朱き右腕 (三途リバー)
しおりを挟む

始動編
幼馴染


『大将だ!大将だけを狙え!!雑兵首など千万とあってもなんの武功にもならん!捨ておけ!ただひとつ、大将首のみ求めて駆けよ!!』

 

遥か前方、最前線からでも朗々と響く臣下の叫びに呉軍大将・孫権は頭を抱えてしまう。

敵味方共に被害は抑え、武威を示して反抗的な豪族を屈服させる、との方針は一体どこに行ったのだろうか。戦闘狂の当主()が暴れて話がややこしくならぬよう、自分が代理で派遣されるとなった筈なのに。

渦中の功名馬鹿に聞けば『頭を奪れば万万治まりまする』と言われるのが容易く想像が付く。

 

(はぁ、あの馬鹿…一体何時になったら将としての自覚を持つの…。何時までも功名餓鬼じゃいられないのを分かってるの?て言うかそもそもこれ以上個人の武功挙げる必要は無くないかしら。確かに私の幼馴染だから重用されると言うやっかみを砕くためというのは分かるけどもうそんな事思ってる馬鹿いないのだけど。まぁ、一心に努力して突き進む貴方は素敵よ?でもそろそろ私の片腕としても励んでくれないかしら、最前線から帰ってくる貴方を待つのがどれだけ心臓に悪いかいい加減分かりなさいそもそも何時まで心配させれば気が済むのよ久焔(くえん)の馬鹿ぁ!!」

 

「はっはっは、権殿は元来心配性だが(ぼん)のこととなると一層酷くなるのぅ。いやはや、お若いお若い」

 

「祭!?貴女何時の間に…敵は!?」

 

知らずの間に漏れていたらしい独白に茶々を入れたのは、母の代からの宿将黄蓋――祭。

溢れんばかりの胸の前で腕を組み、見た目は若々しい癖に妙に年寄りじみたニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けている。

 

「坊が敵の大将を斬りましたからな、ちょいと囲んで投降を呼びかけ終わりもうした。あの坊の猿叫じみた勝鬨が聞こえんとは、中々の熟考の中におられたようで。そんなに坊が心配ですかな?」

 

「そう、終わったの…。久焔の事は、それは心配よ。あれほどの武才を失いたくはないわ」

 

ほほぉ、と面倒くさそうなニヤケ面のまま、祭が蓮華の周りを回り始める。頼りになる女傑だが、時たま思い出したようにジジ臭くなるのは本当にやめて欲しい。1回くらい落馬して馬に蹴られてしまえ。

 

「坊はあの程度の輩に後れを取らんでしょう。儂が見たところ、かの呂奉先とも五分に渡り合えると踏んでおりますぞ。あぁ、反董卓連合の時に坊がおれば…あいや、それは今は良い。権殿は本当に武才のみを惜しんでおられるか?年寄りに隠さずともよろしい、お若いのだから励まれるがよかろうよ」

 

「はげっ…!?」

 

――――姉様が結婚なさる兆しが見えないからと言っていくらなんでもそれは早くないかしら!?そういうのはお互いの気持ちが大切であるし第一久焔は朱家に養子に入ったばかりだから身辺も落ち着いていないでしょうし…!…………………仮に、本当に仮に私と久焔の子が出来たとしたらやはり姉様の養子になるのか…。1人目くらいは私達の手で育て上げたいし父親の顔をした久焔っていうのも悪くない気はするけれど…――――

 

 

「んん?何ですかなぁ?儂はお気持ちを伝えるよう、励まれよと申したまでですぞ?生真面目な権殿は何を想像されたのかのぉ?ん?ん?」

 

今度何か適当な理由付けて鞭打ちにでもしてやろう。

この時の蓮華の固い決意が、後に曹魏との天下分け目にて用いられる苦肉の策となるとは、未だ誰も知らない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四半刻もすると、騒々しい兵達の波が本陣へと向かってきた。

興奮と歓声、その中心にいるのは当然、大将を討った青年だ。

 

「朱義封、戻りましてございます!蓮華様、大将首を奪りました!」

 

猩々緋の羽織を粋に着こなし、濡羽色の髪を全て後ろへなで上げた美丈夫が蓮華の前に跪く。

 

 

姓を朱、名を然、字は義封。そして真名は久焔。

 

 

呉王孫策の妹、孫権の右腕にして次世代の孫呉筆頭武官と目される人物である。

役者か何かかと見紛うばかりの端正な顔に人懐っこい笑みを浮かべ、自慢げに胸を張る姿は家中の女共から少なからず騒がれている。が、それも返り血と左手にぶら下げた豪族の首で台無しだ。

 

「久焔!!あなたね、武功は見事だけど雷火のできるだけ穏便にとの言葉を忘れたの!?」

 

「穏便に済んだではないですか。一族郎党根切りではなく、当主の首ひとつで手打ちですよ!これ以上なく穏便、恩情でしょう!」

 

何を当たり前のことを、と言うような表情をされ、蓮華はもう肩を落とす他ない。

確かに今回討伐した豪族は孫呉を舐め切り、徴税も拒んで反旗を翻した愚物であるがその家は別。江東に名を知れたそこそこの名族であり、これを一切合切滅ぼしたとなれば孫家の悪名は高まっただろう。かと言って無傷のまま残せば必ずや謀反を繰り返す…。適当な所で和睦をし、より待遇を上げようという魂胆だったに違いない。

 

豪族連合政権たる孫呉にとって最大の欠点を突いた魂胆は、認めたくはないが頭痛の種となっていた。

 

しかし、()()を久焔はいとも簡単に叩き潰す。

真正面から本陣に突撃し、無理矢理一騎打ちに持ち込んで処刑代わりにしたのだ。

彼としてはそこまで考え抜いた末の行動ではあるまい。

 

『孫呉を舐めたツケは血で払わせる。勿論当主が真っ先にあの世行きな』

 

程度の認識だろう。

だが世間はそうは見まい。

 

亀のように引きこもる反乱軍の中へ敢然と突き入った。

最奥にいる大将の元へ辿り着き、一騎打ちでこれを打ち殺した。

そして、残兵に罪なしと全面投降を受け入れた。

 

見事な采配、仁義にもとらぬ行いと褒め称えるだろう。

結果論ではあるが万々歳だ。

しかし、本国での決定を無視した…とまでは行かないが、王の言葉を遵守した行動ではないことは事実。

 

 

「……えぇ、そうね。あなたが傷を負っていなければ、安いものだったでしょうね」

 

 

それに、()としての蓮華が許せなかった。

 

 

 

「兵の損傷は最低限です。しかもこの俺の手負いにしても、戦場では珍しくも「久焔」…はい」

 

流石の戦馬鹿も、蓮華の真剣な声音を読み取ったらしい。

真名が示す通りの焔のような瞳を、真っ直ぐとこちらへ向けてくる。

 

「あなたは孫呉の臣。そして同時に、この孫仲謀の右腕よ。私の許可なく、私の命なく、1滴たりともその血を流す事は許さないわ。あなたはそれを、真名に誓ってくれたでしょう?」

 

分かっている。これは詭弁で、そして傲慢だ。

本当は、ただ一言あなたを心配していると、傷つかないでとそう伝えたいだけだ。

だが、その言葉は決して彼に届かない。彼を繋ぎ止めること能わない。だから縛り付ける。彼が身命を、真名を、そして人生を捧げる孫呉という足枷(主家)に。

 

「…いかにも、仰せの通りでございます。蓮華様、我が短慮、そして心得違い、お詫びのしようもございません」

 

 

 

()の言葉は聞かない癖に。

()の言葉は聞き入れるのね。

 

 

女の癖に主のふりをして、惚れた男を頼れる臣と誤魔化す己に気付きながら、蓮華は心中のどろりとした想いを止めることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで蓮華様、それはそれとして大将首の特別報奨を頂きたいのですが」

 

「あなた今までの話聞いてた!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

夜、開城させた豪族の居館主室にて。

 

「だから悪かったって、ほんっっっっ……とごめん、このとおり!」

 

「いつまでその言葉で私が納得すると思ってるの!?これで何度目よ、あなたはいつもいつもいつもいつも…」

 

「やった事は謝るしかないだろ!」

 

「謝った後に同じ事を繰り返すから怒ってるのよ私は!!!」

 

そこには変わらず怒号を響かせる蓮華と、その前でやたら馴れ馴れしく、それでいて必死に頭を下げている久焔の姿があった。

 

「いい加減頭に来た!今度ばかりはもう蒼藦(そうま)から言って貰うから!」

 

「お、義父上(おやじ)にだけはご勘弁をっっ!!どうか、どうかお慈悲を!!!蓮華様ぁぁぁぁ!!!」

 

「公の場以外でその呼び方やめてって言ってるでしょ!」

 

「なら頼む蓮華、この通り…!」

 

これが蓮華と久焔の素である。

 

孫堅の死によって家族と別たれ、孤独な時を過ごした蓮華に最も身近に寄り添っていたのが久焔だ。

 

 

話せば長くなるが、元々久焔は朱家の人間ではない。

孫呉最古参の忠士・朱治--真名 蒼瑋--が子が無かったため、その全てを叩き込む後継者として指名されたのだ。

 

その際、歳も近いということで蓮華と机を並べて勉学に励んだのが現在に至る関係性の始まりである。

物静かな蓮華と荒事を好む久焔は事ある毎に衝突し、その度に和解し、そして厳しい環境で絆を育んできた。

 

言ってしまえば、幼馴染である。

 

「いいえ、今度ばかりは堪忍袋の緒が切れたわ!雷火と蒼藦の2人にきつく搾ってもらいなさい!!」

 

「酷くなってる!?!?!?義父上と雷火先生が揃った時の面倒くささはもう三国一だぞ!?夫婦かってくらい息のあった攻めで心を折りに来るからなあの人ら!あんまりだ、勲功第一なのに!!」

 

「ふん!また祭にでも口添えしてもらったら?『坊をあまり虐めては可哀想ですぞ』とか!」

 

「おま、祭様に庇ってもらったこと根に持『怒ってません!』怒ってんじゃねぇかおもっくそよォ!!!」

 

主筋に向けるにはあまりに気安い言葉に、物陰の思春が震える右手を必死に抑えているが2人の口論はますます燃え上がるばかり。

 

「あー分かったじゃあもういいよ!祭様に慰めてもらうから!軍功褒めてもらうから!!」

 

「なっ!?開き直ったわね久焔!!」

 

「じゃあお前が褒めてくれても良いじゃねぇか蓮華!!」

 

「わ、私に褒められたいの…!?」

 

「(主なんだから)当たり前だろ!!」

 

「(恋い慕う人に褒められたいのは)当たり前…!?」

 

 

 

 

(久焔いつか殺す…!!!!!!)

 

真名を交わした同僚(?)にさえ怨嗟を送られる男、久焔。

これは、彼とその主家、孫呉の周辺で紡がれる物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………近くないか、雷火』

 

『この歳になって何を照れておる。ほれ、もう少し寄らんか蒼藦』

 

 

 

 

因みに孫呉本国にて、夫婦のようという久焔の比喩が比喩でなくなりつつあることは、未だ誰も知らない事実である…。

 

 

 

 




久焔「祭様ぁ……」

祭「おぉよしよし、見事な働きであったぞ坊。流石は蒼藦の子、先代におとらぬ勇武よ」

久焔「祭様達の薫陶のお陰です!これからも、俺(の武功)から目を離さないでくださいね!祭様にはずっと見ていて欲しいです!」

祭「……………つまみ食い程度なら、権殿も目くじらは立てまい…」

久焔「?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上司連中

オマケのようなものです。
人物とか情勢とかはwikiを軽く見た程度の知識しかないのでご了承ください。


久焔と蓮華が館にて怒声をぶつけあっていた頃、遠く孫呉本国の都、建業。

 

「良いな良いなあ、久焔。私も一騎駆けして大将首奪りたかったなぁ。奪りたかったなぁ!!」

 

執務室にて、竹簡の山に埋もれながら机に伏す小覇王の姿がそこにはあった。

 

「お前は王様なのかお荷物なのかどっちなんだ、雪蓮」

 

「ちょ、その言い草はなくない!?蒼藦と一緒になって熱心に独立勧めたの刹渦(せっか)じゃない!」

 

その竹簡を目にも留まらぬ速さで裁き、隣の文官へ投げ渡しているのは孫呉が誇る忠臣中の忠臣。

 

姓を呂、名を範、字は子嬰。真名、刹渦。

孫伯符こと雪蓮が最も信を置く男にして、盟友周瑜に代わり大都督の任に就く傑物……なのだが。

 

「だってお前俺達が想像してたよりめっちゃ馬鹿なんだもん」

 

「主君に言っていい言葉じゃないわよねそれ!?!?」

 

その才媛は涼しい目元に濃い隈を貼り付けて死んだ魚の目で毒舌を吐き散らしていた。

 

「いやさ、アレよ?王の器とは思うよ俺も。て言うかこの世で1番強いのは雪蓮だと今でも本気で思ってるし。俺の人生の中で、誰か1人選べって言われたら間違いなくお前を選ぶし、死んで生まれ変わってもお前に仕えたいとは思うよ」

 

「ふ、ふぅん…いつの間にか口達者になったのね…「でもさ」ん?」

 

「馬鹿なんだよなぁ、これが。政治出来ねぇんだもん。いや違うな。出来るけど情報とかじゃなくて手前の勘を骨子に組み込んでんだよ。確定事項がねぇのよ、雪蓮の政って。出たとこ勝負の才覚任せなわけよ、本人の。馬鹿かと。いや馬鹿だろ。お前それは……馬鹿だろ」

 

「何回馬鹿馬鹿言えば気が済むのよ!!!」

 

「糞馬鹿に馬鹿って加減してやってんだから有難く思えよ糞馬鹿」

 

「加減してないじゃない!!!!!」

 

十徹を迎えた刹渦は、最早思ったことを頭の中で咀嚼する力も失せそのまま口から垂れ流すようになっていた。

普段から積もり積もった主への不満が留まるところを知らない。

 

「冥琳が早く療養から戻って来ねぇと俺が死ぬ、いやマジで。なーんで譜代連中はみんな武官に偏ってるんですかね…新参古参に文官武官が絡んだ対立とか起きたら消し飛ぶぞ孫呉。頼むぞ久焔、こうなったらもうお前の覚醒待ちだ。朱家の跡取りとして中枢政治に1秒でも早く食い込んでくれ…内政もできる武官になって事が起こる前にあちらこちらの架け橋になってくれ…俺みたいな外様じゃ限界があんだよ……」

 

「久焔はまだ帰ってきてないし、あの子多分ずっと蓮華の傍を離れたがらないわよ?ていうか、前々から言ってるけど、あなたの政治的立場に関しては…その……む、婿入り、とか…あるじゃない…その、色々、方法……」

 

この場に祭が居れば床をのたうち回って爆笑する事間違いなしの雪蓮の乙女的行動にも、刹渦は全く気が付かない。

両手の人差し指をモジモジといじらしく突き合わせる主君を冷めた目で一瞥し、溜息を吐くのみである。

 

「どこの家にだよ…まさかお前祭さんあたりと結婚して譜代軸に閥作れってか?」

 

「どうしてそこで祭が出てくるのっ!?私に決まってるでしょ!!」

 

「…………はぁ……」

 

「何よその溜息!!」

 

「いや、とうとう頭イカれたかと思って」

 

「よし分かった表出なさい腐れ鈍感阿呆馬鹿男」

 

「はいはい執務終わらせたら修練でも食事でも閨でも付き合ってやりますよーっと。まぁ終わらねぇけどな!!!!!!!!!!」

 

躁鬱のように奇声を発する刹渦に、南海覇王の柄に手をかける雪蓮。

いつもなら2人を拳骨と共に諌める軍師が療養のため離脱中だ。

因みに、この地獄の様な空間には2人以外にも血反吐を吐きながら執務にあたる文官が多数いる。彼らの心中は最早ひとつだけであった。

 

 

 

 

(((((周瑜様、早く帰ってきてくれーーーッッッッッッッ!!!!)))))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

数日後、主君である雪蓮に事の顛末を報告すべく、一足先に建業に戻った久焔であるが直ぐに謁見とはいかなかった。よく分からないが、刹渦と大喧嘩をやらかしてそれどころでは無いらしい。

 

「まぁ(あにぃ)なら平気か」

 

なんだかんだ言って雪蓮大好き、我孫呉愛を地で行く男だ。

かつて袁術の手の者であると重臣連中に疑われ、拷問にまでかけられても雪蓮への忠義を揺るがさなかったという逸話は孫呉将士に知らぬ者はない。

…というか酒の席では雪蓮の事ばかり話している面倒臭い兄貴分だ。

今回も派手に殴りあった後、夜中にでも酒瓶片手に雪蓮の部屋をバツが悪そうな顔で訪れることだろう。

 

「とっとと婿入りしちまえば良いのに…」

 

酒が入った時、1度だけポロッと零したら本気で肩を叩かれて脱臼しかけたという苦い思い出が蘇る。生まれの卑しさがどうのとか釣り合いがどうのとか喚いていたがいい迷惑だ。

 

「変なところでお互い押しが弱いんだよなぁ…冥琳さんは自分がいない間に2人きりの時間が増えてそのままくっつけばしめたものとか言ってたけど、そりゃ流石に楽観的だよ…」

 

長期療養で暇乞いすると聞いて見舞いに行った際、病人とは思えない膂力で久焔の肩を掴んだ上司の鬼気迫る顔は、今でも夢に出る。

 

『武に偏りがちだった孫呉中枢が一気に政治重視になり、雪蓮は恋愛相談で私の部屋で朝まで管を巻くことも無くなる…ふ、ふふふ、一石二鳥、そして子供でもこさえてしまえば一石三鳥、ふふふふふふふふ……』

 

今思えば、あの人の病も親友2人から来る心労が原因ではなかろうか。

 

「謁見は明朝かな…しかしおやじの所にこのまま帰るのも…」

 

武功を挙げましたが蓮華様に心配をかけさせてしまいました、等と義父に報告したら言葉の前に鉄拳制裁が飛んでくるに決まってる。

 

荒事は苦手で…などと常日頃から宣っておきながら、昔雪蓮をぶん殴って部屋ふたつ突き抜けて庭に叩き出した頑固おやじの姿を思い浮かべ、久焔は背筋を震わせた。

 

「よし、やっぱりこういうことはまず雪蓮様へのご報告が第一!その前に義父に事を話すのは不敬だよな、うん!」

 

と、面倒な事は後回しという若きに任せた勇猛果敢な決断を下すのであった…。

 

 

 

 

 

 




感想や、こいつ登場させたら面白いんじゃないのみたいな意見があればぜひ是非お願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

登壇

くどいようですが、筆者は三国志に詳しくありません。
時代、場所、人物等、滅茶苦茶だとは思いますがご容赦頂けると幸いです。


緋色の鳳が、波を断ち割り駆けてくる。

 

怒号も、悲鳴も、何もかもを呑み込み、踏み潰し、止まることなく迫ってくる。

 

「火が…緋が、奔っている…」

 

呻くように言ったのは、一体誰だったか。

 

 

命を喰らい、死を撒き散らしながら一直線にこちらへ突き進んでくる暴将を前にそんなことは些事だ。

 

動かねばならない。

止めねばならない。

……逃げねばならぬかも、分からない。

 

いっそ清々しくなるほどに嬲られている自軍を視界に収め、張郃は言葉を失う。

 

 

万余を数え、尋常ならざる覇気を以て立ち塞がった曹操軍…南下先遣隊は決して弱卒などではない。

幾多の鉄火場、綺麗事だけではない地獄を潜り抜けた猛者達だ。

それを、千にも見たぬ小勢が真っ向から断ち割ってくる。

 

鎧兜から馬具まで緋色に染め上げた一団は、突撃の勢いを全く衰えさせることなく駆けていた。流石に数は減らしたものの、それでも濡れ紙を突き破るが如く暴れている。

 

張郃とて衰退の一途を辿りつつあった袁家の武を支え、曹操に膝を屈したもののその直接の原因は政敵からの讒訴、という錬磨の武人だ。敵の暴走とも言える進撃を指をくわえて見ていた訳では無い。中央を下がらせ、左右に大きく展開することで孤立させるよう指示を飛ばした。

 

だが鳳の動きはそれよりも速い。

 

先頭を駆ける男が左手を翳すだけで、鳳の身体から一部が左右へと別れ、展開しようと薄く広くなった壁を突き崩す。無論正面を往く本隊が止まるはずもなく、難なく包囲を打ち破った先でまたひとつの鳳へと戻っていく。

 

鳳は、尾を引いて駆け続ける。

その一条の軌跡に残るはただただ死のみ。

 

「…あれほどの将をここまで隠し持っていたとは、孫家も中々どうしてやるものよ。袁術をあれほど容易く食い破ったのも頷ける」

 

今まで数々の戦場に身を置いてきたが、「朱」の旗を掲げる一団には全く覚えがない。あの反董卓連合の戦禍においても、孫家で有名を馳せていたのは韓、程、黄、祖くらいだ。

 

孫家で朱と言えば古参の朱治が思い浮かぶが、彼はどちらかと言えば幕下にあって将兵たちを統括する役回りだった筈。

 

「なんにせよ、覚えておかねばならぬ。そして、それを曹操様に伝えるためにはまず生き延びねばな」

 

まさか敵将がその朱治の義息、しかも孫呉の武官達から各々の武技を叩き込まれた通称「孫呉注力決戦兵器」(命名:呂範)などと知る訳もなく、張郃は窮を脱すべく槍を扱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必死に槍を突き出してくる兵を難無く踏み殺しながら、久焔は此方へと向かってくる「張」の牙門旗を視認した。

 

「流石に木偶の坊じゃないな、敵将は」

 

あの曹操の先遣隊だ。降将を矢面に立たせるのは定石と言えば定石だが、同時に鼻っ柱を折られれば全軍の士気が地に落ちるという難しい役割。

流れが傾き、戦場全体が混乱する中にあって直属軍を前進させるのを見るに張郃というのは中々の人物らしい。

 

軍装を緋色に統一し、返り血を浴びて更にその色を濃くした背後の軍団を振り返る。

 

「…止まったら死ぬ。後ろは粋怜様に任せて、俺達は前を切り開くことだけ考えろ。敵は歴戦だろうが、結局は人。殺せば死ぬさ」

 

突き破られた曹操軍は荒ぶる暴風に晒され、恐怖に足を止めている。今頃は師の1人が追撃・殲滅戦を仕掛けているだろう。

 

