モンスターハンター 4~4G設定の長編 (紙粘土)
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0話

…………さん

……ツバキさん

 

 

呼ぶ声に彼女は目を開けた。

 

空はまだ暗い。波の音が騒々しかったが、それより風の方が強さが気になった。彼女が瞳を薄っすら開ける。

 

 

「すみませんね、お休みのところ」

 

クルーの一人がそう言った。いいや、と彼女は首を振る。

 

「凄い霧だ……。これだけ強風なのに、霧が散らないなんて」

 

甲板から見渡す景色にふと彼女はため息をつく。潮風が鼻先をくすぐった。吹き抜ける風は冷たくて、だのに生暖かい感触がする。海に生きるクルー達にはむしろ馴染みあるものなのか。それに不思議そうな顔をするのは彼女一人だ。

 

 

海は闇色だった。切り立った岩が水面から突き出している。その合間を縫うように、いくつも焼け焦げた船の慣れ果てが浮いていた。

折れたマストや穴だらけの船首が見える。火薬の匂いが漂ってくる。彼女をゆすり起こしたクルーの男が、「全部あいつにやられたんだ」と囁いた。

 

自分を起こしたということは、その「あいつ」が観測されたのか。彼女は問うた。背の武器はヘビィボウガンだった。幼い頃から、同じくヘビィを背負った父を目指して担いだ武器だ。

 

「いや、まだだ」

 

答えたのは別の男だ。振り返れば声の主────彼女の雇い主であり、この船の船長を務める男がそこにいる。

男は犯罪者だった。海賊とも呼ばれてる。船の上の荒くれ者は、野蛮で粗暴な男共のボスであり、今日まで戦いに明け暮れた者特有の覇気を纏ってる。彼女は海賊は好きではなかった。だがそれでも、目的のために契約したのだ。

 

「俺が、起こすように言った。〝あいつ〟は……観測されてからじゃ手遅れなことのが多い」

 

彼女が契約を結んだ理由は、シンプルに目的の一致であった。彼女も海賊たちも、〝あいつ〟を追って海に出た。

 

「大した女だ。この船に乗って身投げしなかったのはあんただけだよ。さすがハンター殿だ」

 

皮肉でなく素直な賞賛のつもりの言葉は、それでも嫌味を孕んで聞こえた。

 

「……どうも。でも、〝ハンター殿〟って呼び方は好きじゃない」

 

彼女は遠い目をする。海は、霧が濃すぎて遠くが見えない。前を行く仲間のもう一隻すら、霧のせいで疎らなシルエットを残すのみだ。

 

「ああ、そうかい。ところでいい夢でも見てたのか」

 

「……なんで」

 

「起きた時、あんたが暗い顔だったからさ。夢から覚めたのを、惜しむこともある」

 

あの夢の中にいたかった。あの夢の方が現実だったら良かったのに。そんな夢を、見たことは誰しもあるものだ。

彼女は小さく頷いた。

 

「……昔の夢を」

 

クルー達が大砲の弾を運んでる。バリスタの準備も整っている。戦闘が近い証であった。もういつ戦闘が始まってもいいように、皆々武器を磨いてる。

 

「仲間と出会った頃の夢だ。みんなで幸せだった頃の」

 

どうしてこんなに、運命が捻じ曲がってしまったのか。最初のきっかけはなんだったのか。

彼女は死んでしまった仲間を思い、消えてしまった仲間を思い、憎しみに我が身を焼いた仲間を思った。

皆々自慢の武器を持ち、共にたくさんの狩猟をしてきた。その先の未来がこんなだなんて……わかっていたら、違う道を選べたはずだ。少なくともあの朝、たった一人で挑まんとしたあの人を行かせはしなかったのに。

 

 

やがてクルーの一人が叫んだ。

 

 

「来たぞ、〝あいつ〟だ、黒いリオレウスだ!」

 

飛来音が耳をつく。彼女はバラバラになった仲間を思い、その大仰な銃を空に構える。

 

〝殺されるなら、お前がいい……〟

かつての仲間の言葉を思い出す。指がトリガーに触れている。飛来音が近付いてくる。唇が、声に出さずに仲間の名前を口にした。

 

 

彼女の瞳は、この悲しい今に至る過去を逡巡していた。

 

 

 



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1話

第一章 邂逅篇


その日彼女は化け鮫の上ヒレが欲しかった。

G級許可証を得て最低限の装備を揃えたが、いかんせん資金不足で鎧玉を使い切れない。そんな折りに舞い込んだ依頼は上位レベルの簡単なもので、それでいて報酬は割に合わない高額だった。

こんな美味い話もあるまいと、久方ぶりにバルバレへと足を運ぶ。相変わらず雑多なほど賑わっていて、街も集会場も騒々しい、バルバレはそんな明るい街だった。

 

 

「ザボアザギルは観測されてない?討伐依頼があればついでに請け負う」

 

そうカウンターに尋ねれば、周囲の狩人は背負った武器に目を見張った。彼女の武器は許可証無しには入れない地域に生息する、G級モンスターの素材で作られたものだからだ。バルバレ集会場は上位までのクエストしか受け付けていない。それゆえ彼女は目立つのだ。

 

「二頭討伐なら、流通業者様より依頼があります。生死は問いません」

 

「じゃあそれでいい」

 

たった一言イエスと言うだけで、手続きは瞬く間に完了する。書類に判子、報酬の確認、便宜上受注されたそれはクエストボードに貼り付けられるが、彼女に同行者を募集するつもりはなかった。

ショップで弾丸を購入し、後は腹拵えを済ますだけ。好みの食材を言いつけて席に着く。クエストカウンターが騒々しくなったのは、ちょうどそんな時である。

 

「どういうことだ、 何故許可証を出さない」

 

声こそ荒げないものの、怒りを孕む男の声が聞こえてきたのだ。

彼女はすぐに察した。ああ、ウカムルバスだろうか。G級とそれ以下を隔てる狭き門だ。ウカムルバスの顎を破り証拠に素材を持ち帰ればG級許可証を貰える決まりだが、あの男はどういう訳か発行許可が下りないらしい。そんな例外もあるものかと、彼女は男へ視線を移す。

そこで、呼吸が一瞬止まってしまった。驚きのためだ。

 

「天鎧玉……?」

 

見間違いかと数度まばたきを繰り返す。だが間違いなく男の胴や腰、兜から小手に至るまで、天鎧玉による強化が施されているではないか。独特の輝きを放つため、そうと見ればまず間違いない。

天鎧玉はG級ハンターでもかなりの手練れでないと入手できない強化素材だ。それを、どうしてあの男が持てるというのか。市場に流通はしてないはずだ。だのに、まだ許可証すら持っていない、上位に過ぎ男が装備の強化に使えるなどとは。驚愕のあまり骨付き肉を手に持ったままフリーズしてると、男とばっちり目が合った。

彼が彼女に目を止めたのは、バルバレには滅多に見ないG級ハンターだからという理由だろうか。

 

 

「……お前、G級なのか」

 

ズカズカ歩み寄り、断りもなく男はテーブルの向かい側に腰掛ける。粗暴に見えて、何故か所作には品があった。存外良いところの育ちなのかもしれない。

 

男の髪は赤みの差す茶で、光の加減で真紅に見える。鋭い目は切れ長で、真っ直ぐな鼻筋と薄ら笑いを浮かべた唇。どこか人を見下すように尊大で、恐ろしく端正な面立ちだった。

 

「G級でもここに来るとはな。初めて見たが」

 

「……たまたまだ」

 

 

鼻持ちならない態度もそうだが、どこか品定めするような視線も気に食わない。大体、いくら彼女がG級でも許可証を発行できるのは協会だけだ。睨まれる筋合いもなければ意味もない。足蹴にしてやろうかと考えた。が、それより先に驚愕で開口することになる。

 

「……ちょっと!何してる!」

 

「なんだ、わからないのか。お前の受注したクエストだろう」

 

男は言いながらヒラヒラとクエストボードの羊皮紙を摘まむ。さっさとカウンターに持って行き、彼女の許可もなく同行手続きを踏み出したのだ。

 

男はクエスト受注者欄を眺めて言った。

 

「ツバキ?男のような音の名前だ」

 

「私の地元では女の名前だ。あんたなんなんだ、同行者なんかいらない」

 

「いや、見せてくれ。G級の実力とやらが知りたい」

 

有無を言わさずそう決め付けて、判子が羊皮紙に落とされた。泣きたいくらいにシンプルなのだ、クエストの受注も、同行手続きも。

こうして数秒で彼は一時的な仲間となり、マイペースに食事を頼む。だがどうにもトラブルメイカーな気配のこの男を、連れて歩こうとは思えなかった。

彼女は食事の速度を更に早める。さっさと腹を満たして、置いてきぼりにするために。

 

 

「アドルフ・ダラハイドだ。無駄をするな、俺だって早食いは好まないが苦手でもない」

 

 

そう悠々と自らの大剣の刃を撫でて、男は不敵な笑みを零した。

 

 

 

…………

 

 

 

飛行船は高度三千メートルを維持し、順調に氷海へ向かっていた。

出発より早二日、もう一時間ほどで目標地点に到達するだろう。これより徐々に高度は低下し、簡易パラシュートで飛び降りる。下位クエストとは異なり、その危険度からベースキャンプに着陸することが出来ないためだ。

簡易パラシュートは直後に自動的で落下傘が開く。最大の利点はワイヤーにより飛行船がパラシュートを回収出来ることと、重厚なハンターの鎧の重みに耐えられることだろう。反面、短所は降下順や各々の体重、その日の気候により落下地点が異なってしまうことなどが挙げられる。そのため複数でクエストに挑む場合、メンバーはバラバラの地点から合流しなければならない。

 

 

「ベースキャンプをなるべく目指すけど今日は風が強い。落下地点がキャンプから遠い場合サインして。その場合は中央の雪原に待ち合わせ場所を変更する」

 

「……なんだ、サイン?」

 

あまりに初歩的な質問に、彼女は目眩を覚えた。まがいなりにもハンターランクは解放後であるのに、サインの出し方も知らないなど信じ難い。

 

「これ。猫笛とも言う。ここ吹けばサインが出せる、使ったことなかったの?」

 

「……ないな。これか。へぇ……」

 

面白そうに彼が、笛によく似たそれを鳴らした。なんの変哲もない。彩鳥の鳴き袋を応用したそれは、一定範囲内にいる仲間へサインを送るためのアイテムだった。アイルーへの指示にも使われるため猫笛と呼ぶこともある。

彼の音波を受信した彼女の笛が、単調な音とともに振動する。

 

「……ただ音が鳴るだけのようだが」

 

「そう、鳴るだけ。だから予めサインを決める。よくあるのは、大型モンスターを発見したらサインを出すというもの。内蔵された鈴の振動具合から、サインを出した者の居場所も大まかにわかるから、それを目印に合流することもある」

 

まるで初心者に説明するような気分であった。少なくともランクG級目前の彼に、このような話は不要でないのか。今日までソロだけで来たのか、あるいは世程の無知なのか。

なんだってこんなことになったのか、とんでもない相棒を作ってしまったと、この二日間に彼女ら何度後悔したのかわからない。

 

 

「……ダラハイド、あんた本当にウカムと戦ったの?」

 

アドルフ・ダラハイド。その長ったらしい名前ゆえに、彼女は彼をダラハイドと呼ぶ。 

 

「そう言ったろう。ギルドカードも見せたはずだが」

 

「じゃあなんでサインも知らないの……」

 

確かに、彼のギルドカードにはウカムルバス撃退の記録が追加されてた。にも関わらず、G級許可証の発行を拒まれた。更に不可解なのは上位でありながら天鎧玉をふんだんに使った装備品の数々だ。

古龍と同等の実力ある崩竜の顎を割るほどの腕を持ち、しかしサインも知らない。アンバランスな彼の印象は、この二日間で更に奇妙さを増している。

 

「ツバキ、先に行け。お前の落下地点に合わせる」

 

「そんなこと出来るの?」

 

「さあ?やったことはないが、存外上手く行くものだ」

 

 

彼の言葉は節々で貴族や王族を思わせる。この品の良さがどうにも慣れない。 

 

「サインさえ忘れないならそれでいい。あんたは気に食わないけど、同行者に死なれるのは気分悪い」

 

「冷めた顔して情に熱い。じゃあ一つ頼みたい」

 

「……なに」

 

「ホットドリンク忘れたんだ」

 

「……」

 

ハンターはその強さは勿論だが、同等に下準備にも重きを置く。アイテムが有るのと無いのではそれだけ狩猟に差が開くのだ。まして初歩中の初歩であるホットドリンクを忘れるなど論外でないのか。暑ければクーラードリンク、寒ければホットドリンクが欠かせない。でなければ鱗も毛皮もない人間の皮膚で、どうして過酷な気温に耐えれようものなのか。

 

「……三つあげる」

 

ポーチから赤い液体の入った小瓶が三つ取り出される。一見してただの栄養ドリンクだが、こいつは回復薬に次ぐ必需品である。

三つあれば此度の狩猟が完遂するまで効果を持続させられるだろう。残り二つの小瓶を握り締めながら、討伐にかかるであろう時間とドリンクの持続時間を計算する。

 

「しかめ面ばかりの女だ。感謝するが可愛げはない。その深々被ったキャップを取ったらどうだ」

 

茶化すような口調に彼女のこめかみがヒクついた。そういえば彼女は、食事中も含め一度も顔を晒していなかったのだ。きっとダラハイドは、彼女の鼻先から下しか知らない。見えないからだ。

 

「間も無く降下体制に入る。寝言は寝て言って、上位ハンター」

 

「手厳しいな、G級ハンター殿。言い訳は好かんがお前が出発を急かしたのだ、多めに見てくれると嬉しいのだがな」

 

「ああそう。素敵な食いっぷりだったよ王子様」

 

口論が抹消的に思われて彼女は一方的に言い捨てた。しかし振り返ると、いつもの微笑はどこにも見えない。ダラハイドの切れ長の目がパチクリとする。

 

「王子とは嫌な言葉だな。俺はそんなふうに見えるのか、ただのハンターなのに」

 

これは果たして動揺と呼べるのだろうか。武器に絡まらないよう器用に落下傘を肩に引っ掛け、今まさに飛び降りようという時に。何が癪に触ったのか。彼は怒りというより焦りにより険しく眉をしかめてる。こんな表情も出来たのかと、彼女は妙な感心をする。

 

昇降口は開け放たれて、耳を刺すような冷気が粉雪とともに吹き込んできた。氷海と呼ばれる極寒の地に到着したのだ。字の如く凍てついた氷の海は、既に何度となく訪れた狩場の一つである。南西にあるであろうベースキャンプにコンパスを合わせようと指を添えた。その手首を、ダラハイドに掴まれる。

 

「ちょっ、ダラハイド、離して。王子ってのは単なる比喩だよ。それ以上もたつくならあんたのパラシュートお釈迦にしてここに置いてく」

 

銃口をまだ背負われていない彼の分のパラシュートに向けながら彼女は言った。重厚感のある巨大な銃身は中折れ式で、女の細腕に抱えられて益々大仰な姿に見える。ヘビィボウガン。一般にこのタイプの武器を、ハンター達はそう呼んだ。

 

「やってみろ。お前のパラシュートが二人分の重さに耐えられるのならな」

 

「本当にやらないと思ったら大間違いだ」

 

彼女に躊躇はなかった。あまりにあっさりトリガーは惹かれ、乾いた銃声がパスンと響く。

その音の軽さから、比較的威力の低い通常弾Lv1なのは明白であったが、それでもパラシュートに穴を空けるには十分すぎた。

これでもう使い物にならないだろう。そして彼が予備を取りに倉庫へ引き返すのを、彼女は待つつもりもないということだ。

 

「私はもともと、同行者なんかいらなかったんだ。ここでお別れだなダラハイド」

 

そう得意気に彼女は笑った。これで厄介払いができたと、この時はそう思ったからだ。

 

 

「最初からここで撒くつもりだったんだろう。お前は同行を嫌がっていたくせに、飛行船に同乗するのを拒まなかった」

 

「今頃気づいたって遅いんじゃないか」

 

「いや、飛行船に乗った時から警戒してたさ」

 

ダラハイドに動揺はなかった。一体何をと言うより先に、ゴツゴツとした装備ごと彼女の腹は抱えられる。

 

「やってくれたんだ。二人分の重さに耐えられるのだろ?」

 

「ダラハイド!ばか、やめて!」

 

抱えられたのだ。まさか本当に一つのパラシュートを使おうなどと、トチ狂った真似をするだなんて彼女予想もしなかった。身長差のせいで持ち上げられた彼女の足がばたついている。

 

「わかった、待つ!予備を取って来るのを待つ!離せ!」

 

「駄目だな、待たないだろう」

 

躊躇もなければ容赦もまたない。長身の彼は彼女を抱えて、あっさり飛行船から飛び降りた。直前まで慌てた彼女の制止の声は、そのまま甲高い悲鳴に変わる。吹き荒れる風と雪にまみれて、真っ白く装備が染まってく。

 

 

「ダラハイド!!どうするんだ!!」

 

「暴れないでくれ。お前と違ってベルトで固定されてないんだ。さすがにこの高さは死んでしまうな」

 

ちっとも恐怖する様子のない、悠々とした口調で彼が言う。

 

「少し力を入れる」

 

彼がそう言い、回った腕に力が篭る。右手は落下傘のワイヤーを引っ掴み、はぐれないよう左手に彼女を背中側から抱きかかえて落下してゆく。存外器用で、常識知らずのぶっ飛んだ野郎が同行者だと彼女が落ち込む。どうしてこんなことになったのか。思い出すほどにG級許可証の発行を拒否した協会を恨む。

 

 

……俺を拒んだG級とやらの腕前が、どんなものかこの目で見たい。

そう悪びれもなく彼は言った。それだけのために、こんな目に合うだなんて思わなかった。

 

 

 

「ツバキ、みろ、ついてる」

 

パラシュートにゆらゆら揺られて、のんびりとした降下の差中にダラハイドが言う。……秘境だ。囁く声には子供染みた興奮がある。

指差す先は切り立った崖の僅かな窪みで、遠目に見ても光り輝く鉱石が見えた。それに希少価値の高い昆虫もいる。

 

「それはいいね。問題はどうやって無事に二人で降りるのかだけど。あんたのせいで固定ベルトが中途半端なまま絡まってる」

 

「こちらを向いて、俺にしがみつけばいい。ワイヤーを斬る」

 

「…………え?」

 

ほら早くしろ、と。急かす彼はやはり微笑を浮かべていた。彼女はふざけるなと叱咤したかったが、それより先に彼がナイフを構えるのを見る。彼女を抱えたまま器用に懐の柄を取って、秘境に降りれるようタイミングを測っていた。

 

 

「無論お前を離しはしないが、怪我をさせても目覚めが悪い」

 

「馬鹿かあんた、やめ」

 

 

 

ああ、馬鹿野郎。腹の底から彼女は叫び、しかし同時に上体を捻った。両手を彼の首に回して、振り落とされないようしがみつく。恐らく飛竜の素材を使ったのであろう彼の胸当ては、密着すればチクチク痛い。しかしそんなことを気にする余裕もないままに、ナイフは軽やかに風を切る。

通常、討伐したモンスターの死体から皮や鱗を剥ぎ取るのに用いられるその刃は、強靭なワイヤーをあっさりと切断してみせた。マントがばたばた風に揺れてる。粉雪のまばらについた前髪を間近に見た途端、臓器の浮き上がる感覚がした。浮力を失い、再び落下を始めたためだ。

 

 

────待て、待て待て。こうもしがみ着いてはどうやって着地したら良いのか。足に力を込める余裕は……。

慌てる身体を諌めるように、アシュの腕はナイフを仕舞い、そのまま彼女の足まで抱えた。

 

「地面だ、歯を食いしばれ!」

 

彼女は舌を噛まぬよう奥歯を噛み締める。泣きたいくらいの不本意を飲み込み、やがて衝撃が下から劈いた。

 

 

 

「…………っ」

 

積雪に、彼の足が埋まってる。武器込みで総重量百キロを超える彼女の身体を、しかし彼は落とさなかった。

なんて波乱にまみれた到着なのか、放心は未だ彼の首に自らの腕を絡ませたまま、彼女は何度も瞬きしていた。

 

 

「あんたは、馬鹿だ……!」

 

「なんだ。ようやく顔が見えた」

 

着地の衝撃でズレだキャップをまじまじと見て、背の高い彼はそれをそのまま取り上げる。纏めて仕舞われていた髪が靡いた。

 

「ダラハイド!!」

 

「覆っておいて正解だな。火傷でもできたら惜しすぎる」

 

それは一応褒めているのか。薄い下唇を自らの指で撫でながら、優しい笑顔で彼は言う。どうにも調子を狂わされっぱなしなものだから、怒る気力も削がれてしまう。

 

「返せ!」

 

「褒めてるだろう、なぜ怒るんだ」

 

「いいから!」

 

どうして自分がこんな風に遊ばれるのか。不本意と不可解に思考はすっかり困惑してる。身長差のせいで届かぬ高さのキャップを奪い返そうと、跳ねるたびに雪がパラパラ周囲に飛び散る。どこぞしこも真っ白で、見渡す限り氷と雪ばかりの世界で。

 

 

「ダラハイド、返して!」

 

その雪の白さに溶け込むように、彼女の肌もまた白かった。

 

 

 

「ダラハイド!!」

 

「……その呼ばれ方は、軍学校時代を思い出すな。懐かしいものだ」

 

昔を懐かしむ眼差しは、尊大な性格とは真逆の優しさがある。

 

「いいから返せ、子供みたいなことするな!」

 

「子供はないだろう。成人の儀を終えてもう十年ほど経つ」

 

「……うそ」

 

「嘘なんかつかない」

 

ではまさか三十代なのかと、彼女は目を白黒させた。どう見ても二十代にしか見えなかったのに、まさかそこまで童顔なのかと。だがその発言にも彼はくつくつ笑い、つくづく世界は広いだなどと零してみせる。

 

「よほどお前とは文化圏が異なるらしいな。俺の国では十二で成人の儀を行う。王族の勝手な取り決めだ。子を成人と見なし即位させることができれば、傀儡政権は容易く実現できるからな」

 

「傀儡って……そんな解釈しなくても……」

 

「そうでもないさ、事実だから」

 

こうも断言するならば、少なくとも彼の国ではそうなのだろうか。さして憎悪も含まぬ口調のまんま、腐った国と彼は言う。私欲かなにか知らないが、そう称されてしまうような政治体制にあるのだろうか。

 

彼女にはわからない。貴族だの王族だの支配階級者は放浪した様々な地方で何度も目にした。だがいずれも無関係な世界に過ぎず、請け負った依頼に応じて竜どもの首を狩る彼女には、依頼人かそうでないかの違いしかない。

 

 

「……まあ、そういう頭の沸いた王族がいるのは知っている。間近に見たいってだけの理由で、飛竜の生け捕りを命ぜられたことがある」

 

「人が良いな。本当に間近で見るだけの訳がないだろう。……卵の運搬依頼が良い例だ」

 

「……え、運搬もか?!」

 

なんだ、本当に何も知らないのかと彼は笑った。まさか依頼書に書かれた依頼動機が、全てそのまま真実なわけもないと。

動機の虚偽を考えないわけではなかった。だが考えても真偽なんてわからないし、そもそもそこに重きを置いたことがない。肝心なのは相手が何で、生け捕りにすべき捕獲であるのか、生死を問わない狩猟であるのか。次に狩場はどこであるのか、くらいなものだ。そのため動機など流すように一読しただけだったのに。目を通さない者だっている。

 

 

「卵の運搬が、なんだって……?」

 

心地の悪い話題であった。最近に一つ、それを請けた覚えがあるのだ。

 

 

「卵とは子だろう。子を盗み出すような真似を、どうしてわざわざさせるのかわからないか」

 

「……なんで?美食化に人気なんじゃないのか、確か……」

 

「ごく稀にだが流通もしてるだろう。簡単だ。野生は懐かない。しかし卵を孵化させ餌付けに成功すれば、人の命令を聞く竜になる」

 

「嘘だ、竜が人に懐くことも、人に育てられることも……ない」

 

ないはずだった。少なくともそうというのが常識だった。

だが彼は首を静かにふるのだ。例えば先ほどの話にしても、ただ間近に見てみたいだなどと我儘のために国庫の金を出すはずがない。報酬金が王族の懐なら、すなわち民から徴収された税だからだ。お抱えハンターにこっそり頼むならまだしも、堂々と依頼書にその旨書き込めば非難の嵐に襲われるだろう。

では一体なんなのか。それを、彼は兵器運用のためだという。

氷や炎を高威力で吐き出す魔物を生け捕りにして、魔法のような攻撃を可能にする器官を研究したり、兵器開発の一部としたり。決して表沙汰にならずとも、そんなことは日常茶飯事なことなのだと。

 

 

「……かつてドントルマで、古龍撃退設備の一端に雌火竜の火炎袋を利用したと聞いた。そういう、ことなら……」

 

「なんだ、お前は心底純真なのか。そんな真っ当な理由の方が稀だろう。その大概は戦争のために決まっている」

 

少なくとも俺の国ではそうだった。そう彼は付け足してから、凍ってしまった空気を紛らわすように彼はホットドリンクを口にした。

 

「……なんだ、寒くないのか」

 

それからあっさりキャップを彼女に返し、光り輝く鉱石に目をやる。透き通るような青色が、白の中で光を反射して輝いている。こんな雪にまみれた場所であるのに、淡い色の花が咲き、その蜜を吸おうと蝶が疎らに舞う。秘境だけの、美しく静かな風景がある。

 

「いや、寒……あああ!」

 

しかし彼女がホットドリンクを飲むことは叶わなかった。

 

 

「ポーチがない!いや、飛行船だ……あ、あんたが急に抱えて飛び降りたからだ!ああもう!」

 

幸いにもガンナーポーチだけは腰に装備していた。弾薬は山とある。だが回復薬やらホットドリンクを詰めた大切な手荷物は、今や遥か上空にその陰だけを残して遠ざかる。これでは怪我をしてもどうにもならないし、そもそも寒い。

 

「なんだ、俺に分けたのが幸いしたのか。ほら」

 

悪びれもなく彼は笑い、小瓶を一つ差し出した。

 

「安心しろ、回復薬なら俺もある。折角の秘境なのに採取できないのが残念だがな」

 

「あんたのせいだろ!」

 

差し出された瓶を引ったくり、半ばヤケになったような一気飲みをした。何から何まで災難続きで、目眩を覚えながらクエストは始まる。

赤い液体は喉元を過ぎ、瞬く間に身体を温めた。吐く息は相変わらず白いが、寒さはもう感じない。三つしかないホットドリンクを分け合ったのだ。残りたった一つを消費する前に帰還しなけりゃ、極寒の地で寒さを凌いで過ごさなければならない。

いささか厳しいタイムリミットを痛感して、彼女は深いため息をついた。

 

 

 

「……マボロシチョウだ」

 

竜仙花の周囲をひらひら舞う、美しい蝶の羽を指差しダラハイドは言う。言われなくても知っていた。

彼はポーチを持っている。しかし蝶を捕まえようとも、花を摘もうともしなかった。秘境に訪れたのに採取をせず、ただただ景色を楽しんでいる。

 

「遠慮せず採ればいいのに。不死虫だっている」

 

「要らんな、売ってるだろう」

 

「……すごく高価なのに?」

 

「問題ない」

 

節々から感じてはいたが、やはり彼は金持ちなのだろう。金銭感覚が異なる。まさか鎧玉による強化が資金不足で出来ない悩みなど、きっと知らないに違いない。

 

 

「……故郷は、どこに?」

 

「……そのうち、な」

 

そう彼は濁してしまった。深く追求しようとは思わないから、彼女は黙って貫通弾をリロードする。大仰な銃口の更に先端に、後付けでカスタムされたパーツが光る。パワーバレルと呼ばれる、ボウガンの威力を底上げする代物だった。

 

「見ない素材だな、火竜のものとは違うようだが」

 

彼女の銃は赤く、色こそ空の王者と名高いリオレウスに酷似している。しかしどこか海竜種を思わせる鱗やヒレが独特だった。

 

「アグナコトルだ。私のいた地方には生息していた」

 

バルバレやドントルマからの依頼圏は地底火山だが、これはそこより遥か遠い火の山に生息するモンスターの素材である。標高も中々だが、何より頂上から火口を見下ろすのが圧巻の一言で、アグナコトルの他にもウラガンキンなんかだっていた。

 

「初めて見たな。行ってみたいものだ、火口が地底の奥ではなくて山頂なのか」

 

「本来火山ってのはそういうものだ。あんたは……たくさん知ってるようで、そんなことも知らないんだな」

 

「奇遇だな。お前に対し全く同じ印象を抱いていた」

 

憎まれ口を叩くのももう何度目なのか。段々、不愉快ではなくなっていた。どんな気持ちの作用だったのかはわからない。

続くハプニングのせいで、ホットドリンクは残りわずかだ。急がねばならないというのに、妙に穏やかな空気が焦燥させない。

結局貶したいのか否定したいのかもわからなくなって、彼女は黙って崖を飛び降りた。

 

行こう、行かなくちゃ。寒くなってしまう前に。美しい秘境の風景をどこか名残惜し気に彼は眺めて、しかし直ぐに後に続いた。

積雪が着地の振動を吸収する。洞窟は危険が多いからと、それを避けて見渡しの良い進路を選ぶ。

 

粉雪がぱらぱらと降っていた。

 

 



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2話

第一章 邂逅篇


彼女の予想通りに、洞窟の脇から流れ出た水が小さな泉を作ったその周囲に化け鮫はいた。それも二体同時でもう一体を探す手間が省けたものだと彼女は思う。

 

「今夜中に見つかって良かった、ビバークせずに済みそう」

 

岩場の影から気配を殺して彼女が囁く。大型モンスターが同時に二体いる場合、隔離して別個に討伐するのが得策である。しかし既にG級装備を揃えた彼女には、上位個体であれば二体同時であれど脅威でなかった。

 

「同時に行くのか」

 

「そのが早く済む。あんたは戦わなくていい」

 

ここでこのまま息を殺し見ていればいいと彼女は言う。万一見つかってもここならば直ぐに遠くへ撤退できる位置だし、遠距離攻撃にあっても大剣ならばガードができる。G級の腕を見たいというのが彼の動機だから、それで十分だろうとの提案だった。

 

「連れなくするな、一頭は俺が請け負う」

 

「いらない」

 

「なんだ、その細腕は俺の身まで案ずるのか」

 

「細腕って言うな、ちゃんと鍛えてる」

 

 

頑なに彼の参戦を認めずに、念を押して彼女は走る。

目測およそ四十メートル。貫通弾の威力を最も活かせるこの距離を、ガンナー達はクリティカル距離と呼ぶ。音も立てずに走り寄り、銃は静かに構えられた。

スコープの十字に体躯の中心線が合わされる。貫通弾とら早い話、頭にぶち込んでケツまで貫通するのが理想的。トリガーに指をかけて息を飲み、二体が重なる瞬間に弾丸は放たれる。

狙い通りに額に着弾した貫通弾は、そのまま外皮を突き破って尾びれの真横を飛び出した。手前の一頭を完璧に貫き、オマケ程度だが二頭目の背びれを傷付けたのだ。ザボアザギルはまず痛みに驚きと怯みを見せ、一秒後には全身の五分の一は占めていそうな大口を開いた。

鋭く尖った歯列を剥き出しに、威嚇と怒りの両方を孕んだ咆哮が響く。大音量のあまり、鼓膜どころか大地まで揺らいでしまったような錯覚をした。一頭でも頭の割れそうなものなのに、二頭同時に吼えるのだから強烈である。こればかりは耐えられず、半ば不可抗力のままに彼女は耳を塞いでしゃがみこむ。

 

……厳密には、咆哮は同時ではなくわずな時間差があった。面倒なのは先に吼えた一頭がやたらに短気な個体であったということだ。ビリビリと頭痛すら齎しそうな轟音の中、顔を上げた彼女の目に映ったのは、氷の鎧を纏った敵の姿だ。

 

ザボアザギルは怒り時に特殊な体液を噴出し、周囲の気体を氷結させた状態は硬度が増し、必然的に物理攻撃の威力が上がる。

鼻先の氷はまるで槍のようだった。すぐさま横へ回避する。ミリ単位真横を鋭い牙が掠めても、彼女の心に恐怖はなかった。G級で揃えた防具は、上位程度の攻撃に致命傷を負ったりしないと確信があった。

振り返り様に一発撃ち込み、目の端に二頭目が氷を吐き出そうとするのを捉えてまた転がる。射程距離から外れるよう更に真横へ。

ヘビィボウガンは一々武器を仕舞わずに、こうして回避行動を繰り返した立ち回りが主となるため、どうしても地面をコロコロ転がるような動きとなるのだ。

 

「見事だが上位のザボアザギル相手では凄さがいまいちわからんな」

 

装填した分を撃ち尽くし、リロードのために距離を置いた彼女の頭上に声が降る。控えてろと言い付けた岩場は真逆の方角だが、ダラハイドは彼女の傍らに立っていた。

不思議だとは思わなかった。どこかで素直に言うことを聞くはずないと思っていたのかもしれない。

 

「リミッターが着いているな。しゃがめツバキ」

 

「ダラハイド!どけ、遠距離攻撃が来る!」

 

「それくらい見ればわかる。防ぐさ。見せてくれ、G級の威力なんだろう?」

 

そう言って、彼女より大きな剣が構えられた。

奥から、氷がこちらに吐き出されるのが見える。彼女には回避行動をする余地があったが、何故だか彼の背中が大きく見えて動かなかった。

大仰な刃を斜めに構えて、頭上で柄は返された。刀身の平面を盾代わりに応用するのも、その巨大な武器故に出来ることだ。

 

「……なに放心してる。見惚れられるような技と言えたものではないが」

 

彼のガードに阻まれて、氷は四方に弾け飛ぶ。キラキラと氷結晶を散らしながら、ザボアザギルの攻撃が飛散してゆく。直後に脇から大口が飛び出した。二頭目の突進だ。

 

「早くしろ。全ての攻撃は絶ってやる」

 

言いながら上体を翻し、今度は突進する牙に向かって横振りの一閃が風を斬る。大地から響くような悲鳴と共に、酷く痛々しい衝突音がする。濁った呻きは折れた牙と一緒くたに吐き出され、突進は勢いそのまま巨躯を仰け反らせる結果となった。

ダラハイドは鮮やかなカウンターに気取ったような笑みを浮かべて、まだ見ぬG級武器の真骨頂を催促してくる。彼女は小さなため息をはいた。

 

 

「……あんたはガンナーのことわかってない。しゃがめと言うならクリティカル距離だ」

 

「なんだそれは」

 

聞き返されてもなんだかそれすら予期できた。きっとこれまで周囲にガンナーはいなかったのだろう。クリティカル距離は弾種によって異なるが、長々と説明する間が惜しまれたから、簡潔に彼女はこう叫ぶ。

 

「威力が一・五倍になる距離のこと!」

 

「なんだそう言え。簡単なことだ」

 

貫通弾を打つ場合に、この化け鮫どもと彼女の距離四十メートルを保つこと。それだけで自らを拒んだG級の真骨頂を見られるというなら、容易いことだと彼は言う。

 

「舐めるな、あんたの手を借りなくても自分で出来る!膨れるぞ!」

 

ザボアザギルには、一定ダメージを与える事により形態変化する特性がある。彼女は与えたダメージを計算していた。より獰猛にした短気な個体は、既に十分な鉛弾を喰らっている。そのためブクブクと奇妙な音を立て、腹が巨大な肉塊のように膨張してゆく。

 

「こうなった方がしゃがむのには都合がいい。光るよ!」

 

細腕は閃光玉を二頭の中心に放ってみせた。タイミングは見事だ。同時に視界をやられ、的外れな方角に無意味な攻撃が繰り出される。

待っていたぞ、とダラハイドが笑った。既に彼女がしゃがんでいたからだ。スコープはぴたりと身体の中心に標準を合わせた。あとはただ、トリガーを引くだけでいい。

 

ただでさえ一発一発の銃声は重々しいのに、こうも連射するなら壮大ですらある。銃口は火を吹き、火薬の臭いが漂った。薬莢がそこらじゅうに散らばってゆく。しゃがんだまんま凄まじい反動を受け止めて、小さな身体に不似合いな威力が、ザボアザギルを蜂の巣にする。

 

────二十発。それがしゃがんだ際に連続で撃ち出せる最大数だ。

余すことなく身体の芯を貫いて、連続射撃が終わる頃には力なく地に伏す姿があった。ザボアザギルは穴の空いた風船みたいに萎んでしまって、歪んだ大口から垂れた舌は微動だにしない。死んでいるのは明らかだった。

 

「来るぞ、もう一頭だ」

 

視界を取り戻した残る一頭は、仲間の死に激昂したのか氷の鎧を纏っていた。

だがどちらにせよ二対一になった今、これを討伐するのは容易に思えた。

 

「ダラハイド、罠持ってない?ポーチがないから捕獲にしたい」

 

「ある。自分の何倍もある化け物を、殺さん方が難しいとは奇妙なものだな」

 

短時間だが互いの実力を知るには十分だった。故にもう、後退しろとは彼女は言わない。突進をかわし、段差から飛び降りながらリロードをする。巨大な剣を振り抜く彼の対角線上まで転がってゆく。

そうしてボウガンは火を吹いた。化け鮫の呻きが氷の海に響き渡る。

 

 

……狩りは、楽しい。娯楽的な意味合いではなく、充実や達成感を齎してくれる。

タイミングと思惑。頭の中で立てた作戦が、一分の狂いもなく達成された時。仕掛けた罠に獲物が嵌ったり、誘い出された崖下で背中を許し、ダウンを奪ってやった時。そんな拘束時間に一点集中して撃ち出す鉛の雨の感触に恍惚とする。

彼女は、貫通弾の肉を突き破る音が好きだった。

 

そうして数多の狩猟を繰り返したけど、共闘する悦びを知る機会は今までなかった。大連続討伐や超大型モンスターの募集に参加してみても、メンバーは最低限の連携だけを求めていたし、彼女も必要以上に助けなかった。

ただ、目の前の敵を倒すだけ。一人より複数の方が効率的なだけ。パーティとはそのようなものだと思っていたのに────

 

ダラハイドの突き立てた刃が尾びれに大きな傷を残した。前足の爪は砕け、背びれも牙も無残なものになっている。満身創痍な化け鮫を見れば、今が捕獲のチャンスであるのは明らかだった。

だがなぜか、止まらなかった。

 

全身にボウガンの振動を感じながら、夢中で背中を撃ち抜いてゆく。刹那、足場を取られてすっ転んだ腹の前で、大剣に力を溜める彼を見た。

 

「すまん、止まらなかった」

 

直前に彼はそう言って、地を揺るがすほどの一撃を、その無防備な腹へ落としたのだった。

 

 

 

断末魔が耳を着く頃、忘れていた寒さが指先から徐々に戻り出す。ホットドリンクの効果が薄れだしているのだ。

吹き荒ぶ風が冷気を運べば、冷たさよりも痛みに感じる。まだ身体の芯を凍えさせられるほどではないが、いずれ完全に効果が切れたら、それこそ氷ってしまうだろう。

 

「あった、上ヒレ……!」

 

死体にナイフを差し込めば、運良く目当ての素材が剥ぎ取れた。さしあたってレアリティの高い部位でもないが、それでもついてない時は中々取れない。とかく目標は達成できたのだから、彼女は胸を撫でおろす。

 

 

「ダラハイド、ポーチに入れさせて」

 

「構わんさ、ほら」

 

 

後はただ、帰還するだけ。こういう言い方をしたなら安易そうでも、実際は骨が折れると理解していた。結局のところはどんなモンスターよりも、自然そのものが一番恐ろしい。下位であろうがG級であろうが、自然の脅威だけは変わらない。

 

 

「……行こう。ベースキャンプで朝までしのぐ」

 

ベースキャンプまで送り迎えがつくのは、比較的安全地域に指定される下位クエストのみだ。上位からは自らの足で帰還しなければならない。

 

ベースキャンプより更に南下した雪原の先、上位指定の危険区域を抜ければ集落があったはずだ。規模こそ小さいものの、船やカヌーの荷馬車が集う立派なターミナルだった。賃金を払えば馬車を使えるし、四日に一度は定期便として協会の飛行船もやってくる。申し訳程度に露店もあるから、ホットドリンクも買い足せるだろう。

 

 

やがて手の指だけでなく、足先まで冷えてきた。確実にホットドリンクの効果が薄れてきてる。もうあと幾許か経過したなら、ガチガチとみっともなく奥歯を鳴らしてしまいかねない。そうなる前にベースキャンプの毛布に包まって眠りたいから、彼女の足取りは早くなる。テントの下で風をしのいで、備え付けのベッドで眠り疲れを癒したかった。

 

 

「……切れてきたな」

 

相変わらず余裕のある声で、ちっとも寒そうにせず彼は言った。いや、彼女よりかはそれでも暖かいに違いない。肌の露出度や鎧の厚みがまるで違うし、何より彼は上等なマントを持っている。

歩を踏み締めるたび、パウダースノーがはける感触がする。どこぞしこにもザボアザギルの残した爪痕だらけの有様だが、しょせんは地面も壁面も氷なのだ。いずれ溶け、その上に新たな雪が積もってく。一晩も経てば狩猟のあった痕跡など残らぬくらいに元通りになるだろう。

 

「入るか?」

 

上質な生地と見てわかる、刺繍のあしらわれたマントの裾を摘まんで彼が言う。背の高い男の肩幅をすっかり多い、ふくらはぎにかかるほど丈は長い。小柄な彼女一人入っても問題ないくらいの面積があった。

 

「……歩きにくくなる」

 

「G級ハンター殿は気難しいらしいな。青い唇のわりに気丈にする」

 

ダラハイドは、意地を張る子供を笑かすような口調であった。

 

「それにあの程度の両性種にさがれなどと冷たいものだ」

 

「……じゃああんたは協会に許可証を断られるような訳有りで、しかも実力も知らないハンターを前線に出すのか」

 

狩猟は自己責任だ。引率者なんて立場はないが、それでも同行者が傷付くのは気分が悪いと彼女は思う。

新参とはいえ彼女もまたG級ハンターを名乗るからには、上位クエストで上位ハンターくらいは守りたいのだ。結論から言うなら、彼は守る必要のない確かな実力の持ち主だったが。

 

「そう言うな」

 

「ダラハイド、あんたは寄生虫じゃない。なんで許可証が発行されなかった?前科?」

 

寄生虫とは隠語だ。ハンターは己の腕に自信と誇りを持って狩猟に挑むが、中には例外も存在する。その中でも、他者の募集に同行者として参加を名乗り上げ、実際には戦わずに報酬だけいただこうという輩は寄生虫と比喩されていた。当然ながらに嫌われるし悪評も立つ。

G級許可証の発行条件であるウカムルバスの撃退に、例えば寄生虫と評されても仕方のない立ち回りしかしなかったのなら、発行許可が降りない理由にも頷けた。……そんな前例があるのかは知らないが。

 

 

「罪に問われたことなどないが」

 

だが十分な実力を持ち、犯罪者でもないというなら、他にどのような理由があるのか。彼女にはさっぱりわからない。

謎の素材の剣を持ち、入手困難な天鎧玉に強化された鎧を纏う。実力は確かでありながら、G級を拒絶された男。品があり、妙に優しい目をした綺麗な男。

彼、アドルフ・アダラハイドは、知れば知るほど謎ばかりの人間だった。

 

 

 

 

ガチャガチャと金属の擦れる音がする。見れば彼は自らの肩の金具を外してた。細く美しい模様を施した甲冑から、はらりとマントが取り外された。

 

「羽織え、G級ハンター殿。これなら歩きにくくなどならないだろ?」

 

「……あんたは、寒いんじゃ……」

 

ようやっと水場も遠退いた。足場は氷と雪の混じる半端なものから、やがて踏み込めば数十センチ沈んでしまうような積雪になる。このペースなら、あと二時間も歩けばキャンプに辿り着けるだろう。狩場が近かったことだけが、このハプニングだらけのクエスト唯一の幸いだった。

 

「お前よりマシ程度に寒くないな」

 

その言葉が嘘だと知ったのは、ぶかぶか過ぎる彼のマントに覆われてからだ。じわじわと効力の薄れだした身体は既に、風が吹けば身震いするほど寒さを感じる。だがマントはよほど上質な生地なのだろう、すっぽり肩を覆ってしまえば、そんな肌寒さを遮断出来た。あるのと無いのではこんなにも違う。

 

「……あんたは強がりが上手だ」

 

全く彼の表情は変わらないけど、マントを無くせば確実に寒い。なのに余裕を崩さないから、結局彼女は歩み寄る。

 

 

「なんだ」

 

「……同じことだった。ぶかぶか過ぎて歩きにくい。どうせ歩きにくいなら、一緒に包まる方が理にかなってる」

 

そう言って裾の一端を差し出せば、彼は柔い笑顔を見せた。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

「……ピコピコうるさい」

 

用もなくサインを出す彼に、ツバキは苛立った声を出す。彼は持っていながら今日まで使う機会がなかったらしい……というより、使い方そのものを知らなかったものだから、まるで子供のように面白がる。

 

「ちょっとお前も鳴らしてみてくれ」

 

ベースキャンプに到着したのは、あれから一刻ほど過ぎた頃だった。備え付けの毛布に包まり日付を跨ぎ、朝になればせっせと近場で狩った獣の肉を火にくべる。そうやって出発前の飯の支度をしてるというのに、彼はどこまでもマイペースだ。

 

「用もないのに?」

 

「減るものではないだろ」

 

ほら、早くしてくれ。そう急かす彼があまりに朗らかに笑うから、仕方なしに彼女は折れた。唇で柔く挟んで咥え、ため息混じりに笛を吹く。楽器というには小さすぎるその笛は、独特の素材のせいか音色というにはひどくチープな音を出す。人間の耳にはピコピコと幼稚なものにしか聞こえないが、内蔵された鳴き袋は、同じ鈴笛に微弱な振動を伝えていた。

 

「はは、本当だ。どちらの方角から鳴らされたのかわかる」

 

彼女の音を受けて、握り拳の中で彼の笛が振動している。とはいえ狩猟笛が繰り出すような大仰なものではなく、あくまで連絡手段に過ぎないのだが。

 

「なるほどな、振動に癖がある。サインした方角に向かって揺れてるらしい」

 

「だから、そういうものなんだって」

 

微弱なものだが、有効範囲の広さが応用に幅を与えていた。

バラバラに探索していて、大型モンスターを見つけた時や味方に自分の現在地を伝えたい時、罠を張ったと知らせるなどに使われる。

 

「ほら、肉焼けた。笛はもういい」

 

「集会場で吹いたらどうなるんだ?ハンターがたくさんいるだろう」

 

「……迷惑になる。無意味に鳴らさないのもマナーだ」

 

絶え間無く肉焼き機のハンドルをぐるぐる回す。頃合いに火から離してやれば、肉はこんがりとキツネ色に焼きあがっていた。

 

「上手に焼けたじゃないか」

 

どこかで聞いた覚えのある賞賛を口にしてから、ようやっと彼はサインで遊ぶのをやめた。

筒に雪を入れ火にくべて、沸騰させた飲み水がある。砂漠と違って水に困らないのは楽だった。長期戦になりそうな場合に、一々オアシスまで汲みにゆくのは面倒なのだ。

 

 

「……アグナコトルか」

 

岩場に立て掛けられたボウガンを背負い込む差中、アシュは感慨深い眼差しで言った。彼はアグナコトルを、知識としては知っていたが、書物にあるイラストしか見たことがないという。どんな咆哮をするのか、吐き出される灼熱はどのくらいに強力なのか。硬い地面に巨躯を捩じ込み、溶岩の中を泳ぐ様を彼は知らない。

 

「雄大なのだろうな」

 

まるで対峙した彼女を羨ましがるような口ぶりだった。 別段珍しいモンスターでもないというのに。

 

「行けばいいのに。火山でしょっちゅう観測されてる」

 

彼女とて世界中を知るわけではないが、少なからず各地方に知識があった。この一帯とは様相の異なる広い砂漠に、億の星が輝く孤島。せせらぐ水の美しい渓流や、凍土と呼ばれる雪山もある。

 

「たとえばここらにいないのは、ナルガクルガとかドボルベルク。ベリオロスなんかも観測される」

 

「全て実際に見たことない奴らだ。さぞ遠方なのだろうな」

 

「ユクモという村が近いな。クエストカウンターがある」

 

ぱちぱちと焚き火の音がする。差し込む朝日に出発の頃合いと見て、残る火種を踏みしだく。鳥や虫の犇めく原生林などとは異なり、氷海は不気味なほどに静かであるから些細な音が余計に響く。芳ばしい肉に噛みつきながら、何の気なしに彼女は生まれ故郷の名を口にした。遥か東の山中にある、バルバレやドントルマとは比べものにならないほど穏やかな村。とはいえあの地方ではもっとも栄えた場所であるが。

 

 

「詳しいな。お前の出身か?」

 

「生まれは更に田舎の、何にもないとこ。ハンターを目指すなら、あの辺りの人はみんなユクモに行くんだ。温泉もあるし」

 

「オンセン?」

 

耳に覚えのない単語が飛び出してきて、彼は目を丸くした。温泉とはユクモ村周辺の文化であり、名前すら知らない者も珍しくない。お湯、つまり暖かい水だ、と彼女は言った。

様々な効能があり、例えるなら猫の飯屋で満腹になるまで平らげるのと同じくらいの恩恵がある。だからあの辺りでは、出発前には湯に浸かるのが半ば風習でもあった。

 

「馬鹿な、濡れた装備で出発するのか」

 

「……脱ぐに決まってる。裸だよ、裸」

 

よほど文化圏が異なるらしい……と、感じるのも二回目だ。いまいち想像つかないらしく、珍しいことに彼の面持ちがあどけない。

 

奥歯で肉を噛みちぎり、用意した水で流し込む。そうやって、二人して片手に肉を持って歩き出す。

しゃりしゃりと、歩くたびに雪の沈む音がした。

残り一つのホットドリンクを分け合って、雪原に二人分の足跡が続く。真っ白い地平線を静かに眺めて、アシュは暫し思案していた。

 

〝様相の異なる砂漠に、億の星の輝く孤島。せせらぐ水の美しい渓流に、凍土と呼ばれる険しい雪山……〟

 

 

「ツバキ、そこには……」

 

まだ見ぬモンスターのいる彼方。知らない風習の、穏やかな村。

 

「いるのか?ウカムルバスは」

 

通称、崩竜。ウカムルバスは分類上飛竜種とされるが、実態はむしろ古龍に近い。

山を思わせる巨躯に、地形すら変形させる咆哮。疲労状態にならず罠も無効の強敵である。

 

 

「……いる。凍土のさらに深部、極圏と呼ばれる場所で観測されたはずだ。討伐の噂は聞いてないから、多分」

 

一度は撃退した竜であるが、彼に相応の功績は認められなかった。それに何を思ったのか、どのような背景があったのかはわからない。だがダラハイドには、少なくとも動機はそれで十分だった。

 

 

「そうか。……そうだな、行けば良いだけの話だった」

 

瞬く間に肉が骨だけに変わってく。向かう集落はここより三里ばかり南だが、比較的楽な足場と緩やかな下り坂のため苦にはならない。

ささやかなお喋りに戯れながら、道程は平和なものだと言えた。

 

 

 

「……ダラハイド?」

 

 

────なんでこんなシンプルな発想すら出来なかったのか。考えるほど今日まで鳥籠の中にいたようだ。そうだ、行けば良いだけのことだったのに。

まるで目から鱗と言わんばかりに、ぽつりとダラハイドはそう言った。

 

 

「腹立たしさのあまり随行したのだ、そのまま行ってしまうのもいい」

 

「腹立ったって……」

 

「そりゃあ立つ。俺の腕では役不足と言われたようだろう、あれでは」

 

 

そんなおり、滅多に見ないG級ハンターが目の前にいた。一体自分と彼女を隔てるものとはなんなのか、この目で見たくなって強引に狩猟へ参加した。それが、ダラハイドの動機であったのだ。

 

「役不足なんてことない。あんたは今まで同行した誰より剣が上手かった」

 

「なんだ。俺の腕はG級ハンター殿のお墨付きなのか」

 

まるでからかうように彼が笑う。見上げた空には雲一つない。昨夜は街からは見えない数多の星が煌めいたけれど、それでも彼女の言う孤島の眺めに及ばない。

見てみたくなる。溶岩を泳ぐ炎戈竜や、竜巻を吐き出す風牙竜。驚異的な機動力と名高い迅竜の姿。全ては彼方の地に存在するのに、どうしてここに縛られてやる必要があるのか。

 

 

「……ユクモとやらは、先の集落からも飛行船は飛んでるか?」

 

「残念だけどユクモは協会の管轄が違う。ここから行くなら地道にガーグァの荷馬車しかない……一ヶ月あれば着くよ」

 

 

或いは別の港に行く方が早いかもしれない。貿易船でも賃金を払えば乗せてくれるだろう。陸路をちまちま行くよりも、海路や空路を選んだ方が速やかだ。

 

「船なら二週間あれば」

 

「思うところあってな。帰らずこのまま行きたい。……とするとガーグァか」

 

「面倒なの?」

 

「いや、管轄が違うとは僥倖だ」

 

どうやらバルバレに帰るのは彼女一人になりそうだった。彼は本気で、このままユクモに向かうらしい。

それを寂しいとは思わない。こうしてハンターは数多の出会いと短い共闘、出会った数と同じだけの別れをずっと繰り返す。長さもまばらで、気の合う奴も合わない奴も、いずれは別々の分帰路に立って歩き出す。

 

「惜しいものだな。G級ハンター殿」

 

間も無く訪れる分かれ道を憂いながら、それでも足は遅めない。

 

「そう言ってあっさり再会するのもよくある話だ。世界は目眩がするほど広くて、だけど人間なんて限られてる」

 

やがて目前に大仰な崖が見えてくる。上位指定危険地域と、安全の確認された区域の境界線だった。あれを下れば集落はある。主にターミナルとしての機能を果たす小規模なそこは、申し訳程度の宿泊設備に最低限の品揃えをした露店が並ぶ。

彼はそこでガーグァと騎手を雇い、彼女は数日後に訪れる定期便を待つことになるだろう。

 

 

「ダラハイド、もうホットドリンク忘れちゃ駄目だ。じゃあね」

 

別れの挨拶すら味気ない。彼女が先に口を開き、あっさりとそうサヨナラをする。遠目に荷馬車に括られたガーグァが餌を啄ばむ様子が伺えた。大半は流通業者のものだが、送迎便としての需要が一定数存在するのも確かなため話も早い。

 

「……肝に銘じよう。ツバキ、楽しかった。次の縁を楽しみにしてる」

 

 

冷たい風が吹き抜ける。彼のマントが翻り、はためく刹那に頬撫でた。

相変わらず心地の良い感触で、つい昨日包まったばかりの香りが残る。あまりにまっすぐ視線が注がれてくるものだから、不本意な沈黙が訪れる。

 

 

彼女は言った。別れを告げたのちあっさり再会するなんてよくある話。世界は広くて人間は限られている。

だがそれより圧倒的に多いのは、別れを告げた後永遠に会わないことだった。結局のところ友人や家族ではないから、意図しなければ二度と会わない。意図のしようがそもそもない。

 

 

「ツバキ」

 

風の合間に彼が呼んだ。

 

 

「来るか?」

 

 

質問はシンプルで、たったの三文字だけだった。彼女は左右に首を振る。

 

 

「行かない、バルバレに帰る」

 

「そうか、じゃあな」

 

会話は、それで終わった。静かに背中は向けられるから、彼女もまた歩き出す。

とても短い縁だった。

 



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3話

第一章 邂逅篇


彼女がどのような人物か述べるなら、比較的簡潔な文で説明出来る。

G級になりたての女ヘビィガンナーで、現在はかなりの金欠に苦しむ貧乏ハンター。

ついでに足がかなり早くて、存外間抜けな側面もあり、焦ると大声を出すタイプだとダラハイドが知ったのは数分前だ。

全力疾走の後の荒い呼吸で荷台に大の字で寝転びながら、キャップの隙間から彼女が睨んだ。

 

 

「上ヒレ返して……!」

 

武器防具込みで総重量百キロ越え。しかも雪道を走った彼女がこうもばてるのは当然だろう。

待って、ダラハイド、待て!止まれ!

そう大声を張り上げながら、走るガーグァを追いかけて来たのは、別れの挨拶を済ましてから一時間ほど経った頃だ。ひょんなことから行きの飛行船にポーチを置いて来てしまった彼女は、剥ぎ取った素材を彼に預けた。回収し忘れたと思い出して引き返すと、ちょうど交渉が成立したのであろう荷馬車が彼を乗せて走り出すではないか。

ダラハイドに預けたのはザボアザキルの上ヒレだ。あれをなくしては何しに来たのかもわからない。移動時間も含めたここ数日の全てが無駄となってしまう。

それが嫌で必死に走っているのに、気付いていながらダラハイドは騎手に止まるよう指示をしなかった。おかしそうに笑いながら、呑気に手を振っているだけ。

彼女の走りが荷台に追いつきかけた頃になりようやっと、ダラハイドは手の差し伸べた。彼女がその手を掴み取れば、ダラハイドが力いっぱいに引き上げる。そうして、荷台の上で仰向けになっているわけである。

彼女は、追い付いたら絶対に一発殴ろうと思っていた。だがいざ追い付いたら息が切れてそれどころではなかった。

 

 

「そのことだがな、G級ハンター殿」

 

くつくつ笑いながら彼は言う。

 

「なに」

 

「ユクモ村がどこだかわからなかったんだ。お前の言う再会が、こんなに早くて実に嬉しい」

 

「……え」

 

 

一瞬、彼が何を言ってるのかわからなくって、彼女はポカンとしてしまう。自らが向かうと言った村の場所がわからないとは。ならば一体どこへ向かってるのか。

あっけらかんとして彼は言う。

 

「東だ」

 

「……それだけ?」

 

「お前が言ったのだろう。遥か東の、山中にある穏やかな村だと」

 

 

荷台に乗せて貰えるよう話をつけた、までは良かった。問題はガーグァを走らせる主人も、ダラハイド自身も、ユクモ村の所在地を知らないということにある。

 

「それでとにかく東と伝えれば、二山ばかり先の村に仕入先があるらしいから、そこに行こうという流れになった」

 

「馬鹿なのか、あんたは!」

 

経緯にしても無謀なものだが、問題なのはちゃっかり道案内役をやらせようとする思惑である。彼女は誰が付き合うものかと威嚇して、ポーチから上ヒレをひったくる。不思議なことににこやかなまま、ダラハイドは抵抗しない。

 

「そう連れなくするな」

 

「一緒に行くなんて言ってない!」

 

これ以上の面倒は御免と言わんばかりに、彼女は跳ね起き荷台の渕に足をかけた。どうせ止まってなどくれないから、飛び降りようと試みたのだ。さして高さもなければ高速でもない、やろうと思えば誰でも出来る。だが彼方に影を残して米粒のように小さくなった集落を見て、彼女は飛び降りるのを躊躇した。

……ここからこのまま飛び降りれば、上ヒレは手元に残る。これ以上この厄介な男に巻き込まれずにも済む。

そしてあんなにも遠のいてしまった集落に向かい、一人とぼとぼと歩かねばならない……ホットドリンクもなしに。

今朝方半分ずつ分け合った分の効力は、間も無く完全に消えるだろう。急いで追いかけてきたのだ、補充するいとまはなかった。

きっと彼はそこまで予見していたのだ。だから笑いながら言うのだろう。

「昨晩、お前は寒いのが嫌いなように見えたのだがな」

 

「……嫌いだよ、あんたの次に」

 

クラクラと目眩を覚えながら、結局彼女は腰を折った。少なくとも今すぐ飛び降りるより、次の村とやらまで同行するほうが賢いらしい。

 

「村についたら周辺地図を買って場所は教える。そうしたら今度こそお別れ」

 

あらかじめそうと釘を刺す。それで、その村まではどの程度かかるのか。聞けば頭を殴られたような衝撃だった。

 

「二日から、三日だな」

 

「……嘘でしょう」

 

 

すっかり見えなくなった集落が恋しい。この旅がまだまだ終わりそうにないから、彼女はがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

そのまま、一時間くらいは腹が立ったから一言も喋らなかった。だが寒さだけはどうにもならずに、時折手をこすり合わせて熱く息を吹きかけるを繰り返していた。ダラハイドは、そんな様を見てまた穏やかに笑う。

 

「入れ、G級ハンター殿。無理にとは言わんがな」

 

肩のマントの裾を摘まんで、手招きしながらそう言うのだ。まるで幼子を招くような眼差しは、どうにも彼女に意地を張らせる。だがそれでも、寒さには敵わないと彼女はマントの内側へ逃げ込んでしまう。

 

「すごくあんたは嫌な奴だ」

 

背負ったボウガンをそっと外し、なるたけ身体を覆えるように密着すれば鎧同士の掠れる音がする。

ふと気付くのは、独特の甘い香りであった。思い起こせば微かにだが、昨晩もこれを嗅いだ気がする。蠱惑的で微睡むような甘い香りは、香や花とは異なる類のものだった。

 

 

「ダラハイド……、甘い匂いがする」

 

「腹が空いたからといって、俺は捕食対象にならないだろ」

 

「……そういうんじゃない。聞いた私が馬鹿だった」

 

彼女が不貞腐れるようにそっぽを向いて、それからまた沈黙の時間になった。

雪はパラパラ降り続け、時折脇から吹き込んでくる。なるべく凍えずに済むように、彼女は手足を折りたたんでいた。寄りかかった彼の胸は、不本意であっても暖かい。二日か三日。最低でもあとそれだけはこうして過ごすのかと考えるほど、自らの振り回されっぷりに泣きたくなる。

 

こんなはずではなかったのだ。楽々こなせるだろう上位クエストで、手早くザボアザキルを狩りとって、上ヒレひとつばかり持ち帰れば、不釣り合いに多額の報酬が待っているはずだった。今頃は暖かいベッドで、迎えの定期便を待っているはずだったのに。

 

 

「……ツバキ」

 

呼び掛ける声は、体制のせいで頭上から落ちるようだった。

「お前は、どれくらい狩猟をしてきた」

 

それは、歴の長さを尋ねているのか。協会からランクを与えられたのは六年前、十代も半ばの頃だった。だが初めてボウガンを担ぎ、獲物に向け撃ち抜いたのはもっと幼い頃になる。 父も母も、八人の兄達も狩人だった。厳密には、彼女の生まれた集落ではその大半が狩猟と商業を掛け持ちにして生活している。

とは言えギルドから依頼を請け負い報酬を得る、いわゆるプロとは少し異なる。近場の渓流に赴き採取をするのが主だった。自衛のために武器を取り、時に高値取引されるモンスターを見れば銃口を向ける。秋も深まれば冬に備える必要があり、そのためファンゴやアオアシラをよく狩ったものだと彼女は語った。

 

「なにもないような鄙と言ったろ。だからそうやって、みんなで狩りに出て自給するんだ。冬は木の実が取れなくなるから」

 

中には手練れの者も出てくる。広い世界に憧れたり、自分の腕をさらに磨きあげたくなったり。一定数そういう若者がいるから、自然とユクモを目指す流れにも寛容だった。

 

「女伊達らに手練れとは、父君も鼻が高かったろうな」

 

「手練れだったのは二番目の兄だ。私は違うし、父は他界してる。リオレウスにやられた」

 

きっかけは些細だ。とある狩猟で手負いとなった父は、その帰路につく差中天空の王に召しとられた。当時幼かった彼女はふさぎ込んで膝を抱いたが、兄は敵を恨むなと素っ気なくして出掛けてしまった。理屈が理解できないまんまで、恨みを抱えたまんま銃を持った日もあった。

 

あれは、まだ少女と呼ばれる齢の頃だ。仲間の制止を振り切って、ドスジャギィを単身追跡したことがある。幾度となくジャギィやジャギィノスの群れと相対してきたし、時にその群の長が現れても引けは取らなかったから、自らを過信してしまっていた。それ故にうまれた油断であった。足を引きずる敵の背に、とどめの一撃をお見舞いしようとリロードした刹那、岩場の影からもう一頭が飛び出したのだ。

突進の勢いのまま彼女は吹き飛び、直後、首元を縫い付けるように前足が岩場に叩きつけられた。眼前には充血した目の竜がいる。無様にひっくり返ったために、視界は上下が反転していた。やがて頭を丸呑みに出来るほどの大口が開かれ、鋭利に尖った歯列を眺める。

だが目が合った刹那に、恐怖とは別の思考が流れた。より正確には、思考が流れ込んできたのた。率直に言うなら、あれは共感だったのだ。

 

竜は父の仇である。リオレウスも、目の前のドスジャギィも、モンスターとはすべがらく仇敵だとあの日彼女は憎悪を持ってた。だが死を目前にそんな怒りが頭を爆ぜた瞬間に、自らを睨む敵の瞳には、同じ感情が渦巻いてたのだ。それは捕食対象を眺める食欲的なものとは異なる、恨みを孕んだ怒りであった。

 

「父は狩猟を教えてくれた。貫通弾が弱点を貫くと、大きな手が頭を撫でてくれたから……その手を奪った竜どもが憎かった。だけど奇しくもその時、竜と私は同じ怒りを持っていたんだと思う」

 

〝目の前の生き物は父の仇だ〟

 

今日まで数多の狩をしてきた日々が過る。竜の息の根を止めて血抜きをしたあと、鱗を剥がして皮を鞣した。骨を取り、爪や牙を引き抜いて素材とした。目の前の竜は、そうやって死に、人の糧となってきた竜の親や子であったのかもしれないのだ。

竜どもは父を殺した。だが人間もまた竜を殺した。ならば竜は父の仇だが、自分もまた竜にとって仇の存在なのだった。

 

 

「────ハンターはそういうものだと思った。駆けつけた兄が竜の横っ面にハンマーを叩き込むのを眺めながら、強い狩人になりたいと思った。それだけ」

 

そうして誰かの仇を取ったり、その何倍の恨みを買って生きてゆくのが、ハンターの業で大地の摂理のような気がした。

 

 

 

この一帯は日の出てる時間がとても短い。そのため太陽は既に西に傾き、粉雪も徐々に大粒となる。

白い息が濃さを増した。いっそう風が冷たくなって、無意識に身体が沈み込む。

 

「崇高な動機や高い志でないからがっかりした?私がハンターしてるなのは、本当に、それだけなんだ」

 

例えば武の道を極めたがるような、そんな高い意志ではなかった。命がけの家業であるのに。恨みに重さを感じるからこそ、命のやり取りに価値を見出せた。あの日の父が褒めてくれたように、弾丸を竜に埋め込みたいのだ。

そうやってたくさん狩って、いつか自分も捕食される。そんな人生の選択をした。

 

 

「いや。鄙にそぐわんいい女だ、お前は」

 

世辞でなくアシュはそう告げた。やはり声色は暖かい。

 

また少しばかりの沈黙になり、今度は彼女が彼に問う。……あんたは。あんたはどうしてハンターしてるの。

軍学校などと上等な教育を受け、その見なりから金に困った様子もない。だのにこんな質素な荷台で過ごすのにも抵抗もないのだ。そうしてわざわざユクモにまで行く、この不可解な男の動機も知りたいと彼女は裾を引く。どこからか、わずかに甘い香りがしてくる。

 

「悪いが、面白いエピソードではないな」

 

「自分だけ言わないのはズルだ」

 

どうせ退屈なのだ、だったら思い出話も悪くない。やがて林に差し掛かり、進路はそのまま山へと続く。そうなれば雪を被った数多の木々が、日光も遮断してしまうだろう。

もったいぶるような間を置いた後、ぽつほつとダラハイドは過去を語った。追憶に浸る眼差しが、光のせいで髪色と同じ真紅に見えた。

 

 

「伯父と諸用で遠出する機会があったのだが、この伯父というのが中々に癖の強い人柄でな。道中、通らねばならない原生林では、ちょうど産卵期のリオレイアが報告されていたから、護衛役に数人のハンターを雇った。俺が七つの頃だ」

 

順当に進めば一日で通り抜けられるはずだった。だが強欲な伯父は、追加金を支払うから飛竜の卵が欲しいと言い出したのだ。提示された額が相場の数倍であったから、ハンター達は頷いた。

 

荷車の車輪が数センチばかり沈む浅い水場で、赤い花びらが散らばる美しい場所に伯父は停車した。岩肌にこびりつく苔に群がる虫の羽音や、鬱蒼と伸びる植物、そのどれもが生命力に溢れて輝いていた。僅かな木漏れ日に微睡んで、寝そべるズワロポスの姿もあった。護衛に一人が残り、他のハンターが崖を登る。この上に巣があるのだと言っていた。

退屈凌ぎに伯父が葉巻に火をつけたから、匂いを嫌って彼は離れた。荷車を降り、近場に池を見つけて覗き込む。水面下で優雅に泳ぐ黄金魚やハレツアロワナの尾ひれを眺めてた。そして数分後、上空から怒りとも悲鳴ともつかぬ咆哮を聞いた。

 

アドルフ!荷馬車に戻れ、もう行く!

