魔法力が全てのエロゲー世界で、魔法力はゴミだったけど恋愛力を手に入れた。 (まりんぱーく)
しおりを挟む
一 ロゼ・グリンゲン
01 アリン・オータウスの魔法力はゴミである。
「お祖母様、見ていてくださいね!」
遠い記憶、そう、これは過去の記憶だ。
夢を見ている。そう自覚して、けれども僕はその夢を、ただ眺めていることしかできなかった。ここまで共に来てくれた祖母に手を降って、過去の僕は走り出す。
その胸には希望が満ちていた。
やがて、僕の側を駆け抜けて、彼は一人の少女の横に立つ。
「おまたせ! ロゼ!」
「待ってないわよ! ほら、行くわよ!」
「うん!」
赤髪の、苛烈な少女だった。
肩まで伸びた髪をポニーテールにして、服装は装飾の多いドレスだが、靴は厚底の動きやすさを重視したブーツ。可憐さと活動的な雰囲気を同時に併せ持つ可愛らしい少女である。
ロゼ、それが少女の名前だった。
「楽しみだね、ロゼ。僕たちの魔法力はどれくらいあるかな」
「当然、300は越えてくるでしょ。アタシはグリンゲン家の人間で、貴方はあのリマ様の孫なのよ?」
「うん! ああ、どんな魔法が僕には使えるのかな……」
周囲には、僕たちのように興奮を抑えきれず、今にも走り出しそうな子どもたちが大勢いる。
しかし、全員が行儀よく、流れに沿って進んでいるのは、これから行われる儀式の意味を子どもたちは誰もが理解しているからだろう。
神聖な場で悪目立ちすることが、どれだけ悪であるかを、皆よくわかっていたのだ。
そして、列は順調に進んでいく。やがて、僕たちと反対方向、つまり列から戻ってくる子どもたちの姿も増えてきた。その様子は様々だ。安堵に胸をなでおろすもの。興奮にあてられて、どこか現実感を失っているもの。そして、沈み込み、絶望しきっているモノ。
そのどれもが、僕たちにとっては当たり前の光景だった。
やがて、僕たちの番がやってくる。先に挑戦するのはロゼの方だ。緊張した面持ちで、彼女は儀式を行う。魔法力を測る儀式。
そして、
「魔法力341! 魔法力341!」
驚愕に満ちた声が響く。
周囲がざわめいた。これまでの誰よりも高い魔法力、彼女の天才性と、それからこれからの人生を想像させる、祝福とも言える数字だ。
そして、戻ってきた彼女は僕にピースサインを送った。
やってやったと。
次は僕の番だと、彼女はそういった。
僕はそれにうなずいて、そして。
「魔法力11! 魔法力11!」
――この時の儀式、どころか歴代の儀式の中でも、最低値の魔法力を叩き出し。僕の人生は終わった。
それと同時のことだった、僕に前世の記憶が蘇ったのは。
◆◆◆
――風、肌寒いそれに当てられて、僕は目を覚ます。
ざわつくような、嫌な肌触り。藁のベッドには、数年経っても慣れそうにない。それと同時に、鼻につく匂いが僕を襲う。
馬の糞の匂いだ。確かめるまでもない。
起き上がり、周囲を見渡して状況が何一つ変わっていないことを理解する。ずっとこうだ。あの時、僕の魔法力が11しかないことが判明してから。
ずっと。
この世界は、魔法力が人の全てを決める世界である。
魔法力の高い人間が低い人間を支配して、魔法力で世界を運営する。そんな世界で、僕は魔法力を11しか持たずに生まれてきた。
それが判明した時から、僕の生活は馬小屋ぐらしが決定した。
人としては見てもらえず、馬の世話をしながら、外に出ることも許されずに生活する。そんな生活は数年続き、十歳だった僕は今年で十四になった。
――生きていることが奇跡、と言えるだろう。
それもこれも、魔法力が判明した時に、前世の記憶を取り戻したからこそと言える。
多少なりともサバイバルの知識があった僕は、夜に馬小屋を抜け出して動物を狩って暮らした。一日一食は食事が提供されるから、それを合わせてなんとか二食確保して、生き延びてきた。
本当に、辛い生活だった。
馬の世話をするのは、僕がしなければ誰もしないからだ。
僕が死ねば、きっと別の誰かが世話をするのだろうが、僕が生きている以上、僕がそこにいるなら、生活のために馬の面倒は見なければならない。
馬を使って逃げれば――と、思って計画はしていた。しかし、万が一失敗すれば死は免れない、計画は慎重に、かつ絶対の成功が保証される状態でしか許されない。
そう思い、時期を狙い、準備を重ね、今に至る。
結局、僕はまだ行動を起こせないままだ。正直、何時までこの生活が持つかはわからない。前世と違って体が丈夫なのか、冬も問題なく越すことのできることは幸いだが、何時病気にかかって死ぬかわからないのは変わらない。
そして、逃げたとしても、今の生活と果たして何が変わるのか、という思いもある。
そうやって、ズルズルと先延ばしにした計画も合わさって、ここまで来た。
結局の所僕は逃げ出す意志をもちながらも、それを実行に移せないのだから、僕はこの場所に囚われたままなのだろう。
第一、あと一年もすれば、この状況は変わるのだろうから。だから最悪、それまで生き残ればいい。そうやって問題を棚上げする。
今日も、いつものように悩みながら変わらない日が過ぎていく。
そう、思っていた。
馬小屋の掃除を終えて、一息つく。窓から周囲を伺って、警備の人間がいないことを確認してから外に出ようかと思って、やめた。
ちょうど、警備の人間が巡回していたからだ。
この馬小屋を監視する人間はいないが、警備の巡回ルートには入っている。だからその目を盗んで外に出なければ行けないわけだが、今日は間が悪かった。
「……はぁ、運が悪いな」
ため息をつく。
いやそもそも、運が悪いかどうかでいえば、人として生きられない魔法力で生まれて来てしまった時点で、悪いもクソもないのだが。
「本当なら、ちょうど今頃は、魔法学院に入学するために、準備をしていたんだろうな」
そろそろ、また冬があける。
春が近づいてきたのを肌で感じながら、僕は本来なら待っていただろう生活に思いを馳せる。あの時、魔法力がゴミ以下であると判明するまで。
――僕が、前世の記憶を思い出すまで。
「なんで、あの時だったんだろうな」
せめて、あと少し早ければ。一瞬でも、一日でも早ければ、また違う未来もあっただろうに。あんなタイミングで思い出しても、それをどうこうする力が当時十歳の子供にあるはずもないのに。
ああけれど、一番の後悔は――
「……いや、そういえばこの時間にここに警備が来るのはおかしいな」
と、そこで思考が逸れる。
警備兵には巡回ルートが存在し、決まった時間にそこを巡回するので、基本的にそれ以外の時間にやって来ることはありえない。
考えられる理由としては――
「ここに用がある?」
馬を取りに来た、という理由だ。
「……まぁ、抜け出してる最中に来られたわけじゃないから、大丈夫か」
彼らは僕を蔑むだろうが、こちらはそもそもいないものとして扱われている存在なのだから、無視してしまえばいい。わざわざ向こうも僕をどうこうしようとはしないだろう。
そうやって、できるだけ端の方で目立たないようにしよう。僕がいる場所と馬がいる場所は壁で阻まれているから、隠れていれば見つからない。
ああ、早く嵐よ過ぎ去ってくれ。そう思いながら、
僕が出入りする入り口が、突如として開け放たれた。
「お嬢様、そちらに馬はおりません」
「……そう、間違えたわ」
懐かしい、声がした。
思わず、視線を向けてしまう。すがるような目をしているだろうか、懇願するような目をしているだろうか。それでも僕は、僕を止められない。
目があった。
「……まだ生きてたの」
見下ろす少女は、僕になんの感情も持たない目を向けていた。
ロゼ・グリンゲン。
赤毛の少女は、僕を見てそれだけ言って、背を向ける。
「急ぎましょう、約束の時間に遅れちゃうわ」
「かしこまりました」
遠く、警備の人間の声がする。
ああそうだ、僕は人間ではない、彼女が意識を向けるはずがない。
「私、約束を忘れる人間が世界で一番嫌いなのよ」
そう言って、彼女は扉を閉めると、その場を去っていった。
ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。
かつて、僕と彼女は幼馴染だった。そして――婚約者だったのだ。
僕、アリン・オータウスは偉大なる魔女リマ・オータウスの孫であり、ロゼは古くから王家に仕える魔術師を排出するグリンゲン家の娘。
政略結婚というやつだが、幼い僕らは仲がよく、そんなことは関係なかった。
ああ、もし過去に戻れるなら――
僕は、彼女にあんな顔をさせないだろうに。
しかし。
そう、この世界はゲームの世界である。
前世の記憶を思い出した僕は知っていた。
この世界は『
その世界で、生きるゴミとして――ゴミが救われるその時を、待っていた。
感想評価等いただけますと、大変はげみになります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
02 魔法力0は逆に特別。
『
この世界は、これまで何度も述べた通り、魔法力で全てが決まる。
権力も、金も、魔法力さえあれば手に入るのだ。
それが、ゲームの主人公はなんと0だったのである。
しかし、この世界において魔法力が存在しないことはありえない、主人公という立場としてありがちなことに、魔法力が0というのは、落ちこぼれであると同時に他にはない特別な素質だった。
魔法力11のゴミが馬小屋に監禁され、遠回しに死ねと言われれているのと同様に、魔法力0の人間など、この世界においてはそもそも生きていないと同義。
下手をすると、
しかし、魔法力0という特別さに目をつけた人物が主人公と母親を逃し、生き延びた――というのがゲームのあらすじ。
そう、魔法力0は特別である。
だが、魔法力11はゴミだ。価値もない。見逃すことに意味すらない。
この世界の魔法力の平均はおよそ百。優秀であれば二百、天才とされるのが三百で歴代で最も魔力の高かった人間は千を越えたという。
五十で人権を剥奪される落ちこぼれ、七十、八十はギリギリ生存を許される。そういった文化である。
そのなかで11に価値はない。
これがもし、一桁ならばそれはそれで貴重だっただろう。少なくとも、歴史上に魔法力が一桁だったモノはいないのだ。
だが、11は複数人居た。それ以下は一人としていない。
つまり僕が一番の底辺なのだ。現実的にありうる底辺に、主人公という立場は与えられない。
ゲームに僕の居場所がないのは当たり前だ。
僕は、人間ではなかったのだから。
◆◆◆
――夜も更ける頃、僕は今日の夕飯を追いかけながら、昼のことを思い出していた。
ロゼと会った。かつての幼馴染、会うのは数年ぶりのことである。彼女は立派になっていた。幼かった背も人並み……には少し足りないくらいだけど、そこまで低くもないくらいになり、出るところも出ている……というのは下品な言い回しだが、プロポーションは悪くない。
まぁ、発育不足の僕はそれ以下の身長なのだが。というか、あの頃からほとんど伸びていない、栄養が足りないのだ。
そして、彼女は魔法学院に通うのだろう。
優秀な魔法力を有していた彼女は、当然のように学院に通う。もとより名家に生まれたのだから、必然だ。そんな彼女は魔法学院に通い――
ロゼ・グリンゲンは『マギステルス』の登場人物だ。ただし、エロシーンもないサブキャラ。シナリオ序盤で主人公にちょっかいを掛け、以降はフェードアウトする厭味なキャラ。
ルートによっては再登場するが、だいたいはヘイト役であり、主人公とろくな接点を築かない。
ファンディスクですらスルーされるのだから、相当だ。
ただ、やたらデザインが良かった。また、完全に才能を腐らせてはいるが、素の魔法力は学院でも十本の指に入るエリートであったことから、一部……いわゆる二次創作界隈で人気が出た。
二次創作小説では、彼女をヒロインとするのは定番と言ってもいい。
そんな彼女だが、この世界では僕の元許嫁である。僕が人間ではないことが判明し、立ち消えに成ってしまったが、もし共に魔法学院に通っていれば、僕は彼女と一緒に主人公を遠くから眺めていたのだろうな、と思わずには居られない。
ああ、けれど――僕はゴミだった。
だから、彼女と一緒にはいられないのだ。
『――一緒に、魔法学院に行きましょう』
ああ、そんな約束を、彼女と交わしたこともあったというのに。
少しだけ意識が散漫としていて、獲物を捉えるのに時間がかかった。少し、遠くまで来てしまった。結果、更に思い出してしまう。
そこはかつて、ロゼと二人で駆け回った野原だった。
幼い頃、世界には僕たち二人しかいなくて、僕たちは自由だった。
今とは正反対に。
どうして、こうなってしまったのだろう。
僕が、何をしたのだろう――そんな思いが駆け巡り、最終的に、あの儀式へと行き着いた。そして――その時のロゼの顔を思い出す。
あれは、そうだ……
あの時、馬小屋で僕を見下ろす視線と、同じ目をしていた。
そのことに、僕はどうしようもないむず痒さを覚える。悲しさと、寂しさと、それから……ああ、これはなんだろう。
――違和感?