「ぶち当たった奴ァ全て敵だ!人と当たったら人を斬れ!魔と当たったら魔をも斬れ!孫呉の道を開くのは、俺達朱然隊だ!!!」

 

「「「「応ッッッ!!!!!!!!!」」」」

 

短く、されど太く応える精鋭に会心の笑みを浮かべる久焔。

 

多少の贔屓目が入っているとしても、祭が天下の飛将軍呂布に食い下がれると評した強さは伊達ではない。

なにしろ、孫呉が誇る将達が各々の技術・心魂を余すことなく注ぎ込んだのだ。

 

韓当から騎馬、撃剣を。

程普から用兵、軍略を。

黄蓋から武技、心胆を。

祖茂から暗器、節義を。

 

そして、朱治から守るべき存在を。

 

孫呉の魂を受け継いだ男が、歴史の表舞台へ駆け上がる。

 

 

 

 

 

 

「孫仲謀が右腕、朱義封!!推して参る!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

二刻後、朱然隊本陣。

部下を休ませ、被害状況を確認していた久焔の元に駆け寄ってきたのは師が1人、程普だった。

 

 

「くぅ坊!!」

 

「粋怜様!わざわざのお出むkわぷっ!?」

 

幼子のように胸に掻き抱かれ、抗議の声を上げようとした久焔だが母性の権化に押し包まれそれもままならない。

 

粋怜は孫呉の宿将として勇名を轟かせる女傑だが、幼い頃から手取り足取り久焔を養育してきたひとりでもある。

それに彼女は、よく言えば豪快、悪く言えば粗暴な孫呉の将の中ではかなり温厚な女性だ。

今でこそ情勢不安定な国境守備に就いているため中々会えないが、久焔のことを公私にわたって可愛がってくれた。

 

「良くやったね、くぅ坊…うん、立派になった!」

 

「師匠に恵まれましたからね。兄ィにはこれで大成しなかったら嘘だろ、とか言われましたもん」

 

「あはは、刹渦は相変わらずだねぇ。でも本当に大手柄だよ、くぅ坊。緒戦で曹操の鼻っ柱をへし折ったのはかなり大きい」

 

「でも大将首は奪り損なったのは不覚です。殲滅戦を押し付けておきながら、申し訳ありません」

 

「なぁに言ってんの!充分すぎる戦果よ、胸張りなさい!それに、いずれは私達を顎で使うくらいになってもらわなきゃ困るんだから気にしない気にしない!」

 

あの後、久焔は張郃直属の軍を散々に蹴散らし、追い立てたものの流石に追撃の余力は残っていなかった。

結局、朱然隊に貫かれ戦意をへし折られた曹操軍を鏖殺しながら進軍してきた粋怜との合流を待つ形で休息を取っていたのであった。

 

「ありがとうございます、粋怜様。してこれから如何しましょう。兄ィからは救援軍を編成する時間を稼いでくれ、とだけしか頼まれておりませんので…」

 

「救援軍の本隊来る前に全部蹴散らしちゃったからね……でも、私達から曹操へちょっかいかけるのは無しね。ムカつくけどそんな余裕ないのが現実。張郃軍を面白いように叩けたのも、私を包囲して士気が緩んでたのがあるだろうし。あ、くぅ坊達の頑張りは勿論ね?」

 

「援軍の報が向こうに入る前に辿り着けるよう、歩兵をギリギリまで絞ったのが奏効しましたね。無い知恵絞った甲斐がありましたよ」

 

「知恵っていうか脳筋な気がしないでもないけど……ま、まぁ、何はともあれ救援ありがとうね。叛乱討伐から息つく間もなく、大変だったでしょ?取り敢えず今夜は撤収してゆっくり休みましょ」

 

「はい!兄ィにはウチから早馬をとばしたんで、5日のうちには沙汰があると思います。救援軍本隊はそのまま予備隊として粋怜様の指揮下に入るんでしょうけど、当面の間は俺もご一緒させて頂いても構いませんか?糧食はおっつけ届くよう手配してますし、ご迷惑にはなりません」

 

ここにおいて、粋怜は本日最大の驚きを得た。

電光石火の奇襲を仕掛けたことも、そのまま戦場をぶった斬って敵本陣まで辿り着いたことも驚きと言えば驚きだが、どこかで『久焔ならば』との思いがあった。

昔から勇武に関しては突出した少年だったからだ。

 

しかし、戦闘後に見せた将としての対応能力からは、荒削りとはいえ経験不足を殆ど感じさせなかった、

あの久焔が、とは思わずにいられない。

 

「大きくなったねぇ、くぅ坊♪」

 

「な、なんですかいきなり!そりゃ背だって伸びますよ、もう19なんですから!」

 

「ふふ、そっかそっか♪いやーこれで楽しみがまた増えた!久焔と並んで戦場を駆けるのは勿論、祭達と一緒に手足のように使われる日も遠くないかもね!」

 

「幾ら何でも恐れ多すぎますよ!て言うか粋怜様達、俺の言うこと全然聞いてくれそうにないんですけど!!」

 

窮地が一転の大勝利か、それとも愛弟子の思わぬ成長か。

或いはその両方ゆえか、粋怜の胸は満点の星空の如く晴れ晴れとしていた。




いずれオリキャラのちゃんとしたプロフィールを
纏めようと思っています。
というか蓮華様が全然ヒロインしてねぇ!!!

ところで、これを書くにあたりかるーく孫家の家臣達を調べたりしていたんですが陸遜バケモンじゃねぇの頭おかしい…となりました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間-障壁

短めの幕間的な回です


曹操軍、国境に来襲。

その報を受けた孫呉本国は蜂の巣をつついた、とまでは行かずともかなりの焦燥に駆られていた。

 

豪族の叛乱が落ち着いたと思ったら間髪容れず曹操が南下してきたのだ。

まるで、示し合わせたように。

 

「ウチの情報網でも、曹操が江東の豪族達と接触した形跡は捉えられなかった。向こうに相当手練の隠密がいるか、それとも曹操の帷幄の将が別口から仕掛けてきたか…おい、明命」

 

「えぇとですね、久焔殿が陥とした豪族の館に出入りした客人、また手紙を出した人等調べたんですが、やっぱり手紙自体は燃やされちゃってますね。ただ、半年前に訪れたという商人の紹介状が残っていました」

 

一を聞いて十を知る、と言っても過言ではないだろう。

刹渦の言にすらすらと答える周泰──明命は、隠密として頗る優秀だ。孫呉の情報網を一手に担う彼女に、刹渦は全幅の信頼を寄せている。

 

「何が怪しい?」

 

「その紹介状を書いた人っていうのがどうも腑に落ちなくて…」

 

普段ならば、彼女は仕事において優柔不断な面など決して見せない。

白か黒か、判断がつかずとも()()自体は的確に上へ上げるし、彼女自身の洞察力も並大抵ではない。

 

その明命が言葉に詰まるという珍しい事態に、刹渦は軽く目を見開いた。

 

「いや、まぁ…なくはない…かな、とは思うんですけど…それでもやっぱり、()()()がお手紙…」

 

「書状一通で不思議がられるような奴なのか?」

 

「そうですね…曲者揃いの名士の中でも輪をかけてひどくて、滅多に屋敷から出すらしないし交友関係も広くないんですよ。手紙なんて出すかなぁ…」

 

どこのどいつだ、と視線で問いかけると明命は困ったように眉根を寄せた。

 

「名は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶぇぇえっくしょい!!!!!」

 

「汚ッ!寄らないでくれる変態!?飛沫で妊娠したらどう責任取ってくれるのよ!」

 

「そんな簡単に子作りできたら中華全土妊婦と赤子で埋まってますよ…あ”ー…これは誰か僕の噂してるな?」

 

「自惚れとかキモッ」

 

「同僚がきつすぎる…なんで僕こんなとこにいるんだろ…帰りたい…」

 

曹操の帷幄の将。

まさに、刹渦の読み通りだった。

 

江東から遥か彼方、首都許昌では青白い顔の不健康そうな男が、けんもほろろな言葉に凹みながら鼻をすすっている。

 

「それは非ッッッッッッッッッッッ常に不愉快だけど、華琳様があんたのその数少ない取り柄たる脳味噌を欲されたからに決まってるでしょ」

 

「欲されたって、僕は貴女の甥御に騙し討ち喰らったようなもんなんですよ!?僕はどこにも仕官なんてしたくなかったんだ!『お偉方の話相手をして給金もらえる仕事に興味ないか?小遣い稼ぎみたいなものだと思って』とかあいつが言うから、軽い気持ちで来たらなんかどこかで見たことあるクルクル金髪の最高権力者がいるんだもん!僕を騙したなァァァァ!!!!」

 

「うっさいわね耳が孕むわよ!!」

 

「孕むわきゃないでしょう!!!もう僕お家帰るぅぅぅぅ!!!」

 

駄々をこねる赤ん坊のように手足をばたつかせ、塵芥を見る目でネコミミ少女に見下ろされているその男こそ、曹操幕下新進気鋭(?)の知恵袋。

 

「もう決めた、今度こそ仲達はお暇を頂きます!ということで華琳ちゃんによろしく!!」

 

「もし華琳様を裏切ったらこの世の果てまで追い掛けて去勢したあとなぶり殺すわよ」

 

「だから裏切りもなにも僕は華琳ちゃんに仕えた覚えないんですけど!ただのお話相手なんですけど!!」

 

司馬懿仲達。真名、楼欒(ろうらん)

 

何の因果か偶然か。

『正史』においてはこれより遥か後、曹操後期の謀将として…そして三国時代最後の覇者として名を轟かせる筈の男。

 

 

 

その俊英が、最強の壁として孫呉に立ち塞がる。

 

 

 

「くっ、華琳様の真名を軽々に…!ほんっっと、その頭が無かったらぶち殺してるところよ!なんで爽葉(そうは)はこんな男…!」

 

「僕は覇道とかどうでもいいんだ、のんびり暮らしたいだけなんだ!財産を食い潰しながらのんべんだらりと生きたいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 




司馬懿、孔明のライバルくらいにしか思ってなかったんですけど、めっちゃ曹操に仕官するの嫌がってて草生えました

2021/02/22
一部台詞を改定しました。申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

北壁

話が進まねぇ!!!!


久焔と粋怜が国境にて曹操の先遣隊を打ち破り、早半月。

無事に辿り着いた救援軍本隊と合流し、現在程普隊1万5000、朱然先行騎馬隊800、遅れて到着した歩兵2000、本隊2万の合計4万ほどが北方へ備えていた。

 

俊英曹操のこと、息もつかせず次の手を打って来るかと思われたが意外なことにあれ以来小勢すら見かけない。

 

気を抜くことは出来ないが、気を張りつめ続けて決壊するのは愚の骨頂。ということで、久焔と粋怜は主室にて少量の酒を飲みつつ軍人将棋を指している。

 

「兄ィ曰く、国内が思ったほど混乱しなかったから二の足を踏んでるんだろうとの事ですが…許昌から呉の内部まで渡りを付けて叛乱扇動なんて、考え付いても実行する奴は中々いませんよ」

 

「司馬懿だっけ?偏屈な名士ってことで何度も曹操の召し出しを拒否してたって聞くけど…あんまりしつこいからとうとう幕下にってとこかな。荀彧、郭嘉、程昱、荀攸、オマケに司馬懿。熱心だよねぇ、曹操も」

 

どこか小馬鹿にしたように粋怜が笑った。

曹操が重度の()()()であり、これと見ればすぐに幕下に取り立てようとする、というのは有名な話だ。

その中でも特に見目麗しい女性を閨まで引き摺り込むなどという噂も囁かれているが、ともかく彼女が病的なまでに人材集めに奔走しているのは事実。

 

それもこれも、曹操は譜代の臣下というものを持たないせいだろう。旗揚げ当初からの将と言えば夏侯姉妹くらいのもの。黄巾の乱、反董卓連合、官渡の戦いなどを経て彼女に仕えた者が殆どを占める。

 

海賊狩りから成り上がった孫家にしても、先代から仕える古参は多い。当主に万一が起きても、血脈を理由に跡取りを守り立てる連中は一定数存在するのだ。

曹家には、それがない。

ほぼ全員が、曹操個人の威徳に忠誠を誓っている。

彼女亡き後、跡取りを見捨てぬ保証はない。

それが分かっているからこそ、曹操は今のうちから譜代を()()のに必死になっているのだ。

 

粋怜には、それが面白いらしい。

 

「ですが、馬鹿にも出来ません。家ではなく、主個人を慕う人間は強い。この人の為ならばと死に狂える」

 

しかし久焔はそれを笑う気にはならなかった。

誰にも言ったことがない持論だが、久焔は王の素質は論理も忠孝も全て度外視し、それでも『この者の為ならば』と思わせるか否かだと思っている。

漢の高祖、劉邦がまさにそうだろう。彼女は才気こそ西楚の覇王・項羽に及ばなかったものの天下を取った。

そして、久焔にとっての王は…………

 

「お、それは実体験かな?孫仲謀の右腕さん?」

 

「……」

 

益々愉快そうにころころと笑う粋怜に対して、久焔は苦い顔をするばかり。

戦場であれほど声高に名乗りを上げておきながら今更恥ずかしがるのはおかしいかもしれないが、それを蒸し返されるのを殊更に嫌がる理由が久焔にはあった。

 

「おやおや、そこは肯定しないと。一の臣下がそんなんじゃ安心できませんよね、蓮華様?」

 

「わ、私は別にそんな…!」

 

そう。将棋を指す2人の横で慌てる救援軍本隊大将。

孫権仲謀その人である。

 

救援軍本隊を率いてそのまま入城した蓮華は北方戦線を統括する立場に立った。

まさかの最前線入りに、従軍してきた傍付きの思春に「なんで止めなかった」と久焔が鬼の形相で食ってかかったのは皆の記憶に新しい。

 

「参りました。俺の負けです、見回りしてきます」

 

久焔が鼻を鳴らして席を立つと、もう粋怜は笑いを堪えるのに必死だ。

いくら文武共に甚だしく成長したと言えど、彼女から見ればまだまだ気になる女子の前で恥ずかしがる子供。

急成長を頼もしく思うと同時に、どこか自分の手を離れて寂しく感じていたがくぅ坊はまだくぅ坊だった。

それが妙に嬉しく、ニヤニヤと笑いが止まらない。

 

「可愛いですね、恥ずかしがっちゃって。蓮華様がご執心なのも分かりますよ」

 

「粋怜!」

 

家中では蓮華から久焔への一方通行、との見方が多いが粋怜はそうは思わない。

久焔は、孫呉の将として以前に蓮華の為に努力をしている節が見受けられる。それは大きくなっても変わらない。

努力している所を、尽力している所を見せたがらない意地っ張りな()()()の顔が見え隠れしている。

 

「私は私情で臣下を評したりはしないわ!久焔とは確かに昔からの付き合いがあるけど、今彼が私の隣にいるのは彼が相応の力を発揮しているからであって…!」

 

思わず撫でてしまいたくなるほど可愛らしく、そして赤くなる主筋を宥めながら粋怜は思う。

 

(こりゃあ家中にバレバレな訳だわ)

 

蓮華様と久焔様をくっつける会なる集まりが定期的に開かれていると祭から手紙が来た時にはあまりの馬鹿馬鹿しさに竹簡を放り投げたものだが、この初心さを見るにどうやら本当らしい。

 

若人の恋を肴に飲む酒はどうしてこうも美味いのだろうと失礼なことを考えながら、粋怜は盃を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで粋怜様の所から逃げてきたのか」

 

「うるせぇな、ほっとけ」

 

城壁の上は風が強い。それに揺られて鳴らされる鈴の音を聞きながら、久焔は憮然とした顔を隠そうともしない。

対して隣に立つ女は無表情ながら、どこかいつもより声音が柔らかいのは面白がっているせいだろう。

 

「貴様のそんな間抜け面が見れるとは、中々運が良い。水軍から離れて遥々国境まで出てきた甲斐がある」

 

「俺はこんな所まで来てお前の仏頂面見なきゃならないのにうんざりしてるよ」

 

久焔と甘寧こと思春。

蓮華の傍に仕える双璧とも言うべき2人の折り合いが悪い、というのは懸念されて然るべきだが孫呉の将兵達からはある種の温かい視線を送られている。

 

---喧嘩するほど仲が良いってことですよ!

 

との明命の言葉に全てが集約されているだろう。

お堅い思春が分かりにくいものの感情を剥き出しにして食ってかかるのは久焔ぐらいのものであり、久焔も久焔で江賊出身という身の上のために周りから敬遠されがちな思春に真正面からぶつかっていく。

ある意味気の置けない間柄だった。

 

「で?」

 

「で、とは?」

 

「惚けるな、蓮華の前線入りを推したのは義父(おやじ)だろ。策もなしにあの人がそんなことするか。何かお前に言い含めたんだろ、とっとと吐け」

 

王妹の身を危険に晒す行為に瞬間的に頭に血が上ったが、聞けば救援軍を編成したのは刹渦ではなく蒼藦だという。

確かに曹操の魔手は警戒すべきだが、宿将である粋怜がその大将としての能力が不足しているとは思えない。

孫呉がいくら人手不足とは言え、わざわざ蓮華を寄越す理由が何かある筈だ。

 

「お前は…時々嘘のように頭が回るな。普段は馬鹿のような面をしている癖に」

 

「茶化すな、いい加減教えろ。それともなんだ?蓮華を本国に置いときたくない理由でもあんのか?」

 

何の気なしに言葉に、思春が暫し瞠目する。

その様子を見た久焔は再び考えを巡らすが大した理由は思い浮かばない。

 

(本国が危ないから北方に避難させた?雪蓮姉に何かあった時の跡継ぎ?いやぁ、そんなに逼迫してるなら粋怜様を入れ替わりに本国に呼び戻して建業の守りを分厚くする筈………分からん)

 

「…蒼藦様は兵達に噂が広がることをご懸念されていた」

 

諦めたような思春の言葉。

ようやく話す気になったらしい。

 

「江夏の黄祖が、曹操に服した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思春とて、覚悟はしていた。

全て話したら、直情な久焔は行動には起こさずとも烈火の如く怒り狂うだろう。ある程度はその怒りをぶつけられても仕方がない、蒼藦様も面倒な役回りを押し付けてくれたものだと嘆息すらしていた。

 

だが分かっていて尚、咄嗟に腰剣へ手を回しそうになるほど、久焔の殺気は凄まじかった。

 

(こいつ…)

 

重く、のしかかるような圧ではない。心の臓を刺し貫かれるような、鋭く、一瞬だけのもの。

 

「こっちから手を出させてぇか」

 

自分には現場指揮官が関の山、と久焔はよく自嘲する。

刹渦や冥琳、雷火に蒼藦と怪物に囲まれる中でそう思うのも無理はない。

だが思春は、物事の本質を瞬時に突く久焔がその程度で終わるとは到底思えない。

黄祖降る、の一言だけで全てを察した男が現場指揮だけやっていてたまるかと吐きたくなるのである。

 

「曹、孟徳…」

 

石造りの城壁を握り砕きながら、久焔は笑った。だがその瞳は全く笑わず、いつもならばそこにある筈の眩しい炎すら見えない。

色も光も炎もなく、ただ濁る眼には強ばる思春の姿が映し出されているのみ。

 

(()()だ。これだけは好かん)

 

孫呉の人間には激情家が多い。

屈辱を受ければ大いに怒るし、それを隠そうともしない。

思春はそんな連中が嫌いではないし、単純明快で好感が持てる。

 

だがどうにも、久焔の怒りだけは苦手だった。

 

爆発的に殺気すら滲ませ、次の瞬間には虚無のごとく静かになる。

怒りを抑えられる温厚な男…とはまた違う。

己の怒りを、ゆっくりと味わうように胸の中で咀嚼しているのだ。

決して忘れないよう、決して色褪せないよう心に焼き付かせる。

 

久焔の本気の怒りを買って未だ生き延びているのは黄祖、そして今新たにその名を連ねた曹操だけだろう。

 

「いずれ、必ず皆殺す」

 

感情を一切感じさせない久焔の声が、北の風に飛ばされていく。

 

思春はただ、それが主蓮華の元へ届かぬよう願うことしか出来なかった。

 




もっと久焔を主体的に動かして内面を書きたいんですが、力不足を痛感しているところです。
精進しますので、今後ともよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



「じゃあなんや、張郃はん離脱するんかいな」

 

「あぁ、先程稟さんから聞いた。先の戦での傷が思いの外深手で治療に専念するとのこと。思ったよりもあなたの出番が早いかもしれない」

 

性に合わない政務に飽き、暇そうに竹簡を弄んでいた張遼──霞は、僅かに目を細めて長い付き合いの謀将を見やった。

 

滅多に感情を表に出さない涼しい顔立ちの青年は、地図の上に大小の石を置いて何やら考え込んでいる。

 

「張郃はんぶった斬った男、なんちゅう名前やったっけ」

 

「朱然義封。騎馬隊の先頭に立って身の丈程の大剣を片手で振り回す、まさに悪鬼のような男だとか」

 

「なんや爽やんと真反対やなぁ」

 

からかうような霞の声にも、青年…荀攸こと爽葉は視線のひとつもくれず、困ったように笑うのみだった。

 

荀攸の非力は曹魏どころか他国の人間にも知れている。

彼は剣のひとつもまともに振れず、馬に乗るにしても振り落とされないよういつも必死だ。

だが、()()を敵に回して大見得を切る糞度胸が彼には備わっている。

 

張遼はそれを愛していた。

 

『己の領土の悪政を棚に上げて董卓殿の非をあげつらい、どころか捏造してこれを取り囲んで叩き殺そうとするとはいやはや袁家の華麗さにはほとほと感じ入ります。これほど高貴で素晴らしきお方を饗す経験はないゆえ、些か粗忽やもしれませんが我々董卓軍一堂腕によりをかけて馳走致す所存。………泥に塗れて死ぬ準備をして来い、阿婆擦れ』

 

かつて袁紹が反董卓連合を呼びかける檄文を発した際、それに対する返書として送り付けた文書などその最たるものだろう。

 

無論口だけの男ではない。

ともすれば気弱になる董卓の尻を蹴り上げ、猪華雄の頭を押さえ付け、ヤケに走りそうになる賈詡を落ち着かせ、20万の大軍を手足の如く扱って諸侯の連合軍30万以上を散々に苦しめた活躍は戦史に燦然と輝く。

 

しかもその後、紆余曲折あって曹操に仕官した後にきっちり袁紹を泥に塗れさせ殺しているのだから霞はもうこの快男子が大好きなのだ。

 

「霞さん…まだ執務中だぞ」

 