そう護衛役のハンターが声を荒げた。ほぼ同時に崖から残りのハンター達が飛び降りてくる。うち一人の腕には、飛竜の卵が抱えられていた。ならばあの咆哮は、きっとリオレイアのものだったのだ。

 

急げ、長くはもたない。そう強引に腕を引かれて、半ば放り込まれるように荷馬車に乗れば、瞬く間にガーグァに鞭が振るわれる。急げ、走れ、しっかり掴まっていろ。矢継ぎ早に指示が飛び、訳もわからぬまましがみつく。

 

「殺したのか?」

 

あどけない疑問が口をついた。その速度故に激しく揺れる後部座席で、小さな両手はロープを掴む。傍らを警戒した面持ちで見渡すハンターは、少年の愚問にうっとおしそうな舌打ちをしたが、依頼人の身内であるため無視はしなかった。

 

「……殺っちゃない。痺れ罠だ、長くは持たない」

 

ぶっきらぼうな返答だった。傍から何故仕留めなんだと伯父が野次を吐き捨てる。殺さなかったということは、卵を奪い返そうとリオレイアが襲ってくるということだからだ。

 

「火竜は番いで子育てをします。繁殖期の現在、雄が縄張りに必ずいるでしょう。リオレイアとリオレウス、両方を狩るのにこの人数と設備では数日を要するでしょうな」

 

火竜は雌雄で連携することがあるのは周知の事実だ。どちらかを攻撃したなら、必ず番いが駆け付けるだろう。繁殖期なら尚更に。

このような夫婦狩りを行うならば、二頭を引き離し個別に狩猟する必要がある。だがどんなに引き離そうにも、度々合流するのだから厄介だった。

 

「まずお二方の安全を確保できるベースキャンプを築き、そこから番いが合流しないようそれぞれの所在を確認する必要があります。肥やし玉もないので、モンスターの糞の採取も必要ですね。それでも仕留めにかかったほうがよろしかったですか」

 

感情を感じさせないような、淡々とした説明を行ったのはリーダー格のハンターだった。伯父の無知を咎めはせず、あくまで合理的な判断であると主張するかのようだ。片方を攻めれば、必然的にもう片方が現れるのだ。二頭討伐をするよりも、罠にかけて時間を稼ぎ、さっさと逃げてしまった方が手っ取り早いということだ。

水の弾ける音がする。慌ただしく走り去る一行に、昼寝をしていたズワロポスも飛び起きる。

 

「だが火竜は飛べるのだろう!殺してないなら、追い付かれるではないか!」

 

でっぷりと太った腹の前で、大切そうに卵を抱えた伯父が怒鳴る。卵の奪還が目的ならば、地の利のある竜が空から先回りするだろう。自らが危険に晒されるなど御免であるし、積荷に万一のことがあってらとんでもない、というのが伯父の主張である。元はと言えば自らの我儘が原因なのだが、厚い面の皮はそんなことはまるで考えてないようだった。

 

「そうですね、先回りや追い付かれる可能性はありますが……」

 

やがて林に突入すれば、進路の邪魔になり得る木々が薙ぎ倒される。先行くハンマーが道を開くべく武器を振るってる。

 

「原生林を抜けるまでの間、撃退するだけなら問題ありません」

 

そう懐から取り出されたのは閃光玉だ。空を飛ぶ相手に、これほど有効なアイテムもない。

ハンター達は全方位に警戒を怠らず、どこから現れても対処できるよう集中しているのがわかる。唐突に始まった逃走劇に、少年の日の彼は振り落とされないようしがみついてるだけだった。

鮮明に覚えているのは、爆ぜるようか水飛沫と、ぎしぎし軋む荷車の音。そしてざわめきたつ鳥や虫。その一帯全体が、何かに怯えているようだった。

 

 

…………

 

 

 

「ダラハイド……あんたの伯父は我儘だ」

 

不快そうに眉を寄せ、無遠慮に彼女はそう言った。いつの間にか木々が互いの枝を絡ませ、すっかり空は灰色に覆われてしまっている。代わりに積雪はいくばくかマシ程度に浅くなり、ガーグァの足取りが軽やかだった。

この辺りは山も林も危険度の高いモンスターは観測されず、故に暗くなってもこうして移動が可能であった。

 

後方へ流れるような景色を眺めて、彼女は今日まで出会ってきたいけすかない依頼主を思い出す。別段珍しくもない程度に胸糞が悪い。素人の我儘も無知も野次も、決まって金持ちによく見られる傾向なのだ。

 

「それで、その後はどうなった?原生林は抜けられた?」

 

七つといえば彼女が始めて狩猟に出たのと近い歳の頃になる。父を筆頭に兄達と採取に赴き、肉の蓄えとなりそうなファンゴに向けて引き金を引いていた。成長期前の小さな身体は武器を運ぶだけでも中々困難で、群れの長が居ようものなら、息を潜めて岩陰に隠れるよう言いつけられていた頃だ。その齢で雌火竜に追われたともなれば、さぞ恐ろしかったことだろう。

少年の日の彼はそこに何を見たのだろうか。語る口調は、さしてトラウマという訳でもない声色だった。

 

「まあ、怖かったな」

 

「言うほど怯えたふうには見えない」

 

「いや、麻痺していたのかもしれない。雌火竜は恐ろしかったが、それよりもっとおぞましいものを見た」

 

少年の日のダラハイドは、殺意を持って睨みつける竜の眼光が我が子を取り戻したい母の怒りと理解していた。吐かれる炎も、毒の棘を生やした尾を振るう様も、劈くような咆哮も全て。

ハンター達は閃光玉で目くらまししながら距離を取り、足止めに罠を張り、また攻撃もした。それでもリオレイアは執拗に追跡してくる。途中積荷を縛ったベルトが切れて、伯父がそれを押さえに回った。卵を彼に押し付けて。いいか、死んでも手放すな。七つの子供に怒鳴り散らした伯父の目を、彼は今でもよく覚えてる。

 

「……もっと、おぞましいもの?」

 

意味深な言葉に頭を捻れば、謎かけをしたいわけではないと、その答えはすぐに耳元へ囁かれた。……乱入だ。声は僅かに低かった。

 

「あれだけ執拗だった追跡が、いつの間にかパタリと途絶えた。原因は恐暴竜だ」

 

膝下にも満たない浅い運河に辿り着き、そこを渡れば原生林も終わろうという時だったという。下流に向かって流れる水に、赤黒い血の線が混じっていたのだ。目線をあげれば、割れた爪が力無く水面に揺られてた。あれは雇った一人のハンマーがつけた傷だから、そこに横たわるのが先ほどまで逃亡をはかっていたのと同じ個体に間違いはない。すぐにそれと思えなかったのは、あまりに様変わりしていたためだ。

千切れかけた尾を地面に縫うように、強靭な後ろ足が爪を立ててリオレイアを踏み抜いている。一見して黒岩が火竜を押し潰したようだった。だが黒い塊は岩ではなく暗緑色の鱗に歴戦の傷をこさえた巨躯で、火竜を喰らうために背中を丸めるイビルジョーだったのだ。

 

火竜に息は、まだあった。垂れた首が僅かに傾き、驚愕する一行を見る。虚ろな視線が彷徨ったのち、卵を抱える彼を見据えた。

裂いた腹に口を突っ込んで咀嚼する、恐暴竜は食事に夢中で彼らを見ない。爪が鱗を引き剥がしては、目の前の肉を喰らい続ける……それは当たり前の食物連鎖で、だけどあまりに残酷だった。

 

 

「……食欲だったな、あれは。殺意でも怒りでもない、感情もない。恐暴竜の瞳には食欲しかなかった、それが何より悍ましい」

 

 

恐暴竜、イビルジョー。隆起した背中の筋肉が、屈み背中を丸める様を岩のようなシルエットに見せていたのだ。

先刻まで勇ましく炎を吐いた火竜の顎は、もう悲鳴も咆哮もあげなかった。こらえるように弱々しい呻きを残して、やがて瞳はゆっくり落ちる。何か言いたげな眼光を投げかけてから、その瞬間息は完全に絶えたのだった。

 

……伏せろ、ゆっくりだ。決して音を立てず、ゆっくりゆっくり伏せて、後退しろ。

雇われハンターの一人が、押し殺したしゃがれ声でそう指示をした。自分以外全ての生物を捕食対象とする〝貪食の恐王〟を前にして、下された判断は撤退だった。勝算は限りなく低く、まして誰かを守りながらなど成せるはずない。荷車ごと積荷を残し、卵も諦め身軽になって、大きく迂回し泥濘の中を隠れながら原生林を抜けること。恐暴竜が一行に気付くより先に、速やかにそうすることが、最大の自衛手段であったのだ。

 

この積荷を置いてゆくなどとんでもないと、伯父は顔を赤くした。大切な金儲けの商品が山と詰まった木箱を手放したくないのだろう。恐暴竜はなんだって食う。中には食料もあるのだから、きっと食い荒らされてしまう。

 

「退治してくれ、これをやる。帰還の後には報酬を上乗せしよう」

 

伯父はそう首から下げた宝石の一つを差し出したけれど、ハンター達は頷かなかった。

 

「なら残るといい、我々は撤退する。その宝石に価値があるのは、生きて金に替える状況下にある時だけだ」

 

命なくしてはただの石ころに過ぎない。生あるからこそ金が欲しいのであって、金の為に死にたくはない。 ハンターは口々にそう拒絶して、勝てない敵に挑もうとはしなかった。死者は金を使えないのだ。

 

「観測隊に報告しておく。イビルジョーがここを去った後、積荷が無事なら回収に来よう。これ以上は譲歩できない」

 

「馬鹿な!無事なわけがない!いくらになると思ってるのだ!!それこそ、」

 

要求に応じないハンター達に腹を立て、愚かな伯父は声を荒げた。それが阿呆のすることだと幼かった彼にもわかる。夢中で火竜の腹を漁っていた恐暴竜が、ギロリとこちらを睨んだからだ。

瞬間空気が凍りつく。一人が恐怖に情けない声を漏らして、震える指で背中の剣の柄を撫でた。

 

 

「……付き合いきれんな。我々は行く、着いて来るかはまかせる」

 

侮蔑の眼差しを突き刺しながら、見限った言葉が落とされた。当然死にたくなどないものだから、彼は抱えた卵を捨てようとした。だが無残にも屠られたリオレイアの亡骸を見て、身体がぴたりと止まってしまう。翼が……無傷だったのだ。

 

瞬間、彼は何故雌火竜が死んだのかを理解した。

 

恐暴竜は飛べない。雌火竜は飛べる。

自らより力のある敵を前に、翼の無事なリオレイアは空へ逃げることが可能であった。なのに何故、そうしなかったのか。

執拗に卵を取り戻そうと追跡したり、あるいは先回りすらした火竜の母は、ここに卵が来るとわかっていた可能性が高い。縄張りなのだ。原生林の終わりであるこの一帯を、逃亡をはかる人間が通ると予期するだけの知能があってもおかしくはない。

 

卵が来るから、ここに在るから。だから、逃げなかったのでは……と、確信に近い仮説が過ぎり、次に行ったのは穴掘りだった。

水場の土は柔らかい。割れないよう地面に置いてから、彼は必死に穴掘りをした。卵を地中に隠すため。

 

「おいガキ!!」

 

「放っておけ。あの男の甥なら、よく似て強欲なのだろう」

 

逃げ出さない少年に叱咤する声は、的外れな解釈のもと遠ざかる。命より金が大事というなら、子供であっても守ってやるつもりもないと軽蔑を込めた判断だった。

 

「クソガキ、目ぇ閉じろ!せいぜい後悔してろ、クソが!クソが!」

 

それでも子供を見殺しにするのは胸糞が悪いと、ひとりのハンターが逃げながらも閃光玉を放り投げる。せめて目くらましだけはしてくれるらしい。焼け付くような光が爆ぜて、視界を閉ざせば恐暴竜の驚愕する咆哮がした。次にゆっくり目を開けた時、ハンター達の姿はなかった。あれだけ威張り散らした伯父の姿もどこにも見えない。

 

光に目をやられた敵は、的外れな方に向かって岩を投げては尻尾を振り回して攻撃してる。長くは持たないと知っていたから、必死に彼は穴を掘り続けていた。

 

卵を隠したかったのは、子供特有のモラリズムかもしれないし、死んだ雌火竜への罪悪感かもしれない。少なくとも金を欲しいとは思わなかった。ただ漠然と思ったのは、ハンターとは雇って使うものでもなければ、絶対無敵の超人でもない。成るか、成らないかだけの人間なのだということだった。

 

 

 

「幼い頃の生活は息苦しい環境だったんだ。だからだろうな、ハンターは特別に選ばれし人間ではないと理解したからこそ、自分もなれるのだと思った。なれると知ったら、なりたくなった」

 

そう彼は言葉を締めくくる。あの日原生林に置き去りにした荷車とよく似た荷台に乗って、静かな雪道を眺めながら。

金目当てに卵を隠したと解釈した冷徹さも、情けで閃光玉を投げた男の複雑そうな眼差しも、全部全部覚えてる。全てがあまりに人間臭い。

 

「ちょっと、待って……。あんた、それでどうやって生き延びた?ハンター達、逃げちまったんでしょう?」

 

閃光玉が視力を奪ってくれるのはとても短い時間だけだ。やがて目が見えるようになった時、少年で武器もない彼に対抗する手段などないだろう。卵を埋めて隠し、そうして完全に逃げ遅れた幼い足では、到底恐暴竜を振り払えるとは思えなかった。

 

ああ、とダラハイドは頷いて、その続きをそっと語った。

 

ようやっと卵がすっぽり地中に埋まって、あとは泥を被せて蓋にするだけとなった時、視力を取り戻した恐暴竜がこちらを向いた。

それは飢餓感に思考を支配されてしまったような、無情すぎる眼光だった。目が合えば膝から震え、歯の根がガチガチ音を出す。人生で初めて死の淵を覗いた瞬間だった。恐ろしさから身を屈め、埋めた卵に覆いかぶさる。

 

だが奇しくも僥倖は訪れた。その時空から火が降り注ぎ、同時に力強く滑空する風切り音が耳をつく。全身で怒りを体現したような咆哮がした。舞い降りたのは、天空の王者と呼ばれる一頭のリオレウスだったのだ。

 

 

「……リオレウス?」

 

「ああ、死んだリオレイアの番いだろうな」

 

妻を咀嚼し、子である卵まで喰らおうとする恐暴竜に、リオレウスは怒り狂っているようだった。

唐突に大型モンスター同士が戦い始め、情けなくも腰が抜けた。子供の目には、まるで世界の終焉のようにも見えたのだ。岩が爆ぜ、火の雨が降り、大地が揺らぐ。

逃げようにもどちらに向かえばいいのかすらわからずに、結局彼は、その場で肩を抱えるだけだった。

 

 

「どれくらいそれを眺めてたのかは覚えてない。背後から足音が駆け寄ってきて、振り返れば閃光玉を投げたハンターがいた。どっさり腐葉土を手に持って……あれは臭かった」

 

思い出すだけで鼻が曲がりそうになると、戯けるように彼は笑った。腐葉土は、おそらく匂いを消すためだろう。イビルジョーの嫌うモンスターの糞も含まれていた。

 

我慢しろと声を低くしながら、酷く不潔な土を網に被せ、即席で作った蓑が作られた。隠れてやり過ごすべきとの提案だった。口の悪いそのハンターは、どうしても子供を見捨てられなかったのだろう。仲間を振り切りたった一人で助けに戻ってきてくれたのだ。

 

酷く不潔な土蓑を被って匂いを消して、そのまま背の高い茂みに身を潜める。そうして戦いが遠退くのを待った。

純粋な力量差でいうならイビルジョーに軍杯が上がるだろう。ギルドの設ける危険度が如実にそれを表している。

 

だがそれでも、火竜は〝空を飛べる〟という絶対的なアドバンテージを持っていた。距離を置き火を吐き、時に後ろ足から毒を打ち込んではイビルジョーを翻弄している。律儀に地上戦に付き合う必要などどこにもないのだ。一方的な射程距離を保ちながら、天空の王者はその猛威をふるっていた。

 

 

その戦いの結末を、彼は知らない。だがまるで天空から誘うようにリオレウスが滑空し、イビルジョーが追う形で二頭はその姿を消した。少年の日、腹の下の土に隠した卵の暖かさも覚えてる。彼が初めてモンスターの恐ろしさを知り、ハンターという生業を知った日のことだった。

 

 

…………

 

 

 

「……なんだ、お前が知りたがったくせに眠るのか」

 

いつの間にか相槌がないと思ってはいた。いやに可愛らしい体重のかけ方をすると視線を落とせば、彼女が寝息をたてていたのだ。寒いのだろう無意識に身体を小さく丸めてり

確かに昨晩、ベースキャンプに着いたのは大分に遅かった。氷海は日の短さ故に早起きは欠かせず、寝不足にならざるを得ない状況だった。

そういえばだが、人は規則的な振動に眠気を感じるものと聞いたことがある。荷台の揺れの作用が睡魔を呼んでしまっていたのか。どちらにせよ年齢以上に幼い寝顔は、空気を穏やかなものにする。

 

こんなに辺りは冷えこんでいて見渡す景色は白ばかりでも、寄せた身体は暖かかった。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

 

朝露がそのまま凍りつき、日光を浴びて輝いている。まさに銀世界と形容するに相応しい美しさで、その日の朝は訪れた。

昨晩は荷台をひくガーグァに疲労の残らぬ距離を見計らいらなるたけモンスターに遭遇しずらいような一角に停車した。元々長距離を運行するための荷車であるために、野営の準備もまた安易であった。

 

先に寝付いた彼女は朝一番に起きて、眼前いっぱいに生い茂るツラヌキの実に目を輝かせた。剣士である彼には馴染みのないかもしれないが、彼女の愛用する貫通弾の調合素材であるためだ。

 

「ダラハイド、ポーチ貸して欲しい。ツラヌキの実がこんなにある……!」

 

剣士はいい。砥石で済むから。

だがガンナーは無限の手数ある剣士と異なり、撃てる弾薬に限りがある。故に強敵を相手にする時は調合しながらの戦いとなるのだから、これが地味に金がかかるのだ。

 

「……ツラヌキの実ぐらいでうるさい奴だ」

 

眠気眼でダラハイドはいう。近接と遠距離で戦闘スタイルが根本的に異なるからこそ、素材によって価値観もまた大きく変わる。

弾丸一発でも金はかかるから、貧乏な彼女は出来る範囲で自作していた。つまり、無料で取り放題のツラヌキの実はとても魅力的なものである。

 

「ぐらいじゃない、あんたら剣士は砥石一つで済ますからわからないんだ」

 

「……切れ味とかな、大変なんだ。これでも」

 

眠るのが遅かった彼 ダラハイドは歯切れが悪い。むにゃむにゃとまどろっこしい口調のまんま、枕元を手探りにポーチを放る。好きに使えということだろう。

 

荷台から降りれば雪を踏む感触が小気味良かった。極寒の大地であっても早朝特有の森林の匂いが漂っている。吹く風の冷たさに肩を小さくしながらも、彼女は数多の実が転がる木の根へ向かう。

これだけの量があるならば、次の狩猟には弾丸を買い足す必要もないだろう。彼女は嬉々として、より状態の良いものへ腕を伸ばす。

 

「ご機嫌だな、G級ハンター殿。寒さ嫌いは克服したのか」

 

「あんたは先ず眠気を克服するといい」

 

霜焼けを怖がらない指先が、冷たさを無視して雪の中の木の実を拾う。彼のポーチに次々詰め込んで、彼女は朝からすっかりご機嫌だった。

 

不思議な女だと彼は思う。肌を包む柔らかな絹や、翠玉の首飾りに目を輝かせる人間は山といる。だが彼女はツラヌキの実であんなに嬉しそうにするのだ。

 

「……なあG級ハンター殿、ツラヌキの実以外でお前にとって魅力的なものは何がある?」

 

「鳥竜種の牙とハリマグロ」

 

即答されたのがまたしても貫通弾の調合素材で、さすがに彼は吹き出した。これを根っからのガンナーと形容すべきか、ただの貧乏気質なのか判断つかない。だが少なくとも、美しく着飾る街の女とは違う生き物だということはわかった。

 

 

「竜の仇か」

 

彼がポツリと呟く。

 

「え?」

 

「お前が昨日語ってくれたろう。……竜どもはすべがらく父の仇で、自らもまたあらゆる竜の仇であると。俺は、その言葉が好きになった」

 

「……アシュ、なにいってる?」

 

「もしも俺が竜であったら、首を狩る相手がお前ならいい。殺すのも、殺されるのも」

 

真顔でまじまじそんなことを言われては、彼女にはリアクションがわからない。竜と人は常々どこかで戦ってきた。そこに大義名分なんか存在しない。あるのは人に都合の良いこじつけだけだ。

 

「まるであんた、竜の気持ちがわかるみたいなことを言う」

 

ポーチの許容量限界までツラヌキの実をつめ、中腰から彼女がゆっくり立ち上がる。指先はほんのり赤かった。手袋の一つもしないからだ。

 

「残念ながらそんなファンタジーなことは出来ない。聞き流せG級ハンター殿、もしもの話だ」

 

悠々とそうかわされて、訝しげに眉が寄る。彼はどうにも掴みにくい。意味深なのか気まぐれなのか曖昧なのだ。

 

 

「────、待ってダラハイド、足音がする」

 

だが木の根を掻き分ける雑音に紛れて、複数の跳ねるような気配が聞こえる。途端に彼女が険しく眉を吊り上げた。

 

「……聞こえないが」

 

「耳は自信ある、群れだけど小規模だ。草の擦れる音」

 

 

草木の触れ合うかさつきと、小枝の踏み払われる音。だが木が揺さぶられる気配はないから、さして大型ではないのだろう。

 

彼女の言葉に、大剣の柄が握られた。昨晩丁寧に研いだばかりで、朝日を反射してギラついている。

 

「ケルビやガウシカならいいんだけど」

 

移動速度と音の軽さから当たりをつけて彼女が言った。この辺りでは危険度の高い大型は観測されていない。ツラヌキの実を詰めたポーチを持って彼女は跳び、そのまま荷台のボウガンをひったくる。

 

「なら最良はなんだ」

 

「バギィ。鳥竜種の牙が手に入る」

 

中折れ式の銃が肩を回って構えられれば、真っ直ぐに変形したバレルが地面に突き立てられる。上半身で体重をかけ、重々しいリロードの音が耳をつく。装填されたのは散弾だった。

 

「……よかったな、今朝はどうやら最高の出だしだ」

 

傍の草陰から一頭が飛び出した。先ず目に入ったのは小粒ながらに鋭い牙だ。顎から糸引く涎にも似た体液は、催眠性の高い厄介なものと有名である。

すぐさま、鉄塊のごとく巨大な剣が横殴りに振るわれる。

弾け飛ぶバギィは金切り声をあげていた。この手のモンスターは数にもの言わせてわらわら集まり、小賢しくも連携するのがうっとおしいのだが、どうやらここに長はいないらしい。

彼女の散弾が反対側の茂みへ爆ぜた。耳に自信ありと言うだけあって、機を伺い屈む竜の息遣いすら逃さずに。

 

 

「起きろ!出るぞ、頭が嗅ぎつける前にな!」

 

荷台の食料に引き寄せられたか、湧き出る雑魚を蹴散らしながら彼は声を張り上げる。今までテントの中では眠っていた荷馬車の主人は、のそのそとした動きであった。

 

「……鳥竜種か。なんとかしてくれ、そんな時のためのあんたらだろう」

 

この辺りは駆け出しの下位ハンターでもうろつけるような地域であるし、旅慣れた主人はバギィくらいじゃ慌てもしない。方や上位ハンター、急遽合流したのがG級ハンターと知っているから余計に踏ん反り返ってるのかもしれない。

 

「そっちの積荷に穴が空いてもいいなら応戦する」

 

ズレかけたキャップを被り直して、振り返りもせず彼女が言った。散弾の長所は大勢を相手にする時こそ光る。最初の数頭が瞬く間に生き絶えて、直様彼女がナイフを取り出す。警戒して後ずさる残党尻目に、牙を剥ぎ取るためだった。

 

「……商品に穴を開けるのは勘弁してくれ。価値が下がっちまう」

 

渋々と主人は眉尻下げて、かったるそうにガーグァの手綱を握って見せた。簡易式のテントを雑に畳んで、力任せに荷台へ放る。

一頭が喉を仰け反らせて天を煽った。断続的に響く鳥竜種の鳴き声は、ジャギィのものと酷似している。

すぐにわかった。仲間を、あるいは長を呼んでいるのだ。

 

「牙は取れたかツバキ、出るぞ!」

 

「わかってる!」

 

血が飛沫のように舞っていた。手の中に一頭分の牙を握って、満足気に彼女が駆け寄る。主人がガーグァの尻に鞭を放てば、驚いたようにやや跳ねてから荷台が動く。

すると一度は距離をとったバギィたちが、再び襲い掛かろうとが後ろ足を蹴り上げる。再び散弾が弾け飛ぶ。

 

「ドスバギィは近いのかもな、足止めしたがって見える」

 

バギィは群れの長の統率の下狩りを行う。人間には判別不可能だが鳴き声にはいくつかの命令系統があるらしく、それにより指示を仰いで連携するのが特徴だった。

車輪まで追い付いた一頭を薙ぎ払えば、小さな体躯はあっさり弾かれ仰向けになる。だがこんな荷台の上から振るう攻撃などたかが知れていて、あっさり飛び起きて再び追跡を始めるのだ。傍らで彼女が散弾を連射すれば、今度はまとめて三匹怯んだ。多対一なら大剣より効率が良い。

 

「見事なものだな」

 

「こんなの素人だって出来る」

 

褒めたのに喜ぶことなく彼女は言った。左の方で茂みが揺れる。あと十メートルもすれば下り坂だから、一気に引き離せるはずだったのだ。だが下り坂を目前に控えた林の中から、一際大きな影が飛び出したのだ。ドスバギィだ。

 

「ならチビは任せた」

 

ダラハイドはドスバギィを予期していたようで、飛びかかり攻撃が荷台に届くより早く剣を振るった。あの鮮やかな一閃は、下位レベルにはきっと強烈過ぎるに違いない。一撃で牙もろともへし折ってしまうことだろう。

 

だから、それを油断と言うにもまた十分だった。原因は乱暴にテントを畳んでいたことにある。大切な上ヒレは荷台の端に置かれていたが、なんの偶然かテントのワイヤーに絡まっていた。

爆ぜるような衝突音と、深く重々しい斬撃の音。両方が同時に耳をついた時、目の端で見たのはドスバギィの爪が苦し紛れにテントを引っ掻いた瞬間だった。

 

「あっ……」

 

トリガーを引こうとした指を止め、彼女は唖然と口を開く。爪はテントを引き裂いて、そのままワイヤーもろとも絡まりながら落下する。

結論から言うなら見事な抜刀攻撃は、一撃でドスバギィに致命傷を与えていた。体躯が転がり落ち荷台から瞬く間に遠ざかる。同時に下り坂に到達し、一気に走行スピードも増す。これで無事に逃げ切れたも同然だろう。破れたテントもろとも彼方にバギィの群れが消えてゆく。問題は偶然が重なったせいで、上ヒレまで落ちてしまったことにある。テントのワイヤーなんかに、絡まってしまったばっかりに。

 

「上ヒレ……!ザボアザギルの上ヒレが!!上ヒレ……!」

 

それは酷く悲しげな声だった。

 

「上ヒレぇぇ……!!」

 

とっくに遠退いて、届くはず無い距離へ腕を伸ばした彼女が嘆いた。

バギィ達が群がって、ザボアザギルの上ヒレを啄ばむ様子が伺える。荷台を降りて回収したところで、恐らくもう手遅れだろう。

 

「……まあ、ツラヌキの実は残った」

 

「上ヒレ、どうすんの……!ああああ、私の報酬金……!」

 

それはそれは悔しそうに、彼女ががくりと膝を着く。ダラハイドは思わず吹き出してしまい、それに憤慨した彼女が怒鳴る。

 

「わ、笑うな……!あんたのせいだろ、馬鹿……!ダラハイドの馬鹿、許さない……!」

 

時間は当然のこと、移動費やアイテム諸費用全てが無駄になった瞬間だった。深刻な金欠に苦しむ彼女に、これほど絶望的なこともない。

 

「おい、くく、泣くことないだろう。すまなかったから」

 

「笑いながら謝るな!!上ヒレ……!ああもう、どうするの!」

 

雪国の朝、それはそれは悲しげな声がこだました。

 

 






[番外編]

-1-

無尽蔵のスタミナを得れば、千回でも万回でも踊れる気がした。全武器一の機動力と手数を持った、双剣の乱舞は美しく洗礼されたものであるはずなのだ。
流れるような刃の軌道に沿い竜の血が散る。大剣のような破壊的な一撃も、太刀のような一閃もない。ランスのようなガードも出来ない。ひたすら走って、ひたすら張り付き、ひたすら弱点に向かって刃を踊らせる。彼はそういう戦いに憧れていた。

……そりゃあ、一撃の強さじゃ敵わないさ。ハンマーが顔面を殴りつけて角を折ったり、力を限界まで溜めた大剣が尻尾を叩き斬ったりするのを見れば、一撃の重さを見せつけられたような気がしなくもない。大技ってのにロマンを感じるのは男の性だ。事実彼もかつては大剣使いになろうとしていた。あんなにかっこいい武器は、他にないと思っていたのだ。

ならば何故、今手にあるのが身の丈を越えるほどの剣ではなくて、細い片刃二つであるのかといえば、きっかけは十二の頃だった。一人の双剣使いに出会った。当時ハンターですらなかった彼の故郷は、度々竜の被害を受けた。協会へ討伐依頼を出した一週間後、たった一人現れたハンターがその双剣だ。

ハンターとは強靭で無骨で、しかしそれが逞しいものだと決めつけていた。しかし現れたランク二桁のその男は華奢で、草刈りでもするのかっていうような、鎌のように歪曲した剣を二つ背負ってるだけだった。盾はなく、大剣のように剣身に隠れることもできやしない、リーチも短いし、防具にしたってひ弱に見える。その印象は村長も同じであったようで、そんな装備で攻撃に耐えられるのかねと疑問を述べてた。ハンターは無表情だが物腰は柔らかく、のんびりとした口調で「ご心配なく」と頷いた。

……ああ。この装備は、避けることに特化されてるんです。我々の業界では、回避性能とか回避距離っていいますが。

だから問題ないと言っていたけど、説明の後半は専門用語ばかりでよくわからない。
村一番の怪力持ちである木こりの男が、火力の低さを指摘した。見た所、攻撃力はスキルで補正されていないが?そんななりで大丈夫かと、やはりクエストの失敗を危惧したような物言いだったが、それでもハンターは動じなかった。

「火力の概念の違いです。双剣の火力は〝一撃が強い〟ことではなく〝何回斬れるか〟だと考えてるので。」

そう言って、ハンターはさっさと出発した。木の根を掻き分け岩場の影に身を潜め、少年の日の彼が狩猟を尾行したのは興味本意だ。あの強そうには到底見えない双剣で、恐ろしい竜をどのように狩るのか知りたくなった。そうして、自らの偏見的な価値観がぐるんと変化しちまったのだ。


…………



「……くっそ、強走剤なくなった……!」

自分の額から落ちた汗が、ぽたりと刃を濡らしてる。
泥濘む草葉に膝をつき、必死に砥石を滑らせた。早く、早く砥がなきゃ追いつかれちまう。なにせあんなに速いのだ、あの竜は。

右利きの彼は左手じゃ字すらも上手く書けない。だのに剣の扱いだけは上達している。
あの日、双剣使いの戦う様は見事であった。あんなふうになりたいと思った。そうして両手に小さな剣を取ったのに、まるで足元にも及ばない。なにせ、あの双剣使いはこんなふうに泥だらけの無様な姿は晒さなかった。

師と呼ぶ間柄だったわけじゃない。だが一つだけ教えてくれた。子供の彼にもわかりやすいよう、シンプルに説明してくれた。
〝大剣の攻撃が双剣の十倍強かったとしよう。じゃあ大剣が一度斬る間に十一回斬りつけろ、それが出来たら双剣のが強いぞ〟

名残惜しさもなく次の町に向かう双剣使いの身体は、返り血でぐっしょり濡れていた。手数を稼ぎ続けて、たっぷりの返り血を浴びた姿であった。
だのに今の自分はどうだ。返り血でなく、自分の血と転げまわった時の土汚れにまみれてる。全く無様だ。ドスファンゴもアオアシラも難なく狩猟出来たから、一流になれたと自惚れていた。あんな速さで動き回る竜なんて、まったく予想すらしなかったのだ。
残り少ない回復薬を見下ろして、そろそろ仕留めねば敗走も止むなしとため息が出る。立ち上がれば肩が痛んだ。さっき貰った、爪先の一撃がまだ癒えてないせいだった。






-2-

「また行くの、もう止めなよ。あんたじゃ無理だって」

「うるせぇ、この間はもう少しだったんだ。今度こそあいつの首持って帰ってきてやるから見とけ」

忠告を聞かない彼の態度に、幼なじみがため息を吐く。
ボロボロになって帰還した後、書物を漁りその竜がナルガクルガだと知った。どうりで速いわけだ、なにせ迅竜なんて呼ばれてる。

敗戦が悔しくて色々調べた。雪辱を晴らしたくて仕方ない。弱点を調べ、属性もナルガクルガの苦手とされるものを選んだ。アイテムだって、これでもかというほど万全に整えた。だのにもう何度も負けている。前々回はまたも回復薬を切らして逃げ帰る羽目になり、前回など気絶して気が付けばベースキャンプに寝かされていた。
モンスターに張り付き、ひたすら斬り、華麗に躱す。それを目指したはずなのに、いつもナルガクルガと鬼ごっこをするばかり。思い切り乱舞を打ち込めさえしたならば、決して強靭でない迅竜の外皮などズタズタに切り裂いてやれたのに。


「余裕ぶりやがって」

渓流の草根を掻き分けて、水場の岩を踏み締める。
ナルガクルガは目が悪くて、頭が良くて、プライドが高い。書物に記されたその特徴に、目前の敵はピタリと当てはまる個体であった。

……いた。
いつもの大岩のてっぺんが、あのナルガの寝床と知ってる。呑気にそこに横たわり、自分の尻尾で遊んでいるのを彼は見つける。あの済ました横顔を、今日こそビビらせてやろうと気を引き締めて、まず取り出したのは罠だった。
見てろよ、今日こそ、今日こそは、今度こそは。闘志を燃やしてネットを巡らす。落とし穴だ。ここに落っことして、あの余裕面に思い切り乱舞してやろうと画作した。今日は強走剤は調合分まで持って来たし、怪力の丸薬まで用意した。再三敗北を舐めさせられた迅竜に、今度こそ勝利して実力を示す。そうすれば、あの小生意気な幼なじみも少しは彼を見直すだろう。それに木こりの息子の嫌味な野郎も、双剣を弱いなど馬鹿にするのをやめるだろう。だから、どうしてもナルガクルガに勝ちたいのだ。

落とし穴の設置完了した物音に、真っ黒い耳がぴくりと動く。のっそりと首を持ち上げて、岩の上から彼を見る目は、相変わらず嘲りを孕んだように澄ましてた。

「今日こそ殺す!」

武器を構えて彼は怒鳴った。同時に、ナルガクルガが咆哮をする。ただ起き上がるだけの所作すら滑らかに、真っ黒い体躯が跳躍を見せた。

最初は目で追うことすらままならず、見えても反応が追いつかない事のが多く、攻撃などかすりもしないものだった。だがさんざ挑み続けてきたのだ。鍛錬もしたし武具も強化した。それに、経験値だって蓄積されてるはずなのだ。確実に腕は上がってる。だから、敵わないことなどないと思った。
思っていたのに。



…………




毎度思っていたけれど、その尾の長さは反則ではなかろうか。横殴りに振るわれた尻尾の側面に、腹から飛ばされ彼は呻いた。衝撃でアイテムポーチの中身が散らかる。瓶の割れる音が聞こえて、背中に嫌な汗が浮かんだ。おい、今のまさか回復薬じゃなかろうかって。水辺の小石に頬を切られて、また不名誉な傷が増えてく。最初の頃より動きは洗礼されてるはずだ。対等に戦えてると思っていた。だのに、結局いつも仰向けで空を見るのは彼だけだった。

ナルガクルガは鼻をふんと鳴らしてみせて、彼の瓶を順々にその足で踏み抜いてゆく。ばりん、ばりん。その度嫌な音が聞こえる。

「て、てめっ……!」

ナルガクルガは知能が高い。彼と何度も戦ううちに、あの瓶……すなわち回復薬がハンターにとって大事なものだと理解しててもおかしくはない。割れたガラスから溢れる液体が、土の中に染みてゆく。それを見下ろす敵の瞳は、嫌味なくらいに得意気だった。
よろよろと彼は立ち上がるけど、今度は長い尻尾が何かを遠くへ払い飛ばした。……あれは、

「砥石……、砥石?!」

目を細めてよく見たならば間違えようはずもない。双剣の、いや剣士全体の最も大切なアイテムのひとつだ。それをあの長い尻尾でお釈迦にしてる。
顔色を青くする彼を見て、やはりナルガクルガは得意気にする。こいつがもし人間だったら、さぞ嫌味な笑顔に違いない。

迅竜は強い。プライドが高くて、頭がいい。こうしてしまえば、彼が戦えないと理解してても不思議ではない。心底嫌な竜だと思った。結局その日も、攻撃らしい攻撃なんて殆ど当たりやしなかった。
獲物を嬲るような目つきで、あらかたのアイテムを破壊した敵が近づいてくる。今日は……いよいよもって死ぬかもしれない。そう思えば悔し涙が滲んでしまいそうだった。

だが予想外な事が起こった。ナルガクルガが……落とし穴に落っこちたのだ。
下半身がずどんと落ちて、俊敏な奴が不似合いにもがいてみせる。前足でがりがり土を引っ掻いて、怒り狂って吠えながら。

直ぐには脱出出来ないだろうことはわかった。なにせ入念にネットは張られているのだ。彼は、高笑いした。負け犬の遠吠えと自覚しながら、せめてプライドの高いナルガクルガを馬鹿にしてやりたかったのだ。

「は、はは、ざまあみろ!お前間抜けだ!次だ!次こそ……!ばーーか!!」

そう言って、ボロボロの身体に鞭打つように走り去る。
また駄目だった、また負けた。悔しくて涙が落ちるけど、死にたくないから必死に走った。
命辛々逃げ出して、また恨みを強くする。次こそ首を切り裂いてやろうと強く誓った。






-3-

モンスターの死に方を、調べてみれば意外な事実をたくさん知った。思えばハンターにとってのモンスターの死は、「殺した」という事実の元に起こる事象だ。
だが自然界なら当然のこと、怪我や衰弱、他の種との争いの末の死が起こりうる。例えばだが群れを成すドスジャギィは、巣に還り仲間に危険を知らせる。リオレイアは逆に巣からは遠く離れる。自分の屍肉に群がるものが、卵まで食い物にしないように。

ナルガクルガは……死体が見つからないような場所を探すらしい。プライドの高いことだと思った。協会の受けた報告の中には、追い詰めたナルガクルガが崖に向かって飛び降りたという例もある。既に翼は折れ飛行不可能な状態で、ハンターにトドメを刺されるのを嫌った可能性を考察された事例であった。

死に様を晒したがらない竜。死に場所を自分で選ぶ竜。報告書のその一文は、彼のよく知るあの個体を彷彿させる。きっとあいつも、自分にトドメを刺されそうになった時には、「お前なんかに殺されてやるか」と吐き捨てそうなものだから。

骨折した肋骨は殆どくっつきかけている。もう少し癒えたらまた再戦しようと彼は思った。
自室のベッドに横たわり、イメージトレーニングに耽ってる。四人のハンターが訪れたのは、丁度そんな時だった。


「休養中すまない、渓流のナルガクルガと戦ったのは君か」

扉の前に立っていたのは、見るからに手練れのパーティだった。まず一目見て、装備の強さに産毛が逆立つ。リーダーであろう先頭の男の胸板は、古龍の素材で出来ていたのだ。いやよく見れば他の三人の防具や武器も、自分が到底狩猟出来そうにないモンスターの鱗を使ったものばかり。腕章には、全員がG級ハンターであることが記されていた。

「そう……ですけど、なんで」

「ナルガクルガの寝床を知らないかと思ってな。これから討伐に行くんだ」

寝床の在処は非常に有益な情報だ。これを突き止めておくだけで、狩猟はかなり楽になる。だからこの情報収集は然るべきことだと理解していた。驚いたのは、何故討伐に行くのかということだった。


「こんな集落のそばにG級認定された個体が現れたんだ。協会から討伐令が出た。集落全体の安全が危ぶまれる」

「え、あいつ……G級認定されてるんですか……」

「……?知らなかったのか、いや無理もない。恐ろしかったろう、すぐに討伐してやるから安心してくれ」


どうりで強いわけだと思った。たまに一撃当てられたって、決まって弾かれた理由がわかった。
わからないのは、なんで自分が生きてるのかということだった。

彼はランク一桁の駆け出しハンターで、当然防具も下位素材で、だから当たり前に初心者レベルの防御力しか持ってない。G級認定されるほど強力な個体の攻撃など、くらえば一瞬で死んでしまってもおかしくないのに。
もう何度も戦った。あの爪や尻尾に、何度も全身を攻撃された。なのにどうして生きているのか。再起不能になるような、致命的な怪我すらなかった。

あのナルガクルガはいつも余裕面を崩さずに、大岩の上で呑気にしている。彼が全力で挑んでも、虫でもあしらうみたいな顔をする。馬鹿にしたようにアイテムを壊して、必死に追いかけてくる彼の攻撃をひらりとかわして、いつも見下すような目をしていた。
影すら踏ませてもらえない、なにより速い竜だった。

「……すいません、わからない」

寝床を知っていた。滝の裏側にある岩場と水場の境界線で、一番大きな岩の上。
知ってるくせに嘘をついた。何故嘘なんかついたのか、彼は自分でもわからなかった。


…………



……あいつは俺が倒したいから。そのために鍛錬を重ねて来たから。何度骨を折ったと思っているのか、どれだけアイテムを消費したと思っているのか。
だから、どっからかポッと出てきた熟練者達に、あっさり倒されたら気分が悪い。だってそれじゃあ、挑み続けた自分が馬鹿みたいで。戦いのために努力した日々が無駄みたいで……


頭の中で繰り返す、彼の思考はぎこちなかった。まるで言い訳してるみたいだ。自分に自分で言い訳するなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ないのに。

いつもの草根を掻き分けて、痛む腹を抑えて必死に岩場を目指す。熟練ハンター達はさっさと出発してしまったから、今頃戦い始めていることだろう。
あの賢くて、プライドの高い嫌味な竜は、自分とは比べものにならないほど強いハンターを前にどうするのだろう。小馬鹿にしてた人間に、きっと冷や汗かいているに違いない。ざまあみろ。ざまあみろ。そう何度も繰り返すのに、彼の表情は真逆であった。ちっとも痛快そうじゃない。

〝その現場〟に、近付くのは容易であった。なにせ物音が騒々しい。剣の音、ハンターの怒号、アイテムを使う音、それから、咆哮。うるさい方へ足を運べば、戦闘の現場はすぐに見つかる。遠目の影からじっと見た。ナルガクルガは、自慢の尻尾を振り回していた。

……そうだよ、その尻尾、痛いだろう。よく知ってるよ、何度もぶっ飛ばされたんだ。
人知れず呟く彼の声を、聞いてるものは誰もいない。

回復しようと後退したランスに向かい、あの驚異的な機動力でナルガクルガが飛びかかる。
……あの動きも、知っていた。そうだよ、速いんだよ。回復するのも一苦労だよ。話し相手など誰もいないのに、なんて虚しい呟きなのか。
弓の放った矢がかわされて、後ろにあった枯れ木に刺さる。やはり彼は頷いた。そうだよ、すばしっこくて、攻撃が中々当たらないんだって。

あのナルガクルガのことを、誰より詳しくなったと思った。動きのパターンや独特の癖を、誰より知っていると思った。

「なんだそれ」

悔しくて、膝をついた。
彼が戦っていた時よりも、ナルガクルガはずっと速く動いているのだ。ずっと強力な攻撃をするのだ。熟練ハンターが手こずるくらいに。

大きく後ろに飛び退いてから、勢いをつけて飛びかかる。ナルガクルガは速すぎて、渓流に黒い残像がいくつも重なるようだった。あんなスピードなんか知らない。

それから、足場の一つにあった落とし穴に前足をつき、あっさりネットを引き裂いた。もうあの罠は台無しだろう。

「なんだそれ、お前落とし穴見破れるのか」

じゃあなんであの時落ちたんだ。落ちなかったら、彼にとどめを刺せたのに。疑問を述べても、答える奴などどこにもいない。



「やっぱ怒ってないと入りませんね」

「もう麻痺する、ちょっと耐えろ」

熟練者達が連携をとる。麻痺ってなんだとよく見れば、弓は麻痺瓶をぶら下げていた。ああ、そういうことかと納得をする。
宣言通りに、ナルガクルガが身体を麻痺させたのは間も無くだった。


目を覆いたくて、目が離せなくて、目を背けてはいけない気がした。
喉が異様に乾いてくる。何故か胸に穴が空いた気がする。


「自慢の尻尾のくせに、なんだそれ」

麻痺で自由を奪われた隙を、熟練者が逃すはずもなかった。あのしなやかで強力で、ひどく厄介な尻尾が切断されるのを見た。彼の頭が真っ白になる。

大岩の上に転がって、自分の尻尾で遊んでいた呑気な姿を思い出す。……何故か胸が苦しくなった。







-4-

ナルガクルガが怒った時に、瞳が赤く染まること。今日彼はそれを初めて知った。

じゃあお前、今まで本気で怒ってなかったのかって、そんな知りたくない事を知った。
思い返せば彼の怪我はいつも打撃によるものばかりで、切り傷はないに等しかった。せいぜい転がって石に頬を切られたくらいだ。ナルガクルガの爪も牙もあんなに鋭いっていうのに、どうしていつも切られなかったのか、考えるのも嫌になる。

もっと速く動けたくせに。
もっと強く殴れたくせに。
いつでも、殺すことができたはずだったのに。

「まさかアレだろ、初めて見た時、寝てるお前をスケッチしたの関係ないよな。あん時は、こんな怖い奴だと思わなかったんだよ」

モンスターが言葉を理解するわけがない。だから、こんな問い掛けはきっと無駄に違いない。

「お前身体丸めて寝てるから、起き上がった時まじでビビったんだよ。こんなデカイのかって。本当強くて、必死に逃げたよ。お前……情けないって思ったんだろ」

なんだか寝顔が可愛くて、ポポとかガウシカとか、そういうタイプのモンスターかと勘違いした。だが起き上がってみたらどうだ。牙はあるわ爪は鋭いわ、翼もあるわ尻尾は長いわ、挙句目が殺気立ってる。そりゃあビビるだろう。アオアシラ倒したくらいで踊るほど喜んで天狗になった男だったのだ。こんな強そうなやつ、見たらビビるに決まってる。

水場の岩を踏み締める、かつて恐怖した爪は割れていた。立派な尻尾は短くて、断切面からは血が止まらない。ボロボロだった。
いつも剣を向けてた大岩の前で、いつもみたいに対峙している。なのにいつもと姿が全然違う。いつもの余裕はどこにも見えない。

「またここに来たのか……っていうのは違うか。お前の住処だもんな。俺が……そうと知らずにトレーニングに来ちまっただけで」

また遭遇するとは思わなかったし、飛びかかって来たから驚いたのもよく覚えてる。それからだ、戦って、負けて、今度こそって挑んで、また負けて、負けて、次こそはって思っていたのに。

満身創痍のナルガクルガは、彼の気配に威嚇をみせた。毛を逆立てて、背中を強張らせ、凄まじい迫力で咆哮をする。

「……お前、目……」

その片目は、斬撃の痕を残して潰されていた。

「あのさ、俺」

彼が話しかけるのを遮るように、枯れた喉で咆哮をする。そもそも話しかけることそのものが抹消的だ。モンスターが、人語を理解するはずがない。

「なんだよ、わからないのかよ。見えないから」

ここで、乱舞の練習をしてた。
ナルガクルガの住処だなんて知らなくて、だから襲いかかって来られた時は驚いた。住処を荒らされたと勘違いさせたのかもしれない。
だったらなんで殺さなかったのか。人の肉は食わないのかって、勝手な解釈をしていたけれど。

「お前くらい速くて強い乱舞ができたら。そう思ったのは、二度目の敗北からだった」

どのみちもう、ナルガクルガは助からない。いずれ熟練ハンター達はここを見つけるだろうし、放っておいたとしても傷はあまりに深すぎた。


なあ、お前本当は俺だってわかってないか?
だって潰されてない方の目、赤くないじゃん。

彼はそう思ったけど、口に出しはしなかった。万が一、ナルガクルガが人語を理解してたら悲しすぎるから。


彼は黙って剣を構えて、渾身の力で斬り込んだ。
ずっと当たらなかった乱舞が、初めて首にのめり込む。ナルガクルガを斬る感触を、その時初めて味わった。

ハンターが竜を斬るってだけ。
当たり前のことに何故だか涙が止まらなかった。








-5-

その大岩は側面が切り立っていて、翼がなくてはてっぺんまでたどり着けない。
だからそこに下手くそなスケッチがあることなんて、知ってる人間はどこにもいない。



────もう、随分前の話だ。
起きた途端に情けのない悲鳴をあげて、弱そうな双剣使いが逃げてゆく。後に残ったスケッチを見て、ナルガクルガは瞳を細めた。水場で喉を潤す時に覗き込む、水面に写る姿が描かれてたのだ。悪い視力でもまじまじ見れば、川で歪みがちだった自らの顔を初めて知った。

それは夕暮れ時の渓流の、実に奇妙な出会いだったのだ。



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4話

第一章 邂逅篇


「ノイアー……お前もう少しちゃんと出来ねぇか、危ねぇだろ。あと尻尾は俺が斬る」

 

シドはため息混じりに武器を振るった。彼の武器は太刀と呼ばれるものであり、大剣とは異なり刀身が細長く片刃であった。

剣速により砂埃が波紋を作る。攻撃のスピードは残像が見えるほどに速く、またそのリーチ故に範囲も広い。彼はベリオロスの後ろ足に張り付いて、実に滑らかな身のこなしで幾度も刃を振るってた。

 

反対側の足に転がり込んだ腐れ縁の女、ノイアーは斧の柄を返してる。彼女は腰まで届きそうな髪を一つに結い上げる、長身の女ハンターだった。濃い褐色の肌に黒い髪、腕は細いが筋肉質で、女の身に不似合いなほど無骨な斧を振り回している。

 

「やだ。私が切るの、シドは爪でも折ってきて」

 

彼女が持つのは剣斧と呼ばれるものだった。スラッシュアックスと呼ぶ者もいる。常時斧の形態をした巨大な刃は、金具を引き抜けば大剣によく似たものに変形もする、少し風変わりなものだった。

 

ベリオロスはバテていた。ダメージが尻尾に集中していたために、長い尾は中程の体毛が禿げ生傷が剥き出しになっている。もうあと数度の攻撃で切断することができるだろう。そのため、二人は切断の役割を取り合っているのだ。

 

互いに大技を放ちたいのに、立ち位置上味方に当たるため繰り出せない。そうして結局攻撃は脚のみに集中している。そんなもどかしい状態だった。

 

「この間のロアルドロスも……って、ああお前怪我してるじゃねぇか!なんでちゃんと手当しねんだ馬鹿……!」

 

「シドうるさい。だいたいその太刀邪魔なの、転びそうになる。尻尾、私が斬るから、勝手に避けて」

 

先に痺れを切らしたのはノイアーだった。彼女は直情的なのだ。言うが早いが強引に斧をブン回す。

太刀の風切り音が鋭く洗練されたものなら、剣斧のそれは獰猛で荒々しいものだった。右へ、左へと踊る斬撃に、血の飛沫が乱雑に散る。スタミナを存分に消費するだけあって、連続される攻撃波が凄まじい。

 

「おい馬鹿危ねぇ!!」

 

シドは側転して巻き添いを避けた。雪まで抉れて、湿った土が覗いた軌道の跡を見る。返り血や散らばる竜の厚毛に彼女が汚れるが、本人はまるで気にしていない。

一度モーションに入るとすぐには中々やめられないと、前にノイアーは言っていた。そしてその攻撃性故に、スタミナを使い果たすまで猛攻が止むことはないだろう。 

斜め上から踵を抉った一撃が、そのまま氷牙竜を横転させる。額に玉の汗を浮かばせて、限界までスタミナを消費した彼女はそれでも引かずに斧を剣へと変形させた。属性解放突きの構えが見える。

 

「おい馬鹿!息整えてからにしろ!へろへろだろうが!」

 

シドの罵声はノイアーの身を案じたものだが、じゃじゃ馬気質な彼女はそれに耳を貸さない。今、横たわってもがいているのだ。この一、二秒に斬らずして一体いつ攻めれば良いのかと言わんばかりに。

蓄積されてた属性値が、一気に刀身を巡り先端から爆ぜようとする。ただでさえ馬鹿みたいな火力になるのに、爆発に合わせて渾身の突きが放たれる、彼女の必殺技だった。

 

 

「この馬鹿!ノイアー!!」

 

シドは武器を背にしまい走り出す。デジャヴだった、このパターンをよく知っている。

彼女の背中は震えてた。爆発の振動が持ち手の全身に振動を伝えるだ。なんでこうも危なっかしいのか────愚痴りたい気持ちも後回しにシドは納刀して走り寄る。

 

 

息を吸って、吐くだけ。普通なら意識もしない簡単な所作も、スタミナを切らせば苦しくって仕方ない。肺も心臓も破裂してしまいそうになるのだが、この〝使い切った感〟が気持ちいいのだと彼女は言う。剣斧の切先が爆破して、その威力にベリオロスの悲鳴があがる。

実に見事な一撃だった。誇示するような視線がさすのは、胴から離れた尾の先端だ。

 

ほぼ同時に、シドの太刀が納刀状態から神速で風を切る。居合と呼ばれる技である。

 

「どうしてこう危なっかしいんだ!」

 

太刀による一閃が、首の付け根を斬り裂いた。致命傷であることは、素人目にも判断できる。一度は起きあがろうともがいたベリオロスの上半身が、糸の切れた人形のように動きを止めた。最後の一撃は頸動脈を裂いていたのだ。

 

「ナイス」

 

息切れしながらも清々しい笑顔でノイアーが笑った。

強引で後退しないノイアーの戦い方は、シドに毎度冷や汗をかかせる。彼女は攻撃は素晴らしいのだが、回避や回復を後回しにして力でねじ伏せようとするきらいがある。保身を考えないその立ち回りを、シドが毎回カバーしている。

 

そうだ、前回は孤島だった。ロアルドロスを捕獲したのは良いものの、バテてひっくり返った彼女の代わりに、わらわら沸くようなルドロスの残党を追い払ったのもシドだった。更にその前はノイアーが解毒薬を切らしてしまい、ゲリョスを退治したあと背負ってキャンプに運んでやった。

 

「早く血抜きしなきゃ臭くなる、ギィギが沸いたら面倒だ。氷結袋と肺が無事ならいいんだけど」

 

「……無事だろ多分。先に回復しとけよ」

 

氷結袋は超低温の液体を溜める器官の名称だ。ベリオロスはこれと肺の空気を練り合わせ、攻撃手段として吐き出してくる。此度の狩猟は、その氷結袋が目的だった。

 

「おい馬鹿素手で触るな!ウイルス感染したらどうする!」

 

「シド……またその話?」

 

血抜きのためにノイアーが籠手を外したら、途端にシドが怒り出す。さも面倒と言わんばかりに、彼女はうんざりした応答をした。

 

「感染もなにも、そもそもこいつ普通だったでしょうよ。だいたいさ、ずっと遠い場所の噂なんか御伽噺と変わらないよ」

 

「ずっと遠いじゃねぇ、シナト村だ。ドンドルマでも観測されてる。専門の研究機関だって出来たらしい。ノイアー、噂や絵空事じゃねぇ」

 

籠手を無理矢理彼女に押し付け、シドは眉をつりあげる。ノイアーの身勝手も我儘も大概シドは付き合うのだが、身の安全に関してくると彼は頑なに譲らなくなる。

 

「心配性だなあ。……でもさ、ちょっと見てみたくない?狂竜ウイルスなんて、もしも本当にあるなら」

 

渋々籠手を装備し直した彼女が笑う。怖いものを見たがるのは彼女の性分なのだ。

 

「わざわざ危ないことする必要、ないだろ馬鹿。キャンプ戻るぞ、迎えの便が来ちまう」

 

この辺りは下位に分類される一帯だった。故に十二時間に一度ベースキャンプまで送迎便が来る。

上位ハンターの中でも腕利きな二人だが、今更のように下位クエストを受注したのには、ノイアーが氷結袋を必要としたためだった。

武器の強化はバランスが難しく、上位素材では強力すぎて駄目だと鍛冶屋に言われたためだ。下位認定される、成熟前の個体の氷結袋が必要だった。

 

「見たことないものを見たいと思うのは性だよ、サガ。シドはわかってないなぁ」

 

ナイフで裂いた胸元から、目当ての器官を剥ぎ取りながら彼女が言う。危険に身を投じる稼業であるけど、必要外のリスクは冒すべからずがシドの持論だ。死んだら元も子もないと二言目には言う。

 

……わかってねぇのはお前だ馬鹿。死にたくないんじゃねぇ、死なせたくないんだ。

シドはそう言い返そうとしたけれど、結局「うるせぇ馬鹿」としか言わなかった。言えなかったのかもしれない。こうやって、軽口にも似た口論をしてるくらいがちょうどいいのだ。

 

「いいから帰るぞ、ユクモに」

 

幾許かまだ遠い。ここからちょっとした集落に行って、飛行船に乗り換えて、とりあえずは寒すぎる雪景色とおさらばしたい。そうして馴染んだあの村で、ゆっくり温泉に浸かりたいのだ。

 

「はいはい」

 

血濡れの籠手を拭いもせずに彼女は言った。

ベースキャンプは割りに近いから、吹雪かなければ夜の便に間に合うだろう。ざくざくとパウダースノーを蹴り上げる、ノイアーの駆け足はまるで子供のようだった。

 

 

 

…………

 

 

 

 

そこは地図に名前も乗らないような小さな村だが、人の出入りはそこそこだった。下位圏でありながら近場でピュアクリスタルが採れるため、こぞって素材屋やら流通業者が訪れるためだ。ならば便を利かせようと開拓されるのもまた然るべきで、村の規模と不釣り合いな停留スペースが確保されている。村としての発展がない最大の理由は、寒すぎる気温と急斜面の多い地形が原因だろう。不定期に雪崩もよく起きる。

 

じゃれ合いのような口喧嘩をしながら飯を平らげて、二人は飛行船を待っていた。ユクモは陸路なら一ヶ月は要する距離だが、空路ならば十日程度で到着出来るのだ。

 

飛行船を待つ間、シドとノイアーは相変わらずじゃれあいのような口喧嘩をした。口論の内容も実にくだらないものである。二人は時折酒場でギャンブルをすることがあるのだが、シドとノイアーの賭け事への価値観が真逆であるのだ。

「そんなんだからシドは大勝できないんだ」とノイアーが言えば、シドが「俺はお前みたいに大敗したこともないだろう」と返す。クスリと笑う声がしたのは、丁度そんなタイミングである。シドが振り返ると、声の主と視線があった。長身の男だ。その装備から、男もまたハンターなのは明白だった。

 

「ああ、すまない」

 

先に喋ったのも男の方だ。赤茶色の髪と瞳は、日光に照らされ真紅に見える。端正な剣士だった。

 

「……だれ」

 

ノイアーの瞳は尖ってた。馬鹿にされたと勘違いしたわけではない。彼女は酷い人見知りなのだ。縮こまるのではなく攻撃的な態度になるのは、元々の性格のせいだろう。

 

「威嚇すんな馬鹿。煩くするからだろ」

 

そんな彼女を諫めるのもシドだった。懐けば天真爛漫な一面すら見せるノイアーなのだが、野生動物かと思うくらい中々人に懐かない。人見知りが失礼な態度に及ぶことも少なくはなく、シドがこうして注意するのも毎度のことだ。

 

「すまない、こいつ酷い人見知りなんだ。邪険にしたわけじゃないんだ」

 

もう何度繰り返したのかわからない謝罪と弁明だ。当のノイアーはシドの身体を遮蔽物にするかのように引っ込んで、かと思えば時折シドの肩越しに男を覗く。その目にはたっぷりの警戒心と少しの興味が伺えた。

 

「悪いな。逢瀬を無粋にする気はないんだが、連れを怒らせて道がわからなんだ。ユクモに行く便はこれで会ってるか」

 

剣士は、不快そうにすることもなく、またノイアーの態度を咎めるでもなく、微笑のままそう問うた。

ああ、そうだ。シドは頷きな。

 

「そうか、助かった」

 

「気にしないでくれ」

 

会話はたったそれだけだった。それ以上踏み込むつもりはないらしく、どうぞ続きをと言わんばかりに男は一歩後ろへ退る。だがどうぞとされても妙な気まずさが残ってしまって、結局妙な沈黙となる。

そうして暫しばかり戸惑ったような時間が過ぎて、結局口を開いたのはシドだった。相変わらず彼の後ろに隠れるノイアーは、落ち着かないと言わんばかりに目を泳がせている。

 

「連れ……いたんだろ。あんただけで行くのか」

 

「連れ」を怒らせてと男は言った。だのに一人でここに立ち、迎えに行く様子も見られないのなら、その怒った「連れ」はどこへ消えてしまったのか。特別気になったわけではないのだが、他に話題も見つからないから、シドは直前の会話を拾ってそう尋ねた。

男は微笑する。だがその笑みは先程までのものとは異なり、いたずらをしたばかりの少年を思わせるものだった。

 

「同行願ったんだがな、あんたと関わるとロクなことないとふられてしまった」

 

「……一体何したんだ、それ」

 

しまったこいつもトラブルメーカーかと、シドの背中に嫌な予感が通り過ぎてく。すぐ身近に、一緒にいるとロクなことにならない女がいつもいるのだ。本人は無自覚で知らん顔だが。

 

「ザボアザギルの上ヒレを駄目にしてな。ポーチがなくなったとか、色々だ。この村まで同じ荷台に揺られてきたが、あんたなんか嫌いだと逃げられた」

 

あっけらかんとそう言いながら、男はまるで罪悪感のない顔だった。

またザボアザギルとは馴染みないモンスターの名が飛び出してきて、活動拠点の離れた者だと察しもつく。この辺りはギルドの支部ごとにある管轄範囲の境界線なのだ。三日ほど西にガーグァで走れば、全く知らないモンスターにも出会えるだろう。

それにしても目当ての素材だけでなくポーチまで失くすはめになるとは、男の「連れ」は災難だ。

 

「なんというか……大変だったんだな……」

 

「ああ。気難しいハンター殿だったが、あれで可愛いところもあるから残念だ」

 

いや、いやいやいやいや……大変と言ったのは連れの「ハンター殿」の方に対してだ。と、ツッコミかけてやはりやめた。この手のタイプは指摘をしても悪びれない。何故ならすぐ隣のノイアーがそうだから、嫌でも予想がついてしまうのだ。

 

「シド、飛行船来る」

 

気まずさと不機嫌の中間みたいな顔したノイアーが、徐々に接近してくる空の船を指差した。帆を張り風を切る音に混じって、軽快なプロペラが稼働している。ああ、あの帆の色だ。行きにも利用したから間違いない。ユクモ行きの便が着陸態勢に入ってる。

 

「あれはユクモにしか行かないのか」

 

「あ、ああ……」

 

「そうか、なら暫しばかり宜しく頼む」

 

男がそう言って礼をする。律儀に宜しくと言われては、悪い気もしてこないものだ。同じ便に乗り込むのなら、およそ十日は同乗者という縁なのだ。

「シドだ、こちらこそ宜しく頼む」

だから彼は素直に返した。

 

「ああほら、お前もちゃんと挨拶しねぇか」

 

「……ノイアー」

 

ノイアーは名前だけ告げてまたシドの後ろにすっと隠れた。

 

轟々と風が吹き抜け、周囲の雪が風圧にはける。

二人のやり取りが微笑ましかったらしく、男はくつくつ笑っていた。

 

「アドルフだ」

 

名乗ったのと飛行船の着陸はほぼ同時だった。三人が乗り込むと乗務員がさっさと離陸の準備を始める。

おーい、燃料あげていいぞ、と乗組員の声が聞こえた。

 

「シド、甘い匂いがする」

 

未だ人見知りしっぱなしのノイアーがぼそりと囁いた。彼女は嗅覚に優れてる。が、シドには甘い匂いとやらはまるで感じられなかった。香水の類も、あるいは砂糖を使った菓子の類の匂いもしない。

 

「するよ、アドルフってやつから。すごく甘い」

 

「香水じゃないのか?俺にはわからなかったぞ」

 

彼女が首を左右に振る。違うよ、香水じゃなくて……上手く言えない。そんな、歯切れの悪い言葉を言いかけ、しかし形容詞が見当たらなかったらしくノイアーは結局口を閉ざしてしまった。

 

やがてプロペラ音が大きくなる。ほら、ちゃんと掴まれ。シドが言う。

まだ見ぬ大地に想いを馳せて、アドルフは彼方を見据えてた。このまま船は高度を上げて雲に近づき、日の出を眺める頃には雪も草原に変わるだろう。ようやっとこの寒すぎる地から帰還できると、シドは恋し我が家のことを考える。彼の家はユクモの、それも温泉の近くにあるのだ。

 

「……何あれ」

 

異変に気付いたのはノイアーだった。地面から船全体が少しだけ浮遊した時だ。雪をはけ、というより蹴り上げるような音がする。見れば、雪原を猛ダッシュする女が見える。

燃料を燃やすごうごうとした音に混じって、怒りと焦りの両方を孕んだ声が聞こえる。アドルフと名乗った男もそれに気付いて、乗り込み口から頭をひょっこり出した。そして、笑った。

女はヘビィボウガンを背負っていた。ハンターなのは間違いない。あれはまさか……。

 

「ダラハイド!!待て、ツラヌキの実!!ツラヌキの実持ってくな!!そこから落とせ!!」

 

ダラハイドとは一体誰を指してか、察するのは安易であった。目の前でアドルフが手を振ってるのだ。

そういやあポーチを紛失してなんて言っていた。ならばなんらかの経緯で手荷物を預けてたのかもしれない。

 

「手ぇ振ってないで!早く!!」

 

「相変わらず俊足だ、G級ハンター殿」

 

「嫌味言うなダラハイド!!ツラヌキの実!!!」

 

女ハンターは全力疾走で、懸命に声を張り上げてる。だのに呑気にするこの男のマイペースさは、シドにデジャヴを覚えさせた。世の中には他人を振り回す奴と、どういうわけか毎度振り回されてしまう奴が存在する。つまるところアドルフとノイアーは前者で、自分と地上を走る「連れ」とやらは後者なのだ、

 

