魔法少女まどか☆マギカ 《円環の理》――この世界に幸あれ (ぞ!)
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登場人物紹介

■ 鹿目まどか

本作の主役。

魔法少女その1。

うっかりさん。傘を忘れちゃったりする。あと押しに弱い。

料理がハイパーうまい。自分のことを平凡だとかいっておきながら、実は神に匹敵する完璧超人。

あと円環の理とかだったりする。

鹿目まどか→要円→円の主要部分→円環の理

「跪くがよい……わたしがルールだ」

 

ほむほむが大好き。

でもマミさんも大好き。

杏子ちゃんも、好き。

さやかちゃんも、うん、まぁ、好き、だよ。

 

 

 

■ 暁美ほむら

本作の主役。

魔法少女その2。

まどか大好きの時をかける少女。

クールビューティ。ループの度にその微笑みでまどかを撃沈する。

まどかが大好きすぎて、時には時間停止を使ってまで転入前に学校に侵入して、屋上から彼女に熱い目を送っていたりする。

 

 

 

■ 巴マミ

本作の準主役。

魔法少女その3。

ホルスタインなぼっちさん。

本編では首ちょんぱされることはないので、読者の諸君は安心してほしい。

 

 

 

■ 佐倉杏子

本作の準主役。

魔法少女その4。

ツンデレ乙。

 

 

 

■ 美樹さやか

本作の脇っぽい人。

魔法少女その5?

「魔女になりますた」

「みんながくるまえにお帰りください」

 

 

 

■ 志筑仁美

本作の脇役。

たぶん、物語の後ろの方では多かれ少なかれさやかと修羅場ってると思われる。

 

 

 

■ キュゥべえ

本作のある意味キーパーソン。パーソン……?

宇宙生物インキュベーター。

彼が隠されし力に目覚める時、世界は新たな局面を迎える。

 

「僕と契約して魔法少女になってよ!」

「間に合ってます」

 

 

 

■ まどかママ&パパ&弟

ほぼ出てきません。

彼らは犠牲になったのだ……物語の都合の犠牲にな……

 

 

 

■ 七篠タレカ

本作の影の主役にしてあらゆる意味でキーパーソン。

オリキャラ。

中二病を発病して転生したいとか思って紐なしバンジーを敢行して伝説となった。

彼女のバックには堕天使様がついているので、皆さん気をつけましょう。

 

 

 

■ 真・七篠タレカ

七篠タレカの中の人。中の人などいないッッッ!

とりあえずキュゥべえを下僕にして好き勝手やっている。

ほむほむを這い蹲らせたいらしい。

けど実はドSの皮をかぶったドM。

一応宇宙のこととかも考えてるえらい子。

 

「この世界に幸あれ」が口癖。

でも残念。この世界には魔法も奇跡もないのでした。

 

 

 

■ 真・七篠タレカ・スーパーゴッド

あらゆるものを超越して神と同義の存在へと昇華した七篠タレカの中の人の最終形態。

その最凶っぷりはキュゥべえさえ絶望させてしまうほど。

 

「この世界に幸あれ」と念を飛ばしてくる。

こいつ直接脳内に……⁉

 

 

 

■ 七篠タレカ(レジェンド)

 

この世界に幸あれ

 

 

 

 

 

 



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■■■■■――original character

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――これは彼女の話だ。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わかっているわよね、キュゥべえ――いえ、インキュベーター」

 

 彼女の発した言葉に、その声の響きに彼は――この星の生物とは全く異なる起源を持つ地球外異星生命体であるキュゥべえは、全身の毛を逆立たせた。

 それは普段の彼からは――いや、彼という種族の特徴からすればおよそ有り得ない反応であったが、そのこと指摘するものはこの場には居らず、彼自身も気付いてはいなかった。

 

「もちろん、分かっているさ。それが君との取引だからね」

 

 彼女は月明りを背に立っている。

 夜。

 彼らがいるその場所は穏やかとは言い難い風が吹いている。

 だがそれもまた当然だろう。

 ここは都市内でも最高度を誇るタワーの屋上なのだ。

 人が出入りすることを想定しておらずフェンスさえ存在しないため、風を遮るものなど何もない。

 

「そもそも僕が君の行うことに口を出せるはずもない。そちらこそ分かっているはずだろう」

 

 ――そう。

 それ以外の返答など彼に、彼らに有り得るはずもなかった。

 キュゥべえは――白い毛並みを持つ小動物のような姿を持つ彼は、彼女を見上げげる。

 一見するとどこにでもいるような顔立ちの少女だ。おそらく人類の基準では標準以上には整っているのだろうが、それでも他から突出するほどではない。

 体格にしてもこの年頃の平均的な少女のそれであり、別段特筆するほどのものではない。

 ただ一点、彼女の纏う夜の闇よりなお黒く染まったドレス――まるで魔法少女のような衣装をのぞけば。

 漆黒というより暗黒のそれは、可愛らしいデザインとは裏腹に見る物に不気味な印象を与える。

 或いは――それはこの少女の内包するものが故になのか。

 

「ふふ……そう、それでいいのよ。私はこれでもあなた達に感謝しているのよ。だってあなた達は正しく私の願いを叶えてくれた。祈りを聞き届けてくれた」

 

 彼女の漏らす空ろな、虚無的な笑い声に、キュゥべえは言いようのない身体の震えを覚えた。

 それがなんであるのか、彼には分からない。

 彼だからこそ分からない。

 

「その結果が、今の君でもかい?」

「ええ、そうよ。だってこれは自業自得だもの。私がこうなったことにあなた達は関係がない。今でこそこうなってしまっているけれども、それでも確かに代償に釣り合う対価は得たの。得ていたの」

 

 少ない機会でありながら彼は彼女とは多くの言葉を交わした。そのためある程度は彼女に関する知識を有している。

 そこから推測するに、その言葉は真実なのだろうとキュゥべえは思う。

 彼女がそういった考えの持ち主であることを自分たちは幸いと思うべきか否か――キュゥべえは考えて、すぐに答えを出した。

 人間達の言葉でいえば、不幸中の幸いと表現すべきであるのだろう。

 ならば幸いであるのだ。

 最悪を考えれば。

 そう結論づけて、彼が黙考するうちに俯かせていた頭を上げた時、

 

「――――」

 

 一瞬で身体が凍り付いてしまいそうなほどの冷たさを、キュゥべえは感じた。

 なぜなら。

 彼女が、空を見上げていたからだ。

 一見すれば、ただぼうっと夜空を見上げているだけにしか思えない。しかし彼にはわかる。わかってしまう。

 彼女の空虚な視線は夜空の、とある一点に向けられていた。

 夜空の向こう側。天のさらに先。

 おそらく人類では想像することすら出来ないであろう彼方に存在するのは――。

 

「き、君は――」

 

 無意識に漏れた呟きに、彼女はその眼を彼に向けた。

 まるでブラックホールだと、彼は思った。

 

「ふふ、ふふふふ、はは、あはははははははははははははは」

 

 虚ろな笑い声が夜空に響き渡る。

 そうして彼女は言うのだ。

 いつものように。

 この街を見下ろして、空を見上げて、宇宙を俯瞰して、

 まるで、呪いのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に幸あれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、彼女はこの世界を去った。

 必然のままに。

 彼女がいなくなった世界で、その遥か未来において、『死』の瞬間に彼は思いかえすことになる。

 自らの種族を全て生け贄にして宇宙の寿命を飛躍的に延ばしたその時に。

 自分たちが感情を持つきっかけとなったのは、きっと彼女と出会ったからなのだろうと。

 

 

 あの時彼は、確かに彼女を畏怖していたのだ。

 



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Ⅰ 93:1123685

 

 

 

 ――そうして、彼女はまたこの場所に立っている。

 

「転校生を紹介しまーす」

 

 もう幾度繰り返しただろう。

 何度諦めようとしただろう。

 どれだけの夜を、時を、世界を越えて戦い、敗北し、失い、ここへ戻ってくることになっただろう。

 けれど回数など関係ない。

 幾千、幾億もの時を越えても彼女は決して諦めない。

 諦められるはずがない。

 だから、自らの力不足を、失敗を、愚かなる過ちを指折り数える必要などないのだ。

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 お辞儀をして、そして『彼女』に目を向ける。

 『彼女』はいつも首を傾げて不思議そうな表情で彼女――ほむらを見つめている。

 以前に、訊いたことがあった。どうして自分をそんな顔で見ていたのかと。

 その時の『彼女』の答えはこうだった。

 

『えっとね、なんだかね、わたしね、ほむらちゃんとどこかで会ったことがあるような気がするんだ。不思議だよね、初めて会うはずなのにね』

 

 その言葉に、微笑みに、どれだけ自分が救われているか、救われてきたか、『彼女』はきっと知らないだろう。

 全てがなかったことになってしまっても、自らそうしてしまっても、『彼女』のどこかにその残滓が一欠片でも残っているかもしれない――そう思えるだけでこれからもほむらは絶対的な絶望と孤独に陥らずに済むのだ。

 もうどれだけ繰り返してきたのかも覚えていないけれど、きっと、そのはずなのだ。

 

「……………………」

 

 だから、ほむらは『彼女』に微笑みかける。

 うっすらと、ほんの小さな、口許だけの笑みだけれど。

 まだ自分は笑えるのだと、誰にでもなく証明するために。

 

 ――今度こそ救ってみせるわ、まどか。

 

 微笑まれた『彼女』は――鹿目まどかは、いつものように恥ずかしそうに俯いた。

 俯いて、わずかに肩を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁美ほむらという少女は不思議な人だというのが、彼女――鹿目まどかの印象だった。

 綺麗過ぎてどこか冷たささえ感じさせる顔立ち。腰まで伸ばした黒く艶やかな黒髪。すらっとしたまるでモデルのようなスレンダー体型。背筋は常に真っ直ぐ伸ばされており、その立ち居振る舞いも堂々としていて様になっている。

 そして彼女の纏う雰囲気が、またその存在を際立たせていた。

 余裕があり落ち着きながらも、どこか秘められた猛々しさのようなものを感じさせ、まるで年老いた武道家のような少女だと、実際には見たこともないのにそんなことをまどかは思った。

 しかし彼女が不思議だと思ったのは、それが原因ではない。

 初めて会うはずなのに、どこかで会ったようなそんな不思議な感覚をまどかは覚えていたのだ。

 おまけに、なぜか自分を見つめて微笑みかけてくる。

 その時のことを思い出して、また恥ずかしくなる。 

 綺麗な人はずるい。微笑みひとつでこんなにも他人をドキドキさせることができるのだから。 

 

「――さん、鹿目さん?」

「えっ」

 

 掛けられた声にハッと顔を上げたまどかは、ようやく現状を思い出す。

 目の前には今し方思い描いていた件の少女。

 どこか心配そうな顔をしてまどかを見ている。

 

「あ、ご、ごめんねっ。保健室だよね、保健室」

「ええ、そうなんだけど――」

 

 気分が優れないという彼女に請われて、保健委員であるまどかが彼女を案内していたのだ。だというのに考え事をしていたせいで気付けば曲がり角をだいぶ通り過ぎてしまっていた。

 慌てて元来た廊下を戻り始めたまどかは、恥ずかしさを誤魔化すために何となく思い浮かんだ話題を振った。

 

「そういえば暁美さん、どうしてわたしが保健委員だって知ってたの?」

「早乙女先生に聞いたのよ。……それより鹿目さん。私のことはほむらでいいわ」

 

 その言葉に、この不思議な人とちょっとだけ距離を詰めることが出来たような気がして、まどかは嬉しくなって振り向いた。

 

「ほんと? だったらわたしのこともまどかでいいよ、ほむらちゃん」

「ええ、よろしく……まどか」

 

 ほむらは、まるで甘い砂糖菓子を舌先で転がすように彼女の名前を呼んだ。

 その口許にはやわらかな笑みが浮かんでいる。

 その一瞬。

 強い存在感を放つ彼女の姿が、まるで触れれば崩れてしまいそうなほど儚く見えて、思わずまどかは立ち止まってしまう。

 けれど、それは本当に一瞬のことで。

  

「――なにかしら?」

 

 儚さは再び彼女の強い気配に押し流されてしまう。彼女は和らいだ表情でまどかを見つめている。

 

「ううん、なんでも、ないよ」

 

 きっと気のせいだったのだろう。

 首を振ってそう思うことにしたまどかは、再び前を向いて歩き出した。

 

「それにしても、ほむらちゃんて変わった名前だよね。あ、えと、変な意味じゃなくてね。格好いい名前だなぁって」

 

 だから、まどかは気付かなかった。

 その言葉を聞いたほむらが、唇を噛みしめて泣きそうな顔をしていたことなんて。

 

 

 

 

 

 

「――ねぇ、まどか」

「ん、なにー?」

「私も、魔法少女なの」

「…………え?」

「近い未来に襲来するワルプルギスの夜を打倒するために、私はこの街にやってきたのよ」

「ええーーー!?」

「よろしく、ね」

 

 

 



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Ⅱ 94:1123686

 

 

 

 

「それにしてもまどか。どうして私の自己紹介のとき泣きそうな顔をしていたの?」

「え? うーんと……それが自分でも分からないんだよね」

「そうなの?」

「うん、なんだかね、えっと……」

「……言い辛いのなら、別にいいわよ」

「う、ん……そうだね、言葉じゃ上手く伝えられなくて」

「…………」

「万力で心臓を締め付けられるのって、あんな痛みかも」

「ちょ、ちょっと、大丈夫なの!? なにか悪い病気なんじゃ――」

「あ、失恋の痛みに似てるかも!」

「ねぇ、それって実体験から来た言葉なのかしら?」

「え、いや、ごめん、わたしそういう経験ってなくって。想像だよ」

「そう、良かったわ」

「えっと……?」

「あなたを無碍にする存在の命といえど、粗末にするべきではないものね」

「う、うん……?」

「ふふ、まどかは相変わらずやさしすぎるわ」

「ねぇ、本当に、今日はじめて会ったんだよね、わたしたち?」

「…………どうなのかしらね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っている。

 ざあざあとひっきりなしに降り続く様子は、まるで空が泣いているみたいだと彼女は頭のどこかで考えていた。

 冷たい。

 身体を打ち続ける雨粒は既に彼女の身体をその芯まで冷やしており、気を抜けば凍り付きそうだ。

 こんな状況でなければ、すぐにでも帰宅して熱いシャワーを浴びて温めるのに。

 しかしそれも、叶うことはない。

 

「ねぇ、あなた。いい加減諦めなさいよ」

 

 その声を、彼女は地べたに這い蹲りながら聞いていた。

 人気のない公園。

 破壊された外灯。

 光りの差さない一画で、雨に打たれ泥水に顔を浸らせ――ぐりぐりと押しつけられて舌先に感じる土の味に、朦朧としていた彼女の意識が現実に引き戻される。

 瞬間、冷え切っていた身体の芯に火が灯る。

 憎しみという名の炎が、燃え上がる。

 たとえこれがお決まりの、数えきれないぐらい行われている出来事の一つだったとしても、耐えられるものではない。

 憎悪する。

 憎悪する。

 憎悪する。

 何よりも誰よりも、自分の頭を踏みつけて地面に押しつけている冷たい声の主よりも、無力で、脆弱で、無様すぎる己を――暁美ほむらは憎悪する。

 こんなにも弱いから。

 こんなにも力が足りないから。

 だから彼女を救えない。

 いつまで経っても死に行く彼女を見ていることしかできない。

 

「あなたももう気付いているんでしょう? ワルプルギスの夜は――」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れェッ――――――!!」

 

 泥水と一緒に叫びを吐き出した。

 そんなことはない。

 そんなことはありえてはならないのだ。

 だって、そんなの、ひどすぎる。

 それではあまりにも彼女が救われない。

 だから、そんな運命を否定するために、ほむらは何度もこの世界を繰り返しているのだ。

 

「この分からず屋がッ!」

 

 思い切り腹部を蹴り飛ばされる。

 地面の上を転がり泥まみれになりながら停止する。

 激痛にむせ返り吐き出される胃液には赤いものが混じっていた。

 痛くて痛くて仕方がない。

 ソウルジェムと身体の関係の秘密を知ってから痛みは遮断できていたはずなのに、どうしてかこの相手にだけはそれが通用しない。

 忘れてしまっていた戦う痛みに涙が零れる。

 それでも、ほむらは歯を食い縛り顔を上げる。

 この敵か味方かも分からない相手の顔を見上げ、睨め付ける。

 黒い髪を腰まで伸ばした、少女。

 特徴といえば不気味な暗黒のドレスをまとっているだけしかない、どこにでもいるような顔つきの少女。

 一瞬後には忘れてしまいそうなほど特徴のない平凡さ。

 こんな相手に、こんな相手にすら、自分は勝てない。

 忌々しげに、憎々しげにほむらを見下ろす彼女は一瞬気圧されたように顔を引いたが、すぐさま憤激に顔を歪ませる。

 

「ッ――――」

「あなたが!」

 

 なおも何かを叫ぼうとした彼女に先んじて、ほむらは声を張り上げた。

 

「これだけの力を持つあなたが! 私達に協力してくれれば、ワルプルギスの夜だって倒せるかもしれないのに! どうして! どうしてあなたはこんなことばかりしているの!」

「――――」

「私を憎いというならば、殺せばいい! あの魔女を倒した後でならば好きなだけ嬲って殺せばいい! だから、だから……!」

 

 血を吐くような思いで、ほむらはそれを口にしようとする。

 今まで決して言葉にしようとはしなかった、それどころか考えようとさえしなかったそれを、誇りも矜持もかなぐり捨てて、初めて口にする。

 

「力を……貸して……ッ! 一緒に、戦って……!」

 

 言った。言ってしまった。

 ついに、それを告げてしまった。

 どんな言葉が返ってくるのか、全く予想がつかない。

 ほむらにとって彼女は、そういった存在だった。

 何が目的でどんな事情があって何を思っているのか。何一つ分からない理解不能の魔法少女。

 ずっと、ずっと、そうだった。

 

 暁美ほむらと彼女――七篠タレカという魔法少女の関わりは古い。

 それこそ何十というループを遡ってようやく初めての出会いに至るほどなのだ。

 彼女は最初の頃はほむらの前には姿を現さず、影から声を投げかけてきた。

 

 ――鹿目まどかに関わるな。

 ――鹿目まどかは諦めろ。

 ――いい加減に見苦しい。

 ――あなたのそれは子供の我が儘でしかない。

 ――どれだけの時を繰り返し、全てを台無しにしてしまえば気が済むのか。

 

 ループするにつれ分かったのは、方法は不明だが彼女もまた時間を繰り返している、或いはその記憶を受け継いでいるということ。

 そしてほむらの行動をどこかから監視しており、自分が薄々感じていた痛い箇所を的確に突いてくるということ。

 

 初めは忠告や警告、非難であったそれは、ループを繰り返す内に直接的な暴力に変わっていった。

 その時に、七篠タレカが最強の名に値する魔法少女であろうことを身をもって知らされた。

 だがタレカはほむらを痛めつけ心ない言葉を浴びせかけることはあれど、その行動を阻害したり他の魔法少女に干渉したりすることはこれまでのループで一度もなかった。

 だからほむらはいまだに彼女が敵であるのか味方であるのかをはかりかねている。

 ほむら自身にとっては、おそらく敵なのだろう。

 だがほむらの価値基準は鹿目まどかであり自分はその勘定には入っていない。ゆえに、ほむらのまどかを救うための行動に干渉しないタレカは敵とは言い難かった。

 

 七篠タレカは、隣町の平均的な学力の学校に籍をおいている一つ年上の少女であることは既に調べはついている。

 不登校の引き籠もりで、これまでのループで登校している姿を目にしたのは指で数えられるぐらいしかなく、屋外に出て活動するのももっぱら夜間に限られており、それさえも極端に少ない。

 一体彼女は何を願いどんな力を得たのか。

 なぜこの時間を繰り返しているのか。

 どうしてほむらのことが気に入らないのか。

 全てはいまだに謎のままだった。

 

 だから、ほむらの言葉を聞くなり能面のような無表情になって無言で去っていくのを見た時も、奇妙な納得だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 ――やっぱり私は彼女が理解できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっぱり、鹿目まどかというキャラクターは消し去るべきなのかしら」

 

 いつのまにか定番となってしまったタワーの屋上に、彼女は立っていた。

 その物騒な言葉とは裏腹に、彼女の表情には何も浮かんではいない。

 雨が止んだ曇り空をぼうっと眺める彼女の瞳は、ここではない遠いどこかを見つめているようであった。

 

「――なんだって?」

 

 彼女の口調があまりにも何気ないものであったから、まるでふと思いついたことを口にしただけのような雰囲気であったから、一瞬、キュゥべえはその内容を理解するのが遅れた。

 それゆえ直後に理解が訪れた時、彼は思わず聞き返さずにはいられなかった。

 彼らにとって彼女が口にした言葉は、それだけ重大な意味を含んでいたからだ。

 

「それは、つまり、」

「冗談よ」

 

 続く彼の言葉を遮って、彼女は言った。

 

「ええ、冗談。そうに決まっているわ。だってそれじゃあ、この世界は救われない。永遠に救われないままになってしまう」

「そう。その通りだよ。そんな結末を僕らは望んではいない。だから君にはきちんと契約を守ってもらわなければ」

 

 たとえそれが、いつ反故にされてもおかしくない一方通行の約定であったとしても。

 彼は、彼らはそれに縋るしかない。

 

「この世界――宇宙のためだものね。鹿目まどかは鹿目まどかのまま、最後までその役割を全うさせる。それが、きっと、最良の運命。――そのはずなのよ。そう、決めたはず」

 

 己に言い聞かせるように、彼女は何度も何度も頷く。

 キュゥべえはそれを黙って見上げていることしかできない。

 

 そうして、やがて。

 彼女はぼんやりとした顔で夜空を見上げて。

 それで、言うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に幸あれ」 

 

 

 

 

 



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Ⅲ 95:1123687

 

 

 

 

「ここからいつも私のことを監視しているのかしら。たしかに、ここはこの街で最も高い場所だものね」

「……暁美、ほむら」

「前回は散々私を痛めつけたというのに、今回は随分と大人しいのね。――なにか裏があるのではと勘ぐってしまいそうだわ」

「…………別に。あなたの顔を見ることすらうんざりしてしまっただけよ」

「それには私も同意させてもらうわ」

 

「それで、何の用かしら? こんなところで油を売っている暇があなたにあるとはとうてい思えないのだけど」

「……答えを、聞きにきたの」

「答え? なんの?」

「惚けないで。あの時の、答えよ」

「…………」

「あなたの力があれば、」

「―――――――――――だまりなさい」

 

「のこのこと自分から嬲られに来るとはね。暁美ほむら、あなたは被虐趣味でもあるのかしら」

「くっ……ぐ、つ――ぅ」

「私が? 力を貸す? 鹿目まどかを救うために? 冗談も大概にしなさいよ!」

「ぅあっ……!」

「何も知らないくせに! 何も知らないくせに! 何も知らないくせに! 何も知らないままでいれば良かったのにッッ! 魔法少女なんかにならずに平々凡々な日々を生きていればよかったのに! どこで歯車が狂った! このままじゃ救われないじゃない!」

「なに、を――」

「あなたが愚かな願いを抱くからッ! 最良の結果を受け入れなかったからッ! どうして! どうしてッ! どうしてェッ……!」

「あな、たは……」

「わたしだって、すきで、こんなこと、しているわけじゃ、ないのに……」

「…………」

「……もう、失せなさい。顔も、みたくない」

「……また、来るわ。あなたにどんな事情があろうとも、それでも私は諦めない」

「………………………………………………………………………………」

 

 

 

 そしてまた、彼女は人知れず呟くのだ。

 

 

 

 

 

「この世界に、幸、あれ」

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 巴マミにとって、鹿目まどかという少女はあらゆる意味で特別な存在だった。

 初めは、ひとり運悪く魔女に魅入られていたところを助けただけの少女だった。魔法少女となって戦うマミの姿を、妙にキラキラとした目で見つめていたのは印象的だったが(慣れない経験に背中がむずむずした)。

 だが、それも翌日には一変する。

 その日の朝から妙にキュゥべえの様子がおかしいと思っていたのだが、その理由は昼休みに彼女と食事を共にした時に発覚した。

 なんと彼女は昨晩の内にキュゥべえと契約を交わし魔法少女となっていたのだ。

 それも、その理由が帰り道で見かけた黒猫の命を助けるためだというから笑えない。

 その軽挙を窘めようとした彼女は、しかし次にまどかの言いはなった言葉に口を噤まざるを得なかった。

 

『これからはわたしも一緒です!』

 

 ――ああ、それは、なんて致命的な一言。

 これまで、どれほどその言葉を待ち望んできたことだろうか。

 

 両親を事故で亡くし、キュゥべえとの契約で自分一人だけが生き残り、以来、他人を守るためにひたすら魔女と戦い続けてきた。

 それは、もしかしたら贖罪でもあったのかもしれない。

 自分一人だけの生存を望んでしまった浅ましい自分から、両親への。

 或いは言い訳のつもりでもあったのかもしれない。

 生き残った命で、自分はこんなにもたくさんの人を助けている。

 だから、恨まないでください。

 だから、許してください。

 自分はこれからも誰かのためだけに生きるから、だから、生きていてもいいでしょうか。

 そんな浅ましい心の声が聞こえてくるようだった。

 

 けれど、戦いの日々は、孤独の日々は確実に彼女を蝕んでいった。

 怖い。

 辛い。

 寂しい。

 一体いつまで自分はこんなことを続ければいいのか。

 いつまで独りで戦い続ければいいのか。

 助けて欲しい。

 誰も助けてはくれない。

 仲間だと思った魔法少女さえ、そうだった。

 預けていたグリーフシードごと姿を消し、二度と彼女の前には現れなかった。

 もう誰にも頼れない。一人きりでこの街を守るしかない。 

 泣いて、泣いて、泣いて、泣いた。

 無理して、見栄を張って、家に帰ってから部屋の片隅で涙を零した。

 

『これからはわたしも一緒です!』

 

 ――そんな日々に突然告げられた言葉。 

 耐えられるはずもなかった。

 人目も憚らず、みっともなく大声を上げて泣いてしまった。

 両親が死んでから初めての、嬉し涙だった。

 

 その時から、鹿目まどかという少女は巴マミにとって特別な存在になったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふえぇ……すごいねほむらちゃん。時間を止められるなんて反則技じゃない?」

「そんなことないわよ。その分、他の魔法少女に比べて全体の能力値が大きく下回っているもの。私は直接的な魔法で魔女を倒すことが出来ないの」

「えぇー、そうかなぁ。それでもわたしは十分すごいと思うけどなぁ」

「あなたの方こそ、凄いわ。今のあなたは既にトップレベルの魔法少女に比肩しうるほどの強さを得ている。……まだ、契約してから一ヶ月と経っていないのに」

 