いや、何故違和感をおぼえるのだろう。
僕がロゼにあんな目を向けられたのは、あの時と、先程。その二回だけのはずで、だというのに、どうしてか僕は既視感を覚えてしまうのだ。
何故か、疑問は拭えない。
そのまま僕は足を進めていた。この辺りを散策する理由はもう無いというのに。どうしてだろう、懐かしんでしまったからだろうか。
そういえば、彼女と約束をしたのもここだった。広い広い草原に、一本だけ立っている大きな樹の下で、僕らは約束をした。
一緒に、魔法学院に行く。
その約束を、僕はどうしてか思い出していた。
そして、
信じられないものを見た。
僕らが約束をした樹の下に、一台の馬車が止まっていた。
そこには、覚えのある家紋が着いている。グリンゲン家のものだ。そして――
ロゼが立っていた。どうしてか、その場所に、何かを探しているのか、辺りを見渡している。
思わず隠れてしまった。隠れて様子を伺うと、彼女の話し声が聞こえてくる。
馬車を手繰る御者が、ロゼを急かしているのだろう。
「お嬢様、そろそろ出発いたしませんか?」
「……まだよ、もう少しだけ、待って頂戴」
そうやって御者を説得する彼女は、注意深く周囲を探していた。思わず隠れたが、ここが見つかるのも時間の問題に思えてならない。
僕は、慌ててその場をさろうとした。
彼女と、顔を合わせたくなかったのだ。
しかし、――そこで、違和感が少しだけつながった。
約束。
その言葉が、脳裏から離れなくなり。
僕はふと、草むらを揺らしてしまった。
「……!」
「な、何事ですか!?」
「そこでジっとしていなさい、離れてはダメよ!」
そう言って、ロゼは腰に挿していた杖を抜き放ち飛びさす。一目散に、こちらへ向かってくる。
――まずい。
僕は息を殺した。
見つからない事を祈った。
しかし、
約束という言葉が脳裏から離れない。
どこかで、今日。
そんな単語を聞いていたような――――
頭を振って、僕は逃げ出そうとした。
静かに、気配を殺せば彼女には見つからないはずだ。彼女には、僕を見つける魔法は使えないだろうし、逃げれば彼女に追いつく魔法は使えないはずだから。
しかし、
「みつ、けた」
――彼女は僕の目の前に居た。
「なっ――」
魔法で? どうやって? 才能にあぐらをかくゲームの中の彼女は、こんな魔法使えないはずだ。これは、間違いなく上位の魔法で、素の魔法力ではどうやっても彼女は扱えない。だから、
ありえない。
そう、思う暇もなかった。
「――――――バカ」
そうして、少女は。
「ロゼ――」
僕に、凄まじい勢いでげんこつを叩き込む。
直後、僕の意識は闇の中へと落ちていく。
その視界に、昼のときと同じ、感情を感じさせない瞳が移った。
ああけれど、今、その瞬間。
僕にはわかってしまった。
彼女のこの目は、
――そして、同時に、
『私、約束を忘れる人間が世界で一番嫌いなのよ』
そんな言葉を、僕は思い出すのだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
03 アリン・オータウスには死んでもらう
――気がつけば、僕は箱に詰められていた。
ガタガタと揺れる箱は非常に痛い。体中が悲鳴を上げていた。
ここはどこだろう、と思わずにはいられないが、そもそも状況が理解できない。
僕は昼にロゼと出会ってしまったことで過去を思い出し、彼女との思い出の場所へ足を進めていた。そして、どういうわけか彼女もその思い出の場所に居て、僕を見かけた彼女は僕に襲いかかってきたのだ。
いや、どういうことだろう。
楽観的な考えが浮かぶが、まずは悲観的な理由を考える。僕はこれから殺されるのだ。魔法力11のゴミは、ついにその生存すら許されず、せいぜいロゼのサンドバッグとしての役目を果たすことを強要される。
いや、流石にそれは無理筋過ぎる。楽観論のほうが自然な理由と思えるくらい、今の僕に彼女にこうされる理由がない。
ただでさえ、直ぐにでも死んでほしいだろうに、最低限の生存を許されていたというのが僕の立場で、それは今日も変わらなかっただろうに、どうしてかこうなっている。
単純に言って、事態が悪化する理由がないのだ。
逆に、好転していると言える理由はなくはない。
それまで一度として馬小屋に顔を出さなかったロゼが、僕と再会した。
そもそもロゼがあの約束の場所で待っていた。――そして、僕を見つけた時の反応と、言動。
まるで、それは――
そこまで考えて、しかし思考は打ち切られた。突如として、ガタガタと揺れる箱の天地がひっくり返ったのだ。
同時に、箱から放り出される。というか箱が壊れた。この世界の人間は丈夫だから問題ないが、前世ならきっと死んでいただろう。
慌てて周囲を見渡す。
――夜、月が天井に浮かんでいた。そろそろ、日が変わる頃だろうか。
混乱は終わらない。
続けざまに爆発が起きる。周囲で、何かと何かがぶつかっている。視線を巡らせて理解した。それは魔法の激突だ。そもそも、この世界に大きな爆発を起こす現象など魔法以外に存在しない。
だから、僕は慌ててその場から飛び上がる。
直後、
「バカ、頭伏せなさい!」
そんな罵倒とともに体が引かれ、直後僕の頭上を火球が通り過ぎた。
「……!」
危うく死んでいた。
いくら丈夫でも、あんなの直撃を受けたら死ぬ。そう思っている間に、僕を引っ張る力は更に強くなる。そちらに視線を向けた。
「逃げるわよ!」
ロゼが杖を構えながら、僕の手を引いていた。
「ロゼ……!」
「説明はあと、今はこの場から離れるの、いいわね!」
うなずく。訳はわからないが、どちらにせよそれを問いただしている時間はない、慌てて走り出し、僕は彼女の後に続いた。
そこは廃村だった。
朽ち果てた村の後、何かに襲われたのだろうか、人はいない。逆に好都合なのだろう、ロゼは所構わず魔法をぶっ放しながら、逃げ回る。
やがて、数分の間逃走劇を繰り広げ、僕たちは腰を落ち着けた。
「はぁ……はぁっ、一体、何がどうなって……!」
「――アリン!」
そして、ロゼが僕の方へ向き直った。数年ぶりに、彼女に名前を呼ばれた。少しだけ嬉しくなるが、今はそれどころではない。
「よく聞いて。アリン、いえアリン・オータウス」
「……何?」
困惑。
そもそも、言葉が出てこない、数年もの間、独り言と馬への声がけしかしてこなかった僕は、一体彼女になんと声をかければいいのだ?
とはいえ、彼女は説明すると言っているのだ。
それに耳を傾ける。
「アリン・オータウスには、死んでもらうわ」
――思考が停止した。
「今から数時間前、オータウス家の馬小屋から、馬が一頭逃げ出した。同時に馬小屋の管理をしていたアリン・オータウスが失踪。オータウス家はアリンが馬を持ち出して逃げたと考えるでしょうね」
「……え、っと」
――その説明は理解できないものだったが、現実との矛盾があまりにも大きすぎて――というか、先程まで考えてもみなかったが、グリンゲン家の人間であるロゼがオータウスの馬を取りに来る理由が意味不明すぎて、そこに意識が向いた。
「警備兵は何も知らないと言っているわ。まぁ、魔法力300のエリートから金を積まれたのだから、一般的な感覚から言って一介の人間が口を割れるわけがないわ」
「それって――」
「……同日、ロゼ・グリンゲンは魔法学院に入学するため馬車で移動中、野盗の襲撃を受ける。夜だったから、家紋が目に入らなかったのね、結果馬車は大破、馬も御者も逃げ出してしまったわ」
「……ロゼ」
「とはいえロゼ・グリンゲンが野盗ごときに遅れを取ることはない。野盗を撃退し、一人で魔法学院のある王都へ向かう。けど、ここで向こうでの生活を務めるはずだった従者が逃げ出してしまったから、新しい従者を雇う必要がある」
朗々と、ロゼは語る。
用意してきた台本を、暗唱するように。温め続けてきた秘策を、ようやく明かせると言わんばかりに。
自慢気に、少女は語った。
「その従者の名は、
彼女は――僕を迎えに来たのだ。
救い出すために。
「あ、ああ、あああああ……! ロゼ、ロゼ!!」
前世の記憶があると言っても、所詮アリンは十四の少年。そもそも僕はアリンで、前世はただの記憶に過ぎない。だから、だから僕は弱かった。
涙だって流す、救われたことを感謝もする。
ロゼが、
――大好きな幼馴染が、僕を救いに来てくれた!
そのことに、僕はただただ涙を流した。
「ごめん、ごめんねアリン、こんなに待たせちゃって。私、私やっと迎えに来れたわ!」
「で、でも……ロゼ。いいの? 僕は――」
――ロゼ・グリンゲン。
ゲームにおいて、彼女は生粋の魔法力至上主義者だ。家柄からして魔法力が全てという思想が支配しており、ロゼもその影響を大いに受けていた。
だから主人公と敵対し、ゲームでは痛い目を見るのだが。
僕の知っているロゼは、違った。
いや、
「――そんなの、どうでもいいわ。私は魔法力なんてものより、貴方一人の方が大切なのよ!」
違う。
魔法力の無い僕だって肯定してくれて、
そして、救ってくれる。
ああ、それを幸せに思うと同時に、僕は、どこまでも申し訳なく思う。涙を流す僕を抱きしめてくれる彼女に、果たして僕は何を返せているというのだ?
僕の何が、彼女をここまでさせるのだ?
