セントエルモの火片 (たこ焼き)
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Prologue
1話


 ある所に双子の兄弟がいた。一卵性双生児。瓜二つの二人は仲良く健やかに育った。

 

 二人の関係が変わりはじめたのは小学生の時。

 趣味趣向が同じ兄弟は当然のように同じ部活へ入った。兄はそこで瞬く間に頭角を示しレギュラーを獲得したが弟は違った。ベンチ入りこそできたものの試合には中々出られなかった。

 

 全てが同じだった双子にもたった一つ、才能という残酷な違いがあったのだ。

 

 弟も決して非才じゃない。並よりも優れた成績をいつも残していた。しかし、比較対象が悪かった。運動させれば全国大会、模試を受ければ全国一桁。そんな秀才の兄と比べられるうち、少しづつ彼の心は歪んでいった。

 

 

----------

 

 

 具体的な時期は覚えていない。

 だが、ある時から母親の愛情が薄くなっていったのをはっきり覚えている。母の愛情、関心や期待と言った感情は全て兄に注がれていた。

 

 そうなると後は想像通りというか。

 自分の黒歴史を人の所為にしたくはないが、幼少期に親の愛を受けなかった少年が行きつく先は一つだ。

 

 俺は高校を卒業すると家を飛び出し、髪を似合わない金色に染めて、未成年なのに酒や煙草に手を出して、知り合いの家に居候して、毎日ふらふらとその日生きる金を稼いではバカ騒ぎを繰り返した。

 

 転機が訪れたのは、うだつの上がらぬ日々を過ごしていた22歳の初夏のことだった。

 双子の兄から連絡が来たのだ。

 

 

 親と連絡を絶っていても、東京の大学に通っていた兄とは偶に連絡を取り合っていた。

 待ち合わせの喫茶店には既に兄が座っていた。心なしか疲れているように見える。店員は俺たち二人の顔を見て少し驚いた様子を見せたが、注文を取ると直ぐにいなくなった。

 

「悪いな、いきなり呼び出して」

 

 兄はこう切り出した。

 

「別にいい。で、なんのよう?」

 

 目の前には自分と瓜二つな顔。髪の色さえ同じなら他人にはまず見分けがつかない。

 

「単刀直入に言う。お前、働く気はないか?」

「あ? 別に今も働いてるよ」

「違う。スカウトだ。うちで働かないかってこと。正直、うちの会社人手不足なんだ。お前まだバイトだろ? 金だってあまりないだろ」

 

 『まだバイト』

 見下している様子がなくとも、ちくりと胸が痛む。

 兄は店員が運んできたコーヒーを一口すする。袖口から覗く時計は、今の俺では逆立ちしたって買えないブランド物だった。就職してまだ僅かなはずだが、相当貰っているらしい。

 

「そりゃ金は欲しい。でも、幾ら金に飢えてても兄貴と同じ職場なんて死んでもごめんだ」

「それは俺と比べられるからか?」

「分かってんならわざわざ言うなよ」

 

 兄はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「保証する。俺の会社に来ても、俺たちが比べられることはない」

「どういう意味だよ。例え素性を隠したとしても、こんだけ顔が似てたら比べられるに決まってんだろ」

「ああ。これだけ顔が似ているからな」

 

 兄はスマホをテーブルに置いた。表示されているのは、黒髪の少年二人が仲良く肩を組む写真。俺たちが中学生の時の写真だ。

 まさに生き写し。その頃は俺が意図的に兄を真似る悪癖があったから、俺ですら見分けるのが難しい。

 

 なぜ兄がこの画像を見せてきたのか。なぜ兄が『比べられることはない』と断言したのか。その意図に気付くまで、さほど時間はかからなかった。

 

「兄貴…………まさか」

 

 兄は無言で頷いた。

 

 こうして、後に『あそこのプロデューサーは多重影分身が使える』『決して休まない鉄人』と揶揄される、二心同体プロデューサーが誕生したのであった。

 

 

 

 

 

 

 初めこそ『入れ替わり』に苦労したが、一つの受精卵から生まれた二人だ。取引先や担当アイドルからも疑われることはなかった。

 交換手帳の存在も大きかった。アイドルとの雑談、約束事から呟いた独り言まで手帳へ鮮明に記載して、入れ替わる日になると交換していたのだ。

 

 だが、悪いことは長く続かないとは良く言うもので、入れ替わり生活を初めて一年が経ったある日。

 ついにその生活に終わりが来た。

 

 

 

 兄が、車に轢かれそうだったアイドルを庇って死んだ。

 

 

 

 

 天井から目を落とし携帯を見る。メールが何件も溜まっているが確認する気は起きなかった。

 午後七時。もう二時間、なにもせず天井を眺めていたらしい。

 

「なんで死んだんだよ、兄貴……」

 

 兄がいないと俺は只の凡人だ。良く気の利く大人という肩書も敏腕プロデューサーという肩書も、兄からの借り物に過ぎない。

 じわりと、瞳の奥から涙が溢れるのを感じた。散々泣いたのにまだ止まってくれない。

 

 こうしていると、思い出すのはやはり通夜のこと。

 あの日は酷かった。

 実家へ帰ると、母は俺を見て歓喜した。やっぱり死んでなかった。良かった、良かったと涙した。しかし、しばらくして中身が俺であることに気付くと、今度は一転して叫び出す。

 

『どうしてあの子なのよ! あなたが死んだら良かったのに!』

 

 母のことは嫌いだった。それでも流石にこたえた。心のどこかで、自分への愛情も少しはあると期待していた所為かもしれない。

 母のヒステリックに泣き叫ぶ声が鼓膜に張りついて離れない。

 俺を庇う父の手を振り切り、俺は実家を飛び出し東京に帰った。まるで高校を卒業した時に逆戻りした気分だった。

 

(あいつの言う通りだ。俺が、死ぬべきだった。駄目な俺に最後まで優しくしてくれた兄貴が、なんで死ななきゃいけないんだよ)

 

 もう兄の体は焼かれているのだろうか。

 思えば、俺は兄から貰った恩に何一つ報いていなかった。

 

「ごめん。ずっとずっと……迷惑かけて、心配かけて。ごめん」

 

 涙が目尻から零れて枕を濡す。止まるように手で抑えても効果がなかった。

 

 ふと、歌が聞こえた。部屋のテレビからだ。

 だがおかしい。自分はテレビの電源なんて入れていない。

 

 歌は俺が何度も繰り返し聞いたアイドルたちの楽曲だった。誰が歌っているのか気になって、体勢を変えてテレビを見る。

 写っているのはまごうことなき、自分の担当アイドルたち。

 だがその歌声は、表情は、まるで本来のものと程遠い。

 どうしてテレビが勝手に付いたのかなんて疑問はふっとんで、テーブルのリモコンを掴み音量を上げる。

 

 一言で表すのならば曇っていた。プロデューサーを失った所為なのか、眩いばかりに輝いていた彼女たちの魅力は曇っていた。

 それでも、そんな状態でも――前へ進もうと歌う彼女らの姿には心を打たれた。

 

 自分より年下の彼女達が、自分と同種の哀しみを背負う彼女たちがこんなにも頑張っているのに、俺はベッドの上でべそをかいているだけ。

 

 俺はなにができるのか。なにをすべきなのか。

 答えが出る前に家を飛び出していた。

 

 

 

 

 事務所の前に着いたのでタクシーから降りる。アイドルたちを励ましたいという一心で考えなしに来てしまったが、どうすれば良いのか分からない。

 アイドルたちに俺の存在をバラすつもりは毛頭ない。もしそれをバラしてしまえば、兄への信頼に傷がついてしまうからだ。自分という存在を悟られずに、彼女たちへエールを送る方法はないか。

 

 数瞬の迷いの後、手紙を書くことを思いついた。

 死んだ兄が残した手紙という形にすれば、俺の存在を悟られずに済む。

 

 近くのコンビニに入って紙とペンを買い、イートインスペースで思いを綴る。

 それはアイドルたちへの感謝の手紙(ファンレター)

 

 彼女たちのお陰で――――兄と彼女たちのお陰で俺は少しだけ自分を好きになることができた。

 

 原稿用紙が何枚あったって足りない位の感謝を、数枚の紙にまとめる。書き終えると2時間も経っていた。一人一人にそれぞれ書いていたら思ったよりも時間がかかった。

 もう生放送の収録は終わっている時間だ。急がないと事務所に彼女たちが帰ってくるかもしれない。

 

 早足で事務所を目指す。別に俺が郵便受けに直接入れずとも郵送で良いのだが、手紙を書き終えた高揚からか、それとももう務めることはできない283プロを一目見たかったからか、引き寄せられるように体はそこへと向かった。

 

「あ……」

 

 口からそんな間抜けな声が漏れた。

 事務所の前に停まった見慣れた車からは、見知った顔が何人も降りて来る。なんの因果か丁度、彼女たちも事務所へ帰ってきたらしい。

 体を翻し背を向ける。彼女たちに気付かれるわけにはいかない。

 