 燃え上がる炎の中に消えていく魔女を背にして、二人の少女が話している。

 一人は彼女――巴マミの大切な存在である鹿目まどか。

 そしてもう一人は、新たに彼女達の仲間に加わった魔法少女――暁美ほむら。

 長いあいだ戦い続けてきたマミに比類する――或いは凌駕しているのかもしれないほどの力を持つ少女だ。

 まだ付き合いの短い彼女だが、謎は多い。

 これだけの力を持つ魔法少女であれば他の魔法少女から名前ぐらいは聞いても良さそうなのだが、これまでこのような戦い方をする存在の話など一度も耳にしたことがない。

 そして何よりも、いまだ彼女でさえ半信半疑であるワルプルギスの夜の襲来を絶対の出来事として確信していること。

 マミはキュゥべえからその予測を教えてもらったのだが、それでもいまだに信じ切ってはいない。

 魔法少女にとって、アレはそれほどまでに伝説的で絶対的で、お伽噺のような存在なのだ。

 何処からか現れては災厄をまき散らし、また何処かへと去っていく。歴史上に幾つもの爪痕を残しながらもいまだに存在し続ける語られる魔女。

 正直、キュゥべえから話を聞かされるまでは魔法少女の間で流れる都市伝説的なものだとマミは考えていた。実際に今も生きている魔法少女で実際にその姿を確認したものは皆無なのだ。

 そんなものの襲来を確信――或いは『予知』している暁美ほむらという魔法少女。

 たしかにワルプルギスの夜の打倒がこの街に来た彼女の目的ではあるのだろうが、どうもそれとはまた別の目的があるようにマミには思えてならなかった。

 

 ――だが、それも。

 

「ねぇ、ほむらちゃん。今日はこのあとご飯を食べにいかない? すっごくおいしいお店を見つけたんだ」

「……ええ、それもいいかもしれないわね」

 

 はしゃぐまどかをとても優しい瞳で見つめる彼女の姿を見てしまうと、些細なことに思えてしまうのだ。

 きっと悪い子ではない。

 こんなにも優しい目が出来る人間が悪人であるというならば、もうマミは他のどんな人間も信じることができなくなってしまうだろう。

 

 だから、マミは、今まで決めかねていた判断を、この時くだした。

 

「――あらあら。二人だけでデートとは楽しそうでいいわねぇ。これはお邪魔虫の私は一人寂しく家で冷や飯でもつついていなさいということなのかしら」

「ええっ!? そ、そんなわけないじゃないですか! もちろんマミさんも一緒にですよ!」

「鹿目さん、別に無理をしなくてもいいのよ?」

「だ、だから違いますってばぁ」

「だって暁美さんが転校してきてからのあなたってば、ほむらちゃんほむらちゃんって……てっきりもう私なんか用済みばとばかり」

「も、もうっ、マミさん! だってこんなに仲良くなった友達ってほむらちゃんが初めてだから……」

「……そう。やっぱり私のことなんか友達とは思ってくれていなかったのね」

「だ、だからぁ! その、マミさんは友達っていうか、憧れの先輩っていうか……大切な、パートナーだから」

「……………………………………………………もう。本当に、あなたって」

 

 どうしてこの子はこんな的確に自分の弱いところを突いてくるのだろうか。

 恥ずかしいやら嬉しいやらで自分の顔が熱を帯びていくのが分かってしまう。

 だが、じっと自分を見つめてくる『彼女』の眼差しに気付き、慌てて咳払いをして誤魔化す。

 

「――それじゃ、その、鹿目さんおすすめのお店に連れていってもらおうかしらね。実をいうと私、さっきからお腹がぺこぺこで仕方がなかったのよね」

「はい! ぜったいおいしいって思いますよ!」

 

 笑顔で歩き出した彼女から視線を外し、もう一人の彼女に向ける。

 

「いきましょう、暁美さん。今日は私がご馳走してあげるわ」

 

 微笑みかけたマミの、自らに対する変化を敏感に感じ取ったのか、ほむらはどこかホッとしたような顔つきでこくりと頷いた。

 その口許に、ほんの少しの笑みを零して。

 

 この子を信じよう。

 そう、巴マミは決めた。

 この謎多きミステリアスな、けれどとても心強い新しい仲間は、きっと自分たちを裏切らない。

 

 だから、この日の終わりに彼女に告げられた言葉も、信じることが出来た。

 ――信じたくは、なかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「巴さん、ちょっといいかしら。大事な、話があるの」

 

 マミがほむらからそう言われたのは、ちょうどまどかと別れた直後のことだった。

 そのタイミングの良さに、すぐにピンとくる。

 

「鹿目さんが帰ったのを見計らって、ということは彼女には聞かせたくない話なのね」

「……ええ」

 

 答える彼女は表情もなく、なにを考えているかわからない顔でマミを見ている。

 ひとつ溜め息を吐いたマミは、仕方ないと首を振って歩き出した。 

 

「場所を変えましょう。私の家なら落ち着いて話もできるでしょう」

 

 

 

 

 

「こんなものしか出せないけど、よかったらどうぞ」

 

 あまり物の置いていない、がらんとしたリビング。

 無駄に広いそこは、いつもマミに消えない孤独感を与える場所だった。

 いまでもそういった感覚がないといえば嘘になるが、それでも以前――まどかと出会う前に比べれば今のそれは無視してしまえるほどの小ささでしかない。

 

「…………あなたは私がなぜワルプルギスの夜の襲来を確信しているのか、ずっと疑問に思っていたみたいだけれど」

 

 向かいのテーブルに座ったほむらは、出されたケーキや紅茶には手をつけずに語りだした。

 

「そう、気付いていたのね」

「ええ。あなたから聞いたことだもの」

「? それは、どういう――」

「巴さん。私はね、未来からやって来たのよ」

「――――――え?」

「あの子を……鹿目まどかを救うために、やって来たの」

「――――」

「何故なら、このままではあの子はいずれ――」

 

 そうして。

 語られる『事実』は。

 容赦なく巴マミを打ちのめした。

 

「そんな、まさか、そんなことって……」

「でも、事実よ。遠くない未来、この時間軸でもそれは現実になる」

「だって、そんなのって、ない……それじゃあ、あの子が、あの子が」

「でも、事実なのよ。 

 

 ワルプルギスの夜は鹿目まどか以外では倒せない。 

 そしてワルプルギスの夜を倒した鹿目まどかは例外なく命を落とす。

 

 可能な限り多くの魔法少女を集めて戦っても、鹿目まどか抜きにあの魔女を倒すことはたったの一度もできなかった。繰り返す度に強さを増していき、とうとう私達と同じぐらい強くなったまどかでも、生き残ることはできなかった」

「それじゃあ、それじゃあどうしろっていうのよあなたは! そんなの、どうしようもないじゃない! どこにも救いなんかないじゃないの!」

 

 立ち上がり半狂乱になって叫び散らすマミを、ほむらは眉一つ動かさず見上げる。

 その冷静さに、マミの頭は沸騰した。

 

「どうしてあなたはそんなに落ち着いていられるのよ! 鹿目さんには救いなんかないと分かっていて、それでどうして平静を保っていられるの!」

 

 憎い。

 この目の前の相手が。

 その時まではきっと知らなくてもいいはずであったことを教えて、はじめから希望のない絶望だけを与えて、そうして苦しむ自分を無表情に見上げるこの少女が。

 もしかしたら時を繰り返すなどという常識外の力を持つこの少女は、悪魔なのかもしれない。

 この存在が、この世界に不幸を持ち込んできているのかもしれない。

 

「あなたが! どうして! あなたは!」

 

 それが八つ当たりだということを頭のどこかで理解していても、止まれはしなかった。

 憎しみと悲しみに突き動かされるようにして、力を解放する。

 変身。

 その手に握りしめたマスケット銃を彼女に向けて――

 

「救いは、私が見つけ出す」

 

 その言葉に、縫いとめられたように動きを止めた。

 引き金に掛かった指が寸前で停止する。

 

「そんな、そんなものありはしないって、あなたが」

「これまでがそうだったからといって、これからもがそうだとは限らない。永遠の終わりの先を見るその時まで、どれだけ低くても『それ』は『有り得ない』ことにはならない。例え無限にゼロが続いているように見えても、きっとその最後には『1』があると、私は、信じている」

 

 揺らがぬ瞳で。

 透徹した眼差しで。

 今にも消えてしまいそうなぐらい儚くありながら、どこまでも強靭な意志を込めて、暁美ほむらは巴マミを見上げて、言うのだ。

 

 

 

「奇跡の確率は、決してゼロなんかじゃない」

 

 

 

 ――マミの手から、銃が落ちて、消えた。

 変身が解け、敵意が失せていく。

 

「あなたは……あな、たは……」

 

 自分の口にしている言葉の意味を、彼女は理解しているのだろうか。

 もしも。

 もしも、それが本当に『有り得ない』ことであるのならば。 

 救いなど、奇跡など、どこをさがしても存在しないのなら。

 彼女はこの時を永遠に繰り返さなければならないということだ。

 真の意味で永久に時の迷宮を彷徨うことになる。

 いつか、彼女が擦り切れて果てるときが来るまで。

 

「暁美さん、あなたは、もう何度、繰り返しているの……?」

 

 恐る恐る訊ねたマミの言葉に、彼女は感情を表わすことなく答える。

 

「五十を超えてからは、数えていないから分からないわ」

「――――――――――――――」

 

 力を失って、マミは膝から崩れ落ちた。

 涙が、零れる。

 ぽろぽろとこぼれ落ちて止まることはない。

 うれし涙ではない。

 自分を哀れむ涙でもない。

 きっとはじめての、誰かを哀れむ涙。

 

 マミは分かってしまった。

 もう、すでに暁美ほむらという存在は立ち止まることができないのだ。

 一度その足を止めてしまえば、きっと彼女は二度と歩くことができなくなってしまう。

 だからその向かう先に絶望しか待っていなくとも、いつか終わるその時まで走り続けるしかないのだ。

 永遠に。

 ――永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあ、気をつけて、ね」

「ええ」

「私に何ができるかも分からないけど、それでも、力を尽くすわ」

「……ええ。ありがとう」

「こちらこそ、取り乱してごめんなさい。……ねぇ、暁美さん」

「なにかしら――」

 

 振り向いた彼女を、マミは抱きしめた。

 玄関のドアノブに手を掛けていたほむらは、目を見開いて動きを止めた。

 

「泣いても、いいのよ」

「――――」

「辛い時は、涙を流すものなのよ。女の子って」

「…………」

「だから――」

「泣いたら」

 

 言葉を遮って、ほむらは呟く。

 

「きっと、もう二度と立ち上がれなくなる」

「…………」

「だから、決めたの。二度と涙は流さないって」  

「……そう」

「それに」

 

 そこで言葉を止めて、ほむらはマミを見て小さく微笑んだ。

 

「魔法少女は、夢と希望を叶えるのだから。涙は似合わないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暁美ほむら。僕らのことは話さなくて良かったのかい?」

 

 巴マミ宅からの帰り道。

 いつの間にか傍らを歩いていた白い小動物のようなモノ――キュゥべえからの問いかけに、彼女は足を止めず視線だけを向ける。

 

「出たわね、胡散臭い存在が」

「僕らはただ君達の願いを叶えて、その対価を受け取っているだけだよ。相変わらず君達のその反応は理解できないね」

 

 惚けた様子もなく、ごく当たり前のように言ってのける彼にほむらは僅かに眉を顰める。

 

「ソウルジェムのことはどう説明するつもり?」

「効率を求めただけのことじゃないか。むしろデメリットなんかほとんど存在しないだろう」

「……そうね。あなた達はそういった存在だったわね」

 

 小さく溜め息。

 

「それで、どうしてそのことを彼女に話さなかったんだい?」

「あなた達と同じ理由よ」

「というと?」

「知ったからといってどうにかなるわけではないもの。だったら下手な動揺を与えることはせずに、彼女には目的のためにその力の全てをつぎ込んで欲しい」

「今日君が伝えたことは、違うのかい?」

「……あなた達には分からないのでしょうね」

 

 そこで初めて、彼女は足を止めた。

 足下で首を傾げて彼女を見上げるそれに、言う。

 

「巴マミは、本当に大切な存在のために戦う時こそ、最も大きな力を発揮するのよ」

「ふぅん。よく分からないね」

 

 予想通りの反応に、疲れたように息を吐く。

 

「そういえば、君は僕らを恨まないのかい? ソウルジェムの仕組みを知っても」

「初めは私もそうだったけれど、今では感謝しているわ。この仕組みのおかげで何度命を救われたことか。キュゥべえ、あなたの言うとおりたしかにこの仕組みは戦うためにはこれ以上もなく便利だわ」

「おや、そんな答えを返した魔法少女はずいぶんと久しぶりだよ」

「だからといって、私があなた達を理解したとは思わないことね。今でも私にとってあなた達は理解不能の存在よ」

「お互い様だね」

 

 しばらく視線を交わらせたあとで、ほむらはまた歩き出した。

 興味を失ったのか、これ以上付きまとってくる様子のない彼に、ほむらは最後に問いかける。

 

「そういえば、どうしてあなたは私がループしていることを毎回知っているのかしら」

 

 答えは返ってこなかった。

 

 

 

 

 



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Ⅳ 96:1123688

 

 

 

 

 彼女は、ずっと自分のことが嫌いだった。

 自分のせいで事故を起こして、両親が死んでしまったからだ。

 愚図な自分のせいで。

 馬鹿な自分のせいで。

 だからずっとひとりで過ごしてきた。

 自分は愚図だから、また誰かを不幸な目にあわせてしまうかもしれない。

 だから誰にも関わらないで生きていった方がいい。

 

 そう思っていたのに。

 彼女と出会った。

 出会ってしまった。

 そうしてやっぱり愚図で馬鹿な彼女は願ってしまったのだ。

 一緒に――と。

 

 今でもあの時のことを思い出せる。

 忘れられるはずもない。

  

『これからはわたしも一緒です!』

 

 あの時の彼女のことを。

 ――けれど。

 けれども。

 やっぱり、鹿目まどかは魔法少女になどなるべきではなかったのだ。

 

 たしかにそれで救われたものもある。

 巴マミという存在も暁美ほむらという存在も。

 たしかに救われていたのだと思う。

 しかし、その結果がこれだなんて、あんまりだ。

 彼女の、たったひとりの、大切な、友達。 

 巴マミという存在と同じぐらいに大切だった彼女。

 鹿目まどかがそうであるのなら、彼女もまた、いや彼女こそが魔法少女になどなるべきではなかったのだ。

 ずっとなにも知らないままでいれば良かったのに。

 

『――――――――! これから一緒に――』

 

 

 

 

 

 

 

「……最悪の、目覚め」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日のマミさん、なんだか調子が悪そうですけど、大丈夫ですか?」

「ええ、ちょっとね。どうも夢見が悪くて」

 

 いつもの場所で集合し学校に向かう途中のことである。

 顔色の優れないマミは、まどかからの言葉に額を抑えて大きく溜め息を吐いた。

 それを見て、ほむらは黙ることしかできない。

 間違いなく原因は昨晩彼女が告げた未来の話にあるのだろうから

 あれだけ取り乱していたのだから、夢に見て魘されてしまうのも分かる。

 申し訳ない気持ちはあるが、これも彼女の戦力を向上させるために必要なことだ。

 彼女の錯乱した姿を見るたびに感じていた胸の痛みも、繰り返すうちに薄れていき、最近ではほとんど感じることもない。

 あるのはわずかな申し訳なさだけだ。

 そう、なってしまった。

 いずれ何も感じなくなって、他人をまどかを救うためだけの駒としか見なくなってしまいそうで、怖くなることがある。

 そうなってしまった自分は、果たしてそれでもまどかの隣に立つ資格があるのだろうか。

 

「おーい! おはよー!」

 

 後ろから掛けられた挨拶に、ほむらはハッとして振り返った。

 そこに立っていたのは、見覚えのある二人。

 ショートカットの活発そうな少女とセミロングのお淑やかそうな雰囲気の少女。

 美樹さやか。

 志筑仁美。

 まどかとほむらのクラスメイトである二人だった。

 

「あ、さやかちゃん! 仁美ちゃん! おはよう!」

「おっすまどか、転校生、マミさん」

「おはようございます、まどかさん、暁美さん、巴さん」

 

 まどかの元気の良い挨拶に二人も笑顔で返す。

 それをにこやかに見やっていたマミも、まどかに遅れて挨拶を交わす。

 

「なんだなんだ、転校生は挨拶してくれないのかー?」

「おはよう、志筑さん」

「あれ、転校生、私は?」

 

 ぽんぽんとほむらの肩を叩いて自分を指さすさやかに、彼女は小さく溜め息を吐いた。

 

「……おはよう、美樹さん。いい加減その呼び方やめてもらえるかしら。私、一度もあなたに名前で呼んでもらったことがないわ」

「えー、でも転校生は転校生じゃん。文武両道で才色兼備でミステリアスな美人転校生。くぅぅ! どこまでキャラ立てすれば気が済むんだ、アンタは!? 萌え? そこが萌えなのか!?」

「…………はぁ」

 

 ループの度に目の当たりにする美樹さやかのおかしな反応に、ほむらは脱力して溜め息を吐いた。

 本当に、この少女は、どうしようもない。

 ほむらがどう対応しようが頑としてその呼び方を変えない彼女の一徹さには呆れるよりも感心してしまう。

 ――せめて一度ぐらい名前で呼んでくれてもいいのに。

 

「決してアンタが羨ましいわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」

「ツンデレおつ、とでも言えばいいのかしら」

 

 ほむらの口から出た言葉に、さやかは一瞬素に戻ってきょとんとする。

 

「あれ、アンタもしかしてそっち系?」

「それこそ勘違いしないでほしいわね。ただ友達にちょっとそういうのに詳しい人がいただけよ」

 

 たとえば目の前の誰かさん、とか。

 決して裏側の世界には関わってこない、日常の象徴である少女たち。

 最近になってまどかと仲良くなったらしいクラスメイト。

 

「へぇ、意外」

 

 さやかは目を丸くして本当に驚いたといった風に呟いた。

 

「アンタってまどかとマミさん以外に友達がいたんだ。なんか、ぼっちっぽいイメージがあったんだけど」

「余計なお世話よ、美樹さやか」

 

 本当に。

 毎回毎回、図星をつくのは止めてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、アンタがキュゥべえの言ってた私に用があるっていうやつ?」

 

 真っ赤な林檎に豪快にかぶりつきながら、彼女はその少女に声を掛けた。

 普段彼女が縄張りとしているところとは別の街の公園。

 キュゥべえを通じて呼びされた彼女はその場所にやって来ていた。

 外灯の上に器用に腰を下ろしていた彼女は、林檎の甘酸っぱい味を楽しみながら、姿を現した呼び出し主を見下ろす。

 

「アタシもさぁ、暇じゃねぇんだ。おまけにここはあのマミのテリトリーだろ。リスクもある。もしつまんない用だったら、分かってるんだろうね?」

 

 そう言って彼女は射抜くような眼光を向ける。

 だがそれに少女が動じた様子はない。

 それを見て、まずは合格かと判断する。ここでたじろぐような相手であったなら、話をする価値もない。

 そこで初めて、杏子はマジマジと相手の顔を観察した。

 綺麗な顔立ちに綺麗な黒髪に、モデルのような体型、堂々とした佇まい。

 正直、その恵まれすぎた容姿に同性として思うところがないわけではなかったが、まぁ、今はいいだろう。

 

「佐倉杏子。あなたの力を貸して欲しい」

 

 その少女は前置きもなくいきなり用件を切り出した。

 彼女――佐倉杏子もまた遠回しなことは好きではない。この率直さもまぁ、評価できるだろう。

 相手が自分の名前を知っていることは少し予想外だったが、キュゥべえを通じて連絡を取ってきている時点でさほどおかしいことではない。

 事前にある程度こちらのことも調べているのだろう。

 その慎重さもまた、よし。

 愚直なだけでは、ただの阿呆である。

 

「力、ちから、ねぇ。そりゃ一体なんのための力なんだい?」

「およそ二週間後、この街にワルプルギスの夜が来る」

 

 少女から告げられた言葉に、杏子は怪訝な表情をつくる。

 

「ふぅん……ワルプルギスの夜ね。たしかに一人じゃ手強いが、二人がかりなら勝てるかもなぁ」

「…………」

「まぁ、それが都市伝説じゃなく実在するんだったら、の話だけどねえ」

 

 そうは言っても杏子は全く信じていないわけでも、侮っているわけでもなかった。

 たしかにそれの存在を誰も確認したことはないが、最後に姿を現したのが何十年も昔のことなのだから当たり前といえば当たり前の話なのだ。

 しかし実在するのだろう、とは思う。キュゥべえもその存在を実在のものとして扱っていた。

 そして実在するのであれば、おそらく倒すことも可能だろうと杏子は考えていた。

 なぜならあの魔女はいまだに存在し続けているが、これまでに一度も倒されたことがないわけではないからだ。

 それもまたお伽噺の領域になってしまうが、あの魔女を倒したという話はこれまでにも何度か耳にしたことがある。

 だがそれでもなお語られ続けるワルプルギスの夜という存在。

 そこから、杏子は一つの推論を導き出した。

 

「ワルプルギスの夜は実在するわ、佐倉杏子」

「ほー、一体その根拠はなんなんだい」

「経験から、と言っても今のあなたは信じてくれないでしょうね」

「あん?」

「ワルプルギスの夜はいまでも存在し続けている。けれど倒されたことがないわけではない。なのにその存在はなおも語られ続けている。そこから導き出されるのは――」

 

 そう、つまりワルプルギスの夜とは、

 

「倒してもいずれ蘇る、不滅の魔女――それがワルプルギスの夜の正体」

 

 杏子は、彼女らしからぬことに一瞬思考を停止させた。

 それほどに彼女の口にしたことに衝撃を受けた。

 まさか。

 まさかまさか。

 自分以外にこの結論に至る魔法少女が存在したとは。

 

「くっ……くっはは、あははははは! 驚いたよ! まさかアタシ以外にそこに辿り着くやつがいたなんてね! そうさ、その通りだよ、ワルプルギスの夜ってのはね、誰かに語られ続ける限り決して消滅しないお伽噺のキャラクター――舞台装置の魔女なんだ!」

 

 杏子がこれほどまでに愉快な気分になったのはずいぶんと久しぶりのことだ。

 

「だからあの魔女を本当の意味で倒すには、ワルプルギスの夜という存在を誰もが認識しなくなる――忘れ去るしかないんだ。当然、そんなことは不可能さ。あの魔女は人々が忘れかけたころに必ずやって来る。そして災厄を撒き散らし、多くの人間にその記憶を刻み込み去っていく。だから、誰もあの魔女を真に倒すことなんてできやしないのさ」

 

 よっと声を掛けて杏子は外灯から地面に飛び降りた。

 そうして、初めてその少女と向き合った。

 

「もちろん、あんたも本当の意味で倒そうって言ってるわけじゃないんだろ?」

「ええ。今回だけしのげればそれでいい」

「たしかに、時期的にそろそろアレがどこかに現れてもおかしくはないと思っていたけどね、二週間後か。……その根拠は?」

「…………」

 

 杏子の疑問には答えず、少女はただ黙って紫色の宝石のようなもの――ソウルジェムを差し出した。

 その反応に、杏子は眉をよせる。

 

「キュゥべえ、いるのでしょう。彼女に私の記憶をみせてあげなさい」

「――いいのかい」

 

 少女の言葉にどこからともなく白い生き物が現れる。

 彼はふたりのそばまで駆けてくると、その感情の見えない瞳で少女を見上げた。

 

「それは僕にも記憶が流れてしまうというリスクをはらんでいるよ」

「ええ。どうせあなた、知っているのでしょう? いつの頃からかは分からないけれど、あなたは私のことを誰かから知らされている」

「…………」

「七篠タレカ」

「…………」

「まぁ、いいわ。たとえあなたがそれを知ったところで何が変わるわけでもない。それより早くしなさい」

「分かったよ」

 

 ひとりと一匹だけでよく分からない会話を続ける彼らに、杏子は苛立った声を上げる。

 

「オイ、テメェら、さっきからなにを訳のわからねぇことを言ってるのさ」 

「焦らずともすぐにあなたも知ることになるわ」

「……どういうことだ?」

「簡単なことよ。私の『これまで』の記憶をあなたに見せる。それでこちら側の事情はおおむね理解してもらえると思うわ」

 

 なんでもないことのように告げられた事実に、杏子は驚きを隠せない。

 記憶を見せる?