わからない、けれど、ああ――
彼女は僕から離れていく。それは、僕を嫌ってではない。
「だから、ちょっとだけ待っててね」
僕を、守るためだ。
「――ケッ、ガキのあおくせー恋愛なんて、お呼びじゃないんスよねぇ」
「ハッ、勝手に私の杖をぶんどって、それにあぐらをかいてる相手よ、それくらい待たせてもケチはつかないでしょ」
空に、男が立っていた。
見上げるロゼに、見下ろす男。
手には、魔法杖が握られていた。
「……あのクソ親父、そこまでして私を排除したかったの。魔法力が低いからって、こんな手段まで使って、プライドってもんがないのかしら」
「おいおい、親のことを悪く言うもんじゃないぜ。っつか、魔法力つったらそこのガキはゴミ以下じゃねぇか。11? そんな魔法力初めてみたぜ」
「――黙れ、私の家族はアリンと、リマ様だけよ。それ以外の家族なんて、アタシにはいらない」
互いに、杖を構えていた。
男のそれは完成されたフォルムであり、ロゼのそれは、携帯型の小さなものだ。
前者は大きな倍率を得られるだろうが、後者は
「ハッ、そいつの魔法力がゴミなのは変わらねぇだろうが。それに、解るだろ? 魔法力があれば、お前も俺の魔法力は読み取れるはずだ」
「……」
「改めて名乗ってやるよ」
男は、周囲に火球を浮かべて、下卑た笑みを浮かべる。
「俺の名はカエラン。炎使いのカエランだ」
<炎使いカエラン>
魔法力:221(x3.51) → 775
「……ロゼ、紅蓮と絶氷のロゼ・グリンゲン!」
<紅蓮と絶氷のロゼ・グリンゲン>
魔法力:341(x2.09) → 712
意識すれば、視界の端に互いの魔法力、倍率、総合力が映る。
僕だって、それくらいはできる。だからこそ――解る。
「俺のほうが、総合力は上だ。さて、どれだけ持つかな? お嬢ちゃん」
勝利を確信した笑みで、カエランは僕たちを見下ろしていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
04 魔法力 #とは
――後に聞いた話。
ロゼは僕を救出し、二人で魔法学院に行く計画を立てた。
この時、御者や警備兵を抱き込んで、金を握らせて利用したわけだけど、当然ながら人の口に戸は立てられぬ、どこからかその情報が漏れてしまったらしい。
しかし、だとしても周囲の反応はそれを一笑に付すだろう。魔力のない人間をわざわざ手元に置く理由はない。ましてやロゼはエリート魔術師、一般的な感性をしていればなおのことそれはありえない話だ。
そこまでいけば、もはや彼女の行動は酔狂としか映らない。そもそも、ロゼがしらばっくれてしまえばそこで話はおしまいだ。僕はこの世界においては、そもそもいなくても同じなのだから。
唯一困るとすれば、彼女の親族。彼女は良い家柄の娘で、当然ながら政略結婚など、政治の道具としての立場が望まれる。
それが昔の許嫁を自分のものにした、というのは外聞が悪い。
ロゼとしては、そんなこと一切きにしないのだろうけど。さらに言えば、彼女がエリートとして、魔術師として超一流の実力を有すれば、そんなことはちょっとした欠点として流される。
この世界では魔法力の高さが全てなのだから。魔法力を高めてしまえば、それより低い魔法力しか持たない人間はなんの文句も言えなくなってしまうのである。
そして、そこで更に困るのがロゼの実家である、ということ。
ロゼの実家にとって、ロゼとは頭の痛い存在なのだそうだ。ロゼの実家、グリンゲン家は古くから男系の家系。女性が当主となることはありえない。しかし、魔法力が著しく高いものを当主にしないのは、社会的にもっとありえない。
そこに、ロゼという例外が現れれば――
――彼らは、それを秘密裏に排除しなければ、プライドを保てなかったのである。
かくして、ロゼの策をロゼの実家は利用した。僕がどうこうというのは、どうでもいい。要するにロゼの狂言、野盗の襲撃を狂言でなくしてしまえばいい。
ロゼを殺してしまえるほどの魔術師を派遣し、ロゼを始末する。
これがロゼの計画に乗っかったグリンゲン家の狙いであり、ロゼが父親をくそオヤジ呼ばわりする理由でもあった。
◆◆◆
<火炎、逆しまに燃え上がり、眼前の敵を焼き尽くせ!>
<紅蓮、氷結と交わり、全ての敵を溶かして壊せ!>
カエランとロゼ。二人の炎使いが魔法の詠唱を行う。それにより、周囲には魔法が浮かび上がり、現実に干渉する。それぞれ、カエランは純粋な炎、ロゼは氷をまとわりつかせた炎だ。
前者は文字通り。後者にはぶつかったものを急激に冷凍させ、それを焼いて砕く力がある。
「ふきとべやぁ!」
「そっちこそ、消え去りなさい!」
正面から打ち合った魔法は、最終的にカエランが勝利する。
カエランの素の魔法力は221、これは絶対的にカエランがロゼに敵わないことを示す。しかし、この世界の総合的な魔法力を決めるのは基礎力と、そして倍率だ。
この世界で、基礎魔法力が向上することはない。だが、魔法倍率と呼ばれる倍率を鍛えることはできる。基礎魔法力×魔法倍率による総合魔法力こそが、魔法の威力を決める最終的なステータスとなるのだ。
一般的に優秀とされるのは四桁以上の魔法力を有する存在。世界最高峰が五桁、伝説上の存在として、六桁の魔法力の持ち主が語られることもある。
今回はカエランが三倍以上の魔法倍率を有し、低い基礎魔法力をひっくり返している。
ロゼも倍率は二倍だが、結果として総合力は劣る。決して戦略でひっくり返せない差ではないが、直接対決では絶対にこれに勝利することはできないのである。
「……チッ」
「く、ははははは! そら、どうしたどうした!」
一度発動した魔法は、長い間効力を発揮する。現在、生み出した火球をカエランがロゼにぶつけている状況だ。それをロゼは直接受けることなく流しているが、やりにくそうにしていた。
理由はもちろん僕だが……かといって、弾幕が激しくて逃げようにも逃げ出せない。
一応、狩りを続けたことで瞬発力には自信がある。一瞬でも隙を見せれば、そこからこの場を離脱するのだが――
「はっ、逃がすかよ!」
生まれた隙間を、更に火球を生み出すことで塞がれる。カエランは僕を逃してくれそうにない、僕としては、何時でも逃げれるようにして、少しでもカエランの注意を引くことしかできなかった。
「ごめん、ロゼ!」
「ふん、アンタは私が守るっていってるでしょ! だったらそれを信じて待てばいいのよ! アンタを傷つけさせはしないんだから!」
「でも……!」
――カエランの狙いはロゼのハズだ。
だから、僕が逃げてしまえばわざわざそれを追うことはしないだろう。だが、だとしてもそもそも逃げられないのでは意味がないし、下手に逃げようとすればロゼの荷物になる。
歯噛みした。
僕は結局、これじゃあゴミのままじゃないか。
「――クク、若いね。だが、甘い! そいつを見捨ててでも生き残ろうとしなけりゃ、お前はここで死ぬしか無いぜ、お嬢ちゃん!」
「誰が! こいつを見捨てるくらいなら、それで生き残るくらいなら、ここで自分を燃やして死んでやる!」
「おいおい……死んだやつを相手するのは趣味じゃねぇんだ、それだけはやめてくれよ?」
「――こいつ!」
思わず、頭に血が上りそうになる。
こいつ、ロゼをどうするつもりだ? 知識でしか知らないけれど、お前のようなゲスがろくでもないことは、僕だってわかってるんだぞ?
「ハハハ! どっちも青いんだよ! てめぇらに足りねぇのは、経験だ! ベッドの上でも、戦場でもなぁ!」
「……くっ! 何言ってんのよ!」
両者の実力差は魔法力だけではない。
戦闘経験もまた、そうだ。ロゼが魔法を受け流す形になっているが、余裕があるのはカエランの方で、ロゼは攻撃を弾くので精一杯。
明らかに、戦闘の力量が違っていた。
しかも――
「はっ――強化切れだ!」
――限界は、思ったよりも早くやってくる。
それまで受け流すことが可能だったはずの魔法力の差が、変化した。
「ぐ、あああああ!」
「ロゼ!」
その勢いでロゼが僕のすぐ側まで吹き飛ばされる。慌ててそれを支えたが、見るまでもなくわかった。ロゼの魔法力が落ちている。
――この世界で、魔法倍率を上げる方法は2つ。倍率魔法と呼ばれる、倍率を上昇させる魔法を使う。良い魔法具を使い、倍率を補助する。
そして前者は――特定のものを除き、時間制限がある。
ロゼの魔法力低下は、これが原因だった。
「アリン……」
憔悴した様子でロゼが言う。倍率魔法は基本的に魔法学院で習うもの、それ以外で習える倍率魔法は、大抵の場合時間制限がある上に、使用後大きく消耗する。
――詰んでいた。
この状況から、考えるまでもなくそれはわかった。
なにせ、
「おいおい、もうへばるのかよ。なぁ――」
カエランが笑う。
「
カエランの倍率は、
卑怯にも程がある。
「……逃げて」
ロゼが、僕に呼びかける。
彼女にとって、僕が生きていればそれでいいということか。
「嫌だ!」
でも、そんなのはゴメンだ。
「僕はロゼに与えてもらった。それを何も返せていない。なのに逃げるなんてできない!」
「……バカ」
「くっ、なら二人まとめてしねや――クソガキィ!」
直後放たれた火球から逃げるために、ロゼを抱えて僕は飛び退く。
直撃はしなかったものの、大きく吹き飛ばされた。
「があああああ!!」
痛い。
いくらなんでも、痛い。
耐えられない。
でも、同じだ。ロゼだって――だったら、ここで諦められない。
たとえ、もう一度避けることは叶わなくても――
『ぬああ、よく寝た。まったく騒々しい……お、ようやく来たのか』
その時だった。
ふと、声がした。
「……え?」
『待っていたぞ、
声は、響いて。
「…………?」
「はっ、死に晒せ!!」
「ちょ、一体何が……」
『くく、死にかけているな』
「……! 耳ふさいでて!」
様子のおかしい僕を見て、ロゼは何を思ったか、僕の体を逆に抱き返す。混乱するまま、僕はロゼに促されるまま、耳を塞いだ。
「これで終わりだ――」
「――まだよ!」
直後、
<霧よ、爆熱の蒸気となって現出しろ!>
周囲一体を覆う霧が、凄まじい勢いと音を伴って、広がった。
「ぬ、おおお!」
「今のうちよ!」
ロゼが手を引いて走り出す。
――逃げ切れはしないだろう。一時しのぎにはならない。だが、
『くくく……助かりたいのなら、私の力を使ってもらうぞ』
そんな声が、爆音の中でもハッキリと僕の耳に届いた。
――そんな僕の手には、一つのペンダントが握られていることに、この時僕はまだ、気づいてはいなかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
05 覚醒
――今でも時折思い出す。
ロゼは一言でいうと、ダメな子だった。
ワガママで、自分勝手で、現実が思い通りに行かないと周囲に当たり散らす。そんな彼女は僕を玩具として扱っていた。
僕の意思なんて関係なく、彼女は僕に命令したり、僕を好き勝手したり。
それに何度泣かされただろう。もう、数え切れないくらいだった。
じゃあ僕にとって、彼女は悪魔だったのかといえば、それはハッキリとノーと答えることができるだろう。
楽しかったのだ、ロゼはワガママだったけれど、とても良く笑う子だったから。それに、彼女は僕がそれを悪いことだときちんと説明すれば、納得してくれた。
お祖母様がしかれば、それをきちんと受け入れてくれた。
良くも悪くも素直だったのだろう。思ったことは全て口に出し、納得したことは躊躇いなく受け入れる。だから、気がつけば彼女はワガママではあっても、それを当たり散らすことはなくなっていた。
――ワガママであること、素直であること。これはグリンゲン家の教育が大きいと、後に聞いた。グリンゲン家は男系の一族で、女性というのは政略結婚の道具に過ぎない。
だから男より優秀であってはならず、けれども男にとって都合の良い、そんな女性に育てるのが、家の方針だったとか。
つまるところ、そのあり方はロゼが本来持ち合わせていたものではなく、環境によって形成されたものであるということだ。
だから、ロゼの本質はそこではなく――
彼女の本質は、一度決めたことを頑なに譲らないことだろう。僕を手に入れるために、アレほど無茶な策に打って出たくらい。
そして、もう一つ、
それがロゼという少女のあり方で。
僕はそんな二つの魅力に、惹かれていたのかもしれない。
ああ、だというのに――僕はロゼに、
あんな顔を、涙をこらえる能面のような顔を、させてしまっていたのだ――――
◆◆◆
『ククク……困惑しているようだな、アリン・オータウス。いや、これからはただのアリンになるのか? まぁいい、正気にもどれ、命の危機はどこにも去ってはいないのだぞ』
意識を声に引っ張られる。
少しだけ、ロゼのことを思い返していた。現実では一瞬のことでも、僕の中では遠い遠い過去の旅路。しかし、それで何が変わるわけでもない。
今も、カエランは僕らを殺すためにそこにいる。
一時的な目くらましが、なんの意味があるという。逃げ切ることは不可能だ。だからこそロゼだって、それを手札から切らなかったのだろう。
だが、時間稼ぎにはなる。
「アリン! 今あんたおかしいでしょ! 何があったのか話しなさいよ!」
『ああ、ロゼには話しても構わないぞ。むしろ、話したほうが話がスムーズだ』
わけのわからない声。
大人びた少女の声であることは解る。どこからしているのか――見れば、手にはペンダントが握られていて、これが声を発しているのだと、僕は直感した。
「これから……これから声がするんだ! 多分、ロゼには聞こえてないと思うけど……」
「声……? 信じられないけど、そうね。だったらどうだっていうのよ、そいつはなんて言っているの?」
『伝えてやれ――もう一度言うぞ。
力強い声だった。
有無を言わせない、けれども、警戒せざるを得ない声。得体のしれない、という言葉があまりにもにある胡散臭い少女の声は、僕を上から下まで揺さぶってくる。
だが、伝えない理由はない。
少なくとも、ロゼに嘘を付く理由はないのだ。
「助かりたければ、この声の力を使え……って」
そして、
「なら、使いなさい」
ロゼは、力強くそういった。
「待ってよ! 流石にこんな唐突に、信じられるわけないでしょ!?」
「信じられなくても、私達に他に助かる手段があるっていうの!? それに……よ」
正面から、ロゼは僕を見ていた。
じっくりと見据えて、目を合わせて、決して躊躇うことなく。――ああこれは、見覚えがある。いつもの目だ。ロゼが何かをこうと決めた時、彼女は絶対にそれをためらわない。
僕は、そんな彼女をよく知っていた。
「私の知ってるアンタは、何があっても絶対に
そして彼女は、そんな僕のことを知っていた。
「……昔、私が今の百倍くらいワガママだった頃、アンタにとって私はすっごい嫌な存在だったと思うの」
「それは……」
まぁ、否定はできない。
泣かされたこと星の数、叩かれたこと人の数。それはもう、色々とひどい目にあった。今にして思えば、いい思い出だと思うけど。
「でも、アンタは私を見捨てなかった。
「……だから?」
「うん、……だから、私は今がある。その今を諦めなかったアンタが、私たちのこれからを諦めるはずがない。そうでしょ?」
買い被り……というのは謙虚が過ぎるだろうか。
自分でもどうかとおもうが、そもそも人としての権利を剥奪されて馬小屋に押し込められて、それでも生きることを諦めず、たとえ惰性でもこれまで生存してきたのは、諦めが悪いといえばそのとおりだろう。
だから、僕はロゼの言葉を否定できなかった。
否定できないのなら。
「――そうだね。僕はまだ、未来を諦めたくはない」
僕は、肯定して立ち上がらないと。
『話は終わったか?』
「待たせて悪かったね」
『構うものか、ああ、お前たちのそれは何時見ても飽きない。もっとやっていいぞ』
「……お前、どこまで知っているんだ?」
『くく、そこに話を逸らすと長くなる、やめておけ。――そら、霧が晴れるぞ』
疲弊し、倒れ込むロゼを庇うように僕は立ち上がり、前を向く。辺りに広がっていた霧が晴れ、風が吹いた。
「ハッ、なんのためにやったのか知らないが――まさか一歩も動いてないとはな」
カエランが、僕を見下ろしている。
僕はカエランを、見上げていた。
「まさか、お前が戦うのか? ゴミが、その魔法力、そもそも存在していないと同じじゃないか。笑わせるぜ」
「戦うんじゃない、守るんだ。僕たちが生きていくために、必要な未来と、ロゼを守るんだ」
「ヒューッ、お熱いねぇ。俺はそういうの、嫌いじゃねぇが……お前は邪魔だ。鬱陶しい!」
その言葉とともに、カエランは炎を掲げた。その数無数、避けられるものではないし、避けるつもりもない。もう、引くという選択肢はどこにもないのだ。
「ここで死ね! 生きていく価値が元からないと決まっているなら、せめて女に背を見せることなく死ねる幸福に喜べよ!」
「断る! ロゼに涙は似合わない。僕は――ロゼの笑顔のために戦うんだ!」
炎が、放たれた。
迫りくる死。たとえペンダントの声が虚言か狂ってしまった僕の聞き間違いだとしても、僕はこうするしか方法はなく、それをロゼは後押ししてくれた。
なら後は、
僕はそれを信じて先に進むだけだ!