 そのまま立ち去ろうとした時、やけに柔らかい風が体を包んだ。そして風は俺の持っている封筒を宙へ攫うと、どんな奇跡が起きたのか中身の紙を取り出して彼女たちの前まで運ぶ。

 

「えっ、これ……プロデューサーの字。ちょっと、みんな見て」

「本当だ……でも、どこから?」

 

 背中に彼女たちの視線が刺さるのを感じる。

 靴音が自分の方に向くのに気付いて、俺はたまらず駆け出した。

 

 自分の愚かさとか浅はかさを嘆きつつも全速力で走る。彼女たちは逃げたことに驚いたのか一瞬立ちすくんでいたが、直ぐに俺を追いかけてきた。

 

 冗談じゃない。たとえ死んでも二人一役だけはバレてたまるか。

 

 そんな思いとは裏腹に、距離はぐんぐん詰められる。

 

 俺も成人男性並の運動能力は持っているつもりだったが、相手は日々きついトレーニングをこなす現役アイドルだ。その程度じゃ勝てるはずがない。瞬発力はともかく持久力は段違いだ。

 二百メートルほど粘ったが、とうとう肩を掴まれた。

 

「ちょっと! どうしてそんなに逃げるのよ!」

 

 一番初めに追いついた彼女の声には息切れ一つない。ええぃ、放クラの夏葉は化け物か。

 肩で息をしながらも顔だけは見せるまいと手で顔を覆う。だが、後ろから次々アイドルたちが追いついてきた為、これ以上の抵抗は無駄だと悟った。

 

 意を決して両手を顔から離す。

 

「うそ…………!」

 

 俺の顔を見たアイドルたちは一様に息を呑んでいた。その顔を見た俺は、この状況をどうやって乗り切ろうか考えていた。




ノクチルはSSR持ってないので出ません(逆ギレ)


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2話

「うそ……どう、して?」

 

 夏葉は目を皿にして驚いている。追いついてきた他の面々もそうだ。口をあんぐり開けて、目の前の光景が信じられないと慄いている。

 

 未だ治らない動悸。むしろ走っている時よりもペースが上がっている。背中から汗が吹き出し寝巻きのシャツを湿らせる。

 今逃げたら幽霊ということで彼女たちは納得してくれないか――。なんて馬鹿な考えは思考の隅に捨て、夏葉の顔を見つめる。

 

 兄ほどではないが、俺の頭の回転は悪くない筈だ。

 栄養不足の脳をフル回転させてたどり着いた答えは、至極単純なものだった。

 

「えっと……私に用ですか?」

 

 そう、他人の振りだ。

 とぼけた顔で呟くが彼女たちは俺の言葉など聞かずに――――実際聞いていないのだろう、そのまま俺目掛けて飛び込んでくる。

 

 夏葉だけならまだ良かった。だが、次いで飛び込んできた、めぐる咲耶甘奈あさひ。お前たちはダメだ。

 状況はまさしくラグビーユニオンのモールのそれで、俺は突撃された勢いでどこぞの壁に押し込まれる。

 

 それはある種の幸運であり、不幸であった。

 

 壁のおかげで倒れることはなく、アイドルたちが怪我をすることはないが、押し込まれたことでもう逃げ場はどこにも無くなった。

 こう密着されていては振り解いて逃げるという最終手段も使えない。

 

「ちょ、ちょっと! なんですかいきなり!?」

 

 アイドルに対して普段使わない敬語を使う。演じるのは近所に住む冴えないサラリーマン。想像するのは不良高校生にカツアゲされるシチュエーション。

 

「馬鹿っ! 私が、みんながどんな思いだったと思うのよ!」

 

 顔を上げた夏葉の目尻がきらりと光る。

 

「と、とりあえず、離れてください」

 

 みんなを引き離そうと優しく肩に手をかける。しかし、彼女たちの体は強力な電磁石のようにくっ付いて離れない。

 

「ううぅ……プロデューサー……」

「……すまない。しばらくこのままで居させて欲しい」

「プロデューサーさん……甘奈、頑張ったよ? 甜花ちゃんも、プロデューサーさんが企画してたライブを成功させるんだって必死に……だから、少しだけ……」

 

 三者三様に想いを語る。

 胸が痛んだ。今すぐ抱きしめたい思いが込み上げてきた。

 だが、できない。それは兄に対して余りにも不義理であるし、これからの彼女たちを考えてもするべきでない。

 きっと、もうすぐ新しいプロデューサーが雇われるから。

 

 四人と対照的なのはあさひだった。この場で最年少である彼女はパッと俺から離れると、目をキラキラ輝かせて聞いてきた。

 

「プロデューサーさん凄いっす! どうやって生き返ったんすか!?」

 

 鼻息荒く聞いてくる彼女を見ていると良い意味で調子が狂う。

 

 

 

 

 さて、形はどうあれ俺は励ましの手紙を渡すことには成功した。家に帰り冷蔵庫のビールを開けてコンビニで買ったつまみで晩酌だ――――などと当然行くはずもなく、俺はアイドルたちに拘束され事務所へと連行されいた。

 

 ソファに座らされる俺。果穂とあさひを除く(残ろうとしたが年齢が年齢の為帰った)アイドルが俺を囲うようにして立つ。驚き、困惑といった感情はもう収まったようで、しらを切り続ける俺を無言で睨む。

 

 人によってはこの状況に興奮を覚えるかもしれないが、生憎そんな趣味はない。

 デスクに座るはづきさんは静観。アイドルたちに任せるらしい。

 対面にある俺のデスクは……一体どうなっている。無茶苦茶じゃないか。整頓された机はどこにもなく、あれが自分のものと信じたくない。

 恐らく犯人である摩美々を睨む。彼女は俺の書いた手紙を読み込んでいた。

 

「それで、もう一度どういうことか説明してもらえますか?」

 

 千雪が切り出す。

 事務所へ連れられた最中、簡単な設定は考えていた。

 

「さっき説明した通りです。私は兄から預かっていた手紙を届ける為に来ただけなんです」

「プロデューサーさんとは……」

「はい。見てわかる通り一卵性の双子です」

「そう、ですか」

 

 これだけ顔や声が似て赤の他人というのは無理があるので、ある程度は本当のことを話す。勿論兄と一緒に1人のプロデューサーをしていたことは伏せる。

 

 アイドルたちは微妙な顔をして俺を見る。プロデューサーが生きていたとぬか喜びしたので当然かもしれない。

 

 励ますつもりが余計に傷つけてしまう。

 やっぱり俺は駄目な奴だ。兄だったら手紙を風に奪われるなんてミスは絶対しなかった。というより、俺には思いつかない別の方法を用いていただろう。

 

「嘘つくんじゃねーよ……あたしが、あたしたちがあんたを見間違えるわけないだろ!」

「だから私たちは双子なので間違えるのも無理はないですって」

「つまんねー冗談言うなよ! その敬語も止めろ! 笑えないんだよ!」

 

 樹里に胸倉を掴まれる。その瞳と拳は震えていた。

 

「樹里ちゃん……流石に手を出すのはまずいよ」

「なんだよ、お前だってそう思うだろ」

「うん……でも、この人はプロデューサーさんじゃないよ。だって、本当にプロデューサーさんだったら、わざわざ自分を偽ることなんてしないから。私たちに嘘をつくはずないから……」

 

 智代子は堪えられないとボロボロ泣きはじめた。その背を凛世が優しくさする。樹里は俺から手を離すと軽く謝った。

 

 胸が痛む。自己嫌悪で吐きそうだった。

 

「でも本当に……? めぐるも真乃もプロデューサーに双子の弟がいるなんて知らなかったよね」

 

 灯織は顎に手を当てて考え込んでいる。

 

「私は、プロデューサーは一人っ子だと思ってた」

「うん……きっとみんな知らなかったんじゃないかな」

 

 真乃の言葉で、デスクに座っていたはづきさんが気まずそうに手をあげた。

 

「あの~実は私、プロデューサーさんの履歴書を見る機会があったので年子の弟さんがいることは知ってました。ただ『家族のことは触れられたくない』って言うので皆さんには黙ってましたけど」

「そう……ですか」

 

 はづきさんの言葉で灯織の疑問も晴れたようで、しゅんと顔を落ち込ませた。

 

 しんと静まる事務所。もうこれ以上ここに居る理由もない。

 

 アイドルと顔を合わせたのは誤算だったが、結果的に良かったのかもしれない。少なくとも自分の気持ちに整理がついた。今日アイドルたちに会わなかったら未練が残り、いずれ違う形で自分から会いに行っていたかもしれない。

 小賢しく正当化しようとする自身の思考を嫌悪しながら、ソファから立ち上がった。

 

「それじゃあ勘違いも解消したようですので帰ります。生前兄が大変お世話になりました。皆さんも夜遅いのでお気をつけて」

「ちょっと待ってくださいー」

 