 ソウルジェムにそんな機能があるなど、これまで聞いたこともない。

 

「本当かよ、キュゥべえ」

「まあ本来の機能ではないけれど、応用でそういったことも不可能ではないよ。ソウルジェムは君達の魂の器なんだ。当然、そこには記憶だって存在する」

「魂の……? オイ、それはいったい」

 

 聞き逃せない言葉にキュゥべえへ手を伸ばすが、その直前、少女に止められる。

 邪魔をするなと睨み付けようとした杏子は、しかし、彼女が自分を見つめる瞳に強い意志を感じとって、しぶしぶと諦めた。

 

「慌てないで。それもすぐに分かるわ。その後でならこの詐欺師を幾らでも痛めつけていいから」

「お、おぅ、そうか」

 

 どうやら本気で言っているらしい言葉に、若干引くものを感じながらも杏子は頷いた。

 

「やれやれ。代わりはいくらでもあるけど、無意味に潰されるのは困るんだよね。勿体ないじゃないか」

「いいから、やりなさい。佐倉杏子の前にいますぐ私に潰されたいの?」

「分かったよ。やっぱり理解できないなぁ、人間の価値観は」

 

 そうしてキュゥべえは、少女に言われ差し出した杏子のソウルジェムと彼女のソウルジェムを接触させる。

 ――その瞬間。

 世界が光りに満たされた。

 

 

 

 

          ■■■■■

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……こうなることが分かっていて、私はあなたを巻き込んだ」

「バカ、今さら……あやまるなよ。なにもかも……納得済みの上での、ことだっただろ」

「…………」

「アタシもさ、自分のこと、バカだなぁっておもうよ。それまで見ず知らずだったやつのために、報われることなんかないって分かってたのに、こんなことしてさ」

 

 そう言って、力なく瓦礫の中に横たわる杏子は自嘲するような笑みを零した。

 その姿は満身創痍と言っても過言ではないほどにぼろぼろで、彼女の手に握りしめられたソウルジェムにも、幾つもの罅が入っていた。

 

「でもさ、やっぱり、放っとけなかったんだ。もう、絶対に、誰かのためにこの力を使ったりしないって、思ってたのに……」

 

 佐倉杏子の願ったこと。

 愛し、尊敬する父の話を少しでも誰かに聞いて欲しかった。

 けれどその結果は無惨なもので。

 真実を知った彼女の父は杏子を魔女と罵り、壊れた。

 壊れて、家族を道連れに死んだ。

 佐倉杏子ひとりだけを残して。

 

 『私』は、それを知っている。

 何度も何度も、彼女から話を聞いた。

 そしてその度に、杏子は誰かのための願いを口にする私を罵り、止めようとし、心配し、結局はいつだってこうやって駆け付けてくれた。

 こうなることを、知っていて。

 

「アンタも、マミも……そしてあの子もさ、優しすぎたんだ……。いい子だよな、本当に。誰かのために、誰かのためにってさ……見て、られなかった……」

「…………」

「ホントはさ……ちょっとだけ、恨んでる。『魔法少女は夢と希望を叶えるんだから』って……なんでそんなこと、思い出させるかなぁ……。それさえ思いださなければ、アタシは……」

 

 何かに思いを馳せるように深く目を瞑った彼女は、やがてゆっくりとその瞼を開いた。

 その時には、もう彼女の目からはあらゆる弱さが消えていた。

 

「泣き言は、ここまでだ。ここからは、アタシらしくやる」

 

 苦痛をむりやり作った笑顔で押し隠して、杏子はゆっくりと立ち上がる。

 その手に握ったソウルジェムが、まるで太陽のように燃えだした。

 それはまるで、全てを、燃やし尽くすかのようで。

 

「ごめん、なさい……」

 

 泣いてはならない。

 泣けはしない。

 私の目は、永遠に乾いたままだ。

 

「泣くなよ」

 

 私に背中を向けたまま、杏子は見当違いのことを言う。

 もう何度も繰り返してきたことだ。

 いまさら、なにをおもうことも、ない。

 

「泣いてなんか、いない」

「アンタの心がさ、泣いてるよ」

「っ………………!」

 

 炎は、ついに杏子の全身さえも燃やし出した。

 真っ赤な炎の中に消えていく彼女の背中。

 

「さっきのは、嘘だから。ホントのホントは、恨んでいる以上に、感謝してる。いつかの想いを思い出させてくれて、うれしかったよ」

 

 振り向かないまま、彼女は天に向かって駆け出した。

 逆さの魔女。

 舞台装置の魔女。

 ワルプルギスの夜。

 この時、この場所では、きっと鹿目まどか以外には倒すことができない魔女。

 

「頼むよ神様……こんな人生だったんだ。せめて一度ぐらいさ、幸せな夢を見させてよ」

 

 そうして、彼女は炎の中に消えていって。

 それでも、何も変わらなくて。

 だから、こうなる。

 

「ほむらちゃん。わたし、いくよ」

「まど、か……」

「なんだかね、分かるんだ。アレはきっとこの時、この場所ではわたしにしか倒せない。だから、わたしがいかなくちゃ、ダメだったんだ。たとえそれでわたしが……」

「そんなこと、ない……」

「みんながわたしを援護にまわしていたのは、そういうことだったんでしょ?」

「だって、だって、それじゃあ……!」

「ごめんね、ほむらちゃん――」

 

 最後に何かを呟いて、まどかは空に消えていく。

 そして、また、私は繰り返すのだ。

 

 

 

 

          ■■■■■

 

 

 

 

 

「なんだよ……なんなんだよ、これ」

 

 それは、『彼女』の――暁美ほむらの辿った、一つの軌跡と終わりだった。

 救いなんてどこにもない、ある一つの結末だった。

 こんなこと、有り得ない。

 有り得るわけがない。

 佐倉杏子という魔法少女が、あんなバカな真似をするはずがない。

 偽物だ。

 嘘だ。

 

「………………」

 

 だが暁美ほむらは、何もこたえない。

 ただその瞳だけが、事実なのだと訴えかけているようだった。

 理解できない。

 理解できない。

 理解なんか、したくない。

 この目の前の存在を、分かりたくなんかなかった。

 怪物だ。

 これは、佐倉杏子という存在を破滅へと導く化け物なのだ。

 現に、見るがいい。

 こいつの顔には、瞳には、人間らしい感情など欠片も浮かんでいないではないか。

 まるで能面のような相貌。

 

「………………」

 

 なのに。

 ああ、なのに。

 

 ――どうして自分は、こいつが泣いているなんて思ってしまうのだろう。

 

「ッアアアア――――!」

 

 佐倉杏子は暁美ほむらに背を向けて駆け出した。

 自分を背後からのみ込もうとするなにかから、まるで逃げるように。

 

 それを黙して見送る彼女は、相変わらず表情もなく。

 彼女が泣いているかどうかなど、他の誰にも分かるはずがないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてまた、彼女は一人そこに立っている。

 

「あれは、ひとつ前の世界のことだったのかな」

 

 彼女の足下に寄って、いつものようにキュゥべえは彼女を見上げた。

 

「ずいぶんと君は不安定だったんだね。暁美ほむらの方からコンタクトを取ってきたというのに、あれだけ痛めつけるとは。いや、それは今の君も同じなのかな。暁美ほむらに対してなんら行動を取っていないという点を思えば」

 

 彼は、いつもより饒舌であった。

 おそらく自分でも気付いていないだろう。

 彼をしてそうさせてしまうほどの何かが、暁美ほむらの記憶にはあったのかもしれない。

 

「いつもいつも同じ行動をとると君でも飽きが来てしまうということなのかな。一体、君はこれまで何度この世界を繰り返してきたのだい」

 

 その時になってはじめて、彼女は彼に視線を向けた。

 だが相変わらず空ろなその眼にはなにもうつっておらず、呆っと虚空だけを見つめている。

 

「……そうね。ざっと百十二万三千六百八十八回、かしら」

「――――うん?」

「聞こえなかったのかしら。百十二万三千六百八十八回、よ」

「――――――――――――」

 

 それは、なんという。

 キュゥべえは絶句した。

 彼ら人類の基準で考えれば、およそ九万年以上もの月日を生きていることになる。

 それは、彼らインキュベーターが関わってきた現世人類の歴史よりも長い年月である。

 それだけの年月を経たこの存在は、果たしていまだ人間と呼ぶことが出来るのだろうか。

 

「よく、それで絶望しないものだね」

「そうなる前に、対策をとったもの」

「擬似的な二重人格現象、かい」

「ええ。普段は仮想人格に全てを任せて、オリジナルである私は心の奥底で夢とうつつの狭間を彷徨っているの。私が表に出ていると、ソウルジェムの濁りが急速に進んでしまうから」

「そうやって魔女化を防ぐ手段があるとは、僕らにとっても想定外だったよ」

「あなた達は人間の心を知らなさすぎるわ。もっとも、そこまで理解できたのならばこんな辺境の未開惑星にわざわざ来る必要なんてなくなるのでしょうけど」

「道理だね」

 

 おそらく、彼らにとっては不可能なことなのだろうが。

 

「それにしても、君がそうしてくれるのは僕らとしてもありがたいことだね。君には契約を守ってもらわなければならないのだから」

「ええ……分かっているわ。それが、この世界のためだものね」

 

 だから、今日もまた彼女はそれを口にするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に幸あれ」

 

  

 

 

 

 

 

 そして、また今回も彼女は暁美ほむらを痛めつけた。

 

 



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Ⅴ 97:1123689

 

 

 

 

 

「いいのかしら、佐倉杏子」

「あん?」

「あなたはまだ私の行いに納得していないのでしょう?」

「……ハっ、別にこれはアンタの手伝いじゃない。ただあの七篠タレカとかいう女が気に入らないから、ぶっちめようっていう、それだけのことさ」

「……そう」

「そうさ」

 

「…………それとさ」

「なにかしら」

「アタシのことは、杏子って呼べよ。フルネーム読みなんていう気持ち悪い呼び方すんな」

「…………」

「……なにさ?」

「ツンデレおつ」

「はぁ……?」

 

「よぅ、アンタが七篠タレカだな。はん、やっぱり実物も存在感のない顔してやがる」

「こうして会うのは初めてね。用件は、言わなくとも分かっているわね?」

「は、はぁ……? い、いい、いきなりなんなのよあんた達! しつっ、失礼にも程があるわ!」

「…………」

「…………」

「な、ななな、なによっ!?」

「……オイ」

「……ええ。どうも演技をしているようには見えないわね」

「そ、そうか! あ、あんた達が堕天使様の仰っていたやつらね! あの方の居場所なんて、ぜぜぜ絶対に教えないんだから! 知らないけど教えてなんかやらないんだから!」

「堕天使ィ?」

「な、なによあの方のことを馬鹿にするつもり!? ああああの方はね、こんな馬鹿で間抜けで愚図で阿呆で糞みたいな私と同じ顔をなさっているけれど、本当はとても美しいに違いないのよ! 見たことないけど絶対そうなのよそうに決まってるわ! 私なんかとは全然違うんだから! すごいのよ! それはもうすんごくすごいのよ! 空だって飛んじゃうし魔法だって使えちゃうし、あ、あんた達なんか瞬殺よ瞬殺なんだからね! あは、はははは、ばーかばーかばーか!」

「……なぁ、とりあえずコイツ一発ぶん殴ってもいいか?」

「せめてデコピンぐらいにしておきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あまりあの子を虐めないであげてくれるかしら。顔を合わせるなり、額を真っ赤にして泣きついてきたのよ。泣き止ませるのにどれだけ時間が掛かったか……」

「それより、詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか。アンタ、一体なんなんだい?」

 

 彼女はいつもの場所にいた。

 この街で最も高いタワーの屋上。

 そこでほむらと杏子は七篠タレカと対峙していた。

 いつもは放っておいても向こうからほむらの前にやってきていたため、その所在などを気にしたことはなかったが、ここ何度かのループで彼女がこの場所を好むことを知り、夜になるのを待って二人はここを訪れていた。

 

「今回は佐倉杏子も一緒、ね。巴マミは呼ばないのかしら? 仲間外れ? 可哀想にね。彼女、そういうの一番嫌がると思うのだけれど」

「彼女は――」

「アイツじゃアンタみたいなのの相手はつとまらないさ。正義バカだからねぇ、アイツ」

 

 ほむらの言葉を遮って杏子が答えた。

 それに、タレカは愉快そうな笑みを零した。

 

「ふふ……よく理解しているのね、彼女のこと」

「誰が! ただ気にいらないやつだから、自然と目の中に入ってきちまうってだけさ」

「そう、そういうことにしておきましょう」

「ちっ、いちいち嫌味な女だ。本当に昼間のアンタとは大違いだな」

 

 その杏子の言葉に、だが彼女は動じる様子もない。

 彼女にとっては、それも殊更隠し立てするようなことではないのか。

 

「あの子は、何も知らないもの。あの子はね、この時間軸の私の魂の残滓、なのよ」

「魂の……」

「……残滓?」

 

 耳慣れない言葉に、二人揃って聞き返す。

 

「ええ。今の佐倉杏子も知っているのでしょうけど、私達の魂はキュゥべえとの契約の時にソウルジェムとして物質化される。それはつまり、私達の本体はそちらにあり肉体はただの遠隔操作できる抜け殻でしかないということよ」

「ちっ……そんなこと、今更言われるまでもなく分かってるさ」

「ならば、時間軸を移動してしまう私と暁美ほむらは、肉体そのものではなく精神――ソウルジェムが時を越える、というのも良いかしら?」

「ああ、そうなんだろうな」

「そして、私達は時を越えた後、改めて魔法少女として契約するのではなく、目覚めた時点で既に魔法少女になっている」

 

 タレカはそこで一度口を閉じ、ほむらに意味深な視線を向けた。

 どくり、と嫌なものが胸の中に滲んでいくのを、彼女は感じていた。

 不吉な予感。

 まるで敢えて気付かないでいたことを、さらけ出されるような、そんな――

 

「つまり、その瞬間に、もとあった肉体からは魂が失われているの。私達はね、時を戻る度にその時間軸の自分を、殺しているのよ」

 

 ――――――――――。

 そう。

 それは。

 これまで。

 気付かないようにしていたことで。

 

「暁美ほむら。あなたはこれまでにどのぐらい、なにも知らない自分を殺してきたのかしらね」

 

 力が、抜けそうになる。

 

「なっ、テメェ――!」

「あらあら、私は本当のことを言ったまでなのだけれど」

 

 膝から、崩れ落ちそうになる。

 

「だからって、そんなこと!」

「むしろ感謝して欲しいわね。彼女の歪みを正してあげたのだから。いま私は正しいことをしたのよ?」

 

 だけど。

 

「ふざけ――」

「だからどうしたというの、七篠タレカ?」

 

 倒れてなんか、絶対にやらないのだ。

 

「ほむら……?」

「大丈夫よ、杏子。私は、大丈夫」

 

 心配そうな顔で見つめてくる彼女に、頷いてみせる。

 そう。

 そうなのだ。

 たしかにこれまで、自分は無自覚に自分自身を殺してきたのかもしれない。

 けれど。

 それと同じぐらい、この目の前の、本当は心優しい友人を。

 正義感の強い頼れる上級生を。

 ――大切な親友を。

 巻き込み、自覚的に殺してきたのだ。

 いまさら。

 いまさら、『たかが』己を殺していたことを突きつけられたぐらいで、この自分がどうにかなるはずがないのだ。

 

「暁美、ほむら……!」

 

 タレカはそんなほむらを、苦虫を噛みつぶしたような顔で睨み付ける。

 これで、自分の意志を挫こうとしたのか。

 だがおあいにく様だった。

 そんなことで、暁美ほむらが立ち止まることはない。

 

「それで? あなたの事情の続きとやらを説明してもらおうかしら」

「……つくづく業の深い女ね、あなたは。どれだけの犠牲を積み上げたところで、その先に救いなどないというのに」

「私は信じているの。奇跡の確率はゼロなんかじゃないって」

 

 そう言い切ったほむらから、タレカは顔を逸らす。

 

「――――――――――のに」

 

 小さく呟かれた言葉は、風に流されて聞こえなかった。

 

「ほむら、アンタ……」

 

 杏子は、そんなほむらを複雑そうな、けれどどこかうれしそうな顔で見つめている。

 

「さあ、七篠タレカ――話して」

「……仕方ないわね。あなた達が会った七篠タレカはね、時を移動した際に肉体からはじき出されたこの時間軸の魂を掻き集めて再構成した、もうひとりの七篠タレカなのよ」

「そんなことが可能なの?」

「できるものはできるのだから仕方がないわ。だから、ほら」

 

 そう言って彼女が放り投げてきたのは、飾りの類の一切ない携帯電話。今爆発的に流行している機種でほむらたちも所有しているのと同型だ。おそらくこの時間軸の七篠タレカの所有しているものなのだろう。

 どうやら通話中らしく、声が漏れている。

 

『あ、あああああああんた達! よくもこの間はやってくれたわね! あんた達なんか堕天使様にけちょんけちょんのぐちょぐちょにされてしまえばいいのよばーかばーかばーか!』

「またデコピンされたいのかしら」

『ひぅっ』

 

 大人しくなる。

 思わず溜め息を吐きたくなるが、すぐに重大な事実に気付く。

 それは杏子も同様であったようで、ハッとした彼女はタレカに鋭い眼差しを向けた。

 

「ちょっとまて、アンタがここにいるのに、どうして七篠タレカが電話に出ているわけ?」

「言ったでしょう。あの子はこの時間軸の七篠タレカの魂が再構成された存在。そして私はソウルジェムが本体である七篠タレカ。つまり、100メートル以上肉体からソウルジェムを離しても、たとえ残滓でも肉体に魂の存在する七篠タレカはゾンビになることはないのよ」

「……なら、今のあなたは誰の肉体を操っているというの?」

 

 仮に彼女の言っていることが事実なのだとしても、魔法少女として活動するにはどうあっても肉の器としての肉体が必要になるはずだ。

 それに、彼女はなんてことのない口調で答える。

 

「その辺の死体」

「な――――」

「と言いたいところだけど、私はそこまで悪趣味ではないわ」

 

 にやりと馬鹿にするような笑みを浮かべて肩を竦める。

 

「キュゥべえの話ではそもそも他人の身体では相性が悪いらしく、頻繁に誤作動を起こしてしまうようね。だから、あなたの質問に対する答えは、誰の身体も使っていない、よ」

「適当なことばっかいってんじゃねーよ。だったらアンタはいまどうやってそこに存在してるっていうのさ」

「魔力で構成しているだけよ」

 

 あっさりと、七篠タレカは告げた。

 

「はぁ?」

「考えてもみなさいよ。魔法の力で私達は衣装ともいうべきものを作り出し、肉体の損傷だって修復することが出来るのよ。だったら、ただの肉の器でしかない肉体だって魔法の力で作り上げることが可能だと思わないかしら?」

「それは……」

 

 ほむらは考える。

 たしかに彼女の言うことももっともだ。

 ソウルジェムと肉体の仕組みを考えれば、有り得ないことではない。

 

「けれど理屈と現実は違うわ。本当にそうだというの?」

「ええ。ほら――」

 

 タレカがそう言った直後、彼女の姿にまるでノイズが走ったかのようなブレが生じた。

 それは段々と激しさを増し、ついには彼女の姿が黒い人型のようなものにまで変じて――すぐにまた元の姿に戻った。

 

「分かったかしら?」

「……ええ、そうね」

「そんな非効率的なことに一体、どれだけの力を使うんだか」

 

 二人はそれぞれに納得の意を返す。

 それを見て頷いた彼女は、 

 

「それで、前置きが終わったところで、今日は一体どんな用があって私のところに来たのかしら」

 

 その纏う雰囲気を一変させた。

 

「っ――! こいつは……!」

 

 タレカの身体から溢れ出る異常なほどの力。それを初めて目にした杏子は、全身を緊張させて身構えた。

 慣れているとはいっても、ほむらも自然と背中を汗が伝うのを止めることはできなかった。

 それほどの、かつて目にしたどんな魔法少女よりも、魔女よりも、それこそあのワルプルギスの夜に比べてさえ突き抜けた膨大な力。

 心なしか初めて目にした時より増加しているような気さえする。

 

「……分かっているのでしょう?」

「なにを? 暁美ほむら、一体あなたはなんのためにここに来たというの?」

 

 さらに強大になる圧迫感。

 それだけで押し潰されてしまいそうなほどに。

 

「ぐっ……! オイほむら! こりゃ幾らなんでも……!」

 

 既に彼女をどうにかする気など失せているのだろう、杏子は焦りをにじませてほむらを見やる。

 彼女もまた、抑えきれない焦燥感を抱いていた。

 七篠タレカがここまで力を垂れ流しにするのは、いままでになかったことだ。

 しかも、明らかに敵意を含ませてこちらに向けられている。

 もしかするとこの場で自分達を殺してしまうのでは――そう思ってしまうほどの危機感。

 その未来は、決してないとは言い切れない。

 七篠タレカの目的などなにも分からないのだ。

 これまで命に関わるような危害を加えてこなかったからといって、これからもそうだとは限らないのだ。

 

「けどっ、それでもっ!」

 

 七篠タレカに鹿目まどかを救う可能性が少しでもあるのならば。

 暁美ほむらは諦めることなどできはしないのだ。

 

「力をっ……! 貸してほしいの! 七篠タレカ! お願い……!」

 

 

 

 

 

 ――そこで、ほむらと杏子の記憶は途切れている。

 次に気付いた時、彼女達は涙を浮かべたマミとまどかに介抱されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしそれにしても、よくあそこまでデタラメを並べ立てられたものだね。あれがつまり、君達がよく口にする『騙す』ということなのだろう?」

「…………」

「君達が時を越えてこの時間軸にやってきたとき、もともとそこにあった魂がどうなったかなんて、僕らにだって分からないよ。おそらく上書きされるのだろうとは思うけど、それだって確証があることじゃない」

「それに魔力で肉体を構成するだって? 初めからあったものを修復するのと無から全てを構築するのには、難易度に差がありすぎるよ。いくら君でも――いや、もしかしたら君なら可能なのかもしれないけれど」

「…………」

「やれやれ、今日はだんまりかい。まぁ、君にだってそういう時はあるのだろうね。君だって、人間なのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に、幸、あれ」

 

 

 

 

 

 



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Ⅵ 98:1123690

 

 

 

 

 

「――ったく、見てらんねぇっつうの。この程度の魔女相手になに手こずってるんだか。いいからもうすっこんでなよ。手本を見せてやるからさ」

「杏子……」

「佐倉さん!? どうしてあなたが……」

「……えっと、わたしたち、けっこう、楽勝モードじゃなかったっけ?」

「…………」

「…………」

「……………………て、手際が悪いんだよ! アンタらは! だからアタシが手本を見せてやるっていってんだよ!」

「これがさやかちゃんがよく言うつんでれさんかぁ」

「……ツンデレおつ」

「佐倉さん、私、あなたのこと勘違いしていたみたいね。ただ素直じゃないだけだったのね」

「う……」

「う?」

「う?」

「う?」

「う、あああああああああああーーーーーーーーーーーーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしてもさぁ、まどかって最近になって変わったよね」

 

 このところの恒例行事になりつつある、昼食風景。

 屋上で集まって車座になり昼ご飯をつついている最中、ふと思い出したようにさやかが言った。

 

「えぇ~? そうかなぁ」

 

 まどかが不思議そうに首を傾げると、さやかだけではなく仁美もまたうんうんと頷いた。

 

「あら、そうなの? 以前の鹿目さんのことは知らないから私からはなんとも言えないわね」

「私も、そうね」

 

 そう言ったのはマミにほむらである。

 まどかを含めてこの五人が、最近になってお昼を共にするようになったメンバーだった。

 もともとはさやかと仁美、まどかとマミとほむらとで別々に食べていたのだが些細なきっかけでこうして一緒に食べることが多くなった。 

 

「すっごく明るくなったよ。きっとあれだね、マミさんとの出会いがまどかを変えたのだ!」

「まぁ! お二人ともそういう間柄でしたのね! でもいけませんわ、お二方。女の子同士でなんて、それは禁断の、恋の形ですのよ~!」

「私とまどかはそんな関係じゃないわ」

「いやいや、なんでそこで転校生が口を挟むのよ」

「ま、まさか禁断の上に三角関係ですの!?」

「も、もうっ、いい加減にしてよ仁美ちゃん! わたしたちはそんなんじゃないんだから!」

「そうだそうだ! まどかは私の嫁になるのだー!」

「わたしは女の子のお嫁さんになんかならないよ!」

 

 わいわい。

 がやがや。

 騒がしい日常は、楽しい日常、それだけ早く過ぎていく。

 

「ふふ、相変わらず面白い子たちね」

「ええ」

「ずっと、続けていたいわね」

「……ええ」

「たった一人でも、大切な存在ができるだけでこんなにも世界は変わるのね」

「…………」

「今なら、あなたの気持ちもわかるわ。きっと、同じ状況になれば私も同じことを願う」

「…………」

「だから、もしも『次』があるのなら、その時もまた遠慮なく私を巻き込みなさいな。きっとどの『私』だって、あなたの手を拒みはしない。どんな結末になろうと、後悔なんて、しない」

「………………………………はい」

 

 きっと誰もがこの時を楽しいと感じていたに違いない。

 何度も繰り返したほむらでさえ、まだそう思う心が残っていたのだから。

 本当に、ずっとこんな時が続けばいいのにと、彼女は叶わぬことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、今日の魔女には拍子抜けしたよねぇ。まさか戦闘開始一分で瞬殺とはさぁ」

「あはは、杏子ちゃんが最初から全開だったから。すっごくかっこよかったよ」

「……そういうアンタも、まぁ、ルーキーにしてはよくやってたんじゃない?」

「そっかなぁ? だったらいいなぁ、ありがとう杏子ちゃん」

「……ったく、アンタ、ほんと調子狂うなぁ」

 

 探索早々に魔女を発見、そして撃破。

 あまりにも呆気なく終わってしまったため、彼女らは四人で夕食を食べに来ていた。

 場所は、以前にまどかがおすすめだと言っていたイタリア料理店。

 彼女は外食することが多いらしく、こういったお店をたくさん知っていた。

 しかもループの度に紹介する店が違うものだから、いつの間にかほむらもこの界隈のグルメに詳しくなってしまっていた。

  

「それにしても、本当にここのパスタはおいしいわね。私も一人暮らしだから外食することが多いのだけれど、ここには初めて来たわ。鹿目さん、よく知っていたわね」

「えへへ、もともと外食するのが多いというのもあったんですけど、むかし料理に熱中していたときがあって、レシピを研究するためにこの辺りのお店を歩き回ったんです」

「まどかのお弁当は、とてもおいしかったわ」

「そ、そう? ありがとうほむらちゃん」

 

 弁当だけではなく、実際に彼女のマンションで手料理を振る舞われたこともある。

 正直、同性として屈服するしかない味だった。

 有り得ないぐらいのおいしさだった。 

 

「あら、ならもしかしてケーキも作れるのかしら?」

「もちろんです!」

「私もケーキにはちょっとだけ自信があるのよ――って、そういえば鹿目さんには振る舞った時があったわね」

「マミさんに初めて会った時ですね。とってもおいしかったです!」

「じゃあ、今度はあなたが私にご馳走してくれるかしら」

「分かりました、楽しみにしていてくださいねっ」

 

 そんな二人のやりとりを黙ってみていた杏子が、ついと視線を逸らしてほむらに向けた。

 

「オイ、アンタ、料理は?」

「……そんなことをしている余裕があったと思う? そういうあなたは?」

「アタシは食べる専門なんだよ」

「…………」

「…………」

 

 顔を見合わせて、二人揃って溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 その時は、必ずやってくる。

 

「いよいよ、明日だね」

「……ええ」

「がんばろうねみんな!」

「……そうね」

「みんなで力を合わせれば、きっと倒せるよ!」

「……ああ、そうだね」

「それじゃあ今日は明日に備えて早く寝よう! おやすみ!」

「……おやすみなさい、まどか」

「……おやすみなさい、鹿目さん」

「……おやすみ、まどか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きている?」

「ええ」

「ああ」

「まどかは?」

「ぐっすり寝ているわ」

「ずいぶんと幸せそうな顔してるよ」

「……明日、まどかはできるだけ援護にまわす。私達の結論は、それでいいかしら」

「そうね、いいと思うわ。本当は鹿目さんを戦わせたくはないけれど、あなたの話を聞く限りじゃ、私達だけではどう足掻いても勝てそうにないものね」

「コイツが前に出て戦うのは、一番最後――それでいいんだろ」

「……………………ご」

「あやまるなよ、ほむら。アタシもマミも、全て納得した上でのことさ」

「だから、あなたが気に病む必要なんてないのよ」

「……………………」

「泣きたいんなら、ソイツの胸でもかりなよ。あいにくとアタシは誰かさんみたいに牛女じゃないんだ」

「……ちょっと、佐倉さん」

「まったく何を食べたならそんなに育つんだか。中学生でそれってどういうことなのさ。訳がわからないよ。きっとあと二十年もしたら垂れるね。絶対。間違いない」

「…………そう、あなたが私のことを嫌っていたのって、それが理由だったのね。納得したわ。そうね、あなたがそう思うのも仕方ないのかもしれないわねぇ」

「……オイ」

「なにかしら」

「……明日、アタシの前にはでないようにするんだね。うっかり突き殺しちゃうかもしれないよ」

「あなたこそ私の流れ弾でそれ以上胸が抉れないよう気をつけなさいな」

 