『――そうだ! 信じて進め! お前を支える女の顔を思い浮かべながら、一歩を踏み出せ!』
ペンダントを構え、その声に従って進む。迫ってくる炎へ、それをかざした。
『お前は、これから多くの女と出会うだろう。そいつらは願っている。不幸に泣き、間違いにとらわれている。そいつらの救いを諦めるな。お前がそれを諦めない限り、そいつらはお前の力になる!』
――そんな、聞き捨てならない言葉を、今だけは聞き流し。
『我が名を叫べ! 剣を抜け! アリン!!』
「――抜き放て」
心の底に、その名は灯った。
<
そして、光がペンダントから溢れ、
「な――」
『我が名はアスモダイオス! ここに契約は成った! 待ちわびたぞ、お前が私を抜くこの瞬間を!』
――ああ、知っている。
アスモダイオスの名を、僕は知っている。前世の記憶で、嫌というほど。
だが、今は構わない。
「僕は……アリン!
「……まて、まてまて……何が起きている!? 何故、何故お前に魔法力がある!!」
<天魔アリン>
魔法力:100(x3.12) → 522
200
10
「お前が知る必要はない。ここでお前は僕に敗れる」
「……はっ、その魔法力で、俺に勝とうなんざ、無理な話だろうがよ! たとえ魔法力が跳ね上がろうが、てめぇは俺以下のゴミに違いはねぇ!!」
「それは――」
僕の手には、光の剣。
それを突きつけて、僕は叫んだ。僕の背を見る、少女を守るために。
「――未来が決めることだ!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
06 恋愛力 #とは
迫りくる炎を、真っ向からまとめて叩き切る。
不思議な話だが、この剣は魔法を切り裂けるらしい。ゲーム主人公の能力に近いものを感じるが、あちらはもっと絶対的な能力だ。切った炎の火の粉があちこちに飛び散って、時折肌を焼いたりはしない。
魔法力0という特別な力を持つ主人公には、いくつか能力があるが、そのうちひとつが魔法の無効だ。コレ自体はよくある能力らしいが、ともかくそれとは毛色が違うようだ。
アスモダイオスの力……ということなのだろうが、僕の記憶にあるアスモダイオスとは、いささか力の使い方が異なるように思える。
――当然、アスモダイオス……長いのでアスモと呼ぶが、彼女はゲームにおける重要人物だ。ラスボス……とまでは行かないまでも、場合によっては敵対する。
『いいかよく聞けアリン。お前が手にした力は
「何言ってるんだ!?」
とはいえ、今は一応味方……でいいのだろう。しかし、言っていることはトンチンカン極まりないことだった。恋愛力? そんなものゲームで一度も聞いたことがない。
『声に出さなくていい。私に伝えたいと念じながら思考すればそれが伝わる。口の中で声をだすよう意識しろ!』
「この状況でできるわけないだろ!」
できるだけ声を潜めて、話をするのが精一杯だ。とはいえ、今はすごい音をたてながら炎が飛んできている上に、弾かれたそれが着弾してこれまたすごい音をたてているから問題はないだろう。
『お前を愛している人間がお前をどれだけ思っているか、そしてお前をどれだけ愛しているかで恋愛力が決まる』
「そのまま進める気かあ……」
とはいえ、聞くしか無いだろう。
カエランは今は様子を見ているのか、ただ炎を放ってくるだけだ。長い狩りの経験で、これを弾くこと自体は難しくない。
問題は、向こうが動いた時だな。
『お前をどれだけ意識しているかの度合いが基礎力。お前をどれだけ愛しているかが倍率だ。ロゼの場合は今はお前のことだけを考えてるから100、お前を他人の3.12倍愛しているから倍率は3.12。わかったな?』
「じゃあ、こっちの基礎力だけのやつは?」
『それはお前がそいつの存在を認識していないからそうなっているんだ。だから、倍率はすでに計算済み。その割合はわからない、ということだな』
「よくわからないが……とにかくいま気にしても意味がないことはわかった」
つまり僕のことを人一倍愛している少女がロゼの他に二人もいるということか? いやいや、僕はそんな大した人間ではないし、そもそも誰かに好かれるような生き方をしてきただろうか。
ということを気にしている暇はなく、カエランが動いた。
「ハッ、気味の悪ぃ剣だ!」
叫びながら、突っ込んでくる。ただ放つだけではキリがないと判断したか。
「――ロゼ! その場を絶対に動かないで!」
「わかってる!」
僕もまた、対応するべく動く。
カエランは僕を侮っている、恋愛力を魔法力へ変換したとしても、僕は一向にカエランに勝っていないのだから。
だが、僕はそれをひっくり返す手段がある。
<爆雷、地に満ちて我が敵の足を止めよ>
「――!」
僕の詠唱。
直後、カエランの足元が爆発した。
「よし!」
『まだだ!』
爆発の右側からカエランが飛び出してくる。その体は炎を纏っていた。爆発を炎で抑え、更に炎を炸裂させてその勢いで飛び出したのか。
構わない。
<閃光よ、雷槍となれ>
雷撃の槍。正面から放てば魔法力の差でカエランには軽く弾き飛ばされるが、カエランは動揺していた。
「な――」
爆発の魔法と全く異なる魔法が見舞われたことで、カエランの足が止まった。ありえないことだからだ。そこに僕は剣を振りかぶり斬りかかる。
しかし、カエランも上手だ。即座に炎を生み出し、剣とそれを拮抗させた。
「――どうなってやがる。魔法力ゴミカスのてめぇに、複数の属性は扱えないはずだ!」
『ククク、扱えないのではないさ。理解できないだけだ』
この世界の魔法の原則。魔術師は扱える魔法の属性が決まっている。多くの場合は一つ、優秀な基礎魔法力を有するものが、極稀に複数。
なぜなら、魔術師は自身が扱える属性以外の詠唱を理解できないからだ。
『炎属性を扱えないものが、炎属性の詠唱を聞いても、何を言っているかはっきりしないというのがこの世界の常識だ。だが、こいつは違う』
何度も炎と剣をぶつけ合いながら、僕は続けて詠唱に入る。
<
「こいつ……!」
先程ロゼが使用した魔法を行使する。
『こいつには前世の記憶がある。その中で、こいつはあらゆる詠唱をこいつの理解できる言語で把握しているのだよ!』
「……そこまで知ってるのか」
『ははは。そうだ気をつけろ、その剣が切れるのは魔法だけだ。壁や人は切れない。先程炎と拮抗したのも、炎が人の手に触れていたからだ』
露骨に話を逸らされたが、ともかく逸らされた内容は有用だった。
霧の中を駆けながら、ロゼの位置だけを気にしつつ次に移る。――この状況、ロゼを狙うだけなら最高の状況だろう。だが、だからこそこちらが完全に警戒していて、下手に踏み込めば逆にやられる。
ロゼの隙を晒すことなるが、カエランは絶対にロゼを攻撃できない状況だった。
その上で――
「……アスモ、一つ聞きたいことがある」
『何だ?』
僕は、一つだけアスモに確認すると、霧の中から強襲を仕掛ける!
「――――待ってたぜ、クソガキ」
そこを、
「……!」
手には、炎。勝利を確信して、男は笑っていた。
「てめぇのその剣。魔法を切るとかいうわけの分からねぇブツみてぇだが。――
「何故……」
「カンだよ。俺のカンはよく当たる」
――見抜いていた。あの一瞬の攻防で、カエランは剣の特性を完全に。しかし、だがそれを確信することは不可能だろう。そこをカンなんてもので補われたら、僕としてはどうしようもないぞ!?
「ハッ、まだ甘いなぁ。複数属性を操り、魔法を切れる剣を持つ。お前あのロゼとかいうガキよりは数段強い。だが――素人に変わりはねぇ」
直後、カエランの炎が、青に染まった。
「
<炎使いカエラン>
魔法力:221(x5.51) → 1217
『――まずいぞ、あの魔法力では拮抗できん。その剣が切れない魔法と打ち合えるのは、同じ桁の魔法力でなければならん』
つまり、今の僕の魔法力は三桁だから、四桁のカエランとぶつかると一方的に押し負けるということ。
だから、僕は思った。
「――悪いな、これでチェックメイトだ」
――――
「今だ!
「なっ――!?」
直後、詠唱が響く。
<
霧は爆熱となり。
「カエラン……そっちこそ、倍率魔法はこれで打ち止めだろ!」
「……!」
立ち上がり、僕は言う。
カエランの倍率魔法、先程ロゼに対して勝ち誇る際に言っていたそれは、しかし一つ疑問が浮かぶ。
「だが、それがどうした! お前は魔法は切れても、俺の魔法力を越えられない! 最終的に、勝つのは俺だ!!」
「――私の魔法具をパクっといて、勝ち誇るなんて、随分といい御身分ね、カエラン」
カエランの叫びに、ロゼが待ったをかけた。
僕の隣で、寄り添うように。気丈にカエランを睨みつけている。
「ハッ……倍率魔法を使い果たしたお前に何ができる、クソガキ」
「そっくりそのまま返してあげる。ここで終わりよ、アンタは」
僕は、無言で剣を構えた。そこに魔法をまとわせる。
「――ロゼ。見てるかい?」
「……ええ」
「なら、もう安心していいんだよ。僕は戦える。あいつを倒して、君と未来を作る」
「…………ええ!」
――一つだけ、疑問があった。
ロゼの恋愛倍率……というべきだろうあの倍率のことだ。僕が言うのもなんだが、
僕を殺してでも、僕を手元に置こうとする少女が、
僕をそれだけしか愛していないのか?
答えは――
『――一つ、聞きたいことがある。この倍率は、上下するのか?』
『
先程、アスモに僕は問いかけた。
一つ、聞きたいことがある。そこで僕は確信したのだ。
ロゼはまだ、恐れている。僕が、ロゼを嫌っていないか、と。
だから――一言、口にすればいい。
僕は、
「僕は、君が好きだ」
心の底から、彼女への想いを。
「――血迷ったか、クソ共がぁああ!」
カエランが、炎を差し向ける。それを、僕は剣から放つ魔法で迎え撃つ。
放つ魔法は、当然――
<紅蓮、氷結と交わり、全ての敵を溶かして壊せ!>
紅蓮と絶氷の魔法!