 帰ろうとする俺を、摩美々の声が止めた。

 

「私ー、どうしてもプロデューサーがこの手紙を残したとは思えないんですよねー」

「ちょっとまみみん」

「いいから」

 

 摩美々は手紙を結華に押し付けて制す。

 

「確かに字はプロデューサーのものだし、内容もプロデューサーしか知らないことが書かれています。でもプロデューサーがこの手紙を残した理由ってなんですかー? 別に余命を宣告されていた訳でもありませんよねー」

「兄のことは私には……でも、兄は日々皆さんに感謝していましたし、それを書き溜めていたとかじゃないですか?」

「違いますねー。貴方は私たちに『兄から預かっていた手紙』といいました。感謝の気持ちを書き溜めていたなら、わざわざ貴方に預ける必要ないと思うんですよー」

「言われてみると摩美々ちゃんの言うとおりだね」

 

 摩美々の言葉で冬優子をはじめとする他のアイドル達も再び疑いだす。

 

 この流れはマズい。

 

「ならきっと、兄は自分が居なくなった後のことを考えていたんだと思います。事故にしろ病気にしろ、その他の事情にしろ。あれで恥ずかしがり屋な所がありましたから、こうして僕に手紙を預ける形にしたのでは……」

「まー確かに、それならありえますねー」

 

 摩美々は案外あっさりと引いた。その引き際の良さが返って不気味だった。

 でも、それよりも今は冬優子だ。態度こそ柔らかいが、彼女は明らかに納得がいっていない。

 冬優子はあくまで丁寧に、俺が一番突かれたくない点を指摘する。

 

「一つ気になっていたんですけど、どうしてお兄さんはふゆたちから逃げたんですか? プロデューサーさんの手紙を渡すのなら、別に逃げる必要はないですよね」

 

 だが『突かれたくない点』だからこそ、言い訳を用意してあった。

 

「それは私たちが双子だからです。283プロさんの社長と話す機会があったんですが、兄の死で大変心を痛めていると聞きしました。似た顔の私が貴方たちに会うと要らぬ混乱を生むと思いまして……」

 

 言外に『彼女たちを心配してあえて避けたが、追いかけられた所為で無駄になってしまった』と告げる。彼女たちの罪悪感に付け込むようで悪いが、こうすると反論もしづらいだろう。

 

 もう一度深く礼をする。アイドルたちと、お世話になった事務所へ。

 彼女らの脇を通り抜けても、もう誰からも呼び止められなかった。

 

 事務所の扉に手をかけた時、ふと悪寒を感じた。虫の知らせとでもいうべきか。

 

 その正体に気付いた瞬間、自分でも驚くくらい迅速に動いていた。ポケットの中の携帯を探しだし、主電源を落とす――――その、直前だった。

 

 俺の携帯電話から『Spread the Wings』

 つまり、彼女たちの歌が流れたのは。

 

 この携帯はいわゆる兄との『共有品』。癖で持ち歩いていた。

 焦心のあまり着信音を止めることも忘れ、後ろを振り返る。

 そこには予想通り、驚愕を顔に浮かべるアイドルたちがいた。たった一人を除いて。

 

「まさか、お兄さんの遺品を持って歩いていたなんて苦しい言い訳はしませんよねー。プロデューサー?」

 

 思わずぶるってしまいそうなほど怖い顔をした摩美々の指がスマホに触れると、俺のポケットから流れていた歌はピタリと止まった。




(キャラ数が)多すぎて アイドルたちを 活かせれぬ


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3話

高評価が付いててびっくり。ありがとうございます。


「まさか、お兄さんの遺品を持って歩いていたなんて苦しい言い訳はしませんよねー。プロデューサー?」

 

 摩美々の口ぶりは、俺がプロデューサーであると確信している。

 摩美々は『発信:プロデューサー』と映る携帯画面を俺に見せつけ、画面の赤いボタンを押す。当然俺の着信音は止まる。

 

 事務所は耳が遠くなるほど無音となった。心臓の拍動がやけにうるさい。

 

「お兄さんのスマホ、見せてくれますか?」

 

 満面の笑みの冬優子。

 その顔をまともに見てしまい、ちびりそうになる。いや、実際ちびったかも知れない。でも下着は既に汗でぐっしょりで、確かめる術はない。

 

 手の震えを悟られぬよう、ゆっくりと冬優子に携帯電話を渡す。

 

「ふぇ、プロデューサーのと一緒の奴ばい……双子やと機種も一緒なんやね」

「ちょ~っと、こがたんは黙ってよっか」

 

 一人状況を把握していない恋鐘を結花が押さえる。

 恋鐘の天然で少しでもコミカルな雰囲気になれば儲けものだったが、全然そんなことはない。

 

 刻々と空気は冷え、俺の肩に圧し掛かる。

 

「うわー、マジじゃん。これプロデューサーのだ。パスワードも一緒だし」

 

 冬優子の手元を覗く愛依。何故パスワードを知っているのかなんてこの際どうでも良い。

 考えるべきは『(おれ)(プロデューサー)の携帯電話を持っていた理由』だ。

 

 深呼吸して考える。

 黙っている時間が長いだけ印象は下がるが、迂闊なことを口走るよりはマシだ。

 浮いては沈む思考を手繰ること十数秒。その殆どが使えないものだったが、自分にしては良案が思いついた。

 

「黙ってないでなんとか言ったらどうですかぁ?」

 

 焦れた摩美々が俺を急かす。

 

「その携帯、今日解約手続きしてきたんですよ」

「解約したなら着信できないと思うんですけど」

「ええ。お店と相談して、結局解約しませんでしたから。月途中に解約しても満額払う必要があるとのことだったので、それならしばらく契約を残して、もし連絡してきた方がいたら、兄の訃報を知らせようと思ったんです」

 

 言い終えて少しだけ後悔する。口数が増えればかえって嘘くさい。

 摩美々が俺のつま先から頭上をじろりと見渡した。

 

「その恰好で、ですかぁ?」

 

 どうして彼女はこうも鋭いのか。

 俺の恰好は寝間着のシャツにスウェット。東京に帰った日からずっと着ているのでくたびれている。コンビニ程度なら問題ないが、常識的にこんな格好で町をうろつく者はいない。

 

「恥ずかしながら、そういうのには無頓着で……」

「……嘘くさいですねー」

 

 摩美々はそれきり黙る。恐らく俺を限りなく黒として疑っているが、断言はできない。

 何故なら、兄が死んだのは事実だからだ。その絶対的な事実がある以上、俺を幾ら疑おうが真相には辿り着かない。

 

 潮目がこちらにある内に撤収する。なにかを操作していた冬優子から携帯電話を取り返し、今度こそと事務所の扉に手をかけた。

 

「あ……あの……私からも一つ良いですか……?」

 

 顔が引きつるのを感じた。

 

 もう勘弁してくれ――そんな心の声を吐露できるわけもなく、アイドルに向きなおる。

 霧子は不安なのだろう、両腕に巻かれた包帯を摘まんでいる。心なしか彼女の体に巻かれた包帯がいつもより多い。

 

「まだなにかあるんですか?」

 

 心苦しいが、わざと声に苛立ちを込める。

 霧子は若干言うか言わないか戸惑っていたようだが、結局口を開く。

 

「どうして……あなたはここに居るんですか……? 今日は、プロデューサーさんの告別式……ですよね?」

 

 虚を突かれた気分だった。

 283プロの関係者は母の意向で通夜にも告別式にも呼ばれていないはずなのに、日程を知っていたのか。

 

 俺がここに居るのは、母や親戚の目に耐えられず通夜から逃げ出したからだが……それを言うつもりはない。

 通常どおり告別式、火葬、骨上げ、初七日法要と全て出席していたなら、当然ここには居られない。

 

 窮地の連続で脳は疲労困憊。碌な返答も思いつかない。もはや適当に誤魔化す他なかった。

 

「ああ……火葬が終わってから直ぐ帰ってきたんです。明日から普通に仕事ですから」

 

 その言葉に夏葉が食いついた。

 

「兄想いの殊勝なことを言うと思ったら、火葬が終わって東京へ帰ってきた……? 変ね」

「私がどう思われようと構いません。それでは……」

「――――待ちなさい!」

 

 夏葉に腕を掴まれる。が、快活な彼女らしくなく、なにかを口に出そうとしては言い淀む。

 代わりに口を出したのは、今まで一歩引いた位置で見ていた甘奈だった。

 

「ね、ねえ。お財布を見てみるのはどうかな。そしたら、この人がプロデューサーさんかどうかはっきりするよね」

「なーちゃん、それは……」

「だって、このままじゃずっとモヤモヤしちゃうよ。みんなだってそうだよね?」

 

 甘奈がみんなの顔を伺う。肯定する者はいないが、否定する者もいなかった。

 

