているかのように、背中が熱い!

 

 けど炎は上がっていない、夜の薄暗さは変わらないままだから。

 

 何がなんだかわからないが、とにかく背中全体に回復魔法をかける。

 

「俺は竜殺し。化生を殺す木石」

 

 そこへ、空からでなく、後ろからの声。

 

「……は?」

 

 なぜそれが、後ろから聞こえてくる。

 

 なぜそれは、死んでいない。

 

 なぜそれは、今ここであたしへ殺意を向けられるのか。

 

 痛みと不快と、わけがわからない状況に混乱し、振り向くあたしへ。

 

「しっ!」

 

 槍が、たった今地面に打ち捨てた槍とはまた太さも長さも違う……少し細く、短めの……もう一本の槍が繰り出され。

 

「ぐぼっ……」

 

 あたしのお腹は、それに穿(うが)()かれていた。

 

 

 



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40話:※残忍で残虐な表現を含みます

 

<アリス視点・但し感情移入、共感、同調を非推奨>

 

「ごぐっ……」

 

 一瞬で全身が岩のように重くなる。耳がキーンと鳴り、ティナ達の声も聞こえない。

 

「ふむ。心臓を狙ったのだがな、そこは魔女の悪運とでもいうべきか……ふんっ」

「ごっ!?」

 

 短い槍が、腹から抜かれる。

 

 あたしはとっさに回復魔法をお腹にかける。

 ……後から思えば、この瞬間は、槍を刺し、動きを止めたチビに攻撃魔法を使ってやれば良かったんだと思う。だけど、そんなことはお腹の激痛と全身の氣持ち悪さ、息苦しさ、唐突に襲い掛かってきた死への恐怖に全部が全部、塗り潰され、何も考えられなかった。

 

 その一瞬の忘我(ぼうが)が……致命的だった。

 

「!」

 

 襲ってきた圧倒的悪寒に、全くの無意識で、身を(よじ)る。

 

 ガチ……という鈍い音。

 

「ぐっ!?」

 

 背中に激痛。身体が風見鶏みたいに回転して、足がもつれた。

 

「往生際の悪い」

「い゛っ!?」

 

 そしてゴチ……という鋭い音と共に……右肩……先程開けられた穴よりも少し上の方……にも激痛。

 

 体勢が完全に崩され、岩のように重くなった身体は、吸い寄せられるように、仰向けで岩の地へと崩れ落ちる。

 

「んがっ……ひゅぐっ!?」

 

 岩の地面に背中を強打して、肺の空気が押し出されるように口から漏れた。

 

 それでも一瞬、慌てて起き上がろうとして……動けないことに氣付いた。

 

「え? え?」

 

 あたしの右肩を貫通した槍が、その下の岩に、深く突き刺さって……いる!?

 

「あああぁぁあ゛あ゛あ゛」

 

 お腹の傷も完治しないまま、あたしはなんかの虫の標本みたいに、槍で、地面に刺し止められている!?

 

「その黒いモノ……魔法陣か……それを消せ。その頭、踏み潰すぞ?」

「いっ……いたい! いだい! いだいよぉ!」

「早くしろぉ!!」「ひっ!?」

 

 抵抗できないほどの威圧を受け、あたしは、お腹の治療のために出していた魔法陣を消した。まだ重要な血管を治しただけで、肉も内臓も治っていない。なんの内臓が駄目になっているか、それは分からないけど、お腹に沸騰(ふっとう)したゲロでもぶっかけられたような氣分。

 

 氣持ち悪さに、吐き氣と眩暈(めまい)がしてくる。

 

「なんでっ、槍、もう一本っ!?」

「これか?……竜殺しの槍はそもそもジャベリン、投げ槍でな。投擲(とうてき)する部分は分離できるようになっている。今ここにあるは投擲部を分離した残りよ」

「なんでっ、空に投げたのに、生きてっ!?」

「我は竜殺し。空中は、そも想定された戦場である」

「それだけでっ」

 

 動けない身体で、それでも地を舐め、チビの身体を見上げると、その背中に……なにか先程までにはなかったモノがある。

 

 さっきまで、そこには、革鎧の、分厚い背中の装甲部位があったはずだ……それが溶けたかのように無くなり……その代わりに、そこにあったのは……そこから伸びていたのは……。

 

「紐?……」

「知らぬか。これはパラシュートという。高所より落ちた人の命を、助ける用具だ。傘の部分はもう分離したがな」

「し、ら、な……なにそれ」

 

 わけがわからない。

 

 意味がわからない。

 

 四百年前にそんなモノは無かった。

 

 いや、この時代にだって、滅多にないモノだろう。

 

 よりによってどうしてコイツが今、それを持っている? 装備していた?

 

 竜殺しだからなの?……そんな偶然って、アリなの?

 

 まるで運命のように、あたしはコイツに勝てない。勝てなかった。

 

 認識が、冷氣のようにあたしを覆う。

 

 どうしてあたしは、魔法陣を消した?

 

 威圧されたから。それが心の底から恐ろしかったから。

 

 痛みに、苦しみに我慢して、結界で身体を覆うなり、攻撃魔法を使うなりすればまだ反撃の芽はあったかもしれないのに?

 

 どうしてあたしは……魔法陣を消してしまったの?

 

 心が認めてしまったから。あたしではコイツに勝てないと思ってしまったから。

 

「いぁっ……だめ……こん、なの……違う……あた、しは……」

 

 寒い。心が(こご)えていく。

 

 ユミファの魔法で石化するように、あたしが痛みに焼かれて、(こお)っていく。

 

「俺は貴様に要求する。今すぐ、ここにいる全員の目を覚ませ」

「だ、から、そ、それ、は、あたしじゃ、なぎゃあああぁぁぁ」

 

 チビの右足が、あたしの左肩を踏む。骨が砕けた。

 

「他に仲間は?」

「いだっ……うっく……や、やめ……」

「仲間は?」

「……い、いたら、あたしが知りたいって……ひぃっ!?」

 

 耳元でドゴッという音。

 見ればチビの右足が、あたしの耳元の地面、その岩を割っていた。

 

 信じられない。

 

 体重も、そこまで重いとは思えない小さい身体。

 

 その踏み潰しで、どうして岩が割れる?

 

 勝者と敗者の違いが、明確になっていく。

 

「動くな。不穏を感じれば頭を潰すと言ったはずだ」

「ひっ!?」

 

 再び、今度は逆側の耳元の岩が割られる。

 

 尖った耳の先に、こいつの踵が少しカスった氣がした。

 

 あんな踏み付けを喰らえば、あたしの頭など一瞬で木っ端微塵だろう。

 

 イヤだ。

 

 頭部がグチャグチャになったあたしを、ティナが悲しそうに……でも気持ち悪そうにも……見ている姿を想像してしまった。

 

 そんな死に方は、絶対にイヤだ!

 

「お前はどこの者だ? 見ればハーフエルフのようだが、カナーベル王国に仇なすは何の因果に拠るモノか」

「あ、あ、あたしは、誰の仲間でもないし、ティ……アンタの国に仇なしてなんか……ぎゃあ!?」

 

 岩を割る踏み潰しに、あたしの右足、そのくるぶしが粉砕される。

 

「魔女め。ならば俺や俺達のテントの間で何を()さんとしていた。眠っていた者達、あの肌の色は、ゴブリン化の兆候であろう? 人をゴブリンに変える魔女、伝承にあるデュルムジュームとはそなたのことか?」

「う、う、う……」

 

 よりによって、そこと勘違いされるのか……。

 

 四百年で、随分と伝言ゲームされたみたいな、ドゥームジュディの名前。

 

 何か反論したいけれども、身体のあちこちから上ってくる痛みと不快に、それもできない。

 

「答えろ!!」

「おぎゃ!?」

 

 今度は右足の、その太ももを粉砕される。

 

 ……って、だから痛い痛い痛い!……いたいよぉ。

 

 だくだくと血が流れていく。

 服が、鎖帷子の下のインナーが、自分の血でジュクジュクしていってるのがわかる。

 

 でもその認識ですら、感じた次の瞬間には、全身あちこちからの「痛い」という訴えに塗り潰され、全部が全部焼かれてしまう。

 

「エルフの血も赤いのだな。()なことだ……心がまだ稼動するなら答えよ……尋問だ」

「いやぁぁぁあああぁぁぁ」

 

 そうして答えようもない質問に、今度は左足が折られる。

 

 ヤバイ。

 

 これはすっごくヤバイ。

 

 死ぬ。

 

 これは本当に、マジでヤバイ。

 

「ぎっ」

 

 意識が遠のく。明滅する。

 

「……貴様!

 

 この状況は……

 

 なのだろう?……

 

 魔法……

 

 そんなことが信じられるか!

 

 ……この状況を

 

 ……るにはどうすればいい

 

 殺させない

 

 戦いもせず死ぬ不名誉

 

 俺は許さない。許せない

 

 魔女……

 

 誤魔化すな! 

 

 ……答えろ!!」

 

 質問は続くが、どれもあたしには答えられない。それはもう知識的にも、心の余裕的にも。

 

「ぎっ」

 

 左足の太ももも折られる。

 

「べぎゃっ」

 

 刺し止められたままの右肩を掴まれ、信じられないほどの握り潰しで、その骨を粉砕される。

 

 あたしが壊れていく。

 

「ごぁ……」

 

 噛み締めた奥歯から、そこへヒビが入ったかのような感触が返ってくる。

 

 ……そして、血で滲むあたしの視界に、チビが懐から、小さな小瓶を取り出すのが見えた。

 

「これは肉を溶かす液体だ」

「ぅぇ……」

 

 やばいやばいやばい。

 (ぼう)とし始めた頭でも理解できる。さっき背中に食らったのはアレだ。

 

 あの猛烈な痛みと熱さ。今思い出しても寒氣がする。

 

 ……嫌なことを思い出す。

 

 酸。

 

 あれは強酸だ。

 

 そういう攻撃手段は、あたしの時代にもあった。っていうかアムンが得意だった。

 

 友軍誤爆(フレンドリーファイア)の発生しやすい攻撃手段だから、使いドコロは限られていたものの、ハマった時の、それの効果は抜群だった。

 アムンの攻撃で、ドロドロに溶かされた人肉のおぞましさを思い出す。見た目はまだ氣持ち悪いだけで済むが、あの臭い……。

 

「ひ、いや……その瓶……」

「腹に、いい具合に穴が開いているな。これを流されたくなければ……答えよ。貴様は俺の仲間に弓を引いた。そこに、慈悲はない。ならばせめて真実を吐け!」

「や……いやぁ……本当に、ほんどうになにぼじらないっで……い゛や゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあああぁぁぁ!!」

 

 焼かれる。

 

 身体を内部から焼かれる。

 

 ボロボロの身体が、もう自分でも何がなんだかわからないほど跳ねていた。

 

「ぴぎっ!?……が……ぁ……」

 

 噛み締めた奥歯が割れ、口の中が血だらけになったのがわかった。

 

「うぎっ……ぐぇ……ひぐぅっ……ぇぁ……」

 

 なにがなんだかもうわけがわからない。

 

 痛みが痛いというのを通り越している。

 

 氣持ち悪い、吐き氣、眩暈、酩酊、激痛、焼かれる、痛いという鉄板の上でジュウジュウ焼かれている。苦しい、死んじゃう、沢山の血が流れて寒氣がする。寒氣が熱い。凍えるほど焼かれてる。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、あたし死んじゃうよ。

 

「が……ひぅ……ぅぁ……」

「やはり答えぬか。所詮は化生(けしょう)の類よ」

 

 慈悲とか……容赦とか、それどころか人間の感情すらあるのかもわからないような……そんな男に組み敷かれ、あたしは命を奪われようとしている。

 

 肩が両方折られ、粉砕された。

 足が、両足とも踏み潰された。

 口の中がおかしい。激痛が脳を直接焼いてくる。味覚が全部サビと痰の味。

 

 お腹に激痛の塊がある。それはもう何も思いたくない。意識から遠ざけたい。どんどん侵食されて、腐食されて、溶かされて……そんなボロボロの肉があたしの神経と繋がっている……それはどんな悲劇?

 

 あたしが溶かされ、消えていく。

 

「……本当に知らぬか。ならば」

「……ぃぁ゛」

 

 もうやだ。

 

 痛い、苦しい、辛いよぉ。

 

 死んじゃう。あたしこのまま死んじゃう。

 

「たひゅ……けで……ママ」

「魔女よ、あと一度だけ聞く」

「……なに……を゛?」

 

 やだよぉ。

 

 痛いのもうヤダ。

 

 苦しいのもうヤダ。

 

 辛いのもうヤダ。

 

 早く楽に……違う……死にたくなんてない……でも、もう痛くて苦しくて辛すぎて。

 

 どうせ終わるなら早くしてほしくて。

 

 だけど、もっと耐えなくちゃ、ティナ達が逃げられない……ティナ?

 

 そういえば、もうずっと長いこと、ティナの声を聞いてない氣がする。

 

 どんなに長くても、数分前にはその声を聞いていたはずなのに、不思議だ。

 

 と……そこであたしは(ようや)く氣付いた。

 

 ティナの、生体魔法陣(せいたいまほうじん)の氣配が感じられない。

 

「あ、れ?」「む」

 

 顔を横にする。溜まってた血と痰が、口の端からだらだらと流れていく。

 

 そういえばコイツ……顔そのものへは、何もしなかったなと……ぼんやり思いながら……あたしは、ティナの生体魔法陣の存在が、もうこの場のどこにも知覚できないということを、感じ取った。

 

 それ自体は、不思議でもなんでもない。あたしがこれだけ痛めつけられ、ダメージを負った今、その維持に必要な何かが失われたのだろう。

 

 だけど、でもティナは、それなら……どこへ行ったの?

 

 そうしてあたしは、ティナとサーリャがいたはずの方向に、あのバカ女……王女だとかいうクズ女しか残っていないことに氣付いた。

 

 ……ああ。

 

(なんだ……もう、逃げていて……くれていたんだ)

 

 ホッとする反面。

 

 なんだか少し寂しい氣がするけど。

 

 なんだかとても悲しい氣がするけど。

 

 この今のあたしの身体と、同等なくらい、心の何かが傷付いて、欠けた氣がするけど。

 

 でも……だったらいいかな。

 

 あたしもう、この痛みに、お別れしても……いい?

 

「ううっ……う……うわあああぁぁぁん!!」

 

 涙が、それがあたしの命への未練だったとでもいうかのように、ボロボロと冗談みたいに(こぼ)れていく。

 

「答えよ、最後の質問だ。聖女……あそこにいた少女と、お前の関係は?」

「……ひぐっ……うぅ……うぐ……ティ、ナが、あたしにと、って……ぐす……なに、か、って?」

 

 大切な人。

 

 長く、できるだけ長く、許される限りその(そば)にいたかった。

 

 大事な人。

 

「便利な、どぐぶっ……どう、ぐよ。魔ほ、うに詳しい人が、いたら、聞いて、みれば? 生体、魔法、陣。あははははは、はぎゅっ……」

「そうか。まぁ良し。聖女殿にはしかるべき手続きを取らせてもらうとしよう」

「……じがるべぎ、でづづぎ?」

「貴様と同じく、魔法使いであるのならば、法に従って処分すればいい。そうでなければ男爵家と国の判断に委ねるさ。疑惑だけで貴族を処断することはできぬ。ならばその判断は上に委ね、任せるさ」

「……そ」

 

 なら……いいか。

 

 ティナは魔法使いじゃない。

 

 ティナだったら、問答無用にならない限り、嘘八百、ハッタリと誤魔化しでなんとかしてくれそう。あの子にはまだ守るべきモノがある。なら大丈夫。

 

 ……それはとてもさみしいことだけど……でも……ならいいや。

 

 早い内にパパもママも亡くして、普通の暮らしは出来なくて、だから普通の幸せがどこにあるのかもわからなくて、酷いことも、ムカつくことも、悲しいことも、さみしいことも、なんか色々あった人生だけど、ティナが生きてくれるなら……もういいや。

 

 そのために死ぬんだったら、もういいや。

 

 最期に、守れてよかった。

 

 そういう死なら、もういいや。

 

 ほんとうはすごくすごくさみしいけど、でもいいや。

 

「何も得られなかったが、別に最初から多くを期待してのことではない。これは俺の不始末、あとは貴様に頼らず俺が処理しよう。魔女よ、最期に何か言い残したいことはあるか?」

「……言いのごじだい、ごと?」

「あれば(うけたまわ)る。貴様は、貴殿はちゃんと俺の敵だった。戦ったという実感を得られた。それには敬意で応える」

「言いのごじだい……こと」

 

 そっか……あたしはここで死ぬのか。

 

 もうダメ。あたしにはもうどうにもできない。

 

 痛いよ。

 

 苦しいよ。

 

 辛いよ。

 

 さみしいよ。

 

 もうあたしにはそればっかりで、なにもない。

 

「……ごめんね、エンケラウ」

 

 エンケラウ。

 

 あの時、痛かったよね?

 

 その氣持ち、今なら少しわかるな。

 

 痛くて痛くて痛くて、頭の中がグチャグチャ。

 

「それが貴殿の遺言か? 誰に伝えればいい?」

「エンケラウは、もう゛死゛んでる。あだじは天国にはいげないと思う゛から、アンタが行っだら伝えでおい゛で」

「……そうか」

 

 こんなのもう、こんな風になったらもう、わからないよね。

 

 あたしがどんな氣持ちで、あんたを助けようとしたのか。

 

 あたしがどんな氣持ちで、あんたをアイアに傷付けさせたのかとか。

 

 わからなくて当然だよ。

 

 ならきっとエンケラウはあたしを怨んで死んだんだ。

 

 それも当然だ。

 

 あたしは酷いことをした。

 

 これはその罰かもしれない。

 

 運命のように、勝てなかった相手に殺される。

 

「俺も天国へは行けぬ。行けそうな者へ託すとしよう。貴殿はアリスといったか。では魔女アリスよりエンケラウに、ごめんなさいと」

「あ、だ、じ、は、魔、女、じゃ、な、い」

 

 拷問のような治療に失敗したあたしが、拷問の果てに殺される。

 

 神様は、残酷だけど氣が利いている。

 

 アムンが時々、そう口にしていたみたいに。

 

 あたしは天罰で死ぬ。

 

「げぼっ!……ひゅ……はぁ……ぐっ……」

 

 血と痰が氣管の方に回った。苦しい。

 

「そうか、ではただのアリスよりエンケラウに、ごめんね、と……(しか)と承る」

 

 耳がキーンとする。視界が明滅を繰り返してる。命が終わる。あたしが消える。

 

 ママ……。

 

 あたし……。

 

 今からそっちに……。

 

 いいかな?

 

 ……もうそっちに、いってもいい?

 

 ママも、人に酷い事をして、沢山苦しめて、沢山殺したというから、きっとあたしは同じ所にいけるよね? パパはそこにいないのかもしれないけど……いいやもう。

 

 もう、いい。

 

 地獄でいいから、ママにあいたい。

 

 ねぇ……ママ。

 

 あたし、最後に、少しだけいいことをしたんだよ?

 

 ひとのために頑張ったんだよ?

 

 あたしの人生、悪いことばかりじゃなかったよって言ったら、信じてくれるかな?

 

 笑ってくれるかな?

 

 褒めてくれるかな?

 

 ママ……。

 

 あたしは……。

 

「それで? 聖女殿は、その短剣で何をしようというのかな?」

「……え゛?」

 

 

 



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41話:偽の聖女が猛る夜に

 

<キルサ視点>

 

「急げ! もう少しだ!」

 

 岩の多い森を、蹄鉄の荒い音を響かせながら、七騎の人馬が疾走している。

 

 上の書状ひとつない身では後詰(ごづ)めの説得に時間がかかった。

 

 この身は、ナハト隊長のお氣に入りとして知られてはいるが、身分としては低い。

 おまけに、する報告が前線部隊、全員の戦闘不能状態だ。報告しつつ、我ながら荒唐無稽だなと思っていた。

 

 だがそこは、使用魔法の特定に至っていない竜の討伐隊であるという状況が幸いした。

 

 何であれ、尋常ならざる事態が前線で起きている。そのことだけは伝わったのだろう。後詰め部隊、キャンプ地にいた十一名中、六人が私と共に前線へ来ることとなった。残り五名は三人が待機、二人が更なる後詰めとなるキャンプ地への報告だ。

 

 報告からその態勢(たいせい)が決定するまで四半刻(しはんこく)から半刻(はんこく)あまり。正直、拙速(せっそく)(とうと)ばれる軍にあっては時間を食いすぎだ。ことが終わり次第、なにかしらの改善策を、献策しなければならぬ。

 

 そんな、今この時点においては益体(やくたい)も無いことを考えながら、馬を走らせていると……。

 

「っ!!……どうした!?」

 

 馬が、何かに怯えたかのように、その足を止める。

 

 見れば周り、六騎が六騎ともその足を止めている。勢い、落馬しかけてもおかしくない急停止だったが、幸い、そこはさすが空中戦を得意とする竜殺し部隊とでも言うべきか、誰も体勢を崩していなかった。槍を構えていたり、酸の小瓶を握り締めている者はいるが。

 ……危ないな、アレは割れ易く造られているのだが。

 

「おい! あれはなんだ!?」

 

 ひとりが、空を指差して言った。

 

 全員が頭を上げる。

 

 そこへ……。

 

 星降るような夜空に、何か、赤黒っぽい影が……。

 

「竜だ」「竜か!?」「赤竜(せきりゅう)だ!!」

 

 風が届く。

 

 頭上はるか上、人の数倍は大きいはずの、竜の巨躯が大型の鳥程度に見える天空。

 

 そこを、赤い竜が通っていく。

 

 こちらには目もくれず、我らとは逆の方向を目指し、赤竜は悠々と空を渡っていく。

 

「黒……ではないな、赤い……あれは……」

 

 赤竜と黒竜との関係。それはこの討伐隊でもほんの一握りの人間しか知らない。

 

 いや、それも正確な言葉ではない。

 

 二体の竜に、何かしらの関係があると疑っているもの、それはこの討伐隊でもほんの一握りの人間だ。具体的にいえばナハト隊長、ゴドウィン副官、それだけ。第二王子にも疑惑は伝えられているはずだが、関心はなさそうだった。第三王女は知らされてすらいないだろう。

 

 だが、ここにいた六名は氣付いてしまった。ここは黒い竜の勢力圏。その中を悠然と飛んでいく赤い竜が、黒い竜と何も関係ないはずがないだろう……と。

 

「ライラ」

「はっ!」

 

 声に、地味な顔をした女兵士が反応する。ここにいる私以外の六人のうちでは唯一の女性。戦闘力はさほどではないし、男運が悪いことも知っているが、真面目で仕事はそつなくこなす。

 

「これを、後詰めに報告せよ」

「はっ!」

 

 そんなライラが、ことを報告するため、この行軍から抜ける。

 多少、痛手ではあるが、そもそも七人が六人に減ったところで戦力不足は変わらない。

 事態の深刻さが、より真剣みをもって後詰めに伝わるのであれば、これは必要な一手だろう。

 

「本当に……何が起きてるんだ……」

 

 呟きは、夜の闇に、とても頼りなく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

<引き続きのアリス視点>

 

「遅くなったね、アリス。サーリャがなかなか落ちてくれなくて。ちゃんと頚動脈を締めると数十秒で落ちるはずなんだけど、技術がまだ未熟だったみたい」

「ティ、ナ゛……」

「やはり、この者と仲間か、聖女殿」

「友達だよ」「っ……」

 

 チビの言葉を、ティナが食い氣味に断定で断裁した。

 それはあたしへ向けてくれた言葉とは違って、親しみもなければ飄々(ひょうひょう)ともしておらず、まるで甘さのない、炎のような物言いだった。

 

「ほう?」「ティ、ナ……」

 

 ティナが怒ってる。

 

 怒って……くれている。

 

 白い服に、黒い髪。

 

 夜にも目立つ、琥珀色の瞳。

 

 右手に短剣を携えてはいるものの、その手は胸の前に置かれ、更にその甲には左手が、右手を抑えるかのように添えられていた。それはまるで、何かに祈るかのようにも見えて……だから短剣の刃先は、そんなだから、あろうことか自分自身の首筋に当たっていた。

 

 その立ち姿を見て、あたしが真っ先に連想したのは……ティナのその美少女然とした細い身体にはまったくそぐわない……縄張りを荒らされて激怒する野生動物の姿だった。

 

 激昂してるわけじゃない。

 

 声も態度も荒げていない。

 

 それなのに。

 

 それなのに、だ。

 

 ティナは今、猛烈に怒っていて、そのことがあたしにはハッキリとわかる。

 

 荒ぶる波動の波が、その圏外までも伝わってくる。

 

 それは(たと)えれば嵐。

 

 竜巻のように、荒ぶる暴風が全てを吹き飛ばしていく禍難(かなん)

 渦潮のように、巻き込むもの全てを飲み込んでしまう災禍(さいか)

 

 聖女然とした微笑を浮かべてはいるものの、あれは猛獣だ。

 聖母然とした微笑を浮かべてはいるものの、あれは天災だ。

 

 人ならざるモノ。その匂いがプンプンする。

 

 あたしは、ティナの姿を見て反射的に言い掛けた言葉……バカ、どうして逃げてくれなかったの……を、ぐっと飲み込む。

 

 ティナは馬鹿だけど。

 

 本当に大バカだけど。

 

 もう何度も思い知らされた。

 

 この子は……このあたしのママみたいな女の子は……凄いんだ。

 

 ティナの波動、その圏内に、あたしの身体が入る。

 

 死にかけだった身体に、若干の生氣が戻った。

 

 あたたかい。

 

 あたたかいよ……ティナ。

 

「ナハト隊長様、小さな女の子にあまりのなされよう、感心できませんね」

「この者は魔法使いだ。戦闘力も侮れなかった。見た目幼きといえども、油断はできぬ」

「ここまで痛めつける意味が?」

「魔法使いは何をしてくるかわからぬ。身体の自由を奪い、心を折る必要があった。今も魔法の発動を察したらすぐに息の根を止められるよう、氣を張っているのはこちらの方なのだが?」

「やりすぎ、警戒のし過ぎでは?」

「必要と思ったことは躊躇(ためら)わず実行する。戦場で子供が近付いてくれば、その背中に刃が無いか警戒する。それが兵士というものだ」

「そうですか……」

「それで、聖女殿は、背中どころでなく、胸元に短剣など携えて、何をお望みかな?」

「……」

「返答次第ではこの槍、そちらへ向けねばならぬのだが?」

「それは……」「ぎっ……」

 

 右肩を貫通する槍が、軽く捻られる。もうあちこち痛くてなにがなにやらわからない。わからないけど、激痛が全身を貫いていく。ティナの波動圏内にいなければ、氣を失ってしまいそうな痛みだった。

 

「……私はスカーシュゴード男爵家の長女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード。聖女認定された貴族令嬢です。貴方(あなた)に、私を裁く権利がありますか?」

「命がかかっているとならば、序列など関係ないさ」

「黒竜討伐隊隊長ナハト、槍を収めなさい」

「聖女殿には魔女の眷属(けんぞく)の疑いがある。その命令は、聞けぬな」

「そうですか……なら、力ずくとなりましょうか?」「え゛?」

 

 ティナは今、なんて言った?

 さっきから耳鳴りがうるさい。よく聞こえない。

 

「ほう?」

「私は戦いを好みません。血が流れるのは辛いこと。ですが、時に雌雄を決する必要があるのもまた人の世の必定……」

「な゛に゛を……」

 

 何を言ってるの。ティナは何を言ってるの? わからない、どうしてそこで、嘘とハッタリ、舌と言葉の戦いでなくて、純粋な戦闘をするという話になるの?……ティナには戦闘力なんてない。それは間違いなくそう。ティナは多少護身術をかじっただけのお嬢様、それ以上なんかじゃない。

 

「まぁ、生物的な雌雄は最初から決していますけれど」

 

 だけどティナは、それでもやはり、不敵に笑う。

 

「これはまた大変に貴族的な冗句(じょうく)を。生憎とこちらは諧謔(かいぎゃく)(おもむき)など(たしな)まぬ無骨(ぶこつ)木石(ぼくせき)であるゆえ、斯様(かよう)な高尚、味わう舌など持たぬこの身を、どうぞお許し頂ければ、聖女殿」

 

 チビ……このナハトとかいう男は強い。デタラメのような強さだ。

 相性が悪かったのもあるけど、あたしですら敵わなかった。

 

「……その返し、その方がむしろ貴族的とお見受けしますが?」

「さてな。凶器を携え対峙するモノ同士、そこに身分など関係ないと、こちらは既に述べたが?」

「では、あくまで問答無用であると?」

「無論」

 

 自慢じゃないが、あたしとティナが戦ったら、十戦やって十回あたしが勝つ。

 ティナは頭がいいから、もっと完全にあたしのこと……どんな時にどんな魔法を使うかとか……を全部知られてしまい、それに応じた策謀を完璧に張り巡らされたら、わからないけど……でも普通の戦闘なら、あたしがティナに負けることは絶対ない。言い切れる。

 

「……貴方を殺したら、色々と面倒になるので、できれば武装解除をお願いしたいのですが」

「それは挑発のつもりか? 乗る理由はどこにも無いな」

 

 それなのに、罠も用意できず、策も練れなかっただろうこの状況で、短剣ひとつで、ティナに何ができるというの……。

 

 サーリャは、ティナが落としたと言っていた。それが嘘だとして、この場でサーリャが健在であったとしても、そのことに何か意味あるとも思えない。

 

 ユミファの封印は、あたしがこのままなら程なく()けるだろう。

 

 でも、すぐじゃない。

 

 ティナには少し大袈裟に言っておいたけど、あれの半分はユミファの魔法だから、あたしが結界魔法を使うのを止めたとしても、即、封印解除となるわけじゃない。二週間はかからないだろうけど、どんなに早くても数時間……ううん、半日近くはかかるはずだ。

 

 それに……この場にユミファを解き放つことでどうにかしようとする……そんな作戦は……あの時の……(ミア)ちゃんを封印するだなんて言い出して……サーリャにも止められた……ティナのあの時の顔を思えば……ありえないと言える。

 

 ユミファを期待してのこの自信なら怖いけれど、違うとなぜか確信できてしまう。

 

 なぜだろう。ティナはそんな人じゃないと、あたしの心が信じている。

 

「いえ、単純な未来予知ですよ? 貴方は私には勝てない。貴方は私と正々堂々、戦って、負けるのです」

 

 なら、ティナのこの自信はなんだ?

 

 ただの強がり……とは思えない。けど……だからといって、その裏打ちとなる何かがあるとも思えない。ティナの武力的非力は、覆しようの無い事実だから。

 

 まだ、いつもの嘘八百、ハッタリと誤魔化しで何かすると言われた方が、あたしは納得できたし、頼もしくも思えただろう。

 

 ……頼もしく?

 

「……正氣か? 聖女殿」

 

 あたしは……ティナに頼ろうとしていた?

 

 この状況で?

 

 ティナはママじゃないのに?

 

 ティナはどう考えてもあたしより弱いのに?

 

 友達が、鎧すらつけない生身の身体で、武装した隊長クラスの軍人に立ち向かうという、まぎれもない自殺行為をしようとしているのに?

 

「どうでしょうね? どう見えますか? 今の私の姿は」

 

 あたしはティナの顔を仰ぎ見る。

 

「私は狂っていますか? おかしいですか? そう見えますか? その目にはどう見えるのですか?」

 

 笑ってる。

 

 聖女のように、笑っている。

 

 笑ってる。

 

 聖母のように、笑っている。

 

 変わらず、短剣を持った手を、その逆の……震える手で押さえながら、ティナは聖女のように、聖母のように笑っていた。

 

 左手の震えが、首筋に当たる短剣の刃先にも伝わっていて……だから今にも、そこから血が(あふ)れ、流れてきそうに思えた。

 

「……ことここに至っては詮無(せんな)きこと。来るなら来られよ、聖女殿」

(おう)とも……ね」

 

 戯れに、刃を交えたとでもいうかような言葉の応酬……しかしその交渉は決裂して、月下にはしばし冷たく張り詰めた空氣だけが漂った。

 

 それが実際にはどれくらいの時間だったのか、痛みで脳を焼かれたままのあたしには、もうわからなかった。

 

 わかっていたのは、ティナがずっとその笑みを崩さなかったこと。

 

 しばしの沈黙が、永遠みたいに感じられたこと。

 

「ぎぅ゛」

 

 そしてある瞬間、あたしの右肩に刺さっていた槍が抜かれ、その痛みにあたしが呻いたこと。

 

 そこからは、本当に一瞬の出来事だった。

 

 ティナが、笑みを浮かべたまま、左手を、右手から退()け……。

 

「しっ!」

 

 刹那、あたしの肩から抜けた槍が、横薙ぎに、ティナの胴を打つ。

 

「ティ!……」

 

 それは鋭く、(かす)むあたしの視界では捉えきれない一閃だった。

 

 でも。

 

「……ナ?」

 

 ティナはそれに……胴へと確実に入った一撃に……しかし何も動じていない。

 

「なっ!?」「なん……で」

 

 動じないことに、チビはうろたえたんだと思う。

 

 ティナが、短剣を持った右手を頭上へ大きく振りかぶる。

 

 その胴はがら空きになっている。

 

 チビの槍が慌てたように振られ、短い溜めの挙動から豪速の突きが放たれる。

 

 ティナが成長すれば(……するのかな?)谷間ができる辺り、胸のやや上よりの中央へ、槍はまっすぐに放たれていた。

 

 けど……。

 

「なんだこれは!?」

 

 胸を突かれたティナは、しかし何事も無かったかのように短剣を構え直す。意外と堂に入った構えだった。

 

「く!?」

 

 わけのわからない光景。

 

 なにがなんだかわからない光景。

 

 まるでそこに結界があるかのように、ティナは物理無効の存在に……なっている?

 

 チビが、お前か!? とでもいうような視線をあたしへ向ける。

 

 ううん、違う。

 

 あたしは、そんなもの張ってない。

 

 張っていないのに。

 

 一瞬で、あたしのその動揺が伝わったのだろう、チビは、ならばなんだ!? とばかりに、四方八方へ視線を巡らせた。巡らせてしまった。

 

 戦いの最中(さいちゅう)に、本当の敵から目を逸らした。逸らしてしまった。

 

 ティナはその隙を見逃さない。氣が付けば、チビへ距離を詰めていた。

 

 それはもう、槍ではなく短剣の領域だった。

 

「くぅっ!?」

 

 慌てたチビが後ろに飛んで逃れようとするのへ……ティナは倒れこむように覆い被さり。

 

「ぐあっ!?」

 

 チビの身体を……どこか斬った。

 

 あたしの視界には、勢いあまってめくれてしまったティナのワンピース、その中の……、ティナの下半身が見えていた。

 

 その肌は。

 

 その色は。

 

 ああ、あの辺の傷、あたしが治したんだよね……と思いながら見るお尻とか、まだ全然太くない太ももとか、そういう……肌の色が。

 

「ティ……ナ、あんたなんで……緑色」

 

 ゴブリン。

 

 多くのゴブリンの……肌の色……緑色。

 

『ちゃんと塗ったね、おーけぃ』

 

 そんなバカな!?

 

 ティナの首には確かに、あたしやサーリャが全身に塗ったのと同じ、抗ゴブリン薬の匂いがあった。手とかにも、確実にその匂いがしたのに!?

 

 でも、あたしはティナの身体、その全部の匂いを嗅いだわけじゃない。……変態さん(サーリャ)じゃないんだし。

 

 あたしが髪を切って、鎖帷子に着替えている間、ティナは、あのバカ王女のテントに行っていた。王女が着替えたり、(たぶんお手洗い的な意味で)手を洗ったりするのに付き合ったとかで。

 

 緑色の液体だったという、人をゴブリンにする薬、ゴブリン化薬。

 

 その残りは、きっとバカ王女のテントにあったはずだ。

 

 そこへ、ティナは赴いていた。

 

 ……そこに残っていた、ゴブリン化薬を、ティナはどうした?

 

 回収した?

 

 回収して……どうした?

 

 あたしは、緑色に染まり、生体魔法陣(せいたいまほうじん)の証である黒い線が縦横に走りまくった、ティナの太ももやお尻を凝視する。その線はあたしが引いたモノじゃない。ティナは今あたしじゃない、何か魔法生物(モンスター)の生体魔法陣にされている!

 

 ……ゴブリンロード?

 

 ティナの下半身は、今はドロワじゃなくて紐パンだから、その淡い曲線が良く見える……そのラインの、肌が全部ゴブリン化……否、ゴブリンロード化している。

 

 ……あの分じゃ、下着のその内側ですら、ゴブリンロード化しているハズ。

 

 どうしてティナの身体がそんなことになっているのか。

 

 ティナが回収したはずのゴブリン化薬。

 

 そして首から下がゴブリンロード化しているティナ。

 

 つまり。

 

 ええと、だから、つまり。

 

 ……ああ……もう!!

 

 認めたくない。

 

 認めたくない真実が、今あたしの頭の中で結実する。

 

 すなわち。

 

「塗ったの!?」

「さすがにね、飲む氣はしなかったから、サーリャを落としてから、今ついさっき、こう、ペトペト、とね?」

「とね? じゃないわよ!……う゛っ……ごぼっ、ごぼっ」

「話はあと、とりあえずアリスは自分を治療、いい?」

「いい? ってアンタ!」

「しないなら、今ここで紐パンも脱いで、緑色になったアレもコレもアリスに開陳(かいちん)しちゃうよ? そんなものを見てしまったトラウマ、背負いたくないでしょ?」

「ばっ!?……じゃなくてどうしてそんな身体に!?」

「決まってるでしょ」

 

 そうしてティナはまた微笑む。

 

「アリスを助けるためだよ」

 

 ゴブリンの肌は、刃を通さないって聞いたから。

 

 そう言って、ティナはチビの血を吸った短剣を、またその胸に抱いた。

 

 白いワンピースが、血で赤黒く染まっていた。

 

「ティナ……アンタ……ばかぁ……」

「えへへ」

 

 それは……それはもう聖母にも聖女にも見えなくなっていて。

 

 だけど……。

 

 だから……。

 

 あたしの目にそれは、その姿は。

 

 とても美しい。

 

 とても美しい、小さな鬼のように……映った。

 

 

 



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42話:ZM・私は生きる

 

<アナベルティナ視点>

 

「ぐっ……うっ……くぅ」

 

 サーリャのスカート(インベントリ)から拝借したロープを放り、ナハト隊長がそれで仮の止血……ただ足の付け根の大動脈をきつく縛るだけという乱暴なもの……を終えるのを確認して……私は煽るように言った。

 

 というか煽った。

 

「さぁてナハト隊長。十三の小娘に、一騎打ちで負けた氣分はどうですか?」

 

 めっちゃ煽った。

 

「ふむ……」

 

 人の肉を斬った感触が、まだ手に生々しく残っている。

 

 しかし斬れたのは両足のふくらはぎ、その筋肉、それだけだった。

 

 そこはさすがに、武を誇る一軍の大将とでも言うべきか。

 虚を突き、体勢を崩させても、首や胴などの急所には隙がなかった。

 体勢を崩した時、本人の制御下から離れたと思しき足、その裏側だけが、刃の届く唯一の部位だった。

 

「たかが両足、されど両足。右足の方は骨に当たった感触がありました。その足ではもう歩けないでしょうね。それに機動力を失えば、アリスの魔法の、いい的です」

「……これも因果か」

「は?」

 

 ナハト隊長は、虚無の表情で自分の足を……もう自由には動けなくなってしまったはずの、自分の足を眺めています。その顔は何かに納得したようでもあり、残念そうでもあり、ですがそれはもう、なんら荒ぶることのない、静かなものでした。

 

 思えば……。

 

 コイツはずっとこうだった。

 

 機械のように……というのとは何か違う氣もするが……人らしい情動に流されることがなく、アリスを痛めつけている時でさえ、何も感じていないようだった。

 

 残酷で残虐で残忍な行為をしているはずなのに、ただ飛ぶ虫を逃がさないよう、その羽根を引きちぎるかのような……無機質な、作業的な……時折仲間を害されたことへの苛立ちと怒りを見せながらも、残虐行為そのものは、淡々とした態度でそれをこなしていました。

 

 だからこそ彼は残虐で、残忍と……思いこみ……頭に血が昇り、私はアリスを助けるため、邪魔をするサーリャの頚動脈を締めて落とすという暴挙……もとい行動に出たわけですが。

 

 自分の身体がこうして痛めつけられてさえ無感動な、そんな様子に、ああ……この人はもう、今よりもずっと以前に、心の何かが決定的に壊れてしまっていた人なんだな……という納得が降りてきました。

 

 クソ兄貴ならこうはならない。

 口汚く(わめ)き、生き汚く逆転か逃走の一手を探るでしょう。

 その、どちらが善いとか悪いとかではなく、この人間は、あの兄とは違うのだと思いました。

 

 どうしてそんなことが判るのかって?