「なんだか最近、本当に最近に同じパターンがあったと思わないか。ザボアザギルの上ヒレなんかで」

 

「うるさいダラハイド!!!は、早く!も、スタミナ、限か……っ」

 

段々掠れ声になる女ハンターに、シドは心底同情をした。ノイアーはけらけら笑ってる。アドルフって奴ひっどいねって囁くけれど、彼女も人のことをあまり言えない。

 

「ツバキ!手を出せ!!」

 

徐々に地上を離れる船のへりから乗り出し、アドルフは彼女にそう叫ぶ。必死に走る女ガンナーは腕を伸ばした。それはあまりに咄嗟のことで、女ハンターが手を伸ばしたのは条件反射だったのかもしれない。アドルフはすぐにその手を握りしめる。

 

「毎度間に合うお前の俊足は惚れ惚れするな……行くぞ!!」

 

ひがな巨大な武器を振り回しているハンターにとっては、女一人を引っ張りあげるのは容易なことなのかもしれない。

 

「なんっ、馬鹿、違う!ツラヌキの実だけ落とし……ダラハイドやめて馬鹿やめて!!」

 

女の悲鳴。それをまるで気にせずアドルフは彼女を引き上げる。勢いのまま身体は飛行船の中へ。

一瞬で飛行船の甲板に転がりこんでいる自らの状況に、女ハンターは唖然としていた。飛行船は高度をぐんぐんと上げる。もう、飛び降りるなど到底不可能な高さだろう。

 

ツラヌキの実を落としてくれるだけでよかったのだと…唇を震わせながら女ハンターは呟いた。

 

「……追い討ちみたいでマジで悪いんだが……この船、ユクモの直行便で途中停留しない」

 

仰向けで放心する彼女に、シドは精一杯の同情を込めてそう告げた。

 

「そうか。我々は縁が深いらしい、G級ハンター殿」

 

アドルフはにっかり笑う。走った後の息切れで、女ハンターの胸は苦しげに上下を繰り返す。ズレかけのキャップから片目が見えた。その瞳が、しゅんとしぼむ。

 

「も……やだ……」

 

女ハンターの声は、振り回されることに観念したような、弱々しいものだった。

 

 

 

それにしても、まさかG級ハンターとはとシドが驚く。アドルフは「G級ハンター殿」と呼んでいたし、首元からぶら下がるギルドカードにもG1許可証が添付されてる。

 

「G級なのに打たれ弱そう」

 

礼儀もクソもなくノイアーは言う。防具の強度は見た目にもある程度察しがつくのだ。

 

「馬鹿、ガンナーだからだ」

 

シドが否した。近接武器を扱う剣士と異なり、ガンナーの防具は「防ぐ」でも「耐える」でもなく「被弾しない」ことを前提に作られるのだ。

 

「一般に、同程度の強度なら、ガンナーの守備力は剣士の五から六割と言われてる」

 

「じゃあ倍痛いの?すごいやだ」

 

「だから被弾しないのが前提っつってんだろうが」

 

 

「……いや、彼女の言うこと、間違ってもない」

 

シドとノイアーに割り入るように、発言したのは女ハンターだった。ツバキと呼ばれていたヘビィボウガン使いだ。 

 

「私はまだG級許可証貰ったばかりで、鎧玉での強化もまともに出来てないんだ……正直、上位と耐久性は大差ない」

 

言いながら彼女は背のボウガンをゆっくり外す。

 

「騒ぐつもりじゃ、なかった……というか、こんなつもりでもなかった。手を……反射的に掴んでしまって……はぁ……」

 

彼女にとって予定外の乗船であるのは周知の事実だ。

 

「そう言うな、G級ハンター殿」

 

「ダラハイド!あんたと同行したのが間違いだった!」

 

……そういえば、と彼は思う。大剣使いの男はアドルフと名乗った。だのにガンナーはダラハイドと呼ぶ。その違いに頭を捻る様を察したのか、男は改めて名を名乗った。

 

「アドルフ・ダラハイドだ。彼女はダラハイドと呼ぶ」

 

「すっごい名前長い」

 

ノイアーが素っ頓狂な事を言う。貴族階級は家督を示すファミリーネームを持つことがあることを、ノイアーは知らないのだ。

 

「ノイアー違う。ダラハイドは、家柄についた名前みたいなもんだ」

 

「良く知ってるな」

 

「ダラハイド姓は極北……だったか。そっちの豪族と同じ名だよな」

 

「仰々しい偶然でな。よく間違われる」

 

「そうなのか。紛らわしいから、俺らもダラハイドと呼ぶよ」

 

シドが言えばダラハイドは頷いた。

マストが雲の中を突き進む。高所は肌寒くなるものだが、この地域においては上空のがマシ程度に暖かい。

 

「ねぇシド、私もG級行きたい」

 

ノイアーがこう零すのは初めてではない。決まってそれを、シドが反対してしまうのも。

こんな話題になる度に、シドが思い出すのはノイアーとの出会いであった。彼女がまた、出会った頃のように死にかけたら……あるいは死んでしまったら。思うほど彼は野良を嫌悪する。

特定の相手でなく、見ず知らずのハンターと組んで狩りに赴くことは、俗称で野良と呼ばれてる。クエストの詳細を記した羊皮紙を掲示板に貼り付けて、不特定多数から同行者を募るのだ。大抵の場合、相手は初対面ということになる。

彼女は……ノイアーは、そんな野良パーティの一員として渓流へドボルベルクを狩りに来ていた。一人採取に来ていたシドが彼女を見つけた時には、既に息絶えたドボルベルクの傍らで彼女が死にかけていたのだ。

奇妙なのは、同行者であろう他の三人が全くの無傷であったことだ。怪我や傷どころか、防具には泥の一つも跳ねていない。どんなに手数の少ない武器でも、血の一滴も残ってないのは不自然過ぎた。

意識のない彼女に治療の一つも施さず、三人は黙々とドボルベルクの素材を剥ぎ取っていた。切り株にもたれ掛かるようにして意識を手放した、ノイアーの剣斧だけが返り血と刃こぼれでボロボロだった。

 

三人の野良は一切戦いに参加せず、安全なベースキャンプから眺めているだけだったことを、後にシドの家で意識を取り戻したノイアーは言った。

それからまるで腐れ縁のように、シドとノイアーは一緒にいる。ノイアーは二度と野良に行かなくなった。

 

「……あのなあノイアー、前にも言ったが俺は……」

 

こんな小言もお決まりだから、言う前からノイアーがうんざりした顔をする。いつからか、いつの間にか……シドの目的は竜を狩るでなくノイアーを守ることにすり替わってる。ガキの頃、誰より強いハンターになりたいと見た夢さえ、今じゃ彼女を守れる強さがあればそれでいいと思ってる。ただ危なっかしいノイアーの性格のせいで、結局強さは求めても求めてもきりがないけど。

目標が手段になっていて、今じゃ違う夢がある。その感情を彼は嫌いじゃないけれど、どうにも気苦労が絶えない毎日になってしまった。

 

 

「ねぇまたその話?」と、ノイアーは言いかけた。言わなかったのは風切り音が耳をついたためだった。

ほぼ同時にダラハイドが大剣を引き抜き、そのままガードの体制になる。ツバキはボウガンを引っつかんで、大剣の影に滑り込んだ。直後に刃の側面で何かが弾かれる。

 

「鱗じゃねぇか!!」

 

鱗を飛ばす竜となれば、真っ先に浮かぶのはガララアジャラだ。しかし、ここは空なのに。

白い雲が霧のようで視界が悪い。その向こうで、何かが飛行してるのだけがわかった。雲の奥に、高速で移動する影があるのだ。乗務員も異変に気付き、慌ただしく駆け出してくる。

我先にと目を鋭くしてツバキがボウガンをリロードさせる。 

 

「来るぞツバキ、剣の影に入れ!」

 

飛来音の接近にダラハイドが叫ぶ。

 

「伏せろノイアー!!」

 

立て掛けてた剣斧を引っつかんだノイアーの真横を、二度目の鱗が通り過ぎてく。後ろの樽が鱗を受けて、直後に内側から爆ぜて散らばる。こんな厄介な攻撃をする竜は、一つしか知られていない。故にツバキは、雲の影から接近する竜の正体を、いち早く特定することができた。

 

「セルレギオス!」

 

明らかな敵意と威圧が伝わる。千刃竜が、雲の影から風を切って飛び出してくる。

その姿はワイバーンレックスに代表される原始的な飛竜に近いが、前脚は非常に大きな翼としても発達しており、骨格を他の飛竜種と比較すればどこか奇妙だ。 

セルレギオス────千刃竜は、非常に獰猛で攻撃的と言われている。だがここは、縄張りではなかったはずだ。

ほう、あれが。そう感嘆ともつかぬため息とともにダラハイドが呟いた。

 

「ドントルマで噂があった、セルレギオスが各地に飛来してるって!その飛んでくる鱗、当たれば肉が内から爆ぜる!」

 

ツバキが叫ぶ。放たれた刃鱗は獲物に着弾すると破裂し、その破片や衝撃によって複雑な切り傷を与えてくるのだ。構造上傷口が塞がりにくく、僅かな所作ですら内側から肉を抉り飛ばしてしまう。セルレギオスが危険視される最たる理由がそれだった。

とあるハンターが砂漠でセルレギオスの乱入を受け、以来知名度は爆発的に広まったのだ。縄張り意識の強い種である反面、縄張りから滅多に出ることがない……それが、本来のセルレギオスの性質である。生態上各地で目撃例が相次ぐことがあり得ないはずの竜だけに、巷じゃすっかり話題になってる。でもまさか、こうして目の前に現れるなど誰が予測できたというのか。

 

現在乗船している飛行船は、対竜設備が疎らであった。運行だけが目的の造形を成しており、例えば竜撃槍なんかは置かれていない。申し訳程度にバリスタ発射台が一台だけあるが、それも埃をかぶっている。

がたがたと無骨な足音を立てながら、乗務員が木箱を運ぶ。木箱には、古びたバリスタの矢が数本と、拘束弾が積まれてた。

 

「撃て、G級ハンター殿。この中じゃお前が一番命中精度がいいだろう」

 

ダラハイドがいう。バリスタは普段扱うボウガンとは全く異なるものである。だがスコープを覗き狙いを定め、対象に向かい発射する手順は慣れない者には難しいのだ。この中でもっとも遠距離攻撃に長けるのは、間違いなくツバキであった。空中という不慣れな距離感で、確かな目測を持つには経験が要る。

 

「見計らえ、鱗は全て防いでやる」

 

まるで氷海と同んなじようにそう言って、ダラハイドが身の丈より大きな大剣でツバキを庇った。

 

「どうした、難しいか」

 

「馬鹿にするなダラハイド、飛竜は得意だ。撃ち落とすのも……!」

 

ヘビィボウガンはその動きの遅さ故に、戦闘においては常にモンスターの動きを先読みする必要がある。そのため自然と、次に相手が何をするのか見極めるのが得意になるのだ。

 

甲高い咆哮がした。金属音にもよく似た音で、竜の鱗が逆立っている。威嚇とともに風を切り、間髪入れずに鋭い爪が攻撃してくる。狙いはノイアーだった。剣斧はガードが出来ないため、攻撃が仕掛けられれば回避に徹するものである。しかしノイアーはあろうことか斧を剣の形に変形させて、突きの構えをしてるじゃないか。

 

「馬鹿っ!ノイアー!!」

 

シドの叫ぶ声が聞こえる。ノイアーは笑っていた。

 

「返り討ちにしてあげるよ!」

 

……あと一ミリずれていたら、あと一秒遅れていたら。シドは剣斧の一撃の見事さよりも、失敗率とそのリスクを考えた。ノイアーの切先はセルレギオスの首の付け根に突き刺さり、内部の肉を抉るように属性エネルギーを解放させた。折れた角が天高く爆ぜ、マストの一つを貫通してゆく。

 

通常ならここで素早く体制を直し、竜は反撃をするだろう。しかし直後に、ツバキの撃った拘束弾が、セルレギオスの身体の芯を貫いていた。

蓄積されたエネルギーを放出し尽くし、剣が斧の形態へスライドしてゆく。一度大きく振りかぶってから、ノイアーは斧を構え直した。シドは次の行動をすぐに察した。スタミナにもの言わせてブン回す気だ。

 

「豪快だ。なあ、G級ハンター殿」

 

ダラハイドの口調は呑気なものだったけど、既に大剣には力が溜め込まれていた。大剣が最大まで力を溜めて放つ一撃は、きっと全武器の中でも断トツだろう。動きの遅さや〝溜め〟にかかる時間の長さに見合うだけの、強烈過ぎる一撃がある。

 

バリスタ砲台を手放して、ツバキは背中の武器を取る。

大剣の溜め斬りが全武器一の威力であるなら、ヘビィのしゃがみ撃ちは全武器一のDPSだ。納抜刀や移動のスピードが全ての武器の中で最も遅く、ガードもできない上にガンナー故防御力もない。火力以外の全ての性能を捨てた武器、それがヘビィボウガンだった。

 

「一気に仕留める!」

 

「頼もしいな、G級ハンター殿」

 

ダラハイドは喋り終わるのと同時に体躯より巨大な刃が振り降ろす。その僅か横を、貫通弾が高速で通り過ぎてゆく。

 

 

……なんなんだ、こいつらは。シドは半ば信じられないような気持ちであった。

大剣の振りおろしたあの一撃……大剣使いは今日まで何度も見たけれど、あれほど見事なものは他になかった。

ツバキと名乗ったG級ハンターの命中精度も脱帽もので、正確に弱点を捉えながら貫通している。なによりノイアーが楽しそうに戦ってるから、シドは妙な納得をした。この二人は、強いのだと。

 

出遅れたシドは遅れを取り戻すかのように、目にも止まらぬ斬撃を数多に繰り出していた。最初の大技を打ち込めば、練気に刃が発光をした。

 

セルレギオスの咆哮が再び周囲を揺るがしたのは、ダラハイドの二度目の溜め斬りが額をとらえた直後であった。その声量に、たまらずに三人が耳を塞いで蹲る。

 

 

「……おい、耳栓は基本だろうが……!」

 

ただ一人自由に動けるシドの刃は、咆哮の終わりに赤く光った。そしてそのまま逃げ出そうとする腹を貫く。

初めて威嚇でない悲鳴が上がった。痛みに呻くようにも聞こえた。

後手に状況を見守っていたクルー達が飛び跳ねる。やった、撃退した、いや仕留めたかもと。

拘束弾を逃れたセルレギオスは、そのまま怯んで雲の影へとよろめきながら、より高度の低い位置まで落ち消えた。

 



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5話

第一章 邂逅篇


セルレギオスの襲来を撃退し、旅は今度こそ順風満帆を思わせた。

天候には恵まれたし風向きも誂えたかのような追い風で、このペースなら到着が二日は早まるかもしれない。ベテラン航空士はそう言ったけど、残念ながらその予想はネガティヴな方向性で外れてしまった。

 

これがトラブルメーカーが二人に増えた効力なのか……?シドはじっとり濡れた足場や鳥竜種のキイキイとした声を聞きながらそう思う。

生い茂る木々は水脈の豊かさや気候の穏やかさゆえだろう。雪と氷ばかりの大地を発って早四日。すっかりホットドリンクのいらなくなった地点まで来た。エンジントラブルが発生したのはそんな時だ。原因はおそらく、先のセルレギオス戦の傷跡だろう。

 

「シド!クンチュウでサッカーしよう!」

 

「ノイアー、もうちょっと集中力つけような」

 

足元を這う盾虫を、ノイアーは面白そうにそれを転がして笑ってた。ようするになんの危機感もないらしい。

 

「この原生林……普通じゃねえ」

 

久々の温かな大地に機嫌をよくしたノイアーとは、対照的にシドは張り詰めた目をしてた。

 

 

〝普通じゃない〟と述べる根拠はいくつもあった。どこか落ち着きのない小型モンスターの鳴き声もそうだが、普段なら水草をのんびり食べるズワロポスの一匹すらも見当たらない。所々薙ぎ倒された木々は大型モンスターが移動した痕跡だが、これまた随分と乱暴なのだ。この一帯に生息する種の中でも、この規模となるなら当てはまるのはグラビモス亜種くらいだ。まだ新しい足跡を眺めて、グラビモス亜種ほどのモンスターが慌ただしく移動する理由を不気味に思う。

 

「ハリマグロ……!!つ、釣りしたい……!ハリマグロ釣りたい、ダラハイド……!」

 

ツバキのはしゃぐ声が聞こえた。ちょっとした水場を覗き込んだ際に見つけたのだろう。物静かな印象のヘビィガンナーは、興味や好意の対照に会うと子供染みた反応をする性格らしい。最初こそシド同様にげんなりした面持ちだったが、この災難による不機嫌はハリマグロに払拭されてしまったようだ。

 

「釣りにサッカーか……姫君たちはご機嫌らしい」

 

くつくつとダラハイドが笑ってた。彼も彼とて原生林の妙な雰囲気を気取ってはいるようだが、それを危惧する様子はない。

どうやら流れで組んだこのパーティで、状況に危機感を覚えるのは自分だけらしいとシドは察する。

 

飛行船は協会に救難信号を送り、修理の準備が整うまでクルー達はベースキャンプで待機となった。備品の到着から修理、出発の目処が立つのに一週間程度が予期されたため、一行は徒歩で原生林を抜ける道を選んだ。

何事もなければ下流の集落に一日足らずで到着できる。そうなれば、ここからなら海路の出る港まで接続舟が出せるからだ。

 

対グラビモスやグラビモス亜種戦において、ヘビィボウガンほど心強い味方もない。それが油断を招かなかったといえば嘘になる。とはいえ上位圏の原生林といえば連想されるのはババコンガやケチャワチャ、脅威といってもグラビモス亜種やガララアジャラがせいぜいといった認識なのもまた間違いではない。先の戦闘でセルレギオスを撃退した折に、互いの実力が信用にも足るものだと確認できた。ならば「なにがきても問題ないだろう」と思ってしまうのまた仕方のないものかもしれない。

事実、道中は穏やかなものだった。ラージャンの死体を目にするまでは。

 

 

 

水辺だった。

古龍級とも評される最強の牙獣種が、息絶えた状態で倒れていたのだ。呑気にクンチュウを捕まえてふざけていたノイアーまでもが、真剣な顔でその亡骸をじっと見る。

 

戦慄の理由はたった一つだ。

〝なにがラージャンを殺したんだ?〟

 

 

この原生林にラージャンを殺せる種は限られている。ハンターにより狩猟されたのなら剥ぎ取りが行われていないのがおかしいし、オオナズチが現れたなら毒による腐敗のあとが周囲の木々に残るはずだがそれもない。他に対抗できそうなのがイビルジョーだが、それならやはり食い散らかされてないのはあり得なかった。

ラージャンの身体に損傷はなく、老衰の可能性も考えられた。もとより長寿ではなかったはずだ。だのにそうと結論できなかったのは、ずっと感じていた原生林全体の妙な雰囲気のせいだろう。外れてほしい予感ほど当たるのは世の常だ。

 

四人は喋らなかった。だが同じことを考える。

……なにかがあった、ここで。

 

黒ずんだ亡骸に、最初に近付こうとしたのはノイアーだった。それをシドが左手で諌め、「俺が調べる」と代わりに踏み出す。右手は剣の鞘を握ってた。いつでも抜刀できるように。

 

緊迫感の中でツバキがリロードしておこうとボウガンを構える。

雷にも似た気功が木々を貫通し、ツバキを貫いたのはその刹那のことだった。

 

悲鳴のいとまもなく、強烈な光は彼女の体躯をすっ飛ばし、二メートル離れた泥濘に身を沈めさせる結果となった。

光線の真横に居ながらガードの間に合わなかったダラハイドが、こめかみに青筋を浮かばせる。

攻撃の方向を見定めるまでもなく、真っ黒い影は枝葉の中を突き進んで現れた。着地は足でなく強靭な腕により行われ、大地がぐらりと振動する。

 

まさか、もう一体ラージャンがいたのか?群れないはずなのに?

浮かぶ疑問も後回しに抜かれた大剣は、横たわるツバキへの追撃を試みたラージャンの横腹目掛けて打ち込まれた。金獅子は特に下半身の肉質が柔らかい。実際に遭遇したのは初めてであれど、そうと知っていたからこその攻撃だった。

だからこそ、岩にでもあったように刃が弾かれたことに全員が驚愕した。力溜めの時間はなかったが、しかし腹にはじかれようなど誰が予測できたというのか。

 

「やってくれたな、金獅子……!」

 

普段の悠々とした態度から一転したような、低い声でダラハイドが唸った。シドとノイアーも既に抜刀している。

 

剣斧は剣モードの時のみ心眼という特性が発動する。斬れ味や相手の肉質を無視して、弾かれなくなるというものだ。

先に述べた特性故に、追撃したノイアーもまた弾かれるなど微塵も思っていなかった。

 

「やめろ!そいつの肉質は普通じゃねえ!」

 

硬度云々の問題ではないことは明白である。シドは声を荒げるが、一度モーションに入ると〝わかっていても止まらない〟のはよくあることだ。柔らかいはずの金獅子の皮膚が、ノイアー、ダラハイド、両方の刃を跳ね返す。生物学上あり得ない事態に、両者共に動揺が走る。

ノイアーは急いてバックステップで距離をとろうとしたが、ラージャンは更に速かった。眼下に黒い影が映りこむ。刹那、ノイアーが理解したのは、〝上だ〟ということだけだった。

球状に丸めこまれたラージャンの体が、回転しながら突進したのだ。大地を揺るがす落下の衝撃は、紙一重に一撃目をかわしたノイアーの体制を崩してしまう。彼女は、耐震のスキルを持ってないのだ。揺らぐ大地によろめく身体で、追撃を避けられようはずもなかった。

重々しい衝突の音に、シドの顔面が蒼白になる。ノイアーは殴り飛ばされて、そのまま背後の木に叩きつけられてしまったのだ。

 

ダラハイドは、ラージャンの全身から沸く〝黒い鱗粉めいたもの〟を視認した。更にはあの金獅子は個体としてはかなり小さく、くわえて角が未発達であることに着目する。

 

「狂竜ウイルスで死んだ母の、子供、だ……」

 

そうして、そんなことを口にするのだ。結論にシドは耳を疑う。噂に聞く狂竜ウイルスは、攻撃力や素早さ、凶暴性を増加させるが寿命を著しく削り取るものとも言われてる。だが肉質の変化など聞いたことはなかったのだ。

 

「なら、あっちの死体が母親か……?!けど、それなら尚更、幼体で成体以上の硬度なんかあるのかよ!」

 

「ラージャンの死体には下腹部に出血の痕がある。怪我かと思ったが出産かもしれない。つまりあのチビっこいラージャンは、狂竜ウイルスの抗体を持って生まれて来た」

 

生い茂る木々全てを足場のように自在に使って、小さなラージャンは縦横無尽に飛び回る。その速度もまた、通常個体を凌ぐほど驚異的なものだった。あんなもの、どうやって倒したらいいというのか。

 

「抗体……?嘘だろ、狂竜ウイルスの克服か?!」

 

「そうとしか思えないな」

 

ゴア・マガラから発生する狂竜ウイルスは、未だ研究途中で未解明な部分のが多い。その中でもかいつまんで特徴だけを述べるなら、「ウイルスを克服すると、強力な力を得られる」というものだ。事実、戦闘の中で感染し、更に克服したハンター達は、一時的にだが力の上昇があったという。

 

「人間に克服できるなら……モンスターが克服できてもおかしくないということだ。抗体持ちなら、ウチケシの実を用いる必要もなかったんだろう」

 

もしこの仮説が正解ならば、研究者達も知らない新事実ということになる。それくらいに発想が飛躍したものだった。

とにかく一旦距離をとり、怪我人の治療をしなければならない。それはダラハイドも同意のようで、時間稼ぎを試みようとアイコンタクトが送られてくる。

シドは閃光玉を投げようとした。横殴りに斧が、まだ未発達なラージャンの角を捉えたのはその直前のことである。

ノイアーが叫んだ。それは声というより咆哮に近いものだった。

 

「馬鹿、ノイアー!!」

 

止血も怪我の手当てもしないまま、ノイアーが剣斧を振り回す。犬歯がぎらぎら光って見える。ああ、キレちまったとシドは頭を抱えた。こうなった時の彼女はまるで〝ティガレックス〟だ。暴れ狂って怒鳴り散らして猛攻をする。その後バテてぶっ倒れるとこまで似てる。

斧と角が衝突する。刃はやはり弾かれた。だがさっきまでと違うのは、それでもノイアーが攻撃をやめないということだった。

 

「ノイアー、待て!」

 

このキレっぷりを初めて見るダラハイドは、豹変ぶりに目を丸くして制止を述べたが、シドにはその声が届かないとわかってた。待てと言われて、待った試しがないのがノイアーという人間なのだ。

 

 

「ダラハイド、ツバキを連れて後退してくれ」

 

ノイアーはブチ切れると見境がない。それは根本的には彼女の性格による作用だが、もう一つ大きな理由があった。……〝火事場〟だ。ノイアーの装備のスキル構成から発動するそれは、追い詰められた時に爆発的に攻撃力と防御力が上昇するというものだった。

 

「シド!どうするつもりだ!」

 

「あいつに付き合うんだよ……!」

 

こんな状況なのに躊躇なく言い切って、シドもまた距離を詰めていた。

……決めていただけだ。彼女の、ノイアーの命知らずにどこまでも付き合うと、シドはもうずっと前から決めていた。それだけだ。

 

太刀が横殴りに振るわれて、残像が光を放って見える。剣速は凄まじく鋭いもので、大概なら弾かれることなくモンスターの皮膚を裂くだろう。それでもやはりこの黒いラージャンだけはどうにもならず、最初と同じように刃は通らず弾かれた。だけど今度はシドも退かない。

 

下半身だ。まだマシ程度だが下半身なら弾かれながらも手ごたえがある。柄を握る腕に伝わる振動が、今日までの経験則を通してシドに情報を与えてくれる。

こいつは果たして亜種か希少種の類いだろうか。それともダラハイドの推理通り狂竜ウイルスの克服個体だろうか。今はまだ何もわからず、ただ生きるために剣を振り回し続ける他になかった。

 

 

 

…………

 

 

 

「……起きたか」

 

ツバキが薄っすら目を開けて、最初に見たのは安堵するようダラハイドだった。

 

「……気絶?痛、……」

 

眩い光に横殴りにされたのが最後の記憶だ。目覚めたら水辺でダラハイドに抱えられてたということは、自分がそれで倒れたのだと理解する。

……解せないのは、その威力だ。ガンナーとは言えG級装備を持つ彼女は、鎧玉の強化が未完了とはいえそれなりの防御力を持っている。それを、いくらラージャンといえどこのような上位圏で、何故一撃でダウンさせられたのか。

 

「だが説明は後だ。加勢に行く」

 

「加勢」と聞いて彼女もまたハッとする。二人が……シドとノイアーの姿が見えない。まさかと言えば、ダラハイドがうなずいた。

 

「応戦中だ」

 

カチ。妙な音が耳をつく。見れば大剣には、見覚えのない石をぶら下げているではないか。その作用なのか、刀身が白い光を放って見える。

 

「ダラハイド……なにそれ……、その、石みたいなやつ」

 

「抗竜石と呼ばれるものだ。まあ、あのラージャンを倒す手段だと思ってくれればいい」

 

振り返らずにダラハイドは言う。それは、ツバキには聞いたこともないものだった。なぜ、あのように未知の状態となったラージャンの、対抗策をダラハイドは知っていたのか。

 

「悪かった」

 

「なんで、謝るの」

 

「お前に被弾させた」

 

 

そう言って彼は、草葉を掻き分け咆哮の方へと走って消えた。

 

 

…………

 

 

 

この異様なラージャンを前にして、学んだのは罠が一切通用しないということだった。だが別の手段も見つけた。どうやら〝乗り〟は有効なのだ。

シドは段差から平均よりかなり小さな……恐らくはまだ幼体であろうラージャンの背中に飛び乗っていた。

ハンターナイフを突き刺せば、痛みに呻き暴れ狂って動き回る。それに必死にしがみつき、シドもまた転ばせようと躍起なまでに刃を突き立ててた。

 

ノイアーはスタミナを削りつくして、よろよろとした足腰を大地に刺した斧によって支えてた。さんざ弾かれ刃毀れした自らの武器を、未だしっかり握ってる。彼女の猛攻は、少なからずのダメージを蓄積させた筈だった。だのにこの黒いラージャンは、硬すぎて手ごたえがまるでわからないのだ。

 

「今だ!」

 

シドが叫んだ。同時にノイアーが走り出す。斧は再び剣の形に変形し、大地に転げたラージャンの眼前で振り上げられる。

ダラハイドが合流したのは、丁度そんな時だった。

 

 

「ダラハイド!ツバキはどうなった?!」

 

「目覚めた、大事ない。……悪かったな」

 

言いながらダラハイドが両腕に力を込めている。

黒いラージャン……克服個体。後に極限状態と呼ばれる恐るべきモンスターの形態である。

もしこいつが産まれて間もない子供ではなく、G級の強力なラージャンだったら、死者が出ていても不思議でなかった。

 

最大値まで力を込めた両刃の大剣が、ラージャンの後ろ足へ振り下ろされる。

シドの鬼刃斬りと、ノイアーの属性解放突きも同時であった。

 

その瞬間に、なにかが弾けたような音がした。ラージャンは反対側へ転げていくが、その身体が変化してたのだ。オーラ状に見えた黒い粒子が散っている。

 

……解除した。ダラハイドが言う。

この極限化状態は、一定以上のダメージで一時的な解除ができる。シドとノイアーの猛攻が、今になりようやっと効いたのだ。或いは、ダラハイドの持つ抗竜石の作用のためであったのか。

直後にノイアーがばたりと倒れた。さっきの一撃で残る力を使い果たしたのかもしれない。彼女は火事場を維持するために、あまりにも血を流し過ぎた。

 

「ノイアー!!」

 

ラージャンが起き上がりにノイアーを見たから、シドは一目散に駆け寄った。ラージャンのバックステップ。僅かな跳躍。そして、あの構え。どこかビームを連想させる、気功を放つ前動作に違いない。

倒れて一歩も動けないノイアーを、シドは力一杯抱き締めた。彼女の盾になるように。

 

「くそ、間に合え……!」

 

ダラハイドが武器を横殴りに振る。当たりさえすればとどめをさすことができたろう。だがそれより速く額を抉り、未発達な角を割ったのは弾丸だった。

 

「これは剛撃。発動するのは〝無慈悲〟だ」

 

茂みの奥からそう言う声は、怒りの炎を宿したツバキであった。

 

無慈悲とは、弱点特効に見切りの効果を相乗させた複合スキルだ。シンプルに言うなら、〝弱点にヒットさせた時、かなりの大ダメージを与える力〟ということになる。

 

「さっきはよくもやってくれたな……!」

 

彼女の弾は、幾度も的確に、ラージャンの全身を貫いた。このまま、全弾撃ち尽くす気かもしれない。

 

「ツバキ!」

 

ダラハイドが呼ぶ。回復し駆けつけたツバキの様子に、安堵したような顔だった。

 

彼女の銃が怯みを起こさせ、放たれかけた気功が宙へ飛散する。シドとノイアーが、被弾せずに済んだのだ。

 

銃声は止まらなかった。本来ならリロードしなければならない弾薬数消費されても、機関銃もさながら貫通弾は放たれ続けた。これが、全武器中でも圧倒的DPSと名高いしゃがみ撃ちである。

ツバキが銃を撃ち続けるから、鉛の雨にラージャンは身動きが取れなくなってしまった。その背へ、ダラハイドは全力の一撃を振り下ろすのだった。

 




[番外編]


-1-


だらだらと流れる汗が足元を濡らす。いい感じだ、たまらない。無骨な彼はこの〝ヒリヒリする〟感覚が好きだった。

汗の理由は二つある。
一つは火山というフィールド故の馬鹿みたいな熱さのせいだ。クーラードリンク無しには何もしなくても体力が削られてしまうほど、この地域は地獄のような猛暑である。人間は恒温動物であるけれど、ここの気温はゆうに許容範囲を超えているのだ。

足場から吹き出す溶岩と、それに伴う熱風が白く視界を濁らす。その赤と白の光に混じって、異質な蛍光色が弾け飛んで足場の岩まで砕けて散った。
粘菌が緑から赤へと変色する。独特の粘ついた液が広がる。それが壮大な規模で爆発を起こして、溶岩の赤さに火花を混ぜた。この爆風が止めどない汗を促すもう一つの理由であった。

彼はアグナコトルもウラガンキンも、グラビモスやヴォルガノスも狩猟してきた。火山は地図もなく頭に地形が叩き込まれているほどだ。その中でも、彼がもっとも〝好む〟のが、今目の前にいる敵だった。
巨体にして硬い外殻、ボクサーのような機動力を持ち、なおかつ一級品の攻撃力と攻撃範囲を持つその竜は、人間にブラキディオスと呼ばれてる。体の形態全てが好戦的なフォルムをしており、特筆すべきは「殴ること」にこれでもかというほど特化した硬質な拳だ。なにせ指がない。握ることも掴むことも捨てちまったような、最低限の窪みを残した拳の形。それに、爆発を促す粘菌がべったりと塗りたくられてる。衝撃とともに爆発するのは、この粘菌の作用である。

「そういうところがサイコーだ」

彼はハンマーを構えてにたりと笑うが、自らの表情が笑みであるのすら無意識だった。ブラキディオスには拳の下部に長い爪がある。が、これは主に食事などの時に肉を裂くためだけに用いられるものであり、戦闘においては格納したまま使われることがないという。
要するに、邪魔なのだ。殴ることのみに特化して、器用さも利便さも捨てた進化を遂げた拳に対し、爪などまるで必要ない。人間だって飯食う時だけナイフとフォークを持つけれど、普段から携帯なんかしないだろう。ブラキディオスにとって爪なんかその程度のものなのだ。ブラキディオスは獣竜種である。獣の字を冠しながら、爪を要らぬとするその生態は、ハンマーを持つ彼の心をこれでもかとくすぐった。

「俺も斬るより殴る方が好きなんだ。お前がヒトなら仲良くなれたぜ」

頭の前に張り付いて、狙うのはいつだって頭部一点。それが彼の戦い方だ。
この、見てるだけでチビっちまいそうな眼光と相対して、回避しにくい正面に立つ。リーチの短いハンマーは、強力さの分だけリスクを背負う。ガードも出来ない。だからこそ重たい一撃がこの上なく〝サイコー〟なのだ。


鼓膜を粉々にされそうな咆哮の後、彼の左腕が赤く光る。
彼の装備は特殊な効果を持っていた。ハンター達はこれを「挑戦者」と呼ぶ。モンスターが怒った時に、自らの攻撃力と会心率が飛躍的な上昇をするというものだ。戦闘中はほぼずっと怒り状態にあるブラキディオスに対し、こんなに相性の良いスキルもないだろう。

何事も戦闘とは〝ブチ切れてから〟が本番である。モンスターだって怒れば攻撃力や俊敏さに拍車がかかる。彼は人間でありながら、その例に洩れなかったというだけだ。

後退したブラキディオスが、頭の突起を地面に打ち込む。まるでシャベルで削ったみたいに、硬い地面がガリガリ削れる。粘菌と砕けた地面の混ざり合った〝それ〟たちは、砂かけの原理と同じでありながらそうと形容するにはあまりに強力なものである。あの砂利みたいに細かくなった「地面だったもの」は、一つ残らず爆発するのだ。それが正面に立つ彼目掛けて放たれる。
真横に転がって回避した彼が顔を上げれば、二撃目のモーションがすでに始まっていた。彼の回避した方に向かって角度が微調整されており、その追尾性に内心賞賛を覚えながらも、彼は再び真横に向かって転がった。
爆風に自らの髪が焼けた匂いが鼻をつく。しかし彼が怯むことはなかった。
着地のほぼ直後に振り上げられたハンマーが、真っ直ぐにブラキディオスの額を狙う。重々しい鉄塊が、恐ろしい速さで自らの頭部に迫ってくるなど、ブラキディオスにとっては初めてだった。こうも攻撃的にインファイトを仕掛ける人間など、今日まで出会ったことがなかったのだ。
咆哮、衝撃音、火花と爆風。ブラキディオスとハンマー使いの戦いは、まるで竜同士の縄張り争いのようだった。





-2-

「あー……いてえ」

籠手を外せば、ハンマーの左腕はパンパンに腫れていた。右腕の二倍近くありそうだ。これで骨に異常のない、ただの打撲というから感嘆しますよ。遅ばせながら駆け付けた双剣は、逞しすぎる彼にため息まじりにそう告げる。

「そりゃあ砕竜のパンチ受け止めりゃあそうなりますって。なんで俺を待たないんですか、同行の意味がない」

最初に待ち合わせ場所は決めていた。だのに一向にハンマーは現れず、しかしペイント玉も使われない。こりゃあ案外秘境にでも着いちまったのかと思っていたら、咆哮が聞こえてくるから驚きもする。
なんで待ち合わせ場所に訪れず、ペイント玉で居場所も知らせず、勝手に戦い始めているのか。素直に待っていた自分が阿保のようではないかと、双剣はげんなりした顔だった。

「だってあいつカッコいいだろ、そりゃあ、」

「それは理由になってませんよ。妹さんを見習ってください」

引き合いに出されたのはハンマーの妹だった。感情的で好戦的な、まさしく砕竜のような彼と異なり、妹は冷静な性格だったと記憶している。武器はヘビィボウガンだった。動作の遅いヘビィは常に敵の攻撃を先読みしなければならないし、そもそも「ガンナーの強さは七割が知識」という言葉もある。それ故に、双剣はハンマーの妹を冷静で知的に立ち回るハンターだと認識していた。
だが兄であるハンマーには、全く異なる印象があった。あいつが冷静沈着だと?……ねぇな。そう笑い飛ばしてしまうくらいに。

「妹は、昔狩猟で死にかけた。未熟な頃一人でドスジャギィを追跡して、もう一体いることを見落としたからだ。あれは危なかった」

それは父が死んで間もない頃で、妹が何かとモンスターに対し過敏になってた時期でもあった。末っ子だった妹は親離れもできておらず、特に父に懐いていたのだ。その父が、竜に討たれた。だから全ての竜が憎いとでもいうふうな、痛々しい時期だったのだ。

「……父さんって、確かリオレウスに……?」

「そうだ。別の狩猟で深手を負った父とその相方が、朽ちた塔で休息してたとこらしい。そん時のリオレウスな、銀色だったんだと。見てみたいよな」

父の亡骸を運ぶことは叶わずに、千切れた右腕だけを持ち帰った〝相方〟が教えてくれた話だ。だから父の墓には、右腕しか眠っていない。

「妹はリオレウスに限らず、全てのモンスターが憎たらしくて仕方なくなってた。だから単独追跡なんかしたんだろ」

「……気持ちは、わかる気がしますよ。肉親が亡くなれば冷静を強いるのは酷ですからね」

「ふん、そうかよ?あいつなあ、そん時まだ八歳だったんだぞ」

八歳の小さな身体で、自重に近い巨大なボウガンを背負い、妹は竜はすべがらく父の仇と言い張ったのだ。だが更に彼が驚いたのは、単独追跡の末死にかけた妹を助けてやった直後であった。
ハンマーは、無茶をした妹を叱ろうとした。だのに妹は真剣な顔でこう言ったのだ。

〝竜どもはすべがらく父の仇だ。けど、私もすべがらく竜の仇だ〟

死に際に合わさった竜の視線に、感じたのは共感であったと小さな妹はそう言ったのだ。敵意でも、殺意でもなく、共感だったと。
返り血にまみれた自らの手に、あの日の妹が何を見たのか。

「な?冷静どころか、俺より無茶をすることもある。冷静沈着に見えるのは上っ面だけだぜ」

さあ、そろそろ行くか。そう苦くてクソ不味い回復薬を飲み干して、ハンマーはすくっと立ち上がる。砕竜は片足をずるずる引きずっていた。今頃眠っていることだろう。


「ところで、砕竜の寝床特定できてんですか」

「それなんだが、察しの通りペイント玉を使い忘れた。一緒に探そうぜ」

「……」

双剣はげんなりした顔をして、了解、と頷いた。








-3-

「回復してるじゃないですか!だからペイント玉忘れないんで欲しいんですよ!」

寝床の特定は随分遅れた。
そのため再びブラキディオスを見つけた時には、疲労の回復しきった俊敏な攻撃を受けるはめになる。

まあそう言うなよ。まだこいつと戦えるなんて〝サイコー〟だろ?
そう悪びれないハンマーが、こんな調子なのもいつものことだ。
双剣はあと百は言えそうな文句を後回しにして、両手に歪曲した剣を構える。
全武器一の機動力と手数を誇る双剣は、一撃の威力より攻撃頻度によって火力を出す。ひたすら敵の足元や腹下に張り付いて、僅かな隙にも刃を走らせるのが戦法だった。素早さ故に攻撃チャンスも多くなる。その中でも、彼の戦い方は特異さがある。
やっていることは〝一般的な双剣〟の戦法と同じであるが、動き方が独特なのだ。全身をバネにした跳躍や、気配の殺し方が群を抜いて見事であるし、回避もまた見事なもので、滅多に被弾することがない。曲芸師も顔負けな身のこなしで、面白いくらいに躱しきるのだ。
圧倒的なスピードと無駄のない斬撃の数々、野生的な気配をハンマーは気に入っていた。ひょんなことから知り合って、以来彼と何かと組むことになったのもそんなスタイルが好きになったからだろう。粗暴そうな性格なのに、自分が歳下だからと敬語を使うところも愛敬がある。



「……師匠譲りなんですよ、人間じゃないけど」────前に一度、乱舞を誉めた時の返事がそれだった。アオアシラを倒して天狗になるくらい未熟な頃に、G級個体のナルガクルガに出会って……。そう語られた双剣の話が、ハンマーはとても好きだった。 
双剣の胸当ては迅竜の素材で作られている。きっとたくさんの思いがあるのだろう。
足の裏側に鋭い斬撃が怯みを与え、非常に珍しいことにブラキディオスがダウンする。粘菌の色が黄から緑に変わりかけてた。スタミナの切れかけたタイミングだったのかもしれない。
血しぶきが花吹雪みたいに散らばる。戦いのあと、この双剣はいつも返り血で真っ赤になった。それを誇らしそうにする。
〝大事な師匠〟の教訓だろう。それから少し寂しそうな顔をして、「あいつはもっと速くて強かったんです」なんて言うのだ。
止めの一撃は、回転しながら放たれるハンマーの強烈な打撃であった。

あー、こんどは脇が痛いな。爆破に焦げた布地を見ながら、ハンマーはそう怪我を摩った。いつも通り真っ赤に濡れた双剣は、結局一撃もくらっていない。なんだか俺たちは真逆だよな、と、ハンマーは笑う。
その直後、彼らの周囲に広範囲の爆破が起こった。





-4-

「……ガキか」
「子供ですね」

二人は同時にそう言った。広範囲の爆発は、しかし意に反して威力の低いものだった。
ブラキディオスの幼体は、親の縄張りで生活をする。ならば今討伐した成体の、子がここにいてもなんら不思議なことはなかった。

親より一オクターブ高い咆哮が響くけど、耳栓の必要はまるでない。それは声量の問題でなく、咆哮の範囲が狭いためと思われた。
身体の大きさは人間大で、たった今倒したブラキディオスと比較すると弱々しく見える。……いや、実際にまだ弱いだろう。

そもそもブラキディオスの甲殻は、親の起こす爆風や熱で何度も溶けかけ、その度火山性の鉱石類が混ざり合う事で本来以上の強度を得てゆくものである。
それ故に、未発達な幼体の外殻では、粘菌の爆発に耐え切れずに致命傷を負う個体も少なかった。
現に今、幼体のブラキディオスは自らの起こした爆発でかなりのダメージを負ってしまった。咄嗟に緊急回避で負傷を避けた二人と違い、爆破の中心地にいた個体はすでに外殻が割れている。そこから、蓄積していたのであろう粘菌が溢れ出しているのだ。

「マズイな」

溢れでた粘菌が緑から黄に変色してゆく。それを見てハンマーは呟いた。
粘菌は時間差で爆破を引き起こすけど、砕竜が興奮状態にある時上昇する体温や唾液の分泌が、この粘菌を活性化させてしまうのだ。そのため本来は時間差で起こる爆発が、付着した直後に起こってしまう。

幼体の興奮状態の原因など明白だった。親を殺されて怒っているのだ。だのに悲しいかな、未発達の外殻では、引き起こす爆発に自分自身が耐えられなかった。
幼体のブラキディオスがそれをどこまで理解しているかはわからない。ただ一つ確かなのは、外殻が割れるほどに傷ついていても、ブラキディオスは戦意を失わないということだ。ボロボロな身体を庇うこともなく、ハンマー達を威嚇してくる。



「なあ、麻酔玉持ってる?」

「……あなたは、本当、子供に甘いですよね。シビレ罠もありますよ」

言わんとしてることを理解して、双剣はポーチからそれらを取り出した。

人間にもモンスターにも、このハンマーはとにかく子供に甘いのだ。以前にイビルジョーに遭遇した時も、危険を犯して子供の為に単独パーティを離れた事があると噂で聞いた。
金持ちの護衛が依頼であったが、道中たまたま産卵期のリオレイアを見かけたことで、卵を盗むよう追加依頼をのあった任務である。途中までは順調だったクエストは、イビルジョーの乱入により予定が狂った。卵を抱えた少年が一人逃げそびれ、救助のために、ハンマーは仲間の制止を無視して引き返したのだ。
本人には伝えなかったが、双剣がハンマーを慕う理由がそれだった。隣に立つハンマーは、とかく人間くさい奴なのだ。

二人の連携は速やかかつ実に見事なものだった。ハンマーが囮となって気を引いて、その隙に双剣が罠を仕掛ける。それから、シビレ罠まで幼体を誘導した後に、麻酔玉が放られる。眠らせてしまえば、興奮状態は解除される。これ以上自らの粘菌で傷つくことはないだろう。

剥ぎ取りますか?悪戯な顔でそう尋ねた双剣の肩をばしんと叩き、ハンマーはせっせと、たった今捕獲に用いたシビレ罠を壊してしまう。
罠に嵌めて麻酔玉で眠らせるのは、捕獲のための手順であった。だのにその罠を壊すのは、通常なら考えられないことだろう。ブラキディオスの幼体は、目が冷めればなんの拘束もないことになる。

「ガキに甘いってなんだ、んな訳ないだろ」

ぶっきらぼうにハンマーは言う。

「こいつがデカくなったら戦うんだよ。そのためだ」

ふんと鼻を鳴らすハンマーの横顔は、そのくせ嬉しそうに見える。
無論この表情は、将来の再戦を心待ちにする故であり、決して幼体の無事を喜んでるわけではないと、そう念押しするハンマーに双剣は今日三度目のため息を吐く。

「じゃあ、そういうことにしときましょう」

ついでにスケッチでもしていいですか。そう趣味の申し出をする双剣に向かい、ハンマーはにっかり笑って頷いた。



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6話

第二章 黄金時代篇


・ ・ ・

 

ゆっくりゆっくりまばたきをする。瞼の裏には輝かしい若き日が写り出し、目の前の現実と交互に彼女の視界を覆った。浸る追憶は、追憶と呼ぶには鮮やかすぎた。

鼻先が潮の香りを拾う。闇の海上、荒くれどもの海賊船。たった一人、ツバキはそこに乗り込んでいた。決戦まではもう幾許か。

 

昔の夢を見た。それだけだ。それだけのことで、泣いてしまいそうになる。まばたきの間に、追憶は彼女の頭に流れる。

 

 

……泥濘んだ草木の生い茂る原生林で、あの時ダラハイドは彼女に言った。

〝悪かった、お前に被弾させた〟

 

あの時から、彼は自分を守ることをまるで役割のように思っていたのかもしれない。極限化した幼いラージャンが、放った気功を防げなかったことを口惜しそうな顔だった。

 

戦いは自己責任だ。なのに思えばいつしか、彼は彼女を守ろうとその剣を振るってた。

 

霧の立ち込める深夜の海で、船上の彼女は風を聞く。前を行くもう一隻の海賊船が、その側面から火を吹いた。飛来する黒きリオレウスに、大砲を放ったせいだろう。

 

 

あの日から、ずっと共だった仲間達はもう居ない。

無鉄砲な剣斧使いも、その剣斧使いをいつも心配していた太刀の男も。そして、彼女を守ると大剣を背に傍にいたダラハイドでさえ、もう隣で笑ってくれない。

 

潮風に髪を靡かせて、狂い続けた運命の根源を彼女は睨む。闇色の空で、何より黒い竜が飛んでる。先に応戦を始めた船に続いて、彼女の乗る船もまたバリスタの標準を合わせ始めた。船長が大声で指示を出す。

 

直後に轟音が響き渡った。

一瞬、暗闇が真昼のように輝いたのだ。熱風が前髪を逆立てる。まばたきの間に、前の一隻がごうごうと業火に焼かれていたのだ。

 

「やりやがった!」

 

誰かが叫んだ。リオレウスが火を吹いたのだ。マストが斜めに倒れてく。木材の焼ける匂いが立ち込める。一隻を焼き払ったリオレウスが、ツバキ達の乗るもう一隻の方を向く。しかし、追撃は終ぞ来なかった。黒きリオレウスはツバキをまじまじ睨んでいたのに、攻撃することもなく、再び空高くへと距離を取る。

 

「誘導か?」

 

顎髭を撫でながら船長は言った。

 

「かつてない動きだ。本当に〝あいつ〟と知り合いなんだな。今までは、容赦なく攻撃してきて手に負えなかったが……」

 

「……」

 

彼女は多くを語らなかった。思い出は、たくさんある。目を閉じれば、昨日のことのように思い出すのだ。初めて一緒に戦ったのはザボアザキルで、その次にはバギィの群れを撃退した。

ひょんなことから合流したシドとノイアーは、セルレギオス戦を機に打ち解けた。その後、極限化したラージャンに辛勝したことで、四人に絆が芽生えたのもよく覚えてる。

四人で肩を支えあい、僅かな回復薬を分け合いながら帰還した。ようやっとユクモに着いた時には、旧友のようにみんなで酒を飲んだのだ。

 

 

「……あれは、私の人生の黄金時代だ」

 

彼女は闇色の空を睨む。失ったものが大き過ぎた。ここまでの喪失でなかったなら、また、笑い合えたかもしれないのに。

 

 

ユクモに着いて、それで、みんなでG級に行こうと誓った。まるで黄金のように輝いている、人生でもっとも気力に満ちた時期があったのだ。

 

 

「だから、殺しあうのも私の役目だ」

 

彼女の目は冷徹だった。それは、洪水のように溢れ出る、輝かしい思い出を振り払いたい故かもしれない。

 

それだけ、仲間との日々は彼女にとっての幸せだった。

 



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7話

第二章 黄金時代篇


「シド!消散剤!冷たいっ、冷たいっ」

 

「ノイアー!だから持ち物確認ちゃんとしろっつったろうが!!」

 

首から下を雪だるまにしたノイアーが走り回る。ウカムルバスの咆哮で落下した氷柱が、彼女を雪まみれに変えてしまったのだ。シドは駆け足にノイアーに駆け寄り、ポーチから消散剤をぶちまける。

 

「相変わらずだな、あの二人は」

 

反対側へと立ち回るダラハイドは楽しげだった。身の丈を超える大剣が、前脚を斬り、顎を斬り、腹を斬る。重々しい装備をまるでないかのように、その動きは俊敏だった。

 

「それにしても、リミッター解除か。お前がしゃがめないのは、なんだかな」

 

「元々立ち銃なんだ」

 

彼女は短く応じて転がる。納抜刀、歩行速度、なにもかも遅いヘビィは武器を構えたまま常に回避行動で立ち回る。 

 

氷岩が周囲へ爆ぜた。ウカムルバスの鋭利な顎が、氷山を横殴りに破壊したのだ。ツバキに向かって飛んだ礫は、しかし彼女に届く前に大剣の切っ先に打ち返された。

 

「平気か」

 

「……ありがとうダラハイド。当たってない」

 

「お前にもう被弾させないさ。二度と」

 

立ち塞がる背が広く見える。ガンナーは確かに打たれ弱い。だが、守られなければならないほど脆くもない。だのに何故か、甘んじたくなるような魅力が彼にはあった。

 

 

「シド!!チャンス!」

 

「おい!ノイアー!」

 

騒々しい声がする。氷を振り払ったノイアーが走ってくる。それを、シドが心配そうに追いかける。

ノイアーはいつも楽しそうに戦う。いつか、シドが彼女を〝ティガレックスのようだ〟と言った。ツバキもダラハイドも、今じゃその意見に同意している。背の武器を引き抜きながらノイアーが飛ぶ。段差を蹴り、無防備な背へ斧が振り下ろされていた。

 

「あれっ」

 

途端、素っ頓狂な声がした。

 

「シド!乗った!ウカムに乗れた!」

 

「おい馬鹿っ、捕まれ!落ちたら痛ぇぞ!タイミング見て、背中刺せ!」

 

二人のやり取りが面白くって、ダラハイドがくつくつ笑い出す。つられるようにツバキも笑った。

 

四人なら、なにが来ても負けないような気がしてた。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

自らのギルドカードに「G1」と判が押される様を、皆々子供のように目を輝かせて眺めていた。これがG1許可証。晴れてG級ハンターに仲間入りした証である。

 

一括りにG級といっても幅広い。危険度に応じて更に綿密なランク分けが存在する。G1はその入り口であり、G級の中ではもっとも下のランクに位置付けられた。それでも、まぎれもないG級なのだ。たまらなく誇らしく、皆々笑顔を浮かばせる。

 

「これでツバキと同じG1か」

 

「ダラハイド、今度は発行拒否されなくて良かったね」

 

「言ってくれるな。気にしてたんだ」

 

自然と空気が穏やかになる。ノイアーはずっとG級に行きたがっていたし、なんだかんだシドも照れくさそうな顔してる。集会所で、四人はいつまでも喜び合ってた。

 

「……まあ、でも、」

 

長閑な村、ユクモ。崖上の集会所から景色を見下ろしてダラハイドは言う。瞳はこの風流な異国を、愛おしげに見つめてた。

 

「あの時発行拒否されたから、〝今〟があるのか」

 

ノイアーが笑ってる。人見知りでシドにしか懐かなかった彼女さえ、だんだん刺々しくなくなってきた。

 

 

「嬉しそうに言うんだね」

 

「嬉しいさ。お前にも会えた」

 

真顔でダラハイドがそう返すから、ツバキは思わず息を飲む。それがあまりにらしくなくって、彼女は逃げるみたいに後ろへ下がった。

ダラハイドは、ずっと景色を眺めてた。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

……これは、なんというか。いや別に劣等感とかではなくて。

 

なんとも言えない気持ちを抱えて、ちらちらとツバキはノイアーを見た。

 

 

夜風がとても気持ちいいし、ユクモは露天風呂がピカイチなのだ。久々の帰還に、一風呂浴びたくなったのは実に然るべきことだろう。彼女がそんなことを考えてると、ちょうどノイアーもそんな気持ちだったらしい。

 

「……風呂、行く?」

 

ぶっきらぼうながら、尋ねてきたのはノイアーだった。

曰く酷い人見知りであるノイアーは、シドに見せる無邪気さを引っ込めてしまってる。それでも、実にやりにくそうながらに話しかけてくれたのは、彼女なりに親愛の意があるためだったのかもしれない。

女同士なのに、思えばマトモに話して来なかったことをツバキは思い、やはりおずおずとノイアーに向かって頷いた。

 

「……風呂、行こうか」

 

夜の露天風呂は貸し切りだった。

 

ツバキは背の低さを彼女は気にしているが、決して幼児体型ではない。それなりに凹凸のある身体をしていた。

身体にタオルを巻いて浴場へ行く。ノイアーは先に湯船に足を浸してた。

ツバキに衝撃が走ったのは一秒後だ。

 

砂漠の出身だというノイアーの肌は、ダラハイドより更に黒みの強い褐色だった。ダラハイドは地黒だが、ノイアーのは地黒に加えて日焼けを随分としてるのだろう。こうして厳つい鎧を脱いで、あどけなくするノイアーは素直に魅力的な容姿に見えた。それはそれで衝撃だけど、ツバキが口をあんぐり開けたのは身体の方だ。

 

……なんだ、その、胸は。

いや胸だけじゃない。それだけ迫力のあるサイズをしておいて、なんだ、その細い腰は。腹のラインが艶めかしいカーブを描いて引き締まり、それでいて尻は上向きに膨らんでいる。

普通は多少なり「もうちょっと、ここがこうだったら」というべき場所があるはずなのだ。だのに何故、胸も尻も完璧な形かつ魅力的なサイズを持ち、それでいて腹も脚もそのように細く締まっているのか。

ツバキは、急激に自分が幼児体型なのではと錯覚に襲われた。完璧なプロポーションを持つノイアーは、しかしそれを何とも思ってないようだった。それが余計に憎たらしい。

 

 

「ツバキ、なに固まってる?」

 

「あ……や、なんでもない」

 

彼女と比較すると随分とボリュームのない胸元を、無意識にツバキは腕で隠した。

 

 

「いいな、ツバキ、細くて」

 

「え、ノイアーそれすごい本気で言ってるなら嫌味どころの騒ぎじゃない」

 

「なんで?白いし細そくて羨ましい」

 

どうやらノイアーは本気でツバキを羨ましがっているようだった。同性なら誰もが羨み、異性なら鼻の下を伸ばさざるを得ない体型なのに、本人は気に食わないと言わんばかりだ。ツバキにはこの上ない贅沢に見えた。

 

「だってシドが、いつも重たいって言う。ツバキくらい細かったら言われないかな」

 

「重たいって、装備の話じゃないの」

 

「ううん、寝るときは防具着けないし」

 

 

……〝寝るとき〟?そいつは一体どんな状況を指すのだろうか。キョトンとしてれば、補足するようにノイアーは言う。

 

「私、シドの家に転がり込んでんだ。砂原から狩猟のためにこっちに来て、なんやかんやそのまま」

 

「じゃあ、一緒に住んでるの」

 

「うん。で、なんか寝相悪いみたいで、朝は大体怒られる。こないだなんか、『窒息させる気か』って言われた」

 

あっけらかんとノイアーは言うが、ツバキには色々と衝撃だった。それはつまり、そういう関係ということなのか。

 

「つまり、恋人……?」

 

「え、なに恋人って。そんなわけないよ」

 

だのにあっさり、ノイアーはそうカラカラ笑った。ツバキは瞬間、シドにひどい同情をした。

 

 

 

 

時同じくして脱衣所にいたダラハイドは、必死に声を押し殺して笑っていた。先に風呂に浸かる女性二人の、盗み聞きをするような構図になってしまった。隣でシドは、なんとも言えない顔をしている。

 

「いやシド、すごい忍耐力だ」

 

「……おい、邪推しないでくれ。別に俺は、」

 

「なんだ、そういう事にしておきたいなら別に構わない。詮索したいわけじゃないしな」

 

シドがノイアーを大切にしているのは周知の事実だ。決まっていつも心配をして、振り回されて、挙句同棲しながら「恋人なわけがない」というから泣ける。ダラハイドは密かに、シドが報われるように願った。

 

 

「しかし鉢合わせるとはな。暫く待つべきか」

 

「……?なに言ってるんだよ。ダラハイド、ユクモの温泉は混浴だ」

 

「コンヨク?」

 

「ああ、混浴ってのは男も女も一緒に風呂に入るって意味だ」

 

シドの言葉に、ダラハイドは目をぱちくりさせた。つまり、今露天風呂で湯浴みを楽しむ彼女らと、同じ湯に浸かって咎められないということだ。奥ゆかしいのか大胆なのか、この土地の価値観はよくわからない。

 

「まあ、でもその前に、だ。ダラハイド、聞きたいことがある」

 

ダラハイドに少し話さないかと温泉に誘ったのはシドだった。シドはずっと、原生林で会った幼体ラージャンとの一戦でダラハイドに疑問を抱いていたのだ。

 

「ドンドルマにある狂竜ウイルス研究機関が、先日〝極限化〟という報告例を発表した。……セルレギオスが狂竜ウイルスを克服し、あらゆる属性を通さず、またあらゆる攻撃を弾きかえす恐るべき状態になったそうだ」

 

〝とあるハンター〟が解決したその事件は、狂竜ウイルスの新たな可能性として全国のハンターを震撼させた。各地に飛来したセルレギオスの原因も、この極限化個体による影響らしい。

 

「相変わらず情報通だな、シド」

 

「……誤魔化さないでくれダラハイド。あん時ラージャン相手にしたお前の推理が、ぴったりと的を射てる。極限化を、元から知ってたんじゃないのか」

 

「専門の研究機関が最近ようやく解明した事実を?俺が最初から知ってたと?」

 

「そうだ」

 

 

ただ単にダラハイドの洞察力が抜きんでて、結果推理が的を射たと……シドがそう解釈しない理由はいくつもあった。当時は上位で、今ようやくG1になった彼の防具が既に天鎧玉の強化を施されていることや、武器が見たこともない素材であることも理由の一つだ。だが最たるものは、あの時ラージャンに放った武器の奇妙な力のせいだろう。

あの時、ダラハイドは見たこともない〝石のようなもの〟を武器の柄に嵌め込んで、白い光を放ってた。

今でもはっきり覚えてる。石を取り込んだ大剣の放った一撃は、どんな攻撃をも弾いたラージャンの黒い皮膚に、弾かれることなく刃を通したのだ。あの謎の力に、シドが心当たりを見つけたのも先日だった。件の〝とあるハンター〟の話だ。極限化したセルレギオスを討伐するおり、届けられたアイテムがあるという。

 

「おかしいだろ。元から知ってたってわけじゃないなら、何でお前……抗竜石持っているんだ」

 

あの時のラージャンが極限化個体だと理解して、その有効手段が〝抗竜石〟だと知らない限り、あの場面であのような使い方をするはずがない。

時系列にするとダラハイドがラージャンに抗竜石を使い対抗したあの一戦は、狂竜ウイルス研究機関が一連の出来事を発表をするより前になる。元から知っていたとしなければ、説明のつかない行動だった。

 

「ノイアーは、まあ……ともかく、ツバキは気付くぞ。いずれ……」

 

ツバキはシドほど情報収集を習慣づけてるわけではない。だがドンドルマで活躍した〝とあるハンター〟は一躍時の人として巷で話題の中心なのだ。遠からず耳にも入るだろう。その時に、きっと今のシドと同じ疑問を持つはずなのだ。

 

シドが「抗竜石」と単語を出したら、ダラハイドもとぼけるのをやめていた。既に誤魔化せないと悟っているのか、いつもの余裕のある笑みも引っ込めている。

 

「……そうか。そうだな。いずれツバキも気付くだろうな。そんなに話題になっているなら」

 

無論ダラハイドは〝とあるハンター〟とは別人だった。そのハンターは我らが団を称する一団のメンバーであり、ダラハイドとは接点すらない。

 

「……言いたく、ないのか」

 

「…………悪いな、箝口令というやつだ。俺の生まれた国は、もっとずっと前から狂竜ウイルスについて研究していた。これ以上は勘弁してくれ」

 

夜風が吹いた。リンリンと、近場の渓流から虫の声が聞こえてくる。穏やかなユクモの風に吹かれて、ダラハイドは悲しい目をしてた。

 

「ずっと、いつかハンターになりたいと思っていたんだ。俺はな、ツバキみたいに生きたいんだ。憧れかもしれない」

 

ツバキだけではなかった。ノイアーのように自由で、シドのように仲間を想う。そんなハンターとして歩みたかった。ダラハイドにとって、三人は眩しい存在なのだ。

 

 

「……なんだそれ。お前、とっくにハンターだろうが。少なくとも俺たちはそう思ってる」

 

「……そうか」

 

「まあ、言えないならいい。だけど一つだけ答えてくれよ」

 

頭の良いシドは、ダラハイドの持つ秘密に不吉な予感を隠せなかった。それは未だ具体性は見えないもので、しかしダラハイド自身を悪人だとも思わない。それでも、なにか悲しいことが起きてしまいかねないような、そんな予感が擡げていたのだ。

 

「人はいつか必ず別れる。お前とその時が来た時、俺たちは笑って手を振れるのか」

 

命懸けの生業だ。ずっと四人でいたくとも、どうしようもない運命に引き裂かれることもある。それは怪我や病気かもしれないし、死かもしれない。目的の相違が、道を分かつこともある。いつかはわからない。数年後か、数十年後か、あるいは明日そうなるかも限らないけど。

シドの真っ直ぐな視線を受けて、ダラハイドゆっくり頷く。

 

 

「ああ。笑って去ろう。そして願わくば、それが年老いた後でありたいと思う」

 

その言葉に、シドはそれ以上の追求をやめた。

 

 

 

…………

 

 

 

「あ、シド!」

 

腰にタオルを巻き付けて、露天風呂に歩いてくる二人に気付いたノイアーは笑顔を綻ばせた。

 

「シド!こっちこっち!」

 

布一枚巻いてるだけで、ほぼ全裸というのに本当に咎められないとは。〝コンヨク〟なるものにダラハイドは半信半疑であったが、気にするでもないノイアーの様子に納得する。

女性というのは肌を見られたがらないものだと思った。だが温泉という場所は、どうやら特異なものらしい。

ツバキはといえば、何故かノイアーの横でただでさえ小さい身体を、益々小さく丸めていた。

 

「ばっ、おいノイアー、跳ねんじゃねえ!タオル落ちるだろう!」

 

はしゃぐノイアーの胸が揺れた。それをツバキがなんとも言えない顔で見たあと、自らの胸を見てシュンとした。あっ、なるほど……。サイズの差に妙な納得をしてしまう。別にサイズが全てではないだろうに。

 

「あのなあ、お前……風呂では髪結べっつったろうが。ほら、頭のタオルん中しまえ。長いんだから」

 

「上手く出来ない。シドやって」

 

人見知りのノイアーは、シドが来た途端にガラリと明るい声を出す。子供のような笑い声がこだまする。それを見て、小動物のようだったツバキもまたクスクス笑った。

 

 

「ご機嫌そうだな、G級ハンター殿」

 

ダラハイドはそう言って、ツバキの横に腰を下ろし湯に浸かる。隣ではシドとノイアーがじゃれあっている。

 

「ダラハイド、もうあんただってG級だよ」

 

「お前のおかげだな。ところで、もうバルバレに帰るとは騒がないのか」

 

「……まあ、なんていうか……もういい。ここが、好きになって……」

 

ツバキはそう言って空を見た。

彼女のいう「ここ」とは、「この四人」を指す言葉だ。いつの間にか、すっかり居場所が出来ている。

ハンターは一期一会と思ってた。孤立してるべきものと思ってた。だけど、背中合わせに仲間と道を共にするのは、こんなにも心が暖かい。

 

「そうか。俺も好きだな……長くこうしてたいくらいだ」

 

「うん」

 

肩まで湯にとっぷり浸かって、四人で入る露天風呂は格別だった。

 



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8話

第二章 黄金時代篇


〝希望〟という言葉がある。意味は説明するまでもないだろう。

だが「なにをもってすれば希望と定義しうるのか」を他者へ明確に伝えることは難しい。

 

希望を抱く者に向かって問いかけたとする。

「それは、現実から目を逸らしたいだけではないのか」「絶望を誤魔化していたいだけではないのか」「あるいは、ただの夢見事の類いでないのか」

「本当に、その胸に抱いたものは〝希望〟と呼べるものなのか」

 

 

誰しも、希望が希望であるなど証明できない。未来とは須く不明確であり、希望とは独りよがりな主観の域を逸脱出来ない。

儚いものだ。それを理解して尚、過去を振り返った時彼女は思う。

 

〝あの日々は、確かに希望に満ちていた〟

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

明るい髪色に洒落っ気のある風貌は軽薄な第一印象を与えてしまうこともあるけど、意外にもシドという人間は真面目で博識な若者だった。彼の自室は天井まで届く本棚を幾つも誂えていて、敷き詰められた書物がその知識量を裏付けている。

決して広くはない部屋の、テーブルに四人は集まっていた。中央に開かれたのはモンスターの素材から成る防具についての資料であり、「スキル」と呼ばれる素材が人に与える防具の効果について記されていた。