 俺は求めに従い財布を渡す。

 そうだ。初めからアイドルたちは『俺と兄が二人で一人のプロデューサーであったこと』を疑ってるのではなく『兄(プロデューサー)が死んでいなかった』ことを疑っているのだ。

 だとすると、双子(おれ)が存在することを証明すればいいだけ。至極簡単な話だった。

 財布は『共有』ではない個人のものなので、運転免許証やマイナンバーといった顔写真と生年月日が記載された『プロデューサーの双子』を証明するものが入っている。

 

 俺は複雑に考えて話をややこしくしていたのだ。

 気が動転していたとか睡眠不足だったとかいうよりも、頭の出来が悪いのだ。兄貴だったら――と嘆かずにいられない。

 

 

 甘奈の案を支持しなくともみんな気になるようで、彼女の持つ財布に注目する。

 甘奈が顔写真付きの身分証を探し当てるまで、そう時間はかからなかった。

 

「やっぱり、別人なんだ。そうだよね……そんな、都合の良いこと……あるわけ……でも、あんまり似てるから……」

 

 甘奈が泣いた。

 なぜ、拘束されてから今まで、俺の所持品を(あらた)めなかったのか。

 もしかすると、プロデューサーと別人だと確定づけるのが怖かったのかもしれない。別人であると認めた風でも、心のどこかではプロデューサーが生きていると希望を持っていたのだ。

 

 甘奈の涙を皮切りに、他のアイドルも泣き出した。

 ある者は声をあげて、ある者は静かに涙を流し、またある者は誰にも顔を見せるまいとそっぽを向いて。

 

 

 

 

 これが俺の見たかった光景なのか。

 少しでも力になれればと思って起こした行動が、こんな結果を招いた。

 

 彼女たちには泣いて欲しくない。自分が酷い目にあうよりもずっと苦しい。

 

 それでもプロデューサーでなく弟として事務所に来た俺には、彼女たちをどうすることもできない。

 

『どうしてあの子なのよ! あなたが死んだら良かったのに!』

 

 鼓膜に張りついていた母の声が、ここぞとばかりに主張する。

 立っているのがやっとだった。酷く息苦しく、きちんと呼吸ができているのかも分からない。

 

 

 ――――また、風が吹いた。窓を閉めた事務所にどこから吹いたのか、事態を招いた元凶の風が俺を包む。すうっと心地よい空気が肺を満たす。陸に打ち揚げられた魚がようやく海へ戻れたような、そんな感覚だった。

 

 風はふわりと舞い、甘奈の持つ俺の財布から何かを取り出した。

 俺はその様子を、どこか他人事のように眺めていた。

 

 つむじ風は数秒経つとどこかに消えて、巻き上げられていた物は音を立てて床に落ちる。

 

「これ……なんで?」

 

 それは誰の声だったか。もしかすると俺の声だったかもしれない。

 俺の財布から飛び出てきたのは、アイドルたちとの思い出の品。例えばキーホルダーだったりプリクラシールだったり――断言できるが、俺は自分の財布にこんな物を入れていない。

 

 

 甘奈の涙がみんなの涙の呼び水となったように、彼女の困惑もまた波紋のように広がっていく。

 

「これ、うちとプロデューサーで引いたおみくじ」

「私と回した一番くじのハズレ賞だ……」

「凛世が差し上げたキーホルダーも」

 

 身に覚えのある品ばかりが散らばっている。俺が実際に彼女たちから貰ったものばかりだ。どうして――思考が状況に追いつかない。

 

「どうして、貴方さまのお財布から……?」

「それは…………」

 

 凛世に見つめられて、咄嗟に言葉が出なかった。

 心がアイドル達をこれ以上騙すことを拒んだ。

 

 それでも俺は――

 

「兄貴の遺品から良さそうなのを貰ったんだよ。やっぱりアイドルたちからの品だったか。高く売れるかもな」

 

 言い終えると、鋭い視線が幾つか飛んできた。

 これ程明確にアイドルたちから怒りを感じたのは初めてだった。

 

 だが、良い。俺が嫌われる分には構わない。因果応報だ。

 

「――もういいだろう。もうそれ以上は止せ」

 

 俺の自罰的な思考を切り裂いたのは、この場にいる誰のものでもない低音だった。

 

「あ、社長…………お疲れ様です。随分遅かったですね」

「ああ、良いチケットが取れなくてな。香典を中々受け取ってもらえなかったこともあるが……」

 

 はづきさんの声で振り返る。事務所の扉は開いていて、そこに社長が立っていた。

 社長は扉の傍に荷物を置くと、俺の傍に来た。

 

「悪いが少し前から聞かせて貰っていた。もうこれ以上隠すのは無理だろう」

「いや、待ってください。そんな、俺――」

「もう、いい。こうなったのも私の責任だ。悪いのはお前たちじゃない」

「違うんですって……」

 

 社長は俺を同情してか、優しく肩を叩く。

 糸が切れる音がした。体は完全に弛緩してしまい、気づくと床に座り込んでいた。

 

 悪いのは俺だ。間違えたのも俺だ。それなのになぜ、兄も社長も俺に優しくするんだ。

 

 社長は咳を一つ吐き、アイドルたちを見回してこう言った。

 

「君たちにずっと隠していたことがある――」

 

 言わせたくない。言うなら自分の口で伝えるのが筋だ。それなのに、身体は金縛りにあったように動かない。唇を震わせることすらできない。

 その自分の弱さが、情けなくて許せなくて、そしてどうしようもなく嫌いだった。

 

「君たちのプロデューサーが双子だというのはもう知っていると思うが、実は彼らは二人とも君たちのプロデューサーとして働いていた。つまり二人で一人のプロデューサーを演じていたんだ」

 

 社長は深く頭を下げた。




全員喋ったのである程度満足。
でも少し冗長になってしまいましたね……


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4話

ハッピーエンドににするかバッドエンドにするか迷ってました。
たくさんの温かい評価有り難うございます。


 脳裏をよぎるのは数ヶ月前のことだった。

 とある入れ替わりの日、俺の部屋に『共有品』を届けにきた兄はいつになく真剣な顔で聞いてきた。

 

「なあ……お前、本気でプロデューサーをやらないか?」

 

 ドキリと心臓が鳴った。

 

「藪から棒になんだよ。今も本気でやってるって」

「そうじゃない。お前も一人のプロデューサーとして283プロに入社して欲しいんだ」

 

 双子だから、互いがなにを考えているのかなんとなく分かる。兄がそんなことを願っているのは、ずっと前から知っていた。

 

「俺は兄貴みたいに仕事できないから」

「そんなことない。ストレイライトが上手くいってるのは、お前の功績だろ?」

「功績って言われても、あいつらが頑張ってるだけで俺は大したことしてねえよ」

「その理屈なら俺だって大した仕事をしてないさ」

「いや、兄貴はそんなこと――って、とにかく。正式に入社しろなんていきなり言われても直ぐには答えられないっての」

「直ぐには、か。考えてはくれるんだな」

 

 兄は喜色を隠そうともせず言葉に乗せる。思わず顔が紅潮した。

 

「……嬉しそうにすんな、馬鹿」

「ははっ、それ最近アイドルにも言われたよ。じゃあ、また今度な」

「ああ。じゃあな」

 

 そういって颯爽と隣の自宅へ帰る兄貴。

 俺は結局、兄に答えを伝えることができなかった。

 

 

----------

 

 

 思えばあの時素直に頷いていれば――もっと早く決断できていたら、こんな事態にはならなかったのではないか。

 俺は震える膝を押さえてなんとか立ち上がると、社長と同じように頭を下げた。

 

「あの……頭を上げてもらえますか?」

 

 千雪の言葉で社長が元の体勢に戻る。俺も数瞬のためらいのあと頭を上げた。

 何人かのアイドルはもう事情を飲み込んだのか、俺と社長に失望や怒りの混じった視線を浴びせた。悪感情はここに居ない兄にも向いているようだった。

 

 千雪の体から静かな怒りが感じられる。それは自分の為の怒りというより、他の子たちの代わりに怒っているようでもあった。

 

「いつから、二人でプロデューサーをするようになったんですか?」

「それは――」

「六月の半ばくらい、本格的に各ユニットがメディア露出する前あたりだ」

 

 社長の言葉を遮って、事実を伝える。もはや口調も隠す必要がない。

 

「お前……」

 

 社長が俺を心配げな目で見る。だが俺の意を汲んでくれたのか、それ以上はなにも言わなかった。

 

「じゃあ、オーディションやスカウトをしたのも」

「ああ、ストレイライトの三人以外は全員兄貴だ」

 

 千雪の質問に答える内に、他のアイドルたちも事情を理解しだす。

 それでもまだ困惑している者の為に、俺は続けた。

 

「俺と兄貴はお前たちとの些細な会話から約束まで互いに共有して『入れ替わり』を努めていた。事情を知ってる社長だって、その日どちらが出勤しているか分からなかった。だから、俺たちが入れ替わっていたことに気付かなくても無理はない。事情を知らなかったら尚更な」