 

「因果、否、運命……か。ここより生まれ、ここに終わる。それがこの人生か」

「……」

 

 だってこの目、この態度……ぞっとするほど見覚えがあるのですから。

 

 終末医療の現場で何度も……何人も見てきた。ある時期は鏡の中にだって見た。

 

儘成(ままな)らぬモノだ」

 

 自分が終わったことに納得した人の、成れの果て。

 

 今世(こんせ)でも……ミアが生まれてきてくれるまでの数年間は……私はきっと、こんな表情を時々、浮かべていたのだろう。

 

「聖女よ」

「……なんですか?」

「負けを認めよう。介錯は頼めるか?」

「……死を、望みますか?」

「いいや。生きたい。だが……闘えなくなった俺は、闘えない俺を許せない。いずれ、果てるために戦場を求めるだろう。様々な者に迷惑をかけ、恥を晒してな。……だがここは戦場だ。ここが戦場であったと、俺が認める。なら、良し。ここで死ぬことに不満はない。俺は聖女殿の正体を知った。俺の生存は貴殿に不安しか与えぬ。ならばその手で、勝者の安寧を得るがいい」

「……なんだその、屁理屈」

 

 本当に、なんなんだコイツは。

 

 ふざけるなという、意味のわからない苛立ちが胸を焼く。

 

 コレは私とは、全く違う世界で生きている。それは断言できる。

 そうでありながら、自分の心の、どこか奥底が、この壊れた人間に共感している。

 

 コイツはコイツなりに、コイツの人生をまっすぐ生きてきて、そしてどこかの段階で壊れ、それでもなお生きてきた。

 

 壊れても戦い、闘って、その果てにここで死のうとしている。

 

 コイツには、私にとってのミアのような、サーリャのような存在が無かったのだろうか?

 

 ……あるいはもう既に失ったか、失ったから壊れたか。

 

「アリスをあんな風に痛めつけておいて、(いさぎよ)しが格好いいとでも思っているのか?」

「敗者の弁など、笑い飛ばせばいい。理解されようとも思わない。殺す前に憂さ晴らしがしたいというならすればいい。もはや俺には関係の無き事」

「……そうですか」

 

 この手で彼を殺すことに、嫌忌の氣持ちはない。

 しなければいけないことだとも……思っている。

 

 だけど、ひとつだけ問題がある。

 

 サスキア王女が見ている。

 

 ナハト隊長を愛したというあの王女様が……今は正氣を失っているとはいえ……愛する人が殺される瞬間を目撃して、何を思うのか?

 

 ナハト隊長を殺すことに、躊躇(ためら)いはない。

 するなら、アリスに頼むなどしてはいけない。

 この手を(よご)すべきだ。

 

 だがサスキア王女はどうする?

 

 サスキア王女「を」どうする?

 

 彼女も、殺すのか?

 

 結局のところ、サスキア王女は誰も殺してない。

 

 マジックアイテムで竜殺し部隊を眠らせ、ゴブリン化薬を撒き、その命を危険に晒した。

 でもそれは……あと数十分もあればアリスは傷を全快できそうだし……それはもう、事無きを得る寸前ところまできている。

 

 もうしばらくすれば、キルサさんが到着してしまうだろうけど、先んじてやってくるのは、まずは少数だけだろう。その程度なら、睡眠魔法でひとりひとり、寝かしてから処置すればいい。

 

 サスキア王女の企ては、全て失敗に終わる。

 

 彼女は結局、誰も、何も害せなかった。

 

 殺人未遂も罪は罪だ。

 

 だがそれが死に値するほどの罪か?

 

 ……違うな、法解釈などどうでもいい、言い換えよう。

 

 それが、私がサスキア王女を殺す、納得できる理由と成り得るのか?

 

 私はサスキア王女を殺して、その顔でミアに微笑むことができるのか?

 

 脳内で、言葉にならない想いが、独楽のようにきゅーんと回転して、結論がでる。

 

 ……無理だ。無理だわ。

 

 断言できる。

 

 ナハト隊長は軍人だ。

 

 アリスにゴアでトーチャメントな苦痛を与えた。

 

 彼なら殺せる。

 

 正しいことをしたとは言えなくても、間違ったことをしたとは思わないだろう。

 

 何かしらの後悔は発生するだろうが、それを受け入れる覚悟なら、今の私にもある。

 

 彼は殺せる。

 

 だけど結局のところ、人の世はすごく複雑で、心はもっと複雑で。

 

 クソ兄貴の死は、パパを落ち込ませた。

 

 だから、どんな外道にも、心を寄せる人はいたりするモノで。

 

 心は……自分自身でも掌握しきれる、制御しきれるモノではなくて。

 

 人を殺す。

 

 そのことが、()す寸前となって酷く恐ろしいことのように思える。

 

 前世のフィクションで。

 

 沢山の物語、沢山の主人公がこの壁を越えた。

 

 ある者はあっさり、ある者は苦悩の果てに……。

 

 全く人を殺さない、手を(よご)さない主人公の物語が量産されるその影で、人を殺す、手を(けが)す主人公の物語も沢山創られ、語られた。

 

 そのどちらも、そのように生きれなかった自分には眩しかったし、感情移入をしていた場合には「平和的に済んでよかった」とも「ざまぁwww」とも思った。そんなのはその物語次第だった。

 

 そのキャラ「らしい」結論を出してくれるなら、どちらでもいい。

 

 俺は、多分、そう思っていたんだと思う。

 あまり難しいことは考えなかったけれど、きっと。

 

 面白い物語は、どうしてもキャラへ感情移入してしまうモノだから……そのキャラが望むなら……慈悲も虐殺も、読者として共感し、望むことができたんだと思う。

 

 そんなのはそれだけのことだ。

 

 でも。

 

 なら……俺はどっちだ?

 

 今ここにいる私は、どちらだ?

 

 当事者となってしまった今、この場で私は、何を望む?

 

 なぁ、前世の俺……今の私に共感してくれるかい?

 

 この現実を、物語のように読んだのだとしたら。

 

 俺は何を望みますか?

 

 私はどちらを選べばいいと思いますか?

 

 ナハト隊長は、生かしておけば、私の人生の障害となる可能性が高い。

 

 ナハト隊長を殺すことには、納得できると思う。

 

 だが、彼を殺すなら、サスキア王女もまた殺さなければならない。

 

 既に、もう僅かしかない王女との和解の道が、それによって完全に閉ざされるからだ。

 

 キルサさんもいる。

 

 ナハト隊長を殺すことは、それ以上にもっと人を殺し続けなければいけないという……修羅の道へと続いている。

 

 その道に一歩でも進めば……ミアと無邪氣に笑い合える私は、いなくなる。

 

 真相の暴露に怯え、最悪サーリャですら信じられなくなる時がくるのかもしれない。

 

 生きたい。

 

 私は生きたいと願ってこの世界へ転生した。

 

 生きたい。

 

 何もなくていい。ただ家族と、大切と思える誰かと普通の人生を送りたかった。

 

 前世では親孝行すらできなかった。

 それができる人生を歩みたかった。

 

 生きたい。

 

 平和に、道を踏み外さず、課せられた運命に抗わず、ただ平凡に生きる。

 

 俺はそれを求めていた。

 私はそれを求めている。

 

 

 

 なら。

 

 

 

 私は生きたいよ。

 

 

 

「賭けろ……と言ったな」

「……なんと?」

「アリスとの戦いで、賭けろと」

「……ああ」

 

 これはもう策でもなんでもない。

 ただ、相手の個性、それに賭ける、博打。

 

「なら……私も賭ける……見て」

「む」「ん?」

 

 多くの傷を治し、(ようや)く、立ち上がったアリスを示す。

 

「……ティナさぁ、さっきからずっと、悩んでるでしょ、コイツを殺そうか、殺すまいか」

 

 甘いよ……とアリスは言う。

 

 そんなんじゃないよ。そんなんじゃない、アリス。

 私は自殺したくないだけ。ミアと笑い合えたこの人生の私を殺したくないだけ。

 サーリャに繋いでもらったこの命を、失いたくないだけ。

 

「いいよ別に、悩まなくて。もうだいぶ傷も治ってきたから、あたしが殺る。コイツにはいいようにされちゃったからね。あたしも怒っているんだから」

 

 ……アレだけ痛めつけられて、怒っているんだからで済ませるアリスも相当だね。

 感情的だし、社会常識的な良識はないけれど、根が善良なんだろうね。

 さんざんアリスの魔法を利用させてもらった私だけど、その心根だけは利用したくない……私は……そうも思うよ……アリス。

 

 うん、ありがとう、アリス。覚悟が決まった。

 

「アリス、邪魔しないで。アリスは負けたの。勝ったのは私。裁く権利は私にある」

「……なんかすっごいムカつく!?」

 

「魔女とは、()(がた)い……あれだけやって、もう立ち上がるか」

「だから誰が魔女よ!?」

「ほら見て? アリスはこの通り凄い魔法使い。貴方(あなた)のその傷も、完治できるかもしれないね?」

「はぁっ!?」「む……」

 

 回復魔法は他人には効果が薄い。

 でも。

 

「できるよね?」

「……できるけどさぁ」

「真か!」「わっ!?」

 

 アリスは説明します。

 

 ナハト隊長の傷の具合を見、回復魔法は他人には効きにくいということを説明した後、「完全に治癒するとなると何十日かはかかるから、その間に落ちる筋肉の保証まではできないけど、傷を完治させることなら……うん」と。

 

「この傷が……治る」

「けど、それは貴方が排除しようとし、殺そうと試みた魔法使いの力を借りればの話」

「あたしみたいな魔法使いは排除対象、なんでしょ? アンタが忠誠を誓う国の方針は」

「そんなことはどうでもいい。再び、戦える身体を得られるというなら、俺は鬼にも悪魔にでも魂を売ろう」

「……あたしは鬼でも悪魔でもないっての」

「アリス、鬼も悪魔も、私がなるから、大丈夫」

「どういう大丈夫よ!?」

 

 これからのシナリオを考えてみましょうか。私はそう言い、言葉を続けます。

 

「その傷は、アリスが付きっきりで治療しても、完治まで何十日かはかかるモノ」

「うん」「ああ」

「アリスは現在、男爵家に住んでいます。つまり、貴方は、その傷を治すには、男爵家に何十日か逗留しなければいけないということです」

「えー……」「そうなるな」

「ならば貴方は軍を辞める必要がある」

「当然だな」

「軍を退(しりぞ)いたら、貴方は私の忠実な家来(けらい)となる」「は?」「む」

 

 あれ、ここ、そんな驚くことですか?

 ここまで話したら、私が何を言いたいかわかるでしょ?

 

「ナハト隊長のその傷は、これからこの場に戻ってくるキルサさん……とその同僚? の何人か? に目撃されます」

「キルサが?」

 

 キルサさんがナハト隊長と同じように、なぜか睡眠魔法から目覚めたので、兵站ラインを下って後詰(ごづ)め部隊に報告に行った旨を、ここで伝えます。

 

「その傷です、もはや兵士としては再起不能……そう判断されるでしょう。貴方は傷が完治しても、完治したことを公にすることができません」

「成程、魔法でなければ治せない傷、か……」

 

 はい。その傷は、鬼と悪魔に魂を売るなら、治療できます。

 

「そうです。完治を魔法的手段に頼った貴方は、もうこの先、その名、その顔でこの国の表舞台に戻ることはできなくなるでしょう」

「事情を知る聖女殿のもと、以外では……か」

「はい」「ティナ……アンタ……」

 

 この国には、いずれまた戦争が起きる。

 

 貴族ならみんな知っている。

 裏では失地王とまで揶揄(やゆ)される王が、今はその失地回復の機を窺っていることを。

 

 遠方の、外様の男爵家まで伝わる富国強兵の号令、竜害の発生に、武威を示すため王族すら派遣する本氣度。

 

 王はいつかそう遠くない未来、過去の雪辱を果たすため、戦争を始める。

 

 なぁ……その体捌きを見ただけで、武に生涯を捧げてきたとわかる(ごう)の者よ。

 

 その時、また戦場にて活躍したいなら……私へ下れ。

 

「なに考えてんの!? コイツはあたしを殺そうとしたのよ!?」

 

 アリス、貴女(あなた)もユミファを殺せなかった。

 だから、自分を拷問した相手を癒やすなんていう、ある意味では酷なことをさせることになるのかもしれないけど……この提案が通るなら、そこは手を貸してもらうよ?

 

 それをできるのは、アリスだけなんだから。

 

 鬼で悪魔は私。だから私は無慈悲に、アリスにそうしてもらうよ?

 

「スカーシュゴード男爵家では、軍の練度向上のための教官となる人材が不足しています。つい先日までは、全く適正のない兄がそれをしていたくらいなので……深刻です。だから表向きは、足を悪くした貴方を、ならば好都合と私がそこへ勧誘した形になりますね。……その地位は、本当に用意できると思いますし、兵の指導と鍛錬は普通にお願いしたい仕事ですが」

「いずれ共に戦場へ出るのであれば、鍛えて損は無いか」

「いいえ、男爵家の兵士は、おそらく貴方と(くつわ)を並べる関係にはならないと思います」

「……それは如何(いか)なる?」

「私は、女です」「はぁっ!?」

 

 私はいずれ、生家とは違う領土、領域を治める貴族家に嫁ぐ。

 

 生活環境の一変するタイミングが、数年のうちにあるのだ。

 そのタイミングで、正体不明の兵士を一人、重要な地位に押し上げることぐらい、訳も無い。例えば嫁ぎ先の軍へ、私に幼き頃より長年奉公してくれた忠実な部下だから取り立ててほしいと紹介する。それだけでいい。……慣れない新天地で苦労する新参者の悲哀とかは知らない。間者(スパイ)じゃないかと疑われてとかも知らない。そこは勝手に頑張って。

 

「……成程」

 

 だがそこには、足を悪くし、軍の教官へと退いていた男を、再び表舞台に上げる機会、タイミングが、きっとある。

 

 名前などを変えてもらう必要はあるだろうが、そうしたことにこだわりが無いのであれば……この世界はまだ情報社会があまり発達していないから……これはさほど難しいことではない。偽名は……そうですね、リヒトとかどうですか? この世界の言葉では、ナハトから連想され易い名前というわけでもありませんし。

 

「ティナ……」

 

 ……って、アリスがなんでそこで泣きそうな顔になってるの?

 

「俺が足を悪くし、小娘の軍門へと下るか。魔法使いを友と呼ぶ、おかしな小娘の軍門に」

 

 なぜか消沈するアリスとは反対に、ナハト隊長はどこかくすぐったいような、笑いを堪えているような、そんな表情になっています。

 既に彼の虚無はその顔から去っていましたが……これはどちらなのでしょう? 興趣(きょうしゅ)をそそられた? わが身の行く末を自嘲した?

 

 ……これは賭け。

 

 策でもなんでもない。

 ただ相手の個性、それに賭けた、博打。

 

 勝算はある。

 

 勝算はあるが、それは私の直感、思い込みかもしれない、あやふやな感覚ひとつのモノだ。

 

 目の前の男に、慣れ親しんだ匂いを私は感じている。

 

 健やかなる世界から弾かれ、隔離されて、彼我(ひが)と自我の間に横たわる川へ、その幅の太さへ、絶望したことのある人間の……それは匂いだ。

 

 そうした隔絶を知るからこそ、「本来、自分がいるべき場所」への希求と望郷は呪いのように切実で、狂おしい。

 

 家に帰りたい、どうせ死ぬのならばせめて家で過ごしたい。ずっとそう言っていた白髪の隣人は、人生最後の願いを誰にも省みられることなく、病院のベッドで死んだ。他人である俺は泣かなかったし、看護師も医者も誰も泣かなかった。そのことがただ悲しかった。人の死とはこんなモノなのかと、ただただやるせなかった。

 

 家に帰りたい、でも家にもう僕の居場所は無いんだ。そう言ってずっと妹を羨み、ある意味では家族を憎んでいたかもしれない皮肉屋の少年は……彼もまた、父にも母にも、妹にも看取られること無く、「俺のせいで」孤独に死んだ。あんなに生きたいと……その反対の言葉で訴えていたのに。あんなにも家族を……裏腹の態度で(こいねが)っていたのに。

 

 果たせなかった約束、それを交わした時の笑顔が……今も心に痛い。

 

『闇に蔽われた空を、花火のような爆発物で壊せば、そこに朝が、そこに光が、あると信じたから……信じたかったから……だから暗闇を壊したかったんじゃないかな?』

 

 その願い、その(こいねが)いを俺は知っている。

 

『本当に壊せたら、良かったのにね』

 

 本来、自分がいるべき場所に戻りたい。

 

 弾かれたからこそ、失ったからこそ、求める。

 

 帰りたい。

 

 あの場所に戻りたい。

 

 その切実な声、狂おしいほどの祈りを、私は知っている。

 

 なあ……「アンタも知っている」んだろう?

 

 本来、自分がいるべき場所に帰りたいのだろう? 戻りたいのだろう?

 

 アンタのそれは、そういう祈りの匂いだ。

 

 それが勝算。理屈ではない、私の感覚。

 

 だからもうわからない。

 

 なにももうわからない。

 

 だが賽は振られた。あとはその結果、結末を見届けるのみ。

 

 

 

 ……応えは一言だった。

 

「愉快」

 

 莞爾(かんじ)と笑う、一言だった。

 

「……愉快、ですか?」

「嗚呼愉快、愉快(かな)。運命とは()く在るモノかと膝を打ちたくなるほどにな」

「……そうですか」

 

 知らず、ふぅとひとつ、息が漏れた。

 

 この人の運命は知らない。

 知って堪るか。私はもう自分の運命だけで手一杯だっての。

 

 だが……賭けに勝った感触はあった。

 

「だが良いのか? 聖女殿は俺を信じられるのか? 裏切るとは思わないのか?」

「……氣付いていないかな?」

「?」

「貴方はここまで一言も、負けた恨みを私にぶつけてない」

「……」

「こんなだまし討ちみたいな方法で負けたのに」

 

 裾をほんの少しだけめくり、緑色の脛を見せる。

 目の前の男は、一瞬痛ましいモノでも見るかのように眉を(ひそ)め、目を逸らした。

 

「……戦場では結果だけが全てだ。そこに、綺麗も汚いも無い」

「小娘が、もう一度やれば勝てる、覚えておけとも言っていない」

「両足をやられたのだ、もはや聖女殿にはともかく、そこな魔法使い殿には勝てぬだろうよ……そなた達は友、お互いを、命を賭け守る仲なのだろう?」

「うん」「え、ちょっ……そんな、ふぇ!?」

 

 ……唐突に、暗かった顔をぱっと赤らめてくねくねしないの、アリス。

 

「そして、そなた達の世話になり治したその両足で、捲土重来(けんどちょうらい)(はか)るほどには、俺は恩知らずではない。そのつもりだ」

「そういう人種だから、私はこの提案をした」

「成程。……嗚呼成程。流石は聖女殿。貴殿はその実、称号に相応しい乙女であったか。くくっ……くくくくく……さすがは竜を懐柔した口車よ、乗せられたわ。その舌で竜を征服し、俺をも征服するか、ふくくくく」

「え、何、いきなりちょっとキモイ」「……あたしも同感」

 

 すっと、何かを切り替えたように、ナハト隊長が真面目な顔になる。

 やべ、キモイは失言だった?

 

「ひとつ、問おう」

「ん?」

「そなた達に、カナーベル王国を害する意図はあるか?」

「んん?」

「俺はこの国に恩がある。否、正確にはこの国のために戦い、生きた先人に恩がある。ゆえに俺もまたその道を歩む。愛国、などと口にする氣はない。それを口にできるほど、俺は正しい人間ではない。俺のいる場所は平和の中には無く、ゆえに長年、平穏をかこつ日々の暮らしだ。俺は真っ当な人間ではない。俺は日陰者で、人殺しだ。だが俺は恩師より与えられたモノを返す。恩師の散った戦場にてそれを還す。そのために俺は生きている。生き恥を晒している。このようになっても願うはそれだけだ。これは国も法も勝者ですら奪えない、俺の生きる意味。俺が俺であるということの全て。そなた達がそれに反する存在であるというなら、俺はここで自害し果てよう」

「……言ってる意味は、半分もわかったとは言えないけど」「あたしは全部わかんない」

「そなた達はカナーベル王国にとっての敵国、またはそれに準ずる勢力へ組するモノか?」

 

 あー、はいはい。なんか偽悪的な理屈を色々並べてましたけど、つまりこういうことでしょう?

 貴方はいかにその表面が歪み、曇ろうとも、芯の部分ではカナーベル王国の忠実な国民、そういうことでしょ?

 

 大丈夫、それは私とも、アリスとも対立しない。

 

 私は世界を変革しない。

 

 だから母国とも争わない。

 

「期待通りの答えになるかどうかは判らないけど、正直な氣持ちを答えるよ? 私はパパもママも、妹も愛している。だから男爵領が幸せに発展してくれたらいいと思ってる」

「……」

「私はだから、生まれてからずっと、そのための(いしずえ)となれるのであれば……親の決めた通りの……男爵家に益の多い結婚をして……実家と嫁ぎ先に尽くそうと……そう思ってきました」

「ティナ……」

 

 まーた暗い顔をする、アリス。

 

 大丈夫だって、嫁ぎ先までついてこいとは言わないから。

 

 離れても私達は友人、いつかそうやって別れよう。そして時々は会って旧交を温め合おう。そういう未来を、私は夢見ているよ?

 

「そこに国への忠誠があるのか、ないのか、私には判りません。私の世界は狭くて、もう随分と昔からずっと狭くて……国なんて大きなモノより、目に見える小さな世界のことしか考えられなくて……でも」

「でも?」

「パパは現国王に忠誠を誓っています。それはもう心の底から。その元でその意に従おうとする私は、形式としては間違いなくカナーベル王国の忠実な国民でしょう。ですから……嫁ぎ先がそうでなかったら……おそらく嫁ぎ先はパパと同じ派閥の中から選ばれるとは思いますが……そこが、密かにカナーベル王国に反旗(はんき)(ひるがえ)さんとする家であったのなら……」

「あったのなら?」

「……脱出し、実家へ帰るため、武に長けた忠実な家臣が必要でしょうね?」

 

 言うと、ナハト隊長は一瞬、キョトンとした顔になりました。

 その顔は、前世に鏡で見た自分を、少しだけ思い出すモノでした。

 

「もしかしたら幼子を抱いて逃げることになるのかもしれません。その逃避行に、任務に忠実で屈強な家来は、是非ほしいです」

 

 そして。

 

「はは、ははははは!」

 

 ナハト隊長は……笑った。

 

 それは、今度こそ間違えようのない、心の底から愉快と笑う……そんな笑い声でした。

 

「俺が子を守り、逃げる。聖女殿はそんな未来を語るか」

「そうならないよう、願ってはいますけどね」

「愉快、ああ愉快だ。想像するだけで身震いがしてくる」

 

 ナハト隊長は、傷付いた身体で、それでも心底愉快といった様子で、三十秒かそこら、ひとしきり笑い、それがやむと動かない足をそのままに、右手を地面に、左手を胸に当て、騎士らしい体勢をなんとか整えて……そうして真剣な眼差しでこちらを見上げてきました。

 

「よかろう、(うけたまわ)る。家来でも家臣でも従僕でも下僕にでもなろう。これよりは我が忠誠、聖女殿……否、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード様へ預ける」

「はい。よろしくお願いします」

「ちょっとティナ!? あたしまだ納得してないんだけど!?」

「……ですが、貴方はアリスに酷いことをしました。アリスがその憂さ晴らしをしたいと言うのであれば……それによってできた傷もアリス自身が治療するというのであれば、ですが……私はおそらく黙認しますよ?」

「え゛?」

「それでもよろしいですか?」

「最終的に治してくれるのであれば、三倍返しでも十倍返しでも受けよう。だがその前に、謝罪させていただこう。我が主の友、アリスよ、数々のご無礼を働いたこと、大変に申し訳なかった。平にお詫び申し上げる」

「……だって。アリス、お手柔らかにね」

「え゛え゛え゛!? なんでアンタもコイツもそんなやすやすと自分への虐待を受け入れられるわけ!? あたしさっきコイツに物凄い拷問されたよね!? 何? あたしがおかしいの!? 痛めつけられても何も無かったみたいに流す方が普通なの!?」

「普通ではないと思うけど……」「はっ。俺もこの聖女殿も普通ではない、ただそれだけのことだろう」

「って! なんで二人、息が合ってる風なのよー!?」

「……そう言われても」

 

 まぁある意味、心のどこか奥底に似たモノがあったからこの説得は効いた……そういうことなんじゃない?

 

 そうじゃなかったら交渉は決裂していただろうし、私は国を追われ、ミアやサーリャとも別れることになっていたと思う。アリスとどうなったかは……わからないけど、私はそんなことにならなくてよかったと、今、心の底から安堵しているよ。

 

「絶対納得いかない! そんな身体になってまであたしを助けてくれたティナが、どうしてあたしのこのムッカムカには無関心なのー!?」

 

 おぅ……なんて綺麗な地団駄(じたんだ)。傷も大分回復したようでなにより。

 

 まぁ……そういうことなので。

 

「後でね。アリス、後でね、ゆっくり、話そ?」

 

 ほらあれだ。

 

 男同士には、喧嘩したら仲間同士になれる展開があるのだよ。ここではそういう雑な理屈で収めておくれ。男同士?

 

「ムッキー!?」

 

 まぁ。

 

 ナハト隊長のことを、アリスに納得させるのは簡単ですからね。たぶん。

 

 ふふふ。

 

 念話のダイアモンド。これが今は私達の手にあるのですから。

 

 同様のアイテムを持った者か、または魔法使いである対象に向けて、強く念じればその心が伝わるマジックアイテム。

 

 サスキア王女が紛失したことにして、戴いてしまいましょう。

 

 だまし討ちも戦法のひとつと認めてくれるナハトさんです。

 

 構いませんよね? いいですよね?

 

 これを貴方に当て「アリスには、人の目を見ることによりその心を知る力があります。嘘偽りは通じません。貴方の素直な氣持ちを、アリスにぶつけてみてください」とかなんとか嘘八百を言って、その心情、アリスへ吐露(とろ)してもらっても?

 

 今は時間がないので後回しにしますが。

 

 だからもう私に、ナハト隊長に関する不安はありません。

 

 不安がないから、落ち着いていられます。

 

 ねぇだからアリス、これは簡単に言うと、こういうこと。

 

 私は賭けに勝った。

 

 それだけ。

 

 

 



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43話:嘘と感情まみれの顛末書

 

<???視点・二人称>

 

 どこまで話しましたっけ?

 

 ああ、ナハト隊長を言いくるめたら、アリスが不機嫌になっちゃったって所まででしたね。

 

 あの後、アリスの機嫌を戻すのには少し苦労しました。だから今、今日は少し寝不足だったりします。

 

 ご機嫌取りで寝不足とはどういう意味か、ですか?……それは追々(おいおい)

 

 まぁ。

 

 ナハト隊長引き込みの賭けに勝った私は、その後残る様々な問題を処理しました。

 

 ひとつはまず、サスキア王女でしたね。

 

 ナハト隊長と戦闘したり、諸々話してる間は、多少離れたところにいたので、こちらの会話も良く聞こえなかったと思いますが、それでもずっとオロオロオタオタしながら、こちらの様子を窺っていました。

 

 アレ、ホントどうすればいいんだろう……今からでもアリスに睡眠魔法をやってもらって、全部夢でしたよ作戦でどうにかしますかね?……と、アフォなことを色々と考えた氣がします。

 

 討伐隊のゴブリン化解除も、まだ道の途中でしたし、ナハト隊長の足についても、ロープで血流を無理矢理止めたままでしたから、そのままであれば壊死してしまったはずです。早期の治療が望まれました。

 

 キルサさんが援軍を引き連れて戻る前に、やっておかなければならないことが山盛りテンコ盛りの盛り沢山でした。盛り蕎麦食べたい。海苔を大盛りにした笊蕎麦もアリ。あ、これは戯言です。氣にしないで下さい。蕎麦チート……うーん。

 

 まぁ、ナハト隊長の説き伏せが成功した以上、キルサさんへの説明……というか誤魔化し……については、そこまで頭を捻る必要もなかったのですが、口裏を合わせる必要はありましたからね。

 

 とりあえずは、その辺りを相談しながら、ナハト隊長の足の応急処置を……とアリスに声をかけたところ。

 

「ダメ、絶対、先にティナの治療」

 

 ……と、怖い顔で拒否られましたよ。

 

「治療?」

「忘れたの? アンタ今、ゴブリン化完了の一歩手前なんだけど」「あ」

「あ、じゃないわ! そんなになってまであたしを助けたかったんだったら、あたしに助けられて最後までちゃんとあたしを救え!」

「ごめん、何を言ってるかよくわからない」

 

 でもそういえばそうでした。

 なんだか、この時は身体の方がポカポカと氣持ちよかったので、忘れてましたね。

 あのポカポカって、陽の波動だからってことなんでしょうかね。

 

「ティナ、べーって舌を出して」

「ん?」

「いいから早く!」

 

 なんだかよくわかりませんでしたが、とりあえずアリスの言葉のままに、口を開け、舌をんべーっと伸ばしました。ぼくわるいカメレオンじゃないよ? お肌は絶賛変色中でしたが。

 

「……まだ大丈夫ね。首周りに塗った薬が効いているみたい」

「ふあひふ(くわしく)」

「ゴブリン化が頭まで回ると緑色になるから、こ、れ、が」

「ふぁお」

 

 舌が、アリスの細い指につままれて、上下左右、グリングリン引っ張られました。

 

 そうでしたか、んべんべ、でもいや、んべんべ、色で判るなら、んべんべ、触診する意味、んべんべ、あります? ありました?

 

「あ、ちがうや。ティナの場合、ゴブリン化じゃなくてゴブリンロード化ね」

「ほへ?」

「ティナ、とりあえず飲み薬飲んで。塗り薬も、ならひとり分と少しが残ってるんでしょ?」

「あー……うん。まぁ戦闘の邪魔になるからサーリャのインベントリに突っ込んできたけど」

「インベントリ?」

 

 この時点ではまだ、サーリャは落ちたままでしたので、私は岩陰に隠してきたサーリャの元に行き、そのスカート(インベントリ)をまさぐりました。……ふともも、むっちり柔らかかったです。どうでもいいけどサーリャ、なんだかちょっと幸せそうな顔で氣絶していたように見えたのは、氣のせいですかね。

 

 そんなこんなで、少しだけサーリャっぽい匂いがする抗ゴブリン化薬を服用しました。

 ナハト隊長の分と思っていた錠剤がひとり分、残りましたが、それは用心のため私が翌日の朝……つまり四日前ですね……また飲めと強要されました。

 そうですね、大病は治ったあとの用心が肝心ですからね。飲みましたよ。

 

 塗り薬も、残っていた……約いってんご(1.5)人分を、私が二回に分けて塗ることにしました。

 

 一度目は、近くのナハト隊長のテントでアリスと二人、済ませました。そこには、少し前にはいなかったはずの、討伐隊副官の方……ゴドウィンさんでしたっけ……が寝台に頭までシーツをかけられ、横たえられていましたが、まぁ爆睡状態だったので、そっとシーツを戻し、氣にしないこととしました。

 ……ナハト隊長が囮として置いていたのでしょうね。

 

 ってかなんでアリスもきたの? 私、身体柔らかいから背中にも手が届くよ?……と言ったら、「さっきもそう言って塗らなかったバカはどこの誰なの!?」とキレられました。ごめんなさい。擺脱(はいだつ)魔法と解毒魔法の合わせ技による腹案があったので、まぁそれが駄目になってからでいいかなぁ……と思っていたので。

 

 そんなわけで、そこではまたも再びの、アリスの前で全裸と相成りました。

 ……想像しないでくださいね?

 

 脱ぐと肌の色がとってもアレで、おまけにあちこち黒い線も走ってて、なんだか最初の生体魔法陣(せいたいまほうじん)化の時とは違う恥ずかしさがありました。すぐ近くには、爆睡してるおっさんもいたのですが。

 

 背中に手が届くなら、あたしは前を塗ってあげようか?……と言われましたが固辞しました。全部自分で塗りました。そこもあそこもしっかりと。

 

 ……全部アリスの監視の前で。

 

 なんかもう、まばたきを忘れたんじゃないのかって程にガン見されたので、「恥ずかしいのだけど……」と、それとなく、もうご遠慮してくれないかなー……とお伝えしたのですが、「あたしを軽んじた罰よ」と言って聞いてくれませんでした。えー。

 

 なんですアレ、軟膏プレイ?

 あのオシ●アなる製品を生み出した小林●薬ですら直接的な命名を避けた、悩める女性の味方、第二類医薬品だからドラッグストアとかで氣軽に買えるよ!……な某軟膏を使ったコレはプレイなのですかね? しくしく、もうお嫁に行けない(願望)。あ、すみません、これも戯言です。

 

 やっぱり、私がナハト隊長を処断しなかったことについて、まだ怒っているのかなぁ……そんなことを思いながら、思わされながら、そうしてアリスに、擺脱魔法と解毒魔法のセットを使ってもらうこととなりました……裸のままで。

 

 そしてそれに必要だからと、またあたしの生体魔法陣にしちゃうからと、大の字で動くなと厳命されちゃいました。ハードプレイ再び。……大の字がなにかって? 想像されたくないので教えません。

 

 まぁ最初こそ、私というブースターを使えなかったので梃子摺(てこず)ったようですが、擺脱魔法と塗り薬の効果効用による、緑化部分の剥離(はくり)がある程度進行した所で、生体魔法陣化の割り込みに成功したとのことでした。私にはよくわかりませんが、アリスが言ったことには、ええ。

 

 そこからはもう一瞬でした。

 

 銀色の自分の髪を視界に見ながら、見た目的にも氣分的にも、自分の身体がすっと清浄化されていくのがわかりました。

 それでもう、見た目だけは大体、綺麗な肌に戻りましたよ。はぁスッキリ。

 

「……今度こそ、助けられてよかった」

 

 呟いたアリスの言葉が、とても印象に残りました。

 

 

 

 

 

 

 

 テントから戻ると、サーリャが目覚めていて、サスキア王女に混じってオロオロオタオタしてました。

 ……いや、君まで何してんのさ? って思いましたね、ええ。

 

「え、なにがどうしてどうなって隊長様がお味方に!? いえ元から立場上はお味方でしたけど!? ティナ様が勝った? 短剣ひとつで? えええ!?」

 

 ……短剣ひとつではなかったけどね。

 

 物理攻撃完全耐性のゴブリンアーマーがキー……まぁこれはそんな方法を使ったと言ったら怒られそうなので言わなかったけど。アリスがすぐチクりそうとも思ったけど。

 

 ……そういえば、そこのところ、どうなったんだろう? 現状、サーリャからは、頚動脈を締めて落としたことを含めて、特に咎められたりもしていませんが……え? 女性はそういう時の方が怖い?……そうした場合の逆襲は、えてして忘れた頃、唐突にやって来るのだと?……体験談ですか?

 

「アリス、探索魔法を使ってくれないかな。キルサさんが近くに来てるなら、捕捉しておきたい」

「おーけぃ。全方位で?」

「んー、キルサさんがくるだろう方向だけでいいかな? そうなるとあっち」

 

 アリスの探索魔法、その射程、効果範囲は全方位だと、前線基地全体をカバーできる程度なのだとか。つまり半径で五百メートルほどですね。ご存知でしょうけど。

 

 ただ、これは探索する方向を狭め、限定すると、氣象条件と地形にもよるけど、倍から四倍程度に伸ばすことも可能なんだとか。最大有効範囲()キロメートル(km)

 

 ……いやそこで我ならばと自慢しなくていいですよ。存じあげておりますから。

 

 まぁ、それを、兵站ラインの下流方向へ限定して使ってもらいました。

 

「んー、まだ捕捉できないかも」

「そっか、ちょいちょい使ってみて。それで、次はまずナハトさんの応急処置、これは後々の面倒が減る程度でいいから、スピード重視で。それが終わったらゴブリン化対策の続き」

「待て。ゴブリン化の対策と? 既に対策があるというのか?」

 

 そういえばナハト隊長には、そこのところの説明がまだなのでした。

 

 そういうわけで、この説明は、アリスがナハト隊長の足の応急処置を済ませてる間に行いました。

 ここでようやっと、サスキア王女を連れてきた意味がでましたね。第二王子の下のお世話以外で。一連の真実は、彼女の口からも語らせる必要がありましたからね。

 

「……王女殿下の様子がおかしいのはどうしたことか?」

「あー……」

 

 まぁそれは色々とありまして。

 

「言っておくけど、あたしは洗脳魔法なんて使えないからね?」

「使えないんだ?」

「むっきー! だから他人に直接干渉する魔法は、大体がユニーク魔法で一般的じゃないの!」

 

 そうでしたね、それが一般的なのは呪いの類なんでしたね。

 

 そんな一幕はありましたが、まぁナハト隊長にも現状の共有ができたようです。

 サスキア王女は隊長にめっちゃ凄い目で睨まれていました。だからといって私の背中に隠れるのは止めてほしかったのですが。

 

 ……ナハト隊長の国への忠誠心、大丈夫かな?

 

「……本人も反省しているようなので、とりあえずこの件に関しては、今は放置で」

 

 してなさそうだけどなぁ、反省。まぁ正直、私はそう思いますが、被害が最小限に抑えられた以上、ある程度の罰はもう既に受けたと言えるでしょう。言えるのか?