女かと思うほどにほっそりとした肩にしなだれかかれば、流石の爽葉も霞の顔を覗き込む。

だが彼の顔に驚きはない。お互い、慣れているのだ。

 

「えぇやん、ウチらの出番ちゅう事はこんなことも暫く出来なくなるねんで?な、爽やんええやろ?意地の悪いこと言わんといてぇな……」

 

ぐりぐり、と人差し指で胸のあたりをつつくと、苦笑する爽葉の顔が近くなる。我が意を得たりとばかりに霞もそれに応じ────

 

 

「あんたウチの甥に何してんの!?!?!?」

 

 

ようとしたところで、執務室の扉が豪快に蹴飛ばされた。

身内の貞操の危機でも感知したのか、飛び込んできたのは爽葉の歳下の叔母である荀彧桂花である。

 

「うげぇ、厄介な叔母上が来よったわ。ええやろ別に酒飲むくらい…」

 

「誰が叔母上よ!!大体私の方が歳下だから………って、酒?」

 

傍から見れば胸にサラシを巻いて袴を履いただけの痴女が甥を毒牙にかけようとしているようにしか見えない。

桂花の頭には疑問符が浮かんだままであった。

 

「ほぉん?桂花、ワレなんや勘違いしたんちゃうかぁ?ほれ言うてみぃ、ウチと爽やんが昼間っから執務室でどないな情事に励むか想像したんや?甥っ子取られる心配したんとちゃうか?」

 

「なっ、じょ、情事って、この不潔ッ!私は爽葉を呼びに来ただけよ!爽葉、華琳様がお呼びだからさっさと謁見の間に来なさい!私は伝えたからね!!」

 

「承知した、叔母上」

 

「だから叔母上はやめなさいって!!」

 

床を踏み鳴らしながら帰っていく桂花に一頻り爆笑した後、霞はヒィヒィ言いながら爽葉の背中を叩いた。

 

「桂花もおもろいなぁ、男嫌いなのに爽やんのこと大好きやんか」

 

「叔母と言っても妹のような奴だ、あまりからかわないでやってくれ。足音に気付いてやっただろう」

 

「ありゃ、バレてもうたかいな」

 

実際2人の間柄にやましい事など何も無い。

董卓の下で働いていた頃から、執務に飽きた霞が爽葉に酒を強請るのにこうして甘えるのである。

お互いに慣れているといったのはこれの事だ。

 

「さて、では私は華琳様の所へ行ってくる。酒は飲まずにしっかりと執務に励んでくれ」

 

「爽やんの鬼!悪魔!!夏侯元譲を傷物にした鬼畜軍師!!!」

 

「その物言いは本当に洒落にならん!と言うか未だに夏侯淵さんに真名を許してもらえない理由は確実にそれだ、曹魏首脳部の爆弾だぞ!」

 

董卓麾下において曹操軍と相対した折、破竹の勢いを止めるために魏武の中核たる夏侯惇を執拗に付け狙い、とうとうその左眼の光を奪ったという爽葉の戦歴は現在の曹魏の中では口に出すのも憚られる。

幸い当人同士が実力を認めて真名の交換まで済ませているから良いものの、夏侯家と爽葉の関係が微妙なことは事実であった。

サボり酒の為だけに内乱の火種になりかねない爆弾をぶっ込んでくる霞に、流石に閉口するしかない。

 

「ならええやんか酒の一瓶くらい!さぁ!さぁさぁ!!」

 

「あなたという人は…」

 

諦めたように酒倉の合鍵を献上し、爽葉は溜息を吐いた。

 

「では行ってきます。俺の分は残しておいて下さいね」

 

「分かっとる分かっとる♪いやぁ話のわかる相棒を持ってウチは果報者やなぁ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間もなく、謁見の間に曹魏の頭脳たる面々が集まった。

郭嘉こと稟に、程昱こと風。そして桂花、爽葉、楼欒の5人と彼らが主君。

 

「急な招集で悪いわね」

 

曹操孟徳、真名を華琳。

本人の与り知らぬうち、南方に在する朱義封に憎悪の的にされている女である。

 

「悪いと思ってんなら呼び出さないでよ…」

 

聞く者が聞けば首と胴体がおさらばするような悪態を吐く楼鸞には、赤い首輪とご丁寧にそこから伸びる鎖が付けられていた。無論その先を持つのは桂花である。大方行きたくないと机にしがみついた楼蘭を無理矢理引っ張ってきたのだろう。

 

「さて、知ってのとおり南下先遣隊が手酷くやられたわ。程普の包囲を解いて遠巻きに陣容を立て直す、ではなく壊走ね」

 

「いや僕の方見ながら言わないでよ、幾ら何でも豪族の叛乱が一戦で鎮圧されるた思わないじゃん」

 

孫呉を内部から疲弊させ、同時多発的に侵攻をかけて手が回らなくなったところで叩き潰すとの策を上奏したのは楼欒だ。

……何か言えと華琳からニッコリと凄まれて適当こいたというのが実情ではあるのだが。

しかし適当にせよ、当時はまだ曹魏に仕官して日が浅かったため、それまでの隠棲する名士という立場を利用して自ら江東の豪族と接触するという離れ業をやってのけた。孫策も、その懐刀の呂範もそれに気付いた形跡はなかった。

 

もし叛乱が長引き、孫策が妹の孫権の援軍として有力武将を派遣していれば孫呉は北方に割く人手が足りなくなり、程普の首を奪ることは容易かっただろう。

こればかりは叛乱を一撃で鎮めて返す刀で北方へ出張って来たという敵将を褒めるしかない。

 

「孫呉には大猩々(ゴリラ)でもいるんですかね…怖すぎるでしょ、これで今まで無名とか」

 

「まぁ良いわ。向こうが大猩々なら我々には良く頭の回る毒蛇がいることですし」

 

「強引に召し出しといて毒蛇呼ばわりとか華琳ちゃんの血は何色だい?」

 

最早恒例となりつつある応酬を気にする者はもう桂花以外にはいない。風に至ってはうつらうつらと船を漕ぐほどであった。

 

「ですが朱然という男、確かに注意が必要かもしれません。ろくに軍備を整える間もなく、しかも長距離移動で疲弊した筈の騎兵で張郃殿を鎧袖一触とは並の将ではないかと」

 

曹魏頭脳部の中では軍略に秀でる稟が眼鏡を光らせる。

爽葉もその言葉に大きく頷いた。

 

「然り。実際にやり合うまでは分からないが、直下軍の指揮に優れているという事は間違いない。風さん、彼奴について何か情報は集められたか?」

 

「……ぐぅ…」

 

「「寝るな!」」

 

「おぉう!風としたことが、楼欒さんと華琳様のほのぼのとした夫婦漫才の陽気にやられて眠りに誘われてしまいました」

 

「夫婦????いくら主君は選べなくても妻を選ぶ権利くらいは欲しいですよ流石に」

 

我慢ならなくなったらしい桂花の膝蹴りを喰らい、嘔吐く馬鹿を放って華琳が続きを促した。

 

風は謀略に関して、曹魏のどの軍師よりも優れている。

最近では楼欒という名相方を手にし、敵の攪乱策や隠密の手配などをこなしている。

 

「孫呉に放った細作はほとんど帰ってきていませんねー。恐らく周泰さんの御庭番に始末されてしまったんでしょう。ですが風達も無能ではありませんので、朱然さんの御実家…施家の方にも探りを入れましてー」

 

「それが当たりだった、と?」

 

「はい〜」

 

曰く、下級役人施氏の長男に生まれ、母の弟が孫堅配下の朱治君理という縁から古くから孫家と繋がりを持つ。

 

曰く、幼少の砌より武に関して天稟を見せ、朱治の甥ということで孫呉の宿将達から将達と交流する。

 

曰く、朱治が後見していた孫堅次女、孫権と机を並べて学ぶようになる。この頃から宿将達に次世代の孫家家臣として指導を受ける。

 

曰く、孫堅死亡後には袁術の人質となった孫権に随身して賊討伐などに参加する。

 

曰く、董卓の討伐後、袁術からの独立を期した当主孫策の命により孫権の身柄を護送・合流しそのまま独立戦争に参加。

 

曰く、袁術との決戦を前に正式に朱家に養子として迎えられ、呂範麾下として勇戦、張勲を討つ。

 

曰く、現在は甘寧と並んで孫権に最も近い武官。

 

 

「血は受けずとも孫家の()を誰よりも色濃く継ぐ武官……欲しいわね」

 

華琳の即言に、桂花が目を剥いた。

これ以上陣容に男が増えてたまるかといった嫌悪が顔に表れていたが、流石にそこは軍師。至極冷静な言上を行う。

 

「恐れながら華琳様、彼奴は仕えるべき主を己の目で定めた訳ではありません。孫家に引き立てられた恩に報いる為に戦っていると思われ、しかも孫策の理想というより血脈に忠誠を誓っている準譜代のような立ち位置。この類の人間は華琳様の尊き理想、覇道を理解しようとはなさらないでしょう」

 

「私も桂花に同感です。待遇に不満を持つそぶりを見せているのならば兎も角、現状朱然の引き抜きはかえって彼と孫呉の将達の怒りを買い、態度を硬化させることになると愚考いたします」

 

桂花と稟のどこか必死さを帯びた言には華琳も苦笑するしかない。

 

無論華琳様とて彼女達が指摘したことを理解していない訳では無い。

むしろ、これと思えば引き抜きたくなるという自身の悪癖を誰よりも分かっているからこそ、わざと謀臣達の諌言を引き出し、自身の中で折り合いを付けようとしている。

 

全て理解した上で興味無さそうに黙っている楼欒に言わせれば「めんどくさい儀式」なのだが、華琳様にとってはこの一連の流れは諦めるためにどうしても必要なのだ。

 

 

「で、その朱義封は諦めるとして…楼欒、策は?」

 

「なんで僕?」

 

「あなた性格悪いからこういうのに向いてるのよ」

 

「クッッソ不本意ながら我が胸中に策ありなので否定はしませんよ、えぇ。けど爽葉くん、君の意見が聞きたい。僕としては孤立か対立かで些か悩んでるんだけど」

 

「……俺は、対立で行きたいな。正直に言うと曹魏は局地戦に弱い。相手取った俺がそれを一番分かっている。春蘭さえどうにかすれば勝てずとも大敗けはせん。俺達の強みは華琳様の指揮の下全軍がまとまって乾坤一擲の勝負に挑む時に発揮される」

 

「ははぁ、不開(あかず)の門番荀公達の言は重いねぇ。曹魏の土俵で、尚且つ向こうが万全ではない状態で戦うと。そうなると対立軸は策と権かね?」

 

「私としましては外様と譜代の線もありかと。まず孤立策を取ってから、彼が失脚するのを待って対立路線というのは」

 

「そうなると朱然さんが同年代の将達とどれほど結びついてるのか、という情報も必要になりますー」

 

「朱然が立て続けに手柄を立てたことで反感を持つ譜代武官も出てくるわね。司馬懿、あんたまたどうにか建業に渡りつけなさい」

 

「荀彧ちゃんは僕に死ねと???」

 

最低限の言葉で、速さで、孫呉という狂い猛る虎を絡め封じるための()は形作られていく。

 

狩りに出る前に、罠を仕掛け動きを封じることこそが我らの仕事。

そう言わんばかりの謀臣達の熱心な(若干一名の面倒そうな)議論を見、覇王は満足そうに笑んだ。

 

 

 

「我が覇道の成就は近い………」

 

 

 





表記し忘れていたのですが、いつも誤字報告を下さる方々、本当にありがとうございます。この場を借りてお礼をさせて頂きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混乱

妙な胸騒ぎを感じた。

臓腑を衝くような、チクリとした痛みにも似たその焦燥が蓮華を歩かせている。

 

「………」

 

何に焦っているのか、蓮華自身にも分からない。

だが此度のような突然の胸騒ぎは初めてでもない。

 

(──母様が亡くなられたときと、同じ…)

 

虫の報せと言うのだろうか。何かとてつもなく不穏な事が起きる気がしてならない。

慮外の危機に直面した時にのみ感じられるこのひりつく様な感覚は、冥琳曰く孫家特有の()らしい。

 

『それを第六感として昇華し、一種の能力の如く扱われたのが先代炎蓮様。雪蓮も無意識ながらもそれに準ずるものを有しています』

 

母や姉とは比ぶべくもないが、自分も一応は孫…武の血を引いているということだろうか。

 

「…こんなことを考えていたら、また久焔に怒られてしまうわね」

 

 

 

───俺は蓮華が一番好きだ

 

 

 

母よりも。

姉に比べて。

そんな言葉が口を衝いて出る度、ぶっきらぼうに隣で言い続けてくれたのは久焔だった。

 

勇武英略突出し、覇王たる器を備えていた母に、それを余すことなく受け継いだ姉。

優秀すぎる家族を持ったが故の重圧は、幼い蓮華の心を少しずつ蝕んでいた。

 

母に追いつきたい。

姉に置いていかれたくない。

 

口を開けばそんなことばかりの子供時代だった気がする。

周囲の人間は謙虚だ、孫家に暗君なしと囃し立てたが、そんな高尚なものではない。

ただの卑屈だったのだ。

 

そんな自分を真正面から、1人の人間として受け止めてくれたのは久焔だけだった。

八つ当たりに近い暴言にも励ましの怒鳴り声を返し、後ろ向きな弱音を笑い飛ばしてくれた。

 

腐りかけていた蓮華が真っ当にここまで来れたのは、間違いなく久焔のおかげだ。

 

「蓮華?どうした、こんなところまで?大将御自ら見回りか?」

 

だから、こんな胸騒ぎがする時には久焔に傍にいてほしい。

 

 

「その…探してたの、久焔。話相手になってくれない?」

 

「なんだ、もう建業が恋しいのか?昔みたいに寝付くまで手握っててやろうか」

 

「いつの話よ、もう!」

 

久焔の焚火のような温かさに甘え、ともすれば依存に近しいものだという自覚はある。

それでも今は、心の芯が嫌に冷えてしまう今だけは、その温かさに浸っていたい。

 

半ば無意識の内に久焔の裾を摘みながら、蓮華は身体を彼に近づけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮華が胸騒ぎを覚えるのと時を同じくして、建業の雪蓮は主だった重臣達へ招集をかけていた。

議題は無論、先代孫堅の仇である黄祖の曹魏への臣従についてである。

 

「挑発でしょうな」

 

そう断じる雷火だが、冷静沈着を常とする彼女をしても苦虫を噛み潰したような顔を隠さない。

 

「そんなことは承知している!臆されたかご老人!!曹操が恐ろしくて先代炎蓮様の仇討が出来ましょうや!」

 

「凌統の言、我が意を得たり!黄祖めが曹魏へ逃げ込むならば、その逃げた先まで焼き尽くしかの女狐を炙り出すまで!黄祖討つべし!」

 

「黙れ、童!黄祖憎しのあまり大殿が遺された大志を忘れるとはなんたる不忠!」

 

「これは宿将黄蓋殿のお言葉とも思えませぬ!最早江東、江南を治めていれば御家安泰などとそのような生温い事は言っておられぬのです!」

 

「然り!曹操めが中華統一の為南下してくる事は先の戦でもよくよくお分かりになった筈。炎蓮様の御遺命たる孫呉の安泰、それは少なくとも一度彼奴を叩かねば叶わぬのです!ならば今黄祖を討ち、その勢いのまま覇王気取りの小娘に痛撃を喰らわすべし!」

 

「ちょ、武官の皆さんは景気のいいこと言いますけどウチの何処にそんな余裕あるんですか!人足、兵糧、国内情勢、全部見てから物言ってください!」

 

「包さんの仰る通りかと!豪族の叛乱が曹操扇動の下にあるということは二の手、三の手が回っていることは明白、豪族の動きに目を光らせ今は耐えるべきと存じましゅ!か、噛んじゃった…」

 

「揃いも揃って文官どもは臆病なものよ!」

 

「ムッッカーーー!!言いましたね、言っちゃいましたね陳武さん!それを言ったら戦争ですよこの野郎!!」

 

 

張昭、黄蓋、凌統、魯粛、諸葛瑾、陳武。

侃々諤々、老いも若きも武官も文官も、遠慮なく思いの丈をぶちまけていく。

活気に溢れる、と言えば多少は聞こえが良かろうが、ぶっちゃけ収拾がつかないだけだ。

 

それも当然と言えよう。

孫堅の死とその後に続く孫家の没落を招いた仇敵、黄祖が曹操の下へ走ったのだ。

 

袁術からの独立の暁には仇討を、というのは孫家の悲願。

それを果たす前に散っていった同士達も、先代の墓前に必ず黄祖の首をと言い残して逝った。

 

袁術を倒し、豪族の反発も抑えてようやく黄祖を血祭りに、と思った矢先にこれだ。

黄祖討伐はそのまま、曹魏の臣下殺害という孫呉侵略の大義名分になる。

先日の国境襲撃は張郃の独断であり、曹操本人に侵略の意思はない。だが孫呉が曹魏の臣たる黄祖を討ったとあらば、その弔いのため出兵もやむなし…。

 

傲慢極まりない。圧倒的国力の差をかさにきて、孫呉を完全に見下している。

 

怒りのあまり雪蓮は殺気すら滲ませて黙りこくっているが、普段は虎のように恐れられる雪蓮の()にも武官はおろか文官も全く怯まずに怒鳴りあっているあたり相当深刻であろう。

 

(分かっていた。纏まるわけが無い。曹操の軍師の思惑通り、内部対立まで始まりかける始末さ。もがけばもがくほど絡みつく、随分上等な鎖だ。流石に曹魏は怖い)

 

 

 

だからと言って……敵が強大だからと言って勝負を投げるほど、刹渦は分別のついた都督ではなかった。

今までも、そしてこれからも刹渦は雪蓮の敵を薙ぎ倒し続けるだけである。

 

 

「発言よろしいか、刹渦」

 

 

 

来た、と内心ほくそ笑む。

自分と蒼藦、陸遜、それに雪蓮が智慧を振り絞って考えに考え抜いた起死回生の一手……というには些か単純にすぎるが。

兎にも角にも、今この瞬間、厳かに立ち上がった蒼藦の一言から孫呉の反撃が始まる。

いつまでも後手にまわり、歯噛みをするだけが能ではない。

どんな罠だろうが策がだろうが、喰いちぎって野に飛び出すのが我ら孫呉。

 

(吠え面かかせてやる、曹操)

 

おそらくは北方で思春に情勢を聞き、全てを察して怒り狂っているだろう久焔に後々1発どころか10発くらいは殴られる覚悟を決めながら刹渦は最古参へ掌を向ける。

 

「お聞かせください、蒼藦さん」

 

後に孫呉史上最大の綱渡りとされ、一歩間違えば呂範は国賊となったと書き遺されることとなる一世一代の大博打。

あまりにも分が悪い勝負が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日々―北壁―

唸りをあげて、大剣が舞う。

重苦しい空気を、ぬめりとした嫌な風を断ち切るように舞っている。

 

ごう、と一閃。

横に薙いだ勢いを殺さず、そのまま身体を捻った時には刀身が立てられ、それを担ぐ様な格好となっている。

 

「──」

 

無言のままに、されど丹田に満身の氣を込めて久焔は愛刀を振り下ろした。

 

 

風切り音というにはあまりにも鈍いものを発し、愛刀──紅皝無頼(こうこうぶらい)は確かに()を唐竹に割った。

 

 

 

 

 

久焔がこの北壁で、毎夜決まって剣を振るっているのはある種の名物として将兵らに受け入れられていた。

夜になると必ず、中庭に出て大剣を振る。

兵達は当初こそ奇特と恐怖の目で見ていたが、日を重ねる毎に慣れていき、今では当たり前のことと感じている。

久焔が脳裏の何かを斬ろうと、同じような動作を繰り返している事に気付いたのだ。

 

張郃を奇襲にて一蹴し、痛撃を与えるどころか撤退にまで追いやる武功を立てた久焔だが、彼に喜びの感情は一切無かった。

 

(仕留め損ねた)

 

目の前に、斬撃の範囲にいながら、みすみす。

あの時久焔が放った横凪の一撃は、敵将の槍に僅かに軌道を逸らされ、ちぎれ飛ぶ筈だった首よりも下、鳩尾のあたりを掠めその乗馬の命を奪うに留まった。

二の太刀を繰り出そうとした時には既に遅く、咄嗟に割って入ってきた部下を斬り伏せるうちに逃げられた。

 

それは仕方がない。己が未熟、尚且つ敵の悪運が良かったのだと受け入れるしかないのだから。

しかし、久焔が悔いているのは自身の思考だった。

 

(奥の手を晒したくないばかりに、逡巡した。だから逃げられた)

 

一刀目を外した直後、頭をよぎったのは()()()を使えば斬れる、ということだった。同時に、この程度の戦で晒すべきか、とも。

結果、二刀目の動作は遅れて張郃が後退する間を、彼の元に行かせまいと兵達が肉壁になる覚悟を決める猶予を与えてしまった。

 

逡巡の結果の体たらくに久焔は憤っている。

目の前の敵を全力で殺すことにこそ己は注力すべきと常々自戒しながら、思考を飛ばして剰温存を考えるなど愚の骨頂である。

 

故に、久焔は如何に一刀目、更には奥の手を使わず瞬時に二刀目で敵を殺せるかを繰り返し試している。

 

今宵も、久焔の瞼の裏で幻影の張郃が血煙を立てて沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通りの仮想敵との打ち合いを終え、与えられた自室へ戻ろうとした時に久焔は影の中に気配を感じた。

姿は見えずとも、この息遣いは長きに渡り身体が覚えている。

 

「お疲れ、明命」

 

「とんでもないです。鍛錬のお邪魔でしたか」

 

蓮華を人質に取られ、袁術にこき使われていた頃から伝令として駆けずり回る明命とは付き合いがある。

孫家が広大な袁術領に離散させられたにもかかわらず、着々と逆襲のために力を蓄えられたのは彼女の情報伝達能力によるところが大きい。

 

「それこそとんでもない。で、義父(おやじ)?それとも兄ィ?」

 

「ひとつは蒼藦様から。思春さんからお聞きかもしれませんが、黄祖が曹魏に下ったとのこと」

 

「………聞いた。蓮華にも、粋怜様にも伝えてないが」

 

「分かりました。後ほど私がお2人のお耳に入れます。もうひとつ刹渦様です。北方には氷鷹(ひよう)さんを充てるから久焔さんは入れ替わりに建業に戻る準備をしておいてくれと」

 

「氷鷹!?氷鷹って思春はどうするんだよ!?」

 