「これで終わりだ――」
「――カエラン!」
ロゼが、手を剣に添えてくれた。
それだけで、僕の魔法は、もっともっと強くなる。
<天魔アリン>
魔法力:100(x5.68) → 778
200
10
二人分の想いを重ね。
膨れ上がった炎と氷の二重奏。
「な、ば、ば、バカな――――!!」
迫る炎と、僕たちの魔法が激突する。
やがてそれは、カエランという障壁を打ち破り、天に赤と白の勝利を飾った。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
07 ロゼはそれがわからない
『ふむ……勝利だな』
「……そいつ、生きてる?」
静まり返った廃村で、僕たちは倒れ伏したカエランを見下ろしていた。体中焼け焦げて、半死半生といった様子だ。つまるところ、放っておけば死ぬ……かもしれない。
「生きてはいる……けど、後は魔法が決めることだ。放っておこう」
故に、僕たちはカエランをスルーすることにした。
魔法力をぶつけ合って、勝敗がついたということは、魔法力が運命を決めるということだ。原則、意図した理由がない限り、決着が付いた後に魔術師を殺すことはない。
逆に言えば戦いの最中に殺しても僕たちは気にしないし、それは自然なことだ。
この辺り、前世の知識はおかしいと言うけれど、残念ながら僕たちはこの世界に最初から暮らす人間である。それをおかしいとは思えなかった。
「――ま、こいつを憲兵に突き出すにも、説明が必要だしね。やめておきましょ。……で」
加えて言えば、僕らの現状を憲兵――警察に報告するのも、色々とややこしいために、僕らはこれを放置する他なかった。
ロゼが自身の杖をカエランから取り戻し、僕に向き直る。
「詳しく話……聞かせてくれるわよね?」
「どこから?」
「全部」
だよなぁ、と僕は大きく息を吐いた。
そして――
「……つまり、アンタにはこの世界の情報が知識としてあるってこと?」
「まぁ、そうかな? 他にも別の世界の知識もあるけど、この世界じゃ大抵のことは魔法で解決できるから、そうなるね」
洗いざらいという言葉は、こういう時のためにあるのだろう。
僕はロゼに僕が知っている全てを話した。魔法力の測定儀式を終えた時、前世の記憶を思い出したこと。それを使って魔法を自由に行使できること。それから……恋愛力とかいうふざけた力と、アスモダイオスのこと。
なお、恋愛力について明かしたら、数分ロゼは抱腹絶倒して動けなくなった。
今も少し顔が笑っている。
「ぶふっ」
「思い出し笑い!」
発作が始まった。ロゼは再び少しの間笑い続けると、それを何とか抑えて続きを促した。
「アスモダイオス、ね。聞いたこと無いけど、すごいやつなの?」
「一般には知られてないけど、この世界に魔法力をもたらした三人のすごい存在の一人……なんだって」
「ほんとにすごいやつじゃない」
『崇めていいぞ』
――まぁ、悪魔であるから記録から抹消されたのだけど。
口に出すと絶対にひどい目に合うから、僕は固く口をつぐんだ。アスモダイオスに関しては話すと長くなる上に、ゲームのストーリーについて踏み込まないといけないからかいつまんで話すが、この世界の神の一柱で、主人公たちの敵になったり味方になったりする存在だ。
トリックスター、引っ掻き回し役といったところか。
「それにしても、前世の記憶ねぇ。それ思い出しても、全然アンタが変わった感じしないけど」
「なんていうか、記憶って言っても知識だけって感じでね。前世の僕は今の僕とは少し違う僕だったらしいけど、僕はそれをガラス越しに見ているだけなんだ」
ふーん、とロゼは興味がなさそうだ。
『お前の前世の記憶は一種の異能だ。記憶という書庫の中から、自由に情報を取り出せる異能。だから的確に魔法の詠唱を覚えていることができるし、唱えることができる』
便利極まりない話である。
確かに言われて見ると、僕は前世の記憶を
それは、普通の人間の記憶するという行為とはまた違うものではないだろうか。
「だってさ」
「なんとなくわかったけど。っていうか恋愛力って何よ、私からはアンタが突然魔法力を得たようにしか見えないわ」
「そっちからはどう見えてるの?」
そこは少し気になる話。僕からは恋愛力がそれぞれ個人ごとに別れて見えているけれど、他人も同じようには見えていないだろう。
「えっとね」
ロゼが言うには、通常の魔法力と魔法倍率、そして総合値が見えているらしい。
魔法力は289、倍率は5.77、総合値は665。しれっとロゼの倍率が上がっている。
僕から見ると、この内89がロゼ、ほかは変化なし、といった具合だ。つまり、僕にとってクローズになっている恋愛力は全て基礎値換算になるということか。
「うーん……お?」
「どうしたのよ……って、魔法力が11に戻ってるじゃない!」
「戻せる気がしたから試してみたけど、戻せた」
「軽いわねぇ!」
ロゼは楽しそうだった。
「ま、私としちゃどっちでもいいけど、アリンとして通すならそっちのほうがいいわね。……そうだ」
ふと、彼女の様子が変わった。
何かを、いいことを思いついたと言わんばかりの顔で、僕はその顔に嫌な思い出が多い。というか、凄まじい勢いで嫌な予感がしている。
「あんた、恋愛力高めなさいよ」
あっけからんと。
彼女はそう言ってのけた。いや、待った待った。それはいくらなんでも良くない。ロゼは何を言っているんだ? それってつまり、
「ロゼ以外の誰かを好きになれってことか!?」
「違う、アンタに誰かを惚れさせるの、アンタの意志は関係ないわよ」
「その方が問題じゃないか!」
ロゼは、僕の言葉に唇を尖らせる。彼女は不服そうだが、僕だってその言葉は受け入れがたい。
「第一、一夫多妻なんて珍しいことでもないじゃない。逆だってそうよ、
「だとしても……それと僕たちはなんの関係もないじゃないか!」
――ロゼが言う通り、この世界で多くの妻や夫を娶るなんて珍しいことでもない。魔法力の高い人間がそれを望んだら、低い人間はそうしなければならないのだから。
むしろ、そうしないことのほうがおかしい。
だが、僕たちはそうじゃないだろう。
ロゼはどうして僕を救い出してくれた? 僕はどうして救い出されなきゃいけなかった? この世界の常識を関係ないと切り捨てたから、ロゼは僕を助けてくれたんじゃないのか?
「……わかんないわよ、私はアンタがいればそれでいいんだもの」
「それは……」
「アンタだってそうでしょ?
幼い頃、僕たちは二人きりだった。僕の両親はすでに亡く、僕は祖母であるリマお祖母様によって育てられ、ロゼは僕の婚約者として、僕のためだけに育てられた。
そう、聞いている。
でも、
「……でも、僕には前世の知識ってやつがある。それは、一人は一人を愛するべきだって、そう言ってるんだ。僕は、ロゼだけを好きじゃだめなのか?」
「…………わかんないわよ」
ぷいっと、彼女は視線を逸して、そういった。
今にも泣き出しそうな目で、少女は言った。
「私、アリンのことを全て肯定するようにって、ずっと言われてきたわ」
それは、
「でも、アリンはそうじゃないっていう。だから私は好きにしたのよ。アリンが欲しい、アリンがそばにいてくれればそれでいい。今の私にあるのは、それが全部」
ロゼという少女が、これまで歩いてきた過去を、振り返る言葉だった。
「全部だから、それ以外がわからないの。ねぇ、アリン」
そして、振り返って出てくる言葉が、僕に対する好意だけであるというのなら。
「アリンは私がアリンのことが好きな人を増やすのはおかしいっていう。それって、私に嫉妬してほしいってこと?」
だったら――
「だったら、私はどうやってその、嫉妬ってやつをすればいいの?」
――ロゼの歩いてきた道は、どれほどまでに細くて、短くて。
そして、先の見えないものなのだっただろう。
ひとつだけ、思うことがある。ロゼの恋愛倍率は、好きだと僕が伝えてもなお、まだ5倍なのだ。ちょっとのことで多少の上昇を見せる彼女の倍率が、果たしてあの数字は正常なのだろうか。
倍率に高さには、執着の度合いが含まれるのだとしたら、ロゼの倍率が、ロゼの好きが、遠慮に満ちたものだとしたら。
僕は少しだけそれが、胸の中でざわついた。
だから、
「聞いて欲しい、ロゼ」
僕は、答えなきゃいけない。
ロゼに、想いを伝えなきゃいけない。
さぁ、ここからが正念場だ。僕にだって、答えなんてわからない。ロゼの嫉妬がほしいのか、この胸のざわつきこそが執着なのか、それすらも。
けど、
ロゼが今、泣き出しそうなのは事実なのだ。
あの目を、――それを押し殺した感情の無いその瞳を、
僕が、笑顔に変えてやるんだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
08 世界を変えてしまうほどの恋
ロゼは嫉妬がわからない。
僕が誰を好きになろうとも、彼女は自分の好きを変えたりはしない。逆に言えば、彼女は自分が好きであればそれでいいのだ。
ワガママではある、勝手な話ではある。だからこそ、僕にそれを押し付けていない。ということだろう。
「ねぇロゼ……もしロゼは、自分よりも魔法力の高い人に、好きだって言われたらどうする?」
「それは、恋愛力を高めた貴方のこと?」
「僕以外の誰かだよ」
この世界において、もしそう迫られたら、迫られた側は断れない。断るという選択肢すら生まれないだろう。それが当然で、だからこそ、僕はそう問いかけた。
答えは、
「
あまりにも端的だ。
とはいえ、衝撃的な答えでも、意味はわかる。
僕にしたことと、同じことをしようというのだ。
「自分を死んだことにして、そいつの前から消えるわ。私が貴方以外を好きになることはありえないもの」
「……だろうね」
――ロゼなら、そう答えるだろうと思っていた。実際にそうしたのだから、今度もそうするだろうと、彼女はためらわないはずだ。
であれば、
「だったら、ロゼより魔法力の高い人が僕に対して自分のモノになるように言ってきたら?」
「だとしても、私がアンタを好きな気持は変わらない」
「僕を自分のものにした人が、
「……それでも、私の思いは変わらない」
そんな、ロゼの瞳は頑なだった。僕自身がどうにかなってしまったとしても、僕が生きていて、そしてロゼが僕を好きでいられるなら、今のロゼはそれで幸せなのかもしれない。
だとしたら、僕にはもう、かけられる言葉はないのではないか。
いや、だとしても。
「だったら、きっとロゼの思いはそれでいいんだと思う。たとえ僕にとっておかしくたって、ロゼがそうしたいのを、僕は止められないんだから」
「……」
僕には一つだけ、確かな事があった。
「でも、一つだけ言えることがある」
それは、
「この場合、悪いのは僕を奪おうとする誰かと、そうすることを肯定する世界じゃないかな」
この世界は間違っている。
ああ、だから。
「僕には、前世の知識がある。アスモはこれを異能だって言った。だったらそこに、きっと何かの意味がある」
「その知識があれば、世界を変えられるの?」
「わからない。世界を変えたのは僕じゃないから。
――この世界を変えたのは、ゲームの主人公だ。
とはいえ、それはいわゆるトゥルーエンドと呼ばれるエンドにおけるルートでのことであり、主人公がそれ以外の未来を選べば、その限りではない。
だから、僕がいることにもきっと意味がある。
「世界を変えるってことは、世界を知るってことだ。だから、ロゼ」
「……うん」
「その中で探せばいい。今は見つからなくても、わからないのなら、知ればいいんだ」
もしも、本当にロゼが嫉妬せず、僕に好意を向ける誰かを許容できるなら、それはそれでも構わない。でも、だからって、わからないことを構わないですませるのはだめだ。
「そのために、世界を変えよう、ロゼ」
ああ、結論はそこだった。
僕はロゼを説得する言葉はない、僕だってわからないのだ。この世界のことを、僕はほとんど知らない。知識と、虐げられた過去しかない。
だったら一緒に知っていけばいい。
僕にも、ロゼにも、自由は間違いなく存在するのだから。
そう、願いをこめて僕は呼びかけた。
そして、ロゼは――
「……あは、あはは。ほんと、すごいこと言い出すわね、アリン」
楽しげに、笑ってくれた。
心の底から、あの目をせずに、喜んでくれた。
理由は――
「――それには力が必要よ? だとすると、アンタは結局恋愛力をあげないといけないことになるじゃない」
「……あっ」
僕が失念していたことを、指摘するためだったけれど。
でも、ロゼは笑ってくれた。
……ああいや、それにしたって恋愛力云々の話はどうしたものか。というか、先程からアスモはまったくもって口を挟まない。こういう時、野次を飛ばしてきそうな性格なのに。
とはいえまぁ、
「……でも、そういうことなら喜んで。一緒に頑張りましょう、アリン」
「……うん」
ロゼはうなずいた。
僕たちは、この世界において自由を手にし、そしてそれを次に繋げるための大きな目的を手に入れた。全ては、ここからだ。
「じゃ、そのために街へ向かうわけだけど……」
「けど……?」
「――数年分の馬小屋の匂いを、キッチリ落としてからね。ほら、脱ぎなさい」
「……………………はい」
そして、横暴極まりない、けれどもまったくもって正論で、ロゼは魔法で氷を溶かしてお湯を作って、僕をひん剥き始めるのだった。
◆◆◆
――大成功だ。
悪魔アスモダイオスは歓喜していた。
天魔アリン、アスモダイオスがこの世界がゲームの世界であると知った時から、
リマには随分と手こずらされたが、こうして彼女の管理を離れた今、アリンはアスモダイオスの手のひらの上だ。
今、この時。
――などと、いきなり何を言っているかわからない黒幕っぽいことをアスモダイオスは考えていた。
つまるところ、この一連の流れはアスモダイオスが手引したものである。アリンの覚醒も、ロゼの行動も、少しずつこうなるように、アスモダイオスは暗躍していたのだ。
目的は二つ。一つはたとえアスモダイオスが死んでも語らないだろうが、もう一つはとても単純。この世界の
魔法力を共に生み出しながら、自分の存在だけを抹消したもの達への叛逆であった。
そんなアスモダイオスは知っていた。
アリンが知らない、恋愛力200の正体を。
アレは、一体何か。なぜああもきれいな数字になるのか。答えはとても単純だ。
恋愛力において、意識度の割合は100が最大。そして同時に恋愛倍率の最大も100である。そう、最大値なのだ。これ以上上がらないから、数値が固定しているのである。
加えて、恋愛倍率が百倍であるということは、意識度は2しかないということ。それはそうだ、この場にこの恋愛倍率の持ち主はおらず、アリンをほとんど意識せずに暮らしているのだから。
だが、意識していないにも関わらず、意識の2%は常にアリンに割いている。
それを異常と呼ばずなんという?