「…………………………くす」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――昔話をしよう。

 ずっとずっと昔の、わたしの話を語ろうかと思う。

 わたしがこうなる前の、なにも知らなかった日々のことだ。

 

 陰鬱で臆病で愚鈍で、そんな自分のことが大嫌いだったわたしは、ある時、魔女に魅入られて命の危機に陥った。

 避け得ない死を目前にしたわたしは、恐怖に怯えながらも心のどこかで、ああ、自分にはこんな死に様がお似合いかもしれないと、そんなことを思っていた。

 けれど。

 いつまでたっても、わたしにそれが訪れることはなかった。

 無意識にぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開き――そして、出会ったのだ。

 

『間一髪ってところ――』

 

『もう大丈夫――』

 

 それからのわたしは、いつだって彼女の後をついてまわった。

 憧れたのだ。

 それがとても綺麗だったから、カッコ良かったから、だから憧れた。

 臆病な自分にさよならしたかった。

 暗い自分にさよならしたかった。

 愚かな自分にさよならしたかった。

 

 一歩を踏み出す勇気を、もらった。

 

 だから、少しだけ頑張れるようになった。

 ほんのちょっとの勇気のおかげで、たった一人だけど友達ができた。

 ずいぶんと久しぶりにできた友達で、あの人の前で浮かれきってはしゃいだのを、今でも覚えている。

 

 もっと大きな勇気だってもらった。

 

 それがほんの少しなのだとしても、わたしだってあの人の役に立てることを知った。

 わたしの祈りは、きっと神様に届いたのだ。

 憧れた彼女と、たった一人の友達の彼女と、わたしと。

 きっとその時、わたしの世界は三人だけで完結していた。

 ずっと、永遠に、幸せな日々が続くと思っていた。

 

 ――だから、それに耐えきれなかった。

 災厄の魔女が去ったとき、そこに立っていたのはわたし一人だけだった。

 憧れたあの人が死んだ。

 友達だった彼女が死んだ。

 みんな死んだ。

 彼女達との大切な思い出があった街も、全部壊れた。

 幸せな日々は、その時、確かに終わったのだ。

 

 ――だから、願った。

 今度こそ、強く、心の底から。

 彼女達と出会ってからの夢のような日々を、永遠に終わりになんかしたくないと。

 

 そのとき、わたしの願いは真の意味で確定したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、またこの時がやってくる。

 ワルプルギスの夜がやってくる。

 決して明けない夜が、この街を覆い尽くす。

 

「ごめんなさい……私は、ここまで、みたいね。あとのことはよろしくね、佐倉さん、暁美さん、鹿目さん」

「……ああ、任せときなよ。だから、もう、アンタはゆっくり休んでいいんだ」

「ふふ……まさか、あなたの胸に抱かれて、そんなことを言われる日がくるなんて、ね」

「…………巴さん」

「『また』、会いましょう、暁美さん」

「っ…………ええ、『また』」

「ふふ……そういうことだから、鹿目さん、泣かなくてもいいのよ。きっと、また、会える、私達、会えるのよ」

「マミさん……うん、そう、だね……きっと、そうだよ」

「よろしく、ね」

 

「そんじゃ、アタシもマミのところに、いってくるよ。アイツ、一人だけだと寂しがりそうだから、ね」

「杏子……」

「本当は、言わないでおこうと思ったんだけど……感謝してる、ほむら。いつかの想いを思い出させてくれて、嬉しかったよ。『また』ね」

「…………ええ」

「まどか、アタシがダメだったら、次は、アンタの番だ。分かってるだろ?」

「うん……! 大丈夫、まかせてよ杏子ちゃん」

 

「まどか、どうし、て……?」

「ごめんね、ほむらちゃん。本当はね、マミさんや杏子ちゃんからほむらちゃんのこと、聞いてたんだ。こうなったら、もう、わたしが行くしか手はないんだって。ほむらちゃんは、無事なまま過去に送り届けてあげないといけないから」

「そんな、わたし、は……………………」

 

「…………どうして、こうなっちゃったんだろうね。こんなんじゃ、救われない。わたしなんか、どうでもいいんだよ。ほむらちゃんがさ、救われないんだよ」

 

「さよなら、ほむらちゃん。もう、会えなければいいのにね」

 

 最後に、何かを呟き彼女は空を駆け上がっていく。

 終わりという名の始まりに向かって。

 

 

 

 

 

 



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Ⅶ 99:1123691

 

 

 

 

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 そうして彼女はまた繰り返している。

 お辞儀をして、『彼女』に目を向ける。

 視線が交わる。

 呆っとした顔で、『彼女』は微笑むほむらを見ていた。

 そして。

 俯いた。

 俯いて、肩を震わせた。

 

 ――また、暁美ほむらと鹿目まどかの物語が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしのこともまどかでいいよ、ほむらちゃん」

「そう、よろしくねまどか」

「それにしても、ほむらちゃんて変わった名前だよね。あ、えと、変な意味じゃなくてね。格好いい名前だなぁって」

「…………」

 

 

 

「私も魔法少女なの」

「え?」

「あなた達と一緒に戦うためにこの街にやってきたの」

「…………えと」

「ワルプルギスの夜を、倒しましょう」

 

 

 

「力を貸して、七篠タレカ」

「…………」

「たとえどれだけ繰り返そうとも、私は諦めない」

「…………」

「だから、お願い――」

「……ねぇ、暁美ほむら。ずっと昔、私もあなた達と一緒に戦っていたって言ったら、信じるかしら」

「そんなこと、一度も」

「そうね、『あなた』は知らないものね。ずっとずっと……昔のことだもの」

「七篠タレカ、あなたは……」

「詮無きことを話したわね……もう、失せなさい。二度と顔もみたくない」

 

 

 

「巴さん、話があるの。大事な、話が」

「――そんな、嘘よ、こんな、まさか」

「でも事実なのよ。ワルプルギスの夜は――」

「暁美さん、あなたは一体、何度繰り返して――」

「奇跡の確率は、決してゼロなんかじゃない」

「泣いても、いいのよ」

「涙を流したりはしない。だって魔法少女は、夢と希望を叶えるのだから」

 

 

 

「アンタがキュゥべえの言ってた私に用があるっていうやつ?」

「佐倉杏子、あなたの力を貸して欲しい」

「ワルプルギスの夜、ね。実在するんなら、二人がかりでなら倒せるかもね」

「倒してもいずれ蘇る、不死の魔女――それがワルプルギスの夜の正体」

「それが二週間後に来るっていう根拠は?」

「私の記憶をみて」

「――なんだよ……なんなんだよ、これ」

「…………」

「クソっ、ふざけんな、ふざけんなよ、アタシは、こんな、こんな――」

 

 

 

「――ハッ、見てられないねぇ。手本を見せてやるよ」

「佐倉さん、あなた」

「ふん、マミ、アンタとは一時休戦だ。ワルプルギスの夜を倒すまでは、仕方ないから協力してあげるよ」

「よろしくね杏子ちゃん!」

「ありがとう……杏子」

「チッ……ほんと、アタシってバカ」

 

 

 そうして、ふたたび。

 

 

「まどかは可能な限り、援護にまわす」

「ええ、そうね」

「ま、アタシがいればコイツの出番なんか、まわってきやしないよ」

「倒しましょう、ワルプルギスの夜を」

 

 

 そのときが。

 

 

「オイ、まどか。ちょっといいかい」

「佐倉さん、まさか」

「えっと……?」

「アンタは知っておくべきなんだ。たとえそれがアイツの意に反することだろうと。そうじゃないと、アイツがあまりに報われなさすぎるよ」

「そう、そうね……鹿目さん、あなたは知っておくべきなのかもしれない」

「ほむらちゃんの、こと?」

「!? アンタ」

「どうしてだろう……自分でも分からないけど、なんとなく、分かるんだ」

「鹿目さん……」

「だから、分かってる。マミさんや杏子ちゃんには、ホントは、ホントはね、そんなこと、して欲しくないけど、でも」

「いーんだよ、バカ。アタシらが自分の意志で、決めたことなんだからさ」

「そうよ鹿目さん。私、こんな幸せな気持ちで戦うのなんて初めて。もう何も怖くない。私、一人ぼっちじゃないもの」

「マミさん……」

「きっとどんな結末だろうと、絶望なんか、しない」

 

 

 ――やって来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ワルプルギスの夜を迎えるその場所に、鹿目まどかの姿はなかった。

 

「オイ、ほむら、まどかはどうしたのさ」

「……あの子は、来ない」

「暁美さん、あなた、まさか」

 

 俯いたままのほむらは、ゆっくりとその腕を持ち上げた。

 彼女の手に握られていたのは、桃色に輝く宝玉――ソウル、ジェム。

 

「テメェ! そんなことしたらアイツが――」

「魔力で、仮死状態にしてきたから、アレとの決着がつくまでは、持つ。もし多少のダメージが残ったとしても、仕方ないじゃない」

 

 杏子は胸ぐらを掴みあげられても、ほむらは顔をあげようとはしなかった。

 その表情は前髪に隠されて見えない。

 淡々と事実だけを告げるような彼女に一瞬で激高した杏子は、顕現させた槍を振りかぶって、 

 

「だって、仕方ないじゃない!」

 

 初めて聞いたほむらの悲鳴に、止まらざるを得なかった。

 

「こうでもしないとあの子は戦おうとする! 自分がどうなるのか分かっても戦ってしまう! 私がどれだけ止めても、ぜったいに止まらない! まどかなしじゃあの魔女に傷ひとつつけられないのだとしても、もう、しょうがないじゃない!」

「アンタ、もう、そこまで……」

 

 襟首をつかむ杏子の手に、濡れた感触があった。

 ほむらの顔から流れ落ちてきたそれを、彼女は一瞬、涙かと思った。

 けれどそれは、鮮烈な赤い色をしていた。

 ぐい、と無理矢理彼女を上向かせてみれば、ほむらの額には強く何かにぶつけたような傷がぱっくりと開いており、そこからドクドクと血が流れ出ていた。

 眦に溜まり、零れ、伝っていくそれを見て、杏子はまるで涙のようだと思った。

 

「クソっ、なんで、こんな」

 

 吐き捨てて、杏子はほむらを掴む手を離した。

 一度も視線を合わせようとしなかった彼女は、また、俯いて立ち尽くす。

 

「……………………」

 

 強く目を瞑って、杏子は空を仰いだ。

 青空などどこをさがしても見当たらない、暗雲蠢く不気味な空。

 災厄の前兆。

 もう、時間はない。

 

「消えろ」

 

 だから、決めた。

 目を開き、視線を戻して、杏子はほむらに告げた。

 

「……え?」

「今のアンタじゃ、使い物にならねぇよ。邪魔なだけだ。どこにでも、いつにでも、消え失せろ」

 

 その時の彼女の顔を、杏子は死ぬまで忘れないだろう。

 まるで親に見捨てられた子供のような顔だった。

 

「この時間軸は、この時間軸のアタシたちが、自分達の手で守る。部外者はとっとと消えなよ」

 

 今にも泣き出しそうなほむらは、次いで、マミに視線を向けた。

 

「……足手まといは、迷惑にしかならないわ」

 

 ほむらとは目を合わせぬまま、彼女は言った。

 その言葉を聞いて、ほむらは一歩、二歩、よろよろと後ずさり、

 

「ッ―――――――――」

 

 声なき声をあげて、走り去っていった。

 それをしばらく見送って、ぽつりとマミが呟いた。

 

「……ここに至って戦力半減とはね。参ったわねえ」

 

 やれやれと肩を竦めてはいるものの、その表情には怯えも絶望はない。

 

「ふん、別にアタシだけでも十分なんだけどね」

「おあいにく様、ここは私の街だもの。私が戦わないで誰が戦うというのよ」

 

 そうして、二人はくすりと笑みを漏らした。

 

「あそこまで追い詰められてるなんて、気付かなかったよ。いや、もうとっくにああなっていてもおかしくはなかったのかな」

「そうね。これまで持ったのが、奇跡だったのかもしれないわね。あの子、もともと打たれ強そうには見えないもの」

「それでも、アイツは――」

「ええ、そうでしょうね」

 

 彼女が去った方角をしばらく見つめて、やがて二人はその雰囲気を一変させる。

 友達を想うそれから、戦うためのそれへと。

 

「ま、アイツのことはまた別のアタシたちに任せることにして」

「さしあたって私達は目の前に迫った脅威を、どうにかしましょうか」

 

 そして彼女達は立ち向かう。

 彼女たちの運命へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「杏子っ……巴さんっ……」

 

 ほむらはただがむしゃらに走り続けていた。

 行く当てなどどこにもない。

 それでも立ち止まることなどできそうもなかった。

 

 分かっていた。

 彼女達が本心で言っているわけでないことぐらい。

 なぜなら、ほむらを見る杏子の瞳は泣きたくなるぐらい優しかったから。

 なぜなら、ほむらを見ようとしなかったマミの両手は小さく震えていたから。

 

 彼女たちが死んでゆく様など、もう見ていたくはなかった。

 まどかが居なくては、どう足掻いても、そうなるしかないのだ。

 分かっていて、ほむらは彼女のソウルジェムを持ち出した。

 鹿目まどかの死を見たくないという、ただそれだけのために、彼女達が生き残る万に一つの可能性を奪い去ってしまったのだ。

 

 もう、駄目なのかもしれない。

 自分は、壊れかけているのかもしれない。

 しかしそれでも、走り続ける足が止まる気配はなかった。

 ひたすらにどこかへと向かい続けている。

 どこへ?

 過去へ?

 ここではないどこか?

 いつかでもないどこか?

 なにもかも忘れられる場所?

 

「――しょうがないなぁ、ほむらちゃんは」

 

 決まっている。

 暁美ほむらの行く当てなど、この世界にたった一つだけしかない。

 

「まど、か」

 

 ほむらは、ようやく足を止めて、見上げた。

 気付けばまどかを置いてきた彼女のマンションの前。

 まどかは、三階にある部屋のベランダの柵に腰掛け、呆然とするほむらを見下ろしていた。

 その目には、どうしようもないほどの優しさと、溺れてしまいそうなほどの悲しみ。

 

「えい」

 

 苦笑して、彼女はそのまま飛び降りた。

 外にいるほむらに向かって、生身のままで。

 

「まどか!」 

 

 慌ててほむらは彼女を受け止めた。

 既に変身している彼女にしてみれば、まどかの身体はクッションのような軽さだった。

 

「えへへ、お姫様だっこ。初めて、かな」

 

 ほむらに抱えられた彼女は、うれしそうな、はにかむような顔で笑う。

 しかしその目には変わらぬ底の見えぬ悲しみ。

 

「まどか、私」

「いいよ」

 

 震えながら開こうとしたほむらの口を、まどかは人差し指でおしとどめた。

 

「いいんだよ、ほむらちゃん。分かってるから。だから、ね?」

 

 ほむらの腕からおりて地面に立ったまどかは、笑って彼女に手を差し出す。

 ほむらはそれを見て、泣き出しそうな顔で、いやいやと首を振った。

 もうこの場所に居ることで答えなど出てしまっているというのに。

 それでも最後の抵抗をするように、ほむらは胸の前で握りしめた『それ』をなおも強く自らの胸に押しつける。

 

「ほむらちゃん」

 

 まどかは何も言わない。ただ、彼女の名を呼び、その真っ直ぐな目で彼女を見つめるだけだ。

 世界の全てを背負っているかのような、こちらまで悲しくなってくる瞳だった。

 それでいてなお、優しさを失わぬ瞳だった。

 

 無理だ。無理だった。

 そんな目で見つめられて、拒むことなど、抗うことなど、できるはずもない。

 

 俯いたほむらは、震える手で、おそるおそる、大切な宝物を扱うような丁寧さで『それ』をまどかの掌にのせた。

 桃色の、ソウルジェム。

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

 

 ほむらは俯いたまま、ぶんぶんと大きく首を振った。

 その子供じみた仕草に、まどかはくすりと苦笑する。

 

「ねぇ、ほむらちゃん。あなたの口から、聞きたい」

「…………」

「わたしに、どうして欲しいの?」

「っ」

「あなたの言葉で、言って」

 

 ゆっくり、のろのろと顔を上げたほむらは、唇を強く噛みしめて泣くのを堪えるような顔で、告げた。

 

「たた、かって、まどか」

「うん」

「奇跡の、確率を、ゼロでなくするために」

「うん」

「戦って……まどかぁ……!」

 

 悲鳴のような叫びに、まどかは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

「うんっ!」

 

 世界が桃色の光りに満たされる。

 そうしてやがて光りが消えたときそこに立っていたのは、魔法少女だ。

 最強の魔法少女だ。

 ほむらにとってはいつだって最高で最強の魔法少女だ。

 

「行こうっ、ほむらちゃん!」

「うんっ……!」

 

 決して涙を流すことはない泣き顔で、ほむらは彼女の手を取った。

 そして、二人は暗雲渦巻く空へと飛び立った。

 彼女達の仲間が待つ、その場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に幸あれ」

「この世界に、幸あれ」

「この世界に、幸、あれ」

「この世界に…………………………………………」

 

 

 



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Ⅷ 100:1123692

 

 

 

 

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げた彼女の顔に、微笑みは浮かんでいない。

 冷えて固まった金属のような無表情だけ。

 

 しかしそれも、頭を上げて『彼女』の顔を確認するまでだった。

 驚愕の表情を張り付け、彼女は『彼女』を見ていた。

 

 ――壊れたような笑みを浮かべ、ぼろぼろと涙を流す『彼女』を。

 

「まどか……?」

「あれ、どうして、わたし、泣いてるんだろうね?」

 

 そうしてまた、笑みを失った暁美ほむらと鹿目まどかは時を繰り返すのだ。

 既に終わりが見えた円環を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、自分のことが大嫌いだった。

 平々凡々な、特徴らしい特徴のない顔つき。集合写真などを撮るたびに、あれこれって誰だっけと半ば本気で言われる。

 頭の悪さ。どれだけ勉強しても、クラスで真ん中以上の順位を取ったことなんて一度もなかった。

 運動神経の悪さ。クラスでいちばん太っている女の子よりも鈍足。体力も同様。球技なんて目もあてられない。

 極度の人見知り。誰かと話すたびに冷や汗を掻き、どもり、視線を忙しなく左右させ、いつだってまともにコミュニケーションをとることができない。

 

 いつしか、彼女は学校に行くことがなくなり、一日中自分の部屋に引きこもるようになった。

 それで余計に他人と接する術を衰えさせた。

 今では他人と顔を合わせるどころか外に出ることさえ恐ろしくなった。

 こんな自分は生きている価値なんてないのだと思っていた。

 けれど死ぬ勇気すらなく、ただインターネットという嘘と虚栄と妄想の世界にどっぷりと浸る日々が続いた。

 

 そんなある日だった。

 気付けば彼女はなにかに誘われるように、自分の部屋を出て、家を出て、自分の住むマンションの屋上へと足を運んでいた。

 階段を上がる度に、次々と勇気が湧いてくる。

 励ます声が聞こえたのだ。

 賛同する声が聞こえたのだ。

 ――生まれ変われ。君という魂は呪いに満ちた今生を終わらせ栄光の約束された転生を迎えるのだ。

 選ばれたのだ。

 彼女は、神様に選ばれて、新たな世界に導かれるのだ。

 

 そうして気付けば、空の上で。

 轟々と風が唸る音を聞きながら、彼女は落ちていた。

 落下しながら見上げる星空は、やけに綺麗だった。

 他人は怖い。

 自分は嫌い。

 でも自分の存在する世界は、こんなにも美しかったのだ。

 それだけで。 

 たったそれだけのことを知っただけで。

 もっと生きていたいと彼女は思った。

 ――それは少し、遅かったのだけれど。

 

 

 

 衝撃。

 暗転。

 

  

 

「ごめん、なさい……間に合わな、かったよ」

 

 消えかけていた意識が、その声に、ほんのわずか、揺り動かされた。

 薄れ行く視界に、なにかが映った。

 ふわりと夜空から舞い降りる、黒い人型のなにか。

 その背中からは、揺らめくような黒い光りが立ちのぼっていて。

 それはまるで羽のようで。

 

 ――ああ、私はやっぱり神様になんか選ばれなかったんだ。だって、私を迎えにきたのは、天使じゃない。

 

「だてんし、さま……?」

 

 神様に逆らって、地に堕とされた存在だったから。

 『それ』はなにも答えず、ただ押し殺した悲鳴のようなものを漏らした。

  

「……あなたは、いつもそんなことばかり」

 

 地面に降り立った『それ』は、腰を落として彼女の頭を膝の上にのせる。

 そうして、震える手で彼女の頬をそっと撫でた。

 

「七篠タレカ……。その名前は、あなたに返すわ。もう、私にはそんなことをしている余裕もなくなってしまったようだから」

 

 その言葉の意味を深く考えることさえ、もう彼女――七篠タレカにはできなくなっていた。

 ただぼんやりと、聞き入れるだけ。

 

「あなたは自分の名前が大嫌いだと言っていたけれど、私は好きだったわ。だって、私にぴったりだったんだもの」

 

 七篠タレカ。

 ナナシノタレカ。

 ――名無しの誰か。

 

 それは誰が言い出したことだったか。

 影が薄い自分にぴったりだと、よくからかわれていた。

 

「七篠タレカ。私は、その名前を、あなたを、きっとずっと忘れない」

 

 もしそれが本当なのであれば。

 はじめてタレカは自分の名前を好きになれそうだった。

 

「『また』、会いましょう」

 

 最後の刹那、垣間見えた『それ』の顔立ちは、とても――。

 やっぱり、天使様だったのかもしれないと、七篠タレカは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界に、幸、あれ」

 

 震える声で、名もなき彼女は呟く。

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

「七篠タレカが……死んでいる?」

 

 ほむらは、偶然知り得たその情報にしばし呆然となった。

 屋上からの飛び降り自殺――そう新聞の記事の片隅には書かれていた。

 慌ててその情報の裏付けをとった彼女は、それが事実であることを思い知らされた。

 七篠タレカは死んでいた。

 それも、明らかに魔女が原因の死である。

 あれだけの力を持った存在が、ただの魔女を相手にして斃れるなどどう考えてもあり得ない。

 ならば、それだけ異常な、なんらかの事態が起きたのだろうか。

 いろいろと仮説を検討してみるものの、どれも説得力に欠ける推論でしかなかった。

 そもそも、だ。今回の時間軸はどうもこれまでのものとは異なる点が多すぎる。

 

 まず第一に、鹿目まどかの不調。

 いつもと比べて動きに精彩を欠いている。また、力の使い方も不安定であり自分の力をコントロールしきれていない。

 おそらく、これまでのループ以上に力が増していることも原因なのだろうが。

 また、彼女が時折ほむらを見てなんとも言えない表情を浮かべるのも、変化といえば変化だ。

 第二に、キュゥべえが彼女達に積極的に関わり干渉してきているということ。

 これまでのループで彼はあまりほむら達の前に姿を現すことがなかった。ここまで頻繁に遭遇するのは、おそらく最初のほむらの時間軸のとき以来ではないか。

 そして第三に――

 

「どうしたのさ、転校生。スムーズに魔女を倒せたっていうのに、そんなに考え込んじゃって」

「……いえ、今日の反省点を洗い出していただけよ、美樹さん」

 

 そう、美樹さやかがキュゥべえと契約していること、それが最大の違いだった。

 繁華街の端にある今は使われていない倉庫。

 そこで志筑仁美を含む多くの人々が集団自殺をしようとしていたのを助け、原因であった魔女を彼女達四人は打倒した。

 四人――鹿目まどか、暁美ほむら、巴マミ、そして美樹さやかの四人である。

 どうも漏れ聞く話からすると、彼女は幼馴染みの少年の身体を治すために契約を交わしたらしい。

 たしかに何度かそういった話をまどかから聞いたことがあったが、美樹さやかが魔法少女になったのは繰り返してきたループの中で今回が初めてだ。おそらくそれは、キュゥべえが自分達に積極的に関係してくるところに原因の一つがある。

 となると――

 

「今日のところは、私はこれで帰らせてもらうわ」

「あれ、そうなの? ふぅん、珍しいね、あんたがまどかの手料理を食べられる機会を棒に振るなんて」

「……そんなこと、ないわ」

「はいはい」

 

 わずかに返答が遅れたほむらにさやかはにやにやとした笑みを向けるが、それを無視して踵をかえす。

 

「あ、ほむらちゃん。良かったらパックにして取っておくけど、どうする?」

「……お願いするわ」

「うん、分かったよ」

「ふふ」

「ふふふーん」

 

 まどかの問いに振り向いて答えるほむらを、マミとさやかが笑って見ていたが、やはりこれも無視して古倉庫から一足先に彼女は抜け出した。

 

《話がある。まどか達に気付かれないようついてきなさい》

 

 マミの肩上にのっていた白い獣に念話を送って。

 ――去っていくほむらは、その背中に、なんとなくまどかの視線を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、いったい何の話だい暁美ほむら」

 

 公園のベンチの上に座るキュゥべえは、目の前に立つほむらを見上げて訊ねた。その眼には相変わらず感情の色は見えない。

 

「……七篠タレカ」

 

 しばし何から問いただすべきかを黙考し、まずほむらが口にしたのはその名前だった。

 

「七篠タレカ? それは人の名前かい?」

「……知らないのね」

「そうだね、僕がこれまで関わった人間の中にそんな名前をした相手はいなかったよ」

 

 予想通りといえば予想通りの答えだった。

 七篠タレカが既に死んでいるというのなら、おそらく、この時間軸に彼女は来ていないのだ。

 ほむらの知らないところで彼女が目的を遂げループを終えてしまったのか、或いは何らかの時空のズレが起きて偶々この時間軸にだけは来ていないのか。

 あの『七篠タレカ』が時を繰り返さなければ、本来の七篠タレカはこうなる運命になる、または確率が高い――そういうことなのだろう。

 そして、

 

「それよりも僕は君のことが知りたいね。暁美ほむら。僕ではない僕と契約したイレギュラー」

 

 『七篠タレカ』が存在していないというならば、キュゥべえはほむらの情報を知り得ていないということだ。

 まず間違いないと確信していたが、これで完全に確定した。

 『七篠タレカ』はキュゥべえへほむらに関する情報を与えていたのだ。それがなんのためかは分からない。……いや、そもそも理由などないのかもしれないが。

 

「君は一体なにものなんだい?」

「……それをあなたが知る必要はないわ」

 

 知らないというのなら、わざわざ教えるつもりはない。

 というよりは、なにか、彼女の第六感のようなものが警鐘を鳴らしていた。

 このキュゥべえは、これまで彼女が目にしてきたキュゥべえとは、なにかが違う。

 ――油断しないほうがいい。

 ほむらは自分にそう強く戒めた。

 今回ばかりは己の事情は誰にも伝えない方がいいだろう。マミや佐倉杏子の説得には手間がかかりそうだが、仕方ない。

 