G級に昇格した彼らにとって、最初の楽しみであり目標とも呼べるだろう。

「なんの装備を揃えるか」ということは、ハンターにとっての永遠の課題でありロマンであるのだ。

 

 

「すごいな、この本は。こんな詳細までわかるのか」

 

感心したようにダラハイドが言う。

 

「ウカムやテオのものが有能だが、今の装備でG級個体に挑むのは無謀だろうな」

 

「まあ、今は上位装備だしな。もちっと危険度の低いモンスターの素材から集めて、それから挑みに行くのが順当だろ。……そもそも、古龍に会おうとして会えるかどうかってのも疑問だが」

 

「ノイアーは?」

 

先ほどから黙りだったノイアーは、どうやら活字というものに頗る苦手意識があるらしい。すっかり飽きて、シドのベッド────曰く彼女のベッドでもあるらしい────の上に転がっている。その顔は小難しい話題を嫌煙したように、ぶっきらぼうに「火力もりもりのやつ」と言うだけだった。

 

 

この辺りで一番近隣のG級受付カウンターはどこかと言えば、孤島地方にあるモガから定期便の出る港・タンジアだろう。噂の域を出ないが、ナルガクルガの希少種が観測されたという。また、ラギアクルスやガノトトスなど、独自の水棲モンスターが見れるというのも魅力の一つだ。四人は全員、水中戦の経験がなかった。

 

「どうする?ドンドルマの大老殿の方が、都心だしクエストの幅も広いらしいがタンジアの方が断然近い」

 

「その、モガの方の港町なら……ここからでも通えるし」

 

ユクモとモガは決して近隣とは言えないが、狩猟圏は同じである。違いは独自の水中戦の有無だろうか。

 

「ノイアーは?」

 

「シドについてく」

 

話題を振ればあっさりノイアーがそう言って、一同は朗らかに笑い出した。

 

「んじゃあ、とりあえず、」

 

「顔赤いぞ、シド」

 

「ちょ、黙れダラハイド。……とりあえず、モガを目指そう。そこからタンジアに」

 

シドがそう言えば、全員が同時に頷いた。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

「そう言えばさ、二人はどうして知り合ったの?」

 

甲板から風に吹かれ、前髪を靡かせたツバキが問うた。船が進むのは海ではなく砂の中だ。理由はいくつかある。先ずツバキは防具、シドとノイアーは武器の強化にダレン・モーランの素材が欲しかったこと。それからダラハイドが、砂の上を渡る船に乗ってみたいとせがんだことだ。

アドルフ・ダラハイドという人間は、何故だか〝ハンターが当たり前にする経験〟を、未経験という奇妙が時折あった。

どのみち砂を渡ってからでもモガには行ける。海を渡った方が近道だけれど、ダレン・モーランなど狙って観測されるものでもないのだ。それが、ちょうど良いタイミングで目撃情報があったというのだから、挑まなければ勿体無い。

船着場にはダレン・モーランとの邂逅を願う数多のハンター達が、その出現を狙って砂原を見渡していた。

 

「おいあんたら、ダレン狙いなら少し待った方がいい。さっき四隻戻ったばかりだが、影すら観測されなかった。今は活動時間じゃないのかって話だよ」

 

出航しようとする四人に向かい、そう見知らぬハンターが声をかける。恐らく親切心だったのだろうが、否したのはシドだった。

 

「ありがとう。でも、会えるんじゃねえかな。キツいトラブルメイカーが二人もいるんだ」

 

帆を貼れば、ノイアーのはしゃぎ回る声がする。舵を取ったのはシドだった。

 

傍らでツバキが「何故知り合った」のかなんて、奇妙な質問を投げかけた。それにはダラハイドも興味があるそうで、ニコニコしながら近付いてきた。舵を持つシドには逃げ場がなく、照れ臭そうに、しかし少しだけ暗い瞳でシドは語った。

 

 

「あいつが、渓流でブッ倒れてたんだ」

 

それは随分と……一年以上遡るある日の話だ。ノイアーは野良でパーティを組み、ドボルベルクの討伐のために渓流へ足を運んだという。あの破天荒かつマイペースな性格で野良にいたとは、なんとも可笑しな話だろう。同行者はさぞ頭を抱えたことではないか。ダラハイドは笑いながらそう言ったが、神妙な顔でシドは頭を左右に振った。

 

「いや……なんていうのかな。あいつのトラブルメイカーっぷりは悲惨なレベルだ。他の三人な、寄生虫だった」

 

寄生虫。それは隠語でありながら、ハンターなら知らない者はいないだろう。同行を名乗り出ておきながら、狩猟に参加せず、報酬だけを貰ってゆく者を指す言葉だった。

 

「……一人だけじゃなくて、三人も?」

 

「それじゃあ、事実上のソロだな」

 

目眩のしそうな災難だ。ツバキとダラハイドは互いに顔見合わせてそういうが、どうやら不幸はそれだけでは終わらない。

風に混じる小粒の砂が、一行の頬をくすぐった。天気は良好だ。雲一つない。強い日差しに目を細め、今はまだ穏やかな砂の海をシドは見る。ノイアーは呑気にバリスタの横から糸を垂らして、デルクスを釣り上げて遊んでた。

あそこで無邪気にしている彼女は、あの日確かに死にかけたのだ。渓流の、ちょうど桜の季節であった。足場には折れた桜が散らばり、その薄紅色を紅梅のように染めていたのは血であったのだ。

 

「その夜クルペッコが渓流にいて、あろうことかイビルジョーを呼んだ。あいつはイビルジョーとドボルベルクに挟まれて、血を流して倒れてた」

 

シドが異変に駆けつけたその場所は、まるで地獄絵図もさながらだったという。死にかけのノイアーを救うため、シドは必死に走ったのだ。それが、初めて出会った日のことだ。

 

 

「だから、俺は二度とあいつに野良はさせない」

 

それで、いつも二人でいるようになった。そんな経緯は、人の良いシド〝らしさ〟があった。

 

「……にしても、イビルジョーか。すごいトラブルメイカーだ」

 

「ダラハイドは人のこと言えないって」

 

「そう言うな」

 

「冗談抜きでね。ちょっとノイアーとそこに二人で並んでみたら。本当にダレンが来るかも……」

 

バリスタの横でノイアーが走り回ってる。釣り上げたデルクスを追いかけて、キモやヒレを欲しがったのだ。デルクスは珍味と言われているが、砂漠出身のノイアーには馴染み深い食材だという。

あいつの好物なんだ。付け足すようにシドが言った。

 

 

「珍味か……興味あるな」

 

ダラハイドは言いながら、舵からノイアーのいるバリスタや砲台の甲板へ、マントをはためかせて着地した。重厚な鎧が衝撃に足場を軋ませる。

ノイアー、一口分けてくれ。ダラハイドはそう言おうとした。デルクスの腹にナイフを滑らせ、ノイアーがキモを掴もうとしたその時だ。言う前に黄色い風が吹き抜ける。

 

それは風でなくて、砂だった。

 

 

「……本当に来やがった」

 

舵を握ったままシドがいう。ズズズ…と、重々しい音だった。どこまでも続きそうな地平線の向こうに、壮大な一本角が突き出してくる。砂が爆ぜた。まるで、水飛沫みたいに。

 

太陽を背にしたその巨体は、陽の光を遮りながら現れた。船上から相対した時、視界いっぱいに広がったのは腹だった。なにもかも、スケールが大きくて息を飲む。

 

ダラハイドは、ダレンを見るのは初めてだった。故に感動すらするようで、大剣を握る手が震えてた。

 

「砂の海……凄いな、こんなにでかいのか……!こんなに世界は広いのか!」

 

ダレン・モーランが口を開けば、その中に船ごと呑まれてしまいそうだった。風が強い。砂が舞う。そこに船より巨大な古龍がいる。

 

これがハンターか。これがG級なのか。

人知すら超える巨躯を前に、怯むことなく武器を取って挑みゆく、それが、ハンターたる生き様なのか。例えそれが、目の眩むほどの巨大な姿であったとしてもだ。

 

 

「来た!来た来た来たァ!!」

 

ノイアーが笑った。興奮しているようだった。

 

「ダラハイド、ダレン初めてだっけ。こっちだ、ここにバリスタがある」

 

ツバキがダラハイドの籠手を取る。

飛行船に乗ればセルレギオスに飛来され、原生林を歩けば極限化ラージャンに襲われる。トラブルメイカーが二人もいて砂の海に乗り出したなら、古龍だってきっと然るべきだ。きっと現れるだろうこと、四人はわかっていたようにする。ノイアーが大砲の弾を運ぶ。

 

「シド!」

 

「待てよ、今寄せてやる。船は守るから暴れていいぞノイアー」

 

どうやら船の操縦にシドは精通してるらしい。思い切りよく舵が切られて、船は側面からダレン・モーランへ急接近した。大砲の射程圏内だ。マストが風を受けてばさばさと鳴る。砂嵐が強くなる。

 

「ダラハイド、バリスタはこうだ」

 

ツバキは不慣れなダラハイドに、バリスタの放ち方を教えてた。一つのスコープを一緒に覗き、ゆっくり方向を定めてく。

打ち出し式の巨大槍だが、原理は弓のようなものと思えばいい。放てば曲線を描きながら標準の中心部に飛んでゆくけど、距離故に、高めに狙うのがコツだった。

 

「見た目以上に重たいな」

 

「その大剣より軽い、はず!」

 

スコープは立派な一本角に合わさった。

 

「おい!岩飛ばして来るからな!落石に気を付けろよ!」

 

舵を持ちながらシドが言う。その操縦は見事なもので、動き回るダレンの左側にぴたりと追従するようだった。近付くほど砂が身体を横殴りにするけれど、誰も彼もが壮大すぎる敵に夢中だ。

 

轟音が直後に劈いた。ノイアーが大砲を撃ったのだ。至近距離の彼女は耳を塞いでしゃがみこみ、しかし砲弾がダレンの横っ面に的中したのを見てにっかり笑った。よし。もう一発。ノイアーが走る。

積み上げられた木箱の中には、両手でようやっと抱えられるほどに大きな砲弾が積まれてる。この球体にびっしり火薬が詰まってるのだ、威力は語るまでもないだろう。ノイアーはいそいそと木箱に駆け寄り、腰に力を入れて持ち上げる。ガニ股で砲台に向かってまた走る。

 

遠目に硝煙弾が打ち上げられた。他の船からだ。誰かが、ダレン・モーランの観測に気付いて打ち上げたのだろう。港で待機する他の船が、そのうちきっと群がり始める。

シドは重たい舵を腕力で抑え、更にぐいぐいとダレンの側面へ船を寄せた。

絶えず大砲の音が劈く。

 

 

「乗れるぞ!!」

 

脱帽もののコントロールだ。素直にダラハイドは感動した。このように荒れ狂う砂上でありながら、荒々しい古龍の泳ぎにこうも並走させるとは。

接触すれば船はダメージを負うだろう。それをギリギリの、それこそ人間のジャンプ力に及ぶ距離までシドは寄せてみせたのだから。

 

最初に飛び出したのはノイアーだった。砲台の更に先、突き出した木板へ助走を付けて、寄せた巨体に飛び乗ったのだ。

 

「ノイアー!ピッケル持ったか!」

 

シドが叫ぶ。

 

「ばっちり!」

 

上腕部に着地したノイアーが笑顔で返した。

 

続いたのはツバキだ。彼女もまた軽やかな跳躍で船を飛び出し、ノイアーに続きダレン・モーランの上腕部に着地する。

 

「ダラハイド、早く」

 

振り返って手を差し伸べれば、ダラハイドは不思議そうな顔だった。

 

「……驚いたな、乗れるのか」

 

……彼は、凄腕と称されるに足る剣の腕を持ちながら、きっと狭い世界に生きてきた。詳しく語られることの無い素性は、本人の「こうありたい」と願う意思にそぐわないようなものなのだろう。

彼は思う。きっかけは、ツバキだった。彼女がG級の世界の片鱗を彼に見せてくれた。

それだけじゃない。千の星の輝く孤島の存在や、地底でなく山頂に火口を持つ火山。見たことのない土地のことを教えてくれた。

 

世界には、彼の知らないモンスターが山といる。アグナコトルもナルガクルガも、彼女の口が語ってくれた。

 

当たり前のようにツバキは言ったのだ。

〝行けばいいのに〟

 

そう、当たり前のように言ったのだ。

 

 

行けばいいだけの話だったのだ。彼女に出会うまで、そんなことにも気付けなかった。だから彼は、ツバキのように生きたいと思ってしまったのかもしれない。

 

一瞬の躊躇の後ダラハイドは跳ぶ。上腕部の先端から、ツバキが手を差し伸べてるから、その掌を掴み取る。

ダレン・モーランに着地して、ダラハイドは奇妙な感覚を噛み締めた。全員乗ったのを確認して、シドが舵を反対に切る。船を安全圏まで移動させるためだろう。

 

 

「凄いな。あんな船を手足のように動かせるのか。シドは器用だ」

 

「ダレンは初めてだけど、ジエンはいっぱい追っかけっこしたからね。シドは器用で、なんだってすぐこなす」

 

まるで自分のことのように得意げに、ノイアーは背中の上からそう言った。先に登っていたのだろう。

 

「私たちも登ろう」

 

ツバキがそう言って先導する。

岩肌のようなダレン・モーランの身体の上を、振り落とされないようしがみつきながら登ってく。まるで登山だ。鱗の窪みに指を引っ掛け、踏ん張りながら一歩、また一歩と踏み締める。

 

ダレン・モーランの外殻は砂中を泳ぐ際に身体に鉱石などが付着していき、それが地層のように堆積していく事で形成されると言われてる。特徴的な赤褐色の色合いは、この鉱物の装甲が錆びついていく事で生じたものだ。

錆びつきながらも研磨された鱗だからこそ、荒々しくも独特な質感を持つのだろう。うっかり素肌を擦ろうものなら、ざっくり肉を裂かれかねない。その硬い感触を、丈夫な籠手越しに握りしめる。

砂を泳ぐたびうねる巨体が、無骨な振動を全身に伝えた。ピッケルの弾く音がする。ノイアーが振るったものだろう。風が、強い。

そのサイズ故に背は相応の高さを持って、頂上に辿り着いたダラハイドは息を呑む。そこから眺める景色の壮大さを、如何許りと表現したものだろう。まるで、世界の広さそのもののようではないか。

 

 

「……すげえ」

 

ぽつりと彼から漏れた声は、いつもの気取った口調を忘れてた。「すげえ」とはまるで、少年のような一言でないか。いや口だけでなく、眼差しまで少年のように輝いていた。

 

砂の海が視界のどこまでも続いてる。

遠目に接近を見せる数々の撃龍船は、先ほどの硝煙弾に引き寄せられてきたのだろう。距離故に小さく写る船上で、豆粒のような人影がバリスタを準備している。

皆、ダレンの素材が欲しいのか。四方から砂をかき分けるような接近だったが、まだ遠い。

 

ダレン・モーランの眼前へ旋回する自らの船から、シドが得意げな顔で手を振った。ノイアーがそれに手を振り返す。

岩場のような背ビレの上に足を着き、さっきより近くなった空を見る。雲一つない快晴の青と、一面の砂がその場の全てだ。どこまでもどこまでも、青と黄が交わることなく続いてく。

 

傍らのツバキは背の武器を取り、銃口を隆起した背ビレの一つに突き付けた。

 

「ダラハイド、ここを壊すために乗ったんだ」

 

そう言って彼女はトリガーを弾く。貫通弾だ。

 

銃口が火を噴いたと同時に、鱗の内側へ突き抜ける衝撃音だけが響いた。何発も、何発も、ダレン・モーランの顔面の方向目指して貫通してく。ふと見ればノイアーもまた剣斧を構えて立っていた。

 

「ダラハイドの溜め斬りなら早そう」

 

ノイアーが言った。

 

こんな巨大な龍でさえ、ハンター達は臆することなく挑んでく。今目の前にいる彼女らも、船を守護し操るシドも、遠目に見える各々の船の人影も全てがハンターなのだ。

 

 

「……任せてくれ。叩っ斬ろう」

 

胸が高鳴った。それから彼は自覚する。

そうだ、楽しいのだ。狩猟はこんなにも広い世界を見れるのだ。楽しくないわけがなかった。

口調はいつもの気取ったものに戻っていたけど、瞳の煌きは未だ少年の影を残したままだ。

 

仰々しい大剣の柄をしっかり握り、渾身の力を込めてゆく。この焦れったい程の時間をかけた一撃は、他の誰にも負けないと自負すらあった。言うなれば必殺のものだけど、技に名前はつけてない。ただ漠然と、これは溜め斬りと呼ばれるだけだ。味気なくてシンプルで、強力な鉄塊によく似合う。

 

切っ先が空気ごと裂いた。振り下ろされた大剣は、その強力さを轟かせるようだった。直後に地響きにも似た震えが走り、足場がぐらりと揺らめいた。

見ればツバキが壊せと言った隆起に、大きな亀裂が入ってる。今の一撃によるものだろう。ではこの揺れは、その痛みにダレンが呻いたものであろうか。

振り下ろした大剣は納刀されないまま、彼は身体を翻す。横殴りに腰の下に構えたところで、もう一度、力を溜めた。ダラハイドは思う。ここを壊して……そのあとはどうしたらいいのだろう。その手筈も、きっと仲間達は熟知している。ハンターの世界は広いのだから。

 

 

ダラハイドが二撃目を放ったのと同時に、足場が大きく角度を変えた。遠目にはダレンが仰け反ったためとわかるが、背にいる者は、大地が真横になった衝撃だろうか。

 

「シードーー!!」

 

振り落とされるより先に、自ら飛び降りたのはノイアーだ。彼女はいつも、誰より早く飛び出してゆく。

 

「……ったく、ほら!」

 

シドが投げたのはロープだった。空中でそれをキャッチして、直後に砂中へ彼女の姿がドボンと沈んだ。

細か過ぎる砂の粒は、まるで水のような飛沫を上げる。

 

「……大胆だな」

 

感心しながらダラハイドが言う。船が軌道を描けば、その軌跡にやがてノイアーが引っ張られながら浮かびあがった。先に掴ませたロープが命綱だったのだろう。ダレン・モーランと並走する船の後部へ、ピンと張ったロープを細腕が伝ってく。間も無く船の寝室部分にたどり着くことだろう。

 

「俺たちもああして飛び降りるべきか」

 

だがツバキははためくマントを柔く握って、首を左右へふるではないか。

 

足場が不安定だ。地震のように揺れ動く。再び大砲を撃ち出したノイアーに、ダレンは怒るようだった。動きが激しくなっていく。振り落とされないよう突起の合間をしっかり握り、彼女が指差したのは先ほど壊した隆起の向こう、更にダレンの頭部に近い場所だった。

 

「ダラハイド、ダレン初めてなんでしょ。ならまだやることあるんだ」

 

日差しが強い。

モガの在するロックラック地方では、度々ジエン・モーランが観測される。しかし近種族であるダレン・モーランはバルバレギルドの管轄域に生息するはずだった。この辺りの大砂漠で姿を見るなど稀有であることこの上ない。

だからこそ、こぞって近隣のハンターが駆けつけたのかもしれない。その雄大な岩船を……赤茶色の古船艇とも称される姿を焼き付けようと。

 

「ダラハイド、ピッケルで掘るんだ。ほら、あそこの色の違うところ」

 

先にも述べたが外殻は層から堆積した鉱物が存分付着している。時にその一部が突き出ている事があり、そこから貴重な鉱物を採掘できる可能性があるのだ。背に乗ったなら、レアな鉱物を求めてダレンにピッケルを打ちつけるのも、ハンターのロマンの一つだろう。

 

足場が揺れる。それに合わせてツバキの髪もまた揺れる。

「さあ、行こう」

 

彼女が笑った。その身体は小さいのに、重厚なヘビィボウガンを背負ったままよろめきもしない。

 

今は、戦いの最中だ。龍との戦いは、すなわち龍との殺し合いということだ。

突き出した鱗の一部に手を突いて、揺らぐ身体のバランスを取る。今しがた壊した箇所を通り抜ければ、そこはダレンの額部分に位置するだろうか。ドリル状の立派な角が、眼前いっぱいに広がっている。

額を打ちつける砂の風が強まった。

 

艦船の如き巨体、そして赤茶けた岩殻を纏った風貌。大砂漠に生息する超大型生物、ダレン・モーランは、一般的に知られる古龍の中では間違いなく最大だった。

その額に立ち、その龍の目線を知る。ダレン・モーランの見ている世界を、その時ダラハイドは垣間見た。

ダレン・モーランから見た人間も撃龍船も、なにもかもがこんなに小さいというのだろうか。これが、古き龍の住まう世界か。胸が熱くなってゆく。側面から見た景色も呼吸を忘れるほどだけど、正面から見る景色もまた格別だった。

 

 

「……ダラハイド」

 

ツバキが呼んだ。

 

「……私も、初めてダレンに乗った時、同じ気持ちになった」

 

光が強い。傍らの女の笑顔が愛らしい。今は殺し合いの最中というのに、擡げた気持ちに笑顔が綻ぶ。

 

 

……奇っ怪だ。

ハンターというのは、殺し合いの中で青春するのか。

 

苦笑しながら、ダラハイドはピッケルを取り出した。

 

 

 

 

バルバレギルドではこのダレン・モーランの到来に合わせ、腕自慢祭なるものが開催される。またジエン・モーランには豊作祈願の信仰が強く、やはり観測されればその狩猟は周辺地域をお祭り騒ぎにさせるのだ。

それだけ、ジエンやダレンが規格外な証だろう。

 

削り取った鉱石をポーチの中へと仕舞うさなか、ダラハイドは不意の感覚にまばたきをした。視界が妙に、浮いている。否、今尚浮き上がっていたのだ。空が広がり、そのままぐんぐん近付いてくる。

 

 

「おいおい嘘だろう……飛ぶのか!この巨体が!」

 

突如の浮遊感に、流石のダラハイドも引きつった。この、山とも間違えそうな巨躯が砂を捌けて飛ぶ。サイズ故に上昇をいやにゆっくり感じた。臓器の浮き上がる感覚がする。……ジャンプだ。ダレン・モーランが、シド達の乗る撃龍船を飛び越える。ぐんぐん上昇し、やがて質量が重力に沿って落下する。凄まじい風圧に脚が一瞬浮き上がる。

 

圧巻の大ジャンプに、堪えきれずに腹から笑い声が出てしまった。笑いながら、二人は同時に飛び降りた。このまま砂の中へのダイブに、付き合える身体は持ってないのだ。

落下の最中も、ダラハイドは雄大な景色を惜しみながら焼き付けていた。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

迎撃槍を突き刺して体力を削ってから、拘束弾がダレン・モーランに巻き付いた。そのまま船が渾身の力で、足場の固定された砂の浅瀬に引っ張っていく。

大砂漠の砂は粒子が細かすぎて、まるで水のように身体が沈み込んでしまう。故に人は船から降りられないが、大砂漠の中には比較的砂の浅い部分も存在した。そこは通常の大地同様の硬さのある足場があり、大砂漠で唯一人が船を降りれる場所である。

ハンター達はここを「決戦ステージ」と呼んでいる。弱らせたダレン・モーランを拘束したまま引きずって、直に接近しとどめを刺すのがセオリーだからだ。

 

遅馳せて駆けつけた他のハンター達の乗る船が、遠方からボウガンやバリスタを放って後方支援してくれる。

彼らもまた素材が欲しいのかもしれない。それでも、やはりダレンの狩猟とはお祭りなのだ。

「頑張れ」「いいぞ」「行け」

 

決戦ステージの大地を走る四人に向かい、船上から歓声が上がる。

先に操縦に徹していたシドは、ようやっと見せ場と言わんばかりに率先して猛攻仕掛けた。

ダレン・モーランが周囲の砂を吸い込めば、強力なブレスの前動作と察したツバキが大銅鑼を叩く。耳の良すぎるダレンにとって、大銅鑼は怯みを与える大音量に成りうるのだ。これによりブレスを封殺出来る。

 

ダレンが腹を上にダウンした。ノイアーがその口元に爆弾を置く。大タル爆弾Gと呼ばれる冗談のような威力のものだ。ニヤリと笑ってシドもまた置き、ツバキも置いた。最後に、ダラハイドも並べて設置する。

 

急げ、ダレンが起きるぞ。駆け足に距離を取る刹那、言いながら時限式の小タル爆弾をシドが投げだ。

 

 

「巻き込まれるなよ!!」

 

その声を合図に、四人は同時に緊急回避で前方へと飛び込んだ。直接、背後から凄まじい爆風が吹く。

 

ダレン・モーランの断末魔が響き渡って、決戦ステージは呑まれるほどの拍手と歓声に包まれた。

 

 

みんなが、砂だらけで笑ってた。

 



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9話

第二章 黄金時代篇


「前々から言おうと思ってたけど、砂漠じゃなくて砂原だ」

 

大砂漠での狩猟を酒で労い合う、夕暮れ時の酒盛りの最中にノイアーが言った。焚き火を中心に四人は車座になっており、彼女イチオシのデルクスを串刺しに焼いている。ツバキはキモを一口食べて、癖の強さに顔をしかめた。

 

「砂原……?」

 

「そう、だから、私は砂漠から来たんじゃなくて砂原から来たの。砂漠は旧大陸の砂地だよ。こっちは砂原。よく同一視される」

 

出身地の話題になった時だった。現在地が大砂漠ということから、自然と話題が砂漠になる。そういえばノイアーは砂漠だよねとツバキが言えば、ノイアーはムッとしたような顔だった。

遠方にいれば砂原も砂漠も似たり寄ったりな場所である。地形こそまるで異なるものの、観測されるモンスターの種も近しいし、昼にはクーラードリンクが、夜にはホットドリンクが欠かせないという特徴も一致する。「むしろどう違うんだ」と尋ねたのはダラハイドである。

 

「じゃあ来る?」

 

砂原は比較的近場であった。モガからタンジアへの連絡船を目指して旅する彼らにとって、砂原は通り道である。だが海を渡らず大砂漠に来た時点で、遠回りなど今更だった。

 

「多分今夜は流星群が見れるよ」

 

その一言が付け足されたら、三人が即座に頷いた。

 

 

 

…………

 

 

 

風が、冷たい。

ホットドリンクを飲んだ一同は凍えることこそないけれど、肌を打つ冷気に無意識のうちに肩を抱いた。一面が青く光って見える。どこまでも続く砂は白く輝いて、それが夜空の青さを反射させたているためだろう。

 

「この辺で生まれた」とノイアーが指し示した場所は、村はおろかキャンプの跡すら残っていない砂地であった。とても人の生活していた痕跡のないその場所を見て、補足するようにシドは言う。

 

「放浪する民族出身なんだ、こいつ」

 

なるほどな、とダラハイドが頷く。一箇所に留まらず、一族単位で移動を続ける民族は少数ながら各地に確かに存在してる。過酷な砂原を生きる彼女の民族は、一箇所に定まることで生じるたくさんのリスクを熟知するのだろう。常にデルクスの群れを追いかけて、広大な砂原を移動しながら生活するのだ。ノイアーの自由過ぎる性格も、そんな出自に影響されたものかもしれない。

 

「じゃあ、今どこに故郷があるのかわからないの?」

 

不思議そうにツバキは言った。故郷とそもそも呼ぶべきものかも疑問が残るが。帰るべき家や、家族が、常に移動するとはどのような感覚なのだろう。

 

「うん、わからない。でもこの砂上のどっかにいるよ。ツバキは、家族がずっと家にいんの?」

 

問い返されて、ツバキはそういえばと思い返す。彼女の実家はノイアーと違い移動したりはしないけど、家族は各地に散り散りだった。両親は既に他界しており、兄達は彼女と同じくハンター稼業についてるためだ。だがそれを寂しいかと聞かれても、寂しいとは少し違う。

きっとどこかで元気にしてると信じているし、タイミングが良ければ帰郷の折に会えるのだ。そういうものだと思っていたから、きっとノイアーもそうなのだろう。

 

 

「……故郷か」

 

ぽつりとダラハイドが言った。その横顔が寂しげに見えて、ツバキはいつかの話を思い出す。十二歳で成人の儀を終える彼の国は、その理由を「子供を大人とみなせれば、傀儡政権が容易いからだ」と決めつけた。彼の国は、王族が腐っていると、辟易したような顔だった。ダラハイドは、自分の故郷が好きではないのかもしれない。

 

 

「ダラハイドはあんまりそういう話しないな」

 

横からノイアーがそう言った。生まれだの故郷だのの話になれば、決まって彼は遠い目をする。シドはノイアーの首根っこを捕まえた。

 

「言いたくないこともあるだろ、あほ」

 

そうさりげないフォローをするシドを見て、やがてダラハイドはくつくつ笑った。シドは、優しい。前にノイアーはそう言ったけど、なるほど確かに優しい男だ。

 

 

「すまないなシド。……言いたくないんじゃなくてな、無いんだ」

 

ぽつりと言葉は落とされた。砂原に風が吹き抜ける。水場の少ないこの地の風は、どこまでも渇いていくようだ。

 

 

「生まれた地は沈んでな。……別の国で育った。だから、語るべく故郷がなくてすまない」

 

まるで、帰る場所がないような……そんな悲しい口ぶりだった。

 

また風が吹く。藍色の空の四方には、星が散り散りに光ってる。そのうちの一つが西へと落ちた。流れたのだ。

 

 

「ダラハイドは帰る家ないの?」

 

シドに首根っこを掴まれたまま、キョトンとした顔でノイアーが言う。他意なくこんな質問ができること、少しツバキは羨んだ。ノイアーの目は、何故空が青いか尋ねる子供のように丸いのだ。

 

「そうなるな」

 

ダラハイドは苦笑した。また一つ、星が流れる。

このまま流星は頻度を増して、やがて群れとなり空を光る群となるのだ。その前触れのように、ぽつぽつ光が落ちてくる。

 

「ふうん。私も帰る家どこかわかんないから、中々帰れない」

 

放浪の民であるノイアーの一族は、この広大な砂原を常に移動し続けてる。それを偶然に頼らず見つけ出そうとしたならば、海で一雫の真珠を見つけるくらいには難しい。帰りたいと思った時、いつでも帰れる家があることは、実はすごく恵まれたことなのかもしれない。

 

「ノイアーは何故、一族を離れたんだ。はぐれたら、再会が困難だとわかっていただろ」

 

「行きたいところに、行きたいから」

 

ダラハイドの問いに、あっけらかんとしてノイアーが言う。それから流星群が来るよと囁いた。生まれた地の夜空だけに、彼女は予期できるのだろうか。疎らであった星たちが、彼方から川のように一つの流れとなって押寄せてくる。

星の光は儚くて、だのにその数故に眩く光る。

 

「ダラハイド、シドがね、『疲れたら俺んちにいつでも来ていい』って言ったんだ。好きな時に帰って来いって。生まれた場所じゃなくても、帰る場所って誰かがくれたりすんだよ。だからダラハイドも来ればいいよ」

 

もう一年以上前、渓流で死にかけたノイアーを拾ったのはシドだった。あの日から今日まで二人はずっと一緒にいるけど、ノイアーは酷い人見知りと聞いていた。酷い人見知りの彼女が、どうしてシドだけに懐いたのか、その理由に触れた気がした。

 

きっと彼女は、シドがこういう男だから懐いたのだ。

 

 

「ばっ、お、おい……やめねえか。言うことないだろ、そんなこと」

 

「なんで。シド、そう言ったでしょうよ」

 

「いや、……言った。言ったが、」

 

「俺の隣にずっとって、」

 

「馬鹿ヤメロ!!!」

 

耐え切れずシドはノイアーの口を塞いだ。暗い砂原であるというのに、耳も頬も真っ赤なのがよくわかる。ノイアーがもごもご暴れていて、シドが本気で慌てていて、その様がとても微笑ましいからダラハイドが笑いはじめた。 

 

「お、おい……っ、ダラハイド!違う!」

 

「くく、……なんだシド。俺は何も言っていないが」

 

「っ……、だ、だから、違うからな……!こいつが特別とかじゃなくて、いや、特別じゃないと言ってもだな、そういう特別じゃないという意味だ……!」

 

段々支離滅裂になってきて、ツバキもまた笑い出した。シドはノイアーには弱すぎるのだ。

肌寒い砂原の風が吹く。星が空から降ってくる。昼間、ダレン・モーランと戦った身体はクタクタだけど、疲れを吹っ飛ばすような美しさが流れてく。

笑いながら、いつの間にか空を見ていた。流星群が、綺麗すぎて。

 

 

「だから、つまりだな……」

 

それから、おずおずとシドは言葉を紡いだ。照れ臭そうに咳払いをした後だった。

 

 

「いつか……家に帰りたくなって、それでも帰る場所がなかったら、俺の家を使っていい。狭くてよけりゃあ、ダラハイド、お前だって帰って来いよ。勿論ツバキも」

 

「でもベッドは私のだから、ツバキ達は床で雑魚寝」

 

しんみりした会話に割り込むようにして、口を出したノイアーの言葉がまた笑いを誘い出す。

やがて足元の砂場へ、じゃれあいながらシドとノイアーは倒れこんだ。仰向けになれば、世界が流星群に包まれたように見えるのだ。

 

「こうした方が、たくさん見えるよ」

 

ツバキがノイアーの横に寝転がる。仰向けになれば、視界の全てが空になるのだ。ツバキの更に隣にダラハイドもま転がった。四人で寝そべり見る空に、どこまでも星が続いてた。

 

 

 

「……ダラハイド、よかったね」

 

「ああ。ツバキ、シドの家に〝里帰り〟の時は同行してくれるだろ」

 

「それで一緒に雑魚寝する?」

 

背中の砂はひんやりとして冷たいけれど、柔らかく肌を撫でてくる。

 

「存外雑魚寝も悪くないものだ」

 

「……そうだね」

 

耳を澄ませば、星の足音まで聞こえそうな空だった。

 

 

 

 

ツバキは昔を思い出してた。彼女の故郷は山奥で、空には木々が手を伸ばすけど、星がやはり美しい。こうやって寝転がって空を見るのは、自然と幼い頃を彷彿させるものなのだ。

 

彼女の父もハンターで、同じくヘビィを担いでた。彼女は、父を目指してヘビィボウガンを選んだのだ。

 

父はこの星のように白銀色に輝いた、世にも希少なリオレウスに召し討られたと、教えられたのは幼い頃だ。父のオトモが泣きながら片腕の、肘から先だけを持ち帰った。語られた熾烈な戦いの一部始終を、手練れと名高いハンマーの兄と聞いていた。

 

あの日からどれほど経ったのか。全ての竜に憎しみを抱いた日もあった。すべがらく自らもまた竜の仇と知ったのは、初めて殺されかけた日のことだった。。自分もまた、竜の父を殺し続けてきたのだと。

 

ハンターとはそういうものだ。ダラハイドはその言葉を好きだと言った。彼女はそれを嬉しく思った。

 

「ツバキ、何を考えてる?」

 

傍らのダラハイドがぽつりと問うた。視線は空の星に釘付けなままだ。ツバキは小さく「父親のこと」と返事する。ユクモでベテランと呼ばれた父親は、身内の贔屓目無しに偉大なガンナーだったのだ。

 

「……そうか。どんな家族なんだ」

 

……何故、ダラハイドはそんなことを聞きたがるのか。故郷は沈んだと言っていた。では家族はどうなったのか、なんとなく尋ねるのが憚られてる。彼は宝物を羨むような口ぶりだから、在り来たりな「家族」にすら羨望するのかもしれない。

彼は世界の未知の側面を知っている。なのに、どこにでも有り触れた当たり前の日常に飢えている。

 

「父はヘビィガンナーで、拠点はユクモだけど大老殿では特別許可証を渡されていた。私は小さかったけど、凄腕だって、兄が教えてくれた」

 

父はいつも、龍の頭を模した銃を背に構えてた。

 

「一番上の兄はよく父と衝突してた」

 

「二番目の兄が抜きん出てると、前に言ったな」

 

「そう。ハンマーを使う。なんていうか、〝ブラキディオス〟みたいな兄貴。双剣使いの親友と、あっちこっち放浪してる」

 

形容句が〝ブラキディオス〟とは如何なるものか。愉快になって笑いながらアシュは聞く。ツバキは「挑戦者つけて暴れ回ってる」とぽつぽつ語った。

 

「それから?」

 

「……、それから……」

 

それから、三番目の兄は……。彼女は語る。在り来たりな話ばかりだ。だけどダラハイドが楽しそうで、ツバキはゆっくり語り続けた。

 

 

 

…………

 

 

 

「おかしい」

 

気候の変化に最初に気付いたのはノイアーだった。無数の星が散り散りに輝き、中央には川のように流星群が横断してく。大自然の生んだ宝石箱だ。それを、何故か暗雲が東から徐々に覆い始めたのだ。

 

それは本来ならあり得ないような雲行きで、この地の気候に熟知したノイアーの眉が顰められるには十分過ぎた。

わかりやすく言うなら南風が唐突に北風に変化するような、自然なことらしからぬ変化であった。少なくとも彼女の知識の範疇で、このような変化は見たことがない。しかし実際に雲が迫ってくる。シドは墨汁を思い出した。墨汁とは彼の故郷で文をしたためる時に用いる独自のインクだ。それをこの夜空にぶちまけて、星を黒く塗り潰してしまったような、そんな暗雲が滲むように広がってゆく。

 

ツバキは同時に、風が徐々に強まるのを感じてた。最初は穏やかだった砂原の風は、速度を速めながら強大なものに変化してく。例えば海なら、穏やかな海原に唐突に嵐が出現したような、そんな不自然な強風だった。

 

「おかしい」「変だ」

 

変化があからさまになってきて、全員はほぼ同時に跳ね起きた。大袈裟だが天変地異のようなのだ。なにかが起こると直感している。

強まり続ける風速に、周囲の砂がばらばら舞ってる。星がすっかり姿を無くして、周囲が暗闇に包まれた。無意識に四人は背中を寄せ合い、それぞれ周囲を警戒する。三百六十度を、八つの瞳が見据えてた。

 

「……砂原は砂中に生息する種が少なくない。下も、見た方がいい」

 

ノイアーはそう付け足したけれど、この気候の変化に思い当たる種が砂原にいないこともまた知っていた。真っ先に浮かんだベリオロス亜種は独自の器官から竜巻を発生させるけど、このように雲ごと呼び寄せて天候に影響したりはしない。まして、夜行性ではないはずだ。実に奇妙なこの空気を、いかように形容したものだろう。

次に反応を示したのはツバキだった。東の空をばっと見上げて、視界の不自由な暗闇の空に目を凝らす。

 

「ツバキ、どうした」

 

「……聞こえた。風を切る音だ、飛来音。空から、来る」

 

聴覚に自信を持つツバキが、確信したように東を見据えた。空だ。空から、なにかが、来る。ぴりぴりとした緊張が走る。何かって……なにが来るというのだろう。この砂原で飛行能力に優れた種とはなにがいるのか。知識を漁る。真っ先に浮かぶのはやはりベリオロス亜種だったが、そうでないと理解してる。

他に砂原の飛竜といえば、ティガレックスも一応だけれど空を飛べる。飛行は苦手らしく地上での活動のが多いけど。

ディアブロスもまた翼を持つが、飛行能力は優れていない。少なくとも、彼方から飛来するようなことは出来ないはずだ。……あとは、ならばなにがある。リオレウスやリオレイアは世界の各地に分布してるが。もしくはセルレギオスかと危惧しつつも、捉えた飛来音に独特の、金属の擦り合うような鱗の音は混じらなかった。

 

 

「お、おい……ノイアー、どうした」

 

ノイアーの異変に、最初に気付いたのはシドだった。ツバキの言葉に皆が東を警戒していた時だ。「……あり得ない」と、小さくノイアーは呟いたのだ。その唇が震えてる。

 

「おい、ノイアー……!」

 

「シド、変だ。あり得ない。雨の匂いがする。砂原なのに、雨の匂い」

 

ダラハイドが目を細めた。東の空に、小さな影が滑空してる。その距離故に小さく見えた龍の影は、しかし確かな存在感と威圧感を放ってた。

 

「……雨?雨だと」

 

砂原に雨など降らない。乾いたこの地は、僅かなオアシスを目指し熾烈な生存競争が繰り返される場所なのだ。少なくともノイアーが生まれてから一度も降ったことはないし、彼女の両親もまた雨など見たことないと言ってた。その、雨の匂いが漂っている。恐らくあの黒い雲が放つのだろう。

 

「……雨が」

 

やがて鼻先に雫がぽたりと落ちてきた。砂原に、雨が降る。アシュはこの異常の正体を悟って声を低くした。

 

「クシャルダオラだ」

 

東の空から暗雲と強風を引き連れて、夜の砂原にクシャルダオラが飛来している。

 

クシャルダオラ……別名は鋼龍だ。全身が鋼鉄の強度と性質を持つ鱗や甲殻に覆われていることからこう呼ばれてる。

出現時には大木が折れんばかりの突風や、数メートル先の視界をも奪う暴風雨が観測されることが多々あるらしい。

モンスターが現れるだけで天候が荒れ狂うなど、そうと記録を見て尚信じ難い現象だろう。こうして目撃するまでは、誰もが話半分程度にしか信じない。

 

だが目の前の光景はどうなのか。この乾燥帯である砂原に、雨風が凄まじく吹き荒れている。雫と砂が巻き上げられて、横殴りに全身を打つのだ。そのうち泥水のように泥濘んで、足場がずるりとした感触になった。

 

「クシャルダオラ……あれが……」

 

風で髪が真横に靡く。巻き上がる砂を煩わしそうに空を見た。轟々と吹き荒れる雨風を全身に受けながら、ツバキは飛来する古き龍を眺め続けた。

 

 

「なあダラハイド、……クシャルダオラって確か、黒銀色だよな」

 

シドが言った。その声は酷く切迫していた。

クシャルダオラは四人を目掛けてるわけでもなく、ただ空を東から西に滑空している。それはいうなら、偶然すれ違った程度だろう。存在に気付いてないかもしれない。未だ視線が交わることなく、彼方の空を嵐を引き連れながら飛ぶのみなのだ。だのに何故、シドの顔が強張ってるのか。

 

「……ああ。一般には黒銀色と言われてるな」

 

「だよな。なあ、じゃあこれは……見間違えだったか。黒く見えたの、龍風じゃねえのか。風の隙間から見える外殻が……茶色だ」

 

「なんだと」

 

ダラハイドが青褪める。茶色なら、話が変わるではないか。その意味を知らないノイアーは呑気であった。

 

「ねえ、茶色って?亜種とかいるの?」

 

「ノイアー、違う。……茶色は、〝錆びて〟んだ。やばい」

 

シャルダオラの鱗や外殻は鉄と同じ特性を持つ。常に大気中の酸素と反応しており、時間の経過と共に徐々に酸化するため黒銀色だ。そのため一定期間毎に脱皮を繰り返して成長し、定期的に鱗や甲殻を新調する習性がある。

 

この脱皮直前の赤茶けた錆に覆われた個体は、酸化の影響によって普段ほど自由には動けない。そのため神経質になってしまい、通常よりもかなり狂暴性が増してしまうのだ。

 

「酸化?脱皮前?弱くなってる時期ってこと?」

 

「……いや、どうだろうな。比較したことがない。だが、危険度で言ったら段違いだ。目を合わせるなよ」

 

脱皮直前になったクシャルダオラ……ハンター達に「錆びたクシャルダオラ」と呼ばれる個体は、人里離れた場所に籠り脱皮を行う。これは脱皮直後の身体は鋼のような硬度を持たず、ハンター等の外敵からの攻撃を避けるためという説が有力である。

ではノイアーの述べたように「通常より弱い状態か」といえば、残念なことに答えはノーだ。

クシャルダオラにとってデリケートな時期だけに、普段は脅威と見做さない、ハンターではない人間も攻撃対象となってしまうという。かつては雪山を移動中の商隊が、脱皮直前のクシャルダオラに襲撃されたという報告もあった。

……つまり、ただでさえ天災に匹敵する存在たる古龍の、逆鱗に触れることになるのだ。遭遇だけで逆鱗とはまた不条理だけれど、そもそも龍に人の理屈が通用することの方が少ないだろう。

 

 

「ああ、確かに、……錆びてるぞシド。黒き龍風のせいで気付かなかった」

 

ダラハイドは声を潜めた。あれは錆びたクシャルダオラなのだ。このまま、気付かず通り過ぎてしまえ。念ずるように呼吸一つまでゆっくりになる。ざわざわと、全身の産毛が逆立つような、恐怖と興奮の中間のような高揚がある。クシャルダオラはゆっくりと高度を下げてゆき、四人の頭上を通り抜け、岩場の向こうに降り立った。ノイアーがぽつりと言う。

「あそこは……オアシスだ」

 

その瞳ははっきりとした危惧を映した。

 

 

「……シド、砂原の民はデルクスの群れを追いかけて、オアシスからオアシスへと移動する。あそこに、誰かいるかもしれない……」

 

ノイアーは「家族がいるかも」とは言わなかった。砂原に生きる部族はいくつも存在してる。だけど、ひょっとしたら。偶然と偶然が万が一にも重なったら。嫌な予感ほど当たるなどと、不吉な言葉もあるくらいなのだ。シドはゆっくり頷いた。

 

「……わかった。確認してきてやる」

 

「ちょっと、〝してきてやる〟って、シド、待ってろってこと?やだよ、一緒に行く」

 

「駄目だ」

 

即座にシドは却下した。ダラハイドはその意図までわかるのだろう。「土地勘のあるノイアーが居た方がスムーズなのに、なんでだ」とツバキが頭を捻れば、こっちへ来いと後ろへ招いたのち耳打ちした。

「……本当に、万が一ノイアーの家族がオアシスに居たとして、だ。今から我々が全力で向かっても、十五分はかかるだろう。その間に引き裂かれた身内の亡骸を、シドはノイアーに見せたくないのだろうな」

 

シドはそういう男だった。ノイアーは同行すると引かなくて、しかしシドもまたここで待てと折れなかった。割り込んだのもまたダラハイドだ。

 

「なら四人で行こう。だが、先に俺とシドが確認する」

 

ダラハイドは提案のあと、ツバキの肩をポンと叩いた。そして、彼女にしかわからないよう小さく言う。

 

「死体があったら合図する。そしたら、ノイアーを連れて離れてくれ」

 

ツバキは静かに頷いた。

 



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10話

第二章 黄金時代篇


〝水無き乾いた大地に最初のオアシスが出来たのは、赤き神が空から水を運んで垂らしなすったのだ〟

 

母がまだ生きていた頃、砂原の神様の話を教えてくれたけど、ノイアーは信じていなかった。

 

 

穏やかな気候でないと思ってはいた。だがそれが普通だと思ってもいたし、生まれた時からそうなのだから、それに不満も覚えなかった。世界とはそういうものだと思っていたのだ。

 

ただ、この夕暮れ時。大地が灼熱から極寒に変化してゆく時間帯の景色は格別だった。

砂地に沈む太陽は、その有り余るエネルギーで地平線全体を赤く染め、大地と空の半分を赤褐色に燃やすのだ。

東からは藍色が迫る。この砂原から見える月はいつも蒼く、月が黄色く光るものだとノイアーが知ったのは随分後だ。

蒼い月は藍色の空と数多の星々を引き連れて、空の東半分を侵食してくる。赤と蒼の境界線である南の空は、実に神秘的な紫色の光となった。赤と、蒼と、紫。砂原が三色の光の鍔迫り合いを始めた時が、砂原の最も美しい時間であった。

 

 

砂を泳ぐデルクスの群れを追いかけて、一族はこの大地に旅をする。ジャギィの群れに会えば皆喜んだ。ジャギィの皮は服やテントを新調出来るからだ。

砂原には数々の民族が存在するが、彼女の生まれたその一族は、中でも好戦的と言われていた。単身でボルボロスに挑み、頭殻を持ち帰ることを成人の証と定義しており、それができれば十歳でも大人であるし、出来なければ三十歳でも子供という特異なしきたりが存在するのだ。ノイアーは九歳で迫り来るボルボロスの頭を破って、それを抱えて一族のテントまで逃げ帰った。これは歴代最年少記録であった。

 

「エーダ、これで私は大人だね」

 

「エダ」とは父を指す言葉だ。甘え言葉で「エーダ」と伸ばす事もある。民族独自の言語であった。彼女の父は、まだ齢一桁の娘が成したことに、感嘆しつつも妙な納得をしてしまう。ノイアーはいかんせん好奇心が旺盛な上に無鉄砲で、「空が飛びたい」とベリオロス亜種の背中に飛び乗ったり、サボテンの影に打ち上げ爆弾を置いてディアブロスを驚かせたりと、ゾッとするような悪戯を笑いながら幾度もしていた。

生肉をぶら下げて岩場で半日もティガレックスと鬼ごっこをするような彼女にとっては、ボルボロスは生易しいことだったろう。

 

「そんなに旅がしたいか」

 

「したい。砂じゃなくて水を泳ぐ生き物がいるんだ。火を噴く山や、氷に覆われた大地がある。それを知りながら見ないなら、何のために生まれてきたかわからない」

 

彼女は砂原を愛してる。それでも砂原を飛び出したがる、抑えきれない好奇心を秘めていた。

 

「この砂原の夕日より綺麗なものが、あるかもしれない。エーダ、そこにはティガレックスより強い生き物がいるかもしれない」

 

「……それも、あの操虫棍使いの受け売りか」

 

ノイアーが砂原の外に興味を持ったのは、旅でこの砂原を横断していた、一人のハンターに与えられた知識であった。

幼いノイアーは世界とはすべがらくこの砂地で出来ており、地平線の彼方まで同じ景色と信じていたのだ。その男に会うまでは。

 

ノイアーが七歳の頃である。夜の砂原に細く煙が立ち昇り、それが焚き火と察した彼女は寝床のテントを抜け出した。

岩場の影の、モンスターに見つかりにくいその場所には、見慣れないテントを張り焚き火で肉を焼く、見たことのない人間がいた。

水没林の調査に赴く道中というその男は、操虫棍という身の丈を越える武器を背に、右腕にはオオシナトと呼ばれる蝶のような猟虫を従えていた。名前は知らない。ただ、一族以外の人間が珍しかったノイアーは、男のテントに忍び込んであれやこれやと質問攻めにしてしまう。

男は気性が優しくて、忍び込んだ子供の会話に付き合ってくれた。

 

「ねえどこから来たんだ」

「シナト村ってところだよ」

「その虫なに?」

「オオシナトっていうんだ」

「見たことない虫だ。シナトって砂原のどの辺にあるの?」

「ああ、砂原じゃないよ。大陸が違うんだ」

「タイリク?なにそれ。ここじゃないところがあるの?」

「あるよ。砂原は世界のほんの一部だ。海は知ってる?俺はその海の向こうから来た」

「ウミってなに?」

「わかりやすく言えば水かな。オアシスがあるだろう。そのオアシスの水が、すごくたくさんあるんだ。この砂原全体より、更にたくさんの水がある」

「凄い。それだけあったら砂原も平和になるのに、どうして分けてくれない?」

「海はここに持ってこれないからね。あと、しょっぱいよ。塩が入ってる」

「え、味があるの?美味しそう」

「海が美味しいかどうかはわからないけど、美味しい生き物はたくさんいるかな」

 

その夜彼女は初めて外の世界を知ったのだ。もっと話が聞きたくて、三日ほど操虫棍使いにつきまとった。一人で一族に戻れる範囲で、「モンスターに会いにくい道を知ってる」と交換条件みたいに申し出たのだ。このまま「スイボツリン」に自分も行きたいとせがみもしたが、「大人になったら、自分の足で行くんだ」と柔く断られた。

三日間、操虫棍使いはたくさんのことを教えてくれた。彼女は世界を見たくなり、〝早く大人になろう〟としたのだ。ボルボロスの頭殻を九歳で持ち帰ったのも、早く大人になるためだ。この一族のしきたりに従うのなら、ノイアーは九歳でありながら大人になったのだ。

 

 

「エーダ、行ってきます。砂漠の神様のご加護がありますように」

 

「なにを言う、砂漠の神などいないと言ってたくせに。……ノイアー、外で生きるには金を稼がなければならない。働けるのか」

 

「ん。ハンターでもやろうかな」

 

父は幼い娘の出発を、止められないと悟っていた。ノイアーは、駄目と言っても言うことを聞きやしないのだ。

 

「砂原の夕暮れより綺麗なものを見つけたら、エーダにも教えに来るよ」

 

「……そんなものが、見つかるといいがな。ノイアー、我々はデルクスの群れを追いながら、オアシスからオアシスへと移動する。帰りたくなったらオアシスを探しなさい」

 

常に移動を続けるその一族は、一度離れれば再会するのは難しい。大袈裟でなく今生の別れかもしれない旅立ちの日に、父の残した言葉であった。

〝帰りたくなったら、オアシスを探しなさい〟

 

 

そのオアシスの一つに、嵐と共に古き龍が降り立ったなら。

あれから十年経つ。ノイアーは仲間と砂原を走る。あそこに一族が滞在してるかもしれないからだ。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

オアシスに降り立ったクシャルダオラは、脱皮の時期が近いためか通常より錆の浸食が酷かった。翼は半ば朽ち掛けたような状態になるまで損傷しており、尻尾も甲殻が逆剥けして刺々しい。最早痛ましいまでのその風貌は、通常個体の鋼鉄を思わせる姿とは、背反するような迫力があった。

過度の侵食により僅かな所作にもザリザリと軋んだ音が鳴る。青白い夜の砂原に、赤茶色の錆がぱらぱら落ちてゆく。それには痛みが伴うのだろうか。クシャルダオラの瞳は充血し、極めて凶暴化した殺気があった。目があったら、その瞬間戦闘になる。ハンター稼業に着く者ならば、そうと直感せざるを得ないほどの。

 

クシャルダオラの引き連れた雨雲が、オアシスの泉の水面を打った。椰子の木は横殴りの風にみしりと軋み、大きな葉を真横へ靡かせてしまってる。草場の影にいたオルタロスが急ぎ足に撤退してく。モンスターとてこの殺気が伝わるのだろう。普段この辺りに群がっている、小型モンスターが我先にと散ってゆくのだ。

 

シドとダラハイドは後方に女二人を残し、岩場に伏せって一帯の様子を眺めてた。

雨風はさっきより更に強まり、前髪が真上に撫でつけられたようになる。辺りには鉄の匂いが充満していた。クシャルダオラの錆だろう。

幸いなことに、人の遺体はどこにもなかった。血痕の一滴も見当たらない。ここに人は居なかったのだ。その事実だけが幸いだった。

 

 

「……よかった」

 

ツバキはそう囁いた。物騒な出来事に変わりはないが、それは最悪の運命の回避であり、胸を撫で下ろすにたることだろう。

 

「ねぇ、ツバキ、クシャルダオラは赤い?」

 

ノイアーがツバキの鎧の裾を引く。その瞳はあどけなく、先ほどまでの緊迫を忘れたようにも見える。

 

「赤っていうか、赤茶色だよ。ノイアー、どうしたの」

 

「昔聞いた、砂原の神様の話を思い出したんだ。赤き神は空から水を運んで、最初のオアシスを作ったんだって」

 

空から水って、これかな。打ち付ける雨を指してノイアーが言う。昔の人は、クシャルダオラを見たのかもしれない。

クシャルダオラは悪天候を運んでくる。すなわち嵐や吹雪であるが、この砂原においてはそれを悪天候とは定義しない。なにより水に価値を見出す土地故に、恵む雨の運び手は神と崇められるのにも納得がいく。

ただノイアーの聞いた言い伝えに不自然な点があるとすれば、赤き神がクシャルダオラを指すならば、目撃者はよく生還できたということだろうか。

 

「しっ……、もちっと声下げろ。雨風がうるせえとはいえ気付かれる」

 

物音を極力立てないように、忍び足するシドが諌めるように囁いた。

 

「人はいなかった。……我々も速やかに撤退するべきだろうな」

 

傍らでダラハイドがそう続けた。錆びたクシャルダオラの放つ殺気は、見るだけで全身の産毛を逆立たせるように強いものだ。まず間違いなくG級個体の……その中でもかなりの強敵になるだろう。四人いるとはいえ、挑むのは賢いことではない。かなり神経質になってるだろう今の状態では、目が合うだけで襲われる。静かに、このまま距離を取るべきなのだ。

 

 

錆びた鱗や甲殻が擦れ合い、全身から軋るような音がする。鳴き声や周囲に纏う風などにもこの音が混じるから、錆びたクシャルダオラは通常個体とは異なる生き物さながらである。事実、脱皮する生態が確認されていなかった時期は、その体色と攻撃性の違いによって、クシャルダオラには数種類の亜種が存在すると考えられていたこともあるくらいだ。

 

クシャルダオラが脱皮する瞬間に関する証言や記録は、未だに確認されていない。これは生態としてのデータそのものはあるものの、前述の通り通常よりも神経質になっているため興奮状態に突入しやすく、苛烈に攻撃を仕掛けてくる傾向のためだろう。とても調査どころの話でないのだ。

それほどまでに、錆びたクシャルダオラとはハンターにとっての脅威である。

 

じり、じり、と、神経質なほど慎重に四人は後退る。騒々しい風が足音を紛らわし、雨は人の匂いを隠す。この嵐に乗じて去るしか、G級に成り立ての彼らに選択肢はなかっただろう。

……いや。もしかしたら、クシャルダオラの脱皮とは、人が触れてはならない龍だけの神秘なのかもしれない。

濡れた砂地に四人分の足跡が続く。それを掻き乱すように、荒々しい鼻息と共に二つの眼光が闇夜に光った。それは吸った息を吐き出すよりも、更に刹那のことである。

獣の喉を鳴らす音。見上げたツバキは目を見開く。

そこに、ベリオロス亜種がいたからだ。

 

 

 

……何故。夜行性ではなかったはずだ。

疑問を述べることはしかし末梢的だろうか。説明してくれる者などいやしないのだ。

 

 

「ツバキ、動くな」

 

後ろからダラハイドが言った。声は低く切迫してる。

 

「……一頭じゃない」

 

この砂漠で、一体何が起こっているのか。ツバキは岩場の奥に、潜む息遣いの音を聞いた。クヒュー、キヒュー、と奇妙な気道の音がする。人間ではない。

 

「……なあノイアー。この状況、心当たりあったりするか」

 

背の武器の柄を握りしめ、いつでも抜刀できる体制からシドが問うた。なにもかもが異常なのだ。いや、砂原に嵐という時点で既に異常なのだけど。

 

「わかんない。でも砂原では水が貴重だから、みんな欲しがる。みんなってのは、モンスターも、かな」

 

雨垂れがオアシスの水位をあげていた。砂原の生存競争とは、すなわち水の争奪戦だ。ではその水が空から落ちて一つのオアシスを肥大させたら、一体何が起こるというのか。それが、目の前の状況の答えかもしれない。

 

「駄目だみんな走れ!!」

 

シドが叫ぶ。

冗談じゃない。冗談ではないのだ。

この異常気象に、希少な水を求めて砂原の頂上決戦でもおっ始めようというのだろうか。シドの叫びと、全員の足が地を蹴り上げたのは同時であった。もう、忍び足がどうのなどという次元でないのだ。

ベリオロス亜種がぎょろりと四人を見たけれど、直ぐに視線は岩場に移る。さっきの奇妙な呼吸音は────走りながらツバキは岩場の影を見た。黒い影が激しく蠢く。そのうち、鋭い爪がざりっと地面を抉り出し、岩石をベリオロス亜種に向かって飛ばした。

岩陰からその頭を下げ見せたのは、かの恐ろしきティガレックスであったのだ。二頭が同時に咆哮する。

 

大地すら揺らぎそうな大音量に、ツバキが堪らず耳を塞いだ。ベリオロス亜種もティガレックスも一頭でさえ凄まじい咆哮をするというのに、二頭同時に吼えられるなどとんでもない。

周辺のデルクス達が慌てふためき跳ね上がる。遠くでジャギィの鳴く声がした。仲間達に、この危機を伝達してるのだろうか。

 

「ツバキ!」

 

ダラハイドが彼女の手を取る。無理矢理に身体を引き起こし、半ば引き摺るように走り出す。雨で濡れた砂は踏ん張りが利かず、俊足なハンターの足を遅らせた。それでも、必死に走るしかないではないか。背後には錆びたクシャルダオラが荒ぶってるのだ。今の咆哮で、こちらに敵意を向けないわけがない。

 

「駄目だダラハイド!そっちは!」

 

ノイアーが叫んだ。

足場の砂がざわめいて、直後に地面が爆ぜあがる。

地中から最初に姿を見せたのは歪曲した二本の角だ。背筋が凍った。あと一メートル進んでいたら、あれに下から突き上げられて串刺しだったかもしれないのだ。

外殻の奥のつぶらな瞳は、真っ赤な眼光を放ってる。また、咆哮だ。人間の絶叫とよく似てる。

 

「ディアブロスまで!なんなんだこれは!!」

 

シドが絶望を浮かべてる。ティガレックスに、ベリオロス亜種に、今度はディアブロスなど……これほどの悪夢があっただろうか。錆びの匂いが強くなる。目眩がした。クシャルダオラがこちらに来るのだ。

 

「ツバキ、こっち!ダラハイドとシドもついてきて」

 

体制を限界まで低くして、ノイアーの全力疾走は獣じみてた。土地勘のある彼女は、岩場に囲まれたオアシスを迂回する道まで頭に入っているのかもしれない。

ティガレックスが再び岩石を飛ばしてきたのを、ダラハイドが大剣で叩き砕いた。シドはベリオロスの注意をひいてる。自分達にも余裕と呼べるものはないけれど、先を走る女の背を守るのは、男しての意地かもしれない。

 

やがて竜巻が発生した。ベリオロス亜種のブレスが着弾したものだ。地中の砂を巻き上げて、細身の突風が雨を弾きながら蠢いている。ツバキとノイアーは器用に左右へ回避して、切り立つ岩場を必死に登った。

 

 

「早く!二人も!」

「わかってる!すぐ行くから先に登れ!」

 

はやく、はやく。クシャルダオラが来る前に。

念ずるように岩の断面に足をかけ、ノイアーを筆頭に必死で登る。

 

 

「……ごめんツバキ、流星群どころじゃないね。私が、オアシスを気にしたせいだ」

 

登るさ中、ノイアーはそうぽつりと言った。マイペースな彼女らしからぬ謝罪の言葉に、ツバキはまばたきを繰り返す。

確かに、洒落にならない状況ではあるけれど、それを責めるつもりもなかった。家族がいるかもと僅かにも可能性があるのなら、確認したい気持ちを否定するはずがないではないか。ここはノイアーの故郷なのに。

それに、このような大混戦になるというなら、たった十五分ばかり離れた場所にいたとしても、どの道巻き込まれていた可能性が高い。

 

「ノイアー、謝る必要ない」

 

「……ツバキ、私の一族男所帯だった。で、ハンターも野郎ばっかじゃん。女のトモダチ、ツバキが初めてなんだ」

 

雨で岩壁が滑る。前髪から滴る雫が視界を滲ます。

上を登るノイアーがちらりと振り返った。背中の剣斧から水が落ちる。その顔は、笑ってた。

 

「無事に、帰ろう」

 

「……ノイアー……」

 

つられてツバキもまた笑った。

 

 

ダラハイドとシドが走り寄ってくる。ディアブロスの突進が、争うティガレックスとベリオロス亜種の間を割って三頭が揉みくちゃになったのだ。大型モンスター同士に意識が集中し、それを撤退の機会と踏んでのことだろう。

 

「この岩場の反対側に飛び降りたら、ジャギィの巣食う洞穴が、」

 

先に頂上についたノイアーは、そう言いかけてぴたりと止まった。

 

「ノイアー!」

 

シドが叫ぶ。ツバキが凍る。ダラハイドが「飛び降りろ」と怒鳴った。

 

先に岩場の頂上まで登ったノイアー目と鼻の先に、クシャルダオラが現れたのだ。赤褐色に錆びあがった外殻が、金切りのように軋んでる。片方の翼の先端がぼろぼろに朽ちていた。剥き出しの骨が痛ましく、それ故溢れる攻撃性が眼下の人間を真っ直ぐに射る。

 

〝やばい〟

 

本能が警報を鳴らすけど、身体が追いつくかどうかは別問題だ。頂上のノイアーと、頂上直前にいたツバキは同時に武器を取ろうとしたけれど、間に合うことなく吹き飛ばされた。

クシャルダオラの放ったブレスは、登っていた岩場ごと粉々に砕いた上に、そのまま真っ黒い竜巻へ姿を変えて空へと昇った。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

…………ツバキ

……ツバキってば

 

 

頬がぺちぺちと叩かれる。瞬間、曖昧だった意識が一気に鮮明になる。ツバキが瞳を開けた時、目に映るのはノイアーと荒れ狂う空だった。

 

全身が軋む。

岩場の上に居た筈なのに、あろうことかクシャルダオラと鉢合わせになったのだ。ブレスが足場の岩を破壊して、ノイアーとツバキの二人は真っ逆さまというわけらしい。濡れて泥となった砂場がクッションとなり、痛む身体はそれでも骨折を免れていた。

 

「……!ノイアー……!ごめん、気絶した」

 

「うん。私も今起きたとこ」

 

回復薬の瓶を片手にノイアーは、妙にのんびりとして見えた。ツバキは急いて周囲を見回す。崩れた岩場、抉れた大地、背後には水位の上がったオアシスがある。そして前方には、……クシャルダオラが背中を向けて立っていた。

 

「……ノイアー、クシャルダオラが、」

 

「うん。さっきからずっといる」

 

「え、……え、え?」

 

「ちびっこい得物より、でかい得物からってことなのかな。よくわかんないけど」

 

なにを彼女は言っているのか。ツバキは混乱しそうにかるのを堪え、ノイアーの意図を探ろうとする。クシャルダオラが、彼女らに攻撃してこない。そんな奇妙な現象が起きている。

 

風を切る滑空の音が耳をつき、見上げた西の空には牙の折れたベリオロス亜種が威嚇していた。血走った目は闘争心を剥き出しにしているけれど、腹の下から滴る血が止めどない。既に重傷なのは明白だった。

それでも戦うことを止めないのは、砂原に生きるものの性なのか。千切れかけた尻尾を振るい、折れた爪が風を裂く。そのベリオロス亜種より更に下には、仰向けに白目を剥いたディアブロスの姿があった。

 

錆びたクシャルダオラの全身には、幾重にも爪痕や歯型が残る。絶命したディアブロスの角の先端にも、貫いた時に付着したのであろう錆びがこびりついていた。

 

真横から、……クシャルダオラの死角からティガレックスが飛びかかる。どうやら戦況は、クシャルダオラ対その他の竜という構図を作ったらしい。ティガレックスやベリオロス亜種が連携を取ったかといえば懐疑的だが、三頭は真っ先にクシャルダオラを排除すべしと狙いを定めたのだ。その結果が今だろう。

飛びかかったティガレックスが、そのままクシャルダオラの首に噛み付く。爪がガリガリと胴や腹を縦横無尽に掻き乱し、そのたび錆が落ちてゆく。

 

クシャルダオラには肉と骨の区別がなく、全身の甲殻は骨と完全に一体化している。これにより鋼の甲殻を持ちながら、自在に動き回ることを可能としているが、脱皮直前の錆に覆われた状態は鋼の強度も脆くなるのだ。

 

黒い風、龍風と呼ばれる風の鎧がティガレックスを弾き返そうとするけれど、肉まで食い込んだ爪が中々体躯を引き剥がさせない。金属の軋む音が強まる。クシャルダオラが、痛み呻いているのだろうか。

 

遠方からベリオロス亜種がブレスを放ち、小規模の竜巻を発生させた。クシャルダオラもまたブレスを放ち、蠢く竜巻がぶつかり合って相殺しあう。風圧に周囲の岩が砕け散る。首をティガレックスに噛まれながら、連続するブレス攻撃はクシャルダオラにとってかなりの負担となったらしい。疲労状態から龍風が引っ込み、ティガレックスの爪が更に食い込む。縺れ合う二頭めがけ、ベリオロス亜種は勢いをつけて滑空した。

 