(ああ、楽しみで仕方ないよ、アリン――お前がその持ち主と出会うことを)
アスモダイオスはトリックスターである。こういう状況が、彼女は大好きだった。
そして――
(その恋愛力の持ち主が、
――それは、この世界においての、最大の爆弾であった。
なお、アスモダイオスすら知らないことだが、この意識度、いかにアリンの事を思っているかで決まる。だから、例えばロゼがアリンのためではなく、自分の都合でアリンに対してちょっかいを掛けている時、ロゼの意識度は下がる。
であれば、徹頭徹尾アリンのためではなく、自分のためだけにアリンを意識していれば、当然ながら意識度は極端に落ちる。
そして、アリンへ恋愛力を持つ存在は、ロゼ、ゲーム主人公、そしてもうひとりいる。
そして、アリンは昔からオータウス家で引きこもり、ロゼ以外の少女とろくに関係を築いてこなかった。
そして、そんなアリンを知る
かくしてアスモダイオスはあざ笑う。
自分が、アリンに対して抱いている感情の意味を、知る由もなく――
以上で一区切りとなります。
主人公以外の性転換、下敷きになっているゲームとしてはともかく作品としては最初から女性キャラであるキャラの性転換タグは混乱の元ではないかと思い付けていませんでしたが、
実際のところどうなのかちょっと意見が分かれる気がしたので、もしよければお聞かせいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
二 アミ
09 生きることしか許されない少女
ちょっとお嫁に行けないレベルで洗われて、それでもまだ微妙に臭いと言われ、思い切って消臭の魔法を行使して、なんとか人としての尊厳を僕は取り戻した。
しかし数年ぶりのお湯は、なんともいい難いものだった。感慨深い、どこか自分の中で、馬小屋生活の区切りになるような、そんなものだった。
馬小屋で暮らし、獲物を狩って、小川で汚れを落としたあの頃は、地獄としか言いようがない。
もうそんな心配はないのだと、僕たちはロゼと二人で笑いあったが――
逆に言えば、ここからは人の世界の中に入っていくということだ。
魔法力という人権を奪われた存在には、いっそのこと馬小屋という地獄のほうが、まだマシだったのかもしれないのだから。
「行くわよ、アリン」
僕は手を引かれていた。
町中、ようやく目的地にたどり着いたロゼは、僕を引っ張りながら、先に進んでいた。絵面で言えば、それは幼い少女が弟の手を引いているような光景だろう。
しかし、実際のところはそうしなければ街を僕が歩けないために、そうしているのだ。
原因は、視線。
街中の視線が、僕に向けられていたと言ってもいい。
いや、そこまでひどいものではないけれど、誰かがそれに気がついてしまえば、周囲には動揺が広がる。僕の魔法力の低さに動揺し。
「わかってる……それにしても、すごい視線だよ」
「気にしなくていいわよ、今、ここには私がいるんだもの」
視線に伴った感情は、困惑。
しかし、意外にも侮蔑などの感情は向けられない。
これはロゼが――魔法力300という、世界でも有数の基礎魔法力を有する少女が僕を連れているからだ。つまり、僕はロゼの所有物という扱いなのである。
僕がどれだけありえない異物だとしても、それを所有するロゼが存在する以上、僕に嫌悪感を示すことはロゼに喧嘩を売ることと同義、というわけだ。
中には堪えきれていないものもいるが。
『くくく、今のお前達は、さながら露出プレイで観衆に見られているかのようだな』
『なんて表現をするんだよ!?』
非常に楽しそうなアスモは、自分が関係ないからと、とんでもないことを言ってくる。トリックスターに現代知識は劇物すぎるといういい例だった。
「……ついたわよ」
ふと、ロゼが足を止めた。
「ここは?」
視線の先には、大きな店があった。やたらと豪華な、成金めいた趣味の悪い装飾、ふと、近くに看板があるから見てみれば、そこには『魔法力253 豪商ゲイガンの店』と書かれていた。
いや、なんの店なのか知りたいのだが。
「この街で、一番品揃えの豊富な服屋。店主がクズなことを除けば、優良店らしいわ」
「見れば解るよ……」
というわけで、僕たちは服屋に入ることになった。
まぁ、理由は言うまでもなく、ボロ雑巾みたいな服を着ている僕から、それを引っ剥がすためだろうけれど。
……なぜか、ロゼの目が輝いていた。
嫌な予感が溢れ出したが、僕の手はロゼにガッシリと掴まれているのであった。……このために僕の手を掴んでいたわけじゃないよね?
◆◆◆
街についたのは日が暮れるころだった。閉店間近の店に、客はいなかった。とはいえ、まだ一時間くらいは時間もあるけれど、しかし現代知識いわく、女性のファッションに関わる買い物は一日仕事らしいのだが、大丈夫だろうか。
「失礼するわよ」
そう一言声をかけて、ロゼは服を漁り始めた。
店には、ロゼの言う通り多種多様な服が取り揃えられている。中には異国風の、生まれてこの方見たこともないような服もある。
しかし……違和感。
「ねぇ、ロゼ?」
問いかけようとして――
「――思ったんだけど」
ロゼが遮るようにつぶやいた。
これまた嫌な予感、とはいえ、声音は至ってマジメ。
「アンタ、恋愛力を魔法力に変換してるのよね」
「うん」
「その変換を、自由に切り替えることができる、と」
「うん」
「どれか特定のやつだけを変換することってできないの?」
その言葉の意味を考えながら、どうだろうと意識を集中させる。
――前に、
『できるぞ』
「できるってさ」
アスモが答えた。からかうような声だ。人の集中を無駄にさせたことがそんなに楽しいのだろうか。
「んじゃあ、ここに来るまで一度として変化することのなかったクローズドの恋愛力、それだけ普段はオンにしなさいよ」
「……ん、そうすると」
「ええ、
『そうすると、お前は魔法力11のゴミからエリート魔法力の持ち主に変貌するな』
――思っても見ないこと。
いや、そもそもの話、先程の視線だけで分かる通り、僕が魔法力11のママだと、いくらなんでもロゼが従者にするとしても異質に映る。
露出プレイとアスモは言ったが、まさしく倒錯した性癖の持ち主と受け取られかねないだろう。
流石に、ロゼもそこまではゴメンのはずだ。だとしたら、
「……ロゼ、最初からこういうことを考えてた?」
「アンタから恋愛力の説明を受けたときから、なんとなくね」
「でもそれじゃあ、僕がアスモに出会わなかったらどうするつもりだったのさ」
「
「――!」
それは、この世界においてはとんでもない発言だった。
魔法力の偽装、もしそんなことが可能であれば、この世界の常識は根底から覆ってしまうだろう。故に、魔法力の偽装は禁忌だ。
そもそも、
「そもそも、偽装するにしても人はごまかせても、それ以外はごまかせないじゃないか」
「ごまかせなくてもいいのよ。アンタは魔法学院に通うわけではなく、アタシが個人的に雇ってる従者なんだから」
魔法力の偽装。
可能か不可能かで言えば、可能だと僕はお祖母様から聞いたことがある。というか、お祖母様ならできるだろう。しかし、実行したとしても、ごまかせるのは人の魔法力感知だけなのだそうだ。
この世界では、十歳のときに魔法力を測定する儀式を行い、それ以降、魔法力を行使することができるようになる。同時に、他人の魔法力を把握することができるようになるのだ。
だから、カエランや街の人々は僕が何も言わなくても、僕の魔法力がゴミであることを把握できた。
「アタシの魔法力は300越え。そんな魔術師のことを怪しむなんて、
「……なるほど」
僕たちは、この世界を変えると決めた。とはいえ、一朝一夕で変わるものではない。ロゼはそれをよくわかっている。だから、必要であればこの世界の常識を利用することもいとわない、と。
『くくく、ロゼは純粋だが、純粋故に染まりやすい。修羅に堕ちると決めれば、どこまでも堕ちていくぞ』
『随分と知った口を聞くな……』
『知っているのさ、私は神なんだぞ?』
悪魔じゃないか、とは口にせず、僕は話をまとめる。
ロゼの狙いが解れば、この服屋に来た理由もなんとなく見えてくる。
「ロゼはここで、僕を魔法力が人並み以上にある人間に
「そ、町の外で言わなかったのは、ボロボロの服を着てる魔法力200越えのほうが、魔法力11のアンタより異質だから、よ」
憲兵が飛んできてもおかしくない事態だ、とロゼはいう。
しかし、その答えはなんというか、少し言い訳臭かった。
「……ねぇ、ロゼ」
「何よ」
ロゼは、どうやら服を選び終わったのか、それを手に持ちつつ、僕の方を振り向いた。
……どうして、
「……ここ、
「
どうして、ロゼはやたら露出の多い女物の服を手にして、僕に近づいてきているんだ?
『ク、ククク……アハハハハハハハハ!』
『笑うな!!』
「私はアンタにそばにいてほしいのよ」
「う、うん」
「魔法学院の従者は、基本的に常に主人の側にいても許されるわ」
「うん?」
「
「待って待って」
『アハハハハハハハハ!!』
「あんた、女顔だから行けるわよ」
凄まじいドヤ顔でロゼはそういった。
「待ってよ!?」
僕は止めるが、しかし。
――こういう時のロゼは止まらない。
けど、しかしだからといって、
「その露出度はダメだってー!」
肩とお腹と背中と足と胸元が全部でているじゃないか! 叫びながら、僕は逃げようとするがしかし。
ふと、そこで。
「いらっしゃいませー、申し訳ありません、おまたせいたしました」
店員がやってきた。
それを見て、僕もロゼも、固まった。
もっとすごい露出度のメイド服だった。
「…………」
「…………」
お互い、何も言えなくなって、視線をさまよわせる。
やってきたのは、十二かそこらの少女だった。幼い、僕よりも更に背が小さい彼女は、明らかにその幼さに見合わない露出で、彼女の顔立ちは非常に整っているが、印象の薄いものであったのも含めて、アンバランスに思える。
首につけられた首輪も、どこか淫靡に思えて、そぐわない。
ただし、
『うわ、でか……』
『ちょっと黙っててくれ』
アスモが、少女の体型の良さにうめいたのを黙らせている間に、
「えっと、その……い、いかが致しましたか?」
「……いえ、何も」
ロゼがそう答えて、少女に試着の許可を求める。
しまったと思うが、もう遅い。
少女は僕たちを試着室へ案内してくれた。
逃げ場を失ったことを理解しながら、僕は少女を見て――そして同じく少女に視線を向けるロゼと目があった。
そうしてしまう理由は一つ。
少女の魔法力が、56しかなかったからだ。
それは、人が人として生きていける、最低ラインの数値。
そしてその上で、人としては最低限以下の生活しか許されない数値。
そんな少女がこの店で、こんな服で働いている意味を、僕たちは即座に理解した。
「……貴方、名前は?」
ロゼが、思わずと言った様子で聞いていた。
「……? えっと」
少女は――
「アミ、です。それ以外の名前はありません」
果たして――人として生きることすら許されなかった僕と、
人として生きれるがゆえに、人の尊厳を踏みにじられる少女。
どちらが、マシなのだろう。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
10 アリン(性別不明)
――結局ロゼは、手にしていたやたら露出度の高い服を元の場所に戻した。
代わりに別の、いかにもといった可愛らしい少女の服を手にすると、僕に押し付けてきた。なお、アミはそもそも僕が試着するという時点ですごい目で見てきた。
ともあれ、配慮されたということもあって、一応着てみることにしてみたのだが――
「…………どう?」
「…………うーん」
着替えてみて、多少恥ずかしくなりそうになりながらも、ロゼに問いかける。ああもう、なんで僕がこんな気分にならなくちゃいけないんだ……?