「なぜ美樹さやかと契約したの?」

「僕の質問には答えず君だけが質問するというのは天秤が釣り合わないけれど、ま、君達人間はいつもそうだからね。自らの願いだけを口にして決してその代償を受け入れようとしない。世界はバランスで成り立っているんだ。それを度外視するなんて、愚かとしか言いようがないよ。本当に、理解に苦しむ種族だよ君達は」

「……答える気がないのなら、もういいわ。どこへでも失せなさい」

 

 一々神経を逆撫でするようなことばかりを口にするキュゥべえに、ほむらは細めた目を向ける。

 それが正論だからといって、必ずしも受け入れられるわけではない。

 とくにこの価値観の違いすぎる存在に言われたところで、ただ腹が立つだけだ。

 

「もっとも、その性質故にこそ僕らに選ばれたのだろうけどね。エントロピーを凌駕するには、きっと君達のその不条理な傲慢さが必要なのだろう」

「…………」

 

 相手が去らないのであれば、彼女が去るだけだ。

 キュゥべえに背をむけた彼女に、彼は感情の感じられない声で告げる。

 

「美樹さやかと契約した理由は、それが僕の役割だからだよ。むしろどうして契約しない理由があるんだい?」

「…………ええ、そうね。その通りよ。あなた達は、そういう存在だったわね」

 

 そう、初めのループではキュゥべえという名の地球外異星生命体は、そういったものであった。

 それがいつの間にか――。

 

「七篠タレカ……あなたは一体なにがしたかったの?」

 

 呟きに答えるものは、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 去りゆく暁美ほむらの背中を見送った、キュゥべえと呼ばれる地球外異星生命体――インキュベーターは、誰もいなくなったその場所で、呟いた。

 

「やれやれ。彼女といい暁美ほむらといい、最近のこの街にはイレギュラーが多すぎる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それは影の魔女。

 なにかに祈りを捧げ続ける魔女。無数の木の枝のようなものを用いて敵を害する独善の魔女。

 それに対するは五人の魔法少女。

 鹿目まどか。

 暁美ほむら。

 巴マミ。

 美樹さやか。

 そして佐倉杏子。

 彼女はマミやさやかとそりが合わず何度もぶつかり合っていたが、つい先日にようやく和解にいたる。

 それには鹿目まどかの存在や暁美ほむらの影からのフォローがあったのだが、ともあれ、ようやく五人は共通の意志をもって魔女との戦いにのぞむことになったのだ。

 その目的とはつまり、ワルプルギスの夜を乗り越えること。

 暁美ほむらからもたらされた情報と佐倉杏子の仮説、そしてキュゥべえの裏付け。

 彼女らはそれが来ることを確信していた。

 故に、それぞれの連携を磨くため力を合わせてその魔女と対峙していた。

 していた、はずだった。

 

「オイ、さやかぁ! テメェ、なに一人で突っ走ってやがる!」

 

 杏子の叫びにも耳を貸さず、さやかはその口許をゆがめながら魔女に立ち向かう。

 その全身は傷だらけであらゆるところから血を流している。

 だというのに、彼女にそれを痛がる様子は微塵もない。どころか、歪な笑みを浮かべていた。

 

 原因は、分かりきっていた。

 些細なきっかけから明らかにされた魔法少女とソウルジェムの秘密。迂闊といえば迂闊だったのだろう。ほむらの失態だった。

 暁美ほむら自身も、今回のループにおいては万全とは言い難かった。

 諦めてはいない。

 立ち止まりはしない。

 だが、どうにもこれまでになく低調な状態が続いていた。

 理由は、考えない。

 思い出したくもない。

 

 また、キュゥべえもこれまでと異なりその情報を積極的に隠そうとはしなかった。

 むしろペラペラと聞かれてもいないことまで話しだす始末だった。

 そうしたことから知らされた真実を、他の面々は比較的短い時間で受け入れた。

 まどかや杏子の復帰はもっとも早かった。女の子女の子しているように見えてまどかのメンタルは強靭であるし、杏子は言わずもがなだ。

 マミの狼狽えは大きかったが、それでも長い間戦い続けてきたことにより薄々勘づいていたのかもしれない。本調子とまではいかないが、それなりに持ち直してはいたのだ。

 だがさやかだけは違った。

 彼女はその事実をいまだ本当の意味で受け入れられていなかった。

 だからこそ今回の暴走に繋がったのだろう。

 

「あははは、ホントだ。その気になれば痛みなんて……あはは、完全に消しちゃえるんだ」

「さやか、アンタまさか……」

 

 空ろな笑い声を上げる彼女を、杏子は愕然とした面持ちで見つめる。

 さやかはなおも己をかえりみない突撃を敢行しようとして――

 

「鹿目さん!」

 

 突然上がったマミの悲鳴に振り返った。

 それはほむらもまた同様だった。

 

 ――凍り付く。

 

「まどかぁーーーーーーーーー!」

 

 時を止める術など、なにも役に立ちはしなかった。

 それはすでに、終わっていたのだ。

 

 鹿目まどかは、背後から木の枝に胸を刺し貫かれていた。

 目を見開く彼女の胸元から、鋭い切っ先が突き出している。

 そう、『胸元』から。

 そこにあったはずの彼女のソウルジェムを砕いて。

 

「まどか、まどかまどかまどかまどかまどかまどかまどかぁッ」

 

 時を止めて彼女の周囲の枝を銃撃で排除、駆け寄ったほむらは彼女の身体を抱きしめて時間停止を解除する。

 その途端、ほむらの腕にかかる人の身体の重み。

 完全に力を失って四肢を投げ出す死体の重み。

 制服姿に戻された鹿目まどか――だったのもの。

 小さく開いた口は決して閉じることなく、見開かれた瞳は光を失い暗く濁っている。

 

「う、ああ、ああああああああああああああああーーーーーーーーー!」

「さやか、テメ――クソっ」

 

 蒼白な顔でそんなまどかを凝視していたさやかだったが、突然絶叫すると魔女に突撃した。

 一瞬躊躇った杏子も、悲痛そうな視線でまどか『だったもの』を一瞥すると彼女の後を追って駆け出した。

 

「うそ、うそよ、ね……だって、鹿目さん、ケーキ、今度、ごちそうしてくれるって、いったじゃない」

 

 茫然として後ろに後退ったマミは、顔を青白くさせて現実を否定するように首を横に振る。

 

「まどか、そんな、なんで、だって、まだ、ワルプルギスの夜を迎えてさえ、いないのに、どうして、こんな、うそだ、うそだうそだうそだうそだ」

 

 崩れ落ち、まどかの頭を膝にのせたほむらはぶつぶつと壊れたように呟き続ける。

 自分のせいだ。

 自分が彼女から目を離したから。

 自分が美樹さやかなどというどうでもいい存在に意識を向けていたから、こんなことになったのだ。

 ずっと彼女だけを見ていればよかったのだ。

 他の有象無象など無視して、見捨てて、ただまどかだけを見守っていればよかったのだ。

 そうすればこんなことには――

 

「鹿目まどか、それが君の真の願いのなのかい」

 

 唐突なキュゥべえの呟き。ソウルジェムの秘密が明かされてから姿を見せていなかった彼が、いまさらこんなところになにを――

 しかしハッと顔を上げたほむらは、そこで、異常な光景を目にする。

 

 光。

 光だ。

 桃色の光。

 それが、鹿目まどかの周囲のところどころから立ちのぼっていた。

 輝きを放つもの――鹿目まどかの砕け散ったソウルジェムの欠片。

 それらが明滅して、ゆっくりと宙に浮かび上がる。

 光はやがて一カ所に寄り集まると、その輝きを一段と強くさせる。

 明滅の間隔は次第に短くなっていき――一際大きく、強く、眩い輝きを周囲に放った。

 魔女を殺し尽くしたさやかも、そんなさやかに詰め寄ろうとしていた杏子も、涙を零していたマミも、それを忘我の顔で見た。

 

 輝きが消えたあと、そこには傷一つない鹿目まどかのソウルジェムが浮かんでいた。

 

 桃色の宝石はゆっくりと下へ向かうと、ほむらに膝枕されたまどかの胸の上で停止した。

 誰もが息を呑んで見つめるその中で、

 ――ぴくり、と彼女の指先が動いた。

 やがてうっすらと、失われたはずの彼女の瞳に光が戻っていく。

 

「ほむら、ちゃん……?」

 

 いまだ意識が戻りきっていないのか、彼女――鹿目まどかはひどく空ろな眼差しでほむらを見上げる。

 

「いままでのは、ゆめ、だったのかなぁ。わたし、わたしね……」

「まどかぁ!」

 

 ほむらは彼女の身体を抱きしめた。

 強く、強く、抱きしめた。

 涙は、出ない。

 泣いてもいいのだと、はじめて、思った。

 まどかが生きていた。

 それだけで、これまで戒めていた涙を流してもいいんじゃないかと思った。

 けれど、涙は出なかった。

 滲む視界、潤んだ眼。

 それでも、どうやっても、涙は流れなかったのだ。

 

 この日、この時、暁美ほむらは涙さえ失った。

 

 それでもいいと思った。

 笑い方も泣き方さえも忘れてしまったのだとしても、それでも、自分は諦めない。

 必ずまどかをワルプルギスの夜の向こうに連れて行く。

 この永遠に続く円環の理から抜け出すのだ。

 

「まどか、あなたは私が救ってみせる……ぜったいに、救ってみせるから」

「…………」

 

 自分の胸元で告げられる言葉を聞きながら、まどかはいまだ空虚さの残る瞳で虚空を見上げる。

 

「ああ、わたし……ゆめじゃ、なかったんだぁ」

 

 駆け寄ってくる泣き笑いの杏子やさやか、マミを視界の端に認めて、彼女は微笑んだ。

 

「この世界に、しあわせは、ないのかもね」

 

 その微笑みと呟かれた声を聞き届けた地球外異星生命体が、なにゆえにか背筋を震わせたことなど、この場にいる人間に分かるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

「鹿目まどか、君は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まどかさ、無理、してるんじゃないの?」

「えぇ? いきなりなにさやかちゃん」

「だって最近のあんたって、急に明るくなってさ……前よりは全然いいと思うけどさ、でも、なんだか、時々無理しているような気がするんだ」

「そうかなぁ? そんなことないと思うけどなぁ」

「そうなら、いいんだけどね」

「それよりさやかちゃんこそ、大丈夫?」

「…………」

「辛いこと、悲しいこと、悩んでること……誰かに吐き出すことで、楽になるときも、あるよ」

「っ…………」

「わたしなら、一晩中でも話を聞いてあげるから。これから……だってさ? 一人暮らしだし、気兼ねする必要なんてないんだよ」

「……あんた、なんで、なんでそんなに優しいかな? あんな目にあったばっかりだっていうのに」

「…………」

「こんなんだったら、もっと早くあんたと友達になってればよかったなぁ」

 

 それは鹿目まどかが奇跡とでもいう他ない復活を遂げたあとの、その友人との会話である。

 友人はかつて、奇跡も魔法もあるのだと口にした。

 そうしてその通りの現象が、その日、起こった。

 ならば、他の奇跡だって起こらないとは限らないではないか。

 だから、彼女は希望を抱いた。

 

 しかし彼女は忘れているのだ。

 魔法が、その裏に隠された絡繰りを知る前はたしかに魔法であったように。

 奇跡にだって、今の彼女達には見ることのできない暗闇の向こうに、隠された絡繰りがあるのかもしれないということを。

 

 もっとも。 

 彼女がそれを知ることはついぞなかったのだが。

 何故ならば――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――彼女たちが駆け付けた時、すでに、戦いは終わりを告げていた。

 

「オイ、まどか、さやかは、さやかは……!」

 

 桃色の光に貫かれ、断末魔の悲鳴を上げながら消滅してゆく魔女を尻目に、杏子は力を失った『その』身体を抱き上げて、まどかに問いかける。

 答えなど、分かりきっているというのに。

 

「わたしが来た時には、もう、魔女に……」

 

 彼女達に背を向けたまどかは、消えてゆくその魔女――騎士の上半身と人魚の下半身を持つ異形の魔女の方を向いたまま、その問いに答えた。

 

「クソっ、ちくしょう……! アタシらがいれば、あの程度の魔女なんて……惚れた男のためだからって、自分が死んじまってどうするんだよ」

 

 さやかは魔女に弑された――その事実を改めて突き付けられた杏子は、どん、と地面に拳を叩きつける。

 そんな彼女をマミは悲痛な面持ちで見下ろしている。

 ほむらは、なぜか、ひとり佇むまどかから目を離せずにいた。

 まどかは、倒された魔女のその一片が消えゆくまでを見届け、やがて結界が解除された時になってもまだその場所を向いたままだった。

 

 

 

 

 

 

「この世界には、幸せが、あったはずなのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その時は、再びやって来た。

 

 

 

「ごめんなさい……私は、ここまで、みたいね。あとのことはよろしくね、みんな」

 

 

 

「頼むよ神様、こんな人生だったんだ。せめて一度ぐらい、幸せな夢を見させてよ」

 

 

 

 やがて、その場に残るは二人の魔法少女。

 暁美ほむらと鹿目まどか。

 己の運命を知らなかったマミは、しかしいつもの通りに、力尽きるまで戦い。

 己の運命を知らなかった杏子は、しかしいつもの通りに、自らの身を犠牲にしてワルプルギスの夜に立ち向かった。

 結局、いつもの通りに、なにも変わりはしなかったけれど。

 

「まど、か? たたかわ、ないの?」 

 

 しかし絶対にいつもの通りでは有り得なかったのだ。

 その日の朝から様子のおかしかった鹿目まどかは、戦場に立つなり、あらゆる戦闘行為を放棄した。

 しゃがみ込み、膝の間に顔を隠して、両腕で頭を覆って、誰が何を言おうと身体を揺すろうと返事ひとつ返すことなく、沈黙した。

 誰もそれを責めようとはしなかった。

 仕方ないなぁという顔をして、微笑んで彼女の頭を撫でて、彼女の先達である少女二人は行った。

 ――逝った。

 

 ほむらは困惑した。

 思考が停止して、全く使いものにならなくなった。

 だから彼女も置いていかれ、結局、この場には二人が残っている。

 

 どうしてまどかは戦わないのか。

 こんな反応をする彼女は初めてのことだった。たしかに今回、彼女の様子はいつもと比べてどこかおかしかったが、それでもこうまで極端な反応をするほどでもなかったように、ほむらには思えた。

 だが戦わないというのなら、それでもいい。

 むしろ戦わなくていい。

 たとえそれで今回の可能性が潰えようと、彼女が望まないのならばほむらは決して彼女を戦わせようとはしないだろう。

 なら、せめて彼女には安全な場所に退避してもらおう。

 そうしてたとえほむら一人でもアレと戦って、やれるだけやって、駄目だったならば、また繰り返せばいい。

 

「まどか、怖いなら戦わなくても、いいのよ。だから、逃げて。この魔女が追いついてこないぐらい遠いどこかに」

 

 ――もっとも、それでもどこまでも追ってきて、結局は同じ結末を辿るのだが。すでに経験済みのことだった。

 

「私が時間を稼ぐから、ね、まどか」

 

 微笑むことはできないが、精一杯の優しい声を出してほむらはまどかに言った。

 杏子やマミがしたように、かがみ込んでそっとその頭を撫でる。

 

「それじゃあ、私、いくね、まどか」

 

 彼女に背を向け、空に浮かぶ逆さの魔女へ跳ぼうとしたほむらは、しかし、その直前で足を止めた。

 

「……?」

 

 ほむらの腕をまどかが掴んでいた。

 

「まど、か?」

 

 ほむらが困惑の声を上げるが、まどかは顔を伏せたまま反応しない。

 沈黙が、流れる。

 

「まどか……?」

 

 もう一度その名を呼んで、ようやく彼女は、おそらくこの日初めてとなる声を出した。

 

「わたし、知ってるんだよ」

「…………」

 

 また、なのだろう。

 この日この時、最近のループにおいてはどうしてか鹿目まどかは暁美ほむらの事情を理解している。

 

「ほむらちゃんが、もう何度この時を繰り返しているのかって。なんのためにそんなバカなことを続けているのかって」

「…………そう、なんだ」

「ねぇ、もういいんだよ? 諦めていいんだよ? そんなことなんかしなくったっていいんだよ? わたしは、ほむらちゃんがそんなことするのなんて、望んでない」

「…………」

「わたし、嫌いだよ。そんなほむらちゃんなんて、だいっきらいだ。うれしくないよ。ぜんぜん、うれしくない。めいわくなんだよ。やめてよ、そういうの。ほんと、バカみたいだよ」

 

 胸が張り裂けそうになる。

 唇が震える。 

 そんなことをまどかが本気で口にしていると思うほど、ほむらは愚かではない。

 優しいやさしいヤサシイまどか。

 声の震えも隠せていない、やさしすぎるまどか。

 彼女は分かっているのだろうか。

 そんな風だから、そんなにも優しいから、だから暁美ほむらは止まれないのだ。

 

「笑ってみせてよ。泣いてみせてよ。ねぇ、ほむらちゃん、わたしにあなたの顔を見せてよ」

 

 ――ああ。なんて、なんてことを彼女は言うのだろう。

 もう自分はそんなこと、できはしないのに。

 忘れてしまったのに。

 けれど、彼女がそれを望むのなら。

 たとえ不可能なことだって、可能にしてみせる。

 

「…………ほむらちゃん」

 

 いつの間にか、まどかは顔を上げていた。

 まどかの顔に浮かんでいたのは、空虚だった。

 空っぽだった。

 そこには、なにも、なかった。

 

「……ぜんぜん、笑えて、ないよ」

 

 ほむらの顔に浮かぶものも、なにもなかった。ぴくりともその表情は動かない。

 足下に蹲るまどかとよく似た、人間らしさがそぎ落とされた顔だった。

 それを目にしたまどかの虚無的な瞳に、急激になにかが満たされていく。

 

「あはは……もう、いいや。もう、いいよ。ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、もう、いい」

「……まどか?」

 

 すくりと彼女は立ち上がる。

 ほむらに背中を向けて、制服姿から魔法少女のそれへと姿を変える。

 

「戦うよ、ほむらちゃん。そうして、全てを終わらせるんだ」

「まど、か……?」

「大丈夫。大丈夫だよ、ほむらちゃん。きっと今回で終わらせる。もうほむらちゃんが苦しむことなんて、なくなる」

 

 それは決意に満ちた言葉で。

 まどからしい力強さに満ちた声で。

 

「ほむらちゃんを、苦しみから解放してあげる」

 

 だから、ほむらはうれしくなって「ええ」と力強く頷いたのだ。

 彼女の直前の目を見ていたというのに。

 

「いこう、ほむらちゃん」

「ええ、まどか」

 

 ――そのとき鹿目まどかの目に満ちていたのは、エントロピーを凌駕する、宇宙さえ覆いつくす悲しみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――え?」

 

 それを見て、暁美ほむらは唖然とする他なかった。

 理解できぬ光景。

 ワルプルギスの夜。

 舞台装置の魔女。

 語られ続ける不死の魔女。

 

 それを。

 それを――。

 

 鹿目まどかは倒した。

 瞬殺であった。

 だがその方法が、手段が、過程が、あまりにも、おかしかった。 

 

 

 

「消えて」

 

 

 

 鹿目まどかはなにもしていない。

 ただ対峙する魔女に向けて、そう告げただけだった。

 その余りに端的な言霊だけで。

 ワルプルギスの夜は、悲鳴ひとつ上げず、ただの一刹那で消滅した。

 暗雲は吹き払われ、一瞬にして青空が広がる。

 

「え? な、に? どういう……?」

「驚くことなんて、なにもないんだよ。ほむらちゃん。これが当然の結果なんだ。ほむらちゃんのおかげだよ」

 

 真っ青な空、真っ青な海。

 とても美しいその光景を背にして、宙に浮かんだまどかがほむらに笑って告げる。

 

 ――――――――――――。

 

「まどか?」

「うん」

 

 まどか。

 鹿目まどか。

 暁美ほむらの大切な人がそこに居る。

 ワルプルギスの夜が明けて、なおも微笑んで、彼女がそこにいる。

 

「まどか、なの?」

「うん、そうだよ」

 

 微笑んだままで、鹿目まどかは答える。

 

「まどか、え、わたし、え、うそ、え」

 

 ほむらの身体が震える。

 己でも理解できない震えが全身を満たし、口が上手くまわらない。

 鹿目まどかは、微笑み続けてほむらを見ている。

 

「う……あぁ……あああ……まどか、まどかまどかまどかぁ」

 

 なにか熱いものがほむらの頬を伝って、こぼれ落ちていく。

 一瞬、それがなんなのか、本当に理解できなかった。

 だが、気付く。

 いや、思い出す。

 

「わたし、ないて、る……まどか、わたし、ないてるよぉ」

「うん」

 

 一体それは何年ぶりの涙になるのか。

 堰を切って流れ出した涙は枯れることなど知らず、次から次へと流れ落ちていく。

 鹿目まどかは、それを微笑みの張り付いた顔で見ている。

 

「ねぇ、ほむらちゃん」

 

 ゆっくりと近づいてきたまどかは、顔を覆って泣きじゃくるほむらを優しく抱きしめて、その耳元で囁く。

 

「もしここで突然わたしが死んじゃったりなんかしたら、またほむらちゃんはわたしを助けるために時を遡るのかな」

 

 がば、と顔を上げてほむらは彼女の顔を見る。

 そこにあるのは、先程と寸分違わぬ完璧な微笑み。

 ほむらの目に涙がいっそう溢れかえる。

 

「繰り返す! 繰り返すわ! そのためなら、たとえ私は永遠の迷路に閉じ込められてもかまわない!」

「…………うん」

「だから、だからそんなこと言わないでよ! あなたはいま、ここに生きているんだから! ワルプルギスの夜を乗り越えたんだから!」

 

 ほむらの言葉を、彼女は完璧な微笑みで受け止めた。

 そうして、のんびりとした動きで蒼天を見上げた。

 

「そっかぁ……やっぱり、そうなんだよね」 

 

 ひどく――そう、ひどく草臥れたような声で呟くと、まどかはそっとほむらの身体を離した。

 感じていた温もりを失い、ほむらは途端に不安な気持ちになる。

 なにか自分は彼女を怒らせるようなことを口にしたのか。

 そんなことさえ考えてしまう。

 

「これ以上はむりやり時間制限を引き延ばせないし、しょうがないよね。だからさ、しょうがないよね。しょうがないよ。しょうがないんだ。ふふ……ああ、そうだよ、仕方がないことなんだ。どうしてもっと早くこうしておかなかったんだろう。こんなにも簡単なことだったのに。ほむらちゃんを救うことなんて、こんなにも容易いことだったのに」

 

 完璧な微笑み。

 完全な微笑み。

 まるで作られたかのような、芸術作品のような微笑み。

 鹿目まどかの姿をしたなにかは、得体の知れない笑みをほむらに向ける。

 

「ま……ど……か?」

「ねぇ、ほむらちゃん。わたし達の、とっておきの秘密、教えてあげようか?」

 

 それはまるで悪魔の囁きのようで。

 真実、そうで。

 

「わたしたち魔法少女はね、いつかソレになる運命にあるから、魔法少女なんだよ」

「なにを、いって」

 

 嫌な予感がする。

 とても嫌な気配がする。

 七篠タレカに、気付こうとしていなかった都合の悪い事実を突きつけられた時の、何十倍何百倍も嫌な予感がする。

 

「まど――」

「暁美ほむら。今すぐに鹿目まどかを殺すんだ」

 

 恐る恐る聞き返そうとしたほむらの言葉を、どこからともなく姿を現したキュゥべえが彼らしくなく慌てた様子で遮った。

 まどかとほむらの間に現れた彼は、まるでほむらをなにかから守るようにその前に立ちはだかる。

 

「キュゥべえ? なにを馬鹿げた――」

「早くしないと手遅れになる。このままでは彼女は」

「邪魔しないでよ、キュゥべえ」

 

 まるでコマ落としのようにいつの間にかキュゥべえの眼前に移動したまどかは、微笑みを浮かべたままキュゥべえの頭を掴んだ。

 

「せっかく、ほむらちゃんを救えるのに」

「ひ」

 

 生理的嫌悪感を抱かせる嫌な音を立てて、キュゥべえの頭は握りつぶされた。

 力を失いその四肢がだらりと垂れ下がる。

 

「まど、まどか?」

 

 あまりにもほむらの知るまどかとかけ離れた行為に、彼女は知らず身体を引いていた。

 呆然とした呼びかけには答えず、まどかは微笑んだままその全身から桃色の光――魔力を噴き出させた。

 

「――――――」

 

 ほむらは声も出ない。

 キュゥべえの死骸を跡形もなく消し去ると、そのもはや暴力的と言って良い魔力は天を突くほどの高さまで噴き上がり、なおも勢いを緩めずどこまでもどこまでも広がっていく。

 畏れ。戦き。ほむらは身体を震わす。

 それは一個の人間どころか、この星、あるいはこの宇宙にさえ匹敵し凌駕するかもしれないほどの力。人類の範疇では想像することさえ不可能なほどの力の奔流。

 どこかで、覚えのある、強大すぎる力の気配。

 

「あのね、よく聞いてね、ほむらちゃん」

「――――――」

「わたしたちはね、ソレになるために生まれるんだ」

「――――――」

「だからね、なにをどうしたところでね、魔法少女になったその時から、わたしたちに救いなんかありはしないんだよ」

「――――――」

「だからね、ほむらちゃん」

「――――――」

「あなたは、魔法少女になんてなるべきじゃなかったんだ」

 

 絶句したまま声も出せないほむらに構わず、まどかは言葉を続ける。

 そうして。

 ついに。

 それを口にしたのだ。

 

 

 

 

 

「やがて魔女になるからこそ、わたしたちは魔法少女と呼ばれるんだから」

 

 

 

 

 

 鹿目まどかの桃色の輝きが、どす黒く染まっていく。

 夜の闇より深い、暗黒に。

 いつか見た、誰かの纏う色と同じものへ。

 

 

 

 

 

「嫌なことも悲しいことも、全部無かったことにしちゃおうよ。永遠に永久に永劫に幸せだけの日々を延々と続けよう。一緒に、絶望しようよほむらちゃん――」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この世界に幸あれ」

 

 

 

 



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 昔話をしよう。

 ずっとずっと昔の、わたしの話を語ろうかと思う。

 わたしがこうなる前の、なにも知らなかった日々のことだ。

 

 全ての切欠は些細なことだったのだ。

 小学校に行くときに、傘を忘れた。

 本当に、それだけのことだったのだ。

 