 

 それで、思い出しました。

 

「……そういえばサスキア王女の指も、完治させるとしたらどれくらいかかるの?」

「指はくっつき易いから……かかりっきりで半月程度? でも応急処置は済ませてるし、さっきも言ったけど、多少、指の動きが悪くなる可能性込みでいいなら、あとは何をしなくても、見た目綺麗に治るよ?」

 

 う、うーん。

 

 まあ通常、手仕事などしない、手を汚すことのないお姫様ですからね、多少手が不自由でも問題なさそうですが……。

 

「サスキア王女、この辺りは火山地帯なのですが……」

「はい?」

 

 とりあえず、こちらに都合のいい方向から、提案してみることにしました。

 

「この辺りは火山地帯なのですが、それゆえに、もう少し男爵領に近い地域には、温泉地もあります。腰や背中に痛みがあるなどの理由をつけ、湯治ということで男爵領に長期逗留することは可能ですか?」

 

 そうしなければ、指が不自由になるかもしれないよ……と説得。

 

「えっ!? えっとぉ……」

 

 ……可能とのことでした。

 

 いずれ他国に嫁ぐ身なので……とか、母上は厳しすぎですそれに比べ父上は……とか、だいぶ余計な情報が混じりましたが、まぁそんな第三王女の話から察するに、どうも、あの王女様は、まぁどうせいずれ他国にやる娘だからと、教育もほどほどに済まされ、王は娘の我儘(勉強きらーい、教育されるの大きらーい、どうして家庭教師ごときがこの私に説教なんてしてくるの……とは本人談)を聞きまくりだったっぽいです。

 

 おそらく強く要求すれば、父上なら許してくれるだろうとのことでした。王様ぇぇぇ。

 

 まぁそんなこんなで、ちょっと頭のネジが飛んじゃったサスキア王女に関しては、男爵領内で経過観察中です。あの王女をどうするかは、それを見て考えましょう。

 

 今の頑是無(がんぜな)い王女に何をしたところで、(少なくとも私の氣分的には)ざまぁってならないしね……人の心は複雑怪奇。この罪悪感、某女史に半分くらい押し付けたい。あ、ここは氣にしないで下さい。私の心の問題ですから。

 

「では王女殿下には、しばらく男爵領に滞在していただけるということですね」

「はい、しばらくお世話になります」

 

 すると、アリスがそこで凄く嫌そうな顔になりました。

 

「……ってことは、これの面倒もあたしが見るのかぁ」

 

 ああそうでした。

 

 そういうわけで、パザスさん。

 

 貴方(あなた)が最初にお尋ねになられた、アリスが金髪ツイテのメイドさんになってる理由ですけどね、アリスはですね、サスキア王女が、男爵領(ここ)へ来るまでの道中で出会い、氣に入って拾って小間使いにした少女であることになったのです。

 

 ワガママなお姫様のストーリーにはよくある要素です。あるんです。ええ。

 

「仕方無いな。じゃあ、夜眠る時、ティナの方に行っていいなら引き受ける。ティナは陽の波動だからね、あったかくていい枕なの」

 

 とかなんとか、アリスに約束させられたせいで……ここ連日は本当に枕のようにひしとぎゅっと抱き締められてるせいで……私の方は寝不足氣味なのですが、まぁ仕方ありません。パザスさんの方からも何か言って……聞くようなら苦労しませんよね、ハイわかっていましたとも。ふわぁ。

 

 まぁ、王女の監視は現状必須事項ですしね。髪色は魔法で変えてもらって、耳の方はボンネットで隠しています。それが自然に見える、少し野暮ったい感じのメイド服を考えるのに苦労しました。……ただの侍女風でなくメイド服にした理由? サスキア王女が、サーリャを見て、これがいいって言ったからですよ。男性にも女性にも、地球でも異世界でもメイド服は大人氣。これこそチートにしてしまっていいのではないでしょうか。あ、後半部は聞かなかったことに。

 

 え? アリスの髪は薔薇色が自然でいい?

 

 お父さんお父さん、娘の髪のカラーリングに文句付けちゃ、いけませんよ。嫌われちゃいますよ? 脱色で痛むから反対というならわかりますけどね。

 ……え? おぬしにお父さん呼ばわりされる筋合いはない? 何言ってんですかアンタ。

 

「それではナハト隊長の治療も、サスキア王女殿下の治療も、続きはお屋敷に戻ってからじっくりと……ですね」

「はぁ……面倒だけど仕方無いか」

「感謝する、魔法使いよ」「ティナ様のお屋敷に、お泊りできるのですか?」

「……今更だけどこの王女、なんでティナには様付けなのよ」

 

 こんなところかな。

 

 これで、もういいかな?

 

 あと語る必要があること、なんかあったっけ?

 

 ……あ、ドワーフのゴーダさんですが、意識が戻らないまま保護されたので、そのまま最寄のドワーフの『穴』へと、送り届けられるそうです。はい、『穴』ってのは、ご存知でしょうがドワーフの村というか町というか、まぁ集落です。国軍の皆々様よりの「知っているのか? 聖女殿」にはガン無視でとぼけました。「わ、私は知りません、たまたまこの地に訪れていたドワーフなのではないでしょうか、意識が無いのは……黒竜に何かされたのではないでしょうか?」……こんな感じでしたかね。

 

 そびえ立っていたミスリルの柱の方は、これも黒竜の仕業ってことにしました。もう全部押し付けちゃいました。封印竜に口無し。まぁ竜の素材は手に入りませんでしたが、代わりにミスリルが大量に手に入ったので、討伐隊の出兵は、これを戦果として成功と喧伝するっぽいです。負けられない大人の事情がそこにある。

 

 え? 想鋳(おもい)無限(むげん)想操(おもく)無間(むげん)想成(おもな)夢幻(むげん)のミスリルは、市場に出れば十億にもなるドワーフの秘宝? どうでもいいけど、なっげぇ名前ですね。Web小説のタイトルかな?

 

 まぁ、ドワーフの秘宝の末路は、あわれそれと知られぬまま、我が国に接収された形となったということですね。わ、私のせいじゃないですからね?

 

 ゴーダが投げ捨てたという置換のキャッツアイも、探しに行く暇はありませんでしたね。いつか発見したいものですが……箱入り娘ならぬ箱入り聖女となった私が、嫁入りまでに探しにいけるのでしょうか?

 

 あと何があったっけ?

 

 あ、キルサさんですが、ナハト隊長が「足を悪くしたので所属が変わる、もう今までのようには付き合えない」と伝えたところ、割とあっさりナハト隊長と別れることを受け入れてくれたそうです。男性側からの一方的な本人談ですけどね……まぁ実際は愁嘆場もあったのかもしれませんが、知りません。そんな大人な世界は、まだちょっとご遠慮したいです。キルサさんはナハト隊長を追ってはこない。それが二人の帰結点です。

 

 ……ってことをサスキア王女へ、隊長、フリーになりましたよ? とお伝えしたところ、なんだかとても複雑そうな顔になっていました。もういらないってことなんでしょうか。

 

 まだなんかあったっけ?

 

 黒竜の討伐隊がどうなったって?

 

 やっぱダメ? それを語らずには終われない?

 

 黒竜(ユミファさん)ですが、赤竜(パザスさん)とは別個体であり、互い、敵対関係にあった個体同士であるとされました。しました。私が。ある部分では事実ですしね。

 

 それを前提に、私、アリス、サーリャ、ナハト隊長以外の人間(サスキア王女には半分だけ嘘を伝えました)が認識した、こたびのカバーストーリーは、こうなります。

 

 黒竜(こくりゅう)の魔法により討伐隊は寝かされ、全滅の危機に陥りました。

 

 そこへパザスさん、貴方がやってきました。

 

 睡眠魔法の魔の手からかろうじて逃れ、赤竜(せきりゅう)と既知の中であった聖女、つまり私は、赤竜に助力を求めます。

 

 求められてない? 今回の件は全てそなたが解決したようなもの?……そこでイジけられても困るのですが……。

 

 まぁ、かつて攫い、迷惑をかけていたこともあって、赤竜は聖女の要請に応じました。応じたってことにしたんです。

 

 で、聖女は、赤竜を伴って黒竜に戦いを挑むことにしました。いや、ですから、カバーストーリーですってば。そういうことにしたんですって話。

 

 なお、討伐隊の隊長ナハトも、聖女と同じく眠りの魔手からなんとか逃れており、この戦いに参加します。これもしてないけど、したことになってます。

 

 戦いの中で、ナハト隊長は足に重傷を負いますが、赤竜の活躍により、黒竜はなんとか退けられたのでした。

 

 ……とはいえ、討伐には至らず、黒竜は遠くへと逃げてしまうのですが。

 

 そうして赤竜は、黒竜の再来に備え、男爵領の山地……ええ、ここのことです……に居を構え、聖女を守ると約束してくれたのでした。わーお。

 

 以上、立案者……私、偽証者……ナハト隊長とサーリャと一部サスキア王女、証言者……赤竜が現場にいたのを目撃した者、すなわちキルサさんとその愉快な仲間達、でした。

 

 ……うん。

 

 ……はい。

 

 ……ええ。

 

 大丈夫、わかっています。

 

 すごくよーくわかっています。

 

 これがどういう意味を持つかなんて……ねぇ?

 

 そんな呆れたような顔しないでくださいよぉ。

 

 しょうがないじゃない、これ以上の辻褄合わせの作り話(カバーストーリー)、パザスさんなら思い付きます?

 

 パザスさんも、アリスを守るため、男爵領にいたいんでしょ?

 

 また赤竜討伐隊なんて出されたくないでしょ?

 

 なら、こうするしかないじゃないですか。

 

 むしろいい案を思い付いたのなら、教えてくださいよぉ。

 

 はい。

 

 ええ。

 

 うん。

 

 まぁそういうことです。

 

 以上、赤竜を仲間というか守護者というか庇護者に仕立てあげて、人に害を為す黒竜を撃退するに至った、凄く、えらく、とんでもなく、めちゃんこ英雄的箔のついちゃった聖女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードがお届け致しました。

 

 

 

 

 

 

 

<アナベルティナ視点>

 

「……また、随分と波乱万丈な人生を歩んでおるの、娘よ」

 

 そう言うない。

 

 

 



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44話:竜は語る




 前書き。



 これは設定暴露回です。

 決着を付けるためには、ここまでの倍以上の文章量が必要な諸々の事象について、ここでその裏側を全て暴露してしまうことにより、思わせぶりだった伏線の清算と、物語的落着を図った回でもあります。

 そういった性格のお話となるので、アホみたいに長いです。ごめんなさい。

 話の設定等に興味がないという場合には、アリスが「はらほらひら惚れぇ……」と言った辺りで読むのを止めても、この先のエピローグを読むのには、さほど支障が無いハズです。



 

『……また、随分と波乱万丈な人生を歩んでおるの、娘よ』

 

「ホント、どうしてこのようなことに、なってしまったのでしょうね……んぐ」

「ティアを名乗る誰か……とな。あんぐ」

 

 体長十メートルを超す赤い竜、パザスさんが、豚の塊肉を口に放り込み、しばしそれを口腔に留めたかと思うと……なんと噛まずに嚥下してしました。

 

「……」

「どうした? 娘よ」

「いえ」

 

 そっちのは、焼いてないので、生肉なんですけどね。

 

 本日ここへお持ちした豚一頭は、男爵家よりの贈答品……というかご機嫌取りの貢ぎ物……です。前例のない、竜の平和的営巣に、だいぶテンパってる感じが伝わってきますね。

 

「なんでもないです。あむあむあむ」「そうか。んぐ、ごくり」

 

 豚のユッケとか、人間には結構な危険物だった氣がしますが、そこは肉体もキチンとドラゴンのパザスさんということなのでしょうか。

 まぁどうでもいいけど。

 

「お肉うまー」

 

 こっちの、ほどよく焼けたのは、アリスの焼き加減がよかったのか、サーリャの塩加減が良かったのか、前世でも味わったことのない、美味なるかな、ですよ。

 

「ティーナ~、トントロ串、追加でいる~?」

「んー。じゃ、二本願い~」

「はーい。お持ちしますね~」

「こらぁ。ここはあたしが持ってくから。バカサーリャは引っ込んでる」

 

 そんなわけで、ここはパザスさんが営巣した山の、洞穴(ほらあな)の中です。

 天井に大きな穴が開いているので、空洞(くうどう)といった方が近いかもしれません。

 

 我らが男爵家のお屋敷からここへは、歩きだと一日以上かかります。高尾山は元より、道が整備されてない分、下手したら夏の富士山よりも大変な登山となってしまいます。

 

 ま、今日の場合は「我々もお供に!」と詰め寄る男爵家の騎士兵士を引き離すため、山の麓までパザスさんに迎えに来てもらいましたけどね。「ここよりはそなたと、そこな侍女以外、許さぬ」と演技してもらって、アリスには別口から、飛行魔法でバヒューンと飛んできてもらいました。

 

 時刻はまだ少しお昼を回ったくらいで、空洞の向こうには秋の青空が見えています。

 風も少ない、いいお天氣です。

 

「それにしても……なんだこの、山でキャンプでバーベキューな感じ……んぐ」

 

 追加が入るとのことなので、串に残っていた最後のお肉を、よく噛んでから自分も嚥します。こっちのは、焼いて軽く岩塩を振った人間用です。

 

 先刻、これを焼くグリルを(岩から)生成するためだけに、あわや生体魔法陣(せいたいまほうじん)にされかかったりもしましたが、そこはサーリャが石だけで手際よく組んでくれたので、なんとか難を逃れることができました。大自然豊かな山中でフルヌードになる趣味はないのです。サーリャGJ。

 

「香ばしい匂いが漂っておるの。我も焼いた方を貰うかの」

「あ、サーリャ~。パザスさんもトントロ串の方、欲しいって~。五本くらい持ってきてー」

「はーい」「うざっ!? パザスうざっ!!」

 

 ユミファさんを封印したり、アリスとナハト隊長が争ったりと、色々とあったあの日からは五日が経過しています。

 

 最初の一日は、午前中に現場検証等の諸々、その後に撤収……お屋敷へと帰還する行程に全て費やされました。そしてそこからの三日間はずーっと事情聴取でした。寝不足の一因はそこにもあります。ふわぁ……ん。

 

 もっとも、討伐隊最高責任者(ナハトさん)の口添えがあったからでしょう、口裏を合わせられないよう、ひとりひとり呼び出されるという、いわゆる取り調べ形式ではなかったのですが、その分退屈な時間が続きました。

 

 大体は、ナハトさんが答えてくれましたからね。

 

 赤竜が仲間というか守護者というか庇護者になったくだりでは、「信じられぬ」とか「貴女(あなた)は……それがどんな意味を持つことなのか、わかっているのか?」とか、色々言われてしまいました。強面(こわもて)の皆様に、シリアス(づら)で。やーん。

 

 そんなわけで、尋問二日目の後半は、私が祈るフリをして、アリスが念話でパザスさんを呼び出し、赤鬼と青鬼もビックリな自作自演劇を披露するハメとなりました。

 

 そこはさすがに竜殺し部隊の皆々様でしたので、腰を抜かす、ひっくり返る、漏らしてしまう(サーリャ的失態をする)などの醜態は見られませんでしたが、ポカーンとする者、驚愕し硬直してしまう者、信じられん、信じられんと呆けたように繰り返す者、色々ありまして……あっれー、この世界のドラゴンってここまでヤベェ扱いだったの? と、今更のように思った次第であります。

 

「それにしても、この間はすみませんでした。三文芝居に付き合ってもらって」

「構わぬ。絡んだ糸が断ち切れぬなら、そのままに(おの)が模様へ組み込むが粋……とな……これはアイアの言葉であったか」

「粋、ねぇ」

 

 微妙に日本を感じさせる九星の騎士団員、アイア。

 

 四百年前のことは、まだまだわからないことだらけだ。

 

 ……それを聞くために、今日はここへ来たのだけれどね。

 

「はいティナ、これはティナの分~」

「え、と、パザス様、こちらがパザス様の分となります。串から外しましょうか?」

 

 と、そこへアリスとサーリャがトントロ串、計七本をお皿に載せ、二人仲良く(?)現れます。

 私がパザスさんとお話しをしている間、二人にはグリルの番をしてもらっていたのです。

 

(かたじ)けない。お願いするとしよう」

「はい」

「……パザス、鼻の下伸びてない?」

「ふむ。竜の顔でもそこは伸びるのかの?」

 

 アリスはメイド服に、頭の半分くらいを覆う白いボンネットを被り、両耳の耳たぶの辺りから金色のツインテールを垂らしています。サーリャもホワイトブリムであること以外は全く同じ装いで、そうして二人、並んで歩いていると、同僚みたいというか、姉妹みたいというか、見習いメイドとその教育係みたいというか、まぁ要するに、なんかこうセット感があります。

 

 それはもう、どちらが攻め役(タチ)なんだろうかと考えたくもなる、微笑ましい(?)絵面ですね……なんてことを考えてると知られたら、どちらからも怒られそうだけど。

 

「話は終わったの?……はい、ティナの」

「んー……あ、ありがと……いやこれからが本題かな……って?」

 

 アリスが差し出してくれたトントロ串を受け取……ろうとした手が、(くう)を切る。

 

「へーん」

 

 なに? おあずけプレイ? 最近ちょっとアリスが意地悪なんだよね。

 まぁ、首を絞められてもニッコニッコで通常営業のサーリャよりかは、わかりやすくていいのだけど。

 

「アリス?」

 

 アリスは引いたトントロ串を皿の上に載せ、そこで隣のサーリャに(なら)うかのように、フォークで肉を串から外した。

 そうしてから肉をフォークで刺して、私の方へ向けてくる。

 

 あ~……これはアレか。

 

「はい、あ~ん」

「またベッタベッタなことを……あむっ」

「おっ、ティナってば男前(おっとこまえ)~。こういう時、躊躇(ためら)わないんだねぇ~……って……え?」

 

 嬉しそうな、アリスのニヤニヤ顔に、私は肉を口に含んだまま、自分の顔を近づける。

 

「じゃは(じゃあ)、わたひもおかえひに(私もお返しに)、あ~ん」

「ちょ、ちょっ!? ティナ? ちょおっ!? まってまってまって、あ~んって口移しでやるものじゃないでしょ!? 違うの!? ねぇサーリャ! これが貴族流なの!? どういうことなの!?」

「アリス……貴女の負けです……それが覚醒したティナ様流です……成仏してください……」

「なんでありがたやありがたやって言いながら手を合わせているの!? ちょっまっ!? パザス~……んぐ!?」

 

 唇が触れないように注意しながら舌を使い、アリスのおくちにお肉をシュート。

 

「はれぇぇぇ!?……」

 

 瞳を七色に瞬かせながら、ぐるぐると目を回すアリス。ちょっと可愛い。夜の抱擁も、もう少し可愛ければ安眠できるのになぁ。

 

「……四百年で人の文化も、だいぶ変わったの」

 

 パザスさんがなんかトボけたことを言ってますが、面倒なので訂正はしないでおきましょう。

 

 今はようやっと、先日の件の報告が終わったばかりです。まだまだ話は長いのです。

 

「はらほらひら惚れぇ……」

「あ、それではパザスさんもトントロ串、どうぞ。お野菜はいけるのですか? 五本のうち、二本はピーマンとニンジンを間に挟んだモノですが」

「問題ない。味変(あじへん)には()きバリエーションかな」

「また、ドラゴンの生態について、脱線しそうになることを……」

 

 それではまぁ、蛇足(だそく)駄弁(だべ)りへ惰性(だせい)脱線(だっせん)していく前に、本日の本題を始めましょうか。トントロを食うも蛇足だ、割愛しよう。

 

 あんぐ。もしゃもしゃ。ごくん。

 

 

 

 

 

 

 

「そもそもはまず、九星の騎士団はなぜ、アリスのお母さん、リーンと争ったのですか?」

「それはのう……あまり子供には聞かせたくない話なのだがの」

「そういえばそれ、あたしにもちゃんと教えてくれたことないよね?」

 

 子供には話したくない内容……ですか。

 

「その、子供には、というのは、リーンの子供であるアリスには……ということではないということですよね?」

「そなたにも、あまりお薦めはしないのう」

 

 なんでしょうか、センシティブ案件なのでしょうか。R-15程度でお願いしますよ?

 

「もしかすれば……あの俗説が正しかった、ということなのでしょうか?」

「んう?」

 

 何か知っているのかサーリャ。

 

「いえその……これは四百年前のエルフと人間との戦争、その開戦事由(かいせんじゆう)を語る、あるいは騙る……俗説のひとつなのですが……その昔、人間はエルフを、最上級の……その……奴隷として、売買をしていたという話があって」

「なにそのテンプレ」

「……そうなの? パザス」

 

 アリスが、眉根を寄せてパザスさんに詰め寄ります。

 

「それは凄いのぉ。どうやって人間がエルフを、奴隷として扱えたというのだ?」

「テンプレにはテンプレで……ってことで、昔には魔法を完全に封じ込める首輪とか、奴隷紋があったとか?」

 

 というか生体魔法陣って、見た目下手したらソレだよね。

 

「パザス、そうなの?」

 

 ずずいとパザスさんに詰め寄るアリス。なんかパザスさん嬉しそう。

 

「……テンプレとはなんであるか?」

 

 でも、そこで返ってきた答えは、とてものほほんとしたものでした。

 孫娘に、これが今の流行なのよと、全く理解できないファッション(か何か流行のモノ)を見せられた、おじいちゃんみたいな感じ。孫は可愛いけど何を言ってるかわかんないなー……的な。

 

 ですが、今はおじいちゃんの時代に何があったかを、知るためのフェーズなのです。

 

 そこで、ほんわかのほほんとしているおじいちゃんに詳しく尋ねていくと、四百年前にも知恵者、知恵袋として扱われ、それゆえに世相、世情、世間の情報を日々集めていたパザスさんであっても、魔法使いを完全支配してしまえるような、そんなマジックアイテムの類、ガジェットは知らないとのことでした。

 

「呪い系統のユニーク魔法には存在しそうだがの、それで大々的に商売がされていたという話は聞かないのう」

「よかった……ちょっと優しくされただけでご主人様に惚れてしまう、チョロインな奴隷はいなかったんだ……」

「何の話?」

 

 こっち(Web小説界隈)の話。

 

「それでは……結局なぜ、どうして、どのようにして、エルフと人間との戦争は発生したのですか? あむ」

 

 それならばと、サーリャが当然の疑問を口にする。なお、メイドさんは、今になって自分もトントロ串を食べていらっしゃいます。こちらにもすこぶる漂うほんわかのほほん感。

 

 ですが、それへパザスさんは、孫娘……ならぬアリスの方を見、「アリス……そなたには聞かせたくないのだがの……」と、氣まずそうに答えました。

 

「やだ、聞く。教えてくれないんだったら、ティナの力を借りてその牙、十本くらい抜いちゃうんだからね」「え゛」

「な、な、なんと恐ろしいことをっ!?」

「抜くとすっごい痛いんでしょ? 回復魔法をかける余裕もなくなるくらいに。だから資金調達のために抜いて売ろうかって話になっても、全力で拒否ってたんでしょ? あたし知ってるんだからね」

「うぬぅ……アムンの外道に、最初の一本を情けでくれてやるんでなかったわい」

 

 なんか、色んな意味で生臭い話が……。

 

 勝手に私を巻き込むのは、勘弁してほしいのですけどねぇ。

 

「ま、話を聞けるなら、そこに協力するのは(やぶさ)かではない」

「やったー」

「……その協力には、文字通り一肌脱ぐ必要があるのを、ティナ様はお忘れなのでしょうか」

「……仲良くなったのぉ、そなたら」

 

 パザスさんは「ふむ」と少し考え、すぐにこちらへ真剣な目を向けました。

 

「仕方無い、いつかは話さねばと思っていたことでもあるしの……というか、むしろそなたらが知らなかったことの方が、我には驚きなのだがの」

「私?」「私達ですか?」

「うむ。この時代の全ての人間が……と言い換えてもよいの。これは、四百年前には、大人ならば知っていて当然のことだったのでな」

「大人……」「どうしました? ティナ様」

 

 なんとなく、サーリャのその、大人(おっとなー)な特徴的部位を見てしまいます。十七歳は、結婚していてもおかしくない年齢なので、一応大人の範疇に入ってなくもないと、言えなくもないのです。未婚だと子ども扱いされてもおかしくない、微妙な年頃ではありますが。

 

「今に残る童話や伝承、風説などを見るに、四百年でだいぶ歪められたようだの。ことの真実を知るは、各国の上層部などに限られておるのかもしれぬ。つまり……平民や下級貴族が知っていては、ならぬことやも知れんの……それでも聞くというか?」

 

 パザスさんはそこで真剣な目を私へと向けて、その覚悟を問うてきた。

 

 それだけ……過去のことは……重い話なのでしょう。子供には伝えたくない類の。

 

「私は……」

 

 平穏無事な、普通の人生を求めてきた。

 だけどもうその願望、希望、思惑からは、だいぶズレてしまっている。

 その実感はある。軌道修正したいという氣持ちも、無くはない。

 

 けど。

 

 だけど。

 

 アリスと友達になって……今、この胸にあるこの氣持ち……これを、大事にするなら。

 

「聞きます。後悔は、たぶんしません」

 

 これは、聞くべきだと思った。

 

「そうこなくっちゃ」「ティナ様……」

 

 聞かなければいけないと思った。

 

 私の、その覚悟へ、パザスさんはしばし静かな目を向けていたが、やがて頷いて言葉を続けた。

 

「そうか。ならば聞け」

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてパザスさんが語ったのは。

 

 それはとんでもない話で。

 

 人類史の闇どころか、世界の闇、そのものみたいな話で。

 

 

 

 

 

 

 

「人類の生殖(せいしょく)システム、それ自体を魔法で変革したぁ!? カイズと結ばれるために!?」

 

 それは、とても矮小(わいしょう)な動機による、チートが世界を変革したという話だった。

 

「嘘、ママってそんなことをしたの?」

然様(さよう)。四百年のある時期より前、その昔は、人間とエルフは、肉体的に結ばれたとて、子の生まれぬ別種族、別生物だったでの」

 

 とんでもない事実。

 

 それは生臭くて、幻想感を大事にするファンタジーであれば、絶対に登場してこないような生々しい話だった。

 

「人類にはの、四百年前、リーンとその命を受けたエルフの(ある)巫女(みこ)集団によって、生殖の濫觴(らんしょう)対肉魔法(たいにくまほう)穿(うが)たれたのだ」

「らんしょ……なんだって? 歩き巫女?」

「簡単に言えば、各地各国を旅する娼婦だの。男娼もおったが」

 

 生々しい! 生臭い!

 

「これは後にアムンが解明したことになるがの、その歩き巫女達は、肉体にリーンの魔法を宿していた。彼ら彼女らと結ばれた人間は、その後エルフやその他、人に近い生物と子を成すことができるようになる魔法での。いわば性交によって生殖能力が拡張される魔法、ということだの」

「確かにそれは十八禁(センシティブ)の薫りがします……」

 

 いや本当に大丈夫か、この話。

 

「リーンは、カイズが十八歳の時に出会い、その男っぷりに惚れたそうな。本人が真っ赤な顔でモジモジと語っておったことには、の。……そこからエルフの女王であったリーンの、遠大な計画が始まった」「ママのイメージが残念な人に……」

「遠大な、計画?」「なんでアリスも私を見るんですか?」

 

 狂氣の、計画……じゃないんかソレ。

 

「ここからは当時の、エルフと人間との関係性を理解してもらう必要があるのぉ。当然ながら人間は、魔法を使うエルフを怖れていた。我も子供の頃は、悪いことをすれば森からエルフがやってきて、尻子玉(しりこだま)を抜かれてしまうと言われたものだの」

「この世界に、それの概念があったことも驚きですが……」

 

 そういえば河童っているのですかね? この世界。

 

「人間はエルフを、怖れてはいたが、エルフの生息圏は基本森などの僻地(へきち)で、そもそも人間とはあまり交わらない、関わらなかったのだ……ゆえにこれといって被る利権、権益、既得権もなくての、お互い、距離をとってそれなりに上手くやっておったのだ……それに……」

「……それに?」

 

 パザスさんは、そこで最後の躊躇いを振り払うかのように、首を振った。

 

「エルフの娼婦、男娼はの、それ以前から、人間の子を成すことのできぬ美貌の種族ゆえにの、それなりに有名だったのだ。そういった商売にあっては、妊娠は面倒事以外の何物でもないゆえにな」

「はぁ」「ほぇぇぇ」「まぁ」

 

 あ、最後の「まぁ」がサーリャね。私は最初。

 

「これは、我が人だからそう言うのではないが……エルフは人里に降りてくると、結構な確率で、誰に強要されるでもなく、自ら己の肉体を売っておったのだよ。手っ取り早く稼げるからの」

「ご先祖様の闇が深い……」

「パザス様が、人?……」

 

 あ、ご先祖様~の方がアリスで、「人?……」と赤い竜なパザスさんを見上げたのがサーリャです。うん、人だったらしいよ、昔は。

 

「無論、魔法で稼ごうとする者もおったが、怖れられたり、トラブルになることも多かった。それに比べれば、エルフにとって身体を売るのは、リスクが少なかったという話でもあるの……解毒魔法はエルフの得意、ゆえに病気の心配もないからのぉ……つまりそういった歴史的、文化風習的な下敷きがあったゆえにの、エルフの歩き巫女集団がそれなりに活躍しだしても、誰も氣には止めなかったのだ。最近は人里に下りてくるエルフが多いのぉ……くらいでな」

「人類やべぇ」

「まったくの。氣が付いた時には、無視できぬレベルで、ハーフエルフや、いわゆる獣人が量産されておった。どうやら、最初に歩き巫女らと性交した男女が、人間と普通に交わっても、その相手方の生殖能力もまた、拡張されるようでの。氣が付けば手遅れとはあのことであったわ」

「ネズミ算式なのか……性質わりぃ……ん?」

 

 あれ待って、獣人が量産? 獣人も、そこで、量産?

 

「ふむ、それはの、リーンの対肉魔法は、人間の生殖能力を、他種族と子を成すことができるようにしたモノだったのでな、歩き巫女と直接性交し、その魔法の効き目が強かった者は……まぁ、それが、ある程度体格的に近いモノであれば、完全な獣とでも可能となったりしたのだ」

「ぶっ!?」

 

 そっちは多くの異世界転生、異世界転移モノで獣人が迫害される理由……ほとんどの場合は根も葉もなくデタラメな……そのテンプレ、そのまんまなんかいっ!

 

「ハーフエルフや獣人は、リーンがそのことを()すまでは存在していなかった。少なくとも我が子供だった頃にはおらんかったぞ」

「思ってた以上にママの闇が深いっ」

「確かにそれは、夜になると男は狼、女は蛇へと変化する世界だわ……」

「さすがに、完全な獣とまで子を作れる能力は、魔法の孫世代……これはハーフの更に子供、という意味ではないぞ。先に言った魔法感染者と性交した相手方のことよ……それ以降には引き継がれなかったようだがの。それが成っておったら、獣が人間を性的に襲う世界となり、とんでもないことになっておった。今、世界がそうでないのをこの目で見て、我は正直ホッとしたものよ」

「……」「……」「……あむ」

 

 なんかもう絶句するしかないけど。サーリャだけトントロ串(かじ)ってるけど。

 

 いやさ、でもさ、なんでさ……どうしてリーンはそんなことをしたの?

 

「リーンはの、カイズと結ばれたかった。結ばれて子を成し、祝福されたかった。そしてそれが”普通”である世を望んだのだ」

「普通」

「他種族同士が夫婦となり、子を産み、それが祝福される世界……リーンは世界をそのように変革したかった……と語っておったの」

 

 普通、を求めて、世界を変革する。

 

 なんだろう、この、私には目から鱗の、恐ろしい概念は。

 

 ただ……思えばある種の英雄は、そういうモノで……あるのよな。

 

 エジソンは電氣、照明がある世界を普通化することで世界を変革した。

 

 ビルゲ●ツはどの家庭にもPCがある世界を普通化することで世界を変革した。

 

 ジョ●スは誰もがスマートフ●ンを持つ世界を普通化することで世界を変革した。

 

 織田信長は、ナポレオンは、ダ・ヴィンチは、ピタゴラスは、ナイチンゲールは、始皇帝は、ガリレオ・ガリレイは、プラトンは、ダーウィンは、聖徳太子は、グーテンベルクは、コペルニクスは、グラハム・ベルは、ピカソは、ニュートンは、アリストテレスは。

 

 そこに明と暗……功罪はあれども、世界を変革するとはそういうことだとでもいうかのように、人の暮らしを根本から変えてしまった人達。

 

 彼ら、彼女らは、まさしく英雄だ。

 

 ただ、それら偉人達が英雄であるのは、それによって間違いなく人類が進化したと、多くの人が思ったからだ。

 

 人間がエルフと子を成せるようになる、獣とでもそうできる。

 

 それを、当時の人達が、喜んで受け入れたとは……到底思えない。

 

 むしろ、王制、貴族制という、血統が重要視される階級社会、その文明の段階(フェーズ)において、それは禁忌そのものの冒涜(ぼうとく)とすら思われたことだろう。

 

「なんだその六分儀Gさん(まるでダメなオヤジ)並に世界を巻き込んだ迷惑な恋心……」

 

 人類股間計画ってか。やかましいわっ。ぐぐったらなんか色々出てきそう。

 

「実際は、エルフと人間とを、余計に分断させる結果となったがの」

「そりゃそーだ」

 

 つまり……。

 

 アリスのおっかさんは……よくいえばエルフ萌え、亜人萌え、ケモナー等の皆様方から大感謝されるようなことをしたと。

 

 そして、そういう人はマイノリティであるがゆえに、大顰蹙(だいひんしゅく)を喰らったと。

 

 禁断の関係が、普通となるように、世界を変革してしまったと。

 それを、ただただ自分の恋心のままに、そのためだけにやってしまったと。

 

 なんだそれ。

 

 やべぇ……サスキア王女が、ちょっと可愛く思えてくるよ。

 

「待ってください……でもそれって魔法……なのですよね? 呪いではなく」

 

 こういう時、冷静に疑問点を口にできるサーリャは、心が強いと思う。トントロ串片手でなければ惚れていたかもしれない。嘘だけど。

 

「然様、自分以外の肉体に影響を及ぼす魔法は、難しい。通常であればの。リーンは自身の魔法的才能も飛び抜けておったし、その周囲には何人も、生体魔法陣となったであろう波動持ちのエルフが(はべ)っておった」

「そこは流石エルフの女王様といったところ……なのでしょうか……公私混同しまくってるけど」

「十八歳のカイズに惚れたリーンは、その時十三歳だったらしいからの。本人の申告を信じれば、だが」

「私とタメ!?」

「然様、今のそなたと同じではあるが、その心はそなたよりも幼かったのであろう。エルフの王は魔法的才能だけで選ばれる。その力を認められ、リーンが女王となったのは、彼女が八歳の時と聞いたの」

「ミアと同い年!?」

「リーンは、側近の者が、あたしも昔は人里に下りていい男に貢がせたのよ……云々、自慢しているのを聞いて育った……とも言っておったの。(とお)にもならん子供には、良くない環境だったのかもしれぬな」

「やっぱりご先祖様の闇、深ぁいぃぃぃ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「エルフと人間とが争い、エルフが人間社会から排斥された理由はわかりました」

 

 とんでもない話だったけど、まぁここは魔法のある世界です。地球の常識を持ち込んで異常と言ってはいけないでしょう。リーンのことを、まるでダメなオカンと呼びたくなってくる氣持ちは抑えられないけれども

 

「そんなとんでもない話の末に、どうしてカイズとリーンが結ばれて、アリスが生まれてるか、そこも興味はありますけど、今はどうでもいいです」

「別に難しい話ではないぞ、最終的にはリーンがカイズを(さら)って監禁し、あれやこれやの誘惑をして、カイズがそれへ屈服したというだけだの。詳細は……聞こうとするとガチで殺しに来たのでな……知らぬ」

「さすがにそこまでは聞きたくなかったママの闇!」「どうでもいいって言ったのにぃ!?」

「リーンは多少精神系の魔法を使えたがの、誓ってそれは使ってないと言っておった。カイズもなんだかんだで(ほだ)されたのか、二人の仲は悪くなかったぞ。諸々の事情を忘れて見るのであれば、耳年増であれ意外と初心(うぶ)なリーンと、無骨で正義感の強いカイズとのカップルは、それはもう、微笑ましくさえあったしの。よくアイアにからかわれておった」

「ママって、クールな美人さんってイメージの人だったんじゃ……」

「口下手ではあったの。だから無口ではあったが、中身は残念な少女じゃったよ」

 

 残念な少女……。

 

「……ですからなぜこちらを見るのですか? ティナ様、アリス」

「いや、静かだなって」「あんま喋んないなーって」

「でしゃばらぬよう、控えているだけですのにぃ」

 

 まぁ私とアリスが絶句した時とかには、場の雰囲氣を戻すために発言もしていたか。

 トントロ串の咀嚼(そしゃく)に忙しいだけではないよね、うん。

 

「……まぁアレよのぉ。子供に、世界を変えるような力が宿っていたことが、そもそもの間違いであったのだ。これは魔法使い全般に言えることであるがの」

「……なんで今度は二人してこっちを見るの? サーリャ、アリス」

「いやぁ」「ねー?」

 

 ……私は、変えないからね? 世界。

 

 アリスがやさぐれて、世界を滅ぼしたいから脱げと言われても拒否るからね?

 

「九星の騎士団、その分裂後の我らは、世界を元に戻せないか探る調査団でもあった。リーンの力をもってしても、それはなかなかに難しかったようだがの。……そんなことはどうでもいいから()(かく)リーンを殺せというのが、リルクへリムの主張であった」

「だからそれは、今はどうでもいいのです。問題は、ではなぜ今になってティアを名乗る人物が、アリスを目の敵にしているか、ということです」

「あー……そういえばそんな話だっけ」

 

 なんで狙われてる本人であるところの、問題の中心点(アリス)が忘れているの。

 

「ふむ……おぬしは、裏にルカがいるか、それともティアと名乗った占星術師が、ルカその人なのではないかと推測しておるのだったの」

「……はい」

 

 あの時、念話のダイアモンドの向こうにいた人物……それはサスキア王女によれば、カナーベル王国祭儀庁筆頭占星術師で、ティアと名乗っていたそうです。

 

 九星の騎士団、猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。氣を読み氣を操ったとされる武道家……その彼と同じ名前を語る……もしくは騙る何者か。

 

 彼が何者であるか、それこそが目下、私が最優先で知りたいことです。

 

「直接話した時の、自分の直感を信じれば、彼、あるいは彼女は、四百年前にも存在していた誰かだと思うのです。理由はいくつかありますが……それは言葉にして伝えられるものではありません」

「ふむ」

「強いて言えば、アリス、リーンの名前をあげた時の、苛立ちを伴った響き、アムンという名前をあげた時の、どこか懐かしんでいるかのような響き、スライムの仲間はいるのかと私がほのめかした時の、なにかを楽しんでいるかのような感情の揺らぎ……そういう、はっきりとはしない、できない、感覚的なものになりますが」

「念話のダイアモンドが想いを伝えるマジックアイテムであることと、他ならぬそなたの感覚であることを考慮するならば、それは、それなりに信じられるの」

「そう……ですか?……ともあれ、もし彼、あるいは彼女が四百年前から生きる何者かであるというなら、人間にその(なが)き時を、生き抜くことは不可能です。なら……スライムであったという、ルカがティアの名前を騙っている……そう考えるのが自然なのではないかと」

「あたし達みたいに、ずっと封印されていたとしたら可能なんじゃない?」

 

 そうなると、同じ時代に、因縁の二人が示し合わせたかのごとく、同時に復活したことになってしまい、それはそれで恣意的なものを感じるが……。

 

「その可能性も捨てきれないし、他に九星の騎士団の関係者で、四百年を生きれる誰かがいなかったとも限らないから……だから私は、パザスさんにそこを聞きたかったの」

 

 そこら辺を考察するのであれば、ならばそもそも、アリス達の封印されていた宝石は、四百年間、誰が管理をして、誰がジレオード子爵に渡したのか……という部分を考えなければいけなくなる。そしてそれは、ここでは得られない答えだろうから保留するしかない。

 

 とりあえずはまず、占星術師ティアが何者であるかの考察からだ。

 

「ふぅむ」

 

 そこでパザスさんはしばらく虚空を見、何かを考えていた。

 

 (いかめ)しい竜の顔が、お盆にお墓の前で、真剣に手を合わせ祈る、親戚のオジさんのようにも見えた。それは……普段は氣安いはずなのに、その時だけは不思議と声をかけられないような……そんな氣持ちにさせる姿だった。

 

 それはたぶん……過去という、私には未知の世界と繋がっている、大人の男の姿でもあったのだろう。

 

 やがて数秒、パザスさんは目を(つぶ)り、開眼すると同時に、ふぅとため息をついた……音にすればブォォォの方が近かったけれど。

 

「ルカではない。ルカが、スライムが歴史ある国の中枢に潜り込むことなど、不可能だ」

「……どういうことですか?」

「魔法使いやモンスターの変身、擬態、それらを見破るマジックアイテムというモノがあるのだ。破幻(はげん)のエメラルドという。日の出から数刻の太陽光を数日間かけてチャージし、任意の時にそれを緑色の光として放出する」

「……なんと」

「魔法的幻術の類は、この光を浴びると全て解けてしまう」

「そんなモノが……」「ひえー」

 

 ティナん()が王家とかじゃなくてよかった……と、アリスがとぼけたことを言いました。

 

 まぁね。(うち)ではしばらく、にゃんこだったもんね。

 

「歴史ある人間の国であれば、これは持っていなければおかしい類のマジックアイテムでの。魔法使いは、下手をすればひとりでも国を滅ぼせるのでな。それへの防衛にはどうしても必要になってくるのだ。そなたの国、カナーベル王国も当然、所持しておるだろう」

「それって、ルカが波立(なみた)たぬ湖面(こめん)を使っていてもダメなの?」

 

 あー。

 

 そういえば、その波立たぬ云々が何かって、あまり氣にしてませんでしたね。

 

 なんなんです?