氷鷹とは久焔と同世代の武官、凌統の真名である。

名が示すとおり、氷のように冷静で落ち着いた雰囲気を醸し出す女だが、一度決めたら梃子でも動かぬという頑固さを同時に持ち合わせている。

 

その頑固さが招いている──と言っては些か以上に氷鷹が不憫だが──頭の痛い問題が、思春との不仲である。

 

思春が江賊として活動していた頃、氷鷹の父であり凌家の当主であった凌操が戦場にて彼女に射殺されていた。

幾ら戦場でのこととは言え、実の父を目の前で殺され、同じ主君に仕えるから忘れろというのは酷ではある。周囲は理解を示しつつも何時までも仲違いさせたままということにも出来ず苦悩していた。

 

久焔と思春のように、怒鳴り合う喧嘩のような不仲ならまだ間に入って仲裁もできよう。しかし、氷鷹はそうではない。徹底して思春を無視するのだ。宮中ですれ違っても、そこに存在しないかのように振る舞い視線のひとつすら向けない。蓮華の前に出ても、仇である筈の側近に一切言及しない。

 

思春も弔意くらいは示さねばと考えていたようだが、向こうがあの態度ではもうどうすることも出来ない。殺し殺されは戦場の常、それに加えて謝罪すら受けようとしないとは狭量が過ぎると吐き捨てる始末。

 

見かねた久焔が孫呉の為に形式上だとしても謝罪くらいは受け入れてはどうかと氷鷹にふったところ、

 

『あのような賊を蓮華様のお傍に控えさせるなど、血迷ったか朱然』

 

と預けた筈の真名を呼ばれなくなってしまった。

それほどに2人の確執は根が深い。

 

「こんな狭い砦に詰めてれば嫌でも顔合わせるぞ。粋怜様が居るとはいえ、険悪な雰囲気は兵達にも伝わる。なんでわざわざ氷鷹を…」

 

「荒治療…なんですかね?吊り橋効果的な」

 

「…まぁ、戦況と蓮華に何も無ければ良い。2人も緊急時ということは理解してるだろうし」

 

そこで蓮華様の名を出すあたりこの人も重症だなーと呑気に考えながら、明命はふと湧いた疑問を口に出してしまった。

 

「その、蓮華様が困るような事態になった場合は…」

 

「戻って2人とも叩き殺す」

 

大真面目に大剣を担ぐ目の前の男なら本当にやりかねない。

引き攣った笑いを顔に浮かべ、明命はそうならない事を本気で願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1週間後、砦に入城した氷鷹と入れ替わりに久焔は建業へ立つこととなった。

引き継ぎの際も相変わらず真名を呼ばれず、粋怜が大仰に溜息を吐いていたが後は彼女に頼むしかない。年の功でなんとか取り持ってくれ、と言ったら数年ぶりの拳骨をくらったが。

 

「では失礼致します、蓮華様。ご武運を」

 

「……」

 

城門まで見送りに来てくれた蓮華に頭を下げたが、なにやら不機嫌そうに頬を膨らませるばかりで何も言葉が帰ってこない。

 

(まさか)

 

いや待て、周りをよく見ろと視線で訴えかけるが完全に無視。

眼前の主は、ふんすと鼻を鳴らして()()()()をねだってきていた。

 

周りには思春に氷鷹、粋怜、更には久焔の護衛として建業へ戻る30騎。

確かに長期的な別れになるときはどちらともなくやってきた恒例行事だが、流石に人の目がある場でアレはきつい。

 

「その、それでは……」

 

「久焔。何か忘れていない?」

 

「ヒェッ……」

 

段々目が据わってきた蓮華に逆らえず、失礼致します、と震え声で断りをいれてから久焔は右手を彼女の後頭部に添えた。

 

「きさ──」

 

ま、と思春が言い終わるときには、久焔と蓮華の額が合わせられている。互いに目を瞑り、小声で一言。

 

「い、行ってきます……」

 

「ん、行ってらっしゃい」

 

二人の間で暗黙の了解となっている、別れの挨拶であった。

 

額を離した久焔が、蓮華の肩越しを恐る恐る覗くとそこはもう大惨事である。

思春はもう殺気を隠す気もなく抜刀しているし、粋怜は面白いものを見たといった顔でニマニマしている。氷鷹に至っては耳まで真っ赤にして口をパクパクさせていた。

それと対照的にどこか満足気な蓮華の笑顔が随分輝いて見えたが、そんなものを気にする余裕などある筈がない。

 

思春が氷鷹の前に自分と刃傷沙汰に及ばぬうちに出立(逃亡)すべく、全力で馬に飛び乗った。

 

「開門!!!!!」

 

ヤケクソ気味に叫び散らした朱然様の顔は、その場の誰よりも赤かった………と城門警備の兵が語ったとか語らなかったとか。

 

 

 




甘寧との因縁を合肥まで引きずったらしい凌統さんの登場です。そりゃまぁ親の仇がいきなり同じ陣営に来たら複雑ですよね。でも宴の最中に剣舞でぶっ殺そうとかそれなんて項羽と劉邦???周りも頭が痛かったんじゃないでしょうか。

お気に入り50突破、誠にありがとうございます。
感想、評価、ダメ出し等お待ちしております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日々―曹魏―

覇王だかなんだかよく分からないけどなんか偉い人を目指してるらしいくるくる金髪に(不本意ながらも)仕えている楼欒の朝は早い。

 

「起きるっすよろっちーーーーー!!!!!」

 

「◎△$♪×¥●&%#?!」

 

なにせ仮の、そう、仮のではあるが主君の従妹殿が寝ている土手っ腹に飛び乗ってくるのだ。

それも一番鶏が鳴いて間もなく、勤勉な兵達もいまだ眠りの中にいるような時間帯である。

 

「な、なにが…ゲホ、ゥォエ………」

 

「まだ寝惚けてるっすね?ろっちーはもっと早寝早起きを心がけるべきっす!」

 

「華侖ちゃん…ゔォエ……相変わらず早起きだね…」

 

実家では昼過ぎまでゴロゴロし、堪忍袋の緒が切れた姉に布団を取り上げられるまで粘るのが常だったが、魏に来てから毎朝これだ。

 

バリバリの武闘派、元気印の曹仁──華侖は、何故か楼欒に懐いている。見るからにひ弱そう、というか実際貧弱な自分のどこを気に入ったのか全く理解できないが、主筋を蔑ろにするわけにもいかない。

せりあがってくる胃液をすんでのところで飲み込み、楼欒は億劫そうに身体を起こした。

 

「朝ごはんまで一緒に散歩するっす!」

 

「いやあの、僕寝不足で…」

 

「ほーーーらーーーーー!!!」

 

「あっ駄目だこの子人の言葉通じな痛たたたたた待って腕千切れるちょ待ってマジで待ってぇ!?!?!?」

 

確かに楼欒の実家、司馬家は家族ぐるみで曹家との付き合いがあり、その縁で曹家のご息女達と顔見知りではあった。

楼欒と華琳が真名を交換したのもその頃だ。華侖とも、彼女の妹とも、更にもう1人の華琳の従妹とも遊んでやったりしていた。

だが別にあなたを将来我が頭脳として迎え入れるわ!とか、大きくなったらお兄ちゃんと結婚するっす!とか、楼欒様は物知りなのですね…とか、私は可愛い女の子が好きですけれど、殿方の中ではあなたが一番ですわとかそんな甘酸っぱい青春を送った覚えはない。

……………時たま彼女達が肉食獣のような目をしていた気がしなくもないが、そんな青春はないったらないのだ。

 

「曹魏の人は規律正しくて肩肘張るから、君みたいな子は貴重っちゃ貴重だけどさ…元気にしても限度があるよ…」

 

「?よくわかんないけど、ろっちーは私といれて嬉しいってことっすね!私もろっちーが魏に来てくれて嬉しいっす!」

 

「色々言いたけどもういいや…」

 

楼欒は今まで、真に気ままな生活を送ってきた。優秀な姉と妹達を持ったので彼女達にお小遣いをもらったり、元々裕福だった実家の脛を齧ったりとあまり褒められた生き方はしていない。

 

時折宮中にお呼ばれして儒学や今後の時勢について話したり、突っかかってくる自称・儒士やら名士達をボコボコに論破したり、一族総出で出世している司馬家を恨んで讒訴しようと企む連中をぶん殴る以外は基本引きこもりである。

 

しかし、彼の安息は次第に儚く崩れ落ちていった。

 

洛陽で実家の金で遊んで暮らしていたら反董卓連合とかいう面倒くさそうな事件から逃げる機会を逸し。

 

まぁどうにかなるだろと親友の爽葉にしょっちゅう(実家の金で)酒を奢っていたら『忠士荀攸が一目を置く名士』とかいう大層な渾名で呼ばれるようになり。

 

否定するのも面倒くさくなって挨拶やら登用に来る連中を「いずれ仕えるに値する英雄が現れるのを待っている」だのなんだの適当こいて追い返し。

 

董卓が暗殺されて洛陽がゴタつき、その隙に一気に踏み込んできた連合軍を怒り狂った親友がバッタバッタとなぎ倒している様にチビりそうになりながら地方に赴任していた妹の元へ逃げ。

 

妹の家でゴロゴロしていたらいい加減働けとブチギレられ、取り敢えず栄えてるところで求職しようと許昌を訪れ。

 

洛陽が焼かれた際に行方不明となり、死んだと思って密かに悼んでいた爽葉が今をときめく曹孟徳に仕えていることを知って仕事を斡旋してもらおうと会いに行き。

 

そこで騙し討ちを喰らって華琳に捕まった。

 

半ば以上自業自得な気もするが、それでも嘆かずにはいられない。

何もしなくても衣食住が揃っており、何かあっても家族を頼れば大丈夫という安心感のある生活が一転、超実力主義の職場で朝から晩まで頭脳労働である。

緊張感も疲労感も半端ではない。

結果を残さねば比喩ではなくマジで首が飛ぶ職場である。

 

「対孫呉…またぞろ面倒な作業押し付けてくれるしさぁ…」

 

つい最近も、中華統一のため障害となる南方の孫家撲滅の策を立てろとお達しがあった。

当初こそ豪族の集合体というなんとも脆そうな政権ゆえ、簡単な仕事かと思っていたがとんでもない。

孫呉が豪族達の頂点に君臨する理由…その()を見せつけられ、閉口してしまった。その上彼らの情報を調べれば調べるほど厄介であると気が付き、ここ数日は夜の寝付きもあまり良くない。

 

「むー…ろっちー、難しそうな顔してるっすね…。そんな心配しなくても良いっす、私も頑張るから、大船に乗った気持ちでいるっすよ!華琳姉の敵は全員ぶっ飛ばすっす!」

 

根はいい子なんだけどなぁと主筋の同僚の頭を撫でながらも、溜息を吐かずにいられない。

何はともあれ、生きるためには仕事をこなさねば。

今日も今日とて、楼欒は憂鬱なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爽葉は、これまでの人生は流されて生きてきたようなものだと自覚していた。

名士の家として名高い荀家に生まれ、親の言うまま私塾で様々な分野を学んだ。特に目標やら立身出世の野望やらがあった訳でもない。

惰性的に日々を勉学に費やし、気がついたら当代きっての名士だのと持て囃され宮中に招聘されていた。

 

そこで時の大将軍何進の補佐などしていたが、彼女にも特に恩、忠義の類を感じていた訳では無い。働く場を与えてくれたから、それに応えるまで。

嫌なわけではないが、別にやりたいわけでもない。そんな仕事に日々追われていた頃は、幾ら才を請われても『気が進まない』と跳ね除けて幸せそうに昼寝をする楼欒が少し羨ましかった。

 

惰性的に政務をこなしているうち、その何進が政争の末殺された。

連座はしたくないな、とぼんやり考えていたら、あれよあれよという間に涼州からやってきた董卓が宮中を統括。またもや流れに乗って彼女の元で働いた。

 

『少しでも、国を良い方向へ』

 

『月を守る。それがボクの役目よ』

 

『月様の矛となり盾となり、その理想にの成就までの道を切り開く!ふふ、猪と笑うか?』

 

『こないな気持ちの良い連中、放っとく言うんが無理な話やろ!』

 

彼女達は、眩しかった。

理想を掲げ、一心不乱に突き進む彼女達を見たその瞬間から、爽葉の真の人生は始まったと言って良い。

 

彼女達の理想に共感した訳では決してない。ただ、成したいことのために力を尽くすその姿勢に惹かれた。事の是非はどうでもいい、彼女達の姿こそ求めていた生き方なのだと強く思ったのだ。

相変わらずやりたいことは出来なかったが、それでもその日々は充実していた。

 

もっとも、その日々を愛おしく思っていたのだと爽葉が気付いたのは、既に崩れ去った後ではあったが。

 

 

 

「おーい、爽やん起きとるかーーーって…すまん、邪魔やったな…」

 

「おはよう、霞さん。邪魔なんかじゃないよ」

 

だからこそ、爽葉はその崩れ去った日々の欠片を慈しむ。

荀公達の生き様を決定づけた日々は、もう戻ることは無い。だがその思い出は、自分が忘れぬ限り色褪せることもない。

 

「……ちゃーんと、毎朝手入れしてやっとるんやな」

 

「華雄さんに怒られるからな。私の獲物を粗末に扱うな、って。朝夕磨かないと化けて出られる」

 

「あの猪ならほんま怒って出てきそうやな。つかアレやん、交換したんやろ、真名?呼んであげなそれこそ化けて出てくるんとちゃう?」

 

爽葉の手の中にある大斧の主は散った。

愛する主君に、自身の信じた生き方に殉じて死んでいった。

爽葉に、真名と相棒を遺して。

 

「それがな、家訓らしいんだ」

 

「家訓?」

 

「伴侶となる者以外には真名を預けてはならぬ、らしい。だから、知ってるのは俺だけさ。2人だけの時に呼べ、だってさ」

 

息も絶え絶えになりながらも、美しい顔でそう言った。

お前にだけは知っておいて欲しいと彼女が微笑んだとき、自分はどんな顔をしていただろう。少なくとも、涙と洟水でひどいものだったろう。それでも必死に頷いた。必死に彼女の真名を呼び、声をかけた。

 

『やりたい事をやりきってから、思う存分そっちであなたの名を呼ぶよ』

 

今、爽葉にはやりたい事がある。これと決めた主がいる。成すべき、覇道がある。

それを全てやりきるまで、彼女の元へ行く気は無い。

 

「妬けるなァ」

 

吹き出した霞の声に笑い声を返し、爽葉は朝餉のために立ち上がった。

今日も今日とて、爽葉は充実している。

 

 




プチ設定

楼欒
司馬八達の上から2番目。就職もせず家でダラダラしていたが、能力自体は当主の姉が羨望を通り越して自身への絶望を感じるほど。宮中にもその才は知れ渡っていてその弁論を少しでも聞こうと人が押し寄せていた。ただし呼び出しに応じていた本人は歓待のタダ飯食いに行く程度の感覚だった模様。
爽葉と違って武術もそこそこでき、生活費代わりに家族の政敵をグーで黙らせることしばしば。そのせいで家族を守る知勇兼備の士と評判に尾鰭が付いていたことは本人も知らない。
実は曹家の面々とは昔馴染み。



爽葉
天才であるが故にやりたい事も目標も持てなかったというヤベー奴。朝廷に出仕してして洛陽にいた頃に楼欒と出会う。やりたい事はともかく、やりたくない事は頑として拒絶する楼欒に間違った憧れを抱いたり、少々天然なところも。
上司である何進が殺された後も粛々と職務をこなしていた所、度胸と能力を買われて賈詡に見出された。
そこで理想のために身を厭わず邁進する董卓らの姿を見た事で、自身が憧れていた生き方を見つける。
反董卓連合戦では矢面に立ち続け、華琳とはその戦場で出会った。




董卓
洛陽にてヤケを起こした配下に殺害された……とされているが、その遺体を確認したものはいない。




賈詡
董卓死後、洛陽が焼き払われた際に劉備に捕縛された。心神喪失状態におちいっており、処刑もはばかられるため療養生活を送らせているらしい。が、最近は劉備の傍に仕える侍女が彼女に似ていると密かに噂されている。




華雄
董卓死後、洛陽に殺到する連合軍を相手に奮戦するも討死。
久焔の師の1人、祖茂と相討であった。死に際に呪いに近い逆プロポーズをかましたお姉さん。



張遼
爽葉を誰よりも買っている似非関西弁、遼来来。
曹操に投降した際に出仕を求められたが、「荀攸を探し出して保護し、彼の安全を保証するよう取り計らうのならば軍門に下る。出来なければ舌を噛み切って死ぬ」という意味不明な逆脅迫を行った。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日々―孫呉―

「もぉ、人の部屋でそんな辛気臭い顔して。こっちまで気が滅入るんですけどー?」

 

「元からこんな顔だ、ほっとけ」

 

梨晏──太史慈の部屋に親友が転がり込んで来るのは、決まって2人の共通の友に関して、彼が何か考え込んでいる時だ。

 

雪蓮と悶着を起こした時も、冥琳の病に勘づいた時も、必ず刹渦は梨晏の元へやって来た。

別に梨晏が相談に乗ったり、何かしてやるという訳ではない。他愛のない話をしたり、暫く黙って同じ空間に居るだけだったり。何の変哲もない穏やかな時間が、刹渦の心を解しているらしかった。

 

「………俺の人生はさ」

 

「うん」

 

ぽつり、ぽつりと刹渦が口を開き始めた。脈絡もないし意味も伝わらない、滅茶苦茶な言葉だがそんなことはどうでも良い。刹渦は梨晏に話しかけているのではないのだから。

 

「雪蓮に天下取らせる為のものだと思ってた。最初は孫呉の血脈なんて別にどうでもよかったんだ。雪蓮が好きだったから、付いてっただけだ」

 

「うん」

 

耳を疑い、ともすれば不敬罪に問われるような言葉にも梨晏は口を挟まない。ただ、柔らかい相槌を打つだけ。

 

「でもさ、雪蓮は孫呉を愛してる。俺だっていつの間にか毒されちまった。俺にとっても大切な場所で、愛しい家族だ」

 

地べたに横たえていた身体を、刹渦は初めてこちらへ向けた。

そこにはもはや、迷いの色は見られない。

不敵で、不遜で、嫌になるくらい男前ないつもの顔がそこにある。

 

「だから、俺は惚れた女の……いや、手前の大切なものの為に生きることにする」

 

邪魔した、と一言だけ残して去っていく男の背を見送り、梨晏は猪口を弄ぶ。

その顔は僅かな寂寥を宿していた。

 

「惚れた女、か。ほんっっと、人の気も知らないでさ。惚気けてくれるよ」

 

惚れた男が愛する女は生涯の友。

だが、一途に全てを捧げる彼の姿にこそ梨晏は心を奪われた。

我ながら厄介な恋をしたものだと思う。

 

「ま、惚れた私の負けってやつさね」

 

自嘲しながら、心中の靄を酒と共に流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梨晏の部屋から出た刹渦は、とくにあてもなく街中をぶらぶらと歩いている。

 

建業…孫呉の街。孫堅()を失くし、手足をもがれて各地へ散らされた孫家が漸く手にした、自分達だけの居場所。

隆盛の度合いで言えば曹魏の許昌には遠く及ばないだろうし、未だ裕福とは言えない。

それでも、建業が孫呉の街であることに違いはない。そこに住む人々が孫家にとっての財産であることに変わりはない。

 

故に、相手がどこの誰であろうと譲ることなど出来はしない。

 

「遠目から見ても気難しい顔してるわねぇ、刹渦」

 

「お前らは人の顔に文句言わなきゃ気が済まない生き物なのか?」

 

いつの間にか隣に並んでいた主君にも全く慌てることなく、刹渦は手に持っていた肉まんを躊躇なくその口へ突っ込んだ。

 

「もがッ!?んぐ、ちょ、熱いじゃない!」

 

「奢りだ、喜べよ」

 

「あらありがとう…ってそうじゃないわよ!」

 

こうして歩いていると、本当に歳相応の姦しい女としか思えない。

よく笑い、よく怒り、屈託の無い笑顔で人の心を温めていく。

だがその身はとてつもない重圧を背負い、泣き言も弱音も吐かず常に前を向き続ける。

王の器、としか刹渦は彼女を表現できない。

彼女がこの天下を治めずに誰が治めるのだと叫びたくなるほど、彼女に惚れ込んでいた。

 

「気にしてるの?例の策」

 

(しかも人の心をここまで言い当てると来たもんだ)

 

まったく、常々最高の英雄だと思う。

だが、だからこそ、刹渦は自分達の()()に苦い思いを抱かずにはいられない。

 

「……たりめェだろ。俺は、お前を…」

 

「私ね、自分は天下人になれる器じゃないと思うの」

 

馬鹿な、と叫ばなかった自分を褒めてやりたい。いや、単に叫ぶ余裕もなかっただけか。いずれにせよ、刹渦はあまりの驚きに硬直し、歩くことすら忘れて呆然と雪蓮を見やった。何か言おうと頭を回すが、何も出てこない。

その間にも雪蓮の言葉は続いた。

 

「結局、武勇に頼った支配は人を恐怖で縛り付けるだけ。そんなもの、どうしようもなく脆いのよ。私は…いや、違うわね。今までの孫呉じゃ、その脆い支配しか築けなかった。その結果が豪族を無理に抑えつけた”呉”という国じゃない?」

 

「それは──」

 

「でも、蓮華は違う」

 

あぁ、これだ。自分はこの声に惹かれたのだ。

力強く、雄大で、そして、包み込むような…

 

「あの子は、弱さと痛み、それに寄り添う者の温かさも知っている。力だけに頼らないやり方…覇道ではない、王道。それを見守るのも良いなって思うのよ」

 

夕日に照らされる呉王の顔は、どうしようもなく美しかった。

 

「なぁに、泣いてんの刹渦!?」

 

「ばッ、違う、目にゴミが入っただけだ!ほら早く行くぞ、久焔が帰ってくる!」

 

「ちょ、押さないでよ!あなたは乙女の扱い方ってのが──」

 

敬愛する主に情けない顔は見せたくない。

 

誤魔化すようにその背中を押し、刹渦は乱暴に顔を拭った。

 




プチ設定

刹渦
孫策、周瑜、太史慈と仲良し4人組。この外史では孫堅存命時に既に孫家と関わりを持っていたが、本格的に臣下の礼を取ったのは袁術麾下においてである。
豪族や役人の出ではなく、侠者的な面が強かったため言動は傲岸不遜で派手好き。資金、人足、軍事力など何もかもが不足していた孫策の暗黒時代を卓越した指揮能力で支え、遂には独立成さしめた傑物である。
周瑜がイヤな咳をするのを見咎め、大丈夫だと言う彼女を無理矢理静養させるという超ファインプレーを起こした。



周瑜
仲良し4人組の1人。頭脳労働担当。孫堅亡き後名実ともに孫呉のNo.2として働いていたが、刹渦の加入もあって原作ほどの過労には陥っていない。そのため病も初期段階であり、静養すれば完治は難しくとも命に別状は無いという線で踏みとどまっている。長期離脱にあたって都督の座を刹渦に託し、現在は自然豊かな片田舎で静養中。


太史慈
仲良し4人組の1人。雪蓮のことが好きな刹渦が好きという三角関係に苦しんでいるが、人前ではそのような様子をおくびにも出さない健気な褐色元気っ子。
政務は苦手だが、いざ戦となると誰よりも勇猛果敢に敵中に突入る孫呉の特攻隊長的存在。
久焔からは『梨晏(ねぇ)』と呼び慕われている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

帰京

 

建業へ馳せ戻った久焔は、諸将はおろか兵卒に至るまでピリピリとした空気を肌で感じ、己の憤怒が急速に冷めていく感覚を覚えた。

 

(人が怒ってるのを見ると、存外冷静になるもんだ)

 

ついさっきまで義父と兄貴分を纏めて問い詰め、場合によっては張り倒そうと気炎を吐いていたのが馬鹿らしくなってくる。

それほどまでに、孫呉の雰囲気は険悪なものだった。

 

「久焔さーん!おかえりなさーーい!」

 

そんな中にあって、いつも通りの間延びした声をかけてくる同僚の図太さは頼もしい。

 

「出迎えが包1人とは、手柄の割に随分寂しいな」

 

「はぁ!?こんな美人で頭も良くてちょうどいいおっぱいの持ち主がわざわざお出迎えに参上したんですよ!?普通涙を流して喜ぶとこでしょう!」

 

「へーへー、あまりの感涙でそのありがたーいお胸が見えませんよ魯粛大先生。まぁ元々見るほど価値あるとは思えないけど」

 

「よっしゃその喧嘩言い値で買ったァ!!」

 

魯粛子敬こと包は、孫家が人材を広く求めた折に冥琳の強い推挙で召し抱えられた若手の文官だ。

孫呉の次席が認めるだけあって知略、行動力共に申し分無いのだが、古参だろうが主家だろうが知ったことかとばかりに遠慮のない物言いが周囲の顔を引き攣らせることしばしばである。

 

彼女の直接の上司たる雷火など拳骨の雨を降らせているし、武官連中には口ばかり回る軽い人物などと蔑まれることも多い。

 

久焔に言わせれば、節穴以外の何物でもないのだが。

 

「で、また随分ピリピリしてるな」

 

「そりゃ当たり前ですよ、先代の仇が大陸一の軍事力の陰に隠れちゃったんですもん。まぁ包的には()()()()()()()()()

 

「お前な……」

 

「やだなぁ、そんな顔しないで下さいよぅ。久焔さんにだから言えますけどね、孫家の人って基本江東江南守れれば良いやって感じじゃないですか。長江から先には出ても利が無いーとか我らの土地を守り抜くことこそ重要ーとか。いやね、阿呆かと。馬鹿じゃねぇのと」

 

狂児魯子敬が口だけ?軽い人物?