 夕立にあってずぶ濡れになって帰宅したわたしは、次の日に熱を出して寝込んだ。

 四十度を超える高熱に魘されるわたしを見かねたパパは、すぐにでも病院に連れて行こうとした。

 けれどその時わたしのママは妊娠していて、出産予定日を数日後に控えていて、いつ陣痛が始まってもおかしくない状況で、だから、パパはママも一緒に車にのせてわたしを病院に連れて行ったのだ。

 ――そうして、それは起きた。

 陣痛が始まり苦しみ出したママ。

 高熱にうなされるわたし。

 

 気が急いたパパは、ハンドル操作を誤った。

 

 結果は、無惨なものだった。

 パパもママも潰れた車に挟まれてぺしゃんこになって死んだ。

 弟になるはずだった命も、この世に生まれ出る前に消え去った。

 ……わたしだけが奇跡的にかすり傷だけで生き残った。

 どうしてだろう。

 どうしてこうなったのだろう。

 決まっている。

 愚図なわたしが傘を忘れたから、熱を出したから、だからあんな結末になってしまったのだ。

 

 わたしは自分が大嫌いになった。

 他人と過ごすことが恐ろしくなった。

 もしまた、愚図な自分のせいで誰かが不幸な目にあったら――そう思うと、誰かと仲良くすることなど出来るはずもなかった。

 

 ひとりで生きた。

 誰かと関わることを避けて、できるだけ孤独を求めて過ごした。

 寂しくて寂しくて、何度も泣いて、それでもひとりで日々を送った。

 

 ――そんなある時だ。

 わたしの負の感情がそれをおびき寄せたのだろう。

 下校途中、気付けばわたしは見たことも聞いたこともない異様な空間の中にいた。

 そこで奇妙な姿をした人形のようなものに襲われ、避け得ない死を目前にしたわたしは、恐怖に怯えながらも心のどこかで、ああ、自分にはこんな死に様がお似合いかもしれないと、そんなことを思っていた。

 けれど。

 いつまでたっても、わたしにそれが訪れることはなかった。

 いつの間にかぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開き――そして、出会ったのだ。

 

『間一髪ってところね』

 

 金色の髪の、とても綺麗な女の子。

 不敵な笑みを零し、どこからか取り出した銃のようなもので怪物を撃ち倒すと、彼女はわたしに安心させるような笑みを向けて言った。

 

『もう大丈夫よ。あとは私に任せなさい』

 

 彼女の戦う姿は思わず見とれるぐらいカッコよくて、綺麗で。

 だから憧れたのだ。

 

『私は巴マミ。あなたと同じ、見滝原中の3年生。そして――キュゥべえと契約した、魔法少女よ』 

 

 彼女――巴マミに、憧れてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 それからのわたしは自らに対する戒めも忘れ、いつだって彼女のあとをついてまわった。

 彼女は困ったような顔で笑いながらも、決して拒絶しなかった。

 いま思えば、彼女も孤独の中で戦う日々に疲れていたのだろう。だから、きっと馬鹿な後輩のことも拒むことができなかったのだ。

 彼女が魔女と戦う姿を見ていた。

 彼女が使い魔と戦う姿を見ていた。

 誰にも理解されず、誰も知らないところで、孤独に戦い続ける誇り高い彼女の姿を見続けたわたしは、彼女の隣へ立つに相応しい自分になりたいと思うようになった。

  

 転校生が来た。

 髪を三つ編みにして眼鏡をかけた、おどおどした様子の子。

 なんとなく、自分と同じような雰囲気を感じて勝手に親近感を抱いた。

 だからだろうか、彼女がクラスメイトに質問攻めにされておろおろしているのを見て、黙っていることができなくなったのは。

 クラスで浮いているわたしがその中に割って入るのは、とても勇気のいることだった。

 けれどマミさんの戦う姿を思い浮かべ、なけなしの勇気を振り絞った。

 そうして、彼女に声をかけたのだ。

 

『あ、暁美さん。保健室、行かなきゃいけないんでしょ? 場所、わかる?』

 

 そうして、わたしは彼女――暁美ほむらと友達になった。

 ずいぶんと久しぶりにできた友達で、マミさんの前で浮かれきってはしゃいだのを、今でも覚えている。

 ほむらちゃんもまた、わたしと同じように魔女に魅入られ危うく命を落とすところだった。

 わたしが鈍くさいせいで助けるのが遅れて、軽い怪我を負ってしまったけれど、それでも大事には至らなかった。

 マミさんとわたしが駆け付けた時には気を失っていたので、わたしたちの――というよりマミさんのだが――姿を見ていなかったのは、彼女のためを思えば良かったのだろう。

 わたし達のことがなければ、あんなこと、ただの夢だと思うはずだ。

 実際にそうだった。

 意識を取り戻した彼女に、貧血で倒れていたと説明するとすんなり彼女は受け入れた。

 

 それから、まるで夢のような楽しい日々が続いた。

 わたしに出来ることでマミさんのお手伝いをして魔女と戦い、ほむらちゃんと楽しい学校生活を送って、本当に夢のようだった。

 それが崩れそうになったのは、とある魔女と戦っている時のことだった。

 マミさんが、不覚をとったのだ。

 倒したと思っていた魔女からの攻撃。

 わたしは、とっさに彼女を庇った。

 そうして致命傷を負って薄れ行く意識の中、ふと思ったのだ。

 この幸せな夢をもっと見ていたいと。

 

『その想いは本当かい、鹿目まどか。君のその祈りの為に魂を賭けられるかい? 戦いの定めを受け入れてまで、叶えたい望みがあるなら、僕が力になってあげられるよ』

 

 マミさんのお友達――キュゥべえの言葉がわたしの頭の中に響いた。

『教えてごらん。君はどんな祈りで、ソウルジェムを輝かせるんだい?』

 

 思ったのだ。

 ずっと永遠に、この幸福な日々の中に生き続けたいと。

 そう――思ったのだ。

 

『契約は成立だ。君の祈りは、エントロピーを凌駕した。さあ、解き放ってごらん――その新しい力を』

 

 そしてわたしは魔法少女となった。

 そのときにはじめて、わたしはマミさんの隣に立つ資格を得たのだ。

 今でもその時のことを思い出せる。

 

『これからは、わたしも一緒です!』

 

 そう告げた途端、まるで子供みたいに大声をあげてわんわんと泣き出したマミさんの姿を。

 

 

 

 

 

 わたしの魔法少女としての特性は、耐久性に優れるといったものだった。

 つまり、生存性が高いということだ。おそらく死に行く中で契約したからだろうとマミさんは説明したが(実際、似たような状況で契約したマミさんもそういった傾向があるらしかった)、キュゥべえはそれに首を傾げていた。

 あの時のわたしの願いの強さに比べて、その特性は弱すぎるというのだ。

 たしかにわたしはマミさんに比べるとその他の能力が軒並み低かったが、それは才能の差なのだろうと考えた。

 キュゥべえはわたしにはマミさんより才能があると言ってくれたが、とてもそのようには思えなかった。

 

 それからはわたしも魔女と戦う日々が続いた。

 けれど辛いとか怖いとか思うことはほとんどなかった。

 なぜならば、その時のわたしには共に戦う頼れる先輩がいて、死力を尽くして守るべきたった一人の友達がいたのだから。

 幸せな日々だった。

 あそこで終わるはずの夢の続きだった。

 ほむらちゃんをマミさんに紹介して、三人で過ごす時間が多くなった。

 わたしの暗い性格も徐々に変わっていき、マミさんやほむらちゃんが言うには『本来』の明るさを取り戻していった。

 ほむらちゃん以外にも、何人か友達が出来た。

 さやかちゃんと仁美ちゃん。

 楽しいお友達。

 

 ――けれどそんな日々も、あの時を迎えるまでのことだった。

 

 ワルプルギスの夜。

 最悪の魔女。

 災厄の魔女。

 戦った。足が折れ、腕が吹き飛び、目が潰れても、何度倒されようとも立ち上がり、必死で戦った。

 どのぐらいの時間が経ったのか、永遠とも思える時が過ぎて、ようやく魔女は斃れた。

 けれど、その時、その場所に立っていたのはわたし一人だけだった。

 マミさんが死んだ。

 ほむらちゃんが居たはずの避難所が根こそぎ吹き飛んでいた。

 街のほとんどが、瓦礫の山に変わっていた。

 そこに立っていたのは、わたし一人だけだったのだ。

 

 そのとき、わたしは悟った。

 あの夢のように幸せな日々は、終わってしまったのだと。

 

 ――だから、ここに、わたしの曖昧だった願いは、真の意味で確定した。

 

『わたしに、永遠の幸せを、ちょうだい』

 

 そうして、わたしは永遠に幸福な日々を手に入れた。

 

 

 

 

 

 気付けばわたしの目の前には、あの人の背中があった。

 金色の髪の、とても綺麗な女の子。

 

『間一髪ってところね。もう大丈夫よ。あとは私に任せなさい』

 

 理解がわたしの中を駆け抜けた。

 自身の願いの正しい結果を、知る。

 

 永遠に幸福な日々。

 マミさんと出会ったこの時からワルプルギスの夜を倒したあの時、わたしの夢の始まりとそれが終わってしまったと認識したあの時までを何度も繰り返すこと。

 それは永遠でなくてはならない。

 だから、わたしはこの一ヶ月足らずだけしか生きられない代わりに、不死の特性を新たに得ることになった。

 それらが、わたしの願いがもたらしたものだった。

 

 

 

 

 

 歓喜した。

 それこそまさに、わたしの望んだものだった。

 未来など、いらない。

 未知の世界など、なにが待っているか分かったものではない。

 幸せ『かもしれない』未知の日々より、幸せ『である』既知の日々のほうが、その時のわたしにとっては何倍も価値があったのだ。

 

 それからの日々は、ただただ幸せだった。

 マミさんには、助けられた日の晩にキュゥべえと契約したことにして、以前よりずっと早くパートナーとなることができた。

 事情を話すとキュゥべえはこころよく協力してくれた。

 

『いつか、きっと君は永遠に耐えられなくなる時がくる。その時は遠慮なく僕に相談するといいよ。きっと互いにとって有益な提案をできると思うよ。それまでは、自由に生きるといい。それはきっと君の糧になる』

 

 そうして、わたしは何度も繰り返した。

 そのうちにたくさんのことがあった。

 ワルプルギスの夜を自分以外の犠牲なしに倒す最適解を見つけ出した。

 杏子ちゃんという素直じゃない魔法少女のことを知った。 

 ときどきさやかちゃんが契約することを知った。

 ……魔法少女の真実を知った。

 キュゥべえが何を目的としているのか、あの時の言葉の真の意味を知った。

 けれど、わたしは絶望なんてしなかった。

 彼のやり方は腹が立つけれど、それでもたしかにわたしは願ったものを手に入れたのだから。

 魔法の存在がなければ、わたしはきっとマミさんと出会うこともなければ、ほむらちゃんと友達になることもなかったのだろうから。

 

 繰り返すうちに、とうとうわたしは誰もが涙を流すことなく幸せなまま終わりを迎える道筋を見つけ出した。

 さやかちゃんが魔法少女にならない。

 マミさんが錯乱しない。

 杏子ちゃんが友達になってくれる。

 ほむらちゃんは相も変わらず日常の象徴でなにも知らずに笑っている。

 そして、ワルプルギスの夜を、わたし以外は誰も傷付かず倒す。

 

 そんな、最高の日々だ。

 幸福が約束された永遠の日々だ。

 

 その時わたしはたしかに幸せだった。

 絶頂だった。

 それは本当だったのだ。

 

 

 

 

 

 ――いつからだろう。

 段々と、そんな『分かりきった』日々に、飽くようになったのは。

 見るもの聞くもの体験するものに感情を揺り動かされなくなり、表情の作り方さえ忘れかけた。

 そんな自分の心を震わせてくれるものを求めて、新しい刺激が欲しくて、料理や運動など様々なこと手を出し始めた。どれも最初は楽しかったが、次第にそれも色褪せていき、また次のものに手をつける。

 やがて最適解であるはずの道筋からわざと逸れて、いつもと変わった日々を望むようにさえなった。

 ループの度にその衝動は大きく強くなり、いつしか、醜く歪みはじめた。

 ふとした時に大切なはずだった友達を傷つけたくなったり、憧れた先輩に真実を話して絶望させたくなったり、クラスメイトの三角関係を最悪の事態にまで発展させたくなったり、素直じゃない友達を裏切って悲嘆に暮れる様を見たくなったり。

 気付けば、わたしのソウルジェムは濁りきる寸前だった。

 わたしはようやく、自分が絶望しかけていることを悟ったのだ。

 永遠に幸福な日々は、永遠の牢獄へと変わりつつあった。

 しかしわたしはそこから決して逃れられないのだ。

 死ぬこともできない。

 逃げることもできない。 

 ――そこから抜け出す術は、たったひとつの最悪なやり方しかなかった。

 

 だからわたしは、わたしが本当に絶望してしまう前に、大切だった人たちを自分の欲望のために傷つけてしまう前に消えることにした。

 幾度ものループ、何十年もの時間を使って自己暗示をかけ続けることで人為的な疑似人格を作り出し、その『わたし』に全てを任せ、本来の人格であるわたしは心のずっと奥底に潜み世界の傍観者となることを決めたのだ。

 表の『わたし』の行動基準は、ひとつ。

 すなわち、幸せな日々を作ること。

 さやかちゃんは魔法少女にさせない。

 マミさんに真実を知らせない。

 杏子ちゃんを友達にする。

 ほむらちゃんを魔法関係に関わらせず、何も知らないままの日常を送らせる。

 そして、ワルプルギスの夜をわたしが倒す。

 

 その頃には、あの魔女はわたしだけにしか倒せなくなっていた。

 そして引き寄せられたかのように、あの魔女はわたしだけを狙うようになった。

 いつだったか、キュゥべえはそれを因果の糸の収束によるものであると説明した。

 はじめはそうではなかった。

 わたしが倒さずとも、誰かが倒す時もあった。

 しかし多くの場合、不死の特性をもつわたしだけが最後まで生き残っていたし、最適解を見つけ出してからはほとんど単独であの魔女を倒していた。

 

 ワルプルギスの夜は、わたしが倒す。

 ワルプルギスの夜は、わたしに倒される。

 

 その因果は繰り返すことにより絶対のものへと変わってしまったらしい。

 けれど、どちらにしろ自分が戦わない道理はないのだ。

 『わたし』の願いはいつだって、『わたし』が、そして彼女達が幸せである日々をつくることなのだから。

 ゆえに『わたし』は――ループの度に記憶を消去されて繰り返す『わたし』は、永遠に幸福な日々を作り続けるのだ。

 わたしの代わりの『鹿目まどか』として。 

 

 そうして、わたしは『名無しの誰か』になった。

 

 

  

 

 

 それから、どれだけの時間が経ったのか。

 一体どれほどの回数、この世界を繰り返し続けたのか。

 

 それは起こった。

 

 わたしは所詮、わたしでしかないということなのだろうか。

 定めたはずの行動基準に、ほんのわずかにエラーが起こった。

 本来、決してこちらの世界に関わらないはずのほむらちゃんが、知ってしまったのだ。

 魔法の存在を。

 魔女の存在を。

 

 その時点でわたしが表に出て、どうにかしていればよかったのかもしれない。

 けれどほむらちゃんのわたしを見る顔が、一生懸命うしろをついてくる姿が、あんまりにもいつかの誰かの姿に重なって、突き放すことなんてできなかったのだ。

 些細なことだと思った。

 『わたし』が、わたしが守ればいいと思った。

 

 わたしは、なにも分かっていなかった。

 どれだけ生きようとも、結局わたしはわたしでしかなかったのだ。

 ほんの些細な失態で、全てを台無しにしてしまう。

 パパやママ、まだ見ぬ弟が死んだときも。 

 この時も。

 

 

 

 

 

 いつもの通りの結末だった。

 マミさんが生きていて、杏子ちゃんが生きていて、そうしてわたしはワルプルギスの夜を倒して、この時間軸から消えつつあった。

 泣きながらわたしを見守る人の中に、ほむらちゃんの姿があることだけが唯一の違いだった。

 それだけ、だったのだ。

 そのはず、だったのに。

 

 

 

 

 

『私も魔法少女になったんだよ! これから一緒に頑張ろうね!』

 

 

 

 

 

 どうして、こうなったのだろう。

 どこで歯車が狂ったのだろう。

 分かりきっているのに問わずには居られない。

 だって、そうじゃないか。

 救われない。

 ほむらちゃんは、暁美ほむらという存在は、決して救われないのだ。

 わたしは永遠に繰り返すのだから。

 わたしは永遠にワルプルギスの夜を乗り越えられないのだから。

 『鹿目まどか』を救うという彼女の願いが叶うことなんて、永遠にないのだから。

 

 幸せな日々を求めて魔法少女になったのに。

 それで救われたものもたしかにあったはずなのに。

 なのに、その結果がこれなんて、あんまりだ。

 こんなことなら、わたしは魔法少女になんてなるべきじゃなかったのだ。

 そうしてそれ以上に、暁美ほむらという女の子も魔法少女になんてなるべきじゃなかったのだ。

 ――ずっとなにもしらないままでいればよかったのに。

 

 ねえ、諦めてよ、ほむらちゃん。

 わたしだって、すきで、こんなこと、しているわけじゃ、ないんだよ。

 もう二度と、その『ほむらちゃん』の顔なんて見たくないんだ。

 だから、ねぇ、お願い、もう、諦めてよ。

 でないと、わたし。

 わたしは――

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

「この世界に幸あれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてわたしは絶望した。

 名無しの誰か――本来の人格(original character)、鹿目まどかは、絶望したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *********************************** 

   

 

 

 

 

   

 

 

 

「もしかしたら君たちは誤解しているかもしれないけれど、僕らはなにも人類に対して悪意を持っているわけじゃない。僕らはそんなもの持ちようがないからね。全てはこの宇宙の寿命を伸ばすためなんだよ。暁美ほむら、君はエントロピーという概念を知っているかい?」

「…………」

「結論だけを言うなら、エネルギーはその形を変えるたびに徐々に失われていく定めにあるということさ。つまりこの宇宙が保有するエネルギーの総量は、時が経てばたつほど減少していくんだよ」

「…………」

「その果てに待つ熱的死を防ぐために、僕らはずっと結末を覆すことのできるなにかを追い求めてきた。そうしてついに見つけたのが、君たち魔法少女が持つ、魔力と呼んでいるものだよ。僕たちは、知的生命体の発する感情というものをエネルギーに変換する方法を生み出したんだ」

「…………」

「ところが、当然といえば当然の話なのだけれど、僕ら自身にそんなものは存在していなかった。僕らにしてみれば無駄にしか思えない機能がそんな結果をもたらすとは、想定もしていかったんだ。だから代わりを探すべくこの宇宙の様々な生命体を調べ上げて、ついに君たちを発見した」

「…………」

「君たち地球人類が生まれ死ぬまでに生み出し続ける感情エネルギーは、一個体が生きる上で必要とする物的エネルギーをはるかに凌駕する。君たちの存在は、宇宙を救う鍵となりうるんだよ。とくにソウルジェムに変換された君たち第二次成長期の少女の魂は、絶望に落ちてグリーフシードへと変じる際、不条理というしかないエネルギーを生み出す」

「…………」

「暁美ほむら。この広大な宇宙にいったいどれだけの文明が存在しているのか、それらが今この瞬間にどれだけのエネルギーを消費しているのか、君は理解できるかい? もし理解できるなら、僕たちを非難するという選択肢なんて生まれるはずないんだけど」

「…………」

「僕たちは何も強制しているわけじゃないだろう? きちんと対価を与えて、君たちの同意を得たうえで契約しているんだ。それだけでも十分に良心的なはずだよ」

「…………」

「君たちだって、遠い将来この星を離れて僕たちの同胞となったとき、終焉を迎えた宇宙を引き渡されても困るだけだろう? それを考えれば、契約の際の対価を得た上で、かつ将来的な利益も受けとれるわけだから、支払った損失以上に有益な取引だとわかるはずなんだけど」

 

 キュゥべえは――いや、インキュベーターという名の地球外異星生命体は、力なく座り込み呆けたように空を見上げる彼女、暁美ほむらに自分たちのことを長々と説明していた。

 あたりは薄闇に包みまれている。

 それも宜なるかな。

 太陽は天を突く暗黒のなにかに隠されてしまっているのだから。

 

「……それで、まどかのエネルギーは、回収できたの」

 

 どれだけの沈黙が続いたのか、やがてぽつりとほむらは呟くような問いかけを発した。

 相変わらず、呆けた表情で空を、そこに存在するかつて鹿目まどかであったものの成れの果てを見上げていたが。

 

「少なくともエントロピーなんていう問題がどうでもよくなるぐらいはね。もっとも、それとは別の意味でも、どうでもよくなってしまったけれどね」

 

 それは彼らの目的を完全に遂げたということであるのに、彼の声には、どこか途方に暮れたような色が混じっていた。

 

「……こうなることを見越していたの?」

「まさか。鹿目まどかがこれほどの力を秘めているとは予想だにしていなかったよ。もし分かっていたのなら、彼女を魔女にさせたりなんてしなかった。上手く隠しおおせていたものだ。さすがイレギュラーというところかな」

「……イレギュラー?」

「そう、君と同じさ。暁美ほむら。時間遡行者――暁美ほむら」

「…………」

「君はまた繰り返すのかい? 僕としては是非ともそれを推奨するけどね。この宇宙はもう終わりだよ。彼女の魔女化の際に放出された暴力的なまでのエネルギーで宇宙空間自体が壊れかけているし、それを免れたところで、じきにこの宇宙の因果は崩壊する」

「…………」

「終わりも始まりもない、真の永遠になるのさ。鹿目まどかの人生が幸福に満ちていたわずかな期間を、この宇宙は永遠に繰り返すことになる。エントロピーの問題など無意味さ。もうじきこの宇宙が未来に進むことはなくなるのだから」

「…………」

「円環の魔女――いや、最早あれは魔女なとという生易しい存在じゃない。僕らはあれを、こう呼ぶべきなんだろうね――《円環の理》、と」

「…………」

「さあ、どうするんだい、暁美ほむら。このまま絶望して彼女と一緒に永遠の迷路を彷徨うのか、あるいは円環の理にのみ込まれ彼女そのものの世界で永遠に幸福な日々を送るのか、それとも――」

「…………」

「もう時間は残されていないよ。じきに円環の理が宇宙を満たす。さあ――暁美ほむら。君は一体どの選択肢を選ぶんだい」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は」

 

  

 



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Ⅸ 101:1123692(1)

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 

 だから、彼女は願ったのだ。

 ソレを知って、白い小動物の姿を取った悪魔に魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間一髪ってところね。もう大丈夫よ。あとは私に任せなさい」

 

 ――そうしてまた、彼女は繰り返している。

 終わりのない永遠の円環の中を、回り続けている。

 もはや疑似人格との境も曖昧になった彼女は、繰り返し続けている。

 

 鹿目まどかは、繰り返しているのだ。

 

 

 

 

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げた彼女の顔に、微笑みは浮かんでいない。

 凍り付いたような無表情だけ。

 とうとう、彼女は笑い方さえも忘れてしまった。

 あの無邪気な笑みを浮かべていた女の子が、こんな姿に成り果ててしまった。

 

「…………」

「あれ、どうして、わたし、泣いてるんだろうね?」

 

 忘れたはずの涙が、無意識に流れ出た。

 もう、どちらが表でどちらが裏なのかも分からなくなっている。

 自己暗示が解けかかっている。

 終わりが、近い。

 この円環の終わりが。

 でもそんなこと、有ってはならないのだ。

 自分の絶望でこの世界を終わらせてはならない。

 だから彼女は呟く。

 胸の中で必死に言い続ける。

 

 この世界に幸あれ。

 

 そんな彼女の姿を、暁美ほむらは表情を浮かべることもなく、じっと見つめていた。驚きもせず、じっと、見つめていたのだ。

 

 

 

 

 

 力が、安定しない。

 ソウルジェムの濁りが止まらない。

 暁美ほむらがループを繰り返すたび因果の糸の収束によって、有り得ないほど高まり続けた鹿目まどかの力。

 蓄積したほむらの願いの重さ。

 押し潰されそうなほどの祈り。

 まどかにできるのは、それを必死に押さえつけることだけ。器用にコントロールする術など、とうに失っていた。

 それでも前回までは『あの子』の姿と声を模倣するぐらいの芸当は出来ていた。

 ほんの少し解放したその力で、インキュベーターの母星を脅かすといったことも可能だった。

 そうやってインキュベーターを従わせ、それだけの力を持った彼女が魔女化せず大人しく退場する代わりに、少なくとも鹿目まどかが存在する間は魔法少女の秘密を守らせ、彼女たちに干渉しないという強制的な契約を交わした。

 しかしそれも、もはやできなくなりつつあった。

 

 この世界に幸あれ。

 この世界に幸あれ。

 この世界が幸せでありますように。

 

 必死に自分に言い聞かせ、夜空を駆ける。

 不味い。

 時間がない。

 このままでは、間に合わない。

 ――見覚えのあるマンション。

 その姿は見えている。

 見えているのに。

 その視線の先で、『彼女』が落ちている。

 髪の毛を風に乱れさせ、落下している。

 

「タレカ……ちゃん……!」

 

 タレカ。

 七篠タレカ。

 繰り返す暁美ほむらの行動を監視するときに偶然見つけ、助けた、魔女に魅入られた少女。

 自分のことを堕天使様と呼び、慕うようになった少女。

 言葉だけではほむらが止まらないと気付き、やむにやまれず実力行使に出ようとしたころだったから、承諾を得てその姿と声、そして名前を貸してもらった彼女。

 『名無しの誰か』という本来の鹿目まどかにぴったりの名を持っていたから、はじめはそれだけの関係のつもりにしようと思っていたのに、次第に情が移ってしまった彼女。

 彼女はいつだって様々な魔女に魅入られる。もっとも早く危機に陥るのはこのタイミングで、最も遅い場合はワルプルギスの夜の直前であったりした。

 暁美ほむらとはまた別の意味で目を離せない少女。

 もしかしたらそれまでも、まどかが気付かなかっただけで意識していないところで魔女の呪いから助けてきたのかもしれない彼女。

 そんな彼女が、知って以来、知らないふりをすることもできず、ずっと助け続けてきた彼女が、 

 

「アア……アアアアァァァァ」

 

 どれだけ祈りの言葉を吐き出しても安定しない力は、彼女をそこまで辿り着かせられなかった。

 七篠タレカの身体は、地面に衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

「――間一髪、ってところかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝突したはずだったのに、いつの間にか、そこには優しく地面に横たえられた七篠タレカの姿。

 そしてそのそばに。

 

「ほむら……ちゃん……?」

 

 ここに居るはずのない暁美ほむらが、立っていた。

 呆然としてしまう。

 どうして?