 

「無論。ルカのそれは、あらゆる物質への完全なる擬態であるが、破幻(はげん)のエメラルドは擬態そのものを無効化してしまうのでな。アリス、そなたが猫の姿でその光を浴びればの、人の姿に戻ってしまう。その金髪も、元の薔薇色に戻る」

「へー」

「なるほど……」

 

 スライムらしい能力ですが、その、破幻(はげん)のエメラルドなるマジックアイテムには通用しないようです。

 

 ならば、歴史あるカナーベル王国、そこで筆頭占星術師にまで登り詰めたティアなる人物……彼、あるいは彼女を、ここからはティア(仮)と仮称しましょうか……は、人間なのですね。間違いなく。

 

「九星の騎士団に、四百年を渡ることのできる者、たしかにそれはルカ以外にはない。ドワーフのオズには可能かも知れぬが、ドワーフがそこまで長命となるのは酒を断った時のみでの。ほとんどのドワーフは酒で身体を壊し、百にもならずに死ぬ。オズのヤツも、ドワーフの例に漏れず、大酒喰らいであったわ」

「カイズ、リルクへリム、アムン、アイアさんは人間、パザスさんは元人間のドラゴン、エンケラウさんが狼の獣人、オズさんが大酒呑みのドワーフで、ティアも人間、ルカさんがスライム、で合っていますか?」

「然様、その中で四百年を生きる者がいるとすれば、確かにソレはルカのみになるの」

「なら……」

「だがの、やはり安寧のダイアモンドの向こうにおった者は、ルカではないの。確かにの、ルカのカケラはアリスや我に殺意を向けておった。だがの、それは興奮し、我に身体の一部を喰われた、その瞬間に欠けたカケラであったがゆえのことに思えるの。ルカは、その心底(しんてい)はカイズを心底(しんそこ)愛した乙女でしかなかったのでな。カイズを殺したティアのことを怨んでおった。そのルカがティアを名乗るとも思えん」

「そう……ですか」

 

 けど……。

 

「ですが……アリスの復活を最初に知ったのは、やはりルカさんだと思うんです」

「確かに、それが一番濃厚に思えるのぉ」

「ならば、あの者はルカさんと繋がりのある人間の誰か……なのでしょうか?」

 

 人間であるのならば、四百年は生きれない。

 私の直感は……間違っていたのだろうか?

 

「ふむ……では人間が四百年の時を超える、ありえる可能性のひとつ、封印の方から考えてみるとするかの。これは……可能か不可能かを考えるのであれば、それはユミファが仲間におれば可能であろうの。ただのぉ……うーむ……これは、その場合、色々と知識と動機と行動の面で、あれやこれやがチグハグになってしまうという問題が発生してしまわぬか?」

「ん? どゆこと? パザス」

「……それは思っていました」

 

 アリスとパザスさんの封印について、色々な部分の要素がそれぞれ矛盾して見えるという話です。

 

 要はですね、とりあえず二点あるのですが。

 

 ()……そもそも、私に封印石が渡ったのは偶然なのか否か?

 

 偶然であるなら、これは無視できるのですが、偶然でない場合、ならばそれを意図した者は、私の元へ半月ほど封印石が置かれれば、その封印が解けるということを知っていたことになります。

 ですが、少なくとも、ティア(仮)はそのことを知らなかったようですし、知っていたのであれば……彼、あるいは彼女の目的が、真にアリスの殺害、または奪還であるというなら……ティア(仮)が我々の前に登場したタイミングがおかしなことになるのです。

 知っていたのなら、復活したアリスを、ひと月以上も放置するなど、あり得るのでしょうか?

 それがティア(仮)であるとするには、知識(封印のメカニズムを知っているならば)と動機(そしてアリスの殺害等を意図していたのであれば)と行動(ひと月以上の空白はいったいなんであるのか?)が矛盾しています。

 つまり、これが誰かの意図したことであったとしても、その誰かがティア(仮)である可能性は、限りなく薄いのです。

 

 ()……ティア(仮)はユミファの魔法が封印魔法となることを知っていたか?

 

 これも、だから知らなかったんじゃないかって思います。ユミファとの決着について、ティア(仮)はこちらの誘導した通りに誤解してくれました。そこで演技する理由も無い氣がします。いえ実際は演技であった場合も考えて、パザスさんをミアの護衛に回したのですが……結局、あの日、ティアかその尖兵らしき者の接触はなかったそうです。

 となると……ティア(仮)は、アリスがユミファの魔法によって封印されていたこと自体、知らなかったんじゃないかって結論付けるのが正しいように思えます。

 アリスの復活についても、あの日あの時点で、ようやっと確信したというようなことを言っていた氣がします。確か……『カナーベル王国を喰うのはやめだ。そんなのは暇つぶしでしかない。アリスの復活が確定した以上、私が最優先すべきはアリスだ』……でしたっけ。

 この言葉に表れているティア(仮)の曖昧さ、すなわちアリスの復活に半信半疑だったことについては、それは()における『三十日以上の空白』を説明する理由付け、すなわち、『ティア(仮)においても、私の元へ封印石を置くことでアリス達が復活するかは、偶然に頼った賭けだった』『ゆえに結果を知るのが遅れた』という理屈にもなるのですが……今、思考を巡らせているのは、ティア(仮)が四百年の時を封印魔法によって渡ったか否か……という問題です。

 自分自身が、四百年の時を実際に超えた人間であるのならば、そこまで半信半疑に、曖昧になるものか?……ということです。

 やはり行動(自分自身が四百年の時を実際に超えた人間であるのならば)と、知識(ユミファによる封印魔法が存在することを確信しているはずであり)と、動機(アリスが復活した可能性を前に、呑氣に王国を喰うとかやってないでしょう)とが、矛盾してしまっています。

 

 つまるところ、ティア(仮)が四百年の時を『ユミファと結界魔法の合わせ技である』封印魔法で渡ったとすると、その後の彼、あるいは彼女のあれやこれやが、まるで破綻するかのごとく矛盾してしまうのですよ。

 

「これを封印魔法説のまま解決する方法はひとつ。ユミファの雪崩(相転移)魔法を利用する以外の、なにかしらの封印魔法が、ティア(仮)の手元に偶然存在し、ティア(仮)はそれで四百年の時を渡った。そして全くの偶然に、私達と同じ時代に目覚め、偶然……いえ、ここは誰かに教えてもらうなどして、偶然でなくともいいのですが……ともかくアリスの復活を知り、今になって殺意を(たぎ)らせた……となるのですが……パザスさん、本当にそんなことが、現実に起こり得ると思いますか?」

 

 四百年の時を渡る封印魔法は、リーンでさえも使えなかったという。まぁ熱を自在に操る魔法とか見ていると、コールドスリープのような魔法があってもおかしくないと思えるし、そこら辺はいくらでも理屈をつけられるのだけど……私にとってこれはまぎれもない現実だ。

 

 いくらでも理屈をつけられることと、それが現実にあったことと捉えられるかは、全くの別物です。というか、フィクションであっても「そんな偶然が起こり得たのですー」って言われたら、多分「ふざけんなw」ってなりますよ。

 

「わからぬの。事実は童話よりも奇なりといっての、とんでもない偶然の連なりがとんでもない事態を引き起こすことがあるのだ。あり得るかと問われれば、それはあり得るであろうし、起こり得る事態に、なるだけ広範囲に備えるのが軍師、参謀の役目であるからの」

「レアケースを考えすぎても、身動きが取れなくなるだけじゃ」

「然様。そこのところはバランスとセンスの問題であるの。我はバランスを取ることにおいてはなかなかの名手であると自認するのだが、センスはなくての。直感で一足飛びに正答を閃くセンスは、カイズやそなたのように、頭脳の瞬発力が高い者のみに備わった、特異能力の類であるぞ」

「私?」「パパ?」「頭脳の、瞬発力ですか?」

 

 そこでパザスさんは、自嘲でもするかのように天を見上げた。

 昼下がりの太陽が、その身体に、複雑な影を作っていた。

 

「我はの、ある情報から推察できる推論が、どれだけ正しいと思えども、カイズがそれは違うと言うたならの、その推論は必ず破棄してきたのだ。そして、それが間違いであったことがない。世の中にはの、推理推測推察を抜きにして、限られた情報だけで真の正答を導き出してしまう人間というモノがおるのだ。それは、人智の及ばぬエルフとの戦いにおいて、生き残るには絶対に必要な資質でもあった。我はカイズの直感を信じたからこそ、今もこうして生きておる。ドゥームジュディとの闘いにおいても、カイズが生きておれば、我がこのような姿になることもなかったであろうよ」

「ドラゴンジョークが重いっ」

 

 パザスさんのその信頼が、カイズを通して、私にも向けられているのだとすると……これもちょっと重いけれど。

 

「そなたにはリーンのみならず、カイズにも近いモノを感じる」

「ティナが、パパ……に?」

「うむ。これこそ我の、あてにならぬ直感かも知れぬがの。だがそなたは実績を重ねた。いくつかの場面で最適解を導き出し、アリスを守ってくれた。ならばデータ重視の我も、信頼を厚くしようというものよ」

 

 妹に関することでは、熱くなり過ぎるのが(たま)(きず)のようだがの……竜はからかうようにそう言ってから……笑った。

 

「……すみません」

「なぁに、カイズも人情に厚い男であった。仲間の危機には冷静でいられぬ性質での。そこを(たす)けるも軍師、参謀の役割よ」

 

 しばし、場に沈黙が訪れる。

 

 ここはそうであることが正しいと思ったのか、サーリャもまた、沈黙を貫いていた。トントロ串を齧りながら。……いや待って、それ何本目?

 

 頭脳の瞬発力が高いらしい私が、サーリャのお皿に、並ぶ串の数を数えていると。

 

「軍師、参謀であった我が知る、封印以外で、四百年前の人間が、この世界に今も存在している可能性……それが、ひとつだけあるのぉ」

「……え?」

 

 パザスさんが重い口を開いた。

 

「そなたが疑っているように、ティア(仮)なるものが、別の封印魔法で自らを封印していたという可能性も、あるにはある。だがのぉ……もう少し単純な、そうと疑えばいくつか根拠と論拠が見つかる仮説が、我にはあるのだ」

「……なんですか?」

「ティアがそも、不老不死の人間であったという可能性だの」

「……は?」

 

 なんだその……別の意味で「ふざけんなw」って言いたくなる仮説。

 

 だがパザスさんは大真面目だった。

 

「ティアは年をとらなかった。最初に出会った時、ヤツは十五歳くらいの……どう見ても二十歳は超えていない若者だったのだが……最後にアヤツの姿を目撃したのが……我らが封印される二年前くらいであるから……最初に出会ってより十五年近くが経っておったことになるの。その時にも、アヤツは十代の少年のような姿をしておったのだよ」

「……たまに若々しいまま、年をとる方もいらっしゃいますよ?」

 

 地球だと、福●雅治ニキやDAIG●ニキのような化け物もいらしたことですし、十五に見える三十歳なら、探せばそこそこいるんじゃなかろうか。パザスさんが同性の産毛とか肌のキメの細かさとかをチェックするとは思えないし。

 

「まぁの。我もそういうことだろうと思っておった……否、思おうとした。だがのぉ……」

「だが……何ですか?」

「先に語った対肉魔法だがの……その直接の女性感染者……つまり歩き巫女であったエルフの男娼と直接性交した者……その中に、極稀(ごくまれ)に少女化するもの、少年化するものがおったのだ」

「……はい?」

 

 少女化と……少年化、だと?

 

「なぜそんなことが起きたのかはわからぬ。我とアムンが収集できた事例でたったの三、少女化した者が二人と、少年化した者がひとり。それぞれ、追えた事実で、二十歳だった娘が(とお)くらいの幼女に、二十八歳だった女性が十五ほどの少女に、二十五歳だった女性が十二か三の少年となってしまったというので、丁度実年齢の半分ほどになった計算だの」

「なんですか、それ……」

「この内、少女化した二人はその後再び年をとっていった。十だったものは、再び二次性徴を迎えたしの。ところが……の」

「ところが?」

「十二だか三に見える少年になった者……アムンが確認したことには、男性器も、精通前のそれではあるが、ちゃんと生えていたというの……この者を彼と呼ぶべきか、彼女と呼ぶべきか、悩ましいところではあるが……この者は、年をとらなかったというのだ」

「それって……」

「アムンはユミファに倒され、我らは四百年の時を封印されてしまう。ゆえにその者がその後、どうなったかはわからぬが……アムンが直接確認しただけでも二年、変化の激しい年頃であるはずの十二か三の少年が、まったくその姿を変えなかったというのだ」

 

 それって……つまりパザスさんがここで示唆しているのは……。

 

「つまり……ティアも」

「その者と同じ存在であった……のやもしれぬ。これは、その事例を知った時にも疑ったのだ。アムンと言葉にして話し合ったしの。ティアは、もしや元は女性で、リーンの魔法……それを生み出した本人でさえも予想しなかった副作用……それによって、十五の少年にされてしまったのではないかと。だからこそ、あそこまでリーンを憎み、恨んでいたのだと」

 

 ぐるぐると。何かが頭を巡る。

 

 瞬発力が高いとかいうこの頭脳が、とんでもない直感をその内部に巡らせている。

 

 これが真実であるなら……これが真なる正答であるというなら……。

 

 嗚呼。

 

 なんて……。

 

 なんて、氣持ち悪い。

 

「パザスさん……なぜそんなことがおきたのかはわからぬ……とおっしゃってましたが、私の頭に今、直感のように閃いた仮説があるのです。パザスさんは、これを正しいと思いますか? 事例は三つとも、エルフの男娼と交わった女性……つまり、そこに男性はいない」

「我の知る限りでは、の」

「そして性別はともかく、若返る年齢は元の年齢の丁度半分くらい」

「うむ」

「対肉魔法は、人間の生殖能力を拡張するものだった」

「……然様」

 

 人間の生殖能力。

 

 それを変革する魔法。

 

 女性の生殖能力というのは、つまり妊娠し出産する力のことだ。

 

「……本当に、わからないのですか?」

 

 獣人という存在でさえも生んでしまう、デタラメな人体の拡張。

 

 若返る年齢が、元の年齢の丁度半分くらいというなら、それは言い換えると()分の()であるということだ。

 

 ふたつのモノを足してひとつとし、それを二で割った数字だってことだ。

 

「仮説だ。娘よ、それは仮説以上のモノに過ぎぬのだよ」

 

 男女が交われば、できるものはなんだ。

 

 ()分の()の、いちがエルフの男娼から子種を預かった女性として、もうひとつのいちはなんだ。彼女達はどんないちを足され、二となり、それを二で割られた?

 

「……どういうこと、ティナ?」

 

 無垢な、ミアにも似た空色の瞳で問い掛けてくるアリスに。

 

 私は何も、返せない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あ?」

 

 眩暈がする、怖氣(おぞけ)がする、お腹がムカムカする。

 

 その不快の中で、悪魔が……あるいは”俺”の残滓が……私へと囁く。

 

(アリスならば、リーンの魔法を再現できるのでは? アリスによって対肉魔法を穿たれた男性と、そうした行為をすれば……つまりその果てにできた子供が女の子であれば、妊婦はそれを吸収して少女化するのだろう……だから、男の子を妊娠したのであれば……俺は……つまり私は……男性に戻れる?)

 

「う、う、う……うげぇ……」「ティナ様!?」「ティナ!?」

 

 吐く。

 

 調子に乗って何本も食べたトントロ串、その未消化の肉と野菜が、食道を逆流してくる。

 

「う……ぐ……おぉぐ……ぇ……れぇ……」

 

 胃酸が喉を焼く感覚に、(うめ)いた。

 

「ティナ様! ティナ様!」

「聡いそなたには、刺激の強すぎる話であったな……その”仮説”は、リーンにも伝えておらん。”仮説”が形となる前に、リーンはティアに殺されてしまったからの」

 

 そうじゃない。そんなんじゃない。リーンのしでかしてしまったこと、それに、吐くほどに氣持ち悪いと思ったわけではない。

 

 私が氣持ち悪い。

 

 私自身が氣持ち悪い。

 

 その先を想像してしまった、自分自身が氣持ち悪い。

 

 嗚呼、そうだよ。

 

 私は、男性に戻りたいと思っていた。

 

 だってやっぱり、私は俺だから。

 

 俺に、戻りたいという氣持ちは、十三年、この身体で生きても捨てられなかった。

 

 だけどもう無理だ。

 

 この身体が、明確に拒否してきた。

 

 そのために使われることを、この身体が拒絶している。

 

 世界が裏返ったような、圧倒的悪寒が告げてくる。

 

 それを、許さないと。

 

 それでもってこの身体は、私というイレギュラーな存在を(いまし)めた。

 

 だから。

 

 

 

 ああ。

 

 

 

 もう……無理なんだなと思った。

 

 私はもう、この身体で生きていくしかない。

 

 この身体と、生きていくしかない。

 

 それは……。

 

 悪くはない。悪くないとは思える。

 

 子を産み、家族を()し、普通に年老いるまで過ごして、孫に、曾孫に……そうしたモノに看取られながら死ぬ。

 それは、前世から俺が夢見ていたかもしれない、陶酔するほど幸せな末期(まつご)だ。

 

 そこに至れるのであれば、自分が男か女かなんて、どうでもいい。どうでもいいと思える。

 

 だからそこへ至れないのであれば、男に戻る意味もないんだ。

 

 わが子を犠牲にするという非道。

 

 それが男に戻れる唯一の道ならば、その先に幸せな末期などない。

 

 だからその道は選べない。

 

 それを今、この身体が明確に思い出させてくれた。

 

「うぅ……ぅえ……ぁぐ……」「ティナ様……ティナ様……」

 

 背中をさするサーリャの手が温かい。

 この手を裏切れないように、私は私を裏切れない。もう裏切れない。

 

「もう……いいです……パザスさん……もう、いいです」

「……そうか」

「ティアはミアの敵です。アリスの敵です。もう、それだけで十分です。覚悟が決まりました。私はアリスと協力をして、ティアを倒します。その向こうの広がる闇が、(あらわ)となる前に、私はティアを殺します。リーンの、アリスの両親の仇でもあるティアを亡き者とします……それで、いいでしょう? パザスさん……」

 

 パザスさんは私を氣遣う真剣な目のまま、しかし(しか)と明朗な言葉を発した。

 

「その許しを与えるのは我ではない。そなた自身だ」

 

 厳しいな、パザスさん……と思った。

 

 

 



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45://三章の登場人物紹介




 もはや全てがフレーバーテキストです。



<2023年12月31日 追記>

 三章の登場人物紹介であるこのページには、AI画像生成サイト、Stable Diffusion Online 様において生成した、ミアのイメージ図が4枚掲載されています。

 ただ、ご自身のイメージを大切にしたいという場合は、見ないことをお勧めします。



 

▼アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

▼サーリャ

▼アリス

▼パザス

▼ミア

▼ナハト・ドヌルーグバ・ウォルステンホルン

▼キルサ

▼ライラ

▼サスキア王女

▼ゴーダ

▼第二王子

 

▼九星の騎士団

 

▼AI画像ミア

 

 

 


 

 ●アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード

 主人公。スカーシュゴード家の長女。十三歳。

 腰まで届きそうな漆黒のロングストレート。瞳は薄い琥珀色。

 

 二章で第二形態、銀髪の呪紋娘を披露したかと思ったら、三章では第三形態、首から下が緑色のゴブリン娘を披露した。とはいえもうビジュアル的、ボディ的な変身は残していない。ここで打ち止め。黒ギャルになったりはしない。なったら勘当ものの世界ですゆえ。ただし、精神の成長というか変化の余地は多分に残る。

 

 本人は、自分が頭いいなどとは思っていないが、意外と悪知恵が働く。

 

 とはいえ、自分ひとりでは何の力も無い貴族令嬢であることに変わりはなく、メインウェポンは嘘やハッタリといった頼りないもの……なのだが、一度死んでいるからか、そもそもの性格がそうなのか、修羅場では妙に思い切りが良い。

 

 追い詰められれば、拡大する被害を余所目に、邪魔であれば味方すらも切り捨て、もっとも確実に勝てるだろう策を冷徹に遂行しようとする。

 長生きを、本当に心の底から望んでいるのに、自分の命すらも投げ捨てるかような作戦を躊躇(ためら)わず実行してしまう。

 

 そういうパーソナリティをメイド、サーリャからは心配されているし、それによって彼女を魅了してもいる。

 


 

 ●サーリャ

 二年前より主人公アナベルティナに仕えてるレディースメイド。十七歳。

 軽くウェーブのかかった金髪。長さは背中の中程まで。男性の理想……というか妄想を体現したかのような美乳のG~Hカップ(体調で変化)。

 

 三章でもずっとアナベルティナの従者ポジジョンで随行していた。

 

 アナベルティナを、ダメな男に惹かれるダメな女のメンタルで愛している。割れ鍋に綴じ蓋。自分自身を大事にしない、自分自身の存在を軽視するお嬢様にヤキモキもドキドキもしている。この娘は私がしっかりしてあげなくては、という氣持ちも強い。

 

 三章の終盤ではDV……もとい主人からパワハラもされたが、幸せそうだった。

 それをてぇてぇと見るか、こいつらの人間関係は氣持ち悪いと見るか、それは観測者次第。どうぞお心のままに。

 


 

 ●アリス

 四百年前の歴史にその名を残す、エルフの女王リーンと、九星の騎士団、団長カイズの娘。外見年齢は十二歳程度。生まれ年から換算した年齢は四百歳以上。髪はデフォルトでは薔薇色だが、魔法で簡単に変えられるらしい。長さも自由自在。瞳の色は光の加減や内面の変化により七色に変化する。

 

 三章の終盤ではとんでもなく酷い目に()った。色々と。

 

 ただ、JCな外見年齢の割に、人体損傷シーンなどは見慣れている。普通の人間ならば死ぬような目にも、既に片手の指だけでは足らないほどの回数、遭っている。そんなわけで、今更そんなことでトラウマを抱えるようなメンタルでもない。

 

 三章では最後の最後で母親への幻想を打ち砕かれた。アナベルティナが口を閉ざしたため、致命傷は避けられたが、そのことでなんらかの心境の変化も起こるのかもしれない。

 


 

 ●パザス

 四百年前の歴史にその名を残す、九星の騎士団の参謀軍師。灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士。

 現在は呪いで赤い竜の姿になっている。

 三章も、途中まではほぼほぼずっと移動中で飛行中だった。目撃もされた。

 

 三章の最終話、44話は、事前プロットには影も形も無かったが、物語をここで完結させるため急遽新造された。

 そんなわけで、いわば何でも知ってるお姉さんポジションのパザスが、そのメインキャストに抜擢されることとなった。竜だけど、オスだけど。

 

 そんなこんなで、なんやかんやあって、アナベルティナやアリスの近くで彼女らを見守ることになった。多少解せぬ氣持ちはあるが、アリスのことはやはり大事なので、これも悪くないと思っている。

 


 

 ●ミア

 アナベルティナと両親を同じくする実の妹。

 ミルクチョコレートのような薄い茶髪と水色の瞳。

 三章では出番もなかったのに危ないヤツから目を付けられた。()せぬ。

 


 

 ●ナハト・ドヌルーグバ・ウォルステンホルン

 カナーベル王国軍所属対竜特殊部隊実働隊第二班班長。

 三章の時点では赤竜討伐隊の隊長を務めていたが、退任予定。

 低身長だが、全身からパッシブで闘氣や殺氣が(ほとばし)っている。

 

 二章での眠り姫から一転、強キャラらしい一面を見せた。

 

 彼はカナーベル王国内において、その実力を認められてからは非常にモテた(過去形)。結婚してくれと迫る女性も、ただ一夜を共にしたいと迫ってくる女性も、後を絶たなかった(過去形)。

 

 最初の内は後者を食い散らかしたりもしていたが、やがて飽き、彼の中で自分を求めてくる女性というモノの価値は、最下層へと押しやられた。この価値観は現在でも変わらず。

 近年では手近でお手軽な女を恋人にし、誘いを断る口実にもしていた(過去形)。彼にとって恋人とは、他の面倒を排す便利な存在だった(過去形)。

 

 そんな生活をしていたバチが当たったのか、三章の終盤ではアナベルティナに両足を斬られた。特に右足の方の傷は深く、刃は骨にも届いた。

 

 ただ、その傷の位置に運命を感じたのか、それとも少年のような身体の子供から、戦士としての自分を求められたことへ、なにかしらの複雑な感慨を抱いたのか、アナベルティナの軍門に下れという求めにも、比較的素直に応じた。

 

 別段、ロリコンだったからとかの理由は無い。あったらそれを読んだアリスに殺されているし。

 性癖的には腹筋の割れている女性が好み。

 

 ただまぁ……アナベルティナがもっと大人の女性らしいスタイルをしていたら、それへの嫌悪感から誘いを断った可能性は多分にある。そんなことで変化した物語なんかコレ。

 

 ナハト、サスキア王女周辺の展開はプロット上でかなり二転三転しており、現行のパターンに行き着くまでには、ナハトが、アナベルティナを庇ったサスキア王女を殺してしまうという展開もあった。

 

 ナハトが納まったアナベルティナの懐刀ポジションも、そのバージョンまでは黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、アイアの子孫である入耒院(いりきいん)愛蓙(めござ)というござるキャラが納まる予定だった。彼女、通称めごちゃんは外見が大和撫子で、性格が……某サーヴァント系清少納言のギャルな感じと、某告らせたいのこちらも妄想(エモーショナル)(エンジン)暴走(フルドライブ)してる風紀委員な感じ……そのどちらにするか決めきれぬまま、お蔵入りとなってしまった。すまぬ。

 


 

 ●キルサ

 カナーベル王国軍所属対竜特殊部隊実働隊第二班所属兵隊長補佐官。

 赤竜討伐隊の隊長補佐官を務めていたが、ナハトの退任に伴って、おそらくなにかしらの異動が発生する。おそらく。

 

 元々、ナハトが男性キャラに確定した時点で、女性でなければ担えない役回りに補充したキャラでもあるので、ストーリーの本流には、それ以上存在できない宿命を背負っている。

 

 というか作者的にはゲストキャラ。別作品からの流用。そちらでは十七歳でセーラー服でJKだった。文化祭で牛みたいな鼻輪を付けられる役をやらされたり、陰湿なイジメに腕力で対抗したりするキャラだった。どんなやねん。その頃から同性に嫌われるは●ない系女子だった。なおエロ作品ではない。ヒロインでもない。

 

 割と猛牛的イメージのあるキャラだったので、性癖的に、腹筋が割れてる女性を好むナハトの恋人役に抜擢された。

 


 

 ●ライラ

 カナーベル王国軍所属対竜特殊部隊実働隊第二班所属兵。女性兵。

 年齢のイメージは二十歳くらい。キルサが唯一仲の良い(?)同性の同僚。軍内における実務としてはキルサの副官的ポジションだった。ゆえにキルサが異動すればそれにも巻き込まれるかもしれない。

 

 外見は、どこか田舎臭い秀才というイメージ。毛の量は多いがおでこは広め。そこに肉という文字が書かれて……はいない。ストレスが溜まると円形脱毛症にもなる。寄ってくる男が大体ダメ男なので、別れる直前には例外なく円形脱毛症を発症している。

 

 いつもそこそこいい男を捕まえ、自由に振舞っている(ように見える)キルサを羨ましく思っている。二人で泥酔し、男共への悪口大会が始まると、最初こそキルサの武勇伝が炸裂するが、最後にはいつも男運の無さを嘆くライラをキルサが慰めるという流れになる。そしてキルサが余計なことを言ってライラを号泣させるというパターン。

 

 お互い、友情があるとも、職場が変わり疎遠になったとしても、付き合いは継続する親友であるとも、確信を持っては言えないが、なんだかんだで、戦場で相手がピンチなら命をかけてそれを助ける……そういう関係であろう……だよね? ね?

 

 好きなものはお姫様扱い。嫌いなものは二日酔い。

 


 

 ●サスキア王女

 カナーベル王国国王ベオルードIV世が正妻に産ませた三子。第三王女サスキア。

 第一王女や第二王女は存在しない。第一王子、第二王子、第三王女、という並び。

 王位継承権は第八位。

 イメージとしてはおっとり風だが、少しヤンデレ味を感じさせるパツキンの女子高生というところ。金髪の表現としてのピンク髪も、無しではない。

 程よく大きな胸部装甲を持っているが、サーリャを知るアナベルティナの目は引けなかった。ゆえに、アナベルティナ視点にそうした描写はほとんどない。

 

 二章~三章における顛末の主たる加害者だったが、三章の中盤でアナベルティナの被害者……何号目だろう?……になった。

 

 多少精神が幼児化してMっぽくなった。そもそもの性癖がダークネスだったのか、アナベルティナのチートがダークネスだったのかは、もはや誰にも分からない。ある種の洗脳を施してしまったことにアナベルティナ自身が罪悪感を感じているため、結構な事件の加害者であるがなんとなく許されている。

 

 一番最初に考えていた展開では、最終的に、念話のダイアモンドの仕掛けで廃人化する予定だった。

 

 そういう最期を迎えるキャラであることを前提にした立ち位置、役回りだったため、展開が変わってからは「……コイツ、どう扱えばいいんだ?」と悩むこととなり、プロットはめっちゃ二転三転した。そして最終的には現状の、ある種のギャグ空間送りの刑と相成った。どうしてそうなった。

 

 幼児化してからの好きなものはアナベルティナ、嫌いなものは現実を直視すること。

 


 

 ●ゴーダ

 九星の騎士団がひとり翠玉(エメラルド)の騎士オズを先祖に持つドワーフ。

 とはいえ、オズの子孫は多く、彼が本家本元の、直系の子孫というわけでも無い。

 ドワーフらしいずんぐりむっくりした体型、ヒゲの多い厳つい顔をしている。

 フルネームは不明。

 

 この世界のドワーフは、『家』の概念が人間種のそれとは大幅に違っている。ゆえに家名という概念も無い。

 この世界におけるドワーフは、人間種の街に住む者を除けば皆、地下に穴を掘って暮らしている。この穴が、人間種でいうところの街であり家となっていて、空間として繋がった穴にいるものは全て同じ街の住人であり、家族であり、一族でもある。

 

 だが完全にひとつの土地に定住する一族は無く、穴の位置は数年から数十年ごとに変わるため、街の名前、穴の名前は特に存在しない。交流のある人間種が勝手に名付けていることはあるが、ドワーフの間では長と呼ばれるその穴の最高権力者(穴長?)の名をとり、誰それの穴、と呼ぶことが一般的となっている。

 

 また、この世界におけるドワーフの女性は、初産を経験するまでは生物的に非常に弱々しい存在で、幼女、少女、童女は、『モーザムの壺』と呼ばれる空間で、一族に保護されて育つ。

 モーザムとは「いつか使えるもの」「いつか使えるようになるもの」という意味合いのドワーフ言葉であり、隠語としては「初産を経ていない未熟な女性」を指すこともある。

 この『モーザムの壺』へ出入りが許されるのは一族の女性と、彼女らに認められた男性だけ。

 

 ゴーダは、ドワーフの社会においては、その鍛冶の腕が天下一品であると認められた存在であり、何個もの『モーザムの壺』へ出入りが認められている。つまり彼は何氣に子沢山のパパでもある。脳味噌電撃で焼かれちゃったけど。

 

 個々の『モーザムの壺』には識別名があり、ドワーフの女性の、いわばファミリーネームはこれになる。また、ドワーフの成人男性は、出入りできる『モーザムの壺』の識別名をファーストネームの後に連ねていくのが通例となっているため、ゴーダのフルネームは、名乗ると同族の男性から妬まれるほどには長い。

 ただ、宴会や酒の席では、その場で最も名の長い者が奢るべしという種族共通の掟もあって、妬みはさほど陰湿にならないことが普通である。例外もあるし、ゴーダはむしろ例外の範疇に属するドワーフだが。

 

 好きなものは様々な技術。嫌いなものはその継承。自分いずオンリー。自分いずシコー。

 


 

 ●第二王子

 カナーベル王国国王ベオルードIV世が正妻に産ませた次男。王位継承権は第二位。

 ドラ息子という単語でほとんど全てが説明できる単純なお人。

 本名はセヴォルーズ。

 

 寝ていたら全てが終わっていました。特に武功はあげられなかったけど多少国内での地位が向上しました。別にどうでもいいけど。色んな意味で。

 

 なお、彼の金隠し役だった二人の女性(名前を設定してないので他に言いようがない)は、この件でそれなりの謝礼をもらっていたので、第二王子の飽きがきて解放された後は自分のやりたいことをやった。

 

 ひとりは全額を故郷の孤児院に寄付して、自分もそこの修道女(キリスト教ではないのでこの表現には語弊があるが、まぁ似たようなモノ)となり、貧しくも少年少女達との生活を満喫する余生を送った。

 もうひとりは、しばらく貯金を切り崩す生活をしていたが、やがて夫婦になってくれというシングルファザーな男と出会い、お金目当てかも……と思いつつも結婚。懐いてくれた子供を我が子のように可愛がった。

 

 ここで一句『金隠し 耐えに耐えたら 金きたし』(最悪)

 

 

 


 

■九星の騎士団、二章までに判明したその内実

 ……と、本編で語れなかったどうでもいい設定の暴露(★部分)

 

●カイズ側

紅玉(ルビー)の騎士、カイズ。この世全ての悪を斬る騎士団長。

 エルフの女王リーンと結婚し、アリスの父親となった。

 騎士団分裂後、ティアの策謀によって死亡する。

 頭脳の瞬発力が高く、優れた直感力を持っていたらしい。

 ★魔法使いでも波動持ちでも無いが、武力は数値にすれば百オーバーの鬼神

 

珊瑚(コーラル)の騎士、アムン。その血を聖水に変え魔を滅ぼす聖騎士。

 血潮の波動の持ち主。ユミファの魔法で石化して他界したようだ。

 生体魔法陣として利用すると回復魔法が超絶強化される。

 マナが全部血生臭くなって還ってくるとはアリスの弁。

 医療従事者か、それ系の研究者かのような立ち位置にいたことが窺える。

 ★メアリー・スーはアムンの娘として生きた時代もある

 

碧玉(サファイア)の騎士、エンケラウ。愛馬ユミファと共に天を翔ける闘士。

 狼の獣人。愛馬ユミファはその実、愛竜ユミファであった。

 ユミファは黒竜で焔の波動持ち。

 その魔法はあらゆるモノを相転移させる。

 詩的に表現すれば地獄の釜の魔法。

 ★人間の男性が牝の狼を姦淫したことで生まれた、獣人の第一世代のひとり

 

灰礬石榴石(グロッシュラー)の騎士、パザス。鬼謀策謀を縦横無尽に操る参謀軍師。

 魔女ドゥームジュディにより、赤い竜にされている。

 ★ユニーク魔法は天候操作系。実は内政チート系主人公には垂涎の()材だった

 

黄蘗鋼玉(イエローサファイア)の騎士、アイア。隻眼隻腕だが槍と弓を極めし東国武士。

 下ネタが好きそうな東国武士。

 槍と弓を極めしという割に、現状刀を扱ってる風な描写しかない。

 ★前世は稲葉一鉄(いなばいってつ)良通(よしみち))。チートは完全なる記憶の継承、のみ

 

●リルクヘリム側

月長石(ムーンストーン)の騎士、リルクヘリム。その怪力は空間をも捻じ曲げる副団長。

 分裂した騎士団、そのカイズ達とは逆側の団長。

 ★前世はスペイン無敵艦隊の乗組員。「無敵」チート持ち。前世の記憶はない

 

翠玉(エメラルド)の騎士、オズ。体躯の何倍もの重量の斧を操る戦士。

 ドワーフ。それ以外は詳細不明。

 ★娘を人間に孕まされたのでリーンを恨んでいた。不器用なパパ

 

金剛石(ダイアモンド)の女騎士、ルカ。水神に祝福されし流体機動の聖女。

 その正体は知性ある人型スライム。女性にも男性にも化けられる。

 その現状は不明だが、スイカ大の欠片だけは一章で焼き尽くされた。

 九星の騎士団、団長のカイズを心の底から愛していたらしい。

 ★「死の男」を救う「聖母魔法」を求め、アリスを復活させた

 

●陣営不明

猫睛石(キャッツアイ)の騎士、ティア。氣を読み氣を操ったとされる武道家。

 アリスにとっては両親の仇。

 その内実は、44話にて詳細に解体された。

 

 ★以下その補足

 女性だった頃は不妊に悩む貞淑な妻だった。出生はアナベルティナと同じく男爵家出身のご令嬢だが、十四歳の時に伯爵家の男性と結婚している。四百年前は世間的女性の結婚適齢期が今よりも若かった。ただし夫は、ティアと結婚した時点で子持ちの三十七歳。

 

 流行り病で死別した先妻との間には子が生まれているのだから、不妊の原因はティアの側にあるのだとされてしまったが、本当の原因は夫側の造精機能障害だった。原因は、加齢と、回復はしたが先妻と同じ流行り病を患ったことによるもの。

 

 周囲からは冷笑され、夫からは責められる日々の中、ティアは幸せそうに赤ん坊を見せ付けてくる”母”なるモノへ憎悪を向けるようになった。自分をわけのわからない存在にしたリーン、その彼女が幸せそうに(ティアの認識においては)見せ付けてきた「最初に見た時は赤ん坊だった」娘、アリスを、狂的なまでに憎悪しているのはそれが理由。

 

 リーンを殺し、アリスを(ルカがアリスの封印石を奪取し隠蔽してしまったことにより)見失った後は、三十年ほど虚脱状態で、ほとんど飲まず食わずのまま、ミイラのような姿で各地を放浪し、それでも生き続けるが、とある戦争に巻き込まれ、妊婦が犯され流産して死ぬ姿を見たことで覚醒。

 

 以後、ティアは妊婦や年若い”母”の苦しむ姿が見たいという、自分の歪んだ欲望を自覚し、その愉悦の追及に生きるようになる。ティア覚醒からアナベルティナの時代まで、三百七十年間の間に起きた戦争の二割から三割には、大なり小なりティアの手が入っている。

 

 ティアにとって(小競り合い程度ではない)戦争とは、年若い少女が望まぬ妊娠をして、妊婦や”母”、”母”が抱える幼子達、それら全てがこれ以上ない程苦しむという、愉悦の祭典に他ならない。

 

 ユニーク魔法は、肉体を極限まで使いきる身体(しんたい)超絶強化魔法「皆焼(ひたつら)魔法」。

 ハーフエルフになるはずだった胎児を吸収したことで目覚めた。

 

 ただしこれは、必ずそうなるというものではなく、ただの偶然。不老不死に見える理由も別にある。こちらの理由は、簡単に言えば、ティアはいまだ体内に子宮や卵巣の名残、それと卵子を保持していて、それと男性化したことで生成可能となった精子とが結びつき、胚を生み続け、それを吸収し続けているから。ただし、この胚は不完全なので、某数奇な人生のベ●ジャミン・バ●ンさんのような、際限なく若返り続けるという現象にはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※警告

 

 ここより下に、AI生成画像によるキャラクターのイメージ図が掲載されています。ご自身のイメージを大切にしたいという方は閲覧を控えてください。

 

 イメージ図を閲覧しないで次の話へ行くには、ここをクリック(タップ)し、ジャンプ先から『次の話』に進むか、または目次へ戻り、そこから46話を読み始めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

■ミア

 

1:???