……二人は、ダラハイドとシドはどこに行ったのだろう。死体はないし、血痕もない。この荒れ狂う戦場で、逸れた仲間は無事なのだろうか。

 

「ノイアー、二人を知らない?見つけなきゃ……もし大怪我してたら……」

 

不安はツバキの口調を力のないものにした。だがノイアーには意想外の質問だったようで、その問いにキョトンとした顔をするのだ。

 

「大丈夫」

 

「え」

 

「シドは平気だよ。死体ないじゃん。シドは先に死んだりしないよ。だからそのうち来るよ。きっとダラハイドも一緒」

 

あっけらかんとするノイアーに、今度はツバキがキョトンとする番だった。二人は恋人などではないと言っていたけど、強い絆で繋がっている。一片の曇りもなくシドを信じるノイアーは、なんて心が強いのだろうか。

 

勢いをつけて抉ろうと剥いたベリオロス亜種の攻撃は、そんな狙い澄ましたような、演技がかったタイミングで防がれたのだ。脇から飛び出した真っ赤な太刀が、負傷していたベリオロス亜種の腹を突く。足場の段差から跳躍した、シドが放った一撃だった。その頬が赤らんでいるあたり、今の会話が聞こえていたのかもしれない。

 

シドが、ベリオロス亜種を攻撃した。まるでクシャルダオラを助けるようなタイミングだった。

痛み呻くベリオロス亜種は、勢いを挫かれ地面に落ちる。無防備な腹が晒されて、シドの追撃は見事の一言に尽きる。真空まで生みそうな、鋭くも洗礼された横殴りの一閃だった。厚毛を散らし剛殻を裂き、鮮血が牡丹のように辺りへと咲く。

凄まじい悲鳴がオアシスに響く。既に虫の息でありながら、それでもベリオロス亜種は闘志を無くしはしなかった。よろよろと割れた爪で踏ん張って、力無くも立ち上がる。その背後から、クシャルダオラの氷結したブレスが氷の刃となり、ベリオロス亜種の心臓を貫通して彼方へ抜けた。

 

 

「油断をするなよG級ハンター殿。ひどい戦況なんだ」

 

反対側から声がした。振り返れば、血にぐっしょりと濡れたダラハイドがいる。僅かに綻んだ鎧と、刃毀れした大剣が戦闘の熾烈さを物語る。

……これが、G級の強さだと、敵は全身でそれを教えてくれたらしい。

 

 

「ダラハイド……!血がっ」

 

「案ずるなよ、返り血だ」

 

「う、嘘だ!傷が……!」

 

「心配は……そうだな、帰ったらゆっくりしてくれ」

 

ずり、と泥濘む音がする。

ダラハイドの背後には、大口を開けて仰向けになるハプルポッカの姿があった。腹や額には刀傷があり、またエラの一部は氷ってる。流れた血が、傾斜に沿ってオアシスの水辺に続く川を作る。

 

同時にクシャルダオラに噛み付いていたティガレックスが、その外殻と共に地に落ちる。錆びた鱗は強度が弱く、ティガレックスの牙に耐えられなかったのだろう。痛ましい音を立てながら、胸部にあたる外皮が錆び砕けたのだ。既に翼も朽ちており、それでクシャルダオラは空を飛ぶのもやめてしまった。

 

 

「シド!一緒にやる!」

 

「ノイアー!お前ちゃんと秘薬飲んだのか!」

 

「飲んだよっ!残りの獲物はティガだけ?ティガ得意なんだ!」

 

引き抜かれた剣斧が風を切る。口内に残った錆を吐き出すティガレックスへ、攻撃は斧の形態で繰り出された。ノイアーの斬撃はシドの洗礼されたものと異なり、無骨で荒々しいものとなる。

 

 

「ダラハイド……これ、なんだ……。クシャルダオラと、共闘してるの?」

 

「奇っ怪だろう。共闘と言うべきか、利用し合ってると言うべきか。ここに集った大型モンスターは、クシャルダオラを標的にする」

 

彼女が気絶している間に、ハプルポッカだけでなく、ディアブロスの亜種やボルボロス、果てはラングロトラまで現れたというから信じ難い。

モンスター達は錆びたクシャルダオラに噛みつき、ツメを振るい、突進してブレスを放つ。何故クシャルダオラへ攻撃が集中してるのかはわからない。ただ、怒り猛るクシャルダオラの抵抗もまた凄まじく、全身を軋ませながら次々に敵を蹴散らす。こうしてクシャルダオラ対その他の大型モンスターという図が出来上がった。

 

「気絶したお前たちの落下地点がクシャルダオラの背後でな。ティガレックスの放った岩石から守ろうとしたら、同時にクシャルダオラを庇う結果になった」

 

……それが、きっかけだったのかもしれない。クシャルダオラにとって人間とは敵だけど、大型モンスターも敵なのだ。

 

「敵の敵は味方じゃないがな。迫る竜どもを蹴散らすという、共通の目的意識のせいだろう。我々は攻撃対象から外された」

 

ダラハイドは……また、守っていてくれていたのだ。「もうお前に被弾させない」とかつて言った、その言葉に忠実に。

 

「……私も、戦う。地形がぐちゃぐちゃだ。敵を倒さなきゃ、マトモにこの岩場を越えられない」

 

彼女はヘビィボウガンを握りしめる。この大混戦を、呑気に気絶し守られていた自分を悔やむようだった。

 

「心強いな、さすがだ。全武器一のDPSを誇るヘビィの威力を、この砂原に刻んでくれ」

 

そう遠くを指差せば、また新たにこのオアシスを目指す、大型モンスターの接近する影が見える。

 

「……ダラハイド」

 

「撃ちまくれツバキ。お前は俺が守ってやる。もう、そう決めたんだ」

 

強風にマントがはためいている。大剣は特出してガードに優れた武器ではない。なのに何故、こうも強く守ろうとする。背中を向けたままダラハイドは言った。

 

「お前のように生きたいんだ。そのお前が死んだら、その先が見えなくなるだろう。だから守ると勝手に決めた」

 

 

さあ、撃て。

 

 

短く落とされた彼の言葉を引き金に、ツバキもまた咆哮していた。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

朝日が東に薄っすら登る。岩場に囲まれたオアシスは、小規模の湖となっていた。

疎らに生えてた木々は強風に薙ぎ倒されて、そこはオアシスでありながら荒れ果てている。

 

ぐしゃりと、クシャルダオラが濡れた砂場に膝を折る。

倒れたというよりは、錆の侵食が脚にまで及んだせいだろう。赤錆がそこら中に撒き散らされて、本来なら白いはずの砂に赤褐色が混じってる。

 

ツバキの放った貫通弾が、ティガレックスの額を割った。それがトドメになったのだろう。もうこのオアシスに、迫る龍はどこにもいない。代わりにたくさんの死骸が転がる。

 

四人は満身創痍であった。ここまでの連続狩猟はかつてない。きっとクシャルダオラの援護なくては、皆々力尽きてしまってたろう。

薄黄色の光が東から差す。極寒の夜が明け、また灼熱の昼が訪れるのだ。そこでふと、今更のように豪雨が止んだことに気付いた。

雲の隙間から細く光が落ちてきて、徐々にそれが増えてゆく。クシャルダオラの引き連れた、雲まで四方へ散っているのだ。

 

有りったけの弾を撃ち尽くしたツバキは、ティガレックスが絶命するのを確認した後仰向けになる。くたくただった。

ノイアーはやはりぼろぼろで、後から参戦したというのに立てなくなってる。いつも通り、スタミナを使い切ったのだろう。ぼろぼろになった剣斧を手に、シドに肩を担がれていた。そのシドもまた傷だらけだけど。

 

朝日が眩しい。灼熱の昼が来る前の、砂原の早朝は穏やかである。

 

「クシャルが……」

 

シドが言った。額から流れた血を拭いもせずに。それだけ目が離せないのだ。シドだけでなくノイアーも、ダラハイドもツバキも、全員が崩れゆくクシャルダオラに釘付けだった。

 

奇妙な共闘をした古龍が、まるで砂のように朽ちてゆく。ざらざらと錆が足元へ、まるで身体そのものを削るように散ってゆく。

鋼の筈の外殻は、錆で強度を失っていた。そんな身体で、数多の攻撃を受け過ぎたのだ。この、嵐に呑まれたオアシスで。

 

赤褐色のシルエットが、天を仰いだ状態で固まった。

風が止まる。

 

 

「まさか、死……」

 

ノイアーの声は、一瞬止まった風の後、一際強い突風に阻まれ掻き消された。風の中心は朽ち果てたクシャルダオラだ。

錆が一斉に粒子状に振りしだかれて、視界が赤く濁ってく。

直後、大地すら揺らがず咆哮が辺りに劈いた。

 

 

「ダラハイド……!クシャルダオラがっ……!」

 

ツバキは思わずダラハイドの肩にとびついて、ゆさゆさと揺さぶって興奮をしめした。

 

「……ああ。凄いぞ。きっと世界中のハンターで、〝これ〟を見たのは我々だけだ」

 

ぱらぱらと、錆が落ちてる。

クシャルダオラの身体は砂のように崩れた……いや、崩れたのは外殻だったのだ。

風の中、錆び付いた抜け殻を散らしながら、現れたクシャルダオラは白く光輝いていた。

 

「シド、きれー……」

 

クシャルダオラの身体が黒銀色なのは、空気中の酸素に常に反応するからだ。つまり、酸化することであの色になっている。

では、脱皮直後の、まだ酸化してない外殻はどうなのか。それが目の前の神々しい姿だろう。一点の曇りもない、真珠のような輝きだった。

 

「これが、クシャルダオラの脱皮……」

 

酸化を続け、やがて錆び付いた外殻は朽ちて崩れた。その中から現れたのは、真新しい純白の鱗を纏った姿であった。

 

「……エーダ、凄い綺麗。砂原の夕日より綺麗なものは、砂原のオアシスにあったよ」

 

ノイアーの瞳は輝いていた。何より美しいこの光景が、生まれ故郷の中に生まれたのが誇らしいのかもしれない。

 

真っ白いクシャルダオラは錆を脱ぎ捨て、改めて四人を一瞥する。翼の先が、既に酸化を始めてた。この姿は、本当に僅かな間だけのものなのだろう。きっともう幾ばくもせず、通常の黒銀色の外殻になる。それを惜しく思うほど、白い姿は美しかった。

 

クシャルダオラは、四人を攻撃しなかった。ただ、一瞥しただけだ。

やがて空の彼方へ飛び立って、その背は瞬く間に消えてしまった。

 

オアシスには、ぼろぼろの人間四人ばかりと、錆びた抜け殻だけが残されていた。

 




[番外編]

-1-


集会所でクエスト同行者を募る時は、相手を選り好みしたがる者が多い。難易度と同行を名乗り出るハンターの腕前を見比べ、共闘に足るか否かを見極めるのだ。この基準は、個人の価値観に異存するが。

初対面のハンターの腕を戦場でなく集会所で判断する時、多くの場合は装備の構成を重要視する。彼女の場合はかなり基準が〝緩〟かった。大概は「そんな装備じゃ足手まといだ」と断るような相手であっても、構わないと頷いた。
それは寛容さというよりむしろ無関心によるもので、言い方を変えるなら自惚れでもある。理念というほどもない意見はこうだ、〝どうせ私が倒すから、囮になればそれで良い〟
だからその日ドボルベルクの狩猟に同行を名乗り出た、三人の装備に不信感を抱かなかった。いつもの無関心のせいだろう。
三人はそれぞれ異なる武具を装備してたが、共通点が一つあった。使い込めば必ず出来るであろう傷や汚れが、どこにも見当たらないということだ。
新調したばかりであったとしても、武器にすら汚れがないのはおかしい。それじゃあ鍛錬すら怠ったようではないか。実践による傷がなくても、普通は多少の「使った痕跡」があるはずなのに、本当に言葉の如く傷一つない状態だった。それも、三人揃って。
だけど彼女の思考においては〝囮になれば良い〟から、それに理由を尋ねなかった。

「観測隊によると渓流の森林地帯に目撃例が集中してんだって。ベースキャンプを目指さずに、直接そっちで合流する。居なかったら各自探索」

そうと決まりがあるわけでないが、クエスト受注者がリーダーシップを取るのが慣例だった。それに習い彼女は指示を出すけれど、やはりかなり大雑把なものになる。性格のせいだ。
このどこか投げやりなリーダーに苦笑いして、三人はそれぞれ順に名乗った。

「じゃ、そういう感じでよろしく」

彼女はそう素っ気なくして先頭に立つ。背中には、使い込まれた剣斧がギラギラと光っていた。


-2-

照明の類いなど一切ない夜の渓流の、光源は松明と河原の光虫が頼りであった。
巨木を倒されたあとの切り株に手をつき、息を潜めて闇を見据える。森林への一番乗りは、どうやら彼女であったらしい。
妙だと思った。目測だけで定かでないが、長身の太刀の男の方が、森林付近に到着してそうなものだったから。
……強そうに見えなかったけど、足まで遅いのか?それとも方向音痴だったりすんのか?頼りないと思ったあと皮肉に笑う。そもそも他人を頼りにしようと思ってないのだ。頼りないと評することそのものが馬鹿馬鹿しい。

「森林地帯……いないじゃん」

ぐるりと一周回ってみたが、ドボルベルクは見当たらなかった。
水場で身体でも洗ってんのか、他の餌場でお食事中か。この地域の出身でない彼女は、当然ながらに土地勘がない。故に集会所の資料にあった簡易的な地図をうろ覚えにする程度だ。

夜だってのに暖かい。日が昇ればクーラードリンクが、沈めばホットドリンクが欠かせないような砂漠で生まれた彼女にとって、渓流の気候は馴染みなかった。
水がこんなにある。草木がこんなに多い。それだけで贅沢だ。だけどこの辺じゃ当たり前のことなんだろう。キノコなんかもそこらで見かけた。砂漠はその環境の過酷さ故に、生息するモンスターも異形の姿をしたものばかりだ。あんな渇いてクソ寒かったり馬鹿暑かったりする大地では、生き抜くための進化が特異な過程であっても仕方ない。

その時だ、不意にかさりと落ち葉を踏む音を聞く。振り返るまでもなく味方でないのは理解した。軽やかだけど、人間にしては重たい音だ。ゆっくり背後に視線をやれば、厄介な彩色が飛び込んできた。これがこの日彼女に起こった、三つの不幸のうちの一つだ。

「……クルペッコ……、最低だ……」

じゃあ残りの二つはなんなのかって、それも直ぐに身に染みてくる。白目のない丸い瞳が、きゅるっと動いて彼女を見据えた。夜行性だったけ。詳しくないから覚えてもない。ただ、渓流に生息してることだけは知っていた。有名なのは、強力な他種族を呼び寄せるという特徴だけど。

特殊な声帯を持つクルペッコは、一言で言うなら「鳴き真似」が得意だ。嘴の下がぶくっと膨らみ、酸素を吸い込む音が聞こえる。直ぐに〝呼ぶ〟気だとわかった。クルペッコが呼び寄せるのは、運が良ければアオアシラだし、最悪の時はイビルジョーだ。こいつ自体はさして強い敵でもないから、最善の手段は一つだけ。呼ばせないこと。
音爆弾の用意がないから、彼女は地を蹴り斬りかかる。その巨大な斧で、声帯を裂くのが目的だった。

…………

その日彼女には三つの不幸が降りかかった。一つ目は、クルペッコと遭遇したこと。二つ目が、クルペッコに呼ばれたのがイビルジョーだったこと。そして三つ目が、同行者が「寄生」と呼ばれるハンターの風上にも置けない連中ということ。

渓流に土地勘はない。がむしゃらに走って背の高い草の中を突っ切った。ドボルベルクが強力な尻尾を振り回す。イビルジョーが縦横無尽に暴れ狂う。遠目でクルペッコの声が煩い。

崖の上に設けられたベースキャンプには、焚き火がぱちぱちと昇っていた。暗闇だからこそ火の手は目立つ。ずっと到着が遅いと思っていた。だがそれは遅いのでなく、そもそも討伐に参加する意思がないのと知った。何度もサインで居場所は知らせたし、ペイント玉もぶつけてあるのに、どうやら手を貸すつもりはないらしい。自分は戦闘に参加せず、報酬だけいただこうとする恥知らず。それが一人だけでなく三人揃ってということが、この日一番の不幸だろう。

視界の悪い暗闇で、不意に彼女はバランス崩す。あると思った足場がなくて、地を踏むはずだった左足が宙を掻いてる。そのまま身体が左へ傾き、直後に臓器の浮き上がるような感覚がする。そこで初めて、彼女は「これから落ちる」のだと自覚した。

渓流は潤しく趣きと情緒ある風流な地で、静けさと水のせせらぎの音が好きだと思った。
僅かな沼地で虫を啄むガーグァも、湿気の多い岩場の影に群生する特選キノコや、そこで長閑にするアイルー達も、なにもかもが慎ましやかだ。草原のジャギィや森のファンゴも可愛い気すらある。脅威のない土地にこそ見え、その実ジンオウガやリオレイア、ドボルベルクがこうして観測されたりもする。かつてはG級認定されるほど、驚異的なナルガクルガが報告されたことすらあった。穏やかなんだか悍ましのか、側面があまりにありすぎる。だけど落下の末目前に飛び込んだ薄紅色は、自らの価値観に絶対的な答えを出させた。

渓流は、よくわからない。長閑なのか恐ろしいのか。静かなのか騒々しいのか。だけどなにより〝綺麗な場所〟だ。

一本の巨木を最初に見た。受け身を取って落下の衝撃を堪えたものの、防具の重さにごろんと転がる。そうして仰向けになったなら、巨木が薄紅色の花を咲かせてそこにある。一瞬息を止めるほど、あまりに美しく思えてしまった。

月が丸くて光が強い。そのせいで闇夜に星は見えない。
藍墨色の空を彩る、目一杯の花弁がある。名前は知らない。

……蝶が、舞ってるのかと思った。だけど薄紅の蝶など知らない。一枚一枚は小さくて、淡く鮮やかさとは程遠いような優しい色で、仄かな香りすらも馴染みない。花というのは甘く芳醇なものでなかったか、この巨木の小さな花弁は、なんとも柔い香りを放つ。
後に、これが〝サクラ〟だと知る花だった。


「今日は厄日だ」

背中の土埃をさっさと払って、背の武器を構えながら彼女は呟く。
自らの後を追うような落下の音は聞こえてた。心奪われるほど美しい花が、落下するその重量にめきりと折れる。
巨木は幹まで踏み潰されて、数多の花弁が四方へ散った。鼻先二十センチ先をかすって、ハンマーのような尻尾が地面に減り込んでいた。

「イビル呼ばれるし、落ちるし、同行者は寄生虫だ。綺麗だと思った花は折られた」

日頃はふと咲いてる鮮やかさなど気にも止めやしないけど、あの巨木から成る薄紅色は好きだと思う。今はもう、ドボルベルクの下敷きになって見る影もない。

「私を追ってきたの、それともあんたもイビルから逃げてきたの。どのみちもう、これ以上逃げ場ないな、お互いに」

彼女の背後は崖だった。さっきの足場からここまでの高さとは、比べものにならないくらいのものだった。
ここから落ちたらタダでは済まない。だが岩場を登ればイビルジョーはまだいるだろう。下手したら、ここに降りてくるかもしれない。決着を急ぐ他になかった。
彼女は斧を振りかぶり、剣の形に変形させる。移動速度は遅まるけれど、ドボルベルクの硬い外皮にも弾かれない。人はそれを心眼と呼ぶ、切れ味の影響を無視して刃を通す技だ。彼女の剣斧は剣として変形した時にだけ、この心眼を発揮することが可能であった。

咆哮はするなよ、イビルジョーがきてしまう。柄を強く両手に握りしめ、彼女は足元に向かって大地を蹴った。
あの巨大にして愚鈍な動きは、一撃の強力さと引き換えに命中率が低いのだ。足元まで転がり込んで、ひたすら後ろ足を斬ってやる。それが対ドボルベルクのセオリーだった。
ぐるぐると回り出したら怯ませてダウンをもぎ取って、背中のコブを破壊しよう。それから、遠心力を利用した跳躍を見せたら、避けた後尻尾を割ってやる。それだけだ、それだけでこの狩猟は終わる。突進とその後の薙ぎ払いを警戒していれば良い。
ただ問題が一つだけ……モンスターとの戦いは、その大概が思い通りにはならないってことだけだった。





-3-

「……っあ、この……!」

頬張る肉を飲み込む暇もありゃしない。もう、スタミナがやばい。タンパク質を食い千切り、少しでも回復したいというのに。そうしたら、もう一度この斧を振り回してやれるというのに。

歪曲した自慢の角は、苦労してようやっと折れたところだ。背中のコブも破壊したから、さっきより属性が通り易くなってるだろう。つまり彼女の攻撃は、さっきより確実に効いてるはずだ。だのにこんな泥仕合になっている。

「キレすぎ……!キレすぎなんだよ!」

連続して振り下ろされる巨大な尻尾が、地を抉るたび心臓まで跳ね上がる。紙一重に回避するけど、転がるだけでもスタミナというものは消費するのだ。もういい加減肺が爆発しかねない。今すぐ倒れて酸素が吸いたい。だけどそうやって膝を着いたら、もう二度と呼吸なんざ出来ない身体にされちまうから、彼女は必死に躱し続けた。

ドボルベルクには、体力が減るにつれてどんどん怒り値の蓄積がしやすくなるという特徴がある。つまり追い詰めるほどブチ切れやすいということだ。というより、さっきからもうずっとキレっぱなしと言っていい。エネルギーの貯蔵庫であるコブの破壊は、怒り時間の短縮という作用もある。だのにこうも怒り続けるというのなら、不運にも短気にして激情家な個体だと諦める他ないだろう。

これは非常に厄介であるが、同時に確かな手ごたえだった。
なにせドボルベルクは、体力が落ちれば怒り易いと同時にスタミナをかなり消耗するのだ。統計的なデータによれば、消耗速度は一・五倍とも言われてる。つまりこれだけ怒り狂った状態は、間も無く「バテる」ということであり、残存する体力の少ない証明だった。

……ああ、肉食いたい。こんがり焼けた、肉が食いたい。すり減らされたスタミナのせいで、胃が空気も読まずにぐううと鳴った。肉食って、水飲んで、そうしたらもう一度この武器を思い切り叩き込みたい。限界まで振り回して、軟質な鼻っ柱を叩き斬りたい。

足場を揺らす槌尾の連打が収まったと思ったら、直後に横殴りに降りしだかれる。間一髪、緊急回避でそれを躱せたのは経験則だ。腹から地面に飛び込んだせいで、すぐには起き上がれなかった。伏した頭上で、風切り音が耳をつく。……また、ぐるぐる回っていやがる。
腹立たしいのと同時に僥倖だった。既にスタミナが無いのは明白なのだ、今なら転ばせられると確信していた。軸足まで飛び込んで、キッツイ一撃を放てばいい。次に巨体が地に伏したなら、残る力を振り絞った技を放つと決めていた。それで、討てると信じていたから。

軌道に沿ってリーチを詰めれば、軸足はもう目前だった。だからその時、彼女は「もらった」とほくそ笑む。だがその一秒後に、キッツイ一撃を貰ったのはむしろ彼女の方だった。


「はっ……?」

間抜けな声が喉から落ちて、直後に呻きと悲鳴の中間のような声が溢れる。発声というよりも、痛みを臓器が直接主張してくるようだった。
視認したのは、比較的肉質の柔らかい顔面部でありながら、硬化した額と折れて鋭利な断面を見せる角の両方だった。彼女の胸当てがひび割れて、体重の軽い身体はあっさり吹き飛ぶ。何が起こったのか理解するのに数秒要した。

……つまり、ぐるぐると回っていたのはフェイクだった……?それとも足元に近付く彼女を見て、急遽攻撃を変更したのか。いやそもそも、これは回転による跳躍の前段階でなく、急反転であった可能性もある。とかく隙有りと思ったのは誤りであり、敢え無くカウンターを貰ったようだ。ドボルベルクはその重量を最大限に活用した、突進を彼女に仕掛けて来たのだ。

ごろごろと地面に転がされて、酷く身体が熱いと気付く。起き上がろうとして、力が入らないことに気付いた。それどころか平衡感覚すら覚束ない。

ああマズイ、これって脳シントーってやつじゃないの。シントーだっけ、シントウだっけ、忘れた。忘れたし、それどころじゃない。
武器だけは手放さなかったのは、無意識のうちの根性だろうか。なんとか手をついたら、べしゃりと濡れた感触がする。こんなとこに水溜りなどなかったはずだが、見下ろしたら納得できた。……なんだ、水じゃなくて自分の血だった。

一旦後退して、呼吸を整えて、止血して、あと、肉が食いたい。無理矢理にでも身体を起こせば吐き気がする。
痛くて、疲れてて、腹が減ってて、大怪我で、しかもドボルベルクは容赦なんかしてくれない。たった今彼女を轢いた巨大は、突進のモーションから一息もつかず尻尾をぶん回して見せたのだ。彼女は倒れるように後ろへ回避を試みたけど、身をもってその追尾性の厄介さを知ることになる。実に正確に彼女の身体を捉えるのだ。追い討ちのような尻尾の一撃を左脚に喰らいながら舌打ちをする。この一連のコンボを完全回避するには、ハンマーのように振り下ろされる尻尾が二度目に地面に着いた時点で、安全圏に離脱していなければならないらしい。自らの骨が砕かれる音を聞きながら、彼女は身体で学習していた。



字のごとく血反吐を吐きながら、それでも闘志を捨てやしない。むしろ逆だった。危機感が臨界点まで達した作用か、アドレナリンの分泌が痛覚を麻痺させたのだ。

その時の彼女の動きは、他人が見たらティガレックスを連想させるものだろう。折れた足の代わりに両手をついて着地したら、曲げた片足と肘をバネに飛びかかる。吹き飛ばされた反動を逆利用する荒技は、ドボルベルクの知る「人間」の動きでなかった。

咆哮にも似た叫びと共に、空中で背中の剣斧を引き抜く様が獣じみてる。月光のせいで伸びた影は、あの異形な突進のあと飛び掛かる轟竜と酷似していた。しっかりと握られた武器の形は、属性の威力を纏う剣の形を成している。その切っ先が、ドボルベルクの角の付け根に刺さる。


……地獄みたい。彼女は思った。足場に散らばる薄紅色の花弁と、それを紅にする自分の血飛沫。ドボルベルクの咆哮もまた凄まじいけど、ついにここをイビルジョーが嗅ぎつけたのだ。

今度こそ決着をって瞬間に、まさかイビルジョーが降ってくるとは思わなんだ。
飢餓感に涎を垂したそいつは、欲望のままドボルベルクに噛み付いた。彼女を狙わなかったのは、単に肉の質量からなる判断だろうか。小さな肉より、大きな肉が食べたかっただけ。
暴れ狂うイビルジョーに、抵抗をみせるドボルベルク。小さな彼女は振り回された。武器を引き抜かなかったからだ。ドボルベルクが首をふるたび、刺さった武器ごと彼女が踊る。逃げようと思わなかったわけではなくて、頭に血が上ってただけ。もう思考は冷静ではなく、敵を仕留める以外は考えられない。だから、この混乱に乗じて武器を手放し、逃げ果せようとしなかった。どのみち折れた左脚では、走ることなど出来ないけれど。


……ところで、こんな話がある。頭部に生える湾曲した一対の角は、非常に太く頑強な造りとなっている。彼女が懇親の力を込めても、中腹より少し上から折れた程度だ。
だがこの角は、実は脳まで直結している。そのため根元から折れると、脳が甚大なダメージを受け即死してしまうといわれてる。

武器を握るのを片手にし、腰からハンターナイフを引き抜いてから、彼女は岩壁へと突き刺した。自らを関節に、それぞれの武器でモンスターと岩壁を縫い付けた状態だと言えるだろう。先述のとおり、剣斧は角の付け根に刺さったままだ。
そこへ、イビルジョーが飛びかかる。
……あとは、武器とハンターナイフ、それぞれを手放さないだけで良かった。ああ、あと身体が千切れないことを祈ること。そうすりゃ人間の筋力では到底破損不可なドボルベルクの角の付け根を、イビルジョーの突進の威力が破壊してくれるだろう。
それでドボルベルクが死んだとしても、その後イビルジョーから逃れる手段は残っていない。だのに達成感が多幸感を齎すから、意識を手放す最後に彼女は笑っていた。思惑通り、ドボルベルクの角が付け根から割れたのだ。その後に、白目を剥いたのを視認して、そのまま彼女は気絶した。


…………



ここから先はただの奇跡だ。
彼女がぶっつりと気絶した後、地に付すドボルベルクが崖際のイビルジョーを突き落とすような構図になった。転倒の衝撃が地響きを起こし、イビルジョーが踏ん張れなかったのも原因だろう。貪食の恐王は崖の下まで落下して、後にはドボルベルクの死体と気絶した彼女だけが残された。
あまりに壮絶なこの結末を、知っているのは月だけだった。






-4-

採取に来ただけの筈だったその青年は、幾度となく響く怒号に不吉な予感を隠せなかった。
……参ったな、今は戦闘用の装備でないとため息を吐く。より効率的な採取を行えるように誂えたそれは、戦闘には不向きなことこの上ない。そもそも耐久性すら皆無であるから、「不吉な予感」が当たったとして何もできることはなかった。むしろ、巻き添えをくわないよう退避するのが利口だろう。
それでもさっさと帰らなかった理由は、ベースキャンプに焚き火の煙を見たからだった。

……ベースキャンプを利用する理由はいくつかあるが、「戦闘中でありながらベースキャンプに居る」理由など一つもない。気付かないはずもないだろう、咆哮は青年の元にも届いていたし、ペイント玉が使われた痕跡も残ってる。木々にピンクの塗料が付着するから、移動の痕跡から現在地まで予測するのは可能であった。だのに美味そうな肉の焼ける匂いや、談笑する声すら聞こえる。不穏な空気が強まって、青年に一つの仮説が浮かんだ。

……まさか、今ベースキャンプにいるのは〝寄生虫〟で、このペイント玉を使った〝誰か〟は孤立無縁なのではないか。
渓流は青年にとっては地元だ。最近、クルペッコが度々観測されてると知っている。そして、度重なる咆哮が二種類あるとも気付いてた。彼の予想する「最悪」が当たらないことを願いながら、様子だけでも見る必要を彼は感じた。今優先するべきは、たった一人で戦う〝誰か〟の命であるのだ。ペイント玉の塗料が足跡のように続いてる。彼は、走ってその軌跡を追った。



…………


折れた桜の木の陰で、切り株を背凭れにするその女は死んでるように思われた。だが抱えてみれば体温があり、耳を寄せれば弱々しい鼓動も聞こえる。生きて、いたのだ、辛うじて。

怒りがこみ上げたのは、厚顔無恥な寄生虫の三人組が、そんな重症の女を無視して剥ぎ取りを行っていることだった。心配もしない、手当もしない。まるで目に入らないかのように無視を決め込み、傷も汚れもない装備で嬉々として皮を剥ぎ取っている。そのドボルベルクを仕留めたのは、おそらくこの女一人であろうと察しはついた。気絶しながらも手放さなかった女の武器が、返り血と刃毀れだらけだからだ。

怒鳴り散らしたい怒りを堪えて、青年は周囲を観察してる。咆哮は〝二種類〟あったのに、ここに死体は〝一体〟しかない。崖の淵に残る爪痕が、イビルジョーのものと酷似している。
クルペッコがいて、イビルジョーの爪痕がある。おのずと答えは導き出せた。この女に相次ぐトラブルはあんまりだ。

「おい!寄生虫だろうが今はいい、秘薬寄越せ!無けりゃあ回復薬でもいい!」

彼女の治療が最優先なはずなのに、黙々と剥ぎ取りを行う三人組に怒鳴り散らした。
仲間なんだろう、彼女の治療が先だろうが。そう声を荒げてみたものの、言う前から奴らに言うだけ無駄であろうことは予期できた。できたのに、言わずにはいられなかった。
案の定そんなもんないと首を振るし、また剥ぎ取りを始め出す。採取用のものではなくて、きちんと戦える装備であったら、この三人をタコ殴りにしてやれたのに。青年は悔しさに唇を噛み、しかし怒りより女の存命が大切だと意を決する。それから、急いて採取した全てのアイテムを捨て出した。

鉱石を中心に集めていたから、なにせ重たくて仕方ないのだ。それでも女一人背負って歩けないこともないけど、それでも一秒でも早くここを離れる必要性を察してる。
イビルジョーの爪痕と、ドボルベルクの倒れてる位置。この崖下に恐暴竜が落ちたのなんて明白だ。そして、ここから先は更にシンプルな話である。

果たしてここから落ちたくらいで、イビルジョーが死ぬだろうか。
イビルジョーが生きてたとして、次にどこを目指すだろうか。
崖の下まで落とされて、きっと怒ってるであろうイビルジョーは、なにを標的とするのだろう。そんなの、考えるまでもないことだ。
そして青年は、寄生虫と比喩されるようなハンターどもに、それを一々説明してやるほど寛大ではない。はなから寄生する気でいた三人は、回復薬すらないという。ドボルベルクの重たい素材を存分抱えて、怒り狂ったイビルジョーから無事逃げることが出来るのか。きっとそれは、奇跡でもなきゃ無理だろう。


青年は女を抱えて走った。アイテムを全て捨てた身体は身軽で、普段重厚な装備を纏う彼からしてみれば、女はあまりに軽かった。
早く、一秒でも早く連れて帰って、止血して、腫れたところは冷やしてやろう。不自然に腫れた足が骨折なのは明白だ。吐血の痕もある。どうか内蔵が無事だといい。やがて響き渡るであろうイビルジョーの咆哮が聞こえる前に離れられるよう、青年は必死に走り続ける。


浅い河原に、春の象徴的な花弁が流れる。渓流が一年でもっと華やぐ季節だ。
薄紅色の花が一面に散る様は、淡い香りの絨毯を広げたようだった。そこに血を滴らせ、紅く染めるように彼女は瞳を閉じていた。辺りは砕かれた岩や倒れた木々がいくつもあって、地面は抉れ爪痕がどこぞしこに残ってる。
きっと地獄だったことだろう。悍ましかったに違いない。

「大丈夫だ、ユクモは近くだ。アイテム屋の娘は治療の腕がバツグンだし、温泉だってある。温泉は治癒力を高めてくれるから……だから、大丈夫だ、死なせない」

渓流は……普段は穏やかでとても綺麗な場所なんだ。そうだ、あの花……あの巨木になる綺麗な薄紅色の花の名前を教えてやろう。森林の奥には穴場もある。あと十日もしたら全ての蕾が花を開いて、幻想的なほど綺麗な景色が広がるはずだ。

「綺麗なんだ。見せてやるから、死ぬなよ……」

月夜の美しいその夜に、青年はそう念ずるように走り続けた。

丁度その時、三人分の悲鳴があがったことを彼は知らない。既に離れ過ぎていたから。
寄生虫と比喩した三人の生存は知り得ないけど、後に砕けた小手のパーツが一部だけ発見されたと漏れ聞いた。小手は、あるべく傷や汚れの一切見られない、新品同様の状態だった。


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11話

第二章 黄金時代篇


「……重油みてぇだ。火薬類に気を付けろよ、引火したら……ブラキディオスどころの騒ぎじゃないかもしれねえ」

 

火薬庫の床にべっとりと残った黒い液体を、観察しながら男は言った。液体には粘着性があり、また独特の匂いから可燃性の高さがわかる。

 

「馬鹿げてますね。こんだけの火薬が……どうやって……」

 

「人じゃねえかもな。窃盗なら、こんなふうに油を残したりしねえだろ」

 

「人じゃない……?竜が火薬なんか取ってどうするんだか……。まさかハンターの真似事して大砲でも使うんですかね」

 

「アイルーくらい器用で賢けりゃあるかもな。どうする。人間に反感を抱くアイルーどもが軍団を組み、各地で火薬を集めて戦の準備をしてる……なんてなったら」

 

「中々面白いけど、やっぱりその重油の説明が付かないじゃないですか」

 

 

二人の男は調査のために火薬庫を訪れていた。

近頃、ドンドルマの周辺地域で武器庫の襲撃が多発していた。倉庫に保管されていた火薬という火薬が一夜にして煙のように消え失せ、そして現場には決まって大量の黒い液体が残されるという。この奇妙な相次ぐ事件は、過去ドンドルマに屈辱を擦りつけた一つの出来事を連想させた。

 

約十年前だ。当時の長老は初代撃龍槍を街の守護の証とし、ある武器倉庫に保管していた。その地理故に度々大型モンスターの襲撃を受けて来たドンドルマは、撃退の歴史を誇りとしている。初代撃龍槍は撃龍槍の元祖であり、また街の危機を幾度も救い、戦闘街ドンドルマのシンボルとして祀られていた宝であった。

ところがある日、武器庫の初代撃龍槍は大量の火薬類とともに忽然と姿を消してしまうのだ。遂には事故とも盗難とも特定できず、奇妙な消失事件に長老は胸を痛め、街の象徴たる初代撃龍槍を守れなかったことを後々まで悔いたという。記録によれば、その時も武器庫には大量の〝重油のようなもの〟が残されていたそうだ。

 

消えた火薬。残された重油。武器庫と火薬庫という違いはあれど、当時の事件との関連が疑われるのは然るべきだ。

 

「なあお前、初代撃龍槍撃ったことある?」

 

「残念ながらないです」

 

「……そっか。俺はある。まだガキでペーペーだった。親父が戦闘街の狩猟を請け負って、同行させて貰ったんだ。いい思い出だよ。翌年、今の撃龍槍が実装されたから、初代を最後に撃ったのは、もしかしたら俺かもしれねえ」

 

 

彼の父は偉大なヘビィガンナーだった。今はもう亡くなっている。背中のハンマーを撫でなら語る男は、尊敬していた父との思い出を懐古しているようだった。

ハンマーの親友である双剣使いは、それを静かに聞いていた。

 

 

 

…………

 

 

 

 

「闘技大会ぃ?」

 

まあた何を言い出すかと思えば……。そうシドはため息と共に肩を竦めた。ノイアーが貼り紙を持ってきたのだ。タンジアの港で闘技大会が開催されると大々的に広告されており、彼女の持つ貼り紙もその一つである。

 

「なんでまたそんなの出たいんだよ」

 

「お祭り好きだから」

 

あっけらかんとしてノイアーは言う。「そんなこったろうと思った」とシドは言うが、ダラハイドはすぐに乗り気になった。

 

「面白そうじゃないか」

 

あ。これ言い出したら聞かないパターンだ。シドとツバキが瞬時に察する。まだ参加するなど同意してないのに、ノイアーとダラハイドが目を輝かせて大会の詳細をあれこれ話出す。

 

ドンドルマやバルバレでも闘技大会は開催している。大方の流れはここタンジアも同じだろう。狩猟がSからBの三段階で評価される点も相違ない。大会と銘打つからには優勝者を決めるわけだが、勝敗はこの評価制度により判断される。予選で参加者を絞り込み、本戦で更に絞り込む。それで決勝戦に残ったハンター達が、やはり同じ条件下で狩猟を行う。狩猟成績の最も優れた者が優勝である。

 

「ったく……しょうがねえな」

 

先に了承したのはシドだった。 

 

「最大参加人数が二人なら……まあ、いつものペアってことでいいのか?」

 

シドが尋ねた。〝いつもの〟とはツバキ・ダラハイド、シド・ノイアーのペアを指す。この〝いつものペア〟が決裂したのは、三日後の予選の時だった。

 

 

シドはゲンナリし、ノイアーは不機嫌な顔でゲートをくぐる。予選の相手はギギネブラであり、選択可能武器にそれぞれの得意なものがあったため、狩猟は順調になるかと思われた。

しかしながら闘技大会は通常の狩猟と大きく異なる。もっとも重視されるのは討伐完了までのタイムであり、罠や状態異常の付与も「いかにして討伐時間を短くするために使用したか」がポイントである。逆に、時間短縮に直接関係のない部位破壊などは点数にならない。そういった意識の差異が、共闘し慣れたはずの二人の連携をすこぶる粗悪なものにしたのだ。

結果として二人の成績は実力を十分に発揮出来たとは言い難く、予選をギリギリなんとか潜り抜けるという、とても苦い結果に終わった。

 

「シド、そう落ち込むな」

 

面白可笑しそうにダラハイドは言う。闘技の様子はツバキと共に見ていたのだ。

 

「ダラハイド、ツバキ、お前ら多分、あと数分で俺たちと全く同じ顔になるぞ」

 

疲れた顔でシドは言った。その言葉の意味を知るのは、それから十五分後の事である。

 

 

 

 

闘技大会では自前の武具を使わずに、開催側の用意した装備を使うことになる。ベテランから新米まで攻撃力・防御力・スキル構成が同じになるのだ。攻守共に同等の数値で狩猟を行い、タイムの良し悪しが技術力の表れという趣旨である。

また武器は自由に選べない。大会の定めた四種の中から決めねばならず、そこに自分の得意武器が含まれるとも限らない。

予選の相手はギギネブラであり、ツバキは迷わずヘビィボウガンを選択した。大会側が用意したのは比較的初心者でも扱える入門者向けのボウガンで、癖はないが代わりに威力・連射性ともに低い。

「低スペックな武器で素早い討伐をするためには、いかに正確に弱点を狙えるかが重要である」というのが、審査員の意図だろう。

 

ところでダラハイドは何を選ぶのか。今回、選択可能武器に大剣は含まれていなかったのだ。大会の提示した武器はヘビィボウガン、スラッシュアックス、太刀、狩猟笛である。シドと同じく太刀か、ノイアーのように剣斧を使うのか。ガンナーはイマイチ想像つかない。

だが実際に彼が手に取ったのは、全ての予想を裏切って狩猟笛だった。

 

「うそ?」

 

「確か狩猟笛はハンマーの派生だろう。ハンマーなら使ったことがある。この中では一番コツが掴みやすい」

 

「ダラハイド……旋律わかるの?」

 

「知らん」

 

ツバキは嫌な予感がしたが、一度決めたら変更出来ないのも闘技場の仕様であった。

 

…………

 

 

「スタンは取ったろ」

 

「旋律の一切ない笛ってどうなの???」

 

「そう言うなよ。なんとか予選は通過できた」

 

「どうせ力任せなら他の武器で良かったじゃない……」

 

ふらふらとした足取りで、シド同様ゲンナリしたツバキが言った。シド、ノイアー組に負けず劣らずのギリギリ具合である。

明日からは本戦だ。しかしこんな状態で勝ち抜けようものなのか。相手はドボルベルクの亜種で、最大参加人数は同じく二人。より審査内容の厳しくなる本戦を、このまま勝ち抜ける可能性は低いのでないか。

 

「どうだ。ペアを変えるか」

 

そこで、提案したのはダラハイドである。何かを賭けて挑んだ大会ではないが、やるならば最良を求めたいのもまた事実である。

 

「ツバキ、私と組もう!」

 

真っ先にノイアーがツバキに飛び付く。砂原の一件以来、ノイアーとツバキは随分と打ち解けた。今じゃ時折、ノイアーは妹のようにあどけない笑顔を見せてくれる。

ツバキはウンと頷きかけて、寸出の所で留まった。ダラハイド以上に好き放題するノイアーと、果たしてタッグが組めるのだろうか……と。彼女は強いが、闘技大会の基準においては、一概に頼もしいとは言い難い性格の持ち主なのだ。

 

「まあ、ノイアーちょっと待てよ」

 

ツバキが断りを入れるより早く、シドがノイアーを引き剥がす。

 

「ツバキと俺は連携を重要視するあまりロスを喰った。で、ノイアーとダラハイドはマイペースすぎて噛み合わなかった。なら、ツバキとノイアーが組んでも結果は同じだろ。下手したら悪化するぞ。それとも二人できっちり作戦立てて、段取り通りに動けるか?」

 

「作戦考えるのめんどくさい。でも、じゃあどーすんの」

 

「俺とツバキが組む。ノイアーはダラハイドと組めよ。こういうのは考え方の問題だからな。協調性重視かマイペースか、合わせるよりそれぞれとことんってことだ」

 

ノイアーは「なるほど」と頷いた。

 

 

…………

 

 

 

本戦の討伐対象はドボルベルク亜種だ。順序のせいか時間は遅く、空には月が輝いている。

ダラハイドとノイアーは、門の向こうで鎖に絡まれる巨躯を見上げる。ゲートが開いて捕縛する鎖が放たれたなら、ドボルベルク亜種は真っ先に襲いかかってくるだろう。

 

ダラハイドが手にしたのは片手剣だった。曰く「軍学校で一通りの基礎を学んだ武器」であるらしく、少なくとも狩猟笛よりは期待出来そうな口ぶりだった。

 

「軍学校……?ダラハイドは難しいことばっかだ」

 

「そういってくれるなよ、ノイアー」

 

「軍学校っていうのは全部の武器を習うの?」

 

歓声は割れんばかりの声量なのに、円形の闘技場はそれを遠くに感じさせた。四方の松明が揺らめいて、夜空に紅い光を差した。銅鑼が鳴ったら開始の合図だ。モンスターは拘束を解かれ、闘技場へのゲートが開く。

 

「……いや、歩兵はランスが多かった。それに遠距離武器の扱いを習う。バリスタに近いが、勝手がやや違ったな。……だが、最初は皆片手剣を修練したんだ」

 

「なんで?片手剣って決まりなのか?」

 

「全武器の中で最も生存率が高いと言われるのが片手剣だ。新兵を育成する目的に作られたそこで、教官が最初に命じたのは『死ぬな』だった。まず覚えるべくは攻撃でも援護でもなく、死なないための立ち回りだと」

 

軍団とは、個の力に重きを置くハンターとは本質が異なる。百や千、時に万を超える人間で連携しなけりゃならない。その分作戦も大規模で、求められる技術も違う。

しかし、「片手剣ほど持ち手を守る武器はない。なにより強いのは死なない兵だ」と、当時ダラハイドの教官はそう言ったのだ。

 

「まぁ、その教育方針も一年を待たずして教官ごと変わってしまったがな」

 

軍の方針が変わるということは、軍事状況の変化があったということだ。

そろそろいくか、そうダラハイドは片手剣の柄を握る。感触を懐かしむような眼差しだった。

 

「どう変わったんだ?」

 

「『一人で死ぬな。敵を殺すために死ね』だ。教官も、同じ学舎の者たちも、仲間ではなかった。俺たちは仲間ではなく組織だったんだ」

 

ダラハイドの祖国は、今はもうない。かつて彼がそう言った。

 

「それはやだ。死ぬなら、自分のために死ぬよ」

 

「そうだな。だからお前たちとの出会いは尊いんだ。ずっと、俺にとって共に戦う者とは、組織でしかなかったからな」

 

ノイアーが眉をぴくりとさせる。手にしたのは弓だった。これにはダラハイドも意外そうな顔をする。

「流浪の民の基本だよ、弓は」

ノイアーは得意げな顔だった。試し撃ちに力を込めて射れば、矢は天高く放たれたのちに弧を描いて落下する。

「曲射か」

なるほど、と頷く顔は、見たことのない表情だった。

 

「長話だったな、そろそろ行こう」

 

ダラハイドがそう声をかければ、途端にノイアーが走りだす。

彼女は振り返えらずに言った。

 

「私は一族を離れたから、誰にも頼らず生き抜くものだと思ってた。でもシドが仲間ってなにか教えてくれた。ちょっと似てるね!」

 

そのまま、勢いよく闘技場の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

「こっちも、か」

 

ハンマーを背にしたハンターは、惨状を悔みながら言葉を落とす。ドンドルマより西に位置するその場所は、度重なる大量の火薬盗難事件を警戒し、厳重な施錠を幾重にも施された場所だった。

だのに、鋼鉄の建物は屋根ごと飛ばされ、ヘドロにも似た重油がそこら中にこびりついてる。火薬はごっそりと奪われて、見張りについた兵に息のある者はいなかった。

 

「遺体を見る限り二日経ってないですね。こいつはいよいよ、超大型モンスターの線が濃厚、ってところでしょう」

 

双剣使いは大地に残る、尻尾を引きずったような砂の跡を指差した。

 

「……だな。こいつはグラビモスよりデカい……」

 

未だその姿を捉えることは叶わずとも、度重なる調査は生態のヒントを幾つも残した。ハンマーは無骨でガサツだけれど、中々頭の切れる男だ。集めた情報を頭の中に収束させれば、長年の経験が未知の敵の輪郭くらいは浮かばせてくれる。

 

「尻尾がこのような跡を残すなら、二足歩行の可能性が高いですね。それに屋根は〝上から〟攻撃されてる。飛行能力もあるのかも」

 

「あるいは屋根よりデカイか、だな」

 

双剣は片手を大地に着き、重油にまみれた地獄絵図をじっと眺める。彼とて賢く理知的だ。なにより観察力に長けている。

 

「厄介そうですよ。この重油、粘着性を維持したまま硬化してます」

 

「……するってえと、どうなる」

 

「剣速が鈍る、斬れ味を発揮出来ないかもしれない。弾なら……溶けるのか、いや、キャッチされるっていうべきですかね。貫通しない」

 

「……無敵じゃねえかよ」

 

笑えない話だ。この重油がどこから発生するのか知らないが、体皮を覆うような場合は最強の鎧になってしまう。ブラキディオスの粘菌のように攻撃に特化したものだとしても……と、言いかけてハンマーは口を噤んだ。大概は攻守、どちらにも応用されるものだ。ブラキディオスの硬殻だって、爆破を利用して硬化し続けてきたものなのだから。

 

 

「……!なにしてるんです!」

 

はっと顔を上げた双剣は、マッチを取り出すハンマーの姿に目を見開いた。信じられないことだ。この重油に似たヘドロは引火性がかなり高く、発火は爆発に直結する。気化するのかはわからないが、気化してた場合はこの辺り一帯が吹き飛ばされてしまうだろう。

 

「死にますよ!!」

 

「ああ、つけたりしねえって」

 

「じゃあなんですか……」

 

双剣使いは呆れ顔だ。いや、な。そうハンマーは言葉を続ける。

 

「油なら、水は駄目だ。水と油って言葉もある。なら氷も期待できないよな。油はどうすりゃいい」

 

「……このヘドロの対策ですか」

 

「そうだ。なあ、油は冷えれば固形に近づき、熱されたら液体に近づく。重油の鎧は、それでどうにかならないか」

 

ハンマーの脳裏には一人のガンナーの姿が浮かんだ。……彼女なら、それが巨躯の彼方上方にある頭部であろうが胸部だろうが、きっと撃ち抜いてみせるだろう。あの銃は、アグナコルピオだ。アグナコトルの素材で作られたヘビィボウガンは、貫通弾のみならず火炎弾の連射性能にも優れていたはずだ。

 

「一理あると思いますよ」

 

「うっし、手紙を出そう」

 

 

 

………

 

 

 

めき、と弦の軋む音がする。細腕に不似合いな筋力が、目一杯に矢に力を込めたのだ。曲射と呼ばれる技法のそれが、ドボルベルク亜種の背中に降り注ぐ。コブに亀裂が刻まれた。ノイアーの弓がヒットしたのだ。

振りしだかれた斧状の尾が、ダラハイドの前髪すれすれの所を通り過ぎてく。

「ダラハイド!!」

控え室から観戦していたツバキは、間一髪免れた攻撃に声を上げた。シドも真剣な眼差しを向けている。

日頃から危なっかしい二人は、こうして見てれば普段以上にひやひやさせる。ダラハイドは振り返ることもなく、いつもより身軽に剣を構えた。風切り音がキンキン激しい。

 

「すごいな、ダラハイドは盾も武器として使うのか」

 

感心するようにシドは言った。ドボルベルクの額に向かって、ダラハイドが盾で殴りつけてみせたのだ。

小さく見えても重たい盾だ。眩暈を促す一撃だろう。小さな剣身が残像を残して振るわれる。

 

二人に連携といえる動きは皆無であった。まるで互いを気遣わず、猛攻ばかりが続いてく。

ドボルベルクは翻弄されてるようにも見えた。滅茶苦茶ならば、滅茶苦茶を突き詰めてしまった方がずっといい。そんな奇妙な戦法だった。

 

良タイムが出るのでないかという予感が確信に変わったのは、ダラハイドがスタンを取った時だ。地響きと共にドボルベルクが横たわり、時間差で尾先が地面に刺さる。限界まで矢を引いたノイアーが、渾身の一撃を突き刺そうと構えてた。

 

異変が起きたのは、ちょうどそんな時だった。

 

 

……雨か?

ダラハイドは最初にそう思った。夜空は快晴だったのに、雫が鼻先を掠めたためだ。気が付けば僅かに霧が出ている。直後に悲鳴が響き渡って、その異様な光景をまじまじと見た。

 

影がノイアーの頭にかぶさった。彼女は不思議そうな瞳で頭上を見上げ、滴り落ちる水を見る。

空に、翡翠色のモンスターが〝浮いて〟いる。

 

 

「は……?」

飛んでいるのではない。浮いているのだ。

それは、ガノトトスだった。脚と首が力なく宙を揺れている。腹から吊るされてしまったように。

水気を孕んだ尾鰭から、風のたびに雫が滴る。闘技場のほぼ中央、その上空に、縄も用いずにガノトトスが浮いていた。その面立ちは白目を剥いており、ぴくりとも動かない。死んでいるのはすぐにわかった。わからないのは、空中で静止するという状況だった。

 

何故浮いてるのか

何故ここにいるのか

何故死んでいるのか

 

この奇妙過ぎる光景は、瞬時に数多の疑問を呼び寄せた。だがじっくりと考察する間はどこにもなかった。

「ひっ、」

ノイアーの悲鳴が短く上がる。落ちてきたのだ。

 

手早く手放した矢がスタンしているドボルベルクのコブへと刺さる。直後、ガノトトスがノイアーとドボルベルクの間の地面へ叩きつけられた。それでもやはり、ガノトトスは動かなかった。まるで、人形が無造作に放られてきたかのように。

 

 

「ノイアー!こっちだ!」

 

ダラハイドが叫ぶ。闘技に乱入などあるあずがなく、これは明らかな異常事態だ。シドは控室から太刀を手に取り、ノイアーを助けに行こうと構える。自前の装備でないのが泣きたくなるほど、用意された防具はスキルが充実してない。それでも、あの闘技場の中が混沌にあるのは見てわかる。ついさきほどまで晴天であったのに、霧が見る見る濃くなってゆく。あまりに不穏な様ではないか。

 

 

「くそっ、ダラハイドっ!なんでガノトトスが!!」

 

緊急回避で難を逃れたノイアーは、鼻先に砂埃をつけていた。擦りむいた肘をさすりながら、立ち上がりに辺りを見回す。なにかが妙だ。

 

 

「シド!なんかいる!加勢しよう!!」

 

ツバキが控室のハンマーを手に取った。

「使えるのか」

「兄貴の武器だ。いつも見ていた……!」

「ツバキ、この状況の正体はわかるか」

「……わからない、けど爪かなにかの風切り音がする。姿を消せるモンスターかもしれない!」

 

シドがさあっと青褪める。姿を消せると聞いて、真っ先に浮かんだのがオオナズチであるためだった。

 

 

 

 

風を斬る音がする。音は場内をあちらこちらへと動き回っては、時折不意に気配を無くす。観客達が我先にと後ずさる。もう誰も、討伐タイムなど気にしてなどないだろう。

そんな場内の中央で、ノイアーは地に伏すガノトトスの影に立ち、速すぎる音だけを聞いていた。

 

 

「ダラハイド……この音、なんなんだ。すごく速い」

 

風切り音はまだ加速する。やがて、北西に掲げられてた松明が、風圧に揺らめいて消えてしまった。北東、南西……南東。続くように、次々松明の炎が消されてく。

 

「ノイアー!退避しろ、オオナズチかもしれないっ!!」

 

シドがゲートをこじ開ける。闘技場はモンスターが脱走しないよう、一度踏み入ればモドリ玉なしには戻れないよう一方通行に出来ている。故にシドが外側から閂を外したのだ。

 

「早くしろ!ダラハイドも!」

 

キン、と高い音がした。今のは何か、確認より早くスタンから復活したドボルベルクが咆哮した。

 

「…………棘?」

 

ノイアーが眉をしかめた。ドボルベルクの横腹に、紫色の棘が光っていたのだ。ドボルベルクは威嚇したのではなく、痛みに叫んだのだ。

棘は成人女性の肘から先ほどの大きさがあり、また毒の付与効果があるようだった。刺されたドボルベルクの表皮が瞬く間に変色してゆく。毒投げナイフや仕込み針のような攻撃だったのだろう。

 

「でも、オオナズチに棘は────」

 

何か言いかけた刹那であった。ノイアーが、〝なにもない〟所から唐突にすっ飛ばされたのだ。

横殴りの一閃だった。打撃は腹に来たらしく、彼女の体躯がくの字にしなり、そのまま壁際に放られる。

飛ばされた張本人すら、なにが起きたか理解してないなかった。ただ、濃くなりつつある霧の間に間に、鋭い殺気だけが残ってた。

 

「ノイアー!!」

 

シドが駆け寄る。彼女今はガンナー装備だ。普段以上にダメージが大きかったはずだ。 

 

「馬鹿、ノイアー!大丈夫か!」

 

急いて身体を支え起こせば、かろうじてダウンを免れるほど、ノイアーの体力はごっそり削り取られていた。消えた松明、濃さを増す霧、ぼんやりと浮かぶ月明かり。そこはもう、先ほどまで明るく賑わっていた闘技場とは、別世界のようだった。

 

 

「くそ、この霧……!やっぱオオナズチか……!」

 

「が、う……」

 

「……?!おい、とりあえず回復しろ!」

 

「シド、なにも、盗られてないっ……、こいつ本当にオオナズチなの……?」

 

ノイアーがよろよろ立ち上がる。直後、今度はダラハイドの呻きが聞こえた。

 

「ダラハイド?!」

「ぐ、毒、だな、……」

 

オオナズチは毒を孕んだ霧を吐く。瞬時にシドは頭を低くし、自らの感染を防ごうとした。

 

「シド、違う。毒の正体はこいつだ」

 

ダラハイド左肩を顎でしゃくった。そこには、ドボルベルクと同じく紫の棘が刺さってる。

 

「ダラハイドっ危ない!!」

 

ツバキが飛び出し、ハンマーを真横に振り抜いた。普段ヘビィを構える姿と対照的に、彼女の跳躍は俊敏だ。背後で興奮しながら角を振りしだくドボルベルクのこめかみに、ツバキのハンマーは食い込んだ。

だがシドは、ドボルベルクすら何かに怯えているように思えた。

 

「驚いたなG級ハンター殿。ハンマーも上手い」

 

「ダラハイド、軽口はいいから解毒して!」

 

ツバキの上体が捻られる。彼女の上半身ほどもあるハンマーが、込められた力に光を放った。空は月が美しいのに、何故こんなにも不穏に満ちてゆくのだろうか。パニック状態のドボルベルクが、一心不乱に暴れ狂う。

 

「う、らあッ!」

 

ツバキらしからぬ無骨な声で、ハンマーが再び振るわれた。鉄塊は振り向きざまのドボルベルクの踵を挫き、再び巨躯のバランスがぐらりと揺れる。

ダラハイドはとどめを刺そうとした。しかし、ドボルベルクの息の根を止めた一撃は、全く異質のものだった。

 

ひゅ、と風が鳴る。真空すら生み出しそうなほど、鋭すぎる風切り音が四人の間を擦り抜けたのだ。

コン、と軽い音がして、かと思えばドボルベルクの頭部が斜めを向いた。刹那の間に、その顎がばっくり切れている。

 

「伏せろツバキ!!」

 

後方からシドが叫んだ。その声が聞こえなければ、ツバキはモロに強烈なそれを喰らっていたかもしれない。屈んだ頭上一センチを、〝なにか〟が恐ろし速さで通過したのだ。前髪の先がぱらりと切れて眼下へ散った。

 

〝これはオオナズチではない〟

 

最早全員が確信する。霧の合間に、満月がぼんやり浮かんでる。

 

こひゅ、と奇妙な音がした。

かと思えばドボルベルクは白眼を剥いて、口の端から泡を吐く。首が不自然な方向へ捻れていたのだ。何が起きたかわからないまま、ツバキは謎の敵の正体を探る。直後にドボルベルクは胸部がすっぱり斬り裂かれ、真っ赤な血を周囲へ飛ばした。

 

人間の攻撃ではなかった。まるで、かまいたちのようだった。

ドボルベルクが仰向けに倒れ、その衝撃で地面が揺らぐ。

 

なにも、見えない。

その事実が恐怖を蔓延させてゆく。ダラハイドは解毒剤を飲み干して、紫色に変色した傷跡を見た。

「……見たことのないものだ」

 

 

一呼吸の合間であった。突如、シドの太刀が弾かれる。敵は武器を狙っているのだ。衝撃に痺れる指を気合で握り、シドは攻撃の方向に探りを入れた。

ツバキはそれを見逃さず、ハンマーを構えたまんま駆け寄ってゆく。

「聞こえた!こっち……!」

 

彼女の鼓膜が捉えたのは、それはバックステップのような気配であった。砂埃が僅かに舞ってる。彼女はハンマーに力を込める。ただの一撃でいい、手ごたえさえあったなら。そう担いだ武器に光を宿す。

だのに無情にも、敵はそれより速いのだ。

一瞬、残像だけが映った気がした。

 

 

 

「…………、う、」

 

悲鳴のいとまもない。まばたきのあと、ツバキは天を仰いでる。……なんで、仰向けなのだろう。左右に開かれた両腕が、重たい質量に痛みを伝えた。

なにかにのしかかられている。何度も何度もまばたきをした。この距離なら、僅かにその輪郭が浮かぶのだ。獣の匂い、爪だろうか、鋭利なものが腕に食い込む。かなり大きい。

 

「ツバキ逃げろ!」

 

直後に信じらないものを見る。見えない何かに、シドが乗っかったのだ。腕を回して、振り落とされないようしがみつく。暴れているのだろう、シドの身体は振り回された。

「ノイアー、ここだ!!」

 

「うん!」

 

その正面で、ノイアーは弓を構えてる。あれは……ペイント塗料だ。瓶に詰めてぶら下げられた矢の先が、シドがしがみついてる〝なにか〟に向けられている。

 

その時になってはじめて、四人は見えない敵の咆哮を聞いた。開いた口内だけが薄っすらうかぶ。見えないのは、外皮だけの効果だったのだ。

矢が放たれて突き刺さるのと、シドが振り落とされたのは同時であった。

 

敵の拘束から逃れたツバキは、一瞬だけ眼光の残像を目視する。それは怒りを体現したかのように、何より深い赤だった。……あれは。記憶がざわめく。聞き覚えのある咆哮だった。

 

ダラハイドが走る。切っ先は今まさにツバキに降り注がんとした、塗料まみれの敵の一撃を横から弾く。

月が隠れた瞬間に、ツバキはその姿をはっきりと見た。

 

「青白い……ナルガクルガ……」

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「手痛くやられたな」

 

最早闘技タイムなどわからないけど、ダラハイドもノイアーもそれを気にする様子は見られなかった。傷跡に包帯を巻きつけながら、骨に異常がないかを確認してる。

腫れのひかない箇所もあるけど、骨が無事ならそれでよかった。

 

「そんなことより」

 

ノイアーが言った。

 

「追おう。自分の装備なら負けなかった」

 

闘技大会本部は場内を封鎖して、あの〝透明な竜〟の捕獲を試みようとした。それを察したのだろうか、青白いナルガクルガは風より速く、空の彼方へ飛び立ったのだ。

……逃した。四人はそう思ったけれど、実際には「助かった」のが正確だろうか。皆々不慣れな装備であったし、アイテムも有り合わせのためだろう。思うように戦えないもどかしさの中、防戦一方となってしまった矢先であった。

 

「……言うと思った……」

 

ため息まじりにシドが言う。ノイアーのつけたペイント塗料は、ナルガクルガの軌跡を示すかのように落ちていた。あの蛍光色の後を追えば、いずれ住処に着くのだろう。

 

「どうだ、G級ハンター殿。得意の銃で対峙したい敵とは思わないか」

 

ダラハイドもまた乗り気らしく、そうツバキに笑いかける。ツバキは一度息を吸い、吐き出してから静かに言った。

 

「一瞬だけ姿が見えた。あれはナルガクルガだ。だけど青白い」

 

あの、刹那ほどのわずかな時間、月が隠れた瞬間だった。ツバキは確かに姿を見たのだ。

真っさらな白い体毛と、青い月と同じ色に光った鱗。体躯はかつて見たことのあるどんなナルガクルガよりも巨大であった。

ひゅう、とノイアーが口笛を吹く。「ルナルガ?」

囁く瞳は悪戯だった。そしてなにより好戦的だ。

 

「……?なんだそれは」

 

「ルナ、砂原の民の言葉で月。ルナ、ナルガ」

 

月の、迅竜。その表現に、シドはハッと顔を上げる。

 

「…………希少種か……!」

 

ツバキもまた頷いた。

 

「追おう」

 



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12話

第二章 黄金時代篇


闘技大会本部は、一件を「オオナズチが乱入した可能性大」と発表した。ツバキがナルガクルガを見たと言えども、他に目撃者がなかったばかりに確定情報の扱いを受けなかったのだ。

都市伝説じみた〝消えるナルガクルガ〟────すなわち希少種と判断するより、「姿を消すことのできる特徴」からオオナズチが連想されるのは、当然といえば当然である。

青白い月色をした、姿を消せる迅竜が存在する。そう記された書物や噂話は存在するが、いずれも正式な調査報告書ではないのだから。

 

 

希少種と呼ばれる魔物がいる。その名称からも分かる通り観測例が極めて少なく、狩猟経験あるハンターともならば更にごく少数だろう。 

観測例がごくわずかという点や危険度が極めて高い点などは古龍も同じであるが、扱い自体は大分に異なる。古龍は希少ながら存在を誰もが知り得るけれど、希少種は存在そのものを疑る者も少なくないのだ。

 

協会の文献には黄金に輝くリオレイアや白銀色のリオレウス、爆破する鱗粉を振り撒く超巨大なティガレックスなどが確認されている。此度消えたナルガクルガも、存在が認められたならきっとそこへ名を連ねることだろう。

ペイント塗料は街を遥か離れた辺境の、聳え立つ塔まで続いていたと報告された。

 

 

…………

 

 

ハリマグロを釣りに来ていたはずなのに、図らずしもガノトトスが釣れてしまった。そんな経緯で始まった狩猟は佳境を迎え、足を引きずった敵を仕留めに四人が海へとダイブする。

シドは水中戦を好きではないようで、眉間を歪めなんとも奇妙な顔だった。ノイアーは意外にも泳ぎが下手だ。砂原育ちであることを考えたら当然かもしれない。足の付かないほど深い水を泳いだ経験は今までになく、まして狩猟のために潜るのは不慣れの極みであっただろう。初めてラギアクルスと戦った時のノイアーは、仔猫のように波打ち際で背中を丸めて、シドの裾を握って離さなかった。今でこそ不器用なりに泳ぎまくっているけれど。

 

逆にダラハイドは泳ぎが上手い。実に器用に泳ぎ回る。相当な重量だろう大剣を、難なく背負ったまま水を掻くのだ。もしかしたら、海の近くで生まれ育ったのかもとツバキは思った。

 

弱ったガノトトスの泳ぎは力ないものだった。水中に奇妙な呻きともつかぬ鳴き声が響く。ダラハイドが剣を振りかぶってた。拙い泳ぎでノイアーがそれを追いかける。先回りしたシドがエリア移動を阻止せんばかりに立ちはだかる。

とどめの一撃はツバキの弾だった。絶命したガノトトスにナイフを突き立て、剥ぎ取りが終われば浜へと戻る。水を吸った装備はいつもより重たくて、水中の軽やかさを忘れたような怠惰感が身体を覆っていた。

 

 

「リオレウスになった気分」

 

ポツリと言ったのはノイアーだ。

 

「なんでリオレウスなんだ?」

 

尋ねたのはダラハイドだ。

水中戦の後の感想が、天空の王者とはどういう理屈か。空中と水中はあまりに違うのに。「だって」ノイアーは続ける。

 