 

 言い終えると再び頭を下げる。さっきよりも深く。

 

「すまなかった」

 

 こうなった以上、謝るほかない。そんな開き直りにも似た感情で地面を見つめる。さっき風で巻き上げられた彼女たちとの思い出の品が床に散らばっていた。

 

 謝罪の体勢を崩して、拾い集める。

 兄でも俺でもなく『プロデューサー』にくれたものだが、俺にとって大切な思い出だった。

 

 

「…………じゃあさ、私たちを業界一のアイドルにするっていったのも、全部嘘だったんだね」

 

 結花が乾ききった笑みを浮かべてそう告げる。

 

「――っ、それは違う。兄貴は本気でお前たちと向き合ってた」

「じゃあどうして? なんでプロデューサーは別人と入れ替わってたの? なんで私たちに黙ってなんでそんなことしたの?」

 

 それは少女の悲痛な叫び声だった。

 

「そこから先は、私が話す」

「社長……」

「お前が会社に入る前の話だからな。私の方が詳しい」

 

 社長は283プロダクションの当時の状況から静かに語りだした。

 

 

 

 

 始まりは兄と社長の間で業務内容の認識に齟齬があったことだった。プロデューサーとの肩書だが、283プロでの業務内容は一般的なディレクターやマネージャーの仕事も兼任している。

 その事実を知らされる前に、兄はオーディションやスカウトで多くのアイドルを雇ってしまった。

 

 それでも兄は優秀だった。残業続きではあったが、有能な事務員と共にこなして見せた。

 だが、メディア展開にあたって業務が過酷化することは明白で、『師が走る』とまで言われる年末への備えとしても新たな戦力を補充する必要があるのは、兄と社長の共通認識であった。

 

 プロデューサーにしろマネージャーにしろ、雇うなら早い方が良い。忙しくなる前に教育を済ませないといけないし、アイドルたちの信頼関係構築といった意味でもそうだ。

 しかし、二人の眼鏡に叶う人物は中々見つからなかった。

 

『移籍』

 

 どこの事務所へ。何人送るのか。

 そんな最悪な事態を考えざるを得ない状況で白羽の矢が立ったのが、プロデューサーの弟――――つまり俺である。

 

 

 ここからは少し想像が介入するが、兄が俺と一人二役を提案したのは、俺を心配する他に『自分で全てのアイドルを担当したい』という思いもあったのではないか。

 例え一月や二月の間柄とはいえ、自分が見初(みそ)めたアイドルたちを他の者へ渡したいはずがない。

 

 そこで、下衆な思考を止める。

 ――だったらどうなんだ。兄にどんな内心があっても、俺を心配していたのは事実だし、俺がそれで救われたというのも事実だ。余計なことを考える必要なにもない。

 

 

 

 

 最悪、移籍――。

 そんな事実を告げられたアイドルたちは絶句していた。

 

「しかし、彼を雇うには大きな問題があった。それは……」

 

 社長は俺を見て言い淀んだ。変わって俺が答える。

 

「それは――――俺が兄と比べられるのを極端に嫌っていたことだ。幼いころから優秀な兄を持って、なにをしてもどこへ行っても兄貴と比べられる。そんな思いをするのは、死んでも嫌だった」

 

 俺は中学三年の時、兄と比べられるのにうんざりして、髪を染め非行に走り、進学先の高校も変えた。それでも顔は似ているし、『天才の兄と凡人の弟』という評価は、地元にいる限りどこに行ってもついて回った。

 通学中でも、学校でも、実家でも。

 事情を知っている社長が申し訳なさそうに俺を見る。

 

「彼の言葉どおり、彼を雇い二人の社員とするのは不可能だった。それで行きついたのが『入れ替わり』だ。非正規で彼を雇い、兄と弟で一人のプロデューサーとして働いてもらう。私としてはあくまで臨時策だったが、彼が予想以上に優秀だった為プロダクション全体の業務遂行能力は各段にあがり、結果的に人員募集も急ぐ必要がなくなった」

 

 社長は俺に気を遣ったのか『優秀』などと口にする。

 俺は兄の仕事をなぞっていただけで、優秀なんてとんでもない。

 

「君たちに黙っていたのは、決して君たちを信頼していないとか、ないがしろにしていたとかではなく、彼が比べられないようにするためだった。だが、どんな事情を並べようと、君たちに非は全くないし、私たちが騙していたのは紛れもない真実だ。本当にすまなかった」

 

 元はと言えば、俺が何時までも子供のようなことを言っていたのが原因なのに、社長は再び頭を下げた。俺も頭を下げる。

 

 自分と兄の入れ替わりが、こんなにも彼女たちを苦しめる事になるとは思わなかった。

 

 バレなければいい――――そう考えていたわけじゃない。

 だって、今まで本気で入れ替わりをした時、俺たち双子を見抜けた者は居なかった。『もし何でも願いが叶うなら〜』なんて考えるのと同じだ。人によってはそんな絶対に起こらない未来を想像する者もいるがいるが、俺たちはそんな無駄な事をするタイプではない。

 俺たちの入れ替わりは絶対にバレないものだった。今日この時までは。

 今、23歳にしてようやく、俺は入れ替わりの罪深さを感じていた。

 

「本当にすまなかった。赦してもらおうなんて思わない。ただ、償いとして、俺にできることならなんでもするつもりだ」

「おい、どこ行くんだよ?」

「とりあえずお前たちの前から消えるよ。アドレスは生きてるから、金でもなんでも、欲しいものができたら連絡入れてくれ」

 

 肩越しに樹里へ返事をする。

 

「あんた、あたしたちがそんなこと望むと思ってんのかよ!」

「…………分からない」

「あなた……心底見損なったわ。とっとと何処かに行って頂戴」

 

 夏葉の声が脳を揺らす。

 彼女たちから信頼を得られるたび、一喜一憂していた自分を思い出す。あの時の自分は、彼女からこんなことを言われるとは思ってもいなかった。

 

 

「待って!」

「…………どうした?」

 

 

 俺の腕を掴んだのは甘奈だった。

 

「待って、プロデューサー……甘奈の話は終わってないよ」

 

 甘奈を庇うように甜花と千雪が寄り添う。

 

「なんでもって言ったよね。だったら……だったらまた、甘奈のプロデューサーとして仕事して欲しい。また、甘奈たちのプロデューサーとして仕事して欲しい」

「甘奈ちゃん、それは……」

「えへへ……ごめんね、千雪さん。勝手なこと言って。でもね、甘奈、もう限界なんだ」

 

 千雪の言葉が詰まる。他のアイドルたちも同じだ。言いたいことは山ほどあるだろうが、甘奈に口を挟まない。

 それはきっと、ユニット間の壁だとかそういうことではなく、単に甘奈があの交通事故の当事者だからだろう。兄は彼女を庇って死んだ。

 

「――――っ。プ、プロデューサーさん。甜花からもお願いします……!」

 

 甜花が俺の服の裾を掴む。彼女にしては力強い口調だった。

 千雪は躊躇いながらも二人を見守る。

 

 社長が俺の言葉を待つ。

 もし俺が「働きたい」と言えば、多分社長は全力で俺とアイドルの仲を取り持ち、復帰のサポートをしてくれるだろう。

 

 俺もまだプロデューサーとして働きたい。仕事は楽しいし、彼女たちが心配だ。それでも――――

 

 

「悪いが、それはできない」

「え……? ど、どうして……?」

「俺には、お前たちのプロデューサーをする資格がない」

「資格とか、そんなのどうでも良いよ! ただ、そばにいてくれれば」

「尚更無理だ。甘奈、悪いが俺は兄貴じゃないし、兄貴の代わりにお前を罰することだってできない」

 

 縋り付くように見つめる双子を引き剥がす。

 

「ま、待って……プロデューサー、お願い。甜花たち頑張るから、行かないで」

「――――ごめんな」

 

 俺は事務所を出た。今度こそ、誰に止められても振り返らない。

 

 気がつくと走っていた。

 息が切れても、強い逆風を受けても走り続けた。

 

 兄が死んだ悲しみや喪失感。アイドルたちへの後悔や罪悪感。そして自分への嫌悪と非難。頭はパンク寸前だった。

 

 もうなにも考えたくない。もうなにもしたくない。

 なにも見たくないし、なにも聞きたくない。

 

 家に帰った俺は全ての家電の電源を抜き、電子機器の電源を切った。そして胎児のように身を丸めて、布団の中に潜り込む。

 

 目を瞑っても、眠気は一向に訪れなかった。

 

 

----------

 

 

 とあるマンションの5階。地下鉄へのアクセスが良く利便性の高いそのマンションに、最近空き部屋ができた。住民が不幸な事故に遭った為である。

 交通事故――――つまり、部屋の外で起きた事故なので『事故物件』には当たらない。

 とても人気の物件だから、管理会社の社員たちは直ぐに次の住民が決まると思っていた。

 