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

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※あくまでイメージ図なので、どのミアが正解というわけではありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ
46話:ひきこもりの詩


 

 竜の討伐隊へ出兵したことに端を発した、ひとつの事件が終わり。

 

 

 

 それで、どうなったって?

 

「……むにゅう」

 

 こうなったよ。

 

 英雄的聖女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、燃え尽きました。

 バーンとアウトな人間に堕落しました。

 

「ティナ様、釣書(つりがき)、目を通さなければ減りませんよ?」

「いーやー。ねーたーい」

「……そのようにおっしゃられても、人は、一日中眠ることはできないのですよ?」

 

 そうですね、何とは言いませんが極上の枕を下にしても眠氣は訪れませんね。ヒントはこの枕の原材料が柔らかい乙女の下半身であるということ。むっちり。このオノマトペに特に意味はない。

 

「はぁ……どうしてこうなってしまったのでしょう。いえ、これはこれで、とてもアリではあるのですが」

「え、なんだって?」

「だらけるお嬢様をついつい甘やかしてしまうなんて、私はメイドとして失格かもしれませんね、と」

「え、なんだって? おみみないなったー」

「……耳かき、されます?」

「……ついさっきもしてもらったような?」

「それは今朝のことですから……もう四、五時間ほど前ですよ?」

「そっか、じゃあもう昼か」

 

 カーテンを閉め切った部屋には、昼も夜もありません。

 

 聖女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、現在絶賛ヒキコモリ中です。

 

「そういえば昨日だっけ? 王に忠誠を誓う臣民であるなら、竜を説いて率い、敵国を滅ぼすのだと息巻いてたおっさん……の四号君はどうなったの?」

一昨日(おととい)です。今回は楽なパターンでしたね。ティナ様が……ならば伯爵様が竜へ直接そう話してください、話はつけておきますので……とおっしゃったのへ、素直に従われたようです。出発したのが昨日ですから、まだ到着はされていないかと」

「ああ、なら後はパザスさんに任せておけばいいか」

 

 少し前まではお屋敷の二階の、ミアのお部屋の隣が私の部屋だったのですが、討伐隊より戻ってきてからはまた三階の、修復が済んだ元々の自室の方に戻ってきました。パパが私のために高級な家具を揃えたはいいものの、二階の部屋には入りきらなかったからなんだそうです。余計なことしやがって。

 

「まぁ滅私奉公(めっしほうこう)を叫ぶなら、自分がまず(めっ)されよって話だわな。他人に滅私奉公を強要するって、言葉的に矛盾してない? 英語なら自動詞他動詞の問題かなにかで文法的誤りになりそう」

「エイゴが何であるのかはわかりませんが……仕方ありませんよ、彼らは騎士ではなく、騎士に滅私奉公を求める側の人間なのですから。騎士ではない人間に騎士道を強要するのは、それも騎士道に反する行為なのですけどね」

 

 そんなわけで、天蓋付きのベッドがひと回り大きくなり、絨毯がふっかふかになり、ソファの肘掛け部分には、某王女のおパンツではない方のパンツにも使われていた、例のオリハルコン由来のライトグリーンな布が張られていたりと、家具の高級感は大分増しましたが、漫画もアニメもゲームもインターネットもない部屋です。ひきこもりには辛い部屋かと思われましたが……ところがどっこい、甘やかしてくれるメイドさんがいます。どうせ何もやる氣にはなれないので、それで十分です。

 

「サーリャがそう言ってくれて助かるよ」

「ティナ様はミア様の騎士、私はティナ様の騎士、ですからね」

「え、そうだっけ?」

「もうっ、心意氣の話、ですっ」

 

 襲ってくる敵がいるんだから迎撃体勢を整えろ?

 

 とりあえずパザスさんが近くの山でこちらを監視してくれてますよ。パザスさんは探索魔法が得意らしく、特異な動きを見せる人物がいれば自動的に反応してくれる、常時発動型の探索魔法を展開できるそうです。原理は、聞いたけどよくわかりませんでした。アンチウィルスソフトみたいだな~……って思った記憶だけあります。

 

 最初のうちは、そんなパザスさんと連携して、問題ない人、問題ない人の動き方……を除外する作業にあたったアリスが「忙しすぎるんですけど!?」と文句を言っていました。そんで、夜にベッドの上で「慰めて~」ってせがんできました。しょうがないので、チート式マッサージをしてあげました。首の下を愛撫されて喉を鳴らす猫みたくしてあげました。

 

 男爵家に仕える兵士の方々に対しては、一応警戒を強めるよう言いました……が、これはまぁ、正直あまり意味はないでしょうね。あまり強く言うと「我々の忠義をお疑いになるのですか!?」ってなりますし……まぁ忠義も何も、何割かの兵士が裏でパパの悪口を言ってたり、勤務中に賭け事して遊んでるのを、私は知っているんですけどね、アリスのおかげで。

 

 言葉にしていう忠義など、しょせん忠義の無さを誤魔化すだけのモノに過ぎないという皮肉。おまけに、真面目な兵士の方々には、何を言っても「誘拐された経験を持つ子供が不安になっているので、なだめてあげよう」という扱いをされますしね、しくしく。

 

「パザス様も元は騎士ですが、今はアリスただひとりを守る騎士様……そのようにも思えますね」

「実態は、お父さんって感じだけどね。いやお義父(とう)さんかな」

「九星の騎士団は、そもそもは”星の騎士団”であった……という説もありますからね。どこかの国へ忠誠を誓った英雄というわけでも、ないようです」

「そうなんだ? 星のためと言いながら、めっちゃ人間のために戦ってるけど」

「それでも最終的にはエルフの女王をも受け入れ、世界を元に戻す……そのことを目指したのですから、彼らはやはり”星の騎士団”で良かったのだと思います」

「そんなもんかねぇ」

 

 ティア(仮)が、猫睛石(キャッツアイ)の騎士ティアその人であるか、それとも違うのか……それはわかりません。

 わかりませんが、この国において占星術師としての、それなりの地位を持っていたことは確かです。

 

 その占星術師としての動向と去就(きょしゅう)については、ママが名前だけ知っていました……ですが、その詳細は、もう少しお身分のお高いお方々のおネットワークでないと、わからないとのことです。パパは初手「お前と名前が似てるな、誰だ?」だったのでニントモカントモ。これ以上は、一旦は王都に戻る予定のナハトさんに、調査を託すしかないですね。

 

 そんな感じで、今はできることが無いのです。

 

 ゆえにこうしてニートも羨む生活を続けているわけです。

 

 そうして私は、今はヘアピンでまとめている前髪をそっと撫で、サーリャに問い掛けます。

 

「まぁいいや。それで、今日のお昼ご飯はなに?」

 

 我ながらクズ臭のするセリフですが氣にしてはいけません。うんこ製造機にも栄養は必要なのです。うんこ製造機がこの世界に必要かという話は、脇に避けておくことにしても。

 

「それですが、ご母堂様より、ティナ様へ、前に提案された新メニューを試作品を試して欲しい旨、(うけたまわ)ってます」

「提案した、新メニュー?」

 

 なんだっけ?

 

 メニューを提案、か。

 

 そういえば、ママとアフタヌーンティーしていた頃は、そういう行事もちょいちょいありましたね。今はひきこもり中なので、そういうのはやらなくなってますが。

 

 スカーシュゴード男爵領の北部には、豊かな果樹園が広がっています。

 

 ぶどう類の他には、柑橘類(かんきつるい)やトロピカルフルーツが主となり、意外なところではマンゴー、バナナなんかが普通にあります。

 ライチ、ココヤシ(ココナッツ)も、大量生産できるほどの生産能力は無いようですが、そこら辺は北部出身のママの好みということもあり、男爵家の食卓をちょいちょい彩る程度には栽培されています。

 

 これらは、日持ちするモノならそのまま(バナナなんかは青い状態で輸出されてますね)、日持ちしないモノは果実酒や、ドライフルーツ(バナナはバナナチップにも加工されていますね)に加工するなどして、様々な形で領外へ輸出されています。ぶっちゃけ男爵家のかなり重要な資金源でもあるっぽいです。

 

 なお砂糖は、異世界転生モノだと甜菜(てんさい)の利用が多いように思えますが、カナーベル王国では何箇所かで大規模に、フツーにサトウキビを栽培しています。スカーシュゴード領でも多少は生産していますが、これもそれなりの雨量が必要とされる作物なので、雨量の少ない男爵領だと、大規模には栽培できないようです。

 

 溜め池や、雨水を溜める木製のタンクのようなものはありますが、それはトロピカルフルーツ用であって、広い範囲に撒く手間を考えると、お茶畑やサトウキビ畑には使えないそうです。まぁビニールホースや塩ビパイプなんて無いですからね、仕方無いです。

 

 なので、砂糖は果物の加工に使うものと、あとは地産地消の生産物ですね。自家用といってもいいのかもしれません。

 

 こんな事情がありまして、当男爵領では砂糖より果樹の方が儲かるという、甜菜チート殺しな状況となっております。ワインも特産品らしいけど、それは女子供が近付くな状態です。

 

 まぁ水に関して言えば、雨量こそアレですが、井戸ほりゃ清潔なのがフツーに湧く土地柄ですからね。衛生的に、ワインの方が水よりマシって世界ではないのです。

 

 内政チート定番の一角、手押しポンプや水車も割とちゃんとしたものが既にありますよ。手押しポンプは、嘘か真か、歴史的には千年近く前からあるモノだそうです。南方の、その名もずばり地中海(この世界の言語で「(前置詞)中央の」+「地」+「海」)沿岸に発展してた王朝だかの頃より伝わるのだとか。水利チートは千年遅かった。

 

 ゆえにお酒は、基本的には子供は飲むな状態です。更に限定して貴族令嬢的には……となると……まぁ当然、妊婦の飲酒も推奨されていませんから、若い内はあまり飲まない方がいいというのが、社会常識(エンドクサ)っぽいです。そんで、ママもまだまだ若いので、お酒はあまり嗜まないようです。

 

 そんなこんなで、ママは領外におけるドライフルーツの需要掘り起しが、男爵領の発展に繋がると考えていて、それを使ったスィーツの研究をしていたりもします。顔も甘いし娘にも甘いし、実益を兼ねた趣味も甘いお人です。

 

 当然、大人だけでも……まぁ婦人会のようなモノですが……試作品を食べる会をするなどして話し合っているようですが、その試食役は、ちょいちょい私やミア、サーリャにも回ってくることになります。王都にある男爵領のアンテナショップ(そんな名称ではないけど)に並べる商品の、試作の試食という(てい)ですね。

 

 チートのおまけか、(この世界の)スィーツの知識もまぁまぁあった私は、だからちょいちょい有益だったらしいアドバイスをするなどして、その分野でママの信頼を勝ち取ってきたのです。チートと呼べるほどの実績は得られませんでしたが、まぁ、地味にママからの好感度がアップした、くらいの感じで。

 

「お持ちしました。こちらです」

 

 でもなんか……今はこう……スィーツには見えないモノが配膳台の上に載っていますね。

 ドーナッツ……ではないな。なんぞ?

 

「挽き肉にたっぷりの香辛料を混ぜ、辛味油で炒めたモノをパン生地でくるみ、そこへ溶き卵でパン粉をつけ、揚げたもの……だそうです」

「あー!」

 

 熱いのでお氣をつけ下さい……といって皿ごと渡されたそれは、見た目どこからどうみてもカレーパン。茶色くて丸っこいシルエットが四つ、並んでいます。おまけに揚げたてのようで、ふっくらモチモチの外観からは、まだほんのりと湯氣が上がってました。

 

「ああうん、言った言った! こういうの欲しいって!」

「なんだか少し、コロッケにも似ていますね」

「系統でいえば同じジャンルかもね!」

 

 いやね、ほら、私ってその……元、男性じゃないですか。

 

 身体はね? ちゃんと求めるのですよ、スィーツを、甘いモノを。

 

 だからね? 別に、いっつもスィーツを食べさせられるのがイヤになったってわけじゃないの。全然、ちゃうちゃう。別腹ちゃんとある。乙女ちっく時空に。どこだよそれ。

 

 でもね。

 

 やっぱりね? ほら……男の魂が求めるのですよ。

 

 たまには油で揚げたもんガッツリいきてー!……って。

 

「……うわぁ、なんかちょっと感動」

 

 そんなわけで、フルーツを使った甘くないジャンクなフードを考えた結果、こういうモノが頭の中より出でてこられたのですよ。ちゃーっす、って。

 

「ミートソースの元となる、合わせ香味料と辛味油を輸出する……というのがティナ様のご提案だったと伺っております」

 

 はい。

 

 実を言いますと、この世界、カレー……というかカレー粉らしきものは既にあります。

 カレーチートは手遅れだったぜ……といういつもアレですが、庶民には高価すぎ、貴族にはその色と、手づかみのナンに付けて食べるという作法が下品に見られ、そもそもがあまりメジャーな料理とは言えない感じに収まっています。

 

 現時点でカレーは、裕福な商人など富裕層の、一部限られたマニアだけが好むメニュー……という立ち位置っぽいです。カレー好きと強欲で知られる、(うち)とも取引がある有名商会の会長さんは、ケツ舐めアルマジロなる妙な別称(べっしょう)……というか蔑称(べっしょう)が知られていたりもします。ヒントはカレーの色と、ナンが(タン)に見立て可能であるということ。あとは体型の揶揄。貴族社会の陰口ネットワーク、怖いです。

 

 そんなわけで、カレーの基本たるターメリックもあまり栽培されておらず、残念ながら男爵領には輸入も生産もありません。将来的な見込みもないっぽいです。

 前世で、そこまでカレー好きだったというわけでもないのですが、たまには食べたいと思い、叶えられないメニューのひとつではありますね。まぁその前に、それよりかはカレー「ライス」の、お米の方をどげなせんといかんとは思っているのですが。

 

 というわけで私、考えました。

 

 辛くて油っこいモノをご飯にかけて食べる料理といえばカレー……そして麻婆豆腐。

 

 ご飯もカレーも無いなら、近いものを造ってみようではないですか!

 

「随分と香ばしい香りですね」

「そりゃね、ある種香辛料の塊だから」

 

 はいそうです。

 

 わたしくが少し前にママへと提案したのは、麻婆豆腐パンです!

 

 ……あ、今「不味そう」って思いましたね? 大丈夫、私もそう思った。

 

 まぁ豆腐っぽいものは、断崖絶壁の海岸線を除けば内陸の地といってもいい男爵領では氣軽に手に入らないので、そもそも豆腐は入っていません。凍み豆腐、高野豆腐っぽいものは海が近い地域から輸入されてますが、入れませんよ。これは輸出品の考案という前提ですし。

 

 だから正確には、これは麻婆パンでしょうか。

 

 私が指示した部分だけをいえば、挽き肉に、男爵領の果樹園産、陳皮(乾燥させたみかんの皮)と山椒と花椒(かしょう)らしきモノをたっぷりと混ぜ、これも男爵領で栽培されているにんにく、しょうが、ねぎ、唐辛子などを使ってラー油っぽいモノも造り、それらを炒めてミートソースを造り、揚げパンの中に入れるタネにしておくれと、まぁそんな感じのオーダーであったと思います。

 

 あとは実作業をする人のお好みでハーブを適当に混ぜ、いいバランスの組み合わせを探ってください云々言った覚えもあります。ラー油のベースとなる油についても、男爵領内だけでも大豆油、パーム油、オリーブオイル等いくつかの種類が生産されているので、その選択も実作業する人にぶん投げました。揚げる油と肉の種類についても同様です。

 

 アイデアだけ出して細かい調整は人任せ。正統なる由緒正しきナローシュチートでありますね。惣菜パンチート。チートか?

 

「皮はオレンジ酵母のパンのようですね、柑橘の味を主体にしたためでしょうか」

「ほー、どれどれどれどれ?」

 

 くんくん。

 

 うん、麻婆っぽい匂いに混じって、なんかそこはかとなく柑橘類の香りがするね。

 発想の段階ではカレーの代用品くらいのイメージだったけど、意外と悪くない感じに仕上がっている氣がします。たまに期間限定で売り出される変り種の惣菜パンって感じ。

 

「いいな。とりあえず匂い、香りの段階ではすっごい食欲をそそる」

 

 こういう、ある種のジャンクフードっぽいヤツ、どこか心をくすぐられるものがあるよね。

 ひきこもってると特に。

 

「貴族向けでは無い氣がしますね。見た目が、揚げパンですから」

「輸出品としてのターゲット層は一般家庭でしょ? ラー油はすぐに真似されるかもしれないけど、カナーベル王国内だと、柑橘類とトロピカルフルーツの生産は、ここスカーシュゴード男爵領が一強状態なんだから、陳皮と山椒と花椒を混ぜた三味調味料、もしくは更に唐辛子を混ぜて四味調味料なんかが一般家庭に浸透したら強いと思うけどなぁ」

「うーん、どうなのでしょうか……トロピカル?」

 

 おっとそこだけ日本語……っていうか英語のままだった。

 

 蛇足ですが、香辛料の話ついでに言えば、胡椒はコレも普通に流通しています。カナーベル王国ではほとんど全て国外からの輸入品ですが、そのお値段は……せいぜいが同質量の塩と同程度、くらいのモンです。当男爵家のバナナは、乾燥したチップなら同質量の塩よりも高いですよ。あくまで重さで比べるなら、ですが。

 

 肉の臭み消しとしてはハーブの研究が進んでいますし、辛味としては唐辛子や山椒も存在しているため、そこまで必需品とは認知されていないのですよね。胡椒は連作障害の起き易い作物でもあるそうで、カナーベル王国での栽培は、リスクがリターンに見合わないと、結構な昔に結論付けられたようです。胡椒チート、成らず。

 

 まぁ。

 

 能書きはこの辺までにしておいて、それでは実食と参りましょうか。

 

「それじゃ……あんぐっ」

「ティナ様!? そんな! 揚げ物を手づかみだなんて!? しかも二個同時!? 二刀流!?」

 

 メイドさんがなにやら叫んでますが知りません。カレーパン……麻婆パンは手づかみで行くのがマナーというものです。この私(考案者)が決めました。

 

「あぐあぐ、パンは手づかみで食べるものじゃない、んぐんぐ」

「そうかもしれませんけど! 油が! お手が! お唇まで!」

 

 んー。

 

 香りはだいぶ、柑橘系が存在を主張していましたが、食べてみるとそこまでフルーティな感じではありませんね。最初に舌へ来るのはやはり肉……牛ですね……の旨みと、唐辛子の辛さです。

 

 たぶん、色的にはそこまで辛くないハズですが、この身体が辛いモノに全く慣れてないこともあって、かなりピリッときます。前世で、小学生の頃に食べたカラムー●ョを思い出しますね。懐かしい。

 

 そうした辛さが、ほんのり甘いさくさくモチモチの皮と合わさり、変り種の中華まんとカレーパンの、丁度中間みたいな味になっています。

 

 そんな感じで暫く、食べ進むと、今度は山椒と花椒の辛味が強く舌に残ります。それはピリッ、ではなく、ビリッ……とくる独特の、痺れる感じの味ですが、陳皮がここで仕事しているのか、そこまでキツイ感じもしません。山椒自体、木としては柑橘類の親戚ですから、柑橘の酸味甘みとは相性がいいのかもしれません。

 

「んー……おいしいし、有りか無しかでいえば有りだけど、なんていうか、普通に食べられる変り種の域を超えないというか、これでなきゃダメなんだというほどの魅力を感じないというか。てい」

「そう言いながら三個目!?」

 

 まぁ運動をサボっていたので、あまりお腹が空いていなかったということもありますが……まだちょっと微妙ですね。

 

「ハーブはレモングラスっぽいものが入ってる氣がするけど、あんま意味が無い氣がする。ハーブ、いらないかなー? 入れるならもういっそオレガノとかにして、トマトイン、チーズインにしちゃうとか?」

「更に油分脂肪分が増えます!?」

 

 それになんというか、肝心の、陳皮と山椒部分がまだ調和しきれてない感じがするのですよね。あむあむ。特に山椒(?)の独特の風味が、陳皮で多少抑えられてはいるとはいえ、まだまだ人を選ぶ感じになってしまっている氣がします。山椒は抜いて、花椒だけにした方がいいのでしょうか。んぐんぐ。まぁ……コスパとかも考えれば、普通に、ミートソースをぶち込んだ揚げパンでいいじゃん? て感じ。このままじゃカレーの二の舞になりそう。んむんむ。

 

 んー……それに……唐辛子は砂糖と同じで、もっと生産力の高い地域が他にあります。陳皮と山椒を売るなら、一味唐辛子で代用できる味ではダメということですね。

 

 もういっそ、三味や四味で止まらず、七味唐辛子まで行ってしまいますかね。青海苔以外の材料は男爵領内で手に入りますし……ただ一味と七味って前世的に考えると、微妙な間柄なんですよね。好きな人は一味じゃなきゃダメ、七味じゃなきゃダメってこだわるんですが……大多数の人はどっちも同じじゃん、変わんねぇよって扱いをしてる氣がします。うどんや天ぷらを扱う外食産業の店舗でも、どちらかしか置いてないことがほとんどだったと思います。そんなこんなで、某孤独な五郎さんばりにグルメな小父様(おじさま)は、カバンにマイ七味、もしくはマイ一味を忍ばせてることも多いのだとか。ソースはよく「食事制限は俺に死ねと言ってるのと同じだー」と愚痴ってたおっちゃん……もとい小父様。

 

 まぁ、スカーシュゴード家が儲けるために七味を作るのであれば……それは一味より割高になるはずですからね、七味でなければダメだって使用法を考案して、こだわる人を増やさないと、広がっていかない氣がしますね。

 

 お高くするからには一味よりいいものですぅ~って売らないといけないし、そうなると一味の産地的には面白くないだろうな~。一味、っていうか唐辛子の主要生産地ってーと、政治的には~……。

 

「まぁそんなことはどうでもいいとして、このジャンクフード感にはそれでも魅了されるモノがある。あむあむぺろん」

「あ、あ、あ……そんな……油の付いた指をお舐めになるなんて……」

「ごちそうさまーぼー! まだまだ要改善だけど、可能性は感じたのでもう少し試作を続けてくださいとお伝え下さい」

「お、おそまつさまーぼー?」

 

 こうなりゃもう、ジャンクフードチート、目指しちゃいますかね。激しく貴族令嬢には推奨されないだろうチートですが。

 

「まーぼーってどこからきた言葉なのでしょう?……」

 

 サーリャが食後のお茶をティーカップに注ぎながら、頭にハテナマークを浮かべてますが、それは別に私の言い回しが妙だったからだけではありません。たぶん、きっと。いやだって、視線はあとひとつ残ってる麻婆パンに向かってますし。だからきっと。うん。

 

「うん。さすがに四つはいけないから、あと一個はサーリャが試してみて」

「えええ」

 

 まぁ本当はいけますけどね、久しぶりのジャンクフードでしたから。

 

「手が汚れるのが嫌なら、食べさせてあげようか? なんならポ●キーゲームの要領で」

「ふぇ!?」

 

 あ、ポ●キーは前に新スィーツとして提唱したことがあります。

 

 試作品(太さ直径壱センチ(1cm)くらいありました)ができた後、こんな楽しみ方もあるよー……と、二人で両端を咥え齧り合っていく~という例のゲームをサーリャを生贄にやって見せたところ……そのあまりのはしたなさに即刻封印とされてしまいました。残念。サーリャはまんざらでもなかったようですが。

 

「とても惹かれるご提案ですが! ふたりとも油まみれの顔になる未来しか見えません!」

「まぁね」

 

 まぁ、ポ●キーと違って中身もありますからね。その点ト●ポってすげぇよな、最後までチョコたっぷりだもん。まぁト●ポも内容物は固定されていますが、じゃあそこが流動物であった場合、両端から齧っていったらどうなんのって話です。誰か検証してみてください。【現役JK】カレーパンでポ●キーゲームをしたらこうなったwww【女同士】……投稿を世界の果てよりお待ちしております。見れないけど。Vの黎明期にて、ポ●キーゲームで一世を風靡した世知辛いおじさんは御壮健で御座いますかのじゃ。

 

「で、では失礼して……」

 

 そんなこんなで自らの手を汚し、普通に食されたサーリャの感想は。

 

「……なんだか罪悪感を感じるお味ですね」

 

 ひどく抽象的なものでした。

 

 油っこいジャンクなフードが罪深い……という感覚は、どうやらこちらにもちゃんとあるようです。

 

 ……罪深き脂肪の塊をその身に宿す、結婚する氣ゼロなメイドさんの方が罪深い氣もしますけどね。

 

 

 



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47話:罪深きメイドを罪深く愛でる

 

 さて。

 

 タイトル参照のこと、自分でもクズ野郎と自覚していますが、構いません。

 

 どうせ(わたくし)めは罪深きヒッキーです。うんこ製造機です。

 

 勤労の価値が前世よりも高く、労働の価値が前世よりも低い、悲しきこの世界にあって、私は今、とんでもなく自堕落な生活を送っております。罪悪感をもよおさずにはいられませんね。もよおしてもなんにもしないけど、ヒッキーだから。

 

「ところで、昨日は夜なべしてこんな衣装を作ってみた。こんなダメな主人を介護してくれるメイドさんにプレゼント」

「え、え、え?」

 

 昼に寝て夜に活動する自堕落生活。

 やらなくちゃいけない嫌なことがある時って、普段はやらない単純作業が(はかど)るよね。何もやる氣にはなれないと言ったな、あれは嘘だ。

 

 見た目カレーパン、中身麻婆パンを食した後、綺麗に手を拭き、唇も拭いてさっぱりしてからブロークンオレンジペコな紅茶をいただきまして、なんとなく落ち着いた頃、私は昨晩の成果物をサーリャに差し出しました。

 

「着てみてみてみてみてみせて?」

「え?……ええ」

 

 サーリャは、そんな唐突な、無茶な要求にも戸惑いながら、それを受け取り、我が意に従ってくれました。さすメイ。さすサー。

 

 私は枕を、むっちりした太ももから布と羽毛のそれに変えて、目を閉じて衣擦れの音を聞き、待ちます。

 

 無心で待ちます。悪い、こういう時の邪心は前世に置いてきた。

 

「そのままご覧になられても、構いませんが……見せつけるほどの身体でもありませんし」

「……持てる人の過度な謙遜は、時に貧者を傷付けるよ?」

 

 ……程なくして。

 

「……着てみましたが……可愛いのですが……前にアリスが着たきり雀をしていたモノと少し似ていて、複雑ですね。なんですか? これは」

「そういえばこういうのも作れるなー……と思い出したマーチングバンド風衣装。ミニスカメイド服とどっちを造ろうか悩んだけど、よりサーリャが当惑しそうな方を選んでみた。帽子に高さがもう少し欲しかったけど、そっちは専門外だから、ベレー帽風のキャップにリボン。赤と白のコントラストに、可愛いピンクのリボンが()えるね」

「少し胸がきついのですが……」

「そこがこだわりポイントです。ぱっつぱつ」

「えええ」

 

 まぁ運動する服でもありますからね、緩めだと生体兵器があっちゃこっちゃに跳ね回って、自爆兵器になってしまいそうです。立った時つま先見える? 私は見えるよコンニャロウ。かかとまでバッチリクッキリだよコンチクショウ。

 

「……どこから”ツッコ”めばいいのかわかりませんが、ありがとうございます?」

「うむ。それで、それを着たサーリャには、実は言ってほしいセリフがあるのだ」

「……もえもえちゅーにゅ、ですか?」

「うむ、違う。いやそれはそれでいいのだけれども」「いいのですか? 禁止令、解かれます?」

 

 ぐぬぬ。心が少し揺れることを言いやがって。

 

「……いやそれはそのままで。今言ってほしいのはこう……ヘルシー! ハッピー! コミュニティ! イェーイ!」

「……なんですか? それ」

「松本家のきよし君に対抗すべく結成された、セブンなイレブンの大元が展開するドラッグストアグループのロゴ……の上にたまに書かれてるフレーズを、その衣装の元ネタ風に元氣良くしてみた感じ?」

「……”ボケ”が複雑すぎて何をどう言えばいいかわかりませんが、私に上手くできるでしょうか?」

「上手くできなかったら私、明日からピンクのクマのキグルミを着て過ごすから、頑張って」

「……」

「うん、それもアリかどうか凄く葛藤した様子が見て取れたけど、頑張って!」

「ん……う……はぃ……わかりました」

 

 このメイドさんはなんだかんだいっても私に忠実です。素晴らしいことですね。でも下着の匂いを嗅ぐのだけは止めてね。それをしたら絶交だからね。

 

「ふぅ……すぅ……へ、ヘルシひ! ハッピー! コミュひティ! イェぇぇぇーイ!」

「噛んでる! もっと滑らかに! 元氣良く! スマイルでラッキーな感じで!」

「ヘルシーぃぃぃ! ハッピぃぃぃ! コミュニティぃぃぃ! い、イェーイぃぃぃ!」

「やけくそ感が強いよ! もっと嬉しそうに!」

「ヘルシー! ハッピぃ! コミュニテぃ! イェぇぇぇー!」

「いい笑顔だよ! もっといける! ワンモアセッ!」

「ひぇるシー! ハッピぃー! コミュニティー! イェーーーイ!」

「おーけぃ! 良かったよ! 仕上がってたよ! ナイススマイル!」

「ありがとうございます!?」

 

 なんだこれ。

 

 某軟膏プレイからドラッグストアを連想して、そういや私のチートってイオ●ハ●コムのアレみたいだなぁと連想して、そこから更にハ●ハピを連想して、それからもう有り余るヒッキーな時間でネタを仕込んで……色々と暴走してみましたが……どうも笑うには異次元でカオスな仕上がりとなりました。関係各所の皆様、どうもごめんなさいです。スマイル!

 

 ……あ、当然ヘルシーとかハッピーの部分は、こちらの世界の言葉で叫んでもらってますよ? 実際はなんて叫んだのかって? ヘルシーがエルでハッピーがプサイでコミュニティがコ●グルゥだよ嘘だよ。

 

 ……うん、もう思いついただけパロディをぶち込むのは止めよう。

 

 

 

 

 

 

 

「ティナ様、今日はまた一段と物憂げですね?」

「ん?」

 

 ひとしきり、今日のやりたいことをやってしまって、私がベッドにうつ伏せになっていると、サーリャが特に心配そうというでもなしに、今日の晩御飯は何がいいですかと聞くような口調で、軽く問い掛けてきました。

 

 だから私も、軽い口調で返します。

 

「今は敵の動きを、攻めを待つフェーズだからね、そうは言っても、ずっと警戒して、不安になって、緊張してるわけにもいかない。いつでも動ける体力を温存しておかなくちゃ」

「それはそうなのでしょうが……だらけすぎていても、いざという時に動けなくなりますよ?」

「ふむ、一理ある」

 

 私は、ならばと、そこで身体を起こし、ベッドの上でいわゆる女の子座りをして……ならば今日……というよりは、いつかやりたいと思っていたことを、時間も余っているし、せっかくだから今、ここでしてしまおうかなと思い、口を開きます。

 

「なら、私は今からちょっと自分に、負荷をかけてみようと思う。自分自身に負荷のかかる話をする。だから……それを……聞いてくれる? サーリャ」

「ティナ様ご自身に負荷がかかる……お話ですか?」

 

 うん。

 

「ずっとサーリャに黙っていたことを、今ここで話しちゃおうと思うんだけど」

「……ティナ様の秘密、ですか?」

「どうしてそこで顔を赤らめたのかはわからないけど、まぁそう」

「聞かせてください。聞きたいです!」

「なんか凄い喰い氣味なんだけど! 怖いんだけど! 予想よりも負荷が深くなりそうなんだけど!」

 

 まぁ、そんな感じのやり取りを経て、私はここでサーリャへと話してしまいます。

 

 私の正体。

 

「前世で私は、

 

 ……って名前の人間だったんだ」

 

 前世の記憶がある、元は男性ということ。

 

「……うん

 

 ……血液がおかしくなってしまう病気

 

 ……歳の時に死んじゃった」

 

 二十代の半ばで親に迷惑をかけ、死んでしまったこと。

 

 父が、母が、どんな人間で、俺は二人をどう想っていたかとか。

 

 前世ではオタクと呼ばれる人種として生きていたこと。

 

 それは世間的には、あまり良いイメージを持たれていないこと。

 

 そんなだから、結婚どころか恋人もいないままで死んでしまったこと。

 

 死んで、女史っぽい何者かに出会ったこと。

 

 そこでテンプレとは違う妙なチートをもらったこと。

 

 どうしてそんな選択をしたのか、長生きにこだわった理由は何か。

 

 そういうことを、とりあえずは何も考えずに、私は全部、サーリャへとぶちまけてしまいます。

 

 だらけきった、今の私だからこそ、これはできる。

 

 遮ろうとする障壁が、そこに無いから。

 

「うん、私は私になる前、自分のことを俺と呼ぶ人間で

 

 ……うん、その頃は女性が好きだったと思うよ。多分だけど

 

 ……覚えてないからね

 

 ……そそ、他のことは覚えてる

 

 ……でも、そのことだけは、覚えていない

 

 ……だから、うん

 

 ……私が性的なことには疎い、箱入り娘であることに、変わりはないかも」

 

 まるで、テーブルの上でとけてしまった氷の水が、床にだらだらと(こぼ)れ落ちていくみたいに。

 

 私から、私の中にあった複雑で厄介なものが、溶けて……流れ出していきます。

 

「……で、

 

 ……だったから

 

 ……だったんだ

 

 ……その時の私は

 

 ……って思ったから

 

 ……つまり

 

 ……私は

 

 ……俺だった私は

 

 ……を望んで

 

 ……どうしてって?」

 

 私は、サーリャ(この子)に嫌われたら、もう生きてはいけないという確信がある。

 

 この話は、どれだけ私のことが好きでも、受け入れてもらえない可能性のある類の話だ。

 

「まだ、あの手の温かさを覚えているんだ」

 

 だから、これも賭けになる。

 

 私という存在の全てを賭け、私という存在を全て晒す。そういう賭けになる。

 

 でも、これはいつかしなければいけなかった博打だ。

 

 サーリャというひとりの人間と、これからもちゃんと向き合って、付き合っていくなら、この告白はしなければいけない。

 

「まだあの顔を覚えている」

 

 これは、これまで築いてきた関係が、その全てが、取り返しもつかなくなるほど壊れる可能性がある、けれど、そうしてさえ、その先の関係に進みたいと思うならばしなければならない、そうであるからこそ

 

 ……吐露(とろ)した

 

 ……だからそれは、あるいはそれは

 

 ……プロポーズ……のようなモノだった。

 

「だから今、私はここにいる。もう一度、ちゃんと生きたいと思ったから」

 

 話している間。

 

 サーリャは合いの手をいれることもなく、ずっと静かに……時に言いよどんだり、言葉をつっかえてしまったり、不意に襲ってきた感情に、胸を押さえたり、そうしながら語る……私という存在の全てを、まるで包み込むかのように、ずっと(そば)で、見てくれていた。

 

 穏やかに、私を見守ってくれていた。

 

 まぁ……その格好が、胸元ぱっつんぱっつんなマーチングバンドのコスプレってことだけが、場のシリアスみを壊していたんだけどね。

 

「ティナ様は……前世では大変な思いをされたのですね」

 

 喋り終えて、言葉も無くなり、口を閉ざして……たまらず、見上げた私の目に映ったのは、ただ純粋に、心配そうな目で私を見つめてくる……サーリャの(ぼう)だった。

 

 格好にそぐわない、大真面目な顔だった。

 

「最初に……言うのが、それ?」

「私にはそれが、一番、大事なことです」

 

 一番、を強調し、サーリャは言う。

 

 ああ。

 

 でもそっかぁ、そこから反応するのかぁ……。

 

 少しだけ、不安に(こご)えていた胸が、温かくなる。

 

「私のこんな荒唐無稽な話を信じるか、信じないか、その段階のアレヤコレは無いの?」

「……そうですねぇ」

 

 と……そこでサーリャは口元をにんまりと歪め、ほんの少し、場の空氣を変えた。

 

 ん?……と思った瞬間、次に発せられた言葉は、メイドにはあるまじきものだった。

 

「私を騙したくて、そのような話をされたのだとしたら……そうですね、おしおきです」

「お、おしおき!?」

 

 え、ちょっと!?

 

 悪戯っぽい小悪魔な顔で何を言い出しましたか!?

 

 貴女(あなた)、家庭教師とかではないのですから、そういうことをする権利は無いのでは?

 チートのおかげで私、家庭教師にもぶたれたことないのにぃ!

 

「虚言は寂しいのサイン、と伺っていますからね。寂しくないよう、しっかりと抱きしめてあげます。おトイレに行きたいと思っても放してあげません」

「今ここでその復讐!?」

 

 冗談みたいな空氣にしたいのかな? と思ったので、私も、そこへ合わせに行く。

 

「ティナ様には先の件で締め落とされていますからね、その可愛らしい鼻も口も、この胸に埋めて、窒息していただく……というのではどうでしょうか」

「復讐のおしおきがなんだかご褒美っぽくなった!?」

 

 悪戯っぽく笑うサーリャに、ソレも悪くないかなと少し思う。

 

「でもやめてね!? 私、その業界に身をおいた覚えはないんだからね!?」

「それで、虚言なのですか?」

 

 そうだったらこのおしおき、本当に実行するぞとばかりに、サーリャは私の眼前へぱっつんぱっつんな乳袋を突き付け、ぐいと問い掛けてくる。

 

 ほんの極僅かに、虚言でしたと言ってみたい誘惑に駆られるが、それでは、この話をした意味がなくなるとすぐに思い直す。

 

 私は今、プロポーズをしたのだ。

 

 冗談にしてはいけない。

 

 まぁサーリャとだと、なんかどうしても色々が冗談っぽくなるが、それはそれとしてもだ。

 

「虚言では、ないよ。冗談でもない。真実かそうでないかは私にだってわからないけど、私の認識の中では、それは全部本当のことで、私の記憶の中では、それは全部本当にあったことだよ」

「そう……ですか……」

 

 あ、サーリャの空氣が戻った。

 

 悪戯な小悪魔から、主人を氣遣(きづか)うメイドに。

 

 その流れはとても自然で、演技であるようには見えなかった。

 

 う~ん……。

 

 やっぱ、計算じゃなくて天然なのかな、この子。

 

「うん、そう。これは全部本当にあったことで、今生(こんじょう)の私が誰にも言えないでずっと抱えていた秘密。ミアにだって話していな……わっぷ!?」

 

 と、そこで私の顔がサーリャの胸に(うず)められる。

 

「ティナ様!」「んんん!?」

 

 サーリャの腕が私の頭を抱え、強い力で、その胸に()かれてしまう。

 

「ひょっ(ちょっ)!? さーりぁ!? うほじゃないっへぁ(嘘じゃないってば)!?」

 

 ねぇ!? ここで、そのおしおきをされるいわれは無いのですけど!?