「だって海底があんなに遠い。海底って地上なら大地だよね?地からあんなに自分の身体だけで離れたことない。上より下のが距離があんだよ」

 

ノイアーは空を指差した。彼方をガプラスが飛んで行く。太陽の光に瞳が細まる。

あの、浮遊感。三次元的に動き回れる開放感。前後左右だけではなくて、上下まで意のままに移動できるということは、なんて自由なことだろう。それが、あんなに高いところだったら。

 

「水ん中って飛んでるみたいじゃん。私だけ?」

 

「……いや、わかる気がする。一つ違うのは、竜は飛ぶことに感動しないというだけだ。魚が泳げることを感動したりしないだろ。我々人間も、走れることに感動しない。当たり前にそうする。リオレウスも、飛ぶことには無感動だろうさ」

 

ダラハイドの言葉に、なるほどなあとシドは頷く。確かに、リオレウスは飛ぶことに感動を覚えたりはしないだろう。結局それを羨んだり感動したりするのもまた、人であるが故の感情なのだ。

 

「ダラハイドって頭いいね」

 

ノイアーは素直に感心していた。

 

「そうか」

 

「うん。それに、竜の気持ちがわかるみたいな事を言う」

 

「……」

 

 

今度は、ダラハイドは相槌を打たなかった。〝竜の気持ちがわかるみたい〟……その言葉に、ツバキは妙な引っ掛かりを覚えてる。ツバキ自身、かつてそう思ったことがあったのだ。

ちらりとダラハイドを見る。その目は、どこか遠いところを見ていた。

 

 

 

「……で、ハリマグロは揃ったのか」

 

不穏な空気を避けるように、話題を変えたのはシドだった。彼はこういう時妙に気がきく。

ツバキはこくこくと頷いて、バッチリだよって笑ってみせた。

 

 

…………

 

 

採取から帰還した四人はクエストカウンターに赴いていた。サブターゲットであるガノトトスの狩猟を成したので、その報酬を受け取るためだ。

それ自体は別段面倒なこともなく、いつも通りに手早い手続きが済まされた。

 

「ツバキ様。ユクモのツバキ様ですね」

 

受付嬢がそう尋ねてきたのは、経歴を記録するためギルドカードを提示した時だった。至って業務的なはずの受付嬢が、このように尋ね返すとあらば何か要件がある時だ。

受付嬢はツバキに本人確認を行ったあと、一つの封書を差し出した。

 

「クエストの依頼書をお預かりしております。本人立会いの下協会にて提示するよう承っておりますが、今開封してよろしいでしょうか」

 

名指しの依頼だ。おお、と周囲がざわめいた。G級クエストカウンターで名指しとならば、相当に腕を買われた証拠であるからだ。

 

「……誰から?G級の依頼主にお得意さんはいないはずだ。特に、タンジアでは……」

 

元々の活動圏であったドンドルマやバルバレならば、上位時代からのツテが依頼を寄越す可能性も無くはなかった。だが、ここはタンジアなのだ。彼女は新顔の域を出ず、知名度ともならば皆無に等しいのに。

 

「ツバキ様宛にと、各地のクエストカウンターに連絡が来てます。厳密にはクエスト同行依頼ですが」

 

ああ、と彼女は頷いた。ハンターは各地を転々するため、特定の住所を持たない者が少なくない。あるいは、住居があれど滅多に帰らない。

そのためハンター同士が連絡を取り合いたい時は、住所でなく協会に手紙を預ける場合が多いのだ。各地のクエストカウンターに封書を出し、目当てのハンターが現れたら渡すように依頼するというわけである。差出人が同業者であり内容がクエストの同行を願うものならば、ハンター同士のネットワークだけに納得できる。これまで出会ったどこかのハンターが、ツバキの助力を求めているのだ。

 

「ここで開封して構わない。……誰から、どんな内容の?」

 

彼女が了承を示したら、受付嬢は丁寧に封蝋を剥がして読み上げた。

 

「差出人はユクモのイツキ様、ドンドルマの大老殿よりお預かりしました」

 

〝ユクモのイツキ〟────その名にツバキが目をキョトンとさせる。

「知り合いか?」

ダラハイドが聞く。

ツバキは小さく頷いた。

 

「……兄だ」

 

 

…………

 

 

 

形式的な挨拶は省略させて貰う。今回クエスト同行依頼を出したのは、火炎弾の連射性能にすぐれ、かつ腕の効くヘビィガンナーが必要だと思ったからだ。

結論から言う。ゴグマジオスと名付けられた超巨大モンスターの討伐に力を貸して欲しい。俺は今、ゴグマジオスをドンドルマ戦闘街に誘導し、各迎撃兵器を用いて狩猟する任に着いている。現在地を連絡してくれれば直通便を飛ばして貰えるよう手配してある。信用に足る仲間がいるなら同行してもらって構わない。詳細について聞きたいことがあれば言ってくれ。ゴグマジオスについて現状での調査結果を同封してある。協会が正式に発表してないモンスターのため、資料の扱いは厳重に頼む。

 

 

里一番と名高かった父のあとを兄弟皆々目指すようにハンターになった。彼女には八人の兄がおり、末娘の彼女を含めて九人が各地を狩猟のために飛び交っている。

その中でも幼少から「天才的だ」と称賛されて、兄妹でも飛び抜けた腕を持つのが次男であった。武器はハンマーを使っている。ずっと昔から、ハンマーだけを愛用している。

その兄から、ツバキを名指しで指名するなど初めてのことである。バサルモスの狩猟ですら、ヘビィの彼女を呼びつけたりなどしなかったのに。それだけ相手が強大なのか、或いはこの齢になって初めて、兄に認められたのだろうか。

 

 

 

「ツバキ、いくの?」

 

ノイアーがキョトンとしたまま尋ねる。ツバキは頷く。

 

「……行こうと思う。作戦は一ヶ月後だ。直行便をくれるらしいから、移動は一週間あればいいと思う。

だけど先ずは、あのナルガクルガを追いかけよう」

 

そう言って、釣ったばかりのハリマグロを顎でしゃくった。せっかく採取にまで赴いて、次の満月を待ったのだから。闘技大会ももはや有耶無耶であり、四人は辞退してしまってる。

 

「そうこなくてはな。ところで……」

ダラハイドが笑う。

「仲間の同行を許可する旨が書かれているが、当然『一緒に行こう』と誘ってくれるんだろ?」

 

振り返れば、勿論ついていくと言わんばかりの笑顔を浮かべたノイアーに、苦笑したシドもまた頷いていた。

 

 

「ありがとう。一緒に行こう。とりあえずナルガクルガの狩猟だけど。今夜、出発しなくちゃ」

  

 

 

…………

 

 

 

怖いくらいに静寂だった。

闘技大会の日と同じく夜空は晴天なのに、塔に近付く程霧が濃くなるようだ。それを、この先にある海の影響だろうとシドは言う。切り立つ崖のせいでわかりにくいが、この先には海があるのだと。

 

「……本当か」

 

意想外にダラハイドが驚いた顔をした。それはなにか、妙な緊張感を孕んだものだ。

「……?あ、ああ。知らない奴も少なくないぜ。この先、昔は停留所みたいな小さなもんだが港があった」

 

ここに停留所が存在したのは十年以上も昔のことだ。貿易船の給油のための港であったが、貿易そのものが行われなくなったために廃れてしまい、やがては無人となり朽ち、ついには存在も忘れられてしまった場所なのだという。旧大陸と新大陸を繋ぐ海路は逆方向にあるために、この先にあったかつての貿易国を知る者は少なく、シドもまた国の名まではわからないという。

 

「すっご……こんな崖の向こうが海なんだ?」

 

人のとても通れそうにない道程に、ノイアーが不思議そうな顔をする。港があったというのに、その港に行く道筋がまるで見えない。それこそ優れた飛行能力でもなくば、とても越えられないだろう。吊橋の一つもありゃしない。

 

「いつから地形がこんななのかは知らねえが、もちっとマシだったはずだ、昔は」

 

「どゆこと?」

 

「この先の海、厄海って呼ばれてる」

 

厄災の厄に、海。字面だけでも不穏な言葉に、「ほう」と皆々の相槌は意味深だった。

 

「船が何隻も行方不明になったんだよ。その頃から地形も変わり始めたらしい。ああいう場所は、近付かねえ方がいい。調査隊まで帰って来なかったってんだから」

 

その海は赤く、空もまた血を彷彿させる紅蓮色に光るという。浜には沈んだ船の残骸が打ち付けられていて、この世の終わりのような景色が広がる。見るだけで絶望に呑まれるような場所。それが、厄海とよばれる海域である。

 

「最近〝また〟だと?」

 

ダラハイドが、神妙な面立ちで問いかけた。

 

「……?気になるのか。タンジアに伝承も残ってるぜ。ほら、あっちの端に灯台が見えるだろ。タンジアにあるのと同じものだ」

 

シドの指差す彼方には、小さくも特徴的なそれがある。魔除けの灯台だ。

……十数年前のこと。このタンジア周辺に数多の厄災を齎す龍が現れたのだ。かつて人々は百の島を滅ぼし、千の船を沈めた厄災の化身たる龍を討たんと剣を持ち、激戦の末海に沈めることに成功したという。その時に、二度と惨劇が繰り返されぬよう祈りを込めて建てられたのがあの灯台だ。「黒龍祓いの灯台」と呼ばれており、タンジアから厄海を囲うように点在している。

 

「…………ダラハイド、顔色が真っ青だ……大丈夫?」

 

ツバキがマントの裾を引く。冷静さを崩さないはずの彼は、しかし目に見えた動揺を瞳に映していたのだ。声を発さず唇が動く。〝厄海〟〝黒龍祓い〟……かつてこの海を襲った惨劇に、彼は何を思うのだろうか。

「不死の、心臓…………」

やがてダラハイドは、それだけポツリと口にした。

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「トウク、ここに居たのか」

 

声をかけた親友の声に、トウクと呼ばれた男が振り向く。

「イツキ」

 

二人は同郷だった。知り合ったのは遠方の狩猟でのことであったが、同郷と知り打ち解けたのがきっかけだ。 

トウクは双剣を持ち、ナルガクルガの防具を愛用している。

ハンマーを扱うイツキは歳上であるが、親友たるトウクに敬語など使わなくてよいと言った。それでもトウクが敬語を使うのは、根本が律儀な性格のせいだ。

 

「どうしました」

 

「ああ。妹から返事が来た」

 

「ツバキちゃんですよね、どうでした」

 

「来るってよ。ただ、今希少種を追ってるらしい。そっちが終わったらすぐに、だと」

 

やれ希少種とは、あいつも立派になっちまった。そうイツキはポツリと言った。眼差しは嬉しそうであり複雑そうだ。尊敬していた父親が、希少種に討たれたせいだろう。彼とツバキの父であるヘビィガンナーは、銀色のリオレウスに焼かれて亡くなり、墓には右腕しか埋まっていない。

 

「希少種か。凄いですね」

 

風が吹く。芝生がさらさら揺れていた。

ドンドルマの戦闘街を遠目に見つめ、イツキは来たる決戦の日を思い浮かべる。此度の任務は、これまでとは類を見ないほど大掛かりなものだろう。

 

 

 

「……なあ、希少種って、いつから希少種なんだろうな」

 

背のハンマーを地に置いて、胡座をかきながらイツキは言った。双剣に砥石を滑らす投稿が、キョトンとしたのち朗らかにする。

 

「さあ。火竜は希少種同士でつがいになるって聞いたことありますよ」

 

「いや、うーん。なんていうかな。ああいうのって産まれた時から〝違う〟のか、っつう話。亜種や希少種は亜種・希少種からしか生まれないのか。それとも原種が突然変異の個体を産んだり、あるいは進化とかしてなるもんなのか」

 

まるで学者の考察もさながらだ。イツキはがさつな男であるが、妙に学術的な方向に興味を抱くことがある。すごいのは、それが大概何か重要なものに繋がる

ことが多いのだ。だからトウクも、ハイハイと聞き流したりしない。

 

「それこそ種によりませんか。火竜なら突然変異でもわかりますが、ガララアジャラなんかはそもそも属性が変わってますから、遺伝子云々より環境に適応するための進化でしょう。アグナコトルも良い例ですよ。

ただ、希少種は……どうでしょうね」

 

トウクは希少種を見たことがない。だがティガレックス希少種を目撃したという記録によるなら、そのサイズは原種や亜種を逸脱するほどの巨体であるという。あんなものが原種の卵から産まれるのかと、どうにも想像がつきそうにない。

 

「ラギアクルスの希少種は、原種、あるいは亜種が成長した姿って言われてたよな」

 

「はい。確かにラギアクルスはそうですね」

 

「なら、ナルガクルガはどうなんだ?」

 

 

瞬間、ぴたりと風が止まってしまった。

なんで、突然ナルガクルガなどと言い出したのか。そもそも、ナルガクルガに希少種などいたのだろうか。

トウクは自らの双剣を見る。何故、こんな話が始まったのか……ナルガクルガは、彼にとって思い出深い存在なのだ。それをイツキはよく知っている。

 

 

「ナルガクルガは、希少種として生まれてくるのか。それとも、ラギアクルスみてえに強個体が希少種に成長だか進化だかを成すもんなのか」

 

そんなの……知るわけがない。トウクの手のひらが僅かに震え、双剣の切っ先がカタカタと鳴る。〝あいつ〟を斬った感触は、今でもよく覚えているのだ。

 

 

……渓流だった。切り立った大岩の上で、そのナルガクルガは自らの尻尾で遊んでいたのだ。まだトウクがハンターになり間も無い頃の話である。今よりずっとガキで、比べ物にならないほど弱かった。

 

あの頃トウクはしょっちゅう渓流に赴いては、乱舞の練習に朝から晩まで励み続けた。

後にG級個体であったと知る〝そのナルガクルガ〟は、そんな未熟なトウクの前に現れたのである。

ナルガクルガは、何より強く速かった。だのに決して、彼を殺そうとはしなかった。

 

〝あいつくらいに速くて強い乱舞ができたら……〟そんな願望が芽生えたのは、二度目の敗北からだった。

 

 

 

「イツキ、何言ってるんです」

「お前の〝師匠〟の話だ、乱舞のな」

 

はぐらかすことなくイツキは言った。

あいつは、〝そのナルガクルガ〟は死んだのだ。切断された尻尾から作られた胸当てを、トウクは今でも大事に使ってる。

 

G級許可証を持つベテラン四人に追い詰められたナルガクルガを、最後に見たのもトウクである。

協会が討伐令を出したのだ。どうにもならない運命だった。ただ、師と仰ぐこともないままに、ひたすら挑んでは返り討ちに遭い続けたナルガクルガの、片目が痛々しく潰れていたのも覚えてる。

 

死んだはずなのだ。

月が輝く、とても美しい空だった。近場の滝から霧が漂う青白い夜。かつて逆立ちしたって叶わなかった強敵の姿をそこで見た。

泣きそうだった。いや、泣いてしまった。

せめて、自分がとどめを。そう半ば無意識に剣を構えて、渾身の乱舞で斬り込んだ。ベテランの四人組が追いつく前に、せめて自分がと思ったのだ。

 

きっと取るに足らない人間だった。弱くて情けのないハンターだった。だけど、このナルガクルガに恥じない乱舞がしたかったのだ。あの日トウクは、泣きながらナルガクルガを斬ったのだ。

ナルガクルガは、避けられたくせに動かなかった。首元から跳ねる血飛沫も確かに目に焼き付いている。だから、あいつは死んだはずなのだ。死んでない筈のない出血だった。

 

 

だけれど、誰も死骸は見ていない。

 

 

「トウク。お前言ったよな、『消えた』って」

 

核心に触れるイツキの眼差しは、一つの可能性を示唆してたけど、トウクはまだ意図がわからない。

 

「……よしてください。ボロ泣きだったんです。あいつは恐ろしく速いから、濡れた目では見えなかったんだって言ったでしょう」

 

あの日ナルガクルガは乱舞を受けて、高々な咆哮を残して消えたのだ。

追わなかったのではない、追えなかった。後には、夥しい血の池だけが残っていた。

 

真っ赤な返り血を受けて泣き続けるトウクの元に、やがて四人のベテランハンター達は追いついた。死骸こそどこにもなかったけれど、出血量などの状況から生きてるはずもないと判断されて、協会は正式に討伐は成功したと結論を出した。

 

 

「でもよ、観測隊が捜索しても、ついに亡骸は見つからなかった。そう言ったよな」

 

「だから、よしてください。ナルガクルガは亡骸を見られたがらないって言いましたよね?死に場所を選ぶんです。だから、きっと見つからないところで……」

 

そうだ。そうに決まってる。だってそうでもなくば、オオナズチでもないのにどうしてナルガクルガが消えるのだろう。

消えたのではなく、消えたように見えたと思う他にないではないか。あの日の月の美しさまで覚えているのに。

 

しかしイツキは、トウクの胸当てに拳を当ててこう言った。

 

「俺の妹は今、〝消えるナルガクルガ〟を追っている。希少種じゃねえかって話だ。満月の夜、消えるナルガクルガに出会ったそうだ。その時のペイント塗料を追っている」

 

その刹那、トウクの瞳にあの日の追憶が逡巡しだした。

立ち込める霧と美しい月。血を散らしたナルガクルガが天を仰いで咆哮をして、トウクは堪らず耳を塞ぎしゃがみこんだのだ。

やがて突風が吹き抜けた。飛び立つ瞬間すらも見ていないけれど、風圧で羽ばたいていることはわかった。何か言おうとして、だけど間に合わなくて、……そしてナルガクルガは消えたのだ。月の光を浴びながら。

 

 

「……本当ですか」

 

嘘なんかつかねえさ、とイツキは笑った。懐からツバキの返事を取り出して、羊皮紙に記された文字を見せつける。

そこには、乱入を受けた闘技大会の経緯とともに、仲間とナルガクルガを目指す旨がはっきりと書き綴られていた。厄海の麓の塔に赴くことも。

 

 

「俺は今ドンドルマを離れられねえんだ。妹を迎えに行ってくれてもいいんだぜ」

 

ハンマーは言う。

次の満月まで、あと一週間だと付け足して。

 



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13話

第二章 黄金時代篇


……ああ、これは夢だな。

 

ダラハイドはすぐにそうと理解する。

日がなあまり夢を見る方ではないせいか、時たま見た時はこうして「夢だ」と自覚することのが多いのだ。

嘆くべきは、毎度それが嫌な夢であることだった。自らの脳が形成した曖昧な視界には、質素な布団に包まる子供と、その頬を撫でる母親がいる。それは幼い頃の彼と、今は亡き母親の姿であった。

 

 

「……どうなるの?」

「大丈夫よ、父さんを信じなさい」

「母さんは?」

「一緒よ、ずっと」

 

……ああ、〝この夢〟か。

 

ダラハイドがそうと察するのもまた早かった。この夢は頭の中の情報をでたらめに繋ぎ合わせたものではなく、過去の記憶を掘り起こしたものなのだと。これは、血の繋がらない豪族を「父上」「母上」と呼ぶより昔、生まれた国で本当の家族と過ごした時間だ。

 

視界が揺れる。卓上のランプが揺らめいて、世界がどんどん暗くなる。

 

「母さん」

「……大丈夫、寝ていなさい。朝には終わっているから」

 

母はそう言って、不安を拭おうと笑顔を作った。

 

場面が変わる。

目の前は、水平線まで赤一色に染まってた。浜辺の端で、幼き日に見た絶望が。地獄を連想するのに十分すぎる炎が、絶え間なく空から落ちていた。

 

 

 

「────ダラハイド」

 

彼を呼ぶ声が鼓膜を揺らし、瞬間彼は現実の世界に引き戻される。

 

目を開いたら、夜空を背中に、心配そうに彼を見下ろすツバキの顔がそこにはあった。

 

 

「…………ツバキか」

 

「その、魘されてた……」

 

「ああ、……悪い。助かった」

 

シドとノイアーはすやすや寝ている。ナルガクルガのペイント塗料が続く塔へは、もう残り幾許かも残っていない。目前の草原で野宿をした晩だった。満月を控えただけあって、その夜空は美しい。

 

 

「昼間も様子、変だったよ。ダラハイド、水は飲む?」

 

「……貰えるか」

 

 

長らく見なかった悪夢だ。それを何故今見たのだろうか。

水をこくりと飲み干しながら、ダラハイドは嫌な予感を隠せない。それがこの先に待つナルガクルガの齎すものか、もっと別の何かであるのか、未だ正体はわからないけど。

 

「厄海の近くを通ってから、あんたは、ずっと変だ」

 

「なんでもない。そんなことよりだ、見ろ。月が綺麗だ」

 

「……それは、まぁ、綺麗だけど」

 

「魘されて、起こされなければ見れなかった月だった。ならば悪夢も見てみるものだな」

 

ダラハイドは微笑むが、ツバキは笑い返したりはしなかった。少し悲しげに俯き、しかし追求することもなく、ただ黙って膝を抱えてる。

 

そうだ、泣けるほど月が美しい。ただそれだけの夜に悲しくなるほど、なにか嫌な予感がしたのだ。その根拠もわからずに。不穏なものが差し迫ってくるような、ひどく悲しい予感がしている。ダラハイドは不安を誤魔化すように言葉を続けた。

 

「大丈夫、お前は俺が守るさ。ずっとだ」

 

約束するから、そんな顔をしてくれるな。そう頭を撫でられて、ツバキはまた息を飲む。ただ、輝く月の美しさに感嘆のため息を吐き出して、その中に言えなかった何かを隠した。

 

とても静かな夜だった。

 

 

……………………

 

 

 

ペイント塗料は残りわずかとなっていたし、予想はしてたがやはり足跡しかわからない。

塔の中にナルガクルガ希少種────便宜上ルナルガと呼ぶそれを観測したのは、偶然月が隠れた瞬間だった。

〝どうやって察知するか〟が狩猟における最大の課題となっていたが、二つほど案が出されてた。こやし玉で匂いをつけるか、マタタビ爆弾で匂いをつけるか。見えないなら嗅ぎとればよいというのが結論である。

前者ではルナルガが移動してしまう可能性が指摘され、結局彼らが用意したのはマタタビ爆弾だった。

「あいつ猫っぽいし、ゴロゴロしちゃわないかな」

冗談じみた顔でノイアーが笑う。狙いを定めて、着火しながら。

 

放り投げられた小タルはルナルガの足元に転がり、やがて盛大に爆発してマタタビ特有の匂いを充満させた。

残念ながらアイルーのように目を回すことはなかったけれども、匂いをつけることには成功できた。それに、薄っすら紫色の煙が体毛に残って、僅かながらに視認もできた。

 

先陣を切るのはノイアーだった。抜き身の剣斧はギラリと光り、禍々しいほど巨大な切っ先を迷う事なく〝なにもない〟空間に叩き込むのだ。

ナルガクルガはとても珍しいことに、その外皮を硬くし攻撃に耐える殻を持ってはいない。鱗から体毛が生えており「堅い外殻で攻撃を受け止める」のではなく、「滑らかな体毛で攻撃を受け流す」方向へ向けて、鱗が特殊な進化を遂げている。しかし希少種とならば肉質も硬化してるというのか、鈍い感触にノイアーは顔を顰めてた。

こいつ、硬い。そう彼女が吐き捨てる。ナルガクルガとは思えないほどに。

ツバキは既に銃を構えて、シドもまた駆け出している。

四発ほど貫通弾の手ごたえを感じた刹那だ。ツバキは、ゆらりと赤い眼光の残像を見た。

突風が吹き、それが一瞬で背後に回る。怒り状態のナルガクルガが目を赤く光らせることは、既に承知の事実である。だが怒り状態におけるスピードの上昇は、原種や亜種とは比べ物にならないほどだった。

 

「ツバキ!伏せろ!」

 

ダラハイドが叫ぶ。ガードのできないヘビィボウガンは、その動きの遅さから相手の動きを先読みしての回避しかない。そんな彼女が完全に背後を奪われたのだ。ダラハイドは全力で駆けていた。

 

……あのナルガクルガ、隻眼なのか?

討たれる刹那にツバキは思った。赤色の眼光が、ひとつしかない。

 

「ダラハイド、駄目だ!」

 

彼女の頬に、マントが触れた。駆けつけたダラハイドがルナルガとツバキの間に割り入る。直後、血飛沫が散るのをハッキリと見た。大剣でのガードが間に合わないと踏んだダラハイドは、その身体を彼女の盾に使ったのだ。返り血にルナルガの頭部が浮き彫りになる。

 

ノイアーは既に走っていた。咆哮にも似た叫びとともに、全力の一撃が赤くなった頭部をめがける。斧は剣に変形し、属性エネルギーを放出していた。

だのにルナルガはそれより速い。まるで瞬間移動でもしたかのように、紙一重に剣斧の切っ先を飛び越えて、ノイアーの横髪がスッパリ切れる。

「は?」

間抜けな声が喉から落ちた。残像しか、見えなかったのだ。衝撃はノイアーの足首を思い切り突き抜けて、そこで初めて、彼女は反撃にあったことを自覚した。

 

「ノイアー!」

シドが叫んだ。ノイアー自身、左足首が切断されたかと思ったほどだ。

幸いなことに足はつながっているけれど、足の指が動かない。折れてしまったのかもしれない。

 

「下がれ!モドリ玉でノイアーを塔の上に連れてけ!!」

 

シドが叫び抜刀する。

 

「早く!時間は稼ぐ!」

 

この中で一番俊敏なシドは、スピード勝負に出るつもりなのか。赤く光る刀を手に持ち、その目に闘志を光らせた。

 

その時だった。

不意に月が雲に隠れて、ルナルガの姿が浮き彫りになる。闘技場の時よりよりハッキリ見えるその姿は、ツバキの予想通りに隻眼だった。そして、尻尾の先が既にない。

 

────歴戦。

そんな言葉がぴったりなくらい、身体に古傷が残ってるのだ。こんな強さを、かつて知らない。

 

 

鞭のように尻尾がしなる。威嚇するようにルナルガは吠えた。

〝デテイケ〟

まるでそう念ずるように。片目だけをギラギラ赤く光らせるのに、追撃せずに吼えるのだ。

〝ココカラ・デテイケ〟

 

「……くそ、秘薬……!」

 

ノイアーがじりじり地面を這って、ポーチに手をかけようとする。その瞬間だった。再びルナルガは跳躍し、あろうことかノイアーに飛び乗る。シドはすぐに刀を振るい、彼女を守ろうと攻撃をした。ルナルガの後ろ足に血が散ってゆく。だのにそれを気にもとめず、ルナルガはノイアーのポーチを咥えているではないか。

 

「ちょ、だめ、ルナルガ、ポーチ……!」

 

ノイアーが引っ張り返すけど、そもそも人間の腕力とモンスターの顎の力など比べるべくもないことだ。あっさりポーチは引き剥がされて、中身が地面にぶちまけられる。

 

「嘘だろ……!」

シドは顔を青くした。ナルガが賢いのは知っていた。だが、アイテムや用途まで理解するというのだろうか。長い尻尾が秘薬や回復薬の瓶を砕き、砥石を彼方へ弾き飛ばして、次々破壊の限りを尽くす。

 

次に攻撃したのはツバキであった。撃ち抜いた貫通弾がルナルガの前足から腰にかけてを突き抜ける。刃翼を傷つけ、怯みを与えた。だのに何故、こんなにも手ごたえがないのだろうか。

ひゅん、と一度風切り音がするたびに、ぶちまけられる毒棘に翻弄されそうになる。とかくあの尻尾が厄介すぎたのだ。こんな辺境に、ここまでの強敵がいようとは。

 

 

「ツバキ、無事か」

 

額から血を滴らせながら、ダラハイドが立ち上がる。いや頭部だけでなく、腕や胸元も裂けていた。あの一瞬に、果たして爪が何往復したというのか。ルナルガが、あまりに速い。

 

「ダラハイド!」

 

「……無事だな。よかった。まだやれるか」

 

 

まだ、闘志を手放さないでダラハイドが問う。いつか言ったのと同じように。全ての攻撃は受け止めるから、思い切り彼女は撃てばいいのだと。

 

「あれを倒すぞ、ツバキ」

 

「……でも、ノイアーが」

 

「大丈夫、惚れた女は死んでも守るのが男というものだ。そうだろう、シド」

 

 

 

「…………え」

 

その言葉に、ノイアーがキョトンとした声を出す。不憫なほど自覚されてなかったシドの恋心が、あっさりと露呈させられた瞬間だった。

 

「お、おい!ダラハイド!!」

 

シドが慌てる。

ノイアーが、その頬をみるみる赤らめた。

 

「馬鹿っ、ち、違う!くそ!ノイアー、とりあえず肩寄越せ!」

 

「…………うん」

 

「…………え」

 

普段なら「まだ戦う」とゴネるであろうノイアーが、どういうわけか、とても素直に頷いた。シドが素っ頓狂な声をだし、思わずツバキまで吹き出してしまう。

モドリ玉の緑の煙につつまれて消えた二人を尻目に。

 

 

「なあツバキ、あのルナルガ……なにを訴えているのだろうな。剣でしか語らえないのだろうか」

 

じりじりと間合いをつめながら、意味深なことをダラハイドは言う。

 

「あれだけの強さを持ちながら、何故とどめを刺しにこないんだろうな。あいつはなにを伝えたいんだ……?」

 

言語の通じない竜と意思の疎通はできない。ただ漠然と伝わるのだ。

 

〝デテイケ〟

〝ココカラ・デテイケ〟

 

それは縄張りを侵された怒りというより、もっと大きな意思を感じた。そもそも何故ルナルガが、闘技大会に乱入などしたのだろうか。

 

 

「その意思を、俺は知りたい」

 

ダラハイドが剣を振りかぶる。意思を知るには、竜とぶつかる他にないのだろうか。

 

「二人だけで戦うの、久しぶりだね」

 

「ああ。こうしてお前と背中合わせにするのが、俺は好きだ」

 

ツバキもまた銃を構え、銃口を蜃気楼の如く揺らめかせる身体に向けた。なにかを────意思をそこに持つというなら、竜と人とは、古来からこうする他にないのだ。彼女は、そう思っていた。

 



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14話

第二章 黄金時代篇


……あれは、どれくらい遡るだろうか。シドとノイアーが、出会ったばかりの頃だった。

 

 

見事なものだな、と人は言う。矢が的の中央を連続して射抜いたからだ。精神を落ち着かせたいときに、シドは度々弓を射る。昔習っていたことがあるし、稽古場では腕前は一番だとも言われてた。

では何故狩猟に弓を用いないのか、理由は明白だ。目の前の的は〝動かない〟そしてモンスターは〝止まらない〟

シドはじっくりと集中し静止した的を射るのに長けて、動き回る敵を射抜く腕には及ばない。だから、戦闘はいつも太刀を使った。剣術は東国独自のもので、それに応じた剣もまた独自の形状を成している。和の国の誇る片刃のこれこそ、彼が最も愛する武器だった。

 

何故今、太刀ではなく弓を持つのか。ようするに精神を落ち着かせたいからだ。つまるところ動揺していて、それでいて困り果てていた。手負いの獣を拾ったのだ。……いや、実際には獣でなく女だが、獣と形容されるほどの威圧を孕んだ目をしてる。

渓流で死にかけた剣斧使いを拾い連れ帰り、自分のベッドに寝かせておいた。治療は最善を尽くしたもので、その甲斐あって三日三晩寝込んだものの体調は大分持ち直したものと思われた。彼女が意識を取り戻したのは四日目の朝だ。

目覚めた時、見知らぬ天井に浮かべた表情は困惑だった。そりゃあそうだろう。彼女からしたら最後の記憶は渓流での戦闘だろうし、目覚めたら布団の中とは不思議に思って然るべきだ。

朝の鍛錬を終えて帰宅した彼は、よかった、目が覚めたんだなと喜んだ。しかし彼女は折れた脚の痛みを堪えて、そんな彼の胸倉を掴み押し倒して威嚇したのだ。

 

「何が目的だ。いいか手負いの女と舐めてくれるな、手足が折れようが咬み殺してやる!」

 

彼女は、シドに馬乗りになってそう怒鳴ったのだ。褐色の肌は未だ傷を深く刻んだままだった。包帯だって取れてないのに、痛みを堪えて吼えるのだ。彼女の犬歯が光って見えた。

 

違う、誤解だ。これ以上怯えさせないよう彼は言ったが、彼女は混乱の中精一杯の自衛に努めようと頑なだった。

 

だが睨み合いは長く続かなかった。癒えきらない身体が悲鳴を上げるように、彼女がぐらりと倒れたのだ。数日に及ぶ睡眠から急に動いたものだから、貧血を起こしたようだった。シドは暫し呆気にとられた後に、なるたけ彼女が痛くないよう起き上がり、彼女を再びベッドに寝かせた。

 

 

……どうしたもんか。彼女にどう接するべきか。考えても考えても一向に答えが出ないのだ。とりあえず害意がないことだけでも伝えたいが、どうにも方法がわからない。

幾分落ち着いたところで汗を拭って、とりあえず道具屋の娘にでも相談すべきか思案する。同じ女なら、わかることもあるかもしれない。最後の矢をゆっくり引いて、真っ直ぐ的に向かって放つ。矢はやはり、的の中央を射抜いてみせた。

その時だ。部屋の中からガタガタと騒々しい音がした。

 

 

…………

 

 

「馬鹿!ちゃんと休め!俺んちが嫌なら宿を貸してくれそうなとこ探してやる、そんな身体で狩猟って阿保か!」

 

「いらない。治った。集会所はあっちでしょう、もう行く」

 

壁伝いに彼女が進む。その目は彼を微塵も信用しておらず、同時に闘志に燃えていた。狩猟って、一体何を。そう問う彼に彼女が返す。……イビルジョーだ。先の狩猟で乱入してきたイビルジョーに、彼女は挑むつもりらしい。まだ渓流にいるだろうって、完全にくっついてない脚を引き摺る。彼は正気を疑った。イビルジョーは強敵だ、万全の状態でも手こずるだろう。それをこんなフラフラした身体では、無謀という言葉すらも生温い。完全に自殺じゃないか。

 

……しかたない。

 

斯くなる上はとシドは手を振り上げる。彼女の首の後ろに向かい、強かに手刀を落としたのである。どう考えても冷静でない彼女には、一先ず意識を手放してもらうのが手っ取り早い。

手負いの女は、糸が切れたようにぷつりと身体の力を抜いた。そのまま、前屈みに倒れる身体をシドが支える。

こうして、元のようにベッドに寝かせるのも何度目だろうか。あまりにとんでもない拾い物をしたようだった。

 

 

……………………

 

 

 

 

「……くそ!どこ行ったあの馬鹿……!」

 

その晩だった。

油断してうたた寝した隙に、剣斧ごと彼女の姿が消えた。話しぶりから察するに、渓流に赴いたものと見当がつく。急いて装備を整えたのち、彼は一目散に渓流に向かって走った。

あんな身体じゃ、本当に死んでしまいかねない。急がなくては。心臓がばくばくと煩く鳴った。

 

名前も知らない剣斧使いは、眠る間ずっと険しい顔だった。ひどく気性の荒いあの女が、死なないように彼は走る。夜の渓流は、光虫が水辺をぼんやり照らして美しかった。

 

彼は目を細める。光虫に混じり雷光虫も飛んでいる。

それ自体は別段不思議なこともないが、疑問は場所によるものだった。ガーグァのよく見かける水場に、雷光虫が存在するなど珍しいのだ。何故なら雷光虫の天敵はガーグァであり、ガーグァからすれば雷光虫は大好物だ。瞬く間に食い散らかされる。ゆえに、雷光虫は水辺には近寄らないものだという認識だった。

……なのになんでだ?彼は考える。一帯は静かだ。どこかにイビルジョーが潜んでいるなど思えぬほどに。

自然と視線は水辺の先を追いかけた。浅い小川の先には茂みがあるが、光源が疎らで闇が唯ずむように見えた。草木が一瞬さわさわ揺れる。風ではなかった。

 

……なにかいるのか。目を凝らす。

背の低い茂みが僅かに震える。そうと気付けば小さな気配を確かに感じた。

なるたけ足音を立てないように忍び寄る。小川は斜めに逸れてゆき、やがて足場が岩に変わった。そこに、黒く細いものが伸びている。

 

「……!」

 

 

足だった。

 

人間の、ふくらはぎにあたる部分が茂みからだらんと放り出されているではないか。つまりこの足の持ち主は、うつ伏せに寝そべってることになる。足はぴくりとも動かない。黒く見えたのは、その肌が褐色のためだった。その色と細さに浮かぶ人間はたった一人だ。……彼女がここに倒れてる。

 

瞬間彼は気配を殺すことをやめ、駆け足に近寄り茂みを割いた。血の匂いはしなかったけど、まさか既にやられたのか。嫌な汗がじっとり浮かび、心臓が早鐘を打っている。

乱暴に草根を掻き分けると、次に視界に飛び込んだのは顔だった。

 

うつ伏せに寝そべったまま、顔だけこちらを向けた彼女と目が合う。その唇に、人差し指がぴんと立ってた。「しー」と潜めた吐息のような声がする。音を立てるなと、静かに彼女が主張してくる。

ぱっと見に負傷は見当たらないが、ならば何故横たわっているのだろうか。刹那の安堵の次には、困惑が頭を支配した。

 

彼女の指が、ちょいちょいと手招くような所作をする。静かに、音を立てずにこっちへ来て。彼女の言わんとすることはそんなところだ。わけがわからない。わからないのに、彼はなすがままに従った。一体何があるのだろうか。

同じ視線の高さにしゃがんで、暗闇に目を細めてみる。念を押すように彼女はもう一度「しー」と言った。それから、ゆっくりともう片方の手で目の前の草を掻き分ける。その先はちょっとした崖だった。

 

岩が崖から突き出すような地形をしており、先端の草根を分ければ崖下が見える。ハンターなら、難なく飛び降りれるほどの些細な高さだ。

崖下は水が泥濘む浅瀬と、草原が半々となった平地であった。そこに白い影が二つある。

 

 

……ジンオウガだ。ジンオウガの幼体が二匹、じゃれあっている。

幼体は成体と比較すると帯電毛の割合が多く、白く輝いて見えるという。これは未発達の蓄電殻を保護するためだと言われていた。幼体を見るのは初めてだったが、目の前の小さな二匹の獣は、その知識に違わず白くきらきらと輝く毛並みで、未発達な爪や牙を互いの背や尻尾に向けて遊んでいた。それで雷光虫かと納得をする。

彼女はここに寝そべって、それをこっそり眺めていたというわけらしい。ふと見た横顔は、可愛らしいと言わんばかりに朗らかだった。

 

その瞳が、首を動かさず黒目だけきょろりと動いて彼を見る。それから少し悪戯そうに細くなる。

〝見て見て〟……そう言いたげに、指が二匹のすぐ横に無造作に置かれた樽を指す。

 

「ばっ……大樽爆弾……!?」

 

「しー……。違う。ただの大タル。火薬は調合してない、空っぽの樽。さっきこっそり転がしたんだ」

 

耳元で、内緒話するみたいに彼女が言った。子供みたいな口調だ。昼間の殺伐とした様子がすっかり溶けてる。

樽には爪痕や噛み痕がある。きっと、彼が来るより前に一頻りあれでも遊んだのだろう。彼女は楽しそうな顔だった。

 

兄弟かなあ。ぽつりと聞こえる。よく見れば、僅かだが片方の身体が大きい。それにやや爪も鋭く見える。雌雄はわからないが、漠然と雄を連想させた。だから兄弟と勝手に思った。

彼は注意深く周囲を見たが、成体……つまり親の気配はどこにもなかった。幼体のジンオウガはガーグァよりも身体が小さい。だから、可愛らしく見えてしまうのだ。白くふわふわとした毛が、土の上を楽しげに転がる。無双の狩人と名高い牙獣の、あまりに無邪気な時代である。

やがて二匹は、おいかけっこのつもりだろうか。競い合うように茂みの奥へと走って消えた。

 

「喉に傷があった。あのジンオウガ。周辺に戦いの痕跡はなかったから、どっかで転んだのかも」

 

ベースキャンプで肉を齧りながら彼女が言った。

イビルジョーを探しに渓流に来たところ、あの二匹を見つけてすっかり和んで眺めていたという。あの後再び渓流を探索しようとした彼女を止めたのはシドだ。

怪我が完治するまでは駄目だと口厳しくし、それでも中々彼女は頷かなかった。しかし肉を焼いてやると言った途端に、彼女は「わかった」と頷いた。食べ物一つで頑固が素直に早変わりとは何事なのか。

そうして食事にありつく最中、唐突に彼女はそう言ったのだ。深夜の渓流は、虫の鳴き声がほのかに響く。

 

 

「……そんなドジだったか?ジンオウガは」

 

「怪我してたんだもん。でも、血の匂いはしなかったから、よく考えてたら古傷かな」

 

狩ろうとはしなかったらしい。可愛らしいから、眺めてたのだと。

 

 

「……まあ、よくわかんねえけど、そんなことより────」

 

「ありがとう」

 

彼の説教を彼女が遮る。どこまでもマイペースだ。だが不思議と、剥き出しだった敵意は消えていた。

 

「私の故郷、盗賊とか多いから……。

でもあんたは、私に何もしなかった。あんたは私を寝かせて、額に冷たいタオルを乗せて、それ以上何もしなかった」

 

「……いや、いい、礼なんざいらない」

 

「へんなやつ」

 

「言っとくがお前のが変だ」

 

言い返せば彼女が笑う。そんなわけあるか、あんたが変人だって。なんたってこんな夜中に、見ず知らずの女のために駆け付けたり背負ったり肉を焼くのだ。間違いなく変人だろう。そう言って彼女がからから笑う。笑顔はとても幼く見えた。

 

「私はノイアー。名前を教えてよ」

 

やがて彼女はそう言って、シドに名前を尋ねたのだった。

 

 

・ ・ ・

 

 

きっとあの時からだ。

シドは自覚する。あの笑顔にやられちまった。あの時から、彼女を────

 

 

フォンロンの塔の上階にモドリ玉でノイアーを運び、支給品ボックスの横に彼女をそっと座らせた。いくら回復薬や秘薬があっても、折れた骨を即座にくっつけてくれるものではないからだ。

 

 

「……加勢に行く。ここで、大人しく待っていてくれ」

 

恥ずかしさのあまりノイアーの目を真っ直ぐ見れずに、それでも冷静さを繕うようにシドは言う。いつも生意気に逆らってばかりのノイアーは、その時ばかりは妙に素直に「わかった」とだけ頷いた。

 

 

「…………悪い。今は、動揺したくねえんだ。戻ったら自分の口で言うから」

 

「シド、私シドのこと一番好きだよ」

 

「だから、聞け馬鹿。お前の『好き』とは違……」

 

「シドの子供産んでもいいくらい好きだよ」

 

「こどっ……!?!」

 

なんたる爆弾発言なのか。おい、そいつは初耳にもほどがあるぞ。まさかとは思うが彼女、キャベツの中から子供が出てくるなんて思っちゃいないか。

驚愕のあまり口をぱくぱくさせてると、ノイアーは呑気に「変な顔」と言って笑った。

 

「……っ、いい、いいから待ってろ馬鹿!じゃあな!」

 

シドは半ば逃げ出すように、ツバキたちの戦うフィールドへ飛び降りる。今は、先ずは、ルナルガを倒さなくてはならないからだ。

 

 

 

………………

 

 

 

上階から飛び降りて戦闘に戻って来たら、ダラハイドは左足を引きずっていた。ツバキはスタミナを削って肩で呼吸をし、手持ちの弾薬をリロードしている。なんとも毒棘が厄介らしく、解毒薬は残り僅かだと彼女が苦い顔をした。

 

「悪かった、ノイアーは……大丈夫だ」

 

ぶっきらぼうにシドが言えば、その表情にダラハイドが小さな笑みを作った。なにかを察したらしい。……いやな鋭さだ。シドは思った。

 

ルナルガは片腕の爪が割れてた。強靭な刃翼には刃毀れがあり、また後脚にも切り傷がある。二人が奮闘した痕跡だった。

疲弊したダラハイドが目下ターゲットにされているのは、〝暗殺者〟とも呼ばれるナルガが、弱った順に仕留めるという本能を持つせいであろうか。闇から赤い眼光が残像を残しながら、ダラハイドの背後に回ろうとする。シドの抜刀がそれより一瞬速かった。そのままシドは前へ踏み出し、渾身の鬼刃斬りを放つのだった。

斬撃が大きな衝撃波を呼ぶ。空気ごと割りそうな一撃は、しかし一度で終わらなかった。まるでスタミナを無尽蔵にしたかのように、シドの猛攻が止まらない。赤い錬気と、青白い光が放たれる。ツバキは数度瞬きをした。〝そのスキル〟を、実際に見たのが初めてだからだ。

 

スタミナ消費量が四分の一程度まで抑えられ、かつ会心率が五十パーセントも上昇するという驚異的なそのスキルは、強力さと引き換えに一定の発動条件を課せられていた。それを今、満たしたのだろうか。ハンターはこれを、『力の解放』と呼んでいる。

 

今まで見た何より強く、早く、惜しみない力を注ぎ込み、シドはルナルガを追いかける。まさに、鬼神みたいに。

 

ノイアーが削り、ダラハイドが抑え、ツバキが撃ち抜き、ここまでみんなで追い詰めたのだ。その最期の一撃を決めたい。シドは残る力の全てを注ぎ込むように、全身の力を解放していた。

 

……ルナルガを、倒す。そして、そうしたら、ノイアーに────

 

 

 

 

 

 

「……悪いな、ちょっと待ってくれ」

 

 

刹那、男の声は、まるでそれを遮らんばかりに降ってきた。

声は知り合いの誰にも該当しないものだった。一体どこのどいつのものか、その正体は、突如塔の上階から飛び降りてきたハンターだった。

 

双剣使いだ。

見知らぬ双剣使いが塔の中へ乱入し、あろうことかシドを押し退け、細身の剣でルナルガへと斬り込んだのだ。

ツバキも、ダラハイドも唖然としていた。

 

 

ルナルガは、速い。

だがどうしたことか、双剣使いもまた恐ろしいほど速かった。剣の軌道は残像を追うので目一杯だし、身のこなしも軽やか過ぎる。あのルナルガと、まさに互角の動きをするのだ。

美しい双剣の乱舞は、どこかナルガクルガの動きを彷彿させられた。滑らかな尻尾がうねるのと良く似た動きで、全身のバネで跳ねている。

シドは思った。

〝こんな見事な乱舞は見たことがない〟

 

 

剣が風を斬る音と、鋭い爪があちらこちらで衝突をする。まるで鍔迫り合いをするように、時折ルナルガと双剣使いは押し合いをして、かと思えば尻尾を振るい毒棘が飛び、しかし双剣がスルリと躱す。

 

ツバキは気付いた。

いつの間にか、ルナルガの瞳が赤く光っていないのだ。怒りを納め、戦いを楽しむように双剣とルナルガが打ち合っている。時折血飛沫が舞うけれど、どれも取るに足らない些細なもので、やがて双剣使いは地面に大の字で転がった。だのに、ルナルガは追撃せずに咆哮したのだ。それは威嚇を示すバインドボイスとは様子が違った。

ただ、吼え、そして双剣使いの隣に前足をそっと負ったのである。

 

 

 

「はっ、やっぱ、やっぱお前か……!くそ、ばかやろう!」

 

双剣が嬉しそうな声で言う。言いながら兜を外した。その面立ちにツバキが驚く。

「トウクさん!」

 

兄の親友、一級品の双剣使いと名高い男が、どういうわけかそこに居たのだ。

 

 

 

 

「ツバキちゃん、久しぶりだね。塔の上に居た仲間、スラアク使いは、俺の乗ってきた便に乗せたよ。命に別状はなかった」

 

双剣使い────トウクは朗らかにそう言ったけど、それより信じられないのは、ルナルガが完全に臨戦態勢を解いてしまってることだった。

まるで呑気に、自らの尻尾で遊んでいるのだ。こんな姿を、どうして信じられるというのか。

 

 

「こいつを倒すの、待ってくれないか。ドンドルマからここに来る途中、俺なりに調査したんだよ。

結論から言うとな、こいつ、人を襲ってない。〝追い払ってる〟だけだ」

 

そうしてトウクは、俄かには信じがたい事実を語り始めてた。

 



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15話

第二章 黄金時代篇


観測隊は一連の不可解をオオナズチの仕業と結論付けた。そこの経緯はツバキが「ナルガだった」と言っても受理されなかった闘技大会と大差ない。

とかく「消える竜が現れる」という噂話は、決まって一定の条件下に寄せられたのだ。

双剣使い────トウクは紙にクレパスを走らせ、寛ぐルナルガをスケッチしてる。不思議なことに、ルナルガは大人しくモデルをつとめた。

「あー、消えてる消えてる。お前それ自力じゃどうにもならないのか?」

 

時折そんなクレームをトウクが言えば、言葉を理解するのだろうか、ルナルガは体制をやや変えた。すると消えかけた姿が霧の中からじんわり浮かぶ。

ルナルガのステルス能力は〝月光を屈折しながら霧に紛れる〟ことで発揮される。故に月が隠れたり、あるいは屈折角度を変えればステルス能力は発揮されなくなるらしい。

そんな考察をスケッチしながらトウクは語った。趣味であるというだけあって、その絵の腕は相当上手い。

 

 

「消える竜に襲われたという連中は、負傷こそすれ誰一人命を落としていない。また、共通の目的を持っていた。────厄海に近付こうとしたんだ」

 

しゃ、しゃ、とクレパスの走る音がする。ダラハイドが唾を飲み込んだ。

 

「厄海に近付くものを、こいつは追い払い続けてた。近付くなって言ってるんだろう。それで、厄海についても調べてみたよ」

 

「……トウクさん。闘技大会の乱入は?あれは、厄海に行ったわけじゃないのに」

 

尋ねたのはツバキだったが、それにもトウクは首を振る。無関係ではないのだと。「ガノトトスやガノトトス亜種だ」……そう説明は続けられた。

 

「闘技大会の開催にあたって、ガノトトスをたくさん捕獲する必要があったんだ。ほら、タンジアは水中闘技場がメッカだろ。それでガノトトスを追った船が数隻、厄海にまで網を張っちまったんだ」

 

まさか、そんな理由で乱入などしてのけたのか。簡易的な落とし穴のネットと違い、いくら知能の高いルナルガといえどその捕獲網を切除することは叶わなかった。それで、「あの網を外せ」と伝えるために。言語の話せないナルガによる、最大限の意思表示とでもいうのだろうか。

 

「出来たぞ」

 

トウクは描き上がったスケッチをルナルガに渡す。ルナルガは、それを口で引ったくると興味深そうにまじまじと見た。

 

「なんだよその顔。本当にそんな色になってるって。信じろよ」

 

 

少し不服そうにルナルガが鼻息をフンと鳴らした。トウクはおどけて弁解をする。

この並々ならぬ二人の────正確には一人と一匹の関係を、いまいちツバキ達は掴みかねてた。だが、それを聞くのはきっと別の機会だろう。

 

 

 

「ナルガは水棲じゃないはずですね?縄張りにするとは思えない。なんでこいつは厄海に人を近付けないんだ?第一……あそこに生き物がいるはずない」

 

質問したのはシドだった。彼はタンジアに伝わる言い伝えを知っていた。

道中にも少しばかり触れた話題だ。とある龍をある神話では『世界を滅ぼす悪魔』と名付け、またある御伽話では『大地を創る巨人』と描き、伝記には災厄の化身として名を記す恐ろしき古龍。数多の渾名を持つほどの、恐ろしい龍がかつていたのだ。

厄災の化身の住まう海。それこそが厄海と呼ぶ由来でもある。強大すぎる龍の力は火の雨を降らせ、海を荒波へと変え、また灼熱を齎すことで一帯の生物を死滅させてしまったという。沈んだ島は数十、沈んだ船は数百に及ぶ。なれば、犠牲となった人の数は計り知れない。

近海をガノトトスが回遊する機会はあれど、それ故に棲家とする生き物のあろうはずない地域であった。

だからこそ、ルナルガが封鎖を訴えた理由がわからない。一般に竜が他者を追い払うのなら、それは縄張りを踏み荒らされた場合に限る。にも関わらず「なにも棲まない」場所から人を遠ざける、その動機が謎なのだ。

 

 

「確実なのはルナルガが『あそこに近付くな』って主張してることだけだけ。

……多分だが、危険なんだろう。人間にとっても、竜にとっても」

 

なにか、人間に踏み荒らされては困る理由がそこにはあるのだ。トウクの前でだけ旧友のような顔を見せるルナルガは、しかし別に人間の味方というわけでもないのだ。身を呈して警告するのは、警告のリスクを差し引いても関わって欲しくない理由がそこにあるからだ。

 

 

「危険……?」

 

ツバキは知識の中を漁るが、どうにも思い当たるものがない。それよりもふと気になるのは、なにか、甘い匂いが妙に立ち込めているということだった。

不意にダラハイドの方を見ると、彼は何故か、悲しそうな顔をしていた。

 

 

「……ダラハイド、なにか、知ってるの?」

 

 

もうじき夜が明ける。完全な夜行性となったルナルガは、朝日を嫌うようだった。

「また会いに来るよ」

トウクがそう言葉をかければ、やがてルナルガは空へと飛び立つ。実に奇妙な友情を垣間見た。トウクは目尻に、僅かな涙を溜めていたのだ。

 

 

「……いや、知らないさ」

 

 

ダラハイドは結局、知らないと言葉をはぐらかす。ツバキはそれを嘘だと思った。思ったのに、問えば全てが壊れて消えてしまいそうで、問い詰める勇気がどこにもなかった。

 

 

「厄海には正式な調査隊が派遣されることになると思う。それまで許可のない人間は立ち寄れないから、ルナルガももう警告はしないよ。

疲れたろ。スラアクの子が待ってるから便においで。狩猟の邪魔をしてしまって悪かった」

 

そう言ってトウクは言葉をしめる。三人は複雑そうな顔をして、しかしその好意に甘えようと頷いた。この後には、ゴグマジオス討伐作戦が控えているのだ。

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「ノイアーのところに行ってくる」

 

そうシドが言い残した瞬間に、ダラハイドとツバキは顔見合わせて少し笑った。

 

ああ、嫌な空気だ。シドは頭をがりがりとかく。絶対に明日からかわれてしまうだろう。そういう話題はそもそも頗る苦手というのに。 

そんな照れ臭さや羞恥心がぐるぐる回り、答えのない葛藤に頭を抱え、ノイアーの休む寝室に辿り着いてから戸を叩くまで五分はかかった。

やがておずおずと中に入れば、ノイアーは眠っていなかった。甲冑をとき、インナーだけで布団の上でゴロゴロしている。足首はやはり骨折してたらしいが、それ以外は問題ない怪我だった。既に手当も施され、腕や肩には包帯がちらほらと巻かれてた。

 

「シド!」

 

彼の顔を見て、ノイアーはにこりと笑ってみせた。

それがあまりにいつも通りで、シドはどうしたものかわからなくなる。予想だにせず露呈してしまった恋心を、ノイアーが受け入れるイメージがまるで湧きそうにない。

第一、一緒に住んでも隣で寝てても同性みたくしていた彼女が、実は両思いでしたなどどうしたら信じられるというのか。

 

 

「……あー……大丈夫か、その、怪我……」

 

「折れてた。でも平気」

 

「平気なわけあるか。ゴグマジオス討伐作戦、休めよ」

 

「え、やだよ。行きたい。シドは?」

 

「ダラハイドとツバキだけ行かせらんねえよ。ちゃんと迎えくるから、お前俺ん家で待っとけ」

 

「やだ。一緒がいい」

 

「ワガママ言うな」

 

会話はいたっていつも通りで、シドの脳裏を掠めるのは「このままでいいんじゃないか?」という逃げ口上だ。別に気持ちを追求なんかしなくても、ノイアーとはこれからも仲良くやっていけるだろう。シドの理性はまだ猶予を持っていたし、こうして会話するだけで幸せというのもまた事実だ。だからこそ彼は背中を向けて、ゆっくり休めよと言いかけた。だけど、引き止めたのはノイアーだった。

 

 

「シド、〝それだけ〟?」

 

 

彼女のその一言は、あまりに強烈な威力を持ってた。〝それだけ〟なんて生易しいほど、抱いた気持ちは半端でなかった。もうずっと、ずっとずっとそれは恋というには生易しいほど、彼女を想い続けてる。決して求めて来なかったのは、失いたくないからだった。けれどもし、……。

 

 

「ノイアー、お前わかってないんだろ」

 

「……?なにが?」

 

「だから、……色々だ」

 

ああ、なんだってこんなに焦れったいのか。ずっとあっけらかんとしてきたくせに。

彼女との間に築いた絆と、欲求を天秤にかけるようなこの空気を好きになれない。だのに彼女は、ノイアーはいつも、そんなシドの心配なんかまるできかない。

 

「シドなら色々でもいいよ」

 

「……、お前なぁ」

 

「でも私、あんまりその、詳しくないんだよね。経験もなくて、」

 

「ばっ……いや、ちょっと待て、お前なに言ってんだ」

 

「ダラハイドが言ってた。シドが欲しがってるもんは私の────」「馬鹿ストップ、待て、ダラハイド?いやいいちょっと待て、わかった、わかった……」

 

なんだか色々順序がすっ飛ばされてゆく。ノイアーは、こんな時でもマイペースが過ぎるのだろうか。

 

「わかった、俺がちゃんと言う。ちょっとお前目ぇ閉じろ」

 

そう言ってシドはノイアーを抱き寄せ、大切な言葉を口にする。

 

その後、朝日が昇るまでに繰り広げられた熾烈な戦いについては、筆舌に尽くし難いためさておくとする。

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「さっきシドがユクモに寄って欲しいっていいに来たよ。スラアクの子、降ろしてくって」

 

東に薄っすら朝日が昇る。一定の高度を保つ飛行船の窓の外を眺めながら、トウクはツバキにそう言った。

 

「ノイアーを?よく説得できたなぁ……」

 

キョトンとしてツバキが言えば、同時にダラハイドとトウクがくつくつ笑った。

「いやめでたいな」

「若いっていいね」

 

二人が口々にそう言うから、ツバキもやがて何かを察する。もしかして────

そんな視線をダラハイドへとやれば、「その通りだ」と彼は言った。

 

「『あいつ昼まで起きないと思うから、その間に降ろしてく』と言いに来てたぞ、さっき」

 

ようするにまあ、「昼まで起きない」と断言できる根拠がシドにはあるらしい。で、そのシドはといえば、それまでノイアーの隣にいるとそそくさと部屋に向かったというから顔が熱くなってしまう。

どうやら彼の恋路は、非常に微笑ましい方向に向かったようだ。

 

「ユクモまではまだあるから、二人もゆっくり休むといいよ」

 

トウクはそう言って欠伸を残し、やがて自らも寝ると寝室の奥へと引っ込んだ。

 

 

 

 

 

「デッキに出ないか、ツバキ」

 

明け方を目前に控えるかはたれ時、青紫の空を見ながらダラハイドは言った。

 

「……いい、けど」

 

ダラハイドから甘い香りがしている。ずっと、菓子とも香水とも違うこの甘い香りを、彼女は不思議に思ってた。すっかり慣れたと思っていたのに、改まるほど香りが強くなっている。

ダラハイドはふっ、と笑みを浮かべて、「気になるか」と彼女に言った。

 

「ゲネル・セルタスを知ってるか」

 

「……知ってる」

 

「女王のフェロモンと呼ばれるものを改良したものだ。ゲネル・セルタスはアルセルタスへの命令系統にこのフェロモンを用いるが、その実態は催眠状態に近いという説がある」

 

ダラハイドの横顔が、遠くを見ている。

 

「ゲネル・セルタスは体力が低下すればアルセルタスを喰らい、また攻撃手段として投げ付け、自身の一部のように扱う。命を呈することすら一切の躊躇をさせないのは、命令でなく催眠だからだと学者が言ってな。……その説は恐らく正解だった。改良された女王のフェロモンは、雄のモンスターを催眠状態にすることに成功したんだ。そしてそれは甲虫種に限定されず、牙獣種、獣竜種、ついには飛竜種にすら応用することを可能にした」

 

かつ。かつ。

ダラハイドのブーツの音が響いた。深夜と早朝の境界線のようなこの時間、辺りはまさに静寂だった。

何故彼は、急にこんな話をするのか。ツバキは嫌な予感を抱える。

 

「このフェロモンは俺の声帯の近くに埋められている。そのため俺の本来の体臭と混ざり、結果、異性にだけ甘い匂いと感じられるようになったらしい。催眠効果は人にはないから安心してくれ」

 

やがて彼は、甲板への扉を開いた。冷たい風が吹き抜ける。

 

「昔話をしようと思ってな」

 

遠目の日光が細く差し、ダラハイドの前髪を柔く光らす。褐色の彼の瞳や毛髪は、赤い太陽を浴びて深紅に似た色に見える。

小麦色の肌、赤く光る目。どうして気付かなかったのだろうか。彼の肌色は、タンジアの人々とよく似てる。

 

 

「俺の国は滅んで沈み、無くなった。難民は北の同盟国に流れ込むも、奴隷のような扱いだったな。俺は北の豪族の下働きとされたが、一つの素質を見込まれて養子縁組されることになる。そこが、ダラハイド家だ。

軍学校に進み英才教育を受ける傍らで、一つの実験に加担していた」

 

「一つの……要素……?」

 

「特異体質のようだ。俺は、狂竜ウイルスに感染しない」

 

遠目に空を駆ける飛竜の影が映りこむ。太陽は燃えながら徐々に上がって、世界に朝を齎してゆく。夕日にも似た空だった。吹き抜ける風に髪を横殴りにされながら、ツバキはひたすらダラハイドの話に集中していた。

それは知らなかった事実ばかりで、遠い世界のことのようで、しかし目の前の男の歩んだ人生なのだ。

 

「一つの国が滅ぶというのは一大事だ。流れ込んだ難民は同盟国を圧迫し、内政に混乱を齎した。やがて滅んだ国土の代わりに他国から領土を奪うため、武力を欲するようになる。そのために行われた研究とは〝モンスターを意図的に極限化させる〟ものだった」

 

だからこそ、狂竜ウイルスに耐性を持つ彼が、養子縁組までされたのだ。当初は「モンスターを意のままに戦力とする」ための研究機関であったそうだが、真っ先に懸念されたのがハンターという存在だった。狩猟経験の豊富な彼らはモンスターの脅威でしかなく、モンスターを操れても討伐されては意味がない。そんな時に属性を通さず、攻撃を跳ね除け、罠も効かないセルレギオスを発見したのだ。件のセルレギオスがドンドルマで観測されるよりも、時系列にして二年以上遡る。彼の流れ着いたその国は、セルレギオスの縄張りが近くにあったのだ。

 

意図的に極限化させたモンスターを操れたら、それは最強の兵器だ。研究は予算を注がれて、領土拡大に死力を尽くす。

失敗を重ね、改良を重ね、何頭もの竜を犠牲に、そうして生まれた生き物がいる。

 

 

「ツバキ。〝それ〟が、こいつだ。俺が昔イビルジョーから救った卵は、軍に持ち帰り無事孵化された。その時のリオレウスが〝こいつ〟なんだ」

 

彼がそう右手を上げれば、先ほど彼方に見えた飛竜が真近に迫るではないか。ツバキは目を見開いた。意図的に極限化させられたというそのリオレウスは、全身の鱗を真っ黒く輝かせていたからだ。口元からは狂竜ウイルスの鱗粉がジワジワ溢れてる。それはかつて見たなによりも、禍々しい生き物だった。

 

風圧に彼女がよろめいた。だのにダラハイドは、もう手を貸そうとはしなかった。悲しい顔でツバキを見つめる。

 

どうしてこんな事実を、彼は今になって語るのだろう。戦争を目的に生み出されたリオレウス。そして彼は体内に女王のフェロモンを取り込んで、そのリオレウスを催眠状態から支配下に置くことが出来るという。それを証明するように、黒いリオレウスは首をおろして、ダラハイドをその背に乗せてみせた。

こんなことが、あるのだろうか。

 

 

「だが、滅んだ国が取り戻せたなら、戦争なんかしなくても済む。ツバキ、俺は行かなきゃならない。戦争を起こさないために」

 

「待って、待って、ダラハイド……。なんで今……」

 

「我が祖国を滅ぼしたのはグラン・ミラオスだ。今は厄海と呼ばれる場所に浮かぶ島国だった。

ルナルガの件で確信した。グラン・ミラオスが目覚めかけてる。俺はこいつと、討ちに行く」

 

「そんな……」

 

「すまない。約束したのに、もう守れない。そばにいるべきではないからか。

ツバキ、さよならだ。お前は俺の憧れだった」

 

 

瞬間リオレウスが翼を開き、飛行船より更に高くへ舞い上がる。

ダラハイドは、去るから、だからこそ全てを明かしたのだ。もう二度と会う気がないから。気が付けばツバキの頬には雫が落ちている。どうしたらこんな事実を、「はいそうですか」と受け入れることが出来たのだろう。

 

彼女は手を伸ばしたけれど、指先は宙を虚しく掻くだけだった。

彼を乗せた竜の影が遠ざかる。涙で視界がぐにゃりと歪んだ。

 

美しすぎる朝日の中に、アドルフ・ダラハイドという人間は、宿命を背負って消えたのだった。

 

 

 

 



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16話

第二章 黄金時代篇


「────おい、なんだと?」

 

報告を受けたイツキは顔を青くした。どうして、なんだってそんなことが起きたというのか。悪い夢でも見てる気分だ。

 

 

「それで、無事なのか?」

 

あまりに予想外過ぎることだ。トウクから報告は受けていた。フォンロンの塔でツバキと合流したことや、一度ユクモに停留すること。

飛行船はユクモを迂回したあとに、当初の通りタンジアから海路の上空を通る形でドンドルマに向かう予定と聞いていた。天候に問題さえなけりゃ、もう四、五日でツバキと合流出来たはずだろう。

 

「ですから、現在生存者を確認しておりますので……」

 

報せを寄越したギルドカウンターは、イツキの剣幕に怯えてすらいるようだった。

 

 

「なら、死亡が確認されたのは誰だ?わかってる範囲でいい。なあ、わかれよ、あの船には俺の親友と妹が乗ってたんだ」

 

握り拳がカウンターを叩きつける。

まさか、飛行船が原因不明の攻撃を受け、墜落してしまうだなんて。

エンジンは小爆発のあと炎上し、デッキはひしゃげ、救助が駆けつけた時の現状はあまりに無惨であったという。

 

「……死亡の報告があったのは……操縦士一名、整備士二名、それと、ハンターの────」

 

海辺の崖っ淵に辛うじて引っかかった機体は、その壮絶さを物語るには十分過ぎるダメージを一身に受けていた。黒焦げて身元不明となった遺体も海から引き上げられて、現在は身元の確認を急ぐという。

幸いなことに全員死亡ではなく、保護された人間もいる。ただ、遠く離れたドンドルマへは、まだそれが誰であるかの詳細までは届いてなかった。

 

「生存者はタンジアの協会が保護しています。報告をお待ち下さい」

 

ギルドカウンターは冷静に努めようと無慈悲にそう言い、取り乱すイツキを窘める。

 

……どうして、こんなことになったのだろうか。ただ一つ言えることは、飛行船は外部からの干渉により墜落したということだ。これは事故ではなくて事件であった。イツキは悔しくて、もう一度カウンターを強く叩いた。

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「………………ついらく?」

 

報せを復唱するノイアーが真っ先に疑問に思ったことは、「墜落とは如何なる意味の単語であったか」ということだ。

シドの家で目覚めた彼女は置いて行かれたことに腹を立てたが、そんな怒りどころではどうやらないらしい。

何故なら……

 

 

「シドは?」

 

「ですから……」

 

「シド、帰って来ないの?」

 

現場はタンジア付近の崖だと言う。生存者も重傷を負った。

だがノイアーにとって大き過ぎた一つの事実はそれではなくて、もっと悲しく取り返しのつかないものだ。

 

 

「シドが、死んだ?嘘でしょ?」

 

 

つい昨晩だ。

彼はノイアーを抱き締めて、約束の言葉を口にした。それなのに、なんでこんな笑えない報告を受けているのか。ノイアーの混乱が冷め止まない。

 

 

「ねえ、嘘でしょ?」

 