 これまで彼女がこの場に居合わせたことは一度もない。

 なかったはずなのに。

 いや、いまはそれよりも――

 

「あ、え、えと、ほ、ほむらちゃん、ありがとう! 偶然見つけてさ、あやうく間に合わないところだったよ!」

「…………」

「さすだねほむらちゃん! カッコ良かったよ! いまのも時間停止なんでしょ?」

「…………」

「いいなぁ、わたしも、そんな力が欲しかったなぁ」

 

 近づいて、笑顔を作って、明るい声を作って、語って。

 そうしながら、かがみ込んでタレカの顔を覗き込む。

 茫洋とした彼女の目が、一瞬まどかの顔を捉えたような気がした。

 

「――……――……?」

 

 むにゃむにゃと寝言のようなものを呟いて目を閉じる彼女に、思わず頬が緩んでしまう。

 きっと今回の彼女にはほむらの姿が『堕天使様』に見えたことだろう。

 それは少し寂しいけれど、彼女が生きているのならそれだけで十分だ。

 どのみち、もう彼女の名や姿を借りている余裕はなさそうだったから、きっとこれで良かったのだろう。

 

(あなたの前で、お姉さんぶって振る舞うの、けっこう楽しかったよ)

 

 最後にそっと頬を撫でて、立ち上がる。

 そうして。

 そうして。

 そうして。

 ――そうして。

 

「ほむら、ちゃん?」

 

 

 

 

 

 静かに涙を流す暁美ほむらの姿を、まどかは目にした。

 

 

 

 

 

「あなたが、七篠タレカだったのね……まどか」

 

 

 

 

   

 ――円環の終わりが、また少し、近づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、再び彼女は時を繰り返した。 

 病院のベッドで目覚めた彼女は、限界まで見開かれた眼で、その白い天井を睨み据えた。

 その瞳には雑多な感情が入り交じり、一体彼女が如何なる思いを抱いているのか外からは判別がつかない。

 やがてシーツをはね除けてベッドから飛び降りた彼女は、枕元の眼鏡を手に取り掛けると無言のまま廊下に出た。

 力強い足取りで洗面台まで辿り着いた彼女は片手で眼鏡を外すと、もう一方の手に持った紫色の宝玉――ソウルジェムを額に近づけた。

 魔力が彼女の身体を巡り、その身体を健常な状態のそれへと作り替える。

 次いで縛られていたリボンを外し、三つ編みにされていた髪の毛を解放する。

 そのままじっと鏡越しの己の姿を見つめていた彼女は、しばらくして顔を俯かせる。

 小さく肩を震わせて、唇を強く噛みしめた。

 

「……まどか」

 

 暁美ほむらは、小さく、その名を呟いた。

 

 

  

 

 

 予定もなにも繰り上げて、関係者の迷惑も顧みず即日退院を果たした彼女は、鹿目まどかの通う、やがて自分も転入することになる学校へとやってきていた。

 授業中であり、人気のあるはずのない屋上に佇んだ彼女は、向かいの校舎の一室に視線をとばしている。

 しばらくすればそこで授業を学ぶことになるだろう転入先の教室、その席のひとつにひとりの少女が腰を下ろしていた。

 どこか影のある表情で、教師の話を聞いている彼女。

 鹿目まどか。

 

「…………」

 

 表情を消し去ったほむらはその姿を目に焼き付けるように見続けている。

 授業が終わり、昼食になり、また授業になり、放課後になる。

 そしてまどかは下校する。

 ひとり。

 誰と会話することもなく、始終顔を俯かせて寂しそうにしていた彼女は、やはりひとりぼっちのまま、帰ってゆく。

 

「…………」

 

 なにかを堪えるように喉を震わせて、しかしほむらは決して表情を露わにすることはなかった。

 無言で彼女の後を追い続ける。

 ひとり暮らしのマンションに帰宅したまどかは、ひとり買い物に出かけ、ひとり夕食を済ませると、ひとりぼんやりした顔でテレビを見て、やがてひとり床についた。

 

「…………」

 

 その翌日のことだ。

 昨日と同じようにひとりで日中を過ごした彼女は、下校途中に魔女の結界に入り込んでしまった。

 そして、使い魔に襲われた。

 咄嗟に助けに入ろうとする身体を意思の力で抑えつけたほむらの視線の先で、まどかは金色の髪の少女に窮地を救われる。

 

 その瞬間だ。

 

 ざわり、と鹿目まどかの雰囲気が変質した。

 決してそれが表に出ることはないが、それでも長い間彼女を見続けてきたほむらには分かった。

 それまで鹿目まどかであったものは、その刹那に、なにか別のものへと転じたのだ。

 

「まどか」

 

 堪える。堪える。震える身体を押さえつけ、その衝動に必死に耐える。

 暁美ほむらは鹿目まどかを観察し続ける。

 

 さらにその翌日のことだ。

 鹿目まどかの雰囲気は前日までとがらりと変わっていた。

 別人かと見紛うほどに明るくなっていた。

 それは暁美ほむらの知る鹿目まどかと相違ない。

 最初は戸惑っていたクラスメイトだったが、それでも嫌味のない彼女の明るさに惹かれてか、すぐに受け入れはじめた。

 中でも良く話しているのは、美樹さやかと志筑仁美の二人である。

 

 そして昼休み。

 屋上で昨夜自身を助けた上級生と待ち合わせたまどかは、輝くような笑顔でなにかを告げ、それを聞いた上級生――巴マミは大声を上げて泣き出した。

 背を丸めて顔を覆う彼女を、まどかは優しく抱きしめる。

 ほむらは見た。

 まどかもまたどうしてか、微笑みを浮かべながら泣きそうな顔をしているのを。

 

「まどか」

 

 心臓が潰れてしまいそうなほどの痛みを感じて、ほむらは胸元を強く押さえつける。

 まるで万力で心臓を締め付けられているようなその痛みに、過去の記憶が想起され、ますますひどくなる。

 それは、失恋の痛みに似ていたかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 数日後、暁美ほむらは鹿目まどかのクラスに転入する。

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 無表情を、必死の無表情を形作るほむらは、『彼女』を見つめる。

 

「あれ、どうして、わたし、泣いてるんだろうね?」

 

 壊れたような笑みを浮かべ、涙を流す『彼女』を、見つめるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そうして、暁美ほむらはその場に立っていた。

 ただの少女である七篠タレカ。

 彼女を助けようとした鹿目まどか。

 誰かを彷彿とさせる黒く濁りかけている桃色の魔力光を纏っていた鹿目まどか。

 一瞬感じ取れた、宇宙さえ凌駕するかもしれないほどの力を秘めた鹿目まどか。

 

 答えは出ていたのだ。

 絶望に満ちた微笑みで、絶望に満ちた瞳で、絶望に満ちた言葉を語りかけてきたあのときの鹿目まどかを目にした瞬間から。

 誰かと全く同一の、暗黒に染まったドレスを身に纏い誰かが呟いていたあの言葉を、彼女が口にしたときから。

 

 

 

 

 

「あなたが、七篠タレカだったのね……まどか」

 

 

 

 

 

 もう、堪えきれない。堪えきれるわけがない。

 ほむらの目から、涙がとめどなく溢れでる。

 

「……そっかぁ。とうとうバレちゃったかぁ」

 

 ほむらの言葉を聞いた瞬間、すとんと彼女の顔からあらゆる表情が消えていた。

 いつかタワーの屋上で七篠タレカが浮かべていたような、空虚に満ちた茫洋とした顔。

 

「クラスのみんなには、内緒だよっ」

 

 戯けたようでありながら、何の感情も浮かんでいない不出来な笑みを浮かべて、まどかはそんな言葉を口にした。

 フラッシュバックのようにほむらの脳裏に蘇るあのときの光景。

 はじめて鹿目まどかという魔法少女の姿を目にしたときの光景。

 

「う……ああ……ああああアアアアアアアァァァァァァァァァ」

 

 そこに、『彼女』がいた。

 憧れて、好きになって、彼女に守られる自分ではなく彼女を守る自分になりたいと思った始まりの『彼女』が、そこにいた。

 変わり果てた姿ではあったけれど、たしかにそれはあのときの『鹿目まどか』であったのだ。

 

 涙で前が見えない。

 なにもかもが滲んで、見えやしない。

 両手で顔を覆った。

 地面に膝をつき、悲鳴のような泣き声を上げ続ける。

 

「どうしてッ! どうしてまどかがッ! どうしてそんな、そんなになるまで、どうしてぇ……!」

 

 今なら分かる。

 どうして七篠タレカが、ついには暴力を振るうまでに暁美ほむらのことを諦めさせようとしたのか。

 『こう』なる前に止めたかったのだ。

 『こう』なる前に救いたかったのだ。

 自分が今感じている想いの何十倍もの想いで、この優しすぎる彼女は、どれだけの心の痛みを隠して自分を殴って蹴って、痛めつけたのだろう。

 それでも諦めない馬鹿な暁美ほむらを見て、あまつさえ『自分』を救うために力を貸せなどと口にする様を見て、なにを思ったのだろうか。

 

 決まっている。

 ついに耐えきれなくなったあの『鹿目まどか』が、それを教えてくれた。

 

「ごめん、ごめんなさいまどかぁ……私が、私が馬鹿なことばっかりしたから、だから、あんな、あんな、魔女に、あんな姿に……」

「そっか……どうも一ループ以上に力が増していると思ったら、もう、わたしは絶望しちゃったんだね。そっかぁ……」

 

 大きく、本当に大きく溜め息を吐く。

 

「でも、それでもほむらちゃんは諦めないんだ……」

「ひっ」

 

 まどかの声に責めるような響きは一切なかったというのに、ほむらは身体を竦ませる。

 顔をあげることができない。

 きっとまどかは怒っている。

 前回のまどかのどうしようもなく後ろ向きな決意も、世界を終わらせてしまうほどの大きな絶望も、全てほむらはなかったことにしてしまったのだ。

 繰り返してしまったのだ。

 許される、はずがない。

 

「ほんと、しょうがないなぁ、ほむらちゃんは」

 

 まどかの声は予想以上に近くで聞こえた。それにほむらが何かの反応を返すよりも前に、身体が柔らかな人の温もりに包まれる。

 

「まど、か……?」

「うん」

「おこって、ないの?」

「……うん。だってほむらちゃん、わたしのこと、助けたかっただけなんでしょ? なのに……怒れるはず、ないよ」

「まどかぁ」

 

 また涙が溢れてしまう。

 まどかの胸元に顔を押しつけて、ほむらは泣き続ける。

 

「すくい、たかったの」

「うん」

「わたしたちがどういう存在かって、わかっても、それでも、すくいたかったの」

「うん」

「でもほんとは、ほんとはね」

「うん」

「わたしが、救われたかったの」

「……うん」

「まどかをたすけて、わたしが報われて、それで、ありがとうって、笑顔で、いってもらいたかったの」

 

 もうほむらは自分でも何を口にしているのか分からなかった。

 救いたい。

 救うことで救われたい。

 まどかの笑顔が見たい。

 報われたい。

 ぐちゃぐちゃの頭はほむらの中に溜め込まれていたあらゆるものを吐きだし続けた。

 

「そっかぁ……」

 

 それを聞き終えたまどかは、ゆっくりとほむらの髪を梳きながら穏やかな声で呟いた。

 

「ねぇ、ほむらちゃん」

 

 肩を押されてまどかから離されたほむらは、自然、彼女の顔を目にすることになった。

 泣きはらした目で見上げるまどかの顔には、

 

「いままで、ありがとう、ほむらちゃん」

 

 空虚さなんてどこにもない、

 

「本当はね、わたしもうれしかったんだよ。馬鹿だなぁって自分でもおもうけど、泣きたくなるぐらい、うれしかったんだ」

 

 穏やかさと優しさに満ちた、

 

「絶望しちゃいたくなるぐらい、うれしかったんだ」

 

 『鹿目まどか』の微笑みが、あったのだ。

 

「ぅぅぁぁあああーーーーーーーーーーーー!」

 

 この時、暁美ほむらは、たしかに報われたのだ。

 鹿目まどかは少しも救われてなどいなかったけれど。

 なにも変わってなどいなかったけれど。

 それでも、たしかに、彼女は、この瞬間救われていたのだ。

 

 そして暁美ほむらは、鹿目まどかの物語を聞くことになる。

 永遠の幸福を望んだ少女の、成り果てるまでの長い長い物語を。

 奇跡の確率など初めからゼロだったのだという、本当に救いようがない絶望の物語を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ……まどか……」

「なに、ほむらちゃん」

 

 ふたり手を繋いで、地面に寝転がり、夜空を見上げる。

 どれぐらいそうしていただろうか。

 永遠にも思える長い時を経て、やがて、ほむらはぽつりと言った。

 

「私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか? 嫌なことも、悲しいことも、ぜんぶ無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……そうして、また初めからやり直して、永遠に楽しい日々を続けるの。いまなら、それはそれで、良いと思えるよ」

「…………」

「まどかが永遠に救われないのなら、私も永遠に救われないままでいい。だから、まどか――まどか?」

 

 ほむらは、彼女の様子がおかしいことに気付き、視線をそちらに向けた。

 まどかは微笑みながら、ほむらの手を見ていた。

 

「えっ……と、まど、か?」

 

 ゆっくりとその甲を撫でている。

 手の甲。

 ほむらのソウルジェムがはめ込まれている手の、甲。

 

 ――ぞっとほむらの全身が粟立った。

 

「ッまど――」

「もういい。もういいんだよ、ほむらちゃん」

 

 慌てて手を引こうとしたが、凄まじい力で握られた手首はぴくりとも動かない。

 咄嗟に時間停止を使おうとするが、その瞬間、全身に走った激痛に集中を乱される。

 

「ぐ――ぁぁぁっ!」

「長い間魔法少女をやっているとね、こういうこともできるようになるんだよ」

 

 その痛みにほむらは覚えがあった。

 

「ソウルジェムに直接痛みを与えるの。わたしたち、結局のところ普通の女の子だから、痛みを感じたらまともに戦うこともできないんだよ。キュゥべえの言うとおりだよね」

「まどかぁ! お願い、お願いだから――」

「ほむらちゃん、ごめんね。もう、ぜったいにこんな目にはあわせないから」

 

 まどかの手が桃色に輝き出す。

 力を秘めたそれが、ほむらのソウルジェムを照らし出す。

 

「大丈夫、もうしばらくは、わたしも持つと思うから。今のあなたに出会えたおかげで、もう少し頑張れると思うから」

「やめて、まどかぁ! そんなことしたら、そんなことしたら、また、まどかがひとりになっちゃうじゃない!」

「……それで、いいんだよ」

 

 決して演技ではない微笑み。

 けれどどこか悲しみまじりの笑み。

 

「ほむらちゃんは、魔法少女なんかになるべきじゃなかったんだ」

 

 そうして、

 鹿目まどかは、

 暁美ほむらの、

 ソウルジェムを、

 

「まどかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《この世界に幸あれ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が、文字通りの意味で、震撼した。

 

「…………な」

「…………そんな」

 

 暁美ほむらのソウルジェムは砕かれていない。

 だがそんなことなどすでに些末な問題でしかなかったのだ。

 

 彼女らは愕然とソレを見上げていた。

 空。

 夜空。

 

 闇夜が、まるで稲妻のようにひび割れていた。

 

 夜空の闇よりなお深い、暗黒の亀裂線。

 それは一瞬ごとに拡大していき、やがて、砕け散った。

 『青』。

 夜空の中に、青がある。

 夜空の中に、青空があった。

 砕け散った空間のその向こうには、まるで真昼のごとき青空が広がっていた。

 

「……まさ……か」

 

 それはどちらの呟きだったのだろう。

 あるいはどちらの呟きでもあったのかもしれない。

 ふたりの見上げる先で、突如広がった青空の向こうから『なにか』が現れ出でようとしていた。

 破砕した空間の縁に、その余りに巨大すぎる『手』をかけて、『頭』からこちらの世界に――宇宙に侵入してくる。

 震動。

 空気が、空間が、星が、世界が、宇宙が地鳴りのような音を立てて震えている。

 まるで自らを侵そうとする異物を吐き出さんとするかのように。

 だが『それ』は、そんなものなど意に介さず、その『身体』を入り込ませてくる。

 

「――――――か」

 

 ほむらのかすれた声が『それ』の名を呟く。

 同時に。

 『それ』がこちらの世界に完全に姿を現した。

 

 異様。

 夜の闇よりなお濃く深い、暗黒の巨大な人型。

 目も鼻も口もない黒一色のシルエット。

 その背から噴き出す二筋の力の奔流が、まるで天使の羽のようにも見える。

 そして『それ』の頭上。

 暗黒色をした歯車。

 頭の上に浮かぶ天使の輪のごとき歯車が、ゆっくり、ゆっくりと、その身を回転させている。

  

「――――ど、か」

 

 夜空に広がる青空を背にして浮かぶ『それ』の名を、ほむらは呼んだ。

 彼女の隣で誰かの息を呑む気配。

 それにも構わず、彼女はその名を口にした。

 叫んだ。

 

「――――――――――――――――――――――――!」

 

 まるで答えるかのように。

 『それ』はこの世界に、この宇宙に遍くその祈りを響き渡らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《この世界に幸あれ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはかつて鹿目まどかであったもの――今はもう、《円環の理》と呼ばれるものであった。

 

 



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Ⅸ 101:1123692(2)

 

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 いなくなったことにも気付いていなかったことに気付いた。

 

 だから、彼女は願ったのだ。

 ソレを知って、白い小動物の姿を取った悪魔に魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

『―――――――――――あれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それは、暁美ほむらがひとつ前のループでなかったことにしたはずのものであった。

 絶望した鹿目まどかが変貌し、至ったもの。

 永遠に幸福な日々を繰り返す最も新しき世界の法則。

 

 この世界に幸あれ。

 

 ただそれだけの祈り。

 ただそれだけの願い。

 永遠に永劫を繰り返した果てに、ついには並行世界すらのみ込まんとする最も新しき宇宙の法則――《円環の理》。

  

「まどか、まどかまどかまどか……」

 

 度重なる絶望に暁美ほむらは狂いかけていた。

 呆然とそれを見上げ、ただ延々とその名を、彼女の名を呟き続ける。

 それをしばらく見やっていた彼女は――鹿目まどかは、その眼に決意を浮かべ立ち上がった。

 

「まどか……?」

 

 ほむらはそんな彼女を呆けた顔で見上げる。

 まどかは、微笑む。

 

「ほむらちゃん、わたし、いくよ」

「…………まどか」

「この世界で、あれに対抗できるのは、わたししかいない。だから、いくよ」

 

 ほむらの瞳から、涙が落ちる。

 

「いかないで……いかないで、まどか、わたしを、おいていかないで……」

「……だいじょうぶだよ、ほむらちゃん。ほむらちゃんのことは、わたしが守るから」

 

 ――それは、そうやって微笑む彼女の顔は。

 いつかの彼女の顔と同じで。

 ほむらの顔が、くしゃりと歪む。

 

「勝てる、わけないよ……あんなものに……あんな風になっちゃったまどかに、わたしが絶望させてしまったまどかに、だれも勝てるはずがない」

「大丈夫。わたしはあの『鹿目まどか』より、ひとつ多くループを繰り返してるんだよ。なら、その分わたしの力の方が上のはずだから」

「――いいや、それは間違いさ、鹿目まどか」

 

 唐突に割って入る声。

 聞き覚えのある声だった。

 ふたりが振り向けば、そこには予想通り彼がいた。

 

「キュゥべえ」

 

 鹿目まどかと暁美ほむらの話を盗み聞きしていたインキュベータが。

 彼は言う。

 

「絶望の力はいつだって希望のそれを凌駕する。魔法少女が魔女になると強大な力を得るのと一緒さ。それは希望から絶望の相転移エネルギーに比べれば遥かに劣るものではあるけれど、魔法少女が保有するものに比べれば膨大だ。だからこそ僕らはグリーフシードを回収しているのだから」

「……それでも。わたしがどうにかするしかない」

「そう、そうだね、その通りだ。この宇宙において君以外にあれをどうにかできる可能性のあるものは存在しない」

「そうだね」

「だから、頑張ってね、まどか」

 

 相変わらずその声に感情の色はない。

 無機質に彼女を見上げる目からは、なにも感じ取れない。

 しかしまどかには、その奥底に生まれつつあるなにかを感じ取ることができた。

 焦り。恐怖。畏怖。絶望。

 彼らにとって初めてとなる事態に直面して、誕生しつつあるもの。

 それはほんのわずかな一欠片でしかないが、おそらく彼らを致命的に変化させる切欠に成りうるものだ。

 

「いわれなくても。でも、ありがとうキュゥべえ。たとえそれがあなたからの言葉だったとしても、それはわたしの力となる」

「…………」

 

 微笑んで告げられた感謝の言葉に、キュゥべえは、しかし何も反応を返さなかった。

 彼が何を思い何を『感じ』ているかなど、誰にも分からなかった。

 

「……わたしも、いく」

 

 両者のやり取りをじっと眺めていたほむらが、小さく、言った。

 

「ほむらちゃん……」

 

 彼女の目には、わずかながらも力強さが戻っていた。

 ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、まどかの隣に立つ。

 

「『あなた』の隣に立って戦うのが、夢だったの。だから、戦うわ。戦わない、はずがない。今度こそ、最後まで一緒よ」

 

 《円環の理》を見上げて、ほむらは告げた。

 声の震えを隠しきれていなかったものの、それでも彼女は前を向き、自らの足でしっかりと立っていた。

 

「それに、あなたをああしてしまったのは私だから。……だから、逃げることなんて、できやしないのよ」

「……うん、頑張ろうね、ほむらちゃん!」

 

 ――声に振り向き、それを見て、ほむらは目を見開いた。

 うれしそうに、本当にうれしそうに、鹿目まどかは笑っていたのだ。

 穏やかなだけではない。優しいだけではない。

 いつかのように、幸せに満ちた、明るい太陽のような満面の笑顔を、していたのだ。

 

「っええ!」

 

 ほむらの全身が燃え上がるように熱くなった。

 力の入らなかった手足に、活力が戻っていく。

 歓喜が彼女の心に満ち溢れていく。

 涙が零れる。

 うれしさの、きわまった涙だ。

 よろこびの、涙だ。

 完璧な涙を、暁美ほむらは流した。

 

「いこう、まどか!」

「うんっ、ほむらちゃん!」

 

 そうして二人は、運命そのものに立ち向かっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 彼の話をしよう。

 『自分』などという概念のなかった彼の話だ。

 感情などという不条理なものを初めから持っていなかった『彼ら』の話だ。

 

 数多の希望と絶望を撒き散らしてきた彼は、ただそれを宇宙の寿命をのばすための必要な犠牲としか見ていなかった。

 感情のない彼だから、そのことに何を思うはずもなかったのだ。

 だから、そんな人類からすれば理不尽な行為を延々、延々と続けて。

 ――そうして、やがて彼はそれと出会うことになる。

 

 感情の存在しない彼をして畏れさせるまさに神のごときもの。

 真に彼らの力が抗えない、全てを終わらせるもの。

 彼らの続けてきた行為もなにもかもを、彼らの尺度にしてみれば一瞬で台無しにしてしまう、悪意で構成されたデウス・エクス・マキナ。

 

 だから、彼は――彼らは、全にして一である自己という概念の保有していなかった数多の彼らは、世界が終わる瞬間に、思ったのだ。

 

 

 

 ――こんなはずではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「間一髪、ってところだったわね」 

「聞きたいことがたくさんあるけれど、今は後回しね。いきましょう、鹿目さん!」

 

 

「たく、見てらんねぇっつうの。この程度の魔女相手になに手こずってるんだか。いいからもうすっこんでなよ。手本を見せてやるからさ」

「チッ、アタシ一人で十分なのにさ……バカばっかりだよ」

 

 

「まどか!」

「よく分からないけど、とにかくアレをなんとかしないといけないんでしょ? それが出来る力があるんなら、迷ってる暇なんかないよ。今を乗り切らなきゃ、未来なんてどこにもないんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 ある日すべての人間の意識から忽然と消え去り、いなくなったことにも気付いていなかったことに気付いた。

 

 誰かの後悔が、それ一つでは不条理を覆すには到底足りなかった誰かの後悔が、永遠に繰り返す時の中で積み重なった数多存在する誰かの後悔が、ついにエントロピーを凌駕するに至った人ではない誰かの後悔が、それを彼女に気付かせた。

 

 だから、彼女は願ったのだ。

 ソレを知って、白い小動物の姿を取った悪魔のような誰かに魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

『この世界に――――――――――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「私、こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めてだったわ。私、一人ぼっちじゃないもの。でもだからこそ、死ぬのがこんなにも怖い……」

 

 

「頼むよ神様、こんな人生だったんだ。せめて一度ぐらい、幸せな夢を見させてよ」

 

 

「あたしって、ホントばか……まだあいつに何も伝えていないのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 大嫌いだった自分を『彼女』に救ってもらった彼女の話だ。

 『彼女』がいないことに気付いて、けれど『彼女』がまだここにいることに気付いた彼女の話だ。

 

 永遠に繰り返す円環の中で、彼女はいつかどこかで後悔した彼と契約を交わした。

 『彼女』に会うために何度も何度も傷付き、斃れ、その度に次の自分に力とその記憶を託して、彼女は消えていった。

 いつだって、彼女の願うことはひとつだけだった。

 かつて『彼女』がよく口にしていたその言葉だけだった。

 

 

 

 

 

『この世界に――――――――――あれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ダメ、だったね……まどか」

「うん……強いなぁ、絶望したわたしって」

 

 そうして、彼女たちは飛び立ったはずの場所に倒れ伏していた。

 

 世界は相も変わらずそこにあった。なにも変わってはいなかった。

 街に被害など一切出ていない。

 壊れた建造物もなければ、死んだ人間もいない。

 近くには意識を失ったままの七篠タレカも倒れている。

 

 そして、空に浮かぶ《円環の理》もまた、現れた時となにも変わらずそこにあった。

 

 《円環の理》は向かい来るもの以外に一切危害を加えようとはしなかった。

 ただ佇むだけだ。

 ただ宇宙にその祈りを響き渡らせているだけだ。

 この世界が幸せでありますようにと願っているだけだ。

 ――ただ、この世界を永劫の円環の中に閉じこめようとしているだけだった。

 

「もう、いいよね、まどか。諦めても、いいよね」

「……うん」

「同じ時を本当に永遠に繰り返すことになったとしても、きっと、それは幸せなんだろうから。まどかの願う世界なら、そのはずだから」

「そう、だね。もう、いいよね」

 

 手を繋いだふたりは、揃って諦観の笑みを浮かべて、《円環の理》を見上げていた。

 

「いっそさ、わたしも絶望しちゃって、ほむらちゃんも絶望しちゃって、この世界だけじゃなく、全部の世界をぱぁっとおんなじにしちゃおうか」

「そう、だね。きっと私たちなら、それぐらい簡単にやってのけちゃうんだろうね。……それも、いいかなぁ」

 