 

「ティナお嬢様!」「んんー!?」

 

 あのさ!? ギャグ時空はシリアスに展開すると危険って知らない!?

 私、ボコボコになっても来週には五体満足で帰ってくるギャグ漫画のキャラじゃないよ!?

 

 ……ん? ならアリスってばギャグキャラなのか?

 

「よくぞ話してくれました!」

「んぐっ!?」

 

 おふぅ。

 

 それにしても、ああもうなんていうか、これはやっぱり物凄い質量感、ボリューム感ですね。ぽよぽよのみっちみち。胸部があげぽよ~です。ぽよってナニさ。見た目のインパクトも凄いけど、こうされてこうなってみると、やっぱりこれは、もっともっと、ええと……もっとこぉ……こいつぁ、とんでもなく物凄ぇモンだなって思いますですよ、ハイ。小並感。んがんくく。語彙さん? おっぱいにハネられて転生しちゃったよ。今はたぶん、いずれの異世界で頑張っておられますよ。いいハーレムが築けるといいね。マジかよ語彙君最低だな。

 

「お辛かったでしょう! ご両親を残して先立たれてしまうなんて! それを誰にも告白できず(かか)えていらしたなんて!」

「ん……ん~……んんー!?」

 

 それはそれとして。

 

 抱擁より、数十秒が経過して、息が苦しくなってまいりました。胸部装甲の攻撃力とはかくいうモノでありましたかそうですか。通常攻撃が圧迫攻撃で窒息スタイルのメイドさんは好きですか。

 

「どうかこのサーリャの胸で泣いてください! 泣いていいのですよ!」

「え、ひや、だからさーりぁ、はふっ!? んー! ちょっ、まっ……はふっ! はーなーひー、もがっ!?」

 

 息継ぎ、さーせーてー!

 

 だからギャグムーヴをシリアスにやると危険なんだってば!

 

 酸素欠乏症って本氣で命に関わるからね!?

 

 大過(たいか)無く済んでも脳細胞が結構死ぬからね!?

 

 ですが、そう思い必死に逃げようとすると、私の後頭部は、すぐにヒシッとされて、ぽよよんでロックされてしまいます。

 知らなかったのか! おっぱいからは逃げられない!

 

「大丈夫です! 今度こそ長生きしましょう! サーリャはティナ様とずっと一緒です! 生まれた時は違えども死ぬ時は一緒です!」

「そへ、フラグ的な意味でぁ同年同月同日に死ねなひ! あひょ二人じゃ成立しなひしぃ!」

 

 桃園(とうえん)(ちか)いってなんかエロいよね……じゃなくて!

 

「ティナ様はやはり特別なお方だったのですね! それをこの私にだけ話してくれた! 私は嬉しいです! ティナ様! 私は嬉しいのです! 感激です! 愛しています!」

 

 ああもう!!

 

「愛してるならいい加減にしろぉ!?」

「あひん!?」

 

 サーリャの桃園、違う、お尻に、両手でスパーンとダブルの平手打ち。

 

 これ以上ツッコミを躊躇(ためら)ってたら死ぬわ! の氣持ちで、本氣でいかせてもらいましたよ。

 

「ぷはぁ!」

 

 それで(ようや)く、サーリャの腕が外れて、やっとのことでまともに息が吸えました。

 

 まったくもう。

 

 まったくもうだよまったくもう。ぜーはー。

 

「ティナ様がパシーンってされました! ということは次は接吻なのですね! かまぁんです! さぁ!」「ひっ!?」

 

 だけどメイドさんは懲りない! 両手を広げ、迫ってくるぅ!?

 

「どうしてそれがお約束になったと思った!?」

「おぐっ!?」

 

 右足でサーリャの胸元にキック。襲われたら股間を狙えの護身術が、さすがに股間はヤバイの判断で妙な軌道を描きました。

 

 プチッ……と音を立てて、ぱっつんぱっつんを支えていたボタンが弾け飛びます。あああ……夜なべして造った私の自信作がぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

「予想とは全く違う意味で、ふかふかの負荷(ふか)不可避(ふかひ)(ふか)かった……」

「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」

 

 ドツキ漫才から数分。

 

 裁縫チートさんが十秒もかからぬ応急処置でボタンを取り付けた、今なお健在な、ぱっつんぱっつんの乳袋を揺らして、サーリャが深くお辞儀をします。

 

 なんていうか、この子もアレよな。

 

 良く出来たいい子で、顔も可愛くて、胸もおっきくて、豊かなる恵みで、でっかくて、壮麗たる巨峰なのに、どうして要所要所でシリアスになり切れないのか。

 

 まぁ……だからこそ私は、サーリャを信頼も、愛しても、いるのだけどさ。

 

「というか、その部分には全く反応しなかったけど、私が元男で、その記憶を不完全ながらも持っていることとか、だから精神的には実は年上だよとか、そういうのは氣にしないの?」

 

 こちらからその話を向けると、サーリャは「んー?」と可愛らしく悩んでから、答えた。

 

「男性的な記憶は、消去されたのでは?」

「そうだけど、いややっぱり普通は氣にするもんじゃない? 年下の、貧相な女の子のお側付きになったと思ったら、頭の中身、年上の男性だったんだよ?」

「んー?……けど、私は、ティナ様はやはり女の子だと思いますから。今ここにいるティナ様はとびっきり可愛い女の子にしか見えませんから。実感が湧いてこないのですよね」

「……嬉しいような、悲しいような」

 

 ヲイ聞いているか俺。おんどれ、存在の耐えられない軽さになってるっぽいぞ。

 

「ティナ様ティナ様、では実感できるよう、少し男言葉で話してくださいませんか?」

「やだよ。それ絶対またコントになる流れじゃない。それに、この世界の言葉で男らしく振舞おうとすると、元ネタにクソ兄貴が混じるから嫌なんだよ」

 

 パパや男性のカテキョを真似してもあまり男らしくならないし。執事は無口だし。

 

 やだ……私の男性(と話した)経験……少なすぎ?

 

「ということは、今でも前世の世界のお言葉を覚えているのですね? ではためしに、そのお言葉でこのサーリャに、お前を愛しているって言ってみてもらえませんか?」

「……ファーストチョイスがそれ?」

 

 まぁ……いいけどさ。

 

「──愛しているよ、サーリャ。サーリャが私を嫌いになるか、サーリャが本当に好きな人を見つけて、その人と一緒になるその時までは、ずっと私の(そば)にいてほしいと思っている──」

「長い!? なにかとてもラブいことを言われた氣がするのに、全くわかりません!」

「そこまでラブじゃねぇわ!?」

 

 もうなんかあれだ。

 

 多分サーリャの中では、この一連のやり取りって大真面目なんだろうけどさ。

 

 天然でそうなっちゃう残念な子なんだろうけどさ。

 

 なんですか、この、ぐだぐだとくだ巻いた(くだ)らなさの具沢山(ぐだくさん)は。

 

 この話をしようと思った私の、最初のシリアスみを返せよぉ。

 

「ティナ様ティナ様、あのですね」

「……なに?」

「私が、ではティナ様と同じように、元男性だったとしますよね?」

「……さっきから何度も視界にチラつくぼよんぼよんを前には、想定しにくい仮定だけど、それで?」

「ティナ様はとても可愛らしい女の子です。元男性の私はティナ様に恋をしてしまいました。氣持ち悪いと思われますか?」

「んんんんん!?」

 

 まーた妙なことを言い出しやがって。妙な想像をさせやがって。

 

 あと近い近い近い。またそのでっかいのが私の眼前に来ている。むしろちょいちょい、ふわっと鼻先に当たってる。当ててんのかコンニャロウ。

 

 うーん……。

 

「どうだろう、初対面で元男性です、あなたに恋しちゃいましたって来られたら、そりゃあ氣持ち悪いかもしれないけど……サーリャだからなぁ。今の私は、サーリャがいてくれないと困るし、なんなら現状で私の服の匂いを嗅いでいることとかも、氣持ち悪いとは思っているけど」

「え゛」

「でも、それがサーリャなら仕方無いと思ってるし……下着に手を出し始めたらちょっと考えようと思っていたけど」

「え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛」

 

 だって私、上の方の下着って、必要ないから使ってないのですよ。たとえ鉄棒へ逆さにブラ下がって、上半身をブラーんブラーん揺らしたとしても、そこにモーションブラーなどは発生しやがらないのですよ。だから、もうこの言葉の流れで想像してくださいよっていう、そんな上の下着いらずの、ないすばでぃ(かっこ)(かっことじる)(くさ)、なのですよ。ふっ。

 

 だから私の下着はですね、主に、ドロワとか除けば全て、下の紐パンのことなのですよ。

 

 紐パンってね、布の部分はほとんど大事なトコロに密着しているのですよ。

 

 ……嫌じゃね? これは普通の女の子でも普通に嫌だよね?

 

「私が本当に嫌だと思うラインを超えてこない、そういう氣遣いがあるなら、多少は氣持ち悪くても……うん、別にいいと思うよ?」

「なんだか嬉しいことを言われてる氣がしますが、それどころじゃない心が! てんやわんやのわやくちゃにぃ!」

「いや、だから自重できるならある程度までは許すから、落ち着け、な?」

「心得ました! 下着には誓って手を出しませんから、ベッドメイクの際、時折枕やシーツに手を出してることも許してください!」

「ここにきて衝撃の新事実発覚!?」

「最近はアリスの匂いも混じって少し不快でした!」

「ここで私にそれを責めてこれるのって凄くないか!?」

「いいえ! アリスが猫だった頃、この変化はティナ様が大人になられたからなのでしょうかと、のんびり構えていた自分を責めたい氣分です!」

「知らないよ!? 自分を責めるのは勝手だけど流れ弾を当ててこないで!?」

 

 まぁ、だからそれはもういいのですよ。

 

 サーリャが変態さんなのはもうわかったから、いいから。

 

「まぁ、だから、氣持ち悪い部分があっても、それが好きな人ならさ? ある程度は受け入れられるって話。そもそも、私にとって好きって、相手が完全無欠の素晴らしい人だからとか好きとか、氣持ち悪い部分がまるで無い人だから好きとか、そういうことじゃないんだよ。上手く言えないけどさ」

 

 前世の両親、今世のパパママ、みんなどうしようもない部分があるけど、だから嫌いとはならない。

 

 そういうことなんじゃないの?

 

「そうなのですか? こんな私を許してくれるのですか? こんな私でも受け入れてもらえるのですか?」

 

 だからさぁ。

 

 あの、さぁ。

 

 だからぁ、あのさぁ?

 

「それは逆に、私がサーリャに聞きたいんだって。サーリャは前世の記憶がある、元男性の、なんか変なのにチートもらってズルしてる私を、許してくれるの? 受け入れてくれるの?」

 

「それは」「そもそも私ってさ、数年の内にはどちらかの男性の元へ嫁ぐ身だけどさ」「え」「この枕元に積まれた釣書(つりがき)の誰かに嫁ぐかもしれない身だけどさ」「えええ」「それ、やっぱりちょっと氣持ち悪いって思うもん。この心で、男と子作りしなきゃいけないのか~……っていうのもそうだけど」「えと、あの」「それでも、この人生には必要だからと、その男性を愛そうと努力している自分ってのが、数年後には確実にいるわけでしょ?」「あの、ティナ様」「それを想像すると、やっぱり氣持ち悪いって思うんだけど」

 

「……ああっ! もうっ!……唐突に、そこへ話を繋げるのは、その方がズルいし! ヒドいとも思うのですがっ!」

 

 何度か、口を挟むのを阻害されたサーリャが、プンスカと頬を膨らませる。

 

 それはハムスターみたいで可愛いと思ったが、でも……だってしょうがないじゃない。

 

 それは、そういうものなんだもん。

 

「けど、私にはそれ、すごく切実なことだからね」

 

 私は、そこのところをどう説明したものか、真面目に頭を働かせながら、サーリャへと言葉を紡ぎ、繋いでいく。

 

「私はさ、この心で、男性である夫を受け入れ、どこかの夫人様として生きていく必要があるの。その違和感に比べたらね~。サーリャが元男性とか、どうでもいい類の話になっちゃう……ん?」

 

 ……あれ?

 

 すると、言葉で言っていることと、自分の内面の齟齬に氣付いた。

 

「ん……いや違うか?」

 

 うん……今、未来の旦那様とメイドさんが別枠であることを前提に、具体的に想像してみたら……これ、どうでもよくなんかないですね。

 

「違うのですか?」

 

 うん違う、全然違う。

 

「うんごめん、全く違うわ。どうでもいくない。サーリャが元男性? ごめん、それむしろ嬉しい」

「え゛?」

「だって、私の氣持ちをわかってくれる人が、ずっと(そば)に居てくれるってことでしょ? 自分と同じ悩み抱えていて、その辛さとか想いを共有してくれるんでしょ? 最高じゃない」

 

 どうせ私も、だから世間一般からは(エンドクサ的には)氣持ち悪いと思われる存在ですからね。それでも社会通念上(エンドクサ的に)、正しく生きようと思うのなら、幸せに生きようと思うのなら、それなりの覚悟が必要で、その覚悟を後押ししてくれる何かがほしい。

 

 だから私は、そもそもがハーフエルフで魔法使いと言う、人間社会からは排除されるべき存在であるアリスを受け入れたのかもしれないし、その魔法使いの力を借りなければ再起が困難となった、ナハト隊長を勧誘したのかもしれない。

 

 仲間がほしかったから。

 

 想いを共有してくれる誰かがほしかったから。

 

 ああ。

 

 そっか。

 

 あるいはこれが私の、「好き」……なのかもね。

 

 人生の長い道程(みちのり)を、(とも)に歩きたいと思えたら「好き」。

 

 たぶん、そういうことなんだ。

 

「……まごうことなき、生まれついての女性で、女性以外の何者でもなくて、申し訳有りません」

「……いや、サーリャが始めた例え話でサーリャに落ち込まれても、私が困るんだけど。あと、なんかもう、なに? 私を押し倒そうとでもしてんの? って勢いでサーリャの顔というか頭が近いから、落ち込まれると、ハニーブロンドが私の上半身のあちこちを撫でるのね。大変にくすぐったいのね。へくち」

 

 それに、だからこそこうして、私はサーリャを「特別な仲間」にしようとしているんじゃない。

 

 この秘密だけは、ナハト隊長にも、今はアリスにも話せないからね。

 

 何度も私を好きって言った、愛してるとも言ってくれた、サーリャだから、伝えるんだ。

 

「ですがっ……ティナ様」

「うん、いつもながら立ち直り早いね。それはサーリャの美徳だと思うよ。あと顔、やっぱり近いから、ずずずぃって近付いてこないでね」

「確かに私は、ティナ様と同じ悩みは抱えていませんが、その辛さとか、想いを共有することは出来るのですよ?」

 

 うん、無視して更に近付いてきやがります。

 

 女の子座り(ぺたん座り)のこちらが、お尻の脇に左手をついて、そのまま斜め後ろへ反る勢い。右手はおへその上。

 

 けど、この体勢でも、蹴りはいけるんだからね?

 

 女の子座り(ぺたん座り)って、結構蹴りが繰り出しやすい体勢だよね。

 

「うん、今までも、私にそうしてくれたサーリャには感謝してる。そこに元男性であるとか、生粋の女性であるとか、そんなのは関係ない……サーリャはサーリャだから、私はそんなサーリャが好きなんだ」

「唐突に突然に殺し文句いただきましたー!? ごふっ」

 

 あ、なんかサーリャにノックバックが入った。

 

 計画通り。嘘。ラッキーパンチ。

 

「……ですがっ、そうです!」

 

 あ、でも三歩下がった辺りで持ち直したようです。ニワトリかな。

 

「私もティナ様がティナ様であることが大事です。私をぞんざいに扱ったり、私の目の前でアリスにキスをしたり、時には私を締め落としたり、この私の眼前でアリスへキスしちゃいやがる酷いご主人様ですが、それでも私はティナ様が大事なのです」

 

 どうしてキスを二回言った。

 

「そのことの前には、元男性であることなど、どうでもいいのです。それに、もし仮にですよ? ティナ様が……その、男性的な欲求を、なにかの弾みに、もよおされたのでしたら……サーリャは構いませんよ? この身体、好きにしていただいても。ええ、なんの問題もありません」

「お……ぉぅ?」

 

 なにそれ。一周半回って逆に男らしい。

 

「誤解しないでくださいね? そうしてほしい、ということではありません。ティナ様はそうした欲求を忘れるために、女史さん……ですか? 神のような存在へ、そうしてほしいとお願いをしたのですよね? であるなら、それもティナ様のご意思ということでしょう? 私が尊重すべきはティナ様のご意思です」

「いえ、(わたくし)めも別に、前向きにそれを、積極的にそれを、その意思を、通したわけではないのですが」

 

 そこは誤解しないでね? これが何のこだわりなのかは、自分でもわからないけど。

 

「私は、どちらでもいいと言っているだけです。ティナ様が元男性で、そのように私を求めようとも、そうではなく、私を同性の従者として一生お(そば)に置いて下さるだけでも、そのどちらでも、私はティナ様に誠心誠意仕え、ご奉仕させていただきたいと思っています」

 

「……そっかぁ」

 

 私はそこで、いつでも蹴りが行けるようにと籠めていた足の力を……抜いた。

 

 そうして上半身を無造作に、後ろへと無防備に、ベッドへと倒れ込ませる。

 

 もし、これに、この身体に、サーリャが覆いかぶさってきたら……くるのだとしたら……いいや、この身、この私という人間の全て、全部、サーリャへ預けようと思いながら。

 

 社会通念上(エンドクサ的に)、何かが間違っているとか、普通なら氣持ち悪い関係と言われるだろうなとか、そんなの、もうどうでもいいや。

 

 サーリャが好きだ。

 

 サーリャとずっと一緒にいたい。

 

 許されるなら、この命果てるまで、同じ道程(みちのり)を共に歩きたい。

 

 だから、サーリャが求めるのであれば……いい。

 

 そこに子を()すという、崇高な使命があるわけじゃなくても。

 

 それは、この二人にとって、けして悪いモノとはならないハズだから。

 

「そっかぁ……なら、うん……サーリャ、ありがとう」

「ああまたおぐしが。まったくもう、ティナ様ったら」

 

 変な倒れ方をして、変な風に身体の下へと入り込んだ私の黒髪を、サーリャは優しく微笑みながら整える。

 

 そこに、襲い掛かってくる氣配などは、皆無だった。

 

 ここまで押してきたのに、サーリャはそれ以上進んでこなかった。

 

 ちょっと残念なような、申し訳ないような、でもホッとしたような、複雑な想いがよぎるけど、ああ、でもやっぱり、サーリャはサーリャだなと嬉しくもなった。

 

 

 

 

 

 

 

 大好き。

 

 

 

 

 

 

 

 髪を整え終えると、サーリャはただ一言、こう返した。

 

「こちらこそ、ありがとうごいました」

 

 話してくれてありがとうと、優しく笑う、その瞳が語っていた。

 

 それで。

 

 ああ。

 

 

 

 私はこれで……受け入れてもらえたんだな……と思った。

 

 

 

 ……この子に嫌われたら、私はもう生きてはいけないという確信があった。

 

 この話は、どれだけ私のことが好きでも、受け入れてもらえない可能性のある類の話だった。

 

 だからこれも賭けだった。

 

 サーリャという人間を信じて、私という存在の全て晒す。そういう賭けだった。

 

 でも、これはいつかしなければいけなかった博打で、サーリャというひとりの人間と、これからもちゃんと向き合って、付き合っていくなら、この告白は、しなければいけないモノだった。

 

 だからこれは儀式(セレモニー)

 

 結婚式のような、セレモニー。

 

 サーリャは残念な人で、こんなすっちゃかめっちゃかな私を好きだって言ってくれるちょっと変な人で、ほんのり変態さんでもあって、だけど。

 

 だけど……。

 

「それではサーリャ」

 

 サーリャはやっぱり、私の大事な人だから。

 

「どうかこれからも、これまでと変わらぬご愛顧を私に、どうぞよろしくお願いします。私はサーリャを。アナベルティナはサーリャを」

 

 ずっと一緒にいたい。

 

「──病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、ひとりの人間として愛し、敬い、慈しむことを誓います──」

 

 世界が許してくれるその時まで、一緒にいよう。

 

「はい……って後半は何をおっしゃったのですか? 日本語(ニホンゴ)? なのですよね?」

 

 好きだよ。

 

 だからこれからも。

 

「さぁーあね」

 

 どうかこれからも、よろしくね。

 

「ずっるーい。ティナ様、私に日本語(ニホンゴ)、教えてください! 私、ティナ様とそれでお話ししたいです!」

 

 

 



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48話:明日想う笑みは今日の軌跡

 

「愛しているは──月がきれいですね──とこう言います」

「ふむふむふむ」

 

 日本語を知りたいというサーリャへ、では挨拶からと、「こんにちは」とか「こんばんは」を教え始め、「ラブい言葉が知りたいです」というのへ、ブラザーソーセキの伝説を教えていると。

 

『ティーナ~』

 

「ん?」

「アリスですか?」

「ん」

 

 そこへ、アリスからの通信が入りました。便利ですね、念話のダイアモンド。

 頭に近い部位につけていればいいとのことで、私は前髪用のヘアピンに取り付けました。

 そういうちょっとした小物の加工も、裁縫チートの範囲内だったようです。もうこれ、手芸チートって言った方がいいのかもしれません。

 

 あ、そうだ。

 

 マーチングバンドなサーリャには、コレをバトントス。

 

「え?」

 

 エンゲージリングではないよ。

 

 ベッドの下に入れておいたエロ本、でもなくて棒状のモノだよ。

 

「私はアリスとちょっと通話するから、サーリャはそれをちょっとぐるぐる回してて」

「……なんですか? これ」

 

 これはですね、某元隊長(ナハトさん)も使っていた短い槍の、刃無しバージョンです。

 

 アリスとの戦闘で最終的に現れたこれは、ジャベリン(投擲用の長い槍)の、柄の部分に収納できる近接戦闘用の、つまりは対人用の武器なんだそうです。大は小を兼ねるの小の部分ですね。

 

 そもそも本来、投擲部(とうてきぶ)と分離してない状態、人の身長を超えるような長い槍の状態は、騎上、もしくは竜などのモンスターを相手取る場合のみ、使用する形状なんだそうですよ。

 

 ……なんであの隊長、アリス相手に途中まで、その状態で普通に振り回していたんですかね。アリスがモンスターにでも見えていたのでしょうか?

 

 まぁ対大型モンスターと対人、双方に対応するための仕掛けというのは、この世界の武具には割と良くあるギミックだそうで、そういえばなんか見覚えあったなー……と男爵家の武器庫を漁ってみたところ、やっぱりありました。ヘアアイロンに不採用だった謎の棒でしたね。わっかりにくい伏線っ!

 

 そういえばキルサさんも、同じ形状の短い槍を持っていましたね。あの時は、女性用だから短いのかなと思っていたりもしました。

 

「それでどしたの? アリス。なんかあった?」

『今日の、ナハナハの治療は終わったんだけど、サッスンがそっちに行きたいって言ってるんだけど、どうする?』

 

 ……とりあえず固有名詞については説明しないので、ナハナハとサッスンが誰のことを指すかについては、適当に考えてみてください。ひっかけ問題ではありません。

 

 現在はツインテールの金髪メイドに化けているアリスが「あたしに監視を頼むってことは、なんかあったらヤっちゃっていいってことだよね?」というのへ、日々ステイを言い付ける必要が発生する二人ですよ。

 

「サッスンはなんて?」

『今日さ、温泉で、ティナが昔提案したっていう……バナナのオムレットだっけ? バナナと生クリームをふわふわスポンジケーキでオムレツみたいにくるんだスィーツ。それを食べたんだけどさ、あれって美味しいね』

「ああ、ま●ごとバナナ。日持ちしないのが(たま)(きず)だけどね」

 

 そんなナハナハは、まだ王国軍に所属しています。長旅に耐えられる足じゃないということで、今は男爵家にステイしてもらっていますが、ある程度回復したら足にカモフラージュの添え木でも巻いて、一度王都へ戻り、引き継ぎやら諸々の手続きをして、男爵家に戻ってくるそうです。

 

 その際、俺が王へ告げ口をすると思うか?……と聞かれましたので、まぁ、したければしてもいいよと返したら、なんだかとても変な顔をしてました。

 

『それで、サッスンは美味しかったからティナにお礼が言いたいんだって。あとスィーツ談義がしたいみたい』

「礼は山崎さんに言いねぃ」

『誰よ山崎さんて』

「春になると、よくパン祭りをしているところ」

『パン祭り?』

 

 ねぇ?

 

 だってねぇ?

 

 どうして魔法使いが、人間の国で排斥対象になっているのか……って話です。

 

 決定的な断絶こそ、四百年前のリーンの暴走がきっかけなのでしょうが……。

 

 絵本の記述にもありました。

 

 聖女ルカが相対せしは炎の魔術士。

 万の軍勢を一瞬で溶かしたとされる炎術の使い手。

 

 武道家ティアが相対せしは風の魔術士。

 万の軍勢を竜巻に飲み込ませた風術の使い手。

 

 この記述は、おそらく誇張もあるのでしょうが、つまり魔法使いは、その氣になれば単騎で軍を蹴散らすことのできる存在なのです。

 

 それはまるで、ライトノベルのチート主人公、そのもののようで。

 

 下手したらひとりで世界を変革してしまう、世の中の秩序やパワーバランスを滅茶苦茶にしてしまう……魔法使いとは、そういう力を持った存在でもあるのです。

 

「スィーツ談義ねぇ」

「あたしも少し興味あるかも。お貴族様のスィーツ」

「……ま●ごとバナナって、めっちゃ庶民的な氣が」

 

 そんなモノは、時の権力者や、平穏を望む人には、害悪でしかないモノです。

 

 それが必要とされる舞台設定の上でならば……活躍を期待され、英雄ともなりえるのでしょうけど、残念ながら、この世界はそういうモノを排除する方に、舵を傾けてきたのです。

 

『ティナ、あのね? ふわふわのスポンジケーキも、生クリームも、普通庶民は食べないものだからね?」

「そうなの? じゃあアリスが小さい頃から親しんだスィーツって、どんなの?」

『んー。焼きリンゴとか?』

()しくもそれは物凄く、まるごとリンゴですね」

 

 ねぇ?

 

 ほらね?

 

 占星術師ティアがもし、九星の騎士団のティア、その人であるのなら。

 

 彼、あるいは彼女は、その身に複雑な事情を抱える人物であるのかもしれません。

 

 ですが、それはもういいです。

 

『あとはアイアがたまに造ったカステラとか』

「何氣にアイアさんって多芸だね……。そしてスポンジケーキ、食ってるじゃん……」

『カステラってスポンジケーキなの? 食感、ふわふわ~、と、しっとり~って感じで別物だけど』

「あ~……」

 

 なんにせよ、ミアを害そうとするなら、私の妹に手をかけようというなら、私、アナベルティナは……ティナはティアを殺します。もはやそこに躊躇(ためら)いはありません。

 

『まぁ色々造ってもらったし、食べてはいるよ? でもさ~、あたしって男所帯で育ってるじゃない? 綺麗な食べ物とか、可愛い食べ物とか、物珍しいっていうか、新鮮っていうか』

「あー……そういえば。ユミファさんはメスだしな~」「そそ」

 

 アリスに、リーン(アリスのママ)の罪を知られる前に、殺します。

 

 私は、怖い。

 

 アリスが、リーンになってしまうことが。

 

 アリスを、リーンにしてしまうことが。

 

 もしかすれば。

 

 これは……おそらく違うだろうと、私の直感が語っているけれども。

 

 ティアはもしかすれば、リーンが人類にかけた、言葉通りの『呪い』を、アリスを使って解こうとしているのかもしれません。その場合、この世界においては、そのティアこそが世界を救おうとするチート人間であり……後に英雄と呼ばれる存在であるのかもしれません。

 

 でもそれも、その場合でも、もうどうでもいいです。

 

 もしかすれば、それはティアではなく、ティアをも操った誰か……ひょっとしたらルカ……なのかもしれません。

 

 でもそれも、どうでもいいのです。

 

『ティナん()にきて、あたし、ビックリしたもん、ティナとかミアちゃんって、こんなに綺麗で可愛いモノばかり食べてるからその顔なのかなーって。人間のお貴族様、ずっる~いって』

「よくわからないけど、その勘違いは女子的にマズイ氣がする」

 

 私は正義ではない。

 

 人類のため、世界を変えたい、あるいは元に戻したいと執念を燃やす人……あるいはスライム……に、そのためならば、どのような犠牲を払ってもいいと考える誰かに、私の言葉は届きません。

 

 私はもう鬼で、悪魔ですからね。英雄にならんとする者からすれば、私は目的の成就(じょうじゅ)を阻害する障害に過ぎません。むしろ敵役です。どうしてこの正義を理解しようとしないのだと、そのために身を捧げようとしないのだと、滅私奉公(めっしほうこう)をしないのだと、理解に苦しむ存在でしょう。

 

「あとさ、一応言っておくと、バナナとかのトロピカルフルーツは、スカーシュゴード家が、年中そこそこ暖かい土地だから採れるのであって、お貴族様だから食べられるってモノでもないからね? ま●ごとバナナなんか出所が完全に別口だし」

『そうなの? じゃ、ティナがずっる~いんだ?』

「……そうなるの?」

 

 ナハト隊長は、敵対する、敵対した相手にも敬意を忘れない人間であったから、私の言葉が届きました。彼は正義を信じていない。自らが正義であるとは信じていない。それでも人として正しくあろうとしているから……だから「悪」に見える他人であっても敬える……皮肉なロジックですが、他人の正義を否定してまで、()を押し通せるほどの信念が無い私に説得できるのは、おそらくそうした()(よう)の人間だけです。

 

 私はただ、生きたいだけで、身近な人達と幸せになりたいだけ。

 

 だから本当に必要ならば……それが本当に必要か、最後まで悩みながら……私は私の幸せを阻害する人間を、殺します。殺せます。相手が正義で英雄であっても、それを殺します。そうします。そうすると決めました。

 

 ティアは、もしかすれば同情すべき過去を持つ人間なのでしょう。

 

『どうしたの? 急に黙っちゃって』

「……アリスさ」

『うん?』

 

 そうであったとするのならば。

 

「今、幸せ?」

 

 リーンの暴走より始まった、「国を喰って」四百年を生きるという化け物の人生は、悲劇的でありシリアスであり、本当は、本来であれば、その全てにきっちりと清算をつけさせて、そうして終わらせるべき……それはとてもとても大仰(ドラスティック)な……一個の物語なのかもしれません。

 

『なに? 突然どしたの?』

 

 でも、私はそんなこと、勘案(かんあん)しません。

 

 ただ彼、あるいは彼女を殺します。

 

 その向こうにあるティアの悲劇を、私は()()りません。

 

 そのシリアスを、ぞんざいに扱います。

 

 ミアを狙うと言った以上、ティアは「敵」です。

 アリスを害そうとする以上、ティアは「敵」です。

 

「いや忙しいとか、サッスンがウザイとか、結構、文句を言う割に楽しそうだなーって」

『文句も出るわよー。コイツ、護衛の騎士が信用できないみたいでさ、お風呂だけじゃなくて、トイレにまであたしを連れまわすのよ? してる間、スカートの裾を持ってて欲しいってさ。着替えをあまり持ってきていないので汚したくないとか、知るかっ』

「ありゃまぁ」

『まぁでもそうね、幸せかどうかはわからないけど、楽しいよ?』

「……そっか」

『うん』

 

 アリスを(おの)がシリアスに巻き込み、正義への滅私奉公を強要するだけであっても、それでアリスが、この上なく傷付く可能性があるのならば、ティアは私の「敵」です。

 

 その打倒は、ティアが英雄でない今ならばこそ、大義名分をもって()すことができます。今はまだ、魔法使いであるというだけで、人間国家の法の上では「悪」ですからね。ティアが英雄になるには法律、そして社会通念(エンドクサ)そのものを書き換えなければいけません。変革しなければいけません。勝てば官軍、勝てば外道も英雄です。

 

 ならば私は……桃太郎に打ち勝つ鬼ともなりましょう。

 

 守るべき金銀財宝は、既にたくさん得てしまったのですから。

 

『パパとママ、アイアもアムンも、エンケラウも、もういない世界なんだなーって思うと、少し寂しいけど、仕方無いよ、人は死ぬから。いつか絶対死ぬから。パザスがいるし、ティナ達とも出会えたし、あたしはそこまで不幸じゃない。エンケラウがゴブリンにされちゃったみたいな、本当にどうにもならないほどの不運には、まだ()っていないから、なら大丈夫』

「そっかぁ……強いね、アリス」

 

 ナハトさんは、王都に戻った際には、ティアがその地位において何をしていたか、そしてどうなったか調べてくれると言っています。その調査はどう考えても必須です。

 

『当然。あたし、めちゃんこ強い魔法使いなんだからね。あたし、死んだら、ママに地獄で、あたしの人生、色々あったけど、でもなかなかに()かったでしょ? って言ってあげたいんだ』

「そうだね、私も、そうしたい」

 

 ねぇ、時の権力者である王様?

 

『なに言ってんの? ティナは天国行きでしょ?』

「どうかな~。人間の国の法律的には、アリスと仲良くするのだって重罪だからね。アリスが地獄行きなら、それって神の法まで人間のソレと変わらないってことだから、私も危ないかもね?」

 

 占星術師として王国の中央に潜り込み、サスキア王女を操って国に害を与えようとした存在がいるのですよ?

 

『それは』「だからって、私はアリスと別れたりしないけどね」

『え』

「私は私の法に従って生きる。だからミアもアリスも守る。アリスもアリスの法律で、私と共闘することが違法じゃないというのなら、一緒に、ティアを倒そう」

 

 彼は様々なマジックアイテムを使い、それこそ単騎で一軍を滅ぼそうとまでしていました。

 

『う、うん』

 

 どうします? 彼が、より明確に、カナーベル王国へ牙を向いたとしたら。

 

「約束だよ?」

 

 魔法には、魔法で対抗するのが一番だと思わない?

 

『うん!』

 

 アリスは、国に反旗を翻す氣などない私の、友人だよ?

 

 アリス自身には祖国なんて無いから、敬うべき「国」なんてモノは無いよ?

 

 だから「国」などという大きな枠組みよりも、私という小さな存在、あるいは鬼の意志を尊重してくれるよ?

 

「ふふ」『あは』

「『あははははっ』」

 

 王に告げ口をしたいなら、ついでに私がそう言っていたことも伝えてね、と……私はそうナハナハへと伝えました。まぁ……ティアの狙いが、今はほぼ確実にアリスへと絞られているだろうことは伝えていませんが……嘘はついていませんからね。可能性はあるのです。

 

 そして、民の平穏や秩序の維持、あるいは既存の権力構造の堅持がため、それらを乱す「可能性」があるというだけで対象を排除するのが、為政者(いせいしゃ)という立場にある者の仕事です。

 

 魔法使いが人間社会から排除されるのも、彼ら彼女らがそういう「可能性」の保持者だから……でしょう?

 

『んー……んふっ……ひー……っとぉ……笑い過ぎたぁ~。で、どうするの? サッスン、そっち連れて行っていい?』

「んー……」

 

 ならば私は、為政者であるところの王様へ、「可能性」をぶつけてあげましょう。

 

 毒をもって毒を制す……その必要があるなら、既に明確に反旗を翻した毒と、私という毒、どちらをとりますか?

 

 ……さあて、どうなるんでしょうね?

 

 彼はこれを王に報告するでしょうか、しないでしょうか。

 

「まぁ、こっちで今やることは特にないし、暇だから、いいんだけど」

『よくわからないけど、それって毎日忙しいこのあたしに、喧嘩売ってる?』

「どうどう」

 

 既に、私はゴドウィンさんやキルサさんの報告により、英雄的聖女であると喧伝されています。それがこの枕元に、きらびやかに、うず高く積まれた釣書(つりがき)の山の原因です。

 

 なんか上は公爵家からのモノまであるんですけど……。

 

 公爵家ってアレですよ? 王家の親族級の貴族家しかなれない、そこに嫁入りして娘を産もうものなら、その娘が国母になる可能性すらある、貴族の最高階位ですよ? 男爵家からしたら、さすがのママですら「どうしたらいいの……オロオロ」となる雲の上の殿上人ですよ?

 

 まぁさすがに、公爵家からの、その二件は、正妻へのお招きなどではなく、第四夫人と、第六夫人へのお誘いですけどね。おめぇらどんだけ嫁欲しいねん。三ヶ月(ワンクール)ごとに嫁を変えたいなら日本へ行っておいで。却下だ却下。

 

 さて、この状況下で、根は真っ正直なナハトさんがことの真相を王に報告したとして、カナーベル王国の最高権力者はどうするのですかね?

 

 全てを闇に葬るなら、ナハトさんも殺されちゃいそうですね。もはや戦力として期待できない(と(おおやけ)には思われている)、不都合な真実だけ知ってる証人……闇に葬りたい存在ランキングなるものがあれば、ベストテンくらいにはランクインしてくるのではないでしょうか? 一位はなんだろ……男爵家程度のひっくい身分で公爵家の跡取り息子を産んだ嫁とかですかね?

 

 まぁ、その推測も、彼には話してあります。さてその上で、彼はどう動くのでしょうか?

 

『はー。もうティナってば、あたしのこと全然わかってくれない。こんなに忙しいの我慢してるのだって、半分はティナの為なんだからね?』

「半分はアリス自身の為だけどね」

『言、わ、れ、な、く、て、も、わかってまーす。でも、だったらティナも私の半分くらいは忙しくしててよ~。なんであたし、割と不倶戴天の(かたき)だったはずのサッスンやナハナハのために、こんな馬車馬みたいにしてなきゃなんないのよ~』

 

 アリスは、私がナハトさんを仲間に引き入れたことについて、いまだ納得していない感を出していますが……でもね?