 

一体眠ってる間になにが起きたというのだろうか。墜落は午前七時前後であったという。その間に、飛行船で一体何が起きたというのか。ノイアーはなにもわからない。

 

 

「残念ながら……」

 

「じゃあ、シドはもう帰って来ないの?ねぇ、シドは?」

 

冗談ですよ。全部嘘です。ドッキリでした。

そんな言葉を待ってた気がする。だのに報せに来たギルドスタッフは、そんなお天気な発言などただの一言も発しやしないのだ。

ノイアーは自らの肩を抱いた。そうしていないと、絶望でバラバラになってしまいそうだったのだ。

 

彼女の脳裏に、たくさんの思い出が駆けてゆく。

シドが、シドが、死んでしまった。

その事実を受け入れるには、空はあまりに穏やか過ぎた。

 



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17話

第三章 黒い騎士篇


セルレギオス極限化個体発見が巷を騒がせ、その後のドンドルマ管轄圏の各地域では、それに続くかのように数種の極限化個体が観測された。氷海のガララアジャラ、水没林のグラビモスと、狂竜ウイルスを克服したモンスターが度々報告されたのだ。

 

 

墜落事故発生から約二年。

極限化個体の認知は広がり、今ではG級の扱うべく危険案件の一種として、抗竜石の普及とともに討伐依頼は成功率を高めつつある。

 

それに伴い、ハンターの間には奇妙な騎士の噂が流れてた。

キメラ装備と呼ばれる多種な防具編成でスキルを重要視したその騎士は、極限化モンスターの現るところに颯爽と駆けつけ、依頼を受けたハンターを無視して暴れまわっているという。

 

決して人の敵ではないその騎士は、しかしハンターからしたら大いに反感を買っていた。狩猟に乱入し、勝手に討伐して去ってゆくのだ。獲物を横取りされたような不快感が募るは当然だろう。

また問題はそれだけではなかった。G級狩猟区域とは許可証のない者は立ち入ることさえ禁止されてる。しかし騎士は許可証を提示するどころか強行突破で狩猟区域に突入するのだ。

かくして謎の騎士は危険人物認定されて、さながらお尋ね者のように協会に追われることとなる。

ツバキの元に奇妙なゴア・マガラの調査依頼が舞い込んだのは、丁度そんな折だった。

 

 

飛行船の墜落により重傷を負ったツバキは数日間意識が戻らず、また回復後も復帰までに時間を要した。狩猟の腕にハンディが残らなかったことが、不幸中の幸いだろう。

同乗していたトウクは奇跡的に擦り傷で済み、真っ先に原因究明に乗り出したという。

そして、シドは────……

 

 

 

「ツバキさん、行きましょう」

 

新しい仲間がそう言った。

ツバキは現在、イツキの立ち上げたギルドに所属している。あの頃の仲間はもういない。

あれ以来ダラハイドとは連絡が取れず、また便りを出したノイアーはとっくに姿を消していた。「ここに帰ってきてもいい」と言ってくれたシドの家は、すっかり空き家になっていたのだ。

 

 

「ああ。天空山?」

 

「はい。なんでも現地の目撃情報では〝混ざってる〟そうですよ」

 

ギルドマスターは兄のイツキだったが、書類とにらめっこしたり細かな管理云々はトウクの方が得意分野だ。

そのためごく自然にトウクは副マスターを務めていた。イツキの妹であるツバキもまた補佐役として、ギルドメンバーは敬意と信頼を寄せてくれてる。

この二年間の奮闘した成果でもある。そしてそれは、まんま仲間の喪失を嘆き涙した時間でもあった。

 

 

今のギルドメンバーは良い者ばかりだ。だけどもう、あの頃のような輝きはきっと二度とない。それだけは妙に確信している。

あの日々は人生の黄金時代であったのだ。今はもう、誰もいない。

 

 

「〝黒い騎士〟の情報は、集まったの?」

 

ツバキはポーチに弾薬を詰め込みながら尋ねてみる。

もしや、黒い騎士はダラハイドでは……。初めて噂を聞いた時から、そんな予感がかすかにあった。キメラ装備独特の特異な風貌をしたその騎士は、身の丈を超える剣を背負っていたという。

また極限化モンスターとダラハイドの〝事情〟を考えたなら、なんらかの理由から極限化モンスターを追いかけていても不思議じゃなかった。

あの騎士は、アドルフ・ダラハイドではないのだろうか。こんなことを考えるたび、ツバキの胸は過去への残滓に締め付けられる。たとえダラハイドであったとしても、今更どうにもならないのに。

 

 

「イツキさんが情報収集にあたっていますが、今のところ特には……。ツバキさん、気を付けてください。ゴア・マガラということは、極限化じゃないにしろ黒い騎士が来る可能性があります」

 

ゴア・マガラ、ひいてはシャガルマガラと、狂竜ウイルス、そして極限化モンスターは一つのラインで繋がっている。なれば、騎士の介入も充分にあり得ることなのだ。

 

「わかってる」

短くツバキは頷いた。その騎士と、会ってどうするというわけでもないのに。

 

 

 

………………

 

 

 

トウクはあの時なにがあったか、事細かに語ってくれた。突如、大量の業火に晒されたこと。飛行船が墜落した時、弾け飛んだ木片でツバキが気絶したこと。シドがツバキを庇い、降り注ぐ火の玉をモロに受けてしまったこと。

ユクモに眠るノイアーを降ろして間もなくのことだった。謎の攻撃になす術もなく飛行船は墜落し、たくさんの死傷者を出すこととなる。ツバキが目覚めたのはギルドの医療施設で、実に三日以上経過してからのことだった。

 

厄海はどうなったのだろう。ダラハイドは、極限化したリオレウスの背に跨り、グラン・ミラオスを討伐すると乗り出した。戦争を起こさないために。

グラン・ミラオスに沈められて国土を失った難民が、同盟国に雪崩れ込み混乱を呼んだというのが発端だった。

彼女なりに文献を漁ってみたこともある。

グラン・ミラオスは、「不死の心臓」を持つという。これが名前の通り不死の器官であるのなら、厄海は永久に取り戻せないではないか。それで難民達は足りない領土を確保するべく、グラン・ミラオスの討伐ではなく他国への戦争により領土拡大を目指すことに方針を変えてしまったのかもしれない。

ダラハイドは狂竜ウイルスに感染しないという特異体質を持ったために、その先陣を切るべく役割を強要された。だけど彼は、ハンターになりたがっていたのに。

 

ルナルガの出現後トウクの計らいから調査隊が厄海に乗り出したのは飛行船の墜落から一週間後のことだった。

その時、墜落地点の周辺には数多のクレーターが残されて、何か……大戦の爪痕のようなものが残るばかりであったという。そこでグラン・ミラオスが観測されることはなく、また黒きリオレウスやダラハイドの姿も見つからなかった。戦いの行方がどうなったのかは誰も知らない。

 

 

時同じくして奇妙なことに、ゴグマジオスが姿を消した。

 

「なにか、大きな歯車が動いた気がする」

討伐作戦の延期を受けてイツキの述べた言葉がそれだった。グラン・ミラオスの再来疑惑と姿を消したゴグマジオス。伝説級のモンスターが二頭も異様な動きをしたことは、どこかで、大きな何かが動いていると感じざるを得なかった。

 

 

・ ・ ・

 

 

ドンドルマを発って早六日、ツバキはシナト村に到着していた。今回のメンバーは三名だ。ツバキを筆頭に大剣と操虫棍。イツキは後ほど合流する手筈である。

操虫棍の男はシナトに思い入れがあるようだった。……曰く、昔に水没林を救った凄腕の操虫棍使いは、シナトの出身ということらしい。オオシナトと呼ばれる蝶にも似た、美しい猟虫を使いこなすハンターに、どうやら憧れているという。

「ここで憧れの人が生まれたんですよ、どきどきしませんか」

そうはしゃぐ操虫棍は、興奮のせいか年齢よりも幼く見える。

「おい、天空山は目前なんだ。落ち着けよ」

窘める大剣は操虫棍とは対照的に、生真面目で落ち着いた性格だった。

 

同じ大剣でも全く違う。

同じ仲間でも全然違う。

それは比べて優劣をつけるべく事象などではないはずだ。目の前の二人も、他のギルドメンバーも、皆腕が立つし信頼における人間だった。だのに不意にこんな時、思い出してしまう顔がある。

無茶をするノイアー、心配そうに追いかけるシド、それをくつくつ笑いながら眺めているダラハイド。あの三人の朗らかな顔が、いつまで経っても色褪せない。

幸せだった。幸せだったのだ。だのに唐突に運命は捻り切られて途絶えた。

 

ああ駄目だやめよう。彼女はかぶりを振ってから前を向く。天空山はもうそこにある。

 

 

「ハンターさん!」

 

その時だった。シナトに在中するクエストカウンターの受付嬢が、青い顔で走ってきたのだ。

 

「ハンターさん!やっぱり、ああどうしよう!ここを、『自分が始末する』って、男性が強引に走って行ってしまったんです……!」

 

三人はすぐにピンときた。

……騎士だ。キメラ装備の黒い騎士が、やはりここにも現れたのだと。

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

その姿は〝異形〟に尽きる。なればこそ騎士は、自らと似たもの同士と苦笑した。

極限化モンスターを執拗なほど狙い撃つその騎士は、極限化の大元……つまり狂竜ウイルスの発生源であるゴア・マガラに引き寄せられて現れたのだ。だ

 

頭部を首ごと覆うヘルムの奥で、騎士が片頬を釣り上げる。外部から見えないその笑みは、あまりに暗いものだった。

やがて背の武器に手をかけて、岩陰から間合いを詰めてゆく。背に羽織った漆黒色のマントが揺れる。

 

自らを〝黒い騎士〟と呼ぶ者がいると、騎士本人は自覚している。〝黒い〟という形容詞は、おそらくこのマントの色が与える印象だろう。実際は騎士のようと形容される甲冑とは程遠い防具なのだが、頭部を覆うヘルムだけは王室の騎士に近いのだ。そのせいでこんな渾名がついたのだと。

 

「黒い騎士」と忌々しげに呼びかけられたこともある。その呼び名を否定しないのは、本名が漏れるよりマシと判断したためだ。

大切なのは、目の前の敵を殺すことだけ。握力が武器の柄を軋ませて、隠しきれなかった殺気にゴア・マガラが振り向いた。

瞬間騎士が跳び上がる。重厚な装備を纏って尚も、人間離れした身軽さで風を切るのだ。ラージャンの毛皮から作った腰当てから、尾先にも似た装飾が見える。ヘルムの奥から眼光が光る。

 

 

すべがらく、すべがらく竜が憎かった。特に極限化したそれは有るべく理を捻じ曲げる、倫理の外の生き物だと感じてる。あってはならなかった。仲間を死なせずに済んだのに。そしてなにより────

 

 

 

騎士は思う。許されないし、許すこともできそうにない。

この身が全ての竜の仇になろうとも、騎士には憎むと決めた敵がいた。だから、殺す。殺気が全身から溢れ出す。もうそうやって生きてくことしか出来そうにない。

 

ゴア・マガラが牙を剥く。

地を揺るがすほどの咆哮を全身に受けながら、騎士もまた叫ぶ。二年前、悔やみきれない傷を負った黒騎士は、より強い力を求めているのだ。

 

ゴア・マガラは、まだ完成してない、未発達な角を天へ突き刺していた。まるでオーラのように狂竜ウイルスの感染源たる鱗粉が立ち昇る。

 

 

「旦那、待ってください」

 

 

後を追いかけてきたのはアイルーだ。騎士はオトモを一匹連れていた。

 

「旦那、早いですよ」

 

「ああ、悪かった。はしゃいだんだ、ゴア・マガラを見つけたからだろうな」

 

「〝はしゃぐ〟なんてご機嫌な相手にも見えませんよ。一人で行かないでください。〝仲間〟なんでしょう」

 

「……ああ。もう〝仲間〟はお前だけだよ。かつての〝仲間〟はもういない」

 

騎士は悲しそうだった。渾沌に呻き苦しむようにゴア・マガラが仰け反って、内包しきれなかった狂竜ウイルスを吐き散らす。爆ぜ上がる紫色の光の群れから、騎士は逃げようとはしなかった。

 

 

「……旦那、一人で戦ったら、戻れなくなる。旦那は────」

 

「行くぞ。〝それ〟は些細な問題だ」

 

直後に爆風が地面を震わし、ゴア・マガラは目の前の人間を仕留めようとドス黒いブレスを吐き出していた。

 



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18話

第三章 黒い騎士篇


かつては遺跡群が存在していたという天空山は、その名残が神秘的な雰囲気を散りばめている霊山である。薄い岩盤が階段のように天へと続くし、蔓と岩で成り立っている足場もある。太古の地殻変動により失われた遺跡と歴史の残骸たちだ。

 

元は普通の山だった天空山だが、先にも述べた大規模な地殻変動によって、完全に基盤が崩壊していた。結果蔦などに絡まった岩石によりかろうじて山の形を保っているという、非常に不安定な地形となってる。絶えず小石や岩、中にはレビテライト鉱石やフルクライト鉱石の欠片が降ってくるのもそのせいだろう。

 

 

そのアイルーは古龍の端材を用いた防具を身に付けており、細く鋭い鎌を背負っていた。

些細な戦力と思われがちなオトモであるが、これで中々侮れない。特に長い間狩猟に付き従い、高いレベルと数多の経験値を持つオトモは、新米のハンターよりよっぽど戦力になるほどである。

 

そのアイルーの名をレオという。レオは歴戦のオトモにして黒い騎士が唯一背中をゆるした仲間であった。

 

 

渾身の力を込めた切っ先が、ゴア・マガラの首に食い込む。ずりゅ、と奇妙な音がした。巨大な剣が引き抜かれると、瞬く間に血が溢れて池を作る。噎せ返るような血の生臭さや、裂かれた外皮から覗く筋肉繊維。まだ冷たくなる前の屍肉とは、妙に生命の名残りが強い。

 

 

「……旦那、もう〝その力〟は使わなくていいんです。こっちに来てください」

 

レオはそう言って騎士の籠手を引っ張った。騎士が蹌踉めく。たった一歩踏み出すだけで、マントの内から血がぼたぼたと落ちてくる。返り血でなく負傷のせいだ。

 

全てのゴア・マガラが、成体シャガルマガラになるわけではない。身体がウイルスの依代そのものという無理を強いられた生態は、その大半の個体が長くは生きられない運命なのだ。

今目の前に倒れる個体も、きっと邂逅を成した時既に限界だった。吐いても吐いても抑え切れない狂竜ウイルスに飲まれるように、ゴア・マガラは呻きながら朽ちたのだ。猛攻も激闘も一瞬で、あとはただ、のたうつ竜にせめて苦しまぬよう騎士は刃を突き立てた。この生き物は、酷く悲しい。そして奇妙な共感がある。

 

……そうか、〝そうやって〟生き絶えるのか。なれば自らの行く末もきっと似たようなものだろう。

騎士はそんなことを考える。

 

 

「レオ」

 

「はい、旦那。ちゃんといますよ。目は見えてますか。ほら、秘薬」

 

「……ああ」

 

「もう僕は、〝旦那〟が死ぬのは嫌なんです」

 

そう秘薬を差し出すレオの眼差しは悲しげだった。かつて、敬愛した主人が狩猟で命を落としたことを、レオは今でも悔やんでる。

騎士はレオの頭を撫でた。アイルーにしては硬い毛並みに、仔猫の頃に負ったという傷跡が少しざらついている。

 

もうかつての仲間はどこにもいない。今は目の前のアイルーだけが、騎士と背中合わせに闘ってくれる。輝かしい黄金時代は終わったのだ。この先の道は、黒く淀むような血塗られたものになるのだろう。わかっていて、それを選んだ。そういうふうにしか生きられないのだ。

 

一歩のたびに血が滴った。毎度のことながら傷だらけだ。装備の下には、最早数え切れない傷跡がある。この二年、騎士の選んだ戦い方はあまりに保身を突き放したものだった。

まるで足跡みたいに血が続く。小さく呻きながら、しかし「辛い」も「苦しい」も言わない騎士は、その手に剥ぎ取った触覚をぶら下げる。垂れる鱗粉が流した血の色を黒くしていた。

 

 

 

 

「レオ……?」

 

その時だ。背後から、一人の女の声が鼓膜を揺らした。

 

 

 

「あんた、その傷、レオじゃ……」

 

声の主は驚愕に喉を震わせる。

────ツバキだった。

 

「レオ。私、タイジュの娘の……」

 

その声が言い終わるより早く、緑色の煙が上がった。騎士がモドリ玉を使ったのだ。

 

「しまった」とツバキが思った時には既に、騎士はオトモ共々姿を消してた。

後にはただただ、戦いの後ばかりが残される。巨大な岩は砕け散り、黒い沼地のように狂竜ウイルスがそこら中に燻って、地面は爪の形に抉れ、人のものであろう血痕もまたどこぞしこに落ちている。見るだけで凄惨さの伝わるような激闘の跡地の中央には、異形のゴア・マガラが倒れてる。

 

 

「モドリ玉……、ベースキャンプだ!」

 

ダラハイドかもしれない。

真っ先にツバキが思ったのがそれだった。黒い騎士はダラハイドかもしれない。ダラハイドが近くにいるかもしれない。 

二年前に失踪したかつての仲間と、黒い騎士はあまりに特徴が似すぎていたのだ。

 

「ツバキさん、単身じゃ危険だ。一緒にいく!」

走り出した彼女に追従したのは操虫棍だ。大剣もまた一度頷く。

 

「黒い騎士はどのみち放置出来ない問題です。行きましょう」

 

今ならまだ間に合うかもしれないと、ツバキは全力で走り抜ける。頭の中は数多の疑問で埋もれてた。

────何故、レオがここにいたのだろうか。レオは、あのオトモは死んだ彼女の父の大切にしていたアイルーなのだ。

 

ツバキの父は、ユクモにこの人ありと言われた手練れのヘビィガンナーだった。そして彼女が幼い頃に、銀色のリオレウスに討ち取られて亡くなっている。片方だけ焼け残った腕を持ち帰ったのが、オトモをしていたレオだった。レオは泣きながら、父の最期を語ってくれた。

父の死後、レオは他の誰のオトモもやることもなく旅に出た。ツバキの父、タイジュと出会った場所に行くと残して、それからユクモに帰ってくることはなかった。だのに今、さながらお尋ね者のように追われる騎士と共にいる。

 

隣を走る操虫棍が訝しげにした。

 

「ツバキさん、タイジュって、イツキさんとツバキさんの……」

 

彼女は頷く。

「…………うん。父だ。ハンターだった」

 

一族皆々父の後を追うようにしてハンターになった。父、タイジュは特別許可証の、それも金冠を持つほどのベテランだった。各地で大狩猟をしてきたし、協会にも顔が効く。ツバキに銃を教えてくれた師匠でもある。

その父が、相方と呼んで可愛がったアイルーのレオが、黒い騎士に付き従ってる。ツバキは運命に眩暈を覚えた。

 

 

「……間違いなく、お父さんの元オトモなんですか」

 

「間違いない。レオは顔に傷があるのが特徴だったし、なによりあの防具、あれ、父とお揃いのものだ……」

 

 

レオは頗る強いオトモだ。出会った頃は小さく弱かったとも聞いていたけど、ツバキに物心がつく頃には既に、他のハンターが雇用を羨ましがるほど有能なアイルーであったのだ。

スタイルはファイトで、そのためかなり攻撃が上手かった。打撃武器を持たせればスタンをとり、斬撃ならば尻尾を断ち切り、爆弾を投げ付けることもあった。竜の顔面に飛び付いて隙を作ったり、笛を吹いて攻撃力を向上させたりと、戦力も戦法も実に見事なものであると、生前父は自慢気によく笑っていたのだ。

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「…………くそ」

 

アプノトスの親子を押し退け、ようやっと着いたベースキャンプでツバキは毒吐く。そこは既に無人であり、きっと騎士のものであろう血痕だけが残されてたのだ。

 

 

「逃した……。でもレオとダラハイド……なんで一緒に……?」

 

疑問は喉から落ちてゆくけど、それに答える者などいない。彼女は悔しそうに支給品ボックスを蹴りつける。

 

 

「ツバキさん、イツキさんもこちらに向かうと言ってましたし……とりあえずここで待ちましょう」

 

大剣が言った。ツバキは頷く。

 

 

「……ああ、言わなきゃ、兄にも。レオが騎士のオトモになってるなんて……」

 

ベースキャンプには体力を回復するためのベッドがある。大人四人が寝転がれるほど大きなものだ。

きっと血塗れのままここに倒れこんだのだろう。シーツに残る血のシミを、ツバキはいつまでも睨んでた。

 

 

 

………………

 

 

 

「……ダラハイドとはバルバレで知り合ったんだ。G級じゃないのに天鎧玉を使った防具で、武器も知らない素材だった。怪しいとは思ったけど腕は確かでさ、性格も、……いい奴だった」

 

焚き火に木を焚べながらツバキは言った。空には星が輝いている。

イツキが合流したのは深夜のことで、大剣と操虫棍は既に寝息を立てていた。

 

話の発端は「お前のかつての仲間はどんなだった?」とイツキが尋ねたことに始まる。

ツバキは遠くの空を見た。もう、随分時間が経った気がする。当時G級になりたてで、貧困ぶりに酷く喘いでいた頃だ。四苦八苦して揃えたG級装備もろくに強化が追いつかなくて、それで、バルバレに行った。割のいい仕事が舞い込んだのだ。

 

 

「それで色々あって、ザボアザギルを狩猟した。シドとノイアーと知り合ったのはユクモに向かう飛行船の上だった。……セルレギオスが飛んできた」

 

ぱち、ぱち。

火が薪を喰らう音がする。炎の揺らめきは追憶を促すようだった。白い煙が空へと登る。イツキはハンマーに残った血を拭いながら、ツバキの話を聞いていた。

 

「それからは、ずっと四人一緒だった。ウカムも、ダレンも、砂原でクシャルダオラに会ったのも。……今思えばダラハイドが極限ラージャンを斬れた理由にも納得がいく」

 

「……戦争の宿命、か」

 

「……うん。けど、ダラハイドは、ハンターになりたがっていたんだ」

 

バルバレに帰らなかったのも、きっと国の人間に見つかりたくなかったのだろう。

彼は〝ばっくれ〟たのだ。戦争なんかしたくないから。戦争が嫌で、ハンターになるため遥か遠くのユクモまで行き、ドンドルマでなくタンジアでG級ハンターになった。そのまま、ハンターとして生きていくつもりだったのかもしれない。

 

……けれど、グラン・ミラオスが再び動き出す兆しを知った。結局ダラハイドは全てを捨てることはしなかったのだ。

グラン・ミラオスを倒せば戦争の動機が消滅するから、彼は今度こそ堂々とハンターとしての道を歩める。ダラハイドは逃げることをやめ、ハンターになるための戦いを挑んだ。

その結末を、知る者はいない。

 

 

「お前、ダラハイドとやらがどこの国の出身か知らないと言ったよな」

 

「うん……知らない」

 

「帰還したら東シュレイド国に一緒に来ないか。ダラハイドの国はそこかもしれない」

 

イツキが口にした国は突拍子もないものだった。「シュレイドって、シュレイド城の?」と彼女が返せば、直ぐにイツキが無論と頷く。

かつて黒龍との戦争で滅びた王国が、何故今飛び出してきたのだろうか。イツキはゆっくりと言葉を続けた。

「東シュレイド国は、今もある。トウクのが詳しいけどな」

 

 

ここよりずっと遠い場所。ヒンメルン山脈を超えた彼方にその国は存在している。少し歴史の話でもしようか。そう言ってイツキは、水筒の水を一口飲んだ。

 

 

・ ・ ・

 

 

 

シュレイド地方と呼ばれる場所がある。大陸の最も西方にある地域を指す場所だ。

シュレイドといえば黒龍と戦争したシュレイド城が有名であるが、その前に語らねばならないことがある。東シュレイドと、西シュレイドについての話だ。

 

かつては巨大な国家であったシュレイド国は、黒龍との大戦で王都が滅び、その後三分割されるという歴史があるのだ。それが西シュレイド、東シュレイド、そして中立にして中央に位置する王国分裂時に放棄された旧シュレイド王城跡である。

言わずもがなココット村やドンドルマを始めとする現在ツバキの知る村や、王立古生物書士隊、王立武器工匠の本拠地は西シュレイド地方圏である。

 

王国分裂後の現在では東西相互の交流は皆無に等しい。旧シュレイド城が中立地帯とされており、東西両国が領有権を巡る戦を起こさないために不干渉と定めたためだ。この取り決めによって東西の国交は消極的になり、やがては廃れ、今では互いに対して排他的な性質だけを残している。

ツバキをはじめとする大半の人間が、東シュレイド圏の国や街、体制などの知識をほとんど持たないのもこのためである。

なお気候の面でも違いが色濃い。西シュレイド地方は温暖な気候だが、東シュレイド地方は寒冷地域で年中真冬のようだという。凍土のようといえばイメージもしやすいだろうか。極北と呼ぶ者もいる。

 

 

「東シュレイドって、リーヴェル?」

 

ツバキは尋ねた。リーヴェルとは東シュレイド地方最大の都市にして共和国の首都の名だ。東シュレイド地方に点在する各街と盛んに交流しており、物も人も出入りが激しい賑やかな街ではあるが、先述した理由から西シュレイド地方との交流はほぼ0である。

しかし繁栄する巨大都市であることや、モンスターを利用したソリに乗るキャラバンなど、街の名物が有名なことから存在を認識するものは少なくない。険しい山岳に囲まれた盆地に位置する上、かなり北に位置しているため例に漏れず極寒の街だ。

 

しかしイツキは首を左右へと振った。東シュレイドに行くといっても、その行き先はリーヴェルではないと。

 

「東シュレイド国は王政やら共和制やらっていくつかの国へ分裂してる。今はもう一つの国じゃないんだよ。

ダラハイドはその、東シュレイドに残る王国の出身なんじゃないのか」

 

国交を絶たれた彼方の大地の未知の国。それがダラハイドの出身国なら、出会った当初に噛み合わなかった世界観や〝常識〟の違いにも頷ける。

だが、彼は最後まで国の名前までは明かさなかった。ツバキには国を特定することはできないのだ。

 

「わからない……。東シュレイド国だって言い切れる根拠が、ないんだ、私には」

 

イツキは続けた。

 

「根拠ならあるぜ。二年前、最初に現れた極限化個体セルレギオスの元の縄張りが特定されたんだ。

あのセルレギオスは東シュレイドに残るとある王政国家の領土から来た。その国にはな、ダラハイドって姓の豪族がいる。

 

もう一つ、つい最近なんだがな。東シュレイドと西シュレイドの境界線でもあるヒンメルン山脈の北部にて、布陣を展開された痕跡を発見した。これについては意見がいくつか分かれるんだが、戦ごとやら軍部の演習やらって見解の識者も少なくねぇ」

 

……戦争。

その単語にダラハイドを連想せざるを得ない。戦争を起こしたくないと言っていたダラハイドは、今頃どうしているのだろうか。

「そんなタイミングで黒騎士騒動ってなるとな……」

イツキは苦い顔をしていた。これらの根拠は、ツバキの知るダラハイドとあまりに符合がありすぎるのだ。

 

ダラハイドと特徴のよく似た黒い騎士。それに、戦争の兆し。嫌な予感がみるみる膨らむ。

 

 

「……兄貴、わかった。明日すぐにでも行こう」

 

ツバキは頷いた。

 

……二年前から、指の間を砂みたいに、大切なものを失い続けてきがしてるのだ。彼女はもう、何一つ失いたくなどなかった。

 

「でもなんでそんな協力的に?その、今まで二人でクエストとかも、なかったのに」

 

「お前が一流になったからだ。ってのもあるがなぁ……」

 

焚き火がみるみる小さくなってく。そろそろ寝るかと言わんばかりにイツキは砥石を仕舞うけど、その視線はとても悲しいものだった。

 

「……あの日救った少年がもしアドルフだったら、最初の悲劇を起こしたのは俺かもしれない」

 

そうぽつりとこぼしたイツキの脳裏には、イビルジョーから卵を庇う、幼い少年の姿が浮かんでた。

 



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19話

第三章 黒い騎士篇


父親の墓には右腕しか埋まっていない。

それ以外の部分は銀色に輝くリオレウスに焼かれ、骨すら残らなかったからだ。

泣きながら父のオトモであったレオは語った。そして腕だけになった父・タイジュをユクモに連れて帰って来てくれた。ツバキがまだ幼い少女の頃である。

 

 

ユクモには大きな農場がある。

その奥には鉱石が取れる洞穴があり、洞穴の上は崖だった。見晴らしの良いその場所に、父親の墓標は立てられた。

父のオトモ、レオはそこにいつもいた。泣いていたり黙祷していたり様々だったが、明るい表情でいたことはない。春には花を摘んで供えて、秋には美しい紅色の葉を持ってきた。ツバキの記憶の中のレオは、そうやって父の死に嘆き続けたアイルーだった。

 

レオの腕は一級品で、装備の強さやレベルの高さからスカウトに来るハンターも山といた。

ある人は言った。〝ここまで立派なアイルーは見たことがない〟〝是非オトモになってくれないか〟

しかしどんな好条件を出されようとも、レオが頷くことはなかった。

 

やがてレオは、姿を消した。

 

イツキは樹海に行くと聞いたらしい。タイジュと……父と出会ったあの樹海に行くのだと。

理由は聞かなかった。そしてそれきり、帰って来ることはなかった。

 

 

 

 

 

「一つわかることがある。レオは、半端な気持ちじゃ親父以外のオトモはしない。黒い騎士はレオが認めるだけの男だということだ」

 

脛まで埋れるほどの積雪と、視界を塞ぐような降雪の中、ヘルムに積もった雪を払いながらイツキは言った。ツバキは幼かったから覚えていないことのが多いが、レオは息をのむほど立派なオトモであったのだ。父の知識と信念をこれでもかと受け継いでいた。強く、思慮深く、何より優しい性格だった。

 

「つまり、戦争を目論む悪党のオトモをするわけねえし、いい人ぶった野郎に騙されるほど間抜けでもねえ。黒い騎士の事情や理由はわからんが、レオが協力するだけの目的があるんだろう」

 

ホットドリンクを飲んで尚も指先の悴む寒さであった。ヒンメルン山脈はシュレイド地方の東西を分かつ山脈だ。この山脈を挟んで西側は温暖、東側は寒冷地域となっている。

ドンドルマからシュレイド地方に陸路で向かう場合はこの山脈を越えなければならず、直線距離では近いがとても険しい山道だった。ここを越えれば断絶された東シュレイド国領に着く。とはいえ密入国になるために、イツキとツバキはギルドカードなど身元を証明する全てをトウクに預けてた。いざとなったら難民のふりをしようというわけである。

 

 

「兄貴……なんで黒騎士は、極限化モンスターばかりを狙うんだろう」

 

喋れば雪は口の中まで入ろうとする。そのため歩行は必然的に俯きになり、吹き荒ぶ風音のせいで会話は聞き取りにくいものだった。

氷海の気味良いパウダースノーと異なって、ここいらの雪は重く硬い感触がする。じゃく、と鈍ったような音を踏みしめ、二人の足跡は続いてゆくけど、数メートル後ろのものは既に降雪で消えていた。コンパスを失えば遭難してしまうだろう。それくらいに視界はどこも白一色だ。

 

「わからない……が、人為的に極限化されたリオレウスを従えてると言ってたな。なら、もしかしたら、〝人為的に極限化させる〟ことに関係してるのかもしれない」

 

「……え?」

 

「どうやったら極限化ってのはさせられると思う。ただの狂竜化ならウイルスを餌に含めるなり注射なりすれば一定確率で発症するだろう。けど極限化はそうは限らない」

 

極限化とは狂竜化の影響を克服し、己の力と化してしまった恐るべき状態を指すものだ。

「限りなく極みに迫りし者」とも称され、同じ地域に存在した同種の個体を一匹残らず駆逐してしまうほどの狂暴性と戦闘力を獲得している。

これは狂竜症による命の危機を跳ね返したために得られた力だ。

 

つまり、平たく言うなら人為的な極限化とは、人為的に狂竜ウイルスを克服させることが本質なのだ。

 

「……前に原生林で極限化した子供のラージャンに会った。狂竜ウイルスに感染した母親が産んだんだ。だから、抗体があったんじゃって……」

 

「一理あるな。けど、そいつはあくまで偶然だろう。意図してそれをするのは難しい」

 

……確かにと、ツバキは頷く。

わざわざ竜を妊娠させるのも大変だし、都合良く妊娠してる竜を捕獲できるとも限らない。また、この方法は胎生でなければならないが、リオレウスは卵生である。

 

「黒い騎士は極限化モンスターばかりを狙ってる。そして、極限化モンスターだけから得られる素材がある。それは種が違えど共通の形で現れるんだ。なんだかわかるか」

 

「極竜玉……」

 

「そうだ」

 

狂竜ウイルスを克服した竜だけが持つ特殊素材、それが極竜玉だ。

そもそも竜玉とは大型の竜の体内に入った不純物が長年蓄積されて鉱石の様になった物と言われてる。言わばモンスターの結石であり、竜の体内で生成される為か、特異な物質で形成される。なれば極竜玉は狂竜ウイルスの結石ということになる。

 

「極限化モンスターからのみ発見されるということは、逆に考えれば体内で極竜玉を精製できた竜だけが克服出来たってことになるよな」

 

「……うん」

 

「だが感染した殆どの竜が死に絶える以上、この極竜玉を作り出すことは相当難しい筈だ。原理は知らねえけどな。

けど、もし、その極竜玉を移植することが出来たとしたら?」

 

じく。じゅく。

踏みしめる雪の音がする。甲冑の溝から浸入してきた雪の欠片が、じんわり溶けて足の指を冷たくさせる。

険しいと有名な山脈の傾斜は伊達じゃなく、みるみる角度をきつくする。直線距離ならさほど遠くはないはずなのに、実際に越えるとならば酷く無慈悲な道程だった。まるで、山そのものが人間を拒絶してるみたいだ。

 

 

「待って……兄貴、待って……それじゃあ、黒い騎士が極限化モンスターを狙ってるのは、極竜玉を集めるためみたいじゃ……」

 

鋭い突風が吹き抜けた。痛みすら与えるそれがツバキ言葉を途中で掻き消す。風音は女の悲鳴にも似て、身体を横から吹き殴る。

ツバキは言いかけた言葉を続けたりはしなかった。しかし彼女が噤んだ言葉の続きを、イツキもまた理解していた。

 

────まるで、まるで、極竜玉を集めることは、新たな極限化モンスターを生み出そうとしているようではないか、と。それを「なんのために」か考えた時、真っ先に浮かぶ言葉は〝戦争〟だった。

 

 

「兄貴、ダラハイドと、レオは……」

 

「全部俺の憶測だ。逆の可能性もある。国が新しいモンスターを生み出す前に、騎士が極竜玉を先取りしてその芽を摘んでる、とかな。

それに、お前がさっき言ったラージャンじゃねえが、抗体をワクチンや予防接種みたいに注射して克服させてる可能性もあるんだ。何が言いたいかって、つまり、色々な可能性を考えとけってことだよ」

 

考察は人間の強みであるとイツキは言う。予想が当たろうが外れていようが、考えておくことが大切なのだ。未知の事実を前にした時、混乱するだけで何もできない無力な生き物にならないために。

「なぁ、アドルフは喉に女王のフェロモンを埋めたと言ったな」

 

「……うん」

 

「シナトのクエスト受付嬢の話だと、黒い騎士の声は〝喉が潰れたように〟嗄れて掠れていたらしい。アドルフは……喉を負傷してる可能性がある。もしかしたらもう、極限化モンスターを支配できなくなってるってことも……」

 

ゲネル・セルタスから集めた女王のフェロモンを改良し、催眠状態から竜を支配下に置くというのが、ダラハイドに与えられた力である。彼は生まれつき狂竜ウイルスに感染しない体質だった。そのため極限化したモンスターと長時間密接していようとも、感染することなく指示を出すことが可能だと、研究者たちはその成果をダラハイドに託したのだ。

 

だが、もし喉の負傷が事実であるなら、そのプロセスが破綻してしまうことになるまいか。喉とは施術を施したであろう場所なのだから、そこが潰されたとならば機能は果たして正常であるのだろうか。

黒い毛皮のマントに、王室騎士のようなヘルムを被り、喉を潰され、身の丈を超える剣を持つという黒い騎士。その実態は、人が思うよりずっと脆いものかもしれない。

 

「……そっか」

 

ツバキは小さくそれだけ言った。

受け入れなければならない。例えダラハイドが、どのような状態だったとしても。滑らかな声で彼女を呼んだ、ダラハイドの声が脳裏を過る。

 

連れなくするな、G級ハンター殿。すごいな、ハンターはこんな世界を見てるのか。そうだ、行けばいいだけの話だった。

ツバキ、お前は俺の憧れだった。

 

────彼の、喉が、潰された。

生きていると知っているのにそれを悲しく思うのは、彼の声が好きだったからかもしれない。……そうか、もうあの声で名前を呼んではもらえないのか。そんなことを考えた。

 

 

やがて二人は崖の前に辿り着く。切り立つ岩は高く聳えているけれど、触れて強度を確かめたなら、なんとか登れそうなものだった。

「……ここ登ったらビバークしよう」

 

イツキはそう言って溝に手をかけ、ボルダリングさながら岩を登り始める。ツバキは頷き後に続いた。東シュレイドまではまだ長い。

 

 

……………………

 

 

 

赤い海と、沈む祖国。

年端もいかぬ頃に見た地獄絵図は、色褪せることもなく今尚脳裏に焼きついている。

彼は────アドルフ・ダラハイドは、石壁に水の滴るような、鉄格子の部屋に寛いでいた。窓の外は酷い吹雪で昼間というのに光を通さず、壁の松明だけが光源という仄暗さの中、固い床に寝そべってるのだ。牢獄さながらの部屋ではあるが、彼は投獄されてるわけではなかった。ここは、かつての彼の部屋なのだ。養子縁組される前の、奴隷時代の寝室だった。

 

古びた木材の扉の下部には、開閉式の小窓がついてる。そこから粗末な飯を与えられるのだ。家畜に餌でもやるみたいに。

それが今では……

 

 

 

「王子、また、このような場所に……」

 

四、五年程前であろうか。義理の姉……ダラハイド家の養子でなく本当の娘がここ東シュレイド王国の王族に嫁いだ。もとより上流貴族として姫のように立ち振る舞ってる女であったが、これで本物のお姫様というわけらしい。

で、姉が姫なら一族は皇族入りである。王位継承権こそないものの、彼もまた王子の一人ということだ。アドルフはこの「王子」の呼称を酷く嫌った。

 

「……よせ、王子と呼ばれるのは嫌いだと言った」

 

「しかし……」

 

「なら大佐でいい。大佐も嫌いだったが〝王子〟は最悪中の最悪だ」

 

アドルフにはもう一つ肩書きがあった。

東シュレイド王国軍竜撃部隊大佐というのがそれである。これも蓋を開ければ酷い話で、まず部隊と言いながら隊員はアドルフ一名しかいない。いや、正確にはアドルフと黒いリオレウス一頭であるが。いったい何の大佐なのか疑わしくもなろうものだが、この理由がまたあまりに滑稽なのだ。

曰く「仮にもダラハイド家の者が軍務に就くのに、ショボイ階級では箔がつかない」との言い分である。そんなもののためにアドルフはたった一人の部隊に属し、形だけ大佐の地位を貰った。全てがダラハイド家の因縁なのだ。いや……そもそも、この身体が狂竜ウイルスに感染しない体質だから……。

 

 

もう何年前になろうか。あれは、難民として東シュレイド国に追いやられ、ダラハイド家の農奴となって一年経つか否かという頃だった。近隣の森からウイルス感染したジンオウガの亜種が現れ、ダラハイド家の領地へ襲いかかるという事件が起きた。

苦しみからのたうつように暴れ狂うジンオウガ亜種の猛攻は、たくさんの死傷者が出てしまう。四人がかりで果敢に立ち向かってくれたハンターも、うち一人は命を落としてしまったそうだ。それだけ、被害は甚大だったのだ。

 

ウチケシの実は狂竜ウイルスの進行を緩めてくれるものの、全員の狂竜症を完全に治癒するにはあまりに数が不足していた。そして発症してしまったら、あらゆる抗体や自然治癒力が完全に失われてしまうのだ。こんな恐ろしいウイルスを、王国は野放しに出来ないという決断をした。そのために、撃退後の措置は人道的なものではなかった。

当時まだウイルスの全容が解明されていなかったばっかりに、礼拝堂にシーツや毛布を敷き詰め負傷者たちは閉じ込められた。攻撃を受けた者は狂竜ウイルスに感染するから、感染がこれ以上拡大しないための隔離である。

アドルフもまた、礼拝堂に閉じ込められた一人であった。

 

町人というものはハンターのように自力で克服する力を持たず、また貴族のように高価なワクチンを投与できる金もないのだ。縋るように僅かなウチケシの実を分け合いながら、狭い教会に押し込められた感染者たちは、粗末な炎で暖を取りながら慰め合った。感染を恐れた医師たちが治療を拒否したために、悪質な隔離環境は軽傷者を重傷者に、重傷者を危篤状態へと変えてゆく。

 

同時にこの頃から、王国は狂竜ウイルスの研究機関を生み出した。アドルフの体質が判明して養子縁組されたのも、この研究機関が教会に閉じ込めた感染者たちで人体実験を行ったのがきっかけである。

 

奴隷から貴族になった彼は軍学校に通わされ、傍らでは研究機関で狂竜ウイルスの実験に数多に付き合わされてきた。

難民が雪崩れこむことで荒れた内政が、狂竜ウイルスを領土拡大に利用しようと方針を固める。やがて白羽の矢が立てられた西シュレイド管轄圏に商業の名目のもと派遣された伯父と共に、アドルフは原生林に赴いたのだ。そして、ハンターを見た。

 

奪った卵を奪い返そうと襲いかかるリオレイア、それを捕食したイビルジョー。果敢に戦うリオレウス。卵を抱えて震えることしか出来なかった幼いあの日、唯一駆け付けてくれたのはハンマーを担いだハンターだった。

思えばあの時からずっと、ハンターに憧れたのかもしれない。そのハンマーは、奇しくもバルバレで出会ったツバキと目元が少し似ていた。

 

 

 

「……で、なんの用なんだ?」

 

「その、リオレウスがまた……」

 

アドルフを呼びかけた衛兵はおずおずと言う。ああ、またか。彼は思った。持ち帰った卵から孵ったのは雄だった。……リオレウスだ。数多の失敗を繰り返し、数え切れない竜が死ぬ中、そのリオレウスだけが人為的な極限化に成功をした。しかし極限化せども狂竜ウイルスはそもそも寿命を削ってしまう性質がある。唯一の成功例であるリオレウスを死なせないためには、定期的なワクチン投与が欠かせなかった。それを行えるのは、触れても感染しないアドルフだけだ。他の者が女王のフェロモンを身体に埋めても、触れることが出来なくては意味がない。

 

「……わかった」

 

彼は頷く。

リオレウスが拘束されるのは地下だった。

 

 

あのとき卵を助けたかった。

けど、これじゃなんのために助けたのだろう。

黒いリオレウスは、終わらない苦しみの中で今尚もがき続けているのに。

 

アドルフは思った。きっと催眠が溶けたら、最初にリオレウスは自分を食い殺すのだろうと。

 

歩けば身体がみしりと痛んだ。……二年前の古傷だった。

 



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20話

第三章 黒い騎士篇


「全く……なんのために西に行ったんだ。あれほど見つかる前に仕留めろと言ったのに。おかげで西シュレイド地方でも狂竜ウイルス研究機関ができてしまったし、今じゃあっちのハンターも抗竜石をぶら下げる始末だ」

 

口だか肥溜めだかわかりゃしないとアドルフは思う。まともな会話が出来そうもない。それくらいに臭く嫌味ばかりを言うのだ、彼の伯父という人間は。

 

「西シュレイドに消えた極限化セルレギオスを、あっちの連中に見つかる前に始末する……そういう任務だったはずだ。ギルドカードまで発行させてやったのに、あろうことかハンターごっこに夢中になりおって」

 

二年前、アドルフが西シュレイドに渡ったのには理由があった。秘密裏に戦争兵器として極限化モンスターを研究する東シュレイド国は、〝極限化モンスターを認知されること〟そのものを阻止したかったのだ。そのため偶発的に極限化したセルレギオスがヒンメルン山脈を越えたとの報せを受けて、国軍はアドルフに指令を出した。

西シュレイドは氷海や砂漠を始め奥地になるほどハンターでなければ進入不可の地域が数多に存在するため、アドルフはハンターとしてのギルドカードを発行されて、争竜石をぶらさげ単身国を渡ることとなる。

 

「伯父上、説明したはずだが。〝ただのハンター〟では行動範囲が狭いのですよ。どこに行ったか見当もつかないセルレギオスを探すためには、〝どこへでも行けるハンター〟になる必要があったんですがね。すなわち、G級です」

 

「ぬかすな。結局『我らが団』とやらのハンターが仕留めたそうではないか。その後も音信不通になりおって。よもや亡命する気かと騒がれたのだ、馬鹿め」

 

酒を飲むと毎回同じ話をする奴がいる。伯父の場合は決まって二年前の話を蒸し返すようだった。ネチネチ、ネチネチ、いつまでもアドルフを責め続けるのだ。ワイングラスが乱暴に置かれ、不快な音が耳を触った。脇のボトルはもう殆ど残っていないが、このペースならもう一本は飲むかもしれない。

 

「だから……ウカムルバス討伐に成功したというのに、あなたがG級許可証の発行を阻止したんですね?」

 

「ふん、ガキめ。よく聞け、あれはハンター協会とやらのとあるツテに、金を握らし発行させたギルドカードだ。目立たれては困るのだよ。あのような短期間に下位からG級とやらになど、嫌でも話題に登ろうものだ」

 

「……音信不通だった件も、遭難したのだと説明したはずですが?」

 

「白々しい嘘を抜かすな。どれだけお前の後処理をしたと思ってる」

 

豪華なソファー、金の装飾の施したテーブル、足場は暖かな毛皮を敷いて、天井からはシャンデリアが吊るされる。この贅沢と絢爛を詰め込んだ部屋に鎮座して、伯父はハムを齧りながら延々と説教を繰り返している。

リオレウスにワクチンを投与した帰りに、うっかり姿を見られたのが失敗だった。

 

「挙句、ギルドカードを返せと申したのに失くしたとは何事か」

 

「ハンターというのは過酷なのですよ。どこで紛失したのか皆目見当つにません」

 

「過酷だと?汚らしく、貧乏臭く、泥だらけの野蛮な人間ばかりでないか。大体────」

 

 

握り拳がみしりと鳴った。あとどれくらい、この聴くに耐えない戯言に耳を侵されるのだろう。いっそ竜でなく、この男を斬り殺してしまえたら……

不意にそんな殺意が沸く程度には、伯父を腹の底から嫌悪している。

こんなものの〝都合〟のために、二年前幸せを手放した。それを悔いる余裕もないまま、アドルフは地獄の底にいる。

 

二年前、もっと、もっと力があったなら、今頃きっとまだあの仲間達と一緒に居たのに。

 

 

 

 

……………………

 

 

 

ザボアザギル二頭狩猟

 

ドスバギィ撃退

 

セルレギオス撃退

 

極限化ラージャン狩猟

 

ウカムルバス討伐

 

ダレン・モーラン狩猟

 

錆びたクシャルダオラ観測

 

ベリオロス亜種狩猟

ディアブロス狩猟

ティガレックス狩猟

 

闘技大会出場

ギギネブラ Aランク

ドボルベルク亜種 リタイア

 

ガノトトス亜種狩猟

 

オオナズチ撃退

 

??? 観測

 

 

 

アドルフは懐からギルドカードを取り出して、二年前で更新の止まった戦歴を見た。

ギルドカードの返却を伯父に求められ、拒絶するために「失くした」と嘘をついてまで隠した宝物だ。

この戦歴はツバキとの出会いであり、ノイアーやシドとの友情がこれでもかと詰まってる。失われた幸せの記憶の結晶だった。

きっと、あの四人でなければ成しえなかった。一つ一つが、昨日のことのように頭を巡る。

 

戻りたい。

 

戻りたい。

 

けれど戻れるはずがない。それを知るから、アドルフはここに留まっている。

もう道は別れているのだ。

 

震える指で触れた瞼の裏側に、今尚赤がこびりついてる。それは曖昧な予感などではなく確信だった。まばたきの狭間に、ひきずりこまれるように罪悪感が満ちてゆく。アドルフは奥歯を噛み締めた。

微熱に浮かされた脳が後戻りはできないのだとぼんやりと告げて、彼は一歩を踏み出すのだ。

 

〝さあ、行こうか〟

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「こいつはナチュラルか?それとも人為的な極限化か?どっちだと思うよ、ツバキ」

 

厚い雲のせいで空は暗く、朝だか昼だかわかりにくいが、時計と腹の空き具合から朝というのは察してる。

相変わらず降雪量は容赦なく、足場の悪さや視界の悪さに拍車をかけてくるけど、寒さだけは免れた。運動すりゃあ温まる、身体はそういうふうに出来てるからだ。

 

氷海に生息するはずのガララアジャラの亜種が、巨体を雪に沈めることなく滑ってくる。そこ赤く光る眼光と、口元から立ち昇る黒い邪気にも似たウイルスに、極限化は明白だった。ガララアジャラ亜種は寒冷地域での迷彩効果を高めるためか、寒色系をベースとした独特で複雑な体色を持つ。そのため吹き殴る吹雪の中では、姿が蜃気楼もさながら揺らめいてしまうようだった。

 

「ナチュラルだといい。人為的なら人の管理下にあるはずだ。ならこいつは誰かの命令で襲ってきたことになる。ナチュラルだって思いたいよ」

 

ツバキは背中の銃をぐるりと回し、中折れ式のバレルを地面に突き立てた。巨体であればあるほど貫通弾は相性がいい。なれば五十メートル近い体躯をも観測されるガララアジャラやその亜種は、比較的やりやすい相手だろうか。

 

「同感だ、よっ!」

 

イツキは力を溜めた腕を思い切り振り回し、鋭い嘴に向けてハンマーを振るう。ガキン、と鈍い音がして、直後にイツキは舌打ちをした。やはり、硬い。渾身の力を込めようとも、最高クラスの斬れ味だろうと無関係に弾かれる。極限化個体の最も厄介な性質の一つだ。ダメージがあるのかないのかわかりゃしない。

 

 

……この二年、変化したのはハンターランクだけではなかった。G1だったツバキはG2に昇格し、イツキは特別許可証すら持っている。だが最も大きな変化とは、〝極限化モンスターと戦う術を手に入れたこと〟ではなかろうか。

 

先にそれを使用したのはイツキだった。抗竜石と呼ばれるそれを武器に提げ、極限化したモンスターと背反するように白い光が切っ先に宿る。武器を弾かれなくするものだ。人はこれを〝心撃〟と呼び、限られた者だけに与えられた力であった。

人間はモンスターのように極限化は出来ないけれど、対抗すべく手段はきちんと持っているのだ。もう一度振り抜かれたハンマーは、今度は弾かれることなく打撃を与える。

ずり、と後ろ足が雪に沈んだ。荒れる風音に耳が既に麻痺しかけてる。ガララアジャラの亜種には原種のような鳴甲はなく、しかしよく似た形状で後頭部や尻尾などには一際発達した特異な甲殻が立ち並ぶ。これらの甲殻は通常種の〝音を増幅させる〟効果は持っていないものの、代わりに非常に高い撥水性を持っていた。「撥水甲」と呼ばれるものだ。

 

「……よし!」

 

ツバキもまた抗竜石を武器に使った。……今ならわかる。二年前、ダラハイドが幼体のラージャンに用いたアイテムはこれだったと。抗竜石の認知が広まったのは〝とあるハンター〟が極限化したセルレギオスの討伐という一連のプロセスの結果でもある。時系列にしてセルレギオス発見や極限化を研究機関が知るより先に、ダラハイドは抗竜石を持っていてかつ用途を知ってたことになるのだ。

去り際にダラハイドは言っていた。自分の国は、もうずっと昔から極限化について研究を重ねていたのだと。あれもつまり、そんな事情の一端だろうか。

 

幼体といえど極限化したラージャンを前に、撃ち抜かれた気功の痛みも覚えてる。あの日自分を救ってくれたダラハイドの力と、同じものを手に入れたのだ。

 

「兄貴、いくよ」

 

ツバキは銃を真っ直ぐ構えた。同時にガララアジャラ亜種が尻尾を振り回し撥水甲を射出する。これは攻撃というわけではなく、周囲に撥水甲をばら撒く事に意味があるのだ。蛇竜種は狡猾さと知能の高さが顕著であり、それを存分に発揮した戦法が特徴的だ。撥水甲はただ水をはじくだけでなく、衝撃が加わった瞬間に形状が変化するという特性もあり、強い水流などが叩き付けられるとその流れの方向を大きく変化させる。この性質からガララアジャラ亜種が放つ水ブレスも、撥水甲にぶつけられると思いも寄らない方向へ飛び交う事になるのだ。

恐ろしいことにガララアジャラはこの特性を理解して、自分でばら撒いた撥水甲に自分でブレスを当て、その反射を利用して獲物の死角から的確に攻撃を当てていくという極めて独特な戦法を取る。

ツバキは真横に回避して撥水甲から距離を置くものの、不規則に乱反射する水流ブレスに距離は無意味なものと理解していた。

 

スコープを覗く。中央の十字に鋭い嘴が合わされば、あとはもう容赦なかった。彼女のアグナコルピオが火を噴いて、轟音と共に貫通弾を撃ちだしてゆく。風速は強く天候は最悪なものであったが、そんなことで彼女の命中精度は下りはしない。

 

二発、四発、……怯む。そうと確信すると同時にイツキのハンマーが降ってきて、脆いといわれる尻尾の先を打ち付ける。

 

五十メートル以上と言われる巨体が雪の上をぐるりと滑り、禍々しいウイルスを散らしながらガララアジャラは咆哮をした。飛び散ったウイルスが波紋状に残骸を残し、黒い沼をいくつも作る。まるでここは白い地獄のようではないか。

スコープの中の嘴が、痲痺牙を剥き出しにかぱりと開いた。その予備モーションで直ぐに察する。……ブレスが来る。

その高威力さ故に撃ちだすガララアジャラ自身も反動に上体をのけぞらせ、吹雪の中を水流が刃の如く放たれた。

 

 

 

────ダラハイドの武器は身の丈を超える大剣で、その側面から、常にツバキを守ってくれた。

この剣の内に入れと言って、二度とお前に被弾させたりしないと言って。

迫り来る水流をかわした刹那、浮かぶのは二年前の仲間の言葉であった。

 

ツバキに避けられたブレスは背後の撥水甲にぶち当たり、ランダム方向へ乱反射を開始した。ガララアジャラの瞳が細まる。最初からこれを狙っていたと言わんばかりに。

 

あてつけみたいな意地があった。

ガンナーは打たれ弱いけど、守られなきゃ駄目なほどひ弱になった覚えはないのだ。ダラハイドは勝手に守ると決めただなんて言う。けど、動きも納刀が遅く、全てにおいて鈍足にならざるを得ないヘビィの立ち回りはたった一つだ。

 

〝当たらないこと〟

 

シンプルだ。行動を先読みして一手早く回避行動をすればいい。

そこで必須スキルである回避距離アップを積み、フルチャージと複合させた装備編成が今の彼女の防具であった。ツバキは銃の重さに不釣り合いなほど身軽に動く。臥せった頭上を乱反射したブレスが過ぎた。ヒュウ、とイツキが口笛を吹く。

 

フルチャージとは、「ダメージをただの少しも受けていない状態」という限定的な状況で、強大な攻撃力を手に入れるというスキルだ。ただの少しもダメージを許されないということは、フルチャージを維持するには擦り傷すら負うことができないということだ。ブナハブラに刺されただけで、フルチャージは効果を失う。

点在する撥水甲を乱反射する水流ブレスをツバキは重々しい銃を背負いながら避け続けていた。側転し、低く伏せ、さながら氷上を踊るみたいに。

やがて撥水甲が脆く崩れて、ツバキは再び銃を構えた。

 

そうだ、当てつけみたいな気持ちだ。

あんたが守ってくれなくたって、私は被弾したりしない────そんな、ふうに。

 

 

「行くぞツバキ!もう〝解除〟だっ!!」

 

イツキのハンマーが光を放つ。この、一撃で。ちょうどそんな瞬間に、空から人影が降って来た。

 

 

 

吹き荒れる雪に指が悴む。その獰猛な天候故に、遠くにのたうつガララアジャラと、その背に跨る人影は疎らなシルエットしか視認できない。

目を細めれば、身の丈を超える武器の切っ先が赤い光を放ってる。強風から身を守るように身体を覆う黒い毛皮と、そこから伸びる褐色の肌。王室騎士を彷彿させるヘルムの奥から、鋭い眼光が射していた。

 

「黒い騎士!!」

 

イツキが叫んだ。間違いない。特徴が全て一致している。

 

ガララアジャラの背に着地した黒騎士は、そのままハンターナイフを突き刺し続けた。ダウンを取るつもりなのだろう。暴れ狂う巨体の上で、騎士の身体は小さく見えた。小さいのに、なのになんて禍々しいのか。

毛皮のマントが背ビレの上部ではためく。そこから僅かに、ラージャンの尾に似た装飾が見え隠れする。金色の毛色は、それが激昂ラージャンのものとすぐにわかった。

まさか、あんな恐ろしいモンスターすら黒い騎士は狩りとったのか。

 

 

「ダラハイド!ダラハイドなんでしょう?!」

 

ツバキは叫んだ。声は吹雪や咆哮に紛れてゆくけど、なんとか声を届かせたくて。だのに黒い騎士はぴくりとも反応してくれず、一心不乱にガララアジャラにナイフを突き刺す。

 

「ダラハイド!!」

 

彼女が叫ぶ。聞こえないのか。聞こえていても無視しているのか。

 

「ツバキ待て!……問いただすのは、狩猟の後にしろ……!」

 

駆け寄ろうとしたのを制止したのはイツキだった。背に乗られ、ナイフを刺され続けるガララアジャラは惜しみなく巨体を振り回す。下手に近付けば弾き飛ばされてしまうだろう。まして極限化解除前である今は、その威力は計り知れない。

 

 

「兄貴っ」

 

「冷静になれ、どっかにレオが居るはずだ」

 

そう言ってイツキの視線は近場の崖の上を向く。あの騎士は〝上〟から現れたのだ。それが空からでないのなら、おそらくらあそこから飛び降りてきたのだろう。ならばレオも……

 

 

その時だった。足場がぐらりと揺れたのだ。

 

 

「え……!?」

 

雪が粉煙のように立ち登り、煙玉を使われたもさながら視界が白く濁った。ツバキは信じられないものを見た。ガララアジャラが、沈んでゆくのだ。ズズズ……と重々しい音を立て、撥水甲の聳える尾先が不自然に視界から消えてゆく。次に見たのは大地の割れたようなヒビだった。雪にいくつも溝が走って、それが分離しながら離れてく。

ツバキの腕をイツキは掴んで、そのまま後方に引っ張り込んだ。彼女がよろめきながら後退すれば、さっきまで足場であった場所まで崩れてく。やがてそれらは、奈落の底へと飲まれて消えた。

 

「……クレバス……!ヒドゥン・クレバスだっ、離れろ、でかい!」

 

ヒドゥン・クレバスとは通常のクレバスと異なって、積雪が表面を覆い隠してる状態を指す。そのため一見して足場は平坦なそれに思えるけれど、いざ体重をかければガラガラと崩れてしまうから恐ろしいクレバスのことである。言わば大自然の作った落とし穴だ。

 

ヒドゥン・クレバスは「隠される」という性質上、大規模でないことが一般的だが、ここヒンメルン山脈ではそんな常識は通用しないというのだろうか。五十メートル級のガララアジャラ亜種をすっぽり飲み込んでしまうほど、目の前のクレバスは巨大で深いものだった。ツバキは固い唾を飲む。あと一メートル前にいたら、イツキが引っ張ってくれなかったら……今頃。

覗き込んだ穴の向こうは〝深淵〟と形容するに相応しいほど闇が色濃い。ばらざらと縁の氷解が吸い込まれるように堕ちてゆく。この闇に、騎士とガララアジャラは消えてしまった。

 

ツバキは膝の力が抜けた。……ダラハイドが、ここに、落ちた。ガララアジャラと一緒に。その事実に胸を横殴りにされたようで、無意識に唇はわなわな震えた。

 

胸を蝕む絶望は、シドの死を知った時とよく似てる。また、仲間の命が消えるのだろうか。彼女はまばたきすらも忘れてた。このクレバスが、どれだけ深いのかもわからないのだ。

 

「……いや、ハンターなら、並大抵の〝高さ〟じゃ死なねえ」

 

努めて冷静に耳を撫でたのはイツキの言葉だ。雪がばらばら散っている。

 

 

「そうだろ?レオ」

 

〝レオ〟

 

その言葉にツバキは跳ね上がるように振り返る。同時に真っ白い雪の丘から、びくんと驚く気配を拾った。

 

「わかってる、出てこい。俺たちを忘れたわけじゃないだろ?」

 

イツキは続けた。そこにおずおずと現れたのは、複雑そうな、それでいて悲しげな目をしたアイルーだった。

間違いない。古龍の武具に、顔の傷。硬い毛並み。父、タイジュのオトモ────否、相方だったレオがいる。

 

「……久しぶりだな」

 

「旦那の、子供……イツキさん、ツバキさん」

 

レオが答える。

 

「あの騎士は、何者だ?何故極限化モンスターを狙い回す?知ってるのか、今じゃ協会は彼をお尋ね者扱いなんだぜ」

 

「……」

 

レオはとてとてと歩み寄り、たった今主人の消えたクレバスを見た。吹き荒れる風すら飲み込んで、風鳴りは悍ましい雄叫びのような音だった。レオの耳がぴくりと動く。

 

 

 

「追う気か?」

 

「……旦那は生きてます。僕は、旦那を二度と死なせない」

 

轟々と鳴る恐ろしい風。光すらも届かない深いクレバスの底へ、レオは飛び降りて追うという。

……レオ。震える声でそう呼んだのはツバキであった。

 

「レオ、騎士は、アドルフ・ダラハイドなんでしょう?なんで一緒に?」

 

聞きたいことが山とある。だのにレオは、悲しい目をして首を左右に振るだけだった。

 

 

「ごめんなさい。旦那のことは、話しちゃいけないって言われてます」

 

「……っ!レオ!私は、私達は仲間だった!シドと、ノイアーと、ダラハイドと私は、仲間だったんだ!騎士と話したい!」

 

「…………ごめんなさい」

 

レオはそれでも、首を縦に振ることはなかった。胸を軋ますように辛い顔をした後に、あっさり前へ踏み出したのだ。

ぴこん、と気の抜けた音がした。ハンターなら誰しも知ってるのこの音は、サインと呼ばれるものだった。ツバキは思わずクレバスを見る。サインは、この下から放たれた。騎士がレオを呼んでいるのだ。

 

────生きてる。

 

「行かなきゃ」

 

「レオ!」

 

「……ツバキさん、イツキさん。僕たちは滅びた王都、シュレイド王城跡を目指しています」

 

レオはそう言い残し、やがてクレバスの中へと飛び込んだ。

 

 

 

………………………………

 

 

 

血が、ぽたぽたと白に染みてゆく。装備の隙間から流れたそれが、雪に花を咲かせるみたいに。

騎士は背中で呼吸していた。クレバスは予想外なことであったが、こうして生きてるだけマシなものか。見上げた空から注ぐ光が蒼色で、幻想的なものだと思った。四方を氷に覆われているせいなのか、それとも真っ白い世界の作用であるのか、光が蒼く輝くのだ。息絶えたガララアジャラ亜種の鱗を背もたれに、彼方の空を騎士は見上げる。

……少し、血を流し過ぎてしまったろうか。ホットドリンクは飲んでいるのに尚肌寒い。

 

「旦那、反対の腕を貸してください。そっちにも包帯巻きますから」

 

「……ああ」

 

「…………。さっき、旦那の昔の仲間に会いましたよ。叫んでたの聞こえました?」

 

「……いや、咆哮で人の声は聞こえなかった。仲間か……誰だった、女か?」

 

「ツバキさんです」

 

「……!」

 

 

ツバキ。懐かしい名前。

騎士は「そうか」と短い相槌で済ますけど、動揺があったことをレオは気取れた。やはり、大切な仲間だったのだろう。心のどこかでは、今もまだ────。

 

 

「…………レオ。二年前が、黄金時代だったと話したな」

 

黄金時代。比喩的でもあるその表現は、衰亡に至るまでの歴史の中で、最も繁栄した時代や全盛期を指す言葉だ。

 

二年前、四人でいた頃。それが黄金時代であった。ダラハイドにとっても、ツバキにとっても、全員にとっての大切な時間。あれは四人の黄金時代で、二度と戻らない過去の中の宝石だった。今はもう、こんなに血塗れになってしまった。

 

 

「ツバキさん、旦那と話したいって言ってました」

 

「……そうか」

 

「話さないんですか?」

 

「…………いや、そんなことない。ただ────」

 

がちゃ、と金具を外す音がする。騎士はヘルムをそっとはずして、血と汗で額に張り付いた前髪を上へかきあげた。その端正な面立ちは、鬼神の如く竜を殺す姿からはかけ離れた秀麗さを持っていた。瞳は悲しみを湛えたような色をする。そして喉には、痛々しい傷跡がくっきりと刻まれていた。嗄れ声の原因だ。ある時激戦の日々の中で喉をやられて、かつて滑らかだった声は消えた。

 

 

「ただ?」

 

「ただ、ツバキは、悲しむだろうな」

 

 

そう言って騎士は目を閉じた。脳裏には、いつも隣にいた仲間の笑顔が巡ってた。

 

 



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21話

第三章 黒い騎士篇


〝そのハンター〟とは樹海で出会った。

レオがかつての旦那、相方と呼んでくれた敬愛すべくヘビィガンナーと出会った場所で。

 

レオは鍛錬に励んでいたのだ。今でも悔いることがあるから。

最高峰のガンナーだった〝旦那〟タイジュは、負傷したまま銀のリオレウスと邂逅し、その業火に焼かれて消えた。あの時、せめてガードをすることができたなら。回復することができたなら。盾になることができたなら……きっとタイジュは死ななかった。

 

今でもはっきり覚えてる。タイジュと出会うより昔……自分はひどく弱々しく、顔に傷を持ち、毛並みも上等とは言えないような可愛げのないアイルーだった。ポツンと樹海の水場に腰掛けて、みずほらしい装備で空を見ていた。

 

ハンターが通りかかると、勇気を出して声をかけるのだ。ハンターさん、ハンターさん、僕を雇ってください。頑張って戦いますから。強くてカッコいいオトモに、ずっとずっと憧れてたんです。

そう言って、おずおずとすれ違うハンターに申し出た。

 

ある人は装備の脆弱さに、またある人はレベルの低さに立ち去ってゆく。時折足を止めてくれる人もいた。とても戦力になりそうもないレオを見てから、思案しながら尋ねるのだ。回復や解毒は出来るか?罠を貼ることは?なら採取は得意か?