というか、僕はどうしてこんなことをしているんだろう……
ぐるぐるぐるぐる、思考は巡る中、ひたすら何かを考えていたロゼが、重い口を開いた。
「……かわいい」
「そっかぁ」
もうなんかそれでいいよ、と思っていると、しかしロゼは頭を振った。
「かわいい男の子ね」
「……そっかぁ」
つまるところ、どういうことか。思考を放棄してしまったので、僕は理解できなかったが、今の僕を端的に表現できる者がいた。
『うむ、実に可愛らしい
「……えーと、つまり。女装は似合っているけど、女装が似合っている少年ってわかっちゃうってこと?」
「そういうことね」
いいながら、ロゼは僕をジロジロと眺めつつ近づいてくる。ううむ、言われたことはなんというか釈然としないというか、だったらしょうがないか、というか。
って感じなんだけれども、近づいてこられると妙にこそばゆい。
しかも……
「わっ、急になんだよ」
「ジッとしてて」
ロゼは僕のお腹に手を乗せた。そのまま、しばらく押したり撫でたりして、手を話す。……ところでロゼ、そのまま顎に手を当てたけど、それってニマニマしそうなのを堪えているからだよね?
「硬いわ」
「そりゃ、弄ばれたら笑顔も固くなるっていうか……」
「違うわ、
「身長はいいだろ!?」
まだ僕を辱めたいのか。
さっきから脳内でアスモの高笑いが響いてしょうがないというのに、なんなんだよもう!
「いや、真面目な話よ。低めの身長と女顔で、女装すれば女で通せるかと思ったんだけど。ムリね、手足とかが男の子だわ」
「……ん? ああ、そういう? うん、確かにそれならそうだね。ここ数年、狩りで野原を走り回ってきたから、馬のお世話もあったし」
「ってことは身長はそういうものなのね……」
「掘り返さないでよ!」
悲しい事実であった。
複雑になりながら、ともかく理解する。顔と身長から問題ないと判断していたが、実際に着せてみると手とか足とかがしっかり男性のものだった、ということだろう。
『くくく……そのまま女装少年だが心は女ということにして押し通してみるのはどうだ? 大抵のやつは察して配慮するぞ』
『そういうのは後々ややこしくなるだろ!』
完全に外野から野次を飛ばすだけのトリックスターは放っておいて、これは流石に問題である。僕はとりあえず自分にとって最善の答えを引きずり出すべく交渉を開始する。
「だったら諦めようよ、別にいつも側にいなくていいでしょ? 側にいなくてもいい従者のための何かしらもあるって、昔聞いた覚えがあるよ」
「そっちは、一般の使用人として採用した上で、こっちに付けてもらうって形になるのよ。万が一でも魔法具で魔法力を測定されたら困るわ」
少し離れたところにアミがいるため、僕らはひそひそと話し合う。
「それは恋愛力が魔法力に変換できなかった場合でしょ?」
「今は恋愛力が固定されてるけど、変動しない理由がどこにあるのよ。基本的に、偽装した上で変換することで対応するわ」
「それでも、誤魔化しようはあると思うけど」
魔法力をわざと低く偽装する、ということは無いわけではないだろう。恋愛力220より低くすればいいのだ。
「たとえ低く偽装したのだとしても、偽装がバレた時点で大罪なのよ。バレないためには、完全にアンタをアタシの手元に置くしか無いの」
正確には――と、ロゼは続ける。
「正確には、
「……どうして?」
「魔法力300越えの天才がそんなことするのがありえないっていう常識があるからよ。もっと言えば……」
そこに、ふとアスモが告げた。
『
「……先例? あっ」
――そこまで言われて、どうしてロゼが自分の手元に僕を起きたがるのか、そして、
確かにそれなら、手元に置いておけば触れられない。
「アスモになにか言われたの? とにかく、わかったならそういうことよ。
暗黙の了解、というやつだろう。
前世の知識にもあった。そこに触れると、発生する問題があまりにも大きすぎて、誰も触れないもの。僕に関してもそうだと、ロゼは言う。
ということは、魔法力11の僕を連れて街を歩いたのも、ある程度は意図したものなのだろうか。
……こういうことが、ロゼは本当にうまくなった。
すくなくとも、この世界の常識を利用することにおいて、僕が彼女を説得することは不可能だと思った。とはいえ――
「……流石に、女装した男を無理してねじ込むのはやめておいたほうがいいと思うけど」
「まぁ、そうなのよねぇ。別に世間体とかどうでもいいし、家はそもそもこの間のあれで実質絶縁だし。でも、アリンを危ない人にするのはちょっと……」
「でも女装はさせたいんだよね?」
「させたい!」
――ロゼは叫んだ。
驚いたのか遠くでビクッとアミが震える。それに気がついたのか、ロゼがアミの方へ振り向いて、声をかける。
「……ねぇ。ちょっといいかしら」
「…………え? えっ? わ、私でしょうか……?」
まさか声を駆けられるとは思わなかったのか、アミはおっかなびっくり、といった様子で返す。自分の魔法力を誇示する主人より更に魔法力の高い相手は、そりゃ怖いだろう、と思うが。
「ええ。ああいえ、別に貴方を咎めるつもりはないの。どうでもいいし、ちょっと意見を聞きたくて」
「え……っと」
「保証する。なんと答えても私は怒らない。だから――彼を彼女にするには何がいいと思う?」
そう言って、僕を指さされ、僕は苦笑した。
いや、本当に無茶を言って申し訳ない。アミは困惑して、視線をあちこちにフラフラさせていたが。
――――やがて、その視線が一箇所に向いた。
なにかのスイッチが入ったかのように、アミは鋭い視線でそこを見ている。
「……ん?」
その後をロゼが視線で追う。アミはすたすたとそこへ歩いていくと、じっと服を眺め始めた。それから、少しだけ逡巡した後、アミは服を手にとって――
「……え? あ、はい!」
ふと、首輪に手を当てて、慌てたように視線をさまよわせた。
先程までの雰囲気が消えて、彼女は、怯えの混じった視線を向けながら、首輪に対して何事か声をかけている。通信機、というやつだろうか。
「……ゲイガン、ね」
ロゼが何やら反芻している。そして、アミは話を終えると、パタパタと僕に近づいてきて、手にしていた服をわたした。
「はい、どうぞ!」
「あ、ありがとう」
「すいません、申し訳ありませんが失礼いたします! お会計はあちらの魔法具まで!」
そう言って――いくら主人の呼び出しだろうと、この世界では魔法力の高い相手が優先だろうが、その相手が直々に何を言ってもいいと言ったのだから、遠慮はしないのだろう。
アミはパタパタと去っていった。
「とりあえず――」
そして、ロゼはそれを見送った後振り向いて。
「試着、してみましょうか」
また、僕の手を掴んだのだった。
◆◆◆
「おー」
『なるほどなぁ』
ロゼとアスモが感嘆していた。
僕も、鏡を見て納得する。アミが選んだ衣装、それは――異国の衣装だった。この辺りではめずらしいその衣装は、袖がゆったりとしていて、長い。
「見事にシルエットが隠れてるわね」
『女装をするのではなく、性別を隠すのか、男と思われてしまうなら――
それを身にまとった僕は、一見して性別が読み取れなくなっていた。男性であるとも、女性であるとも言える。だから、
発想を転換させたのだ。
結果、僕は性別不明という極地に至っていた。
「よし、これを買いましょう。閉店にも間に合ったわ、一安心ね」
「間に合わなかったらどうするつもりだったの?」
「明日の人のいない時間帯に出直しね。流石に、あのまま学院にアンタを連れていくわけには行かないし」
「そろそろ入学式じゃなかったかなぁ」
なんてやり取りをしながら、店を出る。外に出る時に、恋愛力を魔法力に変換して――と行ったところで、ふと、気がついた。
違和感。
なぜ、抱いたのかもわからない違和感――の直後。
衝撃。
「……え?」
「どうしたの?」
『ククク』
驚いて足を止めた僕を、ロゼが不思議そうに眺めている。アスモは、それを理解しているのか、笑みを堪えきれない様子だ。
そして、僕はもう一度それを確かめた。
「――――アミからの恋愛力を獲得してる」
<恋愛力>
20(x8.77) ロゼ
50(x2.11) アミ
200 ???
10 ???
それは、即ち――
「
ロゼがつぶやく。
あの短い時間、アミは僕の存在に惹かれたのだ。ひと目見ただけで、ひと目みただけだからこそ。
かくして僕と彼女の間に、
細い細い、一本の線がつながった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
11 一目惚れという証明
『ククク、一目惚れ……一目惚れな』
『何がおかしいんだよ』
『いや? ああそうだ、あの小娘、主人とやらに手はつけられていないようだぞ。そういう匂いがする』
『……やめろよ、悪趣味だぞ』
『まぁまだあの年では成熟しているとはいい難い、後数年は置いておくつもりなのだろうなぁ。もしくは、動物との行為など反吐が出るという人種だったか――』
『やめろって言ってるだろ!!』
――こういう時、悪魔というのは本当に度し難い。だからなんだというのか、それの何が楽しいというのか、あの少女の過去を掘り返すことに、果たしてなんの意味がある?