 が、ある噂の所為で新しい住民はまだ決まっていなかった。それどころか、マンションから引っ越す者が出るほどだ。それもこの一週間で立て続けに2軒も。

 

 噂というのは、交通事故で死んだ住民が幽霊となり、マンションを徘徊しているというチャチなものだ。

 しかし、実際にもう何人も目撃しているらしい。

 

 目撃した同階に住む子供はこう語る。

 「幽霊にあったら鏡を見せろ」と。

 鏡を見せたら幽霊は悲しそうになにかを呟いて502号室に消えるらしい。

 

 それにしてもおかしな噂である。交通事故で死んだ青年は501号室に住んでいたのに、なぜ幽霊が502号室に消えるというのか。

 

 噂の真実にいち早く気がついた管理会社の社員は夜中、件の502号室を訪ねた。昼間に電話しても繋がらなかった為だ。インターフォンを押し用件を告げ――――そして、腰を抜かした。

 

 扉から出てきたのは、死んだ青年と瓜二つの男。それはまだいい、予想通りだ。

 問題なのは、青年の顔だった。まるで血が通ってない青白い顔に、生気が抜けた風貌。そんな男が不気味なほど無表情で立っているのだから。彼が尻餅をつき、その不格好な体勢のまま這うように逃げ出したのも無理はないことだろう。

 

 扉の青年、いや幽霊はその様子を見ても、眉一つ動かさず、ボリボリと首を掻くと部屋の中へ戻っていった。

 

 

 セントエルモの火は今潰えた。彼女たちが――アイドルたちがこの先の荒れる航海をどう乗り越えていくのか、それはまた別の話だ。




 
 
 
 本編終了です。ここまで読んでくださりありがとうございました。
 評価や感想、大変励みになりました。
 一応後日談でハッピーエンドにするつもりです。


 また蛇足ですが、簡単な人物背景を残しておきます。
 本来なら本文中に上手く入れるべきことですが、自信がなかったので止めました。読まなくて結構ですが、設定が気になる方は読んでみてください。













本作の元凶1。
妻に母との同居を懇願した負い目があり強く出られない。
家庭では妻と母親のどちらの肩も持つことが出来なかった小心者。
妻を恐れ、わざと出張や残業を増やし、まともに家に帰らなかった。
その過程で出張先に愛人が一人できたが、息子の死を契機に関係を切る。
 

本作の元凶2。
高飛車で高慢な性格。自尊心が高く自分の思い通りに物事が進まないと気が済まない。その性格のせいで頼れる友人や親族が居ない。
双子が小学生になるまでは殆どの育児を義母に任せ、外へ遊びに出る日々。
だが、双子が自分より義母に懐いていることへ危機感を覚え、夜遊びを止める。
育児はテレビや雑誌で聞きかじったものを試しては変えるのを繰り返す。その頃から、どんなでたらめな方法でも結果を残す兄の方を可愛がる傾向があった。

出産、育児(二人分)、義母との対立で溜まったストレスは、夫の不倫発覚で爆発。それでも夫を愛していた為、捌け口は義母、引いては義母によく懐いていた双子の弟へ向くことになる。
若い頃の美貌は霞み、唯一の誇りであった「超有名大学卒業の息子」を失い、更年期のホルモンバランスの乱れも相まって精神病発症。が、そのお陰で夫と和解する。
 
祖母
双子が中学2年生の時に他界。家事を放り出す「息子の嫁」に代わって、幼稚園時代までの育児はほぼ彼女一人で担っていた。
小学校入学を契機に育児を始めた「息子の嫁」に立場を譲り、善意から色々と育児のアドバイスをする。だが、姑嫌いだった彼女には全く受け入れられず、逆効果だった。
双子を深く愛していた。双子の入れ替わりに唯一気づけた人だったが、子供の遊びだと責めることはしなかった。
 

双子の兄。なにをさせても期待以上の成果を出す。
大きな挫折を経験したことがない為、失敗する人の気持ちを理解できても、本当の意味で寄り添うことはできない。
生まれた時から愛情が不足していた彼にとって、弟は誰よりも大切な家族であり、半身である。
弟に対しては「お前のものは俺のもの、俺のものは君のもの」精神であり、極端な話恋人が弟と関係を持っていたとしても怒らない。少し異常な精神性。
 
そんな彼が人生で唯一後悔しているのも、やはり弟のこと。
中学生後期、少しづつ歪む弟に気づき「自分の能力を抑えること」を覚えた。だが、そのことを母が酷く悲しみ、母の期待や愛に飢えていた彼は、自分を抑えることを止めた。つまり、母と弟を天秤にかけて母を選んだ。
弟が非行に走ったのも大学に行けなかったのも全て自分の所為と考えており、東京の大学に在学中も、弟の為に色々尽くしていた。


双子の弟。本作の主人公。
自分のことを非才と自称するが、むしろ秀才の部類。だが、彼の比較対象は常に「天才である兄」の為、自分に求めるハードルが非常に高い。
負けず嫌いの性格で、中学時代まではなにくそと兄に食らいついていた為、二人の差はあまりなかった。だが、中学時代のとある事件で完全に心が折れて努力を止める。
高校の進学先を兄と変え、髪型も大胆に変えた。
それでも顔は似ているし、兄が市内でも(部活動で)有名な人物だった為、比較は何処にいてもついて回り彼を苦しめた。
 
祖母が他界し、彼にとって心の拠り所は兄だけとなる。
兄が大好きだが、兄と比べられるのは大嫌いというジレンマを抱えており、それは高校を卒業して体一つで飛び出した先が『東京』というところにも現れている(兄の進学先も東京)。


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St. Elmo's fire
Wandering Dream Chaser


後日談1です。人称注意です。


 二人のプロデューサーが居なくなった283プロは、新規の仕事は受けられず、現在進行中の仕事もいくつか辞退せざるを得ない状況だった。社長が身を粉にして働いているが、16人全員の面倒を見るのは容易ではない。

 

 そんな283プロの事務所で言い争う少女たちが居た。

 

「ダメだっての! 何度言ったら分かんのよ!」

「なんでっすか! わたしが行くんだから勝手じゃないっすか!」

「仮にもリーダーなんだから、あんたが行くとユニットの総意ってことになんのよ!」

 

 セルフレッスンから上がったストレイライトのメンバー。

 元プロデューサーの家へ行こうとするあさひを、冬優子が止めていた。

 

「だいたい、なんで行っちゃダメなんすか!」

「だから散々説明したでしょ! あいつはふゆたちのことを騙してたの。そんな奴を連れ戻しに行くなんて認めるわけないでしょ」

「騙してたって……そもそもわたしたちは他のみんなと違って、プロデューサーが両方とも働きはじめた後に入ってるから事情が違うっす」

 

 あさひは『あの場』に居なかったが、既に愛衣から細かな事情まで聞いていた。

 プロデューサーたちが入れ替わりを始めたのは六月。ストレイライトが加入する前なので、あさひの言い分も一理あるかもしれない。

 

「それはそうだけど、それでもふゆたちを騙してたのは事実でしょうが」

「そんなの冬優子ちゃんの態度の違いと一緒っす」

「あんたねぇ……!」

 

 冬優子の眉間にしわが寄る。

 あさひの物言いには悪気はない。悪気はないだけに腹立たしい。

 

「まあまあ、ちょっと落ち着いてさ〜とりあえず、あさひちゃんも冬優子ちゃんも一回座ろ?」

 

 そこで、今まで二人の間でレフェリーのように立っていた愛衣が口を挟む。ナイスセーブだった。

 

「……嫌っす。わたしはプロデューサーさんの家に行くっす」

「あんたまだそんなこと……!」

「まあまあ、ほら座って座って」

 

 愛衣は半ば強引に二人をソファに座らせる。

 

「んで、あさひちゃんはどーして突然プロデューサーの家に行こうと思ったわけ?」

 

 愛衣が気になっていたのはそこだった。

 あさひが突発的な行動を取るのは今に始まったことじゃないが、こうまで頑ななのは珍しい。

 

「………………最近、みんな辛そうっす。わたしも仕事してもなんか詰まらないし……でも、プロデューサーさんが戻れば、きっと前みたいに面白くなるって思ったんすよ」

「あさひちゃん…………」

 

 あさひが自分の為でなく、ユニット(ふゆたち)のことを思って行動しようとした。

 その事実を知り、冬優子の怒りも収まっていく。それどころか、罪悪感さえ湧いてきて、冬優子は拗ねたようにあさひから目を逸らした。

 

「あいつはふゆたちに嘘ついてたのよ。そんな奴を戻すなんてありえない」

「嘘ってどんな嘘つかれたんすか?」

「決まってるじゃない。あいつが双子だったことよ」

「他には?」

「他? 自分を偽っていたんだから、全部よ。あいつはプロデューサーを演じていたの。だから、ふゆに才能があるとか言ったのも、世界一になれるとか言ったのも全部嘘だったの」