次々にくる質問に、申し訳なさそうに首を振る。どれも出来ない。出来るのは攻撃だけだ。あと笛が少しだけ、攻撃力を上げる効果のある笛だった。

頑張って戦います。攻撃をたくさんします。剣もハンマーも、ブーメランでも、武器はこれから全部覚えます。だから……

 

だから。その先を聞いてくれた人はいなかった。ハンター達は決まって落胆した表情で背中を向ける。小さくなってゆく人影を、樹海の真ん中でいつまでもいつまでも眺めてた。もう随分昔のことだ。

 

もう何人に雇用を断られたか数えるのもやめた頃。通りかかった一人のハンターに、おっかなびっくり声をかけた。

どうせ断られるとやさぐれてたし、強いオトモになるなんて夢も、半ば諦めかけてた頃だった。

 

〝そのハンター〟は大砲みたいな銃を背に、弱く小さなアイルーをまじまじ見たあとこう尋ねた。「お前、なんて名前だ?」

 

タイジュだけが、レオを真っ直ぐ見てくれたのだ。名前を聞いてくれたのだ。そして、手を差し伸べてくれたのに。タイジュの声は、カラカラと気持ちの良いものだった。貧者なレオに目一杯の愛を注いで、沢山の知識を授けてくれて、いつも稽古をしてくれた。そして、どんなクエストでも野良では行かず、レオに「行くぞ」と笑ってくれた。実力と不釣り合いな高難度でも、足手まといと言わずに「吸収するんだ」と肩を叩いて、ボロボロで歩けなくなった時にも、自分だって傷だらけなのにレオを抱えて帰還してくれた。

なのに、守ることが出来なかった。

 

塞ぎ込んでも悔やんでも祈っても、全てが抹消的に思われて、やがてユクモの墓に燻ることすら辛くなる。だからレオは旅に出た。修行に打ち込むためだった。

世界には数多の、実に多様な竜たちがいる。

一から始めようと思った。レオのスタイルはハンターにファイトと呼ばれるものだ。攻撃に長け、またハンターの攻撃を補助することも得意とする。長年そうして培った全てを封印し、レオが目指したのは〝守り〟であった。

もう誰も死なせたりしないように、レオは守る技術を磨いていたのだ。あの時、ガードが出来たらタイジュは死ななかったのだから。誰かの盾になれるアイルーになりたいと、レオは長い時間をかけて技術を磨き続けてた。

 

ボロボロの〝そのハンター〟が現れたのは夕暮れだった。各地を旅したのちはじまりの樹海に戻ってきた折りである。

そのハンターは寝床にしていた水場の脇に、血塗れで突っ伏して眠っていたのだ。奇しくもそれは、タイジュと出会った場所だった。

 

……死んでいるかと思った。だが近付けば瞳は開いて、同時にひりつくほどの闘志を放ってくるではないか。血を吐くほど弱っているのに呻きも漏らさず、よろよろの身体で武器を構えて、レオに「近付くな」と威嚇するのだ。

立っているのも辛そうで、切っ先は痛ましく震えてた。

地面に血が滴って、小さな泉を作ってく。このままでは、このハンターは死ぬだろう。レオは宥めるように一歩下がって、「敵じゃない」と繰り返したが、信用されることはなかった。

「近付けば叩っ斬る」「消えろ」ばかりを繰り返す様が、手負の獣さながらだった。レオが一歩後ずさるのと、ハンターが糸が切れたように意識を手放したのは同時であった。ハンターは、とうに限界を超えていたのだ。

 

レオはおっかなびっくりその頬に触れ、弱々しい呼吸を聞いた。そして近場に生える薬草をかき集め、布を包帯代わりに止血に使い、せっせと手当てに励むのだ。

夕日が水面を赤く光らす。その赤より赤い血で全身を濡らす、ハンターは本当にボロボロだった。一際深い喉元の傷が惨たらしく、きっと痕になってしまうだろう。

レオは必死に手当てした。タイジュに出来なかったことをするみたいに。目の前の命を、どうしても散らせたくないと思った。

 

〝そのハンター〟が意識を取り戻したのは、丸二日経過してのことだった。

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

かつて栄華を極めた王都であったその場所は、今はただ衰亡の爪痕だけを残すばかりだ。常に怪しげな霧と暗雲に満ち、異常なまでに空気を重苦しく感じる。

歴史書によるならばここは城下町であり、その跡地ということになる。そして、この先には伝説に滅ぼされし王城の成れの果てが。

 

ツバキはシュレイド王城跡を遠目に眺め、朽ちた王都を歩いてた。彼を、アドルフ・ダラハイドのことを考えながら。

イツキはまだ眠ってる。王都の一角にある廃屋にベースキャンプを設け、一晩疲労回復に費やすために。彼女はどうにも眠れずに、そんな中ふらふらと散歩に出たのだ。

 

割れた石畳や古びた煉瓦。埃まみれの木箱の山や、瓦礫と化した家や壁。権威の象徴であったであろう城のシルエットが、闇の中で凶々しい姿に見える。滅びたものは、どうしてこんなに悲しいのだろう。

 

一歩のたびに、ツバキは追憶に襲われていた。

ダラハイド。貴族のような立ち振る舞いをする男。戦争の宿命に囚われた哀れな男。ハンターに憧れていた剣士。なんでも知ってるようで、何も知らなくて、ツバキの知らない世界で生きてた。……そうだ、彼は〝サイン〟すら知らなかったのだ。氷海のベースキャンプで子供みたいにサインを鳴らして喜んでたし、ダレン・モーランの背中では気取った口調を忘れたような感嘆をした。それから、マボロシチョウを穏やかな目で眺めていたのだ。

 

騎士は……ダラハイドはシュレイド王城を目指しているとレオは言ってた。この広く朽ち果てた王都のどこかに、あるいは城内に彼はいるのか。自分がちっぽけに思えるくらいに、シュレイド城やその城下町は広大だった。彼は、この街のどこにいるというのか。

 

空が、暗い。

夜の暗さとは違う、澱んだような黒さであった。何かに呪われているように。乾いた足音すらどこか不気味で、世界にたった一人になっちまったような錯覚をする。

 

ツバキは不意にサインを鳴らした。子供のように「すごいな」と喜んだダラハイドの顔を、今でもハッキリ覚えてる。その懐かしさが、彼女に衝動的にサインを鳴らさせた。

仲間はもう、みんな居なくなってしまった。だけど忘れられないものがある。暗い空に、彼女のサインが木霊する。

 

 

……その数秒後のことだった。

たった今出したサインに、別のサインが応答を返したのだ。

サインには現在地を知らせるために、振動によって発信者への方角を伝える効力がある。

彼女は目を見開いた。

────違う。〝この振動〟は、兄の現在地の反対側だと。これは兄の反応ではない。ツバキでもイツキでもない別の誰かがここにいる。

 

もう一度、彼女はサインを出してみる。

鼓動は早鐘を打っていた。それが誰なのか、脳はもう答えを出している。レオは言ってたのだ。騎士がここを目指していると。だからこそ、ツバキ達はシュレイド城にやって来たのだ。

 

 

手の中でまたサインを拾う。返してきた。サインはまた反応をした。そして明確に彼女に応える。

 

「ダラハイド!」

 

気付けば駆け足になっていた。

畝る道を地図の確認をすることもなく、サインの鳴る方へとひたすら走った。雪山を越える長旅は疲労を蓄積したけど、今はそれすら忘れてしまった。

城へ続く坂道を、彼女は一気に駆け抜ける。干上がった水路の上にかかる石橋を渡り、行き止まりになれば塀を登って乗り越えた。ただ真っ直ぐ、サインの鳴る方角を目指した。

やがてスタミナが尽きかけて、彼女はぜいぜいと息を切らす。けれどこの先に、二年前に失ったなにかが待ってる気がして、肺が傷もうとも足が止まることはなかった。

 

「ダラハイド!ねぇ、ダラハイドなんだろ……!」

 

泣きそうだった。街灯のないそこは酷く暗く、散らばる瓦礫に時折足を取られながらも、ツバキは必死に前へと進んだ。サインが鳴ってる。この先に、彼がいる。

二年だ。このもどかしい気持ちは、二年も燻り続けて来たのだ。

 

「ダラハイド!!」

 

 

 

道が開けた。

脇道からシュレイド王城の城門にたどり着いたのだ。見上げるほどに立派な扉は、しかし閂が外されていた。施錠されていないのだ。

 

伸ばした指が扉に触れる。全力疾走のためか汗が額から滴って、顎先を伝い地面に落ちた。祈るみたいに力を込めれば、扉はあっさり隙間を作る。その奥に、黒く巨大な影を見る。

二年前に見た真っ黒いリオレウスがそこにいた。城門の奥は開けた広間になっていて、城内へ続くべく関門のその先は、焼き払われたあとのように崩壊していた。

屋外の広間にはバリスタや大砲、撃龍槍が設置され、かつての王が迎撃に備えた名残があった。撃龍槍の錆び付いた先端が、その歴史の長さを語る。天蓋を支えていたのであろう頑丈な柱が数本見えるが、肝心の天蓋は最早跡形も残っていない。

 

滅びし王城の広間の中央、赤い月の光を浴びて、黒きリオレウスは鎮座していた。その目もまた赤く凶々しく光るのに、ツバキを襲おうとはしてこない。

やがてリオレウスの後ろ脚、門から死角になろうその場所から、懐かしい声が鼓膜を撫でた。

 

 

「……久しいな、G級ハンター殿」

 

ダラハイドだ。見間違えよう筈もない。装備はあの頃と違うけど、その面立ちも喋り口調も、二年前と変わらなかった。体のどこか薄暗いところに淀んでいた古い血が、波立つ音が聞こえた気がした。

 

 

「よもやこんな所で会おうとはな。元気そうでよかった」

 

 

何事もなかったみたいに朗らかに、彼はそんなことを言う。聞きたいことがたくさんあった。だのに声が出てこない。

彼女はガキみたいな顔をして、口をぱくぱくさせた後、ようやっと声を絞り出す。

 

 

「なんで、サインなんか……」

 

聞きたいことは他にもたくさんあるはずなのに、口をつくのはそんな間抜けな質問だった。

サインはハンターの現在地を伝えるけれど、相手が誰かはわからない。クエストなら予め同行者がわかっているから特定できるが、今の場合ダラハイドは誰が送ったサインなのかわかるはずのないことだった。だのにツバキが来ることを、予期してたような口ぶりなのだ。彼はツバキを見ても驚きはせず、懐かしそうに微笑していた。

 

「……なんとなく、な」

 

変わらない。

変わらない。

記憶と全く同じ笑顔を見せる。それだけで彼女が泣きそうになる。

 

「だが、俺にサインをしてくれたのは、後にも先にもお前だけだった。だからツバキと思ったんだろうな」

 

「ちがったら、どうしたんだ……」

 

「その時考えるさ。だが現にツバキだった」

 

思い出すのは初めて共に狩猟に出た氷海だった。ベースキャンプで面白そうにサインを鳴らして、星を見ながら肉をかじった。あの頃は、バルバレに帰るとよく言っていた。だのに今は────。

 

 

「……一人か?ノイアーやシドは……」

 

言動が動かしがたい岩のような重みで胸にのしかかってくる。彼は……なにも知らないのだ。シドはもういない。この世のどこにも。

 

「……いない、いないんだ」

 

「ああ、そうか……。二年も経つものな……」

 

「違う、違う。いないんだ、二人とも、もう、〝いない〟」

 

言葉が、かつてこんなに痛みを伴うことがあっただろうか。〝いない〟……それ以上を口に出来ない。ただ彼女の崩れそうな面立ちは、それが穏やかな別れでないと伝えるには十分過ぎた。

ダラハイドはそれ以上を聞かなかった。ただ、黙って彼女の頬撫でる。

その面立ちは苦しげで、ひどく悲しそうな眼差しだった。

 

 

「……逃げろツバキ。ここにいてはいけない」

 

 

それからダラハイドは、小さな声でそう言った。夜が死人のように静まり返る。

リオレウスは微動だにせず鎮座する。深夜のシュレイド王城の空気は、未だに海のうねりのように肌に蘇って消えそうにない。彼女は数度まばたきをした。

 

「え……」

 

「戦火が広がる。遠くへ行け、ここにもうじき軍がくる」

 

「なに、を……」

 

「俺は出来ることをする。だが、お前に死んで欲しくない」

 

彼はなにを言うのだろう。東シュレイド王国に蔓延する黒い影は、未だ動きを止めないというのか。グラン・ミラオスがどうなったのか、それは聞くまでもないことだ。厄海は封鎖されたまま、国民が戻ったという話も聞かない。

 

 

「……会えてよかった。奇跡かもしれないな。こんな場所で、もう一度会えるなんて」

 

「レオが、教えてくれたんだ。クレバスにあんたが落ちたから。無事で良かった……」

 

ただ、今はただその無事に歓喜するほど、彼女にとっての二年があまりに長かった。もうあの頃に戻れなくても、今が不穏な空気であろうと、命が何より尊いからだ。

だのにダラハイドは、信じ難いことを言う。

 

 

「……レオ?新しい仲間か?」

 

 

レオ。父の元相方であり、黒い騎士のオトモアイルー。つまり、彼のオトモのはずだ。なのに彼は、どうして「そんなやつ知らない」みたいな顔をするのか。

 

「……レオ、オトモだ。一緒にいただろ?ダラハイド……クレバスにも……」

 

「いや、クレバス……?どういうことだ?」

 

「だから、黒い騎士……極限化モンスターを狙って……。え?ならなんで、ここに居るの?レオが、黒い騎士がここに居るって教えてくれて……」

 

 

まさか、別人?

彼女がそう問いかけようとした瞬間だった。

目の端に凄まじいスピードで蠢く影が映りこむ。影は姿勢を低くして、獣じみた走りを見せた。背には身の丈を超える巨大な武器、マントのように身体を覆う黒い毛皮と、首元まですっぽり収まる王室騎士のようなヘルム。見紛うことなき黒騎士である。ここに、黒い騎士が現れたのだ。

ダラハイドがその異様な動きに眉を顰めたのと、騎士が背の武器を引き抜いたのは同時であった。

 

 

「なんだ!?」

 

「黒騎士、なんで!あんたじゃなかったの?!」

 

「なにを言ってる」

 

直後、ツバキはシナトの受付嬢から得た情報を思い出す。黒騎士は、喉が潰れたような掠れ声であったこと。だのにダラハイドの首に傷痕などなく、その声は昔と変わらない。

 

「別人……ダラハイドじゃなかった……?」

 

瞬間混乱が蔓延した。潰れた喉から捻りあげたような、嗄れた咆哮が城へと響く。それはこの世の全ての憎しみを内包したような、重く低く凶々しいものだった。

大剣と良く似たその武器は、しかし大剣より剣速がある。騎士は問答無用に極限化した黒きリオレウスへ、その刃を思い切り叩き込んできたのである。

 

 

ダラハイドじゃなかった。

なら、一体〝こいつ〟は誰なのか。

ダラハイドは強く舌打ちをして、ツバキの腰をその手に抱く。彼女が驚くいとまもないまま、彼はツバキを抱えてリオレウスに飛び乗ったのだ。

極限化しているにもかかわらず、黒騎士の攻撃は弾かれたりしなかった。つまり、抗竜石を使用してるということだ。極限化モンスター最大の敵たるその効力を嫌うように、ダラハイドが「飛べ」と命じる。途端、まるで人形のように動かなかったリオレウスが翼を広げた。

 

「ツバキ、捕まれ!落ちるな!」

 

「え、え……?!」

 

「飛ぶぞ!誰だか知らんが、〝あいつ〟はやばい……!」

 

風が下から吹き抜ける。抗竜石にはタイムリミットが存在する。それまで距離を取ろうとしたのだ。しかし騎士は諦めるでもなく追いかけてくる。

 

……あの男は何者なのか。ずっとダラハイドだと思っていたのに、ダラハイドではなかった。なら、あれは、誰だ?疑問が頭の中をぐるぐる回る。そうこうしてるうちに高度はぐんぐん上がってく。

 

「なんっ────」

 

驚愕の声を、先に上げたのはダラハイドだった。

 

「うそ……!」

 

黒騎士が本来なら天蓋を支えるべく柱を登り、その頂上から武器を手に飛び掛ってきたのである。

その鋭い切っ先が、肉質の柔らかい後ろ足を斬り裂いた。リオレウスが大きく怯み、そのまま空中でバランスを崩す。

臓器の浮くような感覚がした。飛び立ちかけたリオレウスが、そのまま地上へ落下する。だがそれすら待てんと言わんばかりに、黒騎士はさらなる追撃を仕掛けようとした。毛皮から伸びる両腕が、武器を強く握ってる。

 

 

「……え?」

 

巨大な剣は再び頭上へ振り上げられた。ツバキはその一瞬に、信じられないものを見る。

厚い毛皮に覆われた、胴に銀の胸あてが一瞬ちらついたのだ。その身体は────

 

「ダラハイド、く、黒い騎士、お────」

 

彼女が単語を成すより早く、風を斬るのはリオレウスの鉤爪だった。

乾いた音がする。落下の刹那、追撃しようとした黒騎士にリオレウスが反撃したのだ。極限化個体による強烈過ぎる一撃が、騎士の頭に直撃する。衝撃に騎士はすっとんで、そのまま数メートル先の地面に叩きつけられてしまった。悲鳴すらも聞こえなかった。

 

無理な体制からの反撃に、バランスを崩したダラハイドたちもまた振り落とされる。

 

「……くそ、殺したかもしれない……!なんなんだあいつは!」

 

ダラハイドは落下の痛みに顔を顰めながらも、飛ばされた騎士の方を見る。攻撃の衝撃で上方に飛ばされたヘルムが、時間差で落下し転がってくる。金具にはひびが入り、また血がこびりついていた。

 

 

「ツバキ、大丈夫か。すまない、まさかあんな場所から飛び掛ってくるとは予想出来なかった」

 

ダラハイドが片手を掲げると、リオレウスはぴたりと止まり、騎士に追撃はしなかった。

 

ツバキがゆっくり起き上がる。数十メートル先には黒騎士が横たわっている。一瞬見えた喉の傷、その身体は男でなかった。黒騎士は……

 

ヘルムを破壊するほど強烈な攻撃を喰らってなお、騎士は力尽きたりはしなかった。

跳ね起きて、武器を構える。その面立ち、ヘルムを失って晒された素顔があまりに懐かしい。

 

 

髪が揺れた。褐色の肌が月明かりに妖しく光る。たった今負傷した傷に手当ても成さず、血が滴り落ちてゆく。

そうだ、いつも、手当てなんかしなかった。ツバキはそんなことを思い出す。だがまさか、〝彼女〟であるなどとどうしたら予想できたのか。

ギラギラと、殺気に満ちた視線が刺さる。

 

 

 

「ノイアー……」

 

 

黒い騎士は、ノイアーだった。

 



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22話

第三章 黒い騎士篇


騎士を男と誰もが思った。ノイアーは元々長身だったし、厚い毛皮のマントは体型の女性らしさを隠していた。なにより、頭部から首元までを覆うヘルムは男性用の形であり、ひどく掠れた声もまた性別を誤認させたのだろう。喉の傷が声帯を損傷したために、かつて無邪気だったノイアー声は別人のようであったのだ。

 

こめかみの肌がぱっくりと裂け、どろりと血が落ちている。それを拭いもしないノイアーは、瞳を敵意でギラギラと光らせていた。

 

 

「……ノイアー、なんで……」

 

ツバキにはわけがわからなかった。だのにノイアーは答えもせずに、武器を剣の形に構えて、今にも斬りかかろうとする。

 

統一感のない彼女の防具は、ちぐはぐながらにそのどれもが凄まじい効力を持ったものと理解できた。そしてそのスキル編成は、保身を突き放してまで火力を求めたものと見て取れる。

 

 

「旦那!」

 

遅ばせてレオがかけつけてきた。レオはノイアーを旦那と呼ぶ。ノイアーが黒い騎士であることを、間違いのない事実であると再認識させられる。

 

 

「旦那っ!〝こいつ〟なんですか!」

 

目前の黒いリオレウスを見て、レオもまた瞳を歪める。

 

「そうだレオ。私は、〝こいつ〟を追ってここに来た。────なのに、なんでダラハイドが、〝こいつ〟の背中に乗っていたんだ?」

 

ノイアーが地を蹴る。恐るべき速さで突進しながら剣斧はダラハイド目掛けて振るわれる。それを防いだのはリオレウスの翼であった。

ノイアーが叫ぶ。

 

「なんで〝こいつ〟はダラハイドを守ってるんだ!操ってたのはお前か!!」

 

かつて彼女の眼差しには仲間への温度が宿ってた。だが二年を経て、それは敵を射る冷たさへと変わっていた。

 

「答えろっ」

嗄れた声がシュレイド城の空に響いた。その怒鳴り声があまりに痛ましく、悲しい。

 

「答えろよダラハイド!なんで、ここに……。なんで、」

 

ノイアーにかつての無邪気さはどこにもなかった。

二年前、飛行船で眠っていた彼女は、この黒いリオレウスの主人がダラハイドという事実を知らないまんま、黒いリオレウスを追って東シュレイドへやってきたのだ。

 

剣斧の一撃は人間のものとは思えぬくらいの重さがあった。彼女は火事場のスキルを持っていたけど、この力はそれだけではない。

シドの死を受け、彼女の歩んだこの二年がどのようなものであったのか誰も知らない。わかるのは、戦いに明け暮れていたということだけだ。ノイアーは強かった。昔と比べ物にならないくらいに。

 

「なんでシドを殺したんだ!!」

 

ただ、理解出来たこともある。

どうして二年前、飛行船が墜落したのか。あれは、グラン・ミラオスの攻撃に巻き込まれたのでないかと、ツバキは心のどこかで思ってた。黒きリオレウスとグラン・ミラオスの戦いは、遥か上空の飛行船まで巻き込んだのかもしれないと。飛行船の墜落は、タンジアの海を渡る最中のことだったのだ。

ノイアーは、黒きリオレウスがシドを殺したと思っているのだ。

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

二年前、レオとノイアーは樹海で出会った。

世界で一番好きだったシドを失って、ノイアーは気持ちのぶつけどころを探して樹海に入った。

そこには数多の竜がいたけど、彼女はがむしゃらに戦い抜いた。痛みと、苦しみと、厚い鱗を切り裂く感触の中に溺れていれば、喪失に割れた心の嘆きを忘れていられたからだ。

 

たった一人で、もう何頭狩りとったのかも数えられなくなった頃、彼女は自分が死にかけるほど満身創痍と自覚する。一歩歩けば全身の骨が悲鳴を上げたし、筋肉は捻じ切れそうな痛みを覚えた。血を流しすぎたのか、平衡感覚が曖昧なほどの目眩もあった。

 

 

 

────みず。

 

朧な意識で欲したのがそれだった。焼け付くように喉が乾く。いや、実際喉が焼けたように熱かった。セルレギオスの鱗が刺さったまま暴れていたら、首で爆ぜたのが原因だろうか。武器を背負うことも出来なくて、重たい剣斧をズルズル引き摺る。彼女の歩いた道には足跡よりも、血溜まりがぼろぼろと点在していた。

 

死ぬかもしれない、とは思わない。死なないと思ってるわけではなくて、死ぬかどうかがどうでもよかった。

そうしてたどり着いた樹海の水辺で突っ伏してた時、歩み寄ったのがレオだった。

 

最早アイルーを追い払う余力も無かったのだが、それでも身体に鞭打ち威嚇をすれば、限界を越えた身体が軋む。彼女は自分がいつか死ぬとしたなら、漠然とモンスターに殺されると思ってた。だがまさかそれがアイルーだとは思わなかったと、意識を手放す直前彼女は思う。ああ、気絶する。視界が白く濁ってゆくから、すぐにそうと彼女は察する。

やがてそのまま、力尽きた。

 

 

 

 

 

 

夢だ。

ノイアーはすぐに自覚する。現実ではない。夢の中にいるのだと。

彼女はシドの家のベッドで寝ていて、傍らでシドは読書をしていた。ぼんやり照らす卓上ランプの仄かな光は暖かく、古紙の匂いと、紙をぺらりと捲る音が聞こえる。シドの家で過ごした時間の記憶だろう。彼女は眠くて、なんの本か気になったけど聞かなかった。ただ、隣から聞こえるシドの呼吸や息遣い、紙の音が心地よくって好きだった。

 

漠然とながら、ずっと続くと信じていた時間があった。

本を読むシドの横顔は真剣で、だのに時折彼女のほうをちらりと見る。眠気眼ではにかめば、「早く寝ろよ」とシドは笑った。外では虫が鳴いていた。

 

……ゆめだ。

これは、しあわせなゆめだ。

 

暖かくて、穏やかで、心が満たされるような時間を泳いだ。

これを、永遠に奪った奴が許せなかった。

 

 

 

ノイアーが意識を取り戻す直前に、レオが見たのは頬に伝う涙であった。

彼女は寝ながら泣いていたのだ。

 

やがて薄っすらと瞳を開けて、ノイアーは手当された傷を見る。

 

「よかった、目が覚めて」

 

レオは安堵してそう言えば、ノイアーは顔をくしゃりと歪めた。

器用に巻きつけられた包帯や、労わりが見て取れる回復薬や秘薬の調合された痕跡に、涙をぼろぼろ落としてしまう。

レオは慌てた。どこかが、未だ泣くほど痛むのかもと。

だがノイアーは子供のように嗚咽して、潰れた喉で呟いた。

 

 

「……シドかと、思った……」

 

 

その丁寧な傷の処置に、彼女はシドを重ねて泣いていたのだ。

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

耳鳴りを起こすほどの剣速で、斬撃が幾重にも幾重にも振るわれる。二年を経たノイアーの動きは、最早人とはかけ離れていた。怒りを表すようにこめかみに血管が浮き上がり、まるで全身で咆哮をする。スピードが段違いに跳ね上がる。

いや、速さだけでなく、力も信じられないほど強い。跳躍は高く体躯を捻って彼女はリオレウスに飛びつき、肉質の柔い後ろ足を狙おうとする。ダラハイドは大剣でそれをガードした。

「ノイアー、やめろ!こいつを攻撃するなっ」

 

ぶつかりあった切っ先が、衝動波でビリビリ震えてる。

 

「このリオレウスがっ、シドを殺した!」

 

ノイアーは攻撃を止めそうにない。ガードに弾かれようとも止まらず、直ぐに次の一撃を繰り出してくる。

身体を捻り、遠心力の加わった追撃は更に重たい。

 

「だからリオレウスを殺す!ダラハイド、邪魔をするな!」

 

攻撃のたびにノイアーの血が落ちてゆく。先ほど攻撃を受けた傷口から、狂竜ウイルスがじわじわ広がる。だのにそんなことはどうでもよいと言わんばかりに、ノイアーの全身は攻撃だけに集中していた。

 

「こいつをっ、私は、黒きリオレウスを殺すためだけにこの二年をっ────」

 

その瞬間だ。ノイアーの瞳が、黒目だけでなく白目までも赤く染まった。眼球がまるごと真紅になり悍ましい眼光を放ったのだ。見たことのない変化であった。

傷口からは黒と紫色の粒子が散って、まるでオーラのように立ち昇る。彼女の爪が黒くなり、肌には血管が浮き上がり、垂れる血が暗く変化してゆく。

 

「なっ……」

 

ダラハイドは唾を飲み込んだ。元々怪力であったノイアーだけど、その力がより強力になったのだ。まさか女であるノイアーに力負けするとは信じ難いことだった。

……なんだ、この変化は。

防げないと察したダラハイドは鍔迫り合いをやめ一歩下がった。なんとか傷つけないよう拘束したかったものだけど、今のノイアーは手加減だの保護や拘束だのという次元にはない。全力でやらなきゃ瞬く間に殺されるだろう。かつて見た誰よりも、ノイアーは強くなっていた。

 

ダラハイドが下がった分だけノイアーがまた一歩踏み込んでくる。斧の形をした武器が、横殴りに風を斬る。狙いはダラハイドだ。彼女はリオレウスとその操縦士であるダラハイドを天秤にかけ、先に仕留めるべくは操縦士だと判断をしたのだ。

武器の軌道に残像が残り、踏みしめた後ろ足の地面がやや陥没してる。……恐ろしい力だった。

 

それでもダラハイドが、リオレウスを攻撃の手段に使わないのは何故なのか。ノイアーへの情故かもしれないし、他に理由があるかもしれない。ただリオレウスは再び人形のように鎮座して、戦いを静かに眺めてた。

 

「ツバキ、離れろ!遠くへ行け!ここは〝やばい〟!」

 

ノイアーの攻撃を紙一重にかわしながらダラハイドが叫ぶ。

 

「早く行け!!ここに、軍が集ま────」

 

彼が叫びかけた刹那の時に、脇を裂いたのはレオの持つ大鎌だった。長年タイジュに鍛えられ続けたレオの攻撃は、アイルーとは思えぬくらいに見事であった。ダラハイドがそれに蹌踉めく。

ノイアーは血走った目をしていたが、地に伏すダラハイドにそれ以上攻撃は加えなかった。全身から黒いオーラを放つ彼女は、同じく黒い身体をしたリオレウスと相対する。未だ催眠下にあるのだろうか、リオレウスは闘志を燃やすことなく、じっとノイアーを眺めるだけだ。

 

 

「どっちを……憎めばいいんだ?」

 

ノイアーもまたリオレウスを見る。ノイアーは言う。

 

「殺した奴?殺せと言った奴? わかんない、わかんないよ……」

 

瞳孔は開き、血走った目からは血の涙が流れてる。それはもう、倫理を捨てたような様相だった。

ノイアーが、歪んでく。

 

 

「ノイアーやめて!」

 

ツバキは堪らず後ろから彼女に飛び付いた。が、すぐに力任せに振り払われた。信じられないことに、ラージャンにでもブン殴られたような衝撃だった。

後方に吹き飛んだツバキの腕を、踏みつけたのもノイアーだ。まるで竜を睨むかのように、ギラついた眼光が突き刺さる。

 

「なんでリオレウスを庇うの?なんで戦ってくれないの?ツバキが死んだら、私の気持ちわかってくれるか?」

 

頭上で剣斧が振り上げられる。

 

「シド言ってたもん。ダラハイドは、ツバキが大好すきなんだなって」

 

 

……壊れてる。

ノイアーは、もう、きっととっくに壊れてしまっていたのかもしれない。

 

ツバキは揺れる斧を見た。それが、スローモーションで落ちてくる。この軌道は、きっと脳髄を砕くだろう。こんな、ふうに、死ぬなんて。祈る時間もなかった。

 

「やめろノイアー!!」

ダラハイドが叫んだけれど、ノイアーは手を止めたりはしなかった。剣が落ちてくる。

 

だが切っ先は頭部に落ちることなく、ツバキのこめかみの真横の地面を突き刺した。

為損じるとは思えぬ距離だ。ノイアーの瞳に感情の色は見えないが、殺意は、なかった。

 

直後、リオレウスが灼熱の火の玉を吐き出す。ノイアーの背中を狙ったものだ。ダラハイドの指示であるのは明白だった。彼は怒りの形相でノイアーを指差し、それにリオレウスが従ったのだ。

火の玉を防いだのはレオだった。レオの武器が火球を撥付け軌道を逸らした。

 

 

「────旦那、リオレウスが来る」

 

レオがノイアーの手を握る。

酩酊するようだった彼女の瞳が、その視線をレオに合わせる。

 

「……レオ」

 

「旦那、こっちだ」

 

「……そうだ。そうだな、レオ、そうだった、そうだよね……」

 

 

……これは、一体なんなんだ?そんな疑問に、答えてくれる者はいない。

 

ツバキを殺されると思ったダラハイドがついに動いた。直後につん裂くのは怒り狂うリオレウスの咆哮だった。ノイアーが言い様のない笑顔を浮かべる。リオレウスが臨戦態勢に入ったことを喜ぶように。

 

再び火のブレスが放たれるけど、ノイアーは軽やかにそれをかわした。リオレウスが吼える。長い髪の先がチリチリ燃えても、剥き出しの皮膚が火傷を負うことも恐れずに、ノイアーは斧を振り回す。

がき、と重たい音がした。抗竜石が切れていたのだ。だが弾かれようと彼女は止まらず、間を置くことなく飛びかかる。その様は、見る者に怒り狂うティガレックスを連想させた。

 

月明かりに浮かぶシルエットはあまりに獣じみていて、そしてなにより、その全てが悲しかった。

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

「ありがとう、アイルー」

 

完治はしてないが歩くのに問題ない程度回復した夜、ノイアーはレオにそう言った。

動けない間、ぽつぽつと互いのことを語った。彼らには一つの共通点が存在していた。

〝最愛の人が死んでしまった〟という傷だ。

 

 

「また戦うんですか」

 

レオは問うた。

 

「……もっと強くならなきゃ。私は、極限化した竜でも、一人で狩る」

 

瞳に悲しい闘志が見えて、レオはこれが復讐なのだとすぐに察する。

ノイアーはシドの死の真相を追いかけた。飛行船の墜落跡地はクレーターだらけで、まるで大戦のあとのようだった。彼女はそこで、黒く染まった火竜の鱗のかけらを一つ拾った。

「タンジアの漁師が、見たこともないような黒色のリオレウスが飛行船に向かって飛んで行くのを見たんだって。私は、拾った鱗を学者に見せた。この黒い鱗のリオレウスの住処を見つけるために」

 

リオレウスの分布はかなりの広範囲である。だが鱗や皮膚に付着した泥や草木は、個体ごとの生息圏を特定するヒントになるのだ。

生物学者が教えてくれたのは、この鱗の主が狂竜ウイルスを克服した極限化個体であるということ。そして、ヒンメルン山脈を越えた東シュレイド地方から来た可能性が高いということ。

 

「私は東シュレイドに行って、黒いリオレウスのことを知った。戦争を目論む生物兵器だったんだ。

シドを殺したのは黒きリオレウスに違いないんだ。だから強くならなくちゃ。あいつを一人で狩れるくらいに」

 

密入国がばれて命辛辛逃げ出したあとに、実力不足を自覚した彼女はこの樹海に踏み込んだ。目的は修行と、より強い装備を手に入れること。今のままでは、極限化したリオレウスには勝てないからだ。この武器ではダメだ。この防具ではダメだ。このスキルではダメだ。今のままの自分じゃ勝てない。だから彼女はこの樹海でたまたま見つけた極限化モンスターの遺体を貪り、人非ざる手段に手を出した。

 

 

 

「だから私は、極竜玉を、食べたんだ」

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

人間が極限化する。

そんなことがあるのだろうか。いや、しかし実際にノイアーは信じられない力を手に入れていた。同時に、だから黒い騎士は極限化モンスターを狙っていたのかと納得をする。リオレウス討伐のため、対極限化モンスターの経験を積みたかったのだと。

 

ダラハイドはリオレウスの背に乗り、ノイアーから距離を取る。声の届く最後まで、ツバキに「遠くへ行け」と叫びながら。

 

「レオ……なんで復讐に助力を……?」

 

追いつけそうにない異次元の戦いに拳を強く握り締め、ツバキは無力さを呪いながら苦しい声を絞り出す。

 

「復讐するが間違ってるって知ってるよ、ツバキさん。けど、あのリオレウスは倒さなきゃだめだ。戦争なんか、絶対だめだ」

 

レオはノイアーに協力を決めた。共に調査を重ね、何度も危険を冒しながらシュレイド国境を行ったり来たりを繰り返していた。

 

「戦争のためのリオレウスと、その操縦士を突き止めた。ドンドルマやユクモが危ないんだよ。それに、飛行船だけじゃない。二年前に消えたゴグマジオスはリオレウスが、あの大佐が……アドルフがどこかへ連れ去ったのを見た人がいる」

 

 

……なにを。

次々に襲いかかる信じられない事実を前に、ツバキは目眩を覚えてた。

 

 

「ツバキさん。人が竜と戦うのは普通のことだよ」

 

 

レオはそう言い残し、ノイアーを追うように城壁を駆け登ってく。赤い月を背景に、炎が爆ぜ、風が乱れ、大きな影と小さな影が互いに血飛沫を散らしてる。ノイアーの武器は斧から剣へと変形し、憎しみを全力でぶつけてた。

 

 

────シドさえいたら。

ツバキは思った。

 

ここにシドさえいてくれたなら、この悲しみを止められたのにと。

 



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23話

第三章 黒い騎士篇


────生きてる。

ダラハイドが厄海の上空を飛行し観測したグラン・ミラオスは、海底からダラハイドの姿をじっと見返すようだった。水面とともに揺らめく姿は擬態する気もないようで、はっきりと〝それ〟が鼓動を奏でていると伝わってくる。

……生きてた。かつて故郷を沈めた伝説の龍は生きていた。産毛が逆立つ。彼の人生の歪曲は、全てこの龍に始まったのだ。

 

 

リオレウスはとても気高い生き物だ。

きっと今自らが背に跨るこの竜も、本来ならば自由に空を羽ばたいて、大自然の中で雄大に生きていたに違いない。妙な催眠効果さえなかったならば。

 

「……すまないな、これが最後の戦いであるよう至力を尽くす。そうしたら、かつてお前とした約束を果たそう」

 

ダラハイドはそう言って、リオレウスの頬を撫でる。

……友達だった。もうずっとずっと昔のことだ。この竜は世界で唯一の友だったのだ。

 

 

・ ・ ・

 

 

命辛々生き抜いた原生林から、生還出来たのは一人のハンマーのおかげであった。まだ年若く、住まいに勤める衛兵よりもずっと幼いその青年は、しかし今まで見たどんな大人よりも逞しかった。ベースキャンプに連れてってくれると言ったハンマーは名をイツキと名乗った。

ただでさえ鈍足な子供の足で、しかも飛竜の卵を抱えたまま行くと言うダラハイドをイツキは咎めたりしなかった。

「重たいぜ。俺は手を貸さない。その卵を救いたいなら、自分の手で運ぶんだ」

イツキはそう言ったけど、ダラハイドを置き去りにはしなかった。代わりに運んでくれはしないけど、イーオスが近付かないよう追い払ったり、足場の悪い道は身体を支えてくれたりもした。

ズワロポスが水草を啄むぬかるんだ道に出た時に、ベースキャンプはあと少しだと励ますように笑ってくれた。すっかり日は暮れていて、今夜はここで野宿しようとモンスターに見つかりにくい茂みを漁る。その時には原生林での野宿が三日目に及んでいたから、ダラハイドも勝手を覚えていた。先ず焚き火を炊くため薪を集めること。それに卵を隠す穴を掘ること。汚れるとか布団がないとかそんなことは、三泊もすれば些細なことだと身に染みる。奴隷出身だったためか、粗末な寝床にも嫌悪感はあまりなかった。

 

ちょっと待ってろと言ったイツキは、十五分ほどしたら生肉を手に戻ってきた。

 

「今夜はズワロポスの肉だ。脂身の多い肉は好きか?」

 

「うん!好きだ!」

 

兄弟のいなかったダラハイドにとって、イツキはいつしか兄のような存在になっていた。この三日間の食事はジャギィノス、コンガ、ヤオザミときて今夜はズワロポスという献立だ。ヤオザミは魚介独特の臭みと癖が強いため、スパイス代わりにニトロダケをスライスして一緒に食べるのだと教えてくれた。辛いものは苦手でなかったはずだけど、かつてないビリビリとした辛味にダラハイドは咳き込んで、イツキはそれを見て笑ってた。ジャギィノスはメスだけあって赤身がとても柔らかく、好きな味だと喜べば「待ってな、もう一頭狩ってやるよ」とイツキは茂みの奥へと消えて、数分でおかわりを用意した。イツキの好物でもあるらしい。

 

「ズワロポスを食ったことは?」

 

火で肉を炙り、焦げないようにグルグルと回しながらイツキが問う。肉焼き機と呼ばれるもので、ハンターなら誰でも持ってるアイテムだという。

 

「ないんだ」

 

「そうか、美味いぜ。ただ脂っこいから女は嫌いなやつも多いな」

 

やがてイツキは、いつもの鼻歌を歌いだす。決まって肉を焼くときになると、イツキはいつもこの歌を歌う。理由はよくわからないが、曰く「肉を焼くときは歌うもんだ」ということらしい。何度も聞いているうちに、ダラハイドはぼんやりと覚えてしまった。

 

 

「うし!上手に焼けたッ!」

 

歌の終わりにイツキは嬉しそうに肉を炙るのをやめ、こんがりとキツネ色になった肉をダラハイドに差し出した。程よい焦げあとに、未だジュウジュウとなる脂の匂いは、口に入れる前から美味だと確信出来るほどだ。

 

「アドルフ、食えよ!」

 

「やった!兄ちゃんありがとう!」

 

 

イツキは色々なことを教えてくれた。ジャギィやイーオスなど鳥竜種は群れで行動し、また一際大きな身体に角やエリマキ、毒腺などを持つ長がいること。弱っちょろく見えるブナハブラは麻痺効果を持つ針を刺したり、防御力を下げる体液を人に吐きつけてきたりと中々油断ならないこと。あとは、リノプロスやファンゴは〝どんな状況でも〟空気を読まず横から突進し、身体をすっ飛ばされるため非常にムカつくことがあるのだとか。

 

ハンターになるのに特別な資格は必要ないという。学歴がどうとか、家柄や金がどうだとか、そんなものは一つも必要ないらしい。ハンターは特別な人間ではない。なりたいと思った人間が、努力しただけの姿であるのだ。そしてその世界は険しく厳しいものだけど、どこまでもどこまでも広がっている。

 

「お前だってなれるさアドルフ。俺の末の妹はお前よりもちっと小さいが、親父にヘビィボウガンを教わってるぞ。もう一人でならジャギィを狩猟できる」

 

ぱちぱち焚き火の音がする。イツキの背に、世界の広さを垣間見た。

 

 

「アドルフ……その卵、自国へ連れて帰ってどうするつもりだ?」

 

やがてイツキは、静かに問うた。

ここに置いて帰ったら、生まれたばかりの火竜は生存競争に耐えることができないだろう。既にこの卵の両親はいないのだから。

だがだからと言って、ペットのように育てられる生き物でもない。竜は人に懐かない。差し出した餌を受け取ることもないかもしれない。第一、子供が飛竜の卵を持って帰ってきたとして「助けたい」というのを容認する親など聞いたことがないものだ。せいぜいグルメ家に売られてしまう未来しか思い浮かばない。

 

「おれの伯父さん、モンスターの生態系研究所やってるんだ」

 

「研究所?」

 

「うん。どうやって成長するかとか、研究してるんだ。そこに置いてもらえないか聞いてみる」

 

そういや最初に卵を欲しがったのは伯父の方だったなと、イツキは思い出し納得をする。金儲けか食うのが目的だと思っていたが、研究資料が欲しかったのかもしれないと。ならば、確かに持ち帰った卵に居場所はあるかもしれない。ただし、目の前のアドルフ少年の望む形でないのかもしれないけれど。

 

「兄ちゃん。おれの母さん、死んだんだ。きっとあのリオレイアみたいに死んだんだ。だからこの卵は……置いてきたくない」

 

「……。わかった。けどなアドルフ、竜と人っていうのは難しいんだ。竜の近くにいるということは、悲しい運命と隣り合わせに生きてくってことなんだぜ。それだけは忘れるなよ」

 

イツキはそう言って、幼い頭を撫でていた。

 

 

 

再会した伯父は積荷が台無しになったことにたいそう機嫌を損ねていたが、アドルフが卵を持ち帰ると知るや否や踊るように喜んだ。かくして卵はガラスケースの中で孵化する。小さく外殻の未発達なリオレウスを、ダラハイドは飽きることなくいつまでも眺めた。孵化の瞬間に立ち会ったのもアドルフであったし、その前から毎日毎日卵に話しかけ続けていたのもまた彼だった。

 

悲しいことに人の手では竜を育てることができない。竜の育成や飼育は昔から幾度も試みがあったが、ある程度以上の大型竜には未だ成功例がないのである。

それには様々な原因があるものの、最大の理由は「人の手から餌を貰わない」ということだった。そのため生態系の研究が進み、何を食しどのように成長してゆくのかまでわかっているリオレウスでさえ、長くは生きないだろうと言われてた。

今のところは点滴から強制的に栄養摂取させているけれど、いずれは通用しなくなる。成長につれエネルギー源は不足し、衰弱し、やがては死ぬものと、大人達は考えている。研究者達が見放さないのは、竜の赤子がとても珍しいということと、死後の解剖が貴重なデータになるからなのだ。

 

この時既に人為的な極限化についての研究が始まっていたことを、ダラハイドは知らなかった。

研究者たちは極竜玉の移植を試みたものの、一日と持たずに竜が死亡してしまう結果が続いた。狂竜ウイルスの抗体が圧倒的に不足するため、自力克服でない極限化に身体が耐えられなかったのだ。

この解決策として狂竜ウイルスの抗体は幼少期から少しずつ摂取させる方法が効果的と判明してたが、そうすると別の問題にぶち当たる。すなわち、幼少期の竜が人の手には育てられないということだ。

幼体でなければ極限化に耐える身体を作れないのに、成体でなければ研究も実験もできないという八方ふさがり。よもや研究そのものが頓挫しそうな雲行きである。

なればこそ、リオレウスが卵から孵って一週間後、柔らかくミキサーで崩されたジャギィノスの生肉を、ダラハイドが食べさせるのに成功したと知らせを聞いて研究者たちは戦慄したのだ。

 

 

「な?やっぱジャギィノスの赤身がいいだろ。俺もそれが一番好きなんだ」

 

何も知らないダラハイドは、リオレウスが小さな口にぱくぱく肉を押し込んでは、こくんと飲み込む様に歓喜していた。イツキと原生林で過ごした数日間、一番好きになったジャギィノスをリオレウスが気に入ったことが嬉しかった。

 

「脂っこいのは好きか?もし好きならズワロポスを頼んでやるからな」

 

そう言ってダラハイドが頭部を撫でても、リオレウスはまるで嫌がる素振りを見せない。先日研究者の一人が点滴を取り替えようとして、うっかり指を千切られかけたばかりのために、それは信じ難い光景だった。

 

リオレウスが、懐いた。

それは紛れもなく一つの奇跡であったのだ。

 

 

 

火炎袋が発達してくると、リオレウスは微力ながらに火を吐くことが可能になった。そこで肉を焼きながら一緒に食べるというのが、慣れない貴族社会や軍学校に放り込まれたダラハイドにとっての、唯一の安らぎの時間であった。

ヒンメルン山脈の麓で獲れたというポポの肉を、リオレウスの小さな炎がジリジリと焼く。

 

「ん~ん~、いや、違うな。ン~ンン~、んんん~、こうか」

 

ダラハイドは鼻歌を歌ってた。リオレウスが不思議そうな顔をするから、「ハンターが肉を焼くとき歌う歌さ」と教えてやった。あの時イツキがいつも楽しげに歌っていた。そして決まって、「上手に焼けた」と嬉しそうに笑うのだ。

そのうちリオレウスも覚えたのか、ダラハイドが歌えばそれに合わせて足踏みしてくるようになる。とはいえ火加減が安定しないのが原因なのか、生焼け肉やコゲ肉になってしまうことも少なくなかった。

 

「なかなか上手に焼けないなぁ」

 

そう言って苦笑しながらも、その肉を一緒に啄ばんだのだ。

 

 

 

翼が発達してくると、逃げ出さないように足枷が嵌め込まれるようになる。また、狩猟で自然に力を付けられない代わりじゃないが、木刀を手に対人戦術が叩き込まれるようになる。

リオレウスはダラハイド以外には野生の獰猛さを剥き出しにしてみせるため、自然と彼が世話係になっていたけど、本人は世話係でなく友達だと思っていた。

 

一年の殆どが寒さに覆われる東シュレイド王国だけれど、うち二ヶ月間だけ暖かな季節が訪れる。ダラハイドはリオレウスと芝生の上に寝転がり、貴重な暖かい風と花の匂いにはしゃぎ回った。この二ヶ月間だけは、荒れ果てた大地に僅かな緑が見られるからだ。

 

「リオレウス……俺は明日、手術を受けるんだ」

 

青い空。流れる雲をじっと見ながら、ダラハイドはぽつりと言った。

リオレウスが言葉を理解するかは知らない。だが漠然と、意思の疎通は出来てる気がする。リオレウスはたとえ意味がわからなくとも、じっと聞いててくれるのだ。だから、話すだけで心が軽くなった気がした。

 

 

「喉に手術をしなけりゃならない。痛そうだ……」

 

やさぐれたい気持ちを愚痴れば、その頬をざらついた舌先が舐めた。

それからリオレウスは彼を背に乗せ、足枷の許す高さを飛んでくれたのだ。まるで元気付けるみたいに。

 

 

この友情を、戦争に利用するために黙認されてきたなんてこと、どうして気付くことが出来なかったのだろうか。

〝幼かったから〟

そんな理由では自分を納得させられなくて、今でも彼はずっと悔やんでる。でも、だったら、どこで何をどうしていたら良かったのだろう。

 

喉の手術が終わり、それがゲネル・セルタスの女王のフェロモンが改良されたものだと聞いて、最初は意味がわからなかった。

「嗅覚を利用した催眠の性質から、常に身につける必要があってな。体内に埋めたのは紛失と機密漏洩のリスクを考慮してのことだ。安心しなさい、体内といっても皮膚の一枚下だ」

なんのために?聞けば伯父はにたりと笑って、「すぐにわかる」と囁いた。

一週間程度の入院生活を終えてその理由を突き付けられる。

目の前に、抗竜石を素材に作られた鎖で雁字絡めにされて、低く呻く黒い竜が運ばれたのだ。全身からオーラのように黒と紫の狂竜ウイルスを登らせて、苦しげに呻くその竜が、唯一にして一番の友達だったリオレウスだと知った時、ダラハイドの頬には涙が流れた。

 

 

〝竜の近くにいるということは、悲しい運命と隣り合わせに生きてくってことなんだぜ。それだけは忘れるなよ〟

 

イツキの言葉を思い出す。

 

 

覚えてるよ。忘れてなかった。でも、イツキ兄ちゃん。悲しい運命って、こんなにも残酷なものだったのか?

 

 

数年前、兄のように慕ったハンマーが残した助言は、彼の想像の及ばぬ角度から心を横殴りにしたのであった。

 

 

もう、リオレウスに自我はなかった。瞳にはなんの感情もなく、まるで剥製のようだった。

だからダラハイドが「止まれ」と命じてそれにリオレウスが従ったのは、かつてあった友情ではなく催眠効果によるものだろう。

 

自分のせいだ。

自分が仲良くなったから……。

唯一の世話係であったダラハイドには、こうなる前にこっそりリオレウスを野生に放つ千の瞬間があったのだ。だのに、それをしなかったから。だからこんなことになってしまった。

研究の成果が最高の形で実現されて、満足気に笑う大人たちの真ん中で、少年の日の彼はいつまでも泣き続けてた。

 

 

 

……………………

 

 

 

何故、残酷な大人たちの命令に従って、リオレウスを操ることをやめないのか。

理由は簡単だ。元来極限化したモンスターは短命なのだ。それは狂竜ウイルスが本来持つ性質に基づくもので、いくら克服しようともいずれは増えすぎたウイルスが命を蝕んでしまう。故に、リオレウスは定期的なワクチン投与が欠かせなかったが、このワクチンはダラハイドが命令に従わなければ渡して貰えないものだった。

ダラハイドとリオレウスに友情があったことを理解した大人たちは言ったのだ。

「その竜を死なせたくないだろう?」

ダラハイドは黙って頷き、戦争のために極限化されたリオレウスの背に乗った。言われるがままに訓練をし、人形のようにリオレウスを操る術を覚えた。いずれ起こす戦争で、街を思うがままに焼き払うことができるように。そうしなければ、大切な友達がウイルスに侵されて死ぬからだ。

だけどずっと、戦争なんか起こしたくないと葛藤していた。そんな折だ。偶発的に極限化したセルレギオスが、ヒンメルン山脈を越え西シュレイド地方へ向かったと知らせが耳に入った。

 

「向こうの連中に極限化を認知されたくない。極限個体を知られたら、対策も模索するだろうからな」

 

そう言って指令はダラハイドの元に届いた。狂竜ウイルスに感染せず、抗竜石を使い熟し、極限化モンスターと過ごした彼が最適の人材だったからだ。

かくして彼は伯父の計らいからギルドカードを手に入れて、セルレギオスを探すべくバルバレの集会所を目指す。

クエストとかこつけたセルレギオス捜索の日々は続いた。やがてバルバレで、ツバキに出会った。そしてあの冒険の日々が始まったのだ。

 

 

・ ・ ・

 

 

「ノイアーやめろ!お前と戦いたくない!!」

 

ダラハイドは叫んだ。大切なかつての仲間を斬りたくないし、リオレウスに攻撃させたくもなかったからだ。

 

火事場を発動させてるノイアーは、その圧倒的な力と引き換えに、おそらく一撃でもくらえば倒れてしまうだろう。なのに彼女は突進してくる。不安定な足場をものともせずに、休むことなく武器を振るい続けるのだ。

 

 

「黙れダラハイド!私は知ってる!東シュレイド国は戦争を企て黒きリオレウスを生み出した!二年前に厄海で目撃情報があったんだっ!!お前がっ、お前らが焼いた!!」

 

ノイアーの叫びが滅びた城へ響きわたる。

 

「知ってるんだ、お前は戦争のためにいるんだって!だから殺したのか?シドはっ!シドは骨すら残らなかった!チクショウ、まだ、墓もないんだ……!」

 

「違う!俺は戦争を起こしたくなどないから────」

 

「ならなんでゴグマジオスを連れ去ったんです?」

 

言いかけたダラハイドの声を遮るように、飛びかかるのは今しがた追いついたレオだった。アイルーならではの素早さで、鎌を振るいながらレオがリオレウスに攻撃をする。

 

「討伐作戦を控えたゴグマジオスを、戦争を企てる国の大佐が連れ去ったんです。警戒するなというほうが難しい」

 

レオの鎌が風鳴りを起こすほどの速度で振るわれた。極限化故の硬度はやはりそれは弾くけど、背のダラハイドにまでビリビリと伝わる衝撃だった。決して軽視出来ない威力ではない。

 

……まずい。

ダラハイドは思う。レオとノイアー、二人の猛攻を前に防御だけでいつまでも立ち回れるはずがない。いやそもそも、最早時間があまりないのだ。ここに今夜ダラハイドがいたのは、軍全体に集合がかかったためだ。おそらく黒騎士────ノイアーはその情報を掴んだからこそ、リオレウスを狙って今夜ここに来たのだろうが。

集合時間までもう幾ばくもなく、間もなく東シュレイド王国の軍隊がわらわら集まってくることになる。こんな状況を見られでもしたら……

止む無く炎を吐き出させれば、レオが直様ガードに入る。どんな攻撃を仕掛けようとも、このアイルーは全身でノイアーを庇うのだ。

 

 

「ノイアー聞け!シドを殺したのはリオレウスじゃない!シドを焼いた炎はグラン・ミラオスの放ったものだ!」

 

 

 

シド。

そうだ、彼女の心の根底にあるのはシドなのだ。だからこそダラハイドは、あの時起こった全てを彼女に伝えようと声を上げる。

 

「全て話す!厄海には魔物がいるんだ!俺はそいつを倒すために────」

 

 

その瞬間だった。彼方から放たれた簡易式の小型バリスタが、リオレウスへ飛びかからんとするノイアーの背を貫いた。

 

 

「ア」

 

ノイアーはどこかポカンとした表情で、身体を通り抜けた矢が目の前の壁に突き刺さるのを見た。直後に血を吐き出して、そのまま近くの足場へ落下する。

 

「旦那あ!!」

 

レオは叫び、一目散にノイアーに駆け寄る。

次のバリスタが直ぐに来た。今度は矢は一本ではなく、複数本倒れたノイアーに向かって飛んでくる。簡易式の小型とはいえ、バリスタの威力は恐ろしく、故にノイアーは力尽きて指一つ動かなかった。

レオは鎌を振りしだき、飛来する矢を全て打ち落す。だのに追撃は尚も止みそうになく、やがてそれは鉄の雨の如く降り注ぐのだ。

あまりの量に全てを防ぐことができずに、うち数本がレオの腕や足を貫く。それでもレオは退くこともなく、仁王立ちをして彼女を守った。

 

一体何が起こっているのか、ダラハイドは一瞬混乱をする。バリスタを撃った主が放った声は、しかしすぐに状況を説明してくれた。

 

「アドルフ様!ご無事ですか!!」

 

そうだ、その一言で、察するには十分過ぎた。

……軍が、到着したのだ。

そして襲いかかるノイアーが……

 

 

下に目をやればツバキが兵に抑えられて呻いてる。逃げろとさんざ言ったのに、彼女は逃げたりしなかったのだ。

……ああ、まただ。ダラハイドは胸がひしゃげたような錯覚をした。リオレウスのときと同じだ。自分のせいで、今度は仲間が傷つけられた。

 

「やめろ!撃つな!!野党ではない!!彼女を解放しろ、こっちの女ももう撃つな!!」

 

 

ダラハイドは、リオレウスに約束をした。いや、それは一方的な誓いであったのかもしれない

きっとこのリオレウスは、自分を恨んでいるだろうから。いずれ正気に戻った時に、友情を裏切った自分に牙を向けるだろうから。だから一つの約束をした。大佐になった日の夜に。

〝お前が正気に戻ったら、最初に俺のことを殺すんだ〟

 

暗い地下室。リオレウスを拘束する牢屋の中で、虚な目をしたリオレウスに言ったのだ。最初に殺せと。最初に殺されるのが償いなのだと彼は信じた。

あの日地下牢で雁字搦めにされていたリオレウスと、取り押さえられたツバキの姿が脳裏で重なる。

ダラハイドの心は、折れてしまいそうだった。

 

だが直後、眼前には黒いマントがはためいた。人影が、放心した彼に凄まじいスピードで接近したのだ。

 

「なっ……」

 

影は着地とともに、全身の傷から血を滴らせた。……ノイアーだ。何故、だってたった今バリスタに撃たれて倒れていたのに、どうしてノイアーがここにいるのか。軽症であるはずがない。力尽きてもおかしくないのに。

恐るべき跳躍力で飛び上がったノイアーは、低空したリオレウスの背に飛び乗ったのだ。

 

 

「……だらはいど……しどを、ぐらんみらおすが……?やくかいの、まもの」

 

その口調は抑揚がほとんどないものだった。喉元の傷が開いたのか、掠れた声が血で濁る。

何故、彼女は立ち上がって来たのだろうか。ノイアーの手がすっと伸び、ダラハイドの首を掴んで力を込める。それは喉仏が軋む程の怪力で、しかも先ほどより更に強い力であった。

 

これは、〝不屈〟だ。ノイアーは火事場と一緒に、不屈のスキルも持っていたのだ。

 

 

「……そ、……うだ、ノイアー……!」

 

不安定なリオレウスの背中の上で、ノイアーは器用にバランスを取りながら、ダラハイドに朧な意識で確認をする。

 

「わかった、しどを、それが、ころしたんだな」

 

やがてノイアーは、もう片方の手にナイフを握った。狩猟の後、剥ぎ取りなどに用いられる小型のものだ。

 

その一秒後、ダラハイドは下へと叩きつけられた。リオレウスの背の硬さは鉄のようで、そこに背中や後頭部に衝動が抜ける。

 

「が……!!」

 

喉を掴まれているせいで、呻きすらも口の中でくぐもる。

一体なにを……。そう問う間も無く、喉元へナイフがふるわれた。

それは命を奪うべく深い斬撃とは異なって、血管に至らぬ程度に浅く皮膚を裂いたのだった。

手術の縫合痕がある場所……つまり声帯の手前にあたる場所。かつてダラハイドが、ゲネル・セルタスの改良版フェロモンを埋めたところへ。

 

 

「ダラハイド、それ、ちょうだい。わたしが、いかなきゃ」

 

 

裂いた皮膚へと伸びる指。その手の中には、真珠のような小さな球体。女王のフェロモンを包んだシリコンの玉だった。ノイアーは、ダラハイドの喉からリオレウスの操縦権を奪ってしまった。

 

血反吐をはくダラハイドを蹴落として、ノイアーは冷たい声で命ずる。

 

 

「リオレウス、厄海へ飛べ」

 

きっとノイアーは、この時もう人の限界を超えていた。バリスタを背に刺したレオがいくら「旦那」と叫んでも、まるで聞こえないように笑っていたのだ。

 

やがてリオレウスは彼女の命に従って、彼方の空へと消えてしまった。

 



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24話

第三章 黒い騎士篇


…………

 

 

……………………

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

走り疲れて眠ったのは荒野の果てに小さな洞穴を見つけてからだ。ツバキは虚ろな眼差しで、ようやっと休めそうな場所の発見に息を吐き、やがて力尽きるようにその場に身体を伏したのだった。

 

 

……地獄だった。

狂ったノイアー。喉を抉られたダラハイド。バリスタに射抜かれたレオ。そして……兄、イツキは兵に囚われて、今頃投獄されてることだろう。

彼方に飛び立つリオレウスを見上げながら、絶え絶えな呼吸でレオはずっと泣いていた。

 

 

ゆっくり瞼を閉じてゆく。

今はもう、何も考えられそうにない。

あの場にいながら何も出来ず、さらなる悲劇を傍観してるだけだった自分が愚かしくって、ツバキの胸はひしゃげたまま凍てついてくようだった。

 

────だめだ、すこしねよう。

 

これ以上の自己嫌悪から逃れるように、彼女は身体の力を抜いた。

 

 

 

 

……………………

 

 

 

軍に抑えられた彼女は唐突に拘束から解放されて、反動で前のめりに突っ伏した。

兄のイツキが駆けつけたのだ。

彼は単身集まる軍列に突っ込んで、殺さない程度の力加減でハンマーを振るい、ツバキを救うべく戦っていた。

 

「この馬鹿!俺が寝てる間になにやってんだ!!」

 

イツキの怒号が低く響く。後から後から押し寄せてくる人垣に、ツバキは共に応戦しようと試みた。

だのにイツキは、逃げろと言った。

 

「早く行け!ヘビィじゃ力加減できねぇだろ、人殺しになりてぇのか!!」

 

人殺し。その言葉に身体がびくんと硬直する。

ハンマーと違い一定の威力でしか攻撃できないボウガンでは、確かに殺さないよう力加減は出来そうにない。まして、このように人が溢れかえってしまっては、急所を外そうとも流れ弾で誰が死んでもおかしくなかった。

 

指が震える。おかしな話だ。さんざ竜を殺してきたのに、人を殺すのが怖いだなんて。

無意識に一歩後ずさったら、イツキは「それでいい」と頷いた。

 

 

 

 

……ツバキ。

 

喉を血塗れにしたダラハイドが、苦しげに呻きながら彼女を呼んだ。

 

「行ってくれ……、ノイアーが……危ない。厄海にはゴグマジオスが……、ぐ……」

 

「ダラハイド!!」

 

「ノイアーは、誰も、殺さなかった……ノイアーは、まだ、完全に……壊れて、ない……」

 

 

ダラハイドが喋るたび喉元から血が流れる。喉だけではなく腕にも腰にも、傷は全身に及んでいる。あの乱戦で、無傷でいられる者などどこにもいない。痛みに息を荒げながらも、ダラハイドはツバキに意志を伝えようと声を捻り出しているのだ。

 

 

「ゴグマジオス……、厄海の近くで、見つけて……俺は、相討ちさせようと…………」

 

そこまで言ってダラハイドは崩れ落ちた。まだ何か言おうとしてた面立ちが、駆け付ける彼の部下達に遮られる。追おうとしたツバキにダラハイドは右手をひろげ、「来るな」というジェスチャーをする。奥からまた別の兵が走ってくる。背後からツバキを捕らえようとした兵が、イツキのハンマーで吹き飛んだ。

 

 

「行けよ、お前がここで捕まったら、誰が仲間を救うんだ」

 

イツキのその言葉が、ズシンと胸に落ちてくる。

シドが死んで、ダラハイドも倒れているのだ。自分以外、ノイアーを止められる人間はもういないのだ。

 

「早く行け!!」

 

イツキが怒鳴った。その迫力に身体は跳ねて、ツバキは半ば無意識のままに駆け出していた。

 

そうだ、行かなきゃ。止めなきゃ、この悲劇を。

じゃなきゃもう、未来なんか来そうにないのだ。

 

「野党を逃すな!撃て!」

 

彼方から誰かの声が響いた。

風切り音が向かって来て、それがノイアーを射抜いたバリスタであると戦慄する。咄嗟に緊急回避の体制を取る。

しかしそれより先に飛び出したのはレオだった。

 

「ツバキさん!」

 

レオは二本の矢を叩き落として、三本目の矢を腹に刺して受け止めたのだ。また新たな血が落ちた。

 

「レオ!」

 

「……っ、へいきです。僕は、人間より丈夫だから」

 

血の池が地面に広がった。レオは弱り切った呼吸ながらに、震える足で踏ん張りながら立ちふさがるのだ。

また矢が飛ぶけど、腹に刺さったそれを抜かずにレオは武器で叩き落とす。

 

「ここから先に、矢の一本も通さない」

 

そう言って、小さな身体が武器をかまえる。

 

「ツバキさん、リオレウスは悲しい声で鳴いてたんだ。なにが正義だったんだろう。僕は……」

 

矢がまた飛ぶ。

レオはすぐにそれを斬る。

 

「ツバキさん、旦那を……」

 

次に放たれたのは大砲で、レオの言葉と爆発音が重なった。狙いのやや逸れた砲丸が、ツバキより僅かに横に着弾する。レオは大砲にも怯まずに、微動だにせず仁王立ちを続けてた。

 

旦那を────ノイアーを、死なせたくないんだ。

 

それが、最後に聞こえた声だった。

 

 

 

 

………………

 

 

 

走った。

走った。

走った。

 

 

ツバキは一人で走り続けて、そこがどこかもわからないまま彷徨って、やがて糸が切れてしまったように眠り続けた。

 

空は全てが夢だったかのように静まりかえって、今ばかりは風の音すら聞こえない。

空には、星が光ってる。それはかつて、ダラハイドと氷海で見た星空とよく似た光を放ってた。

 

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

厄海に行かねばならない。

 

ツバキの目的はシンプルなそれに絞られて、嘆くのも後悔するのも全てはその後にしようと断ち切った。それは強い心というよりは、罪悪感を後回しにすべく一種の〝逃げ〟であるかもしれない。だけどそうでもしなけりゃ、前に踏み出せないのが本音であった。

 

『野党が現れダラハイド家の末息子、アドルフ・ダラハイドを襲撃。軍の〝機密兵器〟が強奪された』

 

こんなニュースが東シュレイド王国に広がるのにさしたる時間はかからなかった。現在軍部は残党狩りに死力を注ぎ、特に国境付近に警戒を強めているという。見つかれば当然、ツバキはただでは済まないだろう。なにせ残党とはまごう事なきツバキを指したものだからだ。

 

すっかりお尋ね者になった彼女は、必然的にスラム街でアイテムを求めるようになる。裏路地から裏路地へ。不法の中を掻い潜って、目指したのは海だった。

厄海への最も近いルートはヒンメルン山脈を一直線に飛行船で越えていくことだ。

しかし残党包囲網と称された警戒令が空路を許してくれないために、彼女は海路を選ぶ。

当然ながら〝お尋ね者〟である彼女をマトモな船が乗せてくれるはずもなく、目指すのは正規の機関でない船を所持する者共の元……すなわち海賊の根城となった。

 

女一人には過酷すぎる道程は、傷付き果てた彼女の心をヤスリでがりがりと削るようでもあった。大自然の中、竜の脅威に死と隣り合わせの過酷さなら経験してきた。

しかし人間の悪意が辛辣に突き刺さる過酷さなど未経験ばかりであって、もう何度洗礼を受けたのかもわからない。

それでも辛うじて掻い潜れてこれたのは、ハンターとして鍛え続けた体力と戦闘技術の賜物だった。

 

数ある海賊団の中でも、ツバキが目指したのはいっとうに大規模なものだった。

理由があるのだ。

その海賊一味は「海竜団」を自称しており、船はその名の通りラギアクルスを模した彫刻を施されている。その一味はかつてグラン・ミラオスに国を焼かれた難民達で構成しており、奴隷身分から逃げ出して団結したのが誕生経緯なのである。

祖国を想う気持ちの強さも巷じゃ有名なものだった。そして船長は、今でも滅びた祖国に帰るという夢を持ってる。

 

この話を情報屋から買った時、ツバキは「ここしかない」と確信をした。

事情を話せば、そして信用してくれたなら、海竜団はきっと厄海へ彼女を運んでくれるだろうと。

 

 

 

「海竜団だな?船長に話がある」

 

治安の悪い吹き溜まりの酒飲み場で、ツバキはラギアクルスの絵柄の描かれたバンダナを巻いた荒くれの一人に声をかけた。

 

 

「私はツバキ。ハンターだ。厄海に渡り仲間を救いたくてここに来た」

 

 

彼女の言葉に、荒くれ者はにたりと笑った。

 



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