 

 この扱い、ナハトさんには、きっと殺されるよりも不本意な扱いではないでしょうか。戦場で死にたがってたし。

 

 だって彼は、これから鉱山のカナリア役を演じるのですから。

 

「そりゃ、代われるなら代わってあげたいけど……」

『置換のキャッツアイ、ちょっと本氣で探してこようかな』

「人の憧れアイテムをバイトのシフトチェンジ感覚で使おうとしないで!?」

 

 王に報告すれば結構な確率で闇に葬られる秘密を携えて、占星術師ティアの影響残るかもしれない王都に赴く……。

 

 彼には王都へと赴く際に、この念話のダイアモンドを渡そうと思ってます。それにより定期通信を行い……それが無くなったのであれば……つまりそういうことです。

 ティアか、王か……どちらにせよ、王都には危険があるということが判明しますね。

 

 無事、帰ってくれば、彼は私の手駒です。

 

 王に報告をして、その手駒として、私を闇に葬るため戻ってくる可能性?

 

 ないない。アレは誇り高き武人そのものだし、忠誠も国にあるのではなく、国に忠義を尽くした恩人へあるだけです。その辺りの心境は、アリスが念話のダイアモンドで覗き、確認しました。

 

 だから、彼についての不安要素は、もうありません。

 

『こんなに忙しいの、もうやだ~。ティナ~、慰めてよぉ』

「そこはほら、また夜にマッサージしてあげるから」

『それはそれでしてもらうけど、朝も昼も一緒にいたいのぉ』

「かまって乙女ちゃんっていうか、もはやただの甘えん坊さんに……」

 

 問題は……念話のダイアモンドで心を覗いても……そのあまりのあけっぴろげ、おっぴろげ感に「もしや演技では?」と微妙な疑惑がふつふつと湧いてきて、しかしそのアーパーぶりに「ないわー」とならざるを得ない少女、だけど念話のダイアモンドの特性を良く知り尽くしてるハズだから、疑惑も拭いきれない、もうひとりの方でして……。

 

「アリス。いいことを教えてあげる。そのキャラがワガママルートを辿って進化していった最終形態が、転落前のサスキア王女だからね?」

「ティナ様、その一言は”ツッコミ”どころが多すぎます……」

『なんでもいいからティナに会いたいのー。会いたい会いたい、会~い~た~い~。ほらアンタもそこで指咥えてないで一緒に。会ーいーたーい~』

「いや聞こえないからね? サッスンにも言わせたんだろうけど」

「お嬢様……仮にも王女殿下をサッスンサッスン言うのは、問題があるかと」

 

 だってぇ……アレもうホント色々面倒くさいんだもの。

 

「サーリャだって仮にも、とか付けてるじゃん」

「ナンノコトデショウ」

 

 いいよこっちなら、「失望した」「スッキリしない」「討伐隊やられ損」とかなんとか言われても。実は悪い女神でも憑いてませんかね。それなら私も、今からでも処断することに(やぶさ)かではないわ。女史っぽい女神なら恩もあるから見逃すかもだけど。

 

 しかして、どこからどう見ても、現在……元からだったかもしれないけど……アーパー娘であるところのサスキア王女は、ナハトさんと同じで男爵家に逗留しています。メイドな金髪ツインテールのアリスがお側付きになって、どこへ行くにも二人一緒です。

 

 あの王女、討伐軍へは、お付きの侍女などを伴わずやってきたっぽいのですよね。

 

 なんでも「食料の得にくい土地、ならば私も不必要な贅沢はできません」云々、なんか適当な理屈をつけたそうで、更にはだから(?)ナハトさんと同じテントにしろとも要求していたそうで、さすがにそれは通らず、護衛に腕利きの女性騎士を六人、つけられたそうですが、道中、その人達との交流もまるでなかったんだそうです。

 

 その女性騎士さんも、二名だけ男爵領に残っていますが、後は全員王都へ帰還してしまいました。

 

 サスキア王女は現在、男爵領のお城(私達が住んでいるお屋敷とは別の建築物となります)に、急遽設けられた部屋へ滞在してもらっているのですが、その女性騎士さん達は、その部屋にも入れてもらえないようです。まぁ人には見せられない指の治療とかも、そこでするからなのですけど。

 

 そんなこんなで今、王都からサスキア王女の「新しい」お世話係が何人か男爵領に向かっているそうですが、それはつまり、戦闘訓練などはしていない、普通の女性が中心となる一団の移動となりますからね、もうしばらくは到着しないでしょう。

 

 つまり現在のサスキア王女はかなりフリーな身の上です。フリーダムと言ってもいいです。なんだか楽しそうですね。実際本人も、アリスがげんなりするほど楽しそうにしていると聞いてますし。

 

 ……だからといってことあるごとに、私に会いたい会いたい言ってくるのは、勘弁してほしいのですが。

 

「まぁ……仕方無いから、いいよ。アリスもくれば? なんなら二人まとめてマッサージしちゃるわい」

『え、いいの? いくいくいくいくいく。サッスンもなんか涎を垂らして喜んでる』

「……」

 

 そんなこんなで、サスキア王女はなんかこう、精神が若干退行したまま、私に懐いてしまった感じです。うへぇ……。

 

 もはやナハト隊長……討伐隊は既に解散したので隊長ではなくなりましたが……ナハナハな彼にはもうあまり興味がないようです。興味がないというか、むしろ明確に恐れている感じですね。今の状態でも、自分がやったことについて罪の意識(のようなモノ)はあるらしく、それを、口にしては責めてこないナハナハに、怯えのようなものを感じてるっぽいです。

 

 まぁ責められた方が楽ってこともありますからね。

 

 ……連続バンジージャンプが楽なこととは思いませんけど。

 

『ティナ』

「うん?」

 

 だから正直……王女がそんなことになった原因であるところの私としては、罪悪感が凄いのです。

 罪悪感がどえりゃーので、あまり会いたくないのです。

 

『幸せかどうかはわかんないけど、あたし、この時代で目覚めて最初に出会ったのがティナで、本当によかったと思ってるよ』

「……うん」

 

 ですが今の彼女を無下に扱うわけにはいきません。

 それは私の罪悪感的にも、国賓的にも。

 

『一緒に、幸せになろうね』

 

 どちらにせよ、彼女はそう遠くない未来、他国へ嫁ぐ身です。

 

「うん。どっちがより幸せになれるか、競争だね」

 

 私自身も(”他国”が意味するモノの意味合い、スケール感こそ違うものの)そうですが、年齢を考えれば、先にそうなるのは彼女の方でしょう。

 

『ま、ティナがよく言う長生きってだけなら、圧倒的にあたしの方が有利なんだけどね』

「……いじわる」

『へへ~。くやしかったら人間の寿命ギリギリまで頑張ってね』

「言われなくても、(おう)ともよ」

 

 ならば、それまでは心穏やかに過ごしてもらいましょう。

 

『えへへ~』

 

 未来に、別れは、確実にある。

 

 だけど同じ場所で同じ時を生きる今……この今は、温度という実感すらも伴って、もっと確実に、この手の中にあるのですから。

 

 潰さないよう、優しく握りしめていかなくちゃね。

 

 

 



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49話:誓う

 

 そんな感じで、また数日が過ぎていきました。

 

 本日……は何月何日でしたっけ。海上自衛隊よろしく金曜日になるとカレーが出てくるわけでは無いので、なんだかこのところ日と曜日の感覚が曖昧になっています……私はサーリャに連れられて、久しぶりにミアのお部屋へと向かっています。カレーライス食べたい。

 

 どうしてかあまり氣が向かず、最近はご無沙汰していたミアのお部屋です。

 

 ずっと暗い部屋に引き篭もっていた私を、この日ばかりは結構な強引さで、サーリャが私の手を引いてきました。外では風が強いのか、お屋敷のあちこちがミシミシといってました。

 

 距離的に海は遠いけれど、この辺りにも、たまに強い風が吹くのですよね。

 

「ねー、サーリャ、どうしちゃったの?」

 

 私、なんか悪いことしちゃいました?

 

 マーチングバンドコスのあと、日本語の授業しながら、甘ロリ、ゴスロリ、ウェイトレスなどのコスプ……もとい、衣装を作り、着せ替え人形にして遊んだりしたけど、まぁ本望だよね?

 

 わざとサイズに余裕のない寸法で仕立てて、私自身は着れないようにしちゃったけど、いいよね? 良くない? 血涙でちゃう? ごめん。

 

 あとその揺れる縦ロールはどうしちゃったの? ドSに転向でもするつもりなの?

 

 いや似合うけど。

 

 サーリャの新たな魅力発見、ってくらいには似合っているけど。

 

「大丈夫ですよ、ミア様がティナ様にお会いたいとおっしゃっているので、お連れしているだけです」

「ミアが?」

 

 私達は、お互いの部屋には、自分らが行きたいと思った時に遠慮なく向かう姉妹だ。きて欲しいと部屋に呼びつけることは、あまりない。

 

 ……というか、一回でもそういうのって、あったっけ?

 

 ……と考えて、そもそも私が何日もミアの部屋に行かなかったことが、最近になるまでは全く無かったことに氣付いた。

 

 あー……。

 

 そっか、それじゃあ、不安にもなるか。

 

 お姉ちゃんが今までにないことをしてる……正確にはしてない……なんて……家族からしてみたら、どうしちゃったのって話だ。

 

 どうしちゃったかってーと……それはまぁ……ここんとこ自室で有り余る時間を過ごしていたので、自己分析はできてるつもりなんだけど。

 

「ねぇサーリャ……私、ミアのいいお姉ちゃんになれているかな?」

「それこそどうしました? ティナ様はミア様の、最高のお姉様と思いますよ?」

「そうかなぁ……」

 

 私は、ミアの危機を感じても、目の前の問題の解決を優先させた。

 パザスさんを向かわせたとはいえ、本当にちゃんと家族を心配するなら、そこはもっと感情的に自分が走るべきだったのではないか……そういう疑念が心のどこかにある。

 

 アリスが拷問された時もそうだ。

 

 どうして私は、後先考えずにサーリャを振り切って、アリスの元へと駆けつけなかったのだろうか?

 

 邪魔をされぬよう、サーリャを落とし、ペタペタとゴブリン化薬を身体に塗り、それが浸潤(しんじゅん)するのを待って、(ようや)く私は助けに入った。

 

 アリスの悲鳴を聞きながら、待った。

 

 あの時の氣持ちは、赤黒く塗り潰されていて、もう思い出せないけれども。

 

 私は、そこで、冷徹に待ったのだ。

 

 ……それが、致命傷でなければ。

 

 アリスは相当に深い傷でも、すぐに回復魔法で回復できる。

 だからアリスに関して言えば、拷問されようが、手遅れにならなければ大丈夫だという考えが……心のどこかにはあった氣がする。

 

 それを自分に言い聞かせながら、暴れ回り、荒れ狂う心を必死で押さえつけた感触なら、記憶の片隅に……うっすらと残っている。

 

 だけど私は知っていたはずだ。

 

 人は恐怖と苦痛を感じ続けると、身体が手遅れにならなくても、心の方が壊れてしまうこともあるんだ……ということを。

 

 そういう実例を、私は被害者として身をもって体験してきたし、加害者の側としても、あの時の身近には、そういうモノが存在していたハズだ。

 

 ただ……私が、あの方法以外でアリスを助けられたとは思えない。

 

 それは、落ち着いて考えてみてもそうだ。理性的な判断としては何も間違っていない。それこそ博打でいいなら、薄い可能性は沢山あったけれども、もっとも確実に助けられるのは……あの方法だった。

 

 だから私は、間違ったことをしたとは思っていない。

 

 アリスを、助けられたことを、誇りにも思っている。

 

 だけど疑問は残る。疑惑は拭えない。

 

 私の心は二度、壊れている。

 

 一度目は前世、病気によって壊された。

 二度目は今生(こんじょう)、クソ兄貴によって壊された。

 

 そうして現世ではこれまた二度、私は救われた。

 

 一度目はミアに。

 二度目はサーリャに。

 

 だけど。

 

 私の心は……本当に人間として……ちゃんとした形を取り戻していたのだろうか?

 

 人は理性でなく感情で動く生き物だ。

 

 それは、社会的には推奨されないことであり、現実には、人はやはり理性的であるべきなのだろうけど……それも度が過ぎれば……それはそれで、人間として壊れていると看做(みな)される。

 

 氣持ち悪い。

 

 客観的に見て、あの時の私は氣持ち悪い。

 

 妹の危機に、目の前でアリスに行われる残虐行為に、理性的に対処しようとしたあの時の自分が……平時にあっては化け物のようとすら思えてくる。

 

 私は壊れているのか。

 

 それともそうでないのか。

 

 それは答えの無い袋小路だ。

 

 それが……私の足を鈍くさせていた。

 

 私はまだ……ミアと笑い合っていい存在なのだろうか?……と。

 

 やがて、求婚の釣書(つりがき)がうず高く積まれて。

 

 貴族の結婚だ……それは暗に、私に……子供を産めと求めていた。

 

 私が人の子を産む?

 

 こんなどこか壊れたような人間が?

 

 生まれた時から……この生では親孝行をしようと思い……生きてきた。

 

 貴族令嬢であるからには、それに相応しい親孝行というものがある。

 

 だけど……そうだ。

 

 嫌だけどやるべき……そう思っている内は良かった。

 

 自分は求められる側で、許す側だから。

 

 でもそうじゃない。

 

 自分にその資格はあるのか?……そういう疑念が蔓延(はびこ)ると……。

 

 自分に普通の幸せは許されるのか? こんな人間に?

 

 自分は普通に生きることが許されるのか? こんな人間でも?

 

 自分は普通に生きて誰かを幸せにできるのか? こんな人間が?

 

 次から次へ怯え、恐れが心にわいてきて。

 

 私は、自分が何のために生まれてきたのか、わからなくなってしまった。

 

 そうして私は引き篭った。

 

 そうして、私はサーリャに甘やかされて……サーリャに許しを求めて。

 

 

 

「ティナ様」

 

 

「……はい」

 

 

 

「ティナ様が鬼でも悪魔でも、私もアリスもミア様も、たぶん構わないと思いますよ?」

「……え?」

 

 

 

 そうしてまた……私はサーリャに、救われる。

 

 

 

「アリスに言ったそうですね。”鬼も悪魔も私がなるから、大丈夫”……と」

「……うん」

「なら、私はこう言いますね。ティナ様が鬼でも悪魔でも……元は男性であろうとも、心が年上であろうとも……私はティナ様のことが大事で、大好きです」

 

 なんでもないことのような、その言葉に。

 

「愛して、います」

 

 (てら)いなく、婉曲(えんきょく)さのカケラも無い、そんな一言に。

 

「あ……」

 

 心をひょいと、(すく)われる。

 

「ああ……」

 

 胸がポカポカしてきて、じんわりと全身が温かくなっていく。

 

 だから私は、これでいいんだと思えた。

 

 こんな私でも、サーリャが好きでいてくれるうちは、いいんだと思えた。

 

「だから……失礼しますね」

 

 そこで、唐突に、廊下の途中でサーリャが立ち止まる。

 

「え?」

「ティナ様」「ん!?」

 

 と、次の瞬間、私は手を引かれ、サーリャの胸元へと引き寄せられていた。

 何を……と思う間もなく、左手で腰を固定されてしまう。

 触れ合った部分があたたかい。

 縦ロールが頬に当たって、くすぐったかった。

 

「私は、反対する私を締め落とし、結果を出してしまったティナ様へ、何も言えません」

「……あ」

「軽挙妄動で飛び出すのではなく、死なないよう準備して立ち向かったのだと聞きました」

 

 アリスから……と、サーリャは少し悔しそうに笑った。

 

「……ごめん」

 

 そういえば、そのことを、キチンと謝ったことはなかった。

 サーリャなら、全部許してくれるからと、甘えてしまっていた。

 

「いいえ、ティナ様はそれでめざましい成果を残しました。ならばあの場で間違っていたのは私の方。むしろ、力になれなかった自分を恥じるばかりです」

「そんなこと、は……ん」

 

 サーリャの右手人指し指が、反駁しようとする唇をピトと抑える。

 

 細くて、軽く触れているだけの指に、どうして抗えないんだろうと、頭の片隅で思った。

 

 だから、その答えが知りたくて、サーリャの瞳を覗き込んだ。

 

 澄んだ湖のような、綺麗な瞳だと思った。

 

「はい。ですが、同じ状況に陥ったら、私はやはりアリスを見捨て、ティナ様のお命を最優先としてしまうでしょう」

 

 そういう私を、鬼と思いますか? 悪魔と思いますか?

 

 問うてくる瞳に、そのブルーグレーに、私の心が、きゅうと鳴く。

 

「それは……」

 

 サーリャの胸の中で、私はサーリャにその胸の内を(さら)されて、その愛情へ(さら)されて……。

 

 私は。

 

 私は……。

 

 アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは。

 

 その問いへ、真摯(しんし)に答えようと、応えようと口を開きかけ。

 

「本当に、失礼します、ティナ様」

「……んくっ!?」

 

 その唇を……サーリャに、奪われていた。

 

 

 

 やわらかなモノに、自分のやわらかなモノが捕らえられ、そこへツゥと舌が通り、そのゾクッとする感覚をどこへももっていけないまま、ぎゅっと強く抱きしめられる。

 

 

 

「んぅ!?」

 

 肩を、首を、胸元を、ハニーブロンドの髪が愛撫してくる。

 

 身体に触れるは、いつか確かに、私が縫った……メイド服。

 

 大事にしてくれているから、洗いたての清冽(せいれつ)な匂い。

 

 そこへ隠れた、僅かなシトラス系の香氣。

 

 その向こうにある柔らかさ。

 

 穏やかな温度が、私を包み込む。

 

「ぁんー……」

 

 舌先を、サーリャのそれで優しく触れられる。でもそれ以上は入ってこない。

 

「んー……ぅ……ぁ……」

 

 そうして、何度か舌と舌のキスが繰り返され、その合間合間に上唇を、下唇を(ねぶ)られているうち。

 

「あ、ぁ……」

 

 全身が、甘く痺れているかのように力が入らなくなり。

 

 その中心で、行き場のない鼓動が、激情が、震えだした。

 それは、飛び立とうと羽ばたき続ける、小さな小さな雛鳥のようで。

 

 それがなんだか、とてもとても、氣恥ずかしくて。

 

 苦しい。

 

「愛して、いるんです。私も、アリスも」

「んー……ぅ」

 

 むせかえるような陶酔感。

 

 とめどない多幸感の波に飲まれ、押し流されて。

 

 それへ、何もできなくて、返せなくて。

 

 雛鳥には何もできなくて。

 

 窒息してしまいそう。

 

「サぁ……リャぁ……」

「同性ですから、結婚したり、同じ血をひく子の親になることはできません。でも、愛ってそういうものだけではないでしょう?」

「サ……んっ」

 

 何かを答えようとするのへ、サーリャの唇が再び私を支配する。

 

 心に、色んなモノがあふれてくる。

 

『はじめまして、ティナ様。スカーシュゴード家に仕える騎士の娘、サーリャです。本日よりティナ様付の専属侍女の役、拝命させていただきました』

 

 黄金色に蘇る、いつかの記憶。

 

 初めて出会ったのは私が十一歳、サーリャが十五歳の時。

 

『これが転んだ時に付いた傷ですって!? 騎士の(いえ)の娘を見くびらないで! 小さい時から父や兄の治療をしてきた私ですよ! この傷はどう見ても!』

 

 あの頃はサーリャも、まだ今ほどには女性らしくなく、いかにも騎士の家の出の少女らしくて、どこか負けん氣の強そうな顔をしていた。

 

 どこで、それが変わったのだろうか?

 

 最初に、抱きしめてくれた時からだったかもしれない。

 

 ゆっくりと、一緒にいる時間の中で、少しづつ変わってきたのかもしれない。

 

 私達は、十代の二年という、大きな年月(としつき)を一緒に過ごしたのだから。

 

『もっと私を頼ってください。貴女専属である、この私を』

 

 氣が付けばサーリャは、優しく包むように笑う、だけど少し残念で、胸部装甲が凶悪に育った……私の大事な人になっていた。

 

「ん……」

 

 あたたかい。

 

 この(ぬく)もりに、私はずっと、守られていた。

 

 やわらかい。

 

 この抱擁に、私はずっと、(まも)られてきた。

 

 いつの間にか、そんなかけがえのない存在になっていたサーリャに。

 

 そのあたたかで柔らかな存在に、私の全てが支配されている。

 

 感覚とか、感情とか、この肉体の全てであるとか。

 

 そういうもの全部。

 

 サーリャに、奪われている。

 

 何も考えられなくなる。

 

 ただ全身に感じるあたたかさと、サーリャと繋がっている唇の熱だけが、私という存在の全てのようで……。

 

 その感覚しか、この世界には残っていないかのようで……。

 

「んぅ……ぁ」

「愛しています、ティナ様」

 

 永遠のような一瞬。

 

 それが、今ここで私の心に、魂に、焼き付けられたのだと思った。

 

『だから、誇りを取り戻しましょう』

 

 いつかと同じように。

 

 サーリャは私を変えてくれる。チート勇者が世界をそうするように、私という人間を変革してしまう。

 

 暴力で壊すのではなく、無理矢理に入ってくるのでもなく、ただ優しく微笑んで、愛していますと伝えてきて、それだけで、私の弱く脆くなってしまった部分を刷新(さっしん)してくれる。

 

 もしかしたら、それはとても、一番ズルい手口、()(くち)なのかもしれないと……ぼんやりした頭で思った。

 

 弱い部分に付け込む……なんてね。

 

 でも、サーリャの唇の柔らかさを、あたたかさを、熱を、幸せな温度を、金色の輝きを、吸い込まれるような瞳の優しさを……全身で感じながら、それでもいいやと思った。

 

 弱い私が悪いのだから。

 

 それが嫌だと思うのならば、私は強くならなければいけないのだから。

 

 そんな風に勇氣をくれるズルさなら、いくらでもしてほしいと思った。

 

「ん……あ、サーリャ……」

 

 ……そうして氣が付けば。

 

 頬に、まぶたに、額に、首筋に、サーリャの唇が何度も落ちていた。その全てが熱い。

 

 胸がいっぱいになって、なぜだか泣きそうだった。

 

「ティナ様が、ミア様へ無償の愛情を向けられているように、ティナ様にも、多くのそういう愛情が向いているのです。信じられませんか?」

「え……」

 

 何も考えることなく、フルフルと横に振られている、私の頭。

 全身が、蜂蜜のような黄金色(ハニーブロンド)の何かで満たされていて、直前までぐじぐじと悩んでいたことが全て(とろ)けている。

 

 これが幸せというのならば。

 

 これを幸せと呼ぶのならば。

 

 私は今、幸せにのぼせてしまっている。

 

 だから何も考えられなくて、ただ。

 

 サーリャの薄桃色の唇と、その灰色がかった水色の瞳を見ている。

 

 悪戯っぽく笑う、十七歳の、だから本当は年下のはずの少女を、ただただ見ている。

 

 私の何かを奪い、支配し、そうして救い、掬い上げてくれた少女のことを、ただただ見ている。

 

 強く抱かれていなければ、もう膝から崩れ落ちそうだとも思った。

 

「さて」「ぁ……」

 

 どれくらい、そうしていたのだろうか。

 

 永遠にも思えたし、一瞬にも思えた。そんな(とき)

 

「いきましょうか、ミア様が、アリスが、待っています」

「ん……」

 

 だけど、それも終わる。

 

 永遠なる一瞬などないと、現実とはそうして続いてくものと告げられたかのように、私は柔らかな熱から解放され、サーリャに、ハニーブロンド舞う背中を向けられる。

 

 でも、右手はまだ捕らえられたままだ。

 

 そこは繋がったままだ。

 

 いつの間にか、指と指を絡め合う形に、握り直されている。

 

 そこが、今も熱かった。

 

 その繋がりが、あたたかかった。

 

 ふと耳を見れば、サーリャのそれは真っ赤に染まっている。

 

 両耳とも、ハニーブロンドに透けて見えるくらい、真っ赤だ。

 

 その向こうの顔の熱さまで、想像できるくらいに。

 

 そうして、手を引かれ、再び歩き出そうかという、その刹那。

 

「ティナ様」

 

 一瞬だけ、サーリャはその赤い顔をこちらへ向け、恥ずかしそうに、でも左手の指を軽く自分の唇に当てて、蕩けるような笑顔で、こう言った。

 

「アリスには、内緒ですからね?」

「え、あ」

 

 ぼんっ……と自分の顔も赤くなったのがわかった。

 

 身体の奥底から。

 

 心の全てから。

 

 感情があふれ、それが涙となってぼろぼろと零れ落ちていく。

 

 意味がわからないほどの奔流。なぜ泣いているのか、悲しくなんてないのに、こんなにも幸せで胸がいっぱいなのに。

 

「……サーリャ、あ゛りがとう」

 

 お屋敷の廊下を、これ以上何かが零れないよう、目尻を擦りながら、片手を引かれて歩く私がいる。

 

 柔らかであたたかな手は、私のそれよりも少しだけ大きくて、実際に生きた年月は私の方が多いはずなのに、それはもう人としての大きさそのものを表しているようで……悲しいような、嬉しいような、情けないような、誇らしいような、とても不思議な氣持ちだった。

 

 サーリャ、大好き。大好きだよ、サーリャ。

 

 どうか、サーリャのためにも、サーリャの想いに応えられる自分でありますように。

 

 そうしていこうと思った。そうなっていこうと思った。二人の未来を願った。二人の幸せを祈った。

 

 外で、今も強く吹いている風が、まるで私達を祝福してくれているみたいだと思った。

 

「さぁ着きましたよ、ティナ様、ノックしてあげてください」

 

「う、うん」

 

 それは、なんだか懐かしいような、ミアの部屋。

 

 その扉。

 

 それを、私は、ためらいがちに、叩く。

 

「ゅ」「お、きたね」

 

 ん?

 

 中から、戸惑ったようなミアの声と……アリスの声?

 

「さあ、ドアを開いて」

 

 そっとサーリャに背中を押される。

 

「う、うん?」

 

 なんだろう、どうしたんだろう。

 奇妙な雰囲氣に戸惑いながら、私はミアの部屋のドアを開ける。

 

 ぎいと軽い音。

 

 その向こうはカーテンなど全開のようで、明るい光に溢れていて……。

 

「ティナ」「おねえちゃん!」「ティナ様」

 

 

 

 

 

 

 

 十四歳のお誕生日、おめでとう!

 

 

 

 

 

 

 



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50話:風衝木の見た夢

 

『おにいさんは、生まれてきたことを後悔している?』

 

 その問い掛けに、自分がどう答えたのか、今の私はもう覚えていない。

 

 

 

『こんにちは、おにいさん』

 

 彼は、(とお)ほども歳の離れた、奇妙な友人だった。

 

 白い建物の、その中は、まるで藻に被われた古い水槽。

 いつも薬品臭くて、(よど)んだ愁嘆(しゅうたん)(ゆが)んだ終端(しゅうたん)

 

 そこで、俺達は出会った。

 

『僕の病気、薬を作るメリットが無いんだって』

 

 世間一般的な友人……社会通念上(エンドクサ的に)そうであると確信をもっていえる友人というには、俺と彼はどこへも遊びに行かなかったし、楽しい話題で盛り上がることもなかった。

 

 淀んだ水槽は狭すぎて、小魚はちょいちょい同族と顔を突き合わせるしかなくて。

 

 だから俺と彼はまれによく()い、あるいは逢って話をした。

 

『仕方無いよね、製薬会社も、慈善事業じゃないんだから』

 

 だけど、それでもその関係は、やっぱり、言葉にするなら、友達というのが一番正しくて。

 

 それ以外に、なんとも言えなくて。

 

 だから俺の前世の、最後の友人は、彼だったんだと思う。

 

『それに、この病気の根絶を願うなら、大本の病気の方を叩けば済む話だからね。例外的に、天網(てんもう)をかいくぐるかのように発症したゼロコンマゼロゼロクラスの事例なんて、構っちゃいられない……それが、みんなの本音なんだろうね』

 

 彼は、口を開けば笑顔でネガティブな言葉ばかりを話す、十三歳の少年だった。

 

 彼の名は。

 

千速長生(せんぞくなお)……皮肉な名前だよね。長生き、だってさ』

 

 彼は、だがその名を与えてくれた自分の親からも、切り捨てられていた。

 

『妹の継笑(つぐみ)とは大違いだね。アイツはよく笑うヤツだった。名前通りの妹だったよ』

 

 ……というと語弊はあるのかもしれない。

 

『僕は親の期待には応えられなかったけど、それは、継笑が、これから先の長い人生で、僕の代わりに全部やってくれるんだろうね』

 

 彼の母親は水曜日に、父親は日曜日に、決まって見舞いに来ていたらしい。

 

 ひとり、一週間に一度の、何か義務のようなモノを感じるお見舞い。

 

『仕方無いよね、”あのひとたち”は継笑に夢中だから』

 

 俺は、彼らとは顔を合わせたことがないし、話をしたこともない。

 

『でも”あのひとたち”、僕に継笑を、見舞いに来させないばかりか、その話すらしようとしてくれないんだ……それが……一番酷いことだとは思わない?』

 

 ただ、遠くから何度かちらと見かけたその姿は、いつもとても身綺麗で、表情は硬く、私の前世の親……二人ともだらしない格好で毎日か、長くても二日置きにはやってきて、楽しそうに「下界」の話をしてくれた……俺の父さん母さんとは、なにもかもが違うなと思った。

 

『僕は継笑に対して何も思わない、何も思わないけどさ……妹に生まれたかったと思ったことはある。継笑みたいに生まれて、生きたかった』

 

 だから、彼は親に見捨てられていたわけではない。

 

『どうして僕は継笑として生まれなかったんだろう……って時々思うんだ』

 

 ただ、やはり言葉として、より近いと思えるのは、彼は切り捨てられているということだった。少なくとも長生はそう感じていたはずだ。

 

 現代医学からも、実の親からも、それから見たくないものを見ようとしない、ごく普通の、善人でも悪人でも無い大多数の人からも、切り捨てられて……だけど彼はそれを仕方無く、当然のものと受け入れていた。受け入れてしまっていた。

 

『別に、羨ましいとかじゃなくてさ……おにいさんならわかるでしょ? 厄介な病気になった人が、みんな言うことだよ……”どうして僕なんだ、俺なんだ、私なの?”ってさ……本当にさ、どうして苦しまなくちゃいけないのが僕だったのかってことだよ』

 

 彼の余命は、出会った時には既に一年を切っていた。

 

 病名はもう覚えていない。通称が、Sから始まる四文字のアルファベットだったとは思う。神に見捨てられかのような病気が、神の名と同じ属性を持っている……そのことがひどく皮肉と思ったことだけを……よく覚えている。

 

 病院には、余命数ヶ月の人間なんか、沢山いたし、別にそのことには何も思わなかった。あの頃にはもう何も思わなくなっていた……そう思う。

 

 自分自身、その時点で一年以上前には、最悪、余命半年ですと言われていたのだし。

 

 ……なんの薬が効いたのか、俺が死を迎えたのは、その時からでも一年以上の時が経った閏年の二月末日だったけど。

 

 余命半年と言われても、そこから二年以上生きる人もいれば、言われた通り半年くらいで死んでしまう人もいる。

 

 それは希望でもなく絶望でもなく、ただの医学的事実で。

 

 事実は重くて、ドチャクソシリアスなモノで笑えず。

 

 時にそれは、人の心を潰すに足るモノでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

『やっぱり、生まれてこなければよかった』

 

 

 

 ある日、長生がいつものことようにネガティブを吐いた。

 

 いつものことだったけど、その日は嫌な予感がした。

 

 その日は、長生にとってとても重要な、なにか検査の結果が出たはずの日で、でも彼は……そのことを頑なに話そうとはしなくて。

 

 その代わり、彼はいつもよりも饒舌に、早口で、何かを吐き出すかのように喋った。

 

『なんで僕なんかが生まれたんだろう。死ねば症例集に貴重な一例として加えられる? それが僕にとって、なんの意味があるのさ。ないんだよ、僕が生きてきた意味なんて』

 

『おにいさんは、どう思う?』

 

 そうして俺は聞かれたのだ。

 

『おにいさんは、自分の人生に意味があったって思う?』

 

『おにいさんは、生まれてきたことを後悔している?』

 

 うんざりするような、ネガティブな問い掛けだった。

 

 実際に……俺はその時、多少はうんざりとした表情を浮かべていたんだと思う。

 

『あ……』

 

 その俺の顔を見て……長生の顔が悲痛に歪んだのがわかった。

 

 その顔が、今も消えてくれない。

 

 どうして私は、あの時長生に、もっと寄り添ってやれなかったのだろう。

 

『……ごめんなさい。おにいさんは、僕よりはずっとありふれた難病だけど……僕の氣持ちはわかるんじゃないかなと思ったから』

 

 わかる。

 

 わかるからわかりたくない。

 

 そんなものとは無関係に死んでいきたい。

 

 どうせ俺の人生も、無意味だったのだから。

 

 そのことがわからないままに死んでいきたかった。

 

 そんなシリアスはご(めん)だった。

 

 悲劇と正面からぶつかり合うなんて()(ぴら)だった。

 

 今ならわかる。

 

 あの時の私は、俺ですら長生を切り捨てようとしていた。

 

『わからない? わからないか……そうだよね』

 

『うん、いいよ。わからなくて当然だから。多分……それでいいんだよ』

 

 だけど。

 

 だから。

 

 たぶん。

 

 俺は……

 

 その時感じた……

 

 罪悪感のようなモノから逃れるためだけに……

 

 彼のためを思ってとか、そんな綺麗なモノではなくて、

 

 ただ、嫌な現実……

 

 年下の、少女みたいに細い首と背中をした少年を泣かせてしまったという事実……

 

 実際は、涙なんかとうに枯れ果てていたのか、そんなものは流していなかったのだけど……

 

 そのことを少しでも忘れるため、そのためだけに……

 

 俺は、私は、彼と約束をしたのだ。

 

『え?』

 

 結局、果たせなかった、果たされなかった約束を……彼と。

 

『う、うん……半年後まで生きられれば、僕は十四歳になるけど』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十四歳のお誕生日、おめでとう!!」

 

 生まれてきたことを祝う言葉が、私へと降り注いだ。

 

 アリスが笑っていた。

 

 ミアが笑っていた。

 

 サーリャも(そば)で笑っていた。

 

 ああ。

 

 そうか。

 

 そういえばそうだった。

 

 ずっとカーテンを引いた暗い部屋で過ごしてたから、半分忘れていたけど。

 

 今日は(たぶん)十一月(秋の一月)、二十五日。

 

 私の誕生日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が吹いている。

 

 海からの風。

 

 強い潮風が。

 

 

 

「ほらー、いいでしょこのケーキ」

「私が腕によりをかけて作りました。えっへん」

「ミアもー、ミアも手伝ったの~」

 

 

 

 歪んだ樹が立っている。

 

 それは風衝樹形(ふうしょうじゅけい)、常に海から吹く風に煽られ、その姿のまま成長してしまった樹。

 

 風衝木(ふうしょうぼく)

 

 今も強い風に煽られ、梢が時にぎぃぎぃと泣いている。

 

 

 

「あはは、ティナってばほっぺたにクリーム付いてる~」

「んゅ?」

「ミア様も。もう、しょうがないですね」

 

 

 

 小鳥が鳴いている。

 

 歪んだ樹、風衝木のその中程(なかほど)に、巣。

 

 親は海鳥か、それとも渡り鳥か。

 

 

 

「少しテーブルが散らかってしまいましたね。配膳で少し席を外します」

「お肉! ここらでお肉いこー」

「おねぇちゃん、このジュースきれいなの~」

 

 

 

 ぎぃぎぃと樹木が泣く。

 

 ぴぃぴぃと小鳥が鳴く。

 

 私はすぅすぅと寝息をたてながら、その夢を見ている。

 

 

 

「あー、手がベッタベタ~」

「アリス! おめかししたんだから手を服で拭こうしないの! ミア様! それは食べられません! アリス!? だからって猫みたいにペロペロしないで!?」

 

 

 

 ぎぃぎぃ、ぴぃぴぃ、すぅすぅ。

 

 

 

 やわらかな胸に抱かれ、私は夢を見ている。

 

 

 

「食べた~。お腹いっぱい~」

「ふゅ……もうたべれないなの」

「もうですか? まだまだデザートも用意していましたのに」

「あ、そっちならまだ大丈夫、ね? ティナ」

 

 

 

 ぴぃぴぃと小鳥が鳴いている。

 

 

 

 生きたい、行きたい、空へ。

 

 生きたい、飛びたい、空へ。

 

 

 

「あー、負けた! ティナってばずっるーい」

「ティナ様の作戦は、ルール上問題ないですよ、アリス」

「でもでも~」

「それよりほら、罰ゲームです。勝者全員からの、くすぐり三十秒」「え゛」

「ぴかーん」「なんで今ミアちゃんの目が光ったの!? どうしてサーリャはあたしを可哀想なモノを見る目で見ているの!?」

「ミア様は……くすぐりの鬼……ですから……」

「え、何その新設定!?……ちょ、え、やめ、いやあああぁ!?」

 

 

 

 ……私はぎぃぎぃ泣く歪んだ樹で。

 

 

 

 親鳥でもあり。

 

 

 

 渡り鳥でもあった。

 

 

 

 命がけで空を飛んでいる。

 

 

 

「……そろそろプレゼントのお時間ですね」

「なぁ~に驚いているのよ? 誕生日って言ったらプレゼントなんでしょ?……ひっく」

「ミアもじゅんびしたの~」

「……しゃっくり、止まりませんね、アリス」

「ミアちゃんのくすぐり地獄、うっく……効いたわ~」

 

 

 

 みんな空を飛んでいる。

 

 

 

 夜空を、月明かりも無い方へ、飛んでいる。

 

 

 

「私からはこれです。ピンク色の可愛らしい、ふりふりのスカート!……えええ!? いらないなんていわないでくださいよ!?」

「バカサーリャ、はーい引っ込んで。ぃっく……私からはこれ、木彫りのティナ!……え? ち、違うわよ!? 化け物じゃないってば、ひっぐ……って……物体Xってなに!? ねぇ! ねぇってば!?」

「ミアはこれ~」

 

 

 

 いつか翼が折れ、堕ちるまで風に乗って、(くう)を切って。

 

 

 

「ティナさぁ、裁縫がそこら辺のプロも裸足で逃げるレベルで、美容品と宝飾品にはあまり興味ありませーん……ってさ、プレゼント贈る方が大変だから、少し考えた方がいいよ?」

「……しゃっくりを止めてもらうために、口移しで水を飲ませてもらうなんて……少しリードした氣になっていたら、とんだどんでん返しが……」

「サーリャは壁に向かって何をぶつくさ言っているの?……あ、そうだ、ティナみたいな美少女が何に使うのかは知らないけど、置換のキャッツアイ、欲しがってたみたいだから、ついでに見つけてきたわよ……って、えっ!? 何その喰い付きっぷり!? ティナは可愛いんだから、そのまんまの姿で満足しててよぉ」

「ぅゅぅ~」

「ほらっ! ミアちゃんが拗ねちゃうからっ、落ち着いて、ねっ!?」

 

 

 

 ぴぃぴぃと小鳥が鳴いている。

 

 

 

 その声があまりにもか細くて、頼りなげで、いたいけで。

 

 

 

 私は空を飛びながらも、胸が切なくなる。

 

 

 

「でも、ティナ様があんなにも笑顔に。このところ塞ぎ込まれていたので心配でしたが、頑張って準備してよかったです」

 

 

 

 世界は広かった。

 

 

 

 歪んだ樹の私に、その全ては見えない。

 

 

 

 飛ぶ鳥でも、その全ては渡れない。

 

 

 

 ぴぃぴぃ鳴く小鳥を巣に残して、愛し子が旅立つ日を震えながら待っている。

 

 

 

 狭い世界にいた。

 

 

 

 小さな世界で、小さな羽をずっと守っていた。

 