とんでもない。

 

「孫家に天下をもたらす為に仕官したんですよ、私は。良いじゃないですか。黄祖に曹操、たいへん結構。孫呉の天下への道を彩る敵役がわざわざ名乗り出てくれたんです、感謝してもしきれません」

 

こいつは、根っからの怪物(てんさい)だ。

その頭の中に際限のない野心、そしてそれを成しうる才を余すことなく詰め込んだ()()だ。

 

「ほんと……包の心臓は鉄で出来てるんじゃないかと思うよ」

 

「でへへ、褒めすぎですよぅ」

 

今は文官として仕えているものの、実家の資金力を元手に地元の有志を募って賊を討つなど元々義勇軍じみた活動を行っていた女である。

腕っ節はともかく、心は根っからの武闘派なのだ。

 

恐らく久焔不在の間に行われた評定で、主戦論をもっとも唱えたかったのはこいつだろう。

 

「難儀だよなお前も。そこまで考えときながら出兵には反対したんだろ?」

 

「まぁ、私は一応、冥琳さまから直々に孫呉の政を頼まれましたし。実際、敵役と戦うのに準備は要りますし。別に我慢したとかそんなんじゃ」

 

遠慮がないとは言いつつも自分の役目からは決して逸脱しない、肝の据わった知恵者。

調子に乗るので決して口に出しはしないが、久焔はそんな彼女を尊敬すらしていた。

 

「そんなことより久焔さんですよ!どうなんです、出兵ですか?慎重ですか?」

 

ごまかすようにまくしたてる包を微笑ましく思いながらも、それとは別の感情から来る笑みが顔に浮かんでくるのが自覚できる。

隣を見やれば、呆れたような、それでいてどこか期待通りといったような包の顔がある。

 

「俺は武官だ。方針に口出しはしねぇ。ただ、目の前の敵を叩くだけだ」

 

「私、久焔さんのそういうとこ好きですよ。自分の分際わきまえてる感あるとこ」

 

「一言余計なんだよこの野郎!そんなんだから俺と諸葛瑾?だっけ?あの新入り以外に友達いねえんだ」

 

「野郎じゃないです!というか友達いますし!友達の100人や1000人そこら中にいますし!文官からも武官からも浮いてるぼっちじゃないですし!」

 

「語るに落ちてんじゃねか」

 

「ふん!別にいいです、友達なんて久焔さんがいれば」

 

「……お前、結構こっ恥ずかしいこと言ってる自覚ある?」

 

「言わないでください今気づいて死にそうになってるんですほんと頼みます」

 

往来のど真ん中でへたり込む包の顔は耳まで赤い。

珍しいものを見れたと大笑いする久焔に恨みがましい視線を投げ付け、口を尖らせるばかりである。

 

「ふんだ、この鈍感、間抜け、奥手ビビり!……私はほんと、久焔さんがいれば…」

 

「どう考えても兄ィの悪口だろそれ!!」

 

「あーもー、そんなんだから蓮華様も苦労なさるんじゃないですかこのバーーーーカ!!!!」

 

「いや意味分からんしなんで蓮華出てくるんだよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朱義封、北壁より戻りましてございます。雪蓮様のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極」

 

「あ、あのー…久焔?その、内輪の集まりだからそんなかたっくるしい挨拶は必要ないかなー、なんて…」

 

「恐れながら雪蓮様、某、有難くも孫家の皆様から朋友の悦を頂いてはおりますが、所詮我が分は臣下にござる。何卒、分限に合ったお言葉を賜りたく」

 

「お、怒ってる…?」

 

「滅相もござりません。某、雪蓮様に尊崇の念を抱きこそすれその差配に異を唱え、剰怒りを覚えるなど決して、決してそのような不忠は……」

 

穏──陸遜が笑い声を噛み殺している。

久焔の凄まじい臣下の礼攻撃に鳥肌が立ちっぱなしのこちらの顔と床を交互に見ては肩を震わせていた。

刹渦は思い当たる節があるのかバツが悪そうに顔を逸らし、吹けもしない口笛を吹こうとしている。

 

(バチボコにキレてんじゃない久焔──!!!)

 

さきほどすれ違った包はそんなに怒ってる様子はなかった、とか言っていたがとんだ偽報である。

目の前で平伏する臣下の鑑からは怒りを通り越して赤い闘氣すら立ち上っているではないか。

 

「久焔、あまり雪蓮殿を困らすな」

 

「されど義父上」

 

まさに救いの手である。

同席した蒼藦が見兼ねたらしく声を掛けてくれた。義父に頭が上がらない久焔のこと、これでようやく曲げた臍を元通りに…

 

「雪蓮殿の気遣いを無駄にするか。言いたいことがあるならば己の言葉を飾り立てず並べよ」

 

(ちょっと蒼藦??????)

 

義父上がそう仰られるならば、と前置きをひとつ挟んで、漸く久焔が顔を上げた。

 

(あっこれヤバいやつだ)

 

雪蓮お得意の勘が危険信号を発した時にはもう遅い。

先程までの嫌味なまでの敬語が嘘のように怒涛の奔流が流れ出した。

 

「あのさ雪蓮姐に兄ィ俺言ったよな蓮華を前線に立たせること自体は良いと思うけど流石に戦況考えろって確かに間違いなく蓮華は大将の器だけどどこかの誰かと違って返り血浴びれば浴びるほど味方の士気が上がる分類の大将じゃねぇんだってなぁ俺の話聞いてたのか建業に置いておきたくない理由があったんだろうとは思うけどそれとこれとは話が別だろ蓮華の身に万一があったことを考えてそれと釣り合うような理由なんだろうなおい大体護衛が思春だけっていうのも無防備だあいつを信用してない訳じゃないけど水の上ならともかく地上をあいつ1人で全部対処できるかって言ったらそれは無理だろなぁ聞いてるか兄ィ顔逸らしてるけど俺はあんたにも話してるんだよそうそう思春と言えば今回俺の代わりに氷鷹寄越したよなアレどういう意味だよなぁ確かにいつまでも放置できる問題じゃないけど今すぐ和解とかどう考えても無理だろ仲介に入った俺の真名捨てたんだぞあいついくら危機が迫ったからっていきなりはい仲直りとか無理に決まってんだろおいそれで蓮華の身になにかあったら誰がどう責任取る???」

 

「「ごめ……」」

 

「あ”?」

 

「「すいませんでした……」」

 

耐えきれず吹き出した穏の笑い声で、一座の張り詰めた空気はよつやっと弛緩した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷めた熱も、根本の原因を前にしては再燃してしまう。

ひととおり思いの丈をぶちまけた久焔だが、それでもまだ足りない。

流石に義父が視線を投げて来たので打ち止めるが、兄貴分には今夜にでも自室で正座させようと固く誓った。

 

「それでですねぇ、久焔さんをお呼びした理由なんですけれども…」

 

「その話に入る前に、最後にこれだけは言っておきたい。雪蓮姐、いいか?」

 

久焔の真剣な眼差しを見て察したか、先程まで情けなく身震いしていた呉王が背筋を伸ばした。その顔は既に為政者のそれである。

 

「えぇ、聞かせて」

 

「蓮華を建業から遠ざけたのは黄祖絡みであいつが苦しまないためか?」

 

「半分はそうね。もう半分は、『呉』という国が一枚岩ではない…そんなところを()()見せたくなかったのよ」

 

応じた声には幾らか後悔の念も含まれている。

やはりと言うか、流石に悩んだ結果のことらしい。

 

「そうか…だが雪蓮姐、兄ィ、それに義父。これだけは覚えておいてほしい。蓮華はもう、守られるだけの存在じゃないんだ。戦場に出したがらない俺が矛盾したことを言うかもしれないが、あいつはもうそんなに弱くはない。呉の現状を見ても、国難にあっても、それを受け止めて前に進む力がある。ないがしろにはしないでくれ。頼む」

 

久焔が最も怒りを感じたのはこれだった。

中枢政治から弾き出し、関わらせないかのような扱いはどうにも我慢がならない。

 

──我が()は、そのように脆弱ではない。力不足でなど断じてない。

 

自分で言った通り、矛盾はしていると思う。だがそれでもやはり、言わずにはいられなかった。

 

3人がしかと頷くのを確認し、久焔は今度こそ完全に怒りを鎮めきった。

 




この小説書くにあたって三国志のことを勉強しはじめ、まだまだニワカのニの字も踏んでいないような自分ですがその中でも滅茶苦茶好きになったのが魯粛です。

地元のヤンキー集団の元締めみたいなボンボンが都督になってしかも関羽にメンチ切るってめっちゃすごくないですか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前途

次回から第二章らしきものになって本格的に話が進んでいく筈です(不安)


 

 

「それで、俺が呼び戻された理由は?」

 

小康状態とはいえ最前線で守備に当たっていた久焔をわざわざ名指しで引き抜いたのだ。なにか訳があっての事だろう。重臣会議での決定事項を知らせるだけなら早馬なりなんなり、それこそ明命の口から伝えれば済む話である。

 

改めて、久焔は一座の面々を見回した。

 

孫策、呂範、朱治、陸遜。

そしてここにはいない張昭の5人が、現在孫呉の舵取りを行っている。豪族連合国家という特徴上、政策等に関しては合議制を取る事が多いが、この5人が概ねの方針を決定し、それを承認するか否かという体制が事実上の政権運営である。

 

雷火──張昭の姿が見えないのが気にかかるが、まぁこの面子であれば評定ではなく内々で決めたことの伝達が久焔を呼んだ理由であろう。

 

「ま、有り体に言えば山越対策ね。最近陳珪がまーたちょっかいかけてるみたい」

 

「義父に叩きのめされたのにまだ懲りてないのか」

 

「懲りていないどころかより狡猾さが増しているな。奴も曹操の軍門に下ったらしい。山越の厳白虎と盛んに使者をやり取りしているのも、曹操の息がかかってのことだろう」

 

陳珪と言えば変わり身の早さと悪辣さに定評のある豫州沛国の相である。かねてより莫大な利益を生む長江の水運に目を付けており、事ある毎に江南進出を目論んでいた。山越と呼ばれる揚州の不服従民を扇動して孫家へ叛乱を起こさせ、自らも援軍を派遣したが、討伐軍を率いた蒼藦に手痛い反撃を喰らったという過去がある。

以後、表立っての行動は見えなかったが最近になってまた山越との交流が行われているという。明命が掴んだ情報によると、かなりの兵力を集め始めたらしい。

 

「誘いじゃないのか」

 

「恐らくそうですね〜。叛乱の準備も派手すぎて、こちらにわざと情報を握らせたかったのではと考えています〜。山越討伐に気を回しているところに、()()をぶつけてくるのではと〜」

 

「そこでだ久焔。お前には自分の隊じゃなくて()()()()()で連中を叩いて欲しい」

 

「なるほど、それで俺だけか」

 

山越、そして陳珪の兵達は一度蒼藦とその軍団に手酷く痛めつけられているため、恐怖心が植え付けられている。これを利用しない手はないということか。

 

「でも義父が率いれば済む話じゃ?まさか座り仕事が気に入ってもう馬上に戻りたくないとは言わないだろ」

 

ちらりと目を流して義父の顔を見れば、彼の人は大仰に溜息をついて薄い髭をさすっていた。

30も半ばになって妻も娶らず、一心に孫呉に尽くす蒼藦は今でこそ呉郡太守として政務に励む機会が多いが、元はと言えば()()孫堅に付き従った硬骨漢だ。軍事の才が抜群とまでは行かないが、過去の功績を見てわかる通り十二分な実力を有している。

 

彼がいながら何故わざわざ義息である久焔に兵を率いさせるのか。

 

「久焔。お主をいつまでも蓮華様のお傍で遊ばせおく訳には行かぬということだ」

 

「……………………………………は?」

 

「なんだ、文句でもあるのか?呉の四姓と謳われた朱家の家督をくれてやるというのに、贅沢な男だ」

 

文字通り、久焔は目を剥いた。絶句と言って良い。

驚き過ぎでしょお腹痛い、だのなんだの野次を飛ばす馬鹿(主君)に構っていられないほど、久焔は驚愕している。

 

それもそうだろう。義父は、孫家の柱石朱治君理は近いうちに隠居をすると宣言したようなもなのだから。

 

「家督…俺が、ですか…」

 

知らずのうちに言葉が引き締まった。

朱家の養子となった日から、いずれは来るかもしれないと頭の片隅では考えていた。しかし、こんなにも早い段階で自分を後継に指名するとは思ってもみなかったのだ。

 

「お前以外に誰がいる。だが早まるなよ、今すぐお前に全てを任せるつもりは無い。今の内に慣らしておこうというだけだ」

 

「し、しかし…」

 

戦働で他に後れを取るつもりはないが、今後は家の運営、家臣の統制までやっていかねばならない。孫呉にその人ありと言われた朱治の跡を継ぐ、という重圧は覚悟していた以上の重さで久焔の肩にのしかかった。

 

「武功をあげて、勇姿を見せて、我こそが朱君理の跡を継ぎ上を行く者と皆に知らしめろ。実績もない名ばかりの若殿が手綱を握れるほど、ウチの連中はヤワじゃない」

 

義父の声音には断固としたものを感じさせる。もう何を言っても聞くつもりはないだろう。

ならば己が成すべきはただひとつ。

 

「全霊をもって、尽くします」

 

震えながら、それでも真っ直ぐに義父の瞳を見据えながら、久焔は短く応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久焔が暫しの放心から立ち戻り、顔を赤らめて咳払いをし。

話は孫呉の今後の方針に移った。

 

「久焔さんか知りたいのは今後の我々の動きだと思うんですけど、取り敢えず現状黄祖攻めは延期となりました〜」

 

「山越の動きを鑑みてか?よく皆承服したな」

 

「蒼藦さんの口から山越の話を持ち出して貰いましたから〜。一度直接対峙した方の言葉は重いですよ〜」

 

「内外の敵を同時に討てるならば出兵もよろしかろう」との蒼藦の言葉に、主戦派連中も不承不承従ったらしい。

しかし明らかに不満気で今にも私兵を動かしそうな氷鷹の毒を抜くため、北壁の守備に当たらせると決定したとのこと。

 

「所詮は急場凌ぎだ。私の言葉もいずれ響かなくなり、国全体が暴れ馬の如く開戦へとひた走る未来が容易く想像できる」

 

「だから、可及的速やかに国内を纏めあげて戦争できる状態に持っていくの。山越を叩いて後顧の憂いを無くしたらもうこっちからイチャモン付けに行くわよ。孫呉の臣を誑かす曹操の非を鳴らす。だから久焔、遠慮は要らないわ。徹底的に叩き潰しなさい」

 

これには流石の久焔も不安を禁じ得なかった。

無論、山越との戦に臆した訳では無い。その後、あまりの苛烈さに豪族の人心が離れていくことを懸念したのだ。

 

「承知した」

 

しかし、口を挟まなかったのは投げやりなどでは決してない。久焔が思い至る懸念など、目の前の4人はとうに織り込み済みだろう。

それを信頼しての返答だった。

 

「雷火先生が見えないけど、それについては?」

 

「荊州が臭ぇ。劉表が隠居決め込んで劉備に州牧任せるとか言い出したらしい。そっちにかかりきりだ」

 

「黄祖もそれを嫌って曹操の下へ走ったか。もし本当なら荊州は混乱の極地だろうな。攻め時だな」

 

「曹操とぶつかるには今以上の兵力、更にはそれを養う生産力が必要不可欠だ。肥沃な荊州はなんとしても欲しい」

 

山越等の不服従勢力の決起をわざと待ち、事が起これば徹底的にこれを鎮圧。

また情勢如何によっては荊州へ出兵し、領土を獲得して国力増産に励む。

 

地盤固めと国外への進出を両立させる必要が出るかもしれぬ危険なやり繰りだが、否やは無しだ。

ここで踏ん張れるかどうかに孫呉の今後がかかっている。

 

「久焔、よろしく頼むわよ」

 

「応!」

 

家督のことや国内外の情勢、不安は多い。

だがそんなものを捻じ伏せるだけの力が自分には、孫呉にはある。

そう信じて疑わない久焔の返答は、どこまでも力強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久焔が退出した後、4人だけとなった空間は静かな沈黙に包まれた。

 

「…言えねぇな、あれは」

 

口火を切ったのは刹渦である。

遠い目をしながら、久焔が出ていった扉の方を見やっている。

 

「でも、事が成ったらバレそうじゃないですか…?家督の事も驚いてましたし…」

 

「あぁ…しかし言い方は悪いが、あいつの愚直さは絶対に使()()()()。蓮華様をお支えしようといの一番に皆の背中を叩くだろう」

 

穏も蒼藦も同じく、どこか後ろめたい気持ちを持て余している。

それは雪蓮にしても同じであった。

 

「やっぱり私は器じゃないわね。あんな真っ直ぐな子を騙して、国を率いる資格などありはしないわ」

 

それでも、と雪蓮は言葉を紡ぐ。

断固とした覚悟を滲ませ、前を向く。

 

「今この瞬間、孫呉の王は私しかいない。資格などなくとも、どんなに蔑まれようと、怒りを買おうと、私は止まらない。この国を少しでも良い方向へ導く為に」

 

江東の小覇王、孫策伯符の威に居合わせた者は頭を垂れる。

誰がなんと言おうとも、その姿は王に違いなかった。





呉の四姓に関しては、朱家は朱桓の方ではという説もありますがここでは朱治の方として話を進めます。

孫堅時代から仕えた朱治と孫権の元で成り上がった朱桓では前者の方が家格が高いのではという浅知恵ですが、実際問題どうなんでしょう?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回天編
RED


最後に久焔のイメージ画像を挿絵表示しました。
二次創作使用可との事で、 ガラの悪い男メーカーhttps://picrew.me/share?cd=iPgThUOxwf さんを使用させて頂きました。



雪蓮が睨んだ通り、程なくして山越が孫呉に反旗を翻した。北方から陳珪の軍勢も援軍に来ているという。

これを受け、久焔は早々に討伐軍を編成。陣頭に立つ山越の長、厳白虎を討つため電光石火の勢い建業を出立した。

その結果──

 

『げぇっ、朱然!』

 

緋奔(ひばしり)だ!緋奔義封だぁっ!!』

 

『た、退却!退却ーーーーッッ!!!』

 

「緋奔義封ってなんだよ……」

 

当の本人が困惑するほど、その武名が鳴り響いた。

あまりの速攻と目を覆いたくなるような苛烈さで瞬く間に山越の主力を叩き、厳白虎を3度にわたって破った結果陳珪の軍は彼らを見限り戦わずして徹兵した。

緋色の装束と統一された軍装、まさに火を噴くような勢いで攻め上る久焔にはいつの間にか『緋奔』などという大層な渾名が付いている。

 

現在、通算4度目の会戦の最中にして、戦う以前に敵前線が崩壊している最中であった。

 

「ふはははは、良いではないか!味方ではなく敵に恐れられて付いた二つ名ぞ!誇らしき戦訓と受け取っておけぃ!」

 

豪快に笑って久焔の背を叩く大柄な男を、董襲と言う。

朱家の人間ではないが、元々山越との窓口を務め前回の衝突では蒼藦と共に彼らを打ち破った勇将だ。

山越に詳しく、実績も充分な彼に請うて補佐を頼んだのは誰あろう久焔である。

 