「わたしは、プロデューサーさんの言葉が嘘だったとは思えないっす」

 

 あさひは真っすぐな言葉と共に冬優子を見つめた。

 

「………………まぁ、百歩譲って言葉が本心だったとしても、今ここに居ないってのはそういうことよ。あいつはふゆたちを捨てたの」

「それはみんながプロデューサーさんを傷つけたからじゃないっすか!」

「はぁ? 傷つけられたのはこっちだっての!」

「ち、ちょっと、落ち着いてってば! ほら座って座って」

 

 立ち上がろうとする冬優子の腰を愛衣が掴む。

 そうなると冬優子の怒りは今まで曖昧な相槌しかしなかった愛衣にも向く。

 

「あんたも黙ってないでなんか言いなさいよ」

「うち? うーん……うちはさ、正直あさひちゃんの気持ちも分かるんだ」

「は? あん――」

「あ、もちろん冬優子ちゃんの言い分もわかるよ? でも、あさひちゃんはあの時居なかったわけだし、会うなって言われても納得いかないんじゃないかな。だからプロデューサーを復帰させるとかはともかく、あさひちゃんが会いに行くのには賛成」

 

 愛衣はそこまで言って、冬優子の言葉を待つ。三人ユニットなので二人が賛成なら多数決で意見を押すこともできるが、それをしない。

 

「…………あーもう、本っ当頭にくる!」

 

 冬優子はソファから立ち上がる。

 

「どこ行くの?」

「決まってんじゃない、あいつの家よ。一言いってやんないと気が済まない。ほら、一緒に行くんだったらさっさと行くわよ」

「冬優子ちゃん……!」

 

 ぱぁぁっと愛衣の目が輝く。冬優子は照れくさそうに顔を晒し、コートを取ると先に事務所を出た。直ぐに二人も追いかける。

 そして暫く三人で歩いて、誰もプロデューサーの家を知らないという事実に頭を抱えた。

 

 

 ◯

 

 

 ここは某マンション502号室。ベッドの上には無精髭を生やした青年が一人。枕のそばにはフケが薄く積もる。

 青年は目をつぶって横になっている。寝てもないのに、ピクリとも動かない。動物園のナマケモノの方がまだ体を動かす。

 彼はこの一週間、買い物に行った一度を除いて、トイレ以外はずっとベッドの上で過ごしていた。冷蔵庫の微かな低音すら響く暗室で、彼はただ呼吸を続ける。まるで天敵に睨まれた小動物のようでもあった。

 

 ふいに、ノックが鳴る。部屋にその音が鳴るのは、数日前に管理会社の社員が来て以来だった。

 青年のまぶたが開く。しかし、体は一向に動かない。

 

(セールス……? いや、マンションに入って来れないよな。だったら誰だ? まあ……無視してればその内消えるか……)

 

 青年のまぶたが再び閉じる。

 扉を叩く音は大きくなり、次第にドアを蹴る音さえ聞こえてきた。

 

(……どこの馬鹿だ。警察を呼ばれても文句は言えないぞ)

 

 とはいえ、青年に警察を呼ぶ気など全くない。面倒はごめんだった。

 彼はそのまま狸寝入りを続けた。しかし、音は一向に鳴り止まない。

 やがてノックのリズムが、どこぞの配管工のメインテーマやら三三七拍子やらに変わったり、ついに青年が折れた。

 

 インターフォンの電源は切ってあるので、誰が来たか確かめるには直接玄関に出向くしかない。

 彼はふらつきながら玄関へ向かい、扉を開けた。

 

「はい……」

 

 青年が相手を確かめるより早く、西日が彼の視力を襲う。視界は一瞬で乳白色に染まった。なにしろ遮光カーテンで光を絶たれた空間に何日もいたのだ。今の彼はお伽話でいう吸血鬼。太陽を浴びたら目が焦げる。

 

「うっ……」

「あははっ! プロデューサーさん、カブトムシと同じ匂いがするっす!」

 

 青年にとって聞き覚えるのある声。

 目を押さえた指の隙間から少しだけ外を覗く。そしていよいよ自分はおかしくなったのだと自嘲した。

 立っていたのはストレイライトの三人組。兄を除くと、彼が最も会いたいと思う相手であり、最も会いたくないと思う相手でもあった。

 

「ちょっと……なに無視してんのよ」

「……どうせ幻覚だろうが、どうしてお前らがここに居る?」

「別に。あんたに一言いってやろうと思っただけ。入るわよ」

 

 青年が答える前に、冬優子たちは脇を抜けて部屋に入る。

 彼も慌てて後を追う。

 

「うわ、くっさ……! あさひ、今すぐそこの窓開けなさい」

「わかったっす!」

 

 あさひは床に散らばるゴミの間をひょいひょいっと抜けると、窓をガラリと開けた。久方ぶりの喚起。ぶわっと入った風がカーテンを揺らす。意外なほど冷たい風。季節はすっかり秋だった。

 

「なあ、お前ら……もしかして本物?」

「え〜? うちらのこと偽物だと思ってたの〜?」

「いや、あんなに怒ってたし、お前らが俺の家に来るわけないだろ。それに、家の場所を教えた覚えもないし」

「あはは、怒らせたって自覚はあるんだ」

 

 青年の耄碌した頭でも、いよいよこの状況を現実と疑り始めた。

 少女の香水や、風に舞う埃まで再現される夢など今まで見たことがないからだ。

 

「ちょっと愛衣! あんたもこのゴミ拾うの手伝いなさい! それとあんたは今すぐシャワー浴びること! このままじゃまともに話もできないわ」

「は〜い。じゃあ後でね」

 

 青年は愛衣に背中を押されてバスルームに向かう。

 そして流されるままシャワーを浴びる。こびりついた垢が、少しだけ落ちた。

 

 

 ◯

 

 

 テーブルを挟んで青年と少女たちが向き合う。テーブルの上には湯飲みやマグカップが合わせて4つ並ぶ。彼のはすっかり温くなっていた。

 リビングは短時間で見違えるほど――――とまではいかないが、ある程度綺麗になった。特有の異臭も換気で大分薄らいだ。

 

 青年の喉はカラカラに乾いている。青年にとって目の前のお茶は喉から手が出るほど欲しい。だが、体は正座のまま1ミリも動かせなかった。

 

「プロデューサーさん。飲まないなら貰っていいっすか?」

 

 あさひは青年が頷くのを確認して、湯飲みに手をつける。

 

「愛衣ちゃんの入れたお茶おいしいっす!」

「でしょ〜? まあ普通に入れただけだけどね。おかわり入れようか?」

「いや、もういらないっす」

 

 呑気な二人の掛け合いを楽しむ余裕もなく、青年は冬優子から感じる圧に耐えていた。

 

「あんたに、聞きたいことがあるの」

 

 冬優子は至極真剣な顔で切り出した。

 

「なんだ?」

「あんた前に『ストレイライトの三人以外は兄貴がスカウトした』とか言ったわよね。その口ぶりだとふゆたちは違うみたいだけど、どうなの?」

「…………ああ、お前たち三人は俺がスカウトした。二人で働くようになって大分仕事に余裕が生まれたから、兄貴が新しいアイドルを増やそうって」

 

 それは彼がプロデューサーとして独り立ちする時のためにと、彼の兄と社長が考えた策なのだが、彼が知る由はない。

 

「なんでふゆたちをスカウトしたの?」

「それは、スカウトした時に言っただろ」

「ふゆは『あんた』の言葉が聞きたいの」

「『ティン』と来たんだよ。お前らなら、きっと沢山の人を幸せにできるアイドルになれるってさ」

 

 青年の言葉を受けて、冬優子と愛衣は少しだけ嬉しそうにした。

 

「お前ら、それを聞くためだけにここまで来たのか?」

「違うわ。あんたをスカウトしに来たの」

 

 冬優子の宣言に愛衣は驚く。

 事務所であれだけ罵っていたのに、どんな心境の変化なのか。それともはじめからそんな考えだったのか、計りかねた。

 

 

「ふゆはあんたを許すつもりなんてない。ただ――――あんたがまだ本気でふゆたちのことをトップアイドルにしたいと思っているなら、もう一回だけチャンスを上げてもいいわ」

 

 

 長い沈黙。青年は冬優子の一言一句を頭の中で反芻する。

 答えは決まっていた。その答えは、あの日から何一つ変っていなかった。

 

 

「俺は…………俺には、無理だ。俺にはお前たちを導いていく自身も実力もない」

 

 

 もし、失敗したら。

 彼の中に兄の幻影がある以上、頷けるわけがなかった。

 

「そんなのっ、うちらも一緒だよ! うちらだって、どこまで行けるか分からない! でもっ」

「もういい、愛衣。もういいわ」

 

 冬優子が愛衣にそれ以上言わせない。

 立ち上がって、自分の使っていたコップを流しへ運ぶ。

 