 顔を見合わせて、おかしそうに笑いあうふたり。

 ふたりの手の間に握られたソウルジェムは、一瞬後には染まりきってしまうほど黒く濁っていた。

 そんなふたりを、キュゥべえはただ黙して見つめている。

 

「……理解できないな。どうして人間の感情はこれほどまでの不条理を世界にもたらすのだろう」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で、彼は呟く。

 相変わらずその声には何の感情も浮かんではいなかったけれども。

 視線を《円環の理》に移した彼は、彼らは、この宇宙に存在する数多のインキュベーターは、同時に思った。

 

 

 

 こんなはずでは、なかったのに。

 ――その後悔は、いつかどこかの誰かに、ほんの少しの力を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 だから、ついに、かつて自分のことが大嫌いだった彼女は、そこに届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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《この世界に――……――……》

 

 宇宙に響き渡る祈りが、そのときはじめて、停止した。

 

「え……?」

「あれは」

 

 それまでただ佇むだけであった《円環の理》の腹部が、急激に膨れあがり、

 そうして、

 弾けた。

 

 光が、世界を照らしだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 だから、ついに、かつて自分のことが大嫌いだった彼女は、それを『彼女』に伝えることができるのだ。

 だから、いつものように、彼女はそれを口にする。

 そう――。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この世界(あなた)に幸、あれ――――――――――――!」

 

 《円環の理》と同じ言葉、けれど全く異なるその祈りが、最も新しき世界の法則を、打ち消した。

 破裂した《円環の理》の内より飛び出したのは、ひとりの魔法少女であった。

 彼女はどこかで見たような夜の闇よりなお深い暗黒のドレスを纏っていた。

 鹿目まどかのそれと全く同じ装飾の、しかし色を反転させたようなドレス。

 

 彼女は平凡な顔つきをしていた。

 どこにでもいるような特徴のない顔立ちをしていた。

 

 しかし彼女の持つ瞳が、その全てを裏切っていた。

 どこまでも真っ直ぐに前を見据え、力強く輝くその瞳は、それを見たものの記憶に決して消えぬ印象を刻み込むだろう。

 誰も、それから視線を外すことなどできはしない。

 なぜならばそれは、最も新しき伝説なのだから。

 最も新しき世界の法則に対抗するために生まれ、永遠に繰り返す時の中で幾度も打たれ、押し潰され、研磨され続けてきた、どこにでもいる平凡な少女がついに至った最も新しき英雄の姿なのだから。

 その伝説の名を、彼女たちは呼ぶ。

 暁美ほむらも、鹿目まどかも良く知っている彼女の名を呼ぶ。

 

 

 

 

 

「七篠、タレカ」

 

 

 

 

 

 《円環の理》が、ついに己の天敵が誕生したことを知り、慟哭した。

 それはあってはならぬものであった。

 それの世界に、あってはならぬ存在であった。

 なぜならば。

 

「ようやく……ようやく届いたわ。ようやく《円環の理(あなた)》に会えるまでに、あなたと同じ位階にまで、私は至った」

 

 ああ、なぜならば。

 永遠に至ったそれに立ち向かおうとするのならば、対峙するものもまた――。

 

「まどか、まどかさん――堕天使様。あなたが永遠に絶望し続けるのならば、私は永遠にあなたへ希望を届け続ける! もう二度と、あなたをひとりで絶望させはしない――――――――――!」

 

 七篠タレカは空を駆けて、修復を終えたばかりの《円環の理》へと突き進む。

 それを迎える《円環の理》は、彼女の存在を否定するかのように首を振り、世界に悲痛な慟哭を響き渡らせる。

 それは『彼女』の世界に在ってはならぬものなのだ。

 永遠に救われぬ存在など、彼女の祈りから最も外れた極地にあるものなのだ。

 だから、『彼女』は決して彼女の存在を受け入れはしない。

 永遠に受け入れはしない。

 だからこそ、彼女たちは戦うのだ。

 永遠に戦い続けるのだ。

 この世の誰も知らぬ果てで、《円環の理(最も新しき理)》と《円環の理(最も新しき反逆者)》は、永劫に拮抗し続けるのだ。

 さながら、神と堕天使のごとく。

 

「――さようなら、もう一人の堕天使様」

 

 呆けたように己を見上げている鹿目まどかに小さく呟いて、七篠タレカは《円環の理》と一緒に、夜空に広がる青空の向こ側に消えていった。

 

「タレカ……ちゃん。タレカ、ちゃんーーーーーーーーーーーー!」

 

 世界が、閉じていく。

 異物を排除した世界は、本来ありえない他世界との繋がりを断ちきり、急速に本来の姿を取り戻していった。

 

 そしてそこに残ったのは、静かさを取り戻した夜だけだった。

 それだけだったのだ。

 それだけしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ひどいよ……こんなのあんまりだよ……。どうしてタレカちゃんが、あんな風にならなければならなかったの……。どうして、わたしが、わたしのせいで、みんな、みんな……嫌だぁ……もう嫌だよ、こんなの……」

 

 鹿目まどかは顔を覆って泣きじゃくっていた。

 小さな子供のように、泣いていた。

 暁美ほむらは、それを黙って見ていることしかできない。

 なぜなら、彼女もまた七篠タレカと一緒だからだ。

 その気持ちが痛いほどによく分かるからだ。

 

 それに、結局のところなにも変わっていないのだ。

 《円環の理》が去ったところで、この鹿目まどかが救われることなど永遠にないのだ。

 そう遠くないうちに、それこそ今すぐにでも新たな《円環の理》が生まれるのかもしれないのだ。

 そうして、またもうひとりの七篠タレカが生まれるのだろう。

 すでに願いを叶えてしまった暁美ほむらでは、その領域に達することは不可能なのだから。

 

 そうやって、永遠に世界は救われないまま連鎖を繰り返していくのだろうか。

 どうあっても、鹿目まどかは救われない存在なのだろうか。

 

「そんなのッ……ひどすぎるッ……」

 

 拳を握りしめて、ほむらは涙を流す。

 

「魔法でも奇跡でもいいから……お願いだからッ、まどかを救ってよ……! お願いだから、どうか……!」

 

 天を見上げて慟哭する彼女の言葉に応えるものはいない。

 この世界には魔法も奇跡もありはしないのだから、当然のことだ。

 だから、世界はこうやって永遠に続いていくのだ。

 鹿目まどかの絶望を糧にして、続いていくのだ。

 

 ――この世界に、幸は、ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 死んでしまったのだ。

 そして別の時間、別の場所、別の世界で、同じように人々を守るために戦って、死んで、同じ時間を繰り返しているのだという。

 ひょっこりと自分の前に姿を現した白い小動物のような彼からその話を聞かされた彼女は、幾人もの彼女達は、だから、願ったのだ。

 

 可愛らしい姿を取った悪魔に魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「そう、本当に、この世界に鹿目まどかの幸せなんて、存在しないんだ」

 

 声が、聞こえた。

 

「魔法も奇跡も、この世界にありはしない。ありはしないのよ」

 

 聞き覚えがあるようで、しかし暁美ほむらのはじめて耳にする声。

 

「あるのはただの絶望と、それと同じだけの数の――希望」

 

 彼女が、立ち上がっていた。

 彼女は平凡な顔つきをしていた。

 どこにでもいるような特徴のない顔立ちをしていた。

 

 しかしその瞳が、その全てを裏切っていた。

 ひたすら真っ直ぐに遠いどこかを見据え、力強さをもった瞳の輝きは、それを見たものの記憶に決して消えぬ印象を刻み込むだろう。

 誰も、それから視線を外すことなどできはしない。

 なぜならばそれは、最も古き人の想いだからだ。

 遥か過去から遥か未来へと続く人という種の中で在り続ける、なにかを、誰かを想う気持ちなのだから。

 

「七篠、タレカ」

 

 意識を失っていた彼女が、立ち上がっていた。

 鮮烈な祈りの輝きを双眸に宿した彼女が、そこにいた。

 

「顔をあげて」

 

 彼女は、なおも泣きじゃくるまどかの頭を撫で、優しさのこもった声で言った。

 だがそれでもまどかは下を向いたままだ。 

 

「堕天使様。まどか。まどかさん。顔を、あげて、上を見て。そこに、それはあるのだから」

 

 彼女の声と時を同じくして、彼女らの周囲に、やわらかな光が降り注ぐ。

 全てを癒すかのような、やさしく、甘い光。

 それは次第に強さを増していく。そうやって彼女らを――鹿目まどかを眩く照らせば照らすほど、その泣き声が、肩の震えが小さくなっていく。

 

 やがてそれが完全におさまった時、ついにまどかは顔を上げた。

 泣きはらした真っ赤な目で、街全体を照らし出すまでに至ったそれを見る。

 

 白い、光だった。

 濁りなど全く存在しない、無垢なる純白の輝きであった。

 傷付き、壊れそうになっている彼女の心を癒す、やさしい明かりであった。

 

「奇跡……?」

 

 ぽつりと、同じそれを見上げていたほむらが呟く。

 だがタレカは首を振る。

 

「いいえ。違う。この残酷で美しい世界に、魔法も奇跡もありはしない。あるのはただ人の想いだけ。誰かを、何かを想う崇高な人の想いだけ」

 

 同じくその光を見上げて、彼女は言うのだ。

 

 

 

「――奇跡を願う誰かの祈りだけ」

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女――七篠タレカの話をしよう。

 いつかの、どこかの、たくさんの世界にいた七篠タレカの話をしよう。

 

 どの世界の七篠タレカも鹿目まどかに命を救われていた。

 自分の住むマンションの屋上から飛び降りたところを救われたこともあれば、鹿目まどかの友人と一緒に集団自殺しようとしたところを救われたこともある。それ以外の魔女にも魅入られ、その度に七篠タレカは『名無しの誰か』として鹿目まどかに救われてきた。

 どこの誰かも分からず、さがそうという勇気も持てない彼女は、いつだってその時のことを反芻してにやけながら日々を過ごした。

 ――だから、堕天使様として慕うことができた世界の七篠タレカは幸福だったのだろう。

 

 どの七篠タレカも、そうしてワルプルギスの夜を明かす。

 半壊したマンションの部屋の中で、あるいは傷ひとつなかった部屋の中で。

 一時間も経たずに避難所から逃げだした対人恐怖症の彼女が引きこもるのは、いつだって自分の部屋なのだから。

 そうやって生き残った彼女は、いつだって知るのだ。

 あの白い小動物の形をしたキュゥべえという存在から、鹿目まどかが魔法少女として命を賭けてこの街を守ったこと、そして今なお別の世界で救いのない永遠の迷宮を彷徨っていることを。

 

 だから、どの世界の七篠タレカも願った。 

 魔法少女としてぎりぎりの、最低限の才能しかなかった彼女だったから、時を越えることも生き返らすことも、そんなたいそうな目に見える奇跡など起こせはしなかったけれども、祈り、願ったのだ。

 

『鹿目まどかに、幸あれ』

 

 どの世界の七篠タレカも、ただその祈りだけを胸に、鹿目まどかの守ろうとしたものを受け継いで、彼女が去った世界で戦い続けたのだ。

 ――魔法少女の最後に、決して避けられぬ絶望が待つことを知りながら。 

 

 

 

 

 

「あなたが世界を繰り返し絶望を積み重ねていくたびに、それと同じだけの祈りが積み重なっていった」

 

 まどかは、淡々と語られた数多の七篠タレカの物語に、再び涙が流れでるのを止めることができなかった。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの祈り。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの願い。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの鹿目まどかを想う心。

 それがいま、このとき、彼女の見上げる空に、光り輝いているのだ。

 

 そう、これは奇跡などではない。

 そう、これは魔法などではない。

 

「誰かを想い、奇跡を願う、人の祈りそのもの」

 

 なんて美しいのだろう。

 なんて優しいのだろう。

 なんて愛しいのだろう。

 

 ぎゅっと手を握られる感触に、まどかは隣を見る。

 ほむらが、涙まじりの微笑みを、彼女に向けていた。

 

「まどか……まどかは、こんなにも誰かに思われているの。だから、立ち上がって。もう一度だけ、立ち上がって」

 

 こくりと大きく頷いたまどかは、彼女の手に縋って、よろめきながらも再び地の上に立つ。

 ふたり手を繋ぎあって、天を見上げるタレカに視線を向ける。

 

「今、数多の七篠タレカの祈りが、形になろうとしている。けれど、それでもあと少しだけ足りない。だから、《円環の理》は生まれてしまった」

 

 祈りの詰まった眼で遠いどこかを見やるタレカは、まるで託宣を告げる巫女の如く語る。

 ひとつ前のループ。

 七篠タレカの死んでしまった世界。

 だから、足りなかったのだ。

 

「――だからね、堕天使様。私の祈りを以て、この願いは形になるの」

 

 祈りの宿っていた眼から、ふっと、力強さが消えて、ただの少女のそれへと戻る。

 頬を染めてはにかむように笑って、タレカは、この世界の七篠タレカは、これまでの成り行きを見守っていた彼――キュゥべえに目を向けた。

 腕組みをして、子供のように胸を張って、挑むような目つきで、彼に告げる。

 

「これまで戦い続けて、いまもどこかで戦い続けている七篠タレカの想いを、永遠を繰り返してようやくここに辿り着いた堕天使様の想いを、私は無駄にはしたくない。この人に、救われてほしいの」

 

 タレカの双眸に、再びあの光が灯り始める。

「永遠の牢獄なんて、壊してみせる、変えてみせる」

 

 彼女の全身から頭上に輝く光と同じものが立ちのぼる。

 

「これが私の祈り、私の願い――さあ! 叶えなさい、インキュベーター!!」

 

 ひれ伏せずには居られない気高さで発せられた言葉に、彼は応えた。

 

「それがきっと、僕らの願いでもあるのだろうね。いいだろう。契約は成立だ。君の祈りは、エントロピーを凌駕した。さあ、解き放ってごらん――条理を覆す君の想いを!」

「っぅ――――――――――!」

 

 タレカの胸元から眩い光が生まれる。

 走る激痛に漏れでる悲鳴をかみ殺し、彼女は、祈りの宿った眼でまどかを見る。

 

「いま、この世界の七篠タレカの願いを含めた百十二万三千六百九十二の祈りによって、ようやくそれは形になろうとしている……! でもね、それは、私達が叶えてはだめなの。まどかさん、それはあなたが決めなければならない。なぜなら、私達の願いは、堕天使様が、幸せになることだから……だから!」

 

 タレカの胸から生まれた光は、ゆっくりと空に浮かび上がり、上空の輝きに近づいていく。

 

「言って! あなたはどうすれば幸せになれるの――――!」

 

 その言葉に、まどかの脳裏にはこれまでの膨大な記憶が奔流のように流れていった。

 絶望した自分――《円環の理》。

 最も新しき伝説――七篠タレカ。

 諦めない暁美ほむら。

 彼女を痛めつける鹿目まどか。

 初めて時を遡った暁美ほむら。

 世界を傍観した年月。

 絶望に気付いた鹿目まどか。

 幸福の日々にいた鹿目まどか。

 幸せな日々の終わりに気付いた鹿目まどか。

 暁美ほむらとの出会い。

 巴マミとの出会い。

 その前の孤独な自分。

 

 繰り返すループ。

 蓄積する絶望。

 消せない悲しみ。

 次々に記憶を遡っていき、ついには遥か彼方、九万年以上も過去の、彼女がまだ幼かった頃の記憶が蘇る。

 そう。

 そうだ。

 それが、全ての切欠だったのだ。

 

「わたしは、」

 

 それで、いいのだろうか。

 それで、本当に鹿目まどかは幸せになれるのだろうか。暁美ほむらは、七篠タレカは、他のみんなは救われるのだろうか。

 また、自分は間違えているのではないだろうか。

 気が遠くなりそうな不安。

 膝ががくがくと震え、逃げだしたくなる。

 いつも失敗ばかりを繰り返してきた。

 些細な切欠で全てを台無しにしてきた。

 今度も、もしかしたら――。

 

「まどか」

 

 彼女を励ますように、繋がった手が、優しく握りかえされる

 縋るように、彼女を見上げる。

 

 暁美ほむら。

 

 鹿目まどかの大切な人。

 たったひとりの友達だった少女。

 彼女はまどかを安心させるように微笑み、言う。

 

「大丈夫。もしまたまどかが間違えたら、私が止めにいくから。何度でも、あなたを助けにいくから」

「……バカだなぁ、もう、ほむらちゃんてば。そんなんじゃ、意味がないのに」

 

 そうさせないために、これからまどかは願うというのに。

 だけど、彼女は言うのだ。

 

「それでも、それが私だから。きっとどんな私でも、それを願うから」

「そっか……ほむらちゃんなら、仕方ないよね。うん、ホント、しょうがないなぁ」

 

 すっと、まどかの身体から不安が抜けでていく。

 大丈夫。

 もう、迷わない。

 自分には、いつだって自分を想ってくれる大切な友達がいるから。

 きっと、大丈夫。

 どれだけ間違えても、どれだけ苦しんでも、どれだけ辛い目にあっても、どれだけ絶望しても。

 最後には、いまみたいに、笑っている。

  

「タレカちゃん」 

 

 まどかは、告げる。

 苦痛に耐えながら、羨ましそうに、愛しそうに、自分たちを祈りの目で見守っていた彼女に、告げる。

 

 大丈夫。きっとあなたとも、また会える。

 また、あなたを助けにいくから。

 迎えにいくから。

 だから。

 

「わたしは――――――――――――――――」

 

 それを聞いて、タレカは深く目を瞑って、そして。

 開いた。

 

「鹿目まどかに、幸あれ!」

 

 世界が閃光に満たされる。

 百十二万三千六百九十二の七篠タレカの祈りが、鹿目まどかの願いを、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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Ⅹ 1:1

 

 

 

 

 

「まどかさん」

 

 

 

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 今日も彼女はご機嫌だった。

 

「ふふふーん」

 

 鼻歌に合わせてゆらゆらと体を左右に揺らしながら、彼女は小学校へと続く道を歩いていく。

 

 

 

 

 

「まどかさん」

 

 

 

 

 

「えへへへ」

 

 自然と笑みが漏れてしまう。

 にやにやと笑いながら、時折鼻歌をまじらせて彼女は進む。

 彼女がこうまでご機嫌なのは、当然のことながら理由があった。

 数日後に、とても、とてもとても楽しみなことが待っているからだ。

 

「おねーちゃん、おねーちゃんだぞー」

 

 なんと彼女に弟ができるのだ。

 つまり彼女はお姉ちゃんになるのだ。

 

 これはとてもすごいことである。

 自分が、お姉ちゃん!になるのだ。

 

 

 

 

 

「まどかさん」

 

 

 

 

 

 弟。

 赤ちゃん。

 

 前に友達の家で見たことがあるけれど、とってもかわいかった。

 ならば自分の弟なのだから、きっともっともっとかわいいにちがいない。

 

「たつや~たっくん~、たつやくん~」

 

 初めてそのことを知らされてから、彼女はずっとそのときを心待ちにしていた。

 そしてついに数日後には生まれるというところまできた。

 

 

 

 

 

「まどかさん」

 

 

 

 

 

 楽しみで楽しみで仕方がなかった。

 だから浮かれきっていた。

 朝家を出る前に、母親になにか言われたような気がしたけれど、それも今の彼女の頭の中には残っていなかった。

 ただご機嫌なままさらに通学路を進もうとして――。

 

 

 

 

 

「まどかさん」

 

 

 

 

 

 ふと。

 彼女は誰かに呼ばれたような気がして、後ろを振り返った。

 しかしそこには誰もいない。

 首を傾げていた彼女は、気のせいかと思い直し歩みを再開させようとして。

 

「あっ、傘わすれたぁー」

 

 今日は雨が降るからな、という母親の言葉を唐突に思い出した。

 その場で立ち止まった彼女は、しばし腕を組んでうんうんとうなり声をあげる。

 もう学校までの道のりの半ばまで来てしまっていた。

 今さら戻るのは正直面倒くさかった。

 

 空を仰ぐ。

 そこには雲ひとつない晴天が広がっていた。

 とてもこれから雨が降るような天気には見えない。

 ――きっと大丈夫。うん、問題ないない!

 そう思って再び歩き出そうとして、

 

 

 

 

 

「まどかさん」
 

 

 

 

 

 

「……うーん。やっぱりもどろ」

 

 傘を忘れたことについて、あとで母親に叱られるかもしれない。

 その可能性に気づいて、ため息を吐いた彼女は来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――これはたったそれだけの話である。

 それだけのために、多くの少女が絶望し続けたという、そういった話である。

 しかしそれだけではない。

 絶望した数と同じぐらい、少女達が願い、祈り続けたという、そういった話でもあるのだ。

 

 その物語には魔法も奇跡も存在しなかった。

 そこにあったのは、奇跡を願う誰かの祈りだけだったのだ。

 

 

 



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オリジナル・キャラクター

 

 

 

 

 

 いつかでもなく、どこかでもない、時と空間から外れたそこで

 それらは戦い続けていた

 

 永遠に永劫に永久に

 終わりのない戦いを続けていた

 

 だがついにはそれにも終わりが訪れる

 戦い続けるそれらの一方が、力を失い、たおれたのだ

 

 

「ちょっと……つかれたわね……」

 

 

 それの胸元にある宝玉はすでに黒く染まりきっていた

 どうしようもないほどに、濁りきっていたのだ

 だから、それに抗うことはできない

 どれほどの位階にのぼりつめようと、結局のところ

 それ――彼女は、魔法少女なのだから

 だからそのルールには逆らえない

 

 

「私、頑張ったわよね……すごく、すごく、がんばったんだ」

 

 

 それまで戦っていたものに、彼女は語りかける

 相手は何も答えない

 だが、たおれた彼女へ決して追撃しようとせず無言で佇む姿は、自分の奮闘を労っているように、彼女には思えた

  

 ならばよし。

  

 彼女は遠くなる意識の中、おもう

 もう名前も顔も声も忘れてしまった『彼女』に褒めて貰えるのなら、がんばった甲斐があったのだと

 だからそのまま意識を手放そうとして――

 

 

「うん、がんばったね……ほんと、がんばったんだね、タレカちゃん」

 

 

 永劫の彼方に消えてしまったはずの、声だった

 幻聴なのだろう

 だが、たとえ幻でも最後に『彼女』の声を思い出せたことに感謝する

 忘れたはずの多幸感に身を包まれ――

 

 ちがう。

 

 それはたしかに誰かの温もりだった

 いつかどこかで感じたことのある、あの人の温かさだった

 最後の力を振り絞って、彼女は閉じかけていた瞼を、むりやりこじ開けた

 

 

「迎えにきたよ、タレカちゃん」

 

 

 ――ああ

 忘れるはずがない

 この人の顔を、忘れるはずがないじゃないか

 この人の声を、忘れるはずがないじゃないか

 この人の名前を、忘れるはずがないじゃないか

 

 

「だてんし、さま……?」

 

 

 まるで女神様のような白いドレスに身を包んだ、桃色の髪の『彼女』は、彼女を抱きしめて、やさしく、やさしく、ほんとうにやさしく微笑んでいた

 

 

「もう、いいんだよ。もう、やすんでも、いいんだよ。あの『わたし』はわたしが連れていくから、あなたもわたしが連れていくから、だから、もう、いいんだ」

 

 

 何度も何度も、彼女を労るように背中をさすり、『彼女』は言う

 

 

「そっか……やすんでも、いいのかぁ。そっかぁ……」

 

 

 大きな、とても大きな溜め息を吐いて、彼女は、ゆっくりと瞼を閉じる

 眠い

 とてもねむいのだ

 もう、どのぐらいねむっていないのだろう

 だって、ねむれなかったのだ

 あのひとを、ひとりぼっちにしちゃだめだから、ねむったらだめだったのだ

 でも、もういいんだ

 もういいんだよね

 

 

「うんっ……うんっ、ありがとうっ、ずっと、『わたし』と一緒にいてくれて、ありがとう」

 

 

 あはは

 あなたにほめられるなんて、

 なんてじぶんはしあわせなのだろう

 

 ああ、ほんとうに

 きょうはいいゆめがみれそうだ

 

 おやすみなさい、だてんしさま

 

 

「おやすみっ……タレカちゃん、おやすみっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、最も新しき伝説は、本当に伝説となったのだ

 たとえそれを知るものが誰もいなくとも、『彼女』がその伝説を覚えている

 たった今より最も新しき伝説となった、最も新しき世界の法則――《円環の理》が、世界へと語り継いでいく

 ずっと、

 ずっと……

 

 

 



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■ 1

 たくさんのうれしいことがあって

 たくさんのつらいことがあって

 たくさんのかなしいことがあって

 

 やがてすべては終わりをむかえた

 

 なにもかもが変わってしまった世界で 

 彼女は生きている

 

 かつてあったことのすべてを覚えている

 忘れていたはずのことさえも、最後の最後には彼女と一緒に思い出した

 

 だから、もう二度と同じ時間を繰り返すことなどなく、

 たくさんの思い出を胸に、彼女はこの世界を生きている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごうごうと、風がうなりをあげている

 ごうごうと、地の果てから聞こえてくるような声が響いてくる

 

 そんな荒れ果てた野を、彼女はゆく

 向かう先には数えきれぬほどの白き魔獣

 魔女の代わりに現れた、新たな呪いの姿

 

 けれど彼女がそれに怯えることはない

 ただまっすぐに前を向いて、力強い足取りで歩んでゆく

 

 なぜならば、彼女の向かう先には、きっと『彼女』が待っているのだから

 そう約束したのだから

 

 髪を結ぶリボンにそっと手を触れて、

 唇を小さく噛みしめた

 

 やがて彼女の背から力の奔流が噴き出す

 暗黒色のその翼は、まるで堕天使の翼のごとく

 それが広がり、じわじわと世界を侵食していく

 

 ふと、足元に影が差して、彼女は上を見上げた

 

 そこには、彼女とは別の堕天使が優雅に空を舞っていた

 まるでこちらを挑発するかのような飛び方

 

 彼女の眉が顰められる

 面白くなさそうな顔で、けれど、口許にはわずかな笑み

 なにかを口にしようとして――

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 

 

 彼女たちは、その背に、『彼女』の存在を感じ取った

 

 

 

 ――――ああ

 ――――ええ

         

 ――――だからきっと、私はどこまでも戦える 

 ――――だからきっと、私はどこまでも戦える

 

 

 今度こそ、永久に、永遠に

 『彼女』にもう一度会うことができる日がくるまで

 

 彼女たちは、戦い続けるのだ

 この世界は彼女の望んだ、自分達が守るべき世界なのだから

 

 ふわりと彼女の身体が浮いて、

 空へと飛翔する

 

 ふたつの影が荒野に影をつくる

 そうして彼女は、彼女たちは呟くのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界に――――――」

 

            「――――――幸あれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ――これは彼女たちのはなし。

 自分のことが大嫌いだった、彼女たちのはなし。

 

 

 

 

 

 

 

 

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