「それで緋奔殿、如何致そうか。儂が追撃に出ようか?」

 

「その呼び方止めてくださいよ!……追撃の陣頭には俺が立ちます。功に逸らないよう、しっかり防御を固めて行きましょう。伏兵の可能性もなくはありません」

 

「ふはは、ますます頼もしき大将じゃわい!うむ、儂もご同道致そう!」

 

もう一度背を叩き、董襲は配下のもとへ指示を出しに行く。久焔も朱家の精鋭達に向かって声を張り上げた。

 

「これより掃討に移る!」

 

これまでの戦ぶりで、朱家の兵達もすっかり久焔を認めたようである。紅皝無頼を肩に担ぎ、そのまま馬上の人となった久焔の周りを槍兵が固め、ゆっくりと進んでいく。

まるで獲物を追い詰める1匹の獣のように、整然と進んでいく軍勢。

 

その姿に更に恐怖を煽られ、山越の軍は我先にと背を向けて走っている。

それを視界に収めつつ、久焔は隣の副官だけに聞こえるよう囁いた。

 

「いるな」

 

「えぇ、いますね」

 

無論伏兵が、である。

都合4度の戦いで連戦連勝、勝ちに奢った孫呉の兵を一挙に血祭りにあげる。いかにも考えそうなことであるし、幾らなんでも敵の逃げ足が鮮やかすぎた。

 

「俺を釣りてぇならもっと本気の粘り腰を見せろ、だらしのねぇ」

 

「久焔さんてなんだかんだ言って戦馬鹿ですよね」

 

「志願して付いてきたお前には言われたくない」

 

久焔さんより大分マシ、とぶぅたれるのは包だ。指導役であり、度々講義を受けていた雷火が荊州問題にかかりきりになったため暇が出来たらしい。

将来的には軍師志望ということで、彼女にも経験が必要という穏の口添えを得、久焔の副官役を志願した。

 

実際問題、彼女の策は見事である。ここまで順調に進んできたのは朱家軍や久焔本人の力だけでなく、包の的確な指示があってのことだろう。

 

「下がるか、包」

 

「いえいえ、心配ご無用。軍師たるもの、血風剣戟にも慣れておかねばいけませんからね。まぁいざという時は久焔さんが守ってくれますよね?」

 

「また調子の良い…まぁ指一本触れさせないから安心しろ」

 

言い残し、久焔は馬の腹を蹴った。

それに応じてかねてより示し合わせた旗本400が鉄盾を手に付き従って駆けていく。

 

ぽかんと口を開けた包が久焔の言葉の意味を理解した頃には、もうその背は遥か前方。

 

「ッッ〜〜〜!!!だからそういうとこですよ!!!」

 

叫びながら自身も馬腹を蹴る包を見る兵の視線が、心做しか生温かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大剣が残像を描くたび、面白いように首が飛ぶ。

それもひとつではない。4つも5つも、まるで重さが存在しないかのように血飛沫をあげながら飛んでいく。

 

「──!……!──!!」

 

既に返り血に塗れ、尚も文字通り血の雨を降らせる悪鬼のような男に怯えたのか、兵達はなにかを叫んで背を向けようとする。

 

だが、悪鬼がそれを許す筈もない。

 

一撃で6人の胴をかっさばき、その勢いのまま呆然と立ち尽くす敵中に突っ込んでいく。

 

大剣の舞は、嵐だった。

 

無慈悲に、平等に、人の波を跳ね散らして斬り殺し進んでいく。

 

嵐に呑み込まれた命が三桁に上ろうかというとき、ようやく暴風が凪ぎはじめた。無論、遺る生命などひとつも無い。鏖殺である。

 

「次が最後だな」

 

台風の目となっていた久焔は、既に返り血塗れで肌の色も分からない。部下が差し出した布で顔を拭いながら後ろを振り向くと、これまた体を赤く染めた董襲がいる。

 

「うむ。斥候が30里先の砦に厳白虎本人と思われる男を確認した。篭っている山越は恐らく3000と言ったところだが…」

 

「陳珪の援兵が隠れてますね」

 

2人とは対照的に、いつも通り白い服装の包が顔を出した。

山越兵の死体をひっくり返して装備を確認している。この遠征軍に身を置くうち屍山血河にも慣れたらしく、表情ひとつ変えずにズタズタの鎧を叩いた。

 

「血で分かりにくいですけど、大分新しくて質も良い。山越がここまでの装備を揃えられるとは思えません。陳珪は完全撤収じゃなくて物資提供は続けてると見ていいです」

 

「引いた援兵を砦に隠して数を頼んだ俺達を引き付けて叩く、か。いかにも賢い奴が考えそうだな。真正面から踏み潰せないことはないが、損害は出来るだけ抑えたい。包、策」

 

「ぶん投げですか!?」

 

「やりたくないなら俺が考えるが?折角手柄立てさせてやろうと……」

 

「ぜひそのお役目この魯子敬に!緋奔義封の副官として恥じぬお働きをばご覧にいれます!」

 

「緋奔はやめろ、なんかむず痒い!」

 

2人のやり取りを、微笑ましそうに董襲が見ている。

慈父のような眼差しをむけながら、彼は内心舌を巻いていた。

 

(朱然殿…苦労知らずの御曹司かと思うたがいやはやとんだ見込み違いよ、これは蒼藦など話にならぬ傑物。魯粛殿も危なっかしい所はあるが中々どうして見事な策士。うぅむ、曇っていた孫呉の道筋に光明を見たわ)

 

次代の台頭を垣間見た董襲の心は軽い。

白熱する2人をよそに、満足そうに髭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4日後。

砦を包囲した討伐軍は2種類の矢文をそれぞれ別の場所へと打ち込んだ。

片方には厳白虎の首を差し出せば陳珪軍の兵は助けると。

片方には陳珪軍主将の首を差し出せば山越は助けると。

更にはいずれの文にも、2日待って応答が無ければ総攻撃と書いたのが効いたらしい。

その夜には砦のあちこちから怒号が響き、あれよという間に火の手が上がった。

 

「悪辣な事考えやがる…」

 

「えー、久焔さんの兵糧を餌に釣り出して火攻めとかより数倍死傷者少ないですよぅ」

 

確かに雪蓮から徹底的に叩けと命を受けたものの、流石に騙し討ちは怨嗟の尾を引くだろう。懸念を示した久焔だが、山越を完全に孫呉の支配下に置くには良い機会という董襲の言に、その腹案を容れることとした。

 

「あ、出てきましたよ。あれは…山越ですね。陳珪軍の大将首です、ほら、槍に刺さってるアレ!」

 

「よし、じゃあ厳白虎は約束通り…」

 

「さぁさぁ久焔さん今ですよ今!全軍突撃の合図!ほら銅鑼鳴らして、敵の気が緩んでる今こそ好機ぃ!一人残らず殺っちゃいましょう!」

 

「孫呉の名声を必要以上に落とす真似できるかこの馬鹿!!投降は容れる、却下だそんなもん(突撃)!董襲殿、良いですね!?」

 

「魯粛殿、朱然殿の仰る通り。山越全てを撫切りになど到底出来ぬ。雪蓮様が仰せになった『徹底的に』とは部族の絶滅ではないぞ。反抗の気概を折ることにこそその御心はあり」

 

「は〜〜い…」

 

「斬れば斬るだけ良いって話じゃないんだよ。陳珪軍も曹魏方面の貴重な情報源だ。可能な限り生きて捕らえろ」

 

かくして、厳白虎以下山越3000名が討伐軍に投降。

豪族に続き、不服従民の叛乱を僅か1ヶ月で鎮圧した緋奔義封の名は呉の国内外に鳴り響くこととなる。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 




山越の数度に渡る叛乱、それに陳氏が1枚噛んでたこと、朱治親子が討伐にあたったこと、朱然が1ヶ月でそれを平らげたことは史実です。時系列滅茶苦茶だし陳珪じゃなくて陳登だし色々とアレですが生暖かい目で見守って頂ければ幸いです。

あと第二章突入にあたってサブタイの雰囲気を変えてみました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Ready steady

山越が朱然に討伐されて以降、豪族達の孫呉に対する不平不満は急速に鎮まった。

豪族の叛乱、南下する曹操軍、更に山越を瞬く間に撃破した朱然の武力もさることながら、その機動力がこれに一役かっていた。

 

北の国境から南方の山越領まで、様々な場所で戦いを繰り広げた朱然隊は、いつしか遊撃隊として恐れられはじめた。

どこにでも現れるめっぽう強い軍団、という評判は人の口から凄まじい勢いで伝播し、尾鰭が付いていく。

厳白虎を下した数日後には朱然が北壁に姿を見せたとか、北壁の様子を建業に報せに帰ってその日のうちにまた北壁に舞い戻ったとか、ともかく神出鬼没の緋奔義封という偶像がひとびとの間で創り上げられていく。

孫策の注意が北に向く隙を窺っていた者達も、これには閉口した。

穏曰く『本命』であった孫策不在時に示し合わせての蜂起に二の足を踏む者が現れ、自家のみが梯子を外されるという事態を恐れたのだ。

流石に噂の類を信じた者はいないが、実際問題朱然が建業の守備に就けば叛乱を起こしてもすぐさま飛んでくると考えた者は多かった。

 

緋奔義封がその破壊力と機動力をもって、挙兵した豪族達を各個撃破していく情景は容易く想像できる。それほどまでに、朱然の幻影は大きくなっていたのである。

 

豪族達は何も建業を陥としたい訳では無い。局地戦で孫家を痛めつけ、独立を承認させたいだけなのだ。

朱然が建業を離れた隙に本拠を突く、などという大言を吐く者もいたがそれで孫家を本気にさせては本末転倒、虎の怒りに触れて滅亡一直線である。

 

緋奔義封はその存在だけで豪族達の動きを封じる錘となった。

そこまでを計算に折り込み、わざわざあちこち駆けずり回させ、神出鬼没を印象付けさせた大都督はしてやったりとの想いだろう。

 

更には飴と鞭とばかりに「度重なる叛乱に思うところがある」と称して僅かながら減税政策を採り、豪族達は待遇の改善という目の前にぶら下げられた人参に食い付いた。

独立が難しいと思い知らされ、更に懐の大きさを見せられたことで孫家に対する独立の意志は萎えた。妥協したのである。

中には呉王孫策の器量に本気で心服する者も現れ、ここに孫呉の国内の地盤固めは一応の完了を見る。

 

残す課題は曹魏とぶつかる為の国力増産、文官達の領域である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪族の慰撫や農政、税の取り立てなど、宮中では激論が交わされ竹簡の山を持った役人があちらこちらを走り回っていた。

 

「もうヤダ…当分文字見たくない…」

 

「ボヤく暇があったら手を動かせ、雪蓮」

 

「うぅ…最近刹渦がますます冥琳に似てきてる…」

 

当然ながら、国主たる雪蓮は大忙しである。

 

文官達を集めてその献策を吟味、選別して決定を下し指示を与える。だけでなく手持ち無沙汰な武官達が北進を声高に主張するのを宥めて治安維持任務に専念させる。そして更には豪族慰撫の為現地に赴いている穏からの報告に目を通し返答を考える。

頭脳に加えて神経を使う、およそ雪蓮が大の苦手とする作業だった。

 

「はー、やんなっちゃうほんと。もう寝てても瞼の裏に文字が浮かんで来るのよ?」

 

「そこまで行ったら後は慣れるだけだ。俺も穏も通った道だから安心しろ」

 

「何も安心できないわよー…」

 

と、2人がいつものやり取りを繰り返していたその時。

 

「失礼致します」

 

するりと滑り落ちるように、天井から影が降り立った。

言わずもがな、孫呉の諜報官明命である。

 

「動きがあったか?」

 

「はい。近々こちらに使者を送ると決定したとのこと。先の国境付近での諍いの謝罪…ではなさそうです」

 

「魏国の王様からのありがた〜い揚州牧叙任のお知らせだろ、どうせ。一挙手一投足が鼻につく小娘だ」

 

刹渦が揶揄したのは、帝という絶対的な玉を手にした曹操のことだ。

衰退し、形骸化したお飾りの帝の言葉を傘にきて敵対者を見下すその態度が、刹渦はどうしても気に入らない。

彼は根が俠者あがりである。

孫呉の臣として以前に、他者に舐められるというその事自体を忌避している。

曹操嫌いの傾向は、実は他の宿将よりも刹渦の方が露骨であった。

 

「こっちは手一杯だって言うのに余裕綽々ねぇ、曹操は。ま、そろそろ一撃食らわす良い機だわ」

 

それまでの疲弊ぶりが嘘のように、雪蓮が軽やかに立ち上がった。

 

「荊州より先なのは想定外だけど、問題ないわ。()()()()()。蓮華に北の防備を固めさせなさい!」

 

活き活きを通り越し、眼がギラつきはじめた主君に苦笑しつつ、明命は姿をかき消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、山越討伐も落ち着いて手持ち無沙汰になった久焔は根を詰めて政務に励む同期の元を訪れていた。

 

「亞莎、お疲れ様。これ差し入れ」

 

「あわわ、わざわざありがとうございます…!」

 

「ちょっと久焔さん、パオには?パオへの差し入れは!?」

 

「気持ちだけ受け取ってくれ」

 

「それ受け取る側のセリフですから!!」

 

下級士官から才覚を見込まれて蓮華に抜擢された亞莎──呂蒙に、冥琳の強い推挙で招かれた包。

ここにいない氷鷹、思春を除けば久焔と歳が近しい同輩はこの2人くらいである。

自然、話す機会も多い。氷鷹と思春は論外として、包が亞莎を好敵手と目し、闘争心を燃やす以外は概ね良好な関係だった。

 

「毎日毎日政務に文句言ってばっかりって俺のとこまで聞こえてくるぞ。流石に真面目に働けよ」

 

「パオは軍師向きなんですよー!内政の大事も重々承知していますけど、それでもやっぱり性に合う合わないがあるんです!」

 

「少しは亞莎を見習え。苦手な作業に日々奮闘してるってのに」

 

「そんな、褒められたことでは…うぅ、日々雷火様をはじめお歴々にご迷惑をおかけしてばかりで…」

 

「あー久焔さん女の子いじめたーいけないんだー」

 

「しまいにゃ殴るぞこの馬鹿」

 

「ひゃわぁっ!?殴ってから言わないで下さい!」

 

ひと通り恒例行事を終えると、久焔は手ずから茶を淹れていく。

それを恐縮して受け取る亞莎と、当たり前のように飲み干しておかわりを要求する包。

 

姦しいが、落ち着く一時でもあった。

久焔は豪族の叛乱から働き通し、包も政務に山越討伐への従軍、亞莎も戦場にこそ出ていないものの国内の石高計算など途方もない作業に従事していた。

こうしてのんびりと揃って会話するのも久々である。

 

「政務が落ち着いたら囲碁打とう、亞莎。そろそろ一勝したいんだよ!」

 

「無理無理、久焔さんはどうあがいても戦略じゃ亞莎さんに勝てませんよ。もちろんこの天才軍師パオにもね!」

 

「実際包さん凄いんですよ、この間五番勝負で二つ取られちゃいました」

 

「負けてんじゃねぇか結局!」

 

「ひとつも取れない久焔さんに言えたことですかぁ?ん?んん??」

 

「殴りたいこの笑顔」

 

騒々しくも穏やかな時を謳歌する3人。しかし、皆それがまやかしであると理解している。嵐の前の静けさ、大戦の事前段階。

言葉に出さずとも、この時間が長く続かないことを全員が分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

「嫌じゃ嫌じゃ!ワシは船酔いなどしとうない!!使者になど立ちとうない!!」

 

「決まったことだ、もう諦めろ」

 

曹魏の首都、許昌。

今日も今日とて楼鸞は親友相手に泣き言を繰り返し、床に這いつくばって駄々を捏ねていた。しかし今日はその駄々にも一段と熱が入っている。

 

「必要なお役目ならまぁ納得もするけどさ!!!華琳ちゃんの自己満足のためになんで僕が揚州まで行かなきゃならないんだよォ!!自分で行け貧乳金髪覇道大好き女ァ!!!!」

 

「言葉が過ぎる、とにかく落ち着け」

 

「落ち着けるわけないでしょ、だってこれ蹴られるの目に見えてんじゃん!事実上宣戦布告じゃん!!叛乱扇動したの僕って孫呉(向こう)にバレてるよ多分!?!?そんな針の筵なところに行くのいーーーやーーーーーだーーーーーーー!!!!」

 

恐ろしいことに素面である。

長い付き合いの爽葉でさえ手を焼くほどの駄々っぷりに、同じく孫呉への使者に任ぜられた陳珪──燈も顔を引き攣らせている。

 

揚州統一を果たした孫策に慶賀の意を表し、更に漢帝国の為と称して揚州牧に叙任する……そんなことを伝える為の使者に、楼鸞と燈は選ばれた。お互い、孫呉とは関係浅からぬと言っても過言ではない。敵地に乗り込むようなものである。

 

しかもこの揚州牧叙任、華琳が奉ずる少帝の敕を受けてのものではない。魏王曹操が個人的に叙任を命じるという、傲慢極まりない無法だ。

事実上の宣戦布告、と楼鸞が言ったのはそのためである。誇り高く、勇武を誇る孫呉がこんな馬鹿げた話を受ける筈がない。宣戦布告を通り越して挑発とも取れる行動だった。

 

無論楼鸞は断固として反対を唱えたが最終的に物事を決めるのは王様である。押し切られて剰使者の大役を仰せつかった。

 

「楼鸞さん、決まったことはしょうがないじゃありませんの。お役目を全うしないことには…」

 

「そのお役目に意味があるなら良いって言ってんですよぼかぁ!今まで散々叛乱扇動して、挙句の果てに山越に直接支援をして!宣戦布告どころかもうこっちから殴りかかってんですよ!?それを今更孫策に一言申し入れてから揚州攻めとか!何?自分の美学に酔ってんの?袁紹にぼろ勝ち余裕こいてんの??」

 

「言わんとする事は分らなくはない。が、燈さんが言ったように決まったことだ。我らは役目をこなし、少しでも華琳様の天下が近付くよう尽くすのみ」

 

「うぅ……理不尽だ…これが雇われた者の辛さ…絶対的な上下関係……だから働きたくなかったんだ…………」

 

オンオンと泣き叫ぶ楼鸞に、2人は視線を見合わせて同時に溜息を吐いた。

彼らとて、此度の決定に思うところがないわけではないのだ。

楼鸞の言う通り、この期に及んでの宣戦布告は無用である。

爽葉に至っては、ここまで悪辣に策謀を働かせたのなら奸雄という評判を気にせず、電撃戦で揚州に侵攻しても良いとすら考えていた。

目の前で醜態を晒す男が練兵等の軍事面にも明るいという意外な一面を有していたため、不安の種であった兵の質の悪さもかなり改善されている。

電撃作戦に耐えうるだけの練度、士気は保たれているのだ。

 

だが華琳はそれを許さない。

そこに不満や不安を抱いた者はかなりの数にのぼる。

だがその矜恃──楼鸞に言わせれば自己満足の一言で終わりだが──に、完璧主義者たる曹孟徳の一抹の人間味が感じとり、心酔を深める者がいることもまた事実。

 

とまれ、事が決まった以上は後は動くしかないのだ。

 

「うぅ……えっぐ……ぼくもうおうちかえる……」

 

まずは、遂には幼児退行を始めた使者役に現実を認識させるところからである。

 

爽葉と燈の溜息が、再び重なった。




三国志勉強し始めて1番思ったのは、恋姫って時系列思ったより滅茶苦茶だったんだなーってことです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

The Gong of Knockout

 

文官達が政務に大わらわとなっていたある日のこと。

都からの使者を称する者達が建業を訪れ、宮中はひどくざわついていた。

 

「帝のおわす洛陽じゃなくて、許昌からですか」

 

「うむ。司馬懿と陳珪の2人が正使ということじゃが…彼奴等、朝服も纏っておらん。あからさまに曹操の使いっ走りじゃろうて」

 

怒り心頭とばかりに床を踏み鳴らして歩く祭に、久焔も無言で頷いた。帝の権威を傘にきて孫呉に無理難題を吹っかけに来たのか、口上を聞くまでは分からないが何にせよ不愉快であることに変わりはない。

現に叛乱扇動や黄祖の引き入れなど、曹操のやり口にもう我慢ならぬと剣に手をかける粗忽者まで現れる始末である。

 

「しかし曹操も大胆ですねぇ。司馬懿に陳珪、叛乱に1枚噛んでた面子をわざわざウチに寄越すとか。お師さんなんて怒りのあまり血管切れちゃうんじゃないですか?あの人血圧高いですし」

 

逆に、2人に追い縋る包などはむしろ感心しているような口ぶりだった。怒りや呆れを通り越し、いっそのことその図太い神経が通った面を拝んでやろうと鼻息を荒らげている。

 

彼女の言う通り、使者を送る主も敵地同然の建業へ乗り込む使者役も、並大抵の肝の太さではないといえた。

 

「誰が高血圧の老人じゃこの馬鹿者」

 

「ひゃわぁっ!?い、いらしたんですかお師さん…」

 

「当たり前じゃろう、此度の謁見は我ら宿将も同席する。逆に包は何故ここにおる。お主のような若造はお呼びでないわ、引っ込んでおれ」

 

現在謁見の間で待たされている使者の雪蓮への目通りは、宿将同席の下行われることとなった。すなわち蒼藦、雷火、祭である。北壁防備に就いている粋怜、産休中のもう1人の宿将が不参加なため、その代わりと言ってはなんだが都督補佐の穏も参加が確定している。

 

明命や包、亞莎、久焔といった若手は今回は同席を許されない…筈だったのだが。

 

「え、だって久焔さんは参加するって」

 

「久焔はそう遠くないうちに朱家を継ぐ、いわば家督内定者じゃ。宿将に同席することでそれを内外に示す良い機会でもある」

 

「はぁ!?ずるいずるいずるいずるい!家格で全てが決まる古き悪しき風習反対!パオにも平等な活躍の場を!!」

 

「駄々をこねるでない!お主は自分の仕事をしておれ!ほら行くぞ久焔」

 

「依怙贔屓だ、縁故主義だ!まったくそんなんだから豪族連合政権とかいう面倒この上ないことに…」

 

謁見の間に向かう3人の背に、包はなおもブツブツと怨嗟の言葉を投げかける。

文句と言うには些か毒が強すぎるその言葉は、彼らの姿が見えなくなっても暫く止まなかった。

 