「ふゆたちは同じ場所で足踏みしてる暇なんてないの。こんな奴と一緒に先に行けるはずがない。行くわよ」

「ちょっと、冬優子ちゃん!」

 

 冬優子はそのまま玄関へ向かう。しかし、なにかを思い出したのか、肩越しに振り返った。

 

「……ねぇ、プロデューサー」

「なんだ?」

「今まで、ありがと」

 

 それを最後に部屋を出る。愛衣は青年と冬優子が居た場所をちらちらと視線を移した後、冬優子の後を追った。

 なぜか、あさひだけは部屋に残っていた。

 

「お前は行かなくていいのか?」

「…………プロデューサーさんは、本当にいいんすか?」

「どういう意味だ? って、おい!」

 

 青年に返事を返さないで、あさひは玄関に消える。そして呟く。

 

「わたしは……プロデューサーさんが居ないと寂しいっす」

 

 そういうと、さっさと出て行ってしまった。

 

 

 〇

 

 

 今度リビングに残ったのは青年だけ。耐え難い静寂が彼を襲う。

 

「なんだよ、本当にいいのかだって……?」

 

 そもそも青年は入れ替わりがバレた時点で、覚悟は決まっていた。

 

(もし戻っても、あいつらは失望する。外見が同じでも、中身は出来そこないだ)

 

 心臓が鳴る。

 

(あいつらの才能は本物だ。俺が居なくても、いずれトップアイドルとして活躍する)

 

 心臓が鳴る。

 

(それで平気かって? なんでそんなこと考える必要がある)

 

 ――――心臓が鳴った。

 

 三度心臓が鳴り、青年はようやく気付いた。自分が『兄や彼女たちの気持ち』を何一つ考えていなかったことに。

 

 プロデューサーを失い混乱する事務所。トップアイドルを目指す彼女たちが羅針盤を無くして、どんな気持ちなのか。地方から出てきて、信頼できる者が少ない少女が、どんな感情でいるのか。死んだ兄が今なにを望んでいるのか。

 

 そして、自分の夢はなんだったのか思い出した。

 それは彼女たちと共に、トップアイドル、その先の景色を――――。

 

 

 封じ込めていた疑問の答えがようやく見つかった時、彼はいてもたっても居られなくなっていた。

 

(あいつらを追いかけないと!)

 

 青年は玄関まで走る。手が震えて上手く靴を履けない。

 

(クソ! この期に及んで、まだ怖がってるのかよっ!)

 

 革靴の踵を強引に履きつぶし、あさひたちを追いかけた。

 彼女たちは丁度エレベーターの中へ消えていく。

 

(――――クソッ!)

 

 彼は非常用階段の扉を開けた。

 一段二段と飛ばして階段を駆け降りる。途中、転げて背中をぶつけた。痺れるような痛みが全身を巡る。きっと痣になるだろう。それでも彼は階段を走り続けた。

 彼は今を逃すと、彼女たちの手を取ることは、並び立つことは永遠にできないと知っていた。

 

 走って、転んで、ぶつかって――――。

 やっとの思いで一階まで降りた青年は、エレベーターに駆け寄った。

 

 エレベーターは上昇(・・)していた。

 青年は慌てて周囲を見渡す。マンションの出口、その奥に三つの小さな背中があった。

 

「…………まっ、がっ!」

 

 上手く声が出ない。

 エントランスに居た他の居住者は何事だと目を疑う。

 青年のズボンは膝が破け、肘からは血が流れている。只事でない。

 

 

 彼は出口に走った。そして力の限り叫んだ。

 

「――――待ってくれ!」

 

 少女たちは揃って振り返った。

 

 

 

 〇

 

 

 ここは283プロダクション。

 最近、新しいプロデューサーが入った。以前勤めていたプロデューサーの双子の弟である。

 まだ着任して数日だが業界での評判は上々で、以前のプロデューサーと同じか、むしろそれ以上だと噂する者も居る。

 

 だが、青年は周囲からの批評をあまり気にしていなかった。

 兄と比較されるのを光栄だと感じられるようになったし、少女たちをトップアイドルにすることが彼の夢で、それは兄やアイドルたちへの恩返しに繋がると気付いたからだ。

 

 頭にキノコが生えるほど陰鬱としていた青年は、担当アイドルの手によって立ち直った。むしろ以前のプロデューサーよりも少しだけ明るくなったかもしれない。今はストレイライト三人の担当だが、いずれ他のアイドルたちから許しを得られる日も来るかもしれない。

 

 

「これ、今度の週末の仕事。目を通しておいてくれ」

「仕事って……はぁ!? 水着!? このくっそ寒いのに水着なんて着てらんないわよ!」

「ははっ、でもまあ、これを見たら考えが変わるぞ」

 

 プロデューサーは文句を垂れる冬優子に、懐からじれったい動作で大手航空会社のロゴ入り封筒を取り出した。

 

「――っ! それ飛行機のチケット? まさか……ハワイ!?」

「えぇー! プロデューサーやるじゃん太っ腹! うちハワイとか初めて、めっちゃあがる!」

「ハワイってなんすか! わたしたち行けるんすか!?」

 

 彼は慌てて少女たちを制する。

 

「待て待て、ハワイじゃない。冬優子、ハードルを上げるな」

「だったら何処よ。グアム? サイパン?」

「アホか! 海外なんて簡単に用意できるか! 第一パスポートすらないだろう。行き先は沖縄だよ、沖縄。これでも色々調整に苦労したんだ」

 

 沖縄。日本に住んでいるものにとって最南端の土地であり、憧れるものも少なくないが、ハワイグアムと並べられると肩身が狭い。

 

「沖縄か……ちっ、しけてるわね」

「はいはいハワイじゃなくて悪うございました。でも、飛行機はファーストクラスだし泊まるホテルは五つ星だぞ? 日程は二泊三日だが撮影は一日だけで終わるから後はオフだ。沖縄は良いぞ? 本州とは大違いだ。海も空も空気も」

 

 行ったこともないのにプロデューサーは得意に語る。口上は旅行雑誌の丸パクリである。

 プロデューサーは航空券を冬優子に握らせた。ちなみに航空券やホテル代の多くは彼のポケットから出ている。この旅程は彼からの『お詫び』と『感謝』が込められていた。

 

「ほらチケット。帰りの分もある。ホテルの情報はメールで送るから、お前がまとめ役で頼むぞ」

「なに? あんたはついてこないわけ?」

「デスクワークが山ほど溜まってるんだよ。お前らが居ない間は缶詰だ」

「ふゆたちに全部任せるつもり? あさひの家の許可は?」

「もう貰ってる。撮影も何回か仕事したスタッフたちだから問題ない。どうだ? 行ってくれるよな」

「…………分かったわ。ただし、条件を一つ呑みなさい」

「条件?」

 

 冬優子の言葉にプロデューサーは首を傾げる。あさひと愛衣も同じだった。

 

「チケットをもう一枚用意して。それと、あんたの水着もよ」

「はぁ? おい、お前の耳は節穴か? 俺はデスクワークがあるんだっての」

「そんなのパソコンさえあればどこでもできるでしょ。それとも…………プロデューサーさんがふゆたちに言った『お前たちのために、人生を使わせてくれ』って言葉は嘘だったんですか? ふゆ悲しいです。プロデューサーさんに『また』嘘つかれていたなんて」

 

 ここぞとばかりに冬優子は『双子』の件を引き合いに出す。恐らく彼は当面アイドルたちに逆らえない。

 

「――――くっ! ああ分かったよ。俺も付いて行けばいいんだろ? その代わり、俺の仕事の邪魔すんなよ!」

「そんなの知らないわ。あんたが集中すればいいだけじゃない」

「お前っ! 言うに事欠いて…………!」

 

 言い争うプロデューサーと冬優子。

 

「沖縄かぁ。ハワイじゃないのは残念だけど、結構楽しみかも。友達に自慢しよ~」

「沖縄ってなにがあるっすかね?」

「えっと、シーサーとか?」

「…………面白そうっす!」

 

 愛衣とあさひは既に観光気分だった。

 

「ギャー! てめぇ背中叩くなっ、そこまだ青アザが――って、うわっ! あ、あさひ? 青アザって言ってんのに背中に飛び乗るな! おい、待て待て待て! アザを押すなアザを! そこはスイッチじゃない!」

 

 ぎゃーぎゃーと叫ぶ声は事務所の外まで響く。最近の283プロダクションには無かった活気だった。

 歩道を歩く少女――放課後クライマックスガールズの少女たちは、頭上の事務所を見上げた。

 

「なんか…………楽しそうだな」

 

 樹里が無意識に呟いた言葉は、彼女たちの心を大きく揺さぶった。

 

 

 ――――次回『よりみちサンセット』

 




あれ、冬優子しか喋ってない……?
そう言えば表現力がない人は、文中に「…」とか「―」を多用するらしいですね。すいません……。


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