 

 

「ほら、ミアちゃんのプレゼント、開けてあげなさいよ」

「がんばって、えらんだの」

 

 

 

 私は、だから。

 

 

 

 歪んだ樹に、小枝を運び、海草を束ね、巣を造ったのだ。

 

 

 

 その中で鳴いていた。

 

 その中で泣いていた。

 

 

 

 ごぅ……と。

 

 

 

 ぴゅう……と。

 

 

 

 海よりの風が、世界を撫でていく。

 

 

 

 強く吹く風は、飛ぶ鳥をよろめかせ。

 

 全ての風景を歪ませた。

 

 

 

「開けたらビックリするわよー、ティナにぴったりだから」

「うゅ……アリスにゃん、すこしだけだまってなの」「にゃっ!?」

 

 

 

 だから。

 

 

 

 だから、ずっと。

 

 

 

 私は、ずっと。

 

 

 

(ほど)いてしまうのが勿体無いくらい、綺麗なラッピング。ミア……ありがとう。サーリャもアリスも、みんなありがとう。私、今日のこと、絶対に忘れない」

 

 

 

 私はずっと、夢を見ていた。

 

 

 

「それじゃあ、開けちゃうね、せぇーのっ」

 

 

 

 

 

 

 

 風衝木(ふうしょうぼく)()(つく)った、小鳥(ことり)(ゆめ)を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fin(おしまい)

 

 

 

 

 

 

 







 ここまで読んでくれた全ての方へ。



 本当に、ありがとうございました。




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無粋編:幼女期の終わりに




 前書き。



 これは無粋な蛇足話です。

 具体的に言うと、本編最終話でリドルストーリー気味になっていた部分の裏側、オチとなります。

 リドルストーリーはリドルストーリーでいい、謎は謎のままでいいという場合は、この蛇足話は本当に無粋となります。この点、ご注意頂ければ幸いです。



 

 ミアが物心付いた時から。

 

 おねえちゃんは、おねえちゃんだった。

 

 呼び名こそ、覚えてないほどの昔は「ねぇね」、物心付いてからは「ねーちゃ」、もう少し成長してからは「おねえちゃま」、自覚的にそれを改めてからは「おねえちゃん」と変わってきたけれど。

 

 ミアにとっておねえちゃんは、それ以外の何者でもなく。

 

 かわいがってくれて、あたたかな笑みを向けてくれて、やさしく抱きしめてくれて、当たり前のようにいつもそこにいてくれて、かけがえのない、年上の、自分の家族。

 

 母親を除けば、間違いなくこの世界で一番に大事な人といえる、そんな存在が、ミアにとっての「おねえちゃん」だった。

 

 だけどいつからだろうか。

 

 ミアは、自分がかなり特殊な愛され方をしているということを、自覚しだした。

 

 例えばそれは、自分を抱いて眠ったおねえちゃんが、ベッドの中で辛そうに泣いていた姿を見た時に。

 

 まるで何かに怯え、縋るように自分を抱きしめるおねえちゃんの、その危うさを知った時に。

 

 もっと単純に、兄の帰省ごとにおねえちゃんの身体へついた、沢山の生傷を見た時に。

 

 最初に氣付いたのは、ミアがまだ三歳か四歳の頃で、さすがにその頃には意味を理解しきれなかった。ただ、違和感だけを感じ、「なぁぜ?」と思っていた。

 

 繋がらないのだ。

 

 普段の幸せそうな顔と、何か苦痛に耐えるかのようなその顔が。

 

 どちらも同じ、だいすきなおねえちゃんの顔であるはずなのに。

 

 わからないまま、ミアは、おねえちゃんが自分に求める役割を……幼く、がんぜなく、ただ庇護を必要とする弱い存在であり、だからこそ無条件に愛せる対象であるという……その役割を、素直に演じた。

 

 それは、演じるというのとは、少し違っていたのかもしれない。

 

 だいすきな人に愛されたいから、だいすきな人が望んでくれる自分でいたい。

 

 言語化すればそういうことで、生まれてからずっと、だいすきなおねえちゃんと一緒にいたミアには、それが世界と繋がるということにも等しくて、成長するとはもっとおねえちゃんに好かれる自分になるということでもあって、そのおかしさを……ぼんやりながらも察しつつ……だけど狭い世界の中、他の生き方もなかった。

 

 演じる、演じないではなく、単純にミアは、生まれつきそういう人間であることを求められ、けなげにもそれに応えたというだけの話だった。ひとつ間違えば、それは、虐待とも呼ばれる何かでさえあったのかもしれない。

 

 

 

 姉の過剰な愛に、人としての何かが歪み、そのままに成長してきた少女。

 

 それがミアだった。

 

 可愛いということを求められ、無垢であることを求められ、無条件に愛せるということを求められ、それを全部受け入れ、応えようとした少女。

 

 それがミアだった。

 

 

 

 ミアは自覚している。

 

 自分は、何かがおかしいということに。

 

 自分は、このままではいけないということに。

 

 自分が、歪んだまま育った風衝木であるということに。

 

 このままでいては、いつかなにかが破綻して、自分もおねえちゃんも共倒れになるということに。

 

 

 

 ミアは勤勉だった。

 

 スカーシュゴード男爵家に滞在した家庭教師は、皆そのことに首をかしげる。

 

 姉は優秀だ。何をやらせても普通以上、素晴らしい結果を返す。だが物事へ真剣に取り組む姿勢と意欲には欠ける。

 

 妹は、優秀というわけではない。何事も真面目に取り組もうとするが、人並みの失敗をし、人並みに間違え、人並みに苦労してゆっくりと成長していく。

 

 打てば響くような姉と、純粋に教師としての技術を問われる妹。

 

 どちらに好感をいだくかは、教師それぞれで違っていたが、総じていだく感慨は、姉のあれだけの優秀さを見ても、何度失敗しても、へこたれないミアの、その愚直さはどこからきているのだろうか……というものだった。

 

 

 

 人の良い教師は思った。この子は頑張り屋さんだ。応援してあげなければ。

 

 人の悪い教師は思った。可哀相に、この子は姉との差を理解するほどの頭も無いのだな……と。

 

 それが、チートな姉をもった妹が、それでも必死に頑張ろうとしている姿だとは、誰も思わなかった。

 

 

 

 それを、それとなくでも理解したのは、ミアが五歳の頃のことだった。

 

 おねえちゃんは、おにいちゃんからいじめられている。

 

 殴られ、蹴られ、生傷を押し付けられ、そのことに傷付いている。

 

 現場を見たわけではない。姉か兄か、どちらの配慮なのかはわからなかったが、暴行はいつもミアの目の届かないところで行われていた。

 

 だけど、兄がおねえちゃんへとる態度、悪意ある視線、なにか嫌なものを感じる笑み。

 

 それから、おねえちゃんが兄へとる態度、語る口調、兄に出会うたび震える身体、ミアの手を縋るように握り締めてくるその指。

 

 そういうもの。

 

 そういうものから、おねえちゃんと兄の関係性は知ることができ、そこから感じる、漂ってくる何かどす黒いモノに、まだ五歳であったミアは怯え、戸惑った。

 

 この世界には、何かよくないものが存在している。

 

 おねえちゃんが、自分をそれから必死に守ってくれている。

 

 身を呈して庇ってくれている。

 

 妹が何も知らないこと、無垢であること、可愛いだけの存在であること……それを守るために、兄のどす黒い『悪意』からミアを守るために、おねえちゃんは、自分自身が傷付くのを、まるで厭わない。

 

 

 

 一回だけ、兄に向かい合ったことがある。

 

 おねえちゃんに、ひどいことしないでと、素直に訴えたことがある。

 

 蹴られた。

 

 そして笑われた。

 

 よかったな、愚かな下の妹、愚図で頭の悪いお前は、俺が何をしなくとも、どうせ大成はしない。見苦しいだけの小物は、どうせせいぜいがどこかの木っ端貴族にあてがわれて平凡な人生を送るだけだろうさ。そんなもの、俺が指導してやるにも足らん。

 

 その日は冬で、厚着をしていたから、身体が宙に浮き、壁に激突しても、ミアの身体に目立った傷はできなかった。

 だからその件は、そういうことがあったということは、おねえちゃんも知らない。

 

 だけど。

 

 それはミアにとって……生まれて初めて、明確に向けられた自分への『悪意』だった。

 

 母に、父に、姉に、無条件で愛され、守られてきたミアが、初めて遭遇した人の『悪意』だった。

 

 それがなにであるか、ミアは理解できないまま、傷付いた。

 

 身体こそ無傷であったものの、心に影が落ちた。

 

 免疫がまるで無かったから、大きな傷が付いてそれが痕となり、後遺症を残した。

 

 

 

『ミアは私の天使、ずっとずっと愛してる』

 

 何度も何度も囁かれた、おねえちゃんからの、愛の言葉。

 

 ミアは、生まれてからずっと可愛がられ、天使であることを望まれた。

 

 だから、兄との一件があってからは、それまでよりも、更におねえちゃんへ甘え、抱かれて、その愛に包まれることで……この世に存在すると知ってしまった『悪意』から、逃れようとした。

 

 そうすると、自覚してそう甘えると、天使として振舞うと、おねえちゃんはとても幸せそうで、ミアも幸せで、その瞬間は、とてもとてもすてきなもので、輝いていて。

 

 何か、どこかに違和感を感じながらも、これでいいんだと思えた。

 

 

 

 ミアが六歳の時、お屋敷へサーリャんがやってきた。

 

 それはミアにとって、劇的な変化だった。

 

 天地がひっくり返るかのような、世界が昨日とはまるで違うものへと変わってしまったかのような、そのような衝撃を、ミアにもたらした。

 

 

 

 おねえちゃんは、おねえちゃんである前に、ひとりの少女だった。

 

 自分と同じように、『悪意』へさらされればそれに傷付き、血を流し、悲鳴をあげ、そうして生きてきた生身の人間だった。

 

 サーリャんに抱かれ、溶けるような、安心しきったような顔で眠るおねえちゃんを見て、ミアはそれを正確に理解した。

 

 

 

 ミアがおねえちゃんにそうするのとは少し違う、だけど本質はとても似ている、おねえちゃんがサーリャんに向ける甘え、依存。

 

 ミアはそれへ、胸のうちで猛烈に嫉妬した。

 

 どうしてそれを向けられたのが、自分ではなかったのだろうか。

 

 どうしておねえちゃんを抱いて慰めるあの位置に、自分がいけなかったのだろうか……と。

 

 

 

 答えははっきりしている。

 

 ミアは幼すぎた。

 

 ミアは弱すぎた。

 

 ミアは無垢でありすぎた。

 

 可愛がれるだけの存在に、できることなどなかった。

 

 そうであることを求められたからこそ、そうしていたというのがほぼほぼ真実であるにも関わらず、ミアはそのことが許せなくなってしまった。

 

 

 

 ミアに初めて家庭教師がつけられたのは、それも六歳の時。

 

 ミアは、もはや本能に刷り込まれた「可愛い自分」を……演じるでもなく自然にこなしながら、真面目に、真剣に、勤勉に、それまでの自分よりも強い自分になろうと努力し始めた。

 

 針が怖く、苦手なお裁縫だって、おねえちゃんがいないところでなら努力できた。

 そうして出せる結果は、おねえちゃんのそれよりも、何倍も何十倍も劣っていたけれど。

 

 周囲の誰もが、ミアはその素直さ、勤勉さ以外は全て姉に劣ると評価したが、それはミアにとっても当然のことであり、努力をしないで良い理由にはならなかった。

 

 

 

 そうしておねえちゃんに愛されながら、どこかではおねえちゃんを守れる自分を探して、努力を重ね、一年、二年と時が過ぎていった。

 

『おねーちゃんのこと、おねーみゃんって言ってみて?』

『おねーみゃん?』

 

 舌足らずな口調も、そろそろ改めなければ周囲の目が痛いと、自分でもうっすら感じていたが、おねえちゃんがそれを愛してくれるうちはこのままでいいと思い、そうしていた。この蜜月はいつかは終わる。だけど今じゃない。だから今はまだそれに甘えていたい。

 

『どぉしたのー? おねーみゃん』

『のほぉっ!?』

 

 甘えることを必要とされ成長してきたミアの、それは最も自覚する、自分でも卑しいと思える甘えん坊の部分だった。

 

『うんごめん、やっぱりおねーちゃま、でいいよ。そっちも可愛いし』

『ゅ……おねーちゃま、って、そぅゅーの、かゎぃー?』

『可愛い可愛い、そう呼ばれると、抱きしめたくなる』

『みゅ……おねーちゃ、ま……』

『はぅぅぅん』

 

 だからあの、『悪意』の塊のような兄に、おねえちゃんが傷付けられそうになった日。

 

 サーリャんでさえ、おねえちゃんを助けられなかった日。

 

 ほんの一瞬、こちらへ縋るように目を向けたおねえちゃんを見てしまった日。

 

『おにーちゃま!』

 

 ミアが、どれだけがんばっても、一言しか発することができなかった日。

 

『下の妹、お前に用は無い。いつまでの幼児のような言葉使いをしよって。お前のような愚者に構っていられるほど俺は暇ではない』

 

 さげむような視線に、その存在から臭い立つ『悪意』に、威圧されてしまったあの日。

 

 身体がすくんで動けなくなってしまったあの日。

 

 そして、ただの可愛い猫だとしか思っていなかったアリスにゃんに、おねえちゃんを救われてしまったあの日。

 

 ミアは、可愛がられるだけの自分を、どこかで終わらせる必要があると思った。

 

 

 

『おねぇちゃーーーん』

 

 

 

 ……そうは言っても、嫌いになったの?……と泣かれてしまえば、どうしようもなくすきと答えてしまうのが、ミアの、まごうことなき本心だったのだが。

 

 

 

 おねえちゃんは大人になっていく。

 

 おねえちゃんが大人になっていく。

 

 そう遠くない未来、おねえちゃんは花嫁となってどこかの誰かへ嫁いでいく。

 

 

 

 あんなにミアを必要としてくれるおねえちゃんも。

 

 こんなにミアが必要としているおねえちゃんも。

 

 やがて大人になって、このあたたかな夢から覚めてしまう。

 

 そこから先にあるモノが、新しい土地へ根を広げ、そこでの現実を生きることなのか、それとも……違う夢に浸ることなのか、それはわからないけれども。

 

 ミアはいずれ、取り残される。

 

 取り残されて……自分もまたこの夢から覚めてしまうのだろうか?

 

 それは、今のミアには、想像したくもないことだった。

 

 

 

 

 

 そうしてミアは、まどろみの中で夢を見た。

 

「そういうわけで、メアリー・スーが貴女……いえ、あなたへ会いにきました」

 

 見ていると、酷く胸がざわざわする、長い黒髪の女性が、無表情でミアへそう告げた。

 

 そういうわけでと言われても、どういうわけなんだかさっぱりわからなかった。

 

 でも、だからこそ、これは夢なのだろう……とも思った。

 

「驚かないのですね、この姿が誰か、理解できませんか?」

「ふゅ……」

 

 口癖になってる舌足らずの相槌を打って、メアリー・スーと名乗った女性を仰ぎ見る。

 

 それはとても美しく、どこかミアへ、自分の父親を思い出させる帝王感を放ちながらも、なぜだかミアへは、あたたかな安心感を与える姿だった。

 

 真っ黒な髪、琥珀色の瞳、身長はサーリャんよりやや高め、そしてサーリャん程ではないものの、水色のワンピースを押し上げる胸は形良く、豊かに膨らんでいる。

 

 いくつかの要素は、すぐに連想したものとは異なっている。

 

 なにより表情と、そこからうかがい知れる魂の色が違う。

 

「おねえちゃん?……」

 

 でも、だけど、それは、やっぱり、どこからどうみても、今よりも少し成長した、大人になったおねえちゃん……アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードの、十八から二十歳頃の姿だった。

 

 

 

「でも、おねえちゃんじゃない……」

「正直に偽物、と言っていいですよ? 騙すつもりはありませんからね。今の、十三の姿をそのまま借りようとも思ったのですが、それであると、あなたには逆に反発されることが予想されましたからね、成長した姿をシミュレーションし、借りてみました」

「ゅ……」

 

 ミアは、おねえちゃんが大人になってしまうことを恐れていた。

 大人になったおねえちゃんに、夢からは覚めなくちゃいけないよと言われることが怖かった。

 

 目の前の誰かは、それを読んで、この姿で現れたのだろうか?

 

「いえいえいえ、私は、私どもは、そんな無粋は行いませんよ」

 

 無表情のまま、メアリー・スーを名乗る誰かは語る。

 何も言葉にはしていないのに、ミアの心を読んだかのように話を続ける。

 

「ミア、それでもあなたが、一番心許せる姿とは、これでしょう?」

「みゅ……」

 

 どこか、納得いかない氣持ちもあるが、だからといって反論することも出来ない問い掛けだった。

 

「それでいいのです。私は、私どもは別に、あなたと友達になりたくてここへきたわけではないのですからね」

「ふゅ……」

 

 おねえちゃんの偽物(?)は、今のおねえちゃんとの差を強調するかのように、程よく豊かな胸を張った。

 

「ミア、特異な生まれの姉に愛された妹。私どもはですね、あなたに伺いたかったのです」

「ゅ?」

「特異な存在に、愛されることは不安ですか?」

 

 ???

 

 どういうことだろうか?

 

 ミアの頭に、沢山のハテナマークが浮かぶ。

 

「ミア、あなたにとって、”おねえちゃん”はどういった存在ですか?」

「おねえちゃんは……」

 

 ミアはそこで、大人なおねえちゃんの姿をじっと見上げる。

 

 その目に怖れはなく、子供らしい純粋な好奇心さえ宿る、まっすぐな視線だった。

 

「おねえちゃんは、ミアの大好きなおねえちゃん」

「それで?」

「それだけ。おねえちゃんは、おねえちゃんだから」

「ふむ?」

 

 子供の瞳を、相対する異形の存在が、凝視した。

 その内面までをも裸にしてやるといわんばかりに、琥珀色の瞳を、丸く光らせて。

 

 しばらくそうして見開かれていた目は、しかしある瞬間に、ふっと細められた。

 

「本当に、それ以外にないのですね。あなたにとってのアナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、好きとか嫌いとか、そんな相対的な指標で表せるモノですらなく、おねえちゃんという絶対的な存在であると」

「おかしぃの?」

「おかしい、といえばおかしいでしょうね。盲目的過ぎている、宗教じみている、そう言って氣持ち悪いと嫌悪する向きもあるでしょう。ただ、少し考え方を変えると、これは、酷く単純な話でもあります」

「うゅ?」

「親を絶対視する幼子の、その絶対視の適応範囲が、あなたは”姉”にも適応されている。それだけの話ですよ。そういえば、あなたはあの者の陽の波動を胎児のうちに浴びたからこそ、健常な身体で産まれてきたのでしたね。その意味では、健康なあなたの親は、あの者であるとも言えるのかもしれません」

 

 おねえちゃんが、親?

 

 ミアにとっておねえちゃんはおねえちゃんだ。パパでもママでもない。

 

 三人とも、他の誰にも変えられない、ミアの大事な人だ。

 

「いえ、あの者を親と言っているわけではないですよ? 普通の子供は、親と同じ枠に姉妹兄弟を入れないというだけの話です」

「むずゅかしぃ……」

「ですが、なるほど、さようですか。いえ、申し訳ない。どうやら私が、この答えを知るには、まだ早すぎたようです」

 

 はぁ……とおねえちゃんの姿でため息をつく、目の前の麗人に、ミアはなぜだかムッとした。どんなに家庭教師から呆れられ、ため息をつかれても、それを当然のものとして受け止めるミアが、どうしてかここではムッとした。

 

「それならばそうですね、ここからはミア、あなたへ、大好きなおねえちゃんの、本来の姿を伝えるフェーズとしましょうか」

 

 成長したおねえちゃんの姿をした、メアリー・スーと名乗る誰かがそう言うと。

 

「ゅ?」

 

 夢の中特有の、ぼんやりとした世界は、一瞬でその姿を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 それは花園だった。

 

 地平線まで、地と空の境界まで、色とりどりの花が咲いている。

 

 それは先程よりも鮮明で、リアルな風景であるにも関わらず、どこか現実味のない、幻想的な花の世界だった。

 

「アナベルティナ本来の運命、その分岐点のひとつとなるコスモスの花園」

「みゅ?」

 

 花園に立つミアの斜め後ろ、そこにメアリー・スーが立っている。

 

「ここで彼女は、死の男を受け入れ、受け入れたことで数千、数万の人が傷付き、死んでいく悲劇を確定させるのです」

 

 けど、目をパチパチとまばたきさせると、その瞬間に、メアリー・スーは消えて。

 

「それは悲劇。まぎれもない悲劇。誰も幸せになれない。アナベルティナも、死の男さえ幸せではない、そうした悲劇」

 

 また氣が付けば、ミアの正面に彼女(?)は立っている。

 

 白やピンクのコスモスが無限に咲く花園。

 

 赤や黄色、オレンジや、あるはずもない青や黒のコスモスさえも咲いている、夢幻の花園。

 

 空は、雲ひとつないのに、まるで朝焼けのように、ピンクに染まっている。

 

「アナベルティナ本来の魂は、死でさえも受け入れる寛容で、弱いモノでした」

 

 今度は右側面からの、メアリー・スーの声。

 

「だけど癒着した魂は、弱く、寛容ではあるものの、死だけは絶対に受け入れないモノ」

 

 次は左側面。声質こそ、おねえちゃんのモノ、そのものであるにも関わらず、そこに感じる心はまるで違うという齟齬。

 

「それでも弱くて、寛容だから、このルートではサーリャというメイドに救われ、多少変態性のある彼女でも、まるごと受け入れた」

 

 今度は真後ろ。

 

「匿うのが危険とわかっているアリスも、そのアリスを傷付けた男も、なんならサスキア王女でさえ、彼女は受け入れた」

 

 また、先ほどとは違う、斜め後ろ。

 

「それと同じように、本来のアナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、ここで死の男を受け入れてしまうのです。そうして彼と結ばれ、結ばれたことで、カナーベル王国の病巣が爆発する」

「びょうそ、う?」

 

 

 

「カナーベル王国、第一王子ジャイラルが双子の弟、王宮の地下に隔離されし鉄仮面、ヴェルドエレ」

 

 

 

 正面に、メアリー・スーが戻る。

 

「この国の第二王子が、どうしようもない人間であるにも関わらず、大事にされている理由のひとつがそれです」

 

「箔をつけようと竜の討伐隊に送り出したことさえ、よくよく考えればおかしい」

 

「武勇誇れる人物であるのならば、後に王弟将軍として国を守れる人物となれるよう、そう育てるというのも、悪くない一手でしょう」

 

「ですが彼はそうではない」

 

「彼が軍を率いれば、その軍の士氣は間違いなく落ちる。彼はそういう人物であり、本来ならば廃嫡されても不思議ではない。それくらいにどうしようもない人物です」

 

「それなのに、彼は大事にされている。彼の望む女を、言われるがままに与え、好き勝手にさせている」

 

「それなりのコストを、払ってでも、ね」

 

「それはなぜか」

 

「それはね」

 

「この国の第一王子、ジャイラルが病弱であること。そして、その双子の弟であるヴェルドエレが」

 

「彼が」

 

 氣が付けば。

 

 大人のおねえちゃんの顔が、ミアの耳元にある。

 

 今と変わらぬ、シミひとつない美肌と、つややかな黒髪。強い意志力を感じさせる琥珀色の瞳は宝石のように輝き、程よく高い鼻筋は品の良さを、そこだけは少女らしいたたずまいを残す唇は可憐さを、奇跡的なバランスでもって共存させている。

 

 それは、幼いミアであってもゾッとするほど色気を感じる、恐ろしいまでの美貌の囁きだった。

 

 

 

「彼、ヴェルドエレが、アンデッドだからなのですよ」

 

 

 

「あん……でっど?」

「吸血鬼、と言ってもいいでしょうね。彼は定期的に人の血液を摂取し、時に人肉を喰らわなければ、あっという間に肉体が老化し、朽ち果てる不浄の存在」

 

『アンデッドは特殊な魔法によって発生しますが、どんな存在になるかは行使された魔法次第と言えます。ほぼほぼ普通の生命体と変わらない場合もあれば、腐敗した身体でぎこちなく動く、化け物としかいえない存在に成り果てる場合もあります』

 

「彼は幼少期に死病から生還するため、けれどそれを依頼されたティアの歪んだ性癖により、アンデッドにされてしまったのです」

 

 

 

 

 

 

 

 空からジャランと重い音を立てて、何かが落ちてくる。

 

 それは鎖で。

 

 血のような色に錆び付いた、何本もの太い鎖で。

 

 それはメアリー・スーに。

 

 成長したおねえちゃんの肉体に、まったくの無遠慮に、絡み付いていく。

 

 そして、それは鎌が草を刈るように無慈悲に、容赦無く、おねえちゃんの肉体をピンクの空へと吊るし上げ、固定した。

 

 鎖の、ザラついた錆によって、シミひとつなかった肌のあちこちは破れ、水色のワンピースはどんどんと赤く染まっていき、だらだらと深紅の蜜のような液体が、ミアの足元へも落ちてくる。

 

「やめ、て」

 

 おねえちゃんの身体を、傷付けないで。

 

「ぃ、ぁ」

 

 知らず、ミアの喉からは、悲鳴が漏れ出る。

 

「本来のアナベルティナは、この肉体を、死の男へと捧げ、預けて……抱かれる」

 

 色鮮やかなコスモスの花園。

 

 その上空に、ピンクの空を背景に、鎖によって絡め取られた麗人の肉体は。

 

 そこで空色と、深紅の花を咲かせてる。

 

 それは毒々しくも、美しい……花。

 

 その花が、散っている。

 

 その華が、散っていく。

 

 散らされて血を流し、全身がボロボロになりながらも、血塗れの人形となったメアリー・スーは、それでも笑いながら、どこかうっとりした表情を、悦楽の表情を、何か得体の知れぬ感触の愛にでも浸っているかのような表情を。

 

「死の恍惚に抱かれながら……ね」

 

 はぁん……となまめかしく吐息を漏らしながら……ミアへと向けた。

 

 それは、なにか見てはイケないものであると、ミアは感じた。

 

 けれど、それからはどうしても視線を逸らすことができなかった。

 

 ピンクの空に、人間であればもはや生きてないほどに歪んでしまったメアリー・スーが、毒花のように浮かんでいる。

 

「そうして死の男は、ルカの力を借り、アナベルティナの孕んだ子を喰らい、吸収して」

 

「健全な人間の肉体を取り戻し」

 

「失われた何かを取り戻すかのように、玉座を強引に奪取して」

 

「おのが権威の証明のため、侵略戦争を始めるのです」

 

「本来の歴史の上では、後に鮮血王と呼ばれるヴェルドエレの、それが始まりでした」

 

 

 

 

 

 

 

「やめて、やめて、やめて……」

「膝を折ってうずくまる。それがあなたの生き方ですか? ミア」

 

 空中に、今も血を滴らせている死の花を置いたまま、何事も無かったかのように、まっさらな水色のワンピースを着たもうひとりの……否、もう一体の……メアリー・スーが、ミアを見下ろす。

 

 そこに、『悪意』はない。

 

 さげすみも、あざけりも、あなどりも、嫌悪も、なにもない。

 

 ただ、うずくまるミアを、立って見下ろしている。

 

「なるほど。それが、姉を絶対視した妹の、末路ですか」

「……え?」

「本来のミアは、絶対に長くは生きれない運命を背負っていました」

「どぅゅー……こと?」

 

 ミアに、『悪意』なきメアリー・スーの思考が、入り込んでくる。

 

 

 

 あなたは、今この時期に、死ぬはずでした。

 

 九歳にもなれず死ぬ、それがあなた本来の運命だったのですよ。

 

 

 

「ぃ、ゃぁ……」

 

 

 

 私は、僕は、俺は、私どもは。

 

 だから少し、あなたに期待していたのです。

 

 私どもの介入により、健康な肉体を得たミア。

 

 この者がどう成長し、どういった運命を辿るか。

 

 それが何に影響を及ぼし、何が変わっていくか、私どもにとってはそれも未知のカオス。

 

 死と生。

 

 本来の運命から、真逆へと転じたあなたは、アナベルティナ以上に不確定要素でした。

 

 

 

 メアリー・スーは、流れるように音のない言葉を紡ぎながら、うずくまるミアを、まるで慈しむかのように見ている。

 

「それが答え……ならばそれはそれで尊重しますよ? 私はむしろ、あなたへと”姉がチート人間であるというチート”を与えてしまったのかもしれません。それによってあなたがあなたらしく生きれなかった、生きれないというのであれば、謝罪も致しましょう」

「むずかしぃ……むぅかしぃよ……おねえちゃん……」

 

 ぼんやりとした、不定形の反発が心にあるが、それを明確な言葉にする能力が、ミアにはない。

 

「ミア、あなたはどんな風に生きたいですか?」

「わかんなぃ……わからないよぉ……」

 

 ミアは夢を見ていたい。

 

 ずっとずっと今のままで、おねえちゃんと一緒に、しあわせな夢を見ていたい。

 

 だけど、それは、どう生きたいか?……という問いに対する答えではないと、ミアは知っている。

 

 この夢は、おねえちゃんがくれた、ミアのたからもの。

 

 たとえ夢から覚めても、ずっと一生、ミアの心に残り続けるであろうおくりもの。

 

 だけど、それはミアの「生きる」ではない。

 

 そんなことは、知っている。

 

 六歳の時には、もう知っていたから。

 

 ミアはミアの「生きる」で、おねえちゃんに、たからものを返したかった。

 

 ミアはミアの「生きる」で、おねえちゃんに、おくりものをおくりたかった。

 

 だけど、そんなものは見つかっていない。

 

 何をしても器用なおねえちゃんは、ミアよりもずっと先の方にいる。

 

 追いつきたいのに、差は広がるばかりで。

 

 時に泣きたくなるくらい、それがミアの、「生きて」きた道だった。

 

 

 

「あらら。これはまた……ミア、あなたは、もう答えを得ているではありませんか」

「……え?」

 

 まっさらなワンピースの……そこだけみれば子供っぽくすらある……おねえちゃんの姿をしたメアリー・スー。

 

 その表情は、ミアが再び仰ぎ見れば、しかし狂的な一幕を見せた後とは思えないほどに、穏やかなものへと戻っている。

 

「これはもういいですね、消しましょう」

 

 メアリー・スーがパチンと指を鳴らすと、空に吊られていた毒花が、そのいましめであった鎖ごと、消滅してしまう。

 

「なるほど……私どもは、娘に、与えすぎたのかもしれませんね」

「え?」

「私どももですね、小さな子供を、自分の娘を、愛したことがあるのですよ。それはおそらく肉体という器の、器質的な裏付けのある何かだったとは思うのですが、それでも、なるほど、これが愛情かと、しかと頷ける強力な何かであったことだけは確かです……ですが」

 

 そこでメアリー・スーは、何かを懐かしむように、何もなくなったピンク色の空を見上げる。

 

 その横顔は、十三歳のおねえちゃんとあまり変わりがなくて、ミアの心を少しだけ落ち着かせてくれた。

 

「ですが、前回の現界の際、私どもは娘に捨てられました、ヘイマァム、ソー、ユークレイジー、とね。そうなった理由が知りたくて、私どもはここへ顕れたのですが……」

 

 琥珀色の視線が、空からミアへと戻る。

 

「なるほど、与えるだけではダメだったということなのかもしれませんね。アナベルティナは、危ういからこそサーリャを惹きつけている。あなたも、アナベルティナが傷付けられれば血を流す、生身の人間であると気付いたから、姉に与えられる自分を模索し、もがいている」

 

 なるほど、それが正しい人間関係。

 たとえ親であっても、与えるだけではダメということ。

 

 納得です、腑に落ちました……と、メアリー・スーは、何度か大仰に頷いた。

 

「娘を虐めていた子を物理的に闇へ葬ったり、ドラッグの使用歴があったボーイフレンドを娘の目の前で発狂させたりと、色々しましたが、やりすぎでしたかね。もう少し娘に、自分の経験に学ぶ機会をあげるべきだったとは思っていたのですが……何も”しない”ではなく、何も”できない”自分を娘に見せる……そうしたこともまた、時には必要だったと……そういうことなのでしょうか?……奥が深いものです」

 

「ふゅ……」

 

 理解できない言葉を連ねるメアリー・スーへ、ミアは何も言えない。

 

 おねえちゃんになにも返せない自分がいるように。

 

 メアリー・スーへも、何も言い返せなかった。

 

「ミア、答えの尻尾を掴む機会を与えてくれたことへ、感謝してひとつ、”親”というものを教えてあげましょう。”親”にはね、子供が生きていてくれる時間、それがもう贈り物となるのです。子供の幸せこそが、”親”の宝物なのです」

 

「勿論例外はあります。これは三次元存在から観れば、特異な存在である私どもが、統計的に導き出した、実は正しくないかもしれない暫時的良識、エンドクサであることも、否定はしません」

 

「ですが」

 

「今のアナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、あなたのおねえちゃんは、彼女なら」

 

「きっと……これを肯定してくれると思いますよ? いずれそのように思う、そのように考える”母”となる、なってくれる。それはもう、ほぼほぼ疑いようのない、規定路線です」

 

「愛しい男へ、我が子すらも貢ぎ、献上してしまった悲劇のヒロイン、本来のアナベルティナとは違って……ね」

 

「だからミア、あなたは今のまま、正しく生きればいいのです。そのための答えは、もう得ている。一番大事なものを、あなたはもう既に得ている」

 

 唐突に自分へと向いた声に、ミアは首をかしげる。

 

「ミア……が?」

 

 でもミアは、おねえちゃんほど強くなくて、賢くなくて、だから。

 

「今はそれを信じることすら難しいというなら、強く、賢く成長すればよろしいのでは? この先の人生を、どういうモノにするかは、あなた次第ですよ?」

「……え?」

「いまだ、あなたは不確定要素。八歳の健康な幼子で、愛に包まれた環境にいる。だから可能性はまだいくらでもある」

 

 本来の運命から外れた、未知の子。

 

「そのままうずくまって末路を迎えるか、立って、違うどこかへと向かい、走っていくか」

 

 それはあなたの自由です。

 

 大人のおねえちゃんの姿をしたメアリー・スーは。

 

「あなたの選択を、楽しみにしていますよ」

 

 最後に、そう言い残して。

 

 つかみどころのない、ふわっとした笑みだけを残して。

 

 幻のように、幻のまま、消えた。

 

 消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「ゅー!!」

 

 目覚める。

 

 それは爽やかな、まだ日の昇りきっていない朝で。

 

「ぅゆっ」

 

 ミアは枕元のぬいぐるみを抱き寄せて、しばらくひとり静かに……泣いた。

 

 五分、十分とそうした時間が過ぎて。

 

 しかし、濡れたぬいぐるみから顔を上げた、ミアの相貌にあったのは……。

 

 おねえちゃん、アナベルティナでも想像できないほど、強い意思を感じさせる……それは確かに……決意の表れた表情だった。

 

「おねえちゃん……ミア……がんばるの」

 

 

 

 

 

 

 

 ミアにとって、世界と繋がるというのは、おねえちゃんに好かれることだった。

 

 ミアという存在の全ては、おねえちゃんに好かれるためだけに存在していた。

 

 それはまるで、幼子が胸に抱く、ふかふかのぬいぐるみのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねー、ミアちゃん、本当にソレでいいの? ティナってそういうの、あんま好きじゃないみたいなんだけど」

「いい、の」

「アリス、ミア様の選択に口出ししちゃダメ。ミア様にはミア様のお考えがあるの」

「いい、の。これがミアのかんしゃのきもち、だから」

 

『えー、いいじゃん、うさぎ、私は猫より可愛いと思うよ?』

『それあたしに喧嘩売ってる!?』

 

 おねえちゃんが猫よりも可愛いと言った、うさぎ……のぬいぐるみ

 

 おねえちゃんの、十四の誕生日に、ミアはこれを贈る。

 

 ミアが自分で、できるかぎり綺麗に縫って、一生懸命、綿をつめた。

 

 サーリャんには微妙な顔をされ、アリスにゃんには「違うから! ティナってそういうキャラじゃないから!」って……散々な言われようだったけれど。

 

「ですが、ティナ様は幼少期にも、ぬいぐるみをプレゼントされたことがなかったと聞いています。その初めてを、ミア様が奪うと考えれば……少し羨ましい……かも?」

「出たよサーリャの変態発言」

「うゅ……」

 

 ミアはおねえちゃんに愛されて育った。

 

 愛されることが当然のぬいぐるみのように、抱きしめられていた。

 

 それは幸せな時間だった。

 

 かけがえのない宝物だった。

 

 だけど、ミアもおねえちゃんを愛してしまった。

 

 だから、愛されるだけの自分とは、いつか卒業しなければならない。

 

 ある意味でこれは、その決意表明でもあった。

 

 

 

「これは、ミアが、どれだけおねえちゃんをすきかわかってもらうための、プレゼントなの」

 

 

 

 だってこの夢はいつか終わる。

 

 

 

「大丈夫です。ミア様、伝わりますよ。完成したら、綺麗にラッピングしましょうね」

「ま、ミアちゃんからなら、蛇の抜け殻でも、道端の石でも、ラブ! とか言って受け取りそうだけどね、ティナは」

「うゅ……」

「アーリースー」

 

 

 

 おねえちゃんが生きて、生き続けるなら終わってしまう。

 

 

 

「ミアは、おねえちゃんにしあわせになってもらいたいの」

 

 

 

 それはたぶん、おねえちゃんが大人になって、それでも幸せでいるためには、必要なことだから。

 

 

 

「しあわせしあわせ、これ貰ったティナの顔が、今から楽しみ~」

「それはアリスの幸せでしょ! も~」

 

 

 

 ママみたいに、ママになって、ミアじゃない、自分の産んだ子を可愛がって……そうして生きていくためには、必要なこと……だから。

 

 

 

「ミアは、おねえちゃんが、だいすきなの」

「それは私もですよ、ミア様」

「あたしもね。時々少し憎たらしいっちゃ憎たらしいけど」

 

 

 

 だから、ミアも成長する。

 

 

 

「だから、負けないの」

 

 

 

 おねえちゃんと一緒に、生きて、大人になっていこう。

 

 

 

「へ?」

 

 そうしていこうと決めたから。

 

 そうしていきたいと心が求めたから。

 

「アリスにゃんにも、サーリャんにも、ミアは負けないなの」

「……ぐぬぬ?」「……強力なライバル宣言、なのでしょうか」

 

 

 

 目が覚めた朝に、笑顔でいられるように。

 

 

 

「ミアがいちばん、おねえちゃんをしあわせにするの」

「……どうする? サーリャ」

「……負けませんよ? ミア様」

「うわ、笑顔で大人げないこと言ってるメイドさんがいるっ」

 

 

 

 いい夢であったと、贈られた宝物に、感謝できるように。

 

 

 

「ミアは、おねえちゃんのいちばんなの」

「そこも、負けませんからね?」

「……あたし、知ーらないっと」

 

 

 

 そうして。

 

 

 

 夢から覚めても、その先も、しあわせであるために。

 

 

 

 夢が終わっても、その先でも、しあわせに生きるために。

 

 

 

 ゆっくりでいいから、追いつけなくてもいいから、せめて離されないように。

 

 

 

 ミアは、一歩づつ、少しづつ、大人になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歪んだ木の梢で、小鳥が羽を、空へ挑むかのように広げていた。

 

 

 

 

 

 

 



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