「大体、あんな怒ってる久焔さん無理矢理連れてってパオ以外に宥められる人いないでしょうに!どうせご老人方は一緒になって囃し立てるんですから!あーあー、もう知ーらないっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたわね。私が孫伯符よ。()()()の使者と聞いたけど?」

 

2人の使者と宿将達が居並ぶ中、最後に入ってきた雪蓮が玉座から声を掛ける。

 

「拝謁を賜り、恐悦至極にございます。私は司馬懿、仰せの如く魏王曹操が治める都、許昌より朋友の言葉をお伝えに参上仕りました」

 

(こいつが、司馬懿………)

 

久焔は睨め回すように青白い顔の使者を見やった。

権威を振りかざすような口調ではなく、どこまでも腰が低い。馬鹿丁寧な男、というだけで神算鬼謀という才気ばしったところは全く感じさせない。

これが明命の諜報を掻い潜って豪族達に接触し、だけでなく孫呉を内外から覆滅しようと企てたとは俄に信じ難かった。

 

「朋友ぅ?」

 

「はい。私は曹操に仕えた覚えはありません。飽くまで友の1人です。此度の使者のお役目に関しましても、我が友たっての願いということでお引き受けした次第」

 

「あら、それは意外。曹操の懐刀司馬仲達の活躍は遠く揚州にも鳴り響いているわよ?」

 

「勇武名高き孫呉の皆様に我が名が知られているとは…身に余る光栄にござる」

 

突き刺さる視線にも、雪蓮の毒にも、司馬懿は柳に風と顔色ひとつ変えない。叛乱を扇動した敵国に乗り込んでくる度胸といい、中々のものである。久焔は()の評価を一段上げた。

 

尚も、久焔の濁った眼が2人を捉えている。

 

「私は沛国の相、陳珪と申しますわ。お目通り、感謝致します」

 

もう1人の使者はと言えば、山越を唆した張本人、自らは安全な場に立ちながら虎視眈々と江南を狙ってきた女狐である。

つい先日も矛を交えたばかりだ。面の皮が厚いと言うほか無い。

と、その時。

 

「随分他人行儀ではないか。なぁ、燈よ」

 

まるで世間話をするように、旧友に再会するように、蒼藦が声をかけた。

 

「あら蒼藦さん、嬉しいことを言って下さるのね。ですが今はお役目が大事、積もる話はまた後ほど…」

 

「あぁ、そうだな。丁度渡したいものがあったゆえ、楽しみにしていてくれ」

 

これには雪蓮や宿将達も、陳珪の隣の司馬懿すらも目を剥いた。

江南を巡って火花を散らした2人が、まさか真名を許す間柄とは誰も思わない。久焔も知らなかった。

ただ1人、雷火が顔色を変えていないところを見るに彼女だけは前々から知っていたようだ。

 

「して、御二方が揚州くんだりまでお越しになられたご用件は?」

 

咳払いをひとつした後、刹渦の一言で話は本題に立ち戻る。

司馬懿も威儀をただし、朗々と口上を述べ始めた。

 

「は、遅くなってしまいましたが、曹操は孫策様の揚州統一をことのほか喜んでおり、その慶賀がまず一点。改めて、揚州統一、真におめでとうござりまする」

 

「それはご丁寧にありがとう。それで、一点ということはまだあるのよね?」

 

「はい。この上は、漢帝国の支配を以前にも増して盤石とし、帝の治世を守り立てるため、孫策様には揚州牧を命じられるとのお言葉ですわ」

 

陳珪の言葉に、待ってましたとばかりに宿将が噛み付く。

やれ帝による叙任ならばともかく曹操個人の命に従う義理はないとか、やれ上からの物言いは無礼千万とか、やれ曹操の使いっ走りに用はないとか、雪蓮の顔を立てるためにも過激過ぎるほどの雑言を並び立てていく。

 

だが、司馬懿はその激昂した言葉に乗らなかった。その一つ一つに「お言葉ごもっとも」「これは曹操の不心得にござった」「返す言葉もござりませぬ」など、腰の低い謝罪を重ねていく。

孫呉側からすれば拍子抜けである。

彼らが何をしに来たのか、全く見えない。

 

「ふぅ…返す返すも申し訳ございません、孫策様。我が友の無礼、きつく言い含めておきますゆえ何卒お気を悪くされませんように…」

 

「もう良いわよ。で?用はそれだけ?私達を怒らせるだけ怒らせて終わり?」

 

いくらか焦れたように雪蓮が訊ねる。語気も鋭く、イラつきを隠そうともしない。隣の刹渦も、何かを見定めるように司馬懿と陳珪を見ていた。

 

「曹操から申し付けられた用件は以上にございます。しかしあの者、昔から己が本心を人に伝えるのが苦手でしてな。僭越ながら、私がそれを代弁し、お伝え致したく存ずる。よろしいでしょうか、孫策様?」

 

無言のまま、雪蓮が首を振った。

司馬懿はひとつ頷くと息を吸い、そして──

 

 

 

 

 

 

「揚州はもらいます。僕らも叛乱扇動なりなんなりセコいことやって来ました。そちらはそれにお怒りで、こちらは州牧叙任を蹴られた。大義名分もそれぞれ立ちましたし、ぶっちゃけもう我慢の限界でしょう?回りくどいことはもう無し、真正面から殺し合いましょう。華琳ちゃんからの宣戦布告です。……………はー、疲れた。やだやだ。やっぱり僕こういう格式張ったこと向いてないって。もう帰りましょ、燈さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開戦の烽火を、ぶち上げた。

 




ドリフターズと恋姫無双のクロスオーバーを誰かがやってくれるのを待ってウン年が経ちました。主人公の女性観が恋姫ワールドにミスマッチすぎるせいですかね???


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Super Flare

「わざわざ断られるのが目に見えてる揚州牧の叙任とか回りくどいことしてますけど、結局彼女が言いたいのは力ずくで揚州貰うってことです。まさかあなた方、はいそうですかと曹魏王権の下で揚州支配を委任されるなんて道選ばないでしょ?分かりきってるんだからこんなチマチマした言葉の応酬してたって意味無いじゃないですか。と言うか、僕個人としてはこんな使者送ること自体不要だと思うんですがね!」

 

先程までの慇懃さが嘘のように、投げやり気味に捲し立てる司馬懿。

そのあまりの変貌ぶりに場の全員が呆気に取られていた。ただひとり、放言した当の本人の隣の女だけは肩を震わせていた。

笑っている。

 

司馬懿の言葉は、不意をうって場を支配したと言って良い。

誰もが口を開かない。開けない。怒りを感じ、それを顕すことすら忘れたように呆然と目を見開くばかり。

 

なおもその放言は続く。

 

「華琳ちゃんも難儀な性格してましてね、策謀を躊躇なく容れると思ったら正々堂々名乗りを上げて蹂躙するなんて阿呆なやり方に憧れたりするんですよ。僕を使ったのが前者、今回のが後者ですね。いやはや中途半端で付き合わされる方はたまったもんじゃないですよ。その点お宅は羨ましいです、欲しいものは全部力ずく、蛮族上等頼るは力と先代孫堅様の頃から一貫されてる。もしかしたらそんな孫家だからこそ、その作法に則って真正面から叩き潰したいと思ったのかもしれませんがね」

 

先代孫堅に話が至るに及び、諸将の目に火が宿った。

比喩ではない。爆発的な激情が、瞬く間にその精神を支配して行き場を探す。

 

「きさ──」

 

ま、と雷火が叫び終わらぬうち。

 

 

 

「下っ手クソな喧嘩の売り方ねぇ」

 

 

 

沈黙を破ったのは、雪蓮だった。

その口調からは、怒りなどの感情は感じ取れない。どこまでも淡々とした、冷静そのものの声である。どころか、どこか呆れたような色すら感じさせる。

 

「あなた、慣れてないでしょ?分かるもんよー、そういうの。まぁ一応ここまでのこのこ出てきて啖呵を切った根性は認めるわ。その褒美に、ひとつお手本見せてあげる。……君理!」

 

「はっ。司馬懿殿、燈」

 

ごそり、と蒼藦が取り出したるは人の顔ほどはあろうかという桶。

それを無造作に、2人の前へと転がした。

 

「こうならないよう、入念に化粧をして参るよう曹孟徳に伝えてくれ」

 

「ッ──」

 

陳珪が僅かに息を呑んだ。

中身は首級である。それも、土色に変色し、あまつさえ腐り始めて蛆が湧いている。

 

先の山越の叛乱において、陳珪から援軍大将を任された将の首だった。

 

「孫策様、そして先達からのご教示、有難く。お土産も返答も頂きましたし、帰りましょうか燈さん」

 

司馬懿はまたも顔色をひとつも変えず、当然のようにそれを拾い上げた。無論、蒼藦が言った意味が分からぬ筈がない。

 

──首実験の際に見苦しい顔を晒さぬようにせよ。

 

これ以上なく単純明快、宣戦布告と同時に殺害宣言である。

 

 

「倅が山越の住処で拾ったものだ。取り敢えず持って帰ったはいいものの、処分に困ってな。燈の顔を見て思い出した。陳家で見た顔だったぞ。これを渡そうと思うていたのだ」

 

侮辱に侮辱を重ねた、悪辣と言って良い言葉だ。

流石に目を見開き、驚愕と怒りに打ち震えた陳珪だったが、彼女とて群雄の中を渡り歩いた一個の大人物。

 

「まぁ、これはご丁寧に。この者ったら、田舎暮らしに憧れて我が家を飛び出して行って途方に暮れていましたの。わざわざお拾い頂き、感謝申し上げますわ。ご嫡男は朱然殿だったかしら?ありがとうございます」

 

震える唇を抑え込み、貼り付けたような笑みを作ってみせた。

その顔は、蒼藦とその息子である久焔にのみ向けられている。

 

「長居はお互いのために良くありませんね。では、これにて失礼仕る」

 

威儀を正して入室した時とは真反対に、ズカズカとなんの気負いも無い足取りで司馬懿が背を向けた。恐怖も怒りも見えぬ、軽やかなものである。

 

揚州、建業。

今この時、この地より、以降永年に渡る孫呉と曹魏の因縁が産声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やばい、アレはやばい)

 

心の臓を握りつぶされたかと、楼鸞は錯覚した。

謁見の間を辞し、長い渡り廊下を歩いている今でも背筋の悪寒が消えない。

その原因は孫策ではない。首を投げて寄越した朱治でもない。

 

主君の隣で()()()()()大都督だ。

 

(見抜かれて…違う、僕が間違えていたんだ)

 

楼鸞は、人の嵌め方には2通りあると考えている。

 

利益で目を眩ませ、行動を自ずと誘導するやり方。

感情を煽って思考を縛るやり方。

 

いかに高尚で剛毅で、そして素晴らしい人間でもどちらかには()()()()()があるのだ。それは本人でなくとも、その人が大切にするもの……家族や、名誉や、主君や、友や、愛…何かに必ず引っかかる。

 

その選択を、いや、その前提すら、完全に間違えていたことを楼鸞は悟った。

 

(孫呉の人間は利じゃ転ばない、そう思ったから怒らせた。だが、それでも駄目だった)

 

人の心など掌の上で如何様にも動かせる。細かい機微は無理であろうとも、大まかな動きは誘導出来ると、驕っていた。

()()があったが故に、過信した。

 

──孫呉を舐めてくれるなよ

 

そんな声が頭の中に響いている気すらする。

いや、()ではない。あの瞳は雄弁に語っていたのだ。

 

あの男は、怒って言葉もないフリをしながら、圧倒されたフリをしながら舌なめずりして待っていたのだ。

何故、そして何を待っていたかまでは分からない。しかし楼鸞が宣戦布告を行ったあの瞬間、確かに彼の眼は輝いた。あれは、獲物を目前にした餓狼の眼だ。

 

(何を企んでる、呂範子嬰。君は何を捕らえたというんだ)

 

楼鸞は心の底から恐怖し、同時に喜びを得た。

 

「あぁ、僕はまだ青いな。惨めだ、無様だ、知ったかぶりの大馬鹿者だ。くくく、学ぶことはまだあるなぁ」

 

「随分とご機嫌がよろしいのですね。働くのはお嫌いなのに、学びを尊ぶなんて」

 

後ろを歩く燈の声に幾らか棘が含まれていた。未だに怒りが収まらぬらしい。

しかし、楼鸞の声音はそれと対象的に弾んでいる。

鼻唄でも歌いそうな調子で、首を背後へ向けた。

 

「昔から、勉強と試行錯誤は好きなんだ」

 

新しい孫呉(教材)を前に、知らずのうちに楼鸞の背筋が伸びていく。足取りも軽い。怖い癖に、それを上回る期待感で心臓の鼓動がうるさい。

 

曹操の下に参じて以来、楼鸞は今この瞬間、最も満ち足りていた。

 

 

 

 




三国志をちょっと勉強するようになり、その上で小説書くにあたって孫呉の血脈見返したら赤壁前の劉備の立場が意味わからんことになってて「!?!?」となりました。劉旗やってないしよく分かんないですよね、蜀陣営…



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

On the Way

正使2人が去った後、謁見の間は爆笑に包まれていた。

もっとも、笑っているのはただ1人だけであったが。

 

「くっくくくくくく、だよなぁ、そう来るよなぁ、そうだろうなぁ!!」

 

笑いが収まらぬと言ったふうに、傍らの雪蓮の肩をばしばしと叩いている。周りの者達は先の無礼者に怒り心頭であったが、そのあまりの笑いっぷりに毒気を抜かれていた。

 

「何を呑気に笑うておる!」

 

ひとり、雷火だけが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

先程のやり取りで、曹操との対立どころか全面戦争が決まったも同然なのだ、当然であろう。

 

「ひー、腹痛ぇ……いやいや婆さん、何が呑気なもんか。こちとら大慌てだぜ、戦争だよ戦争。ほらお前らなにぼさっと突っ立ってんだ、国境の諸砦に早馬を送れ!奴さん袁紹を簡単にぶっ殺したから余裕がある!出兵は早いぞ!あと何処ぞで昼間っから酒かっくらってる梨晏(馬鹿)も呼んでこい!」

 

「は、ははっ!」

 

突然の指令に、控えていた兵達が我先にと飛び出していく。

ますます呆気に取られる一座を見渡し、刹渦は尚も叫んだ。

 

「これァ向こうの()()()()だ!俺達を端から戦争に引きずり込むことを想定して練り上げてある!叛乱から北壁侵攻、黄祖の引き入れ、山越の支援、そんでもってトドメの果たし状!全部曹操の頭ん中の流れの内だ!だから大事なのはこれからよ!!」

 

真っ先に膝を突き、礼を執ったのは久焔であった。

祭。蒼藦。

 

「ここまで俺達を思い通りにコケにした奴の顔を引き攣らせる!手前の盤面で俺達を推し量り、思う様孫呉を踏みにじった怨敵の首級を挙げる!」

 

穏に、雷火。

 

「大都督呂子嬰の名のもとに布告する!陣触れだ!!」

 

「「「「応ッッ!!!!!!!」」」」

 

「そこ普通私が檄飛ばすとこじゃない…?」

 

釈然としない主をよそに、熱風が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

「曹操が来る…粋玲、手筈通り狼煙をあげよ!住民を避難させ、道という道に罠を仕掛けるのだ!多少雑でも馬足を鈍らせればそれで良い!」

 

「御意!」

 

曹操が建業へ使者を送るという報を受けた時から、北壁では本格的な戦闘に向けて支度が整えられていた。

 

これまでは長江の河口に最も近く、接収すれば軍事拠点に出来るという北壁を攻撃してきた曹操だが此度は話が違う。

一点突破ではなく、州境から()で平押しに押してくる。

そうなった場合どうしても末端の小規模な砦から陥落し、北壁は周囲との連絡が途絶して孤立無援となるだろう。そうなればいずれ落城は必須、今のうちに各砦との通信網を確保し、互いを支援できる状況におかねばならない。

 

「氷鷹!」

 

「は。敵軍の突出を狙う、ですね?」

 

「然り。敵の先鋒は恐らく揚州から追い出された豪族か袁紹の元配下。我ら孫呉への恨みを焚きつけられることを考えれば十中八九王朗が来る筈!存分に罵倒して引き込め!」

 

「伏兵は如何致しますか」

 

「そちらは思春に任せる。譜代のそなたが釣り役には適任」

 

「承知致しました。()()に、精々無様を晒さぬようお伝え下さい」

 

「あぁ、あれも奮起するだろう」

 

最悪の想定をして幾重にも予防線を張り、さりとて臆病にはならず自ら戦闘を仕掛けにいく。

 

迅速果断、まるで亡母が乗り移ったかのように的確に指示を飛ばす王妹の姿に、明命は目を見張る思いだった。

 

(敵の侵攻を前にこの落ち着かれよう…それにいつの間にか思春殿と氷鷹殿の間も取り持ってる…蓮華様…)

 

「明命、どうした?」

 

「い、いえ!堂々たる大将ぶり、ご立派になられたなぁと…」

 

「やめてくれ、守将の真の価値は戦が始まってこそ分かる。あまり煽てるな」

 

気負いもなく、この窮地を前に冗談すら言ってのける度胸もついている。まさに理想の将ではないか。

 

武よりも文を好み、姉や母の勇を羨望の眼差しで見ていたか弱い少女がいつの間に、と思わざるを得ない。

 

「働き通しですまんな…しかし、そなたにももう一働きしてもらうぞ。曹操退治に付き合え、明命」

 

(炎蓮様、雪蓮様、ご覧になられていますか!)

 

あなたの娘は、妹は。北の守り手孫仲謀は。

 

「ご一緒でき、幸せです…!」

 

紛うことなき、虎の魂を継ぐ者也。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

一方、楼鸞と燈が戻った許昌は当然ながら爆発的な憤怒に満ち満ちていた。

 

「揚州の、田舎者が………華琳様を、討ち取るですってぇ……!!」

 

「……姉者ではありませんが、この侮辱、万死に値するかと。孫家の者共、いえ、その家臣も含め三族皆殺しが妥当です」

 

普段から偏愛を示す桂花は当然のこと、いつもならばそんな行き過ぎた彼女を諌める夏侯淵妙才までもが怒気を抑えられずにいる。

無言で控える爽葉も、不快そうな顔を隠さない。

 

「ふふふ、あっはっはっは!!そう目くじらを立てるものではないわ、桂花、秋蘭!やはり孫策、彼の小覇王こそ我が好敵手たり得る唯一無二の傑物よ!」

 

しかし、激昂する臣下をよそに華琳だけは心底楽しそうに笑っていた。

年相応の、花が咲くような笑みである。

 

「楼鸞の…いえ、私の宣戦布告を分かりきった上で、これ以上なく完璧な返答を寄越す。これを傑物と言わずなんと言おうか。それに、()()楼鸞をここまで夢中にさせるなんて」

 

「いやほんとだよ!自分でも驚いてる。こりゃ就職先を間違えたかなぁ」

 

「お前のそんな顔、初めて見たぞ」

 

軍議の席上、いつも死んだ魚のような目でボソボソと言葉を発していた楼鸞が爛々と目を輝かせ、居ても立ってもいられぬとばかりに忙しなく体をゆする。

長年の朋友をして初めてと言わしめるそんな様子に、華琳は益々気を良くした。

 

「あら、それは違うわよ。この私に仕えることで孫策を超える機会が得られた。あなたは最善の選択をしたわ、楼鸞」

 

「あぁ、そうかもしれないね。ありがとう華琳ちゃん、君に付いてきて良かったよ」

 

「一生聞くと思わなかった台詞を、孫策がこんなに簡単に引き出すなんて…少し妬けるわ」

 

冗談交じりに言う華琳だが、半ば本心でもあった。

華琳ではなく、敵として対峙した孫呉が楼鸞にこんな顔をさせている。我が下ではなく、()()()()()()()()()()だからこその笑顔だ。

己こそ司馬仲達という最高の楽器を奏でられると信じてやまない華琳にとっては、屈辱以外の何物でもない。

 

「北壁の程普、孫権は守りを固めているわ。あそこを孤立させ、完全包囲すれば援軍に必ず孫策本人がやってくる!虎穴に入らずんば虎子を得ず……いえ、この場合は虎妹かしらね」

 

だが今は己の矮小な妬心に囚われている時ではない。

目の前に悠然と立ち塞がる英雄、孫策打倒がまず覇道への第一歩。

 

憤る臣下達を後目に、華琳は檄を飛ばす。

 

「孫策を一蹴し、北壁を陥として長江への足がかりとする!その暁には建業へ雪崩込み孫呉と雌雄を決する!皆、抜かりなく準備なさい!」

 

 




感想、評価、ダメだしなどなど励みになりますので、ぜひよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Early Stages

曹魏、孫呉の全面戦争開幕から早2週間。全軍を揚州へと入れた曹操は先鋒を王朗、第二陣を夏侯惇、第三陣を曹仁という陣立で三方面作戦に打って出た。

 

3人の将は面白いように砦を次々と陥とし、残すところは北壁と3つの小砦のみ。余勢を駆って意気揚々と王朗が軍を進めた時、()は起きた。

 

「も、申し上げます!王朗隊、伏兵にあって損害甚大!王朗様は狙撃されて落馬、意識を失ったところを旗本がなんとか救出したとのこと!現在は軍監の司馬懿様が采配を振るわれ、態勢を立て直さんと奮戦されております!司馬懿殿のお言葉をお伝え致したく候!」

 

勝ちに奢っての敵地への深入り、挙句伏兵の的になる。

兵法書のお手本のような敗け方だった。

 

罵倒のひとつもしたくなるが、大将は如何なる時も決して動じず構えるもの。

華琳は怒りを呑み込んで続きを促した。

 

「『だから言ったじゃん!仕事はするけど3万連れて帰れたら褒めて』とのこと!!」

 

「………………………………伝令ご苦労、誰かこの者を休ませよ!……霞、行ってもらえるかしら?」

 

額に浮いた青筋を抑えるのにたっぷり時間をかけ、華琳は本隊に控えさせていた虎の子の方を向く。

 

ご指名を受けた曹魏最強騎馬兵団保持者は心底嫌そうな顔をしていた。

何故か霞は楼蘭とウマが合わず、互いに真名も交わしていない。

戦場に私情を持ち込まぬ霞が露骨に渋るというだけで、その程が知れるというものだろう。

 

「青瓢箪に任せとけばええんちゃうか?殺しても死なんやろあいつ」

 

「困らせないで。楼蘭だけじゃなくて王朗の隊を救うのにあなたの足が必要よ」

 

「気ィ進まんけどやってみまー。ま、ちゃーんとお仕事はするから心配いらんで。連れ帰ってくるんは首から上だけでええやろ?」

 