意味なんて無い、だからこそ、アスモダイオスは悪魔なのだ。
「……急にどうしたのよ、難しい顔をして」
「別に……アスモがろくでもない事を言ってるだけだ」
「ああ、そういうこと」
僕の言葉で、なんとなく内容を察したらしいロゼも、嫌そうな顔をしてうなずいた。僕たちは今、あの店から少し離れた食堂で、夕食を取っている。
今は恋愛力を魔法力に変換しているから、周囲の視線を集めることもない。強いて言うなら、場末の食堂にエリート魔術師がやってきたことのほうが、視線を集める原因にはなっていた。
とはいえ、220は探せばいるレベルなので、この食堂にも他に何人かいる。300越えは、そういないだろうが。
百人いれば数人はいる、というのが魔法力200、現実的な人類におけるエリートの割合がこれ。もっと言えば、魔法学院は魔法力が200あるか、特殊な魔法が使えるでもない限り入れないのだ。
ともかく、僕たちは食事にありつきながら、先程のことと、これからのことについて話していた。
「にしても、美味しいけど味が濃いわね」
「大衆食堂ってそんなものじゃない?」
「まぁ安いからいいけど。……資金繰りも考えなきゃいけないわね、実家の支援とか期待できないし」
そういう理由もあって、こうして安い食事で満足しているわけだが、しばらくは心配はいらないらしい。
「学費は入学前に全部払ってあるし、リマお祖母様からある程度の軍資金ももらってる。最悪、豪遊したりしなければ一年は持つくらいには手元にある」
「それを今、ロゼが持ち歩いてるのは逆に怖いけどね」
「まさか、私を襲うバカなんていないでしょ。……まぁ、一年もあれば学院で地盤を築けるでしょ。問題はそこからよ」
実家のこと、これからやろうとしていること。そしてあと一年もすれば、
僕たちだけでなく、世界そのものが揺れ動くのだ。一年、というのは長いようであまりに短い準備期間である。
「それで――アミのことだけど」
その上で、ロゼは現実的な、目の前の問題に回帰した。手にしたフォークを僕に突きつけて――
「行儀が悪いよ」
「ごめん」
直ぐに引っ込めた。
「――あの子、どうするの?」
「どうする……って言われても、僕たちにはどうしようもなくない?」
不幸な境遇ではある。ろくでもない事しか言わないアスモいわく、
けれど、それをどうにかする、というのは随分勝手な話である。
「確かに、あの子を救ったところで何かが変わるわけじゃない。同情だけで救ったところで、あの子が感謝するかもわからない。もし救うなら、私達が最後まで面倒を見る必要もある」
僕たちがアミにできるのは、アミを救うことだけだ。彼女の代わりになったり、彼女の支えになることは、残念ながら僕たちの意志ではできない。
アミがそう望まない限り。
「でも、それは救わなくたって同じことが言えるでしょ」
「それは……そうなんだけど」
言葉にし難い問題であった。非常に上から目線な話だが、僕たちには力があって、それを振るえる場所がある。それを振るう理由もある。
「一応聞いておきたいんだけど、ロゼならアミを何とかできるの?」
――とはいえ、残念ながら僕一人ではアミをどうこうすることはできない。お金もなければ、立場もない。アミの保護者になることも、アミを養うことも、結局はロゼという僕の主人がやらなければならないのだ。
「できる。ちょっと手間はかかるけど、直ぐにでもやろうと思えばとりかかれるわ」
その上で、ロゼはどちらかと言えばアミに対して同情的だ。
もし、やろうと決めたのなら、本当に彼女はやってしまうだろう。
『結局の所、必要なのは二つだ。お前達にアミの全てを背負う覚悟はあるか。――アミに救われる意志はあるか』
「私は――アンタがやりたいなら、それでいいと思う」
その上で、ロゼは決定権を僕に委ねた。
正直なところ、
「ロゼは……それでいいの?」
「…………」
根本的な話、僕らがこうして話をしているのは、この問題における最も重要な課題を、解決できるかもしれないと僕たちが思っているからだ。
つまり、
対して、僕たちはアミがまだ、他人に心を動かす余地があることを、恋愛力という形で知っている。
「確かに、僕は君に世界を変えようって言った。それに君は同意した。その矢先に、アミだ。あの子は僕と同じで、僕たちがこの世界を変えようと思った理由は、アミのような存在を、救いたいと思ったからだ」
――僕たちが救われたいと、思ったからだ。
そのために、自分たちの幸せを願っているのに、同じ理由で不幸に成った誰かを見捨てることは、知ってしまった以上は許されない。
これがまず、アミを救おうという僕たちの理由。
「とはいえ、アミが望んでいないことを押し付けることはできない。彼女が心の底から変化を望んでいないならともかく、彼女には心があった。救いを望む余地がある」
それが、僕に対する一目惚れ。
一目惚れという証明は、アミの現状を端的に表していた。
けれども、逆に言えばそれは、アミの恋心を利用するということにほかならないのではないか。そして何より――
「何より、僕はその恋心に答えられない」
本気でアミの恋に返せない。
結局の所、最後に蓋になっているのはそこだった。
「……ねぇ、それってさ」
ロゼは――
とても、とてもつまらなそうな顔をしていた。
「結局、アンタの理由じゃない。私がいいのかって、それには関係ないでしょ」
「でも……」
「でもじゃない!」
遮るように、再びロゼはフォークを突きつけた。
「あーもう、解ったわ。こっちがいくら言っても、アンタは納得しないでしょうね!」
ふん、と彼女は鼻を鳴らした。
ここまでロゼが不機嫌になることは珍しい。それくらい僕の迷いが彼女にとっては面倒くさいのだろうけど、でも、だからといって納得できる話ではないのだ。
――本当に、どこまで言っても自分勝手な話。
堂々巡りな思考が嫌になる。
『ハハハ、本当に自分勝手極まりないな、お前たちは』
こればかりは、アスモダイオスが正論である。
救うだの、救わないだの、上から目線で、しかも躊躇う理由が非常に個人的な理由。悪いのは全部僕じゃないか。嫌な人間は、僕一人じゃないか。
「だったらそもそも根本的な問題。
「それは……そうだね」
一体全体、こんな勝手な僕のどこを、好きになる余地があるっていうんだ?
「だから、ダメで元々、挑戦してみればいいじゃない」
「……」
「そうやって、ためらって、状況の変化を待つつもりなら、絶対にあの子は救えない」
ましてや――ロゼは続ける。
「この世界なんて変えられない」
ざっくりと、僕の胸に、否定の言葉を突き刺した。
「私――アンタが好きよ。何があっても、アンタだけを愛し続ける。だから、
「ロゼ……」
「でも、逃げないアンタの方が、私は好きよ」
――結局。
僕の背を押すのは、そんな彼女の好きという気持ちなのだろう。
「……そうだね。少なくとも、何もせずに見捨てることはできない。声を、かけてみるよ」
結果として、恋心を利用して少女を救おうという自分勝手極まりない行動に至るのだとしても、少なくとも今の僕は、ロゼの思いと、それからロゼに語った僕の願いを、裏切ることはできないのだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
12 自分勝手は嫌いです
――自分勝手な人間が、アミータ・ゲティスという少女は大嫌いだった。
アミータ・ゲティス、過去の名前である。魔法力が二桁であることが解ったその日、アミはそれを剥奪された。人として生きることはできても、人の子として生きることは許されなかった。
体面という理由で両親によって捨てられた少女は、その容姿を見初められ、ゲイガンという男に売られることになった。
だから、もっと言えばアミは、自分の顔も、決して好きではない。
人を顔で判断するということも、嫌悪感があったのだ。
その上で、ゲイガンという男は中身も外見も最悪だった。
性的な行為は年齢を理由にされなかったものの、罵倒、暴力といったものはいくらでもアミに対して叩きつけられた。自分より魔法力の低い人間が目の前を通り過ぎたという理由で蹴り飛ばされたこともある。
だからゲイガンは、アミにとって自分勝手をそのまま人にしたかのような存在に思えてならなかった。
その上で、アミがこうして生きているのは、アミの自分勝手な理由だった。
死ぬのが怖い。ただでさえ痛みというのは怖いものなのに、死ぬためにはその痛みがもっと必要で、アミには到底それを受け入れることができない。
だから、死ねない。
死ぬ勇気がない。――そんな自分が嫌で嫌で仕方ない。
この世界に自分勝手でない者はいない。魔法力で人を判断することが当たり前の世界で、魔法力なんて勝手極まりない理由で人の尊厳が奪われる世界で。
その勝手がなければ、そもそも人は生きていけないのだ。
勝手な力がなければ、人は人として扱われないのだから。
だから、アミはこの世界で生きてはいけない。自分すら好きになれない少女が、どうして世界を愛せるだろう。
少なくとも、今のアミは生きてはいない。死ねないから死んでいないだけで、
――自分が生きているのかどうか、アミにはそれを答える権利すら、与えられてはいなかった。
◆◆◆
「お、おまたせいたしました、ご主人さまっ」
アミが主に呼び出され、急ぎやってきたのは店から少し離れたゲイガンの本邸だ。豪奢に満ちたあの店に負けないくらい、周囲に見せつけるようにその家は装飾過多だ。
見ているとめまいがしそうなほど、アミにはこれが眩しくてたまらない。
「遅い!」
――ゲイガンの第一声は、いつも決まってこれだった。
「何をもたもたしているのだ、やくたたずめ! ……ああそうか、お前は魔法力もろくに無い、ゴミのような奴だったな。使えないのは生まれつきか」
そして二言目には、必ずこれだ。
いつまで経っても飽きないのか、いや、ゲイガンはこれしか話す言葉を知らないのか。
「それに比べて儂はどうだ。この魔法力、魔法学院のガキどもにも引けをとらん。現に、儂は一代で財を成し、あのような店を持つに至った。それもこれも、この儂の魔法力あってこそ」
「……」
上機嫌なゲイガンの語りだしにまかせて、アミは心を閉ざしながら黙りこくる。
嵐が過ぎるのを待つ小舟の上に、アミはいた。
「だというのに、あの連中はそれを理解しておらん。儂には魔法力があるのだぞ。だというのに、何故儂の命令に従わんのだ。理解できん」
どうやら、何か商談でもしていたのか、ゲイガンは先程までこの部屋にいたらしい存在のことを仄めかす。手元にはなにやら小瓶のようなものが置かれていて、アミはそれに見覚えがない。
一体何かとは思うが、そこで詮索しては絶対に行けない。
そもそも、アミが口をだすことは許されていないのだ。常に、ゲイガンの言葉を肯定することがアミにはもとめられている。
「夕餉の支度をしろ、それから当然風呂の準備はできているな」
「は、はい。夕餉も、後は調理をすれば直ぐに」
「当然だ。でなければお前をここに置く意味もない。お前のような小娘を! 儂は待ってやっているのだぞ!」
懐に小瓶をしまいながら、ゲイガンは言う。
恐ろしい話、自分にこれから待っている未来は、今よりさらにひどくなることが決まっているのだ。
「夕餉の支度が終わり次第店を閉めろ。売上は忘れずに回収するのだ」
「もちろんでございます」
深々と頭を下げる。
これなら、なんとか今日はやり過ごせそうだ。商談がうまく行かなかったのだから、当たり散らされることもアミは覚悟していたが、想像よりは機嫌がいいらしい。
あの小瓶が手に入っただけでも、結果としては上々ということだろうか。
「それと――」
ふと、ゲイガンは部屋から出るためにアミへ背を向けたところで、声をかける。思わず身を竦ませるが、内容はアミの想定したものとは違っていた。
「
「……そう、なのですね」
そして、想像とは違っていたからこそ。
アミは、自身の背筋が急速に凍るのを感じていた。
「もし、見かけたら儂に教えろ。そのようなケダモノ、儂が手ずから駆除してくれる」
「…………!」
思わず、顔を上げていた。
ゲイガンはそれを訝しむことはしないようだったが、
「
「は――」
一瞬、詰まる。
だが、もしここで言葉に詰まれば、ゲイガンは必ずそれに気がつく。
だから、だからダメだ。
自分だけなら、まだいい。
「
あの少年だけは、
絶対に、傷つけさせるわけには、いかないのだ。
◆◆◆
「……よし、と」
アミは店の戸締まりを確認すると、一つ息をつく。
ゲイガンは夕餉を終えたらそのまま就寝するつもりだろう。そうなれば、明日の準備はともかくゲイガンと顔を合わせるということはなくなる。
そうなれば、まだアミにとっては気楽なものだ。
家事をする、ということそれ自体は嫌いではない。むしろ好きな方なのだから。
それにしても――と、思い返す。
今日は、不思議な出会いをした。
まず、ゲイガンよりも魔法力が高い人間を初めてみた。魔法学院には、ゲイガンよりも魔法力が高い人間はいくらでもいるのだろうが、ゲイガンがそれを許さなかった。
自分以上の魔法力を持つ存在を、彼は許せないのだろう。
そして、自分よりも魔法力が低い人間を初めてみた。
魔法力11。おそらく考えうる限りでももっとも低い魔法力である。魔法力が50を下回れば、基本的に人間扱いはしてもらえない。
アミはまだ、いずれ性の対象としてゲイガンに見られることになるが、だとしてもそれはアミが人間扱いをされているという証左である。
だからあの少年は、もはや人ではなく、それを連れ歩くあの少女は、珍妙なペットを連れているのと同じだと、アミにだって理解できた。
とはいえ、それにしては大分少女は少年に執心しているようだったが。よっぽど魔法力に頓着しない性格なのだろうか。
そこはアミには判断がつかないが、ともあれもうひとりの少年。彼に思わずアミは見惚れてしまった。自分にも、まだそんな感情が残っていたのかと、驚いてしまう出来事だった。
ああ、けれどもしかし。それってつまり――魔法力が自分より低かったからではないか? だから安心して、上から目線に見惚れることができたのではないか?
結局自分も、この世界の人間らしく、魔法力でしか人を見れないのではないか?
胸の高鳴りと同時に湧き上がるその思いを、アミは否定できなかった。
「……いけない、早く戻らないと」
思わず、ぼーっとしていた。
心はどこか浮ついていて、さながら自分は恋する乙女だ。
けれど、最終的には不安に苛まれて、自分が解らなくなっているに過ぎないのだと気がつく。
足元に置いてあったゴミを持ち上げようとしながら、そう思う。
やはり自分には、人を好きになる資格なんてないのだと。
そして、
――けれど、
まるでそれをあざ笑うかのように。
はっきりと否定するかのように。
「――大丈夫? 重そうなら持つけど」
彼は、店で出会ったあの少年は、アミの前に現れた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む