「霞…」

 

「おっしゃ出陣!張遼隊出るでぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリないなぁ」

 

次から次へと踊りかかってくる敵兵に、楼蘭は頭を抱えた。

大勝ちの勢いに慢心し、敵の挑発にも簡単に乗せられた先鋒軍は面白いように覆滅されかけている。

これだから、揚州から追い出された王朗を先鋒役にという意見には反対だったのだ。孫呉憎しで凝り固まっていては簡単に敵の罠に落ちてしまう。慎重に慎重を重ね、整然と軍を進めるべきだと王朗にも幾度となく進言した。しかし復讐心に駆られる彼は凌統の軍を深追いし、潜んでいた甘寧の部隊に散々に破られた。

 

「あるじ、あぶない。ここ、ひく」

 

舌足らずな副官が安全な場所から指示を出すよう上奏してきたが、楼蘭はやんわりとそれを退けた。

 

「僕も逃げたいけど、大将代理が退いたら皆殺しだ。 悪いね静鈴(しずり)ちゃん、面倒に付き合わせて」

 

「あるじのそばにいる。じぶんで、きめた」

 

覚束無い口調で、しかしながら断固とした決意を滲ませる少女は元々一農政官だった。幼い頃に両親と死別し、まともな教育も受けられなかったため未だ言葉がたどたどしい。そのせいで出仕しても中々認められず、華琳の目にもとまらず燻っていた。成果を挙げても他人の手柄にされ、自身は大した仕事を任されもせず良いように顎で使われていたのだ。

そこを、たまたま彼女が作成した地図を見た楼蘭が副官に引き抜いた。

農政の基本である住人の把握や土の質、更には地形、日当たり、湿度まで細々と網羅してある地図を見た楼蘭は、珍しく速攻で動いた。

なんとしてもその状況把握能力が欲しかったのである。

言葉も満足に話せない少女を傍に置く楼蘭を奇特に思う者は多く、馬鹿にする者はもっと多かった。

そんな悪評を鼻で笑って少女を重用し、また教育も手ずから施している楼蘭は、いつの間にか絶対的な信頼と忠誠心を寄せられ『あるじ』などと呼ばれるようになる。

 

無類の洞察力と幾度かの従軍を経て培われた指揮能力を有する彼女は、今や楼蘭の片腕。

 

「ありがとう。頼りにさせてもらうよ。早速で悪いけど、前衛ごと敵を射殺してくれるかな?向こうの殺し間を無効化したい。勇敢なる曹操軍最前衛の諸君は尊い犠牲ということで」

 

「ん。とうがいたい、でる。みんな、いく」

 

「「「「はっ!!」」」」

 

姓を鄧、名を艾。

後に、司馬懿麾下最強戦力として名を響かせる未来の豪傑である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続々と飛び込んでくる伝令兵の戦況報告に、北壁は沸きに沸いている。あの曹操の軍を、本人は居らずとも罠にはめ完膚なきまでに打ち砕くという戦果に兵卒に至るまでが歓喜の声をあげている。

 

「ざまぁ見やがれ!偉そうな顔で俺らの土地にズカズカ入ってくるからこうなんだ!」

 

「そうだ、ここから先は我らの庭よ!曹魏恐るるに足らず!孫策様の援軍来着の前に我らだけで追っ払ってやるわ!」

 

あまりの浮かれように、粋怜が空気の引き締めを行おうとしたがそれは他ならぬ蓮華に止められた。

 

『敵の出鼻を挫いたとは言え、ここからは只管籠城して姉様の援軍を待つしかない。士気を保つためにも、もう少し騒がせても良い。緩みすぎは不味いが、緊張しすぎてもな』

 

「くぅ坊と言い蓮華様と言い、人の成長は早いものね…」

 

思春を始め、北壁に来てから心酔を深めた氷鷹、明命など蓮華は人を惹きつける大将として大きく成長を遂げていた。

泰然自若として常に態度を変えず、檄を飛ばさずとも兵達はその姿に勇気づけられる。

戦場のど真ん中で武勇を振るい、軍全体の闘志を燃え上がらせる雪蓮とはまた違った大将ぶりだが、劣ってなど決していない。

 

この冷静沈着な大将(蓮華)あの勇猛比類無き豪将(久焔)を指揮すれば、如何なる敵をも打ち破るのではないか。

そんな想像が粋怜の頭を離れない。

 

「矢でも曹操でも持ってこい…なんてね。ふふ、面白くなってきた」

 

慢心とはまた違う、戦いを前にした高揚感。心地よい熱に身を焦がされ、粋怜の得物を握る手に力が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、長江を軍船で上る孫呉軍本隊、その船上。

 

「淮南に船を着けたら、祭さんは騎馬で兎に角北壁向けて突っ走ってくれ。俺達本隊は態勢を整えて後から追う」

 

「うむ、任せておけ。権殿を囲む曹魏の連中を一当てし、そのまま入城して構わんのじゃな?」

 

「あぁ、そのまま敵を引き付けてもらって後発の本隊と挟撃する。こいつは北壁が陥ちたら全部おじゃんだ」

 

「それ以前にぃ、祭様が北壁に入るのも結構難しいと思います〜。曹操さん達もこれしか手がないというのを理解してる筈です〜。北壁を包囲すると見せかけながら、祭様を待ち受けていると思いますよ〜。大丈夫ですか〜?」

 

刹渦の戦略は、数よりも速さ、突破力を重視して敵の包囲を突き破り、そのまま守備と合流するというもの。

再び囲んできたところを雪蓮自らが率いる孫呉の主力と挟撃する、という点を除いては以前の久焔の行動と似通っている。

雪蓮は自分が直接蓮華を助けに行くなどと気を吐いていたが、大将に一騎駆けされてはたまったものではない。なんとか落ち着かせて、老練の祭にその役を任せた。

 

百戦錬磨、と言って差し支えない祭なら不覚は取らないと思うが、問題なのは穏の言う通り確実に曹操がこれを読んでいるということだ。

全軍を整えて北壁に向かえば移動速度は落ち、その間に砦は陥とされる可能性がある。そうならないためには速度重視の騎馬隊がまず北壁救援に向かうことが必要となる。

久焔と張郃の戦闘から、曹操とその軍師たちはこちらが再びこの手を打つと理解しているだろう。不意を衝かれた先の戦とは違い、向こうは待ち構えているのだ。

 

「儂を誰だと思うておる。この程度の難事、幾度となく越えてきたわ」

 

それでも、祭の声は平然としたものだった。自分が失敗するとは微塵も思っておらず、尚且つ油断もしていない。

こればかりは経験に裏打ちされた将の力、と言う他ない。

 

「頼りにしてるぜ、祭さん。切り札はそっちの都合のいい時に切ってくれて構わない」

 

「応よ。くく、曹操の驚いた顔が今から楽しみじゃわ」

 

下船するまで、あと1日。

二大勢力の本格的な激突は、すぐそこまで迫っていた。




恋姫で1番困ってるのが呂蒙と陸遜の上下関係が正史と逆転してるとこです。
関羽殺す訳にもいかんし夷陵までやれないから都督リレーはええわってなったんですかね。

正史を調べるようになって、天才周瑜死んでからの穏健派魯粛からの呂蒙陸遜という化け物コンビへの繋ぎと陸抗とかいう国境善政バトルプレイヤーの活躍まで、全部通して恋姫無双で見たかったと思うようになりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

WAVE

少し長くなりました


「なんじゃ、拍子抜けじゃのう」

 

淮南に到着し、そこから北壁を目指して駆けに駆けた孫呉軍救援隊は特に接敵することもなく、無事に入城することに成功した。

待ち伏せの一つや二つは想定し、曹孫激突の火蓋を切らんと意気込んでいた祭からすれば肩透かしを食らった気分である。

 

「伏兵が思ったより効いてね。曹操軍は進軍にかなり慎重になって、3日の工程に5日かけてる体たらくよ。蓮華様の策があたったお陰ね」

 

「おぉ、粋怜。お主も思ったより元気そうじゃな。城内の兵卒も士気が高い。権殿は良くやっているようじゃ」

 

祭の不完全燃焼はともかく、曹操の包囲が完成する前に入城できた事はかなり大きい。これで、本隊との挟撃にも移行できる。

 

「陣立は?」

 

「淮南には雪蓮様自ら入られた。刹渦と梨晏が傍を固めておる。穏や亞莎らも従軍しているが、坊は建業で蒼藦と留守じゃ。包もその補佐で残っとる」

 

「妥当ね。国内の不服従勢力に対して、今一番抑止力が効くのはくぅ坊と朱軍だもの」

 

「本人は不満たらたらじゃったがな。ま、蒼藦が宥めとるじゃろ」

 

暫くぶりに顔を合わせる旧友との再会もそこそこに、2人は素早く情報を共有していく。本隊と北壁の戦略を擦り合わせ、合力しなければ曹操の大軍は打ち破れない。綿密な打ち合わせが必要だった。

 

「祭、救援大義であった。饗もできんが、ひとまず軍路の疲れを癒してくれ」

 

そこへ、北壁を統括する蓮華が顔を出した。援軍の出迎えである。

 

「これは権殿…いや、蓮華様。黄公覆、呉王雪蓮様の命により救援に参上仕った。何卒、手足の如くお使いくだされ」

 

「うむ、頼りにさせてもらう。これまでは氷鷹と思春がよく敵を防いでくれていたが、曹操の本隊が進んでくればもう小細工は通用すまい。曹操をなんとしてもこの北壁に釘付けにするため、力を尽くしてくれ」

 

「「御意!」」

 

礼を執った祭が、何かを思い出したように顔を上げた。

どこか意地の悪そうな笑みを含んだその顔に、蓮華が露骨に警戒を露わにする。

 

「そう言えば、坊から権殿に言伝を預かって参った。彼奴は建業の守りを固めるため、此度は従軍出来ませなんだゆえ」

 

「そ、そう…まぁ致し方ないわね。久焔の突破力は心強いけれど、先の山越戦での活躍を鑑みれば留守を預かるのは当然ね…それで、久焔はなんと?」

 

「うむ。『どこにいようが、蓮華の為に尽くすことに変わりはない。余計なことは気にせず思うように戦え』と」

 

「…………………………………そうか」

 

驚愕、忘我、歓喜、羞恥。

目まぐるしく表情を変え、やがて上がる口角を必死に抑えながら蓮華は一言だけ答えた。

耳まで赤く、視線も忙しなくあちらこちらを行き来しているが当人は取り繕っているつもりなのだろう。

 

「愛されておりますなぁ?全く羨ましい限り」

 

「愛っ!?い、いや、久焔は将としての心構えを説いただけであって…!」

 

「いやいやいや、これはもう愛の告白ですよ。傍に居なくてもあなたのことを想っているという健気な恋心…」

 

「粋怜まで!」

 

「かーっ!若いと言うのは良いのぉ!」

 

ここぞとばかりに野次馬根性を丸出しにし、寄って集って若者を揶揄う妙齢の女性2人が孫呉を支える宿将とは誰も思うまい。

しかし、こんな惚気を見せられて揶揄うなと言う方が無理である。

2人はもうこれでもかと言うほど蓮華を追い詰めていく。

 

「そうだ蓮華様、再会の折にはまた()()やるんですか?」

 

「ちょっ、やめなさい!」

 

「なに、アレとな!?なんじゃ口付けか、抱擁か!えぇい何故お主がそれを知っておる!」

 

「くぅ坊がここから建業に戻るとき、私達に見せ付けていったのよ。それはそれはもう素敵な別れの挨拶を……」

 

「〜〜〜ッ!!今は非常の時!斯様な与太話をしている暇はない!至急軍議を行う故、2人とも主殿に参れ!私は一度物見櫓を回ってから行く!」

 

とうとう限界を超えた蓮華がその場から逃走するまで、2人の手が緩むことはなかった。

肩をいからせて去っていく主将の方を見、ひとしきり笑った後に粋怜が問うた。

 

「ね、ほんとにくぅ坊あぁ言ったの?」

 

「本当じゃぞ?何か権殿を勇気付ける気の利いた伝言は無いのかと振りはしたがのぅ」

 

「なにそれ、誘導尋問みたいなもんじゃない。あー蓮華様かわいそ」

 

「彼奴の本心じゃ、何も問題はあるまい。権殿も肩の力が抜けていい塩梅じゃろうよ」

 

「良い性格してるわねー」

 

「一緒に笑っとったお主に言われとうないわ!で、アレとやらはなんじゃ、早う教えい」

 

「あ、そうそうその事よ!蓮華様がね……」

 

籠城戦の緊張はどこへやら、宿将2人の会話は暫く続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その北壁を遠巻きに見ている曹操軍陣中には、ざわめきが広がっていた。

それを齎した原因たる爽葉は、曹魏の猛将夏侯惇と真正面から視線をぶつけ合っている。

 

「ではなんだ。眼前に敵の最重要拠点がありながら、我々はそれを陥とさず指をくわえて籠城のさまを見ているだけと…軍師殿は、そう言いたいのか」

 

空間を捻じ曲げるのではとすら思わせる怒気が、静かに発せられた。

並の人間ならそれだけで膝を突き、震えを止められなくなるような殺意にも近いものをぶつけられて尚、爽葉は平然としている。

 

「そうだ。黄蓋は既に北壁に入った。ということは孫策の本隊も陸にあがっている筈。奴らが来る前に北壁を陥とせるか?伏兵にしてやられ、勢いを削がれて士気が下がりに下がっている今の俺達で?」

 

「士気が低いのは王朗はじめ新参の連中だ!華琳様に長く付き従ってきた軍の中核は未だ無傷!陥とせる!いや、陥とさなければならん!そも、孫策本隊を待ち構えるにしても北壁の孫権と同時に相手取らなければならん。自ら形成を不利にすることはなかろう!」

 

夏侯惇こと春蘭の声に、同調するような色が諸将の顔に見えた。王朗隊救出に出動し、到着した時には既に敵の影も見えなかった霞などはあからさまに不満を訴えている。

 

「いいか春蘭、逆だ。孫策は孫権救出のため遮二無二こちらへ駆けてくる。斥候も最低限の強行軍だろう。孫権も必死だ。俺達を釘付けにし、無防備な背を姉に晒させようと頑強に抵抗する。どちらも極限の緊張状態」

 

「だからその裏をかくのよ、頭使いなさい猪春蘭」

 

言を継いだのは桂花である。言葉もわからぬ幼児に言って聞かせるように、嫌味な程に丁寧に言葉を並び立てていく。

 

「孫権は、私達がいつ来るかいつ来るか、姉が来るまで持ち堪えられるかと心配事塗れになりながら過ごしている。あの蛮人…孫策も、妹が無事か、数で劣る自軍が上手く敵の後背を突いて一撃で事を決すことができるか、気が気じゃないのよ」

 

「む…」

 

「そんなところで、私達がいつまでも北壁を攻めなかったらどう思う?」

 

「安心…はしないか。不安が高まっていく」

 

「そうよ。その不安を高めるだけ高めて、私達は北壁の目の前で孫策とぶつかる」

 

「…ん?だがそれだと、孫策は安心するのではないか?孫権が攻められていないのだからな」

 

「おー、春蘭さん成長されてますねぇ〜。流石は曹魏一の勇将〜」

 

風が大袈裟に驚いた様子を見せるが、春蘭はそれに気を良くしたらしくそうだろうそうだろうと満足そうに頷いている。

それを見守る妹は幸せそうな顔で腕を組んでおり、瞼をひきつらせるのは稟のみであった。

 

「お、おほん。春蘭殿のご懸念ごもっとも。故に、我らは北壁を包囲するフリをして孫策を焦らせます。大軍で北壁を包囲しながら、背中側…つまり孫策が来る方向に主力を集中し、陣形もそちらを向いて構築します。言わば、北壁と孫権は孫策を釣る餌です」

 

「おぉ、なるほど!して、孫権がそれに乗じて我らの後ろに噛み付いてきた時は?」

 

「孫権は安堵し、姉と挟撃しようと勇んで城門から突出してくるだろう。無論、全軍でな。出し惜しみする場面ではない」

 

「そうか、それも待ち構えるのか。うーむ、二正面作戦か…」

 

「よくそんな言葉知ってたわね、バカの癖に」

 

「ぬ、これでも爽葉に不覚を取って以来戦術戦略にも気を使っている!日々成長しているのだぞ!」

 

「その割には殺意全開で俺に突っかかってきていたが」

 

「ははは、癖だ、許せ!」

 

怒気を霧散させ、豪快に笑う春蘭に周りの者達もやっと息をついた。

毎度の事ながら、戦の直前の軍議は異様に空気が張り詰める。刺し殺すような春蘭の質問に淀みなく答え、策を提示する軍師の面々は密かに度胸を尊敬されていたりする。

 

「よろしいですか、華琳様」

 

「えぇ。方針はこれで行きましょう。後は人員配置ね」

 

臣下達の活発な議論を満足そうに眺めていた華琳が、是と言った。

自らの考えをまず披露するのではなく、思う存分議論を戦わせてから出た結論を承認、もしくは是正する。昔から、華琳が好んだやり方だった。結論を出すのに時間がかかるという難点こそあるが、幕下の軍師達は驚くべき早さで戦略を構築していく。

特に爽葉の加入以降、曹操軍の戦略戦術は他の勢力が並ぶべくもなく冴え渡っている。

 

「英傑、孫策。戦闘特化集団、孫呉。この一戦ですり潰すわよ」

 

「「「「はっ!!!!」」」

 

主の威に打たれ、諸将皆々気炎を揚げた。

しかしその輪の中に楼蘭はいない。1人背を向け、すたすたと歩いて行ってしまっていた。

 

「なァんか嫌な予感がするんだよね…呂範の凄味にあてられたのがまだ尾を引いてるか…うーん、それなら僕が臆病なだけで済むんだけどなぁ」

 

ブツブツと独り言を漏らしながら、足元の石をひとつ蹴る。

嫌な予感が最悪の形で顕れるとは露とも知らず、楼蘭は首を捻り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、雪蓮達孫呉軍本隊は祭に遅れること2日、北壁に向け進発する準備を整えた。ここから北壁まで、早くとも5日はかかる。

 

「恐らく敵は北壁を1秒でも早く陥とそうと躍起になってるだろう。俺達はその背中をぶっ刺す」

 

「考えたくないけど、万が一北壁がもう陥落してたらどうするのさ」

 

「野戦が城攻めに変わるだけだ。祭さんが向こうに到着したら、入れ替わりで明命が本隊の方へ出発する手筈になっている。道すがら合流して話を聞いて、その時点で北壁が危ないなら軍船に詰んだ攻城兵器を引っ張り出すぞ」

 

「あれの輸送は中々大変でしたけど、無駄足に終わると良いですね〜…」

 

刹渦を中心に諸将が地図を囲み、作戦の最終確認を行う。

前提として、今回の戦では北壁の蓮華と本隊の雪蓮による挟撃策を用いる。

蓮華が祭、粋怜ら戦巧者を上手く指揮して曹操の軍をギリギリまで釘付けにし、総力をもって城攻めを開始したところを雪蓮が背後から噛み付く。

 

言うは易し、行うは難しの典型である。

 

孫呉(ウチ)の最強を立てて突っ込む。梨晏、お前だ。右翼は穏、左翼は亞莎が指揮しろ。俺は後陣から雪蓮と全体の指揮を執り、機を見て雪蓮の手綱を放す」

 

「そんな暴れ馬かなんかみたいに…」

 

「実際そうだろうが!目離すと最前線に突っ込んで返り血塗れになってんだぞあの大将!軍法で禁止するの本気で考えてんだからな!」

 

梨晏の咎めるような声に本気で怒鳴る刹渦。

雪蓮と刹渦、王と大都督の関係性がよく分かる。

 

「ほ、本当に私でよろしいのでしょうか……」

 

そんな中、今にも消え入りそうな声を出したのは亞莎だった。

 

元は一般の武官から始まり、蓮華に才能を見出されて身辺の護衛へ。そして人数指揮にも才覚を見せ、次第に武将として独り立ち。穏の指導を受け、阿蒙と言われた影はどこへやら、今や孫呉で久焔と並ぶ若手筆頭である。

 

ただ惜しむらくはその自信の無さ。

将の動揺は兵に伝わり、幾ら才があろうが十全の力は発揮出来ない。

その難点を克服さえすれば、亞莎は冥琳や穏をも超え、孫呉に絶対的な勝利を齎す最強の軍師として完成する。

 

刹渦はそう信じてやまない。

 

「亞莎、腹ァくくれ。冥琳が認めて、穏が見込んで、俺が信じた。そんなお前で駄目なら誰がやろうと駄目だ」

 

国家戦略を包が立て、戦場を亞莎が統括し、陣頭指揮を久焔が行う。

刹渦が、穏が、そして冥琳が考える理想の孫呉の未来には、若きの力が必要不可欠。

なんとしても、ここで経験を積ませたかった。

 

「その通りですよ〜。亞莎ちゃんは〜、私の自慢の弟子ですから〜」

 

「刹渦様、穏様……」

 

眼鏡越しに瞳を潤ませ、拝手した亞莎にはもう先程までの弱さは見られない。

 

「この呂子明、全力をもって孫呉に勝利を…!」

 

亞莎の力強い返事を聞き届け、刹渦は笑う。

未来の大都督が、一歩進んだ瞬間であった。

 

「決まりだ。で、肝心要の我らが御大将はどこにいやがんだ」

 

「さぁ…熱くなった身体冷ますために船で風に当たってるんじゃないかな。見てくれば、刹渦?」

 

多分のからかいを含んだ梨晏の言葉に、刹渦は心底嫌そうな顔をしている。

 

「あぁ?なんでわざわざ俺が……」

 

 

 

そんな時である。

 

 

 

「か、かきゅっ、火急の報せにございますーーーっっ!!!」

 

 

 

 

顔色を変えた兵が陣幕に転がり込んできたのは。

 

 

 

 

 

「孫策様が、孫策様がぁっ!!!うぅっ……うぉぉぉぉぁぁぁぁ!!!!」

 

流れが、変わろうとしていた。

曹魏も孫呉も、場に集う全ての人間を呑み込んで戦場の波はうねりゆく。

 

 

曹孫激突まで、あと僅か──




お気に入り登録100、本当にありがとうございます。
励みになりますので、今後ともよろしくお願いします。



因みに、刹渦は軍略では逆立ちしても魏の軍師陣に勝てません。所詮は冥琳のピンチヒッターとして打席に立っている似非軍師なので、刹渦が考える戦略戦術は99割読まれます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。